私の知覚世界と他人の知覚世界とは一致するのか?

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11 ◆DsDaF1lk
私的体験・私的言語などについての問いです。
たとえば、普通、私とAさんは、お互いに赤いものを赤いと言い、
青いものを青いという。二人とも、りんごは赤い、という。
しかし、私がAさんの目を使って赤いものをみると
それは私にとって青に見えるかもしれない・・・
なんて、考えたことありませんか?その問いについてどう思いますか?
できればマジレスでおねがいします。
2考える名無しさん:02/05/12 13:56
文法をあわせる訓練が教育。
社会化。
31 ◆DsDaF1lk :02/05/12 13:57
参考文献:『哲学の謎』野矢茂樹(講談社現代新書)
41 ◆DsDaF1lk :02/05/12 13:58
>>2
??ゴメンナサイ、もう少し詳しくおねがいします・・・
5考える名無しさん:02/05/12 13:58
いいんじゃない?
野矢教授で。
6考える名無しさん:02/05/12 13:58
>>1
主観・客観問題についてどう考えます?
7考える名無しさん:02/05/12 14:05
>>1
の考えてることをおしえてちょ
81 ◆DsDaF1lk :02/05/12 14:06
>>5
確かに、野矢さんが4章で述べてることに納得はできるんですが、
でも、やっぱり疑問があります。知覚世界について。
>>6
よくわからないんですが、この世界は主観のみであるといわれても、
反論できないですよね。
懐疑論自体が無意味だとも言われてますが
9考える名無しさん:02/05/12 14:08
疑問ってどんな疑問さ。
一致してなくても全然へいきだけど。
だってキモイでしょ。
体育会系のノリとか。
きたチョンのノリとか。
10考える名無しさん:02/05/12 14:11
大島屋のノリとか。
11考える名無しさん:02/05/12 14:11
多分、同じ色では、見えていないと思う。
ただ、これは赤でしょ、いや青だよ
という話し合いが成立するくらいの
認識の共有は出来る訳で、
とりあえず、人間にはその程度のレベルで
判り合えれば十分じゃないの?

話し合いの、出発点の段階では
121 ◆DsDaF1lk :02/05/12 14:16
>>7
考えながらなので遅くなります。すいません。
私は、私的言語は論理的に存在しない、ということについては
ある程度理解できたし、納得もいくのです。
今の段階では「赤」という語には私が見ている「この色」という概念は
含まれておらず、ただりんごや、トマトや、赤い色鉛筆が持つ共通の視覚的性質を
赤と呼ぶのだと思ってます。
131 ◆DsDaF1lk :02/05/12 14:19
>>9
確かに、一致しなくても日常生活になんら以上はきたさないんですが、
私はかなり小さい頃からキモチワルク思ってます。
141 ◆DsDaF1lk :02/05/12 14:20
ごめんなさい!
急用で席を離れます。
気が向いたらレスお願いします。
また戻ります

15とんぼ:02/05/12 14:23
わたしは、複眼ですので、他の人とは違った世界が見えています。
16考える名無しさん:02/05/12 14:25
他者ってゆーのは他ってゆー言葉を使ってるから、
もともと一致してない人のことをあらわしてるんじゃないか。
17考える名無しさん:02/05/12 14:29
「私がAさんの目を使って赤いものをみる」目は1さんの目では?
18悟りました(-人-):02/05/12 14:39
色盲の方や盲目の方のことを考えると、
「同じ色に見えるか否か」という問いから、
重要な何かを導き出せることはないであろうと推察できる。
また、別の生き物の視点からだと、色どころか見え方自体が異なることを考えると、
「人間」というくくりの中で、特に視覚障害が無いのであれば
概ね同じように見えているだろうとも推察できる。
違和感は、自分との差異が少ない他人に対して持つものであることから
「知覚が一致するか」よりも「なぜ違和感を持つか」の方が興味深い。
19考える名無しさん:02/05/12 14:52
言語レベルで考えれば、共通の言語概念はある種の妥当であって、1がだれにも分からない
コトバ使ってるのじゃないなら、安心して「赤」って使っていいんじゃないの。
懐疑論おっぱじめたいなら別だけどね。
ただ、経験レベルでの一致って考えると、他者と同じモノ、一致、ってよく分からない。
半端で陳腐なカキコ。スマソ。
20考える名無しさん:02/05/12 14:59
>>1 の議論は、
結局コミュニケーション論になるんじゃ
なかったっけ。
211 ◆DsDaF1lk :02/05/12 16:41
遅くなりました。
>>15
とんぼと人間では目の構造が違います。
私と他者の場合は目の構造が同じです。それでも違って見えるかも知れないんですね。
>>16
たしかに、他者という言葉はそもそも一致という概念を含んでいないかもしれません。
また、感覚という言葉には、他者と比較不可能なものという概念が含まれていて、
だからこの問いは無意味であるというのが今のところ答えとされてもいます。
それでも一般的に、一つのりんごを見て私とAさんの頭の中に同じ画像が浮かんでると考えられているのでは?
それって何故でしょう・・・新たな問いです。
221 ◆DsDaF1lk :02/05/12 16:52
>>17
微妙ですね。唯心論的にはそうかもしれません。
他人の目で見るという仮定のうちには、二元論的前提がありますね。
ここはとりあえず、私のタマシイがAさんの目を使って・・・
という文字通りの前提のつもりです。
>>18
たしかに。私的体験が存在するか否かについては、
ある意味どちらでも日常的に問題がないから、いいのかもしれません。
私は、最終的にはなぜ一致していると思うのか?を考えるつもりなのですが、
まず広い意味で問いかけてみました。
23考える名無しさん:02/05/12 16:53
同じ「私」についてでさえも、
「今の私」の知覚世界と、
「その次の瞬間の私」の知覚世界は、
同一のものではないですよね。

そういう意味でも、私と他人の知覚世界は、
一致しようがないと思います。
241 ◆DsDaF1lk :02/05/12 17:01
>>23
?どういうことでしょうか?
>>19
そうですね。公共的な言語のレベルではまったく問題ありません。
経験レベルで同じとか一致とかは、比較不可能なんだからいえない、
ていうのも正しいと思います。
ただ、感覚はやはり私的体験です。
それをあらわす言葉としての私的言語についてはどう思われますか?
>>20
よくわからないんですが・・・
後期ウィトゲンシュタインの生活様式の理論のようなものですか?
251 ◆DsDaF1lk :02/05/12 17:08
公共言語において同じとは、両者を見比べて差がないということである。
公共言語で言う感覚という語のうちには、個々の私的な体験という概念が含まれる。
これはつまり、ひとつの目によって見比べることは不可能ということだ。
見比べようがないものについてその異同を述べるのは論理的に不可能である。

これについてどう思いますか?
26考える名無しさん:02/05/12 17:10
世界に2つの存在しかいない場合互いの相手の感覚を知ることは
難しいが、3者以上が存在する場合ならば結構手法はあると思う。
実験心理学でかなり研究されているのではないかい
27Real工房:02/05/12 17:16
思考とは電気信号にすぎませんからなんにしても信用できません。
他人の定義自体も怪しいものです
281 ◆DsDaF1lk :02/05/12 17:20
だんだん敬語つかれてきたので・・・。
>>26
他人の感覚を知る方法て、どういうもの?
第三者にせよ、同じ人が二人分の感覚を実際に味わうことはできないはず。
この問いでは表面には言葉の意味、概念は一致しているのが前提。
第三者が私とAさんの感覚を知ろうとしても、それは表面的な言語のレベルでのこと
291 ◆DsDaF1lk :02/05/12 17:23
>27
思考とは電気信号にすぎないと、何故言える?
もしそれが正しいとして、感覚はそもそも存在しないってこと?
30考える名無しさん:02/05/12 17:24
>>25
??ゴメンナサイ、もう少し詳しくおねがいします・・・
31考える名無しさん:02/05/12 17:30
感覚を言語化して、共通性を見出し概念化することで妥当を計るのだと思う。
感覚を直に伝えることができたらオカルトの世界になってしまう。
それって人間じゃなく超人。1の問いっておそらく人間の理性を越えてる。
321 ◆DsDaF1lk :02/05/12 17:31
>30
短縮しすぎた。ごめんなさい
これは、スレタイの問いはありえない、という理論のまとめのつもり。
つまり、私が見ている「この色」は私だけの感覚なので、
他の人の感覚とは絶対に比較できない。
しかし同じかどうかを確かめるには両者を比較しなければならない。
個々に論理的矛盾が生じるので、この問い自体無意味である、ということなんだけど
33Real工房:02/05/12 17:31
>29
すいません。電気信号であると定義したのは人でした。
しかし、今のところ我々人類の大部分が信じてる以上、
俺は、それに沿って主張したいです。
34考える名無しさん:02/05/12 17:34
純粋な理念上の同一感覚ではなくある人の感覚を尺度として
統計的、計量的に感覚を表現することができるようになるということです。
私も詳しくはないですがたとえば
AとBと自分がいるとき、自分とA、自分とBとがどれぐらい離れているか
を何らかの尺度で表現できればAとBとがその尺度のもとでどれぐらい
離れているのかを表現できます。
351 ◆DsDaF1lk :02/05/12 17:36
また夜来ます。
なんだか難しい言葉が飛び交ってますが、
哲学的でない意見、根拠のない意見、歓迎します。
特にヘリクツ大歓迎
36考える名無しさん:02/05/12 18:55
赤と緑の区別がつかない色盲も方は一体どんな色に見えてるんだろ。
37考える名無しさん:02/05/12 18:58
赤・緑→グレー らしい。
381 ◆DsDaF1lk :02/05/12 21:26
>33
科学的知識は日本では有力っていうだけで、人類の大部分が信じているわけではない。
アメリカにい行けば進化論よりも旧約聖書のほうが正しいと心から信じている人がたくさんいるし、
世界の人口で言っても、宗教的な科学を信じている人のほうが多いかもしれない。
仮に電気信号云々という考え方が正しいとしても、問題となっているのは
実際に私たちが受け取っている「この感覚」についてなのであって、
「この感覚」はたとえ錯覚でも、実際に感じ取られていることに違いはない。
だから、電気信号だから信用できない、というのは成り立たない。・・・と思う
391 ◆DsDaF1lk :02/05/12 21:39
>31
直接感覚を伝えることができないからこそ、この疑問が生じる。
>感覚を言語化して・・・
感覚を言語化するのは自分ではなく、周りの人間。
子供は赤いという言葉をどうやって知るかというと、
りんごとか赤鉛筆とかを見て、それは赤いのだと周りの大人から教えられる。
で、自分に見えているその性質を「赤い」とインプットする。
言語化とは、これの繰り返し。
つまり、個々の感覚を言語化して、そこから共通性を見出すのではなく、
ある共通性を持ったところから、自分の感覚へと概念化を図るのでは?
401 ◆DsDaF1lk :02/05/12 21:44
>34
なるほど。
それって、同じ刺激でどちらの人がより強く痛みを感じてるか、とかは
わかりそうだけど、どうなんだろう
411 ◆DsDaF1lk :02/05/12 21:46
>36 37
それ、聞いたことあります。
しかも、絵を描くときとかは、知識としてりんごは赤いとか唇は赤いとか
知っているから、赤く色を塗るんだそうです。

・・・さみしい・・・
42考える名無しさん:02/05/12 22:30
何一つ一致していなかったとしても何も問題無いんじゃない。
43考える名無しさん:02/05/12 22:34
>42
それはもう前提として認めてる
ことは一致するしないではなく、一致しないと考えても矛盾はないっていうこと。
44考える名無しさん:02/05/13 10:26
>アメリカにい行けば進化論よりも旧約聖書のほうが正しいと心から信じている人がたくさんいるし、

それは信仰上の都合ではないですか。


451 ◆DsDaF1lk :02/05/13 11:37
>44
そうですよ。ちゃんとそう書いてあるよ。
人類の大部分が科学的知識を信じてるっていうのは妄想だってこと。
それと、電気信号云々は関係ないって言いたかった
46Real工房:02/05/13 11:56
拝啓 DsDaF1lk 殿
全く申し訳ありません。
なにせReal工房なもので、まだまだ広い分野での見方が出来ません。
哲学に興味はありますが、なにぶん理系なもので。
471 ◆DsDaF1lk :02/05/13 12:29
こちらこそ、ヘリクツばっかり言ってごめんなさい。
理系へのコンプレックスがそうさせるのです(嘘です)
レスとてもありがたいです。
もしよければまた参加してください
481 ◆DsDaF1lk :02/05/13 12:33
今気づいたんだけど
>10 大森屋?
それともわざとなのかな
大島屋もあるの?
49考える名無しさん:02/05/13 12:41
age
5031:02/05/13 12:57
感覚を言語化する、と言ったのは、
言語レベルで人間は感覚を共有したり分かち合ったりしてる、の意です。
コミュニケーションとして、言語から共通性を見いだすことは いくらでもあると思いますが。
51Real工房:02/05/13 16:01
>47
ヘリクツなどとはとんでもないです。為になります。

…………それにしても難しい問題です。
自分の身体構造と他人のそれが大きく違わない点から言って、
そんなに赤の見え方が違うとは考えにくいですが、
もし、現代の、(俺を含めた)一部の人間が妄信的に信じている科学的見解が正しければ、
光という電磁波が網膜を通り、錐状細胞(色を感じる細胞)に当たり、
視神経を通り、大脳の視覚野を通過する過程で、何か違う反応をするはずですが、
同じ種族である(と思われる)我々が、決定的に違う反応をするんでしょうか?
赤と青でなく、赤と紫ぐらい周波数が近い色ならあるかもしれませんが。
またまた哲学版での理系で幼稚な発言お許しください。
どんどん反論くだされば光栄です。





52Real工房:02/05/13 18:49
sagaってきているので、勝手ながらageさせていただきます。
531 ◆DsDaF1lk :02/05/13 20:21
>50
>言語レベルで感覚を共有している
つまり、「赤い」ということについて、我々は「赤いもの一般が持つ(色の)性質」
としてのみ理解しており、それを他人と共有しているのであって、
経験レベルでは感覚は共有できない。
「赤い」という言葉は私が見ている「この色である」ということをさしているのではない
ということですか?違ってたら説明お願いします。
たぶん、公共的な言語のレベルでは、まさにそのとおりです。
ただ、>39でも書きましたが、言語から共通性を見出しているというのは
ちょっと違うと思いますよ
541 ◆DsDaF1lk :02/05/13 20:39
>51
勉強になるなあ。(何年か前にやったような気もするが)
つまり、色の受け取り方は周波数によって決まってて、人間の体の構造が
同じなら、同じように見えるはず、てことですね。
うーん・・・反論しにくい。なんていえばいいのかな。
たとえば、この周波数だったらこの色が見える、とかいう研究がされたわけですよね。
で、その関係が発見されたときにはもうりんごは赤いってきまってたわけで・・・
りんごは赤い、みんな同じ色が見えている、という前提があっての研究なんだと思います。
我ながら説明べただけど。もうちょっと考えて見ますね。
551 ◆DsDaF1lk :02/05/13 20:44
>54
ちなみにこういう理屈は科学哲学とか呼ばれてます。
age多謝。恥ずかしながら>49は私です。
561 ◆DsDaF1lk :02/05/13 20:46
>50
31さんは私的言語についてはどう思いますか?
57考える名無しさん:02/05/13 20:46
>>51
それを心理学板で発言してきて。
で、叩かれてからまたここに来てね。
581 ◆DsDaF1lk :02/05/13 20:48
>57
え?え?
心理学板では何で叩かれるの?
>54とは違う理由だよね。できれば説明してください
もし見てくれてたら・・・
59引越ししたい:02/05/13 22:33
私の住んでいる、近くの世界は DQN だらけです。
知人の、谷の近くの世界は、裕福な家庭です。

一致しませんけど、なにか ?
601 ◆DsDaF1lk :02/05/13 22:34
奇遇ですね。私の近くの世界(?)もDQNだらけです。
一致しましたね。
61んんんんんんん:02/05/14 00:01
でも、色を見て人間共通で
あったかいかんじとか、つめたいかんじとかしますよね、
(これは太陽の色と氷の色と同じだからってだけかな?)
でもやさしいかんじとか、こわいかんじとかもありますよね、
組み合わせによっては、凄い複雑な感情をかんじたりとか、、、
そういう風に教え込まれただけなのかな、、なんか絶対的な感覚もある気がする、、
誰かぼくを説得してください
621 ◆DsDaF1lk :02/05/14 00:07
>61
たとえばあなたが、オレンジ色をあったかく感じるとする。
Aさんもそう感じているとする。
二人ともオレンジ色をあったかくかんじても、
それぞれのイメージとして見えているいろは違うかもしれない。
そういう問いのつもり。
63んんんんんんん:02/05/14 00:21
あー、そっかーちょっと論点ずれてましたね、

でも色が見えてるっていっても色が見えてるって感じてるだけで、もともと色なんてないんじゃないすか?

僕が思うに人間が感じる事ができる全ての情報には、
何らかの感情(もちろん人間以外も含む)がこもってるんじゃないかと思って、
シャブ中とか精神病の人の被害妄想とかそれに敏感になっちゃってるんじゃないかと。
まあそれ言ったら感情ってなんやねんってなってくるんやけど。
妄想ですかね、、、賢い人考えてみて。
64考える名無しさん:02/05/14 00:21
>>1さんへ。
直接あなたのテーマにかぶってないけど、
ちょっとこのスレ見てみたら?

