★神智学的世界観-ブラバッキー、Aベイリー,Bクレーム
神智学の世界観を
ブラバツキー、アリスベイリー、ベンジャミンクレームを通して
語り合います。もたらされる情報だけでなく、実践的なテーマに
ついても話し合います。
>ブラバツキー、アリスベイリー、ベンジャミンクレームを通して
オレはそんな権威的な話には興味ない。オレが知りたいのは、君の頭の構造。
君場合、知性は発達しているようなんだが、意識的であることを怠ってないかね?
知性の発達と信仰は矛盾しない。しかし、意識的になればなるほど、現象というか、
ま、ツマラナイ奇跡とか、救世主とか、信じる信じないではなく、どうでもよくなる。
存在の次元に落ちれば、意識すら、どうでもよくなる。それはただ、気づきという属性。
こうなってくると、何も要らない、このまま、この身このまま、この有限世界、
愚鈍なこころ、すべて、よし、となる。
君ほどに、知性が発達していれば、分かると思うがどうかな?
そして、447、俺は君に対して、ある種の共感、というか好感を持っている。
まあ、話していく内に、それも俺のこころ投影だと思うようになるかもしれないがね。
理由には二つの点がある。一つはラジニーシに関わったということ。もう一つは
奉仕。俺も南インドでバクティ系の修行をやった経験がある。
だから俺の経験をここに記しておこう。
準備が整った時に、弟子の前に師が現われる、これは本当の話。少なくとも俺の
場合はそうだった。そして、それは、ラジニーシやkのような大衆の師ではない。
弟子のこころの投影である、師ではない。個人的な師だ。そういった師と弟子の
関係によって、ワークによって、弟子は結晶化まで進める。マインドから離れて
意識に確立することができる。しかし、これで終わりではない。そして、
本当の師ならば、ある時点まで来ると弟子を遠ざける。このタイミングは絶妙で、
人間業ではない。こころは、全てを諦めなければならないので、最後の最後は
何もかも障害になる。人はたった一人で、自らの闇、無知、希望のなさ、と
直面せざるを得ない。そこで、ある、転換が起こる。実は何も起こらなかった、
のだが、、、
つまり、君が何をやろうが、何を信仰しようが、君の勝手であるが、
最後は何も役に立たないのだ、というのが俺の経験であり、結論だ。
ま、だからと言って、自分のやっていることを単に止めてもしょうがないが。
そして、救世主とか、人類の危機とか、そんなもので人を釣るのは
もう古いと思う。
これだけ、セクトやカルトの問題が取りだたされている今、
そんなことを信じる奴は少ないと思わないか?
今の時代、苦 はあるんだから、初期仏教のように、正直に何でも言っている
ようなものの方が効果的であると俺は思う。
君のやっているようなことは、時代錯誤で時間の無駄だと思う。
で、考えるんだが、この男は本当に救世主を信じているのか?
ってね。この点信じ難い。
そして、俺はキリスト者ではないが、救世主ということで
イエスの話を想い出した。ロバに乗ったイエスが民衆の前で
自分が救世主だと言う証拠を見せようとしたとき、
何も起こらなかった。奇跡は起こらなかった。そして、彼は十字架にかかった。
そこが、あの話の美しいところだね。
ところが、今度はマイトレーヤー様はメディアにお出ましになり、
人類をテレパシーでお導きになる?らしい。
神が居るとしたら、神はそれを望んでいるのかね?
もし、そうだとしても、そうなら、どうして、今、あるいは過去に、
お出ましにならなかったのかね?
ためらっておられるのかね?
だとしたら何を?
総体としての神は、全体の知性は、客体でない、主体の延長である神は、
そんなものを望んではいない、と考えるのが普通じゃないかね?
全体の一表現である、個体が、試行錯誤を重ね、失敗しながら、進んで
行くこと、こっちのほうが自然ではないかね?
救世主という思想は、俺には幼稚で不自然だね。
>>救世主という思想は、俺には幼稚で不自然だね。
428さん。文体から見てたぶん和尚スレのシャルマさんだと思いますが、
これがあなたの言いたいことですね?
あなたがそう思うなら、幼稚なものに夢中になる人間は放っておいたらいかがでしょうか。
そして私はそれをどうとも思いません。
奇跡を嫌うというのは和尚ゆずりかな?
さて、あなたにオカルトの説明をしても受付ないでしょう。
いや言いっぱなしで、もうここには来ないかもしれない。
あなたは閉じた方ですね。とても残念に思うと同時に哀れという思いもします。
あなたは、私は知性はあるがイタイ奴だと思っておられるようです。
あなたに対話の余地があるなら、私の話を聞いていただける余地があるなら、
話しをさせていただいてもよろしいでしょうか。
それとも、私に対するイメージを持って私に対して閉じますか?
あなたが閉じたとき私達の間に対話はありえません。
選択はあなたに委ねます。
わたしがなぜこの情報を受け入れるつもりになったかは、サニヤシンの頃の
ある体験に基づいています。これについての話をすれば、少しは聞く気が起こる
でしょうか。それとも、あなたはそれは○○○だと言って切り捨てるでしょうか?
Kの言葉に依るなら、わたしたちは、真理の道なき大地を目の前にして
悪銭苦闘する幼稚な子供ではないでしょうか?
私はあなたと同じ場所に立っているように思えます。
Kを学んでいる方も、グルジェフ支持者も、サニヤシン達も皆そのように見えます。奇妙に思われるかもしれませんが、私はもうそういうところの違いを持っていないのです。サニヤシンの頃はありました。鼻高々でしたね。
昔を思い出してなんという未熟者だったのだろうと思います。
しかしそれは人間的なことです。
道理がわからない人間を責めるというのは酷というものですから。
クレーム氏の東京公演には、昨年2002年度には1500人程を数えました。
年々その数は増えていってます。この情報は、聞いた本人が受け入れようと
受け入れまいと、印象は強く残るようです。
こんな絶望的な時代に救世主もねえだろ。
まあ世界戦争を起こして人類を破滅させてくれたら俺はそいつを救世主と認めるね。
そういう意味でヒトラーは救世主だったな。
>話しをさせていただいてもよろしいでしょうか。
ああ、どうぞ、どうぞ。話はいくらでもなさって下さい。
聞きましょう。しかし、批判はしますよ。
私を単なる、鼻の高いサニヤシンだと思ったら、あなた、間違えますよ。
サニヤシンなんて、なんでもないです、今の僕にとってね。
それから、幼稚、と言ったからって、それが何でしょう?幼稚の何処が悪いんでしょう?
世の中には、幼稚な人もたくさん居て、それぞれの立場で学んでいます。
私は、あなたはもう少し、大人で、知性的かと思いましたが、すぐに、今回のように、
斜に構える訳ですか。もう少し、誠実に、ものを言ったらどうですか?
