●○● Aquirax: 浅田彰 part7●○●
セゾン現代美術館の岡崎乾二郎 9*24
美術館に絵画と彫刻だけが整然と並ぶ。わざとらしいインスタレーションも
なければ、コンピュータ・ディスプレイもない。
そんなきわめて正統的な展示によって、現代美術のカッティング・エッジを
示してみせる。
セゾン現代美術館で開かれた初めての大規模な個展は、岡崎乾二郎がそうい
う成熟の年齢に到達したことを示す、隙のない展覧会だった。
実のところ、去年の京都芸術センターでの二人展における岡崎乾二郎の展示
はすでにその予行演習のようなところがあり、それを大きく拡張したのがこ
の個展だと言ってもよい。
ただ、今回は1980年代の作品群も含まれており、すでに伝説的となった「あ
かさかみつけ」を初めとするレリーフ群をまとまって見ることができるのは
、貴重な機会と言うべきだろう。
簡素な素材でつくられた小さなレリーフによって、モダニズムの最先端で論
じられていた諸問題を軽々と解決してみせる。
また、そんな理屈など知らなくても、簡単なようで無限の複雑性を孕んだこ
れらのレリーフは、見ているだけで飽きることがない。
名作と言われる所以である。
ここから出発した作家は、その後さまざまな試行錯誤を重ねてきた。
だが、1990年代半ば以降の絵画と彫刻は、岡崎乾二郎が新しい造詣言語を確
実にわがものとしたことを示している。
とくにその絵画は、透明感のあるアクリル絵具を対位法的に配置しただけで
、大げさな情念的身振りも細かな筆触へのフェティシズムもすっぱりと削ぎ
落とした、晴朗きわまりないものだ。
割り切れるところはとことん割り切ることで、それらの画面はわれわれの前
にいわば「明晰な謎」として立ち現れてくるのである。
ただひとつ気になったのは、ここ一、二年、その画面がにわかにほとんど表
現主義的な激しさと密度を帯びてきたかに見えることだ。
作家は「戦争の時代にはこういう絵を描くものですよ」などと言うのだが、
それが韜晦なのかどうか、もういちどゆっくり考えてみなくてはいけないだ
ろう。
なお、この展覧会の図録は、岡崎乾二郎の軌跡をまとめた資料として、きわ
めて有用である。
ただ、石岡良治の書いた岡崎理論による岡崎作品の解説はさすがにリダンダ
ントでうるさい。
また、カラー図版が作品の色彩を十分に伝えていないように見えるのだが、
それは印刷の問題なのか、作品自体の色があまりに透明だからなのか。
そう、この図録を見ながら、私はふたたび軽井沢の美術館であの「明晰な謎
」と対面することを夢見ている。
会期は10月14日まで。
これだけは会期の終了が近いのでうぷしました。
「サン=テグジュペリの飛行」「大江健三郎の『憂い顔の童子』」
「ペルルミュテール/ブーレーズ」は、また今度暫くしてから。
2ちゃんの外にはコピーしないほうがいいと思います。
892 :
考える名無しさん:02/10/02 01:20
どーもお疲れです
>>890 >岡崎乾二郎が新しい造詣言語を確
ここの部分は 造形言語 ではなく、造詣言語
なのですね?
894 :
考える名無しさん:02/10/02 02:21
895 :
考える名無しさん:02/10/02 02:36
>ただひとつ気になったのは、ここ一、二年、その画面がにわかにほとんど
>表現主義的な激しさと密度を帯びてきたかに見えることだ
そうなのかー。岡崎乾二郎が描く「表現主義的」な絵ってどんなんだ?
イメージできんな。興味わいてきた。
浅田さんにも「筋金入りのフォーマリスト」とか言われてたし、
社会状況への反応とかオブセッションみたいなもの軽蔑してる人なのかと
勝手に思ってたんだけど。
めちゃくちゃ頭いいんだろうけど、怖い人、嫌な人だなーと
896 :
考える名無しさん:02/10/02 02:39
浅田は音楽評以外いまいち信用できない
897 :
考える名無しさん:02/10/02 02:43
>>とくにその絵画は、透明感のあるアクリル絵具を対位法的に配置しただけで
、大げさな情念的身振りも細かな筆触へのフェティシズムもすっぱりと削ぎ
落とした、晴朗きわまりないものだ。
みなさんに質問なのですが、この場合の「対位法」とはどういう意味ですか?
近頃よく耳にしますが、定義がはっきりきまってないようでよくわかりません。
詳しく教えてください。
この場合の朝田氏のいう対位法なんだけど、
まず岡崎の作品を作るときの姿勢なんだけど、
絵を見ればわかるんだけど、
型を持ってるんだ彼。で、型をつかって絵をかいてる。
浅田氏なら、型がまず a と置かれるなら、ついで1/aという風に反転され
それから -aと向き返され、今度はまた -1/aと返される、という風にいうかもわからない
そんな配置のずらしで絵がつくられている。絵が作られるというとき、岡崎氏は
絵画をある規則にのっとって作ることを意味します。システムとしてつくられています。
だから、読解の対象になるようにつくっています。何しろ本人がそういうのだから(笑)
そのように見てもかまわないでしょうね。ですから、この場合の対位法というのは、
まず単純な型から始まり、その型をあるルールに則って配置していくことでできる絵画
ときの絵画の方法ということができる。こうした単純な規則・方法でとても複雑で豊かな
絵画を生み出すことに岡崎氏は成功している、といいたげですね。。。
901 :
考える名無しさん:02/10/02 13:14
pikoさん、ありがとう!
