1 :
考える名無しさん :
02/09/18 23:43 なかったみたいなんで。
あぼーん
3 :
考える名無しさん :02/09/18 23:59
9.11誕生日です。
4 :
弁償法的理性批判 :02/09/18 23:59
5 :
考える名無しさん :02/09/18 23:59
6 :
弁償法的理性批判 :02/09/19 00:00
アドルノ、ベンヤミン 対 ハイデガー、ユンガー よかたのになくなっちゃってたね.
7 :
入門は、まずこれから :02/10/01 01:29
マーティン・ジェイ『アドルノ』 岩波書店 ほかはどうですか?
8 :
考える名無しさん :02/10/01 01:36
啓蒙の弁証法を読みたくなってきますた。
9 :
考える名無しさん :02/10/01 02:14
ホルクハイマーはうまく浄化しながら評価した
10 :
考える名無しさん :02/10/01 02:26
『三つのヘーゲル研究』わけわかめ
12げっと
13 :
考える名無しさん :02/10/01 09:26
『ミニマモラリア』で労働者階級は教養を学ぶヒマがないんで馬鹿 みたいなこと書いててワロタ。
14 :
考える名無しさん :02/10/01 18:03
『三つのヘーゲル研究』復刊希望age
15 :
考える名無しさん :02/10/01 18:39
ミニマモラリアは出たね。
16 :
考える名無しさん :02/10/01 19:32
17 :
考える名無しさん :02/10/07 00:40
「哲学がいろいろな契機の組み合せ(コンフイグラチオーン)として明確な姿を持っているということは、その組み合せの中の格契機もそれぞれ一意的に明瞭であることとは質的に違う。 なぜならこの組み合わせそのものは、その諸契機の総体以上のもので、総体とは別物だからである。 たとえば、星座(コンステラチオーン)は体系ではない。そのなかでは、すべての星が均一な光を放ってるわけではないし、その中に溶け込んでいるわけではなく、ひとつの星は他の星へと光を投げている。 そして個々の契機が一緒になって図形を作っているので、この図形は明確な記号であり、読むことができる文字である」 〜〜「暗い人」より〜〜 この「星座」ってのが上手く把握できたらいいんだけどなあ……。
18 :
考える名無しさん :02/10/12 23:54
白雉はいらない
19 :
考える名無しさん :02/10/13 00:27
啓蒙の弁証法で、「レッテル貼り的思考」の話出てくる よね。画一化されたレッテル貼り思考がファシズムの 根っこにある、という。 で、思ったんだけど、日本のフランクフルターのほとんどが、 ハイデガー批判に関しては「レッテル貼り」的・全体主義的思考に なっている。まあ、おれもハイデガー擁護しようとはおもわんが。 でも奴らの批判があまりにも表層的・画一的なんで、頭痛くなってくる。 少なくとも第2のヒトラーにならんように(w レヴィナスぐらいねちっこく批判できんのかな(w
アドルノだけど何か質問ある?
21 :
小林ビデオ(モオツァルト最高!) :02/10/30 22:21
22 :
考える名無しさん :02/10/31 01:36
23 :
考える名無しさん :02/10/31 03:09
19 はアドルノの『本来性という隠語』でも読んで 出直してください。でもってハイデガー自身のレッテル貼り思考 を執拗に批判するアドルノに舌を巻くといいよ。
24 :
考える名無しさん :02/10/31 10:51
>ハイデガー自身のレッテル貼り思考 具体的に教えてください。煽りじゃなくてマジレス 具体的っていっても詳しくなくていいんで、さわりだけてせもお願いします
>>22 私は日本のことはよく知らないのだよ。
徳永洵君は私のもとに留学に来たが、
むしろ彼はハイデッガーを評価していたがね。
26 :
考える名無しさん :02/10/31 12:34
マーティン・ジェイの「アドルノ」欲しいよ。 図書館で読んだんだけどさ。 きれいに整理されててマジ便利。
27 :
考える名無しさん :02/10/31 12:41
もってるよ でも原書は英語でしょ
28 :
考える名無しさん :02/10/31 18:13
>>24 ハイデガー特有の難解な言い回しが最終的な不明瞭さにおいて
まさにマジックワードと化していて、そこにアドルノは「全体化」を指向
するハイデガーの思想のファシスト的心性を厳しく抉りだした、ということ。
『本来性という隠語』邦訳は未來社から出ているから、ちゃんと自分で
読むことをおすすめする。
>>28 不明瞭だから「全体化」というのは哲学の議論としては
乱暴すぎる。そうであるかも知れないし、そうでないかも知れない。
もっと言えば、哲学者批判と哲学批判を分けられないところが
日本のフランクフルターの痛いところ。個人攻撃は俗悪的な
ワイドショーみたいで、俺も嫌いじゃないが、アカデミックじゃない。
で、具体的な哲学批判を聞きたいんだ。(続く)
(続き)で、具体的なネタを振る。 さしあたり「存在と時間」から。そこでハイデガーは本来性と 非本来性を区別しているが、 そこに悪しき道徳性、政治性を見て批判する向きがある。 しかしそれはやはり間違っているんだ。 なぜなら、「存在と時間」の目的はやはり現存在の存在様態を 手引きにして「存在一般の問い」を問うところにあったわけだ。 で、さしあたり現存在の存在様態は、他者と気晴らしをしている 日常性においてではなく、死に直面し孤独に立ち返った自己において 「本来的に」明らかにされる、と言うわけだ(勿論その問い方が効果的か どうかは議論の対象になりうる)。 だから、彼が「本来性」というのは、道徳的な基準でではなくて、存在への 問いに有効かどうかという基準でなんだ。 そこら辺はフランクフルターは分かっているのか?
31 :
腐乱苦古侘阿 :02/11/01 01:25
>>29 >>29 まず日本のフランクフルターってだれよ?
漠然としていて議論になりヅライ。
>>30 アドルノは道徳的かどうかじゃなくて、そもそも「本来的/非本来的」
という基準を設けること自体を批判しているわけ。
わかる?ハイデッガーマンセー君は?
>わかる?ハイデッガーマンセー君は? こういう書き方はやめよう
33 :
考える名無しさん :02/11/01 01:32
>>32 でもよく「存在の近さ」なんて言葉をいまどき無批判に使えるもんだな。
ハイデッガーにかぶれて無いと仕えないぜ
34 :
考える名無しさん :02/11/01 01:37
よくみたら30には >そこら辺はフランクフルターは分かっているのか? て文章があったのね 知らん克った ので、32のぼく文章は撤回するよん メンゴ
>>31 まあ落ち着け、ヒステリックになるな。
俺も別にハイデガーマンセーじゃない。哲学的な議論を
しようというのだ。
>まず日本のフランクフルターってだれよ?
固有名をあげろと言うの? まあ、こういう問いを立てると
ヒステリックになる人たちのことだよ(w
>そもそも「本来的/非本来的」という基準を設けること自体を批判しているわけ
その基準はハイデガーにとって「さしあたり」の便宜的なものだよ。この言葉を
彼は何度も使って、用心深く便宜性を強調しているね。
それに、「本来的/非本来的」という基準をもうける人はたくさんいると思うが、
彼らも全てファシストなわけ?
せいぜいファシズムの傾向性を指摘できるだけだよ。
(続く)
(続き) また、歴史的事実として彼はファシストだった。それは前提。 だが、それと彼の哲学的議論とを意図的に混同させ、彼の思想の 全てがファシスト的だとレッテルを貼るフランクフルターに、 逆に俺はファシズム的レッテル貼り思考を感じるのだ。 それが俺の疑問の全て。
例えばフレーゲも事実としてユダヤ人差別主義者だった。 だからといって彼の論理学の業績全てを差別主義的だといえるの?
『本来性という隠語』読んだ人出てきてー。19 をやっちまえーw
39 :
考える名無しさん :02/11/01 09:00
『本来性の隠語』は読んでないけど、ハイデガーを読んだ限りでは、19氏の指摘はまあマトモだと思うヨ。 だけど、ああいう言葉の群れのなかから、「非本来的な頽落状態から本来的な覚悟性へ!」なんて調子の呼びかけまでは紙一重と取られやすいことも確か。 ちくま文庫の訳者解説にも、この本をきっかけに、学問的厳密を目指していた現象学運動が一気に人生論に転回したなんていう笑い話もあったしね。 日本語で読んだだけだけどね。「頽落」なんて文字面がよくないのか。ドイツ語のverfallenってのも、こんな感じのことばなのかな?
40 :
考える名無しさん :02/11/01 12:40
古東氏のハイデガー入門書でアドルノのハイデガーに対するジャルゴン批判を 反批判してたね。てっ固有名だすとただちに叩かれそうだけど。 まぁ、そういう記述があったと。 ぼくはどっちでもいいけど。やはりアドルノ読みますよ 古東氏はハイデガー好きだから、割り引いて読んだほうがいいかも。 でもちゃんと部分部分でハイデガーの哲学史解釈に異を立ててるけどね
41 :
考える名無しさん :02/11/01 13:13
一応ページ数挙げときます 古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』P111 今読み返してみて、これじゃアドルノを論破したことになるのかわからん ただ書きたくなる気持ちはわからんでもないけど ぼくは議論に絡めないので傍観させてもらいますが、楽しみにロムさせてもらいます
42 :
考える名無しさん :02/11/01 17:53
こんなところで古東に逢うとは(w
>>19 ハイデッガーマンセー君とか煽ってすまなかった。
あんたの言いたいことは分かったよ。
「ドイツ大学の自己主張」なんかを読むとやはりハイデッガーには
うんざりさせられるところがあるんだが、
ファシストとレッテルを貼って済ませてしまうのは問題だよな。
ハイデッガーの思想はある面では西洋中心主義でありながら、
逆に西洋中心主義を解体するような側面を持っている。
その両面を読む必要があるよな。
ちなみにフランクフルターといっても、マルクーゼはハイデッガーの弟子
だったし、ハーバマスもハイデッガーを初期の頃はそれなりに評価していた。
アドルノも基本的には批判的だったが、
「美の理論」で「森の道」を肯定的に引用している箇所もあるので、
全否定ではなかったようだ。
単にファシストとレッテルを貼ってるだけの馬鹿はほっといていいと思う。
>>41 古東は電波が・・・
>>39 ,
>>43 レスありがとう。ホントはおれもアドルノは嫌いではない。
むしろ好きだ。
ただ、ある地底でアドルノを専門にやってるDrレベルでも、
ハイデガー理解が「レッテル貼り」から一歩も出ていないんで…(泣
それで、ちゃんとした哲学的議論ができるのかが気になったんだ。
ハイデガー叩きもいいが、叩き方が幼稚なんだ
>>44 そういう点では、デリダやリオタールなんかが
ハイデッガーのファシスト的な部分を心得た上で、
なお生産的読解を行っていたことを評価したいね。
ただドイツでアドルノなんかがハイデッガーを厳しく批判したのは、
戦後もファシズムとの関係がうやむやにされたまま、
ハイデッガー・シューレが圧倒的な影響をもっていた、
という事実があるからだろう。
そういうハイデッガー・シューレの胡散臭さみたいなのに
無批判なままハイデッガーの思想をあがめたてていた
渡辺二郎とか辻村公一みたいなまじめくさったハイデゲリアンも
ちょっと問題を感じるな。
(木田元とかは違うけど)
>>45 禿道 (リオタールは嫌いだけど(w)
まあ、フランスは戦勝国だから、気楽に自由に
ハイデガーを論じることができた、ということはある。
一方、敗戦国のドイツではそれほど思想の自由が
なかったんだろう。その一方で、ハイデッガーの戦争
責任の問題がうやむやにされていた。アドルノはハイデガー
批判をしなければならない状況にあったんだな。
>>無批判なままハイデッガーの思想をあがめたてていた
>>渡辺二郎とか辻村公一
これも同感。ハイデガーの哲学的なころと政治的な
問題は確かに切り離せないんだ。
それを切り離して一方だけ見るから、渡辺・辻村と
dqsフランクフルターは同じ穴のムジナ。
だから、勿論哲学的なところと政治的な所を注意深く
目配りしないといけないけど、その上でハイデガーの
哲学的な部分を批判しないと哲学に携わる者としては
ダメなのでは。特に、人格攻撃で満足していては、問題の
本質が見えてこないんだ。
47 :
考える名無しさん :02/11/01 23:50
ラクー=ラバルトが指摘しているけど(『政治という虚構』邦訳p.191)、 アドルノですら後年「ヒトラー称讃」の詩集をもちあげた書評を書いていた ことが暴露されて問題になったことがある。30年代のあのドイツの状況で まともにものを考えていた知識人であれば、国家社会主義の可能性をあらかじめ 全否定するようなことが到底不可能なぐらい複雑な状況があったわけで、 哲学者や知識人のナチ関与を暴露して何か批判した気になっている奴らは 本当に愚劣な連中だと思う。 もちろん、哲学と政治をすっぱり切り離して、哲学者についてはその哲学を研究 しさえすればそれでいい、というような「まじめくさった」態度も欺瞞的だ。 (たしかに日本のハイデゲリアンはこっち側への偏りが強すぎて「胡散臭い」)。 哲学者が真に哲学的思考を徹底させるがゆえにこそ政治的にならざるをえなくなる ような瞬間があって、ハイデガーにせよアドルノにせよ、そういう危うい部分 を自覚的に引き受けていた。ハイデガーとアドルノとの対決が実際にあったのだ としたらこうした問いの次元で解明されなくては無意味だろうね。
48 :
考える名無しさん :02/11/02 00:15
>>47 ワイマール期の哲学って実はすべてそういう危うさを抱えていると思う。
ボルツが「批判理論の系譜学」で明らかにしているように、
あの時代は右翼も左翼も外見的に区別がつかないくらい類似していて、
両者とも日常性を堕落と捉えて、
それを克服するような超越的なものを求めていた。
ハイデッガーやシュミットが抱える危うさみたいなものは
ルカーチやベンヤミン、そしてアドルノにも指摘できることなんだよね。
49 :
考える名無しさん :02/11/02 00:57
アドルノの哲学書の中で「三つのヘーゲル研究」が一番面白くないか? 「認識論のメタクリティーク」なんかはフッサールを過去の哲学者として 葬送してる感じがするが、「三つのヘーゲル研究」は未来の哲学者 としてヘーゲルを扱ってる気がする。 ヘーゲルの言語表現についての考察なんかも他のヘーゲル研究書には 載ってなさそうな興味深いものだしな
ウムー ようやくてごわそうな論客のレスが 集まってきました。ただ、あえて煽るけど、 当時の政治状況を論じて満足するのは、批判理論系 (フランクフルター)の悪い癖(そのアプローチも 有益だと思うけど、一面的)。 外的状況からだけでなく、もっと哲学自体を批判しようよ。
51 :
考える名無しさん :02/11/02 01:33
>>50 哲学自体の内在的批判に行きますか?