私の今迄の印象として、いいですか、私は、伝導瞑想なんてどうだっていいんです、
あなたは、攻撃されても、なかなか誠実でしたね、御自分の知性も示した。
しかし、今回は、鼻高々のサニヤシンに、ちょこっと意見を言われただけで、
凹んだのか、何だか知らないけれど、感情にブレがでたようです。
私の意見に対する、あなたの、他人の受け売りじゃなく、あなたの意見を言えばいい。
こういう席では、誰が言っている、ということより、何を言っている、つまり
書いてあること、が重要です。分かりますか?
>クレーム氏の東京公演には、昨年2002年度には1500人程を数えました。
年々その数は増えていってます。この情報は、聞いた本人が受け入れようと
受け入れまいと、印象は強く残るようです。
数だとか、情報だとか、印象だとか、
あるいは、信念、信条、観念、教義、どれを取っても、それを受け入れたら、
それに反対するものが現われます。これでは葛藤から自由になれません。
心理的な葛藤のことです。
空っぽであること、知らないこと、目覚めていること、
ここからは葛藤は生まれません。
あなたの信仰は信仰として、それはそれですが、こういったことは、それが
誰の発言であろうと、事実なんです。事実は事実で曲げられません。
これについてはどうですか?
勿論、私はシャルマですよ。
あなたは、あたなたで、ここで好き勝手に言いたいことを言えばいい。
あなたが作ったスレでもあるしね。
しかし、当然、批判はされます。あなた自身が、その批判に対して、
どういった対応をしていくか、そこに、あなたの仕事の意義の一つが
あると思います。
口調や発言者などに囚われて、誠実な発言を怠れば、ああ、やっぱり、
ということになるだけでしょう?私個人としては、今のところ、あなたに
対して、それほど悪い印象はありません。
どんどん話を進めて下さい。
>準備が整った時に、弟子の前に師が現われる、これは本当の話。少なくとも俺の
>場合はそうだった。そして、それは、ラジニーシやkのような大衆の師ではない。
>弟子のこころの投影である、師ではない。個人的な師だ。そういった師と弟子の
>関係によって、ワークによって、弟子は結晶化まで進める。マインドから離れて
>意識に確立することができる。しかし、これで終わりではない。そして、
>本当の師ならば、ある時点まで来ると弟子を遠ざける。
この辺りの描写はかなりグルジェフ的だね。
他の部分は違うようだけど。
グルジェフは弟子が師を選ぶというのは誤解で、師が弟子を選ぶのだと言ってたらしいね。
結晶化というのもグルジェフがよく使っていた言葉だね。
>クレーム氏の東京公演には、昨年2002年度には1500人程を数えました。
これは、これだけ世間でセクトやカルトが取り沙汰されている時に、
有効か?という質問に答えたのかな?
ま、これはいい。1500人ね、ま、多いとも少ないとも
言えない数ですね。数だったら、アマチ、グルマイ、ラビシャンカール
の方が集めてるんじゃない、日本のみのことではなく、世界でです。
>こころは、全てを諦めなければならないので、最後の最後は
何もかも障害になる。
これについての意見はどうかな?
ところが、今度はマイトレーヤー様はメディアにお出ましになり、
人類をテレパシーでお導きになる?らしい。
神が居るとしたら、神はそれを望んでいるのかね?
もし、そうだとしても、そうなら、どうして、今、あるいは過去に、
お出ましにならなかったのかね?
ためらっておられるのかね?
だとしたら何を?
これについてはどうかな?
>この辺りの描写はかなりグルジェフ的だね。
そうだね、これはグルジェフが使っていた用語らしいね。
しかし、グルジェフですら、東洋の英知から学んだ、ということ
忘れないようにね。
15 :
女子小学四年生 ◆2LEFd5iAoc :03/01/23 05:36
このごろヒトラーのビデオばかり見ているのだけど、
統一教会とナチスドイツの相似性があまりに高いので
驚いてるわ。
>>15 ハァハァ
良いビデオ持ってるんだけど
一緒に観ないかい?
阿修羅筆下ろしはやっぱりロリか
阿修羅筆下ろしはロリなのか
阿修羅筆下ろしはロリだね
447が少し話し易くなるように、言っておこう。
私がオカルトっぽいことを嫌っている、石頭のとっつぁん、だと思っている
ようだが、それは違うね。その方面で閉じてもいない。
ただね、それと個的な探求ってのを一緒にすると、迷うんだよ、っていうこと。
駆け出しの姉ちゃんとか、包茎のお子様ランチが、救世主がくるから、チラっと
瞑想でもしとこう、ってのと、希望のない地平に置き去りにされる、というのは
違うんだ。
ところで、私だって、ま、最近は興味ないけど、ババジはいるんじゃないか、とか、
アマチはやっぱり、アバターじゃないか、とかね、サイババのところだって、
取り敢えず行ってみたし、ラビシャンカールがくりゃ、見に行ったりもしました。
人知を超えたことも、あるかもしれない。
それは、エキサイティングだし、ナントか身体とか、チャクラとか、宝石がどうとか、
確かに、娯楽としてはいいけれど、それはそれなんだ、ということね。
信仰の問題もそう。信仰は信仰でいい。しかし、下手な信仰なんかあると、
何かを信じていると、こころを諦めきれないんだ、これは問題。
信仰ってのはさ、何かの奇跡とか、いいことが起きますよ、とか、
神は居ますよ、ってなことを、信じることではないと思う。
これでいいんですよ、凡夫のこころのままで、何もかわらないままで、
この身このままで、いいんですよ、ってことを徹底的に理解して始めて、
ああ、全託、信頼、ってところでね、何があっても、信頼、これが信仰
だと思うね、私は。ま、いろんなベクトルがあってもいいがね。
神様、こうこうしてください、って、それは願い。
救世主が下りてくる?どうかね?少なくとも私には必要ないね。
今会社の昼休み中なので、細かくコメントできませんが、
428さんが私に聞きたいことは、
○私がなぜこの情報を受け入れるようになったかあるいは信仰するのか
○マイトレーヤ降臨の話は人々にとってどんな意味があるのか、
ということでよろしいでしょうか?
とりあえず情報として、すでにご覧になったかと思いますが、
リンクを貼っておきます。
http://sharejapan.org シェアインターナショナル クレーム氏が編集長を勤める雑誌です。
マイトレーヤの降臨と、ハイアラキーの外的顕現についての情報もあります。
クレーム氏の情報に触れるとともに、アリスベイリーについても触れることを
お勧めします。
http://harmlessness.tripod.co.jp/alice_top.html
>447
君、自分の奉仕の仕事を端折るなよ。ま、エチケットとして、暇だったら見に行って
やるるが基本的にあんまり興味ないんで飛ばし読みくらいしかしないだろうな。
質問には、君が答えるべき。私が知りたいのは、元ラジの君の頭の構造。
そして、君と対話した時に、何が醸し出されるか?ってことに私は興味があるね。
人が、何々を見ました、ってネス湖のラッシーみたいな話はたくさん。
ミステリーサークル、馬場さまの奇跡、の類は、みんな聞き飽きた、違う?