「大江健三郎の『憂い顔の童子』」
なんかはやく読みたい!
浅田っちは2ちゃん公開ぐらい大目にみてくれそうだから、
どんどんupしてほしいな。
とにかく、期待してるよ!!
< ヽ
∠ハハハハハハハ_ ゝ
/ ∠_ | いやまじでさんってさぁ・・・
/ ∠_ |
|  ̄\ / ̄ ̄ ̄ / | なんかそこら辺の連中と
. |__ ____ | |⌒l. | 匂い違いますよね・・・・・・
| ̄o /  ̄ ̄o/ | l⌒| . |
|. ̄/  ̄ ̄ | |〇| | 厨房というか
. | / |,|_ノ | ドキュソっていうか・・・
. /__, -ヽ || | もっとはっきり言うと・・・
. ヽ――――一 /\ |\
/ヽ ≡ / \_| \ バカの匂いがするっていうか・・・・・・
/ ヽ / | |ー―
/ ヽ / | | ̄ ̄
/ヽ_,/ /|
>>899-900 有益な情報どうもありがとう。これからもよろしく。
903 みたいな煽りは2ちゃんではいつものことだから
気にしないでね。
うーん、上述の個所で「だけど」「だけど」「だけど」と3連続したから
やっぱ、馬鹿なんだとおもうよ。文もあほなら書くこともおしうりとか
そんなのだしね。あるいみ、ばかだといわれるとそのとおりとおもう。
そのうえで、903さんがどういう意味でばかだといわんとしたのかは、
それはそれで気になりますね。もし対話する気持ちがあるなら、
遠慮なくおっしゃってくだされ。まってまーす。
それからもちろん、
>>904さんの励ましには感謝します。
でも、批判があるときには遠慮なしにどうぞですよ。。
>>893 当然、「造形言語」が正しいです。やっちゃった。
またミスったら教えてください。
i-critiqueのうぷは速報性が重視されるもの以外は
二週間後にします。勝手に決めました。自分で責任取ります。
ところで9*24のバックナンバーに「仙がいの自由」が
追加されているようですが、これはもともとあったものですか?
ezwebだと遅れたりするのでしょうか・・・。
908 :
考える名無しさん:02/10/02 18:31
>i-critiqueのうぷは速報性が重視されるもの以外は
>二週間後にします。勝手に決めました。自分で責任取ります。
すぐうPしても大丈夫だよ。スレ立て者以外のIPは保存されないから、
タイーホされないYO!
今日、auでも登録できることにはじめて気がついた・・・。
(いやi-critiqueとかなってるからてっきりダメなのかと思ってた・・・)
「大江健三郎の『憂い顔の童子』」良かったYO!
小説の方はまだ買ってもいないけどネ!
まあ、明日にでも買ってみよ。
>>908 早く読みたいのは分かるけど常識ってもんがあるでしょ。
まじでクレームついてからでは遅いし、私は piko さんに
これからも長く続けてもらいたいので、「二週間後」という
タイミングは妥当な線だと思います。piko さんどうぞよろしく。
911 :
考える名無しさん:02/10/02 19:32
>>910 ていうか、携帯持ってるなら、月300円払って読めよな。
912 :
考える名無しさん:02/10/02 19:32
じゃあマジでクレームつけてみるか
913 :
考える名無しさん:02/10/02 20:18
携帯持ってないねん
914 :
考える名無しさん:02/10/02 20:41
「憂国呆談リターンズ」、サイン本ゲット!
915 :
考える名無しさん:02/10/02 20:48
916 :
考える名無しさん:02/10/02 21:55
そうそう。大江スレに浅田彰の批評が完全版で記されている。 私は大江作品を最初から全て読み直すだろう。
917 :
考える名無しさん:02/10/02 22:43
前言撤回に躊躇がないことが浅田の美点だと、つくづく思う。
このまま節操のなさを貫くべきだろう。
918 :
考える名無しさん:02/10/02 23:00
>>914 どこでGETしたか教えて!
ついでにサインは誰のなの?
浅田?康夫?両方?
919 :
考える名無しさん:02/10/02 23:43
>>914 ほんとにサイン本? どこで?
