1 :
考える名無しさん:
教えろ
(● ´ ー ` ●)
age
誰でも殺してよかったらあんたが殺されるからってことで
いかんことないからすぐ殺してこい。
さようなら。
一般論であつてそうでもない時や状況がある
9 :
考える名無しさん:02/02/21 18:37
お前ら個人個人の利害を調整した結果です。
お前らとは誰のことか?
基本的に殺しはOKなんだよ。
しかしね、殺しがOKなら、もしかしたら1が殺されるかもしれない。
だったら1は悲しいよね。
こういう悲しむ人がいなくなるように、だから人殺しちゃいけないのよ。
>>11 どうして悲しむ人がいなくならないといけないのですか?
みんな殺してしまえば、悲しむ人もいなくなるさ
14 :
考える名無しさん:02/02/21 21:53
>>9 適当に答えてるようで、確信を付いてる気もする。
法律も然り、って事か。
15 :
ヽ(`Д´)ノ:02/02/21 22:20
ヽ(`Д´)ノ<重複スレなのだ。
ヽ(`Д´)ノ<「じゅうふく」ではなくて「ちょうふく」のほうね。
ヽ(`Д´)ノ<どっちでもいいのだけれどね。
故に、終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーなのだ
ヽ(`Д´)ノ<下げるの忘れたのだ。
17 :
考える名無しさん:02/02/21 22:23
アート2って言いたいのだろう。
アートじゃなくてパート。
ヽ(`Д´)ノ<まだ1000まで逝ってないのにパート2なのか?
20 :
考える名無しさん:02/02/25 06:39
ホッブスの「リバイアサン」でもよんでくれ。 >1
21 :
既出か・・・:02/02/25 06:59
自分を殺させないため。
人間は集団を形成しなければ生存できない。集団を維持するのに最低限必要な条件は3つ
「盗むな、殺すな、欺くな」。仲間内でこれをやってたら集団を維持できない。
以上を集団の合意の上でやれる場合もある、
それは集団の存続を危機に陥れたと信じられた(或いは錯覚された)場合。
例えば犯罪や戦争・・・
22 :
ずれてるか・・・:02/02/25 07:05
「神によって創られた選ばれた存在」とかの大義名分の方が、
倫理守るのは簡単なんだが、そういう“硬い”理由付けだと、
それを口実に戦争に殺り合うことになるからな。
大体、倫理と言っている時点で利己的なことを暴露してるんだけど。
真に利他な存在なら倫理なんて考察する必要すらないから。
人間は利己的だから、如何にそれを利他“的”なものにするかを
問うのが倫理ってことになるんだろうな。
・・・ってテーマズレか。
23 :
考える名無しさん:02/02/25 21:14
カント「決まってるだろ、定言命令だからさ。」
24 :
Маршал Боголюбов:02/02/25 21:23
試しに誰か殺してみませんか?
虫や猫は殺しても罪にならないのに
なんで人間だけ殺しちゃいけないの?
人間が作ったキマリゴトだから?
26 :
考える名無しさん:02/02/25 22:18
>12
んとね、悲しむ人のなかには俺もあなたも含まれてるわけだよ。
悲しみがなくなったら、楽しみがなくなるっていうのをどこかで聞いたことがある。
俺は悲しむのは嫌だからね、あなたは悲しむのが嫌ではないのですか?
ただそれだけ。
27 :
思考停止名無しさん:02/02/27 04:33
他殺を甘受する人だったら殺しはOKですか?
28 :
考える名無しさん:02/02/27 05:26
「それは定説なんですよ」
いいよ、殺して。
特に俺を。
(藁
0・そもそもいけないかどうかを言う前に、殺すかどうかを思い浮かべない。
1・相手が 痛いから。
・相手の周りが 悲しむから。
2・(殺した場合)「社会が」自分に対して制裁を加えるから。
3・「殺してはいけない」と意思表示する人間が、ある範囲にかなりの数いるか、
いると認識している人間がそのように判断を下すから。
大体こんな感じ
上の「社会」は、抽象的な概念としてではなくて、
社会という語が使われるときに現実的にそれに対応させられうる人間(達)・機構
として考えてみて下さい。
一つ重大な書き忘れ
1・相手の行動可能性を完全に奪うから
(殺人以外に不利益を負わせる以上の、最大の不利益を負わせるから)
33 :
考える名無しさん:02/04/13 09:14
age
こんなに似たようなクソスレが!
35 :
ふんばば ◆Fs4cyVS2 :02/05/12 21:42
人間も動物です。
36 :
考える名無しさん:02/05/12 22:06
animalという意味の限りでは動物ではない。
37 :
考える名無しさん:02/05/12 22:22
自己責任でどーぞ。
同じスレ立てるな。
39 :
死刑スレ住人より:02/05/21 21:07
------------------同スレガイシュツ承知-------------------------
議論「死刑制度に反対ですか賛成ですか?」の38とのような不毛な
議論を避けたい方は、このスレでの議論をお勧めします。
---------------------------------------------------------------
40 :
考える名無しさん:02/05/21 21:23
「神がなければ、すべては許される。」
『罪と罰』のラスコーリニコフはこの論理で老婆を殺した。
ドストエフスキーは神無き時代の人間の愚かさを予知していた。
41 :
考える名無しさん:02/05/21 21:48
>>40 全て許されるほうがいいじゃん
神の存在した時代はおろかじゃなかったんか?
現に神がいようといまいといままでずっと殺人はあったわけだし
というよりか神を信じてる国のほうが殺人が多いってのはどういうことよ?
俺なんかはいてもいなくてもたいしてかわらないと思うけど
42 :
考える名無しさん:02/05/21 22:43
>>41 ラスコーリニコフは、「誰が生きるべきであり誰が生きるべきでないか」
を決める権利が自分にあると考えた。
そのように考えると、殺人も生命操作の一つと考えることができる。
人間が生命をどこまで操作してよいのか?
生命の一部に過ぎない人間にその答えを出すことはできない。
つまり、殺人がいけないことの根拠も、
神のような存在を想定しない限りあり得ないだろうと思う。
死刑も殺人でしょ。堂々と行われてますよ。
要するに、社会にとって明らかにマイナスなやつは殺してもいいんです。
>>43 死刑制度が是か非かということも、
>>42と同じ理由で
決着のつかない問題。
『なぜ人を殺してはいけないのですか?』に“根拠”はあるのでしょうか?
自殺、尊厳死、中絶、正当防衛、死刑、戦争、怨恨殺人、快楽殺人・・・・。
あらゆる種類の殺人の可能性が存在し、また現実として起こってしまうのは、
なぜなんでしょう。人の自由意志に“根拠”が無いという証拠なのでしょうか?
わたしは「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と聞かれたら、
善・悪という概念に従って想いを巡らしている自分に気付きます。
ですから、仮に善・悪の概念を
『全体に寄与するものとしての善、それに反するものとしての悪』として、
善・悪の方向性を限定(明確化)し、価値判断の基準に使いたいと思います。
善・悪の原点はどこにあるのだろうと溯れば、種の保存に辿り着くと思います。
人間は、ほっとくと最後のひとりまで殺し合う(合える)かもしれない生物です。
そんな可能性が充分に歴史的事実から推察できるのは人間だけでしょう。
そんな愚かな人間が、DNAの意志に後押しされて思い付いたのが、
“種の保存本能”としての“善・悪の概念”だったのではないでしょうか。
『全体に寄与するものとしての善、それに反するものとしての悪』の概念は、
進化の過程で“人殺しの根拠”として利用されて行くことになったのでしょう。
簡単な例を挙げると、
・自分という主体にとっての全体が自分なら、人殺しも善の行為とできます。
・国家という主体にとっての全体が国家なら、侵略戦争も善の行為とできます。
・国家という主体にとっての全体が人類なら、侵略戦争は悪の行為とできます。
というようにです。
(つづき)
また『全体に寄与するものとしての善、それに反するものとしての悪』の概念は、
殺人以外でも、広く一般の「利益、不利益」に関する正当性の根拠に使われます。
主体にとっての全体は、
自分<--->家族<--->共同体<--->国家<--->人類<--->地球<--->宇宙
のように、主体にとっての価値意識(価値観)によって様々に変容するものです。
たとえば、自分が主体の場合、主体にとっての全体が家族であったとします。
この時、家族に不利益をもたらす人物を制裁することは善の行為になりますが、
家族に不利益をもたらす人物が家族であった場合、制裁するのかどうか?
このように主体にとっての全体は、主体の相対的な価値判断によって変容します。
ですからどのような概念を与えてみても絶対という価値は維持できないでしょう。
(二極対立する概念には、必ず価値的矛盾(相補性)が介在してしまうからです)
以上は「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と問う
「殺す人or殺されない人」に対しての「殺す人or殺されない人」側からのものです。
この世界は、人類(民族)の永続的な発展と存続が目的です。
個人の満足より、共同体の利益が優先されるのは当然だと思います。
現代社会では、「共同体の利益=人権が擁護されている社会の存続」
となっているので、それに反する行為を行った人たちが、抹殺される
のはやむを得ません。
共同体の利益に反する殺人は認められなくても、共同体の利益に資す
る殺人は認められています。また、時代と共に、共同体の利益の内容
が変遷するのも当然ですし、上にあるような、共同体のレベルによっ
て、矛盾が生じるのもやむをえないでしょう。
>>49 レスありがとうございます。賛同して頂けてとても嬉しいです。
上記(
>>46>>48)に引き続き、
「殺される人」の「正当性」を考えてみたいと思います。
殺される人の存在が、全体の生存にとって不利益であるとされる状況では、
殺される人の正当性は、(上記善・悪の)概念(公理)によって否定されます。
殺される人は、全体が生存するための正当な行為によって殺されますが、
この時、殺される人の正当性は植物や動物の持つ“それ”にされている可能性があります。
人は、自分が生存するために植物や動物の生命を剥奪することを“悪”とはしませんから、
「殺される人の正当性≠人間のものではない」という非常に“危険な心理”を孕んでいます。
注意しないといけないのは、
殺す人にとっての殺される人の正当性が、たとえ植物や動物の持つ“それ”であっても、
殺される人にとっての殺される人の正当性は、依然として“ある”ということです。
つまり、殺される人が“嫌だ”と言うとき、つねに殺される人は“嫌”なのだから、
殺される人には、つねに“絶対の正当性がある”のではないか、ということです。
また、殺される人の正当性を「殺す人or殺されない人」は否定できません。
なぜなら「殺す人or殺されない人」は、常に「殺されない人」だからです。
言い替えると『殺されるのは、つねに殺される人だけ』だからです。
(つづき)
たしかに殺される人の正当性は、つねに殺される人の側にあります。しかし、
たとえば、殺される人の「苦悶の表情や叫び声」を観察できたからといって、
殺される人が、つねに“嫌だ”と思っているとは決め付けられないでしょう。
単なる生物としての生態反応なのかもしれないからです。(精神的意思と相反)
いや、肉体的に“痛い”のは絶対に駄目なんだという意見もありますが、
原爆で一瞬の内に殺すのはいいのか、睡眠中に薬物で殺すならいいのか・・・
となりますので「殺される人」の「殺してはいけない」の「正当性の根拠」を
「可能性(未来)を奪うから」=「命を奪うから」とします。
言い替えると『人の生命それ自体に絶対の価値がある』ということです。
もちろん“そうではない”という対立する概念が、同時に成り立ちますので、
「殺してはいけない」に“絶対の正当性”はありません。
わたしは、ここに問題の焦点があるように思います。
(つづき)
自殺は、許されませんか?
自爆テロは、テロなんでしょうか?
特攻隊は、無駄死になんでしょうか?
わたしは、このような問いに対して『人の生命それ自体に絶対の価値がある』では、
全く答えることができません。
わたしは、人が人であり得るのは、精神の有無によるのだと思います。
では、その精神は「なに」を志向しているのでしょうか。
それは「より良き、より高き」という精神的価値ではないでしょうか。
そのような精神の目的にとって、命そのものや肉体は、一つの手段でしかありません。
だからこそ、その志向性の故に人間は生きることができ、また死ぬこともできるのです。
「より良き、より高き」精神的な価値を目指して生きていたり、命や肉体が
手段に過ぎないと考えることが出来るのは、あなたを含めたごく一部の人た
ちに限定されます。
私も含めて、大部分の人間は、もっとお金が欲しいとか、もっとうまいもの
が食べたいとか、もっと仕事で業績をあげたいとかいう、卑俗な目的のため
に生きているのが実情です。
そのような観点から、例えば、何人もの命を奪った人間を、生かしておく必
要が有るとは思えません。
あなたにとって何が良いことで、何が悪いことですか?私は、真理や真の実
在や観念論も好きですが、友人や家族が健康で元気であることが「この世」
を生きるためには重要だと考えています。
>>51 >「殺される人の正当性≠人間のものではない」
は、「殺される人の正当性=人間のものではない」の間違いです。m(__)m
>>54さん
>何人もの命を奪った人間を、生かしておく必要が有るとは思えません。
そのように書いた覚えが無いのですが?(どこでしょうか)
わたしは、現在の刑法を基本的には支持しています。(少年法は別ですが)
わたしは、
>>46で仮定した善・悪の概念(公理)が、容易に悪用され得ることと、
>>51で説明したように、殺される人(側)の人権が、殺す人(側)の正当性によって、
「殺される人≠人間」のような形で、いとも簡単に無視されてしまう危険性、
つまり、そのような人の意識の危険(残酷)性を指摘しておきたかったんですが。
>あなたにとって何が良いことで、何が悪いことですか?
善悪は、わたし個人で創出できるような性質のものだと思っていません。
両親、共同体、文化、歴史・・・等々から学んでゆくものだと思います。
ですから、わたしの善悪の観念に明確な根拠はありません。刻々の
価値判断の繰り返しの中で鍛え(信じ)られてゆくものなんだと思います。
>友人や家族が健康で元気であることが「この世」を生きるためには重要だと考えています。
まったく異論ないです。友情を築く、家庭を築く、友情を守る、家族を守る・・・
これを実行し続けるために、どれほどの精神力が必要なのかは、あなたには自明なはずです。
友人の為に我を忘れてがむしゃらになれること、家族の為なら命懸けになれること・・・
わたしが、精神にとって命や肉体が手段に過ぎないと感じているのは、このような日常の
経験からなんです。
愛によって、忠心によって、信仰によって、人が自分の価値的信念(精神的価値)に従って、
命さえ投げ出せることに、わたしは人の尊厳を感じます。命には価値の差異があるのです。
>>56 >精神にとって命や肉体が手段に過ぎない・・・
命なしに精神がありうると考えるのですか?
>命には価値の差異があるのです。
どういう意味?
俺は命は基本的にはすべて等価だと思うが。
>>57さん
>命なしに精神がありうると考えるのですか?
いいえ。命があるから精神があると思っています。と思うのは精神ですが、
その精神の存在によって、はじめて人は人になれるのではないでしょうか。
そしてそのような精神には、価値的差異があって、差異には優劣があって、
その優劣が、人の価値を決めるのだと考えています。
>俺は命は基本的にはすべて等価だと思うが。
精神の介在を考慮しないのなら「命そのものに差異はない」と思います。
>>56の「命には価値の差異があるのです」は、
精神の有無によって命には価値的差異がある。価値的差異の優劣は、
精神の優劣によって決まる。という意味です。
ご指摘ありがとうございました。
わたし達は「命は平等である」と言いながら、時には叫びながらも、平然と
日々、無数の生物の命を殺して生きている存在です。それが許されているのは、
わたし達が、単に食物連鎖の頂点に立っているということだけなのでしょうか。
「許されているのではない、仕方がないのだ」という意見もあるのでしょうが、
たったそれだけの理由で無数の命を奪うことを正当化しても良いのでしょうか。
わたしは、精神の有無によって命には価値的差異がある。価値的差異の優劣は、
精神の優劣によって決まる。とする以外に正当化の理由は無いと考えています。
また、そう考えるのでなければ、わたしは生きる意味を全く感じられませんし、
そもそも、わたしに生きる資格があるのかと問わざるを得なくなります。
『精神の有無によって命には価値的差異がある。価値的差異の優劣は、
精神の優劣によって決まる』について、誤解がないように補足します。
わたしは『精神の有無によって命には価値的差異がある』と思いますが、
最近、頻発している動物虐待のような行為が許されるとは思っていません。
なぜなら、命の価値的差異の優劣は、精神の優劣によって決まるからです。
動物虐待をするような、またそれを楽しむような品性に欠けた人間の命は、
精神の優劣から考えて犬畜生にも劣るものだと思います。
もちろん、そのような精神が更生される可能性を無視してはいけませんが、
ともかく、人間は精神の有無によって、他の生物以下の存在にまで落ちて
行ける非常に危うい生物なのだと肝に銘じておく必要があると思います。
61 :
考える名無しさん:02/05/24 10:09
>>60 よこ入り失礼します。
>なぜなら、命の価値的差異の優劣は、精神の優劣によって決まるからです。
>動物虐待をするような、またそれを楽しむような品性に欠けた人間の命は、
>精神の優劣から考えて犬畜生にも劣るものだと思います。
と言うことは、犬畜生にも劣る精神の持ち主は、それより精神が勝る動物に対して、
虐待をするのは間違っていると言っているのですか?
>>59 >「許されているのではない、仕方がないのだ」という意見も
>あるのでしょうが、たったそれだけの理由で無数の命を奪う
>ことを正当化しても良いのでしょうか。
他の命を奪うことを正当化することはできないと俺は思う。
正当化できないものを無理やり正当化しようとするのは良くない。
人間はもともと矛盾を抱えた存在だ。
>わたしは、精神の有無によって命には価値的差異がある。
>価値的差異の優劣は、精神の優劣によって決まる。とする以外に
>正当化の理由は無いと考えています。
あなたが「精神」と呼ぶものがどんなものなのか、いまいち
分からないが、動物と人間を区別する際によく言われる
「自己意識」や「理性」のことなのか?
「精神の優劣」を判断する基準は何?
また、誰が判断するの?
精神に優劣があることを認めてしまえば、世の中の争い、とくに
宗教間の争いがますます激化してしまうと思うのだが・・・。
例えばキリスト教の精神とイスラム教の精神は、どっちが優れてる?
確かに、私も、精神の優劣をうんぬんするのはいかがなものかと思います。
優劣などもともと相対的なもので、絶対的な優劣などありえません。
どこに基準を置くかで、優も劣になるしその逆も有ります。
>>61さん
>犬畜生にも劣る精神の持ち主は、それより精神が勝る動物に対して、
>虐待をするのは間違っていると言っているのですか?
人が人として他の生物より優れた存在として振る舞うには、
それに相応しい品性(道徳的価値)を身に付け維持してゆく、
覚悟と責任が必要なんだと思います。
わたしが信じられるのは、道徳を弁えている人間は虐待などしない。
という経験に基づく道徳への信頼だけです。
道徳はわたしが信じること、あるいはその信念による行動が、
バランスを失することがないようにいつも調節してくれます。
わたしは、自らに問いかけるという(懐疑を伴なった)価値への
志向性(拘り)と、その価値の選択なしには、一歩も前に進む
ことができません。このような価値への試行錯誤のベクトルが、
「より良き、より高き」という方向性を指し示す時、わたしには、
生きることが意義あるものとして実感されます。
>>62(57さん)
>他の命を奪うことを正当化することはできないと俺は思う。
『精神の有無によって命には価値的差異がある』という記述から
「精神を持たない他生物の生命を奪うことは、すべて許される」
と誤解されないように
>>60を書きました。
>正当化できないものを無理やり正当化しようとするのは良くない。
確かに善いにも悪いにも絶対の根拠はないと思いますが、
わたしのこれまでの生と今現在の生とこの先の生を受け入れるために
わたしには、そのように信じる他に無かったという意味で使いました。
>あなたが「精神」と呼ぶものがどんなものなのか、
人と他生物を区別するものとしての精神。人の心。人の心の働き。
>「精神の優劣」を判断する基準は何?
道徳。
>また、誰が判断するの?
(歴史や文化、他者や社会との相互関係によって成り立つ)主体。
>精神に優劣があることを認めてしまえば、
たとえが良くないかもしれませんが、わたしは、
「異常だけど病気ではない、良心を全く感じない」というサイコパスの人間と
「己の欲せざるところ、人に施す勿れ」という倫理や道徳意識(精神的価値)を
大切にして生きている人間の命とでは、その価値的優劣は「ある」と信じます。
>例えばキリスト教の精神とイスラム教の精神は、どっちが優れてる?
知らないので分かりません。
>>63さん
>優劣などもともと相対的なもので、絶対的な優劣などありえません。
確かに価値は相対的なものですが、だからと言って何も信じることが
出来なくて果たして人は生きて行けるのでしょうか。わたしには無理です。
わたしは、価値は信じること無しには存在しないと思います。
精神の優劣を個人の偏見や先入観をもとに判断するのは間違っていますが、
わたしは、わたし達が信じることのできる倫理観や道徳観から判断できる
精神の優劣はあると思います。
「精神的に劣っている場合には生きている価値が低い」となると、ある人間が
mental retardationの場合にはその人の生命の重みが軽視されてしまう危険
があるのではないかと思います。
私はやはり、人権が尊重される社会が永続していくために、その人間の行為が
どの程度マイナスであるかが、その人間の命を奪っても良いかどうかのもっと
も重要な判断基準ではないかと思います。
>カオルさん
あなたは
>>47のリンク先のとおり、議論が通じない方ですが、あなたの議論の内容は、単に見当はずれな
部分が多いだけでなく、見る人の習慣的な理解の上で有害なので、レスを返します。
断っておきますが、私は、あなたと議論をする気はありません。私は、あなたの意見を読む人たちのために書きます。
▼
>善・悪の原点はどこにあるのだろうと溯れば、種の保存に辿り着くと思います。
>人間は、ほっとくと最後のひとりまで殺し合う(合える)かもしれない生物です。
>そんな可能性が充分に歴史的事実から推察できるのは人間だけでしょう。
種の保存を、目的として求めることは、原理的に不可能です。なぜなら、種は、個体の集合が、かなり長い
期間にわたって、世代交代を経て維持されているさまを指す概念であり、
「結果として保存されるかどうか」という観点から、問題になる概念だからです。
何万年以上という長期に渡って、何らかの目的が持続的に観念されるという仮定は、成立しません。
怪しげな進化論を振り回すのは、やめて下さい。
各個体は、各々が観念しているであろう目的に従って、動きます。(
>>54さんの指摘のとおりです)
仮に、ある個体(例えばカオルさん)の目的が、「種の保存」であったとしても、それは、
「ある個体が「種」を思い浮かべ、それを「保存する」という思考にしたがって、その個体の勢力圏で動いている」
ことを、意味するに過ぎません。全体的な種の保存に向かって動いているのではなくて、ある人間が観念している
目的が、種の保存と当人が呼ぶところの「全体的な想定」にたったものであるに過ぎないのです。
そして、その人間に「全体」の説明を求めると、その人間は実証的な観点にたった返答を、しません(できないからです)。
カオルさんにいたっては、「全体」が種の保存に関係がなく、全体的でもない個人を指したりする始末です
(>・自分という主体にとっての全体が自分なら、人殺しも善の行為とできます)。話になりません。
最後のひとりまで殺しあう〜あたりは、「電波」とコメントしておきます。
▼
>そんな愚かな人間が、DNAの意志に後押しされて思い付いたのが、
>“種の保存本能”としての“善・悪の概念”だったのではないでしょうか。
>『全体に寄与するものとしての善、それに反するものとしての悪』の概念は、
>進化の過程で“人殺しの根拠”として利用されて行くことになったのでしょう。
だったの「ではないでしょうか」という風に、相手に証明を求め、断言しないことで反論をさけ、
自分で理由を述べずに済ませようとするのは、やめてください。
・種の保存本能、とのことですが、本能は個体レベルの問題です。何万年にもわたって抱かれる本能というのは、
仮にその表現に対応する何らかの対象なり分析なりがあったとしても、本能とは呼べません。
あなたは、本能という語を使えば聞き手が反論しにくく、自分も論証する必要がないから、使ってるだけです。
・全体という範疇より狭い範疇で争いが観察される場合、そこでは正当・不当という主張が各々の立場からなされうる
のですから、「全体」というレベルで、ある問題に関する善・悪が決定されることは、原理的にありえません。
この点
>>56で
>善悪は、わたし個人で創出できるような性質のものだと思っていません。〜
>価値判断の繰り返しの中で鍛え(信じ)られてゆくものなんだと思います
と述べていますが、「創出」は、それ自体として対象化できない記述です。つまり説明不十分です。
確かに、善悪が創出される上では、表現手段・記号体系がある集団の構成員に断続的に共有されることは必要な
条件です。その意味で、両親・共同体・文化・歴史などが、善悪の成立において大きな要因となる点は、正しいです。
しかし、善悪が問題とされるのに必要な条件が上のように、「全体的」だからといって、当然にその条件を用いた
具体的な問題・記述などの要素が「全体的」になるわけではありません。
上の要件がある程度満たされた社会内部において、善悪が問題とされるには、「善悪」自体が社会的に共有される
必要はありませんし、そんなことは現実にありえません。善悪を問題にしているのは、常に
「個々の具体的な人間そのもの」だからです。
表現手段・記号体系が通用するためには、複数の人間が必要ですが、それらの手段を用いた主張は、個人が
なしえます。そして、その主張は何によって基礎付けられているか、といえば、それはその個人の主観によって
基礎付けられているのです。主観は共通の手段によってしか表明できませんが、かといって主観が共通の主観に
なるわけではありません。主観は単なる、それぞれの人間の、主観です。
・進化の過程で人殺しの根拠として、「全体」という概念発明後の歴史程度の長さでは、
進化は問題にできません。進化→歴史と置き換えてください。進化という語がもつニュアンスに頼っただけの
記述であることがハッキリします。
>・自分という主体にとっての全体が自分なら、人殺しも善の行為とできます。
>・国家という主体にとっての全体が国家なら、侵略戦争も善の行為とできます。
>・国家という主体にとっての全体が人類なら、侵略戦争は悪の行為とできます。〜
>
>>48冒頭
>主体にとっての全体は、
>自分<--->家族<--->共同体<--->国家<--->人類<--->地球<--->宇宙
>のように、主体にとっての価値意識(価値観)によって様々に変容するものです。
これらは詭弁です。なぜなら、上にいう「全体」は、全体という意味で使われていないからです。
・自分という主体にとっての全体が自分なら、カオルさんのいう全体の定義に反しているだけです。
なぜ種というレベルでの保存を全体的に問題にしておきながら、その観点から自分を全体とみなすことが
認められるのですか?
・国家という主体にとっての全体が国家なら、Aが国家という主体を観念して国家全体のために
侵略を正当化する、と言っているだけです。ところで、Aは、全体ではありません。個人です。
国家全体には、A以外に全体を構成する人間が万〜億単位で存在します。それの人間にとっての善は、
他でもない「カオルさんの議論によって」、無視されています。
・国家という主体にとっての全体が人類なら、ある人間が国家という主体を観念して人類全体のために
侵略を不当化する、と言っているだけです。以下、2段目と同様です。
・
>>48冒頭の変容は、個人の主観における変容と理解するなら、正しい記述です。なぜなら、
主観的な変容と「全体」の変容を実体的に区別できないため、個人が全体を論じることを直ちに全体を扱うことと
みなし、錯覚する人間は、大勢いるからです。
ですが、錯覚は所詮錯覚ですから、全体(とりわけ全体内部の細部)について論じたことになりません。
いずれも、カオルさんの全体的考察を、国家・全体・主体・人類などの語を使って、
個々の人間という観点からそらして、聞き手に受け入れさせようとしているだけです。
▼
>>48 >このように主体にとっての全体は、主体の相対的な価値判断によって変容します。
>ですからどのような概念を与えてみても絶対という価値は維持できないでしょう。
>(二極対立する概念には、必ず価値的矛盾(相補性)が介在してしまうからです)
主体の相対的な価値判断によって変容する、その変容する側面を問題とするなら、
非論理的であったり、実証的でなかったりする結論でも、とることが可能ですから、
ある概念を絶対的に決定することはできないのは、当然です。
二極対立する概念には、必ず価値的矛盾(相補性)が介在するとのことですが、
それは「あなたが設定した 二極対立する概念について、あなたが 必ず価値的矛盾を介在させている」に
過ぎません。二極対立する概念は、そのままとしてあるとは限らず、議論して発展解消させることは可能です。
▼
>>49 >この世界は、人類(民族)の永続的な発展と存続が目的です。
>個人の満足より、共同体の利益が優先されるのは当然だと思います。
世界が〜目的です。と観念している人間は誰ですか? 私は「世界の」目的など認めません。
そんなものは無いからです。できるだけ多くの人が、それなりによい生活をできるように調整すべき、が正しいです。
個人の満足より共同体の利益が優先されるのは当然、とのことですが、そこでいう共同体というのは、
個人の集まりじゃないんですか? 要するにカオルさんは
「多くの個人の利益によって、一部個人の利益は踏みにじられる。私はそれを当然と考える」と言ってるだけです。
これは、歴史の大勢(あくまで、大勢)や、力から下されうる、善悪の定義の一つに過ぎません。
善悪の下し方は、個人個人によって、論議の対象とできるものです。
個人によって論議の対象とできるとき、共同体の利益という観点から発言する個人は、少し考えればわかりますが
「共同体の多数派」を支持しているに過ぎません。
(ある観点においてこういう結論をとることが、共同体の利益になる可能性が強い、という主張と、
共同体の利益が優先される、という主張は全然性質が違います)
それに対しては、必ず踏みにじられる側から反論があります。
踏みにじられる側が主張しているのは、まさに善悪や、それを支える事実認識そのものです。
あなたは(大抵の人はそうですが)、正しいと多数に承認される主張が成立することと、正しい主張が成立する条件とを
混同しているのです。
正しい主張は、個人によって成立させられ、個人によってしか成立しません。それが多数の人間に認められるかどうかは、
正しさが承認されるかどうかにかかわる話です。正しさが承認されなければ、正しくても正しくなくても正しいこととして
扱われませんが、かといってその要因によって正しさが決まるわけでは、ありません。
>現代社会では、「共同体の利益=人権が擁護されている社会の存続」となっているので、
>それに反する行為を行った人たちが、抹殺されるのはやむを得ません。共同体の利益に反する
>殺人は認められなくても、共同体の利益に資する殺人は認められています。
>また、時代と共に、共同体の利益の内容が変遷するのも当然ですし、
>上にあるような、共同体のレベルによって、矛盾が生じるのもやむをえないでしょう。
共同体という語でくくれた、というだけで、共同体内での差異(レベルの違い)を認めないのであれば、
やはり、多数派の追認をしてるだけです。そんな善悪の定義に何の意味があるのでしょうか?
また、いかなる意味においても、共同体の利益に資する殺人は共同体の「多数派によって」認められただけです。
仮に殺された人間が凶悪犯罪者であってもです。冤罪の場合、あなたの議論ではどういう扱いになるんでしょうか。
また、冤罪を主張する人間が少数派である場合、その人間が主張する事柄は善悪に関係ないんでしょうか。
71補足
「多くの個人の利益によって、一部個人の利益は踏みにじられる。私はそれを当然と考える」
この部分は歴史的な観点からは修正が必要になる記述ですが、要旨には影響ありません。
>>65 >>「精神の優劣」を判断する基準は何?
>道徳。
>>また、誰が判断するの?
>(歴史や文化、他者や社会との相互関係によって成り立つ)主体。
>>66 >精神の優劣を個人の偏見や先入観をもとに判断するのは間違って
>いますが、わたしは、わたし達が信じることのできる倫理観や道徳観
>から判断できる精神の優劣はあると思います。
道徳は国や時代によって異なる相対的なものだと思う。
あなたは道徳が相対的なものであることを認めているのですか?
認めるならば、「精神の優劣」を論じることが危険なことだと
なぜ分らないのだろうか?
そのような考え方では、道徳と道徳の間の罵り合いになってしまうだろう。
「平和」を叫びながら戦争を繰り返してきたのと同じだ。
人間は精神を持つことで他の動物より優れている、という
あなたの考え方も、俺から見れば時代遅れだ。
そのように自然を人間よりも一段下に見る人間中心的考え方が
自然破壊を進めてきた。
人間は他の動物より優れてはいない。
人間は自然に対してもっと謙虚になるべきだ。
74 :
考える名無しさん:02/05/26 00:55
>>68-72 独裁者の侵略行為だなこれは。
俺は、カオル氏の意見に賛成してはいないが、だからと言ってその発言を妨げようとは思わない。
どれだけ自分の意見に自信を持っているか知らんが、
強制的な害が無いなら、自分に発言の自由を主張するのと同様に、
他人の発言の自由も認めなければいかんのじゃないかと思うな。
>>74 私は、反論を行っただけですが。
あと、「自分の意見」という表現で、「相手」という個人の範疇に意見を
収めることで、議論せずに相手の意見を否定的に描き出すやり方をする人が、
よくこの板にも現れますが、そういうやり方こそ、
まさに「発言の妨げ」「発言の自由を認めない」態度そのものでしょう。
どちらにせよそれは「態度」の話で「自由の否定」にはなりませんが。
というか、独裁者の侵略行為と私の反論について呼称することのほうが、
もっとひどいやり方ですね。まあ、どうでもいい話ですけども・・・
77 :
考える名無しさん:02/05/26 01:33
>>75 >>68 >私は、あなたと議論をする気はありません。
反論と言うなら、こんなことを言わずに、
自分の反論に対する相手からの反論も聞く必要があるんじゃないかね?