難しい言葉を使わずに哲学はできるのか?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1012046258/-100
6531:02/05/14 00:28
言語は概念や意味を表現する記号みたいなものであって、概念や意味が言語そのものに予め内在する
わけではないですよね。ただ、人が個々に感じる感動・歓喜・恐怖etc.といった感覚を、言葉や文章
で表すのが一般的な手段ですよね、超人でもないかぎりは。で、そうやって言語でコミュニケーション
を計ることで、共通の妥当を見るわけです、一致ではなく。ところが1の言う私的言語というのは、
勉強不足なものでよく分かりません。自分の中にだけある言語ってこと?
あ、なんかすごくバカな文章書いてる気がしてきた。寝よう。
66 ◆DsDaF1lk :02/05/14 00:33
>63
感情というか、霊的なイメージですね。
わたしは賢くないけど、かなり興味深い。
色なんてないって言うのは?
私たちの意識の外には「本質的に決まった色」ていうものはなくて、
あるものが持っている情報というか性質が、
私たちの目に色があるように見せているってことかな
じゃあ、「物体」についてはどう思いますか?
たとえば、りんごの形は私にとっては丸いけど・・・以下略
>64
どういうことでしょう・・・
私が、難しい言葉が飛び交ってますって言ったからですか?
見に行ってみます。
ちなみに難しい意見も、哲学的意見も、一般的(?)意見も、理系意見も、
>59みたいなのも(一応マジレすとして)
歓迎です。理屈で言い負かそうとする人歓迎
671 ◆DsDaF1lk :02/05/14 00:39
おっと。1が抜けていた。
>66
ねちゃうんですか?じゃ、また明日にでも見てください。
概念や意味がはじめから言語のうちにあるわけではないです。
あくまで今のところですが。
でも、言葉が共通の妥当性を持っているのは、共通性のあるところから
言葉が生み出され、教育されているからです。

68んんんんんんん:02/05/14 00:44
>66
霊的なイメージっていいですね、なんか
64が言ってるのはイデアってやつですね。
僕も予備知識がないから全部自分なりに解釈していきたいです。
691 ◆DsDaF1lk :02/05/14 00:44
>67
>66じゃなくて>65
私的言語とは、公共言語のレベルでは比較不可能な私の「この色」という感覚
に対して使われる言葉。
野矢さんの例をあげると、私がりんごを見たときの「この色」はアッカで、
Aさんがりんごを見たときの色は「アッカッカ」
「アッカ」=赤=「アッカッカ」
だけど、「アッカ」=「アッカッカ」ではないかもしれない・・・
と、いうことです。
こうやって私的な言語を作ってしまえば、この問いは不可能といえなくなる。
かなりハショリましたが。
一応私的言語は論理的に不可能と論駁されていますが、あえて考えてみたい
70んんんんんんん:02/05/14 01:08
>1
全ての情報を感情、もしくは霊的パワーと考えて、
赤色を温度とか怒りとか情熱とかの類の感情の現れだと考えたら
赤をアッカッカに感じるあなたは
「大袈裟」「傷つきやすい」「感受性豊か」というんじゃないですか
711 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:11
見に行ってきました。
まだ全部は見れてないけど
あのスレの1さんはどっかへ行ったままなんですかね?
なんか、難しい言葉を使わずに哲学ができるのかを
難しい言葉を使って語り合っていらっしゃる。
このスレでは、マジレスならどんなものでも返事するつもりです。
ウケるマジレスもうれしい。
721 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:12
>68
確かに、イデアだ・・・気づかなかった。

731 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:14
>70
後半2行がよくわかんない。
私の意識もある種の霊的パワーのあらわれですか?
74考える名無しさん:02/05/14 01:18
真に一致するかどうかは問題ではない。一致しているという確信は不可避。
そもそも「一致するかどうか」を考えられるのは、「一致する」ことが確信されているからだ。
「一致しない」という発想は「一致する」という発想を背景にしなければ実現しない。
751 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:28
>74
考えれば考えるほど、真に〜ということが遠ざかっていきますね。
>一致しているという確信は不可避 てどういう意味?
「一致しない」という発想は私的レベル、「一致する」という発想は公共的妥当のレベル
・・・反論になってないかな?
76んんんんんんん:02/05/14 01:30
>1
なんていったらいいんだろう、、、
赤の赤さの強さが
アッカッカ≧赤≧アッカってことじゃなかったんですか?
赤の赤さの強さが
アッカッカ≧赤≧アッカとしたら、
霊的パワーを感じる力が強い人はアッカッカで
霊的パワーを感じる力が弱いひとはアッカだということ、






77考える名無しさん:02/05/14 01:35
懐疑論が因果を疑問に付すのと似ている気がする。(外れてるかも)
「因果など無い」と主張するにも因果の確信が不可欠。
78 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:37
>76
赤の赤さの強さは赤にひっついてるのではなくて、
その感じ方が私やAさんにひっついてるんですよね?文脈からすると。
私の言う意味では、「アッカ」と「アッカッカ」に、強さ的な含みは持たせてません。
野矢さんのたとえのままなんだけど。
言い方を変えよう。「アッカA」と「アッカB」とか?
とにかく、それぞれの見てる「この色」そのものを表す言葉であって、
言い方はどうでもいい。
だんだん方向が私的言語論になってきたね
79 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:40
他スレで書き込みをしたせいで、1を入れ忘れる厨房ぶり。
他スレで1を入れてしまう厨房ぶり。
どうでもいいけど実はパソコンには弱い。
もう、1は抜きでいいか。
80 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:42
>77
不勉強でごめん、因果などないっていうこと(とその論駁)について教えてください。
81んんんんんんん:02/05/14 01:43
>78

あ、なるほどー、、よく考えたらかなりずれたこと言ってましたね
82考える名無しさん:02/05/14 01:50
ちなみに自分は右目と左眼で、見えてる色の感じがちょっとだけ違う。
83考える名無しさん:02/05/14 01:52
単純に「因果は無い」という答えを導出するには、
自己の思考が一貫性を持っているとか、
こうこうこのように考えれば正しい答えが導けた、
そして今、そのような思考の階梯を踏んでいる、だから「因果は無い」は正しい、
このような形で因果に依拠しなければ無理ではないかと思う。

ある特定の根源的問題になると、疑問にふしても疑問が既に常に疑問対象に依拠している場合があると思う。
存在、言語、意識、対象化とか、これらと同類ではないかと思った。(でも外れてるかも)
84 ◆DsDaF1lk :02/05/14 02:09
>81 霊的パワー論、というかイデア論?もうちょっと煮詰めたいです
>82 これは重要な報告です!違って見えうるのです!(目の構造の問題なのかなあ)
  私もやってみたけど、どうやら一緒でしたね。
  両目で見ると、また違うんですか?
>83 なるほど。因果はない、なぜなら因果がない原因を述べるからである
  てことですか。 自己論駁的というか。
  さて、ほんとにそうでしょうか?
  「因果はない」は因果なしに成立するかどうか。そしてこれはこのスレの問いにも適用されうるか?
  まだ考え中なので、興味のある人レスおねがいします
  
85んんんんんんん:02/05/14 02:24
全く別の切り口から考えないと、イデア論にいったらそこで終了じゃないんですか?
よくわからないのでどう言う事かわかりやすく教えて下さい
86 ◆DsDaF1lk :02/05/14 02:26
>64
あ。見つけました。難しい言葉〜スレの122ですね。
読みました。哲板っていいなあ。コメントはまた。
誰か、>57の発言の理由について(何故心理学板では叩かれるのか)教えてください
87 ◆DsDaF1lk :02/05/14 02:32
>85
ゴメンナサイ、私もちょっと考え中です。
混乱しています。
ためしに、難しい言葉〜スレの122以降をじっくり読んでみます。
88 ◆DsDaF1lk :02/05/14 03:14
一応ひととおり読んできました。
私は、同義スレをたてたってことになるのかな。
それはまあいいとして。
あのスレを読むと、自分の中で哲学的な下地が全然できてないことに気づく。
いたたまれないキモチ。
でも、もっと考えてみたいな
89初心者:02/05/14 03:21
この問題の回答は、単純に、
Aさんの認識とBさんの認識が一致している、
という言明が成立する条件は何か?
という問題だと思う。
そして、その条件は不明→一致しているとは言えないが、一致していないとも言えない。
で、もって、これは、医学上の問題なのかな?とも思う

ちなみに、私の理解では、
カントの純粋理性批判って、この問題に対する回答だと思う。
で、カントの場合、キリスト教徒という大前提から、
個々人の認識の成立根拠さえ示すことができれば、
この問題に回答できた、と考えていたように思う。

批判を恋います。

90 ◆DsDaF1lk :02/05/14 03:30
さて、仕切りなおし。
私が見ている色と、他人が見ている色は一致するのか?
レスもらっても反論不備で、申し訳ないんですが。
・一致しない。これは共通した答えのようです。
・一致するかどうかは確かめられない。これもほぼ認められています。
・この問いには意味がない。ある立場の人は、こう答えています。
・イデア論にすると、そもそも赤色自体なんて存在しないのかな・・・?
これは、曖昧。
気が向いたらレスお願いします。ではまた。
91 ◆DsDaF1lk :02/05/14 03:38
>89
おや。いつの間にか。
純粋理性批判知ってるなら、私よか初心者じゃないので、このスレは物足りないのでは?
それともコテハンですか?とつっこんでみた。
純粋理性批判は、まだ序章しか読めてないけど、まず上半部分について。
私の認識とAさんの認識が成立する条件はなにか?
を問うなら、一致しているともしてないともいえないというのは答えになってないのでは?
条件不明というのは正しいですが、一致していると証明したいのではありません。
また、何故一致していると思ってしまうのかというと、公共の言語のレベルでは
誰もがりんごは赤いといい、海は青いというからです。
92 ◆DsDaF1lk :02/05/14 03:47
公共言語レベルで認識が一致するのは、アタリマエというか、
そもそも言語は認識されたものから作られてるからなんですね。
あ・・・カントに近づいてる?
つまり。何故私たちが、りんごを「赤い」というのかというと、
そう教えられたからです。「赤い」という言葉を覚えたときには、
私は「この色」しか見えていなかったにもかかわらず、
誰もが同じ色を見ているという前提のもとでこれは赤だよ、と教えられたのです。
93 ◆DsDaF1lk :02/05/14 03:48
さあ、今度こそ寝ます。
また、なにかご意見お願いします
おやすみなさい
94考える名無しさん:02/05/14 04:01
同じ色に見えていようと違う色に見えていようと、
ある色にたいして同じ記号が当てはめられているんだから
あ・・・92に近づいてる?ってか同じか。
95考える名無しさん:02/05/14 04:12
色とは光の波長ごとの強度分布である。
人間はそれぞれの波長にピークを持つ
三種類の受容体によってこれを識別している。
だから人間には色が3原色によって構成できるかのように見えるそうです。
96考える名無しさん:02/05/14 04:16
認識の一致は、例えば同じ色を見ていること、を目的化する作業であって、
前提のもとで教わる、ってカンジしないんだけど。
今だってあなたが見る赤いりんごはあなたにとっての「この色」でしかないはずだよ。
97考える名無しさん:02/05/14 07:54
まぁ、何ていうか、身体の構造は同じでも、
全く同一のパーツを全ての人が共有してる訳ではない。

何台もテレビ受像機が並ぶという光景を思い浮かべて欲しい
テレビ画面の例を取れば、ブラウン管の構造は同じでも
色調の調整をあらかじめしておかなければ、
同じ赤いりんごを映していても
微妙に違った色合いの画面が並ぶものなのではないのか
98礙礙礙:02/05/14 12:05
場面毎、時代毎で一致を合意することは可能でしょうが、ずっと一致
していたとはいえないし、将来の一致を保証させるためには特別な工
夫が必要です。

認識の一致は、程度の問題に留まらない難しい作業です。
ある人が「あおい」といった場合、その対象が共有できたときでさえ、
対象に必然的に付随する総ての属性が他の人にとっての「あおい」に
なる資格があります。いわんや、共有できる対象の数が限られたり、
共有できていることが保証できなかったりするケースにおいては・・・

それでも、圧倒的な強制力で共有を迫るものがあれば、共有はかなり
安定します。古代においては、「あお」は、空、湖面などの、「ひら
かれた」属性を指し、「くろ」は、箱や包みの中などの、「とじた」
属性を指していた、と聞いたことがあります。重要な染料の製法が確
立すれば、それが取って代わるでしょうし、視細胞の光周波数応答特
性が解明された現在では、その仕組みを知る人に多くの人々が依存す
る形で色定義を安定化しようという潮流があるように思います。
99 ◆DsDaF1lk :02/05/14 20:58
おお。学校に言ってる間に、レスがたくさん。
>94
そうですねー。色で考えるとちょっと迷うけど、
認識と言うものから離れて、言語について考えると、
たとえばあるものAについて、人間が「これは机」って名づけてるから
それは机なわけで・・・。椅子としても使えるんですよね。
言葉って、そういうものなんです。
100 ◆DsDaF1lk :02/05/14 20:59
>95 以降については、また来ます。
101 ◆DsDaF1lk :02/05/14 21:29
さて。
>95 なるほど。これには、どう答えればいいんだろう。
38の説明では駄目なのかな。
つまり、問題は私たちが認識している「この色」なのであって、
仮に、色というものが光の波長だとしても、
それを受け取ったときに感じる私たちの「この感覚」が、問題なんです。
102Real工房:02/05/14 21:36
>99
学校?俺と同じくReal工房でしたか!!!
同じ年代にDsDaF1lkさん程博識な方がおられるとは!!!!!!
2chを覗くのが、益々楽しみになります。
(工房以外ならマジすいません)
103 ◆DsDaF1lk :02/05/14 21:40
>96 難しい文章です。
>認識の一致は同じ色を見ていることを目的化する作業
この文章を形どおりにとらえると「一致」=「作業」ということになり、
意味がわかりません。
もしくは、「一致していると想定すること」=「作業」ということですか?
>前提のもとで教わるってカンジしない
というのは、「認識が」ですか?
私は、私が知覚している「この色」を、共通の言葉の世界で名づけるとき
前提のもとで教わるのだ、と考えているのですが。どうでしょう
だから、もちろん私が見ているりんごの色は「赤」ではなくて「この色」に違いないです。
104 ◆DsDaF1lk :02/05/14 21:45
>102
ぶ〜、残念。
トウのたった大学生です。
工房(w のとき古典の先生とこの問いで雑談し、
哲学科にいって苦労しろといわれ・・・以下略
105 ◆DsDaF1lk :02/05/14 21:50
>97
なるほど。82さんのように右と左で見え方が違うこともあるみたいだし、
色合いが違うとか考えられますよね。
このレスはストレートに、認識は一致しないよ、という意見だと解釈していいんですよね?
もし他に意味があったら詳しく教えてください。
ご本人でなくても可。
106Real工房:02/05/14 21:57
>104
大変失礼いたしました。俺と同レベルな訳ありませんね。
わざわざ訂正有難うございます。
107Real工房:02/05/14 22:00
ふ〜っ、議論は白熱しております。
実は、厨房時代からこの手の事は考えていたんですけどね。
俺達は物心付かないうちから、机は4本の脚を持つ、物を置く台で"机"という発音をする。
と、洗脳されて来たんじゃないか?って。
赤は攻撃的な色で、青は穏やかな色だって誰が決めたんだ?って。
日本語と英語で意味や解釈が違うように、皆自分なりの定義があるんじゃないか?ってね。
108考える名無しさん:02/05/14 22:01
2人の意識は一つになるか?
と問われた時どう答えますか?
頭が2つあるのに意識が1つにはなり得ません。
よって限りなく近くはできますが完全には一致しません。

色だけでなく自分の意識にあるイメージは
言葉とある関連図けが成されています
それはその人が意識上で「あか」や「あお」と呼んでいるものです。
これは2人の意識がそれぞれ独立している限り一致しないと言えます
(私的体験と書かれていたもの)

この言葉そのものの意味もイメージとして別の関連図けが
されている場合があります。
あおいと言う言葉自体は複数の意味を持ちあわせます。
あおいは色の蒼青緑などの他に若い他の意味も有ります。
自分は色の青を指し「あお」と言っても相手は「緑」の意味から
別のイメージを認識する事があります。
(私的言語とはこの事でしょう)
109 ◆DsDaF1lk :02/05/14 22:04
>102
そういえば、Real工房さん、>57はどういう意味なんだかわかりました?
私どうしてもわかんなくて。きになる・・・心理学板いってこよっかなー

>98
おお!サンゼンと輝く長スレですね!もしや難しい言葉スレの住人さんですか?
違ってたらごめん
解釈に時間がかかったのですが、つまり、私とAさんがまったく同じ存在として
(色、形がおなじというのではなく、同じ時間に同じ空間にあるという意味で)
同じりんごを対象として共有しているときは、
共通性を持った妥当というレベルでは一致した認識を持っているが、
私が今見ているりんごと、Aさんが1時間後に見たりんごでは
そもそも対象が共有できていない・・・てことでしょうか?
もし違ったら噛み砕いて説明お願いします。
ここはある意味難しい言葉スレよりも初心者スレなんです。
110 ◆DsDaF1lk :02/05/14 22:17
レスは伸びてますが(ありがとう)、ここはとりあえず
>98 の続き。
属性とは?
たとえば、私はこのりんごを「この色」としてみる。
Aさんは同じりんごを「この色」としてみる。
でも、そもそもりんごには私やAさんの意識の外側に「赤」という属性を持っている
ということでしょうか?
私は属性と言う言葉をそのような意味で教わったのですが。
それは実在論になるんですか?
ロックなどの考えでは、色は「対象に必然的に付随する属性」ではない様に思われます
一応ここまでの段階では、どうやら「物自体」には「赤自体」とか「青自体」とか言う性質はなく、
「赤」という言葉は私が見ている「この色」やAさんの見ている色を示す言葉ではないのではないか、
ということになってるんですが・・・
的外れなこと言ってたらごめんなさい〜
さらに、圧倒的な強制力とはなにか?
その時代での色についての一般的な解釈、ってことですか?
111Real工房:02/05/14 22:19
>109
>57は気にはなりましたが、叩かれるのは嫌ですね〜(弱虫ゆえ)。
心理学板でスレッド一覧見ても分からなかったです。
112 ◆DsDaF1lk :02/05/14 22:28
>106
いえいえどうも。
>107
なるほど。そういうのも考えたことあります。
この問いについては私は、はじめは「おなかが痛い」ってのを伝えるとき、
ちくちくするとか、ずきずきするとか言う、あの言い方と感覚は、
みんな一致してるのか?っていう疑問を持ったんです。
だって私にとってのちくちくは皮膚感覚の痛みだけど、
他の人にとってのちくちくは私で言うずきずきのような内部感覚の痛みだったら、
私はこの痛みをどう伝えればいいんだー!って・・・
かなり気持ち悪く思いましたね。
113Real工房:02/05/14 22:30
>110
現在の色の解釈、周波数は、
光が当たった時に跳ね飛ばされた電子が元の軌道に戻るときの
戻り方によって決まりますから、
その物質を形造る分子自体の属性と言えます。
例えば、りんごが青く見えたとしても、
属性の個人での受け取り方の違いということになりますね。
114考える名無しさん:02/05/14 22:32
クオリアのことか?
115Real工房:02/05/14 22:35
>112
なるほど。
俺は腹痛持ちだから、その気持ち分かります。
俺の腹の痛み方は、おかしいんじゃないか?
皆、腹痛いとか言いながら全然痛そうじゃないし。
なんてね。
116Real工房:02/05/14 22:39
>114
クオリア?
Real工房には、分かりません。
勉強不足ごめんなさいね。
117 ◆DsDaF1lk :02/05/14 22:47
>108
まず上段。
二人の意識がひとつになるとは、どのような状況でしょう
一元論と二元論で考え方の違いはあるでしょうが、
基本的に二人の意識は二つの意識なので「一つの意識になる」という言い方はそもそもおかしい。
論理的に絶対、ひとつにはなりません。
ここで新たな疑問。
もし仮にひとつの身体に二つの意識が入っていたら・・・?
二元論的ですが。この場合、知覚世界はやはり意識レベルで違うのか?
で、中段。これは、私がここまで出まとめている解釈と同じですね。
さて問題は下段なんですが。
ここで言う言葉そのものとは、公共言語と解釈していいですか?
で、青という言葉はいろいろな意味を持つ、これは正しい。
同じ青でも、海の色、空の色、色紙の青色、などなどイメージはさまざまです。
しかし、私の意味する私的言語はそのような、
「青」という公共言語についての個人それぞれのイメージの違いのことではありません。
私的言語の用い方についての説明が足りなかったみたいですね。

説明します。
まず、公共言語では私がこのりんごを見たときの「この色」と
Aさんが同じりんごを見たときの(Aさんの)「この色」とは、
おなじ「赤」という言葉で示されます。
したがって公共言語のレベルでは私の知覚世界とAさんの知覚世界が
一致するかどうかは、そもそも比べられないのです。
そこで、私の「この色」専用の語、Aさんの「この色」専用の語を
それぞれ“作成して”その上でそれぞれが一致するかを問うという
試みなんですね。 
118考える名無しさん:02/05/14 22:49
>1
全くちがう。同じ時同じ場にいて、同じものを見ていても
全くちがう。
       それが、独我論のベースだよ。
119 ◆DsDaF1lk :02/05/14 22:50
書いてる間にスレがどんどん伸びて行く・・・
ちょっとブレイク。
私もHNをつけようと思いますが、なんかいいのありますか?
120Real工房:02/05/14 22:53
残念ですが、Real工房は寝る時間帯がReal消防並みなうえ
テスト週間な為、ここいらでお別れです。
お付き合い有難うございました。
明日もよろしく。
121 ◆DsDaF1lk :02/05/14 22:53
>118
独我論についておしえて!!!
>119
伸びてるのはスレでなくてレス・・・
他でもちょくちょく間違ってます。
>114
何?
122 ◆DsDaF1lk :02/05/14 22:54
>120
おやすみなさい。テスト習慣なのに、こちらこそありがとうです
また明日。
123考える名無しさん:02/05/14 22:55
五感による知覚の全ては
「わたし」によって感覚される。「わたし」は
いかなる意味においても、二人といない。たとえ双子でも、
全く違う脳をもち、その違う脳が、
外的刺激に対応しながらシナプスを伸ばし、
独自の「感受システム」を形成していく。古今東西、未来永劫
同じシステムは存在しない。それぞれが独自。
したがって、
独自のシステムに感受される「一切」が独自であり、
同じものは絶対に無い。