彰ちゃんのサインは「Aquirax」だったかどうか知りたーい。
>>915 どなたか存ぜぬが、感謝感謝。
アキラックスが絶賛してると読みたくなるのが不思議だ。
たとえ自分の悪口がかかれても(取り替え子で)、
作品がよければ誉めるという、ルサンチマンのなさがえらい。
しかしほんとアップした人がタイーホされなきゃ良いが(w
>>いやまじで◆zn0cLyDU
ありがとうございました。僕はいま『ルネサンス経験の条件』を読んでいるのですが、
そこのブランカッチの解説に出てきたようなことを自分でもやっとるということですか?
実際京都での展示に行ったとき、二枚のパネルをかさねるとなんかおもしろそうと
思ったものですが、そんなことですか?
>> 896=917
昨日からプチ粘着がいるな。
ここは東スレッドのようにはいかねーぜ。
http://www.smma-sap.or.jp/sm0203.html ここの真中あたりに京都での展示写真がありますねえ。
別の絵画作品がここにあります、比較的大きなウェブ画像です
http://www.asianart-net.com/chtml/artist/KenjiroOkazaki.html 上のものと下のものとを見比べると、一見まるで違う二つの作品において
なんらかの関係、何らかの類似性がみえてくるとしたらそれはいったい
どうしてだろうか。また、それぞれの作品において、メディウム(絵具)は
いっけん乱雑におかれているかのようなのに、どことなく規則正しく整ってみえる
とすればどうしてだろうか。また、絵画につけられた長いタイトル名についても
考えてみる。実はそれらは語句が規則により配置されています。
そしてそのような規則において、浅田氏の言われる「対位法」なるものが読み取れるのでは
ないか、そう書いたわけです。んで、その対位法をどう味わうか、というのは観客一人一人に
まかされていて、それをたとえば921さんのいわれることといえるんじゃあないでしょうか。
なお、絵画の作り方、タイトルの作り方は、岡崎氏が雑誌記事その他ですでに
いわれていることを参照したままかいたまでです。
岡崎氏はご自身のことを「意地悪だ」とおっしゃっています。それは基本的に、
観客が自分の作品をどう読み取るかを考えてつくることを意味します。
それは、私のような素人が素直に楽しめ、現代アート好きなタイプもそこに新鮮さを得、
現代芸術の諸問題を作品において考えるタイプが新たな展開を発見できる、そんな
さまざまな観客の読解格子にあわせつつそこからずれる作品をつくることに
ほかないとおもいます。
http://www.interzone.or.jp/~aginc/art/art.4.j.htm それと、この立体作品なのですが、ある部分を切り取ってみてください。
ついで、ほかの部分はさっき切り取った部分の裏返して曲げた形だ、
と思い込んでみてください。そのとなりはどうだろうか、と。
ある基本形があって、ほかの部分はすべて基本形の変奏、ないしは
反転とか逆向きなどの操作により得られた形であり、それらが溶接という
からくりでもって一個の作品をなしていると、みなすことはできないでしょうか。笑
また、タイトルですが、何らかの対比、何らかの対称性とからなる、と理解できないでしょうか(笑
岡崎氏ならシンタグム(文における縦方向の語の並び)やらパラディグム
(語の横の並び。近接や類似による)といった言葉でこのタイトルを説明することもあるけど、
それにとどまらない変なタイトルですね。笑
926 :
ぺん(ぺん):02/10/03 12:56
いやまじでさん、漏れも岡崎作品は好きです。
たしかに、岡崎さんの作品は、対位法的な手法で作られてると思いますが
観点を変えてみると、群論などの抽象代数
あるいは、もっと一般的に、形式言語の考え方を、
造詣言語として採用しているのではと思います。
岡崎さんの作品は、その意味で
少数の公理と推論規則だけで壮大な体系を築く
数学的体系と共通しているように感じます。
数学の場合は、そのモデルとして自然数や実数を用いるのですが
岡崎作品の場合は、モデルとして絵画や彫刻を用いているといったところでしょう。
あと、岡崎作品の解釈には
数学的な厳密性を追求したクセナキスの音楽が参考になるのではと思います。
ちなみに、漏れは「【ゲーデル】@哲学版」で数学基礎論の勉強をやってます。
数学・論理に興味があれば、遊びに来てください。
927 :
考える名無しさん:02/10/03 13:08
928 :
考える名無しさん:02/10/03 13:18
浅田に言わせると、後期のステラが情念爆発系で、リキテンシュタイン
のブラッシュものがフェテッシュ系みたいな感じか。
岡崎のペターものは現物みないと分かりかねるね。
929 :
考える名無しさん:02/10/03 17:49
クセナキスというよりブーレーズ
もうむちゃくちゃ。なんで美術系って皆アホなの?
>>930 なぜあほか?
