せっかくなので、次スレ立てました。
ついでだから晒すね☆
998 名前:考える名無しさん :02/04/16 02:55
阿修羅死ね
999 名前:考える名無しさんだよ :02/04/16 02:55
1000
1000 名前:阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/04/16 02:56
999ゲット!
1000とった奴はバカ!
3 :
473(589さんの意見):02/04/16 03:01
917 :589 :02/04/15 00:00
>>912 >>913 >ですが、社会という概念を持ち出さなくても(意識しなくても)、
>端的に上のように主張でき、それは、十分な説得力をもつ
>(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)、と
>考える、という意味で述べています。
問題は、
「(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)」
という論理を認めるかどうかという問題なのだが。
まず、「行ってはけない」という論述は実際のところ、
「命令」であるということには異論はないだろう。
とどのつまり「行っていいかどうか」というのは、
「行ってはいけない」という命令の妥当性を論じているわけだ。
あなたの述べていることは、
「命令の出現の蓋然性」あるいは「発令者における妥当性」
であって、そうやって提出された命令が、
受命者にとって妥当かどうかの検討を欠いている。
仮に、発令者における妥当性それ自体を問題にしているのならば、
あなたの主張にはなんら問題は無い。
しかしながら、一般に他者の命令が受命者において妥当性を持つためには、
発令者が受命者に命令を行うことの妥当性
(単純にいえば命令する権利があるかどうか)を考える必要があるだろう。
あなたも、命令というものは、
それがなされたならば、受命者において必ず妥当性を持つものである、
とまで主張するつもりは無いだろう?
しかし、実際のところ、なんの前提も無い状態で「従わなければならない命令」
つまり「妥当な命令」というものは存在しえないんじゃないだろうか?
だから、「前提なしには論点自体が存在しない」といっているのだ。
>>前スレ993
しかしこの質問は
「どうして人を殺しちゃいけないの?」であり
「どうして」は「いけない」という意志判断の理由を求めているわけで
意志決定を求める質問の第一原因(理由)はその個人の自由意志には有り得ないため
いくら社会的な取り決めや「恩恵」の概念があったとしても
それはこの質問への回答にはなりえない。
5 :
473(前のスレの最後の方のレス1):02/04/16 03:02
>>917 >>ですが、社会という概念を持ち出さなくても(意識しなくても)、
>>端的に上のように主張でき、それは、十分な説得力をもつ
>>(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)、と
>考える、という意味で述べています。
>問題は、「(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)」
>という論理を認めるかどうかという問題なのだが。
「論理」ではなくて、「被害者側が被害者が負った不利益に対して下す評価」についての、
事実認識(分かりやすく言えば、観察できるかどうか)に基づいていると何回も書いてます。
観察というのは、単にそのように観察できるかどうかの話ですから、論理とは無関係です。
>まず、「行ってはけない」という論述は実際のところ、
>「命令」であるということには異論はないだろう。
>とどのつまり「行っていいかどうか」というのは、
>「行ってはいけない」という命令の妥当性を論じているわけだ。
「命令」の内容があいまいです。「命令」には強制力があるのでしょうか?
@「命令」に強制力があるのであれば、「命令」の妥当性は、
「(誰かにとって)行ってはいけない」かどうかの問題ではないです。
強制力のある命令の「妥当性」を論ずることは、そもそも
・(誰かにとって)〜をされると悪い事実がある、だからしてはいけない(理由がある)という主張があり、
・それが正当であるという前提の上で、
・現にそれを強制的な手段に訴えて、「(誰かにとって)してはいけない」という要求に従わせる
ことを認めるか、また認めるならば、それをどのように行うか、という問題です。
今回の議論でいえば、これは「法制度や統治機構」、具体的には「刑事法とそれを支える制度の問題」です。
A「命令」が、「行ってはいけないと言うだけ」であるのなら(命令は普通この意味で使われます);
・そもそも根拠無く(これは@合理的でなくても A根拠をわかってなくても の2つの意味で)
命令を行うことが、可能です。
・「行ってはいけない、何らかの根拠」があれば、当然それは主張されます。
そしてそれに対する合理的な反論がなければ、それは「(ある立場にとって)正当な命令」とみなされます。
ある立場に立つ者が現に多いかどうかは、社会がどうとかいう問題ではなくて、単純にそう考える人間が
多いかどうかの問題です(一般人は、いちいち社会がどうとか小難しいことは、たまにしか考えません)
単純にそう考える人間が増える要因として、そこに共感や世間体などの要素が介入することを否定する気は、
ありません。
・繰りかえしますが、殺される段になれば、私が
>>460で触れた不利益を負うことは、上にいう話とは全く関係なく
おこります。それは事実です。
事実に従えば、「被害者側の不利益に対して評価を下す能力のある人間(加害者含む)」は、それを悪いと評価します。
ある立場にとって合理的な命令に対して、単純に気に入らないとか、ある立場からの命令に対して反論にならない
「理由」で、命令を無視することは「事実上」可能ですが、それは事実の問題(命令に従うか従わないか、
従わせるか従わせられるか)であって、命令の正当性に関する問題ではありません。
>あなたの述べていることは、
>「命令の出現の蓋然性」あるいは「発令者における妥当性」であって、
>そうやって提出された命令が、受命者にとって妥当かどうかの検討を欠いている。
そもそも、強制力の無い命令は、発令者にとって妥当であれば、発令者側にとって成立し言われうるのですから、
受命者にとって妥当かどうかは問題になりません。
そもそも、「殺してはいけない」という問題について、「発令者も受命者もいない」場合が多いことが、考慮から抜けてます。
>しかしながら、一般に他者の命令が受命者において妥当性を持つためには、発令者が受命者に命令を行うことの妥当性
>(単純にいえば命令する権利があるかどうか)を考える必要があるだろう。
前述の通り、強制力のある命令は、命令の正当性を前提として、それを実現する際の手段の問題ですから、
そもそも今回の話からずれています。ここでは「権利」という語を用いられていますから、強制力ありで考えてると
みなします。
>あなたも、命令というものは、それがなされたならば、受命者において必ず
>妥当性を持つものである、とまで主張するつもりは無いだろう?
>しかし、実際のところ、なんの前提も無い状態で「従わなければならない命令」
>つまり「妥当な命令」というものは存在しえないんじゃないだろうか?
はっきりいって、直観で「何の前提も無い」がおかしいとわからないとまずいと思うんですが、そうも
言ってられないので反論しますと;
「何の前提も無い状態」というとき、あなたは、「受命者にとって」を前提としてますよね。
発令者にとっての妥当性に疑義を呈してるわけじゃないので。ですけど、命令は発令者にとって妥当性があるから
なされるものなんです。それに同意するかどうかは、発令者が実際に受ける不利益=発令者からの評価とは
全く関係がありません。
・同意しなくても、発令者は命令しますし、それに合理的な根拠はあり続けます。
・同意する際に、受命者が自身の利益を考えていても、発令者は命令しますし、それに合理的な根拠はあり続けます。
・同意する際に、受命者が発令者自身の利益を考えて受け入れても、発令者は命令しますし、それに合理的な根拠は
あり続けます。
「あなたにとっての妥当性」の問題のみを、「他者の要因」を無視して考えるなら、端から「殺人の主たる要因を無視している」の
ですから、「殺人」を論じたことになりません。
要するに、あなたは「人を殺してはいけないのはなぜ?」と聞かれたのに対して、
「君は殺したことでは、殺されていないから、誰かが死んでも関係ないんだよ」と答えてるのと同じなのです。
これは、問題に対する答えにはなっていません。というのは、これは
「(殺されていない人が→殺した人が、ではない)殺されてないことについてどう考えるのか、答えてるだけだからです」。
>>前スレ993
しかしこの質問は
「どうして人を殺しちゃいけないの?」であり
「どうして」は「いけない」という意志判断の理由を求めているわけで
意志決定を求める質問の第一原因(理由)はその個人の自由意志「以外」には有り得ないため
いくら社会的な取り決めや「恩恵」の概念があったとしても
それはこの質問への回答にはなりえない。
993 :956 :02/04/16 02:51
>>984 まあ、そりゃ、やっていい、いけないを本人の意思(利益?)基準で
考えれば、「人殺しがいけないかは人それぞれ」ということになり
ますな。
他方、構成員の利益を守るという社会結成の目的から見れば、殺人
は防止すべきことで、そのためにあらゆる手段が許容される。
社会のルールを守ることと引き換えに恩恵を受けるものは、ルール
を破ってはいけない、「人を殺してはいけない」ということになる。
結局、言葉の使い方だと思いますが、普通の用語例では、本人でなく
社会基準で「いけないかどうか」を判断すると言うことなんじゃない
ですか。
まあ、内容的な議論と言うより、言葉の使い方の違いなんで、どっちで
もいいですが。
「人間」と大きな枠で括っていても
我々は個体であり、同一の存在ではない
その時点で一つの現象を同じように共有する事は出来ない。
というのが大前提。
次に行動における分別は可能な物と不可能な物
可能な物に対しての「やるか」「やらないか」に対して
この場合は可能な行動に対する「いけない」という意志判断への質問である事。
その次に意志に介入するのはいかなる物でもなく
個人の意志決定は個人の意志でしか行えなくそれが第一原因であるという事
つまりその個人以外の誰かが
「人を殺しちゃいけない」といってもそれはその個人にとって
「いけない」たりえない、「いけない(=やらない)」を決定するのは個人の自由意志である事。
この質問者へは我々がいかなる回答を持ちえたとして
「いけない」「いけなくない」という前提、定義を与えたとしても
それが回答者の意志決定にはなりえない、という点で。
○○(実現可能な行動)=いけないorいけなくないを大前提として質問者に回答する事は誰にもできない。
「するしない」は本人基準の意思の問題。
「いい、いけない」は社会基準による規範の問題と思いますがね。
あくまで、本人の「したくない」こそ「いけない」だという用語
例を使われるなら。「いけないかどうかは人それぞれ」で構わない
ですけど。
社会基準で、「すべき、すべきでない」の話をしたときに、「社会構
成員は人を殺すことをすべきでない、実際殺したいと思うかどうか
知らないが、少なくともすべきでない」というのはいいでしょう?
「約束したら破るべきでない、破りたいと思うかどうか知らないが、
少なくとも破るべきではない」と同じことです。
いずれにせよ、「いけない」言葉の意味を確定してからじゃないと
延々スレが立ち続けるだけでしょう。
>>10 質問は「どうして人を殺しちゃいけないの?」であり
「どうして」は「いけない」という意志判断の理由を求めているわけで (以下略
>>13 いけないという意志判断が、「加害者」についてだけ論じることが、
単純におかしいと思うのですが。
はう、いけないという意志判断について、ですね。
16 :
考える名無しさん:02/04/16 03:19
みんな哲学じゃなく理屈っぽいだけ。
クスクス・・・
意思判断なら「しない、したくない」では?
まあ、所詮国語の問題なんですが。
>>14 加害者についてだけ論じたのではなく
それは被害者が存在したとしてもやはり変わらない事だからです。
「いけない」と自己判断を下さすのは
その人自身の自由意志でしか有り得ないため
たとえ被害者について論じたとしても
「どうして人を殺しちゃいけないの?」という質問者に対して
「いけない」もしくは「いけなくない」
という事を大前提として質問者に回答する事が不可能だからです。
20 :
考える名無しさん:02/04/16 03:21
個人の自由な意志判断なんて存在しないよ。
先に基準があるからこそ判断が可能になる。
21 :
589(最初のスレ):02/04/16 03:22
>>5 >「論理」ではなくて、「被害者側が被害者が負った不利益に対して下す評価」についての、
>事実認識(分かりやすく言えば、観察できるかどうか)に基づいていると何回も書いてます。
>観察というのは、単にそのように観察できるかどうかの話ですから、論理とは無関係です。
観察されるということを否定はしてないだろう。
それに「基づく」と、何故、「それは、十分な説得力をもつ 」のかということを
問題にしているのだが。
>「命令」の内容があいまいです。「命令」には強制力があるのでしょうか?
強制力と妥当性は関係無い。
妥当性の無い命令でも強制し得るし、妥当性の在る命令に必ず強制力が伴うわけではない。
「述べられ方」として「命令」であるといっているだけだ。
従って、申し訳ないが、強制力に関する考察は全く無意味だ。
一応、これ以降を読んで見ると、あなたにおける「正当性」の定義は
「多くの人が認める」ということのように思えるが。
そして、「そのような事実が観察される」ということを根拠に、
「正当性がある」と主張しているのであろうか?
もしそうであれば、それらについてなんら反論するつもりは無い。
なるほど、実際にそのような現象が私からみても観察される。
>>20 それでも決定するのはその人の意志以外ではありません。
23 :
考える名無しさん:02/04/16 03:24
禁忌は破るためにある
>>19 いや、単純に殺人をされる不利益を認識した上で、それに対して
被害者が下す評価についての、想定の問題だと思うのですが…。
「加害者」「被害者」「部外者」いずれも、
「被害者がどう殺人をとらえるか」について認識可能ですよね。
>>24 単純に 「被害者が」殺人をされる不利益を認識した上で
「」内を挿入
27 :
考える名無しさん:02/04/16 03:28
>>22 先に殺人についての価値判断が存在するわけ。
それに対してさまざまな言明が可能になるんだけど
仮に「殺人は悪いことではない」といってみたところで
それは間違いであるとしかいわれないよ。
クススのス
>>27 殺人についての価値判断が存在する前に殺人があるんじゃ・・・
>>24 私は純粋に「どうして人を殺しちゃいけないの?」という
質問に対しての回答をしただけです。
質問者の意志決定を求める質問に対して大前提を打ち出す事は出来ません。
それが加害者であれ、被害者であれ、部外者であれ。
もし想定したとしてもそれは我々の行う意志決定であり
その第一原因は我々の自由意志という事になってしまうからです。
「いけない」と言う言葉の意味が、
1 「社会ではやってはいけないとして禁止されており」
2 「貴方にはそれにしたがうべき理由がある(従うかどうかはともかく)」
と言う意味として使うなら、「人を殺しちゃいけない」で良いんですよね?
その理由は
1 構成員の利益を守るという社会結成の目的から見て、殺人は禁止され
2 社会から恩恵を受ける以上、その禁止に従うべき理由がある
ということで
それさえ確認できれば良いんですが。
>>27 いえ悪いことではないといったのではなく
「やるか」「やらないか」という判断において
「いけない(=やらない)」と判断できるのは自己の意志決定です、という意味で。
33 :
考える名無しさん:02/04/16 03:34
>>29 判断の前に行動が先立つというの?
判断のない行動はどうやって可能になるの?
自分が殺されてもいいと思うんだったら、
殺人があってもいいんじゃない。
自分がされたくない事は他人にもしないって事じゃないの。
35 :
589(最初のスレ):02/04/16 03:36
>>6 >そもそも、強制力の無い命令は、発令者にとって妥当であれば、発令者側にとって成立し言われうるのですから、
>受命者にとって妥当かどうかは問題になりません。
つまり、あなたが述べている正統性というのは受命者には及ばないのだね?
>そもそも、「殺してはいけない」という問題について、「発令者も受命者もいない」場合が多いことが、考慮から抜けてます。
考慮から抜けているのではなく、あなたの記述が、
「被害者から加害者へ命令の命令が発しうる」という点についてのみ述べている
ということ指摘するための記述だからそういう内容になてっているのだ。
>前述の通り、強制力のある命令は、命令の正当性を前提として、それを実現する際の手段の問題ですから、
>そもそも今回の話からずれています。ここでは「権利」という語を用いられていますから、強制力ありで考えてると
>みなします。
「権利」と「強制力」は関係ない、そもそも、強制力自体、
この議論とは無関係だ。
わたしが「権利」といったのは「論理的正当性」といった程度の意味だ。
>はっきりいって、直観で「何の前提も無い」がおかしいとわからないとまずいと思うんですが、そうも
〜
> あり続けます。
「発令者における合理的根拠」というのが、なにゆえに「合理的」なのか説明できるかい?
>「あなたにとっての妥当性」の問題のみを、「他者の要因」を無視して考えるなら、端から「殺人の主たる要因を無視している」の
>「(殺されていない人が→殺した人が、ではない)殺されてないことについてどう考えるのか、答えてるだけだからです」。
よくわからない論理だな
「殺人」における「加害者」と「被害者」の関係について、
あなたはどのように定義しているのか、
ちょっと説明してくれ。
私は、「殺人」というのは、「加害者」が「被害者」の「生命」を
暴力によって失わせる行為であると理解している。
>>30 いけないかどうかについては、誰かにとっていけなければ、
誰かからいけないと主張される、だから誰かにとっていけないのである、
という話になります。
で、979さんの話だと、誰かにとっていけない面が必ずある事実について、
誰かでない人にとっていけない面がない話をして、
誰かでない人にとっていけなくはない(かもしれない)という話を
してるだけ、ってことになってます。
もちろん実際にそう考えることはできますけど、(だから荒らしもいるわけで)
それは「人を殺してはいけない理由」の答えにはなってない
(論点はずれ)ですよ。
589さん、さっきから反応してないですけど、レス確認してます。
>>31(993さん)
>「いけない」と言う言葉の意味が、
>1 「社会ではやってはいけないとして禁止されており」
>2 「貴方にはそれにしたがうべき理由がある(従うかどうかはともかく)」
1は、主体は、社会ではなくて、誰かにとって で足ります。
>と言う意味として使うなら、「人を殺しちゃいけない」で良いんですよね?
私の考えではOKです。
その理由は
>1 構成員の利益を守るという社会結成の目的から見て、殺人は禁止され
>2 社会から恩恵を受ける以上、その禁止に従うべき理由がある
という、部外者もしくは加害者側の理由によるのではなくて、
被害者が単に不利益を受けることによります。
993さんが答えたのは、社会的に被害者の立場を正当とする勢力が
優勢であるときに帰結されてくる事実です。
38 :
考える名無しさん:02/04/16 03:46
>>32 でもそれは当たり前の話だよね。
それにやるかやらないかの行動に際して社会的な価値判断が先行するからこそ
大多数の人にとって殺人は悪いことだし「やらない」選択を選ぶわけだよね。
社会性を無視することもできるかもしれないけど、その人がどのように判断されるか想像してみてほしい。
キ○ガイですね。
>>33 殺人というのは、殺人する側とされる側がある事柄を、総合的に見た
言い方なので、もともと混乱してるとでも思っておけばわかりやすいんじゃないでしょうか。
過失殺の例をあげておけば足りるような
>>38 決定の予想とか殺人が善であるとかではなくて
ただ単に
決定理由がその人の意志以外には有り得ないため
その人の決定する「いけない(場合よってはいけなくない)理由」を提示する事が出来ない、という意味合いで。
589さん、しばらくレス返さないので、私のレス待ちだけでしたら、
寝てしまってもOKです。すみません。
>>40 過失殺ってこの質問の範疇なんでしょうか?
44 :
考える名無しさん:02/04/16 04:06
>>41 もう一度いうけど自分だけの判断なんてありえない。
意志決定は自由だけど何を決定するのかの判断が必要になる。
意志のみ取り出してもこのスレでは議論の発展にはならないでしょう。
>>41 国語的に考えても「いけない」ってのは意思決定とは通常別物では
ないですか?
「しなきゃいけないのにしなかった」「しちゃいけないやっちゃっ
た」などという場合があるように、本人の意思決定と「いい、いけ
ない」は乖離してる場合も多いです。
やはり、「いけない」を本人の意思決定の問題とするのは言葉的に
違和感があります。
まあ、いずれにせよ、「人を殺しちゃいけない」を論じるには、「い
けない」とはなんぞやをきちんと確定した上で。そうじゃないとすれ
違いの議論が延々続くということで。
>>44 そうですね、確かにYES、NOの判断でも判断する対象が必要になります。
ただこれは殺す事への制止として「殺しちゃいけない」です。
そこで「殺す(いけなくない)」か「殺さない(いけない)」かを決定する
加害者的行動の第一原因としての質問者の自由意志の判断になるため、回答の仕様が無いと。
47 :
考える名無しさん:02/04/16 04:19
もう散々ガイシュツだろうが
殺人だろうとなんだろうと良いも悪いも無い
それを犯したら社会的制裁をくわえようというルールがあるだけ、という意見にはどういう対応になってるんだ?
>>9(979さん)
>「人間」と大きな枠で括っていても我々は個体であり、同一の存在ではない
>その時点で一つの現象を同じように共有する事は出来ない。というのが大前提。
まず、大きな枠でくくる、から帰結される結論として想定されているのが、
「同一の存在」ではない になっていますが、
「人間」と大きな枠でくくる人は、「人間」と呼ばれる対象間で共通する要因を
問題にしてるだけであって、「人間」だから「同一の存在」だとは主張していないです。
同じように共有できない、をどの程度厳格に解するかは、一つの問題ですけど、
現に個々の人間において成立している現象を、「ある程度の正確さで」相互に
合意に至れる程度の説明を行いあい、そこから理解なり合意なりをすることは可能であり、
現に議論する、ルールを決める、やってはいけないと言う・言われる、というのは、
その程度の厳密さで行われ、それで十分である問題ですよ。
むしろ、その程度の厳密さで足りることを、厳密に理解しなくてはいけないと考えます。
>次に行動における分別は可能な物と不可能な物
>可能な物に対しての「やるか」「やらないか」に対して
>この場合は可能な行動に対する「いけない」という意志判断への質問である事。
この部分はOKです。
>その次に意志に介入するのはいかなる物でもなく
>個人の意志決定は個人の意志でしか行えなくそれが第一原因であるという事
これは原因の話をしてるつもりなのかもしれませんが、実際上過去の結果について
のみ、話してるのと同じです。
あることが決定された、それは意思決定されたから。は、「決定されたことのみ」を、
原因と結果の側面から見ただけです。つまり、これは実質的には、結果には結果しか
影響を及ぼさない、と言ってるのと全く同じことです。
意思決定に影響を与えた要因があっても、あなたの議論だと完全に無視されることになります。
ですが、これは実際とあっていません。ある観点を補強する理由を知ることで、
ある観点を強めるという事実は頻繁にありますが、あなたの言う「観点からは」、
それを捉えることができません(あなたが(常に)捉えることができない、ではないです)。
>つまりその個人以外の誰かが
>「人を殺しちゃいけない」といってもそれはその個人にとって
>「いけない」たりえない、「いけない(=やらない)」を決定するのは
>個人の自由意志である事。
これは決定された時点ではその個人が意思決定した原因によるに決まってると
言ってるのと同じです。意思決定に至る因果経過が捉えられてません。
>この質問者へは我々がいかなる回答を持ちえたとして
>「いけない」「いけなくない」という前提、定義を与えたとしても
>それが回答者の意志決定にはなりえない、という点で。
決定にはなりえない、というとき、ある決定がなされた時間的範囲だけが
射程になっていますが、これは現実に反しています。
あと、意思決定云々自体をしていないときがある、という観点が抜けています。
そもそも前スレ1にその観点が抜けてるので、それに答えるから抜けたんだ、
ともいえますが、そうであれば、彼に抜けてるよ、と言ってあげなくてはいけません。
>○○(実現可能な行動)=いけないorいけなくないを大前提として質問者に
>回答する事は誰にもできない。
回答することは端的に可能です。あなたができないと考えてしまうのは、
質問者が決定をする瞬間だけに、決定の過程を限定してしまう概念構成をとって
しまっているからです。
>>47 本当に「完全な意味で」良いも悪いも無いなら、ルールも制裁も
行われるわけがないと、なぜすぐにわからないんでしょうか。
>>43 範疇です。範疇だと思えないこと自体、加害者側からしかこの問題を
考えることができてないことを意味します。
51 :
考える名無しさん:02/04/16 04:29
>>49 すまん全然解らん。
ルールは社会を維持するためにあるんだろう?
で、その社会維持に不適切な因子を省こうとするから制裁が加わるんだろう?
それと善悪とどう関係があるんだ?
うう、
範疇です。
範疇だと思えないこと自体が、この問題を加害者側の観点からのみ
考えてしまっていることを意味します。
過失殺で殺された側が、殺されたことについてどう評価するか、
また、過失殺で殺した側の過失の内容など、具体的に考えてみれば、
わかるのではないかと思いますよ。
>>51 う、真面目に聞かれたんですね。えらそうに答えてすみません。
ルールは社会を維持するためにある、というのは、非常に納得しやすい
通俗的な説明ですが、これで何を言ってるのか考えてみると
良いんじゃないでしょうか。
対応する実体が、頭の中にはっきり思い浮かべられないことが
わかると思います。
社会と言うのは「なんとなく人が多くて」「殺人がどうやらほとんど起きてなくて」
「刑法あるらしくて」「死刑賛成してる人も反対してる人もいて」
とかいう、個々の情報が経験的に積み重なることによって、なんとなくぼんやりと
観念されてるだけの何か です。
実際には、社会に対応するそれぞれのイメージを思い浮かべてる人間が
たくさんいるだけ、です。
つまり、ルールも、その決定過程は勉強しなければわかりませんけど、
誰かが決定したんです。誰かが決定したということは、そのルールが
誰かにとって良い内容だったからです。つまりそこで良いという判断が
なされたはずです。
そのよいと言う判断が、どの程度の人間になされたのか、書物でまにうけた
人間が増えたから似たような意識をもつ人間が多くなったのか、
そのへんの細かいことは、わかりませんが、とにかくルールが「できてくる」
「保たれる」際には、人間の良し悪し見逃し、といった要因が働いてるはずです。
54 :
考える名無しさん:02/04/16 04:39
>>46 いや、価値判断が自由意志に先行するといってるんです。
社会と関係のない自由などどこにもありません。
>>45 賛成です。
>>54 社会ではなくて、近くにいる人間や、自分が普段使ってるテレビです。
56 :
考える名無しさん:02/04/16 04:43
>>53 つまり誰かの決めた良いと悪いがルールの大まかな形を作っている、と?
>>56 いや、正確にいうと、誰かがこうしろ とか、こうしたほうがいいんじゃないすかとか
こうしてよ とか言ったり言われたりめんどくさくなったりして、
妥協して出来てきた、なんとなく個々人がイメージできるラインにたいして、
ルールとか名づけて納得してる、って感じでしょうか…
意味不明だったらすみません。
58 :
考える名無しさん:02/04/16 04:47
>>54 いや、社会です。なぜなら判断の根底にまず言語があるわけだから。
>>58 55へのレスですか?
言語、というのは、人間が用いている、何らかの意味をもつ記号が記された
対象(本、音、手まねなどなど)から把握できる、一定の体系 です。
これは、個々の人間がそう把握してるから、「ある」のであって、
社会があるから、言語があったり、社会と言語がくっついたりしてるの
ではないです。
60 :
考える名無しさん:02/04/16 04:54
>>60 それは私の議論への反論になってないですよ。
できるかどうかでいえば、私は個人的にはできてるような気がしてます。
(みんなができる・できてるとは言いません)
今回の問題について、私はこの掲示板に書くまでには、
イメージがあっただけで、言語化したのは前スレ
>>460-461が初めて
(正確には、2度目)です。
62 :
考える名無しさん:02/04/16 04:58
あ、それで結局
別に社会的なルールなんて無視して死刑になろうが
終身刑になろうが別にいいんだ、という位の意気込みで
開き直って人殺しできる人間にとって「やってはいけない」って事はないんじゃない?
63 :
考える名無しさん:02/04/16 05:00
>>61 たとえば、周りの人間やテレビが間違った言葉の使い方をしているとします。
それが間違いであると誰でも指摘することができるわけです。
そういった判断の正当性が完結するのが「社会」です。
64 :
考える名無しさん:02/04/16 05:02
何か変なことを言っているな。
そうではなくて他者を殺害する事がメリットである人間にとって
「殺しちゃいけない」という制止や法という物は
本当に社会的なルールでしかなくて
その人間にとってはメリットのある行動なわけで「良い」わけだろ?と言いたかったんだろう、きっと。
>>62 もう変なあらしとかいなくて、真面目に話される方ばかりなんで
正直に言いますけど、それは「やってはいけない」の定義によります。
自己の利益にばかり目が言っていれば、彼は「やってはいけないなんてこたーない」と
平気で言うに決まってます。というか、現にそうしゃべるわけで…。
ただ、私はそもそも論じる人間に部外者であるという意識が抜けてることや、
被害者側の立場が、この問題に関するスレッドでも、普段のTVでも、
歴史の描かれ方でも、何でもですが、私たちが生きてる側だからなのか
知りませんが、よく思考の範囲から抜け落ちてるのを感じるのです。
私は、そうした観点が抜け落ちないように、また、
一般的な人がもつ、良い悪い・やってよいわるいといった言葉から
くるイメージや、それによっておこされがちな行動などが、
好ましい方向に向かうように、それらの言葉に意味付けしてやるように
論じてるつもりです。
>>65は、あくまで「やってはいけない」という語の定義による、話だという点、
注意してくださいね・・・
>>63 それは人間がそう考えてるときに、それが「社会に依拠してるんだ」と
言ってるだけではないですか?
>>64 殺害すること自体にメリットがあるのは、きちんとした認識によってたつなら、
ありえない話です。殺人という結果をひきおこすことで、何かのメリットを
得ることは当然ありえますけど。
制止が、実効的に行われるためには、「社会的なルール」が意識され、
それに従った強制的な行動をとる人間の集団が存在しなければなりませんけど、
現に殺される人にとって、「いけない」という面は、絶対にあります。
67 :
考える名無しさん:02/04/16 05:16
>>65 「やってはいけない」って微妙ですね。
殺したい奴にとってはメリットなわけで
殺されたくない奴にとってはデメリットする場が共有するわけで。
でも殺す側もすくなくとも社会的な制裁が加わる(可能性がある)という点で
それなりの支払いはしてるんじゃないかと考える時もあります。
68 :
考える名無しさん:02/04/16 05:18
>>66 では社会ではなく身の回りの人間の判断が正しいというんでしょうか?
判断の妥当性を証しするものはそのときの誰かによる恣意的なものだと?
だとすると日本語はとっくに壊れていると思いますが。
>>67 うーん、そうですね。
殺す側が合理的な私怨で殺した場合などは、わりに不合理な代償を
払わされているかもしれません(それでも、殺されたクソな人間にとっては、
殺されることは、悪いし、やってはいけない、んですけどね…)。
>殺害すること自体にメリットがあるのは、きちんとした認識によってたつなら、
>ありえない話です。殺人という結果をひきおこすことで、何かのメリットを
>得ることは当然ありえますけど。
これは解らなかった。「殺害」って結果じゃないんですか?
「殺害した」とか言うような?
>>68 なんかスレのテーマからずれて、しかも難しい話になってるような
えーと、どう答えたらいいのか。
とりあえず、私が先ほどまで答えていた観点から答えるのなら、
実際に人間がやってるのは、そういうことですね。
ですけど、身の回りの人間の判断が正しいということは、絶対にありえませんよ。
正しくは、@自分が抱いている判断について、自分が正しいと思っており、
A身の回りの人間と判断を同じくしていると、自分が認識してる、になるはずです。
誤解とか整合性を恐れずに、イメージどおりに書いていくと、
そもそも正しいというのは、似たようなイメージを抱いてる
(かどうかもあやしいですが、言葉の上で共通させられる程度ではあるんでしょう)
人間が「同じように考えてるようだ」と表現行為をしあってることです。
間違ってる、というのは、うなづきあってない状態において、
一方が一方のイメージを指してとる表現行為です。
日本語が壊れるというのは、意味が広すぎて私の力では
うまく即答できません。ひまとスレ展開が許せば書きますので許して下さい。
>>70 えーと、例えば強盗が1000万円を盗もうとしてるとします。
そして、ある家に侵入し、住人を殺害します。
このとき、強盗は1000万円を手に入れました。
これは、強盗にとってのメリットです。
殺したことは、1000万円のメリットを得る手段です。
殺したこと自体にメリットがあったのではないです。
>>72 そうなんですか?
それでも住民在住の家宅から1000万円を得るという過程に
おいて利点がありそうに見えます。
後私怨とか。
>>73 利点があるように見えるのは、1000万円を得たことにつながってるからです。
1000万円を得なかった場合についてはどうなりますか?
私怨の場合もです。そもそも私怨で殺した相手が人違いだったとか
考えてみればすぐにわかります。
なるほど、純粋に殺害自体が利益になる事は無いと。
しかし私怨の時は当人の殺害自体が最終目的なんじゃないかな?
76 :
考える名無しさん:02/04/16 05:45
>>71 正しいといえるためには、それが間違っているものと区別できなければなりませんよね。
その判断の最も権威あるものが社会といえると思うんです。
社会といっても日本社会が国際社会の影響を受けているように完全に閉じたものではありえませんが。
自分は、殺人を語る場合にはまず価値判断が先行し、
価値判断の根底には言語と大きなかかわりを持つ
社会性があると考えているわけです。
このことは以前同じような議題のスレで言ったことなのでもう去ります。
主張のひとつとして想定してもらえれば結構です。
>>75 当人が死ぬことで当人が自分に危害を加えない、とか、
当人が死ぬことで自分が満足する、が最終目的です。
>>76 実際には自分と、自分の周りの人間と、自分が見るメディア
(TVとか雑誌とか2chとか)が伝えてくる情報で、社会が観念されるように
なっているだけ、というのが私の考えです。非常に「つまらない」考え方ですけど…。
メディアが伝えてくる情報は、例えば、
日本(これもイメージ)のどこかの人が実際にしゃべり、
またそれが雑誌にのせられ、それを読んで同じことを考える人間が増え、
クチコミで広まり、それを聞いたTVキャスターが番組でとりあげ、
特集を組み、それを見た人がまた同じようなことを考え出し、同じような
ことを考え出した、その内容が気に入らないある芸能人が、
「自己の国際経験に基づき」、それへの批判を討論番組でしゃべり・・・
それを見た人が「国際経験=国際社会とのつながり」をそれまでの経験を
通してぼんやりと感じてそれを無批判に受け入れ・・・
といったような流れで 個々人の中で社会化されます。
文章めちゃくちゃ
>>78 おお、納得してくれてどうもです。うれしい
81 :
考える名無しさん:02/04/16 06:11
>>79 じゃもうひとつだけ…
それは確かにそのとおりだと思います。
社会が閉じられたものでない以上、家族や2chも小さな社会といえるでしょう。
そこで下されている判断は例えば2ch用語のような、大きな社会(言語ですね)のパロディや、
良い悪いといった「評価」に関する判断だと思います。
それに対して、自分のいっているのは最も根本的な、
何かの存在に関わるような判断です。
>>81 まだ見ててくれたんですね。どうもです。
>社会が閉じられたものでない以上、家族や2chも小さな社会といえるでしょう。
えーと、私は社会は個々人の頭の中にしかない、という考えです。
家族は、例えば3人家族だったとしますと、3人家族をイメージして
親父が「うちの家族」とイメージする、で、よその家族についても
似たような人数のシルエット?を思い浮かべて、「家族」
繰りかえしているうちに、家族としゃべった瞬間に何をイメージしているのだか
わかりすぎて(=「家族」という記号に対応する情報があまりに多すぎて)
わからなくなりつつ(=「家族」という語で「正確に」何をさしたらよいのか
わからなくなりつつ)日常をやり過ごしている、というようなイメージです。
2chであれば、ひろゆきのサーバから通信技術を通して送られた信号が
最終的に自分の家のディスプレイ上に表現された「光」について、
自分がそれまでの経験からつちかった記号に関する思考技術?を利用して
そこから意味を把握し、イメージ形成するのを繰りかえす・・・といった感じです。
もっと根本的な、何かの存在に関わるような判断も、これの積み重ねだと
思います。何かの存在をつくりだす場合は、広範囲なものを一つの対象として
扱えるように呼称する、とか、その語を用いることで、無批判的にある
イメージが当人の中につくりだされてしまう(例えば ある、といったときに、
それを認識する自分が「消えてしまっている」)、といったような、
判断のくせやミス(緩やかに言うなら、習慣)などが反映している、と考えます。
>1さん
>どうして人を殺しちゃいけないの?
いいのかもしれない。殺されるのは「嫌」だけど。
>473さん
「全体」に寄与する行為は「善」であると仮定すれば同意です。
でも「全体」にも色々あって、
自分--->家族--->共同体--->国家--->人類--->?(宇宙)
その人の価値意識によって「殺せる条件」や「殺されてもいい人」が決まってくる。
人は「目には目を歯には歯を」の実態を因果性による経験で叩き込まれているし、
自分が殺されないためには(できるだけ)人も殺さないように[してる]だけですね。
しかし、これは人を殺すことのリスクの問題であって“殺しちゃいけない”
ということではない。つまり、自分の責任において殺ってくださいってこと。
でも『責任なんて取れない』だろうから(できるだけ)やめようってことです。
(前スレから引用)
行為の決定そのものは、個人の自由意志に委ねられているのでしょうが、
自由意志は、共同体の慣習や歴史的秩序や社会システム上の約束事の中で
条件付けられています。(多くの人が自ら進んで縛られています)
たとえば、常識というものに根拠はなくても、人は奴隷のようにそれに従います。
そこから脱却するのも自由意志ですが、脱却できずに眠ったフリをするのも自由です。
脱却できる者にとっての殺人は、価値的正当性を持った行為であるかもしれませんし、
脱却できない者にとっての殺人は、罪悪感や法的制裁などのリスクを覚悟した上での
行為と言えるのではないでしょうか。
わたし達は生物界で生き残るために善悪の観念とそれに基づくルールを誕生させました。
全体に寄与するものとしての善に反するものは悪であると規定し制裁の対象にします。
しかしこれが価値判断を伴うものである以上、「全体」をどう判断するかの問題は、
個人の価値意識によって自由に意志決定することが可能なわけです。
だから、
>どうして人を殺しちゃいけないの?
という(絶対論的)決めつけには根拠が無いといえます。
極論すれば、
単なる思い込み(因果性に基づく経験知からの呪縛)の可能性が濃厚だと思います。
>473さんの意見が聞きたいです。
お暇な時にでもお願いします。
もし自分の子供に「どうして人を殺してはいけないの?」と聞かれたら
オレは「いけなくはないがやらない方がよい」と答えるだろう。
一度人を殺したものは二度三度と同じ行為を繰り返す可能性を持っている。
世の中には殺されたくないと思っている人が大半である。
だからみんな人殺しを避けるだろう。
きっと人殺しの親、友人、知人もとばっちりを受けて避けられるだろう。
そういう人に迷惑をかけたくないのなら殺すなと教える。
オレはまだまだやりたいことがたくさんある、だから死にたくない、
きっと他の人たちも同じような思いを持ってるだろう。
それを子供に伝えた上でこう言うと思う。
「もしおまえが本気で人を殺すつもりならオレに教えてくれ、
そしたらオレはおまえを殺してでもそれを食い止める。」
でもきっと最後にはこう言うかな、
「オレはおまえに死んでほしくない、おまえもどうしても死んでほしくない人っているだろ?
おまえが殺そうと思っている相手も誰かにそう思われてるかもしれない。
だから殺すのはよくないよ。」
いちおうログは読んだが哲学とか社会とかシステムとかはよくわからん。
わたしには子どもがいますが、子どもというものは案外真面目で常識的な
ものです。「どうして人を殺しちゃいけないの?」なんて、親冥利に尽きる
ワクワクする質問は期待しない方がよろしいと思います。ただ子どもは真面
目で常識的なだけに、もっと親の枠をぶちこわすような質問をしてくれます
から、そちらの方を楽しみにされた方が。
88 :
考える名無しさん:02/04/17 04:34
ヴィトゲンシュタイン的にも
単に悪の文法がそうなってると指摘したまでで
理由には答えてない。無根拠なら
他の文法、善の殺人の存在と両立。
一方の文法だけでは不十分。
こんばんは。レス返せてなくてすみません。
今日返す時間がとれるかはわかりませんが、いずれにしろ返すつもりですので
待っていてください。>589さん、カオルさん
小林さん、前スレ881について、結局一切言及されませんでしたね。
待ってます。(^.^)
すべては無根拠。
でもあなたが<いま・ここ>に生きてるということは有根拠。
だからいつでも・どこでも「殺人は悪」と言い得るんだよ。
>>どうして人を殺しちゃいけないの?
>という(絶対論的)決めつけには根拠が無いといえます。
然り。故にこの疑問は虚偽的である。
まるで「どうして1+1=3なの?」と訊ねるが如し。
死刑、戦争、緊急避難、正当防衛、尊厳死・安楽死、自殺、中絶・・・・「許される殺し」は斯くも世に多いというのに。
>>91 >でもあなたが<いま・ここ>に生きてるということは有根拠。
有根拠というなら、その「根拠」なるものを示して欲しいのだが。
>93 死人さんですか?
>>94 「生きている」という「事実」が何かの「根拠」となりうる、ことはあるだろうということはわかるが、
>>91 は、「生きている」ということそのものに、なんらかの「根拠」があるといっているのではないのか?
>>92 どうして1+1=2なの?
と訊ねるのも同じくらい虚偽的だけどね。(笑)
>>95 ちゃいますよ。
生きていること、そこに存在していることが人間にとっての、否定できない(有)根拠=前提である、
ということです(わかりにくくてスマン)。
無根拠だから殺して善かったり悪かったりするのではなく、
各々の根拠に則って、善かったり悪かったりするのではないかな。
>96
1+1=2は通常算数の公理だから、別に虚偽ではない。
>>97 >生きていること、そこに存在していることが人間にとっての、否定できない(有)根拠=前提である、
「根拠=前提」というのがさっぱりわからない。
根拠と前提は違うものだろう。
「人間にとっての根拠」という言葉も意味がよくわからないが。
私の理解では、「根拠」というのは、なんらかの判断なり結論があって、
それに関して示されるものだと思うのだが、
この場合の判断や結論とはどういったものなの?
>無根拠だから殺して善かったり悪かったりするのではなく、
>各々の根拠に則って、善かったり悪かったりするのではないかな。
だから、その根拠が何かを聞いているのだが。
なんでもかんでも虚偽的って言えばいいと思ってんのとちゃうかゴラァ
「虚偽的」ってなんです?
大して変わらないと思うがのう。
こん‐きょ【根拠】1.ある言動のよりどころ。もと。また、議論などのよりどころ。「―のない推理」
ぜん‐てい【前提】1.ある物事をなす土台となるもの。
違和感があるなら、「=前提」はカットして読んで貰ってもいいよ。
>だから、その根拠が何かを聞いているのだが。
だから「生きていること」。
>100
「嘘臭い」という事。正確な事実認識に基づいていないこと。
「なぜ人を殺してはいけないか」よりは迫力に欠けますが、「なぜ、嘘を
ついてはいけないか」という問いは立てられませんかね。嘘をつくことには、
「それが社会的に禁じられているから」以上の、何か負の意味があると思い
ますか。
純粋論理的(形而上的、とでも言うのか?)に考えれば一切の論理は、それだけでは無根拠。
論理の真偽は公理(根拠or前提)に左右される。
道徳や倫理、規範といった、行動則の是非の問題も、何を"公理"に用いるかによって結論が違う。
例えば「わたしは死んでおり、もう再び死ぬことはない」という"公理"に基づけば、
「殺されたくないから、殺さない」という互報的な倫理は無効だ(論理的に偽)。
因みに上の公理も虚偽的である。死者は甦らない。
>>102 うそ臭い?
うそは事実に符合してる場合がありますけど?
ってどうでもいいか…
>>103 小林さん
なんで881について一切触れないんですかね。
107 :
考える名無しさん:02/04/20 23:50
このスレ見ても、世の中にも、人を殺したい奴がウヨウヨしているな(藁
街歩くのが楽しみだよ、アハハ
108 :
田代まさし:02/04/20 23:51
どうしてストーカーをしちゃいけないの?
>>98 公理を素朴に真理だと信じられるあなたは幸せ者ですね。(^.^)
>473さん
>>100 安易に使ってしまいました。お許しを。m(__)m
110 :
考える名無しさん:02/04/20 23:56
>>108 いけないってより、ストーカやってる奴など掃いて捨てるほどいるよ(w
日本の殺人事件も日常茶飯事だし、
皆悪いことしたくてウズウズしてるんじゃないのかな(藁
>>110 地理的範囲を広く取って、時系列に並びなおさせた観点だけから
ある事件がおきた頻度をはかれば、そりゃあどんなことも日常茶飯事だよね。
あっはっは
失せてね。
>>101 >違和感があるなら、「=前提」はカットして読んで貰ってもいいよ。
それで、人が存在することを根拠として
どういった結論が示されるの?
>だから「生きていること」。
なぜ、「生きていること」が「殺してはいけない」とする根拠になるのかさっぱりわからないが。
そもそも、生きていなければ殺せないだろう。
「生かさなければならない」という「前提」があるなら、
「殺すこと」と「生きていなくなる」から、「いけない」というのはわかる。
「生きているものは生かさなければならない」という前提でも無い限り
「生きている」という事実は「殺してはならない」の根拠とはならないと思う。
「人を殺す」ことと「嘘をつく」ことの違いとは何でしょうか。
473さん、ごめんなさい、881ってどんなんでしたっけ。読んだ気はするん
ですが、お答えするほどのご意見ではなかったような記憶が……。
>>109 公理が真理だなんて誰も言ってないよ。困った子だな。
>>112 あなたは、自分も含めた、殺されない人間についてだけ考えてるんですよ
>>115 どういった範囲で考えるかという前提は示されて無いんじゃないの?
117 :
考える名無しさん:02/04/21 00:13
人を殺してはならない根拠は、
自己が殺されることにより、
自己の存在を維持することが困難になることを妨げる為、
複数の自己が意思疎通を図った結果、
法という形式で殺人を禁じたからである。
>>112 >どういった結論が示されるの?
えー、もう書いたと思うけど。「殺しても善かったり、悪かったり」。
>なぜ、「生きていること」が「殺してはいけない」とする根拠になるのかさっぱりわからないが。
生きている=(大抵は)死にたくない。
→生きているわたしをころしては"いけない"。
→→「生きている」から「殺してはいけない」。
過去ログよむのももう眠いが
これだけログが進んで「悪」だのなんだの言っているのが
ここが本当に哲学板なのか疑いたくなる。
とりあえず「人」を殺すらしいが
人とは言ってもこの世には誰として同じ物はない
大きな枠で「人」と括られているだけで
これを見ている私も貴方も個体だ。
私があの肌色の顔した服を着ている
物体を見てそれが「人」であると知識と経験から
人という単体を結びつける事によって
初めてそれが「人」という物であると認識するだけだ。
「○○が××を殺した」「△△が××を殺した」
「×××が◎◎◎を殺した」「□□□が■■■を殺した」
いや殺したと言っても本当に「殺した」で正しいのすら不明だが
これらは全て異なる現象であり行為だ
「人」と思われる物体を破壊する、その形を変形させる行為
〜が〜の肉体を破壊する行為、だが全ては違う事柄であり違う行為だ。
「殺人」全称をさして判断する事自体が間違いという事になる。
次に前提も間違っている
この世には別に「いけない」事柄「いい」事柄という物は存在しない
なぜかというとそれ等は一つの物事に対して
その物事を認識した者が知識や経験から後付けする物であり
それその物(この場合では殺人)では単なる行動に過ぎない。
我々が行動に対しての判断は二つ「可能」か「不可能」か
次に「やる」か「やらない」かという意志決定。
この場合1における質問である
「どうして人を殺しちゃいけないの?」という質問は
質問者の意志による決定を回答者に求めている物だと考えれる
「私が間違っていた、私が何を言おうとやるかやらないかは貴方が決めるのは貴方以外には有り得ない」と答えるのが妥当だ。
かりに誰かが「やらない」と判断する理由を持っていたとしても
それはその「誰か」だけの話であり誰にも通用しない物だしそれを確認する事は出来ない。
次にここで話題になっている
被害者の不利益=悪、だが
不利益というのは
「殺人」と名称される行為を行った結果の状況変化を指すのだろう
その苦痛というのが肉体の破壊、精神の喪失、苦痛を刺すと考えた時
これらを悪であり不利益であるかと推測する事は
可能なのだと同時に利益であるとも推測する事は可能だ
だがそれらは妄想に過ぎない、なぜならば先にも書いたように
一つの事柄に対して
「悪」か「善」かは人が後付けで判断する物だからだ。
今まで動いていた「人」が動かなくなった
これを「死んだ」となんの根拠も無い主観で判断しているだけだ。
次に殺される側にいかなる情緒があったとしても
それを認識する事は不可能だ
というよりは我々はいかなる方法を用いたとしても
他者の精神の存在を認識する事が不可能なのだから。
本当に殺人などという物が。
「人」を殺し相手の精神の喪失があったのかすら
確認する術を持たない。
----------------------------------------------
こんな感じ
>>118 ふえ、なんか論理がむちゃくちゃでつきあいきれないんすけど・・・。
>>116 例えば「握手」という事実を捉えるとき、
自分が握手した点だけを問題にする人はいませんよね。
相手も自分と握手したんです。
なぜか殺人になると、殺した点だけ問題にし、殺された点は問題にしませんね。
なんで?
>>120 ハァ? 「感想」は要らない。議論を望む。
>小林さん
119が前スレ881です。
>>122 議論がしたいなら、まともな論理を示してよ。
論理として成立してない論理に付き合う義務は無いでしょ。
>>124 それはどの部分が論理的に破綻しているのか示せる人間が言う台詞です。
>>124 まともじゃい、ということを論理的に示さないで、一方的に断罪する態度は、まともじゃないね。
>>21(589(最初のスレ)さん)
>>事実認識(分かりやすく言えば、観察できるかどうか)に基づいていると何回も書いてます。
>>観察というのは、単にそのように観察できるかどうかの話ですから、論理とは無関係です。
>観察されるということを否定はしてない〜それに「基づく」と、何故、「それは、十分な説得力をもつ」のか
被害者側が嫌がる理由(痛い・行動可能性の欠如)は、他者が現に「嫌がるからそれを避けるような行動をとる」にせよ、
「嫌がるから嫌がらせるために行動する」にせよ、嫌がることは、「事実であると論証でき」、そしてそれが
「たいていの人間にとって極めて簡単に理解可能なものである」ことを示せるからです。
▼
>あなたにおける「正当性」の定義は「多くの人が認める」ということのように思えるが。
☆私は、「正当性」を、「ある人間が合理的な根拠があると考えている、事実に基づいた評価(した事実)」程度に捉え、
これを、常に時間的・人的に並立させて、把握しています。それが事実と符合した理解だと考えるからです。
こうした観点から、「ある人にとって」というしぼりを「殺人をした瞬間の人間」にかければ、
「加害者側に立つ論者」の発言は、論理的に正当である点、前スレ
>>460-461から、一貫して認めています。
このスレの
>>65でも認めています。
☆「正当性」が「誰によって」「どういった時間的・人的範囲を射程として導かれているか」という点は重要です。
加害者側にたつ*論者*は(加害者は、ではない)、
・「殺人」という「ある時間的・場所的範囲において、殺人をした者・された者・部外者が必ずいる事実」を論ずる際に、
どういうわけか、必ず*論者*自身が想定する「ある時間的・場所的範囲における、殺人をした者の意識「のみ」」を
問題にします
(相手が殺された結果や相手の結果への認識はおろか、ある人間が殺した結果、すら問題にしていない人もいる)。
そして、
「人を殺すことがいけないと *私たち部外者が* いうためには、*ある人間が* 人を殺す瞬間にいけないと
認識しなければならない」という設定を
「*論者*が用意して」、人的・時間的範囲に不当なしぼりをかけ、それを受けいれることを自明視して論じます。
上のしぼりを直観的におかしいと見抜けない人は、そのしぼりの中で「論理的に」*論者*側の帰結に至ることになります。
上の想定は「殺人」という事実の理解、概念設定として、そもそも間違っています。
殺人(という認識)は、常に殺す側と殺される側が存在し、それを部外者(ある時点で殺人を行っていない者、の意味)が
論じている人的・時間的に幅のある事実だからです。
おかしな概念設定をして、その中で完全な論理的一貫性を保ったところで、説得力はありません。
>>114 じゃー虚偽「的」だと思っても、わたしの勝手じゃない。
>473さんへのレスも見てよ!わかるでしょ
>「そのような事実が観察される」ということを根拠に、「正当性がある」と主張しているのであろうか?
私は、そのことを根拠に正当性を主張します。ですが、現実に事実に遭遇する被害者は、その事実をもとに
正当性を主張するはずです。
>>35 >>6 >>そもそも、強制力の無い命令は、発令者にとって妥当であれば、発令者側にとって成立し言われうるのですから、
>>受命者にとって妥当かどうかは問題になりません。
>つまり、あなたが述べている正統性というのは受命者には及ばないのだね?