相手の意見(反論)を聞く姿勢が無いことを示す必要は無いだろう。
発言者と議論する気が無いなら、反論じゃなくて批判だと思うが?
それともあんたの言うような発言をする者が、
その発言の中で相手に対して議論する気はないと言っているのか?
>>76 あんたの発言の仕方(前置き)を見る限り、私には反論には見えないし、
とてもひどいやり方だと感じたからそう書いたまで。まあ、どうでもいい話みたいだけどね・・・
>また、いかなる意味においても、共同体の利益に資する殺人は共同体の「多数派によって」認められただけです。
仮に殺された人間が凶悪犯罪者であってもです。冤罪の場合、あなたの議論ではどういう扱いになるんでしょうか。
また、冤罪を主張する人間が少数派である場合、その人間が主張する事柄は善悪に関係ないんでしょうか。
関係ありますよ。前提です。少数派の利害があるのと同じく多数派にも利害があるのです。
とりあえず、論点が広がりすぎ。
思いついたことを全部書くんじゃなくて、枝葉を落とす努力をすべき。
>>77 その前置きの近くに書いてある、
>>47の言及を端折らないでください。
カオルさんは、
>>47を、完全に無視したんですよ。
>>47のリンク先もご覧ください。合わせて判断して欲しいです。
(これはお願いです。)
>>78 関係あるのなら、カオルさんの善悪の定義は成立しません、と私は言ってるだけです。
81 :
考える名無しさん:02/05/26 01:42
>1
そんなこと簡単じゃん、放っておけば死ぬからだよ、必ず。
絶対に死ぬとわかっているものを、何故わざわざ・・・
めんどーくせぇことやってるヒマは無いんだよな、
なんせ人生一度っきりだから、自分の時間もエネルギーも勿体なくて
ムザムザ消費したくない。ほっときゃ死ぬものに
かかずりあってる間に、自分が死ぬ時が近付いてしまう
>>79 長い文章だから論点が広がったと考えているだけじゃないですか?
私はカオルさんが示した論点と答えに対して、論評式に答えただけですよ。
あと、私は(議論が通じない相手なので)初めから枝葉を落とさないつもりで
書いたのです。
でもね。被害者の被害から加害者の悪にもっていくことは
どうしてできるのさ。人間殺してもアリふんでも生きてるもの
殺しても所有権侵害しても被害者が脳内被害抱いたらいくらでも
悪になるなら473あんた変だよ。
論理的に473も悪行ってるから相対的なものに過ぎんでしょ。
すべて悪ってゆーね。
だったら同じ論理で脳内利益を得る人がいれば
善になるのかね。
>>82 >あと、私は(議論が通じない相手なので)初めから枝葉を落とさないつもりで
>書いたのです。
つうか、その行為になんの意味があるの?
>>83 「あんた変だよ」と「あんたの議論変だよ」は全然違うんですが。
なんか悔しいんですか? 自分の誤解を私の意見として批判されても困りますし。
>>84 個人的には暇つぶし・訓練です。
あとこの問題に関してスレがたち、延々としょーもない
議論が続くのが終わればいいな、と思っていますが。
まあここに記述が残ったのを見て、誰かの参考に多少にでもなれば、
その程度の意味はあるんじゃないですか。たいしたもんじゃないですけど
>>80 無視する事と、相手との議論を拒んだ上でその発言に意見することとは大きな違いがあると思うね。
それとも、相手が議論の相手をしない事を理由に、あらかじめ議論を拒んだとでも言うおつもりか?
「目には目を、歯には歯を」の発想だな。
まああまりこのことばかり話題にするとスレ違いと言われてしまうんで関連して言うと、
その発想なら、誰かから殺されかけたら、そいつを殺すのはいけなくないと言うことかな?
実際は、議論を放棄した事は殺そうとした事にはならないけどね。
それから、別のスレでのことを持ち込まれるのは「江戸の仇を長崎で」ってな感じだな。
いや、これもどうでもいいことかな・・・
>>86 思うね、って、何で「思う」だけで片付けられてるんですか?
そのあとは、誰かの行いを悪く表現する例えを羅列してるだけですし。
終わりもどうでもいいことかな とか言ってぼかしてるし。
何が言いたいのかさっぱりです。
>>73 57さんの意見が流れそうなのでリンク貼っておきます。
>>87 あんたの様に自分の意見が誰にとっても正しいとは、俺にはとても思えないからだよ。
俺の「思う」正しいことが、別の誰かにとって正しいのかどうか解らなくても、
発言することは出来ると考えてる(思う)からね。
もう一度書いとくよ。
議論をしようとしない相手に対しては、あらかじめ議論を拒むことも「正しい」なら、
「目には目を、歯には歯を」の発想と感じるがもしそうなら、
誰かから殺されかけた時は、その相手を殺すのはいけなくないと言うことになるのか?
>>88 私は自分の意見が誰にとっても正しい、とは一言も言っていませんが。
現に認めてない人間がいましたし、これからもいると思いますよ。
だいたい、私が述べている意見自体、そうした理解を理論的に
徹底したものなんですけど。
俺の「思う」正しいことが、別の誰かにとって正しいかどうか解らなくても
発言することが「出来る」点は、正しいですが
それと「発言した内容がまともに受け取りうる」話を一緒にされても困ります。
あと、議論しようとしない相手に対して議論を拒むことが正しい という件ですが
これは正しいとか言う前に、そもそも相手が議論を受ける気がろくにないのですから、
私が拒んだという点についてだけ「拒むことになった」判断を行うのは適当でないと
思います。それに、目には目をのたとえでいくなら、無視されたら無視し返す
ということになるはずですが・・・?
誰かから殺されかけたときは、殺すのはいけなくないということになるのか?
ですが、私はそれについて、すでに何回も説明してます。
殺すのは、その殺された人間にとっていけないという話ですから、
殺すのはいけなくないことには、なりません。
>>88 ああ、あと「あんた」呼ばわりは止めて下さい。あなたにそんな風に
いわれる覚えはありません。
>>73 57さんの意見が流れそうなのでリンク貼っておきます。
>「あんた変だよ」と「あんたの議論変だよ」は全然違うんですが。
なんか悔しいんですか? 自分の誤解を私の意見として批判されても困りますし。
何ですかこれは?473の脳内被害がどうして人を殺していけない理由に
なるのかって聞いてるの。
加害者の脳内利益も両方考慮しろってこと。
逃げんなヨ。
93 :
考える名無しさん :02/05/26 04:35
何故人を殺してはいけないか?
殺していいとなると、集団としての社会が成立しないから。
二人でも人間が存在していればそこに集団が生まれその二人の中で社会が成立する。
社会がなければいいのだが、それでは自分以外誰も存在しないことになり
人は殺せない。
答えになってるかな?
人の世界で「悪」っていっているのは、他大多数の人にとって
都合の悪い人間です。つまりこいつがいるだけで多くの人が
邪魔だと思うのです。殆どの人は死ぬことを恐れているので、
人を殺す人間を「悪」だとおもうのでしょうね。ただ、どんな
理由で人を殺すにせよ、法律ってのはいわばプログラム
みたいなものですから、その手続きに従うのです。
人間にとってもっとも恐るべきことをする人間は、
否(悪人)のレッテルを貼られて当然でしょう。
>>73(57さん)
>道徳は国や時代によって異なる相対的なものだと思う。
慣習と道徳は不可分ですから、国柄や文化によって道徳が影響されるのも
不可避でしょう。しかし世代が交代するに従ってどのように変化してきた
のか分かりませんが、・・・祖父母--->両親--->わたし・・・と、人間の
信頼できる知恵として生き残ってきた可能性も否定できないと思います。
わたしは、その可能性を信じているので、自分の信じる道徳を伝えてゆく
義務が(自分には)あると思っています。
道徳はわたしの最も身近にあって肌身に感じて理解できる観念(価値)です。
わたしは、それをしっかりと体現しつつ生活している人達を信頼しています。
というより、信頼“できている”という現実の体験から、わたしにとっては、
道徳が、他の宗教や○○イズムよりも信頼できるものとして実感できるのです。
>人間は自然に対してもっと謙虚になるべきだ。
全く同感です。言語により精神を有する存在として食物連鎖の頂点に
立つことになった人間は、その精神により生態系を破壊するような蛮行を
しても反省することがありません。このように人間は他の生命に優越した
存在として手前勝手に振る舞っているという現実があります。
自由にしたいのであれば、それに相応しい精神の品性を身に付ける責任も
問われなければならないと思うのです。
この例ならば、自然に対して傲慢であるのと、謙虚であるのとでは、
精神に価値的優劣があると思います。つまり人間は人間として、常に
精神の優劣を自らに問わなければならない責任ある存在なのだという
自覚が必要なのではないかと思うのです。
>>「あんた変だよ」と「あんたの議論変だよ」は全然違うんですが。
>>なんか悔しいんですか? 自分の誤解を私の意見として批判されても困りますし。
>何ですかこれは?473の脳内被害がどうして人を殺していけない理由に
>なるのかって聞いてるの。
>加害者の脳内利益も両方考慮しろってこと。逃げんなヨ。
繰り返し書いた点を同じ誤解を元に、「罵倒と一緒に」質問して、逃げんなヨは
無いでしょう(^ ^;;
加害者側にも利益は考えられますが、それは加害者側の利益に関する主張であって、
被害者側の不利益に基づいた主張への反論にはならない
つまり、加害者側の利益と被害者側の利益を比較する、という論点を論ずることが
あっても、被害者側の不利益に基づく主張に対して反論したことにならないです。
「殺しに関して」、被害を受けているのは、被害者であって、加害者ではないです。
社会が云々とか殺しが現におきない話をするのも、被害者の不利益それ自体とは関係がないです。
>>96文中 殺しが現におきない話→殺しが現におきない条件の話
99 :
考える名無しさん:02/05/26 11:24
>>89 >私は自分の意見が誰にとっても正しい、とは一言も言っていませんが。
しかし、他の意見に対して「正しい」とか「正しくない」と決めている発言は、
自己の判断が「正しい」と考えているから言っていることだろう?
そしてその「正しい」事を「正しくない」と思っている人は、
「正しい」事を「正しい」事として認識していないからそう言っているのであって、
「正しくない」のではない。と言っているんじゃないのかね。
>あと、議論しようとしない相手に対して議論を拒むことが正しい という件ですが・・・・
ああなるほど、という事は例えば、攻撃を加えた相手が逃走したら、
追いかけて土下座でもさせてひれ伏させないと気がすまない訳だ。
それとも、
>>77で書いたように、議論を拒んでおいてから意見をすることを、
あくまでも反論であると考えているのか?
反論は議論があるところにあるんじゃないのかね?
>ですが、私はそれについて、すでに何回も説明してます。
他のスレで説明したことなど、このスレではそれほど関係ないと思うよ。
会話や議論をその”他のスレ”から続けてきた当事者は別としてね。
>>90 じゃあ、なんと呼ばれる「覚え」ならあるんだい?それはどういう「覚え」なんだね?
>>100 >>私は自分の意見が誰にとっても正しい、とは一言も言っていませんが。 だけ引用
「現に認めてない人間がいましたし、これからもいると思いますよ。」とも、書きました。
自分が非難するのに都合の悪い部分を端折って、断片的に引用しないでください。
>しかし、他の意見に対して「正しい」とか「正しくない」と決めている発言は、
>自己の判断が「正しい」と考えているから言っていることだろう?
ある時点で、自己Aの判断が正しい と考えているから、Aが発言している、のは、当たり前です。
Aの判断を正しくないと考える他者Bが、理由を示さないなら、他者Bの議論は、説得的でないです。
説得的でない議論Bは認められるべきではありませんが、実際にどうなるかは、その場にいる人間たちの
資質や、利害関係、数、場の性質などいろいろな要因が影響して決まります。
それらの要因が、説得的な議論を認める方向にあるためには、議論に関する一定程度の理解が要ります。
他者が理由を示した文章を書いた場合は、議論が続きます。議論が続いた結果、私も他者も意見の修正をすることに
なるかもしれませんし、そうでないかもしれません。
>そしてその「正しい」事を「正しくない」と思っている人は、「正しい」事を「正しい」事として
>認識していないからそう言っているのであって、「正しくない」のではない。と言っているんじゃないのかね。
私Aの正しい判断を正しい判断として認識しないが、Aの判断は正しくないのではない、とBが言うことが、
なぜ、AがAの正しい判断が誰にとっても正しいと考えている理由になるんですか?
自分で書いてて意味わかってるんですか?
▼
>>あと、議論しようとしない相手に対して議論を拒むことが正しい という件ですが・・・・
>ああなるほど、という事は例えば、攻撃を加えた相手が逃走したら、追いかけて土下座でもさせて
>ひれ伏させないと気がすまない訳だ。
攻撃 → 意見を求められて答えたこと、それに対してろくなレスがなかったので、反論したこと
逃走 → さようなら、
>>298 とだけ書いて去り、+ ほとぼりが覚めてから別のスレッドで同じ意見を展開すること
土下座させる → そこで、意見を展開するなら、なされた反論にきちんと答えるのが筋だろうと指摘すること
ひれ伏させる → ↑の指摘をカオルさんが認めること)
過激な言い換えがお好きなんですね。汚い議論の仕方ばかり上達して、結構なことです。
>>47のリンク先を見ればわかるように、先に意見を書いてきたのはカオルさんであり、彼?は、私に意見を
書くように求めた上で、ろくな反論を書かなかったのです。
その上で、同じ板の別のスレッドで、以前と同じ意見を展開してるんですから、「逃走」したのではなくて、
卑怯なまねをしてるだけでしょう。
>それとも、
>>77で書いたように、議論を拒んでおいてから意見をすることを、
>あくまでも反論であると考えているのか? 反論は議論があるところにあるんじゃないのかね?
正確には
>あなた(カオルさん)は
>>47のリンク先のとおり、議論が通じない方ですが、あなたの議論の内容は、単に見当はずれな
>部分が多いだけでなく、見る人の習慣的な理解の上で有害なので、レスを返します。
>断っておきますが、私は、あなたと議論をする気はありません。私は、あなたの意見を読む人たちのために書きます。
上のように書いたわけです。私はカオルさんとの議論を、頭から拒んでいたのではありません。
彼?が議論が通じない人間だが、有害な内容のレスを返しているので、参考になるようなレスを返したいと思ったから
書いたのです。続けて書かれてある内容を実質的に問題にすれば、反論にはなっています。カオルさんの議論に論評式に
レスをつけているからです。もしカオルさんから反論があれば、それに対して答える責任はあると考えています。
>>ですが、私はそれについて、すでに何回も説明してます。
>他のスレで説明したことなど、このスレではそれほど関係ないと思うよ。
>会話や議論をその”他のスレ”から続けてきた当事者は別としてね。
単にいまからそのスレッドを見ればいいんじゃないんですか?
しかも、下に、
>殺すのは、その殺された人間にとっていけないという話ですから、殺すのはいけなくないことには、なりません
と書きました。なぜ、それが無かったかのように書いてるんですか? 汚すぎですよ。
>
>>90(あんた呼ばわりしないでください、に対して↓と答えた)
>じゃあ、なんと呼ばれる「覚え」ならあるんだい?それはどういう「覚え」なんだね?
私は、「あなたが」あんた呼ばわりすることが失礼だと言ったのです。論点そらしをせずに、答えてください。
▼
最後に・・・↓にで全く触れなかったのは、なぜなんですか。
>俺の「思う」正しいことが、別の誰かにとって正しいかどうか解らなくても
>発言することが「出来る」点は、正しいですが
>それと「発言した内容がまともに受け取りうる」話を一緒にされても困ります。
>「あと、議論しようとしない相手に対して議論を拒むことが正しい という件ですが」 ←ここだけ引用
>これは正しいとか言う前に、そもそも相手が議論を受ける気がろくにないのですから、
>私が拒んだという点についてだけ「拒むことになった」判断を行うのは適当でないと
>思います。それに、目には目をのたとえでいくなら、無視されたら無視し返す
>ということになるはずですが・・・?
レスを書いていて一貫して思ったのは、100さんは、姑息な議論が好きなんだなぁ、ということでした。
物量作戦、しかも煽りで水増し。
>>104 内容を問題にしてください。無駄な部分はありません。
>加害者側にも利益は考えられますが、それは加害者側の利益に関する主張であって、
被害者側の不利益に基づいた主張への反論にはならない
つまり、加害者側の利益と被害者側の利益を比較する、という論点を論ずることが
あっても、被害者側の不利益に基づく主張に対して反論したことにならないです。
結局473が被害者側にたってアンチ473が加害者側に立てば平行線だな。
どちらにもプラスなりマイナスの利害があるから。
両方尊重するしかなくなる。473の論理的帰結。
>被害者側の不利益に基づく主張に対して反論したことにならないです。
加害者の利益に基づく主張に対して反論したことにならないのです。
>>101 先ずは、「あなた」に習って473を「あなた」と呼ぼう。それととりあえず100と名乗ることにする。
「正しい」或いは「正しくない」と判断したのは単にその時点での
あなたの意見(意思・思考)なのだから、断定的に書かなくても「そう思う」としたらいいじゃないか。
と俺は考えている。
あなたが、俺の意見の「思う」と言う表現に文句を言ったからこのような議論になったのだろう。
あなたがそのように考えているなら、言い換えれば、あなたが自己の思考による判断から断定的に表現することと、
俺が「思う」と言う表現を使って発言したこととは同程度と言うことになる。
俺は、このような場で不特定多数に対する意見として断定的に言葉を結ぶには、
自分がそう考えていると言うだけでは、使わない方がいいと思うからね。
>>102 >
>>47のリンク先を見ればわかるように、先に意見を書いてきたのはカオルさんであり、彼?は、私に意見を
>書くように求めた上で、ろくな反論を書かなかったのです。
>その上で、同じ板の別のスレッドで、以前と同じ意見を展開してるんですから、「逃走」したのではなくて、
>卑怯なまねをしてるだけでしょう。
卑怯なまねだろうが、逃走したことに変わりはないと思うがね。
反論があったら答える責任があると考えているなら、「議論する気はありません。」
が余計だろうと言っているんだよ。
あなたが、自分に対するレスに対して「一言も言ってません」と言って、
相手の推測を否定するなら、一言「議論する気がない」と言っているのだから、
反論があったら答えると後から言うことは矛盾しているんじゃないかね。
>と書きました。なぜ、それが無かったかのように書いてるんですか? 汚すぎですよ。
他のスレのどこに書いてあるか解らない様な事を探していては、
それ以外のことに対する返事が出来なくなるじゃないか。
しかも俺は、他のスレでの事をここに持ち込むこと自体を問題にしている訳だから、
いちいちそんな時間を使う気にはなれないね。
>私は、「あなたが」あんた呼ばわりすることが失礼だと言ったのです。論点そらしをせずに、答えてください。
あなたが「あんた呼ばわりすることが失礼だ」と一言でも言っていたのか?
あなたは「覚えがない」と発言したのだろう。だからそれに対して答えたんだよ。
あなたの「言ったこと」に対しては、論点はそらしていない筈だ。
>>103 あなたこそ、俺の質問に答えていないことはあるよ。例えばこれだ。
>ああなるほど、という事は例えば、攻撃を加えた相手が逃走したら、
>追いかけて土下座でもさせてひれ伏させないと気がすまない訳だ。
あなたは、それに対して「過激な言い換え」とか「汚い議論」という感想を述べただけだし、
カオル氏が「逃げた」のではないと考えたから質問自体に答えなかったのだろう。
質問の内容に認識の相違を感じたら、
その質問に答える前にその相違の擦り合わせをする必要があるんじゃないかね?
あなたのレスを呼んでいて一貫して思ったのは、473氏は、いちいち汚い皮肉が多いと言うことだ。
>>95 >しかし世代が交代するに従ってどのように変化してきた
>のか分かりませんが、・・・祖父母--->両親--->わたし・
>・・と、人間の信頼できる知恵として生き残ってきた可能性
>も否定できないと思います。わたしは、その可能性を信じて
>いるので、自分の信じる道徳を伝えてゆく義務が(自分には)
>あると思っています。
確かに道徳観は、様々な影響のもとに形成されるものです。
しかし突きつめて言えば、俺の道徳は「俺の」道徳であり、
祖父母や両親の道徳観と同じではない。
あなたは、「精神の優劣」を測る基準は道徳にあると言った。
しかし、あなたの道徳と俺の道徳が異なる限り、
あなたが考える「精神の優劣」と俺が考える「精神の優劣」
も異なるわけだ。
それでいいの?
そうなると結局、あなた以外の人はあなたが考える「精神の優劣」
を認め得ないことになるのだが。
>・・・このように人間は他の生命に優越した存在として
>手前勝手に振る舞っているという現実があります。
>・・・自然に対して傲慢であるのと、謙虚であるのとでは、
>精神に価値的優劣があると思います。
精神に優劣があると考えること自体が、自然に対して傲慢だ
と言ったのです。
豚や牛は食べてよくて、鯨は駄目というのは、そのような
考え方からきているのではないですか?
人間中心の尺度で自然を測っているのです。
そういう考え方をすれば必然的に、人間に似ていない
(精神を持たないように見える)生物を切り捨ててしまう
ことにつながります。
>>101 >読んでる人(いらっしゃるなら)、また101に逐一答えなくても問題ない点について
>>100と
>>101を比較して判断してくださるようお願いします。これ以上のばすのは迷惑だろうし、
100氏の言い分がおかしいことは、101で十分示されてますので。やりとりは、100氏→473の順で
>>74 >>75-76/
>>77 >>80/
>>86 >>87/
>>88 >>89-91/
>>100 >>101-106 と、なされました。そもそも100氏がスレハンを使わないことで、自分の議論に不利な点を
隠蔽しようとしてる点も、これで明らかになるでしょう。
▼
>>101 1段目の思う についての記述は、あなたが思うで済ませていることに関して
>>86-87 に端を発してます。(>「思う」だけで片付けられてるんですか?)
つまり、
>>86が、根拠不十分である点の指摘として端を発してます。
>>88で
>俺の「思う」正しいことが、別の誰かにとって正しいのかどうか解らなくても、
>発言することは出来ると考えてる(思う)からね。
と発言されたのに対しては、
>俺の「思う」正しいことが、別の誰かにとって正しいかどうか解らなくても
>発言することが「出来る」点は、正しいですが
>それと「発言した内容がまともに受け取りうる」話を一緒にされても困ります。
と書いてます。それに対しては、レスがなく、私は
>>103でレスがないのはなんで?と
指摘したら、今度は
>
>>103 >* あなたこそ *、俺の質問に答えていないことはあるよ。例えばこれだ。
とすり返されました(*内473)。まあ、100氏がろくでもないことを示すには、これで十分でしょう。
▼
>>103で答えていないことがある、という部分での引用についても
>あなたは、それに対して「過激な言い換え」とか「汚い議論」という感想を述べた *だけ* だし、
>カオル氏が「逃げた」のではないと考えたから質問自体に答えなかったのだろう。
>質問の内容に認識の相違を感じたら、
>その質問に答える前にその相違の擦り合わせをする必要があるんじゃないかね?
と書いてますが、私は
>>102で過激な言い換えの内容が根拠がない旨
>攻撃 → 意見を求められて答えたこと、それに対してろくなレスがなかったので、反論したこと
>逃走 → さようなら、
>>298 とだけ書いて去り、+ ほとぼりが覚めてから別のスレッドで同じ意見を展開すること
>土下座させる → そこで、意見を展開するなら、なされた反論にきちんと答えるのが筋だろうと指摘すること
>ひれ伏させる → ↑の指摘をカオルさんが認めること)
と、言い換えに対応する内実を明らかにしています。ところが100氏によれば、これは「感想を述べただけ」なんだそうです。
いやはや、大したものです。これと、冒頭のレスのやりとりのリンク先の記述で、100氏がろくでもないことは
はっきりしたでしょう。
>>73(57さん)
>>95(カオルさん)
>>110(57さん) スレの中心的展開は左のリンクの通りです。
>>105に、今回議論しだすもとになった経緯に関するリンクを貼りました。
スレを読みづらくしてしまってすみません。
>>107 >結局473が被害者側にたってアンチ473が加害者側に立てば平行線だな。
>どちらにもプラスなりマイナスの利害があるから。両方尊重するしかなくなる。473の論理的帰結。
473とアンチという図式にこの問題を収めないでもらえますか? 473の言い分を認めている
人間は、473以外にもいますから。
▼
何度も言ってますが、
>>107-108が、問題にしてることは、殺しの問題ではなくて、
殺しに基づいて得られた利益の問題です。殺されてない側が、殺されてない側の利益の話をして、
被害者側の利益と平行線である、と主張することは、殺しを殺しと呼ぶ上で必要な被害者が殺された事実を無視して、
結論を出しているだけです。加害者の利益があったとしても、それは「殺し」について問題にしたことには
なりません。「殺し」と比較して、求めてもよい利益があるかどうか、の問題です。
>>108 :考える名無しさん :02/05/26 18:56
>被害者側の不利益に基づく主張に対して反論したことにならないです。
>加害者の利益に基づく主張に対して反論したことにならないのです。
一行レス返してご満悦で何よりです(^ ^
私は加害者の利益に基づく主張が、殺しを問題にする上では論点はずれである、と言っただけであって、
「加害者の利益に基づく主張」に対して反論したのではありません。
>>113の最後の部分を、修正します。
>私は加害者*側*の利益に基づく主張が、殺しを問題にする上では論点はずれである、と言っただけであって、
>「加害者*側*の利益に基づく主張」に対して反論したのではありません。
>>111 俺の考えは、反論や文句があるならその対象に言えって事だよ。
他のスレでの経緯を持ち込んで、このスレを見るものの意識を支配しようとするかのように、
第三者に呼びかけている発言が、独裁者が侵略行為をやっているようだと感じたのだ。
そして俺は、あなたの「議論をする気はない」と言う姿勢を疑問視しているのだ。
そういう姿勢を示しておいて、発言者の意見を引用して異論を唱えている。
それは反論とは呼べないのじゃないか?議論ではないだろう?と聞いているだろう。
これは他のスレで無視されたから、などと言うこととは別の問題だよ。
これについて、あなたはすり替えをして答えていないんじゃないか?
だから、スレのタイトルと違う方向に無駄にのびてしまったんだろう。
俺が議論を拒んでいるわけでもないのに、いきなり第三者に向けて意見を述べるのは、
姑息な手段だな。そんなことをしなくても、対話をすればどちらの意見がどうなのか、
それを読む者はそれぞれが自由に解釈する筈だ。そして、言いたい事があれば発言するだろう。
くどいようだが間違いのない様に繰り返そう。
「議論をする気がない」姿勢を示した上で、相手の発言を引用して意見を述べる事は、
反論ではないし、議論ではないんじゃないのかい?
第三者に呼びかけると言う形で、そちらが回答を拒むならこれ以上尋ねるのはやめとくよ。
>>115 第三者に呼びかけた点にこだわることで、自分に対して向けられた問いは
すべて無視するわけですか。大したもんです。さんざ聞いていた「思う」の
話や、言い換えの話はどこいったんでしょうかね?
>
>>101 >読んでる人(いらっしゃるなら)、また101に逐一答えなくても問題ない点について
>
>>100と
>>101を比較して判断してくださるようお願いします。これ以上のばすのは迷惑だろうし、
>100氏の言い分がおかしいことは、101で十分示されてますので。やりとりは、100氏→473の順で
>
>>74 >>75-76/
>>77 >>80/
>>86 >>87/
>>88 >>89-91/
>>100 >>101-106 >と、なされました。そもそも100氏がスレハンを使わないことで、自分の議論に不利な点を
>隠蔽しようとしてる点も、これで明らかになるでしょう。
上のように呼びかけることは、今回の場合必要なことですよ。なぜなら、
あなたはスレハンを使わないことで、自己の意見を述べるうえで不利な根拠が
示されにくいようにしているからです。
反論や文句があるなら、対象に言うべきなのは原則的にはそのとおりです。
しかし、実際にそのようにしたら、無視して近場に逃げて考えを展開してるから、
それならば、参考になるように意見を書こうとしただけの話です。
彼には議論が通じないようなので、議論しないなら、意見を書くなといわれそうだから
議論する気はない、参考に供するために書く、と言ったのです。それのどこが
おかしいんですか?
発言者の意見を引用して異論を唱えていることが気に入らないなら、
彼が反論すればいいだけであり、それに対して「議論する気がない」と応じた場合に、
初めてあなたがいうことが、私について問題になるのでしょう?
「そちらが回答を拒むならこれ以上尋ねるのはやめとく」? 寝言は寝てる最中に言ってください。
>>73(57さん)
>>95(カオルさん)
>>110(57さん) スレの中心的展開は左のリンクの通りです。
>>105に、今回議論しだすもとになった経緯に関するリンクを貼りました。
スレを読みづらくしてしまってすみません。
>>110(57さん)(1)
>祖父母や両親の道徳観と同じではない。
わたしは、伝えられた道徳に世代を超えて信じられる知恵が、
あるのではないか。と(わたしが)信じているということです。
そしてその道徳は、わたしの作り出した独創の観念ではなく、
過去から現在へ、そして未来へと引き継がれるという性質上、
歴史、文化、共同体、両親、友人・・・など実に多くの人々
の意見の上に存在するのですから、わたしの独善的な考えに
懐疑の機会を常に与えてくれるという意味でも大切にしたい
と思っています。
>あなたが考える「精神の優劣」と俺が考える「精神の優劣」
>も異なるわけだ。
>それでいいの?
○○○の彼女がサイコパスに殺されようとしているとき、
○○○が命懸けで彼女を助けようとしない男だったら、
わたしは○○○を罵るけど、他の人は違うかもしれない。
わたしは助けようとする精神と助けようとしない精神では、
人として精神の価値的優劣に差があると信じています。
>>110(57さん)(2)
>あなたは、「精神の優劣」を測る基準は道徳にあると言った。
>しかし、あなたの道徳と俺の道徳が異なる限り、
>〜省略
>そうなると結局、あなた以外の人はあなたが考える「精神の優劣」
>を認め得ないことになるのだが。
わたしが信じているという意味で、わたしの道徳は私的なものですが、
道徳の性質上、それは多くの人々にも共有されているという意味では、
公的な観念でもあると思います。つまり、わたし以外の人々が信じて
きた価値をわたしも信じたという順序になっているので価値の共有は、
ある程度、前提されていることだと思います。
ただ、わたしは民主主義の多数決の論理を利用して、皆が信じている
のだから、きっと正しい筈だとか、思考停止して道徳を信仰しなさい
と言いたいわけではありません。たかだか20年位しか生きていない
わたしの個的判断力より、よっぽど信頼できるということを、人一倍
反道徳的な生き方を実践してきた私的体験から痛感しているだけです。
ですから、わたしの論が根拠薄弱、私的体験(経験)による実感(感情)
に過ぎないと言われれば(道徳は非合理な体系ですから)その通りです。
>>110(57さん)(3)
>精神に優劣があると考えること自体が、自然に対して傲慢だ
>と言ったのです。
人間が精神の有無を「自然に対して傲慢であって良い」と思う
為の根拠として使おうとすることを人間は精神の価値的優劣の
問題として自らに問わなければならないのだと思います。
人間には言語があり精神があり、価値を判断できるのですから
精神に価値的優劣が生じるのは、必然だと(わたしは)思います。
(わたしは、自然や他生物に精神があるとは思っていません)
>豚や牛は食べてよくて、鯨は駄目というのは、そのような
>考え方からきているのではないですか?
人間の都合によって自然や他生物を区別し差別し傲慢になって
いるのは事実だと思いますが、全ての命に絶対の価値があって、
人も自然も他生物も平等であるとしたなら、わたしの罪深さは、
救われがたいものです。わたしに生きていく資格はありません。
>人間中心の尺度で自然を測っているのです。
確かに人間は自分勝手ですし性悪説を信じざるを得ないほど愚かです。
しかし、人間は「共生」とか「共進化」という概念も持てる存在です。
精神を持っているからこその愚かさであり、賢さでもあると思います。
ですから、わたしは精神の優劣を問題にしたいのです。
自分さえ良ければマナー違反から環境破壊まで仕方なしと思う人間と
そうではないという人間がいるのですから・・・。
>>116 >第三者に呼びかけた点にこだわることで、自分に対して向けられた問いは
>すべて無視するわけですか。大したもんです。さんざ聞いていた「思う」の
>話や、言い換えの話はどこいったんでしょうかね?
俺が、「思う」と言ったことに関することは、
>>109で答えている。
それから、あなたは言い換えだと主張しているが、俺は
>質問の内容に認識の相違を感じたら、
>その質問に答える前にその相違の擦り合わせをする必要があるんじゃないかね?
とその理由を述べているのだし、その根拠として例を示しただけだよ。
それともあなたは、質問の内容に認識の相違を感じた場合でも、
その相違を確認する前に答えているのかね。それでは誤解を拡げるだけだと思うが?