独り言
普通世間では、たくさん、なんでも、あったほうがいい、と考えられている。
預金額、名誉、影響力、才能、あるいは、もっと美しくとか、強くとか、
プラス志向。
しかし、精神世界では、これは逆になる。
執着、所有欲、知識欲、信念、観念、こんなものが多ければ、それだけ束縛が多くなる。
信じているものが、多ければ、それだけ自由が少なくなる。
同化しているもの、依存しているもの、信じているもの、少ない方がよい。
というか、全く、無い、でなくては、真の自由は達成されない。
だから、マイナス志向。
こころは、何かに依って、しか存在できない。
こころは、静かには、していられない。
24 :
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆:03/01/23 16:16
25 :
考える名無しさん:03/01/23 16:35
家族一緒に成り始めている
林 メリイ
>>428 なんか妙な書き方してるねえ。
>普通世間では、たくさん、なんでも、あったほうがいい、と考えられている。
>預金額、名誉、影響力、才能、あるいは、もっと美しくとか、強くとか、
>プラス志向。
あのさ、こういうものは別にたくさんあっても構わないんだよ。
それに囚われたり同一化したりさえしてなければね。
ギターの練習をしながら心を磨くことだってできるんだよ。
>しかし、精神世界では、これは逆になる。
>執着、所有欲、知識欲、信念、観念、こんなものが多ければ、それだけ束縛が多くなる。
>信じているものが、多ければ、それだけ自由が少なくなる。
>同化しているもの、依存しているもの、信じているもの、少ない方がよい。
>というか、全く、無い、でなくては、真の自由は達成されない。
>だから、マイナス志向。
多いことは美徳ではない。それは当たり前。
でも少ないことが良いのか、といえばそれは違う。
プラス思考でもなく、マイナス思考でもなく、プラスとマイナスの間の均衡、
あるいは調和のみがゼロ(結晶化)に到達しうる。
あなたの言っている事との違いがきちんと理解できるかい?
27 :
考える名無しさん:03/01/23 21:23
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■■■ ■ 3 ■ │< できねえよ、ヴォケ!!
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>26
人の意見に反論するだけだったら、いくらでも言えるの。
観点が違うだけ。
おまえみたいなのには用はないからさっさと逝ってくれ。
あるいは、自分の意見を長文で書いてみろ。
そうしたら、俺が批判してやる。これ、ちゃんと理解できるか?
>ラベリングは補助輪にすぎないとおもふ。
いや、ごく単純に言って、Kはラベリングが補助輪にもなり得ないと感じたと思うよ。
>ラベリングなしにKのような状態に達した人間がいるのなら別だけどね
Kのような状態にまで達してなくても、ラベリングの有効性を否定することは充分できると思うよ。
ラベリングというのは、歩いてる時に、私は歩いている、とか右足を挙げて、
とか自分の行動に言葉付けするんだろ?
でもこういう思考って生きて行く上での必要性が殆どないんだよ。
それに、この種類の思考は重くてのろいと感じたことはないかい?
もちろん自然で必要性のある言葉付けも一部にはあるよ。
例えば、トイレに行く時に、ラベリングや瞑想に何の興味を持っていない人でもよく、
トイレトイレ、と言って走って行くよね。
こういう自然なラベリングはあって構わないけど、肉体の活動にいちいち右手を挙げて、
とかラベリングするのは、むしろ気づきの広がり、深みを阻害することの方が多いと思うよ。
ラベリングをすることによって見逃してしまうことがたくさんあるんだよ。
多分、君は、気づいていようと思っても上手くできなくて、
それでラベリングが補助輪になると考えているんだろうけど、自分はそれは賛成できない。
じゃあ何が役に立つのかって?
初期の時点で自分が役立つと感じたのは、音を聞くことだね。
体を動かす時にいつも自分の立てる音を聞いていること。
足音、指がキーを叩く時に立てる音、ため息、エアコンの音、それら様々な音にいつも敏感でいることだね。
ラベリングはこういった敏感な聴覚の妨げになりやすいんだよ。
参考URL
ttp://www7.ocn.ne.jp/~kan-gyo/kris_21.html
30 :
考える名無しさん:03/01/23 21:34
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■■■ ■ 3 ■ │< グルジェフおたく市ね!!
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>>548 >このエニアグラム占い、グルジェフが創始者ってきいたんですが、ホントですか。
まずエニアグラムという図形の考案者が誰なのか考える必要があります。
ところが困ったことに、これがはっきりしません。
イスラム秘教派(スーフィズム)に由来するという説もあるし、それよりもずっと以前のピタゴラス学派、
いやもっと古代の教えに由来するという説もありますが、決定的な証拠は無いようです。
では、西洋社会でエニアグラムという図形が流行する切っ掛けを作ったのは誰でしょう?
これは歴史的にはっきりしています。
西洋社会にエニアグラムをもたらしたのはグルジェフです。1913年頃の事です。
現時点では西洋社会においては、それ以前のどんな文献にもこの図形は見つかっていません。
ではグルジェフはこの図形をどこで学んだのでしょう?
グルジェフは自分の教えを自分が考案したものではなく、たくさんの地域に散らばっていた叡智を集め、
総合したものだと言っていました。
グルジェフは人生の前半生において、真理の探究者グループという集団の中心的人物として、
10人ほどの仲間達と、中央アジアや、チベット、その他様々な地域を旅し、たくさんの事を学び、
皆で集めた知識と理解を総合したそうです。
>>548続き
そして、その中にエニアグラムもあったのです。
おそらくグルジェフはイスラム秘教派(スーフィズム)の人々から、口伝としてエニアグラムを、
学んだのだと思われますが、グルジェフはこのことをはっきりと説明しなかったようです。
(スーフィーの教えの一部は弟子であっても公開を禁じられているそうです。)
グルジェフの直系のジャンヌ・ド・ザルツマンのグループのもとには、
まだ世間に発表されていないグルジェフ文献がかなりあるようです。
グルジェフは自分の指導するごく少数の人々に、この図形を使って宇宙論、科学、人類の類型的なタイプ、
人間の内面的な進化とその過程、音楽やダンス、体操などを含む芸術といった様々な事柄を教えました。
1920年頃にはグルジェフの教えを受けた人々の数はかなり増え、
弟子のウスペンスキーやさらにその弟子達によってどんどんとその図形は有名になっていきました。
特にエニアグラムの図形をもとに振り付けられたダンス(ムーヴメンツ)は、ダンサーの性格や気性によって、
ダンスをする位置や、振り付けが決められていたそうです。
エニアグラムによる性格類型論、9つの性格、タイプについて、
オスカー・イチャーソという人が主張し始めたのは20世紀後半の事です。
彼はどこでこの図形について学んだのでしょう?