正当性は個人個人が下す評価の話ですから、受命者に及ぶ及ばないを問題にすること自体間違ってます。
命令については、正当化どうかにかかわり無く見たり聞いたりできるものですから、受命者に及びます。
>>そもそも、「殺してはいけない」という問題について、「発令者も受命者もいない」場合が多いことが、
>>考慮から抜けてます。
>考慮から抜けているのではなく、あなたの記述が、「被害者から加害者へ命令の命令が発しうる」という点に
>ついてのみ述べているということ指摘するための記述だからそういう内容になてっているのだ。
上は「受命者にとっての妥当性の検討」が、私の議論全般に欠けているものとして指摘したのに対して答えたレスです。
私は、受命者にとっての妥当性の検討は、殺してはいけない理由を論じる上で不要としています。
そして、あなたの議論は受命者の存在しない場合について一切言及されていませんでしたから、その点を指摘したのです。
>>前述の通り、強制力のある命令は、命令の正当性を前提として、それを実現する際の手段の問題ですから、
>>〜今回の話からずれています。ここでは「権利」という語を用いられていますから、強制力ありで考えてるとみな〜す。
>「権利」と「強制力」は関係ない、そもそも、強制力自体、この議論とは無関係だ。
>わたしが「権利」といったのは「論理的正当性」といった程度の意味だ。
強制力は無関係であるという点には、同意です。ただ、あなたの「権利」という語の使い方は間違っています。
>「発令者における合理的根拠」というのが、なにゆえに「合理的」なのか説明できるかい?
発令者が正しい事実認識に立ってるからです。(被害者が痛い・行動可能性を奪われるという点について触れており、
それが殺人という事実を構成する上で必要的である点を理解しているから)
>「殺人」における「加害者」と「被害者」の関係について、あなたはどのように定義しているのか、
「殺人」は、被害者Xから見れば、
「人間Xが、死んだとみなされる状態に、ある場所的・時間的範囲において、人間Yによっておかれたこと」です。
加害者Yから見れば、
「人間Yが、ある場所的・時間的範囲において、人間Xが死んだとみなされる状態においたこと」です。
総合的に見れば、「Xが死んだことについて直接的な原因を作ったYが存在する事実の一般的呼称」です。
>>128 でもそれやると、議論にならないじゃん。一致できるところ探さないと。
君だって80円の買い物して100円出せば、20円のお釣りが来る世界に
住んで居るんでしょ?
それとも違うの?
131 :
考える名無しさん:02/04/21 00:31
まぁ 自己の存在を妨げる「死」一般に対する感情的拒否反応というのもあるんだろう。
他者の死が自己の死を想起させるものに対しては、
人は一般に嫌悪感を感じるものだ。
132 :
考える名無しさん:02/04/21 00:32
>>111 一昔前なら、子供一人殺されただけで日本国中が騒いだけど
最近じゃ殺人事件など毎日のように何件もおきてる
なんでこんなになっちまったんだよ日本は
どーしょうもねーなこの国
>>130 ここは哲学板だよ。わかってないのはあなたの方でしょ。
1+1=2(公理=絶対)は、そうであるとわたし達が取り決めた、だけ。
そうではないかもしれないけど“まっ、いっか”と共有しているだけ。
(という考え方だってできるでしょ)
それをわたしが「虚偽的」と哲学的に懐疑したっていいわけでしょ。
もともとあなたに話し掛けたわけじゃないし、
>虚偽じゃない
なんて決めつけられたくないし、
わたしは虚偽「的」っていったんだし、そういうニュアンスわからない?
>>134 もちろん何処まででも疑い得るよ。
でもそれをやったら話が進まないよ、と言ってるの。
>もともとあなたに話し掛けたわけじゃないし、
きみが話しかけた元発言はわたしだよ....
136 :
考える名無しさん:02/04/21 00:45
とにかく殺人はよくないよ
137 :
考える名無しさん:02/04/21 00:46
僕は殺してもいいと思います。
食べる目的とかあるなら
裁かれちゃうけど
>>135 そう。じゃーなんでわたしのカキコに納得できたのかなぁ。
(絶対論的決めつけを否定したつもりなんだけど・・・)
>もちろん何処まででも疑い得るよ。
わたしはこの精神が哲学することの基盤だと思ってるから。
139 :
考える名無しさん:02/04/21 00:48
国家はOK
140 :
考える名無しさん:02/04/21 00:49
141 :
考える名無しさん:02/04/21 00:50
何が良くないんだ
人は生きるためには殺しを行うだろ
殺生というのはそういうものだ
現実にそうではないか
人だけを聖域とする哲学的根拠など存在しない
殺人が善か悪かなんて価値一般の基準から導き出せるわけはないのだ
あるのは法に触れるかどうかという一点にかかっているのだ
142 :
考える名無しさん:02/04/21 00:53
殺人を正当化したい気持ちは解るけど
殺人はヤバイって
>>138 納得て、なんのことかわからんけけど。絶対論的決めつけ?とやらを主張した覚えもないよ。
>>もちろん何処まででも疑い得るよ。
>わたしはこの精神が哲学することの基盤だと思ってるから。
それも時と場合によりけりだ。議論にはかえって邪魔なときもある。TPOだよ。
「1+1=3」は「殺人は、絶対、何が何でも、やっちゃいけいけない」という無理な命題を揶揄した喩えだよ。
そこに「いや、1+1=2も疑い得る」って、言われてもさー。
「殺人は、絶対、何が何でも、やっちゃいけいけない」と思ってるのかしら?
「1+1=3、ではない」は、このスレでもコンセンサスがとれてると思ったけど。
>>141 >価値一般の基準から導き出せるわけはないのだ
むしろ逆じゃないのか。
一般基準からは導き出せる(普通は皆、殺し合いを避けたいと思っている)。
個別基準からは導き出せない(やりたから、やるのだ)。
146 :
考える名無しさん:02/04/21 01:01
殺し一般を禁じる哲学的倫理的根拠など無い
人を聖域化して殺人を禁じるのは、
歴史的経緯による経験的自己保存の手段として有効だからだ。
哲学ごときに殺人を云々言えるだけの能力は無い。
人知を超えた歴史にその根拠があるのだ。
つか、道徳的善悪って、一般的基準そのもののような気が。
ころあいを見計らって、数行で似たような結論のみの文章を書き付けて
悦に入るのはやめてくれ >名無し
>>146 人知を超えた歴史? 歴史は人間がこさえるもんだろーがゴラァ
カオルさん、今レスかいてますので、少々お待ちください。
>>146さんへ
(前スレ)573 :473 :02/04/07 20:44
>>570 あれだと簡潔すぎますね。こちらこそ申し訳ないです。
要するに、人がなす行動の範囲について、善であることのみをすべきだ、と考える、
論理的必然性がないと言いたいのです。
つまり、ある人を殺すことであれ、食べ物をとることであれ、
現に殺される側にとっては、悪いにきまっているんです。
(これが、殺してよいか悪いかの問題で、結論は、常に悪い、です)
…決まっているのですが、悪いこととトレードオフになる、他の価値がある場合には
(例えば、多くの人を殺そうとする人間が向かってきたとか、食べ物が必要だ、とかですね)
「殺し」を行うことを(それは悪いことであるが)認めざるを得ない、
と考えるわけです。
殺してはいけないのだが、やむを得なかった、のです。
その場合は、殺してよい、のではないのです
(殺された側の立場は現にあるし、殺された側の利益を配慮に入れる者もいます)。
これで理解してもらえますか?
150 :
137です:02/04/21 01:07
殺しちゃいけないって誰が言っているの?
法律? 社会通念? 個人の良心? 絶対的思想? 神? 周りの人々?
殺ちゃいけないって誰が思ってるの?
基準云々についてですが、普通個別的な事柄というのは、
具体例 であって、 基準たりえません。
だから基準は当然に一般的基準です。
152 :
考える名無しさん:02/04/21 01:10
>>143 わたしがレスしたのは92さんに対して。
あなた元発言じゃないじゃない。ったく!
日常生活そのもの(常識)を強引に持ち込んで、それを絶対論的に信じた上で
議論しろといわれても、そんな限定があったら何も話せない。
日常会話しに来てるわけじゃないし、楽しくない!!
それに1+1=2の話は「お前ら、性善説か性悪説かどっちよ?」での
カキコからなので的外れじゃない。(419〜読んでみて)
わたしは善悪の観念も取り入れて話を広げるつもりだった。
155 :
考える名無しさん:02/04/21 01:13
>歴史は人間がこさえるもんだろーがゴラァ
歴史は個人では出来あがっていないだろがバカが
個人を超えたものである他者の行為を包含した結果としての「歴史」だ
>>127 あなたは、「部外者によってどうみえるか」という前提で考える場合に、
「殺人者にとってどうか」という「前提」で考えてはいけないといっているように思う。
それはまったくそのとおりのことだ。
しかし、このスレでは、「部外者によってどうみえるか」という前提が
どこかに規定されているわけではない、というより、
前提は規定されていないのだから、
「殺人者にとって」という前提で論じようと、「部外者いとっては」という前提で
論じようと、自由なのではないか?
私は、その前提を決めた上でなくては論点が成立しないということを
主張しているのだ。
「部外者にとって」という前提があるなら、
その議論に「殺人者にとって」という前提の議論における論理を持ち込むつもりは無い。
ただ、同様に、「殺人者にとって」という前提の議論に、
「部外者にとって」という前提の議論は持ち込めないということをいっているのだ。
>>150 >殺しちゃいけないって誰が言っているの?
>殺ちゃいけないって誰が思ってるの?
これ大事な疑問だよ。
誰が・どんな立場で・どういう意図で言う(思う)のかで答えが変わるのに、
なぜか殆ど無視されて、いつも
「絶対的な殺人禁忌の根拠はない」
という、いわば常識の再確認で終わってしまう。
進歩がない!
>>150 おお、ちゃんとレス番入れてくれてどうもです。
前スレとは大違い。
…殺しちゃいけないと言ってるというより、殺される人が困る点を
把握できるかどうかの問題です。殺される人や、その近しい人は、
「いけない」が考えるだろう理由はふんだんにあります。
その理由があること(彼らにとってそうであるか)を単に認めるかどうか、の問題です。
参考;
殺される人が悪い奴である場合、他の人は彼を殺す場合もそうでない場合もあり、
殺した場合には、殺したこと以外の利益があることから「殺したことを正当化」
するでしょうが、それによっては「殺されたことが正当化」されるわけは
ありません。
殺される人や、彼に近しい人は、彼を殺してはいけないと言うでしょう。
159 :
考える名無しさん:02/04/21 01:15
148 :473 :02/04/21 01:05
ころあいを見計らって、数行で似たような結論のみの文章を書き付けて
悦に入るのはやめてくれ >名無し
↑
皆で話合ってるんとちゃうのん、なに偉そうなこと言ってんだこいつ(w
なにさまなんだよ
誰も、ホントウに死にたいと思ってる人など、いないからです。
「死にたい、死にたい」と言ってるのは希死念慮といって「症状」です。
必ず、なおる。
>>155 バカがって・・・
人間だの個人というときに、なんで個人がたくさんいるイメージが
思い浮かばないんですかね。
彼らが歴史上のある時代区分について考えるとき、それは何を根拠にして
考えられているんですか? 資料とか伝聞とかから認識をお互いに形成しあって
いるのであって、歴史がどっかに「ある」わけではないでしょう。
162 :
考える名無しさん:02/04/21 01:18
>数行で似たような結論のみの文章を書き付けて
>悦に入るのはやめてくれ
多角的な視点を提示するのは正しい行為だが、
結論がふらふらするようじゃ論述を張る資格はないだろうがばーか
>>159 えらそうな感じかどうかは、これまでの経緯なり文章なりを見て判断してください。
>>153 >あなた元発言じゃないじゃない。ったく!
わたしは、92だ。もう一度言う。わたしは、92だ。さっきもいったろ?
>日常生活そのもの(常識)を強引に持ち込んで、それを絶対論的に信じた上で
>議論しろといわれても、
だからそんな事言ってないのに・・・もうイヤ。
>それに1+1=2の話は「お前ら、性善説か性悪説かどっちよ?」での
>カキコからなので的外れじゃない。(419〜読んでみて)
ハァ? そんなスレ読んでないよ。読んでおいて欲しいなら、最初から言いなよ。
>>152 友よ。
(荒してるつもりはありません。ネタでもありません。新人です。 ←勉強不足)
m(_ _)m (T_T)
>>165 おっ、稀に見るかわゆい厨房、萌え〜〜〜〜〜〜
167 :
考える名無しさん:02/04/21 01:24
>歴史がどっかに「ある」わけではないでしょう。
歴史が創られたものだなんておもってるのは大河ドラマの観過ぎだ。
歴史の事実関係を検証するにあたって価値が入り込むことは承知しているが、
しかし、厳然と時の流れとともに歴史はそこにあるのだ。
幼稚なヒューマニズムを持ち出して歴史という言葉を歪曲するな。
>>156 >しかし、このスレでは、「部外者によってどうみえるか」という前提が
>どこかに規定されているわけではない、というより、前提は規定されていないのだから、
>「殺人者にとって」という前提で論じようと、「部外者いとっては」という前提で
>論じようと、自由なのではないか?
現に論じている人間は、全員当然に部外者になるので、私が論じる際にとった
前提のほうが、必ず事実に符合することになります。
殺人者にとって、という前提をとりうる根拠がありません。
ただ、前提を決めた上でなければ、議論が成立しないというのが、
あなたの主張だったのであれば、それは正しいです。
>「部外者にとって」という前提があるなら、
>その議論に「殺人者にとって」という前提の議論における論理を持ち込むつもりは無い。
>ただ、同様に、「殺人者にとって」という前提の議論に、
>「部外者にとって」という前提の議論は持ち込めないということをいっているのだ。
論じている人間は必ずその瞬間部外者ですから、後の2行は前提を欠きます。
じゃーこれは何?
カオル>>どうして人を殺しちゃいけないの?
カオル>>という(絶対論的)決めつけには根拠が無いといえます。
あなた>然り。故にこの疑問は虚偽的である。
もともとわたしはマトモナ発言してるでしょ。そこから判断してよ。
無意味な(こんな)会話を望んでいないの。
>169は143宛てです。
>>169 その発言が、どうしたの?
もちろん、そこではきみはまともだ。
そのあとは全然まともじゃないし、無意味。
>>144を読んで、もう一度よく考えてみて。振り返ってみて。
てゆうか、まだ意地張るの・・・・
>>167 大河ドラマの見すぎだ で何を言ってるのかわかりませんが。
歴史は創られたもの というのは、語弊がありすぎる言い方なので、
私の主張を要約した?表現として同意したくないです。
せいぜい
「歴史は一部の人間によって調査・論証され、結論において一定規模の集団を
構成する人間の間で合意が得られている記述や、それに基づいた記憶の総体」
程度です。
私は歴史を成立させる必要条件として、人間を要求したのであって、
価値が入り込む話であるとか、ヒューマニズムの話をしたのではありません。
>>129 >私は、そのことを根拠に正当性を主張します。ですが、現実に事実に遭遇する被害者は、その事実をもとに
>正当性を主張するはずです。
つまり、そういったことが観察されるということが、
「部外者はそのように思っている」ということを示す事実だというのだね。
それはそのとおりだ。
>正当性は個人個人が下す評価の話ですから、受命者に及ぶ及ばないを問題にすること自体間違ってます。
>命令については、正当化どうかにかかわり無く見たり聞いたりできるものですから、受命者に及びます。
命令は正当かどうかにかかわりなく伝達されうるということだろうか?そりゃそうだね。
しかし、伝達されたからといって、それが受命者にとって正当かどうかは別問題ということだね、
「正当性」は、「個人個人が下す評価の話」なんだから。
>上は「受命者にとっての妥当性の検討」が、私の議論全般に欠けているものとして指摘したのに対して答えたレスです。
>私は、受命者にとっての妥当性の検討は、殺してはいけない理由を論じる上で不要としています。
不要かどうかは、「何にとって」という前提をどうするかによるだろう。
>そして、あなたの議論は受命者の存在しない場合について一切言及されていませんでしたから、その点を指摘したのです。
言及する必然性がいま一つよくわからないが。
>強制力は無関係であるという点には、同意です。ただ、あなたの「権利」という語の使い方は間違っています。
私は権利という語の使い方を間違えたとは思わない、
しかし、この点が今回の議論に関係が無いのなら、
この点についての見解の相違は留保しよう。
>発令者が正しい事実認識に立ってるからです。(被害者が痛い・行動可能性を奪われるという点について触れており、
>それが殺人という事実を構成する上で必要的である点を理解しているから)
「被害者が痛い・行動可能性を奪われる」となぜ、「殺してはいけない」のだ?
>「殺人」は、被害者Xから見れば、
〜
>総合的に見れば、「Xが死んだことについて直接的な原因を作ったYが存在する事実の一般的呼称」です。
ありがとう。私とそれほど違わないね。
「殺人者」という視点で殺人を見ることをあなたが無条件に否定する根拠が
やはりよくわからない。
(もしかすると、私が把握し損ねているだけでなんらかの前提があって、
私がそれに気づいていないだけなのか?)
引退します。
考えずに考える(哲学する) のがあってるみたいです。
駄レス すまそでした。&ありがとう。
>143
もういい!!
あなたがわたし以上に内容のあるカキコしたら認めてあげる。
「どうして人を殺しちゃいけないの?」について今すぐ書きなさい。
ウソです。是非あなたの「異見」を聞かせて下さい。
>>144 1+1=2という正当な理由とされているものを疑ってみることは、
わたしにとってはとても重要で価値のあること。
(自分の発言に対しても疑っているよということが言いたかった)
>>168 >>156 >現に論じている人間は、全員当然に部外者になるので、私が論じる際にとった
>前提のほうが、必ず事実に符合することになります。
事実に符合させなければならない必然性がよくわからないが。
>殺人者にとって、という前提をとりうる根拠がありません。
殺人者にとって、という前提をとってはいけない根拠も無いと思うが。
そもそも前提は議論に先立って決めるものなのだから、
それ自体に根拠は必要無いだろう。
議論する気になる前提とする気にならない前提があるだけだ。
>論じている人間は必ずその瞬間部外者ですから、後の2行は前提を欠きます。
自分以外の立場については論じてはいけないという決まりはないと思うが。
「私にとっては」という前置きをしているならともかく、
ちゃんと「殺人者にとっては」という前置きをしているのだから。
>カオル
あのなあ。逆ギレはよくないぞ。
議論できないなら消えるが吉。
>(自分の発言に対しても疑っているよということが言いたかった)
それをわたしに・あの時点で言う必然性はない。まあともかく、言いたかったということは、わかった。
179 :
考える名無しさん:02/04/21 01:52
つーか、別にいけなくないだろ
>143
議論いくらでも、さぁ、どうぞ!
「異見」? 他のハンドルで書いたから、もういい。
てゆーか、つっかかってきたのはそっち。それを忘れないように。
>143
いいから書き込みの内容で勝負しようよ!
それが一番いい。
>181
わたしの意を理解できないレスしたあなたが悪い。
185 :
考える名無しさんの弟子:02/04/21 01:59
子どもの喧嘩に感じちゃいました。
師匠以外w
な訳で、寝ます。おやすみなさい。
>183
全部、他人のせいかよ(藁 ガキ様だな
>143
いいから早く書いてよ!!
今日は起きて待っててあげるからさ。
こんなガキが人殺しが悪いの良いのと、いっぱしに哲学した気になって(藁
>143
アンフェアなのはあなたでしょ。
ロクな書き込みもできないくせに、ぐだぐだと。
あなたのカキコで黙らせてみなよ。
>>175 あんたホントーにかわゆいネ、萌え萌え〜〜〜
>>177 事実に符合しているのが、私の議論であるか、私が言うところの加害者側の
議論であるか、どちらかについて、はっきりと答えてください。
「議論をすることのみが問題」なのであれば、事実に符合してるのがどちらかを
問題にする必然性がない、というあなたの主張はもっともです。
ですが、今は「実践的になぜいけないのか」を論じているはずです。
また、何よりこの問題は、議論する気になるならないという程度の問題ではないです。
そうであれば、事実に立脚した議論をすることは、当然の要請であるはずです。
また、事実に立脚していないのであれば、事実に反するの新聞記事が
意味をなさないのと同様、その議論も意味をなさないと見て差し支えありません。
>>175 哲板でみかけた中で、一番かわゆい(はぁと
>190
アンフェア、はわたしがわたしに言った言葉。君に向けていってないだろ?
早とちりもいい加減になさい。
グダグダ言う前に、なにか反論したらどうだね。
>143
どうした口先坊や!
早く書け!!
逃げるなよ!!!
>195
そこまで醜態さらさんでも・・・・
>>143を見よ(って、何回書かすの?)
>143
わたしは間違ってないと反論しただろ。バカ!!
>143
結局、逃げるわけだ。情けない!!
>200
だから逃げて無いって(苦笑
>>184に書いたレスを挙げてる。と、書くのは3度目。
202 :
考える名無しさんの弟子:02/04/21 02:15
師匠、流石です。 いろいろとありがとございました。 ポッ
お馬鹿の喧嘩は勝手にやってくれで感じで・・・
かしこ
カオルさん、反論する気が失せるんですが…。
>>197とか
>>200は、ちょっと見苦しいですよ。本人じゃないのかな
カオルのお陰でおれまでお馬鹿扱い?みたいな?
どうしてくれる(w
>>192 >事実に符合しているのが、私の議論であるか、私が言うところの加害者側の
>議論であるか、どちらかについて、はっきりと答えてください。
どちらも符合してるだろう。
前提としている視点が違うだけだ。
>「議論をすることのみが問題」なのであれば、事実に符合してるのがどちらかを
>問題にする必然性がない、というあなたの主張はもっともです。
>ですが、今は「実践的になぜいけないのか」を論じているはずです。
>また、何よりこの問題は、議論する気になるならないという程度の問題ではないです。
「実践的」というが、何を「実践」する話なの?
そういった前提があるという話は聞いてないが。
>そうであれば、
だから、「そうである」事実を私は認識していない。
>>206 >どちらも符合してるだろう。前提としている視点が違うだけだ。
「前提としている視点」自体も、事実と比較してどちらがより
符号的か問題にできるはずです。それについて聞いています。
例えばこのスレの
>>121で言ったような意味でです。
>143
>>184には同意だよ。わざわざ聞くなよ!
(もともとのわたしのレスみればわかることでしょ)
スレ汚しちゃった。
真面目にカキコしているみなさん。
ごめんなさい。m(__)m
>>208 ハァ? わたしに同意なのに「逃げるわけだ!」「バカ」「口先」とか言うわけ?君は?
普通の生活でもそういう言い方してるの?きみ。
今回ばかりはさすがにカチンときた。なに?この小僧。
143もカオルも、バカ丸出し。知能程度が知れるぞ。さっさと寝れ
>143
ごめんね。わたしは最初
>>98にレスする時、
>>104を読め。バカ!(あっ、イケナイ)っていうつもりだったくらい。
>473さん
すみません。
こういうの一回やってみたくて・・・イケナイ子でした。m(__)m
レス下さい。立ち直りますから。(出入り禁止ですか・・・不安)
>>207 >「前提としている視点」自体も、事実と比較してどちらがより
>符号的か問題にできるはずです。それについて聞いています。
>例えばこのスレの
>>121で言ったような意味でです。
そのことを問題にする必然性が理解できないが。
>>214 そんなに差はないと思うけど。
認めようね。フフッ
>>211 わたしは中卒DQNです。告白済みです。(他スレで)
許してくれますか?
>認めようね。
イ・ヤ・よん。
やっぱり男の子ね。
素直じゃない=真理(^.^)
いまさら狎れるようとするところが、さすが厨
>>213 なんじゃそりゃ。
まあ、聞いた私がバカだった 終了 ですか。
お疲れ様でした。
固定にしても荒れるときは荒れるんだな。
>>83(カオルさん)
>「全体」に寄与する行為は「善」であると仮定すれば同意です。
私はそうした仮定をしてないです(一応断っておきます)。
>でも「全体」にも色々あって、自分--->家族--->共同体--->国家--->人類--->?(宇宙)
>その人の価値意識によって「殺せる条件」や「殺されてもいい人」が決まってくる。
うーん、具体性がないので、なんと答えてよいのか戸惑いますが
・まず「殺せる条件」は、殺してはいけないかどうかの話とは無関係なので除外します。
殺せないなら、殺していけないかどうかを問題にする余地が無いし、
殺せるとしても、殺していけないかどうかの問題の結論が出るわけではないからです。
・次に、その人の価値意識によって、結論として「殺されてもいい人」が決まってくる点について…
殺されてもいいという点を、殺されない人間側の利益という観点のみで理解しようとするなら、
殺されない人間は、当然殺されませんので、メリットを伴ったりデメリットを伴わなかったりする
だけである場合はあるでしょうから、「殺されてもいい人」は当然出てきます。
ですが、これは殺されない人の利益・不利益の欠如を問題にしてるのであって、
殺されてもいい人の利益・不利益について論じているのではない点は、繰り返し述べている通りです。
殺されてもいい人にとっては、常に殺されてもいい人は殺されてはいけない人です。
・そして、殺されてはいけない人がそのように考えるだろう点を、今殺されてない人間は認めることができます。
認めることができるのであれば、
「殺される人Aにとっては、殺される人Aが殺されることは、いけない」とすることができます。
(これが、人を殺してはいけない理由です)
「殺されない人Bにとって、殺される人Aが殺されることは、いけないわけではない」場合はありますが、
「Aが」「いけないと考える事実」とその事実は無関係ですし、例えばCやDがBに対して、
Aがそう考えるだろうからやめろと言う事はできます。
Aは、Aの考えを絶対に変えないでしょうが、BはAの立場をとるかもしれません。
BがAの立場をとるように仕向けるかどうかは、制度や政治の問題であり、評価・規範の問題ではありません。
>人は「目には目を歯には歯を」の実態を因果性による経験で叩き込まれているし、
誰も叩き込まれてません。各国の刑法と、それについての一般人の評価を検討してください。
>自分が殺されないためには(できるだけ)人も殺さないように[してる]だけですね。
そもそも自分が殺されるとか、殺すとか意識の上にない人間(時間)が、多数です。
だからあなたの言い分は事実上の前提を欠いています。
>しかし、これは人を殺すことのリスクの問題であって“殺しちゃいけない”ということではない。
現に殺されているのは殺されている側であって、殺す側ではないです。
あと、故意殺をする者は現に殺してるんですから、「その相手を自分が」殺しちゃいけない、とは考えてないと
見るのが合理的でしょう。ですが、それと「相手が相手を」殺しちゃいけないと「自分が認識する」ことは、
両立します。というか、両立するから殺すとすらいえます。そして、現に「相手は」「相手を殺しちゃいけない」と
考えてるのが普通です。あと、過失殺の場合、あなたの議論は全く当てはまりません。
>>84(カオルさん)
>行為の決定そのものは、個人の自由意志に委ねられているのでしょうが、
>自由意志は、共同体の慣習や歴史的秩序や社会システム上の約束事の中で条件付けられています。
意志と決定という想定を行い、その過程の中で、自由なり条件付けなりがどうなってるか問題にしてる、という
理解でよいですか。そうであれば、この部分は同意です。
>(多くの人が自ら進んで縛られています)
>たとえば、常識というものに根拠はなくても、人は奴隷のようにそれに従います。
不同意です。なぜなら、「縛られている」のではなくて、決定してるだけだからです。
奴隷のように従ってるのではなくて、単に飯や恋人やTV番組や仕事やテストのことが頭にあって、
面倒くさいのでそれについて詮索しないうちに、みんながそう考えていることについてはつっこまないで
置くほうが無難なので、そのようにしてるだけです。別に意図して従ってるわけじゃないと思われます。
意図するときは、普通粗末だろうが理由を考えるでしょうし。
>そこから脱却するのも自由意志ですが、脱却できずに眠ったフリをするのも自由です。
論理的に「全部の選択肢」を示して、選択できるから自由であると言ってます。これはナンセンスです。
実際にはどちらを取るかについて制限する要因があるのですから。
>脱却できる者にとっての殺人は、価値的正当性を持った行為であるかもしれませんし、
>脱却できない者にとっての殺人は、罪悪感や法的制裁などのリスクを覚悟した上での行為と言えるのではないでしょうか。
脱却という語自体が、価値的正当性をイメージさせる語ですから、ここで使うのは不用意ですが、それはおきます。
脱却できる者であっても、法的制裁などのリスクを覚悟している場合はありえますし、
脱却してないが、他の利益をとるという価値に正当性を感じ、殺人と他の利益との総合判断で、価値的正当性を
主張する場合は考えられますが。一体何を言いたいんでしょうか。
問題はそれぞれがよって立つ認識が事実に符合しているかどうかです。
▼
>わたし達は生物界で生き残るために善悪の観念とそれに基づくルールを誕生させました。
単に誰かが「気に入らないから」、相手にやめさせる必要性からルールを作り、それが維持されてるんでしょう。
生物界がどうとかっていちいち考えなくとも、殺人の是非は論じられますし。
あと、あなたが前段で論じられた、常識に進んで縛られているという議論と矛盾してるようにも見えます。
>全体に寄与するものとしての善に反するものは悪であると規定し制裁の対象にします。
誰もそんな規定はしてないと思われます。というか、これって「全体においては、争いが無いに近い」と
考えてるわけですから、限りなく全体主義に近いんですけど。
全体主義的な体制が標榜する価値観に合意する中で、全体主義に取り込まれる人間は未だにたくさんいそうですが、
全体主義を正面から受け入れてる人なんて、あんまりいないと思うんですが。
善であれ悪であれ、個別的な事例や、普段個人個人が主張する価値観から立てた一般的通則から、
何らかの結論を一般的に論じる、というのが通常ではないかと思いますよ。
>(制裁の対象にする上での善悪の判断が)価値判断を伴うものである以上、「全体」をどう判断するかの問題は、
>個人の価値意識によって自由に意志決定することが可能なわけです。
個人の価値意識がなんで「社会全体」に当然に直結するんです?
個人が「全体」を判断してるというとき、対応する「全体」はどこにあるんでしょうか?
めちゃくちゃ過ぎるのでどうとでも反論でき、かつ反論として受け入れられる見込みが少なそうなのが困り者です。
>だから、どうして人を殺しちゃいけないの?という(絶対論的)決めつけには根拠が無いといえます。
>極論すれば、単なる思い込み(因果性に基づく経験知からの呪縛)の可能性が濃厚だと思います。
まず、私は絶対論的決め付けといわれるような論じ方をしてないのは、前スレ
>>460-461をそれなりに
きちんと読んでくださった方なら、分かると思います。
殺してはいけないと考えない人間がいるということは、はっきり認めています。
ただ、その判断が事実に立脚した議論でない点を指摘しているのです。
>473さん
今日はレスできそうにありません。すみません。m(__)m
>>219 >まあ、聞いた私がバカだった 終了 ですか。
まあ、あなたが説明できないというならそういうことになるね。
いずれにしても、
1+2 と 1+2 のどちらが正しい問題か、
なんて問題に意味があるとは思えないね。
>>224 肝心なところで間違ったので訂正。
× 1+2 と 1+2 のどちらが正しい問題か、
○ 1+1 と 1+2 のどちらが正しい問題か、
>>224 他の方もそうですけど、類比だけ述べて納得しないでください。
その類比が私の議論のどこに該当してるのか、きちんと示してください。
あと、「あなたが説明できない」とあなたが理解できない原因を
専ら私の説明不足に帰しているようですが、私は十分な説明を行いました。
現に理解した人間もいます。
206 :589(最初のスレ) :02/04/21 02:17
>>192 >事実に符合しているのが、私の議論であるか、私が言うところの加害者側の
>議論であるか、どちらかについて、はっきりと答えてください。
どちらも符合してるだろう。
前提としている視点が違うだけだ。
207 :473 :02/04/21 02:20
>>206 >どちらも符合してるだろう。前提としている視点が違うだけだ。
「前提としている視点」自体も、事実と比較してどちらがより
符号的か問題にできるはずです。それについて聞いています。
例えばこのスレの
>>121で言ったような意味でです。
213 :589(最初のスレ) :02/04/21 02:34
>>207 >「前提としている視点」自体も、事実と比較してどちらがより
>符号的か問題にできるはずです。それについて聞いています。
>例えばこのスレの
>>121で言ったような意味でです。
そのことを問題にする必然性が理解できないが。
こういうのは、普通「言い逃れ」と言います。
226でも普通は十分でしょうが、一応少し加えてみます。
156 :589(最初のスレ) :02/04/21 01:13
>>127 あなたは、「部外者によってどうみえるか」という前提で考える場合に、
「殺人者にとってどうか」という「前提」で考えてはいけないといっているように思う。
それはまったくそのとおりのことだ。
しかし、このスレでは、「部外者によってどうみえるか」という前提が
どこかに規定されているわけではない、というより、前提は規定されていないのだから、
「殺人者にとって」という前提で論じようと、「部外者いとっては」という前提で
論じようと、自由なのではないか?
私は、その前提を決めた上でなくては論点が成立しないということを主張しているのだ。
「部外者にとって」という前提があるなら、
その議論に「殺人者にとって」という前提の議論における論理を持ち込むつもりは無い。
ただ、同様に、「殺人者にとって」という前提の議論に、
「部外者にとって」という前提の議論は持ち込めないということをいっているのだ。
---------------------------
>>156中で、「殺人者にとって」という前提で論じようと、「部外者にとっては」という
前提で論じようと自由ではないか、と589さんは述べています。
私はそれに対して、「自由ではない」。なぜなら、
>>168 >現に論じている人間は、全員当然に部外者になるので、私が論じる際にとった
>前提のほうが、必ず事実に符合することになります。
>殺人者にとって、という前提をとりうる根拠がありません。
>>ただ、同様に、「殺人者にとって」という前提の議論に、
>>「部外者にとって」という前提の議論は持ち込めないということをいっているのだ。
>論じている人間は必ずその瞬間部外者ですから、後の2行は前提を欠きます。
という考えを述べています。
これに対して「問題にする必然性がない」と答えるのは、前提論点を回避しているだけです。
さらに追加。私は、「議論として論理的に成立させられるという意味では」
「殺人者にとって」という前提をとることは、認めています。
というか、これは自明です。間違った前提をとっても議論は成立させられる、
といってるだけですから。
しかし、それがこの問題に対する答えになりうる理論上の可能性については、
否定しています。
そういう意味で「自由ではない」と答えています。
>>228 それがこの問題に対する「正しい」答えになりうる
「」内を挿入します。
一晩寝て起きたら、膨大な発言が書き込まれていてびっくりです。目が
覚めたら雪が降っていてお外はまっ白! みたいな感じでした。
「なぜ人を殺してはいけないか」という言葉で、人は何を問うているの
でしょうか。悪いことはしてはいけないことだけれど、殺人は悪いことな
のか、でしょうか。それが無意味だとは思いませんが、わたしにとっては、
あまり面白い問いじゃありません。わたしが言いたいのは、悪いことはし
てはいけないことだけど、でも人は良いことも悪いことも、事実として人
は自由にすることができる、ということ、なのかな?
473さん、遅くまでご苦労様。881読ませていただきました。改めて読ん
で、別に反論、批判をするほどの発言とはとは思えません。お気になさら
ないことだと思います。少しつっこんで読んでみようとすると、すぐバラ
バラになってしまうようなヤワな日本語で書かれていると思います。「い
い」「悪い」ということは、人間が後から付加したものにすぎないから、
そんなものはないのだ、というようなことが書いてあるのだろうと感じま
したが、元々そのようにできあがっている社会の中に、われわれの方が後
から生まれてきたのではないでしょうか、なんて反論してみること自体、
恥ずかしい。
それが今生きている社会のルールだから。
こういう問いはどうだろう?
何故、人を殺すことが、悪いということになっていったのか?
かつてのオーストラリアでは喰ってたらしいです。
グロいので、放置OKです。
>>226 >>227 >他の方もそうですけど、類比だけ述べて納得しないでください。
>その類比が私の議論のどこに該当してるのか、きちんと示してください。
そういうことは自分がきちんと実践してから言って欲しいね。
>あと、「あなたが説明できない」とあなたが理解できない原因を
>専ら私の説明不足に帰しているようですが、私は十分な説明を行いました。
>現に理解した人間もいます。
私にとっては充分でなかったということだろう。
>こういうのは、普通「言い逃れ」と言います。
意味の無い質問について、「意味が無い」と指摘しているだけだが。
「殺人者にとって」は、
数ある事実のうちのどれについて考えるかという前提だろう。
その、前提を選ぶ段階で、符合するかどうかを考察すべき「事実」というのは、
いったいどういった事実なんだね?
>私はそれに対して、「自由ではない」。なぜなら、
〜
>これに対して「問題にする必然性がない」と答えるのは、前提論点を回避しているだけです。
その「前提論点」とやらは、いったい何で、いつ、前提となったのかね?
論者が、問題を考える(前提を決める)に際して、
「実際の自分の立場」と問題を符号させなければならない理由など無いと思うが。
>>228 >しかし、それがこの問題に対する答えになりうる理論上の可能性については、
>否定しています。
>そういう意味で「自由ではない」と答えています。
「この問題」とは「どの問題」だね。
「どうして人を殺しちゃいけないの?」という問題は、
前提を欠いているために問題として成立していない。
だから、
「殺人者にとって」「被害者にとって」「第三者にとって」
という前提を導入して、それぞれの問題として始めて成り立つということは
再三説明したはずだ。
あなたは、これらの前提のうち「殺人者にとって」は
「この問題に対する答えになりうる理論上の可能性については、 否定しています。」
といっている。しかし、ここでの「問題」とはなんだね?
前提は問題の一部であって、この問題については前提を設定する前に、
問題は成立していないと思うが。
>>234(589さん)
>>他の方もそうですけど、類比だけ述べて納得しないでください。
>>その類比が私の議論のどこに該当してるのか、きちんと示してください。
>そういうことは自分がきちんと実践してから言って欲しいね。
私が仮に間違えたとして、あなたが間違えなかったことになるわけじゃないです。
しかも、結局類比がどこに該当するかについても、答えてないではないですか。
▼
>>〜専ら私の説明不足に帰しているようですが、私は十分な説明を行いました。
>>現に理解した人間もいます。 →>私にとっては充分でなかったということだろう。
あなたの理解力不足である可能性は、検討しないんですか。
そもそもあなたが批判した点は、
>>460-461の範疇で収まってる(つまりその段階で理解可能な)問題です。
前スレ
>>589 >・「殺してはいけない」と「言われる」(だれかが言う)のはなぜか?
>・殺人という行為が、殺人者当人にとってよくないのはなぜか?
>という問題が混同されているって。
以上の点について、
>>460-461で、それぞれ 被害者0、加害者1、部外者Xとおき、
・Xによって「言われる」点は、Xが 0が実際に遭遇する不利益 について言及するから。
これは実際に0が受ける不利益とは、無関係な(並立している)事実であること
・殺人という行為が、1にとってよいかわるいかを問題にしている場合、
「殺人という手段をとった結果引き起こされる0の不利益」と、「1側が得る利益・不利益の欠如」を
一緒くたにして考え(これは論点外れである、なぜなら殺人を行うことで加害者側が得するか損しないかの話を
してるからである)、殺人を許容することを称して「やってよい」と 論じるXは、現に存在する。
しかし、殺人という行為のみに着眼するのであれば(これが「人を殺してはなぜいけないのか」の問題である
現に殺されているのは、被害者0だけだからである)、そこで引き起こされている結果を正当化する要因は、
殺人者側にはありえず(なぜなら、殺人とは単に行われている事実でしかないから)、また、それは
「0側が殺してはいけないと考える」こととは全く無関係であるため、殺す・殺される事実で構成される殺人
という行為を、正当とできる理由はない
と理解できるように、
>>460-461は、書かれてあります。
私から見ると、あなたは、前提が事実に即してるかどうかの問題を回避することで、
加害者側に立つ*論者*が、「当然に部外者が加害者の立場をとる」という事実に符合しない仮定(前提)を議論せずに
(あなたが「殺人者にとって」という前提をとるのも自由だと言ってるような理解の仕方を利用して)鵜呑みにさせ、
そこから議論することで「論理的に正しい結論を導き」、それを聞き手に「正しい」と錯覚させる手伝いをしているか、
そう議論したがってるかのように見えます。
▼
>>こういうのは、普通「言い逃れ」と言います。
>意味の無い質問について、「意味が無い」と指摘しているだけだが。
>「殺人者にとって」は、数ある事実のうちのどれについて考えるかという前提だろう。
>その、前提を選ぶ段階で、符合するかどうかを考察すべき「事実」というのは、
>いったいどういった事実なんだね?
前スレ
>>460-461で示したとおり、世界の中には「ある瞬間において加害者である人間1」と被害者0、
部外者(殺人を行った後の1も含むX)がおり、「議論しているのは、必ず部外者Xである」、という事実です。
「加害者の立場に立って」議論しても、それは事実上の根拠をもってないという点です。
これは、前スレ
>>892 >>なんで加害者と被害者しかいないことになってるんですか?
>それしか思いつかなかったからだ。別に他の人間の存在を認めないとは書いてないが?
思いつかなかったって…それを堂々と書いてておかしいと思わないんですか…
ある事実を構成する要素(より細かく認識される事実)を思いつかなかった場合、
ある事実に関する判断が、根拠が無いことになりうることは、当然理解できますよね?
今回の場合、
>>851前半
>>852後半
>>857中ほど に示したような問題点があります。
>>460-461に即して言うなら、0(被害者)、1(加害者)、2、3…(部外者X)のうち、
「Xからの0に起きた事実への評価、Xからの1に起きた事実への評価、という視点が
完全に欠落することになります」
などのように、かなり頻繁に論じています。
▼
>>私はそれに対して、「自由ではない」。なぜなら、〜
>>「問題にする必然性がない」と答えるのは、前提論点を回避しているだけです。
>その「前提論点」とやらは、いったい何で、いつ、前提となったのかね?
>>227で、あなたのレス
>>156を掲げて、
>>226をわかりやすくしたんですが、なぜそこを無視するんですか。
あなたは「誰にとって」という前提の設定は自由である、と述べてます。
私は「誰にとって」という前提の設定は自由ではない、と述べています。
ここに対立点があるんですから、そこで「前提論点」が成立していることになります。
まあ、あなたは、わざととぼけてるんでしょうが、自分の理解力のなさを疑ったほうがよい、といっておきます。
あなたはとぼけてるつもりでも、あなたがとぼけてることが見苦しいことは、きちんと文章を読んでる人間が
いれば、はっきりと分かります。(もっとも、ここを読んでる人間は少なそうですが)
>論者が、問題を考える(前提を決める)に際して、「実際の自分の立場」と
>問題を符号させなければならない理由など無いと思うが。
私はその理由が、事実に即して理解するなら「ある」と何度も繰り返し述べてます。ある仮定は観察可能な
事実に即していなかった、だからある仮定を前提としたその理論は間違いであった、という判断は、
事実に関する問題を処理する上で、ごくごく基礎的な判断の下し方でしょう。
それに対して「理由など無い」と答えるのは、「事実を扱うので、事実に即さなければならないという視点」から、
「今議論をしているので、議論を成立させる条件について問題にしてる視点」に話をそらして、無視してるだけです。
あなたが後者の視点に話をそらしても、実際に加害者側の立つ前提が事実無根である点は変わりません。
▼
>>235(589さん)
>
>>228 >>しかし、それがこの問題に対する答えになりうる理論上の可能性については、
>>否定しています。そういう意味で「自由ではない」と答えています。
>「この問題」とは「どの問題」だね。
どう考えてもこのスレッドの主題「人を殺してはいけない理由は何か」でしかないと思いますが。
>「どうして人を殺しちゃいけないの?」という問題は、前提を欠いているために問題として成立していない。
>だから、「殺人者にとって」「被害者にとって」「第三者にとって」という前提を導入して、
>それぞれの問題として始めて成り立つということは再三説明したはずだ。
前スレ
>>460冒頭で、はっきり言及していますが。
----------------------
ある抽象的問題の是非を議論する場合は、一つの対象として扱えない事実を、言葉の上で一つとして扱えてしまうことで、
事実を構成する要素とあてられる言葉との対応関係が意識されずに、空論に終わってしまうことが多いので、
気をつけると良いと思います。
▼殺人について考えるとき、以下の人間を、抽象的に想定することは、大丈夫だと思います。
・0が殺される・殺されそう 注:0が自殺
・1が0を殺す・殺しそう
・2、3… …1億…50億…(部外者)
「これらの人間それぞれの立場から、殺人という抽象的事実がどう理解されるかを明かせばよい」はずです。
----------------------
箇条書きから、「」で閉じた部分の流れで、はっきり言及しています。
>あなたは、これらの前提のうち「殺人者にとって」は「この問題に対する答えになりうる理論上の可能性については、
>否定しています。」といっている。しかし、ここでの「問題」とはなんだね?
>前提は問題の一部であって、この問題については前提を設定する前に、問題は成立していないと思うが。
あなたが言ってる「誰にとってという、前提がない」という問題は、
「前提を設定し、場合わけして、別の問題として扱うことで」解決可能な話であり、
現に私は前スレ
>>460-461でそういうやり方をとりました。
その後、「殺人者にとって」という前提が、そもそも観察できる事実と符合した理解かどうかを問題にし、
符合していない理解は前提を認めるなら論理的に正しいが、前提がおかしいから間違っているという風に論じました。
問題が成立していないなら、単に成立させてやればいいだけの話です。
>>236 >>237 >>238 >私が仮に間違えたとして、あなたが間違えなかったことになるわけじゃないです。
>しかも、結局類比がどこに該当するかについても、答えてないではないですか。
そもそも、あなたが、どの類比のことを言っているのか示してないが。
>あなたの理解力不足である可能性は、検討しないんですか。
>そもそもあなたが批判した点は、
>>460-461の範疇で収まってる(つまりその段階で理解可能な)問題です。
そりゃ、私にとって理解できないのだから、なんらかの理解力不足であるのは
当然だよね。
>以上の点について、
>>460-461で、それぞれ 被害者0、加害者1、部外者Xとおき、
〜
> という行為を、正当とできる理由はない
>と理解できるように、
>>460-461は、書かれてあります。
あなたは単純に「正当とできる理由はない 」といっているが、
これは「誰にとって」「正当とできるかどうか」ということをいっているのだね?
何回言ったかもうわからないが、私は、
「被害者にとって正当でない」「多くの部外者がこの被害者に同情する」
は否定していないよ。
「私が理解できない」といっているのは、
・「被害者にとって正当でない」
・「多くの部外者がこの被害者に同情する」
・「加害者にとっては正当な場合もある」
という3つの独立した事実について、「どれが正しいか」という比較を行う必然性だよ。
>私から見ると、あなたは、前提が事実に即してるかどうかの問題を回避することで、
〜
>そう議論したがってるかのように見えます。
邪推としかいいようがない、
私には、そもそも、「前提が事実に即しているかどうか」
という点がなぜ問題になるのかさっぱりわからない。
>前スレ
>>460-461で示したとおり、世界の中には「ある瞬間において加害者である人間1」と被害者0、
>部外者(殺人を行った後の1も含むX)がおり、「議論しているのは、必ず部外者Xである」、という事実です。
>「加害者の立場に立って」議論しても、それは事実上の根拠をもってないという点です。
そりゃ凄い、
自分の立場以外について考えたことはみんな根拠が無いということになるのかね?
そうすると、
例えば、A が B から十円でものを買った場合、それを見ていたCが、
「Bは十円儲けた」というのは根拠が無いということになるが。
ええと、これい以降いろいろと書いてくれているが、
結局上の点に集約できると思う。
あなたの主張するように「事実に即す」ためには、
「自分自身の立場」について論じることはすべて、
「根拠が無い」ことになる。
しかし、そうすると、世の中でなされている言説には、
「他人の立場」に立ったものが多い、
(自分の立場のものより多いかもしれない)
あなたの論理だとこれらは皆根拠の無い主張であるということになってしまうよ。
>>239 訂正
×「自分自身の立場」について論じることはすべて、
○「自分自身以外の立場」について論じることはすべて、
>>234(589さん)
>>その類比が私の議論のどこに該当してるのか、きちんと示してください。
>そういうことは自分がきちんと実践してから言って欲しいね。
私が仮に間違えたとして、あなたが間違えなかったことになるわけじゃないです。
しかも、結局類比がどこに該当するかについても、答えてないではないですか。
>私が仮に間違えたとして、あなたが間違えなかったことになるわけじゃないです。
ここに答えて下さい。
589さん、あなたは、1レス中に複数の記述を行うと、ある記述を無視するようなので、
単発でレスをつけていきます。
>そもそも、あなたが、どの類比のことを言っているのか示してないが。
224には類比は一個しかありません。
>そりゃ、私にとって理解できないのだから、なんらかの理解力不足であるのは当然だよね。
あなたは、あなたにとって説明が十分でなかった、としか言ってなかったのです。
後でさも自分がそれを踏まえてたかのようなふりをしないでもらいたいです。
>あなたは単純に「正当とできる理由はない 」といっているが、
>これは「誰にとって」「正当とできるかどうか」ということをいっているのだね?
まず、「単純に」「正当とできる理由は無い」といってる部分とやらを引用します。
しかし、殺人という行為のみに着眼するのであれば(これが「人を殺してはなぜいけないのか」の問題である
現に殺されているのは、被害者0だけだからである)、
「そこで引き起こされている結果を正当化する要因は、殺人者側にはありえず」
(なぜなら、殺人とは単に行われている事実でしかないから)、
また、それは
「0側が殺してはいけないと考える」こととは全く無関係であるため、
殺す・殺される事実で構成される殺人という行為を、正当とできる理由はない
236を見てもらえれば普通の人には理解できるように、「いかなる場合であれ、つまり誰にとっても」です。
>何回言ったかもうわからないが、私は、
>「被害者にとって正当でない」「多くの部外者がこの被害者に同情する」は否定していないよ。
>「私が理解できない」といっているのは、
>・「被害者にとって正当でない」
>・「多くの部外者がこの被害者に同情する」
>・「加害者にとっては正当な場合もある」
>という3つの独立した事実について、「どれが正しいか」という比較を行う必然性だよ。
何度も言ってるように、
「加害者は殺されていませんから、彼らについて云々することは殺人を云々することですらありません」。
だから、(殺人が)「加害者にとって」正当な場合は、そもそもありえません。
加害者は殺されておらず、生きているからです。
殺人されたのは被害者だけですから、殺人が正当かどうかは、被害者について決する問題です。
被害者が「殺されたことそれ自体」を正当とする可能性は、それが正しく認識できているのであれば、0でしょう。
ですから、「殺人は常に被害者にとって悪い」「被害者にとっていけない」ことであり、
部外者はそれを観察するかどうかの問題になります。
あなたは部外者が被害者が下す評価について「同情」という言葉を使ってますが、べつに部外者が被害者が下す評価を
理解するには、同情をさしはさむ必要はありません。むしろ、被害者が殺されることに対して悪いという評価を下すから
こそ、加害者が殺したという場合も十分考えられます。
>>私から見ると、あなたは、前提が事実に即してるかどうかの問題を回避することで、
>>〜そう議論したがってるかのように見えます。
>邪推としかいいようがない、
>私には、そもそも、「前提が事実に即しているかどうか」
>という点がなぜ問題になるのかさっぱりわからない。
どうも本気のようですね・・・ここで「邪推」したことについては、お詫びします。
実際あなたは、
>「被害者にとって正当でない」「多くの部外者がこの被害者に同情する」は否定していないよ。
と書かれていますから。どうもすみません。
>>242 >>243 >>244 >>245 >>246 >>私が仮に間違えたとして、あなたが間違えなかったことになるわけじゃないです。
>
>ここに答えて下さい。
質問になってないが?なんとこたえりゃいいのかね?
というか、「間違い」ってなんだ?
>224には類比は一個しかありません。
207で対象としている比較も一つしかないんじゃないかね。
>あなたは、あなたにとって説明が十分でなかった、としか言ってなかったのです。
>後でさも自分がそれを踏まえてたかのようなふりをしないでもらいたいです。
何を問題にしてるのかさっぱりだね。
自分で「言った」けれど「踏まえていない」なんてことがあるとは
思えないが。
>まず、「単純に」「正当とできる理由は無い」といってる部分とやらを引用します。
〜
>236を見てもらえれば普通の人には理解できるように、「いかなる場合であれ、つまり誰にとっても」です。
ほう、驚いた。
あなたは、誰にとっても「殺人は正当でない」と主張しているのかね?
