議論「死刑制度に反対ですか賛成ですか?」Part4

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1考える名無しさん
コテハン叩きのためにまともな議論が荒されている板だけでは
健全な議論ができないことは明らかですので、新らしくスレッドを
立てることにしました。
我こそはと思う論客はご自由に参加してくださってよろしいです。
コテハン叩きをしている連中が荒らしに来ると思いますが、
キチガイの言ってることを完全無視して議論を遂行していってください。

前スレッド
議論「死刑制度に反対ですか賛成ですか?」
http://mentai.2ch.net/philo/kako/1007/10074/1007480436.html
議論「死刑制度に反対ですか賛成ですか?」Part2
http://mentai.2ch.net/philo/kako/1010/10101/1010134510.html
議論「死刑制度に反対ですか賛成ですか?」Part3
http://mentai.2ch.net/philo/kako/1015/10156/1015600096.html
2考える名無しさん:02/06/21 18:08
殺ってよし。
人間って、なんでもやってみたいから、人も殺したいんだよな。
33:02/06/21 21:34
死んでよし。
人間って、なんでもやってみたいから、自分も殺したいんだよな。
4理系学生A:02/06/25 16:45
重い罪には同じくらい重い罰を。てことで賛成
ハンムラビ法典の論理ですね。「目には目を、歯には歯を」。
しかしこの種のルールだと、何も法律を作らないで共同生活するのと
結果があまり変わらない気がします。まあ鬱になってくると
自分の記憶に自身が無くなってくるのにかえって内容を確認しないで
書きこむようになり、人はダメになっていくんですけどね。
6考える名無しさん:02/06/25 17:05
>>4
殺人犯は死刑。
傷害犯は傷害刑。
窃盗犯は窃盗刑。
強姦犯は強姦刑。
詐欺犯は詐欺刑。
強姦した男はホモのいけにえにしろ・・・という主張は聞いたことがあるな。
8考える名無しさん:02/06/25 18:13
人殺しをした男は、殺人鬼のいけにえにしろ。
9考える名無しさん:02/06/25 18:50
殺人鬼には死より恐ろしい孤独と静寂と闇をプレゼント
10考える名無しさん:02/06/25 21:16
>>5
だったら何でハムラビはわざわざ
法律を作ったんだ?
11考える名無しさん:02/06/25 21:19
>>10
マジレスするとそれまでが罪に対して罰が重すぎたから

例えば窃チャして捕まる←持ち主が好きなだけいたぶってよい

みたいな規則が実施されていたから
12考える名無しさん:02/06/25 23:31
じゃ
>何も法律を作らないで共同生活するのと
>結果があまり変わらない気がします。
ってのが間違いだったのね。スマヌ。
13理系学生A:02/06/26 12:33
おそらく多くの人が勘違いをしていると思うので言っときますが、
>>4は復讐やら報復やらで言っているわけではなく
「罪の重さを量るのは罰の重さによってのみ可能」という理屈からです。
まだ罪を犯していない人に罪の重さを教えるには
「どのような罪を犯した人がどのくらい重い罰を受けたか」という
実例を教える以外方法がありません。
よって罪の内容と罰の内容が同一である必要はありませんが、
罪の重さと罰の重さは比例していなければならない。
俺はそう考えます。
>>13
そんなことはないよ。殴られたらとりあえず殴り返す・・・って所までは本能だろ?
15考える名無しさん:02/06/26 15:47
>罪の重さと罰の重さは比例していなければならない。
しかし、アンタの持論は、「罪の重さには上限はないが、
可能な罰の重さには上限がある」だろ?
だったら、ある程度以上には比例させることが
できないんじゃないの?
16哲学仏教派:02/06/26 16:05
がんばれ理系君。しくじって管理職になったときにこの挫折は役に立つと思われるよ。
17考える名無しさん:02/06/26 17:14
理系学生Aは電波だなぁ 38並に・・・
ギャルを騙すと、父親と兄貴が出てきてたこ殴りにされてケコーンというパターンもあるのに、
理系君の社会観はむしろ素朴で平穏な感じすらするよ。
19考える名無しさん:02/06/27 09:20
>>17
いくらなんでも失礼だと思われ。
「38並」なんて最上級の形容は(略

>罪の重さと罰の重さは比例していなければならない。

もしも、一人を殺して懲役十年だとするならば、
五人を殺せば、「比例」して懲役五十年とすればよい。

もしも、一人を殺して死刑ならば、五人殺しに対して
どのように報いれば、罪と罰とを「比例」させることが
できるだろうか。

理系学生にはぜひとも答えてもらいたいものだ。
>>20
懲役二百年だとか死刑五回だけど恩赦で終身刑だとかいう例はあったと思われ。
こういう数字でもステータスになるので限界に挑戦する奴が後を絶たないので
あまりよいリーガルフィクションであるとは言えないとおもわれ
22理系学生A:02/06/27 12:44
>>15
たしかに。だからこそ「なるべく重い刑」の存在が必要になり、
それ以上はしかたないとし、「最高刑」を課す。
比例させようがないから。
>>20
懲役10年と懲役50年はたしかに年数だけみれば5倍になっているが
「罰の重さ」は本当に5倍になっているかな?
また、上にも書いたように「最高刑以上」は比例させようがないので
しかたなく最高刑を課すしかない。
俺はそう考える。
23考える名無しさん:02/06/27 14:34
>年数だけみれば5倍になっているが
>「罰の重さ」は本当に5倍になっているかな?

じゃあ逆にきくけど、懲役の年数でははかれない
「罰の重さ」って何さ?
罪の重さと「罰の重さ」とを「比例させる」って
からには、何かの指標で「罰の重さ」をはかるんだろ?

懲役の長短じゃないなら、何を「比例」させるのよ。


>しかたなく最高刑を課すしかない。

その理屈だけだと、最高刑が終身刑であっても、最高刑が
獄門さらし首であっても、問題はないね。
「最高刑までは比例、最高刑以上は最高刑」でさえあれば。

「最高刑」がイコール「死刑」でなければならない、と
理系学生が考える根拠は?
24教導者:02/06/27 16:00
ここも私が管理人として管理をしなければならないようですね。
まあ私しか論理的な議論は出来ないのは自明となっていますから
当然と言えば当然ですね。
>23
>「最高刑」がイコール「死刑」でなければならない、と
>理系学生が考える根拠は?
理系学生にそんなことを聞いても無駄。
過去ログで死刑を支持する根拠が理系学生には皆無であることが
私によって暴露されたのだから。
25考える名無しさん:02/06/27 16:35
>>24
他人の意見に根拠がないことはわかっても、
自分の言ってることに根拠がないことは
理解できないようですね。

あなたにとって、自分の口から出る言葉は
すべて完全無謬で論理的な論証なのですか?
26考える名無しさん:02/06/27 16:43
>ここも私が管理人として管理をしなければならないようですね。
お前、そんなにあちこちで「管理人」やってて疲れない?
てゆうか、
「管理人」ってのは、他人の立てたスレッドで突然
「今からここの管理人は私になりました」って宣言すれば、
それだけでなれるものか?
俺が孟子スレとかで「今からここの管理人は私になりました。
1は消えて下さい」って言えば、お前は泣きながらどっかに
消えていくのか?(藁
27教導者:02/06/27 16:45
>25
全然過去ログを読んでいない方ですね。
根拠が無いとか論理性が無いとか
指摘できるのなら具体的にそれを指摘できるはず、
私が理系学生の主張へ指摘したように。
別に私は反論は受け付けますよ、
批判自体も私の論理の更なる昇華への糧として
むしろ望ましくらいです。
28考える名無しさん:02/06/27 16:47
hantai
29教導者:02/06/27 16:49
矢張り私しかこの死刑議論に関するスレの管理人をできる資格はないようですね。
まあ荒らしは無視と言うことはどのスレでも
私が言うまでも無く当然のルールだが。
30考える名無しさん:02/06/27 16:59
>根拠が無いとか論理性が無いとか
>指摘できるのなら具体的にそれを指摘できるはず、
お前が何か具体的な論拠を述べたことがあるなら、
それこそ具体的に指摘できるはずだろ?
なんでヒトツオボエで「過去ログ」を見ろとしか
言えないんだ?
それしか知らないんだろ?

お前が何も具体的な説明をしていないのに、
「説明をしていない」箇所を指摘なんか
できるわけないだろーが。
おまえは一体、「ない」ものをどうやって
具体的に指摘するんだ?(藁
31教導者:02/06/27 17:05
負け犬死刑支持論者って見苦しいね。
私に完全に論破された理系学生の程度だろうな、
死刑支持論者という者達の力量とは。
32考える名無しさん:02/06/27 17:10
言い返せなくなったらとりあえず
「おまえは論破されている」(^^。
一年以上前から同じ事の繰り返しで
進歩のあとが全然見られないな。


馬鹿は馬鹿なりに、自分が馬鹿だってことを
自覚して、おとなしくしてればいいのに。
わざわざ馬鹿さ加減をひけらかしに来て
叩かれるのは、マゾ感情の発露なのか?
33教導者:02/06/27 17:14
死刑支持論者には客観的に自分と言うものを把握して
理解できないとうことが特性としてある。
だから私に論破されて反論できなくても、
死刑支持論者は自分に論理があるとか妄想するようになる。
だからこの手の議論には私のような客観的に思考できる
人間が管理人として必要不可欠な存在となる。
34考える名無しさん:02/06/27 17:16
鏡の前に立って自覚しろよキティガイくん。
反論できないからって妄想して逃げてるのは
 

 お ま え の ほ う だ よ


35俺もだが:02/06/27 17:17
皆暇だな。
36いやいや:02/06/27 17:19
暇つぶしで終わらせるには勿体ないって。
 
モノホンのキティガイと話す機会なんて
学会でも滅多にないんだからさ。
せいぜい経験を積んどこうよ。
37教導者:02/06/27 17:20
見苦しく妄想吐いて死刑支持論者が敗走していくのは
死刑議論で風物詩となってしまったな。
38考える名無しさん:02/06/27 17:22
見苦しく妄想吐いて38が開き直るのは
昔からの哲板の風物詩だけどね。
39教導者:02/06/27 17:26
死刑支持論者というキチガイをみて楽しんでいる
方はさぞ多いかろう。
これほどのキチガイは滅多にいないだろう。
40考える名無しさん:02/06/27 17:29
安心しろ。
キティガイは、自分がキティガイだということを認めないからこそ
キティガイなんだ。

きみのまわりの人間が全員きみのことをキティガイだと言っても、
それは衆愚状態なんだから、気にすることはない。
きみが認めない多数決は衆愚状態で、君が認める多数決こそが
健全で民主的な状態なんだ。

地球上の誰もが認めなくても、君は絶対に正しいことを言っている。
胸を張って、今後もきみは、絶対に正しいことを言い続けて、
絶対に正しいことをしつづけて、胸を張って生きていけばいい。
41考える名無しさん:02/06/27 17:31
教導者さんはなんでそんなに頭がいいの
42考える名無しさん:02/06/27 17:32
そりゃ教導者は、社交的な文化人で、
旧帝大の院生であらせられるからねぇ。(藁
43教導者:02/06/27 17:33
死刑支持論者は客観的に自分と言うものを把握できない、
知能のレベルが低いというものではなく、
ただ死刑支持論者というものは病んでキチガイなだけであるから。
4441:02/06/27 17:34
教導者さん御本人に御答えしていただきたく存じます
45考える名無しさん:02/06/27 17:35
悪口雑言は聞き飽きたから、たまには論理的な説明でもしてみろよ。

とりあえず、スレの「管理人」になるためには、どうすればいいの?
過去ログに「ない」ものを具体的に指摘するためには、どうすればいいの?
4641:02/06/27 17:36
ほんとは42と43の間に44だったのに
失礼


47教導者:02/06/27 17:39
過去ログにすべてある。
過去ログにないというものは敗北宣言と同じようなものである。
何故なら、ないということは事実に反するから。
48考える名無しさん:02/06/27 17:41
過去ログ=タルムード
49考える名無しさん:02/06/27 17:44
あるなら「ある」というだけじゃなくて、part何のどこにあるか示せ。

もちろん、できないよな? だって、「ない」んだから。
だからウダウダ言って、示せないことをごまかそうとしてるんだろ?

だいたい、自分の書き込みもろくすっぽ憶えていないお前に、
なんで「過去ログにすべてある」なんて言えるんだ。
笑わせるな。
50考える名無しさん:02/06/27 17:46
スゲーおもろい
なんじゃこりゃ
51教導者:02/06/27 17:49
死刑支持論者は過去ログを見ようとしない。
それもその筈、私に死刑支持論者達が完全に論破されていく軌跡が
過去ログにあるのだから。
死刑支持論者が過去ログを正視できないのは当然と言える。
52考える名無しさん:02/06/27 17:51
>>50
新参の方ですね。
この「教導者」こそが、削除依頼板で「哲板に古参の荒らし」認定されたこともある
「死刑板の38」その人であらせられますぞ。
心して煽られませい。
53教導者:02/06/27 17:54
削除依頼板でも死刑支持論者は悪質な荒らしと認定されていた。
当然だろうこのスレでの死刑支持論者の荒らし具合から見れば
当然のことである。
54考える名無しさん:02/06/27 17:56
>削除依頼板でも死刑支持論者は悪質な荒らしと認定されていた。

それって、おまえの脳内にある削除依頼板でのことか?

削除議論板で自分がスレスト食らったり削除人に説諭されたからって、
おまえの脳内での事件を「客観的」(藁)な事実と混同するなよ。

現実世界の削除人様たちに失礼だからな。
55教導者:02/06/27 17:58
どうやら削除人すら死刑支持論者は冒涜している。
救いようがないな。
56考える名無しさん:02/06/27 18:00
削除人を冒涜してるのは



 お ま え だ よ






何で自分の立てた「反38連中にアクセス制限を!」スレが
ストップかけられたのか、ママの胸に手を当てて、ゆっくり
考えて見ろ。
57教導者:02/06/27 18:03
死刑支持論者が他の板のスレにまで押し寄せ
荒らしたために削除人は死刑支持論者を
荒らしと認定してスレをとめた。
58考える名無しさん:02/06/27 18:06
ま〜 幸せな脳味噌してるよね。

「荒らされたから止める」ってんなら、ペット苦手板なんか
ぜんぶスレストだな。


理由は、はっきりと書いてあったろ?

単に「自分に賛成しない発言を削除してくれ」
「自分に反対する連中をアク禁してくれ」ってゆー
駄々っ子みたいな要求してるスレだったからなんだよ。

管理人様は、お前のママじゃないんだから
あんまり無茶な要求を出すなよな。
59考える名無しさん:02/06/27 18:09
で、削除依頼板(現実世界の)で「荒らし」認定されて
レス削除とかスレッドストップとか食らってたのは、
38だったか、それとも「反38連中」(藁)だったか?

「反38連中」ってのは、アク禁を食らったのか?
60教導者:02/06/27 18:12
死刑支持論者は永遠に自分の脳内世界に浸りつづけるようです。
61考える名無しさん:02/06/27 18:14

ほらな。

反論できなくなったら、そうやって自分の妄想世界に閉じこもって、
勝ったような気になる。
実際のところおまえ、名字が「阿」で、名前が「Q」ってんだろ?

かわいそうだから、これ以上はいじめないでやる。
もう、その殻から出てくるんじゃないぞ。
62教導者:02/06/27 18:17
死刑支持論者には反論はおろか自分の主張すら
碌にできない者たちである。
やはり死刑支持論者は類をみないキチガイと言えるだろう。
死刑支持論者は自分の脳内世界に浸って出ないほうが身のためであろう。
63:02/06/27 18:17
教導者さん、以下の素朴な死刑支持論に具体的に反論してみてよ。

命の重みが誰でも同じなら、加害者も被害者も同じ重みのはず。
被害者が加害者の凶悪な行為によって命が奪われたなら、
当然加害者の命も刑罰として奪われなければならないのではないですか。
そうでないと被害者の命は加害者より軽いということになりませんか。
64考える名無しさん:02/06/27 18:26
「具体的な反論」「指摘」っていうのは、つまり、相手をキチガイ呼ばわりすることなんですね。
勉強になりました。
65教導者:02/06/27 18:29
>そうでないと被害者の命は加害者より軽いということになりませんか。
法は治安維持のためにある。
表面的な平等論を介入させることは非合理的である。
そのため死刑にしないという時点では被害者の命が低いと
判断されても、それ相応の社会的な貢献を生きて加害者にすれば、
被害者の命は同等になる。
つまり生きていた場合の被害者が貢献した分を償えばよいのだから。
これは表面的な平等論を無理に押し進めたいのであれば
この方法があるというまでである。私の第一の主張でないことはご理解のこと。
(因みに被害者の人権は加害者の処罰とは切り離して他の方法を模索するべきであると
考える)

設問1:
  5行目「貢献を生きて加害者にする」の主語は何か。
設問2:
  7行目「償えば」の主語は何か。
設問3:
  論者は、人間の「命の価値」を何によって判断していると
 考えられるか。
設問4:
  全文を日本語に翻訳せよ。
67:02/06/27 19:14
>>65
 刑法には治安維持と報復の両方の位置付けをし、とりわけ人殺しを
伴う凶悪事件に対しては、報復のウェイトを上げるような位置付けを
してはいけませんか。
 なぜならば、実際の人殺しを伴う凶悪事件には苦しんだ被害者と悲しんでいる
遺族がおり、そういう状況において、>>63で書いたような考えに基づいた
「加害者に死んでもらいたい」という遺族の一般的感情は、正当なものであるように思われるからです。

65の最後の方について
>(因みに被害者の人権は加害者の処罰とは切り離して他の方法を模索するべきであると
  考える)
 遺族の素朴な報復感情を無視してはならないように思う。根拠は
私が書いたこのレスの第二段落により。

68教導者:02/06/27 19:37
>「加害者に死んでもらいたい」という遺族の一般的感情は、正当なものであるように思われるからです。
法に感情を介入するのは法そのものへの冒涜です。
法というものはいかに感情を排除出来るかが問われます。
つまり法とは感情を抑制するために存在しているという側面を持っています。

69考える名無しさん:02/06/27 19:52
>つまり法とは感情を抑制するために存在しているという側面を持っています。
ハッタリかましちゃいけませんよ
そうやって洗脳できると思ってんの?
70:02/06/27 20:09
>>68
>法に感情を介入するのは法そのものへの冒涜です。
 法にひねくれた感情だけではなく、素朴な感情までも導入してはならないの?
素朴な感情さえも導入を拒否される法は、一体何に拠ってたつのでしょうか。
 私は、法は素朴な感情の上に組み立てられているように思います。なぜなら、法は、
例えば「立木に関する法律」のように、慣習に拠る部分が大きいからです。慣習は、素朴の感情と近似的関係です。
よって、法は素朴な感情の上に組み立てられているように思われるのです。
 したがって、>>67の私の主張は正しい思います。
 
   
71螺旋蒼月@:02/06/27 20:10
制度には賛成。
方法には反対。
72考える名無しさん:02/06/27 20:40
「泥棒をしてはいけないと思う」とか
「悪いヤツには罰を与えるべき」とかいう感情を
法に介入させてはいけないのさ。

法律というものは、ただ38の脳内で客観的に
組み立てられたものでなければ、公正とは
言えない。
73考える名無しさん:02/06/27 21:12
ぷ   冒涜   だって
74考える名無しさん:02/06/27 21:17
>法とは感情を抑制するために存在している

誰が決めたんだよ? このキチガイが
75考える名無しさん:02/06/27 21:19

もちろん、法が感情を抑制するために存在するというのは、世界の定説です。

最高ですか―――――――
76考える名無しさん:02/06/27 22:41
脳の病気にかかった奴等はみんなザコです。
殺してかまわない。
77考える名無しさん:02/06/28 00:32
例えば、殺人を犯した人(A)が死刑になった、とします。Aが刑死させられた際に、そ
れに反対していたAの関係者がいたとします。彼らに裁判官や被害者の遺族に対して素朴
は報復感情が生まれた場合、裁判官達を死刑にできるのでしょうか?
7877:02/06/28 00:34
僕の考えは十分後にカキコミます。
7977:02/06/28 00:47
誰も意見してくれないのですね。というか十分が短すぎたのかも。
僕は「できない」と思います。なぜならば「法」があるからです。「法」とはそういった
感情を排除するためにあります。法の発生は素朴な感情かもしれませんが、たぶん理由は
感情の排除でしょう。もし「法」がなければ、殺人の無限ループをうむ可能性があります。
(まあ、今までにそうなったケースはなさそうですが)つまり、どこでその無限ループを
止めるかが、最大の問題です。僕はできるだけ早い段階で止めたほうが良いと思うため、
死刑に反対です。
80採点する人:02/06/28 09:47
「法があるから裁判官には復讐できない」まではともかく、
「法はそういった感情を排除するためにあるから」以下は
脈絡がまったく不明。

自分の考える因果関係や原因-結果の脈絡を、もうすこし
他人にもわかりやすく説明してみましょう。
81理系学生A:02/06/28 10:56
>>79
>「法」とはそういった感情を排除するためにあります。
俺はそうは思いません。「法」とは一定の決まりを作ることで健全な一般市民が
健全にすごせるように、そのためにあると思います。
>>77を例にとると、殺人を犯した人(A)は罪を犯しました。なのでその罪が
死刑に相当する罪ならば法的に死ぬ必要があります。
しかし裁判官や被害者の遺族は別に罪を犯したわけではありません。よって
法的に死ぬ必要は全くありません。
極論をいえば、この区別をつけるための「法」です。
82名無し:02/06/28 11:02
死刑は反対だね。
人が人を殺すのと同じだからね。
殺しはいけないと思うよ。
死刑にならないから・・・という理由で犯罪を犯す人は稀だとおもわれます。
解雇されないから・・・という理由で怠業をする人が稀なのとどうようでありんす
84考える名無しさん:02/06/28 11:24
>>82
なぜ「殺しは(すべて)いけない」と思うの?
そりゃ、私人が無法に私人を殺すのは(たぶん)いけない事だろうけど、
そのことと死刑の執行とが、どう関係するの?
85考える名無しさん:02/06/28 11:29
>>84
普通に考えたらわかるよ。
人間が人間を殺すんだよ。
死刑なんかで人間の命なんて奪ってはいけない。

>>84
この場合は軍事法廷は議論から除かれていると思われ。
死刑制度のルーツに、兵站能力が極端に低い場合の軍隊というのが考えられ、
議論としては現在の日本国の法制度に死刑がなじむか・・・という議論であるとおもわれ
8782の論理:02/06/28 11:31
代金を払って物を買っていくのは反対だね。
他人の物を盗むのと同じだからね。
泥棒はいけないと思うよ。

普通に考えたらわかるよ。
他人の物を自分の物にするんだよ。
商行為なんかで所有権なんて奪ってはいけない。
88さらに:02/06/28 11:35
懲役刑には反対だね。
人が人を拉致監禁するのと同じだからね。
監禁はいけないと思うよ。

普通に考えたらわかるよ。
人間が人間を閉じこめるんだよ。
刑罰なんかで人間の自由なんて奪ってはいけない。
8982:02/06/28 11:40
>>87
つまり、君は死刑賛成派かな?
死刑を戦争に置き換えてくれたほうがわかりやすいかもね。
90理系学生A:02/06/28 11:41
>>83
その例えは意味無いと思う。
仕事をするのは金を得るため。その価値は「解雇」の危険性を上回り、
また解雇されるまでの生活費(もしくは+α)は解雇されても残る。
しかし、犯罪者の視点で見て犯罪する価値が刑罰の重さを上回る
というのはまず無い事だと思いますが、
死刑を廃止することで今、「自分が殺される可能性が無いなら
あいつを殺したい」と考えている奴が殺人を犯す可能性は
否定できません。まあ俺も稀だとは思いますが。
9182:02/06/28 11:42
>>88
俺は死刑のことについて、殺しについて意見を述べてるんだ。
監禁や、泥棒などは関係ない。
92理系学生A:02/06/28 11:53
>>85
(個人の)人間が殺すんじゃない。法が世のため人のために殺すんだ。
罪は罪として裁く。普通に考えたらわかるだろう?
9382:02/06/28 11:58
>>92
だからそれがだめなんだってば・・・
普通に考えたらわかるだろう?
>犯罪者の視点で見て犯罪する価値が刑罰の重さを上回る

下の様な事例もありますね。囚人の待遇を悪くし過ぎると看守の職業的自尊心(←モラル)が低下するものとおもわれます

http://www.asobiya.net/situtomo/pth/03.html
>話は変わりますけど、日曜の「報道特集」観られました?(中略)
満期で終わっても、再犯ですぐ戻ってくるんですって。これやったら老人ホームと変わらんで。犯罪も減らんわ。

>「自分が殺される可能性が無いならあいつを殺したい」と考えている奴が殺人を犯す
山口母子殺害事件の犯人が手紙の中で述べた内容です。

「7年そこそこで地表にひょっこり芽を出すからよろしくな」
「選ばれし人間は、人類のため、社会のため悪さができる」
「裁判官、サツ、弁護士、検事。私を裁けるものはこの世におらず」

裁判官も内容を真に受けている訳ではないと思うのですが、
「現行法を理解していないのなら無法行為を行うことに正当性がある」という思想が
一定の支持を受けており、それを背景に自分の正義を述べているものと思われます。
94下段の引用もれです。
http://www.linkclub.or.jp/~rdi/diary.html
↑でも見て頭冷やせ。
リフレッシュダ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
法律フェチよりアニメフェチ
9987:02/06/28 12:26
>普通に考えたらわかるだろう?
だったら最初から、対話など必要ないだろう?
あなたの頭の中の「普通」は、みんなが共有する「普通」ではない。
もちろん、私の頭の中の「普通」も。
だからこそ、議論が必要なんじゃないか?
それを「普通に考えたらわかる」だって?
100考える名無しさん:02/06/28 12:50
>俺は死刑のことについて、殺しについて意見を述べてるんだ。
>監禁や、泥棒などは関係ない。
つまり、殺しはダメだけど、監禁はOKなのね。
監禁しても放置した結果、自然死すれば倫理的にはOKそうだな。

おもしろいマジ
10282:02/06/28 12:56
>>99
そうだ、普通に考えたらわかるんだ。
対話が必要ないとは言ってない。
みんな深く考えすぎてるから単純に考えてみたらどうだ?っということで普通に考えたらわかると言ったんだ。

>>100
監禁はOKなんていってないだろう。
103考える名無しさん:02/06/28 13:12
普通に考えた結果、違法な殺人と
適法な死刑とを混同している82は
ドキュソだという結論に至りますた。
10482:02/06/28 13:14
(´_ゝ`)ハイハイ・・・
>>104
で、82以外の人が監禁・放置・自然死させてもOKとして、
82自身の倫理観はどうよ?
106考える名無しさん:02/06/28 13:39

(´_ゝ`)ハイハイ・・・

まったく、私の主張している「普通」が
客観的に正しい「普通」であることは、
まともな知能の持ち主ならば容易にわかるものを。
やーすげー。まったくの無法者に倫理観を植え付ける、まるでマープ増毛法のようなことよ
10882:02/06/28 13:52
あんたらには俺の考えはわからんか・・・
戦争okってことなんだな。(>>89参照)
ったくこんなやつらがいるから、争いがなくならないんだ。
あんたらは何が大切かわかってないな。
>>106の考え方はわかってたよ。
だから>>102で説明したのに・・・お前らこんなに説明しててもまだ理解できてないのか。
考えすぎて頭がおかしくなったのか?(藁
109考える名無しさん:02/06/28 13:56
お前が一体、何を説明した?
「普通に考えろ」と言っただけじゃないか。
「普通に考えろ」と主張して誰とも話しが合わないというこの事態の意味するところを考えろって
11182:02/06/28 14:15
ハァ・・・
あんたらあげあし取りすぎ。
結局俺が言いたかったのは、「死刑だけで人間の命は奪ってはいけない。」
これだけだ!
監禁とかいろいろだしてくるからややこしくなるんだろ〜が!
これ以外は関係ないって言ってるのに。
死刑だけで
→死刑という手段で
→死刑判決が出たという理由で

どっちやねん。あと、主語をかいてちょ
11382:02/06/28 14:23
>>112
「死刑という手段」になるね。
11482:02/06/28 14:25
最初から反対に1票って言ってたらこんなにややこしくならなくてすんだのか・・・(;´Д`)
115考える名無しさん:02/06/28 14:31
理由は?「反対に一票」だけでは終われないのが、この板のつらいところです。
>>114
そうそう。なんか今までのかきっぷりだと賛成意見とも取られかねない。
117素浪人:02/06/28 14:35
死刑賛成!

  ていうか世界で死刑がダメだってことになったの何年前ぐらいからなの?
118考える名無しさん:02/06/28 15:02
>>115
たぶん「何があっても人を殺してはいけない!」だと思われ。
119:02/06/28 17:05
教導さん、私の>>70の主張に対する反論は?
120:02/06/28 17:33
>>118が予想するような意見
>「何があっても人を殺してはいけない!」
が、死刑廃止派の死刑を廃止する根拠だとすると、私の死刑存続の根拠
>63 :あ :02/06/27 18:17
教導者さん、以下の素朴な死刑支持論に具体的に反論してみてよ。

命の重みが誰でも同じなら、加害者も被害者も同じ重みのはず。
被害者が加害者の凶悪な行為によって命が奪われたなら、
当然加害者の命も刑罰として奪われなければならないのではないですか。
そうでないと被害者の命は加害者より軽いということになりませんか。

に対する死刑廃止論者の反論は?(また繰り返しになってしまうけど。>>63-70も参照)

121 :02/06/28 18:10
簡単にまとめると、
 公共の福祉のために人を殺すことは許されるか
てことになると思うんだけどそこはどうよ?
122考える名無しさん:02/06/28 21:10
ひちくちに「公共の福祉のため」というけど、
予防的なもの(いま一人を殺さなければ百人が死ぬ)と
懲罰的なもの(殺人犯をペナルティとして処刑する)とで
異なるよね。
とくに後者については意見が割れそうだ。
82はたぶん、前者も「ダメだ」っていうんだろうけど。
123理系学生A:02/06/29 09:26
>>93
>だからそれがだめなんだってば・・・
なにがだめ?

>>122
無論俺は両方賛成
124兎詩:02/06/29 09:33
どーも、あれですね。身近で死刑が起こってみないと、実感がわかず、議論するのが無駄
に思えてきますね。この板に身近な人が死刑になった、もしくは死刑囚の被害者になった
という人はいますか?
125教導者:02/06/29 14:09
>あ
>法にひねくれた感情だけではなく、素朴な感情までも導入してはならないの?
>素朴な感情さえも導入を拒否される法は、一体何に拠ってたつのでしょうか。
> 私は、法は素朴な感情の上に組み立てられているように思います。
それが法への冒涜となる。なぜなら素朴な感情を排除することが
法の目的。それは合理化、効率化するシステム作りへの道具となるからである。
そもそも素朴な感情で運営は無秩序、無法の世界を表している。
つまり理系学生は法を冒涜したいがための死刑を支持していると
指摘されても妥当と考えられるのです。
126考える名無しさん:02/06/29 15:16

>38
なぜおまえは、「法の目的」はこれこれである、と断言できるのか、教えてくれ。
まさか、「私が勝手に作った法だから」とは言うまいな。

おまえひとりが「法の目的はこれこれである。だから、これに反する意見は
法に対する冒涜である」なんて言ったところで、そんな自分勝手な判断を
「妥当と考えられる」のは、おまえひとりだけなんだぞ?

なんでおまえは、「法の目的」はこれこれである、と、そこまで自信を持って
断言できるんだ?

おまえの旧帝大の誰か先生に教えてもらったのか?
何かの本に書いてあったのを引き写しているのか?
それとも、おまえの頭の中だけで考えた結果なのか?
127教導者:02/06/29 15:20
私が語っている「法」の存在理念とうは、
基本的なものであるし。
論理的にも私が懇切丁寧に説明されている。
不十分ならば具体的にそれを指摘せよ。
128126:02/06/29 15:27
とりあえず、「法の存在理念とう」とは何なのか
具体的に説明してくれ。

あと、「私が語っている「法」」というのは、
おまえの脳内でだけで通用する特殊な法なのか、
それとも、他人が議論するに値する普遍的な
法なのか、はっきりさせといてくれ。
129126:02/06/29 15:30
>不十分ならば具体的にそれを指摘せよ。

日本語が充分に通じてないみたいだから、もっかい聞くぞ?

なんでおまえは、「法の目的」はこれこれである、と、そこまで自信を持って
断言できるんだ?

おまえの旧帝大の誰か先生に教えてもらったのか?
何かの本に書いてあったのを引き写しているのか?
それとも、おまえの頭の中だけで考えた結果なのか?
130考える名無しさん:02/06/29 15:31
パンパン
「静粛に。判決を言い渡す。死刑制度は、合憲。」
131:02/06/29 15:33
>>125
 教導者さん、反論までの時間が少し長いですよ。
 それはともかく、125の論旨は次のように理解してよいのですね。
(主張)法に素朴な感情を導入してはならない。
(根拠1)なぜなら、法は社会システムの合理化、効率化のためにあり、
     素朴な感情の法への導入は、その妨げになるから。
(根拠2)素朴な感情を導入された法では、社会運営が無秩序的になるから。
 
 根拠1についての反論。法における合理化、効率化も素朴な感情からの発露ではないでしょうか。
なぜなら、法は窮極的に合理性が追求されているわけではないからです。
>>70でも書きましたが、法は慣習に拠ってたっている部分が、非常に多いわけです。
慣習と素朴な感情は近似的です。先進各国でも、法制度は歴史的な事由で異なります。
ましてや、議論の対象になっている刑法は、なおさらです。
 また、法に窮極的な合理性を持たせるなら、いかなる犯罪も死刑に処すのが
最も合理的だということになりませんか。
 根拠2に対する反論。根拠1への反論の繰り返しになりますが、現に慣習
に拠ってたっている法において、無秩序的でなく社会運営されているではないですか。
132全宇宙一知嚢指数が高い生命体:02/06/29 15:47
結局ね、死刑執行しましたと公に言っておいて、
ホントは殺さなければいいんだよ。終身刑に
すればいいんだよ。

この「実は死刑は執行されていない」
というのは、公にばれると、殺人とか兇悪犯罪の
抑止にならなくなるから、秘密にしないといけないな。

隠されている法律を作ればいいのだ。
133世直しサイト:02/06/29 15:48
134教導者:02/06/29 15:50
>あ
>法における合理化、効率化も素朴な感情からの発露ではないでしょうか
感情のレベルでなく。生物本来の目的、如何に生きれるか?
という目的で素朴な感情と言う極めて下位に位置する無意味な
存在なものでない。
>慣習と素朴な感情は近似的です。先進各国でも、法制度は歴史的な事由で異なります。
>ましてや、議論の対象になっている刑法は、なおさらです。
慣習と素朴な感情とは近似的とは言いがたい、確かに
慣習には宗教的なものであり素朴な感情と言えるものも多多在るが、
その慣習を規制し感情を排除して合理的なシステムの道具であるために
法が存在している。
>無秩序的でなく社会運営されているではないですか
効率化、合理化が行われていない社会は無秩序、無法社会に
近いといえる。つまり現在の社会は、
「(理系学生のような)脳内で完結している人達が秩序があると妄想している無秩序状態」と
極端ですが言えるでしょう。
135考える名無しさん:02/06/29 15:52
ただでさえ下手くそな日本語が、どんどんおかしくなってるぞ。
落ち着いて推敲し直せ。
136126:02/06/29 16:22
>>134
いいから俺の質問にも答えろ。
おっと、答えないのは「逃げている」からか?
137教導者:02/06/29 16:30
>126
かわりにあさんに返答しているだろ。
そもそもあさんにあなたは被っているし。
138:02/06/29 17:27
>>134
教導者さん、もっとわかりやすく書いてよ。

>感情のレベルでなく。生物本来の目的、如何に生きれるか?
 という目的で素朴な感情と言う極めて下位に位置する無意味な
 存在なものでない。

これは、次のように理解していいの?
 
 法における合理化とは、感情のレベルのものではない。
 法における合理化とは「生物本来の目的、如何に生きられるか? 」
 という目的であって、素朴な感情という無意味なものではない。

 この解釈が正しいとすると、次のような疑問が生まれます。
 私は、「法における合理化は、素朴な感情の発露である。なぜなら、
法は窮極的に合理性が追求されているわけではないではないか。」と主張しました。
教導者さんの主張「法における合理化とは、{生物本来の目的、如何に生きられるか?}
という目的である。」の根拠は何ですか。

>慣習と素朴な感情とは近似的とは言いがたい、確かに
 慣習には宗教的なものであり素朴な感情と言えるものも多多在るが、
 その慣習を規制し感情を排除して合理的なシステムの道具であるために
 法が存在している。

 上の文に対して、反論を二つ。
 一つ目の反論。「慣習には宗教的なものであり素朴な感情と言えるものも多多在る」のなら、
慣習と素朴な感情は近似的でしょ。
 二つ目の反論。「その慣習を規制し感情を排除して合理的なシステムの道具であるために
法が存在している。」しかし現実には、法は素朴な感情に基づいて存在しているではないか。
中世ヨーロッパでの素朴な感情「王は絶対である」に、自由主義者はこの素朴な感情を真正面から批判した。
教導者さんは、私が63で示した主張
>命の重みが誰でも同じなら、加害者も被害者も同じ重みのはず。
 被害者が加害者の凶悪な行為によって命が奪われたなら、
 当然加害者の命も刑罰として奪われなければならないのではないですか。
 そうでないと被害者の命は加害者より軽いということになりませんか。
に真正面から反論すべきだ。

>効率化、合理化が行われていない社会は無秩序、無法社会に
 近いといえる。つまり現在の社会は、
 「(理系学生のような)脳内で完結している人達が秩序があると妄想している無秩序状態」と
 極端ですが言えるでしょう。

 「効率化、合理化が行われていない社会は無秩序、無法社会に近いといえる。」について。
 質問1。効率化、合理化が行われた社会とは、どのような社会ですか。
 質問2。現在の社会が「無秩序、無法社会に近いといえる」といえる根拠はなんですか。
ちなみに、私が現在の社会が秩序あると思うのは、法曹界の人々が(素朴な感情に基づいた)法に
のっとて行動し、法を犯せば弁護士をつけられて三審制の裁判にかけられ、それで有罪になれば刑罰を受ける
というところなどが、根拠となっているからです。
139教導者:02/06/29 17:43
>あ
>教導者さんの主張「法における合理化とは、{生物本来の目的、如何に生きられるか?}
>という目的である。」の根拠は何ですか。
読解力の低い方のようですけど。
法の目的が「生物本来の目的、如何に生きられるか」というものにそわなければならないと
言っている。つまり合理化はそのプロセスの問題。
目的とプロセスというものを分けて理解して反論してください。
>一つ目の反論。「慣習には宗教的なものであり素朴な感情と言えるものも多多在る」のなら、
>慣習と素朴な感情は近似的でしょ。
まだ分かっていますね。多多あるというだけでは近似的とはいえない。
慣習の一部分という風に言い換えれば良いか。
 >そうでないと被害者の命は加害者より軽いということになりませんか。
まず刑罰に関する法は治安維持が目的。
被害者のために存在するのではないことを理解しておかなければならない。
被害者との表面上の平等論者が被害者の私的な感情で
人を殺めると言う法の冒涜行為を主張すると言う
理系学生の主張になる。
つまり被害者の人権は刑罰とは切り離して考えられるべき。

>質問1。効率化、合理化が行われた社会とは、どのような社会ですか。
感情を廃して現在採れうる最良の法整備が行われている状態。
 >質問2。現在の社会が「無秩序、無法社会に近いといえる」といえる根拠はなんですか。
上記の根拠並びにこのスレで何度も言っているレスから自明。
>法を犯せば弁護士をつけられて三審制の裁判にかけられ、それで有罪になれば刑罰を受ける
>というところなどが、根拠となっているからです。
その法が感情論で立脚しているのであれば
無秩序がのようなものと極端だが言える。
140126:02/06/29 18:55

>そもそもあさんにあなたは被っているし。

被ってるかどうかは知らん。
だが、何がどうだろうと、質問に答えないのは「逃げ」なんだろ?
これは、おまえが他人を侮辱するときにいつも使う論法だったな。

さて、

   なんでおまえは、「法の目的」はこれこれである、と、そこまで自信を持って
   断言できるんだ?

   おまえの旧帝大の誰か先生に教えてもらったのか?
   何かの本に書いてあったのを引き写しているのか?
   それとも、おまえの頭の中だけで考えた結果なのか?


自分が「逃げてない」「すべての質問にレス返してる」と妄想してるんなら、
今度こそ答えろよ。
これで3回目だからな?

答えられないんなら、「答えられません、ごめんなさい」と言っていいぞ。
141教導者:02/06/29 19:00
>140
だから法に関する一般的なことを述べているだけだ。
だから断言できる。
今までのレスを読んでて理解できなかった?
そうだったら、あなたが余程の低脳の人間だったってこちらは理解するよ。
142126:02/06/29 19:04
>>質問2。現在の社会が「無秩序、無法社会に近いといえる」といえる根拠はなんですか。
>上記の根拠並びにこのスレで何度も言っているレスから自明。
つまり、おまえが現在の社会を「無秩序、無法社会に近いといえる」と判断するのは、
「現代社会が、私の正しい意見に従わない衆愚状態にあるから」ということだな。
過去ログによると。

>>教導者さんの主張「法における合理化とは、{生物本来の目的、如何に生きられるか?}
>>という目的である。」の根拠は何ですか。
>読解力の低い方のようですけど。
>法の目的が「生物本来の目的、如何に生きられるか」というものにそわなければならないと
>言っている。つまり合理化はそのプロセスの問題。
>目的とプロセスというものを分けて理解して反論してください。
おまえ、本物の馬鹿だろ?
「『合理化とは目的である』と主張する根拠は何ですか?」と聞かれて、
「目的が沿わなければならない。」なんて答える馬鹿がどこにいる?
あ、ここにいたか。

自分の作文力が低いことを棚に上げて、自分の文章が日本語になっていないのを
他人の読解力のせいにするなよ。
143126:02/06/29 19:07
つまり、おまえが「法の目的はこれこれである」と断言するのは、
何の客観的な根拠もない、ただおまえの脳内で考えただけの
「法はこういうものだ」という思いこみであって、何の証左も、
おまえの考えを支持する概説書(笑)も、一般に承認された学説も、
存在しないんだな?

おまえのいう「法に関する一般的なこと」ってのも、おまえの
脳内だけで通用する「一般的」なんだな?

余計な言葉は要らないから、YESかNOかで答えろ。
144教導者:02/06/29 19:15
>126
>「『合理化とは目的である』と主張する根拠は何ですか?」と聞かれて、
>「目的が沿わなければならない。」なんて答える馬鹿がどこにいる?
人の主張を理解できていない者にそれを悟らして、
見当違いな質問をしているのを指摘しない馬鹿がどこにいる。
自分の読解力の無いのを棚に上げて
私のような熟練した作文能力を持っている人に言い返しても無駄。
法に関して述べたものは一般的なことを述べたことは自明。
126の理系学生のような脳内世界で完結している
のを私は非難している。というか叩いている。
145126:02/06/29 19:19
>私のような熟練した作文能力を持っている人に言い返しても無駄。
もちろん「自分は熟練した作文能力を持っている」ってのも、
脳内の妄想が根拠だよな?
おまえが中学生並の作文能力さえ持っていないことは、それこそ
過去のすべてのレスから自明なんだから。

あと、俺は理系学生じゃないよ。
俺が理系学生と同一人物だってのも、お得意の妄想かい?

ま、どーでもいーけど、>>143への答えをよろしく。
146教導者:02/06/29 19:28
すべてのこたえは私の今までのレスにある。
126による脳内世界垂れ流しは見ていていい余興になった。
147126:02/06/29 19:32
38は、質問に対して具体的に答えることもできずに
質問者への個人攻撃しかできないようである。
つまり38は、具体的な反論ができずに逃げていることが
明らかとなった。
終わってみると、じつにくだらない余興だった。
148教導者:02/06/29 19:35
以上、126の脳内世界放送でした。
149126:02/06/29 19:44
はいはい。
これだけ言われても、質問ひとつにも答えられなくて、
しかも、答えられないっていう事実を直視できずに、
自尊心を保つために他人を貶めるしかできないんだね。

見ていてかわいそうだから、遠吠えには削除依頼でも
出しといてあげましょうか?
150教導者:02/06/29 19:49
以後、126の荒らしが続くでしょう。ただそれだけである。
151126:02/06/29 19:56
論破されて負けて逃げているくせに、偉そうな口をきくな。
とりあえず>>143の質問に答えるか、それとも「答えられません、ごめんなさい」って言うまでは、
おまえはただの「質問に答えずゴマカシで逃げ続けている負け犬」だ。

おっと、「過去の私の書き込みが」っていうなら、具体的に「part2のレス番号508」とかいう風に
「具体的に」指摘しろよな。
できないなら、遠慮なく「できません」って言えよ。理由もつけて。
152教導者:02/06/29 20:05
虚しいものだな。126の敗残した姿は。
もういいや。あさんが出てくるまで一休みといくか。
153考える名無しさん:02/06/29 20:13
おいこら。
自分の宣言どおり、すべての質問に答えてから休め。
または、「答えない」と明言してから落ちろ。
そしたら、こっちも安心して終わりに出来るんだ。

おっと、こっちの質問を無視したまま「一休みといく」のは
38なりの「逃げ」なのか?
154:02/06/29 20:23
教導者さん、134での文章がわかりにくいから、こういう事になるのですよ。
>>139
>教導者さんの主張「法における合理化とは、{生物本来の目的、如何に生きられるか?}
>という目的である。」の根拠は何ですか。
 読解力の低い方のようですけど。
 法の目的が「生物本来の目的、如何に生きられるか」というものにそわなければならないと
 言っている。つまり合理化はそのプロセスの問題。
 目的とプロセスというものを分けて理解して反論してください

この中で、
>法の目的が「生物本来の目的、如何に生きられるか」というものに
 そわなければならないと言っている。
というのが意味する所は、私が>>138で示した134の文章の解釈
>>以下138
>感情のレベルでなく。生物本来の目的、如何に生きれるか?
 という目的で素朴な感情と言う極めて下位に位置する無意味な
 存在なものでない。

 これは、次のように理解していいの?
 
 法における合理化とは、感情のレベルのものではない。
 法における合理化とは「生物本来の目的、如何に生きられるか? 」
 という目的であって、素朴な感情という無意味なものではない。
>>以上138
が、正しくなく、

 法の目的とは、感情のレベルのものではない。
 法の目的とは「生物本来の目的、如何に生きられるか? 」
 というものであって、素朴な感情という無意味なものではない。
 そして、その目的のために、素朴な感情によらずに法で社会を合理化する、
 という方法を取るべきなのだ。

と、解釈すべきだったてこと?反論を始める前に、まずここを確認したい。
 そうだとすると、126さんの146の文章は勘違いによるけれど、
134、139の文章だと、私や126さんの誤解は当然ですよ。
155教導者:02/06/29 20:39
>あ
>と、解釈すべきだったてこと?反論を始める前に、まずここを確認したい。
簡単に言えばそういうところです。
>134、139の文章だと、私や126さんの誤解は当然ですよ。
今までの過去スレ、過去ログを一通り目を通してくれている前提でやっています。
まずはお手数をかけますが、議論が重複して
蒸し返すことのないように無駄の無い議論のためにそのような前提を置いております。
ご理解ください。
156:02/06/29 20:47
>>155
今日はもう疲れたから、私の反論はまた明日、または明後日。
それにしても、(以下は134の一部)
 134 :教導者 :02/06/29 15:50
 >あ
 >法における合理化、効率化も素朴な感情からの発露ではないでしょうか
 感情のレベルでなく。生物本来の目的、如何に生きれるか?
 という目的で素朴な感情と言う極めて下位に位置する無意味な
 存在なものでない

は、明らかに文法的におかしい、と思う。
157126:02/06/29 20:54

おまえの作文が下手くそなのも「過去スレ、過去ログ」のせいか?
おまえが今までに何も言及してないこと、自分の考えを述べたこともないことでも
「魔法の過去ログ」を見さえすれば、我々にわかるのか?

たとえば「過去ログ」で、おまえは「大量虐殺など」について
「死刑は容認せざるを得ません」って言ってる。
つまり「過去ログ」によると、おまえは死刑を容認してるんだ。
ついでに「過去ログ」では、おまえは無謬の存在を自称してる。
おまえは「死刑支持論者」と違って、「過去ログを直視する勇気」を
持ってるんだよな? 死刑容認論者の38くんよ?


まあいいや。
とりあえず落ちるから、気が向いたら>>143の質問にも答えておけよ、負け犬くん。
158兎詩:02/06/29 21:21
「法」には慣習法的側面と近代法的側面が存在します。ゆえにその発生も一元的ではあり
ません。
まず、慣習法的側面ですが、これは人々が日常生活を円滑に過ごすために作られた、言わ
ば「素朴な感情」の明文化されたものと言えます。一方、近代法的側面てすが、これは身
分の低い者(または権力が弱い者)に、身分の高い者(または権力の強い者)に反抗でき
る、強い発言力を与えるために発生したものです。ゆえに法は誰よりも権力の強いもので
なくてはなりません。感情を介入させることのできる法がなによりも強いわけがありません。(続く)
159兎詩:02/06/29 21:41
(続き)
ゆえに、法から感情を排除しなければならないのです。例えば、身分の高い者が「気に食
わないから死刑」などという私的感情を介入させていいわけがありません。さらに、法に
例外があってはもろくなってしまうため、身分の低い者の感情も排除せねばならないので
す。ただし、慣習法的な部分の法に関しては、素朴な感情が反映されなければなりません。
これが例外と言えば例外でしょう。
と、ここまで述べてきたことは僕が勝手に思いついたことです。そこのところは御了承く
ださい。
160考える名無しさん:02/06/29 23:20
「感情を排除」というから、日本語を知らない人が適当なことを言い出すんだ。
せめて「恣意を排除」くらいにしてくれるか?
161考える名無しさん:02/06/30 09:05
法を冒涜せず、感情を排除して、教導者が客観的に考えた結果、
大量虐殺などの重大な犯罪に対しては死刑もやむなしという
結論に至りました。
162教導者:02/06/30 10:42
私の死刑廃止論は平時の場合に限って議論をしていることを
理解出来ない低脳の人がいるな。それはいいとして。
大量虐殺などが起きる時点で平時でなくなっている
ことを理解できないようでは碌に煽りも出来ない人物とその者に対して言える。
163考える名無しさん:02/06/30 11:45
つまりみんなが死刑制度を反対する理由は被害者の家族がうざいからなんだよ、一言でいえばさあ
あいつら一体なんなんだよテレビに出て偉そうにピーチクパーチク言いやがってさあ、
お前らの家族の事なんか知るかってんだよ、馬鹿が、
あいつら見てると絶対殺人犯を死刑にするな、って思ってしまうよね
164考える名無しさん:02/06/30 12:41

>>162
というわけで、教導者は「場合によっては死刑を容認」するそうです。
もちろん「死刑というものはサド感情の産物」だそうですから、
平時でさえなければ、サド感情も全然OKだそうです。








てゆうか、お前、辻褄を合わせようと思ってるんだろうけど、
何か言えば言うほどボロが出るだけなんだからからさぁ、
もう黙ったほうがいいぞ。


165教導者:02/06/30 12:47
死刑支持論者って完全に論理的に主張を仕上げれる人が皆無なんですね。
もっとも客観的に論理を構築できれば、死刑を支持する主張なんて
することは無いのですが。
166考える名無しさん:02/06/30 12:53
死刑容認論者の「教導者」が
死刑支持論者の「その他全員」を
ただ愚弄するだけのスレッドは
ここですか?
167教導者:02/06/30 12:56
まさに日本語をまともに理解できない126の自作自演荒らしスレッドだな。
168考える名無しさん:02/06/30 13:10
これであなたも、今日から無敵の2ちゃんねらー。


(1)何でもいいから、適当な主張をする。「死刑はダメ」でも「私は天才」でも可。
(2)もちろん、質問とか反論が殺到する。
(3)反論には答えずに「私の意見が正しいことは客観的に見て明らか。」。
(4)相手があきれて落ちたら勝ち。

(5)もし不届きにも食い下がってきたら、耳を貸さずに下記から適当にコピペ。
  「質問者がまともな知能を持ち合わせていないのです」
  「過去ログを見れば、私の正しいことがわかる。」
  「自作自演は見苦しいぞ。」
  「勝手に妄想しているようだな。」
   (ただし、具体的な反論はしないよう注意すること)
(6)相手が自分を見捨てたら「反論できずに逃げたようだな」と勝利宣言。

(7)さらに釣られる者がいるようなら、(3)に戻る。
(8)みんなから見捨てられて、スレッドに誰もいなくなったら勝ち。


(注)
  これは、「具体的な反論」「論破」の方法を示したものです。
  もしこれを実行して「荒らし」呼ばわりされたり、スレッド
  ストップやアクセス禁止を受けても、当方は一切の責任を
  負いません。
169考える名無しさん:02/06/30 16:44
>>139,(私の>>154も参照)
>法の目的が「生物本来の目的、如何に生きられるか」というものに
 そわなければならない

 法がそのような目的の上に組み立てられているという、根拠は何ですか。これは、126さんの質問も兼ねていますよ。
私は、法は素朴な感情に組み立てられているものだと思います。

>>>一つ目の反論。「慣習には宗教的なものであり素朴な感情と言えるものも多多在る」のなら、
 >慣習と素朴な感情は近似的でしょ。
 まだ分かっていますね。多多あるというだけでは近似的とはいえない。
 慣習の一部分という風に言い換えれば良いか。

 私が、法は素朴な感情に組み立てられているものだと主張する根拠は、法は慣習に
拠る部分が多く、慣習は素朴な感情と近似的関係である(なぜなら両者は重なるところが多いから)から、
というものでした。
 教導者さんは、慣習は素朴な感情と近似的関係ではない、と主張しておられますが、
ではもし仮に、教導者さんが両者を近似的関係と判断する場合、両者はどのような様相を呈しているでしょうか。

>まず刑罰に関する法は治安維持が目的。
 被害者のために存在するのではないことを理解しておかなければならない。
 被害者との表面上の平等論者が被害者の私的な感情で
 人を殺めると言う法の冒涜行為を主張すると言う
 理系学生の主張になる。

 この主張の正当性は、つまり今までの討議から、私のこのレス一番初めの質問に対する
あなたの答えに委ねられますね。(>>63 >>65 >>67 >>68 >>70 >>125 >>131 >>134を参照)

>>質問1。効率化、合理化が行われた社会とは、どのような社会ですか。
 感情を廃して現在採れうる最良の法整備が行われている状態。
 >質問2。現在の社会が「無秩序、無法社会に近いといえる」といえる根拠はなんですか。
 上記の根拠並びにこのスレで何度も言っているレスから自明。
 >法を犯せば弁護士をつけられて三審制の裁判にかけられ、それで有罪になれば刑罰を受ける
 >というところなどが、根拠となっているからです。
 その法が感情論で立脚しているのであれば
 無秩序がのようなものと極端だが言える。

 「感情を廃して現在採れうる最良の法整備が行われている状態。」
本当にそのような状態を目指すのであれば、むしろ死刑は是認されるのではないですか。
感情を廃するなら、窃盗罪でも死刑にすべきなのではないですか。
なぜ、被害者の感情ばかり廃そうとするのですか。
教導者さんの考えで行けば、加害者も第三者の感情も廃されて、いかなる犯罪も死刑が適当、ということになりませんか。
私の素朴の感情は、窃盗罪は死刑にする必要はないと、反応しますがね。
「感情を廃して現在採れうる最良の法整備が行われている状態。」を目指す、
という考えが、なぜ死刑廃止につながるのか、お答えください。

 
170:02/06/30 16:45
169=あ
171126:02/06/30 20:47

さて、まる一日が経ったわけだが、相変わらず>>143の質問に答えてはくれないのか?
ご自慢の「過去ログ」によると、たしかおまえは

 >少なくとも、私はすべてのレスに返してますから、
 >極めて君子にその点で近いとも言えるでしょう。

とか言ってたはずなんだが。

なにか答えられない理由があるんなら、そう言ってくれ。
172兎詩:02/07/01 00:33
窃盗罪を、この人はもともと良い人でつい出来心でしてしまったのだから再犯の可能性は
低いという素朴な感情から、無罪にしてしまう、という考えはできませんか?感情を廃し
た際の最適な刑罰は「目には目を 歯には歯を」だと思うのですが・・・。
173考えなし:02/07/01 00:50
ホッブス「万人の万人に対する闘争」から、ルソー「社会契約論」
あるいは「生まれながらに持つ自然権」の一部を放棄する引き替えに
「安全」を手に入れるという考え方が、西洋政治思想の原点である
とすれば、いかなる「契約違反」に対しても社会の側から「契約」
の前提となる契約者の存在そのものを永久に抹殺する権利はない
はずだと想うけど。
174兎詩:02/07/01 01:14
で、また一人で考えてみました。
中世において「法」は権力者より低い位置にあった。そのため刑罰はその権力者の権力を
民衆に示すための最良の手段であり、死刑はその最たるもので、出来る限り凄惨な方法で
行なわれるのが望ましかった。この、刑罰が権力を示す、という側面は古代から現代おい
て存在し、現在では法の絶対性を示すのに利用されています。そのため死刑制度はその法
の絶対性を強化するのに役立つと言えます。(続く)
175兎詩:02/07/01 01:31
さらに、現代においては法制度の充実、教育の徹底による一般大衆の学力の増加、により
発言力のなかった低身分の一般大衆の発言力が増加したことにより、その発言力が法のお
かげとも知らず、法に疑問を持ち始めたのです。もちろん、法は常に完璧ではありえませ
んから悪法というものが改善されるためにも疑問は必要です。(蛇足ですが、例えば僕は
憲法第九条に疑問を持っています。)そして「死刑ってちょっと残酷じゃないか?」とい
う疑問が生まれました。(まだ続きます)
176兎詩:02/07/01 01:41
つまり死刑制度問題は倫理的な問題に過ぎないのです。(理由が全然足りてないですが御
了承ください。)究極のところ多数決で決まってしまう様な問題だと思います。まあ、将
来的には国を自由に選べる時代がくるでしょうから、死刑反対論者は死刑のない国に移住
すればいいだけの話です。願わくば、日本が死刑のない国になってもらいたいものです。
つまり、僕は死刑反対論者です。
あと、書くのを忘れましたが、法の絶対性の強化のために死刑が不可欠というわけではあ
りません。あくまでも役立つというだけの話です。ではでは。
177考えなし:02/07/01 02:10
社会契約の違反者を「終身監禁する」という刑罰と、死刑は「刑罰」と
して同じ土俵にあるとは思えません。社会が時として「基本的人権」を
「超法規的措置」として無視することがあるは、歴史が証明しておりますが、
法律かは「保護すべき法益」の優先度を時に間違えることがあります。
行政、立法、司法、しかりですが、「時にはめしいる事がある」ということと
制度として、「自然権に近い諸権利・・・基本的人権」を制度的に最優先する
「手続き的保証」も「法体系の重要な」一部であり、後日「無罪であること」が
仮に証明される可能性が「完全なゼロ」ではないのに、それを救済を完全に消滅
させる法律制度は、自己の中に矛盾を内包しているということではないでしょうか。
「ごめんなさい」がいえる相手がいないのをよしとするほど、警察・司法制度が
完璧だとはとてもお思えません。
178兎詩:02/07/01 02:56
前にも書きましたが、僕も死刑がいいとは思ってません。そもそも人の命は、人の命でつ
ぐなえるほど安くありません。つまり、殺人を犯したから死刑というのは人の命をかなり
軽く見てます。人の命は、一生をかけて救えるだけの人の命を救っても、足りません。
(救い方は直接的でも間接的でも良いです。)
ちなみに基本的人権とかいった法律的な話を僕はできません。専攻が歴史ですので、御了承ください。
179考える名無しさん:02/07/01 03:00
死刑制度は文化の産物
どのような社会文化に属するかで、必要であるかどうか決定される?
とりあえず、あっても無くてもどっちでもいいです。

たぶん自分には関係しないでしょう。
というように、自己中心的に解釈するのが王道?
180考える名無しさん:02/07/01 06:38
冤罪の場合、死刑が執行されてしまうと取り返しが付かないから反対。
ただし、極刑として恩赦と仮出所が一切認められない無期懲役を
作ったらよいと思う。
181教導者:02/07/01 16:04
>あ
 >教導者さんは、慣習は素朴な感情と近似的関係ではない、と主張しておられますが、
>ではもし仮に、教導者さんが両者を近似的関係と判断する場合、両者はどのような様相を呈しているでしょうか。
近似的であるならば、両者の大部分が共通していなければならない。
法と感情に関することでは大部分が共通しているとは言いがたい。

>あなたの答えに委ねられますね。
既に答えられている。
言い換えれば議論し尽くされた議題で、
過去ログを一通り読めばそれに関する私の客観的な考察は理解できる。
ということを再度返答しておく。
>感情を廃するなら、窃盗罪でも死刑にすべきなのではないですか。
>なぜ、被害者の感情ばかり廃そうとするのですか。
感情論でなければ死刑を支持できる根拠が皆無。
感情を廃すれば死刑を支持できるという根拠をまず述べよ。
>「感情を廃して現在採れうる最良の法整備が行われている状態。」を目指す、
>という考えが、なぜ死刑廃止につながるのか、お答えください。
これも過去ログをすべて読めば分かる。
そもそも法は基本的に教化刑であるべきで、
それが治安維持の目的に極めて合致していることは明白。
まず過去ログをすべてよんだのかをあなたに質問をする。
その返答が否であれば。
読むことを要求させてもらう。
その根拠は既にこのスレでも述べた。

>兎詩
法というものは私の観点で別の表現すれば、
万人の万人のための権謀術数であるということです。
つまり法は道具であるということを端的に表していることになります。


あと既に答えがあるというのにまだ日本語が理解できない低脳人間が
荒らしていますが。風景の一つとしてこのスレには管理人として採用しましょう。
182兎詩:02/07/01 17:05
〉教(略)
なぜあなたにそんな権利があるのかわかりませんが、遠慮しておきます。そもそも僕はあ
なたを擁護するためにカキコミしていたわけではありません。御了承ください。
死刑制度には一長一短があり、場合によっては死刑制度は有効とも考えていますし。
183教導者:02/07/01 17:31
>兎詩
何を勘違いしてレスをあなたはしてるのか知りませんが。
ただ法に関するところを私が指摘しただけなのに、
ヒステリックなあなたの反応の方が疑問ですね。
184考える名無しさん:02/07/01 17:55

>なぜあなたにそんな権利があるのかわかりませんが、

もちろん教導者は、このスレッドの管理者として、
参加者に対して「過去ログをぜんぶ読んで、そこに
述べられていない私の意見を読みとれ」と要求する
権限を持っています。

なぜ教導者がこのスレッドの管理人なのかというと、
それは教導者が「このスレの管理人は私だ」と
自称しているからです。

教導者が「そんな権限」を持っていることは、
教導者自身が認めた、客観的な事実なのです。
185考える名無しさん:02/07/01 17:57
38の論理が以前にも増して論理が破綻してきていますね。
38の論理の誤りを指摘している人の労力をお察しいたします。
186教導者:02/07/01 18:07
死刑支持論者の荒らしが続くな。
面白い風物詩となった。
187考える名無しさん:02/07/01 18:08
「私はすでに答えている」「過去ログを見ろ」というなら、
過去ログのどこで答えているか、ひとこと教えてやるのが普通。

教導者が、そんな簡単なことも出来ない理由は、きわめて簡単。
188考える名無しさん:02/07/01 18:10
哲板で最大の風物詩に「風物詩」呼ばわりされるのは、ある意味で光栄だな。
コピペ荒らしは38への「制裁」だそうだから、褒め言葉はありがたく受けておけよ。
189教導者:02/07/01 18:15
過去ログをすべて見れば、すべて明白。
それ以上いう必要は無い。
それほど死刑支持論者は私に完全に論破されている。
190兎詩:02/07/01 19:23
>教(略)
そうですね、ちょっとヒステリックに反応してしまいました。それでは、少しの間管理と
いうか司会みたいなことをしてみましょう。
まず、この板は教(略)さんを中心にして動いていますから、あなたにお聞きしたいこと
があります。あなたの意見にはどうも統計的なものが少ないような気がするのですが、こ
れは僕の勘違いでしょうか。統計もなく死刑廃止、もしくは存続のそれぞれの有効性
を語ることは可能なのでしょうか?ちなみに過去ログは半分くらい見てみました。
あと、あなたは死刑支持論者は全て「サド感情」のみによって死刑を肯定している、とお
考えなのですよね。今でも変わっておりませんか?
191教導者:02/07/01 19:30
>兎詩
>あと、あなたは死刑支持論者は全て「サド感情」のみによって死刑を肯定している、とお
>考えなのですよね。今でも変わっておりませんか?
というよりも今までの死刑支持論者の主張の根拠は
行き着くところそうなんですよ。そもそも被害者の感情論を
はっきりと表して主張しているのが多い。
そういうところですね。
理系学生のように法というものの
前提からして論理の破綻といいますか、
トンデモ説そのものの主張すらしてくる人もいる始末。
だからそういう結果になるのです。

あと統計的な話ですが、私のインセンティブ関連の主張にもあるように
統計的な話を入れても意味のなさないこともあるからです。
192兎詩:02/07/01 20:01
そうですね。死刑制度議論が結局のところ、倫理感の問題になってしまっている、とは僕
も思います。しかし、それは死刑反対論者にも言えることのような気もしますが、そこの
ところはどうでしょう。

あと申し訳ないのですが、インセンティブってなんですか?僕は科学で理論が実験によっ
て証明されるように、やはり統計は裏付けのためには必要だと思います。ただ、公開処刑
でもない国の再犯率を見せられても無意味な気はします。統計とは科学の実験と同じよう
に、やはり条件が重要だと思います。
193古参の住人:02/07/01 20:40

私は、彼の行為が無駄になることを、経験上 知っている。

しかし、彼の「議論しよう」という努力と誠意とは高く評価する。

彼の真摯な誠意を、某氏が近い未来に踏みにじることは
某氏の大好きな過去ログから見ても明白である。

私は某氏に対して衷心より怒りを覚えるが、だからといって
若い彼の試みを止めることはできない。
194考える名無しさん:02/07/01 20:42
私はまわりくどい表現をする人間 も 嫌いだ。
195わかりやすく翻訳:02/07/01 20:51
「また懲りずに釣られてるな。勝手にやってくれ。」
196考える名無しさん:02/07/01 23:05
>>193
僕のほうが古参だぞ
なんせ初期からいたんだから
2年以上前からいるんだぞ
えっへん
197Kurihara:02/07/01 23:11
僕はNAMの古参会員ですけど、何か?
198考える名無しさん:02/07/01 23:14
kuriharaは新手のスレッドストッパーだな
199考える名無しさん:02/07/01 23:35
38が荒らし始めたのは去年の末くらいからですが、何か?
200考える名無しさん:02/07/01 23:39
200じゃ!
201考える名無しさん:02/07/01 23:40
>200
ずっとリロードしながら待ってたの?
202200:02/07/01 23:52
>>201
うむ!
203新参者:02/07/02 00:08
「法律学」「政治学」「法哲学」という「分野」があり、そこで
飯を食っている「プロ」が沢山居ます。
俺も「法律学」で、4単位もらった覚えがあるけど、
ここ「哲学」で論じるならば、彼らが無視できないようなことを
言える奴だけ発言しろと言いたい。
ホッブス「万人に対する万人の闘争」=殺さなければ殺される可能性
があれば、殺しても良い。・・・・正当防衛の法理。
その判断は誰がするのか?・・・・俺がする!では元戻り。
            ・・・・誰に委ねられるか?
長老?君主?総統?・・・・いや投票で選べられた人がベター
では、議会制民主主義を選択するのか?・・・・YES OR NO
ここから「社会契約論」が始まる。のでは?
204理系学生A:02/07/02 09:25
兎詩さんにお聞きしたい。
貴方の考える「最高刑として最も適切だと考えられる刑罰」とは何ですか?
205日本仏教哲学100年の集大成:02/07/02 10:01
社会の治安を保つのに、罰則は「必要」ではない・・・という点は了解されているの???