また、言い換えについては、
>攻撃を加えた相手が逃走したら、追いかけて土下座でもさせて
>ひれ伏させないと気がすまない訳だ。
と、形容したことに対して、
あなたが、
>>102で「言い換えに対応する内実を明らかにして」いるとの事だが、
あなたは「逃走」ではなく、卑怯なまねをしただけだと言った訳だね。
これについて俺は、
>>109で、
卑怯なまねだろうが、「逃走」したことに変わりはない。と言っている。
その後、このことに対してあなたは反論していなんじゃないかい。
>上のように呼びかけることは、今回の場合必要なことですよ。なぜなら、
>あなたはスレハンを使わないことで、自己の意見を述べるうえで不利な根拠が
>示されにくいようにしているからです。
あなたは、俺がHNを示していなかったことを、
不利な根拠が示されにくいようにしているからと勝手に解釈し、
第三者に呼びかけたと言っているのだね。
俺は、そんなつもりはまったく無いし、第一俺が
>>115で言っているのは、
あなたが
>>68-72で行った発言に関しての事だよ。
きちんと>「議論をする気がない」姿勢を示した上で、〜
と言っているだろう。
>>111であなたが第三者に対して行った発言について、
俺が述べたのは、
>>115の最後の1行だけだ。そして、
>「そちらが回答を拒むならこれ以上尋ねるのはやめとく」? 寝言は寝てる最中に言ってください。
それはあなたが、
>>111で俺にではなく、第三者に対しての発言に終始しているからだよ。
>>116 >反論や文句があるなら、対象に言うべきなのは原則的にはそのとおりです。
>しかし、実際にそのようにしたら、無視して近場に逃げて考えを展開してるから、
>それならば、参考になるように意見を書こうとしただけの話です。
>>75であなたは反論だと言っている。今度は参考意見だと言うのかい?
一体どっちなのだろう。
>彼には議論が通じないようなので、議論しないなら、意見を書くなといわれそうだから
>議論する気はない、参考に供するために書く、と言ったのです。それのどこが
>おかしいんですか?
あなたが「議論する気は無い」と書くことこそ、「議論をしないなら、意見を書くな」
と言う発言を誘っているのだろう。
あなたの言う通りなら、俺が最初から言っている様にどう考えても、
「議論する気は無い」の記述は余計なことじゃないのか?
これを書かれれば、対象者は反論をしたとしても、
「議論する気はないと言っているではありませんか。」と言われると考えるだろうね。
>発言者の意見を引用して異論を唱えていることが気に入らないなら、
>彼が反論すればいいだけであり、それに対して「議論する気がない」と応じた場合に、
>初めてあなたがいうことが、私について問題になるのでしょう?
上でも書いたように、あなたが最初に「議論する気がない」と「言っていない」ならば、
その通りだと思うが、あなたはそう「言った」訳だから、その理屈は理にかなっていない。
それとも、最初に「議論する気がない」と「言った」が、
その後の文章を読めば反論であることが「推測」出来る筈だから、
更に反論があれば「言った」にも拘らず議論をする用意がある。
と言うことなのかね。つまり「言った」事実は無視してもいいと?
それなら、あなたがこのこと以外にも「言った」ことについて、何が無視して良くて、
何が無視出来ない事となるのだろうか?
現にあなたは、俺の推測に対して「一言も言っていない」事を、
反論の理由として揚げた事実があるのだからね。
どこで区別したらいいのか教えてもらえないだろうか?
>>118 >○○○の彼女がサイコパスに殺されようとしているとき、
>○○○が命懸けで彼女を助けようとしない男だったら、
>わたしは○○○を罵るけど、他の人は違うかもしれない。
>わたしは助けようとする精神と助けようとしない精神では、
>人として精神の価値的優劣に差があると信じています。
自分の恋人や家族を守りたいという思いは、エゴイズムに
基づいています。人間として当たり前の感情ではあるものの、
それは自己愛と結びついたものです。
それに、上の設定は単純すぎる。
現実には、様々な付帯状況が絡んでくる。
例えばその○○○氏が、自分が死んでまで彼女を助けることを
せずに生き延び、その後の人生をアフガンの難民救済に捧げた
とする。その場合、どちらの精神が優れているのか?
一概には言えないことでしょう。
また、「助けようとする精神」同士が対立することも
ありふれたことです。前に、「平和を叫びながら戦争を
繰り返している」と俺が書いたのはそのことです。
>>120 >全ての命に絶対の価値があって、人も自然も他生物も
>平等であるとしたなら、わたしの罪深さは、救われがたい
>ものです。わたしに生きていく資格はありません。
生命への畏敬の念を持っているなら、罪の意識を持つことは
不可避だと思う。
宗教の根底には、そのような罪意識があるが、宗教に限らず
罪意識を持ち続けることは必要なことであると思う。
「罪意識」という表現がきつすぎれば、言い換えると、
生き物を殺して食べる時の「感謝の気持ち」、
ゴキブリや蝿を殺す時の「ゴメンと謝る気持ち」です。
『害虫だから殺しても良い』と考えるのは人間の傲慢です。
そのような傲慢は、歯止めがきかないものになってしまいます。
他の動物は、罪の意識をもたずに生き物を殺すことができる。
それに対して自己意識を持った人間は、
その代償として、罪の意識とそれに伴う苦しみを引き受け
なければならないのだと思う。
>>121-122 このスレッドを読んでいる人の多くに、ある程度以上の良識があるなら、
>>116と、
>
>>101 >読んでる人(いらっしゃるなら)、また101に逐一答えなくても問題ない点について
>
>>100と
>>101を比較して判断してくださるようお願いします。これ以上のばすのは迷惑だろうし、
>100氏の言い分がおかしいことは、101で十分示されてますので。やりとりは、100氏→473の順で
>
>>74 >>75-76/
>>77 >>80/
>>86 >>87/
>>88 >>89-91/
>>100 >>101-106 >と、なされました。そもそも100氏がスレハンを使わないことで、自分の議論に不利な点を
>隠蔽しようとしてる点も、これで明らかになるでしょう。
の引用で十分です。あなたを説得する必要はありませんし、できないようです。
あなたは、はなから私が示そうとしている事実関係を無視して議論を展開していますから。
あなたは、意味をきちんと把握すれば、ろくな意味を持ってないことが明らかな文章を羅列
したり
>>101、不当な引用をしたり(沢山)と、第三者から見てその不当性がわかりにくい
やり方を多用して、473を批判している、という展開を延々と保ち、473が痺れを切らして
答えなくなるのを待ち、そのあとで真っ当な一般論を書いて、473というスレハンが書く
議論一般の信頼性を、内容と関係なく落とそうとしているだけでしょう。
そのことは、このスレでの、カオルさんへのレスの内容や、カオルさんのその後の対応を
完全に度外視して論じてるさまにも現れています。
反論する・しないにかかわる正当・不当は、実際に反論する責任を果たすかどうかに
よって決まります。私は
>>47で引用したスレッドでも、ディル猫スレッドでも、また以前
書き込んだその他のスレッドでも、そうした責任を果たしてきています。
それにひきかえ、カオルさんはその責任を果たしてません。
私は責任を果たさないことに関する、カオルさんが向こうのスレッドで行った理由付けを
踏まえて、カオルさんに対して、議論するつもりはないと書いただけです。
また、あなたの議論の仕方は最低です。反論してもそんな反論?では無いほうがマシです。
レスは準備しましたが、邪魔なだけですし、これ以上続いて日常に差し支えるのも嫌ですし、
何より無益な議論なので、返しません。
>>124 >の引用で十分です。
で、普通はその言わんとするところをきちんと踏まえるでしょうが、
100氏は、
>>121-122にレス返してない、などと抜けたことを言いそうですから
きちんと書き直しておきます。
>の引用で、十分反論になっています。
>>123(57さん)(1)
>自分の恋人や家族を守りたいという思いは、エゴイズムに
>基づいています。人間として当たり前の感情ではあるものの、
>それは自己愛と結びついたものです。
愛するものを守りたいという感情をエゴイズムと表現したから
といって、あなたにそれを否定するつもりはないと推察します。
わたしは、愛するものを守りたい助けたいと思う、人間として
当たり前の感情を持ち行動できることが大切なんだと思います。
もちろん、そのような感情の稀薄な人や気持ちがあっても逃げ
てしまう人や、さまざまな人がいると思いますが、わたしには、
命懸けで助けようとする人が、他の人より精神の価値的優劣に
おいて優れた人であると思うことに変わりありません。
>例えばその○○○氏が、自分が死んでまで彼女を助けることを
>せずに生き延び、その後の人生をアフガンの難民救済に捧げた
>とする。その場合、どちらの精神が優れているのか?
>一概には言えないことでしょう。
時系列での精神の変動や個人的な業績を理由に、精神の優劣を問え
ないとすることはできないと思います。
○○○が、彼女を命懸けで助けようとしなかったのなら、○○○は、
道徳的に非難されても仕方がないし、自らの行為を恥じるべきだと
わたしは思います。その後の○○○を否定するつもりはありません。
○○○が反省し、その後の人生を難民救済に捧げたのなら○○○は、
精神的に成長したのだと思います。このように精神の価値的優劣が、
努力によって変わるのは当然のことだと思います。
(追加)
自分さえ良ければという利己的な金持ちが、名誉を求めて歴史に
名を刻むべく、自己の財産を難民救済に捧げ、多くの命を救った
としても、その人の社会貢献度と精神的優劣とは別だと思います。
>>123(57さん)(2)
>また、「助けようとする精神」同士が対立することも
>ありふれたことです。前に、「平和を叫びながら戦争を
>繰り返している」と俺が書いたのはそのことです。
精神の優劣は、人の人としてのプライド(自尊心)に関わることだから、
人は、自分の自尊心から尊大に振る舞ったり、それによって争い事を
起こしたりします。しかし、自尊心には品位を大切にするという意識
の方向性も含まれるのですから、一概には否定できないと思います。
人の自分を主張し他者の承認を求めるという自尊心の充足行為は、
自分と他者との相互依存関係によって成り立つと思うのですが、
そもそも他者の期待に応えようとする人々が存在することによって
成り立つのが、社会(相互依存関係)であるのだとしたら、その人の
基本的な社会性の原点を否定してしまっては、社会は成り立たなく
なると思います。人の自尊心が区別や差別や階級を生み出すのだと
しても社会を維持するためには必要なのだと思います。
大切なのは、差別などの悪しきものを排除して行く精神の品性です。
(このような矛盾から人は逃れられないと思います)
>>123(57さん)(3)
>他の動物は、罪の意識をもたずに生き物を殺すことができる。
>それに対して自己意識を持った人間は、
>その代償として、罪の意識とそれに伴う苦しみを引き受け
>なければならないのだと思う。
あなたのこのような意見を否定したなら、それこそ不道徳です。
その反意で、わたしの論が否定されるのは仕方の無いことです。
わたしは、あなたのような仕方で罪を背負うことができません。
わたしは、わたしが無数の生命を剥奪して生きていることを自覚
したとき「仕方ないよね」とつぶやいた自分に茫然自失しました。
「仕方ないよね」でいいんだろうか。でも、わたしは生きている。
生きているわたしに罪はないんだろうか。と考えた時、わたしは、
思考する自分も罪の意識を感じている自分も精神の存在によって
“ある”んだと思いました。
わたしの論は、わたしが救い難い罪を重ねながら、それでもなお
生きている自分とこれからも生きて行く自分に科した十字架です。
“そのように信じる他になかった”というギリギリの論なんです。
(ですから精神の優劣(品性)を問題にする必然性があるんです)
130 :
考える名無しさん:02/05/28 09:40
人
(__)
\(__)/ ウンコー!
( ・∀・ )
.∩ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| |゚Д゚) < それが原罪じゃねーの
| │ \______
し'^J
人
__  ̄
∧ ∧ スポーン __ (__)
(,,゚Д゚) ___ \(__)/
/ ⊃/⊃ (・∀・ ) ワーイ
し'^J 彡  ̄
131 :
考える名無しさん:02/05/28 13:57
>>129 >わたしは、わたしが無数の生命を剥奪して生きていることを自覚
>したとき「仕方ないよね」とつぶやいた自分に茫然自失しました。
>「仕方ないよね」でいいんだろうか。でも、わたしは生きている。
>生きているわたしに罪はないんだろうか。
そういう考えって人間のエゴでしょ。
>>124 あなたは、俺の質問に対する回答や反論を(用意しているらしいが)示さないので、
それに対する返事が出来ないが、あなたの
>あなたは、意味をきちんと把握すれば、ろくな意味を持ってないことが明らかな文章を羅列
>したり
>>101、不当な引用をしたり(沢山)と、第三者から見てその不当性がわかりにくい
>やり方を多用して、473を批判している、という展開を延々と保ち、473が痺れを切らして
>答えなくなるのを待ち、そのあとで真っ当な一般論を書いて、473というスレハンが書く
>議論一般の信頼性を、内容と関係なく落とそうとしているだけでしょう。
このような推理は全くの見当はずれだよ。
あなたの推理で行くと俺がなぜ、
カオル氏ではなく473氏の信頼性を落とそうとしていると考えるんだい。
第一あなたの発言内容に、そんな回りくどい妨害をする必要があるとは思っていないよ。
だいたい真っ当な一般論ってなんだい?
あなたは、議論や客観的に明らかな基準だけでなく、
自身の観察と推論と独自の経験によって、物事を判断しているのだろう。
これは、当たり前の事だと俺も思う。
そして、自身の説に異論を持つものの存在も認めているし、
異論を唱えるものとの議論によって、自説が変わりうることも認めている。
でありながら、異論に対して「正しい」や「正しくない」と言う、
あたかも何らかの公然とした周知の基準によって判断したかのような断言ぶりだ。
更に、勝手な推測から相手を罵倒し、余計な皮肉をばら撒いている。
まるで、自分が良識を持った人たちの一員であり、代表して発言しているかのようにだ。
断っておくが「私はそんなこと一言も言ってません」なんて言うなよ。
あなた自身が、観測された事実から、俺に対して勝手な推測で発言しているんだし、
あなたはあなたの「言った」「言ってない」について解答していないんだからね。
>>124 あなたが言う、事実関係に関して俺は、他のスレのことなどとは別問題だと主張している。
それは、ここ(2ちゃんねる)が、そういうところだからだ。そして、
>反論する・しないにかかわる正当・不当は、実際に反論する責任を果たすかどうかに
>よって決まります。私は
>>47で引用したスレッドでも、ディル猫スレッドでも、また以前
>書き込んだその他のスレッドでも、そうした責任を果たしてきています。
>それにひきかえ、カオルさんはその責任を果たしてません。
>私は責任を果たさないことに関する、カオルさんが向こうのスレッドで行った理由付けを
>踏まえて、カオルさんに対して、議論するつもりはないと書いただけです。
この発言で、あなたの考え方がよく出ていると思うよ。
つまり「私はここまでやっているのに、あなたはそれに応えていない」と言うことだな。
ここ(2ちゃんねるやこの板)が、どういう場所かよく観察したのかい?
そういう責任を果たすことが、当然のこととして要求されている場所だったかい?
そして誰もが、そうしているかい?いろんな人がいるだろう?
自分が自分の正しいと思うことを盾に、そこがどういう共同体(社会・場所)かを無視して、
他人にも同じ事を要求するのは、ストーカーの心理と同じじゃないかね。
「私は誰かに愛されたら、私もその人を愛します。私はそうするものだと思うしそうしてきました。
そして、私は今あなたをこんなに愛しているのに、あなたはその愛に答えてくれない。だから恨みます。」
って言うのはおかしいだろう。
「それに引き換え」なんていっているのが正にそれだ。自分に比べて相手は・・・ってね。
それはあなたの倫理観だろう。それを認めるのがあなただけとは言わないが、その他大勢でもない。
だから、他のスレでの事という「事実関係」なんて理由にならないと言っているんだよ。
「今ここ(2ちゃんねるやこの板)がそういう場所であっても、
それは正しくないので、私は正しいことをする。」
なんて考えてるとしたら、「我は世界の警察だ」と言って自国の倫理を、
他国に強要する米国と同じだよ。
>レスは準備しましたが、邪魔なだけですし、これ以上続いて日常に差し支えるのも嫌ですし、
>何より無益な議論なので、返しません。
あなたは、俺の言ったことは理解できないのだろうね。視野が狭いと感じるよ。
このスレを見ている人には大変迷惑をおかけした。
473氏も望んでいないようなので反論がないならこれ以上続けない。
行きがかり上この様なことになってしまった。申し訳ない。
>>127 >愛するものを守りたいという感情をエゴイズムと表現したから
>といって、あなたにそれを否定するつもりはないと推察します。
>わたしは、愛するものを守りたい助けたいと思う、人間として
>当たり前の感情を持ち行動できることが大切なんだと思います。
ガンジーによれば、真実の道を歩もうとする人は、結婚してはなら
ない。なぜなら結婚すると『まず二人だけで。あとの人はどうでも
いい』という気になるから・・・。
恋愛や家族愛は自己愛の延長であり、エゴイズムの枠が少し
広がるだけで、根本的自己中心性は少しも変わりません。
そのような、エゴイズムに基づく愛は、裏を返せばすぐに憎しみに
変貌するような愛です。
キリスト教も仏教も、そのような愛を本当の愛(神的愛、慈愛)
とは認めず、窮極的には克服されるべきものと考えていると思う。
俺自身はまだそれを実践できるまでには悟っていない。
>自分さえ良ければという利己的な金持ちが、名誉を求めて歴史に
>名を刻むべく、自己の財産を難民救済に捧げ、多くの命を救った
>としても、その人の社会貢献度と精神的優劣とは別だと思います。
設定が単純すぎる。
その金持ちは、利己心100%で利他心0%であると考えるのは、
現実的でないでしょう。ではその利己心は95%だったのか、
70%だったのか? 誰がどうやって測定するのでしょうか?
精神に優劣があるとするあなたの説は、物事を、現実にはあり得
ないほど単純化しないと成り立たない説なのではないですか?
>>129 >わたしは、あなたのような仕方で罪を背負うことができません。
前レスで俺が書いた、生き物を殺して食べる時の「感謝の気持ち」
や、ゴキブリを殺す時の「わびる気持ち」を持てないということ
ですか? 少しでもいいのだが。
この場合、「わびる気持ち」をどれだけ持てれば合格、ということ
ではない。命の問題は、○か×かで割り切れる問題ではありません。
>わたしは、わたしが無数の生命を剥奪して生きていることを自覚
>したとき「仕方ないよね」とつぶやいた自分に茫然自失しました。
>「仕方ないよね」でいいんだろうか。
「仕方ない・・・死んでもらいます・・・スマン」でいいのです。
この「仕方ない」に、人間の持つ矛盾が表現されているのだとすれ
ば、それで「仕方ない」のだと思う。
動物的本能だけの、矛盾の無い世界に戻る事はできないのだから、
矛盾と苦しみから目をそらさずに、矛盾と苦しみをあるがままに
見る事(仏教で言えば八正道の正見)から人間は出発しなければ
ならないのだと思う。
>>124 >あなたの推理で行くと俺がなぜ、カオル氏ではなく473氏の信頼性を
>落とそうとしていると考えるんだい。
あなたの議論の仕方が、私があなたの指摘の部分を承認した部分をはしょったり、
引用の仕方が汚かったり、経緯に関する説明を無視したり、不当な言い換えを行ったり
していること
>>134、また、カオルさんと私のレスの内容の比較をまったく行わずに
議論しているからです。
>第一あなたの発言内容に、そんな回りくどい妨害をする必要があるとは思っていないよ。
>だいたい真っ当な一般論ってなんだい?
あなたがここにきて「回りくどい妨害をする必要がない」と言ったところで、
これまで書いてきた、私の推測を裏付けるあなたの姑息な議論の内容が変化するわけでは
ありません。
>>134 真っ当な一般論(を述べて、473の議論の信頼性を下げようとする)とは、
例えば、あなたが根拠を示さずに「思う」という表現だけで、根拠なく結論を書いた、
という指摘
>>87 があったことについて、「思う」という表現の正当性の話にすりかえて
誤魔化し
>>88、
>>89でそれがすりかえであると指摘されたら、流し(レス返らなかった)
その後改めて
>>109冒頭 で一般論を展開するようなやり方を指します。
(この流れに関しては、
>>111でまとめてあります。)
>あなたは、議論や客観的に明らかな基準だけでなく、
>自身の観察と推論と独自の経験によって、物事を判断しているのだろう。
>これは、当たり前の事だと俺も思う。
>そして、自身の説に異論を持つものの存在も認めているし、
>異論を唱えるものとの議論によって、自説が変わりうることも認めている。
>でありながら、異論に対して「正しい」や「正しくない」と言う、
>あたかも何らかの公然とした周知の基準によって判断したかのような断言ぶりだ。
あたかも何らかの公然とした周知の基準によって判断したかの「ような」断言ぶりと
形容したところで、私がそのように判断したことを示したことになりません。
私は、ほかの方から見ても納得がいくように根拠を示した上で、結論を明示している
だけです。根拠を示したうえで、結論を明示することが、断言であるなら、
そういう意味では、確かに断言しています。思う、では結局何らかの事実に関する
分析を提示したことには、ならないからです。結論は、そうである、思ってると
この場で表現しているのは、私だけであるが、ほかにも思う人はいるかもしれないし、
いないかもしれない。であって、そうであると私(だけ)が思う、ではありません。
さらに、あなたは後のほうで
>それは、ここ(2ちゃんねる)が、そういうところだからだ。
という、単なる大勢の記述を元に、そのことの正当性を問題にせず、当然に他スレにおいてなされた
議論の経緯は踏まえなくてよい、反論に関して責任を果たさなくてもよい、という趣旨の主張をしていますね。
これは、「公然とした周知の基準によって判断した断言ぶり」ですね。
▼
もう少し、検討してみますと、
>ここ(2ちゃんねるやこの板)が、どういう場所かよく観察したのかい?
>そういう責任を果たす(反論をきちんと行う、事実関係を無視した議論をしない)ことが、
>当然のこととして要求されている場所だったかい?
>そして誰もが、そうしているかい?いろんな人がいるだろう?
これは、いろんな人がそうしているなら、そのとおりにしろ、と言ってるわけですね。
>自分が自分の正しいと思うことを盾に、そこがどういう共同体(社会・場所)かを無視して、
相手の単なる主張を、絶対無謬の主張をしたものと見せかけ、2ちゃんねるが「共同体」であると当然視、
>他人にも同じ事を要求するのは、ストーカーの心理と同じじゃないかね。
>「私は誰かに愛されたら、私もその人を愛します。私はそうするものだと思うしそうしてきました。
>そして、私は今あなたをこんなに愛しているのに、あなたはその愛に答えてくれない。だから恨みます。」
>って言うのはおかしいだろう。
>「それに引き換え」なんていっているのが正にそれだ。自分に比べて相手は・・・ってね
「それに引き換え」なんていっているのが正にそれだ。」
あなたが示した理由は、「自分に比べて相手は・・・ってね」。
それが、ストーカーの形容(同じとみなしただけ)につながり、他人にも同じことを要求するのは、
ストーカーの心理と同じじゃないかね(これって、思うと同じニュアンスの用法なんですか?)と。
ところで、他人にも同じことを要求するなら、約束のほとんどはストーカーの心理なんですね。
>それはあなたの倫理観だろう。それを認めるのがあなただけとは言わないが、その他大勢でもない。
>だから、他のスレでの事という「事実関係」なんて理由にならないと言っているんだよ。
断言してますね、根拠なく。「大勢でもない」「言っているんだよ。」
>「今ここ(2ちゃんねるやこの板)がそういう場所であっても、
>それは正しくないので、私は正しいことをする。」
>なんて考えてるとしたら、「我は世界の警察だ」と言って自国の倫理を、
>他国に強要する米国と同じだよ。
理由を示して、議論によって、議論において公正さを保つのに必要な条件を改善することと、
強制力をもって無理やり自国の利益を押し通すことは、同じじゃないと「思いますが」?
>更に、勝手な推測から相手を罵倒し、余計な皮肉をばら撒いている。
>まるで、自分が良識を持った人たちの一員であり、代表して発言しているかのようにだ。
>断っておくが「私はそんなこと一言も言ってません」なんて言うなよ。
>あなた自身が、観測された事実から、俺に対して勝手な推測で発言しているんだし、
>あなたはあなたの「言った」「言ってない」について解答していないんだからね。
私はそんなことを沢山言いましたよ。根拠をふんだんに示した上で。
良識をもった人たちの代表として発言した、という風に、私の人格の話にそらそうと
しているようですが、あなたが姑息な方法をとったことを、このスレの記録からなくすことはできません。
>
>>124 >あなたが言う、事実関係に関して俺は、他のスレのことなどとは別問題だと主張している。
>それは、ここ(2ちゃんねる)が、そういうところだからだ。
あなたが、2ちゃんねるがそういう場であることを理由に、実際に私が説明した
事実関係を無視して議論しているだけでしょう。
今回あなたの上の言い分が通ったとしても、それは「2ちゃんねるがそういう場だから」
通ったのではないです。なぜなら、今話をしているのは、私とあなただけであり、
また、ここを見ているのは、2ちゃんねるの人の多くではなくて、このスレッドを見ている人たちだからです。
今この場で事実関係を無視しているのは、あなたであって、2ちゃんねらーではありません。
また、事実関係無視した議論がまかりとおることと、事実関係を無視した議論が正しいかどうかは別の話です。
>>57さん、カオルさん、読んでるみなさん、よかったら100氏と473の
やりとりについて、意見をお聞かせください。
>>137中
>ところで、他人にも同じことを要求するなら、約束のほとんどはストーカーの心理なんですね。
↓
>ところで、他人にも同じことを要求するのがストーカーの心理なら、
>約束のほとんどはストーカーの心理なんですね。
142 :
こころ子供:02/05/28 22:23
『死ぬ』ってなんだろな。
ただただ『死』あるだけなのかもなぁ。
そこに意味を持たせるために哲学が生まれて、
ほかの動物と違う道を歩き出したのかなぁ。
だったら殺してはいけない理由は
『僕たちが人間だから』なのかな。
熊に殺されても、洪水に殺されても
そこに善も、悪も、理由もないもんなぁ。
ダメだな、僕の頭じゃ、わからないな。
なんで大人たちは子供に
理由なんか無いってきちんと言わないんだろうか。
>>143 理由はあると思って今まで生きてきた世代だからじゃない?
殺しちゃいけない理由があると思い込まないと
生きれないとは卑小な実存だとおもうけどね〜。
+
+ + +
+ lヽ
. / ̄\ +. ∧_∧ l 」 +
コロスナヨー( ´∀`) (´∀` )‖
(つ つ (つ つ +
. + ( ヽノ ( ヽノ ナゼコロシチャダメナノ〜?
し(_) し(_)
(⌒\ / ̄\ +
\ヽ( ´∀`) ダメダッテイッテンダロ
(m ⌒\ +
+ ノ / / +
( ∧ ∧
ヘ丿 ∩Д` ) +
(ヽ_ノゝ _ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
↑みたく
知的好奇心からこの問題を大人に投げかけると
感情的な返答しかないのは子供的にウンザリ。
ロジカルな考え披露すると殴られそうになるからな。
単にドキュソなおやってだけかもしれないけど。
>>145 というか、殺すことに合理的な必然性が無いなら、無駄な行動じゃないのかね?
無駄な行動は、その人にとって良い行動だといえるのかね?
149 :
考える名無しさん :02/05/29 08:51
>>148 無駄かどうかってそれぞれ考え方によってかわってくるんじゃないかな。
そもそも良いか悪いかなんてわからないわけだし。
>>131 うん。(笑)
でも自覚した瞬間は体験に近かったよ。
「仕方ないよね」とつぶやいたのも無意識だったし。
つぶやいて茫然自失したのはエモーション。で、はじめて罪深いって言葉になった。
わたしのカキコは、もちろんエゴイズムでしょうね。(^.^)
>>135(57さん)(1)
>恋愛や家族愛は自己愛の延長であり、エゴイズムの枠が少し
>広がるだけで、根本的自己中心性は少しも変わりません。
>そのような、エゴイズムに基づく愛は、裏を返せばすぐに憎しみに
>変貌するような愛です。
>キリスト教も仏教も、そのような愛を本当の愛(神的愛、慈愛)
>とは認めず、窮極的には克服されるべきものと考えていると思う。
わたしは、自分が理想主義的な観念論によっては、救われなかったという経験と
あなたの言うエゴイズムによって救われたという経験から、その行為が自己愛に
基づくものであっても、その人の道徳的価値を体現した行為は価値ある行為だと
思いますし信じられます。
わたし達のその行為がエゴイズムなんだとしても、それを克服するためには、
しっかりと愛せるし愛した、しっかりと戦えるし戦った、という能力と経験が
あってはじめて可能になるのではないですか?
アガペーや慈悲の愛が真実の愛なのだとしても、それを実践するためには、
そこに至る過程が不可欠なんだと思います。過程を否定したら先に進めません。
愛する人を守ろうともしない人に究極の愛を期待しても無理だと思うからです。
一人を愛せる--->二人を愛せる・・・究極の愛・・・なんだと思います。
>>135(57さん)(2)
>精神に優劣があるとするあなたの説は、物事を、現実にはあり得
>ないほど単純化しないと成り立たない説なのではないですか?
精神に時系列での変動があることや個人的な業績を理由に、また精神の優劣が、
計量できないこと、数字で表せないこと、科学で証明できないこと、あるいは、
非合理な体系を基盤にしていることを理由に精神に優劣が無いとは考えません。
わたしも他者の精神の優劣を軽率に判断してはならないと思いますが、現実に
わたしは日々判断しています。大切なのはその人の精神が「より良く、より高く」
という精神の方向性を指し示していることだと思います。
わたしは、自我の認識(世界)は、無の相補性によって存在していると思います。
ですから(前提を置かない限りは)どのような価値にも絶対はないし、どのような
仮説にも根拠はないと思いますが、そのような意味で精神に優劣は無いと言ってる
のでしょうか? もしそうなら、それはその通りだと思います。
>前レスで俺が書いた、生き物を殺して食べる時の「感謝の気持ち」
>や、ゴキブリを殺す時の「わびる気持ち」を持てないということ
>ですか? 少しでもいいのだが。
うぅーん、わたしは悪魔ですか?(笑)激しくつたわってない!?
前レスでも言ったけど、わたしはあなたの意見を否定するつもりはありません。
なぜなら、わたしの論はあなたの意見にある感情的基盤を潜在的根拠にしている
からです。誤解されているようなので、もう少し説明すると、あなたの意見に
あるような自然や他生物に対する感性が無いところには、わたしの論はそもそも
存在しません。その意味でわたしの論はあえて矛盾を内包する形になっています。
それがわたしに“そのように信じる他になかった”と表現させてしまう原因です。
>>135(57さん)(3)
>「仕方ない・・・死んでもらいます・・・スマン」でいいのです。
>この「仕方ない」に、人間の持つ矛盾が表現されているのだとすれ
>ば、それで「仕方ない」のだと思う。
>動物的本能だけの、矛盾の無い世界に戻る事はできないのだから、
>矛盾と苦しみから目をそらさずに、矛盾と苦しみをあるがままに
>見る事(仏教で言えば八正道の正見)から人間は出発しなければ
>ならないのだと思う。
『命に絶対の価値があり、すべての命は等価である』としたなら、
わたしは、日々無数の人を殺して生きているのと同じことになります。
わたしは、日々大量無差別殺人を行っても許されるんですか?
わたしは、それでも人間ですか?
わたしは、それでも生きる資格があるんですか?
目を逸らさず責任を負うというなら「仕方ない」という言い訳もできない筈です。
(わたしには無理です)
わたしの論は、他生物の生命を軽視する為の道具ではありません。
『人が人であり得るのは精神の有無による』
『命には精神の有無によって価値的差異がある』
『価値的差異の優劣は精神の優劣によって決まる』
とすることで、(既に説明した矛盾を内包する形を取りながらでも)
人が人として他生物より優れた存在として振る舞うには、それに相応しい
精神の品性を身に付け維持してゆく責任が伴なっているのではないか。と、
自覚することができ、それによってどうにか生きて行く意味や資格を補完
できるのではないか、ということです。
154 :
考える名無しさん:02/05/29 08:54
殴(や)れ! 刺(や)れ!
犯(や)れ! 殺(や)れ!
壊(や)っちまえ―――――――!!!
愛? 平和? 正義? 自由?
そんなもの…クソ喰らえだ!
そんなものは見えやしね―――――――!!
「PSYCLOPS(サイクロプス)」の目にうつるものは
ただ一つ!!