おそらくそれは、ウスペンスキーの一番の愛弟子といわれるロドニー・コリンから学んだようです。
オスカー・イチャーソは南米チリに住んでいたようですが、面白いことに、
ロドニー・コリンは1948年にウスペンスキーがロンドンで亡くなったのを看取ったあと、
その年の内にメキシコに移り住んでいます。
ロドニー・コリンはメキシコなどの南米で、たくさんの弟子や知人にに囲まれていたそうです。
人間は機械だ。
彼の行動、行為、言葉、思考、感情、意見、習慣、これら全ては外的な影響、外的な印象から生ずるのだ。
人間は、自分自身では、一つの考え、一つの行為すら生み出す事はできない。
彼の言うこと、為すこと、考えること、感じること、これら全てはただ起こるのだ。
人間は何一つ発見することも発明することもできない。全てはただ起こるのだ。
この事実を自ら確証し、理解し、真実だと納得するということは、すなわち、人間に関する無数の幻想、
つまり自分は創造的で、自らの生を意識的に生きている等々の幻想を放棄することに他ならない。
そのような物は何一つとしてない。全ては起こるのだ。
大衆運動、戦争、革命、政権交代、全ては起こるのだ。
それらは、個人の人生で全てが起こるのと同じように起こる。
人は生まれ、生き、死に、家を建て、本を書くが、それは自分が望んでいるようにではなく、
起こるに任せているに過ぎない。
全ては起こるのだ。
人は愛しも、憎みも、欲しもしない。それらは全て起こるのだ。
しかし、君が誰かにあなたは何もすることができないと言っても、誰も信じはしないだろう。
それは、君が人々に言うことの中で最も侮辱的で不快なことだ。
それが特別不快で侮辱的なのは、それが真実だからで、そして誰一人真実を知りたいとは思っていないのだ。
君がこれを理解すれば、話がしやすくなるだろう。
しかし、心情で理解するのと、<全身全霊>で感じ、心底確信し、決して忘れないのとは別の事だ。
質問者「為しうることは何一つ、絶対に何一つないのですか?」
絶対に何一つない。
質問者「では、誰一人として何かをすることはできないのですか?」
それは別の問題だ。「為す」ためには「存在」しなければならない。
そして第一に「存在する」とはどういう意味かを理解しなければならない。
なんだか荒れてきましたね。
気づきについて深めたい方は、ヴィパサナスレに行って続けてくださいね。
どうも風邪引いたみたいです。
みなさんも気をつけてください。
428さん。
>質問には、君が答えるべき。私が知りたいのは、元ラジの君の頭の構造。
>そして、君と対話した時に、何が醸し出されるか?ってことに私は興味があるね。
元ラジと言っても、私の頭は私の頭というだけですが。
人の頭を理解するよりも、ご自分の頭を理解された方がいいのではないでしょうか?
宗教板のラジニーシスレで見ましたが、428さん(シャルマさん)は、
ラジニーシ信者のときに、ラジニーシ批判をやって、他の信者からひどいことを
されたと自ら書いてますね。醸し出されるというのはこのあたりのことなのでしょうか。
そして対話によってそのあたりを見出したいと?
もうしわけありませんが、ラジニーシ関連の話は、
ラジニーシのスレでお願いしたいのですが。あるいは元ラジのスレを自ら立てるとか。
>447
おまえ結局逃げてないか?人の揚げ足取りのようなことしか言えないの?
俺は俺の意見をちゃんと言ったぞ。言い方とか、態度とかに、囚われるな
と言っただろう。
まあ、いい、対話を望んでいないなら無理強いはしない。
しかし、見損なった。
ま、救世主様を信じているようなオカマ野郎はそんなもんだろうな。
>447
>あなたに対話の余地があるなら、私の話を聞いていただける余地があるなら、
>話しをさせていただいてもよろしいでしょうか。
>それとも、私に対するイメージを持って私に対して閉じますか?
>あなたが閉じたとき私達の間に対話はありえません。
>選択はあなたに委ねます。
>>6でこう書いておいて、
>>36の書き方は逃げていると言われても仕方ないぞ。
少しは自覚したら?
まあいい、オカマ野郎だけは取り下げておこう。
いいか、447、君が質問があれば、どうぞ、と言ったんだぞ。
それを、奉仕とも呼んだ。
だから、俺は質問した。その質問に答えろよ、質問に。
君が答えれば、俺は、批判するか、同意するか、何か対話が起こる。
多分、批判が多くなるだろう。
しかし、そうやっていけば、何か、同意するところなり、
感ずるところなり、あるかもしれん、ないかもしれん。
それが醸し出されるものと俺が呼んだものだ。
お前は、なんでも先回りして考え過ぎるんだ。
それとも、自分が気持ち良くなりたいための奉仕か?
自分の知識を単にひけらかしたい、とか教団の単なる宣伝か?
そんなものは奉仕と呼ぶな。自己満足と呼べ。
気づき、と、奉仕 は車輪、とかなんとか、言っていたが、両方中途半端
じゃ、駄目じゃないか。そういう結果なら、一つを徹底させた方が良い。
40 :
考える名無しさん:03/01/23 23:35
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■■■ ■ 3 ■ │< 逃げてんじゃねーよ
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どうやら本気のようですね。
オカルト(秘教)の情報には接し方があります。
オカルトの情報というのは、実証も、証明もできません。
それを理解するカギは「信」を置いて他にないからです。
つまりあなた方に批判はできても私に弁明はできません。
ですから、オカルトの物事について私がここでできることは、情報を書くことのみなのです。
それがここで私にできる奉仕です。
あなたの問いに私は答えることができますが。私が言う情報については何も証明できません。
「そんなもの信じられるか」と言ったらそれで終わりなのです。
「信」を持つものがそこから先へ入れますが、疑いを持つものは入ることができません。
そして「信」があれば聞かないのです。
どうです。ここまでの前提を受け入れられますか?
信じるものは救われる。w
まあ、前置きはいいから、やればいいじゃないか。
根拠もなく、実証もできない、それじゃあ、単なる御伽噺ですね。
それでは、始まり、始まりーーーー。
拍手喝采、場内満場一致
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■■■ 丿■■■( │ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■■ ■ 3 ■ │< もったいぶるなよ!
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■■■■■■■■■■
>オカルト(秘教)の情報には接し方があります。
>オカルトの情報というのは、実証も、証明もできません。
秘教という語の使い方がグルジェフとは全く違うね。
グルジェフは自分の教えを秘教的キリスト教であるとか言ったりしてたけど、
自分の内面で実証し、証明しなさいと言っていたよ。
俺もグルジェフに同意するね。
>疑いを持つものは入ることができません。
こういうのは秘教じゃなくて卑怯って言うんじゃないの。
クリシュナムルティのように懐疑があったらダメなんだね。
まあ俺は興味ないよ。
さようなら。
>45
そう、君は退場。堅いサラリーマン求道者。
ユーモアもなくちゃ、行けないところもあるよーー。
もう来るなよ。
>>428 少しだけ反論。ユーモアはあるよ。サラリーマンじゃないから。
そうそう、シャルマ君、君に2チャンネル用語サイトを2つ教えてあげたのは俺だよ。
気がついてたかい?