124 ◆DsDaF1lk :02/05/14 23:08
>113
ほんとに工房さんですか?
えらく博識ですね・・・属性についてはちょっと言葉の使い方にちがいがあるようなので
私も考えて見ますが、どなたか、哲学で言う「属性」について
びしっと説明してもらえませんかー?
>123
うーん・・・名づけて、脳外科学的独我論(w
さっきから気になってたんだけど、sageの名無しさんは同一人物なんですか?
で、独我論を説明してくれた・・・とか?
どうも違う気がする。
>123 さんは、「赤」という言葉は何を表すのだと思いますか?
125 ◆DsDaF1lk :02/05/14 23:20
HNどうしようかな・・・
1にしとくと、他スレに書くとき誤爆しちゃうから、コテハンを持ちたい。
なんて、ひとりごと・・・
126108:02/05/15 00:07
論理的におかしいのが解っていればいいよ(w
最初の部分はそのつもりで書いたんだから。

たぶん知覚世界って意識世界ではなかったのだろう(w
本を読んでいないのでわからん^^;
取りあえず私の補足的補論をしてくれた人の
書き込みを踏まえてもう1度。

123の事を踏まえて私の論を考えてみて下さい。
特定のりんごに固有の名前を付けたとして
2人の最終的に得られるイメージは一致すると思いますか?
意識世界上で得られるイメージは脳と知覚によってもたらされるのなら
全く同じ脳で無ければ同じイメージとなり得なくありませんか?
12796:02/05/15 00:55
>>1
「共感を覚える」っていうのってどう思います?
そこから自発的に、あ、これを○○○と言うのか、と気づくことないですか?
それって教えられてる感じしますか?
128 ◆DsDaF1lk :02/05/15 02:09
答えやすいほうから。
>127
その場合のマルマルにあてはまるのは公共言語でしょう
教えられるって言う言葉がちょっと不十分なら
覚えるとか、知るとか、学ぶとか。
いずれにせよ、すでに出来上がった言語の世界のうちで、その言語に沿って私たちは
自分のみにあたえられた独特の感覚(私的体験)に名前をつけていくのだと思います
129 ◆DsDaF1lk :02/05/15 02:45
>126
と、いうことは私の発言で論理的におかしいところがあったんですね。
ありがとうございます。
ちなみに、一致という言葉をこのスレでは私は「両者を見比べて差がない」
とかいう意味で用いています。
ただまったく同じというだけでは、同時間的かつ同空間的という意味になってしまいそうなので
>108 で言われた完全な一致というのは、後者の意味での同じということだと解釈しました。

>特定のりんご・・・について。
私の言っている私的言語の意味だと、(時間的かつ空間的に)同じりんごにたいして
二人がそれぞれ受け取ったイメージに固有の名前をつけるということなんですが、この文章はそういう意味ですか?
それなら、「Aりんご」と「Bりんご」という二つのイメージが存在します。
そう問われているのだと仮定して、考えて見ます。

知覚世界のイメージが脳と目の働きによって私に与えられているのなら
まったく同じ脳でない限り、二つの意識世界で同じイメージがもたれることはありません。
でもここでまた疑問が生じます。
意識世界ってなに?知覚世界との関係は?
さて・・・
130 ◆DsDaF1lk :02/05/15 02:58
知覚世界があらわされる過程について二通り考えてみましょう
身体反応から意識へと与えられた情報について、
1.身体反応が知覚世界のあり方を決定するという場合
2.意識が知覚世界のあり方を決定するという場合
前者なら、たとえばあるひとつの身体にAの意識が入っても、Bの意識が入っても
二人はまったく同じ知覚世界を持ちます。
後者なら、あるひとつの身体にそれぞれの意識が入ったら、
それぞれは違った知覚世界を受け取っている可能性があります。
131 ◆DsDaF1lk :02/05/15 03:05
私的言語は、「Aりんご」と「Bりんご」を比較できるのだと、先に述べました。
比較は、ひとつの意識によってなされなければならない。

上記1の場合なら、おなじひとつの意識がAとBそれぞれの身体に入ってみて、
確かめてみることは論理的に可能です。
2の場合ならどうでしょうか。
同じひとつの意識がAの意識とBの意識を比べることができるのか?
これは、論理的に不可ですね。
二人の意識世界は完全に断絶しているのです。
132 ◆DsDaF1lk :02/05/15 03:51
で、私の結論。
私は2の立場をとります。
すなわち私的言語を用いたレベルでも、我々の知覚世界は断絶していて、比較不可能なのです。

何故2なのか。
1の立場をとるなら、この問いは成立しないのです。
1の立場をとるなら、我々の知覚世界は当然一致するのです。
一致するという前提のもとに、1の立場があるからです。

133108:02/05/15 04:11
では118氏の言う「独我論」とはどういうものなのか
今までの事から逆推できますか?

118氏は多分本読んだ事がある人だと思うのでヒントは
書かれている筈ですよ?
134 ◆DsDaF1lk :02/05/15 04:27
>133
そもそも118さんが言ってることは独我論なのか?と疑問に思います。
>同じとき同じ場にいて同じものを見ていても・・・
とあります。これは私が結論づけた、個々の意識は断絶しているというものと同じに思えます。

独我論=自分の意識しか存在しない ではないのですか?
つまり独我論の考え方では他者の意識すら「私」の意識の中にしかないものなのでは?
135108:02/05/15 12:51
おおまかな論理はほぼあっていると思います。

ですがあなたが私に指摘した部分を思い出して下さい。
2つの別の意識が1つになることはない。

仮に意識世界と知覚世界が異なる世界としてそれを
「知覚」と言うものでつないでいるとしたら?
136 ◆DsDaF1lk :02/05/15 13:39
>135
あっている、というのは論理的にあってるということですよね?
私の結論が正しいかどうかは本質的にはわからないはずなので。
意識世界のうちに知覚世界があると私は考えます。
私の結論では意識世界、ひいては知覚世界はどこまでも断絶しています。

この続きとして、私は、
完全に断絶した世界を持つ我々のうちで
公共の言語はいったい何を指示しているのかを考えようと思っています。

さて、下段についてなんですが、よくわからないんですが、
知覚世界は我々の意識の外にあり、それを知覚がつないでるということですか?
その二つの違いはどこにあるんですか?
その場合知覚世界のあり方を決定するのは「何」なんでしょう・・・
できれば質問を、もう少し説明してください。

基本的に108さんはこの問いについてどのように考えますか?
知覚世界と意識世界、さらには「外界」のあり方について。

137 ◆DsDaF1lk :02/05/15 13:47
なんだか108さんと私の対話になってますが、
入りにくいとか思わず皆様どんどん参加してください。
特に、>>130から>>133の部分についての意見は大歓迎。
それ以前の部分についての意見も、お願いします。

このスレは、哲学の知識や前提を要するものではありません。
また、用語の使い方についての質問にも、できうる限り答えたい。
門戸の広い、敷居の低〜いスレにしたいのです。
何度も書きましたが、哲学的でない意見、科学知識からの意見、
素朴な感想、ウケるマジレスなど、幅広い参加を求めます。
138考える名無しさん:02/05/15 15:42
>>1
なんとなくなんですけど、自分が認識してるリンゴと他人の認識してるリンゴは違うんだけど同じ「リンゴ」という言葉で繋がってる感じですか?
139 ◆DsDaF1lk :02/05/15 16:07
>138
そんなかんじです。
で、その、自分が認識してりんごと他人が認識してるりんごは同じか、違うか?
みたいなことを考えていました。
しかし、それは意識世界が断絶している以上問うことのできない疑問なのだ、というところまでは結論できました。
「論理的に不可能な疑問」なのです。

そこで今度は、我々に共通の認識をもたせている「りんご」という言葉は、
ほんとは何を表してるのかを考えます。

140わとそん:02/05/15 17:15
◎はじめまして◎

まず、自己紹介。文系の大学生。でも、哲学/思想系じゃないです。
自称「矛盾論者」!

>1
面白いこと考えてるね。私も暫く前に似たようなことについて考えたことある。
多分、これって分けて考えて行く問題じゃない?
まず、りんごを観察している「私」の変化。これについては話がされているみた
いだからハショルね。自分の意見としては、「今の私」と「次の瞬間の私」は別
物だと思う。
つぎに、あんまりここでは問題にされてないようだけど、「りんご」自体の変化
っていうのも考えるべきでは?(もし、それについてのレスが既にあったならゴ
メン)つまり、「今のリンゴ」と「次の瞬間のリンゴ」は別物ってことになる。

これについて語りだすと、あっちこっちに話が飛びそう。それでも良いなら付き
合って。
141わとそん:02/05/15 18:42

あっちこっちっていうのは、記憶や過去現在未来という時間のこととか
物質についてとか。あとは、置換の可能性とかかなぁ。

赤いリンゴについてだと、赤いリンゴは常に変化している。見た目で変
化してないとしても、分子・原子レベルで崩壊が起こっていると思う。
そうすると、時間がたってしまえば同じリンゴ(もしくは同一とされる
リンゴ)でもやっぱり他のもの、他のリンゴになる。じゃあ、今度は同
じ時にそのリンゴを見たとする。でも、他の人間と自分とでは体の作り
も違えば意識も違う。だから(私が思うに)赤さは違って見える。それ
ならってわけで、今度は体と意識を同じにする。肉体的にも精神的にも
区別の無い双子みたいなものかな。こうするとどうか。それでも赤さは
違うと思う。体がある以上、立っている場所が違う。それなら、眼が取
り入れる光の具合も当然違ってくるだろうから、やっぱり違う。では、
今度は同じ体に二つの意識があるとする。そしたらどうか。この二つの
意識が成立するには、この意識が同じ成立過程をたどってきたとは考え
難い。同じ成立過程なら、二つにはならないだろうからね。ならばやっ
ぱり赤さは違う。ついでに言うと、同時に複数の意識が出るというのが
考え難い。複数の意識が出る場合、時間的ずれが多少なりともあるのが
一般的じゃないかとは思うけど。
142Real工房:02/05/15 19:10
こんばんは。
>140.141
常に矛盾論ですか。新しい考え方の方ですね。
143Real工房:02/05/15 20:31
age
みんなどこ行ってるんだ〜
144Real工房:02/05/15 20:40
sage
何も出来ずに帰ります。
145 ◆DsDaF1lk :02/05/15 21:39
>わとそんさん。
独今論と似てますね。ちょっと違うかな?
今この瞬間しか存在しない、というやつ。
わとそんさんのレスでは意識だけでなくその瞬間それぞれも断絶していて、
このりんごは継続して存在しているのではなく、いわばその瞬間ごとに
生まれ変わっているというイメージですか?
146 ◆DsDaF1lk :02/05/15 21:40
Realさんせっかく来てくれたのにゴメン・・・
147考える名無しさん:02/05/15 21:42
前年受けた野矢さんの授業とそっくしなんだけど。
>>1東大?
148 ◆DsDaF1lk :02/05/15 21:51
>145
瞬間はそれぞれ断絶しているとして、
それでも、ある瞬間に同時間的に存在する二つの意識は、
同じ瞬間に同時間、同空間的に存在するりんごを見ていますね?
その場合この二つの意識の対象は同じといえます。
私の問いは、その、同じ対象についてのものです。
同じ対象を見ているのに、違った知覚世界が開けうる。
そう考えた上で、論証を試みました。

ちなみにワトソンさんの考え方で
5分前世界創造説というものが可能になるのですが、
それについてどう思いますか?
149 ◆DsDaF1lk :02/05/15 21:56
野矢教授って東大なんですか?
あ、ほんと。本に書いてあった。
私は本読んだだけです。>3 あたりに参考文献があげてありますよ。
ちなみに私は関西圏の3流私立大学の学生です。
野矢さんの本は、実はこれしか読んだことないです。
150 ◆DsDaF1lk :02/05/15 22:35
だれもいませんねえ。
本でも読むか・・・
151エンドマン:02/05/15 22:44
ほとんど一緒
老化による微妙なずれはあるだろう
結論は出た
よってーーーーーーーーーーーーーーー終了ーーーーーーーーーーーーーーーー
152考える名無しさん:02/05/16 00:02
ああっ!終了させられている!!
153考える名無しさん :02/05/16 00:09
>>1
その考え方を深刻に思いつめることができないのは何故だと思う?
154 ◆DsDaF1lk :02/05/16 00:27
その考え方とは。
問いのことですか?
>130-133 のことですか?

何故思いつめることができないかって・・・
ここが哲板だからです。
深刻に思い悩むような人もいないとは限りませんよ。
ただ、そういう人にとって哲学的な考察は何の解決にもなりません。
この問いは、「そう考えたとしても論理的に矛盾しないぞ」
っていう程度のものなのだと思います。
結局、論理的に不可だという結論が(いまのところ)でてますが。

「この世界は実はマトリックスであるかもしれない」というのは、
問いを立てるだけなら論理的に可能だけど、
それを本気で思い悩む人には、哲学では答えは出ない。
そういうことじゃないんですか?
155考える名無しさん:02/05/16 00:46
>>123
だな。
156 ◆DsDaF1lk :02/05/16 03:30
>155
もしよかったらその理由も教えて。

せっかくだから>123 について考えてみようかな。
私という存在は、この世に二つとない。 ・・・確かに。
脳のシステムは個人個人で違っており、
したがって五感によって得られる感覚は、千差万別
一人一人が完全に断絶している。
この考え方は、身体反応が知覚世界のあり方を決定するという立場ですね。

一人一人の脳が完全に違ったもので、違った感受システムを有しているのなら、
どうして外的刺激によりシナプスをのばし・・・なんていえるのかな
その外的刺激云々は、どのように発見されたか。
おそらく、ある生き物の脳に電極をつないで、
何か刺激を与えてみて(赤いものを見せる、など)そのとき脳のこの部分が反応したとかしないとか、そうやって研究したんだろう。
何度もさまざまな生き物で(人間もかなあ)同じ実験をした結果、
おそらく「赤いもの」を見たら脳のこの部分がこう反応するのだろうということが発見された。

その場合、「赤いもの」を見せる実験を繰り返したことになるが、
赤いものとはさて、なんだろう。
それは、研究者Aも、研究者Bも、「赤い」と述べる色のこと。
その段階では、AもBも、お互いに同じ対象をみて同じ色が見えていると思っている。
そうでないと、この実験は成立しない。

はなはだヘタクソな説明で恥ずかしいですが、私が1の立場をバツにするのは
こういう理由からです。
>123 への答えになりますかね?
157108:02/05/16 05:07
世界構成で内性方向に進むものはその初期世界の「外界世界」
つまり意識世界の外側の何かを考えた時
「前提が無くなる」事に注意しましょう。

意識世界が内包する知覚世界に同じように内包される別世界の可能性を
あなたはまだ考えていないような気がしますが?
158Real工房:02/05/16 17:14
こんにちは。昨日はまともな発言できなくてごめんなさい。
>130
俺は2に賛成ですね。
前に、同じ種族なら身体構造は殆ど同じで極端な違いを示す事はありえない
と書きましたね。
ここに殆ど同じ身体構造を持つAとB

159Real工房:02/05/16 17:36
158間違えた!!!!
尊いスレを汚してごめんなさい。
続きです。
ここに殆ど同じ身体構造を持つAとBがいます。
彼らの目は、りんごを赤(仮)と感じます。
しかし、彼らの知覚に色はついていない!
彼らが感じているのは、生まれた時から培ってきた"光の種類"という認識のみ。
Aは、赤(仮)について"派手だ"という印象を持っています。
Bは、赤(仮)について"嫌いだ"という印象を持っています。
ここで、AがBの体に入ります。
微妙に感覚が違うでしょうが、"嫌いだ"とは思わないでしょう。
Aには、生まれつきの"派手だ"という感覚(つまり色の概念)があるからです。
うん、俺にはこの方が理解しやすいですね。
1、のように全ての人間が同じような感覚を持つとは考えにくいです。
駄文お許しください。
160 :02/05/16 17:59
このスレレベル高過ぎ。
161Real工房:02/05/16 18:20
>160
有難きお言葉。

う〜ん。
DsDaF1lkさん。完全に色の知覚が同じ人、がいる確率を、
可視光線の波長帯/プランク定数で出したんですが、
たったの0.000000000000000000000000000025%でした。
、、、、、地球上にはおそらくいませんね。
162Real工房:02/05/16 18:23
>157
うっ、全然分からない。
DsDaF1lkさん、どうですか?
163 ◆DsDaF1lk :02/05/16 18:26
>162
そうなんです。
今帰ってきて、>157 を見て、私もさっきから悩んでるんです。
164 ◆DsDaF1lk :02/05/16 18:30
>157
上段部分の意味が全然わからないんです。
どういうことなんでしょう・・・。
下段は、意識世界の中に知覚世界があり、それと並列してほかのっ世界もある可能性があるってことですよね?
それが、私の問いおよび結論とどのようにかかわってくるのかが見えてこないのです。

165 ◆DsDaF1lk :02/05/16 18:46
>159
一瞬、どういうことかな? と思ったのですが、
彼らの知覚には色はついておらず、光の種類の認識が・・・
というのは、身体構造の点にポイントを絞った場合のことですね。

一箇所だけ微妙なんですが、ひとつ注文をつけるなら、
色の印象というか好みは知覚世界が決定するのではなく、その知覚を持った意識が決定するのだと思います。
でもこの一文は間違ってはないし、わかりやすい例だと思いました。
で、レス全体としては、私の結論を理解してもらえたみたいなので、うれしいというか(w

では、新たな疑問です。
私の知覚世界とAさんの知覚世界は同じとは限らないと、お互いに理解している
理解したうえで私とAさんは「赤」という言葉を使う。
この「赤」という言葉は何を表しているのでしょう。
これを考えてみたいと思います。
166108:02/05/16 18:48
あら^^;
ではもう少し単純な質問に変えましょうか。

独我論=意識世界しかない
この前提で「世界構成は意識世界の外側の何かを取りあえず考えない」事。
という事は

意識世界の内側に知覚世界がある。
知覚世界には別の誰かがいる。
別の誰かは別の意識世界を持つ。
その意識世界の内側には別の知覚世界がある。
その知覚世界には私がいる。
その私の中には意識世界が・・・(w

こうやって考えて行くと永遠に別の世界に行き当たります。(w

つまり論理は間違っていないのに何故か結論が出ません。
これは論理以外の何かが間違っている可能性を含むって事です。
167考える名無しさん:02/05/16 18:50
>>160
勘違いさせるなよ。
知っててやってるならタチ悪いぞ。
168Real工房:02/05/16 18:55
ちなみに、161の根拠は可視光線のとりうる値の総数です。
>166
>これは論理以外の何かが間違っている可能性を含むって事です。
なるほどぉ。
169Real工房:02/05/16 18:57
>167
俺なんか勘違いしましたか?
170 ◆DsDaF1lk :02/05/16 18:59
>160
こういう感想をもたれているということは、由々しき事態です。
こういう感想を持って、参加を遠慮される方が出てくると悲しいです。

