哲学初心者なんだけど
大森荘蔵の「時は流れず」読んだ。
すごく易しい文章でわかりやすかったんだけど、
大森さんって他の著書もこんな感じなの?
内容も日常の感覚を基準とすると「そうかなぁ?」って思うけど、
すごいおもしろかったよ。
もう一度自分で考え直してみようと思わせる本だね。
時間や他我について。
あと、彼の考え方は現在どう思われてるの?
詳しい人教えて。
「時間と自我」「時間と存在」は持ってます。
次に読みます。
2 :
Kurihara:02/08/17 03:04
大森さんの理論については不案内ですけど、
広松渉さんを東大にしょうへいしたのは
この人ですよね。
『広松渉を読む』の大森さんの文章は、
広松さんへの賛辞と疑念が交錯した面白い
文でしたね。大森さんと広松さんの対談を
読むと、お互いに歯に衣きせぬ批判を応酬していて
すごい時代があったものだと思いましたね。
3 :
考える名無しさん:02/08/17 03:20
初心者でしょーぞーさんですか
そりゃ幸福な出会いだ
羨ましい
>>2 そうですか。
やっぱりそういう人なんだ。
なんかうれしい・・・。
実は座談集「哲学の饗宴」大森vs廣松の章を読もうとしたんだけど、
さっぱりわからなかったんですね。
大森さん、廣松さんは自分の頭で考える人だと聞いたので、
読もうと思いました。
廣松さんは新書の「哲学入門一歩手前」読んだけど難しく
とりあえず棚上げしてます(笑)
>>3 ありがとうございます(笑)
普通はどこから(誰から)入門するの?
なぜ大森さんから入ると幸福なのでしょう?
大学では違うのですか?
当方、アカデミックな教育を受けてないので学ぶ順番がわからないんだよね。
5 :
考える名無しさん:02/08/17 04:26
>>4 学ぶ順番など誰も知らんもんです。
ま、その手の先輩がイパーイいるような所なら別でしょうが。
なぜ幸福かと問われても困ってしまいますが、
いきなり難解極まりなかったり、
分かったつもりにさせる解説本だったりから入ると
たぶん不幸ではないかと。
因みに僕は『EZカフェ』(?)というニューアカ鼎談集から入りました。
ちょっと不幸です(w
6 :
考える名無しさん:02/08/17 05:27
永井均が大森をとても評価してましたね。
日本で哲学者の名に値するのは大森くらいだと。
以前NHKスペシャルで放映された「脳と心」(全6回)を先日見た。
養老孟司さんが案内役を務めてたんだけど、
すごいおもしろかったんだよね。
これを見たら彼の言う”唯脳論”を信じざるを得ない気がしたよ。
人の意識は全て脳の機能により説明できると。
将来、脳研究は進めば、僕と全く同じ脳を創ることにより、
僕と全く同じ意識も創れそうな気がしたなぁ。
で、その後大森さんの「時は流れず」を読むと、
その考え(唯脳論)に真っ向勝負を挑んでるんだなあ。
なにか上質の推理小説を読んでいるようで久々どきどきしたね。
結局は僕の考えを完全に変えるまでは行かなかったけど、
一度かっこに入れて、考え直してみようとは思った。
哲学って実はおもしろいんだね。
>>5 そうですね。
極端に難しい本か、読み易いのは誰か他の人の解説書ですからね。
哲学説の解説でなく、問いそれ自体に興味を抱かせるという意味でも、
この本は良い本ですね。
>>6 そうですか。
永井さんも言ってますか。
加えて大森さんは人格的に素晴らしい人と聞きます。
そういう意味でも興味あるんですよね。
それと永井さんの「子供のための哲学」は初心者の僕にとって、
哲学とは何かを一番わかりやすく教えてくれましたね。
「ああ、哲学って他人が見ない上げ底が気になって仕方のないことなんだって・・」
僕も少し気になります(笑)
あ、聞くの忘れてた・・。
現在の哲学界では唯脳論はどう受け止められてるの?
10 :
考える名無しさん:02/08/17 12:20
ある本で「フーコーが評価した日本人は大森だけ」なる話を読んだん
だけど、どういう話かしってる人います?
知らない作家が一言さらっと話してるだけなんで・・。
この二人って面識はあるの?
空想では、来日して実のない印象批評家たち蓮実や吉本に会った後で、
政治とは無縁な所で哲学していて、しかも西洋哲学研究ではなく、
独自の哲学を作ろうとしている大森を哲学的に評価したというより、
軽い好感をもったという話なのかなと思うけど。
11 :
考える名無しさん:02/08/17 12:25
蓮見は印象批評批判です。バーカ
フーコーの紹介者でもある。
読んでないくせにえらそーにいうな。
永井ヲタ
12 :
考える名無しさん:02/08/17 12:26
『新視覚新論』イイ!
13 :
考える名無しさん:02/08/17 12:36
>>11 ほうほうほう、そうですか。
ああいう客観的尺度とは無縁で、主観的な印象としか思えない
事をつらつらだらだら書く人たちを印象批評家に分類してました。
14 :
考える名無しさん:02/08/17 12:44
吉本の知ったかヘーゲル対談の後なら、
大森に好意を持つだろうな(笑
15 :
考える名無しさん:02/08/17 12:46
客観なんてしらないこというのやめたほうがいいよ
永井ヲタ
16 :
考える名無しさん:02/08/17 12:48
10のネタはニッポンの知識人だろ
あんなんでエラソーにいうこと自体がバカの証
17 :
考える名無しさん:02/08/17 12:48
10はフーコーも蓮見も読んでない
口だけ野郎
18 :
考える名無しさん:02/08/17 12:50
10はたいして小説も読んでないくせに
すぐ客観とかほざきだす無教養バカ
19 :
考える名無しさん:02/08/17 12:52
外人がほめると引き合いにだしたがる
外国被れの10ははずかしい
フーコーだって文学についてかいてるぞ
20 :
考える名無しさん:02/08/17 12:54
10みたいな哲学ヲタはほっとけよ
言ってもわかんないって ほんと
21 :
考える名無しさん:02/08/17 12:55
蓮実オタ・・・・・
22 :
考える名無しさん:02/08/17 12:55
客観とかえらそうにいうやつは、だいたい
批判対象を読まずに批判するアリバイになってんだよ
よくあることじゃん
23 :
考える名無しさん:02/08/17 12:57
蓮実ファンを刺激してしまったようだが、別におれは、
大森オタでも哲学オタでも永井オタでもないよ(笑
俺には小林秀雄、吉本隆明、蓮実重彦。
この3人は非論理的で、主観だけで印象を書き連ねる、
中身ある事言ってる人のようには見えないだけ。
専門の人が印象批評じゃないというならそれでいいし、
エラソーと言うなら、別にかまわね。
持ち上げる人たちが沢山いるから、きっと凄いんでしょーよ。
俺はただの言論オタだから俗な興味が有って聞いたのよ。
デリダだフーコーだ、ヘーゲルだマルクスだの人たち。
フーコーを自信の権威や政治的意図で利用したい人たちの
動きは、白人への劣等感丸出しで辟易とする。
来日したフーコーが表面上は彼らに敬意を表しながら、
暗にそういった連中への皮肉をこめて、素朴な哲学してる
大森に好意を示したなら、通俗な言論オタとしては面白いだろ?
25 :
考える名無しさん:02/08/17 13:43
だから、読んでないくせにいうなって
蓮見は処女作でフーコーにインタビューしてんだよ
ちゃんと読んでみろよ
日本にくる前から面識があんだよ
おまえのいつてることこそが権威的なきまり文句だよ
全部どっかできいた台詞
ひどすぎ
専門とか関係ない なにいつてると
人を専門呼ばわりして 自分を在野から発言してるかのようにして
そんなのが逆説的な権威主義じゃんかよ
おれは大森も哲学も経済学とか小説および詩
も好きだけど ほんと2ちゃんて排他的で
いままで好きだったものも嫌いになっちゃうんだよ
なんなのこれ
>>25 何が言いたいのかわからん。
蓮実とフーコーの関係は知ってますよ。
27 :
考える名無しさん:02/08/17 13:52
>>25 すこし分る
哲学で現象学と分析とかね
両方いいのに
でも無理でしょ
10は権威主義じゃん 逆説的な
いってることわかる
読まずにいってるじゃん
なんで大森が素朴なの それこそ主観じゃん
フーコー読んでない証拠
非論理的であること が 中身がないこと
であることを論理的に証明してちょ
大森はゥィトの決定的な紹介者ですが
彼は 白人かぶれ?
わかった、わかった。
スレ違いだから、10を書き直すよ。
↓
大森さんとフーコーって面識あるんですか?
フーコーが大森さんのことを評価したらしいですが、
著作をみたとは思えませんし。
どういう文脈の話か知りません?
ちなみに、
フーコーは大森のみを評価したという発言は、
「文芸評論家」の高澤の発言です
10が自分の発言のネタを文芸評論家にもとめてるのはなんざんしょ
蓮実オタ・・・・・
>>10の浅薄なカキコより、
一人でカキコする蓮「見」信者の粘着ぶりのほうがうざいよ。
35 :
考える名無しさん:02/08/17 15:22
ちょっ、ちょっとおま、キーボードそんなにガンガン叩くなって、
おま、ちょやば、興奮すんな、つば出てるって、、、
見?、、、、アフォ?
36 :
考える名無しさん:02/08/17 15:52
ほら排他的
2ちゃんてっ
はぐらかして ちゃかすだけ
37 :
考える名無しさん:02/08/17 16:21
>>36 答えてくれる人は答えてくれますよ。
>>36みたいに書き込むことは、
決して煽りではないが多少ふざけて雑談のようなレスしたり、
ちゃんと真面目なレスしたりする人に迷惑なので、
いちいち煽りなんか気にしてちゃいけません。
自分が嫌なら来なければいいんですし。
38 :
考える名無しさん:02/08/17 16:45
蓮実が印象批評かどうかは別として、
煽ってんのは蓮ヲタの方だって。
>>11 しかもその煽りが、、、、( ´_ゝ`)ツマラン
>現在の哲学界では唯脳論はどう受け止められてるの?
に話を戻さね?
ちなみに俺は知らん。
「時は流れず」読み返してる。
優しい文体だから言いたいことの筋道は追えるけど、
僕の実感に照らせば、納得できないことがほとんどだなぁ。
読めば読むほ僕の常識がこんがらがってくる。
例えば、
”過去”について大森さんは実在しないと言ってる。
それに対して、僕は、
「いや、確かに僕の過去はあった。
小学校の頃好きだったOちゃんと遊んだのは事実だ。」
と思うよね。
でも大森さんは
「過去とは我々が制作したものだ。
過去の実在性(過去自体)は嘘だ。」
と言い切る。
大森さんが言う過去を歴史と置き換えればその通りだと思うよ。
だけどその歴史(大森さんが言う過去)も
実際に存在した過去自体をもとに制作したと思うんだな。
つまり過去(の僕の経験)は実在した。
普通の人は僕と同じように考えてると思う。
他の哲学者はどう考えてるんだろう?
あなたはどう思う?
意見聞かせて!
あ、それとこの本は大森さんの誠実さが伝わってくる文章だね。
それだから余計に、批判的に読んでみようと思ってるよ。
>>12 >>『新視覚新論』イイ!
大森オタハケーン(笑)
どこが良くて、あなたはどう思ったのか書いてくれたらうれしいなぁ。
>>37 そうですね。
そこが2ちゃんの困るとこですが、
僕のように周りに専門家のいない初心者には、力強い味方ともなりますね。
特に、僕が興味を持っている問いは、どの本を読んだらいいかとか・・
>>38 >>ちなみに俺は知らん。
思わず笑ってしまいますた(笑)
42 :
オモーリ ◆1whJCgOU :02/08/17 19:40
>>41 俺は大森読んでないし、いかんせん哲学徒ですら無い。
だからアウグスティヌスもカントも知らんから、
為にならんと思うけど、素人同士ちょっと考えてみよ。
過去は存在しないと言われると、確かに変な感じがおれもするよ。
小学校の時の記憶もあるし、写真もあるし、その時の友達もいる。
もっと近い過去だと、さっき食った夕飯が腹の中にあるから満腹だし、
Kの前にAをうったからこそ「か」と出てくるわけで、
現在を整合的に考えるためにも、過去が無いとは考えられない。
でも、過去が「ある」って場合の「ある」と、
目の前にコップが「ある」の「ある」とは性質が違うような気もする。
大森さんは過去の「何が」無いって言ってんだろ。
「過去の実在性」って呼んでるのはなんなん?
って考えようというより、尋ねてるだけか。
43 :
考える名無しさん:02/08/17 19:52
38ははぐらかすだけ
なにが論理なんだか
44 :
考える名無しさん:02/08/17 20:31
>10
以前にもどこかで言ったけれども、はFOUCAULTが言った大森さんという
人はどこかのお坊さんです。私、図書館でたまたまそのことを知りました。
ちなみに大森荘蔵はドゥルーズなんかと比べるべきだよ。大森の美学(フゼイ論)は
ミルプラトの書き手(のひとり)に比べれば貧弱もいいところ。しかし、まさに大森
さんが、「ベルクソンの華麗なレトリックを取り去るなら」といったのと同様のことが
いえるかも。「世界と我の一体性」は、言い方はどこまでも凡庸だが、結局いい線言
行ってる。ま、世界史的同時性ってことかね。年、近いでしょ?
45 :
43 蓮實ファン:02/08/17 20:44
横レスですが
確かにわたしのレスは煽りだとおもいます。
すいません。
自己規定では生産的なつもりでしたが、興奮しやすいので
どうみても煽りかつ荒らしであることを謝罪します。
失礼しました。
>>42 オモーリさん
>>でも、過去が「ある」って場合の「ある」と、
目の前にコップが「ある」の「ある」とは性質が違うような気もする。
なるほど。
確かにその二つの「ある」の性質は違う気がするね。
過去 =”時間”の概念に属する「ある」
コップ=”空間”の概念に属する「ある」
の違いかな?
それとも前者は、人の意識の概念に属する「ある」なのかな?
僕が理解した範囲で書くね。
大森さんの言う「過去は存在しない」とは、
今現在、僕の頭の中で思い出している過去のあれこれ(さっきのうまい夕飯食ったなぁとか)は、
実際に経験したものとは異なっていますよ、
ということ。
今思い出している(うまい夕飯)が実際にさっき食べた夕飯と一致しないのは当然だね。
つまり、今の僕には実際に経験した過去を完璧に思い出すことは不可能という。
そういう意味で「過去の実在性は無い」と言っているのかなぁ、
と僕は受け取ってる。
大森さん使う「過去」という言葉を、「歴史」と置き換えれば全て納得いくんだよね。
だから、彼が「過去はない」という時、彼の過去の経験(例えば学生時代の思い出)は存在しない、
というわけではないと思う。
なぜなら、久々に出会った大学の同級生と思い出話をしている時、彼だけが
「ああ、そんなうそっぱちだよ。そんな話全くの作り話だから。」
とは言わないと思うから。
うーん、でもこれ絶対違う解釈だな。
自分が納得できるように、無理矢理、自分の常識に大森さんの考えを引き寄せたみたいだね。
オモーリさんが問いたかったことからもずれてるようだし。
もう一回考え直してみます。
他の人の意見も大募集!
>>45 蓮實ファンさん
いやいや、ぜひあなたも参加してもらいたいですね。
僕はさんは全く読んだことなく、
どういうことを言っている人なのか知りません。
蓮實さんは僕の疑問にどう解釈しているのか知りたいですね。
漏れもメンゴ>45
50 :
考える名無しさん:02/08/17 21:07
なんかほのぼのしたスレになってきたぞ
>>44 専門家ハケーン(笑)
大森さんは主観−客観の二元論は誤りであると言ってますよね。
「主も客も一体化した混沌こそ我々の経験の始原である」
(その状態が、44さんが言う「世界と我の一体性」なのかな)
そこから、現代の脳生理学はこの二元論という偽りにまみれたインチキであると言ってます。
僕にはそこが納得いかないのですが・・
44さんは「世界と我の一体性」はいい線いってると言ってるけど、
あなたも主ー客二元論を理屈でなく実感として信じられないのですか?
僕には、客観的な世界がまずあって、それを僕の意識(脳?)が
認識してるとしか思えないんですよね。
いかがなもんでしょうか?
僕ももう一度よく考えてみます。
52 :
Kurihara:02/08/17 21:21
そろそろ僕が倫理的に介入しなくては
いけないようですね。
あっ、Kurihara さん。
ぜひ介入してくださいませ。
Kuriharaさんは主−客二元論って偽りだと思う?
54 :
オモーリ ◆PSVS10dE :02/08/17 21:45
> 過去 =”時間”の概念に属する「ある」
> コップ=”空間”の概念に属する「ある」
>の違いかな?
>それとも前者は、人の意識の概念に属する「ある」なのかな?
むむー。
時間と空間との関係もまだ問題だなー。
目の前のコップは「今」という「時間」に属しているとも言えるよね。
その状態から目を転じるとそのコップが「今」から「さっき」になる。
逆に過去の方も「空間」と共に思い出されるんであって
(つまり机や歯間ブラシといった周囲の部分と一緒にコップが思い出される)
単に「時間」に属している「だけ」とも言えない気がする。
> つまり、今の僕には実際に経験した過去を完璧に思い出すことは不可能という。
> そういう意味で「過去の実在性は無い」と言っているのかなぁ、
> と僕は受け取ってる。
なるほど。意識の中にある記憶と、記憶の元になったものとは違う、
という解釈だね。ぼくもそれなら分かるな。
でも、たぶん大森さんとしては「記憶の元になったもの」という
ものがそもそも実在しないんだよ、と言いたいんだろうね。
もしそう言えるとしたら、「意識」という考え方を変えないといけないかな。
「意識」が一方であって、他方に対象がある、というわけじゃない、
という感じで。
ムツカシーネー
55 :
オモーリ ◆1whJCgOU :02/08/17 21:48
って、もう話が主客二元論に逝ってたか。
はえ。
しかも54のトリポ間違った。
56 :
Kurihara:02/08/17 21:49
>>53 まず、大森さんの『新視覚新論』という本の
タイトルですが、これはイギリス経験論のバークリー
の『視覚新論』を意識してつけられたものですね。
で、その主客二元論ですが、これは同じくイギリス経験論の
ロックがその立場を堅持したことで有名ですが、しかし
バークリーや懐疑論のヒュームはこの立場を否定しました。
そして、かのカントが登場して、ヒュームを批判し、
有名な「もの自体」をたてて主客二元論を復活させましたよね。
だけど、ヒュームの印象一元論=現象主義は、
エルンスト・マッハなどに継承され、やがては、
広松さんの四肢構造論にまで発展したわけですよね、
哲学思想史的には。
まぁ、焦眉の主客二元論ですが、それは広松さんの
三項図式(対象自体ー意識内容ー意識作用)への痛烈なる
批判によって破綻した、というのが僕の感想です。
盆休みもあと一日かぁ・・・。
今のうちに聞いとこ。
本を読んでると、
明らかに一般の常識では理解しにくい概念を考えてる哲学者いるよね?
(ほとんどそうかな?)
疑問なんだけど、彼らは本当にそれを信じているの?
例えば、「独我論」。
(ここで「独我論」とは、目に見えるものや人といった客観的な世界は
実際には存在せず、僕の頭の中の単なる映像にすぎない、夢のような
ものというふうに考えてる)
本気で独我論を信じて行動している人は(もしそれが正しくないならば)、
明らかに精神病院行きだよね。
(僕が本気で独我論者になったら、犯罪しまくりだろうなぁ)
独我論者の哲学者でそういった人いるの?
でないと、その哲学者は本気で自説を信じてないことにならない?
(人当たりのいい独我論者も嫌だなぁ(笑))
頭の中で組み立てただけの理論は心に響かない。
やっぱり自分の人生を変えてしまうほど本気で信じている理論を知りたい。
大森さんはどうだったんだろう・・・。
僕自身は、はじめて独我論を知って時、すごいおもしろい考え方と感激した。
今でも思っているし。
(もちろん本気では信じてない。)
59 :
オモーリ ◆1whJCgOU :02/08/17 22:04
>>57 中島義道という人が自著の中で面白い話をしていたよ。
正確には思い出せないけど。
普段から全ては幻だと言い張っている哲学者に王様がゾウをけしかけた。
もし全てが幻ならこのゾウも幻のはずだ、なぜ逃げる?
と柱の影に隠れた哲学者に王様が問いかけた、
するとその哲学者がこう言った
「逃げる私も幻です」
中島さんの本は文庫で出ているから買い求め安いですよ。
ちなみにこの人は大森さんのお弟子さんでいらっしゃいます。
60 :
Kurihara:02/08/17 22:08
主客未分の混沌状態とは、西田幾多郎やジェームズ
のいう「純粋経験」というやつでして、この純粋経験を
本諦にすえる大森さんや広松さんは、それ故広い意味で、
所謂「西田哲学」派だともいえなくもありませんね。
>>54 オモーリさん
じっくりと考え中です。
しばらくお待ち下さい。
>>55 すみません。
どうも疑問点ばっかりが先に立ってしまって。
(まだまだあります)
順序よく考えることは難しいですね。
これからも指摘お待ちしていますよ。
62 :
オモーリ ◆1whJCgOU :02/08/17 22:23
ゆっくりどーぞ。僕もしばらく落ちます。
なんせ意識やら時間やら実在やらですからね。
自分で書いてることすら混乱してしまう。
マターリマターリやりましょ。
>>56 Kuriharaさん
なるほど。
簡単に主客二元論といっても長い歴史があったのですね。
聞いたことある名前の人たちですが、
よくわかりません(笑)
やはり哲学史の勉強もしとかないとだめですね。
>>まぁ、焦眉の主客二元論ですが、それは広松さんの
>>三項図式(対象自体ー意識内容ー意識作用)への痛烈なる
>>批判によって破綻した、というのが僕の感想です
破綻したのは、主客二元論ですか?
廣松さんが批判したのですか?
Kuriharaさんはこの問題に関して誰の考えが一番しっくりきます?
>>60 Kuriharaさん
主客未分の混沌状態=世界と我の一体性=純粋自我
という関係ですね。
うーん。
理論としてはおもしろいけど、実感としてイメージできないですね。
それだけこの偽りの(?)二元論に捕らわれているということかな?
>>59 オモーリさん
中島義道さんって、「ウイーン愛憎」書いた人ですか?
これむかし読んで、欧州人と日本人の国民性の差が驚いた思い出がある。
これを読んで以来、外交を見る目が変わった。
対アメリカ、中国、韓国・・
彼らの国民性を考慮に入れた上でニュースを見るようになりましたね。
そういう意味で記念すべき本です。
哲学についても何か書いてあったか覚えてません(笑)
>マターリマターリやりましょ。
そうですね。よろしくお願いします。
66 :
Kurihara:02/08/17 23:08
>>63 僕は広松さんの意見が一番だと思いますね。
広松さんの意見は難しいのですが、その本質は
簡単です。
これは僕独自の広松解釈なのですが、広松さんは
「存在するとは触れることだ」といいたかったのだと
おもいます。普通、目に見えるものしか存在しない
といわれますよね。ヒュームやバークリーがそうです。
だけど、広松さんは目にみえるものも疑わしいと感じて
いたようです。なぜなら、UFOを「見た」という人が
いますが、見えたものが即存在するなら、見えたUFOは
存在しなくてはなりませんよね。だけど、それは「錯覚」だった
可能性が残ります、当然。だから、そこにさらに「触れる」という
条件が付加されねばならないと広松さんは考えたのです。
UFOを見てかつ触れたのなら、UFOは存在しうる、と。
だから、「見る」という認識力は人間の認識力のトップ
に位置していて、近代認識論もそこに最大の力点を置いて
きたが、しかし「見る」力を過信してはならないと広松さんは
いうのです。その近代認識論の視覚偏重に対して広松さんは「触る」
というもう一つの認識能力を対置したのですね。
たとえば、ものに触っている時、ものと手はある「一体感」に
包まれるじゃないですか?その一体感を「純粋経験」と
いうのですね。そこには確かにもの(客体)と手(主体)の区別(二元性)
はありますが、同時に一体性もあるのです。そして
その区別と一体性のいずれが先か?は「鶏が先か、卵が先か」と
同じく不毛な論争なのですね。
>>66 :Kuriharaさん
なるほど、廣松さんですか。
視覚だけでなく、触覚も考慮に入れる・・ですか。
廣松さんの考えは全く知らないのですが、
Kurihara さんがいう知覚(視覚や触覚等)を認識の根拠とする時、
いつも疑問に思うことがあります。
前の方のレスでも言った「唯脳論」に関係してです。
例えばUFOで考えます。
脳に刺激を与えることにより、
その人にUFOを見させ、触れた感触を与え、
まるでUFOが目の前に存在しているかのような幻覚を
与えることが、将来可能であると思うんですね。
もっと極端に言えば、
昏睡状態の人に実在の世界と同じ幻想を創り出し、
その中で生きていく(と思わせる)こともできますよね。
真に独我論の世界を創り出せますよね。
つまり、知覚は当てにならないのではないかと・・。
と、考えてきたのですが、この考え方自体が、
主客二元論を土台とした考え方なんですかね?
うーん、またわからなくなってきた(笑)
Kurihara さんが言いたいことと論点がずれてるような気がするし・・
その時はご指摘下さい(笑)
もう一度、本を読み返して考え直してみるのでしばらく落ちます。
スレ立てて二日目で、”わからないこと”がたくさんわかりました(笑)
やはり、一人考えるのでなく、対話が大切ですね。
69 :
Kurihara:02/08/18 00:59
>>67>>68 知覚はあてにならないのは正解です。
では、なぜ知覚ははずれるのでしょう?
それはまさに客観的世界がそもそもない
からですよね。客観的世界が実在し、人は
それを知覚しているのなら、知覚は誤る
ことはありませんね。
しかし、おっしゃるように知覚は
あてになりません。だから、客観的世界は
実在するとはとてもいえないのです。
従って、主客二元論は偽りです。
70 :
考える名無しさん:02/08/18 01:24
単純だね・・・
71 :
考える名無しさん:02/08/18 01:33
そうはいっても「客観的世界は」実感にかなってる
と思われるし堅固だからね。
72 :
Kurihara:02/08/18 01:47
ふぅ。僕が初心者その1さんの意見、つまり、
「主客二元論は正しい」という前提を、
「知覚はあてにならない」というその前提に反する
帰結を初心者その1さん自らに結論させることで、
背理法的に否定せしめたことが解らない人がいるようですね。
誠に遺憾です。
73 :
考える名無しさん:02/08/18 02:00
コテハン変えて「教導者」とかってどうよ?
望み通り尊敬されるかもよ。
74 :
考える名無しさん:02/08/18 02:06
いや、だから実感の話。
>>69,72 Kuriharaさん
なるほど。
客観的な世界があるとしたら、
それを認識するためには知覚を根拠とするしかないですね。
でも、僕が
>>67, 68で述べたように知覚が当てにならないとすれば、
僕が今見ている世界が存在するとは必ずしも言えないですね。
うーん、確かにスジは通りますね・・。
ということは、僕が存在していると信じている客観的な世界は、
あくまで他の人たちとの間で合意した(想像上の)世界観でしかないのかな?
大森さんもそれを「制度的真理性」といって、
”過去は実在しない”という根拠としていたと思います。
過去はあくまでみんなの合意の上での過去物語だと。
とは言っても主客二元論は捨てきれないので・・・エポケーケテーイ(笑)
(細かいところは突っ込まないでね)
とりあえずこの疑問を抱え、このまま進めていくつもりです。
>>71さんは主客二元論の方がおかしいと実感してるの?
Kuriharaさんは実感してるんだよね?
思考を進めていったら、僕もそうなっていくのかなぁ・・。
>>54 オモーリさん
えー、ようやく考えがまとまりましたので、レスします。
ここでは、「過去は実在するか」という問いを考えるに当たり、
次の順番で考察を進めていきたいと思います。
1.
>>54のオモーリさんに対する返答
2.僕の過去(時間)に対する考え
3.大森さんの「過去は実在しない」という命題に対する反論
告)オモーリさんに限らず、我こそはというそこのあなた!反論お待ちしてますよ。
まず1から。
>むむー。
>時間と空間との関係もまだ問題だなー。
>目の前のコップは「今」という「時間」に属しているとも言えるよね。
>その状態から目を転じるとそのコップが「今」から「さっき」になる。
>逆に過去の方も「空間」と共に思い出されるんであって
>(つまり机や歯間ブラシといった周囲の部分と一緒にコップが思い出される)
>単に「時間」に属している「だけ」とも言えない気がする。
このレスを次のようにまとめます。
a.現在という「時間」の概念には、「空間」という概念も属している。(現在=時間+空間)
b.過去という「時間」の概念にも、「空間」という概念が属している。(過去=時間+空間)
ここでaは僕も納得できました。
現在、僕の目の前にはPCや本や鉛筆が置かれています。
よって、現在には空間も属していると実感できますね。
(現在=時間+空間)
ところで、bの方ですが、
過去には空間は属していないような気がします。
つまり過去には空間というものは存在しない。
確かに過去を思い出す時は「空間」と共に思い出されますが、
その思い出していること自体は現在の出来事です。
コップを思い出す時も、当時のコップがある時刻まで遡って、
コップを見ているわけではないですからね。
2で更に突っ込んで考えてみます。
(過去=時間のみ)
>でも、たぶん大森さんとしては「記憶の元になったもの」という
>ものがそもそも実在しないんだよ、と言いたいんだろうね。
そうですね。
よく読んでみると、オモーリさんの言うとおりです。
結論から言うと、やはりこの考え方は僕には実感できないけど、
わからないなりに自分で考えてみたいと思います。
3で。
>もしそう言えるとしたら、「意識」という考え方を変えないといけないかな。
>「意識」が一方であって、他方に対象がある、というわけじゃない、
>という感じで。
も、もしやこれは主客二元論を否定しろということですか?
『時は流れず』は、
「時間」「他我」「意識(二元論)」
の三つの問いについて書かれてるんですが、
この二元論の部分が一番理解(実感)しにくいのですねぇ。
うーん、とりあえず3で考えてみようとは思います。
83 :
考える名無しさん:02/08/18 22:12
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 休憩
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(__)_)
で、2について
まあ、初心者なりに「時間」について考えてみました。
>>80で述べたように、
「過去=時間のみ(空間は属さない)」ということを考えてみます。
”空間”は「現在」にしか属さない概念で、
「過去」と「未来」にはそれはありません。
根拠ですか?ありません。単なる直感です(笑)
もし、過去に空間があるとすれば、
そこにはその当時の世界が(もちろん当時の僕も)存在しているはずですよね。
例えば、録画したビデオテープみたいに、きちんと過去の自分も保存されていると・・。
だったら、テープを巻き戻せば(時間の進行を逆転すれば)、
当時の自分に会えると・・。
(タイムマシンというやつですね)
でもこれはあり得ないと思う。
なぜなら、過去(の世界)はどこにも保存されていないから。
どこを探しても、過去の自分(1時間前飯を食ってた自分)は、
見つからないと思う。
根拠?ありません。直感です(笑)
もし将来、時間をさかのぼれるタイムマシンが開発されたとしても、
過去の自分には会えないと思う。
そんなものどこにも保存されてないから。
例えれば、一コマしか録画できないビデオテープみたいなもんで、
一コマ(現在)を録画したすぐ次の瞬間、消されてしまうわけです。
だから、今この瞬間はテレビで見ることはできるけど、
巻き戻しても何も写ってないと・・。
未来も同じ。
何かを保存できるような空箱(空間)はない。
87 :
考える名無しさん:02/08/18 22:41
よって、「過去」と「未来」には”空間”は属してない。
(ここで録画(保存)はできないけど確かにフィルム(空間)は
存在すると言われれば、困るけど)
こう考えていくと、
「過去(過去の自分)なんか存在してないじゃないか?」
と言われ、
「じゃあ、大森さんと同じだね」
と言われそうですが、やっぱり違うんですよね。
大森さんもっと過激です(笑)
それは、次回3にて。
といっても、『時は流れず』を読んではじめてこういうこと考えたんだよね。
読まなかったら、考えもしない。
読み手に考えさせるという意味でもいい本だね。
告)当方、筋金入りの初心者、他の人が考える「時間」について聞きたし。
参加者求む。
90 :
考える名無しさん:02/08/18 22:43
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 休憩
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91 :
考える名無しさん:02/08/18 22:47
無意識の中には、「結果」も含まれています。
>>91 >無意識の中には、「結果」も含まれています。
うーん、よくわかりません(笑)
僕にとっては謎かけみたいだなぁ。
何のことを言ってるのでしょう?
もしかして、「未来」のことを指してるんでしょうか?
違ってたらご指摘を。
とりあえず、それで考えてみます。
93 :
考える名無しさん:02/08/18 22:58
未来の事です
確か大森氏だったかな。
哲学では最後に笑うのはいつでも問題のほうであるらしいって言ったのは。
実在論というのはみかけほど丈夫なものではない。
丈夫なのは人間の制作した世界物語のほうである。
と、なんとなく昔読んだ記憶を思い出しながら書いてみたけど
実際どういうことなんだかサッパリだな。
>>91さんの問いかけが、「未来」について語っているとして・・。
これは、
「未来決定論?」(ぶさいくな名ですいません。正式な名前知りません。)
ってやつ?
現在において、もうすでに未来は決まっているという・・。
つまり、
「おまえの一生はもうすでに決まっている!」
と宣告されるようなもの?
もしそうなら、
箱(空間)には未来の自分が詰まっている”可能性”があるね。
ここで問題となるのは、
1.本当に未来は決定されているのか。
2.決定されているとして、その箱の中に未来の自分が”詰まっている”のか、
それとも、過去と同じように空箱なのか。
の二つ。
うーん。また難問発生!
1は考えても見なかったからすぐには・・
とりあえず、棚上げしたまま進めていきます。
(みんなの意見はお待ちしています)
2は・・うーん。
これも難しい。
というより、この問題が出てきたおかげで、自分の中では解決したはずの、
「過去は保存されてない」も怪しくなってきた。
・・・
なんかこんがらがってきたなぁ。
もう一度考えてみます。
98 :
考える名無しさん:02/08/18 23:21
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 休憩
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(__)_)
99 :
我慢不足リターン:02/08/18 23:21
2とおもう
>初心者その1
あらっ、いつのまに。
モ板逝ってました。どうもすみません。
西村知美はどうやら100キロ走ってないらしいです。
明日までの宿題を抱えてるんで、
もう一回明け方くらいに来ますー。
>>あっ、オモーリさん。
モ板ですか(笑)
僕も時々”煽り”に行きます(笑)
僕は休みが今日までなので、とりあえずがんばってみました。
明日からはカキコのペースが遅くなることでしょう。
マターリマターリとよろしくお願いします。
>>95 sageさん
そうですね。
大森さんは、普通の人が制作(合意した)ことが
真実なんだ、みたいな書き方して、
正否の根拠としているみたいです。
「過去とは人々の間で合意された過去物語にすぎない」
みたいな感じで。
で、「過去は存在しなかった」と言うからわからなくなるんだけど(笑)
>>94 大森氏ですね。
(ageない方がいいですかね?)
<<99 我慢不足リターンさん
2とは、いかに?
104 :
考える名無しさん:02/08/19 00:10
物語としての過去と時間論としての過去だろ。
前者は虚構で後者は無いって。後者無しなら
自動的に前者も基盤が危うくなるような。ま
あ、一応は次元の違う問題だがな。それに時
間の過去も「無い」ってのは行き過ぎだ。た
っぷり素朴な過去概念を了解済みでの「無い」
という主張だからな。感覚としてしか飲み込
めない。実感がすべてといえば無理に反論は
しないが。
−再開−
で、最後3について。
まず僕が考えている「過去は実在しない」について。
2で述べたように、現在、今ここには「(過ぎ去った)過去は実在しない」と僕も思う。
(だって、過去は保存されてないからね)
といって、今この場に存在しないからといって過去(の僕の体験)が、
存在”しなかった”という証明にはならないと思う。
まとめると、
(僕の考え)
今思い出している過去は、現在実在しない。(消えてしまった)
しかし、その思い出している過去(の体験)は、確かに過去に実在した。
このように、僕が過去に体験した(さっき夕飯を食べた等)ことは間違いなくあったことだと思うんだね。
106 :
初心者その1:02/08/19 01:11
もし、そのことすら否定されるなら、
僕が
>>47で言ったように全ての過去が幻となり、
独我論的(こういうのも独我論というのだろうか?)になってしまう。
だけど、大森さんはそういっているみたいなんだよね。
「私の大学時代の記憶は幻だ。その幻は他の人と制作(合意)したもの(過去物語)にすぎない。」
てな感じで。
つまり、「私は大学には(実際)にいってない」
と僕にはとれるわけ。
(大森さんの考え)
今思い出している過去は、現在実在しない。(消えてしまった)
さらに、その思い出している過去(の体験)も、過去には実在しなかった。
107 :
初心者その1:02/08/19 01:12
と。そこまで行くと僕も???
大森さんの「過去は実在しない」と僕の「過去は実在しない」
の違いはこんなところ。
わからないけれど、彼と僕のこの違いは二元論を土台にしているかいないか、
の違いのような気がする。
>>54でオモーリさんが言っているように、
>もしそう言えるとしたら、「意識」という考え方を変えないといけないかな。
>「意識」が一方であって、他方に対象がある、というわけじゃない、
>という感じで。
で、それを考慮に入れつつ、
大森さんの「過去は〜」がどういう経過でそういった結論に至ったかをたどりつつ、
それに対して納得できないところを指摘してみようと思ってます。
108 :
初心者その1:02/08/19 01:13
といったところで、眠くなったので今日は終了。
明日からは忙しいのでレスが遅くなるけど、
意見、反論、助言に加え、共に議論を進めていく初心者の方、お待ちしております。
マターリマターリと進めていきます。
109 :
初心者その1:02/08/19 01:15
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< お知らせ
( ) \_______
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(__)_)
予定は、大森荘蔵著『時間と存在』『時間と自我』の2冊を読んで”終了”
というノルマを自分に課しています。
現在テキストとしている『時は流れず』は、この2冊の要約みたいです。
といっても、大森さんの理論を知りたいがためでなく、
彼を通して、同じ問いを自分なりに考えてみようという趣旨で行っています。
ですから、同じ問いを考えている全ての人に参加を希望しています。
できる限りレスするつもりです。
>1
他のも基本的にはこんな感じです。
『時は流れず』は新聞掲載のエッセ―ですから専門用語は
少しも使ってありませんが思索のレベルは一級です。
初期の本は、専門用語は出てきますが基本的に考えを料理するので
さほど前提知識がなくても読めるはずです。但し思索のレベルは
一級です。
精密な理解には論理学や意味論、科学哲学の基本的知識が必要です。
時間論はどうでしょうね。過去の非実在説は、知覚の今性を基準とするがゆえに
非実在というのでしょうね。私は共感しませんが存在の基準の取り方として狭く扱えば整合的に成り立つ考えでしょう。
過去「として」今、想起する以上、過去の直接証拠提示ができず、証拠の整合性が過去における存在決定の基準だ
という考えにまず慣れねばなりません。
書いてある文体は平易ですが、書いてあることは難解です。
多くの弟子は、説としてより考えぬく姿勢をもって、その最高峰と見ています。
111 :
考える名無しさん:02/08/19 01:44
>もし、そのことすら否定されるなら、
>僕が
>>47で言ったように全ての過去が幻となり、
>独我論的(こういうのも独我論というのだろうか?)になってしまう。
独我ではない。独今か独コレ。複合形態も多いが。
>だけど、大森さんはそういっているみたいなんだよね。
>「私の大学時代の記憶は幻だ。その幻は他の人と制作(合意)したもの(過去物語)にすぎない。」
>てな感じで。
>つまり、「私は大学には(実際)にいってない」
>と僕にはとれるわけ。
そこまで極論してたか?
まあ、大森のおかしさは「大学時代」などと過去を承認せねば
成立しないものに乗っかってから、その否定に走るところだ。
>(大森さんの考え)
>思い出している過去は、現在実在しない。(消えてしまった)
>さらに、その思い出している過去(の体験)も、過去には実在しなかった。
過去製作の結果の物語と過去自体の議論は混同していいのか?
112 :
考える名無しさん:02/08/19 02:08
知覚の誤りは常に他者に指摘されることで修正されるのだ。
ということは「共同的客観世界」と「主観的知覚」の間に懸隔が
生じた場合「正当性」は常に前者にあるってことだよな。つまり
俺には「共同的客観世界」がやたらと強固に思われるんだよ。こ
れは「客観的世界」や「物自体」等と峻別してもいいが、限りな
く近いもののようにも思われるんだよな。
113 :
考える名無しさん:02/08/19 02:24
うん。一応はわかってるんだけどね
114 :
初心者その1:02/08/19 02:24
>>104 あ、レスがついてた・・。
>>105-
>>107の僕の考えを前提で考えてみますね。
まず、「過去は実在するか」について次のようにまとめてみます。
1.過去は「現在」も存在し、 「過去」にも存在した。
2.過去は「現在」は存在し、 「過去」には存在しなかった。
3.過去は「現在」は存在しないが、「過去」には存在した。
4.過去は「現在」も存在しないし、「過去」にも存在しなかった。
ここで
>>104さんの定義する、”物語としての過去”については、
大森−2(おそらく)、 僕−4
”時間論としての過去”は、
大森−4、 僕−3
といえますよね。
115 :
初心者その1:02/08/19 02:25
>>104さんは前者は虚構と言ってるから”4”で、
後者が”1”なのかな。
(間違っていたら訂正お願いします)
”物語としての過去”は虚構と言っているからおいといて、
”時間論としての過去”の1が気になりますね。
実は僕もいままで1(過去は現在にも過去にも存在する)と考えてたんです。
(実感としては今でも1に近いですね・・)
過去は現在でも保存されていると思ってましたから。
(つまり過去の自分に会えると)
ただ、大森さんの本を読んで、”可能性”として「こうも考えられるなぁ」
と3を考えました。
(理屈ではこの仮説、結構気に入ってますが・・)
116 :
初心者その1:02/08/19 02:26
確信(実感)はできないが、とりあえずこう仮定して次に進んでいこうといった程度です。
反対に
>>104さんが自分を考えを確信しているのなら、その根拠を教えて!
興味あります。
レスお待ちしていますよ。
117 :
初心者その1:02/08/19 02:28
あ、イパーイレスついてる・・・
118 :
考える名無しさん:02/08/19 02:35
適当、もしくは目的Aを伝える為の
書き込みを深読みされて勘違いされていた目的Bが
同じという事。
なるほど全部繋がってるやん!
がんばろう
119 :
考える名無しさん:02/08/19 02:47
>>初心者
なかなか見込みがありそうだ。
時間論に関して言うと結論は1を採用しているのだがな。
素朴な実感としては4に捕らえられるときも多いよ。余
談だが3を採ると世界の同一性が成立しないので過去旅
行は難しくならんか?
概念の詳細が未規定なので字面にだけレスしてるという
のを予め断っておくよ。
120 :
初心者その1:02/08/19 02:52
>>110 ハアアさん
>他のも基本的にはこんな感じです。
>『時は流れず』は新聞掲載のエッセ―ですから専門用語は
>少しも使ってありませんが思索のレベルは一級です。
そうですか。良かった。わかりやすくてびっくりです。
それで一級品ですか・・。その判定が僕にはできないのでそう言ってもらって一安心です(笑)
しかも、文章から受ける印象が誠実ですね。
初心者の僕にとって幸福な出会いです。
>精密な理解には論理学や意味論、科学哲学の基本的知識が必要です。
そうですか。残念ですが、おそらくそこまではできないと思います。
特定の哲学者の思想を完全に理解したいわけでなく、
自分で考える訓練としてこのスレを立てました。
>時間論はどうでしょうね。過去の非実在説は、知覚の今性を基準とするがゆえに
>非実在というのでしょうね。私は共感しませんが存在の基準の取り方として狭く扱えば整合的に成り立つ考えでしょう。
>過去「として」今、想起する以上、過去の直接証拠提示ができず、証拠の整合性が過去における存在決定の基準だ
>という考えにまず慣れねばなりません。
これについてはよく考えてまた後で・・。
>多くの弟子は、説としてより考えぬく姿勢をもって、その最高峰と見ています。
僕も分野は違っても、そのような自分に誠実な人になりたいですね。
はああさんも僕の解釈や自説の進め方、はああさん自身の考えがありましたら、
ぜひカキコしてくださいね。
121 :
考える名無しさん:02/08/19 02:52
112で「物自体」と口走ったのは軽率だったな。
訂正しておく(w
122 :
考える名無しさん:02/08/19 02:54
しかしふつうにひどいよな、おまえら
123 :
考える名無しさん:02/08/19 02:55
ひどいとは?
124 :
初心者その1:02/08/19 02:57
あ、またイパーイレスついてる・・・
125 :
考える名無しさん:02/08/19 03:03
夏休み海行って色々なくしたわ
怪我したけど
126 :
初心者その1:02/08/19 03:15
>>111 >独我ではない。独今か独コレ。複合形態も多いが。
なるほど、独今論というのですか。勉強になりますた。
>そこまで極論してたか?
>まあ、大森のおかしさは「大学時代」などと過去を承認せねば
>成立しないものに乗っかってから、その否定に走るところだ。
いえ、してません(笑)
大学の例えは、(僕が理解したところの)大森さんの考えを、
わかりやすいたとえ話として僕が作りました。
僕は大森さんの「過去は実在しない」をそう解釈しています。
(間違っていたらご指摘願います)
>>111さんも大森さんの「過去の実在性」についての解釈がおかしいと感じているのですか?
>過去製作の結果の物語と過去自体の議論は混同していいのか?
なるほど。
これについては今休止中の(
>>78の)3の続きで述べたいと思っています。
その上で、今言われたことに注意しながらわかりやすく述べられればと思います。
一つ言うと、大森さんは”もの自体”が実在しないなら”過去自体”も実在しないと言ってました。
僕はそこのところが納得いかなかったですね。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< お知らせ
( ) \_______
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(__)_)
HNが違う色の方がわかりやすいので僭越ながらageさせていただきます。
128 :
考える名無しさん:02/08/19 03:22
/⌒ヽ /⌒ヽ
/ ヽ / ヽ
| | | |
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| | | |
/ V ヽ
/ \
/ ● ヽ
| | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ● ● | /
ヽ / < 第3の目!
\ × / \
-、、,,,,,___,,,,,、、- \
// (_人_) ( ○川 )  ̄
今夜は徹夜か・・・
>>112 >知覚の誤りは常に他者に指摘されることで修正されるのだ。
>ということは「共同的客観世界」と「主観的知覚」の間に懸隔が
>生じた場合「正当性」は常に前者にあるってことだよな。つまり
>俺には「共同的客観世界」がやたらと強固に思われるんだよ。こ
>れは「客観的世界」や「物自体」等と峻別してもいいが、限りな
>く近いもののようにも思われるんだよな。
そうですね。
僕も「共同的客観世界」があることは認めます。
例えば、歴史や科学的世界観(進化論、ビッグバン等)がそうですね。
大森さんも「制度的真理概念」といってその条件を次のようにまとめていますね。
1.複数の人の証言の一致
2.自然法則、心理法則等の法則に命題内容がはずれていない。
3.現在に円滑につながっている。
それは納得できます。
現在の人が想起する過去とはこの「過去物語」であることは僕も納得です。
さらに「過去自体」は”なかった”と言ってます。
まあ、それも認めます(笑)
僕が納得いかないのは
「過去」は過去にも存在”しなかった”
と結論づけていることです。
(
>>114の4(物語の過去としてでなく、時間論としての方))
なぜなら、ここからは
「私の大学時代の記憶は幻だ。その幻は他の人と制作(合意)したもの(過去物語)にすぎない。」(>>115-
>>117)
という明らかにおかしな例えが導かれるからです。
ぼくから見れば、やはりウン十年前に大森さんは大学に行って物理と哲学を勉強したのは事実です。
(いや、大森さんは断定できないとしても、少なくとも僕は大学で勉強を少ししかせず留年(笑)
したのはまぎれもない事実と言いきれます。)
そこが、大森さんの過去論に対しての一番の疑問点なのですが、それは追々考えていきたいと思っています。
>>112さんはこの例えを信じていますか?
うーん、もう少し手短にまとめてレスしよう・・
132 :
初心者その1:02/08/19 04:01
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 腹へった・・
( ) \_______
| | |
(__)_)
133 :
初心者その1:02/08/19 04:02
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< ねむい・・
( ) \_______
| | |
(__)_)
134 :
初心者その1:02/08/19 04:04
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< ペヤング食いたい・・
( ) \_______
| | |
(__)_)
すげー量だ。なんじゃこりゃ。
えっと、すぐ宿題に戻るんで、一つにだけレスします。
過去と空間の関係です。少しだけ主客二元論の話にもなる、かな?