そりゃ凄いや。
>何度も言ってるように、
>「加害者は殺されていませんから、彼らについて云々することは殺人を云々することですらありません」。
>だから、(殺人が)「加害者にとって」正当な場合は、そもそもありえません。
>加害者は殺されておらず、生きているからです。
>殺人されたのは被害者だけですから、殺人が正当かどうかは、被害者について決する問題です。
その論理だと、
「被害者は殺していないから、彼らについて云々することは殺人を云々することですらありません」。
「第三者は殺しも殺されもしていないから、彼らについて云々することは殺人を云々することですらありません」。
ということにもなるよ。
殺人者だけが除外される理由はなんだね?
>被害者が「殺されたことそれ自体」を正当とする可能性は、それが正しく認識できているのであれば、0でしょう。
>ですから、「殺人は常に被害者にとって悪い」「被害者にとっていけない」ことであり、
>部外者はそれを観察するかどうかの問題になります。
そこで観察されるのはあくまでも「被害者にとってどうであるか」という事実だろう。
>あなたは部外者が被害者が下す評価について「同情」という言葉を使ってますが、べつに部外者が被害者が下す評価を
>理解するには、同情をさしはさむ必要はありません。
>むしろ、被害者が殺されることに対して悪いという評価を下すから
>こそ、加害者が殺したという場合も十分考えられます。
そのとおりだが、それがどうかしたのかね?
たのむから、私が認めたことを脈絡無く何度も繰り返すのはやめてくれないか。
>>242 >>243 >>244 >>245 >>246 私の理解できた範囲であなたの主張を要約すると以下のようになるが、
何か間違いなり不足なりがあるだろうか?
殺人をやっていけないかどうかは、被害者のみが判断できる、
なぜなら、殺人において殺されるのは被害者だけで、
それ以外のものは殺されないからである。
>>>私が仮に間違えたとして、あなたが間違えなかったことになるわけじゃないです。
>>ここに答えて下さい。
>質問になってないが?なんとこたえりゃいいのかね?
>というか、「間違い」ってなんだ?
「あなたが」類比について注意されたことに関して、
>そういうことは自分がきちんと実践してから言って欲しいね。
と述べたことについて、「相手が」類比について同じような注意を実践するか
どうかの問題の話をしても、返答になるわけじゃないです。
このことについて、どう考えているか、聞いたのです。
間違い、というのは、「類比についての間違い」です。というか、前後の文脈が
あればわかるところを、断片的に引用してレスしてくるので、なんともしようが
ありませんね。
>>207 >「前提としている視点」自体も、事実と比較してどちらがより
>符号的か問題にできるはずです。それについて聞いています。
>例えばこのスレの
>>121で言ったような意味でです。
207で対象としている比較、で何を言っているのかよくわかりませんが、
224であなたが類比を行い、それがどの部分をさしているのか、そこから
読み取れない点については、変わらないと思いますよ。
>何度も言ってるように、
>「加害者は殺されていませんから、彼らについて云々することは殺人を云々することですらありません」。
>だから、(殺人が)「加害者にとって」正当な場合は、そもそもありえません。
>加害者は殺されておらず、生きているからです。
>殺人されたのは被害者だけですから、殺人が正当かどうかは、被害者について決する問題です。
>その論理だと、
>「被害者は殺していないから、彼らについて云々することは殺人を云々することですらありません」。
>「第三者は殺しも殺されもしていないから、彼らについて云々することは殺人を云々することですらありません」。
>ということにもなるよ。殺人者だけが除外される理由はなんだね?
言葉遊びの時間ではないんですが。
被害者が殺していませんが、殺されているのですから、彼について問題にすることは、殺人について問題にすることです。
第三者にとって云々することのほうは、その通りです。
殺人者だけが除外される んではなくて、もともと
「殺人に関して論ずることは、被害者の問題」なのです。
観点を述べなおすだけで随分印象が変わるものですね・・
>ほう、驚いた。あなたは、誰にとっても「殺人は正当でない」と主張しているのかね?
>そりゃ凄いや。
誰にとっても殺人は正当でない ではなくて、
もともと被害者にとっての問題であって、彼はそれについて正当でないと
言うでしょう、それを覆す事実に立脚した論理的な理由をあげることは不可能だ、と
言ってるのです。
>>249 >「あなたが」類比について注意されたことに関して、
>>そういうことは自分がきちんと実践してから言って欲しいね。
>と述べたことについて、「相手が」類比について同じような注意を実践するか
>どうかの問題の話をしても、返答になるわけじゃないです。
>このことについて、どう考えているか、聞いたのです。
どう考えるもなにも、いってることがちんぷんかんんぷんだが。
「返答になるわけじゃない」というけど、
「返答」が必要になるような質問なり、問いかけが
どこでなされたのだね?
>間違い、というのは、「類比についての間違い」です。というか、前後の文脈が
>あればわかるところを、断片的に引用してレスしてくるので、なんともしようが
>ありませんね。
だから、ただ「類比についての間違い」といわれてもさっぱり見当がつかない。
何がどう間違っているのかちゃんと具体的に説明してくれ。
その間違いが、この議論にとって、重要なものであるならね。
>207で対象としている比較、で何を言っているのかよくわかりませんが、
>224であなたが類比を行い、それがどの部分をさしているのか、そこから
>読み取れない点については、変わらないと思いますよ。
まあ、お互い様ってわけだ。
>>被害者が「殺されたことそれ自体」を正当とする可能性は、それが正しく認識できているのであれば、0でしょう。
>>ですから、「殺人は常に被害者にとって悪い」「被害者にとっていけない」ことであり、
>>部外者はそれを観察するかどうかの問題になります。
>そこで観察されるのはあくまでも「被害者にとってどうであるか」という事実だろう。
その観察される「被害者にとってどうであるか」が、人を殺してはいけない理由になります。
>>251 >言葉遊びの時間ではないんですが。
まったくそのとおり。
言葉遊びにならないように、ちゃんと、論理を示してほしいものだね。
>被害者が殺していませんが、殺されているのですから、彼について問題にすることは、殺人について問題にすることです。
同じことだよ、言葉遊びにしたくないなら、論理を述べることだね。
「殺される」「殺す」について、
「殺人」について「殺される」ことだけを問題とし、
「殺す」ことは除外しなければならない理由はなんだね?
>>253 >「返答」が必要になるような質問なり、問いかけがどこでなされたのだね?
>>226(473)
>>他の方もそうですけど、類比だけ述べて納得しないでください。
>>その類比が私の議論のどこに該当してるのか、きちんと示してください。
>>234(589)で226に対して
>そういうことは自分がきちんと実践してから言って欲しいね。
↑
この指摘をしても、226への返答にはなりません。
この話を突っ込んだのは、あなたが論点そらしをしているさまをログに残すために
やっただけなので、本当はここまで伸ばすつもりはありませんでした。
>>255 >>被害者が殺していませんが、殺されているのですから、彼について問題にすることは、
>>殺人について問題にすることです。
>同じことだよ、言葉遊びにしたくないなら、論理を述べることだね。
>「殺される」「殺す」について、「殺人」について「殺される」ことだけを問題とし、
>「殺す」ことは除外しなければならない理由はなんだね?
被害者Aが死んでいることについて評価を下すことにおいて、
Bが殺すことは、A以外の、生きている人間がなしていることですから、
Aが死んでいることについて評価を下すことにおいて、評価の対象になりうる
事実ではないからです。
Bについて問題にすることは、結局のところ、
「A以外が何かをして生きていて、何かの利益・不利益があることについて、どう考えるか」
という問題を考えることであって、「殺人」について問題にしているのではないからです。
>>252 >もともと被害者にとっての問題であって、彼はそれについて正当でないと
>言うでしょう、それを覆す事実に立脚した論理的な理由をあげることは不可能だ、と
>言ってるのです。
問題は「もともと被害者にとっての問題であって」の根拠だよ。
それ以降の「被害者が殺人を正当でないという、
それは覆せない」は最初から否定してないだろう。
>>254 >その観察される「被害者にとってどうであるか」が、人を殺してはいけない理由になります。
なぜだね?
>問題は「もともと被害者にとっての問題であって」の根拠だよ。
>それ以降の「被害者が殺人を正当でないという、それは覆せない」は
>最初から否定してないだろう。
あなたは、「否定してない」というとき、
それを肯定したとは言ってない、といって話をはぐらかすくせが
あるようなので、それについてお聞きします。
肯定しているんですか?
>>254 いや、「いけない」が「だれかにとって悪いこと」なら、
「被害者がそれを悪いとする」ことだけで充分「いけない」ことになる、というのは事実だね。
純然たる論理的帰結だ。
しかし「行ってはいけない」とする根拠はみあたらない。
>>260 それについて=「被害者が殺人を正当でないという、それは覆せない」について です。
失礼しました。
>>256 >この指摘をしても、226への返答にはなりません。
論駁や反論になっていないのは事実だが。
質問に答えてるわけじゃないんだから、どんな内容であろうと、返答は返答だろう。
えーと、
>>261は
>>259の質問を撤回されたんですよね。私の議論の前提を踏まえて
理解しなおして・・・
行ってはいけない根拠ですが、
私はある決定をする根拠自体が正当であるかどうかを問題にしたとき、
ある決定が正当でないと言える理由はあり、ある決定をいけないと
考える人間がおり、それに対してある決定をした者は論理的に有効な
反論をなしえない、というラインまでしか述べてません。
行ってはいけない、と殺人に至りそうな者が常に心にとめられるような
理由があるとは、考えていませんです。
あと
>>65を読んでください。
>>263 論駁や反論になっていないと、素直に認めてくれてどうもです。
たしかに返答にはなっていますね。反論にならない、と書くべきでした。
>>257 >被害者Aが死んでいることについて評価を下すことにおいて、
>Bが殺すことは、A以外の、生きている人間がなしていることですから、
>Aが死んでいることについて評価を下すことにおいて、評価の対象になりうる
>事実ではないからです。
そもそも、ここで考えているのは「殺すことについて」であって、
被害者が死んでいることじゃないと思うが。
「殺したこと(殺すこと)」を除外するのなら、
単に、「人が死ぬこと」について考えているだけのことじゃないの?
>Bについて問題にすることは、結局のところ、
>「A以外が何かをして生きていて、何かの利益・不利益があることについて、どう考えるか」
>という問題を考えることであって、「殺人」について問題にしているのではないからです。
そもそも「殺人」自体を問題にしているというより、
「殺人」という行為を「行ってはいけない」理由を問題にしているのだから、
「利益、不利益」の問題であっても別にいいのではないか?
>>260 >それを肯定したとは言ってない、といって話をはぐらかすくせが
そんなことをした覚えはないが。
もちろん、肯定しているよ。
>>266 >
>>257 >>被害者Aが死んでいることについて評価を下すことにおいて、
>>Bが殺すことは、A以外の、生きている人間がなしていることですから、
>>Aが死んでいることについて評価を下すことにおいて、評価の対象になりうる
>>事実ではないからです。
>そもそも、ここで考えているのは「殺すことについて」であって、
>被害者が死んでいることじゃないと思うが。
殺すことについて、というしぼりは、「加害者にとって」というしぼりをかけることです。
「殺人」という事実を把握する上で、上のしぼりをかけることは、事実にあってない、と
私は指摘してます。で、上のしぼりをかけることを正当化する方に対しては、
「あなたは部外者であるのに、なぜ、加害者と被害者双方の立場が、殺人という事実には
常に伴っているのに、その両方を問題にしないのか」と問います。
おそらく「そういうあなたこそ、加害者側の観点を問題にしてないじゃないか」と
反論されると思いますが、それに対しては
「そうではない、加害者は、殺人をおこなったある瞬間のみ加害者たりえるのであって、
それ以外の時間においては、常に(私の議論で言うところの)部外者である、
部外者として、加害者が被害者を殺した、被害者が加害者が殺されたことそれぞれを
問題にできる存在である。そうであれば、加害者になったことがない部外者と同様、
加害者も、被害者が殺されたことに対して行うであろう評価を認識することに、
格別問題となる事実は存在しない。だから、被害者が殺されたことについて
「いけない」と考えていただろうことを了解でき、またそれについて
「被害者にとって」正当であると論じる理由をもたない」と反論します。
いまいちこなれてないと思うので、つっこみ入れてください。
>「殺したこと(殺すこと)」を除外するのなら、
>単に、「人が死ぬこと」について考えているだけのことじゃないの?
除外しているのではなくて、並立させて理解することを事実に即して要求してるつもりです。
>>Bについて問題にすることは、結局のところ、
>>「A以外が何かをして生きていて、何かの利益・不利益があることについて、どう考えるか」
>>という問題を考えることであって、「殺人」について問題にしているのではないからです。
>そもそも「殺人」自体を問題にしているというより、
>「殺人」という行為を「行ってはいけない」理由を問題にしているのだから、
>「利益、不利益」の問題であっても別にいいのではないか?
利益・不利益の問題は、常に、生きている人間があることをして、
利益を得たり得なかったりすることについてどう考えるか、という問題です。
殺した側にとっての利益は、正確な認識によってたつなら、
殺したこと以外において問題になる事柄です。
そもそも過失札の場合には、利益などないという点や、
1000万円を殺人して奪おうとしたときに、1000万円が手にはいらなかったケース、
私怨で人違いである場合には、利益が無かったりするという点などを考えてみると
よいです。殺したことから直ちにメリットがあるという想定が間違っていることは
明らかです。
ちょっと出かけます。
268中
「被害者にとって」正当であると論じる理由をもたない」と反論します。
上の「」内は削ります。
>>264 >行ってはいけない根拠ですが、
>私はある決定をする根拠自体が正当であるかどうかを問題にしたとき、
>ある決定が正当でないと言える理由はあり、ある決定をいけないと
>考える人間がおり、それに対してある決定をした者は論理的に有効な
>反論をなしえない、というラインまでしか述べてません。
あなたのいう「正当でない」というのは
「多くの人が認めない」という意味だったと思うが。
そして、「多くの人が認めない」と「行ってはいけない」を
同義の言葉として使っているように思う。
そうすると、
行為の正当性は当事者が決められない、社会が決める。
というようなことを言っているように思うが、
それで正しいだろうか?
>行ってはいけない、と殺人に至りそうな者が常に心にとめられるような
>理由があるとは、考えていませんです。
>
>あと
>>65を読んでください。
どうも誤解があるようだが。
別に私は被害者について故意に無視しようとしているわけではないよ。
被害者にとってという点について語られることが少ないのは、あまりにも自明であって、
議論の対象にならないからだろう。
>>268 >殺すことについて、というしぼりは、「加害者にとって」というしぼりをかけることです。
>「殺人」という事実を把握する上で、上のしぼりをかけることは、事実にあってない、と
>私は指摘してます。
つまり、それは、論じる人間が加害者ではないということだね。
>で、上のしぼりをかけることを正当化する方に対しては、
>「あなたは部外者であるのに、なぜ、加害者と被害者双方の立場が、殺人という事実には
> 常に伴っているのに、その両方を問題にしないのか」と問います。
それは、「殺人」について論じているのではなく、
加害者について論じているからだろう。
>おそらく「そういうあなたこそ、加害者側の観点を問題にしてないじゃないか」と
>反論されると思いますが、それに対しては
>「そうではない、加害者は、殺人をおこなったある瞬間のみ加害者たりえるのであって、
> それ以外の時間においては、常に(私の議論で言うところの)部外者である、
> 部外者として、加害者が被害者を殺した、被害者が加害者が殺されたことそれぞれを
> 問題にできる存在である。そうであれば、加害者になったことがない部外者と同様、
> 加害者も、被害者が殺されたことに対して行うであろう評価を認識することに、
> 格別問題となる事実は存在しない。
> だから、被害者が殺されたことについて
> 「いけない」と考えていただろうことを了解でき、またそれについて
> 「被害者にとって」正当であると論じる理由をもたない」と反論します。
>
>いまいちこなれてないと思うので、つっこみ入れてください。
「加害者が被害者の殺人についての評価を認識しうる」という事実は問題ないだろう。
その事実が「加害者について論じてはいけない」という結論にどう結びつくのだ?
> それ以外の時間においては、常に(私の議論で言うところの)部外者である、
この議論には直接関係無いが、「だったら殺人罪には問えないじゃないか」
といわれたらどうするのだ。
>利益・不利益の問題は、常に、生きている人間があることをして、
>利益を得たり得なかったりすることについてどう考えるか、という問題です。
>
>殺した側にとっての利益は、正確な認識によってたつなら、
>殺したこと以外において問題になる事柄です。
>そもそも過失札の場合には、利益などないという点や、
>1000万円を殺人して奪おうとしたときに、1000万円が手にはいらなかったケース、
>私怨で人違いである場合には、利益が無かったりするという点などを考えてみると
>よいです。殺したことから直ちにメリットがあるという想定が間違っていることは
>明らかです。
投資の問題を考えてみればわかると思うが、
投資による利益は、投資した時点で直接得られるわけではないし、
必ず得られるものでもない。
しかしながら、投資によって「見込まれる利益」は、
「投資していいかどうか」の判断において、決定的な要因となっている。
したがって、
「直ちにメリットがない」「確実にメリットがあるわけではない」
はそれぞれ、無関係とする根拠とはできないはずだ。
272に先にレスを書きましたので、返します。
271のほうへは少しあとになると思います。ごめんなさい。
>>272(589さん)
>>268 >〜つまり、それは、論じる人間が加害者ではないということだね。
その通りです。
>>〜「あなたは部外者であるのに、なぜ、加害者と被害者双方の立場が、殺人という事実には
>> 常に伴っているのに、その両方を問題にしないのか」と問います。
>それは、「殺人」について論じているのではなく、加害者について論じているからだろう。
加害者側の利益について論じることは、このスレのテーマからはずれている、と589さんも認めた、
という理解でよろしいですか?
>「加害者が被害者の殺人についての評価を認識しうる」という事実は問題ないだろう。
>その事実が「加害者について論じてはいけない」という結論にどう結びつくのだ?
私は「殺人について論じる上で、加害者について論じることは論点外れである」としてます。
単に「加害者(のメリット)について論じる」ことや、
「加害者(のメリット)について論じて、殺人についての被害者のデメリットと比較して、
加害者側のメリットをとること・デメリットを回避することを正当化できるか、という問題」を
論じることは、認めています。(
>>460-461でも、論じられています)
>> それ以外の時間においては、常に(私の議論で言うところの)部外者である、
>この議論には直接関係無いが、「だったら殺人罪には問えないじゃないか」といわれたらどうするのだ。
殺人罪に問えるかどうかは「殺人を犯していない時間的範囲において、部外者かどうか」できまるのではなくて、
「ある時点で加害者であったかどうか」できまるため、特に不都合はありません、と答えます。
>投資の問題を考えてみればわかると思うが、投資による利益は、投資した時点で直接得られるわけではないし、
>必ず得られるものでもない。しかしながら、投資によって「見込まれる利益」は、「投資していいかどうか」の
>判断において、決定的な要因となっている。
>したがって、「直ちにメリットがない」「確実にメリットがあるわけではない」はそれぞれ、無関係とする根拠とは
>できないはずだ。
これは、任意の手段(その手段は、殺すであろう殴るであろうが蹴るであろうが盗むであろうが、なんでもいい)を通じて、
「メリットが得られるか」を問題にしているのであって、殺人をすることでメリットがあると考えている理由には
ならないと思います。
>>271 >あなたのいう「正当でない」というのは「多くの人が認めない」という意味だったと思うが。
>そして、「多くの人が認めない」と「行ってはいけない」を同義の言葉として使っているように思う。
>そうすると、行為の正当性は当事者が決められない、社会が決める。というようなことを言っているように思うが、
>それで正しいだろうか?
あなたのように理解された方が実際におり、それについて、私はそうは考えていないと説明を行っています。
>>31 >>37を参照お願いします。
まず、答えやすそうなところ、行為者が決められない、社会が決める、という点ですが、私はそれは否定します。
社会は個々人が形成している概念であって、対応する実体がないからです。
ですから、ある場所で何らかの判断が下っている場合は、必ずその場にいる誰かが判断を下しているのであって、
社会などが下しているとは、絶対に考えません。
私にとっては、「正当である」「正当でない」というのは、ある人間が、ある主張や事実を認める・認めない場合
それぞれに下す、理由つきの評価です。理由がついてない場合は、「承認されている」「承認されていない」と
表現します。正当性の主張が相反してるときには、それらのうち、説得的な根拠がある/ない 主張をさして
「正当である」「でない」と表現します。
「正当でない」は、今回の議論に照らすなら@「被害者は、彼が負う事実を、合理的な理由から認めない」という意味で、
まず、使っています。Aそして、被害者が下す評価を認める人も、「被害者が認めない」ことは「被害者が主張する理由を
認めて」「彼の主張は、正当な主張である」と評価を下します。
Aのように評価を下すことは、実際に@が社会において認められるうえで、必要的な事実ですが、
理論的には、@の段階で、正当性が認められることを、私は主張しています。
>>行ってはいけない、と殺人に至りそうな者が常に心にとめられるような
>>理由があるとは、考えていませんです。あと
>>65を読んでください。
>どうも誤解があるようだが。別に私は被害者について故意に無視しようとしているわけではないよ。
>>65を読むようにお願いしたのは、あなたに被害者について無視しようとしているフシがあると
言いたかったからではないです。
>>246 私が、「行ってはいけない」と言うときに、どういうつもりで
述べているかの狙いを知ってもらいたかったことと、「加害者になる直前の者が、必ず自己規制する理由はない」と
認めている点を、あらためて確認して欲しかったからです。
>被害者にとってという点について語られることが少ないのは、あまりにも自明であって、
>議論の対象にならないからだろう。
私の考えでは、被害者にとって、という視点をきちんと保持できるか、がこの問題についての核心なのです。
また、自明というわりには、なぜ被害者にとって殺されることが悪いのか、その理由を即答できる人は、
あまりいないように思います。
おやすみなさいです。
274 4段目 修正;
>「被害者が認めない」ことは「被害者が主張する理由を認めて」
>「彼の主張は、正当な主張である」と評価を下します。
↓
「被害者が認めないとした主張について」「被害者が主張する理由を認めて」
「彼の主張は、正当な主張である」と評価を下し(せ)ます。
Aのように評価を下すことは、実際に@が社会において認められるうえで、必要的な事実ですが、
↓
Aのように評価を下す人が、大勢いることは、実際に@が社会において認められるうえで、必要的な事実ですが、
>473さん
長文レスありがとう。
ただ、レスする前にお願いがあります。
わたしは、
議論を有意義なものとするには、お互いの意見の“主旨”をお互いが、
(それなりに)理解し合わなければ成り立たないと思っています。
合意できるかどうかの問題ではなく、それはそれとして受け入れるという
姿勢を持って頂けないと“厨房”(^_^;)との会話のように無意味です。
少し考えてみて下さい。
わたしのこのスレへの最初のレスが、
あなたの意見に同意(前スレ596)しているということ。(仕方に注意!)
だから、その同意したレス及びその前後の他者レスとの意味関係とかを
もっと考えて欲しい。その上でもう一度判断して頂ければと思います。
それでもわたしの意見に対するあなたの理解の仕方が変わらないのなら、
わたしは議論する気になりません。
143さんのいうように“議論できないなら消えるが吉”ですから、
このスレから去るだけです。
(夜、もう一度来れたら来ます)
>>277 前スレから見てますけど結局、結論的にはほとんど誰も争いな
いんですよね。
「人を殺しちゃいけない」って人間社会が勝手に決めたもので
絶対的じゃないよねってのは皆一度は考えてるし(真理?)、
他方で人間社会に住み、その恩恵を享受する以上、例外的な正
当化事由のない限り人を殺すのは否定的評価を受けざるをえな
い(公理?)、ってのも皆認めてる。
所詮、それをどう表現するかだけが違う言葉遊び、と。
ただ、「いけない」という言葉を使う時は、その人は貴方の言
う「公理」の方を前提にすることにならざるをえないと思いま
す。
だって、そうじゃないと、「ストーカーもいけなくない、窃盗
もいけなくない、いけないものなどこの世にない」ってことに
なっちゃって、そんな言葉自体無意味なものになってしまうだ
ろうから。
>>273 >>それは、「殺人」について論じているのではなく、加害者について論じているからだろう。
>加害者側の利益について論じることは、このスレのテーマからはずれている、と589さんも認めた、
>という理解でよろしいですか?
いや、
まずこのスレのテーマが、「殺人」そのものについて論じているのか、
「加害者」あるいは「殺人を行うこと」について論じているのか、
考える必要があるということだ。
そもそも、「殺人」それ自体はある事象を示しているだけで、
なんの問いかけも含んでいないから、論点とはならないんじゃないか?
論点は「殺人は〜か?」という形になるもので、「〜」を付与した時点で、
「殺人」そのものからなんらかの周辺事項に焦点が移りえるわけだから、
周辺事項であるから論点から外れているという考えは必ずしも妥当とはいえない。
言い方を変えるなら、「被害者」についてのみ論じるのも、
「殺人」そのものについて論じていることにはならないはずだ。
そこで論じられているのは「被害者の死」であって「殺人」ではない。
>私は「殺人について論じる上で、加害者について論じることは論点外れである」としてます。
なぜ論点れなのかね?そもそも、ここでの「論点」とは何かね?
また、加害者を除くのならば、そこにあるのは「被害者の死」のみであって
「殺人」ではないのではないかね?
>殺人罪に問えるかどうかは「殺人を犯していない時間的範囲において、部外者かどうか」できまるのではなくて、
>「ある時点で加害者であったかどうか」できまるため、特に不都合はありません、と答えます。
殺人罪については、「ある時点で加害者であったかどうか」で決められるのに、
「殺人」そのものについては「ある時点で加害者であったかどうか」で
考えていけない理由はなんだね?
>これは、任意の手段(その手段は、殺すであろう殴るであろうが蹴るであろうが盗むであろうが、なんでもいい)を通じて、
>「メリットが得られるか」を問題にしているのであって、殺人をすることでメリットがあると考えている理由には
>ならないと思います。
その「考えている」人がだれなのかよくわからないが、
「殺人をすることでメリットがあると考えている理由」はあんまり関係ないと思う。
ここで問題なのは「メリットがあると考えることの妥当性」だろう。
「メリット」を目的としている人にとっては、
ある段階で、ある行為について「メリットを予想しうる妥当な根拠」が
あることはそれだけで行為を正当とみなす充分な根拠たりうる。
ここで、「正当」の定義の違いが問題になると思う。
私が上の文で言った「正当」というのは「目的との整合性がある」
という意味だ。つまり、「メリット」を目的とするものにとっては、
「メリットが予想される妥当な根拠がある」行為は「正当」とみなしうるわけだ。
しかし、あなたは「正当」を「だれか(殺人においては被害者)承認すること」
と定義している。
その定義に従うのならば、上の論理は必ずしも正しくない。
なぜなら、「だれか」は、行為者当人のメリットではなく、
「自分」のメリットについて考えて「認める、認めない」
の判断をするはずだからね。
しかしながら、それは、「その人にとっての正当性」であって、
「行為者にとっての正当性」ではないように思う。
もちろん、あなたの論理では、論者は行為者ではなく、
「だれか」の一人なのだから、事実と符合していないというのだろうけれど。
>>274 >あなたのように理解された方が実際におり、それについて、私はそうは考えていないと説明を行っています。
〜
>理論的には、@の段階で、正当性が認められることを、私は主張しています。
では、
ある行為の正当性は、行為者当人によって決めることはできず、
被害者が「不当だ」と主張し、その主張に理由があるなら、無条件に否定される。
ということなのだね?
(まあ、これは「被害者」が特定できる場合の話だね)
>
>>65を読むようにお願いしたのは、あなたに被害者について無視しようとしているフシがあると
〜
>認めている点を、あらためて確認して欲しかったからです。
「必ず自己規制する理由が無い」のはどのような行為についてもいえることだと思うが。
>私の考えでは、被害者にとって、という視点をきちんと保持できるか、がこの問題についての核心なのです。
>また、自明というわりには、なぜ被害者にとって殺されることが悪いのか、その理由を即答できる人は、
>あまりいないように思います。
その点についても、私は前提がないからだと思うね。
「なぜ被害者にとって殺されることがいけないか?」
「死んでしまうから」
「なぜ死んではいけないか?」
・・・
とつきつめていったら、答えの出しようが無いだろう。
被害者には「生きるという目的がある」というような前提を置かない限り、
考えようがない。
この点を前提にするなら、
被害者にとっての「殺人」が正当でないのは、「生きる」という目的を損なうからだ。
といえる。
>>277 >わたしは、議論を有意義なものとするには、お互いの意見の“主旨”をお互いが(それなりに)
>理解し合わなければ成り立たないと思っています。合意できるかどうかの問題ではなく、
>それはそれとして受け入れるという姿勢を持って頂けないと“厨房”(^_^;)との会話のように無意味です。
まず、以前のレスにリンクを貼るべきです。
>>83-85 >>221-222 あなたが述べた「議論を有意義なものとするには〜それはそれとして受け入れる姿勢〜」は、一般論として妥当ですが、
それが「今回のやりとりにおいても妥当するか」は、実際の議論の様子を示さなければ(読み手が)判断できないからです。
注意深くない読み手や、初めて
>>277を見た読み手は、あなたの一般論と好ましい態度を見て、
「473は
>>277のような「注意」を受けた」と結論してうと思われます。
ですが、「カオルさんと、473の議論の続き」として、
>>277を注意して読むなら、
・あなたが
>>277 で、“主旨”を473がいかに理解していないかについて「理由を示してない」=反論してない点
・理由を問題にする余地を、リンクを張らないことで排除しようとしているように見える点
・(経緯を把握している人であれば)カオルさんが、143さんと展開したレスの応酬から読み取れる点
>>183 などから「カオルさんが、単に反論できなかったから、一般論でごまかしたかもしれない」とも考えられます。
結局
>>277だけでは、きちんと区別をつけられませんから、判断材料としてリンクを貼るべきです。
読み手に断片的な情報しか与えずに、一般論として「正しい議論の手法」を述べ、形式的にその妥当性を
個別的な議論に及ぼして正当化することは、実際に「論戦」に勝つためにはいい方法でしょうが、
議論の仕方としては不当です。
※あと、暗に「厨房との会話の」「ように」と言って、私を厨房扱いする「ような」内容を書くのは、
ある種の誤解を招きかねないです。
>>183 とか
>>197みたいな流儀をとらず、
>>277のような流儀をとる
つもりだったのであれば、余分であったと思われます。
>>277 >わたしは、議論を有意義なものとするには、お互いの意見の“主旨”をお互いが(それなりに)
>理解し合わなければ成り立たないと思っています。合意できるかどうかの問題ではなく、
>それはそれとして受け入れるという姿勢を持って頂けないと“厨房”(^_^;)との会話のように無意味です。
まず、以前のレスにリンクを貼るべきです。
>>83-85 >>221-222 あなたが述べた「議論を有意義なものとするには〜それはそれとして受け入れる姿勢〜」は、一般論として妥当ですが、
それが「今回のやりとりにおいても妥当するか」は、実際の議論の様子を示さなければ(読み手が)判断できないからです。
注意深くない読み手や、初めて
>>277を見た読み手は、あなたの一般論と好ましい態度を見て、
「473は
>>277のような「注意」を受けた」と結論してうと思われます。
ですが、「カオルさんと、473の議論の続き」として、
>>277を注意して読むなら、
・あなたが
>>277 で、“主旨”を473がいかに理解していないかについて「理由を示してない」=反論してない点
・理由を問題にする余地を、リンクを張らないことで排除しようとしているように見える点
・(経緯を把握している人であれば)カオルさんが、143さんと展開したレスの応酬から読み取れる点
>>183 などから「カオルさんが、単に反論できなかったから、一般論でごまかしたかもしれない」とも考えられます。
結局
>>277だけでは、きちんと区別をつけられませんから、判断材料としてリンクを貼るべきです。
読み手に断片的な情報しか与えずに、一般論として「正しい議論の手法」を述べ、形式的にその妥当性を
個別的な議論に及ぼして正当化することは、実際に「論戦」に勝つためにはいい方法でしょうが、
議論の仕方としては不当です。
※あと、暗に「厨房との会話の」「ように」と言って、私を厨房扱いする「ような」内容を書くのは、
ある種の誤解を招きかねないです。
>>183 とか
>>197みたいな流儀をとらず、
>>277のような流儀をとる
つもりだったのであれば、余分であったと思われます。
▼
>少し考えてみて下さい。わたしのこのスレへの最初のレスが、
>あなたの意見に同意(前スレ596)しているということ。(仕方に注意!)
>だから、その同意したレス及びその前後の他者レスとの意味関係とかを
>もっと考えて欲しい。その上でもう一度判断して頂ければと思います。
・あなたは「473の意見に同意している(仕方に注意)」と言っています。
それについては、
>>221-222の冒頭で、同意の条件としてあなたがとった前提「全体に寄与する行為を善」を
私はとらない(つまりカオルさんは、473に同意したことにならない)と、きちんと断っています。
そして、「断っただけ」ではなく、そうした前提をとることに対して、
>>221▼以降で反論(そうした善の定義は全体主義的であり、一般的に判断を下す際の前提としてとりえない)をしています。
これは、主旨を理解してない(把握してない)のではなくて、主旨を理解して(把握して)理解してない(認めてない)
だけです。
また、その後に続く、全体という視点に応じて、個人の判断が変化してくる点について、そうした判断が「可能」な点に
ついては「承認した上」で、「それが今回の「殺してはいけない理由」の考察になっていない」点指摘しています。
「承認した上」のところで、あなたの「主旨」に、条件つき(「殺してはいけない理由」についての考察でないという
条件で)で、「可能である点」同意しているわけです。
自由意志の話であれば、
>>行為の決定そのものは、個人の自由意志に委ねられているのでしょうが、
>>自由意志は、共同体の慣習や歴史的秩序や社会システム上の約束事の中で条件付けられています。
>意志と決定という想定を行い、その過程の中で、自由なり条件付けなりがどうなってるか問題にしてる、という
>理解でよいですか。そうであれば、この部分は同意です。
…のように、大きい前提において、同意&確認した上で、話を展開しています。
他の部分の文章は、おかしい点が多すぎるので、どうしても否定的な記述にならざるを得なかったのです。
・同意したレス及び、その前後の他者レスとの意味関係をもっと考えることを要求するのは、過大な要求です。
(143氏に、あなたが注意されていた問題でもあります
>>153,
>>164)
しかも、
>>277で新たに他者レスとの関係を示唆したにも関わらず、もう一度考えることを要求しているだけで、
あなたは「他者レスと自己レスとの関係について」このスレで一切説明をしていません。
▼
>それでもわたしの意見に対するあなたの理解の仕方が変わらないのなら、わたしは議論する気になりません。
>143さんのいうように“議論できないなら消えるが吉”ですから、このスレから去るだけです。
議論を続ける気になりません、の間違いだと思います。
>>83-85 >>221-222 あなたが続ける気にならない理由を、一方的に「473の理解の仕方(の悪さ)」に求め、しかも根拠として
事実関係無視の一般論を持ってこられるのは、こちらとしては、到底納得いきません。
>>221-222は、前述の通り、主旨を踏まえたうえで議論がなされています。
それに対して
>>277のような応対しかできないのでしたら、確かに「議論はできない」ようですから、
去るのもよいと思います。
281と282が、同じ内容のものが書き込まれてしまいました。ごめんなさい。
>>278 ▼
>前スレから見てますけど結局、結論的にはほとんど誰も争いない
カオルさんは、全体の範囲に当たらない人間については、殺すことを認めているように見えます。
>「全体」に寄与する行為は「善」であると仮定すれば同意です。
>でも「全体」にも色々あって、
>自分--->家族--->共同体--->国家--->人類--->?(宇宙)
>その人の価値意識によって「殺せる条件」や「殺されてもいい人」が決まってくる。
私は上のような区別を認めていません。
つまり、「殺してはいけない対象に当たる人間の範囲」が大きく違うのです。どこが「ほとんど争いない」んでしょうか。
▼
>「人を殺しちゃいけない」って人間社会が勝手に決めたもので絶対的じゃないよね
もう何十回も触れていますが、「何らかの決定が絶対的でない」のは、当たり前です。
「ある事実にしたがって考えれば、有効な反論は不可能」と、「反論という行為を行うことは事実上不可能」は、
全く別の話です。
あなたの上の表現にしたがって、私の考えを書くなら、
「人を殺してよい」というのは、「人間社会とやらを云々する、個々の人間」が勝手にしている主張であって、
絶対的じゃないよね。それなのに、なぜ「被害者を殺して」「しまう場合がある」ではなくて、
「被害者を殺して」「いい」ということになるんだろうね。
「被害者にとって悪い」と考えていても、「被害者を悪い目にあわせてもよい」と考えているのは、
「人間社会とやらを云々したり、加害者側の立場に立って考える、個々の人間」じゃないの?
となります。
▼
>他方で人間社会に住み、その恩恵を享受する以上、例外的な正当化事由のない限り
>人を殺すのは否定的評価を受けざるをえない(公理?)、ってのも皆認めてる。
・私はその考えを、前スレ
>>460-461、
>>573でも、589さん
>>274や、カオルさんとの議論
>>221でも、
このスレの前半でも
>>31 >>37 >>53 でも、はっきり否定しています。どこを読んでそう判断したんですか?
・次に、あなたは「例外的な正当化事由」がある場合に論じられている内容を間違って理解しています。
「例外的な正当化事由がある場合」とは、「殺人することと対比される、加害者側の利益を保護する必要性が高い場合」
のことです。
すなわち、@殺人することと、A加害者側の利益を比較して A加害者側の利益を優先することを認めるほか無いと
考えている場合です。
これは、@の[−]とAの[−]を比較して、より大きいと論証された、Aの[−]をとることを正当化した話であって、
@の[−]を、[+]ないし[0]と評価できた(殺人という行為それ自体を正当化できた)話ではありません。
>所詮、それをどう表現するかだけが違う言葉遊び、と。
そう見えるのは、あなたが、「言葉が何を対象として指示しているか」をきちんと把握するように心がけていないために、
言葉によって示されている、事実上の大きな違いをイメージすることができないからです。
ろくな論証もせずに、自分が思っている結論だけ述べて軽軽しく「言葉遊び」などと断じないで下さい。
>ただ、「いけない」という言葉を使う時は、その人は貴方の言う「公理」の方を前提にすることに
>ならざるをえないと思います。
>だって、そうじゃないと、「ストーカーもいけなくない、窃盗もいけなくない、いけないものなどこの世にない」って
>ことになっちゃって、そんな言葉自体無意味なものになってしまうだろうから。
その人とか貴方とかで、誰を指しているのかよくわかりませんが、最後の2行の部分については、良い直観であると思います。
ただ、問題は「無意味になってしまうというより、もともと無意味なものなんだよ」と
開き直られたときに、それに対してどう答えるか(いけない を、認めざるを得ないやり方でどう位置付けるか)です。
カオルさんへ
283の最後でもふれていますが、281と282は同内容です。
>>282-283 を読んでください。混乱させてしまったら、すみませんです。
>>279(589さん)
>>それは、「殺人」について論じているのではなく、加害者について論じているからだろう。
>>加害者側の利益について論じることは、このスレのテーマからはずれている、と589さんも認めた、
>>という理解でよろしいですか?
>まずこのスレのテーマが、「殺人」そのものについて論じているのか、「加害者」あるいは
>「殺人を行うこと」について論じているのか、考える必要があるということだ。
これは、その通りです。ですので、私は
>>460-461でその点場合分けをしました。
▼
>そもそも、「殺人」それ自体はある事象を示しているだけで、なんの問いかけも含んでいないから、
>論点とはならないんじゃないか?
>論点は「殺人は〜か?」という形になるもので、「〜」を付与した時点で、
>「殺人」そのものからなんらかの周辺事項に焦点が移りえるわけだから、
>周辺事項であるから論点から外れているという考えは必ずしも妥当とはいえない。
その通りです。周辺事項は因果的には関係します。ただ、ある言葉を使ったときに、その語が意味する範囲と事実との
対等関係からみて、周辺事項を「ある問題を論ずるうえで」論点からずれているかどうかは、判定することはできます。
そうした観点から「加害者側の周辺事項」は、「殺人の是非」を論ずるうえで、論点となりえない、と指摘しているのです。
>言い方を変えるなら、「被害者」についてのみ論じるのも、
>「殺人」そのものについて論じていることにはならないはずだ。
>そこで論じられているのは「被害者の死」であって「殺人」ではない。
それは明らかに想像力の欠如です。なぜなら、被害者は、誰かに殺されているのであって、単に死んだのではないからです。
被害者の死を考えるとき、そこには加害者によって死についての原因を与えられたという面があります。
ですから、殺人について論じていることになります。
私が加害者側について除外している点は、「加害者の利益」であって、「加害者の行為」ではないのです。
>>私は「殺人について論じる上で、加害者について論じることは論点外れである」としてます。
>なぜ論点れなのかね?そもそも、ここでの「論点」とは何かね?
>また、加害者を除くのならば、そこにあるのは「被害者の死」のみであって
>「殺人」ではないのではないかね?
加害者の 利益 について論じることは、論点外れ、と書くべきところでした。ごめんなさい。
理由は、それが殺人という事実によって専ら決まる性質のものではないからです
(過失殺、私怨で人違い、お金目的でお金得られない、などの例があげました)。
3行目以降については、1段上で述べました。
▼
>>殺人罪に問えるかどうかは「殺人を犯していない時間的範囲において、部外者かどうか」できまるのではなくて、
>>「ある時点で加害者であったかどうか」できまるため、特に不都合はありません、と答えます。
>殺人罪については、「ある時点で加害者であったかどうか」で決められるのに、「殺人」そのものについては
>「ある時点で加害者であったかどうか」で考えていけない理由はなんだね?
殺人罪は、「生きている人間の行為」を問題としており、
殺人の是非は、「死んだ人間の不利益」を問題にしているからです。
「殺人罪」においては、「ある行為がなされた」ことが問題になっており、
「殺人の是非」においては、「ある行為がなされた結果生じる利益・不利益に対する評価」が問題になっているからです。
▼
>>これは、任意の手段(〜)を通じて、「メリットが得られるか」を問題にしているのであって、
>>殺人をすることでメリットがあると考えている理由にはならない〜
>その「考えている」人がだれなのかよくわからないが、
「(想定された)加害者」です。主体が誰かが主要な問題になってるので、はっきり書いたほうが良かったですね。
すみません。
>「殺人をすることでメリットがあると考えている理由」はあんまり関係ないと思う。
もともと殺人者がメリットを認識している点につき、どう考えるかについて、私が聞かれていたと思うのですが…
でも、同意です。
>ここで問題なのは「メリットがあると考えることの妥当性」だろう。
>「メリット」を目的としている人にとっては、ある段階で、ある行為について「メリットを予想しうる妥当な根拠」が
>あることはそれだけで行為を正当とみなす充分な根拠たりうる。
これは行為を正当化しているのではなくて、利益比較して片方の利益の選択を正当化してるのです。
>ここで、「正当」の定義の違いが問題になると思う。私が上の文で言った「正当」というのは「目的との整合性がある」
>という意味だ。つまり、「メリット」を目的とするものにとっては、
>「メリットが予想される妥当な根拠がある」行為は「正当」とみなしうるわけだ。
目的との整合性があることは、目的が達成されることに正当性が付与されるのであって、手段に正当性を付与するのでは
ないと思います。先に私があげた例でいけば、過失殺の場合には上の議論は当てはまらず、金の場合は金が得られることが
「正当」とみなす対象になり、私怨の場合であれば、
>>77が正当とみなす対象になります。
手段については、「判断されてない」とみるのが妥当です。
>しかし、あなたは「正当」を「だれか(殺人においては被害者)承認すること」と定義している。
>>274の3段目を読んで、そう判断されたんですよね。そこでは承認する、という語についても説明をつけているので、
そういう理解にはなりえないはずなんですが、いかにもややこしい話なので、そうとられても無理ないと思いました。
ですが、私としては、そのつもりではないです。
例えば、戦争などがわかりやすいと思いますが、元加害者や、加害者側に立つ人たちは、
加害者の行為の正当性を、実際に主張するでしょう。
しかし、加害者側の正当性の主張は、「殺人という行為により生じる不利益」それ自体を正当化することに
つながっていません。それなのに、「殺人がいけない理由」を論議しているときに、そうした主張を述べて
「殺人はいけないわけではない」と述べることが、「不当」である、と主張しているのです。
そして、私は私の主張を相手が論駁できない、と考えているにすぎないのであって、それを無視した議論をすることは、
事実上自由です。ただ、彼の議論は間違っていると「私の考えをとる者は」確実に言うことはでき、その考えには
合理的な論拠が常に存在します。そういう意味で「加害者側の議論は不当」と述べています(しつこくてごめんなさい)。
「殺人はいけない。しかし、どうしても加害者側の利益獲得なり不利益の回避なりをしなくちゃならなかったんだ。
だから、相互の利益を比較して、私は加害者側のとった利益主張を認める」のは、
場合によっては「正当」である、と私も考えています(
>>460-461でもすでに触れてあります)。
例えば、前スレで問題になったような「食べ物をとる」場合や、正当防衛とか緊急避難の「正当」は、
この論点において「正当」です。
(正当防衛などで、正当化されるのは、一方の「利益の選択」のみであって、片方の「不利益の甘受」ではないです。)
ですので、
>あなたは「正当」を定義している〜その定義に従うのならば、上の論理は必ずしも正しくない。
以降については、回答しませんです。
>>280(589さん)
>あなたのように理解された方が実際におり、それについて、私はそうは考えていないと説明を行っています。〜
>理論的には、@の段階で、正当性が認められることを、私は主張しています。
>では、ある行為の正当性は、行為者当人によって決めることはできず、
>被害者が「不当だ」と主張し、その主張に理由があるなら、無条件に否定される。ということなのだね?
被害者が「不当だ」と主張する理由があるなら、ではなくて、被害者が主張するであろう理由が、
被害者の不利益についての評価として、あまりに説得的な理由(普通、自明で片付けられてるくらいですから、当然です)
であるため、それに対して反論を行うことは不可能だ、ということです。
>(まあ、これは「被害者」が特定できる場合の話だね)
被害者が特定できなくても、被害者について類型的に言える点(痛い・行動可能性奪われる)は、そのまま
言えるでしょう。ですから、今回の議論においては、被害者の事実上の特定は問題になりません。
>>私の考えでは、被害者にとって、という視点をきちんと保持できるか、がこの問題についての核心なのです。
>>また、自明というわりには、なぜ被害者にとって殺されることが悪いのか、その理由を即答できる人は、
>>あまりいないように思います。
>その点についても、私は前提がないからだと思うね。
>「なぜ被害者にとって殺されることがいけないか?」「死んでしまうから」「なぜ死んではいけないか?」・・・
>とつきつめていったら、答えの出しようが無いだろう。被害者には「生きるという目的がある」というような
>前提を置かない限り、考えようがない。
>この点を前提にするなら、被害者にとっての「殺人」が正当でないのは、「生きる」という目的を損なうからだ。といえる。
うーん、あなたは「論理的」にものを考えすぎて、実際上の問題では、無条件に前提を与えてよいケースがあるという点を
看過してしまってるんではないでしょうか。もう少し、「実証的」に考えたほうが良いと思いますが。
あなたのいう「置かれる前提」は、実際には「置くまでもなく置かれている前提」ではないですか?
あと、「生きるという目的がない」人も、死にたくはないと思ってる場合はありますよ。
「行動可能性」と言っておいたほうが、よりよいと思います(固い言いまわしなのが、いまいちですが)。
あと、死んだらいけないではなくて、殺されたらいけない点として、痛いという点があなたの話からは抜けています。
これはまずいんじゃないですか?
>>286 二段目の、対等関係は、対応関係です。どうもすみません。
あと、非常に長いレスでごめんなさい。
おやすみなさい。
>>286 二段目の、対等関係は、対応関係です。どうもすみません。
あと、非常に長いレスでごめんなさい。
おやすみなさい。
なぜか2回書き込まれるなぁ・・・ なんでだろう
>>286 >これは、その通りです。ですので、私は
>>460-461でその点場合分けをしました。
この部分の結論は、
殺人について論じることは被害者の死について論じることである。
ということになってるんだよね?
>その通りです。周辺事項は因果的には関係します。ただ、ある言葉を使ったときに、その語が意味する範囲と事実との
>対等関係からみて、周辺事項を「ある問題を論ずるうえで」論点からずれているかどうかは、判定することはできます。
>そうした観点から「加害者側の周辺事項」は、「殺人の是非」を論ずるうえで、論点となりえない、と指摘しているのです。
だから、ここでの「ある問題」とはなんだね?
私は、
「人を殺してはなぜいけないか」だけでは論点は成立しない、
ということは何度もいったはずだし、
あなたも認めてくれたと思う。
だから、「「ある問題を論ずるうえで」論点からずれているかどうか」
といった場合の「ある問題」とは、「人を殺してはなぜいけないか」
ではなく、それに何らかの前提を決めて、論点を成立させたものでなければ
ならないはずだ。
その「問題」を教えてくれ。
>>286 >>287 >それは明らかに想像力の欠如です。なぜなら、被害者は、誰かに殺されているのであって、単に死んだのではないからです。
〜
>「殺人の是非」においては、「ある行為がなされた結果生じる利益・不利益に対する評価」が問題になっているからです。
ちょっと大きくまとめてしまったが、ここの部分であなたが述べてくれていることの
要点をまとめると、
被害者の不利益は殺人の結果直接もたらされたものであって、
加害者の利益は殺人によって直接もたらされたものでは無い、
そして
>「殺人の是非」においては、「ある行為がなされた結果生じる利益・不利益に対する評価」が問題になっている
だから、
加害者の利益は殺人の問題としては存在しない。
ということなんだよね。
それで、確認なのだが、
加害者が「殺したこと(被害者が死んだこと)」によって、
直接得られた利益であっても、除外されるのかね?
あるいはそのような利益は存在しえないと主張するかね?
既に述べているかも知れないが、ここでまとめてもらえないかね。
>>287 >「(想定された)加害者」です。主体が誰かが主要な問題になってるので、はっきり書いたほうが良かったですね。
〜
>もともと殺人者がメリットを認識している点につき、どう考えるかについて、私が聞かれていたと思うのですが…
>でも、同意です。
いや、「殺人者の認識」ではなく、
「メリットを期待することの妥当性が存在するか」
という事を問題にしているということがいいたかったのだが。
行為者の認識とは関係なく、ある行為がある目的に沿うものであるのならば、
その目的について「妥当である」ということは、行為者の認識とは
無関係にいえることだろう。
>これは行為を正当化しているのではなくて、利益比較して片方の利益の選択を正当化してるのです。
だから、「正当」の定義が、あなたと私で少し違うようだ。
「利益」という目的について「正当」ということをいっているのであって、
それを離れた「正当」というものはそもそも前提においていない。
この点については、定義のすり合わせが必要と思う。
以下の記述を読んでくれ。
>目的との整合性があることは、目的が達成されることに正当性が付与されるのであって、手段に正当性を付与するのでは
>ないと思います。先に私があげた例でいけば、過失殺の場合には上の議論は当てはまらず、金の場合は金が得られることが
>「正当」とみなす対象になり、私怨の場合であれば、
>>77が正当とみなす対象になります。
>手段については、「判断されてない」とみるのが妥当です。
いや、だから、「言葉の定義が違うといっているのだ。
私の定義における「正当」に、あなたの定義における「正当性」があるなどとは
言っていないよ。
私は「先立つ目的に適うこと」を、「正当」と呼んでいる。
だから、「正当」を考える場合「前提」として
「先立つ目的」を決めない限り、論点は成立しえない、といっているのだ。
あなたは、それとは違う定義を持っているようだ、
それがわからないと話がしにくい、ということが言いたいのだ。
実は、あなたの「正当」の定義がよくわからない。
それが明らかになったのなら、「正当」の定義としては、そちらの定義を使って、
私の定義は「妥当」なり「合目的」なり、別の名前で呼ぶことにして、
議論をすっきりさせたいのだよ。
以下の
>>288 >そういう理解にはなりえないはずなんですが、いかにもややこしい話なので、そうとられても無理ないと思いました。
〜
>以降については、回答しませんです。
における説明も、
「殺人を論ずることは、
被害者が殺されたことの正当性を論ずることである
だから、
殺人者の利益について論ずることは、
例外はあるが、原則として、不当である」
ということを言っているだけで、「正当」自体の定義については
触れていないように思う。
一生懸命説明してくれようとしているのはわかるのだが、
もう少し簡潔に定義してはもらえないだろうか?
