患者が混じっているだけ
315 :
考える名無しさん:04/01/13 14:26
患者〜先生〜哲学者(w
316 :
考える名無しさん:04/01/13 14:28
診てもらお
文脈病みたいな本をまた出して欲しい
319 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/01/20 18:48
>>318 東の問題意識に近づいていますね。
「人格は増殖する」っていう帯の言葉は自分も賛成ですね。
それで自分的には身体内部の複数主体は
多重人格で外部の方は多相人格と呼んでます。
そしてその身体外部の多相人格がマルチチュードとなって
グローバル化する権力に対抗できるかどうか。
…だから読んでみたいですね。
ラカンの厳密な理論と現実をどう折衷させるのか。
320 :
考える名無しさん:04/01/20 19:18
高い
321 :
考える名無しさん:04/01/20 19:24
鬱になれ!・・・といわんばかりの○○○。
322 :
ha ha:04/01/20 19:37
天皇萌え。
323 :
考える名無しさん:04/01/20 19:38
なぬの!!
324 :
考える名無しさん:04/01/20 19:44
女今上萌え萌え!
325 :
考える名無しさん:04/01/27 07:52
↑ アンフェアだな……。
伸びまくってるのね。
ひっきーの神
仕方ないよ。
人間には誰でも、あまり知られて欲しくないところというのがあるものさ。
329 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/02/01 23:18
環先生が書いたものを読むとさすが医者だなと思いますね。
手続きを踏んで慎重に論を進めますね。隙がないですよ。
確かに臨床は妥協と折衷の産物であるべきです。
人体(精神)が対象だから創造的な芸術であってはいけない。
しかし東の乱暴な図式化には萌えるんですね。
ドゥルーズ・ガタリや柄谷・浅田のように東・環とコンビを組めば更に萌えますね。
ここで反転可能な多義図形のアスペクトを自分は萌えの原理にしてます。
単に消失点がない平面的な図形と反転図形・あるいは視座とは違います。
そのアスペクトが大きな物語のない世界での人間的なものではないかと考えています。
そしてアスペクトはクリプキのウィトゲンシュタインのパラドックスと同じ根の問題です。
規則は行為を決定できないし盲目的に従っているので選択もできない。
しかし事後的な規則に従っているという評価の次元が言語的な規範性を生み出します。
というわけで東に転移したままラカンを否定神学だと言うのは飽きたから
ウィトゲンシュタインによってラカン…というよりジジェクを読んでみます。
で、『解離のポップ・スキル』はどうよ?
立ち読みした限りでは文脈病の続きのような感じがしたが
331 :
考える名無しさん:04/02/03 02:21
哲学思考(嗜好)ってもしかして精神病なの?
332 :
考える名無しさん:04/02/03 02:25
病かどうかは、生産性の秤が判断する事だ
尊厳を無くすことはなかろう
ただ病でなくとも
気質によるところは大きいと思う
この板では「鬱」が慰められるが
「躁」が叩かれる
そんな光景をいくつか目にした
333 :
考える名無しさん:04/02/03 17:53
なるほど、哲学嗜好は「躁病」だったのか
>>325>>328 あのスレだけど、どんな臨床家・運動家にも、多かれ少なかれ斎藤程度の悪評はある。
だから免罪される、という訳でもないけど、あのスレで取沙汰されている問題も、
稲村派に限定せず、精神科や不登校運動圏領域共通の暗部として捉えた方がいいと思う。
斎藤と敵対している不登校運動圏の人間にしてからが、精神科的投薬・入院こそ強いないかも
しれないが、相当に善意で子どもをスポイルしている側面があると思うがねえ。スレ違いスマソ。
335 :
考える名無しさん:04/02/09 03:55
あのスレで問題にされていた事は、そんなに漠然としてなかったと思うけど。
稲村派(直接にはその中の斎藤)に、重要な問題があると理解できる話題だったよ。
それに、その話を持ち上げている人は、不登校関係者な印象じゃなかった。
斎藤支持派は、批判意見は全て、既に対立が明確になっている不登校関係者扱いにしたり
固有特定の問題を一般化して、問題指摘の色合いを薄めようとしてますね。
確かに批判者の中には、ステレオタイプの左派不登校関係者もいたけど、
そればかりじゃないのは認めざるをえないでしょうに。
>>335 自分は別に支持者じゃないけど。
>固有特定の問題を一般化して、問題指摘の色合いを薄めようとしてますね。
そういうつもりではないが、あの程度はああいう方面ではよくある話なんだよね。
それはそれで悲しいことだけど・・・。
「固有特定の問題」に限れば、あのスレで「裁判、裁判」と大騒ぎしている人がいるけど、
明らかに順序が違うんですよ。
すでにそういう裁判を起こしているなら、2ちゃんに来るよりも、自分たちでサイトを
作るなり、ジャーナリズムに訴えるなりした方がいいと思うんですよね。
斎藤の息の掛かってなさそうな雑誌(「噂の真相」とか「創」とか「世界」とかね)にね。
だいたい、斎藤がどんな問題を起こしているかも、全体像は批判している人たちだけが掴んで、
ギャラリーはカヤの外だったですからね。数スレ費やして、やっと見えてきた始末で。
こういうハッキリしないところがヤだね。スレ違いですが。
337 :
考える名無しさん:04/02/09 19:37
なーんだ、あんたあのスレの「粘着信者」か。
じゃあ、ナニをいっても通じないですね。ヤメときます。
自分の都合よく物事まげたり、「〜たち」って意味不明の複数形捏造癖も相変わらずですね(藁
あのスレの状況、あんたの言うほど、ミョ〜じゃなかったと思いますけどね。
あなたは浮いていて、何度も複数から叩かれてましたけどね。
何の利害もないのに(むしろ害があるかもしれない)、そんなにしてまで斎藤氏擁護、異常ですね。
斎藤氏とは直接面識はない、媒体通しての信者らしいよね?
「す ご い 」ファン心理ですね。。。お大事に。。。
338 :
考える名無しさん:04/02/09 19:59
書きこみの文体をみる限りでは337の方が厨な臭いがする。
339 :
考える名無しさん:04/02/10 00:38
文体って。。ここの反応、ナチュラルに現実離れし過ぎててオモシロイですね。
世の中、きっと色んなライフスタイルが存在してるんですね。
いや、平和でなにより、という意味ですよ。誤解無きように(○
>>337 >2ちゃんに来るよりも、自分たちでサイトを作るなり、ジャーナリズムに訴えるなりした方がいい
と、マジメに提言している私が「信者」だと? このアドバイスは、皮肉や挑発
ではなく、半ば本気で言ってるのですけどね。
>>339 を見てもわかるけど、あのスレの批判者(たち、とか書くと、なぜか捏造になるらしい)
は、独り合点で物事を書き散らす人が多い。「裁判」の中身、稲村派の医療
現場の問題点も、明快な状況が見えてくるのに、数スレ掛かりました。
(まあ、その「裁判」にせよ、いまだにいつ起こった事件なのかすら、ギャ
ラリーは誰も知らないんですけどね)
そろそろ、独り善がりは卒業して、次のステップに進んでくださいよ。
たびたびのスレ違いで申し訳ありませんが。
341 :
考える名無しさん:04/02/10 09:46
>そろそろ、独り善がりは卒業して、次のステップに進んでくださいよ。
これ、あなたが別の場所で散々言われてたことじゃないですかあ。
同じ斎藤スレでも別スレに来たら、バレないとでも思ってるのかな(○
「粘着信者」バレバレですのに。
あなたが悪く言ってる対象、実際はあなたが言うほどバカみたいじゃないじゃないですか。
それを捏造といわれてしまうのでは無いでしょうか?
あなたのそういう幼稚なところが、複数(多数といってもいい感じでした)の人から嫌われてましたけど。
>>341 スレ違いなので、これで最後にしますが・・・。あのスレにおける主な批判点を強引
にまとめますと、
・斎藤は臨床現場で問題を起こしていて、裁判になっている。
(→具体的に、どんな裁判なのか、数スレ掛かってやっと見えてきました。それに
しても、いまだに、事件の全容は書き込んでいる人間しか知りませんが)
・稲村派はかつて(現在も?)、不適切な薬物投与・入院治療を行っていた。
(これも、具体的な事例報告が少なくて、第三者には判断しようもなかった。
判断に足る事例が固まるのには、やはり数スレ掛かりました)
・斎藤はネオコン的ムードに便乗している引き出し屋である?
(この批判の元ネタは高岡健氏なんですか?)
・斎藤の不登校運動家批判・稲村擁護は都合のいい論理展開をしていて、アンフェアである。
この4つがエンドレスで繰り返されている、と言っていいと思います。
少なくとも前者二点については、説明不足のそしりは免れないのではないでしょうか?
>>336>>340で私はそれを申し上げているだけで御座います。
>>342 哲学板では一連の話は知られていないのだから、
そういう知識前提の書き込みはウザイ。
どうせならぼかしている部分を一度もっと明確にまとめてみろ。
じゃなけりゃ本スレに逝け
>>343 要するに、あのスレは、斎藤批判サイドが
>>342の4大論点を、エンドレスにここ数
スレ、延々と書き続けているだけなのであります。
それに異議を差し挟んだり、説明不足な疑問点を質問すると、信者にされる怖いス
レなのであります。
たびたびのスレ違い、申し訳ありませんでした。もう私はここには来ません。
失礼致します。
345 :
考える名無しさん:04/02/11 08:35
レス番名前の某スレ粘着厨さん、いい加減にして下さい。
その話に関心があれば、みんなそのスレ等、情報を自分で確認するでしょう。
粘着厨が自分勝手な説明しても、それだけでは到底真実はわかりませんし、
誰も鵜呑みにはしませんので。悪しからず。
前にひき板の環スレを見たとき
何の話をしてるのかわからなかったので
>>342 に感謝。
347 :
考える名無しさん :04/02/12 08:42
斎藤さんてラカン派なんですか?
ラカン派といわれる人の本を読んでもよくわからないんですが。
斎藤さんの本はわかった気がします。
348 :
考える名無しさん:04/02/12 11:16
>>345 また来ちゃったけど。なんでそう必死なんですか? 僕が信者だったら、こんなに
親切に(苦笑)要旨をまとめてあげる訳がないじゃありませんか?
自分自身は、もう斎藤スレに興味は失っているのだけれどね。これ以上のネタが出てこない
ことはもうわかりきってるし。
老婆心ながら、批判している人たちも、早く
>>336みたいな戦略を取って、次のステッ
プに進んだ方がいい、とは思いますが。
>>347 そうなんだよ、ここは哲板なんだよな。お目汚し、スマソで御座いました。
350 :
一尺八寸 尽:04/02/13 11:18
斎藤環って犬みたいな顔だね。
押井守と対談してもらおう
352 :
考える名無しさん:04/02/13 15:16
>>349 その必死さ、傍目にもだんだん見苦しくなってる。
相手への罵声がそのまま自分を指しちゃう。
鏡に向かってしつこく独り言を言っている
男の画が浮かんできたよ。
日本最高のラカン読解者のスガ秀実と対談したほしい。
スガちゃんは柄谷によれば、日本のジジェクらしいからね
じゃあ「プロ独」とか「天皇制」とかも
左翼的にマンセーするのか?
映画「インディオッツ」 監督:ラース・フォン・トリアー
359 :
考える名無しさん:04/02/16 00:14
360 :
考える名無しさん:04/02/16 00:16
斉藤も東も最近は、対談しか出さなくなってきた。
第二の浅田になりつつあるな。
>2ちゃんに来るよりも、自分たちでサイトを作るなり、ジャーナリズムに訴えるなりした方がいい
2ちゃんねるのほうが目にする人は多いと思われ
>>335 「不登校運動圏」と称するものが334のどうやら仮想敵らしいね。
あっちのスレでも同様の呼び方を繰り返していたね。
どうやら脱学校的な思想や実践に敵意や脅威を感じている思想の持ち主のようだ。
斉藤環氏はひきこもりの男女がHするのを好ましいと思っているようだが、
実際はひきこもりの原因こそ婚前性交渉の容認による価値システムの崩壊なのだ。
つまり男が勉強や仕事をするのはそれで得たカネで女を獲得(してH)するのが目的だが、
タダで女とHしていいことになると男は働く意味がなくなり、すべてのシステムが崩壊するのだ。
小倉千加子は少子化の解決に最も有効なのは姦通罪の創設だと言っているが、
それと同様にひきこもりの解決に最も有効なのも婚前性交渉の禁止なのだ。
>>360 斉藤は今度のベニス・ビエンナーレでアーティスト・デビューするらしいが。
>>363 いかにもネオコンが思い付きそうなことだなw
366 :
考える名無しさん :04/02/16 14:53
どうであれH関係を公的にすることは効果は無いよ
よく考えいてみーや
あぼーん
>>363 「そんな事言ってないだろ」
まず本人がそう言うでしょうね
369 :
考える名無しさん:04/02/29 16:38
人の数だけ斎藤環がいるな
370 :
考える名無しさん:04/03/06 02:14
人の数だけ糞尿も出る。毎日何千萬、何億d?
371 :
考える名無しさん:04/03/09 06:15
世界中がウンチでてんこもりなんだね
372 :
考える名無しさん:04/03/12 16:56
しっかし・・・・今ざっと見たが
334必死だな(藁
「これで最後にします」と何回も言いつつ書いてやがる。
どうりで某スレで煙たがられてるわけだ。
タマキンの関係性とパヤオの宗教性で
闘ってくれ!!
374 :
考える名無しさん:04/03/14 20:18
たまきん的に言うと
蹴りたい背中=ひきこもり系
蛇にピアス=自分探し系
なのだろうか?
376 :
考える名無しさん:04/03/17 20:24
この世界で毎日ウンチが何千d。ボクの街でも毎日何百`?
こうしてる間にもどこかでウンチがむりむりヒネリ出されている
377 :
考える名無しさん:04/03/17 22:48
増加する休職、教職員にも心の病 7割原因不明、40代最多 埼玉県教委
うつ病や自律神経失調症など精神性疾患で休職している教職員が98年度以降
増加傾向にあり、01年度は183人、02年度も178人に上ることが7日、
県健康教育課の調査で分かった。02年度は、他の病気・けがによる休職者1
81人とほぼ並び、「心の病」で悩む教職員が少なくないことが明らかになっ
た。県教委は「増加の理由は不明」としており、稲葉喜徳教育長は同日の会見
で「心身両面の健康の保持、増進のため状況を改めて把握し、対処法を検討し
たい」と述べた。【堀文彦】
調査は毎年、市立高校を除く県内の全公立学校約1450校を対象に実施。0
2年度の精神性疾患の症状では、「うつ病」が最も多く約65%。次いで、疲
労感、頭痛などを訴える「自律神経失調症」が約15%、不安感に襲われる「神
経症」が約10%だった。原因は「仕事上の悩み」が約15%、「職場の人間
関係」「家庭生活など私的な問題」がそれぞれ約7%。約70%は原因不明だ
った。
年代別では、40代が最多で73人(41%)。50代55人(31%)
▽30代44人(25%)▽20代6人(3%)――と続いた。年代や役職で
休職割合にほとんど違いはなかった。休職期間の平均は12・3カ月。早くて
約3カ月で復職し、2年以上かかるケースも1割程度あった。
教職員には年間90日以内の病気休暇が認められているが、完治しない場合
には3年を限度に休職できる。病気休暇では給与が全額保証されるが、休職は、
初年度の給与は2割削減され、2年目以降は支給されない。
同課は、教職員が精神科開業医に相談できる「こころの健康相談」を川越、
春日部、熊谷の3カ所に設けている。02年度の相談件数は、前年度比9件増
の31件だった。[毎日新聞2004年1月8日埼玉版から]
坂本龍一に似てない?
むしろ細野晴臣。
380 :
考える名無しさん:04/03/18 12:30
環の代表作といったら、何?
>>378-379 むしろ、ルックス的にも思想的にもキャラクター的にも
安倍晋三に似ていると思う。
382 :
考える名無しさん:04/03/19 01:36
思想的に安倍晋三?
うーん、どうなのかなあ・・・?
環って、リベラリストかというと違うし、
一応護憲派だし、戦後民主主義的であると言えばそうなんだけど(大塚英志とも立場が近いような)、
かと言えば、東浩紀や宮台真司的な(あるいは、心情的には大澤真幸を支持したい?)リベラルな
ところを肯定しつつ、でも社会を切り捨てることはしないでしょう? 環。
特に、仕事上個人と社会の関係を切り離した言説はあまりないから。
それに「趣味的には」右翼的とは言わないまでも、保守的なもの(あるいは「和」?)が好き見たいだし。
・・・・・・で、結局は宮崎哲弥的な所に落ちつくのかなあ。
って、論壇の人物しか挙げてないけど。
リアルポリティクスではねえ・・・・・・、どれになるんでしょう。
やっぱ、安倍晋三なのか?
ぶっちゃけ二世だし。
384 :
考える名無しさん:04/03/19 13:03
何はともあれ 時代は斎藤環だね
385 :
考える名無しさん:04/03/19 14:41
キチガイ相手の商売が今一番儲かるだ
あぼーん
387 :
考える名無しさん:04/03/20 04:38
何はともあれ、しょせんは地球上で毎日大量のウンチが生産されているに過ぎないのだよ。
イッツ・ア・ウンチフルワールドなのだ。
ホワット・あ・ワンだふる・ウンチフル・ワールド!!ヽ(^0^)ノ
388 :
考える名無しさん:04/03/20 18:51
389 :
考える名無しさん:04/03/22 01:16
田中康夫嫌いみたいだね
この人ねぇ、
物凄く公平な視点でものを語っているみたいに書くのがウマイのね
ウマイけど、根底にあるのは自己愛でさ
普遍化・一般化してあるけど、
早い話が自己弁護なんですよね
「ひきこもり」という形を借りた
じぶんに近い者しか語らないんですよ
そこが残念ですね
392 :
考える名無しさん:04/03/22 02:09
>>390 自己愛を越えられないのは精神分析の公準じゃないのか?
>>392 うん
最終的に自己愛だって言うのはまだいいんですけどね
行間を読むと、どうもこの人の物言いは「自己愛」なんかじゃない
この人のは「斎藤環愛」なんですよ
なんちゅうたらいいかなぁ・・・
394 :
考える名無しさん:04/03/22 02:19
>>390 いいとこ付いてる感じ。
でも、世の中の著述家のほとんどがそうだったりして。
だって、自分の実存や利害に明らかにデメリットになるような
理論を選択・構築できる人の方が、すごいレアな感じがする。
そういう人がホントの天才なのかなぁ?
>>394 ああ、そういうタイプの人間が「鼻に付く」
・・・・とは別に思わないんですよ
むしろ私は「ああ、すげぇな」ってスグ騙されちゃうほうで
言うても、この人はやっぱり相当レアな部類の人間だと思いますけどね
なんといっても分析力ですよね
396 :
ウンチフル:04/03/22 02:32
>>388 そうそうばたやん。
クッテネテ(;´Д`)ハァハァじょロリンボットン
クッテネテ(;´Д`)ハァハァじょロリンボットン
これ最高。
おお、ちゃんと軽いジャブのつもりで書いたレスに返してくれてる。
いや、実際、環はそんなにコミュニカティブな人じゃないでしょう?
あの人自身は話せば大体打ち解けれる人らしいけど、
でも能動的にコミュニケートする人じゃなさそう。
東はどうしても友達みたいだしね。いいんだけど、個人的には面白いから。
で、390氏の言ってることももっともだし、
あの人は、とにかく論壇や読者の期待にこたえてあげるのが上手いなあ、と。
良くも悪くもそういうことしかしてないでしょ。
もちろんそれも自覚的な振る舞いなんだろうけど。
398 :
ウンチフル:04/03/22 04:01
ぶは。あなたは有名なネバネバ納豆粘着信者くんですね。
ネバネバウンチむりむりっ
タマキンの未知の世界「学習障害」が放送大学でやってる
ベネチアビエンナーレに参加というのはマジなんだろうか。
キュレーターとしては案外面白いとこ突きそうだが・・・。
ビデオアーティストとかとつるんで「文脈病」の映像化とかしてくんないかな。
402 :
ウンチフル:04/03/25 00:59
ウンチフルな映像きぼんぬ
403 :
考える名無しさん:04/03/25 01:35
>>400 オタクのゴチャゴチャな部屋を再現するんだよ>環
ゲームラボって雑誌で、部屋晒してくれるヲタクさん募集
って告知してたし。
きっと抱き枕とかもあるんだろうなあ。
404 :
ウンチフル:04/03/25 05:19
無駄なウンチと無駄な精子の排出工房の再現ですか!?
Oh!Yeah!What a untiful!!
405 :
考える名無しさん:04/03/25 23:37
自己愛はとーぜん。
他人に迷惑がかからないかどうかだけが問題。
自己愛が相似形への愛から他者への愛へと展開するのも当たり前。
自己愛批判するヤツの自己愛は?
406 :
考える名無しさん:04/03/26 02:29
(最終的に自己愛だって言うのはまだいいんですけどね
行間を読むと、どうもこの人の物言いは「自己愛」なんかじゃない
この人のは「斎藤環愛」なんですよ)
407 :
考える名無しさん:04/03/26 17:57
>>403 結局のところは、低俗な好奇心に訴えかける晒し上げ屋だな。
408 :
考える名無しさん:04/03/26 22:08
>>407 そういう展示をしたいと言ったのは森川だぞ?
409 :
考える名無しさん:04/03/27 11:27
>>408 そういうSPA!的な仕事に積極的に荷担してるじゃないか。
巧妙に言い逃れの言い訳を用意しつつ。
>>409 斉藤環は精神科医としてみても学者肌じゃないからな
十川のような学識と比べちゃいかん。
411 :
考える名無しさん:04/03/27 13:14
>>409 何が気に食わないんだ?
これ以上批評的に強い展示はないでしょう。
しかも性的な要素が入るんだったら、それこそラカンの独壇場だろ?
>>410 うむ。業界内では失笑買ってるといいますからなあ。
斎藤環の立ち位置
学会→キワモノ扱いされているけど笠原直系ひきこもり研究のパイオニア
批評→気鋭のラカニアン 中途半端に深く広い見識で多方面から引っ張りだこ
オタ界隈→東に比べると反撥も少なく人気
アーティスト→???
アーティストに受け入れられるわけないだろう
ダーガーについて適当に書いて丹生谷の怒りも買っていたほど。
415 :
考える名無しさん:04/03/28 01:15
416 :
考える名無しさん:04/03/28 03:08
日本の伝統美も萌えにとって変わられるんだね。
ツッコミどころ満載という以前に、キワモノすぎて滅多に相手にされまへん。
とりあえず「オタクの部屋」イタリア人は面白がりそう。
環、コンスタントに「美術手帳」に掲載してるし、そのあたりの業界にも
受け入れられてると思うけど。「文脈病」の吉田戦車やリンチとかの
症状なき分裂症圏内の表現者たちの系譜学みたいなのっていいとこ突いてると
思うし、草間ヤヨイへのインタビューも面白い言葉引き出してたと思う。
>>413 >ひきこもり研究のパイオニア
ってのも、それまでの閉じこもり研究の名称だけ言い換えただけでしょ?
>>420 何を言わんとしているのかな?
もうちょっと詳しく言ってくれんか。
>>421 80年代から不登校や閉じこもりに関する研究書や一般書でいわれ
ていたことのほとんどコピペに過ぎないということ。
パイオニアと呼ぶのはどうかと? ひきこもりという言葉は
斎藤環氏がはじめて用いた言葉なの?
>呼ぶのはどうかと?
?が余分だった。
>>422 「ひきこもり研究のパイオニア」とは、環が「自称」したの?
本の紹介に書いてあることって、編集者が書いたものだよねえ。
環はこれまで一度も、「ひきこもりという現象を私が発見した」などということは言っていない。
ひきこもりを目の当たりにしたのだって、大学の稲村教授(故人)の研究室に入って
初めてのこと。
(だからもし言うなれば、稲村氏の方がパイオニア的存在。環自身そう言っている)
>420=422(?)の言っていることは、
批判でもなんでもなく、単に環が嫌いだから難癖をつけている、
というレベルの話でしかない。
なんで難癖vs信者の構図に持っていくかな。
その指摘自体が自分を信者ポジションに追いやる行為だというのに。
自分(424)は424において、環を持ち上げることもなにも書いていないよ。
単に事実レベルの書きこみをしている。
>420や>422に批評的あるいは批判的な、要するに、
「話になる」要素を入れなさい、と言っているに過ぎない。
というか、もうちょっと調べてから書こう。
427 :
考える名無しさん:04/03/29 12:44
斉藤のひきこもり研究は、
論壇デビュー以前のもので、
そこでは春日っぽいポジション(症例にたいしてことさら距離を取る)が表明されていた。
けれどその後いわゆる現代思想シーンに入るようになってから、
文章のスタンスが変化したと思います。
症例に対するシンパシーの度合いを強めるような記述とか。
斉藤環1(臨床家)と斉藤環2(批評家)を使い分けている感じ。
個人的に不信感を抱くのは、
2における発言を本当はどうでもいいと思っているところ。
なら臨床に専念してまともなモデルを作り上げて欲しい。
特に「解離」の濫用が鼻につきます。
多重人格が好きなんだよ
でもひきこもりは嫌い
これで説明がつく
あぼーん
>>427 仕事的には今が絶頂期で、それゆえ危機的状況にある感じが
なんというか彼の文体自体が神経症的になったような
>>424 >「ひきこもり研究のパイオニア」とは、環が「自称」したの?
>>420 >>422 には環が自称したなんて一言も書いていないよ。
>>420 は
>>413 の書き込みにレスしているだけだろう?
>批判でもなんでもなく、単に環が嫌いだから難癖をつけている、
それこそ
>>424のまったく被害妄想に基づく難癖だろう。
>>433 そんなことより427のような問題の方が重要だろう
435 :
考える名無しさん:04/04/01 08:42
「斎」の字くらい正しく表記しれ
436 :
考える名無しさん:04/04/03 12:23
肝腎なところはいつも運動任せ
437 :
考える名無しさん:04/04/03 12:25
臨床家として偉い人だとは思うけど、
一番警戒したくなる人間でもあるね。
「敵に回しちゃいけない」と
どうも余計な力を入れて見てしまう
438 :
考える名無しさん:04/04/03 12:28
>>437 あんた書き手ですか
一般読者はそんなこと気にしないって
439 :
考える名無しさん:04/04/03 13:02
私は気にするのっ
元日本代表Jリーガーでサッカー解説者の堀池って人に似てる
>437
>臨床家として偉い人だとは思うけど、
なにを根拠に?
443 :
考える名無しさん:04/04/05 00:20
>>442 >437(多分、環のクランケ)を満足させる、ということでしょ。
437は、自分を非常に治癒し難い患者だと認識していて、
薬物両方では救いきれず、精神療法は凡百の精神科医より自分の方が詳しい、
その自分に対し常に自分の思考を上回ってくれるか、ないしは手応えのある
面接をいつもしてくれる。わたしのような厄介な患者を毎日相手にしながら、いくつも連載を持ち、
そのどれもが、それぞれの文脈において強力だと感じる。
というわけで先生はスゴい!
という風なカンジだと思われ。
メンヘル板に行けば、患者が医者の本を読んでいることが多いと気付く。
フロイトの患者もそうだったし、
これは伝統といってよいのだろう。
445 :
考える名無しさん:04/04/05 07:36
患者からは、建前上は宗教みたいに奉られてるけど、腹では警戒しまくられてる
ということか。
たしか転移って、恋愛沙汰だけじゃなくて、
そういうの(本を読んでいるとか)も含んだ意味で使うんだよな。
え〜っと
人を褒めてはいけませんでしたか??
ただ偉いと思っただけですよ……
患者さんは信じていればいいんです
なんで世間一般のマスメディアが
専門家の言うことを無条件に聞き入れるのか
……全部しゃべる気にはなりません……
450 :
考える名無しさん:04/04/05 19:46
斎藤環も尊敬している精神科医のひとりである中井久夫は、ある著書の中でこう記している。
精神科医を高しとする患者は医者ばなれできず、結局、かけがえのない生涯を医者の顔を見て送るという不幸から逃れることができない、と私は思う。
いまの社会人は広い意味でみんな患者なんだよ
早く気づいてよ
452 :
考える名無しさん:04/04/05 21:27
>>451 現代社会は病んでいると仰りたいんですね。
それだけじゃないです
「患者」が量産されているのです
現在進行形で!
455 :
考える名無しさん:04/04/06 01:04
>>448 マスコミは常に専門家依存というか、
「とりあえずその筋の学者の中で、メディア露出を嫌がらない人間から
コメントを取っておけ」
という傾向があるからな。
さらに、そういうのを消費したがる読者が多いからだろうな。
>>453 言いたいことはわかるよ大体。
え〜と、できれば代わりに説明してほしいな〜(ダメ?)
フーコー嫁。
それで終わり。
いやいや、453の認識をお伺いしたく。
いや批判目的叩き目的じゃなくね。
凡庸な反精神医学を出されたら困るけどさ。
むしろ458逝ってよし。
>>458 ん〜その、453がすべてです……
お恥ずかしながら
461 :
考える名無しさん:04/04/06 14:56
どうしたら、環のクランケになれるの?
>>460 いや別にハズカシかないよ。458のしつこさはキモいが。
その一言は、事実の一端を言い表してる。
463 :
考える名無しさん:04/04/10 12:02
斎藤環の思想的なルーツの話してよ。
ただのラカン派じゃないでしょ、彼は。
「マトゥラーナ」のこと知りたいわけ。
何の人、この人?
ディドロといえばダランベール
マトゥラーナといえばヴァレラ
466 :
考える名無しさん:04/04/10 19:57
オートポイエーシスが鍵。
467 :
考える名無しさん:04/04/10 20:20
ロンパリ
468 :
考える名無しさん:04/04/11 03:50
たまきんララライろんぱりララライたまきんララライろんぱりララライ
たまきんのさわさわすぅ〜
470 :
考える名無しさん:04/04/13 20:24
東京放送系
BATTLE TALK RADIO アクセス
トークパーソナリティ 宮崎哲弥
ナビゲーター 長峰由紀
に本日出演
471 :
考える名無しさん:04/04/14 19:35
たまきんララライろんぱりララライたまきんララライさわさわすゥ〜ララライ
たまきんララライろんぱりララライたまきんララライさわさわすゥ〜ララライ
たまきんララライろんぱりララライたまきんララライさわさわすゥ〜ララライ
472 :
考える名無しさん:04/04/16 18:25
斎藤先生って今井君に似てるよね。
473 :
考える名無しさん:04/04/16 18:31
視野が広そうだ
>>472 似てねーよ。
環はもっと全然ダウナー系だろうがYO!
475 :
考える名無しさん:04/04/17 16:34
そういえば、今月号の「諸君!」に掲載されている中井久夫を批判する文章はどうよ?
「危ない精神分析」ていう本の訳をやった人が書いてるんだけど。
476 :
考える名無しさん:04/04/17 23:30
あの目、確かにダウナーだよな。w
477 :
考える名無しさん:04/04/19 03:05
ろんぱりララライたまきんララライ
478 :
考える名無しさん:04/04/19 03:26
この人の議論って荒っぽい。
わかりやすさ重視のためなんだろうけども。
479 :
考える名無しさん:04/04/19 11:39
>>479 ちっちゃいよw
見たことがある人じゃなきゃ分からん。
ちなみに真ん中ら辺で立ってる灰色のスーツの人が環タソ
481 :
ウンチフル:04/04/19 20:34
たまきんララライろんぱりララライ萌え萌えララライウンチフル
482 :
ウンチフル:04/04/19 20:36
たまきんらららい ロリ萌えらららい ろりろりらららい ろんぱりららい untifullyらららい
483 :
ウンチフル:04/04/19 20:41
rori moe ota london-paris untifull tamakin lalalie
484 :
考える名無しさん:04/04/19 23:10
>>474 顔だけの話だったんだけど……
さすが哲学板というか、視点が違うなぁ
485 :
考える名無しさん:04/04/19 23:32
パリ―筑波
486 :
ウンチフル:04/04/19 23:46
tama rori moe ota paris-tsukuba-london ra-ra-lie
>>484 顔だけの話だろ。
今井の目と環の目全然違うだろ。
今井>カッと見開いた目
斎藤>眠そうな目
488 :
ガクガク:04/04/23 10:14
>>249 > raison d’etre のこと(w? 柄谷オタってこんなもんだな。
> 本家同様語学がお粗末
ゾーン=レーテル(Sohn-Rethel 1899-1990)だよ
490 :
考える名無しさん:04/04/23 14:19
491 :
ウンチフル:04/04/24 22:47
>>488 >大森南朋という役者さん
ケンタッキーのTVCMに出ている人
斎藤のラカン解釈ってどうなのよ
494 :
名無しさん@社会人:04/04/28 19:53
>>493 自称異端だが他のラカン派よりいいでしょ。
システム論の導入がよかったかな。
>>494 >システム論の導入がよかったかな。
はぁ? システム論を理解してんのかって感じだよ。
497 :
名無しさん@社会人:04/05/01 12:24
初歩的ですまんです。
環ちゃんが導入ちたシステム論とは何ですか?
というかどういうものなの、システム論て。
宮台はシステム論なんでしょ?
心理学でシステム論とかあるの?
499 :
名無しさん@社会人:04/05/02 02:36
>>494 導入ではなく河本のシステム論を斉藤なりに検討しているレベル。
>>498で紹介されているテキストは参考になるが、心理現象へのシステム論の
応用なり適用は簡単ではないと思われ。それを批判検討するのも困難。
そもそも内部と外部の境界混乱でもある精神疾患を、内部と外部を完全に峻別する
システム論で論じることが可能だろうか?
以上私的な疑問に過ぎないが。
500 :
考える名無しさん:04/05/03 12:39
そもそもシステム-環境という概念自体がなんにでもいくらでも適用
できるような恣意的な概念なわけでしょう?
ルーマンのいうような社会システム論を言い換えるならば、それは
いわば「まなざしのシステム」論なわけで、それを定義する主体自身の
自己言及的なシステムを指しているわけだよね。
だから、斎藤が「ひきこもりシステム」と呼ぶシステムは斎藤自身の
自己言及的システムを意味していると解すべき。
501 :
ウンチフル:04/05/03 19:26
とりあえず、ウンチフルな輩であることはまず
マチガイナイ。
Oh!!!!No!!!
that`s untifull!!
What a untifull man he is!!
502 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 20:01
>>499 それは大きく誤解しているのでは?
斉藤氏は精神分析とシステム論の併用を行っているわけです。
というのは、たとえばある人が引きこもりである場合には、
なぜ彼は引きこもりになったのかという因果関係的な問いは
いままでの患者との対面によるラカン的な精神分析でいいのです。
ただ現代社会はそれだけでは問題は解決しないといっているのです。
それは、ひきこもりが社会現象化しているからです。
このような社会問題としてひきこもり論を語るときには
社会システム論的な分析が必要だろう。
というのは、ひきこもりの人は、情報としてひきこもりが
社会現象化していることを行っているからです。
だから情報として、私は社会でいわれているひきこもりなんだと、
いう視点をもってしまっているのです。
このような自己言及的なシステムとして、引きこもり現象が
現れているのですね。
503 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 20:03
このような因果関係論と共時的なシステム論の併用による
分析は、現代の社会分析ではかなり一般的な手法?化
していると思いますよ。
>なぜ彼は引きこもりになったのかという因果関係的な問いは
>いままでの患者との対面によるラカン的な精神分析でいいのです。
キミは斎藤の本を読んだことがあるのか?
・・・まあ、ないというとは思わないんだけど、
そうしたらもっと深刻だよ。
505 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 20:22
>>504 ポイントがずれてますよ。それが2ちゃんですが。
ひきこもり当事者が、ひきこもりが社会現象化しているという認識を持つ以前から、
斎藤はシステム論的にひきこもりを扱っているのだが。
507 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 20:38
>>506 意味が良くわからないね。
斉藤氏はひきこもりのみを対象にしているのですか?
斉藤氏は情報化社会における精神分析にあり方として、
精神分析とシステム論の併用を行っているわけです。
508 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 20:39
そもそもそのような質問をすること自体が、
システム論の射程を理解していないですよ。
>斉藤氏は情報化社会における精神分析にあり方として、
>精神分析とシステム論の併用を行っているわけです。
そんなこといつ斎藤が言った?
ていうか、最近の哲板にいる電波の一人を相手にした当方が悪かった(その他大勢に対して)のだが。
510 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 20:51
>>509 あまり読んでいないのですね。
わたしは斉藤氏の中でこの考え方に一番共感しました。
システム論の射程がわからないと重要性がわからないでしょうね。
「電波を相手にして」は、2ちゃん流の衝突回避シグナルですね。
お互いがんばっていきましょう。
まずこの板は
ボンさんはネットにしかいなくて本読んでないでしょ?
読んでいないって言っている人は
斎藤に代わって説明してみてよ。
あぼーん
斎藤は「社会システム論」とは言わないんだよね?
システム論をコミュニケーションに適用し、「オートポイエーシス」という
言葉を使っていることからして、明らかにルーマンの社会システム論が意識
されていると思うのだが、斎藤は社会システム論とはいわない。
「ひきこもり」システムを「社会」システムの一形相と彼は見なさないからね。
彼にとっては「ひきこもり」は社会の外部にあると想定されているのかな?
しかし、ある特定の状態を社会の外部にあると観察することもまた一つのコミュ
ニケーションであり、システムの作動であることは、それとなく無視される。
斎藤が「オートポイエーシス」を援用してルーマン批判を試みたのが
NTT発行の雑誌Inter Communication の前々号?(47号かな)。
ところが次の号では何故か宮台を引用して評価しているのが面白い。
斎藤の意図が判りにくいが、少なくとも「文脈病」では河本英夫の
「オートポイエーシス」を評価して、臨床における精神分析の補強を
試みてる。
さまざまな斎藤の主張を考えると「コミュニケーションの不可能性」という
ラカンのテーゼをコミュニケーション論=メディア論=システム論では超えられない
と指摘するに留まっていると思う。そこで斎藤は「オートポイエーシス」に可能性を
見出そうとするが、それは「オートポイエーシス」という新たなワクや限界にハマる
ことでしかないという指摘が成り立つ。システムの外部を「撹乱」としてしか認識
できないのでは意味はないから。
一連の斎藤の主張を読むと<1対1で成立するコミュニケーション>という定義を否定して、
そこに第三者の介在の必然性を指摘してる。これは斎藤にとって<父性>や<抑圧>を登場
させるための手続きだろう。そのひとつが雑誌Inter Communication の「三囚人のシステム理論は可能か?」
という斎藤のテキストだ。だがこの主張はどこかで読んだことがある。
<1対1>ではなく<第三項の必然性>といった指摘は「構造と力」で浅田も力説しているものだ。
極端に抽象し要約すれば対象認識は<1対1>か?、<第三項が介在>するか?
という問題だ。斎藤によればオートポイエーシスでは外部は内部から観て「撹乱」だと定義される。
だから外部への認識が狂気やひきこもりのトリガーだというのかもしれない。
しかし、ホントにそうか?