確かに、ここ数日特に、長レスかつ難しい理論とかが登場してきて、
(私の結論とかもそうなんですが)
初めの頃よりもなんだか哲板っぽくなってるなあとは思ってたんですが。

ここは、初心者スレとは書いてませんが、私は初心者です。
難しいレスがついたら、それを私なりの解釈で要約してからレスを返しているつもりです。
私もわからないことだらけなので、教えてください! とか書いてます。
なのでレベルが高いというのはありがたい反面ショックでもあります。
171 ◆DsDaF1lk :02/05/16 19:02
>167
ああ、冗談だったんですか?
安心しました。
このスレは敷居の低いもののつもりなので、もしよかったら参加してくださいね?
(ちょっとイヤミはいったか?)
172 ◆DsDaF1lk :02/05/16 19:05
>161
なんだかさっぱろわからなったんですが、
おんなじ身体構造および身体反応を持つ人がいる確立ってこと?
Realさん。 ・・・・・ノーコメントで・・・。
173108:02/05/16 19:20
冗談っちゅーか^^;
166のような「論理的に成り立っているのに永遠に連鎖する」
ものを循環と論理学上呼びます。

>この問いは、「そう考えたとしても論理的に矛盾しないぞ」
>っていう程度のものなのだと思います。

つまりこれは「論理で考え抜いても答えは出ない」
と言う答えを得ているからです。
174 ◆DsDaF1lk :02/05/16 19:28
>166
単純な「質問に」とあるんですが、質問とは、論理以外の何が間違ってるか?
ってことでしょうか?
108さんはあくまで独我論をベースにして質問してくださってると考えてよいのでしょうか?
で、独我論で考えると、論理は間違ってないのに結論がでないってことになるんですね?
自分の解釈に自信がないんですが・・・

上に書いたことが108さんのレスの意図だとして、考えてみます。
まず、独我論=意識世界しかない
という文章に不備があるようです。
これでは、私の意識世界しかない(そもそも他人は私の意識のなかにのみ存在する)のか、
すべての人それぞれの意識世界しかなく、意識の外の世界はない、ということなのかわかりません。
ちなみに私は後者の考え方をしており、自分の中では独我論ではないつもりです。

>知覚世界には別の誰かがいる・・・
このあたりも納得いきません。
確かに、私の意識世界のうちの知覚世界には誰かが存在する。
しかしその誰かが持つ意識世界は私の知覚世界のうちにはありません。

私の知覚世界のうちにあるのは、
「あたかも意識を持った存在であるかのような他者」でしかないのです。
つまり、自分をベースに考えたうえで、Aさんも自分と同じような意識世界を持っているのではないかと思える証拠の数々が知覚されているだけで、
知覚されているのはたとえば発言が整合性を持っており、私と共通の記憶に基づいている・・・などです。
決して、Aさんの意識世界は知覚されてはいません。

以上のことから、論理が間違っていない・・・というのは考え物だと思いますが、どうでしょう?
175 ◆DsDaF1lk :02/05/16 19:32
>173
ん? 冗談ってのは、160のことですよ?(w
167を見るとレベルが高いって言ったのは冗談ってことですよね?
と、言うレスでした。
176Real工房:02/05/16 19:41
>172
違います。可視光線の範囲内で捉えられる光のパターンの一つが、
完全に同じにように見える確率です。おそらく、、、
177 ◆DsDaF1lk :02/05/16 19:42
ふと思いついたので、注文というかお断りをつけさせていただきます。

何度も言うようにここは哲学科とは名ばかりの初心者が立てたスレです。
わからない言葉や概念がいっぱいです。
なので、もしこのスレを見ていた方で、この語の解釈まちがってるぞー、とかありましたら
どんどんご指摘お願いします。

また、私はここにレスをつけてくださる方はこのスレを全部ではなくとも大体は見てくださったものだと考えてコメントを返しています。
なのでガイシュツの説明などは断りなく省いている場合があります。
もし意味わかんないよー、ていうのがあったら、できる範囲で、説明のついてるレス番号などを示すつもりですので、
そういう質問をしてもらってもかまいません。(時間はかかると思いますが)

レスが伸びてきてちょっとでもわかりやすくしていきたいと思っています。
178 ◆DsDaF1lk :02/05/16 19:46
>176
??????なるほど。(といいつつやっぱわかってないけど)
光の波長と、その人に見える色との関係というか対応が
まったく同じ人がいる確率ってことかなあ???????

前から思ってたけどRealさんってすごいですよね。
そんなすごい人に興味持ってもらえてうれしいです、マジで。
私の周りの科学系の人ってやたら哲学とかを否定する傾向があるから
179Real工房:02/05/16 19:49
>177
DsDaF1lkさんはいつも他者へのお心遣いが素敵ですね。
ちなみに俺Real工房が一番初心者です。
ネット歴1ヶ月ですから。工房だし。
180Real工房:02/05/16 19:53
>178
正解!!!
ノーコメントってあったのに、無理矢理コメントさせちゃったみたいですいません。
科学も哲学も面白い事に変わりないっす。
181108:02/05/16 20:03
>174
えーと。そうですねその世界構成での独我論は循環と言う意味です。

>すべての人それぞれの意識世界しかなく意識の外の世界はない
これはつまり意識世界の外は何か解らない世界としてその世界上
並列的に意識世界が存在する世界って事ですか?

意識世界の中の知覚世界上の私だけが意識世界を持ち得るのであって
知覚世界上の他者は持ち得ないってことですよね?
182わとそん:02/05/16 20:10
>145and148、157
他のところはまだ読んでないんで、とりあえずこの三つに答えるね。

独今論???それ知らないんだけど、今しかないっていう考え方ってだけなら、
基本的に違うなぁ・・・。私の考えだと、今ではなく過去しかない(過去しか
知覚できてない)ってことになるんだけど。
5分前世界創造論???それも知らないんだけど、字面からすると世界が5分前に
出来上がってたとしても何の問題も無いんじゃないっていう考え方かなぁ?
私の勝手な考え方だと、5分前どころか今世界が無かったとしても問題無い気が
する。脳が電極だけで動くとも思えないけど、例えば(グロイ例えかも知れない
けど許して)脳だけ取り出して電極刺して世界ってなものを見せられてるんだと
しても、多分死ぬまで気付かなければそれはそれでノープロブレムなのでは?
じゃあ記憶はどうするって話になるんだろうけど、例えば5分前に世界が出来た
ばかりのホヤホヤだったとして、記憶の中にも5分間の記憶しかないとは言えない。
だって、前世の記憶がある人がいるじゃない!(なんてね。これは冗談)。まあ、
そうでなくても5分前に作られた嘘の記憶でも自分自身が納得してしまえば、それも
ノープロブレム。自分の記憶で存在証明をすることは出来ない。
さらに付け加えると、この世界全部がたとえ偽物or幻だったとしても人は疑うと
ころが無ければそれで済ますことが出来るんじゃないかな。例えば、一生夢の中っ
てな人生とか。

157は「意識世界>知覚世界>別世界」っていう図式を想定してんのかなぁ。
そして、「何か>意識世界>知覚世界>別世界」って図式にしてしまった時には、
その何かが意識世界を成り立たなくさせるってことじゃないの?もしそういう事
なら、何か分かる気がする。「前提」を切り崩す為に「前提の前提」を引き合い
に出すってことでしょ。前提を土台って言い換えてもいいのかな。
家を壊すのにブルドーザーを使うって方法もあるけど、地球を爆発させるってい
う方法も無いわけじゃない。てな感じかな?違ってたらゴメン。
183考える名無しさん:02/05/16 20:59
>108さん
「意識世界」というときの「意識」は「認識」と違うものですか?
それとも同じものですか?
184考える名無しさん:02/05/16 21:02
>>1
一致する部分を現実と言う。
共通の認識が世界を創る。
185108:02/05/16 21:10
2つの知覚世界は何処かに必ずある筈です(w
比べているのだから^^;
意識世界>知覚世界

つまりその比較している世界が自分の知覚世界なら
他者の意識世界は存在しない可能性が有る。
存在しないなら比較できない。
もし存在する可能性があるなら比較できる。

存在するって事は
意識世界>知覚世界>意識世界’>知覚世界’
の世界構成になる。
この時 知覚世界と知覚世界’を比較。

もし並列に意識世界が存在し比較しているなら
何か>意識世界>知覚世界の世界構成。
何か上で比較している事になる。^^;
186わとそん:02/05/16 21:27
>185

つまり、前者は比べてるのは「自分の意識世界内知覚世界 対 自分の知覚
世界内の他者の意識世界内知覚世界」。
後者は「何か上の自分の意識世界内知覚世界 対 何か上の他者の意識世界
内知覚世界」ってことかな。
187108:02/05/16 21:31
>186
うぃ。 そうでやんす。
188わとそん:02/05/16 21:47
>108
それじゃあ、後者は成り立たないんじゃない?
例え「何か上の他者の意識世界内知覚世界」があったとしても、それを
比較するのは「自分の意識世界内知覚世界」から得た情報であって、そ
うである以上、比較は何か上ではなくやっぱり「自分の意識世界内知覚
世界」上で行なわないといけない。
同じ土俵で相撲はとらないと。
189わとそん:02/05/16 21:55
ゴメン。↑188は間違ってる。
188の五行目〜六行目は「自分の意識世界内知覚世界」上ではなくて、
「自分の意識世界」上だね。知覚世界上で比較が出来るとは思えない。

◎お詫びと訂正をば致します。◎
190φ(。。 )カキコ・・・:02/05/16 21:58
色の話に戻して申し訳ありませんが。
人間にとって「明るい」と「暗い」という認識は共有できますよね。
そこで、「黄色」と「紫色」を比較した時、どちらがより「明るい」に近いか?
というようなアプローチをした場合、「黄色」と「紫色」を
全く逆に認識している人が、いるか否かはわかるように思えます。
完全に一致していることを証明するのは無理としても、
まず間違いなく共通していると思われる認識を手がかりにして、
周辺を埋めることで、おおむね認識が一致していることを証明できるのではないかと思います。
191108:02/05/16 22:09
後者は並列なので並列的に「何か」上に存在する。
つまり
自分以外の2者の知覚世界を自分の意識世界上で比較できる。

だが前者は全ての世界は自分の意識世界に内包されている。
つまり
自分の知覚世界に居る2者の知覚世界を自分の意識世界上で比較。

この違い解るかなぁ^^;
192Real工房:02/05/16 22:24
>190
>まず間違いなく共通していると思われる認識を手がかりにして、
>周辺を埋めることで、おおむね認識が一致していることを証明できるのではないかと思います。
なるほどね。俺はこの考え方好きですね。
193108:02/05/16 22:26
この並列的に存在できる世界
「何か」が184の言う「現実」と呼ばれる世界^^;
194Real工房:02/05/16 22:26
>191
Real工房には全く分かりませんが、、、、、
では、今日はこのへんで。
195 ◆DsDaF1lk :02/05/16 23:08
今日はなんか賑わってますね。
>108さん
>181 で言われているとおりです。私は、根拠はともかく前提としては、
自分の意識と他人の意識は並列して存在してると考えます。
「何か」についてはちょっと・・・保留にさせてください

108さんは循環と言われますが、やっぱり私には論理的に循環には見えません。
他人の意識を知覚していない以上、自分の知覚世界の中には他人の意識世界は入れることができないはずだからです。
196 ◆DsDaF1lk :02/05/16 23:38
どこからコメントしようかな。
108さんとわとそんさんは、なんか完結してますね。

>183
意識世界とは、私はいわゆるコギトの意味で考えています。
コギトとは、デカルトの言う「我思う」の部分です。
人間の感覚や知性は誤ることがあり、私が今認識しているこの世界は偽りかもしれない。夢かもしれない。
しかし、もしこの世界のすべてがうそでも、夢でも、「だまされている私(の意識)」は確実に存在する。
そういうものを、意識世界と考えます。

>190
では、明るいとか暗いとかいう認識が共通していると何故いえるのでしょうか。
明るさの認識も、共通性を持った妥当というレベルでしか一致はしないのです。
1の問いはこう言い換えられます。

「Aさんが明るいといっているときの視覚的状態は、私がAさんとして見ると暗いと感じる状態かもしれない。
 私がAさんの目で太陽を見ると、私なら暗いと感じる視覚的状態が知覚されるかもしれない・・・」

かなり想像しにくいですが、共通の妥当を超えた経験的認識のレベルでの一致を考えたとき、この問いが発生します。
197考える名無しさん:02/05/16 23:50
世界が果たして本当に共通のものなのか、考えていたことがある。

こんなことを考える自分は馬鹿じゃないかと思ったりもしたけれども、
同じことを考えている人がいたのか…と思うと、少し嬉しい。

「人によって世界のイメージは違うんだよ」という言葉があるが、
こういうことなんだろうか。
198 ◆DsDaF1lk :02/05/16 23:51
>185 以降の108さんとわとそんさんの対話について。
お二人とも、対象についてはどう考えますか?
たとえば>186 の前者の場合、二人の意識内知覚世界の対象となるものは
必然的に私の意識のうちにあるものとなります。
私の意識のうちにある対象とは、私が知覚している「この色」であり「このりんご」であるわけです。
と、いうことは。私の知覚世界の中に他人の意識があり、その中に他人の知覚世界があると考える場合、
対象は私が知覚しているものでしかないのだから、
そもそも他人の知覚世界と私の知覚世界では同じであると考えられるのです。

このスレでの問いは、まず前提として後者の立場に立つからこそ成り立つのではないでしょうか。
公共言語の上では一致している認識が、私的体験のレベルでは一致しているのか否か。
そして、後者の立場に立っても論理的にこの問いはやっぱり成り立たない、というのが私の結論です。
199 ◆DsDaF1lk :02/05/16 23:53
>197
疑問を共感してくれる人がいるというのは、私もうれしいことです。
こういう問いを一生考えずにいられる種類の人もたくさんいるから。
もし何か意見あったらガイシュツでもいいのでレスしてくださいね。
200とおりすがってます:02/05/16 23:54
仕事の無いフリーターでいろんな板やスレ見てまわってます。
ちょっと気に入ったのでお気に入りに登録してウォッチしてます。
いまは呑んでますんでよく理解出来ませんが、ログ読んで理解できたらレスするやも知れませんので継続願います。
201 ◆DsDaF1lk :02/05/17 00:03
さて、ちっともレスがついてなかったのですが、新たな問いについて。
私とAさんが共通して使っている「赤」という言葉はいったい何を示しているのか・・・

>186 の後者の考え方でいくと、それは「何か」、つまり「外界」に存在している「赤そのもの」といえるかもしれません。
つまり、私の意識のうちでもAさんの意識のうちでもない「外界」が存在し、そこに「りんごそのもの」があり、そのりんごが「赤そのもの」という性質をもっている・・・
と、いうこと。
でも、この設定は、このスレをはじめから読んだ方にとっては、ちょっと考えれば違和感を生じさせる理屈ですね。
「外界」というのはすべての意識の「外側」にあり、何者科の意識によって確認することは不可能です。
そんなものが存在するという前提を立てるのはナンセンスですよね。
「外界」なんて根拠のない前提に過ぎないのです。

ちなみにこういう根拠のない絶対的世界設定という前提のことを、形而上学的(実在論)という。
(のだと教わりましたが・・・)

じゃあ、「赤」という語は何を指示しているのだろうか。
202考える名無しさん:02/05/17 00:04
>>199
有難う御座います。
203 ◆DsDaF1lk :02/05/17 00:08
>200
今私も実は呑んでます(w
どうでもいいけど哲学畑の人でお酒好きの人と呑むと、
みんなめっちゃしゃべります。
飲み屋さんで変な議論(人間は空中浮遊できるのか、など)を本気で語ってる人がいたら、
哲学科の飲み会やもしれません・・・(w
204 ◆DsDaF1lk :02/05/17 00:12
さて、いつもより早いけど今日はもうかえります。
できるだけコメントつけつつ私の考えをまとめていくつもりですので、
またよかったらレスお願いします。
マジじゃないっぽいレス(そんなのないけど)にもコメントします(w
205108:02/05/17 03:40
まぁ私の言う
現実世界>意識世界>知覚世界 が通常の存在論で
     意識世界>知覚世界 が独我論
と言う事になりますかね?

ここで重要なのが書かれていた前提「この世界は主観のみである」において
「主観世界(意識世界)しか存在しない世界にある2つの知覚世界の比較」
とした上で二つの世界の中の知覚世界を比較した場合を考えないと
永久に循環するか設問自体が無意味(比較対象が無い)かの
どちらかで結論してしまいます。^^;

主観が存在する世界(何か)>主観世界(意識世界)>知覚世界
この世界構成自体が最初から正しかったのです^^;

この世界の上では
ちなみに色についてですが認識は一致しにくいとしか言えません
これは色が意識によって再構成され知覚世界に投影されるからですが
実際の「りんご」から受けた情報は意識が3原色を元としての再構成である限り
同一の意識でないと一致しにくくなる訳です。
これは残光と言う現象や色盲などから確認できます
(同一波長光線でも意識を介すると別の色として認識される可能性がある)
206わとそん:02/05/17 08:52
昨日は突然消えてしまった・・・。私はカキコム時間帯が集中するタチだから
突然消えることが多いと思う。悪しからず。

「何か」はどうして前提と成り得るのか?それは意識世界が内包しているから
じゃないのかなぁ。
「何か」は常に自分の意識世界内にある。私は言語化できてるものはそれが何
であるかに関わらず、自分の意識世界になければならないと思うんだけど。
例えば、それが「何か」や「意識世界」や「知覚世界」であってもね。

色についての例え話。
赤が青に、青が赤に見えてしまう人がいるとするよね。もちろん体の作りが違う
からという理由で。で、その人が生まれてすぐにその人の親はこう教えはじめる。
「赤いリンゴ」に「青い空」。この人にとっては「青いリンゴ」に「赤い空」で
あるんだけど、この人は「青いもの」見て「赤い」という表現しか出来ないわけ
だから、言語化してしまえば「赤いリンゴ」になってしまう。


ゴメン。個人的生活リズムの関係でタイムオーバー。
続きは後ほど。
207Real工房:02/05/17 13:20
こんにちは。
>201
>私とAさんが共通して使っている「赤」という言葉はいったい何を示しているのか・・・
>>186 の後者の考え方でいくと、それは「何か」、つまり「外界」に存在している「赤そのもの」といえるかもしれません。
>つまり、私の意識のうちでもAさんの意識のうちでもない「外界」が存在し、そこに「りんごそのもの」があり、そのりんごが「赤そのもの」という性質をもっている・・・
これを要約すれば、個体の属性の概念ということですね?
今のところ、属性・身体構造・知覚がキーワードのようですね。
まぁ、個々の違いがなければ判別できませんから、
広い意味での属性というのはあるでしょう。
身体構造は、前述のとおり大きな違いは無いと思います。
知覚、、、これがやはりキーポイントですか。
これの概念については、いろいろ議論があるようですが
ものがものだけに判断がつけにくいですね〜。
矛盾はとりあえず回避して、証明出来る事から考えていったらどうです?
同じようなレスも結構ありますからね。
以上、えらそーな意見でごめんなさい。
208わとそん:02/05/17 18:00
>201and207