ぼくの念頭にあったのはこういうことです。
「思い出」という意味での記憶は、過去の「何らかの」記憶だと思うんですよ。
外界と交渉した際の特定の記憶。個人個人で違うし、
状況はほとんど無限にある中でそこだけ取り出して思い出すことが
可能な部分、とでも言うんでしょうか。
(だから今はかけ算の99の「記憶」とかは除きます。)
で、初心者さんはビデオテープの比喩を用いていましたが、
その時に前提になっているのは、
特定の物が何もなくて、ひたすら空虚な時間と空間の中に、
そうした特定の「思い出」が刻印されたり記録されたりする、
っていうイメージだと思うんですね。
でも、空虚な時間と空間そのものは思い出せないですよね。
物が何も無くて、見渡す限り真っ黒で(別に黒くなくてもいいんですけど)
その空虚を「見ている」自分の身体感覚も無い、っていう場合を想定すると、
果たして記憶ってものが形成されるか非常に疑問じゃないですか。
過去と現在と未来が全く同じで何も生じない世界では時制の区別が付かない
と思うんです。全部が<今>なんだとしたら、<今>以外の時制が無いから、
<今>も無い、かな、と。<今>は<さっき>と区別がつく限りで<今>
だとしたら、この二つを区別するには、世界で何かが生じること、
つまり「運動」が必要なんじゃないかと。
しかも、その「運動」は自分と全く無関係な運動じゃなくて、
自分とその運動が関係を持ち、その際自分がそれを意味づける、
ということが必要なのではないかと思うんです。
(「自分」というのは少し微妙な書き方ですが。)
そこで初めて広い意味での記憶(今まさに「一瞬前」になりつつある現在)
が可能になるとしたら、そしてそれが意識の成立というものと結びついているとしたら、
意識はそもそも外界の運動との交渉より前には生じないんじゃないかな、
と思うんです。
いかがでしょうか。
宿題に戻ります。
初心者さん寝なくていいんですか?
起きてるならまた来ます。
っておれ明日大丈夫かな
−再開−
>>111さん、追加レス
>過去製作の結果の物語と過去自体の議論は混同していいのか?
この違いは、
>>114の僕のレスでは不十分でしょうか?
大森さんは
(過去物語としての過去)”「現在」は存在し、「過去」には存在しなかった。”
(時間論としての過去) ”「現在」も存在しないし、「過去」にも存在しなかった。”
と言っていると思われます。
度々繰り返すように、僕が納得行かないのは後者の方です。
(後者の「時間論としての過去」という定義は正しい用語でしょうか?
正確な呼び名があれば教えてください)
139 :
考える名無しさん:02/08/19 04:27
なるほど。
そっちはそっちで好きなことやれば
いいんじゃないですか、
なんどもいうように、
気持ちが片方に全部いけたら
とっくにしんでる。
利用しあうだけの関係は嫌
140 :
考える名無しさん:02/08/19 04:32
時間論としての過去、それはどうして存在しないんですか?
141 :
考える名無しさん:02/08/19 04:33
>>139 深夜に誤爆ですか
悪いこと言わん
寝ろ
142 :
初心者その1:02/08/19 04:33
>>あっ、オモーリさんハケーン
もうダメです(笑)
とりあえず、今レスつけてくれた人に体力の続く限り!返答しようと思います。
オモーリさんも僕にかまわず、そちらの宿題をすませてください。
レスは急いでないので、ゆっくり読んでマターリマターリと返してください。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< ペヤング食いたい・・
( ) \_______
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(__)_)
143 :
初心者その1:02/08/19 04:42
あっ!簡単なレスハケーン
>>140 >時間論としての過去、それはどうして存在しないんですか?
そうでしょう。そうでしょう。あなたもそう思うでしょう(笑)
僕も”ある”と確信していますよ(笑)
でも大森荘蔵さんは無いと言い切っているのですね。(僕が誤読してなければ)
それを、今解明しようと素人ががんばってるわけです。
時間がある時にでも、始めからレスを読んでくれたらうれしいなぁ。
それで納得できないことがあったら是非参加してください。
当方は全くの初心者です。
よろしくおねがいします
144 :
初心者その1:02/08/19 04:54
>>113 >うん。一応はわかってるんだけどね
な、なにがわかっているんだろう・・・
145 :
初心者その1:02/08/19 04:58
>>118 >適当、もしくは目的Aを伝える為の
書き込みを深読みされて勘違いされていた目的Bが
同じという事。
これはどのスレのことを指しているのでしょうか?
146 :
考える名無しさん:02/08/19 05:00
全て
>>119 >なかなか見込みがありそうだ。
ありがたうごじゃります。
>時間論に関して言うと結論は1を採用しているのだがな。
>素朴な実感としては4に捕らえられるときも多いよ。
えっ!大森さんが述べている「過去は実在しない」は1を指しているのですか?
それで僕みたいに4と受け取っている人は誤読しているということ?
ということは、4というのは”物語としての過去”の方・・
いや、それはない。
大森さんは過去は過去物語だと強調してたから・・
もっと詳しくそれについて説明お願いします。
僕には今のところどう考えても4としか思えないので・・。
とりあえず、棚上げして先に進みたいと思います。
>余談だが3を採ると世界の同一性が成立しないので過去旅
>行は難しくならんか?
そうです。僕は過去旅行はできないと思ってます。(>>84-
>>88)
>概念の詳細が未規定なので字面にだけレスしてるという
>のを予め断っておくよ。
そうですね。哲学は概念の規定が大変厳しいようですね。
そこらへんが僕は曖昧なので、とりあえず僕が考えている範囲で使っています。
わかりにくいところ、はっきりさせて置かねばならない重要な概念がありましたら、
随時ご指摘下さい。
一行レスハケーン
>>146 >全て
>適当、もしくは目的Aを伝える為の
>書き込みを深読みされて勘違いされていた目的Bが
>同じという事。
うーん。よくわからないなぁ。
具体的にどのスレがこういう状況に陥っているのか教えてもらえますか?
>なるほど全部繋がってるやん!
>がんばろう
結果オーライという奴ですか(笑)
僕が勘違いしているなら知りたいのでレスお待ちしています。
>>122 >しかしふつうにひどいよな、おまえら
むっ、それは僕(とりあえず他の人はおいときます)の大森さんに対する解釈がですか?
それとも、それ以前の基礎知識、論理の組み立て方ですか?
おそらく全部でしょうが、随時ご指摘下さい。
具体的に指摘してもらえればうれしいです。
お待ちしてます。
150 :
初心者その1:02/08/19 05:44
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< あと少し・・
( ) \_______
| | |
(__)_)
151 :
初心者その1:02/08/19 05:47
>>125 >夏休み海行って色々なくしたわ
>怪我したけど
童貞とか?
けがには気をつけてね。
152 :
初心者その1:02/08/19 05:49
153 :
オモーリ ◆PSVS10dE :02/08/19 05:52
まめだねー>初心者さん
宿題おわらん
154 :
初心者その1:02/08/19 05:54
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 本日はここまで
( ) \_______
| | |
(__)_)
残りは後日レスします。
以前のレスでもおかしいところはいつでもご指摘待ってます。
今の段階でわからないところは、とりあえず棚上げして、
じっくりとこれから考えていくつもりです。
考えがまとまり次第レスします。
155 :
初心者その1:02/08/19 05:57
156 :
考える名無しさん:02/08/19 06:28
>そうですね。
>僕も「共同的客観世界」があることは認めます。
>例えば、歴史や科学的世界観(進化論、ビッグバン等)がそうですね。
>大森さんも「制度的真理概念」といってその条件を次のようにまとめていますね。
>1.複数の人の証言の一致
>2.自然法則、心理法則等の法則に命題内容がはずれていない。
>3.現在に円滑につながっている。
これは知覚も含めていいんじゃないの?進化論とか物語性の強い
科学的学説に限定しなくても。
>えっ!大森さんが述べている「過去は実在しない」は1を指しているのですか?
いや4だな。1は俺だ(笑)。でも大森もなんだかんだと一旦は1を
踏み台にしていると思うぜ。1を踏まえての4だと思う。
>それで僕みたいに4と受け取っている人は誤読しているということ?
>ということは、4というのは”物語としての過去”の方・・
>いや、それはない。
>大森さんは過去は過去物語だと強調してたから・・
したがって恐らく誤解は無い(笑)。
157 :
考える名無しさん:02/08/19 20:59
歳とって呆けてから時間論を始めたのが残念。
初期の知覚論がすばらしい。
158 :
考える名無しさん:02/08/19 22:48
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 再開
( ) \_______
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(__)_)
>>110 未解答の部分の考えがまとまりましたのでレスします。>ハアア
重要な指摘と思われますので、文節を切って考えていきます。
>時間論はどうでしょうね。過去の非実在説は、知覚の今性を基準とするがゆえに
>非実在というのでしょうね。
そうですね。
大森さんは現在と(想起された)過去の違いを、「知覚経験」と「思考経験」の違いと言ってますね。
現在の体験には、知覚経験が含まれる。
例えば、ハサミで指を切った時は、”痛い”という感覚が働く。
しかし、ハサミで指を切った思い出をいくら想起しても、”痛い”という感覚は働かない。
よって、(想起された)過去とは数学や小説と同じ、思考経験であり命題集合である。
と言っていますね。
僕もそれは賛成します。
ただ、この辺りを読むと大森さんは、
知覚に裏付けられた現在の実在性を疑わず、そうでない過去(の想起)は疑っていますね。
(そこから過去物語へと続いていく)
知覚はそれほど信用できるのでしょうか?(
>>7)
>私は共感しませんが存在の基準の取り方として狭く扱えば整合的に成り立つ考えでしょう。
僕も断固共感しません(笑)
161 :
2チャンねるで超有名サイト:02/08/19 22:51
>過去「として」今、想起する以上、過去の直接証拠提示ができず、証拠の整合性が過去における存在決定の基準だ
>という考えにまず慣れねばなりません。
そうですね。タイムマシンがいまだ開発されていない現在、
過去を確かめる手段は、想起された過去に検討を加える以外ない気がしますね。
大森さんは、この想起された過去は数学と同じ命題集合なので、
制度的真理概念(
>>129)に照らして真偽が決定する、と言ってます。
過去物語ですね。
それは納得できますが、
かといって、そこから「過去(の体験)は過去にも実在しなかった」
は導かれないじゃないかなぁと思う。
そこら辺は現在考え中の
>>78の3の続き(大森理論の検討)で詳しく述べます。
163 :
初心者その1:02/08/19 23:00
>>157 そうですか・・呆けちゃいましたか。
>初期の知覚論がすばらしい
前レスででた『新視覚新論』ですね
>>156 >これは知覚も含めていいんじゃないの?進化論とか物語性の強い
>科学的学説に限定しなくても。
うーん・・。
知覚は共同的客観世界(つまり物語)へと発展しないような気が・・。
知覚経験の集合を”思考(解釈)”して物語になると思いますね。
知覚のみで思考できない赤ちゃんは、
物語を作れない、つまり世界を一つのまとまりとして認識できないような・・。
>いや4だな。1は俺だ(笑)
僕も実は隠れ1です(笑)
>でも大森もなんだかんだと一旦は1を
>踏み台にしていると思うぜ。1を踏まえての4だと思う。
ここが僕が大森さんに問い正したいところです。
つまり、本気で「過去は実在しなかった」と”実感”しているのか?
自分の過去は存在しなかった確信して、日常生活においても(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブルしていたのか?
それとも、あくまで理論を追求していった思考の結果で、心は動かされなかったのか??
そのようなエピソードを知っている方、情報お待ちしています。
166 :
初心者その1:02/08/19 23:49
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 情報求む!
( ) \_______
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(__)_)
>>165で述べたように、
哲学説には一般人の感覚とかけ離れた考えが多いように思われる。
その中には本気で信じたら明らかに日常生活に支障をきたす考え方があるよね?
歴代の哲学者はどうなの?そういった人はいるの?
理論はすごいけど、日常生活では変人扱いされた人はいる?
つまり真の言行一致、自分に対して究極的に誠実な人。
情報求む!
167 :
考える名無しさん:02/08/19 23:50
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 本日は終了
( ) \_______
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(__)_)
初心者さん 初心者とは思われないカキコ 大変興味深く拝見してます
哲学は初心者でも、論理学、数学は一応ご存知?ということでしょうか?
ところで、私も大森さんの三部作から大森さんに入りました
そのエレガントな文体に魅せられ、かつ、過去非実在に大変関心を持っています
あと、広松氏は、私もよく読みました 大体Kurihara氏位の理解です>広松に関して 私
スレッドで絡めるところは絡みたいと思ってます
169 :
考える名無しさん:02/08/19 23:57
皆さんありがとう。
で、
>>166 本気で過去非実在を考えているのは、大森氏と中嶋氏(うるさい日本の私)
だと、中嶋氏が自著で言ってました
大森氏の過去非実在はわかりづらいですが、中嶋氏が自著で
紹介している、分析哲学者のマクダガート(だかダメット)だかの
「時間としての過去」非実在論(だったかな???)は、
大森氏の非実在論にもまして、エキサイティングです
広島原爆に関して、
@出来事があったなら、「論理的に」、過去、現在、未来の区別はなく
A過去、現在、未来の区別があるなら、「論理的に」、出来事が存在しない
というような(^^; 話です
こんな滅茶苦茶な紹介ではなく、しっかりとダメット−マクダガートの
(論理的)時間論を紹介できる方、参戦きぼんぬ(^^;
まずは、参考までに関連する話題のご紹介まで
171 :
Kurihara:02/08/20 00:31
>>77 そうです。客観性はありません。
あるのはせいぜい共同主観性くらいです。
現象(所与)−主観(能知)
| |
意味(所識)−共同主観性(能識)
という四つの肢によって認識や行為を説明するのが
広松さんの所謂「四肢構造論」ですが、それは、
「主観が共同主観性の名において現象を意味として
把握する」と定式化されます。たとえば、その
構造のそれぞれの項に特定値を代入することで、
「私は日本人の名において桜を美しいと把握する」
といった命題や、「私は裁判官の名において殺人行為を
悪であると把握する」といった命題が作れるわけです。
172 :
考える名無しさん:02/08/20 00:33
クリハラ氏は、どういう哲学者をリスペクトしておるのでしよか
173 :
Kurihara:02/08/20 00:49
>>172 柄谷行人さんとカール・マルクスしか
リスペクトしておりません。
174 :
考える名無しさん:02/08/20 00:54
marxは哲学者なんでしょか?
あまりしらんけど 経済学者じゃないの?
175 :
考える名無しさん:02/08/20 00:55
ちがいます。 ただのあほです。
176 :
Kurihara:02/08/20 01:14
>>174 マルクスは経済学にも通じていた哲学者です。
マルクス自身、哲学者ヘーゲルの「弟子」で
あることを公言しております。
177 :
Kurihara:02/08/20 01:25
柄谷さんは「自称」哲学者ですね。
日本国内では文芸批評家で通っていますが、
海外では哲学者で通しているそうです。
なので、柄谷さんも哲学者のカテゴリーに
入れてあげて下さい、お情けで。
178 :
考える名無しさん:02/08/20 01:36
僕は肩書きは結構です。
179 :
考える名無しさん:02/08/20 01:49
ぼく中卒なんで知らないんですが、
リスペクトの訳は「真似」でしたっけ?
180 :
考える名無しさん:02/08/20 01:53
そんな事は思ってないぞ、卑怯者
真似の人もいるけどね
182 :
考える名無しさん:02/08/20 11:07
>うーん・・。
>知覚は共同的客観世界(つまり物語)へと発展しないような気が・・。
>知覚経験の集合を”思考(解釈)”して物語になると思いますね。
>知覚のみで思考できない赤ちゃんは、
>物語を作れない、つまり世界を一つのまとまりとして認識できないような・・。
物語性の強いものにのみ特権?を付与して共同構築的にしなくてもいい
ということだ。知覚も(「共同主観」は手垢に塗れて不適当なので)「
共同客観的」に検証され誤謬が指摘される、としていいと思うぜ。
マクタガートはな。どの程度今までの議論と重なるかを見極めるだけで
十分に議論になる。
183 :
難しい文かかれへん:02/08/20 11:17
運命共同体なのは確信してますが、恋かどうかはまだ思い出してません、ただみんな意識は繋がっているという事。みんな寂しいという事。前世はあるという事。
184 :
考える名無しさん:02/08/20 11:20
宗教板いってください。
185 :
初心者その1:02/08/20 21:23
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< はじめるよ
( ) \_______
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(__)_)
>>168 ねこさん
>初心者さん 初心者とは思われないカキコ 大変興味深く拝見してます
>哲学は初心者でも、論理学、数学は一応ご存知?ということでしょうか?
ありがとうございます。
興味を持っていただいてとてもうれしいです(笑)
当方、全てにおいて初心者、もともとは理系出身です。
大森理論の読解の難しさはもちろんですが、
相手に理解してもらえるための文章の書き方、議論の進め方も難しいですね。
悪いところはおいおい直していこうと思います。
>ところで、私も大森さんの三部作から大森さんに入りました
>そのエレガントな文体に魅せられ、かつ、過去非実在に大変関心を持っています
>あと、広松氏は、私もよく読みました 大体Kurihara氏位の理解です>広松に関して 私
そうですね。
僕もこの『時は流れず』読んでびっくりしました、あまりの文体の易しさに。
著者の誠実さが僕の心に響いたことが、このスレを立てたきっかけです。
僕も誠実に向かい合ってみようと思いました。
廣松さんの方は入門書を一冊読んだのですが、難しくてさっぱり・・・(笑)
>スレッドで絡めるところは絡みたいと思ってます
ぜひ、お願いします。
当方初心者に加え、周りにこれっぽっちも専門家がいないため全くの独学です。
他の人と議論しながら、自分の思考を練ってみようと思っています。
問いが同じならば、大森さん以外の人の理論も聞きたいですね。
廣松さんの時間論も知りたいですしね。
>本気で過去非実在を考えているのは、大森氏と中嶋氏(うるさい日本の私)
>だと、中嶋氏が自著で言ってました
と言うことは大森さんは本気だったんだ・・。
彼の人格は、彼の思想から生まれてきたのでしょうか?
彼の日常のエピソードももっと知りたいです。
>大森氏の過去非実在はわかりづらいですが、中嶋氏が自著で
>紹介している、分析哲学者のマクダガート(だかダメット)だかの
>「時間としての過去」非実在論(だったかな???)は、
>大森氏の非実在論にもまして、エキサイティングです
>広島原爆に関して、
>@出来事があったなら、「論理的に」、過去、現在、未来の区別はなく
>A過去、現在、未来の区別があるなら、「論理的に」、出来事が存在しない
>というような(^^; 話です
>こんな滅茶苦茶な紹介ではなく、しっかりとダメット−マクダガートの
>(論理的)時間論を紹介できる方、参戦きぼんぬ(^^;
マクダガード(?)、さらに輪をかけた変人がいるわけですか(笑)
「過去は実在するか」という一つの命題にも各哲学者、
様々な解釈があるのでしょうね。
うーん、深入りするの怖そう・・。
ぜひ、ねこさんの参戦お待ちしておりますね。
初心者様 エールありがとうございます
広松氏についてですが、私は以前から、氏の認識論には
時間についての考察が少なかったようなように思われるのですが
いかがでしょう >Kurihara様 ご存知でしたらご教示ください
初心者様 広松氏はマルクス主義者です が
(妥当か否かは私には判定できませんが)
分析哲学や現象学、実存主義等、マルクス主義以外の
現代哲学全てについてコメントしています
また、哲学だけでなく、心理学、社会学、経済学等
いわゆる文科系の学問のみならず、物理学、相対性理論
量子力学、人工知能問題等、にも広く言及していて、
そのクロスオーバーなところが、人気の秘密の一つかと
氏の構想としては、認識論、価値論、実践論(だったかな?)
で、自分の哲学を完結させる目論見だったと思いますが
価値論に少々触れて、実践論を展開する前に逝去されました
おそらく、価値論、実践論あたりで、「時間」の問題に
本格的にコミットするつもりだったのではないでしょうか?
哲学は、認識論が「王道」と言われているようで、
確か、大森氏も、主観−客観問題を広松氏ほど
整理、分析した哲学者をほかに知らない、と評価されていたように
思います さきに、kurihara氏の紹介にもありましたが
氏の評価としては、一般に、現代(思想)的な体系的認識論哲学者、
といったところではないかと思います(前述のとおり氏の射程は
もっと遠いところにあったと思われますが)
以上、一応簡単な紹介のつもりです >広松氏の
>そうです。客観性はありません。
>あるのはせいぜい共同主観性くらいです。
あ、あっさりと・・。
ここ、僕にとって非常に重要なので再び突っ込みますよー。覚悟してね(笑)
僕が考えている客観性とKurihara さんのいうそれについてです。
僕が客観世界について考えた時、次の二つを思いつきました。
1.ものの集合としての客観世界 (机や椅子いった知覚で捉えられるもの)
2.抽象的な理論としての客観世界(進化論、宇宙論といった思考で捉えられるもの)
僕は2については確かに客観世界は存在せず、
共同主観(つまり物語り)によって構成されていそうな気がします。
(真理があるような気もしないでもないが・・)
しかし、1の方は確かにあると確信しています。
今、僕の目の前にある机、モニター、キーボードは確かに存在するし、
それがあるかどうかをみんなとの合意で確かめる必要はありません。
(何らかの障害を脳に持っていない限り)
ここでポイントになるのは、認識の根拠となる「知覚」が信用できるかどうかでしょうね。
>>75 僕は
>>7で言ったことと少し矛盾するようですが、信用できるという立場を取ります。
なぜならそれを否定すれば、独我論に陥るしかないと思われるからです。
それとも、Kurihara さんは別の考えを持っていますか?
194 :
考える名無しさん:02/08/20 23:17
素朴実在論?
195 :
Kurihara:02/08/20 23:27
>>190 広松さんの時間論でしたら、
『事的世界観への前哨』に所収されて
いる「時間論のためのメモランダ」に
詳しいですよ。広松さんの凄いところは、
時間についてさえ四肢構造論から説きおこして
しまうところですね。実際上記の論文で
そのように論が展開されております。
まさに体系的思考の達人ですね、広松さんは。しかし
大森さんは広松哲学のこの体系性を「呪縛」として
批判的ではありましたが。その辺はウィットゲンシュタイン
の影響でもあり、広松さんがウィットゲンシュタイン
嫌いになるゆえんでもあるでしょうね。
>>194 あ、なんか知らない言葉出てきた・・・。
「素朴実在論」
言葉から捉えれば、素朴に客観世界を信じる人・・僕?
ちょっと考えさせてくらさい。
ヒントくれればうれしい。
197 :
考える名無しさん:02/08/20 23:35
素朴実在論は模写説の立場
我々の感覚は我々の知覚の外側を精密に模写するというもの
初心者さん kuriharaさん
客観世界論争は不毛です
なぜなら、
1 客観世界が夢でないことは証明できない(独我論、現象学(?))
一方
2 いわゆる現実世界、客観世界が「ないことも」証明できない
ちなみに、私の立場は、議論となっている時間論や可能世界意味論、
量子力学の多世界解釈等からも、いわゆる客観世界の存在
を肯定するかは微妙です が、
共同主観性を「超えた」観測事実を
どのように説明すべきかを、独我論から導き出すことは
困難だと思われる、イコール、仮説として「客観世界」というものを
設定する、というあたりです
先回りしてすみません(^^; 議論続けてください
>>171 Kuriharaさん
>現象(所与)−主観(能知)
| |
>意味(所識)−共同主観性(能識)
>という四つの肢によって認識や行為を説明するのが
>広松さんの所謂「四肢構造論」ですが、それは、
>「主観が共同主観性の名において現象を意味として
>把握する」と定式化されます。たとえば、その
>構造のそれぞれの項に特定値を代入することで、
>「私は日本人の名において桜を美しいと把握する」
>といった命題や、「私は裁判官の名において殺人行為を
>悪であると把握する」といった命題が作れるわけです。
わかりやすくまとめてくれてありがとうございます。
もちろん、内容はサパーリわかりませんが・・(笑)
廣松さんは今までこのスレでも何回も出てきた重要そうな人なので、
大まかな思想の外観だけでも理解したいと思っています。
今は大森さんの時間論の外観を追うのが精一杯なので、
そちらに手をつけることはできませんが、
避けては通れない道。
タイミングを見て、入門書でも読んでみたいと思ってます。
その時は、よろしく!
>>195 kuriharaさん
>『事的世界観への前哨』に所収されて
>いる「時間論のためのメモランダ
ご教示ありがとう
事的は、本はもってませんが、読んだことはあると思います
共同主観性=心理学的な時間の矢、といったところから
現象主義的に時間を語るのかな? なんてね
冗談はともかく、どうなんでしょう
1 あまり手をつけてないのか、
2 手をつける必要がないと考えていたのか >広松氏 時間
私は前者だと思うのですが
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>>197 レスありがたふございます。
なるほど、つまり今僕は目の前の風景をそっくりそのまま認識しているということですね。
頭の中の映像=目の前の風景
うーん、これとは違うかなぁ。
100%完全に認識しているのが素朴実在論ならば、
僕は・・60%ぐらいですかね(笑)
まあ、これは冗談ですが、
完全に外界を認識するというより、人間は不完全にしか認識できない。
だから、人によって意見のくい違いが起こったり、
反対に、経験を積むことにより認識力がアップしたりする・・ような気がする・・。
ちょっとまだ混乱したままなので、もう一度じっくりと考えてみます。
204 :
考える名無しさん:02/08/21 00:12
実在論に対するのは観念論
批判的実在論とか科学的実在論とか形而上学的実在論とかある
どうやってその60%を篩い分けるのか
まー198には同意だが
>>190 あっ、ねこさんハケーン。
詳しい説明ありがとうございます。
そうですか。
廣松さんは守備範囲が広いのですね。
大森さんの弟子(?)なのでもっと素朴に活動しているのかと思いました。
これを見ると、同じ廣松さんの本でもだいぶ視点の異なった内容となってそうですね。
自分の興味のある問いにあったものを選ばないといけないようですね。
>哲学は、認識論が「王道」と言われているようで、
>確か、大森氏も、主観−客観問題を広松氏ほど
>整理、分析した哲学者をほかに知らない、と評価されていたように
そうですか。
ますます興味が出てきました。
とりあえず今は、大森さんの問い「時間」「他我」「意識(二元論)」を読みとるのに必死で、
余裕ありませんが、ある程度外観をつかんだら参考という意味で読んでみようと思います。
その時はお薦めの本教えてね。
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌―─┴┴─―┐
/ つ. お知らせ │
〜′ /´ └―─┬┬─―┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
大森さんの過去実在論(?)の読みとり進めています。
読めば読むほど疑問がわき出て、自分の考えに自信がなくなります。
(読み始めの頃はあれほど、断定的に否定していたのに・・・)
次から次へ自分の考えが変わり(説得され)、このまままとまることはないと思いますが、
きりがないので、とりあえず近日中に公開しますね。
おそらく誤読だらけ、つっこみ放題、入れ食い状態と思われるので、
みなさまの厳しくも愛のこもったレスをお待ちしています。
207 :
考える名無しさん:02/08/21 00:27
クリプキはウィトゲンシュタインの誤読からさらなる展開を見せた
誤読は哲学全体にとっては決して悪いことではないと思う
∧_∧
____(´∀` )_____
| ̄ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄∪ ̄ ̄ ̄||
| ||
| 本日はここまで ||
|___________|l
このあともご意見、反論をおまちしています。
209 :
Kurihara:02/08/21 01:13
>>201 僕も前者だと思いますよ。広松さんは色々と
やるべき課題を抱えすぎたと思いますからね。
主著である『存在と意味』さえも未完ですし。
たぶん、時間論を本格的にやるころには広松さんは
120才くらいになったのではないでしょうか。
210 :
考える名無しさん:02/08/21 01:40
大森著作集全巻買うのと、大森の書いた本全部買うのと、
どっちが安いんでしょ?
せこい話ですまぬ
211 :
初心者その1:02/08/21 22:19
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました
( ) \_______
| | |
(__)_)
>>198 ねこさん
>初心者さん kuriharaさん
>客観世界論争は不毛です
そうですね。
僕にとっての最大の疑問がここなのでつい熱くなってしまって・・。
ご指摘ありがとうございます。
今は、「過去は存在するか?」の問いを考えるのに精一杯、
脇見をするほど余裕はないですね。
いずれ、大森さんの二元論をたどりつつ、この問いも自分で考えてみたいと思っています。
・・と言ったそばから質問があります。主客二元論について(笑)
大森さんは主客未分、主客合一と二元論を否定しています。
「主も客もない、いっさいの分断がまだ生じない原始の混沌にこそ我々の経験の始原がある。」
これがどういう状態なのか、具体的にイメージできませんでした。
それが昨日、ふとそういえば、と思いつきました。
赤ん坊や動物です。
赤ん坊は生まれた時、自分の身体とお母さんの身体が区別がつかないそうですね。
それが、2才ぐらいからその区別がつく(二元論的思考?)ようになるそうです。
動物も同じと聞きます。
大森さんが言いたかった、「主客もない・・・原始の混沌にこそ・・・始原がある。」
とはこの状態のことでしょうか?
もしそうなら、主客未分とは突拍子もない理論ではなく、ごく身近な(それでいてはるか遠い)
思考形態のような気がしてきました。
オモーリさん、Kuriharaさん、匿名さん他、
最近来られる専門の方にぜひ意見を聞きたいと思っています。
>ちなみに、私の立場は、議論となっている時間論や可能世界意味論、
>量子力学の多世界解釈等からも、いわゆる客観世界の存在
>を肯定するかは微妙です が、
>共同主観性を「超えた」観測事実を
>どのように説明すべきかを、独我論から導き出すことは
>困難だと思われる、イコール、仮説として「客観世界」というものを
>設定する、というあたりです
難しいですね・・。
量子力学の世界観も勉強しているのですか。すごいですね。
僕は、”実感として”「客観世界」を感じられますので、この直感を信じ、
ここから出発したいと思います。
(なんか、すぐ説得されそうですが・・)
>>204 >実在論に対するのは観念論
>批判的実在論とか科学的実在論とか形而上学的実在論とかある
なるほど。実在論−観念論と対置されているのですね。
しかも、同じ実在論でもいくつかあるのですね。
大森さんの本にも(カントの)「超越論的実在論」という語が出てきました。
これは、哲学事典でも買わないとだめそうです。
早速調べてみます。
>>207 >クリプキはウィトゲンシュタインの誤読からさらなる展開を見せた
クリプキ・・おもしろい名前ですね(笑)
>誤読は哲学全体にとっては決して悪いことではないと思う
僕の誤読はあまり哲学界には影響を与えないようです(笑)
218 :
考える名無しさん:02/08/21 23:42
219 :
初心者その1:02/08/21 23:51
え、フランケンシュタイン?
ぜんぜん違いますね(笑)
220 :
ショしSン者その2:02/08/21 23:53
哲学界は魔界より危険ですか?
>>182 >物語性の強いものにのみ特権?を付与して共同構築的にしなくてもいい
>ということだ。知覚も(「共同主観」は手垢に塗れて不適当なので)「
>共同客観的」に検証され誤謬が指摘される、としていいと思うぜ。
あ、そうですね。
ご指摘ありがとうございます。
大森さんも数学と同じく知覚も「所与真実性」といってそれ自体は嘘をつかないが、
それが真となるためには必ず「共同客観的」に検証され、そこではじめて審判を受ける、
と言っていました。
指摘され、読み返して気づきました。
ありがとうございました。
222 :
初心者その1:02/08/21 23:59
>220 ショしSン者その2
そうですね。
初心者には魔界より危険です。
>>210 >大森著作集全巻買うのと、大森の書いた本全部買うのと、
>どっちが安いんでしょ?
>せこい話ですまぬ
今日、本屋で大森著『新視覚新論』見てみました。
安い方(全集ではない方)でなんと(けっこう薄くて)5.000エン!
すぐ帰りました。
>>135 >>136 オモーリさん
すぐにレスできなくてすみません。
オモーリさんのレスは深いですね。
なにか安易に答えてはいけないような気にさせますね。(深読みすぎですか?)
もう少しよく考えて返答します。
お待ち下さい。
(宿題がんばって下さい)
225 :
初心者その1:02/08/22 00:16
今日はこの辺で・・
226 :
Kurihara:02/08/22 02:31
>>193 初心者その1さんは「目の前に机がある」という
実感から、客観的世界があることを導出されて
いるようですね。それはある意味わかりますよ。
しかしその机を椅子だと言う人がいたらどうでしょう?
初心者その1さんにはどうしても机に見えないものが、
例えば僕にはどうしても椅子にしか見えなかったとしから、
机の客観的実在性は相当怪しくなりますよね?
客観的実在性とは「全ての人にそう言える」という普遍妥当性
と表裏一体ですが、少なくとも僕には初心者その1さん
にとって確かに実在する机は実在せず、そこには椅子しか
ないのですね、この例では。どう解決しましょう、この例を?
こういう例が極端なら、広松さんもよく出す例である
「虹の色の問題」を出しましょう。
虹といえば言うまでもなく、「七色」ですね、普通は。
「虹は七色だ」とは自明の客観的事実(真理)にみえます。
しかし虹が「三色」に見える人たちがいるのです。
これは文化人類学ではよく知られたことで、名前は忘れました
が、とある部族の人たちは虹が三色にしかみえない
そうなのです。
であるなら「虹が七色なのは客観的事実だ」とはそう安易に
はいえなくなりますよね?虹が客観的に七色なら、
地球上の全ての人に虹は七色に見えていなければなりません
が、そうではないということなのです。
客観性というものが疑問に付されるゆえんですね。
さて、客観性をどう擁護されるでしょうか?
227 :
考える名無しさん:02/08/22 02:37
>>226 でしょうね。
常日頃思ってます。
でも仕方ないです。
ねます
228 :
Kurihara:02/08/22 02:39
>>226 上から五行目は「机にしか見えないもの」の
誤りです。六行目は「したら」の誤りです。
訂正します。
229 :
考える名無しさん:02/08/22 09:29
カントは超越論的実在じゃないだろ
ナンカ最近kurihara君は、まともすぎてつまらない
横レスになるから書かないけど
他の哲学でKurihara君に質問したいときは、
どのスレにカキコすれば確実でしょか?
231 :
考える名無しさん:02/08/22 09:40
80年の現代思想のウィトの特集での4人ぐらいの討議で
広松と大森の対立はおもろかったな
232 :
考える名無しさん:02/08/22 10:30
対立点の要旨は?
233 :
Kurihara:02/08/22 21:37
>>230 別にこのスレに質問を書けばいいと思いますよ。
このスレはすでに僕の管理下に置かれてますからね。
初心者その1さんに気を使う必要など皆無です。
どうぞ、ここで質問してください。
234 :
初心者その1:02/08/24 00:14
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました
( ) \_______
| | |
(__)_)
>>226 Kuriharaさん
わかりやすい例えと説明、ありがとうございます。
ねこさんが言ったように(
>>198)客観世界論争は結論が出ないのでしょうが、
僕の意識(素朴実在論?)もかなり変わってきたこともあり、
もう一度丁寧に考えてみますね。
(続)
Kuriharaさんが例に挙げた、
机と椅子の例(a)、虹の例(b)の認識の違いは脳の機能が原因になると考えています。
つまり、机、虹という客観は確かに存在する。
ただそれを認識する意識(脳)の違いにより、結果(見えている映像)が異なってくる。
また、bについては、その部族は色彩の分類がおおざっぱであるとも言えそうです。
(実際には無限に存在する色を、例えば日本人は1000の色に分類して区別しているが、
その部族は300の色にしか分類していない。よって日本人にとって虹が7つの色に見えるにしても
その部族には3色としか認識しない。
しかし、彼らに日本式の色の分類法を教えれば7色の虹が見える(区別)できるようになる。)
(続)
・・・と10日前までの僕でしたらこう反論して、客観を擁護したでしょう(笑)
しかし、不思議なことに(笑)、ここ何日かで
”客観はないかもしれない””少なくとも証明はできない”
と思うようになりました。
そう考えるのはいいのですが、(僕にとって)驚くべきことは
”客観世界はない””世界は僕の中の意識に現れたものにすぎない”
という独我論を”実感”できるようになったことですね。
(もちろん確信はしていないけど)
逆に、客観は実在すると確信する人に証明してもらいたいぐらいです(笑)
また、「過去は存在したか」から話はずれますが、
僕の中の思考をまとめる意味で少し立ち止まって考えてみようと思います。
(独我論と独今論は同じ根を持っているようですし・・)
238 :
考える名無しさん:02/08/24 00:25
みんな客観はあります。見たくないから見えないだけです、勇気があれば個人差はありますが多少は見えます。
239 :
初心者その1:02/08/24 00:36
えー、ちなみに僕の周りの人達に、
「おまえの過去の経験は実は存在しなかったかもしれんぞ」
「おまえは、俺の意識の中に現れた単なる映像かもしれんぞ」
と試しに言ってみたら、冷たい目で見られました(笑)
(というのは冗談で、結構興味を持って聞いてもらえました。
1ミリたりとも信じてなかったけど・・)
>>229 >カントは超越論的実在じゃないだろ
そうですか・・。
当方カント、一文字たりとも読んでません(笑)
『時は流れず』で大森さんが使っていたので挙げてみました。
「素朴実在論を拒否して、その代わり意識の内部で、
しかもその意識を超越する実在世界を構成する。」
(1時間考えて)あれ・・?。よく考えたらどういう意味かわからなくなってきた・・。
カントって経験できないこと(もの自体、過去自体)の実在は拒否したんですよね?
辞書引いても・・わからない・・。
わかる人、教えてくれませんか。
241 :
初心者その1:02/08/24 01:21
>>233 Kuriharaさん
>このスレはすでに僕の管理下に置かれてますからね。
>初心者その1さんに気を使う必要など皆無です。
なるほど、これが独我論的思考ですね(笑)
242 :
初心者その1:02/08/24 01:23
>>238 >みんな客観はあります。見たくないから見えないだけです、勇気があれば個人差はありますが多少は見えます。
それは宗教的真理のことですか?
243 :
考える名無しさん:02/08/24 01:28
いえ、唯の事実です。
あらためて、「客観は実在しない」を考えて見ました。
1.他我は自我と同じように存在する。それ以外の客観は存在しない。
2.他我も存在しない。存在するのは自我だけ。(独我論)
と、分けて考えてみます。
まず2から。
(続)
・・・反論することはできませんね。今では僕も認めます(笑)
主客の問題を突き詰めていったらどうしても独我論に行き着いてしまいますね。
(そうでない議論があれば教えてください。)
よって、視点を変えて、独我論が真として、
では僕にとって「二元論の世界」が「独我論的世界」に認識が変化したとして、
僕の生活に、もしくはこの世界に、何か変化はあるのか、
ということを考えてみたいと思います。
(続)
というのは、大森さんにとっては、
「客観を否定」し、さらに「過去を否定」することが、
「科学の否定」につながっているように(僕には)思えるからです。
「簡単に言えば、脳生理学のいっさいが不要になる。」(大森)
今の僕にとっては、この真意が全く理解できません。
独我論、独今論が事実としても、こう結論づけることができるでしょうか。
確かに、科学は客観が実在することを前提で成立してますが・・。
(続)
これは重要なので、本題の「過去は存在するか」の考察のあとにゆっくり考えたいと思います。
説明できる人がいれば、教えてください。
お願いします。
大森さんと(脳生理学者)養老さんの対談を読んでも、
いまいちわかりませんでした。
>>243 >いえ、唯の事実です。
具体的に言うとどういうことでしょう。
特にわかりにくいのが、「勇気があれば・・・みえる」
という箇所です。
目の前の椅子を正確に認識しようとするのに、
勇気は必要でしょうか?
それとも、
>>243さんのいう客観とは、進化論や地動説といった、
思考によって得られる客観のことしょうか?
249 :
ちょっと面白い:02/08/24 02:15
つまり科学も宇宙分析の方法の一つに過ぎない。という事ですね。
250 :
考える名無しさん:02/08/24 02:20
全ての「価値」は上と下にわかれます。そこから他我は理解する事ができます。 そして
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌―─┴┴─―┐
/ つ. 質 問 │
〜′ /´ └―─┬┬─―┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
大森荘蔵さんは
「客観」と「過去」の存在を否定し、
そこから「科学(脳生理学)」の否定を導いています。
この真意を説明できる方、またはこの説の虚偽を指摘できる方、
お待ちしています。
(
>>244 -
>>247参照)
252 :
考える名無しさん:02/08/24 02:26
それをふまえた上での独我というものが存在します。 そしてそれ以外にも未来といった独我が存在するわけです。未来は独我以外の絶対無の世界に存在します。
>>249 ちょっと面白いさん
>つまり科学も宇宙分析の方法の一つに過ぎない。という事ですね。
うーん、それならわかるのです。
科学はあくまで物語り(仮説)・・すぎないと言う主張は。
が、僕が読みとった限りでは、
大森さんはもっと過激に「科学は必要ない」
と受け取れるわけです。
「簡単に言えば、脳生理学のいっさいが不要になる。」(大森)(
>>246)
(続)
大森さんはそう言い切った後、
「では、哲学、脳生理学はすべて徒労であり無駄な努力であったか?
(中略)いや、そのようにさせないもくろみが私にはある。」
といって、「重ね描き」という方式を説明しています。
それは僕には、単なる視点の転換、苦しいいいわけに聞こえるんですね。
まあ、この部分はまだあまり読み込んでないので、
また僕の意見は変わるかもしれませんが。
255 :
Kurihara:02/08/24 02:48
大森さんは科学は不要と考えていたのですか?
それが本当なら、すごいですね。
大森さんはもともとは東大の理系の人だったはず
ですからね。
256 :
考える名無しさん:02/08/24 02:51
なるほど、つまり僕が言っていたのはですね、無意識の状態(科学に細分化されていない状態)の方が絶対無を持ってきやすいという事です。 これはわかりますか?
>>252 うーん、難しいですね。
>それをふまえた上での独我というものが存在します。
この”それ”とは「科学の否定」を指しているのでしょうか?
つまり、科学は独我論的世界には必要ないものだ、と。
ここ、僕が気になっているところで、
後でじっくりと考えてみたいと思ってます。
僕は、
「たとえ独我論が真だとしても、科学は必要である。」
という前提で考察をはじめてみるつもりです。
(続)
>そしてそれ以外にも未来といった独我が存在するわけです。
これは、よくわかりません・・・
もう少し易しく説明してくれたらうれしいですね。
>未来は独我以外の絶対無の世界に存在します。
うーん、ますますわからん・・。
絶対無とは・・。禅ですか・・。
259 :
考える名無しさん:02/08/24 02:59
指してるようですね。僕はこの事に気付いたその日から東大の理学部を退部しましたからね。今はインドアジャパニーズアニメーションマニアックの方面で、頑張っています
>>250 >全ての「価値」は上と下にわかれます。
これはわかります。
>そこから他我は理解する事ができます。
えっ、どういうことでしょう?
人はバラバラの価値観を持つので、それぞれの意識は同一と言えず、別々のものに違いない、
ということですか?
>そして
続きキボン
261 :
初心者その1:02/08/24 03:05
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 明日休みだからがんばろう
( ) \_______
| | |
(__)_)
>>250 >>252さん
ああ、わかりました(笑)
これ続きレスだったのですね。
>>256 もそうですよね。
(できれば、HNつけてもらえたら助かるなぁ)
>全ての「価値」は上と下にわかれます。そこから他我は理解する事ができます。
>そしてそれをふまえた上での独我というものが存在します。
>そしてそれ以外にも未来といった独我が存在するわけです。
>未来は独我以外の絶対無の世界に存在します。
>なるほど、つまり僕が言っていたのはですね、
>無意識の状態(科学に細分化されていない状態)の方が絶対無を持ってきやすいという事です。
>これはわかりますか?
わかりません(笑)
が、意味深な意見と思われるので、
よく考えてレスします。
「絶対無」という言葉が、全くイメージできないので
ヒントを与えてもらえたらうれしいですね。
263 :
考える名無しさん:02/08/24 03:27
>>255 あっ、独我論者Kuriharaさんハケーン(笑)
>大森さんは科学は不要と考えていたのですか?
>それが本当なら、すごいですね。
いや、僕もよくわからないのです。
普通に読めば、そう受け取れるわけですが・・。
だけど、僕は大森さんが本当に科学を否定したとは思えないのです。
「脳の研究をすることなんか時間の無駄だ。」
という意味では・・。
それに
>>254で言っているように
科学のみでなく、哲学自体も否定しているようにも思えます。
今の僕にとって、ここが最も気にかかる箇所なので、
「過去論」が一区切り次第、「意識(二元論)」の方に考察を移し、、
この問題を考えてみようと思ってます。
>>259 >指してるようですね。
>僕はこの事に気付いたその日から東大の理学部を退部しましたからね。
>今はインドアジャパニーズアニメーションマニアックの方面で、頑張っています
残念です。
もう少し我慢すれば、僕が「独我論の世界でも科学は必要」
ということを証明したのに(笑)
今の専門でがんばれ!
266 :
初心者その1:02/08/24 03:36
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 腹へった。飯でも食うか・・
( ) \_______
| | |
(__)_)
267 :
Kurihara:02/08/24 03:42
僕は独我論を破壊することは可能だと
思いますよ。即ち、
地球上の全ての人が独我論者になればいいのです。
そうすれば、独我論の「外部」がなくなりますよね。
そうなれば、誰も自分のことを独我論者だと自己規定
出来なくなりますね?
「自分は独我論者だ」という自己規定は、「自分は独我論者
ではない」というのの否定においてありますが、
全ての人が独我論者になってしまえば、その否定が
成り立ちません。だから、その時、「自分は独我論者だ」
といえる人はいなくなり、独我論は破綻しますよね。
268 :
初心者その1:02/08/24 04:34
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< そばは堅麺に限る
( ) \_______
| | |
(__)_)
>>267 Kuriharaさん
>僕は独我論を破壊することは可能だと思いますよ。
独我論の否定・・。
さすが、Kuriharaさん。勇気がありますね(笑)
論理学的にはそうなるのですか?
でも、やはり僕以外のすべての人が「独我論者である」と主張しても、
僕にとってしょせん意識の中の幻が言っているにすぎない、
としか言えないような気がしますが・・
どうでしょう。
(続)
あっ、一つ思いついた。
同じ独我論でも二つありません?
1.世界には本当に僕の意識一つしか存在しない
2.世界にはたくさんの意識が存在するが、それぞれの世界が交わることは全くない。
1は(普通に考える)唯一独我論(?)です。
2は多数独我論(?)です。
2を補足すると、
一つ一つの意識は独立して自分を主役として幻を見ている。
でも、そのような閉じられた意識はたくさん存在している。
・・・これは独我論とは言えないのかな。
>>270 うーん、わかりにくいかな。補足
別々の幻について。
例えば、僕はたまたま3次元空間の地球に住む
日本人初心者その1という設定で生きているが、
別の幻では10次元の世界に生きる得体の知れないもの
という設定で生きている。
お互いの設定に何一つ共通点はない。
つまり、この地球の人間という設定はただ僕ひとりの幻ということ。
・・・まだ、わかりにくいか。
272 :
初心者その1:02/08/24 05:04
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< おしまい
( ) \_______
| | |
(__)_)
また過去論に入れなかった・・
273 :
考える名無しさん:02/08/24 12:10
初心者さんがんばるねぇ
274 :
考える名無しさん:02/08/24 12:26
>カントは超越論的実在じゃないだろ
>そうですか・・。
>当方カント、一文字たりとも読んでません(笑)
>『時は流れず』で大森さんが使っていたので挙げてみました。
>「素朴実在論を拒否して、その代わり意識の内部で、
>しかもその意識を超越する実在世界を構成する。」
超越論的に経験の条件を吟味し経験的実在を救った(構成した)んだよ。
275 :
考える名無しさん:02/08/24 12:30
>よって、視点を変えて、独我論が真として、
>では僕にとって「二元論の世界」が「独我論的世界」に認識が変化したとして、
>僕の生活に、もしくはこの世界に、何か変化はあるのか、
>ということを考えてみたいと思います。
あんま変わん無いんじゃ。素朴実在で生きていくしかないだろ。
世界が変容しなくともその見え方が変わるって凄いことだぜ。
哲学ってそういうものかもしれんぜ。
276 :
考える名無しさん:02/08/24 12:35
>大森荘蔵さんは
>「客観」と「過去」の存在を否定し、
>そこから「科学(脳生理学)」の否定を導いています。
おいおい、レトリックだよ、冗談交じりの。大森はこういうの多い。
でも本気と言えば本気だろうな。物理的な作用に意識は還元されない
から物理状態として意識を扱う脳生理は不要だってな。
でも、実際に科学が「効果的」であることは見認めてたと思うぜ
277 :
初心者その1:02/08/25 00:16
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました
( ) \_______
| | |
(__)_)
>>275 >あんま変わん無いんじゃ。素朴実在で生きていくしかないだろ。
>世界が変容しなくともその見え方が変わるって凄いことだぜ。
>哲学ってそういうものかもしれんぜ。
確かにそうですね。
僕もまさかここまで世界を見る目が変わるとは・・
大森さんの本を読みはじめてわずか10日ほどですよ。
読んだ当初は「過去は実在しない」にすごい反発を覚えたものですが、
今では「そうかもしれない、いやなんかそのような気がしてきた・・」
ですからね。(笑)
でも、たとえ僕が100%過去の非在を実感しても、
現在の生活は全く変わらないようですね。
たとえ、僕(みんな)の信じている過去が”物語”であっても、
それはすべての人々の「今」を支えている大切なものですからね。
(でも、世界の見方が変わるのは驚きですね)
279 :
考える名無しさん:02/08/25 00:20
それはちょっといいまとめやな。 がんばろう
>>276 >おいおい、レトリックだよ、冗談交じりの。大森はこういうの多い。
そうですか?