--―――-- 、
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/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
|::::厂 ̄'''ー――一'' ̄ ̄|:::::|
|:::| |::::|
|:/ ____ /______ヽ:|
/^''Yニ -=ニ・ニ>卅彡ナナナ ニY''ヘ
| 久|ニ ー'´| `ー ニ|/ヘ| v V v V v V v V v V v
!.イ|ニ l| ニ|ヽ | > 二〃 フ | <
ヽ_|彡/ l|、_l 〕 ヽミ|_ノ > ノ へ |ヽ <
|`<// v======v ヽヾ>| < _ / <
|:::::`<// ヽ___/ ヾ>'::::| > |_| ー―― /| <
| :l:::::::`< `――‐'′>'::::|:: | > <
| l ::::::::::\__/::::::: l | ハ 八 ハ 八 ハ 八 ハ 八 ハ
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>>149 >無駄かどうかってそれぞれ考え方によってかわってくるんじゃないかな。
だから「合理的な必然性が無いなら」とちゃんと断っているは。
>そもそも良いか悪いかなんてわからないわけだし。
当人にとってなんら合理的必然性の無い事に、労力と時間を浪費することは、
当人にとって悪いことではないのかね?
>>134 >案の定これまでの議論の経緯を踏まえずに議論を展開されたようです。
当たり前だ。あなたは、俺の
>>122で尋ねた質問
>
>>75であなたは反論だと言っている。今度は参考意見だと言うのかい?
>一体どっちなのだろう。
>それとも、最初に「議論する気がない」と「言った」が、
>その後の文章を読めば反論であることが「推測」出来る筈だから、
>更に反論があれば「言った」にも拘らず議論をする用意がある。
>と言うことなのかね。つまり「言った」事実は無視してもいいと?
>それなら、あなたがこのこと以外にも「言った」ことについて、何が無視して良くて、
>何が無視出来ない事となるのだろうか?
>現にあなたは、俺の推測に対して「一言も言っていない」事を、
>反論の理由として揚げた事実があるのだからね。
>どこで区別したらいいのか教えてもらえないだろうか?
に応えていないんだからね。
特に、上の質問はあなたに対する、俺のレスを続けるもとになった部分だよ。
>>136 >あなたの議論の仕方が、私があなたの指摘の部分を承認した部分をはしょったり、
〜
>議論しているからです。
それのどこが、カオル氏でなく473氏の信頼性を落とそうとしている理由になるんだい?
あなたの説明は、あなたの信頼性を落とそうとしていると推理した理由だろう。
なぜカオル氏では無いかの説明になっていないよ。
>あなたがここにきて「回りくどい妨害をする必要がない」と言ったところで、
>これまで書いてきた、私の推測を裏付けるあなたの姑息な議論の内容が変化するわけでは
>ありません。
>>134 そんなことを言っても、「回りくどい妨害をする必要が無い」ことの反論になっていない。
余計な皮肉を言っているだけだ。
だいたい、あなたの薄汚い余計な皮肉は何のために言っているんだい。
もしあなたが、
>>68-72や俺へのレスのように以前の発言でも同様に
その余計な皮肉をちりばめていたとしたら、それだけで普通は議論をしたくなくなるよ。
>真っ当な一般論(を述べて、473の議論の信頼性を下げようとする)とは、
〜
>(この流れに関しては、
>>111でまとめてあります。)
その説明を読んでも「真っ当な一般論」がどういうものかよくわからないが、
もしかしたら「真っ当でない一般論」の説明をしてもらえれば理解できるかもしれないね。
いや、或いは前後の文章全体の、余計な説明をしてくれたのか。
それともあなたの得意な薄汚い余計な皮肉かね?
>あたかも何らかの公然とした周知の基準によって判断したかの「ような」断言ぶりと
>形容したところで、私がそのように判断したことを示したことになりません。
それでは
>>132の
>あなたは、議論や客観的に明らかな基準だけでなく、
>自身の観察と推論と独自の経験によって、物事を判断しているのだろう。
を否定しているのかい?そして、
>私は、ほかの方から見ても納得がいくように根拠を示した上で、結論を明示している
〜
>いないかもしれない。であって、そうであると私(だけ)が思う、ではありません。
あなたの根拠の提示とは、「私は>○○・・・の事実から、このように結論しました。」
と言っているのだろう。あなたの結論以外の推論の可能性を否定できていないよ。
Aが示されたので、私の推論からBと結論しました。
といっても、CやDであるかもしれないことを、否定出来ていないんだから。
少なくとも俺に対するレスで、あなたの推論の「根拠」として示された引用は、
他の解釈が出来る内容ばかりだ。実際に、事実と相違する結論が出ているのだからね。
>>137 >さらに、あなたは後のほうで
>>それは、ここ(2ちゃんねる)が、そういうところだからだ。
〜
>これは、「公然とした周知の基準によって判断した断言ぶり」ですね。
全然違うよ。公然とした周知の基準による判断と、観測される事実に基づいた判断、
そして観測された事実に推測を加えて判断の基準にするのとでは、それぞれ性質が異なるだろう。
>これは、いろんな人がそうしているなら、そのとおりにしろ、と言ってるわけですね。
違うね。その通りにしろと言っているんじゃなく、ここであなたの思い通りにならなくても、
相手の責任ではないと言うことだよ。
>相手の単なる主張を、絶対無謬の主張をしたものと見せかけ、2ちゃんねるが「共同体」であると当然視、
意味不明だよ。どの発言に対してどの部分を指してそういっているのかね。
>「それに引き換え」なんていっているのが正にそれだ。」
〜
>ところで、他人にも同じことを要求するなら、約束のほとんどはストーカーの心理なんですね。
どういう約束を言っているんだい?俺はあなたが、
「〜そうした責任を果たしてきています。それにひきかえ、カオルさんはその責任を果たしてません。」
と、あなたがそうしてきたということを根拠として、相手に同じ事を要求していることから、
上の発言をしたんだよ。
あなたがそうしてきたことは相手が「責任」であることを同意して行われてきたことなのかい?
あなたが自身の考えによって勝手にそうしてきたことなのかい?
「約束のほとんど」と言うものは当事者が果たすべき「責任」を了承して行われるもので、
一方的な思い込みでは約束とは言わないと思うのだが、俺の考え違いだろうか?
あなたのこれまでの主張では、あなたがそうしてきたからという説明は聞いたが、
それだけでは、相手が了承していることの証明にはならないよ。
つまり俺の理解では、相手に責任を問う理由として成立していないと言うことだ。
>断言してますね、根拠なく。「大勢でもない」「言っているんだよ。」
この場合の断言は、「理由にならないんだよ。」と言った場合だろう。
「大勢でもない」のは観測された事実に基づいたものだ。
>理由を示して、議論によって、議論において公正さを保つのに必要な条件を改善することと、
>強制力をもって無理やり自国の利益を押し通すことは、同じじゃないと「思いますが」?
米国が、自国の倫理や価値観で「正しい」とすることを、
他国のそれを無視してさまざまな場所で声高に主張しているさまを言ったのだよ。
例えなんだから、違いを探せばたくさん見つかるさ。
私は個人だが、国は個人の集合体だ、とかね。
それに、あなたが「議論において公正さを保つのに必要な条件を改善すること」を
考えているとはこれまでの発言からは考えにくいね。
公正さを保つのに、余計な形容詞や薄汚い皮肉は必要なのかい?
それとも、それなら俺が皮肉を言えば公正になるじゃないかと言いたいのかい?
見るものに余計な先入観を与えることになると思うのだが、
それともその可能性があることを超えて、公正さを保つ為に必要である理由があると言うのかい?
もう一度繰り返そう。
(もしあなたが、
>>68-72や俺へのレスのように以前の発言でも同様に
その余計な皮肉をちりばめていたとしたら、それだけで普通は議論をしたくなくなるよ。)
事実俺自身もかなりうんざりしている。
>>138 >私はそんなことを沢山言いましたよ。根拠をふんだんに示した上で。
>良識をもった人たちの代表として発言した、という風に、私の人格の話にそらそうと
>しているようですが、あなたが姑息な方法をとったことを、このスレの記録からなくすことはできません。
根拠が示されていれば、それが推測によって判断された結論(?)だとしても、
相手を罵倒したり、余計な皮肉を言うことに正当性が与えられるのかね?
>
>>124 >あなたが言う、事実関係に関して俺は、他のスレのことなどとは別問題だと主張している。
>それは、ここ(2ちゃんねる)が、そういうところだからだ。
>あなたが、2ちゃんねるがそういう場であることを理由に、実際に私が説明した
〜
>今この場で事実関係を無視しているのは、あなたであって、2ちゃんねらーではありません。
同様に、事実関係を無視できないと主張しているのは、あなたであって、2ちゃんねらーでなはいね。
現にあなたの、当事者ではなく第三者に向ける形で、議論をしない姿勢を前置きし意見を展開すると言うやり方が、
この場で例外の範疇を超えて観測できない事実があるし、そのような規定も存在しないのだからね。
(この場合の例外とは、もちろんあなたの事だが。)
どれだけ事実関係があったとその内容を説明しても、
この場でその事実関係が無視できないと主張出来る根拠にはならないよ。
>また、事実関係無視した議論がまかりとおることと、事実関係を無視した議論が正しいかどうかは別の話です。
あなたは、夏の海水浴場で水着でいてもおかしくないからと言って、
街中でも水着でいることがおかしくないと考えるのかい。
或いは、漫才師がふざけたことを言った場合に、いつもまじめな人が、
自分がいつでもどこでも誰に対してもふざけたことを言わないで生きてきたことを理由に、
それに文句をいってもおかしくないと感じるかい。
その場の持つ条件(状態)や、相手がどのようなつもりで発言しているかは無視できないだろう?
その事実関係を根拠として無視できないものか、無視できるものかは「そこがどういう場か」
と言うことも重要ではないのかい?
俺も事実関係を無視した議論がまかり通ることに賛同している訳ではない。
しかしこの場で、そう思い自分がそうしてきたことを根拠に、そうする必要を感じていない相手に、
同様のことを要求し、それに応えないことを理由として相手を責めることは出来ないと思っているよ。
160 :
考える名無しさん :02/05/29 20:59
>>155 >当人にとってなんら合理的必然性の無い事に、労力と時間を浪費することは、
当人にとって悪いことではないのかね?
合理的な必然性が無い行為って例えばどんなこと?
どんなことにしても無駄かどうかなんてわからないと思うんだけど。
>>160 >合理的な必然性が無い行為って例えばどんなこと?
それこそ、
>無駄かどうかってそれぞれ考え方によってかわってくるんじゃないかな。
と思うけど。
「それぞれの考え方」において
「合理的必然性の無い行為」ということを言っているんだよ。
>どんなことにしても無駄かどうかなんてわからないと思うんだけど。
無駄かどうかわからないのなら、
殺す必要があるのかどうかわからないってことじゃないの?
>>162 >ろくに質問に答えないで去りましたが、
それは不正確だね。
私は質問に答えてたし、質問に答えたにもかかわらず、
まともなレスを返さなかったのはあなたのほうだ。
はあ、そう書きたかったわけですか、100さん。
405 :473 :02/05/15 21:51
>>404 @
>>358の1段目「じゃあ〜フォローしておこう」は不遜だろうという点
A>ある前提を観察して、それに従って好ましいかどうかを述べることは、論理的妥当性と無関係な問題ではありません。
>観測事実から一定の結論を出すことは、科学における基本的な枠組みです。観測事実に基づいた推論が正しい場合、
>それを「論理的妥当性」とは無関係、などとは言えません。
という反論
B>目的との整合性があることは、目的が達成されることに正当性が付与されるのであって、
>手段に正当性を付与するのではないと思います。先に私があげた例でいけば、過失殺の場合には
>上の議論は当てはまらず、金の場合は金が得られることが「正当」とみなす対象になり、私怨の場合であれば、
>
>>77が正当とみなす対象になります。手段については、「判断されてない」とみるのが妥当です。
目的との整合性があることは、目的が達成される点に正当性を付与しているだけ、
という点 これに対して、あなたは定義が違う、としか答えていない
C>〜「殺人者の認識」ではなく、「メリットを期待することの妥当性が存在するか」という事を
>問題にしているということがいいたかったのだが。行為者の認識とは関係なく、ある行為がある目的に
>沿うものであるのならば、その目的について「妥当である」ということは、行為者の認識とは無関係にいえることだろう。
もちろんその通りです。ただ、その目的について考えることは、殺人によって引き起こされるデメリットに対する
正当化にはなりえないので、今回の話には関係がありません。
という問い
406 :589(最初のスレ) :02/05/15 22:04
>>405 >@
>>358の1段目「じゃあ〜フォローしておこう」は不遜だろうという点
そのとおりだね。
407 :473 :02/05/15 22:10
>>406 >そのとおりだね。
( ゚Д゚)ポカーン
スレ展開乱してすみません、これのどこが質問への回答なんですか?
>>589
>>165 >>@
>>358の1段目「じゃあ〜フォローしておこう」は不遜だろうという点
が質問なら、
>そのとおりだね。
のどこが答えじゃないんだね?
>>166 それ以外の点について、答えてないということですよ、
それに、そのとおりだね、と認めて去ることって、まともな態度なんですか?
>>165 というか、そもそも、別のスレの話をなんでこのスレでやろうとするのかね?
まだ倉庫落ちしてないだろう?
>>167 >それに、そのとおりだね、と認めて去ることって、まともな態度なんですか?
去ってなんていないよ。
>407 :473 :02/05/15 22:10
>
>>406 >>そのとおりだね。
>
>( ゚Д゚)ポカーン
なんてレスに、どういうリアクションをしろというんだね。
>>169 その前の質問にあなたが答えていないから、そういうリアクションになったんですけど。
去ってなんかいないというのは、そのとおりですね。通例に従って
適切な時期に書き込みしないことをさしたつもりだったんですけど。
>>151 >アガペーや慈悲の愛が真実の愛なのだとしても、それを実践するためには、
>そこに至る過程が不可欠なんだと思います。過程を否定したら先に進めません。
>愛する人を守ろうともしない人に究極の愛を期待しても無理だと思うからです。
>一人を愛せる--->二人を愛せる・・・究極の愛・・・なんだと思います。
恋愛を否定するわけではないが、恋愛のような愛と、慈愛のような究極の愛との
間には、質的な断絶がある。
エゴイズムと結びついた愛が行き着くところはせいぜい、今のパレスチナと
イスラエルのような民族的(宗教的)利己主義でしょう。慈愛には結びつきません。
>>152 >わたしは、自我の認識(世界)は、無の相補性によって存在していると思います。
>ですから(前提を置かない限りは)どのような価値にも絶対はないし、どのような
>仮説にも根拠はないと思いますが、そのような意味で精神に優劣は無いと言ってる
>のでしょうか? もしそうなら、それはその通りだと思います。
あなたの「精神の優劣」説に俺が反対するのは、それが差別を正当化する考え方だから。
根本的なことを言えば、「精神」なるものが在ると考えること自体が誤りのもとでは
ないかと思う。
心身問題は哲学史上の難問の一つだが、もともと分かちがたく結びついている心と
身体を分けて考えることに根本的な誤りがあるように思う。
「身体ぐるみの心」と考えれば、優劣ということも考え難くなるのではないか?
>>153 >『命に絶対の価値があり、すべての命は等価である』としたなら、
>わたしは、日々無数の人を殺して生きているのと同じことになります。
>わたしは、日々大量無差別殺人を行っても許されるんですか?
>わたしは、それでも人間ですか?
>わたしは、それでも生きる資格があるんですか?
あなたがむやみに命を傷つけているのではなく、また、仕方なく殺す時でも
わびる気持ちを持っていれば、そのようには感じないのではないですか?
あなたは人間を特別なものと考えすぎている気がします。
「生命は等価」と俺が言ったのは、ゴキブリ一匹の命と人間一人の命が等価だと
いう意味ではない。
生命は本来「個体」を超えたものであり、深いところで全てつながっている
という意味を込めて言ったつもりです。
例えば俺の心臓を動かしている力は、俺の力であって俺の力ではないような力だ。
その力は俺の意図とはほとんど無関係に動き続けている。
その力を考えてみるだけでも、「個体」を超えた生命全体とのつながりを俺は感じ
るし、人間が他の生物より優れているとする考え方が不遜であると感じる。
>『人が人であり得るのは精神の有無による』
>『命には精神の有無によって価値的差異がある』
>『価値的差異の優劣は精神の優劣によって決まる』
たぶん他の人にも指摘されたのではないかと思うが、精神障害者については
どう考えるのだろうか?
結果的にであるにせよ、そのような考え方は差別を正当化してしまう。
あなたの「精神の優劣」説は、比較を前提としているが、生命の尊さ、人間の尊さ
というものは、比較を絶したものであると俺は思っている。
人間の尊さは、その人が何を思い、何をしたから高まるというものではなく、
基本的には、ただ生きているだけで尊いのです。
そこになぜ優劣を設定しなければならないのか、あなたの意図が
俺にはまだ理解できないのだが・・・。
>>170 でもとりあえず一つは答えたわけだ。
つまり、「ろくに質問に答えなかった」わけでも「去った」わけでもないということ。
とりあえず、スレが書き込めなくなったわけでもないのに、
他のスレの話題をここでしなきゃならない必然性が私には理解できんが。
>>172 ひとつ答えた答えが「そのとおりだね」で、「ろくに答えた」ことになるんですか?
また、普通一つだけ答えて、ほかの重要な点に答えないで期間をあければ、
「去った」と言われると思いますよ。あと、589さんは、100さんではないですか?
引用の仕方>と>の間に〜をはさむ用法や、文体「〜かね?」などが、
似ている、引用の仕方が汚い点など、そっくりなんですけど。
そういう含みもあって、このスレッドで聞いてるんですが。
>>161 うわぁ、言葉遊びになってる。
他スレ読んでないんですけど、あなたが人を殺してはいけない理由は
何ですか?今の時点で。
質問に答えたとか、答えないとか、そんな話題は当人以外には何の意味もなし。
他人のことよりも、自分の考えを述べてもらいたい。
177 :
考える名無しさん:02/05/29 22:54
ほとんどの人へ
もっと簡潔に述べてくれよ。
結局何故人を殺してはいけないか?
589さん、どうされましたか?
>>173 なんで、まだ書き込める別のスレの話題を、このスレで続けるのかね?
>ひとつ答えた答えが「そのとおりだね」で、「ろくに答えた」ことになるんですか?
ならないのかね?
>また、普通一つだけ答えて、ほかの重要な点に答えないで期間をあければ、
>「去った」と言われると思いますよ。
私が答えた質問は重要ではなかったのかね?
>あと、589さんは、100さんではないですか?
違うよ。
>>175 >他スレ読んでないんですけど、あなたが人を殺してはいけない理由は
>何ですか?今の時点で。
私個人が人を殺さない理由ということなら、殺してもなんの得にもならないからだよ。
「得になるのなら殺すのか?」と聞かれそうだからその点についていっておくと、
本当に「得になる」のなら殺すかもしれないが、
殺すことで私にとって得になる状況があるとは私には思えないね。
殺さざるを得ない(戦争とか安楽死とかカルネアデスの板とか)状況は想像できるが、
その場合は悩むだろうね。
>>180 ちょっと席はずしてました、すみません。
書き込めるなら、なぜ書き込まなかったか聞いてるのに、それについて
答えないで、ひとつの質問に答えたから答えただのといってるから、
続いているだけです。向こうのスレッドに質問の答え、時間のあるときに
書いておいてください、答えるつもりがないなら、そのように書いて
くださいね。
>>181 なるほど、殺すことについては別に悪くはないという考えですか?
>>182 >書き込めるなら、なぜ書き込まなかったか聞いてるのに、それについて
>答えないで、
それは不正確だね。
その点については
>>169 で答えているよ。
>>183 私にとっては、無駄、無益という点だけを見ても充分「悪いこと」だよ。
186 :
考える名無しさん:02/05/29 23:24
人を殺すことは必ずしも間違いではないが、集団の中で意味もなく殺すのはまずい。
>>187 > ・・・。
>>170、
>>173で
>>169に答えているんですが。
あなたが私の回答にレスしたことが何か関係あるのかね?
私が答えているという事実にはなんら変わりはないだろう。
> 続きは向こうのスレッドでお願いします。
このスレのレスにはこのスレで答えるよ。レス先がわけわからなくなるからね。
>>188 >このスレのレスにはこのスレで答えるよ。レス先がわけわからなくなるからね。
このスレにリンクをはって、向こうでレス番を指示すれば足りますよ。
べつにどちらでも構いませんけど。
>あなたが私の回答にレスしたことが何か関係あるのかね?
>私が答えているという事実にはなんら変わりはないだろう。
その前の質問にあなたが答えていないから、そういうリアクションになったんですけど。
「その前の質問」に答えていないのは、なぜですか? と聞いてるんですが。
リアクションがあったのは、「その前の質問」が、なされ、
「リアクションするもとになった589の回答」の後、です。
>>189 >このスレにリンクをはって、向こうでレス番を指示すれば足りますよ。
>べつにどちらでも構いませんけど。
なぜ、別のスレの話題を持ち込むというあなたの行為の尻拭いを、
私がしなければならんのだね?
> その前の質問にあなたが答えていないから、そういうリアクションになったんですけど。
> 「その前の質問」に答えていないのは、なぜですか? と聞いてるんですが。
答えているじゃないか。
> リアクションがあったのは、「その前の質問」が、なされ、
> 「リアクションするもとになった589の回答」の後、です。
だって、あなたは、「なぜ質問に答えないのか」ではなく、
>書き込めるなら、なぜ書き込まなかったか聞いてるのに、それについて
>答えないで、
といっているだろう。
だから、「不正確だ」といっているだけだよ。
元々リアクションの前に質問が書かれてあり、それについて答えてない点を
問題にしてるんですけど。
不正確なんじゃなくて、リアクションの話にあなたがずらしたから、
私の話が「不正確」にされたんですよ。あなたが、時系列的にあとの話に
そらしてるだけです。
うーん・・・
>>191 >元々リアクションの前に質問が書かれてあり、それについて答えてない点を
そもそも、それは別のスレの話だろう?
唐突にこのスレでその話題を持ち出すことがまずおかしいんじゃないかね?
では、少なくともその点についてだけは、向こうのスレッドで答えてくださるよう
お願いします。
>>193 だから、どの点についてだね?
聞きたいことがあるなら、最初から、あなたが、向こうのスレで質問すればいいいだろう。
あなたは、なぜ、自分のスレ違い行為の尻拭いを人に押し付けようとするのかね?
>>元々リアクションの前に質問が書かれてあり、それについて答えてない点を
>そもそも、それは別のスレの話
その点でこの点を指してるのは明らかなのに、なぜ「どの点についてだね?」
などと聞くんでしょうか。バカバカしいので、もう答えなくてもよいです。
>>195 だから、「質問には答えている」といっているだろう。
「答えなくてよい」も何も、もともとスレ違いの質問なんだから、
このスレで私が答える必要は、あなたに言われるまでもなく、無いと思うがね。
それとも、あなたには、スレ違いの発言を強要したり免じるたりする権限が
あるとでもあるというのかね?
何度も言っているが、いい加減、言いたいことがあるなら、向こうのスレで言ったらどうだね?
>だから、「質問には答えている」といっているだろう。
その点については、
>>191で触れました、で、
>>192で話をそらしてますよ。
それと、別にもう私のレスには、答えなくてもよいです。
あなたがどういう議論をしてきたかが示されれば、それで十分ですから。
私がスレ違いを誘発したことについては、お詫びします。
>>197 >それと、別にもう私のレスには、答えなくてもよいです。
ほう、あなたには、私のレスを禁じる権利があるのかね?
>その点については、
>>191で触れました、で、
>>192で話をそらしてますよ。
逸らしてる?スレ違いを指摘することがなぜ、議論をそらすことになるんだね?
もともと、あなたの、発言自体がスレから、逸れていて、
私は、それを、逸れていると指摘しただけだ。
再三スレ違いであることを指摘されながら、それを無視してスレ違いの議論を
続けたあげく、スレ違いの指摘をしたことをもって「逸らしている」というのはどういうことだね?
まるで、自分のスレ違い行為は間違っていなくて、
スレ違いを指摘することが不当であるかのような主張じゃないかね?
あなたの発言は、どの別スレの議論についてのものであっても、
聞かれたスレで直接答えなければならず、それをスレ違いだと指摘することは、
「議論を逸らしている」ことになるのかね?
私は 2ch のマナーに沿って発言しただけだ。
それを「議論を逸らしている」というなら、あなたが2chから出て行くべきだ。
答えなくてもよい=答えてはいけない、ではないですよ >禁止
あと、スレ違い云々についてですが、
>>187-189にリンク貼っておきます。
>>199 >あと、スレ違い云々についてですが、
>>187-189にリンク貼っておきます。
その部分が、スレ違いについてのあなたの意見だというのだね?
つまり、あなたは、自分でスレ違いの議論を始めておきながら、
>このスレにリンクをはって、向こうでレス番を指示すれば足りますよ。
という手間を、私に、強要している。
(その点の不当性については、私は
>>190 で指摘しているんだが、
あなたの示したリンクからははずれているね。)
つまり、自分はスレ違いの発言をしてもよいが、
その後始末は自分でやらずに人にやらせるのが当然だと考えているわけだ。
また、
>べつにどちらでも構いませんけど。
といっている。
つまり、スレ違いの行為を行うことについて、まったく悪いと思っていないわけだ。
>>171(57さん)(1)
>恋愛を否定するわけではないが、恋愛のような愛と、慈愛のような究極の愛との
>間には、質的な断絶がある。
>エゴイズムと結びついた愛が行き着くところはせいぜい、今のパレスチナと
>イスラエルのような民族的(宗教的)利己主義でしょう。慈愛には結びつきません。
じあい【慈愛】我が子を愛するようないつくしみの気持ち。[goo国語辞典]
あなたの【慈愛】の解釈が分かりません。慈愛が究極の愛なんですか?
我が子を愛するいつくしみの気持ちはあっても、我が子だけの人もいるし・・・
そういう人の慈愛は、エゴイズムなんだから慈愛じゃないんですよね?
とすると、そこには「質的な断絶」があって超えられない壁があるんでしょ?
わたしは、観念(物事のとらえ方)の操作なんかしても、それが実践されないなら
机上の空論なのではと・・真に実践するためには経験という過程が必要だと思います。
>あなたの「精神の優劣」説に俺が反対するのは、
>それが差別を正当化する考え方だから。
わたしは、社会の成立および維持に必要不可欠な要素の一つである人の自尊心の
充足行為によって区別や差別は今後も“ある”と思いますが、(
>>128の説明参照)
わたしの論は、一人ひとりが精神の優劣を自らに問い続けることの重要性を
言っているのであって、それは取りも直さず悪しき差別を無くして行こうとする
精神の心構えや方向性が大切なのでは、ということです。
>根本的なことを言えば、「精神」なるものが在ると考えること自体が誤りのもとでは
>ないかと思う。
えっ、うーん、そんなー・・・
だからわたしは、
>>152で「自我の認識(世界)は、無の相補性によって存在している」
と言ったのですが・・・自我(精神)が、無の相補性によって成り立っているのなら、
自我(精神)の存在は仮説の域を出ないのだから実体は確かめられないということです。
それはそう思いますが・・・結論でしょうか?
>>171(57さん)(2)
>心身問題は哲学史上の難問の一つだが、もともと分かちがたく結びついている心と
>身体を分けて考えることに根本的な誤りがあるように思う。
>「身体ぐるみの心」と考えれば、優劣ということも考え難くなるのではないか?
分けていません。(
>>58参照)
>あなたがむやみに命を傷つけているのではなく、また、仕方なく殺す時でも
>わびる気持ちを持っていれば、そのようには感じないのではないですか?
わたしの論は、
>>129や
>>150のような(感情的)体験を潜在的根拠にしています。
(ですから「矛盾を内包する形を取りながら」と論の弱点も説明しました)
>あなたは人間を特別なものと考えすぎている気がします。
わたしは、人は精神を有する者として自然や他生物からは区別されると考えます。
>「生命は等価」と俺が言ったのは、ゴキブリ一匹の命と人間一人の命が等価だと
>いう意味ではない。
>生命は本来「個体」を超えたものであり、深いところで全てつながっている
>という意味を込めて言ったつもりです。
あなたが「ゴキブリの命≠人の命」とするなら、どのような理由を前提しても、
(集合無意識(C.G.ユング)、ホログラフィー宇宙モデル(D.ボーム)、東洋哲学・・・)
現実に生物の種類によって価値的差異を判断していることに変わりありませんし、
日々、無数の生物の命を奪っておいて「仕方ない」とすることもできない筈です。
わたしは、
>>58でも答えましたが、
精神の介在を考慮しないのなら『命そのものに差異はない』と言っています。
>>171(57さん)(3)
>人間が他の生物より優れているとする考え方が不遜であると感じる。
わたしは、ペットを人以上に扱ったり、人をゴキブリと同価値と見なす方が、
思いあがった平等主義だと思います。
>たぶん他の人にも指摘されたのではないかと思うが、精神障害者については
>どう考えるのだろうか?
>結果的にであるにせよ、そのような考え方は差別を正当化してしまう。
わたしの身内にいますし、友人にもいますが、
差別はないかと問われるなら“はい”とは答えられません。
でも、大切なのは差別心を無くして行こうとする精神の品性を身に付けること
だと思いますし、そのような精神の方向性を持つことが必要なんだと思います。
>人間の尊さは、その人が何を思い、何をしたから高まるというものではなく、
>基本的には、ただ生きているだけで尊いのです。
いつも悪いことを想念し、悪いことをしているような人間が、只生きているだけで
尊いとは思えません。(設定が単純すぎると言われそうですが・・・)
>そこになぜ優劣を設定しなければならないのか、あなたの意図が
>俺にはまだ理解できないのだが・・・。
わたしが、ちょっと時間が無くて・・・真摯に対応して下さるのに説明不足ですね。
レスが遅れることがあるかもしれません。できるだけ努力しますので・・・m(__)m
遅刻だー!
上の>只生きているだけで
削除です。(意味不明) ホントに遅刻だー!!!
>>173 >あと、589さんは、100さんではないですか?
聞かれたご本人が既に答えておられるが、一応念のため。別人だ。
>>156-159、このスレを見ている人
答えても答えても、論点をそらされたり、言葉の意味を途中ですりかえられたり、
断片的な引用をされ、意味がすり替わったりで、キリがなく、
第三者からつっこみがあれば、即終わる話でありながら、第三者からの発言も
期待できない状況なので、これ以上続けるのは、やめます。
いくつか最後に触れておきます。
@私は、そもそもカオルさんに求められて答えたレスに、反論してもらえなかったこと
(さようなら とだけ言われたこと)については、とやかく言っていませんでした。
カオルさんが、反論をしなかっただけでなく、反論されつくした有害な議論を、
そのまま別のスレッドで展開したため、私は、
>>68-72で、読み手の参考という目的を
示して、書き込んだのです。
A100氏は、自身を100と名乗っていますが、74から書き込んでいます。
>>74 >>75-76/
>>77 >>80/
>>86 >>87/
>>88 >>89-91/
>>100 >>101-106 です。
さらに、リンクを貼っておきます。
>>111 >>124 せめて、
>>101-102、
>>111だけでも、判断材料に入れて頂きたいです。
上のリンクを最初にはったのは、
>>111である点を、くりかえしておきます。
B
>>158途中で、相手が責任を負う条件としての、相手の了承=約束の話をされており、
その説明が今回の事例にちょうどあっている話なので答えておきます。
普通、誰か(カオルさん)が、意見を相手(473)に求めた場合、相手の意見にレスを返すのは、
約束 or 責任があるとみなされてよい事柄です。
このスレの、
>>47に示したリンク先、
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1018893609/ ※の、
>>85 >>221-223、
>>227、
>>282-283を、ご覧ください。
C余計な皮肉を私が言った、という点について、再三繰り返されていますが、
皮肉を言われるような議論を、カオルさんも、100氏も、589氏も、行っていた点を
指摘しておきます。
カオルさんについては、Bのリンクとレス番、100氏については、Aの
>>74-106の経過、
589氏については、Bのリンクの
>>405-407、また、よろしければ、そこに至る
>>343- の経過を見ていただければ、はっきりします。
D100=589でない、とのことですが、私はそうは考えておりません。
>>173-174で書きました。
二人の論じ方の汚さ(論点そらし・言い換え・断片的で、議論の経緯が狂う引用・
問われている時系列をずらして質問に答える・その文章だけ読めばまともそうに見えるが、
実際には、全然相手の質問の答えになっていない文章を書く)や、
引用の際使う記号の置き方が独特である点、文体「〜かね?」などが、相当に似ているのは、
確かです。
E私の考えについては、
>>96と、
>>107-108に対して答えたレス
>>113-114、に示されています。
以上です。
>>202 >じあい【慈愛】我が子を愛するようないつくしみの気持ち。[goo国語辞典]
>あなたの【慈愛】の解釈が分かりません。慈愛が究極の愛なんですか?
仏教的慈愛は「無我愛」であって、利己的な愛の対極にある。
利己的な自己愛を、恋愛、家族愛、愛国心・・・と「カコイ」を広げていっても、
エゴイズムの「カコイ」をはずさない限りは慈愛には行き着かない、ということです。
>>203 >>「身体ぐるみの心」と考えれば、優劣ということも考え難くなるのではないか?
>分けていません。(
>>58参照)
「精神の優劣」とあなたが言う場合の「精神」というのは、人間の表層の意識的部分を
指しているのですか? それとも無意識の領域も含むのですか?
意識的なものを指しているなら、それを無意識的なものよりも優れているとあなたが
考える理由は何ですか?
