アドルノを中心に議論を進めたいと思います。
とりあえず否定弁証法から話しをすすめましょうか
誤爆しますた。。。
序論
1.哲学の可能性について
アドルノはここで、哲学の位置付けを問う。
P.009 L.12(訳本)
「ヘーゲルは一方で哲学を絶対精神に帰属させるような教説を
掲げるが、他方で哲学を現実の単なる一契機、つまり分業的な
活動とし、こうして哲学を局限した。以後そこから哲学の固有な
制限と哲学の現実に対する不均衡が生じることになった
哲学がその制限をすっかり忘れ、おのれがその内的な組成や
内在的心理の果てに至るまで、いかにその全体に依存しているかを
認識することなく、おのれがその対象として独占している全体の中
でのおのれの位置について省察することなどまるで自分には無縁な
こととして却けるならば、その制限やその不均衡はますます
はなはだしいものになる。」
哲学固有の制限とは?→固有は「eigene」で訳されていることから
哲学自身の制限であり、つまり哲学問題の境界線のことであると
思われる。
「そのような哲学だけが、なおも考えつづける価値があるだろう。」
ここから、現実との均衡を保ち、自省可能な哲学がアドルノ考える
哲学の位置だと思われる。
次は弁証法についてだが、ヘーゲル弁証法の挫折は、弁証法そのものの
見直しを要求するということを述べている。
アドルノのヘーゲル理解の妥当性については、皆さんの意見を
伺いたくぞんじます。
4 :
$γγ†∽◇jヘタレドレ :02/09/16 17:34
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| こで解jして! |
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ノ │ ζ
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( ∵∴(・)∴||
/ づΦ
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212 :drtttt
もうここでやりますしょうがないので
7 :
どっちの名無しさん?:02/10/01 01:15
a
8 :
どっちの名無しさん?:02/10/01 16:22
8
9 :
どっちの名無しさん?:02/10/17 14:52
なんじ
10 :
どっちの名無しさん?: