738 :
考える名無しさん:
ラカンて、一種の否定神学を唱えてると思って良いの?
「意味」について考えるのがほとほと疲れた、ポスト近代以降の理性が生み出した
ニヒリズムに満ちた発想にしか見えないんだが。門外漢には。
読まずに済ませる理由としてはいいんではないでしょうか。
741 :
考える名無しさん#:03/01/22 00:13
>>738 ラカンが否定神学だって?
あんたそんな4年以上前に終わったアズマのアホ議論蒸し返すのかよ。
ラカンは分析経験の伝達という、不可能なものの伝達に最後まで固執した。
それはなぜだと思う?
分析経験が、伝達からは常に逃れていく反=伝達という不可能なものであったからだ。
アズマなんかはラカンの不可能なものとしての現実界を、
ゲーデル的決定不可能性(笑える言葉だが)の一つしか見ていない。
しかし、分析経験における不可能なものがゲーデルのそれだけなら、
分析経験の伝達はめちゃくちゃ簡単だ。
「いやぁ、昨日精神分析しちゃってさぁ、それで、あのゲーデル的亀裂に遭遇したよ」
これだけで伝達はことが足りるし、分析経験も一つのヴァリエーションしかない
ことになってしまう。
>>1 ジャック・ランタンなんでしょ?そろそろ暴露しちゃいましょうよ。
ところが、ジャック・ランタン・ラカン。
風船の内側空間に住み込んでいる住人(分析家)にとってはどうでしょう。
化粧をした女。平面なのに外空間と内空間があるようなシーツのお化けの話は飛ばして、
かぼちゃのお化けの話を。
頭が空っぽな、カボチャの内側空間にいる住人。分析家。
被分析家(灯火)に観たものは、他者の欲望。
ここでの被分析家は、昨日の自分のことですが、この分析家にとって、
カボチャの内壁面は見えません。ジャック・ランタンを作る過程で、
外壁をすべて穴にしてしまったので。
数学者と違って、任意の一カ所を盲点にじゃなくて、
すべてを盲点にをやってしまった。己の欲望が見えなくなってしまった。
で、しかたなく他所の他者。シーツのお化けを被分析家とすべく求めます。
コワイのがいいかな。蠱惑(こわく)て。
746 :
zion-ad:03/01/22 03:43
747 :
考える名無しさん:03/01/22 07:43
絶対安全地帯のアルバム、映画のレビューでポイントを稼ぎつつ、
ベスト・レビュアーの道を爆走中のアマゾンのジョン・ドゥ。
ラカン叩きがおさまったのは、本上まもるに屈したのか(w
しかし書籍のレビューでこれほど共感されていないレビュアーも
珍しい。。。。
あけまして
おめでとう
ございます
m(__)m
749 :
考える名無しさん:03/01/22 22:53
久しぶりに
>>741でラカンをまともに語れるやつが
出てきたのに、物理屋のクソで台無しだな。
750 :
考える名無しさん:03/01/22 23:05
>>749 アズマについてはろくすっぽ語れないようだけどな
なんで最後にフロイトに逝ってるかまるでわかってない
751 :
考える名無しさん:03/01/22 23:34
>>750 初心者だが、啓蒙してくれ。
どういう意味? 教えれ。
奴の名はあずまかずま。その手は太陽の手。
753 :
考える名無しさん:03/01/22 23:51
>>751 ま、ようするに、君は釣られたってことだね。
ああいう風に仄めかすだけで消えるやつは
たいがい何にも分かってない釣り師さ。
これで一つ勉強になった打ろう。
あたまの悪い方ばかりですね
ラカンくらいちゃんと読んでください
東は「いささか乱暴に整理すれば」と断りつつ、ラカンをゲーデルで説明したわけだ
で、その否定神学システムを打開するために東はフロイトを持ってきたわけだ
当然ラカンがフロイトからはじまってるのは了解事項なわけだよ、東の論の立て方は。
だからフロイト色の強めなラカン読みをする人は結局東の郵便システムと変わらないわけ
756 :
考える名無しさん:03/01/23 18:40
東はラカン理論というとき、ラカンそのものではなく、彼以降の
ラカン派によるある特定の受容のされ方を問題にしてるわけ
注意書きにクドイほど書いてあるよ
757 :
考える名無しさん#:03/01/23 20:58
>>755=756
ブルース・フィンクのラカンは読んだことがあるかな?
彼の(彼に限らないが)現実的なものを二つに分ける議論を読めば、
アズマがラカンの「現実的なもの」の解釈において決定的に
ミスを犯したことが分かるよ。
なぜアズマはつねに語り損ねというかたちでしか語りえないものを
脱構築と言語哲学の文脈で語るときに、
クリプキの固有名の残滓とゲーデル的外部を同じような例としてみなすのか。
いくら制度的なラカン受容にかんして言っているとしても、
それが読めないのは読解能力がないとしか言いようがない。
ジジェクすら読めていない、とすら言える。
758 :
考える名無しさん:03/01/23 21:15
>>757 あんた自分がなんにも言ってないの気づいてる?
「読めてない」以外になんにも言ってないよ、あんた。
759 :
考える名無しさん#:03/01/23 21:19
さっきの文読んでなにも言ってないように
思えるんなら、お前はアズマ以上のアフォだな。
厨房は困るぞ。
760 :
考える名無しさん:03/01/23 21:19
761 :
考える名無しさん:03/01/23 21:22
だからなあ、テメエいいかげんにしろよ。
東が問題として取り上げたのは制度的なラカン受容にかんしてであって、
あんたが
>>741で言ってる意味のラカンではないという時点で
あんたの議論は根底から崩壊してんだよ
762 :
考える名無しさん#:03/01/23 21:26
はぁ、制度的なラカンすら読めてないといってるのだが。
お前の言ってるのは、チャート式ラカンだろが。
763 :
考える名無しさん:03/01/23 21:28
著者があれだけクドクドと念を押して「これはあくまでもラカンの制度的受容について
乱暴に図式化したものです」と言ってるのに、わざと制度的受容の議論を避けた上
議題を捏造して「読めてない」だの「アホ議論」だの「厨房」だの
本人に議論つきつけてみろよ、実名で。ここで匿名でダベってられる範囲を
超えて誹謗してることに気づいてないか?
764 :
考える名無しさん:03/01/23 21:31
要するに、アズマのような、制度外の人間が「ラカン」という固有名について語ることに
過剰反応してるだけじゃねえか
お前がチャート式ラカンそのものだよ
765 :
考える名無しさん#:03/01/23 21:33
ラカンの現実的なものは、まさに乱暴な整理から抜け落ちてしまう
ものなのだが……?