おもうに、私があほだからというのがまずありますね
そこはあほでないかたに、いやいやなのを承知で
啓蒙をお願いしたいと切に思います。
それから、美術を論じなれていません。だから、
作品対象と言葉との距離をちゃんと測定することが下手です。
ついつい、数学的モデル、音楽的モデルをもってきて
済まし顔しているばかりなんです。>このスレでは私だけですよ。他の方は誠実です。
ですから、そのお済ましぶりをあばくためにも
どうか啓蒙してくれんことを切に願います。
932 :
考える名無しさん:02/10/03 18:37
>>926 >数学の場合は、そのモデルとして自然数や実数を用いるのですが
>岡崎作品の場合は、モデルとして絵画や彫刻を用いているといったところでしょう。
これは猛烈な飛躍というかそう簡単には言えないと思います
933 :
考える名無しさん:02/10/03 18:53
>岡崎作品の場合は、モデルとして絵画や彫刻を用いているといったところでしょう。
「色や形」ではなく、「絵画や彫刻」なわけ?
それはどうかね。
もしかのかたであられるなら、、、
深く感謝します。どうぞ、おつづけになってください。
あえて付け加えるなら、
>>926さんはある意味で誤解されても
仕方のない記述をしたかもしれないので、さらなる解説を
よろしくお願いします。私はあれで言いたそうなところをつかみ
ましたが、たしかにいわれてみると不正確とも取れる記述かもしれませんので
どうか、お手数ですが、お願いします。
私は私で、問題あるでしょう。そこはどうぞ何なりとお申し付けくださいませ。
いや、930ではない。
930は「美術系」じゃないと思うが。
なるほどわかりました。
ともあれ、こういうやりとりは大切なことかと
思います。
937 :
ぺん(ぺん):02/10/03 20:03
>>932 >これは猛烈な飛躍というかそう簡単には言えないと思います
たしかに、飛躍があることは認めます。
漏れも、あくまで一つの見方を示しただけで
それで全て解釈できると思っているわけではありません。
いやまじでさんが示したような解釈の仕方を
もっとラジカルにできるのではないだろうか、といった程度です。
>「色や形」ではなく、「絵画や彫刻」なわけ?
>それはどうかね。
「自然数や実数」ではなく、「自然数論や実数論」とすべきでした。
「色や形」は、それ独自として単独に取り出せるものではなく
モデルとしての「絵画や彫刻」があって、はじめてそれとして認識できる
といったことを言いたかったのです。
ある「数」を「数」として同定するのは
その「数」を含む体系(モデル)内部での
他の「数」との構造的な関係によってであるとする考え方は
「数」を「色や形」と置き換えてみると
岡崎作品を解釈するうえで、一つのヒントになるのではと思ったわけです。
939 :
ぺん(ぺん):02/10/03 21:18
>>938 すみません、ちょっとだけ補足させて下さい。
岡崎作品の「絵画や彫刻」を「自然数論や実数論」と対比的に考えた場合
浅田氏の言う「明晰な謎」という表現も分かりやすくなると思います。
例えば、素数の分布を考えてみると
素数はこれ以上ないほど単純・明快ですが
その分布の不規則性はこのうえない「謎」です。
それと同様に、岡崎作品は、徹底して単純・明晰でありながら
同時に把握しきれない複雑さをもっているという点で「謎」です。
そのような「謎」が具体的な作品(数学ではモデル)において
歴然として提示されるところに、芸術(数学)の魅力があるのではと思います。
絵画や彫刻において、そこに何らかの繰り返しや反転や逆転や
何か基本から始まりすべてはその展開であるとみなせる場合に
その作品はすべてよいものである、つまりは対位法であるから
よいものである、といえば、それはいいすぎというか単に間違いだろう。
この点は、べんさんも許してくれるだろうと思う。
だから、岡崎氏の作品の固有名は作品のどこにあるのかといった議論は
結構難しいと思う。うかつにやれば私みたいに何かにつけ対位法対位法
と呪文を繰り返すしかできなくなるだけのフェチあほうになっちまう。
と、これまでの書き込みを批判してきたかたはいいたいのかもしれない、
もしそうならこれはこれで理解できると思います。
ジサクジエーン
942 :
ぺん(ぺん):02/10/04 04:06
>>940 対位法の考え方は分かりやすくて明快だと思います。
あまり批判を気にし過ぎなくてもいいのではないでしょうか。
>>941 漏れは、いやまじでさんとは別人ですよ。
たまたま興味を引く見解を見つけたので、カキコしたまでです。
943 :
ぺん(ぺん):02/10/04 04:07
他のROMの方々、岡崎作品の話が続いて申し訳ありません(汗
岡崎作品に類似する構造をもつものとして
クセナキスの音楽を引き合いに出したのですが
よく考えると、方向性はかなり違うと思います。
その点、セリー音楽も、対位法を複雑化することによって、
通常の人間の聴覚による把握を超えてしまい
ある種の貧困さに至らざるを得ないという点で
方向性は違うのではと思います。
浅田氏の指摘するように「割り切れるところはとことん割り切る」ことにより、
複雑化を避け、あくまで単純・明朗さにとどまることで
視覚的に十分に把握可能なものとした点が、異なると思います。
すなわち、音楽的な類比を持ち出すならば
やはりバッハではないでしょうか。
(ホフスタッターがバッハとエッシャーを対比させたのは有名ですが
エッシャーの絵はあからさまに自己言及的・パズル的な作品で
バッハの持つ、単純・明朗な美しさとは、相容れないと思ってました。)
岡崎作品は、フォーマリズムの極地でありながら
同時に、バッハに連なるような、ほとんど古典的な作品と言えるような気がします。
944 :
考える名無しさん:02/10/04 04:14
美術鑑賞板にその内容を書くべき
945 :
考える名無しさん:02/10/04 05:11
そろそろこの議論やめて次移ろうよ。
浅田が批判してた岡崎展覧会のパンフレットに載ってる
石岡なんとかって人の解説でも読めば?