例えば最近特に注目されてきた唯識思想によると、表層意識の奥には「末那識」
があり、さらにその奥に「阿頼耶識」がある。この「阿頼耶識」が最も根源的なものであり、
それを変革することによってのみ、迷いから悟りに至ることができるそうだ。
西洋思想でもニーチェなどは、意識よりも本能の方が根源的で価値あるものと
考えていると思うが、そのような考え方は間違っていると思いますか?
>日々、無数の生物の命を奪っておいて「仕方ない」とすることもできない筈です。
「仕方ない」と考えるよりも、「ゴキブリは精神を持たない下等動物で害虫だから
殺してもよいのだ」と考えるべきだとあなたは思うのですか?
>>204 >>人間が他の生物より優れているとする考え方が不遜であると感じる。
>わたしは、ペットを人以上に扱ったり、人をゴキブリと同価値と見なす方が、
>思いあがった平等主義だと思います。
「等価」という言い方が不適切だったのかも知れないが、
前レスにも書いたように、命の価値は比較すべきものではないということです。
>>基本的には、ただ生きているだけで尊いのです。
>いつも悪いことを想念し、悪いことをしているような人間が、・・・
>尊いとは思えません。
設定が単純すぎて・・・。
あなたは
>>152 で、「精神の優劣を軽率に判断してはならないと思いますが、現実に
日々判断しています。」と書いているが、日々判断している自分に疑問を
感じないのだろうか?
人間は多面的であり、偽善的側面、偽悪的側面、その他様々な側面をみんなが
持ってるわけで、或る人に接した時に現れるのはその中のほんの一部にすぎない。
家族に対する時の自分、友達に見せる自分、恋人に見せる自分、仕事中の自分、
一人でいるときの自分・・・どれが本当の自分なのか分からないようなものが人間だ。
アメリカの裁判では、検察側と被告側が平気で取引きをするが、その背景には、
『人間を裁くことができるのは神だけであり、人が人を裁くことはできない』という思想が
あるそうだ。
百歩譲って精神に優劣があることを認めるとしても、それを判断できるのは
神のような存在だけなのではないか?
>>207 >答えても答えても、論点をそらされたり、言葉の意味を途中ですりかえられたり、
>断片的な引用をされ、意味がすり替わったりで、キリがなく、
>第三者からつっこみがあれば、即終わる話でありながら、第三者からの発言も
>期待できない状況なので、これ以上続けるのは、やめます。
俺の方から見れば、あなたの方が論点をそらし又、拡げて肝心なことに答えていないよ。
既に
>>77で俺の、あなたの発言への反論の目的を示しているんだよ。
そして
>>122 で改めて質問し、もう一度
>>156 で行った質問だ。
あなたがそれに答えず、他のスレの事という理由にならない「事実関係」を持ち出し、
別の部分への質問を出してくるから、無駄に長引いたんだ。
>いくつか最後に触れておきます。
最後と言うなら、肝心なことにも触れて欲しかったね。
>@私は、そもそもカオルさんに求められて答えたレスに、反論してもらえなかったこと〜
何の回答にもなっていないし、他のスレのことは関係ないと言ってるだろ。その根拠も示している。
>A100氏は、自身を100と名乗っていますが、74から書き込んでいます。〜
最初のレス番をスレハンにする決まりなんてないんだよ。
俺はあなたが、スレハンを示さないことをどうこう言い出す前に、自らスレハンを示している。
それはあなたが、論点をそらして議論が長引く可能性があることを感じたからだ。
その時点でのレス番をスレハンにしたんだよ。だいたい、こんなことをわざわざ言う意味が解らん。
>B
>>158途中で、相手が責任を負う条件としての、相手の了承=約束の話をされており、〜
あなたが事例にあまりにも拘るんで、あなたの示すスレを少し眺めてみたが、
カオル氏は、そのスレの
>>277で自分が議論を続けるための条件を示しているじゃないか。
そしてその条件が叶わなければ消えるとあらかじめ言っている。
そして、ご丁寧に
>>298で消えることを宣言して消えている。
少なくともそのスレでの責任は、充分果たされていると俺は見たよ。
まったく無駄な手間をかけてしてしまったよ。
>C余計な皮肉を私が言った、という点について、再三繰り返されていますが、〜
議論の公正さを保つ上でのデメリット(余計な先入観)を超えるメリットはなんだい?
先ずはそれが示されなければ、議論の中で余計な皮肉を言う理由にはならないだろう。
もっと重要な「再三繰り返」している最初からの質問に答えてもらいたいものだ。
>D100=589でない、とのことですが、私はそうは考えておりません。
>>173-174で書きました。〜
またしてもあなたの推理から出た結論(?)が、事実と相違しているね。
別人なのが現実なんだよ。それとも、
「私が同一人物だと―考えた―ことに対して、明らかな根拠をもって反論しろ」
「そうでなければ、事実であろうがなかろうが私は別人だと認めない」とでも言うのかい。
あなたは、推理の根拠を示しさえすれば、結論を裏付けることができると本気で思っているのかい?
あなたの論法は、「そう考えることも出来る」ことをもって「そうである」と言うことが多いようだ。
それは、可能性の提示ではあっても、結論と呼べるものではない。
あなたは、そういう勘違いを繰り返していて、自分で気がついていないんだろうよ。
ここであなたがこのスレから去っても、俺は他のスレであなたの発言を見かけた時、
もしかしたら、あなたに向けて反論することはあっても、
あなたと同様の前置きをして、第三者に向けて反論(?)はしないよ。
>>209(57さん) レスできなくてごめんなさい。
>仏教的慈愛は「無我愛」であって、利己的な愛の対極にある。
>利己的な自己愛を、恋愛、家族愛、愛国心・・・と「カコイ」を広げていっても、
>エゴイズムの「カコイ」をはずさない限りは慈愛には行き着かない、ということです。
無我愛がエゴイズムの対極にあるというなら、無我愛もエゴイズムに対して相対的な
観念にすぎないことになりますが・・・(二極対立しているわけですから)
>「精神の優劣」とあなたが言う場合の「精神」というのは、人間の表層の意識的部分を
>指しているのですか? それとも無意識の領域も含むのですか?
>意識的なものを指しているなら、それを無意識的なものよりも優れているとあなたが
>考える理由は何ですか?
意識的と無意識的とを比べて優劣を言った覚えはありません。
わたしが、
>>203でユングの集合的無意識などを挙げたのは、
>>202の最後でも
触れましたが、あなた意見が、超越的な次元に向かっているためです。
わたしの論は、世俗的に定着している『生命それ自体に絶対の価値がある』という
考え方に対して『生命それ自体に絶対の価値は無い』という世俗的次元の意見です。
超越的次元の観念論を、現実遊離の観念論として否定するつもりはありませんが、
やはり、立場の違いは埋めようがないかもしれません。
>例えば最近特に注目されてきた唯識思想によると、表層意識の奥には「末那識」
>があり、さらにその奥に「阿頼耶識」がある。この「阿頼耶識」が最も根源的なものであり、
>それを変革することによってのみ、迷いから悟りに至ることができるそうだ。
上記に同じです。悟りスレなら話せるんですが・・・
>「仕方ない」と考えるよりも、「ゴキブリは精神を持たない下等動物で害虫だから
>殺してもよいのだ」と考えるべきだとあなたは思うのですか?
もう何度も説明したつもりです。
>>209(57さん)
>「等価」という言い方が不適切だったのかも知れないが、
>前レスにも書いたように、命の価値は比較すべきものではないということです。
わたし達は、(他生物に対して)既にそれ(価値の比較及び判断)を行っています。
その現実に対してどう答えるのか、ということです。
>設定が単純すぎて・・・。
童話や絵本で描かれているところのそれ(人間と道徳的価値)だと思って下さい。
具体的状況は、現実に溢れるほどあるのですから・・・作文は苦手なので省略です。
>あなたは
>>152 で、「精神の優劣を軽率に判断してはならないと思いますが、現実に
>日々判断しています。」と書いているが、日々判断している自分に疑問を
>感じないのだろうか?
価値の判断と決断無しにどうやって具体的状況に対応するのでしょうか?
もちろん、懐疑することは大切ですが、わたしは現実に生きていますから。
>人間は多面的であり、偽善的側面、偽悪的側面、その他様々な側面をみんなが
>持ってるわけで、或る人に接した時に現れるのはその中のほんの一部にすぎない。
それでも判断しているでしょ。自分の偏見や先入観や好き嫌いで間違えることもある
でしょうけど、気付いたら直していけばいいし、みんなそうしてるんじゃないですか。
完全じゃない=間違っている、とは思いませんけど・・・
>アメリカの裁判では、検察側と被告側が平気で取引きをするが、その背景には、
>『人間を裁くことができるのは神だけであり、人が人を裁くことはできない』という思想が
>あるそうだ。
>百歩譲って精神に優劣があることを認めるとしても、それを判断できるのは
>神のような存在だけなのではないか?
それは、それで否定するつもりはありません。
>211の真ん中
>あなた意見が、超越的な〜 ---> あなたの意見が
>>211 そのような対応をされては、こちらも内容のあるレスは書きにくい・・・。
>無我愛がエゴイズムの対極にあるというなら、無我愛もエゴイズムに対して相対的な
>観念にすぎないことになりますが・・・(二極対立しているわけですから)
だからどうだと言いたいのだろう?
神が悪魔に対立するから相対的だ、と言ってるようなものじゃないですか?
それに文脈からもズレてるし。
俺が>171で、利己的愛と慈愛との間には質的な断絶があると書いたのを理解して
もらえなかったから説明し直しただけだよ。
>わたしの論は、世俗的に定着している『生命それ自体に絶対の価値がある』という
>考え方に対して『生命それ自体に絶対の価値は無い』という世俗的次元の意見です。
>超越的次元の観念論を、現実遊離の観念論として否定するつもりはありませんが・・・
「世俗的」と「超越的」というのは・・・・??つまり、ここは哲学的議論の場ではないということ?
確かにここは「哲学版」とは名ばかりのようだけど・・・。(ところで、『観念論』の使い方がおかしくない?)
>>212 >わたし達は、(他生物に対して)既にそれ(価値の比較及び判断)を行っています。
>その現実に対してどう答えるのか、ということです。
「わたし達」とは誰のことですか、具体的に書いてください。少なくとも俺は命の価値を比較してるつも
りはないよ。あなたが言ってることは、「精神の優劣」にしても、その根拠となる「道徳」にしても全てが
曖昧なように思われるよ。『観念論』がダメだと言うのなら、もっと具体的事例を挙げて説明してくれ。
>童話や絵本で描かれているところのそれ(人間と道徳的価値)だと思って下さい。
>具体的状況は、現実に溢れるほどあるのですから・・・作文は苦手なので省略です。
『蜘蛛の糸』の極悪人の?陀多でさえ蜘蛛を助けたことがあるんだよ。
(慈悲とエゴイズムがこの民話のテーマだ。)
「いつも悪いことを想念し、悪いことをしているような人間」と、あなたには見えたとしても、
他の人が他の場面で見ればまた違うのです。
或る人に対しては自分の悪い面ばかりが出てしまう、ということはよくあることですよ。
あなたが或る人を「悪人」だと思うのは、あなたがその人の「悪」を引き出しているのかも知れない。
離婚訴訟中の夫婦なんかは、お互いが悪魔に見えるそうだよ。
>価値の判断と決断無しにどうやって具体的状況に対応するのでしょうか?
>もちろん、懐疑することは大切ですが、わたしは現実に生きていますから。
人の「精神の優劣」、「命の価値」を判断しないと困る場面というのは、どんな状況ですか?
>それでも判断しているでしょ。自分の偏見や先入観や好き嫌いで間違えることもある
>でしょうけど、気付いたら直していけばいいし、みんなそうしてるんじゃないですか。
「みんな」と言うが、人の「精神の優劣」と「命の価値」を測っている人はあまりいないと俺は思うが・・。
命の価値は、間違いに「気付いたら直していけばいい」というようなものなのか?
もしあなたが教師だとしたら、と想像すると恐しい。
生徒の「命の価値」を「精神の優劣」によって測っている教師・・・・考えるだけでゾッとするが・・・・。
>>精神に優劣があることを認めるとしても、それを判断できるのは
>>神のような存在だけなのではないか?
>それは、それで否定するつもりはありません。
とすると・・・あなたは神のような存在なのか?
それとも、判断できないことは分かっていてもどうしても判断してしまう、ということなのか?
>>214(57さん)(1)
>そのような対応をされては、こちらも内容のあるレスは書きにくい・・・。
わたしの論は、社会という生き物(有機体)を前提としています。世俗的というのは、
多くの人が先入的に理解しているという意味の、あるいは共有可能な世界観のひとつ
としての現実(認識)を対象にしているという意味です。
わたしのいう自分とは、他者との相互依存関係によって成り立っている自分です。
わたしが、社会性を持つということは、わたしが他者を理解するということです。
当然、そこには他者と他者、あるいは他者と自分の意見を比べたりする価値判断が、
伴ないます。わたしは、自分の生活上の価値(判断の知恵)を道徳だと思っています。
ですから、それら(生活上)の判断を道徳を基準に行っています。
もちろん、人の価値への関心が超越的な次元(神、仏、悟り)に向かうのは、理解でき
ますし、必然だとも思います。また、世俗的な観念、たとえば道徳が超越的な観念の
世俗的な現われである可能性も充分にあると考えています。それでも、やはり分けて
考えてしまうのは、わたしが『現実の社会を受け入れている』からです。
現実の社会は、エゴとエゴイズムによって成り立っているのは事実だと思いますし、
競争や対立が、社会を牽引する原動力(活力の元)になっているのも否定できません。
ですから、世俗的な次元の価値観念と超越的な次元の価値観念とは断絶があるように
見えるし、相容れないものにも思えます。それでも、わたしは悪を知ることによって、
善を目指せるというような意味での人の可能性に希望を持ちたいと思っているのです。
わたしは、現実の社会とそこに生きる人間が、精神の志向性「より良き、より高き」を
自覚するということが大切だと思いますし、それを実践して行く経験という過程の中
に[こそ]生きる意味があるのではないか、また現実の社会をあるがままに引き受ける
という覚悟と心構えがなければ、エゴイズムの克服も脆弱なレベルに留まってしまう
のではないか、と考えています。
>>214(57さん)(2)
>>無我愛がエゴイズムの対極にあるというなら、無我愛もエゴイズムに対して相対的な
>>観念にすぎないことになりますが・・・(二極対立しているわけですから)
>だからどうだと言いたいのだろう?
>神が悪魔に対立するから相対的だ、と言ってるようなものじゃないですか?
>それに文脈からもズレてるし。
>俺が>171で、利己的愛と慈愛との間には質的な断絶があると書いたのを理解して
>もらえなかったから説明し直しただけだよ。
わたしは、あなたの言う無我愛はエゴイズムに対して相対化されるような概念では
ないと思いました。利己愛(エゴイズム)の対極には、利他愛があるのだと思います。
利他愛は、わたしのいってきた(エゴにもとづく)道徳に適う行為のことです。
無我愛は、無我ですから万物と一体化し自我を超越した状態によって想定される
愛なのではないかと解釈しています。
>「世俗的」と「超越的」というのは・・・・??つまり、
>ここは哲学的議論の場ではないということ?
上記と重複しますが、超越的な次元の観念を基盤にして「精神なんか無い」とか
「精神の優劣をいうのは間違っている、精神に優劣なんか無い」とか言われても
超越的な次元の観念を、そもそもわたしが否定していないので「それは、そうですね」
としか答えようがないんです。
たとえば古典物理学(ニュートン力学)から見ると現代物理学(相対性理論、量子論)で
証明された理論や法則は“異常”なことなのですが、それによって古典物理学が否定
されるわけではありません。なぜなら、古典物理学(マクロ世界の現象)と現代物理学
(ミクロ世界の現象)との間には連続性があるからです。
しかし現代物理学の理論や法則を日常のわたし達の生活に持ち込むことは・・・・・
という感じでしょうか。
(例)不確定性原理=確定性の公理体系の矛盾の証明=概念の不確定性の証明。
>>214(57さん)(3)
>>わたし達は、(他生物に対して)既にそれ(価値の比較及び判断)を行っています。
>「わたし達」とは誰のことですか、具体的に書いてください。
>少なくとも俺は命の価値を比較してるつもりはないよ。
わたし達“人間”は、たとえば動物を野生動物、家畜、愛玩動物、実験動物のように
区別しているし、そこには命の価値比較が“ある”と思います。わたしはペット(豚)
は食べれませんが、家畜(豚)は食べれます。“人間”が普段行っていることです。
>あなたが言ってることは、「精神の優劣」にしても、
>その根拠となる「道徳」にしても全てが曖昧なように思われるよ。
既に説明しましたが(
>>119)、道徳は非合理な体系です。
>『蜘蛛の糸』の極悪人の?陀多でさえ蜘蛛を助けたことがあるんだよ。
>(慈悲とエゴイズムがこの民話のテーマだ。)
>「いつも悪いことを想念し、悪いことをしているような人間」と、
>あなたには見えたとしても、他の人が他の場面で見ればまた違うのです。
あなたは、殺人を快楽とする大量無差別殺人者を、他の場面で蟻を一匹助けたことが
あるのだから(=仏性のあらわれ)、あるいは殺人者とわたし達は阿頼耶識さらに奥底
の阿魔羅識(第九識)=集合的無意識=真の自分自身=仏性という根源的なところでは、
つながっていて、殺人者とは、まさに自分自身のことであり、殺人者の精神の優劣を
問うことは自分自身を否定するような見当違いな行為であるし道徳のような低次元の
価値認識で非難することは間違っている、と言いたいのでしょうか?
>或る人に対しては自分の悪い面ばかりが出てしまう、
>ということはよくあることですよ。あなたが或る人を「悪人」だと思うのは、
>あなたがその人の「悪」を引き出しているのかも知れない。
>離婚訴訟中の夫婦なんかは、お互いが悪魔に見えるそうだよ。
病気になって苦しむことも、他人から苛められることも、通り魔殺人の犠牲になる
ことも、その人の想念が生み出した現実であり、その人が望んでそうしているのだと
ということでしょうか?
>>214(57さん)(4)
>人の「精神の優劣」、「命の価値」を判断しないと困る場面というのは、
>どんな状況ですか?
>「みんな」と言うが、人の「精神の優劣」と「命の価値」を
>測っている人はあまりいないと俺は思うが・・。
卑劣な奴だなぁ・・・私の蟻はその辺の蟻とは違うのよ!・・・ツッコミ禁止です!
>命の価値は、間違いに「気付いたら直していけばいい」というようなものなのか?
>もしあなたが教師だとしたら、と想像すると恐しい。
>生徒の「命の価値」を「精神の優劣」によって測っている教師・・・・
>考えるだけでゾッとするが・・・・。
わたしが悪いのでしょうが、そのように思われて残念です。
「人間とは教育されねばならない唯一の被造物(動物)である」(カント)
と思っています。
>とすると・・・あなたは神のような存在なのか?
>それとも、判断できないことは分かっていてもどうしても判断してしまう、
>ということなのか?
上記のカキコで分かってもらえると思うんですが・・・
>>215 >世俗的というのは、多くの人が先入的に理解しているという意味の、あるいは共有可能な世界観のひとつ
>としての現実(認識)を対象にしているという意味です。
あなたは「命の価値」を問題にしてるが、「命」の問題は「世俗的」認識の対象なのか?。
むしろ、「生死」が世俗的には理解不可能だからこそ宗教が関わってくるのではないのか(特に死に際して)。
>わたしは、自分の生活上の価値(判断の知恵)を道徳だと思っています。
>ですから、それら(生活上)の判断を道徳を基準に行っています。
>・・わたしは、現実の社会とそこに生きる人間が、精神の志向性「より良き、より高き」を
>自覚するということが大切だと思いますし、・・・
俺は道徳的価値判断をすることに反対しているのではない。
そうではなくて、あなたの道徳的価値判断は「あなたの」判断であり、普遍妥当性を持ち得ない
ということを何度も言っているのだよ。
例えば、ニーチェにとってキリスト教的道徳は「奴隷道徳」であり、「より良き、より高き」を目指している
とは全く言えない。だからニーチェはキリスト教の「善・悪」を認めず、『善悪の彼岸』を書いたんでしょ?
自分の道徳観に従って「より良き、より高き」を目指していると自分が思い込んでいれば、その精神は優れて
いて、命の価値が高いということなのか?
そうなると「精神の優劣」は、測りようがなくなると思うんだけどねー。
違う道徳的価値観の優劣をどうやって決めるの?
>現実の社会をあるがままに引き受けるという覚悟と心構えがなければ、エゴイズムの克服も
>脆弱なレベルに留まってしまうのではないか、と考えています。
あなたはエゴイズムを、克服すべきものと考えているのですか? そうは思えないが。
また、エゴイズムの克服はあなたの考えるような「世俗的次元」でできることだと思いますか?
>>216 >わたしは、あなたの言う無我愛はエゴイズムに対して相対化されるような概念ではないと思いました。
無我愛が相対的だと言ったのはあなたです。俺はそんなこと言ってない。
>>217 >わたし達“人間”は、たとえば動物を野生動物、家畜、愛玩動物、実験動物のように
>区別しているし、そこには命の価値比較が“ある”と思います。
「区別」と「命の価値比較」は全く別のことだ。
「野生動物」と「愛玩動物」では、どっちの「命の価値」が高いの?
>>或る人に対しては自分の悪い面ばかりが出てしまう、
>>ということはよくあることですよ。あなたが或る人を「悪人」だと思うのは、
>>あなたがその人の「悪」を引き出しているのかも知れない。
>>離婚訴訟中の夫婦なんかは、お互いが悪魔に見えるそうだよ。
>病気になって苦しむことも、他人から苛められることも、通り魔殺人の犠牲になる
>ことも、その人の想念が生み出した現実であり、その人が望んでそうしているのだと
>ということでしょうか?
全然違います。
「悪人」という確固たる存在がまずあり、その「悪人」が他者と関わるのではなく、
環境や他者との関わりの中で、或る時は「悪人」にもなり、或る時は「善人」にもなり得る、ということ。
>>218 >>もしあなたが教師だとしたら、と想像すると恐しい。
>>生徒の「命の価値」を「精神の優劣」によって測っている教師・・・・
>わたしが悪いのでしょうが、そのように思われて残念です。
どこがどう違うのか、説明してください。あなたの考え方の当然の帰結だと思って書いたのだが。
また、あなたの考え方の帰結として、「命の価値」の序列ができるはずです。
できればその序列をできるだけ詳しく、具体的に(人名なども挙げて)示してください。
そうしてもらえると、あなたの考え方がもっと分かるかも知れないから。
>>219(57さん)(1)
>あなたは「命の価値」を問題にしてるが、「命」の問題は「世俗的」認識の対象なのか?。
>むしろ、「生死」が世俗的には理解不可能だからこそ宗教が関わってくるのではないのか(特に死に際して)。
人が死への不安や恐怖を宗教によって和らげようとしたり、宗教的儀式や制度が
そのような役割を担ってきたという歴史的事実は否定しませんし、それを信じたり、
あるいは、あの世を信じたり、輪廻転生を信じたり・・それはそれでいいと思います。
>俺は道徳的価値判断をすることに反対しているのではない。
>そうではなくて、あなたの道徳的価値判断は「あなたの」判断であり、普遍妥当性を持ち得ない
>ということを何度も言っているのだよ。
道徳に普遍妥当性があるなんて言ってません。(
>>119)
>例えば、ニーチェにとってキリスト教的道徳は「奴隷道徳」であり、「より良き、より高き」を目指している
>とは全く言えない。だからニーチェはキリスト教の「善・悪」を認めず、『善悪の彼岸』を書いたんでしょ?
それでわたしにどうしろと・・・善・悪の価値観念も無いような人間社会って・・・
誰もそれを信じない世の中って・・・怖いんですけど・・・と思うだけですが・・・
>自分の道徳観に従って「より良き、より高き」を目指していると自分が思い込んでいれば、その精神は優れて
>いて、命の価値が高いということなのか?
なぜ、道徳をそのような文脈で説明しようとするのでしょうか?(
>>119)
道徳が機能するた為の、あるいは依って立つところの背景や周辺の状況を考えて下さい。
>>219(57さん)(2)
>そうなると「精神の優劣」は、測りようがなくなると思うんだけどねー。
>違う道徳的価値観の優劣をどうやって決めるの?
道徳に普遍妥当性があるなんて思っていません。(
>>119)
>あなたはエゴイズムを、克服すべきものと考えているのですか? そうは思えないが。
>また、エゴイズムの克服はあなたの考えるような「世俗的次元」でできることだと思いますか?
わたしは、人が人の道に外れること無く、より良く生きようと努力することに、また
その過程に意味があるんじゃないかと思っています。わたしは、どのような観念も、
それが実践されないのなら机上の空論でしかないと思いますし、真に実践するため
には、そこに至る経験という過程が必要なんだと(わたしは)思います。
>無我愛が相対的だと言ったのはあなたです。俺はそんなこと言ってない。
確かに相対的という言葉は使ってないけど、無我愛はエゴイズムの「対極にある」と
言ってます。対極するなら、無我愛とエゴイズムの間で二極対立の構図が出来あがる。
ということは、それぞれの概念は比較の上で成り立つことになります。=相対的です。
>「区別」と「命の価値比較」は全く別のことだ。
>「野生動物」と「愛玩動物」では、どっちの「命の価値」が高いの?
わたしが言いたいのは、既に答えましたが、わたしはペット(豚)は食べれませんが、
家畜(豚)なら食べれますというような他生物に対しての価値の比較および判断を
あるいは、それに相当する行為を、人は日常的に行っているということです。
>>219(57さん)(3)
>全然違います。
>「悪人」という確固たる存在がまずあり、その「悪人」が他者と関わるのではなく、
>環境や他者との関わりの中で、或る時は「悪人」にもなり、或る時は「善人」にもなり得る、ということ。
分かりました。では、
>>217の『蜘蛛の糸』〜に対する質問に答えてくれますか。
>どこがどう違うのか、説明してください。あなたの考え方の当然の帰結だと思って書いたのだが。
>また、あなたの考え方の帰結として、「命の価値」の序列ができるはずです。
>できればその序列をできるだけ詳しく、具体的に(人名なども挙げて)示してください。
>そうしてもらえると、あなたの考え方がもっと分かるかも知れないから。
わたしは、精神の可能性について話しているつもりです。
卑劣で狡猾で薄情で他人を傷つけても何とも思わないような人と利他的精神を
持って実践する人とでは、どちらが優れた精神性の所有者なのでしょうか?
両者の間に精神の優劣は認められないのでしょうか?
両者の間に精神の優劣を感じるのは自然なことではないですか?
そして後者の人のような生き方を素晴らしいと思い、自分もそうなりたいと思い、
努力するという可能性が人の精神には期待できるのではないでしょうか。
>220の最後
道徳が機能するた為の ---> 道徳が機能する為の
>>220 >>自分の道徳観に従って「より良き、より高き」を目指していると自分が思い込んでいれば、その精神は優れて
>>いて、命の価値が高いということなのか?
>なぜ、道徳をそのような文脈で説明しようとするのでしょうか?
>道徳が機能する為の、あるいは依って立つところの背景や周辺の状況を考えて下さい。
>>221 >>そうなると「精神の優劣」は、測りようがなくなると思うんだけどねー。
>>違う道徳的価値観の優劣をどうやって決めるの?
>道徳に普遍妥当性があるなんて思っていません。
あなたは故意にトボケテいるのだろうか?
あなたは「命の価値」は「精神の優劣」によって決まり、「精神の優劣」を判断する根拠は「道徳」であると答えた。
その文脈で、「道徳」を問題にしてるのですよ。
異なる道徳的価値観の優劣を決められないのなら、「精神の優劣」も決められない
ということになると思うが、違うのでしょうか。
>>あなたはエゴイズムを、克服すべきものと考えているのですか? そうは思えないが。
>>また、エゴイズムの克服はあなたの考えるような「世俗的次元」でできることだと思いますか?
>わたしは、人が人の道に外れること無く、より良く生きようと努力することに、また
>その過程に意味があるんじゃないかと思っています。わたしは、どのような観念も、
>それが実践されないのなら机上の空論でしかないと思いますし、真に実践するため
>には、そこに至る経験という過程が必要なんだと(わたしは)思います。
これもピントはずれです。エゴイズムについて語ってほしい。
あなたが「エゴイズムの克服」に言及したのだから。
>>無我愛が相対的だと言ったのはあなたです。俺はそんなこと言ってない。
>確かに相対的という言葉は使ってないけど、無我愛はエゴイズムの「対極にある」と
>言ってます。対極するなら、無我愛とエゴイズムの間で二極対立の構図が出来あがる。
>ということは、それぞれの概念は比較の上で成り立つことになります。=相対的です。
言葉の意味は文脈によって変化します。
文脈を無視した不毛な揚足取りはやめよう。俺は揚足取りはできるだけしていないつもりだ。
俺が「対極にある」を「二項対立」の意味で使ったのではないことはあなたにも分かるはずだ。
>>「野生動物」と「愛玩動物」では、どっちの「命の価値」が高いの?
>わたしが言いたいのは、既に答えましたが、わたしはペット(豚)は食べれませんが、
>家畜(豚)なら食べれますというような他生物に対しての価値の比較および判断を
>あるいは、それに相当する行為を、人は日常的に行っているということです。
命に価値の差異があることの具体例としてあなた自身が挙げた例なのに、
どうして答えられないのか不思議です。
(続き)
ペットの豚より家畜の豚の命の価値が低いとすれば、トカゲをペットにしてる人にとっては
トカゲが豚より命の価値が高いということでしょうか?
最近では、植物にも毎日話しかけて育てている人が多いらしいが、そういう人にとっては
家畜の豚は植物よりも命の価値が低いということもあり得るわけですか?
俺としては、ペットの豚も家畜の豚も命の価値は同じだ(比較できない)と思う。
家畜の豚の命の価値が低いという考え方は、俺の考えでは、卑怯な考え方です。
豚を他人に育ててもらって、他人に殺してもらって、自分は「豚肉」という、命ではない「物質」を
食べていると思い込むことによって、命を奪っているという意識を持つことから逃避しているのです。
昨年或る小学校で、児童が世話をして育てたニワトリを調理して給食に出したということが話題になったね。
賛否両論あったのだが、命に対する感受性を高める試みとして、画期的な試みだと俺は思った。
>>217 >あなたは、殺人を快楽とする大量無差別殺人者を、他の場面で蟻を一匹助けたことが
>あるのだから(=仏性のあらわれ)、あるいは殺人者とわたし達は阿頼耶識さらに奥底
>の阿魔羅識(第九識)=集合的無意識=真の自分自身=仏性という根源的なところでは、
>つながっていて、殺人者とは、まさに自分自身のことであり、殺人者の精神の優劣を
>問うことは自分自身を否定するような見当違いな行為であるし道徳のような低次元の
>価値認識で非難することは間違っている、と言いたいのでしょうか?
快楽殺人は幼児期のトラウマが原因であるとされる場合が多い。つまりそれは精神の「病い」であって、
「精神の優劣」の問題ではない。そしてそれを診断し、治療するのは精神科医であって道徳家ではない。
道徳的に非難できるのは殺人という個別的「行為」に対してであり、その人の「精神」全体に対してではない。
そもそも、「病い」を非難すべきではないでしょう。
快楽殺人を引き起こす異常なまでの「空想」を生み出す心理的プロセスを転換する治療法の研究が
進んでいるようです。
道徳家がすぺきことは、殺人者を「悪人」と決め付けることではなく、精神科医の努力をサポートし、
幼児期のトラウマを持つ人に対する早期の対応をすることでしょう。
(殺された人の近親者の感情的問題は、また別の問題です)。
>>222 >>どこがどう違うのか、説明してください。あなたの考え方の当然の帰結だと思って書いたのだが。
>>また、あなたの考え方の帰結として、「命の価値」の序列ができるはずです。
>>できればその序列をできるだけ詳しく、具体的に(人名なども挙げて)示してください。
>わたしは、精神の可能性について話しているつもりです。
>卑劣で狡猾で薄情で他人を傷つけても何とも思わないような人と利他的精神を
>持って実践する人とでは、どちらが優れた精神性の所有者なのでしょうか?
>両者の間に精神の優劣は認められないのでしょうか?
>両者の間に精神の優劣を感じるのは自然なことではないですか?
>そして後者の人のような生き方を素晴らしいと思い、自分もそうなりたいと思い、
>努力するという可能性が人の精神には期待できるのではないでしょうか。
これもちゃんと答えてくれないのですね。もう一度質問します。
あなたが教師だとしたら、生徒の「命の価値」を「精神の優劣」によって測るのですか?
「命の価値」の序列についてはどうでしょうか。
「命の価値」に差異があるのなら、序列ができると思うのだが。
序列ができないとすれば、その理由は何でしょうか?
レスちょっと遅れます。m(__)m
>>224(57さん)(1)
>あなたは故意にトボケテいるのだろうか?