今度はホントにさようなら。
先ほどの前提はとても重要なものです。
ここでお話できるのはライトなものに留まります。
これについては同意していただくよりほかありません。
では明日の夜に、
私がいかにしてこの情報を受け入れるようになったかをお話します。
おやすみなさい。
49 :
考える名無しさん:03/01/24 00:44
>そうそう、シャルマ君、君に2チャンネル用語サイトを2つ教えてあげたのは俺だよ。
気がついてたかい?
ああ、その節はどうもお世話になりました。知らなかったとはいえ、ご親切に
していた頂いた方に、失礼をしました。恐縮です。さようなら。
>447
おいおい、また勿体付けかよ、
この分じゃ、お前のマイトレーヤー様も、
躊躇っておられる、のではなくて
勿体付けておられる、のかもな。
人類が、本当に危なくなった時に、勿体付けて、それみたことか、って感じでさ。
ケッコウ嫌みな救世主様かもな。
51 :
考える名無しさん:03/01/24 05:31
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■■■■√ === │
■■■■√ 彡 ミ │
■■■√ ━ ━ \
■■■ ∵ (● ●) ∴│
■■■ 丿■■■( │ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■■ ■ 3 ■ │< たのむ、グルジェフおたくはここで引き取ってくれ!!
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クリシュナムルティー・禅・ヴィパサナー実践スレの353を名乗っていたものです。
あちらでももう少し対話したいこともありますがもうすこしおちついたらにしようかと
思っています。こちらのスレの皆さん447さん、428さん、その他の方々私も少し
参加させていただきたいと思います。
で、自分の事から話しますと、私もコンスタントにではないながらも伝導瞑想に参加
させていただいてますので、したがってクレーム氏の情報をある程度受け入れているもので
す。だからといってクレーム一派とかいうような括られかたをされるのも違うとおもうので
すが、それについては他の方がそういうのならば仕方のないこととも思います。
それはそうと447さんと428さんの一連の対話の中で何か誤解というかすれ違っ
ているように思える箇所が見えるようなきがしますので(多くは私の読み違いかもしれ
ませんが)横槍をさすようでもうしわけないのですが、今一度明らかにしていただけた
らと思います。
まず一点は
>>3の>もう一つは
>奉仕。俺も南インドでバクティ系の修行をやった経験がある。
という箇所ですがここで言う奉仕は447さんの言う奉仕とは
同じ意味なのか?とい疑問。
もう一点は
>>5の>もし、そうだとしても、そうなら、どうして、今、あるいは過去に、
>お出ましにならなかったのかね?
>ためらっておられるのかね?
>だとしたら何を?
というところとその後につづく
>全体の一表現である、個体が、試行錯誤を重ね、失敗しながら、進んで
>行くこと、こっちのほうが自然ではないかね?
のところ。ここは決して矛盾するものではないと思います。
実際にマイトレーヤが公に出てきたとしてもこの方が一夜にして世界を変えるというわけでは
ないと思われます。私たち個体が必要としている苦闘や試行錯誤や失敗をすべて彼が代
わって生きるわけではないはずです。覚者方は人類の自由意思を尊重しているといわれ
ています。だからそのタイミングというのは難しいのではと思います。しかしながら世界
には必要でない苦闘を迫られている人や生まれながらにして貧困の中にいる人々もいます。
それはあまりにも個に囚われすぎた私たちの貪欲さの結果なのかもしれないのに。これ
はそのあとにつづく
>>23の
>普通世間では、たくさん、なんでも、あったほうがいい、と考えられている。
>預金額、名誉、影響力、才能、あるいは、もっと美しくとか、強くとか、
>プラス志向。
というところに直結する問題と思います。私たちに根深く条件付けられた競争原理です。
マイトレーヤの提言の最も優先的な事が分かち合いということです。
でもう一点は447さんのいう「信」と428さんのいう「信仰」についてです。
信については様々な見解があるとおもいますが最近「大いなる接近」というベンジャミン
クレーム著を読んでいましたら関連するような事柄が載ってい
ましたので。以下にコピペさせていただきます。P296〜の引用です。自分の言葉では
なく申し訳ありませんが。
これはある程度この情報を受け入れている人が質問者だと思われますのでしたがって
まったく関心のない方にはあまり意味のないものかもしれませんが。
それと447さんは風邪をひいているという書き込みがありましたので、みなさんそんなに性急に書き込みを求めたり逃げる
なとかいうのは少し思いやりにかけるようなきがします。私がいうことではないかもしれませんが。447さん体を休めてか
らのほうがよいと思います。では以下に
質問:あなたが以前に言われた「私たちはあたかもマイトレーヤと覚者方が世界にいるかのよう
に行動すべきだ」というコメントについて詳しく説明していただけますか。(1999/1)
答:もしあなたが「あたかもそうであるかのように行動しているならば」、マイトレーヤと覚者方
が世界にいることを信をもって受け入れるということです。そうだという内的な直観があ
るか、あるいは多くの外的な説明をうけて、あなたのマインドがそうに違いないと告げた
のです__「クレームさんは全部を知らないかもしれないが、彼の言うことには私に信じ
させる何かがあるに違いない。それについて私は何をすべきだろう?ただそれが証明され
るまで待っているのか?」
何か良いことをしたいと思ったら、決断しなければなりません。私の助言は(そしてこ
れはこの種の信用に関して、すべての覚者方が助言することでもあります)しばらくの間
これを仮説として受け入れることです。「それは本当であり得るし、可能であるように思わ
れる」。違うことが証明されるまでしばらくそのレベルで受け入れて、これが本当であると
いう仮説に基づいて行動するのです。だからあたかもそれがそうであるかのように行動す
るのです。やり過ぎて後でこれが違うと分かったときに時間とエネルギーを無駄にしたと思い
たくないから活動を減らすというようなことがないようにしなさい。多くの人がそうして
いるのです。彼らは退いてこう言います。「もし私が本当に知っていたらもっと活動するの
だが、結局すべては嘘であるかもしれないのだから自分のすべてを捧げるわけにはいかな
い」。彼らは熱意で燃えていないのです。しかし、もしあなたの直観があなたに火をつけた
のなら、たとえ証明できなくともあなたは真に(本当の意味で)それを知っているのです。
知っているということと証明するということは別のことです。
1959年の3月、私はマイトレーヤに話しかけられた時、彼が私にこう言われたのを思い出しま
す。「もしあなたが受け入れるならば、私の到来にあなたの果たす役割がある」。覚者は私
にこう言われました。「君は今日、君のものの見方をすっかり変えてしまうようなことを聞
いた。君がそれに基づいて行動し、彼の到来について確信することを望まれる時がやって
来る」。1日か2日後覚者は私に信(faith)について、信(faith)の必要性についての長い
論文を口述してくださいました。盲目的な信ではなく、本当の内的な信、自分自身の体験
に対する信についてです。彼は最後にこう言われました。「多くの有望な弟子が、この信と
いう要素一つを欠くために失敗した。信を持ちなさい。そして彼の到来を確言しなさい」