冗談ではないような気がしますが・・。
(もしおふざけで言っているなら、即刻読むのやめます(笑))
>でも本気と言えば本気だろうな。物理的な作用に意識は還元されない
>から物理状態として意識を扱う脳生理は不要だってな。
>でも、実際に科学が「効果的」であることは見認めてたと思うぜ
そうですよね。
僕も、心身問題を解くことは脳生理学には不可能という意味で、
その研究によって我々が享受できる利便性は肯定している、と解釈したいのですが・・。
大森さんだって、病気になれば病院行くだろうし・・。
でも、なんか違う気がするのですよ。
もっと過激に・・。
この部分はまだ読み込んでないので、
いずれじっくりと考えてみようと思ってます。
>>273 >初心者さんがんばるねぇ
がんばってます(笑)
というより止められないんですよね(笑)
先が知りたくて・・・。
もっと他にやりたいことがあるのですが・・。
暇があれば、これらの問いを考えてしまう今日この頃です。
282 :
オモーリ ◆PSVS10dE :02/08/25 00:41
久しぶりに来てみたらこりはまたどうもすごい量で>初心者さん
またもレスをちゃんと読まずにカキコします。
ちょっと前に「知覚」があてになるかならないか、
って話になってませんでした?
それで思ったんですが、
かつて車に轢かれそうになった時の記憶を想起しても、
車には轢かれないですよねぇ。
ところが、車に轢かれそうだと「知覚」している時には、
その現実性を疑ってる間に轢かれますよね。
知覚を疑うことは可能だけど、疑うと怪我をする
というのが「知覚」の「現在性」の特徴だと思うんですがいかがでしょう。
(共同性という点から一人の身体へと理論的には後退してますが)
ってそういう話とは違うのかな。
空気読んでません。
しばらくしたらもう一回来ます。
>>274 >超越論的に経験の条件を吟味し経験的実在を救った(構成した)んだよ。
あー、専門用語が出てきましたね。
ちょっと本で調べてきますね。
284 :
初心者その1:02/08/25 06:31
・・・・・・はっ!いつのまにか寝てしまった・・・。
あっ、オモーリさん久しぶりです。
また夜にカキコします。
永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』
中島義道『哲学者とは何か』『時間と自由』『「時間」を哲学する』
青山拓央『タイムトラベルの哲学』
でも読んでおけ。『哲学者とは何か』では大森との対談もある。
中島の『生きにくい』でも大森論があるな。初心者の言う大森の危うさ
について論じているよ。大森って死ぬ直前まで「私は何も知らない」と
連呼していたらしいな。凄い人だ(w
287 :
考える名無しさん:02/08/25 13:51
野矢茂樹の『哲学航海日誌』『哲学の謎』もいいかもな。
『論理トレーニング』で思考を磨くのもまた良し。
初心者はセンスあると思うぜ。
288 :
初心者その1:02/08/26 00:45
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました。すぐ帰りますが・・
( ) \_______
| | |
(__)_)
>>285 上級者さん
アドバイスありがとうございます。
当方、独学のため情報がほとんど入って来ず、
このようにお薦めの本など教えてもらえたら助かります。
以前、永井均さんの「子供のための哲学」を読んで
哲学に大いに興味を持ちました。
「つまり哲学とは、他の人が上げ底など見ないところにそれを見てしまった者が、
”自分自身を納得させるために”それを埋めていこうとする努力なのである。」(永井)
(””記号は初心者が付加)
カントやヘーゲルなどは全くわかりませんが、
永井さんのこの言葉に感銘を受け、自分で考え、自分を納得させるために、
このスレを立ち上げました。
また、
「哲学の議論は・・・・自分では気づかない自説の難点や弱点を相手に指摘してもらう
ことだけを目指して行われる。
僕の経験した範囲では、大森荘蔵さんと議論した時、彼が完璧に哲学的であると感じた。
大森さんは現在の自説が有効に論駁されることしか興味を持っておられないようであった。」(永井)
この部分を読んで、大森さんとはどのような人か知りたくなりました。
今は大森さんの考えを理解するのが精一杯ですが、
時間の合間にこれらの本いくつかを読んでみたいと思います。
>>279 >それはちょっといいまとめやな。 がんばろう
そうですね。ありがとうございます。
今のところ
>>278のように(自分に都合のいいように)解釈しています。
ただ、僕が大森さんに近づこうとしているのは、
そのような自分にとって役に立つ考えを学ぶためではないのです。
反対に、自分の信じた思考が、
自身にとって社会にとって否定的な恐ろしい考えであっても、
思索者としてそれを誠実に受け入れるとはどういうことか、
ということを知りたいのです。
大森さんは自分の考えの恐ろしさに気づき、
それでいてそれを勇気を持って受け入れた気配があります。
僕は、その恐ろしい深淵を覗いている大森さんを通して、
「誠実に考えるとはどういうか」を学びたいのです。
292 :
初心者その1:02/08/26 01:15
それでは・・・また
293 :
考える名無しさん:02/08/26 01:17
誠実に考える=結局は共存、生産、を求めるって事?
294 :
考える名無しさん:02/08/26 01:19
メルロ=ポンティの独我論から間身体論への展開はどう?
>>289 >「つまり哲学とは、他の人が上げ底など見ないところにそれを見てしまった者が、
>”自分自身を納得させるために”それを埋めていこうとする努力なのである。」(永井)
> (””記号は初心者が付加)
間違ってるな.こんなもの哲学でも何でもない.
ひとつの定義としてありだろ。前提を措かないってのは。
前提懐疑ってのも問題を孕んではいるがの。
298 :
考える名無しさん:02/08/27 00:34
初心者さんは本物の哲学者だ。こうありたいと思う。
299 :
考える名無しさん:02/08/27 00:35
稲は本当にレベル低いな。
301 :
考える名無しさん:02/08/27 00:47
稲さんは大学関係者なの?
302 :
考える名無しさん:02/08/27 08:36
稲は、またいいこといった!!!
低くて結構!!!
303 :
考える名無しさん:02/08/27 19:09
稲より初心者のほうが良さげにみえる(w
305 :
考える名無しさん:02/08/27 19:19
君よりは上級。
別に初心者を目の敵にしてるわけではないけど,大森荘蔵が,「哲学とは自分自身を納得させるために,
それを埋めていこうとする努力だ」と言うとは思えないがな.
もう少しみんな大森先生の気持ちをわかってあげないと.
307 :
大盛り先生:02/08/27 19:30
先生は運が悪いから生徒達に埋められているんです。
>>267 そういうめちゃくちゃな論法を勝手に作り出してはだめだろ.独我論のテーゼは簡単で
「私だけが世界に存在する」
ということだから,外部もくそもへったくれもない.
>>270 重要なのはその区別によって独我論の何が区別されて,何が違うのかということだね.
僕は何も変わらないと思うけど.だからそんな風に独我論を区別したって意味ない.
310 :
考える名無しさん:02/08/27 20:07
>大森荘蔵が,「哲学とは自分自身を納得させるために,
>それを埋めていこうとする努力だ」と言うとは思えないがな.
>もう少しみんな大森先生の気持ちをわかってあげないと.
というと?埋めると言うよりは掘る?
311 :
初心者その1:02/08/27 20:45
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました。
( ) \_______
| | |
(__)_)
古本屋で、大森荘蔵著『新視覚新論』『流れとよどみ』買ってきました。
少し読んでみたのですが、またまた不可思議なことが書いてありました。
ますます読むのが楽しみになりました(笑)
>>282 オモーリさん
レス遅くなりました。
>ちょっと前に「知覚」があてになるかならないか、
>って話になってませんでした?
今回はオモーリさんの言いたいことが良く理解できましたよ(笑)
「知覚」の特徴について、自分なりにまとめてみました。
1.意志でコントロールできない
2.現在においてのみ現われる。
1.について
確かに「知覚」は常に正しいことを教えはしないけど、
意図的にうそはつけません。
例えば、遠くに友人が見えたので駆け寄っていったら、
別の人だった、という経験。
結果的には知覚(視覚)は間違っていたわけです。
でも、自ら意識的に見間違えることはできませんよね。
手を切って「痛い」と感じる知覚(痛覚)を、
意志の力で「心地よい」と変えることはできません。
そのように、意志の力では変えようもない、自分でコントロールできず、
どこかから勝手に現れ出てくる、それが「知覚」の一つの特徴ですね。
2.について
また、「知覚」は常に現在においてしか現れず、過去の想起や未来の予期には
現れないのが二つ目の特徴でしょう。
大森さんは「想起(過去の思い出し)」とは知覚体験でなく、思考体験(言語命題)であり、
よって想起は数学や小説と同じ次元のものであると言っていました。
大森さんはそこから、過去(想起)とは「過去物語である」、という結論を導いていましたが、
それはまた今度書いてみます。
・・・こんなもんでいかがでしょう(笑)
以前に比べたら、オモーリさんの言いたいことが理解でき(た気がし)ます。
少しは僕の認識に進歩があったようです(笑)
あっ、たくさんレスが来てる・・・。
まずは
>>293から・・。
>誠実に考える=結局は共存、生産、を求めるって事?
ここでいう共存、生産がどういう意味かわかりませんが、
僕が言いたかった「誠実さ」とは、
「自分(の信念)に嘘をつかず、ごまかさない」
という意味です。
>>294 >メルロ=ポンティの独我論から間身体論への展開はどう?
メルロ=ポンティ・・・・・めるぽん?・・・(クスッ)かわいらしい名前ですね。
全く知りません!
>>295 >初心者応援、歓迎アゲだ。
応援ありがとうございます。
ますますガンガリます。
>>296 稲さん
>間違ってるな.こんなもの哲学でも何でもない.
そうですか・・。
ここのところは、僕には大切な箇所なので少し立ち止まって考えてみたいと思います。
つまり、”僕にとって”哲学とは何であるのか、ということです
僕は哲学の専門家でもないし、将来そうなろうとも思っていません。
特定の哲学者の学説に精通したいわけでもないし、
哲学の歴史をまんべんなく学びたいわけでもありません。
では、何のためにこのようなことをするのか?
(続)
それは、
「多くの人々が当たり前と思っている世の中の常識、前提(上げ底)に僕が疑問を感じた時、
その前提を解体し、一から”自分で”考え直してみるための方法」
を身につけたいからです。
別の言葉で言えば、
「人の自我は不安定であるので、常に支えが必要である、という仮説がありますが、
その支えを他力(宗教や常識等)に頼らず、自分の力で創りたい」
ということでもあります。
(続)
人は時代や地域といった様々な枠組みに縛られて生きざるをえません。
そのような束縛から、自由に物事を考えることは至難の業ですが、
ぼくは哲学にその可能性を感じたわけです。
その意味で、
>>289の永井さんの文章を引用し、このスレのテキストとして、
とことん自分の頭で考えると聞いた大森荘蔵さんを選びました。
僕自身は「哲学をしている」という(おこがましい)意識はなく、
「当たり前と思っていたことを(大森さんと対話しながら)自分で考え直してみる思考の訓練」
と思って行っています。
その副産物として、世界の見方が変わるおもしろさがついてくる(これが大きい!)と考えています。
様々な哲学者が絞り出した、輝かしい思考の結晶を学ぶことも楽しいのでしょうが、
それ以上に、彼らの不可思議かつ非常識な問いとその思考の過程に興味があります。
(続)
おそらく、専門家の人から見れば全く的はずれなことを言っていることでしょう。
しかし、もし他の初心者の人から「哲学って役に立つの?」と聞かれたなら、
「世の中の前提(上げ底)を白紙に戻し、一から自分で考え直してみる哲学的思考は他の分野の人にも役に立つよ」
と自信を持って答えると思います。
僕は(今は)こう考えています。(またすぐ変わったりして・・・)
稲さんにとっての哲学とはどういったものですか?
専門家の人の考えも聞いてみたいです。
322 :
初心者その1:02/08/27 22:13
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 飯でも食うか・・・
( ) \_______
| | |
(__)_)
そうだね〜,僕にとっての哲学は「職業」だね.まあ初心者は商売でやる気はないから
あれは違う,これは違うと言っても意味ないんだけど.
「哲学って役に立つの?」と聞かれればはっきり言って役になんかたたないな,哲学は.
だけどそんなことで悩んだことないな.そんことに悩んでたって論文は書けないしね.
まあ大森荘蔵だったらいいんじゃない.ただあまり永井はお勧めできないな.たしかに哲学
を覚えたばかりの人は永井の文章に魅力を感じるかもしれないが,あの人は「ああやっては哲
学はダメ」という典型だからな.大森と永井はどっちも独我論だから似てるように見えるかも
しれないけど,根本的に精神構造は違うと思うな.大森は大哲学者だと思うけど(もっとも哲学
は間違っているが),永井を大物だとは感じないな,僕はね.
324 :
考える名無しさん:02/08/27 22:50
その真意は?永井も徹底してるジャン。
325 :
考える名無しさん:02/08/27 22:52
やっぱり初心者のほうが稲より良い。
哲学は役になんか立たない。
実学じゃないからね。
芸術や宗教が役に立たないのと同じです。
327 :
考える名無しさん:02/08/27 23:01
でもコンピューターやロボットの基礎だろ。
哲学は何をする学問なのかと聞かれたら,そんなの「真理を探究する」に決まってる.
「そんな今時」と感じるかもしれないが,プラトンの時代からそうだし,今だって哲学は真理を
探求する学問に違いはない.これは分析だろうが実存だろうが関係なしにそうだ.もし仮にこの
大前提を否定するなら,せいぜいお情けで「哲学」って言われてるだけなんだよね.
で,永井はこの大前提を落としてる.哲学の問題は一般性をもってるんで,そうでなきゃ真理
なんか初めから問題にならなくなる.だから哲学は「自分自身を納得させるために」やるもんじゃ
ない.大森荘蔵は独我論だけど,だれでもちゃんと考えれば独我論が正しいって本気で考えてるん
だよね.大森は「自分自身を納得させるために哲学をやってます」なんて絶対口にしないな.
329 :
考える名無しさん:02/08/27 23:09
>>327 哲学はコンピューターやロボットを作るための学問ではないです。
芸術や宗教も、結果的には人を喜ばせたり、慰めたりすることで、
役に立っていると言えるかもしれないが、
「役に立つ」ということとそれらを結び付けてしまうと、
哲学、芸術、宗教の本来性が失われてしまうような気がする。
>>323 稲さん
早速レスありがとうございます。
稲さんは専門家、しかもかなり詳しい方と見ましたので、
力強い味方が来たと喜んでいるところです。(笑)
>大森と永井はどっちも独我論だから似てるように見えるかもしれないけど,
永井さんは知りませんが、大森さんは独我論ですか?
確かに主客二元論は執拗に否定していますが、単純な意味での独我論(
>>308)
ではないような気がするのですが・・・。
そこのところまだ、読み込みが足りないので今はっきりとは言い切れませんが、
いずれそのことについても詳しく述べるつもりです。
その時はご指摘、反論お願いします。
(初心者だからと言わず、遠慮なくお願いします。そのためにスレを立てました。)
(続)
>大森は大哲学者だと思うけど(もっとも哲学は間違っているが)
どのように間違っていると思いますか?
僕も納得いかないところが少々(多々?)あります。
例えば、
>>251。
または、主客二元論を否定し、物心一如の一元論について述べた次の部分。
「「想起」とは、心(脳)の中で起こる現象でなく、
現在と同じ風物と同じ時間と同じ空間の中に立ち現れる現象のことである。」(大森)
(続)
僕には、明らかに想起(過去の思い出し)とは脳の中での現象であり、
少なくとも、一般的にいう客観世界(とあえて言わせてもらいます)の現れとは、
全く別の現象であると思います。
これらはまだ読み込んでいないので、大森さんの真意はわかりませんが・・・。
ただ、彼のいう物心一如の一元論という世界の見方はわからないなりに興味があります。
稲さんにとって大森理論の誤りは(心身問題に正解があるとは思いませんが)、
どこだと思いますか?
>>306 >>328 稲さん
>「つまり哲学とは、他の人が上げ底など見ないところにそれを見てしまった者が、
>”自分自身を納得させるために”それを埋めていこうとする努力なのである。」(永井)
これは大森さんがいった言葉ではなく、永井さんがいった言葉です。
334 :
初心者その1age:02/08/27 23:25
>>326 >哲学は役になんか立たない。
>実学じゃないからね。
>芸術や宗教が役に立たないのと同じです。
哲学や宗教はわかりませんが、
芸術(といういかめしい言葉は好きではありませんが)は役に立ちますよ(笑)
芸術=自分を表現する、と定義を拡大しても、それ無しでは生きていけない人がいます。
僕にとっても大いに役に立っていますよ。
335 :
考える名無しさん:02/08/27 23:27
>>334 「役に立つ」をそのように拡大解釈すれば、
この世に役に立たないものは無いでしょう。
>>329 >芸術や宗教も、結果的には人を喜ばせたり、慰めたりすることで、
>役に立っていると言えるかもしれないが、
>「役に立つ」ということとそれらを結び付けてしまうと、
>哲学、芸術、宗教の本来性が失われてしまうような気がする。
僕もそう思います。
>>335 >「役に立つ」をそのように拡大解釈すれば、
>この世に役に立たないものは無いでしょう。
そうですね。
人間がやっていることで、
役に立たないものはほとんどないと僕は思っています。
役に立つことを第一の目的に行うわけではないのでしょうが、
結果として人の役に立つ、ということはたくさんあるのでは?
芸術も哲学も・・・。
いろいろ書いてるくせになんだと思われるかもしれないが,大森荘蔵について詳しいと
研究したなんてことは一度もないんだけどな^^.まあそれはそれとして.
>明らかに想起(過去の思い出し)とは脳の中での現象であり
どうかな.独我論を擁護する気はないけど,想起を脳の現象に還元するのは大変なんじゃない.
物心一如って心身問題というより存在論だろうな.知覚を通して説明されるから心身問題のように
思えるだけでしょ.それは存在論の問題だと思う.で,何で僕がそれは間違ってると思うのか.理由は
簡単で,主客って主観と客観でしょ,そんなの違うに決まってるから.
物心一如から独我論が導かれるわけじゃなくて,独我論から物心一如が導かれてるんだよね.だから
独我論を否定してしてしまえば,物心一如も導かれないし,主客二元論を否定する必要もない.じゃあ
なぜ独我論が間違っているかと言えば,それが間違ってるからだよな.
じゃあなんで大森が独我論が正しいと考えているかというと,多分,知覚動詞「触る」「見る」「聴く」
の最初にいつも「私が」がくっついてる.だから「花子が本を見ている」なんてのは無意味な命題なんだと
思うよ.要は「(私が)聴く」でないとそもそも何のリアリティーもないと考えてるんじゃないかな.僕は
全然そんな風には考えないので,独我論は正しいとは思えないんだよね.
339 :
考える名無しさん:02/08/27 23:35
>>337 はい。
でも、哲学の場合は、「役に立つとは、どういうことか」から
考えなければならない。
340 :
考える名無しさん:02/08/27 23:36
>芸術や宗教も、結果的には人を喜ばせたり、慰めたりすることで、
>役に立っていると言えるかもしれないが、
>「役に立つ」ということとそれらを結び付けてしまうと、
>哲学、芸術、宗教の本来性が失われてしまうような気がする。
>で,永井はこの大前提を落としてる.哲学の問題は一般性をもってるんで,そうでなきゃ真理
>なんか初めから問題にならなくなる.だから哲学は「自分自身を納得させるために」やるもんじゃ
>ない.大森荘蔵は独我論だけど,だれでもちゃんと考えれば独我論が正しいって本気で考えてるん
>だよね.大森は「自分自身を納得させるために哲学をやってます」なんて絶対口にしないな.
いやあ口にするだろw。高潔な人格であることに異存はないが。
それはそれで。
341 :
考える名無しさん:02/08/27 23:37
名前:考える名無しさん :02/08/27 23:36
>芸術や宗教も、結果的には人を喜ばせたり、慰めたりすることで、
>役に立っていると言えるかもしれないが、
>「役に立つ」ということとそれらを結び付けてしまうと、
>哲学、芸術、宗教の本来性が失われてしまうような気がする。
それはそれでw。修正だ。
342 :
考える名無しさん:02/08/27 23:40
>哲学はコンピューターやロボットを作るための学問ではないです。
>芸術や宗教も、結果的には人を喜ばせたり、慰めたりすることで、
>役に立っていると言えるかもしれないが、
でも図らずも基礎だろ。青山や柴田や信原の仕事は。
>>339 そんなこと考えたって役に立たないものを役に立つようにできるわけないじゃん.
そうやってごまかしてるから哲学は胡散臭くなるんだって.
344 :
考える名無しさん:02/08/27 23:47
>そんなこと考えたって役に立たないものを
>役に立つようにできるわけないじゃん. そうやってごまかしてるから哲学は胡散臭くなるんだって.
百万べんの議論なのだが。間接的には「実用面」でも役に立つだろ。
それに世界に疑問を抱いている奴にも助けになる。
345 :
考える名無しさん:02/08/27 23:51
>>344 間接的に役に立たないものなんて存在しない。
哲学の価値は、役立つかどうかによって左右されない。
346 :
考える名無しさん:02/08/27 23:53
賛同だよ。間接的「にも」役立つってこと。
347 :
考える名無しさん:02/08/27 23:54
「役に立つ」という語について深く考えずに述べるならば
とりあえず哲学がどんなに素晴らしい功績を残しても
それが国家にとって目に見える利益となって帰ってこない
結局は知的財産という名の権威でしかない
それでも哲学は素晴らしいものではあると思うけどね
348 :
考える名無しさん:02/08/27 23:56
実学なんてくそだからな。
349 :
考える名無しさん:02/08/28 00:06
ばかばっかだからな。人間。哲学が受け入れられることは
一生無い。
>>338 稲さん
レスありがとうございます
僕には少々難しい内容なので、勘違いして解釈しているかもしれませんが、
その時はご指摘下さい。
質問です。
1.稲さんは主客二元論が正しいと思っているのですか?つまり、客観世界は実在すると。
2.大森さんは本当に独我論者ですか?
(続)
2について補足。
大森さんは本当に(単純な意味での)独我論ですか?(
>>330)
大森さんは客観世界は否定していますが(物心一如の一元論)、
他我については存在を認めているようです。
>>331 -
>>332の想起の例と同じく、
人が恐怖するということについて次のように言っています。
例えば、夜のお墓を怖れる人は、そのお墓自体(客観世界)が恐怖な何かに変化する訳でなく、
その人の心がそれを怖れてしまうと考える。つまり、恐怖に変化するのは心の方だと。
普通の人(主客二元論者)は、そう考えます。
(続)
352 :
考える名無しさん:02/08/28 00:11
他分野の有能な連中が哲学帰りをしていることも
考慮するべき。
しかし、大森さんは客観世界が恐怖の世界に変わると言っています。
心が恐怖するとは、その対象(お墓)が恐怖に変わると・・。
(これが物心一如だと僕は解釈しています。)
ここで、大森さんは他我についても同じようにそれぞれの世界が現れると言っています。
同じ夜のお墓を見てわくわくする人は、わくわくする世界として現れると・・。
「そして同じ一つの世界が十人に十色の彩りで立ち現れる。」(大森)
つまり、他我の存在は否定していないと僕は解釈しています。
354 :
考える名無しさん:02/08/28 00:16
>しかし、大森さんは客観世界が恐怖の世界に変わると言っています。
>心が恐怖するとは、その対象(お墓)が恐怖に変わると・・。
>(これが物心一如だと僕は解釈しています。)
それは実感としては飲み込めるけど二元の反駁としては弱い。
>「そして同じ一つの世界が十人に十色の彩りで立ち現れる。」(大森)
>つまり、他我の存在は否定していないと僕は解釈しています。
十人十色ってのが「常識的」な独我論なんじゃないか?「十人」という
時点で既に他我が内包されてるが。それを言ったらあらゆる種類の「独我論」
者の論拠は薄弱になる。
>>339 >でも、哲学の場合は、「役に立つとは、どういうことか」から
>考えなければならない。
なるほど。哲学的思考(?)ですね(笑)
僕は今の問い(時間、二元論)で精一杯なので、
これ以上問いは抱えたくありません
よって、僕はこの議論(哲学は役に立つか?)から降ろさせていただきます。
みなさんはこのままどうぞ(笑)
356 :
考える名無しさん:02/08/28 00:19
「役に立つ」自体が多元的で曖昧だからな。不毛。
357 :
考える名無しさん:02/08/28 00:23
稲は思わせぶりでそのくせたいしたこと無いからな。
>>354 >それは実感としては飲み込めるけど二元の反駁としては弱い。
そうですね。
僕もここの部分は”?”ですね。
>十人十色ってのが「常識的」な独我論なんじゃないか?「十人」という
>時点で既に他我が内包されてるが。それを言ったらあらゆる種類の「独我論」
>者の論拠は薄弱になる。
そうですか?
このように他我の存在も認めるのも独我論というのですか?
僕は、
「世界には自分以外存在しない。
目の前に現れ出ているのは、(他人も含めて)すべて脳内の映像である。」
が通常の独我論だと思っていましたが・・・。
359 :
考える名無しさん:02/08/28 00:28
それでいいが、「すべての他者」とか「十人」とかいうのに
他者概念が何らかの形で読みとれてしまうということ。
程度はどうあれ。
>>359 >それでいいが、「すべての他者」とか「十人」とかいうのに
>他者概念が何らかの形で読みとれてしまうということ。
>程度はどうあれ。
なるほど。
それで、ちょっと質問があるのですが、独我論を論破している、
もしくは主客二元論を擁護している理論(哲学者)はいるのですか?
初心者ながら、独我論、これ最強。
と理論的には思えてしまうのですが・・・。
僕自身信じていませんが、理屈として反論できそうにないと思えてしまいます。
誰か知りませんか?
361 :
考える名無しさん:02/08/28 00:36
いや、最強だよw。
362 :
考える名無しさん:02/08/28 00:39
コテコテバリバリの実証自然科学くらいだね。そんなのいるの?
361
>いや、最強だよw。
やはり(笑)
では、二元論、もしくは独我論以外の理論を擁護している哲学者は
誰もいないのですか?
364 :
考える名無しさん:02/08/28 00:40
読みかたによってはカントとフッサール。あと永井もひねくれた
形で。
なるほど。
哲学界では、独我論的考え方が主流なのですね。
確かに、そこのところは普通の科学者と正反対ですね。
では、それらの哲学者が本気で信じているとして、
彼らの人生観はそれで変わったのでしょうか?
僕だったら、目に見えているものはしょせん幻想(夢)と考えるので、
やりたい放題して速攻刑務所にたたき込まれそうですが(笑)
(例の池田小の殺人犯も本気の独我論者のような気が・・)
366 :
初心者その1:02/08/28 00:49
この辺で失礼します。
今日は良い議論ができました。
367 :
考える名無しさん:02/08/28 00:51
変わった(変わってる)と思うぜ。
>僕だったら、目に見えているものはしょせん幻想(夢)と考えるので、
>やりたい放題して速攻刑務所にたたき込まれそうですが(笑)
>(例の池田小の殺人犯も本気の独我論者のような気が・・)
独我論と意識していたかはどうだろうな。本気だったらすごいよな(w
368 :
考える名無しさん:02/08/28 00:51
独我論が哲学の主流?
初めて聞いたぞ。
369 :
考える名無しさん:02/08/28 00:52
主流とは言いきれんよな。
370 :
考える名無しさん:02/08/28 00:57
でも、哲学者なら何らかの形で独我論の問題に関わっているだろう。
それに感覚的にも親しい奴は多いと思うぜ。
おいおいわけのわかんない議論になってるな^^.
まず,
>>350 >1.稲さんは主客二元論が正しいと思っているのですか?つまり、客観世界は実在すると。
>2.大森さんは本当に独我論者ですか?
1.当然.2.でしょうね.大森が独我論でなければ何を独我論というのかわかんないな.
でたぶん初心者が大森が独我論じゃないのではと感じる理由は二つだろうね:
>>358の独我論とは「世界には自分以外存在しない。目の前に現れ出ているのは、(他人も含めて)
すべて脳内の映像である。」
ということと
>>351 >>353にあるように大森が他我の存在を認めている,ということが矛盾している
と考えてるんじゃないかな.
矛盾しないと思うな.まず独我論だけど後の「目の前に現れ出ているのは、(他人も含めて)
すべて脳内の映像である」というのはいらない.特に「脳内の映像」はいらんよりいかんという感じがする.
もっとスマートに「私だけが世界に存在する」でいいと思うよ.
で他我だけど.これってあまり独我論にとって中心的な問題じゃない.というのは「私」になってるでしょ.
この「私」は一般的な私なんであって,そこに花子が入ろうが太郎が入ろうが大森が入ろうが構わないでしょ.
むしろ問題になっているのは独我論がとるべき一般的形式というか一般的構造を問題としてるんで,自分以外に
他者が存在するかどうかはこの場合重要じゃない.
復帰!
>>371 稲さん
なるほど。
1.主客二元論を擁護する哲学者は稲さんの他に誰がいますか?
有名どころでは?
2.>
>>358の独我論とは「世界には自分以外存在しない。目の前に現れ出ているのは、(他人も含めて)
>すべて脳内の映像である。」
>ということと
>>351 >>353にあるように大森が他我の存在を認めている,ということが矛盾している
>と考えてるんじゃないかな.
そうです。
大森さんは、客観は認めてないが、他我は認めている(らしい)ので、
純粋な独我論者ではないと思っています。
(続)
>自分以外に他者が存在するかどうかはこの場合重要じゃない.
えっ、そうなんですか?
大森さんは客観世界は否定していますが
>>353で言っているように、
「そして同じ一つの世界が十人に十色の彩りで立ち現れる。」(大森)
たくさんの他我が同じものを見ている、つまり見ている対象は共通している、
わけですよね。
つまり、自我と同じくたくさんの他我が共通の世界を共有しているのではないですか?
ただ、その世界の現れ方は各自異なるだけで。
よって、僕には大森さんが独我論者とは思えませんが・・・。
哲学界では、大森さんは独我論者に分類されるのですか?
いまマージャンやってるからまってくれ^^
後もう一つ。
>で他我だけど.これってあまり独我論にとって中心的な問題じゃない.というのは「私」になってるでしょ.
>この「私」は一般的な私なんであって,そこに花子が入ろうが太郎が入ろうが大森が入ろうが構わないでしょ.
この独我論とは僕が
>>270の2(
>>271参)で言った多数独我論(?)のことですか?
(わかりにくいと思いますが・・)
376 :
考える名無しさん:02/08/28 01:27
>矛盾しないと思うな.まず独我論だけど後の「目の前に現れ出ているのは、(他人も含めて)
>すべて脳内の映像である」というのはいらない.特に「脳内の映像」はいらんよりいかんという感じがする.
いるだろ、大森的には。主客や認識論の問題とも重ねているんだから。
>もっとスマートに「私だけが世界に存在する」でいいと思うよ.
>で他我だけど.これってあまり独我論にとって中心的な問題じゃない.というのは「私」になってるでしょ.
>この「私」は一般的な私なんであって,そこに花子が入ろうが太郎が入ろうが大森が入ろうが構わないでしょ.
>むしろ問題になっているのは独我論がとるべき一般的形式というか一般的構造を問題としてるんで,自分以外に
>他者が存在するかどうかはこの場合重要じゃない.
そう言うためにも「他者」を了解している必要がある。どう足掻いても。
「他者概念」って困難だぜ。大森はそこらの了解を踏まえて他者の非在
を説いているのかもな。
377 :
初心者その1:02/08/28 01:29
>>374 >いまマージャンやってるからまってくれ^^
マージャンですか。
(勝てば)哲学よりは役に立ちそうですね(笑)
僕は寝ますので、暇ができたら時々来てください。
378 :
考える名無しさん:02/08/28 01:30
>主客二元論を擁護する哲学者は稲さんの他に誰がいますか?
>有名どころでは?
俺も擁護するよw。生きてくためな。
379 :
考える名無しさん:02/08/28 01:35
主客二元論か独我論か、という分け方では、ほとんどの哲学者は
どちらにも属さないのではないでしょうか。
どちらも極端すぎるでしょう。
380 :
初心者その1:02/08/28 01:35
>>376 大森さんの理論は難しい・・というより実感からかけ離れているのでわかりにくい・・。
とりあえず、今日は多くの疑問点や注意点を指摘されたので、
それを踏まえて、さらに著作を読み込んでいこうと思います。
>>376さんも時々来て、僕の誤りや別の理論など教えてください。
とりあえず、本日はお休みなさいませ。
381 :
考える名無しさん:02/08/28 01:39
>大森さんの理論は難しい・・というより実感からかけ離れているのでわかりにくい・・。
そうかもな。でも哲学が実感から遊離しているとか非難されるかけ離れかた
ではない。日常が基盤。
382 :
初心者その1:02/08/28 01:40
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< おやすみ・・
( ) \_______
| | |
(__)_)
残りは明日レスします。
今日は勉強になりました。
みなさん、また来ていろいろ教えてください。
383 :
考える名無しさん:02/08/28 01:41
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< おやすみ・・
( ) \_______
| | |
(__)_)
明日も来てくれよ。
384 :
考える名無しさん:02/08/28 01:53
稲もマージャンとかって遊んでんじゃねえ!
勝ったら奢ってください。
>>376 脳内映像なんていらないよ.他者の了解という時点で独我論を誤解してる.
>>373 >>375 「私だけが世界に存在する」というときの「私」はずっと広く取っていい.
要は独我論の一般的なあるべき構造なんであって,その構造はだれにでも
当てはまるようになってなきゃいけない.だから多数独我論と言えば言え
ないこともないが,そのことは問題のポイントじゃないと思うな.
まあ二元論か一元論かというのは昔からある議論だけど,一元論になる
パターンは簡単に言えば二つあるんだろうな.一つは大森みたいなのが典
型的だけど,唯物論も一元論の代表格だよね.こっちは心をもの(脳)に
還元して一元論を擁護するんだね.どっちも一元論だけど,大森みたいな
独我論とは真っ向から対立するだろうね.
二元論の擁護者で有名どころか^^.今ではあんまりこのパターンで議論
することも少なくなったろうから,ちょっとわかんないけど,まあ独我論が
主流ってことはないよな.むしろ極端に少ないんじゃない.一元論じゃない
ということであれば,大概そうなんじゃないか.
386 :
考える名無しさん:02/08/28 02:05
>「私だけが世界に存在する」というときの「私」はずっと広く取っていい.
>要は独我論の一般的なあるべき構造なんであって,その構造はだれにでも
>当てはまるようになってなきゃいけない.だから多数独我論と言えば言え
>ないこともないが,そのことは問題のポイントじゃないと思うな.
なんだか永井っぽい議論だが。ポイントだろうに。他者は独我にどこまでも
浸透している。あとは実際の感覚だ。
387 :
考える名無しさん:02/08/28 02:07
脳内映像とかって必要だろう。他の問題と複合的に
絡めるんなら。
>>386 >他者は独我にどこまでも浸透している
なんでそうなっちゃうのかな.つまり,それは永井なんかのフィルターを
通して独我論を理解しているからそうなるんだな.まあ大森荘蔵にして見
れば他者存在するだの浸透してるだの,何の関心もないと思うな.独我論
の社会学やってるわけじゃないんだから.
389 :
考える名無しさん:02/08/28 02:18
社会学的な他者とか柄谷みたいな思想的な他者とかは
問題にはしとらんっての。大森がその手の他者を相手
にしてないのも知っとる。最も実践的かつ生活的に了
解して(させられて)しまうものを言ってる。否応無
しに浸透しているもののことだ。
390 :
考える名無しさん:02/08/28 06:27
やっぱ大森より永井のが哲学だと思うんだけどなぁ
そう思わない?
391 :
考える名無しさん:02/08/28 11:05
へえー、昨日は白熱した議論があったのか。
鉄板にしては哲学らしいまともなスレだな。
392 :
考える名無しさん:02/08/28 12:59
哲学板でもっとも哲学してるスレだね。
393 :
考える名無しさん:02/08/28 13:01
まぁ稲はよくやったと思うぞ
こいついなかったら盛り上がんなかったろ
批判あるやつもいるだろうけど
394 :
考える名無しさん:02/08/28 17:14
>やっぱ大森より永井のが哲学だと思うんだけどなぁ
>そう思わない?
両方とも哲学者だ。雰囲気の違い。
>1さん
“思考”すること自体が二元論的世界の内でしか“実在”しないと思います。
なぜなら“言語”そのものが、対象の知覚から生まれていると思うからです。
対象の知覚が、対象の認識(実在)というレベルに達するには、
対象を混沌(無秩序)から分離し、対象に秩序を与えることが必要です。
対象に秩序を与えるためには、時間と空間という観念が不可欠になります。
認識された対象は、他者とのコミュニケーションが繰り返される中で、
“共有”され、その時空を広げながら“実在”する“仮想の実在”です。
396 :
考える名無しさん:02/08/28 20:42
発生論は不毛。どうとでも言える、議論とも外れる。
>>395 >認識された対象は、他者とのコミュニケーションが繰り返される中で、
>“共有”され、その時空を広げながら“実在”する“仮想の実在”です。
というのはとても二元論とは言えないね.むしろ怪しげな一元論だね.
398 :
考える名無しさん:02/08/29 01:56
マージャン勝ったか?
>>394 まあ独我論でなきゃ哲学じゃないという人にとっては,大森と永井の違いは
雰囲気でしかないだろうな.
勝った.
401 :
考える名無しさん:02/08/29 01:59
おめでとう。独我以外の大森の良さを語ってください。
402 :
Kurihara:02/08/29 02:05
『ギャンブラー哲也』を分析哲学してください。
稲さん。
404 :
考える名無しさん:02/08/29 02:16
じゃあ399のコメントは何なんだ?
405 :
考える名無しさん:02/08/29 19:47
期待age
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました
( ) \_______
| | |
(__)_)
大森さんの文章の組み立ては論理的ですね。
まるで数学の証明問題のようです。
気づいたらいつのまにか、結論へと導かれています。
論理学の素養があるからかな?
>>371 稲さん
>でしょうね.大森が独我論でなければ何を独我論というのかわかんないな.
こだわるようですが、大森さんは本当に独我論者ですか?
ここは重要だと思われますので・・。
僕が読みとった限りでは、
大森さんは独我論者どころか、その否定者ではないかと思われます。
(続)
以下が大森さんが二元論を拒否し、一元論を取った経緯だと思われます。
1.まず主客二元論で考えてみる
2.それを認めてしまうと「主観は客観を完全に認識できるか」という問いが生じる
3.この議論を突き詰めていくと、独我論に行き着く
4.そうならないために二元論を拒み、心身一如の一元論を採用
ということは、二元論を拒否して独我論に至ったのではなく、
”独我論に陥らないために”二元論を捨てたと思われます。
(続)
また、大森さんの一元論は他我の存在を認め、
それら多くの他我と自我が共有する世界の存在も認めています。
つまり、一つの世界に様々な人が実在し、その同じ世界の中で生きている、
ただし、その世界は人それぞれにより異なった現れ方をしている。(
>>351 >>353)
その異なる現れの原因は
・二元論(素朴実在論)− 主観の変化が原因
・大森一元論 − 世界(客観)の変化が原因(心=世界)
独我論の定義の違いもあるでしょうが、いかがなもんでしょう?
>>378 >>主客二元論を擁護する哲学者は稲さんの他に誰がいますか?
>俺も擁護するよw。生きてくためな。
うーん、仮に独我論が正しくても、
今とまったく生活とかは変わらないのでは?
独我論と確信した途端、世界が崩れるとは思えませんので。
独我論の世界でも、今と同じく道徳や科学は必要ですね。
(他人を幻だからと殴ったら、幻から殴り返され、
幻の痛さを味わってしまいますからね。)
(
>>365の考えは撤回します)
>>381 >>大森さんの理論は難しい・・というより実感からかけ離れているのでわかりにくい・・。
>そうかもな。でも哲学が実感から遊離しているとか非難されるかけ離れかたではない。
>日常が基盤。
日常が基盤・・・。僕が驚くのがそこですね。
彼は、日常生活の場を思考の舞台とし、
言語も日常普通の言葉しか使っていません。
特に、『流れとよどみ』の後半部、「心身一如」の説明は素晴らしいの一言です。
概念自体は常識からはずれ、日常から遊離しているにもかかわらず、
そこで組み立てられる文章は、
日常生活からの例え、そして普通の言葉のオンパレード!
恐ろしいぐらい日常語で非日常的概念を語っています。
他の哲学者も彼のように語ってくれれば、
読解にかかる無駄な時間(?)が減ると思うのですが・・。
412 :
考える名無しさん:02/08/29 23:27
>うーん、仮に独我論が正しくても、
>今とまったく生活とかは変わらないのでは?
>独我論と確信した途端、世界が崩れるとは思えませんので。
>独我論の世界でも、今と同じく道徳や科学は必要ですね
>(他人を幻だからと殴ったら、幻から殴り返され、
> 幻の痛さを味わってしまいますからね。)
>(
>>365の考えは撤回します)
撤回かいw。そのほうが平和だけどさ。
>>395 カオルさん
レスありがとうございます。
このレスは、僕が今までイメージできなかった
心身一如を理解する手がかりとなりそうです。
じっくり考えて後日レスします。
414 :
初心者その1:02/08/29 23:42
・・・さて、寝るか。
415 :
初心者その1:02/08/29 23:47
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌―─┴┴─―┐
/ つ. 質 問 │
〜′ /´ └―─┬┬─―┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
大森荘蔵は独我論者ですか?
> 1.まず主客二元論で考えてみる
> 2.それを認めてしまうと「主観は客観を完全に認識できるか」という問いが生じる
> 3.この議論を突き詰めていくと、独我論に行き着く
> 4.そうならないために二元論を拒み、心身一如の一元論を採用
1→2.まあ認めよう.
2→3:まあ認めよう.
3→4:明らかにおかしい.全体の推論はこうだ:
仮定1:二元論は正しい.
仮定2:主観は客観を完全に認識できるはずだ.
これらの仮定から独我論が導かれる.しかし独我論は正しくない.したがって仮定1
すなわち二元論は間違っている.
ここでの間違いは必ずしも仮定1が否定されるとは限らない.結論として,二元論は正し
いのだから,主観は客観を完全には認識できない,となってもよろしい.つまりここでの
議論は最初から一元論は正しいという論点先取りをおかしている.
> ・二元論(素朴実在論)− 主観の変化が原因
> ・大森一元論 − 世界(客観)の変化が原因(心=世界)
これは明らかにおかしいね.大森一元論のところで(心=世界)となっているけど,
そうだとしたら,「心(客観)の変化が原因」となって二元論とまったく同じになるね.
418 :
初心者その1:02/08/29 23:53
あっ、寝ようと思った稲さんが・・・
少し考えてみますね。
>初心者
まあ大森は独我論だし,物心一如って要は「物と心は一つ」ってことだよね.
これは,「ものを心で説明する」と「心をものに還元する(唯物論)」の二通りに
解釈できるけど,前者の場合には,物心一如は独我論を一言で言い表した表現だろうね.
独我論の基本テーゼ:「私のみが世界に存在する.世界とは私であり,私とは世界の限界である」
で,初心者は大森が他者存在を認めてるから独我論ではないように考えてるけど,これは別に矛盾しない.
というのは「私」ははじめから一般性をもっているので,初心者自身でも花子でも構わないということになる.
むしろ問題なのは独我論が成立する一般的構造だろうね.まあ他者問題を重要だと考える独我論者は二流だね.
そもそも倫理的問題と独我論は無関係だな.そんな方に議論を進めても何の価値もない.
「独我論は倫理的に考えてある種の危険を伴っている」なんて言う奴は馬鹿だと思って
りゃいいよ^^.そういう人って基本的に哲学のセンスないんだ^^
>>416 稲さん
えっと、先に言っておくと僕も二元論者です(笑)
その一方で、この常識がひっくり返ったら面白いな、とも期待しています。
(つまり、まだ大森一元論に納得はしてないが、非常に惹かれるものを感じている)
ここでは、(僕が解釈した)大森さんの理論に沿って、反論したいと思います。
>仮定1:二元論は正しい.
>仮定2:主観は客観を完全に認識できるはずだ.
>これらの仮定から独我論が導かれる.しかし独我論は正しくない.したがって仮定1
>すなわち二元論は間違っている.
>”ここ”での間違いは必ずしも”仮定1”が否定されるとは限らない.
この文章がよくわからないのですが・・。
ここ=二元論、仮定1=二元論は正しい、を代入すると、
「”二元論”での間違いは、必ずしも”二元論は正しい”が否定されるとは限らない。」
(続)
>結論として,二元論は正しいのだから,
>主観は客観を完全には認識できない,となってもよろしい.
一元論でも二元論でも(独我論でも)、どれが正しいかは証明できないと思います。(
>>198)
ただし、もし二元論を肯定したら必ず「主観は客観を認識できるか」という問いが残り、
この世界は幻かもしれない、という危険性がつきまといます。
大森さんはそれを嫌って、(大森)一元論を採用したのだと思います。
(一元論だと、少なくとも主客問題は生じませんからね。)
その一元論が正しいことを証明するために膨大な例を挙げていますが、
それは追い追いこのスレでも考えていきたいと思います。
>つまりここでの議論は最初から一元論は正しいという論点先取りをおかしている
僕も大森さんの思考をたどっていくと、上記のように二元論からの脱出のため、
強引に一元論を証明しようとしているように見えます。
>>422 ごめんごめん,それ書き間違えたんだ.書き込む欄が小さいから端っこの文章が
見えなくなっちゃって.つまり
「ここでの間違いは,必ずしも”仮定1”が否定されるとは限らない,ということである」
という意味.つまり「ここでの」は推論全体のこと.
>>423 まず二元論から独我論が導かれるというのも本当はかなり怪しいと思うんだけど,
そんなこといっててもしょうがないからね,今は.
で
>「主観は客観を認識できるか」という問いが残り、
>この世界は幻かもしれない、という危険性がつきまといます。
この部分がかなりおかしいかな.主観が客観を認識できるかという問題から,別に
一元論にたたなくても「世界は幻だ」とは普通ならないからね.
そうか,初心者はそんなに哲学が面白いと思ってるのか.
だったら,大森荘蔵と一緒にフレーゲという人の本を読んでみ.最近になって
フレーゲの訳本がシリーズで出たから.『フレーゲ著作集』1〜6まである.
でその中の,
第2巻『算術の基礎』
第4巻『哲学論集』
は初心者にはいいかな.第2巻はたしかに数学の哲学ではあるけれど,数学に興味
なくても充分読める.有名な文脈原理とか一般に言語論的転回と言われてるものが
みんな書いてあるからいいと思うよ.大森とは対照的な完全な(客観)実在論だね.
第4巻は論文集だけど,その中でも「意義と意味について」と「思想」はいいだろ
うな.まあ哲学科では分析をやる限り必読書だけど,偏食にならないためにもいいかも.
(続く^^)
たしかに大森先生は頭はいいけど,フレーゲは病的だね.たぶん大森の10倍
くらいはすごいと思えるとおもうよ^^.