すごい的確だよ。
それにしても浅田ってパンフレットの解説文までチェックしてわざわざ
批判するんだね。
「冗長でうるさい」とか書いてたけど
パンフレットの解説文が冗長なのは当たり前じゃない?
よっぽど書くことがなかったのか、個人的な恨みでもあ
946 :
考える名無しさん:02/10/04 05:57
947 :
考える名無しさん:02/10/04 06:05
>>945 (石岡氏の解説を読まないでいうけど)
たぶん、自分のシマを脅かす若い芽はあらかじめ刈り取っておこうという
意図もあったのかも。普通さ、浅田って新人を(無視することはあっても)
名指しでわざわざ叩くなんてことはしないわけだし。ほんとに不味い解説
ならもっと具体的に批判してくれと思ったよ。
948 :
考える名無しさん:02/10/04 12:26
>>947 冗長でうるさいのが浅田の持ち味だから、そうかもね。
>>950 次スレよろしく
岡崎ネタはこのスレで消化すればいいのでは?
950 :
考える名無しさん:02/10/04 14:59
2ちゃんねるには、
「プロ固定」と言われる
給料を貰って毎日書き込みをする人物が、各板に5人から15人、います。
一人の職員は、たいてい3つ以上の板を掛け持ちします。
2ちゃんねるマガジソにて取材を受けていた人物は、
全員プロ固定です。
2ちゃんねるは、個人情報を一つのIPあたり0.01円で販売しています。
コレは、同一のIPであっても「日付毎」時間ごとに別個に販売しています。
コレは事実です。
京大みのるをさらした時、集まった人の半数以上はプロの探偵でした。
自作自演です。
「彼等は」インターネットのIPやメアド等、その情報から個人情報を割り出して
人をさらす事が、出来るのです。
2ちゃんねるの個人情報は、権力に販売されています。
「創価・公明板」 この板が存在する理由、知っていますか。
「創価に批判的な人物」の個人情報を集める為です。
嘘かどうかは貴方の判断に任せます。
ただ、「事実」です。
危険があるサイトである事を、よく認識してください。
なんとも微妙な950
>>950 真偽のほどは知らないが、情報サンキューです。
要は各自が自分の発言に気をつけろということにつきますね。
はじめっからバッハって言えばいいじゃん。
クセナキスのような全体的な確率性を
岡崎は否定していたはず。『モダニズムのハードコア』
「モダニズムの再検討」あたりで。
>>947 浅田っちはそんなにセコくないやい!(w
もちろん、そうだといいんだけど!
でも、妙に下世話なところあるからなあ(w
955 :
考える名無しさん:02/10/05 00:38
岡崎乾二郎の話題もいいと思う。でも新スレでは
彰の話にしよう
957 :
考える名無しさん:02/10/05 09:17
試みにあげます
私は岡崎氏の作品を捕らえる領域として浅田氏の指摘をふまえ、すくなくとも
次のことが言えるかと思います。1)対位法、ないしは形式的操作に関する造形言語
での構築的作品として 2)現象学的というかこーりん・ろう的アプローチ可能な
作品として(本来そこに同期し得ないものの同居、諸次元のある次元での同居)
3)読むことのアレゴリー(ドマンの意味で。テクストはそれ自身の誤解の寓話であるとする)
いたずらなあそびごころってやつです(けっこう蛍光灯をちかちか点滅させるのやりますね)
まあ、彼はそれにどれだけ持ちこたえられるか自身を試す意味でも
つねにその作品において、複数の同居し得ないものをむりやり同居させる試みを
している、そこに私は一つ感動しますね。同居し得ない、という意味はもちろん、
その現象一つを認識しようとすればその他の現象は浮上してくるわけない、そういう
関係にある諸現象がしかし視覚において同居している困難のことで、この事態を捉えるには
けっこう分析能力が必要であるとは思いますね。個々の現象に気づき、なおかつそれらを
認識ないし認知の次元において一つ一つ明晰に分析していって始めて同居不可能と論理的に
いえるわけですから。この意味で、岡崎はかなり知的な(その理解に論理的分析を要する)
作品を作ってきたなとは思います。ただ、そのこと自体は、その知的操作ふりには
本当は驚いてはいけないんだと、繰り返したいとは思います。岡崎がいうように、
むしろこうした作り方があまりにも日本ではなされてこなかったのではないかという現状認識
が彼にはある、だから彼にはこういう作り方はむしろ美術かとして当然やるべきこと。