519 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/05 14:29
>>493 分かりやすくていいですね
彼の特徴は使い分け戦略
理論は厳格で精密に
臨床は妥協と折衷で
言語や主体は精神分析的主体
学習や文脈は神経的主体と
>>497 全く大雑把な私見なんですが、
「ある視座で構造を見出す方法」
例えば自動車は一つのシステムだけど
人や道路まで含めた交通システムとしても想定可能
同様に心を実在物じゃなくて社会や環境まで含めた
一つのシステムとして見ようという発想ですね
ただ観測(視座)問題はシステム論の世代で全然違います
520 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/05 14:30
>>499 >内部と外部の境界混乱でもある精神疾患を、
>内部と外部を完全に峻別するシステム論で
>論じることが可能だろうか
もっともな疑問ですね。
ただオートポイエーシスだと
境界の生成のような話だから可能かも
>>500 >ルーマンのいうような社会システム論を言い換えるならば、
>それはいわば「まなざしのシステム」論
「まなざしのシステム」という名称がとてもいいですね
ラカン的な視線は主体と対象の対なんですが、
「あなたは私の場所から見れない」のがポイント
521 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/05 14:30
>>504 構造的因果性によって予見性もなく
精神分析「学」と言わないとかそういう話ですね
>>506 社会現象だから社会システム論の導入とか
それだと単純になりますね。「文脈」の問題だと思う
>>509 言ってませんね。精神分析とシステム論の併用は
言語・主体・構造と学習・文脈・生成への対応にあると思います
522 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/05 14:31
>>517-518 システム論と逆に、コミュニケーションは
「不可能性が可能性の条件」ですからね。
内疎とか外密とかメビウスの輪とかそんな感じで。
「他者」「無意識」「外部」「第三項」「第三者の審級」…
そうした媒介があった方が安定するというのが
精神分析的発想ですが、これは囚人のジレンマの解決法だとも見れます。
>外部への認識が狂気やひきこもりのトリガー
むしろ外部への認識の消失がトリガーだと思います。
内部と外部の差異、現実と現実界の差異の消失が精神病でしょう。
>>518 それは精神分析論でいえば「エディプスコンプレックス」でしょう。
「第三項排除」といえば、日本では今村仁司さんかな。
あぼーん
>>522 斎藤による「何らかの転移がコミュニケーションを可能にしている」という指摘を認めるとして、
その「転移」を保証するものについて、斎藤でも誰でもいいけど言及してるものはないかな?
私的には、それが象徴界(認識)だと考えるが。
外部への認識の焼失でも外部・内部の境界混乱でもいいけど、
そもそも「外部」が何を指してるか? 「外部」の定義は如何なるものか?
ということについて、斎藤も河本も言及してないのが残念だね。
オートポイエーシスの「外部」認識はよくわからない。。というより捨象されてるのか?
>>523 そうだね、「エディプスコンプレックス」でしょ。
今村 → 浅田 → 斎藤 → ?
考えてみると何ら変わってないかも。
宮台は、その辺が少し新鮮な気がする。
ルーマンは読みにくいが。
しろうと君、帰ってきたのかぁ……
最近どしたのかなぁ〜って、
ちょうど気になってました。
文章 読みやすいですね。
哲学板の良心を誇りに思います……
(↑勝手に)
528 :
考える名無しさん:04/05/05 20:02
しろうとは相変わらず高圧的だな。
いってること間違いだらけなのに。
529 :
考える名無しさん:04/05/05 20:05
システム論の使い方がばらばらですね。
オートポイエーシスもシステム論ですよ。
530 :
考える名無しさん:04/05/05 20:09
ぴかぁ〜黙れ!!!バレバレなんだよ、お前。
531 :
考える名無しさん:04/05/05 20:14
ぴかぁ〜ではない、君がだまれ。
ぴかーの学コテへの嫉妬がバレバレでウザイ
533 :
考える名無しさん:04/05/05 20:16
ぴかぁ〜
あらら、生きる力には共存の概念も含まれるのでは?
そっとしておきましょうよ。
オートポイエーシスは第三世代システム論。
しかも河本は未完?であることを前提としているし、
斎藤はさらに未読である可能性も承知のうえだね。
536 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 21:22
>オートポイエーシスは第三世代システム論。
私も、河本本は大好きです。なかなか理解できないところも多いですが、
ただオートポイエーシスを第三世代システム論と位置づけるのに
否定的な人も多いですね。自己組織化の一形態と見る人も多い。
そしてシステム論というときに、最近はオートポイエイシスを
意味する時が多くで、これは明らかにルーマン影響でしょうが。
私はどちらかというと、自己組織化派なのです。
オートポイエーシスよりも、科学的に研究が進んでいますので。
537 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/05 21:30
>>525 >斎藤による「何らかの転移がコミュニケーションを可能にしている」
>その「転移」を保証するものについて、それが象徴界(認識)
そうですね。象徴界・無意識・(大文字の)他者が関係します
転移は他にも、貨幣が流通するための信用や分析哲学の慈善原理や
ウィトゲンシュタインの「示し」や性的関係の幻想や様々な形を取ります
>外部への認識の焼失でも外部・内部の境界混乱でもいいけど、
>そもそも「外部」が何を指してるか? 「外部」の定義は如何なるものか?
「他者」「無限」「物自体」「決定不可能命題」「剰余価値」「消失点」「現実界」…
超越論的対象には昔から様々なバリエーションがあります…が
要するに、あるシステムの形式化不可能な特異点のことです
例えば私が言ったことの意図は私が決めることは出来ません
「こういう意図だよ」という事後的解説は無限に続けられます
この意味の残余(意図)、空白、穴、無が「外部」ですね
この境界を巡ってコミュニケーションや転移がなされます
しかしパラノイアの場合はこの空白を埋めてしまう
彼には他者の意図が完全に把握できてしまいます
>>527 どうもです。嬉しいですね
単純な記述の反復と差異で複雑系を作るのが目標です
>オートポイエーシスよりも、科学的に研究が進んでいますので。
私は神経の発生や認知システムに興味があるもんで。
河本本は判りやすいところとアバウトなところがありますね。
もうちょっと生物学の発生理論みたいなのを踏まえてくれるといいかな。
>要するに、あるシステムの形式化不可能な特異点のことです
私は「形式化不可能な特異点」そのものを強度や動因=エロスとして
考えます。狂気の分析の根拠にしたいですね。正常な認識も含みますが。
しろうとさんは超越論的対象の根拠にしたいのかな?
539 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 22:27
>私は神経の発生や認知システムに興味があるもんで。
実際、神経、認知システムとしてオートポイエーシスは
どの程度、展開されているのでしょうか。
マトゥラーナは概念的で意味不明な点が多いと言われてますが。
結局、ルーマンが一番オートポエーシスを、いい意味でも、
悪い意味でも具体化しているでしょうか?
あぼーん
美術手帳の新連載なかなかにたのしい。環先生、手品師さながらに
ネタを小出しにしつつ取り上げたアーティストの世界に
うまく引き込んでくれてきます。
個人的には「かわいいものは話が通じず、少しいびつ」というのは
「不気味カワイイ」の元ネタとしてリンチの「イレイザーヘッド」あたり
が上がって来たりするのを考えると、わざわざ言語化して強調しなくても
良いのではないかなあ、とかも思いました。
システム論と構造主義の関係はどう?
構造主義といってもアメリカ系ではない、フランス系の構造主義のことだけど。
構造主義の祖といわれるソシュールは構造ではなくシステムと言っていたわけで、
彼の言語学・記号学は、一種の社会システム論だよね。
フランス系構造主義の起源は一般にはそのソシュール・システム論といわれているね。
543 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/08 18:41
>>538 >「形式化不可能な特異点」そのものを
>強度や動因=エロスとして考えます
それは「構造と力」の「力」ですね
自分もジジェク的なラカンはそう読みたいと思う
>>541 結局、フロイトの「不気味なもの das Unheimliche」の変奏だと思うけれど
萌えの現象がディスコミュニケーションで生じるのは理解できます
可愛いタナトス=ゴシックロリータ
可愛いエロス=バロックロリータ
という定式化がキャッチーでいいと思いました
>>542 システム論→理系 構造主義→文系 という印象がしますが…
構造主義的生物学の池田清彦を見て欲しいのです
彼の主張は構造主義としか言いようが無い
構造主義の「構造」はシステムよりも
「構成」(主義)「構築」(主義)「関係」(主義)
と親和性があると思います。まあ微妙ですけど…
論理実証主義やら現代数学の形式主義的公理系が入ってるし
(外部の)「実在」に対する姿勢が構造主義系の人は徹底している
これは観察者の問題に対するスタンスとも関係します
544 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/08 18:41
さて「諸君!」でのフリーターとひきこもりを巡る対談で
環が喋っているのですが…
「ラカンを忘れてしまったのか!?」という感じがしました
例えばひきこもりがコンビニに行けなくて餓死するのに驚いて
「人間だから食欲はあるだろう…」とか言うのですが
いったいラカン的な欲求と欲望の違いはどうなったのか
これこそ精神分析的な欲望が動物的で本能的な欲求に勝っており
従って人間的であり、東に対する有力な反論になるのではないか
さらに言えば幻想を通り抜けて症候と同一化するという
ジジェクの話を思い出しました。失敗は欲望の表現なのです
斎藤環は(意図的に)世俗的な欲とラカン的な欲望を混同している
だいたいゲームラボで東が動ポスを読み直せとか言われて
そのままおだてていたりとか最近の環センセは妥協しすぎだと思う
口語体で中途半端なセンチ&フレンドリーにも全然感動しません
現代においてラカン理論をどう再構築するかだけに興味があります
>欲求と欲望
構造といえば、身分け構造・言分け構造といった言葉もありましたね。
うん、「諸君!」のあの歯科医との対談は、自分も少々違和感が・・・・・・
日本を憂える(自分の老後を憂える)保守のおぢさん向けに、
モードチェンジした対談なのかなー、とも思うんだけど・・・・・・
でも、保守系の論壇誌に書いてもクリティカルさをある程度は維持していた環なのに。
宮台にでもあてられたか?
なんかヤになったのか?
イメージの世界→身分け構造
シンボルの世界→言分け構造
という図式化はちょっと強引かな。
イメージもシンボルもどちらも言分け構造というべきかな。
>>546 >でも、保守系の論壇誌に書いてもクリティカルさをある程度は維持していた環なのに。
その「クリティカルさ」にはイデオロギー的カモフラージュのための
単なる修辞以上の意味は初めからないのかもしれないよ。
実際、ほとんど保守系の論壇に登場しているんじゃない?
保守系の人たちからも好まれているんでしょう。
549 :
ウンチフル:04/05/09 03:20
環のuntiも知らずに脳書タレつつUntiタレるのさっ
would you like to untting?
550 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/09 07:19
>>545 >>547 想像界と象徴界への対応はやや難しいですね
例えば言葉は象徴界だけど記号は想像界だとか
言葉の音は象徴界だけど意味は想像界だとか
>>546 >>548 ひきこもりが単なる政争の具(経済損失)に
なっていて全然危機意識が伝わらなかった
対立点もなく医者同士が患者の話をネタに
世代論をして馴れ合っているという印象でした
なぜここで自分が普段以上に批判的になっているかというと
以前「謝れ職業人」でオーヴァーに感動していたからです
精神科医も物書きも好きでやってるかどうかというなら
せめてあざとい嘘泣きのキモイ語り口は止めてほしい…
それからあの対談を(冗談半分だけど)ラカン的に言えば
環の主体性保留の態度は「大学の語らい」ではないか
主の言葉(社会的価値)を真理にして(医者の)知によって
他者(ヒキコモリ)に取り消し線を引いて欠如した主体(無業)にすると…
質問!
自己幻想 : 現実界
対幻想 : 想像界
共同幻想 : 象徴界
こういう対応にあると理解してよいんでしょうか?
自分はラカンに詳しくないから、説明は出来ないけど、
しかし確実に違うことは分かる。
特に
>自己幻想 : 現実界
という理解。
現実界は認識できないものです。
553 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/10 21:42
>>551 「幻想」という概念は吉本隆明か岸田秀ですか
対応していないと思いますよ
自己→対→共同と同心円状に幻想があるという
考えとラカンはそもそも無縁でしょう
ただ、次のような読みはできると思います
現実界→即自的存在
想像界→相互的・円環的な対
象徴界→共同の中心を持つ象徴秩序
とにかく斎藤環ならシニフィアンの秩序である象徴界を
共同幻想(イデオロギーとか)と一緒にするのは認めないでしょう
象徴界→無意識
って言っちゃうのはどうですか?
555 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 00:14
>>553 >自己→対→共同と同心円状に幻想があるという
>考え
それは誰の考えですか。岸田秀氏の?
559 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 18:10
>>556 『構造と力』でも「想像界」を「鏡像界」と訳せとか
ありますけど、自分も哲学寄りの言葉を提案してみます
↓自分には分かりやすいけどラカニアン的にはどうでしょう
想像界=現象界
象徴界=構造界
現実界=実在界
これは自分がラカン理論に読み取る問題意識でもあります
現象界→構造界 鏡像段階論 構造主義的ラカン
構造界→実在界 対象a ポスト構造主義的ラカン
実在界→現象界 文字・文脈・学習 東・ジジェク
560 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 18:11
>>556 『構造と力』でも「想像界」を「鏡像界」と訳せとか
ありますけど、自分も哲学寄りの言葉を提案してみます
↓自分には分かりやすいけどラカニアン的にはどうでしょう
想像界=現象界
象徴界=構造界
現実界=実在界
これは自分がラカン理論に読み取る問題意識でもあります
現象界→構造界 鏡像段階論 構造主義的ラカン
構造界→実在界 対象a ポスト構造主義的ラカン
実在界→現象界 文字・文脈・学習 東・ジジェク
561 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 18:11
>>557 また環センセに噛み付きますか
「生き延びるためのラカン」で
イメージは言葉から生まれるという部分がありました
モンスターの発想は言葉の組み合わせだろうと
しかしですね、最近のCG映画では「文字通り」
言葉に還元できない怪物的な映像を見ます
まあプログラムで動く限り象徴界かもしれませんが
ここの部分をもう少し理論化してみましょう
小泉義之氏が『ドゥルーズの哲学』で怪物について
「(生物などの)パーツの幾何学的変形や変換は稚拙である」
と言います。潜在的な場を描かなければいけない
例えばゴジラは放射能とか幽霊は怨念とか
そして抽象的で純粋な形とかフィギュアの話になるんですが
エヴァの震撼などを例にして「痙攣する肉」と言います
これはΦ(大文字のファイ)かもしれない
そして東浩紀の「過視的なもの」へと…
>>558 対照的な反例を出すための大雑把なイメージです
ちなみにファンタスムも全体性の幻想をもたらすけど
これを共同幻想と言っていいのかは分からないですね
>「終わらない思春期」
宮台真司さんの「終らない日常」を連想するね。
成熟社会においては「終らない成熟」「再帰的成熟」が問題になるのか。
むしろそれは成熟社会の必然だと宮台先生は言うだろう。
『ひきこもり文化論』を読んでいてちょっと混乱したのは、「他者」や「対話」
の定義について柄谷行人氏が言及している文を引用し、コミュニケーション論の
ようなものを展開しているところ。
柄谷氏によるその定義づけとは、つまりこう。
対話→言語ゲームを共有しない者との関係
他者→自分と言語ゲームを共有しない者
そこで斎藤氏は、「対話」と「会話」という2つの単語をごっちゃにして使って
いるように思われるのですが、柄谷氏の定義に習えば、この2つの用語を使い分
けたほうがよいのではないでしょうか。
要するに、
対話→言語ゲームを共有しない者との関係
会話→言語ゲームを共有する者との関係
というふうにです。
「会話」というものが、特別な話題のネタなしに成立するのは、その会話仲間
が同じ言語ゲームをあらかじめ互いに共有し合っているからであって、その間
にはある種の共通感覚があり、暗黙の自明性があるためだと思います。
とすると、斎藤氏のいう「無意味な部分」とは、むしろその言語ゲームによって
共有された部分を意味するのではないかと思います。
挨拶の例も同じです。挨拶が成立する関係というのは、事後的ではなく予期的に
言語ゲームが共有されている間柄だからであり、それはつまり柄谷氏のいう「他者」
のいない関係であり、「対話」とは言えない関係なのではないでしょうか。
「共有されている間柄だからであり」の「だから」が余分でした。
566 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/13 22:37
>>564 ウィトゲンシュタイン−柄谷とラカン−斎藤の間には
確かに言葉の意味に齟齬があるように感じてならない
『探求I』で柄谷は、自分と言語ゲームを共有しない者が「他者」であり
対話とはそのような他者との非対称的な関係(教える−学ぶ)であると
一方斎藤は「記号」と「言葉」を区別します
前者は必ず意味(指示対象)があるのだが、
後者は音(シニフィアン)だけでも成立する。
記号は意味の代理物、言葉は存在の代理物だと
斎藤の言う会話を記号の交換
対話を言葉の交換としてみます
状況しだいで親密も敵意も意味する挨拶は
行為遂行文と言い難いとも斎藤は言います
567 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/13 22:38
斎藤的な対話は言葉の交換です
挨拶も含む言葉(存在の代理物)の
意味を決めるのは「文脈」でしょう
齟齬の根本はこの文脈が言語ゲーム
に属するか否かという事だと思う
ここでまた次のテーゼを思い出します。
「送り手は受け手から反転した形で
自分自身のメッセージを受け取る」
つまり言葉の意味は他者が決めます
この(大文字の)他者は象徴界です
後期ウィト−柄谷−言語ゲーム−対話
後期ラカン−斎藤−象徴界−文脈
後期デリダ−東−エクリチュール−散種
用語の位置付けが大変そうなので結論はもう少し考えます
これはもう個人的な感想でしかないのですが
言語ゲームは象徴界と文脈の中間位に位置すると思います
ここら辺を綺麗に斬れたら大航海での東×斎藤の対談での
言語観を巡る対立も理解できるような気がしています
568 :
考える名無しさん:04/05/14 01:30
ここって、
ヒッキー板よりは
はるかにマシかな
>>568 それはお前自身が判断するんだ。
お前自身が決めることなんだよ。
570 :
考える名無しさん:04/05/14 02:08
>>569 分かりました隊長!ヽ(`・ω・´)ノ シャキーン
>>566 >一方斎藤は「記号」と「言葉」を区別します
>前者は必ず意味(指示対象)があるのだが、
>後者は音(シニフィアン)だけでも成立する。
>記号は意味の代理物、言葉は存在の代理物だと
吉本言語論にいう「指示表出」と「自己表出」との区別を思い浮かべるけど、
それとはまたニュアンスがちがうのかな?
572 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/14 18:25
>>566-567 斎藤先生、あるいは読者の方が「他者」の理解で混乱するのは
予想外に大きな問題なんじゃないかと思えてきました
単に「他者A」と「他者B」と言う風に書き分ければいいじゃないか、
というとそうもいかないような気がします。挨拶の話だけでも結構難しい
(大文字の)他者は無意識や象徴界や欲望など
ラカン理論の中枢部にあってここを変えると芋づる式で大変そうです
東の方にしても『動物化』論の屋台骨は、動物は欲求のみで
人間には(他者の)欲望があるという定義なのです
だが柄谷的な他者理解からすれば
東の言う「動物」こそ他者だとなるかもしれない
斎藤の使い分けを整理すると
A ラカン 精神分析的主体 言語(象徴界) 斎藤の他者
B ベイトソン 神経的主体 学習(教える学ぶ) 柄谷の他者
柄谷の方も『探求II』の「精神分析の他者」の章で主題化してます
そして、『航海日誌』を読むと、野矢茂樹の他者理解は
斎藤と柄谷の中間程度に位置するような気がします
「新たな意味の発信源(としての他者)」というのは
象徴界の部分的な動作(言語ゲーム)ではないか?