色の例え話の続き。
で、「赤いリンゴ」という言葉の「赤い」とは何をさしているか?
それは「赤い」という言葉自体しか指してないんじゃない。
言葉は言葉しか指すことは出来ないんだと思う。多分「赤そのもの」を
言葉はさすことは出来ない。
209Real工房:02/05/17 18:18
>208
じゃあ、「赤い」という概念はどう表すんです?
言葉以外の概念?属性?
210考える名無しさん:02/05/17 18:19
211わとそん:02/05/17 19:20
>◆DsDaF1lk
198にまだ答えて無かったね。対象についてだったかな。
自分の捉えている対象はいいとして、他人の捉えている対象が198では問題に
なってるんだよね、この場合。
この時、「他人の意識世界」なんてものは「自分の知覚世界」には無いのだと
考えてるんだけど。ただ、「他人の意識らしいもの」が自分の意識世界にある
だけだと思ってる。他人の意識世界は自分には知覚はされないんじゃないかな
ぁ。だから、このスレの最初の問題が出てくるんでしょ?で、その「他人の意
識らしいもの」を表現してくれるのが言語(記号と言ってもいいのかな?)。
知覚世界に上ってくるのはこれだよね。まぁ、言語以外にもジェスチャー(身
体表現)なんかの五感で拾えるものが知覚世界には上ってくる。ただ、知覚で
きたもの全てが意識世界で形を持つとは限らない。知覚世界のものは材料であ
って、意識世界で使わないものまで入って来てる。ここまでくると、変な図式
が出来上がる。知覚世界>意識世界だね。これに更に今までの図式までくっつ
けると知覚世界>意識世界<知覚世界。←これが私の基本方針。

でもって、この方針に沿って対象について述べると、対象は二つの面を持つ羽
目になる。一つの面は途方も無い情報量としての対象。もう一つは意識によっ
て情報に制限がつけられた対象。
具体例を挙げると、本を読んでる時に流れている音楽かな。本を読んでる間も
音楽は流れっぱなしなはずなのに、本に集中するとそれが聞こえないなんて事
がある。これは聞こえてないんじゃなくて、知覚世界にはあるのに意識世界に
は無いっていう状態だと思う。じゃあ、知覚世界とは?知覚世界の性質は二つ
ある。一つは意識が介入しない知覚世界。もう一つは意識が介入して規定する
知覚世界。音楽の例だと、聞こえているはずの音楽と聞いている時の音楽の違
い。という風に考えてる、わとそんなのです。
          ↑
長い前おきだなぁって我ながら思う・・・。退屈だったら飛ばして読んで。
212Real工房:02/05/17 19:34
DsDaF1lkさんはまだですか?
俺今まで物理板に行ってたんですが、帰ってきてもいないようですね?
213わとそん:02/05/17 19:49
>209

ゴメン。質問の意味合いがいまいちの見込めない。もうちょい、詳しく
書いて。Real工房さん自身の概念の意味の取り方とかも知りたい。
私は概念を「普遍的な共通観念」ってものとして考えてるけど。



214108:02/05/17 21:17
>一つは意識が介入しない知覚世界。
>もう一つは意識が介入して規定する知覚世界。
知覚世界そのものを意識世界が作っているなら同じ状態。
意識世界(主観世界)は通常「意識」と呼ばれるものと
「意識が気が付いていない意識(フロイトの言う前意識)」や
「無意識(反射なども司ると言われる)」に大別され
知覚世界自体は「意識」の中の一部であると考えられています。
つまり意識世界の何処かから得られた情報により構成された世界。
それが知覚世界。

なので他者の意識存在自体は通常認識できません。
ですが現在では動物でも意識があると感覚が無意識的に
察知しているとも言われます(まだ立証されませんが)
ですが今回の場合主観認知だとすると知覚世界上の他人の頭や腹を
解剖して調べても他の意識世界は認知できません^^;

と言う事はりんごと他人は知覚世界に自分の知覚世界に存在するのに
比較すべき「意識世界(主観世界)と知覚世界」が有りません。
なのに知覚世界上ではコミュニケ−ション(他の意識世界の存在)が
成り立ち他の意識世界の存在の可能性自体は確定します。
よって自分の主観世界以外の何処かに存在する訳ですから
並列的に主観世界だけが有る世界と仮定できるわけです。
215108:02/05/17 22:07
最初は知覚世界=主観世界かと勘違いしたがレスの流れ上
心理学や精神分析学で言われる「知覚世界」だと思ったもんで
そう解釈してました^^;

参考までに解説しときますと
本を読んでる時に流れている音楽だと
本に対して意識の中心と呼ばれるものを持ってくると
音楽は意識の中心から離れ「気が付きにくくなる」んです。
(気が付かなくなると「前意識」に有る状態)

逆に目をつぶってあるものを想像するとイメ−ジが見えたりします。
これは意図的に情報をある程度は制御できる為です。
時には他人に見えないものが見えたりする人も居ます^^;
(幻視や妄想はゲシュタルトが有名ですが)
比較的単純な情報「触覚」や「体感覚(平衡感覚等)」などは
が意識自体が記憶などから割と簡単に再現できるのもこの為です。
216 ◆DsDaF1lk :02/05/17 23:37
はあ・・・無断欠席してしまいましたね。
なんだかさまざまな観点から論議が展開されてますね。
基本的に今問われているのは、対象と言語と考えてよさそうですね。

ここまでのレスを要約することは・・・私には荷が勝ちすぎるようで。
でも、私が言いたいことっていうのは208のわとそんさんのレスに
端的に表されているみたいです。
言葉は「赤そのもの」なんか指示しない。
私もそう、思います・・・が、ちょっとそれを語る時間がありません。

勝手ながら私用でちょっとこれなくなるかもです。
108さん、わとそんさん、Realさん、留守中のスレ運営ありがとう&あと2,3日お願いします・・・
また戻ります。ほんとごめんなさい

1より。
217んんんんんんん:02/05/18 03:59
ひさびさ。
このスレッドおもしろいすね、、
218考える名無しさん:02/05/18 07:22
そしてようやく1はスレを立てることをやめた
219Real工房:02/05/18 10:36
age
220Iridium:02/05/18 11:40
文脈からはずれますが…。
古い写真を整理していたら中学生の自分の写真が出てきた。
当時、自分のことを醜いと考えていたが、
今見ると、その認識が誤っていたことがわかる。
感情によって見え方が違う。
経験によって見え方が違う。
置かれている環境によって見えているものは
まったく異なっている可能性がある。
コミュニケーションによって橋渡しされているものは
ごく一部で、大部分は違う場所に眠ったままになっている。
221108:02/05/18 12:20
Realさんなども少し言っていましたが
「色」自体に問題があると言えると思います。

色とは可視光線の特定波長域のみを物質が反射する為
感覚には「青」や「赤」と捉えられると化学上されています。
では化学の観点から見ると物質の性質として持っているのか?

答えはNoです。

分子式上では色を決定するような要素は無く
その構造式(分子式の繋がり方を表記したもの)の状態が
反射する波長を決定するとされています。
気化や液化などの分子式自体の変化が無くても
色や形状は変化します。

つまり色は光そのものでありりんごそのものではなかった。
色を付けていたのはそれぞれの意識。
というのが結論。

赤と呼んでいるのは都合上その光を受信した時の呼び名とすれば
「りんご」は「赤」と「りんご」からできているって解釈です。
つまり文脈的に相互が無意識に「省略」していたのではないか?
というこの仮説の元である仮定が浮かびます。

「色はともかく形状などは一致する可能性」です。
他には知覚世界に存在しないのに「言葉」としてあるものも
同じように一致する可能性があると思います。
222考える名無しさん:02/05/18 15:02
色や形状はそりゃ大体一致するだろうけど、そのものが出す雰囲気を同じように感じられる人は少ないよね。
ディズニーシーに歯の間から水出す動物の噴水があって笑ったんだけど、いっしょに行った子が同じようにうけていてうれしかった。
そういうのが共感できると非常にうれしい。まったくただの噴水に感じる人もいるんだろうから。
ちょっと関係ないのかな?ごめんなさい。知覚する世界の差異、共感について思いついたことがこれだったんで。
223Real工房:02/05/18 15:21
>222
>そういうのが共感できると非常にうれしい。
>ちょっと関係ないのかな?ごめんなさい。
いや、、、そういう感覚がむしろ原点だと思います。
224Real工房:02/05/18 18:05
>213
つまり、、、俺の考える"属性"は、本来より備わっている、他と
区別が出来る"特徴"と言った所です。それは、"物そのもの"が、
少なくとも、『知覚において、それと判る「手掛かり」』として
持っている、、、いや、俺個人の概念では知覚に達する以前に、
既に他と異なる性質として持ち合わせている、
色で言うならば、周波数の概念です。(超分かりにくい文ですいません)
>221
ふむ、俺の言った事に関連する内容ですが、
>では化学の観点から見ると物質の性質として持っているのか?
>答えはNoです。
↑と
>その構造式(分子式の繋がり方を表記したもの)の状態が
>反射する波長を決定するとされています。
↑は矛盾していませんか?
それと、色がりんごに含まれている要素だとは思いませんし、
光が色だとも思いません。りんごは属性になる元と考えています。
りんごの構造式が決定した周波数の光(俺が言う属性)を
知覚で"色という概念"に変換している、、、と思います。
工房の俺個人の意見なんで全く当てにならないと思いますが。(元から当てにしてないか)
225Real工房:02/05/18 18:10
>222
>そのものが出す雰囲気
これこそ、物を表す概念の基本なんでしょうね。

DsDaF1lkさんの私用って何だろう?などと無粋な事を考えてみる。
226108:02/05/18 19:44
色の説明ちょっと解り難かったかもしれませんね^^;

色の決定は物質の乱反射の係数自体が決定していると言えるんす。
(光が構成原子にぶち当たって乱反射する訳です)
分子間が広い物質は透明に近くなるんですが
それは分子間の結合手を出す原子によって距離が変化するからです。
(分子式自体が持つ固有の色はありますがそれ以外にも要素がある訳です)
その透過度が高くても距離(厚み)によって係数が変化するから
空は青かったり夕焼けが起こったりする訳です。
ですから化学上ではその性質を決定する分子式は気化状態でも変化しません。

赤いリンゴのを指し「赤」と言った場合。
その距離や位置関係なども絡む為
波長(周波数)自体が元々一致しない可能性を含んでしまっている訳です。
(ですから同じ位置で同じ瞬間に赤を確認すればよりその人の赤に近くなる)

>俺個人の意見なんで全く当てにならないと思いますが。
と言うか私自身は参考を提示するようなスタンスで居ます。
都合上その為対話形式になり易いんですけどね^^;
ですから個人の意見があるのは当然ですし
当てにしていない訳では有りませんよ。

ただ存在論の部分だけは解り図らいと思われたので
循環他の例を出して詳しく書いてしまいました。^^;
227Real工房:02/05/18 21:30
>226
むぅ。全く、なるほどとしか言いようがありません。
108さんは、科学も分かるんですね。いやはや、脱帽です。
すいませんが、実はレス余り読んでないんです。
難すぎるし、前述の通りテスト週間なんで。俺、物理板にも行ってますし。
土日で多少暇なんで、時間があればじっくり読ませて貰います。
それまで、余り来ないかもしれません。
DsDaF1lkには留守中お願いします。と書いて頂けましたが、
108さんとわとそんさんの対話のおまけぐらいにしかなってないので、、、
とりあえずageてみたり。
228礙礙礙:02/05/18 22:35
お久しぶり。この展開は、思いもよりませんでした。

相手・・・何でも良い、たとえばラット・・・を下等と見
下し、刺激が行動との関連でのみ着目されるとき、行動の
バリエーションに相当する以上の広さのドメインを知覚に
用意すれば、過剰定義の余地を与えることになるのは明ら
かですよね。

そこで質問です。「ノイズ」って、どんな音?
229108:02/05/18 23:07
>>228
哲学で素に戻って答えると俺。
下等と見下していると見えるのなら
俺が傲慢なのでしょう。
申し訳ない。
230礙礙礙:02/05/18 23:32
あなたの主張を総て理解したわけではありませんが、
ドメインに関して注意を払って議論しているように
見うけました。

何をもって傲慢というのかは、私には全然わかりません。
231考える名無しさん:02/05/19 00:20
人間みんな同じ様に作られてるんだから同じ様に見えるよ。
232不毛なポエム:02/05/19 00:25
色盲の人はどないなんねん。
わし色盲やで。色の判別つかんのやけど?
おそらく健常者が白黒のフィルターを通してものを見るのに似ているかも知れんな。
わし色盲やから、健常者の目がものをどないに見よるかしらんのやけどな。
233Real工房:02/05/19 01:03
>232
現在、色というより概念とか属性とかについて話しているようですが?
234Real工房:02/05/19 14:53
!!!!age
235考える名無しさん:02/05/19 18:24
色盲と健常者という風に二つに簡単に分けられるものではなくておそらくいろんな個体がいる。
けどとりあえず識別して色を表す言葉と対応させる事ができれば色について共有できる。
それ以上の事はわからない。
236わとそん:02/05/19 22:22
>220and222

この二つはど真ん中を突いていると思うよ。223のReal工房さんと同意見。
220や222に表されている様な「感覚」が「言葉」以外の最も重要なものだと
いう気がする。前に自分の事を(自称)矛盾論者って書いたことがあったはず
なんだけど、それはここに出てくるような「感覚」に重点を置き始めるとそう
なるっていう意味で書いたことなんだよね。
そういう「感覚」は多分この議論自体を揺さぶる要素なんじゃないかな。たまに
それを無意味と言う人もいるけど、それは違うよね多分。

>224

お答えに感謝!
で、属性だったよね。周波数でいくなら、色だけのものじゃないよね。周波
数って。電流や電波なんかも。知覚以前にものに備わっている性質。それが
属性なら、その属性ってものは「もの自体」にあるんだろうか?人間がもの
に付けたラベルじゃないのかな。「もの」を分かりやすくし、まとまりを持
たせる為に。私の個人的考えだと、「もの」は全てまとまりを持ってはいな
い。ばらばらなんだと思う。でも、ばらばらじゃあ不都合が生じる。情報量
が多すぎる。処理しきれない。だから名前を付ける。この状態なら、違うと
いうのが分かるのだとは思う。でも、同じだと言うのは分からない。だから
枠で囲む。赤や青や黄や緑や白や黒は「色」という枠で囲む。方法が違えば
「色」が「周波数」に変わる。方法が違うから当然、枠の形も違ってくる。
あるいは「数値」や「言語」。無数の枠、それが属性だと思う。方法が違う
だけでやってる事は似ている、どの属性もね。
そういう意味で、属性と言葉は同じと言えるかもしれない。どちらも「その
もの」ではない。
237礙礙礙:02/05/19 23:52
解剖学的・電気生理的描像では、大脳新皮質は構成要素数に対して
通信チャンネルが極めて少ないシステムとなっています。また、各
認識の時間スケールでの変動に対して、学習の時間スケールが充分
隔たっていません。
238108:02/05/20 03:58
私の基本線は記憶からの無意識的描像が基本です。
わとそんさんが言しているような個別パ−ツからの構成された
記号的意味を持つものそれが私の考える「言語」です。
つまり言語自体が他の記憶や言語に複合的に左右され得ます。
(私の考える共感や記憶自体も関わるのですが)

ですが瞬間的に知覚情報自体を意識が全て構成していたのでは
一時的な記憶そのものが持続的に残る可能性を持ってしまいますので
神経反応の部分が大きいものほど介在性は低くなると考えている訳です。
ですから視覚などの情報量的に大きいものは記憶による再現性が薄れ
意識の介在性も低いと考えてます。
介在性の低いものはそのものを記憶しにくいとも考えています。
239Real工房:02/05/20 17:52
、、、、、ごめんなさい。皆さん。
物理板で調子に乗ってたら、叩かれまくって、、、キレちゃって、、、
初心者なのにやりすぎた、、、で、しばらく2chから消える事にしました。
丁度テスト週間だし。そういう訳で、、、、、、、、さようなら。

DsDaF1lkさん
実は、このスレが初めての書き込みをした場です。
電気信号に過ぎない、と決め付けたアレです。
素人の俺は、お世話になりました。有難う御座います。
では。
240考える名無しさん:02/05/20 22:08
このスレ思考力鍛える為に使えるよ。
みなさん、本当にありがとう。
241考える名無しさん:02/05/20 22:29
そうかね?脱線しっぱなしじゃない?
242考える名無しさん:02/05/20 22:43
>>39
>個々の感覚を言語化して、そこから共通性を見出すのではなく
これは論理的に不可能だと思われるのだが。。。
243 ◆DsDaF1lk :02/05/20 23:11
ただいまです・・。留守しちゃってごめんなさい・・
久しぶりに除いてみたら、話がかなり展開してて、とてもうれしいのですが・・・・。
Realさんは、出て行かれるんですね・・・
このスレが続くようなら、いつか戻ってきてくださいね
まあ、ここじゃなくても哲学はできますしね^^
ここじゃないほうがいいとの説も・・・
さて、また留守にするかもしれませんが、できるだけ私の思うところを書いてみたいと思います

ちなみにこのスレは脱線上等! で、いきます(w
244 ◆DsDaF1lk :02/05/20 23:34
ううーん。
まさかこんな展開になるとは。
なんか、色の見える仕組みとか、見え方の仕組みとかそういう方向に行ってますね・・?
残念ながら私は激しく科学オンチなので、なんか書いてもすべるでしょうから、
108さんとわとそんさんにまかせます。

ひとつだけ、ここでいえることは、
たとえまったく同じ構造のものが、まったく同じ仕組みによってあらわされている視覚的情報を
受け取って感覚しても、そこに同じ視覚イメージが起こってるとはいえない、という
というところからこの問いが始まっているということです
245礙礙礙:02/05/20 23:38
知識・意識との整合性で説明のつく錯視はたくさんありますが、
そこで想定された原理からはおこっても良さそうなのに、おこ
らない例もあったりします。

ですから、経験がいかに知覚を左右するかの説明は、一筋縄で
は行かないと思います。

で、「ノイズとはどんな音」と考えると面白いかと思いました。
たとえばホワイトノイズが、フラットな周波数パワースペクトル
とランダム性で特徴付けられるように、「ノイズ的な音」は、一
般に積極的なパラメタと残りのランダム性からなります。

ランダム性は、知識との照合に与らなかった成分であり、どの知
識をあてがったかで、異なり得ます。そして、認識の恐るべき貪
欲さは、このランダム性の度合いでさえ、識別の指標として採用
することを厭わない。
246 ◆DsDaF1lk :02/05/20 23:42
悲しいことに、あんまり理解できなかったんですね・・・。
属性云々、光の周波数云々・・・
理解できてないの私だけなのかなあ・・・サミスィ

そこで、勝手ながら私にわかるようにもう一度問いを立ててみましょう。
私は、りんごを赤いという。それは私にとって赤く見えている。
Aさんもりんごを赤いといい、赤く見えていると言っている
しかし、わたしとAさんが実際に受け取っている視覚的イメージは、同じとはいえない。
そういった場合に、「赤」というこの言葉はいったい何を意味しているのか・・・?