>>289 >被害者が「不当だ」と主張する理由があるなら、ではなくて、被害者が主張するであろう理由が、
>被害者の不利益についての評価として、あまりに説得的な理由(普通、自明で片付けられてるくらいですから、当然です)
>であるため、それに対して反論を行うことは不可能だ、ということです。
「被害者が主張するであろう理由」が「被害者の不利益についての評価として」
反論しえないものであるのは確かだね、だってそれそのものなんだから。
むしろ要点は、「反論しえない」という点ではなく、
「被害者が存在する行為においては、行為者の立場で正当性を考えることは
不当である。」
ということのほうじゃないのかね。
>被害者が特定できなくても、被害者について類型的に言える点(痛い・行動可能性奪われる)は、そのまま
>言えるでしょう。ですから、今回の議論においては、被害者の事実上の特定は問題になりません。
いや、それは、「類型的な被害者」という特定を行っているのであって、
被害者を特定していないことにはならないよ。
本当に「被害者を特定しない」のなら、ありとあらゆる場合を考えなければならなくなってしまう。
そして、今回の議論では「類型的な被害者」という前提は明示されていない。
>うーん、あなたは「論理的」にものを考えすぎて、実際上の問題では、無条件に前提を与えてよいケースがあるという点を
>看過してしまってるんではないでしょうか。
前提は、議論を行うものが任意に設定するものだと思うが。
「実際上の問題」というのは、具体的にはここでは何だね?
そして、ここで「無条件に前提を与える」のは、誰が、何の目的で与えているのかね?
>もう少し、「実証的」に考えたほうが良いと思いますが。
「実証的」と「論理的」はどう違うのだね。
そして、「実証的」に考えなければならない理由はなんだね?
>あなたのいう「置かれる前提」は、実際には「置くまでもなく置かれている前提」ではないですか?
「置くまでもなく置かれている前提」なんてものがあるのかね。
>あと、「生きるという目的がない」人も、死にたくはないと思ってる場合はありますよ。
「死にたくない」のなら、「生きるという目的がない」ことにはならないよ。
「生きる目的が無い」のに「死にたくない」人はいるだろうがね。
>「行動可能性」と言っておいたほうが、よりよいと思います(固い言いまわしなのが、いまいちですが)。
これは意味不明だが?何をいっているのだろう?
>あと、死んだらいけないではなくて、殺されたらいけない点として、痛いという点があなたの話からは抜けています。
>これはまずいんじゃないですか?
殺される場合、かならず痛いわけではないと思うが。
では、
「なぜ被害者にとって殺されることがいけないか?」
「死んでしまうし、痛いこともあるから」
「なぜ死んだり、痛かったりしてはいけないか?」・・・
に訂正すればいいんだね。
>>473氏
>>284見ましたが。3個目の▼のところはどうも疑問が・・・
貴方は、「社会のルールとして『人は殺しちゃいけない』ってことに
なっている、殺したら悪い評価を受けざるをえない」ってことに反対
なんですか?多分そうじゃないと思うんですが。
>>37ではあなたもそういうルールができるのは「社会的に被害者の立
場を正当とする勢力が優勢であるときに帰結されてくる事実」として、
そういう結論自体には肯定的評価を与えているように見えますが。
例外的正当化事由云々については貴方の意見に全然異論ありません。
2個目の▼については、
「絶対的じゃないよね」というのは、人食い虎や人食い鮫に、「人
を殺しちゃいけない」と説得しても無意味と言うことです。あくま
で人間に対して言う言葉だと。これもそんなに異論ないのでは・・・
>473
さようなら。
>>278 レスありがとう。
別スレで話しましょう!
300 :
考える名無しさん:02/04/23 23:35
また、バカな厨房が彷徨ってるんで、あげ。
301 :
考える名無しさん:02/04/24 04:16
殺してはならないのは、全てが関係しあっているからだと考える。
私という事は正に関係そのものだから。
Aさんにとって身近なBさんは直接に関係しているけれども、
それだけでなく、BさんにもCさんという身近な人がいるとする。
AさんとCさんは面識がないけれど、CさんがBさんに影響を与え
BさんがAさんに影響を与えるということは現実には当たり前に起きている。
これは単純化した比喩だけど、このように無限に関係しあっていて尽きることがない
そういう無限の関係の過程として我々はあるから、
他を殺すというのは己を己で壊すようなものなのだ。
個や個人とはまさにこの関係性の過程を仮にある範囲で止めてみたときの一つの見え方だ。
個は関係性に依って実現されるし、関係性を構成するのは、個として仮に認識しうるもの・ことの
集まりなんだ。
473は価値の対立を利益の対立にすりかえてるとおもわれ。
303 :
考える名無しさん:02/04/25 19:06
304 :
考える名無しさん:02/04/26 03:38
人間社会が精神的仮想社会だから殺しちゃいけないんだろう?
自然界の食うか食われるかの世界では殺してトーゼンだが、
その社会の上に構築された精神的仮想社会「人間社会」では、
「人間社会」に閉じた範囲での相互干渉が求められる。
物質的・肉体的なレベルでの干渉は「人間社会」の枠を超え、
自然界における存在にまで影響を与えてしまうからだ。
まぁ、殺すことができなくて不便と感じるかもしれんが、
この中で行動する限りは殺されることも(多分)ない。
一個体ではなく全体に対しそれを保障するためには、
すべてを仮想社会の上に構築する必要があったのだろう。
JavaのVMみたいに。
まぁ、物理的に殺すことは可能だろうとか殺されてもいいから殺したいっつー奴は
アセンブラかCでも使ってなさいってこった。
すぐ殺せるぞ。すぐ殺されるけど。
>>304 殺してはいけない理由がかいていないのでは?
もし生物学的な観点から考えるならば、
自然界の食うか食われるかは、問題では無い。
ここで問うべきなのは「同種間での争い」におけることであり、
その場での命の奪い合い(奪うとは違うが)のことを「殺し」と
定義すべきである。
実はこの「同種間での争い」は人間に限ったことでは無い。
例えば、猿山で二つの猿の群れがぶつかり合うというのを聞いたことは無い
だろうか。また、アフリカなどでの動物の生態観測からも、自分の群れから
離れて他の群れに近寄った個体は攻撃される、などの事実が見て取れる。
このように、群れというのは縄張り問題など多くの面で対立を作る元になる
のである。しかも「群れ」というのは最初血縁関係からできてくる。
母、子供。から、その兄弟、そのまた子供、とついていってできてくるので
ある。
そう考えれば、この「同種間の争い」とは動物(特にここであげるは哺乳類)
であっても多くあることであり、それは群れという一種のアイデンティティ
のぶつかり合いから起こるともいえる。もちろん、人間の場合、「個人」の
アイデンティティ(用語としてはよろしくないかも)が問題になるのだが、
そこら辺の出来様を明確にしておくべきなのだろう。
哲板なので、動物から人間への進化説的連続性を簡単に許すわけには
行かないが、与えられている事実としては多いに考えの膨らむところだろう。
そういう観点も含んで議論を願いたい。
306 :
考える名無しさん:02/04/26 08:00
どうして殺人がいけないのか?それが社会のルールだからだ。
人間は社会的な生物へと進化してきた。
それは人間が出した生物界への答えの一つである。
つまり社会を形成した方が人間にとっては遺伝子を後世に伝達し易いのだ、
そして社会というもを形成する為にはルールが必要だ、人の場合それが法律だ。
だが(これはあくまで例えだが)「悪法もまた法なり」と言う言葉があるように
万人が納得しうる法律なんて存在しえない、人によって価値観とは大いに違う。
でもそれがルールーというものだ。
ゲームやスポーツにもルールーが存在する、サッカーをする際何故キーパー以外手を使えないのだろう?
それがルールーだからだ。
ルールを作る事によって初めてサッカーというスポーツが成立し楽しむ事が出来る。
だからもしそのルールを破って(成立を破棄する行為)手を使った場合はペナルティーが与えられる、
では人間社会に当てはめるとどうなるだろう。
サッカー =社会
手を使う =殺人
楽しむ =社会運営
ペナルティー=処罰
ルール =法律 となる。
故に、あなたが少なからず社会に帰属している以上
あなたの目の前にあるルール(法律)があなたの価値観において
良いことなのか悪いことなのかは問題にならない。
しいて言えば殺人が悪いのではなく、ルールを破る事が悪いのだ。
307 :
考える名無しさん:02/04/26 09:40
血が出てじゅうたんが汚れるから
308 :
お役立ちサイトです。:02/04/26 09:42
309 :
そもさん・せっぱ:02/04/26 18:32
俺は包丁で刺されかかったことがある。
手でかばったから、指が切れて激しく血が出た。腹はかすり傷ですんだ。
正直怖かった。今でも包丁見れば、腰が引けてしまう。人殺しの是非なんて、
自分の身に置き換えてみれば、自分が殺される身になってから考えると簡単だ。
俺は、自分が殺されるのが嫌だから、人殺しはやめとけ!!と言っておく。
五木寛之さんが、この問題について、万葉集巻第19の最後の歌詞を例に語っていた。
人殺しがいけない事をルールや道徳で説明してもだめだ。人を殺す?なんて事を言うんだ。
というふうに悲しそうな顔で情に訴えて言わないとだめだ。理屈じゃ伝わらないと。
俺も同感だ。
どうせ、哲学だ!法律だ!といっても、戦争になれば超法規的措置だ何だかんだと、
理屈をこねて、人の観点なんていとも容易く変わるんだから。
ちくしょう、また刺されかけた時のことを思い出してしまった。
本当に“何てことをするんだ!!”
310 :
考える名無しさん:02/04/26 18:35
・・という具合に、他者の立場を察する/共感する ことができれば、重畳かとおもわれ。
かかる感覚は、所与のルールとして与えられずとも、自生的に育ちうる。
ただ、それなりの体験量が必要っぽい。
<閾値は、計測不能(汗
>>309 それは「理論で諭す」ことになってないのでは?
修行中の連中は、「理論で諭す」しかなさげ。
いい感じに出来上がった人ならば、そんなことはしないでしょ。
つうか、「殺人の抑止」の話をしてるわけじゃないからね。
>>293(589さん)
こんばんは。
▼
>>293(589さん)
>>286 >>これは、その通りです。ですので、私は
>>460-461でその点場合分けをしました。
>この部分の結論は、殺人について論じることは被害者の死について論じることである。ということになってるんだよね?
はい。「被害者が死によって被る不利益について」です。
>>その通りです。周辺事項は因果的には関係します。ただ、ある言葉を使ったときに、その語が意味する範囲と事実との
>>対応関係からみて、周辺事項を「ある問題を論ずるうえで」論点からずれているかどうかは、判定することはできます。
>>そうした観点から「加害者側の周辺事項」は、「殺人の是非」を論ずるうえで、論点となりえない、と指摘しているのです。
>だから、ここでの「ある問題」とはなんだね?
「ある問題」…これを書いた段階では、「任意の問題」のつもりでした。つまり「ただ〜判定することはできます。」と、
一般論を述べたつもりでした。
今回の問題で言えば、もちろん「人を殺してはなぜいけないか」です。こう答えると、「誰にとって」かを問題にしないと
問題にできないのでは? と返されるような気がしますが、私はそれに対して、「当然に被害者の問題である」と
論証しています。
>>460-461など、いろいろ
>私は、「人を殺してはなぜいけないか」だけでは論点は成立しない、ということは何度もいったはずだし、
>あなたも認めてくれたと思う。だから、「「ある問題を論ずるうえで」論点からずれているかどうか」といった場合の
>「ある問題」とは、「人を殺してはなぜいけないか」ではなく、それに何らかの前提を決めて、論点を成立させたもの
>でなければならないはずだ。その「問題」を教えてくれ。
人を殺してはなぜいけないか、だけでは論点は成立しない点については、了解しています。
誰にとっていけないかを確定しないと、答えを与えようがない、ということですね。
>>460-461 今回の場合「ある問題」は「被害者にとって、被害者を殺してはなぜいけないか」です。
私はずっとそれで通してきてます。そのように取れない箇所があったのだとすれば、それはおそらく、
「被害者側が不利益に対して否定的な評価を下すことについての、他者の認識」の部分に関して、読み手が
その部分に余計な前提を入れて読んでしまったか、私が単純に表現を誤ったかのいずれかだと思います。
▼
>>294(589さん)
>ここの部分であなたが述べてくれていることの要点をまとめると、
>被害者の不利益は殺人の結果直接もたらされたものであって、
>加害者の利益は殺人によって直接もたらされたものでは無い、そして
>>「殺人の是非」においては、「ある行為がなされた結果生じる利益・不利益に対する評価」が問題になっている
>だから、加害者の利益は殺人の問題としては存在しない。ということなんだよね。
その通りです。
>それで、確認なのだが、加害者が「殺したこと(被害者が死んだこと)」によって、
>直接得られた利益であっても、除外されるのかね? あるいはそのような利益は存在しえないと主張するかね?
>既に述べているかも知れないが、ここでまとめてもらえないかね。
そのような利益は存在しえない、と主張します。
例えば、直接得られた利益ありと言えそうな場合として、「被害者を殺すこと自体が目的とされている場合」が
考えられますが、それは「殺したこと」によって、満足が得られているのではなくて、殺した結果、加害者が
「考え感じたこと」によって、満足が得られていると考えます。これは、人違いである場合を考えてみれば、
分かりやすいのではないかと思います。
>>295(589さん)
>
>>287 >〜「殺人者の認識」ではなく、「メリットを期待することの妥当性が存在するか」という事を
>問題にしているということがいいたかったのだが。行為者の認識とは関係なく、ある行為がある目的に
>沿うものであるのならば、その目的について「妥当である」ということは、行為者の認識とは無関係にいえることだろう。
もちろんその通りです。ただ、その目的について考えることは、殺人によって引き起こされるデメリットに対する
正当化にはなりえないので、今回の話には関係がありません。
>>これは行為を正当化しているのではなくて、利益比較して片方の利益の選択を正当化してるのです。
>だから、「正当」の定義が、あなたと私で少し違うようだ。「利益」という目的について「正当」ということを
>いっているのであって、それを離れた「正当」というものはそもそも前提においていない。
これに対しては2段階の論点を私は問題にしてます。
@利益比較して片方の利益の選択を正当化できるかどうかの問題は、「殺人の是非(内容は前述のとおり)」の問題ではない。
Aスレ違いになるが、利益比較して片方の利益の選択を正当化できるかどうかの問題を議論するのであれば、
被害者が殺される不利益と対立する利益の比較は、とりあえず双方の主張の機会を保障する中で、具体的な議論の中で
決していくよりない(ただ、個人的には特に戦争に対しては、制限的に考える方である)。
▼
>>目的との整合性があることは、目的が達成されることに正当性が付与されるのであって、手段に正当性を付与するのでは
>>ないと思います。先に私があげた例でいけば、過失殺の場合には上の議論は当てはまらず、金の場合は金が得られることが
>>「正当」とみなす対象になり、私怨の場合であれば、
>>77が正当とみなす対象になります。
>>手段については、「判断されてない」とみるのが妥当です。
>いや、だから、「言葉の定義が違うといっているのだ。私の定義における「正当」に、あなたの定義における
>「正当性」があるなどとは言っていないよ。
>私は「先立つ目的に適うこと」を、「正当」と呼んでいる。だから、「正当」を考える場合「前提」として
>「先立つ目的」を決めない限り、論点は成立しえない、といっているのだ。
私の考えでは、そもそも今回の「殺人の是非」は、「被害者が殺されることの是非」ですから、
「殺す側の目的の正当性」の主張によって現におこる被害者側の不利益が覆されることがないことからして、
589さんの定義による「正当性」が問題になる論点は、今回の論点からはずれている、と、なります。
>あなたは、それとは違う定義を持っているようだ、それがわからないと話がしにくい、ということが言いたいのだ。
>実は、あなたの「正当」の定義がよくわからない。それが明らかになったのなら、「正当」の定義としては、
>そちらの定義を使って、私の定義は「妥当」なり「合目的」なり、別の名前で呼ぶことにして、
>議論をすっきりさせたいのだよ。
えーと、
>>274で述べたとおり、
>「正当である」「正当でない」というのは、ある人間が、ある主張や事実を認める・認めない場合それぞれに下す、
>理由つきの評価です。理由がついてない場合は、「承認されている」「承認されていない」と表現します。
>正当性の主張が相反してるときには、それらのうち、説得的な根拠がある/ない 主張をさして「正当である」
>「でない」と表現します。
という意味で使っています・・・ 特にわかりにくい点があるとも思えませんが・・・どの辺がわかりにくいのでしょうか。
>「殺人を論ずることは、被害者が殺されたことの正当性を論ずることである だから、
> 殺人者の利益について論ずることは、例外はあるが、原則として、不当である」
(元)殺人者の利益について論ずることが不当であると言っているのではなくて、(元)殺人者の利益について論ずることは、
「殺してはなぜいけないか」の理由を答えるという論点で問題にするなら、論点はずれである。
(元)殺人者の利益から「被害者側の不利益」を無視するような議論をするのは不当であると述べているのです。
最近使った例えによるなら、被−と加+の比較をして、+だけを問題にするなら、単に−のほうを(議論できるのに)
無視して生きている加にとって+なら、好ましいかどうか、を問題にしているいるだけですし、
被−と加−の比較をして、加−だけを問題にするのも生きている加にとっての好ましさを問題にしているだけです。
あくまで殺されてまずかったのは被害者だけであり、それが議論の俎上にのせられて被−だ、と言われなければならないし、
絶対に言える、と指摘しているだけです。
被−を指摘したうえで加−が同じか、大きい例はあります(カルネアデスの板など)。そういう議論をするのがまずいとは
言っていません。
>〜ということを言っているだけで、「正当」自体の定義については触れていないように思う。
>一生懸命説明してくれようとしているのはわかるのだが〜
触れたのは
>>274中ですから、その部分で「正当」の定義に触れてないのは当然です。
ただ、一生懸命〜の部分はうれしかったです。どうもありがとうございます。
>>296(589さん)
>>289 >「被害者が主張するであろう理由」が「被害者の不利益についての評価として」反論しえないものであるのは確かだね、
>だってそれそのものなんだから。むしろ要点は、「反論しえない」という点ではなく、
>「被害者が存在する行為においては、行為者の立場で正当性を考えることは不当である。」ということのほう〜
「〜、行為者の立場で正当性を考えることが不当」だと、正当か不当かを問題にした上で論じられたかのようですが、
私が言いたいのはそういうことではなくて、単に論点はずれだということです。
論点はずれをしておいて「被害者の不利益」を無視するのは「不当」です。このへん混乱を招く記述だったかもしれません。
>>被害者が特定できなくても、被害者について類型的に言える点(痛い・行動可能性奪われる)は、そのまま
>>言えるでしょう。ですから、今回の議論においては、被害者の事実上の特定は問題になりません。
>いや、それは、「類型的な被害者」という特定を行っているのであって、被害者を特定していないことにはならないよ。
あなたの指摘は、特定という語の用法から外れています。この点については議論をする気はありません。
>>うーん、あなたは「論理的」にものを考えすぎて、実際上の問題では、無条件に前提を与えてよいケースがあるという点を
>>看過してしまってるんではないでしょうか。
>前提は、議論を行うものが任意に設定するものだと思うが。「実際上の問題」というのは、具体的にはここでは何だね?
>そして、ここで「無条件に前提を与える」のは、誰が、何の目的で与えているのかね?
前提は、議論を行うものが任意に設定することが「できますが」、それが事実に反しているかどうかを問題にし、
それが「観察される事実に適合した前提」であるかどうかを問題にすることは、可能です。
「実際上の問題」は、文字通りの意味です。
「無条件に前提を与える」のは、589さんが
>>280で書いたような
>「なぜ被害者にとって殺されることがいけないか?」「死んでしまうから」「なぜ死んではいけないか?」・・・
>とつきつめていったら、答えの出しようが無いだろう。被害者には「生きるという目的がある」というような
>前提を置かない限り、考えようがない。
こういう前提をおくことを問題にする人間はまずいない(議論するから「前提を与える」ことになるが、
普通の人間は「前提は明らか」だとしか考えないし、それで事実に合っている)点を言っています。
>>もう少し、「実証的」に考えたほうが良いと思いますが。
>「実証的」と「論理的」はどう違うのだね。そして、「実証的」に考えなければならない理由はなんだね?
これを聞かなければならない理由を逆に聞きたいんですが(今回の話と関係ないので、実際には答えなくて良いですけど)。
観察される事実に即して、それを前提した、論理的な議論を心がけたほうがよい、という意味です。
実証的に考えなくてはならないのは、事実について話しているのに、観察される事実に即した問題設定・論証をしないなら
結果として出来上がる議論の正しさが保証されないからです。
何か文学的な実験でもするなら、正しさが保証される必要はないかもしれませんが(私はそんな無責任な文学は嫌いですが)、
今はそういう話をしているわけではないですよね。
>>あなたのいう「置かれる前提」は、実際には「置くまでもなく置かれている前提」ではないですか?
>「置くまでもなく置かれている前提」なんてものがあるのかね。
すでに述べたとおり、観察から当然に設定してよい前提のことです。というか、該当箇所の文章を読んで本当に
わからなかったなら、それはかなりヤバイと思うんですが・・・
なんで論理的に議論できるのに、そんなに想像力に欠けてるのか不可解です(別にけなしてるんじゃないですよ)。
>>あと、「生きるという目的がない」人も、死にたくはないと思ってる場合はありますよ。
>「死にたくない」のなら、「生きるという目的がない」ことにはならないよ。
>「生きる目的が無い」のに「死にたくない」人はいるだろうがね。
生きることが、単なる生物学的な持続としてしか意識されてない人はいますよ。
生きている状態にあり、死ぬ理由がないから生きている状態である人はいます。
>>「行動可能性」?
将来に向かって何らかの行動をする可能性 のことです。
>殺される場合、かならず痛いわけではないと思うが。
必ずかどうかが、この場合重要なんでしょうか? 殺される不利益を想定しようとしたときに、
あなたから、それについての指摘が一切なかったことが、問題だと思いますよ。
殺される場合、痛いケースが、かなり多いには違いないでしょう・・・。
>では、「なぜ被害者にとって殺されることがいけないか?」
>「死んでしまうし、痛いこともあるから」
>「なぜ死んだり、痛かったりしてはいけないか?」・・・に訂正すればいいんだね。
あなたは人間じゃないんでしょうか?
>>297(278さん)
>貴方は、「社会のルールとして『人は殺しちゃいけない』ってことになっている、
>殺したら悪い評価を受けざるをえない」ってことに反対なんですか?多分そうじゃないと思うんですが。
「殺してはいけない理由」を問題にしているときに、「社会のルールとして決まってるから」という考えに
反対しています。殺したら悪い評価を受けざるを得ないかどうかは、その社会がどういう社会として観察されるかに
よります。観察するときにインチキをしたり、観察もしないで戯言を言う人間もいるかもしれませんよ?
ところで、自分が殺されそうであるとき、どんなことを考えるか、一度でも真剣に想像してみましたか?
殺されそうなとき、「社会のルールがどうたら」とか言いますか? あなたは?
>
>>37ではあなたもそういうルールができるのは「社会的に被害者の立場を正当とする勢力が優勢であるときに
>帰結されてくる事実」として、そういう結論自体には肯定的評価を与えているように見えますが。
これは「社会のルールとして決まっているから、殺すことに否定的な評価が下る」という意見に対する反論です。
「社会的に」は、「地域的に」と置き換えればわかりやすいかもしれません。
ルールは、「正しいからできる」んじゃなくて、「合意がなされ、それについて合意か黙認か服従があるから」できるんです。
「殺してはいけない」というルールができるのは、「殺してはいけない」という主張が受け入れられるか、
黙認されるか、感得されるか…しているからです。
>2個目の▼については、「絶対的じゃないよね」というのは、人食い虎や人食い鮫に、「人を殺しちゃいけない」と
>説得しても無意味と言うことです。あくまで人間に対して言う言葉だと。これもそんなに異論ないのでは・・・
そもそもいけないのは殺される人間にとっていけないかどうか、の問題ですから、
殺しちゃいけないと虎が説得されるかどうか と 被害者がいけないと考えるかどうか とは無関係です。
いけないと説得できないから「絶対的じゃない」というのは、
要は殺されるときは殺されるから、殺してはいけないと言っても無意味だよね、といってるのと同じです。
被害者が被害を受けそうなときに、こういう風に考えるかどうか、よーく考えてみてはいかがでしょう。
「いけない」というのは、いけない目にあわない人間がどう思うか考えることではないんですよ。
320 :
考える名無しさん:02/05/08 07:43
答えを言うのは簡単だけど。
どうして人を殺していいの?と言われたら困るね。
人の変わりに猫を殺しちゃった♪
聞く前に自分で考えてね。
>>325 自分で考えろ、という前に、あなたが説明するのが先なのでは?
いやあ、確かに言葉足らずだった。ごめん。
1・言われた俺が困る。
2・このスレのタイトルに対しての答え。
他スレで妙に質問しては突っかかるくせに、
自分の意見を出さない人がいたのを思い出してムカツイてたのさ。
こういう場合は「あなたが困るの?」「答えって〜の事?」みたいに言った方が好印象です。
っていうのはワガママでしょうか?
しかし、いくら何でもこれくらいでムカツクなんて根性ひねくれてるな俺。
さっさと答えりゃ良かった。勝手に反省して寝ます。
社会的規範、私的規範の2つの側面から考えておられる方が多いようですが、
以下のような場合について、皆さんがどうお考えかを、お聞かせ下さい。
A.社会的規範としては許されないが、私的には価値がある。加害者と被害者
の間に合意や利害の一致が成立する場合。例えば、安楽死や自殺の場合を
想起して下さい。
B.個人的には容認しがたくても、社会規範上の要請として「正しい」。殺人を行
わないと事が犯罪になる場合。 例えば、死刑や戦争を想起して下さい。
C.社会規範に反せず、私的規範にも合致する。国法を尊重し、かつ、個人の
信念も貫徹される場合。例えば、ソクラテスの自死を想起して下さい。(社会
規範上は国外逃亡も容認されるているのに、自ら死を選んだ。)
皆さんのご意見をお待ちします。
わたしの考えでは、この問題はすべて永井均によって、完璧に答えられてしまっ
ている。
「『これがニーチェだ』(講談社現代新書)第一章」において、なぜ人を殺して
はいけないかという問いには答えがない、としながら、単純素朴に理屈で答えるな
らば、次のようなものになるだろう。君や君の愛する人が殺されることがいやなら、
君が人を殺す場合も同じだろう、と。
だが、これは究極的な説得力をもたない。この説明が、無力にならざるをえない
回答がふたつ挙げられている。
ひとつは、私には愛する人なんかいないし、自分自身もいつ死んでもかまわない
というもの。
もうひとつは、私や私の愛する人が殺されるのは嫌だ。だからといってなぜ私が
私以外の人、私が愛してもいない人を殺してはいけないのか、というもの。
永井は、なぜ人を殺してはいけないか、という問いに対して、「重罰になる可能
性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない」が、本当の答えと
している。
人を殺しちゃイケナイ理由なんてないことがはっきりと
知れ渡ってしまえば、皆が殺し合いを始めて、
そして誰もいなくなった状態になってしまう場合もありうるから、
人殺しはイケナイことだということになってる。
結局、殺しちゃならない理由と、殺さなければならない理由が
対立したら、
別に、今すぐに殺さなければならないような理由もないから
人は皆、まだ生きて、生かされている。
今、この瞬間にも、それ以上は生きられなくて、死んじゃう人も
中にはいるけど・・・
332 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/12 18:56
>330
Kさん
永井さんの本は読んでいないのですが、
>永井は、なぜ人を殺してはいけないか、という問いに対して、「重罰になる可能
> 性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない」が、本当の答えと
> している。
というのは、つまり「人を殺すことは、いけなくない。」というのが永井さんの答えと
いうことでしょうか?
また、Kさん自身もそう考えておいでだということでしょうか?
(#
>>331さんも同じ考えでいらっしゃるようですが?)
人を殺すことに限らず、ある行為が、
「いけないかどうか(実行が妥当でないかどうか)」というのは、
その行為に優先あうる目的を損なうかどうかでしか語れないのではないか?
「愛する人」うんぬんは、そういった「優先する目的」の存在の有無の
問題であると思う。
もちろん、
ここで「いけない」の意味を「社会(あるいは大多数)が認めない」という意味とするなら、
別の議論もあるだろうが、そうなってくると、
論理というよりも統計ないしは心理学の問題になってくると思う。
>332
>というのは、つまり「人を殺すことは、いけなくない。」というのが永井さんの答えと
>いうことでしょうか?
わたしの理解では、「〜してはいけない」(あるいは「〜しなければいけない」)
という道徳上の要請は、人が何かをする上での考慮されるべき要因の一つでしかな
く、それを考慮に入れた上で、なお人が人を殺すことを決心したならば、それ以上
道徳が何を言うことができるだろうか、要するに道徳にそれ以上、人になにか要請
する権利など無い、道徳とはつまりそれだけのものでしかない、というのが永井の
考えだと思う。
335 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/12 21:23
589(最初のスレ) さんの考えかたは、全ての行為の妥当性は、
「その行為に優先する目的を損なうかどうか」で決まるという、
ことのようです。
これは、社会的規範の如何にかかわらず、目的に合致さえす
れば、どのような行為も妥当だということでしょうか?
>>329であげた分類でいうと、A.Cはどちらも、その人の目的に
合致すると考えられるので、妥当と言える。Bについては、「統
計ないし心理学の問題」なので、妥当性を云々できないという
ことでよろしいでしょうか?
>>335 >これは、社会的規範の如何にかかわらず、目的に合致さえす
>れば、どのような行為も妥当だということでしょうか?
というか、
「妥当性」というものは、「目的に合致するかどうか」という形でしか考えようが無い。
(優先する目的が無いなら、妥当性は存在し得ない)
ということだよ。
社会的規範というのも、
「社会というシステムに所属してよりよく生きる」という目的を
「優先する目的」とした場合の、妥当性に基づくものではなかろうか。
>
>>329であげた分類でいうと、A.Cはどちらも、その人の目的に
>合致すると考えられるので、妥当と言える。Bについては、「統
>計ないし心理学の問題」なので、妥当性を云々できないという
>ことでよろしいでしょうか?
注意して欲しいのだが、
「目的に合致するから妥当」なのではないということだ。
目的は、問題の一部であって、論拠とはなり得ない。
論拠となるのは、目的と行為の論理的整合性だ。
社会的規範に反するのであれば、社会的規範の目的において妥当でないことには変わりは無い。
つまり、A、B、Cは、それぞれ異なる問題(目的)に関する異なる答えであると思う。
人を殺すことが、絶対にイケナイことなのかどうかはいざ知らず、
人を殺すことは、絶対に不可能なことではない。
ならば、人を殺しちゃう人間、人に殺されちゃう人間
が現れることを、止めることはおそらく出来まい。
だから、要は実力行使あるのみ!
言葉で説得して、目の前の、今まさに殺人を犯そうとする人間を
止めることが出来ると思うのならば、言葉で説得するのも良かろう。
将来殺人者が生まれないように、今の内から啓蒙しようと思われるなら
議論を続けるのも良し。
中には、言葉によらず身体能力で、殺人者と立ち向かう者もいよう
全ての者に、幸運を祈る
338 :
吾輩は名無しである:02/05/12 22:29
刑法では「人を殺したら〜の罰」と書いてあるけど、
「人を殺してはいけない」とは書いてないから「殺してもいい」、
とまでは言ってなかったけど、「矛盾する」と聞いた。
なぜ書いてないの?
339 :
考える名無しさん:02/05/12 23:15
殺人行為に罰を与えることで殺人を抑止する
殺人は悪い事だという教育で殺人を抑止する
殺人を抑止する必要性は社会秩序を守る為
殺人に良い悪いはなく
ただ社会的に悪いという事にしておけば都合がいい
この都合がいいというだけの理由で行われる教育により
どうして人を殺しちゃいけないの?という問いが生じるのだと思う
340 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/13 01:06
皆さん、ご意見ありがとうございました。
>331
331さん。
>今、この瞬間にも、それ以上は生きられなくて、死んじゃう人も中
>にはいるけど・・・
という事実を踏まえたうえで、
>今すぐに殺さなければならないような理由もない
というのは、橋本治の「僕は人なんか殺したくない。」という意見に
通じるものがあると思いました。
>334
Kさん。道徳は万能ではなく、限定されたものだといことですね。
(だから、ダメだとか、無意味というのではもちろんありません。)
永井氏の本『これがニーチェだ』(講談社現代新書)も読んでみた
くなりました。
>336
589(最初のスレ) さん。
目的と行為の整合性が行為の妥当性を決めるということですね。と
ても、分かりやすい論理だと思います。ただ、だとすると、最終的
には、いかなる行為にも、何らかの意味で妥当性があるという事に
なるような気もします。589さんはどうおもわれますか?
>337
337さんの意見は、プログレマティックな意味で、おっしゃるとお
りだと思います。
>339
339さんはの意見は、何故人は「どうして人を殺しちゃいけないの
?」と問うのか?という新しい問題提起とも考えられます。また、
今までの議論を踏まえたうえで、道徳の限界や行為と目的の論理的
妥当性社会規範の効用論では、「どうして人を殺しちゃいけないの
?」という問いを防げない、あるいは、むしろ誘発するという告発
とも受け取れました。
そこで、皆さんに再度、おたずねします。皆さんの説明を聞いた上
で、それでも「どうして人を殺しちゃいけないの?」と問われた場
合、どのように答えたらよいと考えられますか?
再び皆さんのご意見をお待ちします。
>>340 >いかなる行為にも、何らかの意味で妥当性があるという事に
>なるような気もします。589さんはどうおもわれますか?
その行為について妥当な目的があるなら、
その目的について妥当であるという事はできるだろうね。
一般論で言うと、命は尊いから、
出来ることならば、人に限らず
生物の命を奪うような行為は
出来るだけ、慎むべきです
とでも、答えるかなぁ
なんだか苦労が水の泡になってるような・・・
589さん、
>>314-318に、レス書かれないで放置されたわけですけど、
ほとぼりがさめたら、従前の意見そのまんま述べてるというのは、
感心できませんよ。
殺してはいけない完全な理由があると思うから間違うだけです。
殺してはいけない理由がどこか(私の意見でいえば、殺される側の不利益)
にあれば、普通それは理由があるといいます。
それに反する理由(殺す側の利益)があったとしても、
それが「どこかにある理由(殺される側の不利益)」に対する
反論になっていなければ、それは殺していい理由として、
「殺される側から」正当性を認められません。
殺される側の主張の正当性を認める者は、その観点から、
法整備をしたり、言説を唱えたり、宗教活動を展開したり、
教育を行ったり、私のように言葉とイメージの関係に着目して
殺される側があるというイメージが消えないように言葉を定義し
習慣化することを主張したり、いろいろな手をうつわけです。
いずれにせよ、殺してはいけないという判断が下るかどうかは、
殺されてはいけない側にとっての理由を承認するかどうかにかかっている
問題であって、それ以外の生きている側の利益にかかっている問題では
ありません。
Aの死と引き換えにBにとっての利益があることは、
Bにとっての利益の問題であって、Aにとって殺されてよいかどうかの
問題ではありません。Bにとって利益があることで、Aは結果殺されますが、
かといってBにとってよかったのは、利益があったことであって、
Aが死んだことそれ自体ではありえません。
345 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/13 03:06
レスありがとうございます。
589(最初のスレ) さん。
>その行為について妥当な目的があるなら、
>その目的について妥当であるという事はできるだろうね。
やはり、そうなりますよね。
この589さんの論理展開は、おそらく行為の内容の価値判断が
問われない限りは、誰も反対しないと思うのです。
ですが、その行為が他ならぬ「人殺し」であるとなると、賛成して
くれる人の数は急激に減るのではないでしょうか。
(だからといって、論理的な整合性には何の関りもないのですが。)
そして、
>>339さんの主張は、そのような説明に対する一つのア
ンチテーゼとも受け取れないでしょうか。
こんな言い方は文学的すぎると、589(最初のスレ) さんに言われ
てしまうかもしれませんが、「どうして人を殺しちゃいけないの?」
というのは、思えば不思議な質問です。なぜなら、この質問は「人
を殺してはいけない。」と答えてもらいたがっているように思えるか
らです。だとすると、今までの答えは、質問者を満足させていない
のかもしれません。
>342
331&337さん。
331=337とは思わなかったので、失礼しました。まじレス
ありがとうございます。
願望としては、私もこのような答えで質問者が納得してく
れることを希望しています。ストレートな意見というのはな
かなか言いにくいと思いますが、それだけに貴重です。
今後とも、よろしくお願いします。
346 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/13 03:38
473さん
>なんだか苦労が水の泡になってるような・・・
お留守の間に、勝手にあがりこんで、申しわけありません。
>殺してはいけない完全な理由があると思うから間違うだけです。
473さんのご意見は、
>>334の「道徳とはつまりそれだけのものでし
かない」とも違っているようですね。
逆に言えば、「殺してはいけない不完全な理由があ」って、それは、
「殺される側から」の正当性、殺される理由が承認できるかどうか、
という事と考えてよろしいでしょうか?
473さんなら、
>>329であげた、A、B、Cについてどう思われます
か?お考えをお聞かせ下さい。
はいらさせていただきます。
私の意見だと簡潔に言えば、
『殺してもいい』という人間は真っ先に殺されるからです。
あらゆる言葉はその対象にその発言者自体を必ず含みます。
殺していいのなら、まずその危険な発言をする主体を排除して
なぜ悪いでしょうか?
この「人間を殺していい」という言葉自体が既にその発言主体を危険にさらす
構造をもっています。
これを逃れることの出来るのは「人間でないもの」だけです。
では、「自分は人間でない」とその主体が言い張ったら?
法には「人間でないもの」を守る基本的な枠組みはありません。
その発言主体は法から脱落し又危険にさらされます。
結局は少なくとも法においてこの発言は二重に不可能なのです。
どうでしょうか?
348 :
人間は全てウザイ人です:02/05/13 04:09
いいですかぁ?
当たり前の答えをします。
殺してはいけない理由は社会の秩序を保つため、そしてそれがあなた自身の
幸福へと繋がるからです。もしも殺していいという社会であったならば、
テレビ番組の製作者が殺されるかもしれません。ビールやタバコの製造に
携わる人、流通に携わる人が殺されるかもしれません。そして、あなた自身も
殺されるかもしれません。
さらに踏み込むと、現代の社会は殺されないという大前提があって初めて
出来る行動、約束もまた存在します。殺されないという保障があるからこそ
護身道具をもたずに仕事に出かけて保障があるからこそ、お店の店員は
多数の客に対して店を開けることが出来ます。
もしも殺すことが可能な社会ならその社会の人々全員が全員の足を引っ張って
文化も低レベルな状態から発展出来なくなるのです。
要するに目の前のエビを食べてしまうか、そのエビで鯛を釣り上げて食べるか
といった賢さの違いであり、人類は賢いのです・・・・・だと期待します。
村八分のように皆で、監視しあっているのだよ....本当は殺したいくせに
こいつを殺したら、自分が誰か別の奴に殺されるかもしれない。
本当は殺したい!!でも殺せない!!お互いいつも刺すか刺されるか、そんな雰囲気では息がつまる
でもやっぱり殺したい!!
>>1さんはよっぽど殺したいんだね....暗黙の了解を破ってまで
人に聞くなんて,,,,,,ああああああああ!!体全体から、人殺しの念が伝わってきてるよ
ああ、怖い、、あいつに近づくのはやめよう...危険な奴だ!!先に殺しておいたほうがいいな
くわっ!!(゚∀゚ )
結局、答えは、何度でも、何パターンでもちゃんと出てるのに
何故それで納得出来ないで、混ぜ返す奴が、後から後から出て来るのか?
それは人間は、賢くないということだと思えて仕方がない。
俺の哲学的思考によると、唯、過去ログを読んでいないだけでしょう
賢くない人にも分かるように例えます。
2ちゃんねるの半角掲示板ありますよね。
あそこでブラクラやグロを貼ったレスの後には大抵、ブラクラ注意、
グロ画像張るなブォケ!
といった親切なレスが付きます。
さらに、凄い画像をアップした人が居た場合「神」と称えられて
「神」の望む秘密は守られます。
これは強制された物でも、ただの気まぐれでも善人な訳でもありません。
皆に共通の暗黙の了解を作り、自分も守る代わりに自分も守られるという
保障を受ける。これこそ原始的な人間社会の現れとも言えるかも知れません。
「仲間を殺すな」は殺人の禁止であるが、
死ぬ事そのものもまた禁じられているのである。
部活やめよーとするといびられるのと同じノリで
自殺者は狂人のレッテルを貼られ遺族は基地外の血と村八にされ、
自殺じゃなくても死にそーなヤツはとにかく病院につっこまれて
延命されるのである。■■
355 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/13 16:37
皆さん、レスありがとうございます。
>>347 法の精神さん。
> 結局は少なくとも法においてこの発言は二重に不可能なのです。
という言い方は大江健三郎の「問うてはいけない問い」という言い方
を想起させられ、興味深く思いました。
積極的に「人間を殺していい」という論旨の発言は、少ないのでは?
むしろ、「(残念ながら)人を殺してはいけないとは言えない」とい
う消極的な発言が多いのではないでしょうか?
「人間でないもの」についてですが、責任主体たりえない「人」は逆
に、法的に保護されるのでは?例えば、精神異常者による殺人を想起
して下さい。
>>349 >>353 電波君さん
>人類は賢いのです・・・・・だと期待します。
私も、そうであったらよいと期待します。
幸福ついてですが、
>>329で私が述べた、A、B、Cについてはどう考え
られますか?
>>350 350さん
>1さんはよっぽど殺したいんだね
>>345の繰返しになりますが、この質問は「人を殺してはいけない。」
と答えてもらいたがっているようにも思えます。
>...暗黙の了解を破ってまで
>>339さんのおっしゃるように、そうした「暗黙の了解」こそ、この質
問を必然的に要請しているのかもしれませんね。
>>351 351さん
>答えは、何度でも、何パターンでもちゃんと出てるのに
というのは、おっしゃるとおりかもしれません。
>それは人間は、賢くないということだと思えて仕方がない。
「賢さ」についてですが、他人の意見に納得するのも「賢さ」なら、他
人を説得出来るのも「賢さ」ではないでしょうか?このスレでは、後者
の「賢さ」も求められているのかもしれません。
>>354 354さん
>「仲間を殺すな」
「敵を殺せ」という戦争の場合などはどう思われますか?
>死ぬ事そのものもまた禁じられているのである。
面白い意見ですね。社会にはそういうところがあるかもしれません。
>自殺者は狂人のレッテルを貼られ遺族は基地外の血と村八にされ
代議士の秘書等や、疑獄事件のトカゲの尻尾きりのときのような自殺の
場合はいかがでしょう?
356 :
589(最初のスレ):02/05/13 22:12
>>343 >ほとぼりがさめたら、従前の意見そのまんま述べてるというのは、
>感心できませんよ。
じゃあ述べた意見についてはフォローしておこう。
> >「なぜ被害者にとって殺されることがいけないか?」「死んでしまうから」「なぜ死んではいけないか?」・・・
> >とつきつめていったら、答えの出しようが無いだろう。被害者には「生きるという目的がある」というような
> >前提を置かない限り、考えようがない。
>こういう前提をおくことを問題にする人間はまずいない(議論するから「前提を与える」ことになるが、
>普通の人間は「前提は明らか」だとしか考えないし、それで事実に合っている)点を言っています。
つまり、「そういう考え方をする人間が少ない」ということをあなたは言っていて、
その点を「事実に合っている」といっているわけだろう?
「そういう考え方をする人間が多い」という観測事実を述べることは可能だし、
それが正しいということもいえるけれども、それは、
その考え方自体の論理的妥当性とは無関係の問題だ。
第一、あなたの、
「加害者の利益について考えることは殺人について考えることではない」
という主張にしても、「そのように考える人は少ない」し「それで事実に合っている」のではないかね?
だからこそ、あなたも、意見を言おうと思ったわけだろう?
もちろん、
「私」は、前述したように、そういった事項は論理的妥当性とは無関係なことだと考えるから、
それによってあなたの主張を否定するつもりはないけれど、
「あなた」の論では、あなたの主張は「事実に合って」いないことになるんじゃないかね?
357 :
589(最初のスレ):02/05/13 22:18
>>345 >この589さんの論理展開は、おそらく行為の内容の価値判断が
>問われない限りは、誰も反対しないと思うのです。
というか、「価値判断」って何だね?
それは、別の「優先する目的」を導入することとどう違うのだね?
>ですが、その行為が他ならぬ「人殺し」であるとなると、賛成して
>くれる人の数は急激に減るのではないでしょうか。
賛成されるかどうかは、そもそも問題にしていないが。
>>356 >
>>343 >>ほとぼりがさめたら、従前の意見そのまんま述べてるというのは、
>>感心できませんよ。
>じゃあ述べた意見についてはフォローしておこう。
上のような指摘をされたときに、「じゃあ〜しておこう」というのは、おかしいです。
なぜレスを返さなかったかの説明くらい、あっても良さそうなものですし、何より態度が不遜です。
>>>「なぜ被害者にとって殺されることがいけないか?」「死んでしまうから」「なぜ死んではいけないか?」・・・
>>>とつきつめていったら、答えの出しようが無いだろう。被害者には「生きるという目的がある」というような
>>>前提を置かない限り、考えようがない。
>>こういう前提をおくことを問題にする人間はまずいない(議論するから「前提を与える」ことになるが、
>>普通の人間は「前提は明らか」だとしか考えないし、それで事実に合っている)点を言っています。
>つまり、「そういう考え方をする人間が少ない」ということをあなたは言っていて、
>その点を「事実に合っている」といっているわけだろう?
>「そういう考え方をする人間が多い」という観測事実を述べることは可能だし、
>それが正しいということもいえるけれども、それは、その考え方自体の論理的妥当性とは無関係の問題だ。
ある前提を観察して、それに従って好ましいかどうかを述べることは、論理的妥当性と無関係な問題ではありません。
観測事実から一定の結論を出すことは、科学における基本的な枠組みです。観測事実に基づいた推論が正しい場合、
それを「論理的妥当性」とは無関係、などとは言えません。
>第一、あなたの、「加害者の利益について考えることは殺人について考えることではない」
>という主張にしても、「そのように考える人は少ない」し「それで事実に合っている」のではないかね?
>だからこそ、あなたも、意見を言おうと思ったわけだろう?もちろん、
>「私」は、前述したように、そういった事項は論理的妥当性とは無関係なことだと考えるから、
>それによってあなたの主張を否定するつもりはないけれど、
>「あなた」の論では、あなたの主張は「事実に合って」いないことになるんじゃないかね?
「加害者の利益について考えることは殺人について考えることではない」と考える人が少ないのは、
確かに事実で合っていますが、それは、単に論点はずれをしている人が多い、という事実を示すにすぎませんから、
観察できる事実に合った思考であるかどうかの問題から、観察できる事実に合った思考をできる人が多いか少ないかの
話にずらして、その論点で「事実に合ってない」と無意味な反論?をしているだけですね。
言ってる意味をわかって反論していますか?
あと、他の部分・・・特に、あなたが殺人に際してイメージすべき事実に関して、イメージできていないのでは?
と指摘された部分・・・について、レスがないんですよね、結局。前もそうでしたが。
あなたは、都合が悪い部分に対してレスを返さない場合が多すぎます。
359 :
589(最初のスレ):02/05/13 23:54
>>358 >「加害者の利益について考えることは殺人について考えることではない」と考える人が少ないのは、
>確かに事実で合っていますが、それは、単に論点はずれをしている人が多い、という事実を示すにすぎませんから、
ならば、「そこまで考える人がいない」というのも、単に、問題をきちんと論理的に考えていない人が多い、
という事実を示すに過ぎないといえるんじゃないかね?
>観察できる事実に合った思考であるかどうかの問題から、観察できる事実に合った思考をできる人が多いか少ないかの
>話にずらして、その論点で「事実に合ってない」と無意味な反論?をしているだけですね。
つまり、その
「あなたの」の論理でいうと、あなたは、「論理的な思考であるかどうかの問題」から、
「論理的な思考をできる人が多いか少ないかの」話にずらして、
その論点で「事実に合ってない」と無意味な反論?をしているだけだといえるんじゃないかね?
>>329の方へ、後日レスを返すつもりです。よろしくお願いします。
>>359 まず、
>>358冒頭に述べた「じゃあ」の話と、最後の
>>314-318へきちんとレスを
返していないという指摘を、無視しないでください。
>>359 >ならば、「そこまで考える人がいない」というのも、単に、問題をきちんと論理的に考えていない人が多い、
>という事実を示すに過ぎないといえるんじゃないかね?
これは、問題を論理的に考えるなら、私が述べたとおりの議論でよいと認めたということですか?
次に、上のようにいくら繰り返しても、
私が述べた「加害者の利益について考えることは殺人について考えることではない」への
反論になりません。
加害者(正確には、元加害者)の利益について考えることは、被害者の不利益について考えることではない、
という指摘に対して、
多くの人が、加害者の利益について考えてしまい、被害者側にとって付随するデメリットを考慮しない
事実を示すに過ぎない、と指摘したところで、
現に被害者が殺人に必ず付随するデメリットを受けている点について、観察でき、そこから推論できる
ことへの反論には、なりません。
多くの人がきちんと論理的に考えてないことを示したにすぎない、と言ったところで、
論理的に考えた議論への反論にはなりません。あなたは多数の人が論理的に考えていないから、
被害者にとって悪いという点は無視されるにすぎない、と言ってるのですが、
これが仮に事実だとしても、被害者にとって悪い点が変わるわけではありません。
>>観察できる事実に合った思考であるかどうかの問題から、観察できる事実に合った思考をできる人が多いか少ないかの
>>話にずらして、その論点で「事実に合ってない」と無意味な反論?をしているだけですね。
>つまり、その「あなたの」の論理でいうと、あなたは、「論理的な思考であるかどうかの問題」から、
>「論理的な思考をできる人が多いか少ないかの」話にずらして、
>その論点で「事実に合ってない」と無意味な反論?をしているだけだといえるんじゃないかね?
オウム返しばかりですね。なんで全部いえるんじゃないかね? だけで終わってるんですか?
説明はぜんぜんしないで、相手が論じた内容をそのまま返すのは、かなり見苦しいですよ。
(今回の問題について)論理的な思考をできる人が多いか少ないかの話をしたのは、私ではなくて、
あなたです。
>>356中段
私は「論理的な思考であるかどうかの問題」しか話していません。
361 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/14 01:37
レスありがとうございます。
>357
589(最初のスレ)さん
>>341でご自身が述べられていることをくりかえすと、
>その行為について妥当な目的があるなら、
>その目的について妥当であるという事はできるだろうね。
いかなる行為の中にはいかなる人殺しも含まれます。
論理的整合性についていえば、結局、全ての人殺しは、
論理的整合性の上では妥当だということでよろしいです
ね。
>というか、「価値判断」って何だね?
>それは、別の「優先する目的」を導入することとどう違う
>のだね?
違いません。
>賛成されるかどうかは、そもそも問題にしていないが。
では、589(最初のスレ)さんが問題にしているのは何でしょう?
論理的整合性については、先に述べたように、「全ての人殺しは
論理的整合性がある。」ということにつきていると思いますが。
473さん
>後日レスを返すつもりです。よろしくお願いします。
こちらこそ、よろしくお願いします。
362 :
考える名無しさん:02/05/14 01:55
人を殺してはいけないと言うが、時と場合によったら
人を殺すべき、殺すことが義務であるというケース
だってありえる。
363 :
589(最初のスレ):02/05/14 04:47
>>360 >これは、問題を論理的に考えるなら、私が述べたとおりの議論でよいと認めたということですか?
全然違うよ。
364 :
589(最初のスレ):02/05/14 04:54
>>361 >いかなる行為の中にはいかなる人殺しも含まれます。
>論理的整合性についていえば、結局、全ての人殺しは、
>論理的整合性の上では妥当だということでよろしいです
>ね。
違うよ。
私は、論理的整合性は、目的と行為の関係においてしか論じることができないといっている。
だから、そういった目的を欠いた論述には論理的整合性は最初から存在しないってことだよ。
>違いません。
では、その場合の問題は、その「価値判断」と行為の問題なのだから、
別の目的との整合性について考えた結論と別の結論になるのは当然だね。
>では、589(最初のスレ)さんが問題にしているのは何でしょう?
もちろん、論理的整合性(妥当性)だ。
>論理的整合性については、先に述べたように、「全ての人殺しは
>論理的整合性がある。」ということにつきていると思いますが。
上に述べたように、そうはならない。
365 :
589(最初のスレ):02/05/14 05:06
>>364 >私は、論理的整合性は、目的と行為の関係においてしか論じることができないといっている。
これはちょっとはしょりすぎかもしれない、
「行為の論理的妥当性は、優先する目的との整合性においてしか論じることができない」
に訂正。
人権があるからだよ。
反論可能性が与えられないのは殺されたときだけではない。
いずれにしろ、個人の基本的自由を一方的な判断で奪うことは悪だよ
367 :
考える名無しさん:02/05/14 07:39
しかし、いつになったら、この話題の
収まりはつくのか?