アズマの議論は、言ってみれば、
「デリダ――フロイトによって、精神分析(ラカン)を救う」
を当初の目標としていた、と(乱暴に)整理できるだろう。
しかし、「ラカンによってラカン(精神分析)を救う」
ことはまったく考えられていない。
アズマ以降の厨房がみなアズマのラカンで満足していることに
私は強い危惧を感じている。
>>738の厨房に対してアズマのラカンで欲望を満足させる
ことなかれ、と言っているだけなのだが?
766 :
考える名無しさん:03/01/23 21:38
767 :
考える名無しさん#:03/01/23 21:40
768 :
タッソ議員:03/01/23 21:42
「考える名無しさん#」が何故これほど執拗に【アズマ】にたいして攻撃的な
反応をみせるのか、これは精神分析の対象だ
769 :
考える名無しさん#:03/01/23 21:45
いいところに気がついた。
私のHNを良く診てみなさい。
「#」だよ。
770 :
考える名無しさん:03/01/23 21:54
>アズマの議論は、言ってみれば、
>「デリダ――フロイトによって、精神分析(ラカン)を救う」
>を当初の目標としていた、と(乱暴に)整理できるだろう。
>しかし、「ラカンによってラカン(精神分析)を救う」
>ことはまったく考えられていない。
そりゃデリダ論だからな(笑
なんでもラカンが主役じゃなきゃ気が済まないらしいね
771 :
考える名無しさん#:03/01/23 21:54
あれだけデリダをコンスタティヴに語りなおす男が、
彼の取り上げるラカンが「制度的な」ものである、
ということを、なぜ「注」でしか言うことができないのか?
(デリダはテクストの注についてなんといった?)
その抵抗について考えてみるべきだろう。
772 :
考える名無しさん#:03/01/23 21:56
結局あの本はパフォーマティヴな意味で「ラカン論」だったわけだよ。
773 :
考える名無しさん:03/01/23 22:01
「アズマ」も例のハイデガー・動物論を東大出版のおフランスなあの人が編集してる
教科書に提供せずに素直に「あの本」に入れておけば「考える名無しさん#」のような
不毛な批判に突っつきまわされることもなかったのだろうが・・・
「考える名無しさん#」の
>>738にたいする反応をみると、
ああ、ナチズムってこういうふうに発生したんだ、と妙に納得するよ
775 :
考える名無しさん:03/01/23 22:10
ちょっとまてお前ら、ここはラカンスレだろ。
776 :
考える名無しさん:03/01/23 22:11
777 :
考える名無しさん:03/01/23 22:24
>>763 >著者があれだけクドクドと念を押して「これはあくまでもラカンの制度的
>受容について乱暴に図式化したものです」と言ってるのに、
これが厭。
「これはあくまでもデカルトの伝統的受容について乱暴に図式化したもの
です」と断ったデカルト批判をまじめに読む気がするか?
東の身の丈にあわせたデリダの身の丈に合わせたラカンなんて、なにも
のこらないでしょ。
デリダがラカンをあの程度で見切ったと考えるのは、デリダにたいして
失礼。
778 :
考える名無しさん:03/01/23 22:30
779 :
考える名無しさん:03/01/23 22:43
>>778 営業ご苦労様。
示されていないと思いますよ。
というか、そんなに親切に読みこんでやるもんか。(w
780 :
考える名無しさん:03/01/23 22:45
著しく感情的な拒絶反応
781 :
考える名無しさん#:03/01/23 22:54
>>777 そう、それがアズマの抵抗だと私は言いたいのだ。
なるほど
>>778の本では確かにラカンの可能性を読んでいる。
そのほかにも、アズマの文章では、
「存在論的〜から遠く離れて」など、理論的には
デリダというよりはラカンに依拠している部分が大きい。
ならば、なぜアズマはそれを(事実上の)主著に書かなかったのか?
「デリダ論だから」という回答はここでは無効だ。
>デリダがラカンをあの程度で見切ったと考えるのは、デリダにたいして
>失礼。
この文が言い尽くしている。
782 :
考える名無しさん:03/01/23 22:56
783 :
考える名無しさん:03/01/23 22:57
784 :
考える名無しさん:03/01/23 23:14
>>778の本におさめられた論文は、簡潔に言えばハイデガーのナチ性についての批判である。
曰く、ラカンの理論はハイデガーに拠っており、間接的なハイデガー批判として
ラカン批判を試みているわけだが
785 :
考える名無しさん:03/01/23 23:30
人はしばしば性交を究極の欲望と見なしますが、それは
何とも不幸な錯覚だと私は考えます。これはとてもラカン的だと
いうことも出来ると思いますが、これが不幸な勘違いかどうか教えて
ください。
786 :
考える名無しさん:03/01/23 23:33
フロイトが性器性欲以外を「倒錯的」とよんだのは、
それが子どもを生む、という目的がないから、という理由だけだよ。
だから、性器性欲もある意味で倒錯的なわけだ。
そのへんをラディカルにやると岸田になる。
787 :
考える名無しさん:03/01/23 23:50
785です。
けっく私は不幸な勘違いをしているのでしょうか。
「だから」の意味、わたくしには不明です。
なお、ものぐさ氏は、どうもそれほどラディカルではないのではないかと。
788 :
考える名無しさん:03/01/24 01:31
不幸な錯覚だとラカンも考えたからこそ「性関係は無い」との言葉も出てきたのでは。
性器性欲が倒錯と違うのは、そのつながら無さ故であり、倒錯(代表的にはフェティッシュ)
は逆に繋がっていると想像しているところに有ると思います。785さんの疑問は男根
を倒錯的に使うこと(発達論的に言う男根期の様相)と、この無を中心にして、
前性器期的な衝動を巡らせ昇華していくこととの区別が不鮮明なところから来るので
はとも考えますが。しかし、何がそれほど「不幸」なのですか。
789 :
考える名無しさん:03/01/24 01:36
788です。追加。無を中心に前性器的な衝動を巡らす・・というのが性器性愛と考えてます。
790 :
考える名無しさん:03/01/24 01:39
ほんとうは求めているものはそこにはないのに、そこにこそあると
思うその錯覚は不幸ではないのか、と思うのです。
主観的にはあのねばねばした感じが不快なのだと思えるのですが・・・
791 :
考える名無しさん:03/01/24 02:39
人間がそういう不幸、分裂においてある、というのはラカンも結局言ってることでしょう。
どうやら、790さんの「不幸」と「不快」は違うようですね。「ねばねば」した
「不快」な感じこそは、その「不幸」を見ないためのベールとしての対象a(便?)のよう
に思えます。
792 :
考える名無しさん:03/01/24 14:05
790です。ありがとう。主観的には、といったのは、まさに、
それが真の理由でないと一方ではわかっているからでした。
793 :
考える名無しさん#:03/01/27 23:23
>>788 >不幸な錯覚だとラカンも考えたからこそ「性関係は無い」との言葉も出てきたのでは。
>性器性欲が倒錯と違うのは、そのつながら無さ故であり、倒錯(代表的にはフェティッシュ)
>は逆に繋がっていると想像しているところに有ると思います。
おおむねそれでラカン的には正しいと思うが。
われわれは性器性欲によっても「つながっている」と想像していると思う。
だから、性器性欲であっても倒錯的でありうるわけだ。
セックスのときに、男女ともに「イク、イク」というが、
ラカン的に言えばあの発話の「イク」の意味(欲望の対象)は
男女で違っている。だからこそ、ラカンは性関係は存在せず、
男女は出会おうとして出会い損ねる、と言ったのだ。
しかしわれわれは、出会い損ねをしっていても、常に出会おうとするし、
つながっていると想像する。
そういう意味で
>>785は全面的に正しいといえる。
>>786もフロイト読解としてはいい線だ。
ところで東バカはもう来ないのか(笑)
794 :
考える名無しさん:03/02/07 23:08
アゲ
795 :
考える名無しさん:03/02/08 12:51
環ですが、何か?
797 :
考える名無しさん:03/02/08 14:12
>>環
環んなら、2ch来るかもしれないね(ワラ
でも、いっとくけど、このスレには君よりレヴェル高い
ラカニアンがたくさんいるから、君は洋梨だよ。
つーか、タマキンは蝉寝るだろ
799 :
考える名無しさん:03/02/16 18:32
800 :
考える名無しさん#:03/02/16 18:57
まぁ800ゲットなわけだが。
801 :
考える名無しさん:03/02/25 15:15
mage
802 :
考える名無しさん:03/02/25 19:10
面白そうな新刊出てるよ。
『リアルの倫理――カントとラカン』
アレンカ・ジュパンチッチ著 富樫剛(とがし・ごう)訳 河出書房新社
本体3500円 20cm 328p
4-309-24281-2 / 2003.02
『ラカンと政治的なもの』
ヤニス・スタヴラカキス著 有賀誠(ありが・まこと)訳 吉夏社
本体3000円 20cm 350p
4-907758-10-3 / 2003.02
よくでるなあ
どこの国の人ですかね。
中東の名前っぽい気がする。
ギリシア人らしい>スタヴラカキス
かなり若い
ジュパンチッチは、ミレール=ジジェク系ラカン派の一人だよね
ジュパンチッチは東と5つしか違わないと東スレに書いてあったな。ってことは両方とも若いんだな。
ところでどこでそんな新刊の情報を仕入れてるんだ?
807 :
考える名無しさん:03/02/26 21:31
ジジェクの帯文最高
808 :
考える名無しさん:03/02/26 22:32
809 :
考える名無しさん:03/02/27 10:30
802の新刊読んだ人。
感想希望。
810 :
考える名無しさん:03/03/03 21:43
age
811 :
考える名無しさん:03/03/03 21:47
ラカンとバタイユの関係を教えて下さい。
812 :
考える名無しさん:03/03/03 21:56
813 :
考える名無しさん:03/03/04 01:59
ところで、ラカン関係で日本人の書いた本って、絶版がおおいよね。
佐々木孝次『甦るフロイト思想』とか。
どうなのかね。売れなかっただけなのか、評価がわるかったのか。
私は今年度は転移と、その主観的相違を扱うことをみなさんにお知らせしました。
その用語は、私が簡単に選ぶことのできた用語ではありません。
その用語は第一に諸主体間の非対称性のシンプルな概念より遠くへ行ってしまうものです。
間主観性は転移を伴うことによって、彼自身がそのなかに定着させる現象の枠組みを
提供しているだけであるという考えに対して、
もし私が転移はその原理であるという風に言ったなら、
その用語をタイトルにすることは気取っていることですらあるでしょうか?
言語体によれば、いくぶん便利な言葉があります。
それは「妙な=ペアでない impair」用語<odd 奇数、妙な oddity 風変わり、変人>です。
転移の主観的相違と、「妙な=ペアでない impair」を第一義に構成しているもの。
私はそれら二つを等価なものとして見いだしました。
815 :
考える名無しさん:03/03/04 21:53
ラカン自体がインチキだから、
ラカン関係の本が絶版になるのは当然だろうが。
いつまでラカンをありがたがっているんだ?
817 :
考える名無しさん:03/03/04 22:19
>>811 バタイユの奥さんで女優だったシルビア・バタイユと、
ラカンは結婚しました。
818 :
考える名無しさん:03/03/04 22:24
インチキなの?
精神分析自体がインチキ学問ってこと?
819 :
考える名無しさん:03/03/04 22:27
>>818 人がいんちきだといっただけで不安にある
お前は間違いなくいんちき。
820 :
考える名無しさん:03/03/04 22:38
何でお前が怒るんだよ
ちなみに別に不安にあってない。(どうでもいから)
ただ、それを一生懸命勉強している人が、疑問を突きつけられただけで、感情的になるとしたら、それが教義であり、宗教である証拠。
821 :
考える名無しさん:03/03/04 22:43
822 :
考える名無しさん:03/03/05 04:31
824 :
考える名無しさん:03/03/11 20:36
age
(^^)
826 :
考える名無しさん:03/03/13 12:37
827 :
考える名無しさん:03/03/15 04:37
なんでこんなに下がってるの?
828 :
考える名無しさん:03/03/15 05:34
829 :
考える名無しさん:03/03/16 02:56
830 :
「哲学的」者:03/03/16 03:08
要約すれば
『俺は潜在意識の現象学的分析を通じてあんたの定律の根拠が見える』
あるいは『個人の思考は「目に見えない不可知の構造」に支配されているから
おまえ達の言説は無効である』
という、「ルールの外に立って見る」特権を獲得しようとする試みは
『啓発的ではあるが、その牽強付会の方向性により(結論は)どうにでもなる』
という通則を免れるに至っていないではないのですか?
831 :
考える名無しさん:03/03/16 03:20
オナニーはなんできもちええのかなあ〜?