と、言う問いから始まり、そこから、(私の留守中には)
あらゆる意識世界の外に存在する「りんごそのもの」にとっての色のあり方のようなことが、
議論の中心になってきていたようです。

では、「赤」という言葉は、そのようなりんごそのものにひっついた属性(そのあり方には関わらず)
を指示しているのでしょうか・・・? 
247 ◆DsDaF1lk :02/05/20 23:51
>245
う・・・。
恥ずかしながら、ノイズっていうもの自体よくわかんないんですよねー
一応過去レスよんだんですが・・。
ただ、見え方にせよ聞こえ方にせよ、なんでも
「今この私にじっさい感覚されている、“この感覚”」
っていうものは、私的体験であるっていうそれだけのことを問題にしてて、
実際の身体反応と外界の物理現象との関係についてはあんまり深く考えてなかったんですねー(恥

問いは>246 のようなものってことで・・。
でも、私にわからなかろうが、いろんな意見があってすごく嬉しいです。
なので、もしよかったら、この問いとの関わりとかを、もう少し語っていただければと思います
248 ◆DsDaF1lk :02/05/20 23:54
と、いうわけで落ちます(ごめんなさい
Realさん、いつでもあなたの椅子は用意してますよ(^^
ではまた・・・
249名無し:02/05/21 00:05
カントに戻りますが、
私の知覚世界と他人の知覚世界が同一かどうか?
という問いは、正確に答えるならば、
「分からない」ということになると思います
(もっと酷いことを言えば、現在の私の知覚世界とついさっき前の
私の知覚世界が同一である、ということすら、「分からない」
ということになると思います)。
ただ、私がちが生活していく上では、それが同一である、ということを
暗黙の前提としていると思います。
そして、この前提が成立する条件、
、すなわち、私の知覚世界と他人の知覚世界が同一であるための
条件、というものを探求したのは、紛れもないカントであると思います。

ただ、カント自身に、そんな気はなかったとは、思いますが。
250Iridium:02/05/21 00:11
俺の席はないの?
251あちょー:02/05/21 00:18
一致するのとしないのでは
実際問題あるのでしょうか。
252Iridium:02/05/21 00:27
>250
本物は普通はageません(^^;
253考える名無しさん:02/05/21 00:38
>>252
あんたの椅子はまじでないらしいよ。
254礙礙礙:02/05/21 02:06
>>251
明日にも自分の精神がバラバラになるんじゃないか、
コミュニケーションが成立しなくなるんじゃないか、
という悩みに苛まれてしまうかもしれません。
255礙礙礙:02/05/21 02:30
>>246
なにかを「赤い」と判断したことが何回ありますか?
対象のあり様に依存しないことが保証できるだけの
経験を積みましたか?その経験の何割をコミュニケー
ションに使いましたか?
256カオル:02/05/21 07:43
>>246
>では、「赤」という言葉は、そのようなりんごそのものにひっついた属性(そのあり方には関わらず)
>を指示しているのでしょうか・・・? 

色は、色という概念があることによって識別されます。(当たり前ですが)
色という概念は、物の差異を識別する為の認識のひとつでしかありません。
色の概念を成立させるには、何かしらの意味のまとまりが必要だと思います。

ある知覚世界を持つ主体が、ある物からある物に“付随”するある属性を、
主体の主観により、赤いりんご、赤い夕焼け、赤い血などのように抜き出し、
それらを集合させ、他者に指し示すことによって、それらに付随するある属性が、
他者との間で共通認識された瞬間、たとえそれが勘違いであっても、ある属性は、
共有されるものとしての概念として成立するのではないでしょうか。

主体の知覚世界は、上記の概念形成の過程から推測すれば、当然一致しませんが、
大きく隔たった知覚世界の差異は、増え続けるであろう抜き出されるサンプルの
数によって修正されて行くのだと思われます。ですから生物学的な刺激を伴なう
知覚を前提にしたものでない善悪のような概念は、主観の介在する要素が大きく、
曖昧にしか、あるいは全く一致することがありません。(笑)

このように考えると、
言葉自体が、必然的に概念を伴なわざるを得ない性質のものなんだと考えられます。
また、生物学的に知覚されている刺激でも、その知覚されている刺激をわたし達が、
必要としないならば、概念化されることなく無意識の底に沈んでしまっていることも
十分に考えられることだと思います。
257カオル:02/05/21 07:45
↑DQN丸出しカキコしてしまいました。(^_^;)
取り消します。レス不要です。スレ汚してごめんなさい。m(__)m
258108:02/05/21 13:59
「ノイズ」は「自分が認知の過程上見出した一連の関係性から外れる音」と
言い換えてもいいかも知れませんね。
これは意識が認知までの過程に介在する一例だと思います。

>経験がいかに知覚を左右するかの説明は
>一筋縄では行かないと思います。
確かにそう思います^^;
連続した認知過程において無意識的に「チューニング」されて行く為
その単純な認知を判別し難いってのもあると思うんですけどね。

カントの「解らない」についてですが
「主観認知」という前提に原因が有り
単純にはかたずかないのは確かです。
これはコミュニケーションにおいて独我論の循環は
その主観自身の可否決定により循環でなくなる可能性を含む訳です。
(つまり世界構成すら意識によって決定される)
だから「わからない」となるでしょうね^^;
この点について言えば「主観認知」自体が
答えではないかと思います

最終的に「知覚の一致や不一致」は意識の乖離や共感と
関わっていくって事なので実際の問題としても
デリケートであたりします。

これら全ての上で「認知」自体に主観が絡まなければ
問題は起こり得ないとも言えますが^^;
259108:02/05/21 17:26
>「赤」というこの言葉はいったい何を意味しているのか・・・?

短くまとめて言うなら「赤」という言葉は
「相互の主観存在の認知の象徴」
過去に他の主観存在と共有した何かを根拠にした「記号」。
つまりその時に使用される言語「赤」は
それ以前の過去を共有した主観によって暗黙了解されてきた
「何かを指す記号」です。

ですから経験やら記憶の話やコミュニケーション自体に
話が飛び火したり存在論も出てきたりする訳です。^^;
260 ◆DsDaF1lk :02/05/21 17:57
>249
カントは、主観的認識が一致しないことを理解したうえで、
その条件というのをどのように考えていたのでしょう?

>254
そうですね。
ちなみに私の場合は、なんとな〜くキモチワルイって思った、ただそれだけなんです(w

>255
そのあり方には関わらず、という書き方が悪かったみたいです
すみません。 
私は、対象の有りように依存するともしないとも言いかねているのです。
私の考えでは、対象の有り様と感覚の有り様との因果関係がどのように証明されたとしても、
それは「私のこの感覚」というものについてなんら語ってはいないと思うのです。

つまり、見えている「この感覚」が、対象の属性に依存しているとしても、しないとしても、
この感覚自体は同じものだから、という意味です。
属性については「私にはわからないゆえに批評、批判すらできない」というだけで、
否定したり無視したりするつもりはありません。
261 ◆DsDaF1lk :02/05/21 18:03
>260
を念頭に置いた上で、まず質問に答えてみます。
認識とか、感覚とかの経験は、すべてが私的なものです。
同時に、コミュニケーションの世界というのは、あくまで
同じものを示しているという前提をもった言葉の世界です。
私は、生まれてから今まですべての私的体験を、周りの人間の用いている
あらゆる言葉に置き換える、という形で私的体験を受け取り、
コミュニケーションの世界へと変換してきたのだと考えています。

・・・という答えで、いいんでしょうか?
全然外れてること言ってたらごめんなさい〜
262 ◆DsDaF1lk :02/05/21 18:23
>256-257
思うところもありますが・・・。
とりあえずノーレスってことで(^^

ノイズについては、いまいち実感として理解できないので、
私はちょっと保留させてください(ごめんなさい
あと、独我論の循環についても・・・
何故納得できないのか自分でも説明ができないので、保留します

私は、わかっていること、確かめられることのみを前提にしたいと思います。
私には意識世界があり、「この知覚世界」がある
私の知覚世界には他人の意識世界や知覚世界は存在しない。
・・・これだけが、「わかること」です。

さらに、私の知覚世界の中の他人は、まるで私と同様の意識世界を
持つかのように振舞う。(これは私に知覚されていることです)
よって私は、他人も意識世界を持つのではないか、と考えます。

しかし、他人の意識世界について知ることはあらゆる意味で(今までに述べたように)
絶対に不可能であり、
したがって私の意識世界と他人の意識世界は完全に断絶している・・・。

ここまでが私の立てた前提です
263 ◆DsDaF1lk :02/05/21 18:29
そして、私の意識世界と断絶した他人の意識世界について考えるなら、
当然私の意識世界の「外」の存在が問題になります。
しかし、私の意識世界の「外」について私は絶対に知り得ない。
なので、「外」について何を考え、何を語っても「無意味」でしかない。
(注:私にとって無意味と考えているだけで、その考え方自体を否定しているのではありません!!)

無意味なことは排除して、わかることについて考えてみると、
私は、りんごを見たときのこの感覚を、『赤い』と感じ、「赤い」と発言する。
私の知覚世界内で、Aさんも、同じりんごを「赤い」と発言する。
この時、私とAさんは何を指して「赤い」といっているのか・・・?

これが、私の問いです。長くなってすみません、結論は次レスで
264 ◆DsDaF1lk :02/05/21 20:27
さて、私の意識世界の中では、私の使う「赤」という語は
私の意識世界の中での「赤」を指示します。
そして、私の意識世界の中でAさんが使う「赤」という語も、
私の意識世界の中での「赤」を指示します。
私の意識世界内に、他人の意識世界は存在しないと考える以上、
私の意識世界の中でのAさんの発言は、私の意識世界にあるものしか指示し得ないのです。

なにぶん不十分だとは思いますが、私はこう、考えました。

また、上の文章での「私」の部分を、他人である「Bさん」に置き換えて考えることは、
できるのでしょうか?
前提にのっとって考えれば、本質的には、不可能でしょう。
しかし、推測として私の意識の中では置き換え可能なのです。
推測として私たちは自分と同様の意識世界が他人にも開かれていると考えることができます。
それゆえ、「私の知覚世界と他人の知覚世界は一致するのか?」
という問いが生まれたのではないでしょうか。

私の意識しか存在しないと考えながら、他者の意識の存在もどこかで認めている
しかし本質的には私の意識世界の中では
私やAさんが使う言葉は、私の意識世界の中のものしか指示しないし、
Aさんの意識世界の中の「りんご」なんてものは、指示し得ないのです。

スレの流れから外れているかもしれませんが
よければご意見お願いします

また何か思いついたら補足を書きます
265 ◆DsDaF1lk :02/05/21 20:52
なんだか、私には理解できない部分が多くなってきて、
スレの流れを一番止めちゃってるのは私のような気がしてきたので、
しばらくROMらせていただきます・・・
ごめんなさい。

でも、もし >264 あたりについての反論とかありましたら、それにレスはつけるつもりです。
いつこれるかチョットわかりませんが・・・
ほんと、ごめんなさい。
「考えること」に参加してくださって、ありがとうございます。
また、何かわかることがあったらカキコしますので、
よかったら、レス続けてくださいね。(他力本願・・・)
266108:02/05/21 21:10
>>264
それでは「赤」という言葉は
”何故自分の見た赤と結びついた”のでしょう?

その「赤」と言う言葉を知っている事。
それは自分の知覚世界での他人の意識世界を過去に認め
知覚世界上での他者とのコミュニケーション自体を認めている事実です。
それが本で覚えたとしても同じように表現した
「誰か自分以外の存在」から学んだ筈なのです。

つまりコミュニケーション自体を認める事は
自分の知覚世界の中の相手の意識世界の存在を
認めている事なのです。

ここでもう一歩踏み込むと
「自分の知覚世界にいる相手の中の自分の意識存在」を
認めた時こそ「共感」が有ると思うんです。
267考える名無しさん:02/05/21 22:38
ちょっと面白そうなので,数日前からこのスレをながめているものです。
(哲学は好きですけど素人です)。

いろいろと思うことはあるのですが,どこから提示していっていいか
わからないので,とりあえず>>263-264について疑問に思ったことを。

263では「私の意識世界の「外」について私は絶対に知り得ない」と
ありますが,それが264では「他人の意識世界は存在しない」となって
います。

知りえない=存在しない,ではないのではないでしょうか。
あるいは,そういう話にしてしまうと,答えがでなくなって
しまうのではないでしょうか。根拠はありませんけど。
268267:02/05/21 22:44
いっこ書いて様子見のつもりだったのですが,もうひとつだけ。
263に「私の意識世界の「外」について私は絶対に知り得ない。
なので、「外」について何を考え、何を語っても「無意味」でしかない」
とありますが,こういってしまった時点で,このスレの問いの答えは
でたも同然ではないでしょうか。

すなわち,「私と他人の知覚世界の一致については,何を語っても
無意味でしかない」と。このことからも,この道は袋小路である
ような気がします。素人意見ですが。
269 ◆DsDaF1lk :02/05/21 22:51
>266
ではやっぱり、私の考えでは、
私の知覚世界の中には他人の意識世界はないと言い切りながら、
私の意識世界の外にある他人の意識世界の存在を認めており、
それを考えているのはやっぱり私の意識世界のなかでのことで・・・
という、矛盾した状態に陥るってことですね・・・。
確かに、そんな気もします。

でも、私が「他人に意識世界がない」と考えても、
私の知覚世界の中で他人は「赤」という語を使用しているので、
私が「赤」という言葉を覚えたことも、
他人の意識世界の存在を切り離しても成立しえることだと思いますが、どうでしょうか

>267
他人の意識世界は存在しない、ではないです。
私の意識世界内には、他人の意識世界は存在しない、です。
「外」には存在するかもしれないけど、それは絶対語りえないってことです
270108:02/05/21 23:42
>他人の意識世界の存在を切り離しても
>成立しえることだと思いますが、どうでしょうか
成立は確かにします。
ですがその時「外」に有る他人の意識世界と
コミュニケーションをしている訳ですよね?

と言う事は相互の意識世界の外側をお互いに認め
コミュニケーションが成立する訳です。
このコミュニケーションの都合上「お互いに認め合った」世界。
それが私の言う「何か」の世界であり「現実世界」なのです。
271礙礙礙:02/05/21 23:55
>>269
奇しくもあなた自身が使い分けた、「わかる」「確かめる」「知る」
の違いに最大限注意を払って、>>262から>>264を煎じ詰めれば、
きっと、もっと視野が透明になるでしょう。

想像するに、

わかる:これ以上説明しようのない、認識の確立それ自体
知る:わかるための情報の取得
確かめる:得た情報が非自明であることの実践的検証

ではありませんか?
272OFW:02/05/22 00:03
このスレにはマルクス主義的認識論が
欠けていると思う。
273考える名無しさん:02/05/22 04:17
>>1
神経麻痺すると同じモノ触っても感じ方がぜんぜん違う
274わとそん:02/05/22 19:10
◎無断欠席してました◎

覚えている方はいらっしゃるでしょうか?確か>>236あたりに
前回書き込んでた者です。いろいろ(カキコミが)増えてて驚き!

271の「知る」と「わかる」の問題(使い分けかな?)には興味あり。
↑これを進める為の例として、母国語を異にする人間のコミュニ
ケーションを考えてみるのはどう?

この場合、「赤い」は通じないってことになる。つまり、最初は
記号が使えない(例え使っても効力が無い)ってことになる。それ
から多分、他の記号(ジェスチャーとか)を用いだすようになるん
じゃないかなぁ。


275考える名無しさん:02/05/23 20:46
ちょっと思ったのですが,1さんは>>1のころと>>261-264では
問題意識がズレているのでは?

1では「私がAさんの目を使って赤いものをみる」という
「知り得ない私の意識世界の外」の話をされてますよね。
1は263のいい方でいうならば,知り得ない無意味な問いに
なるのではないですか?
276考える名無し仔猫:02/05/23 21:24
 色によって物を見分けることを一切禁じた環境で育った人間に、
「色」という概念は理解出来るでしょうか?
277考える名無しさん:02/05/23 21:43
>276
ヘレン・ケラーはどうだったのでしょう?
あるいは先天盲の人は?
278考える名無しさん:02/05/23 21:56
>276
色という概念はそこに「色」という「記号」があるから
それを元として概念化されると思う

だから言葉を知らなければ「色」についての概念は
その形をとらないような?
279考える名無し仔猫:02/05/23 21:59
>>277

 そうそう、そういうこと。
280考える名無しさん:02/05/24 11:48
可能性としてはできるでしょうが、色という概念に盲人を
排除するような不断の努力を潜ませるなら、現実的には難
しいかもしれません。
281108:02/05/24 13:39
閑話。

愛玩動物と呼ばれる動物たちは人間の赤ん坊と同じく
自分の存在を認めてくれる人を認識判別する。
多くのそれは「行動」に反映されていると言われている。
犬ならしっぽをふる。吠える。近寄る。遠ざかる。
これは犬も「共感」を持つかもしれないと言った例である。
(犬が人間に対して「共感」を抱いているかもしれない)

双方が「共感」を持つ時相手との信頼関係ができるとすれば
犬とも親子のような信頼関係は築けるかもしれない。
その時犬は何を思うのだろう?
282考える名無しさん:02/05/24 22:27
このスレ住人の関心の一つはクオリアそのものでしょ?

モギケンの本とかは一読したことはないの?
一般向けの本がNHK出版から出ているよ。

もっとも、読んだからと言ってクオリアの起源がどこにあるかわから
ないのは変わらないけれど。

はじめてこの意味に気が付いたとき、世の中がグラグラした気がした。

あんたの赤と俺のアカが一致している保証がないどころか、俺のアカの
質感ってどっからやってくるのかすら、今はまださっぱりわからないんだ!って。
283考える名無しさん:02/05/24 22:35
しっかし、オリジナリティーのかけらもない問いだな。
284考える名無しさん:02/05/24 23:01
>282
「一致」の問題と「起源」の問題は,別問題では?
285 ◆DsDaF1lk :02/05/25 02:10
金曜日だけあって、にぎわっていますね。
マイペースにカキコみたいと思います
>108さん
コミュニケーションについて、考えてみました。
私が今までに一応結論した前提から考えると、
他者の意識世界を(仮に)排除しても、コミュニケーションは可能になります。

たとえば、私がAさんに「赤ペン貸して」と言うとします。
Aさんはペンケースから赤ペンを貸してくれるでしょう。
その場合、私の「赤ペン貸して」という言葉は何を意味するか。

この言葉は、Aさんがその意識世界内で「赤ペンを貸そう」と考えたうえで
貸してくれるのだと言うことをさしているのではなく、
あくまで私の意識世界内のAさんが、私の意識世界内で赤ペンを取り出して渡すという
その行為のみをさしていると考えることができる・・・と、思います・・・(自信なし

こう考えると、他者の意識世界をお互いに認めているとはいえなくなる筈です
どうでしょう・・・
286考える名無しさん:02/05/25 02:17
>>285
それ独我論じゃん。
287 ◆DsDaF1lk :02/05/25 02:19
>271
わかっていることは、自分の知覚している「これ」だけですよね?
知り得ることは、私の知覚世界の中で、他人が行う表面的な行為や表現です
でも、その他人について知ったことからどれだけ推測しても、
他人の意識世界があるかどうかは、確かめられません。

なんですが・・・もうすこし、かんがえます。

ちなみに、他の方に勘違いされてはいけないので書いておきますが、
私は他人の意識世界はない、とは言ってません。
どちらとも言い得ない、と考えています。
どちらとも言い得ないのに、コミュニケーションをしている我々の言語は、
いったい何を指し示してるのか・・・みたいなことを、考えているつもりです
288  :02/05/25 02:21
>>282
何かクオリアって要素還元主義に退行しちゃってる気がするんだけど気のせい?
289 ◆DsDaF1lk :02/05/25 02:36
論点がいろいろに発展したり
私の知らない概念が登場したりして、
私には答えられないレスがたくさんあります。
勉強するつもりではいますが、わかる方いらっしゃったらどんどんお答えおねがいします

問題意識は変化していますが、1の問いについては130あたりを見ていただけるとうれしいです。
穴だらけの理屈ですが、その穴をどんどんついていただきたい

私もわかる範囲で答えていくつもりです
あまりこれませんが・・・
では、また。
290 ◆DsDaF1lk :02/05/25 02:39
あと、週末はお客さんが多いようなので、マジなスレはsage進行がよろしいかと・・・
291:02/05/25 03:01
>>282

すいません、モギケンってどなたのことですか?
教えてください。
292考える名無しさん:02/05/25 03:17
http://www.nikkei.co.jp/pub/science/page/qualia/qualia.html
NETで検索掛けりゃ1発でない?
293考える名無しさん:02/05/25 10:48
>>130読みました。

これは,この前提でこのまま突き進む前に,「あるひとつの身体に,
その身体とは独立に別の意識が入ることが可能か?」という問いに
応えておく必要があるのではないでしょうか。

私は不可能だと考えるからこう言っているわけですが。
294108:02/05/25 12:58
クオリアの問いの起源って形而上学の根源性についての問いだろ?
ちがうんかな?^^;
295:291:02/05/25 14:13
>>292さん
ありがとうございます。天気がよいのでさっそく外にでて、本屋さんにいってがんばってよんでみます。
296108:02/05/25 14:51
>>285
286の言う通り独我論がその状態に当たります。
違いは貴方の言う「存在を認めるか否か」です。

つまり相手の意識存在を認めコミュニケーションするのは普通の状態。
そのとき相手の言葉は相手の意識世界の何かを指す訳ですよね?