被害者を罰さないと罰にならない(加害者が罰せられるのは暗黙の了解としてあるから)
              ↓
死んだ人をもう一度殺すことはできないから死刑は罰としてなりたたない

殺人は他を威圧する手段になるから快楽ないし娯楽、自己確認の手段になりうるので
それが行われるのは事実だけど、罰の手段としては成り立たないということなのだけど。
206理系学生A:02/07/02 10:12
>>205
>被害者を罰さないと罰にならない
理解出来ない。なぜ被害者を罰する必要がある?
>>206
罰せられる結果をみて、他の人が罰せられないように行動することを催すためです。単に「罰」の一般的な定義かと思われますが・・・
208考える名無しさん:02/07/02 10:52
>>207

(加害者ではなく)被害者を罰することが、どうして
他人に「罰せられない行動をとる」よう促すことになるの?

ひったくり犯ではなく、ひったくりに遭ったおばちゃんに
どうして「罰」を与えないといけないの?

マジ理解できないから教えて。
209理系学生A:02/07/02 10:53
>>207
え?それで罰せられるのは加害者(=犯罪者)でしょ?
被害者はその犯罪者からの被害を受けた人でしょ?
被害を受けた罪も無き人が罰を受けるなんて聞いたことも無いな。
被害者が罰せられるのが一般なんですが、加害者も罰しようというのが社会制度だと思われます。
211考える名無しさん:02/07/02 11:00

>被害者が罰せられるのが一般なんですが、

だから、それはどーゆーことよ。

きみの国では、たとえば万引きという犯罪が発生すると、
被害者である商店主が罰を受けるのか? 一般的に。
>>211
罰と言って悪ければ、「損」と読み替えてもらってもいいですよ。
213考える名無しさん:02/07/02 11:16

はぁ?

罰と損とは全然ちがうぞ。
君の頭の中では、商品を万引きされて「損」をするのも、
裁判所とかに「罰」として商品を没収されるのも、
まったく同じなわけ?
214考える名無しさん:02/07/02 11:17
てゆうか、何に対する「罰」なのよ。
商店主は、なにか悪いことをしたから「罰」を受けるの?
それとも、なにも悪いことをしてないのに「罰」を受けるの?
>>213
ルーツが同じという意味では一緒です。罰より損の方が古いというのはいくらなんでも同意してくれるんでしょうね。
>>214
こらこら。いくらなんでもここで主観的に感じる「善悪」と、
自分が社会に対して持っている「世界観」だのの整合性などの話題をちゃんぽんに絡めてくるのはおかしいとおもわえるよ。
217考える名無しさん:02/07/02 11:22

世界観とやらより以前の問題だろうが。

「損」と「罰」との共通のルーツってのはいったい何だ?

「罰」ってのは、「罪」に対して誰かが与えるものではないのか?
218考える名無しさん:02/07/02 11:26
>>217
もやもやしているのなら一度自分で整理して書きこんで下さいよ。
罰せられると損でしょ???それも否定するの???
219考える名無しさん:02/07/02 11:31

あぁ、ホントに頭おかしい人だったんですね。

「罰せられると損である」ということから、
「損とは罰である」と考えるんですか。

じゃあ、「死刑にされると死ぬ」から、
「死ぬことは死刑にされること」だ。(w

あと、「罰金刑を受けると金を損する」から
「金を損することは罰金刑を受けること」だ。(藁
220日本仏教哲学100年の集大成:02/07/02 11:36
>>219
死んだ人を再び死刑にすることはできないから、死刑は罰としてなりたっていない

と先に書いてあるじゃないですか。頭のおかしい親が子供を「そんなことをしたら死刑になるよ」と
脅すことはありえますが、それはその人があたまがおかしいからで、別に世の中に狂人がいないといっているわけではありません。
221兎詩:02/07/02 11:43
えっと、最高刑について言う前に、「罪と罰」について話さないといけませんね。僕は罪
は金によって換算されるべきだと思います。基準が明確(慰謝料とかは多少不明瞭ですが、
社会・被害者の受けた損害額は明瞭かと思います。)で、なおかつ一般市民にこれほど身
近なものはありません。ゆえに罰はその損害額を加害者(個人)が借金として背負い、様
々な方法で返していく、という形態になります。これは現在も行なわれてると思いますが、
それをさらに強化していくべきだ、と思います。
(続く)
222考える名無しさん:02/07/02 11:48
>>220
話をそらすな。

お前の「罰」の定義によると、
「財布を落として金を損すること」は
「罰金刑を受けること」で、
「病気で死んで命を損すること」は
「死刑を受けること」なんだろ?
223日本仏教哲学100年の集大成:02/07/02 11:53
>>222
ちがいます。どこをどーやったらそういう推論が成り立つのか想像もつきません。
まあ互いに関係のないものを個人的な動機で結びつけるのをロマンティズムというので、
そこらへんに感化された大衆小説でも読んで誤解したのでは?「罪と罰」とか(藁
224兎詩:02/07/02 11:53
それで様々な方法で返していくわけですが、基本的には時給制の仕事です。ただし、刑務
所暮しで仕事先までは護送されます。もしくはその勤務地に隔離されて住みます。そして
その最も危険な仕事で時給(もしくは日給)の高い仕事が最高刑です。もちろん死なれて
しまっては、その金を返す人がいなくなる(この辺の問題は解決しないといけませんね)
と困るので十分な教育を施して(その教育を受けるのにも金がかかります。)からいかせ
ます。というわけで僕は借金返済者に死刑は不適当だと思います。
人間の幸福も意志もその語が指すものがなんであれおおよそ金銭だけで計れるものではないと思われるのだけど
226兎詩:02/07/02 12:00
日(略)
なるほど、防犯を怠った罰ですか。それとも普段の悪生活に対する罰ですか?それなら、
二度と油断すまい、もう少し善行を心がけよう、と思いますね。日(略)さんらしい宗教
的な考え方だと思います。
>普段の悪生活に対する罰ですか?

そーゆーのはなしです。かんべんして下さい。そちらさんの考えの方が
包括的なので、まあこういう説得力にやや欠ける構成の意見表明もあるということでご勘弁を。
228考える名無しさん:02/07/02 12:04
>どこをどーやったらそういう推論が成り立つのか想像もつきません。

はぁ?
もっかい復習な。

>被害者を罰さないと罰にならない(>>205)

>被害者が罰せられるのが一般なんですが、(>>210)

>>きみの国では、たとえば万引きという犯罪が発生すると、
>>被害者である商店主が罰を受けるのか? 一般的に。(>>211)

>罰と言って悪ければ、「損」と読み替えてもらってもいいですよ。(>>212)

>>罰と損とは全然ちがうぞ。(>>213)

>罰せられると損でしょ???(>>218)

以上から明らかなように、おまえは「罰」と「罪」とを混同してるんだよ。
違うのか?
229訂正:02/07/02 12:05
「罰」と「損」とを混同な。
もういちど書きますが「罰せられると損」という関係です。
231考える名無しさん:02/07/02 12:08
じゃあ、「罰せられると損」という関係から
どこをどーやったら、>>205
>被害者を罰さないと罰にならない
って結論に飛躍できるんだ?
>>231
被害者が罰せられているのを見ると、被害にあうのは損だと思うでしょ?
233考える名無しさん:02/07/02 12:12

>被害者が罰せられているのを見ると、被害にあうのは損だと思うでしょ?

万引きの「犯人」が懲役刑を受けているのを見れば、あるいはそうかもしれない。
しかし、万引きされた「被害者」が懲役刑を受けても、意味はないだろう。

万引きされた商店主が罰を受けなければならない、という理由は?
234考える名無しさん:02/07/02 12:16

たとえば「泥棒に金を盗まれた」、これは「損害」だな?
で、「おまえは泥棒にあったから終身刑」、なんだかわからないが、
これも自由を奪われる「損害」だ。

で、もしも「泥棒した犯人のほうは終身刑」で、
「泥棒された被害者のほうは無罪」ということになれば、
それは「罰にならない」と、お前は言っている。
被害者が罰せられていないからな。

これが理解できない。
>>233
全ての商店が万引きされるわけではないのに、万引きされる商店があるというのがその理由です。
例えば万引きの多い本屋の近くに、新刊の漫画本を買い取る古本屋があるなどそういう場合に
本屋や古本屋の責任をまったく問わない態度というのはあまり合理的ではないですよね。
>>234
罪のあるなしと、その刑量の決め方は別の話題ですよ。234で書かれた例はいずれの場合も
刑量が重過ぎて目的としていた効果は挙げられないと推測しますが。
237兎詩:02/07/02 12:19
そうですね。「金銭」っていうと、なんか低俗なイメージがついてしまいますが、言い換
えると「労働量」とか「善行量」です。罪の重さは計れるものではありませんが、計らな
いといけないという必要上最も適切なものは何か、といった場合民衆に広く受け入れられ
ている「金」だったわけです。過去と違って現在では「金」はあくまでも様々な「量」を
示す単位でしかありません。宗教的にみたら良いものではないかもしれませんが、あくま
でも「単位」だ、と思ってください。
238考える名無しさん:02/07/02 12:19

はぁ?

その場合、古本屋に何の責任があって刑罰が加えられるんだ?
夜道を歩いてて強姦された女性に、「おまえは不用心に歩いてたから懲役5年」ってか?
>>237
金銭の授受を基本としてそれを徳目に拡張したものが中国の道教にあった気がしますが名前を忘れました。
あるていど生活習慣の延長線上で説明してもらわないとこういうのはわかりにくいですね。
240考える名無しさん:02/07/02 12:22

もちろん、もうかった桶屋に対して、風が利益分配を求めないのも
あまり合理的ではないんだろうな? おまえの頭の中では。

盗みを働いた犯人だけじゃなくて、犯人を産み育てた両親や環境、
犯人になめられた甘い警察、盗みに入られた家、
街灯を設置しなかった町内会、みんな刑罰を受けなきゃダメなんだろ?
>>240
程度によりますがね。「他人の商売の邪魔をする=悪」という理論があるのはわかってますが、
別に他の見方があってもよいのでは?
>>238
刑が重過ぎます。なんちゃって裁判官ごっこをしているのでないので、
そうやって重い刑を書きこんでいいきもちになるというのはいかがなものか・・・
243考える名無しさん:02/07/02 12:26
だから話をそらすなってば。
商売の邪魔は関係ない。

たとえば、

  新本屋の近くに古本屋が出来た。
  万引き小僧が、古本屋で売ろうとして
  新本屋で本を万引きした。

この場合、被害者である新本屋の主人は
いったい何の責任があって刑罰を受けるのか?
>>243
まんびき助長罪(仮名)
245考える名無しさん:02/07/02 12:27
刑が軽くてもいいよ。
「おまえは不用心に夜道を歩いていて強姦されたから、罰金五百円に処す」でもさ。

それが、おまえの考える「罰」のありかたなんだろ?
犯罪の被害者に対して罰を加えるのがさ。
246考える名無しさん:02/07/02 12:29

じゃあ、強姦された女性は「強姦助長罪」で、殺人の被害者は「殺人助長罪」、
脱税された国や自治体は「脱税助長罪」で、それぞれ刑罰を受けるんだな?
おっと、殺人の被害者はムリか。

宅間容疑者に殺された小学生たちは「殺人助長罪」で、被疑者死亡のまま送検。
>>246
罰がとにかく重過ぎますよ。刑を受けてそれで「免罪」という方が味噌なんで、
その程度では免罪できない、という場合に刑量がある程度増えているのは
法の秩序上やむなしです。
>>245
それで彼女が免罪されるのならぜひそうして下さいよ。
249考える名無しさん:02/07/02 12:32

>罰がとにかく重過ぎますよ。
はぁ?
「強姦助長罪」の罰の重さなんて、ひとことも書いてないが?

それとも、俺の書いていないことが、おまえには見えたり聞こえたり
するのあ?
250考える名無しさん:02/07/02 12:33
てゆうか「免罪」って何さ。
道を歩いていて強姦された彼女に、いったい何の「免罪」されるべき「罪」があるの?
251兎詩:02/07/02 12:38
〉日(略)
まずいです。最もな反論です。一度出なおしましょう。(余計なお世話ですか?だったら
すみません。)僕も明日までに反論を考えてみます。
252考える名無しさん:02/07/02 12:41
さらに。

道を歩いていたら、強盗にあって金品を奪われた。

この被害者は、いったい何の責任があって「強盗助長罪」に問われるんだ?
どのようにしていれば罪に問われなかったんだ?
どうすれば彼は、「免罪」を受けて、きれいな体になれるんだ?

あと、
>被害者が罰せられるのが一般なんですが、(>>210)
ってのは、どこの国の話だ?

……と書き逃げ。
253理系学生A:02/07/02 14:02
罪を犯す者には必ず「罪を犯そうとする意思」があるはず。
それでは犯罪の被害を受けた人々は「被害を受けようという意思」があったか?
そんなこと考える奴いるわけねえだろ。
254考える名無しさん:02/07/02 14:04
たぶん教導者は「強姦されないように用心を怠った責任」とか言うんだろうけどな。(藁
255教導者:02/07/02 15:51
>兎詩
>やはり統計は裏付けのためには必要だと思います。ただ、公開処刑
>でもない国の再犯率を見せられても無意味な気はします。統計とは科学の実験と同じよう
>に、やはり条件が重要だと思います。
統計では解決できない問題があります。
それがインセンティブ(誘引)の問題、
具体的に知りたければ。やはり過去ログにその辺のことが詳しくかかれていますので。
まずはそれを読んでから質問してください。

>日本仏教哲学100年の集大成
被害者が罰せられるべきと言う主張は
私も同感です。
やはり被害者も何故犯罪に巻き込まれたかを反省させて
より自己防衛の意識へのインセンティブを
啓発されるようにしなければ、
犯罪発生を抑制できないでしょう。
理系学生は被害者を甘やかせることで、
犯罪を増大させている時点で、
ここでも論理破綻が起こっているのです。
256兎詩:02/07/02 16:20
〉教(略)
わかりました。読んでみます。

「被害者に罪はあるか」という問題については、もう少し考えてみるつもりですが、ちょ
っと僕には反論ができなさそうです。罪があるから罰があるわけですし、それで自己防衛
意識のなさを罪と考えるのはちょっと難しい、と思います。まだ知能の発達しきっていな
い子供にまで、自己防衛意識を要求するのもどうかと思います。被害者に起こったのは大
抵は罰ではなく害ではないか、とも思います。まだ考えてる途中なので意見が変わるかも
しれませんが御了承下さい。
257考える名無しさん:02/07/02 16:32
>>256
「被害者の責任」については、教導者が過去ログで
熱く持論を展開(藁)してるから、電波に冒されない
自信があるんなら見てみな。
258考える名無しさん:02/07/02 16:46
part3の370番台くらいから以降なんだが、要約すると、どうやら

「警戒厳重な家に空き巣にはいるよりは、警戒してない家に泥棒に入るほうが
 (被害者の過失責任があるから)犯人の罪は軽くなる」

「女空手家を強姦するよりも、夜道を歩く非力な女子小学生を強姦するほうが、
 (出歩かせた保護者の過失責任があるから)犯人の罪は軽くなる」

と、教導者は言いたいらしいらしい。
らしいんだが、なにせ教導者の書く日本語だから、よーわからん。
259考える名無しさん:02/07/02 20:31
>>兎詩
>わかりました。読んでみます。
過去ログのどのあたりなのか、わかったら教えてくれ。
なにせ38がからむのは4スレッド目(派生スレとか関連スレをあわせるといくつあるのやら)なので。
260そういや昔っから:02/07/02 21:12
こっちで「論破」されちゃったら、健全板を荒らしてウサ晴らしするのが
いつもの38の行動パターンだったね。
両方チェックしてると笑える。
261考える名無しさん:02/07/02 22:28
ところで、アウフヘーベンとバウムクーヘンって似てない?
262兎詩:02/07/02 23:58
まだ過去ログは見てませんが、一応「被害者に罪はあるか?」について結論がでました。
この問題は交通事故と同じように、お互いに責任があり、その比は状況によって大きく変
わるのです。つまり10対0で加害者が悪い場合もあれば、7対3で加害者が悪い場合もあ
ります。0対10で加害者が悪い場合もありますが、その場合加害者と呼ばれず、被加害者
と呼ぶのが適当でしょう。つまり害を被害者によって加えさせられた、という状況です。
ゆえに基本的に悪いのは加害者だと思います。被加害者は加害者ではなく被害者でしょう。
(続く)
263考える名無しさん:02/07/03 00:05
加害者であるか被害者であるか、過失の度合いはどの程度か、は裁判所が
(裁判官)決めるんだよな。だから浅原や鈴木は未だ「犯罪者ではない」。
「犯罪」が「犯罪」になるのは「シン」の問題ではなく、「クライム」の
問題だろ?だとしたら「犯罪」の定義をもっと厳密に行うべきではないかとお無。
264兎詩:02/07/03 00:15
それでは、どういった方法でその比を決めるか、というと、加害者の自制心と被害者の自
己防衛意識の比較によって決まります。これはもうケースバイケースなので、ここに書き
きることは不可能だと思うので、いくつか例をあげる程度にとどめます。
まず、加害者が完全に悪い場合ですが、何の脈絡もなく不意に無差別に人に危害を加えた
場合です。これは自制心が全く働いていないから起こるのでしょう。そして被害者が完全
に悪い場合は、被加害者の了解を得ずに自殺を手助けさせた場合です。(洗脳とかのかな
り特殊な場合だと思います。)続く
265613:02/07/03 00:18
確かに「善悪」と「犯罪構成要件を満たすか否か?」あるいは、
立法論と法解釈学は違うと思う。「どこで議論したらいいと思うのか。
微妙に違っているような気がする。
266613:02/07/03 00:23
「良い悪い」を、無造作に使いすぎている。
「犯罪か否か」「責任の程度」とは次元が違う。
実定法の存在をどの程度尊重するかの問題。
じゃなきゃ、「神学論争」になってしまう。
267考える名無しさん:02/07/03 00:27
どこでやればいいでしょうかね?
268考える名無しさん:02/07/03 00:28
タイトルに「死刑制度」とあるんだから、
「制度」の範囲でやれば良いんじゃない?
269兎詩:02/07/03 00:44
その場合、自己防衛意識が全くない、と言えます。
次にお互いに責任がある場合です。まず9対1やら6対4と言った場合ですが、これは自己防
衛能力を上回る自制心の欠如により襲撃が起こった場合です。(わかりにくい文章ですが、
我慢してください)簡単に言うと、近所で犯罪が多発してるため、その対策をした(この
対策の大小で比が変わります。)にも関わらず、犯罪が起こった場合です。次に4対6やら
1対9の場合ですが、これは自制心を失わせるほどの自己防衛意識の欠如が原因で犯罪が起
こった場合です。簡単に言うと、(続きます。)
270兎詩:02/07/03 00:53
近所で犯罪が多発してるのに、なんの対策もせずに逆に挑発さえしている場合です。最後
に5対5になる場合ですが、これは被害者と加害者が共犯と言った場合です。(保険金詐欺
とかがそうかもしれません。なんにせよ特殊です。)
というわけで今まで述べてきた事から結論を出すと、被害者にも責任がある場合もありう
る、です。至極当たり前な結論になってしまいました。ところで犯罪を減らす方法ですが、
なにも自己防衛意識を高めるだけではありません。自制心を養わせることも、十分犯罪抑
止につながると思います。
271考える名無しさん:02/07/03 00:55
これ「死刑制度の是非」と関係あるの?
国家が国民から預託された「権力」を用いて「制度」として「刑法」を
定め、その中に「権力の預託者」である国民の一部を抹殺できる場合もある
という「死刑制度」を持っているている国と持っていない国がある。
と言うのが前提で、日本国は前者であることの是非が原点でしょう?
272考える名無しさん:02/07/03 00:58
「犯罪とは何か?」というのは、次元の低い別の話ですよね。
273兎詩:02/07/03 01:00
ああ、カキコミに夢中になってる間にレスがついてますね。諫言耳が痛いです。
とりあえず、犯罪の定義ですが、僕は「社会、もしくは個人に損害を与える行為」だと認識しています。
274考える名無しさん:02/07/03 01:02
むしろ「抑止力」(核ではないが)の問題か?
「有事法制」の「侵略を受ける可能性」とも絡む
「状況判断」の問題は重要ですよ。
275考える名無しさん:02/07/03 01:07
「状況判断」は、激動する環境の中では流動的で、「今は」という
前提でしか話が出来ないんですよ。
 だからといって「殺人はどんな理由があっても、国家が行う事であって
もアプリオリに悪である」という立論は可能なんでしょうか?
たとえ「神学論争」になっても、避けては通れない問題ではないかと思いますよ。
276考える名無しさん:02/07/03 01:12
「状況判断」の問題で言えば、それを行う権力は国家(司法を含む)
が担っているという現実も無視できないですね。
 「抑止力は働くか?」「今の日本国の社会情勢でどの程度働いているのか?」
というと、倫理学というより、社会学に近くなる。
277考える名無しさん:02/07/03 01:18
>>273
それは民法193条「不法行為」にもぴったし当てはまる定義で、
「不法行為」が「犯罪」ではないことは、自明ですよ。
278考える名無しさん:02/07/03 01:21
277の訂正、正しくは「犯罪⊂不法行為」でした。
279考える名無しさん:02/07/03 01:31
兎詩さんの「誠実」な発言には好感を禁じ得ないですね。
でも、こと「死刑」となると「死刑囚の実存的状況」も
考察の対象範囲に加えるべきだと思いますが。
「客観的」であることの善し悪しですね。
280考える名無しさん:02/07/03 01:33
「ダンサーインザダーク」に感動した人と、「つまらない」と思った人とは
「同じ空を抱く」ことはたぶん出来ないんではないか。
281考える名無しさん:02/07/03 01:36
死に直面している人は「客観的な正義」より、「とりあえず助けてくれ」
というでしょうね。とりあえず助けてあげるのが「終身刑」か、米国でよくある
「懲役300年」ではないでしょうか。
282兎詩:02/07/03 01:51
〉277
そうなんですか?知りませんでした。犯罪の定義についてはもう少し勉強してみます。

そうですね。僕は死刑を見たことがないし、死刑囚と会ったこともありません。裁判所も
テレビや教科書でしかしりません。一度免停になりましたが、その時も簡易裁判というの
で、裁判所へ行かずに終わってしまいました。僕にはまだまだ勉強、経験すべきことがた
くさんありますね。
283考える名無しさん:02/07/03 02:34
>>282
貴方の「誠実さ」は、この国では貴重な宝です。
もう一つ、「誠実であること」と「純粋であること」がアンビバレント
になってしまう状況は、体験した奴でなければ判らないと思います。
純粋に理想を述べ述べ立てる快感は、「麻薬」的なもんがあるけど、
真実についての「誠実さ」を犠牲にしていることが殆どですね。
「あるべき論」と「である論」の対立において、「あるべき論」を
維持するのは、此の国ではとくに困難です。
「自己欺瞞」を(現象学的還元なでいかなくても)検証し続けることは、
「ほんとう」に近づく「急がば回れ」の近道です。(現時点では)
284兎詩:02/07/03 03:20
なんか、ホメ殺しみたいでこわいのですが・・・。そうですね、まあ、日常生活ではそれ
なりに騙し騙し生きてますよ。理想はしょせん理想でしかないことは十分理解しています。
とりあえず、僕は今は小泉首相に期待しているただの大学生ですよ。
285理系学生A:02/07/03 12:33
>>277-278
「社会、もしくは個人に損害を与える行為」かつ「犯罪でない行為」を
一つでいいから例を出してほしい。なぜなら俺も
「社会、もしくは個人に損害を与える行為」=「犯罪」と思っていたからだ。
286兎詩:02/07/03 14:21
>教(略)
過去ログ見てみました。インセンティブについては色々述べられていますが、統計につい
ては全く述べられていません。パート1の340で115さんが「いずれにせよ、このス
レでの議論は、事案・統計などの考察がいい加減すぎます(38さんも含めて)。」と述べ
ているのとパート2の792でthinkさんが「 統計学でおける危険率。 ある仮説を有意
とするのに、その危険率を何%に設定するかは、 理論的に決めることができない。」 と
述べているのがあるくらいです。(それ以外にも「統計」という単語はありましたが、こ
の議論とあまり関係のない内容だったので、ここにはあげません。)前者の意見には全く
同意で、ちゃんとした計画に基づき、適切な条件の上で行った統計を適切な場で示せば、
有効だと思います。後者については「理論的に決めることができない。」の理由が示され
ていない点が気になります。
そしてインセンティブについてはパート2の730を始めとしてあらゆるところで、「私
がここで考えるのは更生が不可能だからと言って諦めて死刑を許容することで 更生プロ
グラム改善へのインセンティブが著しく低下するという 大きなモラルハザードの弊害が
出てくるためです。」という記述が見られます。この点については僕も同意で、改善され
た更生プログラムが有効かどうか試す対象を死刑にしてしまってはその有効性を確認する
ことができないからです。しかし、申し訳ないことに、僕にはこのインセンティブと統計
がなぜ関連するのかがわかりません。できれば、ご教授お願いしたいのですが・・・。


287教導者:02/07/03 15:53
>兎詩
>後者については「理論的に決めることができない。」の理由が示され
>ていない点が気になります。
私は統計的な要素を排除しても充分論理が構築できると
いうことは以前述べたとおり。ですから統計的なものは私は主張していません。
>申し訳ないことに、僕にはこのインセンティブと統計
>がなぜ関連するのかがわかりません。できれば、ご教授お願いしたいのですが・・・。
今の時点で完全に更生が不可能という統計が出たとしても
それが長期的には意味の無いことになってしまいます。
ですからインセンティブと言う要素が長期的に
合理的な判断ができる重要な要素となるのです。
これくらいは理解できると思うのですが。


あと被害者と加害者との責任の比較では
基本的に双方がとれうる合理的かつ効果的な行動を
していたか否かを客観的に計ることでしょうね。
理系学生のように論理破綻して被害者を表面上の平等論でもって甘やかせると言う
ことになると実質的な平等が達成されえないという結果にもなるのです。
288教導者(訂正):02/07/03 21:27
私は、統計的な資料を提示することができません。
ですから、統計的な要素を排除しても充分論理が構築できると
以前から述べております。

今の時点で完全に更生が不可能という統計が出ると困るので
それは長期的には意味の無いことだとしておきます。
ですからインセンティブと言う要素を持ち出してきて、
合理的な判断ができる重要な要素として統計を排除するのです。
これくらいは理解できると思うのですが。

あと被害者と加害者との責任の比較では
基本的に双方がとれうる合理的かつ効果的な行動を
していたか否かを個別のケースごとに私が主観的に決定します。
理系学生のように被害者を客観的な平等論でもって甘やかせると言う
ことになると私の理想とする平等が達成されえないという結果にもなるのです。
289兎詩:02/07/03 21:43
〉教(略)
バイト中ですので詳しいことはあとで述べますが、とりあえず、統計資料を用いずに議論
しないどころか、理論まで組み立ててしまったのは僕も同じ、と言うことに気づきました。
さらに、加害者を完全に更正不可能という、統計結果だ出ても僕はたいした問題ではない
と思います。それは現在の更正プログラムを使用しての話であり、もっと有効な画期的更
正プログラムの必要性を示唆するだけだと思います。
290兎詩:02/07/04 00:08
バイトが終わりました。詳しいことを語ろうか、と思っていたのですが、もう語り尽くし
た感があるので、sageます。教(略)には申し訳ないのですが、このまま落ちるのを待つ
のも僕はいいと思います。少なくとも僕の中では死刑制度については結論が出てしまって
いるからです。教(略)さんも、もう出ているのでしょう?次は憲法第九条のスレでも立
てて下さい。それなら僕の考えが現実に沿っているのか検証できますから。でも、もろに
板違いですよね。(笑)ではでは。
291兎詩:02/07/04 00:09
すいません。sageそこないました。
292考える名無しさん:02/07/04 09:20
>兎(略)
法律板へGO?
293教導者:02/07/04 15:45
>兎詩
>もっと有効な画期的更正プログラムの必要性を示唆するだけだと思います。
そうですね。更生プログラムを開発している研究者にとっては、
シュミレーションなどから統計データ等を使って
効果を計ると言うことは重要ですが。
この場合如何に理想の状態に近づけるかという問題である以上、
統計データなくとも客観的な論理は構築できるのです。
>詳しいことを語ろうか、と思っていたのですが、もう語り尽くし
>た感があるので、sageます。
まあ議論されつくしたところでもありますのでそれもいいでしょうね。


294考える名無しさん:02/07/04 15:51
>統計データなくとも客観的な論理は構築できるのです。
デ−タ抜きで「客観的」な議論ができるのも希有な才能だよな。(w
295考える名無しさん:02/07/04 17:26
>>教導者
>まあ議論されつくしたところでもありますのでそれもいいでしょうね。
だったら黙って沈めろ。
そうじゃないなら、ここで勝手にしゃべってろ。
ここで黙るふりをして他スレを荒らすな。
296理系学生A:02/07/04 17:40
統計データも一般に出回っている資料も使わずに自分の意見を「客観的」だと
証明する方法があるのなら教えて欲しい。
「見れば一目瞭然」「客観的だから」「私がそう言っているから」というのなら
それは「主観的」の間違いだろう。
297日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 17:43
>>296
どういう種類のデータを期待しているの?
「殺されるのは嫌ですか」というアンケートを世界一億人に取ったら
何人かは「それもいいかも」と答えるのを想定して、それが多ければ
何かの証拠になるとでも???
298教導者:02/07/04 17:48
>日本仏教哲学100年の集大成
理系学生は統計データあることを前提にしか
論理を構築できないだけです。
統計データを必要としなくても客観的な
論理を構築できるのは私のレスを
見る通りにできるわけです。
統計は論理構築のための一つの要素に過ぎません。
299日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 17:49
>>298
そりゃそうだが、説得する方向で話を進めてみてもいいんじゃないのか???
「パパが客観的じゃないっていったから、僕も客観的じゃないっていったら逆らったらだめなんだよ」程度の論法で
ずるずる話を続けられるとこっちがいらいらする。
300考える名無しさん:02/07/04 17:51

教導者が今までのレスで構築している「論理」が
客観的なものでないことは、過去ログから明らか。

そのことを理解できない教導者は、論理というものを
まったく理解していないし、理解できるだけの国語力も
持っていないのです。
301考える名無しさん:02/07/04 17:52
死刑囚が死刑執行人を殺した場合、正当防衛である。かどうか
という問題も含まれるのか?

302日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 17:53
>>300
いいからその「教導者の主張」と思われるものの内容を、死刑制度に関する部分だけ
3行程度にまとめて書いてミロって。
303日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 17:53
>>301
含まれない。
304考える名無しさん:02/07/04 17:57
>日本仏教(略)

ごちゃごちゃ言う前に、とりあえず
「犯罪の被害者に刑罰を加えなければならない」っての、
整合的に説明し直せ。

万引きされた被害者の商店主が「万引き助長罪」で刑を受ける、
「被害者が罰せられるのが一般なんですが、」(>>210)という、
おまえの国の狂った法体系の詳細を、ぜひとも知りたい。
305教導者:02/07/04 17:57
>日本仏教哲学100年の集大成
以下は向こうのスレで続けます。
ここは外野の荒らしが多すぎるので。
>>304
罰というのは一般的に言って何らかの害にあった人を被害者と認定する事が起源になっている。
加害者というものが特定できるという発想はある程度完成された法体系を見てそう考えるように変化していったのではないか。
実際に裁判を行ったり刑罰を行ったりするような社会的・事務的なコストは次第に削られていく傾向はあるが、
全体としての構成はそうなっている(案)。
307考える名無しさん:02/07/04 18:10
お前の考える「罰の起源」は、どうでもいい。
何を聞いても話を逸らすのか?

じゃあ、一問一答なら、きちんと質問に対して答えられるか?

(1)
たとえば万引きで、お前の言うとおり「被害者を罰する」という国は、
一体どこにあるんだ?
(2)
おまえのいう「被害者が罰せられるのが一般なんですが、」というのは、
日本でも「一般」なのか?
(3)
おまえのいう「罰」とは、法的な刑罰を指すのか?
それとも、「万引きされて商品を失った」という経済的な損失も、
おまえのいう「罰」に含まれるのか?
308日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 18:16
>>307
(2)が一番簡単で、強姦された女性は事実として「お嫁に行けない」
(3)は、「社会的に既に十分制裁を受けている」という理由で減刑される現在の法運用の実情から区別されない。
(1)は、まあどこでもそうなんだが、うまく説得する自身がないな。事例を挙げてきぼんぬ
309考える名無しさん:02/07/04 18:22
>>308

(1)
事例は挙げてるぞ。どこの国か、答えろ。

(2)
「強姦された女性がお嫁に行けない」のは、「強姦された」ことに対する「罰」だと
おまえは考えているんだな?

(3)
「強姦されて嫁に行けなくなった」、これは加害者ではなく、被害者が受ける
「社会的制裁」なんだな?
じゃあ、「強姦されたけど嫁に行った」女性は、「社会的制裁」を受けていないから、
「強姦助長罪」で、罰金刑なり懲役刑なりを受けなければいけないんだな?
おまえのいう「一般的」な国では。

残念だが俺は、加害者が「社会的制裁を受けているから」って減刑された
ケースは知っているが、被害者が「社会的制裁を受けているから」って
減刑された(誰が?)は聞いたことがない。
310理系学生A:02/07/04 18:28
日本仏教哲学100年の集大成が>>308で答えた(2)でようやく解った
つまり「被害者が受けた被害そのもの」=「被害者の受ける罰」ということだろ?
それは罰とは言わない。被害という。すると>>205
>死んだ人をもう一度殺すことはできないから死刑は罰としてなりたたない
が意味不明になる。被害者はもう「死」という被害を受けているのに
なぜさらなる「死」が必要なんだ?
311日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 18:29
>>309
それは加害者と被害者が法体系で決まってからの話で、
社会的制裁を受けていない方を最初「加害者」と名づけた事を反映しているとしか思えない。
いや本当にどこの国の話をしているのやら。
312日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 18:30
>>310
必要だけど執行できないから起訴する必要も書類送検する必要もないってだけだ。
313考える名無しさん:02/07/04 18:34
>>311
いいかげん、質問に答えろ。
三回も同じ事を尋ねたくはない。

>いや本当にどこの国の話をしているのやら。
それを訊いてるのは、俺のほうだ。
314教導者:02/07/04 18:37
現在には無いというだけで、
すべてを否定できるというのなら
これほどうまい逃げの方便はなかなかないだろう
315理系学生A:02/07/04 18:37
>>297
なにもデータじゃなくても何かしらの資料は必要だ。
どのような資料(文献、データなど)をもとにどのように理論を展開し
どのような結論に達したのか。それがないと少なくとも「客観的」とは言えないだろう。
理論があってもその大元が単なる自分の意見であればそれは
独りよがりであり、主観であり、
「私がそう言うんだからそうなんですぅー!」のようなガキの口喧嘩でしかない。
俺はガキの口喧嘩をする気は無い。
316日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 18:37
>>313
質問されるたびに質問が枝分かれして増えていくので、どの質問がその
「同じ事」に相当するのかわからん。冗談じゃなくて、場合分けはできるが論理的に考えることが出来ない人間の方が
場合分けの能力は高いんだから(313に対する私の見方だよ)、質問を一つわかりやすく書いてくれんと本当にわからん。
おながいします。
317考える名無しさん:02/07/04 18:38
「無いとは断定できない」というだけで、
すべてを「ある」ことにしてしまえる教導者は、(略
318教導者:02/07/04 18:40
統計データな無ければ認められないという
言い訳は独り善がりで主観的な方便以外の何物でもないものである。
統計データのみで語るのは餓鬼の喧嘩にすら届かない愚行である。
319日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 18:40
>>317
無いとは断定できないが、本当にないものの例は?

ちゃちゃじゃいです。
320日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 18:43
ちゃちゃじゃいです→ちゃちゃじゃないです。

いやまじ。オッカムの剃刀は経験則でしかないのに乱用し過ぎて
俺の頭が変になってるのかも知らん。無いとは断言できないが本当にあるものとは???
321考える名無しさん:02/07/04 18:46
死刑判決が出た後、本当に殺すかどうかは
神様に決めてもらうのが一番良い。
裁判長がサイコロを振って1が出たら死刑執行。
322考える名無しさん:02/07/04 18:46
教導者の論法
「火星人は存在する。」
「はぁ?根拠は?」
「火星人が絶対に存在しない、ということを証明せよ。」
「そんなことはできない。」
「まともな反論が出てこない以上、私の主張が正しいことが証明された。火星人は存在する。」
323考える名無しさん:02/07/04 18:47
>>316

小学生を相手にしている気分になってきた。

(1)
日本では、万引きされた商店主を、「万引きされた」という罪によって
「罰する」のが「一般」である。 Yes or No ?

(2)
「強姦された女性がお嫁に行けない」のは、「強姦された」という「罪」に対して
当然に与えられるべき「罰」だと、おまえは考えている。 Yes or No ?

(3)
「強姦されて嫁に行けなくなった」というのは、社会が被害者に対して
「不当に与えてしまう」被害ではなくて、「当然与えるべき制裁」だと、
おまえは考えている。 Yes or No ?
324日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 18:48
>>322
火星は火星に人口衛星が調査に行くまで火星人がいると信じられていたし、
いまは調査の結果人型の生物はいないと証明されているし、長らく生命はいないとされていたが
現在はいる・あるいはいたが絶滅したという説が混在していると思われるよ。
説明の為に例として挙げたんだとおもわえるが、火星人が存在しないと言う事が証明できないというアイデアを
思いついた理由を教えてちょ。
325考える名無しさん:02/07/04 18:49
空集合の捕集合を論理的に説明できなければ
無を語る資格なし
326考える名無しさん:02/07/04 18:50
火星人でも木星人でも幽霊でもネッシーでもいいよ。
火星人がいるかいないか、ということではなくて、
教導者の「論法」を、きみは是認できるの?
327日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 18:52
>>323
ああ。323は複数の質問をまとめて「事」といっているのね。
あまり聞かない言い方だが、わかったのでOKです。

(1)はNO。ただ、「一般に」という語の意味を誤解しているね。
それは誤解を招いた。すまんかった。たぶん「世間で広く」という意味で取ったのだとおもわれる。スマソ
(2)「当然」というのは323の先入観か信念だとおもわれるが、事実としてそういうことはあると思う。
(3)与えるべきかどうか判断するのは社会なので、それになりかわって答えるのは不可能だが、
社会がより強姦されやすい女性を傾向をもっているのは事実だと思う。
社会のような人間で無いものを擬人化して書かれるとちょっとニュアンスがわからなくなるのでスマソ
328日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 18:57
>>326
「幽霊が絶対いないという事が証明できない事を理由に幽霊がいると断言できるか?」
というと、「脳の中の幽霊」という有名な本があり、ポリスだかのアルバムの名前にもなってるぐらいだからまあ相当有名なんだろうけど、
人間が幽霊というアイデアを考え出したもとになる体験があって、そのメカニズムが改名されれば
幽霊という語に与える定義をすこしなおさなければならないかもしれないね。
その上で説明なしにこの語を使って人と人とが意思疎通していけるとおもわれる。

「ネッシーが絶対いないという事が証明できない事を理由にネッシーがいると断言できるか?」
という場合は、いくらなんでもそんな証明ができないはずはないから、誰がネッシー伝説を作り出したかという
風説被害?の責任問題の話はおいておいて、いないと言いきっていいのではないか。

つまりケースバイケースで、上の質問は一般的な問いとしては成立していない。つまり答えが一つに定まらない体裁になっている。
329考える名無しさん:02/07/04 18:58
(1)
じゃあ>>210
>被害者が罰せられるのが一般なんですが、加害者も罰しようというのが社会制度だと思われます。
ってのを、具体的に説明しろ。


(2)(3)
ちがうちがう。
社会に成り代わって答えろとは言っていない。
「事実としてある」か否かも訊いていない。
どのように「おまえが考えている」かを訊いている。
まったく、ちょっと油断すると、すぐ話を逸らされるな。

「強姦された女性がお嫁に行けない」という事実があったとして、
おまえはそれを「偏見による不当な事実だ」と思うのではなく、
「『強姦される』という罪を犯したんだから当然の制裁だ」と思うんだろ?
330考える名無しさん:02/07/04 19:01
一般的な質問。

「Aではない」とは断言できない以上、直ちに「Aである」ということができる。

教導者のこの理屈に、日本仏教(略)は同意するのね?
331日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 19:05
>>329
(2)(3)の「当然」とされる意見に関して言えば、私はそうは思いません。

(1)一般というのが論理的な言いまわしで読みにくかったようですいません。

・罰というのは特定の行動を抑制するために加えられます。
・抑制されるべきとされる行動は、原因や加害者などが特定される場合とは限りません。
・そのため、何らかの被害に遭った人を、例えば「穢れている」なとと適当に理由をつけて
罰する行動が広く認められます。
・その場合の罰は何らかの被害に遭った人が取り得る責任の範囲を超えて重く課せられる傾向があるので、
それより軽い罰則を社会的合意の下に定めて代わりにするということがこれも同様に広く認められると考えています。

この程度の論旨です。
332考える名無しさん:02/07/04 19:08
(1)
仮に「強姦されたから嫁に行けない」というのは重すぎる「罰」として、
じゃあ社会的合意のもとに、被害者の女性に対してどんな「罰則」が
日本においては定められているんだ?
or どんな「罰則」を定めるべきだと、お前は考えてるんだ?

(2)(3)
じゃあ、「被害者を罰するべき」だという、お前の主張が
根底から崩れるな。
自分の間違いを認めてくれて嬉しいよ。
333日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 19:08
>330
おお。「一般的」という言葉が日本人全員に通じないかとおもってしまいましたよ。

その種の質問については、例のオッカムの剃刀を大変重宝に使わせてもらっていて、
「そういう質問は考える価値がない」と普段は考えさせて頂いているのですが、
真面目に答えると、うーん排中律という奴ですね・・・知識がじゃまをするのは除外するとして、

やはり、そう言う事ができるんではないですかね。
334考える名無しさん:02/07/04 19:10
>>「Aではない」とは断言できない以上、直ちに「Aである」ということができる。
>>教導者のこの理屈に、日本仏教(略)は同意するのね?

>やはり、そう言う事ができるんではないですかね。

正気ですか?
335日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 19:12
>>332
(2)(3)については話がまとまってうれしいです。
(1)は難しいですね。他に案を聞いたことがないので、「罰金500円」というのを支持することにします。
エロ本や、ヤングジャンプ等の事実上エロ本であるようなグラビアを持つ雑誌の値段がそのぐらいですので、
「女性がキャミソールなどを着て自分を誘惑した」という供述があった場合に500円ぐらいが妥当だというのは
言えそうです。加害者側の刑罰はその500円があるかどうかに関わらず考えなければならないですが、
でもまあ罰金500円〜最大2万円ぐらいですかね。
336日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 19:14
>>334
「一般的に・・・」という表現を使っているということで論理的な議論をしているということを前提に加えれば言えると思います。
あらゆる議論が論理的にされている訳ではないので、議論が論理的かどうか場合分けして再質問していただけると
もっと答えやすいです。
337考える名無しさん:02/07/04 19:15
>強姦の被害者には罰金刑が妥当
本気で頭いたくなってきた。
誰か続きを頼む。
338教導者:02/07/04 19:16
>日本仏教哲学100年の集大成
キチガイが「私の論法」といって夢想したものであたなに対し
荒らしているようですが。
私はそのような論法を使ってないことは過去ログをみれば明らかでしょう。
>>338
私の方がおかげさまで頭がいいのか記憶がいいのかしりませんが、
ややキチガイに近い部分があるみたいですね。空想と現実の区別がつかない人の論法も
ある程度押さえていたほうが役に立つこともあるかと考えた事もあったのですが、
それが間違いだったのかも知らんです。まあもうちょっと迷ってみます。
340考える名無しさん:02/07/04 19:21
>「Aではない」とは断言できない以上、直ちに「Aである」ということができる。
と、日本仏教(略)は、本気で思ってるんですね。

「Aではない」と断言できず、また「Aである」とも断言できない場合、
あなたは「Aではないと断言できない以上、Aである」といい、
同時に「Aであると断定できない以上、Aではない」というんですね?

つまりあなたは、「Aである」「Aではない」と、同時に主張する。
これは、あなたの立場から完全に論理的に導ける帰結なのですが。
341理系学生A:02/07/04 19:22
>>333
>やはり、そう言う事ができるんではないですかね。
理系としてその言葉は無視できないな。「Aでないとは断言できない」から
導けるのは「AでないかもしれないしAであるかもしれない」だ。
決して「Aである」ということは断言できない。
342考える名無しさん:02/07/04 19:24
>>338
あなたがそのような論法を使っていることは、 part3 を見れば
明らかです。
客観的な証拠(過去ログ)を見れば誰にでもバレる程度の
子供だましはやめてください。
343伯爵:02/07/04 19:25
えーすいません
私、途中の過去ログを見ていないのですが
論点は教導者の死刑反対の論理性だと思いますが

そもそも死刑を語るときに「である」という命題が導かれることはありえない訳でして
それは「未来はどうあった方がいいか」・・つまり「すべきである」という命題

つまりですね、論点は事実命題ではなく当為命題であると思えるのですね

344日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 19:25
ちょっと、「論理的にどうか」ということと、「事実がどうであるか」とは区別してくださいよ。
前者は無矛盾であることに価値がありますが、後者は観察(観測)が常に不完全であるなかで蓋然的に正当であるかどうかだけが問われます。
345伯爵:02/07/04 19:28
さらに付け加えるならば

「〜〜すべきである」という当為命題はいかなる観察命題、事実命題からも
それらだけでは導き出すことはできない訳です

しかし、言い換えれば、別の当為命題を含めばそれら事実命題と当為命題から論理的に導き出せる訳ですが
346伯爵:02/07/04 19:32
ですから

議論として合意が得られる経緯があるとすれば
それはある当為命題で合意が得られた上で論理的に合意を得る、得ないは可能でしょう

しかしその当為命題の正当性は、また別の当為命題・・・と無限後退するか
独断で決定してしまうかぐらいしかありませんので、従って

無条件に(相手の同意もなく)、自ら掲げる当為命題の正当性を論理的に主張することは不可能であると言えます
(それは論理的に正しくはない)

347教導者:02/07/04 19:33
>伯爵
そんな論理性を私は持っていないのは明らかのですが。
348伯爵:02/07/04 19:36
この上で、私は過去にやった答弁では
「もし〜〜すべきであるならば、死刑は肯定した方がよい(もしくは否定したほうがよい)」
という形をとっていたと思います
349考える名無しさん:02/07/04 19:38
これでも読んで落ち着きなさい
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/comics/chobits/
350伯爵:02/07/04 19:45
いわゆるヒュームの自然主義的誤謬というものがありますが
これが事実命題から観察命題は導き出せないの下りですね

さらにそれには例外が唯一存在し
ある特殊な事実命題からは当為命題を導き出すことができます
それは「私が〜する義務を持つならば、〜〜するべきである」というものです
これが現在の死刑の存在を後付するものです
「現在はみな(特殊な形式のALLですが)が死刑があった方がよいと判断したため、死刑制度は採択されている」
しかし当然、未来においてそれを変化させることはあって当然ですので
議論においては使用できませんね

ですから議論においてはどこまで述べたところで我々がができるのはあくまで「提案」であり
その正当性を無条件に主張することはできない訳です
351日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 19:47
お、ヒュームさんという人は自意識が存在するのは自明としているようですね。
352伯爵:02/07/04 19:49
以上で
私の横槍は終了です

論理的に結論が出てしまうのであれば
議論の必要なんてないと思います
正当性をどこまで追求してもそれは無意味だと思います

元の議題から逸れてしまった感があったので
横槍を入れました
これでまた本題が活発に議論されることを期待します
>>352
教導者さんと「論理」について合意に達して欲しかったのですが、
生きて帰れないかもしれないので無理強いはできないですね。残念です。
354伯爵:02/07/04 19:51
>>351
ヒュームは独我論に近い観念論者でしたからね
ちなみに私は観念論には否定的です
355伯爵:02/07/04 19:53
>>353
「論理」について合意とは何でしょう?
「論理とはどのようにあるべきか」というものですか?
私から言わせればそれは「昨日の天気はどうあるべきか」と同じくらいくだらない議題だと思います
356教導者:02/07/04 19:54
>日本仏教哲学100年の集大成
私の主張にまったくないものを持ち出してきて、
私の「論理」というように言って来ても
議論しようが無いです。
357日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 19:58
>>355
まあそうなんですが、
・ある同士だとそれについて互いに説明し合うのは無益
・ない同士だとその語が指すものを事前に知るのは不可能
・片一方にあるとあるほうはどうちゃら
・片一方にあるとないほうはどうちゃら
ぐらいの整理はできないでしょうか・・・なととおもったのです。

>>356
相手は、「論理」以外にも認知できない概念がいくつもあり、
それらを別の概念で置き換えて自問自答し、答えを作ってくるというメカニズムです。
それを逐一直せばいずれ相手が論理性を獲得するのでは・・・と夢想などしたのですが、
どうもそういう訳でもないようで最近ギブアップ気味です。まあ私の恵まれない人生に
巻き込むつもりはないので、話半分で聞き流してください。ドウモ
358伯爵:02/07/04 20:10
>>357
僕が思うに
議論は存在そのものが有益であるとは思います
しかしその中でほとんど益の無いものもあるでしょう

議論を成立させるもの、有意義な議論を実行するには論理性以外にいくつかの条件が必要であると思います
僕はある哲学者の主張する三原則であると思います
それが僕が確認できない限りは僕は議論を継続しようとは思いません
もちろんそれがあっても興味が無ければしませんが

少し間延びしましたが
議論の有益さはそれが同意をもたらす場合にのみおいて有益なのではありません
仮に同意を得ることができず、決裂したとしても
お互いがより良い理解に近づくことができるのが
議論の何よりも有益なところであると僕は思います
359日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 20:14
なるほどね〜。ヒュームの不可知→カントの物=不可知→ヘーゲルの物証主義

と並べてみると、ヒュームが自分以外の人間の自由意思を認めない独我論だというのは
本当かも知らん。理屈に勝って人生に負ける・・・というのが近代哲学の正しい姿なのかも知らんという気がしてきたよ。
360伯爵:02/07/04 20:22
ヒュームが正しい、間違ってるとか言うつもりはないですし
他の哲学者に関しても同様です

ただ仮に間違っていたとしてもその発言を全て捨てるべきであるとは思いません

カントの倫理学は極端すぎて、現在では到底受け入れられませんが
それでも僕は倫理を説くにはまずカントから入りますし

認識論に関してもヒューム対カントの図式を必ず通るでしょう

メタ倫理に関しても同様で
先ほどの説明の中の例外はヒュームの意見ではありません
ヒュームは全ての命題において自然主義的誤謬を主張しています

当然のように僕が尊敬する哲学者の中でもこれは容認し難いと思えるものがかなり存在します

361日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 20:22
すると、「他人の気持ちなど絶対にわからん」=「俺の気持ちは他人には絶対にわからん」という事で、
こーゆー底抜けのバカも殺さなかったというイギリス国民の誇りのようなものを前提にちょっと考え直さないと
全体の構成がわからなくなってくる・・・って事ですね。勉強になります。はい。
362考える名無しさん:02/07/04 20:23
>日本仏教(略)
>>340の是非は?
363日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 20:26
>>362
そんな、伯爵さんの論理入門書きこみを踏みにじるような・・・

えとですね。論理的には是。事実としては非。じゃあ論理=矛盾か??
というあなたには矛盾スレご案内。その他の場合というのはありえますかね???
364考える名無しさん:02/07/04 20:33
論理的には是、ということは、つまり、

あなたは「Aだ」ということを認め、
同時に「Aではない」とも認める。
そのことに論理的な矛盾は認めない。

ということですね。
365日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 20:36
>>364
その要約は間違っています。
366考える名無しさん:02/07/04 20:39
どのように?
どこが間違っているかを指摘せずに「おまえは間違っている」
「私は正しい」というのは、誰かと一緒ですよ?
367考える名無しさん:02/07/04 20:40
>>366
もう一度要約してみてください。間違っているというのは確かに間違いで、
先の要約は判読不能です。
368考える名無しさん:02/07/04 20:43
順番にいきましょう。

あなたの主張は、一般に
>「Aではない」とは断言できない以上、直ちに「Aである」ということができる。
というものです。
ここから当然、
>「Aである」とは断言できない以上、直ちに「Aではない」ということができる。
ということが類推されます。

ひとまずあなたは、これらを両方とも認めますよね?
369考える名無しさん:02/07/04 20:44
もし認めないならば
A=notBにすればよい
370考える名無しさん:02/07/04 20:45
>>368
前者は認めます。ここから「当然・・」以降は判読不能です。
再度直してもらえると助かります。まあこんなものわかりの悪いのに
お付き合いして頂いてすいません。
371考える名無しさん:02/07/04 20:49
>>370
一般に
>「Aではない」とは断言できない以上、直ちに「Aである」ということができる。
以上、当然、
>「Bではない」とは断言できない以上、直ちに「Bである」ということができる。
といえるはずです。あなたの立場だと。

で、Bに「Aではない」を代入しましょう。

「「Aではない」ではない、と断言できない以上、「Aではない」ということができる」。
つまり、「「Aだ」と断言できない以上、「Aではない」ということができる」。

これは、あなたの立場です。
372考える名無しさん:02/07/04 20:52
>>371
なんか断言されてしまいましたが、多分私は推論規則そのものは機能的に導かれた経験則でしかなく、
推論規則の正当性そのものに推論規則を当てはめることは「一般的には」なりたたないと考えている立場だと思われます。

371で要約されている内容では、そこに制限がないので、そこが違う点でしょう。まあどっちが正しいとか(笑)そういうのはなしです。
373考える名無しさん:02/07/04 20:53
機能的→帰納的
370=372=373=私です。乱筆スマソ
375考える名無しさん:02/07/04 21:00
えーとですね
そんなレベルの話ではありません

一般に、論理的に「〜であればAである」という場合のAは
そこにいかなる命題を代入しても通用せねば論理的とは言えないのではないでしょうか

そのAが何であるかによって変化するならばそれはもう論理的にそう言うことはできないものと思います

次に>>371ではAに関してA以外のことに触れている(Bに関してB以外に・・)

問題ありませんね
376考える名無しさん:02/07/04 21:01
なんか論理の話しばっかだ
377日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 21:02
>>375
375の書きこみは論理的に問題ないです。

ある主張が論理的であるかどうかは内容によらないとすると、(→ここではそうするという同意が成り立っているものとして話を進めるという意です)
これまでの私の論理を対象にした主張は、一貫して非論理的であると言う事ができます。まあここで捨て台詞が欲しいところなんですが、なんせボキャヒンで。
378考える名無しさん:02/07/04 21:06
>>377
「一般に」とは、そういう意味です。
あなたは、いままでにさんざん、個別のケースによる譬え
(火星人とか幽霊とか)を拒否して、一般的な論理を
要求してきたのではなかったのですか?
379日本仏教哲学100年の集大成:02/07/04 21:10
>>378
論理に対しても論理を適応した場合(後者をメタ論理と仮称します)は、
推論規則により導出された新しい推論規則が成立するかどうか判断する事例が得られにくく(←この当たりは一般的な記述ではないですが)
なってくるので、その話題の当事者で使われている推論規則をなるべく使うようにしています。
論理に対して論理を適応した場合(一般的な意味でのメタ論理を導入した場合)の論理の持つ一般的な性質というのは
ここでぱっと2〜3行で書くのがむずかしいと思われるのですが、書けますでしょうか???
380考える名無しさん:02/07/04 21:12
論理が個別のケースにしか通用しないかどうかは
論理に対する論理ではありません

381考える名無しさん:02/07/04 21:22
>>379
「論理に対しては通用しない一般的な論」とは、もはや「一般的な論」の名に
値しません。

もしあなたが>>371を否定するのであれば、自動的にあなたは、自分の主張であった
>「Aではない」とは断言できない以上、直ちに「Aである」ということができる。
を取り下げねばなりません。

もしこれを取り下げないのであれば、あなたは>>340を認めねばなりません。

以上のことは、完全に論理的な帰結です。

もし「自分は非論理的に議論をしているんだ」と言われるのであれば、
それはご自由に。
382考える名無しさん:02/07/04 21:41
uzai
383考える名無しさん:02/07/04 21:48
もちろん賛成。
384考える名無しさん:02/07/05 00:08
もちろん反対。
人道主義的な立場、すなわち人の命を尊重する立場から見れば、
死刑制度が非であるのは明らかです。

当方リアル工房ですので、自己の認識について誤謬があるかとは思いますが、
賛成派の方も反対派の方も、レスおながいします。
385考える名無しさん:02/07/05 09:19
人道主義イコール人の命を尊重する、という時点でまず間違い。
386理系学生A:02/07/05 10:47
日本仏教哲学100年の集大成さん、
俺の>>341読みました?
387バカ:02/07/05 10:54
>>385
人道主義=人間には人間である為に外してはならない道が存在する。
ゆえに、人の道から外れたものは存在を否定される。

ってことですか?
388理系学生A:02/07/05 11:05
>>384
人の命を尊重するが故に殺人の罪を重く見、
さらに死刑を最高に重い罰として使用する。
何らおかしくないと思うが?
389考える名無しさん:02/07/05 11:27

日本仏教(略)は、今からコインを投げる。

まだ、表が出るか裏が出るかは判らない。

しかし少なくとも、「表が出ない」とは言えない。
だから日本仏教(略)は「表が出る」と言うことができる。

もちろん「裏が出ない」とも言えない。
だから日本仏教(略)は、「裏が出る」と言うこともできる。

つまり日本仏教(略)は、これから投げるコインについて、
同時に「表が出る」「裏が出る」ということができる。

もし表が出なかったり、または裏が出なかったりしたら、それは
>「Aではない」とは断言できない以上、
>直ちに「Aである」ということができる。
という日本仏教(略)の主張が誤りであることを示す。


……さて、好きなほうを選べ。

(1)
私の投げるコインは、同時に表と裏とが出る。

(2)
>「Aではない」とは断言できない以上、
>直ちに「Aである」ということができる。
は、一般に成り立たない。
390兎詩:02/07/05 12:11
〉理(略)
前にも書きました(どこに書いたか忘れましたがこのスレの100〜200ぐらいにある
と思います。)が、それは人の命を軽く見すぎていると思うのです
が・・・。まあ、これも主観ですけどね。
391兎詩:02/07/05 14:33
〉理(略)
そうですね。341には僕も賛成です。「AでないならBである」というのなら納得でき
そうですが。まあ、CかもDかもしれませんが。
392兎詩:02/07/05 14:53
たびたびのレスすみません。

〉日(略)
「被害者を害以外でさらに罰する」という理屈は僕も理解できません。罰の起源は害に対
する仕返しだと思いますし、害に対する被害者への罰は加害者への減刑に還元されると思
います。
393384:02/07/05 19:34
>>385
>人道主義すなわち人の命を尊重する立場
「すなわち=イコール」のつもりではなかったのですが…
今後の誤解を避けるため、これ以後人道主義という言葉を廃します。

>>388
人の命を尊重するという前提を置く時点で、死刑の存在が刑罰から失われると考えます。
既存の日本の刑法を前提には議論をしていないつもりです。
日本の刑法ではいまだ死刑が最高刑とされていますが、
オーストラリアなどすでに死刑制度が廃止になっている国もあります。
394384:02/07/05 22:00
賛成派の皆さんにお聞きします。
人の命を尊重する立場に立った場合に、
死刑制度が存在可能な理由はありますか?
また、人の命が尊重されない立場とは、人間社会においてあるべきでしょうか?
レスおながいします。
395384:02/07/05 23:48
あげ忘れ。
396考える名無しさん:02/07/05 23:53
ホッブス「万人の万人に対する闘争」が「自然状態」であることを
肯定する「である論」なら、死刑制度は正しい。
強い奴(権力者)が、弱い奴(強い奴から敵視された奴)を殺して
何が悪い?ということになる。
しかし、ルソー「人間不平等起源論」「社会契約論」(あるべき論)
で言えば、死刑制度はアプリオリに「悪」である。
397考える名無しさん:02/07/05 23:58
強い奴が勝つことで「自分のDNA」をより多く保存する。
「自分の敵」のDNAを少しでも抹殺することで、地球上の
進化が進んできた。
地球規模では、人類は最大のDNA抹殺者なんだから、
「最高の進化への貢献者」ということになる。
398考える名無しさん:02/07/06 00:00
ヒューマニズムが、いずれ人類とほかの生物を全滅させることになると思うよ。
宇宙から見れば、「あ。そう。」と言うことだけだけど。
399考える名無しさん:02/07/06 00:01
クマムシは死なん。
400考える名無しさん:02/07/06 00:14
死んだほうがいい奴は沢山居るんだけど、
ヒューマニズムは全員助けようとするんだよ。
例えば・・・・
401384:02/07/06 00:40
>>396
では、あなたはどう考えますか?
もし、彼らの意見に追従するならばどちらをとりますか?