>>19 さんはアドルノを扱いたいの?
それともフランクフルト学派全体を批判したいの?
まあとりあえずアドルノでいってみますか。
まず、ミクロロギーという看板を掲げながら、
アドルノの分析はあまりミクロじゃない、という問題が挙げられる。
「社会」というのが実に抽象的かつ全体的なコントロール装置として出てきて、
具体的で踏み込んだ分析があまり出てこない。
だから、どの著作も「社会」の全体性を一本調子に批判する性質が強い。
ファシズムもスターリニズムもアメリカの社会も大差の無いものとして
扱われてる気がするね。
しかし、そのように「社会」を全面的批判するのは全くミクロロギー的では
無いんじゃないのかな。
19=50ですが。私の疑問は、多くの日本のフランクフルターの ハイデガー批判があまりに表面的・低レベルなので、アドルノの立場から きちんとハイデガー批判がでんのか、というところだったのです。 私の問いはそこ。(何だかんだ言って、ハイデガーは現代思想の巨人かつ 鬼っ子。きちんと批判しないと喰われてしまうよ(w) アドルノがミクロじゃない、というのは分かる。先輩のベンヤミンに 比べてね。
フランクフルター全体というと、たくさんいて、 拡散してしまいますね。
54 :
考える名無しさん :02/11/02 02:11
「否定弁証法」で「存在」という超主観的原理を現存在が能動的に 「企投」する、というのは矛盾だという批判をしてたな。 ただハイデッガーも1945年の時点で、「企投」とは能動的ではなく、 受動的なものだ、という苦しい言い訳をしているんだが。 「存在了解」から「存在の性起」に移ったあとのハイデッガーは 存在を積極的に「了解」することをやめて、単に「追想」するだけになってしまった。 それは彼の哲学の内的帰結だとは言え、 ぼんやりと「追想」するのは非合理主義以外の何者でもないし、 「存在と時間」ほどの生産性を持っていないんじゃないかな。
アドルノのハイデガー批判は1933年の彼の処女作(厳密には違うが)である 『キルケゴール―美的なものの構成』から連綿と続く徹底したものなので あわせて読むといいです。分かりにくいけどね、この本も。 アドルノの入門書としては、M.ジェイ以外にもG.ローズの『憂鬱の科学』がある。英語だけど。 あと、ブルデューの『ハイデガーの政治的存在論』はアドルノのパクリなので読む価値無し。 51のアドルノ批判は、M.ジェイも、或いはT.イーグルトンも指摘している。 アドルノはああ見えて復古主義者で英語出来ないでアメリカ大嫌い人間だからね。
56 :
考える名無しさん :02/11/02 04:33
>>51 アドルノのミクロロギーっていうのは、分析の繊細さというレベルでとらえる
よりも、むしろその一元的な全体性の批判と、ある対象に常に内在的で弁証法的
な分裂を認めようとするところにあるんじゃない?その論理自体が形式的に陥る
癖はあり、それがそれで全体化の機能を孕んでしまうっていうところはあるにし
ても、細かい分析がないからダメっていう言い方をしたんじゃあアドルノが可哀
想だ。
さらに言えば、アドルノの否定弁証法は、ヘーゲル批判であると同時に同じく
らいルカーチの疎外論批判であったって言うことも視野に入れとかなくてはいけ
ないんじゃないか。失われた全体性の回復を求めるんではなく、「傷ついた生活
のうちでの省察」にとどまるっていう姿勢はアドルノには一貫しているんじゃな
いか?
布置とか星辰配列と訳されるKonstellationとは、言わば横の連なりを意味する言葉だ。 それは形而上学的な、知のヒエラルキー、その上下の体系的な垂直性に本質的に依存しつつも、 これをその体系の弁証法的な否定契機からして脱構築しつつ、体系そのもののズレを生起せしめる。 このズレは止揚されて再び知の上昇を促すのではなく、絶えず横にズレてゆくことにおいて、 連なりの横断性を見せる。これがコンステレーションの枢要だと思う。
58 :
Kurihara :02/11/02 05:26
まさにその通りです。
ちなみに1950-60年は復古主義(レストレーション?だっけ)の時代と言われ、 産業優先で国力の再度の上昇により浮かれていた戦後復興期といわれ、同時に この時機は、丁度ナチスによる体制翼賛的な国家主義が浸透していた1930年代 と似たような雰囲気にあったらしい。60年代半ばに出されたアドルノのハイデガー批判は 反体制的な学生運動の高まりとともに、ハイデゲリアンの残存勢力を一掃したといわれている。 ところでアドルノの『本来性という隠語』の先駆けはレーヴィットのハイデガー論で、 あわせて30年代当時の哲学とドイツ社会との連関については、プレスナーの『遅れて来た国民』 を読むといい。これは名著です。
>>54 『存在と時間』の時期でさえ、投企の能動性は、世界に投げ出されてあることの
被投性の受動性と相関関係にある、とされ、この<投企-被投>は、確かに中期以降では
次第に後者にウエイトが移ることになるが、まぁこれは程度の違いにすぎず、確かに投企を
特に30年代の初頭において強調したことは、ハイデガー批判のきっかけになるが、依然として
<投企-被投>関係が固持されている限りにおいて、批判は本質的なものではありえない。
この点実にハイデガーの体系は、用意周到に逃げ道を用意しているわけだね。
むしろハイデガー批判としては、前期においてはただ単に現存在の「形式」を示すに過ぎないとされていた
<投企-被投>関係が、投企することの歴史的決意であるとか、投げられてあることの運命とかいった仕方で
歴史化され、「内容」を持つようになること、こうした逸脱を指摘するほうが効果的だ。
実際アドルノのハイデガー批判は、本来形式的なものにすぎないものが或る内容を主張するようになることの
二重性に向けられており、これこそが「隠語Jargon」の政治的効果の本質だったわけだ。
あぼーん
しかしまぁアドルノの文体は悪文の極みなので、原典で読むとすれば 「哲学のアクチュアリティ」「形式としてのエッセイ」「主観と客観」あたりの 小論からはじめるのがいいだろう。これらはアドルノの批判理論のエッセンスを 如実に示しているからね。間違っても『否定弁証法』を通読しようという凶行を 選択しないように(ワラ)
>>45 付記すれば、旧世代(ワラ)の日本のハイデゲリアンは、ハイデガーが存在概念を
その形式性において捉えたということを深く考えなかった。形式性において捉えるとは
存在をある意味では「理論的」に捉えるということであり、また他方では、形式性が
含意するその内容の無さ、乏しさ自体が、20世紀的な知の位相を物語っており、この点
精神(ガイスト)の無限の豊かさ、その理想主義的充溢さにおいて体系的知を展開した
ドイツ観念論の系譜とは、ハイデガーは決定的に隔たっているわけだ。
ハイデガーは、存在の形式性、その乏しさの経験そのものを歴史化してくるという点で、
決定的に20世紀人であり、現代人なのだ。啓蒙主義の洗礼は、彼の存在論的教説が
決して神秘的なものに還元されることはないし、ましてや東洋的知との近さへと退行することを
意味するわけでは全く無い。
変な日本語になったな。 「彼の存在論的教説を決して神秘的なものに還元するることはないし」 これでいいか。
ちなみに彼の批判理論の枢要はカントとヘーゲルだ。 分をわきまえろ!限界を知れ!というときにはカントを持ち出し、 限界にとどまることは思惟の硬直化を招く!限界を超えて進め! というときはヘーゲルの出番だ。このムチとアメの繰り返しが 否定弁証法だ。カントによる「冷却」を啓蒙化、脱-神話化として捉え、 ヘーゲルによる「加熱」を権威化、神話化と捉え、この「神話化/脱神話化」の 交互の交わりにおいて、知の「あげ/さげ」の絶えざる横ズレをコンステレーションとして捉える。 否定弁証法の基本はだいたいこのような感じだと思う。
66 :
考える名無しさん :02/11/02 08:10
らφ 氏へ 大変べんきょになりました。あんまり知らないので、スゲーおもろいです ザフランスキーのハイデガーの伝記てどうですか? 高いので買うか迷っています
67 :
考える名無しさん :02/11/02 11:13
>>56 でも大雑把過ぎるんだよ。
アメリカ社会もファシズムもソ連も同一視しちゃうあたりが。
一見類似したものの差異を見分けることが重要だ、と自分で言っているんだから、
具体的にそれぞれの社会の差異についても考えるべきだったんじゃないかな?
68 :
考える名無しさん :02/11/02 11:18
>>55 アドルノは英語もできるでしょ。
"On popular music" "The ahuthoritarian personality"とか
英語で書いてるわけだから。念のため。
あとアドルノの入門書なら
哲学的側面を知るなら、ヴィガーハウスの「アドルノ入門」
社会批判者としての側面なら、シュヴェッペンホイザーの「アドルノ 解放の弁証法」
の方が優れていると思う。
69 :
考える名無しさん :02/11/02 11:28
>>65 禿同です。
カントとヘーゲルが大好きだから
アドルノは20世紀の人の癖に、用語法があまりに観念論的なんだよね。
あとヘーゲルへの批判の仕方はマルクスにそっくりな部分もあるので、
社会理論家や経済学者としてだけではなく、
哲学者としてのマルクスにも影響を受けたといえるんじゃないかな。
>>66 ザブランスキーのハイデガー伝は面白い。買いなさい。同著者の『ニーチェ』より良い。
ザブランスキーは今はスローターダイクと一緒にテレビにも出てるらしいし、ノリノリだなこいつ
>>68 そういえば(ワラ)イギリスに亡命中は大変非社交的だったというが、英語は出きるわけだ。彼らしいといえば彼らしい
>>69 唯物論者というより、端的に言えば、アドルノには唯物論的で俗物的なところがあるね。
それが、ヘーゲル及びカントを持ち上げるくせに、妙な観念論的で審美的な身振りをみせない
彼の一種さばさばした姿勢にも現れているのだろう。ミニマ・モラリアなどはその俗物性がよく現れている。
まぁその俗物性が、アドルノの限界といえば限界ではある。
71 :
考える名無しさん :02/11/03 08:12
>らげ 俗物というならハイデガーの方がよほど俗物。
文章にそのまま俗物性が反映されているという意味でね。 アドルノは時として読みに絶えない文章を書く。実証主義論争の時の文など、その極みではなかろうか。 しかし、そういう俗物性が、たまらなく魅力的なのだよ。 対してハイデガーはその点狡猾だから、弱みはみせません。これはこれで魅力でもある(ゲラ
73 :
考える名無しさん :02/11/03 17:20
>>72 俗物性というか、論争好きなのね。
マルクスが論敵を木っ端微塵にしようとしたみたいに、
アドルノも論敵を嘲笑したり、徹底的に叩いたりする。
一方、ハイデッガーは批判するにしてもお上品。
「ヒューマニズム書簡」のサルトル批判も上から諭すような感じだしね。
でも「ドイツ大学の自己主張」とかヤスパースとの往復書簡集で十分俗物性を
さらけ出してます。
74 :
考える名無しさん :02/11/03 17:41
アイドルスレだと思ってくりっくしちゃったよ
75 :
考える名無しさん :02/11/03 21:42
76 :
考える名無しさん :02/11/04 00:44
アドルノはホルクハイマーの影響は受けてるの? 批判理論はホルクハイマーの命名なわけだが。 アドルノが啓蒙の弁証法以降ホルクハイマーに影響を与えてる印象はあるが、 ホルクハイマーからアドルノに与えた影響ってあるの?
77 :
考える名無しさん :02/11/04 01:11
社会学的な発想は全部そうなんでないの
久しぶりに来たら盛り上がっていたので、喜ばしい限りです。
>>らφ氏60 へ。ハイデガーに関しては大体賛成。彼が「投企」を
強調して(形式から内容への逸脱)民族主義に走ったのは事実です。
ただハイデガーの真骨頂は中期以降の被投性の強調でしょう。ここでは
また形式性(あるいははかなさ)の強調に立ち戻っています。これは
>>54 の言うような単なる神秘主義では決してありません。しかし、
>>63 らφ氏の言うような現代性の表れに尽きるわけでもありません。
(その一面は確かにありますが)
これはフッサールの受動的総合にもつながる話です。むしろ、
ハイデガーの影響を受けてフッサールも受動性の分析を始めたんです。
また、ハイデガー前期の「投企−被投企」の二重性から中期以降の
被投性の強調は、メルロ=ポンティにも踏襲されています。
(前期の身体の能動−受動両義性から、後期の肉の存在論への転回)
79 :
考える名無しさん :02/11/04 01:34
>形式性(あるいははかなさ) てどういうことですか? 一般に、このように書くとその両者がある種等価的だということを 意味すると思うのだけれど。
80 :
考える名無しさん :02/11/04 01:44
>>78 認識の受動性、という考え方そのものは
ハイデッガー以前から存在していたわけで、新しくも何も無い。
どういう点が”真骨頂”なのですか?