428 :
考える名無しさん:02/08/30 01:13
大森は独我論者だよ。脱却しようとはしてたかもしれんけどな。
「生命保険の意味がわからん」って呟いてたらしいからな(w。
初心者にフレーゲってか。
門脇俊介や飯田隆や竹尾冶一郎の入門書から地歩を固めたほうが
いいんじゃねえか。
429 :
考える名無しさん:02/08/30 01:14
いきなりクリプキやネーゲルでもいいかもな。
430 :
考える名無しさん:02/08/30 01:21
>というのは「私」ははじめから一般性をもっているので,初心者自身でも
>花子でも構わないということになる.むしろ問題なのは独我論が成立する
>一般的構造だろうね.まあ他者問題を重要だと考える独我論者は二流だね.
他者問題というか言語の問題なのかもな。それに最初は独我論者の実生活w
を初心者が問題にしていたので実生活に他者は入りこんでいるって調子にな
った。あと、一般的構造は大森は取り上げてないと思うぞ。
>>417 稲さん
>> ・二元論(素朴実在論)− 主観の変化が原因
>> ・大森一元論 − 世界(客観)の変化が原因(心=世界)
>これは明らかにおかしいね.大森一元論のところで(心=世界)となっているけど,
>そうだとしたら,「心(客観)の変化が原因」となって二元論とまったく同じになるね
僕自身いまいちイメージできないため、この部分は説明しにくいです。
具体的な例としては
>>351 >>353の”恐怖”を参照してください。
僕が解釈した限りでは、二元論であろうと、一元論であろうと、
世界が変わるとは大森さんも思ってないようです。
(ただ、執拗なまでの脳生理学の否定はよくわからないのですが)
(続)
彼がやっていることは、人間のもともとの(自然な)世界認識の仕方を、
取り戻す試みではないかと思っています。
「世界認識の原初は、主も客も区別しない一体となった状態であり、
その一体となった世界を”説明する”ため”便宜上”主客を分離し、
科学的観察を始めたことが二元論の始まりである。」(大森)
大森さんは、二元論へと変化していく過程と原因を執拗に描いています。
(いずれこのスレでも取り上げます)
今ではその”便宜上”であったはずの二元論が人々の常識となっています。
しかし、よく考えれば普通は、「これは主観から見られた客観で・・」
とか区別はせず、世界に溶け込んで生活していますよね。
(主客の区別を意識するのは観察等特別な場合で、普段は全く意識せずに生活しています)
(続)
ここで、僕が考えたのが
>>416 カオルさんのレスです。
大森さんのいう主客一体の世界認識とは、
「言語で秩序化される前の混沌とした世界」
であり、”便宜上”創作された二元論は、
「言語によって秩序づけられた世界」
だと思いました。
これが正しいならば、世界認識の原初、最も自然な見方は一元論の方であると言えます。
では、この一元論(心身一如)が原初としても、それが即、真であるとは言えませんよね。
この辺りまだはっきりせず、読み込みが足りないと思っています。
434 :
初心者その1:02/08/30 01:41
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< また明日
( ) \_______
| | |
(__)_)
この時間になって(もっと早く欲しかった・・)
レスがついたけど、もう限界です。(笑)
また明日(か明後日)会いましょう。
435 :
考える名無しさん:02/08/30 01:45
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< また明日 こちらこそ
( ) \_______
| | |
(__)_)
436 :
考える名無しさん:02/08/30 01:52
>まあ他者問題を重要だと考える独我論者は二流だね.
>「独我論は倫理的に考えてある種の危険を伴っている」なんて言う奴は馬鹿だと思って
>りゃいいよ^^.そういう人って基本的に哲学のセンスないんだ^^
特に内容に反論するつもりはないが、こういう独断や憶見を振りかざすやつは
センス以前に失格だね。
> 「世界認識の原初は、主も客も区別しない一体となった状態であり、
> その一体となった世界を”説明する”ため”便宜上”主客を分離し、
> 科学的観察を始めたことが二元論の始まりである。」(大森)
この主張が間違いかどうかという以前に,このことが正しいとしても,じゃあ
一元論が正しいのか二元論が正しいのかという結論がそもそも出てこないと思
うけど.単純に僕には無意味な議論に見える.「原初的」という言葉に説得力が
ないんだけどな^^
>>431 基本的に脳性理学と一元論二元論,独我論の話は関係ないと思う.多分執拗に
そう言ってるんだと思う^^.
>>431 >> ・二元論(素朴実在論)− 主観の変化が原因
>> ・大森一元論 − 世界(客観)の変化が原因(心=世界)
>>これは明らかにおかしいね.大森一元論のところで(心=世界)となっているけど,
>>そうだとしたら,「心(客観)の変化が原因」となって二元論とまったく同じになるね
>僕自身いまいちイメージできないため、この部分は説明しにくいです。
>具体的な例としては
>>351 >>353の”恐怖”を参照してください。
言いたいことは分かりますよ.つまり「大森一元論では心即世界だから,心の変化がそのまま
世界の変化でもあるのだ」ということだよね.
>>440の続き
でもここの部分は強調しても仕方ないんじゃないかな.確かこれって初心者が
大森は他我存在を認めてるので独我論じゃないという脈絡で出てきた話だった
と思うけど,それを正当化するためには役立たないし、役立たないどころかバ
リバリの独我論だからね.
442 :
初心者その1:02/08/30 23:23
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 今日は一言
( ) \_______
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(__)_)
僕はこてこてどっぷりの二元論者だから、
今さら偉い先生にそれを証明してもらわなくても結構。
反対に、僕の常識を足蹴にするような考えはなぜか気になってしまう。
それが先鋭的であればあるほど、僕の心に鋭く突き刺さってくる。
非常識でありながらも刺激的な大森理論に惹かれるのはそんな理由だろうなぁ。
それでいて文章は誰よりも常識的かつ誠実なので、そのギャップにまたまた惹かれてしまう。
>>442 初心者は初心者だから仕方ないんだが,
>非常識でありながらも刺激的な大森理論に惹かれる
のはまだ若いんだな^^.僕は惹かれようが惹かれまいが正しくなきゃだめって
タイプだからな.
444 :
考える名無しさん:02/08/30 23:32
西田もいいぜ。中村雄二郎の西田論読め。
446 :
考える名無しさん:02/08/31 00:07
幾多郎にきまってるだろうが。
448 :
考える名無しさん:02/08/31 00:36
>>447 にしだいくたろう先生のことだろ。
京都学派っていうのをしてたんだよ。
ま、厨房にはまだ早いかな。
450 :
考える名無しさん:02/08/31 00:41
451 :
考える名無しさん:02/08/31 01:24
きたろうに決まってるだろ。いくたろうとも読むがな。
ネタか?
>>7 7のスレ読む限り,確かに初心者はセンスは悪くない.
453 :
考える名無しさん:02/08/31 02:00
だから稲より上だっていってんじゃんか。
西田幾多郎 にしだきたろう
清水幾太郎 しみずいくたろう
455 :
考える名無しさん:02/08/31 09:11
稲は「おもしろさ」が「正しさ」を駆逐する地点に敏感で好意がもてる。
「正しさ」がなかったらダメだよな やはり
456 :
初心者その1:02/09/01 07:59
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 早起き!
( ) \_______
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(__)_)
『知の構築とその呪縛』イイ!
『新視覚新論』ムズイ!
きたきた.
最近はここぐらいしか書き込むスレッドがない.
初心者に質問!
「唯脳論」とは何ぞや?
460 :
考える名無しさん:02/09/01 08:32
稲ぽん、横レスで悪いんだけどさ。
学ぶものがやってる「サナチョバ」読んでる?
デイヴィドソンのフレーゲ論法についてやってるんだけど。
袋小路に入っちゃって、ちょっとわかりにくい。
読んでたら感想キボンヌ
>>426 稲さん
>そうか,初心者はそんなに哲学が面白いと思ってるのか.
そうですね。おかげで寝不足、遊びにも行けません。
哲学は役に立たないかどうかはわかりませんが、
日常生活の足は引っ張るようです(笑
>だったら,大森荘蔵と一緒にフレーゲという人の本を読んでみ.最近になって
>フレーゲの訳本がシリーズで出たから.『フレーゲ著作集』1〜6まである.
本屋で見てきました、フレーゲ。
分析哲学の基礎を創ったビッグネームだったのですね。
しかし・・難しすぎ(笑)一通り読み通すだけでも、相当時間がかかりそうです。
数学や論理学・・・かぁ。
フレーゲ(他の分哲の人、稲さん自身)が抱えている問いは何ですか?
ウィトゲンシュタインは他我について考え抜いたと聞いてますが・・
分析哲学全体の概要がわかる入門書がありましたら、教えてもらえませんか?
”易しい”方から2〜3冊、参考文献が載っていればより良いですね。
大森さんの考えの外観を一通りつかんだら、
それと平行して何か読もうと思っていますのでその時に・・。
462 :
考える名無しさん:02/09/01 08:42
>>459 水槽脳の比喩みたいなもんでないの。
感覚・認知されるすべては感覚器官が外界から受容した情報を
脳が整理したものだから、外界は私が見たり感じたりしている
ような姿をしている必要はなく、極端に言えば、水槽の中に
浮いている脳に神経を通じて情報を送り届けている状態で
あってもかまわない、という。
稲さん、早っ!
稲さんは院生、もしくは研究者と思われますが、
本職の方は大丈夫ですか(笑)
あっ、それと
>僕はこてこてどっぷりの二元論者だから、
>今さら偉い先生にそれを証明してもらわなくても結構。(
>>442)
これ、断じてフレーゲのことではありません(笑
大森さんの魅力を強調するあまり、このような書き方をしましたが、
もちろんフレーゲ始めすべての思想に興味あります。
これからもご教授お願いします。
>>461 本の紹介だったらいくつかあるな.とにかくフレーゲの『算術の基礎』
はいい.とにかくこの本は絶品.多少難しいけど,哲学書で一冊だけ
と言われれば,この本だな.これだって日常語で書かれた本だし,巻末に
詳しい解説もつているしね.とにかくこの本はいい.
あとヒラリー・パトナムの『理性・真理・歴史』もいいかな.これ論文集
だけど,最初の「水槽の中の脳」はかなり面白いと思うよ.これって多分
唯脳論批判にはなるんだと思う.
この二冊を読めば専門家でないならば相当すごい.とにかく巷にある哲学書
のほとんどがくだらなくなる.
465 :
考える名無しさん:02/09/01 08:48
哲板で「西田って誰」という質問を見ることになるとは思わなかった……
「西田って何した人なんですか」とか「西田ワケワカラン、クソ」とかならまだしも。
>>461 関係ないですが、フレーゲは現代論理学の基礎を作った人ですよね。
ブールも凄いですが、フレーゲ述語論理の考え方は、素晴らしいと思います。
しかも1代で。
カントルの集合論といい、現代の基礎論に大きな影響を与えてるみたいですね。
466 :
考える名無しさん:02/09/01 08:50
飯田や坂本の基本論文集からでもいいと思うぜ。
>>464 稲さん
>本の紹介だったらいくつかあるな.とにかくフレーゲの『算術の基礎』
>はいい.とにかくこの本は絶品.多少難しいけど
そんなにイイですか?
一つ質問なのですが、この本の主題は何ですか?
僕には「哲学的な問いに答える」と言うより、
それを導くための「方法論」のような感じがしますが・・。
フッサールの現象学は方法論と聞きますが、
そのような意味でフレーゲも方法論を探求したのですか?
フレーゲの問いは何ですか?
>>467 いろいろ文句を言う人もいるだろうが,フッサールはきれいに忘れよう^^.
とにかくフレーゲが画期的だったのは,論理学をつくったこと,こんなのは当たり前^^.
むしろ『算術の基礎』がすごいのは,それまでの哲学的方法論をすべて一変してしまった
ことだろうな.まあ言語論的転回というやつだけど.これがどういうことなのかを理解で
きない限り,まず現代の哲学やろうとしたって無理だろうな.
>>459 稲さん、
>>462 『唯脳論』、読んだのは結構前なので詳しい定義は忘れましたが・・。
ここで、僕が考えているそれは次の通りです。
一言で言えば、唯物論。
人間の”心”は”もの(脳)”の機能によって説明できる。
極端に言えば、僕と全く同じ脳を創り出すことにより、
僕と全く同じ心を創り出せる、という考え。
>>469 じゃあやっぱりパトナムの「水槽の中の脳」を読むといい^^.
大森よりはずっとクリアーだし,とくにどんな立場に依拠してるというわけではないからね.
>>466 >飯田や坂本の基本論文集からでもいいと思うぜ。
具体的にどの本がお薦めですか?
なるべく易しい奴を希望です。
始めは細部の議論の解説書より、
分析哲学の哲学全体に対する位置づけといった概観がわかるのがいいですね。
472 :
考える名無しさん:02/09/01 09:17
パトナム・スレ倉庫落ちしてるじゃないか!
水槽脳の話を読み返してみようかと思ったら。
夏のクソスレ乱立の弊害がこんなところにも。
(このスレのことじゃないよ。念のため)
>>468 稲さん
>とにかくフレーゲが画期的だったのは,論理学をつくったこと,こんなのは当たり前^^.
>むしろ『算術の基礎』がすごいのは,それまでの哲学的方法論をすべて一変してしまった
>ことだろうな.まあ言語論的転回というやつだけど.これがどういうことなのかを理解で
>きない限り,まず現代の哲学やろうとしたって無理だろうな.
なるほど。すごく興味ありますね。
長年の間、哲学者を悩ませていた問い(例えば、心身問題)に、
新しい光を当てたと言うことですか?
例えば、ウィトゲンシュタインは他我問題に対して、
この新しい方法論を使い、新しい答えを提出したのですか?
心身問題は関係ない^^,フレーゲは.あとウィトゲンシュタインは他我問題とか
心身問題はあるけれど,後期だし,フレーゲの方法論を使ってということではないね.
後期のウィトって…,あんまり面白いとは思えないけどな.というか,付き合いきれない
という感じがする.
>稲さん
とりあえず、お薦めの『算術の基礎』買っておきます。
(最近の本みたいだから古本屋にはなさそうですね)
この本を読むための参考文献(超初心者向き)、
また、分哲全体の概観をつかむ入門書があれば教えてもらえますか?
当分は大森さんの著作を読むことが精一杯でまだ先になりそうですが・・
現在の状況
時間論・・・『時は流れず』『時間と自我』(『時間と存在』)
認識論・・・『時は流れず』『流れとよどみ』(『新知覚新論』)
その他・・・『知の構築とその呪縛』
( )内は未読または途中
あと手に入れば、『物と心』も読んでおきたいと思っています。
理解するにはまだ当分かかりそうです。
パトナムの「水槽の中の脳」・・
・・見てみます。
478 :
考える名無しさん:02/09/01 09:58
むしろストローソンからの方がフレーゲは理解しやすいかも。
いや、やっぱ飯田の『言語哲学大全』からが無難だと思うよ。
>>444さん
>西田もいいぜ。中村雄二郎の西田論読め。
西田幾多郎・・。難しいって有名ですよね。
大森さんの「物心一如」は西田さんの考えと似ているそうですね。
ただ、西田さんは東洋思想からそれを導いたが、
そんなものなくとも成立すると大森さんは言っていましたね。
おいおいちょっと情報過多じゃないか。
初心者その1さんなら自分でちゃんと読んでいくよ。
何から読むかとか、まわりがあまり言い過ぎない方がいいと思う。
つまらんこと書いて、正直スマンカッタ
481 :
考える名無しさん:02/09/01 10:03
中村のは易しい(w。
大森は思想的要素は省こうとしてたからな。
でも意外と通低してると思うぜ。両者は。
雰囲気もな(w。
>>478さん
>むしろストローソンからの方がフレーゲは理解しやすいかも。
>いや、やっぱ飯田の『言語哲学大全』からが無難だと思うよ。
情報ありがとうございます。
本屋で見てきます。
483 :
考える名無しさん:02/09/01 10:03
ごめんな(w。確かに情報過多だな。
>>480 さん
>おいおいちょっと情報過多じゃないか。
そのとおりです。パニックになりそうですね(笑)
ただ、本当に僕の周りに哲学に関心を持っている人がいないので、
少しでも情報をもらえるとうれしいです。
全くの白紙から始めていますので、偏向してしまうのを怖れています。
平地からだと展望が効かないので、とりあえず、大森という巨山を登ってみて、
そこから様々な山(哲学思想)を望み、”興味がわいた”山に登ってみたいと思っています。
(と言うとまた反論がきそうですが(笑))
これからも宜しくお願いします。
ですから、「大森山以外にもこのような山があるよ」という情報お待ちしております。
>>481 >中村のは易しい(w。
>大森は思想的要素は省こうとしてたからな。
>でも意外と通低してると思うぜ。両者は。
>雰囲気もな(w。
そうですか。
もともと(これからも)僕の最大の関心は「日本」なので、
西田幾多郎、意外に合うかもしれませんね。
(宗教的な部分は理解できないかもしれませんが)
486 :
考える名無しさん:02/09/01 10:28
殊勝な心がけだ、本当に2チャンネラーか(w?
『子供のための哲学』繋がりで永井の『子供のための
哲学対話』も軽いが深いので勧めておくよ。
487 :
考える名無しさん:02/09/01 10:29
最大の関心は「日本」って何だ(w?
情報過多でもなんでもない.フレーゲ読むのにストローソンだなんとか言い出すから
分けわかんなくなるんだ.解説書類のものなんか読まんでいい.
だから直接『算術の基礎』か『理性・真理・歴史』(『真理・理性・歴史』だったかな)
を読めばいいんだ.
489 :
初心者その1:02/09/01 10:31
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< さよなら
( ) \_______
| | |
(__)_)
さてと、今日は夜まで時間が空くな・・。
ゆっくりと本が読める。
(と言いつつ寝たりして・・)
よしなさい,西田は・・・.
491 :
考える名無しさん:02/09/01 10:32
おいおいストローソンは有益だろ。ちなみに『理性・真理・歴史』だ。
『実在論と理性』もいいがな。
復帰!
>>486 さん
>殊勝な心がけだ、本当に2チャンネラーか(w?
こてこての2チャンネラーです。
>『子供のための哲学』繋がりで永井の『子供のための
>哲学対話』も軽いが深いので勧めておくよ。
永井さんのは文章が読みやすいし、
それ以上に、彼の問いは良く理解できるので入りやすいです。
やはり哲学は”問い”ではないでしょうか?
493 :
考える名無しさん:02/09/01 10:36
>>488 『理性・真理・歴史』で合ってるはずですよ。
>>490 西田知らないのに、よしなさい、はないでしょう。
494 :
考える名無しさん:02/09/01 10:38
問いの設定、その通り。ドゥルーズなら概念の構築。
495 :
考える名無しさん:02/09/01 10:39
稲も西田やストローソンくらい読んどけよ。
496 :
考える名無しさん:02/09/01 10:46
まあ、稲もなんだかんだと老婆心に駆られて親切だよな。
>>487 >最大の関心は「日本」って何だ(w?
うーん、一言で言うのは難しいのですね。
僕は建築を勉強していますが、日本的な空間、思想が好きなんですね。
日本と他国の思想、その違いの一つは{謙譲」だと思ってます。
欧米だけでなく、アラブ、インド、中国と他の文化はすべて「自己主張」
で成り立っています。
おそらく大きな文化圏で「謙譲」に価値を置き、
それを美的に洗練させたのは日本だけだと思うのです。
ルーブル、タージ・マハル、紫禁城・・これらは(うざいくらい)自己主張、権力誇示の建築ですね。
だけど日本は桂離宮に代表されるように、一歩引いて、それでいて存在感を示すという、
素晴らしい思想で建築を構成しています。
そのようなコンセプトで、それでいて過去のまねでなく、
新しい空間を創ることを僕のテーマとしています。
ある国の国民性(思想)は、その国の文化に影響を与えます。
そういう意味での「日本の思想」に関心があるのです。
板違いスマソです。
498 :
考える名無しさん:02/09/01 11:00
稲ぽん、言ってる中味は正しいけど(以下略
>>488 稲さん
>解説書類のものなんか読まんでいい.
>だから直接『算術の基礎』か『理性・真理・歴史』(『真理・理性・歴史』だったかな)
>を読めばいいんだ.
了解!当たって砕けます!
500 :
考える名無しさん:02/09/01 11:02
501 :
初心者その1:02/09/01 11:03
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 今度こそ、さよなら
( ) \_______
| | |
(__)_)
また夜にでも・・
502 :
考える名無しさん:02/09/01 11:04
>>465 「西田幾多郎ってだれなんだ?」の心は「西田なんか哲学者じゃない」ということだYO!!
504 :
考える名無しさん:02/09/01 11:14
西田は哲学者じゃないのこころは?
505 :
考える名無しさん:02/09/01 11:15
>>503 同意だが、それは初心者に向けて言うことではないでしょ。
自分が西田を認容できないことを初心者に押しつけるべきではない。
507 :
考える名無しさん:02/09/01 12:02
>>506 喧嘩上等ってか。
ここからマジレス。真理は一つさ。真理を知るものは他者にも
それを押しつけるべき。稲に同感。
つまらぬ相対主義はいらん。
しかし、他スレによくいる自分が真理を知っていると思い込んでいる
たんなる妄想デムパもまた自分の真理とやらを押しつける。
どうすればいい?
答は簡単、押しつけさせておいて放置。
508 :
初心者その1:02/09/02 23:41
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< さよなら
( ) \_______
| | |
(__)_)
509 :
初心者その1:02/09/02 23:42
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 間違えたよ
( ) \_______
| | |
(__)_)
今日は眠いので少しだけ。
『知の構築とその呪縛』とてもいいです。
これは、大森一元論の応用編ですね。
心と物を分離させる二元論が、歴史上どういった経緯で現れたか。
それがいかに誤った世界認識を生み出し、現在弊害を与えているか。
また、それを克服する新しい認識方法を、科学史と思想史を交え、
丹念にわかりやすく述べたものです。
始めて大森さんを読む人はこの本から読んだ方が、
一見非常識な彼の考え(心と物は一体である等)が理解しやすいと思います。
(ちくま学芸文庫880エン)
一つだけ言っておくと
「大森さんは科学(特に脳生理学)を否定しているのか」
という
>>251の疑問は、「科学(脳生理学)は必要ない」
という意味では「No」でした。(自己レススマソ)
ただ、科学の主客分離した認識方法(デカルト的見方)は徹底的に反駁しています。
世界を物と心に分けて、前者(身体、脳も含む)を死物化し、
心をどこだかわからない場所に押し込めることが許せなかったようです。
それに変わる新しい認識方法「重ね書き」を提出するのですが、
その部分は僕も「?」。
まあ、そこはじっくりと考えてから、
いろんな人の意見を聞いてみたいと思っています。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< また、明日
( ) \_______
| | |
(__)_)
大森さんは科学自体はは否定していません。
科学的な世界の見方を否定しています。
513 :
考える名無しさん:02/09/02 23:47
二元論なんちゃらはしらんけど、
僕は無意識の時間の因果関係を証明した?普通?
復帰!
>>513さん
はて、どういう意味でしょう。
>>91さんの未来のことでしょうか?
>>513さん
>>91「未来決定論(?)」のことでしょうか?
そうだと仮定してレスします。
残念ながら、まだ良い考えが浮かびません。
また大森さんの考えもはっきり答えられるまで読み込んでません。
時間論と心身問題を大森さんの著作を読みつつ考えていこう、
というのをこのスレのテーマとしています。
ですが、現在彼の考えをたどることに精一杯で、
それを通して自分で考えるところまで行っていません。
もう少し時間がかかりそうです。
>>513さんの考えがあれば教えてもらえませんか?
516 :
初心者その1:02/09/03 23:02
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました
( ) \_______
| | |
(__)_)
大森さん、思ったより面白いので、予定を変更し、
もっと先まで読み進めてからまとめたいと思います。
(『物と心』手に入りました。)
『新視覚新論』はバークリからの強い影響を受け書かれた本ですが、
この”バークリ”という人も面白い人ですね。
様々な知覚の中で、僕は圧倒的に視覚に信頼をおいてますが、
バークリに言わせれば、触覚こそ第一の知覚だそうですね。
「幻が幻であるゆえんは、
見ることはできるが、触れることはできないから。
故に、触覚のみがリアルである。」
よく考えれば確かにそうですね。
視覚の方が情報量が多いから、ついこちらに頼ってしまいますが、
間違いが多いのも視覚の方ですね。
(続)
>>66(Kuriharaさん)の廣松さんの解釈、
「存在することは触れることだ」
も同じ理由でしょうか?
バークリは
「存在とは知覚なり」
と言ってますが、これも味わい深い言葉ですね。
519 :
考える名無しさん:02/09/03 23:05
バークリは、
視覚的対象を心の中に、触覚的対象を心の外に分離します。
視覚風景と触覚風景の二つの空間を用意し、
(同じ一つの対象に視覚、触覚二つ別々の「もの」を設定するわけです)
後者のみリアル、前者は「ほとんどどうでもいいもの」
とされます。
ここでも、対象を心の内と外に分ける二元論が現れてますね。
しかし、ほんと哲学者は普通の人が思いもつかないことを考えますね。
(それが妙に説得力があるから困るのですが・・)
521 :
初心者その1:02/09/03 23:34
>>519 うーん、僕はそれでもモグラだと思うんですね。
もしかしたら、そのモグラは障害者かもしれないし・・。
そのモグラ自身、他モグラから冷たい目で見られる
日陰者かもしれないし・・。
不器用な自分に日夜悩んでいるかもしれないし・・。
やはり、穴を掘らなくとも温かく迎え入れるだけの、
余裕のある社会を創らねばいかんと思うのですよ。
モグラ個人より、社会の在り方の方が大切ではないかと・・。
初心者はどんどん悪い方向に行ってる.はやくフレーゲかパトナムの本を
読んだ方がいい.
523 :
Kurihara:02/09/03 23:57
初心者さんはどんどん良い方向に行ってますね。
はやくヒュームの『人性論』とエルンスト・マッハの『知覚の分析』
を読むことをおすすめします。
『新視覚新論』で大森さん、また不可思議なことを行っています。
「幻覚は・・立派な視覚風景の一つであると答えたい。
・・・幽霊がそこに見えていることは、
墓石がそこに見えていることと変わりがない」
「知覚現場であるのと全く同じ資格で、
想起現場もまた現場なのである。」
つまり、幻も過去の想起(風景)も、
現在の知覚風景と同じ”立ち現れ”ということ。
(大森さんはこの”立ち現れ”という語に独特のニュアンスを持たせ、
これがわかりにくいのですが・・)
>>522 あっ、稲さん。相変わらず反応が早いですね(笑
他の分哲スレで大活躍ですね。
少し読んだのですが、全くわかりませんでした(笑
バークリや西田幾多郎(ついでに大森さんも?)といった、
少し怪しげな人はお嫌いなようですね。
お薦めの『フレーゲ著作集2 算術の基礎』買いました。
期待せずに、ネットで検索したら2000エン!でした。
すぐには無理でしょうが、時間が空けば見てみたいと思います。
>>523 今度はKuriharaさんだ。
稲さんとはライバル関係にあるのですか(笑
Kuriharaさんはマルクス(よって廣松さん?)が好きなのに、
ヒュームですか?
簡単な哲学史の本を読んだのですが、
ヒュームはバークリと同じ経験主義者ですよね?、
「意識は知覚の束である(だっけ?)」というように
観念論の人かと思いましたが。
528 :
考える名無しさん:02/09/04 00:21
命令されるとはむかいたくなる、
誰のところにもいく気はないです。
529 :
Kurihara:02/09/04 00:32
>>527 マルクスはヒュームの経験論を大変高く評価
しているんですね、実は。
このことは知っておく価値がありますよ。
あとマルクスはシェークスピアのファン
でもありました。
どうでしょう、マルクスへのイメージが
変わったのではありませんか?
530 :
考える名無しさん:02/09/04 00:37
のっとりか。
なんでもいいよ。
531 :
Kurihara:02/09/04 00:38
マルクスの哲学的モットーは
「すべては疑い得る。」なんですね。
マルクスはこのモットーを自分の子供達に
繰り返し説いていたと言われています。
で、そのモットーこそ、かのヒュームの懐疑論から
学んだことなのです。
532 :
考える名無しさん:02/09/04 00:41
そうですね。
自分と命がけレベルの人しか
信用できなく育ちました。
>>526 稲さんに質問があります。
他の分哲スレのカキコはほとんど論理学に見えます。
言語の厳密さが、哲学の厳密さにつながるのはわかるのですが、
問いそのものが見えてきません。
(つまり、それを使って何がやりたいのかわからない)
例えば、分哲(論理学?)の人から見て、「大森理論はおかしい」
というのは、彼の言語の論理性から「おかしい」と気づくのですか?
分哲の人も、他の哲学者のように問いを持っているのですか?
分哲の特徴や概観を頭に入れてから、
フレーゲの詳細理論に入った方がいいと思うのですが・・。
(分哲の概観がわかるいい入門書ありませんか)
534 :
Kurihara:02/09/04 00:44
ドゥルーズはマルクスがヒュームを高く評価
していたことを知っていたから、自分も
ヒューム論を書いた、ということは是非知って
おくべき哲学史の基礎知識ですね。
535 :
考える名無しさん:02/09/04 01:00
Kuriharaさんは何かお書きになってるんですか?
>>529 Kuriharaさん
>マルクスの哲学的モットーは
>「すべては疑い得る。」なんですね
>で、そのモットーこそ、かのヒュームの懐疑論から
>学んだことなのです。
そうですか。
唯物論と観念論で水と油かと思いました。
しかし、哲学史を読むと面白いですね。
「普通そこまで考えるか?」ということまで疑って、
思考を重ねてますね。
正否は別として、その問いの素晴らしさと、
理論の組み立ての執拗さには驚かされますね。
(続)
以前「ファストフードが世界を食いつくす」
という本読みました。
これからすべての業種でファストフード化が進むと思います。
(食べ物業界に限らず)
資本主義である限り、
これ以上、効率的なシステムは今のところないと思います。
(続)
僕自身、このシステムには大いに助けられています。
マック、吉野屋、ファミレス、ユニクロ、コンビニ・・。
ただ問題は、一人一人において、消費者としての立場と生産者としての立場で、
全く正反対になることですね。
具体的に言えば、
「何か食いたい時は安いから吉牛に行くけど、(消費者としての立場)
そんなところでは働きたくない。(生産者としての立場)」
(続)
ほとんどの人がそうだと思います。
資本主義である限り、
このギャップはこの先どんどん広がっていくと思いませんか?
(かといって共産主義は結構ですが)
最近この問題が気になって仕方ありません。
(と言いつつ、明日の松屋行くだろうなぁ・・)
540 :
初心者その1:02/09/04 01:19
遅くなりましたので、今日はこの辺で・・
>>533 もちろんあります.山ほどある.
別にフレーゲ論法なんて論理学なんて呼べるものではないんだけど,あそこではフレーゲ論法
って何かということだけだからね.なんであんな議論するかというと,要は文でも単称名辞
でもいいけど,その意味を指示対象に尽きるんだ,と考えると非常に奇妙な結果になる.
だから意味meaningを問題とする「意味の理論」というのが必要だ,という脈絡の話.
>>533 論理性というより,前提だろうな.到底受け入れられないような前提が大森の議論の中には
隠れている,と感じるんだね.
543 :
Kurihara:02/09/04 01:47
>>535 >>534の「自分」というのはドゥルーズ
を指します。僕のことではありません。
ドゥルーズがヒューム論を書いたということです。
誤解を与えたなら、すいません。
544 :
考える名無しさん:02/09/04 02:21
>>543 いえいえ、それは承知です。
最初に誤読して、次に気になったもんで。
前に名前を出した竹尾の『分析哲学入門』や藤本隆志の『分析哲学の
現在』あるいは最近出た野本の『言語哲学を学ぶ人のために』とかで
いいんじゃねえか。飯田のが一番だけどな。
初心者は元来が稲よりいい。
早々に稲を追い抜くべきだ。
>>546 その前に自分が追い抜かれないようにするんだな.
548 :
考える名無しさん:02/09/04 08:26
:稲 :02/09/04 01:36
>>533 論理性というより,前提だろうな.到底受け入れられないような前提が大森の議論の中には
隠れている,と感じるんだね.
結局 稲も「感じるんだね」としか言えないのよ 最後は
結構がっかり
549 :
考える名無しさん:02/09/04 08:27
77 :稲 :02/09/03 13:15
おれは童貞だけど、それがどうした。
童貞でけっこう!!!!
別に稲は擁護するのではないけどな。
「感じるんだね」としか言えんだろ、最後には。
大森死んでるし(大森は死を認めてないけどな)。
隠れた前提なんて最後には当人に聞くしか確かめ
ようないし。
>その前に自分が追い抜かれないようにするんだな.
君もな(w
仮定:A
推論:A→B
結論:B
推論A→Bが正しいと仮定せよ.すると,もし結論Bが偽であれば仮定Aが間違っているはずである.
つまり,大森の議論はどれも自分には納得できない.でその議論が正しくなされているならば,
そこに隠されている前提の何かが間違っているはずだ.「論理性というより,前提だろうな」
というのはそういう意味.
それって隠されてるのか?明示されてるんじゃないの?
553 :
考える名無しさん:02/09/04 09:12
「感じるんだね」としか言えん事を、なんで人に押し付けられんのさ
稲って、けっこう排他的じゃん
言われてみれば(w
555 :
考える名無しさん:02/09/04 19:18
初心者age
556 :
考える名無しさん:02/09/04 19:50
24 :考える名無しさん :02/09/04 01:10
あのよ、数論って、Theory of Number のことだよな。
みんな一体何について語ってんの?数学の一分野だろ。
数学の哲学では、数の実在性に関して、議論になるけど、どうも
みんながいってんのは違うっぽいしな。
とりあえず、知ったかのやつにだけ、コメントしとく。
>5
基礎論の哲学って何だ?古典論理と形式論理のこといってんのか?勉強したこともないやつ
がカッコつけない方がいいぞ。
>15
意味のわからんことを言うなよ。お前フレーゲ読んだことねえだろ。
「算術の基礎」は昔読んだが、確かに数という概念に主題的に取り組んだ
労作だと思う。しかし、他の思想家や数学者の論駁にけっこうページを
咲いているため、当時の論争状況を知らないと分かりにくい。
またフレーゲのこのことに関する思想は、他の本で簡単に分かるので、
今となっては、別によまんでもいいだろう。
>>556 それ他のスレッドのコピベだよね.僕も読んだ.ますますフレーゲの本を読んだ方がいいな.
ただ他の数学者や思想家を論駁してる,という程度のしか理解できないんであれば,『算術の基礎』
を理解したなんてとてもいえない.
558 :
考える名無しさん:02/09/04 21:30
557 :稲 :02/09/04 21:27
>>556 それ他のスレッドのコピベだよね.僕も読んだ.ますますフレーゲの本を読んだ方がいいな.
ただ他の数学者や思想家を論駁してる,という程度のしか理解できないんであれば,『算術の基礎』
を理解したなんてとてもいえない.
>確かに数という概念に主題的に取り組んだ労作だと思う。
て書いてあるじゃん なに都合いいとこだけ引用してんだよ
たしかに『基礎』は他の思想家や数学者の論駁と自分の考えを提示する部分に分けられるけど
フレーゲを専門にやるのでもない限り,前半の方がすごく勉強になる.単に入門書のような類を
読んでわかったつもりになるのが一番危ない.フレーゲの本はどれもそうだけど,一文一文を
確かめながら読むぐらいの価値がある本.
561 :
考える名無しさん:02/09/04 21:50
結局、稲ってそういうことしか言えない奴なのね
まぁそれでなにかいったと思ってるならスゴイね
おまえのそういう対応がおまえのレスの信用度下げるだけ
すごいよ
562 :
考える名無しさん:02/09/04 21:53
563 :
bloom:02/09/04 22:01
564 :
初心者その1:02/09/04 22:17
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました
( ) \_______
| | |
(__)_)
『新視覚新論』ムズイ!
565 :
考える名無しさん:02/09/04 22:20
大森は「基本的」には分析や経験論だからな。
シャープで慣れればわかりやすいのにな。稲
が忌避気味なのは、ある意味変ではある。あ
る意味だけどね。
>>285 上級者さん
お薦めの本いくつか見てきました。
分かりやすい本ばかりで、初心者の僕には大いに参考になりました。
立ち読みですが、野矢茂樹『哲学の謎』は面白かったですね。
特に、時間に関するところは「そうそう!」
と思わず唸ってしまいました。
やはり門外漢の僕にとって、
哲学は”問い”が面白い(不思議)ですね。
「普通、そんなこと考えんやろが!」
という感じで・・。
でも、あらためて言われれば「そうかもしれない・・」
と、僕の中の常識を揺さぶられるのが面白いですね。
>>565さん
>大森は「基本的」には分析や経験論だからな。
大森さんが経験論というのは何となくわかります。
(バークリからの影響とか)
でも、分析(分析哲学?)の人ですか?
僕のイメージでは全く共通点はないような気がしますが・・。
もしそうなら、フレーゲ始め、分析の方も
少しは知っておいた方がいいのでしょうか?
『新視覚新論』を読む限り、
物理学の素養も必要なようですね。
>>567 >でも、分析(分析哲学?)の人ですか?
>僕のイメージでは全く共通点はないような気がしますが・・・
まったくというのは言い過ぎだけど,いい感覚だ.
>>285 上級者さん
あと、大森さんが出てくる箇所探してみました。
「私たちは寄るとたかると大森理論の”おかしさ”ばかり話していた。
あらゆる観点からヘンだけど、徹底したおもしろい理論だなぁと
感心していた。」(中島義道)
それでいて、哲学界の第一人者。
大森荘蔵ますますイイ!
>>569追加)
(・・・やはり他の人も僕と同じようにおかしいと感じているんだ。
・・・それでいておもしろい理論と感心しているんだ。
・・・僕と全くいっしょじゃん!)
>>395 カオルさん
遅くなりましたがレスします。
>対象の知覚が、対象の認識(実在)というレベルに達するには、
>対象を混沌(無秩序)から分離し、対象に秩序を与えることが必要です。
この対象に秩序を与えるのは”言語”でいいですか?
この混沌の世界とは、言語(的思考)ができない赤ちゃんや動物の世界でしょうか?
>対象に秩序を与えるためには、時間と空間という観念が不可欠になります。
そうですね。時間と空間は後天的な概念でしょうか?
僕はそう思いますが・・。
(この二つの概念を持たない意識は、
どのような世界を見ていると思われているのですか。
例えば、赤ちゃん。幼児の認識の発達経過に詳しい人いませんかね?)
(続)
>認識された対象は、他者とのコミュニケーションが繰り返される中で、
>“共有”され、その時空を広げながら“実在”する“仮想の実在”です。
大森さんの「制度的心理概念」(他人との合意)により作られる
物語世界に近いでしょうか?
>“思考”すること自体が二元論的世界の内でしか“実在”しないと思います。
>なぜなら“言語”そのものが、対象の知覚から生まれていると思うからです。
うーん、そうですかね?。
はっきりは言えませんが、言語がなくとも思考はできるような気がしますが・・。
こういった、言語と思考の関連を研究をしている学問は何でしょう。
(その他、大森さんとの関連で
>>433参照)
>>541 稲さん
>なんであんな議論するかというと,要は文でも単称名辞
>でもいいけど,その意味を指示対象に尽きるんだ,と考えると非常に奇妙な結果になる.
>だから意味meaningを問題とする「意味の理論」というのが必要だ,という脈絡の話.
さっぱりわかりません(笑
>>542 稲さん
>論理性というより,前提だろうな.到底受け入れられないような前提が大森の議論の中には
>隠れている,と感じるんだね.
その受け入れられない前提とは、分析哲学から見た観点ですか?
それとも、それとは関係なく稲さん個人の観点ですか?
575 :
初心者その1:02/09/05 00:03
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< ひとやすみ
( ) \_______
| | |
(__)_)
>>545 ” ”さん
>前に名前を出した竹尾の『分析哲学入門』や藤本隆志の『分析哲学の
>現在』あるいは最近出た野本の『言語哲学を学ぶ人のために』とかで
>いいんじゃねえか。飯田のが一番だけどな。
情報ありがとうございます。
探してみます。
前出の飯田さんの『言語哲学大全』は量多すぎ!です(笑
>>568 稲さん
>まったくというのは言い過ぎだけど,いい感覚だ.
ありがとうございます(笑
ただ、ウィトゲンシュタインからは影響を受けていると聞いています。
(彼、分析哲学の人ですよね?)
どういった影響でしょうか?
578 :
初心者その1:02/09/05 00:16
では、この辺で・・
579 :
初心者その1:02/09/05 00:23
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌―─┴┴─―┐
/ つ. 質 問 │
〜′ /´ └―─┬┬─―┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
時間と空間の概念がない世界とは、
どういう世界?
例えば、赤ちゃんはどのように世界を見ている?
580 :
考える名無しさん:02/09/05 02:23
>>572 スペルキー、フィリップス、ウッドワードの実験で、
生後6箇月の乳児は、生物/非生物、感情を持つもの/持たないもの、
の区別ができると実証されました。
またスペルキーの実験、ベイヤルジオンの実験で、
乳児は物体(object)と物質(substance)の差異を理解していると実証されました。
物体は物質と異なって個別性を持っているという差異です。
乳児が理解していると示された主な物体の特質は、次のようなもの。
物体は外的な力によってのみ動く。
物体は別の物体を通りぬけない。
物体は外的な力によってのみ変形する。
物体の一部だけが移動することはなく、ひとつの物体は全体がまとまって動く。
言語が子どものなかで発達する以前に、上記のような認知が可能です。
時間と空間も純粋な概念として知っているかどうかは別にして、
認知という経験を可能する時間や空間としては素朴に心得ている必然性が出てくるでしょう。
581 :
考える名無しさん:02/09/05 07:17
ラカンとかいいかもしれんけど哲学とははずれるなあ。
カントの時間空間という形式ってのも発生的秩序じゃないしな。
>>574 僕個人の観点ではないと思う.実際,
> 「私たちは寄るとたかると大森理論の”おかしさ”ばかり話していた。
> あらゆる観点からヘンだけど、徹底したおもしろい理論だなぁと
> 感心していた。」(中島義道)
だからね.ただこういう風に面白いなァと感じる人は,大森の前提のどこが間違ってるのか
見えてない人なんだよね.
583 :
考える名無しさん:02/09/05 08:56
582 名前:稲 :02/09/05 07:48
>>574 僕個人の観点ではないと思う.実際,
> 「私たちは寄るとたかると大森理論の”おかしさ”ばかり話していた。
> あらゆる観点からヘンだけど、徹底したおもしろい理論だなぁと
> 感心していた。」(中島義道)
だからね.ただこういう風に面白いなァと感じる人は,大森の前提のどこが間違ってるのか
見えてない人なんだよね.
なるほど 実体験を持ってきますか どこまでいっても「感じるんだね」
から一歩もでてない
584 :
考える名無しさん:02/09/05 09:00
582 名前:稲 :02/09/05 07:48
>>574 僕個人の観点ではないと思う.実際,
「思う」ですか?
585 :
Kurihara:02/09/05 21:39
>>538 ラカン派マルキストのジジェクという人による
と、世界の労働人口の八割がすでに余剰人員
つまり潜在的な失業者になっているそうですね。
生産の効率化を徹底して押し進めた結果、
人は生産過程(職場)からどんどん排除されるのですね。
そういう「人なき経済」が資本主義の真実だと
いうことですね。簡単な話。
>>571 1さん
マジレスする時間がありません。m(__)m
とかいって「サトラレ」見てたんだけど。(笑)
母と息子の絆って、やっぱり恋愛の変形に思えるな。
って、誰も見てないか。。。(^_^;)
ところで、サトラレの赤ちゃんの頃のエピソードってあったのかな?
知ってれば、1さんの質問に答えられるのに。。。ってダメですよね。(笑)
後日、必ずレスします。(内容は期待しないで下さい)
587 :
これ、どう思う?:02/09/05 23:49
ああ、いうまでもないけど、自分の体験には、
上記のスレの宇多田ヒカル云々は関係ないです(w。
589 :
初心者その1:02/09/06 00:10
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< こんばんわ
( ) \_______
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(__)_)
レスだけでも・・
>>580さん
丁寧なレスありがとうございます。
興味深い結果です。
やはり、幼児の認識の発達過程を探る研究は行われているのですね。
これら研究はどの分野に属されるのですか?
哲学ですか?心理学ですか?
空間や時間、因果関係といった観念の先天性(先天的?、後天的?)や、
言語と認識の関係等、とても興味あります。
それによって哲学の認識問題にも大きな影響を与えそうです。
(もう与えてるのかな?)
心身問題のヒントともなりますよね。
(「ピアジェ 知覚の心理学」の入門書はとてもおもしろかったです。)
ごめんね>1
自分は、時間論に関して、大森正蔵さんも一時はまっていたけど。
アリストテレスで決着がつきました。
哲学を自分の言葉で語る人には、
言葉を裏打ちするだけの<体験>が必ずある、と思うよ。
絶対に、言葉だけじゃないと思う。
>>581さん
>ラカンとかいいかもしれんけど哲学とははずれるなあ。
>カントの時間空間という形式ってのも発生的秩序じゃないしな。
ラカンは、精神分析の人ですよね。
心理学における認識の研究と、哲学における認識の研究は、
目指すところが少し違うようですね。
ラカンはどうなのでしょうか?
カントは確か、空間も時間も生まれつき備わっている観念だと
言ってますよね。
(違ってたら指摘お願い。当方カント読んでません。)
593 :
偽スピノジスト:02/09/06 00:45
横レスでごめんなさい。
大森は「重ね描き」ということをいっていたよね。たとえば何かが見えると
いうとき、物理的過程が「見える」ことの原因ではなく、ふたつは並行して
いるということだね。物理的過程をいくらたどっても「見える」ということ
ば(観念)にはいきつかない。両者は別物だが、重なっている。となると、
これはスピノザのパラレリズムとそれこそ重なってこないか?延長属性に於
ける物の秩序連結は思惟属性を交えずに解しうるし解すべきである。しかし
両者は厳密に並行してもいる・・・
そこで質問。「呪縛」でも、「時間と自我」以下の三冊でも大森さんはスピ
ノザに言及していない。以前のものではどうですか。
>>591 587さん
>自分は、時間論に関して、大森正蔵さんも一時はまっていたけど。
>アリストテレスで決着がつきました。
大森さんの時間論(特に過去非実在論)はあまりの”非常識”なため
大変興味を持っています。
アリストテレスは全く知らないです。
調べてみますね。
ポイントだけでも教えてもらえたらうれしいです。
(続)
>哲学を自分の言葉で語る人には、
>言葉を裏打ちするだけの<体験>が必ずある、と思うよ。
>絶対に、言葉だけじゃないと思う。
そうそう、僕が今思っているのもこのことなんですよね。
大森さんの物心一如も理論ではなく、”実感”だと思うのです。
感じる人は読まなくともわかるだろうし、実感がない人はどれだけ研究しようが
永遠にわからないままではないかと思います。
(僕は残念ながら、”今のところ”後者の方ですが・・)
あまりこれを強調すると、宗教に傾いてしまう危険性がありますけどね。
(続)
素朴実在論、独我論にかかわらず哲学の問いは
元来その真理性を証明することは不可能なものばかりですよね。
ただ、その時代に合った観念を”上げ底”に世界は成り立っているだけで・・
僕にとって大森さんは、今まで考えもしなかった”世界の上げ底”をさらけ出し、
一から再考するよう促せてくれた人ですね。
>>593 偽スピノジストさん
レスありがとうございます
>そこで質問。「呪縛」でも、「時間と自我」以下の三冊でも大森さんはスピ
>ノザに言及していない。以前のものではどうですか。
当方、スピノザを全く読んでいない、
加えて、大森理論の読みとりで精一杯で、「重ね描き」も完全に消化しきっていません。
よって、両者の理論を比較することができません。
ただ、言われている4冊の他には『流れとよどみ』『時は流れず』『新視覚新論』(8割がた)
しか読んでませんが、その中ではスピノザは一度も出てきませんでした。
これから大森理論を読みとっていく上で、
スピノザとの関連も考慮に入れ進めていきたいと思います。
役に立たたず申し訳ないです・・。
598 :
考える名無しさん:02/09/06 01:13
アリストテレスでは決着つかんだろ。
アウグスティヌス読め。
599 :
考える名無しさん:02/09/06 01:15
初心者はやっぱり素晴らしいな。大森はスピノザとハイデガーは
言及してないな。
600 :
考える名無しさん :02/09/06 01:16
哲学って何?