>>397
しかし、多くの人が自身の保身を果たすためには、
人を殺すことが否定されるべきだと私は考えます。

>>398
そう思うのはなぜですか? 根拠をお願いします。

>>400
死んだほうがいい奴とは? 
例えばどのような人でしょうか。具体的にお願いします。
402他者:02/07/06 00:46
>>394
いけにえだよ。
儀式だよ。
403396:02/07/06 00:47
「追従」するならば、「あるべき論」をとると思います。
その恩恵にあずかって、安全な社会に済むことが出来ているんですから。
404397:02/07/06 00:51
「自己保身」は人類だけの特権ではない。
キリスト教が「人類は特別だ」と言っただけだろ?
他の生物に投票させれば、人類は[out]だろう。
405あああ:02/07/06 00:51
>>1
死刑を一つの正義とする見せ方に問題があると思う
406384:02/07/06 00:52
>>402
では、生贄を必要とする儀式が慣習として存在しない国、あるいは地域では、
人命は尊重されるべきなのですね。
また、現在生贄が慣習として行われているという具体例をあげてください。
407398:02/07/06 00:54
「核」を発明したのは人類(20世紀)
歴史的に見て、発明された兵器は、次世紀に「本格的に普及」している。
要するに誰でも使えるようになると言うこと。
408400:02/07/06 00:57
人類は正しいことを行って、他の種を導くべきだと思い込んでいる奴のこと。
例示:ヒトラー、スターリン、毛沢東・・・
これ以上は言えないよ。
409他者:02/07/06 00:58
1まず儀式(生贄)が即死刑とは限りません。
2たとえば日本とか。日本でも死刑があります。


410400:02/07/06 01:06
「生贄」は、一つの文化現象にすぎないよ。
レビ・ストロースが挙げているいろんな奴の一つ。
西欧的・キリスト教的文化の下では「野蛮」である。
すなわち「タブー」であるから、言及することも
本当は、はばからなければいけないと思う。
新旧聖書を読むべきだね。生贄のことが沢山書いてある。
411384:02/07/06 01:09
>>403
死刑制度の存在の有無が、社会における犯罪発生率の低下に関わらない、
という報告を耳にしたことがあります。
詳細は忘れましたが、私もそうであろうと考えます。
なぜならば、犯罪者が裁かれるべき罪を予め認識した上で犯罪を犯すでしょうか?
特に大きな犯罪の場合、そのようなことは決して省みられないと思います。
犯罪を犯す動機としては、「衝動的」・「計画的」の二つがあり、
その二つともが、刑罰の大小によって抑制できるとは考えられないからです。
よって、この報告を信じる限り、「死刑制度があるから安全である」
とは言いきれないと思います。

>>404
ですが、人間は他の生物を代弁することができないと思います。
なので、他の生物がそのような意思を持っていると断言できないため、
人類が地球上において排除されるべきだとは言いきれないと考えます。
412他者:02/07/06 01:11
>>410
仮に死刑が必要不可欠な文化と要ったら?
413他者:02/07/06 01:14
文章変だけど空気でわかってください。
414400:02/07/06 01:18
「死刑制度があるから安全である」と行った訳ではありません。
基本的人権が憲法で保障されているのは、「社会契約論」に基づく思想で、
その思想により安全な社会を与えられているという現実を見ろという意味です。
すなわち、ホッブスよりルソーの方が、実際的に(プラグマティックに)
優れていることを、誰もが実感しているはずだと言うことをいったもので、
今の段階では、ルソーの「あるべき論」のほうが、ありがたかったと言っているだけです。
415404:02/07/06 01:25
人類が排除されるべきだとは、人類の一人として思いませんし、
思いたくありませんが、
西欧・キリスト教的な発想で「人類は神の似姿」なのでとにかく特別だあ
と思えないということです。

416384:02/07/06 01:25
>>398
「誰もが核兵器を持ちうる」という危機的状況。
それを避けるために核廃絶運動が行われていると私は考えます。
達成されるかどうかはわかりませんが。

>>他者
では、あなたは「生贄」をどのような意味で認識していますか?
そして、日本の死刑制度がその「儀式」である根拠を教えてください。
417404:02/07/06 01:32
〉〉412
 必要不可欠かどうかは、「村の長老が決める」ということ多いと、
レビストロース以外の人も言うと思うけど。どうかな?
418384:02/07/06 01:33
>>414
それでは、死刑制度は無くてもいい、と解釈できますが…
419398:02/07/06 01:37
「危機は必ず訪れる」というのが、時間軸を考慮したリスクマネージメントの
理論です。
 要は「時間の問題」ということで、「数学=確率論には勝てない」ということではないでしょうか?
420384:02/07/06 01:40
>>419
確率論であれば、「危機が訪れない」という確率がゼロにならない限り、
危機を訪れなくさせる何らかの方法がある、ということですね。
私は、その確率に賭けたいと思います。
421414:02/07/06 01:46
〉〉417
勿論、無くても「よい」し有っても「いい」と思います。
その国(国家という安全保障制度)が、どちらを選択するかということが
重要であり、その手続きが「西欧民主主義的」であることの方が、
「他の**主義」よりベターだと思う、ということを言っているんであり、
そちらの「手続的保証」がが、より重要だと言っているんです。
その制度(多数決)が「死刑によって失われる実存」よりは、
「最大多数の最大幸福」を選択するならば、その方がよいという
ことです。

422他者:02/07/06 01:48
>>416
生贄は単なるイベント
死刑制度が儀式だとは、いったつもりではないけど
法律の継続を考えるなら
死刑は、大衆を引きつけ十分な説得力はあると思う。


423384:02/07/06 01:54
>>421
死刑によって「実存」を奪わなくても
「最大多数の最大幸福」を選択できるならば死刑は不必要であり、
その不必要な死刑によって、失われなくても良い実存が失われる、
というよりは、失われるべきでない実存が失われるならば、
死刑は損失しか生まないことになり、
損失しか生み出さない死刑はあるべきではない、と考えます。
424384:02/07/06 01:56
>>422
生贄というイベントが意味をなさないならば、
生贄は不必要であり、(以下略)
425他者:02/07/06 02:01
>>424
生から死の瞬間をあなたは見過ごすというのですか?
これほど重大な事はないでしょう?

426421:02/07/06 02:03
不謹慎かもしれませんが、睡眠という生物学的欲求により、一時退散させて
いただきます。
423さんとは、後日お話しできると思います。
426にみられる色々なことに対する「誠実さ」は重要な美徳であると思います。
では。
427384:02/07/06 02:03
>>425
個人的には人の死ぬ瞬間は見たいものではありませんね。
重大なことだとは思いますが、防げるものなら防ぎたいです。
428384:02/07/06 02:06
そろそろ就寝しようかと思います。

>>426
今後も有意義な議論が展開されることを期待します。
429421:02/07/06 02:11
すいません。訂正「426」の「426さん」→「423さん」
ややこしい。
430他者:02/07/06 02:38
>>427
少々大げさでしたもちろん僕も直接はみたいとは思いません
しかし、無関心ではいられない事は確かです
また死刑を受ける人は、ごく普通の人ではないということです
さまざまなものがその出来事に関心を抱き人々の動揺をひとつの
結果(死)をもたらせるという説得力であると思うのです。
要は死刑は、反対、賛成という立場からはずれて恐縮ですが
必然であると思われる。

431教導者:02/07/06 12:27
要するに私の主張が一番論理的だったわけだ。
432384:02/07/06 13:08
>>431
膨大な過去ログから判断するのは骨が折れるので、
その、論理的だと言うあなたのいう主張をぜひお聞かせください。
明快、かつ簡潔で誤解を招かないような主張をお願いします。
教導者さんは死刑制度に対してどのような立場でいらっしゃいますか?

>>430
「必然であると思われる」ならば、死刑制度に賛成している態度に私は捉えてしまいますが。
「説得力」であることに対する意見は、しばらく考えさせてください。
433教導者:02/07/06 13:45
>384
基本的には平時に何の必要性もない死刑をを支持する事は出来ないと言う立場である。
つまり不必要性を説いているのである。
あとは過去ログを見れば明らか。
434384:02/07/06 13:50
ですから、過去ログの内容を簡潔に説明していただきたい。
私としては、死刑が不必要である理由について知りたいです。
435教導者:02/07/06 14:00
ですから死刑には必要性はない。
何故ならだれも有効性を出していない。
そういうのは過去ログを全部読んでから質問してください。
何故そうしているのかもこのスレでも私が述べています。
436考えた名無しさん :02/07/06 14:10
人間は生まれながらにして死刑囚だ。
なぜなら、最後には死ぬことがわかっているから。
この世自体が地獄なのかもぴ。
437考える名無しさん:02/07/06 15:12
>>434
教導者(38)が、誰よりも論理的に議論を進めようとしていることは、
下記のまとめを見れば、どんなに読解力のない者の眼にも明らか。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1017732568/210-214
438兎詩:02/07/06 19:29
〉教(略)
死刑はやり方によっては犯罪件数を減少させる可能性もあるし、前にも言いましたが、法
の絶対性を強化する可能性もある、と思います。まあ、統計をとったわけではないので根
拠は僕の以前書いた理屈しかありませんけど。(たぶん100〜200くらいにあります。)
439考える名無しさん:02/07/06 22:40
君らさ、いい加減馬鹿の相手すんのも飽きないか?よくやるね、ホント。
440考える名無しさん:02/07/06 22:41
スマン、激しく誤爆だ。誤爆じゃないような気もするけど。
441考える名無しさん:02/07/06 23:51
>>439
飽きた人は、どんどんここから居なくなる。
そのかわり、どんどん新人が補充される。
442かつての新人:02/07/07 00:03
死刑に必要性は、国家権力が決める。国家権力の「権原」は、今は
「西欧型議会制民主主義」にある。
西欧型議会制民主主義の大元はルソー「社会契約論」「人間不平等起源論」
にある。
その前に、「万人の万人に対する闘争」が「自然状態」であると言った
ホッブスが居る。
だから、ホッブスとルソーを読んでから、このスレを再開。彼らに論駁できなければ、
国家権力の「大元」に異議の申し立て無効。
3人殺せば、あんたも此の国で「死刑囚」になると言うのが「である論」
であり、「あるべき論」を言うならば・・・ホッブスとルソーをまず読んで
出直して来るべし。
443384:02/07/07 00:25
>>教導者
これで最後。>>432にもあるように、私には過去ログを参照する意思はほとんどない。
また、その過去ログを読んだとして、膨大な量の情報から判断する過程で誤解が生じる可能性もある。
そこで、論理的に説明が可能だと言うあなたに、再度、誰にでもわかるような簡潔な説明をお願いしたいと言っている。
論理的に説明すると言うことは、死刑の有効性が説明できないから、という返答以外に、
死刑の有効性が説明できない理由も添える必要があるはず。フェルマーの最終定理のように。

>>436
それでは、人間の死はすべて死刑だと考えるわけですね。
私は、死刑とは法に基づいて死を強制させられることだと認識しています。

>>442
確かに、死刑の必要性の決定権は国家にあるかもしれません。
しかし、「人の命を尊重する立場」から、死刑制度に反対し、
現行の法制度に異議を立てることは可能ではないでしょうか。
444兎詩:02/07/07 00:29
わかりました。出なおしてきます。ただ、もうすぐテストなのでいつになるかわかりませんが。それって何ページぐらいの本ですか?
445考える名無しさん:02/07/07 00:53
兎詩さん。あんたの誠実さには撃たれてしまう。
ここ「哲学版」で一番貴重な存在だと思う。
ページ数は、すいません覚えておりませんが、
一冊につき3日かけて読む価値はあると思います。
「西欧型民主主義」の何たるかを理解するのは、
さらに、マックスウェーバーを読み、「資本主義経済制度」の
基礎を理解する必要があるとは思いますが、「物事には順番というもの」
があります。
その後で「資本論」や「罪と罰」や「我が闘争」と「夜と霧」を読んで・・・
いや、貴方はそのままで良いかもしれない。
推薦書は沢山ありますので。また、この場所で。
446384:02/07/07 00:59
次の質問をしたいと思います。

犯罪者は、犯した罪の大小によって、生死を問われるべきか?
「人の命を尊重する」立場に立って、お答えください。
生きるか氏ぬか二つに一つなら
大か小か二つに一つ
粗雑に過ぎないか
448兎詩:02/07/07 01:34
僕は〉178みたいなことを言っています。
449「哲学的」者:02/07/07 01:46
「実存を奪う」ことが死刑と他の刑罰との決定的違いではないでしょうか?
「実存」が「刑罰」という社会的制度を超越しているから、思考が混乱する。
誰だって「お前明日死刑、覚えがあるよな」と言われて、素直に「はい」
とは言えないだろうという「想像力」は重要です。
450考える名無しさん:02/07/07 11:37
教導者に論理や合理性といったものを求めるのは無理。
そのようなものは教導者には皆無だから。
451教導者:02/07/07 11:47
>384
>これで最後。>>432にもあるように、私には過去ログを参照する意思はほとんどない。
>また、その過去ログを読んだとして、膨大な量の情報から判断する過程で誤解が生じる可能性もある。
>そこで、論理的に説明が可能だと言うあなたに、再度、誰にでもわかるような簡潔な説明をお願いしたいと言っている。
要は、過去ログを見たところ反論できないことが分かったので、
過去ログを見ないと言う逃げをするのですか。
議論の効率化に向けてこちらは努力しているのに、
議論を蒸し返して非効率的な運営をするのならば、
あなたは敗北したと見なします。
過去ログを見れば詳しく書かれており、
見れば明らかなのですから。
分からないのならそれを具体的に指摘すればよいのですから。

>兎詩
まあ、せめて逃げようとしている384にでも私の主張を解説してあげてください。
このような輩はすぐに荒しだしますから。
あと死刑の方法についてですが、
そのような抑止効果を狙うよりも体系的で包括的な
教化という物を機軸にしなければ、
治安維持に対する効果は非合理的かつ非効率的になってしまうのは
自明でしょう。
452兎詩:02/07/07 16:04
〉教(略)
現在の教化プログロムでは更正させることは難しいため、現在においてはその可能性もあ
る、と僕は思います。まあ、現在の教化プログラムもその有効性についても全く知らずに
書いてますけど。誰か現在の教化更正プログラムがどういったものか知っている人はいな
いでしょうか?

あと教(略)さんの論旨のまとめですが、今は僕が試験を間近に控えているため難しいと
思いますが、まあ、明日できたらしてみます。
453考える名無しさん:02/07/07 21:32
教導者

>私の主張を解説してあげてください。

自分でも何を言っているのか解らなくなったからといって、
他人にそんなことを押しつけるなよな。

あと、何を聞かれても「過去ログ」って繰り返すだけなら、
おまえは何も新規に書き込む必要ないんじゃないのか?

お前の言いたいことは既に、「今までの私の書き込み」の中に
全てが完全無欠に表明済みなんだろう?

お前の正しい主張は、過去の書き込みで全て論証されているんだろ?

あとは我々が、お前の「今までの書き込み」を解読すればいいだけだから、
今後はここに何も書き込まず、おとなしく寝てろ。な?
454考える名無しさん:02/07/07 22:03
悪いやつは殺してもいいだろう。
どうせいずれは死ぬんだし。
455考える名無しさん:02/07/07 23:57
http://muke.got.to
今日のネタ。これで5回ヌケ!サンプルもタダだった。。
     ||        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
     ||          | 5回抜かないとこうだ! !|
   ∧||__∧      \_ _____________/
   (; ´∀`)フォォォ!     ∨
   ミ≡≡≡j     ∧_∧
   ミ≡≡≡j     (・∀・ )
   ミ≡≡≡j     ( 神  )
    ヽ)ヽ)       | | |
             (_(_)
456考える名無しさん:02/07/08 00:03
死刑は絶対必要だと思う。 死刑がなくなったらどれだけ悪質な犯罪者が増える
ことか。 死刑と無期懲役刑との違いはあまりにも大きい。死刑という痛み 恐怖
があるからこそ犯罪を抑止できる効果があるのだと思う。
457384:02/07/08 01:10
>>447
「生死」は「大小」ではなく「有無」であると思います。

>>449
大変説得性の高い意見(少なくとも私にとってですが)だと思います。
畏れ入りました。

>>456
犯罪抑止を死刑の目的にするということは、
犯罪者(=人)の生命を犯罪抑止の「手段」として扱う事だと思います。
私は、人間の生命は何よりも尊重されるべきだと考え、
生命がそういった手段として奪われるべきで無いと考えます、
458兎詩:02/07/08 01:39
大変申し訳ないのですが、449の意味がよくわかりません。(特に「実存」の意味が)
「実存が刑罰を超越している」とはどういうことなのでしょうか?
もう少し分かりやすく説明してもらえるととても助かります。無知ですみませんがよろし
くお願いします。
459384:02/07/08 01:51
>>451
なぜ、素直に解釈してくれないのでしょうか。
2ちゃんだからしょうがないといえばそれまでなのですが、
私の言葉を信じていただけなく残念です。
こういった、相手の顔が見えず、言葉でしかやり取りのできない掲示板だからこそ、
実際に対面しているとき以上に言葉には気をつけて、
自分の発言に対して責任を持って議論をすべきだと思っていました。
議論において、他人の理解を得られない主張をしてもつまらないだけだと思います。
そもそも議論とは、互いに異なる主張を持つ相手同士が、
相互理解を達成するためになされるものではないでしょうか。
自分が正しいとして譲らず、相手にあきれられて相手にされなくなるって寂しくありませんか?
自分を理解してくれる人がいないって悲しいことだと思いませんか?
たかがインターネット上の掲示板ですが、それでもそこには人間同士の関係が存在します。
私の推測では、教導者さんは人間関係がうまくできない人なんでしょうね。
私もあまり得意なほうだとは言えませんが、それでもこの場では精一杯努力したつもりです。
こう言っても、教導者さんには負け惜しみ以上のものにはとってもらえないんでしょうね。
これ以上嫌な思いはしたくないので、他の皆さんにはいきなりで失礼かもしれませんが、
残念ですが、名指しでの質問の無い限り、ここでの発言は控えさせていただきます。
460兎詩:02/07/08 02:33
今まではあまり教(略)さんを直接非難することはありませんでしたが、言います。
教(略)さんは言うことが極めて恣意的でひどすぎます。だから誤解を招くのです。なぜ
わざわざ自分から敵を作るような行為をするのか僕には理解できません。それに議論に効
率化の必要はあるかもしれませんが、やりすぎです。それでは議論になりません。せめて
与えられた質問に答えるぐらいはした方が良いです。とりあえず僕は教(略)さんの論旨
のまとめと問題点の提起に挑戦してみるつもりです。なぜそんなことをしなくてはいけな
いのか、と少し思いますが
461考える名無しさん:02/07/08 04:20
>私は、人間の生命は何よりも尊重されるべきだと考え、
生命がそういった手段として奪われるべきで無いと考えます、

人を殺しておいて(他人様の生命をなによりも尊重してないで) 犯罪者の
生命が何よりも尊重されるべきとは そもそも道理からしてなってない。
 自業自得だろ。 人はそれぞれ自分以外の人を思いやるから 逆に自分も
思いやられるんだ。 それが他人を思いやらない人間が 他人から思いやら
れる道理がない。  
  もし あんたの道理がなりたつんなら 金を盗んでもレイプしても 何も
とがめを受けないとんでもない社会になってしまうぞ。 
 人間の命は何よりも大事なのはわかるが その何よりも大事なものを他人から
奪うという行為をおこした者の命を守るとは抑止の手段うんぬんではなく とん
でもなくつじつまが合っていないのだが。
462考える名無しさん:02/07/08 04:32
人様の財産を盗んでおきながら 人間の財産は何よりも大切だからそういう手段
として扱うべきではないとして その盗人の財産は守られるって風になるぞ。
 つまりは理想論 全ての人間が善人であるという大前提にもとずいたうえでの机上の理論。
  まあ つまりは 一人の殺人鬼が自業自得で殺されることよりも 一人の殺人鬼に千人の罪のない
人が道理を無視して殺され しかもその殺人鬼は無傷のままという方をとるということですな。
463考える名無しさん:02/07/08 12:26
>>459-460
過去ログより、教導者(38)に対する「捨て台詞」コレクション
   part1(51)
もうどうでも良くなってきた。なに言っても人の意見聞き入れる気ないでしょ?
   pert1(110)
自分のゆいたいことだけ言って他人の質問には荒らしで応戦のほうが荒らしだと思うぞ!
   part1(213)
これ以上反論なさるのであれば、論理的に明確な理由を元にお願いします。
   part1(239)
ところで、あなたは普段一体何を読んでこの議論をしているのですか?
良かったら、一度でいいから判例百選を見てみてください。読まなくてもいいですから。
   part1(300)
38は頭おかしいよ。
みんなもう相手にしないでこのスレは沈めましょう。
   part1(306)
38は自分が言ってる事の分裂にも気付かずに永遠とレス出来るんだから凄いよな・・・
ある意味才能だよこれ・・
   part1(311)
自分のレスを読み返して、完全に支離滅裂な事言ってるって自覚してよ。
   part1(388)
これだけの人間にバカ扱いされてもまだ自分がバカだっていう自覚芽生えないのかな・・
   part1(396)
句読点がなってない。
てにおはも、ややおかしい。
どこまでもこじつけ。
   part1(408)
ひたすらに自分の定義を押しつけて、相手の言うことに耳をかさないのは「論破」ではありません。
ただの我侭です。
   part1(525)
ついにオウム返ししか出来なくなったか・・・
38もここまで?負けを認めろよ低脳
   part1(646)
反論してきた人達に対して、「真性馬鹿」だの「知能が低い」だのと一蹴するヤツが、
どうして「死刑は否」だの「人権無視」だの語ることが出来るんだよ?
   part1(776)
結論:38=かまって君
以上
   part1(875)
自分の過去ログ見てみたら?
   part1(935)
確かに38をからかうのはおもろいが
38のカキコはめちゃくちゃなのでからかう以外の意味は無い
   part1(967)
哲学やら法律やらの前に、国語を勉強すればよかったのに。
464 ↑:02/07/08 15:20
ここまで大勢から無茶苦茶いわれてて、しかも何も言い返せないのに、
「自分の言ってることが間違っている」とは露にも思わず、しかも
「自作自演は見苦しいぞ」「私が正しいことは過去ログから明らか」。

自分に反対するものは、一括して「反38」という「荒らし」だとして
削除依頼&アク禁依頼。

ということで、何を言われても、どんなに致命的な誤謬を指摘されても、
38は「自分は正しい」「自分に反対する者はキチガイ」という信仰を
改めるつもりは皆無だということが推定される。


38の誤りを指摘する者は → 「低能」「キチガイ」「荒らし」
38に反対する複数の者は → 「自作自演荒らし」
38に質問すると → 「過去ログですでに説明している」
過去ログに書いてないと指摘すれば → 「読解力が無いのですね」
38の過去ログから矛盾を指摘すると → 「妄想にとらわれた者はどうしようもないな」

つまり、38は最初から「対話をする意思」も「議論をする能力」も持っていないから、
38を論破したり、38の犯した論理的誤謬を38自身に認めさせることは不可能。
465教導者:02/07/08 15:52
>384
素直に解釈してないのはそちらでしょう。
過去ログが消去されていないのですし、
見ようとすれば容易に出来ます。
私がこのように言っているのは議論の一重に効率化のためです。
既にやり尽くされている議論を再度蒸し返しても時間の無駄なだけです。
ですから今一度一通り読んでください。
その上で理解出来ないところや異論のあるところがあれば、
それについてはこちらは真面目に解説いたします。
まずはそこを理解してほしいいのですが。
こちらは質問を一切受け付けないと言っているのではなく、
一通り読んだ上という前提のみをおいているのですから。
>兎詩
恣意的であるのならば、それなりの根拠があるはず。
まずはそれを述べる責任がそちらにあると思いますが。
466考える名無しさん:02/07/08 16:53
>教導者
下記のことは、part何の、どの辺に書いてありますか。
「part何のレス何番」だけで結構ですので、教えて下さい。
一応ログを全部見ましたが、私には、適合する書き込みを
見つけることができませんでした。

・「死刑の有効性が説明できない理由」を、
 あなたが論理的に説明している箇所

・今までに提示された「死刑の有効性」を、
 あなたが「客観的」な論拠によって
 「論理的」に否定している箇所

・日本の法律の現状は、日本の現状ではない、と
 あなたが論証(主張ではなく)している箇所
467教導者:02/07/08 17:05
>466
すべて過去ログにある。
見つけられないと言うのは、
過去ログより事実出ないことは明らか。
煽るのならもっと手の込んだものをやらなければ意味が無いぞ。
468考える名無しさん:02/07/08 20:26
   つ       ん        く
469兎詩:02/07/08 20:49
なんか書いてみたんですけど長すぎて書き込めませんでした。それで右往左往してる間に
大学のパソコン利用可能時間の八時半になってしまい、データも保存できなかったので、
せっかくまとめた(といってもまだパート1まででしたが)クソ長い文がパーになってし
まいました。とりあえず簡単に言うと、教(略)さんの言っていることは問題は多いです
し、論理的でもないですが、もっともな理屈です。恣意的というのは言い過ぎでしたね。
すみません。ちなみに過去ログは膨大ですが丸一日かければ読み切れる、と思います。キチンと読めば、(続く)
470考える名無しさん:02/07/08 20:54
レスのひとつひとつが長すぎて
過去ログ見る気になれない。
誰かここまでの流れをまとめてくだされ!
471兎詩:02/07/08 20:59
教(略)さん以外にも良い理屈を言っている人もたまにいる(教(略)さんがいつも良い
理屈を言っていると言うわけではありません。)ので、見てみて損はないと思います。
(利益もありませんが)これは多分教(略)さんにも言えます。暇な時にでも最初から見
てみてください。ではでは。
472反対なら・・・:02/07/08 21:00
一人の命を奪ったことで犯罪者は命を二つ持つことになり、
普通の命ひとつの人間より倍の価値があるので
法を冒しても法律に守られるという理屈かな?
 それがありなら、
宿無しが犯罪犯して、クーラーきいた三食健康生活にスキルアップ
のオマケつきもありか。
 それだと、犯罪者天国で被害者親族は泣き寝入りでしょ。
仕返しも許されず、悲しみの長い年月をかけて納得させられるしかない。
 自分の行動に責任ももてない奴が税金を使って人生やり直しなら、
死んだ人間も人生をやり直せるようにすれば、法のもとに平等。
とも言えないし。
被害者にとって裁判の存在意義が問われていくのかな?
治安も大丈夫?
473  :02/07/08 21:20
しゃべり場レベル
474考える名無しさん:02/07/08 21:25
>>437 ワラタYO
475   :02/07/08 21:36
>>教導者

少しは場をわきまえたら。

ここは、素人がゼロからの議論を楽しむ場でしょ。

新しい人間が入ってきたら、その人間にスタート
から議論する場を与えるのがここの役割。

あなたのやっていることは、映画館で「この映画
は昨日もやっていた。」と騒いでいるのといっしょ。

同じ映画が上映されている映画館に入ったあなたが悪い。
476384:02/07/09 01:12
>>461(=462? 違ったらごめんなさい)
「人の命を尊重しない人」は他人から自分の命を尊重されるべきで無い、ということでしょうか。
まず、犯罪者の生命が何よりも尊重されるべき、というのは
犯罪者「だから」尊重されるべきなのではなく、
 犯罪者も人である。人の命は何よりも尊重されるべきである。
 よって、犯罪者の生命は尊重されるべきである。
という三段論法からきています。
>他人を思いやらない人間が 他人から思いやられる道理がない。
あなたのいう「道理」で考えると、
授業を受ける意思がない生徒に対して教師は授業に参加するよう説得すべきでない、
と解釈できるんじゃないでしょうか。私はそうは思いません。
「思いやり」とはもっと一方的なもので、やられたからやり返すといったものではないと思います。
また、殺人を犯す人は、果たしてすべての人間を思いやらない人間であると言えるでしょうか。
大多数の人を思いやらない人に、一人でも思いやる人がいればその人は思いやられるべきである、
とも解釈できます。
また、人の命を尊重することと人を思いやることは道義でないと思います。

>>472
>一人の命を奪ったことで犯罪者は命を二つ持つことになり、
>普通の命ひとつの人間より倍の価値があるので
>法を冒しても法律に守られるという理屈かな?
人は、命を一つしか持つことはできません。
あなたの定義では、大量殺人者はそれだけ大量の命を持つことになりませんか。
また、法を冒したものは、法に守られることなく殺されるということでしょうか。
刑罰とは法によって定められた規則であり、犯罪者は刑法等によって
不相応に過剰な刑罰を与えられないようになっているものだと考えます。
よって、死刑を宣告された者も法律に守られている、ということになります。
477考える名無しさん:02/07/09 09:45
>>466-467

「私の主張が正しいことは、過去ログから自明である。」

『過去ログを見てもわかりません。どこを見ればいいか教えて下さい。』

「私が正しいことは、過去ログから明らかなものを。」

『だったら、過去ログのどこにあるのか教えて下さい。』

「過去ログにある。ないというのは事実に反する。」

『過去ログを見てもわかりません。どこを見ればいいか教えて下さい。』


以下、無限ループ。
質問者が呆れて38を見捨てたら、「論破」した38の勝ち。
478384:02/07/09 11:59
476のカキコ
>人の命を尊重することと人を思いやることは道義でないと思います。
間違えました。道義→同義です。

それから、続き。
>>472
被害者親族の感情は、受刑者が受ける刑罰の大小と何ら関係なく、
死刑は、被害者家族が望むものとして執行されるものではありません。
また、自分の行動に責任をもてず、社会において周囲とうまく適合できない人こそ、
社会によって保護されるべきではないでしょうか。
それから、財産その他と命はまったく別のものではないでしょうか?
財産には大小の尺度がありますが、命に大小関係はないと思います。
そして、財産の無いからといって直接命が失われることはないが、命が無くなってしまえば
その人にとって財産は何の意味も為し得ないものになってしまうと思います。
479考える名無しさん:02/07/09 12:51
死刑制度に賛成の反対
480考える名無しさん:02/07/09 12:54
>財産その他と命はまったく別のものではないでしょうか?

自然物として同じか否かはさておき、少なくとも

「通常は保護されるべき権利として保証される。」
「不法に奪われる場合がある。奪うと犯罪になる。」
「刑罰として社会の手によって奪われることがある。」

という点において、同じ。
481384:02/07/09 13:12
>>480
自然物として違うため、財産と同様に
「刑罰として社会の手によって奪われる」
べきでないと考えます。
「刑罰として社会の手によって奪われることがある。」
というのは、死刑制度が存在するから言えることではありませんか?
482考える名無しさん:02/07/09 14:57
じゃあ
「財産権を奪う刑罰は良い」
「自由権を奪う刑罰は良い」
「生命権を奪う刑罰はダメ」
ということを、つまり、
なぜ生命「だけ」はダメなのか、
ということを、説明して?
483384:02/07/09 15:35
>>482
財産権や自由権は果たして刑罰によって「完全」に剥奪されてしまうものでしょうか。
財産の「一部」を没収する罰金刑や、思想・言論の自由は持つことが可能な禁固刑・懲役刑と、
生命を「完全」に奪う死刑はまったく別のものだと思います。
罰金刑や懲役刑が、受刑者が社会に対して何らかの義務を負うものだと考えると、
一方で同じ刑罰という名で括られた死刑では、受刑者には何の義務も負わされず、
ただ命が奪われてしまう事になります。私はこのような形はあるべきでないと思います。
484考える名無しさん:02/07/09 15:44
>>483
すると終身刑だと、自由権が完全に否定されますかね?
死刑だって、法の保護を受ける(法によって公正に扱われる)という
基本的な権利は保障されたうえで執行されますよね。


>受刑者には何の義務も負わされず、

「死なねばならない」というのは、最も重い「義務」では?
すくなくとも、「懲役に10年間も服さねばならない」とか
「罰金100万円を払わねばならない」よりは重いと思われますが。


>このような形はあるべきでない

「死なねばならない」というのは「義務」ではない、というのであれば、
その場合の「義務」とは?
あと、刑罰は「受刑者が何らかの義務を負う」形でなければならない、と
考える理由は?
485384:02/07/09 17:08
>>484
終身刑であっても、例えば監房での絵画や文筆の自由は与えられるはずです。
確かに、死刑囚も他の服役囚と同様に法の保護を受けていることは事実ですが、
それは、死刑が「刑罰」の範疇であるという現在の法に起因しているはずです。
私は、死刑が「刑罰」としてあるべきで無い、と考えます。

罰金や懲役は義務を果たした後も生きる事ができますが、
死刑判決によって「死なねばならない義務」を負わされた人は
その義務を果たしても、その後、生きることができません。
それゆえに、罰金・懲役と死刑には大きな断絶があると思います。
また、終身刑であっても生きる権利は保証されていると考えられます。

刑罰が義務である理由については、うまく説明できなくて申し訳ないのですが、
義務である、と考えるのが一番筋が通っているように思います。
敢えて言うなれば、刑罰がどんな形であれ、受刑者はそれを果たす義務を持つ、
というように法律で規定されているから、とでも言うのでしょうか。
486考える名無しさん:02/07/09 18:35
「生きる権利は、刑罰によって奪われてはならない」というのが
384氏が死刑を否定する論拠ですね?
「刑罰を受け終えた後に生きることができねば、その刑罰は不当である」と。

すると、「なぜ生きる権利を“絶対に”保障せねばならないのか」という質問に戻って
堂々巡りとならざるを得ません。

「無期懲役」と「死刑」との間に生命剥奪の有無という「断絶」があるなら、
「罰金刑」と「懲役刑」との間にも「断絶」はあります。自由剥奪の有無という。
なぜ前者だけを絶対視して、後者を軽視するのか。
むろん自由よりも生命のほうが重く扱われるのは当然でしょうが、前者は
「刑罰で奪ってもよい」、後者は「たとえ刑罰ででも奪ってはダメ」という
絶対的な線引きの根拠が、よく理解できません。
487384:02/07/10 00:24
>>486
死刑が生命を剥奪するのと全く同様に懲役刑が自由を剥奪するものではない、
という事がいえると思います。また、罰金刑が財産の自由を奪うものに対して、
懲役刑・禁錮刑が行動の自由を奪うものである、と考えます。
また、生命の絶対的尊重と自由権の差異については
自分としてもいまいち納得できないでいるのですが、
自由の権利は法によって認められるもので、
生存権は法以前の問題である、と言えるでしょうか…
人の命が存在することは、社会の存在や法の存在に先立っている、と考えます。
サルトルの「実存が本質に先立つ」という主張が論拠でしょうか。間違っていたら撤回しますが、
とにかく、「人の命は尊重されるべきである」というのが私の主張の根拠です。
少しこじつけのようになってしまっているかもしれませんね…
488考える名無しさん:02/07/10 20:36
実存思想はむしろその逆を表す
人を殺してよいか否かも私が決定する
人を殺してはいけない→本質
私の決定→実存

実存思想は太陽が眩し過ぎて人を殺すんだよ
489考える名無しさん:02/07/10 20:42
>>488
あんたムルソーさんか?
490考える名無しさん:02/07/10 20:44
>>488
それは後つけの理由だろ。
帰れ!
491「哲学的」者:02/07/10 21:04
言葉を操る生命(人間)が同じく言葉を操る生命を「特別な存在である」
であると、「言葉によって」述べることが「自然」なのではないでしょうか?
死刑も「刑法典」という言葉によって、裁判官が「言葉で」言い渡す行為です。
 その結果である死が、「言葉を超越してしまう」から、「言葉による」混迷が生じる
492考える名無しさん:02/07/10 21:14
私が思うに死刑制度の有無を決定するのは論理ではない
死刑に賛成か反対かはその正当性を掲げるよりも
その利益と損失を挙げた方がはやいのではないでしょうか
死刑について語るはずなのに死について語るあたり
どことなく本末転倒なものを感じてしまいますね
493考える名無しさん:02/07/10 21:15
>>「哲学的」者さん
貴方のレスは読んでいてとても面白いです。
ボクにはこの件について言葉が熟していないので
ロムるだけにしか過ぎないのですが、きちんと読みますので、
これからもどうぞよろしくお願いします。
494「哲学的」者:02/07/10 21:27
》493
有り難うございます。こちらこそよろしくお願いします。
時間の制約が許す限りレスします。この件は「命」に関して
論じている訳で、軽々しく発言できないことは判りますが、
ロムるだけでなく、レスもしてください。
495考えてみた名無しさん:02/07/11 17:29
過去ログ、ひととおり見た。長かった。

38氏はたぶん、こういうことが言いたいんだと思う。
 1.老若男女すべてが自己防衛を徹底して、犯罪を未然に防ぐべき。
 2.犯罪が起きたということは、自己防衛に抜かりがあったということで、被害者の責任。
 3.そういう自己防衛が徹底すれば、犯罪が起きないから、死刑も必要ない。
 4.死刑は廃止すべき。

私の感想。
 1.道で「いっけん普通の青年」とすれ違う時に、どうやって「通り魔だ」と判別して「自己防衛」するの?
 2.犯罪が被害者の責任だったら、そりゃ刑罰も必要ないし。
 3.誰も枕を高くして眠れず疑心暗鬼で犯罪を予防してる安全な社会なら、そもそも刑法とかも要らないし。
 4.そういう社会が現実に出現していない以上、38氏の死刑廃止論は無意味。
496兎詩:02/07/11 19:22
僕はその問題は、自制心を教育により発達させることで、解決させられる、と思いますが、
最大の問題はその教育法をどうするか、でしょう。
497伯爵:02/07/11 20:01
>>495
残念ながらそれは教導者の本旨ではないと思います
教導者の思想は単純化すればこうです

教育が良ければ犯罪は起きない
現実に起きる犯罪は教育が不完全だからである
現実の犯罪者に対しては二度と犯罪を犯さないような再教育をしなければならない
教育が不完全なものを教育せずに殺害する方法は教育方法として誤りである

そしてこれは無限に巡回します

私から言わせれば
犯罪を無くすために善人を要求するシステムよりは
善人であろうとも悪人であろうとも犯罪が少ない社会になるようなシステムを採択する方がずっと良い気がします

前者はプラトンの哲人思想と同じくただのエリート思想の現れに過ぎないと思います
498「哲学的」者:02/07/11 20:08
「教育」すれば犯罪は少なくなると思いますよ。
しかし、「どんな教育をするのか?」が問題で、
「ヒットーラーユーゲント」を大量生産すれば、
「犯罪」は少なくなるだろうが、
それが「より望ましい社会」とは誰も思わないでしょう。
499伯爵:02/07/11 20:13
>しかし、「どんな教育をするのか?」が問題で、

僕はそう思いません
「どんな教育をするのか?」という問題は
「誰が支配するのが良いか?」という問題と同じで
問題設定そのものに誤りがあると思います
ですからエリート思想の現れであると批判するのです
500500:02/07/11 21:06
ゲト。
501考える名無しさん:02/07/11 21:16
「どんな教育をするのが良いか?」では結論は出ない。
「どんな教育をすれば犯罪が起きなくなるか」でなければ。
502デアルカ:02/07/11 22:11
『ヒットラーユーゲントの大量生産』しかない。
503考える名無しさん:02/07/11 22:15
ボーイスカウト。できればガールスカウトの大量生産。
ではだめ?
504考える名無しさん:02/07/11 22:16
だめ。小泉ユーゲントでなければ、だめ。
505デアルカ:02/07/11 22:20
ハイル小泉!のぶんれつ行進。
雑民臭いスレだな。
507考える名無しさん:02/07/11 22:24
雑民どもを分列行進させときゃ犯罪は少なくなる。(ニイチェ)
508デアルカ:02/07/11 22:28
毎日ぶんれつ行進?
509考える名無しさん:02/07/11 22:30
あたりまえだろうが、毎日にキマットルだろう。アホめ。
510デアルカ:02/07/11 22:32
アホ・・・であるか。
511あでぃ押忍:02/07/12 10:25
全国民を「38ユーゲント」にすれば、「犯罪」は起きなくなる。
それが38の考える、「望ましい社会」。
そうなれば死刑は不要。
そうしない社会は衆愚状態。

……という結論に、論理的に達することができました。


   − − − 終 了 − − −
512nanazi:02/07/12 16:16
被害を受けた人間にとってはどうか知らないが
人間の暗黒面を一人の人間に背負わせることによって、
それを「無かったこと」にしたい欲望が
死刑制度には存在しているように思われる。

513教導者:02/07/13 13:55
伯爵さんの解釈の方が正しいですが、
エリート思想と言うよりも、
すべてのものがエリートになるのが理想の状態であるといえる。
つまり現段階では如何にして多くのエリートを輩出できるシステムを開発できるかが
問われているのである。
それによって私の主張が誰よりも優れていると言うところが理解できる
点であると考えられる。
514いーぴん:02/07/13 17:08
>513
教化とか犯罪更正システムとかはどのようなものを基礎として
考えているのですか?
また更正したかの基準についてはどの程度の信頼があると
お考えですか。
そのような逆に人権侵害になるかもしれないものに安易に賛成
できるものではない。
もし具体的な構想がお有りでしたら聞かせていただきたい。
515考える名無しさん:02/07/13 17:32
すべてのものがエリートにはなれない。
なぜならば、エリートとは選ばれた民であるから。
516教導者:02/07/13 17:33
そういった質問等は、すでに行われており。
過去ログを見ればその返答もしております。
ですから過去ログを見ないで質問するのは
効率化のために差し控えてください。
517いーぴん:02/07/13 18:26
>516
過去ログは読んでると思いますが・・・
他の人でもよいですからどの辺りにレスされているか教えてほしい。
あなたは教育刑論を基本とした刑罰観をお持ちであると
考えてよろしいですか?
518教導者:02/07/13 19:03
効率化という言葉を理解できない方のようですね。
どの辺りかという説明すら非効率なのです。
過去ログを一通り読めば理解できることですから。
すべては過去ログを読んでその上で過去ログを挙げてそれから具体的な
質問を要求いたします。
519兎詩:02/07/13 20:20
教(略)さんは具体的なことは全く言っていなかったように思います。確かにそのような
事も言っていた気もしますが、全て抽象的だったと思います。
520書き捨て御免:02/07/13 21:06
とりあえず、死刑制度賛成と言ってみよう。
521考える名無しさん:02/07/13 22:06
>>517-519
38(教導者)は、part1の真ん中くらいで「客観的」について
完膚無きまでに論破されちゃって、何も言い返せなくなってから、
「過去ログに書いてある」「過去ログを見れば明らか」って嘘で
相手を煙に巻くことを始めたんだよ。

過去ログに「ある」ということは、そのレス番号を示せば簡単に
証明できるけど(もちろん38は示さない、てゆうか示せないけど)、
過去ログに「ない」ということは、実際に過去ログを全確認しないと
誰にも証明できないからね。

で、誰かが過去ログを全確認して「38はそんな事は言っていない」と
指摘しても、38は、(どこにあるかは言わずに)「過去ログにある」と
いいはり続ければいい。

ここまで色んな人間から「どこに書いてあるのか」と言われて、
本当に書いてあるならレス番号を示せばそれで話が終わるのに、
猿みたいに「どこだかは絶対に教えないけど過去ログにある」
「今までの過去ログを全部みてから質問しろ」としか繰り返せない、
その理由なんか、どう考えても一つしかないだろ?
522いーぴん:02/07/14 00:48
prat2 >>377
>私は具体的な手段を開発する職分にはありません。
>更生プログラムを受けた人がすべてその後犯罪を
>犯すことはありません。
>更生プログラムについては、あなたが自分で調べてください。
>私はその必要性が無いのでしません。

教導者氏よ申し訳ない。私の見落としでした。
納得いく回答ではありませんでしたが、過去ログから見つかりました。
これ以外でもし有れば指摘してください。



523教導者:02/07/14 11:45
>兎詩
どこが抽象的かを解説して証明しなければ、
説得力を持ちません。
つまりそれが出来ない以上、私の主張は具体的と言えるでしょう。

>522
そのように全部過去ログを見ればあちこちに出てくるのです。
私がこのように効率化のルールを出したのは、
重複した議論や蒸し返しの議論が続いて辟易してきたからです。
ですから過去ログにないという主張をするものは馬鹿を通り越して
キチガイと呼ばざるを得ないということが理解できるでしょう。
そうでなければ死刑支持論者は完膚なきまでに論破されて反論できないから、
意図的にそういって死刑支持論者は逃げなければならない(それ以外の方法は彼らには無い)
ことも理解できるでしょう。
あとその書き込みを見つけたのでしたら、その周辺のレス、
議論の経過をみればより詳しく理解できます。
その上で質問をするように求めます。
524兎詩 ◆JjrBDlws :02/07/14 14:27
すいません。522さんの言ったような箇所があったのですね。だったら実践的な主張がな
くても当然です。

「具体的」と「抽象的」は時に対比されますが、別に反語というわけではないのです。簡
単に言うと「具体的」は「皆にわかる」、「抽象的」は「重要な要素を抽出して提示する」
というものです。(これは今、調べました。)
というわけで、前回僕は「抽象的」を「具体的でないもの」として使ってしまいました。
では「具体的」はというと「実践的」という意味でした。これは「自分で考えたことを実
行に移す。(そして証明する)」(続)
525考える名無しさん:02/07/14 14:29
よう、38

お前1年以上変わらずにおんなじこと言ってるな

俺か? P1でお前を論破した俺だよ 覚えてんだろ?
>>521 よく読んでるじゃん

要するにお前の主張は

教育によって犯罪を無くせる、っつんだろ?

できないことを証明する

教育によって犯罪を無くす

論者の主張で洗脳する

俺は38の主張に教育/洗脳されていない

教育によって犯罪を無くすことは不可能

Q.E.D.

余談だが、

P1でも言ったが、口汚く相手を罵るのはやめろ
読まされる方は不快だ いわんや名指しされたほうはもっと不快だろう
こんな幼稚園生にでも理解できることを お前は実行できんのか
躾もできていないお前に 教育について語る資格は無い
526兎詩 ◆JjrBDlws :02/07/14 14:32
という意味です。つまり教(略)さんは抽象的で、実践的でない、というのが僕の主張で
す。具体性は「皆」の理解力にもよりますから、この場では問題にできません。
527考える名無しさん:02/07/14 14:46
>>525から

38の言ってることは全て空理空論であり、
つまり、何をしゃべってもいい独り言と同じ
(私は天皇だ、とか、隣人を殺せと
電波が命じている、とか、それらの類)

つまり、noise(雑音)

38のカキコは飯食いながら本読んでるときに
本についた味噌汁の染みと変わらない
ディスプレイのドット欠けと変わらない
528教導者:02/07/14 14:49
>兎詩
ではその実践性が私にはないというというのは何ですか?
それも証明する必要があるでしょう。
529兎詩 ◆JjrBDlws :02/07/14 15:40
それを僕が証明するためには教(略)さんの職業その他の個人情報を手に入れる必要があ
りますが、僕にはそれをするだけの技術がありません。実践というのはつまり、自分の主
義・主張から正しいと思われる事を実行することです。あなたが、あなたの理屈から導き
だされた事を現実において実行しているかは、僕には知りようがありませんが、522で示
されたように、あなたに更正プログラムを作る意志がないならば、あなたの主張は実践性
がないとしか言えません。もし現実において行動を起こしているのであればそれを提示し
てください。
530教導者:02/07/14 15:51
>兎詩
過去ログにもありますが。
それは職分の違いなのです。
ですから私は更生プログラムを開発する必要なのないのです。
しかし私の職分は客観的に現状を分析し、
それから論理的かつ合理的な最適な方策を考えているのです。
職分の違いを考慮せずにすべてのものが完結している
のを望むことが実践的と指摘するならば、
もはや誰一人実践的な人を探すことは出来ないでしょう。
私の論理は死刑支持論者を論破し彼らが反論できなくなって敗走した
事実を鑑みただけでも教育の有効性は証明できるでしょう。
531考える名無しさん:02/07/14 16:22
>教導者
おまえが、日本語が苦手な人間だということは充分に知っている。が、
日本人を説得する気で書き込んでるんなら、せめてテニヲハだけでも
正しくつかってくれ。
読む気も失せるんだよ。

それとも、相手の読む気を失せさせるのも、おまえの作戦なのか?
532兎詩 ◆JjrBDlws :02/07/14 16:30
そうですね。「ここまでが私の仕事です。」と言われたら反論できませんね。正論です。
では、教(略)さんはその仕事(つまりこのスレですね)に触発されて、有効な画期的更
正プログラムの開発をする人が現われることを望んでいるのですか?
533翻訳する人:02/07/14 16:31
>>530
>それは職分の違いなのです。

つまりこういうことだね。


世の中には、犯罪者を更正させようとして努力している人がいます。
でも私こと38は、そんな実践・努力には何も関わっていません。

私は更正プログラムなどについて何の「実践」もしていませんが、
私が自分を「実践的」と称するのに、何の不都合もありません。
社会は分業で成り立ってますから。
犯罪者の更正について、どのようにあるべきかを脳内で考えている私は、
このことについて「実践的」なのです。

そうでないというなら、兎詩は、私が「実践的」でないということを
証明する必要があります。
534考える名無しさん:02/07/14 16:39
>「ここまでが私の仕事です。」と言われたら反論できませんね。正論です。
誰かさんは昔、「あくまでも私は、教導するために存在。」とかホザいてたな。
535教導者:02/07/14 16:41
>兎詩
>有効な画期的更正プログラムの開発をする人が現われることを望んでいるのですか?
待ち望まなくてもその重要性は誰もが理解出来得るものですから、
それは必要ないでしょう。
またインセンティブのところでも解説しましたが、
よりの方向へ向けさせる方策が重要なのです。
536考える名無しさん:02/07/14 18:41
電波にえさをやるな > うさぎ
537いーぴん:02/07/14 22:37
凶悪犯罪者の更正が現状において困難である場合が多いのは周知の
事実であると思われる。
教導者氏は薬物投与や身体苦痛の伴う更正方法まで視野に
入れているのでしょうか?
また、犯罪を犯していない者にも洗脳、教化は必要であると
お考えでしょうか?
もしそうなら人権上の問題から法律的判断が必要となりますね。
538教道者:02/07/15 12:09
私の正しい教えをまったく理解せずにサド感情を垂れ流す
死刑教徒どもに対してこそ、教育刑が必要なのである。
彼らのような、妄想に凝り固まったキチガイどもに対しては
薬物投与や洗脳という手段もやむをえない。
畢竟あらゆる教育とは洗脳なのだから。
539考える名無しさん:02/07/15 12:37
で、それには人権上の立場からの法律判断として正しいわけだな。
540539:02/07/15 13:10
×それには→○その方法は
541教導者:02/07/15 16:02
>いーぴん
>教導者氏は薬物投与や身体苦痛の伴う更正方法まで視野に
>入れているのでしょうか?
>また、犯罪を犯していない者にも洗脳、教化は必要であると
>お考えでしょうか?
人物の犯罪を起す確率から期待値をとり
それを基準にして教化の程度、内容を判断していくのが重要だろう。
あとその他の質問の内容は過去ログに充分議論され尽くしたものなので
過去ログに立ち返ってその上で反論するように。
542教道者:02/07/15 16:11
つまり、死刑支持論者どもはサド感情を垂れ流しにしているわけで、
まだ犯罪を起してはいないが将来に犯罪を起す確率がきわめて高いと
客観的に期待されるから、あらかじめ洗脳して私の正しい思想に
教育しておくことが重要になる。
543考える名無しさん:02/07/15 16:38
正しい思想に教育→思想の強制→思想・言論の不自由?
544教道者:02/07/15 16:45
教化刑の意味や教育による更正というものを理解できない方のようですね。
私の主張が誰よりも優れていると言うことは客観的に明らかです。
すべては過去ログを読んでその上で過去ログを挙げてそれから具体的な
質問を要求いたします。
545伯爵:02/07/15 16:55
それはエリート思想に過ぎないと思います
善人であることを全員に強制するのは問題解決方法として誤っていると思います
それよりは善人、悪人に関係なく、社会がよりよくなるシステムを熟考すべきだと思います
根拠はただ一つ、ダーウィニズムの肯定的解釈です
546考える名無しさん:02/07/15 16:56
あーあ。逃げられちった。
547教導者:02/07/15 17:13
>伯爵
>それよりは善人、悪人に関係なく、社会がよりよくなるシステムを熟考すべきだと思います
>根拠はただ一つ、ダーウィニズムの肯定的解釈です
解釈の違いが出てきているようですね。
私はエリート思想とは思っていません。
私の主張の根幹はやはり社会が理想的なものへ発展していくための
方策、システムを提唱しているのです。
ただその過程でより多くの人間が合理的且つ効率的な判断と行動を
要求されるに過ぎないのです。
ですからエリートとは違うものだと私は考えます。
548伯爵:02/07/15 17:16
私はこう思います
「良い社会」とは「より良く成長していく社会」だと
あなたの思想は「真理に到達する態度」という意味でエリートだと批判するのです
僕は「真理への接近を目指す態度」こそ重要であると思います
549教導者:02/07/15 17:23
>伯爵
>あなたの思想は「真理に到達する態度」という意味でエリートだと批判するのです
>僕は「真理への接近を目指す態度」こそ重要であると思います
ですから、何が望まれるか、理想かはほぼ自明なのですから。
ようか如何にしてそこに到達するかです。
その方策を私は述べているのですから。
あなたの後者の解釈でも当てはまるわけです。
550教道者:02/07/15 17:42
万人にとって望ましい理想的な社会というものは、すなわち、
私の理想とする社会である。
万人が私のようなエリートとなるのが理想社会だということに
もはや異論はないのだから、問題はそのような社会に至るための
具体的な方策であり、そのことを私は論理的に提唱している。
551荘田:02/07/15 17:57
 死刑制度に反対する人は被害者に対するカタルシスについての問題を考えなければなりません。
死刑制度を廃止している欧米の国では被害者と加害者が対話をするという形をとっており、実際それが効果的な方法であるという事を聞いたことがあります。
死刑制度に反対する人たちはそれに変わる被害者の立場に配慮した代替案を提示しないと、被害者は泣き寝入りすることになると思います。 
552教導者:02/07/15 18:01
>荘田
私はむしろ今の日本の被害者を甘やかせる法体制、風潮のほうが
問題です。真に実質的に加害者との公平性を保たせるために、
被害者の人権をある程度制限するのが今の日本に必要なものです。
553教道者:02/07/15 18:11
どういうことかというと、犯罪というものは、被害者が充分に自己防衛を
行っていれば、発生するはずのないものなのです。
ドアチャイムが鳴った瞬間に、それが仲のいい友人なのか、それとも
凶悪な強盗なのかを聞き分けて、もし後者であればただちに逃げる。
夜道を歩いていて警官とすれ違うときには、それが本当に警官なのか、
それとも警官のフリをした通り魔なのかを瞬時に見分けて、もし後者で
あれば逃げる。
このような自己防衛をできる者は、私のようなエリートだけなのですが、
万人がこのような自己防衛ができるよう教育を徹底することによって
理想的な社会に到達できるのです。
もしこのような自己防衛のできないものがいれば、それは犯罪を引き起こす
ことになりますから、刑罰を加えねばなりません。
被害者だからといって甘やかせるならば、それは法的な公平性を感情によって
介入させることになります。
犯罪を起こした責任を厳しく追及し、被害者に刑罰を加え、被害者の人権を
制限するようにしなければならないということは明らかです。
554荘田:02/07/15 18:15
>>552 具体的に『被害者を甘やかす法体制』とは具体的に何ですか?
真に実質的って・・・被害者と加害者の公平性って・・・
被害者の人権を制限!? 今の被害者におどんな特別な人権があるって言うのですか?しかも、『ある程度』なんて曖昧な事・・・
しゃべり場に逝ってください  
555兎詩 ◆JjrBDlws :02/07/15 18:15
教(略)さんの考える理想の社会ってのはどんなのですか?まさか死刑制度を廃止したら、
それが理想の社会なんて言いませんよね。スレ違いになってしまいますが現在の日本経済
の問題はどう考えているのですか?理想の社会を口にするなら、そういった問題にも関与
しなければならない、と思います。それができないなら軽々しく理想の社会なんて言うの
はやめた方がいいです。
556荘田:02/07/15 18:19
>>553
あなたの言ってることを一言で言うと「病的な神経質者」になれって事ですね。
557考える名無しさん:02/07/15 18:20
だから電波にえさをやるなって > ALL

お前らも同罪
558558:02/07/15 18:21
>>557
電波が嫌いなら派生スレのほうに逝け。
ここは自由で開放された議論の場だ。
559教導者:02/07/15 18:22
ここは荒れていますので。
もう一つの私が管理人となっているスレのほうで書き込みますから
そちらをみてください。
560考える名無しさん:02/07/15 18:24
>559
あっちは、お前をゴミ虫みたいに嫌ってる連中のが集まってるスレだろが。
放置プレイされて楽しい?
自分がマゾだから「サド感情」を毛嫌いするの?
561考える名無しさん:02/07/15 18:26
確かに 了解 >>558

しかし
「自由で開放された議論の場」、か(苦笑

何力入ってんだ? 