>>79 形式化というのはカント以来の啓蒙の運動
に特徴的なことでしょうが、「存在と時間」までは
その傾向が強いと思います。しかし
>>35 で言ったように、
その形式性はあくまでも「さしあたり」の便宜的なものです。
しかし中期以降はそれがさらに「はかなさ」に変わったと思うのです。
言い換えれば「言葉では捉えにくいもの」への志向(それは実は
ヴィトゲンシュタインにも強かったのですが(w)。メルロ=ポンティは
「否定神学のような否定的存在論」とも言っていましたが。
>>80 「新しい」と「真骨頂」は同義語ではないので、
問題はないのでは? その前に、「新しくない」例を
あげてください。
受動的綜合とか肉の存在論とか、私は詳しくないが、 メルロ・ポンティと中期以降のハイデガー論の繋がりでいえば、可逆性という概念が面白な。 『見えるものと見えざるもの』でさかんに言及されている。これは何かといえば、 企投-被投性が、いずれにも重心が移る一種の往復運動として、その都度ひっくりかえる、つまり ハイデガーの言葉では転回Wendung可能ということだな。弁証法的とも言っていい。 ただしこれは、企投の「将来性」の限界が被投性の「既在性」に浮かび上がり、また逆に 被投性の「既在性」をその企投の「将来性」が内破するという具合に、一直線的で目的論的な動きではないんだな。 その点、アドルノやP.リクールの提唱する、冠を外した弁証法の絶えざる実践とも軌を一にするものだ。
ちなみに、ハイデガーはやみくもに「言葉では捉えられないもの」を大切に、 そっとしていたわけではないんだな(この辺が難しい)。 むしろ、言い尽くしえないもののために、言うことを断念するということ、このタイミングの問題だな。 (この点、ハイデガーの理論的欠陥にこだわるより、彼が残したものの実質的内容を見るべきだ。これはアドルノに 一層当てはまることだが) それは確かに、言い尽くしえないもの(例えば存在)を超越化し神秘化する動作ではあるが、 断念するという行為のうちに、しっかりと主体性の決意の残響を見ることもできる。その意味では 主体的なもののために敢えて主体的なものを否定するという弁証法とも重なり得る。 うまくやれば、ハイデガーとアドルノの間の調停は不可能ではないんだな。
ところで、アドルノの真骨頂は彼の美学にあるので、 美学や音楽論に造詣の深い人の発言もほしいところだ。 哲学的コンテクストでは、どうも限界があるからね。
86 :
ぺん(ぺん) :02/11/04 04:31
>>らφさん >うまくやれば、ハイデガーとアドルノの間の調停は不可能ではないんだな。 たしかに、美学というか芸術に対する感性は共通するものがあるとは感じます。 が、逆に言えば、20世紀的な大衆芸術(ベンヤミン的な複製技術に基づいた芸術) は射程外という限界も共通しているでしょう。 「言い尽くしえないもの(例えば存在)」という点では ラカンや、それをポップな感覚で大衆化したジジェクが ドイツ的な二人よりも、20世紀的な洗練を施しているように見えますが 漏れ的には、あまり「否定性」に拘るよりも 「言い尽くせる」ことをきちんと言い尽くす作業の方が とりあえず、豊かな結果を産出し得るのではと思っています。 そういう点では、21世紀は、情報科学や数学などの方が 哲学よりもスリリングな成果を挙げるのではないかと素朴に考えてます。
いや、そうとは限らないんだよ。先ず第一に、ハイデガーは例えば 唯一的なもの、固有な存在としてのヘルダーリンの生へとロマン主義的に内在化するという ディルタイ的な手法をとらず、徹底して「書かれたもの」としてのヘルダーリンの詩に依拠する。 そこでは極論すれば、書いたのがヘルダーリンだろうが誰だろうが副次的な問題なのだ。 (実際に後期ハイデガーは、狂気に陥ってスガルダネリの名乗るヘルダーリンの詩を取り上げる) ここには、本物だろうが複製だろうが問題ではない、という突き抜けた態度がある(これはこれで問題だが 第二に、ハイデガーは言い尽くすという態度をきちんとしていたのだよ。余りヒントを与えたくないんだが(ワラ どこかでハイデガーは「挨拶Gruss」ということを述べている。挨拶とは、言い尽くし、自ら自己の喪の作業をしたのちに、 なお自己を内破しつつ生起してくる「他のもの」に挨拶を送る、ということだ。自己を終えること/別様に自己を始めること、 これは弁証的なものではないね。精神(ガイスト)が自己を消費しつくすたのちになお底に残る自然(ピュシス)というモチーフ、 このモチーフは(以下略
>>86 > そういう点では、21世紀は、情報科学や数学などの方が
> 哲学よりもスリリングな成果を
浅田彰もなんか似たようなことを言ってたけど、そういう比較になんの
意味があるかよく分からない。たんに別ものでしょ。それとも
哲学は情報科学や数学の成果を取り入れるべきだとでもいいたいの?
あと、らφの言うように否定性が問われざるをえないのは、むしろ、
言い尽くす態度を徹底させるからこそ、だ。「語りうる」ことと「語り
えぬ」ことはアプリオリに決まっているわけではない。
89 :
考える名無しさん :02/11/04 10:45
浅田彰なんて読むの止めなよ。
90 :
ぺん(ぺん) :02/11/04 19:51
>>らφさん,88さん 漏れは、そもそも哲学ドキュソなので 単に通俗的なことしか言ってないかもしれませんが まあ、パンピーの平均的な感想として聞いてください。 ハイデガーのヘルダーリン解釈や、デリダの『精神について』は きちんと読めていないので、ハイデガーについては何も言いえません。 ただ、 >あと、らφの言うように否定性が問われざるをえないのは、むしろ、 >言い尽くす態度を徹底させるからこそ、だ。 というように、ハイデガーの抱えている否定性を解釈すると 単に、いわゆる「否定神学」一般のプログラムになってしまうのではないでしょうか。 (例えば、らφの「徹底して「書かれたもの」としてのヘルダーリンの詩に依拠する。」 という言い方も、「書かれたもの」そのものよりも 「書かれたもの」としてのみ接近可能な<ヘルダーリン>こそを強調していると思います。そのような意味での<ヘルダーリン>は、 ある種、狂気に陥ったヘルダーリンを要請するのは必然的な成り行きのような気がします) >哲学は情報科学や数学の成果を取り入れるべきだとでもいいたいの? そういう事を言いたいわけではありません。 たしかに、煽りと取られかねない書き方をしたのは、すみません。 ただ、「否定神学」的なプログラムで、言い尽くそうとするのではなく 別のプログラムに乗っかって、言い尽くそうと試みた方が より生産的なのかもしれない、と思っているだけです。 (厨房のくせに、とんだ自論を吐くな、と言われれば、それまでですが・・・汗) ともあれ、漏れのような厨房の感想よりも らφさんの文章の方が(漏れ自身にとっても)面白いのは確かでしょう。 気を悪くなさらずに、もっと「語って」下さい。
さがってたのでageます。 ハイデガーに関しては、らφ氏が目配りのきいた優れたレスを されたので、まあ、こちらとしては満足です。ただ、他の方で なにか(ハイデガーへの文句など)あればどうぞ。 ただ、このスレは本来アドルノスレですので、それを中心に 進めてください。アドルノの美学論には私も関心があります。 らφさんもぺん(ぺん) さんも語ってください。
平凡社図書目録 検索詳細情報 ------------------------------------------------------------------------ アドルノ 音楽・メディア論集 テオドール・アドルノ=著 村田公一 舩木篤也 吉田寛=訳 定価:本体 2800円 四六判 360頁 2002.10 ISBN4-582-70241-4 C0036 NDC分類番号 361 アドルノが1920年代から60年代にかけて、ドイツとアメリカで、音楽と社会、音楽とメディアの関係について論じた、日本語未訳の論考を集めた全く新しいアドルノ音楽論集。
93 :
考える名無しさん :02/11/22 04:51
アドルノだって? あげておくか
94 :
考える名無しさん :02/11/22 05:28
アドルノは私にとっては音楽家として親しいですね。 彼はヘルマン・シェルヘンの仲介で、新ウィーン楽派の雄、アルバン・ベルク に弟子入りし、ベルクが絶命するまで弟子として、また友として過ごし、 ベルク死後も、世のベルク理解のために尽力を尽くされています。 アドルノがピアノ曲から管弦楽にアレンジしたシューベルトの作品を聴き ましたが、ベルクの影響を感じさせながらもオリジナリティのあるアレンジを 施していて、その腕前は超一級です。 アドルノが師ベルクを論じた論文は、その愛情の深さと敬虔さがにじみ出ていて 彼の別の一面を見るようで感動的です。 哲学者アドルノではなく、作曲家アドルノであり、弟子としてのアドルノの 言葉なのでしょうね。
95 :
考える名無しさん :02/11/22 05:45
本人の曲はつまらないけど
96 :
考える名無しさん :02/11/22 10:12
あと、アドルノのストラヴィンスキー批判はDQSで、シェーンベルクですら「これはひどい」と言ったとか。 彼の周囲には、先輩エルンスト・ブロッホや指揮者クレンペラーみたいにストラヴィンスキーを深く理解していた人もいるのにね。
しょせんプロの音楽家になりたくてもなれなかった人だから そのへんは多めにみてあげてちょ
98 :
考える名無しさん :02/12/09 00:54
社会音楽理論?
99 :
考える名無しさん :02/12/09 22:35
不協和音について語ろうぜ
100 :
僕のサック ◆MRCsgABIuA :02/12/09 22:36
100
101 :
考える名無しさん :02/12/09 22:54
掃き溜めですか
102 :
考える名無しさん :02/12/09 22:55
ミニマ・モラリアによるとストラヴィンスキーは「兵士の物語」で初めて傑作を書いたそうだ。 古典的な形式によるシュールレアリスム風の作品。
103 :
考える名無しさん :02/12/27 15:24
あげとく
104 :
考える名無しさん :02/12/27 16:10
アドルノは音楽家崩れで仕方なく学者になった。
105 :
考える名無しさん :03/01/02 00:24
シェーンベルクですらっていうかシェーンベルクはアドルノのこと嫌いだったみたいだけど。
106 :
考える名無しさん :03/01/02 00:34
同じユダヤ人で周囲の人間はダブりまくっているのに クレンペラーとアドルノの接点が見つからないと長年 不思議に思ってきた(どちらも言及無し)。もしかして、 ストラヴィンスキー大好きのクレンペラーと全然認め なかったアドルノとは肌が合わなかったのかな、とこの スレ読んで思ったりした。
107 :
考える名無しさん :03/01/02 00:44
ん?クレンペラーとアドルノは繋がり有ったはずだけどな? まあ今資料が手元にないから確かなことは胃炎が。
ほんとですか? 一応クレヲタ歴長いんですけど、修行が足りなかったか。 「浄夜」も「ペトルーシュカ」もさすがに凄いわ。 ちょっとスレ違い申し訳ありませんでした。
(^^)
(^^)
111 :
考える名無しさん :03/01/21 23:29
アドルノの美学理論をちゃんと論じている研究書や論文教えて下さい。
112 :
考える名無しさん :03/01/22 11:27
>96 アドルノはストラヴィンスキーを「退化の音楽」、シェーンベルクのを 「進化の音楽」って考えてたと言われているくらいだからね。
113 :
考える名無しさん :03/01/23 23:58
>>111 アドルノ美学は邦訳がDQNなのもあってか、日本語の良書は存在しない
114 :
考える名無しさん :03/02/14 20:33
つーかアドルノのが書いた原書が最悪な文だからしょうがない
>>111 , 113
Robert Hullot-Kentor による英訳は非常に優れた翻訳なのでおすすめ。
邦訳はさっさと絶版にして違う訳者で新版を出して欲しいよね。
>>115 カントの文が悪文なのと同じ。読者に理解する努力を要求する文章だけど、
理解不可能というわけではない。カントのように、もっといい邦訳が出て
欲しいよ。
117 :
考える名無しさん :03/02/26 19:24
age
118 :
平凡社新刊 :03/03/14 19:18
アドルノ 批判のプリズム 哲学・文学・音楽への分光 (平凡社選書 219) 徳永恂=編 定価:本体 2800円 四六判 286頁 2003.03 ISBN4-582-84219-4 C0010 NDC分類番号 134 今年はアドルノの生誕100年。啓蒙の野蛮への転落が戦争に至ろうとする今、 哲学・文学・音楽にわたるアドルノの批判理論の意味を8人の研究者が解き 明かす、現代のアドルノ入門。 −−−−−−−−−−−−−−− アウシュビッツ以後、詩を書くことだけが野蛮なのか アドルノの文化と野蛮の弁証法 藤野寛=著、平凡社 定価:本体 2400円 四六判 288頁 2003.03 ISBN4-582-70240-6 C0010 NDC分類番号 133 「文明」の名のもとに戦争が起ころうとする今、近代理性が「野蛮」へと 転落していくことを予言したアドルノの文化論が再び脚光を浴びている。 アドルノ生誕100年に甦る西洋文化再考の書。
119 :
考える名無しさん :03/04/02 06:12
age
>>95 まったく。アイスラーのとカップリングになってるCD買ってしょんぼりしました。
(^^)
あぼーん
『プリズメン』イイ!
124 :
考える名無しさん :03/04/22 16:34
アデルノ!!!!!!!
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
127 :
考える名無しさん :03/05/25 08:02
agerno
128 :
考える名無しさん :03/05/25 12:35
否定弁証法が一欠けらも理解できません!!
あぼーん
130 :
考える名無しさん :03/06/01 16:15
age
あぼーん
あぼーん
あぼーん
134 :
考える名無しさん :03/08/16 10:03
教授がよくアドルノの話してたな
135 :
考える名無しさん :03/09/08 00:13
9月30日発売 定価(本体3200円+税)四六判 A. ホネット/山本 啓・直江 清隆 訳 《叢書ウニベルシタス770》 承認をめぐる闘争 社会的コンフリクトの道徳的文法 ISBN4-588-00770-X C1310 愛、法(権利)、尊重という三つの承認形式にもとづく初期ヘーゲルの思考 モデル「承認をめぐる闘争」の論理を援用して、ハーバーマスのコミュニケ ーション論を批判的に発展させて行くための新たな批判理論の構築を試みる。 フーコー、ハーバーマスの超克をめざした前著『権力の批判』(小局刊)に つづく、フランクフルト学派第三世代を代表するホネットの問題提起の書。 〔社会哲学〕
アドルノリン分泌
137 :
考える名無しさん :03/10/09 09:58
あとるのー
俺の嫁さんの卒論はアドルノだったらしい。
139 :
考える名無しさん :03/10/10 18:57
社会学講義はあどるのの割には分かりやすい
140 :
考える名無しさん :03/11/04 13:14
なんか最近どっかの新聞で、徳永恂さんがアドルノについて 書いてませんでした?