俺は小倉優子たんの、下着姿のレースのパンティーの割れめを触ってみたよ。。。萌え☆ピンク色の乳首をなめてみたよ。。。萌え☆
832 :
「哲学的」者:03/03/16 03:24
Cafe Carthage に書いたばかりなので、
よければ参照してください。
833 :
考える名無しさん#:03/03/18 19:10
834 :
【論理的】議論の大原則【説得力】:03/03/18 21:44
(1)はっきりと「主張」すること
表現上の曖昧さを取り除き、はっきりと結論を明示すること。
日本人によくありがちな「思う」を使うときは、自信の無いときと推測の時だけにすること。
(2)「根拠」を示すこと
議論において「根拠」は絶対に欠かせない構成要素です。
なぜならば、主張に「説得力を与える」役割があるからです。
主張と根拠の間に飛躍の起きないよう、”意見”と“事実”を混同せずに
「前提条件・因果関係・客観的事実など」を論理的に一つ一つ繋がりを持って
書き込めば書き込むほど説得力のある発言になります(ただし、余分なことは書かない)。
ゆえに、自分と違う意見を持っている相手を説得するためには「根拠」を徹底的に示すことです。
>>833 今は仕事が忙しくて参加できませんが、興味あります。
もし、移転したら、移転先のアドレス書いておいてくださいね。
それでは。
836 :
考える名無しさん:03/03/19 04:25
837 :
考える名無しさん:03/03/19 05:01
みんなさあ。
「知の欺瞞」読んだよねえ。
なんでラカンの話なんてしてるの?
839 :
考える名無しさん:03/03/19 05:42
840 :
考える名無しさん:03/03/19 06:57
841 :
考える名無しさん:03/03/19 23:00
842 :
考える名無しさん:03/03/21 00:53
843 :
考える名無しさん:03/03/25 18:29
age
>>837 (´,_ゝ`)プッ
ラカンの数学インチキ=ラカンの思想が全部インチキ
にはならないよ
( ´,_ゝ`)プッ
845 :
考える名無しさん:03/03/25 18:57
なんか、ラカン読んでるって、ユダヤ神秘主義とかそういうの読んでる
感じににてるな。おどろおどろした感じ。文献もちょー膨大で、
ラカンの自著がトーラーなら二次文献はタルムードか。
いかがわしさなんか好きだな。大恥かいてもいいから誰かラカンの数学
の議論は間違ってないとか、そういう議論やってほしいなあ。
がんばって欲しいものだ。
846 :
考える名無しさん:03/03/25 19:00
ラカンの新境地は宗教家にあったと思う。
847 :
ラカニアン:03/04/01 00:00
848 :
考える名無しさん:03/04/03 21:05
850 :
zion-ad:03/04/05 15:35
>>845 >大恥かいてもいいから誰かラカンの数学の議論は間違ってないとか、
>そういう議論やってほしいなあ。
これからやるところ。
藤田博史師のところに宣伝しといたんで、そっちからどうぞ。
851 :
考える名無しさん:03/04/05 15:38
まじっすか。ちょー期待します。
852 :
考える名無しさん:03/04/06 15:19
age
853 :
考える名無しさん:03/04/06 17:23
ある種の似顔絵のように思い切ってデフォルメし単純化し記号化するためだということ。分析性が何だというのか、それが共有できないものであるならば。
otisugi
855 :
考える名無しさん:03/04/15 16:54
ラカンを理解している人に聞きたい。
勃起性の器官が√ー1であるとはどういう意味ですか?
856 :
ラカニアン:03/04/15 17:51
「イデオロギーの崇高な対象」に書いてあるよ、それ。
857 :
考える名無しさん:03/04/15 17:53
愛(i)は虚数のようだ、というシャレがあったな
858 :
考える名無しさん:03/04/15 18:15
>>856 あなたには勃起性の器官が√ー1という意味がわかるんですか?
859 :
考える名無しさん:03/04/15 18:38
ひとつ聞きたい。
あんたら「知の欺瞞」で指摘されたラカンの欠陥については
どう考えてるの?
ラカンって、人を煙に巻く表現を多用しているわりに中身がない。
典型的なペテン師だと思えてしょうがないんだがなあ。
>>859 どこを縦読みすれば?
釣りだったらもう少し勉強しましょう
861 :
考える名無しさん:03/04/15 19:48
>>859 なんかその言い方だとラカンにちょっとは中身があるみたいだな。
862 :
考える名無しさん:03/04/15 20:08
La 缶
863 :
bloom:03/04/15 20:26
864 :
考える名無しさん:03/04/16 10:21
ラカンとドゥルーズ
相容れない・・・
865 :
考える名無しさん:03/04/16 10:38
ほら・・傘と聞いたら、ラカンが上がって来たでしょう?
条件反射です。
866 :
考える名無しさん:03/04/16 10:44
虚数をガウス平面にプロットするとなんの神秘性もない。
しかし美しい。
867 :
考える名無しさん:03/04/16 10:53
ファロスって、たぶん勃起性の器官そのものじゃないのよ。
868 :
考える名無しさん:03/04/16 11:10
La 缶 と 泥頭
869 :
考える名無しさん:03/04/16 11:14
ファロスは、小文字のaとむきあってると思われ。
870 :
考える名無しさん:03/04/16 16:36
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Tmp/godin.html > 著者のラカンに対する一目惚は、多くの場合がそうであるように、ラカンのセミネールの場で生じた。
>「私が高等師範学校で出席していたこのセミネールは、魅力的であったし、今もって忘れ難いものであった。
>《私はそのセミネールの内容をまったく理解できなかった》。時に――希ではあるが――ある一節が私に
>語りかけ、その一節は私のためにこそ語られたかのように私は聴いたのである。そしてこの《理解不能性》は、
>私の足をそのセミネールから遠ざけさせるどころか、さらに私の関心を向けさせ、《私をとりこにした》」。
ワロタ
871 :
考える名無しさん:03/04/16 17:07
ラカンとハイデガーは似てるよね。
言ってることがさ。両方好きさ。
しかし、ドゥルーズとハイデガーは、
どこか似ている。
873 :
考える名無しさん:03/04/16 18:50
>>867 そのファロスが√ー1とはどういう意味ですか?
大文字の他者という実軸上には存在しない。。。と無責任に言ってみる。
875 :
考える名無しさん:03/04/17 02:08
あらゆる同一化からの解放の行き着く先って、なんだ?
ミレー留は、日本ではまだ同一化作用が強いから精神分析は存在していないとか言ってるが、
掟も、理想とする自我からも解き放たれた人間って、怖くないか?
876 :
考える名無しさん:03/04/17 02:11
ある意味、それがファロスの定義かも。
877 :
考える名無しさん:03/04/17 07:09
>>874 「大文字の他者という実軸上には存在しない」というのが何故√−1なのですか?
何故√−2や√3や−2や1ではなく√−1なのですか?