信をもつことの必要性は非常に大きく、それなしでは何もすることはできません。自分
自身に信を持たなければ、個人的なこと、独自のことは何もできません。自分の見解のリアリ
ティに対する信がなければ、あなたは何も達成することができません。後で間違っていたこ
とがわかったとしても、信という内的な確認がないために全く何もしないでいるよりは、
信とともに行動し、間違いを冒し、その間違いから学ぶことの方がよいのです。「そうかも
しれないし、そうでないかもしれない。私にはわからない。何をしてよいかわからない」
と思うのは、信がないからです。自分自身に信を持っていれば、たとえ間違っていたとし
ても行動しないよりは行動した方がよいのです。間違いを冒したとしても、間違いは修正
できます。やってみないとそれが間違いであったかどうかも分からないのです。
私の絵の先生はよくこう言ったものです。「最悪の絵は、君が書かなかった絵だ」。私は
それを決して忘れません。何もしなければ、人生に何も起こらず、ただ当てもなく生活し
ているにすぎません。全く何もしないよりは、ひどい間違いをしてそこから学ぶ方がいい
のです。(勿論理性の範囲内で、ですよ。何も銀行強盗を勧めているわけではありません)
「あたかもそうであるかのように」行動することは、信をもって行動することです。自
分自身の判断に対する信、間違っていると思うことをするのではなく、正しいと思い、価
値があると思うことを、例えばマイトレーヤのための道を整えることを、外的な証拠や個人的な
体験なしに行うことです。ただ証明されるのを待っているだけでは、あなたのすべての転
生に値するこの機会を逃してしまうかもしれません。マイトレーヤがそのメッセージの中で何度も何
度も言っているように「この奉仕の機会は、あなたのこれまでの転生を通じて与えられた
中でも最大の贈り物である」(メッセージ第26信、27信)
そして、時間がもうあまりないことを忘れないように。2千年後の次の時代まで再び訪れ
ることのない機会でしょう。その時には状況は異なっているでしょう。2千年後にあなたは
次の世界教師のための道を整える弟子たちのグループに入っているかもしれません。勿論そ
れは異なった人類であり、信じられないほど進化しているでしょう。あらゆる点で新しい
世界ですが、道は整えられなければなりません。あたかもこれが本当であることを知って
いるかのように行動し、それを行動の中で証明しなさい。
以上
長文カキコ&長文コピペすいません(無断転載ごめんなさい)
元353さん。フォローをありがとう。
私は自分の体験、これはクレーム氏のいう覚者と出会った体験を
ここで書こうと思いましたが、SI誌(シェア・インターナショナル誌)に
私の体験が載っております。
もし、ここでその体験を話してしまうと、私のSI誌を読んでいる方は、
私の実名を知ることになりますので、止めておきます。
>>奉仕。俺も南インドでバクティ系の修行をやった経験がある。
>という箇所ですがここで言う奉仕は447さんの言う奉仕とは 同じ意味なのか?とい疑問。
いいところですね。私から言わせてもらえれば違います。
奉仕=献身ではなく、奉仕>献身です。
奉仕とは自分が何をすべきかを知ることです。
それはいわゆるマスター探しをしている間は、理解できないでしょう。
師を探し、方策を探している間は幼稚なのです。
それから進むものは、理解とともに自分がなすべきことを黙々と行います。
それが真の弟子です。(神智学の弟子というのは世界の弟子という意味)
弟子は世界に属します。 自分は○○の弟子であると宣言するとき、
それはその人にまだ保護が必要であることを意味します。
私から見て428さんは、その点で幼稚です。
>私から見て428さんは、その点で幼稚です。
自分が、幼稚と言われたからって、幼稚と言いかえす、それが幼稚なんです。
428は
>自分は○○の弟子であると宣言するとき、
そんな宣言はしていない。
しかし、わたし、はセント万石イエス師の弟子、通称、うぐいすです。
というか、肉体と頭脳は同じ人物>428なんですが、
ちょっと気分を変えて、人格も変えました。
>奉仕とは自分が何をすべきかを知ることです
知ることは認識です。奉仕ではない。
つまり、
奉仕とは自分が何をすべきかを、知って、行動することです。
こっちが正解。
セント万石イエス師によれば、奉仕は、ハートの事柄です。
それは意識の開花の結果である甘露の働きであります。
甘露は始め、ハートに顕われます。それは平和という地平から
立ち上る蒸気のようなものです。
その甘露の蒸気が、いろいろな形で外へ顕われ始めるのです。
創造性もその一つです。愛もその一つの形態です。
その、愛、の形態の一つとして、奉仕があります。
ですから、奉仕が献身です。
信、についてですが、神はおられる、救世主はきっと現われる、と信じることが
自分にとって、奉仕や修行を行なう上で支えになるのなら、その、信、を
当然、使うべきです。
彼岸へ渡る、ことが重要なのであって、
何で渡るのか、ということは重要ではありません。
最後は何も役に立たない、というのは、こころを完全に諦める必要がある時点で
生じるからに他なりません。しかし、それは彼岸に渡るのに、何も必要ない、ということ
では決してないのです。
こんな場面を想像してください。
あなたは、殺害者達に追われています。そこに河が、大きな河が立ちはだかりました。
あなたはこのような状況で手段を選ぶでしょうか?
そこに渡しの守がいれば、いくら、ボラレても、構わずにお金を払います。
あなたが女性なら、身体さえ任せるでしょう。
あなたは、どんな手段を使っても、彼岸へ渡ろうとします。
これは良い、これは悪い、とは言いません。
メゾッド、外側の師、教義、自分の属する組織、はそんなものです。
しかし、彼岸に行き着いた時、あなたはどうしますか?
まだ、下賎なインド人のような渡しの守と付き合うのですか?
そいつと一生一緒にいるのですか?
ボートや筏を頭に担いで生きるのでしょうか?
そんなことは、自然に起こりません。
人は単に知るからです。
ああ、誰も居なかったのだ、と。
殺害者は想像の存在で、その想像を行なった、わたし、も、また、想像の
産物だったと。
マイトレーヤー様は確かにおいでになります。
それは目には見えません。見えませんが、それは知恵として顕われるのです。
あなたは、マイトレーヤー様にお会いしますが、それはこの肉体の次元では
ないのです。知恵が発現するやいなや、あなたは自分の幼稚な発想を笑うのです。
ですから、マイトレーヤー様は、個々人の内側で顕われるのです。
そして、本当は内側も外側もありません。すべては神の顕われなのです。
知恵もその一つです。
ですから、マイトレーヤー様が、現実に、メディアに現われる、と考えるのは
個々人の勝手ですが、
わたし、にとっては、それは実現しません。
必要ないからです。
神は寛大です。ですから、多くの人が、もし、現実のマイトレーヤー様の出現
が必要だと判断すれば、それは起こるかもしれません。
人知を超えたことはあります。
しかし、それでもそれは、あなた個人の為に、あなた方のために、必要だったのであって
人類の、とか、全ての人に、というのは誤りです。
マイトレーヤー様が出現されても、やはり一部の人がそれを認めるのです。
kは言いました。
世界はあなたです、と。
この点を留意して、奉仕活動をしてください。
66 :
考える名無しさん:03/01/24 18:42
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■■■ ∵ (● ●) ∴│
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■■■ ■ 3 ■ │< 447,おまえ、何も言ってねえぞ!