そして、彼の場合名人芸ともいえるかもしれない技術さえあるんですよ。たんに純粋に知的に
つくれるわけないんでね。技術でそこはカバーしているわけです。みえないところで。
そこももっと評価されていいのかもしれません。セラミックの作品なんか、焼き方において
うまいことやってますよ。つまり、そのまま焼けば爆発するものをさせない作り方をしている。
くりかえしますが、岡崎の作品に何か感銘をうけるとしても、それは対位法的であるからではない
気がしますし、じゃあ技術かっていうとそうじゃあないと思うし、これまであげられた論点に還元しにくい
なとは思います。岡崎氏の言葉を借りると、コラージュでもいい作品もあるしだめなのもある、
コラージュがうまく機能しているものもあるしそうでないものもある、同様に岡崎氏の作品では
対位法が「うまく機能している」んでしょうね。たんに対位法的構築だからいいというのではない。
その「うまさ」をどううまく言葉にするかってのが批評家の手腕ではないかとさえ、私は思う。
私にはその手腕がないってことですね。
浅田あきら
先日、テレビ朝日で放送された特別ドラマ番組「負け組みキックオフ」
には心底衝撃をうけた。メロドラマ的な純愛の都合のいい物語、それで
いてたからかに情熱に燃え尽きることに対してはあくまでクールに突き
はなした平凡な人間関係の心理的な処理の操作にばかり没頭する最近の
TVドラマの気分=感情の操作とは違う何かがそこにはあったのである。
まず平凡な人間関係が設定され、それが一度絡みもつれあった末、恋人た
ちの思い出の風景などを絡めながらも、ほとんど話し会いによってそれが
解きほぐされるというだけのそれ自体、空虚なフィクションに裏打ちされ
たドラマがある。そこでは残酷な運命といったものがあるときに、むしろ
人物に対してあまりに空疎に展開されるばかりでリアリティを欠く脚本が
あり、大根役者が「感情」を込めてそれを読むことでむしろ感情を逸らし
ているというべきだろう。そこでしかし、このドラマにおいてはそのよう
に相対的な人間関係から積み木崩し的に演出されたドラマからコペルニクス
的な転回がおこなわれたといえるだろう。つまりあらかじめ気分=感情か
ら出発し、動機に対して人間関係の葛藤や矛盾が展開して物語の筋から真
に人物の個性が露呈されるのに見る側は圧倒されるのである。ようするに
ダメ親父にすぎない飲み仲間がいつもの居酒屋で杯をかわしながらワール
ドカップの中継を観戦して盛り上がり、酔った勢いで自分たちもサッカー
チームを作り青春を取り戻そうとして立ち上がって、たんなるダメ親父の
自意識過剰なレッテルである「負け組み」という刻印を自ら剥がそうとす
る。そしてそれは実際にサッカーの試合で敗北し現に「負け組み」となっ
て解決されるという支離滅裂な自己欺瞞の物語なのである。そのはずが、
しかしその面々が大杉連に鈴木ヒロミツ、岡本信人、平田満、小倉久寛と
くれば勢いこのスポ根奮闘記をしかしたんに説話論的な次元にとどまるこ
となく疾走させるに十分なのだ。つまり単刀直入に言えば「負け組み」と
しての『ツラ』があまりに奇抜であり彼らがグラウンドに全力で走り、飛
びはね汗を流して、息を切らす姿に見る側も同じように反応し手に汗を握
るだろう。ここでそれをグロテスクとして目を伏せる女性のドラマ愛好家
はそのリアリティに耐えられるだろうか?
話は変わって、國分功一郎のドゥルーズ論がある。よんだ?
(ウェブによれば、國分の専門は政治学、とくに政治思想史、ライプニツということらしい。
そこでは53年のドゥルーズ「無人島」の要約をしながらそこに政治的非主意主義を導き
それ以降ドゥルーズが論じたことの一貫性を確認しようと
し(ドゥルーズ思想それ単体では政治的には意識的に自ら異議申し立てすることなく
ただ待ってる、つまり非主意主義、+ガタリ思想によりはじめて
政治へ自ら一歩踏み出す可能性)、それからドゥルーズの統一像作成への序奏
(散乱せるドゥルーズ像についてはここ
http://www.criticalspace.org/special/kokubun/020617.html)
となっている。ズーラビクヴィリによるレッテル「存在しうるもっとも非主意主義的な哲学」を参照し
ズーラヴィクヴィリの結論「可能なものを超えて生成へと向かうこと、可能なものと必然的なものとの同一性に至る
こと、そこではもはや意志は偽の問題でしかない」に賛意を示しつつも次のように疑義を呈する。
すなわち、ところでほかならぬドゥルーズ自身いかにしてそんな地点に到達していたっけ?