(^^)
879 :
考える名無しさん:03/04/17 13:28
>877
ある特権的な「一」との参照から、差異が生じると考えるから2,3,4でなくて1。
−付きのルートなのは、通常「数えられる」次元にその「一」がないと考えるから。
どうしてそうなのかって、そう考えると言語や症状、フロイトの考えた精神分析理論を洗練された形(変な意味をくっつけた言葉を使わずに)で整理しやすくなるから。
ただそれだけ。あくまで「精神分析的」な考えであって、これに納得できなければ仕方ない。
数えられるものは、大文字の他者の上にあると思う。。
881 :
考える名無しさん:03/04/17 15:08
数とは何かとか考え出すと夜も寝られん。
ラカンの数式もどきのほうがまだ精神衛生によいと思われ。
882 :
考える名無しさん:03/04/17 17:13
数・・一定のルールに基づき操作可能なもの。
哲学やってる奴に数は定義できない。
884 :
考える名無しさん:03/04/17 18:19
ここではラカンによって変換された数学について論じている。
新しい言語ゲームなのです。数学そのものとは違う。
885 :
考える名無しさん:03/04/17 21:16
>>879 >ある特権的な「一」との参照から、差異が生じると考えるから2,3,4でなくて1。
>−付きのルートなのは、通常「数えられる」次元にその「一」がないと考えるから。
それなら√は不要で−1だけでいいんじゃないですか?
886 :
考える名無しさん:03/04/17 21:51
はあ〜。疲れる。
>887
「今日は4月18日。桜も散り始めて、少し残念だ」
この文章の中に「特権的な一」はない。もっと別の次元にある。
√-1は....-2,-1,0,1,2....の連続の中にはない。
もし「特権的な一」が「ある」といい始めたらシゾってるということだ。
「私の悪口をいっている”他人”がいる」とか。
これで分からないならいいよ。ラカンはあなたには無縁ということだ。
ソーカルとかあの辺の人たちは、ラカンが臨床経験ーフロイト理論に基づいてものを言っているのを無視している。
安永のファントム理論なんかソーカルにいわせれば噴飯ものなんだろうな。でも安永氏の奥さんは数学者(w
888 :
bloom:03/04/18 07:13
889 :
考える名無しさん:03/04/18 09:06
>>887 >ソーカルとかあの辺の人たちは、ラカンが臨床経験ーフロイト理論に基づいてものを言っているのを無視している。
つまり、ラカンの疑似数学は数学の論理に従ってないのだからそれに適っていなくても構わない、と。
ちなみに、√−1というのは下の数式によって導かれたものだそうです。
「
S(記号表現)
―――――― = s(言表されたもの)、 S = (-1) によって、 s = √-1 が得られる
s(記号内容)
」
ラカンが数学の論理を無視して、−1が数学上の−1の意味ではない記号にすぎないのなら、
どうして代数学の方法を使うことが許されるのですか?
おいおい、「数学の論理」が「−1が数学上の−1の意味」であるというのはどうかのう。
数学が数を対象にしていることと、論理的な正しさは本来無関係じゃと思うが。
「代数学の方法」とおっしゃるのは、正直なんのことやらよく判らん。sとかいう記号を使うことかのう?
ちなみにラカン博士の例の式は、論理的にまちがっておるわけではないのう。
なんでs(記号内容)とs(言表されたもの)が同じなのかというと、それが固有名の機能を表そうとしておるからじゃ。
エクリを紐解いてみなされ。ソーカル先生はそのへんもふまえたうえでラカン博士をおちょくっていると、わしはふんでおる。
真の問題はラカン博士の記号の指示対象が何かということなのじゃ。
確かに、記号内容と言表されたものがイコールである、というのは
よくわかりませんね・・。固有名の機能といわれても・・。もう少し
くわしく教えていただけませんか? 言表されたものって何だっけ?
すみません。エクリが今、手許に見当たらないんで・・。
884が固有名として、それの記号内容(シニフェの訳じゃ)は「884さん」と呼びかけることに他ならないということかのう。
しかし分析哲学系の固有名理論の紹介はわしの手にあまるのう。
ラッセルのOn denotingあたりからマターリ勉強してくだされ。
しかしいつみてもエクリの訳はひどいのう。「知の欺瞞」よりこっちが問題じゃ。
フレーゲは最近、訳がでたのかのう。評判はどうなのじゃろう。
894 :
考える名無しさん:03/04/18 14:58
895 :
考える名無しさん:03/04/18 16:00
そういえば、ラカンはエクリで「心理主義が犯す人間を物化する罪にくらべれば、
物理学者の科学万能主義は軽い悪業にすぎない」(p217)といって、愚劣な効率
性の理想を掲げ、心理学的人間をでっちあげて、アメリカンなスカスカの心理学
主義に逃げ込む連中を告発しているね。
知の欺瞞というなら、ラカンが40年以上も前からやっている知の欺瞞批判を押さ
えた上でやってくれないと面白くもなんともない。
デリダの面白さ、インパクトから目をソーカルに転じると、脱力してしまう。
>889
遅レスだが、古井戸氏の
数学が数を対象にしていることと、論理的な正しさは本来無関係じゃと思うが。
につきると思う。
=とか-とか+とかの記号は、ある「関係」を示す約束事な訳で、なにも1+1=2などという式にしか適用できないと言うことはないだろうに。
フレーゲがそう決めたから数学の世界でそう記すことになった。羅漢も「論理」に厳密であろうとして、その記号を使ったちゅうことでは。
895の言うとおりで、なんだか人生相談みたいな心理主義でなく、論理で心を語るところに、羅漢の斬新さがあったと思う。
897 :
考える名無しさん:03/04/18 17:36
>>890 √−1が数式で扱える数字であるならば、√−1は1の√−1倍として表すことができなければいけない。
例えば3mが1mの3倍として表せるように。√−1は何らかの単位の√−1倍として表すことができますか?
もし出来るとしたらその単位は何ですか? √−1が2√−1になると一体何が2倍になるんですか?
単位はない。
2倍にもできない。そういう操作は意味がない。
心の構造を「論理」て解き明かすことがみそなのであって、なにも「なんとか系における代数学」とかなんとかいう厳密な数学にしたてようとしたわけでない。
あなたの質問は、いま私にうかんだ「一つの想念」という表現に対し、その「一」の単位は何ですかと問うているのに等しい(厳密には違うが)。
数学的に言うなら、I自体が虚数軸の単位だよ。実数軸と虚数軸は直交
してる。ラカンは、実数軸を大文字の他者、虚数軸を小文字の他者、
1を主体、Iを自我(ファロス)に見たてて遊んでみたのじゃないかな?