141 :
考える名無しさん :03/11/04 22:01
142 :
考える名無しさん :03/11/04 22:06
すさまじくまともなことばっか言ってるんで驚いた。>社会学講義 これがあのアドルノかー?って感じ。
144 :
考える名無しさん :03/12/17 01:22
アドルノはゆっくり読まなければならない。 多分アドルノ好きはクンニ好きに違いない。
145 :
考える名無しさん :03/12/22 03:51
保守上げ
146 :
考える名無しさん :04/01/11 02:31
アドルノって読んでるときは分った気になるけど、 読み終わると「何言ってたっけ」ってなっちゃう。
147 :
考える名無しさん :04/01/17 21:38
『音楽社会学序説』、もう絶版になってたんだ…
148 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :04/01/18 04:48
不協和音とか、楽興の時とか読んで下さい。
149 :
考える名無しさん :04/02/02 14:59
ベンヤミンについてのなんかの本の帯に 「アドルノがどこまでも追いかけてくる!」 てのがあったと思うが、そりゃないよ。
151 :
考える名無しさん :04/02/05 03:32
不協和音はシュールなネタですね
152 :
考える名無しさん :04/02/15 15:30
154 :
考える名無しさん :04/03/01 22:49
ベートヴェンまともに聞いたこと無いのにアドルノ『ベートーヴェン』を読了。 なんかわかったようなわからんような・・・これってベートーヴェン聞いてないとヤッパリダメなの?
155 :
考える名無しさん :04/03/01 23:16
156 :
考える名無しさん :04/03/02 02:37
ここ盛り下がってるね。
アドルノだもの
ブロッホがアドルノに与えた影響ってどんなもん?
159 :
考える名無しさん :04/03/29 00:01
今日ブックオフで、新品同様の『啓蒙の弁証法』を半額ゲッチュ!!(σ゚Д゚)σ
啓蒙は元からそんなに高くないし、今も普通に買えるからあんまり羨ましくない。 「美学理論」「否定弁証法」が100円だったら飛びつく!けど
どっちも持ってても読めないなぁきっと俺は。 それよっかVersuch ueber Wagnerの翻訳出して欲しいよ。 なんでこういう重要なのの翻訳が出ないで、 草稿のベートーヴェン論とか録音おこしの講義録とかが先に出るのか。 新音楽の哲学もずっと絶版だし。
と、愚痴っては見たものの出てもちゃんと読まないんだろうな。 実際アドルノって気を抜くと何遍同じことばっか言ってんだこのオッサンは って気になってくるからなぁ。あの文体も最初は面白いけど、正直もういい加減ウンザリング。
163 :
考える名無しさん :04/04/15 19:53
マラヲタですけどアドルノの 『マーラー 音楽観相学』 まったく理解できませんでした!!
>>161 べとべん論て草稿なの?
『アポリア』とかでデリダが言及したてから
読んでみよかな、て思ってたんだが
モース『否定弁証法の起源』は必読? アドルノの重要性とかいまいちわからん。ただの権威主義的で差別的なオヤジじゃん。
あどるのしょう 77:ノルベルト・エリアス 80:ユルゲン・ハーバーマス 83:ギュンター・アンダース 86:ミヒャエル・ギーレン 89:レオ・レーヴェンタール 92:ピエール・ブーレーズ 95:ジャン=リュック・ゴダール 98:ジグムント・バウマン 01:ジャック・デリダ 03:ジェルジ・リゲティ
古本屋で『楽興の時』が200円で売ってたので買った。
168 :
考える名無しさん :04/05/13 01:07
>>168 フランクフルト…爆破?
Σ(´Д`)ズガーン
あの息の長い文章が良いよな。さっぱり意味は分からないけど字面を追うのが純粋に楽しい。
171 :
考える名無しさん :04/05/14 02:35
今2chじゃ、ジェンダーフリー叩き絡みで フランクフルト学派が槍玉にあがってるんだが、 そこんとこどう思う?
173 :
考える名無しさん :04/05/14 14:09
>>173 なんか目次見ただけだとよくわかんないけど。
つか、ジェンダーフリー絡みでフランクフルト学派叩きってのも
何か根本的によくわかんないな。
単にオレがトンチンカンなだけなのか?
175 :
考える名無しさん :04/05/15 17:17
クラ板のマーラースレが アドルノのせいで荒れてる。 あいつら多分全員読んだ事ねーと思うけど
まぁしかし、産経や「サヨ叩き」に夢中になる2ちゃんねらーにとって、 フランクフルト学派なんて「アカ」の一言で終わりなんだろうな。
>>175 あいつらはほっとけ。
あそこに集まってるのはCD聞いて興奮してるヲタだけだ。
しかし、マーラー聞いてるのに「アドルノって誰?」ってのはちょっと悲しいよなぁ…
漏れだってアドルノが特別好きというわけじゃないんだが、
マーラーを語るうえでは絶対避けて通れない人だとは思う。
正論もそのスレも読んでないからしらんが どうせ叩かれてんのは関西のフランクフルト売りどもなんだろ。 日本じゃ実質ヤツらの専売だから間違っちゃいないけどな。
ハリウッドのアドルノ つまらなくはないが、いまいちひねりがないきがする。 もっとおもしろく出来そうなのに、これからが楽しみ。
>>177 >CD聞いて興奮してる
だって音楽だし曲聴いて興奮するのは当然なことかと・・・
アドルノを知らない人がいるのはちと悲しいは同意。
182 :
考える名無しさん :04/06/07 02:44
hosyu
w
禿坊主
adorunosure?
アドルノのワーグナー論の翻訳どーなったか知ってる方いらっしゃる?
Kentor訳の否定弁証法はマダー?
モースの¬便所法の起源マダー?
>>190 どうも。『見ることの弁証法』がへたれだから、『否定弁証法の起源』もへたれだといいたいのかな・・・
そんなにダメだったかなぁ?近年のベンヤミン論のなかでは結構よかったと思うのだが。
214氏って厳しいお方。まぁ言ってる事は基本的に正しいんだけど・・・
ひさしぶりにひきあげる
193 :
考える名無しさん :04/08/02 18:45
マーティン・ジェイの新訳が岩波から出る模様。
>>194 人づてに聞いたんで。分かったらまた書き込みまっす。スマソ
>>193 新訳はいいから、前出てたアドルノ本を岩波現代文庫で再刊してほしい。
それはその通りですね。私も再刊に一票。
アドルノ本の新訳かもしれないじゃないか! 前の翻訳より読みやすいかもしれないじゃないか!
199 :
考える名無しさん :04/08/20 10:50
それっ! 生誕101周年で200ゲットオォォォォ!!  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´ ∧∧ ) (´⌒(´ ⊂(・∀・⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡  ̄ ̄ (´⌒(´⌒;; ズザーーーーーッ
201 :
考える名無しさん :04/10/06 10:18:56
202 :
考える名無しさん :04/10/20 17:32:54
203 :
考える名無しさん :04/10/20 17:38:54
凧揚げで雷の電気を採取しようとして死にまくる学派。
アドルノ先生の講義録なんかを読んでるとスターリン主義の批判もかなりやってるんだけどね。 とはいえナチス批判の敷衍+語るまでもないわフン的態度プンプンなのだが。 てすまん、フランクリン学派の話だったか。
その話は大澤がしてたんだよ フランクフルト学派はラディカルぶっても結局社民がいいってことに なるからスターリン批判はあまりできないと
206 :
考える名無しさん :04/10/22 01:04:01
ハリウッドのアドルノ、面白かった。
フランクフルト学派という学派は存在しないってユルゲン兄ィも言ってるけど たしかにみんな一緒くたにしてしまうのはどうかって気はするね マルクーゼ翁はエロトピア、ヴィーゼグルント禿ィは資本も共産も否定弁当 ホルホルは宗教逝き。みんな社民・あるいは共産主義・ディアマート批判はばりばりやってたし、 一般にフランクフルターに属するとされるビッグネームがスターリンにやさしいというのは見当違いも甚だしくね? ハーバーマス以外の第二世代、第三世代がそうなのかはしらんけど、すでに学派と呼べるようなまとまりもあったもんじゃないしな。
理論社会学の連中はそういうのを細部と称して切り捨てる。
アドルノ夫人ってアドルノ死後悲惨な老後を送ったって三島憲一(?)が書いてたと思うけどなんかあったの?
レイープ
211 :
考える名無しさん :04/11/01 09:26:20
212 :
から :04/11/09 15:06:44
あげ
名指揮者の故ゲオルク・ショルティにマーラーの交響曲を振るよう薦めたのが アドルノだったんだそうな。
カラヤンのコンサート買占め計画を考えたのはアドルノだったんだそうな。
216 :
考える名無しさん :04/11/10 15:48:56
文化産業に荷担しまくりじゃん
UTADAの全米進出のきっかけも美の理論を読んでのことらしいよ
美の理論 美学理論 美的理論 感性の理論 感性的理論 エステ理論 君はどれを選ぶ?
美の理論、美学理論のどっちかで
221 :
考える名無しさん :04/11/24 00:05:44
美の理論、だと the theory of beauty(あ、アドルノのだからドイツ語か) みたいになって違う意味になるような?
222 :
考える名無しさん :04/11/25 11:37:50
>>207 第20回京都賞の幅増教授のシンポの会場のロビーにアドルノ&幅増教授の2ショットがあって感動したよ。
223 :
222 :04/11/28 23:27:55
でも幅増教授のハイデゲル批判は通り一遍、アドルノについては言及なし、 ちょっとガッカリして会場を後にしたよ。
224 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/11/30 02:12:07
226 :
考える名無しさん :04/11/30 03:31:31
「嘆美」は「褒める」って意味じゃないのか。 それをいうなら『耽美論』のほうがイイ。 ……ボォドレェル。
アドルノの本はすぐ品切れ・絶版になるからな。
河出書房から88年に出てる>美の理論・補遺 しかし例によって訳の評判は悪い 英語版ではHullot-Kentorがさいきんミネソタから出したのが評判いい 宇多田ヒカルもこの英訳に触発されたのだろう。 HK訳は96年上梓、98年ペーパーバック化。ヒッキーデビューも98年。
アドルノさんさあ・・・ 本当はジャズ好きなんでしょ?
ジャズは音楽ではない。ジャズ氏ね。
死なないよ
山登りしたくらいじゃ死なないよ
あのさ「現代思想の冒険者たち」書いたオッサンが みすずから「アドルノの場所」っての出すんだが、冒険者たちと内容的には同じかなー
細見タンは認識論のメタクリティークとか社会学講義の翻訳もやってるよね 内容はしらんがそれなりにアドルノ業界に関わっている以上 前著と同じというほどに引き出しが狭いということはなかろうかと おもわれ
というか、『現代思想の冒険者たち』のアドルノ本、再刊してくだちい。 日本人の書いた数少ないアドルノのモノグラフィ本なんだから。
>>237 なるほど、多少期待していいんすね。
徳永たんは書きすぎたせいか、もう同じ様な事しか言わないよねー
>>238 大きな本屋行くと、偶に残ってたりするよね。
>>238 あれもうきれちゃったのか
なんとなくでずっと敬遠してたけど今度買っておこう
細身たんの新刊買うたよ。1月に岩波からも出すし絶好調やね。
目指せ日本のまーちんじぇー
それって目指さない方が良いのでは…
244 :
考える名無しさん :04/12/28 07:33:43
245 :
考える名無しさん :04/12/28 14:28:53
>>244 参考にはなるけど、買う本じゃなくて借りて読む本という印象。
246 :
新刊 :05/01/08 11:08:54
アドルノの場所 細見和之 四六判・264頁 定価3360円(本体3200円) ISBN4-622-07124-X 2004.12.17 昨年(2003年)、アドルノ生誕100年を迎え、近代の啓蒙と野蛮を鋭くあぶり 出したこの思想家の著作と、その批判理論のアクチュアリティが、ますます真摯 に問いなおされようとしている。 そのなかで著者は、初期の講演「自然史の理念」から後期の『否定弁証法』まで、 アドルノの一貫したモティーフでありつづけた「自然史」に焦点をあて、複雑に 錯綜するアドルノの思想を解きほぐしていく。 「歴史的に生成した制度や慣習が「第二の自然」へと物象化される事態を見据える とともに、歴史とは無縁なはずの自然のなかにも時間的・歴史的な契機を確認しよ うとする視座、それが「自然史」という発想である。」(本書より) 自然(太古から不変のもの)と歴史(新たに生起するもの)の対立を廃棄し、 「自然と歴史の宥和」から照射される非同一的なもの、破片、アレゴリーのなか に、移ろいゆくものとしての自然史の理念を救出する。カント、ヘーゲル、マル クス、フロイト、フッサール、ハイデガー、ルカーチ、ベンヤミンといった思想 家たちの、星座的布置におけるアドルノの「場所」を探り、周到な問題設定と、 テクストの襞に分け入る詳細な読解で、今日のグローバリゼーションやネオリベ ラリズム批判にも通じるアドルノ思想の現代性を問う、渾身の力作
247 :
新刊 :05/01/08 11:09:25
著者紹介
細見和之(ほそみ・かずゆき)
1962年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科単位取得退学。現在、大阪府立大
学総合科学部助教授。専攻はドイツ思想。詩人。著書:『アドルノ〈現代思想の
冒険者たち15〉』(講談社、1996年)、『アイデンティティ/他者性〈思考の
フロンティア〉』(岩波書店、1999年)、『バイエルの博物誌』(詩集、書肆
山田、1995年)、『言葉の岸』(詩集、思潮社、2001年)ほか。訳書:アドル
ノ『認識論のメタクリティーク』(共訳、法政大学出版局、1995年)、アドル
ノ『社会学講義』(共訳、作品社、2001年)、ベンヤミン『パサージュ論 II、
V』(共訳、岩波書店、1995年)、カツェネルソン『滅ぼされたユダヤの民の
歌』(共訳、みすず書房、1999年)ほか
http://www.msz.co.jp/titles/06000_07999/ISBN4-622-07124-X.html
248 :
考える名無しさん :05/01/08 15:35:06
『美の理論』を手に入れるにはどうしたらよいのでしょう。 ベートーヴェンの晩年様式についての著作に興味を持っている方いませんか?
美の理論は糞訳すぎて封印中 誰か若手が訳せよ
250 :
考える名無しさん :05/01/08 15:43:20
マーラーの訳なんかはどう思われます?