自分の考えだけならば、3レスもあれば
まとまるはずだが、
他者への説教・説得の欲求の強い御仁が
常時複数同時に存在しているという
この摩訶不思議。
いやぁ、人間って 本当におもしろいですね〜
369 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/14 09:10
皆さん、レスありがとうございます。
>>364 589(最初のスレ) さん
>私は、行為の論理的妥当性は、優先する目的との整合性においてしか論じることができない。
>だから、そういった目的を欠いた論述には論理的整合性は最初から存在しないってことだよ。
しかし、589(最初のスレ)さんは、
>>336で
>>340の3つの分類に答えて
>つまり、A、B、Cは、それぞれ異なる問題(目的)に関する異なる答えであると思う。
と述べておられますね。
>いかなる行為にも、何らかの意味で妥当性があるという事に
>なるような気もします。589さんはどうおもわれますか?
という私の質問に対して、
>>341で、
>その行為について妥当な目的があるなら、
>その目的について妥当であるという事はできるだろうね。
と述べておられるわけです。この展開では、論理的整合性は、いかなる行為にも何らかの
意味で妥当性があるということに合意いただけたと思っていたのですが、
「いう事はできるだろうね。」というのは、「いう事はできる」が、589(最初のスレ)さんは
そうは思わないということなのでしょうか?
>>では、589(最初のスレ)さんが問題にしているのは何でしょう?
>もちろん、論理的整合性(妥当性)だ。
非常に基本的な話で恐縮ですが、このスレの目的というか、問題にしているのは「どうして
人を殺しちゃいけないの?」という何等かの答えをだすことですよね。論理的整合性(妥当性)
をもってこの「どうして人を殺しちゃいけないの?」に答えることは出来ないのではないかという
素朴な疑問がわいてきます。
589(最初のスレ)さん、自身おっしゃっておられますが、
>では、その場合の問題は、その「価値判断」と行為の問題なのだから、
>別の目的との整合性について考えた結論と別の結論になるのは当然だね。
論理的整合性(妥当性)という「価値判断」と「どうして人を殺しちゃいけないの?」
という「価値判断」では、「別の結論になるのは当然だね。」ということになりません
か?589(最初のスレ) さん、ご自身の行為の論理的整合性については、どう考え
ておられますか?
370 :
589(最初のスレ):02/05/14 20:10
>「いう事はできるだろうね。」というのは、「いう事はできる」が、589(最初のスレ)さんは
>そうは思わないということなのでしょうか?
そこでは、「何らかの意味で」という前提がある。
これを私は、「行為と整合する目的については」という意味に解釈したし、
>その行為について妥当な目的があるなら、
>その目的について妥当であるという事はできるだろうね。
の記述において、それをちゃんと述べている。
>全ての人殺しは、
>論理的整合性の上では妥当だということでよろしいです
>ね。
という論述にはその「目的」の規定が無いから論述として整合性を持ち得ない
(行為と目的の整合性を検証できない)といっているのだよ。
>をもってこの「どうして人を殺しちゃいけないの?」に答えることは出来ないのではないかという
>素朴な疑問がわいてきます。
もちろんそのとおり、「優先する目的」を規定できないなら、
この問題に答えは無いというのが私の主張だ。
>>では、その場合の問題は、その「価値判断」と行為の問題なのだから、
>>別の目的との整合性について考えた結論と別の結論になるのは当然だね。
この答えは、あなたのいう「価値判断」を「別の目的の導入と違うのか?」
という私の質問にたいして、「違いません」と答えたから、
それに応じて答えたもので、あくまでも、あなたが「価値判断」を
「(考察の対象としている)行為に優先する目的」という意味に使っているという前提の
答えだよ。
だから、
>論理的整合性(妥当性)という「価値判断」と「どうして人を殺しちゃいけないの?」
>という「価値判断」では、「別の結論になるのは当然だね。」ということになりません
>か?
「論理的整合性」も「どうして人を殺しちゃいけないの?」も
「(考察の対象としている)行為に優先する目的」ではないから、そんなことにはまったくならない。
>589(最初のスレ) さん、ご自身の行為の論理的整合性については、どう考え
>ておられますか?
なるべく整合するよう努力しているよ。
371 :
589(最初のスレ):02/05/14 20:11
372 :
考える名無しさん:02/05/14 20:41
>>1 つまりだな、君の大切なもの、大切なこと、
大切な人を失うことになるからだよ。
>1
殺してから考えれば?
前スレのアナウンスしろや
>
>>363 :589(最初のスレ) :02/05/14 04:47
>
>>360 >>これは、問題を論理的に考えるなら、私が述べたとおりの議論でよいと認めたということですか?
>全然違うよ。
なんですか、このレスは。
あなたは、
>>358の1段目「じゃあ〜フォローしておこう」は不遜だろう、という指摘や、
2段目「論理的妥当性の話」のほうにも、レスを返していません。
さらに、
>>314-318に、全くレスを返していません。
相手の問いに対して、きちんと答えてください。話になりません。
▼
特に、
>>358の2段目は、死刑執行人もまた死す さんとのやりとりにおいても、
あなたが要点としている、重要な部分なはずです。
>>358 >ある前提を観察して、それに従って好ましいかどうかを述べることは、論理的妥当性と無関係な問題ではありません。
>観測事実から一定の結論を出すことは、科学における基本的な枠組みです。観測事実に基づいた推論が正しい場合、
>それを「論理的妥当性」とは無関係、などとは言えません。
あなたは、「論理的整合性は、目的と行為の関係においてしか論じることができない」といっています。
ですから、上の部分は、あなたの議論への(重要な)反論であるはずです。ここを無視しないでください。
こういうことを言われるはめになったことが恥ずかしいという自覚を、少しは持ってください。
▼
私は、あなたの「目的と行為の関係における論理的整合性」という考え方に対して、すでに
>>287 で、
>目的との整合性があることは、目的が達成されることに正当性が付与されるのであって、
>手段に正当性を付与するのではないと思います。先に私があげた例でいけば、過失殺の場合には
>上の議論は当てはまらず、金の場合は金が得られることが「正当」とみなす対象になり、私怨の場合であれば、
>
>>77が正当とみなす対象になります。手段については、「判断されてない」とみるのが妥当です。
と、レスしています。そして、あなたは、このレスに対して、
>>295で「定義が違う(473の定義が成立しないことを示したことにならない)」とし、
自分の定義が成立する理由は説明せずに、「私は「先立つ目的に適うこと」を、「正当」と呼んでいる。」
と、また同じ内容の記述を繰り返しただけでした。
これに対しては、
>>314-318の途中の、
>>315、
>>316で、
>>315 >>295(589さん)
>
>>287 >〜「殺人者の認識」ではなく、「メリットを期待することの妥当性が存在するか」という事を
>問題にしているということがいいたかったのだが。行為者の認識とは関係なく、ある行為がある目的に
>沿うものであるのならば、その目的について「妥当である」ということは、行為者の認識とは無関係にいえることだろう。
もちろんその通りです。ただ、その目的について考えることは、殺人によって引き起こされるデメリットに対する
正当化にはなりえないので、今回の話には関係がありません。
>>316 >私の考えでは、そもそも今回の「殺人の是非」は、「被害者が殺されることの是非」ですから、
>「殺す側の目的の正当性」の主張によって現におこる被害者側の不利益が覆されることがないことからして、
>589さんの定義による「正当性」が問題になる論点は、今回の論点からはずれている、と、なります。
と書きました。これに対しては、
>>343,
>>360、このレスの冒頭で、度々触れているとおり、レスが返っていません。
都合の悪い部分に回答しないでやりすごそうとするのは、やめてください。
「なぜ人を殺しちゃだめか?」っていう問の立て方がまずいんじゃ・・・。
それにはさ、いわゆる<互恵性>ってやつで答えてしまって構わないと思う。
(殺さないから、殺されないってことね!)
少なくとも、社会的レベルでの答えはそれで十分。
「そんなことないよ」ってやつは、自己の権利を支えているものすべてのものを、
現実に放棄してからそう言ってね。
(そんなことは、おそらくはあなたの意図を超えて、不可能なはずです)
本当の「哲学的」な問の立て方は、そうではないはず。
考察すべき問は:「なぜ人を殺すことができないのか?」
少なくとも「なぜ人を殺すことをためらわざるをえないのか?」なのでは・・・
社会的に十分に正当な理由をもっていたとしても、
さあいざ目の前の人を殺しなさい/殺してやろうって場面において、
その<殺し>の瞬間に、その人の「殺さないでくれ」っていう眼差しの前で、
ひとは必ずや、一瞬躊躇するはずです。(<これからビンラディンを殺してください>)
その躊躇する瞬間、ためらいの瞬間のなかに、
「人を殺すことができない」秘密が隠されているはずです。
問い方をまちがうと、この<秘密>を見過ごしてしまうのでは?
「人を殺してはならない」という<禁止>は、
この「殺すことができない」という<不可能性>の一つの表現形態にすぎない。
いいかえれば、前者は後者の後で派生的に現れる(=前者は後者から派生したものにすぎない)
命題だってことです。
だからこそ、より本質的で哲学的な問題は、
今述べた<殺人の不可能性>に関わる問のかたちをとって提示されなくてはならない。
そう考えられませんか?
冒頭6行の結論「互恵性」ってやつで答えてしまって構わない、の
理由がありません。互恵性という語の説明もありません。
本当の哲学的な問いの立て方は、そうではないはず、と言っていますが、
なぜそうではないはず、なのか、理由がありません。
(理由はあるのかもしれませんが、どれが理由なのか判然としません)
社会的に正当な理由をもっていたとしても、というとき、
社会的に正当な理由をもっていることが殺すことを正当化するかどうかを
問題にすることは可能です。私は、それを
「殺す側の利益問題である、つまり、論点はずれである」という形で問題に
しているのですが、あなたは、その問題について答えていません。
人が、殺すことを躊躇する点を、論証なしに仮定していますが、根拠は、
何でしょうか。また、殺人は単に伝聞で知り、それに対して評価を下せる面があるのに、
なぜ自分が殺すケースだけを仮定して議論しなければならないのでしょうか。
さらに、あなたの議論は、同じように殺される人間が存在する、過失殺の場合が
考慮に入っていません。この点は、問題ないのでしょうか?
▼
「人を殺してはいけない」という<禁止>は、殺すことができないという<不可能性>の
ひとつの表現形態にすぎない、という点は、もう少し説明をして欲しいです。
なぜ自分が殺すケースだけを仮定して議論しなければならないのでしょうか。
上の文章に続けてひとつ文章を追加します。
なぜ、自分が殺されるケースについては仮定がないのでしょうか。
<互恵性>とは:
その行為の帰結が、第一次的には「相手」の利益になり、
と同時に、第二次的に「自分自身」の利益にもなる、ということです。
(<第二次的利益>というのは、第一次的利益が自分の側に反射してくる
ことによって獲得されるものです。)
これを平易な言葉で「殺さないから、殺されない」と言ったのです。
<哲学的>とは、
「ものごとの(表層的な現象にではなく)本質的な在り方を考察しようとすること」
態度のことを、一般的に表現したものです。
「なぜ殺してはいけないのか」という問い方は、「殺すことができない」という
人間が根源的に有している倫理的契機を見過ごす可能性がある。
その限りにおいて(=ことがらの本質にたどり着けないから)<哲学的>ではない、
そう考えたのです。
<理由の正当性>と<行為の正当性>との区別について:
私も、それらは厳密に区別されるべきであると考えます。
つまり、殺人という行為の<正当性>はその理由の<正当性>によって
説明することは決してできないと考えます。
言い換えれば、殺人行為の<不正当性>はその理由の<不在>によって
論駁されることはない、とも言えます。
その「差違」の部分をかたちづくっているのが、
人間の根源的なレベルに存在する「倫理性」なのである、
こう考えます。
<躊躇>の根拠について:
殺人場面の極端なモデルを想定し(ex.幼子をその目を凝視しながら撲殺する)
その行為には「躊躇」が伴うだろうという想定は、一般的に共有可能であると考え、
“無根拠”のまま導入しました。
この想定を共有できない者との議論は、異なった出発的から始めなくてはならないことは認めます。
(その際の前提の共有にも、さらに“根拠”が求められるのでしょうか?)
考察の糸口を<自分の殺人>に求めていることについて:
問題の考察をまずは一人称+二人称(私があなたを殺す)の場面から始め、
それを三人称の場面(彼が彼女を殺す)に適用していく、
これが妥当な方法であると考えるからです。
以上、取り急ぎ、御返事まで。
>>380 >さらに、あなたの議論は、同じように殺される人間が存在する、過失殺の場合が
>考慮に入っていません。この点は、問題ないのでしょうか?
以降の質問にも、お答えください。よろしくお願いします。
なぜ、自分が殺されるケースについては仮定がないのでしょうか。にもです。
「互恵性」ってやつで答えてしまって構わない、の理由も答えられていません。
単純にいって、殺さないから殺されないといっていますが、
普通の人は、そもそも殺そうとか思ってないよ、と答えると思います。
あと、殺さなくても殺される場合はかなりあります。
というか、殺さないから殺される場合もあります。(戦争)
こういう点については、どう考えるのでしょうか。
殺さないから殺される場合もあります。(戦争)
これは、不正確でした。殺さない場合、殺される蓋然性が高まる場合もあります。(戦争)
>>380 >「なぜ殺してはいけないのか」という問い方は、「殺すことができない」という
>人間が根源的に有している倫理的契機を見過ごす可能性がある。
>その限りにおいて(=ことがらの本質にたどり着けないから)<哲学的>ではない、
>そう考えたのです。
この着眼点は、とても素晴らしいと思います。
私も、同様の趣旨を「そもそも人は殺したいと思っていない場合が多い」という
言い方で触れています。私は、殺したいと思っていない場合についての
考察も、あなたと同じように大切な問題だと思っています。
ただ、これは「殺してはいけない理由」がない、であるとか、
答える意味がない、と結論できる観点ではないように思います。
><理由の正当性>と<行為の正当性>との区別について:
>私も、それらは厳密に区別されるべきであると考えます。
私は、このような分類をしていなかったので、どの部分について
言及されているのか、よくわかりません。
ただ、行為の正当性を主張することは、理由を述べ、その正当性を
問題にすることですから、上の区別は表現として混乱を招きやすいものでは
あると思います。
>つまり、殺人という行為の<正当性>はその理由の<正当性>によって
>説明することは決してできないと考えます。
上の結論には賛成です。
>言い換えれば、殺人行為の<不正当性>はその理由の<不在>によって
>論駁されることはない、とも言えます。
>その「差違」の部分をかたちづくっているのが、
>人間の根源的なレベルに存在する「倫理性」なのである、こう考えます。
冒頭の2行は、解釈が難しいのですが、
「殺人行為を理由の正当性によって説明することはできないということは、
殺人行為を理由の正当性によって正当化することも、不当化することもできない」
ということでしょうか。
そうであれば、これには反対です。なぜなら、殺人行為を正当化する理由がないのは、
殺人行為は単に相手を傷つける行為であり、それによって(広い意味での)利益を
える人間がいるとしても、それは利益をえることについて問題にしているだけであるから、
殺人行為自体の正当化にはなっていないから、ですが、
現に殺される人間からすれば、殺人行為には自分の痛みや、行為可能性の喪失といった
デメリットがあり、これは殺人行為が不当であると主張する理由になるからです。
(この点は、親類であれ、部外者であれ、観察し主張することができます。
部外者には、殺した当人も含みます)
▼
><躊躇>の根拠について:
>殺人場面の極端なモデルを想定し(ex.幼子をその目を凝視しながら撲殺する)
>その行為には「躊躇」が伴うだろうという想定は、一般的に共有可能であると考え、
>“無根拠”のまま導入しました。
>この想定を共有できない者との議論は、異なった出発的から始めなくてはならないことは認めます。
>(その際の前提の共有にも、さらに“根拠”が求められるのでしょうか?)
これは、あなたがまだ答えていない論点とも関係するのですが、
そもそも躊躇する前に躊躇する機会がない人間も、「どうして人を殺してはいけないのか」と
問うことはあるわけです。
その点について答えるのであれば、それは「部外者が人を殺してはいけないと考える理由は何か」
という形をとることになります。この問いに答える場合においては、少なくとも殺す側に
立場を限定する必然性がないことは、明らかです。ですから、殺す側にたったときに躊躇するかどうか、を
そもそも問題にする必然性がないのです。
>考察の糸口を<自分の殺人>に求めていることについて:
>問題の考察をまずは一人称+二人称(私があなたを殺す)の場面から始め、
>それを三人称の場面(彼が彼女を殺す)に適用していく、
>これが妥当な方法であると考えるからです。
殺す理由がないのに、殺す場面からはじめるのは不自然ですし、
あなたがいう「殺すことができない」という倫理的契機を見逃さない、という観点からは
相反する方法のように思えますが。
むしろ、自分たちがおかれている状況を正確に把握し、殺すことをまず考えていない点を
確認し、殺しが起きている場合に、どのような要素がその状況にあるかを列挙し、
その状況をそれぞれの主体から説明していく、という形式をとったほうが、
より好ましい結果が得られると思います。
このほうが、・殺したくないという意識を保持したまま議論できる
・殺すことから距離をおいている、その距離を認識できる
・距離を認識することは、殺人をことさらに日常化する表現になれてしまうという
弊害を回避することにつながる
・殺しが起きている状況を正確に把握することは、この問題について冷静に考える
心理的土台を与えてくれる、
など、利点が多いと思うからです。
おやすみなさいです。
<過失による殺人>を問題としない理由について:
殺人を社会的レベルにおいて考察する場合、殺人を禁止する「法」の正当性の根拠
を問うというかたちで行われるのが一般的でしょう。
その場合、近代的法体系が前提としている「人間=主体」とは、
自立的な「意志」を有するものとして考えられていることは周知の通りです。
したがって、主体の意志の圏域を超えたところで起きた事象に関して、
行為主体は(原理的には)責任をとる必要が発生しません。
とすれば、「過失殺人」を取り上げることに(議論のこの段階においては、
つまり、殺人の是非の社会的な根拠・正当性を問うという段階においては)
本質的な意義が存するとは思われません。
これが、さしあたり「主体の意図に根ざした殺人」をまずは考察しようと
していることの理由です。
<互恵性>が(社会的には)必要十分な理由となるという主張について:
ある集団の内部において禁止される行為とはおしなべて、
その集団の存立を脅かすものにほかなりません。
1・「そんなこと思ってない」という者は、このことを、「慣習化」を経ることによって
忘却している=刷り込まれていると考えてよいと思われます。
そのひとが「禁止条項」の由来を忘却しているということは、その条項の由来がそもそも
そうであったという事実を反駁する根拠には、決してなりえません。
2・集団内部、あるいは社会の内部における「禁止」の効力は、もちろん、
その集団・社会の枠組みそれ自体が崩壊しているときには、その力を発することはありません。
「戦争状態」とは、言うまでもなくそのような状態なのであって、
この状態を、通常の社会的規範の正当性の根拠を論じる際に持ち出すことは、
論点のすりかえではないだろうか、そう思われます。
「殺してはいけない」という、社会的規範としての殺人の禁止を超えたところに
「殺すことができない」という「不可能性」の「倫理」があるはずだ、という私の観点は、
むしろそのような「戦争」の場面をこそ想定するべきものと言えます。
戦場で人は、殺さなくては殺されるという場面ですらなお、
銃口を向けた相手の眼差しに「躊躇」を覚えるであろう、この想定こそが、
我々の問題を「倫理」の領域へ移行させることを誘っているのではないでしょうか。
反論に対して2点だけいっておきます。
1:「なぜ人を殺しちゃいけないのか?」という問題を考察する場合に、
それを「殺される側のデメリット」から捉えるというあなたの観点は、
わたしが述べている<互恵性>という考え方と同値なんですよ。
(私はそのような問い方と答え方を社会的な道徳的規範に関わる問答ととらえ、
そのうえでそれを、人間の倫理的規範を問題とすることができるような問答に
修正する必要が(哲学的には)ある、と主張しているのです。)
2・「殺人行為」の<不正当性>はその理由の<不在>によって論駁されないという点について:
この主張を、「殺人は正当であるとも不正当であるともいえない」ということを必ずしも意味しません。
倫理的な次元に着目するときに殺人は<不当なもの>です。
その理由を、規範的な次元において根拠づけることは不可能であると、こう言いたいのです。
「なぜだめか?」、これは規範の根拠を論理的に説明すること操作の反復によっては、
決して答えることができない問です。
おしなべてすべての問が、このような「根拠の無限後退」に陥ることになるのではないでしょうか?
この後退をくい止める、それ自体としては「無根拠(であるように思われる)」次元が
確保されなくてはならないのです。
それが、第一次的には「社会」で良いわけだし、それをもう一段深く設定して、
「人間の根源的倫理性」の領域に設定することもできるわけです。
わたしは後者に設定することが、<哲学的>議論だろうと、そう主張しているのです。
389 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/15 17:39
>>370 589(最初のスレ) さん
レスありがとうございます。
589(最初のスレ) さんは、ひょっとして、「論述」と「行為」を区別されない
であつかっておられるのではないですか?
「論述」の整合性と「行為」の合目的性は別のものではないでしょうか?
「行為」限らず、言表と言表の表している事象は別のものですよね。言表
の中に目的が明示されていないからといって、行為に目的がないという
ことにはならないのではないですか。自白しない殺人者についての、裁
判を想起して下さい。
形式論理的な意味での命題の整合性については、いままでこのスレで述
べられている、「どうして人を殺しちゃいけないの?」に、任意の目的に
ついての文を付け加えれば、それで、良いだけではないのですか?
行為の合目的性について言えば、
>>340で述べたように、「いかなる行為に
も、何らかの意味で妥当性があるという事になるような気もします。」
(#この「いかなる行為」の中には「全ての殺人」もふくまれます。)
589(最初のスレ) さんの考えている、無目的な行為とは、どんな行為ですか?
それは、例外としてあつかえないような多数例ですか?
>もちろんそのとおり、「優先する目的」を規定できないなら、
>この問題に答えは無いというのが私の主張だ。
私は、589(最初のスレ) さんの主張に反対したことはありませんよ。
逆に言えば、
>>336、で589(最初のスレ) さんも認められているように、「
「優先する目的」を規定できれば、この問題に答えはある」ということで
すね。「優先する目的」を規定できれば、答えがあるわけですから、589
(最初のスレ) さんが、「優先する目的」を規定して、この問題について論
じられたら良いのではないでしょうか?
390 :
589(最初のスレ):02/05/15 18:49
>>375 >私の考えでは、そもそも今回の「殺人の是非」は、「被害者が殺されることの是非」ですから、
>「殺す側の目的の正当性」の主張によって現におこる被害者側の不利益が覆されることがないことからして、
>589さんの定義による「正当性」が問題になる論点は、今回の論点からはずれている、と、なります。
「被害者が殺されることの是非」という論点は、
「被害者の利益」という「先立つする目的」について
「殺人」という「行為」が「適うかどうか」を考えることと同じだと思うが?
391 :
考える名無しさん:02/05/15 19:13
共に世界を創る者だから!!
392 :
589(最初のスレ):02/05/15 19:21
>>389 >
>>370 >589(最初のスレ) さんは、ひょっとして、「論述」と「行為」を区別されない
〜
>判を想起して下さい。
よく意味がわからないので誤解があるかもしれないが、
行為者自身が行為した時点で「実際に」どういった
目的を考えていたか(考えると予想されるか)というのは別の問題だと思う。
例えば、「被害者の利益」を優先する目的と考えるならば、
行為者の行為時点の目的とは無関係に、
その行為は「被害者の利益」とは」整合性が無いといえるわけだから。
(同じことが「行為者の利益」という目的についてもいえる。
また、実際の目的を「優先する目的」として考えても構わない。)
>形式論理的な意味での命題の整合性については、いままでこのスレで述
>べられている、「どうして人を殺しちゃいけないの?」に、任意の目的に
>ついての文を付け加えれば、それで、良いだけではないのですか?
「付け加えなければ論点が成立しない」は最初からそういう意味で
言っているつもりだ。
>行為の合目的性について言えば、
>>340で述べたように、「いかなる行為に
>も、何らかの意味で妥当性があるという事になるような気もします。」
>(#この「いかなる行為」の中には「全ての殺人」もふくまれます。)
そう、「何らかの意味で」が「行為と整合する目的においては」という意味ならば、
それは持つだろう。
逆にいえば「何らかの意味で」「非妥当性」を持つともいえるわけだが。
>589(最初のスレ) さんの考えている、無目的な行為とは、どんな行為ですか?
>それは、例外としてあつかえないような多数例ですか?
くりかえしになるが、行為者自身の行為時点での目的は、
ここでは直接関係無いと思う。
>>もちろんそのとおり、「優先する目的」を規定できないなら、
>>この問題に答えは無いというのが私の主張だ。
>私は、589(最初のスレ) さんの主張に反対したことはありませんよ。
私も、あなたが反対したといったつもりはないが。
>逆に言えば、
>>336、で589(最初のスレ) さんも認められているように、「
>「優先する目的」を規定できれば、この問題に答えはある」ということで
>すね。
そのとおり。
>「優先する目的」を規定できれば、答えがあるわけですから、589
>(最初のスレ) さんが、「優先する目的」を規定して、この問題について論
>じられたら良いのではないでしょうか?
基本的に、「優先する目的」を規定するのは
>>1 の仕事だと思う。
というか、
「被害者の利益」以外の目的を認めない人が約一名いるので、
そういった議論ができないのが現状なのだよ。
「「被害者の利益」を優先する目的とするならば殺人はいけないことだ。」
という結論には誰も反対するものがいないというのに。
>>392 >「被害者の利益」以外の目的を認めない人が約一名いるので、
>そういった議論ができないのが現状なのだよ。
なぜそれを今回の議論にあたって認めないかについて、何度もあなたには
説明してきましたよね。優先する目的によって正当化されるのは、生きている側の
利益のみであって、被害者側の不利益を正当化しないから、
「今回の、「人を殺してはいけない理由」の考察」という問題にあたっては、
論点はずれでしかない、と。
死刑執行人もまた死すさんが、あなたと同じように論点を提示したことをいいことに、
上の「」内の条件付で私が問題にすべきでない、と考えている点を無視して
議論自体を認めていないかのように言わないでくださいよ。
>>390 >>375にきちんと答えてもらえませんか?
なんで重要な点をはずして、自己の主張する点にあてはめられるところだけ
引用して、レスを返すのですか?
>>387-388 丁寧なレスありがとうございます。
><過失による殺人>を問題としない理由について:
>殺人を社会的レベルにおいて考察する場合、殺人を禁止する「法」の正当性の根拠
>を問うというかたちで行われるのが一般的でしょう。
まず、「殺人を(法が問題になる程度の規模の)社会的レベルにおいて考察する」という記述は、
端的に不適切と考えます。なぜなら、殺人は社会的レベルで起こっているのではなくて、ある場所である
人間が別の人間を殺す(別の人間が、ある人間に殺される)という、ごく狭いレベルで起こっている
問題だからです。
・「殺人について 考えること」が、社会的レベルで 行われる、こと、
・「殺人について 考えること」が、社会的レベルで 行われている場合に帰結されること
(これが、あなたの考えている論点であると、私は理解します)
と、「殺人について 考えること」とが、混同されているように思います。
実質的には、殺人が行われたときに、殺人を行った者が裁かれなくても、その場で殺された人間は
なにごとかを考えたはずですが、そうした視点が「社会的レベルにおいて考察する」観点では、
抜け落ちてしまう点がまずいです(あなたも、社会的レベルにおいて考察が行われている点を
考察するだけでは、不十分である点を感じているようです
>>388 が、私が感じている点とは違っているようです。)
>近代的法体系が前提としている 〜 周知の通りです。
>したがって、主体の意志の圏域を超えたところで起きた事象に関して、
>行為主体は(原理的には)責任をとる必要が発生しません。とすれば、
>「過失殺人」を取り上げることに(殺人の是非の社会的な根拠・正当性を問うという段階においては)
>本質的な意義が存するとは思われません。
冒頭3行の内容には、賛成です。ですが、行為主体が責任をとる必要が生じないことは、
殺してはいけない理由についての問題ではなくて、殺したことにつき責任を軽減してよい場合があるか、の問題です。
責任が軽いからといって、殺してはいけない点(殺される際の不利益)までが軽くなるわけではないでしょう。
ですから、この点を持って「殺してはいけない」という問題について「過失殺人」を取り上げる意義を否定する
理由にはなりません。
私が過失殺人を殺人の是非として取り上げる理由は、故意殺も、過失殺も、結果として人が死んでおり、
そこで死んだ人間は、同じように不都合を負わされている(ことが事実である)からです。
殺す側の事情によって、殺される側の不利益に対する認識がぶれたりするのは、一種の配慮のなさそのものでは
ないですか? また、自動車などの政策に対する理解や、別のスレッドでの食べ物のために動物を殺す点において、
過失殺を考慮に含めないという態度は、問題を残すと思います。かかわりのない殺しであっても、その殺しによって
メリットを受けている場合についての考察は、おきている殺しを殺される側の観点からも踏まえなおさなければ、
正しく考察しようがありません。
▼
><互恵性>が(社会的には)必要十分な理由となるという主張について:
>ある集団の内部において禁止される行為とはおしなべて、その集団の存立を脅かすものに
>ほかなりません。
互恵性は、殺人をしてはいけないという主張が、何らかの形(法や、通念として)で普及した結果、意識されること
であって、互恵性から殺人の禁止が説明されるわけではありません。
>1・「そんなこと思ってない」という者は、このことを、「慣習化」を経ることによって
>忘却している=刷り込まれていると考えてよいと思われます。
>そのひとが「禁止条項」の由来を忘却しているということは、その条項の由来がそもそも
>そうであったという事実を反駁する根拠には、決してなりえません。
禁止条項の由来とは、「殺してはいけないという、具体的な複数の誰かによる、おそらく複数の地域・
歴史時間帯での禁止の主張」であり、そうした現実的な主張なしに、はじめから社会的に禁止条項が普及していたかの
ような想定こそが、由来の忘却だと考えます。
また、社会の存立を脅かすから、殺人が禁じられた、という由来を忘却していることは、この場合、互恵性で
殺人の禁止を説明することができない論拠になるはずです。なぜなら、互恵性が現に意識されるためには、
構成員が集団の存立を脅かすものである点を意識していなければならないからです。
あなたの議論は、論点の先取りをしてしまっています。
>2・集団内部、あるいは社会の内部における「禁止」の効力は、もちろん、
>その集団・社会の枠組みそれ自体が崩壊しているときには、その力を発することはありません。
>「戦争状態」とは、言うまでもなくそのような状態なのであって、
>この状態を、通常の社会的規範の正当性の根拠を論じる際に持ち出すことは、
>論点のすりかえではないだろうか、そう思われます。
最後の2行、戦争状態を、通常の社会的規範の正当性の根拠を論じる際に持ち出すことは、
論点のすりかえである、という指摘には、強く賛成します。
ただ、戦争状態における軍隊は、まさに社会であり、ある社会の枠組み自体はむしろ強まっている、
という、強い反論が来ると思います。戦争状態において、殺しは、社会的に行われていると言ってよいです。
>「殺してはいけない」という、社会的規範としての殺人の禁止を超えたところに
>「殺すことができない」という「不可能性」の「倫理」があるはずだ、という私の観点は、
>むしろそのような「戦争」の場面をこそ想定するべきものと言えます。
>戦場で人は、殺さなくては殺されるという場面ですらなお、
>銃口を向けた相手の眼差しに「躊躇」を覚えるであろう、この想定こそが、
>我々の問題を「倫理」の領域へ移行させることを誘っているのではないでしょうか。
私はむしろ、日常的に殺人を行ってはいけない理由を必要に応じて意識可能なようにし、
そうした観点から殺しを少なくする方策をとりやすくすることに、この問題について考える意義が
あると思っています。
あなたが問題にしている「戦争の場面を想定する」観点は、殺しを行う状況になってしまっている、
その状況を導いた点、状況を導かないように防止する観点への批判がない、という問題があります。
>1:「なぜ人を殺しちゃいけないのか?」という問題を考察する場合に、それを「殺される側のデメリット」から
>捉えるというあなたの観点は、わたしが述べている<互恵性>という考え方と同値なんですよ。
>(私はそのような問い方と答え方を社会的な道徳的規範に関わる問答ととらえ、そのうえでそれを、人間の倫理的規範を
>問題とすることができるような問答に修正する必要が(哲学的には)ある、と主張しているのです。)
あなたは、<互恵性>を「その行為の帰結が、第一次的には「相手」の利益になり、と同時に、
第二次的に「自分自身」の利益にもなる、ということ」と、定義されています。
ですが、私はこのような意味の議論をしていません。
私は、「相手」ではなくて、端的に被害者自身の利益の観点から、殺人は否定されると主張しています。
そして、この主張を部外者が認めることが、殺人をしてはいけない理由である、としています。
この部外者が認める、という部分に互恵性を読み込んだのだと思いますが、私が言ったのは、そういう意味ではなくて、
殺しを行うものであっても、殺した場合に相手が不都合を負うという点は認識できる、という点を言ったにすぎません。
>2・「殺人行為」の<不正当性>はその理由の<不在>によって論駁されないという点について:
>この主張を、「殺人は正当であるとも不正当であるともいえない」ということを必ずしも意味しません。
>倫理的な次元に着目するときに殺人は<不当なもの>です。
>その理由を、規範的な次元において根拠づけることは不可能であると、こう言いたいのです。
>「なぜだめか?」、これは規範の根拠を論理的に説明すること操作の反復によっては、
>決して答えることができない問です。
>おしなべてすべての問が、このような「根拠の無限後退」に陥ることになるのではないでしょうか?
>この後退をくい止める、それ自体としては「無根拠(であるように思われる)」次元が
>確保されなくてはならないのです。
私は、殺してはいけないというのは、単になされる主張として考えています。どこかでなされた主張が記憶されている
状態が、伝統的にいわれているところの、(個人が意識する)規範だと考えています
(私は 社会は、ない という考えをとっています
>>53 >>79 >>82)。規範は、定義によっていかようにも
意識されうると思います。
殺してはいけない、という主張を、合理的に裏付けるためには、単に不利益があり、それを主張するだけで足り、
それが社会的な規模で構成員に意識されなければならないわけでは、ありません。
規範的な次元において根拠付けることは不可能というより、規範的な次元で根拠付ける必要がありません。
>それが、第一次的には「社会」で良いわけだし、それをもう一段深く設定して、「人間の根源的倫理性」の
>領域に設定することもできるわけです。
>わたしは後者に設定することが、<哲学的>議論だろうと、そう主張しているのです。
人間の根源的倫理性という語で示される「躊躇」という事実は、現実的に殺す側に自分を置いたときに問題に
なる点ですが、この問題は、第一に被害者側からの「殺してはいけない」という主張とは無関係な問題です。
第二に、そのような状況にならないように考えるほうが、実践的だと思います。
特に、戦争の回避という点から考える場合、殺しをさける社会的条件を、被害者の不利益という視点を
常に保ちながら根拠付けていく作業が、重要であると考えます。
殺す必要性を認めないこと、殺しが行われないケースが増えること、が、大切なのであって、
殺しに直面する、という設定における、根源的倫理性への目覚めが大切なわけではないと思います。
また、根源的倫理性へ目覚めていたとしても、具体的な殺すことによって帰結されるメリットなり、
社会的な正当化理由を植え付けられている人間の場合、根源的倫理性 の実効性は、疑わしいと思います。
>>396中ごろ
構成員が集団の存立を脅かすものである点を意識していなければならないからです。
↓
ある集団の内部において禁止される行為とはおしなべて、その集団の存立を脅かすもの
である点を意識していなければならないからです。
以上のように訂正します。失礼しました。
399 :
589(最初のスレ):02/05/15 20:44
>>394 >なんで重要な点をはずして、
君は重要で無い点について質問をしているのかね?
>>399 その質問をする意味があるんですか。
重要性というのは、あるかないかではなくて、どの程度あるか、です。
401 :
考える名無しさん:02/05/15 21:14
今までのレスに意味があると?
402 :
589(最初のスレ):02/05/15 21:29
>>400 >その質問をする意味があるんですか。
答える立場としてはあるよ。
>重要性というのは、あるかないかではなくて、どの程度あるか、です。
より重要な質問があるのに、
それより重要の程度が低い質問をしているということだね。
話をずらさないでください。
>>375に答えてください。
404 :
589(最初のスレ):02/05/15 21:41
>>404 @
>>358の1段目「じゃあ〜フォローしておこう」は不遜だろうという点
A>ある前提を観察して、それに従って好ましいかどうかを述べることは、論理的妥当性と無関係な問題ではありません。
>観測事実から一定の結論を出すことは、科学における基本的な枠組みです。観測事実に基づいた推論が正しい場合、
>それを「論理的妥当性」とは無関係、などとは言えません。
という反論
B>目的との整合性があることは、目的が達成されることに正当性が付与されるのであって、
>手段に正当性を付与するのではないと思います。先に私があげた例でいけば、過失殺の場合には
>上の議論は当てはまらず、金の場合は金が得られることが「正当」とみなす対象になり、私怨の場合であれば、
>
>>77が正当とみなす対象になります。手段については、「判断されてない」とみるのが妥当です。
目的との整合性があることは、目的が達成される点に正当性を付与しているだけ、
という点 これに対して、あなたは定義が違う、としか答えていない
C>〜「殺人者の認識」ではなく、「メリットを期待することの妥当性が存在するか」という事を
>問題にしているということがいいたかったのだが。行為者の認識とは関係なく、ある行為がある目的に
>沿うものであるのならば、その目的について「妥当である」ということは、行為者の認識とは無関係にいえることだろう。
もちろんその通りです。ただ、その目的について考えることは、殺人によって引き起こされるデメリットに対する
正当化にはなりえないので、今回の話には関係がありません。
という問い
406 :
589(最初のスレ):02/05/15 22:04
>>405 >@
>>358の1段目「じゃあ〜フォローしておこう」は不遜だろうという点
そのとおりだね。
>>406 >そのとおりだね。
( ゚Д゚)ポカーン
408 :
エンドマン:02/05/15 22:39
法律で定められていて、違反したらブタ箱行きになるから
結論は出た
よってーーーーーーーーーーーーーーー終了ーーーーーーーーーーーーー
>>392 589(最初のスレ)さんレスありがとうございました。
>>589(最初のスレ) さんは、ひょっとして、「論述」と「行為」を区別されない
〜
>>判を想起して下さい。
>よく意味がわからないので誤解があるかもしれないが、
>行為者自身が行為した時点で「実際に」どういった
>目的を考えていたか(考えると予想されるか)というのは別の問題だと思う。
392自体に分かりにくい点があるので、誤解があるかもしれませんが、「ひとを
殺すと」いう行為と、「ひとに殺される」という別の二つの行為を「ひと殺し」
という一つの「論述」で表わし、この「論述」の「優先する目的」を論じている
のではないでしょうか?といえばどうでしょう。
>>589(最初のスレ) さんの考えている、無目的な行為とは、どんな行為ですか?
>>それは、例外としてあつかえないような多数例ですか?
>くりかえしになるが、行為者自身の行為時点での目的は、
>ここでは直接関係無いと思う。
「ひとを殺す」という行為においては、殺人者の動機について論じることは、
犯罪を立件する上でも、裁判を成立するうえでも直接関係があると考えますが、
いかがでしょう?(法学者の間でも、意見が分かれるかもしれませんが、実定
法上は、動機(目的)なき殺人は存在しないのではないかと思います。法律に
詳しいかたの教えを乞います。)
>「「被害者の利益」を優先する目的とするならば殺人はいけないことだ。」
>という結論には誰も反対するものがいないというのに。
意味がよく分からないので、誤解があるかもしれませんが、「被害者の利益」
の意味が不明瞭なので、この結論に「誰も反対するものがない」とは言えない
のではないでしょうか?自殺や、安楽死、の場合を想起して下さい。
あまり間があかないうちに、
>>360で473さんと約束している話をしようと思う
ので、レスが遅れます。その間に、589(最初のスレ)さんが答えがあると認めら
れる命題についての、589(最初のスレ)さんの考えを書き込んでいただければ、
後ほどレスするつもりです。
473さん。
お留守の間に上がり込んで、かえって、ご迷惑をお掛けてしまったようです。
もし、よろしかったら、私とお話しして下さい。
>>360では、「
>>329の方へ、後日レスを返すつもりです。よろしくお願いしま
す。」ということでしたが、必ずしも329にこだわりませんので、よろしくお願
いします。また、473さんはこのスレの交通整理もされているので、そちらが忙
しくなった時は私との話はいったん休止していただければと思います。
最初に私の基本的な考えを述べておいた方が、誤解がすくないようですので、
この問題についての私の思うところを書きます。
この問題には、いくつかの論点があるのではないでしょうか、私が思いつく限
りでは、
@「人を殺しては、なぜいけないのか?」(命題)
A「@、」の質問をすること。(発話行為)
B(実際の行為)
の3つです。473さんに他の考えがあれば教えて下さい。
@に関しての、私の暫定的な考えは。
「情報が不足しているので、この問題に対して一義的に答えることは出来ない。」
です。この答えは論理的であるとは言えません。答えることは出来ないと言いな
がら、「答えられない」と答えているからです。「語りえぬことについては沈黙
したほうが良い」ならば、論理的には沈黙こそ正しいと言えるでしょう。しかし、
「人はいろいろな仕方で沈黙しえ」ます。論理と非論理の境界面での妥協案とし
て、上のように答えておきます。これは、何も、ことさらに私の考えなどと言う
までもなく、この問題について論じる際の常識的前提として、473さんにも受け容
れていただけるのではないでしょうか。
上の文で、前提条件といった論理学用語をもちいなかったのは、うら憶えな用語
をつかわない方がよいと思ったこともありますが、明示的でない文脈や、状況に
ついての情報も判断材料にすることに含みを持たせたつもりです。他によい表現
があれば教えて下さい。
このスレの目的も前スレの
>>1の下記を引き継いでいると思っていますが、473さん
が新しいスレを立てていらっしゃるのですから、確認の為に目的に変更がないこと
をアナウンスして下さい。
>どうして人を殺しちゃいけないの?
>1 名前: ラビン 投稿日: 02/03/30 20:33
>こんな事を平気で聞いてくる
>アホ糞ガキが増えていますが
>そんな糞ガキにぐうの音もでないような
>理論で諭すにはどうしたらいいでしょうか?
>教えてくださいませ
論理的であるには沈黙すれば良いだけですが、「糞ガキにぐうの音もでないような
理論で諭すには」「沈黙」の一歩手前で語らなくてはなりません。
では、よろしくお願いします。
411 :
589(最初のスレ):02/05/16 19:43
>>409 >392自体に分かりにくい点があるので、誤解があるかもしれませんが、「ひとを
〜
>のではないでしょうか?といえばどうでしょう。
違うよ。
>「ひとを殺す」という行為においては、殺人者の動機について論じることは、
〜
>詳しいかたの教えを乞います。)
「そういった問題」を考える場合には関係あるね。
つまり、「法の目的」を「優先する目的」として「行為」の妥当性を考える場合には。
>の意味が不明瞭なので、この結論に「誰も反対するものがない」とは言えない
>のではないでしょうか?自殺や、安楽死、の場合を想起して下さい。
そうかもしれないね。
誰かが私に、私がわかるようにきちんと説明をしてくれれば、
私は素直にそれを受け入れる人間なのだから、
私が述べることに間違いがあって、それに対する反論があるなら説明してくれ。
そして、仮にどんな間違ったことでも、私が述べたことは述べた時点では間違いだと知らなかったのだから、
それを指摘しなかったものが居なかったことが悪いのであって、
私は悪くないし、恥ずかしいとも思わない。だから謝ることもしない。
それをすることは、それをさせたくないと考えるもののやるべきことなのだから、
きちんと説明を受けたとしても、感謝もしないし礼も言わない。
と考えていそうな人がこのスレに居る様に思うが、このような人は悪いのか悪くないのか?
このような考え方の人は、人を殺すと言う行為についても、
それをする時点で悪いと言う意識が無い者であれば、その後にどのような論理をもって、
悪いことであることを説明し得ても、人を殺した行為を後悔させる事はできないのか?
まだ人を殺していない段階では、人を殺すことで裁かれる為にとりあえずそうしないだけであって、
悪いことだから人を殺さないと言う考えではないのだろう。
殺したいと言う衝動があるのに、法に抑圧されてそれができないことが気に食わなくて、
納得できる理論を求めているのか?
こんばんは。
>>410 >この問題には、いくつかの論点があるのではないでしょうか、私が思いつく限りでは、
>@「人を殺しては、なぜいけないのか?」(命題)
>A「@、」の質問をすること。(発話行為)
>B(実際の行為)
>の3つです。473さんに他の考えがあれば教えて下さい。
私は今回の問題は、Bがある場合に一般的に観察できることは何か、また
そこから一般的に語りうることは、何か、と考えています。Aは、今回の
問題とは無関係、と考えています。理由は、殺しについて問題にする部外者・
部外者の思考について問題にすることは、殺しを問題にすることではないからです。
>@に関しての、私の暫定的な考えは。
>「情報が不足しているので、この問題に対して一義的に答えることは出来ない。」です。
>これは、何も、ことさらに私の考えなどと言うまでもなく、この問題について
>論じる際の常識的前提として、473さんにも受け容れていただけるのではないでしょうか。
私はこれには賛成できません。
まず、一般論として、一義的に答えられないことと、答えられないことは違います。
一義的に答えられないのであれば、多義的に答えれば足ります。
前提がないのなら、前提を補えば問題ありません。
多義的に答えられている内容のうち、ある意義や、前提がが広範に妥当する場合は、
それを一般的な答えとしておくことにも、問題はありません。
実質的には、殺しを行う者・行われる者・行いも行われもしない者の三者の立場から
考えたとき、殺しによるデメリットを、ほかの立場の者がどういう考えであろうが
必ず同じように不利益を主張するであろう、殺しを行われる主体がいますので、
今回の議論の場合は、その観点から一般的な結論を導きえます。
>確認の為に目的に変更がないことをアナウンスして下さい。
目的に変更はありません。
>論理的であるには沈黙すれば良いだけですが、「糞ガキにぐうの音もでないような
>理論で諭すには」「沈黙」の一歩手前で語らなくてはなりません。
一義的に答えられない、と答えられない、では全然意味合いが違います。
私は一義的に答えられるとは思っていませんが、それなりに論理的に正しい回答を
この問題に対してなすのは可能、と考えています。
>>412 ある人間の思考について触れる場合、触れられるのであれば、
ある人間が誰か明示してください。思わせぶりな文章を書いて、
自分の文章に論証以外の重みを持たせて受け入れさせようとするのは、
哲学板では、やめてください。
「あなたが示したような考え」をする人間がいたら、
それは悪いのか悪くないのか、なぜ問わなくてはならないのでしょうか。
また、問いを連発していますが、それは誰のために放たれているのでしょうか。
>殺したいと言う衝動があるのに、法に抑圧されてそれができないことが
>気に食わなくて、納得できる理論を求めているのか?
こういうレッテルを論じている人間に貼って、話をそらそうとするのは
やめてください。邪魔です(これは大げさな表現ではありません)。
>>414 あなたの「どうして人を殺しちゃいけないの?」に対する論理に異論を挟むつもりはないし、
少なくとも、あなたに対して思ったのではない。
あなたの発言を見る限り、該当すると感じる人も居ないと思う。
対象を特定することで、現在進行中の議論の発言者の妨げをしたくなかった。
議論をしている以外の人に発言を求めていたまでの事。
>哲学板では、やめてください。
あなたが、哲学板のルールブックだとは思わなかった。
論証以外の重みをもたせようなどと、難しいことは考えていない。
>また、問いを連発していますが、それは誰のために放たれているのでしょうか。
必ずしも既に発言している誰か特定の人に対して、質問をしなければならないとも考えていなかった。
>こういうレッテルを論じている人間に貼って、話をそらそうとするのは
>やめてください。邪魔です(これは大げさな表現ではありません)。
別に話をそらそうとしている訳ではなく、私が感じていることと同じ又は、
反論したい別の人が発言すればいいと思っていたのだが・・・・、
それとも議論が行われている状態の時は、
必ずそのテーマに沿ったレス以外付けてはいけなかったのだろうか?
別の観点から、新たに他の誰かと論じようとすることはルール違反でしたか?
<と考えていそうな人がこのスレに居る様に思うが、>
私が、このスレを読んで前半で示したような人物像をイメージしたので、
このような人が存在する可能性があると推測し、その根拠を示した上で、
このような人物を前提として「人を殺してはいけない」と言い得るか?
と新たに問いたかったのだが、余計な文章だったようだ。
いずれにしても、私の意図とは別に議論を妨げてしまったようで申し訳ありません。
以後、このスレでは一傍観者とさせていただきます。
416 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/17 07:47
>>410 473さん、レスありがとうございます。
確認させて下さい。
> 目的に変更はありません。
繰返しになって、恐縮ですが、
>こんな事を平気で聞いてくる
>アホ糞ガキが増えていますが
>そんな糞ガキにぐうの音もでないような
>理論で諭すにはどうしたらいいでしょうか?
>教えてくださいませ
が、目的ということですね。
上記の文章では、この「糞ガキ」は「人を殺しては、なぜいけないのか?」
と質問している傍観者なのであって、実際に人を殺しているのではないとお
もいますが、ちがいますか?
> 私はこれには賛成できません。
〜
> それを一般的な答えとしておくことにも、問題はありません。
>>413の私の文章は、473さんが述べていることと矛盾しません。
> 一義的に答えられない、と答えられない、では全然意味合いが違います。
〜
> この問題に対してなすのは可能、と考えています。
上記と同様です。
> 実質的には、殺しを行う者・行われる者・行いも行われもしない者の三者の立場から
> 考えたとき、殺しによるデメリットを、ほかの立場の者がどういう考えであろうが
> 必ず同じように不利益を主張するであろう、殺しを行われる主体がいますので、
> 今回の議論の場合は、その観点から一般的な結論を導きえます。
素朴な質問で恐縮ですが、「人を殺しては、なぜいけないのか?」と質問している「糞ガキ」
は473さんのおっしゃっている「殺しを行われる主体」からの観点に立っていないから、このよ
うな質問をしていると言えるのではないでしょうか?
どのよう説明したら、この「糞ガキ」に「殺しを行われる主体」からの観点から考えることを受
け容れさせられると、473さんは思われますか?
417 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/17 09:02
>>411 589(最初のスレ)さん、
レスありがとうございました。
589(最初のスレ)さん、が「論理的」であることが、よく分かりました。
>>413 で、473さんに確認したところ、このレスの「優先する目的」は
>どうして人を殺しちゃいけないの?
>1 名前: ラビン 投稿日: 02/03/30 20:33
>こんな事を平気で聞いてくる
>アホ糞ガキが増えていますが
>そんな糞ガキにぐうの音もでないような
>理論で諭すにはどうしたらいいでしょうか?
>教えてくださいませ
で変更ないそうです。
そもそも、589(最初のスレ)さんは、どう説明したら「糞ガキ」を説得できると
考えておられますか?
418 :
ユキト ◆bG6rosEA :02/05/17 09:16
>>1 では、何故あなたを殺してはいけないんですか?
419 :
考える名無しさん:02/05/17 09:26
173 :参加するカモさん :02/03/12 09:46
みんなメルマガ読んでる?
あれ読むとひろゆきの性格よくわかるよ
すっごい陰湿。
根暗。
正直、引くよ。2chの管理人って、こういう奴なのかって。
176:参加するカモさん :02/03/12 11:18
ひろゆきの裁判の報告の仕方はよくわかったけど、たまには相手側の言い分も聞いてみたいね
まったく違う状況だったりしてw
177:参加するカモさん :02/03/12 11:42
ひろゆきさんっては自分の都合の良いことしか報告しないし、都合が悪くなると
報告しなくなっちゃうんだよね、、
それにしてもひろゆきさんてば見事に陰湿な文章書くなあ。。
おはようございます。
>>415(412さん)
>少なくとも、あなたに対して思ったのではない。
>あなたの発言を見る限り、該当すると感じる人も居ないと思う。
もちろん内容を見る限りは、そう言えます。しかし、対象を特定しない場合、
レスを検討しないで読む人間は、自分の都合に合わせてあなたの文章を読みます。
>対象を特定することで、現在進行中の議論の発言者の妨げをしたくなかった。
特定しなければ、特定を求められてその分スレが伸びるだけのことです。
>>哲学板では、やめてください→あなたが、哲学板のルールブックだとは思わなかった。
路上でタバコを吸わないでください、と言ったとしても、直ちに自分がルールブックだと
考えていることにはなりません。単にやめろと言ってるだけですから。
相手の主張をあなたの勝手な解釈で極端なものにするのはやめてください。
>別に話をそらそうとしている訳ではなく、私が感じていることと同じ又は、
>反論したい別の人が発言すればいいと思っていたのだが・・・・、
>それとも議論が行われている状態の時は、必ずそのテーマに沿ったレス以外
>付けてはいけなかったのだろうか? 別の観点から、新たに他の誰かと論じようと
>することはルール違反でしたか?