>この言葉は、Aさんがその意識世界内で「赤ペンを貸そう」と考えたうえで
>貸してくれるのだと言うことをさしている
上記のように存在がある場合仮定できるのですから存在する時の答えは2つ。
つまり自分の意識「内」にあるか「外」にあるかです。

相手の存在自体を認め得ない場合コミュニケーションは一方的になり
それを突き詰めていくと「自分の意識存在のみ」か「循環」になる訳です。
この状態のコミュニケーションの例を挙げるなら
「子供と人形のコミュニケーション(循環)」や
「風景に独り言を投げかける状態(自分のみ)」などが考えられます。

普段は意識せずにコミュニケーションしてますが
これが「乖離」などやハイデガー他の言う「自己の2重性」に繋がります。
297 ◆DsDaF1lk :02/05/26 18:36
>293
確かにそこも考えるべき点ではありますが、
わたしは、今ポイントを置きたいのは、
自分の意識が他人の身体に入れるか入れないかに関わらず
どちらの身体を使っても、見ているのは自分の意識世界の中の自分の知覚である
と考えました
298 ◆DsDaF1lk :02/05/26 18:50
意識の問題を整理しましょう
自分の意識の外については知りえないので保留するとします
1・他人の意識世界があると考える場合
それは、自分の意識世界の中にある。
しかし、他人の意識世界を認める以上、他人を主体として考えた場合
私の意識世界は他人の意識世界の中に存在する。
そこに無限のループができる。   なので、間違っている。

2・他人の意識世界がないと考える場合
自分の意識世界の中の他人はまるで意識があるかのように
行為するの目であるということは、言いえる。
これは独我論である。

そして、私の意識世界の外があると仮定すると
3・他人の意識世界が私の意識世界の外に存在する場合が考えられる
では、この仮定は証明しうるのか?
私の持っている知識は、自分の意識世界および知覚世界についての情報と、
そこから得られる他人の振る舞いや 事柄などの情報である
これらから、私の意識世界の「外」について推測することは可能かどうか

考えてみたいと思います
また、他人の意識世界の存在証明とかも、何かありましたらカキコおねがいします
299考える名無しさん:02/05/26 19:13
発達(心理学/現象学)的に考えてみてはいかがでしょう。

生まれたとき,あるいは受精卵だったとき,私の意識は間違いなく
ありませんでした。そして現在,私は意識を持っています。
その意識はどこから来たかと考えると,親をはじめとした他人
(もちろん意識を持つ他人)がいたからこそ,ということが
できます(詳細はとりあえず省略します)。概念も言葉も感覚も
同じです。

したがって私は,自分の意識や概念や言葉や感覚を論じるに
当たって,他人がそれらを持って「いない」と考えるのは
間違っていると思います。

こういう私の考えは,哲学よりも心理学に由来するものですが。
300108:02/05/27 03:35
>>298
>なので、間違っている。
なので結論に至らない。(論理自体は成り立つが結論しない)
が良いかと思います。

1.2.3の内2は知覚世界自体が有りませんので「比較は出来ない」。
1は容易に比較出来るが正しいとは言いきれない。
3の場合比較出来るかどうかすら解らない。
でしょうか?

似たように思えるでしょうが論理証明の可能性は3しか
残らないように思えます。
正直現象学やカントの超越論自体知識的に薄い部分なので
詳しいところまで考えきれるか解りません^^;

なので私はそっから先は自分も確認しながら
自分の論理を書こうかと思っています。
301275:02/05/27 21:50
私も,発言が特定できる名前をつけておきます。
275=293=299です。

どなたご存知であれば教えていただきたいのですが,独我論は
哲学の世界ではどのような評価なのでしょう?

私は哲学は,多少本を読んで知っている程度です。
その素人の私が愚考するに,独我論は,「世界が
5分前にできた」という仮説と同じように,反証は
できないけれども生産性もないシロモノにしか思え
ないのです。少なくともこのスレのようなテーマに
関しては。
302わとそん:02/05/28 22:50
>299
>したがって私は,自分の意識や概念や言葉や感覚を論じるに
>当たって,他人がそれらを持って「いない」と考えるのは
>間違っていると思います。

それは他人の成長過程は自分の成長過程と同一であるという立場で
出てくる結論なのかなぁ?人間は、みんな同じ意識世界の構築の
仕方であり、そして同じ様な意識世界を構築するという。でもって
、それを連鎖させて受け継いでいる。何かそういうのが根本にある
考え方に思える。(もしかしたら違うかも)

>298
1の無限のループってのは論理的にする為の形じゃないの?
矛盾無く、論理性を失わない為にループにするのであって、
ループにするから結論も出ない。無理に出したければ出発点
を終着点にするしかない。
無限のループってのはなるんじゃなくて、するものだと思う
けど。
303考える名無しさん:02/05/28 23:01
仕切屋のレヴェルが低いな・・・
304275:02/05/28 23:02
>302
同一であるというのもあります。
しかしそれだけではなく,人が成長するためには,親の存在が必要
だという「相補性」もあります。
それはちょうど,蜂の存在を前提として雄花と雌花が存在するような
関係です(いわゆる「共生」ですね)。
たとえば赤ちゃんには,乳房をもった親の存在を前提として,吸てつ
反射をもっています。あるいは,男性性器の形状は,女性性器の形状
を前提としています。
それを考えると,独我論は「間違い」といえるかどうかはわかりませんが,
すくなくとも「不自然」だといえると思います。
305礙礙礙:02/05/29 03:25
発生・発達の視点において重要なのは、統合プロセスよりも、
まずは分化プロセスです。
306275:02/05/29 07:52
>305
え? ちょっと意味がわからなかったので,よろしければ
説明していただけませんでしょうか。
307礙礙礙:02/05/29 11:14
他人が在るか無いかから出発せずに、「他人になる」過程から
考察してはどうですか?
308 ◆DsDaF1lk :02/05/29 12:00
@へこみ中・・・・

>304 私も、独我論は不自然だと思います。
日常をかんがみても、やっぱり他人の意識を認めながら
私たちはコミュニケーションをしてるように実感されてしまうので・・・
なので、独我論に帰結することを避けたいな、とは
思うんですが・・・・

ただ、自分の成長過程、自分の意識、そういった情報は自分のものでしかなく、
それらを他人の成長過程に当てはめて考えることが、
可能でないとも考えられるのです
自分の意識世界での情報を、他人の意識世界の存在に当てはめて応用する
ことって、はたして正当化されるのでしょうか?
309 ◆DsDaF1lk :02/05/29 12:14
>302
と、言うことは、無限のループになることは
認められる、ということなんでしょうか?

>304
確かに、相補性という考え方をすると、
私たちが他人の意識の存在を無根拠的に認めていることの
説明ができるかもしれません

>307
自己と他者の分離ということですか?
私の意識世界の中には他人は確かにいますが、
そのことが意識の外の他人の存在を証明するものにはならないんだと
私は考えています。

他人になる、ということの意味がまだわかってないのですが、
他人を主体とする意識世界を想定すれば、それは自分の意識世界
になってしまいます
なのでやはり、自他の比較 が必要になるのだと思います
310108:02/05/29 13:16
なんかかなり現象学に近くなって来てますね^^;
「存在はその存在世界においてその存在を肯定される。」
という前提で考えると

自分の知覚世界の発生時にはその存在全てが肯定されます。
(知覚世界と知覚世界上の自己存在が生起したとの仮定)
その知覚世界での認知を繰り返す過程で
自分の知覚世界上の自己存在に意識世界が生起する
と考えられます。
(注:これまでの世界構成の図式と少し違うので注意してください)

心理学で言えば現実世界上に生まれた赤ん坊は
神経反応としての知覚からの認知を繰り返しその過程で
意識を持つようになる。とほぼ同意かと思います。

循環について言えば
論理上では否定も肯定もできない論理と成ると思います
論理は結論が無ければ完結した一つの論ではないのですから
論自体は完全成立していない状態です。
ただその過程での論理展開に矛盾が無いと思われる場合
前提や検証のどちらかに不都合があるかもしれないので
前提などを通常疑うわけです。
311考える名無しさん:02/05/29 17:51
例えば、>>1さんあなたの主観があなたにとって存在するとして、あなたの
主観の存在を私に証明できるでしょうか?私にも主観は存在していますが、
それをあなたに証明する手だてはありません。ただ互いに信じることが
許されるのみです。
あなたの私的な認知が他人の認知と共通しているかの問題は、主観の問題に
還元されるだろうと思います。
312275:02/05/29 19:37
私は現象学的な話は,独我論という穴ぼこをふさぐために出しただけなので,
深入りするつもりはありません。

独我論のスレもあったのでざっと見て見ましたが,やはり(簡単には?)
論証も反証もされないしろもののようですね。穴ぼこの比ゆでいえば,
埋めることも掘り進むこともできない難物だと思いますので,とりあえず
見えないようにふさぐのがいいのではないかと思います。

>308「独我論に帰結することを避けたいな」

独我論は,結論として導き出されるものではなく,あくまでも「前提」で
しかないのではないでしょうか。「私の意識世界の「外」について私は
絶対に知り得ない」というところから出発してしまうことは,独我論
を前提としているのと同じだと思います。

他人の知覚や意識を問題にしたいのであれば,そこでうろうろしてしまう
のは,あまり得策ではないように思います。他人の意識があることを
前提に話を進められてはどうでしょうか。「とりあえず」だけでも。
313275:02/05/30 20:33
さて,外界の諸対象が「実在する」という前提で話を進めますが,
このスレでは「知覚」ということで一くくりにされていますが,
モノの知覚と色の知覚は区別されるべきです。結論から言うならば,
モノの知覚に関しては,私の知覚と他人の知覚は一致すると言えます。

モノ知覚において,重要であるのに見逃されがちなのが,知覚と
運動や,感覚同士の連携です。触りながら,動きながら,動かし
ながら見る,みたいなことです。もしそこで視覚像が歪んでいた
としても,知覚−運動−表象の循環を通して異種感覚や運動感覚
が統合され表象が修正されることで,歪みは是正されます。

ということはおそらく,同じような身体機能を持った複数の
人が,同じように複数の感覚や運動を利用しながらモノを
知覚すると,結果的にその知覚像は,同一のモノになると
考えられます。まあ哲学的な問題は残るでしょうが,心理学の
研究(とくに逆さめがねなどの視野変換実験)からは,そう
いえます。

ただしこれが言えるのは,冒頭で述べたように,触ったり動いたり
動かしたりしながら知覚することができるものに限ります。形,
大きさ,奥行き,運動などでしょうか。

そうではないもの,つまり,色や単純な感覚(痛覚)などには,
残念ながらこの話は当てはまりません。だから本スレのような問いを
具体的に表すときには,色に限定して「逆転スペクトルの懐疑」などと
言われるのでしょうね(気が向けば続く)。
314考える名無しさん:02/05/30 21:26
>>1
みんなとは少し違って切ってみます。
赤という色はその人にとっての「赤らしさ」があると思います。
これは人の「意識・自意識」の議論で出てくる「クオリア」という
ものです。今自然言語でなくこれを数学的言語でも近づこうという
動きです。ア−トもこんな所を使っていますね?
もう一つは、自身と他者の間の関係は脳の「共感野」と言うところ
があり、赤色をみて他者とどう感じるか?
美術館に行くと「私的」という物がどういうものなのか考える時が
増えますね。
315礙礙礙:02/05/31 00:43
>>309
あなたの歴史的アイデンティティは、どの時点まで遡るのですか?
316生物学的には:02/05/31 01:57
人間の「赤」の視物質の遺伝子には2種類あることが分かっている。

赤色の遺伝子の180番目のアミノ酸がセリンかアラニンかの違いで、
このアミノ酸がセリンだと一番赤を強く感じる周波数が557nmだが、
アラニンの場合は552nmとなり、アラニンの場合は、赤からオレンジ色の方向にずれてしまう。
当然ながら、同じ夕焼けを見ていても違う色に見える。

「赤」を感じる遺伝子はX染色体の上にあるため、男性はオレンジ側か紅側か一方しか持てないが、
X染色体を二つ持つ女性の場合は、2種類の赤の視物質が働く可能性がある。

http://www.ne.jp/asahi/ogi/home/back/011.html
……てことはゴッホとピカソで赤の感じ方が違うということが生物学レベルで実際に起こっているわけだ。
317考える名無しさん:02/05/31 02:04
ちょっと目を細めてごらんよ。
それだけでも視界が歪んで
ものの見え方が変わるから。
318考える名無しさん:02/05/31 02:06
あと、氷を頬張ってバリボリかじりながらTV見るとか。
319考える名無しさん:02/05/31 02:18
たしか
実験的には「赤」を見ると体温が上昇し
「青」を見ると下がるらしい。
これは万人に共通なのだろうか?
また四基もうのひとではどうなのだろう?
情報キボンヌ
320考える名無しさん:02/05/31 02:20
これは「サトラレ」の出番だな
321考える名無しさん:02/05/31 08:33
>>316「ゴッホとピカソで赤の感じ方が違う」

そういえるでしょうか?

仮に,標準的な色見本で「赤」と呼ばれている色が557nmだったと
します。そのときは,どちらの遺伝子を持っている人も557nmの色
を指して「あか」と言うのではないでしょうか。あるいは,色見本
のなかから,最も典型的な赤を選べと問われたら,やはり557nm
を選ぶのではないでしょうか。

つまり,「ゴッホとピカソで『赤と言われる色』の感じ方は同じ」
である可能性が高いといえます(5nmの違いが色見本に再現されて
いるかどうかは知りませんが)。
322通りがかり:02/05/31 12:33
>>321
若葉の萌える季節だよ、一度田舎の方にドライブしてごらん。
田園も山も田畑も、み〜〜〜〜んな緑だ。
しかし、その色調、彩度、明度…、全てちがう。
ありとあらゆる「緑」が出揃って、一つ一つ微妙に異なり、しかも調和している。
この季節でなければ出遭えない緑の饗宴だ。

緑も赤も、無数に在るんだよ。そしてそれを感じる感受性の内実も
百人いれば百通り、微妙に違っている。
それを「緑」「赤」という言葉に篭めて、なんとかコミュニケーションを
はかろうとする・・・。言葉って、不自由だよねえ。
323考える名無しさん:02/05/31 12:39
ま、逆に言えば違うという確証もかけらもないんだが
324考える名無しさん:02/05/31 12:59
>>322-323
それが、人間の事実。二人いれば同じことを語っても
まったく感じ方が違うわけだな。
俺もまた、二人とは違う。微妙さは違うだろうが
後天的成育環境の類似性によって、脳内のシナプス形成過程も似るだろ。
文化もそうだ。大雑把な枠内では、似ていると思われ。
「浅葱」「銀鼠」「江戸紫」…etc.etc.…日本特有の色言葉も
あるわけだし・・・あ、ちょとズレたか。
325考える名無しさん:02/05/31 16:38
色と言う曖昧な感覚を何故選んだのか?ここにもう一つ、先への問いがあるのではないだろか?
326考える名無しさん:02/05/31 17:39
>>325
いかがいたしましょう?先生。
327275:02/05/31 19:19
>>322-345
そうではないのです。ある言葉が指し示す範囲の幅の広さや違いとか,
「言葉で確認可能な個人差」の話ではないのです。

「同じものも見て,それを同じ言葉で表現したとしても,内面で同じ体験が
なされていると言えるのか」ということなのです。野矢氏の本から抜粋する
なら,「彼が「赤」と呼ぶ色は,私が見たら「青」と呼ぶ色かもしれない。
私と彼とで見ている色のスペクトルが完全に逆転しているかもしれない」
ということなのです。同じ色相・明度・彩度を持つ色を二人の人が見ている
ときに,二人は同じ色を見ているのか,という問題なのです。
328275:02/05/31 19:20
>327
オオボケしました。>>322-325の間違いです。失礼しました。
329108:02/06/01 03:52
色の知覚に付いては時性が絡んだりもしますが
「クオリア」について少し書くと
知覚された情報自体はその刹那の内では同一化しにくくても
275さんの指摘通り知覚情報自体が修正されて行く為
ある程度の修正で同一化してゆくといえると思います。

では「クオリア」自体同じか? と言えば違うでしょう。
クオリアは感情の相とも言えると思えます。
赤を見て何を思い浮かべるか? とか 赤はどういった色に感じられるか?
と言う一種 認知心理学に近い物と思われますので。
色に抱く感情はその人の来歴により違うのは当然でしょう。
ですがこれは社会の持つ文化や歴史からも影響を受けるわけで
ある程度の同一性を含むわけです。
(ユングの無意識のモデルはこの同一性を考慮されていた)

今の段階では時論に付いては話がこじれるので出していませんでしたが
存在論と時性は関連している場合が多くその刹那での状態を見た場合
一致しにくいと言えると思います。
これはチュ−ニングと呼ばれる知覚の情報の修正機能がその刹那でなく
次の刹那に得られる情報についての機能で有るが故に
その刹那において一致しにくい事の証明になってしまうためです。
(チュ−ニング自体も後天的訓練と先天的知覚器の差で一様では無い)
この情報の還元機能が無く常に同じならば心理学でも分析学でも
あまり悩まなくて済むんですが^^;
330考える名無しさん:02/06/01 12:17
>329
108さんどうも。「時性」とは何でしょうか? 私は初耳です。

>チュ−ニング自体も後天的訓練と先天的知覚器の差で一様では無い

チューニングという概念は大事ですね。これがないと,あらゆる知覚が
私秘的なものになってしまいます。

常識的には上にあるように「一致しにくい」と考えられるのでしょうが,
野矢氏などは,知覚(感覚ではなく)を「非人称的」なものととらえて
いるようです。「この眺望点に立てば誰でもこの眺めに出会える」と。
とすると,「あまり悩まなくて済む」のかもしれません。

近年の生態学的心理学の知見からしても,この考えは悪くない考えであるように
思います。もっとも,このスレのテーマである色覚などの感覚に関しては
話が別ですが。
331考える名無しさん:02/06/01 15:52
>>1 は、系として閉じてしまったのだろうか。
あきれてるだけかな。ならいいのだけどな。
332108:02/06/01 16:24
時間についてはかなり解りずらいかもしれません。
存在論の部分で触れた単独の意識世界のみの状態を
「現存在」と呼びますが時間は現存在そのものとされています。
哲学的に言うなら現存在は明滅を繰り返しその存在自身が
時そのものと言う事になります。
現存在の変容の部分を都合上「時性」と呼んだりします。
つまり時性は現存在の有り様と言った所でしょうか。
その為存在論は時間論と絡む訳です。