読んでないけど、 一般に良い訳の方が少ないだろうね… キルケゴールはまあまあ良かった。
252 :
考える名無しさん :05/01/08 16:20:48
不協和音とか読んだことあります?私「新音楽の老化」という論文を フランス語から全部日本語に訳したことあります。バカですね。
アドルノたん流行も誕生日のアレで吹っ飛んだみたいね
9・11
あっそうか。
f
アドルノ賞
アドルの章
260 :
考える名無しさん :05/01/21 00:20:53
261 :
考える名無しさん :05/01/22 04:48:05
おまいら、最近ワイドショーでホルクハイマー学派が出てたのに何をしてますか
二人が読んでないなら、誰が読んでいるのかだ
韓国の大学入試で、 日本におけるヨン様ブームをフランクフルト学派の批判理論を用いて説明せよ。 という問題が出たらしい。
『啓蒙の弁証法』の文化産業批判を使って論述するんだろうね。 さして難しくはないだろうが、高校生にやらせる課題ではないような。
大学入試でそこまでやるのかよ! 読んでれば、ていうか課題文で抜粋があってそのモデルに即してというのなら分かるけどさ おれもソーセージ好きだけど高校生の常識としてあれを教えるのはちょっとどうかと思うよ。
まじめな話、韓国ではこういう社会学教育がすすんでるのか?謎
ちなみにこの問題を出した漢陽大学はイ・ビョンホンの出身大学。
さらにチェ・ジウもこの大学に通ってた。
アドルノのユートピアは韓国
270 :
考える名無しさん :05/01/31 00:57:26
>>270 トンクス
道徳哲学講義は英訳出てるけど否定弁証法講義はまだないよね?
形而上学講義と存在論講義の一連をまとめたものなのかな?
272 :
考える名無しさん :05/03/02 03:44:17
>>266 韓国の哲学界は日本以上にフランクフルト学派の影響が強いという話。
ドイツへの留学生も多い。
>>272 正論で叩かれたのも韓国がらみだったのかww
274 :
考える名無しさん :05/03/05 01:06:23
アドルノのワグナー論でどこで分かります?
275 :
考える名無しさん :05/03/14 02:30:39
h
278 :
考える名無しさん :2005/05/06(金) 00:29:57
279 :
考える名無しさん :2005/05/17(火) 13:49:08
教師は子供たちに以下の歌をつくって歌わせていた。(「か らだうた」と言う) (前略) かたから うでひじ またうで てくびがあって てがあるよ むねーにおっぱい おなかにおへそ おなかのしたに ワギナだよー(ペニスだよー) (後略) 狂っている。まるで酒席の猥歌ではないか。おまけに教師は 歌に合わせて子供の体の部分を触ったという。
オワタ!
283 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 10:43:26
アドルノなんてエセ。音楽家になり損ないのエセマルクスインテリ。www 何をやっても中途半端、音楽でも社会哲学でもwww
シェーンベルクもアルバン・ベルクも聴いたことのない
>>283 が
いっぱしのことを言ってます(藁
285 :
考える名無しさん :2005/07/01(金) 20:18:54
いいんです、言いたいことを言うのが2チャンの鉄板でしゅ。
sage
hardcore
サルトル生誕百年 アドルノのサルトル論 「アンガージュマン」船戸満之訳 TH・W・アドルノ『文学ノート』イザラ書房、1978年、163-198頁。
らせ
291 :
考える名無しさん :2005/11/27(日) 15:38:55
292 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 21:38:00
現代思想の冒険者たちSelectの第4期出たが… なんでアドルノが出ないのじゃーッ!! ドゥルーズみたいな糞本再刊するくらいなら、アドルノは一秒でも早く再刊してください。 いや、マジで。講談社さんよ。
アドルノ伝はアドルノ生誕100年を記念して出版されたやつですね。 意外に早く仕上がって感動!
294 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 23:20:38
3/10 三つのヘーゲル研究 テオドール・W・アドルノ著 渡辺祐邦訳 ちくま学芸文庫
>>294 キタ━(゚∀゚)━!
ちくまもよくやるな。
真の私、みたいな考え方が凄く嫌いなので、ハイデガーのこの点を批判したときいたアドルノに凄く興味があります。 とはいえ、物凄く難しい人だとも聴いているので躊躇しているのですが、この人の本を読むに辺り 最低限の知識として抑えるべき本や、入門書などがありましたら教えていただけませんか?
>>296 > 最低限の知識として抑えるべき本
とりあえず一通りヘーゲル読んでないと、話にならないと思う。
ヘーゲルですか!わかりました、読んでみます!(`・ω・´)
ヘーゲル論ちくま学芸文庫発売age
301 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 00:37:48
age
302 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 01:01:47
おまいらはageる以外に能は無いのかw
adorno ist h...
305 :
考える名無しさん :2006/04/19(水) 19:09:08
三つのヘーゲル研究
ヘーゲルですか!わかりました、読んでみます!(`・ω・´)
307 :
新刊 :2006/04/21(金) 10:59:31
4月28日配本予定 『フッサール現象学における物的ノエマ的なものの超越』 (こぶし書房) テオドール・W・アドルノ 服部建二・青柳雅文訳
308 :
考える名無しさん :2006/04/21(金) 12:45:33
これまたまっかっかな・・・ww
309 :
考える名無しさん :2006/05/08(月) 15:44:31
はあぁあ俺も哲学科にまた行きてえよ・・・・。
310 :
考える名無しさん :2006/05/08(月) 15:58:55
定価2625円(税込) 190頁四六判上製 ISBN4-87559-205-1 一般的な認識論として、フッサールの『イデーン』も、〈物自体‐概念〉を明瞭にしようとしている。 だが物自体についてフッサールが与える教説には、基本的な矛盾が見出される。すなわち、 一方でフッサールは、いっさいの物的存在の基礎づけを、ただ直接的所与性への還帰によってのみ要求するのに、 他方ではかれにとって、諸物が「絶対的超越」として妥当している。それらの物は、たしかにただ意識に 関係づけられることにおいてのみ、認識‐理論的に証示されるが、それらの物に固有の存在は、原理的に 意識から独立しているとされている。こうした矛盾によって物の概念は二重の意味をもつことになって、同時に フッサールは、「ただひとつの認識の権利の源泉としての、原的に与える直観」という自分の前提に衝突する。 この学位論文の意図は、はじめにこの矛盾を『イデーン』において一貫して働いているものとして際立たせるこ とである〔序論〕。次に、矛盾の発生をフッサールの体系論の範囲内で、その始まりから追ってゆくことである〔第T章〕。 さらに、「純粋現象学」なるものの構造に対してその矛盾が生み出した諸帰結を、批判的に浮き彫りにすることである〔第U章〕。 最後に、批判と一致して、フッサール自身が訂正に寄与するものをとくに評価して、訂正の諸要素を与えることである〔第V章〕。 …………………………… 本書「学位論文要旨」より
311 :
考える名無しさん :2006/05/08(月) 22:34:25
4月28日配本予定 『フッサール現象学における物的ノエマ的なものの超越』 (こぶし書房) テオドール・W・アドルノ 服部建二・青柳雅文訳 これもう売ってる。 ・・・・・しっかしよりによってなんでこぶし書房から出すんだろう。 この服部健二って人さあ、著作からも共産党シンパっぽいにおいがプンプンだよね
312 :
考える名無しさん :2006/05/09(火) 23:00:30
kjhkほいゆおいうおいうあ大ってんプ
313 :
考える名無しさん :2006/05/19(金) 16:49:58
ああああ
314 :
考える名無しさん :2006/06/09(金) 22:52:56
272 :考える名無しさん :05/03/02 03:44:17
>>266 韓国の哲学界は日本以上にフランクフルト学派の影響が強いという話。
ドイツへの留学生も多い。
ええ。日本をナチス、自分らを彼らフランクフルトの亡命ユダヤ人になぞらえてますからね。
そりゃあ盛んでしょうよww
315 :
考える名無しさん :2006/06/16(金) 18:46:17
age
アドルノの 「ウィーン無調音楽」がわかる人いますか?
317 :
考える名無しさん :2006/06/24(土) 22:03:30
「アウシュヴィッツ以後詩は野蛮である」のおかしさは、詩を文明的なものとみなしている点だ。かつてプラトンは詩は「仮象の仮象」と言った。詩は非合理的なものだ。ちっとも文明的ではない。
318 :
考える名無しさん :2006/06/24(土) 22:05:10
同様にファシズムも、 近代の産物のはずなのにちっとも合理的ではない。 むしろ審美的だ。
319 :
考える名無しさん :2006/06/25(日) 21:14:32
そもそも「論理的な詩」なんて聞いたことありますか? どうして文明が発達していないと作詩できないのでしょうか? むしろ詩ははじめから「野蛮」の部類に属していたのではないでしょうか。
もれは「アウシュヴィッツ以後詩は野蛮である」をキルケゴール的な意味で解釈してたんだけど…。 なんだ、違ったのか、しょんぼり。 詩人の生き方はキリスト教的にはいかなる場合も罪である。 詩人は空想によって真理や善に関わるばかりで、自らが真理や善であろうとしないからだ。 (ここで注意すべきは、真理や善へ人間は向かうことが出来ても、なることは出来ないということだ) (これを見落とすと暴力的な全体主義になってしまう)
要するに、アウシュビッツという決定的な大惨事を前に、詩を読むのは不謹慎だと。
322 :
考える名無しさん :2006/06/26(月) 01:17:45
ナチスが審美的(つまり詩的とも言える)だったからだろ
323 :
考える名無しさん :2006/06/26(月) 14:43:44
「アウシュヴィッツ以後詩は野蛮である」 何回聞いても違和感ののこる言葉だ。
324 :
考える名無しさん :2006/06/26(月) 14:49:05
アドルのは一流のコピーライターだね。 趣味でやってたので、糸井のようには儲からなかったけど。
325 :
考える名無しさん :2006/06/27(火) 03:18:33
全然。 サルトルならそうだけど。
>>324 は何か気の利いたことをいったつもりだったんだろうな。
アドルノの入り組んだ文章を読んだことのある人なら
とてもそんなことは思わない。
有名なキーワードやキーフレーズ、キーとなる文がある、
ということなら、一流の哲学者なら誰にもそういうのは
あるわけで。
327 :
考える名無しさん :2006/06/27(火) 17:32:20
328 :
考える名無しさん :2006/06/28(水) 00:51:38
どこが? 「野蛮である」とかいう文脈抜書きしてくれる? じつは真剣に読んでないからおぼえてない
329 :
考える名無しさん :2006/07/01(土) 12:38:27
前置きがいくらかあったんだよなーなんか それを含めるとべつにおかしくない気がするんだけどやっぱりなんか違和感あるよ また買ってくるわ 絶対におかしいし
330 :
考える名無しさん :2006/07/24(月) 22:41:15
272 :考える名無しさん :05/03/02 03:44:17
>>266 韓国の哲学界は日本以上にフランクフルト学派の影響が強いという話。
ドイツへの留学生も多い。
ええ。日本をナチス、自分らを彼らフランクフルトの亡命ユダヤ人になぞらえてますからね。
そりゃあ盛んでしょうよww
331 :
考える名無しさん :2006/07/24(月) 23:29:04
272 :考える名無しさん :05/03/02 03:44:17
>>266 韓国の哲学界は日本以上にフランクフルト学派の影響が強いという話。
ドイツへの留学生も多い。
ええ。日本をナチス、自分らを彼らフランクフルトの亡命ユダヤ人になぞらえてますからね。
そりゃあ盛んでしょうよww
332 :
考える名無しさん :2006/08/15(火) 00:24:17
333 :
考える名無しさん :2006/08/15(火) 15:55:49
プリズメン読んだら、ジャズをめちゃくちゃけなしててなんかウケた
334 :
考える名無しさん :2006/08/15(火) 16:20:00
アルバン・ベルクにピアノと作曲習ってたんだもん。 そりゃジャズなんて下等生物の音楽はゴミだと思うでしょ。
335 :
考える名無しさん :2006/08/15(火) 17:21:07
下等生物ってアナタ、そりゃナチスのユダヤ人迫害と同じ構造じゃないですか
336 :
考える名無しさん :2006/08/15(火) 17:53:04
べつにいいじゃないですか 我々もファシズムでしたけどどう考えても当事者じゃあないですから。 おおげさなんですよね。反戦論者とかは。特に若い世代のとかって 一体全体経験もしてないのに何なんだろうと思います。 過剰なシンパシーは逆にファシズム的で危険ですね。 ま、「啓蒙の弁証法」っていうかww
337 :
考える名無しさん :2006/08/16(水) 22:06:24
追体験もできん馬鹿か(wwwww
338 :
考える名無しさん :2006/08/17(木) 10:34:27
さいな、336氏は想像力も無いただのヴォケってことで。
339 :
考える名無しさん :2006/08/17(木) 11:15:02
この腐った世界…。この進行にピリオドを打つのは今しかない。
そして、彼しか残されていない。 某有名私立大学付属高校首席が
人類を変えてくれる。」 この思想を持った彼は革命を起こすのに
最も相応しい世界、政界へと将来足を踏み入れることにした。
余り人も居ません…共にこの思想を歩んで行こうではありませんか…!!
当掲示板は学問や政治、社会、文化、スポーツ、音楽、人生相談、etc…などあらゆる分野・方面
でのフリートーク、雑談、討論、ディベート、他諸々を誰でも自由に書き込むことができる総合掲示板です。いや、本当に面白いです!!!!!
騙されたと思って一回きてみてください!!!そして、メンバーになって下さい!
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340 :
考える名無しさん :2006/08/31(木) 03:07:48
とかなんとかカッコつけといて 「英語の宿題教えてください」とかあまりにビミョーな書き込みばっかじゃねえかよ(笑)
341 :
新刊age :2006/09/01(金) 11:44:55
書籍名 道徳哲学講義 著者名 アドルノ 著 船戸 満之 訳 出版社名 作品社 発行年月 2006年9月 価格(税込) 3,360円 ISBNコード 4-86182-094-4
342 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 22:57:09
344 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 14:46:54
アドルノ
非同一性への憧憬
「否定弁証法」を読む
浜谷 直隆 著
東京図書出版会
2006年09月 発行 ページ 167P サイズ B6
1,575円(1,500円+税)
ISBN 4-86223-076-8
アドルノはヘーゲルとマルクスを超えたか。学問への批判と
社会批判の美的進行。それがアドルノの世界だ。批判は決
してあらずもがなものではない。もし精神と自然との宥和が
至上命題とするならば、批判の続行こそがそれへの方途で
ある。哲学は、アドルノとともに真の復権を果たす。
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0107087109
【 岩波書店 岩波文庫 - 2007年1月・2月 刊行予定書目(仮) 】 アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』
347 :
考える名無しさん :2006/10/21(土) 03:58:43
文庫になったか..