>あなたは「命の価値」は「精神の優劣」によって決まり、「精神の優劣」を判断する
>根拠は「道徳」であると答えた。その文脈で、「道徳」を問題にしてるのですよ。
>異なる道徳的価値観の優劣を決められないのなら、「精神の優劣」も決められない
>ということになると思うが、違うのでしょうか。
わたしは、カント的な意味での普遍妥当性(=定言命法)、つまり普遍性を持つもの
としての神の戒律によってしか道徳は成り立たないし人も裁けないとは思いません。
もちろん、道徳の成り立つ背景や状況から考えて、道徳に宗教的な価値観が必然的
に関わらざるを得ないことは理解しているつもりです。
わたしは、道徳が価値を判断するための絶対的尺度になるとは考えていませんが、
自我の認識の対象になるあらゆる現象や事柄が、それを認識(観察)する人の主観や
その人の置かれている立場や状況に依存しているのだから相対的でしか有り得ない
とか、つねに変化してしまうような普遍妥当性のない“モノ”を信じるのはXXだ
とか、人が創造/想像したモノは、どんなに頑張ってみても人が作り上げたモノで
しかないのだから、モノは人と対象との相互作用から成り立っているのだとしても
“それ”は、人の主観的な(自分に都合の良い)方法や認識の仕方で行われた結果の
“それ”でしかなく真実とは言えないとか・・・とは、わたしは思いません。
確かに他人の不道徳と思われる言動や行動を指して、あなたは不道徳だと非難する
こと自体、不道徳なのかもしれません。なぜなら、その人の動機(心模様)を他人が
決定することはできないからです。つまり、それは主観による憶測でしかないし、
また、他人を裁くほどの人格を有した(神や仏のような)人などいないからです。
でも、それだと他人はもとより自分さえも信じられなくなってしまうと思うんです。
他人も自分も価値も信じることによってはじめて意味を持つのではないでしょうか。
わたしの道徳観は、
>>95上段や
>>118上段や
>>119で説明した通りです。
>>224(57さん)(2)
>これもピントはずれです。エゴイズムについて語ってほしい。
>あなたが「エゴイズムの克服」に言及したのだから。
「聖なる予言」という冒険小説をご存知ですか?
物語の最後の方で、登場人物が精神状態を向上させることで心身の持つ波動の
振動数レベルを上げて、身体を消してみせる場面があるんですが、高い精神状態を
保てないとすぐに元に戻ってしまうんです。理由は、エゴを克服できないためなん
ですが、つまり「世俗的次元」での修行が足りないのかなぁ、なんて・・・(笑)
個人的には、エゴイズムの克服は自我(自意識)がある限り無理なんだと思いますが、
利己愛から利他愛への方向性を持つことは出来るし、それが大切なんだと思います。
それから繰り返しになるけど、その利他愛が環境や状況によってすぐに元に戻って
しまわないような“強さ”を世俗での実践の中で身に付けていくことが必要なんだ
と思います。
>言葉の意味は文脈によって変化します。
>文脈を無視した不毛な揚足取りはやめよう。俺は揚足取りはできるだけしていないつもりだ。
>俺が「対極にある」を「二項対立」の意味で使ったのではないことはあなたにも分かるはずだ。
わたしが悪いです。ごめんなさい。
>命に価値の差異があることの具体例としてあなた自身が挙げた例なのに、
>どうして答えられないのか不思議です。
他生物の命に「価値の差異」があるんではなくて、人が他生物の命に「価値の差異」
があるかのように振る舞っているということです。(時系列で追ってみてください)
>「野生動物」と「愛玩動物」では、どっちの「命の価値」が高いの?
わたしの挙げた具体例は確かに最悪ですね。(^_^;)
で、命の価値なんですが、人によって違うんでしょうね。って・・・。
わたしは、相変わらず『命そのものに差異はない』と思っていますので動物の命に
違いがあるとは思いません。
>>225(57さん)(3)
>ペットの豚より家畜の豚の命の価値が低いとすれば、トカゲをペットにしてる人にとっては
>トカゲが豚より命の価値が高いということでしょうか?
>最近では、植物にも毎日話しかけて育てている人が多いらしいが、そういう人にとっては
>家畜の豚は植物よりも命の価値が低いということもあり得るわけですか?
>>227の説明を参照して下さい。
>俺としては、ペットの豚も家畜の豚も命の価値は同じだ(比較できない)と思う。
>>227の説明を参照して下さい。
>家畜の豚の命の価値が低いという考え方は、俺の考えでは、卑怯な考え方です。
>豚を他人に育ててもらって、他人に殺してもらって、自分は「豚肉」という、命ではない「物質」を
>食べていると思い込むことによって、命を奪っているという意識を持つことから逃避しているのです。
全く同感です。
>昨年或る小学校で、児童が世話をして育てたニワトリを調理して給食に出したということが話題になったね。
>賛否両論あったのだが、命に対する感受性を高める試みとして、画期的な試みだと俺は思った。
全く同感です。
>快楽殺人は幼児期のトラウマが原因であるとされる場合が多い。つまりそれは精神の「病い」であって、
>「精神の優劣」の問題ではない。そしてそれを診断し、治療するのは精神科医であって道徳家ではない。
>道徳的に非難できるのは殺人という個別的「行為」に対してであり、その人の「精神」全体に対してではない。
>そもそも、「病い」を非難すべきではないでしょう。
本当に病気なんだとしたら、なぜ罪に問われているんでしょうか?
自分さえ良ければ人を殺してもかまわないという人は、みんな同じ病気なんですか?
騙しても盗んでも殺しても、どんな生き方をしようと、精神に優劣はないのですか?
>>225(57さん)(4)
>これもちゃんと答えてくれないのですね。もう一度質問します。
>あなたが教師だとしたら、生徒の「命の価値」を「精神の優劣」によって測るのですか?
わたしは、教師になれませんし、教師としての心構えや教育方針はどうあるべきか、
なども考えたことがありませんので、教師だとしたらの前提では答えられません。
わたしは、年下の相手に対しては、特に精神の可能性を期待しているので、というか、
つい最近までのどうしようもない自分を忘れてないので、多少のことは大目に見てい
るつもりです。(なんか偉そう)
顔がいいとか、頭がいいとか、勉強ができるとか、スポーツができるとかでは、
相手を判断しません。(人種、血筋、地位、財産、名誉・・・なども同じです)
人を平気で裏切る卑劣とか、悪知恵ばっかりの狡猾とか、保身ばかりで逃げる
臆病とか、できるのにやらない怠慢とか・・・には、かなり敏感に反応します。
もちろん高潔な人は尊敬します。確かに推し測ってますね。
>「命の価値」の序列についてはどうでしょうか。
>「命の価値」に差異があるのなら、序列ができると思うのだが。
>序列ができないとすれば、その理由は何でしょうか?
序列という表現はどうかと思います。わたしに、人をモノのように並べているという
感覚はありません。これは無視できない重要な感覚だと思います。わたしは、前レス
で『矛盾を内包する形を取りながら』と自分の論の弱点も説明しています。
あなたが、わたしの論はそのような言葉(意味)を引き寄せる悪しき観念なのだという
(重大な)指摘をされようとしているのは分かりますが、わたしの道徳は、このような
言葉遣いが、ふさわしくないものなんだと感覚(判断)させてくれるものでもあります。
(わたしの不徳から考えてもあなたにとやかくいう資格は無いという自覚もあります)
あえて悪い言葉遣いで表現すると、人に精神の品性において尊敬できる人がいたり、
見下す人がいたりするのは事実です。わたしの尊敬する人と見下す人が、共に平等
の尊厳“ある”存在だと考えることには抵抗を感じます。
次レス遅れると思います。m(__)m
>何故人を殺してはいけないのですか
この質問は実際には「何故(全ての人は)(全て)の人を殺してはいけないと(全ての人は言うのですか)」
という質問なんだよね。
これがわかれば、この質問が前提から間違っていることがわかる。
例えば殺す側が「国家」や「医者」、「正当防衛が成り立つ人」ならば
法的は殺してもいいし、道徳も殺してはいけないなどとは主張しない。
この場合は「何故国家は人を殺してもいいのですか」という質問になるわけだ。
・誰が(私が、あなたが、歴史的にetc)
・誰を(家族、敵兵士、死刑囚、他人etc)
殺してはいけないと
・誰が(親、教育、友人、自分の良心etc)
主張しているのか、
それぞれで内容はまったく異なることに誰も気付いていないのが実に愚かしい。
>>232 >何故人を殺してはいけないのですか
>この質問は実際には「何故(全ての人は)(全て)の人を殺してはいけないと
>(全ての人は言うのですか)」という質問なんだよね。
なぜ、このように書き直せるのですか?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1018893609/l50 の
>>479、
特に引用先の
>>344 を、参照してください。
>これがわかれば、この質問が前提から間違っていることがわかる。
>例えば殺す側が「国家」や「医者」、「正当防衛が成り立つ人」ならば
>法的は殺してもいいし、道徳も殺してはいけないなどとは主張しない。
>この場合は「何故国家は人を殺してもいいのですか」という質問になるわけだ。
なぜ、殺す側の条件が当然に殺される側の条件をも規定するんですか?
あなたの言い分で論証できているのは、殺されない側が殺される者にについて
どう考えるかという射程についてでしかないでしょう。
そして、それは「殺し」について論じたことではありません。
「殺し」を論じるうえで必須である、結果した「殺され」において
殺される者が直面しているであろう「事実」が、議論の外に置かれているからです。
「殺し」が世界内にどのように位置付けられるかを正確に跡付けないから、
あなたのような誤解に至るのです。
>・誰が(私が、あなたが、歴史的にetc)
歴史的に、 がどうして「誰が」にとして言及できるんですか?
また、私が、というのは、あなたにとってはあなたというあり方をしていますが、
あなたが、というのは、あなたにとっては私というあり方をしているはずです。
「私が、あなたが」という「あなたの」観点を「あなたが」無批判的に受け入れている
なら、上のという「私はあなた」「あなたは私」という観点からの検討は抜け落ちます。
その点については、どう考えるのですか?
>・誰を(家族、敵兵士、死刑囚、他人etc)
あなたのような議論を見ていていつも共通していて、非常に笑えるのは、
殺される側の想定として「あなた(!)」が抜けていることです。
愚かなのは、あなたです。
>殺してはいけないと・誰が(親、教育、友人、自分の良心etc)
>主張しているのか
当該問題の本質的な内容(殺され)に直面していない「誰か」が主張している、という
観点だけに帰着させてしまうと、どんな問題も「他人事である」、という結論にしか
ならないのは、理の必然です。この部分を結論としてもって来るところに、
あなたの理解のいい加減さがあらわれています。
私は少し前にここに書き込みをしていました。その部分で形式的には
返答をしないで去っているので、その部分無視していないことを示すため、
リンクを貼っておきます。
>>207-208 が、私のレス、
>>210が、100氏のレスです。
また、私が、というのは、あなたにとってはあなたというあり方を * していますが、 *
あなたが、というのは、あなたにとっては私というあり方をしているはずです。
* していますし、* に修正します。失礼しました。
>>228 >個人的には、エゴイズムの克服は自我(自意識)がある限り無理なんだと思いますが、
>利己愛から利他愛への方向性を持つことは出来るし、それが大切なんだと思います。
>それから繰り返しになるけど、その利他愛が環境や状況によってすぐに元に戻って
>しまわないような“強さ”を世俗での実践の中で身に付けていくことが必要なんだ
>と思います。
生きている限りエゴイズムを完全に克服することは難しいが、そこへ近づくことはできる。
『自分の殻に閉じこもる』という表現があるが、エゴイズムの克服は、その自我の「殻」を薄くしていく
方向にある。「殻」の厚さをできるだけゼロに近づけることで、存在全体と一体となる方向へと向かう。
人間の精神を優位に置くあなたの考え方は、このようなエゴイズム克服の方向へは向いていない。
それは、「殻」を《薄く》するのではなく、エゴイズムの殻を2人、3人・・・と人間全体に《広げ》た形であり、
自己中心主義の拡大形態である「人間中心主義」です。
人間と他の生物の間の「線引き」をはっきりさせようとすることは、「殻」を厚くすることを意味するから、
ますます人間中心的エゴイズムが深まってしまうと思う。
>>229 >本当に病気なんだとしたら、なぜ罪に問われているんでしょうか?
>自分さえ良ければ人を殺してもかまわないという人は、みんな同じ病気なんですか?
>騙しても盗んでも殺しても、どんな生き方をしようと、精神に優劣はないのですか?
責任能力があるとみなされれば罪に問われるが、責任能力については、精神医学者の間でも
しばしば意見が分かれている。つまり、ある人が「精神病」であるのかどうか、
「正常」であるか「異常」であるか、を判断することはきわめて難しいということです。
一般には、「精神病」(分裂病、躁うつ病など)の場合は責任「無」能力が認められることが多く、
その他の「人格障害」者は、責任能力があるとされることが多い。
だが、「精神病」と「人格障害」の区別が明確であるわけでもないし、「人格障害」も、
遺伝と環境によって生じた心の「病い」であることに変わりないのだから、
『精神が劣っている』と考えるよりも、『精神状態が極めて悪い』と考えるほうが適切だと思う。
「人格障害」ではない「正常者」の場合、例えばテロリストなどの場合は、思想的問題などが
絡んでくるので、その場合も、思想の「優劣」を論じることは難しいと思う。
>>230 >>「命の価値」に差異があるのなら、序列ができると思うのだが。
>>序列ができないとすれば、その理由は何でしょうか?
>序列という表現はどうかと思います。わたしに、人をモノのように並べているという
>感覚はありません。これは無視できない重要な感覚だと思います。わたしは、前レス
>で『矛盾を内包する形を取りながら』と自分の論の弱点も説明しています。
特に知りたかったのは、人間の赤ちゃんがどの辺に位置するか、ということ。
あなたの考え方からすれば、赤ちゃんは人間の一番下の方の、動物に近い所に位置すると思う。
でも、一般的な「世俗的」価値観では、赤ちゃんの将来的「可能性」が重視される。
だが、「可能性」ということを考慮に入れるならば、どんな「悪人」でも、悪い精神状態を転換して、
りっぱに更生する可能性があるわけだ。
>あえて悪い言葉遣いで表現すると、人に精神の品性において尊敬できる人がいたり、
>見下す人がいたりするのは事実です。わたしの尊敬する人と見下す人が、共に平等
>の尊厳“ある”存在だと考えることには抵抗を感じます。
尊敬する人は人それぞれだよね。
儒教道徳的価値観にもとづいて孔子を最も尊敬する人もいれば、キリスト教的道徳の精神で
マザー・テレサを尊敬する人もいる。武士道の精神から三島 由紀夫を最も尊敬する人もいれば
イスラム過激派の道徳的価値観をもってビンラディンを尊敬する人もいる。
つまり、「命の価値」と「精神の優劣」(の序列)は、人それぞれ違うということなのか?
(これは俺が
>>110から繰り返してる質問なのだが・・・。)
>>236 異質なものが出会う時、現在二つの道しか選択肢は無い。
一つは序列化。二つ目は文化相対主義。
序列化の場合、誰もを納得させるような高次の基準が無いため
自己中心的解釈でしかない。
文化相対主義の場合、序列化と反対で異質なもの同士を
比較しない。
そのため、異質なものが出会い、もしそこで紛争が起きると
解決策は無い。
ここで人を殺す人間と殺さない人間を同じ人間だけど異質なもの
であると見る。
というか、相対化というのは、全ての文化の上位に、
「相対」という価値観を置くってことではないの?
>>236(57さん)(1)
>エゴイズムの克服は、その自我の「殻」を薄くしていく方向にある。
>「殻」の厚さをできるだけゼロに近づけることで、存在全体と一体となる方向へと向かう。
わたしは、わたしの世界や感情や意思が、精神(自我)の存在無しには有り得ないと
考えています。自我の殻の厚みによって、利己性が測られるのだとしても、自我は、
他我を自我の一部として認識しているし、利他愛は精神(自我)が認識するこの世界で、
人が「存在意義を存在させる為に」とても意味がある感情だし意思なんだと思います。
「殻(自我)」の厚みを薄くする為には、他我の意識拡大は意味がなく、非我との距離
の縮小が必要なんだとしても、あらゆる現象(存在)が、非我からの分離によって、
あるいは、無の相補性として存在するなら「悟り」に至るためには、自我を究極まで
小さくするという行為によって(たとえばの表現です)、非我を顕在化させる必要が
あると思います。(非我=存在そのもの=無我=無[秩序]と仮定して)
問題なのは、非我を顕在化させていく過程で、人には狂気(病気)を発生する可能性が
あるということです。わたしには、身近にそれを見てきた経験があるのは話しました。
今生きてる友人は、狂気から戻ってきていますが、わたし的に表現すると精神(自我)
の世界に帰ってきた=意味(価値)を肯定する世界に戻ってきたということです。
実際には、わたしとの友情を信じたり、精神的目的に意味を見出したということです。
わたしは「悟り」が、全ての生命の最終到達点であり絶対幸福の良き状態なんだとは
考えません。ですから、人はそのような方向に進むべきだとも考えません。
また「悟り」が、人や社会に平和をもたらすとも何か素晴らしい状態を招来するとも
考えません。否定はしません。(存在全体と一体となる=悟りと解釈しました)
>>236(57さん)(2)
>人間の精神を優位に置くあなたの考え方は、
>〜
>ますます人間中心的エゴイズムが深まってしまうと思う。
わたしは、精神を価値の母体だと思っているので、それはこの世界を受け入れようと
決心したということなのだから、人間中心主義だといわれても当然ですが、わたしは、
「生命の尊厳」といったところで、それも人間の精神が、そう思っただけだと思う。
だからといって、自然や他生物の存在を無視しては、人も生きてはいけないのだから、
自然や他生物の命を軽視して良いわけがないと、精神には気付く力があるし、だから、
「共生」とか「共進化」ということも観念できるのではないでしょうか。
>責任能力については、精神医学者の間でもしばしば意見が分かれている。
>つまり、ある人が「精神病」であるのかどうか、「正常」であるか「異常」であるか、
>を判断することはきわめて難しいということです。
サイコパスは「異常だが病気ではない」とされています。なぜならサイコパスと脳の
損傷との因果関係が今でも証明されないからです。ですから、サイコパスには刑罰が
課されます。それは「自由意志による行為の責任」としてです。また、サイコパスは
人口の1%程度いるとされ、しかもサイコパスは社会のあらゆる分野に進出していて
成功者も大勢います。つまりサイコパスは社会的にも病気だとはされていないのです。
わたしは、彼ら(サイコパス)に明らかな器質的欠陥が認められないのに、劣悪な環境
に育ったというような理由で、彼らを病気に仕立て上げて、彼らの精神の価値的優劣
は問えないとするような、人間に対する認識の仕方は不道徳だと思います。なぜなら
劣悪な環境にも負けずにしっかりと生きている人々の心性を無意味に帰すような解釈
だからです。また、彼らの自由意思を安易に無視するのは逆差別になりかねません。
>>236(57さん)(3)
>『精神が劣っている』と考えるよりも、
>『精神状態が極めて悪い』と考えるほうが適切だと思う。
わたしは、精神の優劣をいうとき「精神状態の善い、精神状態の悪い」が切り離せる
ことだとは思いませんし、
>>127下段でもいいましたが精神の価値的優劣が時系列で
(善くも悪くも)変動するのは、当然のことだと思います。
「平気でうそをつく人たち」ってご存知ですか?
アメリカの精神分析医が書いた「邪悪」の科学(心理学)についての本なんですが、
著者のいう「邪悪」な人の特徴を簡単に説明すると『精神的な成長を回避する為なら、
あらゆる手段を講じても(不道徳な行為をしても)厭わない人』という感じでしょうか。
つまり、自らの「自由意思」で精神的な成長を回避するような人々のことです。
著者は、人の「邪悪」な心性を「病気」として扱おうとしているのだと思いますが、
ケーススタディーは、どれも日常の生活の中で、必ずお目にかかれる人々の描写で、
人の「善にも悪にもなれる」という精神の可能性を記述したものでしかありません。
やはり「邪悪」を「精神状態の悪い病気の人」としてしまうのには慎重でなければ
と思います。
>特に知りたかったのは、人間の赤ちゃんがどの辺に位置するか、ということ。
>あなたの考え方からすれば、赤ちゃんは人間の一番下の方の、動物に近い所に位置すると思う。
>でも、一般的な「世俗的」価値観では、赤ちゃんの将来的「可能性」が重視される。
わたしも一般的な「世俗的」価値観と同じです・・・人間には想像力があるんです。
赤ちゃんの精神的存在(人)としての可能性を想像できなくて人といえるんですか?
>>236(57さん)(4)
>「可能性」ということを考慮に入れるならば、どんな「悪人」でも、
>悪い精神状態を転換して、りっぱに更生する可能性があるわけだ。
わたしは、最初から精神の可能性を否定していません。むしろ逆です。
更生ということなら、
>>60や
>>127下段でも触れてます。
精神の価値的優劣は、その時々の状態としてもありますが、全人生的なものでも
あります。だからといって、死の瞬間まで更生する可能性があるのだから、
それまではどんなに卑劣で狡猾で薄情で騙して盗んで殺しても、どんな生き方を
しようと精神の価値的優劣を判断してはならないということではないと思います。
>尊敬する人は人それぞれだよね。
>〜
>つまり、「命の価値」と「精神の優劣」(の序列)は、人それぞれ違うということなのか?
人それぞれだと何なんでしょうか?
麻原彰晃やヒトラーを崇拝する人がいると、わたしは彼らの精神の価値的優劣を判断
してはいけないのでしょうか。文化にサブカルチャーやカウンターカルチャーがある
と、文化は全て否定すべきものになってしまうのでしょうか。わたしは、価値の判断
基準を道徳に求めただけです。一度もそれが絶対とも普遍的だとも言ってません。
>(これは俺が
>>110から繰り返してる質問なのだが・・・。)
わたしも今までの回答(
>>95上段や
>>118上段や
>>119)以上のことは答えられません。
243 :
考える名無しさん:02/06/11 16:31
age
>>239 >問題なのは、非我を顕在化させていく過程で、人には狂気(病気)を発生する可能性が
>あるということです。わたしには、身近にそれを見てきた経験があるのは話しました。
>今生きてる友人は、狂気から戻ってきていますが、わたし的に表現すると精神(自我)
>の世界に帰ってきた=意味(価値)を肯定する世界に戻ってきたということです。
「非我を顕在化」とは何のことなのだ・・・??
怪しげな話なので、なんともコメントのしようがないが・・・病名は何ですか?
>>240 >サイコパスは「異常だが病気ではない」とされています。
「サイコパス」って心理学辞典にも精神医学辞典にも載ってなかったし、いまネットで検索しても
怪しげなサイトしか出てこないんで、ちょっとそういうのは・・・。
>>241 >「平気でうそをつく人たち」ってご存知ですか?
知りませんが、なぜ「平気で」と言えるのか不思議ですね。前レスにも書いたように、或る人が
病気か病気でないのかは、精神科医でもしばしば判断が分かれるし、人の心の中に葛藤があるかどうかを
どうやって見極めるのだろう。「平気で」と判断できる根拠は何ですか?
参考までに、精神医学辞典の「虚言症」には次のようにあります。
「虚言症とは真実を改変し、嘘をつき、空想的な物語を作り出す体質的な異常状態である。
したがって、遺伝的、家族的に出現することが多く、また、男性に比較して女性が多い。
もっとも子供では一般に空想と現実の区別がつかないことが多いので、子供の虚言症と
大人の虚言症は区別して考える必要がある。成人の虚言症は、知能が正常の場合でも反省力や
判断力が弱く、他の精神不均衡(人格障害)を伴うのが普通である。」
>アメリカの精神分析医が書いた「邪悪」の科学(心理学)についての本なんですが、
>著者のいう「邪悪」な人の特徴を簡単に説明すると・・・
《「邪悪」な人》という表現自体が怪しげですね。
「邪悪」はたぶん"evil"の訳語だと思うが、"evil"は宗教的意味あいを含む語だから、普通の精神科学の
本とは思い難いです。
"evil"は、ブッシュ大統領が多用する言葉だが(「悪の枢軸」は"axis of evil")、俺はこの言葉を聞くと、
他者に対する強烈な反感を感じてしまう。
このような強烈な言葉を他者に対して用いること自体、「精神」になんらかの問題があるように俺は思うが・・。
>赤ちゃんの精神的存在(人)としての可能性を想像できなくて人といえるんですか?
>>242 >わたしは、最初から精神の可能性を否定していません。むしろ逆です。
>更生ということなら、
>>60や
>>127下段でも触れてます。
>精神の価値的優劣は、その時々の状態としてもありますが、全人生的なものでもあります。
つまり、「精神の優劣」と「命の価値」(の序列)は、日々、刻一刻と変動するわけですね?
そして或る人の全体的「精神の優劣」と「命の価値」は、死んでみないと分からないということですね?
>>つまり、「命の価値」と「精神の優劣」(の序列)は、人それぞれ違うということなのか?
>人それぞれだと何なんでしょうか?
>麻原彰晃やヒトラーを崇拝する人がいると、わたしは彼らの精神の価値的優劣を判断
>してはいけないのでしょうか。
今更開き直られても・・。それなら
>>110の俺の問いに"yes"と答えるべきだったのではないのか?
そうすればそこで終わりだったのだから。
あなたは「より良く、より高く」などの美辞麗句を並べて議論をあいまいにしているだけですよ。
ヒトラーを尊敬する者について「精神が劣っている」と判断するのは、もちろんあなたの自由です。
しかし彼らにも彼らなりの「より良く、より高く」があるわけだ。
道徳は私的ではあるが公的でもある、などと、わけのわからないことを言ってごまかさずに、
あなたの道徳観に合わない者と対決する姿勢を最初から示すべきだったのではないのか?
>>244(57さん)(1)
議論を続ける意味があるようなレス内容じゃないですね。(笑)
でも、最後に意見だけは言っておきます。
>「非我を顕在化」とは何のことなのだ・・・??
あなたが、得意の「存在全体と一体となる」のような神秘主義を持ち出すから、
あなたに分かり易いように自我、他我、非我(自然、世界)で説明しただけです。
別に「他性の顕在化」でも何でも構いませんが・・・それでも、わからない?
>怪しげな話なので、なんともコメントのしようがないが・・・病名は何ですか?
かなり心外です。(友人のことでもあり)相当に悩んで書きました。
わたしのいいたいのは、社会的存在としての自己を維持しながら、超越的次元、
たとえば「悟り」に至るのは難しいということです。なぜなら、その追及の仕方が
他者や社会との有機的な関係性を排除していく性格のものだからです。ですから、
それを狂気と表現しました。(社会的には狂気ですから)
社会的存在としての自己を維持しながら体験できるのは、
最大限「瞑想」によって分泌される脳内麻薬で「存在との(擬似的)一体感」を
楽しむくらいのものでしかありません。これは意外にやってみると簡単です。(笑)
仏性でも集合的無意識でも阿頼耶識でもいいけど観念じゃ人ひとり救えませんよ。
>>244(57さん)(2)
>「サイコパス」って心理学辞典にも精神医学辞典にも載ってなかったし、いまネットで検索しても
>怪しげなサイトしか出てこないんで、ちょっとそういうのは・・・。
わたしは、反社会性人格障害よりサイコパスの方が、通りがいいと思っただけです。
(サイコパスムービーも流行ってるし、意図も明確になるでしょ)
それに知らないなら、
>>118で既に使ってるんだから、その時に言うべきです。
あなたは、
>>123で議論を続けてるんですよ。
>前レスにも書いたように、或る人が病気か病気でないのかは、
>精神科医でもしばしば判断が分かれるし、人の心の中に葛藤があるかどうかを
>どうやって見極めるのだろう。「平気で」と判断できる根拠は何ですか?
彼らに良心が欠けてるからです。
どうして欠けてると・・・はもう結構です。彼女の心の葛藤くらい見抜いてね!
>《「邪悪」な人》という表現自体が怪しげですね。
>〜
>このような強烈な言葉を他者に対して用いること自体、
>「精神」になんらかの問題があるように俺は思うが・・。
わたしは、本を読んでもいないのに「精神になんらかの問題がある」という方が、
問題があると思いますよ。それにわたしは、心のあり方の問題を安易に病気に結び
付けるのは危険なのでは、ということが言いたかっただけです。
(主旨をちゃんと捉えて下さい)
>つまり、「精神の優劣」と「命の価値」(の序列)は、日々、刻一刻と変動するわけですね?
>そして或る人の全体的「精神の優劣」と「命の価値」は、死んでみないと分からないということですね?
もう回答済みです。
>>242上段を読みましたか?
>>244(57さん)(3)
>今更開き直られても・・。それなら
>>110の俺の問いに"yes"と答えるべきだったのではないのか?
>そうすればそこで終わりだったのだから。
いいえ。
>>110には、
>>118上段や
>>119で答えてます。「道徳は相対的」にも、
>>95上段や
>>227で答えてます。全く理解されてないようですが・・・。
あなたは、単純に価値相対主義(わかる?)の立場で批判しているだけでしょ。
中学生にもできるレベルで反論していることに気付いてますか?
もう一度レスを最初から読み直して勉強して下さい。(もしかして中学生かしら)
わたしは、開き直ったんじゃなくて、呆れてるんです。(中学生だったらゴメンね)
>あなたは「より良く、より高く」などの美辞麗句を並べて議論をあいまいにしているだけですよ。
あなたの美辞麗句には負けますけど。(笑)
それに曖昧なんじゃなくて、物事をあなたのように短絡的に捉えてないだけです。
>ヒトラーを尊敬する者について「精神が劣っている」と判断するのは、もちろんあなたの自由です。
当たり前です。(自由意思と責任)
>しかし彼らにも彼らなりの「より良く、より高く」があるわけだ。
勿論です。
>>227中段以降にも、
ツッコミやすいように価値の相対性についてシツコク書いてあげてるでしょ。(笑)
何でだか分かりますか。わたしはあなたの考えを理解した上で発言していることを
あなたに知らせるためです。
>道徳は私的ではあるが公的でもある、などと、わけのわからないことを言ってごまかさずに、
「公」と「私」についてもっと勉強して下さい。恥ずかしいですよ!
>あなたの道徳観に合わない者と対決する姿勢を最初から示すべきだったのではないのか?
対決とかってカッコつける前に、勉強して下さい!
>>246 >わたしは、本を読んでもいないのに〜
--->わたしは、ブッシュ発言は兎も角、本を読んでもいないのに〜
に修正します。
>>245 「神秘主義」という点についてだけ、弁明しておきます。
俺が「存在全体と一体となる」という表現をしたのは、おもに、
ニーチェの「運命愛」による一切肯定の哲学と、大乗仏教、特に
道元の「全機現」の思想を念頭に置いて書いたものです。
これら二つの思想には類似点が非常に多く、どちらも
「行為」を重視する現実肯定的な思想です。
「他者や社会との有機的な関係性を排除していく」という点は、
上座部仏教の一部には当てはまるかもしれませんが、
大乗仏教には当てはまらないのではないかと思います。
では、この辺で消えます。
俺は2chはめったに見ないので、
もうお会い(?)することもないと思います。
お元気で。
>>234 >私は少し前にここに書き込みをしていました。その部分で形式的には
>返答をしないで去っているので、その部分無視していないことを示すため、
>リンクを貼っておきます。
リンクだけじゃなく答えを書いてくれないか?
252 :
考える名無しさん:02/06/13 20:15
1よ 誰にでも何か一つぐらいとりえがあるといわれるだろ、だから利用価値のある
ものを無くすような行為はしてはいけないと思うからだろ、あくまでも個は個の自己利益
を追求する性質にあるからそう思うんだろ、自己利益を追求しないものは自然界で
生き残れないだろ、人間は自己利益を追求してきたから今まで生き残れてきたし
自己利益の為にあらゆるものを利用しようとするし これからもそうしていくだろ、
>>251 あなたの反論で終わってるんですから、あなたは、自身の最後の反論の正しさを
誇っていればいいのです。誇れるものならね。
なんなら私が反論しなかったことを第三者に向かって訴えても、結構ですよ。
255 :
考える名無しさん:02/06/13 21:03
「自己言及」
これが、なぜ人を殺してはいけないかを論理で説明する時のキーワードだ。
この問い、西洋かぶれ自由主体日本らしいよな。クソだ。
256 :
考える名無しさん:02/06/13 21:22
ウチのオカンの名答
「ほっだな、警察さ捕まっからに決まってんべ。」
>>253 >あなたの反論で終わってるんですから、
終わったのかどうか現段階では判断のしようが無いじゃないか。
あなたの考えでは、「議論するつもりは無い」と言っていても、
反論がでればそれに答えると言っている。
カオル氏には、他のスレで自分のレスで終わっていながら別のスレまで追いかけて、
議論?を終わらせようとしていない。
余計な皮肉はいらないから、あなたの発言に矛盾が無いことを説明したらどうだね。
それとも先ず、「余計な皮肉」が余計でない事から説明するかい?
>>258 あなたは、私が「カオルさんに反論を求めてレスを書いたのではない。
カオルさんの議論が有害であると考えるので、参考に供するためにレスを書いた」と
言っているのに、それをさんざ無視して「反論する義務はない」と、筋違いな
言いがかりを延々とつけたわけですが、私には、反論を求めるんですか?