573 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/14 18:25
>>571 吉本隆明の「指示表出」と「自己表出」は
例えば時枝誠記の「詞」と「辞」に相当するかも
更に言えばコンスタティブとパフォーマティブですね
ごく大まかには対応するかもしれないけど
斎藤の「記号」は動物でも認識可能なのに対して
吉本の「指示表出」は人間の諸関係が関係するとか
詳しくは知らないけど違いが色々あるでしょうね
ラカン理論はソシュール言語学に影響されています
彼は構造主義の祖でもあるのでそちらで理解したい
(しかし時枝もソシュールに影響されており
更に東が時枝を一時期引用したので何かの因縁はある)
しかしソシュールは共時態・ラングを主な分析対象にして
それがラカンの象徴界になっていくのでしょうが
通時態・パロールがデリダ−東的なタイムラグ・誤配や
ウィト−野矢の「意味の発信源としての他者」に効いてきますね
女子高生同士の会話というのを観察すると、そこにはその場の会話のノリ
を形づくるコードのようなものがあると思います。会話は弾んでいるのに
会話の内容はなきに等しい。でも、その会話には彼女たちのなかで共有
されている話題の意味以上のある種のコードがあるのではないでしょうか。
仮にたとえば、その会話のコードを共有しない「おやじ」が真面目な面持で
その会話の輪に割って入ったとします。すると、その途端にその会話の
リズムが崩れて、その場を白けさせてしまうことが起こるわけです。
「会話」というのは、このように、柄谷氏のいう「他者」性を排除する
ことによって、一つのリズム(調子、ノリ)として成り立つ言語ゲームの
雰囲気なんだと考えられます。
柄谷氏のその定義では、「共有された(共同化された)」言語ゲームで
あるかどうか、というところが問題になっているわけですね。
上の例でいえば、「おやじ」と「女子高生」とは同じ日本語を共有して
いるという意味では同じ言語ゲーム上のコードをもつ同一者だけれども、
会話のノリを形づくる暗黙のコードには共有のズレがあるという意味では
他者(他所の人)になるのだと思います。
575 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/15 23:25
>>574 記号論でいう「コード」はテクストの内部規則なので
そのコードはむしろコンテクスト=文脈だと思います
例えば「おやじ」と「女子高生」が完全に同一文の発言をしても
彼女たちの反応はきっと異なることでしょう
それはテクストのコード(またはノリ・リズム)の問題ではなくて
コンテクストの問題(年齢・性別・地位などの差)でしょう
また言語ゲームに文脈を完全に含める
解釈を取るのもかなり迷うところです
しかし象徴界と異なる言語ゲームの複数性には自分も注目したい
またテクストとコンテクストの境界、あるいは「文字」の問題がありますね
>>575 コードがコンテクスト=文脈なのに、それはテクストのコードの問題ではなくて
コンテクストの問題でしょうって言われると意味が分からなくなるよ。
>>575 その「おやじ」というのはカッコ付きの表現で、単に年齢・性別・地位の差に
かぎらず、「オヤジ臭い」というような意味を含んだ比喩と思っていただきたい
です。例え方が悪かったかもしれませんけれども・・・
('A`) 難しくてついてけない
579 :
考える名無しさん:04/05/16 16:46
もっと日常レベルの言葉に直して欲しい・・・
話についていけないから・・・
漏には馴染みが浅い、記号(ex.カタカナ文字とか)がズラズラ・・・
580 :
考える名無しさん:04/05/16 16:51
俗に言われる、「ノリ」って、ある空間を共有するための物である
って事か?そうだったら、環的にいう「同調圧力」ってことでいいのか?
581 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/16 16:57
>>576 >コードがコンテクスト=文脈
コードとコンテクストは別です
「コード」ではなく「コンテクスト」だと主張します
>>577 コードは意味と構文だから
依然としてコンテクストだと思う
ただ、服装などで「オヤジ」を表現することが可能であり
それらは文化的コードに従っていると広く解釈すれば
使えないこともないかもしれないですね
>>578-579 考えます
>>580 「同調圧力」は宮台の言葉ですね、大体そうかも
582 :
考える名無しさん:04/05/16 18:08
コードは約束に基づく一連の記号や信号の組み合わせの体系じゃないの?
符号体系とか表現規則とか。で、コンテクスト・文脈とは違う
583 :
考える名無しさん:04/05/16 18:12
書くんなら中途半端でなくちゃんと書いてくれよ
584 :
考える名無しさん:04/05/16 18:45
オヤジと女子高生は日本語と言えばコードとして大差ないけど、女子高生数人で盛り上がってる
ときのレベルでは「業界用語」なんかと同じように、もっと分化したコードが使われているわけじゃないの?
つまり、コードも違うしコンテクストも違う。
どうやら「おやじ」という比喩をつかってしまったことが誤解のもとに
なったような気がします。
>>574で言う「おやじ」とは、地位や年齢を意味する記号として用いたのでは
ありませんから、その「おやじ」が地位や年齢的に実際のオヤジである必要
はないわけです。
ただ単に、その会話の場面を白けさせる状態を「女子高校生」という記号に
対する「おやじ」という記号(他者性)にたとえて表したにすぎません。
そのコンテクストから、会話の場面で共有されるコードといった表現の意味
するものを読みとっていただきたかったのですが、このスレでも会話の共通
の基盤が共有されていないせいなのか、なかなか話がかみ合わないですね。
いつのまにか社会言語学の話題になってる
>>575 >記号論でいう「コード」はテクストの内部規則なので
>そのコードはむしろコンテクスト=文脈だと思います
ソシュールのいうような記号学って、言語記号に限定されるべき
ものではないのではないの?
ヴィトゲンシュタインの言語ゲームだってそうなのでは?
588 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/17 19:45
>>582 情報伝達における記号と意味の対応(「意味論 semantics」)、
及び記号の配列規則(「統辞論 syntactics」)がコードですね
>>583 初歩的な用語の解説は免除してほしい所ですね
>>584 分かりにくいけど
女子高生専用の細かいコードがあるということですか、そうですね
>>585 いや違う、例えば女子高生にオヤジ臭さを感じるような場合でも
ラングとして共有されていなければコードじゃないと思う。
コノテーションという方向で考えるのはあるかな
>>586 (文化)記号論的とも言えますね
構造主義との絡みで知ってるだけで詳しくないけど
>>587 それは本当ですか?
「べき」というのは587さんがそう考えているということ?
しかし環センセなら業界用語だろうがコギャル語だろうが
バイリンガルだろうが象徴界は一つというだろうな
超越論的対象は加算化されない、
例えばまなざしが一つなのと同じような理屈で
S1は他の全てのシニフィアン(S2)に連結していくと
589 :
考える名無しさん:04/05/17 21:11
>>588 >情報伝達における記号と意味の対応(「意味論 semantics」)、
>及び記号の配列規則(「統辞論 syntactics」)がコードですね
少しも分かり易い説明じゃないな。
「言語の使用者を捨象し表現と指示対象を分析すること」と「言語の使用者と指示対象を捨象し
表現相互の関係を分析すること」がコードだと言ってるのか?
具体的な現実の発話が言語学の研究に基づいてるとでも言いたいのか?
>>588 >
>>587 > それは本当ですか?
> 「べき」というのは587さんがそう考えているということ?
というか、ソシュールのいう一般記号学の定義であったはずです。
言語記号学はその一部門にすぎない、ということです。
590追記
ただしバルトの定義はソシュールのその定義の仕方とは逆になるんですよね。
592 :
名無しさん@社会人:04/05/18 19:26
>S1は他の全てのシニフィアン(S2)に連結していくと
ジジェクっぽいね
>>591 バルトの考える言語の定義はウィトゲンシュタインの言語観に近いからじゃない?
594 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/20 00:23
>>589 一番簡単に言うとコードとは辞書と文法のセットですね
>具体的な現実の発話が言語学の研究に基づいてるとでも
構造主義系はそういう素朴な思考はしないのです
それから言葉を用いた思考では必ず捨象は行われるでしょう
>>590-591 >>593 なるほど…
>>592 ジジェクの解説の上手さは世界レベルで
映画なり戯曲なりの要約を書かせるとやたら面白い
ああいう流麗な文章は
慎重な環センセイは書かないですね
>>594 >一番簡単に言うとコードとは辞書と文法のセットですね
それは狭義の言語学・文法学による定義では?
記号論ではラングは構造を意味するわけで。
597 :
考える名無しさん:04/05/21 01:25
>>597 お、再開!
情報thx
あの文体は、蝉寝る曰くは「厨房向け」でしょう?
頭のあまりかしこくない人に、いかに読ませて理解してもらえるかを考えた末の文体。
>>594 >構造主義系はそういう素朴な思考はしないのです
構造主義系はどういう思考をするの?
構造主義系って具体的にどの辺を指してるの?
女子高生の会話のコードというのは、社会言語学的にいえば、
いわゆる限定コードに相当するものだね。
601 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/22 23:07
>>596 そうですね、でもコードを狭義の言語だけでなく
記号論が扱う記号体系全般に広げても
意味論(辞書)と構文論(文法)で考えられる
>>597 「転移」はいいテーマだと思います
しかし鋭い論点が見出せない
最近書き過ぎているせいかぬるい
>>599 記号の痕跡から事後的に抽象するのが構造で
何か現象の原因となるような外部の実在物を
想定している訳ではありません
少し戻って注釈すると、
>「言語の使用者を捨象し表現と指示対象を分析すること」
>「言語の使用者と指示対象を捨象し表現相互の関係を分析すること」
共時的なラングに研究対象を絞ったことが
ソシュールの画期的なところなのでそれは仕方ないのです
もちろん言語学に合わせて発話するなんて発想はない
>構造主義系って具体的に〜
(記号の)構造を主題化するのが構造主義
レヴィ・ストロースからラカンまで
この人、医学博士は取らないのかな。
604 :
考える名無しさん:04/05/26 20:06
age
605 :
考える名無しさん:04/05/26 22:40
>>601 本当にそれでいいのかい?
それだとメッセージからコードを抽出するだけでメッセージをコードによって
解読することができないが。
ゲームラボ読んでる?
607 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/27 22:53
>>605 >メッセージからコードを抽出するだけで
>メッセージをコードによって解読することができない
なぜ? 意味と構文で文は解読できるでしょう
>>606 「やあ、日本一〜」という書き出しを見ると
ひきこもりに対しては冷たいのに
オタクに対してはサービスがいいなと思う
それに全体的に(また)身内話だと思いました
確かに新現実3号の表紙は凄く変だし
西島大介氏の出立の切なさも納得するけど
608 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/27 22:54
>>605 >メッセージからコードを抽出するだけで
>メッセージをコードによって解読することができない
なぜ? 意味と構文で文は解読できるでしょう
>>606 「やあ、日本一〜」という書き出しを見ると
ひきこもりに対しては冷たいのに
オタクに対してはサービスがいいなと思う
それに全体的に(また)身内話だと思いました
確かに新現実3号の表紙は凄く変だし
西島大介氏の出立の切なさも納得するけど
609 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/27 22:56
>>605 >メッセージからコードを抽出するだけで
>メッセージをコードによって解読することができない
なぜ? 意味と構文で文は解読できるでしょう
>>606 「やあ、日本一〜」という書き出しを見ると
ひきこもりに対しては冷たいのに
オタクに対してはサービスがいいなと思う
それに全体的に(また)身内話だと思いました
確かに新現実3号の表紙は凄く変だし
西島大介氏の出立の切なさも納得するけど
三重カキコになっちゃってますね
すいません…今日は鯖が不調なようです
拉致問題の世論について朝日にコメントを寄せていた
614 :
考える名無しさん:04/05/29 09:22
615 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/05/29 09:34
616 :
考える名無しさん:04/05/29 10:45
>>609 >情報伝達における記号と意味の対応(「意味論 semantics」)、
>及び記号の配列規則(「統辞論 syntactics」)がコードですね
>一番簡単に言うとコードとは辞書と文法のセットですね
>少し戻って注釈すると、
>>「言語の使用者を捨象し表現と指示対象を分析すること」
>>「言語の使用者と指示対象を捨象し表現相互の関係を分析すること」
これらがこれまでのコードの説明。
意味論と統辞論を何度も言い換えてるけど、どんな言い方をしてもコードが
言語学の結果であることに変わりない。
コードはメッセージから事後的に抽出される。
>記号の痕跡から事後的に抽象するのが構造で
この説明によっても、コードはメッセージから事後的に抽出される。
>もちろん言語学に合わせて発話するなんて発想はない
メッセージはコードに基づいていないと述べている。
よって、これまでの説明では、メッセージからコードを抽出するだけで
メッセージをコードによって解読することができない。解読できる、と
すると無限後退に陥る。
これは説明の仕方云々の問題ではなく、おそらくソシュールの理論
それ自体の問題ではないか?
言語そのものの性質を反映しているようにも思える。
618 :
名無しさん@社会人:04/05/29 13:02
>コードはメッセージから事後的に抽出される。
>言語そのものの性質を反映しているようにも思える。
斎藤環の根本的な認識も同じだよね。
意味や価値も「事後的に」というところまで斎藤は拡大してるし。
逆にいえば<事前的なもの>が象徴界の50%であり、
それが現実界にリアリティを感得できる数少ないファクターだし。
619 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/29 19:14
>>616-618 それは帰納法や斉一性に関する一般的な問題で仕方ないかな
理論を現実に適応する際に外挿する形になるので飛躍は必ず残る
クローバーを観察して三つ葉だろうと推測しても四葉が出てくると
だからといって観察や一般化が全くの無力な訳でもない
そこら辺は特にソシュールや言語学のせいでもないと思われます
620 :
考える名無しさん:04/05/29 20:15
もっと素人にもわかりやすい話せよ
621 :
名無しさん@社会人:04/05/29 20:31
>それは帰納法や斉一性に関する一般的な問題で仕方ないかな
つーか蓋然性でしょ。
科学も認識一般も蓋然性ちゃう?
622 :
考える名無しさん:04/05/29 20:49
蓋然性=確からしさ
623 :
名無しさん@社会人:04/05/30 19:31
>科学も....蓋然性
サルトルがマルキストを論破したときのセリフだね。
624 :
名無しさん@社会人:04/05/30 19:35
確か、ではなく、確からしさ、ね。
昔の思想家は侮れないよ。
それが「見なし」の論理だからね。
625 :
考える名無しさん:04/05/30 21:47
定義が存在しないのは致命的なんだがな。
626 :
考える名無しさん:04/05/30 23:55
精神分析家の解釈する無意識が事後的な他者解釈にすぎないのと同じですね。
627 :
名無しさん@社会人:04/05/31 08:16
いやあ、だからさ、全部が他者解釈に過ぎないじゃん。
無意識概念って精神分析家自身の(または精神分析理論自体の)自己投影に
過ぎないのでは?
その通りでしょう。ラングとパロールも同様の関係にあるようですね。
ソシュールはラング=構造を実体化したの?
ソシュールは構造主義者と誤解されることが多いみたいだけど。
波状言論::はてな出張所の書き込みで言ってる精神分析批判ってどこの連載?
波状言論の連載に決まってるじゃん(;´д`)
たまきんは購読してるのか?
>>633 そんなことここで聞かれても...
2ちゃんねらーの質問にご本人が返事を書いたためしはおそらくないし。
>>634 案外、自分の名前のついたスレに
書き込んでいたりとかするかもよ
斎藤環氏の言説の危なっかしいところは、救済主義的な言説に装飾された
ソフトナチズムないしソフトスターリニズムのようなバイオポリティカルな
労働力選民思想に通じる要素。
「フレーム憑き」購入。観てる映画についての文章だけ拾い読み。
環先生の文章には、シネフィルにありがちな先行する批評家の評価の踏襲や
サブカル系の自分語りがないのでありがたい。
リンチの「マルホランドドライブ」論がメインなんだけど、あの映画は
言葉を誘発するようでいて、拒絶しているようでもある、妙な映画で、
フェミニズム批評の竹村和子が、途中まで、後半は予告してるだけだったり
「実は分かり易い映画ではないか」と書いた鬼塚大輔や阿部和重が
「分かった内容」を書かないで流していたりしてるんだけど、
環先生の測量のおかげで他の人はずいぶん書きやすくなったのではないか。
そういう分析になっていると思った・・・ いや思っただけですが。
そういえば漫画の「最終兵器彼女」についても書いてたけど、環先生は
「ストレイトストーリー」のじーさんが登場してるのに気ずいているだろうか?
w
640 :
考える名無しさん:04/06/12 15:42
環状線
642 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/13 20:36
え〜と中央公論立ち読みして来たんですけど
かなり(俗な)世代論をぶちかましていますね
ジジェクの事を軽薄だとは言えないんじゃないかな
それから「超越論的否認」(あえてメタを否定)は
「ヒューモアとしての唯物論」と同路線でしょうか
環先生は昔柄谷に噛み付いていましたけど…
「(メタを否定する)メタ」とか「あえて」とか「ヒューモア」とか
そういう読み込みを(統計的、経済的な観点から)東は一蹴し
それは幻想で実際は動物〜と主張します
しかしやはり、単にメタに気付かないのと
メタに気付かない「ふり」をするのは、全然違うのではないだろうか
この虚構と欺瞞の領域(アスペクト)を見落とすと動物化論になる
643 :
考える名無しさん:04/06/13 20:49
↑
何だこの暴論は?たいがいにしてほしいよ。
メタモナノイズ4のスレどこよ?