348 :
考える名無しさん :2006/10/21(土) 13:51:57
マジかよ!いよいよアドルノも岩波入りか。
349 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 13:50:15
理性がファシズムを招いた、とか言う、つまらん本だろ。
351 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 19:25:06
>>350 単なるレトリックじゃないんか?
どうやって検証するんだ。
そこでデイヴィドソンとかの合理性についての議論が 参照されたりするのか。ちょう分析的観念論だがな。
つうか理性じゃなくて怜悧さってんならよくわかるな。カント的ないみでだが。 まあそれが批判されている時点で理性の狡知だとか言えそうだな。
354 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 19:40:45
もう少し、解かりやすく書いてくれ。
>>351 「理性」をめぐる概念史と言説分析によって文献学的に検証するんだよ。
356 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 19:44:02
分析哲学の話をしだすと、深みにはまる。
357 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 19:47:57
カントの話よく知らん。
358 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 19:51:02
>355 そんなことしてどうする。 博士号でもとるのか?
359 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 19:58:07
読むの何人だ。二人か、三人か。
360 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 20:11:56
どうでもいいが、何ページの本だ。1000ページぐらいか。
アドルノの本読んだこともない連中は黙っとれ
362 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 20:16:31
読んだが、ほとんど忘れた。
363 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 21:14:55
アドルノが、厭味な奴だと、いうことだけは分かった。
365 :
考える名無しさん :2006/11/12(日) 01:39:29
それをやってのけたのがアドルノなのだ
それだと、アドルノ読めばいいって、ことか。 まあ、解説書は、いるが。
アドルノってワカルノ?
371 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 06:00:16
>>370 気がつくのに、時間がかかった。恥ずかしい。
372 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 23:45:12
アドルノの「後期様式」についてkwsk知りたいのですが どの著作読めばいいですか?「不協和音」しか読んだことないので
374 :
考える名無しさん :2007/01/20(土) 22:31:10
やたやたやたやたやたやたyたやたやったたあたやたwwwwwwww 「啓蒙の弁証法」文庫で買ったお!!!1!!11! 前読んだ時はチンプンカンプンだったから再挑戦するお( ^ω^) がんばるお!!!!
アドルノ(笑)
376 :
考える名無しさん :2007/01/25(木) 10:06:03
イマドキアドルノなんてだーれも読まないんだね・・・(ノ_・、) 奇妙なコト言ってるだけのおじいちゃんだし・・・ 読んだって理解できなかったレベルの人しかここにはいないんだね 残念ー
378 :
考える名無しさん :2007/01/25(木) 19:17:03
今逆にアドルノが新しい
そりゃまたどういうわけで。
380 :
考える名無しさん :2007/01/26(金) 13:04:56
アドルノ? これを今読む価値はあるの? というか誰が今読むの? 文庫化のわけわからん
383 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 07:27:46
じゃぁ他の誰なら今読む価値があるんだか。
384 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 12:24:36
岩波文庫で出た『啓蒙の弁証法』は、 まちがいなく、20世紀思想の古典の一つだ。 現代の哲学研究者は全員必読だろう。
誰も読まない
386 :
考える名無しさん :2007/02/10(土) 12:33:04
先が読めない
このスレ見てて思うけど なんか アドルノって 悲惨だな
389 :
考える名無しさん :2007/02/10(土) 20:14:36
なんで?
391 :
考える名無しさん :2007/02/10(土) 23:03:06
なんで?
392 :
考える名無しさん :2007/02/10(土) 23:33:35
「オリジン」ではクビにされてるからな
とにかく
>>389 や
>>391 みたいなのは悲惨さが増すだけだ。
やめたほうがいい。
これに「 なんで?」と返したりしたらおしまい。目もあてられない。
394 :
考える名無しさん :2007/02/11(日) 00:51:28
なんで?
これはアドルノ自身の問題ではなくて、ある特定の 書き込みのせいなんだよ、きっと。 だって、あのアドルノだぜ? いくら2ちゃんだって、アドルノの読者が集うスレが こんなに悲惨だなんてこと、あるわけないだろ? きっとそうだよ、そうに決まってるさ!
やっぱりダメみたいですね、アドルノは・・・
398 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 19:49:08
>>384 『啓蒙の弁証法』難しくて読めません。
つーか文学方面の知識が相当ないと修辞だらけの文章は
読解不能です。論理を追う以前にバンザイですから。
アドルノってはなっから人に読ませる気がないみたいです。
399 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 13:48:45
昔から気なっていた本だが、 未だに読了できないでいる。 今日は加齢による怠惰と根気無さのせいにしておこう。
>>398 >『啓蒙の弁証法』難しくて読めません。
>つーか文学方面の知識が相当ないと修辞だらけの文章は
すらすら理解できる本格的な哲学書なんてもともとないでしょ。
本物の哲学と格闘するには覚悟も必要。
401 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 16:27:15
>>398 >アドルノってはなっから人に読ませる気がないみたいです。
すらすら読まれたりしたら、
たいしたこと書いてないのがばれるだろうが。
403 :
考える名無しさん :2007/03/23(金) 16:46:48
フランクフルト学派だからじゃない?
は?
405 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 08:49:42
>>398 > アドルノってはなっから人に読ませる気がないみたいです。
いやまさにそれこそがアドルノの文章の特徴。
入口で人を追い返す。
本人も、「大衆」に読んでもらおうなんてこれっぽっちも思ってない。
「分かる人だけ分かればいい」という、徹底したマイノリティ志向の人だ。
ジャズの否定の仕方にアメリカへのコンプレックスが見える・・・
408 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 20:24:46
409 :
考える名無しさん :2007/03/24(土) 21:25:10
彼がビートルズの曲を書いて、洗脳するという説があったけど、 誰が言い始めたの?で1969年にアドルノが死亡して、ビートルズ も解散・・・。
美の理論 T・W・アドルノ著/大久保健治訳 河出書房新社 5月21日 税込価格:12,600円 ISBN:9784309705354 アドルノによる深いペシミズムと否定弁証法によって到達した 究極の美学理論。初版時、2分冊になっていたものを1巻本として復刊。
>>410 新訳で文庫化してほしい。
ドゥルーズは文庫になっているのに。。。
412 :
考える名無しさん :2007/05/23(水) 15:26:17 0
アドルノが嫌いなのは教条主義の没哲学イデオロギー団体くらいのもの。 2チャンネルはそいつらでいっぱいだ。 アドルノは昔今村仁司先生の本で知った。 ワタシ彼の作曲した現代音楽のCDもってます。
すげー値段 よっぽど売れる見込みがないんだな
永遠のマイノリティ、それがアドルノ。
415 :
考える名無しさん :2007/05/25(金) 15:51:49 0
<啓蒙されつくした大地は凶徴に輝いている> アドルノの<啓蒙の弁証法>は20世紀の金字塔だ。 そして彼は芸術のマテリアルを(彼の場合は音楽)知っている 数少ない真の哲学者である。 啓蒙がなぜもう一つの野蛮に落ち込んでゆくのか。ユダヤ人であった彼 がアウシュビッツの現実の暴力の懊悩の只中から、呟かざるを得なかった この問いこそ20世紀の人類の問いでもある。 何故人類の解放をうたった社会主義がいまだかつて人類が経験しない地獄 を生み出したのか。 何故人類の救済をうたったそれぞれの宗教がテロリズムに転落してゆくのか。 アドルノのこの貴重な問いは21世紀に継承されているのである。
416 :
武陽陰士 :2007/06/03(日) 16:25:18 O
『啓蒙の…』、文化産業について一章だけでも読むべき。 難しいところなんて全然なし。 明快だ。 しかし、ある意味この論文ほど恐ろしいものはないね
ネットウヨが「フランクフルト学派」という単語をブログや掲示板で 得意げに振り回している。フランクフルトっていう秘密結社なんだってさ。 出所は雑誌「正論」だそうで。楽しいよね。中二の頃って。
平凡社 『新音楽の哲学』 テオドール・W・アドルノ/龍村あや子訳 5/- ¥3,360 *3
419 :
考える名無しさん :2007/07/14(土) 05:50:20 0
ageるの
岩波現代文庫 『アドルノ』 マーティン・ジェイ/木田元ほか ¥1,260 8/17
>>420 久々にキタ━(゚∀゚)━!
ついでに細見さんのアドルノ本も再刊してくれ。
422 :
新刊 :2007/07/26(木) 00:46:58 0
河出書房新社 『美の理論 新装完全版』 T・W・アドルノ/大久保健治訳 9/- ¥12,600
424 :
考える名無しさん :2007/08/23(木) 02:44:42 O
尼で啓蒙の〜を的外れとおっしゃるレビューがあるが… そりゃ9.11前までの世界だろうに… 誰も逃れられないね。芸術はテロになっちまった。
425 :
考える名無しさん :2007/08/26(日) 17:19:49 0
9.11以降、野蛮な行為をすることは詩的である。
426 :
考える名無しさん :2007/08/26(日) 17:32:56 O
伝記がもうすぐ出るみたい
427 :
考える名無しさん :2007/09/06(木) 16:54:25 O
ソ連崩壊前まではJazzだのRockだの映画だのの意義をヨイショしつつ、 共産圏の芸術を閉鎖的と馬鹿にしとった。 が、しかし何処だろうと良い物は良い。駄目な物は駄目。 今や、芸術や「人のかくあるべし」が現状肯定的では有り得ず、否定するにも対案が無い。 んで、退却戦としてプレ近代的かつ伝統的な持続を模索するも、儂らは身体レベルで断絶されており、彼らは大衆のがっつきを抑えられない。 かくして、儂らは弱っていき、彼らに食い尽くされる。 んで、彼らが気付いた時には手贈れさ。 経済的には一蓮托生。 チンポや胃袋や筋肉を崇めるまで落ちぶれちゃあ救いは無えよ。
429 :
考える名無しさん :2007/10/14(日) 20:51:41 0
亀どころじゃないが
>>323 「アウシュヴィッツ以後、(なお)詩を書くことは野蛮である」 プリズメン ちくま学芸文庫
()は noch が訳されてないけど入ってるって先生が言ってた。
オリジナルは確かめてないから知らない。
この板にはまず来ないのは、哲学科に行ってたわけじゃないし、
専門的な議論されちゃうと全然わからないからなんだが、それにしてもひどいな。
俺もうろ覚えばっかりだし、「原文で読まなきゃ意味がない」って考え方は間違ってると思うが、
うろ覚えの言葉を批判できる神経は相当のもんだな。単純に頭が悪いんだろうな。
尼のレヴューと同レベルだな。
ところでここに来たのは啓蒙の弁証法が文庫に入ったのを知ったからなんだけど、
訳はまるっきり同じかね? 少しはいじってあるのかな?
どっちにしろ買うつもりではあるが、いじってあるならすぐ買いたいな。
430 :
考える名無しさん :2007/10/30(火) 00:52:18 0
Adorno speaks in a TV talk show about the plays...
http://jp.youtube.com/watch?v=UdmAAUXasXE Adorno speaks in a TV talk show about the plays of Beckett and
the necessary reduction of the plays because of blunted human
beings and deformed subjects.
http://paperpools.blogspot.com/2007/04/httpwww.html Adorno is saying...
...immer von Beckett ist eine technische Reduktion bis zum außersten
Aber diese Reduktiion ist ja wirklich das was die Welt aus uns macht
...das heißt die Welt aus uns gemacht diese Stümpfe von Menschen
also diese Menschen die eigentlich ihr ihr ich verloren haben
die sind wirklich die Produkte der Welt in welche wir leben
Adorno is saying...
...always from Beckett is a technical reduction to the extreme
but this reduction is really what the world makes out of us
...that is the world [has] made out of us these stumps of men
so these men who have actually lost their their I
who are really the products of the world in which we live
Adorno about Popular Music
http://jp.youtube.com/watch?v=Xd7Fhaji8ow Theodor W. Adorno, a german philosopher, speaks about popular music,
Joan Baez and the idiotism of singing songs against war.
431 :
考える名無しさん :2007/11/10(土) 01:01:09 0
アドルノって難しいうえにつまらないから読む気がなかなか起きないよな。
433 :
考える名無しさん :2007/11/10(土) 18:34:29 0
>>432 つまらないかどうかは置くとして、
希望的観測がこれっぽっちもなくて読んでいてとても苦々しいし
アドルノに完全に共感して読むってこと自体が難しいだろうし
何よりも文章がひね曲がっていて難しいし
読むのが苦行な著述家ナンバーワンだな。
これが例えばドゥルーズとかだと、もちろん難しいんだが
ドゥルーズに肩入れして読むことができる分
ある程度はそうした苦労は緩和できる気がする。
要は堅物のオッサンだから読みたくないってことなんでしょ そういうことなら共感できるよ
>>434 読みたくないってわけじゃないが、
読んでいて正直「この人にはついていけない」と感じてしまうことが多い。
でも大衆に付和雷同せず徹底的に孤立の道を歩んだその生涯に
なんか惹かれるものがあるのも否定できない俺がいる。
>>426 これじゃな?