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447さんは、認識の人であった、瞑想の人であった。
彼は知性の人であったし、また、知性を発達させた。
しかし、奉仕については、まだ、戸惑いがあるようです。
奉仕、という観点から言えば、
まやび女史のほうを、わたし、は評価します。
彼女には、怖れがない。自分の無知や失敗を隠さない。
そのままの、御自分を奉仕なさっている。実に気持ちがいい。
まやび、さまー!
447には、怖れがある。自分の意見、自分の信仰、自分の信念を
打ち砕かれることが恐いのでしょう。
それは、彼自身だから。
奉仕は女性性である、認識は男性性を表わしています。
それは相補的であり、かつ、対立する概念です。
認識の人には奉仕は困難です。逆も然り。
447様は、今、奉仕を学ぶ時期にいるのですが、知性が邪魔して
なかなか上手くいかないようです。
奉仕は単に行なえばいいのです。結果を考えてはいけません。
何も恐れてはなりません。それは自己犠牲なのです。
自分を失うことを恐れていて、奉仕はできません。
ただ、女性のように与えるのです。あなたを。あなた自身の全てを。
69 :
考える名無しさん:03/01/24 20:26
>1
知識のひけらかしが出来ない=不満
ひけらかし、自己満足したい=ラジニーシ時代の名残
自分を失うことの怖れ=奉仕できない
理論で人を負かすことに習慣付けられている=エネルギー不足
あたまでっかち=知り瞑り
エネルーギーが頭にいっちゃう=腹が無い、ハートが無い
知性にエゴあり=馬鹿になれない
70 :
考える名無しさん:03/01/24 21:18
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | <うるせーチンカス共!!
___/\| \_/ / \_____
/ | |\____/|
| | | ヽ │
__| | | \ | _|_|
ヽ、(_二二⌒)__) \
____| | \二 ⌒l. \
| | ̄ ̄ | | ̄ ̄||
| | | | .||
| |_ | |_ .||
(__) (__) .||
71 :
考える名無しさん:03/01/24 21:24
信じたい奴には何を逝っても無だ勝手にやってくださいと・・・・・。
他スレ荒らすなよ。あと、グルジェフお宅引き取ってくれ。
例えば、身体論で行けば、感情体がたまにズレても、メンタル体がそれほど
発達していなくても、意識体の広がりも、それほど関係無いのです。
要は、そこに住んでないってこと。そこに重心がなければいい。
存在までいけば、中心がないので、わたし=中心は保てないので、問題はなくなる。
チャクラってのは、一つ一つの身体に対応しているセンターってだけ。
ですから、肝要なのは、わたしの不在、これです。
これが始まりです。
アーメン、禅、ぼよーん
73 :
考える名無しさん:03/01/24 21:31
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | <お前が引き取れよ!
___/\| \_/ / \_____
/ | |\____/|
| | | ヽ │
__| | | \ | _|_|
ヽ、(_二二⌒)__) \
____| | \二 ⌒l. \
| | ̄ ̄ | | ̄ ̄||
| | | | .||
| |_ | |_ .||
(__) (__) .||
74 :
考える名無しさん:03/01/24 21:44
‐,<
,.-‐,=‐-、_ X ,.-──────────
, ‐,ニ,.ニ´, -、 -、 `ヽ、 /
//,. i ! , ヽ.、ヽ ヽ\ l おねがーい、ここで相手をしてあげてー♪
/ / / l l l | _|l ヽ」」_l 、 ! i ヽ、
| ! i | |,.ri「l. l| リl._l」ト、l | | //`ー────────
l l. l l、!ヽl,xト!ヽ ' ´ ,, `|ル'!' '´
ヽ.ヽヽ.iヽ!Y ,, , -‐┐ 〈 ′
Y`トzヾ` l | , イ、
, ゝニィ >t.、_ヽ_ノィNソ′ 丿丿
l l (NT{^ァ┴rYYnヽrニュ、 ´
ヽ ヽ. ` `/``ーl二二トiー‐‐t
ィ -‐y' | | !
`、 / ,' .l l
ヽ / ! .ノ
fヽ._,r´ `ーt'
l _ _ゝ
j_  ̄  ̄ _.>
/ / ̄l ̄ T  ̄! \
\.」_ | |_.」-‐′
l  ̄Ti ̄ l
,! l l !
/ ,' l l
,' /. l l
l`ー--,' l.ー--'l
|`ー-‐l l.ー-‐'|
75 :
考える名無しさん:03/01/24 21:50
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | <しょうがないなー!!
___/\| \_/ / \_____
/ | |\____/|
| | | ヽ │
__| | | \ | _|_|
ヽ、(_二二⌒)__) \
____| | \二 ⌒l. \
| | ̄ ̄ | | ̄ ̄||
| | | | .||
| |_ | |_ .||
(__) (__) .||
カルマということから入っても一緒なんです。
カルマって行為とか出来事の連続。原因と結果のことでしょ。
良い行い>良い結果、反対も然りです。
ところが、その、カルマの連続の中に、自分ってもんがない、
と分かれば、カルマから解放されるのです。行為や出来事は続いてく。
カルマの法則も勿論変わらない、だから、悪いことはしないのです。
しかし、自分ってものに実体がないのであれば、現象とは、縁と起の流れです。
単なるイベントです。ですから、囚われることがないのです。
カルマの法則を理解しただけでは、悪いことが起きるのを単に恐れたり
モラリストになったり、大胆な行動ができなくなる。
カルマの法則に縛られてしまいます。
ですから、どの道行っても、結局は、わたし、ってもんを
意識しちゃうか、しないか、信じちゃうか、事実を見るか、
ってことに集約されます。
これは神などの信仰の道もやっぱり同じ。
アーメン、禅、ぼよーん
伝導瞑想では何と言ってますか?
また、そこのオタクである人の意見はなんですか?
やっぱり、マイトレーヤー様の出現に集約されるのでしょうか?
78 :
考える名無しさん:03/01/24 23:50
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■■■■√ === │
■■■■√ 彡 ミ │
■■■√ ━ ━ \
■■■ ∵ (● ●) ∴│
■■■ 丿■■■( │ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■■ ■ 3 ■ │< 1よ、身を捨てて献身せよ!