お前らがここから出てこなきゃいいけど

せめてsageでやってくんねえかな?

電波の自覚があるならよ(笑
562考える名無しさん:02/07/15 18:30
>どういう風な返答が欲しいのか、具体的に突っ込んで質問してください。
そんな質問したら、その「返答」をコピペするだけだろ−が。
自分が今までに、「具体的な質問」をどれだけ無視してきたか覚えてないのか?
563兎詩 ◆JjrBDlws :02/07/15 18:31
僕の話は全然聞いてないようですね。犯罪は自己防衛意識とともに自制心の問題でもある
のです。片方だけから論じても無意味です。
564考える名無しさん:02/07/15 18:33
>>教導者
>キチガイ、荒らしは完全無視で議論を遂行してください。
自分の首を絞めてて楽しいか?
565教道者:02/07/15 18:43
理想的には、犯罪が発生しないことが理想なのです。
要するに、いかにして犯罪のゼロにするか、という
具体的な方策が問題なので、私はそのためにもっとも
効率的な提言をおこなっております。
566兎詩 ◆JjrBDlws :02/07/15 18:46
簡単に言うと、犯罪さえなくなれば、それで本当に理想の社会と言えるのか?ということ
です。仮に日本が全く犯罪の起こらない国だとします。一方で日本人全員が貧困にあえい
でいる、とします。それでも理想の社会ですか?といいたいがために
経済の問題を出しました。
567考える名無しさん:02/07/15 18:46
下げろよ キチガイ

早く病院逝けや ひきこもり
568考える名無しさん:02/07/15 18:58
>実際に纏めたことあったの?
あ〜無駄無駄。
なんせ38は、過去の自分のカキコも覚えてないし、
自分のカキコを読解するだけの国語力も無いから、
自力で自分の主張をまとめるなんて不可能。
569考える名無しさん:02/07/15 21:23
教導者は、反論できずに敗走したようです。(藁
570教導者:02/07/17 15:35
>兎詩
向こうの私が管理人をしているスレで反論のレスをしないと
反論とは認めません。
議論の正常化のためにそれに従ってください。
571考えろ名無しさん:02/07/17 19:15

「議論の正常化のために」? 

 ゚д゚) ポカーン


572考えない名無しさん:02/07/18 15:58
38に質問

よく、あっちのスレのことを「私が管理人をしているスレ」って言ってるよね?
君の脳内辞書に載ってる「管理人」って、どういう意味?
あっちは、「38は立入禁止。」を標榜してるスレでしょ?
すくなくとも、スレ立てた奴はそう言ってるし、それを引っ込めた様子もない。
いったいどうやって38は、まんまとあっちの「管理人」になりおおせたの?
君が「管理人」だってことを、君以外の誰が認めてるの?
まさか「役人が電波で私に『管理人になれ』と命じた」とか言わないよね?
自分が「そうなりたい「そうあってほしい」ことと、事実「そうであること」との
区別がつかないんでしょ?
願望と現実の区別が付かないのは自由だけど、それを他人に押しつけるような奴が、
教育について何を論じれるっていうのさ。
あ、教育はイコール洗脳だったんだっけ?
君は旧帝大の院生だそうだけど、教員免状は持ってる?
ちゃんと「憲法」とか「教育原論」の単位は取ったんだよね?
573考える名無しさん:02/07/20 15:00
>>553
充分な自己防衛はなにを基準にしてるんだ?明確に示してくれ
>>ドアチャイムが鳴った瞬間に、それが仲のいい友人なのか、それとも
凶悪な強盗なのかを聞き分けて、もし後者であればただちに逃げる。
夜道を歩いていて警官とすれ違うときには、それが本当に警官なのか、
それとも警官のフリをした通り魔なのかを瞬時に見分けて、もし後者で
あれば逃げる。
書いてあるようなことは理想だろう。君は完璧にできるのか?いやできない
>>このような自己防衛をできる者は、私のようなエリートだけなのですが
自分がそう思いたいだけでは?
574考える名無しさん:02/07/20 15:04
>>570
議論の正常化とはどういうこというんだ?
575考える名無しさん:02/07/20 15:55
>>574
日教組の言うとおりにってことだろ
576考える名無しさん:02/07/20 19:21
>>575
俺の思うとおりに、ってことだろ。
577考える名無しさん:02/07/20 21:58
>教導者
つまり,
「私の思うとおりに議論を進めるために,私の決めたルールに従ってください」
ってことね。
ほんと自己中な厨房だな。
578考える名無しさん:02/07/20 21:59
只の論理だろ。恣意的なルールと論理とは違う。
579考える名無しさん:02/07/20 22:11
>>578
>向こうの私が管理人をしているスレで反論のレスをしないと
>反論とは認めません。
これ、「論理」か?
こっちで何も言い返せないから、向こうの「38にレス禁止」スレに逃げただけじゃない。
それで、向こうでだれも38を相手にしないから「誰も私に反論できない、私の勝ちだ」って、
去年から同じ事の繰り返し。
はっきり言って、見ててつまんないよ。
昔の38は、トチ狂ってても内容あること言ってたけど、今の38はもう全然ダメ。面白くない。
580考える名無しさん:02/07/20 22:53
581考えろ名無しさん:02/07/22 16:47
>教導者

>理系学生に論理を求めるのは無駄と言うもの。
>理系学生に質問をしても論理的な答えが返ってはきません。
>御再考を願います。

そーゆー台詞は、せめて自分が、質問に対して「論理的な答え」を
返せるようになってから言うべきだよ。
自分が支離滅裂なことしか言えないのに、何を他人のことを(藁
582理系学生A:02/07/23 10:42
>>581
少しは「俺が理論的な答えを返さない」ということを否定してほしかった。
それとも本当に俺の答えは非理論的か?

俺自身は結構理論的に答えているつもりなんだが38を見ていると
「ちゃんと理論的に議論できないくせに自身では理論的だと思い込んでいるやつ」
がいるのがよく分かるし、自分がそんなやつか、それとも本当に理論的かは
自分では分からないものだし。

38以外の皆さんに聞きます。俺ってどっち?
583考える名無しさん:02/07/23 12:06
>>280
ダンスインザダークには激しく感動したが
584考えろ名無しさん:02/07/23 15:05
>>582
理系学生が論理的か否かはまだ判らないが、
少なくとも教導者が非論理的なことは判る。

故に、教導者による理系学生への評価を
わざわざ否定したり訂正したりする必要はない。

教導者の主張は、徹頭徹尾、とはいかなくても
少なくとも大部分が、根拠の全く無い妄想で、
支離滅裂で、間違っているのだから。
585理系学生A:02/07/23 15:37
>>584
理解しました。そうですか。判りませんか。
586考える名無しさん:02/07/23 15:41
非論理的だと思ったら矛盾点を(一つでいいから)挙げろ。
587兎詩 ◆JjrBDlws :02/07/23 16:50
僕は論理的な文章だからといって、それが正しいとは限らないと思います。そもそも論理
的な文章とは論理の飛躍なくきちんと説明されている文章のことだと思っています。例え
ば、「風が吹けば桶屋がもうかる」というのがありますが、あれを、風が吹いたから桶屋
がもうかった、としてしまうとそれは説明が足りなく、論理的ではありません。風が吹い
てあーたらこーたらで桶屋がもうかった、にして初めて論理的な文章になるのです。そし
て、その文章を読めば、ああなるほど、と思うでしょうが誰もそんな理屈正しいとは思わ
ないでしょう。
588考える名無しさん:02/07/23 16:55
矛盾を挙げろって。それか、倫理的に同意できない内容は拒否すると宣言してもいいって。
589教導者:02/07/23 16:56
>兎詩
理系学生の主張が論理的だというのですか?
私に完全に論破されて理系学生の主張は妄想以上の無いものでもないことが
証明されているのですよ?
590考える名無しさん:02/07/23 16:58
>>589
あんたもわからず屋だな。兎詩氏だって、論理という語が何を指すのか
生まれてこの方、経験したことがない。
591教導者:02/07/23 17:03
>590
反論はもう一方の私が管理人をしているスレへ。
592教導者:02/07/23 17:16
590は敗走したか?
593考える名無しさん:02/07/23 17:30
理系学生も教導者もどちらも非論理的です。
理系学生は、結論を前提として議論をしているケースが散見される。
教導者は自分が指摘する事実が実際に可能かどうかを検討しないで
方策をあげたものとする。

この件に関する根本的な主張の正しさは教導者の方にありますが
しかしこのスレの教導者の主張を見て同意する人はいないでしょう。
594考える名無しさん:02/07/23 17:32
>593
理系学生を含めて他の住人は君の言うことを無視すると思うよ。
595考える名無しさん:02/07/23 17:35
>>593
わたしゃ同意するよ。教導者ほどの頑固者が自作自演すると疑うなら
それは処置なし。多分教導者は、論理がほとんどない人の僅かな芽を
育てる努力は相当しているのだと思われるが、論理がまったく欠落した
人に芽を植え付ける努力はしたことがないものと思われるよ。

誰だか知らないが、返事があればもう一方のスレにしてちょうだい。
596考える名無しさん:02/07/23 17:43
自作自演さえも下手クソなんだな。
597考えろ名無しさん:02/07/23 17:55
>>589
>私に完全に論破されて理系学生の主張は妄想以上の無いものでもないことが
>証明されているのですよ?
教導者が理系学生を「論破」した、ということが、妄想以外の何物でもない。
教導者の論理が破綻していることは、過去ログをちょっとでもみただけでも、
いたる所で「証明」されている。(たとえばpart1の408や452とか、枚挙に暇なし)
教導者が非論理的であることは、とうの昔に証明されているのですよ? (w
598考える名無しさん:02/07/23 18:01
>>597
part1で443や445でその証明が既に破られていますが何か? (w
599考える名無しさん:02/07/23 18:03
教導者さんもいちいちレスを入れないように。
600考える名無しさん:02/07/23 18:06
このスレは沈めますよ。
>>教導者
>part1で443や445でその証明が既に破られていますが何か? (w
自分の主張の矛盾を指摘されて、その指摘された主張をただ単にそのまま繰り返すことは、
指摘への反論でも何でもない、ただの馬鹿ですよ? (w
602考える名無しさん:02/07/24 20:38
結論   教導者は論理そのものを知らずに語ってるただの電波
よって終了
603考える名無しさん:02/07/30 00:30
あげてみよう
604考える名無しさん:02/07/30 12:07
Part2がふたつ並立して、ここはもう終わりか?
605St:02/07/31 14:33
どなたか去年一ノ瀬先生が思想に書かれた「死の所有」って論文読まれました?
606考える名無しさん:02/07/31 15:24
読んだら何かイイコトあるのか?
607 :02/07/31 23:47
どんな論文ですか?
どうやって入手するの?
608考える名無しさん:02/07/31 23:50
>>600読め >ALL

このスレは沈めます
3: 議論「死刑制度に反対ですか賛成ですか?」Part4 (607)
33: 【隔離】死刑制度を哲学する part2【隔離】 (130)
99: 議論「死刑制度を哲学する」(健全版) Part2 (59)
101: 死刑囚を人体実験で使う事の哲学的倫理学的問題 (221) 
108: 人は皆 時の定まぬ 死刑囚 (45) 
199: 議論「死刑制度を哲学する」(健全版) (1001)
277: 「死刑板の38」問題を議論する (241)
610考える名無しさん:02/07/31 23:54
人生と死はセットです。
611St:02/08/01 00:12
>>606-607
死刑についての哲学的論考で。思想の2001/4-5月号に掲載されてます。
「死の所有」という観点から死刑の不可能性を説いているんですが…
見た方がいらっしゃったら、それについて感想を述べ合いたいな、と思ったのですが。
612考える名無しさん:02/08/01 08:16
>>608
「読め」ってアンタ……
理由も示さずいきなり「沈めますよ」って宣言して、
それに誰も従わないからって「読め」だなんて、
38とおんなじ駄々っ子じゃん。
613考える名無しさん:02/08/02 00:53
人間は、その「死」について語る資格を有しない。
ゆえに、死刑を定めることは出来ない。
614考える名無しさん:02/08/02 12:08
人間は、その「死」について語る資格を有しない。
ゆえに人間は、人間を殺すことは出来ない。
615考える名無しさん:02/08/02 12:41
「死」について語るとは、殺す・殺さないを語ることではない。
人間の生死を、その財産・自由等と同様に
権利として、あるいは刑罰として語ることが不可能なのある。
616考える名無しさん:02/08/02 15:13
(訳)
人間は、人間の生死を、権利として、あるいは刑罰として
語ることが不可能なのある。
ゆえに、死刑を定めることは出来ない。
617考える名無しさん:02/08/02 15:23
×不可能なのある
○不可能なのである
今気付いた。一応訂正。
618考える名無しさん:02/08/02 23:42
罰金刑・懲役刑・禁錮刑について、受刑者が主観的にどうなるのか
具体的に想像することは可能である。一方で死刑は想像不可能。
自分の死がどういうものか人間は知覚出来ないから。
619考える名無しさん:02/08/05 09:25

>想像不可能。

で?

620専門家じゃないので間違ってるかも:02/08/13 07:34
>>396に誰もつっこんでない?がいしゅつだったらごめんね。

ルソーは「社会契約論」のなかできちんと死刑を認めています。(第2編第5章 生と死の権利について 参照。岩波文庫なら54頁です。)
>>173にあるようにルソーは自然人が自由(権利ではない)を放棄して社会契約によって
「秩序」を手に入れる、すなわち、社会状態(国家)に至ると考えた(第1編第6章)。

契約によって結ばれた人間は主権に参加するのもとして「市民」と呼ばれる。(第1編第6章)
国家(すなわち主権)は自然人が生存するために契約を結んでできたものなので、
当然、自分自身(国家)を守るよう行為する。
多少刺激的だが次の一文を引用しよう(岩波の訳で)

 さて、市民は、法によって危険に身をさらすことを求められたとき、
 その危険についてもはや云々することはできない。
 そして統治者が市民に向かって「おまえの死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、
 市民は死なねばならぬ。
 なぜなら、この条件によってのみ彼は今日まで安全に生きてきたのであり、
 また彼の生命は単に自然の恵みだけではもはやなく、
 国家からの条件つきの賜物なのだから。
 (第2編第5章)

あ、横道にそれちゃったな。(続く)
621620:02/08/13 08:19
>>620の続き)
死刑の正当化はルソーの中では上記のとおりでいいと思う。
>犯罪人に課せられる死刑もほとんど同じ観点の下に考察されうる。
>刺客の犠牲にならないためにこそ、われわれ刺客になった場合には死刑になることを承諾しているのだ。
>この契約に際して、われわれは自分自身の生命が左右されると考えるどころか、
>生命を保障することのみ考える。そのとき、契約当事者のうちに、
>自分が首をくくられると予想するものが一人でもあろうとは考えられない。(第2編第5章)

(切れちゃったので続く)
622620:02/08/13 08:19
>>621のつづき)

「社会契約は、契約当事者の保存を目的とする」(同)とあるように、
契約当事者(市民)が「生命を保障することのみを考える」というのがみそ。
自己保存というのがルソーにおいていかに大きいかが分かる。
これは国家のスケールにおいても同じで、国家と反逆者は不倶戴天なのである。
>社会的権利を侵害する悪人は、すべて、その犯罪ゆえに、祖国への反逆者、裏切り者となるのだ。
>彼は、法を犯すことによって、祖国の一員であることをやめ、さらに祖国へ対して戦争をすることにさえなる。
>だから、国家の保存と彼の保存とは、両立し得ないものとなる。二つのうちの一つが滅びなければならない。
>そして、罪人を殺すのは、市民としてよりも、むしろ敵としてだ。
>彼を裁判すること、および判決を下すことは、彼が社会契約を破ったということ、
>従って、彼がもはや国家の一員ではないことの証明および宣告なのだ。
>(中略)彼は、契約を破ったものとして、追放によって切り離されるか、あるいは公衆の敵として、
>死によって切り離されるか、されなければならない。何故ならそういう敵は、
>道徳的[引用者注:精神的?,morale]人格ではなく、人間[引用者注:市民でない人間のこと]なのであって、
>そういう場合には、戦争の権利は、負けた者を殺すこととなるからだ。(同)

長い引用ごめんなさい。読めば分かると思うけど、契約当事者が契約を破った場合、もはや市民ではなくなる、すなわち、国家の敵になる。
自らの生存のための契約が破られるということは、そのまま、自らの生存の危機に陥るということになる。だから死刑制度が必要になる。
単純な図式だけど、ルソーにとっては、重要な問題。
なぜなら、自然状態ではやってけない→契約して強く大きくなろう→国家の形成の流れが、逆に、
契約破棄→自然状態に戻る→あぼーん、というふうにルソーの社会契約論の構想自体がおじゃんになるから。

(だらだら続けてみよっかな)
623620:02/08/13 08:32
>>622
けれども、国家の気に入らないヤシは誰でもかれでも殺しちまえって訳ではない。
>刑罰が多いことは、つねに、政府が弱いか、怠けているかのしるしである。
>なにかのことに役立つようにできないというほどの悪人は、決していない。
>生かしておくだけでも危険だという人を別とすれば、みせしめのためにしても、
>殺したりする権利を、誰ももたない。(同)

けっこう留保してるように見える。ほとんどの悪人は更生できると考えてるようにも見える。
単にルソーがサド感情の満足のために死刑を語っているわけではないと思う。
ただ、ルソーにとって譲歩しがたい犯罪が、国家を転覆させる類のものであることと、
その犯罪については、死刑をかんがえていることは理解されるだろう。

以上、社会契約説がアプリオリに悪ということは(少なくともルソーの文脈では)ありえない
ということの証明ですた。
624620:02/08/13 09:15
人の考えばっかもってくんじゃねえ、と言われるかもしれないので一応自分の考えも、、、。

まず、僕は死刑廃止には懐疑的です。(上のレスで明らかだろうけどw)
ただし、バシバシ殺していいとは思いません
(報復感情の満足やみせしめにしかならず、そのことに哲学的な根拠付けは難しいと思うから)。

少なくとも、死刑にすべきであると考える犯罪を挙げます。
具体的な例は挙げません。なぜならここは哲学の場であるから。
事実や経験は参考にはなりますが、そこからいかにあるべきかを導き出すのは
哲学的に非常に困難だと思われます。
そのような犯罪がなければ死刑は廃止すべきだと思います。

一つには、凶悪な犯罪で犯罪者に更生の見込みが全くなく、
また、裁判において冤罪の可能性がなく、かつ再犯の可能性が極めて高いような犯罪。

二つには、国家そのものを無みするような犯罪。

二つ目の犯罪は、おそらく一つ目の要件をほぼ満たしていると思います。
ただし、決定的なのは二つ目のほう。

主権の意志たる法(市民の権利を保証し義務を負わせるのもこれ)は、
権威によって裏付けられると思います。(それは、時として非常に抽象的な神であったりしますが)、
暴力、具体的に警察力によって裏付けられています。
(誰も守らなければ法律なんて意味ないですよね。やぶったら、しょっ引かれなきゃあいけない)
警察力は国家すなわち主権に属します。
主権が脅かされる→警察力が機能しなくなる→法が機能しない→
→権利を主張しても意味がない→人生の楽しみがなくなる
という事態になると思われ。

(文章が下手なので続く)
625620:02/08/13 09:17
>>624の続き)
細かく見なくても国家の破綻は自分の自由の喪失というのは目に見えて明らかだと思います。
権利を保障された市民としては国家は何があっても守らなければならない。
ということで、国家に敵する行為は(程度によるだろうが凶悪なものは)死刑しかない。
さてちょっと現実臭くしますと、『社会契約論』のなかで、死刑のほかに国外追放というのも出てきましたが、
現代においては、国外に追いやっても反撃してくる(再犯)ことが多いと思われるので、
一の犯罪の要件にあてはめてやはり死刑しかないかと。

加えて、「このような犯罪に限る」とすればおそらくは現実に死刑が執行されるのは稀だと思われます。
あと、再三ですが、自らの法体系(主権の現れ=国家)を崩す犯罪(あくまで可能的な犯罪ですが)に対して、
無防備である国家は危険だと思います。
ただし、現実には起こりうる可能性が無視できるほど極めて小さいために死刑を廃止する国があるでしょうが、
そのような国家では例外事項はないのでしょうか?
626考える名無しさん:02/08/13 11:07
627620:02/08/13 11:11
sageてなかった。。。回線切って首つって逝って来ます。
628ニヒリスト:02/08/13 23:29
他スレで「殺人に対する死刑の主な機能は報復感情の満足であろうし、それで
十分」というような趣旨を書いた者です。

>620
 まず、社会契約説から死刑の是非は当然には導き出せないと思います。>>623
でも明かなように、ルソー(別に社会契約説=ルソーではないですが)自身の
態度もあやふやです。要は「社会契約を実効ならしめるために必要十分な刑罰
は何か」という技術的問題ですので。
 次に>>624の一つ目については、まず「更正の見込みが全くなく」「再犯の
可能性が極めて高いような犯罪」とありますが、このような判定が可能かどうか
を別としても、このような犯罪者は終身刑にすることでも社会契約の効力を
担保する上で問題ないと思われます。二つ目については、もし日本の外患誘致罪
や内乱罪のようなものを考えておられるなら、それは一種の「政治犯」であり、
政治犯に死刑を適用するのは(EU等で忌避されていることを除いても)、
「哲学的根拠」というより「政治的根拠」をめぐる問題だと思われます。
 そもそも死刑や刑罰に「哲学的な根拠付け」は困難、というより不可能であり、
刑罰とは社会的な感情を秩序立ってコントロールするための「政治的技術」
以上のものでは有り得ないと私は思いますが、いかがでしょう。
629620:02/08/14 01:47
>>638ニヒリストさんへ

>>620がルソーに限定してあるのは、>>173>>396がルソーの『社会契約論』をもって
契約説において死刑制度が内的に「悪」であると結論付けているためです。
ルソーにおいては、死刑は当然考えられるものであったということは上に書いたとおりですが、
これがすなわち「社会契約説」として一まとめにされた考え方のすべてに適用されるとは
さすがに私も言い切れません。(ホッブズや他の思想家については知らない)
死刑制度を想定しない社会契約説も想定は可能だと思います。ルソーにおいては違うよということです。

次に、>>623に関してですが、
ルソーは同じ章のあとの方で「よく治められた国家では、刑罰はすくない」と書いています。
刑罰が多いこと契約当事者の保存のための国家の力が弱いことを示しているかと。
死刑に値しないような取るに足らない犯罪は、ある程度秩序のある社会では起きず、
それゆえ刑罰が少なくなると考えているのだと。
引ったくりとか痴漢とかのための刑罰がいるような国家は弱いか怠け者だ、ということでしょう。
ここまでいうとさすがに読みすぎだと思うのですが、
ルソーは、死刑に処すべき犯罪は社会契約(自己保存のために契約)を脅かすような犯罪のみであり、
また、できるなら刑罰は死刑だけでよい、と考えていうのではないでしょうか。

(デムパ入ってきたかな)
630620:02/08/14 02:02
>>629のつづき)
>>624に関しては、まあ妄想も入ってると思いますが、、、。

死刑を適用すべき(と僕が考えている)犯罪を二つに分けていますが、
一つ目については、自分自身あまり説得力がないような気がします。
終身刑について死刑制度ほどには議論されないのが個人的には疑問です。
終身刑が意味をもつのは死刑宣告者に冤罪の可能性がある場合だけだと、
それゆえに、死刑は「更生の見込み」「再犯発生率」という弱い理由ではなく
「冤罪の可能性」において主に議論されるべきだと私は考えているのですが、
凶悪でかつ冤罪でないことが明らかということを仮定してもなお、
死刑ではなく終身刑なのでしょうか?
この場面において終身刑を主張するのは「人が死ぬのはいけないことだ」という
信念の表明に過ぎないような気がします。
631620:02/08/14 02:20
>>630のつづき)
続いて、二つ目のものについては確かに外患誘致罪等が具体的にはそれにあたると思います。
二つ目のものは一つ目の犯罪の要件をほぼ満たすと思うのですがいかがでしょうか。
この場合でもやはり終身刑でよいといわれると>>630のときよりもより強く疑問に思います。

一つ目の犯罪の要件として、理由としては弱いとは思いながらも
「再犯可能性」「更生の見込み」を入れておいたのはこちらの犯罪を見越してです。
多少具体的な話になると思いますが、死刑のキモは「冤罪可能性」でしたが、
終身刑の場合には、「脱獄」「外の共犯者への犯罪指示」などが、
ほんとにあるのかなあとは思いますが、極めて小さい可能性として残ると思います。

>>624でも書きましたが、この手の犯罪は市民の権利を脅かします。
法無きところには権利も義務もありません。
自分の自由を脅かす可能性をわずかにでも残したくない人であればだれでも、
死刑制度への反対はそのような可能性を残すことだと考えるのではないでしょうか。
632620:02/08/14 02:49
>>631のつづき)
>>624ではかっちょつけて哲学なんて言葉を使ってみたのです。(ハズカシイ

刑罰が「政治的技術」とおっしゃるのは賛成です。
ただし、「社会的な感情を秩序だってコントロールするための」というところには納得しかねます。
社会的な感情というのがピンと来ないのです(よく分からないので説明していただけたら賛成するかも)。
私は、刑罰は法の秩序を守るための「政治的な技術」以上のものでは有り得ないと思います。
従って、いかなる感情も一切排すべきだと考えます。法治国家なら特に。
(報復感情やみせしめを刑罰においては考えるべきではないというのと同じ理由です)

哲学的な根拠付けが死刑や刑罰には不可能とおっしゃいますが、
ホッブズルソーに限らず、国家や社会・政治について深く考察した哲学者は多数います。
その中には肯定否定問わず刑罰や死刑に関するものもあると思います。
彼らの考察は無意味だとお考えなのでしょうか。
例えば実現可能性についての批判ならば、難癖以上のものにはならないと思いますが、、、。
633教導者:02/08/14 13:20
>ニヒリスト
>他スレで「殺人に対する死刑の主な機能は報復感情の満足であろうし、それで
>十分」というような趣旨を書いた者です。
そもそも法に関する基本的な原則に、
感情の介入の否定がありますが、それを否定する根拠があなたにはありません。
どのように説明するのでしょうか?まずそれを証明しなければなりません。
あと他の私が管理しているスレであなたに反論した内容への応答も要求いたします。

634教導者:02/08/14 13:21
>620

>この場面において終身刑を主張するのは「人が死ぬのはいけないことだ」という
>信念の表明に過ぎないような気がします。
この信念のどこが間違っているというのでしょう?
そもそもこの信念すら否定するのならば、殺人も法的に許容されるものになってしまいますよ。

>終身刑の場合には、「脱獄」「外の共犯者への犯罪指示」などが、
>ほんとにあるのかなあとは思いますが、極めて小さい可能性として残ると思います。
そのような小さな可能性だけで終身刑を否定するのは早計ではありませんか?
死刑には全く何の生産性も無く、ただ人を殺すと言う行為だけが残り、
何の根拠もありません。それより終身刑を否定すると言う論理が出鱈目ですね。

>死刑制度への反対はそのような可能性を残すことだと考えるのではないでしょうか。
死刑制度そのものが生への冒涜です。その要素を残すのみだと私は考えます。

>従って、いかなる感情も一切排すべきだと考えます。法治国家なら特に。
このところは同感です。私はその説明を端的に表すために権謀術数
という表現を使っています。

>ホッブズルソーに限らず、国家や社会・政治について深く考察した哲学者は多数います。
>その中には肯定否定問わず刑罰や死刑に関するものもあると思います。
>彼らの考察は無意味だとお考えなのでしょうか。
>例えば実現可能性についての批判ならば、難癖以上のものにはならないと思いますが、、、。
哲学はそれらを考える重要な道具として私は見ています。
(科学に置ける数学のような位置付けで私は理解しています)
635考える名無しさん:02/08/14 15:40
私はアムネスティです 死刑は人権を侵害します 意見のある方はこちらへ

http://village.infoweb.ne.jp/~fwje1931/keijiban/discovery1.htm

私はH大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程中途退学 ギリシャ哲学と人権関係の本を読みます 
アムネスティは編むウェイじゃないです

旦那は獨協大学の非常勤講師です
ここには哲学徒のみなさんに有益な資料が盛りだくさんです
http://www.medianetjapan.com/2/14/government/yanzhiyingyu/
でも著作権侵害になるのでこっそり見てね

こんなだんなはH大学をクビになりました 教え子に手を出したからです
いまでも その女が憎いです
636620:02/08/14 17:17
>>634教導者さん
すいません。文章がまずかったです。
「人が死ぬのは〜」の中が「信念」なのではなく「信念の表明(ここまで1フレーズ)」のつもりでした。
信念の表明ではなく「感情の発露」とでもした方がよかったかも(いい言葉がお思いつきません)。

「人が死ぬのがいいor悪い」が信念だとすると、その信念はどうでもいいことだと思います。
犯罪としての殺人は生存権を持っている人がその権利を侵害されることによってはじめて意味をもつ。
素朴に「人が死ぬのはいけない」と思うところから、
殺人が犯罪として成り立つ「法的な」根拠が出てくるわけではないと思います。
それ故、信念の表明あるいは感情の発露だとおもうのです。
従って、このような感情の発露を否定しても、殺人を許容することにはなりません。

「人を人が殺す行為は罰せられるべし」なら分かります。
こちらは法の信念とでも呼びうるものかと(信念という言葉がここでもまずいかもしれないけど)。

ここは死刑制度スレですので、殺人については(不十分だと思いますが)この辺で。
ともかく>>630の場面での私の発言は、(凶悪な犯罪において)
「冤罪の可能性がない場面で死刑でなく終身刑を主張するのは、感情の表明以上の理由があるのか?」
という素朴な疑問でした。
637620:02/08/14 17:19
(>>634へのレス、>>636のつづき)
可能性の小ささをどこまで見るか、という問題について。(かなり長いです。すいません)

「現行法において現実に死刑を定められた犯罪がある」と仮定します。
(現行法=ある犯罪に死刑を定めていて、現実に機能している法、であるとします。)
死刑はどんなに小さな可能性であっても「冤罪の可能性」がある限り、否定され得ます。
これが同時に、死刑でなく終身刑を採用するべき根拠となります。
ただし同時にこれは、
“現行法において”「冤罪の可能性がなければ、死刑は執行し得る」ことを含意します。

では、
「現行法において現実に死刑を定められた犯罪で犯罪者に更生の見込みが全くなく、
また、裁判において冤罪の可能性がなく、かつ再犯の可能性が極めて高いような犯罪」
が現行法上で発生したと仮定します。
“現行法においては”終身刑を採用する根拠がないため、当然死刑になります。
「死刑があることがそもそもいけない」という反論は、“現行法において”という限定により退けます。
現在の方のあり方を超えたレベルの反論(理想的法の問題)だから。
638620:02/08/14 17:20
(>>634へのレス、>>637つづき)
つぎに、
どの犯罪にも刑罰が定められていない国家を想定し、
死刑にし得る犯罪があるかを考察します(一から刑罰を考える場面)。

ここでは、死刑を“新たに”つくるのは非常に難しくなります。
そこで、仮定的に理想的な極刑(ここでは死刑はあるいは終身刑とします)
を先ほどの現行法を参考につくってみましょう。
この場面では、「現行法においては」「現実には」「実際には」というのは問題になりません。
現行法では極刑になるような犯罪は須らく“凶悪”とされているだろうので、
「犯罪者に更生の見込みが全くなく、また、裁判において冤罪の可能性がなく、
 かつ再犯の可能性が極めて高いような、凶悪な犯罪」
が極刑に値する犯罪の候補として挙げられると思います。

「凶悪な」という形容詞は、非常に曖昧です。
これがもし現行法であったなら、凶悪犯罪を例えば多数決で決めていってもいいかもしれません。
しかしここでは、現実に「ある行為が凶悪だと考えている人がいる」ことは問題にならず、
問いは「法的に凶悪な」とは何か?という問題にスライドします。
639620:02/08/14 17:21
(>>634へのレス、>>638のつづき)
ここで、「何人も自己を保存するように行為する」という命題を仮定します。
普通の人が「人を殺す行為」を凶悪だと感じるのは、これゆえ、
すなわち、自己の保存(=生命)が危機に晒されているのを知るからだと思います。

先の仮定を法に適用します。すると、法は「法を殺す行為」を「凶悪な」と考える、と推論できます。
これが「法的な凶悪さ」だと思います。
よって、極刑に値するのは法を殺す行為であると結論します。
(具体的には、法の源たる立法者・その全体としての国家を無みする犯罪)
おそらくこれが最も重い犯罪となります。

次に、問題は極刑として死刑か終身刑かに移ります。
(この二項対立はわたしと教導者さんとの意見の対立に従っています)
640620:02/08/14 17:22
(>>634へのレス、>>638のつづき)
極刑をどちらにするか?という問題は、最も重い犯罪に適用してみるとよいと思います。
私は、終身刑にすると解決しがたい問題が残ると思います。
それが、「同じ犯罪者によって再び、あるいは新たに犯罪が起こされる可能性」です。

自らを殺すような可能性を、法が自らの内に残すか?という問題です。
ここでは、現行法ではなく理想的な法を仮定し論じていることを思い出してください。
現実の法において矛盾した内容を含む法があるからといって、
法は自己のうちに矛盾を含んでおいてよいということには決してならないと思います。
(現に憲法に違反した法は無効であると考えられているし、
 普通は内的な矛盾を含む法はできれば改正した方がよいと考えられている、と思います)

したがって、「法が法として存続するためには、いかに小さな可能性であれ無視するわけにはいかない」
と私は考えます。
つまり、「極刑は死刑であるべきである」が私の結論です。
「ただし、死刑にすべきだとはっきり言えるのは(今のところ)国家を無みする犯罪のみである」
と条件をつけておきます。
641620:02/08/14 17:24
(>>634へのレス、>>640のつづき)
これまでの推論で弱点があるとすれば、(いろいろあるでしょうが私の気付く範囲で)、
>>639の仮定においてです。これが説得力をもって否定されればそれ以降の推論はすべて無効です。

加えて「現実に死刑を廃止している国がある故に、上記の推論はすべて無効である」
というありそうな反論について。
「死刑を廃止してもうまくいってる国があるよ」という意味だろうので、
「殺人している人がいるから、殺人の禁止は無効っていうの?」という再反論はしませんがw、
そのような国がいかなる例外もなく「国家を無みする犯罪」に死刑を定めていないのだとしても、
その国が内在的な危険を常にもっているという私の考えには抵触しません。
現実にどうであるかではなく、いかにあるべきかが問題だと思います。
そのような国家は、
きわめて低い確率で起こりうるある場合には、結果として国家が滅びても、
断続的に引き起こされる「国家を無みする犯罪」をすべて引き受ける覚悟がある、
ということだと思います。
642教導者:02/08/14 18:59
>620
>「人が死ぬのは〜」の中が「信念」なのではなく「信念の表明(ここまで1フレーズ)」のつもりでした。
>信念の表明ではなく「感情の発露」とでもした方がよかったかも(いい言葉がお思いつきません)。
そういう指摘ならまだ理解できます。
ただ人の死を否定するというのが感情のレベルを超えたものである
という解釈があるので法によって殺人を罪とすることが出来ると私は考えるのですが。
つまりあなたのいう生存権を侵害という観点からも死刑は否定されるものだと考えられるのですが。
死刑を支持する方はそこをまだうまく説明できていないのです。

>冤罪の可能性がない場面で死刑でなく終身刑を主張するのは、感情の表明以上の理由があるのか?」
>という素朴な疑問でした。
私は冤罪という観点から死刑廃止を主張しているのではないので其の辺を誤解なきように
お願いします。ですから>>637の内容は少し私の観点から離れると思いますのでご了承ください。
私の過去ログ(最初の死刑議論のスレから)を面倒ですが一通り読んでいただいください。
分からないところや反論があれば、箇条書きにしてくだされば結構です。
可能な限り返答させていただきます。

その上で>>637への私からの反論としては、
私のスタンスとしては現行法そのものが合理的か否かという観点にいますので、
まずその現行法を基準に考える危険性を主張しているのです。
643教導者:02/08/14 19:10
内容:
つづき、
>「ただし、死刑にすべきだとはっきり言えるのは(今のところ)国家を無みする犯罪のみである」
>と条件をつけておきます。
済みませんこれも過去ログを見ていただければ分かると思いますが、
私の死刑廃止の主張は通常犯罪、つまり平時の犯罪を想定してのもので、
戦時(非常事態)では応急性によって死刑を私は容認するスタンスでおります。

その上で、
>それが、「同じ犯罪者によって再び、あるいは新たに犯罪が起こされる可能性」です。
私は再犯性を根拠に持ってくるのは、非常に疑問を感じます。
私は治安維持の目的から犯罪を減少させるのは、
法を遵守させる教化と自己防衛の啓発がもっとも体系化され合理的なものと考えられます。
犯罪を起すのは既に犯罪を起した者だけでなくすべての人間にあるのです。
犯罪を起したものに目を奪われるということが合理的な判断を曇らせる危険性を
私は主張しています。
ですから例え更生が失敗しても教化プログラムの改善のインセンティブ
がある限り長期的には合理的な判断になるのが私の結論です。
死刑という安易かつ短絡的な手段ではその死刑という無意味に人的資源を
失うと言う悪癖を断ち切れないと考えます。
ですから死刑は短期視野によってのみ合理的かつ効果的なもので
そこが戦時に置ける私の死刑容認の根拠なのです。
これも過去ログに詳細に他の論客との議論でレスしていますので
そこを参照ください。
644教導者:02/08/14 19:14
つづき
>そのような国家は、
>きわめて低い確率で起こりうるある場合には、結果として国家が滅びても、
>断続的に引き起こされる「国家を無みする犯罪」をすべて引き受ける覚悟がある、
>ということだと思います。
それは死刑云々のレベルでは手に負えるものではありません。
強力な軍隊、治安機構を有することが必須のもので、
それは軍事関連の議論になります。
因みにその上で、私は日本の自衛隊を軍隊に昇格させ、
軍備強化を支持しております。
645620:02/08/14 22:00
>>643
戦争は国家同士の間でのみ成立するものです。
戦争には国家より上位の法を想定しなければ、
裁判はできません。

すなわち、
「死刑にすべきだとはっきり言える国家を無みする犯罪」が
法に基づき裁判によって裁かれる以上、
その状態は法が維持されている状態です。
これは、平時ではないのでしょうか?
教導者さんが通常犯罪と呼ぶものに
私の言う「死刑にすべきだとはっきり言える国家を無みする犯罪」
を含めないとおっしゃるのならば、それは定義の問題です。

とすると、私から見れば教導者さんも私も死刑制度容認であり、
教導者さんから見れば、私の態度は死刑制度について懐疑的にみえるでしょう。
646620:02/08/14 22:15
>>644
国家は二つの暴力を持ちます。
一つは国内向けの暴力で警察。
もう一つは対外的な暴力で軍隊です。

警察は司法に属します。
すなわち、具体的な法の権威として法の維持にあたります。
犯罪とは、法によって定められたものです。
警察はこの範囲のものしか扱えません。
警察につかまって、裁判所で裁判するような行為が犯罪です。

軍隊は、外国によって主権が脅かされる際に必要となります。
その暴力の対象は国家(の暴力としての軍隊)です。
国家対国家の争いが戦争です。
ここでは、敵(軍人)をいくら殺しても我が軍人は裁判所には連れて行かれません。
というのも、敵は我が国家の法に属していないため、
我が国から生存権を保証されていないからです。

裁判所に連れて行くのでなければ犯罪ではありません。
「死刑にすべきだとはっきり言える国家を無みする犯罪」を犯した犯罪者は、
裁判所に連れて行かれるのだ、と考える人は誰でも
死刑制度を(少なくとも一つの死刑を)認めなければならないと思います。
647620:02/08/14 22:19
(教導者さんに質問するためのわたしの立場を説明する予備的議論1)

「どの犯罪を死刑にしてよいかorいけないか」(例えば殺人は終身刑でよいとか)
という問いと
「死刑に値する犯罪はあるか、あるとすれば何か」という問いは別物です。
これは「死刑を定めた法を作るか否か」という問いに遡ります。
前者は法の枠内での問題、
後者は「理想的法の探求」すなわち法の本性の考察まで踏み込みます。

私の主張はこうです。
1.法のシステム全体を破壊する重大な行為がある。
2.自己の保存のためその原因を法は放置できない。(排除しなくては自身が危ういから)
3.故に、法は刑罰を定め、その原因を犯罪として排除する。
4.その原因を永久に排除できる刑罰は死刑のみである。(理由は>>640

2の自己保存は法の内部の問題ではありません。
それは、法が「生きたい」という衝動を持つという仮定です。
生存権は法以外の何者にも基礎づけられません。
1にあたる犯罪者も生存権によって保護するのであれば、
法が自分自身を殺害する原因を自分自身のうちに持つことになるということなのです。

私は、「合理的に考えて死刑にするべき犯罪がある、ゆえに死刑制度廃止はすべきでない」
と主張します。
648620:02/08/14 22:21
(教導者さんに質問するためのわたしの立場を説明する予備的議論2)
(と>>642にちょっと答える。)

死刑制度を「人間の生と死」によって捉えるのは誤りです。
人間は生と死を語る際に感情を全く排すことができるでしょうか。
少なくともそういう議論からは事実の説明は得られても、
制度をどうすべきかという議論にはなりません(なっても説得力は無い)。

私の主張は、「法の以前に権利は無い」というものです(>>647)。
我々が権利を主張できるのも法あって故です。
生存権と言うものがあるなら、それは法によってはじめて成り立つのです。

法に属していないものには生存権はありません。
法のシステム全体を破壊する重大な行為は、
法全体を(生存権も当然含めて)放棄する意志の表明です。
裁判と判決はその意志を法が確認する行為です。
つまり、死刑の宣告を受けた者は「法全体を放棄した」者なのです。
したがって「法のシステム全体を破壊する重大な犯罪」への死刑の適用は、
生存権を否定することにはなりません。
649620:02/08/14 22:23
<<冤罪以外に死刑廃止の合理的根拠を認めない理由>>
法は、市民が法に属している限り、彼の生存権を尊重します。
「死刑制度によって生存権が否定される」とは、
「罪を犯していない者が、死刑によって生命を絶たれる」ということ以外ないと思います。
実際には罪を犯していないのに、死刑によって殺されるのは生存権の侵害です。
となると、問題の核心は罪を犯したかどうか→「冤罪可能性」の問題しかないように思われます。

ところで「この犯罪は本当に死刑でよいのか」という問いは、
死刑制度の是非を語るレベルではありませんが、
死刑の犯罪抑止論など「刑罰が社会に与える効果」についての議論は、
まさにこのレベルの議論であり、死刑制度の本質的問題ではありません。
このレベルの議論では、
どちらかの立場に有利あるいは不利な事実が並べられるだけで、
だからといって、「廃止すべきorすべきでない」とはいえません。
(「人間は皆死ぬ、ゆえに、人は死ぬべきだ」は正しいかどうか分からないと思います)

死刑に有効性があるとするならば、これまでの考察に従って、
「極限的な状況での法体系の維持」以上のことは言えません。
たとえ、「死刑なしに法体系の維持が可能な社会」を想定しても
極度に小さくはあるが内的な矛盾が含まれてしまいます(>>647にあるように)。
有効性で論じられるのは、
「法そのものに立ち返って、死刑制度の是非を問うた後」においてだけでありましょう。
650620:02/08/14 22:40
<<「生への冒涜」を理由に死刑廃止を唱えることへの批判>>

私の主張は、「法の以前に権利は無い」というものです。
我々が権利を主張できるのも法あって故です。
生存権と言うものがあるなら、それは法によってはじめて成り立つのです。
法が成り立つ以前の「生きたい」「死にたくない」という感覚は
たんなる「生きたい」という衝動です。
私は、それを自己保存と呼びました(>>639)。
自己保存は法が内部から裏付けることはできません。
(自己保存欲求が生存権だとすると循環論法になる)

生に神聖さを感じ、これを尊重するのは、その人の立つある立場に過ぎません。
信仰上の立場と何ら変わりは無いでしょう。
これが、法の合理的な根拠たりえるわけが無い。
法は個人の信仰よりも上位である(それゆえ信仰の自由を保証する)から、
生へ尊敬よりも「法の尊重」を優先します。
法の尊重の中にはもちろん生存権へのそれも含まれます。
生と生存権の混同が混乱を招きます(法は生存権は保証するが、生については無関心)。

「生への冒涜」を理由に死刑廃止を唱えることは、感情の発露なのです。
法の論議において感情は排すべきだという点に同意してくださったならば、
私の言いたいことも理解できるかと思います。
651ニヒリスト:02/08/14 23:40
>620さん、教導者さん
 細かい点はきりがないので、最も基本的なことのみに絞ります。
>>632 >刑罰は…いかなる感情も一切排すべきだと考えます。法治国家なら特に。
>>633 >そもそも法に関する基本的な原則に、感情の介入の否定がありますが、

 これは、ほとんどの方に共通する議論のようですが、私には全く理解不能です。
およそ「価値・善悪・規範」にかかわる判断の究極の根拠はすべて「感情」であり、
それ以外には有り得ない、というのが私の考えです。
 わかりやすい例として、今話題の「2ちゃんねるペット板猫虐殺実況中継事件」
を挙げます。犯人の男は動物愛護法違反で逮捕されたのですが、その27条は

1.愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、一年以下の懲役又は百万円
 以下の罰金に処する。 (2.3.略)
4.前三項において「愛護動物」とは、次の各号に揚げる動物をいう。
 一 牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
 二 前号に揚げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は
   爬虫類に属するもの

となっております。
 さて、この法律の根拠は何でしょうか。「すべての生命は尊重されなければなら
ない」という思想なら、何ゆえ蝿や蚊やゴキブリが条文に入っていないのか理解
不能です。客観的に猫の生命はゴキブリの生命より尊い、という判断なら、根拠は
何もありません。(ついでに言えば人間の生命でも同じです。) (つづく)
652ニヒリスト:02/08/14 23:41
 この法律の根拠は「人間の感情」以外に考えられないと思います。人間を殺すと
重罪になり、猫を殺すと軽罪になり、ゴキブリを殺しても全く罪にならないのは、
畢竟「共同体の平均的な成員の怒り・報復感情を呼び起こすか否か」によって決定
されているのは自明のことで、それ以上もっともらしい理屈をこねくり回しても、
あまり意味はありません。
 いや、人間の「生きる権利」「生命権」は、感情以前、立法以前、国家以前の
「絶対的な権利」だ、という主張があります。別に「常識的」にはそれでも構わない
のですが、「哲学」とは常識の前提を疑うところから出発する、とすれば、
ニーチェの次の言葉(出典忘却、引用も不正確)の方に賛成するしかありません。

 「生きる権利・働く権利・幸福になる権利などというものはない。その点では
人間は最下等の蛆虫と何の違いもない。」 

 それでも法律には「生きる権利」が規定されているでしょうが、それはあくまでも
国家共同体の成員の利益のために規定された「フィクション」に過ぎません。言い
換えれば「生命権」は、あくまでも「国家」によって制度的に保障されている
もので、「国家」によって制度的に剥奪されても、何の不思議もないのです。
 「殺人」が法律によって「重罪」とされているのは、「共同体の平均的な成員」
(「大多数の成員」と言い換えても同じこと)が、「殺される」ことを何よりも
いやがり(感情)、殺人に対しては最大級の「怒り」と「報復感情」を抱く、という
「事実」に基づいています。逆に言うと、人間が殺されることに誰も怒りも報復感情
も抱かないような社会(想像しにくいですが)では、殺人が罪にされることは有り
得ません。逆に、先の例でいえば、もし仮に、事実として猫の殺害に成員のほぼ
すべてが激越な「怒り」と「報復感情」を抱くような社会があれば、「猫殺し」に
よって「死刑」にされることも有り得ます。それは「正しい」とか「間違っている」
という問題ではなく、単なる事実の問題です。 (つづく)
653ニヒリスト:02/08/14 23:49
 例が余り極端過ぎるなら、現実問題として、イスラム教徒は「コーラン」が破損
されることに非常な「怒り」と「報復感情」を抱くようです。日本でもそんな
事例がありました。私に言わせれば「聖書だろうがコーランだろうが仏典だろうが、
破こうと風呂の炊きつけにしようと、何の問題があるのか」というのが率直な感想
ですが、イスラム教徒が大多数を占める共同体では、そう言っても通用しないで
しょう。事実、イラン政府はイスラムを冒涜したとして「悪魔の詩」の作者の
ラシュディ氏に死刑を宣告し、いまだに撤回されておりません。日本語版の翻訳者
である五十嵐氏が何者かに惨殺され、未だ未解決なのも事実です。私はこれは
由々しき問題だと思いますが、イランがそういう「法」を持っていることについて
は、「客観的」に「良い」とも「悪い」とも言えません。ただ単にそういう「事実」
があることをわきまえて対処する以外、方法はないでしょう。(なお、ラシュディ
事件については国家の法と宗教法とか本音と建前等々の背景があるそうですが、
私は全く無知です。イスラムを冒涜するつもりも全くないことをお断りします。)
 
 最後に、「社会的な感情」というのは、「個人的・一時的な感情」と区別する
ために使いました。立法であれ司法であれ同じことですが、国会議員や裁判官の
「個人的な感情」を元にされてはたまらない、ということと、特に立法に際しては、
その感情が「普遍的・長期的・安定的に維持されているものかどうか」を慎重に
考慮した方が好ましい、という程度の意味です。先の例でいえば、熱烈な猫の愛護家
の国会議員が勝手に法律を作ったり、逆に「俺は猫が大嫌いだ」という裁判官が全部
無罪にしたり、あるいは、一時的に盛り上がった「猫ブーム」に乗っかって法律を
変える等々はまずいだろう、という程度のことです。別に「個人的感情」を離れて
「社会的感情」というものが客観的に存在する、という意味ではありません。
 死刑については書くスペースがなくなったので、次の機会にいたします。
654620:02/08/15 00:33
>>652ニヒリストさん
「生きる権利・働く権利・幸福になる権利などというものはない。その点では
 人間は最下等の蛆虫と何の違いもない。」
は、>>650
>生存権と言うものがあるなら、それは法によってはじめて成り立つのです。
>法が成り立つ以前の「生きたい」「死にたくない」という感覚は
>たんなる「生きたい」という衝動です。
とどう違うのでしょう?

私が、感情を法に持ち込めないと考える推論はこうです。
「「である」から「べし」は導けない」(ヒュームのテーゼ)
「事実から指令的な規範を導くことはできない」(単なる言い換え)
事実を感情、規範を法と考えると。
「感情から法は導けない」
となります。

イスラーム法が現実にあるという事実は、
「特定の信念(感情)をもとに法を作るべきだ」という指令を導きません。
また、そのような法の存在について「よい・わるい」といった価値判断は下せません。
単に、そのような法は哲学的な(合理的な)根拠を持ち得ない、というだけです。

感情に基づいた法を持つ人たちが事実いるからといって、
理想的にも法は、感情に基づくべきであるとはいえないのです。
>>652は合理的に考えて殺人を死刑にする根拠は無いといっているだけです。
報復感情に拠った法には合理的な根拠はありませんがが、
だからといって、現実の法に報復感情に拠ったものは無いとはいえません。
「現実」と「理想」は注意深く分けなければ混乱します。
(私自身は、>>647のように合理的にも死刑制度は支持されうると思います。)
655620:02/08/15 11:13
>>653ニヒリストさんへ
>ただ単にそういう「事実」 があることをわきまえて対処する以外、方法はない

この点がおそらくニヒリストさんと私を分かつ点です。
事実をわきまえて対処するだけであったら、
婦人参政権や奴隷解放はいかにして起こりうるのでしょう?

「そういう考えを持つ人が増えたから」という答えは、表面的にはおそらくそうでしょう。
「なぜそういう人が増えたのか」という問いはどうでしょうか?
「その考えを広める人がいたから」では、その人が罰せられて終わりですね。
そういう考えに嫌悪感を催す人々が多数なのですから。

「そういう考えを合理的だと考える人が増えた」というのが、私のかんがえです。
踏み込めば「それが合理的な根拠を持っていたから」ということです。
男女のかたっぽだけというのにはどういう根拠があるのか?
と問うていき、合理的な推論を経たらそういう結果が出たということです。
事実からは、規範を生み出すことはできませんが、
我々には「法」が与えられています。
法を根拠にした合理的な推論によって、その法体系に矛盾する法を退け、
合法的な法(変な表現ですが)を作り出すことができます。
(その逆で、手続きは正当でも、法体系の中では不合理な法律も成立し得ますが)
656620:02/08/15 11:49
要約すると、
現実に存在する個別的な法律には信仰や感情に基づくものもある。
しかし、あるべき法のあり方に照らして合理的に考えてみれば、
現実の法律が真に合理的な根拠を持ちうるとは限らない。
(私の意見として、不合理な法律は改正するのが望ましい)
657教導者:02/08/15 13:48
>620
>戦争は国家同士の間でのみ成立するものです。
>戦争には国家より上位の法を想定しなければ、
>裁判はできません。
確かにその一側面はあります。究極的な解釈をすれば弱肉強食の原理で、
それこそ権謀術数による勝者の自己正当化の道具であることが真理でしょう。

>を含めないとおっしゃるのならば、それは定義の問題です。
そうですね。あくまでも平時での犯罪つまり通常犯罪ではもっとも悪質な
犯罪としては大量虐殺でない殺人ということになりますね。私の定義としては。

>一つは国内向けの暴力で警察。
>もう一つは対外的な暴力で軍隊です。
その根本的な性質としては両者とも治安維持、国家、国民を守る
という目的のものです。無論あなたのいうように実際のシステム上の
運営では規模、その対象から違いが出てきますが。

>裁判所に連れて行くのでなければ犯罪ではありません。
揚げ足とりになるかもしれませんが、
後者のほうでも勝者の裁判がまっております。
全社会の本質が万人の闘争である以上、規模の問題でしかならないと私は考えます。

>1にあたる犯罪者も生存権によって保護するのであれば、
>法が自分自身を殺害する原因を自分自身のうちに持つことになるということなのです。
しかしそれでは貴重な人的資源を無駄に消滅させると言う非合理性が
暗に許容されているのであり、それこそ法が理に適っていないものと指摘せざるをえません。

658教導者:02/08/15 14:04
つづき
>法のシステム全体を破壊する重大な行為は、
>法全体を(生存権も当然含めて)放棄する意志の表明です。
>裁判と判決はその意志を法が確認する行為です。
そうとはならないとおもいます。犯罪を犯罪と認識するのは法の範囲の中で
出来るものであって。それを犯罪と認識する以上犯罪者が法の範疇にあると
認めることに他なりません。また当事者のものが法の破ったとしても、
それが即生存権の放棄に繋がることがありません。法の条項が違うのですから。
つまりあなたの主張では「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」というような無理に拡大して
解釈しているに他なりません。
>「死刑制度によって生存権が否定される」とは、
>「罪を犯していない者が、死刑によって生命を絶たれる」ということ以外ないと思います。
>実際には罪を犯していないのに、死刑によって殺されるのは生存権の侵害です。
>となると、問題の核心は罪を犯したかどうか→「冤罪可能性」の問題しかないように思われます。
そもそも生存権を剥奪するという確固たる根拠が存在しない、
またそれによって起きる不利益性。非合理性を考慮していないのが、
多くの死刑支持論者の共通する特徴だと私は考えています。

>私は、それを自己保存と呼びました(>>639)。
>自己保存は法が内部から裏付けることはできません。
>(自己保存欲求が生存権だとすると循環論法になる)
犯罪者を生かして社会に貢献させてより人々の自己保存に貢献させれば
死刑の妥当性の根拠がより失われます。

659教導者:02/08/15 14:04
つづき
>法は個人の信仰よりも上位である(それゆえ信仰の自由を保証する)から、
>生へ尊敬よりも「法の尊重」を優先します。
法は権謀術数の道具である以上、人の上位に立つべき物ではありません。
人の厚生を考えて秩序、システムを構築する目的で作られたものである以上、
所詮は道具です。それを上位におけば非合理性のまま存続するという危険性をもったり、
本来の人間のために存在するという目的すら稀薄になります。
それでは本末転倒であり、法を人間の上に存在する根拠が存在しなくなります。


>「生への冒涜」を理由に死刑廃止を唱えることは、感情の発露なのです。
>法の論議において感情は排すべきだという点に同意してくださったならば、
>私の言いたいことも理解できるかと思います。
これは感情のレベルのものでなく、より生物としての存在意義になり、
そのまま人間の厚生に繋がるのです。
つまりそれこそが感情であるならば、自己保存というものも感情ということになり、
法すら存在する根拠が無くなることになります。
感情というものを深く考えたならばこのところは理解くださると思います。
660教導者:02/08/15 14:25
>ニヒリスト
>これは、ほとんどの方に共通する議論のようですが、私には全く理解不能です。
>およそ「価値・善悪・規範」にかかわる判断の究極の根拠はすべて「感情」であり、
>それ以外には有り得ない、というのが私の考えです。
同種の反論を何度もしていますが、感情というレベルではなく生物の存在意義、
生物の備わった目的である以上、感情という表面的なものでは全くありません。

>人間を殺すと重罪になり、猫を殺すと軽罪になり、ゴキブリを殺しても全く罪にならないのは、
>畢竟「共同体の平均的な成員の怒り・報復感情を呼び起こすか否か」によって決定
>されているのは自明のことで、それ以上もっともらしい理屈をこねくり回しても、
>あまり意味はありません。
それは違います。法は人間のために存在する以上、法がそのようになるのは当然で、
感情とはまったく違うものです。またゴキブリは害虫で人間に害を及ぼすので殺すのは当然許容される、
猫などは(私はこの法に少々疑問を持っていますが)衛生上の問題で、
感情とは全く違った別次元で根拠付けがなされると考えられます。
661教導者:02/08/15 14:27
>逆に言うと、人間が殺されることに誰も怒りも報復感情
>も抱かないような社会(想像しにくいですが)では、殺人が罪にされることは有り
>得ません。逆に、先の例でいえば、もし仮に、事実として猫の殺害に成員のほぼ
>すべてが激越な「怒り」と「報復感情」を抱くような社会があれば、「猫殺し」に
>よって「死刑」にされることも有り得ます。それは「正しい」とか「間違っている」
>という問題ではなく、単なる事実の問題です。
事実の認識が間違っていますね。まず応報感情も怒りも無い状態での殺人が罪にならないのは、
(衆愚状態を一先ず考慮から外す)それはもともとその対象に法の保護のもとに無い場合、
つまりそれがすべての人々の共通認識である場合で、それが即感情が原因でということではなく、
システム上の問題である。猫殺しに重罪と認定された場合は感情でなく衛生上の問題で
行われるもので人々の認識が一見感情に見えてもそうでないことで説明がつくのです。
衆愚状態をまずは外しましたが、それは人間の厚生に繋がらないもので行われているのであれば、
非合理性で法を無駄に設定していると言う衆愚状態の可能性も出てきます。
これこそが事実の認識ではないでしょうか?あなたの認識では非常に短絡的であると
指摘せざるを得ません。

662教導者:02/08/15 14:28
>別に「個人的感情」を離れて
>「社会的感情」というものが客観的に存在する、という意味ではありません。
> 死刑については書くスペースがなくなったので、次の機会にいたします。
社会的感情が客観的に存在しない以上、議論は出来ませんが。
社会的感情があくまで感情であるため合理的な考えが阻害されると言う
ものを原理的に内包しています。
法は合理的に設定しなければならない以上、社会的感情が存在しても、
結局は衆愚への末路へ道が開かれるだけにすぎないと私は考えます。
663620:02/08/15 17:13
>>660教導者さん
その反論よりは>>654のヒュームのテーゼを元にした推論の方が
より説得的だと思いますが、、、。
「事実から規範は導けない」
664620:02/08/15 17:14
>>657教導者さん

>>裁判所に連れて行くのでなければ犯罪ではありません。
>揚げ足とりになるかもしれませんが、
>後者のほうでも勝者の裁判がまっております。

揚げ足とりにはなってません。戦争後の裁判には二つの形態が予想されます。
1)当事国家の上位にある機関による勝ち国家と負け国家の裁判
2)勝ち国家が元負け国家を裁く裁判
1の場合は、国家間の上位にある法を想定しているので、批判になりません。
2の場合について。勝ち国家が負け国家をさばくことができるのは、
負け国家が既に存在していないから、すなわち、
負け国家の土地・人民はすでに勝ち国家の土地・人民になっているからです。
そこでの裁判は、勝ち国家の法、あるいは勝ち国家の法によって保証された
別の法によっておこなわれると思います。
したがって、いづれの場合も犯罪人(戦争犯罪人)の認定には裁判が必要なのです。
>>646の私の主張は、
「我が国の軍人が敵の軍人を殺しても、
 我が軍人は裁判所に連れて行かれない(我が国の法では犯罪者にならない)」
ということです。
665620:02/08/15 17:16
>>657教導者さん

>>1にあたる(法体系の根本を破壊する)犯罪者も生存権によって保護するのであれば、
>>法が自分自身を殺害する原因を自分自身のうちに持つことになるということなのです。
>しかしそれでは貴重な人的資源を無駄に消滅させると言う非合理性が
>暗に許容されているのであり、それこそ法が理に適っていないものと指摘せざるをえません。

人的資源云々の話は法の有用性に関る議論です。
有用性は法の生存に関る議論では何ら合理的根拠を持ちません(理由は>>654)、

ちなみには私は「合理的」を経済的であるとか役に立つではなく、
「(論理上)理に適っている」「論理的である」という意味で用いています。


>>658
>また当事者のものが法の破ったとしても、
>それが即生存権の放棄に繋がることがありません。

単に法律を破るだけの犯罪(たとえば殺人)に対して、
死刑(生存権の剥奪)を宣告するする有力な根拠は、
残念ながら今のところ私には見出せません。

ここで私が死刑にすべきと主張しているのは、
「法体系を根本から破壊する行為」であり、
その行為者に対し「法は生存権を放棄したとみなす」だろうということ、
そしてその根拠は「法自身が「殺されたくない」と考える」
すなわち、「法が自己保存欲求を持つ」
という(あくまで仮定なのですが)仮定に基づくということです。
666620:02/08/15 17:20
>>658教導者さん

>犯罪者を生かして社会に貢献させてより人々の自己保存に貢献させれば
>死刑の妥当性の根拠がより失われます。

私は、死刑にするべき犯罪を、>>638-640における推論で、
「法を殺す行為(法の源たる立法者・その全体としての国家を無みする犯罪)」
として、その要件として、
「犯罪者に更生の見込みが全くなく、また、裁判において冤罪の可能性がなく、
 かつ再犯の可能性が極めて高い」
という条件が必要だと、主張しました。

すなわち、教導者さんの発言は、
「更生して社会に貢献する人が犯す犯罪のうちに、
 死刑に値する犯罪を見出す根拠は今のところ無い」といっているのです。
それは、死刑が「その犯罪に対して」妥当である根拠がなくなるだけで、
死刑制度そのものに対する妥当性については何も語りません。

>>659
>それ(法)を(人より)上位におけば非合理性のまま存続するという危険性をもったり、
>本来の人間のために存在するという目的すら稀薄になります。
>それでは本末転倒であり、法を人間の上に存在する根拠が存在しなくなります。

事実、そのようなことが起こっていると思います。
それは本末転倒なのではなく、法の本性上起こりうることであるということ、
すなわち、法が人の上位にあることを示しています。

付け加えるならば、「私たちは法に従っている」という表現が、
法が上位にあることを端的に示しており、
「私たちは法を用いている」という表現は、
「私たちの行為を法を基準に判断している」ということであり、
これも暗に法が上位にある(法に従っている)ことを示しています。
667620:02/08/15 17:22
>>659教導者さん

>>「生への冒涜」を理由に死刑廃止を唱えることは、感情の発露なのです。
>>法の論議において感情は排すべきだという点に同意してくださったならば、
>>私の言いたいことも理解できるかと思います。
>これは感情のレベルのものでなく、より生物としての存在意義になり、
>そのまま人間の厚生に繋がるのです。
>つまりそれこそが感情であるならば、自己保存というものも感情ということになり、
>法すら存在する根拠が無くなることになります。
>感情というものを深く考えたならばこのところは理解くださると思います。

この反論だけが、私の主張に対する最も根本的な反論です。
>>637-640(要約は>>647)における一連の推論において、
「法が自己保存欲求を持つ」という仮定を導入しました。
そして、「その仮定が法の最も根本的な根拠になる」と考えます。
この仮定が崩されれば、私の主張には根拠がなくなります。
(逆に、この仮定に同意されれば私の意見は概ね同意されることになると思うのですが)

いまは言葉が見つかりませんが、明日かあさってにでも自説の補強を
行いたいと思います。
668教導者:02/08/15 17:31
>620
>>646の私の主張は、
>「我が国の軍人が敵の軍人を殺しても、
> 我が軍人は裁判所に連れて行かれない(我が国の法では犯罪者にならない)」
>ということです。
その場合でも、軍律違反で軍事法廷で裁かれることもありますが、
まあこれはこのへんで置いときましょう。本論からずれていきそうなので。
>人的資源云々の話は法の有用性に関る議論です。
>有用性は法の生存に関る議論では何ら合理的根拠を持ちません(理由は>>654)、
いえ、法は人間の厚生のために存在する以上有用性は充分根拠を持つ、
いやそれ以上にあるべき姿だと私は考えます。より直接に人間の厚生に繋がっているのですから。
>ちなみには私は「合理的」を経済的であるとか役に立つではなく、
>「(論理上)理に適っている」「論理的である」という意味で用いています。
私は合理的を総合的にあらゆる角度から見て「(論理上)理に適っている」「論理的である」という意味で用いています。
ですからその上でより広範な視野で見た上で合理性を私は主張しています。

>「法体系を根本から破壊する行為」であり、
>その行為者に対し「法は生存権を放棄したとみなす」だろうということ、
私はその場合、内乱罪や大量虐殺など非常事態における(つまり事実上戦時)
ものの状態を想定していますので、この辺は定義の違いによるものでしょうか?