いいかい、初発から先ほど分析して示したように非主意主義だぜ?意味の論理学においても
同じようなことを書いた論文をくっつけてる。やっぱよ、そういう意志は偽の問題だといえる
地点に到達したのはよ、ガタリとの遭遇においてはじめてじゃあないか?ドゥルーズ哲学単体では
出てきようもない結論ではないか、と。おそらくこういっていたとおもう。
いずれにせよ、彼はドゥルーズの統一像、一貫して見える態度を提出すべき頃合だろうと
いっていて、けれど単体で無理に政治的行動主義みたいなものを取り出そうとしてもむだだよ、と。
興味深い論文だった気がする。
>> いやまじでさん、
ドゥルーズ論の紹介はうれしいのですが、ちょっと唐突なような、、(汗
945 からの流れ的には、浅田が批判していたという石岡なにがしの
岡崎評をレポートとかしてくれないかな、なんて期待していたのですが。
ドゥルーズはドゥルーズ・スレがありますし。
あ、わりいわりい。
でもおいらまだ、岡崎のパンフもってないんだ、
通販の注文してないんだ忘れてて。
とりあえず寝た不利をしたのだけど、おしゃるとおり。すまん
個人的には、國分のいいぶんにちょっと不明が合ったんで、みんなは
どうだったろうかときいてみたまで。また後で別スレにでも質問するよ。
ここには岡崎氏の作品を観るために知っておくべき前提となるような事柄が
、ほぼ、過不足なく書き込まれている。このような優れた「解説」の不在が、
現代美術をどれだけ不毛に孤立させていることだろうか、といつも思うのだ。
ここで石岡氏によってなされていることは、「岡崎理論」によって「岡崎作品
」を厳密に読み込む、ということだと言って良い。だが、「岡崎作品」が「岡
崎理論」によって読み解かれる、ということが果たして「岡崎作品」にとって
幸福なことなのだろうか、という疑問が浮上してしまうのも事実だ。(勿論、
石岡氏によって書かれたのは「解説」であり「紹介文」のようなものであって
「批評」ではないので、それに文句をつけるつもりは全くない。)
>いやまじで
965って古谷じゃん。藁わせんなよ(藁。
コイツは浅田の犬。web critiqueでもロクな文章書かなかった。
ふーん。そうだったんだ
ありがと。わんわん!!
969 :
考える名無しさん:02/10/06 02:17
浅田が古谷をパクったのでは?
いま、古谷の論をうぇぶくりてぃくで拝見してきたけど、すくなくとも
私のこのスレでかいたことよりは用語法において正確だった。
紹介に感謝する>居酒屋
971 :
ぺん(ぺん):02/10/06 02:37
漏れもパンフ持ってないんで石岡氏の解説は
誰かUPしてほしいです。
いやまじでさんが指摘するような「対位法が『うまく機能している』」状態というのは
例えば、対位法をある種の反復写像として考えると
その写像によってアトラクターを得ている状態と解釈されるかもしれません。
(いわゆる「複雑系」の考え方を性急に一般化してしまうのは
それ自体、貧困な理論になってしまうでしょうが
解釈の際のヒントくらいにはなると思います)
それから類推すると、エッシャーの絵は
明らかに周期性を持っている状態と言えるわけで
バッハのようなアトラクター状態(?)とは異なりますよね。
(ゲーデル文は反復写像における不動点に相当するでしょう)
『経験の条件』において岡崎氏が指摘する
ブランカッチ礼拝堂の壁画における「十六分の一だけズレた十字架の杭」は、
この壁画は、完全に自己完結的な周期性をもつものではなく
アトラクターのようなズレを孕んだ周期性を持つことを示しており
それだからこそ、格別に人を引き付ける魅力を持っていると言えるかもしれません。
972 :
考える名無しさん:02/10/06 18:34
次スレ立てられなかったよ
でもね、べんさん。
べんさんは丁寧な説明をしているけど、
そういう解釈それ自体がやはりそろそろ打ち止めにしたほうが
いいとおもう、というのはね
岡崎よんでればいいわけだからさ。
岡崎の作品から岡崎理論を引き出してきてもしょうがない部分があるはずです。
それは悪くないんですよ、しかしですね、それだけだとだめですよ。
考えてください。作家はどうおもうか。かなりいやになるはずですよ、
感想や解釈を聞いてみたところ、なんと、目の前の観客がじぶんのそれまで
書いていたことやはなしていたことを鸚鵡返ししてくるわけですから!
いや、そうなんだよね、すまん。
ああ、そうか。
だからむしろ、げー出る・エッシャー・バッハでいくところまで
いけ!っていうのもあるわけだ。かけるところまでかいてみろ、と。
いいとおもいます。私はとくにいうことないし。
むしろ皆様のかかれるところに期待しています。
古谷日記の一日後に浅田は感想をうぷしているね
978 :
考える名無しさん:02/10/06 21:10
次スレの時間ですよ?
古谷はどうやって食ってるんだ?
居酒屋店員は残り物のおすそわけだろうが。
プチヒモ状態じゃないの?