645 :
考える名無しさん :04/06/16 12:30
ネタバレ、枯渇、いずれかによる証拠隠滅。。。。
647 :
考える名無しさん:04/06/19 09:33
>>638 「フレーム憑き」はもちろん全般的におもしろかった。
他の本より斉藤の本音?がよくでてるみたい。
マルホ論は参考になったけど、斉藤の欠点もわかった気がする。
いくつか誤認があるし。
文脈病読み始めました
なかなかの野心作ですね
649 :
考える名無しさん:04/06/19 13:02
斉藤環の対談集、OKひきこもりとかいう本呼んだのだが、
上野千鶴子とか村瀬学とかぜんぜん話しかみあってなかったな。
上野のアフォさがさらけ出てた。東博紀との対談はまぁ納得で
きたが。唯一話がかみ合ってたのは宮台。あいつ嫌いだがやっぱり
すごいなーとオモタ。
650 :
考える名無しさん:04/06/19 13:41
村瀬はダメでしょ。
吉本解読本でも村瀬がいちばんダメ。
基本的な概念の理解や定義もできていないから。
そのくせコンプレックスが強くて相手をバカにする。
アカデミシャンになったら人間性が劣化したな、村瀬は。
651 :
考える名無しさん:04/06/19 13:43
文脈病はベイトソンの学習についての説明が気に入った。
システム論も文脈病でから理解したなあ。
652 :
考える名無しさん:04/06/19 16:42
若者のすべてをブックオフで105円にて購入
>>651 斉藤氏のこういう面があったのか、と言う感じですね。
熱い本です。OS−PS−APなかなか難解。
655 :
考える名無しさん:04/06/20 00:48
斉藤環・・・
ヤマギシ会問題を扱った本(確か「洗脳の楽園」といったか)でも、
洗脳体験を受けた著者のカウンセリングをしたとかで出てきてましたね。
結構いろんなことやってますね。
>>642 > え〜と中央公論立ち読みして来たんですけど
> かなり(俗な)世代論をぶちかましていますね
世代論というよりか、彼の思う団塊の世代への批判みたいな内容だったね。
団塊の世代の思想傾向が政治主義的だと評して攻撃していたけれど、
文化の政治性を意図的に避けて語る(というより自らの言説の暗黙の
政治性を隠蔽して語る)ニューアカ以降の典型的な文化主義的現代思想
論者の視点からの文化論そのまんまだった。
政治的言説を避けると称し純粋に文化を論じたつもりでいる文化主義的
現代思想論者がいかに政治的であるかということは、かえってその批評
スタンス(団塊の世代の政治性に対抗意識を燃やす?)にあらわされている
んじゃないだろうか。
ニューアカ以降のそうした文化論者の典型を見ているような感想を持った。
657 :
考える名無しさん:04/06/20 08:14
>>651,654
斎藤せんせい、最近は理論面がおざなりでやんす。
残念やはあ。
気持ちはわかりますが、ラカン−ベイトソン−オートポイエーシスの
大きな物語は、なかなかむずかしいですね。
特にオートポイエーシス自体がまだようわかっていないし、
それにカップリングとなると、イメージだけの世界ですから。
あまり理論構築にこだわらずに、実践的な対応が
斉藤氏の魅力ではないでしょうか。
>>656 「新人類」世代は実際には旧態依然なんだよ。
ミクロ政治の次元を暗にか意図的にか無視した振りをして一見文化論的に語る。
サブカルチャーを対象にするから目新しく見えるだけで、一種の知的遊戯に過ぎず、
ミクロ政治とマクロ政治との連動を問題にすることさえできないんだよ。
660 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 22:41
>>656 自らの主体性を保留/隠蔽する「大学の語らい」ですね
大体専門家はそういう自称中立の傾向を持ちますが
特に斎藤環は運動色をはっきり打ち出す事を控えています
しかしコンスタティブに記述の方にも目を向けると
かなり分かりやすい分類になっています
団塊→知らない 新人類→できない 団塊Jr→やりたくない
661 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 22:42
斎藤はひきこもりを欲望の喪失と捉えていますが
それだと東の「象徴界の機能不全」とか「動物化」に
反論できなくなってしまうし、現に最近していない
自分の考えではむしろひきこもりは欲望の過剰だと思う
腹が減ってもコンビニにも行けないというのはそういうこと
まるで食物が金に換わってしまうタンタロスのようです
これも「象徴界の機能過剰」というテーゼです
アマゾンの推薦とかユビキタスとかも
自動的で中立的であるはずの機械が
人間的に振舞うという点が問題なのでしょう
団塊→何も知らないけど何でもできる
新人類→何でも知ってるけど何もできない
つまり団塊は今だに人間の解放を無邪気に信じる夢想家で、
新人類はそんな幻想はとっくに卒業している実務者ということだな。
662は自分の定義の帰結すらわからない上に
標準的な日本語も分からない辛人類
おう、やる気か? 相手になってやるぞ。俺の意見のどこがおかしい。
>さてここでメタ意識とベタ意識の割合を「メタベタ比率」と呼ぼう。
>このとき注意すべきはメタベタ比率は連続的に変化するのではなく、
>ある安定比率から別の安定比率へ一気にジャンプするということだ。
>近代の精神史は一貫してメタ意識の割合が増大する過程だったが、
>ここに来てベタ意識の巻き返し傾向がはっきりしてきた。
>はたしてこの先とめどなくベタ意識が増大するのか、
>それとも最適比率が見出されるのか注意深く見守る必要がある。
>ただ短期的にはもう一段、ベタ意識は増大するだろう。
>そのときは同時にメタ意識のもう一段の洗練も起きるにちがいない。
ひきこもりは欲望を喪失しているのではなく欲望を拒否しているのだ
667 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/21 00:04
斎藤の図式に戻ると
団塊の知識、新人類の行動の欠如に対して
団塊Jrは動機が欠如しています
この動機の欠如とは欲望の喪失であり
従って自らの欲望を認めるオタク的な
倒錯に対する禁忌を破ろうという事でしょう
ここで大澤真幸の自由のパラドックスを見ましょう
消極的自由(選択肢)の増大が
積極的自由(動機)の低下を招くとしています
これは斎藤の無重力・真空状態の自由と同じかもしれない
自分は消極的自由と積極的自由はゼロサムではないと言いたい
選ばれなかった他の不在の選択肢が動機を裏付けはしないか
要するに超越論的否認を
超越論的肯定に反転できないかという事ですね
そしてそれを倒錯にならずに出来る道はないかと思う
「この人はなんでこんな意味のないことができるんだろう」というのがメタ意識
団塊はベタ回路が主でメタ回路が従
新人類はメタ回路が主でベタ回路が従
団塊Jrにはそもそもメタ回路がない
まあ結局いきつく先はファシズムだろうよ。
永遠の1930年代というわけだ。
それでいいじゃないか。
ファシズムというのは意味の捏造装置だ。
指導者が本当に尊敬できる人物であるかどうかはわからない。
しかしたとえウソであってもそういう超越的対象があることで意味は機能するのだ。
ジジェクですか。それはファシズムに限らないと思います。
浜崎あゆみでもかまわないですね。
>662
説得力まるでなし。ただのバカのようだ
>>662 > 団塊→何も知らないけど何でもできる
> 新人類→何でも知ってるけど何もできない
この図式からいけばむしろ
団塊→実践行動主義者
新人類→頭でっかちのニヒリスト
ではないか。
>>659 精神医学の政治性(非中立性)を問題にできなかった旧態依然とした
政治主義論者と新しさを気取る文化主義論者とは表裏一体なんだよ。
けっきょく制度化された政治の水準でしか政治を見ることができない。
日常生活世界の政治性については、暗に語っていながら語っていない振りをする。
>>674 夢想家だから非実践的ということはないし、ニヒリストだから非実務的ということもない。
たまきんも過激な理論家であると同時に堅実な臨床家でもある。
★ファシズム指導者の第一候補は皇太子だ。今回の発言を機に絶対君主に脱皮してほしい。
「ポストモダンな冷笑家(新人類)は象徴界(人間が解放された理想世界)の虚構性をあげつらう」
と最近たまきんは盛んに言う。(「中央公論」「大航海」ただしカッコ内は俺が補足)
たしかに新人類は共産主義などの具体的実現可能なたぐいの変革思想はあげつらったけど、
もっと抽象的で予想不可能な世界の根本的変革の可能性はあきらめなかった。
つねに「突破の予感」というものを持ち続けていた。
根本的変革が不可能なら不可能で、どうして不可能なのか根拠が知りたかった。
しかし不可能性に根拠なんかないんだよね。ていうかこれは時間が解決するしかなかった。
すなわち変革の意志を持たない世代が増大することでベタな文化が社会のスタンダードに
なることで新人類も感情的にもう変革はないとあきらめることになるのだ。
まあ新人類自身ももうこんな生活やめたいと思ってたところだから渡りに船という意味もある。
>>649 > きたが。唯一話がかみ合ってたのは宮台。あいつ嫌いだがやっぱり
> すごいなーとオモタ。
中央公論誌上では「戦略」家として振る舞う知識人(?)をちらっと揶揄していたが、
もしかすると宮台氏のような論者のことかなとふと思ったんだけど、違うかなあ?
ポストモダン論者で近代主義者に「転向」したというのは浅田彰氏あたりのことなのか?
>>676 >
>>674 > 夢想家だから非実践的ということはないし、ニヒリストだから非実務的ということもない。
> たまきんも過激な理論家であると同時に堅実な臨床家でもある。
実務家というので想起するのはやっぱり官僚的というイメージだな。
たまきんにはそういうイメージがぴったりくる。
理論的にもラディカルであるとは思えない。口下手な団塊の世代の
イメージとは違って、新人類らしく言葉巧みで饒舌だけどね。
実際のところは、自らの臨床活動の政治性をそれとなく隠蔽して語って
中立を装う保守的な「専門家」と同じ系統に属しているようにしか見えない。
681 :
考える名無しさん:04/06/21 19:53
Inter Communicationの47で
斎藤さんは宮台・ルーマン批判を試みたことがあるけど、
すぐに引っ込めたし、話題にもならなかったね。
斎藤さんとラカンの限界が露呈してて、面白かったけど。
>>681 > Inter Communicationの47で
> 斎藤さんは宮台・ルーマン批判を試みたことがあるけど、
どんな論点からの批判だったの?
ポスト「新人類」世代である団塊の世代ジュニアは
斉藤環あたりからすれば 「ひきこもり系」世代になるのか。
684 :
考える名無しさん:04/06/21 22:18
>>682 社会システム論は主体とオブジェクトの対応関係(対の関係)を単位に考えるが、
ラカンはそこへ第3者(父性)を介在させるから、精神分析の方の優位だ....
自分的にはこんな風に解釈したけど。
手順としては社会システム論をコミュケーション論として把握したうえで、
コミュニケーションは不可能だというラカンのテーゼを持ち出して社会システム論を揶揄する、
というもの。
だから次の号で宮台を名指しで評価してのは不思議な気がしたよ。
でも、文脈病では、ラカンーベイトソンーオートポイエーシス(システム論)で
全体像を構成しているよね。
686 :
考える名無しさん:04/06/21 23:06
具体的にICの47の論考は「ダブル・コンティンジェンシー」への批判だね。
ダブル・コンティンジェンシーは間主観性領域の問題で二者関係(対の関係)を
モデルにしており、二者関係をモデルにしなかった精神分析が優位だと主張してる。
つまり「三者関係」を採用する精神分析が優位だと繰り返し主張してる。
ダブル・コンティンジェンシーは「対人恐怖や「ひきこもり」といった、かなり限定的な
状況下においてのみ前景化する」というところで疑問を感じた。なぜか斎藤自身の仕事が
矮小化されているような表現で違和感がある。
どうも斎藤が試みてるのは『文脈病』で導入したシステム論を超えることかもしれない、
という気がする。そんな記述もあるし。
それをダブル・コンティンジェンシーを評価する大澤や東、そしてルーマン(宮台)などへの
批判をも兼ねて書き進めようとしたのではないか?
そんな感じがするね、IC・47の文章は。
あぼーん
>たまきんも過激な理論家であると同時に堅実な臨床家でもある。
正確に言うと、(自称)過激な理論家と堅実な臨床家を使い分けている
>>686 この当たりはシステム論への批判でよくあるものですね。
システム論は作動しているシステムの記述で、
根拠があって作動するのではなく、
作動して、事後的に根拠が現れるという考え方ですよ。
精神分析の場合には、コミュニケーション不全の患者と
どのような根拠があれば、作動が可能となるのかと考えますから。
>>684 > 社会システム論は主体とオブジェクトの対応関係(対の関係)を単位に考えるが、
> ラカンはそこへ第3者(父性)を介在させるから、精神分析の方の優位だ....
> 自分的にはこんな風に解釈したけど。
社会システム論もそこに第三項として「意味的に抽象化された媒介物」、
即ちコミュニケーションメディアを介在させるんじゃないのかなぁ?
その主体とオブジェクトというのは、システムと環境のことではなくて?
社会システム論ではたしか、主体とオブジェクトとの対応関係というのは、
同じシステムに属する問題だよね?
>>689 > 精神分析の場合には、コミュニケーション不全の患者と
> どのような根拠があれば、作動が可能となるのかと考えますから。
その辺りの問題は、デリダあたりを引用しつつ、
ルーマンが解決しているんじゃないかなぁ?
>>691 解決するというか、結局見方だと思うんです。
ルーマンのようにすでにシステムとして作動しているような場では、
そのそのどのようにコミュニケーションが「始まるか」というのは
あまり意味が無くて、あえていえば、有史依頼の連続性であって、
大文字の他者のような超越性を起点としてもうける必要がない。
たえず差異があり、絶えず不完全でのコミュニケーションは行われる
どのように始まるかの根拠自体を否定する。
でも精神分析は、まずコミュニケーション不全があるから、
それを可能にする根拠を求める。
斉藤氏が、
>ダブル・コンティンジェンシーは「対人恐怖や「ひきこもり」といった、かなり限定的な
>状況下においてのみ前景化する」
といったのは、本質的なコミュニケーション不全は、このような症状において
現れると言う意味かもしれません。
ルーマンなら、そのような患者そのコミュニケーション不全の
コミュニケーションだと、いうかもしれません。
その記事読んでいないので、推測ですが。
ルーマンのダブル・コンティンジェンシーへの解答は、
そんなもの、時間的圧力があれば、差異があるんだから
コミュニケーションするよ!
間主観性なんってのは、後付なんだよ。
ってことですから。
>>692 > でも精神分析は、まずコミュニケーション不全があるから、
> それを可能にする根拠を求める。
その、コミュニケーション不全という言い方がひっかかるなぁ。
コミュニケーション不全と言い得るからには、コミュニケーションは可能だ
ということを暗に前提にしているとしか思えないんですけどね。
>>692 > 解決するというか、結局見方だと思うんです。
> ルーマンのようにすでにシステムとして作動しているような場では、
> そのそのどのようにコミュニケーションが「始まるか」というのは
> あまり意味が無くて、あえていえば、有史依頼の連続性であって、
> 大文字の他者のような超越性を起点としてもうける必要がない。
> たえず差異があり、絶えず不完全でのコミュニケーションは行われる
> どのように始まるかの根拠自体を否定する。
それは、まず構造(システム)ありきのような、ゲネシスを問わない静態論的
構造(システム)分析への批判と似たような感じですね。
精神分析家のいう父性(第三者)って本当に第三者なのかそこが疑問なんだよなあ。
>>694 たしかにコミュニケーション不全はおかしいですね。
コミュニケーション不全は、コミュニケーションですから。
コミュニケーションの可能性でどうですか。
>>695 そうですね。
構造ー機能主義より、機能−構造主義、と言う感じですか。
>>696 クリプキの規則のパラドクス、
大澤の第三者の審級
ラカンの大文字の他者
デイヴィッドソンの全知の解釈者、
私の神性の捏造?
流れ的には、そうです。
700 :
考える名無しさん:04/06/22 19:50
>>699 マルキシズムにおける共同性全般(共同幻想)もプラスしたいですね。
> (メタ意識)×(ベタ意識)=1
>
>この式は何を意味するかというと、欲望(=ベタ意識)を無限小に縮小すると、
>メタ意識は無限大に拡大するということだ。
山川凶介著『私は本当に狂っているのか』より
マルホランドドライブは無意味だから凄いってこと?
新しい本出してるみたいよ。
704 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/29 22:33
ゲームラボ七月号のnyに関する環の記事は
新味がありません、東と同じ様な感じで
今敏氏も平沢進氏も注目しているので
そちらに触れた内容が読みたかったです
例えば「千年女優」はラスト近くで
今までの過程を無に帰す様な告白をします
(ネタバレなので少し抽象的に書きますが)
対象そのものよりも、その対象に惹かれている、
自分自身に惹かれているのだ、というような…
これはナルシシズムに思えます
ある年代の女子によく見られる現象でしょう
しかし手紙を持って来た老軍人とのやりとり
などを考慮しますと、既に倫理的な領域に踏み込んでいます
主人公の女優にとって、恋することとは演じることなのですが
演じる行為はアスペクトの領域で可能になります
流動性が高い社会においては、
演技的、RPG的な振る舞いがなされますが
それは動物的なのでは無いと思う
705 :
考える名無しさん:04/06/29 23:30
しろうとってホント馬鹿
二度とここに書き込むな
ぴかぁうざい
信者うざい
しろーとさんは普段なにしてんの
709 :
考える名無しさん:04/07/01 23:01
斎藤さんの著作で
読むべき本と読まんでいい本を教えてください
>>709 ひきこもり関連の本は読まなくてもいいと思います。
内容的に独自なところはありません。
709が引きこもりだったらどうすんだ
>>711 だったらますます読まないほうがいいと思うw
>>710 ありがとうございます
今日借りてきました orz
「フレーム憑き」リンチとゴダールを映画表現における二極として
並べて語るなんて物凄い暴論だが、それゆえ最近の暴論のない映画批評の中では
随分と刺激的に写る。
次ぎのゴダール論でのさらなる肉付けも期待。
716 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/07 00:33
美術手帳の第三回目の連載なんですが…
もろに自分が「アスペクト」で考えていた事と重なって興味深いです
眼科医という事で環センセイとは医者同士ですが、
「色彩」の多数性、多種性の話は面白いですね
比喩でなく詩や絵画や音楽がそれぞれの形式を
超えて語り合うというのはランボーみたいですね
母音と色とが共感覚(中村雄二郎)になっているとかなんとか…
「原子論vsイデア」「フォービスムvsキュビスム」「ビットマップvsベクトル」
などと一元論から無と多の対立へという構図が示されているのですが
自分は「方法主義vsスーパーフラット」に「アスペクトvs動物化」を並べたい
最後の「方法マシン」とか固有名や顔を剥奪された肉体の相貌とかは
まさに非領域的で「多相人格」的な存在ですね
人格がモジュール化してキャラになるときに
身体を横断して主体が読み込めるという事です(『スイミー』とか)
それで自分の方の図式も出せば
萌え絵は大衆化したキュビスムで
ラブコメは反転したミステリなんです
更に「現実界は論理と計算に従う」というのは
「ゲーム」として考えると分かりやすくなりますね
しかし、シミュレーション(仮想化)しきれない残余はどうなるのか?
それで、大他者はシニフィアンの可能な用法と考えていいですよね
とすると、シニフィアンの用法の可能性というのは…
「形式」から「方法」へという流れがヒントになりそうなのですが…
717 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/08 01:13
注記すると、アスペクトは原子論より単子論に近いですね
一つのノードはモナド的にネットワーク全体を映し出します
しかしこれはキュビスム的でもあります
またビットマップにしてもJPGなどは(非可逆)圧縮する際に
波動の性質を利用しているというではないですか
更にFLASHの場合
ベクトル的な制御点の操作による曲線の描画だけではなくて
スクリプトが付帯しているオブジェクトですね
「対象aは遍在する」という斎藤の命題と
「夢はどんな風にでもある」というランボーの言葉は
アスペクトの遍在性に通じる所があります
誰もまともに相手にしないイロモノだからな。
相手にする奴もイロモノ。
ラカンのいう現実界ってアプリオリなんですか?
721 :
考える名無しさん:04/07/22 19:57
722 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/22 20:04
>>720 えっと、斎藤によると
「現実界はコントロール不可能」だから
アプリオリなものじゃないですか
現実界だって精神分析の言説が「現実界」として言語化した時点で
すでに象徴界の産物なんだけどね。
724 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 19:27
>>723 「現実界」は言語化不可能でしょう
ゲーデルの不完全性定理において
自身の体系内では証明できないという様な事です
名指してるだけでそれを記述や説明してるわけじゃあないしな。
726 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 19:30
中央公論ですが、全然賛成できないですね
ネットのコミュニケーションは現実の数百倍危険? まさか〜w
2ちゃんで「氏ね」とか言われても「おまえが氏ねよ」で終わりでしょう
むしろ現実よりずっと安全で緊張感がないのが2ちゃん
まあ実名と匿名が交差すると危険なのは分かりますけど
「ネットは危険」という印象を煽るのはちょっと…
727 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 19:34
>>725 固有名が確定記述に還元できない剰余を含むのと同じですね
728 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 19:35
もう少し理論的な話をしますと、
ネットでは第三者が介在せず、攻撃性が際限なく増加する、
という図式についてですが基本的には賛成です。
『構造と力』でも、鏡像界=想像界の混沌を
第三者が調停して象徴界が成立し安定する
という構図でしたね
729 :
考える名無しさん:04/07/24 19:39
中央公論のって何だ?
ネバタみたいのを想定しているのでは?
730 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 19:43
しかし以前から「象徴界の機能過剰」という説を自分は唱えていまして、
東の言う動物化も、むしろ人間化ではないかと思う訳です
むしろ第三者的なものが増殖した結果内破しているのが現状ではないか
これはネットだけでなく柄谷の言う日本的なものも含みます
中島義道の『対話の無い社会』とかの日本観がそんな感じですね
そこでは第三者の介在の欠如、よりむしろその過剰、
個人同士の対話が無いという事を問題にしています
731 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 19:46
>>729 >「ネバタ」
まさにその事件についてのコメントですね
斎藤によるとネットは第三者が介在しないので
攻撃性が際限なく増殖する危険地帯らしいです
だからネットが現実より数百倍危険なコミニュケーションで
あることを認識するのが今何よりも必要だと
732 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 19:49
>>730 問題は第三者の欠如ではなくて
「すべてが第三者」である事です
ジジェクがローティに対して
公と私の分割不可能性を示したり
全体主義を考えるときも
そんなイメージが自分には浮かびますね
733 :
考える名無しさん:04/07/24 19:54
ネットが現実より危険というよりも
現実がますますネット的になっているというべきだと思うね。
どうでもいいけど、しろうとってその名前どうにかならない?
それって固有名の侵犯だと普通に思うんだけど。
悪気とかってないの?