669620:02/08/15 17:39
てかけるのでちょっとだけレス。
>>668教導者さん
>>「法体系を根本から破壊する行為」であり、
>>その行為者に対し「法は生存権を放棄したとみなす」だろうということ、
>私はその場合、内乱罪や大量虐殺など非常事態における(つまり事実上戦時)
>ものの状態を想定していますので、この辺は定義の違いによるものでしょうか?

内乱は国家対国家でないので、定義上戦争ではないと考えています。
(内乱鎮圧は通常警察(機動隊など)によって行われますよね?)
(軍隊が出動したとしても警察権に従った上でのことだと思います)
(軍隊は対国家、警察は国内で分けています)
ゆえに、定義の違いですね。
670教導者:02/08/15 17:41
>すなわち、教導者さんの発言は、
>「更生して社会に貢献する人が犯す犯罪のうちに、
> 死刑に値する犯罪を見出す根拠は今のところ無い」といっているのです。
>それは、死刑が「その犯罪に対して」妥当である根拠がなくなるだけで、
>死刑制度そのものに対する妥当性については何も語りません。
更生が失敗している小さな可能性がある場合でもそれが妥当だと言っているのです。
実際、仮に再犯してもその被害以上の社会貢献がされている場合も存在する可能性もありますし、
何より以前述べた教化プログラムの改善へのインセンティブという観点から
長期的にみてそれが合理的に妥当と言っているのです。

>それは本末転倒なのではなく、法の本性上起こりうることであるということ、
>すなわち、法が人の上位にあることを示しています。
本質上起こりうることでなく、法が暴走しているという表現で表しましょうか。
私はそれを忌忌しき事態と考え如何にして本来の在るべき姿に整えるかが
問われると考えます。
>「私たちは法を用いている」という表現は、
>「私たちの行為を法を基準に判断している」ということであり、
>これも暗に法が上位にある(法に従っている)ことを示しています。
従っているという表現では上下関係は断定できません。
実際道具でもその特性に「従って」扱っているのが事実であり。
やはり道具であるという認識こそより人間が有用にそれを扱えることを
物語っていると考えられます。


>いまは言葉が見つかりませんが、明日かあさってにでも自説の補強を
>行いたいと思います。
ニヒリスト氏との議論で考えたのですが、
「感情」というものの微妙な定義の違いがそれぞれの主張の食い違いに
繋がっているように感じられますね。
671教導者:02/08/15 17:45
>(軍隊は対国家、警察は国内で分けています)
>ゆえに、定義の違いですね
そのようですね。私は戒厳令などがだされる場合や
内乱でも軍の出動が要求される場合は事実上「戦時体制」と定義しています。
実際、形は違っても事実上類似した状況に陥りますから。
672ニヒリスト:02/08/15 19:17
>620さん

 根本的に誤解されておりますが、私は「刑法は感情に基づいて作られなければ
ならない」と主張しているのではありません。現実の刑法には感情が大幅(全面的)
に介入しているし「感情が介入しない刑法」などほとんど想像することもできない、
という「事実」を述べているだけです。
 教導者さんとも共通しますが、一切の感情その他の「事実命題」に基づかず、
理性を持った人間なら誰もが従わなければならないはずの「合理的根拠のみに
基づく絶対的に妥当する行為規範」のようなものが「ある・あらねばならない」、
刑法もそのような規範で「ある・あらねばならない」とお考えのようにお見受け
します。はっきり申し上げると、そのような規範は存在し得ません。>>654
引用されたヒュームの命題は、まさにそのことを述べていると私は解釈します。
 法をめぐる「合理性」というのは、「目的妥当性」以外の意味ではあり得ません。
ある「目的」を達するための「手段」としての法が妥当であるかどうか、なら
ある程度「合理的」に論じることが可能ですが(もっともヒュームの議論に従え
ば「因果関係」自体が「合理的」には立証不能であることはご存知の通りですが)、
その「目的」自体の妥当性は、結局はさらに上位の目的に対する「手段としての
妥当性」である他なく、その上位目的の妥当性はさらに上位の…と続いて行くと、
最後に残る「最上位の目的」の妥当性は、「合理的に」立証することは不可能だ
ということです。そして、それができないなら、この手段ー目的系列全体の
「合理性」は、全く意味を持ちません。
673ニヒリスト:02/08/15 19:20
 この「最上位の目的」の妥当性は、結局は「感情」以外のものに求めることは
できません。「Aという状態を欲する(感情)なら、Bという行為を為すべきだ」
(為すのが合理的だ)とは言えますが、この「Aという状態を欲するか否か」に
は、いかなる「合理的根拠」も有り得ません。端的にそういう感情を持つか否か、
という「事実命題」です。
 例えば、徹底的に非妥協的な「環境保護原理主義者」がいたとして、彼が
「地球環境を保護したい」という目的(感情)のための最も合理的な手段として
「人類の絶滅」を考えてこれを実行に移したとすると、これはいかなる意味でも
「非合理的」ではなく、完全に「合理的」な行為です。この行為が通常の「行為
規範」に照らして厳罰に処されるとすれば、それは普通の人々は「自分が快適に
過ごしたい」という「感情」が目的で、環境保護はその「手段」に過ぎないため、
自分たちを抹殺しようとする行為など「狂気」としか思えないからです。これは
どちらが「合理的」かという話ではなく、どちらの「感情」が一般的か、という、
単なる「事実問題」によって決まります。 (つづく)
674ニヒリスト:02/08/15 19:29
 >>647の書き込みも、「死刑制度を合理的に(事実命題とからめず)支持する」
ことには全くなっておりません。それは教導者さんが指摘されている通りです。
法が(法はいかなる意志も持たないので、不適当です。擬似人格としての「国家」
が、と言い換えるべきですが)自己を保存しようとするのは、端的に「感情」
以外の何物でもありません。事実として、国家が「自殺」しようとすることは
有り得ないことでもないし、それ自体としては正しいとも間違いだとも言えません。
 さらに、国家を破壊しようとする確信犯の危険性を最も確実に永久的に排除する
方法は死刑である、というのは、単なる「経験的に推測された因果関係」に基づく
命題に過ぎません。死刑にされた者が生き帰って来ないという証明は合理的には
不可能だ、というのが、ヒュームの命題ですから。それはただ「経験的妥当性」
として論じられるだけです。(別に結論に反対なわけではないので、念のため)
 要するに、刑法(というよりあらゆる行為規範)の「目的」は「感情」によって
しか基礎づけられず、その手段としての「因果的合理性」は「経験」によって
しか基礎づけられない、というのが私の考えです。「論理的」というのは、この
目的ー手段の体系に矛盾がないようにする、という程度の意味しかあり得ません。
 死刑の妥当性を「事実命題とからめず純粋論理的・合理的に立証できない」から
といって悩む必要は全くありません。そのようなことは端的に不可能なのですから。
それが「悩み」に感じられるとしたら、「刑罰に感情を介入させてはならない」
という大前提が単なる「思い込み」で間違っているというだけのことです。
死刑の妥当性は、「目的ー手段」の系列の中で相対的に論じることができるだけで、
絶対的な結論などあり得ないと私は思います。
 教導者さんへのレスは後日にいたします。
675620:02/08/16 00:25
>>672ニヒリストさん
たしかにヒューム理解に誤解があるような気がします。
もういちど、じっくり考え直してみようと思います。
普段考えたことの無い問題に脊髄反射レスを繰り返したため、
自分で少し混乱してきました。

>>670教導者さん
こちらも、明日か明後日と書きましたが、
もうすこしじっくり考えてみようと思います。

おふたかたにお願いしたいのですが、
>>637-640の私の推論で、
論の進め方自体のまずい所をご指摘願えませんか?
(前提が間違っているから残りは無効というものではなく)。
どこで混乱しているかをはっきり見極めたいのです。

しばらくは、お二人のそれぞれの立場にたって、
それぞれ利点と問題点を考えてみようと思います。
私の今のところ動かぬ直観は、
「法の本性上、死刑にしうる行為が少なくとも一つある」
「法の論議(←ここが曖昧)に感情を持ち込んではならない」
の二つです。
これが、妥当かどうかも同時に吟味します。

では、しばらくの間、新しく考えが浮かぶまで敗北宣言しておきます。
676バーベキューキング:02/08/16 03:48
関係ないけど、その教導者ってHNやめません?
確かにどんなHN使おうと人の勝手ですけど。

もっと、こう、なんていうか、爽やかな感じの名前がいい。
677教導者:02/08/16 15:57
>620
>論の進め方自体のまずい所をご指摘願えませんか?
まずいところというわけでもないのですか、各人の独自のスタンスも尊重しなければならないですし。
私からとしてはあなたの場合、哲学観点に絞りすぎて視野が狭いと言うところでしょうか。
ここは哲学板でもあるわけですからそれはそうでむしろ妥当なのかもしれませんが、
「法」というものを扱っている以上総合的な視野での主張の展開が私から欲しいところですね。
では、また、あなたからでもいいですから、私の主張展開の欠陥点などの批判があれば
おっしゃってください。


>バーベキューキング
ではこれからはジェダイマスターとでもしましょうかね。
(まあ悪い意味で使われるのでなければなんでも個人的にはHNは良いんですけどね)
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681バーベキューキング :02/08/16 16:40
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非情に難しい問題ですね
682ニヒリスト:02/08/16 23:58
>教導者さん
>>660
>感情というレベルではなく生物の存在意義、生物の備わった目的である以上、
>感情という表面的なものでは全くありません。

 まず、「感情」を離れて「哲学的に」言うなら、生物が無生物に比べていささか
でも高い「存在意義」を持つわけでは全くありません。人間も石も、単なる無意味
な「事象」である、というのが結論です。感情的に言えば、人間、猫、ゴキブリ、
石、の順に、貴重で「存在意義」が高いと「感じる」人が多いだろうとは思います
が。(ゴキブリと石はやや微妙か)
 恐らく、生物にとって「生き続けようとする」ことは最も強く根源的な欲望、
「本能」であって、他の感情よりも優先される「目的」とされることが多い、
だから他の感情のような表層的なものとは違う、というご趣旨だと思われますが、
要はそれは単なる「事実」です。「すべての生物は生きようとする」「生きる
ことを何よりも優先させる」という「事実」から「生きるべきである、優先させる
べきである」という「当為」を引き出すのは、まさに620さんが引用された
「ヒュームの命題」が戒める誤謬そのものでしかありません。ついでに言いますと、
「生きたい」という本能・欲望・感情が根源的で強烈なほど、「殺人」に対する
報復感情もそれだけ根源的で激烈なものとなり、他の感情とは「別次元にある」
とも言えるわけで、「自己保存本能」を他の感情に比べて特別視しても死刑論議
の上では余り意味は無いと思いますが。 (つづく)
683ニヒリスト:02/08/17 00:05
 後段はまあどうでもいいのですが、猫殺し処罰の理由が「衛生上のもの」と
いうのは、理解いたしかねます。あるいは猫はネズミを取るので衛生上有益だ
から保護されるべきだ、という趣旨なら、動物愛護法がそのような趣旨と無縁
であることは明白です。何しろ名前自体にズバリ「愛」という感情そのものが
入っている珍しい法律ですから。まあ、家畜や益獣の方が「可愛い」と感じる
人が多いのは事実でしょうが。
 それと、「衛生上の問題」は、「感情とは別次元」にあるものではありません。
突き詰めれば「病気になるのは嫌だ」「不潔なのは嫌だ」という「感情」その
ものが基礎になっております。おおよそ、「価値」に関する概念が、感情と
一切無縁であることなどは、有り得ません。

 >>661の文章はいささか理解が困難です。「殺人が罪にならない社会」は、
いずれにしろ想像しづらいのですが、もし仮にあるとすると、何かのシステム的
な理由(政府に警察や刑務所を維持する余力がない、とか、人口を何としても
減らす必要があり国家が殺人を奨励している、とか、殺人に関しては刑罰の
抑止力が働かないことが判明して罰するのをやめた、とかいう例が考えられます)
によってそうなっている場合も想定できます。私が言っているのはそうではなく、
そもそも「別に死んでも生きてもどうでもいい」というのが人々の「共通認識」
になっている社会、すなわち「誰も殺人に対して怒りも報復感情も抱かない社会」
という意味です。もし仮にそういう社会があれば、そこでは殺人は当然刑罰の
対象にはなりません。そして、現実の社会はそうではないからこそ、殺人は
刑罰の対象になり、人命は法の保護のもとにあるわけです。まさしく「感情が
法に介入している(というより法の基盤そのものである)」と言う他ありません。
(つづく)
684ニヒリスト:02/08/17 00:10
>それは人間の厚生に繋がらないもので行われているのであれば、非合理性で
>法を無駄に設定していると言う衆愚状態の可能性も出てきます。

 この文章は、「人間の厚生」が法の目的で、法はその目的達成の「因果的に
合理的な手段」であるべきだ、という意味でしょうか。それなら「常識」として
異議はありませんが、ただし、「厚生」とはすなわち「幸福」であり、「幸福」
とはすなわち「感情」です。
 私の挙げた「猫殺しが死刑になる社会」というのは、猫を「人間の幸福」の
手段として尊重する社会ではなく、文字通り「誰もが猫を無前提に溺愛し、
猫を殺す人間には激烈な報復感情を抱く」社会という意味です。そのような
社会が現実に存在し得るとは経験上は考えにくいですが、もし仮にそういう社会
があったとしたら、「猫殺し」は殺人同様の重罪として死刑に処されても何ら
不思議はありません。それを「衆愚状態」と呼ぶのは、現在の平均的人間の感情
を元に判断しているからに過ぎず、「あちらの世界の人間」から見れば、教導者
さんや私をはじめ「こちらの世界の人間」は「猫の命の大切さを知らない哀れな
衆愚状態」にある、としか思えないでしょう。これは、「本気で」宗教を信じて
いる人から見ると、無信心者は「神のありがたみを知らない哀れな衆愚」にしか
見えない、というのと、基本的には同じ構造です。
(余談ですが、欧米の「鯨崇拝」などはほとんどこれに近い感じを抱かせ、
「こちらの世界」の人間としては、薄気味が悪くなります。)
 これに対し、「猫は絶滅寸前の貴重な動物だ」とか、「猫を殺すとその人の
周りには祟りがある」とかいう理由で猫を法で保護している社会があるとすると、
それは文字通り「非合理」で「法を無駄に設定している」「衆愚状態」といえ
ましょう。ただし、衆愚状態が「悪いことだ」という判断も、究極的には「感情」
に基づくものでしかあり得ませんが。 (つづく)
685ニヒリスト:02/08/17 00:21
>>662 
 「社会的感情が客観的に存在しない」という意味は、「社会的意志」が客観的
には存在しない、というのとパラレルです。しかし現実には「集団の意志」と
いう概念はしばしば使われます。「国民の総意」という言い回しなどむしろ
乱用されているに近い状態です。「個人の意志」があるように「社会の意志」
もある、という考えも哲学的には可能かもしれません。ルソーの「一般意志」
などその典型です。そうであるなら、当然「社会の感情」もある、と考える
余地はあります。ただ、私は一応「現実に」存在するのは個人の意志、個人の
感情だけで、「社会の意志」「社会の感情」というのは、その「総和」「平均」
として「想定されるもの」という程度の意味に理解しております。

>社会的感情があくまで感情であるため合理的な考えが阻害されると言う
>ものを原理的に内包しています。

 これは全く理解できません。「合理」と「感情」は全く別次元のもので、
互いを否定するわけではないと思いますが。「一時の感情に流されるのは
非合理だ」とか、「一部の感情に流されて全体を見失ってはならない」
ということなら、それは要するに「長期的・広範囲の視野に立って
“感情の総計”を計算しないと全体の利益は図れない」というくらいの意味
でしかありません。
 法にとっては、合理はどこまで行っても「手段」であって、「目的」には
なり得ません。法の「目的」は、現実的には「感情に基礎づけられた何らか
の価値」以外のものでは有り得ないと思われます。「人間の厚生」といっても、
「公共の福祉」といっても、ベンサム流に「最大多数の最大幸福」といって
みても、結局は同じことです。

 >>675へのレスは、後日にいたします。
686教導者:02/08/17 13:47
>ニヒリスト
>生物が無生物に比べていささか
>でも高い「存在意義」を持つわけでは全くありません。人間も石も、単なる無意味
>な「事象」である、というのが結論です。
個体別に見れば、それぞれ存在意義があり。
法はその「人間」というものの個体の道具なので、個体別にみても問題はありません。
ついでに言いますと、

>「生きたい」という本能・欲望・感情が根源的で強烈なほど、「殺人」に対する
>報復感情もそれだけ根源的で激烈なものとなり、他の感情とは「別次元にある」
>とも言えるわけで、「自己保存本能」を他の感情に比べて特別視しても死刑論議
>の上では余り意味は無いと思いますが。 
それは拡大解釈しすぎですね。根源的な目的が「生きる」ということであり、
そこから出たものだとしてもそれは所詮表層的な「応報感情」であり、
やはり別次元と指摘するのは重要な問題と言えます。
感情のレベルになるとその根源的なもの距離は幾段階をも越えて出ると言う
悪く言えば「老廃物」のようなものであるとも言えるのですから。
687教導者:02/08/17 14:03
つづき、
>何しろ名前自体にズバリ「愛」という感情そのものが
>入っている珍しい法律ですから。まあ、家畜や益獣の方が「可愛い」と感じる
>人が多いのは事実でしょうが
ですから、私はこの法に疑問、批判があると言ったのはそこなんですよ。
そもそもそんな理由で法で規制する必要があるのか?という問題ですから。
ただ成立する要因で「衛生上」という観点で法を要望する人々、力が
働いていたのではないかという事実関係の推論を私はそこで述べたのです。
>それと、「衛生上の問題」は、「感情とは別次元」にあるものではありません。
>突き詰めれば「病気になるのは嫌だ」「不潔なのは嫌だ」という「感情」その
>ものが基礎になっております。おおよそ、「価値」に関する概念が、感情と
>一切無縁であることなどは、有り得ません。
別次元で無縁と言い切れます。疫病などの要素は「生きる」という本源的な目的に
直接的に関わる以上、感情とは別物です。それを感情とするのならば、
殺すことや虐待するというものが感情である以上、同質のものです。
>もし仮にそういう社会があれば、そこでは殺人は当然刑罰の
>対象にはなりません。そして、現実の社会はそうではないからこそ、殺人は
>刑罰の対象になり、人命は法の保護のもとにあるわけです。まさしく「感情が
>法に介入している(というより法の基盤そのものである)」と言う他ありません。
ですから前者の罪にならない場合のものは合理的な判断が出来ていない、
衆愚状態に置けるものでそれが事実と指摘しているのです。
それと殺害した相手が法の保護のもとに無い場合です。
法の保護にない場合はそれは当然の帰結ですが、
衆愚状態だと言えるのは本来の目的の「生きる」を達成できないもので、
その状態を持ち込んでそれを「是」とするならば、法も存在しなく
無秩序な場合も「是」という図式に近いものです。

688教導者:02/08/17 14:13
続き、
>ただし、「厚生」とはすなわち「幸福」であり、「幸福」
>とはすなわち「感情」です。
いえより「生きる」を強めたものです。それが「幸福」でも、
人間特有の知性より合理性をもったもので表層的な感情でなく、
極めて「生きる」に密着した根源的なものです。
つまりそこが人間と他の動物との区別ともとれるでしょう。
>それを「衆愚状態」と呼ぶのは、現在の平均的人間の感情
>を元に判断しているからに過ぎず、「あちらの世界の人間」から見れば、教導者
>さんや私をはじめ「こちらの世界の人間」は「猫の命の大切さを知らない哀れな
>衆愚状態」にある、としか思えないでしょう。
根源的な目的のレベルでなく、表層的なものであればそういえる余地がありますが。
根源的な目的「生きる」というものを取り上げた場合、
猫殺しがそんなに重要な問題であるかを合理的に判断できることは明白です。
また宗教に置いても「生きる」というものを考え(来世も含まれる」ている
からであり、それからはなれているものはありません。
それは感情でなく根源的なものを扱っていることに他なりません。
ですから客観的に感情抜きで衆愚状態と指摘できることは可能なのです。
689教導者:02/08/17 14:22
つづき、
 >「社会的感情が客観的に存在しない」という意味は、「社会的意志」が客観的
>には存在しない、というのとパラレルです。しかし現実には「集団の意志」と
>いう概念はしばしば使われます。
私はこれはアローの不可能性定理↓
ttp://www.qmss.jp/qmss/text/supplements/arrow.htm
を指摘したもので、所詮は個人の一部の感情が積み上げられただけで、
多数決の民主主義上の「社会的感情」でしかありません。

>それは要するに「長期的・広範囲の視野に立って
>“感情の総計”を計算しないと全体の利益は図れない」というくらいの意味
>でしかありません。
そういう意味ではありません。本源的な目的を再確認しそれに厳格に
離れないで熟慮を重ねると言う意味です。感情の総計であるならば
余計合理的な判断から離れていく一方です。感情ですら本源的な目的から
離れているのですから。
 >法にとっては、合理はどこまで行っても「手段」であって、「目的」には
>なり得ません。
法そのものが手段(道具)である以上、より合理性が問われ感情の排除が求められます。
その手段そのものが感情的であるならば法を存在させる意味が存在しません。
私は権謀術数というものが法の性格を端的に表すと考えており、
これが個人の場合を考える場合、「目的」は感情であるかもしれないがが「権謀術数(手段)」
は感情で無いと言えるのである。
690考える名無しさん:02/08/17 14:27
お前らまだやってたのか・・・
691伯爵:02/08/18 09:45
>620さん
はじめまして

あなたの意見には非常に好感が持てます
しかしあなたの死刑制度賛成という言葉はさほど意味が無いように思います

ここからは僕個人のかなり私的な意見ですが
仮に我々がルールを採択したところで、そのルールにどこまでも我々が縛られる必要はないと思います
ルールは守られねばなりませんが、しかしそれはルールが破れないことを意味しないと思います
ルールはあくまで集団に属する個人が創る仮の実在であると思うからです
(とても変な表現ですが)

僕はそのような言葉にとらわれての「死刑制度賛成」という言葉ならば
もはや発言する意味もほとんど無いと思います
身の回りの環境を見ずに形而上学の領域に入り込んでいると思います

もっと主観的な発言をするべきだと思いますし僕もそう行動しているつもりです
あなたが別の次元の問題とした行為は
言葉から意味を抜き取り、ただ正しさを追求した行為であると思います

喧嘩を売るような態度ですみません
決してあなたの意見に大きく反対している訳ではありませんので悪しからず
692こないだまで620:02/08/19 00:15
>>691
意味がないといえばそうかもしれませんねえ。
好感が持てるとはありがたいお言葉です。

そのうち、意見をもって帰ってきます。
693考える名無しさん:02/08/19 00:17
>>676
でバーベキューキング、と名乗って発言したモノですが
それ以降のレスは偽者です。

676のような事をいったのは「教導者」って名前が
無意味な反感を買ってるのではないか?とちょっと世話をやいただけです。


皆さんの議論に水を差す気はありません。
不快に思った人にはお詫びします。

ROMっときます。
694考える名無しさん:02/08/20 11:08
反感をかっているのは
名前じゃなくて(略
695教導者:02/08/20 11:45
反論はまだかな。

>バーベキューキング
反感をかっているのではなく、
ただ私に完全に論破された負け犬論客が僻んで負け惜しみを言ってるだけですから。
696ニヒリスト:02/08/21 23:27
>教導者さん
>>686
>個体別に見れば、それぞれ存在意義があり。
>法はその「人間」というものの個体の道具なので

 個体別の存在意義、というのは、「個体の意識の中では自分の生命の維持が
最優先される」という意味でしょうか。「事実」としてはほぼその通りだと思い
ますが、それは「個体の命」が「客観的存在意義」を持つことを何ら意味しません。
多くの人にとって「自分の命」は最優先の価値でしょうが、「他人の命」は
それよりずっと劣る価値、時にはゼロの価値、時にはマイナスの価値(邪魔物)
でしかない、というのが事実だと思われます。少なくとも私にとってはそうです。
ちょうど、「人命ー猫の命ーゴキブリの命ー石」と同じで、その順序は専ら
「個人の主観的感情」によって決定されます。
 法が「個体の道具」であるというのは、理解いたしかねます。ロビンソン・
クルーソーには法は不要なのであって、法は少なくともその「制定」段階に
おいては、「複数の個体が集まってできた社会全体の利益」又は「各個体の
利益の総和」の「最大化」を図るために作られるものと思われます。
 ただし、いったん制定された法を自己の利益のための道具としてどのように
「利用」するかは、無論各個体の自由です。別に法を尊重しようと公然非公然に
無視しようと、勝手です。むしろ、立法の際は、そのような各個体の予想し得る
行動パターンを考慮して作るのが合理的、というべきでしょう。 (つづく)
697ニヒリスト:02/08/21 23:40
>>687-688
>疫病などの要素は「生きる」という本源的な目的に直接的に関わる以上、
>本来の目的の「生きる」を達成できないもので、
>根源的な目的「生きる」というものを取り上げた場合、

 上記の通り、人間の個体は「自分が生きる」ことを最優先の目的として行動する、
という意味ならほぼその通りです。ただし、例外は多々あります。自分一個の命
を超えた「大義」のために殉じる・生命の危険を顧みずに行動する、という人間
個体の例は、世間的には偉人と呼ばれる人から単なる犯罪者まで、古今東西少なく
ありません。「自爆テロ」などその典型です。むしろ、「何らかの価値の追求の
ために、自分の命をも犠牲にし得る」ところが「人間の偉大さの証」だというのが
世間一般の考えに近いと思われます。「良く」生きることが人間の目的で、単なる
「生命の維持」はその手段に過ぎない、というソクラテスのような考え方がむしろ
「建前」としては一般的です。その是非はともかく、そのように考える人間がいて
くれないと、「戦争」などは遂行が難しくなるのは確かです。
 いずれにしろ、「個人にとっては、通常は自分が生きることが最優先の目的で
ある」という事実から、「人間にとっては生きることがその“存在”の本来の目的
である」という結論を引き出すのは、不可能です。個人の主観を離れた、客観的な
「存在の目的」を決定できるのは、神だけでしょう。「人間存在の目的は生きる
ことだ」という考えは、ほとんど「人命真理教」の信仰告白、ともいうべきもので、
合理性を最優先する教導者さんのお言葉とも思えません。「神が生命を創りたもうた
のだから、神以外の者が生命を奪うことはできない」というような理屈で死刑に反対
する宗教者のような言いぐさ、というべきです。私も教導者さんもどんな個人も、
「事実として生きている」「主体的感情」として「生き続けようと望んでいる」だけ
であって、「生きていなければならない」客観的な理由など、別に何もありません。
(つづく)
698ニヒリスト:02/08/21 23:46
>>689
>これが個人の場合を考える場合、「目的」は感情であるかもしれないが
「権謀術数(手段)」は感情で無いと言えるのである。

 ああ、これなら当たり前のことです。権謀術数という意味がよくわかりませんが、
「手段」は経験的に妥当する因果関係をもとに選択されるので、その判断自体に
感情が入る余地はありません。ただし、「感情」自体が「手段」として考慮される
ことは、当然あります。死刑もまた、「死の恐怖」という感情を手段として
「犯罪の抑止」という目的を追求する制度、という面もあります。この場合は

1.「犯罪の抑止」という目的は、各個人の「感情」(擬似「社会の感情」)に
  即して妥当か。
2.死刑ー死の恐怖ー犯罪の抑止、という因果系列は妥当か。

の、2面に分けて考察するべきです。多くの人がその犯罪の抑止を望んでいない
のなら目的自体が無意味ですし、死刑が「死の恐怖」に直結しなかったり、
「死の恐怖」による脅迫が必ずしも犯罪の抑止に結び付かない、ということに
なれば、死刑の手段としての妥当性が問われることになるでしょう。
 また、1の目的、2の手段自体が、「より上位の目的(感情)」に照らして
妥当かどうか、という議論も(それが本当に上位かどうかも含めて)有り得ます。
例えば「死刑による威嚇で犯罪を抑止しても、それは社会の温厚な風俗を破壊
することになりトータルでマイナスだ」とか「基本的に不道徳である」という
ような批判も、当然有り得ます。これは一例ですが、議論の際は、このように
複数の視点から考えることが有効と思われます。
699考える名無しさん:02/08/22 16:56
キチガイの酢か
ここは
700 :02/08/22 16:57
ショーシャンクの空見たら
長年刑務所にいて適応できないのに社会に放り出されたほうが悲惨だと思うが
701考える名無しさん:02/08/22 17:07
死んだ方が良い人間は確かに存在すると思う。
感情論だけど 持て余すぐらいなら殺してしまうのも優しさなんじゃないだろうか?
702考える名無しさん:02/08/22 17:12
反対です。
死をもって死の罪を償うなどそもそも矛盾しています。
犯罪の抑止どころか死に対する人々の観念を鈍化させて
生命に対する認識を希薄にさせ、場合によっては人を殺してもかまわない
という認識を強めさせてしまいます。

被害者にとっての被害意識は加害者よりも大きいことは少なくなく
加害者にとって些細な罪が、他の大多数の第三者にとっても些細で
あったとしても、その被害意識の個人の大問題に相当する罰が個人にとって
死が適当であると思ったときには殺人が行われてしまうかもしれません。
そういった罪と罰に関する裁量のみならず、罪と罰、人間の尊厳
などの認識も曖昧にさせてしまいます。
703絹漉し豆腐 ◆oOo0o0oo :02/08/22 19:49
過去ログあんまり読んでないので、ガイシュツ失礼。

反対論の人々は、死刑と懲役・禁固刑とのあいだに境界を引いているわけだが、
その根拠は薄弱だ。
>>702さんの文章を書き換えてみた。

懲役をもって監禁の罪を償うなどそもそも矛盾しています。
犯罪の抑止どころか束縛に対する人々の観念を鈍化させて
身柄の自由に対する認識を希薄にさせ、場合によっては人を監禁してもかまわない
という認識を強めさせてしまいます。
(中略)
個人の大問題に相当する罰が個人にとって
拘束が適当であると思ったときには監禁が行われてしまうかもしれません。
そういった罪と罰に関する裁量のみならず、罪と罰、人間の尊厳
などの認識も曖昧にさせてしまいます
704考える名無しさん:02/08/22 20:01
ニヒさん 旧620さん

よく狂(略)の話にまともに付き合えますね
尊敬に値します お二人のお話は極めてまともだと思ってます
誤解されぬよう
705教導者:02/08/23 13:28
>ニヒリスト

>法は少なくともその「制定」段階に
>おいては、「複数の個体が集まってできた社会全体の利益」又は「各個体の
>利益の総和」の「最大化」を図るために作られるものと思われます。
説明不足過ぎましたね。飽く迄も個人にとっては自己の道具です。
そういう意味で言ったのです。つまり各人としては自己の効用を最大化させる
選択において道具「法」を制定しているのです。
私は社会的、総合的に法を見れば、過去ログから明らかなように、
万人のための権謀術数の道具という解釈をしています。理解いただけましたか?
ですから、「個人」という観点と「社会」という観点と別個に分けて解釈しただけです。

>「個人にとっては、通常は自分が生きることが最優先の目的で
>ある」という事実から、「人間にとっては生きることがその“存在”の本来の目的
>である」という結論を引き出すのは、不可能です。
どちらにせよ。本質的には相異はありません。重要なところは「生きる」とういう目的ですから。
私はむしろその個人の利己主義的なところが的確に指していると言えます。
これは主観でなくそれこそが客観的に分析された事実で
法の出発点と言えるでしょう。

>私も教導者さんもどんな個人も、
>「事実として生きている」「主体的感情」として「生き続けようと望んでいる」だけ
>であって、「生きていなければならない」客観的な理由など、別に何もありません。
ですからそれが感情とは別次元の本源的な目的で、宗教的なものでは全く無く、
むしろそれを主観的、感情的というふうに断罪する方が根拠の無い宗教的な
一種の「主観教」というなものに考えられます。
706教導者:02/08/23 13:34
つづき
>ただし、「感情」自体が「手段」として考慮される
>ことは、当然あります。死刑もまた、「死の恐怖」という感情を手段として
>「犯罪の抑止」という目的を追求する制度、という面もあります。この場合は
客観的根拠に基づかない手段は効率的ではありません。
事実「死の恐怖」が普遍的でない以上それを証明します。
感情が入る危険性はこのような合理性の欠如をもたらす事です。

>これは一例ですが、議論の際は、このように
>複数の視点から考えることが有効と思われます。
その二面とも否定されます。
事実、私は死刑が認められている法のもとであるからこそ、
さんざん暴れてやる方がいいと合理的に判断できます。
(この辺は充分過去ログでも議論されたものなので詳細は過去ログを参照ください)

というわけで充分議論された内容の再確認という形になってきましたね。
死刑を指示する人は究極のところ一つのところに収斂してきますね。

707考える名無しさん:02/08/23 17:22
>>704
そうだな。
その点だけは尊敬する。
708ニヒリスト:02/08/23 23:41
>教導者さん
>>705
>各人としては自己の効用を最大化させる選択において道具「法」を制定して
 いるのです

 これは無理な話だと思われます。法の制定は最終的には多数決によるほかは
ありませんので、すべての人間が「自己の効用を最大化」できる選択が行われる
ことは、通常有り得ません。
 例の「動物愛護法」でいえば、「猫を殺すのが楽しみだ」という人々から見れば、
法そのものの廃止が合理的です。一方で、猫を殺すような人間に怒りと報復感情を
抱く人々にとっては、刑罰をより重くすることが自己の効用を最大化することに
なります。中には「死刑にするべきだ」と主張する人もいるでしょう(実際ネット
上ではそういう意見もありました)。どちらでもない人々にとっては、余り関心
がない、というのが実情だと思われます。
 この場合、立法権力としては、「どのグループの数が多いか、将来の見込みは
どうか」「社会全体の他の目的との整合性はどうか」等々を考慮して、総合的に
判断する以外はありません。当然、何かしらの「不満」は常に残るわけです。
 一方、各個人としては、制定された法を前提として「自己の効用を最大化」する
ように行動することになります。現行法を前提にするなら、猫を殺すことに喜びを
感じる人は「ばれないようにして猫を殺す」ことが「自己の効用を最大化する」
ことになります。それに対し、猫殺しに強烈な報復感情を抱く人は、犯人を自らの
手で殺害する、という行動に出ることもあり得ます。もしも「絶対にばれない」
という自信があるなら、それこそが「自己の効用を最大化する」最も合理的な手段
といえるでしょう。ばれない以上死刑になる可能性もないので「自分が生きる」と
いう「根源的な」目的とも何ら矛盾しません。
 (以上は人間感情を著しく単純化した話であって、実際にはそんなに単純に割り
切れるような感情の持ち主などいないと思いますが。) (つづく)
709ニヒリスト:02/08/23 23:46
>主観的、感情的というふうに断罪する方が根拠の無い宗教的な一種の「主観教」
 というなものに考えられます。

 私は「自己が生きることを最優先の(根源的な)目的とする」ことを「断罪」
しているわけではありません。大多数の人にとってはそれは当然至極のことです。
 肝心なのは、「自己の生命」は、いくら根源的であっても所詮は「主観的・
感情的」な価値に過ぎない、ということです。自分自身にとってすら、それが
必ずしも「絶対的な価値」でないことは、>>697に書いたソクラテスから自爆
テロ犯に至る例外の存在で明らかです。ましてや、自己以外の他人の生命など
取るに足らない価値、時にはマイナスの価値(障害物)でしかないことも十分
有り得るわけです。私や教導者さんがいかに根源的に「生きたい」という目的・
欲求・感情を抱いていたとしても、他人が「自己の効用の最大化」のために我々
を殺害しようとすることがあって不思議はありません。単に私や教導者さんの
言動が不愉快だ、というだけでも、時には十分な理由になり得ます。
 ただし、ほとんどの人は、自分が他人を殺したいと思う以上に、自分が他人に
殺されたくないと思っている、というのが事実でしょう。これは、利益と損失の
「大きさ」を比較しても、「想定される頻度」を比較しても、結論は同じだと
思われます。だからこそ、ほとんどの人は「人が人を殺すことを禁止する」
「殺した者は処罰する」という法の制定に同意するわけです。 (つづく)
710ニヒリスト:02/08/23 23:51
>>706
>客観的根拠に基づかない手段は効率的ではありません。
 事実「死の恐怖」が普遍的でない以上それを証明します。
 感情が入る危険性はこのような合理性の欠如をもたらす事です。

 ああ、なるほど、皆さんが「法に感情を介入させてはならない」と主張する
理由は、要するに、感情は人によっても時と場合によっても一定しない「不安定
で非合理な」ものだから、目的としても手段としても「絶対的な確実性・合理性」
に欠けているではないか、ということでしょうか。
 もしそうなら、所詮「法」とはその程度のものだ、というしかありません。
法における「合理性」とは、その目的性においても手段性においても、所詮は
経験的・傾向的・確率的な合理性でしかなく、「100%確実な純粋論理的
合理性に基く法」など、完全な幻想に過ぎないと私は思います。そういう「蜃気楼」
のような法の実現を目指して本気で努力している学者が存在するとも思われません。
 「死の恐怖」は完全に普遍的とまでは言えませんが、実際上無視し得ないほどの
範囲と深度で観察される感情であると思われます。なぜなら教導者さんが盛んに
力説されているように「生命の維持こそ人間個体の最優先の目的」であることが
多いので。ですから、「死の恐怖」に効果的に訴えることで、特定の行為を
抑止する余地もあるわけです。当然、この論理が通じないケースも多々あります
が、「全般的・傾向的・確率的」には十分な抑止力になるケースもあると
思われます。死刑が殺人以外の「欲得づくの行為」に適用されると甚大な抑止力
を発揮し得ることは、ケニアにおいて密猟犯即死刑によって密猟が激減した
ケースなど、実証例もあるということです。 (つづく)
711ニヒリスト:02/08/23 23:58
>事実、私は死刑が認められている法のもとであるからこそ、さんざん暴れてやる
 方がいいと合理的に判断できます。

 これはやや理解しかねます。「暴れてやる」方が合理的だ、というのは、
「暴れたい」という欲求・感情・目的が存在する場合にのみ言い得ることであって、
そういう欲求がないのに暴れても単に疲れるだけで非合理の極みだと思いますが。
 あるいは、「死刑になるような罪を犯した者は、“どうせ死刑になるのだから”
と自暴自棄になり暴れる可能性が高いから、死刑はない方が良い」というような
意味でしょうか。しかしそれも理解できかねます。第一に、そもそも「死刑になる
ような行為をさせない」ことが抑止力の目的なので、そういう行為をしてしまった
後のことは二義的な問題です。第二に、それは「最高刑」がある限り存在する問題
であって、最高刑が終身刑でも罰金刑でも基本的には同じことです。「もう俺は
罰金一億円の罪を犯してしまった以上、後は何をやっても同じことだ」というわけ
です。第三に、最初に戻りますが、それは「暴れてやりたい」という潜在的な欲求・
感情が人々の間にかなり広範に存在して、それが何らかの「利害計算」によって
抑圧されている、という場合にのみ問題になることです。しかし、もしそうだと
すると、余命幾許もない高齢者や不治の病に侵された人などは皆「暴れまわる」
のが合理的であるはずですが、実際にはそのような例は余り聞きません。

 最後に、刑罰の機能は
1.報復感情の満足(建前上の呼び方は「応報」)
2.一般予防(抑止力)
3.特別予防(再犯防止)
の三つであり、殺人に対する死刑の最大の機能は1であると私は考えていることも
お断りしておきます。「一つのところに収斂」どころか、死刑はこの3つの機能
すべてについて十分な有効性を持っているものと思われます。
712教導者:02/08/24 10:00
>ニヒリスト
>すべての人間が「自己の効用を最大化」できる選択が行われる
>ことは、通常有り得ません。
出来る出来ないの話をしているのでなく、主張の目的は、
各人は何を考えて行動しているかです。ですから反論の観点がずれています。
ですから、あなたの言っているように、自己の効用の最大化を選択を行いながら
闘争の上で結果が出てきます。これは説明不足でしたか?

>肝心なのは、「自己の生命」は、いくら根源的であっても所詮は「主観的・
>感情的」な価値に過ぎない、ということです
いやそれに無理にもってくのが一種の宗教的と指摘しているのです。
自己の生命が客観的に感情とは関係無しに実存している以上
主観的とはなりません。
ただそれを如何にするか、それをどのように最適するかが各人によって
違うだけです。結局は自己犠牲などのものがあっても自己の生命
を最適化する上での話になるのです。

>だからこそ、ほとんどの人は「人が人を殺すことを禁止する」
>「殺した者は処罰する」という法の制定に同意するわけです。
だから、感情とは全く関係なく、自己の生命を最適化する上でのもっとも普遍性を
持つものとして出てくる帰結なのです。
713考える名無しさん:02/08/24 10:02

ぼくは死刑をつづけたほうがいいとおもいます」

 
714教導者:02/08/24 10:18
つづき
>法における「合理性」とは、その目的性においても手段性においても、所詮は
>経験的・傾向的・確率的な合理性でしかなく、「100%確実な純粋論理的
>合理性に基く法」など、完全な幻想に過ぎないと私は思います。そういう「蜃気楼」
>のような法の実現を目指して本気で努力している学者が存在するとも思われません。
現状では、それが理想の段階にあるのではないとしても、それを許容すべきとは
なりません。
何度も言っているように、「感情が介入してしまう」と「感情が入るべき」とは全く違う
ということです。
あなたの言っているように、本気でその理想のレベルへ尽力していないのならば、
それは頽廃以外の何物でもなく、法への冒涜としか言い様がありません。
実際には理想の状態へ日夜、試行錯誤を繰り返し尽力しているのが現状でしょう。

>死刑が殺人以外の「欲得づくの行為」に適用されると甚大な抑止力
>を発揮し得ることは、ケニアにおいて密猟犯即死刑によって密猟が激減した
>ケースなど、実証例もあるということです。
そもそも死の恐怖に訴えてもあまり効果が上がらないのは、過去ログで証明した通り、
確かに軽犯罪と言う低レベルな次元の犯罪なら死刑と言うのは効果が出ててくるかもしれませんが。
(それが態々死刑にするほどの犯罪かどうかは別にする)
しかし、死と直結するような犯罪では効果はなく、過去ログにもあるように
犯罪を犯す方が極めて合理的という帰結になります。
また、密猟に関しても、手口が巧妙になったりして未確認のものが多数存在したり
している可能性も否定できません。

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716教導者:02/08/24 10:19
つづき
>そういう欲求がないのに暴れても単に疲れるだけで非合理の極みだと思いますが。
それが合理性を持つのは、過去ログで証明しています。
まずはそれを御覧ください。

>そういう行為をしてしまった後のことは二義的な問題です。
それだけの話ではありませんが。例えそのような話でも
抑止効果は無いのは当然です。
>罰金一億円の罪を犯してしまった以上、後は何をやっても同じことだ」というわけです。
死刑になるのとでは重みが違い、あなたが実際それを信じるのならば。
死刑を廃止して罰金刑であればいいことになります。
合理的に判断するならば、まだ罰金の方が投降して自首する可能性が出てきます。
まだ生き残る可能性、道が開けているのですから。

>しかし、もしそうだと
>すると、余命幾許もない高齢者や不治の病に侵された人などは皆「暴れまわる」
>のが合理的であるはずですが、実際にはそのような例は余り聞きません。
根本的な間違いをあなたはしていますね。ようは暴れる必要性の問題ですから、
そういった人は暴れる必要が無い、暴れる意味が無い、暴れることで得られるものがないからです。
あなたは感情と言う観点のみでしか、主張を展開していないから
そうなるのです。主観教、とか感情教みたいに宗教的という指摘をあなたは免れません。

>人に対する死刑の最大の機能は1であると私は考えていることも
>お断りしておきます。「一つのところに収斂」どころか、死刑はこの3つの機能
>すべてについて十分な有効性を持っているものと思われます。
いや、所詮は感情論でしか立脚できていないというところです。
抑止にしても同じことだと指摘しているのです。
また私は、刑罰の目的として更生のための教化の手段であるべきと
考えております。それが治安維持のために一番合理的と主張しているのです。
ですから抑止、や感情と言ったものはすべて排除されることになります。
717ニヒリスト:02/08/25 15:16

>教導者さん
>>712
>自己の生命が客観的に感情とは関係無しに実存している以上、主観的とは
 なりません。
 ただそれを如何にするか、それをどのように最適するかが各人によって
 違うだけです。結局は自己犠牲などのものがあっても自己の生命
 を最適化する上での話になるのです。

 ああ、しかしこれですと、私の考えと全く同じことになりますが。要するに、
「生命」自体は何ら客観的な価値ではなく、各個人が何を最優先の価値(目的)
とするかは各個人の自由で(各個人の主観的感情に左右されると思いますが、
別にそうでなくても一向に構いません)それを「合理的手段で」追求することが、
すなわち「自己の生命を最適化する」ことである、という結論になりますので。
 例えば、ソクラテスにとっては「真理の探究」という「目的」と比較すれば
「自分の生命」など取るに足らないものだし、自爆テロ犯にとっては「イスラム
の大義(よくわかりませんが)」という「目的」と比較すれば、「自分の生命」
も「他人の生命」も取るに足らないものだし、いわゆる「快楽殺人犯」にとっては、
「人間を殺害する際の快楽」という「目的」に比べれば、「他人の生命」などは
取るに足らないものなわけです。それぞれが自分のやり方で「自己の生命を
最適化している」ことに違いはなく、「不合理」な点は全くありません。
 教導者さんは、とにかく「人間の生命」は客観的な価値であって、絶対的に
尊重しなければならない、というお考えなのかと思っておりました。そうでない
とすると、話は割合に簡単です。(つづく)
718ニヒリスト:02/08/25 15:18
 死刑の是非が論じられる際、「人間の生命は客観的に尊い価値である」から、
いかなる凶悪犯であっても死刑にすることは、それ自体では「悪」であり、
何らかの「善」をもたらすための手段として「どうしてもやむを得ない」場合
のみ認められるべきだ、というのが無意識の前提になることが多いように思われ
ます。しかし、私に言わせると、これは根本的な倒錯です。
 上記の通り、人命は別に客観的な価値ではありません。多くの人にとっては
「他人の命」も尊い「価値」であると感じられる場合が多いと思いますが、
これは要するに「自分にとって自分の命が最優先の価値である以上、他人にとって
も同じだろう」という「想像力」「共感」「同情」の結果です。しかし、共感や
同情には限界があり、通常は身近な人であるかどうか、好きか嫌いか等々により
「他人の命」の価値は大きく左右されることになります。
 そこで、多くの人間を大した理由もなく残虐に殺害した犯罪者がいるとします。
このような犯人に対しては、ほとんどの人が共感も同情も全く感じません(普通
はこの事態を指して「情状酌量の余地がない」と表現します。全く感情そのもの
です)。むしろ殺されてしまった人々に共感と同情を覚え、「被害者が一方的に
未来を奪われてしまったのに、犯人が国の費用でのうのうと生き続けるなど不公平・
不正義・不愉快の極みだ、一刻も早く抹殺しろ」と「感じる」人が少なからずいる
わけです。ここでは犯人の命は犯人自身(とその家族等)にとって「価値」である
だけで、多くの社会の成員にとっては「無価値」どころか「マイナスの価値」、
極端な場合は「ゴキブリの命」にも劣る「ゴミ」でしかないわけです。 (つづく)
 
719ニヒリスト:02/08/25 15:21
 この場合は、犯人を抹殺することは、それ自体が「快楽」であり、「善」なの
であって、何らかの「他の善」を実現するための「必要やむを得ざる手段」では
ありません。美味い料理を食べることがそれ自体で「快楽」であり「善」である
のと同じことです。多くの人にとっては、凶悪な殺人犯を死刑にすることは、
それ自体が「自己の生命を最適化する」一要因なのです。死刑論議の多くはこれ
を直視していない点で、「欺瞞的」だと言わざるを得ません。
 ただし、いくら美味い料理でも、食べ過ぎて腹を壊したり、栄養のバランスが
崩れて病気になったりしたのでは、長期的に見て「自己の生命を最適化する」
ことにつながらず、本末転倒です。死刑についても同じで、「副作用」の有無を
検討する必要はあります。私見では、余り頻繁に死刑を適用し過ぎると「副作用」
の恐れもあるかもしれませんが、現状のような「抑制された適用」では、副作用
など全く心配する必要はありません。むしろ、死刑の副作用には「犯罪の抑止に
なる」「悪は必ず罰せられる、という教育的効果がある」「国家の厳しさを見せ
つけることになり法秩序の維持に有効」など、国家的観点からはむしろ好ましい
要素が多いと思われます。 (つづく)
720ニヒリスト:02/08/25 15:27
>>714
>「感情が介入してしまう」と「感情が入るべき」とは全く違うということです。

 感情は「介入してしまう」のではなく、法の目的性においても手段性においても
「必然的に介入する」のです。感情が介入しない刑法など、想像もできず、端的に
「無意味」としか言いようがありません。教育刑であれば、例えば「攻撃性を抑えて
温厚な人格を育てる」ために「生命の大切さを教え、罪の意識を植え付け、協調性
を養う」「情操教育」を行う、など、ある意味応報刑以上に感情が介入することに
なるのではないでしょうか。
 教導者さんはじめ皆さんが「法に感情が介入してはならない」という、私から
見ると無意味な命題に固執されるのは、あるいは、「法は感情などという浅薄で
卑近であいまいなものに左右されるものではなく、もっと超越的で根源的で厳然たる
権威に基づく重々しいものである、あるべきである」という趣旨でしょうか。だと
すると、それは単に法を権威付けるために国家の側が流している「嘘」に過ぎない
と私は思います。法律学がこの種の「神学性」を帯びがちなのは事実ですが、私に
言わせれば、法とはそのような「大したもの」ではありません。所詮は現実の変化
を後追いしながら国家の都合で発せられるつぎはぎ細工のような「命令」の集合に
過ぎないのであって、「絶対的な法」がある、あらねばらない、という考えは、単
なる「倒錯」としか思えません。猫殺し、などというつまらない問題でさえ、社会
成員の間では一致など求めるべくもないのですから、所詮は「適当なところで」
「妥協しながら」「政治的に」法律を作る以外の「理想の方法」などは有り得ない
のです。「全般的な教化」によって、人間の感情や情操をすべて「統一」してし
まうなら話は別ですが。(つづく)
721ニヒリスト:02/08/25 15:36
>>716
>合理的に判断するならば、まだ罰金の方が投降して自首する可能性が出てきます。
 まだ生き残る可能性、道が開けているのですから。

 上記の通り、私は殺人に対する死刑の主な機能は「報復感情の満足」であるし、
未来もそれで何の不都合もない、と思っておりますので、死刑に犯罪抑止力がある
かどうかは余り重視しないのですが、上の文は意味がわかりかねます。あるいは、
死刑になるような罪を犯した者は、死を免れるためには逮捕に抵抗して暴れまくる
ことになるから危険だ、という意味でしょうか。だとすると、率直に言って余り
大した問題とは思えません。実際問題として、現に死刑があるにもかかわらずその
ような例は余り聞きません。犯人が逮捕に抵抗して暴れるかどうかは、刑罰
の重さよりむしろ当人の性格や個人的事情によるところが大きいでしょう。
 そもそも、犯人に警察の手がまだ及んでいないなら、「暴れまわる」ことは
警察を招き寄せるだけで、何の合理性もありません。警察の手が身辺に及ぶのを
感じたら、普通は必死に「逃げる」でしょう。いよいよ捕まりそうになった場合
も、現行法では殺人は「必ず死刑になる」わけではないので、暴れまわることは
罪を重くするだけで(特に情状酌量については、自首したかどうかなどは大変
重視されますから)何の合理性もありません。「どうしても死刑は必至だ」
と感じていれば、死に物狂いで暴れまわることもないではないでしょうが、その
場合は麻酔弾でも何でも使えば済むことです。あるいは、警察の銃器の使用の
基準を大幅に緩和して、そういう場合は容赦なく射殺してもいいことにする
という方法もあります。合理的に考えれば、今すぐ殺されるよりは少しでも
自分の生命を先に延ばすために投降することを選ぶでしょう。
 逆に、犯人が自ら進んで投降して来るような刑罰(例えば罰金10万円)が
最高刑だとすると、こんどは丸っきり抑止力にならないので、本末転倒という他
ありません。 (つづく)
722ニヒリスト:02/08/25 15:39
>例えそのような話でも抑止効果は無いのは当然です。

 これも全く理解できません。教導者さん自身、罰金刑よりは死刑の方が抑止効果
が高いことは認めておられるようですが、すると懲役刑より死刑の方が抑止効果が
高くても何の不思議もないように思われます。常識で考えれば、臭い飯を食うよりは
金で済む方が良いし(金額にもよりますが)、吊るし首にされるくらいなら臭い
飯を食うほうがまし、と考えるのが「合理的」なので、「罰金刑」−「懲役刑」−
「死刑」の順番に抑止効果は高くなる、と考えるのが普通です。これは犯罪の重さ
に関わりないことです。むしろ、犯人が「合理的な思考」に則って行動しているの
かどうか、によって抑止力は大きく左右されるものと思われます。そもそも、人間
は感情の動物であって、完全に合理的に行動することなど滅多にないのですから。
そして、殺人に関しては「合理的思考」に則って行われる例の方がむしろ少ない
ので、全般的に抑止力が働きにくい、ということは有り得るかと思われます。
723教導者:02/08/26 11:30
>ニヒリスト
>教導者さんは、とにかく「人間の生命」は客観的な価値であって、絶対的に
>尊重しなければならない、というお考えなのかと思っておりました。そうでない
>とすると、話は割合に簡単です。
いや人間の生命は客観の価値です。ただそこから派生していくなどして
微妙な差異が各人の感情などによって左右されるだけです。
ただ法はこのような部分を排除し専らその本源的な価値の人間の生命を
目的としなければならないとしているのです。

>ここでは犯人の命は犯人自身(とその家族等)にとって「価値」である
>だけで、多くの社会の成員にとっては「無価値」どころか「マイナスの価値」、
>極端な場合は「ゴキブリの命」にも劣る「ゴミ」でしかないわけです。 
それゆえ、あなたの考えのような感情論を法に持ってきては法を冒涜するものです。
犯人であっても普遍的に生命が基本的に守られねばなりません。

>多くの人にとっては、凶悪な殺人犯を死刑にすることは、
>それ自体が「自己の生命を最適化する」一要因なのです。死刑論議の多くはこれ
>を直視していない点で、「欺瞞的」だと言わざるを得ません。
いや真摯に直視しているからこそ、それを否定するものです。
法は自己の最適化行動を抑制する目的もあります。
万人の権謀術数の道具と言う性質からそれが当然の帰結となります。
各人としては結局のところ法の上で効率的な闘争をしているとでも言えるでしょう。
あなたのやっていることはただ法を否定し無秩序状態を容認しているだけにすぎません。

724教導者:02/08/26 11:41
つづき
>現状のような「抑制された適用」では、副作用
>など全く心配する必要はありません。むしろ、死刑の副作用には「犯罪の抑止に
>なる」「悪は必ず罰せられる、という教育的効果がある」「国家の厳しさを見せ
>つけることになり法秩序の維持に有効」など、国家的観点からはむしろ好ましい
>要素が多いと思われます。
まず犯罪の抑止には繋がらなく、むしろ犯罪を起させる要素にも繋がります。。
教化ならば、より直接的な洗脳なのどの教育のほうが効果的で刑罰と言う
ものではむしろ反感をかう可能性も出てきます。力で抑制は出来ないのと同じです。
国家の厳しさを感じれば、国家を打倒すると言う可能性も出てきます。
事実、革命等はその行為の合理性から出ています。

>感情が介入しない刑法など、想像もできず、端的に
>「無意味」としか言いようがありません。
法の根本的な性質よりそれが理想かつ妥当で。
最も有用なものです。

>ある意味応報刑以上に感情が介入することに
>なるのではないでしょうか。
法に感情が入っているのでなく、感情というものでなく客観的な要素として
それを利用しているのです。つまり生命の大切さ法の遵守は「生きる」という
本源的な目的に密接に繋がっているのですから。
725教導者:02/08/26 11:46
つづき
>所詮は現実の変化
>を後追いしながら国家の都合で発せられるつぎはぎ細工のような「命令」の集合に
>過ぎないのであって、「絶対的な法」がある、あらねばらない、という考えは、単
>なる「倒錯」としか思えません
私はまったく違います。私は法を人間の道具という位置付けである以上、
神秘性すらみとめていません。
感情を法に介入すべきという命題のほうが無意味、無根拠に教義を信奉しつづけている
ように考えられます。人間より下位にある法を道具として使う以上、
感情を介入するのは無意味であるし、合理的でもありません。
それを感情を介入して道具としての性質を失わせるという非合理的かつ非現実的な
宗教的な主張を私は批判しているのです。

>あるいは、死刑になるような罪を犯した者は、死を免れるためには逮捕に抵抗して暴れまくる
>ことになるから危険だ、という意味でしょうか。だとすると、率直に言って余り
>大した問題とは思えません。実際問題として、現に死刑があるにもかかわらずその
>ような例は余り聞きません。
いや逆です。むしろ犯行の手口が巧妙になっていくのが現状です。
それが犯罪者そのもの性質かもしれませんが。
しかし、当事者としてはリスクを勘案しそれによって合理的な判断を下すのが
当然の帰結なので。巧妙化するというインセンティブは刑罰が強くなるにつれ
強くなるのが客観的な考察になるでしょう。
726教導者:02/08/26 11:54
つづき
>合理的に考えれば、今すぐ殺されるよりは少しでも
>自分の生命を先に延ばすために投降することを選ぶでしょう。
単なる先延ばしが合理性を持ちません。それよりも死中に活をもとめて
奮迅するするのが兵法より合理性を持っています。
なぜなら敵を撃退するなどして逃げる方がはっきりと明確な「生きる」という目的を
達成できるところに近づけるのですから。
先延ばしと言う小手先の手段に訴えると言うのを合理性とは言いません。

>逆に、犯人が自ら進んで投降して来るような刑罰(例えば罰金10万円)が
>最高刑だとすると、こんどは丸っきり抑止力にならないので、本末転倒という他
>ありません。
罰は罰なので、追われる身で過ごして自由がなくなるよりは投降するでしょう。
抑止とはなりませんが、被害は少なくなるでしょう。
必ずしも本末転倒とは一方的に処断できません。
(私は最高刑がそれでいいとは考えていません。悪しからず)
>そもそも、人間は感情の動物であって、完全に合理的に行動することなど滅多にないのですから。
>そして、殺人に関しては「合理的思考」に則って行われる例の方がむしろ少ない
>ので、全般的に抑止力が働きにくい、ということは有り得るかと思われます。
合理性的な行動を取るか否かは程度の差異こそあれ基本的な性質は変わりません。
死刑であることが合理的に犯罪を起す方が良いという可能性もでてくるのが
先に出した主張にあるとおり。
727考える名無しさん:02/08/26 18:22
うーん、教導者の話を久々に読んだが相変わらずの電波全開だな

>法を冒涜するものです                プ

教導者って孫子の兵法がえらい ってそれだけなんでしょ?