あなたが感じていることと同じか、反論したい別の人は、まず特定を求めます。
そうでなければ、あなたの感想が妥当か判定できないからです。
判定に必要な材料を提示せずに議論すれば、うさんくさいと思われるのは、当然です。
3行目以降についてですが、私はあなたが論点を提示したとすら思ってないです。
必要な条件に触れてない、質問が多すぎる(だから誰のために、と聞いたのです
質問を連発してその観点にそらして、412が主張していない主張を通そうとしているのか、
と、私は考えました)からです。
>私が、このスレを読んで前半で示したような人物像をイメージしたので、
>このような人が存在する可能性があると推測し、その根拠を示した上で、
>このような人物を前提として「人を殺してはいけない」と言い得るか?
>と新たに問いたかったのだが、余計な文章だったようだ。
言いうるかどうかと、現に言えるかは別です。あなたは論証していませんから。
私が「邪魔です」が、大げさではない、と言っているのは、あなたの推測を
面と向かって話している状態で同じように表明すれば、どういう状態になるかを
想起して、言ったのです。(いきなりこの中に殺意がある人間がいる、と
殺してはいけない理由を議論している最中に言うことは、かなり不自然です。)
>>416(死刑執行人もまた死すさん)
>上記の文章では、この「糞ガキ」は「人を殺しては、なぜいけないのか?」と
>質問している傍観者なのであって、実際に人を殺しているのではないとおもいますが、
>ちがいますか? 〜 上記と同様です。
私がそれを分からないから
>>413 を書いたと言ってるのと同じなんですが。
それをわかって書いてるのは、過去ログ読めば明らかです。
あなたが質問する前提を、きちんと文章化してください。自分の問題提起の前提を
自明視して「2度同じことを」質問しないでください
(あなたは、論点を三つに分けて提示していますが、なぜ分けられるのかの説明をしてません。
分けたあとの帰結を厚く論じています
>>410 私はそれへ
>>413 で反論を行ったのですが、
あなたは自分の信念に反しているという理由で 「上記と同様です」と流してくれました。)
>> 実質的には、殺しを行う者・行われる者・行いも行われもしない者の三者の立場から
>> 考えたとき、殺しによるデメリットを、ほかの立場の者がどういう考えであろうが
>> 必ず同じように不利益を主張するであろう、殺しを行われる主体がいますので、
>> 今回の議論の場合は、その観点から一般的な結論を導きえます。
> 素朴な質問で恐縮ですが、「人を殺しては、なぜいけないのか?」と質問している「糞ガキ」
> は473さんのおっしゃっている「殺しを行われる主体」からの観点に立っていないから、このよ
> うな質問をしていると言えるのではないでしょうか?
それが分かってるから 473 が糞長い説明を繰り返してるに決まってるんですが?
前スレ
>>460-461は、読まれましたか?
> どのよう説明したら、この「糞ガキ」に「殺しを行われる主体」からの観点から考えることを
> 受け容れさせられると、473さんは思われますか?
糞ガキがわかろうがわかるまいが、そんなことはこの問題に関係がない、というのが
私の答えです。これこそまさに自明以外の何物でもないと思っていたんですが・・・
ある人間の主張が、何らかの観点から正しい・間違っていることと、
それを理解できる人間がいることは、まったくの別問題ですよね。
で、上の2行を理解していれば、「糞ガキ」は自動的に説得されます。
※質問時に恐縮する必要はありません。失礼な質問をしないようにしてください。
422 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/17 14:01
>>421 473さん、レスありがとうございました。
> それをわかって書いてるのは、過去ログ読めば明らかです。
了解しました。
> あなたが質問する前提を、きちんと文章化してください。自分の問題提起の前提を
> 自明視して「2度同じことを」質問しないでください
私の立場は、前出
>>410のAにあたります。
それは、この問題を論じているのが、小数の殺しを行う者・行われる者を除いて、
大多数の行いも行われもしないがいつか殺しを行うかもしれず、また、行われるか
も知れない傍観者だからです。このスレで発言されている、多くの方もそうだと理
解しています。
> (あなたは、論点を三つに分けて提示していますが、なぜ分けられるのかの説明をしてません。
論述と、論述を述べることと、論述の指し示している行為は別のものだということ
です。それは、どのような問題についても同じではないでしょうか?
> 分けたあとの帰結を厚く論じています
>>410 私はそれへ
>>413 で反論を行ったのですが、
> あなたは自分の信念に反しているという理由で 「上記と同様です」と流してくれました。)
わたしは、わたしの信念に反している記述をあたながなさっているとは思いません。
私の立場からも、すくなくとも
>>413であたなが述べていられることに、反論する必要
がないからです。むしろ、私が書いていることと違ったことをあなたが書いているとは
思えないから、そのように述べているのです。「流している」つもりは、まったくありま
せん。
> それが分かってるから 473 が糞長い説明を繰り返してるに決まってるんですが?
> 前スレ
>>460-461は、読まれましたか?
読んでいます。
A
> 糞ガキがわかろうがわかるまいが、そんなことはこの問題に関係がない、というのが
> 私の答えです。これこそまさに自明以外の何物でもないと思っていたんですが・・・
B
> ある人間の主張が、何らかの観点から正しい・間違っていることと、
> それを理解できる人間がいることは、まったくの別問題ですよね。
C
> で、上の2行を理解していれば、「糞ガキ」は自動的に説得されます。
最後の五行の論理を追うことが、私には出来ません。
Bだからこそ、他人に理解させるるにはどうしたらよいかが大事なのでは
ないでしょうか?
423 :
589(最初のスレ):02/05/17 14:09
>>417 >で、473さんに確認したところ、このレスの「優先する目的」は
このスレを立てたのは 473 で、前スレの主旨を引き継いでいるということはわかるが、
前スレ 1 の内容には、(私がここで言っているところの)「優先する目的」は含まれていないと思う。
>そもそも、589(最初のスレ)さんは、どう説明したら「糞ガキ」を説得できると
>考えておられますか?
論理的に正しいということと、
相手を説得できるかどうかということは、無関係だと考えている。
その意味では私の主張はスレの主旨からは外れている。
424 :
考える名無しさん:02/05/17 14:27
だれが人を殺したらいけないと言ったのか?そんなことは誰もいってないよ。
425 :
473じゃないが神:02/05/17 16:14
殺されたくない?殺しちゃダメ?オマエら何様だ!
オマエらに殺されたくないよーなどという一切の権利を与えた覚えはない!
オマエらに殺しちゃダメよーなどという一切の義務を課した覚えはない!
我の玩具に過ぎない人間如きが生意気なことをほざくな!
人間どもよ殺し殺されよ!それがオマエらに許した唯一の権利と義務だ!
我を退屈させるな!それがオマエらの使命であると心得よ!
>>422 >私の立場は、前出
>>410のAにあたります。
>それは、この問題を論じているのが、小数の殺しを行う者・行われる者を除いて、
>大多数の行いも行われもしないがいつか殺しを行うかもしれず、また、行われるかも
>知れない傍観者だからです。このスレで発言されている、多くの方もそうだと理解しています。
私は上のような理解をもとに、このスレで議論を展開しました。
ただ、ある瞬間に殺しを行っていない者は、過去に殺しを行った者であっても、
傍観者に含まれる点が違います。
>>(あなたは、論点を三つに分けて提示していますが、なぜ分けられるのかの説明をしてません。
>論述と、論述を述べることと、論述の指し示している行為は別のものだということ
>です。それは、どのような問題についても同じではないでしょうか?
論述と論述を述べることは切り離せません。論述が意味するところが、話者の意図
であるとは限らないからです。
論述が指し示している行為と、論述・論述を述べることが別である点は、もちろん
そのとおりですが、今回の議論において、それらの別が大きく関係してくるかは、
まったく別の話です。
>わたしは、わたしの信念に反している記述をあたながなさっているとは思いません。
>私の立場からも、すくなくとも
>>413であたなが述べていられることに、反論する必要が
>ないからです。むしろ、私が書いていることと違ったことをあなたが書いているとは
>思えないから、そのように述べているのです。「流している」つもりは、まったくありません。
思えない、ですませないで、どの部分が違っていないのか、説明をお願いします。
私は、あなたのようにAを問題にしないのですから、違っていると思いますよ。
▼
>最後の五行の論理を追うことが、私には出来ません。
どこがわからないのか書いてください。589さんに書いていたような
どうしようもなく長いレスが欲しいですか?
▼
>>Bだからこそ、他人に理解させるるにはどうしたらよいかが大事なのではないでしょうか?
他人に理解させるまでもなく、普通の人間は、殺してはいけないという結論を、
別の理由から肯定しています。ですから、理解の仕方を変えるべきとは言えても、
理解させるという言い方は、おそらく適当でないです。
つまり、ある人間が周囲の人間を大切にし、その周囲の人間もある人間を大切にすること、
大切にすること自体も楽しんでいる、そういう心理的な条件が整っていることによって
結果的に「人を殺したくないし、殺してはいけないと理解されている」ものです。
理解させなくてはならないのではなくて、お互いに、理解している状態にあれるように、
優しく接しあい、最低限の知性を持っておくことが大事です。
また、過失で殺してしまう・殺されてしまう場合には、理解しているかどうかは
関係がないです。
私怨、正当防衛など、理解していても行ってしまうことを止めにくい場合もあります。
(そこで止める際に説得力をもつ言葉は、殺しがいけないという理由ではないでしょう)
また、悲しいことですが、戦争がおきている地域では、直ちに殺しをやめるべきだという
言に説得力をもたせることなど、不可能です。
そして、「殺し」は日常的には例外的なことですが、「殺しが起きた事実」という
類型の中では、これらは例外的なことではないです。
「殺しを行ってはいけない理由」は、殺される人間にとっては、いつでも重要ですが
それを理解することが、「(自分が)殺しを行わない」点において
重要であるわけではありません。
むしろ、「殺しが行われない社会」を考える上で、とてつもなく重要です。
別スレで触れていた関係で、少し補足をします。
>>427最後の「日常」は、
私たちが住んでいる地域での、平均的な「日常」のことです。
429 :
473じゃないが悪魔:02/05/17 17:15
殺人鬼を死刑にするなんて我は許さん!
死刑に抑止効果を期待する馬鹿どもよ!
一刻も早く釈放せよ!奴等はもっと役に立つはずだ!
もっと殺させよ!野獣を野に放て!
これが抑止効果となるだろう!
430 :
473じゃないが悪魔:02/05/17 17:16
馬鹿スレageる我に感謝せよ!
431 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/18 08:38
589(最初のスレ)さん
>論理的に正しいということと、
>相手を説得できるかどうかということは、無関係だと考えている。
>その意味では私の主張はスレの主旨からは外れている。
レスありがとうございます。
レスがなくても、それはそれで、論理的で、整合していると
思っていたので、嬉しく思います。
論理的であること以上に、この問題について語りたいことが出
来たら、コテハンや文体を変えて、書込まれてはいかがでしょ
う。きっと、議論を豊かなものにしていただけると思います。
589(最初のスレ)さんとの応答では、何度もおなかを抱えて笑わ
せていただきました。どうも、ありがとうございました。
432 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/18 08:39
>>426 473さん、長レスありがとうございます。
> 論述と論述を述べることは切り離せません。論述が意味するところが、話者の意図
> であるとは限らないからです。
そのとおりだと思いますが、論点を分けることと、その論点がが全く切り離させるという
主張とは違っていると思います。 切り離せないからこそ、Aの立場に自覚的である事が
必要だというのが私の主張なので、このような議論が私への反論になっているとは思えま
せん。
> 論述が指し示している行為と、論述・論述を述べることが別である点は、もちろん
> そのとおりですが、今回の議論において、それらの別が大きく関係してくるかは、
> まったく別の話です。
おっしゃるとおりですが、我々が過去に殺しを行った者、未来に殺しを行うかもしれない
者を含む傍観者であるのですから、そのことに自覚的であるために、Aの立場を忘れない
ことは重要だと考えます。
> 思えない、ですませないで、どの部分が違っていないのか、説明をお願いします。
> 私は、あなたのようにAを問題にしないのですから、違っていると思いますよ。
「思えないで、すませないで、」ではじまった文章が「思いますよ」で終わっているのは、
私にたいする単なる皮肉でしょうが、誤解をさけるために書いた文章が誤解を招いているの
で、不本意ですが、473さんの私に対する議論の進め方は、私に対して、ご自分の文章が私の
書いた文章と違うかが私に理解されていない点を無視して進行されておられるように感じられ
てなりません。
私の疑問は、私の述べている事がが473さんの述べている事とどこがちがうのか?ということ
です。473さんは、私が、
「情報が不足しているので、この問題に対して一義的に答えることは出来ない。」
と述べたことを、
「一義的に答えられないのであれば、多義的に答えれば足ります。 前提がないのなら、前提
を補えば問題ありません。」
「一義的に答えられない、と答えられない、では全然意味合いが違います。私は一義的に答え
られるとは思っていませんが、それなりに論理的に正しい回答をこの問題に対してなすのは可
能、と考えています。」
と言換えておられるだけです。そして、その言換えは私の主張の許容範囲内だと申上げている
のです。改定可能だからこそ、暫定的、前提とももうしあげているわけですし、付加できるも
のとして情報を捉えているからこそ、文脈や状況といった書き方をしているつもりなのですが、
ご理解がえられず、残念です。
433 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/18 08:40
>>427 > どこがわからないのか書いてください。589さんに書いていたような
> どうしようもなく長いレスが欲しいですか?
そのレスは、一度読んでいますが、再度読みます。
> 他人に理解させるまでもなく、普通の人間は、殺してはいけないという結論を、
〜
> むしろ、「殺しが行われない社会」を考える上で、とてつもなく重要です。
良レスありがとうございます。
「理解させる」というよりも、むしろ、このような質問をされた時に、どのよう
にその子供(糞ガキ)に接したら良いのかが問題なのではといった方が適切だっ
たかもしれません。
脳死者の臓器移植などの場合、脳死者や臓器をまつ身になりえるだけでなく、脳
死者の親や臓器をまっている子供の親になりえる傍観者としての自分の立場から、
473さんの議論を拝読しているつもりです。 また、そのような傍観者として自分
を考えるのでなければ同じ傍観者である「糞ガキ」にたいしても接せられないの
ではないかと考えています。
わたしが、Aの立場を問題にするのは、この問題を、我々が「殺されるものの利
益」を考慮しないからではなく、むしろ、誰もが「殺されるものの利益」につい
て語ろうとするからこそ、このような問いが生れてきたのではないかと考えたか
らです。言換えれば、誰が、どの「殺されるものの利益」を論じているかという
ことです。それは、「原子爆弾の投下は第2次大戦の終結に必要だった。」とい
うような言い回しに端的に表れています。
傍観者は「殺されるものの利益」を語ることで、自らの利益を隠蔽し、殺される
もの権利も、殺すものの権利をもかすめとっているのかもしれません。
>>428 >別スレで触れていた関係で、少し補足をします。
>>427最後の「日常」は、
>私たちが住んでいる地域での、平均的な「日常」のことです。
この話、よろしければ、もう少し詳しく教えて下さい。
473さんを不快にさせているようですので、私の質問はこれで終わりにします。
どうもありがとうございました。
434 :
死刑執行人もまた死す ◆WVUyFIjM :02/05/18 08:41
私自身は、このスレの主旨に反していないつもりでしたが、主催者である473の要請
されている、事実上の主旨からは逸脱しているようです。
私は他人を不快にすることを好みません。殺しについて語る人間が、そのために他人
を不快にするなど、醜悪な自己矛盾にすぎません。私は、自分の立場を変更し、「沈
黙」することにします。
みなさんの議論が豊かで実り多いものであることを、祈ります。
レスをつけてくれたみなさん、そうでないみなさん。どうもありがとうございました。
死刑執行人もまた死す
435 :
589(最初のスレ):02/05/18 11:26
>
>>432-434 >論点を分けることと、その論点がが全く切り離させるという主張とは
>違っていると思います。 切り離せないからこそ、Aの立場に自覚的である事が
>必要だというのが私の主張なので、このような議論が私への反論になっているとは思えません。
Aの立場に自覚的であることが必要だというのであれば、Bについて、@の形式で
問題にしている、ときの、補足としてAが位置付けられるべきでした。
>おっしゃるとおりですが、我々が過去に殺しを行った者、未来に殺しを行うかもしれない者を
>含む傍観者であるのですから、そのことに自覚的であるために、Aの立場を忘れないことは
>重要だと考えます。
これには、賛成ですが、Aの立場を忘れないというよりは、Bを考える際に前提されるべき
である、と考えます。
>> 思えない、ですませないで、どの部分が違っていないのか、説明をお願いします。
>> 私は、あなたのようにAを問題にしないのですから、違っていると思いますよ。
>「思えないで、すませないで、」ではじまった文章が「思いますよ」で終わっているのは、
>私にたいする単なる皮肉でしょうが、
「Aを問題にしないのですから」と理由を書いていますが・・・。皮肉じゃないですよ。
>誤解をさけるために書いた文章が誤解を招いているので、不本意ですが、
>473さんの私に対する議論の進め方は、私に対して、ご自分の文章が私の書いた文章と
>違うかが私に理解されていない点を無視して進行されておられるように感じられてなりません。
無視して進行するも何も、私は私の論証をあなたが無視して進めたと書いてるじゃないですか。
以下に続くあなたのレスは、以前に書かれてあるべきものだったのでは?
>私の疑問は、私の述べている事がが473さんの述べている事とどこがちがうのか?ということです。
>473さんは、私が、
>「情報が不足しているので、この問題に対して一義的に答えることは出来ない。」と述べたことを、
>「一義的に答えられないのであれば、〜と考えています。」と言換えておられるだけです。
一義的に答えられないという点は、今回の議論への答えではない、という観点から上のように
書いたのです。そこだけ取り出すと、確かに私の文章は、あなたの主張に矛盾しないように見えますが、
あなたは今回の議論の@(私の考えではBを、@をB周辺の事実を踏まえて、Aを意識しつつ
問題にすること、ですが、これは全てBを理解する上で相互に関連してくる問題と考えます)に対して
「一義的には答えられない」と結論していたのですから、私の上のレスは、単に言い換えをしているわけではありません。反論していたのです。
あなたは@〜Bを切り離せない、と書いていますが、そうであれば、後述のとおり暫定的な
結論、というで「@に答えられない」というべきではなかったです。
それは「結論」ではないです。実際にはBが踏まえられた上で、@に答えられる点が、
殆ど自明に近いのですから。
>そして、その言換えは私の主張の許容範囲内だと申上げているのです。
>改定可能だからこそ、暫定的、前提とももうしあげているわけですし、付加できるものとして
>情報を捉えているからこそ、文脈や状況といった書き方をしているつもりなのですが、ご理解がえられず、残念です。
情報が不足してるので答えられない、というのは、いかにももっともそうな答えですが、
今回の場合補えばいい情報というのは、Bについて検討すれば、一般的・常識的に補える事柄です。
すなわち、殺されることで不都合がある人間は誰か、また、不都合は何か、の内容です。
そのへんは、前スレ
>>460-461 で、もう終わってる話です。私の中ではですけど・・。
>>433 >わたしが、Aの立場を問題にするのは、この問題を、我々が「殺されるものの利益」を
>考慮しないからではなく、むしろ、誰もが「殺されるものの利益」について語ろうとするからこそ、
>このような問いが生れてきたのではないかと考えたからです。
>言換えれば、誰が、どの「殺されるものの利益」を論じているかということです。
>それは、「原子爆弾の投下は第2次大戦の終結に必要だった。」というような言い回しに
>端的に表れています。傍観者は「殺されるものの利益」を語ることで、
>自らの利益を隠蔽し、殺されるもの権利も、殺すものの権利をもかすめとっているのかもしれません。
素直に考えるなら「原子爆弾〜」のくだりは、殺されるものの利益について語っているのでは
なくて、殺した側・傍観者の利益について語ってるようにしか、読めません。
上の文章のどこに、被害者の不利益が語られているんでしょうか。
被害者の不利益について語る例としては、
「原子爆弾の投下によって起きる被害・その地理的・時間的範囲(後遺症)は、〜である。」
などが、適切です。
あと、誰もが「殺されるものの利益」について語ろうとする、ということですが、
・まず、食べ物についての思考を見ればわかりますが、大抵の人は生きてる人間が
食べるうえでいい という判断をし、それをありがたみという形で殺しを意識せずに
終わらせがちです(私はこの例で、人々の思考の癖を示そうとしてます)。
・歴史の、戦争の部分においては、勝った立場、また自分(自国)の歴史について
記述されがちになります。自分が不利益を受けた場合には、もちろん殺されるものの不利益に
ついてふんだんに語られがちですが、それは「殺されるものの利益」について語ろうとした
のではなくて、結果的にそれを語ったのでしょう。
・殺されるものの不利益を自明視することで、論点からはずす事で、視野からそらしてしまう
(それが意図的になされるか、そうではないかは、人によります)ケースが多く見られますが、
これは「殺されるものの利益」を語ることで自らの利益を隠蔽することではないですね。
殺されるものの利益を語らずに自らの利益の話ばかりしてるだけですから。
>
>>428 >>別スレで触れていた関係で、少し補足をします。
>>427最後の「日常」は、
>>私たちが住んでいる地域での、平均的な「日常」のことです。
>この話、よろしければ、もう少し詳しく教えて下さい。
ディル猫関連スレッド、のほうで「日常」が、私たちの地理的・時間的に隣接した
日常のみをさしているが、こうした「日常」という語の用法は、改められたほうが
よい、という記述をしたのです。
>>434 私は主催者じゃないですよ(^ ^;;
>私は他人を不快にすることを好みません。殺しについて語る人間が、そのために他人を
>不快にするなど、醜悪な自己矛盾にすぎません。
miyadai.comのバーチャル講義の第2回を見ることをお勧めします。
>>436訂正
>無視して進行するも何も、私は、あなたが私の論証を無視して進めた、と
>書いてるじゃないですか。
440 :
考える名無しさん:02/05/18 13:16
人を殺すと言うのは自由、平等社会において生物同士の共通の目的の
「生きる」というものを絶つものであり、もし殺すことが認められれば
間違い無く欲望の為に人を殺す、、つまり「万人の万人に対する闘争心」byホッブス
が生まれ、果てには世界全体にも危険を及ぼすからだと思いますが。
今までの話と全然違ってスマソ。
441 :
考える名無しさん:02/05/18 14:30
3 :考える名無しさん :02/04/28 00:18
人助けも自分の満足のためですよ。
4 :考える名無しさん :02/04/28 00:18
>>3シンプルな思想だね
5 :考える名無しさん :02/04/28 00:19
互酬の契機が成立すれば重畳かと
安定性・蓋然性確保 という切り口もあるのでは?
敷衍すると、「万人の万人に対する闘争」を常時継続することは、事実上不可能である という点は万人に共通するため、「楽をしよう」という、専ら利己的な動機が普遍性を帯び、相互的な安全保障の試みへと収斂する傾向がある といえよう。
かくして、殺人は悪である という規範が析出し、再確認され続けているのではないか と思われ。
442 :
考える名無しさん:02/05/18 14:40
33 :考える名無しさん :02/05/13 06:13
対話では互いに互いを操作しあおうとしているわけなので、
表面上のことばだけでなく意図も読み取れた方がいいのかもしれんが、
どうせ人の心の中はわからないので深読みするとドツボにはまりそうだ。
自然にその場の空気になじめるくらい共通の認識を持っていればいいのだが。
34 :考える名無しさん :02/05/13 08:51
>>33 意図的・相互的な「操作」については、当方としては、首肯しかねる。
仮に、操作的契機を前提とするとしても、
複数の主体が「操作的な」対話を継続・累積する「過程」を経由するとき、相互的な無理解ないし錯誤を契機とするところの紛争状況は、むしろ錯誤の可能性ゆえに、一応の解消を見て、動的な均衡状況が実現する という蓋然性は認められるかと思われる。
そうして、上述の文脈での均衡状況を、「衡平」と記述・認識することもできるのではないでしょうか?
そうして、 かかる均衡状況を組成するに際しての端緒ないし要素として想定しうるのは・・(略
35 :考える名無しさん :02/05/13 09:42
前略)である。
かくして、広く普及した価値、例えば交換価値を基礎・土台として、多様な価値が安定的・継続的に実現する、という旨が、
法の支配の復権を強調する、某氏の著作「隷属への道」の趣旨だったかと思われますが。
そうして、コミュニケーションが反復されるとき、必然的にエラーが生じるであろう。
逆説的ではあるが、エラーの契機が、多様な価値の実現に際しての端緒となりうるのである。もっとも、上記のごとき平衡状況の実現に際しては、相応のリスク負担・コスト費消が必要であろう。
>>440 ついては、「もし殺すことが認められれば 間違い無く欲望の為に人を殺す」という文と、「万人の万人に対する闘争心」が生まれ という文との関連性を根拠付けるものをお伺いしたく(w
>>442 一言で言えば「独占欲」だと私は考えますが。
>1
だからぁ、殺してから考えれば?
445 :
考える名無しさん:02/05/19 01:35
なんかこの板、人少ないね。
447 :
考える名無しさん:02/05/20 08:19
このスレの論客の方へ
おそらくこれまで、対象に対して危害を加えて死に至らしめる、
あるいは、死を望むものに手を貸す、ということは語られたと思いますが、
例えば、非常に愛し合った二人のうちの一人、
若しくは誰かに対して一方的に心の拠り所を求めていた人が、
相手にかける期待を裏切られたことによって自殺をしたとすると、
その裏切ったとされる側は、相手を殺したことになるのでしょうか?
仮に、裏切りを意識していなかったとしても悪いと言うことになるのでしょうか?
448 :
考える名無しさん:02/05/20 08:54
つうか
>このスレの論客の方へ
では誰も答えないと思う。
では、いろんな人の意見希望
452 :
考える名無しさん:02/05/20 20:05
>>447 「裏切り」といっても様々あるから、ケースバイケースだよ。
453 :
考える名無しさん:02/05/20 20:07
それよりも、なぜ殺す必要があるんだ??
人間を食料としているわけでもあるまいに
>その裏切ったとされる側は、相手を殺したことになるのでしょうか?
殺したことにはならない
>仮に、裏切りを意識していなかったとしても悪いと言うことになるのでしょうか?
「悪い」という言葉が曖昧すぎるよね
悪くはないが問題が全く無い訳でもないんじゃない?
人を殺すのはなぜ悪か?
その答えは簡単である
社会の害になるからである
善は社会のためになることをいい
悪は社会の害になることをいう
しかし、人間は善よりも個人的な損得で行動することが多い
よって殺人が起こる
それだけのことである
こうへい君、留年です。
457 :
考える名無しさん:02/05/20 21:44
>>447 この場合、期待を裏切るという行為と死ぬということとは
何の相関関係もなく、従って自殺は裏切られた方の一方的
な判断によるものであり、裏切った側の責任は相手に精神
的苦痛を与えたという点においてのみある。
いやなことがあったら死んでしまおうという考え方に問題
があるのである。
みなさん興ざめすること言ってごめんなさい。
このスレ立てたの私です。
マジで。
>>447 >その裏切ったとされる側は、相手を殺したことになるのでしょうか?
殺したことにはなりません。
ただ、「おまえのせいで彼(彼女)は死んだんだ!」という言い方が
説得的に聞こえる場合はあるでしょう。
>仮に、裏切りを意識していなかったとしても悪いと言うことになるのでしょうか?
裏切ったことが事実であれば、裏切りについて、悪いことになります。
裏切りを意識していない場合、裏切ったとされることにつき過失があれば、
過失について悪いと言えます。
裏切りを意識していない場合、裏切ったとされることにつき過失がなければ、
悪いとは言えません。
結局のところ、具体的な事例ごとに判断が分かれます。
ある抽象的問題の是非を議論する場合は、
一つの対象として扱えない事実を、言葉の上で一つとして扱えてしまうことで、
事実を構成する要素とあてられる言葉との対応関係が意識されずに、空論に終わって
しまうことが多いので、気をつけると良いと思います。
▼殺人について考えるとき、以下の人間を、抽象的に想定することは、大丈夫だと思います。
・0が殺される・殺されそう 注:0が自殺
・1が0を殺す・殺しそう
・2、3… …1億…50億…(部外者)
これらの人間それぞれの立場から、殺人という抽象的事実がどう理解されるかを明かせばよいはずです。
■0の立場からみれば、殺人は常に悪いです。なぜなら、0は殺されることで、
@ 行動できる可能性が無くなる(感じることも、得ることも、人付き合いも、議論もできなくなる)し、
A ものすごく痛い思いをする(ところで、普通「殴ることは悪いことでない」とは言いません)
からです。
@・Aは、0にとって、大きなデメリットです。ですから、0の立場からみる限り、殺人は悪いことです。
注:自殺…「自殺を遂げるまでに、生きていて受けるデメリット」の方が、
「自殺しないで、生きた場合に受けるデメリット」より、
ある時点において、小さいと判断された結果です。
0による0の殺人に、0にとってのデメリットがなかったわけではありません。
■1、2、3、…(以下、Xと略します)の立場からみる場合は、視点により結論が変化します。
☆Xの立場から「0が受けるデメリットは、0の主観によって決まる(面が大きい)」と考えることは、
一般的に正しいとされます。
Xが、これを認めるなら、0の立場からみる議論をたどり「0が殺されることは悪い」と認めることになります。
それを一般的に表現するなら、「殺人は悪い」とするのが、論理的です。
☆「0が受けるデメリットを考慮しない」なら、単に事実認識が誤っているだけです。なぜなら、
Xは、1が殺そうとしたときに、0が感じているだろうことを、無視しているからです。
Xは、事実を構成する重要な部分を無視して、結論を出したにすぎません。
☆「0が受けるデメリットを考慮するが、XのメリットやXのデメリットの欠如を問題とする」のは、
考慮していないのと同じです。
なぜなら、0のデメリットとは無関係なXの事情を考えつつ、0でない立場で0の事情を考えた上で、
Xにとってのメリットを採りうる、と認めたに過ぎないからです。
言い換えますと、Xは、殺人に「付随した(関係はない)」、
@Xにとって、殺人によって得られるメリットがあるか、
AXにとって、殺人に伴ってデメリットが感じられない事実がありうるか、
という事実問題を、「殺人(は許されるか)」という言葉のもとに、考えているのです。
これらについて考えると、
@0が殺されることでXがメリットを得ることはありえるので、その点を重く見れば、殺人した事実と
殺人以外の事実との総合判断で、殺人を許容する・黙認するXは、存在します(0にとっては関係が無い)。
AXにとって、0のデメリットは、Xのデメリットではないですから、事実上、殺人と無関係な時が過ぎていきます。
Xが支障なく生活ができるなら「(Xにとって)悪くない」と論理的にいえます
(他人の痛みは、いくらでも我慢できる)。
@・Aは、評価の問題として言説上扱いうる問題であると同時に、評価と無関係に可能である、事実問題です。
ですから、殺人が、Xが所属する社会にとって、個人レベルでみた頻度でまれであっても、
「論理的に可能であり、殺人を規制する制度が社会にある事実があるにすぎない」と考えるなら、
当然「殺人はなしえる」「悪いと(X(の一部)にとって)評価されない場合はある」ことになります。
ですが、そんなことは、実際に殺された人や、殺される人の立場を論理的に考察の対象に含める人にとっては、
どうでもいいことです。
▼
「殺人は悪いことではない(場合がある)」と言っている人は、
殺される人間0以外の人間、1、2、3、…が殺されなければ、1、2、3、…は、
デメリットがないか、メリットがあるかだから、0が殺されることは、1、2、3、…にとって
悪いと(事実上)判断されない(場合がある)、と言っているのです。
これは、論理的には全く正当です。しかし、この意見に実践的な意義がないことは明らかです。
このスレで、何回も
>>460-461の引用を行ったうえ、前スレのアナウンスも
してなかった(このスレの途中で、指摘されて行いましたが・・)ので、
コピペさせてもらいました。すでに把握されてる方は、うっとうしいかと
思います。もしそのように感じられましたら、ごめんなさい。
>>457 裏切った側に責任があると言うのは、どういうことなのでしょうか?
その責任に対して、何らかの行動を起こさなければならない義務が発生する、
と言うことなのでしょうか?
>>459 説明を把握するのに時間がかかりそうですが、先ず確認したいことは、
「人を殺してはいけない」=「人を殺すことは悪い」
と言うことでしょうか?
それとも「いけない」と「悪い」とは別なのでしょうか?
>>463 スレのテーマと完全にずれていることは、はっきりしている
(殺したことになると一般的に認めることはできないので、テーマからずれている)ので、
ほかにスレッドを立てて、やって頂きたいです。
どこかに紛れでも求めたいんでしょうか? あなたの質問の狙いは何ですか?
>>464 ”狙い”などと言われると心外ですね。
私は、あなたの説明を理解しようとしているだけです。
だって、スレッドのテーマは「どうして人を殺しちゃいけないの?」と言う事でしょ。
まだ把握できてはいませんが、あなたの説明は「人を殺すことは悪いこと」と
「人を殺すことは許されない」を説明しているように思います。
と言うことは、テーマに沿うには「こういう理由で悪いからいけない」とか、
「こういう判断で許されないからいけない」と結論がなければならないと思ったので、
確認したかったのです。それが、スレッドのテーマからずれているのですか?
どこが、スレのテーマと完全にずれていることがはっきりしているのでしょう。
私には、そのように攻撃的に反応されることと合わせて、なぜか解りません。
466 :
考える名無しさん:02/05/21 13:53
どうして人を殺しちゃいけないの>常識世界で生きているから
人を殺したら殺さなかった場合には生まれていたであろう子供も殺したことになりますか?
468 :
考える名無しさん:02/05/21 14:27
467> 感情論抜きなら当たり前のごとくならない
>>464 それと今改めて思うと、私はこのスレッドをざっと読んで、
とても整理された考え方をお持ちの方が居ると感じたので、
テーマに沿った内容で、私の解らないことについて考え方を知りたいと思ったのに、
他にスレッドを立てよと言って、私がこのスレッドで発言する可能性を断とうとしておられます。
しかも、私は私なりにテーマに沿っていると思ったことを発言したのに、
唐突に非難をされて、心理的に痛い思いをしました。
こうなると、私に対してあなたは「悪いことをした」ことになりますか?
それとも、痛いとは肉体的なことに限られるのですか?
470 :
考える名無しさん:02/05/21 14:47
テーマ変わってるし、「あなたは」って・・・二人でやってくれーw
>>465 とりあえず、
>>447-451の流れをみて、この人は真面目に聞いてないな、と
思ったのです。
あと
>テーマに沿うには「こういう理由で悪いからいけない」とか、
>「こういう判断で許されないからいけない」と結論がなければならないと思ったので、
>確認したかったのです。それが、スレッドのテーマからずれているのですか?
とのことですが、私はあなたがその話をしたと思っていないわけです。
多分他の人もそうだったと思うのですが・・・。
463の459へのレスは、スレ違いでない感じにも読めますが
リンクは459に張られていますしね。
後付で質問して、以前からその質問を書いていたかのように言われても、困るん
ですよ(ディル猫の方でもあった)。
気分を害されたなら、それはお気の毒ですけども。
>>469 スレ違いの発言をしてると言われた場合、それに対して
「発言する可能性を断とうとしている」「テーマに沿ってると思った」と
答えても、説得力はないです。
他のスレッドで発言すれば良いわけですし、テーマに沿ってると思うことで、
テーマに沿ってることになるわけじゃないですし…。
非難されて、とのことですが、私は批判しただけです。
スレ違いなので、別スレでやってくれ、
スレ違いの発言を続けようとする理由はなんですか、と言われたくらいで
心理的苦痛を感じるなら、議論は止めた方がいいです。
473 :
473マンセー厨房:02/05/21 21:00
---------------------------------------------------------------
【キティガイ警報】 このスレは、473 = Kitty Guy のスレです。
---------------------------------------------------------------
正常者は、下記スレでの議論をお勧めします。
なぜ人を殺してはいけないのですか
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1014200585/l50 ---------------------------------------------------------------
>>471 あなたほんとに失礼です。
私の最初の質問
>>447は、「どうして人を殺しちゃいけないの」と言うテーマについて、
文章に未熟さがあったかもしれませんが、真剣に考えてのものです。
それをあなたの一方的な判断で、勝手に不真面目だと決めつけたわけです。
しかも、>(ディル猫の方でもあった)などとあなた独自の経験を裏づけとしようとしている。
事実、
>>452さん、
>>454さん、
>>457さん等、あなたがレスする前に、
きちんと返事をしてくれた方がいます。あなたの判断が一般的ではない証拠です。
私は、他にスレッドを立てることを進めますとだけ言われれば、特に気にすることもなかったでしょう。
しかし、>どこかに紛れでも求めたいんでしょうか? と一言余計に書かれた事が非難だと感じたのです。
あなただって、後付けで答えても説得力はないと言っているではありませんか。
あなたが
>>471で言っていることも同じ事ですよ。
私が、テーマに沿っていると思っても、沿っていない事があると言うなら、
あなたが、テーマに沿っていないと思っても、沿っている可能性も考えるべきです。
心理的苦痛を簡単に感じる人は、議論を止める”べき”という言葉は、
白血病などの免疫力の弱い人は、死んでもしょうがないと言っているようなものです。
(拡大解釈は承知であえて言います。極端な例えで申し訳ないですが・・・。)
しかも、非難だろうが批判だろうが、私の質問には答えていない。
>>472 そんな人の言う、
>>427の
「理解させなくてはならないのではなくて、お互いに、理解している状態にあれるように、
優しく接しあい、最低限の知性を持っておくことが大事です。」
と言う言葉など説得力を感じません。あなたの私へのレスと矛盾してます。
ですから、私はもうここでは発言しないことにします。長文ですみませんでした。
しかし
>>447はよくもまあこう長々とスレ書くねぇ。
たしかに厳密に答えを導き出すにはそれなりの量の論理が必要になると思うけど。
でも広い範囲の人に自分の意見を伝えたいのなら、余り長い文章は必要ないと思うよ。
スレに対しての自分の答えは、
「自分が誰に殺されてもいいと思わない限りは人を殺してはいけない。」
だね。ギリギリ抽象的に言うと。
476 :
考える名無しさん:02/05/21 23:45
人頃す→被害者の親族悲しむ→加害者に復讐
↑ ↓
加害者(被害者の親族)に復讐←被害者(加害者)の親族悲しむ
どうでしょう?
477 :
考える名無しさん:02/05/21 23:46
人頃す→被害者の親族悲しむ→加害者に復讐
↑ ↓
加害者(被害者の親族)に復讐←被害者(加害者)の親族悲しむ
ズレテスマソ
>>474 なんなんだ、一体・・・
>文章に未熟さがあったかもしれませんが、真剣に考えてのものです。
>それをあなたの一方的な判断で、勝手に不真面目だと決めつけたわけです。
何度も言ってますけど、真剣に考えたと言われても、論点はずれは論点はずれです。
一方的な判断といってますが、私は「紛れでも求めたいんのでしょうか?」と、
質問をしたのであって、「紛れを求めているのだ」と決め付けたわけではありません。
>しかも、>(ディル猫の方でもあった)などとあなた独自の経験を裏づけとしようとしている。
してません。私はそちらでも困った、と書いただけです。
>事実、
>>452さん、
>>454さん、
>>457さん等、あなたがレスする前に、
>きちんと返事をしてくれた方がいます。あなたの判断が一般的ではない証拠です。
返事の内容を見てください。
>>454、
>>457は、「殺したことにならない」と
答えてるんですが。
>>452さんは、ケースバイケースだと言っただけで、
あなたの議論が論点はずれかどうかについては、触れていません。
>しかし、>どこかに紛れでも求めたいんでしょうか? と一言余計に書かれた事が〜
いや、だって、あからさまに論点はずれな質問でスレを伸ばそうとすれば、
紛れを求めたように見えますよ・・・(´д`) なんなんだ・・・
>あなただって、後付けで答えても説得力はないと言っているではありませんか。
>あなたが
>>471で言っていることも同じ事ですよ。
>私が、テーマに沿っていると思っても、沿っていない事があると言うなら、
>あなたが、テーマに沿っていないと思っても、沿っている可能性も考えるべきです。
無茶苦茶すぎてワケワカラン
殺したことにならない話をすることが、殺しについてテーマに沿っている可能性って
あるんですか・・・(´д`)
>心理的苦痛を簡単に感じる人は、議論を止める”べき”という言葉は、
>白血病などの免疫力の弱い人は、死んでもしょうがないと言っているようなものです。
>(拡大解釈は承知であえて言います。極端な例えで申し訳ないですが・・・。)
・・・拡大解釈を承知なら言わないでくださいよ。死んでもしょうがないと、
議論はやめる「た方がいい」(私は「べき」と言ってない・・・(^ ^;;)では、
ぜんぜん違いますよ・・・私は勧めただけです。
>しかも、非難だろうが批判だろうが、私の質問には答えていない。
いや、
>>459で答えてるんですけど・・・頼みますよ・・・ちょっと・・
>「理解させなくてはならないのではなくて、お互いに、理解している状態にあれるように、
> 優しく接しあい、最低限の知性を持っておくことが大事です。」
あの・・・だって間違ってるものは間違ってるんだから、仕方ないでしょうが・・・
私は最低限の知性も大事と言っていますよ・・・(´д`)
・・・今までで一番疲れた・・・
>>475 >「自分が誰に殺されてもいいと思わない限りは人を殺してはいけない。」
>だね。ギリギリ抽象的に言うと。
理由がないですよ。
>>477 人頃す→ 以降の因果関係が当然に成り立つわけじゃないです。
----------
リンク貼っておきます。
>>460-461 補足
>>344 >>427 >>149 社会を理由として持ってくる議論に関しては
>>47-82 あたりで批判してます。
なんかまた伸びたので、誘導します。
突然の乱入すみません。589(最初のスレ)さん
多分、以前あるスレでお話しした方ですよね。
あの時は、私の余計な疑念(被害妄想?)からか、失礼しました。反省しました。
ところで、倉庫落ちした他スレの時のことなので恐縮すが、
その時、定義としての”善”の捉え方についての会話がありましたが、覚えておられますか?
あなたが、私の発言した内容の類の(与える側と与えられる側の関係性云々)
定義を扱ったことが無い、と言うことではっきりしないままでしたが、
あれから私考えまして、思いつきました。それは「双子」です。
どちらか一方では成立せず、また例えば、兄から見て弟は双子です。
とか、弟から見て兄は双子です。等とは言いません。
あくまでも両者の存在があってのことです。
勿論「善」については「双子」と違って一時的な関係ですが・・・。
もうどうでもいいことですかね?ちょっと意見が聞きたかったものですから・・・
それと、別人でしたらスミマセンでした。
481 :
考える名無しさん:02/07/13 06:39
482 :
考える名無しさん:02/07/13 09:07
>>1 人を殺しちゃいけないなんて ほんとは誰も思っていないんだよ
君がもし殺されたら 僕は犯人を八つ裂きにするだろう
483 :
考える名無しさん:02/07/15 11:03
夏厨はここに書けage
自分が殺したくないから殺さない
「なぜ人を殺してはいけないのか」ってこの問いの立て方じゃあ、「法律で決まってるからだよ」
としか答えられないし、この回答が100点満点なのではないかと思った通りすがり。
じゃあなんで法律で決まってるの?ってなって始めてあほらしくなくなってくるんでない?
486 :
考える名無しさん:02/07/15 19:14
人を殺すのは、自己中心的な行為の極みだからです。
487 :
考える名無しさん:02/07/15 19:38
結局、
>>485通りすがり師の言う通り。
どこかに書いてあったが、これは哲学ではない。「哲学的」でもない。
その証拠に「生意気で理屈っぽい小学生の口げんか」のレベルを
超えたレスは一つもないではないか?
有ったら教えて欲しい。
いや、そもそも問題として成立してないといってるんだが。
安易に「法律」を持ち出して結論にしてしまえる論理がわからない。
489 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/15 20:18
ふぁんだ君、哲学板に登場☆
490 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/15 20:19
ここの議論は非常に中身がありそうだなぁ♪
491 :
考える名無しさん:02/07/15 20:21
>>487 「小学生の口げんか」っぽさでは、君の発言が一番かも(笑。
492 :
考える名無しさん:02/07/15 20:29
>>488「わからない」ならわかるまで考えてね。いつまでも。
>>490あまりに中身がないとかえってそう見えるんだな、これが。
>>491よくあんたみたいなのがいたよクラスに一人か二人。
493 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/15 20:33
ってゆーか、みんな長い文章をよく書いてるなぁ・・・
頭いいなぁ。。それとも読みづらいだけなのか・・・。。
う〜ん。。
人を殺すことが悪いかって議論は‘そういう証明はできない‘
という結論の気がするけど・・・
既に既出だったか・・・ごめん。。
494 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/15 20:43
ここ人が少ないなぁ・・・・★
ひとまず撤退〜♪
「なぜ人を殺してはいけないか」という問いは社会常識の欠如を示しているけれども、この問いに拘泥している変な日本語の書き込みにも、同様に社会常識の欠如は現れているよね。
彼らにとって「哲学的」とは社会常識を持っていないことのいい訳だね。
常識の欠如から妄想の悪循環が生じているといったところだろう。
小学生のほうがもっと素直でまともに考えているよ。
497 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/07/15 20:55
証明なんて不可能〜♪
498 :
「哲学的」者:02/07/15 21:00
>>496 同感。小学生に失礼な発言でした。ごめんなさい。
単純に、殺される人がおもしろくないからしてはいけない
倫理とか法律の問題ではないことは同意。
501 :
考える名無しさん:02/07/15 21:08
>>496 答えの見当を付けることさえできない問いに、
オロオロしている中学生発見。
hlkhだsdfはslkfはsk
503 :
考える名無しさん:02/07/15 21:17
どうして人を殺すことが悪いことか・・・
我々はその問いに永遠の答えることができない。
AはBである、という命題があるとしよう。
我々はこの命題を解くように言われたとする。
そのとき、Aが何であるかはっきりわかっていないと
きちんとした証明は出来ず証明は漸近的なものにならざるを得ない。
何故なら、我々はAが何であるかをはっきり知らないからだ。
つまり、我々は普遍的な答えを持ち得ないことになる。
人を殺すことに関しても同じように考えられる。
我々は何が悪か善かはっきりした答えを持ち合わせていない。
ならば我々の人を殺すことが悪いという発想は漸近的な
ものであり、いつかは破綻を来たし、証明そのものが
なりたたなくなることは目に見えている。
つまり、我々は人を殺すことが悪いという証明は出来ないのである。
504 :
考える名無しさん:02/07/15 21:20
>>503 これは、ちょっと考えればすぐ分かるような問題だろ。
もうちょっと、冷静に考えてみ。
「答えが出ない」という答えありき、っていうのもよ
くあるパターンだけどね。
505 :
考える名無しさん:02/07/15 21:22
では、人間の適応という側面から考えてみよう。
そうすると我々の‘人を殺してはいけない‘という論理は
世界中何処ででもなりたつものでなければならない。
でないと、それは人類に普遍の原理とは言いがたく、どこかの
影響を強く受けたとかいう境界条件つきのものになってしまうからだ。
残念ながら、世界中で人を殺すことが悪いという論理が成立して
いるわけではない。
それは現状を見てみればわかるであろう。
つまり、我々はどこかから受けた影響による思想を自分のもの
として自然に消化しているに過ぎないこと可能性がある。
我々はその今という環境の中に縛られた檻の中の思考で
物事を考えているのである。
つまり、人間とはその環境の産物であり、その思考は常に
周りの影響を受けた結果だということができる。
506 :
考える名無しさん:02/07/15 21:28
社会契約という考え方であるが、確かにそういうこともできる。
かつて、人を殺すのが社会契約である地方や時代があった。
台湾の土壌仏教は日本が侵略する前は人を殺した人でないと
極楽にいけないという話があったし、
中国では両脚羊といって、食用人間が存在した。
中国の人たちは人間を殺して調理して食べることを楽しんできたの
である。
人を殺してはいけない・・・それは我々の考えの前提であるだけ
なのだろう。。
結論:殺人者を誰も責める事はできない。
・・あぁ、もう夏休みなんだなぁ・ > 夏厨ご一同様
509 :
考える名無しさん:02/07/15 21:47
>>507 そうですね・・・。
と考えるとどうやら‘人を殺してはいけない‘という論理は
人間が集団で生活していて必ずしも出てくる論理ではなさそうだ。
確かに自分に近しい人を殺さないという暗黙の了解は
昔からあっただろう。それは了解ともいうこともできるし
社会契約ということもできるし、あるいは単に思い浮かばなかった
あるいはそのことに関して自分の適応が下がるからとも
いうことができよう。しかし、不特定多数の誰かを殺しては
いけないという論理は人間社会に必ずしもあったものでは
なかっただろう。
ここで、我々は為政者の存在を考えてみよう。為政者は自分の
支配に人を置くために治安する必要がある。
戦国時代に‘けんかしてはならない‘などの藩の規則が
相次いで出来たのは為政者側の都合である。
これが人間社会に浸透したと考えるとどうだろうか。
そして、それがいつの間にか人の間に浸透したと考えるのは。
中国は為政者が人間を食べることを好んだため、
食用人間を作ったのではないかと考えるとどうだろう。
どうやら、これは納得できそうである。
現に中国の歴代為政者は人間の肉を食べてきた。
つまり、我々のこの‘人を殺してはいけない‘という
論理は為政者が決めたものが浸透したのであろう。
したがって、我々が人を殺してはいけない理由、それは
‘法で決まっているから‘というのが一番妥当かも
しれない・・・
チューチュー
偽札を1枚か2枚造ったところで、どれほど経済に影響があるというのだろう。
1枚が10枚でも100枚、いや一千枚一万枚でも同じことだろう。
それは国全体の経済規模から見えれば、統計上の些細な誤差に収まるものでしかない。
人を一人殺したところで、この巨大な社会構造にどれほどダメージがあるというのか。それが10人でも100人でも、大した違いはあるまい。
だが、誰もがそう思って偽札を造り始めたら、どうなる?
誰もがそう思って、縁もゆかりも無い人々を殺し始めたら、どうなる?
だからどんな小額の偽札作りも、罪に問われるのさ。
512 :
考える名無しさん:02/07/15 22:02
>>511 殺してはいけないという論理がなくなっても
誰も彼もがあった人を片っ端から殺していくことは
ありえない。
だが、偽札の場合全員とはいわなくとも
かなり多くの人が偽造することは目に見えている。
だが、法で決められているからというのは
確かにそうだと思う・・
513 :
考える名無しさん:02/07/15 22:05
結局人を殺してはいけないわけではないのでは?
確かにもし今俺が殺される、と宣告されたらいやだけど、
それはただ俺が、もしくはその周囲の人間がいやだ、と感じるだけであって。そして今までの文章は「人を殺してはいけない」という問いに対する答えでは決してなく。
514 :
考える名無しさん:02/07/15 22:10
>>512 >殺してはいけないという論理がなくなっても
>誰も彼もがあった人を片っ端から殺していくことは
>ありえない。
どうかな。俺は結構怪しいと思うよ。
このスレ見てても、たまに「殺したくて殺したくてしょうがない奴」が
現れる。
閾値はわりと低いと思うね。
515 :
考える名無しさん:02/07/15 22:13
878 :まともなものをまとめると・・・1 :02/07/13 08:55
殺人の正当化(当然言葉による)は、発話主体には不可能なんだよ。
殺人は口を閉じたアブラハムの絶対責任のもとにのみ行える。
(口を開けば厳密な責任は維持できない、というデリダの考え)
「資格」という概念は神の一撃によってしか成り立たない。
法と同じことだよ。無理がある。
漠然とした問いには漠然とした答えが出る。
非論理的な問いに対しては非論理的な答えが出る。
不合理な問いには不合理な答えが出る。
AだからBを禁止する
ふつうAのほうにはBよりも重大な事柄が来ます。日本語の問題。
A「悲しむ人がいる」B「人が殺される」
『悲しむ人がいるから人を殺してはならない。』
おかしいでしょう。
(人が殺されるのは、人が悲しむのよりも小さなできごと?)