私は反論の義務に関しては、これまでに原則として行うべきであると
触れていますし、その点についてどういう例外があるかも触れています。
あなたは議論をする価値のない人間であり、そのことはこれまでのレスの中で
十分に示されています。だから、あなたと議論を続けるつもりはありません。
>>207-208 が、私のレス、
>>210が、100氏のレスです。
>>259 あなたは
>>75ではっきり反論と言っているよ。
>>102でも再び反論だと言っているね。
しかも
>>68で最初に「あなたと議論する気はありません。」と断り書きをしてだ。
「参考に供する」と「反論である」のどちらかが誤りだったのかい?
それともどちらとも正しいと解釈できる理論があるのかい?
最初からこのことについての質問を繰り返ししているのに、なぜ答えないんだい。
いい加減、論点そらしを止めてくれないか。
被発言者に「反論する義務がない」とする考えと、
発言者が被発言者に反論を求める事とに矛盾は無いんじゃないかい?
「他のスレでの事と言う事実関係」が理由にならないとする主張も述べている。
このことに関するあなたの現段階での認識も聞けていない。
俺が
>>100でカオル氏が逃げたと言い換えたことに対して、
あなたは
>>102で「逃走」ではなく卑怯なまねをしているだけだと言っている。
にもかかわらず、
>>116では>無視して近場に逃げて考えを展開してるから〜
と逃げたと言う表現を使っている。
自分で「議論する気はない。」と―言った―のに、レスがあれば議論すると主張する。
そもそもあなたの議論は、
あなたの発言をあなたの主張だと考えていいのかい、いけないのかい?
誰か100氏にレスをお願いします。別に私でもかまいませんが・・・
なんなんだ
反論について注釈しておきます。
私が書いたレスが「反論である」ことと、相手との間で議論するつもりがないこと、
つまり書いた反論が、参考に供されるものとしてかかれることには、矛盾はありません。
前者はレスの内容に関することであり、後者は、レスを書いた上で、それについて
レスを受けるかどうかに関わる話だからです。
そして、反論を書いたのにも関わらず「議論するつもりがない」と書いたことに
合理的な理由があることについては、すでに説明済みです。
>>207-208 なぜここまでぐだぐだと言い掛かりをつけてくるのか、まったく分かりません。
議論の名のもとに、嫌がらせを延々と続けるのは、やめてください。
>>264 >>207で書かれた、次の説明を言っているのかい。
>カオルさんが、反論をしなかっただけでなく、反論されつくした有害な議論を、
>そのまま別のスレッドで展開したため、私は、
>>68-72で、読み手の参考という目的を
>示して、書き込んだのです。
有害だと誰が何の基準によって決めたのかがわからないが、
それにしてもカオル氏の発言が有害であることと、あなたがこのスレで、
「議論する気はない」と書いて反論?した事とがどう合理的に結びつくんだい?
未だに「議論する気がない」とした必然性の説明になっていないんじゃないか?
>私が書いたレスが「反論である」ことと、相手との間で議論するつもりがないこと、
>つまり書いた反論が、参考に供されるものとしてかかれることには、矛盾はありません。
>前者はレスの内容に関することであり、後者は、レスを書いた上で、それについて
>レスを受けるかどうかに関わる話だからです。
つまりあなたの考えでは、ある意見に対して異論を唱えた場合、
議論でなくても反論であり、批判ではない。ということかい。
それとも「議論する気はない」と書いたが反論が出れば議論するのだから、
その意味で反論であると言うのかい。
この点においても「議論する気はない」と書いた必然性が否定されているのではないかい。
>>260 の後半の質問にも答えて欲しかったのだが無視されたようだね。
266 :
考える名無しさん:02/06/18 00:51
age
素晴らしい議論が出た後で、哲学について知識のない私ですが、
このスレッド「なせ人を殺してはいけないのですか」に対して、
私なりの考えを書きたいと思います。
単純ですが、この問題は難しく考えれば考えるほど深みにはまる気がします。
個人の価値観・人生観はもとより、宗教観・教育を受けてきた過程・周囲の環境
等によって様々な見方が出てきて当然です。
ですから、私はこのスレッドを「子供が親にちょっとした質問をした」
と言う設定で考えようと思いました。
自分が親なら子供にどのように教えるか、一番純粋で、
簡潔じゃないかと考えたわけです。
私ならこう言います。
「じゃあ、お父さんとお母さんが殺されたらどんな気持ち?」と。
反抗期の子供に聞いたら、ショックを受けそうですけどね。(自分が
>>267 >「じゃあ、お父さんとお母さんが殺されたらどんな気持ち?」と。
それは説得であって論理では無いね。
>>268 レス付けてくれてありがとうございます。 前レスから随分立ってるので
放置かなと思っていました。
そうですね。論理的でないかもしれません。
私も人と議論するのはかなり好きなので、つい書きこんだんですが
今まで生きてきて感じたことが
「人を自分の理論でねじ込んでも、相手や周囲にとっては
不快しか与えない」 事を痛感しました。
議論することの大きな目的は、「一歩前に進む」事だと思います。
哲学も根底にはそれが流れているのではないでしょうか?
相手を理攻めで潰すことより、相手にさらに高度の意見が出るよう誘発させる
そういう発言の出来る土壌が本当の議論の場にふさわしいと思います。
>>269 論理を考えるのは、相手をつぶすためではないよ。
相手に不快さを与えるためでも、逆に快く思われるためでもない。
例えば、
>議論することの大きな目的は、「一歩前に進む」事だと思います。
だとするならば、相手に快く思われようが、不快に思われようが、
進んだ考えであれば、言うべきなのではないだろうか。
相手の気持ちを慮って、それを控えたり、違うことをいったりするのは、
目的に反するのではないかね?
>相手を理攻めで潰すことより、相手にさらに高度の意見が出るよう誘発させる
>そういう発言の出来る土壌が本当の議論の場にふさわしいと思います。
さらに高度の意見が出るように誘発させるというのは、
相手の意見の良いところは認め、
疑問がある点についてはたずねるということでよいではないだろうか?
相手が不快に思わないように質問を差し控えることは、
質問を行うことに比べて、高度な意見に到達するために何か役に立つのだろうか?
ええと、何か誤解されてしまったようなので説明しますね。
高度の意見が出るような土壌を作るというのは、言いたい事があっても
言わないということではありません。
簡単に言ってしまえば「発言の言葉を選ぶ」ということです。
あなたがもし、普段から良く遊ぶ友人に対する話し方と初対面の相手に
対する話し方は違うと思います。
それは何故か?
その相手は何に対して不愉快になり、どんなことに興味を持っているのか全く
分からない訳です。
社会に出ればそんな場面がたくさんあります。そういう相手と話し合ったり、
議論したりすることは多々あるはずです。
その時に最低限必要なマナーは誰しも守る暗黙の了解があります。
不愉快になる質問をしないのではなく、不愉快にさせる話し方を
しないということです。
最後に付け加えますが、あなたの意思とは関係なく相手が「不愉快」と感じた
のなら あなたは相手を不愉快にさせたということです。
〜p。s。〜
なにか攻撃的に見える文章になってしまいましたね。
怒っているわけでも恨んでいるわけでもありませんw
わざわざレスを付けていただいたので私なりの返事を書いたつもりです。
気分を害したら申し訳ありません。m(_ _)m
273 :
考える名無しさん:02/07/05 06:49
k
274 :
考える名無しさん:02/07/05 11:19
この質問は、発話主体が言う事ができない。
よって
===========終了===============
>>267 子供にこのような質問をされたら、問いの形で返すよりも
もっと率直に自分の考えを伝えたほうが良いのではないでしょうか。
「じゃあ、お父さんとお母さんが殺されたらどんな気持ち?」という
問いに対して、「殺したやつを僕が殺してあげる」なんて答えられたら、
今度はその子の考え(親への愛情から発した言葉)を否定しなくては
ならなくなってしまうのではないでしょうか。
↑子持ち(♂)の意見でした。
>>275 >、「殺したやつを僕が殺してあげる」なんて答えられたら、
>今度はその子の考え(親への愛情から発した言葉)を否定しなくては
>ならなくなってしまうのではないでしょうか。
必ずしも加害者を殺すと考えることのみが、親への愛情だろうか?
親への愛情から出た言葉だとしても、その方向に間違いはないのだろうか?
心と宗教板
☆★ゴルゴ13です!!依頼募集中★☆ より
137 :名無しさん@1周年 :02/07/05 23:54
>>1 なぜ、人を殺してはいけないんデスか?
138 :ゴルゴ :02/07/08 06:16
>>137 俺の仕事が減るからだ。
なぜ、勉強しなくちゃいけないのですか。
>>279 君がなるべくましな人生を送りたいと望んでいるか、
まわりの人間が君がそう望んでいるだろうと思っているから。
>>279 君の将来の選択肢を増やしてあげる為だ。
282 :
考える名無しさん:02/07/16 03:33
えー。ちゃいます。人が悲しむ事はいけないのかってことです。
誰も悲しまない殺人は世間的には悪くないです。誰も知らない殺人も
同じ。そうなったらあとは、当事者、自分だけの問題になる。
もしそれが、事故、正当防衛、緊急避難の場合は、どうですか?
殺人は、死んだ奴にとってはなんでもないです。そいつが死んで
思う所のあるやつが問題になります。つまり、どんどん人を殺して
最後、殺した人間だけが残ったら、一番可哀想なのはそいつじゃないですか。
だから、死刑反対してる連中も、死刑囚と関わりのある者のために
発言してないなら、そりゃ全部偽善ですよ。死刑のあるコミュニティー
に生きるのが嫌とか。でも、良い事言ってると思ってなくて、素直な
表現なら別に偽善でもなんでもないですけど。
適当に書いたので、読んでも訳解らんかもしれません。
283 :
考える名無しさん:02/07/16 04:06
>>282の考え方だと、自殺も他殺と同等という事になる。興味深いな。
284 :
考える名無しさん:02/07/16 04:41
結局、結論は出ない問いですね。
本当の所はどうでもいいってことか・・・。
結論が出ないというか、問いそのものが成立してないので答えようが無い。
こんな問いかけをするなんて、ずるいや。
本気でこんな疑問を抱いてる輩にはトートロジーで十分だい。
ずるいといっても、問いかけをすることによって何か得をしてるわけじゃないんだが。
+ アハハ・・・
アハハ・・・ + +
+ lヽ
. / ̄\ +. ∧_∧ l 」 +
コロスナヨー( ´∀`) (´∀` )‖
(つ つ (つ つ +
. + ( ヽノ ( ヽノ ナゼコロシチャダメナノ〜?
し(_) し(_)
(⌒\ / ̄\ +
\ヽ( ´∀`) ダメダッテイッテンダロ
(m ⌒\ +
+ ノ / / +
( ∧ ∧
ヘ丿 ∩Д` ) +
(ヽ_ノゝ _ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
近所のオタ(20歳無職)が「何故人を殺しちゃいけないの?」とアニメだかゲームだか映画だか
小説だかなんだかしらねーけどそこらへんのクソヲタが好きそうなアホ作品の影響されて、純粋な目で
問いただすんだよ。マジレスしてやったら色々と屁理屈こねるもんで、俺はそいつの首を思いっきり絞めてやった(笑)。
んで、締めながら膝で腹を8回くらい蹴りを入れてやった。そいつ、涙目にななっってマンガみたいに白い液を
口からボロボロと垂らしているの。きたねー。「これでわかったか?」と手に力いっぱいに問いただすと、
オタガキはしつこく首を横に振りやがるので、ヘッドロックかまして、足を思いっきり踏みつぶしてやった。
さらに力に手を入れて「いいのか? 死ぬぞ? お前が好きな月姫の続編とかできないぞ? ガンパレのエロ同人で
オナニーできないぞ? アリスソフトの会員費未払いでうち切られるぞ? エロゲープレイできなくなるぞ?
ラグナロクオンラインもできなくなるよ?」と脅してやったら、「し、しにたくないよ〜。ご、ごめんなさいー」だってさ。
ギャハハハハハハハ!こんなもんよ? くだらねーことをいう生意気なジャリオタどもをいいきかせるのはよ。
首を解いてやって、「なぁ、これでわかっただろう?」と聞いたら「うん。ごめんなさい」だってさ。ウヒヒヒ。
俺も立派な大人になったもんだな。説教をするなんて。
____
\ ∧ .∧
\ / ・ / ';, / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ . / '; ./ '; < 何故人を殺しちゃいけないの?
\ / ;______/ ; \
\ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∪ \/ ● ● \
| |____| |
|///// | | ///// |
| ..| | |
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| '; / /
/ \/ .. /
........:::::::\ ........:::::::<
/ ̄\ +
( ´∀`) ダメダッテイッテンダロ
/⌒ ⌒\ +
+ \\ / / +
( ((( )))ギュー
ヘ丿 ∩ 。Д。) +
(ヽ_ノゝ∨∨
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
丿 ,;⌒⌒i.
/ ̄\⌒ヽ ( ;;;;;) ______
(´∀` ) ⊂) ,,:;;;) | |
/⌒ ( ) ヽ| |/ |;,ノ | 樹海 |
( ⊃ ∨∨ | / .,i |______|
( ヽノ | | ,,i; ,, . ,;⌒‖
し(_) /ヽ ,,,丶, | |,,,;. ;i, ‖ヽ
*****注目*******
ずーーーっと考えてきて、やっと解答見つけられました。
人間は、
「自分にとって利益になる人は生かし、
不利益になる人は殺します。」
個人、家族、集団、国、どの社会レベルでも
上記の行為が行われています。
だから、相手にとって自分が利益になる関係を保てれば
あなたが殺されることはないでしょう。
スレタイトルにもし解答するならば、
殺さない殺されない社会の方が安心して住めるよ。
そして、いけないという気持ちにも関わらず
今も殺しつづけてるんだよ。
となるでしょうか。
293 :
考える名無しさん:02/08/18 14:35
ごめん。早く言ってくれないとわからん
294 :
考える名無しさん:02/08/18 14:44
>>1 法律で殺人は犯罪と定められている。
ということは「殺人が是か非か」の議論は既になされていて、
「殺人はいけない」ことの理由も出ているんだろう。
野暮だなぁ。
297 :
死後の世界信じないよ:02/08/19 14:47
人間を除く動物は、状況によっては 自分の子供でさえ平気で殺す。
人間だけが 罪悪感を持って 人や動物を殺す。
罪悪感を持った時点で 答えは決まっている。
罪悪感を持たない人間がいるとしたら、心が病んでいると 断言できる。
なぜなら その者も 人間だから。
罪悪感とは 心の片隅にある、相手に申し訳ないとおもう気持ち。
または 自分が悪い と思う気持ち。
罰とは罪悪感
救いはキリスト教
罪と罰
殺してもぃぃょ
300 :
考える名無しさん:02/08/19 16:54
2人以上殺して、死刑判決を受ければ、実感出来るミソ。
301 :
考える名無しさん:02/08/19 16:56
・・・300ゲットっとおおおおおお!!
(些細なシアワセ)
302 :
考える名無しさん:02/08/19 20:32
なぜ殺してはいけないんですか?
1、法律で定められているから。
→じゃあ定められていればいいんですか?→倫理的に駄目。故に不正解。
2、人が嫌がることを人にしてはならない。自分に返ってきたら嫌だから。
→でも世の中には死にたがっている人も数多くいる。
殺してはいけないということに関して、この問題を解決するのは定義である。
逆に言えば定義付けることができなければ答えではない。
定義に例外があってはならない。故に不正解。
3、倫理上、問題がある。
→なぜ問題があるのかを既に探求している最中なのでこの答えは的確ではない。
4、殺しあっていてはいずれ滅びるから。
→何かの結果に対して、その結果に陥るからしてはいけないというのは、子供が
友達を殴ったら先生に怒られるから殴らないといっているのに近いほど低俗な回答。
結果を恐れるのではなく、その行為に対しての定義付けがなされなければならない。
以上の点から、定義付けは不可能と判断。殺してはいけないという言葉に、本質はない。
>>302 同時に殺していいともいえない・・・・ということだな。
>>302 同様に「殺してもよい」という言葉にも本質は無いね。
そもそも、本質が無いのは、「なぜ殺してはいけなのですか」という質問のほうだよ。
問題が成立していないのに、答えがだせるはずがない。
306 :
考える名無しさん:02/08/20 04:45
もしかしてスレ違いかもしれないけど
dj`_aigbmf
他にある?
「殺人はいけない」というのを前提として議論しているのはおかしい
こうなってしまったら殺人をしてもいいと考えるしかない
>>304 >問題が成立していない
そうですその通りです。
だから皆が堂々巡りをします。
<なぜ人は生きるのか?>という設問があります。
この設問の仕方にも同じことが言えます。
すなわち
「生きる肯定派」の人達には有効な設問だが
「生きる否定派」例えば「自殺願望者」にとっては無効(無意味)な設問という訳です。
310 :
考える名無しさん:02/08/20 11:23
>>309 その「自殺」という行為自体は志願しているが、周りの人間の
助け(その当人にとっては余計な行為に属するのだろうけど)によって
自殺行為が回避されたりするわけです。
仮に誰も助けが来ない状況下であっても、その自殺の方法によっては、
改めて苦しさを実感し、思いとどまった可能性なのが関係すると思います。
と言うかこの世界に自殺をしようとしてする人間はいない。
何じゃそらって言う話だけれども
自殺する人は自殺する事が目的でなく「この世界から逃げる」事が目的なのだ。
つまり死ぬ、というのは目的でなくただの結果でしかない。
つまり自殺者にしてみれば自殺、という結果は二次的なもの、願っていたものの側面でしかない。
>>310 つまり大して自殺したいと思ってないわけだよね?
>>311 自殺は目的ではなく結果<と言うより目的でなく手段って事でしょ?
313 :
真賀田四季:02/08/20 14:40
愚かですね。何故殺人はいけないのか、という答えはデメリットの発生が高すぎるからに他なりませんね。
観念的な答えは何も必要ではありません。
四季 だ〜〜〜〜
>>302 >殺してはいけないということに関して、この問題を解決するのは定義である。
>逆に言えば定義付けることができなければ答えではない。
定義とは、言葉の意味の範囲を定めることであって、理由をあげることではない。
>殺しあっていてはいずれ滅びるから。
>→何かの結果に対して、その結果に陥るからしてはいけないというのは、子供が
>友達を殴ったら先生に怒られるから殴らないといっているのに近いほど低俗な回答。
>結果を恐れるのではなく、その行為に対しての定義付けがなされなければならない。
その行為の帰結と罰はまた別のものかと、
また、公理主義的な答えがOKならば、
>→でも世の中には死にたがっている人も数多くいる。
人の命は人のものだから→この場合、相手の選択権を侵害してはならない。
功利主義的解釈→実際のところ、多くの場合、その人の状態が死んだ方がマシと考えているための考えなので、
まずその状態を解決しなければならない。もしくは、その人の考えが間違っていると言う判断を下した場合(実際、自殺を止る理由として挙げられる事も多い)。
316 :
考える名無しさん:02/08/20 18:44
317 :
真賀田四季:02/08/20 21:26
愚かですね。此の世に善悪は存在しません。
318 :
考える名無しさん:02/08/20 21:34
何故禿げるのですか?
と同じで答えは無い
仮に答えがあったとしても
防ぐ事はできない。
319 :
真賀田四季:02/08/20 21:41
答えはありますよ。これは実に貴重で私自身の価値観念に入り込みすぎるので記しませんが。
>>318 「答えが無い」のではなく「答えられない」のです。
設問自体が不完全だからです。
この設問は証明されていない命題『人を殺してはいけない 』を前提としています。
それはすなわち<設問の不完全さ>を意味します。設問として成りたっていないのです。
321 :
考える名無しさん:02/08/20 23:00
バカはすっこんでろよ
>>308 私は、「無効な質問(成立していない問題)」は立場に関係なく無効だ(成立しない)と思う。
323 :
考える名無しさん:02/08/20 23:38
俺はテストのような問い以外を問いとして受け付けない態度が無効だと思う
324 :
考える名無しさん:02/08/20 23:39
325 :
考える名無しさん:02/08/21 00:04
殺人行為じたい可能だから
可能なものについては全て肯定否定が存在する
行為可能性は直接関係無いと思うが。
327 :
考える名無しさん:02/08/21 00:14
不可能なら設問が成立しないからね
誰の目から見ても明らかに
まあ、不可能な行為についても、有為な命題はいくらでもあるけど。
数学や物理学なんかではそれほどめずらしいことじゃないと思うが。
329 :
考える名無しさん:02/08/21 00:21
「なぜ不可能な行為をしてはならないのか?」は設問としておかしいでしょ
330 :
考える名無しさん:02/08/21 00:23
できないでしょ
331 :
考える名無しさん:02/08/21 00:23
ごめん「なぜ不可能な行為をしてはいけないのか?」だ
332 :
考える名無しさん:02/08/21 00:25
ごめん「できないでしょ」
333 :
考える名無しさん:02/08/21 00:26
だから設問として成立してないじゃない
「不可能な行為をしていい」とか「不可能な行為をしてはいけない」
て文章がおかしいでしょ
どういう状況か想像できる?
別に。
「不可能ではあるけれどもやったとしたらどうなるか」
という設問はそう珍しいものでは無いと思うが。
普通の人間には、地球を破壊することは不可能だが、
(宇宙の破壊でも、時空の破壊でも良いが。)
自分の生存なりなんなりの目的を設定すれば、
それについて、それが良いか悪いかは判断可能だ。
335 :
考える名無しさん:02/08/21 00:31
>普通の人間には、地球を破壊することは不可能だが、
これは明らかに恣意的な読み替えでしょ
普通という言葉を使用して逃げてるだけじゃん
可能性は全く無い?
>>335 確かに、私が示したのは「事実上」、
「例外を除いては」という意味での「不可能」でしかない。
しかし、それを許さないのであれば、
おおよそ「不可能な事」などというものは存在しないのではないかね?
337 :
考える名無しさん:02/08/21 00:37
338 :
考える名無しさん:02/08/21 00:39
>>336 地球の引力に引っ張られて地面から遠ざかること
339 :
考える名無しさん:02/08/21 00:39
>>336 蘇生できない死に至りながら生き返ること
>>337 おそらく、「結婚している」「独身」という二つの状態に同時になることができない、
ということを言いたいのだと思うが、
それは「不可能な行為」ではなく「存在しない行為」じゃないの。
342 :
考える名無しさん:02/08/21 00:45
神はいない
343 :
考える名無しさん:02/08/21 00:46
それじゃ、「やかんを火にかけて凍らせる」
これは矛盾してる?
344 :
考える名無しさん:02/08/21 00:48
存在する行為だけど不可能な行為てニュアンスが伝わらん
345 :
考える名無しさん:02/08/21 00:49
可能か不可能かは可能世界に存在するか否かではないかな?
346 :
考える名無しさん:02/08/21 00:49
>>334が言ってるのは
「不可能な行為」を行為することは、前段の定義に矛盾するので、
論理的にナンセンスな命題ということでは?
矛盾律を否定した(論理的な)回答もあるとは思いますが・・
あと、そのことと、スレタイとの絡みについては不明ですけど
>>343 それ可能じゃないの?
凍らせる=気体又は液体を固体化する と考えれば
温度の低い火にかけて、やかんに更に高温で液体化した物質を入れて固体化することは可能
事の是非を考える場合、
「やかんを火にかけて(おそらく中の水を)凍らせる」
において、「やかんを火にかけて」はあんまり
重要じゃない場合が多いんじゃなかろうか。
「やかんを冷蔵庫にいれて(おそらく中の水を)凍らせる」
でも結果的には変わらないような・・・。
つまり、行為不可能性はあんまり事の是非には関係してないのでは?
349 :
考える名無しさん:02/08/21 00:59
>>346の続き
なので、盛り上がってるところ恐縮ですが(w
敷衍すると
>>327=
>>334は、
>>346とさせてもらって(w
でも、殺人は不可能な行為ではないので
「なぜ人を殺してはいけないか」は、曖昧な表現であっても
無意味な問いではない
倫理学の問題になっているの?
オレ倫理学だいっきらいやねん
倫理学は学問ではない
さて
「なぜ人を殺してはいけないのか?」とは面白い問いである
人を殺してはいけないことを現代人はドグマのように信じ込まされている
疑問を感じる人がときどきいて 自然なことだと思う
自分の生存を脅かす者 自分の最愛の人を殺した者など
基本的にこういった奴らを殺す権利を人間は持っている
でもそれを公に認めることは秩序維持に不都合だから
法治主義で 断罪も処罰も復讐も法が代わって行う約束になっている
それだけ
妻と子どもを殺されて おとなしく裁判の傍聴席に座っている男
こいつは大変な英雄かすごい馬鹿だ
オレならどんな方法を使ってでも 犯人を殺すね
たとえそれで死刑になっても
そのくらいの認識をもっていなければ
殺人の是非を考えてもいたずらに抽象論にしかならないだろう
その際
1 殺人は禁止されるべきか否か
2 殺人は禁止されるべきだと考えられるが、
その積極的な根拠を考えたい
との2種の解釈がある(当たり前だけどね)
なので、どちらについての話をするのかが
不明だと混乱するとでしょ(当たり前だけどね)
>>349 それは、「人を殺す」という「行為の記述」が文章として矛盾を含んでいないという意味しかない。
「どうして人を殺しちゃいけないの?」という「質問」が問題として完成・成立してないことには変わりは無い。
353 :
考える名無しさん:02/08/21 01:11
>>348 それは当為を抜かして考えているからです
目的を抜かして考えてるということ
目的が結果ならば変わらないけだ
目的が手段ならば全然異なる問題
354 :
さらに蛇足:02/08/21 01:13
>>349にも書いたように半分同意です
>>352 「完成」はしてないけど、曖昧な文章だというだけで
普通の意味では「成立」してますよ(当たり前だけど)
もし、「完成」してないとすれば、そもそも「完成」している
日常文など、存在しないのではないですか(w
失礼 冗談です
いずれにしても普通は、
>>351のどちらかの意味だと
考えればいいのではないでしょうか
>>353 >それは当為を抜かして考えているからです
>目的を抜かして考えてるということ
だから、「どうして人を殺しちゃいけないの?」という質問にはそれが欠落しているから、
問題として成立して無いといっているのだが?
356 :
さらに蛇足:02/08/21 01:19
>>351も舌足らずですみません
私は、当たり前ですが、倫理的なタブー視(
>>351の2)
以外には、殺人を禁ずる理由はないと思います
そして、どのような(倫理的)根拠をもって
殺人を禁ずるかが、難しいと思う
倫理学をナンセンスというのは、赤子の手を捻るよりも容易いことですが
社会は倫理を必要とするのではないでしょうか
>>350さん
357 :
考える名無しさん:02/08/21 01:19
>>353 それはおかしいでしょ
「なぜ人を殺さないことを目的として人を殺してはいけないの?」という質問は
思いっきりトートロジーだよ
それともトートロジーに還元できない問題は質問として不完全なの?
それこそ論理学の思い上がりだよ
>>354 >いずれにしても普通は、
>>351のどちらかの意味だと
>考えればいいのではないでしょうか
いずれにしても、どちらの記述にも目的の提示は含まれていないので、
問題として成立してないと思うが。
>日常文など、存在しないのではないですか(w
日常文に目的が欠落してるのは、通常は対話する当事者間で、
暗黙のうちに共通の目的が了解されている(と当事者が考えている)からだろう。
本題にもどり結論から言うと
人を殺しても良いという行為
事態に同意を求めずらいからだろう
>>359 同意を求めずらい行為を行ってはならないとする理由は何?
361 :
考える名無しさん:02/08/21 01:33
>>359 うまい言い方だね
同意は目的の意味を含むからね
ちなみに ずらい→づらい
単純に生き物を殺す事によって
理解できるはず
363 :
考える名無しさん:02/08/21 01:38
>>358 粘着ですね(w
>いずれにしても、どちらの記述にも目的の提示は含まれていない
>>358 >日常文・・暗黙のうちに共通の目的が了解されている
(と当事者が考えている)
と自分で書いてるではないですか(w
364 :
考える名無しさん:02/08/21 01:39
つまり同意を求めづらい行為を行ってはならないとする理由は
目的を共有しづらい行為を行ってはならない理由になるよね
それは私的行為につながる
>>363 >と自分で書いてるではないですか(w
それがどうしたの?
>>364 だから、まず、その
「同意を求めづらい行為を行ってはならないとする理由」
を示して欲しいんだが。
367 :
考える名無しさん:02/08/21 01:44
>>325さん
同意しづらいのは同意しますが(w
>>360さんが言うように論理的には「禁止」までは飛躍はありますよね
論理必然性を欠いてもいいという立場も、むろんあると思いますが
368 :
考える名無しさん:02/08/21 01:46
>>366 それはつまり私的行為が存在するか否かということだと説明してるじゃん
「私的にルールに従うとはどういうことなのか」とウィトゲンシュタインが考えたから
それを参考にしたら?
「いけない」は自分個人の問題として存在しうるの?
369 :
何を言いたいの?:02/08/21 01:49
一見すると目的の提示が含まれていないかのように見える
日常文であっても、暗黙のうちに共通の目的が了解されている
(と当事者が考えている)ので、応答としては成立しえるのである
ここで、
>>1の問いは日常会話で成立しえる日常文なので
当然上記が該当する
これでいいですか?(w
>>365
370 :
考える名無しさん:02/08/21 01:53
錯綜してますが
>>368 ビトは「私的言語」の不可能性でしょ?
(妥当かどうか疑問だが)
おまけに共有しづらい行為≠私的行為だっせ(w
371 :
考える名無しさん:02/08/21 01:55
>370
私的言語のウィトの考察を踏まえてロールズが展開してるんだよ
でもロールズは画期的なことを言ってるわけではなく
ほとんどウィトの焼き直しなの
それぐらい理解してから突っ込め
低度の知識を振りかざして自分の無知をさらけ出すな
知識の多(!)寡と論理的正当性は無関係なんだがなー(w
>>371
同意をもとめづらいという事は
常に少数派でいなければならないと言う事だと思います
高度な文章が使われ始めてので寝ます
375 :
考える名無しさん:02/08/21 02:00
>>372 どうせ私的にルールを守る≠私的言語とか言うと思ったから簡略化したんだよ
共有できない≠私的とか言う脳なら仕方がないけどな
>>369 君は、日常会話をしているのか?哲学的議論をしているのか?
>>368 >それはつまり私的行為が存在するか否かということだと説明してるじゃん
>>364 は、全然説明になってないが。
「○○の理由は〜になる〜につながる」という文章は、
「○○の理由」と他の事柄との関連の記述であって、
理由そのものは全然示していない。
私的行為の存在の有無が、「してはならない理由」とどう関係するの?
379 :
考える名無しさん:02/08/21 02:05
>>376 哲学的議論ツーのを見せてくれよ(爆笑
もう寝るから早くしろよ
380 :
考える名無しさん:02/08/21 02:07
381 :
考える名無しさん:02/08/21 02:07
あなたが殺されることを望まないから>1
383 :
考える名無しさん:02/08/21 02:08
>>382 自分が望まないことを他人にするのは普通ですが、何か
384 :
考える名無しさん:02/08/21 02:09
>>378 だから
自分だけでルールを守る行為て存在するかしないか
もしルールを守る行為に他者の存在が必要ならば
目的を他者と共有するものがルールとして「してよい」とされ
否定的な目的を他者と共有する場合「してはいけない」が成立するでしょ
「自分の目的を目的としなければいけない」
「自分の目的を目的としないことはしてはいけない」
これは同意できるでしょ?
さっき矛盾律を否定したんだから
後は行為と目的に他者の関与がどう関連するかで
目的を共有できない、しづらいと私的行為が結びつくよね?
385 :
考える名無しさん:02/08/21 02:09
>>376 明日の朝までに書いとけよ >?589もな
386 :
考える名無しさん:02/08/21 02:15
>>384 だから、まず3段論法勉強しろって
殺人≠目的を共有しづらい行為
目的を共有しづらい行為≠私的行為(ルール)
私的ルール≠私的言語
私的言語の不可能性 妥当性に疑問
何か言うことは?
>>1は、漠然と「人を殺してはいけない」感じていて、
また、多くの(日本)人がそれを共有していると認識している。
>>1は、自分と多くの人々にそうした感覚が生じた理由・根拠・原因に興味をもち、
それを漠然と問うているのだと仮定しよう。
つまり、彼らがなぜそう感じるのか説けばよい。
それは、遺伝と環境。
終わり。
388 :
考える名無しさん:02/08/21 02:17
>>386 かける言葉も無い
お前は微分積分の計算をする前に平行線定理の是非を考えるのか?
とりあえず仮定しろ
その後に各々調べろ
389 :
考える名無しさん:02/08/21 02:18
自我を滅却しなさいさすればこの答えの意味がわかります>383
>>385 質問に答えずにはぐらかそうとしているのかな?君は日常会話をしているのか?