シュテファン・ミュラー=ドーム『アドルノ伝』徳永恂監訳、作品社、
2007年8月24日頃刊行予定。 ISBN: 9784861821233
★ 2007年10月刊行予定の本
『否定弁証法講義』 アドルノ 細見和之他訳 予価:2800円(税別)
★ 2008年3月以降刊行予定の本 『ワグナー論』 アドルノ 高橋順一訳 予価:2800円(税別)
ゾチオロギカTh・W・アドルノ著/M・ホルクハイマー著 平凡社1月下旬税込価格:3,150円ISBN:9784582702767 戦後、アドルノとホルクハイマーがドイツ観念論哲学とアメリカ的 実証主義と精神分析との批判的統合と新たな社会学を論じる。
439 :
考える名無しさん :2008/02/19(火) 08:19:29 0
440 :
考える名無しさん :2008/04/02(水) 02:04:52 0
細見さんの『現代思想の冒険者たち アドルノ』を古書店で衝動買いした しかも三島の『ベンヤミン』と2冊並んでたから両方買った
441 :
考える名無しさん :2008/04/03(木) 13:28:09 O
442 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 21:53:44 0
アドルノはやはり現代音楽での引用が多い。 作曲も素人だがしたし。 音楽評論家としても活躍してたんだね。
443 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 22:57:12 0
シベリウスを凄く酷評した人だ。 あの繰り返し語法が頭に来たらしい。 独特の個性は当時無視したらしい。
基本的にバッハ−ベートーヴェン−ブラームス−シェーンベルク の路線以外の音楽は受け入れられなかった人だからね(マーラーは例外)。 その辺の音楽の嗜好はかなり恣意的で狭量だから、参考にはならん。
445 :
考える名無しさん :2008/04/09(水) 17:19:10 0
それは主流派とも言うべきでしょう。 それに反して反主流派はどこでもある。 アドルノはセリエルなどの音楽の中心にいた人。
446 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 20:34:42 0
メツガーやカイザーはアドルノの弟子。
447 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 00:49:04 0
ミニマ・モラリア 43番 「嚇しは通用しない」 「(略)その反対に周囲が共鳴し、分別のある人たちが異口同音に憤激の声を放つようなら、 当方としては束の間にせよ自分に満足してよい理由があるのである」 これはネットだと通用しないでしょ? 俺はリアルなら周りが全員反対しても別にひるまないが、 ネットじゃ2〜3人相手でも全く勝ち目はない。 憤激の声がいくつかあがっただけで、こっちの反論は見てももらえなくなるからね。 そのへんの事情について、なにか知っている人いませんか? ところでこの板はageてもいいんですかね?
sage進行中
アドル の スレ
452 :
考える名無しさん :2008/09/26(金) 15:27:04 0
>451 これすっごく古臭い訳だから辞書を買って原書で読むのがいいよ。
>>452 古くさくても良い訳ならそれでいいんじゃない?
訳語の選択が、いまとズレてて照応関係が切れてるって言いたいんじゃない?
それでも良い訳は良い訳だと思う。
よくないよ。
457 :
考える名無しさん :2009/03/07(土) 03:40:22 0
age
459 :
考える名無しさん :2009/06/25(木) 03:31:14 0
記念age
460 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 11:00:12 0
>>458 店頭に並んでました。まだゲットしてないけど
『アドルノ 文学ノート 1』を買った人に質問。 訳の質はどう? 原文が難しいのもあるけど、アドルノの翻訳は、ひどいのもあるからな。
注文しちゃった。
届いちゃった、てへ♪
「抒情詩と社会」やばい。 批評で久しぶりに息をのんだ…。
アドルノの文学批評は、ベンヤミンを超えている。 そのことに気付いている日本の研究者は少ない。
>>466 それで驚いてたら、「パラタクシス」で気絶すること間違いなしw
>>467 アドルノはベンヤミンを発掘した第一人者で、年少でベンヤミン発見に貢献する立場
にいたから、なぜかベンヤミンの追随者みたいに見なされているけど、
アドルノはベンヤミンよりもはるかに哲学的才能に恵まれていると思うし、
ベンヤミンに比べアドルノが低くみられているとしたら、不当な評価だよな。
>>469 激しく同意。
しかし、ドイツ文学学会にいるベンヤミン研究者の大半は、
マルクスに対するエンゲルスみたいな扱いで、アドルノを忌み嫌う。
バカじゃないかと思う。
471 :
考える名無しさん :2009/08/18(火) 11:31:56 0
またキタァァァァァァァァァァ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!! 『アドルノ 文学ノート 2』(完結) みすず書房 Th.W.アドルノ 著、三光長治ほか 訳 20世紀の名著のひとつに数えられるアドルノ思想のエッセンス。 第2巻には圧倒的なヘルダーリン論「パラタクシス」をはじめ、カール・クラウス、 クラカウアー、サルトル、ボルヒャルト論、さらに親友であったベンヤミンについての 二つの文章など18編を収録。 周到な解説・索引を付す。 A5判 416頁 予価6600円 9月下旬刊行予定
472 :
考える名無しさん :2009/08/18(火) 12:59:38 0
おっ、珍しくアドルノスレが活気付いてるね。 「文学ノート」が出版されたからかな?
てか読者いるの?今でも
>>473 おい、ベケットにも詫びを入れといたほうがいいぞ
>>475 ホルクハイマーよりもアドルノの方が偉大。
ベンヤミンの「ドイツ悲劇の根源」がわからなかったホルクハイマーと
絶賛したアドルノ。
479 :
475 :2009/08/20(木) 00:41:42 0
>>478 そんなことがいいたかったわけじゃないのだが
なんだよ、その突っ込みw
「文学ノート1」、出たのは嬉しいが、高いなあ。
脅威の論文、「パラタクシス」はまだか? ハイデガーのヘルダーリン論が塵になったという噂だが。
482 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 06:08:20 0
>>469 ある意味、ベンヤミンって読みやすいんだよな。
特別な哲学的知識がなくても、読めるから。
そこが、二人の人気を分けているようにも思える。
484 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 12:53:12 0
今はアドルノ級のスケールの大きな思想家が不在だねえ。 なんでだろう?
485 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 14:22:27 0
アドルノの音楽美学と哲学がどの程度重なり合っているのか、少し気になるところだなあ。 たとえば哲学としてはヘーゲルをもじって「全体は真ならざるものである」と言ったのは有名だけど 音楽評論の分野では、「全体」が肯定的な意味で用いられてる例がよく出てくる(例えば 中期ベートーヴェンに対して)。 マーティン・ジェイがいわく、アドルノは哲学と音楽評論では用語の意味が違うのだ、 とのことで割り切ってるけど、そんな単純な話でもないと思うw 社会批判・哲学批判の文脈では全体化に抗して「砕け散った全体」を問題化したのに対して 音楽批評は割とユートピア的というか、「全体」が未だ理想として掲げられてる、と見ていいのかな。
アドルノってスケール大きいか? むしろいい意味で、小役人くさい細やかさが売りだと思う。
487 :
は :2009/08/29(土) 15:36:26 O
何々さんはいいから自分の哲学は無いのか
488 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 16:18:22 0
>>485 マジレスするが、アドルノは第9を否定している。
「全体化」の悪しき例として。
彼が評価するのは、「ミサ・ソレムニス」。
第9にあった予定調和が、この曲にはないと言っている。
しかし、理論化の途上で、亡くなってしまった。
489 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 16:19:39 0
>>486 小役人っていい意味で使えるのか?w
アドルノはスケール大きいよ。
目指しているのは万物が宥和したユートピアだから。
>>487 アドルノはヘーゲル以後の哲学に「オリジナリティ」を認めない。
それは神話に過ぎない。
491 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 16:26:53 0
>>488 ベートーヴェン後期はちょっと特殊だから、アドルノの論を云々するのは別のコンテクストが必要。
中期に関する評価では「全体」概念が肯定的に使われてるよ。あとは弁証法とソナタ形式の問題に関しても
そうだけど、哲学と音楽のターミノロジーが一致してないのは事実。
>>491 >中期に関する評価では「全体」概念が肯定的に使われてるよ。
ここ、具体的に。できれば引用付きで。
493 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 16:44:52 0
>>491 極論だが、アドルノが一番論じたかったのは、
ベートーベンの「晩年のスタイル」。
この「晩年のスタイル」というのはサイードにも
受け継がれたアドルノ独自の視点。
>>489 アドルノ的思考から「ユートピア」なんてのは一番遠いもののような気がするんだが。
496 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 17:14:39 0
>>492 「ベートーヴェンの音楽を貫いて鳴り響いているあのブルジョワ的な自由主義運動とのその類縁性は、
力動的におのれを展開する全体性という点にある。ベートーヴェンの楽章は外へ眼を向けることなく、
おのれ自身の法則に従って生成し、否定し、相互に確認し合い、全体を確認するといったかたちで、たがいに
接合し合うことになり、それは世界に似るようになり、世界の諸力によって動かされるようになる。」
(音楽社会学序説)
「ベートーヴェンの作品にあって終始優位を保持している全体性というカテゴリーは、他の作品においては
その個々の契機の自己運動から帰結してくるのに、ミサ曲においてはある種の平均化という犠牲を
払ってしか維持されないのである。」
(楽興の時)
「ベートーヴェンの技術的水準の全体、たとえば彼にとって可能であった限りでの極度の不協和音と協和音との間
の緊張、あらゆる旋律的生成をその中に関係づける和声的展開、全体としての調性のダイナミックな構想と言ったことの
すべてが、この和声に特別な響きを与えている」
(新音楽の哲学)
探せばまだまだあるけどこんなとこ。
497 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 17:22:31 0
木を見て森を見ずになっていないかい? 重要なのは二番目の引用。 「ベートーヴェンの作品にあって終始優位を保持している全体性というカテゴリーは、他の作品においては その個々の契機の自己運動から帰結してくるのに、ミサ曲においてはある種の平均化という犠牲を 払ってしか維持されないのである。」 (楽興の時) ベートーベンの音楽が体現している「全体」は、アドルノにとって肯定的なものではない。 そのアンチテーゼとしてミサ曲がある。アドルノが評価したいのはミサ曲のほう。
498 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 17:34:41 0
>>497 いや、違う。これは荘厳ミサを否定する文脈からの引用だから。さっきの引用の続きは、
「偏在する様式化の原理が、もはやいかなるものであろうと真の特殊を許容せず、
作品の持つ特質をそぎ落として陳腐な規則ずくめにしてしまう。これらのモチーフや
テーマには命名の力さえ欠けているのである。弁証法的対照性が失われ、それに代わって
それぞれ完結した部分的楽章が単に対置されるだけになると、時には全体性までも
弱体化させてしまいかねない。」
499 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 17:36:01 0
>>493 そうそう。晩年のスタイルはうまく論じられずに苦労してるけど、アドルノが論じたかったのは
まさにその部分。作品で言えばop.127以降の弦楽四重奏とかだね。今でも学者が苦労している
部分ですw
アドルノのユートピア志向ってのはわりと有名、というかどの解説書にも書いてあることじゃないかな。
クラカウアー、ブロッホ、ベンヤミンを通じてメシア的神学の影響を受けていたからね。
具体的にはアドルノの場合、美的モダニズムにその可能性を見ていたわけだけど。
名スレの予感…
最近このスレの勢いが面白くて、あまり触れてなかったアドルノを読みたくなるから困るっ
502 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 18:27:10 0
「文学ノート」効果だなw みすず書房、おそるべし。
>>483 ベンヤミンのテクストは本当は超難解なんだけどね。
ま、エッセイとか多いし一見とっつきやすいから、誤解されて読まれてる。
他方、アドルノの屈折しまくったスタイリッシュな文章は、初めから読者を遠ざけてる。
>>484 ドイツ語圏に限らず世界的な現象だと思う。
>>494 >アドルノ的思考から「ユートピア」なんてのは一番遠いもののような気がするんだが。
アウシュヴィッツ以後の文化を徹底批判したような意味で、アドルノの哲学は「暗い」みたい
にしばしば言われるけれど、そういうイメージは、一昔前の紋切り型でしかないだろうな。
>>503 >アウシュヴィッツ以後の文化を徹底批判したような意味で、アドルノの哲学は「暗い」みたい
>にしばしば言われるけれど、そういうイメージは、一昔前の紋切り型でしかないだろうな。
激しく同意する。
505 :
モンキー :2009/08/29(土) 22:45:50 O
馬鹿なガキが哲学すんな! 文献披露して違うとか 正しいとか馬鹿だろ 学とは社会と共に行く訳では無いんだよ 学が社会をリードするモノなんだから 文献には真の答えは無い 文献の先に現在の学がある
>文献の先に現在の学がある つまり、目の前の文献すら読めない者には、その先を見通すことすらできないわけだ。
>>505 文献学を舐めるなよ。
「パラタクシス」はお前みたいな奴こそが読むためにある。
理解できれば、の話だがw
>>505 >学が社会をリードするモノなんだから
こういうコメント見ると、68年がやり残した仕事は多いなあと思う。
一度でも、社会に出てから言えよ。
509 :
考える名無しさん :2009/08/31(月) 15:47:26 0
小ネタでも書いてageておこう アドルノの文章は難しい。これは日本人にとってもドイツ人にとっても同じ。 アドルノにちなんで、ドイツでは「わけわからん事を言う」という意味のadornierenという動詞が出来たらしい。 何でわかりにくいのかと言えば答えは単純で、わざとわかりにくく書いているから。 『否定弁証法』を共同で訳した木田元の話によると、毎晩3時間かけても、一日に半ページから 1ページ訳すのがやっとだったそうだw
510 :
考える名無しさん :2009/08/31(月) 18:30:56 0
>>509 書籍が、資本主義社会では「商品」として流通してしまうことへの
反抗だよな。あとまあ、分かる人には分かるというエリート主義も
少なからずあるだろう。
文芸評論に限って言えば、「ゲオルゲとホフマンスタール」とか
「パラタクシス」とか、ベンヤミンにはとても到達できない高みに
達しているのに、真に理解している人は何人いるか?
511 :
考える名無しさん :2009/08/31(月) 20:11:22 0
そういえばパラタクシスって初邦訳じゃないんだな。批評空間に翻訳が載ってた。 アドルノに関してもベンヤミンに関しても研究書やら論文は山のようにあるからなあ。 何か新しい切り口で論じる斬新な研究が見たいわ。 余談だけどドイツ語圏の研究論文は概して難しいね。アドルノ・ベンヤミンの難解な文体が反映して。 英語圏は逆に、難しい思想をいかにわかりやすく伝えるかに命をかけてるような ところがあるけどw
512 :
考える名無しさん :2009/08/31(月) 20:58:27 0
>>511 >英語圏は逆に、難しい思想をいかにわかりやすく伝えるかに命をかけてるような
>ところがあるけどw
同意w
おれ、院生時代に、英語の文献読んでたら、教授に烈火のごとく怒られたよ。
高等英文解釈という1951年に成田成寿という大学教授が
出した本の29の例題が
T.W. Adorno:Theses upon Art and Religionでした。
ところが解説で「どういう人かよくわからない。この文章は、
アメリカの季刊雑誌Kenyon Reviewから採ったもので、宗教的、
哲学的な言葉が多い。そのために難解に感ぜられる。」と書いてあります。
1951年に日本の人文系の大学教授がアドルノを知らないのは
当然だったのでしょうか?別のアドルノなのかと思ったのですが、
どう考えてもあのアドルノですよね。
ちなみに例題は以下の文章の第一段落です。
http://www.jstor.org/pss/4337447
>>513 へえ。すごいもの見つけてきたねぇ。これはアドルノ自身が書いた英語なのかな?