601 :
考える名無しさん:02/09/06 01:18
哲学って何?絶対に、最後まで説明出来んのじゃない?
602 :
考える名無しさん:02/09/06 01:18
なんだろな?
>>585 Kuriharaさん
Kuriharaさんは共産主義者ですか?
(と言っても様々な種類があると思いますが)
僕は、共産主義(国家)には全く興味ありませんが、
マルクスの理論は関心がありますね。
その理論が正しいと、
そのまま社会(国家)に当てはめるのはどうかと思いますが、
資本主義の問題点(どのシステムにも問題点はある)は
鋭くついているのではないかと思っていますので。
だろ?分る人などいないんじゃないの?
>>602 それを、あれが良いだの、これが良いだの。
606 :
考える名無しさん:02/09/06 01:23
あれが良いってのは哲学と称されているものの目利き的発言。
それらを踏まえつつさらに考察、哲学とは何かも含めて。
分かってないんだったら、俺みたいにうんちく語らず
黙ってりゃあい良いの。本当に分かって言ってんの?
609 :
考える名無しさん:02/09/06 01:25
わからないなりに深めたいから書きこんで交流するんだろ。
610 :
初心者その1:02/09/06 01:26
00さん
>哲学って何?
哲学とは
「他人が気にもしない世界の上げ底を見てしまい、気になって仕方がない人が、
自分を納得させるために自力で答えを見つけ出そうとする行為です」
永井オタではありません(笑
あまり突っ込まないでください、特にIさん(笑
俺は、分らないから質問する。分かっていてここでうんちく
言ってんだろ。理解してないで言ってるならともかく。
612 :
考える名無しさん:02/09/06 01:28
現在の個人的な達成点からいってるんだろ。そこで止まっちゃう人もいるが。
614 :
考える名無しさん:02/09/06 01:28
問われることの無い諸前提。わかりやすくは個人と社会、主観と客観。
ふむふむ
?????????
>アリストテレスでは決着つかんだろ。
>アウグスティヌス読め。
……? なぜに? 説明キボンヌ。
読んでないから良くわからないのですが、ラテン語にトランスレートするときに
誤訳された文献をもとに考えていたのでは。。。?>アウグスティヌス
610さんあなたの、他人が気にもしない世界の上げ底は、なんでした?
哲学に入る為に必要なんですよね。なんでした?
みなさんへ
僕は、哲学書を読んでる人より、現実をきちんと生きている人の
言っている事の方が、よっぽど説得力があると思います。
だって、哲学者って文章にするプロセスの為に時間を消費する訳でしょ。
だったら、哲学者より現実を生きている人の方がより、経験をする訳です
よね。だとしたら、哲学者はフィクションに近く、それ以外の人はノンフィクションに
近くなるのは、あたりまえと考えられます。
619 :
初心者その1:02/09/06 01:37
>>613 追求人さん
>世界の上げ底って?
普通に生活する上で前提となっていること。
例えば、
「過去(の自分は)どこに行ったのか?」
「僕の今までの人生は夢ではなかったのか?」
「死んだらどうなるのか?」
といった、そんなこと考えていたら生きていけないよ、
といった問いのこと。
そのような問いに引っかからない人から見れば、
哲学なんて役に立たないし、馬鹿な行為に見えると思うけど、
世の中にはそれが気になって仕方がない人がいるみたいです。
おそらくプラトンの「哲学は驚きから始まる」
というのはこの上げ底を見てしまった人の驚きと思われます。
620 :
考える名無しさん:02/09/06 01:40
>僕は、哲学書を読んでる人より、現実をきちんと生きている人の
>言っている事の方が、よっぽど説得力があると思います。
>だって、哲学者って文章にするプロセスの為に時間を消費する訳でしょ。
>だったら、哲学者より現実を生きている人の方がより、経験をする訳です
>よね。だとしたら、哲学者はフィクションに近く、それ以外の人はノンフィクションに
>近くなるのは、あたりまえと考えられます。
フィクションやノンフィクションとかきちんととかに突っ込むのが
てつがくだよ(w
621 :
考える名無しさん:02/09/06 01:41
アリストテレス時間論じゃ主観があまりにもおざなりだ。
「過去(の自分は)どこに行ったのか?」
「僕の今までの人生は夢ではなかったのか?」
「死んだらどうなるのか?」
このどれもが、化学者に言わせれば説明出来るんだろうな。具体的に。
ようするに、哲学ってより壮大に、知的に、解釈したいんだろうか?
芸術に近い分野なのかな?
623 :
考える名無しさん:02/09/06 01:44
ある意味芸術。それと残念ながら自然科学じゃ「完全」には
解説不可能だ。
>>620 ん?じゃあ、哲学者って、ノンフィクション、フィクションの
どちらにもあてはまらないものなの?だったら、哲学って
あいまいだね。具体的にどんなポジショニングで喋ってんの??
>>618 >僕は、哲学書を読んでる人より、現実をきちんと生きている人の
>言っている事の方が、よっぽど説得力があると思います。
哲学書を読んでるからといって,哲学者になるわけじゃないし,「現実をきちんと
いきる」という意味がよくわからん.普通の哲学者だってみんな職業哲学者だと思
うが.
>哲学者より現実を生きている人の方がより,経験をする訳です
別に哲学者があの世に行って論文を書いているわけじゃない.
>哲学者はフィクションに近く、それ以外の人はノンフィクションに
>近くなるのはあたりまえ
哲学者は小説家ではありません.
626 :
考える名無しさん:02/09/06 01:48
>ん?じゃあ、哲学者って、ノンフィクション、フィクションの
>どちらにもあてはまらないものなの?だったら、哲学って
>あいまいだね。具体的にどんなポジショニングで喋ってんの??
だからそうした二分法そのものを疑うのさ。
>>625 >哲学者は小説家ではありません.
だって、経験する時間ないジャン。いつ経験するの??
想像力を働かせているんでしょう?その点フィクションに近くないの?
628 :
Kurihara:02/09/06 01:49
>>603 僕は広松渉さんが共産主義者であるのと
同様な意味で、共産主義者ですよ。
広松さんには『今こそマルクスを読み返す』
(講談社現代新書)というマルクスの入門書が
あります。
マルクスの有名なテーゼに「自分はそう思ってなくても
そう行う」というのがあります。思考と行為の背反関係
をついたテーゼですが、これは同時にマルクスの革命論
でもあります。つまり「自分は共産主義者ではないと思って
いるけど、行為においては共産主義者だ。」という例が
あるということをマルクスは見抜いていて、そういう事例の
集積の結果として意識しなくても共産主義社会が出来て
しまうという見通しをマルクスはもっていました。
そういうマルクスの狡知を、ジジェクは「為すところを
知らざればなり」と定式化しています。マルクスの視座
からするとむしろ共産主義者でない人を探すほうが難しい
のですね。
これがマルクスの「凄さ」なのです。
>>622 >「過去(の自分は)どこに行ったのか?」
>「僕の今までの人生は夢ではなかったのか?」
>「死んだらどうなるのか?」
>このどれもが、化学者に言わせれば説明出来るんだろうな
勝手に思いこまれてもこまるな^^.そもそも科学者はそんなテーマで論文を
書いたりしません^^ 別に宗教家でもいいが「私が死んだらどうなるか」なんて
ことに答えられる人がいたらぜひ教えてもらいたいもんだ.
>>617 追求人さん
レスありがとうございます。
追求人さんも僕と同じ初心者でありながら、
哲学がちょっぴり気になっている人と見受けられます。
>610さんあなたの、他人が気にもしない世界の上げ底は、なんでした?
>哲学に入る為に必要なんですよね。なんでした?
ありませんでした(笑
僕に、そのような気になって仕方がない”問い(上げ底)”
というのはありませんでした。
今もほとんどないと思います。
(続)
だから僕は”哲学”をやっていると自分で思ってません。
単に、好奇心から”思想”を勉強しているのだと。
著書から伝わってくる、大森さんの”問い(上げ底)”
を解明しようという恐ろしいまでの執念は
僕には全くないものです。
ただ、大森さんと一緒に(上げ底)考えることにより、
僕の世の中を見る目は全く変わりましたよ。
632 :
考える名無しさん :02/09/06 01:51
>>627 >だからそうした二分法そのものを疑うのさ。
疑う事が哲学?どんな立場で、物を書いてるのか俺は知りたいだけ。
想像は、ノンフィクションじゃないじゃん。
>>627 「経験する時間」って・・・ 「何を」がなければ無意味でしょうに^^
634 :
考える名無しさん:02/09/06 01:54
ノンフィクションってなあ(w
物事を正しく認識するとは?とかから入るからなあ。
ということでノンフィクションって厳密にはありえんだろ。近似値はあるが。
635 :
初心者その1:02/09/06 01:55
みなさんで、追求人さんにも哲学のおもしろさを教えてあげてください。
>>629 >勝手に思いこまれてもこまるな^^.そもそも科学者はそんなテーマで論文を
>書いたりしません^^ 別に宗教家でもいいが「私が死んだらどうなるか」なんて
>ことに答えられる人がいたらぜひ教えてもらいたいもんだ.
う〜む俺だったら、灰になるって答えるだけだな。哲学者はどんなふう
に答えるんだろう?だって灰になるジャン。
>>630 >僕の世の中を見る目は全く変わりましたよ。
う〜ん変わるものか。ようするに、良き師と出会う感じなのかな。
文章として。
>>636 >う〜む俺だったら、灰になるって答えるだけだな。哲学者はどんなふう
>に答えるんだろう?だって灰になるジャン
とても科学的説明とは思えないな^^
638 :
考える名無しさん:02/09/06 01:58
スレッド最初から読んでみ。世界を見る枠組みについての考察
というのもそれなりの答えになってるかな。
哲学って、芸術と似ているな。意味ないって言ってしまって目をつぶったら
それまでなんだけど、芸術に見向きもしない人もいっぱいいるわけで。
俺も芸術してんだけど、何が芸術?何が芸術じゃないって言われたら、
それは説明出来ないし。哲学も似てるな。違うのかな?
640 :
考える名無しさん:02/09/06 02:01
だからある意味芸術だっての(w
641 :
考える名無しさん:02/09/06 02:07
う〜むじゃあこれ哲学?
何故、人は街を形成するのか?
何故、夢を見るのか?
何故、人を殺すのか?
何故、トイレに行くのか?
何故、目が悪くなるのか?
何故、恋をしようとするのか?
何故、怒るのか?
どれが哲学??
643 :
考える名無しさん:02/09/06 02:16
>>642 どれもがアカデミックな哲学とは無縁の問題.
むしろ「人生哲学」って部類だな.
>アリストテレス時間論じゃ主観があまりにもおざなりだ。
いや、それには同意できない。
僕らの身体には、こういう言い方をして誤解を招くことを危惧するのだが、
まったく別の次元の時間軸が平行して<流れている>。そこに、主観が含まれるよ。
645 :
考える名無しさん:02/09/06 02:24
それは外の時間とは別物か?
アリストテレスは、正誤はわからないけど、
自分が気がついていた、と信じている程度のことは、
わかっている、と読みこんだ。
ただ、それを線型に表現するときの限界から、
時間=運動の数
という、一見、無味乾燥に見える結論にまとめたのだろう。
これ以上語ることは、自分を再び壊してしまうから、語ることができない。
スマンソ。romに戻ります。
>>642 追求人さん
明日早いので、早く寝たいのですが、
あなたのことが気になって仕方がありません。
以前の僕を見ているようで(笑
僕も全くの初心者ですからそのつもりで聞いてください。
追求人さんは芸術が好きなのですよね。
じゃあ、話は早い(笑
僕も好きなのですが(芸術という言葉はちょっと・・)、
初心者の内は同じと思って良いと思いますよ。
少なくとも根底の動機は似てますよ。
(続)
あなたがピカソ(ベタでごめん)が好きとして、
なぜピカソの絵に惹かれるのか、ピカソに興味がない人に言葉で説明できますか?
おそらくすべての人に、あなたと同じように”実感”してもらうのは無理でしょう。
でも、わかる人には説明しなくてもわかる。
あなた自身、最終的には「なぜかわからないが惹かれる」
としか言えないのではないですか?
芸術の魅力とはそのような個別的なものですよね。
哲学の問いも同じだと思います。
その問い(上げ底)が気になっている人には、どうしても気になるし、
そうでない人にはそれに悩んでいる人がバカにしか見えないと思います。
人それぞれ、その”問い”は異なります。(芸術と同じです)
一生、一つも問いにぶつからない人もいれば、それに躓いてばかりの人もいます。
(続)
>う〜むじゃあこれ哲学?
>何故、人は街を形成するのか?
>何故、夢を見るのか?
>何故、人を殺すのか?
>何故、トイレに行くのか?
>何故、目が悪くなるのか?
>何故、恋をしようとするのか?
>何故、怒るのか?
>どれが哲学??
あなたが、上の項目で世間に流通している常識に納得できない、
”本気で”気になって仕方がないものが、
”あなたにとっての”哲学だと思いますよ。
(続)
芸術と同じで、すべての人にとって共通する問いはないと思います。
あなたが気になって仕方がない問いを、自力で追求しようと思った瞬間から
”あなたの”哲学は始まると思います。
もし、あなたがそのような問いを持たないならば、
哲学はあなたにとって全く関係のないものです。
生きていく上で、そのような問いを持つことは
必要不可欠な物ではないですからね。
(これも芸術と同じですよね。)
(専門家からの反論が怖い・・・笑)
652 :
Kurihara:02/09/06 03:02
>>628の僕の意見が解らないという人は
「ユダヤ人」について考えてみてください。
ユダヤ人というと、人は「金儲けの亡者」と
考えますよね?他方でユダヤ人というと、
人は「共産主義者」とも考えますよね?
つまりユダヤ人とは金儲け主義者であると
同時に共産主義者でもあるわけです。
しかしこれは一種の「矛盾」ですね。
でもこの矛盾は「為すところを知らざればなり」
ということを差しはさむと、解消されます。
つまりユダヤ人は頭のなかでは金儲けのことばかり
考えていて、金儲けに実際走るけど、そうすれば
するほど、例えば貧富の差は拡大し、消費は全体的には
停滞します。消費が停滞すると当然商品は売れなくなり、
資本主義は危機に陥りますね。商品の売り上げ=儲けが
ないのですから。
このように金儲けに走れば走るほど、行為事実的な結果
としてはかえって金儲けのできない状態(つまり共産主義
の前段階)になるのですね。
そのことを誰よりも深く分析したのがマルクスの
『資本論』なのです。
金儲けに走れば走るほど、社会は共産主義化すると
いうのがマルクスの言いたかったことなんですよ。
だからおそるべき「皮肉屋」ですよね、マルクスって。
これほどのアイロニーは滅多にあるものではありませんね。
653 :
初心者その1:02/09/06 03:06
>>652 あっ、Kuriharaさんハケーン。
今日はもう限界なので明日レスします。
なかなかおもしろそうな意見ですね。
654 :
考える名無しさん:02/09/06 06:39
>>590 認知科学・認知心理学・発達心理学などです。
655 :
考える名無しさん:02/09/06 09:24
>>631 ここでいわれていることは素晴らしいですね。
ただ自分が気になる事をかんがえているだけであって、
それが「哲学」かどうかはどうでもいい。
自分のやってることを「本当の哲学」と言って、他人のかんがえていることを
「それは哲学じゃない」とかいって魔女狩りみたいなひとは勘弁してほしいよね。
永井均氏も自分のやってることなのが哲学なのかどうか、いまだにわからないといってるしね。
初心者その1氏は、資本主義に興味があるそうですが、ちょっと副読本として
興味があったら以下の本を立ち読みでもしてみてください。
福田観一「近代の政治思想」岩波新書
福田観一「近代民主主義とその展望」岩波新書
藤原保信「自由主義の再検討」岩波新書
これらは政治思想史の本です。こういう視点からのものも得るものがあると思います。
いろいろ詳しいKurihara氏にもよかったら勧めたいです。
でも初心者その1氏の興味の広さはよいですね。
このレスも多様な立場のひとたちが自分と違う立場のひとを排斥しないで、
建設的議論ができているようでいいですね。さすが大森というとこでしようか
656 :
口を出すもの:02/09/06 14:47
>>652 でも、資本家が金儲けに走りすぎると、貧富の差が拡大して、世の中が不安定
になり、結局、社会が共産主義化するということをマルクスが指摘し、その考
えが世の中に広まったからこそ、資本家たちも、貧富の差が拡大しすぎないよ
うに、折衷的な福祉国家を支持し、その結果、マルクスが主張した、社会の共
産化は失敗もしくは実現しなかった、という現実こそ大いなるアイロニーでも
あるようにも思うのだけれど。
657 :
考える名無しさん:02/09/06 14:47
>>655 ふーん。
永井均が『科学哲学』33-2号に書いた信原幸弘『心の現代哲学』の書評読んでみな。
信じられないくらい排斥的だぜ、稲なんか足元にも及ばないよ。
嫌味満載どころか、心の哲学のことなんかまったく書かないで「こんなの哲学じゃ
ないね」という嫌味だけを書き連ねてある。
>ただ自分が気になる事をかんがえているだけであって、
>それが「哲学」かどうかはどうでもいい。
うーん? まぁそりゃそうなんだけど、
>自分のやってることを「本当の哲学」と言って、他人のかんがえていることを
>「それは哲学じゃない」とかいって魔女狩りみたいなひとは勘弁してほしいよね。
これには、同意できない。ある種の哲学的伝統というのはあるんだから、
違うものは違うといって当たり前だと思う。
自らが考えることそのものは、「哲学」の範疇で職業的な業績を打ちたてない限り、
「哲学」にはなり得ないような気がする。うん。もちろんそれは価値とは無関係なんだけど。
2chのような既存権威を蹴っ飛ばす傾向がある場所では、
フリー思索板とかあればいいんだろうけどなぁー。あ、ここが既にそうなってるか。
>>657 たしかに、永井氏にはそういう面がありますね。
永井スレで三浦氏の永井評がウプされてましたが、それも同じ趣旨でした。
永井氏には、排他的な面があると認めます。
>>658 >これには、同意できない。ある種の哲学的伝統というのはあるんだから、
>違うものは違うといって当たり前だと思う。
これについてはぼくはあまりわかりません。
程度の問題ですか?
660 :
考える名無しさん:02/09/06 16:25
661 :
初心者その1:02/09/06 22:58
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました
( ) \_______
| | |
(__)_)
眠いので、レスだけでも・・
>>586 カオルさん
>マジレスする時間がありません。m(__)m
>とかいって「サトラレ」見てたんだけど。(笑)
「サトラレ」・・見たことないですが、おもしろいですか?
後日、必ずレスします。(内容は期待しないで下さい)
大いに期待してお待ちしております。
663 :
Kurihara:02/09/06 23:30
>>656 その折衷的な福祉国家というのは、所謂
「社会民主主義」のことですね。それに
ついてなら、広松さんが『今こそマルクスを読み返す』
で言及していて、社会民主主義はマルクスの時代では
共産主義と同様に「危険思想」だったそうですね。
しかし今やその「危険思想」である社会民主主義は資本主義
が崩壊しないために取り得る唯一の方法にまでなりましたね。
変われば変わるものです。しかし最近では、
その社会民主主義さえ攻撃の的になってますよね。
新自由主義とグローバリゼーションの名のもとに。
しかしその資本の多国籍的活動のへ一つのリアクションが
あの「9・11テロ」だったことは記憶に新しいですよね。
イスラム圏では資本主義への反発が今広まっているのです。
その辺の事情は大澤真幸さんの『文明の内なる衝突』
という本に詳しいですね。
>>599さん
>初心者はやっぱり素晴らしいな。
ありがとうございます。ますますガンガリます。
>大森はスピノザとハイデガーは言及してないな。
そうですか。
ところで、質問があります。
実は、ハイデガーの「存在と時間」だけは哲学書として唯一読みました。
(ツァラトゥストラが哲学書でないとすれば)
ところが、正直、難しすぎてほとんど理解できませんでした。
(続)
その中でも、”世界・内・存在”といわれる現存在の在り方は
特にイメージができません。
直感としては、明らかに心と物が分離した、
二元論的な在り方ではないような気がします。
客観的な世界がまず存在し、その中の一部として、
現存在が投げ出される(生まれてくる)、
と言っていると思えません。
”道具連関”も非常にイメージのしにくい概念です。
(続)
大森さんの著作を読み始めた今、再び考えてみると、
彼の”物心一如”に”やや”近いのではないかと思い始めています。
「世界とは、心と物の完全な分離したものでない。
私がここにいる、すなわちそれが世界である。
心と物(世界)は分かちがたいものである。」
ハイデガーの解説書は10冊以上読みましたが、
この部分はよくわかりませんでした。
誰か、ハイデガーの現存在の在り方、
特に、大森さんの物心一如との比較を絡めて説明できる方はいませんか?
(すれ違いスマソです)
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌―─┴┴─―┐
/ つ. 質 問 │
〜′ /´ └―─┬┬─―┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
(ハイデガーの)現存在と世界の関係は、
大森さんの物心一如と似ていますか?
>>628 >>663 Kuriharaさん
>>656 口を出すものさん
なるほど。
どちらもおもしろい意見ですね。
興味あります。
資本主義、共産主義の議論はそれだけで、
大きなテーマとなるのでここでは深く突っ込めませんが、
おそらく、マルクス、共産主義国家が出てこなければ、
今のような平等な社会は成立しなかったと思われます。
それと、これから進むべき方向として、
「歴史が下るにつれ、権力は分散(低層階級へ)する」
法則に逆らうことは難しいのではないかと思います。
2ちゃんを始めてやった時、
「ついに権力はこんな所まで下がってきたのか!」
と驚いたものです(笑)
Kuriharaさん、口を出すものさんお薦めの本、
本屋で見てきます。
>>654さん
>認知科学・認知心理学・発達心理学などです。
>>654さんは哲学専攻の方ですか?
それとも他板(心理学)から来た方ですか?
僕は哲学の認識問題も詳しくないので、
的確な質問ができず悔しいのですが、
>>654さんから見て、心身問題などどのように考えていますか?
心理学は科学だから、脳生理学と同じく、
主客二元論を前提として研究を進めているのですか?
それとも哲学にも、上記の研究をする分野があるのですか?
他の哲学専門家の方、
>>654さんに鋭い突っ込みする人いませんか?
>>655さん
>ただ自分が気になる事をかんがえているだけであって、
>それが「哲学」かどうかはどうでもいい。
僕のようなアマチュアが、「哲学とは?」を考える時、
永井さんのような「自分を納得させるために」という考え方から
始めるのは間違っていないのではないかと思えます。
ただ、それが専門の研究者にそのまま当てはまるとも思えません。
どの分野でもアマチュアとプロフェッショナルの間には知識の量以上に、
自分の専門にかける姿勢が異なっています。
稲さんなどは、明らかにプロフェッショナルな姿勢の人ですよね。
彼の厳しさは素晴らしいと思います。
(彼の個々の考えに賛同するかどうかは別としても)
(続)
>初心者その1氏は、資本主義に興味があるそうですが、ちょっと副読本として
>興味があったら以下の本を立ち読みでもしてみてください。
>福田観一「近代の政治思想」岩波新書
>福田観一「近代民主主義とその展望」岩波新書
>藤原保信「自由主義の再検討」岩波新書
そうですね。いろいろと興味があり困っています(笑)
本屋で探してみます。
>このレスも多様な立場のひとたちが自分と違う立場のひとを排斥しないで、
>建設的議論ができているようでいいですね。さすが大森というとこでしようか
大森さんがこの場にいると想定して、彼の研究室のような
建設的な議論の場を創れればと思っています。
672 :
初心者その1:02/09/07 00:40
それでは、また・・
673 :
Kurihara:02/09/07 01:02
>>671 大森さんの研究室は今にも真理が発見できるのでは
ないか?という知的緊張感に常に包まれていたと
中島義道さんが述懐していましたね。
>>657 そうだね.あの書評は評判悪かった.要は俺は信原は嫌いだ.だからこの本はだめだ,
ってな調子だった.
>>654 >認知科学・認知心理学・発達心理学などです
>>669 >心理学は科学だから、脳生理学と同じく、
>主客二元論を前提として研究を進めているのですか?
>それとも哲学にも、上記の研究をする分野があるのですか?
>他の哲学専門家の方、
>
>>654さんに鋭い突っ込みする人いませんか?
鋭い突っ込みも何もそもそも
>>654が問いの形をしていない.
心理学が科学ってどうかな.科学になりきれない科学という感じがするな^^
そうれに脳性理学が二元論を前提してるかどうかというよいも,そもそも脳性理学が
対象としているのは脳という物理的対象なんであって,それが認識論とどういった関
係があるのか,そのことがそもそもわからない.
676 :
考える名無しさん:02/09/07 05:59
>>670 あんた最高。
>>675 問いでなくても突っ込みはできるでしょ。
それはさておき、認知科学が科学かどうかで1冊本が書けるでしょうな。
あと、脳の研究がすなわち心の研究であるかどうかに議論の余地がある、
といったことには同意。例えばネーゲルならNoと言うんじゃないかな?
677 :
現存在しろうと:02/09/07 11:18
>>666 大森氏のことはわからんですが。
ハイデガーの現存在には興味があるので、ちょっといろいろ読んで
1週間後ぐらいにレスできるようにべんきょしてみます。
>客観的な世界がまず存在し、その中の一部として、
>現存在が投げ出される(生まれてくる)、
>と言っていると思えません。
たしかにだいたい入門書では まず
「客観的な世界がまず存在し、その中の一部として、
現存在が投げ出される(生まれてくる)、」
『ではなく』
と続き 以下むにゃむゅした記述になっている感じがします。
はじめに客観的云々じゃないのよ といいつつ 以下にいろいろ続ける論法が
ハイデガー関係には非常に多いと思います。じゃあ 『ではなく』以下の記述
に信頼度があるかというと 『わかるやつにはわかる』という感じがして説得力
がどうなのかなぁとおもいます。これから調べてみますが。
あとハイデガー哲学の是非を論じる気はないです。
現存在に適切な表現を与えるということだけにぼくは限定させてもらいます。
それでは1週間後
678 :
考える名無しさん:02/09/07 16:19
永井もいろいろ言われとるのう。漫画哲学はギャグとアイロニーだろうに。
他では感性以上に論証を重視しているよ、苦しいくらいに。
ハイデガーは初めに連関ありきでいいんじゃねえの。
679 :
考える名無しさん:02/09/07 16:21
信原もいいと思うけどな。書評を読んでないのでなんとも。
初心者さん、kuriharaさん、おひさです
時間論の本論の話をしたり、絡んだりしたいのですが、
なかなかできません(^^;
初心者さん ハイデッガー(存在と時間)ですが
以下、ご存知でしたら蛇足ですみません
1 現象学(的な考え方<ねこ>)を知らないと理解することは不可能
と言われています
2 私がもっとも参考になった(と言ってもほとんど読んでませんが
>ハイデッガー(存在と時間)参考書)のは、
「現代哲学」(門脇俊介 産業図書)での第12章ハイデッガーの
章でした(存在が道具的存在であるというP194あたり)
なお、この本は(現代)哲学全般についてわかりやすくまとめてあり
私のような初心者には推薦できます
マルクスについては、何と言っても別スレ
「マルクスその可能性in2ch P3」(別名OFWさんと語るスレ(w)
があります
このスレのP2では、私も精一杯がんばってOFWさんに絡みました
同スレで、kuriharaさんとOFWさんとの絡みも読んでみたいところです
マルクス絡みでは向こうへもぜひ行ってみてください >ALL
682 :
考える名無しさん:02/09/07 22:21
KURIHARAとOFWはあぼーん!!
門脇のはいいな。現象学もその通り。ねこもいいかな。
683 :
初心者その1:02/09/07 22:57
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< こんばんは
( ) \_______
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>>673 Kurihara
>大森さんの研究室は今にも真理が発見できるのでは
>ないか?という知的緊張感に常に包まれていたと
>中島義道さんが述懐していましたね。
そうですか。
中島さんが、著書で大森さんのことを
述べている箇所いくつか読みました。
僕が大森さんを読んで受ける印象とかなり違っていますね。
あまりにも大森さんを嫌世的な人物に書かれすぎていませんか?
「この世はしょせん幻だから・・」みたいに。
(このスレでも何回か出てきましたね
>>428とか)
だから(嫌世的なイメージな)独我論者と思われているのでしょうか?
大森さんの著書を直接読んだ他の方はどう思われるのでしょう。
これについては、また日を改めて・・。
685 :
考える名無しさん:02/09/07 23:11
>初心者その1
593ですが、ありがと。それにしてもものすごい速さの展開。大森さんで、
そしてそれによってのみ、盛り上がりってほしいのですが。
大森(敬意をはらうための呼び捨て。ふつうプラトンさんていわないでしょ)は
たとえば森が恐ろしく見える場合、それはその森自体がそのときその人に恐ろしいもの
としてあらわれている、だからその恐ろしさはその森の「客観的」な性質だという。
恐ろしさを心の中の感情といってしまう誤りを強調するためでしょうが、やはり
「客観的」は言いすぎでしょう。スピノザとしては、ある人がある森を恐ろしく
思う場合、その人の感じている恐ろしさは森のnatureと当人のnatureを不完全な
仕方で示している、ということになります。だからスピノザとしても、恐ろしさは
心の中の孤独な体験ではない。というよりも、ある人がある時ある恐ろしさを感じると
いうことは、宇宙史の中での、宇宙史に不可欠な一こまです。ともあれ、エティカは
ドゥルーズによれば「世界でもっとも偉大な書物の一つ」なのですって。
>>675 稲さん
>そうれに脳性理学が二元論を前提してるかどうかというよいも,そもそも脳性理学が
>対象としているのは脳という物理的対象なんであって,それが認識論とどういった関
>係があるのか,そのことがそもそもわからない
僕だったら脳生理学、発達心理学の専門の人に、
いくつか聞きたいことがあります。
1、脳生理学の人に
「網膜から光が入り視神経を通り脳へ云々・・といった”物理現象”が起これば、
なぜ「見える」という”知覚現象”が突然起こるのか?」
「手を挙げようと”意志”したら、なぜ脳から筋肉への指令という”物理現象”が起こるのか?」、
前者から後者への移行には大きな断絶があると思われます。
大森さんにとってこの断絶を埋めることが、彼の哲学の始まりになったと思われます。
脳生理学の人はこの断絶をどう考えているのでしょうか?
(続)
2.発達心理学の人に
「空間や時間、因果関係などは生まれつき持っていた観念でしょうか?
それとも、その後の経験によって身につけるものでしょうか?」
「心と外部の世界を分けて考える二元論的思考は、先天的な見方でしょうか?
それとも、後天的な思考方法でしょうか?」
「赤ちゃんは、大森さんの物心一如といった世界の見方をしていないでしょうか?」
(続)
>鋭い突っ込みも何もそもそも
>>654が問いの形をしていない.
失礼。突っ込みでなく質問でしたね(笑
認識論や存在論(?)専攻の人は、脳生理学や発達心理学の専門家に
聞いてみたいことはたくさんあるのではないですか?
僕のようなショボイ質問でなく・・。
690 :
初心者その1:02/09/07 23:37
中学生はスカン!
>>685 偽スピノジストさん
いえいえ、どういたしまして・・。
と言いたいところですが、少々訂正。
『新知覚新論』の決定論を述べている章で「スピノザの石」
と二回、ポツンと出てきました。
(動作の自由がない、という例えのようです)
読み返している時に気づきました。
>>593で聞かれている内容とは全く関係ありませんが。
誰かに突っ込まれる前に先に報告しときます(笑
>>685はおもしろそうなレスなので、
また後でゆっくりカキコします。
>>676さん
>あと、脳の研究がすなわち心の研究であるかどうかに議論の余地がある、
僕もそう思います。
ただ、彼らが
>>686で述べているような断絶について、
どう考えているのか知りたいのです。
>>677 現存在しろうとさん
>『ではなく』
>と続き 以下むにゃむゅした記述になっている感じがします。
その通り!その”むにゃむゅ”です(笑)
肝心の所はっきり書けよな、としょっちゅう怒ってます(笑)
彼の理論の是非でなく、”実感”が湧かないのです。
やはり
>>591さんが言うように、同じ体験をしないとダメなのでしょうか?
>ハイデガーの現存在には興味があるので、ちょっといろいろ読んで
>1週間後ぐらいにレスできるようにべんきょしてみます。
非常に期待しています!
>>678さん
>ハイデガーは初めに連関ありきでいいんじゃねえの。
うーん、わかりません。
もう少し具体的に・・
678さんはハイデガーの言う、現存在と世界の関係を
実感できますか?
695 :
初心者その1:02/09/08 00:11
休憩・・
>>680 ねこさん
>初心者さん、kuriharaさん、おひさです
>時間論の本論の話をしたり、絡んだりしたいのですが、
>なかなかできません(^^;
あっ、ねこさん。おひさです(笑
当方、
−大森さんの著作を読むのに精一杯。
−レスであっぷあっぷ。
−話があっち行ったりこっち行ったり。
です。
超初心者相手で絡みにくいと思いますが、是非、暇を見つけてお願いしますね。
(続)
>初心者さん ハイデッガー(存在と時間)ですが
>現象学(的な考え方<ねこ>)を知らないと理解することは不可能
>と言われています
やはりそうですか・・。
大森さんの”物心一如”(私がここにいる。即ち、それが世界である)という概念が、
ハイデガーの”世界・内・存在”にやや似ていると感じ、この話題を持ち出しました。
「存在と時間」全体を理解するのは、僕には到底手に余る行為ですが、
大森さんと関連するこの箇所だけでも理解(実感)できたらと思ってます。
(続)
>ハイデッガー(存在と時間)参考書)のは、
>現代哲学」(門脇俊介 産業図書)での第12章ハイデッガーの章でした
これは持ってないですね。
本屋で見てみますね。
細川亮一さんとかどうですか?
新書の入門書を読んでみたら、なるほどと思いましたが・・。
>>681 ねこさん
>マルクスについては、何と言っても別スレ
>「マルクスその可能性in2ch P3」(別名OFWさんと語るスレ(w)
>があります
> このスレのP2では、私も精一杯がんばってOFWさんに絡みました
試しに見てみましたが、何のことやらさっぱり・・(笑
ねこさんは、廣松さんにも詳しいようですが、
マルクス関係の専門家ですか?
研究テーマ等教えてもらえたらうれしいですね。
そちらのスレに比べ、当スレ、あまりのレベルの低さに恥ずかしい次第ですが、
何とか大森さんの理論の概観をつかむまでは続けていきたいと思ってます。
反論、助言、間違いの指摘、どしどしおながいします。
(突っ込まれないと、このスレ立てた意味ないです)
>>685 偽スピノジストさん
>大森さんで、そしてそれによってのみ、盛り上がりってほしいのですが。
僕もそう思ってるんですが、なかなか・・(笑
なるべく脱線しないように気をつけますね。
この後のレスは興味深いので、じっくり考えてみたいと思います。
明日(明後日?)には必ずレスしますね。
701 :
初心者その1:02/09/08 01:20
レスだけで2時間半・・か。
ようやく本が読める・・・。
また明日・・。
702 :
Kurihara:02/09/08 02:55
初心者その1さんは2ch歴が浅いみたいですね。
「マルクスその可能性の中心in2ch」スレの存在を
知らなかったとは、意外です。
このスレは小林秀雄好きのRageさんという人が
小林さんの「マルクスの悟達」という論文に影響されて
立てたスレだと言われています。
パート2はねこさんが立てましたが。
ま、哲学板の豆知識ということで、覚えておいて
損はないと思います。
703 :
考える名無しさん:02/09/08 03:35
>>701 て優香しばらく2chに来んな。
読む本候補もだいぶ教えてもらえたろ。
2chに時間かけ過ぎて本が読めないんじゃ本末転倒だよ。
704 :
考える名無しさん:02/09/08 05:29
>>698 >細川亮一さんとかどうですか?
細川説って、たしか、存在者・存在・存在の意味を
それぞれ、現象・イデア・イデアのイデア
というように、プラトンのイデア説に基づいて解釈してなかった?
ギリシア哲学そのままで「存在と時間」を読むのは
ちょっと強引だと思うなあ。
今となっては、ちと古いけど、やはり
渡辺二郎の『ハイデガーの実存思想』あたりが概説書としていいんじゃない。
(ちなみに渡辺の弟子であった細川は、今は渡辺批判をしてるけど)
>1、脳生理学の人に
> 「網膜から光が入り視神経を通り脳へ云々・・といった”物理現象”が起これば、
> なぜ「見える」という”知覚現象”が突然起こるのか?」
> 「手を挙げようと”意志”したら、なぜ脳から筋肉への指令という”物理現象”が起こるのか?」、
>前者から後者への移行には大きな断絶があると思われます。
というより,哲学では常識.「見える」という「知覚現象」という表現自体が無意味.
>>705 >「見える」という「知覚現象」という表現自体が無意味.
まあ,これはちょっと言い過ぎだな^^.なんで脳状態の説明が知覚の説明にならないのか
ということは非常に単純で,これは今では哲学では常識だし,こんなことをまともに主張する
「脳性理学者」が存在するとすれば,哲学を知らないというより,単純に論理的思考がまった
くできない人だろうな.そもそも自分が何を主張しているかがわかってない.
>>706 その”哲学での常識”にシンパシーを抱いている脳生理学者って存在するのですか?
もし哲学×脳生理学の面白い(噛み合った)議論があればお教えいただけませんか。
大森と養老(解剖学者)の対談を読んだ限りでは、お互い敬意をはらっているらしい
位には感じたのですが・・・。
あぁ、哲学する余裕が欲しい。
大森さんは、人格的に立派な人のようですが、多分余裕の賜物なんだろうな。
余裕があって哲学できる人には、自由であって欲しいですね。(ルサンチマン)
マルクスは、そういうことに敏感な人だったのかな、なんて思います。
マルクスは、歴史は経済力を背景にした社会的関係によって規定され、
社会の経済構造(生産システム)は、人の精神構造をも支配すると考えた。
よって人は誤った経済構造による悪環境(疎外)から開放されさえすれば、
その本質(創造力)を自由に開放し、精神的と物質的の調和に向かって、
(歴史的必然として)発展していく存在であると考えた。
マルクスは、自らの理論が「科学的」に何ら「検証」されていないにも関わらず、
それが「必然的」な達成可能性を秘めていると信じて疑わなかった。(好き!)
マルクスの独自の経済理論は、大なる波紋を呼び、非難の中で一生を終えた。
>>630 1さん
>僕に、そのような気になって仕方がない”問い(上げ底)”
>というのはありませんでした。
本当ですか?(信じられない)
わたしは、上げ底が気になってることを感じないようにしていて、
でも、どこかで上げ底が信じられないと信じていて、
だから、上げ底の靴で偉そうに見下げられると、脊髄反射で反抗してしまって、
なんでいつもこうなるの?って、ふと思えたときに、わたしをいじめる上げ底って、
いったいなに?って・・・
それからは、喧嘩する相手が人から価値観みたいなものに移っていって、
おかげさまで、壊滅的に友達がいなくなったけど、(笑)
それは、わたしが自分の意思でそうしてるってわかってるから、今はそれで幸せ。
>>662 1さん
>「サトラレ」・・見たことないですが、おもしろいですか?
「サトラレ」は、わたしもたまたま見ただけで・・・泣かされた(笑)
で、なんで「サトラレ」なのかっていうと、
つまり、1さんにわたしの思念が伝わらなかったので説明すると、(ハァ?)
サトラレは、自分の思念が人に伝わってしまう人のことなんですが、
では、サトラレの思念が、わたしに伝わったとして、
そのとき、わたしは、サトラレを客観したことになるのでしょうか。
それとも、サトラレの思念を受けた瞬間、サトラレの思念は、
わたしの精神と同化しているのだから、それはわたしの主観になるのでしょうか。
これって、わたし的には存在論的な主客の問題でもあるんですけどね。(笑)
未来は、どこへ行くのか教えようとする。
過去は、どこから来たのか教えようとする。
でも、過去も未来も“今”にしか存在しない。
未来(未知)は、不安と期待を与える。
過去(既知)は、安定と諦めを与える。
自己は、未来と過去のあいだに、今と今のあいだに“ある”。
自己の存在としての広がり(時間)が、過去と未来だと思う。
自己と時間が不可分なのは“ある”が“今”にしかないからです。
色々考えた結果哲学って、僕には必要じゃない物だと思いました。
要するに、人が考えもしないような事柄を、深く掘り下げる為の
教科書みたいな物ですよね。だったら、色んな人と出会ったりした
方が面白いと思いました。川に今日遊びに行って、川の流れの変化
や、コウモリの飛び方の面白さ、水が、水を滑る事。木の枝の大小
によって川の流れへのアプローチの仕方が違うなど(これって人間
に似てますよ)を発見しました。だから哲学書は、僕には必要無い
と思います。だって、日常で発見出来る事程、楽しい事ないですよね。
哲学書を読む人って、そこに発見する事が出来るんですかね?
>1さん
肝心のレスを書こうとすると思考が混乱します。
わたしの実存がアンチノミーに引き裂かれます。
でも必ずレスします。m(__)m
>>713 あなたの言ってるのは、哲学学ではないですか。
あなたは、既に哲学してますよ。(^.^)
では、おやすみなさい。
716 :
初心者その1:02/09/09 00:12
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました
( ) \_______
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(__)_)
簡単にレスだけでも・・
>>702 Kuriharaさん
>初心者その1さんは2ch歴が浅いみたいですね。
>「マルクスその可能性の中心in2ch」スレの存在を
>知らなかったとは、意外です。
2chもADSLがつながってからの歴なので、長くありませんね。
特に哲学板は時々覗く程度で、常連になったのはこのスレを立ててからです。
>このスレは小林秀雄好きのRageさんという人が
>小林さんの「マルクスの悟達」という論文に影響されて
>立てたスレだと言われています。
この大森スレにおいては、Kuriharaさん(&ねこさん)のレスは
とても分かりやすいです。
ただし、(マルクススレのように)専門家同士のスレでは話についていけませんね。
>>703さん
>て優香しばらく2chに来んな。
>読む本候補もだいぶ教えてもらえたろ。
>2chに時間かけ過ぎて本が読めないんじゃ本末転倒だよ。
その通りなのです(笑
ただ、せっかく他板から来た初心者にレスをくれるので、
何とかレスを返したいと思っています。
大森さんの著作の読みとりは予想以上に早く進んでいますので、
当分このペースで行きたいと思います。
>>704さん
>細川説って、たしか、存在者・存在・存在の意味を
>それぞれ、現象・イデア・イデアのイデア
>というように、プラトンのイデア説に基づいて解釈してなかった?
その入門書を読む限りそうですね。
ただ、現存在と世界の関係(大森さんの物心一如といった)
は書かれていませんでした。
>渡辺二郎の『ハイデガーの実存思想』あたりが概説書としていいんじゃない。
分厚い、高いやつですね(笑
>>667のヒントとなるようなことは書かれているのでしょうか?
>>705>>706 稲さん
>なんで脳状態の説明が知覚の説明にならないのか
>ということは非常に単純で,これは今では哲学では常識だし,
申し訳ないです。哲学の常識を知らない初心者なので・・(笑
大森さんの哲学は、この断絶を埋めることが大きなテーマとなっています。
その結果が、物心一如という魔可不思議な概念を生み出すこととなりました。
彼の理論に賛同できない大森初心者の僕でも、
彼のこの問いにかける執念は伝わってくるのです。
それを常識だからといって、あっさり切り捨てることはできません。
(稲さんにとって解決済みな問題だと思いますが・・)
ですから、この問いに関する稲さんの考え、
特に稲さんが専門とする分野では、どういう解釈で常識になっているか教えて欲しいのです。
(もちろん他の人も・・)
>>707 初心者1歩前さん
>その”哲学での常識”にシンパシーを抱いている脳生理学者って存在するのですか?
いるそうです。
脳の機能だけでは、この断絶を埋めることができないと考える流派(?)があるそうです。
大森さんの著書に出ていましたが、今は眠いので探す気力がありません(笑
>もし哲学×脳生理学の面白い(噛み合った)議論があればお教えいただけませんか。
>大森と養老(解剖学者)の対談を読んだ限りでは、お互い敬意をはらっているらしい
>位には感じたのですが・・・。
僕も読みましたが、いまいち噛み合ってなかった気がします。
今日はこの辺で・・。
カオルさん、また明日でもレスします。
>>703さん
>て優香しばらく2chに来んな。
>読む本候補もだいぶ教えてもらえたろ。
>2chに時間かけ過ぎて本が読めないんじゃ本末転倒だよ。
また来ました(笑
よく考えてみたのですが、
そうかもしれませんね。
大森さんの理論全体が、
ようやくほんの少しだけ見えてきました。
(『新視覚新論』読み終え、『物と心』読んでます
>>476)
ただ、ピンぼけ写真のように、全体がぼやけています。
自分の言葉で説明できるぐらい消化させるまで、
そちらに集中した方がいいかもしれませんね。
考えておきます。
724 :
bloom:02/09/09 01:23
725 :
Kurihara:02/09/09 01:32
初心者その1さんの本当の専門って
なんなのですか?
理科系の方なのですよね?
>>721 レスありがとうございます。はたしてソレを哲学ではなく科学として扱っ
ていくことができるんだろうか……。ともかく、そういう脳生理学者の
流派があるとすれば大変興味深いですね。
727 :
考える名無しさん:02/09/09 19:03
1からはじめるファッション入門マニュアル
っていいよ ファッションに困っている哲学徒へお奨め
初心者その1氏へ
ハイデガーの現存在とのことですが、ハイデガーを自分で読んでみたくなるという
気持ちになるにはやはり「ある」ということについて興味が沸かなくてはしょうが
ないんじゃないかと思いました。またか、とお思いかと思いますが、「ある」という
ことに対する驚きみたいなのがないと結局、現存在にしたって世界内存在にしても、
知識どまりのような気がしてしまいます。知識としてなら「現代哲学」門脇俊介を挙げ
ていた人がいましたがこれはコンパクトでよいと思います。ぼくにとってこの本は
哲学の入り口でしたね。ほとんどのページに線が引いてあります。でもこれを読んで
ハイデガーに対して「実感」が湧くかといったらわかりません。
ハイデガーは「ある」という視点から「全て」をみなきゃしょうがよいよ、と思った
のではないかと思います。だから、その視点に対する共感または実感がないと、現存在
などはその視点に対する共感のないひとには単なる知識であり、しってしまえば、
「で、それがどうしたの?」ということでしかないと思います。これは、別に悪い
ことではないし、その人の哲学的感度の低さを示すものでは全くないでしょう。
逆にいえば、「ある」の不思議さを実感すれば現存在などの用語を覚えることの困難など
たいしたことではないでしょう。
(続く)
でそのような「ある」の不思議さに焦点を絞って書かれたのが
ぼくの知る範囲では「ハイデガー存在神秘の哲学」古東哲明です。この人は
「<在る>ことの不思議」という本も書いていてこれは名著だと思います。個人的には、
「ある」ということについて考えたいなら時間のない人は、
「存在と時間」を読まないなら「<在る>ことの不思議」でもいいんじゃないかと思います。
で、その上でやっぱりハイデガーを読もうとおもうなら読めばいいし、。
僕の感じではハイデガーの入門書は用語の説明や生涯や政治などにスペースをとられて
「ある」についてあまり詳述していないように見えます。古東氏は別ですが。
だからハイデガーの入門書より「ある」についての本を読んだほうがいいと思います。
「猫とロボットとモーツァルト哲学論集」土屋賢二の中の論文
「存在は解明できるか」や「存在問題の特殊性 ハイデガーとウィトゲンシュタイン」
などは必読ですね。こういうのを読めば「ある」についての動機付けができるし、
じゃなきゃ「存在と時間」などという本をなにを論じてどういう目的で動機で、
自分にとって切実なことがかかれているかがわからんものを読破するのは大変だし、
出来ない人を非難は誰もできないでしょう。
単なる知識だったら「ハイデガー入門」竹田せいじでいいとおもいます。
(続く)
「ハイデガー入門」細川亮一はぼくも読みました。
そこで存在者・存在・存在の意味が出てきたときぼくが真っ先に思い浮かべたのは、
「意味と身体」星敏雄の所収論文
「存在の意味への問い ハイデッガー「存在と時間」における「問い」の姿」
この論文のなかで「存在と時間」のテキストにのっとってこの問いの構造を取り出して
います。論文自体の発表は1983年なのでこの論文ではじめて存在者・存在・存在の意味
という構造が一般に広まったと(たぶん)思うので、細川氏は星氏の
論文を踏襲していると思います。違ってたらすいません。ギリシアとの対比は知らなかった
ですけどね。まぁいろいろ書きましたが要は「<在る>ことの不思議」を勧めたいということ
ですね。これでやめてもいいし、「ある」にとりつかれたらハイデガー読めばいいしと。
以上です。あとやはりハイデガーはスレ違いだと思うのでぼくはこのスレでハイデガー
について書くのをやめたいと思います。ご了承ぐださい。。
もうちょい書こうとおもたのですが疲れてきました。
「誰が書くかは重要でない。誰かがかきさえすればよいのだ」サミュエル・ベケット
「真偽や善悪は生きる力にはならない」永井均
古藤か・・・難しいところだ。
732 :
初心者その1:02/09/11 00:10
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 来ました
( ) \_______
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(__)_)
簡単にレスだけでも・・
>>712 カオルさん
いろいろとレスありがとうございます
僕が興味を持っているところを・・。
>未来は、どこへ行くのか教えようとする。
>過去は、どこから来たのか教えようとする。
>でも、過去も未来も“今”にしか存在しない。
「人間は現在という檻から出ることはできない。
過去は現在の中でしか現れず(想起)、未来は現在においてのみ意味がある(予期)。
絶対に人は、過去や未来と出会うことはない。」
大森さんの著作を読んで、はじめて発見したことです。
よく考えてみればその通りなのですが、普通の人は考えないですよね。
(続)
また、
「過去は実在しない(しなかった?)」
「過去の立ち現れ(想起、思い出し)は、
現在目の前に見ている風景と同じく直に立ち現れる。」
といった一見相反するような、刺激的な言葉も並べられています。
知覚的に立ち現れる目の前の風景、思考的に立ち現れる想起、予期、想像、
といった一般に”心”に所属されると思われる全て(幽霊や幻含む)
を一緒くたに、「外部に(心の中ではない)直に立ち現れる」という大森さんの存在論は、
大変興味深いです。
>>713 追求人
>色々考えた結果哲学って、僕には必要じゃない物だと思いました。
そうですか。
追求人さんが言ってることは、もっともなことだと思いますよ。
以前述べたように、僕は哲学は芸術とも同じく、
”必要ない人にとっては何の必要もないもの”
だと思ってます。
芸術に興味がない人に、
「芸術は全ての人にとって必要なものである!」
とか能書きたれるウザイ奴いるでしょ(笑
追求人さんは芸術に興味があるようなので、
そちらの方でがんばって下さい。
僕は建築好きなので、少し気持ちわかるかも・・。
でも今実際に、哲学について考えているということは、
普通の人よりは近い位置にいると思います。
時々この板に来て専門家の人に質問したらどうですか?