392 :
考える名無しさん:02/08/21 02:19
修正
計算をする前に→是非を問う前に
393 :
考える名無しさん:02/08/21 02:19
もっぺん、質問かけ >>よこ
>>369 >(と当事者が考えている)ので、応答としては成立しえるのである
つまり、暗黙裡に共通の目的を了解している当事者間ででしか、
目的が省略された日常文の質問は成立しえないということだね。
したがって、
>>1
の問いは、目的を暗黙裡に共有している当事者間でしか成立しない。
395 :
考える名無しさん:02/08/21 02:21
はよせー >>よこ
俺の話が哲学議論でなきゃどれが哲学議論かって
日本語のどこが不明なんだ 日本人かお前?
>>395 >>369 >ここで、
>>1の問いは日常会話で成立しえる日常文なので
>当然上記が該当する
つまり日常会話といっているんだろう?
397 :
考える名無しさん:02/08/21 02:23
>>389 微分積分の是非を問う際にユークリッド幾何学の是非をまず問わないだろ?
ユークリッド幾何学を仮定した上で微分積分を考えて
その後にユークリッド幾何学の是非を考えるだろ
仮定して経緯を見たうえで判断する方法もあるだろうに
と憐れんでいるということ
プラグマティズムでも言ってるだろ
「仮定して結果を比較しろ」と、
(意味は違うが)
>>384 というか、そもそも、「ルール」がなぜここで必要なのか不明なのだが?
なんらかの共同体への帰属を目的として設定しない限り、
「ルール」を導入しなければならない理由が見当たらないが。
399 :
考える名無しさん:02/08/21 02:25
>>394 >目的を暗黙裡に共有している当事者間
そこが重要なんだよ
誰とも目的を共有しない場合は
それは「私的にルールに従う」になるだろ
そのような行為がありえるのか否か
という問題にシフトすると言ってるの
400 :
考える名無しさん:02/08/21 02:25
>>394 そのとおり つーか、そんなことまで書かせんのかよ
あと、こんなつまんねえ返事するのに何分かかってんだ?
で、普通はさっき書いた意味に取るだろ
せめて、わかりにくければ、こうじゃないか、ああじゃないかって
「解釈」(哲学議論プ)するのが
「翻訳の不可能性」(プ)を含んだ
「善意」(プ)に基づく
普通の「コミュニケーション」だろ
こんなくだらねえこと書かせんなよ
401 :
考える名無しさん:02/08/21 02:26
>>396 じゃ、後期ビトは日常会話をしていたと
オースチンも日常会話をしていると それならOK
402 :
考える名無しさん:02/08/21 02:27
>398
「ルール」の言葉が嫌なら「公理系」という言葉でもいい
「いい」、「いけない」は行為が可能か不可能かで判断することはできないのは了承済みだろ
可能な行為についてしか問題が成立しないんだから
403 :
考える名無しさん:02/08/21 02:27
だから、早く哲学議論みせろよ >よこ
>>403 >だから〜
じゃなくて、君は日常会話をしているのか?
>>399 >誰とも目的を共有しない場合は
>それは「私的にルールに従う」になるだろ
なぜ?
というか「私的にルールに従う」ってどういう意味?
406 :
考える名無しさん:02/08/21 02:30
>>397 要するに論理的錯誤ってことだろ
てことは、お前の言い方なら
(論理的に(w))何でも可能だな
407 :
考える名無しさん:02/08/21 02:31
>>397 論理的飛躍を率直に認めないで
ビトだのローティだのつまんねえこと言ってんじゃねえよ
>>400 すまない、何がいいたいのかよくわからないが。
つまり、「(日常会話を除いては)問題として成立していない」という点については
了解してもらえたということでいいのかね?
409 :
考える名無しさん:02/08/21 02:32
>>406 違うだろ
論理は仮定を置いた上で語るだろ
論理学でも論理の公理系の定理
A≠notAを先に仮定した上ではじめるだろ
そしてA≠notAの是非を問うのは論理学で答えを出した後じゃないか
論理学を学んだことあるの?
410 :
考える名無しさん:02/08/21 02:33
>>404 このスレはあほの集合か
だから、お前が定義する哲学議論/日常会話の区別が
わからないから書けって、そんなこともわかんねえのか
定義がわかんなきゃ答えようがないだろ もうあほな質問すんな>よこ
>>402 >「ルール」の言葉が嫌なら「公理系」という言葉でもいい
嫌だなんていってないが。
「ルール」なり「公理系」なりを導入しなければならない理由を説明してくれ。
>「いい」、「いけない」は行為が可能か不可能かで判断することはできないのは了承済みだろ
それは再三私が主張している。
>可能な行為についてしか問題が成立しないんだから
その点については結論は出ていないと思う。
「可能な行為」の定義によると思う。
>>410 君自身がどういうつもりで発言しているのかを聞いているのに、
何で俺の定義が必要なんだ?
413 :
考える名無しさん:02/08/21 02:37
>?589
どうして人を殺しちゃいけないのですか?
と言われたら、ふつーの人は
それはね〜 と答えるだろ? 答えません?貴方?
東京タワーの3番目の娘は今何の職業に就いているんだい?
という質問とは違うでしょ、ってこと
まだわかんなきゃもうちょっと付き合うぞ(w
414 :
考える名無しさん:02/08/21 02:38
哲学をしなさい
そして融合しあいなさい
416 :
考える名無しさん:02/08/21 02:41
>>409 違うってのはどの部分を指してるの?
仮定をまず置けってことか?
仮定を置いてから論理を組み立てるのは別に結構なことだと思うが
それと、自分の論理的な飛躍を正当化することは
まったく別の話だろ? 違うか?
俺が言いたいのはお前が論理的に飛躍した話をしてる
ってことだけだよ
>>414 では聞きたい、君自身は日常会話と哲学議論は分けて考えていないのかい?
418 :
考える名無しさん:02/08/21 02:42
>>411 >嫌だなんていってないが。
>「ルール」なり「公理系」なりを導入しなければならない理由を説明してくれ。
公理系は仮定だろ
だからとりあえず正しいか否かは置いといてそう設定できるから「公理系」
俺が俺の目的に沿って具体案をつくるのは仮定とその上に構築されたものでしょ
「自分の目的を目的としなければいけない」は了承しているんだから
具体的にその目的を公理系として設定できるよね
>その点については結論は出ていないと思う。
でも矛盾したもの、つまり「独身でありながら結婚してよい」とか
「独身でありながら結婚してはいけない」とかは設定としてダメだよね
つまり矛盾以外についてしか「いい」「いけない」は設定できないわけだよね
419 :
考える名無しさん:02/08/21 02:44
>よこ 分けてるよ
とりあえず、もちっと早く答えてくれよ
420 :
考える名無しさん:02/08/21 02:45
>>416 ならまず細かいところでなく全部を読め
それに俺は殺人→同意できないとは一言も言ってない
他人の意見から
同意を共有しづらいものならば私的行為の是非に関わるよねと展開したの
そう書いたのも
「なぜ同意を共有しづらい行為をしてはならないの?」との質問があったから
>>419 日常会話で成立する事を根拠に結論を出すことは、議論として成立するのか?
422 :
考える名無しさん:02/08/21 02:49
>>421 だから(w
具体的にどの文言が君の指摘に合致するのかを
「指示」(w してくれなけりゃ 話ができまい? 違うのか?
423 :
考える名無しさん:02/08/21 02:49
そうそう、ついでに言っとく
論理、論理て騒ぐ奴ほど論理学を学んだことがないと俺は思ってる
論理は仮定と結論をトートロジーで結びつける行為だからね
>>418 >具体的にその目的を公理系として設定できるよね
よくわからないが、「目的=ルール(公理)」というような意味なの?
>でも矛盾したもの、つまり「独身でありながら結婚してよい」とか
「矛盾したもの」はそもそも文章が行為の記述として成立していないという見方もできる。
426 :
考える名無しさん:02/08/21 02:53
>>420 だからー、
私的言語の不可能性と殺人の否定をくっつけるのは
強権付会だ、つーの
なぜなら、殺人≠同意を共有しづらい行為ではない
て書かなかったか?
以下繰り返し
427 :
考える名無しさん:02/08/21 02:54
>>424 >よくわからないが、「目的=ルール(公理)」というような意味なの?
そんな感じでいい
目的という仮定から説明できる群、みたいな感じで俺は使用している
>「矛盾したもの」はそもそも文章が行為の記述として成立していないという見方もできる。
とりあえずその物事が可能なことと「いけない」は対立しないよね
「ある可能な行為をしてはいけない」は矛盾ではないよね
428 :
考える名無しさん:02/08/21 02:56
>>426 だから、それは俺が主張したことじゃないの
途中から参入して過去レスも見ずにイチャモンつけるな
2ちゃんねるのマナーぐらい守れ
429 :
考える名無しさん:02/08/21 02:56
よくわからんなー
要するに何を言いたいのか、はっきり言ってくれ>よこ
>>429 少なくとも、今ここで語ってる君と、君以外のものとに、
『暗黙の了解』があるといえるのか?
431 :
考える名無しさん:02/08/21 02:59
>>428 >364 :考える名無しさん :02/08/21 01:39
>つまり同意を求めづらい行為を行ってはならないとする理由は
>目的を共有しづらい行為を行ってはならない理由になるよね
>
>それは私的行為につながる
これ書いたの君じゃないの?(w
432 :
考える名無しさん:02/08/21 03:00
>>431 そうだけど殺人は同意を求めづらい行為だとは一言も言ってないぞ
論理的になw
433 :
考える名無しさん:02/08/21 03:01
相変わらずよくわからんなー >よこ
どうして、君たちはつまらないかっこつけたしゃべり方するかなー?
1 「俺」が気に入らない
2 人を殺してはいけないのですか という問いは
問いとして成立していない
3 とにかく僕は頭がイインだ、と言いたい
1〜3のどれだ? >よこ
434 :
考える名無しさん:02/08/21 03:02
論理
物理 数学
435 :
考える名無しさん:02/08/21 03:03
436 :
考える名無しさん:02/08/21 03:04
>>432 >殺人は同意を求めづらい行為だとは一言も言ってないぞ
>論理的になw
そうか、お前はそれが言いたくて
今までヴィトゲンシュタインの話をしてたんだな
哲学って大変だなー(激笑
437 :
考える名無しさん:02/08/21 03:04
>よこ 早くしないと勝利宣言出して寝るぞ
439 :
考える名無しさん:02/08/21 03:07
成立してるじゃん
それとも、論理記号で書かれた命題(プでないと
「ナンセンス」なのか?
440 :
考える名無しさん:02/08/21 03:07
>>436 うん、俺は論理的に進めたつもりなのに
誰かがそれは論理的でないと批判した
でもその批判が実は論理的でないと俺はずっと言っていたわけ
でもなかなか伝わらなかったね
442 :
考える名無しさん:02/08/21 03:10
>436
とりあえず教訓
「論理的でない」という批判は相手の意見をよく理解しないとできないわけ
分かったら「論理学」でも読んで勉強しろ
443 :
考える名無しさん:02/08/21 03:11
>>440 わざわざビトを出す意味はないだろってこと
あと、出すならわかりやすく書けってこと
こんな単純なスレタイで入ってくる奴は
哲学のタームに通じた奴らばかりじゃない
お前がどういうつもりだったかわからんが
俺にはいやらしいこけ脅かしに見えたってこと
で、強い論理的帰結を意味していないのなら
最初から、何か関係がありそうだ、とか
話の途中でそう書けばいいこと
444 :
考える名無しさん:02/08/21 03:13
>>443 ウィトの引用は「同意を共有できない行為をなぜしてはならないのか?」の質問にかかってくるんだよ
ルールに従うことは他者を排除して可能なのかどうか、
それは最終的にウィトの思考が重要になってくるだろ?
445 :
考える名無しさん:02/08/21 03:13
446 :
考える名無しさん:02/08/21 03:16
>443
>最初から、何か関係がありそうだ、とか
だから最初は「つながる」と少しぼかしといただろ
447 :
考える名無しさん:02/08/21 03:18
>>444 人を殺してはいけないのかの議論の文脈からは
同意を共有できない行為、がスレタイと無関係であるはずがない
もし、「純粋に」同意を共有できない行為の話をしてるんだと主張するなら
それは意図的なすり替えであって、詭弁だな
448 :
考える名無しさん:02/08/21 03:19
449 :
考える名無しさん:02/08/21 03:22
おい、もう寝るぞ >よこ
で、最後だ
>440 名前:考える名無しさん :02/08/21 03:07
>
>>436 >うん、俺は論理的に進めたつもり
>446 名前:考える名無しさん :02/08/21 03:16
>だから最初は「つながる」と少しぼかしといただろ
ぼかした話をしながら、それを「論理的」と
しゃあしゃあと抜かすのは、詭弁
とにかく、こけ脅かしはよせ
あと、よこも言いたい事ははっきり言え
450 :
考える名無しさん:02/08/21 03:24
452 :
考える名無しさん:02/08/21 03:25
>>449 つなげたのは途中までさ「ロールズの私的にルールを守ることは可能か」まで
何なら質問をどうぞ
453 :
考える名無しさん:02/08/21 03:25
おっと
>>441があったな
ここで話す意味ねえだろ 俺に絡みたいだけか?(w
454 :
考える名無しさん:02/08/21 03:27
>>450 そりゃそうさ、ルサンチマン全開の文章、恥ずかしくなかった?
非論理、非論理言ってて
自分が間違ってたら詭弁
どうせ叩きたかっただけなんだろ?
叩けば自尊心が満足するんだろ?w
455 :
考える名無しさん:02/08/21 03:28
>>462 質問だって(プ
お前に聞くことなんてあるわけねえだろ(w
何様だと思ってんだよ(w
456 :
考える名無しさん:02/08/21 03:29
>>454 どこが間違ってるか具体的な指摘きぼんぬ
叩きたかったのはお見込みのとおり
>>453 それが、君が結論を出せるとする事の根拠じゃないのか?
458 :
考える名無しさん:02/08/21 03:30
では、寝るよ >boys
459 :
考える名無しさん:02/08/21 03:31
>>455 お前こそ分かってないね
相手を批判するのに相手に質問もしないでどうするの?
それともあんな短いやりとりで理解したつもり?
ハーバーマスがフランクフルト第一世代と論争した時も
もう少し言葉を交わしたよ
相手を理解しないでよく批判できるね
君は俺が知ってる哲学者の中で一番の天才だよ
460 :
考える名無しさん:02/08/21 03:32
・・・もういいかげんつまらん絡みはよせよ(苦笑
そういうのを屁理屈つーんだよ
君は空を飛んでいるものは全て鳥だと思ってるのかい
ちとは、「反省」してよ じゃね
461 :
考える名無しさん:02/08/21 03:33
>>456 殺人→同意を共有できない
は非論理と批判しながら
次の瞬間には
スレと無関係に「同意を共有できない」を純粋に語るのは詭弁と叫ぶ
つまり俺は何をやっても君から叩かれねばならない
君の叩きには反証可能性がない
はい、具体的な指摘
462 :
考える名無しさん:02/08/21 06:22
人は人を殺してもよい。人は人を殺せるから
人は飛んではいけない。人には翼が無いから
463 :
考える名無しさん:02/08/21 10:17
>>462 その定理はおかしい。
今あるその現状が可能か不可能かで今出来る事というのは
確かに決る。
だがそれが行って良い行為かそうでないかは
その事柄が善悪でないかで定まる。
人を殺すという行為は明らかに悪の行為になる。
ちなみに空を『飛んでは行けない』のでは無く、
人間の限界行為から脱している、または明らかに不可能な
行為だとみなされる。
464 :
考える名無しさん:02/08/21 10:20
>1 殺されて喜ぶ人はいないからです
465 :
考える名無しさん:02/08/21 10:27
>>464 素直に聞けば、「その通り」と言いたいのですが、
実際に中には殺されて喜ぶ(被害者の事を指して行ってたなら
ともかく)人はいるんです。
実際に殺して欲しいから、殺し屋なんて職業もあるわけだし。
殺された後は無
喜ぶも何も無い
…少し表記を変えようか。
「人間は自分が一番して欲しくない事を禁止する生き物だ」
俺はこの説明が一番説得力ある気がするけどなあ…
467 :
考える名無しさん:02/08/21 10:40
>>466 ああ・・説得力あるな、それなら。
「殺されたいですか?」と質問されて対外の人は必ず
「もちろん、殺されたくありません。」と答える。
つまり自分が殺されたくないのであれば、人に対しても
殺すという行為は絶対にしない。
それが一番説得力があるはずだ。
468 :
真賀田四季:02/08/21 12:20
愚かですね。きっと貴方方は本で知識を得るだけで自ら考えようとしていないのでしょう。
全くもって情けない限りです。貢げ。
469 :
考える名無しさん:02/08/21 12:26
「いけないのですか」 と問う規範意識が
問いを支えているんじゃ?
刑法199を見ろ!の世界の住人でした。
471 :
考える名無しさん:02/08/21 12:31
>>470 じゃあ刑法199ちょっとコピペしてきてください。
472 :
真賀田四季:02/08/21 12:32
昨日の私の書き込みを御覧なさい。そうすればおのずと答えが出るでしょう。
考えぬ能の無い生物に教えるの私にとって非常に苦痛なので、まずは考えるべきですね。
貢げ
473 :
考える名無しさん:02/08/21 12:34
>>472 それは自己的な理論を、私達に押し付けてるという
見解もできるのですが・・。
474 :
真賀田四季:02/08/21 12:38
頭を働かせる事が少しでもできるのなら、私の言うことは非常にシンプルであり、
納得のいく答えになるでしょうね。しかし私は天才(ここ重要)ですので、貴方の意見を聞いて差し上げましょう。
貴方は殺人とは如何なる理由で、誰が誰を殺すのかという点について考えるのか、明確な意見
をお待ちします。そして貢のです。
475 :
考える名無しさん:02/08/21 12:45
>>474 殺人に対しては、対外が怨恨の(無差別殺人などは別として)
線が見うけられます。つまり何らかの理由で相手に殺意の念を
抱いた時、人間はその状況下において、感情の操作が不自由になり、
人を殺してしまうのだと思います。
殺人者が怨恨にて人を殺害した場合、加害者が「気がついたら
凶器を持っていた」などの供述が見られるのはこの為だと思います。
476 :
真賀田四季:02/08/21 12:47
いいですか。もっとシンプルに考えなさい。何故、殺人を犯す必要性があるか、
と言う点からアプローチすればかんころもちのように容易ですね。
477 :
考える名無しさん:02/08/21 13:14
>>476 殺人を犯す『必要性』は少なくとも無いと思います。
仮に相手を殺す事によって有利な状況下に、なるにしろ、
今の日本の法律では罰せられる危険性が多いにあるので、
少し殺意を抱いたにしろ、それを『行為』というところまで行くのは、
上記に記載した、感情のコントロール=操作 に関する事だと思います。
478 :
真賀田四季:02/08/21 13:21
そうですね。素晴らしいです。ちなみに感情というものは
自由意志の存在を認めることになりますね。
否定はしませんが、私は少なくともありえないと考えます。
そこで、殺人のメリットというものを考えてみましょう。
ココで答えを提示すると、広義において『敵』を消す行為の事です。そしてそこ
から発生するデメリットはまあ、貴方の云う法律やらなんやらです。もっと的確な言葉がありますが
私の内面にかかわる事なので云いたくありません。
ココから考えれば、私が何故、殺人はいけないというのか判るはずです。
私はそろそろ夏休みの宿題がピンチなのでやめておきます。
479 :
考える名無しさん:02/08/21 13:29
>>478 ありがとうございます。
人間の本能的な部分として、邪魔なものを消滅したいという
ところはあると思います。簡単に言えば殺人も同じ事なのです。
しかし、殺人という行為はさっき私が言った通り、法律の障害的なものが
生じてしまい実際に『殺人』という行為まで、行う事は困難です。
それが殺意です。殺人という行為自体は現在不可能だが
そういう感情はあるというのがです。
その殺意が膨大に膨れ上がった時人は(我を忘れなどとの表現を
用いますが)感情の操作が不自由になり、殺人の行為にまで至ってしまう
のです。
480 :
考える名無しさん:02/08/21 13:29
481 :
2チャンねるで超有名サイト:02/08/21 13:30
484 :
考える名無しさん:02/08/21 13:36
>>483 いや、私はそんな荒らしているつもりでなく、
真面目に自分の意見を書いたつもりなのですが・・。
俺は法には従います、この意味をよく踏まえた上で以下の発言に耳を傾けるも良しでしょう。
「人は何故他人を殺してはいけないのか?」
まず、この質問自体が普遍的事象ではない。
「人は殺しても良い」と発言することは妥当というか当然可能である。
「殺してはいけない」という制約が入るのは、その制約が通用する、
ある特殊な状況が想起されるからである。
その状況とは、現在の我々が住んでいるような、他者を意識した社会とも言える。
まず、そもそも我々は生きてしまっている。
生命が生存する社会では、絶対に死は肯定され得ないだろう。
自然死は承認されたとしても、やがては死ぬ存在である生命体の生存を脅かすことは
この世界自体のルールに違反することになる。
(勿論この世界のルールが画一的であって良いという訳ではないが)
理論や文化、道徳以前に「今生きている」という存在の感覚が最も強い動機付けとなる筈である。
生きる方向にしか、この世界ではベクトルは定義されない。
自他の有無に関わらず、このベクトルが存在する以上、
「生きる」と言う事は、善悪以前に命題と化す。
これが「生命」の絶対性の根拠だと考える。
(別に、「生命」が絶対であってよい、と断定しているわけではないが)
↑の文章の続き
この(ある特殊な)価値観の下では、「人は殺しても良い」は成立しないのは当然であろう。
善悪の価値基準以前に、「死」についての懐疑自体が提出され得なかった、と言うのが妥当な所だろう。
分かりづらいのかもしれないが、「何故人を殺してはいけないのか」と発言すること自体に善悪自体の
価値判断の正当性は全く存在しないのであり、そのような発言をする意味がないから、
(意味のない事は罪である、という進歩主義の考え方に乗っ取って)正当性を有さない殺人は
罪となるのだと、私は考える。
色々細かい理屈を付けていって、現代的に細分化していけば、他にも色々と考えられそうですが、
根本のラインはこのような感じである気がします。
単純に言えば、「やらなくてもいいことをなんでやるの?」である気がします。
・・・私にはそもそも自分の生命を絶対化する権利もないような気がするし、
(自分の生命を絶対化する権利は、全ての当人にしか無く、また他者がみだらに
犯して良いとも感じないが。また、とは言え、俺は誰かに殺されるのなんてまっぴらだしw)
そもそも法律という多数決も、所詮相対的な変容する代物だと感じるし、
生命自体、絶対化なんて出来ない物である気がするから、なんか曖昧にしか
論じられない気がする、この近代以降の市民社会という特殊な世界で生きていると・・・。
はぁ・・・
sagesage
488 :
風人 ◆eM8fGXbg :02/08/21 15:20
自然界に生きる動物達は私が想うに自然な流れの中で各々「掟」を相互理解しているからこそ、
増えすぎないし、食物を撮りすぎる事はない。
しかし人は掟を自らに課せ、それがあるために「殺人」を犯す。
殺人の是非を問うてみるとなぜ動物である人間は殺人を否定するのだろうか?
自然の動物では殺生が日常だ。それを受け入れている。なぜだろう?
489 :
真賀田四季:02/08/21 16:47
神楽は中々賢いですね。少し説明不足な点がありますが大方それはあっているといえるでしょう。
491 :
考える名無しさん:02/08/21 16:55
死ねと?死ぬかー!
>>486 >、「何故人を殺してはいけないのか」と発言すること自体に善悪自体の
>価値判断の正当性は全く存在しないのであり、そのような発言をする意味がないから、
>(意味のない事は罪である、という進歩主義の考え方に乗っ取って)正当性を有さない殺人は
>罪となるのだと、私は考える。
意味がわかりません。
これだと、正当性を有さない殺人は罪になる、のじゃなくて、「何故殺しちゃだめなの?」
と発言すること自体が罪になるんじゃないんですか?人を殺したか殺してないかにかかわらず。
493 :
考える名無しさん:02/08/21 17:00
>>492 工房の文章は考えるんじゃない、感じるんだ。
論理なんて軽く飛び越えへ彼岸へ向かえ!
>>486 >・・・私にはそもそも自分の生命を絶対化する権利もないような気がするし、
>(自分の生命を絶対化する権利は、全ての当人にしか無く、また他者がみだらに
>犯して良いとも感じないが。また、とは言え、俺は誰かに殺されるのなんてまっぴらだしw)
「自分の生命を絶対化する権利もないような気がする」のに「自分の生命を絶対化する権利は、全ての当人にしか無」い、
と「感じ」てるのは矛盾じゃないの?
>生命自体、絶対化なんて出来ない物である気がするから
ここの「生命」っていうのは、誰の生命なの?
>そもそも法律という多数決も、所詮相対的な変容する代物だと感じるし
まえの方で、社会では「生」へのベクトルしか定義されないって言ってたけどさ、
「生」へのベクトルを基盤に法は存立しているんだから、いくら厳密な意味で相対的だとはいえ、
生死に関する事項の大まかな方向性としては絶対性を持ってるとは思わない?
>>493 それじゃ哲学板じゃないよ。
文学板じゃん(w
496 :
考える名無しさん:02/08/21 17:08
>>495 いや、ここで手厳しく突っ込むと哀れな理系諸君と同じだからね。
軽くたしなめるくらいでいいんだよ。
>>496 そうなの?
ところで、神主さんが工房だってよくわかったね(w
498 :
考える名無しさん:02/08/21 17:22
>>497 神楽が工房だと言ったのは漏れじゃないよ。
でも、レベル的にはあんましかわらんと漏れも思う。
499 :
考える名無しさん:02/08/21 17:23
というか浪子も・・・どうかな?
501 :
真賀田四季:02/08/21 17:27
動物と人間には絶対的な違いがありますね。それは何か、を踏まえなさい。
それが殺人を禁止する為の要素となるのです。
何が善か、とい事ではなく、善悪とは何か、がポイントとなります。
はっきり申し上げると、私としてはここまで貴方たちが鈍いと思いませんでした。
まず批判的な目をとるのは止め、肯定的な視点を取りなさい。そして初めて
貴方の感じる事を書きなさい。文章を汲み取る能力の無いものには軽蔑に値します。
>>501 動物と人間に絶対的な違いなんて無いよ。馬鹿みたい(w
503 :
考える名無しさん:02/08/21 17:33
>>501 この人はどうしたものかねえ。
処置なし
504 :
真賀田四季:02/08/21 17:38
ところで、自分の理解の及ばないものがあると何故貴方たちはそれを罵倒するという
手段でしか対応できないのでしょう?とても不思議です。純粋に教えて頂きたいのですが、
何故でしょう。とても興味があります。
>>504 「理解の及ばないもの」って、おいおい(w
君が変なこと言うから其れに対してコメントしてるだけなんだけど。
それに、
>それを罵倒するという手段で「しか」対応できないのでしょう
って言うけど、どうやって私たちの手段がひとつに限定されてるって確認できたの?
とても不思議です。純粋に教えて頂きたいのですが、
何故でしょう。とても興味があります。 (w
506 :
考える名無しさん:02/08/21 17:43
>>504 理解できないんじゃなくて低レベルなわけさ。
君たちのいる場所は3000年前に通過済みってことさ。
マッハパンチ
507 :
真賀田四季:02/08/21 17:43
ありますよ。好い加減頭を使いなさい。人間は文化を造りますね。
ここで思考を止めないで聞いてもらいたいのですが、その文化は
何のために造るか、というところを考えてみなさい。
広い視野で考える事ができるのなら、答えは目の前にあります。私が
それを用意しました。後は非常に簡単なことを代入してみるだけ。判りましたか。
508 :
考える名無しさん:02/08/21 17:46
>>507 それは君が生まれる前に僕たちがすでに知ってたことなんだよ。
>>507 面白いね(w
文化ってどういう意味で使ってるのかしらないけど、動物行動学をもっと勉強したほうがいいよ。
それに人間が文化をつくるのが何の為か、ってそんなこと意識して文化つくってるわけじゃないじゃん。
非・意識的に文化をつくるっていうのに、どうしてそこで善悪の価値判断も問題が介入する余地がでてくるんだろ(w
510 :
真賀田四季:02/08/21 17:49
貴方の文面からそう判断させて頂きました。私が見る限りでは
確かに私の理解能力が劣る可能性も否定は出来ませんが、
貴方の文章を各能力が足らないせいだと考えた方が自然ですね。
私はそろそろ、塾に行かなくてはならないのでさようなら。
もし意見があるのならば、明日のこの時間に相手をして差し上げましょう。
512 :
考える名無しさん:02/08/21 17:52
>>511 漏れはずっと前からリアル厨房だと確信していたが。
513 :
真賀田四季:02/08/21 17:52
意識しない。そうです。そこから考えてみましょう。
文明は個人の力ではなく、地を這う蟻のように群体によって
造られます。意図的ではなく、個人の欲により。
ああ、嫌になりました。私の考えを良く聞いていたのですか。
考えなさい。
514 :
考える名無しさん:02/08/21 17:53
>>513 おまえの行動は100年先まで予測済みだッ!
最後に一言。
おまえら厨房いじくるために鉄板におるんかい!
517 :
考える名無しさん:02/08/21 19:32
「馬鹿」に手厳しい浪子
518 :
くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/08/21 19:51
法律にそうあるから。
519 :
考える名無しさん:02/08/21 20:15
ええと、帰って来ましたね。関係ないですが。
とても気になったので記しておきますが、厨房って何でしょう?
とても気になります。
520 :
真賀田四季:02/08/21 20:16
ええと、帰って来ましたね。関係ないですが。
とても気になったので記しておきますが、厨房って何でしょう?
とても気になります。
521 :
考える名無しさん:02/08/21 20:18
522 :
死後の世界信じないよ:02/08/21 22:17
動物と人間の違い
罪悪感の有無
だめなものは‘だめッ’なんだよ。下らん事をいつまでも考えるな。蛆虫が…
>>427 >目的という仮定から説明できる群、みたいな感じで俺は使用している
なぜそういった概念を導入する必要があるの?
単に「目的」するとどういった不都合があるのだろう?
>とりあえずその物事が可能なことと「いけない」は対立しないよね
>「ある可能な行為をしてはいけない」は矛盾ではないよね
だから、文章として矛盾していないかという問題と、
文章の論述内容の妥当性は別の問題というだけのことだと思うが。
>>520 厨房=中坊=中学生だよ。
>>522 動物に罪悪感が無いことを証明するのって無理っぽくない?
526 :
考える名無しさん:02/08/22 20:24
>>526 決定不可能なんだよね。だから、動物と人間の違い足り得ない(w
528 :
考える名無しさん:02/08/22 20:35
でも、現時点での一面的な考え方では、文明の発達と言う面で、
人間には知恵がある。という動物との区別はあるよね。
>>528 知恵の高低の差があるってこと?
それとも、知恵の有無?
哲学の関係ない「哲学的」なスレッドがおおい。
発言しているのは主に素人だけど。
531 :
考える名無しさん:02/08/22 20:45
>>528 多分少し前なら有無だろうね。今なら高低じゃない?
あとは、理性の有無。
証明は出来んけど、例えば餌を見ればガッつくだけの犬を理性的に
見えるだろうか?
しつければ、「待て」くらい出来るけど、しつけるのは人間だし。
最近では人間も「待て」が出来ないけど、、、、、
>>530 十分このスレなんか哲学的じゃんか。
哲学学的なのと同居しててもいいんじゃないの?
>>531 知恵の高低の差ってことなんだね。
でさ、サルやチンパンジーにもそれなりの文化があると思うんだ。
528くんは文明って言ったけど、やっぱり動物を比較する場合は文化のほうがいいとおもうから、
文化って言うけどね。
で、この場合はヒトとそれ以外の動物の文化はそれぞれ違うけど、つまり発達の差があるってことなんだろうけど、
その差が知恵の高低の差から出てくるという理解でいいのかな。
533 :
考える名無しさん:02/08/22 20:57
>>532 ううん、、、、そうなると少し変わってくるんだよね。
宗教的になっちゃうけど、動物それぞれに与えられた発達のベクトルは
違うと思うから。
だってサルやチンパンジーが人間の何倍もかけて
同じ道を通るとは考えられないでしょ?
534 :
浪子 ◆CjLpAzb6 :02/08/22 21:11
>>533 それもそうだね。
民族それぞれに与えられた発達のベクトルも違うってことだね。
ところで「発達のベクトル」は何に規定されているんだろう。
まさか神ってわけじゃあるまいし(w
>>1は、漠然と「人を殺してはいけない」感じていて、
また、多くの(日本)人がそれを共有していると認識している。
>>1は、自分と多くの人々にそうした感覚が生じた理由・根拠・原因に興味をもち、
それを漠然と問うているのだと仮定しよう。
つまり、彼らがなぜそう感じるのか説けばよい。
それは、遺伝と環境。
終わり。
遺伝:本能的傾向
環境:社会的習慣
真賀田四季
人を殺してはいけないわけ=文化だから
ってことなら
僕も同意見っす。
しかしあんたも神様きどってないか?
このスレ書き込んでるやつみんな馬鹿か?
社会学板でやってくれ。
なんでもありだから
>>536 人がある環境において、なぜそう感じる必要があったのかを、
進化心理的に推理することならできるだろうが、
「○○とはなにか」的な古代的な形而上学を、
"哲学"だとか思っているうちはだめな。