実を言うと、ケムに巻くこと、謎めいてあることを精神分析のひとつの
実践だ、とラカンは考えていたと思う。色々と突っ込まれるのはラカンの
技量がまだ足らなくて、数学の言葉を利用してケムに巻くことがうまく
いかなかったせいだと思う。あるいは当時の聴講者たちは数学にさほど
通じてなかったので、そのレベルではこれ位で十分と考えたのかも知れない。
900 :
考える名無しさん:03/04/18 20:55
「ラカンを擁護する人たちがこれらの批判に対抗するときに使いたがる戦略を「でもなく・でもない」方式と
よぶことができる。これらの著作は科学として評価されるべきでもなく、哲学として評価されるべきでもなく、
詩として評価されるべきでもなく、・・・でもない。こうなると現世的神秘主義というほかないものにつきあ
わされていることになる。これらの言説は、理性に訴えかけることなしに、純粋に美意識ではない精神作用を
作り出そうとしているから、神秘主義なのであり、文化的に参照しているもの(カント、ヘーゲル、マルクス、
フロイト、数学、現代文学・・・)が伝統的宗教となんら関係なく、当世の読者に受けるものだから現世的な
のだ。さらに、時が経つにつれ、ラカンの著作は、言葉遊びと断片化された統辞法をないまぜにすることで、
ますます判じ物めいてきた。これは多くの聖典に共通する特性である。そしてこれらのテクストが、弟子たち
による敬虔なる教義解釈の基礎となっていくのだ。こう見てくると、つまるところ、われわれは新たな宗教を
相手にしているのではないかと疑っていいようだ。」
確かに精神分析と宗教との関係はある。というより、ラカンの精神分析は
神なき時代に、かってのキリスト教の告白の制度を再現せしめようとして
いるのではないか? 神なきゆえにラカンは新たな神=父の場所を創り出
さねばならず、それゆえ多くの謎めいた言説や数学的煙幕を駆使して、
分析者を超越した立場に置くことが緊急の課題であった。
903 :
考える名無しさん:03/04/18 21:25
ラカンはメタ言語がないことに接触したメタ言語のリミットなのよ
「人の世は夢のように儚い」というのが宗教家の語ることだとすれば、ラカン博士の語りはそこから最も遠い場所に位置付けられよう。
講義録の巻の十一を紐解いてみなされ。そこでは、精神分析は現実的なものにふれなければならないということが説かれておるのぢゃ。
しかしラカン博士は神学議論一般を避けておるわけではないし、三位一体の教義や聖トマス、アウグスティヌスもとりあげておるがのう。
アウグスティヌスなぞ今読んでも当然おもしろいし、近頃の大学人がカトリックの教義をそんなにバカにしてはいかんのう。
なにごとも勉強ぢゃ。
905 :
考える名無しさん:03/04/19 09:58
>>904 >講義録の巻の十一を紐解いてみなされ。そこでは、精神分析は現実的なものにふれなければならないということが説かれておるのぢゃ。
精神分析は「一つの想念」に過ぎないと、今さっき誰かが書いたばかりですが。
900はレザンジェのコピペ?
907 :
考える名無しさん:03/04/19 10:39
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
909 :
考える名無しさん:03/04/20 20:00
パート3
めちゃめちゃにしてやるぜ。
911 :
考える名無しさん:03/04/22 23:26
朝日カルチャーセンターで、
財●理が「盗まれた手紙のゼミナール」の
完全読解をしているね。
ドゥルーズの人かと思ってた。
913 :
考える名無しさん:03/05/01 23:15
ところで、「対象a」って何?
914 :
考える名無しさん:03/05/01 23:16
同感です(^^) 今でこそ細かな使い勝手では定評の・・・
915 :
考える名無しさん:03/05/02 12:51
ところで、「想像的なものの排除」(by 斎藤環)って何よ?
>>915 それは2chねらーのようなものの排除という事だろう
(想像的で妄想的なもの)
w
917 :
Dr.ジャッカル ◆LAWhF8CqAA :03/05/03 01:10
翔帰って来い!!
918 :
考える名無しさん:03/05/03 01:17
ラカンなんてサギ師だろ
919 :
zion-ad:03/05/03 01:35
>>918 ラカンなんてサギ師だろ
詐欺師後継者はここにいる。
グローバリズム終了別室〜13〜神ぐれー自作汁!
http://news3.2ch.net/test/read.cgi/news2/1051639498/l50 "慈恩公国の合従連衡−闇の旗保険"
http://www3.to/zion-ad 洗練されてるほうは、中沢新一ってことで。
とにかく抑圧解除。いまは言いたいことを言って、内圧を下げて準備と。
なんの準備か、藤原肇攻略戦。攻城戦にならんな。
長沼伸一郎のところは、あそこのはまるごと欲しいが、
藤原肇は、彼自身すらでさえなく、彼の死体の抜け殻、生霊なしぐらいしか、
価値がないからな。逆手に、敵側の駒としてはやっかい。
官僚は立派であるべきだのママゴトの主張者だから。
エリートはこうすべきだ、リーダーはこうすべきだの
政治家でなはない、下僕ではない、エリートやリーダーを
下僕にしようとしやがるからな。
俺は敵意を剥き出しにする。でも、場所をずらして。
920 :
考える名無しさん:03/05/03 23:14
「否定神学」なるものを、誰か、いっちばんわかりやすく説明してくで!!
単純であればあるほどイイ!!