■■■■ ■■ ■■ ■ \________________
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■■■■■■■■■■
79 :
考える名無しさん:03/01/24 23:52
喧嘩した後セックスすると、より気持ちよいってことがある。
しかし、それが目的で喧嘩する奴もいない。
万石イエス格言集
80 :
考える名無しさん:03/01/25 00:02
|1/ |1/
/ ̄ ̄ ̄`ヽ、
/ ,, ヽ
/ 丿 \ |
| (●) (●) |
/ | さすがのムーミンも
/ ^ |
{ /| | 1には
ヽ、. /丿ノ |
``ー――‐''" | 呆れ果てているようです
./ . | |
(⌒―| | ゛―^⌒)
. ̄ ̄|  ̄ ̄| ̄
.| |
!、 /
ヽ、 / 、
ヽ、 、 /ヽ.ヽ、
| | | ヽ.ヽ、
(__(__| ヽ、ニ三
81 :
考える名無しさん:03/01/25 00:10
シャルマ君は無明庵で頭頂にどんぶりのっけるラーメン禅やってるのか
>シャルマ君は無明庵で頭頂にどんぶりのっけるラーメン禅やってるのか
シャルマ君は最近来来軒でどんぶり洗ったりしているみたいです。
スイスにも来来軒があるの?
84 :
考える名無しさん:03/01/25 02:35
スイスに着いた日本人ツーリスト、案内所にて、
「どこへ行ったら、ハイジに会えるんですか?」
「???」
428さん
まやびというのは実は私なのですが。
86 :
考える名無しさん:03/01/25 12:48
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | <逃げたか?チンカスお釜>447
___/\| \_/ / \_____
/ | |\____/|
| | | ヽ │
__| | | \ | _|_|
ヽ、(_二二⌒)__) \
____| | \二 ⌒l. \
| | ̄ ̄ | | ̄ ̄||
| | | | .||
| |_ | |_ .||
(__) (__) .||
87 :
考える名無しさん:03/01/25 15:25
やっちった、、、、、、、シャルマくん
だめだよまじめにどんぶりのっけておかないと。あついつゆぶっちゃけちゃうぞ
来来軒クビになったらどーすんの
前を向いて洗おうよ
おつゆがこぼれないように
88 :
考える名無しさん:03/01/25 15:54
あれまあ(w
89 :
考える名無しさん:03/01/25 17:16
■■■■■■■■
■■■■■■■■■
■■■■√ === │
■■■■√ 彡 ミ │
■■■√ ━ ━ \
■■■ ∵ (● ●) ∴│
■■■ 丿■■■( │ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■■ ■ 3 ■ │< ここはシャルマ君の擦れじゃないぞ!お釜のだ!
■■■■ ■■ ■■ ■ \________________
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90 :
考える名無しさん:03/01/25 18:44
ベンジャミン・クレームやニューエイジについての参考文献。
Charles Upton
The System of Antichrist
Sophia Rerennis,ISBN 0-900588-30-6
著者は1960年代末から1980年代にわたってニューエイジ系統のさまざまな思想・実践にかかわってきました。
しかし、キリスト教のみならずイスラーム、ヒンズーなどをも含めた諸宗教の伝統的教義の立場から、これらの活動の諸相に検討を加え、その危険性を認識し、批判に転じました。
クレームについては、p.464以下の「ベンジャミン・クレーム:神智学的反キリストの預言者」という章で取り扱われています
やっと体調が回復し、時間もできましたのでカキコします。
荒らしも落ち着いてきたようですので、しきりなおししたいと思います。
まずは、クレーム氏の伝えている情報に信を多少ともお持ちの方に質問です。
このスレは、私が意図的に作りましたが、ここは神智学に関心を持つ方、
弟子道として真我実現に真剣に取り組んでいる方、または取り組もうと
されている方を対象に、クレーム氏の書籍や、ブラバッキー、アグニヨガ、
アリスAベイリーの書籍を中心にして語り合いたいと考えています。
ただ内容として、ここで書き込むのにふさわしい情報かどうかということと、
ここでこのようなことを話し合うことが適切であるかどうかについて、
皆さんの意見をお聞きしたいのです。
マイトレーヤ・スレでも、2chでこのような議論はよくないという意見が
ありましたが、意図せずともマイトレーヤやクレーム氏に関するスレが自然
と立ってくることは将来、充分考えられることです。
どのようなスタンスでお互い話し合い、または正しくマイトレーヤの情報を
伝えることに関連して、ここ2chで私たちができることは何でしょうか?
93 :
考える名無しさん:03/01/26 04:12
94 :
考える名無しさん:03/01/27 20:37
あーめん
95 :
考える名無しさん:03/02/10 00:11
掃除してたらリードビータ僧正の本が出てきたので激鬱
皆さんは一日平均で何時間くらい瞑想していますか。
僕は8時間くらい瞑想しています。
気づきについて深めたい場合は最低限これくらいはやらないと
いけないと思います。
98 :
考える名無しさん:03/02/10 04:38
あの当時2段階のイニシエートだったようです。
聖徳太子 進化の段階 2.0
光線構造(主光線のみ)
魂 パーソナリティ メンタル アストラル 肉体
6 6 5 4 3
マイトレーヤの使命 第1巻 P374より
<私のコメントです。決して信用しないで下さい>
光線構造から見ると、仏教の興隆に献身的に活躍した感がありますね。
魂とパーソナリティの6光線がそれを示しているように見えます。
メンタルの5光線は、具体的知性ですから科学に精通していたか、
文献の研究にそれを使っていたかもしれません。
99 :
考える名無しさん:
魂 パーソナリティ メンタル アストラル 肉体
グルジェフ 4 4 1 6 3
進化の段階 2.2
メンタルの1光線がグルジェフの性格を表してますね。
進化の段階の2.2というのは決して低い数字ではありません。
人類の大多数が0.5くらいで、瞑想をしている、または興味として
惹かれている方は大体0.7から1.3くらいです。
そして、最初のイニシエーションの瀬戸際にある人々が100万人単位
で世界に存在します。これは人類史上かつてなかったことだそうです。
誰かの認識の拡大は全体に寄与します。
魂 パーソナリティ メンタル アストラル 肉体
クリシュナムルティ 2 2 4 6 7
進化の段階 4
クリシュナムルティの生涯と、智恵のマスター達の関係については、
多くは語られ得ないままですが、クレーム氏によると、クリシュナムルティの
そばにずっとマイトレーヤがいたそうです。メアリールティエンスの著作の
中にそれを匂わせる記述があります。そのような世界とは完全に袂を分かって
いるとクリシュナムルティの読者は想像しますが、真実はK自身が知って
いるのでしょう。
クレーム氏によればマイトレーヤはまもなく世界に現れます。
何でもない、シンプルなしかし真実を語る一人の男として。
それがいつなのか私にもわかりませんが、
ちっぽけな先入観で見失わないよう願いたいと思います。