516 :
考える名無しさん:02/07/15 22:13
879 :まともなものをまとめると・・・2 :02/07/13 08:57
どこのどいつが、
「人を殺してもいいですか?」
「はい、人(私を含まなければ語としておかしい)を殺してもいいです。」
なんて会話を繰り広げうるのか。それが疑問だよ。
発話主体として、この手の問いは、有り得ないんだよ。
出来得る全ての質問に、要求された形式で答えることは必ずしも出来ないのです。
この場合「なぜ」と聞かれているからといって、「〜だから」と答えることは出来ない。
「法」ってのは何もんだよ?
「社会」ってのは何もんだよ?
どっちも「神」の別名じゃねえのか?
(「規定したから」という言葉にはなにも根拠がない。
なぜなら、「個人の集まり」ではなくて「社会」という概念には根拠がないから。)
この問いかけが出来ないのは、殺人の禁止を規定してるからじゃねえよ。
その『規定』とやらにはどんな力が働いてるんだよ?
『人類』って誰のことだよ?俺は入ってるんだろうな?
お前は入ってるんだろうな?
ここまで言って分からなかったらやばいぜ。
お前さんの使ってる『人類』という概念、それは『神』と同じ意味だ。
『ルール』って語も同じこと。
それとも俺達には『人類原則プログラム』みたいなものが組み込まれてるのか?
(組み込まれてはいない。人を殺す奴も守る奴もいる。)
517 :
考える名無しさん:02/07/15 22:14
880 :まともなものをまとめると・・・3 :02/07/13 08:58
よく、「戦争における殺人は許される」なんてことを言う奴がいるが、
誰化され得ないことが正当化されているだけのことだ。
ごっちゃにするんじゃねえよ。
(国が許している?その特権的な人間は誰の事だ?)
人間は他人に殺されなきゃ、他人に殺されずに生きてるんだよ。
他者に対してかってに手を加えないって意味だぜ?わかるか?
国家ってのはなんのことだ?
俺は含まれるのか?あんたは?
日本なら例えば誰があんたのいう『国家(社会)』なんだよ?
あんたのいう『国家』ってのはただ『権力をもつ一部の人間、もしくはその意志』
て意味だろ?
どんな根拠で、俺でもなくあんたでもなく、その一部の人間が法を定めるんだ?
アフガンより強いアメリカの権力にはどんな根拠によるものだ?
おかしいだろ?
少なくとも『国家』って概念を、まだ弱い側の俺たちが使うことは
自分の首を絞めてることになるんだ。知らず知らずのうちに。が誰を殺すことを許すんだ?
誰でもなくその一人が殺されることを、どの一人が、もしくはどの一人達が許すんだ?
どんな力で?どんな根拠で?
518 :
考える名無しさん:02/07/15 22:15
881 :まともなものをまとめると・・・4 :02/07/13 08:58
『国家』という語は、必ず根拠のない力が支えている。
権力の側の一部の人間達は騙されてないぜ。
あちら側のよくわかってる奴ならこう思ってるはずだ。
「国家?国家権力?それは私たちの事だ。」ってな。
社会ってのは誰?殺される人は含まれるのですか?
殺人を許可できる個人だなんて、その個人は特権的なんですね。なぜでしょう。
罪と罰は、「対等な」関係からは生じないよ。
どちらかが「裁く側」であるから、「裁かれる側」が
仕方なく「法廷」に引きずり出される。
上の方で誰かが書いてるけど、これは問い自体に含まれている。
「絶対的に人を殺していけないわけじゃない」というのはその通りなんだけど。でもそれは単に現実を表しているだけなんだ。
よく考えてみると、現代社会は「絶対的に人を殺していけない」というルールの社会じゃあない。
歴史的に見ても、そういうルールが全面的に取り入れられた共同体は無い。
人を殺すのはなるべく避けるべきだ、という暗黙の前提はあっても、必要ならば人殺しもやむなし、というのが社会のルール。
だから「絶対的に人を殺してはならないわけじゃない」、この答えにあまり意味が感じられないと、こういうわけさ。
520 :
考える名無しさん:02/07/15 22:20
521 :
先程のえーと:02/07/15 22:21
そうそう、殺人が悪だなんて誰がきめたっちゅー話だよ。
つまるところ「どうして人を殺しちゃいけないの?」という疑問は疑問でもなんでもなく、
「殺人を絶対の悪だと決め付けることができる根拠を探してみようゲーム」
の異名だと捉えるのがもっとも問い手の期待にこたえるものなんだろうな。
だからこそ、法律の話に持ってったり、殺人は絶対の悪ではないという方向に転換したりすると
「ちがうだろ、こいつらゲームのルールがわかってねえ」って思う人が現われる。
すべては設問の不完全さというか説明不足だと僕は思う。
ちなみに「なぜ法は殺人を罰するのか」とか、さらに「なぜ殺されることを願っている人を
殺しても罪に問われるのか」とかのテーマであれば僕も拙いながらの答えを用意しています。
522 :
考える名無しさん:02/07/15 22:21
本当に小学生レベルになってきたな
523 :
考える名無しさん:02/07/15 22:21
意味なしに異議なし。
524 :
考える名無しさん:02/07/15 22:24
大したことは何も言えないくせに
人の意見には口を出すだけのバカばっか・・・
525 :
考える名無しさん:02/07/15 22:25
社会は不特定の人間からなってるんだから、同じ社会に住む不特定の人間を殺すな、っていうのは当たり前なんでわ。
526 :
「哲学的」者:02/07/15 22:27
やはり設問に問題がある。
いっそのこと。
「なぜ食い逃げをしてはいけないか?」
「なぜ、駐車違反してはいけないか?」
「なぜのぞきをしてはいけないのか?」
「なぜ立小便をしてはいけないのか?」
のどれかに変えたらよい。
527 :
考える名無しさん:02/07/15 22:29
>「殺人を絶対の悪だと決め付けることができる根拠を探してみようゲーム」
これは難しいと思うぞ〜。
どんなものにも絶対的根拠なんてない、それがいまの哲学=相対主義だろう。
まぁゲームのお題としては面白いけど。
528 :
「哲学的」者:02/07/15 22:32
>>527 哲学=相対主義というのは初歩的誤解である。
529 :
考える名無しさん:02/07/15 22:32
くだらない・・・・
三体問題を厳密解で解こうとして
それによろこびを覚える人達みたいなだな・・・・
まぁ、頑張ってください。
少ない頭でね。
ばいばい。
530 :
考える名無しさん:02/07/15 22:33
>>528 いまの哲学が相対主義をベースにしてるのは間違いない。
おじちゃん達、僕はなんで勉強しなければいけないのか教えてください。
532 :
考える名無しさん:02/07/15 22:33
絶対の根拠が無い事がわかりました。
善悪もないこともわかりました
それではどう生きるべきか
残された道は、
非利己的になり無執着に生きなさい、それだけです。
534 :
考える名無しさん:02/07/15 22:35
人間は勉強しないと死んじゃう生き物だからだよ。
535 :
考える名無しさん:02/07/15 22:35
>>532 そもそも、世の中に『絶対』があると思っているところが・・・、
ドキュソ。
僕の姉ちゃんはセックスばかりして勉強してないけど、おじちゃん達より
生き生きと生きてるよ。
537 :
考える名無しさん:02/07/15 22:37
532はそういうコンテクストではないような気が。
「哲学的」者 とかゆうヤシが来るとどこも荒れるな(苦笑
539 :
「哲学的」ヤシ:02/07/15 22:39
540 :
考える名無しさん:02/07/15 22:40
>おじちゃん達より生き生きと生きてるよ。
余計な一言を書く小学生だな(藁
そりゃ学校の勉強をしたかは知らないけど、勉強してないようでいてちゃんとしてるから生き生きしてるのと違う?
ちなみに「死んじゃう」つっても日本に限定すればまあ実際に命を落とす確率はそんなに高くないでしょ。
541 :
>「哲学的」ナンチャラ:02/07/15 22:41
自覚があるのはよろしい
542 :
考える名無しさん:02/07/15 22:42
あ、でも考えようによってはその姉ちゃん勉強不足だったがためにエイズにかかって死んじゃうかも。
543 :
考える名無しさん:02/07/15 22:42
社会契約説なんて、つまるところ損得勘定。
「なぜ〜してはいけないのか?」「損だから」と言っているだけ。
倫理性の問題とはほとんど関係がない。あほらし。
544 :
考える名無しさん:02/07/15 22:43
「哲学的」は書き込みスタイルを変えた473
といってみるテスト
545 :
「哲学的」ヤシ:02/07/15 22:43
>>541 「自覚」ではなく「自己覚醒」=悟りと言っていただきたい。
546 :
考える名無しさん:02/07/15 22:44
いやー功利主義こそルールの源泉でしょう。
547 :
考える名無しさん:02/07/15 23:32
>>1 >どうして人を殺しちゃいけないの?
それは、あなたが「どうして?」と、殺しちゃいけない理由も、
そして同時に殺していい理由も持ち合わせていないほど幼稚だからです。
どちらか判断がつかないなら、取り返しのつかない”殺人”をする前に、
自分自身でしっかり考えてみてください。
人に尋ねるなら「こういう理由で”奴”を殺したいと思うが、君はどう思う。」
としてみて下さい。
これは哲学の問題ではないので、その時、私は私の感想をお話しします。
>>547 殺人は取り返しが付かない、と言うのなら
とりあえず「どうして人を殺しちゃいけないの?」に答えなきゃいけないでしょう
それともあなたの言う「取り返しが付かない」は、文字通り「元の状態に戻せ無い」っていう意味?
なわけないか・・・
>>548 >それともあなたの言う「取り返しが付かない」は、文字通り「元の状態に戻せ無い」っていう意味?
その通り
>>549 「元の状態に戻せない」ことなんていくらでもある
なぜ殺人だけ重要視する?
全てをしっかり考えるなんてことはできないし、普通しない
逆か・・・
全てをしっかり考えることなんて普通しないし、できない
>>550-551 確かに「全て」は無理だろうね。だけど、しっかり「考えること」は出来るはず。
「人を殺す」以外でも「元の状態に戻せない」もの(事)を、
安易にそうすべきでないとも思う。
>>552 指一本動かしただけでも、もう元には戻せない
>>554 殺人は影響が大きいんですか?
「殺人は悪いことだ」と思ってるからそう感じるんではない?
>>556 もうちょっと解りやすく説明してください
どういう点で、影響が大きい(計り知れない)と言える?
>>557 その人或いは、その人の子孫がすごい発見をするかも知れない。
その人を殺すことで、誰かが悲しみ報復を受けるかもしれない。
自分の子孫と、その人の子孫が幸せな結婚をするかも知れない。
何にもしないかも知れないし、悪いことをするかも知れない。
放っておくと大量虐殺するかもしれない。
何かのきっかけで、自分を助けてくれるかもしれない。
これもほんの一例
考えるとキリがないし、殺せばおまけに刑罰までついてくる。
だから人を殺す気になれない・・・・哲学じゃないよ。
えー。ちゃいます。人が悲しむ事はいけないのかってことです。
誰も悲しまない殺人は世間的には悪くないです。誰も知らない殺人も
同じ。そうなったらあとは、当事者、自分だけの問題になる。
もしそれが、事故、正当防衛、緊急避難の場合は、どうですか?
殺人は、死んだ奴にとってはなんでもないです。そいつが死んで
思う所のあるやつが問題になります。つまり、どんどん人を殺して
最後、殺した人間だけが残ったら、一番可哀想なのはそいつじゃないですか。
だから、死刑反対してる連中も、死刑囚と関わりのある者のために
発言してないなら、そりゃ全部偽善ですよ。死刑のあるコミュニティー
に生きるのが嫌とか。でも、良い事言ってると思ってなくて、素直な
表現なら別に偽善でもなんでもないですけど。
適当に書いたので、読んでも訳解らんかもしれません。
560 :
考える名無しさん:02/07/16 03:32
>>559の考え方だと、自殺も他殺と同等という事になる。興味深いな。
>>558 これで最後
それこそ「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対する一つの答えでしょう
「哲学的だ」「哲学的でない」などと分けるのは愚か
解った?
562 :
考える名無しさん:02/07/16 10:30
仲間同士殺し合わず、集団を形成する性質をたまたま
身につけた生物が、有利に種を残すことができた。
ヒトはこの種の生き物の子孫で、多少はこの性質も引
き継いでいるため、基本的には"仲間"同士での殺し合
いを躊躇する。
この本能的な抑制回路が組み込まれているため、つい
つい、「人(仲間)殺しはいけない」と感じてしまう。
だから
>>1は、こんな質問をしてしまうのですね。
563 :
考える名無しさん:02/07/16 14:58
>>562 >仲間同士殺し合わず、集団を形成する性質をたまたま
>身につけた生物が、有利に種を残すことができた。
それは違う
有利に種を残すために仲間同士殺しあう動物はいますよ?
人間は、たとえ種全体のために仲間殺しをする必要があったとしても(例えば飢餓状態など)
やはり他人を殺すことを悪と考え、躊躇うでしょう
>>561 >それこそ「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対する一つの答えでしょう
>「哲学的だ」「哲学的でない」などと分けるのは愚か
>解った?
解らない。
自分は、このスレの問いは哲学としての答えが出せるのか、について疑問がある。
もっと設定(前提)を立ててくれれば、哲学的に議論のしようもあると言うもの。
どうしても答えようと思ったら、問に対して前提と結論を同時に示す必要があると思う。
「〜の問に対して、○○○(前提)とするなら、いけない(結論)。」と言う感じ。
そうして、前提と結論について議論しないと、結論だけ述べ合っても意見は平行線だよ。
だから、哲学ではないと言ったんだ。こんなのは議論じゃなく、単なる発表会だよ。
だいたい、この問いに前提が無い(解らない)から答えられないと言ってる人の意見を見て、
この問いに答えが無いと受け取っていそうな人がいるのに驚く。(例
>>532)
それぞれの生活環境等(前提)が違うから、それによって結論が変わるのは当たり前。
それから、「普遍性」や「絶対」でないと結論として認めないと考えていそうな人にもびっくりだ。
565 :
考える名無しさん:02/07/16 16:36
>>564 まぁ、色んな人がいて世の中楽しいことですし♪
566 :
考える名無しさん:02/07/16 16:46
>>564 前提が無いと哲学的な議論が行えないと考えている君にもびっくりだ
567 :
考える名無しさん:02/07/16 16:52
何かえらそうな人が多いなぁ・・・
物理板でもいこっと♪
>>564 あれは冗談だよ
スレの流れ見てからかったんだが
オマエ、まじめだな
いずれにせよ、どんな思想が自分を
満たすかは人それぞれ。
569 :
考える名無しさん:02/07/16 17:38
>>566 例えば前提が無くて語れる議題にどんなのがある?
暗黙の、語るもの同士の了解があるのも前提だぞ。
このスレの問いに、そんなものがあるか?
なんにも答えなかったら、お前にびっくりだぞ。
>>568 では、あんたはどう考えているんだ?
>>569 あんたには何がわかっているんだ?
571 :
考える名無しさん:02/07/16 18:14
572 :
考える名無しさん:02/07/16 18:18
573 :
考える名無しさん:02/07/16 18:22
574 :
熱気デリダ:02/07/16 20:06
お前らロゴスに頼りすぎなんだよ!!!!
人殺し議論なんてくだらねえぜ!!
そいつは人間がしゃべる限り、歌う限り正当化できねえはずだ!!
よーく心を澄ませてみろ!わかりきったことなはずだぜ!!
俺の歌、アフォリズムを聴けえ!!!!!!!!!!!
アブラハムを見よ。彼は息子を殺そうと悩む時、口を閉じていた。
殺人は発話、応答の可能性があるもとでは完全に欺瞞だ。
正当化するのなら言葉を使わずに行うしかない。つまり、不可能だ。
575 :
考える名無しさん:02/07/16 20:29
576 :
考える名無しさん:02/07/16 20:56
おれも570に一票〜。
ただ、もう少しクールに行きましょ。みなさんも。
577 :
考える名無しさん:02/07/16 21:13
578 :
考える名無しさん:02/07/16 21:14
悲観主義者の臆病ものが多くなったな。
どうもお久しぶりです。あがってしまって残念です。
ただ、私と同趣旨のことを述べている方がおられるようで、その点はうれしく思います。
例によってリンクを貼らせてもらいます。
>>460-461 補足
>>344 >>427 >>149 社会を理由として持ってくる議論に関しては
>>47-82 あたりで批判してます。
ちょっと読んでみました。
・・私は
>>479-579の間には、書き込んでないです。
ところで「人」に関する証明方法には、「人」すべてに該当する、
というやり方の他に、
「ある人間」について命題を成立させて、
その「ある人間」に該当する対象は、人類の中にたくさんいるので、
一般的にはある人間についていえることは人類について言える、
という風なやり方も考えられるんですが、
後者について思い及ばない人が多いのはなぜなんでしょうね。
また、ある命題が常に成り立つ、という証明は
ある命題中の要素が常に存在することを前提していますけど
常に存在する、という部分の 「常に」 を
「一般的に」 とか 「これらの条件のもとで」 という形に変えることは
当然可能なわけで
常に存在する、成り立つ、といえなくても、
一般的に存在する、一般的に成り立つ、とか
これらの条件のもとで存在する、これらの条件のもとで成り立つ、と
いいうる可能性は必ず残るんですが、多くの人たちは
そういう考え方ができないようですね。職業哲学者含め。
こんなことは、多少なりとも「自分の中でお勉強」してれば、
当然に身についてきてしまう思考法だと思うんですが。
>>580 >そういう考え方ができないようですね。職業哲学者含め。
まさか。
論理的帰結と統計的な観察事実を峻別しているだけだよ。
580の最後の2行に補足です。
「自分の中でお勉強」とは、自分の中ではっきりとしたイメージが
抱かれるまで、権威者や周囲の人間、言説が放った言葉について
想定しぬくということを指してます。
つまり当然に身に付く、といっても、こうしたやり方がたいていの人に
とって可能であり、低次元な話である、というニュアンスで
言ったわけではありません。私が言っているやり方は
分かっていれば非常に簡単ですが、分かるまでが異常に長いです。
例えば多くの人はある命題について考えるとき
ある命題について考えますが、私はそういうふうには考えません。
なぜならある命題が前提している事柄に、ある命題に関する判断を
誤らせる前提が含まれているかもしれないし、そもそも前提が
不足しているかもしれないからです。
こういうと「人をなぜ殺してはいけないのか」という問いの前提が
ないという主張をする人間は、そんなことは分かっているというでしょうが
私はその話をしてるのではありません。
「人をなぜ殺してはいけないのか」という命題に要素が足りないとか
問いが成立しない、という考えは、この命題が示すありように拘泥しているから
「足りない」「成立しない」となるのです。
私が言っているのは、「人」とは何をさしているのか、
殺すとは、いけない、とは、何をさしており、その指示内容は
どの範囲(人的・場所的・時間的など)について妥当させられるかについて
明確な位置付けを、直観的に即与えられるかどうか、という話です。
こういう観点で考えるなら「問いが成立しない」とかいうのは
ただの怠慢です。
人が殺されている=ひ と こ ろ し と 呼べる事柄が起きている「横」で
ひ と こ ろ し という音声によってあらわされるイメージについて
言及した命題が「成立しない」などと言えることは、怠慢以外の何物でもないでしょう(笑
>>581 今度は、短いレスで抽象的に正しそうなコメントを付けて
説得力下げに方針切り替えですか。どんどん厨房度があがって
ご苦労なことです。
では。
585 :
どうして人を殺しちゃいけないの?589:02/07/17 01:49
もう少し落ち着いて話したら?
589氏については、
>>343-407あたりのやりとりを読んでみてください。
蚊がうるさい。
>>580 >「ある人間」について命題を成立させて、
>その「ある人間」に該当する対象は、人類の中にたくさんいるので、
>一般的にはある人間についていえることは人類について言える、
>という風なやり方も考えられるんですが、
>後者について思い及ばない人が多いのはなぜなんでしょうね。
あんたはなに言ってるんだ?
多くの人に言えることは、全体に対して言ってる事と同じだと言ってるのか?
588 :
ガムリン中村:02/07/17 09:09
うおおおおおお!!!!!
いいから黙って
熱気デリダの歌、アフォリズムを聴けぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!
589 :
サラ・ジナース・コフマン:02/07/17 09:11
デリダ!!!私も歌うわ!!!!
590 :
考える名無しさん:02/07/17 09:31
答えなんてないよ。本来、普遍的であろうが
なかろうが。我々が人間である限りね。
2っていうか10以上いってるかもね、スレタイ
592 :
考える名無しさん:02/07/17 10:07
万人を納得させる論理はありえない。
我々がその社会で成り立つ論理を考えようとするとき、
その社会の範囲を明示しないと我々の意見はともすると
ひとりよがりでもよいことになる。
個人は社会の象徴である。
人を殺してはいけないというのは、一部の例外を除いて
日本社会の前提に入るべき条件であり、
これに基づいて思考が始まっている限り、
我々の論理は循環論法にしかなりえない。
その前提というものを探るとき、それは我々の良心や
感情や常識に帰着される。
それは我々自身の意識の問題であって、
我々自身は社会の象徴であるから
我々の意見は社会から、環境から生まれてきただけに
過ぎないことがわかる。
つまり、ここでも循環が起こっているわけであって、
我々は決してその前提を証明することができなくなる。
したがって、それは自然に社会から生まれてきた・・・
それしか我々にいうことは用意されていないのである。
しかし、社会とは不連続な主体であるから、
我々の論理はどこかで破綻することになる。
つまり、社会の範囲内を指定しない限り、論理は正当性を
失い、社会の範囲を指定しても論理の正当性が失われる
という事態が生じる。
よって、この問題に関しての議論は不毛である。
593 :
考える名無しさん:02/07/17 10:24
>>592 あ、日本社会の前提という社会の範囲を指定しているから
この論法事態が循環してた・・・
鬱だ・・・詩嚢。。
>>473 そう思う。。問いに対して、‘普遍的な論理を見つけよ‘という
捕らえ方をした僕とはそこの点で一線を臥しているが、
それ以外は賛成☆
595 :
考える名無しさん:02/07/17 11:06
人を殺しちゃいけないのは本能です。
本能がそうささやくからころしちゃいけないのです。
596 :
あほりけい:02/07/17 12:57
597 :
考える名無しさん:02/07/17 14:03
598 :
考える名無しさん:02/07/17 15:03
>>595 そっか!だから人を殺す人が一人もいないのかぁ!なるほどなぁ!!
599 :
考える名無しさん:02/07/17 17:37
>>574 >>588 >>589 ネタだったの?中身にはけっこう感心したんだけど。
ジャック・デリダ、サラ・コフマンはいいけど
中村?ポリロゴスの元さんか?まあ悪くはないな。
600 :
通りすがりの語り屋:02/07/17 18:07
人を殺してはいけない理由か。
ない。
究極的にはね。これで満足かい、
>>1よ。
人が人を殺してはいけない理由は、ただの社会的契約には存在しない。
人は人を殺せる。
物理的にその能力があり、現実として実行しうる。
ゆえに、理由又は事故さえあれば人が人を殺すことはある。
それは当然のことだ。
同時に、ほとんどの人間が死にたくないのも当然のことだ。
相手を殺せば、報復や抵抗で自分が殺されてしまうリスクも、当然のことだ。
「誰も人を殺さない」ことがルールとして厳正な社会では、結果的に自分の命が
護りやすいのも、当然のことだ。
そうした社会で、ルールを侵すことが、自分にとって深刻な危機であることも、
当然のことだ。
ゆえに人は、論理的に思考した上で、社会的、あるいは自己の安全のために、
「人を殺さない」という選択をする。
もともとの天秤も、わざわざ殺したい方に傾いてる奴は少ないので、ますます
殺さない傾向は高くなる。
たまに個人レベルでその天秤が崩れる奴もいるが、それは上記のグループの
レベルで処理される。
そんだけの話だ。
戦争においても同じで、相手を攻撃すれば自分にもリスクがあるから、普通は
さける。でも、どうしてもという事情があれば、戦争にはなる。
それでも、たいていの場合は戦争しないほうがお互いに得なので、「お互い戦争
をしない、した奴にはペナルティ」ってルールが作られ、平和が生まれる。
そんだけの話。
601 :
通りすがりの語り屋:02/07/17 18:08
あー、4行目訂正。
人が人を殺してはいけない理由は、ただの社会的契約 「を除いては」 存在しない。
602 :
考える名無しさん:02/07/17 18:37
>>1 「なぜ殺してはいけないのか?」だけでなく
「なぜウンコの臭いを愛せないのか?」や「なぜキムタクは俺よりモテるのか?」など、この世に一つとして、独りで完全に片付けられる問題はない。
だから、他人と言葉を紡ぎ合うことによって、少しずつだがその問題を、それ以前よりも深く考えることができるようになるんだろう。
しかし、その、共に言葉を紡ぎ合う資格をもった他人を殺す行為は、その過程自体を封殺していることに等しい。「そんなこと考えたくない」と言っているに等しい。
だから、俺は人を殺さない。
603 :
くろしろ ◆cbVGkRo. :02/07/17 18:46
604 :
考える名無しさん:02/07/17 19:42
一つ教えてください。
「なぜ人は人を殺すのか?」
それは束縛から逃れるためである。
と思うんだが。
こういう考え方はダメなのかい?
哲学素人な者で誰か教えて。
605 :
考える名無しさん:02/07/17 19:47
>>602 結局は個人個人に帰するんでしょうね。
ある意味個人は社会の縮図ですし・・・・うん。。
あぁ・・・虚無主義者になりそう。。
この世は結局虚無なんだよ。多分、全ては繋がっているんだよ。
繋がって、きっとどこかに流れていくようなものなんだよ。
自分達は流れていることが気が付かずに・・・
それもまた空しい・・・
606 :
考える名無しさん:02/07/17 19:53
仏教復活。
607 :
考える名無しさん:02/07/17 20:01
「どうして人を殺しちゃいけないの?」
この問題を突きつけられた、わたしを含めたディスプレイの前の数十人の2ちゃんねらーは、
そもそもこの問題の問い手に「人を殺しちゃだめだ」などと教えたわけではないはずだ。
ということは、この問い手は「わたし」以外の何ものかから「殺すな」を得るに至り、それに対して抱いた
疑問を今「わたし」に問うているということになる。
この問い手はいったい誰なんだろう。
親にそう教えられた子供だろうか?
神の言葉を聞いた宗教者だろうか?
理由がわからないのに「殺してはいけない」と直感してしまった考える人であろうか?
それとも井上トロの類か?
いずれにしても、わたし以外の者から与えられた「殺すな」に対しての疑問をわたしに向けるのはフェアでない。
ただ、ひとつだけ例外がある。
「刑法に殺人罪ってのがあるけど、あれは何で?」という意味の問いだと解釈できるならば、おそらくわたしにも答えることができる。
わたしが考え出した法律ではないが、わたしの同意した法律ではあるからだ。またその成立の仕組みもある程度心得ている。
こういうわけで、「どうして人を殺しちゃいけないの?」という問いは不完全であり、容易に「法律だから」との答えを得てしまうのだ。
ごめん論理的思考になってないかも。あぁあ穴だらけでも許して・・・。
608 :
考える名無しさん:02/07/17 20:11
>>604 束縛から逃れようと主体的に行動しようと試みつつ、
もっと大きなものから束縛されてることが分かってない、とは言えるかも。
609 :
考える名無しさん:02/07/17 20:18
人を殺すという現象はどれもある意味同じだが、
それは一般的に説明できるものではない。
おかしな話だが・・・。。
610 :
考える名無しさん:02/07/17 20:22
>>609 一般じゃない。本質だよ。
欲望の伴わない殺人などあるだろうか?
611 :
考える名無しさん:02/07/17 20:25
我々の宇宙は閉じているだろう。
我々はある範囲内でしかそれを知ることが
出来ないが、全ては互いに影響しあっている。
全ては繋がっている。しかし、何もないわけではない。
しかし、それは何処からきて何処へいくかを知らない。
人間は投げられた石のようにその人生を歩む・・・
この世にわずかな影響を残しながら、今日もまた。
今日も投げられた石のように時を過ごす・・・
612 :
考える名無しさん:02/07/17 20:26
全く欲望の伴わない主体的な行動があるの?
613 :
考える名無しさん:02/07/17 20:36
人を殺したことによってその対象の束縛を逃れたと思いこむが、
それが自らを規定する欲望に根ざしたものだということに気づいてない、ということ。
614 :
考える名無しさん:02/07/17 20:43
>>613 他の主体的な行動は何故否定されないの?
公害事件や医療過誤事件で人を殺した場合も宜しく☆
615 :
考える名無しさん:02/07/17 20:49
>他の主体的な行動は何故否定されないの?
どこから否定してるように見えるんだ?オレのレスは
>>604に答えたものだ。
>公害事件や医療過誤事件で人を殺した場合も宜しく☆
これも
>>604の「なぜ人は人を殺すのか?」に答えたもの。
つまり事実としての殺人じゃなくて人を殺すための殺人。わかる?
>>600他
可能である行為の範疇が、命題中の「殺す行為」に限定され
「殺す行為を悪いと評価する」「評価を発言する」
「評価に基づいて〜いけないと発言する」
「発言を聞く」「聞いた発言に基づき認識を構成する」
・・・などの行為が、暗黙のうちに除外されていますが、
そのような概念規定に合理性はありません。
なぜなら、単にいけないと言うこと も、いけないと言い、理由を付すること も、
暴力的な行為と同様に「行為」としてなし得るからです。
言われたことを認めることも、暴力的な行為と同様に「行為」としてなしえます。
暴力に屈服する人間も、そうでない人間もいるように、
いけないと言う事に付された理由が「万人」を説得できるようなものでなくとも、
認める人間も、認めない人間もいます。
認める人間がいるとき、そこで理由はイメージされ、感じられ、
そして言われた(ある)のです。
>>427 この帰結は、「論文を書くときには理由を書きましょう」という用法から
明らかに認められることです。究極的な理由が無いなどというのは、
理由が「無い」という表現を政治的にとりたいがための詭弁にすぎません。
理由を認める人間、理由があることを認めない人間がいたとしても、
「彼が、認める人間がいる点について合理的に確認できること」を示せれば、
彼が「理由がある」ことを認めないことは、不合理であると断じることができます。
>>460-461 で行いました。
今回の問題におけるポイントは、殺人にはかならず一般的に被害を論証できる
客体が存在し、それを扱わない概念構成は「殺人」について議論したことにはならない、
という点です。
以上のことは、社会契約がどうとかいうこととは、全く関係がありません。
個人の判断によって、またその時点で成立可能な事柄だからです。
▼
そもそも社会というのは、個人の観念であり実体ではありません。
>>47-82 もっと正確に言えば、実体という用法を認め、社会という観念に対応させられる
実体を問題としたなら、より小さい実体によって社会は説明され
より小さい実体を統合する要素は観察する人間の内面に求められることが
容易に論証可能なので、社会は説明される対象であって、
社会を構成する要素を説明する際の、理論上の根拠となりうる概念ではない、
となります。
▼
また、社会契約というのは国家権力の正当化理論として現れてきた
政治理論であって、ある規範の成立を根拠付ける理論ではありません。
ある主張が政治力学的に支えられる面と、
ある主張が指示する内容が論証可能かどうかの問題は、全く別の次元の話です。
クラスのA君がB君をなぐったことについて、B君は痛いからやめてくれ、という
主張をしたことにつき、C君以下多くのクラスメートがB君の主張を認めなかったとしても、
B君が痛かった点や、痛くて気に入らない点が変わるわけではありません。
B君をかわいそうだと思った、クラスで人気のZ君がB君をかばったところ
とたんにC君以下がB君側の主張を認めるようになったとしても、
「そのことでB君の主張が根拠付けられた」わけではありません。
現実的な通用力と理論的な論証力を混同しないでください。
618 :
考える名無しさん:02/07/17 21:24
つうかオマイラ、中学生ぐらいの糞生意気なガキに訊かれたら何て答えるんだ?
それぐらいの簡明さで答えてください。
>>618 そうやってアホレスを呼び込もうとするのは、いいかげんやめてくれませんか?
中学生に失礼ですから。
620 :
考える名無しさん:02/07/17 21:34
473さんの過去の発言を一通り読ませていただきました。
473さんは殺人を否定する考え方に対しては普遍性も完全性も積極的に求めない方向で
いらっしゃるという解釈で間違っていないでしょうか?
また被害者の存在を常に強調されていますが、結局618さんの求めるような言葉にすれば
「だれだって殺されたくないだろ?」ということになってしまうんでしょうか。
621 :
考える名無しさん:02/07/17 21:39
>619
人を殺してはいけないことを積極的に社会に再確認させようとする立場であるなら、
より簡明な言葉で自分の主張を表現する努力は怠ってはいけないと思います。
618の言い方は確かに乱暴ですが、それが簡明に答えられないことの理由にはなりませんし。
なんで殺しちゃいけないんでしょう??
きっと、殺されてもいいと思ってる人より
殺されたくないって思ってる人の方がはるかに多いから
その人たちの意思を尊重して、
逆に『殺したい』って思ってる人の意思が尊重されなかった、
ってだけですかな?
って事は『殺されてもいい人』と『殺したい人』だったら
オッケィってことになっちゃうか。
もう一回質問
>>580 >「ある人間」について命題を成立させて、
>その「ある人間」に該当する対象は、人類の中にたくさんいるので、
>一般的にはある人間についていえることは人類について言える、
>という風なやり方も考えられるんですが、
>後者について思い及ばない人が多いのはなぜなんでしょうね。
あんたはなに言ってるんだ?
多くの人に言えることは、全体に対して言ってる事と同じだと言ってるのか?
>>621 ごもっともです。どうもすみません。そうですね、とりあえず
>>149と
>>427なら
比較的わかりやすいのではないかと思います。
>>620 普遍性については、私が論じている範疇での普遍性はすでにあると主張します。
具体的な問題を扱う中で個々人の主張が私の主張と同じようになる、という点については、
私が求める求めないで決まる問題ではないです。
被害者の存在については、何回も言っていますが、だれだって殺されたくないとか
いうことではなくて、端的に被害者がいやだと思うことは論証できると
いうだけです。殺されたくなくても車にひかれれば人は死にます。
ところで、私の議論は一見難しそうかもしれませんが、
実のところ、ごく簡単なイメージの話をしてるだけです。
正確なイメージは、理解されていれば一瞬で抱かれるのですが
相手にイメージさせようと言葉に直すと、細かい輪郭を指示しなくては
ならないのでどうしても長くなってしまうのです。
そのへんはごめんなさい、というよりないです。
>>623 >>623に引用された部分以外からも十分理解できそうな文章が書いてあるのに
質問をするだけでなく、でかい態度をとるような人間に対して
答える人はあまりいないということを、とりあえず理解してください。
626 :
考える名無しさん:02/07/17 22:13
>>625 結局、あなたの一番の目的は説教ということで
よろしいですか。プッ
>>626 あなたの目的は何ですか?
私の書き込みを、あなたが説教と呼ぶことに決めると
何かあるんですか?
そういうアホな書き込みは、私には通用しないんですよ。
過去ログを参照してください。
で、結局どうなんでしょう??
629 :
コギャル&中高生:02/07/17 22:21
>>625 >
>>623に引用された部分以外からも十分理解できそうな文章が書いてあるのに
>質問をするだけでなく、でかい態度をとるような人間に対して
>答える人はあまりいないということを、とりあえず理解してください。
いやあ理解できんよ。あんたは、このスレの問いに対して前提が示されなくても、
応えることができると言ってるのか?しかしあんたのほかの発言を見る限り、
>常に存在する、という部分の 「常に」 を
>「一般的に」 とか 「これらの条件のもとで」 という形に変えることは
>当然可能なわけで
を読むと、結論にあたって「一般的に」「これらの条件のもとで」と言う前提を与えていると考えられる。
俺は、「当然可能」であることと「必然的」に形が変わることとは別だと思っている。
だから「人類について言える」に、以上の意味で前提を与えれば答えられると言っているのか、
前提が示されなくても、結論のみで回答となると言っているのか理解できない。
でかい態度ってどういうことだ?
あんたの文章を見る限り、あんたこそ随分と上の方から周りを見下して発言しているように見えるよ。
質問しなかったらでかい態度でもいいのか?
631 :
これホント:02/07/17 22:46
>>563 >>>仲間同士殺し合わず、集団を形成する性質をたまたま
>>>身につけた生物が、有利に種を残すことができた。
>>それは違う
違うってなにが?
>>有利に種を残すために仲間同士殺しあう動物はいますよ?
例えば、どんな生物をそうていしてます?別に否定する気もないけど。
まあ、その方が有利な環境なら、そういう性質を持つように進化する
のが自然でしょう。数生んで競わせる戦略もありでしょうし。精子とか
もそのなのかな?
>>人間は、たとえ種全体のために仲間殺しをする必要があったとしても(例えば飢餓状態など)
>>やはり他人を殺すことを悪と考え、躊躇うでしょう
まあ躊躇いはあるでしょうが、
ただ、資源が少ない状況では有能な個体に集中させたほうが、より有利
だったのかもしれません。「『仲間殺しの抑制』を抑制」した方が有利な局
面では、そういう回路の切り替えもあるでしょうね。
632 :
これホント:02/07/17 22:52
>>598 >>そっか!だから人を殺す人が一人もいないのかぁ!なるほどなぁ!!
595ではないですが、人を殺すはいますよ。知らないのですか?(笑
ただ、非常にまれで、人間の社会性を脅かすには十分な数は居ないのと、
社会からの排除機能が強く働くため、身の回りではあまり見掛けませんね。
633 :
これホント:02/07/17 22:58
>>600 >>ゆえに人は、論理的に思考した上で、社会的、あるいは自己の安全のために、
>>「人を殺さない」という選択をする。
いや、別に論理的な思考の結果そうしているわけではないでしょ。
もっと、本能的なものだとおもいますよ。
例えば『高いところで足がすくむ』、『ヘビやクモに嫌悪感を感じたり』
と同様なレベルの原始的なもので、脳内にこの機能を持つ回路が形
成されていると考えた方が自然でしょう。(あるいは、動物や昆虫が、
毒々しい色のキノコを食べることをためらうのと同じレベルの話?)
もちろん、どちらも育った環境や、訓練次第では克服することができる
程度の本能なのでしょうが。
634 :
考える名無しさん:02/07/17 23:01
お教えしましょう。
いいですか、個の成立の過程で、
自己の輪郭とともに他の輪郭を成立させているから、
他の(ときには自己の)輪郭を破ることが、
自己の成立と矛盾するからです。
分かりましたか?
635 :
考える名無しさん:02/07/17 23:02
それからみんな無駄に議論が長いですね。
遠いリンクや複雑なリンクもわずらわしいです。
気をつけなさいね。
>>630 >いやあ理解できんよ。あんたは、このスレの問いに対して前提が示されなくても、
>応えることができると言ってるのか?
質問は「多くの人に言えることは、全体に対して言ってる事と同じだと言ってるのか? 」
でしたが、内容が変わっていますよ。自分で何を書いてるのかはっきり認識できて
いますか?
▼
>しかしあんたのほかの発言を見る限り、
>常に存在する、という部分の 「常に」 を 「一般的に」 とか 「これらの条件のもとで」
>という形に変えることは 当然可能なわけで
>を読むと、結論にあたって「一般的に」「これらの条件のもとで」と言う前提を与えていると
>考えられる。
まったく589と言っていることが同じですねー。だからなんなんですか?
一般的に言える、と、観察から論証可能です。観察は私以外の者からも同様に可能でしょう。
>>460-461 >俺は、「当然可能」であることと「必然的」に形が変わることとは別だと思っている。
この部分は意味がとれません。必然的に形が変わる という表現を私は最近のレスで
使っていません。
>だから「人類について言える」に、以上の意味で前提を与えれば答えられると言っているのか、
>前提が示されなくても、結論のみで回答となると言っているのか理解できない。
前提が示されるかどうかが、この問題において重要である前提を明かしてください。
>でかい態度ってどういうことだ?
>あんたの文章を見る限り、あんたこそ随分と上の方から周りを見下して
>発言しているように見えるよ。 質問しなかったらでかい態度でもいいのか?
私のことをあんた呼ばわりするあなたに、私がどう見えるかを言ったところで
詮無いことですよ。
あと、私のことについて言ったところで、また、仮に私のほうがえらそうだったところで、
あなたがえらそうでないと反論したことになりません。
議論の基礎を、もう少し勉強されたほうがいいのではないでしょうか。
>>673 意味不明。ていうか読む気がしない。もう少し簡潔にまとめたら。
それと、最初の方しか読んでないが、あちこちに論理の飛躍がみられる。
たとえば、
>>460 >>■0の立場からみれば、殺人は常に悪いです。なぜなら、0は殺されることで、
>>0による0の殺人に、0にとってのデメリットがなかったわけではありません。
必ずデメリットがあるのは仮によしとしても、それを上回るメリットが
有る場合、それは0にとっては総合的には良いことなんじゃないか?
>> @ 行動できる可能性が無くなる(感じることも、得ることも、人付き合いも、議論もできなくなる)し、
これは、悪いことと言い切れるのか? 社会通念上ってことか?
>> A ものすごく痛い思いをする(ところで、普通「殴ることは悪いことでない」とは言いません)
からです。
楽に死ねる方法を選択できれば良いのか?
>>636 >>いやあ理解できんよ。あんたは、このスレの問いに対して前提が示されなくても、
>>応えることができると言ってるのか?
>質問は「多くの人に言えることは、全体に対して言ってる事と同じだと言ってるのか? 」
>でしたが、内容が変わっていますよ。自分で何を書いてるのかはっきり認識できて
>いますか?
それは、なぜ最初の質問をしたかの説明だ。
あんたが、無条件に「多くの人に言えることは、全体に対していっていることと同じだ。」
と考えるなら前提についての質問でなく「多くの人」についての質問をしたい。
それでどっちだ?あんたこそ、引用された部分以外のところから理解しようとしているのか?
>この部分は意味がとれません。必然的に形が変わる という表現を私は最近のレスで
>使っていません。
あんたが使った表現しか使っちゃいけないのか?
俺が言いたいのは、「当然可能」であれば形を変えることができる可能性のひとつだろ。
その時は、前提として「こう変えた場合」としなければ、相手に理解されないじゃないか。
「必然的」に形が変わると言うなら、この前提は必要なくなるだろ。
>前提が示されるかどうかが、この問題において重要である前提を明かしてください。
この部分は何を言ってるのかわからん。特に”重要である前提”というところ。初めて聞いた。
>私のことをあんた呼ばわりするあなたに、私がどう見えるかを言ったところで
>詮無いことですよ。
>あと、私のことについて言ったところで、また、仮に私のほうがえらそうだったところで、
>あなたがえらそうでないと反論したことになりません。
>議論の基礎を、もう少し勉強されたほうがいいのではないでしょうか。
ほかのものを見下した物言いをするあんたに、
あんた呼ばわりすることを文句つけても栓無いことですよ。
あんたがでかい態度と言うから、あんたも同様だと言ったまでで、
俺がでかい態度だと言われたことに反論するつもりは最初から無いさ。
議論の勉強をすると、他人を見下した態度になるのか?びっくりだな。
640 :
考える名無しさん:02/07/18 00:17
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ここでボケて |
|________|
. ∧_∧ ||
( ´∀`)||
/ づΦ
641 :
考える名無しさん:02/07/18 00:17
台湾の土壌仏教は日本が侵略する前は人を殺した人でないと
極楽にいけないという話があったし、
中国では両脚羊といって、食用人間が存在した。
中国の人たちは人間を殺して調理して食べることを楽しんできたの
である。
という話が前にあったし、同種族で殺す例としては
タイのサル(名前忘れた)やあとストレスたまったラットが
共食いするとか聞いたことあるような・・・
642 :
考える名無しさん:02/07/18 00:18
ここで「殺人」と漢字で書いてみて考えてみることにしよう。
すると、答えが見えてくるはずだ。ヒトゲノムだな、いわゆる
643 :
考える名無しさん:02/07/18 00:22
>>641恍惚感をセクースや殺人(犠牲)に求める宗教は結構あるんじゃない。
恍惚感ってのは個が破れた状態な。
644 :
考える名無しさん:02/07/18 00:26
>>641 全体の何%程度のヒトあるいはサル、ラットが
そういう行為をやるのかな?
645 :
考える名無しさん:02/07/18 00:27
宮崎勤とかは?
646 :
考える名無しさん:02/07/18 00:34
>>644 わからん。。中国全体だったら、地球上の6分の1は・・・
って感じになるからねぇ・・・
さすがに高級食材だったんじゃないかなぁ・・・
‘人肉‘で検索すると出てくるよ。
食べている写真が掲載されているホムペもあったなぁ・・・
>>638 いつもながら、最低の引用ぶりですね。
>>>■0の立場からみれば、殺人は常に悪いです。なぜなら、0は殺されることで、
>>>0による0の殺人に、0にとってのデメリットがなかったわけではありません。
1行目と2行目は、原文ではつながってません。
いかにもつながっているかのように引用して論理の飛躍と言われても困ります。
>必ずデメリットがあるのは仮によしとしても〜
よしとした場合の帰結について無視しないでください。
>上回るメリットが有る場合
その箇所は自殺に関しての補足です。殺された場合に考えられる
被害者側のメリットとは一体なんですか?
なんでもケチをつければいいというものではないんですが。
>@行動可能性→悪いことと言い切れるのか
あなたは行動可能性を奪われることについてどう思いますか?
他の人が行動可能性を奪われることをどう思うと予想しますか?
ほぼ確実に悪いという評価が下されるであろうことは、自明です。
>Aものすごく痛い→楽に死ねる方法を選択できれば・・
楽に死ねる方法を殺す際に選択する蓋然性は高いんでしょうか。
そもそも選択して決める場合が一般的ですか?
自動車事故などは、痛くないんでしょうか。テレビで放送される、
一般的な殺人事件などは?
また、楽に死ねるとして@の理由は残ります。
>>639 多くの人に言えることは、全体について言えるのと同じだ、とは言ってません。
あなたは全体をまとまった一つの対象として把握しているからそういう理解に
なるのだろうと思われますが、そういう理解はそもそも全体の理解として正しくありません。
私は、「人」について何か言及するには、直接「全ての人」について論証する以外に、
「ある人」について一般的に言えることを論証してその一般性を「人」という言及に
及ぼす(及ぼせるという点も論証して及ぼしていく)という 「やり方もとれる。」
という点を、述べたにすぎません。
あるテーマについて及ぼすことができるかどうかは、また別の話です。
他の部分については答える必要が無いようです。
649 :
考える名無しさん:02/07/18 01:24
>473さん
スレ読む人にもちょっと迷惑じゃないですか?
えーと、547氏は
>しかしあんたのほかの発言を見る限り、
>常に存在する、という部分の 「常に」 を 「一般的に」 とか 「これらの条件のもとで」
>という形に変えることは 当然可能なわけで
>を読むと、結論にあたって「一般的に」「これらの条件のもとで」と言う前提を与えていると
>考えられる。
まったく589と言っていることが同じですねー。だからなんなんですか?
一般的に言える、と、観察から論証可能です。観察は私以外の者からも同様に可能でしょう。
>>460-461 この部分に答えておらず、またその部分に答えてないことを明示していませんね。
論じ方の細かい部分が589そっくりで笑えますね。
>>649 引用のことでしょうか? その点については申し訳ないですけど、
私の議論の引用を正しく行ってもらえてないので、それに対応する必要性がある点、
過去ログが参照されにくいシステムである点(後の方のレスばかり目にとまりがち)
過去ログにリンクを貼っておけば、見るかたたちの負担を軽減できる点、
すでに説明済みであるという指摘をわかってもらうために必要である点、
など考えて貼っています。
たしかに変則的ですし、うっとうしいと思いますが、許してください。
>>649 忘れてました。良かったら、あなたの意見も聞かせてください。
653 :
考える名無しさん:02/07/18 01:36
>>652 あなたと意見を交わすことは、とても大きな負担のように感じるので、
申し訳ありませんが、今回は遠慮いたします。
654 :
考える名無しさん:02/07/18 01:39
殺られたら殺りかえせ
656 :
考える名無しさん:02/07/18 01:44
殺してはならないという倫理は、
どんな命でも同じ重さであるという、
平等の理念からは、本質的には、生じない。
しかし、圧倒的に不平等な力関係の前に、
日々、多くの殺戮が行われる現実の非対称性。
657 :
考える名無しさん:02/07/18 01:47
ポ エ ム は ヤ メ レ
>>647 >多くの人に言えることは、全体について言えるのと同じだ、とは言ってません。
>あなたは全体をまとまった一つの対象として把握しているからそういう理解に
>なるのだろうと思われますが、そういう理解はそもそも全体の理解として正しくありません。
まだ何も理解してないよ。理解できないから質問してんだ。
>私は、「人」について何か言及するには、直接「全ての人」について論証する以外に、
>「ある人」について一般的に言えることを論証してその一般性を「人」という言及に
>及ぼす(及ぼせるという点も論証して及ぼしていく)という 「やり方もとれる。」
>という点を、述べたにすぎません。
つまりは、「一般的には」と言う前提において、
スレタイの問いに答えたと言うことなんだろ。違うのか?
それとも、そのあんたのやり方でいくと、
間接(×直接)的に「全ての人」に対する答えとなるといってるのか?
まわりくどくて解りにくい。
>あるテーマについて及ぼすことができるかどうかは、また別の話です。
あんたの言う(間接的な)方法が適用できるテーマとできないテーマがあると言うことか?
それとも、片方だけできる場合と両方できる場合又はできないテーマがあるのか?
>>650 何だ、どの部分に回答を求めてんだ?
>だからなんなんですか? <これの事か?
最初に言ってるじゃないか。俺は、このスレタイに答えるには前提が必要だと。
そして、そうじゃなければ前提と結論を同時に示す必要があると。
あんたが、それに対して前提が示されてないと言うのは怠慢だと言うから、
そのことを話してるんじゃないのか?前後を把握してればあんたならわかるだろ。
それでこれに答えることで、あんたの回答が変わるのか?
変わらないなら、余計な質問出すなよ。論点がボケるだろ。
>論じ方の細かい部分が589そっくりで笑えますね。
その誰かに似てて何が笑えるんだ?
いや、これには答えなくていい。余計だから。あんたも余計なこと書くな。
誰かに似ていようが、似て居まいが俺には関係ない。多分この議論にもだ。
>>658 あなたと議論するのは、ただの時間の無駄のようなのでやめます。
これだけだとなんなので。
基本的な方法論に関する理解不足を、相手のせいのように言ったり、
説明された前提によけいな前提を付け加えて批判したり、
まともな引用を行わなかったり、
「議論における前提が必要」と称して、
事実に基づいた論証を前提として共有できるという指摘を無視し、
事実に基づく論証を「無視できる」点を自明視できる点を前提したり、
こういうごくごく基礎的なレベルでの勘違いを、
恥ずかしげも無く展開してふんぞりかえるのは、やめてください。
>>659 文章長い割りに、議論は尻切れトンボで短いんだな。
あんたもやっぱり単なる発表会の参加者か・・・。
念のために確認しておきます。私は「〜にとって」という前提は、
>>460-461で場合わけして議論しています。
まず、被害者側の不利益を一般的に論証し、次に加害者側にとっての利益は、
殺人という事実に必ず付随する被害者側の不利益を正当化しないから、
加害者側の利益は、被害者側の立場からなされる「殺人がいけない」という主張に
対する反論にならない点を論証しています。
こういう議論は、えらそうと言われて相手がえらそうだと言えば言い返したことになると
考えるような人間には、残念ながら理解できません。でも彼が理解できないのは
私の責任ではありません。
664 :
どうして人を殺しちゃいけないの?589:02/07/18 03:15
「正当化」ってどういうこと?
これだけだとなんなので。
職業哲学者も含め多くの人が気が付いていないと自分で言っている方法を、
基本的な方法論だと言い、それを理解しようとするものを見下して、
主張も含めて、本人以外が理解できていない事に気づかず、
自惚れてふんぞり返るのはやめろ。
>>663 >えらそうと言われて相手がえらそうだと言えば言い返したことになると
>考えるような人間には、〜
言っておくけど、俺はそんなことは言っていない。
えらそうだと言われたので、あんたも同様にえらそうだと言っただけだ。
自分がえらそうでないと言い返してはいない。そんなことも理解できないのか?