僕のように・・。
(専門家の方、またまた勝手に哲学を解釈してすいません。(ペコリ))
>>725 Kuriharaさん
>初心者その1さんの本当の専門って
>なんなのですか?
建築です。
設計事務所勤務です。
まだまだひよっこです。<<497
>>728 現存在しろうとさん
さっそくレスありがとうございます
>「ある」ということに対する驚きみたいなのがないと結局、
>現存在にしたって世界内存在にしても、知識どまりのような気がしてしまいます。
そうですね。
大森さんの著作を読み進むにつれ、同じように考えるようになりました。
>>706で述べた断絶の不思議さに身悶えするくらいないと、
彼の言いたかったことは理解はできても(論理的に反論はできても)、
”実感”することはできないのでは?と思うようになりました。
ハイデガーも同じなのでしょう。
(続)
僕自身、「存在と時間」の実存主義的な解釈に興味を持ち、読み始めたので、
正直、「ある」ことへの驚きというものが、残念ながらほとんどありません。
(著者の意向に反するのですが・・・)
>でそのような「ある」の不思議さに焦点を絞って書かれたのが
>ぼくの知る範囲では「ハイデガー存在神秘の哲学」古東哲明です。
僕も、読みました。
ちょうど細川さんの入門書とほぼ同じ時期に読んだので、
良く比較できました。
「よくもまあ、ここまで解釈が違うものだと(笑」
僕にとっては、第3章「世界劇場論」が抜群におもしろかったです。
「世界は劇場。人生は演劇。人は役者」
(続)
今まで、ピンと来なかった現存在の非本来的な在り方というのが、
一瞬のうちに霧が晴れるように「そういうことかぁ!」
と理解できたのをよく覚えています。
この解釈が他の専門家の間でどのような評価を受けているか知りませんが、
僕にとって
”日常的自己”とは「役を演じている自己」、”本来的自己”とは「役から降りた自己」
だと思っています。
(ただ、古東さんのこの解釈は実存主義的な受け止められ方をしませんか?)
(続)
お薦めの「現代哲学」(門脇俊介)も読んでみます。
「存在と時間」は、まずあの文体がむかつくので(笑)
いつかは征服してやろうと今だに思ってます。
存在論的解釈に興味を持てるかわかりませんが、
今でも一番関心をそそられる哲学書には変わりありません。
またその時には、スレ立てるかもしれませんので、
その時は宜しくお願いします。
多くの助言ありがとうございました。
741 :
初心者その1:02/09/11 01:39
では、また
>>571 1さん
>この対象に秩序を与えるのは”言語”でいいですか?
客観は、人の属性(言語、時間と空間)というフィルターを通して認識されます。
このフィルターが、秩序(整合性)を形成(現象)させるわけです。
>混沌の世界とは、言語(的思考)ができない赤ちゃんや動物の世界でしょうか?
赤ちゃんのことは分かりません。観察事実といっても大人の主張ですから。(笑)
わたしは、フィルターが不完全だと大人でも世界は無秩序になると思います。
(a)知覚がフィルターを通して正常処理された結果(現象)=秩序化された客観
(b)知覚がフィルターを通して異常処理された結果(現象)=無秩序化した客観
(正常とは? 異常とは? も現象としての人の価値観ですね)
ところで、わたしが“混沌”に、なぜ“(無秩序)”と付け加えたのかというと
混沌が“超越的概念”を想像させ、それによって初めて自己の世界も成り立つ
という式での理解を避けるためでした。かといって“超越的概念”の示唆する
自己で“ある”ことの“実感”も、わたし的にはアプリオリに排除不可能です。
で、それを鋭く見抜いた稲さんが
>>397で、わたしの議論の曖昧さに大人気ない
ツッコミを入れたわけです。(笑)
>時間と空間は後天的な概念でしょうか?
物理的時間や空間も所詮人間的な現象としての“それ”ですから、後天的です。
先天的か後天的かは、どこで問題になるのですか?
>この二つの概念を持たない意識は、
>どのような世界を見ていると思われているのですか。
“見る”という“意識”(精神、心)の不在ということしか分かりません。
>>572 1さん
>大森さんの「制度的心理概念」(他人との合意)により作られる
>物語世界に近いでしょうか?
大森さんの著作を読んでいないので・・・やっぱり読まないと駄目ですか?
(仮想の実在について)
対象は、人の属性を通して(限定的に)現象します。また認識される過程においても
人の先入的理解が、先行的(自動的)に付加されてしまいます。認識された対象は、
言語の属性である伝達能力が及ぶ範囲内での共通概念として共有されているだけの
仮に想定された実体(価値)と思われます。
たとえば、科学の新しい理論や法則を世間が受け入れるなら、それに伴なって、
人々の共有する共通概念(考え方、価値観)も変化し、社会や時代も変わります。
>はっきりは言えませんが、言語がなくとも思考はできるような気がしますが・・。
わたしは、言語なしに精神(意識)が存在するとは思えません。(言語は意識の前提)
精神が「何かについての意識」のことなら、この意識の志向性(フッサール)が、
価値の根源なんだと思います。そして人は、価値の選択なしには全く活動(決断)
できません。そこで「価値とは何だろう」と思考するのですが価値の本質や全体
を思考で捉えることに失敗します。
なぜなら、価値が言語(思考)の限界からはじまっているのだと気付くからです。
>1さん
既にで述べたことは、因果律への懐疑(ヒューム)とそれに対する反論(カント)など
哲学史を辿れば、ハァ〜と思わずタメ息が漏れてしまう形而上学的言明であるわけ
です。つまり論理実証主義者に言わせれば“無意味(無価値)”な思考なわけですし
養老孟司に至っては哲学は病気だそうですから。(笑)
にもかかわらず、ってところが哲学なんだと思います。
わたしは、
>>728 現存在しろうとさんの素晴らしい意見に同意です。
もう、ご存知かもしれませんが、
《ハイデガー『存在と時間』を読むスレ》
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1017993132/ でジョージ・OLさんが紹介してくれた以下の談話を紹介します。
『私はハイデッガーが存在と不安について考えていることを、十分
に考えることができる。人間には、言葉の限界へ向かって突進しよ
うという衝動がある。たとえば、何かが存在するという驚きを考え
てみるがいい。この驚きは、問いの形で表現することはできないし、
また答えなど存在しない。われわれがたとえ何かを言ったとしても、
それはすべてアプリオリに無意味でしかない。それにもかかわらず、
われわれは言語の限界に向かって突進するのだ。』
ウィットゲンシュタイン
わたしは、グッと込み上げてくるものを抑えられません!
人(精神)には、価値への意識が“寄り添って”います。
思考がこれほど深く関与しているモノは無いにも関わらず、
思考によって、価値の本質を捉えることは困難に感じられます。
思考によって、創造されたモノが、いつのまにか思考の限界を超えてしまうのです。
自己と価値との関係性は、どこか自己と時間のそれに似ています。
自己の価値への志向性は、どこか未来と過去への意識の方向性に似ています。
価値への志向性にともなう“実感”は、時間に支えられていると思いませんか。
価値もモノ(対象)としての現象として捉えるなら本質的な価値はありません。
そもそも価値は、自己と対象との関係性によってのみ成立するモノですから。
では、価値が対象でない属性も備えているとしたら、
それ自体によって自己の決断を喚起してるのだとしたら、
価値とは、自己に関わる自己自身にならないでしょうか。
わたし達は、それを暗黙の内に知っているのかもしれません。
わたしは、価値の選択無しには、一歩も進むことが出来ません。
価値の選択とは、わたしがわたしを選択しているということです。
わたしがわたしを選択するのは、わたしがわたしになるためです。
あるいは、わたしがわたしで“ある”ことを“実感”するためです。
この“実感”は、非依存的かつ自足的であるがゆえに“絶対性”を秘めています。
これが、一元論的な観念を引き寄せてしまう源泉としての“実感”だと思います。
価値には、その背後にある“絶対性”から“絶対的”な“何か”(真理)を
人に志向させる力があるように感じます。そしてそのような価値への志向性が、
人を自己実現へ駆立てる情熱の源泉なのだとしたら、それは人にとって宿命です。
>>733 1さん
大森さんの真意はわかりませんが、1さんとわたしでは、
時間のとらえ方が、微妙に違うような気がします。(実感の違い?かも)
「存在とは時間である、従って生成こそ存在である」(ハイデガー)
「等しきものの永遠回帰」(ニーチェ)
二人とも「時間の超越」と「存在の肯定」に辿り着いています。(だから?)
それから長文カキコでウザイですね。ごめんなさい。
偏頭痛がひどくて眠れなくて・・・おかげさまで一気にレスできました。(笑)
747 :
考える名無しさん:02/09/11 19:52
初心者のくせに「存在と時間」を独力で読もうなどと勇気のある奴だ(w
よって、初心者期待age
748 :
zion-ad:02/09/11 21:06
>>733 水族館のイルカショーの輪くぐり。
イルカが水面を飛び出て、輪をくぐり、水面に帰る。
イルカが輪をくぐっている瞬間に時を止めよう。
イルカが飛び込む方から輪を覗こう。視点位置を変えるだけで、
未来のイルカがいる空間の背景を輪が額縁になっていろいろと切り取る。
イルカ(自己存在を問う)を図、背景(欲する世界)を地として。
イルカが水面に帰る方から輪を覗こう。視点位置を変えるだけで、
過去のイルカがいる空間の背景を輪が額縁になっていろいろと切り取る。
イルカ(自己時間を訪う)を図、背景(欲した世界)を地として。
水族館の客席の客は、水面下を知らない。
しかし、イルカに生成するとき瞳の縁が輪に重なり消える。
同時に水面(現在という檻)が消え、飛び込むべき宇宙が見える。
言葉に分解されない定言命令の復活。
慈恩公国の合従連衡−闇の旗保険をよろしく。
749 :
初心者その1:02/09/11 23:31
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 今日のワンレス
( ) \_______
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(__)_)
>稲さん
パトナムの『理性・真理・歴史』の
”序言””水槽の中の脳”だけ本屋で読みました。
歯切れの良い文章に、大森さんとは異なったアプローチの仕方。
大変惹きつけられました。
古本屋で探してきます。
750 :
初心者その1:02/09/11 23:36
751 :
初心者その1:02/09/11 23:37
>>742 カオルさん
丁寧なレスありがとうございます。
僕には少し難しい内容なので、
ゆっくり考えてからレスします。
752 :
Kurihara:02/09/11 23:59
>>750 僕が哲学板で披露している知識の全ては
全て独学で得たものです。
僕は高卒ですので、哲学科卒は出ていません。
753 :
Kurihara:02/09/12 00:00
754 :
考える名無しさん:02/09/12 01:51
>>751 1さん
>僕には少し難しい内容なので、
いいえ、わたしのカキコに問題があるのだと思います。
>ゆっくり考えてからレスします。
ゆっくり睡眠をとって下さい。レスつけなくていいいです。
今は2chより仕事だと思います。がんばって!
756 :
考える名無しさん:02/09/12 23:47
時計は目にみえるが、時間は目にみえない。
だから、存在するのは時計であって時間ではない。
その時計といえば、等間隔で針が動くという機械。
多分時間に対する憎悪というのは、時計のこの規則
正しさへのものなのだろう。
人間は時計のような規則正しく運動するわけではないのに、
時計の規則正しさが人の生活をほとんど絶対的に支配
している。仕事も学校も時計の針が無造作に機械的に
特定の数字を指す時にはじまり、同じようにして終わる。
人のその時の気分や体調とは無関係にである。
757 :
考える名無しさん:02/09/13 04:13
でも大森荘蔵って結局屁理屈しか言ってないような気がするのは俺だけ?
それをいったら哲学全般そうかもしれん
759 :
考える名無しさん:02/09/13 07:40
>>756 >時計は目にみえるが、時間は目にみえない。
こういうタイプの議論の間違いは,存在と知覚が分かちがたく結びついてるところだろうな.
例えば壁の向こうの中庭が「見えない」からといってその中庭は存在しないとはならない.
761 :
考える名無しさん:02/09/13 14:30
>760
バークリーは人間が知覚してない
のに、そういうものが存在
しているといえるのは世界の
すべてを神が知覚しているから
といっている。
762 :
bloom:02/09/13 14:40
763 :
考える名無しさん:02/09/13 17:53
>>761 それはバークリがきちんと論証を経たからだろ
はなから混同してかかるのとはわけが違うんだよ
764 :
考える名無しさん:02/09/13 20:13
意味わかんね。
目に見えないものを存在している
というのはほとんど神秘主義だな。
765 :
初心者その1:02/09/14 01:11
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< こんばんは
( ) \_______
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(__)_)
えー、こんな時間に目覚めてしまいました。
>>742-746 カオルさん。
丁寧なレスなレスありがとうございます。
僕には難しいので一つ一つ確認しながら進めていきます。
>客観は、人の属性(言語、時間と空間)というフィルターを通して認識されます。
>このフィルターが、秩序(整合性)を形成(現象)させるわけです。
なるほど。言語だけでなく”空間と時間”も人の属性、つまり先天的なフィルターなのですね。
確かに、これらがないと物事を知覚しても、体系づける、秩序づけることはできませんね。
「人間には限られた属性しか持たないので、客観(物自体)を完全に認識できない」
ということでいいのでしょうか?
仮に5次元の属性を持った宇宙人なら、人間よりもさらに認識できると・・。
逆に、傷害により属性を失った人はどのように世界を認識しているのでしょうね?
興味ありますね。
他にも、人が持つ先天的な属性はあるのでしょうか?
(続)
>物理的時間や空間も所詮人間的な現象としての“それ”ですから、後天的です。
>先天的か後天的かは、どこで問題になるのですか?
上のレスを見れば、空間も時間も先天的なものと受け取れますが・・。
もし、後天的ならば、今とは異なった世界の認識の仕方があるのでは、
と思ったからです。
(現在の主客二元論に対する、大森物心一如)
>大森さんの著作を読んでいないので・・・やっぱり読まないと駄目ですか?
いえいえ、本当は僕が大森さんの考えをまとめ、それについてみなさんと議論する
という進め方にしたいのです。
が、如何せん、今の僕の力ではまとめが・・。
「制度的心理概念」はカオルさんの言う「仮想の実在」だと思います。
とても分かりやすいまとめ方で助かりました。
(続)
>わたしは、言語なしに精神(意識)が存在するとは思えません。(言語は意識の前提)
言語とは、
「知覚したものを体系(秩序)づけるための”仕切り”のようなもの」
ですよね。
その仕切がなくとも、知覚に異常がないならばどうなるのか?
(属性を持たない)赤ちゃんや動物がそれではないかと思われます。
つまり、認識問題の多くは赤ちゃんや動物の観察によって、
解かれませんか?
カオルさんのいう「精神」「価値」の意味が難しいですね。
>そこで「価値とは何だろう」と思考するのですが価値の本質や全体
>を思考で捉えることに失敗します。
>なぜなら、価値が言語(思考)の限界からはじまっているのだと気付くからです。
”価値が言語の限界から・・”の部分がよくわかりませんでした。
(続)
>つまり論理実証主義者に言わせれば“無意味(無価値)”な思考なわけですし
>養老孟司に至っては哲学は病気だそうですから。(笑)
なるほど(笑)
しかし、哲学がなくとも生きていける僕にとっても、
哲学(的思考、問い)の許されない世の中は大変つまらない気がします。
>『私はハイデッガーが存在と不安について考えていることを・・
素晴らしい言葉ですね。
哲学の問いとは、そのような限界を超えたところにあるのでしょうね。
ただ、その限界がなぜ”言葉”の限界なのかは疑問ですが・・。
(続)
ウィトゲンシュタインは全く読んだことがないのですが、
時々見かける、引用された彼の言葉には惹かれます。
「語り得ないものは沈黙しなければならない」
もウィトゲンシュタインですよね?
哲学は語り得ない(証明できない?)問いが多いと思うのですが、
彼はその部分については語っていないのですか?
彼以降の、他の哲学者はどうなのでしょうか?
これを認めれば、哲学は成り立たないような気がしますが・・
いかがなものでしょう。
残りはまた後日に・・
>>747さん
>初心者のくせに「存在と時間」を独力で読もうなどと勇気のある奴だ(w
>よって、初心者期待age
いえ、勇気があるのではなく、だまされたからです(笑)
哲学書とはあんなものだと思っていました。
大森さんを読んでびっくりです。
>>748 zion-adさん
>水族館のイルカショーの輪くぐり。
うーん。時間の比喩なのでしょうが、難しいですね。
輪 ・・・人の属性?
前方から輪を覗く・・・過去
後方 〃 ・・・未来
水面 ・・・現在(という檻)?
水面下 ・・・?
観客 ・・・?
イルカ ・・・?
(続)
>イルカ”(自己存在を問う)”を図、背景”(欲する世界)”を地として。
>イルカ”(自己時間を訪う)”を図、背景”(欲した世界)”を地として。
” ”内は、何となくわかる気がします
>水族館の客席の客は、水面下を知らない。
>しかし、イルカに生成するとき瞳の縁が輪に重なり消える。
>同時に水面(現在という檻)が消え、飛び込むべき宇宙が見える。
>言葉に分解されない定言命令の復活
サパーリわかりません。
>慈恩公国の合従連衡−闇の旗保険をよろしく。
これに至っては暗号でしょうか?(笑)
775 :
初心者その1:02/09/14 02:13
>>752 Kuriharaさん
>僕が哲学板で披露している知識の全ては
>全て独学で得たものです。
>僕は高卒ですので、哲学科卒は出ていません。
そうですか。
Kuriharaさん、なかなかおもしろそうな人ですね。
広島は五日市(広島市に合併したはず)
に小学校の頃、僕も住んでましたよ。
詳細な情報ありがとうございます。
今井むつみさんですか。全く知りませんでした。
調べてみますね。
>ものの物体/物質の捉え方について巧妙な実験をしているわけですけど、
こういった実験にすごく興味ありますね。
このような認識の問題について、哲学と心理学の境界がわからないのですが、
相互に影響与え合っているのでしょうか?
>>766 の人の属性についても非常に興味ありますね。
>>756さん
>時計は目にみえるが、時間は目にみえない。
”時計”とは物理的時間の比喩でしょうか?
そして、ここでいう”時間”とは原初的時間のことを指していますか?
>だから、存在するのは時計であって時間ではない。
うーん、大森さんはその反対を言ってますね。
つまり、”時計”とは後から作られた概念であり、本来的な時間ではないと・・。
(続)
僕の時間についての疑問は、
1.時間とは人間の観念なのか?
(つまり、人がいなければ時間は存在しないのか)
2.時間が人間の観念として、本来的な時間とはなにか?
(物理的時間?、原初的時間?)
3.人間不在で存在する時間があるなら、それは物理的時間なのか?
4.それ以外にも、異なった時間はあるのか?
です。
779 :
初心者その1:02/09/14 03:01
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 考え中
( ) \_______
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(__)_)
>>777 まず時間は目に見えないということに異論はありますか?
私がいいたいのは、「目に見えない」時間を
「目に見える」時計の針の運動と混同してはならない
ということです。時計の針の運動は確かに「見える」。
にもかかわらず、時間は「見えない」。だから、
時計の針の運動と時間には何の関係もないということです。
「見えるもの」と「見えないもの」を等置的な関係におく
ことは出来ませんよね、当然。だからこそ時間は謎として
残り、歴史的に色々な「時間論」が出てきたわけです。
時間とは時計のことだと言えれば、時間論なんていりません。
いえないから、困っているわけです。
私はそれ故、時間とは「語り得ぬもの」だと想いますね。
そして「語り得ぬものには沈黙しなくてはならない」ということです。
人の知性で思考可能なのはせいぜい「時間論」ならぬ「時計論」
くらいのものでしょうから。
時間について思考することは理性の越権行為なのでは?
ということです。
>>780 まず万有引力が目に見えないということに異論はありますか?
「目に見えない」引力を「目に見える」落体(リンゴ)の運動と混同してはならないということです。
リンゴが落下するのは確かに「見える」。にもかかわらず、引力は見えない。
だからリンゴの落下運動と引力には何の関係もないということです。
……と同じくらい不正確な議論だと思うんだが。
そうやって時間と時計を分断することこそ純粋理性の誤謬だと思います。
>780 756さん
早速レスありがとうございます。
ここで、756さんが言われていることは僕も賛成です。
ただ、その上で言わせてもらえれば、>777で述べた2つの時間の関係です。
756さんの言葉で言えば、
目に見える時間(時計)・・・物理的時間
目に見えない時間 ・・・原初的時間
もともと目に見えない(原初的)時間を、
目に見えるようにしたのが物理的時間(時計)ではないか。
普通の人にとっての時間とは、
過去から未来へ一直線に等速度で流れている物理的時間だと思います
(続)
もちろん僕もそう思っていたのですが、大森さんの著書を読んで、
「物理的時間とは人間の利便性に合わせて作られた概念ではないか」
と、考えるようになってきました。
また、時間から空間に目を移せば、
同じように彼は、(現在常識となっている)主客二元論も物理的時間と同じく、
人間の利便性によって制作された概念であるといっています。
(時間) 原初的時間 → 物理的時間
(空間) 物心一如 → 主客二元論
という関係です。
(続)
ここで、「原初的時間とは何か?」と聞かれると困るのですが、
主観的な時間(長くなったり短くなったり)に近いと僕は考えています。
大森さんの著作を読んでいる僕としては、
現在の常識となっている、「物理的時間」「主客二元論」が、
原初な概念なのか、それとも後年に制作されたものか知りたいのです。
756さんはどう思いますか?
これも越権行為かもしれませんが、良ければ考えを聞かせてください。
(あっ、781さんハケーン。どう思いますか?)
785 :
初心者その1:02/09/14 04:48
もう朝だよ・・。また明日ね。
>>781 リンゴの落下運動には引力という見えない力が
絡んでいるとしたのはニュートンが初めてで、
それ以前にはそんな風には思考しなかったんじゃないの?
アリストテレスなんかはニュートンとは異なる力学
の体系を構築していたわけで。
そしてそのどちらが正しいかはパラダイム次第という
のがいまや通説ではないの?
そうなら、リンゴの落下運動には引力が関係しているという
パラダイムがあり、そのなかではそう思考することが
正しいが、そのパラダイムが全てではなくアリストテレス
のパラダイムもあり、その中ではそう思考することが
必ずしも正しいとはいえない。
であるなら、リンゴの落下運動と引力との関係は
究極的には「偶然的(ある種の無関係)」ということになりませんか?
そして時計に時間をみるのも特定のパラダイム次第であって、
時計と時間との関係は究極的には(つまり全てのパラダイム
を捨象してしまえば)、無関係となりませんかね?
> そしてそのどちらが正しいかはパラダイム次第という
> のがいまや通説ではないの?
いかにも通俗的で素朴なパラダイム観ですね
>>786 クーンの提唱したパラダイムは、認識論上の相対論を導くものであって、
今議論しようとしているのは存在論でしょう。
そのような反論は論点が異なることになります。
パラダイム論自体にも問題がかなりありますが。
>>787 通俗的ではなくそして素朴ではないパラダイム観
の開陳を求む。
>>788 どこが存在論の議論なのか詳説を求む。
>>782 原初的時間(主観的時間)を可視化したものが
時計だというのは違うと思います。
時計は物理的時間を可視化したものだとするのが
一般的です。初心者さんによれば、原初的時間は
主観的時間なので伸縮するわけですが、時計は常に
一定のリズムで運動するものであり、そこには
リズムの乱れとしての伸縮はありません。
「原子時計」になるとリズムの狂いは皆無です。
時計の最も古いタイプに「日時計」がありますが、
あれは太陽の規則正しい運動を可視化したものですね。
なので時計というのは原初からして天体の運行と
密接にリンクしていて、それ故、それは自然現象の
規則正しさを利用して作られている物理的時間を可視化
したものだと一般的に考えられるゆえんです。
私もこの一般論には反対する気はありません。
だから、時計が主観的時間を可視化したものというのは
ちょっと頷けないものがあります。
つまり時計は物理現象の規則性を度量化したものであって、
主観的時間とはあまり関係ないのでは?ということです。
791 :
考える名無しさん:02/09/14 19:05
>>786 あのパラダイムではこう、このパラダイムではこうなんて、
まるで自分だけはあらゆるパラダイムから自由だと勘違いしているみたいな語り方をしてるな。
仮にあらゆる人間が自分のパラダイムから自由でないとして(仮定A)、
そしてまた仮に引力の話がパラダイムの問題なのだとしたら(仮定B)、
仮定Aよりあんたも特定のパラダイムの中で物を考え語らざるをえないはずで、
さらに仮定Bより引力についてもそんな第三者的な語り方はできない。
さて実際にはあんたは第三者気取りなわけだが、間違っているのは仮定Aか仮定Bかそれとも何でしょうね?
こりゃクーンのパラダイム論というより概念枠の話だがね。
入不二なんとかさんの相対主義批判の本でも読んでみれば?
>>791 確かに人は特定のパラダイムに属している。
だけど人がどのパラダイムに属するかは偶然的。
引力と落下運動を必然的に結び付けるパラダイム
に自分が属していても、「もしそのパラダイムに
自分が属していなかったなら・・・」という可能世界を
をたてることは出来る。
よってあなたの仮定Aは可能世界という概念を導入する
ことで再度相対化できてしまう。
つまり自分は確かにニュートンのパラダイムに属している
けど、そのパラダイムに属さねばならない必然性はどこにも
ないということであり、アリストテレスのそれに属していても
別におかしくなかったということ。
特定のパラダイムへの帰属は単に偶然的だということ。
そしてその偶然性を想起するための思考装置が可能世界だということ。
従って第三者気取りというのは可能世界を導入をすれば、
造作もないことだということね。
このスレでもハイデガーが登場しているが、彼が何故ナチスの
ナショナリズム運動を支持したかは、相対主義批判と絡めて
理解すると面白いとおもうね。そして何故いま相対主義批判が
知的トレンドになっているかも、今の世界情勢から考えたら
面白い。露骨なナショナリズムが勃興しつつある今の世界情勢から。
793 :
考える名無しさん:02/09/14 21:04
アリストテレスなんかはニュートンとは異なる力学
の体系を構築していたわけで。
--------------------------------------
うーん、言うは簡単だが。
いや、これはさぁ、アリストテレスのパラダイムを
発展させることができるように、そのパラダイムを
吸収できている人は、もういないと思うよ。
今の自分が寄って立つ知的地盤の固さを確かめたい、
安心したい、というような過去への郷愁がほとんどでしょ。
素人なりに読んだ感想。
パラダイムの変遷って、OSの変遷みたく考えているけどね。
で、文化や研究、思考方法、生活は、その上で動く大小のアプリケーション。
文化は大きくて、生活は小さいコードしかないアプリ。
OSが異なれば、その上で動くアプリは変る、と。必然的に。
自分としてはこういう解釈が一番わかりやすかった。
ぞく流の解釈なら誰か訂正してくれろん。
795 :
zion-ad:02/09/15 04:43
>>773 イルカ :物語の主人公。彼女であるかもしれないし、自分(客観視した自己の物理的投影)
かもしれない。我思うゆえに我在りは、どこにイルカ。わからないのでイルカの枠内に封印する。
欲望を遊んでいる最中(輪をくぐってる瞬間)は、厚みのない(過去も未来もない現在だけの)知覚正面に
生成する日常。無脳仮説において、網膜に映った映像を主人公に特定する小道具。
正面観客(輪の内側透明な面を見ない、輪の縁だけを見る)が首を振ってイルカを追っていくと、イルカは一匹だけ。
首を振らないでイルカの動きすべて傍観すると、イルカの軌跡が放物線に。スローモーション映像に同じイルカが
何匹も重なる。無数の点が線となる軌跡。空間化された時間。
輪の内側透明な面 :3次元空間を2次元に圧縮した知覚正面の投影スクリーンかな。正面観客からは線に見える。
輪をくぐる前のイルカがいる空間を浮遊する瞳(主観)から輪を見れば、
今日の昼飯はあそこに行こう。10年後にはこんなの建てるぞ。今現在の輪内にいるイルカから幽体離脱をして
知覚正面である透明な面に欲望を投影する。主人公の動機を描くために伸び縮みするゴムの輪っかを
フレームにして映画館の観客に見せる監督(主人公の瞳を通してからでなく、主人公を含む背景を輪に投影して)。
輪の外側透明な面 :同時の他所。主人公以外のイルカの現在。主人公が彼女で、正面観客が自分で、
輪が大きくなって観客席まで呑み込んでしまったら端役(看守)になるしかない。
796 :
zion-ad:02/09/15 04:43
水面上:イルカが生まれてから、消えるであろうところまで。呼吸する空間。1呼吸間かな。
水面 :医学的・物理学的世界と”もの自体”の境面。言語で記述できる法の波面。
水面下:南方熊楠の粘菌が、茸ロケット胞子を飛ばす。魂魄の魄が帰るところ。遊び道具を返すところ。
映画への投資と配当の無記名株券の流通市場空間。無意識の欲動。
現在という輪の断面にしか存在できない日常を生きるイルカと、空中浮遊するカメラアイの監督と、
正面観客。イルカ以外にとっては、過去も未来も同一空間にあるように騙されているというところか。
空間に過去と未来を記述することは不可能。イルカは自ら空間を創出する。すでに存在している空間に
移動するのではない。主観や客観の記述する空間など、固定された背景画に騙されたもの。
イルカになって飛び込まねば明日はわからないというところか。
水面が90度回転して、輪の断面になったり、
正面観客から見える輪の痕跡、現在という厚みのない縦線が、門の扉を思い起こさせ、
その向こうに、今見える空間世界でない空間世界、宇宙を想起させるというところか。
797 :
zion-ad:02/09/15 04:44
>>774 >同時に水面(現在という檻)が消え、飛び込むべき宇宙が見える。
>>764 網膜と、視覚によって知覚された対象表面との間に、空間があるとする光速基準物理学は、
まったく神秘主義だね。だって、光より速く情報は届かないとしているのだから。
見えない空間が存在しているとしているし、瞬間じゃ存在情報を得ることできない離れた対象が、
離れた空間に存在しているとしているのだから。今、見えてない対象を在るとしているのだから。
眼球にくっついていない対象は、でも、眼球に対象をくっつけったら見えないか。
それに網膜と眼球表面の距離、水晶体の厚みの遅延もあるし、くっつけても意味ないか。
壁の向こうに中庭が存在しているってのは、思い込みの知識情報(数学的座標空間の割り当て)
であって、知覚情報でないものね。それでも壁の向こうに中庭が在るを感じるなら、
現代物理学ではわからない「気」とかの超光速の干渉があなたの身体に物理的に起きているのか、
空間なんて存在しなくて、網膜での物理反応だけ。対象との距離ゼロ。
無脳仮説どころか身体もない色即是空。立体的形がなければペチャンコでいい。
798 :
zion-ad:02/09/15 04:44
湾曲した網膜が、網膜に接する対象によって、距離ゼロの網膜と対象表面だけが存在する奇妙な空間で、
奇妙な反応を起こし、知覚正面を映し出す。存在を認識できるのは、網膜と知覚正面の映像と対象表面だけ。
でも、自分の網膜に自分が見た知覚正面の映像が映っているのをイメージする観客はどこに。
イメージするには映し出されるスクリーンと、視線の元である瞳と、点が面に拡がる空間。
初期のカメラのイメージ。穴を覗き込んでいる自分のイメージ。自分も対象もカメラの外側。
視神経束の網膜との接点、盲点>網膜|水晶体|眼球表面<対象
映画館内(水晶体)に自分がいるとすると、輪をくぐるイルカを観る正面観客。
イルカそのものは、水晶体外の宇宙へ飛び込んだのかも知れない。生成する宇宙に。
数学の座標空間と、ニュートン的いつでも存在する空間で、対象だけが動く時間の物理空間。
あなたと私も同時に存在する日常空間と、ライプニッツ的ロンドン、パリ、東京も、この今、
同時に地球上にあるとする水晶体モナド内の存在の物理空間。それをごっちゃにした光速基準物理学。
余計わけわからんになるので、スレ汚し退散。正直、まだ大森荘蔵10ページぐらいしか読んでないので。
とにかく時間t=0で、空間を記述できれば知覚正面とその観察者の瞳との距離(超空間での)が
計れるのではないかと。それを生み出すのが看守。客観でいられなくなった脇役。
>zion-ad
あんまりくだらないことかいてると荒らしだと思われるぜ.
>>793 >今の自分が寄って立つ知的地盤の固さを確かめたい、
>安心したい、というような過去への郷愁がほとんどでしょ。
なんでパラダイムの変換の話をしてるときに「郷愁」なんて色っぽいもんが出てくるのかわからん.
そうやって議論を薄めてしまうのがやっぱり素人だなと感じるな.
>>770 >ウィトゲンシュタインは全く読んだことがないのですが、
>時々見かける、引用された彼の言葉には惹かれます。
「語り得ないものは沈黙しなければならない」
>もウィトゲンシュタインですよね?
>哲学は語り得ない(証明できない?)問いが多いと思うのですが、
>彼はその部分については語っていないのですか?
>彼以降の、他の哲学者はどうなのでしょうか?
>これを認めれば、哲学は成り立たないような気がしますが・・
>いかがなものでしょう。
『論理哲学論考』の命題7だね.この「語りないもの」っていうのは初心者の考えてる
こととは違うけどね.面白いエピソードがあって,『論考』が出たときに論理実証主義者
たちが盛んにこの本を読んで,自分たちの主張のためにこの本を利用した(悪く言えばね)
んだけど,たまたま参加していたゲーデルはほとんど関心を示さなくて,「もしこの本の
主張が正しければ,哲学は不可能になる」って言ったらしいんだね.だけど多分初心者の
いう意味で不可能だとゲーデルが考えたわけではないと思うけどね^^.
>>780 >私がいいたいのは、「目に見えない」時間を
>「目に見える」時計の針の運動と混同してはならない
>ということです。時計の針の運動は確かに「見える」。
>にもかかわらず、時間は「見えない」。
認めよう.
>だから、時計の針の運動と時間には何の関係もないということです。
この「だから」という部分がよくわからない.さっきの前提からこの結論が
どのように導かれたのかまったく不明.
>「見えるもの」と「見えないもの」を等置的な関係におく
>ことは出来ませんよね、当然。だからこそ時間は謎として
>残り、歴史的に色々な「時間論」が出てきたわけです。
>時間とは時計のことだと言えれば、時間論なんていりません。
>いえないから、困っているわけです。
ここで言われている「等置」という概念がわからない.同じということであれば
そんなこと誰だって知ってる.「aは見えるもであり,かつaは見えないものである」
なんて単純に矛盾してるからね.時間が「見えない」から謎だなんて幾ら何でも問題を
浅く捉えすぎ.時間は時計だって・・・・,だれも言わない言わない.
>私はそれ故、時間とは「語り得ぬもの」だと想いますね。
>そして「語り得ぬものには沈黙しなくてはならない」ということです。
こんなのは単に『論考』から言葉を借りてきたというだけ.こういう言い方を
するんであれば,ちゃんと『論考』と時間論の関係を説明しなきゃいけない.
こんな粗っぽいやり方してると軽蔑される.
>なんでパラダイムの変換の話をしてるときに「郷愁」なんて
>色っぽいもんが出てくるのかわからん.
色っぽいかな。
<既に人々の間では失われてしまったが、
この世界を、背後では今も支えている感情>
に対する想いってのを表現しようとしたとき、
語彙が不足してるんで、うまい言葉を思いつかなかった。
>>790 それは時計による計測が純粋に客観的なものであることを主張するに留まると思います。
主観的時間は、その主観にとって原初的であるが、見えない時間と原初的な見える時間が、
互いに無関係であると推論する
>>756氏の議論は、幾分かスコラ的ではないでしょうか。
時計はふつうは視覚を介するものですが、嗅覚・味覚は難しいにしろ、
聴覚・触覚では可能かもしれないので、見えない時間というのは、
外から感覚に与えられない時間とするということで。蛇足ですが。
人間は世界のなかでしか生きられないのと同時に、他人のなかでしか生きられない。
人間が世界のなかでしか生きられない以上、世界のなかに流れる見えない時間は、
人間のなかにも流れており、これがその主観にとっての原初的時間です。
その原初的時間は、見えない時間ですが、内から感じられる時間です。
人間が他人のなかでしか生きられないために、
他人のなかの原初的時間と自分の原初的時間とをシンクロナイズさせる必要があります。
そこで何かに通約性(共通計測性、コマンシュラビリテ)を求める必要があります。
通約性を何に求めるかと言えば、客体となり得るものでなくてはなりません。
その意味で外部に存在するものが、それを求める対象になります。
(続)
一方で、その世界のなかに流れる時間は、物体にも流れるわけです。
この物体は、客体となり得るものというわけで、
時計だけでなく、声を出す人間もその客体のうちに入ると考えてよいと思います。
声を出す人間よりも、時計の方が、
より多くの人間にとっての通約性を求める対象としては優れています。
客体としての時計や声を出す人間に流れる時間は、
見える(声のときは聞こえる)時間となります。
静止しているスプーンに流れる時間も、見えますが、
それは見る主観にとっては時間とともに経験が始まること以上の何ものをも意味しないわけで、
それが言葉の上で見えると言えるだけであると思われます。
このことは静止するスプーンが、通約性を求めるのに適していないことを意味します。
時計の持つ一定のリズムも、この通約性の必要から来たものだと考えられます。
一般に時間論で物理的時間とか客観的時間とか呼ばれるのは、世界を流れる時間のことであり、
上の文脈を踏まえると、直接には時計で計られる時間を意味しないと思います。
上記の議論は不備な点が多いかと思いますが、
原初的時間(過去/現在/未来)と世界を流れる時間との関係を論じることと、
人間が通約性を求める態度そのものを論じることと、
通約性を具体的に何に求めるかということを論じることは、分けて考えるべきだと思います。
>>803 ><既に人々の間では失われてしまったが、
>この世界を、背後では今も支えている感情>
>に対する想いってのを表現しようとしたとき、
>語彙が不足してるんで、うまい言葉を思いつかなかった
こういう議論を色っぽいと言いたいんだけどな.もともとパラダイムってクーン
が科学の発展のダイナミズムを説明するために使った概念でしょ.でこの議論が
共約不可能性テーゼというところまで先鋭化していったわけでしょ.その後でパ
ラダイムが使いやすいからといって日常生活の中にまでむやみに持ち込んで,パ
ラダイムという概念が一人歩きしちゃったんだよね.
たしかに話は作れるかもしれないけど,793のように議論しちゃうとすごくつまん
ない議論になっちゃうんだよね.つまり議論をみててもぜんぜん哲学的な深刻さみ
たいなものはないわけ^^.要は「だから何? そうだね昔はよかったね,まあ哲学
とは関係ないけど」みたいにさ.もう少し話を煮詰めて議論を先鋭化させた方がいい.
だから色っぽいって言ったの.
つまんねー
そっか。>806
共約不可能性って通約不可能性のこと?
元の言葉知らないから、なんともいえんけど。
もしそうだったら、クザヌスあたりから概念を転化させて借用してんだろうか。
(クザヌスは、当然、アリストテレスの知的系譜から。)
もう、ずいぶん前に読んだから良く覚えてない。
>>808 基本的にパラダイムの議論をするときに,古代中世は何の関係もない.
うーん? なんでそんなになにかを強弁できるのかがわからない。>809
クーンのパラダイム論には無関係、というなら、
クーンのパラダイムの概念自体が、ものの見方や、
問題の立て方や、問題の解き方、として捉えられるべきだろう、
と理解しているし、そうかもね、と説得されるだろうけど。
でもパラダイムという言葉では表現されない時代にも、
同じ現象はあったわけで、それは別の表現をされているわけで(たぶん)。
まぁ、いいや。
>>810 確かにクーンはアリストテレスやコペルニクス革命を議論の土台に置いてはいるけれど,
大きなパラダイム変換なんてしょっちゅうあるもんじゃないからさ.しかし主題は科学
的理論の発展の内的構造だから,パラダイムという概念を昔の人の概念と比較してみて
も意味ないのさ.そりゃ議論もできるし,論文も書けるのかもしれないけど,多分貢献は
ほとんどできないと思うな.パラダイムという概念を昔へ遡って検討してゆくというのが
一番悪いこの問題の扱い方だと思う.
>パラダイムという概念を昔へ遡って検討してゆくというのが
>一番悪いこの問題の扱い方だと思う.
いや、そういうことは言ってないよ。
(理論間の?)通約不可能性という概念によって、
パラダイムの概念の発想の源流があったり、
裏打ちされたり、補強されたりしているのなら、
非常に原始的なかたちだけど、
無限により通約可能になる円と直線(つまり、異なる理論のメタファ)
をイメージした、クザヌスにも同じ発想が見て取れるかも?とちと思っただけ。
間違い↓。
>(理論間の?)通約不可能性という概念によって、
>パラダイムの概念の発想の源流があったり、
>裏打ちされたり、補強されたりしているのなら、
こう書きたかった↓。
(理論間の?)通約不可能性という概念に、
パラダイム概念の発想の源流があったり、
それによって裏打ちされたり、補強されたりしているのなら、
>>812 僕も詳しくないけど,共約不可能テーゼとパラダイムは関係してるけど,そんなに
不可欠という結びつきではないような気がするな.共約不可能テーゼなんかは単独で
取り出せるという感じがする.よくわからんけど.
それに共約不可能性テーゼは極端な客観主義の否定にまでゆくからな.ある場面では
かなりもっともらしいんだけど.ファイアーアーベントみたいになってはな〜.
815 :
初心者その1:02/09/15 23:32
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< こんばんは
( ) \_______
| | |
(__)_)
うおっ!レスがのびてると思ったら、
こらまた、”僕が”語り得ない議論を・・。
スレ違い&(僕が)語り得ない議論も大歓迎です。
興味津々で読んでます。
できれば、初心者その1の初心者具合を考慮に入れて、
説明してくれれば、さらにうれしいですね。
スレを読んだ限り、パラダイムという概念はおもしろそうですね。
クーンですか・・。
明日早いので、
756さん始め、後日まとめてレスします。
817 :
考える名無しさん:02/09/16 00:18
>>814 >僕も詳しくないけど,共約不可能テーゼとパラダイムは関係してるけど,そ
>んなに不可欠という結びつきではないような気がするな.共約不可能テーゼ
>なんかは単独で取り出せるという感じがする.
稲は「共約不可能性テーゼ」と「パラダイム」をそれぞれどういう意味で把握
しているのかな? それを知りたい。
でないと後者から独自に前者が導きえるという主張の確からしさを論じられな
いから。
よろしく。
>>766 1さん
>人間には限られた属性しか持たないので、客観(物自体)を完全に認識できない
>ということでいいのでしょうか?
日常的には、そう思います。(笑)
ですが、なぜそのようなあり方でなければならないのか。なぜ不完全なのか。
そのようなあり方をする自己の本質は何なのか、になるともっと哲学的ですね。
>仮に5次元の属性を持った宇宙人なら、人間よりもさらに認識できると・・。
そうですね。(笑)
で、それをあたかも知り得ることのように説明しはじめると神秘主義になります。
>逆に、傷害により属性を失った人はどのように世界を認識しているのでしょうね?
健常者(ツッコミ禁止です!)とは、違う世界にいるのでしょう、としか・・・。
>他にも、人が持つ先天的な属性はあるのでしょうか?
ベルグソンは、人間の本質を、Homo faber(作る人)といってますね。
自分の作った(創造した)道具に注意を向ける(反省する)ことによって、
Homo sapiens(言葉を持つもの)としてのあり方が生まれたと。不正確です。(^_^;)
>>767 1さん
>>先天的か後天的かは、どこで問題になるのですか?
>上のレスを見れば、空間も時間も先天的なものと受け取れますが・・。
わたしは、動物であるヒトが、動物と区別された人(Homo sapiens)としてあるのは、
人としての属性(精神)を身に付けているから、と思っています。(倫理問題はカンベン)
知覚障害者、精神障害者、先住民族、原始共同体・・・など、
「人間とは教育されねばならない唯一の被造物(動物)である」(カント)
と思います・・・脳内麻薬、意識の拡大とかも参考になるのかな。
立花 隆ゼミにいいのありました。これなら1さんも納得しそう。(^.^)
野生児の言語 猿の言語 言葉という概念
http://tron.um.u-tokyo.ac.jp/tachibana/third/0613.html
>>768 1さん
>仕切がなくとも、知覚に異常がないならばどうなるのか?
>つまり、認識問題の多くは赤ちゃんや動物の観察によって、解かれませんか?
観察行為は、
>>743でいう対象の認識行為と同じですから、それを行う人の
先入的理解や理論の前提を背景にして為されます。ですから鵜呑みは危険です。
(上記の立花隆HP参照)
>”価値が言語の限界から・・”の部分がよくわかりませんでした。
むずかしいですね。わたしも自分に説明できません。(笑)
言葉の意味が表現(伝達)されるためには、
1、意味を理解するための蓄積データがあること。(過去性)
2、蓄積データから、より良い表現の選択をする価値基準があること。(自己性)
3、意味が伝達され得るための他者との共通性等を見出していること。(他者性)
4、意味が他者に伝達され得ると期待されていること。(未来性)
が必要だと思います。
ということで、言葉の表現にはつねに価値選択による価値付けが伴ないます。
1の蓄積データは、歴史、文化、社会・・・にそもそもの基盤がありますが、
伝統、気風、慣習といっても、その価値を言語で説明するのは難しいと思います。
2の価値基準も1の蓄積データの価値根拠が解明されないかぎり同じです。
もっというと、五感を通して知覚したモノは、モノ自体ではないと考えるなら、
モノ自体でないものに、さらに言語というフィルターで色付けし概念化することで
価値を付与するのですから、モノ自体の価値の本質や全体が掴める筈がありません。
(後は、下記ウィトゲンシュタインの“言語の限界”を参照してください)
>>769 1さん
>哲学の問いとは、そのような限界を超えたところにあるのでしょうね。
>ただ、その限界がなぜ”言葉”の限界なのかは疑問ですが・・。
ウィトゲンシュタインは「論理空間における諸事実が世界である」と考えました。
これは、彼が論理学(思考の形式)を、世界それ自体の形式と前提したからです。
ここでいう世界は、論理的必然性による諸事実によって成立しているのですから、
その構造は“即ち”言語の有意味である範囲も規定していることになるわけです。
( 事実=現に成立している事態 世界=事実を全て集めたもの )
彼のいう語り得る命題とは、真偽を問い得る有意味な文のことですから、
そこに示された可能な事実が現に成立しているなら真、でないなら偽となります。
ですから、現実において事実として真偽の検証不可能な命題、即ち自然科学以外の
諸命題は疑似命題ということになって、語り得ないものであるというこになります。
形而上学の諸命題とは、可能な事実として指し示すことのできない何か(価値観)を
表現しているのであって、即ち語り得ないものなわけですから、そのような表現は、
論理学的には、言語特有の誤用であり非意味的なものとされます。
語り得ないもの(価値観)を語ろうとする試みが、即ち言語の限界を超えようとする
試みになります。
>>770 1さん
>哲学は語り得ない(証明できない?)問いが多いと思うのですが、
>彼はその部分については語っていないのですか?