981 :
考える名無しさん:02/10/06 23:19
i-critiqueに中沢新一評があるというのは本当ですか
984 :
考える名無しさん:02/10/07 02:07
↓美術館賞板・岡崎スレでハケーン。このスレなめられてる(w。
ていうか、謙虚なようで、こいつ怖〜い。自演臭いし
631 :いやまじで ◆anzn0cLyDU :02/10/06 20:29
どなたか、饒舌なタイプが望ましいのですが、
すでにリンクをご存知のようなので、ぜひいらしてください。
そして、あそこのレスの愚かさを明示してやってください。
私も書いたけど、実のところ気に入っていません。
けっきょく、石岡というのとに低るか(したがって岡崎の論文読むが一番となる)
それ以下の論外と思いますから。
わーい、みっつかっちゃたー
986 :
考える名無しさん:02/10/07 02:26
>>985 お前単にぺん(ぺん) を晒したいだけだろう?
古谷の日記読んだよー。今まで読んだ中ではまだマシだったな。
「正直、これが絵画として良いのか悪いのかよく分からない」ってところが特に(w
しかし、上にもあったけどモダニズムのハードコアの中の
確率の話はやっぱりおもしろいよね。おもしろいというか、引用しやすい。
でも「リリィ・シュシュのすべて」批評とか、やっぱり浅田さんと比較すると
ぜんっぜんダメだね。977はいやまじでだと思うけど、まさか浅田さんが
古谷の日記を読んで影響を受けたとか思ってる?
>>986 たぶん、いやまじでの自作自演。どーでもいいから下げ
私はしかし自作自演したことないから
はっきりと告げておく。
<<おまえなんかだれもしんようしないんだぼけ。
はいはい、しかし、したこともないのに、するとあえて言う必要を感じない。
ややふざけたことをやったのは悪かったと思ってる。
だけど、それに便乗してかいいがかりをつけられるのはごめんだな。
浅田と古谷との影響関係やどっちがそのイヌであるかなんて
下らん問題にいちいち口出し南下するか ぼけ!
その調子♪
>>987 浅田は美術についてそんなに厳密じゃないし古谷の影響かも
991 :
ぺん(ぺん):02/10/07 04:35
いやまじでさんには、単に鬱陶しいと思われたのでしょう。
ちょっと残念ですけど。
漏れは、今たまたま数学基礎論に関心を持っており
(ゲーデル・スレで地味に勉強もしてます)
ゲーデル数化を写像として考えると
岡崎氏の考えるような「写像」や、対位法などと
構造的な類似性があると思って、興味を持ったのです。
それで、数学基礎論における考え方でもって
岡崎作品や岡崎氏の見解を解釈したら面白いんじゃないかと思ったまでで
「岡崎の作品から岡崎理論を引き出」すつもりは、まったくないです。
そもそも岡崎理論というのが、どのような理論なのか
漏れはよく分かってないです。
(『経験の条件』も一度目を通したでけですし、
そこで使われている変換や写像の考え方は、
間違ったところがあるとも思ってますし)
そもそも、このスレにカキコしたのも
浅田氏の「明晰な謎」などといった表現が、
作品の分析を拒否して、曖昧な言説で逃げてるのではと感じたからです。
岡崎理論で岡崎作品を解釈することの是非は置いとくとしても
少なくとも、岡崎作品を分析的に解釈しようとする姿勢は礼儀なのではないでしょうか。
あと、ちなみにホフスタッターは、単に批判するために引き合いに出したまでで
それ自体には興味はありません。
992 :
ぺん(ぺん):02/10/07 04:42
このスレも、残り僅かで打ち止めですが
誰か、岡崎理論を解説して頂けたら、うれしいです。
994 :
考える名無しさん:02/10/07 12:36
「明晰な謎」が逃げだというのには禿同
>631 :いやまじで ◆anzn0cLyDU :02/10/06 20:29
>どなたか、饒舌なタイプが望ましいのですが、
>すでにリンクをご存知のようなので、ぜひいらしてください。
>そして、あそこのレスの愚かさを明示してやってください。
>私も書いたけど、実のところ気に入っていません。
>けっきょく、石岡というのとに低るか(したがって岡崎の論文読むが一番となる)
>それ以下の論外と思いますから。
>べんさんの力量に敬服しています。
矛盾してるYO!
996 :
考える名無しさん:02/10/07 17:50
1,000げっとー
あさだ
もう
999 :
考える名無しさん:02/10/07 17:53
ぺん(ぺん) の言ってる事はよくわからんな。
>岡崎作品の「絵画や彫刻」を「自然数論や実数論」と対比的に考えた場合
>浅田氏の言う「明晰な謎」という表現も分かりやすくなると思います。
>例えば、素数の分布を考えてみると
>素数はこれ以上ないほど単純・明快ですが
>その分布の不規則性はこのうえない「謎」です。
>それと同様に、岡崎作品は、徹底して単純・明晰でありながら
>同時に把握しきれない複雑さをもっているという点で「謎」です。
>そのような「謎」が具体的な作品(数学ではモデル)において
>歴然として提示されるところに、芸術(数学)の魅力があるのではと思います。
こう言っておきながら、なぜ「逃げ」であるとか、「礼儀」がないことになる?
よっしゃー1000
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。