一応、俺にとって「否定神学」のイメージを。
↓
空しさほど人を熱くさせるものはない。
こんな感じ(イメージ)
921 :
考える名無しさん:03/05/03 23:16
20代OLです毎日上司のセクハラや通勤電車での痴漢でストレスがたまっていた
そのときにネットで見つけたアダルトDVDショップ以前からオナニー用にDVD
が欲しかったのですぐ注文しました、とても安くてびっくりしましたが次の日には
もう届きました私が買ったのは、オナニー、レズ、レイプです毎日オナニーしてま
す。
http://www.net-de-dvd.com/
ほどほどにね。
924 :
考える名無しさん:03/05/04 01:30
否定神学:あるわきゃねえと考えてみるアプローチ
例えば「哲学をやってるオレはエラい」
「論理学を学べば思考が論理的になる」などの
虚妄が見えてくる。
925 :
zion-ad:03/05/04 08:36
>>920 線が見える。境が見えないから見える。線。これが否定神学。
926 :
考える名無しさん:03/05/04 08:39
へえー
927 :
zion-ad:03/05/04 08:58
>>926 へえー
もちろん俺の勝手解釈なので、本当のとこは先生に聞いてね。
< へえー >
背景色と文字色の境目。そこを視てたりする。
クッキーの金型がパン生地素材を分離する。文字部と背景部に。
金型の強さが視線。形(文字)認識が行われた。
あ、そうそう、先生が本当のところを知っていればね。
否定神学の先生なら知らないとは言わないと思う。
代わりに鳥居くぐりをするかな。< 形 >
本道を入って出たでは、入れて出してだけ。
壷の窪みが平面に見えたらなんにもなくなっちゃう。
でも、鳥居をくぐって、石畳の本道から戻るのでなく、
くぐったあとに脇から戻ってまた鳥居をくぐると、
なんとなく鳥居の柱が存在することがわかってくる。
でも、柱の表側、周りを廻っているものにとっての表面しか見えなくて、
裏側は見えないんだけど、きっとそこに立体の構造物はあるし、
∞の運動で二本の柱を廻れば、きっと2本の柱は同時に空間内に
存在するだろうな。と、思い込めてくる。周回数が多ければ多いほど、
速ければ速いほど。
知っているとは答えない代わりに。
928 :
考える名無しさん:03/05/05 16:20
言葉遊び以外の何物でもない。
929 :
考える名無しさん:03/05/05 21:55
宮台真司の言う「サイファ」だよ(=対象a)
930 :
考える名無しさん:03/05/08 23:21
うそつけ
<アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)←脳の機能的疾患(遺伝が要因)>
http://www.autism.jp/l-02-03-aspe3.htm http://www3.ocv.ne.jp/~cochome/kaisetsu.htm#chigai http://www.geocities.co.jp/Beautycare/5917/as/ ●接し方のルールがわからず無邪気に周囲の人に対して迷惑なことをしてしまうこと
がある。人を傷つけるということには鈍感です。年配の先生に向かって「おばあさん
先生おはようございます」と明るい大声で挨拶する生徒もいる。こういった言動をす
る場合にも彼らには悪意はない。
●小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがある。
●融通が利かないことも学校生活で問題になる。時間割の変更や突然の教師の欠勤と
いう事態で不安を感じたりかんしゃくをおこしたりする。あまりに規則に厳格なため
に、遅刻した同級生に延々と注意をしたり、修学旅行などで消灯時間をかたくなに守
り、他の生徒の顰蹙をかったりすることがある。
●行動・興味・活動のパターンが貧困で反復常同的なことも自閉症の特徴である。すな
わち、日常の活動の様々な面にわたって柔軟性のないルーティン(決まった手順や日課)
を押しつける傾向、これを慣れ親しんでいる習慣や遊びのパターンだけでなく、たいてい
は新しい活動にも押しつける。そしてルーティンや個人的な環境の細部の変化(家の中の
置物や家具の移動によるなど)に対する抵抗がみられることがある。
●揺れる木の葉を見続ける子どもは興味のレパートリーが狭いとも言え、視覚的な敏感さ
があるといっても良い。
●精神遅滞を伴うものと伴わないもので大きく分かれる。100%果汁のオレンジジュー
スを思い浮かべてください。それにだんだん水を加えて薄めて行くと終いには水にごく近
くなる。一口飲んで「オレンジジュースだ!」とわかるものは自閉症、水に近いけれどな
にかオレンジの味が混じっているのがアスペや高機能・・。その濃度はさまざま。濃いオ
レンジジュースであったとしても早期の療育や周りの対応によって水に近づいていくこと
は可能。しかし間違えてはいけないのはオレンジジュースが一滴でも落ちている場合は
「純粋な水」にはなれないのです。
シツモーン !
パラノとビスケとどっちがツオイですか?
>>932 パラノ。さらにツオイのがスキゾ。スキゾマンセー
神経症的自我とは、もともと統一のない自我であり、統一という問題がそこから
排除されるような自我である。たしかに正常な人格においても、自我と他者との
弁証法は、自我の無意識的動機と自我の意識的動作とのたえざる葛藤であり、し
かもこの葛藤は、自己の統一をたえず危機にさらす他者との間で、さらにその緊
張の度を増し加えている。けれども正常な自我は、そうした危険と不安定に耐え、
彼が現にある状態とあるべき状態とに一致して、己の人物と役割とを選ぶのであ
り、かかる両義性から出発して、己の理想である存在を自分に提示するのである。
ところが神経症者の自我は、自己自身の統一と理想にむけて、自己と他者の弁証
法がはらむこのような両義性と不安定とを克服することができないために、自己
であると同時に他者であることをみずから自己に許してしまうのである。
そしてまさしくここに、神経症的自我の演劇的本質がある。
神経症者の実存の演ずる詭計はかれ自身の存在のこの二重性に対応し、神経症
者の弄する詐術はかれ自身の自我のかかる二重登録(ふたごころ)に呼応してい
る。神経症とは、己の不真実性(自己の二重性)を空想的な演劇性(遊戯性)の
うちで一挙に真実性(自己との一致)に転換しようとする無意識の詐術である。
神経症者の実存は一つの舞台の絶対の演劇性に捧げられており、その舞台では実
存の種々の悲喜劇が演じられている。(略)神経症者の症候論のすべては、彼ら
の実体のない見せかけ、突飛さと過激、その戯画的な反応と恐喝に還元される。
言いかえるならば、かれらの自我がその不誠実さとともに自己自身にたいしてと
るところの、その危うげで芝居じみた態度に還元されるのである。神経症的行動
の錯綜、防衛の戦略と権謀術数は、自我がそこで姿を消す迷宮である。(略)
神経症者の自我は、自己との一致(誠実)を誰よりも深く求めているのに、
己の深みから真実の願い(不安・恐怖)が立ち現れようとすると、己の自己性
を脅かす異形のものと見て、ただちにこれを自分の外に締め出してしまう。神
経症者の自我のふところで生まれながらも彼自身の存在の一部として承認され
ることのないこの異形のものは、あたかも見捨てられた私生児のように、己の
存在の承認を求めて神経症者の自我にとりつき、すがりつく。自我の歴史性か
ら締め出されたこの異物は、哀れにも他者性の仮面の下で演じられるその偽り
の物語りを通じて、自己の存在を空しく誇示する。(略)このように、神経症
とはもともと自己の隠れた願望を否認しようとする力とこれを承認させようと
する力の戦いであるが、神経症的自我は己の願望と不安をすべて己の偽りの他
者のうえに押しつけているため、その戦いは、自我の歴史と「他者」の物語と
の間の葛藤という形をとるのである。
(山口 泰「心の探求」文化書房博文社1990 p168-70 ルビ等省略)
http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=ICF13700&n=5&p=1
山口 泰 ×
山口 泰司 ○
937 :
考える名無しさん:03/05/14 21:54
カフェ・藤田が大変だぞ
永久に進行を止めたウェブ日記「八本脚の蝶」という神経症の物語は、
自己の存在を空しく誇示するいくつかの眼差しとともに、
いまやリアルタイムで生成され続ける、「カフェフジタ」という
神経症の物語へと引き継がれたのである。
939 :
考える名無しさん:03/05/15 07:06
>>937 またかい。
自殺した人に関する議論で混乱・閉鎖になった
掲示板のひとたちを自分の掲示板に誘導して、
手がつけられなくなってる。
あげくの果てに自分のセミナーに勧誘して、
ひとの死を集客に利用する卑劣漢よばわり
されている。
騒ぎを起こしてひとを引っ張るのは彼の
常套手段だけど、今回はどうもね。
940 :
zion-ad:03/05/15 11:05
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
944 :
考える名無しさん:03/06/06 01:43
山ア渉をラカン的に分析せよ。
945 :
考える名無しさん:03/06/09 23:03
マスコミの盗聴、盗撮は許されるのか?
http://natto.2ch.net/mass/kako/974/974478132.html 489 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/04/11(水) 17:25
一般人なのに盗聴される、じゃなくて、「一般人だから盗聴される」んじゃないのかな?