ウィトゲンシュタインは、語り得ないことを明確に示すことによって、
自然科学の言語から、哲学的、宗教的、倫理的言語を保護したのだと思います。
『わたし達が、あらゆる有意味な命題に答えられたとしても、
人生の諸問題には、何一つ答えられないでいるだろう』
『およそ語り得る命題は、より高きもの(価値あるもの)など表現できない』
『わたし達は、語り得ないものを語ろうとする人間精神に敬意を払うべきだし、
わたしは生涯にわたりこれを軽蔑したりしない』
彼は、哲学的、宗教的、倫理的な問いにこそ価値があると思っていたようです。
>彼以降の、他の哲学者はどうなのでしょうか?
どうなんでしょうね。(笑)
ああでもないこうでもないってみんな哲学してると思いますよ。
823 :
初心者その1:02/09/18 23:19
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< こんばんは
( ) \_______
| | |
(__)_)
最近寝不足なので少し休憩。
貯まったレスは必ずカキコしますのでお待ち下さい。
フレーゲ『算術の基礎』届きました。
難しそう。
先にパトナム『理性・真理・歴史』の方読みたいな。
>>821 >彼のいう語り得る命題とは、真偽を問い得る有意味な文のことですから、
>そこに示された可能な事実が現に成立しているなら真、でないなら偽となります。
>ですから、現実において事実として真偽の検証不可能な命題、即ち自然科学以外の
>諸命題は疑似命題ということになって、語り得ないものであるというこになります。
完全に間違い.この理解は20,30以上前の『論考』解釈.これじゃあまるで論理実証主義と
同じになっちゃう.
>形而上学の諸命題とは、可能な事実として指し示すことのできない何か(価値観)を
>表現しているのであって、即ち語り得ないものなわけですから、そのような表現は、
>論理学的には、言語特有の誤用であり非意味的なものとされます。
>語り得ないもの(価値観)を語ろうとする試みが、即ち言語の限界を超えようとする
>試みになります。
これだと価値が非意味的となって,そもそも
>>822の主張と対立している.それにヴィト
ゲンシュタインの場合に価値の問題を形而上学の問題とするのは言い過ぎ.
825 :
名無しさん@1周年:02/09/19 00:55
>>824 稲さん
『論考』の「自然科学の諸命題」って個々の観察文以外、特に全称の法則命題
も含んでいるんですか?
>>825 そもそも『論考』は検証主義云々を問題にしていないので,そもそも一周年
が考えてる問題そのものが存在しないと思う.だからそもそも全称の法則命題
を含むか含まないかという問題設定が存在しないと思う.
↑「そもそも」がやたらと多いな^^
828 :
名無しさん@1周年:02/09/19 17:20
>>826 観察文といういいかたは間違いだった(せいぜい個別の事実文)
でも法則命題の有無って検証可能性の問題とは独立でしょ
だから 全称の法則命題が『論考』の範囲内かどうかは『論考』について問いうると思うんだけど。
個別命題の連言を無限につなげて、法則を表す全称命題をつくっていくなさそうだし『論考』では
どーなんだろ
829 :
初心者その1:02/09/21 01:12
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< お久しぶりです。
( ) \_______
| | |
(__)_)
久々に貯まったレスに返答します。
僕は後期の著作から読み始め、年代を遡っていくという読み方を
たまたましてしまったのですが、
彼の思想の変化(深化)がわかっておもしろいです。
『物と心』読み終わりました。
>>685 偽スピノジストさん
『世界の名著 スピノザ』
300円で売っていたので買ってしまいました(笑)
読んでませんが、『エチカ』は変わった文体で書かれていますね。
とりあえず超簡単なスピノザ入門書の該当部分のみ拾い読みしましたが、
彼は汎神論、アニミズム的古神道に近い考えの人なのですね。
大森さんは神という概念(アニミズム的な非人格神も含む)
はまったく使っていないのでその辺りは違うような気がします。
(続)
>たとえば森が恐ろしく見える場合、それはその森自体がそのときその人に恐ろしいもの
>としてあらわれている、だからその恐ろしさはその森の「客観的」な性質だという。
>恐ろしさを心の中の感情といってしまう誤りを強調するためでしょうが、やはり
>「客観的」は言いすぎでしょう。
一行目は僕も全く賛同しますが、
二行目以降は、少し違うのではないかと思われます。
ここでの「客観的な性質」という言葉の解釈の受け取り方の違いと思われますが、
この言い方ではかなりニュアンス取り違えて解釈されそうな気がします。
これだと、
「まず客観的な森が実在し、その実在物には”恐ろしさ”という性質が備わっている。
見た人の心の状態により、その性質を備えた森が現れてくる。」
と解釈される恐れがあります。
あくまでも
「心が襲われた”恐ろしさ”が恐ろしい森自体を”立ち現す”」
ではないかと思います。
かといって、大森さんは「見えている森は幻で、実在しないものだ」とも言っていません。
この辺りのニュアンスは僕もいまいち理解できないので、
うまく説明できなくて済みません。
偽スピノジストさんの真意を取り違えているような気もします。
もっとましなレスができるようがんばりますね。
>スピノザとしては、ある人がある森を恐ろしく思う場合、
>その人の感じている恐ろしさは森のnatureと当人のnatureを不完全な
>仕方で示している、ということになります。
大変わかりにくいのです。
「森と当人には絶対的なnatureが備わっており、
恐ろしく感じる時は、そのnatureが一致しない時である。」
という解釈でいいですか?
つまりスピノザは、全ての存在物には絶対的なnature(性質=神?)が備わっている、
と考えていると・・。
>だからスピノザとしても、恐ろしさは心の中の孤独な体験ではない。
>というよりも、ある人がある時ある恐ろしさを感じると
>いうことは、宇宙史の中での、宇宙史に不可欠な一こまです
「人には恐ろしさといった感情が生まれるからこそ、
世界とつながることができるのだ。」
という解釈でいいですか?
あ、あと、スピノザスレ見ましたが、僕には難しすぎです(笑
833 :
初心者その1:02/09/21 01:29
どの辺りまでレスしたっけ・・
>>825>>828 確かに『論考』は全称量化を無限連言と同一視するというやり方で量化を消去しよう
としたけれど,自然科学の全称法則命題(具体的にどういうことなのか僕にはよくわ
からないんだけど)を『論考』の中で扱ってもな〜,という感じがするな.
そもそも『論考』自体が自然科学の命題云々を正面から扱ってないからね.
カオルさんのレスの続き・・
>>745 ”価値”が何を指しているかが僕にはピンと来ないので、全体的にわかりにくいですね。
>人(精神)には、価値への意識が“寄り添って”います。
>思考がこれほど深く関与しているモノは無いにも関わらず、
>思考によって、価値の本質を捉えることは困難に感じられます。
>思考によって、創造されたモノが、いつのまにか思考の限界を超えてしまうのです。
ウィトが言った”語り得ないもの”とほぼ同義語と解釈していいですか?
つまり、
>>744のウィトの言葉を言い換えたものと・・。
>自己と価値との関係性は、どこか自己と時間のそれに似ています。
>自己の価値への志向性は、どこか未来と過去への意識の方向性に似ています。
>価値への志向性にともなう“実感”は、時間に支えられていると思いませんか。
つまり、”価値”と”時間”には類似性があるということですね。
わかり辛いですね
>価値もモノ(対象)としての現象として捉えるなら本質的な価値はありません。
>(中略)わたし達は、それを暗黙の内に知っているのかもしれません。
?
(続)
>わたしは、価値の選択無しには、一歩も進むことが出来ません。
>(中略)これが、一元論的な観念を引き寄せてしまう源泉としての“実感”だと思います。
この辺りは一般に言われている”価値観”に見えます。
>価値には、その背後にある“絶対性”から“絶対的”な“何か”(真理)を
>人を自己実現へ駆立てる情熱の源泉なのだとしたら、それは人にとって宿命です。
絶対的な価値観があると受け取れますが・・。
>>746 そうですね。
僕自身大森さんの時間論をはっきりと理解していないせいもあるかと。
まあ、そうでなくともカオルさんの時間論と大森さんの時間論は、
大きく異なっているとは思いますが(笑
僕の時間論は普通に言われている物理的時間論なので、
わざわざ述べる必要はないでしょう(笑
ツァラは読みましたが、永劫回帰はいまいちわかりませんでした。
というより実感できる人はいるのでしょうか?(笑)
といっても、僕は大好きなので今でも時々ページを繰ってますよ。
838 :
初心者その1:02/09/21 02:06
稲さん、あらゆる時間に変幻自在に現れますが、
体調管理は大丈夫なのですか?
院生(研究者)はそんなものでしょうか?
それとも、何人か影武者がいるのでしょうか(笑
>>802 随分引っ掛かる表現ですね。
時間の経過そのものは見えない。
時間は運動そのものではない。ということを言いたいのかと思いますけど。
しかし針の記述は引っ掛かりますね。
単に針の運動を見てるんですかね。
それなら針の動きは時間そのものの動きではない。
磁針の針の動きは北そのものではないけど北を示すと理解するように
時計の針の動きは時間を示すと我々は理解するんでないの。
「時計の針の動き」から「時計」を抜き取って「針の動き」だけで
時間を論じようとする危険がある。
針の動き「として」日常の時間理解の脈絡を寸断して驚かせる意味はあるけど
そこで立ち止まって然りと言ってしまうのは全体像が見えない。
少なくとも我々は、針の動きを見ているのではなく時計の針の動きを見ているのであり、
哲学書を読むとき字を見ているのではなく問題を読むのと一緒だ。
時計の針をただの針と見てはいけないのである。
レベルを考えなくてはいけない。時計の針の動きに時間を見ているのでなければ、
誰が時計など持ち歩こうや。
>>790 756さん
>原初的時間(主観的時間)を可視化したものが
>時計だというのは違うと思います。
>時計は物理的時間を可視化したものだとするのが
>一般的です
>>782-784の説明が悪かったようですね。
物理的時間の説明として756さんの意見は全く賛同します。
その上で言いたいことを少し補足。
原初的時間を、直接可視化したものが時計(物理的時間)といっているわけではありません。
時間とは人間の属性でしかありえず、その本来のそれは「原初的時間」であり、それ以外ない。
「物理的時間」は人間の利便性から考え出された人工的な時間であり、
それらは人間の属性のではない。
それなのに「物理的時間」を、
あたかも人間を離れて客観的に存在する事物であり、
さらには、それが人間にとって唯一絶対的な時間であるかのように捏造した
デカルト以来の科学的思考が誤りである。
(続)
簡単に言えば大森さんの時間論はこんな感じだと思われます。
僕自身、この近代的な思考にどっぷりと染まっているのですが、
人間の将来を考えると、この思考のままでいいのかな、という疑問も持ち続けています。
その意味で、おかしいと思いつつ大森さんの理論にいまだに惹かれているわけです。
大森一元論の実践編(?)『知の構築と呪縛』には特に惹かれます。
これを読むと、大森さんの理論のどこが世界(人生)に対してネガティブだと言われるのか
さっぱりわかりません。
その内容が正しいかどうかは別として、これからは彼のような考え方に根本的に変えないと、
人間に未来はないように思われます。
稲さんのような哲学者にはこの「正しいかどうかは別として」は問題外でしょうが(笑
僕は、”私たちに必要な”「思想」に興味があるので勘弁してください(笑
842 :
初心者その1:02/09/21 02:55
パラダイム論は難しいので飛ばし!
>>796-798 zion-adさん
丁寧な解説ありがとうございます。
というか、もっと難しくなったような・・(笑
言いたいことをまとめてみますと、
>>796 1.人間を離れた客観的な「空間」はなく、人間が存在する時のみ「空間」が存在する。
2.科学的に記述された客観的な世界もない。
3.過去や未来は空間に記述(還元?)されない。
>>797-798 非常にわかりにくいです。
脳生理学的知覚の説明を否定をしていると考えていいですか?
では否定して出てきたものがどういうものなのか、
ということがわかりません。
>正直、まだ大森荘蔵10ページぐらいしか読んでないので。
あなたのレスは大森理論の説明なのですか?
>>801 稲さん
>この「語りないもの」っていうのは初心者の考えてることとは違うけどね
>だけど多分初心者のいう意味で不可能だとゲーデルが考えたわけではないと思うけどね^^.
稲さん、相変わらず人が悪いですね(笑
ここまで引っ張ってどう違うのか教えてくれないとは・・(笑
このウィトの言葉は非常に引かれますので、
ヒントだけでも教えてもらえたらうれしいのですが・・。
>>804-805 丁寧なレスありがとうございます。
1.各個人が持つ主観的な原初的時間
2.人間を離れて存在している世界を流れる客観的・物理的時間
3.他人とのシンクロのために創られた、時計で刻まれる時間
804さんは時間をこの3つに分けて考えている、と解釈していいですか?
3の物理的時間が創られる(捏造?)過程がよくわかりました。
全く静止した世界にも、2の時間は存在すると804さんは考えていますね。
実在するのは1と2の時間で、3の時間は創られた実在しない時間と考えていいですか?
わかりにくいのが2の時間ですね。
僕は今まで2=3と思っていたのでその違いがわかりません。
とりあえず頭に入れて、進めていきます。
これからもフォローしてもらえれば大変うれしいです。
>>845 読み返して少し訂正。
>人間が世界のなかでしか生きられない以上、世界のなかに流れる見えない時間は、
>人間のなかにも流れており、これがその主観にとっての原初的時間です。
この部分から1=2と考えた方がいいのでしょうか?
その一方で
>原初的時間(過去/現在/未来)と世界を流れる時間との関係を論じることと
ここからはやはり1≠2とも言えそうですが・・。
もし804さんが1=2だと考えているなら、
時間を意識する生命がいない静止した世界にも”主観的な”時間が流れていると考えているのですか?
847 :
初心者その1:02/09/21 03:59
今日はこの辺で・・
>>804 あっ、言い忘れ。
僕は
a.時間を意識できる生命体のいない世界でも時間は存在してる。
b.その世界が全く運動のない静止したそれでも存在する。
と思います。
つまり、2(=3?)の時間は存在し、さらに時間を意識できる生命体が持つ独自の1の時間、
両方とも存在している・・・
と、極く一般人の考えです。
ましてや、
「過去は実在しなかった」
などというとんでもない考えには断固反対です(笑
>>844 たしかに「語りえぬもの」が価値や倫理的問題を含むというのは間違いではないけど,
それだけだと『論考』は非常につまらない.「語りえるもの」と「語りえぬもの」との
区別は「語る」と「示す」の区別に対応してるんだけどね.
>>835 >”価値”が何を指しているかが僕にはピンと来ないので、全体的にわかりにくいですね。
そうですか。
>ウィトが言った”語り得ないもの”とほぼ同義語と解釈していいですか?
>つまり、
>>744のウィトの言葉を言い換えたものと・・。
言い換えた? どうしてそんなことしないといけないの。
>つまり、”価値”と”時間”には類似性があるということですね。
>わかり辛いですね
そうですか。
>?
アタリです。相対的ですから?にしかならない。
>>836 >この辺りは一般に言われている”価値観”に見えます。
いちいち仕分けする必要ないと思う。
>絶対的な価値観があると受け取れますが・・。
むなしいのは弱いからでしょうか。
パンドラの箱には希望だけが残りました。
>>837 >まあ、そうでなくともカオルさんの時間論と大森さんの時間論は、
>大きく異なっているとは思いますが(笑
わたし的にはほとんど同じに感じられますが、
あなたの大森さんとは違うのかもしれません。
>僕の時間論は普通に言われている物理的時間論なので、
>わざわざ述べる必要はないでしょう(笑
お金に換算できるので簡単ですね。
>ツァラは読みましたが、永劫回帰はいまいちわかりませんでした。
>というより実感できる人はいるのでしょうか?(笑)
>といっても、僕は大好きなので今でも時々ページを繰ってますよ。
実感できる人=彼の著書を読むまでもない人。
852 :
横レス現存在しろうと:02/09/24 09:03
カオル氏の本意には悖るかもしれませんが「価値」を「神」とか「女(あるいは男)」とか「ある」とか
に任意に変換すると個人的には自分のこととして理解は一応できます。
それほど理解しにくいとは思えません。でも論理的というか整合的な理解には反するような、わかんないけど
初心者その1氏へ
ぼくは自分のこと(=実存)にひきつけないと興味がわかないので、正直、無知を
承知でいいますが「時間」なんてことに悩まされる気持ちがわからない。
研究者がやるならまあまあわかるけど、初心者その1氏は社会人ですよね。毎日、仕事を
してて、その手の問いに「やばいっ」とかと悩まされるんでしょか?
煽りじゃないすよ。その手のといに対するシャープな「とりあえず」の回答で、生活上の
ものの見方を自分の意志とは無関係に否応なく変えるほどものってありますかね。
ぼくの実感ですけどね。自分の「ありかた」と自己認識とのズレですよね。
でも、このズレ自体が各自がそう「感じるね」といかいえないたぐいのものだからなぁ
この手のことは、議論することじゃないのかね。
ぼくは永井はけっこう好きですが、それは彼のニヒリズム論の「下衆の勘繰り」ともいえる
あの掘り下げ方が好きなのですね。だけど独在論はついていけない。独在論とニヒリズム論は
つながる「らしいけど」、ニヒリズム論に寄与する限りでしかぼくは独在論に興味はないんですよね。
でもニヒリズム論は論理的というより、印象的なセンテンスを畳み掛けるという感じにもみえる。
だから自分は論理による証明よりも実感に訴えるのを自分は「頼っている」と思う。
ほとんど「人生論」ともいいうる水準でよんでんですよね。そんへんどうすかね
言葉たらずかもしれん
>>852 現存在しろうとさん
>カオル氏の本意には悖るかもしれませんが「価値」を「神」とか「女(あるいは男)」とか「ある」とか
>に任意に変換すると個人的には自分のこととして理解は一応できます。
>それほど理解しにくいとは思えません。でも論理的というか整合的な理解には反するような、わかんないけど
現存在しろうとさんのカキコには、なんだか癒されます。(^.^)
価値についてですが、あなたのいわれる通りです。でも、天高く鎮座あらせられる
偉〜い哲人のコピペじゃありません。ばか正直に自分の実感(感情や体験)を言葉に
変換しようとすると・・・真性DQNなので仕方ない・・・このスレは初心者歓迎です!
だからわたしの妄想カキコには、レス先指示(>1さん)を入れてません。
ついでだから、価値についてもう少しいうと、わたしにとって価値は、
砂粒一つ、水の一滴、わたし、あなた、日本、痛み、色彩、ゴキブリ、(愛?)・・・
だから、わたしにとって、言葉は価値、価値は精神、精神は人なんです。
>>745は、色んな観念がバァーっと集まって気分の固まりになって(概念?)、
その感情が消えないように(夢を思い出すように)注意しながらこの世界の言葉に変換
・・・失敗(笑)・・・兎に角、この時は友達を助けた時のこと、助けられた時のこと
なんかがフッって思い出されていて、その時の“我を忘れて助ける”っていう経験と
“助けないと”っていう“価値観に従って助ける”時の経験とが“違う”なっていう
ことが書きたかったんですけど・・・どこにもそんなこと書いてないですね。(^_^;)
>1さん
現存在しろうとさんのカキコを読んで勝手に反省しました。
失礼なレスごめんなさい。レスし直します。
>>835 1さん
>”価値”が何を指しているかが僕にはピンと来ないので、全体的にわかりにくいですね。
言い訳は、
>>853参照。(^_^;)
>ウィトが言った”語り得ないもの”とほぼ同義語と解釈していいですか?
>つまり、
>>744のウィトの言葉を言い換えたものと・・。
似てますね。でも彼のこと意識してれば、もうちょっとまともなレスが・・・(笑)
混沌(無限)から自己を分離する−自然が自己から分離される−天があり地がある−
地には森があり川が流れ−森には木があり花が咲き・・・分離、分離、分離・・・
で、言葉によって混沌から秩序化されたモノの総合を世界としているわけですが、
対象を混沌から分離しようとする行為には、自己の不可解で曖昧で不透明な思いが
付き纏っている筈です。そんな思いを抱えたままの心の声が言葉なんだと思います。
だからそれは無限(自然)からの分離(有限)なのですから、言葉はその起源からして、
有限(意味の限界)の内にあると思えるのです。
けれど、言葉が無限を根拠にして成り立つ以上、言葉には記号としての役割と共に、
語り得ない何かを“象徴”するモノとしての役割もあるのではないかと思うのです。
そしてこの象徴としての役割が、言葉そのものに(潜在的に)内包されているために、
わたし達は、本来なら根拠薄弱な仮想の実在(世界)に対しても、あるいは自己の
実存に対しても、太古に感じていたであろう(自然との一体感としての)“実感”を
擬似的に感じていられるのではないのでしょうか。そしてそれが語り得ないものを
語らせようする言葉の持つ根源的な力(作用)なんだと思う(感じる)のです。
856 :
初心者その1:02/09/25 00:08
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< こんばんは
( ) \_______
| | |
(__)_)
現存在素人さん、カオルさん、丁寧なレスありがとうございます。
当方初心者のため、レスを理解するのに時間がかかり、
返答が遅くなりますが、必ずしますのでこれからも宜しくお願いします。
また、読みとり間違いがある時は、さらに突っ込んでもらえれば幸いです。
857 :
初心者その1:02/09/25 00:09
現存在しろうとさん、でしたね。
失礼しました(笑
《 わたしの「論考」について 》
ウィトゲンシュタイン(LW)が「論考」で言いたかったのは、
「命題(言葉)は、事実の事態(ありさま)を“語る”と共に、事実の本質も“示す”
けれど語り得るのは事態だけであって本質は語り得ない」ということだと思います。
記号としての言葉の限界を「語る」ことによって、象徴としての言葉の語り得ない
ことを「示し」たのだと思います。 <注>命題(=文章)の部分は
>>821のことです)
象徴としての言葉の語り得ないことを、概念として捉えるなら、
LWのいうように『この本(論考)の要旨は、倫理的なものです』となるのでしょう。
この倫理的なものっていうのが、また意味深なんですけどね。(^.^)
LWは、言葉はどこからやってきたのか、言葉に根拠はあるのか、については、
なんら問うこともしないで哲学することは、その姿勢、態度として失格である。
と言いたかったのだと思います。
有意味な命題/語り得るものの限界/言語の限界を正しく理解することで、
初めて語り得ないものの地平が開示され、そのような地点に立脚できた時、
語り得るものと語り得ないものの本当の価値を知ることができるだろうと
思っていた彼だからこそ、ハイデガーを
>>744のような思いで語れるのです。
LWが、現在でも論理実証主義の始祖として崇拝されているのは、
『わたしの諸命題は、わたしを理解する者が、それらを利用し、それらの上に立ち、
それらを乗り越えていくとき、それらが最後には、ばかげた(unsinnig)ものである
と認めるようになる、という仕方で役に立つのである』
(これは「論考」の最後から二つ目の文で、最後が『語り得ないものは〜〜』です)
が、無視されているのでしょう。
(異論があるのかもしれませんが、諸命題=「論考」だと、わたしは思います)
以上、わたしの論に引き寄せた“わたし的の解釈”での『論考』でした。(^.^)
(ついでに)
稲さんが
>>824で
>>821の記述(「論考」解釈)を完全に間違いだと指摘しています。
じゃぁ、正しい説明を! なのですが、
>>849で、示唆されてますので・・・(^.^)
>>821に書かれている内容は、稲さんがいうように論理実証主義のことですが、
だからといって、わたしの記述内容自体に間違いがあるわけではありません。
事実LWは、論理実証主義者たちに、そのような「論考」解釈を許したのです。
だから「論考」は、論理実証主義の聖典とされてきたという歴史があるのです。
勿論LWが「論考」で意図したことは、本人も言ってるように「論考」において
『語られていないこと(示したこと=倫理)こそが、論点なのだ』ということです。
>>822の『』の上二つは「論考」内での発言です。両レス通して理解して下さい。
レスの無駄使いゴメンナサイ。
>>849 稲さん
>たしかに「語りえぬもの」が価値や倫理的問題を含むというのは間違いではないけど,
>それだけだと『論考』は非常につまらない.
僕は”語りえぬもの”=”証明できないもの”と解釈しています。
例えば、「神は存在するか」「過去は実在するか」「客観は実在するか」といった問いです。
科学は証明できることのみを扱いますが、その範疇に当てはまらない”証明できない”ことを
扱うのが哲学だと考えています。
よって、「語りえないもの」とは価値や倫理的問題に限定されず、全ての哲学の問いのことを言っているのかな?
と考えていました。
その上で、「語り得ないものは沈黙せねばならない」という言葉は、哲学自体を否定しているのではないか?
と考えたわけです。
この僕の考えは、やはり浅いでしょうか?
>「語りえるもの」と「語りえぬもの」との
>区別は「語る」と「示す」の区別に対応してるんだけどね.
「語り得ぬもの」=「示す」ですか・・。
論理学は「示す」とか「指示」といった語に独特の意味を持たせていませんか?
「語る」と「示す」の違いがよくわかりません。
「示す」とは論理的に証明できないので、とりあえずこんな感じかな?と予想する、
と言ったニュアンスでしょうか?
まあ、稲さんのことですから、
このレスを見てさらにヒントをくれるだろうと予想していますが(笑)
861 :
考える名無しさん:02/09/25 00:35
大森荘蔵監修の新岩波講座哲学ってどうよ?
古本屋で見かけたんだが袋に入ってて中が見れなかった。
普通の図書館だと置いてないし。
面白かった?
なら急いで買いに行くんだけど・・・。
862 :
初心者その1 :02/09/25 00:36
>>859 カオルさん
いいえ、ぜんぜんレスの無駄遣いじゃないですよ。
ワンレスいくらでここを借りているわけでないので(笑
僕の参考に見させてもらっています。
863 :
初心者その1:02/09/25 00:40
>>861 以前、僕も古本屋で全巻買いました。(4000エンでした)
ただ、全く読んでいないので答えられません。
すみません。
だれか、読んだことある人いないですかね?
僕も興味あります。
>>858 やっぱり私的解釈かな.まずハイデガーと結びついてさらに論理実証主義の
始祖とまでなると,さすがに一言二言言いたくなるな^^.
>記号としての言葉の限界を「語る」ことによって、象徴としての言葉の語り得ない
>ことを「示し」たのだと思います。
まず記号としての限界とか象徴としての言語というのは「語る」と「示す」の区別には
関係ない.
>象徴としての言葉の語り得ないことを、概念として捉えるなら
そもそもこの言明自体が意味不明.要は「語りえないようなことを語るな」という意味での
『論考』がいわば倫理的でもあるというぐらいのことでしょ.とくに意味深なことはない.
>>864の続き
>有意味な命題/語り得るものの限界/言語の限界を正しく理解することで、
>初めて語り得ないものの地平が開示され、そのような地点に立脚できた時、
>語り得るものと語り得ないものの本当の価値を知ることができるだろうと
>思っていた彼だからこそ、ハイデガーを
>>744のような思いで語れるのです。
こんなこと『論考』のどこでもヴィトは言ってないし,意図してないな.そもそも
語りえないんだから,そこから地平が開かれるも何もそれで終わりということだと
思うけど.
>LWが、現在でも論理実証主義の始祖として崇拝されているのは、『わたし
>の諸命題は、わたしを理解する者が、それらを利用し、それらの上に立ち、
>それらを乗り越えていくとき、それらが最後には、ばかげた(unsinnig)もの
>であると認めるようになる、という仕方で役に立つのである』
以前にも書いたようにヴィトが論理実証主義の始祖なんてのは大間違い.むしろ
論理実証主義が『論考』を利用したないし誤解したというのが現在では常識.
それで,「unsinnig」の訳として「ばかげた」は訳しすぎ.普通に「無意味」で
構わない.つまり『論考』は語れないことを語っているから一度この本が理解で
きたらすべて忘れても構わないというぐらいの意味でしょ.つまり「登った梯子は
最後にははずされてよい」という意味だけどな.ちょっとカオルは『論考』を読み
込みすぎ.
>>860 「語りえないもの」を「証明できないもの」と考えるのはスッパリやめましょう.
簡単に言えば,
「テーブルの上に三つのりんごがある」
ということは語りうるけれど
「テーブルの上に三つの対象がある」
というのは語りえないんです.
これが「語りうるもの」と「語りえないもの」との簡単な区別.
>>859 『論考』からの引用は番号を付けてくれるとありがたいんだけど.というか,訳が正しいのかどうかが
気になる.
868 :
初心者その1:02/09/25 01:04
>>757 >でも大森荘蔵って結局屁理屈しか言ってないような気がするのは俺だけ?
いえ、このスレの立て主もそう思っています(笑
869 :
考える名無しさん:02/09/25 01:06
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870 :
初心者その1:02/09/25 01:07
>>868 訂正
>いえ、このスレの立て主もそう思っています(笑
いえ、このスレの立て主の常識に縛られた一部の脳はそう思っています(笑
871 :
考える名無しさん:02/09/25 01:21
>>863 4000円!それどこ?書き込みありとか、月報や箱なしとかでないの?
16000円て高いのかなあ?
>>864 稲さん
もちろん私的解釈です。
>>865 “読み込みすぎ”・・・やさしい心遣いありがとう。
わたしのレスと稲さんの指摘を参考に1さんが勉強すればいいと思う。(^.^)
873 :
初心者その1:02/09/25 01:38
>>871 1年ほど前の神田神保町です。
店名は忘れましたが、
狭い入り口にたくさんの全集等を”値札”つきで置いてあります。
中も所狭しと値札付きで全集が並んでいる小さな店です。
靖国通り沿いです。
全体的にその店は掘り出し物が多いです。
874 :
初心者その1:02/09/25 01:42
>>873 追加
ほとんだ書き込み無しの超美本!
(少し線引き有り)
ただし、箱はありませんでした。
>>835 1さん
>つまり、”価値”と”時間”には類似性があるということですね。
>わかり辛いですね
人は、日々刻々様々な価値選択を決断しながら過ごしています。
価値の選択には「より高く(未来への)」や「より安定(過去への)」の方向性があって、
これは、生の有限性に伴なう恐怖から、あるいは無を根拠にした生の虚無から、
いかにして自己を防衛するのかという自己意識の方向性です。
近代社会における「量としての時間、不可逆性の時間」の誕生について、
超簡略に短絡的に考察してみたいと思います。
【第一段階】
原始共同体では、現在が圧倒的優位に“ある”ようです。
過去も記憶のあるかぎり、本人と共にある現在の一部としての“それ”であり、
“それ”を記憶する者が途絶えた時、はじめて“それ”は、過去になるのです。
また、経験“できない”未来は、この段階では概念化されることはありません。
原始共同体では、自己と自然が対立することなく、半ば同化している状態です。
【第二段階】
やがて人は、自己と自然を明確に分離するようになります。この自己意識の
明確化と同期して現在>>過去>>未来という順序で時間の概念も獲得されます。
換言すると自己は自然から独立することで自然の法則性(秩序性)を主体的に
認識するようになり、そのことではじめて時間が意識されるようになります。
自然からの自己独立と時間概念の成立の起源は“同時的”だと推測されます。
【第三段階】
共同体の人員や地理的な規模拡大に伴なって、各々の役割分担が複雑化(分業化)
してくると共同体を統制するために、客観的指標としての時間が必要になります。
この段階から、自然の秩序(法則)が制度的(公共的)に利用されるようになります。
(つづき)
自然の客体化や自然からの分離の過程が、自己意識の明確化と同期し、
さらに「現在−過去−未来」という概念の獲得とも同期しているのは、
自己と時間が切り離せないことを確認させてくれます。
自己が自然から切り離され、自然の一部としての存在根拠を失ったとき、
自己は自らの存在根拠を自己自身に求める以外に手立てがなくなります。
自己は自己自身に問い掛けることでしか存在確認ができなくなるのです。
自己が自己自身に問い掛けるためには、今の自己でない自己が必要です。
それが、過去の自己と未来の自己です。
ですから時間の概念(フィルター)が故障すると正常な自己の存在確認が
困難となって、自己の実存感が不安定になるものと思われます。
わたしは、わたしになれたけど、わたしになる前誰だった?
わたしは、わたしになれたのに、わたしなのかを知りません。
わたしが、わたしになれたのは、寄り添う二人のおかげです。
昨日のわたしと、明日のわたし、二人が教えてくれるのです。
わたしが、わたしでいることを、二人が助けてくれるのです。
>>872 カオルさん
>わたしのレスと稲さんの指摘を参考に1さんが勉強すればいいと思う。(^.^)
そうですね。
勉強させてもらっています(笑
永井さんの『子供のための哲学』に、
「哲学の議論は・・・自分では気づかない自説の難点や弱点を
相手に指摘してもらうこと”だけ”を目指して行われる。
僕の経験した範囲では・・・大森さんだけが完璧に哲学的であると感じた。
大森さんは現在の自説が有効に論駁されることに”しか”
興味を持っておられないようであった。」
哲学科ではこれは当たり前の考え方かもしれませんが、いい言葉ですね。
稲さんやカオルさん達が議論しあっているのを見ていると嫉妬の念が押さえられません。
「なぜ俺の意見には突っ込まんのだ!」と(笑
難しい議論だとレスはできませんが、きちんと読んで参考にさせてもらってますので、
これからも宜しくお願いします。
ただ、一つお願いをすれば、
このスレは「初心者スレ」&「(日常語で哲学をする)大森荘蔵スレ」なので、
易しい日常語でレスしてくれれば幸いです。
>>835>>836 1さん
>?
>この辺りは一般に言われている”価値観”に見えます。
>絶対的な価値観があると受け取れますが・・。
日常の相対的だと思われている価値観やその価値選択の中にも、
絶対的価値観が不可分に浸透していると思います。
価値が存在するのは、言葉があるからですが、もっというと言葉によって
精神(自我)があるからですが、その精神を支えている言葉の語源を調べて
みると「事の端」という説があります。言葉とは、物事の本質及び全体の
一部を限定的に表現できているに過ぎないという意味です。
ですが、記号としての言葉の背後にあるもう一つの言葉、モノに還元でき
ない象徴としての言葉・・・上手に表現できませんが、無意識に了解して
いる映像としての、あるいは実感としての“それ”になるんでしょうか。
たとえば、詩や俳句などは「言葉足らず」ですけど、それでもというか、
だからこそというか、そういう“わかる”っていう部分があると思うんです。
対象化されたモノとしての価値は、価値として相対的ですよね。
それに対してモノ化できない価値は、絶対的ですよね。
>>853でいうと“価値観に従って助ける”は、相対的だし“我を忘れて”は、
絶対的でしょ。
>>877 こちらこそ宜しくお願いします。
879 :
考える名無しさん:02/09/25 02:34
ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ /ヽ
,.‐'´ `''‐- 、._ヽ /.i ∠,. -─;==:- 、ゝ‐;----// ヾ.、
[ |、! /' ̄r'bゝ}二. {`´ '´__ (_Y_),. |.r-'‐┬‐l l⌒ | }
゙l |`} ..:ヽ--゙‐´リ ̄ヽd、 ''''  ̄ ̄ |l !ニ! !⌒ //
. i.! l .::::: ソ;;:.. ヽ、._ _,ノ' ゞ)ノ./
` ー==--‐'´(__,. ..、  ̄ ̄ ̄ i/‐'/
i .:::ト、  ̄ ´ l、_/::|
! |: |
ヽ ー‐==:ニニニ⊃ !:: ト、
方法序説>>>>大森荘蔵監修の新岩波講座哲学
えー、先に現存在しろうとさんのレスから・・。
>>852 >ぼくは自分のこと(=実存)にひきつけないと興味がわかないので、正直、無知を
>承知でいいますが「時間」なんてことに悩まされる気持ちがわからない。
過去のレスでも何度か僕の哲学に対する考え方を述べたと思いますが、
>>631他
整理する意味も込め再びまとめてみました。
僕自身、哲学的問いに悩まされたことは一度もありません。
「時間」「他人」「ある」といったことに悩んだことはありません。
では、なぜ哲学に興味を持った理由は何かと言えば、次の二つです。
一つは、常識を徹底的に疑う哲学的思考に尊敬の念を抱いているからです。
「世の中で当然のこととして通用している考えを、当たり前の事として無批判に受け取るのではなく、
一から自分の力で考え直してみる」
この自力で考える姿勢と、その思考方法が素晴らしいと考えています。
そのお手本として、大森荘蔵さんを選ばせてもらいました。
(続)
僕は、大森さんが疑った常識を、常識として受け取って生活しています。
だから、正直言って大森さんの理論(結論)自体にはほとんど興味ないのです。
彼の理論を研究しようとか、ましてやそれを信じて生きていこうとか思ってないです。
(大森さん自身そのような人間を一番軽蔑したでしょう)
大切なのは、彼の考え抜く姿勢とその方法論を学び、それを自分の土俵(生活、仕事、人生)
でいかに利用できるようになるか、だと考えています。
このスレはそれを学ぶために立てました。
また、人間の歴史とはあらゆる自由を手に入れるために進んでいるのではないか、とも思っています。
(宗教からの自由、道徳からの自由、権力からの自由・・)
その一方でかつての宗教や道徳と言った絶対的な心の支えがなくなり、
様々な価値観の中から”自分自身で”選ぶ時代が来ています。
その”自分自身で”選ぶために、哲学的思考は最大の武器(というより不可欠な武器)
ではないかと考えています。
(続)
二つ目は実存主義的側面です。
パスカルの「慰戯、退屈」について述べている箇所
「人間の不幸のいずれもたった一つの事から由来すること。
その一つというのは部屋の内に休んでいることができないこと・・」
確かキルケゴールだと思うのですが(ハイデッガーかな?)
「人間は可能性で生きる生き物である。」
ハイデッガーの
「人間の在り方、本来的自己と日常的自己」
ニーチェはたくさんあるのですが、
「真理などない。あるのは解釈だけだ(かな?)」
時々引用されるこれらの心に響く言葉を追っていったら、(実存主義的)哲学に行き着いたわけです。
ですから、永井さんのような哲学的問いから哲学に入ったわけではないので理解にも限界があるかな、
とも感じています。
>>728 僕がやっているのは、「自分が楽に生きることができるための言葉探し」
ですね。
(現存在さんのいう)「人生論」としての側面であり、哲学ではありませんね。
(続)
>ぼくは永井はけっこう好きですが、それは彼のニヒリズム論の「下衆の勘繰り」ともいえる
>あの掘り下げ方が好きなのですね
永井さんは、『子供の〜』『これがニーチェだ』しか読んでないので、
レスできないのが残念ですが、彼自身の哲学にも興味あります。
初心者向きでなく、彼の主著といえる書物は何になるのですか?
なにか自分事ばかり述べて申し訳ありません。
ちょうどいい機会なので、何のためにこのスレを立てたのかを再確認してみました。
これから初心者相手に突っ込んでいただければうれしいですね。
884 :
初心者その1:02/09/25 03:28
最近”大森荘蔵”スレからはずれてきたような・・
まあ、おもしろいのでいいか(笑
そろそろ大森理論をまとめてみたいとも思っています。
では、お休みなさい・・
>初心者その1氏へ
そうですね。何度も書いてましたね。ぼくの勇み足でした。
でもはじめのほうを少しロムしたけどスゴイ哲学してると思いましたけどね
大森氏の本は以前「流れとよどみ」を読んだ事あるんですけどね。内容忘れた。
本棚にあと「時は流れず」と「音を視る、時を聴く(大森と坂本龍一の対談)」
「科学の基礎 大森・沢田のぶ茂・山本信」があったので対談から再入門をしてみようと思います。
大森哲学にロムしてたら興味が出てきた。永井均についてはぼくは偏った読み方なんで、
なにがいいかを勧めるのは適任じゃないですね。
現代思想1997年3月号に伊藤勝彦「反復強迫としての時間 大森哲学への批判と共感」
がたまたまめについたので紹介しときます。機会があったらどうぞ
最近マジで本離れに成功しそうだったんだけど失敗か・・・
>>882で挙げてるアフォリズムはいいっすね。もしかしたらシモーヌ・ヴェイユ「重力と恩寵」も
気に入るかも。ぼくも最近アフォリズムは侮れないと感じでます。
ハイデガー絡みでまた永井を引用
「ここで小泉氏は「死にそうな老人」の例を出されている。私はこの意味で「老人のように生きる」ことは
個人の幸福にとっては重要な意味を持つような気がする。(強引に翻訳すればハイデガーもそういうことを
言ったのであろう)。私は「自暴自棄」という言葉を使っているが、いってみればうまく自暴自棄になるこ
とこそが、人がよくいきるこつなのではないだろうか。それが自分の生をいとおしむということなのだと思
う。自暴自棄になり方のこつみたいなものを倫理学として構想したいと思っている。」
>>カオル氏へ
>>744で引用されたLWの発言の全部は
現代思想1979年9月号ハイデガー特集
マレイ「ハイデガーの存在と不安 ウィトゲンシュタインの発言をめぐって」
にでています。744の引用は全体の2/5ですね。
マレイの論文自体4ページと短いものです。LWの発言にコメントを加えていると
いう形になっています。おもしろいのは冒頭文(ハイデガーに言及したとこ)が
はじめのとき意図的に省略されたらしいことです。
LWの全発言短いので2.3日の内にこのスレにでも邪魔じゃないならしてもいいですよ。
古本で探しても比較的容易に見つかるし。マレイのコメントもおもしろいです。
あとちょっと
自由について初心者その1氏は書いてたのでちょっとだけ、
自由という場合I・バーリンでたしか何々「からの」自由と
何々「への」 自由
の2つがあるといっていて初心者その1氏がいったのは「からの」の自由だと思うんですよ
あとこれは誰かの口真似ですが、資本主義は基本的に何々「への」自由は
組織できないというか何々「への」自由を掘り崩すとかいってました。
図式的ですが、初心者その1氏にとっての哲学とは何々「からの」自由が
次々に実現されていくなかで「への」自由を
自分自身で作り出すってのに近いんですかね。ちょっとした思いつきですが。
調べればもちょっと正確にいえるとおもうのですが。
>>886 現存在しろうとさん
>おもしろいのは冒頭文(ハイデガーに言及したとこ)が
>はじめのとき意図的に省略されたらしいことです。
彼は、いつもそのような破目になる宿命を進んで引き受けたんです。
彼が偉大なのはそこなんです。
>LWの全発言短いので2.3日の内にこのスレにでも邪魔じゃないならしてもいいですよ。
親切にありがとう。でも、わたしのスレじゃないんで・・・
それに、わたしは「論考」の首筋に少し噛み付いただけですが、
彼の血の香りは、わたしと同じですから・・・読まなくても分かります。(^.^)
>>887 「〜への自由」って“力への意志”に似てませんか?
素直に解釈すると、わたしを肯定する、世界を引き受ける、という意味に思うけど。
889 :
名無しさん@1周年:02/09/27 15:07
>>859 >事実LWは、論理実証主義者たちに、そのような「論考」解釈を許したのです。
>だから「論考」は、論理実証主義の聖典とされてきたという歴史があるのです。
「そのような『論考』解釈を許した」って ウィトゲンシュタインが肯定したってこと?
それとも 単に 放置してて シュリックたちと付き合っていたってこと?
それにある時期(1929年頃)のウィトゲンシュタインが実証主義に好意的だったと
しても、それはウィトゲンシュタイン自身による『論考』の再解釈かあるいは改定だ
ったかもしれない。(というか正にそうだと思う。)その頃のウィトゲンシュタインの
態度を手掛かりに『論考』それ自体の解釈を導くのは、『探究』を根拠に『論考』を
解釈するのと同じ位アナクロと思う。
バーリンの自由と哲学の自由は別物だろ。
>>889 @1周年さん
>「そのような『論考』解釈を許した」って ウィトゲンシュタインが肯定したってこと?
>それとも 単に 放置してて シュリックたちと付き合っていたってこと?
わたしのレス全部読んでの質問なんでしょうか?
スレ違いの話題なので議論は避けたいのですが・・・
彼は、誰にも受け入れられないかもしれない、非難されるだけかもしれないという
悲観と小さくない期待のはざまで「論考」を執筆したのだと思いますが、
彼の予想に反して、彼の嫌いな人々から賞賛されることになった。
あなたならどうしますか?
これも推測ですが、ウィーン学団に学ぶ事も大変多かったのではないのでしょうか。
あれだけのメンバーが揃っているんですから、与えるばかりだったとは思えません。
学団と友好的に付き合いながらも、加わらなかったということはそういうことなん
だと思います。
>それにある時期(1929年頃)のウィトゲンシュタインが実証主義に好意的だったと
>しても、それはウィトゲンシュタイン自身による『論考』の再解釈かあるいは改定だ
>ったかもしれない。(というか正にそうだと思う。)その頃のウィトゲンシュタインの
>態度を手掛かりに『論考』それ自体の解釈を導くのは、『探究』を根拠に『論考』を
>解釈するのと同じ位アナクロと思う。
アナクロニズムを体現した人=ウィトゲンシュタイン=だから好き (^.^)
それに前期も後期もないと思いますけど・・・彼は一貫して「示し」たんです。
わたしのいいたいのは「論考」が、その世界観が論理実証主義の“それ”と
一卵性双生児のように似ているのは事実だと思うし、そうでないとおかしいってこと。
なぜなら、彼の目的は「科学的なやり方の限界を明確に語る」(「論考」)という手段
によって、はじめて“示される”ことなのだから。
>>890 さん
>バーリンの自由と哲学の自由は別物だろ。
ごめんなさい。バーリンって知らないんです。(^_^;)
単に「〜への自由」から連想されたことを書いただけです。
893 :
初心者その1:02/09/28 08:27
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 今日は早起き
( ) \_______
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(__)_)
大森さんの著作を読むたびに思うのですが、なぜ彼は心と物の分離に
あれほど激しい反発を覚えたのでしょうか?
初期から一貫して、あらゆる角度から手を変え品を変えこの二元論に
反論を加えています。
哲学を専攻する以前から、心身分離に疑いを持っていたのでしょうか。
物理学科から哲学科に彼は再入学したそうですが、その辺りのエピソ
ードを知っている方、書いてある本があれば情報お願いします。
何が彼をそこまで駆り立てていたのか知りたいと思っています。
894 :
名無しさん@1周年:02/09/28 16:11
>>891 >なぜなら、彼の目的は「科学的なやり方の限界を明確に語る」(「論考」)という手段
>によって、はじめて“示される”ことなのだから。
「科学的なやり方の限界を明確に語る」(「論考」)って何番?
『論考』においては、自然科学の諸命題を語る事はできる(6.53)。
だけど、「科学的なやり方の限界」ってそれに対応する事態なんかないのだから、
『論考』がそれで満たされている現に「語り得ていない」擬似命題の一種じゃない?