根拠なしに(w

マジでこの人とよく会話が成立しますね>ニヒリスト様
728考える名無しさん:02/08/26 18:24
まだ、この話題やってんだ〜。
死刑なんて賛成に決まってんだろ。人を殺した経緯なんて関係なし。
人殺しはみんな死刑。被害者と同等の罰を受けてそれでおしまい。
だいたい人を殺すような人間のDNAなんて人類学的にも残す必要なし。
人間の進化のためにも死刑賛成!
729考える名無しさん:02/08/26 18:26
ここテーマが古い感じ。他では“死は受け入れる時代に”
なんてやってるよ
730考える名無しさん:02/08/26 18:26
私刑を復活させろ、って呉知英まだ言ってんのかな。
731考える名無しさん:02/08/26 18:47
>>727
キチガイの話をきちんと聞いて、対話ができるっていうのは、希有な才能だろ。
哲学に必要な才能じゃないけどな。

メンタルな臨床のほうに行けば、結構イイ線いくんじゃないか?
732教導者:02/08/26 19:16
キチガイが荒らしいるな。
私に完全に論破された負け犬死刑支持論者は
このような末路を辿るというのが風物詩になっている。
所詮、このようなキチガイはどこまで行ってもキチガイか。
733考える名無しさん:02/08/26 22:33
最後100くらいしか読んでないんでガイシュツだったらスマソだけど、
とりあえず、
一ノ瀬 正樹 20010405 「死の所有(上)──「死刑」という不可能性からの倒錯」
 『思想』923(2001-04):004-028 

734ニヒリスト:02/08/28 23:28
>教導者さん
>>712
>それ(生命)をどのように最適するかが各人によって違うだけです。結局は
 自己犠牲などのものがあっても自己の生命を最適化する上での話になるのです。
>>723
>いや人間の生命は客観の価値です。
>法はその本源的な価値の人間の生命を目的としなければならない

 お考えがやや不明確です。本源的な価値は「人間の生命」でしょうか、それとも
人間の生命の「最適化」でしょうか。>>712では、他の価値のために自己の生命を
犠牲にするソクラテスも自爆テロ犯も結局は「自己の生命を最適化して」いるのだ
というご趣旨でした。これは要するに、生命の「質」を問う考えです。人間は単に
生きることが目的ではなく「良く」生きることが目的であり、優先的な価値の追求
により生命の「質」を向上させるためなら、自分の生命の「量」を削ることも当然だ、
という結論になります。
 一方、その「質」を問わず、ただひたすら「生きる」ことが目的だ、という場合に
は、何が何でも「長生き」をするのが正しい、という結論になります。たとえば、
回復の見込みもなく苦痛しか予想されない重病人でも、チューブにつながれて生命
維持装置なしでは生きられない末期患者でも、意識を完全に失った植物人間でも、
生物学的に「生きて」いる限りは、無条件に生き続けるべきである、ということに
なります。 (つづく)
735ニヒリスト:02/08/28 23:35
 これに対し、生命の「質」を問う考えによれば、要するに人間は何か「楽しい
こと」「幸福」「希望」があるから生きているのであって、それがないなら
「死んだほうがまし」という事態が当然予想されます。寝たきり老人や末期患者
などの場合は「安楽死」という選択肢も視野に入るわけです。「チューブにつな
がれて無理に生き延びさせられるくらいなら、治療を止めて死なせてほしい」と
考える人の割合は、アンケート上でも多いと聞きます。さらに、「この先生きて
いても“良いこと”がなさそうだ」という思いにとらわれると、自殺も当然に
選択肢になります。日本では実に年間3〜4万人がこうして命を絶つそうです。
この場合の「生きがい」とは人それぞれで、おいしい物が食べたい、気持ちいい
セックスがしたい、金もうけがしたい、世界中を旅行したい、会社を大きくしたい、
愛する家族と過ごしたい、芸術を鑑賞したい、スポーツをしたい、政治権力を
握りたい、真理の探求をしたい、他人を殺したい、その他もろもろ、千差万別です。
そして、共通するのは、何らかの「欲求」の充足がそれに当る、ということです。
私は「感情」と呼んでいましたが、どうしても抵抗があるのでしたら「欲求」でも
一向に構いません。 (つづく)
736ニヒリスト:02/08/28 23:40
 さて、教導者さんはどうも、とにかく何が何でも「生きる」こと自体が目的で、
上に記したようなもろもろの「欲求」、普通「生きがい」と呼ばれているような
ものは、「派生的で」「表面的な」「老廃物」に過ぎず、このような非本質的な
ものは法はすべて無視しなければならない、と考えておられるようです。しかし、
実は、この考えには「合理的な」根拠はあまりありません。ここで「すべての
人間は生きたいと“欲して”いる」といってみても、あまり意味はありません。
そもそもそれでは絶対的な価値であるはずの生命を「欲求」というより程度の低い
ものによって根拠づけることになってしまいます。さらに、「生きたい」という
欲求は絶対的なものでも特権的なものでもなく、時には他の欲求と並列的に比較
されて捨てられることもある「数ある欲求の一つ」に過ぎないことは、上で見た
通りです。とはいえ、最も「原始的(動物的)」で「強い」欲求であることは確か
ですが。
 生命は絶対的な価値で、とにかく何が何でも「生きる」ことが目的、という考え
の根拠は、実は宗教的なもの以外はあり得ません。生物は「生きる」ことを目的と
して神が創造されたものだから、生命はそれ自体が絶対的な価値であり、神以外の
手でそれを奪ってはならない、というわけです。私はこれを「人命真理教」と呼び
ますが、別にこれが「間違っている」と主張しているわけではありません。ただ、
それは「信仰告白」なので、議論の対象にはなり得ない、というだけです。
(つづく)
737ニヒリスト:02/08/28 23:48
 実は、この「人命真理教」は非常に根強い考え方で、キリスト教圏発祥の
「人権思想」もその影響下にあります。だから、死刑論議の際にも、何となく
「前提」となっているような雰囲気があることが多いのです。しかし、これを前提に
置くなら、死刑に否定的な考えが強くなるのは当然のことです。犯人をどう罰した
ところで殺された人が生き返るわけではないのですから、「犯人一人を死刑にする
ことで、一件以上の将来の殺人が防止できる」という「抑止力」が確実に証明され
ない限りは、死刑は当然否定されるべきものとなります。さらに、教導者さんのよう
に、抑止や再犯防止のためにはより妥当な手段がある(その是非は別として)、
という論理で、抑止力を認めた上でなお死刑を否定することも可能となります。 
 私見ですが、西欧先進国に死刑廃止に踏み切る国が多いのは、このような思想的
背景も一因だと思われます。これに対し、このような思想的伝統のないアジア諸国
などでは、何で西欧がこのような問題で騒ぐのか「理解できない」というのが率直
なところではないでしょうか。 (つづく)
738ニヒリスト:02/08/28 23:51
 私は人命真理教が「悪い」とも「間違っている」とも言いません。ただ、何より
「合理」を優先される教導者さんが、このような「宗教」を奉じているのが何とも
不可解なのです。そもそも「教化刑」の考え方を徹底的に推し進めれば、むしろ
「素材の質に従って教化プログラムを選択し、どうしても教化できそうもない
“劣悪分子”は全体の利益に従って“抹殺する”」という考え方の方が、はるかに
「合理的」なのです。>>728さんの「劣悪なDNAは抹殺」という考え方は、実は
教化刑的思想にこそ相応しい「合理的な」ものです。何ゆえ教導者さんはこのような
合理的な思想によらず、「生命の質など問わず、それが人間の生命である限り、
すべて平等に保護しなければならない」などという「人命真理教」的なお考えに固執
されるのか、いささか不可解です。再度のご説明をお願いいたします。
 なお、死刑があると犯罪が増える、という考えは全く理解不能です。唯一想像
し得るのは、「自殺したいけれども勇気がない」人が「殺人を犯して死刑になろう
とする」場合ですが、そのような実例は聞いたことがありません。
 さらに、死刑があると逮捕の際に暴れまわって危険、という考えは、率直に言って
あまり検討に値するとは思えません。これは犯罪が巧妙化するかどうかとは全く
無関係な話で、警察を相手に重罪犯が大立ち回りをやれば顕在化しないはずはない
のに、そのような話は余り聞いたことがない、という事実を指摘すれば十分です。
「死中に活」の孫子の兵法が合理的だとすると(そうは思えませんが)、やはり
人間は合理的に行動するとは限らない、という格好の実例ということになります。
 詳論が必要ならば、後日にさせていただきます。
739教導者:02/08/29 13:55
>ニヒリスト
>お考えがやや不明確です。本源的な価値は「人間の生命」でしょうか、それとも
>人間の生命の「最適化」でしょうか。
どちらも正しいとは言えず、「人間の生命の最適化」というものでしょう。
結局は人間の生命の価値が最も重く扱っているということがいえることになります。
ですから、人間にとって特有の性質は、その質の向上を義務として備わったというものでしょう。
(他の動物も原始的にそういうものがあるかもしれませんが)
しかし、法はその量と質をともに向上させるもので、
お互いに人間の生命の価値に対して補完的な要素をもつもので、
どちらが重要かいえるものではありません。
それは、人間が生物である以上、さらには知能のもっとも高い生物である以上
その人間の生命の価値に対して量と質の最適化は合理的な
根拠を持ちえます。それが合理的でないならば、生物が死に絶え
存在しなくなります。そして人間には法が無いということが合理的な選択になります。
それが人間の生命に関して合理性を持ちえなくただ、感情などの
無根拠な老廃物を信奉する行動が宗教の一側面であると私は指摘します。
宗教は神を創造し、人間の生命に関して扱っていますが、それは感情論等で
訴えかけるというのが結果です。だから逆に人間の生命を軽視するような教義が出てきたりするのです。
宗教が生命を扱うのは発展していく上で便宜上以上の価値を持っていないでしょう。
私があなたの主張を宗教的だというのはそこです。
740考える名無しさん:02/08/29 14:13
たとえば家族が殺された場合
遺族が生殺与奪権をにぎればいいじゃないか
殺したいと思ったら殺す
殺されたんだから殺す

人殺しを正当化するからには自分が殺されることも認めなければいかん
正当防衛以外の殺しは全部死刑にしちまえ
それが殺人予防の最善策だ
741教導者:02/08/29 14:13
つづき
>これに対し、このような思想的伝統のないアジア諸国
>などでは、何で西欧がこのような問題で騒ぐのか「理解できない」というのが率直
>なところではないでしょうか。
そうではありません。思想の背景とは全く関係なく、経験や試行錯誤の上西欧では
死刑の意味の無さ、効果の無ささらにはより有効な処置が認識できるようになったからでしょう。
私は、過去の死刑に関して西欧やアジアでも行う根拠は変わりは無いと考えられます。
なぜなら、死刑は見せしめで行われ、一種の見世物として認識されていたからです。
西欧では市民権の拡大などで、それが否定的に扱われ、感情を廃し、
より合理的な法整備が行われてきたからで、アジアではそれがまた
未熟の地域が多く、また見世物として認識するのを是とする人々が多いということもあるのです。
私が初期にサド感情というもので死刑を支持する人々を批判したのは、
このような事実を指摘していたのです。
(死刑が公開されずとも、死刑を行った事実の情報によってサド感情が喚起されるのは
初期にも解説したとおり)
>「合理」を優先される教導者さんが、このような「宗教」を奉じているのが何とも
>不可解なのです。
私は宗教のような教義を信奉しているのではなく、ただ論理的に客観的に
人間を分析してその経過から導かれ確立したものを主張しているだけです。
私はむしろあなたの感情論を掲げてそれを教義としている
無根拠な感情教とも言うべきものを何故それを支持できるか疑問というだけです。
>いささか不可解です。再度のご説明をお願いいたします。
人が増えていくことは基本的に有益なことなのです。
劣悪なDNAでも遺伝子工学が発展した世の中ではそれも抹殺せず
に処置できるということが可能なわけです。
私の合理性は長期的な観点で考えているもので、
あなたのように極めて短期的且つ近視眼的な合理性ではないのです。
ですから私はインセンティブという要素が有効に扱うことができるのです。
742教導者:02/08/29 14:18
つづき
>なお、死刑があると犯罪が増える、という考えは全く理解不能です。
容易に考えられること、死刑そのものが人の生命を軽視し、
サド感情を喚起させる以上、殺人を起そうとする人が出てくるのは当然の帰結です。
法のもとの殺人といえど、本質は「人を殺すものである」以上
説得力がありません。むしろ法でさえ人を殺すことが出来ないという強い
姿勢があるほうが、殺人への発生のインセンティブは弱まるでしょう。

>あまり検討に値するとは思えません。これは犯罪が巧妙化するかどうかとは全く
>無関係な話で、警察を相手に重罪犯が大立ち回りをやれば顕在化しないはずはない
>のに、そのような話は余り聞いたことがない、という事実を指摘すれば十分です。
まったく事実ではありません。犯罪が顕在化しなくなったり、より武装を強化するだけです。
それが巧妙化の表れで、事実警官察の武装の強化が叫ばれている事実が
それを証明しています。事実大立ち回りなどがむしろ一般化してさほど
印象受けないことがあなたの主観に繋がっているのでしょう。

>「死中に活」の孫子の兵法が合理的だとすると(そうは思えませんが)、やはり
>人間は合理的に行動するとは限らない、という格好の実例ということになります。
孫子の兵法は基本的なものは現在でも米軍の士官学校でも教育を受けるほど
評価されています。事実近代的な兵器の登場によって無意味なものが
ありますが、まだ評価されているのは一貫した論理によるものでしょう。
つまり、死中に活を求めるものは、命に危険に差し迫るほど実力を出し切って
奮戦するという精神状況を的確に表しています。
だから人間は基本的には合理的な選択をしようという性質を持っているといえます。
743考える名無しさん:02/08/29 14:21
 ここはハムラビ法典の是非を問うスレなのか?
744考える名無しさん:02/08/29 14:37
自己満足ってのは自分で自覚しているものとそうでないものの2種類があると思うんだ
前者はいわゆる性的なオナニーが代表的だ
後者は、カラオケなんかそういうことが多いよね
あとニヒリストと教導者もね
745インペリアル:02/08/29 14:41
簡単さ。死刑判決じゃなくて「死刑にしてもいい判決」をだしゃいい。
んで、死刑にするか否かは原告側が自由に決めればいい。

最後の最後のツメだけ司法権をちょぴっと原告に譲渡すりゃいいのさ。
746インペリアル:02/08/29 14:46
それか、原告が望んでいる場合を除いて死刑判決はくだらないようにするとかね。
747考える名無しさん:02/08/29 14:57
「右のビルを壊されたら、左のビルも差し出しなさい」
「あなたへの罰は、神がくだされます」
 そんなかんじですかね。
748考える名無しさん:02/08/29 15:06
殺人なんかする奴に生きる価値無し。
というか迷惑。死んでね。

と言ってみるテスト
749考える名無しさん:02/08/30 12:45
自分が殺されたとして、何で贖ってもらえば妥当だと思う?
無期懲役?死刑?そんなもんで購えるわけない。そもそも購うのは無理。
その上でどうするか考えるべきだ。

俺は殺人には死刑が妥当だと思う。
犯人が1万のモノを万引きして壊した。
100円しか持ってなくても、有り金全部払うべきだろ。
750ニヒリスト:02/08/30 23:19
>教導者さん
>>739
 生命の質も量も大事というのは至極当たり前の結論ですが、問題は両者が矛盾
する場合にどう考えるかということです。自殺や末期患者の安楽死、ソクラテス
や自爆テロ犯の「殉教」などがこれに当ります。私は死刑もこれに当ると考えま
す。この場合は、いくら「生きることが目的」といってみても答えになりません。
 この場合の判断規準は「欲求」以外には有り得ません。「長生きする」ことと、
苦痛のない死、真理の探求、イスラムの大義その他をてんびんにかけて、どちら
をより強く「欲する」か、ということです。これは当たり前のことで、実は、
生命の「量」も「質」も、それが「価値」であるのは、「欲求」(感情)の対象
であるからで、それ以外の理由はありません。おおよそ「価値」と呼ばれるもの
はすべて「欲求」に根ざしているのは明白なことで、普通歴史的な「人間の進歩」
と呼ばれる事態も、簡単に言えば人間の欲求が複雑多様化し、その充足手段が技
術的に高度化した、という、ただそれだけの意味です。
 教導者さんは「生物が死に絶え存在しなくなる」ことは「悪い」事態だとお考
えのようですが、実は、この根拠も「欲求」以外にはありません。欲求を離れて
「客観的に」みれば、今から100年後に地球上のすべての生物が死に絶えてい
ようと、あるいは幸福に共存繁栄していようと、どちらも単なる「状態」に過ぎず、
別にどちらが「良い」という根拠もないのです。
 ちなみに、>>741で、「人が増えていくことは基本的に有益なことなのです。」
と言われていますが、これなどは、地球資源の有限性という観点から、近年では
むしろ地球人口の削減が必要だという説の方が強いのではないでしょうか。そう
しないと、「質」が「量」に圧倒され、ついには破局的な事態を迎える恐れが有る、
と警告する学者も多いと聞きます。
751ニヒリスト:02/08/30 23:26
 で、くどいようですが、人間の生命には「客観的には」何の価値もありません。
それが「価値」と感じられるのは、単に人間が「生きたい」という主観的な欲求を
持っているからに過ぎないのです。そして、実際のところは、人間にとって最優先
の価値は「自分の命」であって、「他人の命」となると、親疎や好き嫌いでその価値
は大きく違ってきます。それを決めるのは結局「他人と自分を置き換えてみる想像力」
「共感」「同情」といった感情的な要素です。教導者さんは人間の命が客観的な価値
を持つのは「知性」が高いからだとお考えのようですが、例えば仮に地球人より遥か
に高度な知性を持つ宇宙人が地球を攻撃してきて「お前たちは邪魔だから死ね」と
命じた場合、おとなしく死ぬ人間は恐らく余りいないでしょう。むしろそれこそ孫子
の兵法に従って「死中に活」を求めて戦おうとするはずです。宇宙人でもゴキブリ
でも、「感情的に共感できない」生命に対しては、人間は価値を認めず、場合に
よっては「排除すべき障害物」としかみなさないからです。
 で、情状酌量(同情・共感)の余地の全くない殺人犯の場合は、ほとんどの人が
殺されてしまった被害者の側に同情・共感を寄せ、犯人に対しては「生かしておく
のは不公平、死んでほしい」という欲求をいだくことが有り得るわけです。この場合、
矛盾しているのは「とにかく生きたい」という犯人の欲求と「死んでほしい」とい
う社会の欲求です。言い換えると、犯人の生命の「量」と、一般人の生命の「質」の
対立です。従って、結論は「政治的判断」によって下すほかありません。「犯人を
殺す方が、長期的・全体的利益に合致する」と国家が判断した場合は、死刑が適用
されても何の不思議もないわけです。 (つづく)
752ニヒリスト:02/08/31 00:37
>>742
>死刑そのものが人の生命を軽視し、サド感情を喚起させる以上、
 殺人を起そうとする人が出てくるのは当然の帰結です。

 まず、法を考える際感情は度外視するべきだとすると、どんな感情を喚起しよ
うと構わないはずですが、教導者さんも、やはり法の是非はその目的性において
も手段性においても感情を抜きにしては論じられないとお考えなのでしょうか。
 さて、「サド感情」の意味がよくわかりません。普通の意味のサド感情は、た
だ人が殺されても喚起されるものではなく、生きている人が縄で縛られたり鞭で
打たれたりロウソクを垂らされたりするのを見て性的興奮を覚えることにより
喚起されるものと思われます。別に生命を軽視したり重視したりすることとは
関係がなく、むしろある種の「生命の充実」を感じさせるものでしょう。本家
サド侯爵も確か殺人は犯していなかったと思います。そして、相手方(マゾ感情
の持ち主)との合意の上で充足されている限りは何らの害もありません。むしろ
豊かな文学・芸術的可能性につながるものであることは、澁澤龍彦その他の例を
見ても明らかです。
 恐らく「攻撃的な感情」というような意味で使われているのだと思いますが、
ある光景・情報に接してどんな感情を抱くかは人それぞれで、一概には言えませ
ん。同じ女性に愛情を抱く人も嫌悪感を持つ人もいることを考えれば、明白です。
実際、それまで死刑に興味のなかった人が、実際の執行に立ち会ってその残酷さ
に嫌悪感を抱き、死刑反対運動をするようになった、というような事例もあると
聞きます。
 そもそも、実際その場に立ち会ったりしない限り、メディアを通して判決や
執行の情報に接しても、喚起されるのはある種の「感慨」のようなものであって、
激しい感情が喚起されることなどは想定しにくいと思われます。「ああ、あの
凶悪犯もついに死刑になったか、これで殺された人も浮かばれる、一安心だ」
というようなもので、そこには何らの「攻撃性」もありません。 (つづく)
753ニヒリスト:02/08/31 00:41
 あるいは、そもそも凶悪犯に対する「報復感情」自体が「サド感情」に過ぎず、
克服・消滅するべきものだ、というお考えでしょうか。だとすると、にわかに賛成
いたしかねます。
 死刑は国家による殺人には違いありませんが、それは不当な利益の侵害に対す
る反撃であることを忘れてはなりません。最初に侵略・攻撃したのは犯人の側で
あって、死刑はあくまでもそれに対する反撃です。報復欲求(感情)とは、
「自分に対する不当な侵害に対しては、いかなる手段を用いても断固として報復
する」「絶対に泣き寝入りせず、犯人には必ず落とし前をつけさせて責任を取ら
せる」という意味で、むしろ「正義感情」「公平感情」「権利主張感情」と呼んで
もよく、さらに言えばフランシスフクヤマ言うところの「気概」、福沢諭吉言う
ところの「独立自尊の精神」にも通じるものです。このような欲求(感情)は、
とりわけ現代の資本主義下の市民社会においては、「行き過ぎない限りは」むしろ
必要不可欠なもの、奨励されるもの、といっても過言ではありません。現代の
日本では、このような「気概」が失われ、情勢に流される人間ばかりになっている
ことが、社会の衰退を招いているとすら言っていいように思われます。これでは、
国家の独立などおぼつきません。
 はなはだ失礼ですが、教導者さんなどはむしろ、この種の「報復感情」を豊富に
お持ちのように見うけられます。自分に対する批判・嘲弄には、必ず手厳しく返答
しておられることがその証拠です。これは悪いことでも何でもありません。
 もし仮に、誰かが教導者さんを闇討ちにし、殴る蹴るの暴行を加えた上で両手
両足をへし折り、唾や小便を浴びせた上で「2度と死刑廃止なんて戯れ言をほざいた
ら、今度は殺すぞ、この低能」などと嘲笑しながら去って行ったとします。教導者
さんは、このような犯人に「報復感情」を全く抱かないのでしょうか。そういう
感情は「克服されるべき老廃物」だとお考えでしょうか。どうもそうとは思えません。
(仮にそうだとすると、率直に言ってあまり共感いたしかねます。) (つづく)
754ニヒリスト:02/08/31 00:50
 上の例で、犯人がとどめの一撃を加えて、不幸にも教導者さんが死んでしまった
とします。この場合「死んだら何も感じようがないのだから、報復感情を云々する
などナンセンスだ」というお考えのようですが、暴行傷害侮辱から、さらに重罪で
ある殺人に移行すると、とたんに報復感情が問題でなくなってしまうというのは、
どこかおかしくはないでしょうか。
 人間は法の制定の際には、自分の利益が最大化するように配慮する、とします。
この場合、未来に起こり得る様々な可能性を考慮に入れるわけですが、この場合の
未来には「自分の死後」も含まれることは、何事も超長期的な視野で考える教導者
さんなら当然わかるはずです。何しろ、人間は100年後の地球のことまで心配せ
ずにはいられない動物なのですから。そして、自分の死後の世界には、当然「自分
が殺された世界」も含まれることになります。
 そこで、罪に応じた刑罰を考える際、一応応報刑を前提にすると、自分が侮辱
を受けた場合、財物を盗まれた場合、暴行された場合、強姦された場合、負傷させ
られた場合、等々を想定し、それに対して起こり得る「報復感情」を想像して、
それに見合った刑罰を決めて行くことになるわけです。そして、「自分が殺された
場合」を想像すると、それに対する「報復感情」は他のいかなる場合よりも大きく、
「もし俺が殺されたら、犯人も殺し返してもらわなければ気が済まない」と考えた
としても、何ら不思議はありません。だからこそ、多くの人は、殺人に対する刑罰
に死刑が含まれることを容認するわけです。何らの非合理もそこにはありません。
 西欧諸国の死刑廃止が本当に国民の支持を得ているとしたら(私はそうではない
と聞いていますが)、それは文明的な「老衰」の結果、自然な報復感情すら抱くこ
とが(あるいはそれを表明することが)できにくくなっているということで、むしろ
「西欧の没落」の予兆ではないか、とすら私には思えます。少なくとも、報復感情は
「克服されるべき老廃物」だとは、にわかに断じがたいように思われますが、いかが
でしょう。
755教導者:02/08/31 10:43
>ニヒリスト
>問題は両者が矛盾する場合にどう考えるかということです。
ですから、先にも言いましたように。万人の共通項を
闘争を行うことによって法として確立するものです。
だから矛盾が無いような処置が闘争によってできるわけす。
民主主義がその闘争の一手段になるでしょう。
>これなどは、地球資源の有限性という観点から、近年では
>むしろ地球人口の削減が必要だという説の方が強いのではないでしょうか
経済成長は人口の成長を無くしては出来ません。
(特に先進国では人的資本のレベルが水準が既に高いので人口の成長に
よる方法しかないでしょう)
だからむしろ、有限性があるならば、その資源を如何にして多く確保するかのほうが
合理的かつ長期的な視点で良いのです。
ですから、宇宙開発などがさけばれているのです。
(しかし、石油などの潜在埋蔵量は年々増えています。それは石油採取の技術が
増えているからなのです)
だから、あなたの言ってる学者は単なる悲観的で前向きな学者でなく。
真剣にそれを考えている学者は以上のように前向きで積極的な解決法を
探ろうとしていますよ。
756教導者:02/08/31 10:58
つづき
>「他人の命」となると、親疎や好き嫌いでその価値
>は大きく違ってきます。
そういう何の価値も無い感情的な部分を排除するのが
法の一つの目的です。客観的な考察が価値があるのは
こういったものによるのです。
>人間は価値を認めず、場合に
>よっては「排除すべき障害物」としかみなさないからです。
それはただ、両者とも自分達の本来の義務「生きる」という
目的にために闘争をしているのであって。なんら問題のあることではありません。

>従って、結論は「政治的判断」によって下すほかありません。「犯人を
>殺す方が、長期的・全体的利益に合致する」と国家が判断した場合は、死刑が適用
>されても何の不思議もないわけです。
その政治的判断、法的判断が感情を如何に廃するかで評価が高くなるのです。
つまりそれが死刑は無益と判断できるからこそ
死刑廃止を訴えているのです。

>別に生命を軽視したり重視したりすることとは
>関係がなく、むしろある種の「生命の充実」を感じさせるものでしょう。
そういった特殊な一側面を語っているのでなく。
自分の生命の充実を感情的に充実するために相手の死がそれに
直結している実情を指摘しているのです。
事実被害者達が応報感情で死刑を要求する行為がそれを表し、
むしろこの場合のサド感情の定義とも言えるでしょう。
757教導者:02/08/31 11:04
つづき
>死刑反対運動をするようになった、というような事例もあると聞きます。
ただそういう人もいるというだけです。
どちらが多いか、一般的かという問題です。
>喚起されるのはある種の「感慨」のようなものであって、
>激しい感情が喚起されることなどは想定しにくいと思われます。「ああ、あの
>凶悪犯もついに死刑になったか、これで殺された人も浮かばれる、一安心だ」
>というようなもので、そこには何らの「攻撃性」もありません。
感慨であっても感情とはなんら変わることはありません。
「殺された人も浮かばれる」というような応報感情が見え隠れする以上
極めて攻撃的といえます。あなたは結局は攻撃性を証明していることになりますね。
> それは不当な利益の侵害に対する反撃であることを忘れてはなりません。最初に侵略・攻撃したのは犯人の側で
>あって、死刑はあくまでもそれに対する反撃です。
それこそが、極めて攻撃的でサド感情そのものというものでしょう。
治安維持にも貢献しない、ただサド感情を満足させるだけのものを
否定するからこそ私は死刑廃しを訴えているのです。

>教導者さんは、このような犯人に「報復感情」を全く抱かないのでしょうか。そういう
>感情は「克服されるべき老廃物」だとお考えでしょうか。どうもそうとは思えません。
やはり抱くべきでないと考えます。抱いたとしても自省し克服しようと
尽力するでしょう。私がこの場で応報感情を出しているという指摘は、
議論の上のことであって法的な処分を行っているわけではないとしているからです。
議論の内容、題材がそれだというだけなのです。
それでも自省しようと努力しようとしているのですが、
もともと口調や書き方がこういうものなんで本人としてはこれが普通と認識している場合も
ありますから。
758教導者:02/08/31 11:12
つづき
>暴行傷害侮辱から、さらに重罪で
>ある殺人に移行すると、とたんに報復感情が問題でなくなってしまうというのは、
>どこかおかしくはないでしょうか。
事実そうでしょう。死んでは何も考えられないという普遍の事実を
無視する方が問題です。遺族の感情を指摘するのですか?
>それに対して起こり得る「報復感情」を想像して、
>それに見合った刑罰を決めて行くことになるわけです。
合理的に長期的に考えれば、それを想定しても
死んだあとではどうしようもなく。考えれないわけでもありますから
応報感情は老廃物である以上に空想上のものに成り下がります。
存在しないものを想定してところで感情の満足すら達成できません。
「もし俺が殺されたら、犯人も殺し返してもらわなければ気が済まない」
というのはそれこそ無意味なものになりましょう。
感情すらない状態に置かれてしまうのですから。
>少なくとも、報復感情は
>「克服されるべき老廃物」だとは、にわかに断じがたいように思われますが、いかが
>でしょう。
今言ったように、応報感情は無益なものになります。
西欧は没落よりもより繁栄の道を歩んでいるでしょう。
日本はその逆です。なぜなら感情というものに縛られ合理的な
形のある利益追求が出来なくなっているからです。
759狂導者:02/08/31 14:46


  西洋……合理的
  日本……感情的


これが世界の定説です
760ニヒリスト:02/09/01 13:29
>教導者さん
>>755
>だから矛盾が無いような処置が闘争によってできるわけ(で)す。
>>757
>応報感情が見え隠れする以上極めて攻撃的といえます。

 ああ、しかしおよそ「闘争」というのは、「攻撃性」なしには行うことができ
ません。スポーツや将棋などのゲームですら同じことです。まして戦争などは論
じるまでもありません。孫子の兵法にお詳しい教導者さんがまさか「専守防衛」
などという世迷言を信じておられるとは思えませんが。
 >>757に書いておられることが事実だとすると(到底そうは思えませんが)、
教導者さんは、殴られても傷つけられても侮辱されても盗まれても、殺されそう
になっても、一切「怒り」というものを感じない、少なくとも感じるべきではな
い、とお考えのようです。しかし、そのような人間は、「闘争」を行うことは不
可能なはずです。人間が生きる(生命を最適化する)ために闘争するのは、「生
きたい」という欲求(感情)があるからで、それがないなら別に殺されても一向
に構わないはずなので、「闘争」する理由などありません。逆に、生きたいとい
う欲求を持つ者なら、自分の生命が脅かされたら怒り、反撃しようとするのは当
然のことで、ここに「闘争」が成立する余地があるわけです。
761ニヒリスト:02/09/01 13:34
>>756
>両者とも自分達の本来の義務「生きる」という目的にために闘争をしているの
 であって、何ら問題のあることではありません。

 教導者さんはどうも人間が「生きる」ことは欲求でも感情でもなく(あるべき
ではなく)、「義務」であるとお考えのようです。これは、文字通り宗教的な思
想で、「人間は神が生きるために創った以上、どんなに辛くとも苦しくとも、神
に召されるまでは生きなければならない」という信仰以外、根拠はありません。
私はそれが間違っているというのではなく、どうも教導者さんの立場にはそぐわ
ないのではないか、と指摘しているだけです。

>そういう何の価値も無い感情的な部分を排除するのが法の一つの目的です。
 客観的な考察が価値があるのはこういったものによるのです。

 教導者さんのお考えによると、人間の生命の価値は「主観的な欲求・感情」と
は一切関係のない「客観的な」ものだということになります。しかし、だとする
と、「闘争」などは一切非合理で不要なものというほかありません。自分の命も
相手の命も全く同じ価値なのですから、「自分が生きるために」闘争して相手の
命を危険にさらすのは無意味です。第一に相手を説得し、相手がどうしてもこち
らを殺そうとしたらひたすらに逃げ、逃げ切れなければ黙って殺されるしかあり
ません。闘えば共倒れになる可能性もあるので、非合理です。まして、「死中に
活」などといって「暴れ回る」などは、愚の骨頂というしかありません。自分が
生き延びても警察官が2人死んでしまえば、生命はマイナス1で「客観的には損
失」ですから、不合理の極みです。
762ニヒリスト:02/09/01 13:41
 さらに言うと、教導者さんは「人間の生命」は「ゴキブリの生命」よりも客観
的に価値が高く、それは知能が高いからである、とお考えのようです。だとする
と、第一に「知能が高い人間の生命は、低い人間の生命より価値が高い」としな
いと、筋が通りません。生物学的に「ホモ・サピエンス」に分類されるというだ
けで、すべての個体の生命が「等しい価値」を持つというのは、まったく不合理
そのものです。
 第二に、それなら、明らかに人類より知能が高い宇宙人が攻撃してきた場合は、
闘争したりしてはならないはずです。相手の生命の価値の方が「客観的に」高い
のですから、進んで奴隷になるか、それでもだめなら黙って殺されるより他に道
はありません。闘ってもし勝ったとしても、その場合は人間より価値が高いはず
の宇宙人の生命が多数毀損されることになってしまい、不合理ですので。
 しかし、実際には教導者さんは、そこで人間が闘うことは「何の問題もない」
とおっしゃっています。これは無意識のうちに「人間」の立場に自分を置いて、
主観的に考えているからなのです。「死刑があるなら暴れ回るのが合理的」など
という発想は、まさに「自分は何をしても生き延びる」という主観的な強い欲求、
感情がないと出てきません。私は非難しているのではなく、教導者さんも人間で
ある以上は、「自分の生命が最も価値が高く、他人の生命は二の次と感じる」と
いう事実から逃れることはできない、と指摘しているだけです。つまり、人間の
生命の価値は決して「客観的」なものではなく、「主観的・感情的」なものなの
です。そして、誰もが「自分の命が最優先の価値」だと感じている点で「平等」
なのです。
763ニヒリスト:02/09/01 13:49
>>758
>死んでは何も考えられないという普遍の事実を無視する方が問題です。

 そうではなく、「人間の主観的な欲求・感情・価値判断は、自分が死んだ後の
世界にまで及ぶ」ということです。本来哲学的にいうと「未来」というものが
「存在する」のかどうかは大問題のようですが、ここでは単純に「想像力を通じ
て未来を考え、それを欲求の対象にするのは人間の必然」であるとしておきます。
 で、未来の「死後の世界」には、「自分が殺された後の世界」も当然含まれる
わけです。そして、自分が殺された後で「犯人がのうのうと生きている」世界と、
「犯人が死刑になった世界」を想像し比較して、今現在の「報復欲求(感情)」
に照らして、後者の方が望ましい、と判断することは、不合理でも何でもありま
せん。これは、「100年後の地球」を想像して、「人間が死に絶えた地球」と
「繁栄している地球」を比較し、現在の主観的欲求に照らして後者(別に前者で
もいいのですが)の方が望ましい、と判断するのと、基本的には同じことです。
教導者さんもこのような判断をされていたように思いますが、違いますでしょうか。

 最後に、定義上「報復欲求(感情)=サド感情」とするなら、サド感情は何ら
悪いものではない、というしかありません。教導者さんは、サド感情は存在して
はならない、と断定されておりますが、そもそも、感情(欲求)というのは「存
在するかしないか」だけが問題になるのであって、欲求自体は善でも悪でも有り
得ません。その欲求を満たすことにより(長期的に)何かの「不都合」が予想さ
れるのでなければ、満たす方が合理的であることは、論を待たないのです。そし
て、教導者さんの願いに反し、社会的には報復欲求が広範に存在することは、疑
いの余地がないように思われます。
 報復欲求を満たすことによる長期的な不都合の有無については、次の機会に
いたしますが、一点だけ、どうも「欲求(感情)」と「合理性」が矛盾するもの
とお考えのようですが、これは完全な誤解です。欲求は目的であり、合理性は
手段です。何の矛盾もなく、むしろどちらが欠けても意味がないものです。
764教導者:02/09/01 13:51
>ニヒリスト
>逆に、生きたいとい
>う欲求を持つ者なら、自分の生命が脅かされたら怒り、反撃しようとするのは当
>然のことで、ここに「闘争」が成立する余地があるわけです。
攻撃性は確かにあります。しかしそれは感情とは無関係に説明できます。
それは生命を守るために害を取り除く行為でより客観的な合理性をもっており
感情というレベルのものではありません。防衛か攻撃かは
手段の違いであるだけで目的や本質は変わらず。
たんに出てくる形が違うだけなのです。
ですから、闘争は感情とは全く無関係に証明できるのです。
>これは、文字通り宗教的な思
>想で、「人間は神が生きるために創った以上、どんなに辛くとも苦しくとも、神
>に召されるまでは生きなければならない」という信仰以外、根拠はありません。
義務という言葉で宗教的というレッテルを貼られるならば、
それこそ宗教的と言わざるをえません。この義務という表現は生物、人間というものを
客観的に分析した上で導かれたもので(今までのレスの過程がそうです)
根拠が無いわけです。ただ言葉だけで宗教という指摘をするほうが根拠無く
その「教義」を信奉していることになるでしょう。
765教導者:02/09/01 13:51
つづき
>自分が生きるために」闘争して相手の
>命を危険にさらすのは無意味です
人間の本質として利己的に自己の生命を最大化するのが合理的で
相手の命を軽視することが合理的です。これは個々人の最適化行動によるもので
これをより効率的に行うために政府や法があるわけで、
結果的にはあるていどそれが抑制する結果になっているわけで。
それは先の通り共倒れを防ぐ合理的な結果によるものなのです。
だから、死中に活というのは極めて合理的で自己が生き延びる最善の方法になるのです。
警察官が二人死んでも当の人間が生きているのですから
問題が無いわけです。
つまりこのことから法というものは各人はここの効用を最大化行動をとるものを前提として
それを抑制するためのシステムであります。だから、
死中に活を求めさせるような法をつくるのは万人にとっては愚の骨頂ですから。
死刑廃止を訴えているのです。
つまり法は個人と万人の効用のうまいバランスをとるための道具ともいえるでしょう。
だから万人にための権謀術数の道具というのはそのためです。
766教導者:02/09/01 14:31
つづき
>すべての個体の生命が「等しい価値」を持つというのは、まったく不合理
>そのものです。
だからこそ、人間の価値のほうが高くなります。
そもそも法は人間のための道具なのですから。
法において人間の価値を最も高く置くのは当然の帰結です。
>「自分の生命が最も価値が高く、他人の生命は二の次と感じる」と
>いう事実から逃れることはできない、と指摘しているだけです。
それこそが人間の本源的な目的で義務であります。
つまりそれは感情のレベルを超えた究極のものです。
感情とはそれらから遠く離れ老廃物とかしたものを言うのです。
主観的でなく客観的に人間の本質を分析すればそれが事実であり
本源的な目的になるのです。つまり感情とは全く無関係に説明できるのです。

>それを欲求の対象にするのは人間の必然」であるとしておきます。
実在しないと分かりきっているものを想定して考えるのは
必然とは違うと考えられますが。前提としてまずはおいておきます。
767教導者:02/09/01 14:32
つづき
>今現在の「報復欲求(感情)」
>に照らして、後者の方が望ましい、と判断することは、不合理でも何でもありません。
それを前提としてもまったく非合理的な判断です。応報感情で死刑にしても
ただサド感情を満足させるだけで無意味に人を殺しているに過ぎません。
私は犯人が世に出て社会に貢献してくれる方がより合理的だと考えます。
>教導者さんもこのような判断をされていたように思いますが、違いますでしょうか。
理想でもなんでもない未来像を語っても無意味でしょう。
まず長期的に考えるとはこのままで他に変化が無ければどうなるかをまずは
客観的に予想し、それが理想的な状態と比較してそれに近づけるには
現在どの方策をとればいいのかであって。不確かなあまり理想的でもない
未来と比べても意味がありません。
>その欲求を満たすことにより(長期的に)何かの「不都合」が予想さ
>れるのでなければ、満たす方が合理的であることは、論を待たないのです。
ですから過去ログから書いているようにサド感情は全く何も貢献するものはなく
完全に非合理で言わば悪と指弾されても致し方の無いものです。
その応報要求が広範に存在している悪癖を排除するのは現在法に
求められていると考えるのです。
>欲求は目的であり、合理性は
>手段です。何の矛盾もなく、むしろどちらが欠けても意味がないものです。
感情を入るのは目的に入ってしまったとしても道具(手段)である法に介入してはならないし、
基本的に感情は客観的な思考、行動を阻害する性質を含む場合が多く。
あなたの言ってるように合理的な場合があるという特殊な状況を考えているのではありません。
(それはあくまで特殊でしょう。本源的な目的が感情で阻害される場合が多いのですから)
この場合、サド感情というなんの利益も生まなく、ただ人権侵害をするという
ものは完全に悪と指弾されてもよいでしょう。
768考える名無しさん:02/09/02 09:00
猫は合理的な生き物です。

なぜなら子猫は一人にされると、生命維持の困難を予測し、声帯を振動させ
自分を保護してくれる親猫を呼び寄せようとするからです。

そして親猫がきて、親猫の体温を感じ、体を舐められると自分が危険から
脱した事を確認してようやく子猫は眠る事ができるのです。

また親猫も、自分の遺伝子を残す可能性を確保できたことで、生物としての
義務を前向きに遂行できています。もし、子猫の生命を維持する事に失敗したなら
親猫は達成すべき義務・目標をもういちどかえりみて、オス猫を探さねばならない!
と思うでしょう。

このように二匹の猫は、互いに共通の利益の為に結ばれているわけです。
まったく猫というのは驚くべき合理性を備えた生き物であるといえるでしょう。
769考える名無しさん:02/09/02 09:27
死刑の是非はともかく
凶悪犯を生かしておく意味はどこにあんの?
770考える名無しさん:02/09/02 10:29
>>769
じゃあ、お前が生かされてる意味は
どこにあんだ?
771考える名無しさん:02/09/02 10:41
>>764
>この義務という表現は生物、人間というものを客観的に分析した上で
>導かれたもので(今までのレスの過程がそうです)根拠が無いわけです。
あ、根拠ないんだ。(藁

>死中に活を求めさせるような法をつくるのは万人にとっては愚の骨頂ですから。
>死刑廃止を訴えているのです。
つまり、死刑制度がなければ、命は保証されるから、おとなしく捕まって刑に服する。
死刑制度があれば、捕まったら殺されると思って、必死に抵抗して被害を拡大する。
だから死刑は廃止すべきだ、と言うんだね。 すげぇ一面的な見方。

だったら死刑の廃止だけじゃなくて、懲役も禁固も罰金もぜんぶ廃止して、
ついでに法律もぜんぶ取っ払っちゃえよ。
そしたら、無駄な抵抗する奴ぁ居なくなるから。
んで、「あるべき秩序」とやらの維持は、各人の「良識」にまかせとけな。
772ぽこんち:02/09/02 14:08
>>770
そんな難しいことゆーなや。

凶悪な殺人犯がいた

ほっとくと犠牲者が増えかねないので捕まえた

更正に努力したが、ちょっと手強い相手だ

正直、手におえないお荷物だけど、外に出すわけにもいかない。

拘束をつづけるか、殺すか、どっちがいいやろ?

ってことだろ?(一例として)
ま、死ぬまで閉じ込めておくのも、殺すのも大してかわらんやろ。
殺すのがだめなら、その直前まではOKってこと?
もう意味ワカラン。

閉じ込めてる時点で、犯罪者には人並みの人権を与える必要はないってことだろ。
たとえ死刑に犯罪抑止力がない(それでころか犯罪助長)としても
死刑で節約される費用で、より多くの人が幸せになれれば合理的なんじゃない?

べつに死刑が大賛成!!ってわけでもないが
それが社会全体の(感情抜きの)利益増大にどう役立っているかを、犯罪抑止力のみで論じても
しょーがないだろ。
まだ感情で反対してくれるほうが納得がいくよ。

「感情」ってものが無根拠なのはわかるが、原子の動きだって合理的なわけじゃない。

773教導者:02/09/02 14:42
>あ、根拠ないんだ。(藁
文章が間違っているだけ。十分根拠がある。
>だから死刑は廃止すべきだ、と言うんだね。 すげぇ一面的な見方。
それを否定する方は、無根拠なもの。
ちゃんと合理的行動で導き出されたものは否定しようがない。
>んで、「あるべき秩序」とやらの維持は、各人の「良識」にまかせとけな。
最終的な理想は刑罰がなくて治安維持ができる世界。
まあ理想は理想。
まあ刑罰の軽重はあってしかるべき、
でないと態々窃盗で死刑にする必要ないし、そんな重大な事件でない。

>ぽこんち
>死刑で節約される費用で、より多くの人が幸せになれれば合理的なんじゃない?
費用面で、死刑を擁護できないのは証明済み。
公共投資という観点からは収監しておくほうが合理的・
>まだ感情で反対してくれるほうが納得がいくよ。
そうやって合理的でない方策をつづけるのは愚の骨頂
774考える名無しさん:02/09/02 14:47
>>773
お、始業式は終わったのか?
775ぽこんち:02/09/02 15:02
>>教さん
殺しちゃうより費用がかかってるんですか?
どう考えても安上がりな気がしますが・・・
ま、費用だけで死刑を云々する気はありませんが
なんか話が犯罪抑止力ばっかりなんで。

どうも合理的とか義務って言葉がピンとこないんですけど
人間ってそんな合理的な生き物なの?
生物が存在すべき合理的理由なんてあるの?
理に従って世界があるのではなく、世界の中から人が色んな物に共通する
事柄を理と呼んでるだけじゃないの?
776ぽこんち:02/09/02 15:07
ちょっと最後の文章がひどすぎるの(他のもイイとは言い難いけどw

理に従って世界があるのではなく、人が「いろんな現象の中に
共通する事柄」を理とよんでいるだけ

と言いたかった。
 つまり物体が上から下に落ちるのに理由はいらない
でしょ。
777考える名無しさん:02/09/02 15:10
>>775-776
おっと、このスレッドでは、コトバの使い方が日本国でのそれとは若干異なるので
注意してね。(part1参照)
「合理的」とは「教導者の価値基準に照らして妥当だと思われること」という意味で、
「義務」とは、教導者の脳内で「客観的に分析した上で導かれたもの」(>>771)という
意味なんだよ。
778考える名無しさん:02/09/02 15:14
>ぽこんち
>殺しちゃうより費用がかかってるんですか?
>どう考えても安上がりな気がしますが・・・
過去ログに詳細な解説があります。
過去ログを参照してください。
安上がりとかいう観点でなく、経済学的に
公共投資という観点で語っています。
>生物が存在すべき合理的理由なんてあるの?
存在そのものの目的から合理性を追求するのが
当然の帰結です。存在すべきなのは生物が自然界の一端を担っているからです。
>つまり物体が上から下に落ちるのに理由はいらない
少なくとも、地球上には重力があるから。
それが理由である。それを分析するのが物理学。
779ぽこんち:02/09/02 15:14
理由はいらないから死刑賛成!!
っていいたいように見えるかな?

そうじゃないんだけど。ま、いーや
780誰が見ても:02/09/02 15:18
778=教導者。
781教導者:02/09/02 15:20
書き忘れたか。
まあいいや、分かるから。
しかし負け犬死刑支持論者=777は見苦しいものだな。
自ら論破されたことを態々しめしているのと同じ。
782教導者:02/09/02 15:24
所詮、負け犬死刑支持論者は負け犬以上のことはできぬとみえる。
783そーだ、:02/09/02 16:00
前から聞きたかったんだが、「態々」って何?
784教導者:02/09/02 16:07
>783
辞書くらい引けないのか?
まあ、この板の負け犬死刑支持論者は「客観的」、「合理的」
といった言葉を理解出来ていなく。
ただ負け犬死刑支持論者はそれを自分自身の脳内妄想のことを
表していると解しているだけ。
785考える名無しさん:02/09/02 16:14
>>784
辞書も引けないのか?
786わかった。:02/09/02 16:21
辞書くらいはいくらでも引いてやるから、
その言葉が載ってる辞書が何なのかを教えろ。
旧帝院生なら、手許に辞書の10冊や20冊くらいは
あるだろ。
787教導者:02/09/02 16:22
>786
普通の辞書になら書いてある。
変換で一発で出てくるくらいだからな。
788考える名無しさん:02/09/02 16:26
お前の引いた「辞書」ってのは、FEPの辞書ファイルのことか?
やっぱお前、人間じゃないんだろ。
以前に自分は「知識だ」って自称してたこともあったしな。
789教導者:02/09/02 16:28
>788
引かなくてももともと知っていた言葉だから、
辞書なんて引いていない。
知らなければ辞書を引けと言ったんだ。
人の言葉も満足に理解できないの?
790考える名無しさん:02/09/02 16:31
>人の言葉も満足に理解できないの?
これは自省の言葉ですか?
きっとそうなのでしょうね。
自覚があるなら、もっと作文力を磨いて下さい。>教導者
791教導者:02/09/02 16:33
負け犬死刑支持論者はやはり自分自身を客観視できない。
792飽きた。:02/09/02 16:36
教導者は、やはり自分自身を客観視できず、同じ事を繰り返している。

「おまえの主張が正しいという、その根拠を述べろ」
→「根拠は必要ない。考えればわかる。」

「孟子がそんな事を言っていると、どこに書いてある?」
→「教えない。勝手に調べろ。」

「そんな妙な言葉、どの辞書に載ってる?」
→「普通の辞書だ。わからなければ辞書を引け。」

もう飽きたよ。
793考える名無しさん:02/09/02 16:41
日本国憲法では、公務員による残虐な刑罰は禁止されています。
ってことで、少なくとも死刑は残虐ではないと位置付けられているわけです。
794教導者:02/09/02 16:42
「根拠は必要ない。考えればわかる。」
→「根拠はすでに出てある、負け犬死刑支持論者は都合が悪いので無視しているだけ」

「教えない。勝手に調べろ。」
→「知りたければ自分で調べるのが基本」

「普通の辞書だ。わからなければ辞書を引け。」
→「妥当な指摘である」

というわけで、負け犬は自分自身を客観視できないで、同じ事を繰り返している。



795考える名無しさん:02/09/02 16:45
「態々」って「ていてい」ってよむの?
「態」は「たい・てい・さま」の他の読み方はあるんかな?
それとも当て字なの?
796教導者:02/09/02 16:52
これだからな、辞書を引けとか言われているのに。
797考える名無しさん:02/09/02 16:55
自分が辞書を引いて確認してもいないのに、「辞書を引いたら載ってる」と自信満々に断言できるあたり、
まともな神経じゃないよな。
すくなくとも、学者とか学生の神経じゃない。
798もし万一:02/09/02 16:56
普通の辞書を引いても載ってなかったら、教導者は
どのように責任をとってくれるのですか?
799教導者:02/09/02 17:00
確認するまでも普通に使う言葉だから、
辞書で確認する必要もない。
それに辞書にも載らない言葉を一発で変換できるとはどういうことだ?
800考える名無しさん:02/09/02 17:03
一応、みたんだよ
漢字辞典と大辞林だけど(どっちもWEB上のでスマソ)

態はほかにも「ワザと」っていう訓読みがあるらしい。(みたことねーけど)
「態(てい)」で調べればのってるの?、「態々(????)」で調べるの?
せめて読みだけでも教えてください。

もっと他の辞書をひっくり返したほうがいいのか?