そうです、おとなしくポールに戻すべきです。
736 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 20:14
>>733 むしろ現実がネット的に…というのは
東の911の印象、現実が既にシミュラークル〜
というのを思い出します
>>734 固有名の侵犯? どういう事でしょう
何か問題でもあるんですか
>>736 手早く言えば、いい加減にしろということです。
>>730 >そこでは第三者の介在の欠如、よりむしろその過剰、
>個人同士の対話が無いという事を問題にしています
ダブル・コンティンジェンシーの極限というのか、
個人(個別的現存)に対して共同性あるいは第三者の介在を
過剰に感得してしまうのが問題だろね。
たとえばサラリーマン同士が、相手のキャラではなく所属する企業や
肩書きばかり意識して、通常のコミュニケーションが困難なる、とか。
対幻想を侵犯する共同幻想ともいえるでしょ。
739 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 23:28
>>738 >ダブル・コンティンジェンシー
商品を売買するとき、もし物々交換だったら
互いの欲望が一致しなければならない
この二重の偶然性を貨幣が媒介します
コミュニケーションも同様に他者の媒介でスムーズになされます
ところで個人の集合である西洋の「社会」と違って
阿部謹也的な「世間」では主体より場所が先に来ます
宮台真司的な「透明な存在」に主体がなる訳です
サラリーマン的なコミュニケーションを見ますと
個人の利害の衝突による囚人のジレンマが
問題になる場面はよりもむしろ、
ジレンマの過剰回避の方が問題だと思います
「ここは私が払います」「いやいや私が」みたいな儀礼
740 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/24 23:35
これには興味深い宮本忠雄の指摘
「適応不全より適応過剰の方が
神経症に対する病因可能性をつよめてきている」
とかウィトゲンシュタインのパラドックスと関連して
新宮一成が分裂病を規範の病と
捉えたりする事と関係があるでしょう
「象徴界の機能過剰」は単なる思い付きではないのです
更に斎藤の東への疑問、複数的な超越論性はありえない、
もし実現したとしたら分裂病的な事態になるのではないか、
に答えれば、アスペクト盲かそうでないかという違いでしょう
>>725 > 名指してるだけでそれを記述や説明してるわけじゃあないしな。
現実界と名指すことによって記述・説明しているんじゃないの?
でなければ、意味のない言葉ということになりませんか?
そういう言葉が存在し得るのでしょうか?
>>724 > 「現実界」は言語化不可能でしょう
その辺が矛盾というか、言語化不可能という意味を言語化されて
付与されているわけですよね。それはすでに象徴界の産物でしょう。
> ゲーデルの不完全性定理において
> 自身の体系内では証明できないという様な事です
え? それは現実界にかぎらず・・・
>>730 > 東の言う動物化も、むしろ人間化ではないかと思う訳です
これは同意です。
欠如化は隠れた過剰化なんですよね。それが欲望ってやつの機能なわけで。
欲望とは過剰であるがゆえに、常に対象物に欠如・不足を見いだす。
> むしろ第三者的なものが増殖した結果内破しているのが現状ではないか
ネットは同時にパノプティコン的な第三者が介在しますからね。
象徴界の欠如であるよりもむしろ過剰ですね。
「欠けている、足りない」という言説(象徴化)の過剰が起こっている。
これはフーコーが言っていたことです。
744 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 00:51
>>741 >意味のない言葉〜存在し得る
斎藤によると意味との一対一対応の記号と異なり
言葉は恣意的なシニフィアンの秩序だそうです
ただ自分は「使用」こそが言葉の意味であるという
ウィトゲンシュタイン的な言い方が好みです
745 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 00:54
>>742 >言語化不可能という意味を言語化〜象徴界の産物
いや、定義とか明示的な規則化が不可能という意味かな
例えばラカンが「女は存在しない」という時の
「存在」という意味がそうです
>現実界にかぎらず
いや、「現実界」という概念は結構広いのです
対象aを通して、貨幣とかも扱えますから
>>742 おかしな文になってしまったので訂正しときます。
訂正
その辺が矛盾というか、言語化不可能というふうに言語化させて
意味付与しているわけですよね。
証明というのではなく、そのような意味あるものとして説明しているわけですよね。
>>745 > >言語化不可能という意味を言語化〜象徴界の産物
> いや、定義とか明示的な規則化が不可能という意味かな
いや、ですから・・・「現実界」として命名=定義=意味付与した時点で
すでにそれを言葉として語っているわけで、つまりすでに言語使用(言説)
の実践に組み込んでいることになるはずですね。
語りえぬものとして語ったときにはすでに象徴化されていると思いますよ。
まさにそれが象徴的なものではないか、と。
> いや、「現実界」という概念は結構広いのです
> 対象aを通して、貨幣とかも扱えますから
そうですね。つまりすでに言語使用の領域にあるんですよね。
>>744 > >意味のない言葉〜存在し得る
> 斎藤によると意味との一対一対応の記号と異なり
> 言葉は恣意的なシニフィアンの秩序だそうです
ソシュールですね。
> ただ自分は「使用」こそが言葉の意味であるという
> ウィトゲンシュタイン的な言い方が好みです
ディスクールですね。
748 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 01:06
>>743 ただ東の動物化論では
そもそもポストモダンの主体が
もはや対象物に欠如を見出さず
それゆえ過剰な欲望も起こらないと言います
だから人間化を言う場合、
弛緩したポストモダン社会・文化において
欠如とか過剰をどう提示するかが鍵です
ネットがパノプティコンかどうかは置いておいても
>言説(象徴化)の過剰
東はこれを「シミュラークル」で説明するでしょう
だからデータベース(確定記述の集積)に還元できない
超越論性を提示するのがキーです
言語ゲームというふうに言うべきだったかな
>>748 > ただ東の動物化論では
> そもそもポストモダンの主体が
> もはや対象物に欠如を見出さず
> それゆえ過剰な欲望も起こらないと言います
ただし東さんの「動物化」という表現には、「欠如」という意味が付与されて
いるのではないですかね?
> >言説(象徴化)の過剰
> 東はこれを「シミュラークル」で説明するでしょう
> だからデータベース(確定記述の集積)に還元できない
> 超越論性を提示するのがキーです
その「ポストモダン」というのはやはりボードリヤール的な意味なんでしょうかね?
751 :
考える名無しさん:04/07/25 01:14
とりあえずこやつに思想なんぞ求めるな、と。
石原ぼーいをよいしょしてるやつだぞ
> そもそもポストモダンの主体が
> もはや対象物に欠如を見出さず
> それゆえ過剰な欲望も起こらないと言います
私はむしろこうした認識には疑問をもっています。
ボードリヤールでさえも全てが完了してしまった現代を
語ることによって現代の欠如を語っているわけですよね。
>>751 斉藤さんは都知事からかなり高く買われているらしいですね。
754 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 01:21
>>747 いや、違います、少なくとも斎藤はそう考えない
明示的な規則で示せないなら象徴界の外部です
物自体が認識できないとか
無限という数を明示できないのと似てるかな
>言語使用(言説)の実践に組み込んでいる
事実上の実践と原理的な不可能性は別です
>語りえぬものとして語った
「語り」ではなく「示し」ですね
>すでに言語使用の領域にある
そういう論法も斎藤は既に指摘してると思う
「超越論性の超越化」とか「ゼロ記号の加算化」とか
でも斎藤のラカン解釈ではそれは無理なんですね
755 :
考える名無しさん:04/07/25 01:23
>>753 そうそう、解説も書かせてるし。
福田と双肩をなす石原子分やん。
フーコーのいう「セクシュアリティ」と一緒で、語りえぬ抑圧(禁制化)されたもの
として「性」が過剰に語られていくという言説による逆説があるわけですよね。
それが精神分析の言説を構造化している原理ではないか、と。
757 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 01:31
>>756 精神分析が言説を生産するという話は
『心理学化する社会』で既に議論済みですね
「現実界」も同じで、象徴界の外部だとか言語化が不可能な領域として
実際には言説化されているわけですよね。
「王」がまさに「不在者」として君臨しているような・・・象徴権力ですよね。
>>754 > >語りえぬものとして語った
> 「語り」ではなく「示し」ですね
示しと言い換えても同じことであると思います。
語ることによって暗示させているということですから。
760 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 01:38
>>758 いや、そこで言ってる不在の審級は想像界の象徴化だから
基本的に「現実界」という言葉があるから
象徴界に含まれるじゃないかという発想は
すぐ思いつくと思うけど、それはだめなんです
そういう議論は既出だから斎藤は全く困らないと思う
ネットのコミュニケーションは現実の数百倍危険
とか素朴な現実把握の方が全然だめだと思ってます
>>759 「語りえぬもの」は示すことしかできないと言ったのは
ウィトゲンシュタイン自身
語る/示すの区別は『論理哲学論考』に出てくるよ
762 :
考える名無しさん:04/07/25 01:40
おいおい、なんか本物きてる勢いだな
そんな暇なのか、精神分析の坊ちゃんどもは
763 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 01:41
>>759 いや違う、同じじゃないのです
ラカンよりウィトゲンシュタインの文脈ですが
「示し」を「語り」尽くす事はできないのです
コンスタティブとパフォーマティブと言ってもいいと思いますが
示しを語ったとして、その新しい語りには
更なる示しがありますから、限りないのです
そこら辺はゲーデルの不完全性定理でも同じ事情です
丸山圭三郎さんなんかも、自らの用いる「身分け構造」という概念について同様に
言っていて、言葉と身とを「言分け」て語っている時点ですでにシンボル化されており、
一種の語義矛盾であるというふうに自ら指摘していたと思います。
>>763 > いや違う、同じじゃないのです
> ラカンよりウィトゲンシュタインの文脈ですが
> 「示し」を「語り」尽くす事はできないのです
ですから、それはすでに言葉の世界の話でありますよね?
>>760 > ネットのコミュニケーションは現実の数百倍危険
> とか素朴な現実把握の方が全然だめだと思ってます
これについてはまったく同感です。
彼がネットと現実とを仕分けしているものの根拠とは
いったいなんなのでしょう? そこがあやしい。
767 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 01:54
>>765 あ、言葉の世界の話だから象徴界という所に
誤解の根本があると思います
言葉でも意味は想像界に属して
シニフィアンの構造は象徴界に属する
というような位相的区分なんです、これも斎藤だけど
>>761 知っています。ウィトゲンシュタインについてはまたね。
>>763 > 示しを語ったとして、その新しい語りには
> 更なる示しがありますから、限りないのです
それがまさに象徴化でもありますからね。
>>768 ならば念を押しておくけれど
ウィトゲンシュタインにおいては「語り」と「示し」は
言い換え可能な言葉ではないからね(だから
>>759のような理解は
誤り)。一応確認。
771 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 02:01
>>769 象徴化が限りないというのは
象徴界が単独で閉じることができない
つまり現実界が要請されるということです
>>767 誤解の根本があるとは、この話の文脈では、どういう意味ですか。
773 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 02:13
>>772 「象徴界」「現実界」という言葉がラカンの体系で
それでこのスレが斎藤環のスレだから、その限りでは
「現実界は象徴界に含まれる」
(つまり現実界という区分は実質必要ない)
という主張は誤解なんです
それで単に名指す言葉があるという事と
それが対象を(完全に)記述できている事を
区別しなくてはならず、前者をもって
象徴化できたとしてはいけないのです
>>770 > ならば念を押しておくけれど
> ウィトゲンシュタインにおいては「語り」と「示し」は
> 言い換え可能な言葉ではないからね(だから
>>759のような理解は
> 誤り)。一応確認。
ちょっと待った。それはどういう意味ですか。
>>759で書いた意味を誤解しているような・・・
二つの単語が言い換え可能と言ったのではなく、言い換えても(いずれの
言葉を用いようが)先の文脈で同じことが言えるという意味ですよ。
>>774 「語り」と「示し」の区別を踏まえた言い方をするならば
「語り得ぬものを語る」ではなくて
「語り得ぬものを示す」という言い方が適切。
ただし「示し得ぬものを示す」という言い方は
ウィトゲンシュタイン的には単にナンセンス(もちろん
ウィトゲンシュタインから離れれば随意に言えるが)。
>>773 > 「現実界は象徴界に含まれる」
> (つまり現実界という区分は実質必要ない)
> という主張は誤解なんです
そういう主張と受けとられていたんでしたらそれは誤解です。
「現実界」が精神分析の言説を通じて象徴界として機能しているという意味です。
> それで単に名指す言葉があるという事と
> それが対象を(完全に)記述できている事を
> 区別しなくてはならず、前者をもって
> 象徴化できたとしてはいけないのです
対象を完全に記述できる言葉がこの世にあるのでしょうか。
名指す言葉があるという事がすでに・・・
>>775 初期のウィトゲンシュタインはそのような言葉の厳密な
定義づけのようなものを求めたわけですが・・・
779 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 02:30
>>774 「示すときにも語ってる訳でしょ、
だから語りと示すを言い換えても
同じ事が言えるでしょ」というのはだめです
>>776 >「現実界」が精神分析の言説を通じて象徴界として機能している
それは現実界自体が機能しているんじゃなくて
現実界を扱う言説が機能しているんですよ
「【物自体】って言葉で言えるよね、
だから物自体が認識できた!」
というような印象を受けます
>対象を完全に記述
数学の公理系のようなものでしょうか
780 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 02:32
>>777 いや、『論考』の頃からウィトゲンシュタインは
示しを語りに解消できると考えてなかった
厳密に定義付けできる、あるいは
そういう定義が出来ないものを抹消するのが
論理実証主義の人たちで、彼とはまた別
>>779 > それは現実界自体が機能しているんじゃなくて
> 現実界を扱う言説が機能しているんですよ
ですからそこに、こちらが言っていることに対するそちらの誤解が
あると思うわけですが・・・
しかしその言い方ですとまるで言語学のソシュール以前の素朴な
区別(二項対立)の図式へ回帰するような認識というか表現ですね。
>>780 示しと語りの区別は本当に区別できるのか疑問ですけどね。
現実界を示すとかにかぎらず、言葉というのはすべてそういうものですよね。
語りつくすことはできないけれども、対象を示唆して生み出すことによって
意味の過剰を暗黙のうちに生み出している。
「現実界」として示された時点で、指示されたものとしての現実界はすでに
象徴ないし想像の産物であると思います。
精神分析論は、想像界(ないし象徴界)について多弁であることによって
現実界について大いに暗示的に語っているし、言語の土壌に乗せていると
思いますよ。
言葉がその言葉が排除した意味をもその差異化によって同時に語っているという・・・
>>730 >しかし以前から「象徴界の機能過剰」という説を自分は唱えていまして、
>東の言う動物化も、むしろ人間化ではないかと思う訳です
そのとおりだ。ひきこもりは全能感があるから下らない仕事ができないのだ。
しかしその全能感状態というのは人間的状態ではない。
過去の文化を「古い」のひと言で切り捨てるのが近代理性だが、
1985年以降、近代理性を維持するためには自分が人間であることを否定しなければならなくなった。
徹底的に進歩的であろうとする人間は人間的生活が不可能になる。
それに耐えられない人間は理性=進歩を放棄して「人間化」したのだ。
これが東のいう「動物化」だ。
しかし今やすべての人間が進歩を放棄する局面に到達した。
「古い」という言葉は死語になった。
昭和初期も1960年代ももはや古くない。むしろカッコいい。
「レトロブーム」も死語だ。レトロでないブームはない。
最先端はない/すべてが最先端である、という21世紀のユートピアが今まさに始まるのだ。
私が強調しておきたいのは、「語り得ぬものを示す」というウィトゲンシュタインが
言うところの意味でさえも、丸山圭三郎氏の表現で言えば、言分けられた構造
内の問題であるということです。
>>784 そこで「人間」と呼ばれているのはいったい・・・
「語り」も「示し」も表出だよね。
享受する側がどう受け取るかということは問題にならないの?
「アカ」という「語り」や「示し」が、
「共産主義者」についてか「赤い色」についてかの判断の依拠するものは?
という問題の方が重要じゃないの?
表現の表出部分ではなく、表現の享受の確定に至る条件についての問題として。
どんな表出も享受されないと意味ないでしょう。
790 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 13:22
>>781 いやソシュールによって意味の名指し論の呪縛から解かれた訳で
ラカンはソシュールを継承してますから
>>782 語りと示しの区別はできます、
少なくとも示しが語りにすべて含まれることはない
>意味の過剰を暗黙のうちに生み出している
暗黙に生み出したものを「語り」とするのはどうかな
>精神分析論は〜
界の区分が怪しいけど、とにかく
そういう言語ゲームは対象の指示なし、
もしくは対象自体がなしでも出来るということ
791 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 13:27
>>783 だから語りじゃなくて示しですね
前もテクストとコンテクストの分類の話があったけど
>>784 人間の定義が分からないし、
後半は少し別の話だと思うけど
現代ではむしろ動物的な行動が倫理的に見える
というような状況だと思う、ひきこもりは人間的だから
>>785 それが現実界を示す事とどういう関係にあるんですか
792 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 13:32
>>788 語用論、言語行為論なんかでは受け手も問題になるでしょう
それにデヴィッドソンなんかは受け手の解釈こそが意味だとする
しかし、受け手がいるから語りと示しの区別が
全面的に無効化するということはないのです
ここで区別の境界が移動することと
境界が消失するのは別です
>>790 > いやソシュールによって意味の名指し論の呪縛から解かれた訳で
> ラカンはソシュールを継承してますから
ですからその意味で、語りと示しとのそうした区別というのは、
それこそラカン以前への逆戻りですらあるのではないか、と。
> そういう言語ゲームは対象の指示なし、
> もしくは対象自体がなしでも出来るということ
対象自体とか、純粋な対象の指示というような言い方を一方で
されてしまうと、それは構造主義以前への回帰であるように思えます。
ボードリヤールの象徴交換論に見られる現代批評がそういう感じの、つまり、かつての社会で
は象徴交換の原理がちゃんと機能していたんだけど、現代ではその機能が失われて・・・という
言説を展開するんですが、むしろそこに矛盾を感じるというか、現代こそ象徴交換の(過剰な)
社会でもあるといえるわけで・・・、その話と似ているように思えますね。
795 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 15:05
>>793 それは誤解です、発端に戻ると少なくとも
ラカンの文脈で「現実界も象徴界に含まれる」
ウィトゲンシュタインの文脈で「示しも語りに含まれる」
とは言えません、これは断言しておきます
それで、彼らや斎藤を離れて自分で作るなら
語りと示しを一元化した体系でも構わないでしょうが、
それでも難しい点はあります
示しを語れるという発想で近いのは論理実証主義の立場かもしれません
(クリプキの)ウィトゲンシュタインのパラドックスとかキャロルのパラドックスは
そうした一種の有限的規約主義の限界を示しています
796 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 15:08
ラカン以前とか構造主義以前と言うのは理解できません
現実を剰余する現実界の存在は
ラカンをメルクマークにしたポスト構造主義の基礎だから
>>794 まさしく象徴界の機能過剰ですね
ただ機能過剰は機能不全に見えるのはそう
ジジェクがヒッチコックの鳥は象徴ではなく
その機能不全の象徴だ、と言うような事です
797 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 15:14
ボロメオ結びというのがあって
三界は互いに支えあっているんです
あるいはX/Y/Zの座標軸のようなものです
現実と現実界の区分を撤廃してしまうと
ラカンの体系の他のテーゼ、
「大他者は存在しない」とか「女は存在しない」とか
大他者の代理たる小文字の他者=対象aとか
ほとんど潰れるので斎藤以外のラカニアンも認めないでしょう
また確認しておくと
その境界線は曖昧ではないか?