895 :
考える名無しさん:02/09/28 16:12
大森荘蔵は凄い男だ。感動した。
896 :
初心者その1:02/10/02 22:45
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< こんばんは
( ) \_______
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(__)_)
最近本を読む暇が無くなってきました。
とまれ、大森さんの文章は読めば読むほど
美しいそれです。
>>831の偽スピノジストさんのレスに訂正
すみません。偽スピさんの解釈が正しかったです。
次の箇所ですね。
>たとえば森が恐ろしく見える場合、それはその森自体がそのときその人に恐ろしいもの
>としてあらわれている、だからその恐ろしさはその森の「客観的」な性質だという。
>恐ろしさを心の中の感情といってしまう誤りを強調するためでしょうが、やはり
>「客観的」は言いすぎでしょう。
この場合ですと、森には
1.物理的性質(形、大きさ、運動) <延長>
2.感覚的性質(色、音、匂い、感情) <精神>
両方の性質を”客観的に”持っていると言ってますね。
「人により十人十色に現れる森は、主観の違いにより様々な現れ方をするのではなく、
森自身が十人十色の性質を持っているが故に様々な現れ方をする。」
さらに大森理論の恐ろしい所は、
「物が心的であるというにとどまらず、心的な物以外に”内なる心”はない」(『知の構築とその呪縛』)
と言いきっている所です。
つまり、「(唯一絶対の)客観世界は存在しない」のみでなく、
「(人といった)独立した心は存在しない」(唯物論?)とも受け取れる発言をしています。
(続)
>>896 を言い換えると、
森そのものを直接知覚しているわけで、森の知覚像(主観の混じった森の写し)を
知覚しているわけではない。知覚像などというものは存在しない、
となります。
「見える物、即ち、(それが)客観である」
客観 ⇒ 大脳 ⇒ 知覚像 (知覚因果説)
客観 ⇔ 大脳 (大森)
目の前に現れる怖い森は、無味乾燥な外部の森を人が主観的に怖いと感じる知覚像ではなく、
実際に怖い性質を持った森が直接立ち現れてきます。
目の前に立ち現れてくる風景は、そのまま客観(故に真実の)の風景です。
このことは常識からはずれた認識論を生み出します。
遠くから見たら丸い塔が、近くで見ると四角い塔であった。
通常は前者は見間違いで、後者が客観(に近い)といわれるが、
両者とも真実である。
その塔は、遠くから見たら丸く、近くから見れば四角く見える”性質を持った”
塔なのである。
この部分の反論としては、「触覚的に合致する方が真の塔である」と言えますが
大森自身も別の著作でこのことに言及しています。
(その矛盾が僕にはよくわからないのですが・・)
(続)
また、大森が心身を分離したデカルト的世界観を嫌った理由に、
「感覚的性質を”物”から排除して人の心に押し込めたことにより、
本来は活き活きとした自然世界を死物化させた」
が挙げられます。
フッサールは「自然の数学化」をデカルト的世界観の危機としたそうですが、
大森の場合は「自然の死物化」が二元論最大の問題点と考えていたようです。
心身分離の世界観に常に現れる難問「不可知論」や「物理的現象と感覚的現象との断絶」
(脳のこれこれといった”働き”がなぜ痛いという”感覚”と引き起こすのか)
を検証しながら、彼は死物化してしまった自然世界から、再び生き生きとした”活物的世界”、
ー鬼神乱神、諸霊入り交じるーを取り戻そうとします。
物理的性質しか属さないと考えられている”物”に、
主観に追いやられた感情や色彩、匂いを再び還元することにより
アニミズム的世界観を築く・・。
この辺りを読んでいると、日本人故の発想ではないかと思えます。
とまれ、『新視覚新論』は次の言葉で結ばれています。
「しかしこの習慣(心身分離の世界観)からぬけるには人の全生涯、
または歴史の数十年が必要なのかもしれません。」
どの世界観が真実なのかわかりませんが、
より良い未来を考えると大森一元論には非常に惹かれるものがあります。
>>895 >大森荘蔵は凄い男だ。感動した。
僕が彼に惹かれる所は、哲学に対する彼の視点ですね。
「高度1万Mの地上からはるか離れた場所において、非日常的言語で思索をする」
初心者のぼくから見れば哲学とは、このようなイメージがあります。
でも大森さんは全く違いますね。
彼の思索は、日常の生活の場から離れることはありません。
常に地に足をつけ、普段のありふれた風景の中を一歩一歩進んでいきます。
それでいてふと気づくと、今まで見たこともない場所へ知らず知らずに連れて行かれています。
その斬新な風景に驚きを隠せません。
彼の文章は、日常に立脚した彼の思索を表現しています。
読めば読むほど惹きつけられます。
『言語・知覚・世界』の序文で
「すでに見られていたものを”みてとる”こと、それが哲学なのである。」
哲学の問いとは、どこかの思考された空間にあるのではなく、
我々が暮らす今ここに”隠されている”ということなのでしょう。
ああ、睡魔が・・。
>現存在しろうとさん
>大森氏の本は以前「流れとよどみ」を読んだ事あるんですけどね。・・
・・対談から再入門をしてみようと思います。
>大森哲学にロムしてたら興味が出てきた。
ぜひお願いします。
彼の思想について議論する機会(相手)がなかなかありません。
僕がもう少し理解していれば、こちらから問題提起できるのですが・・。
今ではなぜかヴィトの方が人気です(笑)
カオルさん他、残りは近いうちにレスします。
902 :
ぺん(ぺん):02/10/03 13:38
このスレでは、よくロムってます。
よろしくお願いします。
漏れもゲーデル・スレで地道に勉強してますが
分析系の哲学も少しずつ学び始めてます。
それで、やはり日本での分析業界の大御所(?)
大森先生の哲学も、いつかは学ばなくてはならないと思ってます。
ところで、「心身問題」に関して漏れの個人的感想としては
カント的な「超越論的−経験的二重体」としての人間
あるいは、ハイデガー的な「存在了解する存在者」としての現存在(人間)
の考え方を避けて通れないのではと思ってます。
まあ、漏れは所詮は哲学ドキュソにすぎないので
かなり厨房な考え方だとは思いますが
例えば「心身問題」を通じて、
分析系の哲学と伝統的な超越論哲学や形而上学における問題意識が
交差することができるのではないかと、勝手に憶測してます。
そういう観点で大森哲学を読んでみたいですね。
それでは、初心者その1さん、今後もがんばって下さい。
903 :
初心者その1:02/10/03 22:08
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 思索にふさわしい季節になりましたね
( ) \_______
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(__)_)
下記の文は、超大物小手ハンT.T氏に「心身問題」について
他スレで質問した時の彼の返答です。
僕にとって、非常に感銘を受けた内容なのでここにコピペさせてもらいます。
「心身問題については私もいろいろと考えております。我々は常に「物と心」と
いう図式から出発して、それを批判するという事を繰り返す訳です。
どうしてこんな二元論が何千年もまかり通っているのか、私も不思議です。
それから勿論、我々は一挙にこの心身の図式を放擲して、人間存在の規定に
乗り出す事ができるのではありません。少なくとも自分はそう思う。
心身二元論がどうしてここまで根強いのか、この根強さの起源を説明する
必要があります。これは二元論の内部に侵入し、二元論を内部から解体する
作業です。大森先生はこのような解体作業をなされていたのであって、
決して心身二元論に呑まれていたのではないと思う。その位、偉大な人です。
我々は受け継がれた伝統を無視して物を語る事はできません。
従って、私が「心身という概念を用いずに」という時、私は伝統的心身二元論を
頭から無視しろと言っているのではないのです。「心身」という図式の根源に
まで遡行し、それが何に根づいているかを明らかにし、その心身二元論の「限界」を
理解するという事を言っているのです。
限界を理解した時に、心身問題の真の意味が明らかになると思います。
それはそもそも何故このような問題設定がなされたのか、という問いの起源に
遡る作業です。そして、この起源において初めて、「別の問い」、つまり、
心身二元論的ではない、全く新たな問いが可能となるのです。
私はそういう歴史的な解体作業を通じてのみ、新しく物事を始める事が
できると信じております。」
大森荘蔵はまさにここに書かれている方法を実践しています。
>>902 ぺん(ぺん) さん
はじめまして。こちらこそ宜しくお願いします。
ゲーデルは全く知らなかったのですが、スレをROMってみた限りでは、
論理学(分析哲学?)ですね。
様々な学派の人の意見が聞けるのはうれしいです。
早速ですが疑問に思うことがあります。
1.大森哲学は分析哲学に属しているのですか?
2.ぺん(ぺん) さんがゲーデルスレでやっているのは純粋に論理学の問題にみえます。
あれと哲学的問いを解明することは何か関係があるのですか?
それともあれは序論でこれから問いを考えていくのですか?
(1の補足)
以前にも何回か指摘されたのですが、なぜ彼の哲学が分析と言われるのかわかりません。
論理記号は全く著書に使わないし、言語についても(最初期を除き)問題としていません。
理論も、一見怪しげな神秘主義的印象さえ受けます。(言い過ぎかな?)
バークリら経験主義やフッサールらの影響が強くないですか?
非常に厨な質問で済みません。何せ正真正銘”哲学初心者”ですから(笑)
(続)
>例えば「心身問題」を通じて、
>分析系の哲学と伝統的な超越論哲学や形而上学における問題意識が
>交差することができるのではないかと、勝手に憶測してます。
僕自身、空間や時間といった様々な哲学的主題の中で
「人間はどういった存在か?」
という問いに一番関心があります。
>>882 心身問題を再考することにより、
我々の時代にふさわしい「新たな人間存在の規定」を考えていきたいですね。
>>903 ハイデガーはもちろんですが、彼や大森さん以外の人間存在の規定も知りたいです。
代表的な説、異端の説、いろいろ学んで比較したいと思っています。
ぺん(ぺん)さんにもいろいろ教えてもらうつもりです(笑)
今はさっぱり理解できませんが、
もし絡める所が出てきたら僕もゲーデルスレに参加してみたいと思います。
とりあえず分析系大物小手ハンI氏の薦めにより、
パトナム『理性・真理・歴史』を平行して読んでいます。
文体は平易で読みやすいのですが、(僕にとって)内容は至極晦渋です(笑)
これから宜しくお願いします。
907 :
初心者その1:02/10/03 22:16
908 :
初心者その1:02/10/03 22:28
未レスの人、すみません。
今日はこの辺で・・
909 :
Kurihara:02/10/03 23:58
こんばんは。
マルクス系超大物コテハンのK氏です。
大森荘蔵「時間は流れないんだ〜!」
野え啓一「たいへん興味ぶかいおはなしで、あっというまに時間が流れてしまいました。」
>>905 ぺんぺんが答えるところなんだろうが,書き込まないようだから僕が説明しておこう^^.
最初に2の方から.あれはスマリヤンという人が書いた『ゲーデルの不完全性定理』という
本を解説してるんだよ.哲学と関係あるかと言われても,あるとも言えるしないとも言える.
まあ不完全性定理の基本的なことは知っておく必要があるんだけど,それより大切なのはこ
れは哲学的問題にとってない(と思う)から勉強する必要はないというのはあまりいい態度
じゃない.なんというかここまで勉強すればよくてこれ以上は勉強しなくていいですよ,なん
てことはないのは哲学に限らず学問一般に言えることだからさ.
1だけど,確かに初心者が感じているように大森は(いわゆる)分析哲学の伝統にはない人だね.
どちらかというと前提は現象学なんかに近い.一応「日本で最初の分析哲学者」と言われてはい
るけどね.初心者の感じ方は正しいと思うよ.
↑「哲学的問題にとってない」「哲学的問題と関係がない」
913 :
考える名無しさん:02/10/04 14:59
2ちゃんねるには、
「プロ固定」と言われる
給料を貰って毎日書き込みをする人物が、各板に5人から15人、います。
一人の職員は、たいてい3つ以上の板を掛け持ちします。
2ちゃんねるマガジソにて取材を受けていた人物は、
全員プロ固定です。
2ちゃんねるは、個人情報を一つのIPあたり0.01円で販売しています。
コレは、同一のIPであっても「日付毎」時間ごとに別個に販売しています。
コレは事実です。
京大みのるをさらした時、集まった人の半数以上はプロの探偵でした。
自作自演です。
「彼等は」インターネットのIPやメアド等、その情報から個人情報を割り出して
人をさらす事が、出来るのです。
2ちゃんねるの個人情報は、権力に販売されています。
「創価・公明板」 この板が存在する理由、知っていますか。
「創価に批判的な人物」の個人情報を集める為です。
嘘かどうかは貴方の判断に任せます。
ただ、「事実」です。
危険があるサイトである事を、よく認識してください。
914 :
考える名無しさん:02/10/04 20:02
>>913 プロが哲学版に5人から15人いる?
では、何でこんなにさびれてるの?
プロとやらがさぼってるわけか。
915 :
考える名無しさん:02/10/07 04:01
ageたい。。。
916 :
考える名無しさん:02/10/07 06:42
名スレだ…。
大森荘蔵って最近どうしてるんだろ?って検索して、漂着したっす。
私の大森哲学のおもしろさは、
バークリに始まるイギリス視覚経験主義の流れからの転回。
加えて、時間軸の知覚への言及。
にあると漠然と感じています…。
917 :
名無しさん@1周年:02/10/07 16:48
>>916 >大森荘蔵って最近どうしてるんだろ?
もう亡くなられたじゃない
918 :
初心者その1:02/10/09 23:02
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< こんばんは
( ) \_______
| | |
(__)_)
大森さんはどんな顔をしているのでしょう?
写真見たこと無いから知らないんだよね。
>>91-93さん
大変お待たせしました。(って待ってないか(笑))
読み進めている大森さんの著作に「決定論」が出てきたので僕も考えてみました。
「”無意識”には”結果”も含まれている」
つまり、決定論(未来はすでに決まっている)ということですね。
僕はこれを否定する方向で考えてみました。
a)未来を予測できる場合
例えば、「5分後に私は立ち上がる」と決まっていれば、
「立ち上がらない」事で未来を変えることができる。
このことは決定論を否定します。
(続)
b)未来を予測できない場合
人間は現在の中でしか存在することができません。
人間にとって過去も未来も、現在から見たそれでしか意味を持ちません。
「人間は現在から出ることはできず、その現在には今まで選択してきた”一つの過去”と、
これから選択する”無数の未来”が属している。」
と僕は考えています。つまりこれは次のように言えます。
「(現在から離れて)独立した過去や未来は存在しない」
5分後の私は(現在から見て)無数の可能性を持っています(いるように見える)が、
5分経ってみれば、確かに私はある一つの可能性に収まっています。
しかし、それは5分後の”現在”になって初めて決定されたわけです。
それを、「以前(5分前)から決まっていた」というのは、
彼が、現在を超え出た神の視点(過去も未来も一目で見渡せる俯瞰的な視点)となって初めて言えるわけで、
現在からの視点しか持てない人間にとっては思考の産物でしかありません。
未来は、あくまで”未決定な無数の可能性”です。
「未来 = 現在に属し、未だ決まっていない無数の可能性」
選択された一つの可能性は、過去、もしくは現在と定義されます。
決定論の否定を証明することはできませんが、人間にとっては全く意味のない議論だと思います。
(もし、現在から抜け出すことのできる生物がいれば意味のある議論となるでしょう)
ちなみに大森さんは、様々な種類の決定論を例に挙げ、その問いの解決ではなく、
この問いの空虚さ(無意味さ)の証明を試みています。(『言語・知覚・世界』)
大変しょぼい理屈で申し訳ありません(笑)
現在を超え出た視点から見られた考えを認めない、
ということを軸に僕なりにこの問いの”空虚さ”を考えてみました。
決定論は”人の自由”と絡んで、伝統的な哲学的問いだったのですね。(と最近気づきました)
初心者がちょっと考えてわかるような問いではないので
これからも少しずつフォローしていくつもりです。
しかし、毎度の事ながら常識はずれの哲学的問いに圧倒される初心者その1です(笑
>1さん、お久しぶりです。
もう残り少ないですけど part2 立てるんですか?
っていうか、しばらく来れないので、わたしへのレスは無理しないで下さいね!
ついでなので1周年さんへレスしていきます。(笑)いつもスレ違いカキコ m(__)m
>>894 1周年さん
>「科学的なやり方の限界を明確に語る」(「論考」)って何番?
わたしの(わたし的)「論考」解釈です。以下もすべてそうですが。(^_^;)
「論考」は視座によって、その解釈が様々に変化したり価値が転覆したりします。
彼の思想の本質が理解できないと「論考」は単なる記号哲学に堕してしまいます。
後の質問が、わたしの(一面的の)不適切な表現による誤解なら、ゴメンナサイ!
>『論考』がそれで満たされている現に「語り得ていない」擬似命題の一種じゃない?
>>858にも書きましたが、彼は「論考」の諸命題は、無意味(unsinnig)だと、
自分でいってます。(「論考」6.54 )
但し、それは『それらを利用し、それらの上に立ち、それらを乗り越えて行く』
ことによって“のみ”可能になるのであって、いい換えると“言語の限界”を
明確に自覚し得ることによって“倫理”という“絶対的価値”の地平が開かれ、
そのことによってはじめて語り得るものの価値が無意味に帰すということです。
宝箱(「論考」)の中身《倫理や宗教への、絶対的価値への止み難い志向性と、
その実践、生き方そのもの》を“覚る”ためには、宗教的感覚や情熱という鍵が、
必要なんだということだと思います。
>カオルさん
レス遅くなり申し訳ありません。
カオルさんのレスは、
「(根拠はないが)何か重要なことを言っている、でも僕はそれをうまく理解できていない。」
という葛藤が常に生じます。
悪い意味に取らないでくださいね(笑
僕のレベルに合わせて、
それでいて僕の理解できる範囲をわずかに超えて答えてくれるのがカオルさんのレスです。
見えそうで見えない、そのもどかしさを伴うのです。
故に、何とかそれをはっきりさせようと何度も自分でも考えます。
それが僕のためになるのです。
僕の疑問にズバリ答えてくれるレスもうれしいですが、
それでは僕の思考は満足して止まってしまいますからね。
(稲さんもズバリ言わない人ですね(笑))
(続)
>>745>>820-822>>855-858 一連のレスに現れる”価値”という言葉が何を指すのかよくわかりませんでした。
特に、「価値が言語の限界から始まっている・・」という部分。
一般に使われる”価値観”とは少し違うかな?と感じていました。
それで、
>>835のような中途半端なレスとなったわけです。
また、ヴィトの「語りえるもの」「語りえないもの(示す)」の違いがわかりません。
>>860>>866 今『論考』を脇に置いてヴィトの入門書をいくつか読んでいます。
それで初めて、カオルさんが言っていた”価値”や”言語”についての議論が、
彼の設定した空間の中で考えられているのかなと気づきました。
(違ってたらごめんなさい)
流し読みでも一通り僕も頭に入れとかないと、カオルさんと同じ場所には立てないようです。
もうしばらくお待ち下さい。
少しは噛み合った議論ができるようがんばりますね。
ちなみにカオルさんは分析哲学の専門家なのでしょうか?
>>922 カオルさん
ああ、ちょうどいいタイミングで(笑
もちろんパート2は立てます。
ただ、カキコのペースは落として、その時間を読書や思索の時間にしたいと思います。
大森さんの主要な著作はほとんど目を通しました(『時間と存在』除く)
あとは、彼の思想をじっくりと自分の中で熟成させ、
このスレで問題提起、議論したり、
彼以外の興味を引いた著作を読んで比較してみたいと思っています。
>>923-924で述べているとおり、
やはりカオルさんの言っていることをわかっていませんでした(笑
カオルさんがいない間に、僕も少しでもレベルを上げておきます。
興味のあるレスがあれば(僕のレスに限らず)カキコしてください。
待っていますよ。
カオルさん、(・∀・)灼燦灼丸君のことはもう好きじゃないの?
>>910 ちんぴょろすぽーんさん
なかなかおもしろいネタですね。
でも僕の大森さんはもっとおもしろいですよ。
(講義室にて)
大森先生「つまり、私たちの身体はまぎれもない物体であり物理や科学の法則に従うものです。
すると、喜び悲しみ考え話す、その当のものはこの身体でしょうか。
いや、そうじゃない。
それは心だ、と言う答えをすればそれははなはだ”心もとない”答えです。」(『新視覚新論』)
生徒 「・・・」
大森先生「・・・。なぜならば、先に・・」
(講義後のカフェで)
学生A「さっきの授業で先生シャレを言ってなかったか?心がなんとかとか・・」
学生B「いや、俺ぜんぜん気づかなかったけど・・。」
学生A「そうだよな。俺の勘違いか(笑)」
(大森研究室にて、差し込む夕日に煙草の煙をくねらせながら)
大森先生「日暮れて道遠しです・・・」
(・・・大森先生ごめんなさい)
928 :
Kurihara:02/10/10 01:13
>>911 稲さん
レスありがとうございます。
稲さんの言うことがもっともなのですが、
稲さんのフレーゲスレ、ぺん(ぺん) さんのゲーデルスレの純粋な論理学(数学?)
が哲学的問いと何の関係があるのか気になってしょうがないのです。
今では、天体の運動を理解するための手段として不可欠な数学のようなものかな?
と思っています。
>大森は(いわゆる)分析哲学の伝統にはない人だね
そうですね。
最初期の著作『言語・知覚・世界』は、言語を分析することで思索をしています。
それ以降は言語にこだわらずに思索を深めているので、分析哲学の枠にいたのは初期だけで
その後はあっさりと方向転換したと考えています。
>928
あっ、マルクス系大物小手ハン K氏 ハケーン!
実は僕、Kuriharaさんの隠れファンなのですよ(笑
お笑いのセンスが大好きなのです。
Kurihara さんのキャラ、間違いなく哲板で最高だと思います。
おそらくこのキャラは地だと言い張るのでしょうが・・。
お笑いで例えたら、アングラ系でシュールなイッセー尾形、
もしくは笑わない喜劇王バスター・キートンと言った所でしょうか?
だから、
>>909 のようなベタなカキコはKurihara さんらしくないなと思いましたよ。
日記も時々見させてもらってます。
本当のKurihara を見てしまうようで少し怖いのですが・・。
ネタもいいですが、マルクス系のマジレスも期待しています。
931 :
初心者その1:02/10/10 01:35
では、お休みなさい・・
もう一つ
>>916さん
>名スレだ…。
>大森荘蔵って最近どうしてるんだろ?って検索して、漂着したっす。
ありがとうございます。
大森さんに興味を持ってもらってなぜか僕もうれしいです(笑
>私の大森哲学のおもしろさは、
> バークリに始まるイギリス視覚経験主義の流れからの転回。
> 加えて、時間軸の知覚への言及。
>にあると漠然と感じています…。
ぜひ、暇を見つけてカキコしてもらえればうれしいです。
僕自身、大森哲学をぼんやりとしか理解していないので、
そこを指摘してもらったり、そちらから問題提起してもらえれば幸いです。
僕自身の大森哲学の魅力は、
心身分離の二元論により死物化させた世界を、再び活き活きとした世界に戻すための
新しい世界観の探求ですね。
>>899 マターリとやっていきますので、ぜひカキコお願いします。
933 :
ぺん(ぺん):02/10/10 03:10
初心者その1さん、レスが大変遅くなってすみません(汗
漏れに変わって稲さんが適切なレスをしてくれていますが
一応、自分でもレスしときます。
まず、質問1についてですが
漏れは大森先生の著作はまだ一冊も読んでないんです。
それで、大森先生については、「日本において分析哲学を立ち上げた人物」
といった程度しか知らなかったので、分析系の人だとばかり思ってました。
とんでもない思い違いをしていたようですね、大恥を恥をかいてしまいました(汗
質問2については、哲学(特に数学の哲学)について思索する際の
準備みたいな感じでやってました。
あと、以前のゲーデル・スレでは、正直なところ
不毛な論争ばかりの応酬に見えたので
議論の前提として正確な理解が必要ではないかと思ったからです。
934 :
ぺん(ぺん):02/10/10 03:12
そうそう、初心者その1さんは、たしか社会人の方ですよね。
漏れは阿呆学部の学生です。
哲学は工房の頃から興味を持ってましたが
本をあれこれ読み漁るだけで、特に深く思索に耽ったことはなかったです。
法律の勉強に嫌気がしてきて
(将来性という俗な目的の為に、某試験の準備に追われるくだらない日常です)
2ちゃんの哲板に遊びに来るようになったのですが
哲板の熾烈な知性(知識)とプライドの争いには
漏れのような臆病者には、ちとキツイです。
ちょっと調子に乗って、あちこちのスレに遊びに行きましたが
当然のごとく、煽られるようになってしまいました(苦笑
ゲーデル・スレは続けたいとも思いますが
もう少し、教養と人渡りの旨さを身に着けてから出直します。
935 :
ぺん(ぺん):02/10/10 03:13
初心者その1さんのスレは短い間に千まで行きそうですね。
やはり人徳(?)のいたすところでしょう。
実は、漏れは初心者その1さんの他にも
チンポ太郎さんやOFWさん、それにもちろん稲さん、
『ベルクソンの哲学』スレの名コンビの仏語5級さん、Gillesさんの
ファンなんです。
恐らく、この方々は漏れよりも
年齢も知識・経験も哲学への情熱も上の人たちだと思います。
(Kuriharaさんは、なんだか謎な人ですね)
しばらくは、カキコは控えるつもりですが
ときどきは、哲板に来てROMすると思います。
豊かな議論を期待してます。
936 :
Kurihara:02/10/10 03:31
僕はひとつの明晰な謎なんです。
937 :
Kurihara:02/10/10 03:58
ぺんぺんさんはひょっとして東大法学部の方なの
ですか?僕は京大に落ちた経歴があります。
今は京大を諦め、コロンビア大学を目指しています。
コロンビア大が駄目なら、ケンブリッジ大を狙う
予定でいます。それでも駄目なら、しょうがないので、
ランクを落として東大に行く予定なんです。
>>929 >稲さんのフレーゲスレ、ぺん(ぺん) さんのゲーデルスレの純粋な論理学(数学?)
>が哲学的問いと何の関係があるのか気になってしょうがないのです.
そうだね〜^^.とにかく論理学を勉強すれば哲学ができるようになるということでは全然ないし,
数学者のやるくだらない哲学というのもごまんとあるんだけど.そんなに論理学と哲学が直結してい
るという分けじゃない.だけど,例えばパトナムの「水槽脳」なんかも論理学のテクニックを使って
議論を組み立てている部分もあったり,論理学や物理学の中に哲学的問題あるからね.そういう意味
では『論考』だってそうでしょ.だから,論理学を勉強して哲学の何がわかるのかというよりは,論
理学を勉強してないと読めない本とか論文がけっこうあるんだよね.
>>933 >大森先生については、「日本において分析哲学を立ち上げた人物」
>といった程度しか知らなかったので、分析系の人だとばかり思ってました。
>とんでもない思い違いをしていたようですね、大恥を恥をかいてしまいました(汗
別に恥をかいたというようなことでもないと思うけどね^^.まあ一般的には「大森
が日本で最初の分析哲学者だ」なんて言われてるからね.
>>923 そんなに僕の話ってわかりにくいかな.「語りえるもの」「語りえないもの(示す)」の違い
をズバリ説明すればいいのかな.
939 :
ぺん(ぺん):02/10/10 20:01
カキコは控えると宣言しときながら、
さっそくいくつかのスレにカキコしてしまいました。
漏れは、ほんと、節操のない人間です(汗
大森先生の『時は流れず』を借りてきました。
これから読んでみます。
940 :
名無しさん@1周年:02/10/10 20:44
>>922 >>>「科学的なやり方の限界を明確に語る」(「論考」)って何番?
>>>『論考』がそれで満たされている現に「語り得ていない」擬似命題の一種じゃない?
>>858にも書きましたが、彼は「論考」の諸命題は、無意味(unsinnig)だと、
>自分でいってます。(「論考」6.54 )
だから 科学的なやり方の限界は「明確に語る」事はできないでしょう(勿論「不明確
に語る」事もできないが)、といっているのです。
942 :
初心者その1:02/10/11 00:32
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 今日のワンレス
( ) \_______
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(__)_)
>>933-935 ぺん(ぺん)さん
ぺん(ぺん)さん、哲学専攻の学生ではなかったのですか・・。
ゲーデルスレなどを見て、てっきり新進気鋭の切れ者学生かと思っていました。
本当に独学ですか?すごいですね。
専攻は法律ですよね?
よくわかりませんが、
論理的に議論を組み立てていく所が哲学(論理学、数学)と共通するのでしょうか?
>哲板の熾烈な知性(知識)とプライドの争いには
>漏れのような臆病者には、ちとキツイです。
とか言いながら、様々な所で活躍しているではないですか(笑
それにキツイと思うのは、ペン(ペン)さんが哲板住民と対等の立場で
議論しようと思っているからではないですか?
ぼくから見れば、それはすごいことですよ。
僕は「何も知らない哲学初心者」として始めから同じ土俵に立とうとは思っていないので
気楽なものです。
何のためらいもなく「わからない。教えて」とか言えます。
でも本気でやるなら、これはいけませんよね。
自分の専門分野では、そんなに軽く「わからない」とか「教えて」とか絶対言えないですからね。
その姿勢の違いが、専門家と非専門家の大きな違いですね。
哲学においては、僕は明らかに素人、ー知識はもちろん哲学に向かう姿勢も含めてーです。
ぺん(ぺん)さんは僕とは違いますよ。
少なくとも姿勢は素人ではないと思いますよ。
(続)
だから、哲学への情熱も僕と比べるべきではないと思います。
もちろんどちらが上かわかりますよね(笑
(残念ながら、年齢は僕の方が上でしょうが(笑))
なぜ、自らカキコを禁じ手にしようとするのかわかりませんが(といいつつもうカキコしてますね)
ROMするくらいなら是非カキコして欲しいですね。
少なくとも大森スレには・・。
カキコを信じれば、Kuriharaさんもチンポさんも正式な専門教育を受けてない人ですね。
僕にとっては、この二人がいろいろな意味で哲板小手ハン2トップです(笑
その経歴のせいではありませんが、実際に会ってみたいのは偶然にもこの二人ですね。
僕たちもお互いがんばりましょう。
僕も早くHNを「初心者」から、
「哲板の大森二世」「荘蔵その1」などに昇格できるようがんばるつもりです(笑
今、少しづつ『論考』読んでますので、論理学について質問するかもしれません。
その時は宜しくお願いします。
『時は流れず』、特に前半の時間論(過去論)の感想もお待ちしています。
大森過去論最高!です〔信じてませんが・・笑)
眠いのでここまで、『論考』おもしろいかも・・
946 :
考える名無しさん:02/10/11 00:43
チンポさんて誰?
947 :
初心者その1:02/10/11 00:46
948 :
考える名無しさん:02/10/11 00:48
どのスレにいるの?
949 :
初心者その1:02/10/11 00:50
950 :
考える名無しさん:02/10/11 00:51
ありがとう 知らなかったよ
哲版の住人暦は長いのに
とほほ
951 :
初心者その1:02/10/11 00:56
>>950さん
この大森スレの
>>904の超大物小手ハンT.T氏とはチンポさんです。
大森さんを読み始める前に、このレスを読んでいれば
もっと大森哲学の核心にすっと入れたと思っています。
僕にとっては最高のレスですね。
952 :
偽スピノジスト:02/10/11 00:59
私が大森荘蔵をとてもよいと思うのは、自分をすごいと
思わせようとするところがないこと。文章に凝らない。(凝らなさすぎ?)
たいていの哲学者がこの点で落第だね。みなさん、くさいくさい。ふんぷん
たるものがある。むろん、わざとげびてみせるというような
種類の思わせぶりもないと、言う必要はないでしょう。
この意味でも、大森とドゥルーズの平行性は真剣に
論じられてよい。実際共通点はいみじく多いと思う。
いいねぇ、あの人たちは。うらやましいねぇ。あこがれるねぇ。
953 :
考える名無しさん:02/10/11 01:08
とうとう与太話になっちまったな。
>>952 偽スピノジストさん
お久しぶりです。
その通りです!
僕は彼の文章にファンクラブを作りたいぐらい感動しています(笑
>>900 あと、以前の偽スピさんのレスに間違った返答をしてしまいましたので
訂正カキコしときました。
(みたかな?)
>>897-899 です。(
>>830-832の訂正)
眠いのでこのくらいで(笑
また会いましょう。
あなたが紹介してくれたスレ読んだ。
>>904も当該スレにあったね
あなたがほめてたね
ほかのフッサールスレも知りたいなぁ
この人が一番だと思う
読んだ は 通読 じゃなく勿論 一瞥
これから精読するよ
紹介してくれてありがと
957 :
考える名無しさん:02/10/11 17:53
904みたいなレスに「納得」してんなら素直に現象学やればいいのに
大森がどうかは別として
カオル氏は哲学をそんなに知らないくせに
ずいぶん断定的な物言いをするところが摩訶不思議。。。
>959
>カオル氏は哲学をそんなに知らないくせに
灼丸(カオル?)は、自分一人で考えてると公言してるね。
灼丸の悟り(哲学?)とやらは糞だけどw、哲学(学問)バカよりましかも。
>ずいぶん断定的な物言いをするところが摩訶不思議。。。
「らしい」という表現は、ものすごく胡散臭いのでただちに使用を中止すべきですね。
灼丸の過去スレから引用。(なに調べてんだかw)
961 :
初心者その1:02/10/12 23:56
>1が全てチンポさんのようです
>反チンポ派から、猛反撃
わらたよ。
963 :
考える名無しさん:02/10/13 00:35
チンポは文学がかってるからな。大森も漱石とか好きだったけど。
チンポのほうが偏ってる。現象学は口実や煙幕じゃないかとも思
えるよ。チンポは嫌いじゃない方だな。姿勢もいいんじゃない。
964 :
考える名無しさん:02/10/13 00:46
チンポ太郎=「ヒロミGO」
965 :
初心者その1:02/10/18 23:41
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< お久しぶりです。
( ) \_______
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(__)_)
しばらく、大森さんの著作はお休みし、
『論考』、『理性・真理・歴史』の方を読んでました。
『論考』は大変おもしろいです。
『理性・真理・歴史』は大変難しいです。
大森さんの動画、ネットで見つけました。
少し感慨深いものがありました。
「語る」と「示す」(
>>866)は何となく理解できました。
『論考』を読むと分析哲学が何を武器に、問いに挑んでいるかわかりますね。
「哲学は、思考可能なものを通じて、思考不可能なものを内側から境界づけねばならぬ」(4.114)
「人は人生の問題が消滅した時、その問題が解決されたことに気づく」(6.521)
「哲学的問いに正しい答えを与えるのではなく、問いが無意味であることを言語分析によって証明し、
問い自体を消滅させる」
ということですね。
『理性・真理・歴史』でのパトナムも、その方法により問いの無意味化へと持ち込んでいます。
大森さんも決定論に関して同じ手法を用いています。(『言語・知覚・世界』)
彼もこの頃は分析哲学の枠の中にいたのでしょう。
パトナムの方は非常に難しく、まだ4章途中まで(しかもほとんど意味がわからない)しか読んでません。
ただ、彼がいう内在主義者の「神の眼のごとき観点は存在しない」といった考え方は気に入りましたね。
これは、『論考』の次の部分、
「論理が世界の限界をもう一方の側から眺めえたとき、論理の限界を飛び越えているはずであるから」(5.61)
から導かれた考え方でしょうか?
他にも、「なるほど!」と純粋に感心したり、
「あ!、この発想は『論考』からきたのか」と驚かされる断章があります。
その一方で、わからない箇所、納得できない箇所も多々あります。
『論考』と論理実証主義の関係、ヴィトその後、(パトナム以外で)上記の手法を使った哲学者等
気になる疑問も広がってきます。
一言で言えば、知的好奇心を刺激される書物ですね。
当分はこちらにかかりきりになるのでしょうか?
967 :
初心者その1:02/10/18 23:56
>>938 稲さん
>そんなに僕の話ってわかりにくいかな.「語りえるもの」「語りえないもの(示す)」の違い
>をズバリ説明すればいいのかな.
いえ、説明が悪いのではありません。
稲さんの場合、僕の理解できる範囲の一歩手前で説明を止めている、尻切れトンボ(笑)という感じですね。
カオルさんは、僕の範囲を超えて理解不能のところまで突っ走ってる(笑)という感じです。
ただ、それはわざとやっていると思ってましたよ。
後はおまえで考えろ、という意味で・・。
「語る」と「示す」の違い、要約して明日に書き込みます。
何となくイメージがつかめたのですが、論理実証主義とどこが違うのかが、
いまいちわかりにくいですね。
>そうだね〜^^.(中略)
>だから,論理学を勉強して哲学の何がわかるのかというよりは,
>論理学を勉強してないと読めない本とか論文がけっこうあるんだよね.
ズバリわかりました(笑)
968 :
初心者その1:02/10/18 23:58
では、また明日・・。
969 :
ぺん(ぺん):02/10/19 23:07
>>初心者その1さん
『時は流れず』をとりあえず流し読みしました。
過去をカントの物自体になぞらえて理解することろは
最初は吃驚しました。
でも、言われてみれば、
過去の実在性を素朴に前提することはできなさそうですね。
ただ、「過去物語」というような物言いは
なんだか、クワインの神話と科学の差を相対化してしまうような極端な物言いを連想して、
ちょっと漏れ的には違和感を感じました。
(ちなみに、有名な「ガヴァガイ」の話も含めて
強烈な科学主義かつ自民族中心主義の匂いを感じて、なんとなくイヤなんですよね)
あ、それから野矢先生が『同一性・変化・時間』で
大森哲学の「時は流れない」テーゼ(?)を批判してますよ。
面白いと思うので、読んでみてはいかがでしょうか。
970 :
考える名無しさん:02/10/19 23:49
ぺん(ぺん) ていい意味でジャーナリスティックだな
微妙に幅広い範囲をフォローしてる
971 :
初心者その1:02/10/21 05:17
大きくスレ違いですが、質問です。
『論考』における "Sinn" と "Bedeutung" の違いがわかりません。
これらの語はフレーゲから借用した語、用法のようなのでそちら関係でも調べてみました。
Sinn Bedeutung
『論考』(法政出版) 意味 意義
『論考』(世界の名著) 意義 意味
『言語哲学大全1』 意義 イミ
『現代論理学』 意味 指示
対象を指示するもの(フレーゲの「明けの明星、宵の明星」における金星)は
"Bedeutung"の方だと思いますが、日本語訳は「意義」ですか?それとも「意味」ですか?
なぜ訳語が正反対になるのでしょうか?
また、
"sinnlos" =「何事についても記述していない(例、トートロジー)」
"unsinning"=「論理的に構文違反」
でいいでしょうか?
"unsinning"には他に含まれている意味はあるのですか?
「わたくしの理解する読者は、私の書物を通りぬけその上に立ち、
それを見下ろす高みに達したとき、ついにその”無意味”な事を悟るに至る」(6.54)
この”無意味”を単に構文違反と解釈したら意味不明のような気がします。
もう一つ。『論考』の原書はドイツ語でしょうか?
英語で読む(気になる箇所だけ参照にする)のはだめですか?
ヴィトは英語しゃべれそうですが・・。(ケンブリッジにいたので)
さらにもう一つ。日本語で読める定評のあるヴィトの解説書は何ですか?
ついでにもう一つ。『論考』の最も良いと思われる訳書はどれでしょうか?
教えて君で申し訳ありませんが、親切な御仁がレスしてくれればうれしいです。
972 :
初心者その1:02/10/21 06:06
>>971 追加
>「わたくしの理解する読者は、私の書物を通りぬけその上に立ち、
> それを見下ろす高みに達したとき、ついにその”無意味”な事を悟るに至る」(6.54)
ここでの"無意味"は "unsinning" が使われているようです。
973 :
考える名無しさん:02/10/21 07:02
論考ドイツ語の原書は1000円くらいだから持っててもいいと思うよ
英訳と比べて読めば比較的楽に読めると思うよ
邦訳のどれがベストかは知らない
解説書は野矢茂樹の最近出た本しかないでしょ(知ってると思うけど)
974 :
考える名無しさん:02/10/21 08:21
457 :考える名無しさん :02/09/28 01:34
ひきこもりについてどう思われますか?
あと、大学出ても仕事もせずに、親の世話になりながら
哲学書を読みふける人をどう思われますか?
誰?
975 :
考えろ名無しさん:02/10/21 18:15
英独対訳のも売られてますな。>論考
というか、そっちをよく見るような。
976 :
考える名無しさん:02/10/21 18:44
野矢+飯田+永井
この三人のウィト入門書がBEST
977 :
考える名無しさん:02/10/21 18:45
s
978 :
考える名無しさん:02/10/21 19:01
>>971 そもそも『論考』におけるSinnとBedeutungの違いが、Fregeにおける両者
の区別とまったく同じであるかどうかはわからんのだけど、フレーゲの区別
について言うと、直感的なわかりやすさを重視するなら、
Sinn(独)≒sense(英)≒意味(日)
Bedeutung(独)≒reference(英)≒指示(日)
と対応させるのが一番自然であるような。Bedeutungを意味(あるいはイミ)
と訳するのは、「意味」という日本語の一般的な用法を考えると、あんまり
感心できないように思う。
979 :
考える名無しさん:02/10/21 19:03
978は稲
独語や仏語の単語(名詞) には、冠詞をつけてくらはい
981 :
考える名無しさん:02/10/21 19:08
いいじゃん べつに
982 :
考える名無しさん:02/10/21 19:09
ベツニイイジャン
「ジージャン」て最近見ないね
>>980 名詞の性がわかんねえだよ!
いや、Bedeutungが女性名詞だというのはわかるが、Sinnの方は自信がない・・・
ちなみには、私は稲氏ではありませぬ。
985 :
初心者その1:02/10/22 00:53
>>973-984 情報ありがとうございます。
『論考』の英独対訳があるとは知りませんでした。
是非欲しいですね。
野矢さんの解説書も知りませんでした。
値段も手頃だし本屋で当たってみます。
永井さんの新書は、「語り得ぬもの」を「先験的」「超越論的」の
2種類に分けた解釈が参考になりました。
>>978さん
丁寧なレスありがとうございます。
やはり"Bedeutung"は”指示(意義)”なんですね。
なぜ法政出版と名著の『論考』で訳が全く反対になるのか
ずっと悩んでました。
しかも、専門家にも定評のある飯田さんの『言語哲学大全』でも
>>971のように反対になっています。
"Sinn""Bedeutung"の違いを理解することは『論考』において重要な事と思われますが・・。
フレーゲは全く読んでませんが、
『論考』の脚注にこの二つの用語をほとんどそのままフレーゲから借りたと書いてありました。
当方ドイツ語さっぱりわからないので(であ、です、でむ、でん、とかでしたっけ?)
名詞の性を全く考えなかったのですが、それで意味が変わってくるのでしょうか?
986 :
考える名無しさん:02/10/22 01:01
いちにち30分でも毎日ドイツ語やってみ
初級文法だけでも ケッコウデキチャウヨ
読むだけならだけど
987 :
初心者その1:02/10/22 01:14
>>986 なるほど、そんなものですか。(ニヤリ)
『論考』を独語で通してで読むのではなく、
上の例のように、わかりにくい箇所を参照にする程度の初心者読みしか
しないつもりなのでやってみようかな?
『論考』は文体があれなので、練習にはいいかも。
(といったらヴィトファンに怒られるかな?)
988 :
考える名無しさん:02/10/22 01:20
読む聞く書く話すの内のたった一つ
読むのみ
しかも、ウィトを切実に理解したいという動機付けも十分
全てのドイツ語を読めるようになるのでなく、とりあえずウィトのドイツ語のみ
だから、集中力も持続するしやったもん勝ちだよ
989 :
初心者その1:02/10/22 01:25
>>988 >ウィトを切実に理解したいという動機付けも十分
そうですね。
単に語学として独語を学ぼうという意欲は全くおきませんが
『論考』ならがんばれそう。
一区切りつけばやってみるか・・。
といって、また哲板の人に乗せられる単純な初心者です(笑)
990 :
考える名無しさん:02/10/22 01:33
一度、原書を購入することを勧める
そうすると、微妙に心境の変化が起きる
(個人的には原書の専門店にはじめていった時に、翻訳を高い金だして買うのが
バカらしくなり一念発起して勉強はじめたことがある)
結局、いまでも翻訳の世話になりっぱなしだけど。でも英・独・仏はそこそこ
読めるようになった
がんばってね
>初心者
フレーゲのSinnとBedeutungは次のように訳し分けられる:
Sinn:意義
Bedeutung:意味
そしてちょっと荒っぽくなるけど,フレーゲの「意味」は表現の指示対象のこと.
意義はその表現による指示対象の与えられ方のこと.まあ普通に使う「意味」が
近いかな.だから表現「明けの明星」と「宵の明星」の意味(指示対象)は同一
であるけど ― なぜならどちらも金星を指示するから ― ,意義は違うとなる.
>>985 え・・・,『論考』の脚注に「この二つの用語をほとんどそのままフレーゲから借りた」
と書いてあるの?この本に脚注なんてないと思ったが.
ちなみにSinn/Bedeutungを意味/意義と訳すのは定訳ではない.あと『大全T』でBedeutung
イミと訳してあるのは,議論の脈絡上意図的なものだからあまり気にしなくていい.
>>972 >>「わたくしの理解する読者は、私の書物を通りぬけその上に立ち、
>> それを見下ろす高みに達したとき、ついにその”無意味”な事を悟るに至る」(6.54)
>ここでの"無意味"は "unsinning" が使われているようです。
確かにそうだけど,ここでの無意味(sinnig,sinnlos)が「意味」の方に対応している
のか「意義」の方なのかということは重要な問題ではない.上の文章は普通に理解すれば
いいんで,つまり『論考』を読んで理解した人ならば,『論考』が「語りえない」事柄に
ついて書かれているということがわかるだろう,というぐらいの意味.とくに難しくて深
遠なことを言ってるわけじゃない.
>>985 >永井さんの新書は、「語り得ぬもの」を「先験的」「超越論的」の
>2種類に分けた解釈が参考になりました
僕にしてみれば,「語りえぬもの」を先験的と超越論的(多分「超越的」の方が適切だと思うけどね)
に分けて何か有意味なことが語れるというところがそもそも怪しい.そんな言葉を分けたって役に立た
ないと思うけど.
995 :
初心者その1:02/10/22 02:21
さあ、寝ようと思ったら・・・
>>990さん
一度専門店を覗いてみます。
原書の方が安いのですね。
ラッセルの『西洋哲学史』も全一冊で格安らしいですね。
チイとがんばってみます。
996 :
初心者その1:02/10/22 02:22
>>991 稲さん
>Sinn:意義
>Bedeutung:意味
ということは、僕が考えていたのと正反対ですね。
つまり名著、『大全T』が正しいと。
"Bedeutung"=”指示”("Sinn”="意味")と訳した方が日常の感覚に一致しそうですが・・。
>え・・・,『論考』の脚注に「この二つの用語をほとんどそのままフレーゲから借りた」
>と書いてあるの?この本に脚注なんてないと思ったが.
あ、僕が読んでるのは原書ではなく、法政出版と世界の名著です。
法政版の3.203の脚注に載ってました。
日本語訳だと、訳されれば同じような意味に単語に、もともとはどの単語が使われていたのか迷いますね。
(例えば、意味におけるSinn or Bedeutung?無意味における "sinnlos or unsinning?")
>僕にしてみれば,「語りえぬもの」を先験的と超越論的(多分「超越的」の方が適切だと思うけどね)
>に分けて何か有意味なことが語れるというところがそもそも怪しい
そうですか・・。
僕は永井さんの分け方がしっくり来ました。
稲さんが
>>866で挙げた”対象”の例と、カオルさんが言っていた”価値”における語り得ないもの、
この二つの「語り得ないもの」の何が共通するのかずっと悩んでいました。
(ヴィトの「語り得ないもの」は一つのことを指しているものだと思いこんでいましたから。)
稲さんから見れば、これらの二つには相違は認められないのですか?
眠くなったのでお休みなさい。
近い内に「語る」「示す」をまとめてみます。
>>996 >"Bedeutung"=”指示”("Sinn”="意味")と訳した方が日常の感覚に一致しそうですが・・。
だからそれでいいんだよ.フレーゲの‘Bedeutung’はもはや専門用語なので,この訳の適切さ不適切さ
を語ってもあまり価値がない.以前にもあったように英語では‘Bedeutung’を‘reference’(指示)
とか‘referent’(指示対象)と訳し,‘Sinn’を‘meaning’(意味)と訳すことが多いけど,この
意味で日本語ではそれぞれ「意味」と「意義」をあててる.だからもうこれは定訳なんで,こういうもんだ
と思って覚えるしかない.ちなみに『大全T』で‘Bedeutung’を「指示」と訳すのは間違いだとあるけど,
あれは言い過ぎだろうと思うけどね.あそこは飯田先生の解釈が入ってる.
>あ、僕が読んでるのは原書ではなく、法政出版と世界の名著です。
>法政版の3.203の脚注に載ってました。
そうなんだよね.フレーゲの意義と意味の区別をヴィトがどこまで意識していたのか
というのはかなり難しい話なんだけどな.そこを躊躇なく脚注に書いてしまうなんて,
ちょっと不注意すぎるな.かなり問題あるね.僕だったら絶対そういった註はつけない.
998 :
考える名無しさん:02/10/22 04:38
Sinn≠ヘsense≠フ方がしっくりくるけどな。
Sinn=∞meaning≠ヘ英語では一般的なの?
もう限界。次スレだね。ここはやはり、初心者に立てて欲しいね。
かさねがき二元論は絶対に誰も乗り越えられない
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。