それとも誰かの英訳? 後になにかの単行本に所収されていないのかなあ。
識者の登場を待つ!
「パラタクシス」、ハイデガーが敵だから、気合の入り方が違うネ申論文だけど、 「喚起された言葉」というテキストもすばらしいぞ。乞うご期待!!
516 :
考える名無しさん :2009/09/05(土) 02:02:49 0
>>513 面白いね。
その英文自体、アドルノが書いたものですよ。アメリカに住んでいた時期だしね。
ズーアカンプの全集では11巻(Noten zur Literatur)に収録されてます。
日本でアドルノの単著が翻訳され始めたのが70年代に入ってから(部分訳は60年代後半から)
なので、51年の段階で日本人がアドルノの名前を知らなくても無理からぬところがあるかも。
アドルノの批評って、文学理論でいうと、マルクス主義批評ってことになるのかね?
>>516 へえそうですか。詳しくどうもありがとう。
アドルノは亡命中にこんな英語を書いていたんだ。なんかちょっと感動したよ。
アドルノは確か、イギリスに亡命したとき、 英語が苦手で引きこもったんだよな。 こんな論文書けるほど、堪能なのに。 自分に要求するものが高いんだろうな。
でもやっぱり英語としてはなんかゴツゴツしてるよね。ドイツ語なまりというか。 アレントの英語もそんな感じだが。
英文解釈の参考書の例題としては 適切だったのだろうか
>>521 どう考えても、適切じゃないだろう。
そもそも、ネイティブがじゃない人間が書いた英文を例題として
採り上げるのが非常識だと思う。
524 :
考える名無しさん :2009/12/22(火) 09:57:31 0
525 :
S.N :2009/12/23(水) 00:39:52 0
アドルノのドイツ語の難解さは周知ですが、 英語圏のアドルノ研究者の英語はどうなのでしょうか。私自身の経験では ギリアン・ローズなどは比較的読みやすかったですが、例えば Robert Hullot KentorやJephcott(ミニマ・モラリアの英訳者)は やはり読みづらく感じます。
日本でも三光先生の訳は、なにげにぎこちないよな。 円子修平は素晴らしい。
sage
528 :
考える名無しさん :2010/03/31(水) 22:40:52 0
age
CD試聴可
THEODOR W. ADORNO : Kompositionen
http://www.amazon.de/gp/product/B000025RRI/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&seller= 1. Bewegt (1926)
2. Variationen (1925)
3. Bewegt, heftig (1929)
4. Sehr ruhig (1925)
5. Sehr lebhaft (Gigue) (1929)
6. Äußerst langsam (1926)
7. Leicht (Walzer) (1929)
8. Sehr langsam (1920/28)
9. Dämmerung
10. Winter
11. Oft
12. Totenlied auf den Kater
13. Hucks Auftrittslied
14. Frühlingsgesang
15. Lied italienischer Marinari
16. Mai, lieber Mai - Bald bist du wieder da!
17. Erinnerung (4. November 1847: Mendelssohns Todestag)
18. Winterzeit (II)
19. Knecht Ruprecht
>>488 とはいえ、アドルノの否定弁証法は、音楽とのアナロジーでとらえるとわかりやすい。
哲学 カント ヘーゲル マルクス? アドルノ アイスラー?
| (弁証法)(唯物論的弁証法)(否定弁証法)
|____| | |
| | |
音楽 ベートーベン シェーンベルク マーラー
(ソナタ形式)
シェーンベルクについてもアドルノは書いているが(参照『新音楽の哲学』86頁)、マーラ
ー論が秀逸だと思う。新音楽(シェーンベルク等)以前の主観的音楽がアドルノの趣味と合致
するのだろう。
そのマーラー論を読むと、アドルノのヘーゲルに逆らいつつも魅かれている様子がよく分かる。
532 :
考える名無しさん :2010/05/10(月) 01:34:59 0
「哲学は音楽と兄弟のような関係にある」(『否定弁証法』邦訳p135) 音 楽 | 哲 学 バッハ___ |ライプニッツ(モナド) | | | |モーツァルト(イタリア的)| | 『ドン・ジョバンニ』| キルケゴール | | ベートーベン(地方ドイツ的)|カ ン ト 前/後期 (ソナタ形式) |ヘ ー ゲ ル(弁 証 法) | | ワーグナー(唯名論的、 |ショーペンハウアー | ロマン主義)| |_マーラー | | フロイト(自我=エス) | シェーンベルク__| | マルクス(唯物論的弁証法) | 表現主義、後期/ジャズ| ストラビンスキー | マッハ/ユング/ニーチェ (退行、野蛮?、キュビスム)| (反体系) /ジャズ | | ドビュッシー(印象派) |ベルグソン | /ジャズの理念 | | アイスラー |アドルノ(否定弁証法)_| アドルノのジャズ批判は有名だが、彼はジャズを時間の解離、主体の消去、時間から空間へ といった支配的要素の変化を形容する言葉として考えている節がある(『新音楽の哲学』p90)。 ドビュッシー(持続時間的作曲家)に関しては、彼がジャズのエキセントリックな描写を先取りして いたことを指摘しているだけで、こうした形容を当てはめてはいない(『楽興の時』p148)。
>>533 参考:
『新音楽の哲学』p86(シェーンベルク,唯物論),86(ブラームス),87(ワーグナー),90(ジャズ),
112(シェーンベルク),210(ムソルグスキー317),227(ユング),232(ショーペンハウアー),
233(マッハ),247(ストラビンスキー,ニーチェ),267(印象派),276(ソナタ),277(ヘーゲル),
301(退行),307(シェーンベルク, 表現主義)
『マーラー』p44(ブルックナー),53(フロイト),95(ショーペンハウアー),129(ソナタ形式)
『否定弁証法』p135(音楽,哲学),21,151,204(ライプニッツ=全体,同一性,統一)
『否定弁証法講義』p72(ニーチェ)
『音楽社会学序説』p115(アイスラー),118(モーツァルト),276(イタリア),335(ベルグソン,
ドビュッシー),357(ヘーゲル,ベートーベン),359(モナド)
『アドルノ伝』p280(ワーグナー),371−2(アイスラー)
『プリズメン』p210(バッハ=融合)
『キルケゴール』p42(モーツァルト,自然の魔力)
『楽興の時』p148(ドビュッシー/ジャズ)
すばらしい。 mixiのアドルノコミュに来ないか? あなたのような人を待っている。
つづけて、つづけて。おれはついていくよー。
ホ メ ー ロ ス | (ブルックナー) | | プラトン バッハ | シェークスピア | ライプニッツ モーツァルト _|_ゲーテ | スピノザ ☆ドン・ジョバンニ| |(カフカ) |(キルケゴール) |_|_イプセン __|_カント_________ ベートーベン__|_|________| | | | | |__|_ヘーゲル______ | シューベルト | |(ゲーテ) | ヘルダー | | (ブラームス) |_|_ヘルダーリン |(ハイデッガー) | | ワーグナー | ボードレール | ショーペンハウアー | | マーラー | プルースト_____|_フロイト、ニーチェ | | ドビュッシー | マラルメ | | ベルグソン | | | | ストラビンスキー | ドストエフスキー| | ユング___| | | | シェーンベルク | カフカ_____| | マルクス__ | | | ベルク | ボードレール__| | | | | | ヴァーレーズ | | A・フロイト| | |_| ウェーベルン | カフカ、クレー___|_ベンヤミン | |_| ワイル | ブレヒト____| | | |_| アイスラー | ベケット | アドルノ__|
☆は作品名。( )内は大幅に時代が違うので注意。 参考: 『音楽・メディア論集(1927-68)』p20/『楽興の時(1928-62)』p132,148,158/『キルケゴール(1933)』p42 『新音楽の哲学(1949)』p86,87,112(シェーンベルク),183(ベンヤミン"断片的,カフカ,ジョイス,プルースト"), 203(ドストエフスキー),210(ムソルグスキー317),227(ユング),232(ショーペンハウアー), 233(マッハ),247(ストラビンスキー,ニーチェ),251(カフカ),267(印象派),276(ソナタ),277(ヘーゲル) 『In search of Wagner(1952)』,p90(ボードレール),第十章(ショーペンハウアー,ニーチェ) 『不協和音(1956)』p284(ヴァーレーズ,アンナ・フロイト) 『マーラー(1960)』p38(ブルックナー,眺望的連関),p44(ブルックナー),53(フロイト),p90(カフカ),95(ショーペンハウアー), 129(ソナタ形式),189,196(プルースト,ニーチェ)/『音楽社会学序説(1962)』p335(ベルグソン,ドビュッシー),357(ヘーゲル) 『否定弁証法(1966)』p135(音楽,哲学),21,151,204(ライプニッツ=全体,同一性,統一) 『ベルク(1968)』p251(マックス・エルンスト),254(ワイル),256(ボードレール),258(フロイト的) 『ベンヤミン(1970)』p52(ウェーベルン),108(カフカ,キルケゴール) 『Sound figures(Klangfiguren ,1978)』p104(Webern,Klee,Kafka) 『ベートーヴェン(1993)』p51,96(モーツァルト,ゲーテ),67(カント,へーゲル),102(ヘルダーリン),103(ハムレット,ゲーテ), 159(ブルックナー,プラトン的)/『否定弁証法講義』p72(ニーチェ) 『道徳哲学講義』p132,252(ベートーベン),264(イプセン『野鴨』=定言命令),181(シラー×) 『アドルノ伝(2003)』p280(ワーグナー),371−2(アイスラー) *シューベルト「野ばら」「魔王」の元ネタはヘルダーと言われる。
<浅田 ただ、ベートーヴェンといい、シェーンベルクやベルクといっても、文学に対応物 を求めることはできるでしょう。第一のピークである後期ベートーヴェンは、アドルノに とってヘルダーリンとほぼパラレルなんですね。べートーヴェンの中期までの作品は、闘 争を通じての偉大な勝利という正反合の肯定弁証法の図式に則っていて、それがブルジョ ワ革命と対応する。しかし、後期の作品になると、そのような弁証法が宙吊りにされ、シ ンボリックな統一が破綻して、アレゴリカルな断片の散乱したような状態になっていくわ けで、それはナポレオンの敗北以後の状況と対応している。それは、しかし、後期ベート ーヴェンを通じてでなくとも、ヘルダーリンを通じて捉えられるわけでしょう。そして、 ある意味でそれに対応するもうひとつのピークがシェーンベルクとそれ以後ということに なるわけだけれども、それは文学で言うとカフカなりベケットなりで代表されるんでしょ うからね。> (浅田彰「アドルノのアクチュアリティ」「批評空間」1997.1より。浅田のはモダンジ ャズの弁証法に関しても触れており、この共同討議は興味深い。)
アドルノって可愛い顔してるね
ニックネームはテディ
544 :
考える名無しさん :2010/06/09(水) 17:19:33 0
アドルノとポパーの対立について 解説されている本ありましたら教えてください
『社会科学の論理――ドイツ社会学における実証主義論争』(河出書房新社, 1979年)↓よりも 『アドルノ伝』の該当箇所の方がわかりやすいとは思いますが、、、、 書名 :社会科学の論理 副書名 :ドイツ社会学における実証主義論争 著者名 :アドルノ,ポパー/他著 , 城塚登,浜井修,遠藤克彦/訳 出版者 :河出書房新社 出版年 :1992.3 原書名 :Der Positivismusstreit in der deuts chen Soziologie./の翻訳 目次(BOOK):社会学と経験的研究;社会科学の論理;社会科学の論理によせて;カール・R .ポパーとテオドール・W.アドルノによる報告をめぐる討論への註解;分析 的科学理論と弁証法;全体的理性の神話;実証主義的に二分割された合理主義 への反論;実証主義の背後に立つのは誰か?;ユルゲン・ハバーマスの経験的 に反証可能な歴史哲学;膨大な序論に対する短いあとがき 要旨(BOOK):自然科学的方法の安易な導入により専門化、個別化した現代社会科学への方法 論的反省を基に、科学的厳密性と方法的客観性を目指す「批判的合理主義」と 弁証法と総体性により社会それ自体を批判する「批判理論」との間で闘わされ た歴史的大論争の集成と総括。
547 :
考える名無しさん :2010/08/25(水) 04:38:54 0
スレ上げ
548 :
どかん :2010/08/27(金) 01:31:26 P
こういうので今更商売しようとしている人たちの知的誠実さを疑うね。 こんなんもう1970年くらいにとっくに終わった流行ですよ。 もっと正確にいえば戦前の思想。 アドルノ自体は、美学評論家みたいなもんで、戦後も知的スノビズムで いろいろ書き散らかしたけど、今ではユダヤ系の学生以外では読む人いないね。 学生運動の世代の人たちから見てすでに、過去の思想。思想といえるか思潮くらい。 ホルクハイマーの道具的理性くらいは用語として残ってるけどね。
549 :
どかん :2010/08/27(金) 01:48:49 P
案外知られてないけど、アドルノはヘッセン文部省推薦なんですよ。今も昔も。 そこからして、どういう性質の言説かわかるでしょ? きみたちは、あわれというか、ミーハーというか、無知というか。 岩波が本出したら、価値があると思とる。雑誌が特集したら、意味があると 思とる。関係ないよ、他に売るものがないから。 いくら売るものがないからいうて、こんな40年も50年も昔の流行り思潮を 押し入れから引っ張り出してこんでも。 ドイツが遠くなるにしたがって、消費される時期も5年遅れくらいから、 50年遅れになっとる。50年いうたら、三昔くらい前、時代背景がまったく違う。 時事評論の類いとしては致命的やろう。
>>548 ,549
浅薄すぎて呆れた。
こういう輩の存在が、いまだアドルノがどれだけ読まれてないかを証明してるよ。