というような指摘と、言い換え可能というのは別です
>>791 > だから語りじゃなくて示しですね
> 前もテクストとコンテクストの分類の話があったけど
そういう意味では言語というのはみな示しですよね。
語義は「ではない」というネガティブな排除(差異化)の構造によって支えられ
ているというのが、ソシュール以降の構造主義的言語観ですから。
> それが現実界を示す事とどういう関係にあるんですか
現実界とてそれが名指(示)されたときには、言葉で分節された構造の中
にあるということですよね。メルロ=ポンティも知覚の現象学で指摘するように、
事物の命名そのものが認識そのものであるということですね。
言葉による自己言及性という、このあたりの問題をソシュールやラカンを踏まえて
意識的に俎上の載せていたのは、日本では丸山圭三郎氏くらいだったのかもしれません。
>>795 > それは誤解です、発端に戻ると少なくとも
> ラカンの文脈で「現実界も象徴界に含まれる」
> ウィトゲンシュタインの文脈で「示しも語りに含まれる」
> とは言えません、これは断言しておきます
ラカンの現実界はソシュールのシュプスタンスという用語に近いのかな。
名指される以前の意味の未分節状態のことですね。
799 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 16:24
>>798 ソシュール的なシニフィアンの秩序、
即ちネガティブな対立による
恣意的・差異的・共時的な体系、
これがラカンの他者・無意識を支えます
現実界はその体系の剰余です
>事物の命名そのものが認識そのもの
フレーゲ以来の指示理論、
意味と意義とか言及と指示とか
色々な問題を踏まえないと
800 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/25 16:34
>>798 >言葉による自己言及性〜日本では丸山圭三郎氏くらい
いや、斎藤に限らずラカン読みなら誰でも
「現実界と名指す事で既に象徴界に含まれている」
というのは拒否すると思うし
そういう論法を知らないはずもないと思う
>ラカンの現実界はソシュールのシュプスタンス
近い気はしますね、ただラカンは
「現実界は論理と計算に従う」と言ってたらしいから
あと自分的にはカントの物自体の方がしっくりきますね
801 :
考える名無しさん:04/07/25 17:27
パースの現象学は、ラカン的にはどうなの?
>>789 「学習V」「構成同一性」「見なし」と最も重要な認識が機能していない
ということ?
しろうと=馬鹿
805 :
考える名無しさん:04/07/26 10:53
さいとう、って誰ですか?
はいはい
808 :
考える名無しさん:04/07/26 11:01
「はるか? し、知りませんっっxxxxxxxxxxxxxxx」
ひろしです。
809 :
考える名無しさん:04/07/26 11:19
「ハルカ?2ちゃんでしか見たことなかとです」
ひろしです、
ひろしです、
ひろしです、
ひろしです…zzz
?
811 :
考える名無しさん:04/07/26 11:22
あのぉ、「はるか にまし」って人の名前ですか?
「漢字がわからんとですっ」
ひろしです…w
?
813 :
考える名無しさん:04/07/26 11:55
>>806 はるかにまし、って誰なんですか?
あと、漢字で同角か、教えてください。
815 :
考える名無しさん:04/07/26 12:43
僕もこの人大嫌いです。
>>798 > ラカンの現実界はソシュールのシュプスタンスという用語に近いのかな。
そうするとフォルムが想像界?
818 :
考える名無しさん:04/07/26 14:57
820 :
考える名無しさん:04/07/26 15:54
>>819 o(^-^o)(o^-^)o ヤッタネ♪
822 :
考える名無しさん:04/07/29 21:49
あげ
とりあえず足跡を残しておく(w
824 :
考える名無しさん:04/07/29 22:46
825 :
考える名無しさん:04/07/29 23:24
斉藤先生と結婚したい
826 :
考える名無しさん:04/07/31 12:03
吉本センセのひきこもり何とかって本って、環クンとの絡みでいうと
どうなんだ。
827 :
考える名無しさん:04/07/31 12:30
斎藤は吉本を批判してるよ。
吉本がひきこもりを勧めるのは無責任だって。
828 :
考える名無しさん:04/07/31 12:45
おれも吉本興業には、批判的な立場だ
829 :
考える名無しさん:04/07/31 18:27
>>827 理論的な批判はしてないよね。
というかできないのか。
宮台との対談で宮台が吉本を評価するところで、
斎藤はとぼけてるよね。
オレも吉本のエピゴーネンはDQNばかりだと思うけどさ。
本人は手強いでしょ。
>>829 > 宮台との対談で宮台が吉本を評価するところで、
それってどういうところ?
831 :
考える名無しさん:04/07/31 20:49
西川きよしは、吉本に戻ったのか?
832 :
考える名無しさん:04/07/31 21:48
???
簡単にいえば、
「引きこもってもいいよ」
はいいけど
「引きこもれ!」
とアジテーションしちゃダメだよ。
ってこと。
吉本に対しても高岡健に対しても同様。
834 :
考える名無しさん:04/07/31 22:28
「引きこもってもいいよ」 、は許可してるの?
そ〜なら、偉そ〜かも。
まだ、「引きこもれ!」 のほ〜が、スカッとしてて、聞きやすい。
835 :
BoOooN@ ◆rDGuVmz79Q :04/07/31 22:29
>>834 許可?
いや、なんで。んなわけないじゃん。
「引きこもっていいよ」
てのは
「引きこもっても気にするな。引きこもることは別に悪いことじゃないんだ(いいことでもないけど)。
なんとかなるから安心して引きこもろうよ。まずは安心して引きこもれるくらいの余裕を持つことが大事なんだ」
というような意味なんだ。長いけどw
許可するって、斎藤は何様だ。
837 :
考える名無しさん:04/07/31 23:18
>>836 どっちにせよ、ヒトの生き方に、クチ出ししてるよ〜なニュアンス。
もし、そ〜ゆ〜意味でないなら、何も言ってないことになるが…?
>>837 キミの書いてることは要するに
「喋るな、書くな」
ということにしかならないと思うが。
837が単に自分の生き方に口を出されたくないだけじゃないの?
839 :
考える名無しさん:04/07/31 23:43
840 :
考える名無しさん:04/07/31 23:46
>>830 >> 宮台との対談で宮台が吉本を評価するところで、
大衆とか大衆に依拠することを肯定する発言だったと思う。
たしか宮台は、そのことを指し示したのは吉本だけだった、
みたいな発言してたな。
うーん、いい加減でゴメンちょ。
841 :
考える名無しさん:04/07/31 23:51
842 :
考える名無しさん:04/07/31 23:56
>>838 宮台や宮崎や吉本、他の誰でもいいんだが、
君は、自分の生き方に口を出されたいのか?
アホか。
誰かが自分の生き方に口を出したところで、それを参考にする必要はない。
口を出されたいなど思わない。口を出すな、とも思わない。
書かれた文章が面白く納得できればいい。
それを自分の生き方に反映させるかは、また別。
プライドを持つヤツってのは、どうしてここまでウザいのかね。
844 :
考える名無しさん:04/08/01 00:16
>>843→口を出されたいなど思わない。口を出すな、とも思わない。
落ち着け、オマエの言った上の文章だが、矛盾してるぞw
そんな事も分からないうちは、
「単に自分の生き方に口を出されたくないだけじゃないの?」
などと人様に言わないことだ。
プライドの問題にすり替えるのも、やめろ。
子供じみてるぞw
すり替えも何も、同根の問題だと思うが。
仮に別々に問題を扱ったとして、あなたの論理の整合性が崩れるのは間違いないと思うけど。
口を出されたいなど思わない。口を出すな、とも思わない。
が、矛盾しているなどと思うのは、単にあなたがものを考えたことがないというだけの話だ。
「口を出すな」の否定が、単純に「口を出せ」なの?
どうさ。
846 :
考える名無しさん:04/08/01 00:55
もう少し、スッキリした文章、書けんの?
つ〜か、考えがスッキリしてない場合に、そうなるんだがw
答えは明快で単純であるべきだし、真実とはそういうものだ。
というような考えを持った人が多いが(安心しろ、
>>846キミは孤独じゃない)、
それは単純に考えたくないだけの話だ。
複雑さに耐えられない。
世界は複雑にも単純にも語れる。
もちろんそれは、語るだけの話だ。
848 :
考える名無しさん:04/08/01 01:06
>>847 なに、オカドチガイな事、言ってんだよ、
単純とか複雑の問題じゃないだろw
おまいが道理に合わない事柄を、
無理やりこじつけよ〜と、してるって事w
この人って香山リカを認めてるの?
>>848 道理に合わない?
>845に書いたとおりだよ。
問題は同根。
ぼくがプライドの問題と「口を出す・・・・・・云々」の無理矢理こじつけようとしている、と
みなすのは、あなたがそれらを同根とみなしていないだけの話。
ぼくはそうみなしている。
その話(どう関連づいているのか)を展開することもできる。
問われればその都度出す。
が、そのことにこだわらなくていいから、
「口を出すな」の否定が、単純に「口を出せ」なの?
に答えてほしいものだ。簡単だよね。
>>833 引きこもれって言われる
と引きこもりたくなるなる
852 :
考える名無しさん:04/08/01 09:11
>>851 ヒキが、それぐらいで、ヒトに左右されるわけないだろw
853 :
考える名無しさん:04/08/01 09:20
>>850 同根、同根って、おまいのアタマ、大根w?
「ヒトの生き方にクチ出す行為」は、それを言う資格があってのもの。
プライドとは別問題。
だいいち、いまどきプライドなんて問題にしてるのはおまいぐらいだろw
自分がプライドを大事に思ってた時期があり、その後大事じゃないと
気づいたからといって、それを成長・脱皮と勘違いして、
人様に押し付けよ〜とする態度は、田舎クサイからやめろ w !!
>>853 >「ヒトの生き方にクチ出す行為」は、それを言う資格があってのもの。
その資格って何?
詳細希望。
あと、
>人様に押し付けよ〜とする態度は、田舎クサイからやめろ w !!
ってのは単に、853が「押し付けられている」と感じているだけの話。
被害妄想。
855 :
考える名無しさん:04/08/01 11:21
>>854 おまいの低脳ぶりには、ついていけんw
ヒトに対し、何もしてあげないくせに、
「そうしても好い」、「それはおかし〜」だの、ホザくDQNがいるが、
何様?って感じw エラソォ〜にしてんじゃねぇぞ、こらっ、て言いたくなる。
言は、他者を左右する場合がある。特に生き方、在り方の及ぼす(悪)影響は大きい。
しかもその結果責任をとるのは常に本人で、(悪)影響を与えた者は責任をとれない。
だから、もし他者に、その生き方・在り方を評価的に言う(影響を与える)ことが
できる者があるとすれば、それは
そのヒトに対し、その影響から守ってあげれる者、最低でもその被害や苦痛をともに
して、責任の一端をになうことのできる者に限られる。
そういう責任のとれぬ者、共有せぬ者に、他者の生き方を評価的に語り、
影響を及ぼす言動をする資格など無い。
「自分はこう生きる、このように在りたいと願い行動している」…このへんが限度だろw
856 :
考える名無しさん:04/08/01 11:26
>>854=あなたがそれらを同根とみなしていないだけの話。
この断定が、押しつけでなくてなんだw?
推しつけるつもりが無いなら、主語をあなたでなく、「私」に置きかえれw
あまりにもすべてに反論が可能で、もはや何を言っていいのか、何から手をつければいいのか
途方にくれるが・・・・・・
他者から「おまえはこうだ」と言われることに対して、そういう頑張り方をしても
自分で自分をスポイルするだけだよ。
858 :
考える名無しさん:04/08/01 11:56
>>857 言うに事欠いて、評価者の高みへ昇天。ごうろうさんw
>>858 それじゃあ、きみの言葉と同じレベル。理屈も同じレベルで少しお話しようか。しなくてもいいけど。
>何様?って感じw エラソォ〜にしてんじゃねぇぞ、こらっ、て言いたくなる。
というキミは何様だろう?
ここまで下げることないか。
言葉が他人に影響を与える可能性は、常にあり、その語り口の問題は些細なものだ。
それが「言葉」というもののそもそもの性質だ。
故に、「(他人に対して評価を直接することはしないが)私はこうありたい」などという言説は、
責任回避の為のレトリックに過ぎない。
ぼくはそれでもいいと思うが。
なんたって、人間というのは有限責任。
いちいち責任を取ることは、あらゆる意味で不可能。
860 :
考える名無しさん:04/08/01 12:24
>>859 なんでもありに近い根拠の展開だな。
いい年して恥ずかしくないのか?
ないよなw
あははは♂
具体的な反論を何一つしてこないってのは天晴れだね。
ディベートってものをわかってるね。
そのやり方で生きていけば、きみの人生は無問題だよ。
自分の土俵でしか相撲をとらない、って言うのは正しいことだ。
自分の土俵で勝負する限り、負けることはほとんどないからね。
>>852 それは「ひきこもれ!」って言う人が少数派だからだよ。
863 :
考える名無しさん:04/08/01 13:13
>>861 オマエの人生の基本が、勝ち負けにあること、よ〜くわかったw
>>833 「引きこもれ!」は、「社会に出ろ!」という無責任なアジテーションへ
皮肉を込めた反語的表現だと思うけどな
「引きこもり症候群」に対して
「引き出し症候群」なんて言い方をするのも同様の意味だろう
865 :
考える名無しさん:04/08/01 13:32
ヒキは生存を目的とした防御法。
生きよ〜とする積極的態度だと思うが、
なんでイケナイよ〜な指摘されるんだろ?
>>863 キミ向けに言葉を選んだだけだよ。
お気に召さなかったかな。
人生に勝ち負けなど、くだらない。
それはいうまでもないこと。
867 :
考える名無しさん:04/08/01 14:01
>>866=キミ向けに言葉を選んだ
流されやすいのを、そ〜ゆ〜ふ〜に言う地域といえば…
北?将軍様の工作員w?
斎藤は一応現場の人間だから、
「引きこもれ!」というアジテーションを肯定することはできないわけでしょう。
思想ゲームというか、ちょっと気の利いたことを言う、という意味では
「引きこもれ!」ってアイロニーも効いてて小気味いいんだけど、
でも、
「吉本、あんたは引きこもっても何ともないかもしれないけど、
実際追い詰められた人達、積極的な選択ではなく引きこもる(あるいは
引きこもりに向かう)人達に そのことばは救いにならないし、場合によっては害になるよ」
という批判にはなかなか太刀打ちできないんじゃないの?
869 :
考える名無しさん:04/08/01 22:16
ひきこもりさえ才覚が必要なのは両者が認めてるわけでしょ。
今気がついたけど、
「引きこもれ!」というのを否定的なアジテーションとしてしか
受け取れないというのも芸が無いね、斉藤って。
ひっきーの懐疑心と他者依存への拒絶はある種正当な強度であってさ、
書籍のスローガンや題名程度の左右されちゃうかな?
。。。とも思うけどな。
>>869 >「引きこもれ!」というのを否定的なアジテーションとしてしか
>受け取れない
わからんかな。斎藤自身がどう受け取るかという話じゃない。
斎藤は引きこもり問題の第一人者という社会内での立場として、
吉本的な発言を容認することができない、ということだ。
またそれは倫理的な立場でもあるだろう。
斎藤は文筆家としてはサービス精神が旺盛なところもある反面、
本業にかかわる部分ではかなり慎重だからね。
また思想的批評的な文脈から言っても「引きこもれ!」は素直すぎてつまらない、食い足りない部分があるだろう。
当の「引きこもれ!」が引きこもり当事者にほとんど届かないのはあたりまえだけど。
>斎藤は引きこもり問題の第一人者という社会内での立場として、
>吉本的な発言を容認することができない、ということだ。
だろうね。
そのうえで自分の意見をいうと、今度は吉本の立場として
「引きこもれ!」がアジテーションであったとして、
それを肯定するやり方もありだとも思う。
もちろん吉本の立場はそれを求められてのことでしょ、当然。
療法としても倫理としてもね。
昔から有名な森田療法なんかも、積極的に患者の行動を制止しておいて
神経症者が自ら起動するのを待つよね。
ひっきーも自ら起動するのがポイントだとすると、前段階はひきこもり促進で
いいと思う。そして次に、ひきこもりから起動するには第三者の介在を必要と
するのが斉藤の方法論でしょ。これは全面賛成するな。
そのうえで、ひきこもりに家庭内暴力がともなう世界でもまれな日本独自の現象の
理由を分析してる吉本の主張などを読むと、斉藤より一歩進んでるんだよね、理論的に。
「引きこもれ!」がそういった孝察や検証からきているんだとすれば、なおさら
否定し得ないスローガンだなとも思うよ。
突き詰めれば「斉藤の立場」と「吉本の立場」の差でしかないのかもしれないけど、
それが「引きこもれ!」を否定するほどの説得力があるかどうかは疑問だね。
「立場」の違いに逃げるのではなければね。
さらに理論的なことでいえば、もっと疑問は大きいが、これは別にして、かな。
872 :
考える名無しさん:04/08/01 23:46
…?
自分的には吉本の「ひきこもれ」本はナメテたんだけど、
実際に読むと週刊誌の青春悩み相談コーナーみたいな文に、
意外な説得力があってチョット感心した。
過去の吉本本と比べるのは酷だが、こういうのもありかなという感じ。
しかも、なんか少しは期待できそうな気もしたしね。
だから斉藤の吉本批判は、吉本周辺との(たとえば村瀬とか)対立で
ナーバスになってるからかな、と思ったよ。
吉本そのものは斉藤批判してないし、たぶん高く評価してると思うけど。
ラカンのことも評価してるしね。
>>870 > 斎藤は引きこもり問題の第一人者という社会内での立場として、
> 吉本的な発言を容認することができない、ということだ。
第一人者って、本当にそうか?
ひきこもりという言葉を流行らせて有名になっただけだろ。
臨床面では高岡らのほうが優れているかもしれないぞ。
後になって撤回した「ひきこもり100万人説」のアジりぶりは
忘れられないねえ(w
およそ、まっとうな専門家の言とは思えない。
まあ、自称・第一人者ってところだろうねえ……。
医療関係者は影で冷ややかに笑っているだろうて。
877 :
考える名無しさん:04/08/02 19:07
どっちもヒッキーの役には立ってそうで、いいんでないの。
それにどっちもヒッキー出身でないのかな。
878 :
考える名無しさん:04/08/02 23:28
ひっきーマンセエエエエ
>>821のスレは読みごたえあったなあ。
こういうハイレベルの議論を戦わせるメインスレが常に一つあればいいのに。
【2ちゃん哲学王決定戦】とかタイトルつけて。
「チンポ太郎」という名前はリングネームみたいでいい。
東さんの動物化っぽい意味のことを今村仁司さんも言ってらっしゃいますね。
消費(欲望)が生産(欲求=必要)に従属するようになった近代の生産中心主義の
価値体系を指して、動物的欲求にの状態に成り下がったんだと。
881 :
考える名無しさん:04/08/06 08:14
基本的に今村のいろいろな主張はいまだに超えられてない気がする。
浅田は今村によってデビューしたが、東や斉藤環の方がラディカルだろ。
浅田や柄谷は用済みだもん。
今村はもっと読まれるべきかも。
斉藤環のどこがラディカルなのか分からん。
まだ柄谷や今村のほうがラディカルだと思うが。
浅田、斉藤らは所詮ニューアカ世代。
柄谷、今井らには勝てない。
東はちょっと別格。
885 :
考える名無しさん:04/08/06 19:18
おまいら、ヲタク?
886 :
考える名無しさん:04/08/06 20:33
887 :
考える名無しさん:04/08/06 20:38
>>882 異常と健常の差は無いとした斎藤はラディカルだろ?
異常を対象化することで自分の出番を作ってる並の精神分析家や
心理学者よりいいんでないの。
19歳で吉本門下生だった柄谷は偉いと思うし、
浅田を世に送り出した今村も悪い仕事ではないと思うよ。
>異常と健常の差は無いとした斎藤はラディカル
その程度でラディカルなの?
単に、要約するとそう書かざるを得ないだけなのかもしれないが。
889 :
考える名無しさん:04/08/06 21:22
>>887 >異常と健常の差は無いとした斎藤はラディカルだろ?
精神分析でなら、このことは般教でも教えるでしょ。
890 :
考える名無しさん:04/08/07 08:25
それを一般人向けに書いたのだからラディカルかもよ。
一般人にありがちな偏見を打ち破ることにもなるしさ。
891 :
考える名無しさん:04/08/07 12:40
>>890 無知な一般人の偏見を打ち破ってど〜すんのよw
プロの偏見叩きつぶしてこそ、端くれってもんじゃない?
>>890 そう思うのは、斉藤の本くらいしか読んだことない斉藤オタだからだよ。
893 :
考える名無しさん:04/08/07 19:14
>無知な一般人
それいっちゃおわり
>>887 > 異常と健常の差は無いとした斎藤はラディカルだろ?
まさかそれを言ったのは斎藤がはじめてだと言いたいの?