俺のPCでは
「ひこう」
を変換すると
「秘孔 解唖門天聴!! もはや意思とは関係なくおまえは口を割る!!」
となるのだ!!
802教導者:02/09/02 17:11
>800
そこまで調べたのなら、書いておこう。
「態々」は「わざわざ」
変換できるからやってみるといい。
803変換:02/09/02 17:19
できねーぞ。
804考える名無しさん:02/09/02 17:24
「態態」じゃでるけど「態々」じゃでないのね。
勉強になった。

ありがとう。




805やってみる:02/09/02 17:26
わざわざ あきまへんわ〜(◎-◎;)
806教導者:02/09/02 17:27
そうか?私はできるけどな。態々というように。
私はできるとだけ言おう。
807教導者:02/09/02 17:34
>840
私のは態態と態々両方変換できるぞ。
まあどちらも同じ意味だからかまわんだろう。
808804:02/09/02 17:42
>806
WEBの辞書で調べるときの話ね。
「わざわざ」「態態」ならヒットするが
「態々」だとヒットしない、ってこと。
WEBの辞書は読みが分からなくても調べられる便利さがあるが
これはちょっと盲点。

「唯々諾々」とかも「唯唯諾諾」じゃないとだめだった。
809教導者:02/09/02 17:45
>804
WEBの辞書は少し使いにくいということか。
810考える名無しさん:02/09/02 20:20
>確認するまでも普通に使う言葉だから、
>辞書で確認する必要もない。

ええと、その謂でいくと、たとえば
  確認するまでもなく私の言ってることは正しいから、
  確認するまでもない。
ということですか?
811ニヒリスト:02/09/03 23:15
>教導者さん
>>764
>この義務という表現は生物、人間というものを客観的に
 分析した上で導かれたもので

 これは無理なお話で、何らかの対象をいくら「客観的に分析」したところで、
「義務」というものを導出することは不可能です。義務というのは何らかの
「意志」によって課せられるもので、生物全体に「義務」を課すことのできる
「意志」の持ち主は、創造主である「神」だけなのです。生物・人間を客観的
に分析して推測できるのは、どの個体も「生きたい」という欲求・意志・感情
を持っているように見える、という事実だけです。
 教導者さんはどうも「欲求・感情」を排斥することにこだわりをお持ちです
が、「攻撃欲求」抜きで攻撃できるのは、厳密に言うとロボットかサイボーグ
だけです。そのような人間はまず現実にいそうもないし、それを人間の「理想
像」だと考える人は、恐らくあまりいないのではないかと思われます。
 実は、人間が普通の意味で他の動物より「進化」していると言われる所以は、
まさに「欲求・感情」が他の動物よりもはるかに複雑微妙で多様化している、
という事実にこそあります。生命維持に不可欠の2大欲求である食欲と性欲す
ら、人間にあっては生物としての目的を離れて、果てしのない「美味」と「快楽」
の追求に変質しており、それが多様な文化・芸術の発展にもつながっているわ
けです(そして、その多様な欲求を充足させる手段の追求が、合理的な科学技術
の発展につながっている、とも言えます)。「生きる」という目的だけを追求
するなら、これらは本来は無駄なエネルギーの浪費というしかありません。
(つづく)
812ニヒリスト:02/09/03 23:19
 >>768さんが猫の合理性について説明してくださいましたが、およそ動物は
「生きる」という本能しか持たず、その目的のために最も合理的な行動だけを
選択するという点では、人間などよりはるかに優れております。「過剰」とし
ての文化なども持たず、自殺も殉教も戦争もいたしません。この点では実は
「下等な」生物ほど優れています。ゴキブリなどは数億年前からほとんど形態
が変化していない「生きた化石」だそうですが、これは進歩しない劣等生物だ
からではなく、形態的にも機能的にもこれ以上合理化の余地のない「完全生物」
だからなのだ、とする生物学者もいるそうです。実際、数億年の間幾多の環境
の激変を乗り越えて営々として繁栄を続け、今日もなお人間を圧倒する勢いで
増え続けている事実が、その完璧なまでの「合理性」を示しています。
 ではゴキブリこそが人間の「理想像」かというと、そう感じる人間は極めて
少ないでしょう。なぜなら人間にとっては「生きる」こととは直接関係のない
多様で複雑な「欲求・感情」の充足こそが「生きがい」であって、それを持た
ないゴキブリなどは「何のために生きているのかとんとわからない」畜生・虫
けらに過ぎない、と感じ、いかなる「共感・同情」も覚えない人が圧倒的に多
いからです。 (つづく)
813ニヒリスト:02/09/03 23:24
>>765
>人間の本質として利己的に自己の生命を最大化するのが合理的で
 相手の命を軽視することが合理的です。

 ああ、しかしこれですと「人間の生命は何ら客観的な価値ではない」という
結論になります。「自分の命」は主観的には最優先の価値である場合が多いで
しょうが、それは別に神様がすべての個体に「生きる」という客観的な義務を
課したからではなく、単に自分が「生きたい」という主観的な欲求を持ってい
るからに過ぎません。だからこそ、「生きたい」という欲求を持たないか、そ
れに優先する欲求を持っている場合は、安楽死したり自殺したり殉教したりす
ることも有り得るわけです。
 そして、自分以外の他人の生命については、「自分が生きたいと欲している
以上は他人も同じだろう」という想像と共感と同情によって、「価値あるもの」
と感じる人が多いでしょう。しかし、これは親疎や好悪の感情によっていくら
でも変わり得ることは、事実として明白です。他人の命より飼っているペット
の命の方が価値がある、と感じる人がいても何ら不思議ではありません。戦争
の場合には敵の生命は単に一掃されるべき障害物でしかなくなることもあるわ
けです。
 そして、情状酌量の余地のない凶悪殺人犯の生命については、社会の多くの
成員が「何の価値もない」ものと感じ、正義や公平の観点からも「抹消するべ
し」という「欲求」を抱くことが有り得ることになります。 (つづく)
814ニヒリスト:02/09/03 23:29
>>767
>応報感情で死刑にしてもただサド感情を満足させるだけで
 無意味に人を殺しているに過ぎません。

 「応報感情(欲求)」を満足させること自体が「意味」であり「利益」なの
です。およそ人間にとって行為の意味・目的・利益とは、究極的には何らかの
欲求を満足させることであって、それ以外には有り得ません。欲求に「サド・
マゾ・正義・生命」等々の形容詞が付いていても、「それ自体」には善悪はな
いのです。欲求が存在する限り満足させることは、それ自体は「利益」である
ことは、議論の余地はありません。例えば、美しい女性とセックスすることに
よる快楽は、多くの男性にとっては「利益」です。これは生殖という生物本来
の目的とは何ら関係がありません(というか、子孫はできるだけ残さないよう
に努めるのが普通です)。セックスによる快楽を最高の「生きがい」にしてい
る人間は、事実として、少なからず存在します。
 ですから、凶悪殺人犯を死刑にすることによって報復欲求を満足させること
ができるなら、それは多くの人にとっては「利益」なのです。この場合、死刑
囚のかけがえのない生命が失われているではないか、と抗議してみても始まり
ません。なぜなら人間の生命は客観的な価値ではなく、自分の欲求充足(生命
の最適化)のためには「相手の命を軽視することが合理的」だというのは、教
導者さんご自身もお認めになっている通りですから。 (つづく)
815ニヒリスト:02/09/03 23:32
 しかし、すべての欲求を満足させることが「合理的」であるわけではありま
せん。目先の欲求を満足させることで、将来のより大きい欲求の満足を妨げる
場合は、明らかに行為として不合理です。
 わかりやすい例で言えば、「遊びたい」という欲求を満足させ続けた結果、
「試験でいい点を取りたい」という欲求が満足させられずに後悔する、という
のは誰でも身に覚えがあります。「美味しいものを食べたい」という欲求を満
たし続けた結果、腹を壊したり栄養バランスを崩して病気になったりすれば、
これも普通は不合理です(もっとも、すべて承知の上で美味だけを追求し美味
に殉じる覚悟の美食家にとっては病気になって死んでも「合理的」ですが)。
この場合、合理不合理の判断基準は、要するに「後悔する」かどうか、という
点にあるといってもいいでしょう。
 では、凶悪殺人犯を死刑にすることによって、人々の他の欲求が妨げられて
後悔する可能性はあるでしょうか。今上がっている論点としては

1.死刑によってサド感情が刺激され、人命軽視につながり、犯罪が増加する。
2.死刑に相当する犯罪者は逮捕の際に暴れまわって危険。
3.死刑は人間一名の「労働力・社会的資源」としての価値の損失である。
 生かしておいて利用した方が社会にとって合理的。
4.死刑は経済的に損である。生かして何らかの施設に収監しておいた方が
 投資効果が上がって経済的な利益につながる。
5.死刑は、「完璧な更正プログラム」を開発するインセンティブを損なう。

 このくらいだと思いますが、まず第一に、1〜5の論点が仮に事実だとして
も、そのすべての不利益よりも「報復欲求の満足」による利益の方が大きい、
という判断も、当然に有り得ます。そして、率直に言えば私は1〜5の論点す
べてに(3はやや微妙)まるで賛成いたしかねます。そのことは順次論じたい
と思います。 (つづく)
816ニヒリスト:02/09/03 23:36
 なお、私見では、死刑は報復欲求を満足させるだけではなく、犯罪抑止力も
あり治安の維持にも貢献しますし、犯人の再犯防止については絶対確実な唯一
の手段であり、さらに最も安価である、という点で、「申し分のない刑罰」だ
と考えております。美味しい上に栄養もあり、しかも安い、とくれば、この
「完全な料理」をメニューから外すことなど、愚の骨頂としか思われません。
 ただし、教導者さんが挙げていない論点が2つあります。1つは冤罪の問題
で、もう1つは「人命真理教」です。実は、通常の死刑廃止論議の主な根拠は
この2つであって、特に後者については合理的反論は困難です(なぜなら理屈
抜きの「信仰」なので)。そして、後者を前提としている人にとっては、「報
復欲求」そのものが存在しないか、あるいは克服するべき「老廃物」だと感じ
られるだろうことは想像できます。私は「人命真理教」を信じる人は、つまり
人間の生命は他のいかなる価値とも比較できない絶対的・客観的な価値である、
と感じる人は、死刑に反対する方が合理的ではなかろうか、と考えていること
も付け加えておきます。
 最後に、「死後の報復欲求」について一言。自分の死後の未来を心配し配慮
することは、実は珍しくも何ともありません。遺産の配分に始まって、葬式や
墓地の手配に至るまで、例は多々あります。相続が始まる時点では自分は死ん
でいて、欲求も感情も利害も一切存在しないはずであるにもかかわらず「嫌い
な子供に行く遺産を減らすように手配する」ことなど、よく見られます。これ
は「自分の嫌いな子供が自分の財産を独占して喜んでいる未来の光景」を想像
すると「現在の感情からして我慢できない」から、遺言その他を操作するわけ
で、不合理でも何でもありません。同様に「自分を殺した相手がのうのうと生
きている」光景を想像すると「現在の報復感情からして我慢できない」から、
殺人に対する刑罰として死刑を入れておく、というのも、何ら矛盾のない合理
的な判断だと言えるわけです。
817教導者:02/09/04 10:24
>ニヒリスト
>どの個体も「生きたい」という欲求・意志・感情
>を持っているように見える、という事実だけです。
感情でなく本源的な目的であると客観的に分析できる(欲求でなく要求というものでもいい)
以上、義務という表現でかまいません。そこに神というものを介在しなければならないほうが
客観的にみて生物というものを見ていない証拠になります。
>人間が普通の意味で他の動物より「進化」していると言われる所以は、
>まさに「欲求・感情」が他の動物よりもはるかに複雑微妙で多様化している、という事実にこそあります。
それは人間の進化した部分の老廃物でむしろ人間を生物から卑しめられるようなものです。
やはり知性というものを着目する方が妥当です。
だから合理的な技術の発展はその本源的な目的から出たもので、
老廃物のような感情からはあまりありません。何故なら
感情の満足させる技術はすべて生きるという目的達成のために
出来た技術を土台にしているからです。戦争における技術がそれを表しているでしょう。
ですから、感情のような老廃物に神経を集中して傾けるのは
エネルギーの無駄遣いそのものです。
818教導者:02/09/04 10:33
つづき
>いかなる「共感・同情」も覚えない人が圧倒的に多いからです。
それは人間より効率的に生きる目的を達成できないからであって、
生きがいという二次的な産物の有無に関してではありません。
また、飽く迄も二次的な産物は本源的な目的に密接に絡んでおり、
感情ともはなれたもので合理的な根拠を持ちえるものです。
>だからこそ、「生きたい」という欲求を持たないか、そ
>れに優先する欲求を持っている場合は、安楽死したり自殺したり殉教したりす
>ることも有り得るわけです。
極めて合理的な根拠を人間の生命の価値はもちえます。
自己の生命の最適化は生物の普遍の共通する目的で、
主観的でもなく、客観的に導かれるものです。
また個人も自己の目的を最適化する行動は主観的とは考えられす、
客観的に認められる言わば「本源的な権利」とも言うべきものです。
>そして、情状酌量の余地のない凶悪殺人犯の生命については、社会の多くの
>成員が「何の価値もない」ものと感じ、正義や公平の観点からも「抹消するべ
>し」という「欲求」を抱くことが有り得ることになります。
法が、個人の最適化行動を抑制する性質を持っている以上、
それは認められません。人間がより効率的に個々人の目的を達成するために、
法というものが存在するわけです。つまり以上のような感情を廃するために
存在し、また他人の命を無意味に感情論だけで失わせるという目的も法は
持っているのです。
819教導者:02/09/04 10:41
つづき
>およそ人間にとって行為の意味・目的・利益とは、究極的には何らかの
>欲求を満足させることであって、それ以外には有り得ません。
人間、生物にとっての利益、目的は生きるというもので、
感情はそれを阻害するものです。だから応報感情は生きるというものに
なんら関係が無く、それ自体が悪と断定されうるものです。
また生きがいにもなんら貢献するものでなく、専ら感情を満足させるだけのもので、
人間の目的はおろか法の性質、感情の排除という観点からですら認められないものです。
>自分の欲求充足(生命の最適化)のためには「相手の命を軽視することが合理的」だというのは、教
>導者さんご自身もお認めになっている通りですから。 
ですから無秩序でそれが行われ、結果的には自己の合理的な最適化行動に悪影響が出る
という合成の誤謬がでるのを排除するために道具として法が存在しているのです。
人間の効率的な最適化行動をとるためのものである以上
最適化行動にある程度の抑制がでるというほうが合理的なのです。
また、他人の生命は軽視するというのであれば、囚人から見れば
応報感情を達成したいう人物を軽視するので
、自分が殺されるというのを認めなく、感情を達成したいという人物の要望を
行く耳をもたないという結論すら出てきます。
820教導者:02/09/04 10:51
つづき
>そのすべての不利益よりも「報復欲求の満足」による利益の方が大きい、
>という判断も、当然に有り得ます。
まったくありえません。
それは客観的な考察から断定されます。
何故なら死刑廃止する根拠はすべて人間の本源的な目的に直結するもので大きな利益のものあり、
死刑を支持する根拠は人間の目的から遠く離れた老廃物のようなもので
全く利益のないものだからです。
>さらに最も安価である、という点で、「申し分のない刑罰」だ
>と考えております。美味しい上に栄養もあり、しかも安い、とくれば、この
「>完全な料理」をメニューから外すことなど、愚の骨頂としか思われません。
死刑を行うというものは、結果的には経済的な損失は莫大で、いわば高価な処分法、
死刑を廃止するという利点は安くつき、経済的に有益な結果を齎し、
充分に「美味い」処分です。だから死刑を支持するのは無根拠なので、
死刑教ともいえるものです。
>特に後者については合理的反論は困難です(なぜなら理屈
>抜きの「信仰」なので)。
人間の目的を考えそれによって客観的に導き出された人命の重要視は
極めて理屈があるでしょう。
しかし、感情を崇拝しそれによって論じるという死刑教というものに対しては
合理的な反論も可能で、それは死刑教が前提の客観的な価値付けが出来ていないものだからです。
しかし、ニヒリスト氏も結果的には人命も重視してます。
殺人を起した者を応報感情によって死刑にするというのは、
裏返せば人命を重視しているからです。となれば前提に価値付けのない
ニヒリスト氏は人命真理教、教徒そのものといっても過言ではないでしょう。
821教導者:02/09/04 10:57
つづき
>遺産の配分に始まって、葬式や
>墓地の手配に至るまで、例は多々あります。
それらはむしろ、生きている者たち(子供たちなど)のために存在するもので、
決して死んだもののためにあるというのは理解しかねます。
法もやはり生きているもの達の行動についてのものであることがそれを表しています。
>遺言その他を操作するわけで、不合理でも何でもありません。
結果的には不合理で、死んでしまっている以上手出しはできません。
法でも遺書が認められない場合も存在していますし、
生きているものが遺書の改竄まですることもあります。
公証人を介した遺書でも所詮は現状での最適化を行うにすぎません。
>「自分を殺した相手がのうのうと生
>きている」光景を想像すると「現在の報復感情からして我慢できない」から、
>殺人に対する刑罰として死刑を入れておく、というのも、何ら矛盾のない合理
>的な判断だと言えるわけです。
そこが、応報感情の非合理的な点で、
感情の満足という無益な夢想上のものを達成するという点です。
無益に人が殺されているとう点を考慮できていないところで合理的な判断でないことは
明確です。
822考える名無しさん:02/09/04 23:00
あの・
真剣な話、教導者って人が何を言ってるのか????なんですが
ニヒリストさんには、意味が通っているのですね・・・
823考える名無しさん:02/09/05 08:49
人間が「感情」っていう不合理な老廃物をもっているのは
人為的な進化(そんなものはありませんが)の結果ではなく、
自然な進化によってそういう物になったからじゃないの?

自然を理が支配すると考えても、その理は人間のための物ではない。
(僕は自然を支配する理(=法則)なんてないと思ってるが)

自然の理にしたがって進化した人間が「感情」をもったことを
嘆かなければならない客観的理由がどこにあるの?
824ぽこんち=768:02/09/05 10:48
>>773>>778の教さんのレス
についての疑問。

教さん:費用面で、死刑を擁護できないのは証明済み。
 公共投資という観点からは収監しておくほうが合理的・
 過去ログに詳細な解説があります。
 過去ログを参照してください。
 安上がりとかいう観点でなく、経済学的に
 公共投資という観点で語っています。

・・・・・
で、態々(←ちゃんと変換されたw)過去ログみたんだけど

  刑務所に対する費用を懲役する人々の給料も上げる目的も当然必要と考えられますし、
  その総費用を公共投資として経済政策の一環としてやるべきだと思います。
  それを否定するのは既に経済学では敗れ去った反ケインズの学者だけでしょう。
                               (パート1の65by教さん)

  刑務所の費用を公共投資の観念からも支持されうるなので、
  税金の無駄遣いだとか主張している方こそ
  税金の無駄遣いなんですね。
                 (どっか、教さんの発言)

他のレスも似たようなもので、これ以上に詳細な解説が見つからないのですが
証明とはこのことですか?
その論法でいけば、死刑囚を予算をかけて派手にブッコロスのも経済効果が高そうですが。

825ぽこんち=768:02/09/05 10:50
ケインジアンが経済モデルで示したのは

 公共投資は、同額の減税(民間の消費の増加)よりも消費を増やす効果が大きい

ってことであって、税金を使う公共投資は使い方如何をとわず経済的に有効である
と言っているのではありません。(間違いがあったら指摘してください)

例えば、来年、日本が国家予算の10%を使って、日本中のゴキブリを予算の続く限り赤く塗装したとします。
するとしばらくは日本の家庭を時折、赤いゴキブリが徘徊することになるでしょうが
それによって日本が豊かになることはありません。
公共投資が経済的に有効である、というのはその効果如何によります。
(効果とは、社会が消費するより多くを生産できるように貢献すること)

赤いゴキブリを作るより、犯罪者を矯正するほうが有益でしょう。
ですが「更正の見込みが極めて少なく、凶悪極まりない殺人鬼」を保護・矯正することと
「貧困で栄養失調で苦しんでいる子供」を保護する事は、どちらが有益か?
と問われれば後者である、と断言できます。

上の文章では「犯罪者保護」と「弱者保護」の問題を同列に扱いました。
「死刑」が許されるかどうか?という問題であれば、このようなやり方は適さないと思いますが
経済的な問題であれば比較は当然です。

いつか日本が食うにも困るような国になったとき
人の食料を盗みまくって人を餓えさせるようなやつは重罪になるでしょう。
どこのバカが子供と犯罪者、どっちにさきに飯をあたえるかを迷うでしょう?
(まぁ、これは極論ですが)
826ぽこんち=768:02/09/05 10:54
ただ、すくなくとも経済的観点からは優先されるべき順序があります。
経済的観点からいうなら「食うにも困る時代になれば死刑は容認せざるを得ない」
現在の日本についての僕の考えは
「極悪人のゴクツブシでも、まぁ養う余裕もあるから死刑はあってもなくてもいいや
 でも、更正の見込みのない犯罪者を死刑にしてしまうことは明らかに経済的には有効」
ってところでしょうか。

ですから、この時点で僕の意見は
「死刑は(良いか悪いかを問わず)必要なことがある」
です。

あと、反ケインズ学者が敗れ去った、とは聞いたことがないのですが
いまの経済学ではまたケインズ全盛なのですか?
新古典派VSケインジアンって図式はとうの昔に消え去ったのでしょうか?
(私、経済に関しても哲学に関しても門外漢でスマソ)

でも、このスレで死刑の「犯罪抑止力」や「費用」について語る事はあまり
意味が無いような気がします。
スレの流れも「生物の目的」みたいな話にいってますので
経済学的に云々と言う話は正直、どーでもいいです。
ただ詳しい話があるなら興味があります。
(ログ検索のためのキーワードとかがあれば・・・)
827ぽこんち=768:02/09/05 11:35
ぽこ:まだ感情で反対してくれるほうが納得がいくよ。
教さん:そうやって合理的でない方策をつづけるのは愚の骨頂

ぽ:生物が存在すべき合理的理由なんてあるの?
教:存在そのものの目的から合理性を追求するのが
 当然の帰結です。存在すべきなのは生物が自然界の一端を担っているからです。


ぽ:つまり物体が上から下に落ちるのに理由はいらない
教:少なくとも、地球上には重力があるから。
  それが理由である。それを分析するのが物理学。

ぽ:「感情」ってものが無根拠なのはわかるが、原子の動きだって合理的なわけじゃない。


・・・・・・
 僕が 「まだ感情で反対してくれるほうが納得がいくよ」
といったのは死刑の是非を問うのには感情があれば十分、というわけではない、
と同時に感情が不要ともいえない、と言うことを表しているつもりです。


 教「存在そのものの目的から合理性を追求する」

存在そのものの目的とは、
人間個人の目的は「いきること」、種としての人間全体の目的は「種の繁栄」ということで、
そのような目的をもった人間という生物のなかから、なぜそれを持つに至ったかの道筋を
考える、ということですか?
(哲学者ではないので、こういう文章は扱いにくいです 汗)
828考える名無しさん:02/09/05 11:38
僕は、人間と石ころを区別するができます。で人間の目的に関しても何かしら言う事ができます。
そして人間と石ころの価値についても言及できます。道端の石より人の命のほうが重い
と思います。ゴキブリの命よりも人命が大事です。

(私には想像しがたいですが真の)客観的な立場であれば
人間と石ころの違いはつまるところ構成物質の違い、ということではないでしょうか?
客観的な立場から生物の目的を本当にいえるのであれば、石ころについても
太陽についても、原子、素粒子についても言えるはずです。
ですが人間・石・ゴキブリなどを構成している物質自体の「存在の目的」はありません。
あえて言うなら「存在する事」以外にありません。
「存在する事を目的とする物質」の集合である「石、人間、ゴキブリ」から
客観的に導かれる生物の目的は「物質の存在目的の総和」と全く等しく・・・と言いたい所ですが
そもそも物質が集まって形をなしていることを特別扱いする理由もありませんので、それぞれの集まりを
比較しても意味がありません。

ですから存在(と認識するもの)そのものの目的からいえることは
「(生物としてではなく、)物体として存在すること」
であり、それ以外のことを導けません。
存在する事以外の目的を持たせているのは人間の価値判断に他なりません。

僕は物質を構成するものは原子だと思っています。(もっと細かく言えるようですが、キリがありません)
そして僕はその物質を構成する最小の物に意思も存在目的も認めていません。存在は認めます。
この事を前提として、客観的な目的など導けない、といっています。
今後もこれを前提とします。
829ぽこんち:02/09/05 11:39
人間の活動も、天体の活動も石もゴキブリも、すべて物質の結び付きやその相互作用から
生まれるのだとおもいます。
だとすれば、今の世界の成り立ちを説明する方法は素の素を全て知り、その動き、作用に
ついても全て説明する事ができれば、理屈では人間が「感情」を発するメカニズムも
解明されるでしょう。そのとき「感情」と呼ぶものは「不合理」の代名詞ではなくなるでしょう。
たとえ感情が人間が勝手につくった人間の目的にそぐわないものでも、それは不合理ではなくなるでしょう。



ですが、そういう日が到来しても人にとって「感情」と呼ぶものが無意味になるわけではありません。

なぜなら「説明できなかった、また不合理だと思われていたものが理屈で説明がついた」
だけだからです。
ただ人間がわかるような説明を考え付いただけです。理屈が世界を支配しているのではありません。
どんなに量子力学や他の科学が進んでも、感情と人間は不可分であり、価値があります。
 「あなたの生命活動はただの物質の集まりが織り成す化学反応や力の作用によるものです。
  客観的には石ころと等価です。だから死になさい」
 「な〜んだ、石ころと一緒か、そっか。じゃ死んでもいーや」
と答えるバカは何処にもいません。

人間が「死を避ける性質があること」に対する説明を
 「生きたいという欲求・感情の発現」から「生物に共通する自己の生命の維持への要求」とか
 「ただの物質の集まりのなす作用の総和から起こる結果」
と言い換えたところで何も始まりません。上記の3つの解釈はどれも意味があると同時に
思いっきりどうでもいいことです。
830ぽこんち:02/09/05 11:40
わたしが猫の話で言いたかったのは(ニヒリストさんの話も面白かったですが)
「猫の行動が如何に合理的に見えても、猫にとってはただの親子の愛の発現である」
ということです。人間に換えても一緒です。

教さんは「それは感情ではなく○○で説明できます」とよく言ってますが、
「ある行動が理屈で説明がつく」ということが「その行動は感情によるものである」ことの否定には繋がりません。
生物の目的は感情の満足です。それに対して幾ら合理的な説明を見出せたとしても
感情を捨てねばならない理由は何処にもありません。

「生物の目的は感情の満足」と断言するのは、
原子の動きが合理的ではない(または原子に存在目的がない)のと一緒です。
いくらこの世界のことを深く知ろうとも、説明しうる範囲が広くなるだけで、「それがそうある原因」はわかりません。
人間が見出した法則に従って、原子が動いているわけではないのは明らかです。
ものが上から下に落ちることを説明できますが、なんでなのかはやっぱり分かりません。

ですから「感情」が人間のつくった目的に対して不合理であっても、それは老廃物ではありません。
それは人間という物質の集まりの構造から出てくる当然の行動や考えです。
老廃物といいたければ構いませんが、客観的には論じる意味もありません。
「老廃物」という価値判断は結局、人間の価値観をもってでないと言えないと思います。
「感情」「知性」とやらにも絶対的な価値はありません。

死刑廃止が人間の本源的目的に直結することはありえません。
なぜなら本源的目的というものが無いからです。
あえていうなら人間の本源的目的は、個々人の目的である「個人の感情の満足」の総和によって
構成されている、ということです。ただ、そんなことを言ったところで意味は無いと思いますが。

831ぽこんち:02/09/05 11:42
*****ここからは、さらにブッチギリの感情まるだしです。さっきより適当に書いてます

ですが、僕は
「人間は物質の集まりではあるが、その価値は個々の物質価値の総和を超える(または劣る)」と
思います。石ころより人間が大切なのは、この「信仰」によります。
どう言い換えても「冷静に理解」することはできません。

自分にとって大切な人が殺されれば、相手にどれほど合理的理由があろうとも
悲しく思います。理由がまったく一方的なものであれば相手を憎むでしょう。
殺してやりたい、死刑になってほしい、と思うことも十分にありえます。
ですが犯人が罪を悔い、更正しようとするなら許そうとまでは思えなくても
死刑にまですることはないか、と思う可能性もあります。
そこまで落ちついて考えれるようになれば、あえて犯人を死刑にして
憎悪の種を撒き散らすのはやめよう、と思えるかもしれません。

ただ、罪を悔いる様子もなく、それどころか殺したことに喜びや楽しみを見出し続けるような態度で、
かつ働こうともせず、飯を与えられるだけ生活の者を生かしておく必要も価値も認められません。

もしそのような者までも「かならず命をまもらなければならない」のであれば
死刑制度を全廃することには反対です。
国や法がそのような者を生かすとしても、私は犯人をかならず殺します。
法の改正を待つ必要がどこにあるのでしょうか?
832ぽこんち:02/09/05 11:44
・・・・・ま、実際のところ、殺人事件の被害者の遺族が毎回犯人に報復している様には
みえませんが、「法に背いても犯人を殺したい」との葛藤はあるでしょう。
遺族の報復行動を押さえたものは何でしょうか?

a 人間社会全体の利益・秩序の擁護のため  できません。
b 殺人を犯す事の罪悪感のため  できません。
c 殺人を犯す事によって自分が犯人として罪を問われることへの恐れから できません。
d 犯人の遺族からの報復が恐いので できません。

まず、

a に関しては生物は動物行動学的には種としての目的の為に生きているわけではなく、
個々の生物の行動が種全体の繁栄につながるらしいです(うろおぼえ)。
このスレでもそのような趣旨の発言をだれかがしていたと思います。
(そもそも種としての目的自体が、個々の存在なくして生まれない)
人間が種として(または社会)の目的に目覚めるなら、それは後天的要因によるものです。
多くの人間が早期に「人間とはこうあるべき」と思うものを持つのは、(広義の)教育の結果であり、
それを持つようになったのは、人間の知能の高さと、知識の蓄積・伝達手段の発達度合いが
他の生物に比して際立って高いからです。
その目的への努力さえも、目的自体が目的ではありません。達成による欲求の満足です。

ですから報復行動を抑制すべき理由として、a が必ずあがることは言えません。
(a が理由になるのは、感情の他に目的が必要です。)


833ぽこんち:02/09/05 11:45
b に関しては、人間の善悪の判断は本能的部分による所も多いとか。
まぁたとえそうだとしても、罪悪感は本人が決める事であって問題にはなりません。
現に被害者がすでに加害者に殺されていることからも、人は人を殺すことが
できます。この世は「自分のなかの殺人に対する罪悪感がそれを思いとどまらせました」
と言う人バッカリではありません。
よって、b も理由としては不十分です。

c は、あきらかに報復行動がもたらす自分の不利益を予想しています。
d も、cと同じく不利益を予想しています。


ここでdとcについて考えなくても良い場合を想定すると、犯人が私的に死刑にしようとする
人が結構増えるでしょう。ですが全員が自力で復讐を果たすとは考えにくいと思います。
犯人の刑の確定をおとなしく待つ人もいると思います。この人らに報復行動を思いとどまらせた
理由はa と b (微妙)です。

ですから死刑制度の話をするまえに、復讐の為に法を破ったりしてはいけないことを
多くの人が確認する必要があります(アウトローになって復讐する人には死刑制度はあまり意味がない)
そしてa と b に関して、より高い理想を持つべきであることを多くの人が認め、実践するなら、
「こんなやつは死んで当然、俺がいますぐぶっ殺してやる」
と思う人は少なくなるでしょう。
834ぽこんち:02/09/05 11:46
「感情を押さえるべき」という点では、教さんとの一致があるかもしれません。
しかし、やっぱり
「死んで当然、殺されて当然の極悪人、かつ社会的に何ら生産に寄与しない人物」
を容易に想像できます。

快楽の為に人を100人ほど殺して、ムショにぶち込まれて、働こうともせず
へらへら気味のわるい笑みを浮かべている奴を更正させることが
合理的なのですか?どこに利益が?
皆が死んで当然と思うような人を守ることで生まれる利益は
極めて少ない。

僕の結論として、
「殺人はかならず死刑で償われるべきか」は解からないが
上記のような理由により、死刑制度を全面的に廃止することは
絶対に受け入れられない。
ということです。

「極悪かつ更正の見込みがない」かつ「死刑にすればスッキリする人もいる」
なら死刑は妥当です。スッキリすること、感情の満足が合理的ではないとは思えません。
更正の見込みが「0%」とは言えないからといって、更正に労力を費やし
「更正ならず、遺族の気も晴れず」では目もあてられません。
また更正できたと思えても、社会に復帰して再犯しないという高い蓋然性を
得られないなら、凶悪犯を塀の外に出す事が合理的とはいえないでしょう。

茹でた卵からヒヨコが生まれることを期待して
大事にあっためるようなものです。(そこまでじゃないけど)
早く別の卵を探しにいくほうがいいでしょう。
835ぽこんち:02/09/05 11:53
>>833
×ここでdとcについて考えなくても良い場合を想定すると、犯人 *が* 私的に死刑にしようとする
                                         ↓
○ここでdとcについて考えなくても良い場合を想定すると、犯人 を 私的に死刑にしようとする
     
836ぽこんち:02/09/05 16:43
横槍ですが。

>>817の教さんのレス

>ニヒリスト
>どの個体も「生きたい」という欲求・意志・感情
>を持っているように見える、という事実だけです。
感情でなく本源的な目的であると客観的に分析できる(欲求でなく要求というものでもいい)
以上、義務という表現でかまいません。そこに神というものを介在しなければならないほうが
客観的にみて生物というものを見ていない証拠になります。


ニヒリスト氏は人間の義務を導出するために神を取り入れているのでは
ありません。

客観的に見ることの出来る精神は人間にはありえない。
あえて言うなら神のみである。

神(=客観的に見る)によって、人間の 義務は導出される。

だが神はいない

よって客観的な義務は導出されない。

ということであって、教さんの批判はちょっとずれてるんじゃないですか?
客観的にみれる人間の思考とは一体どういうものなのかを示すことが、
つまりニヒリスト氏がもちだした「神」に代わって「人間が世界を客観的に
見る能力があること」を証明することが必要なんじゃないの?
837教導者:02/09/06 10:40
>823
それは簡単な話、進化の過程で出た老廃物であり、
そんなものを重要視する客観的根拠が無い。


>ぽこんち
>その論法でいけば、死刑囚を予算をかけて派手にブッコロスのも経済効果が高そうですが。
ただサド感情だ喚起されるだけ、生かして社会に出てもらって貢献してもらうほうが
合理的。それとぬき出してきたレスが詳細な解説です。
それ以上に何を望むのですか?具体的に質問してください。
>公共投資が経済的に有効である、というのはその効果如何によります。
>(効果とは、社会が消費するより多くを生産できるように貢献すること)
まだ理解できてないようですね。公共投資には乗数効果が必ず存在し、
それ自体が需要を喚起させるものです。
>と問われれば後者である、と断言できます。
全く出来ません。私は無差別と考え。
生きているものを保護するという観点上、どちらか一方をとるという
判断は客観的に断定できません。
>どこのバカが子供と犯罪者、どっちにさきに飯をあたえるかを迷うでしょう?
犯罪者に教化を施す以上問題ないでしょうし、
経済的に見て無差別な事例ですから双方共にどちらか優先されるべきではありません。

838教導者:02/09/06 10:50
つづき
>新古典派VSケインジアンって図式はとうの昔に消え去ったのでしょうか?
>(私、経済に関しても哲学に関しても門外漢でスマソ)
的確で、混乱を招くことのない表現では、ケインジアンの流れを受けた
学派が勢いづいて盛り返してきているという感じです。
逆に新古典派の勢いがかつてのより段々縮小というようなかんじです。
>経済学的に云々と言う話は正直、どーでもいいです。
>ただ詳しい話があるなら興味があります。
法というものを扱っている以上、多角的な観点が必要であり、
そのなかで経済的な観点も非常に重要でしょう。
実際コスト云々を出してきている人もいるのですから。
>なぜそれを持つに至ったかの道筋を
>考える、ということですか?
というよりも、人間も所詮は生物であり、その生物の目的を義務として
行動し人間はそれを他の生物より合理的にかつ効率的に運営できる
というものです。
>存在する事以外の目的を持たせているのは人間の価値判断に他なりません。
物体から導き出しても、結局はこの問題においては生物という存在に行き着くわけで、
ですから、生物特有の目的をもつ物体という客観的な事実を導き出されるわけです。
つまり生物と他の物体との相異が結局は明らかになるわけです。
>この事を前提として、客観的な目的など導けない、といっています。
その前提が問題であり、物体に生物というものが存在する以上、
意思の存在を否定することはできません。何故なら最小の粒子で無くても
その結合、集合の形態で表れる可能性があるのです。
つまりそれが生物でしょう。
839教導者:02/09/06 11:00
つづき
>そのとき「感情」と呼ぶものは「不合理」の代名詞ではなくなるでしょう。
逆に改めて、不合理の烙印が押される可能性もあります。それは否定できません。
なぜなら、
>人間が勝手につくった人間の目的にそぐわないもの
それがまさにこの場合の不合理の定義そのものである可能性があるのです。
しかもそれは現段階でもそれは充分断定されうるものであるいじょう。
>感情と人間は不可分であり、価値があります。
人間の目的からは価値は全く御座いません。
なぜなら、
>「な〜んだ、石ころと一緒か、そっか。じゃ死んでもいーや」
という人間の目的から逸脱したものになるからです。
法は人間のためにある道具であることを否定しているからです。
>上記の3つの解釈はどれも意味があると同時に
>思いっきりどうでもいいことです。
ありません。人間はより効率的に目的を達成するため、
法をつくり運営しているのです。
そのためそれが重要な観点になってくるのです。
>生物の目的は感情の満足です。それに対して幾ら合理的な説明を見出せたとしても
>感情を捨てねばならない理由は何処にもありません。
生物の目的は「生きる」ことであり感情の介在は全くありません。
そのためその目的を阻害する感情を否定しなければならない
客観的な根拠が存在するのです。
すべてのものを感情に無理に結び付けても所詮は感情は老廃物のようなものであるいじょう
なんら価値のあるものではありません。つまり感情の擁護には全く繋がらないのです。
>それは人間という物質の集まりの構造から出てくる当然の行動や考えです。
>老廃物といいたければ構いませんが、客観的には論じる意味もありません。
当然の行動ではありません。感情を廃するシステムや考えを
考え出し生物の本来の目的より分離し相異を発見した人間の進化の過程から、
感情は老廃物同然と断定できるのです。
840考える名無しさん:02/09/06 11:04
>それは簡単な話、進化の過程で出た老廃物であり、
>そんなものを重要視する客観的根拠が無い。

よーするに、自分に都合の悪いものは「老廃物」で、
「重要視する客観的根拠が無い」ってことだろ?

自分に都合の悪いものはぜんぶ「根拠がない」から
「無視する」んだろ?

んで、自分のいうことだけが「客観的」「明らか」で
「根拠なんて必要ない」なんだろ。




ど っ か の 教 祖 サ マ か、お ま え は。


841教導者:02/09/06 11:05
つづき、
>「老廃物」という価値判断は結局、人間の価値観をもってでないと言えないと思います。
>「感情」「知性」とやらにも絶対的な価値はありません。
人間の価値判断でなく、生物の目的、性質を的確に分析した結果に他なりません。
また絶対的な価値であるというのでなく、
人間そのものを表しただけということです。
>死刑廃止が人間の本源的目的に直結することはありえません。
>なぜなら本源的目的というものが無いからです。
あります、だからこそ、人間は生活をし、法を作っているのです。
もしなければ、法を作らず、犯罪だと認定せず、死刑にする根拠もありません。


わかりましたか?
感情をもって法や人間の語ることの無意味さが分かりましたか?
感情は上記のように簡単に否定できるもので、
法や死刑問題にまったく繋がらないものです。
842教導者:02/09/06 11:13
>「殺人はかならず死刑で償われるべきか」は解からないが
>上記のような理由により、死刑制度を全面的に廃止することは
>絶対に受け入れられない。
それ自体が感情の無意味さを表したもので、
なんの利益もありません。感情を介入してもありません。
何故なら犯罪を認定することも無意味であり、死刑も無意味だからです。
>皆が死んで当然と思うような人を守ることで生まれる利益は
>極めて少ない。
という何の分析もしないで思考停止する危うさを私はといており、
人間の目的、法の性質から、
殺人者が更生して社会で大手振って行動できる世の中が
もっとも合理的で利益のある理想的な社会であると考えられます。
それを最初から何度もレスで解説してきているところです。
>ということであって、教さんの批判はちょっとずれてるんじゃないですか?
ずれていません。神を介在してくるのが問題であり。
人間の持っている本来ある思考それそのものが客観的に物事を考えられる道具であり、
知性(脳)によって制御されるものです。それを感情を廃することにより
達成できるものです。感情そのものを人間の目的という教義に
凝り固まって柔軟な思考が出来ていないからそこを指摘しているのです。
843ぽこんち:02/09/06 12:13
>公共投資が経済的に有効である、というのはその効果如何によります。
>(効果とは、社会が消費するより多くを生産できるように貢献すること)
まだ理解できてないようですね。公共投資には乗数効果が必ず存在し、
それ自体が需要を喚起させるものです。


 乗数効果があるのはわかりますが、たとえば公共投資として税金を使い大量に人をやとい
 飯だけ与えてボーっとさせといても、なんもならんでしょ?
 一方、道路なり橋なりを作らせれば社会に有益でしょ?
 公共投資がそれ自体需要を喚起させるのは当然。
 その投資が今後さらなる需要の増加に寄与するかが大事なんでしょうが。
 でなければ公共投資に関して話し合う理由なぞ、はなっからないじゃん。


>と問われれば後者である、と断言できます。
全く出来ません。私は無差別と考え。
生きているものを保護するという観点上、どちらか一方をとるという
判断は客観的に断定できません。


 生きているものを保護する観点からは判断できないのはわかる。
 だが私はどっちが有益かを言っているのです。
 これから社会に貢献する可能性の高い人と
 すでに社会的に有害で、かつこれから社会に貢献する見こみの少ない人を区別することは不可能なのですか?

 
844ぽこんち:02/09/06 12:22
>どこのバカが子供と犯罪者、どっちにさきに飯をあたえるかを迷うでしょう?
犯罪者に教化を施す以上問題ないでしょうし、
経済的に見て無差別な事例ですから双方共にどちらか優先されるべきではありません。


 繰り返しになりますが、
 犯罪者が更正する可能性が0%であると仮定すると
 かれらに飯をあたえることは、飯をどぶに捨てる事と大して変わりません。
 どぶと犯罪者は何も生産しないからです。

 子供は社会の発展・維持に貢献する可能性が0%であれば、経済的には区別する理由もないでしょう。
 でも実際、犯罪者と子供の将来性は0%ではありません。ただ同じとは言えません。
 どちらが将来有望かは言うまでもないこと・・だと思うのです。

 教化を施す以上問題無い、と言われますが
 100%教化できるなら、犯罪を起こす前に教化することも可能でしょう。
 できないから犯罪がおこるのであり、
 犯罪を起こさない人は高い程度に教化されている
 犯罪を起こす人はあまり教化されていなかった
 といえます。
 すでに一度、重大な過ちを犯した人間に
 いつまで教化を続ければよいのでしょう?
 
845教導者:02/09/06 13:03
>ど っ か の 教 祖 サ マ か、お ま え は。
要するに何も反論できないからあなたは根拠無くいうのですか。
まさに典型的な負け犬死刑支持論者の発言だな。

>ぽこんち
>飯だけ与えてボーっとさせといても、なんもならんでしょ?
 >一方、道路なり橋なりを作らせれば社会に有益でしょ?
箪笥預金よりは遥かにましですし、
更生して社会に貢献すれば、下手な道路をつくるよりは遥かに有益です。
その辺が理解できていないからあなたに指摘したのですが。
>その投資が今後さらなる需要の増加に寄与するかが大事なんでしょうが。
乗数効果というものを理解していない証拠です。
何に投資しようがそれは変わりません。
乗数効果の必ず存在する現実が有益なのです。
数学モデルでみれば分かるのですが、ここでは書きにくいので
省略します。簡単な経済学の本でも見てください。
 >これから社会に貢献する可能性の高い人と
 >すでに社会的に有害で、かつこれから社会に貢献する見こみの少ない人を区別することは不可能なのですか?
それこそが不毛で意味の無い議論、積極的に如何にして社会に貢献させるか
考える方が長期的に見て有益。
846教導者:02/09/06 13:04
つづき
>かれらに飯をあたえることは、飯をどぶに捨てる事と大して変わりません。
> どぶと犯罪者は何も生産しないからです。
どぶも廃水路とみれば有益ですし、
浄化させればそれに越したことはありません。
近視眼的にかつ短絡的に更生が不可能だから死刑にするというのでは、
そのような無益な悪癖を取り除くことは出来ません。
長期的に見て、教化を改善していくインセンティブを持つような
方策が最適な方策です。(詳しくは過去ログ)
>どちらが将来有望かは言うまでもないこと・・だと思うのです。
それが短絡的な見方、それらを有効活用するのは、
方策次第、それらはやはり無差別と断定できるでしょう。
 >すでに一度、重大な過ちを犯した人間に
 >いつまで教化を続ければよいのでしょう?
それは現在、専門家の考えられる確立した期間でしょう。
私は専門家ではありません。だからといってこれを否定する根拠にはなりません。
事実それが当然ということはいえるのですから。
 >教化を施す以上問題無い、と言われますが
 >100%教化できるなら、犯罪を起こす前に教化することも可能でしょう。
 >できないから犯罪がおこるのであり、
だからこそ、教育機関等で包括的な教化を説いているのであり。
それが100%無理なら駄目だというなら、
学校そのものを否定するのと同じです。
つまりやらないよりは遥かにましなのです。


847考える名無しさん:02/09/06 14:12
教導者はとっくにオイラがやっつけてるので、おまいらただ言わせておけば良いのですよ。
放置で。
848教導者:02/09/06 14:18
847=私に完全に論破された負け犬死刑支持論者
負け犬死刑支持論者の負け惜しみは死刑議論スレの風物詩。
849考える名無しさん:02/09/06 15:19
>>847
>教導者はとっくにオイラがやっつけてるので、おまいらただ言わせておけば良いのですよ。
>放置で。

教導者(旧38)が、part1の段階でとっくに「やっつけ」られてるのは、
過去ログを見れば客観的に明らか。
しかも、その後でも何回もコテンパンにされてるし。
そんなことは、いちいち言われなくても、みんなわかってるって。

一人だけ そのことをわかってないバカがいるから、みんなでからかって
遊んでるだけなんだってば。

みんなから論破されまくってる教導者の遠吠えは、死刑議論スレの風物詩。
850教導者:02/09/06 15:54

負け犬死刑支持論者が、part1の段階でとっくに「やっつけ」られてるのは、
過去ログを見れば客観的に明らか。
しかも、その後でも何回も私に完全に論破にされてるし。
そんなことは、いちいち言われなくても、みんなわかってるって。

負け犬死刑支持論者だけ そのことをわかってないバカがいるから、私がからかって
遊んでるだけなんだってば。

私から論破されまくってる負け犬死刑支持論者の遠吠えは、死刑議論スレの風物詩。
851ぽこんち:02/09/06 18:04
>飯だけ与えてボーっとさせといても、なんもならんでしょ?
 >一方、道路なり橋なりを作らせれば社会に有益でしょ?
箪笥預金よりは遥かにましですし、
更生して社会に貢献すれば、下手な道路をつくるよりは遥かに有益です。

 「貢献すれば・・・」じゃなくってさ、実際に更正させられるかだろ?


それが100%無理なら駄目だというなら、
学校そのものを否定するのと同じです。
つまりやらないよりは遥かにましなのです。

 どこで「100%無理なら駄目」といった?
 どの段階で見放すか、ってことだ。
 殺人→刑務所→釈放を百回繰り返すばかに、
 「人を殺すのは無益だと何度言ったら解かるんだ!!
  もうやっちゃだめだぞ、無益なんだから!!」
 っていって釈放するんですか?


なんど言っても聞かない馬鹿を見たことがないのか?
あなたにとっては俺がそうあるように・・・
 



852考える名無しさん:02/09/06 18:35
>>850
頑張れよ風物詩。
853教導者:02/09/06 19:58
>852
負け犬死刑支持論者は頑張ってみんなの笑い者になってください。
854考える名無しさん:02/09/06 20:16
みんなが笑ってる〜
る〜るるるる〜る〜
855考える名無しさん:02/09/06 20:52
おんや、哲学板にケインジアンが。
乗数効果を語るんだったら、財市場とIS曲線からきちんと語れ。
計画支出と現実の支出が均衡して初めて言えることではないのか。
政府購入乗数はどこに遊びにいった?
租税乗数はどこに雲隠れした?
投資だけではないだろ、乗数は。
もっといえば、むしろ減税が総需要によい影響を及ぼすことを
ケネディの減税政策を例にとって、言ってないか。ケインジアンは。
856考える名無しさん:02/09/06 23:25
死刑というか人を殺すことは意図的にしてはならないと思う。いかなる理由があったとしても。
だから死刑にするなら終身刑にすればいい
857ニヒリスト:02/09/07 12:34
>教導者さん
>>817
>感情の満足させる技術はすべて生きるという目的達成のために
 出来た技術を土台にしているからです。戦争における技術がそれを表している
 でしょう。

 大変興味のある点ですが、そもそも「人命真理教」を信じる人々は、死刑以上
に戦争を否定するのが普通です。戦争による人命の毀損は死刑の比ではないので、
当然のことです。教導者さんは珍しい例外なのですが、その理由がよくわかりか
ねます。
 一般的に、戦争は「生きる」ために行われるものではありません。生きるため
なら、戦争などしないのが合理的なことが多いのは明白です。敵に明確な「皆殺
し」の意図がある場合は別ですが、そのような事例は非常に少なく、実際の戦争
は「征服欲・物欲・名誉心・理想の国家を作りたいという夢・独立自尊の精神」
その他、まさに人間ならではの「欲求・感情」「気概」「優越願望」から起こり
ます。その目的は、一般には自分達の意志を相手側に押し付けることです。相手
側からみれば、敵の意志に従いさえすれば命は助かるのが普通ですから(最悪奴
隷化されても死ぬよりはまし)、戦わずに降伏するのが「合理的」なはずなので
すが、もちろん人間はただ「生きていれば」満足する生物ではなく、「独立と尊
厳を侵されて奴隷化されるよりは、死を賭してでも戦う」ということになって戦
争が起きることもあります。イラクとアメリカ、イスラエルとパレスチナ、皆同
じです。
 これは戦争に限った話ではありません。およそ現在人間が追い求めている利益
は、「生きる」こととは何の関係もない場合がほとんどです。技術の産物もそう
です。生きるためには、自動車や電化製品やパソコンを大量生産する必要など、
ほとんどありません。栄養のある食物の生産と配分、医療だけに技術と資源を
集中して、あとはのんびりと寝ているのが最も合理的ですが、しかし、人間はそれ
で満足するような生物ではなく、「より豊かに、より楽しく、より快適に」と果て
しない欲求を作り出してはその満足を求め、そのために莫大なエネルギーを費や
しているのです。まさに「生きる」こととは関係のない目的で消費している(エ
ンゲル係数が低い)人ほど豊かであると判断されているのは、ご存知の通りです。
(つづく)
858ニヒリスト:02/09/07 12:36
>>818
>自己の生命の最適化は生物の普遍の共通する目的で、
 主観的でもなく、客観的に導かれるものです。
>法が、個人の最適化行動を抑制する性質を持っている以上、
 それは認められません。人間がより効率的に個々人の目的を達成するために、
 法というものが存在するわけです。

 「生命の最適化」が「個体の数と寿命を最大限に延ばすこと」を意味するなら、
それは別に客観的な目的でも何でもありません。というより、「客観的な目的」な
るものは、存在し得ないのです。「普遍的に存在すると推測される主観的目的」
なら有り得ますが。もし、聖書にある「産めよ増えよ地に満ちよ」というような
言葉が根拠であるなら、それは単なる信仰です。
 「生命の最適化」が「自己の欲求の最大充足」を意味するなら、それは「主観
的な目的」として、広く(ほぼ普遍的に)存在するものであろうことに異議はあり
ません。最大の欲求の一つとして「生きたい」があることも自明です。
 そして、自由主義社会においては、各個人の「自己の欲求の最大充足」=「個
人の最適化行動」は、できるだけ抑制するべきでない、というのが基本思想です。
法がそれを抑制する合理的理由があるのは、短期的・長期的に最適化行動が他人の
最適化行動と矛盾する場合のみです。
 さて、情状酌量の余地のない凶悪殺人犯の場合、社会の成員の多くが「死刑に
して欲しい」という「欲求・感情」を抱く場合があります。ここで、犯人の側が
「死にたくない」という欲求・感情を抱いている場合、両者の「最適化行動」が矛盾
するわけです。この矛盾をどう調整するかは、基本的には国家の自由です。多数者
の最適化行動を抑制して死刑にしないか、一人の最適化行動を抑制して死刑にする
かは、要するに「政治判断」であって、そこに絶対的・形而上学的な根拠など、有
り得ません。私は別段絶対的な「死刑賛成派」なのではなく、賛成派であれ反対派
であれ、「自分の意見は絶対的に正しい」という考え方に反対なのです。誤解なき
ようお願いします。 (つづく)
859ニヒリスト:02/09/07 12:40
 で、殺人犯の最適化行動を抑制することに反対する根拠として、通常は「人命は
絶対的な価値である」という人命真理教と、「冤罪の可能性」という2点が挙げら
れるのですが、教導者さんはそうではなく、>>815に書いた

1.死刑によってサド感情が刺激され、人命軽視につながり、犯罪が増加する。
2.死刑に相当する犯罪者は逮捕の際に暴れまわって危険。
3.死刑は人間一名の「労働力・社会的資源」としての価値の損失である。
 生かしておいて利用した方が社会にとって合理的。
4.死刑は経済的に損である。生かして何らかの施設に収監しておいた方が
 投資効果が上がって経済的な利益につながる。
5.死刑は、「完璧な更正プログラム」を開発するインセンティブを損なう。

を根拠にされているようですので、それに従って論じます。まず、今話題になって
いる4ですが、教導者さんは、どうも4と3の論点を混同されているようです。
4は要するに自由刑(教導者さんの理想では教育刑)と死刑とどちらが金がかか
るか、という単純な話です。通常死刑の方が安上がりなのは当然ですが、教導者
さんは教育刑の方が投資効果が上がる、と述べておられます。しかし、これはま
さしく「教育刑の方が金がかかるからこそ、有効需要の創出効果がある」という
ことで、反論にはなっておりません。 (つづく)
860ニヒリスト:02/09/07 12:42
 その論法で行くと、国家が公共事業を行う場合は、できるだけ高い額で入札し
た業者に行わせるべきだということになります。しかし、国家の財源は有限なの
であって、一つの事業に多額の費用をつぎ込むことは、他の事業の財源を圧迫す
ることになります。有効需要の大きさは総支出額によるのですから、必要な事業
であってもできるだけ費用は節約し、不必要な事業はやめ、多くの必要有益な事
業を行って、結果として総支出額が同じなら投資効果も同じなので、最も合理的
であることは、明白です。>>855さんの専門的な議論は私には理解できませんが、
そう難しい話をせずとも、死刑の方が教育刑より「費用の点では」優れていること
に、論議の余地はありません。
 いや、教育刑で更正した犯人が社会に貢献すれば、結局は死刑にするよりも社
会全体の経済的利益になるのだ、という考えは、3の論点にかかわるものです。
これについては、次の機会に論じさせていただきます。 

>>820
>しかし、ニヒリスト氏も結果的には人命も重視してます。
 殺人を起した者を応報感情によって死刑にするというのは、
 裏返せば人命を重視しているからです。 

 いや、もちろんその通りです(笑)。ただ、私は人命を「絶対的・客観的・無
差別の価値」だとは思いません。「相対的・主観的・感情的」な価値だとみなす
点で教導者さんと違うだけです(というより、私はそうでない「価値」など有り
得ないと考えているのですが)。
 それを理解してくださるなら、上の1の論点に根拠がないことは、明白だと思
いますが。教導者さんご自身が、「サド感情」とは「殺人犯が死刑になるのを善
しとする感情」だと定義されました。この意味のサド感情とは、「被害者側が一
方的に未来を奪われてしまったのに、殺した側が国家の費用でのうのうと生き延
びるなど不公平・不正義の極みである」「生命という多くの人間にとって最大の
価値であるものを奪う行為は、己の生命を差し出すことによってしか償い得ない」
という種類の感情です。まさに、教導者さんがおっしゃる通り「人命を重視して
いる」感情なのです。従って、それが人命軽視につながり、犯罪が増加するとい
うのは、どう考えても意味不明の議論です。 (つづく)
861ニヒリスト:02/09/07 12:46
>>821
>それらはむしろ、生きている者たち(子供たちなど)のために存在するもので

 相続制度の存在目的が論点ではないのです。論点は、「現在の欲求・感情に従
って、自分の死後の出来事に影響を与えようとする行為は、全く合理的である」
ということです。
 「自分の家族が殺されても、報復感情など一切持たない」と断言する教導者さん
であれば、子供だろうと配偶者だろうと、所詮「他人」に過ぎないことはご理解
いただけると思います。「自分の死後に生きている他人」だという点では、子供
も殺人犯も同じなのです。自分が死んでいる以上欲求も利害も一切存在しないは
ずであるにもかかわらず、自分の子供に行く遺産の心配をしたり、自分を殺した
犯人の処罰を心配したりするのは、要するに「生きている現在の欲求・感情」に
従って、「死後の未来」に影響を与えようとしているからで、不合理でも何でも
ありません。これは、死刑の是非とは別問題です。たとえば、「自分を殺してし
まった人が死刑にされるのは嫌だ、生きて更正して欲しい」という欲求・感情を
持っているなら、死刑廃止に一票を入れることも有り得るということです。
 しばしば混同されますが、「報復欲求」は、遺族のものではありません。遺族
の報復欲求も実際上無視はできないと私は思いますが、遺族はあくまでも「関係
者」であって、直接の「被害者」ではありません。被害者はあくまでも「殺され
てしまって、今は存在しない人」なのです。そして、一般社会の成員の報復欲求
は、想像力によってこの「被害者」の立場に自分を置き換え、共感・同情し、あ
る意味「被害者になり代わる」ことにより抱かれる欲求である、とも言えるので
す。換言すれば、「俺が殺されたときは、自分になり代わって厳しく報復しても
らいたい」という心理の現われでもあります。

862教導者:02/09/07 13:22
>ニヒリスト
>生きるためには、自動車や電化製品やパソコンを大量生産する必要など、
>ほとんどありません。
違いますね。それらは「生きる」という目的から、
効率的に行うために考案されたもの、
家電製品や自動車なのどの御蔭で無駄な体力や知力をすり減らさないで、
より効率的に生活ができるようになっているのが現状です。
戦争もやはり「生きる」という基本的な目的を無くしては
合理性を追求できません。つまり戦争しないか否かは時と場合とで
違うだけであって合理性はそれを判断する的確な過程です。
つまり「生きる」ことに関して忠実に合理的にそれらは利用しているのであって、
ブランド志向も一種の合理性を追求しているに他なりません(信頼性など)
だから、感情とは基本的には全く無縁の物で、
そこで出てくる感情はやはりそれらの行動の中での老廃物に当たるでしょう。
863教導者:02/09/07 13:27
つづき
>もし、聖書にある「産めよ増えよ地に満ちよ」というような
>言葉が根拠であるなら、それは単なる信仰です。
違います。「生きる」という目的は生きている生物の基本的な性質で、
客観的な目的になるのです。

>短期的・長期的に最適化行動が他人の
>最適化行動と矛盾する場合のみです。
そうです。それを調整する道具が法の目的に当たるでしょう。


>別段絶対的な「死刑賛成派」なのではなく、賛成派であれ反対派
>であれ、「自分の意見は絶対的に正しい」という考え方に反対なのです。誤解なき
>ようお願いします。
ですから。それは闘争によっての結果で判断で来うるのであり、
その過程が、議論、粛清、戦争も含まれるのであり、
所詮は権謀術数という考え方に集約されるでしょう。
864教導者:02/09/07 13:31
つづき
>通常死刑の方が安上がりなのは当然ですが、教導者
>さんは教育刑の方が投資効果が上がる、と述べておられます。しかし、これはま
>さしく「教育刑の方が金がかかるからこそ、有効需要の創出効果がある」という
>ことで、反論にはなっておりません。 
あなたのほうが混同しているようですね。
何故反論になっているかというと「安上がり」という短絡的な根拠を否定しているからです。
例え仮に投資効果が無くても、費用は同じ経済の中に投下され金が動いているのであり、
経済そのものが縮小しているわけではないのです。
つまり「安上がり」という観点が如何に的外れで短絡的な思考であるか
指摘しているのです。
つまり、死刑支持論者からはまずはこれに反論する義務を持っていることになるでしょう。
865教導者:02/09/07 13:38
つづき、
>必要な事業であってもできるだけ費用は節約し、不必要な事業はやめ、多くの必要有益な事
>業を行って、結果として総支出額が同じなら投資効果も同じなので、最も合理的
>であることは、明白です
それは資金を運営する過程に要求されるもので、資金を目的に投下する過程で
行われるものではありません。
またそれが妥当な指摘であっても、教化刑によって更生して社会に貢献することのほうが
より合理的な運営であるので、教化刑を否定する反論には全くなりません。
以上のように、死刑は非合理的の極みで、教化刑のほうが長期的に
非常に効率的、合理的で優れていることに疑問の余地は全くありません。

>まさに、教導者さんがおっしゃる通り「人命を重視して
>いる」感情なのです。従って、それが人命軽視につながり、犯罪が増加するとい
>うのは、どう考えても意味不明の議論です
だからこそ、サド感情を否定しているのです。最早「生きる」目的から
遠く離れ老廃物そのもの、そして長期的に「生きる」目的から
逆に阻害するようなものになっている以上、
感情を擁護したところで排除するに他ならないものになります。
866教導者:02/09/07 13:42
つづき
 >相続制度の存在目的が論点ではないのです。
いやそういう観点も入れないと死後の出来事云々の話が出来ません。
何故なら相続そのものが言わば「死後の出来事」を考えているに
他ならないからです。
>要するに「生きている現在の欲求・感情」に
>従って、「死後の未来」に影響を与えようとしているからで、不合理でも何でも
>ありません。
その感情に従ったところで、手段は合理的に行わないと出来ないし、
結局、死後は何も手出しできないということになれば、
生きているものの自由になり結果的には非合理な目的に神経を無駄に磨り減らしているに
過ぎないことになります。
とも言えるので
>換言すれば、「俺が殺されたときは、自分になり代わって厳しく報復しても
>らいたい」という心理の現われでもあります。
私はつまりそのような非合理的な感情論を否定しているだけなのです。
867教導者:02/09/07 13:48
>855
>乗数効果を語るんだったら、財市場とIS曲線からきちんと語れ。
グラフで示せればいいのだが、ここでは土台書けないので、
簡単な入門書を読んでくれないかと言ってるんだ。

>計画支出と現実の支出が均衡して初めて言えることではないのか。
国債はあるだろう。国内で買われる分には基本的に悪影響は無いぞ。
>政府購入乗数はどこに遊びにいった?
>租税乗数はどこに雲隠れした?
所詮は限界消費性向の値に左右されるだけ、
それを理解していない人間が居るから、
資金の投入先で乗数が左右されると思い込んでいるのが問題なんだろう。
>投資だけではないだろ、乗数は。
数学モデルで見れば、どっちにしろ投資みたいなものだろ。
>もっといえば、むしろ減税が総需要によい影響を及ぼすことを
>ケネディの減税政策を例にとって、言ってないか。ケインジアンは。
それは時と場合による、現在の日本の計量分析で減税の方が効果あると言ってるのか?
箪笥預金みたいな馬鹿げたことを国民がやっているから、
減税してもあまり消費は増えんと思うぞ。
868ぽこんち:02/09/07 14:03
>>851についてなんだけど

>飯だけ与えてボーっとさせといても、なんもならんでしょ?
 >一方、道路なり橋なりを作らせれば社会に有益でしょ?
箪笥預金よりは遥かにましですし、
更生して社会に貢献すれば、下手な道路をつくるよりは遥かに有益です。


 効果が投資先に関わらないなら、道路より更正が有益かどうかは
 関係ないんじゃ?



 殺人→刑務所→釈放を百回繰り返すばかに、
 「人を殺すのは無益だと何度言ったら解かるんだ!!
  もうやっちゃだめだぞ、無益なんだから!!」
 っていって釈放するんですか?


 無視されてますが、こういう犯罪者でも「更正された」と認められれば
 釈放する、「まだ更正出来てない」なら収監を続けるってことですか?
869教導者:02/09/07 15:02
>ぽこんち
>道路より更正が有益かどうかは
>関係ないんじゃ?
私は基本的に無差別という立場です。
つまり具体的な分析によって時と場合によって軽重が変わってくるので
どちらがいいか一概には言い切れないという立場です。
ですから下手な道路よりは有益というものです。
 >釈放する、「まだ更正出来てない」なら収監を続けるってことですか?
保護観察をしておけば?実際アメリカでは発信機等をとりつけられることもあるようです。
基本的には更生を確認してということです。
870考える名無しさん:02/09/08 10:19
「収監」を「発信器をつけて観察」って言い換えただけじゃん。
結局は「教導者が『更正した』と認めるまで受刑」ってことだね。
871教導者:02/09/08 10:51
>870
最終的には犯罪者も社会で大手をふって生活できることを念頭においている。
872考える名無しさん:02/09/08 11:44
更正してない犯罪者は大手を振って歩けるけど、
犯罪被害者は刑罰を受けるような社会ね。
873教導者:02/09/08 12:05
>872
というよりも、現在の犯罪被害者を甘やかす風潮を
法で規制し、被害者が何故犯罪に巻き込まれたか
反省を促すようなシステムが必要だと説いている。
874正道:02/09/08 12:13
>現在の犯罪被害者を甘やかす風潮を
>法で規制し、

犯罪被害者を甘やかす風潮というのは具体的にはどういうこと?

>被害者が何故犯罪に巻き込まれたか
>反省を促すようなシステム

まるで被害者に責任があるかのようないいぶんではないか。
875考える名無しさん:02/09/08 12:16
>>874
その通り。
教導者は今までにさんざん、犯罪の発生は被害者の責任だから
被害者に刑罰を加えろと主張している。
876正道:02/09/08 12:23
>犯罪の発生は被害者の責任だから
>被害者に刑罰を加えろと主張している。

それはとてもおかしい言い分ですね。
被害者に刑罰というのは理解できません。

それではナチスに殺されたユダヤ人たちは、そのユダヤ人自身に罪がある
という話になってしまうではないですか。
877教導者:02/09/08 12:23
>犯罪被害者を甘やかす風潮というのは具体的にはどういうこと?
過去ログを読んでから具体的に質問すること。

>まるで被害者に責任があるかのようないいぶんではないか。
各々の事件によって様々だが、被害者にも責任がある場合も
ある。別に加害者に責任がないと言っている訳ではない。
これも過去ログにすでに充分書き尽くされたものだから、
過去ログを読んでそれから具体的に質問をすること。

878教導者:02/09/08 12:25
>正道
875は私のレスではありませんので、
それに反論しても意味がありません。
879考える名無しさん:02/09/08 12:27
だから、迫害を招いたユダヤ人の責任に応じて
刑罰を加えるべきと考えるんだろ、教導者は。

教導者は過去ログで、万引きされた商店主は
万引きの場を提供した「万引き幇助罪」で
刑罰を受けるべきだとか言ってなかったか?
880教導者:02/09/08 12:33
>879
極論では言ったかな。
881考える名無しさん:02/09/08 12:35
やっぱ言ってたんじゃねーかよ。
自分が過去に言ったことを忘れてるようで、
首尾一貫した主張なんかできるのか?
882正道:02/09/08 12:41
>>犯罪被害者を甘やかす風潮というのは具体的にはどういうこと?
>過去ログを読んでから具体的に質問すること。

宮台さんも書いてましたが、日本の場合は犯罪被害者の家族につめたい
のです。改善していかなければなりません。

>各々の事件によって様々だが、被害者にも責任がある場合も
>ある。

被害者が法的な罪を犯している場合もあるでしょう。
そのような場合は裁判所に告発すればいいだけではないですか。
別にあらだてて対策をとる必要はありません。
犯罪を犯した人を裁くためにちゃんと裁判制度があるのです。

しかしあなたは、被害者一般に対して

>被害者が何故犯罪に巻き込まれたか
>反省を促すようなシステム

ということを言っているわけで、
これはなぜユダヤ人が虐殺されたのかを、ユダヤ人自身に反省を促す
ようなシステムを要求しているのと同じ理不尽な要求なのですよ。
安易な発想をせずにもうすこし熟慮した発言をしてください。
883正道:02/09/08 12:45
>教導者は過去ログで、万引きされた商店主は
>万引きの場を提供した「万引き幇助罪」で
>刑罰を受けるべきだとか言ってなかったか?