基本的にネタ集めのためにやってんなら、有名人のネタを盗むと、有名人は告発できるし、
そんなことされても当たり前だと思われるので告発しても信じてもらえる。
そうでない人は、ここの途中の書き込みにもあったように「電波」扱いされるだけ。
ただで、ネタを仕入れるんなら、一般人に限るでしょう。
マスコミは自分らの無能さを恥じてほしいです。
ちなみに私が盗聴されはじめたのは、芸能人にストーカーされ始めてからでした。
そこからマスコミに広がって行った。
だから余計「妄想」とか思われそう。
友人に話したら完全に病気扱いされた。ストーカーって言葉がない時代だったしね。
書いておいておいた小説のネタが、他人の原作でドラマ化されたときにはきれまくっ
たなあ。(一度や二度のことじゃないけど)
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947 :
考える名無しさん:03/06/28 12:12
ぬりかべくん こんにちは
948 :
考える名無しさん:03/06/29 16:47
>>417 関係ないが、「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」のせいで、
チンパンジーが自己鏡映像による自己認知ができないと思ってる人、多そうだな……
テナガザルを除く類人猿ならできるみたい。
サルにはちょっと無理(というか行動の解釈が難しい)。
鏡像段階と自己鏡映像認知とは、まったく無関係だから別にいいけど。
>>527 現代思想の冒険者たちシリーズの福原泰平『ラカン』、
シニフィアン/シニフィエの誤りは、第4刷では直ってました。
>鏡像段階と自己鏡映像認知とは、まったく無関係だから別にいいけど。
「まったく」は言いすぎだった。
950 :
考える名無しさん:03/06/29 16:52
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
953 :
zion-ad:03/07/17 00:02
954 :
zion-ad:03/07/17 01:54
「幻想が表層的」に「なる」のは
主体の問題であって、文化一般には当てはまらない。
てゆーか文化にとって最初から表層は幻想(「である」)だったりする。
例えば日本だと吉本の『共同幻想論』以降
こんな話は色々な議論になってる筈なんだけど。
要するに元々面の議論を点で捉えていることがおかしいと思われ。
ラカン云々以前の問題です。
想像界、象徴界についてもやっぱり間違ってる?
958 :
考える名無しさん:03/08/13 14:30
ラカンの理論はフロイトのテクストを正しく再解釈したものであるなら
正確にはラカンの理論なるものは存在しないのでは?
959 :
お気に入り集 ☆http://beauty.h.fc2.com/:03/08/13 16:50
960 :
考える名無しさん:03/08/18 05:40
900過ぎたあたりからまったりなわけだが。
そろそろ次スレの頃合いかな。
961 :
zion-ad:03/08/18 21:50
962 :
考える名無しさん:03/08/30 22:26
呆れ臼と亀と依存症
例えば、ラカンの「哲学的」特徴は
(1)カントの「物自体」にこだわっていた
(2)言語自体の不透明性を強調していた
(3)広がっていく無限と収束する無限の差異を主張していた
にあるでしょう。
少なくともこの3点は、
ポスト構造主義とラカンの比較のポイントに
なっています。
見てくれたかな?>シャープの人
ここじゃ小此木啓吾が死んでも反応なしだよな、普通
968 :
考える名無しさん:03/09/23 00:49
俺はショック受けたぞ。
どうでもいい
970 :
考える名無しさん:03/09/24 03:37
ラカン派の分析は分析家の殺人を止める事はできない。
971 :
考える名無しさん:03/10/03 01:13
ラカンに限らず、自殺もとめられませんね。
分析を理論として「もつ」のでなく、「分析しつつ生きる」という方にもっていくのは難しいのでせう。
972 :
考える名無しさん:03/10/03 01:23
ラカン狂信者は氏ね
973 :
考える名無しさん:03/10/04 21:02
せっかく2chなんだから「恋愛誤診」の事件、分析してよ。
既出?
974 :
考える名無しさん:03/10/09 21:28
なに?恋愛誤診って?
975 :
考える名無しさん:03/10/09 21:35
治療者が患者に愛されていると不可疑的に妄信すること。
976 :
考える名無しさん:03/10/09 21:57
逆転移ってやつの事か?
『ジャック・ラカンの書―その説明のひとつの試み』の小笠原晋也氏のことだよん。
大学時代や、ラカン派のもとでの留学生活時代の苦労をともにしながら、二人の子供
をつくった最愛の初めの奥さんがガンで死んだあと、再婚、離婚。
その後、クリニックにやってきた若く「美しい」患者と、恋愛関係になり、3度目の
婚約。しかし、その患者のさまざまな妄想を、一緒になって信じ込み、子供や父親などの
家族との関係が破綻していき、最期、その患者の「出ていく」という一言に思わず
絞殺。。。
ちなみに浅田彰は、その小笠原氏の行動はさておき、冒頭に挙げた本は、独自の訳語が
やはり無理があるといいつつも、かなり評価してた。
いま「ラカン」と「小笠原」でググッてみたら、
一番目にこんなのでてきた。
http://member.nifty.ne.jp/windyfield/diary0212a.html ライターが詳しく取材して書いてたのは『新潮45』だっけな、今年の9月号だよ。
「恋愛誤診」はその記事のタイトル。
さあ、分析してください!
>>971 で、どうや;れば「分析」できるのかききたいなあw
979 :
考える名無しさん:03/10/11 22:09
「分析」じゃなくても、
あの事件について、小笠原氏ら各登場人物の心理から詳しく説明してください。
やっぱりあんまり「理論」とは関係ない話でしたかな?
980 :
考える名無しさん:03/10/11 22:36
分析も何も、「バカだから」だろう。
>>979 その登場人物ひとりひとりの深層心理を探るのが「分析」でしょう。
それは「手段」として、長い時間をかけ、自由連想法やら夢やらを用いるのだと思われます。
というわけで、あなたの問いのたてかたが誤りだと思います。
982 :
考える名無しさん:
「新潮45」を読んだだけだがかなりの虚言癖のある女性にホレてしまい
振り回されたようだ。
「人格障害は存在しない」が持論の分析家が人格障害の女性によって
破滅させられたという事だろう。