その考えを応用して、ヒキと非ヒキの差はないと言ったなら
本当にラディカルだろうね。
896 :
考える名無しさん:04/08/07 21:29
>>890 それなら浅田のスキゾ/パラノのほうがよっぽどラディカルじゃないか?
1984年の流行語大賞にもなってるし。
精神分析論は、精神の正常と異常とを連続体として捉える
というふうな意味のことを斉藤は言っただけでしょう?
そんなことは斉藤だけが言っていることではないはず。
898 :
考える名無しさん:04/08/07 22:30
浅田ヲタクの同窓会?
899 :
考える名無しさん:04/08/08 09:25
一般向けに言ったのは斉藤がはじめて。
それもオタクとパンピーは同じというかたちでね。
精神分析医や心理学者など専門家の多くは、
異常を対象化してるだけ。
当時はともかく現時点での浅田はもう終わりでしょ。
900 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/08 10:17
斎藤は保守的なラカン派というイメージです
斎藤がどういう分類をしているのか注釈しておきます
すべての健常者は神経症者であるというテーゼはラカン理論の基本です
言葉を使う事から生じるある種のダブルバインドから逃れる事はできない
倒錯者が情報化社会に対応し細分化した一種がオタクだと分類されます
倒錯は正常と異常の境界に属します
またヒキコモリを欲望の欠如した存在と捉えます
ひきこもりの基準は社会的なもので病理的なものではありません
>>899 > 一般向けに言ったのは斉藤がはじめて。
そんなことはないよ。それは斉藤しか知らない証拠だよ。
俺も一般人だが、斎藤の著作など読まなくても、他の著作で
そんなことは了解済みだった。
それに斎藤の著作が一般向けとは思えないが。
> 精神分析医や心理学者など専門家の多くは、
> 異常を対象化してるだけ。
そんなことは斉藤が言わなくても、何度も言われてきている台詞。
> 当時はともかく現時点での浅田はもう終わりでしょ。
知の大衆化については浅田あたりが先駆者だろう。
>>900 > 斎藤は保守的なラカン派というイメージです
同意。
> すべての健常者は神経症者であるというテーゼはラカン理論の基本です
その点は、ラカン派にかぎらず、他の多くの人が言っていますね。
人間の文化・文明というものがすでに神経症的なものだという認識が、
精神分析論にはある。
> 倒錯者が情報化社会に対応し細分化した一種がオタクだと分類されます
> 倒錯は正常と異常の境界に属します
でも、結局は、正常と異常の境界は設けるところに回帰する。
で、精神分析論は精神病理学になってしまう。
> またヒキコモリを欲望の欠如した存在と捉えます
精神分析的にいえば、むしろその逆に捉えられるべきでだと思う。
欲望にとって欠如は過剰の裏返しだから。
> ひきこもりの基準は社会的なもので病理的なものではありません
そう言うだけではラディカルとは言えません。病理的なもの、社会的なものが
どのように文化的に境界づけられるのかを客観化してこそラディカルですね。
903 :
考える名無しさん:04/08/08 10:37
コピペ推奨です。
【キモオタ】第六回 哲学板オフ会【大歓迎】
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【集合場所】 未定(たぶん駅前とかでしょう)
【集合時間】 未定(たぶん夕方でしょう)
(現在4、5人が参加の意思を表明しております。)
早いことで第六回を迎えた哲学板オフですが今回は少し趣向が違います。
都心で飲んで翌朝ビッグサイトに直行、コミケを楽しむオフです。
飲みの話題は多種多彩、ハイデッガー、デカルト、ドストエフスキー、デリダから
bolze.の女神新作、コミケの購入作戦会議と枚挙暇がありません。
同人オタもそうではない方も楽しく飲みましょう。
>>902 ×正常と異常の境界は設けるところに
○正常と異常の境界を設けるところに
905 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/08 10:52
>>902 >正常と異常の境界は
>精神分析論は精神病理学に
専門家ではないし大雑把な分け方ですが
言葉が通じるのが正常(神経症者)で
通じないのが異常(分裂病者)です
精神分析論は前者、精神病理学は後者を扱います
>欲望にとって欠如は過剰の裏返し
そうですね。それは自分も斎藤・東に対して
「象徴界の機能過剰」説を考えてます
>病理的なもの、社会的なものが
>どのように文化的に境界づけられるのかを客観化
『心理学化』の斎藤からすると原理的には客観化できないでしょう
ただ常に社会現象の病理化を批判する必要性があります
906 :
考える名無しさん:04/08/08 18:07
>>それは斉藤しか知らない証拠だよ。
「知らない」人たちにも知らしめたということこそが大切。
より一般化したということで。
>>それに斎藤の著作が一般向けとは思えないが。
サブカル論議を架橋に一般と接続できる可能性は大。
というより他の専門書の影響力の無さを超えられる可能性に期待。
>>何度も言われてきている台詞。
一般に伝わらなければ意味は無し。繰り返す必要があるということ。
>>知の大衆化については浅田あたりが先駆者だろう。
ニューアカはバブル絶頂期に知さえ商品化しファッション化した象徴だが、
「大衆化」とは違う。ニューアカシンパと浅田読者層はそれを自らの
アイデンティティにしただけ。そこには大衆化ではなくのプチブルな差別意識が
あるのみ。宮台は当初からそれを見抜き、東はそれに気がついていったということ。
907 :
考える名無しさん:04/08/08 18:18
>『心理学化』の斎藤からすると原理的には客観化できないでしょう
そこが斉藤の限界ですね。
誰かが触れてましたがWコンテンジェンシーへの批判もウヤムヤのまま。
>ニューアカはバブル絶頂期に知さえ商品化しファッション化した象徴だが、
>「大衆化」とは違う。ニューアカシンパと浅田読者層はそれを自らの
>アイデンティティにしただけ。そこには大衆化ではなくのプチブルな差別意識が
>あるのみ。宮台は当初からそれを見抜き、東はそれに気がついていったということ。
大衆化してないよ。全然。
大衆化というのは「バカの壁」みたいになってからでしょう。
いや、あそこまでいくと害のほうが多いからやんないし、
斎藤自身(患者を抱えた精神科医としての)にとってもマスコミ露出は害になる部分が大きくて制限してるし。
浅田の「スキゾ・パラノ」は流行語大賞にもなったんだよ?(という話を聞いただけで知らない)
それだけの広がりを見せてないのに「大衆化」はない。
ひきこもりという「言葉」(正確な概念や知識とは別ね)は広がったけど、それ以外は。
909 :
考える名無しさん :04/08/08 19:51
ちょっとズレマスガ。
「大衆化」するといけない言説とかあんの?
社会や患者を分析する知見が大衆化するのはダメなのかな?
910 :
考える名無しさん:04/08/08 19:52
ダメだそんなの取り消せ
といってどうなるわけでもないし逆に病人の介護ご苦労様と労っとく
912 :
考える名無しさん:04/08/08 19:59
オタクと一般人を同列に論じただけでも斎藤の功績だろ。
あとは知らんが。。。
>>909-912(同一?)
大衆化は、少なくとも倫理的には問題ない、と思う。
しかし、実際には「民度」の問題もある。国の雰囲気や文化の問題もある。
か、とりあえず、俺は斎藤の言説が大衆化するのは問題がある、とは言っていない。
それはさておき、オタクと一般人を同列に扱うのが素晴らしいって・・・。
いや、確かに「戦闘美少女の精神分析」は素晴らしかった。
アレは非常にいい本だと思う。いろんな意味で嚆矢となった本だ。
精度はさておいて。
しかしね、いやまあ確かにあそこまでかっちりと、オタクと一般人の違い(違わなさ)について
書いた本はなかった。その意味ではラディカルなものだろう。公正だしね(ホントか?>俺)。
でも、912の記述からは
「オタクが不当な扱いを受けないための理論的基盤を整備した最初の人だから偉くてラディカルだ」
と言ってるようにしか見えない。
それでは単に、
オタク(=俺)と正しく捕らえてくれた!
だから彼は公正で先見的で、だから他の言説もそうに違いない。
といってるようなものだよ。
>>906 > 一般に伝わらなければ意味は無し。繰り返す必要があるということ。
だから一般向けに何度も言われてきたことなんだってば。
>>906 > >>それは斉藤しか知らない証拠だよ。
> 「知らない」人たちにも知らしめたということこそが大切。
> より一般化したということで。
そんなんだったら誰だってラディカルになれるぞ。
俺だってここで同じことを書けば、それを読んで初めて
知った人がいれば、より一般化したことになる罠。
> >>何度も言われてきている台詞。
> 一般に伝わらなければ意味は無し。繰り返す必要があるということ。
てか、いまや精神分析を語る者にとって自明な台詞であって、陳腐ですらある。
> ニューアカはバブル絶頂期に知さえ商品化しファッション化した象徴だが、
> 「大衆化」とは違う。ニューアカシンパと浅田読者層はそれを自らの
> アイデンティティにしただけ。そこには大衆化ではなくのプチブルな差別意識が
> あるのみ。宮台は当初からそれを見抜き、東はそれに気がついていったということ。
90年代のサブカル文化論者もその焼き直し以上のものとは思えないがね。
>>912 > オタクと一般人を同列に論じただけでも斎藤の功績だろ。
ってか、90年代の後半に入ったからは、もはや「おたく」は一般的市民権を得ていたし、
自分を指して「・・・おたく」と自称することを誰もがはばからない時代になってきていた。
決して斎藤がラディカルであったわけじゃない。
80年代末から90年代初期にそれを大っぴらに言っていたんならまだラディカルだったろうが。
917 :
考える名無しさん:04/08/08 23:09
>ってか、90年代の後半に入ったからは、もはや「おたく」は一般的市民権を得ていたし、
それってある世代以下のことじゃん。
>ってか、90年代の後半に入ったからは、もはや「おたく」は一般的市民権を得ていたし、
>自分を指して「・・・おたく」と自称することを誰もがはばからない時代になってきていた。
市民権を得た?
それはない。
認知度は深まったし、印象も幾分ライトなものになったし、
あいまいな使われ方も広まったとはいえ、あくまで「差別語」であり「ネガティブな言葉」であることは変わらない。
オタクという主体が、ネガティブな歴史性を根に持ちつづける、ということではなく、
その言葉を使う主体の問題。
オタクが差別語であることは、多分この先もしばらくずっと変わらないだろう。
ポジティブな使い方があるとして、それは非常に弁証法的な用法だし、
価値判断を伴わない使い方は「インテリ」層(のごく一部)が使うのみだろう。
斎藤はせいぜい、現代人は多かれ少なかれオタク化していると
言っているだけではないのか?
920 :
考える名無しさん:04/08/09 07:27
>オタクが差別語であることは、多分この先もしばらくずっと変わらないだろう。
でしょ?
921 :
考える名無しさん:04/08/09 08:31
モーヲタだヶど哲学好きだもん!!
922 :
考える名無しさん:04/08/09 09:52
>921
キモイ キモイ
923 :
考える名無しさん:04/08/09 10:13
「価値判断を伴わない使い方は「インテリ」層(のごく一部)が使うのみ」
なのはインテリ層が知識オタクで、その観念性の高さから<透明なボク>を
自演できるのか、あるいは根本的な自己言及不全で<オタクを自分のことだとは思わない>
のか? 後者は宮台が指摘する地方出身の高学歴にありがちなキャラだな、たぶん。
924 :
考える名無しさん:04/08/09 10:52
【キモオタ】第六回 哲学板オフ会【大歓迎】
(哲学板有志でコミケに行くオフ)
− テーマ『存在と時間』 −
【開催日時】 8月14日(土) 〜15日(日)
【開催場所】 未定(たぶん新宿か渋谷あたりでしょう)
【集合場所】 未定(たぶん駅前とかでしょう)
【集合時間】 未定(たぶん夕方でしょう)
(現在4、5人が参加の意思を表明しております。)
早いもので第六回を迎えた哲学板オフですが今回は少し趣向が違います。
都心で飲んで翌朝ビッグサイトに直行、コミケを楽しむオフです。
飲みの話題は多種多彩、ハイデッガー、デカルト、ドストエフスキー、デリダから
bolze.の女神新作、コミケの購入作戦会議と枚挙暇がありません。
同人オタもそうではない方も楽しく飲みましょう。
>>918 斎藤はそれをまったくポジティブな言葉の意味に置き換えたと?
斎藤さん、うつ病は臨床医として専門外?
>>925 いいや。価値判断を伴わない使い方でしょう。
斎藤自身が個人的にオタクが好きかどうかは別として、
文章上ではニュートラルな書き方を心がけているように感じる。
>>926 専門外かどうかは知らないけど、勤務医として来る患者はあまり選べないだろうからね。
少なくとも昔は。今は立場があるし、少し偏りがあるのかもしれない。
知らないけど。
斎藤はサブカル関係はやらない方がいいんじゃないか。
あまりにそっちの知識が無さすぎる割に、無理に書き飛ばしてるのが
わかりすぎて、痛々しい。
しょせんは、中森VS大塚対決の90年代的焼き直しという一種の流行に乗じていた
だけのように見える。それを「公正」や「ニュートラル」だなんて、笑っちまう。
対象をまなざすこと、それ自身の政治性からは逃れられないんであってさ。
中立を装えば装うほどイデオロギー的になる。
アルチュセール的にいえば、
イデオロギーは自らイデオロギーとは決して言わない。
930 :
固有名の名無しさん:04/08/10 13:46
>926,927
斎藤さんは紹介状のある患者しか診ないらしい。(医師の名鑑より)
>928,929
政治性を免れない以上、党派性やイデオロギーは明示?された方がいいね。
斎藤さんのひきこもり専門家の立場上といういい訳はあやしいもんだ。
>>930 とっくに党派性を露呈している。
なのに中立中立って言っているイタさ。
精神分析家にとっては世界はすべて神経症的なものとして見える。
933 :
固有名の名無しさん:04/08/10 18:40
>>928 >斎藤はサブカル関係はやらない方がいいんじゃないか。
それが斎藤さんしかいないのが問題。他の精神科医等では無理かね。
934 :
考える名無しさん:04/08/11 04:54
最近、皆様の行儀が良いようなのでここで一発スローガンかまします。
敬愛軽蔑批判賛同全ての意を込めて、彼をタマキンと呼びましょう!!
タ!タ!
マ!マ!
キ!キ!
ン!ン!
935 :
考える名無しさん:04/08/11 05:07
>>933 サブカル(世代)の精神病理学化をやっているだけのような気もするが
937 :
考える名無しさん :04/08/12 22:22
>サブカル(世代)の精神病理学化をやっているだけのような気もするが
そりゃそうだが、他にすることないべ。
938 :
名無しさん@社会人:04/08/15 11:24
宮台が心理学への批判を開始したね
>>939 そんなん前からじゃん。
「カウンセラーに相談したほうがいいのでしょうか」
というような相談者に対して、
「カウンセラーはあなたよりバカで役に立たないから行かなくてよろしい」
というような答えをしたり。
それはそれで正しいと思うんだけどw
まあでも、心理学批判の内容によるな。
加藤諦三みたいのは、死んだところで問題ない。
941 :
名無しさん@社会人:04/08/15 14:22
↑スマソ。。。誤爆でした(w
944 :
考える名無しさん:04/08/17 00:45
宮台みたいなアホがやっていける世界って→ w !! ww !! www !! wwww !!
945 :
名無しの@会社人間:04/08/17 02:12
いいね
946 :
考える名無しさん :04/08/17 16:12
たまきんの東浩紀批判激しいな
読んだ?
宮台批判は書かないのか? それとも宮台とは馴れ合いの関係?
949 :
考える名無しさん:04/08/17 19:56
>>946 「大航海」の「精神分析特集」?
>>947 NTTの「インターコミュニケーション」で社会学、ダブルコンテンジェンシー、ルーマン批判
やってるよ。既出
950 :
考える名無しさん:04/08/17 19:59
最近荒れ気味な感じのたまきん先生
952 :
考える名無しさん:04/08/17 20:41
カエルは祝福してるでしょうか?
嘲笑しているように見えないでしょうか?
そだね
954 :
考える名無しさん:04/08/17 21:05
レエルに器質的なものを当てるのは、
無意識を深層心理呼ばわりするのと同じほど間の抜けたことです。
955 :
考える名無しさん:04/08/17 21:11
カエルの嘲笑にはイマジネールな対称性の罠がむき出しになっています。
956 :
考える名無しさん:04/08/17 23:22
>>933 高岡先生のほうがサブカルの知識や経験が豊富でいいと思うね。
マンガにせよ映画にせよ、彼のほうが読みが深い
957 :
考える名無しさん:04/08/17 23:42
>>933 いちばん詳しいのはやはり風野先生じゃないの? SFに偏ってるし、現代思想的な読みはしな
い人だけど。彼は本業を大事にしているので、活字の世界には余り出てこないけどね。
>>956 高岡は著書でサブカル論なんか書いてるの? 高岡なんかただの「世の中の悪いことは
すべてネオコンが悪い」という反ネオコンバカだと思ってたw
高岡の斎藤批判は、読んでみると、
実質「稲本門下は氏ね」だよ。
「この理論の下敷きは稲本だから」止まり。
もうちょっと理論的に批判しなよ。
それが思弁的であろうが、原理主義的であろうが。
>>958 それは矮小化しすぎ。
稲村批判の系譜でちゃんと内容的に批判している。
961 :
考える名無しさん:04/08/18 08:03
>>949 >NTTの「インターコミュニケーション」で社会学、ダブルコンテンジェンシー、ルーマン批判
>やってるよ。既出
その次号で宮台を賞めてるとこがナゾだろ?
てかガチンコで議論するのを避けてるのか、怯えてるのか?
>>962 そのスレで言われていることは高岡の言葉をまったく
歪めた意味でとりあげているから話しにならないよ
>>963 斎藤信者の次は、今度は高岡信者か? 斎藤を叩いてくれる不登校業界の神
だからな、マンセーするしかないわな。
965 :
考える名無しさん:04/08/18 11:17
精神科医の連中は患者の4割を治療可能対象にしてるんだよ
Aちゃんに来るような連中は基地外ヒキだから、環の言うことも当てはまらない事が多い罠
逆恨みするのは環の言う事をちゃんと聞いてない香具師だ
環が直接言う事で、治療率も上がるが、テレビとかで言ってるのは
所詮、多く見積もっても4割が限界だ
966 :
考える名無しさん:04/08/18 11:18
そんなん誰でも知ってる
967 :
考える名無しさん:04/08/18 19:26
969 :
考える名無しさん:04/08/19 08:49
文体と内容だろ
あるいは
本人だからw
970 :
認知MAN:04/08/19 10:16
言語学板、認知言語学IIより哲学板の有志諸氏へ応援要請をいたします。
哲学に対する冒涜とも取れる発言が現在横行しております!
諸学問の源流たる哲学を冒涜する態度は認知言語学をしている私にも耐えがたい
事です。是非とも認知言語学IIスレの住民にこれをお教え願いたい!
以下のような発言が実際にされております!
>>哲学板だとキチガイコテが結構多い、言語板はこういう自意識過剰・自己顕示欲の塊みたいなのが少ないから助かるね
なんでここまで「自分自分」と叫べるのか?恥ずかしくならないのかね〜
頼んます!
971 :
考える名無しさん:04/08/19 19:24
環やんはソシュールを支持してんの?
ラカニアンはソシュール支持が当然なのかな?
ソシュールは機械的な感じがするけどね。
>>964 高岡の言っていることを歪めていると
963は962に単に教えてあげているだけだろ。
>>971 ラカン自身がソシュールを絶賛していた面があるからね。
974 :
考える名無しさん:04/08/20 17:38
ソシュールの言語定義は簡単すぎないか。
発音された言語だけを対象にしてるからかな。
>>974 デリダ流の批判か? それについては丸山のソシュール論を読むことをすすめる。
976 :
考える名無しさん:
デリダは場所を捨象してるんでダメ。
ローカルに立脚したサイードの場所的限定を考えよ!
精神分析は個人という限定に立脚しているはずだが。