これはおかしな言い分ですねえ。
万引きされた店主がなぜ刑罰をうけなければいけないのですか?
これでは、南京で虐殺された中国人たちは、虐殺の場の提供をしたという
ことで刑罰をうけなければいけなくなるではないですか?
本当にそう考えるのですか?
884教導者:02/09/08 12:48
881は極論というものを理解していないらしい。

>宮台さんも書いてましたが、日本の場合は犯罪被害者の家族につめたい
>のです。改善していかなければなりません。
いやまだまだ甘やかしすぎです。
少年犯罪板などの論調がそれを示しています。
>被害者が法的な罪を犯している場合もあるでしょう。
そうではなく、防げる犯罪をみすみす防げなかった責任を考えています。
対策を立てないと自己防衛の啓発になりません。
>安易な発想をせずにもうすこし熟慮した発言をしてください。
そういうように短絡的な安易な発想を否定してるのです。
各々の事件によって被害者の責任の軽重が違うといっているでしょう。
それにあなたの論法ではユダヤ人の虐殺があったという前提で
なされているのも短絡的かつ安易な発想です。
885正道:02/09/08 12:48
>各々の事件によって様々だが、被害者にも責任がある場合も
>ある。

といいましたが、

万引きされた商店主

が、被害者にも責任があるケースにあたるのですか?
こんなおかしな発想をしているようでは駄目ですねえ。
もうすこし思慮深くならなければいけません。
886正道:02/09/08 12:52
>少年犯罪板などの論調がそれを示しています

2chの板での論調をもって、

>現在の犯罪被害者を甘やかす風潮を
>法で規制し、

などと、言うのは馬鹿げてますね。
かならずしも
2chの論調=世間一般の論調ではないのですよ。
短絡的発想で法的規制などと口走ってはいけませんね。

887考える名無しさん:02/09/08 12:52
>>885
part3における教導者の発言から抜粋。

> 被害者の落ち度を追及して刑罰を考慮するのは、本来防げた、または最悪の方に行くのを妨げられる
> のにしなかったということで犯罪そのものに直接関係があるでしょう。
> というわけでむしろ当然のことだと考えられます。

> 被害者側の責任を追求しないと自己防衛を軽視しモラルハザードが起きたり、
> 被害者の責任を考慮せず刑罰を決めると相対的に過剰に被害者を甘やかせる
> 危険性を孕んでいると思いますが。

> >サラリーマン風に見える通り魔を、通り魔だと見破って逃げる」とかの
> >「自己防衛」を怠ることが、お前の言う「モラルハザード」なんだな?
> やろうと思えばできる選択肢だが。

> >宅間容疑者は、どのように「客観的に」免罪されるんですか?
> この場合は学校の危機管理が問題でしょう。
> この場合学校が保護して管理するのですから。
> まあ杜撰な警備だったので最長の有期刑でいいでしょう。
> もし学校の警備が厳重だった場合、被害者に責任はないから無期刑。
> もし学校の警備が杜撰だった場合、被害者にも責任はあるから有期懲役。
> が私の大雑把な法体系である。

> >空手を習ってる女子大生を強姦するよりは、不用心な幼稚園児とか
> >小学生くらいの女児を強姦するほうが、罪は軽い。
> >だって、女児よりも女空手家のほうが警戒厳重だからね。
> 理解していないな。
> 被害者が事件当時どのような行動とったかが問題だ。
> 子供の場合はその管理する保護者などだけど。
> 412の脳内世界では被害者の落ち度は問われないらしい(藁
888教導者:02/09/08 12:56
>2chの論調=世間一般の論調ではないのですよ。
>短絡的発想で法的規制などと口走ってはいけませんね。
そうですか、短絡的な発想でそれを無根拠に否定してはいけませんな。
社会運動やマスコミの論調になぜそれが一致しているのか疑問ですな。
889正道:02/09/08 12:58
>そうではなく、防げる犯罪をみすみす防げなかった責任を考えています。
>対策を立てないと自己防衛の啓発になりません。

自己防衛の必要性を訴えることと、被害者の責任を問うことは
別のことです。
ましてや、自己防衛の啓発と、刑罰に問うことは全然別のことですね。
物事の区分けはきちんとしなければいけません。

クウェートはイラクの侵略を受けましたが、だからといって、
クウェートがイラクよりもっと強大な軍事力をもっていれば、イラクに侵略されることは
なかったのだから、クウェートにも侵略された責任があると、
クウェートを非難するのは間違ったかんがえ方なのです。
890考える名無しさん:02/09/08 12:58
>881は極論というものを理解していないらしい。
「極論」ってゆーのは、「たしかに言ったかも知れないけど、あれは
口が滑っただけだから、無かったことにして」という意味ではないよ。
891正道:02/09/08 13:03
>それにあなたの論法ではユダヤ人の虐殺があったという前提で
>なされているのも短絡的かつ安易な発想です。

ユダヤ人の虐殺があったという前提で語ることは別に短絡的安易な
発想ではありません。
これはおよそ社会一般で通用する常識的判断というものです。
ユダヤ人虐殺のような歴史的大事件に対して
常識的判断を下すことは、短絡的安易な発想ではありません。
892考える名無しさん:02/09/08 13:04
もし「仮に虐殺があったとしたら」と補ったとしても
教導者の論旨(虐殺されたほうを罰すべき)は変わらないから、
その揚げ足取りは無意味だね。
893教導者:02/09/08 13:05
>自己防衛の必要性を訴えることと、被害者の責任を問うことは
>別のことです。
>ましてや、自己防衛の啓発と、刑罰に問うことは全然別のことですね。
>物事の区分けはきちんとしなければいけません。
違います。責任を問わなければ自覚が生まれません。
ちゃんと啓発するためには何が必要か深く考えないといけません。

>クウェートを非難するのは間違ったかんがえ方なのです。
いや妥当な批判です。国防には軍事力は必要不可欠な要素です。
そこを批判しないと効力はありません。

>890
読解とは、「自分の都合よいところだけよんだり、
自分に都合のよい解釈をすること」ではないよ。
894正道:02/09/08 13:07
>>2chの論調=世間一般の論調ではないのですよ。
>>短絡的発想で法的規制などと口走ってはいけませんね。
>そうですか、短絡的な発想でそれを無根拠に否定してはいけませんな。
>社会運動やマスコミの論調になぜそれが一致しているのか疑問ですな。

わたしが言ったのは、
>かならずしも
>2chの論調=世間一般の論調ではないのですよ。

ということです。

これに反論しているということは、
あなたは、
2chの論調は必ず世間一般の論調と重なると考えているということなの
ですか?

>社会運動やマスコミの論調になぜそれが一致しているのか疑問ですな。

2chの論調が世間一般の論調と一致することもあれば一致しないことも
あります。それはきちんと世間一般の論調がいかなるものかを調査しなけれ
ば、判断を下すことはできないのであって、
2chのある板の論調がどうだから、日本では〜という安易な言い方を
するのは危険なのですね。
やはり熟慮が必要なのです。
895考える名無しさん:02/09/08 13:08
じゃあ、お前の発言が「極論」だったから何だって言うんだ?
お前が「万引きされた被害者には刑罰を加えるべき」だと
主張したことには変わらないだろーが。
896教導者:02/09/08 13:13
>常識的判断を下すことは、短絡的安易な発想ではありません。
常識だけを持ってきて批判するのは短絡的安易な発想です。
また虐殺があったとしても、まず虐殺された側の擁護されるべき
点や責任を無い点を具体的に出すべきで、
まずそこも語られていませんね。

>2chの論調は必ず世間一般の論調と重なると考えているということなの
>ですか?
一致しているのが現状です。まず一致していない根拠、証拠とは?
>2chのある板の論調がどうだから、日本では〜という安易な言い方を
>するのは危険なのですね。
>やはり熟慮が必要なのです。
一致しているのが現状ということが明らかな時点で、
それに対する反証が無いのにそれを否定するのが危険ですね。
やはり熟慮が必要です。


895は極論の意味が理解できていないらしい、
極論ということには変わりは無い。
897正道:02/09/08 13:17
>違います。責任を問わなければ自覚が生まれません。
>ちゃんと啓発するためには何が必要か深く考えないといけません

被害者も法的に罰しないと、自己防衛しないと考えているのですか?
世の中には自己防衛している人たちはたくさんいるでしょう。
アメリカにも、被害者を法的に罰するなどとおかしな法律はありませんが、
いろいろ自己防衛している人たちがいることでしょう。

被害者を法的に罰しなければ、自己防衛をしないというのは
馬鹿げた考え方なのです。
だいたい、先進国で被害者を法的に罰するような法律がある
国がありますか?
もっと熟慮して発言してください。

898ぴよぴよ:02/09/08 13:21
馬鹿は死ななきゃ治らない、って思いません?>>皆さん
899正道:02/09/08 13:24
>>常識的判断を下すことは、短絡的安易な発想ではありません。
>常識だけを持ってきて批判するのは短絡的安易な発想です。
>また虐殺があったとしても、まず虐殺された側の擁護されるべき
>点や責任を無い点を具体的に出すべきで、
>まずそこも語られていませんね。

わたしは、
ユダヤ人虐殺のような歴史的大事件に対して
常識的判断を下すことは、短絡的安易な発想ではない。
といったのです。
無条件で常識だけを持ってきて物事を批判することを、短絡的安易な発想ではないと
言ったのではありません。
もっと相手の発言をちゃんと理解してから発言しなければいけません。
あいかわらず短絡的ですねえ。

>また虐殺があったとしても、まず虐殺された側の擁護されるべき
>点や責任を無い点を具体的に出すべきで、

逆です。虐殺された側に問われるべき責任があると主張するなら、
そう主張する側がそのことを論じなければならないのです。
南京で虐殺された中国人たちにも法的に犯罪に問われるべきだと
主張する人たちは、まずその論拠をいわねばなりません。

900教導者:02/09/08 13:25
>被害者も法的に罰しないと、自己防衛しないと考えているのですか?
極論は極論と理解してください。
私は被害者が責任を自覚して反省するシステムが理想だとしているのです。
まずはそれを念頭に置いてください。
>だいたい、先進国で被害者を法的に罰するような法律がある
>国がありますか?
仮に罰するのが正しいとする主張があった場合、
先進国で前例がないというだけでは反論にはなりません。
それが正しいかどうかとは全く関係がありません。
もっと熟慮して発言してください。


>898
そうですね。負け犬死刑支持論者はキチガイなので、
キチガイは相当教化しないといけないでしょうね。
901ぴよぴよ:02/09/08 13:28
馬鹿はしななきゃなおらない。
更正しない犯罪者もしななきゃなおらない?

どうかしら?
902正道:02/09/08 13:33
>>クウェートを非難するのは間違ったかんがえ方なのです。
>いや妥当な批判です。国防には軍事力は必要不可欠な要素です。
>そこを批判しないと効力はありません。

非難すべきはイラクであって、クウェートではありません。
クウェートはどういう法的な責任に問われるべきだと考えているのですか?
いえませんね。

それにすべての国が他国よりも強大な軍事力を持とうとすれば
必然的に軍拡競争がおきます。
そのようなことは国際社会が許容しません。
あなたも望まないでしょう。
小国クウェートがイラクを圧倒する軍事力を持つことは現実的に不可能であって、
イラクを圧倒する軍事力を持っていないからといってクウェートを非難するのは
馬鹿げたことなのですねえ。
駄目ですねえ。
903教導者:02/09/08 13:34
>ユダヤ人虐殺のような歴史的大事件に対して
>常識的判断を下すことは、短絡的安易な発想ではない。
だったら、そうすればいいでしょう。
もっと相手の発言をちゃんと理解してから発言しなければいけません。
あいかわらず短絡的ですねえ。
こちらは熟慮に熟慮を重ねているのに。
>そう主張する側がそのことを論じなければならないのです。
私はどちらも断定していません。
何故なら虐殺があったかどうかもはっきりと断定できないものに
私は責任があるかどうかを語る方が不毛だと考えているからです。
あなたはそれをあったと前提づけた上で(常識だと逃げていますが)
それを語っているのでまずは何故責任が無いか証明しなければなりません。

また南京事件では明らかに国民党の司令官が敵前逃亡して、
部下にたいする命令の不徹底が指摘されております。
まずは国民党に責任があるでしょうね。
まあ、聞きかじりの話なのでこれくらいの判断しかできませんが。

904正道:02/09/08 13:38
>2chの論調は必ず世間一般の論調と重なると考えているということなの
>ですか?
一致しているのが現状です。まず一致していない根拠、証拠とは?

ワールドカップの時期2chのワールドカップ板では、嫌韓国の論調が
多かったですが、世間ではむしろ韓国と親和ムードでしたね。
このように、2chの論調と世間の論調が常に同じなわけではありません。


>一致しているのが現状ということが明らかな時点で、
>それに対する反証が無いのにそれを否定するのが危険ですね。

少しもあきらかではなりません。
例えば宮台さんは、日本では犯罪被害者の家族に対してつめたいと
主張しています。
あなたは、日本は犯罪被害者をあまやかしていると感じている。
このように、日本の風潮に関する見解にずれがあるのですから、
2chの少年板の風潮をもって、日本は犯罪被害者にあまいという
ことを決めつけるのは無理があるのです。
一致しているのが現状などとは言えないのですよ。
駄目ですねえ。
905教導者:02/09/08 13:41
>クウェートはどういう法的な責任に問われるべきだと考えているのですか?
>いえませんね。
無根拠にそう述べるところがあなたの短慮なところですね。
>そのようなことは国際社会が許容しません。
>あなたも望まないでしょう。
望みますね。各国の権利である上に国防上避けて通れないものです。
あなたは一部の人が考えているように軍隊は不要という信仰を持つ人ですか?
>小国クウェートがイラクを圧倒する軍事力を持つことは現実的に不可能であって、
>イラクを圧倒する軍事力を持っていないからといってクウェートを非難するのは
>馬鹿げたことなのですねえ。
不可能ではありません。米軍に基地の使用を認めたり、国軍の兵器の技術革新
(基本的には米軍頼りでしょう)
すでにイラク軍が駆逐されている事実があるのに。
それを無視するとは、
全くあなたは馬鹿を通り越してキチガイですね。
キチガイならばあなたが熟慮できないのもわかります。
906ぴよぴよ:02/09/08 13:43
世間一般の論調なんてどおでもいい。

常識で判断するんじゃなくって客観的に死刑賛成の反対は反対なのだーどうかを話ししれ

2chの論調なんてもっとどーでもいーずら
907正道:02/09/08 13:45
>>ユダヤ人虐殺のような歴史的大事件に対して
>>常識的判断を下すことは、短絡的安易な発想ではない。
>だったら、そうすればいいでしょう。

だからそうしてるではないですか?
ユダヤ人虐殺があったことを前提に話をしているでしょう。
それに文句をいってるのがあなたなのですよ。
あなたは、ユダヤ人虐殺があったことを前提に語るのは短絡的だと
主張したので、
ユダヤ人虐殺のような歴史的大事件に対しては、
そのようなことがあったという常識的判断を下すことは、短絡的発想ではない
とあなたに教えているわけです。
わかりましたか?

>もっと相手の発言をちゃんと理解してから発言しなければいけません。

そうです。わかっているのなら実行しなければいけません。
気をつけましょう。
908ぴよぴよ:02/09/08 13:46
教導者は

将来的には人々が自主的にルールをまもって法が無くても秩序が保たれる社会を
めざしているそうですが

今ある脅威のために軍隊はひつよう、であり
将来のために、今ある死刑制度は不要なわけですか。

将来の事を考えるなら、現実の問題を無視してどっちもなくすべきだと思いますよ。
909教導者:02/09/08 13:48
>このように、2chの論調と世間の論調が常に同じなわけではありません。
どこまで、親和ムードが信用できるものか。
マスコミは他国の目などを考えないといけないしね。
まあ確証のないもので反論してくるとは、
もっと熟慮が欲しいですね。
>2chの少年板の風潮をもって、日本は犯罪被害者にあまいという
>ことを決めつけるのは無理があるのです。
何故世間一般の目が被害者に厳しいのか?それを具体的に証明してください。
少年犯罪板以外にもニヒリスト氏の発言からも
被害者に甘いと現状と一致していることは言えるものを。
あなたは全く駄目ですねえ。
910教導者:02/09/08 13:57
>あなたは、ユダヤ人虐殺があったことを前提に語るのは短絡的だと主張したので、
>ユダヤ人虐殺のような歴史的大事件に対しては、
>そのようなことがあったという常識的判断を下すことは、短絡的発想ではない
だったら確証のない不毛なものを持ち込むことは短絡的と言ったのです。
だから常識的判断を持ち出してくることを批判したのです。
それに文句を言ってるのはあなたです。それを諭していたですが、
解ってくれましたか?
>そうです。わかっているのなら実行しなければいけません。
>気をつけましょう。
あなたは理解していないようなので、気をつけましょう。

>908
>将来の事を考えるなら、現実の問題を無視してどっちもなくすべきだと思いますよ。
現実の問題を無視して将来を考えても合理的ではありません。
長期的に物を考えるということを理解しないといけません。
911正道:02/09/08 13:58
>極論は極論と理解してください。

極論ということで何がいいたのか不明です。
まじめに考慮する必要がない意見という理解でよいのでしょうか。

>私は被害者が責任を自覚して反省するシステムが理想だとしているのです。

ナチスに虐殺されかけたユダヤ人が、自分が虐殺されかけた責任を反省するシステム
が理想なんですか?
912正道:02/09/08 13:59
>また南京事件では明らかに国民党の司令官が敵前逃亡して、
>部下にたいする命令の不徹底が指摘されております。
>まずは国民党に責任があるでしょうね

ユダヤ人の虐殺があったと前提にして語ることに文句を言う人が、
南京虐殺事件があったことを前提に語るのは、まったく整合性がとれて
ませんね。
ようはあなたも歴史的大事件に対しては常識的判断を下しているわけです。
それでいいのですよ。(^^)

913正道:02/09/08 14:00
>また南京事件では明らかに国民党の司令官が敵前逃亡して、
>部下にたいする命令の不徹底が指摘されております。
>まずは国民党に責任があるでしょうね

それは、中国軍の中国人に対する責任であって、
被害にあった一般中国人の責任ではないし、

それにわたしは
あなたの、
>教導者は過去ログで、万引きされた商店主は
>万引きの場を提供した「万引き幇助罪」で
>刑罰を受けるべき


という発想にたして、
>これはおかしな言い分ですねえ。
>万引きされた店主がなぜ刑罰をうけなければいけないのですか?
>これでは、南京で虐殺された中国人たちは、虐殺の場の提供をしたという
>ことで刑罰をうけなければいけなくなるではないですか?
>本当にそう考えるのですか?

と聞いているのです。

>また南京事件では明らかに国民党の司令官が敵前逃亡して、
>部下にたいする命令の不徹底が指摘されております。

は回答になってませんね。
駄目ですねえ。
914正道:02/09/08 14:00
>>クウェートはどういう法的な責任に問われるべきだと考えているのですか?
>>いえませんね。
>無根拠にそう述べるところがあなたの短慮なところですね。

では言ってみせてください。
915教導者:02/09/08 14:01
>極論ということで何がいいたのか不明です。
>まじめに考慮する必要がない意見という理解でよいのでしょうか。
極端に考えて行き着いた意見とという風に理解してください。
>ナチスに虐殺されかけたユダヤ人が、自分が虐殺されかけた責任を反省するシステム
>が理想なんですか?
だから、ユダヤ人がどんな責任があるかどうかは私は判断しかねます。
何故なら虐殺自体あったかどうか確証の無いものですから。
もっと相手の発言をちゃんと理解してから発言しなければいけません。
解りましたか?
916教導者:02/09/08 14:08
>被害にあった一般中国人の責任ではないし、
しかし、国民党の責任を追求しないならばその点での責任はあります。
>と聞いているのです。
よくわかりませんね。
上記の無いようでは具体性に欠け判断しかねます。
まあ中国人だからといって責任があるとは考えませんけど。
>では言ってみせてください。
充分既に幼稚園児にも解るように述べています。
軍事力は必要不可欠です。それに着目しないで努力しなければ、
批判されて当然です。
917.:02/09/08 14:10
◆アムネスティ・インターナショナル日本◆

http://www.amnesty.or.jp/

アムネスティ・インターナショナルに入り、無視されている犯罪者の人権を
徹底的に擁護しよう!


憲法31-40条は絶対に侵してはならない。




918.:02/09/08 14:10
=====大教大にメールを送りました======================
(優良スレッド;http://school.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1030777399/も参照

宅間被告に死刑を求める署名運動は非人間的であり、非難されるべきものだ.

・宅間被告を死刑にして何か得るものがあるのですか?
・皆さんが死刑を求める宅間被告は情状酌量されるべき。
その主な理由についてを以下に述べる.
 宅間被告は、非社会性人格障害などの人格疾患を持っていた.人格の障
害は、刑事責任能力に直接影響しないが、それらの偏った人格は、学齢期に
形成されたものであり、 その病理は、学校や周囲生徒らに由来する.
具体的に>日本の教育制度はかつてから個性非重視、集団統一的義務教育であり
、そこでの人間関係の摩擦や衝突、阻害は、人格の形成にあたり大きな影響を
及ぼすものであり、時にそれらが影響し、人格に攻撃性が生まれ、非社会性人
格へと発展する事がある。宅間被告の今回の事件は、その人格と、虚無感、失
望感とが重なったが故の犯行であり(自暴自棄性)、また、宅間被告は、事件
前に自殺を図るなどしている。これらの事から宅間被告の事件当時の心情を考
察すると、その事件の行動自体の咄嗟性・恣意性は薄く、語弊はあるが、日本
の学校教育制度にも大きな問題がある。日本の学校教育制度からは、社会地位
的弱肉強食性が伺え、宅間被告の今回の事件はその制度による劣等感・不満が
鬱積した形での、学校・社会に対するテロルの行使であり、宅間被告にとって
は、それが最後の手段であった.一方、世間では、それを一概に、「エリート
に対する無努力の執着の延長線上に位置する残虐的行為」と言うように解釈さ
れている。これらの一般的見解は、宅間被告側にとっては重過ぎ、全く同情の
ない冷酷なものであり、宅間被告にとっては精神的に苦痛となるものである.
また、これらの見解等をマスコミが祭りたてる事は宅間被告の性格等から推測
しても、被害者側に対する憎悪心を一層強めるだけである.
教育大学である貴校が、これらの事を理解できないのは人権社会にとって大変
深刻な事態である。貴校が、宅間氏の処遇等について、再度真剣に考えて行動して
くれる事を私は切に願う。
919正道:02/09/08 14:11
>>そのようなことは国際社会が許容しません。
>>あなたも望まないでしょう。
>望みますね。各国の権利である上に国防上避けて通れないものです。

まあ、あなたが望むのは勝手ですから。
でも国際社会は望んでないのです。
そして、どの国も他国より軍事力で上回ることは論理的に不可能なのですよ。


>あなたは一部の人が考えているように軍隊は不要という信仰を持つ人ですか?

軍拡競争を望まない=軍隊は不要
とあなたは考えているのですか?
浅はかですねえ。
920正道:02/09/08 14:12
>>小国クウェートがイラクを圧倒する軍事力を持つことは現実的に不可能であって、
>>イラクを圧倒する軍事力を持っていないからといってクウェートを非難するのは
>>馬鹿げたことなのですねえ。
>不可能ではありません。米軍に基地の使用を認めたり、国軍の兵器の技術革新
>(基本的には米軍頼りでしょう)
>すでにイラク軍が駆逐されている事実があるのに。

それはイラクがクウェートに侵略して湾岸戦争が終わってイラクが徹底的に
破壊された後のことでしょう?
イラクがクウェートに侵略する以前の話をしているのです。
イラクがアメリカから対イラン政策のために膨大な軍事強力をうけて、
中東一とうたわれた軍事力を築いている時点の話です。
問題になっているのは、イラクにクウェートが侵略されたときに、
クウェートがイラクを圧倒する軍事力をもっていないことを非難する
ことの是非ですよ。

話の文脈を理解できてますか?


>それを無視するとは、
>全くあなたは馬鹿を通り越してキチガイですね。
>キチガイならばあなたが熟慮できないのもわかります。

あまりカッカしないほうがいいですよ。(^^)
921ぴよぴよ:02/09/08 14:14
>>910

>将来の事を考えるなら、現実の問題を無視してどっちもなくすべきだと思いますよ。
これはアナタにいったのです。ことばたらずですいません。


あなたは死刑反対の立場のはずですが
現実の問題を考えれば容認されるのですか?そうではないでしょう。

現実の問題に対処するため軍隊がひつよう、とするのにたいし
現実に犯罪者をうまく更正できていなく、再犯を防ぎきれないのに
なぜ死刑や終身刑に反対なのですか?

反対するのは更正の方法が確立されてからでいいんじゃないの?
現実の問題を考えれば「反対ではあるが、容認せざるをえない」
がアナタのとるべき立場じゃないの?
922.:02/09/08 14:14
923教導者:02/09/08 14:18
>現実に犯罪者をうまく更正できていなく、再犯を防ぎきれないのに
>なぜ死刑や終身刑に反対なのですか?
過去ログでインセンティブの問題のところを読んでください。
平時の犯罪に死刑を使用すればいつになっても理想の状態に行き着きません。
これは現実の問題をも解決しているのです。

>反対するのは更正の方法が確立されてからでいいんじゃないの?
確立されていなくても長期的に見て妥当で合理的な判断なのです。
現実の問題からみても同様に。
924教導者:02/09/08 14:24
>でも国際社会は望んでないのです。
>そして、どの国も他国より軍事力で上回ることは論理的に不可能なのですよ。
それを補完するのが、安全保障条約など政治的手段です。
それは軍事力を前提とし、背景が無ければ成り立ちません。
国際社会はそう望んでいるのが現状です。

>とあなたは考えているのですか?
>浅はかですねえ。
軍は不要でないのに、軍拡を否定する
極めて浅はかですね。

>クウェートがイラクを圧倒する軍事力をもっていないことを非難する
>ことの是非ですよ。
だからこそです。精一杯努力しての結果ならそれを否定しませんが、
実際には軍よりも他のものに金を使っていたのが現状です。
(教育施設に過剰な金の使い方など)
話の文脈を理解できてますか?

>あまりカッカしないほうがいいですよ。(^^)
あなたがね。(^^)
925正道:02/09/08 14:28
>>2chの少年板の風潮をもって、日本は犯罪被害者にあまいという
>>ことを決めつけるのは無理があるのです。
>何故世間一般の目が被害者に厳しいのか?それを具体的に証明してください。
>少年犯罪板以外にもニヒリスト氏の発言からも
>被害者に甘いと現状と一致していることは言えるものを。
>あなたは全く駄目ですねえ。

だから、
”被害者に甘いという現状”
はあなたの見解であって、かならずしも世間一般と合致しているわけではないことを、
宮台さんの発言でしめしたでしょう。

日本は被害者に甘いか否かという点に関して、
異なる見解があると言ってるのに、

被害者に甘いという現状を盲目的に前提にしたうえで、
2chの書きこみと一致しているなどといっても意味がありませんよ。
日本が被害者に甘いという現状とやらをちゃんと説明してみてくださいな。
926教導者:02/09/08 14:34
>はあなたの見解であって、かならずしも世間一般と合致しているわけではないことを、
>宮台さんの発言でしめしたでしょう。
それはあなたの根拠の無い主観であって、
あなたはそれに何一つ具体的な証明をしていません。
日本の世論は被害者に甘いという根拠を少年犯罪板などの証拠をもって
客観的に論じているのに。
あなたは被害者に厳しいという教義を無根拠に盲目的に信奉して、
それが世論だといってるだけ。
ちゃんと日本が被害者に厳しいという根拠を具体的に証明しなさい。
927TΞT))))ヒィィィ:02/09/08 14:35
(今までの流れをみずに適当に反論します)
法的見地、人道的見地は哲学版に必要のない言葉だと思われ(ここは哲学版)
人を殺したからこいつも殺してくれというのは殺人を犯した人と同じことを求めることであり
もし死刑が決定したらその求めた人は殺人を犯したことと大差ないと思われ
しかし それは倫理とか道徳とかの世界なので哲学版ではどうでもいいことだと思われ
928正道:02/09/08 14:37
>>でも国際社会は望んでないのです。
>>そして、どの国も他国より軍事力で上回ることは論理的に不可能なのですよ。
>それを補完するのが、安全保障条約など政治的手段です。
>それは軍事力を前提とし、背景が無ければ成り立ちません。
>国際社会はそう望んでいるのが現状です。

そうです。
国際社会はどこの国も相手国よりも上回る軍事力を持とうと
軍拡競争をすることを望んでいませんねえ。
軍拡競争のかわりに、多国間の安全保障条約や、他国との間に
経済的相互交流を築くなどの外交努力が
あるわけです。

ですから、

>軍は不要でないのに、軍拡を否定する
>極めて浅はかですね。

というのが全然浅はかでないことがわかりますよね。
軍事力の必要性を認めることと、相手国を上回る軍事力を持とうとする
軍拡競争を否定することはなんら矛盾しないのですね。
もっと勉強してくださいね。(^^)
929ぴよぴよ:02/09/08 14:41
じゃあ みなさん がんばって理想の世界を築いてください。
理想の世界ってものがあるのかはしりませんが・・・・

その理想郷への移行過程として
「自己防衛を怠れば罰せられる」ような社会を経ねばならないなら
たいへん辛い時代が到来しそうです。
僕達は後の世代のために、辛くても正しい選択をせねばならんちゅうことでしょうか。

その方法が真理に到達できると誰が保証してくれるのでしょう?



あと池田小の事件の「死刑署名運動」はどーかしてますね。
「もし更正不能であれば」→「死刑」で十分です。
赤の他人に署名させるほうも、署名するほうもどうかしてます。






そろそろお迎えがきたようでふ。
930教導者:02/09/08 14:42
>国際社会はどこの国も相手国よりも上回る軍事力を持とうと
>軍拡競争をすることを望んでいませんねえ。
望んでいます。その背景が無ければ安全保障などがあったとしても無意味です。
>軍拡競争のかわりに、多国間の安全保障条約や、他国との間に
>経済的相互交流を築くなどの外交努力が
>あるわけです
そういうものは軍拡競争と補完され平行して行われるものです。
つまり軍拡は必要不可欠なものです。
>軍事力の必要性を認めることと、相手国を上回る軍事力を持とうとする
>軍拡競争を否定することはなんら矛盾しないのですね。
ということは全く浅はかなんですよね。
軍事力の必要性から軍拡は当然の帰結なのですから。
もっと勉強してくださいね。(^^)
931教導者:02/09/08 14:44
>「もし更正不能であれば」→「死刑」で十分です。
全く根拠の無い考えだな。
長期的に全く考えていない。
932正道:02/09/08 14:45
>>クウェートがイラクを圧倒する軍事力をもっていないことを非難する
>>ことの是非ですよ。
>だからこそです。精一杯努力しての結果ならそれを否定しませんが、
>実際には軍よりも他のものに金を使っていたのが現状です。
>(教育施設に過剰な金の使い方など)
>話の文脈を理解できてますか?

あらゆる金を軍事費に使うわけにはいかないでしょう。
北朝鮮のように、民衆が飢えているのに、軍事費に
たっぷり使うなどということを正当化できますか?
クウェートも社会を発展させていきたいと希望している
のでしょうから、軍事費以外に予算を使うのは当然です。

戦前の日本のように、贅沢しません勝つまでは
ではないのですから、
過剰に軍事費をつかっていないからといって、
クウェートを非難することはできません。

あなたは今の日本の軍事力に関してどう思ってるのですか?
933教導者:02/09/08 14:50
>あらゆる金を軍事費に使うわけにはいかないでしょう。
軍事費以外に費やしてはいけないといってるのでなく、
脅威があるのにそれを怠って、
他の部門に過剰に費やすのを批判している。
>過剰に軍事費をつかっていないからといって、
>クウェートを非難することはできません。
脅威に対して対抗できることでこそ、軍隊は必要なのである。
それを怠って今の日本のように貧弱な武装ではいけないと批判している。
>あなたは今の日本の軍事力に関してどう思ってるのですか?
貧弱ですね。軍にさえ名実共に昇格していない。
空母も持たない軍では侵略さえ防ぎようがない。
軍事板へ行けば、いくらでも自衛隊の批判点は出てきますよ。
934ぴよぴよ:02/09/08 14:52
だってあんたのいってること理解できないんだもん。

釈放した犯人が再犯で殺人を犯しても
「長期的視野で考えて釈放しました」っていうんだろ?信じられん

すくなくとも犯人が再犯せずに死ぬことを確信するまでは釈放しない
ことが長期的視野で考えるっちゅうことじゃないの?



まー、このスレでは死刑賛成派が多い、ということが
日本の世論は死刑賛成派が多いという証拠になるなら
俺は多数派だね。

がんばって改革をすすめてください。
935教導者:02/09/08 14:54
>すくなくとも犯人が再犯せずに死ぬことを確信するまでは釈放しない
>ことが長期的視野で考えるっちゅうことじゃないの?
現在の技術レベルで再犯しないと判定が出ればそれで釈放しても問題ない。
936正道:02/09/08 14:59
>>軍拡競争のかわりに、多国間の安全保障条約や、他国との間に
>>経済的相互交流を築くなどの外交努力が
>>あるわけです
>そういうものは軍拡競争と補完され平行して行われるものです。
>つまり軍拡は必要不可欠なものです。
>>軍事力の必要性を認めることと、相手国を上回る軍事力を持とうとする
>>軍拡競争を否定することはなんら矛盾しないのですね。
>ということは全く浅はかなんですよね。
>軍事力の必要性から軍拡は当然の帰結なのですから。
>もっと勉強してくださいね。(^^)
 
止め処もない軍拡競争のかわりに、
互いに軍縮を進め、平和な社会を築いていこうというのが世界の流れですよ。
http://www.drc-jpn.org/AR-2J/eguchi-j.htm
http://www.jiia.or.jp/research/j-gunshuku.html
でもみて勉強してくださいね。(^^)
937教導者:02/09/08 15:05
>互いに軍縮を進め、平和な社会を築いていこうというのが世界の流れですよ。
出鱈目な論理で軍拡を否定しているので失笑した。(^^)

結局は感情論。そりゃ誰も「戦争しないようにしよう」
とすれば平和になるな。
まあもっとあなたは客観的に物事を考えれるように勉強してきなさい。
938正道:02/09/08 15:17
>>はあなたの見解であって、かならずしも世間一般と合致しているわけではないことを、
>>宮台さんの発言でしめしたでしょう。
>それはあなたの根拠の無い主観であって、
>あなたはそれに何一つ具体的な証明をしていません。
>日本の世論は被害者に甘いという根拠を少年犯罪板などの証拠をもって
>客観的に論じているのに。


あなたが論じているのは、
日本が犯罪被害者に甘いという現状認識を無根拠に前提にしたうえで、
そのあなたの認識が、2chの書きこみと一致するものがあったと
言ってるだけです。
日本が犯罪被害者に甘いという現状認識について、なにも客観的に論じてませんよ。
駄目ですねえ。

>あなたは被害者に厳しいという教義を無根拠に盲目的に信奉して、
>それが世論だといってるだけ。
>ちゃんと日本が被害者に厳しいという根拠を具体的に証明しなさい。

あまりカッカすると健康に毒ですよ。(^^)
藤井誠二『少年に奪われた人生』(朝日新聞社)
でも読んでみてください。
ちなみにこの本の宮台さんの感想です。
http://www.miyadai.com/message/?msg_date=20020815
939:02/09/08 15:21
何故死刑ができたか答えられる方は答えてください。
940正道:02/09/08 15:22
>結局は感情論。そりゃ誰も「戦争しないようにしよう」
>とすれば平和になるな。
>まあもっとあなたは客観的に物事を考えれるように勉強してきなさい。

全然違うでしょう?
世界の現状の在り方をのべているのですよ。
別に理想を語っているわけではありませんよ。
あなたが、
>>軍拡競争のかわりに、多国間の安全保障条約や、他国との間に
>>経済的相互交流を築くなどの外交努力が
>>あるわけです
>そういうものは軍拡競争と補完され平行して行われるものです

とかたくなに主張しているので、
国際間では、多国間の安全保障や経済協力の構築の努力とともに、
軍縮の努力もなされているということを具体例をあげて
示したわけです。

教導者さんによると、
>軍事力の必要性から軍拡は当然の帰結
ということになってしまい、
なぜ国際間で軍縮交渉がなされているのか説明がつかないのですね。
困ったものです。(^^)
941正道:02/09/08 15:24
>だったら確証のない不毛なものを持ち込むことは短絡的と言ったのです。
>だから常識的判断を持ち出してくることを批判したのです。
>それに文句を言ってるのはあなたです。それを諭していたですが、
>解ってくれましたか?

別に確証がない不毛なものではありませんよ。
ドイツはナチスのユダヤ人虐殺を人道上の犯罪と認めていますよ。
確証はあるのですよ。(^^)

南京虐殺は認めるが、ナチスの虐殺は判断できないとだだをこねる
変な人ですねえ。
942正道:02/09/08 15:28
>>極論ということで何がいいたのか不明です。
>>まじめに考慮する必要がない意見という理解でよいのでしょうか。
>極端に考えて行き着いた意見とという風に理解してください。

聞いているのは、まじめな主張としてうけとっていいかどうかですよ。
943正道:02/09/08 15:29
>>ナチスに虐殺されかけたユダヤ人が、自分が虐殺されかけた責任を反省するシステム
>>が理想なんですか?
>だから、ユダヤ人がどんな責任があるかどうかは私は判断しかねます。
>何故なら虐殺自体あったかどうか確証の無いものですから。
>もっと相手の発言をちゃんと理解してから発言しなければいけません。
>解りましたか?

では、あなたが認めている南京虐殺でもいいですよ。
日本軍に殺されかけた一般中国人が、自分が殺されかけた責任を反省する
システムが理想なんですね。

944教導者:02/09/08 15:30
>日本が犯罪被害者に甘いという現状認識を無根拠に前提にしたうえで、
>そのあなたの認識が、2chの書きこみと一致するものがあったと
違います。少年犯罪板その他の現状から
社会運動やマスコミの論調を総合的に客観的に分析すると
被害者に甘いという現実が出てきているのです。
それとは反対に、あなたは日本が犯罪被害者に厳しいという現状認識を無根拠に前提にしたうえで、
なんら被害者に厳しいということを証明すらしていない。
駄目ですねえ。
あまりカッカすると健康に毒ですよ。(^^)

そして、結局出してきたのが、論理が出鱈目な
ソース。
まず第一に死刑廃止を唱える人が多いのなら、
何故廃止にならない。民主主義の世界ならば矛盾するものである。
でっ結局的には被害者の醜悪なサド感情を擁護するという感情論。
批判されても当然なのにそれに対して反省しないという現状。
まあ少なくとも被害者がこのようでは、
より被害者の責任を自覚させて反省を促すような
システムが必要であることのソースになるわけだ。
945正道:02/09/08 15:31
>>と聞いているのです。
>よくわかりませんね。
>上記の無いようでは具体性に欠け判断しかねます。
>まあ中国人だからといって責任があるとは考えませんけど。

逃げなくてもいいでしょう?

あなたは、
>万引きされた商店主は
>万引きの場を提供した「万引き幇助罪」で
>刑罰を受けるべき

という発想をしているのだから、

つまり、犯罪がある場所で行われたとき、
その場所の所有者は、犯罪の場所を提供した「幇助罪」で
刑罰をうけるべきだと考えているわけでしょう。

だとすれば、
南京虐殺にさいして、中国人たちは虐殺の場の提供をしたという
ことで刑罰をうけなければいけなくなるではないですか?

ということです。
どうなんですか?

ここで聞いているのは、南京虐殺に際して”場を提供したという理由”で
刑罰に処すか否かですよ?
946正道:02/09/08 15:41
>違います。少年犯罪板その他の現状から
>社会運動やマスコミの論調を総合的に客観的に分析すると
>被害者に甘いという現実が出てきているのです。

”総合的に客観的に分析”と言ってるだけでしょう。
言うだけでは客観的に証明していることになりませんよ。(^^)



947教導者:02/09/08 15:42
>別に理想を語っているわけではありませんよ。
全然違うでしょう。
現状のあり方がそうであれば所詮は感情論。
現場での正しい認識とは程遠いものです。
>軍縮の努力もなされているということを具体例をあげて
>示したわけです。
結果的には大国の権謀術数の観点から、
軍縮を利用しているということですね。
正道氏の論法ではなぜ国際間で軍縮交渉がなされているのか主観的な説明しかないのですね。
困ったものです。(^^)

>ドイツはナチスのユダヤ人虐殺を人道上の犯罪と認めていますよ。
>確証はあるのですよ。(^^)
ほう、どこに確証があるのですか?
私は判断できませんね。
見たこともないのですから。
当然南京事件もね。ただ司令官の敵前逃亡は事実としてありますが。
>聞いているのは、まじめな主張としてうけとっていいかどうかですよ。
極論をまじめな主張ととるというのですか?
変な人ですねえ。
948教導者:02/09/08 15:44
>日本軍に殺されかけた一般中国人が、自分が殺されかけた責任を反省する
>システムが理想なんですね。
認めているわけでも否定しているわけでもありませんよ。
ただ敵前逃亡の責任が中国人にたいして責任があると言ったまでですが。

>その場所の所有者は、犯罪の場所を提供した「幇助罪」で
>刑罰をうけるべきだと考えているわけでしょう。
あなたは何故逃げようとするのですか?
極論をとりあげて反論するとは逃げているのと同じですよ。

>ここで聞いているのは、南京虐殺に際して”場を提供したという理由”で
>刑罰に処すか否かですよ?
だから、その説明では不十分なんです。
責任がある、責任がないどちらとも判断できてる内容ですよ。
まず何故虐殺されたかの背景が書かれていません。

>言うだけでは客観的に証明していることになりませんよ。(^^)
ほう、要するにあなたは反論できない都合の悪い証明がされたので、
認めないのですか。逃げなくてもいいですよ。(^^)
949正道:02/09/08 15:47
>そして、結局出してきたのが、論理が出鱈目な
>ソース。
>まず第一に死刑廃止を唱える人が多いのなら、
>何故廃止にならない。民主主義の世界ならば矛盾するものである。

どこに死刑廃止を唱えている人が多いと書いてあるのですか?


>でっ結局的には被害者の醜悪なサド感情を擁護するという感情論。
>批判されても当然なのにそれに対して反省しないという現状。

感情的になってるのはあなたでしょう。
落ちついてくださいな。

その”批判されても当然”という理由はなんですか?

感情的にならずに答えてくださいね。(^^)
950教導者:02/09/08 15:51
>どこに死刑廃止を唱えている人が多いと書いてあるのですか?
だとしたら、先のソースは世間一般の認識が
被害者に厳しいという証拠には全くなりませんね。

>感情的になってるのはあなたでしょう。
>落ちついてくださいな。
だんたん、あなたは追い詰められてきて
焦って冷静さを欠いてきていますね。
>その”批判されても当然”という理由はなんですか?
過去ログを読みなさい。
感情は法に介入すべきではないものです。
過去ログを読んだ上で反論しなさい。
感情的なってはここでは相応しくないのですよ。

951正道:02/09/08 15:52
>>軍縮の努力もなされているということを具体例をあげて
>>示したわけです。
>結果的には大国の権謀術数の観点から、
>軍縮を利用しているということですね。

つまり、
軍縮を利用するほうが利益があるからですよね。
どの国も相手の国よりも軍事力でうわまわろうと
すると、国際社会の安定がそがれるから、軍縮をすすめている
ということですよね。

ようやく教導者さんも
>>軍拡競争のかわりに、多国間の安全保障条約や、他国との間に
>>経済的相互交流を築くなどの外交努力が
>>あるわけです
>そういうものは軍拡競争と補完され平行して行われるものです

ということが間違いであることに気がついたようですね。

まあ、どの国も相手の国よりも強大な軍事力を持とうと
すれば、金はかかるは、世界情勢は不安定になるわで、
軍事大国も迷惑なわけです。
あたりまえの話ですね。(^^)
952教導者:02/09/08 15:56
>すると、国際社会の安定がそがれるから、軍縮をすすめている
>ということですよね。
だからこそ、軍拡をして大国の利益を無視して
政治的な政策は軍拡競争と補完され平行して行われるものです。
ようやくあなたは妄想から目がさめましたか?
だから、軍拡をして他国を跳ね除ける力を持たないと
大国に蹂躙される。
あたりまえの話ですね。(^^)
953正道:02/09/08 16:11
>>すると、国際社会の安定がそがれるから、軍縮をすすめている
>>ということですよね。
>だからこそ、軍拡をして大国の利益を無視して
>政治的な政策は軍拡競争と補完され平行して行われるものです。

またもどにもどってしまったのですか?
軍縮が行われていることはさっき認めたのではありませんか?
一国で多国を上回る軍事力を持つことは、アメリカや中国といった
ごく一部の大国ぐらいしかできないのですよ。
ですから、ほとんどの国は、多国間の安全保障条約や、
経済交流などで結びつこうとしているわけですよ。

いいですから、
小国が一国で多国よりも軍事力で上回るという軍拡競争は現実的に不可能
だし、経済的負担がおおきいから、大国を含んだ多国間の安全保障や経済的結びつき
をもつことで安全保障を高めるわけです。
ですから、軍隊の必要性を認めることと、軍拡競争の必要性を
認めることは別なのですよ?

954正道:02/09/08 16:15
>ようやくあなたは妄想から目がさめましたか?
>だから、軍拡をして他国を跳ね除ける力を持たないと
>大国に蹂躙される。

軍拡をしなくても、日本のようにアメリカと安全保障を
結ぶことで安全を確保することができるでしょう?

>だから、軍拡をして他国を跳ね除ける力を持たないと
>大国に蹂躙される。

まるで冷戦時代の人のような発想ですね(^^)
955教導者:02/09/08 16:16
>ですから、ほとんどの国は、多国間の安全保障条約や、
>経済交流などで結びつこうとしているわけですよ。
またもどにもどってしまったのですか?
結局は大国にいいように利用されているだけ、
自国の繁栄と防衛を考えるならば、軍拡と政治的手段を補完しあって
いくのが基本的政策。
>ですから、軍隊の必要性を認めることと、軍拡競争の必要性を
>認めることは別なのですよ?
経済的負担だからといって軍拡そのものを否定するのは間違い、
現状で最大限の努力をして軍備を増強するのが基本。
まずはそれを理解せねばなりません。
956正道:02/09/08 16:17
>>聞いているのは、まじめな主張としてうけとっていいかどうかですよ。
>極論をまじめな主張ととるというのですか?
>変な人ですねえ。

なんだ。
逃げちゃうのか。(^^)

957教導者:02/09/08 16:18
>なんだ。
>逃げちゃうのか。(^^)
なんだ、あなたはただの真性キチガイだったのか?
958教導者:02/09/08 16:22
>軍拡をしなくても、日本のようにアメリカと安全保障を
>結ぶことで安全を確保することができるでしょう?
アメリカは自国を守るのが最優先の目的です。
いざとなったら幾等でも日本を見捨てます。
基本的には自国で最大限の軍備増強に努めなければならないでしょう。
その上でなくては安全保障も所詮は形骸です。

>まるで冷戦時代の人のような発想ですね(^^)
まるであなたの発想は平和ボケした人の幼稚な発想ですね(^^)
959正道:02/09/08 16:23
>>ですから、ほとんどの国は、多国間の安全保障条約や、
>>経済交流などで結びつこうとしているわけですよ。
>またもどにもどってしまったのですか?
>結局は大国にいいように利用されているだけ、
>自国の繁栄と防衛を考えるならば、軍拡と政治的手段を補完しあって
>いくのが基本的政策。

あなたが論じているのはべき論。

現実は、多国間の安全保証条約や、経済的結びつきを
もつことによって一国で他国をうわまわる軍拡競争を
やめて、平和の構築をしようとしているのが現状です。
わたしはべつにそうしろとべき論を言っているわけではありません。

日本をみればわかるように、一国によって、強大な軍事力を
もつことはせずに、アメリカと安全保障を結び経済的
結びつきを強めることによって、安全保証を確保しようとしている
のが世界的な流れです。

小国では、他国より上回る軍事力をもつことは経済的に困難だし、
国家予算に対して軍事費の比重が高いとその国の経済が停滞する
のです。ソ連が崩壊した一因には、アメリカとの軍拡競争が
あったという話があるのですよ。
960教導者:02/09/08 16:31
>平和の構築をしようとしているのが現状です。
>わたしはべつにそうしろとべき論を言っているわけではありません。
だったらここではより否定される主張ですね。
合理的な判断や効率的な判断がここでは問題にされているのです。
現状がそうだからいいというのであれば否定されます。
>ソ連が崩壊した一因には、アメリカとの軍拡競争が
>あったという話があるのですよ
無理な軍拡だっただけのこと。
つまり軍拡やりかたら急進的だったというわけで
軍拡を否定するものではありません。
クウェートの問題ではもっと軍備を増強できたのではないかという疑問から
批判されているのでは?
961正道:02/09/08 16:32
>>どこに死刑廃止を唱えている人が多いと書いてあるのですか?
>だとしたら、先のソースは世間一般の認識が
>被害者に厳しいという証拠には全くなりませんね。

死刑廃止を唱えている人が多いという主張がされていたというのはあ
なたの妄想だったのですね。(^^)
感情的になって思わず早とちりしてしまったんですね。
いけませんねえ。

死刑廃止を唱えている人が多いか少ないかだけで、日本の社会が犯罪被害者に
つめたいかどうかは決められないでしょう?

962正道:02/09/08 16:33
>>感情的になってるのはあなたでしょう。
>>落ちついてくださいな。
>だんたん、あなたは追い詰められてきて
>焦って冷静さを欠いてきていますね。

追い詰められていると指摘しても、別にあなたが有利に
なるわけではありませんよ。(^^)

>>その”批判されても当然”という理由はなんですか?
>過去ログを読みなさい。
>感情は法に介入すべきではないものです。

宮台さんが言ってるのは、
感情を法に介入すべきということではありませんよ。
彼は、死刑廃止論は、被害者の感情回復措置の方法を
探る努力とともに主張されるべきであると言っているのです。
そして、日本では被害者の感情回復の措置への取り組みが
無視されていると批判しているのです。
日本は犯罪被害者につめたいというのはそういうことなの
ですよ。

>過去ログを読んだ上で反論しなさい。
>感情的なってはここでは相応しくないのですよ。

そうです。あなたは理屈ではわかっているのですが、
実行できてないのですね。
いけませんねえ。
963正道:02/09/08 16:35
>>ですから、軍隊の必要性を認めることと、軍拡競争の必要性を
>>認めることは別なのですよ?
>経済的負担だからといって軍拡そのものを否定するのは間違い、
>現状で最大限の努力をして軍備を増強するのが基本。
>まずはそれを理解せねばなりません。

経済を無視して軍拡に励んだソ連は崩壊してしまいました。
教導者さんが日本の指導者になったら日本もやばいかも
しれませんねえ(^^)
964正道:02/09/08 16:36
>>なんだ。
>>逃げちゃうのか。(^^)
>なんだ、あなたはただの真性キチガイだったのか?

はいはい。(^^)

965正道:02/09/08 16:39
さて、無駄な時間を使いすぎたので、
ここで生産的な書きこみでもしてみましょう。

やはり宮台さんの主張は傾聴にあたいしますね。

死刑廃止論は、無条件で主張されてはならない。
あくまでも、被害者の感情回復措置を模索する
努力との対で提示されなければいけないという
のは正論のように思いますが。
みなさんはいかがでしょうか?


966教導者:02/09/08 16:39
>死刑廃止を唱えている人が多いか少ないかだけで、日本の社会が犯罪被害者に
>つめたいかどうかは決められないでしょう?
そうですね。てことは日本社会が犯罪被害者に
つめたいというあなたの主張はあ
なたの妄想だったのですね。(^^)
>そして、日本では被害者の感情回復の措置への取り組みが
>無視されていると批判しているのです。
でその無視されている根拠は?
それが日本の社会が被害者につめたいという根拠は?
まあ私は感情を法に介入するのは間違っていると指摘しているので
そのソースそのものに問題があると考えるのですがね。

>そうです。あなたは理屈ではわかっているのですが、
>実行できてないのですね。
>いけませんねえ。
そうですね。あなたは理解していないどころか、
それを理解しようともしていない。
いけませんねえ。


967教導者:02/09/08 16:43
はいここで、正道が完全に論破されたので、
(というか正道が出てきた時点でに私に事実上正道の主張が「瞬殺」
されてるのですがね)
というわけで、
死刑廃止は客観的な考察により導き出され、
被害者の感情は法から一切排除すべきだということが再確認されました。
みなさんはどうですか?
968正道:02/09/08 16:48
>そうですね。てことは日本社会が犯罪被害者に
>つめたいというあなたの主張はあ
>なたの妄想だったのですね。(^^)

いえだから、宮台さんの見解を紹介したのですよ。
自分が妄想に陥ったからといって、人を妄想呼ばわり
してはいけません。


>でその無視されている根拠は?

紹介した藤井さんの本でも読んでみてください。

>それが日本の社会が被害者につめたいという根拠は?
>まあ私は感情を法に介入するのは間違っていると指摘しているので
>そのソースそのものに問題があると考えるのですがね。

ですから、法律に感情を介入させろという意見ではありません。
法律は法律で議論しなければいけませんが、
やはり人の世です。
どうしても人間には感情があります。
社会に死刑廃止を受け入れてもうらおうという
努力は、社会にいる人々の納得を必要としますね。
そういう点でも、被害者家族の感情回復をどういう
方法ではかるのかという社会の真摯な模索は必要なのです。

969正道:02/09/08 16:51
>はいここで、正道が完全に論破されたので、
>(というか正道が出てきた時点でに私に事実上正道の主張が「瞬殺」
>されてるのですがね)

はいはい(^^)
970教導者:02/09/08 16:53
>いえだから、宮台さんの見解を紹介したのですよ。
宮台氏の教義盲信したあげく、
あなた自身も妄想して都合よく解釈しておきながら、
人を妄想呼ばわりしてはいけません。
>紹介した藤井さんの本でも読んでみてください。
宮台氏の本しか紹介されてませんが。

>そういう点でも、被害者家族の感情回復をどういう
>方法ではかるのかという社会の真摯な模索は必要なのです。
そういう人がいるから法を腐敗させるのです。
言ったようにそのような人に対して真摯に手厳しく対応して、
法の本来の性質を保持していく努力の方が重要です。

971あほくさ:02/09/08 16:55
>>教導者

頼むから、死んでくれ、ひ・ま・じ・ん。
972教導者:02/09/08 16:57
>はいはい(^^)
はいはい(^^)
973教導者:02/09/08 16:58
新スレがたてられてるようだから、
誘導しておくよ。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1031459339/l50
974正道:02/09/08 17:00
>>紹介した藤井さんの本でも読んでみてください。
>宮台氏の本しか紹介されてませんが。

ですから感情的にならずに冷静でなければいけないのですよ。(^^)

>>938
>あまりカッカすると健康に毒ですよ。(^^)
>藤井誠二『少年に奪われた人生』(朝日新聞社)
>でも読んでみてください。
>ちなみにこの本の宮台さんの感想です。
http://www.miyadai.com/message/?msg_date=20020815


>>そういう点でも、被害者家族の感情回復をどういう
>>方法ではかるのかという社会の真摯な模索は必要なのです。
>そういう人がいるから法を腐敗させるのです。


そう言う点はとても重要なところなので、感情的に決めつけずに
慎重に議論していかなくてはいけません。

今日は4時間も使ってしまいました。では今日はここまでです。
教導者 さんもがんばってくださいね。(^^)
975教導者:02/09/08 17:05
>ですから感情的にならずに冷静でなければいけないのですよ。(^^)
あなたがね。読んでも宮台氏の感想から見て
他に新たなものが出てきそうにないから、
言ったのです。他に無いようでしたら
対して見る価値が無さそうですね。
>そう言う点はとても重要なところなので、感情的に決めつけずに
>慎重に議論していかなくてはいけません。
そのように客観的な考察の結果を感情的に否定するのはいけません。
あなたに冷静に議論を進めていくように
要求します。
976あほくさ:02/09/08 17:09
高見の見物をしている私から一言。

「教導者が、一刻もはやく精神病院に幽閉されることを切に願います。できれば死刑にしてね★」
977考える名無しさん:02/09/09 03:59
>>975
感情的になってどこが悪いんだ?如何に思っていることを論理的に述べられるかだろう
それに冷静になったって論理的に考えれなければ意味が無い
978考える名無しさん:02/09/09 04:08
何でひとつ意見に執着するんだ?
しけい制度の長所と短所はあるわけだろう?
どちらかしかないって言うんだったらそれが執着している証拠だ
もっとさ建設的な議論はできないのか?
979考える名無しさん:02/09/09 04:10
声好き
980考える名無しさん:02/09/09 04:12
>>しけい制度の長所と短所
意味不明です、
もっとわかりやすく
981考える名無しさん:02/09/09 04:18
死刑とかそういう事に短所も長所も無い。
結局は再犯防止すればいいだけ。
被害者に死んでわびるなら生きて金稼ごうかな、
と思うように教育するべきといった感じ。

982考える名無しさん:02/09/09 09:42
>>973
>新スレがたてられてるようだから、
>誘導しておくよ。
他人事みたいに言うなよ、自演クン。
どーしても自作自演する癖が抜けないなら、
せめてIP偽装くらいしとけよな。
983教導者:02/09/09 14:07
>977
冷静に論理的に考えれば、
感情論は否定されるのは当然の帰結。
984考える名無しさん:02/09/09 14:31
教導者の「論理的な帰結」パターン(1)
 まったく行論過程を示さずに、「論理的に考えた結果」だけを
 押し付けてくる。
  → 全然「論理的」じゃないじゃん。

教導者の「論理的な帰結」パターン(2)
 行論過程を示したら、すぐさま誰かに論理の誤謬を指摘されて
 反論できなくなり、「妄想よばわり」「オウム返し」で逃げる。
  → って、それもダメじゃん。
985教導者:02/09/09 14:57
負け犬死刑支持論者の敗北パターン(1)
 まったく行論過程を示さずに、「論理的に考えた結果」だけを
 押し付けてくる。
  → 全然「論理的」じゃないじゃん。

負け犬死刑支持論者の敗北パターン(2)
 死刑支持論者が妄想を示したら、すぐさま私にに論理の誤謬を指摘されて
 反論できなくなり、「妄想よばわり」「オウム返し」だからといって逃げる。
  → って、それもダメじゃん。

986正道:02/09/09 16:40
>>983
>977
>冷静に論理的に考えれば、
>感情論は否定されるのは当然の帰結。

あいかわらず理解力がない人なのですねえ。
>>977さんは、
>感情的になってどこが悪いんだ?如何に思っていることを論理的に述べられるかだろう
>それに冷静になったって論理的に考えれなければ意味が無い


<感情的になったとしても><論理的に述べられているならば>
問題がないだろうといっているのであって、
感情論のなにがわるいのか
といっているわけではないのですね。

977さんへの回答としては、
感情的になると、論理的思考力が鈍ってしまうから避けなければならない
ということなのですよ。
感情的になって冷静さをかいていると、
私がせっかく親切に本を紹介してあげても、教導者さんのように、
それを見落としてしまうというような失態をさらしてしまう
ようなことになってしまいかねないので、
977さんも、感情的にならず、私のようにクールでロジカルな思考を
展開していくよう心がけなければいけないのですよ。(^^)

987考える名無しさん:02/09/09 16:43
それでもいいけど
そうじゃないほうがいいから。
988教導者:02/09/09 16:43
あいかわらず理解力がない人なのですねえ。
<感情的になったとしても><論理的に述べられているならば>
ということ自体、所詮は感情論が入っているに
過ぎないのですね。
つまり、感情的にもならず、
私のように極めて客観的に論理的に思考ができるようにならなければ
ならないのですよ。
それができないと正道氏のようにそれを見落としてしまうというような失態をさらしてしまう
ようなことになってしまいかねないので、
他の論客も、感情的にならず、私のようにクールでロジカルな思考を
展開していくよう心がけなければいけないのですよ。(^^)

989正道:02/09/09 16:47
>>988

はいはい(^^)
990いきるもの:02/09/09 16:51
>>988
こどもがほしいです
991いきるもの:02/09/09 16:54
いしゃになりたい
992いきるもの:02/09/09 16:55
だから全部しってるよ。
993考える名無しさん:02/09/09 16:58
僕の本物を作る
994考える名無しさん:02/09/09 16:59
で、こいつは何でココにいるんだ?
何のためにココで書き込みしてるんだ?
もはや誰も、こいつの言うことなど真面目に聞いちゃいないのに。
995考える名無しさん:02/09/09 17:00
988>>
「見落としてしまうというような失態をさらしてしまうような」
文章力無い・・
996考える名無しさん:02/09/09 17:01
僕と僕らだけの本物を作って
さがす

997ぜんぶしってる:02/09/09 17:02
さみしくてしかたないから
うそをつく
998考える名無しさん:02/09/09 17:04
死あるのみ
999考える名無しさん:02/09/09 17:04
1000教導者:02/09/09 17:05
私の完全勝利で終結か。
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