哲学で非人称的に捉えるというのは前述の現存在の外の物
つまり生態機能としてチューニング自体を捉えると言う事だと思います
これは知覚から得られる情報に自己存在が絡まないのを意味します。
(つまり先天的な機能で後天性は無いとの見方)
私の場合チューニングはその来歴に左右されると考えるので
生体機能の部分もあるがそうでない部分もある訳です。
(双方ともあるが後天的な部分は来歴によるとの見方)
これは心理と分析と生態とで見方や意見も異なる所ではあります。
333108:02/06/01 17:49
これは知覚から得られる情報に自己存在が絡まないのを意味します。

これは知覚から得られる情報に意識存在が介さないのを意味します。

自己存在と言うと語弊が有ると思うので訂正します^^;
334275:02/06/01 17:57
>332
うーむ,悲しいことにさっぱりわかりません。

それはさておき,「逆転スペクトルの懐疑」についてひとつ気づいたことがあ
ります。野矢氏はこれを,かなり言語に限定して問いを立て,検討しています
ね。「君が赤と呼ぶ色は何色か?」と問い,「私的体験を言葉で表現すること
はできない」と私的言語を否定する。

しかし「逆転スペクトルの懐疑」の問いの形は,これに限られないのではない
でしょうか。言語を経由しない問いとして,たとえば「目の前にある一枚の色
紙は,私とあなたの心に同じように写っているのか?」みたいに問うことも可
能だと思います。私的言語ではなく,私的体験そのものを問うわけです。

1さんの問いは,そういう形をとっています。言語による定義やコミュニケー
ションではなく,「私がAさんの目を使って赤いものをみる」という状況を想定
していますから。1さんが野矢氏の本に納得しなかったことの一端はここにあ
るのかもしれません。この問いに答えるためには,言語やコミュニケーション
方面ではなく,私的体験の有無とその一致の問題を論じる必要があるように思
います。

 #私の予想では,この問いは「ネーゲルのコウモリ問題」になるような
  気がするのですが。
3351@すみません:02/06/05 01:40
パソコンがおかしくなってしまい、来れなくなってしまいました
今は他人のものを借りているので トリップすらありません
さがってたので あげておきます

私が考えたかった事は >334に凝縮されているようです
私の今の実感として、他人との知覚が違うかもしれないという、
子供じみた問いなのです 

それはともかく、>330で言われている事を少し調べてみました
野矢氏いわく、
たとえば ここに一つの花瓶があるとして、
「私」の立っている場所という視点からは「このように」見えるが、
裏側から見たら 「おそらくこう見えるだろう」と、考える事が出来る
花瓶をはさんで向かい側に Aさんがいるとして、
そして、Aさんの視点からは「おそらくこう見えているだろう」と考える事が出来る・・・

この「視点」のようなものは、視覚だけではなく他の知覚についてもいえる
匂いも、その源に対しての自分の位置で感じ方が違うし、聞こえ方もそうである
それらの「知覚の立ち位置」のことを、「視点」を広げた言い方として「眺望点」と呼びます

私の解釈では不安ですが
>330 で言われているように、「同じ眺望点に立てばだれでも同じ知覚を得る」と考えられ、
さらに「他人の目」も、私に理解しうる(私の意識世界内の?)
一つの眺望点である、と考えられている
こう考えると、私の意識世界の中に他人の意識世界が存在しうるのではないか・・・
と、思ってしまいましたが・・・どうなんでしょうか

336108:02/06/05 01:41
私的体験って方面に行くなら「クオリア」の問題もそうですよ?
色の質感たる「クオリア」はその人の生きてきた歴史だと思う。
だから他人のクオリアを知るには同じ歴史が要る。
だが他人の歴史を手に入れた私は他人であり私で無い。
(分析学に私は近いので前述の「記憶」や来歴がそれにあたる)

ネ−ゲルの蝙蝠も同じ結論だったような?
「私は蝙蝠になれるか?」だったか記憶不確かですが。
羽や知覚器官を蝙蝠と同じものを持って行くと人間であった私では
蝙蝠になれず蝙蝠になったとしたら私は無い
ってな感じだったと思いますが。
3371@続き:02/06/05 01:49
しかし野矢氏は、知覚と感覚を分けて考えており、
他人の知覚(視界など?)については 上記の眺望点云々 ということを述べていますが、
他人の感覚(痛みなど?)についてはやはり、完全には知りえないのではないかと考えているようです

・・・色の感じかたは、感覚に属するものですよね・・・

ちなみに野矢氏は、逆転スペクトルの懐疑については、
やはり 問い自体が成立不可能である と言う事を論証しています
いくら論証されても 実感として納得がいかないので、もっと考えたいと思うのですが(w

さて、パソコンを修理に出す間、いつ来れるかわかりませんが、
どんどん 議論お願いします
存在論、時間などは・・・     ゴメンナサイ
遠慮なく 厨房ぶりを発揮させていただきます
3381@続き:02/06/05 01:56
少し気になったので、ひとこと
>337 私的体験と記憶とは無関係でないにしても、
今の問いとしては 関わり方がが違うような気がします
たとえば、ありえない事ですが まったく同じ体験、歴史を持った2人が
違った 「色の見え方」(とりあえず知覚世界とは言いません)を
もっていると考えうる・・・   というのが、
このスレでの私的体験の問いなので・・・
私秘的体験、と言うべきですね   たぶん  
では、今度こそ落ちます
3391@スマソ:02/06/05 01:58
>336でした・・・
340108:02/06/05 02:25
>Aさんの視点からは「おそらくこう見えているだろう」と
>考える事が出来る・・・
これは「客観」と呼ばれたりします。
この場合本来の自分の視点(眺望点)を「主観」と都合上呼んだりします。
ですがあくまでこれは「考える事が出来る」の前提。
意識世界内での出来事です。
>私の意識世界の中に他人の意識世界が存在しうるのではないか・・・
私がこの時他人の意識世界を仮定的に作り出している(生起)訳です。
これは本来的な他人の意識世界ではなく
あくまで私の中の他人なので 他人そのものではありません。

336他で述べたようにある程度までは一致しますが
完全に知る事は出来ないのではないか って事です。
(この辺りはクオリアの部分が当たります)

それを一致させて行く手段のようなものが
私の言うチューニングとコミュニケ−ションに当たると思います。
341275:02/06/05 21:07
>336
よろしければ教えていただきたいのですが,「クオリア」とは何でしょうか?
一般的には「質感」と訳されるようですが,それは「感覚」(sensation)とは
どうちがうのでしょうか。

また,(哲学における)クオリアの問題って,どういう問題なのでしょうか。
端的な問いの形で提示していただけるとありがたいのですが。意識の問題
とは違うのですか? 違うんでしょうね。
342考える名無しさん:02/06/07 18:40
あげ
343考える名無しさん:02/06/07 18:44
一致しない。
344考える名無しさん:02/06/07 20:26
>>343
その根拠は?
345考える名無しさん:02/06/07 23:06
映画「ファイトクラブ」では、ジャックとタイラーは、知覚世界一致させてたね。
346考える名無しさん:02/06/07 23:13
自分で見る自分の顔と他人が見る自分の顔は異なって見えると思っていた
347考える名無しさん:02/06/07 23:15
>>346
なして?
348108:02/06/08 12:04
クオリアは心理学で言われる
「単純知覚とそれによって深層意識下から来る感情」だと思います。
この時当然表層の認識できる部分に無い感情も含まれます。
(認識できる部分に無い感情は分析で言われる無意識的感情に当たります)

つまり「クオリアの問題」≒「ネーゲルのコウモリの問題」です。
クオリアの語義を色の質感とするなら
「異なる2者の持つクオリアは一致するのか?」
(妥当ではない事に注意が要ると思います)
と言うようなものがクオリアの問いと言う事に成るでしょう。

したがってクオリアについて言えば
コミュニケーションによって妥当はしようが一致はしない。
それだけでなく常に変化していくのだから過去のクオリアと
今のクオリアも別のものと言う事に成る訳です。
349275:02/06/08 13:50
どうもありがとうございます。

「クオリアの問題」≒「ネーゲルのコウモリの問題」=来歴の重要性
であるならば,やはり1さんが想定する(身体とは独立に)「他人の
意識のなかに入る」ことは,成り立たない事柄だと思います。

ところで108さんのいう「分析」とは,分析哲学ですか? 精神分析ですか?
350考える名無しさん:02/06/08 14:09
「自分の中での一致まで無い」といったところで、再認を否定できるほど
統覚の実感が壊れたわけではないでしょう?

認識対象自体の同一性を前提として、自分の再認と、他者との共通認識と
の違いを、論じる必要があるのでは?
351考える名無しさん:02/06/08 14:14
障害者は論外ですか?
352考える名無しさん:02/06/08 14:32
>>351
スレ内で既出。
353考える名無しさん:02/06/08 14:38
>>351
いかなる二者の関係も、健常者と障害者との関係の様相を呈する、
というのが、このスレの流れのひとつの自然な解釈。
354考える名無しさん:02/06/08 14:40
他者と身体を共有している例を、議論すべし。
つまり、多重人格。
355考える名無しさん:02/06/08 15:01
同じ物を右目だけで見るのと左目だけで見るのでは、
知覚する色彩が微妙に違うはず。
356108:02/06/08 16:33
私の言にある分析は精神分析学の方ですね
古いものは哲学でも扱われますが。
分析哲学に近いのは心理学かと思います。

乖離(多重人格)について言えば生起時(同一の来歴を持つ)は
個々において全くの一致があると思いますが
分離後はそれぞれの歴史(来歴)が生まれ徐々に差違が出ると考えます。

>認識対象自体の同一性を前提として
クオリアなどにおいてはこの妥当的前提に対し問いかけをしています
つまり前述していますがこの前提を壊さないなら
「悩まなくて済む」んです。
(一致するかしないかだけで妥当は必要ないと思う)
357考える名無しさん:02/06/11 01:05
と、いうことは、分離の履歴を遡ることで、対応付けが
できる可能性が残るわけですよね。さらに、調停する形
で治癒する例があれば、一致の過程も見出せる。
358108:02/06/11 10:55
357の言う通りですがその場合の一致とは
「元々1つの知覚世界」が別れた場合。
全く他の意識世界上の知覚世界の一致とは違うと思う。

乖離した人格は他人ではなく意識世界の内に生起した別の意識世界。
これは共感の部分でも触れたが仮定的に生起した意識世界が
分離しているのであり全く他の意識世界とは違う。
だからこそ乖離の状態によっては記憶を共有していたり
知覚を共有していたりと様々な症例が認められる。

調停する形で治癒できるのは比較しているものが
元々同一であるからに他ならないのでは?
359考える名無しさん:02/06/11 11:07
では、多重人格での分離と、母と子の分離との本質的な違いは何でしょう?
人々は元々同一ではありませんか?
他しか前レスでありましたよね。他人になる過程云々って・・・
360 :02/06/11 12:11
一致するわきゃないだろう。
脳みそなんて皆ちがうのよ。
361考える名無しさん:02/06/11 12:39
>>360
おまえの脳みそはモノリスか。
362108:02/06/11 16:02
>>359
現実世界上で分離しているかしていないかに違いがあるかと。
他人になる過程ってより生起時の発生状態については言及した気がするが
分化プロセスまでは言及してないような?

乖離ってのは自己の意識世界内に鏡像的意識世界が生起する事で
本来は自己の意識世界を超えるものではない。
強度の状態になると並列的に意識世界として分離する事がある。
この場合現実世界上で一つの肉体に対して生起する意識世界は
1つである事に注意が要るとは思う。
ある瞬間に別の意識世界が表層に顕われ生起するのに注意。
(つまり切り替わる)

この時妄想や幻視を併発すると
「ファイトクラブ」な状態になる事は可能かも。
映画中ではタイラーはジャックの知覚世界を認識しているが
ジャックはタイラーの知覚世界を認識していない事も注意が必要。
(ジャックはタイラーが別人だと思っているがタイラーは現実を知っている)
後半部において女性からは同一の人物として表現されている事も。
もしその映画の話からの流れならの事でですが。
363考える名無しさん:02/06/12 01:50
10cmものオーダーの広大な脳空間内での表象にまとまりがあるというならば、
10mぐらいのオーダーでもまとまりがあってイイのではなかろうか。
364考える名無しさん:02/06/12 05:34
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/nou.htm

ここに緑色と赤色のフィルターをつけた眼鏡の話がある。
参考までに覗いてみては?
365考える名無しさん:02/06/12 11:18
簡単に考えたら、
自分の目、鼻、舌が、あなたのいう他人との構造に違いがあるのか?
ということじゃないの?
イチゴはイチゴの味がしなければイチゴと認められない。
ということは、
あなたの舌と他人の舌がおなじで無ければいけない。
もちろん多少の違いはあれど、平均的なレベルは同じと考えられるのでは?

もしイチゴと人間の違いがあるなら、教えて欲しい。
イチゴはイチゴ、人間は人間であると思うが。
366 ◆DsDaF1lk :02/06/19 04:37
パソコンがクラッシュしていまして
暫くこれないうちに かなり沈んでしまっているようですね
しばらく離れて、本など読んで考えたことがいくつかありますので、
また ぽつぽつ語ってみたいです
何かと忙しく PCも不安定なので いつこれるかわからないですが・・・

とりあえず ageておきます
常連さんも離れてしまったかなあ・・・・

心機一転で、行きましょう!!
3671 ◆DsDaF1lk :02/06/19 04:37
と、言いながら sageてしまった私でした(w
368Iridium:02/06/19 04:57
とりあえず、やっとこうか?
369考える名無しさん:02/06/19 07:10
370 :02/06/19 12:51
>365
1の持っている苺のイメージと、365の持っている苺のイメージが違うかもってことだよ。
1は苺を目の前にして 、1が見ているものと、1の持っている苺のイメージが、同じであるため苺と判断。
365は苺を目の前にして 、365が見ているものと、365の持っている苺のイメージが、同じであるため苺と判断。

しかし、1が見ているものと365が見ているものが同じである必要はないし、
1の持っている苺のイメージと365の持っている苺のイメージが同じである必要もない。

ま実際、微妙に違うだろうしね。
3711 ◆DsDaF1lk :02/06/19 19:10
>369
そのスレは、私も時々読んでいます
このスレでの問いは、はじめから他者の意識の存在を認めた上で
発生している問いです。
他者の意識が存在するという過程に基づいているわけなのですが、
ほんとにそうなのか??  と考えたところ、
このスレも独我論の流れになっていったようです

野矢氏は、逆転スペクトルの懐疑について、
言語によって規定されえない私的対象(この感覚)など 存在しない として
この懐疑は問うことが不可能な 意味のないものである と述べています
しかし、私的対象が存在しないとは どのようなことでしょう
私は私の意識によってしか 対象を見ることが出来ない
全てが言い方によっては 「私的対象」である。
私的対象が存在しないということは、何が存在しているのだろう
「公的対象」?
公的対象とは、私の意識の外にある対象と言う意味でしょうか
それなら、私は、私の意識の外のものについて
言語表現していることになり 論理的に不可です

私たちが実際に、「りんご」と呼んでいる「コレ」は
一体何なのでしょう

これをつきつめると やはり 独我論にいたってしまう・・・・・
それについても、また暇のあるときに書きます
3721 ◆DsDaF1lk :02/06/19 19:11
訂正  過程<仮定

>368 何をでしょう・・・
373考える名無しさん:02/06/23 04:08
ほしゅ
374考える名無しさん:02/07/07 03:58
思考の主体としての単一性を維持する機構は、実にもろいものです。
前レスにおいて、人格分裂の例も出ましたね。また、個体発生の歴史
的アイデンティティを遡るならば、あなたの「個」は、徐々に形成さ
れ、他人となる過程の、ある段階にいるに過ぎないことは、おわかり
でしょう。「個」を支える核が、脳内にあるわけではない。精神活動
は、本質的にネットワークなのです。
375Kurihara:02/07/10 00:54
ほしゅ。
376考える名無しさん:02/07/10 05:19
age
377sage:02/07/13 02:07
378考える名無しさん:02/07/13 05:59
なるほど
379考える名無しさん:02/07/18 10:48
クオリア・・・
380考える名無しさん:02/07/18 12:52
僕は音が見えて、色が匂って、臭いが聞こえます。
381考える名無しさん:02/07/18 12:54
ラマチャンドラン先生に治してもらいなさい。
382考える名無しさん:02/07/18 14:28
絶対音感がある人は、音が音階で聞こえるという。

なんかウザそう。
383考える名無しさん:02/08/05 13:41
もしも、ある人が、ある日突然「トマトが青く見える」と言い出したら、
周りの人はどう思うのかなあ。
目がおかしくなった、と判断されるんだろうか。それとも、言葉づかいが
おかしくなった、と判断されるんだろうか。
384考える名無しさん:02/08/06 22:42
赤信号で横断歩道に踏み出すようなら、たぶん目の方が怪しい。
踏みとどまるなら、言葉づかいのほうが怪しい。
385考える名無しさん:02/08/09 22:49
私と同じ部屋にいるAさんが、窓の外に髪の長い女が見えるという。
しかし、私には見えない。ここは6階だし、窓の外には人の立てる
余地もないので、Aさんは幽霊だと言い張る。
Aさんの目がおかしい? それとも言葉づかい? それとも私の?
386考える名無しさん:02/08/10 06:49
>> 385
それだけじゃなんともいえんのでは?
387考える名無しさん:02/08/10 12:39
388考える名無しさん:02/08/11 02:29
>>386
そのビルの6階から飛び降り自殺した女性が
いたかどうか、調べろってぇの?
389考える名無しさん:02/08/11 03:55
>>388
あ、今背筋がゾゾってきました。
390考える名無しさん:02/08/11 04:48
誰かが、知・情・意のスレあげていてだろっ

391考える名無しさん:02/08/11 14:04
私の知覚世界と他人の知覚世界とは一致するのか? ってのは、
まったく同じ知覚世界が、両者に個別に発生するって事なのか?
それとも1つの知覚世界を共有できるかって事なのか?
で、同じだったらそれが両者にわかるかってことなのか?
392考える名無しさん:02/08/11 23:06
だ〜か〜ら〜
自己と他者との一致は、自己内での一致との比較の上で語れっつーの。
393考える名無しさん:02/08/24 08:59
age
394考える名無しさん:02/08/24 10:07
確認することはできない
395考える名無しさん:02/08/24 10:38
私の知覚世界と私の知覚世界とは一致するのか?
確認することできのるか!
396考える名無しさん:02/08/24 12:03
物理世界(物自体)----私の知覚像-----私の世界のモデル/公的な世界モデル-----言語表現
物理世界(物自体)----他者の知覚像-----他者の世界のモデル/公的な世界モデル-----言語表現

物理世界(物自体)と言語表現がうまく調整できれは、一致の確信が生じる

397考える名無しさん:02/08/24 14:58
>>396
物自体がカントから借りた表現だとするなら、
物理世界は物自体ではなく現象界ではないかと。
398考える名無しさん:02/08/25 14:13
>>395
統合性失調症とか。
399考える名無しさん:02/08/25 16:13
論理を重ねれば重ねるほど不毛になりますね。何故ですか?
400考える名無しさん
あり得ないと言わざるを得ない