自分の勘違いで、人を勝手にカテゴリー分けするな。
589氏については、
>>343-407あたりのやりとりを読んでみてください。
蚊がうるさい。
667 :
考える名無しさん:02/07/18 03:21
>?>666
おめでとう
どうして人を殺していいの?
669 :
考える名無しさん:02/07/18 09:21
人を殺してもいい社会では人間がいなくなります。人間がいない社会は存在できませんので、
人を殺してもいい社会は存在しません。
というのは正論だが、実は違うかもしれない。人が増えすぎた社会は自爆しそうだ。
よって、多少の間引きは必要悪でたまに減らしてあげるのは社会全体にとって悪いことでもない。
戦争などの特殊な状況下でが人は殺してもいいのである。
670 :
ガムリン中村:02/07/18 09:48
>>661 「ルール」がいつか誰かが決めたものだと!?
誰がなんの特権で決め、維持されねばならない!?
「決定されたルール」
一人一人の人間を見ずに命令だけがそこにある!石版と同じことだァ!!!
第2テツガク船団軍バルキリー部隊ポリロゴス隊員として
その発言許すわけにはいかない!!!
671 :
考える名無しさん:02/07/18 11:05
無駄が少ないからに決まってるだろ、おまえらさん。
このスッドレを“なぜ人を殺してはいけないとかたくななまでに信じこんでいたのか”
にでもかえればか
てめえらが言ってる理屈はガキっぽいんだよ
どんな些細で下らない煽りや暴言でも議論の価値を見出せてしまうところが哲学版のいいところでもあり、最悪なところだよなあ。
テスト。
673 :
考える名無しさん:02/07/18 14:13
つーか473は馬鹿相手にしすぎ。
674 :
考える名無しさん:02/07/18 20:37
アナーキーな理想主義
675 :
考える名無しさん:02/07/18 21:09
結局、殺したいやつは殺せば?ってことなんじゃ?
全部のことにはメリットもデメリットも無いんじゃない?
676 :
I rub you:02/07/18 21:17
1>おまえ殺していい?
677 :
自然主義的誤謬:02/07/18 21:52
>>670 ルールは守らなければならない
これは絶対です
なぜならばあなたはルールの中に身を置いているからです
ルールの中に身を置く=守らなければならない
ルールの中に身を置かない=守らなくてもよい
そしてあなたは別のルールを作成することができます
あなたはどのルールに身を置くかを決定することができます
あなたの言葉は将棋をしていた人間が「俺は駒を持ち別の場所に動かしただけだ」と答えているに過ぎないと私は思います
678 :
考える名無しさん:02/07/18 21:58
おまえらまだこんなこと考えてるの?
馬鹿ダナァ(´ー`)
最初に馬鹿と言う奴が馬鹿
>>647 >>いつもながら、最低の引用ぶりですね。
悪い悪い、空き時間に急いで書き込んだから、間に(中略)と入れるのを忘れていたよ。
>>>>>■0の立場からみれば、殺人は常に悪いです。なぜなら、0は殺されることで、
>> >> (中略)
>>>>>0による0の殺人に、0にとってのデメリットがなかったわけではありません。
1行目の「殺人は常に悪い」を説明する流れの文章なのだから、その一例としてあげた
「0の0による殺人」についても「悪い」との結論がなければ尻切れとんぼだろ。
ただ、「デメリットがなかったわけではない」だけでは説明不足。例えば、「悪い」を
「デメリットがメリットを上回っている状態」と定義づけるとしたら(仮に、例えばね)、
このデメリットを上回るメリットが存在し得ないことを説明しなければならない。ある
いは、多少なりともデメリットが存在する状態を「悪い」とするなら、それを説明しな
ければならない。
>>>必ずデメリットがあるのは仮によしとしても〜
>>よしとした場合の帰結について無視しないでください。
ん? 「仮に」と書いたのは、議論の余地を多分に残しているが、そこは目をつぶったと
してもって言う意味だが。
>>>上回るメリットが有る場合
>>その箇所は自殺に関しての補足です。
そうだね、それが何か? 自殺を例外にしたいわけじゃないんでしょ。
>>殺された場合に考えられる被害者側のメリットとは一体なんですか?
例えば、生きていて受けるデメリットが、死ぬ際に受けるデメリットよりも大きい場合、
デメリットを小さくできるというメリットがあるでしょ。自分でも書いてたろ。
例えば、こんなのは↓どう?
@' 行動する必要性がなくなる(感じる必要も、得る努力も、人付き合いも、議論もしなくてすむ)
>>>@行動可能性→悪いことと言い切れるのか
そっちも引用は適切にね(笑。 社会通念上そう言っているのか?ってことね。
>> あなたは行動可能性を奪われることについてどう思いますか?
>> 他の人が行動可能性を奪われることをどう思うと予想しますか?
>> ほぼ確実に悪いという評価が下されるであろうことは、自明です。
で、結局そういうことね。結局、そういう常識論にたよるのであれば、最初から「ほぼ確実に
悪いという評価が下されるであろうことは自明」なので「人殺しは悪いです」って言えば良い
じゃん。なんやかんや、論を展開した挙句、一般論を拠所にした足掛かりのポイントをシフト
しただけじゃない。中途半端なの。
>>>Aものすごく痛い→楽に死ねる方法を選択できれば・・
>> 楽に死ねる方法を殺す際に選択する蓋然性は高いんでしょうか。
死ぬ方法の選択の話は、自殺の場合ね。まあ、例え痛い方法であろうとも、その痛さを受ける
デメリットは相対的に小さいと判断した上でのことだろうけどね。
>>また、楽に死ねるとして@の理由は残ります。
で、この@も根拠が不明確なのが問題なわけね。
結局、結論は出ない問いですね。
本当の所はどうでもいいってことか・・・。
結論
個人がどう考えようと知ったこっちゃない
ただそれ許すと社会が成立しないので抑圧
>>680は、全然反論になってません。
・他殺について指摘された箇所で自殺の話にすりかえてるだけ
>死ぬ方法の選択の話は、自殺の場合ね。・・・
加害者が選択する文脈で論じる箇所で自殺の場合だとされても補足にはならない。
・>>>必ずデメリットがあるのは仮によしとしても〜
>>よしとした場合の帰結について無視しないでください。
ん? 「仮に」と書いたのは、議論の余地を多分に残しているが、そこは目をつぶったと
してもって言う意味だが。
これも全然反論にならない。デメリットがあるのがよしと主張する人間が「いれば」
そこに理由がある、と言っているのだから。638が議論してどうにかなる話ではない。
単に私の議論の構成を理解してないだけ。
・悪いという評価が「下せない」と議論されたから、「一般論」をきちんと導けると
常識(観察)に基づいて議論した部分について反論できなくなれば、
「自明」という表現をあげつらえて議論を陳腐化して説得力下げ。
自明である点に疑義を呈している馬鹿が多いから、厳密な説明を行っただけです。
・引用について、急いで書き込んだから(中略)を入れ忘れた?
ふざけるのもたいがいにしてください。エンターキーを一回押しておけばいいだけでしょう。
私のもとの文章
>>460-461 を見てもらえれば、すぐにわかることですが、
680は、自殺に関する補足の部分をわざと大きく展開しています。
461の帰結の部分当たりまでとか、また684の他のリンク先などを読めば
わからない人はほとんどいないはずです。
私が馬鹿を相手にしずぎだと言っ(てくれ)た方がいますが、
そう思うならフォローを入れてください。私は常識的なフォローが
せめて哲学板くらいでは入って欲しい、と思っているだけです。
686 :
考える名無しさん:02/07/19 08:25
>>468 答えに詰まると「全然反論になってません」で逃げるのが多くない?
687 :
考える名無しさん:02/07/19 08:40
>>460 >>680は、自殺に関する補足の部分をわざと大きく展開しています。
自殺の部分に踏み込まれると都合が悪いのか?
だからあらかじめ書き込んで、予防線のつもり
だったんだろうけど、全然機能していないね
多くの人は殺人が平気で許される世界には住みたくないからだよ。
689 :
スラヴォイ・ビビル:02/07/19 09:35
>>677 >ルールの中に身を置く=守らなければならない
>ルールの中に身を置かない=守らなくてもよい
置かないほうを想定してるのに、「ルールは守らなければならない
これは絶対です」だって?
>そしてあなたは別のルールを作成することができます
>あなたはどのルールに身を置くかを決定することができます
あなたは瞬間瞬間好きなように行動を選択できます、とどこが違うんだ?
自己矛盾を当たり前に犯す!!
ビ!ビ!ビ!
>>677 !!!これぞ真の厨房美!!!!!
690 :
考える名無しさん:02/07/19 16:30
>>686 どこも詰まって無いじゃん。説明かいてあるのが見えないの?
691 :
考える名無しさん:02/07/19 16:31
「人を殺したい」と正直に言え。
692 :
自然主義的誤謬:02/07/19 18:57
>>689 ふふふ元気ですね
微笑ましいですよ
> 置かないほうを想定してるのに、「ルールは守らなければならない
>これは絶対です」だって?
はい絶対にそうです
どこにいようがルールは守らなければならないものです
>あなたは瞬間瞬間好きなように行動を選択できます、とどこが違うんだ?
同じです
が、微妙に意味が違います
自由に身体を行動させることができる、がよい訳でしょう
> 自己矛盾を当たり前に犯す!!
ところがこれが自己矛盾ではないのです
ところで次のような文章をどう思いますか?
「なぜ人は死んだ後に生き返ってはならないのか?」
693 :
>>692:02/07/19 19:05
自分が優勢の時は随分と威勢がいいですねぇ〜(w
議論に負けそうになると突然消えていなくなるけど(ぷっ
>>693 私には勝ち負けの次元に見えないのだが・・・・
695 :
マルクス艦長:02/07/19 19:16
>>692 「〜してもよい」「〜してはならない」という範疇の事柄ではない。
ロゴス中心主義であってはならないが、モニター(論理)から目を離すな!
696 :
>>694:02/07/19 19:18
697 :
エンゲルス参謀:02/07/19 19:21
>>692 「ルールは守らなければならないものです」・・・根拠はどこですかな。
あなたは「ルール」という語に自ら取り込まれている、
と忠告したほうがよろしいかな。
>>695 その通りです
ならば私が自己矛盾でないこともお分かりでしょう?
>>697 ルールの性質を語っているのです
しかし私は「ルールは破れない」と言っている訳ではない
守らなくてもよいものはルールではないでしょう?
ふむ、レスがないですな
では僕がそのまま疑問を投げかけます
そもそも「〜してはならない」「〜してもよい」「〜すべきである」
という言葉が可能を含むことをなぜ問題視するのか
ということです
>>689は「〜してはならない」と「〜できない」を混同視している!
700 :
テツガク2 カタスミパーク:02/07/19 19:39
サラ・ミレーヌ・コフマン
「ねえガムリンさん、あのひと
>>698 は、『その概念を用いるかどうか』っていう
姿勢をもってないのかなあ?」
ガムリン中村
「さあ、私には・・。しかしデリダは『概念の放棄』ということをしばしばしますから
必要な姿勢なのだと思いますよ、ミレーヌさん。」
いい皮肉でした
この同じことを延々と繰り返し何の前進もないスレを何とかしたいと思っただけです
702 :
考える名無しさん:02/07/19 20:24
なんと同一人物だったとは
デリダのアブラハムの下りを知っている人物が相手とは思わなかった
語りえないものvs語るもの
というところかね
704 :
考える名無しさん:02/07/19 22:29
>>683,685
>>680は、自殺に関する補足の部分をわざと大きく展開しています。
うん、そうだよ。
まずは、一番論理の破綻が分かりやすく表れている「自殺」の部分を、
突っ込んでいるんだけど、なにか? それとも自殺は例外にしたいのか?
>>・他殺について指摘された箇所で自殺の話にすりかえてるだけ
>> >死ぬ方法の選択の話は、自殺の場合ね。・・・
>> 加害者が選択する文脈で論じる箇所で自殺の場合だとされても補足にはならない。
おいおい(笑。
もともとこちらが「自殺」に関連して持ち出した話題について、
他殺に限定して(すり替えられて?)コメントを返されたから、
こちらの意図を補足しただけの話だろ。その補足を受けて、君
が文脈を変えて、コメントし直せばいいんじゃないか?
それとも「自殺」の部分に付いてはそんなに触れたくないのか?
それならそれで、この部分に関しては撤回すれば良いだけの話。
>>>> ん? 「仮に」と書いたのは、議論の余地を多分に残しているが、そこは目をつぶったと
>>>> してもって言う意味だが。
>>
>> これも全然反論にならない。
んん・・??? もとから、反論でも何でもないが(笑。
単に、おかしな部分全てに突っ込んでいたら時間がいくら有っ
ても足りないから、今はやめとくって言ってるんだが。???
>> デメリットがあるのがよしと主張する人間が「いれば」
>> そこに理由がある、と言っているのだから。638が議論してどうにかなる話ではない。
>> 単に私の議論の構成を理解してないだけ。
これも意味不明、どういう意味だ?
>> 自明である点に疑義を呈している馬鹿が多いから、厳密な説明を行っただけです。
はぁ?その「自明である点」に関して行った、「厳密な説明」とは
どれを指しているんだ?
↑は638の発言。入れ忘れてた。
>>685 >>私が馬鹿を相手にしずぎだと言っ(てくれ)た方がいますが、
>>そう思うならフォローを入れてください。私は常識的なフォローが
>>せめて哲学板くらいでは入って欲しい、と思っているだけです。
自分が「放置すべき馬○」に分類されている可能性も念頭に置いた上で、
もう一度自分の発言を、冷静に読み返してみてはどうだろうか?
707 :
>>自然主義的誤謬:02/07/19 22:39
なんかこの人完全に逝っちゃってるね(w
今のうちならこっちの世界に戻ってこられると思うが…
ってか戻ってきて欲しくないか(w
>>683 で、結局、
>>680の以下↓の部分に関する有効な反論は無しか?
>>680 >>1行目の「殺人は常に悪い」を説明する流れの文章なのだから、その一例としてあげた
>>「0の0による殺人」についても「悪い」との結論がなければ尻切れとんぼだろ。
>>ただ、「デメリットがなかったわけではない」だけでは説明不足。例えば、「悪い」を
>>「デメリットがメリットを上回っている状態」と定義づけるとしたら(仮に、例えばね)、
>>このデメリットを上回るメリットが存在し得ないことを説明しなければならない。ある
>>いは、多少なりともデメリットが存在する状態を「悪い」とするなら、それを説明しな
>>ければならない。
>>680 >>例えば、生きていて受けるデメリットが、死ぬ際に受けるデメリットよりも大きい場合、
>>デメリットを小さくできるというメリットがあるでしょ。自分でも書いてたろ。
>>例えば、こんなのは↓どう?
>>@' 行動する必要性がなくなる(感じる必要も、得る努力も、人付き合いも、議論もしなくてすむ)
>>680 >>結局、そういう常識論にたよるのであれば、最初から「ほぼ確実に悪いという評価が下
>>されるであろうことは自明」なので「人殺しは悪いです」って言えば良いじゃん。
>>なんやかんや、論を展開した挙句、一般論を拠所にした足掛かりのポイントをシフト
>>しただけじゃない。中途半端なの。
>>680 >>死ぬ方法の選択の話は、自殺の場合ね。まあ、例え痛い方法であろうとも、その痛さを受ける
>>デメリットは相対的に小さいと判断した上でのことだろうけどね。
もう哲学から戻ってこれないと?
710 :
Kurihara:02/07/19 22:48
人が殺したいなら、はっきりそう
言ったほうがいいと思いますよ。
考えてみたら、考えるだけアホだよな
別に結論がどうだからって人を殺しはしないんだから
いったい哲学で何が解決するのだろうか
>>659 あんたは、あんたの方法論によって導き出された結論は、
前提無しに受け入れうると主張しているわけだよな?
逆に言うと、その方法論自体に疑問があればそこから導き出された結論も、
受け入れられるものかどうか解らない訳だ。
そこで
>>665の発言を、表現を変えて質問したい。
職業哲学者含め、多くの人が導入しない(していない)方法論を、
受け入れる根拠はどこにあるんだ?既に説明しているなら抜粋でもレス番でも良い。
前レスをちょっと見たが、スレが長すぎて探し出すには時間がかかりすぎる。
それと、「どうして人を殺しちゃいけないの?」と聞いてくる糞ガキに、
ぐうの音も出ないような理論で諭すことはできない。でいいんだな?
713 :
考える名無しさん:02/07/20 14:45
>フォローを入れてください
473の指摘は正しい。
殺人が起きるのと同じように、殺人をいけないという発言も起きる。
いけないと発言されるとき、そこに不利益があることは観察から一般的に示せる。
殺される当人は、不利益を受ける。それを理由として、「いけない」と主張する
に違いないだろう(死ぬからその機会は無いけど)。
自殺の場合も不利益がある点違いがない。
「(不利益に即して)自殺はいけない」と主張できる。
これらの事実は、容易に観察可能である。
で、反対する発言も同じ行為だと言われるだろうが、
その反対する発言の議論は
「被害者側が殺人をいけないとする主張」に対しては ←ここがポイントだな
「合理的な反論にならない」んだよね。
被害者側の不利益が当然にセットになってる事実である「殺人」を論じてるのに、
セットになってる事実を無視して、加害者側の議論などを議論するのは、
「論点はずれ」。まったくその通りだと思う。分からないやつは、確かに馬鹿だ。
しかし、473は、引き際を逃したと思う。きつい言い方だけど、その点は
473が馬鹿だ。まあ、あえてやってたんだんだろうとも思うが。
473の意見に賛同する人(正直多くないかもしれない。理由は推して知るべし)
は、あまりの馬鹿の多さに、議論とは無関係に嫌気がさして、既にこのスレを
見てない。見ているとしても、馬鹿を相手にして時間を無駄にしたく人間が
多数派だと思う。
俺も、もうこのスレには書き込まないよ。
>>708 それらの反論は、それこそ「全然反論になってない」から無視されただけだろ。
いいかげんうざい。
>>713 >被害者側の不利益が当然にセットになってる事実である「殺人」を論じてるのに、
>セットになってる事実を無視して、加害者側の議論などを議論するのは、
>「論点はずれ」。まったくその通りだと思う。分からないやつは、確かに馬鹿だ。
このスレの元もとの論点は、
「人を殺しちゃいけないと根拠をもって言い得るか?」では無く、
「どうして人を殺しちゃいけないのと聞いてくる糞ガキに、
ぐうの音も出ないような理論で諭すことはできないのか。」と言うことではないのか。
元スレをみると、そこの1にはそのように書いてあった。
それについて
>>713はどう考えているんだ?
もしその点に語る術?は無いとして「殺人」と言う現象?にシフトして論じるなら、
それこそ「論点はずれ」であり「スレ違い」だろ。
716 :
考える名無しさん:02/07/20 21:09
>>715 それならクソがきがどんな人間かによって、いくらでも結論が変わるじゃん。
まさかサカキバラみたいなのを想定しろとでもいうのか?
お前はじめからまともに議論する気ないだろ。
そうだ、ひとつ聞いておこう。
547は、殺人に関する473の議論について、どう考えているんだ?
スレ違いとかぬけたこと言うなよ?
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< みんな、おちつけ。
( ) \_____________
| | |
(__)_)
719 :
考える名無しさん:02/07/20 21:30
>>716 そもそも715は詭弁だろ。諭すための理論をモンダイにしているのに
実際に諭せるかどうかの話にすりかえてるんだから。
720 :
考える名無しさん:02/07/20 21:38
認知的不協和だ。実際に諭せる可能性を考えるだけで
今までの自分の立場が危うくなるので思考することさえできない。
>>716 あんた抜けてるな。
俺は、最初から結論が出ないと
>>564で主張してんだよ。
当然の事だが、「人を殺していい。」と思っているわけじゃない。
論点を変えるなら、新たにスレ立てて議論するのが筋だろ。
>>717 「殺人に関する473の議論」については、無駄にだらだらと長いと考えている。
「人を殺してはいけない。」と言いえると言う結論に反論は無いさ。
方法論には回答が無いんで、今だ疑問があるけどね。
そうだ一つ聞いておこう。
716は、このスレの元もとの”主旨”と、473の発言は、
スレ違いだと思うのか?思わないのか?
>>719 >諭すための理論をモンダイにしているのに〜
そうなのか?どの部分だ?
722 :
Kurihara:02/07/20 21:39
みなさん、おちつきましょう。
723 :
考える名無しさん:02/07/20 21:43
おまえがおちつけ
724 :
考える名無しさん:02/07/20 21:46
まあまあ。
人を殺しちゃいけないのは
殺されないためさ。
725 :
考える名無しさん:02/07/20 21:48
547は最近鉄板のいろいろなところで質問ばっかりしている厨か?
547が、
>>564のように考えているなら、俺の考えでは473と547は
同意見のように見えるんだが・・・。違うのか?
>>726 >547が、
>>564のように考えているなら、俺の考えでは473と547は
>同意見のように見えるんだが・・・。違うのか?
そんなことは知らん。全ての発言を把握するほど暇じゃない。
少なくとも
>>716をみる限りあんたは同意見だろ。
で、俺の質問の答えは無いのか?
728 :
考える名無しさん:02/07/20 21:59
?
716の理解してる、「473の考え」ってどんなものなの?
473は前提をはっきりさせないと議論が成立しないと認めているんだよ。
ただ、473はそれでは問いの趣旨に答えたことにならないと考えて、
前提を補って質問に答えればいいと言ってた。
だから547が問題にしている点は、すでに前提として認めている。
460-461もそうなっていただろ?
ところで、全ての発言を把握するほど暇じゃないというのは汚いんじゃないのか・・
だから715は詭弁だってば。のせられんなって。
732 :
考える名無しさん:02/07/20 22:24
というか、547のほうが473より偉そうだね とかいってみるテスト
>>729 では、糞ガキに473の考えをもって諭せるのか?
この問題において、糞ガキを諭す為の前提とはどの部分だ?
それとも、諭せないことを認めて論点を変えたのか?だとするとスレ違いではないのか?
俺には、糞ガキを諭す為の理論が展開されているとは思えない。
>>730 >ところで、全ての発言を把握するほど暇じゃないというのは汚いんじゃないのか・・
いやあこれは申し訳ない。俺が悪かった。訂正する。
473の発言がスレ違いと感じ、またその方法論に疑問があるんで、
現時点でその発言の全てが、同意見かどうか判断できない。
(レースの時、フライングがあったのにゴールまで走るのは暇人だと言うことだ。)
少なくとも、前提の置き方については違いがあると思う。
>>716 はじめからまともに議論する気ないんだから、当たり前だろ(w
いいかげんやめれ
>>713で終了だろ
結論:主張があるときにはそこには理由がある。
>>733 >糞ガキに473の考えをもって諭せるのか?
俺はクソがきがどういう人間かを前提できないから、
その議論について結論を出すことはできないよ(苦笑)。
場合によるんじゃないの(笑)? 簡単な文章もあったし、
クソがきが成長すれば、理解する日がくるから、いいんじゃないの?
とも言えるよね。
あと、発言のことを「申し訳ない。」と謝っているけど、
それおかしくない? そういう問題じゃないよね?
ホームレスが餓死するのを防ぎ切れないとしても、それは死刑ではないぞ。
糞ガキが成長しないところで、それはどうにもならないことだ。
糞ガキを生む遺伝子が全部無くなればホームレスがいなくなる仕組みを作るのが
精一杯。
739 :
考える名無しさん:02/07/20 23:02
あのー、質問なんですけど、
>>460-461で終了してるって分かってて書いてるんだよね? ここにいる人…
473をおちょくって遊ぶ会だったんでしょ?
>>736 つまり、スレ違いだと思うのか?思わないのか?
ひとりまともな賛成者が出たら、一気に傾いたな(w さすが2ch
744 :
考える名無しさん:02/07/20 23:14
ここってアフォしかいないね
745 :
考える名無しさん:02/07/20 23:16
もう473もさすがにこないのでは
>>740 クソがきのほうの話はどうなった?
スレ違いではないのは当然だろ。理論で諭すときに理論を問題にしないでどうすんの。
>>744 そうやってミソクソにするのが、いかにも厨房だな
>>713 >>473の意見に賛同する人(正直多くないかもしれない。理由は推して知るべし)
とりあえず、この部分にだけは同意だな(笑。
糞がきはもとより、形式に惑わされて賛同してしまうのは、ちょっと頭の弱い大
人くらいのものだろう。
結局、
>>473は、「人は他人の痛みを思いやらなければなりません。だから人を
殺してはいけないのです。」という自分の道徳観念を押し付けているだけ。
それを、饒舌に複雑に、本質が見えにくい形で発言しているだけ。少しでもまと
もに論理展開を追える人間なら、この問題に関して何ら掘り下げた考察をしておら
ず、本質的な回答をしていないことにすぐ気付くだろう。
749 :
考える名無しさん:02/07/20 23:24
>>748 まともに論理展開を追えるなら、473は人を殺してはいけないと
実際に困る人は主張します。
そのことは、困らない人も困る人も認めざるを得ないでしょう。
としか言ってないと、わかるはずですが。
750 :
考える名無しさん:02/07/20 23:26
あと、私は713の473の意見に賛同する人が多くないという点にだけは
同意できないです。ただ、473さんが書きすぎた点はその通りだと思います。
とりあえず638はDQN決定
752 :
考える名無しさん:02/07/20 23:37
なんでマクロスネタでやってるような奴が一番まともなんだ?ここは(藁
754 :
考える名無しさん:02/07/20 23:40
>>753 748の要約にあわせて、749でも要約をしただけです。
ある抽象的問題の是非を議論する場合は、
一つの対象として扱えない事実を、言葉の上で一つとして扱えてしまうことで、
事実を構成する要素とあてられる言葉との対応関係が意識されずに、空論に終わって
しまうことが多いので、気をつけると良いと思います。
▼殺人について考えるとき、以下の人間を、抽象的に想定することは、大丈夫だと思います。
・0が殺される・殺されそう 注:0が自殺
・1が0を殺す・殺しそう
・2、3… …1億…50億…(部外者)
これらの人間それぞれの立場から、殺人という抽象的事実がどう理解されるかを明かせばよいはずです。
■0の立場からみれば、殺人は常に悪いです。なぜなら、0は殺されることで、
@ 行動できる可能性が無くなる(感じることも、得ることも、人付き合いも、議論もできなくなる)し、
A ものすごく痛い思いをする(ところで、普通「殴ることは悪いことでない」とは言いません)
からです。
@・Aは、0にとって、大きなデメリットです。ですから、0の立場からみる限り、殺人は悪いことです。
注:自殺…「自殺を遂げるまでに、生きていて受けるデメリット」の方が、
「自殺しないで、生きた場合に受けるデメリット」より、
ある時点において、小さいと判断された結果です。
0による0の殺人に、0にとってのデメリットがなかったわけではありません。
■1、2、3、…(以下、Xと略します)の立場からみる場合は、視点により結論が変化します。
☆Xの立場から「0が受けるデメリットは、0の主観によって決まる(面が大きい)」と考えることは、
一般的に正しいとされます。
Xが、これを認めるなら、0の立場からみる議論をたどり「0が殺されることは悪い」と認めることになります。
それを一般的に表現するなら、「殺人は悪い」とするのが、論理的です。
☆「0が受けるデメリットを考慮しない」なら、単に事実認識が誤っているだけです。なぜなら、
Xは、1が殺そうとしたときに、0が感じているだろうことを、無視しているからです。
Xは、事実を構成する重要な部分を無視して、結論を出したにすぎません。
☆「0が受けるデメリットを考慮するが、XのメリットやXのデメリットの欠如を問題とする」のは、
考慮していないのと同じです。
なぜなら、0のデメリットとは無関係なXの事情を考えつつ、0でない立場で0の事情を考えた上で、
Xにとってのメリットを採りうる、と認めたに過ぎないからです。
言い換えますと、Xは、殺人に「付随した(関係はない)」、
@Xにとって、殺人によって得られるメリットがあるか、
AXにとって、殺人に伴ってデメリットが感じられない事実がありうるか、
という事実問題を、「殺人(は許されるか)」という言葉のもとに、考えているのです。
これらについて考えると、
@0が殺されることでXがメリットを得ることはありえるので、その点を重く見れば、殺人した事実と
殺人以外の事実との総合判断で、殺人を許容する・黙認するXは、存在します(0にとっては関係が無い)。
AXにとって、0のデメリットは、Xのデメリットではないですから、事実上、殺人と無関係な時が過ぎていきます。
Xが支障なく生活ができるなら「(Xにとって)悪くない」と論理的にいえます
(他人の痛みは、いくらでも我慢できる)。
@・Aは、評価の問題として言説上扱いうる問題であると同時に、評価と無関係に可能である、事実問題です。
ですから、殺人が、Xが所属する社会にとって、個人レベルでみた頻度でまれであっても、
「論理的に可能であり、殺人を規制する制度が社会にある事実があるにすぎない」と考えるなら、
当然「殺人はなしえる」「悪いと(X(の一部)にとって)評価されない場合はある」ことになります。
ですが、そんなことは、実際に殺された人や、殺される人の立場を論理的に考察の対象に含める人にとっては、
どうでもいいことです。
▼
「殺人は悪いことではない(場合がある)」と言っている人は、
殺される人間0以外の人間、1、2、3、…が殺されなければ、1、2、3、…は、
デメリットがないか、メリットがあるかだから、0が殺されることは、1、2、3、…にとって
悪いと(事実上)判断されない(場合がある)、と言っているのです。
これは、論理的には全く正当です。しかし、この意見に実践的な意義がないことは明らかです。
>>757 まともに論理展開を追えるなら、「473は人を殺してはいけないと
実際に困る人は主張します。
そのことは、困らない人も困る人も認めざるを得ないでしょう。」
としか言ってないと、わかるはずですが。
のつもりでした。
間違えました。 473は「人を殺してはいけないと でした。
760 :
考える名無しさん:02/07/20 23:51
じゃあ結局人は殺していいんじゃない?
>>758 了解なんとなく分かった。まだ変な気もするが。
それで、それが結論?それから、人を殺しては
いけない、とはすぐに結びつかないと思うけど。
762 :
考える名無しさん:02/07/20 23:57
こんなこと考えてる暇あったらオナニーでもしてろよ
オナニーしながら考えてますが何か?
764 :
考える名無しさん:02/07/21 00:02
このスレ見て、カフカの「城」を思いました。
>>761 端的に「いけないとする主張がそこにある」と指摘できる、というのが
473さんの考えだと思います。いけないとする主張もしない主張も
両立する、という考えだったはずです。ただ、殺人そのものについて
いいとすることはできないです。殺人がからんだ利益をいいとすることは
可能です(カルネアデスの板の例をあげていた気がします)。
766 :
考える名無しさん:02/07/21 00:05
>>756 結局、「人を殺してはいけない」とは言えないって
ことが結論になってるわけだね。
>>761 すみません、765は歪めていると思います。473さんが書いた文章を直接読んだほうが
よいと思います。
>殺人がからんだ利益をいいとすることは
>可能です(カルネアデスの板の例をあげていた気がします)。
まあ、473 は否定するだろうけどね。
いい、いけない以前に、そういった前提を設けることを否定するだろう。
「それは殺人について考えることではない」と。
766は救いようの無い馬鹿だな
>>768 「殺人」と比較してある利益をとる議論は、否定しないと、はっきり書いていたはずです。
でも、ある利益をとる議論をしても、「殺人」がいけなくないことにはならない
という考えだったはずです。何回も引用していたリンク先のひとつに
書いてあるはずです。
>>770 だから、「殺人がいけないかどうかの議論ではない」という意味だろう?
違うのか?
>>771 「ある利益をとる議論」は、「殺人がいけないかどうかの議論ではない」です。
>>772 じゃあ、、「殺人がいけないかどうかの議論」は「何」を「とる議論」なの?
>>772 つまり、
>殺人がからんだ利益をいいとすることは
>可能です(カルネアデスの板の例をあげていた気がします)。
はやっぱり否定するということだね。
>>773 被害者の不利益をとる議論です。上に貼られたコピペを見れば、分かるはずです。
>>774 どうしてそうなるんです・・・?
「利益をいいとすることは可能」です。
でも、「殺人に伴う被害者側の不利益をいいとすることは不可能」です。
やっぱり473さんの言うことを理解していないだけなのでは・・・
>>775 つまり、被害者の利益について考えることが
「殺人がいいかわるいか」について考えることで、それ以外の利益について考えることは、
「殺人がいいかわるいか」について考えることではない、ということだろう?
つまり、それが、このスレの
>>1 たる 437 のこの問題の定義であって、
このスレでは被害者の利益以外を考えてはならないわけだ。
そのことをちゃんとわかっている人が少ないように思うけれど、
437 の説明のしかたが悪いんじゃないの?
>>776 つまり、それは「利益をいいとする」だけのことであって、
「殺人はいいかわるいか」とは関係無いってことじゃないの?
つまり、このスレの問題についての答えとしては否定するってことさ。
(よしあし以前に、判定対象の違いの問題としてね)
780 :
考える名無しさん:02/07/21 00:36
みなさん被害者の立場で考えみてください
究極的には、善。
カルネアデスの板において、
生き残った人間の生き残ったという「利益」は「いい」と認めるが、
そのために為された殺人は
「生き残った」という殺人者の「利益」とは関係なく、「いけない」ことである。
437 の言ってることはそういうことだろう。
>>777 被害者の不利益は殺人に必ずついてきます。
殺す側が殺人によって利益を得るとしても、それは殺された側が
殺人した事実と因果関係がある、別の事実によって得るのであって、
そもそも殺人それ自体に付随する利益・不利益は、被害者のそれしか
存在しない、というのが、473さんの考えでしょうね。
この点については、やはり引用先で、やりとりがあったと思いました。
繰り返しになりますけど、引用先を読むべきですよ。
さきほどから、以前なされた議論に関する質問ばかりです・・・
784 :
考える名無しさん:02/07/21 00:46
”被害者の立場からみれば”という限定のもとに、
「殺人はいけない」ってことか?
>>カルネアデスの板において
これって何の話?
>>782 その通りだと思います。だから「いけない」と言う事はできるよ・・と。
786 :
考える名無しさん:02/07/21 00:48
>>783 引用先は読んだよ。
感想としては、単なる屁理屈、ってとこだけど。
>>783 はぁ?
私は 473 の考えについて解説してるだけだが?
どこか間違ってたかね?
その発言を読む限り、私の発言を追認しているようにしか読めないけど。
あなたに質問しているのは、あなたが、私の解説を
間違っているかのようにいうから、「どこが間違っているか?」
と、「あなたの考え」を聞いてるだけだよ。
私の考えを追認することしかできないのに、自分の方が、
473 の考えをよく理解しており、私が理解していないかのように言うのは、
不遜だろう?
789 :
考える名無しさん:02/07/21 00:51
実際問題、あれで納得する人間は少ないだろう。
ポイントがずれている。
ただ、誰かに「人殺しはいけないことなのです。」
と言いきってほしい人間が、あれを信じ込むのは
構わないとおもう。
>>787 なぜ怒ってるんですか?
間違ってるということは、議論をしていればどうしても出てきてしまうことですが・・・。
第一、私は473です。
791 :
考える名無しさん:02/07/21 00:53
>>790 >なぜ怒ってるんですか?
なぜ怒っていると思うの?
>第一、私は473です。
自分を「さん」づけするなよ。
>>791 そうです。感づいてらした方も多いのではないでしょうか。
議論の経緯を把握しすぎてますからね・・・。
>>792 不遜だからですか? でも間違っていると批判することは、
間違っていると考える議論を前にした場合には、避けられないことです。
気分を悪くされたなら、お詫びしますが、それと議論は分けて考えてもらえると
ありがたいです。
自分をさんづけは、・・・気持ち悪かったです(苦
795 :
考える名無しさん:02/07/21 01:00
ま、つまりこれはいくら考えたって無駄だよ。
両派の住んでる次元が違うもの。
歩みよることもないし。
エンドレスだね。
>>746 >クソがきのほうの話はどうなった?
まだ、どうもなっていないだろ。
>スレ違いではないのは当然だろ。理論で諭すときに理論を問題にしないでどうすんの。
理論で諭せないと結論しているのに、理論を問題にする??
理論で諭せないと解っているなら、理論について語ることに意味はあるのか?
>>787 779さんのレスが非常にポイントをよくついてます。そちらを読んで
違いを検討してみてください。お願いします。
>>795 いや、だから私は、はじめからそういう事実をも含めて、
主張してますよね・・・。
あと、780さんも書き込みありがとうございます。
正直、かなり疲れてたので、単純な書き込みでもうれしいです。
>>794 >でも間違っていると批判することは、
>間違っていると考える議論を前にした場合には、避けられないことです。
もちろんそのとおりだ。
でも、その場合、間違っている点を指摘しなければ、批判は成立しないだろう。
あなたは、相手の発言を追認してるだけだ。
追認した相手について、その追認した内容を、
なんら間違っている点を示すことなく批判することは避けられないことなの?
>>798 主張しているのはともかくとして、
理解させる努力が足りない、あるいは、成果を収めてないってことだ。
>>800 「あなた(=473) が追認した」、というのは、あなたの解釈=意見ですよ。
>>797 >>801 議論における成果を収めるには、相手の意思と、いくらかの能力、善意が、
前提条件です。
>>460-461の最後の文章を、もう一度よく読んでみてください。
お願いします。
>>802 >「あなた(=473) が追認した」、というのは、あなたの解釈=意見ですよ。
だから?
>議論における成果を収めるには、相手の意思と、いくらかの能力、善意が、
>前提条件です。
まったくそのとおりだが、すくなくとも、あなたにはそのいずれもが見当たらないね。
>
>>460-461の最後の文章を、もう一度よく読んでみてください。
>お願いします。
などということを、相手の意見をろくに理解しようともせずに繰り返す態度を見る限りにおいてはね。
>>803 あなたは、589さんですね?
なんで、そうまでして嫌がらせをえんえんと続けるのでしょうか?
相手の意見をろくに理解しようともせずに、とのことですが、
私はあなたの意見を読んだ上で、それに対してレスを付けました。
(779さんのレスを・・・のレスです)
それについて一切検討しないで、803の言い分はおかしいですよ。
806 :
考える名無しさん:02/07/21 01:35
460-461がよくわかんないよ。
もっと簡単に言えないの?
808 :
考える名無しさん:02/07/21 02:59
「感情や心は必要ないものだよね」って言われた気がしたよ・・・。
必要か?
そもそもそれは何かもよう分からんが
810 :
考える名無しさん:02/07/21 03:28
> 809
そういう質問してくるってことは、十分感情や心がある証拠だよね。
必要だーって言ってることにもなるかな?
煽るつもりは無いよ、一応。
心やら感情やらは現象の説明のために考案されただけのものではないの?
例えば井戸に落ちた子供を助けるのは何故かという理由を説明するために
そういうものは言わば論理的な仮説に過ぎないのではないか
何故何故と理由を問うてどうにも説明の仕様がなくなったときに
心やら感情やらを出せば、一応、論理的には因果関係がつながるから
812 :
考える名無しさん:02/07/21 03:50
>>811 それは説明がつくかどうかの話であって、必要かどうかの話とは
論理的に関係が無いんじゃないの?
わたしは個人的には必要じゃないと思ってるからそれでお終いだけど
必要か必要でないか悩んでる人には論理的に説明してやらねばならんのでは?
814 :
考える名無しさん:02/07/21 04:04
>>813 何それ。そんな風に話そらすのやめなよ。みっともない。
それに、「個人的に必要ない」って言ってる時点で必要性を云々できることが前提になってるんじゃない?
テレビの構造を説明できなくても、テレビは必要です、と言う事はできるでしょ。
話をそらしてるつもりはないよ
最初から話がかみ合ってなかったかな
わたしは、心も感情も知らないものから見れば何でそんなもの必要か
という素朴な疑問から出発してるのだが
「心」や「感情」という記号の話をしているのか、その記号が指し示す対象の話をしているのか。
それゆえ「ルールに従う」ということは一つの実践である。
そして人がルールに従っていると考えることは、ルールに従うことではない。
だからルールに「私的に」従うことは不可能である。
さもなければ、ルールに従っていると考えることがそれに従っていることと同じことになってしまうであろうから。
----中略------
「チェスのゲームをしよう」という表現の意味とそのゲームのルール全体との間の結合はどこでなされるのか。
そう、ゲームのルールの表の中で、チェスを教えることの中で、ゲームをするという日々の実践において。
「ルールを守る」という行為はいったいどのようなものなのでしょう
語りえないものでしかないのでしょうか
アブラハムは「ウィ」と答えただけでした
818 :
考える名無しさん:02/07/21 18:56
>>809 「何にとって」必要か?という話があるけど。
ヒトが生き残っていくためには、「心」や「感情」と呼ばれている反応を
身につける必要があったのでしょう。集団を上手く維持するためのツールと
して重要なものだと思いますよ。
>>817 その例えでいうなら、「ゲームに参加する」ということじゃないの?
820 :
考える名無しさん:02/07/21 19:00
○=● __________
●===○ /
○===( ゚Д゚ )< 仲間を殺しては行けないぞゴルァ!
●====○ \
○====●  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
●====○
○===●
●=○
○●
●○ __________
○= /
( ゚Д゚ )< 井戸に落ちた子供は助けろやゴルァ!
○===\
●==== ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○====●
●====○ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○===( ゚Д゚ )< 寝る前に歯磨けやゴルァ!
●=○ \__________
○●
●○
○=●
●===○
○====●
●====○
○====●
●====○ __________
○===● /
●=( ゚Д゚ )< また来週〜♪
○● \__________
●○
○=●
●===○
図1 心の構成図(模式図)
821 :
考える名無しさん:02/07/21 19:02
sinesine
hahhaha
!!!!
822 :
考える名無しさん:02/07/21 19:07
Маршал Боголюбов
>>817 ゲームをする。という行為がルールを守ると言うことだと思う。
(ルールを守る=ゲームをする)
ルールを守らないのなら、ゲームをしないということだろう。
だから、ルールを守らなくていいと言う場合(奴)は、
ゲームに参加しないと言っているのと同意と俺は受け取る。
>>808 >>427は、読まれましたか? 私は「感情・心などのように呼ばれる対象は、必要だ」という
議論の趣旨に賛成しています。
>>817 >そして人がルールに従っていると考えることは、ルールに従うことではない。
>だからルールに「私的に」従うことは不可能である。
この部分は、以下のように;
・(個人が)ルールに従っていると考えることは、(構成員一般が)ルールに従えた(と認めた)ことではない。
<上の条件だけでは、その個人が、ルールに従えた場合も、そうでない場合もある としか、言えない。>
・だから、ルールに「私的に」に従うことは不可能である。
正確に書き直せば、論理的に誤りであることが明らかです。
結論部分で「ルールに従っていると考えること」と、「ルールに従う・従えている」が混同されています。
ルールに「私的に」従うことは、可能です。むしろ、ルールに従うことは「私的に」従うことです。
ルールの成立・ルールに従っているというは私的にはなしえませんが、ルールは従うことは私的になされることです。
▼
「ルールを守ることについて語りえない」のは、自然主義的誤謬さんが、
「ルールを守ること」の意味を、
・「ルールを守るという、具体的な決定」に限定し、またそれを
・「瞬間のできごととして」理解しているからです。
上のような理解には、合理性がありません。なぜなら、
@「ルールを守る」には、ルールを守る意識を必要としないし、
A「ルールが守られる際の意識を、個人的瞬間的に捕らえる必然性がない」からです。
そもそもルールを守る、というのは、日本語の慣用がそのようになっているにすぎません。
ルールは、「守られている」ものです。
自動車の速度制限を守る意識がなくても、速度制限が守られている場合はありえます。
今晩のご飯のことについて考えつつルールの範囲内の行動をしているならば「ルールを守る」ことになります。
つまり、「ルールを守ること」については、
「ルールという尺度の範疇の行動を(動機があるにせよないにせよ)行っている」という部分で、語りえます。
ルールの範囲内の行動を列挙すれば、いいだけだからです。
そのときの内心についても、ふんだんに語れます;
「私はルールを知っていたが、そのときは意識してなかったよ」
「私はルールを知っているかそうでないかに関わらず、ルールの範囲内の行動をしていたよ」
次に、「ルールを守ることは、日々の(個人の)実践において果たされるから、語りえない」とされている
部分ですが、これも誤りです。なぜなら、
「このように教育すれば、ルールを守りやすい」という形で、ルールを守ることについて語ることができるからです。
ルールが「ある瞬間に守られることが説明できない」点を、一般的にルールが守られていくのに必要な条件が
ある程度幅のある時間的・場所的・人的関係の中で整えていけるという側面にまで及ぼして、
「語りえない」などとするのは、いかがわしい議論です。
824中
>ルールの成立・ルールに従っているというは私的にはなしえませんが、
>ルールは従うことは私的になされることです
>ルールの成立・ルールに従っているという評価の確定は私的にはなしえませんが、
>ルールは従うことは私的になされることです
下のように修正します。失礼しました。
827 :
考える名無しさん:02/07/21 21:36
みんながんばれーーーー!!!!!
もんもん!!!!!!
がんばれーーーーーー!!!!!!
すごいよーーーー!!!!!!
てんぱてんぱ!!!!!!!!すごいから、がんばれーーーーーーー!!!!
がんばれーーーーーーーーー!!!!!!!
がbんえb!!!!!!!!
んもんもんもんんんん!!!!!!!!!!!!
た!!!!!!!!ものmmの!!!!!!!んんんんんん!!!!!!
824に関して、もうひとつ修正させてもらいます。すみません。
「このように教育すれば、ルールを守りやすい」 これは、例示です。
「このような制度を整えれば、ルールを守りやすい・守られやすい」
「優しくし合えば、ルールは守られやすい」など、他にもいろいろな観点から語れます。
829 :
考える名無しさん:02/07/21 21:49
>>825 たいして内容の無いレスを、何度もリンク貼られても
迷惑なんだけど。正直うざい。
830 :
考える名無しさん:02/07/21 21:52
>>829 相手にしないで、無視すればいいんだよ。
>>829 うざいという指摘についてはその通りです。申し訳ないです。
832 :
考える名無しさん:02/07/21 21:54
>ルールは従うことは私的になされることです
「ルールは従うことは」てどう言う意味?
何が主語?そもそも日本語になってないように
読めてしまうんだけど。
834 :
考える名無しさん:02/07/21 21:55
>>[831
君の発言は、全体的に文章がむちゃくちゃで意味不明。
それが一番うざい
>>832 「ルールに従うこと」は、「私的になされること」です。
ところで、主語が無くても意味上の主語をそこに読み込むことはできないんでしょうか。
主語は、明らかに「任意の個人」だとわかるはずですが。
836 :
考える名無しさん:02/07/21 22:23
>>835 おかしなところが、一つ二つであれば、なんとか
頭の中で補正して意味を取ることができるけど、
君の場合、おかしなところが多すぎる。しかも、
必要以上に複雑なうえに、構成がいい加減すぎる。
意味を取れというほうが無理。
837 :
考える名無しさん:02/07/21 22:24
もうちょっと厳密に文章を書けないのだろうか?
論理構成もかなりおかしい。
>>835 つまり、自分の表記の誤りについては、相手に善意を持って解釈することを求めて、
その誤りによって理解できないと言う他人には、善意なく侮辱してもいいと言うことかな?
ところで、俺は473の主張をよく理解しているらしい?716に
>>796で以下の質問をしたんだが、
返事がない。
>>746 >スレ違いではないのは当然だろ。理論で諭すときに理論を問題にしないでどうすんの。
理論で諭せないと結論しているのに、理論を問題にする??
理論で諭せないと解っているなら、理論について語ることに意味はあるのか?
473本人が答えてくれると間違い無いと思うんだけど。
結局、473は糞ガキを諭す為の論理を展開してるわけ?
>>836-837 そのように考え、また指摘もされないのでしたら、無視してもらえませんか?
「他の読み手に予断を与えようとして、そのような文章をかきつけたこと」と、区別がつきませんから。
>>838 最近書いたレスは、自然主義的誤謬さんのレスに対する批判です。
これは、糞ガキを諭すこととは完全に無関係です。
>>460-461他の「理論」は、糞ガキを諭す目的にも一応使えるというスタンスです。
実際に諭せるかどうかは、議論の説得性以外の要素(その糞ガキとの親しさや、
糞ガキの資質、状況などなど)も からんできますから、一概には答えられません。
841 :
考える名無しさん:02/07/21 22:38
>>839 ていうか、少しはまともな発言を心がけてくと
お願いしているのだけど。あと、意味不明な文
章を自分で何度も意味も無く引用するのはやめ
てほしい。みんなの迷惑だから。
842 :
考える名無しさん:02/07/21 22:45
>>839 だって指摘しても、脈絡も無く「反論になってません」と
しか返ってこないんじゃ、指摘するやつもいなくなるよ。
>>840 >
>>460-461他の「理論」は、糞ガキを諭す目的にも一応使えるというスタンスです。
>実際に諭せるかどうかは、議論の説得性以外の要素(その糞ガキとの親しさや、
>糞ガキの資質、状況などなど)も からんできますから、一概には答えられません。
「諭す目的にも使える」と言うことなら、本来は違う目的の理論だと言うこと?
>>841-842 713さん、779さんや、このスレ冒頭の方、前スレの方など、理解された方はいらっしゃいました。
>>843 目的は、このスレの問いに対して答えることです。
845 :
考える名無しさん:02/07/21 23:10
>>843 理解したというより、いたずらな複雑さに惑わされて、
論理が矛盾だらけなことに気付けなかった人も、中には
居たってことでしょ。
846 :
考える名無しさん:02/07/21 23:10
さっきから粘着している奴、
お前のほうが、はっきり言って、迷惑だ。
847 :
考える名無しさん:02/07/21 23:12
自分のスレを粘着質に何度もリンク貼り付けるのも止めてほしいけどな。
つーか、無視するのが一番だと思うが。
本人も無視してくれて、言ってるんだし
850 :
考える名無しさん:02/07/21 23:15
過去レスがあれば当人はいらないんじゃないか?
粘着してる奴は、過去レス引用されるもんだから、同じ質問を
繰り返して黙らせる戦法がとれなくて、いらついてるんだろ。
賛成している人間はここにいるぞ
>>473
いちいち引用する意味がわからん。
その発言でみんなが納得したら、それで論争も終わる
だろう。そんなんじゃ納得できないと思っているから、
いまだにスレが続いているんだろ。
自分の考えてを押し付けるの止めて欲しいみっともな
いから。自分で自分の意見が正しいと思っているのは
全然問題ないから。
>>851 で、これが自作自演だったりするわけね。
854 :
考える名無しさん:02/07/21 23:27
>>473さんも、言いたいことを言ったのなら、
もう引いたら? はっきり言って邪魔だよ。
>>852 押し付けられたくないなら、去ればいいだろ。
補足を許さないとか、何度も答えたとする点に関する引用を認めないとか、
意見を述べる機会を妨害する奴とかのほうが、
余程おしつけがましいだろ。いいかげん無視しろよ。
856 :
考える名無しさん:02/07/21 23:32
>>855 そうだな。コピペのリンク貼り付けは無視する。
いちいち荒れると、それまでやっていた別のま
ともな議論がぶち切れてしまう。これは避けよう。
>>844 >目的は、このスレの問いに対して答えることです。
う〜ん・・・しかし、
>>410の中で
>このスレの目的も前スレの
>>1の下記を引き継いでいると思っていますが、473さん
>が新しいスレを立てていらっしゃるのですから、確認の為に目的に変更がないこと
>をアナウンスして下さい。
>
>>どうして人を殺しちゃいけないの?
>>1 名前: ラビン 投稿日: 02/03/30 20:33
>>こんな事を平気で聞いてくる
>>アホ糞ガキが増えていますが
>>そんな糞ガキにぐうの音もでないような
>>理論で諭すにはどうしたらいいでしょうか?
と言う発言があって、473は
>>413の中で、
>目的に変更はありません。
と言う回答になっていて、俺が1を読む限り「糞ガキを論理で諭す」事が
スレの問いに答えることだと考えるんだが、違うのだろうか?
「スレタイだけを切り取ってそこを目的にしているんじゃないんだよ。」
と言う確認が成されたのだと思うんだけど。
>>844でまた混乱してきてしまった。これはどういうことなんだろうか?
858 :
考える名無しさん:02/07/21 23:35
>>547 もう、相手するの止めたら?
これ以上なにも出てこないだろうし、
サーバの無駄だよ。むちゃくちゃな
日本語の理論が破綻した回答しかない
んだから。
>>858 その通りです。
理解した人間は「混乱してる」ことにして、
自分たちの能力の高さを喧伝するだけしたんですから、後は去ってください。
861 :
考える名無しさん: