永井均さんの<私>について(マジレスのみ)

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303考える名無しさん
永劫回帰する給料泥棒
304考える名無しさん:02/02/21 02:31
不勉強な詐欺師かつ嘘吐き
305考える名無しさん:02/02/21 13:11
誹謗中傷だけするひとよりましです。
306考える名無しさん:02/02/22 00:22
age
307考える名無しさん:02/02/22 01:46
>>305
その台詞、永井先生にいってくださいね。
308考える名無しさん:02/02/22 02:41
>>305
>その台詞、永井先生にいってくださいね

は?
309考える名無しさん:02/02/22 15:23
二種類の平等。平等欲は、他の人をみな自分のところにまで引きずりおろしたがるか
(ケチをつけたり、黙殺したり、足をすくったりして)、またはみんなとともに自分
をも引き上げたがるか(ほめたり、助けたり、他人の成功をよろこんだりして)、と
いう具合も現れうる。

ニーチェ「人間的、あまりにも人間的1」300節

永井につっかかる人はこの言葉をまず反芻してみましょう。
310考える名無しさん:02/02/22 23:43
>>309
気の利いた引用句を披瀝しあって楽しむゲームは、なんというか、教養レベルの
学生同士のゲームとしては面白いかもしれないけどね、有象無象の名無し相手に
することじゃないYO! 失笑を売っているようなものでは? 誰か買う奴いるか?

「お前もな〜」「おれもな〜」というフレーズの方がよっぽど気が利いてるとは
思わない?
311物見:02/02/23 04:30
>>307
たしかに時たま幼稚と思えるような態度で暗に罵倒してる時あるよね。罵倒された方がいやだろうけど、
べつに誹謗中傷ではないと思う。

>310
思わない。まあ309の引用はあまり効果的じゃないけど。

「子供のための哲学対話」っていう児童向けの永井本読んだんですけど、
上下感覚に関する件って、面白いですね。
地上の認識枠だと、地上の重力圏から放れた遠近法を捉えられないんですね。
312考える名無しさん:02/02/23 11:33
>>311
>幼稚と思えるような態度で暗に罵倒してる時あるよね。
は?どの事?
313考える名無しさん:02/02/23 12:03
>>311
>「子供のための哲学対話」っていう児童向けの永井本読んだんですけど、
全く読めてないな、馬鹿じゃないの。
永井の言う「子ども」は児童向けという意味じゃないだろう。

>上下感覚に関する件
何それ?
314考える名無しさん:02/02/23 12:14
>311
時たま妙にねちっこく愚痴ってませんか?具体名忘れたけど。

>312
永井氏の書いた「子供のための哲学対話」(たしかこの題名)って児童書があるの。
犬と子供の対話で進めていく、そういうはっきり子供向けの短い本があるの。
結構永井氏本人の人生観が入ってるような気もするけど、結構面白かったんだよ。

新書の「<子ども>のための哲学」のことじゃない。
315考える名無しさん:02/02/23 12:16
ズレた。
>311は>>312
>312は>>313
へのレス。
316314:02/02/23 12:42
あ、犬じゃなくて猫だったかもしれない。
317考える名無しさん:02/02/23 14:11
永井 永井 永井とメカ永井 永井 永井 永井とメカ永井 永井 永井・・・・
318考える名無しさん:02/02/23 15:40
何が言いたいんじゃわりゃ
319考える名無しさん:02/02/23 17:43
>>311
>具体名忘れたけど。
きみの妄想。
320Sandy:02/02/23 17:43
♪私と一緒にお小遣い貰いませんか♪
私はここで毎月、大好きな温泉代を稼いでいます。

http://goo.gaiax.com/home/annarisapapa

ここでお待ちしてま〜す。
Sandy
321考える名無しさん:02/02/24 03:48
>>311
>たしかに時たま幼稚と思えるような態度で暗に罵倒してる時あるよね

入門書しか読まない連中にはありがたい存在だろうな、ということは
想像できる。ビート某的な乱暴さがあって、それはそういう連中には
わかり易すく見えるだろうから。でもさ、仲間内の論争ごっことか、
出典隠しのオリジナル論もどきとか。「みてらんない」という文章が多
い。漏れ的には。出典不明だから自説なのかと思うと、「翻訳書」系・
先人系の書物にネタが転がっていたりして結構笑える。
322考える名無しさん:02/02/24 12:00
>>321
はぁ?
何が根拠でそんなこと言えるの?
つっかかるのも、ほどほどにしなよ
323考える名無しさん:02/02/24 13:01
>出典不明だから自説なのかと思うと、「翻訳書」系・先人系の書物にネタが転がっていたりして結構笑える。
どこらへんがそうなのか具体的に言ってもらえると、じつは参考になる。
324中田:02/02/24 14:01
なんか荒れてますね(笑)

永井さん自身も「転ブラ」あたりで、自分は人間的にはダメだ、って自覚している
だからさ、プライベートな部分をたたいていてもしょうがなくない?哲学的な部分
をちゃんと批判していかないとさ(放言だけじゃ逆に自分の無能さを証明しているだけ
だよ。まあ永井さんも放言は多いけど(それはご愛嬌、逆に僕はそうゆうところにわざわざ
しつこくつっかかる人を変に感じる)、哲学的な部分の放言はあまりないと思う、どう?
それにそうゆう放言があってもそれは、実は、僕はこんな問題を考えているんだよ、一緒に
考えてみない?、っていう呼びかけであって、永井的真理の押し付けとは、僕自身は感じない。)
、永井さんは哲学者としては「偉い」というふうになっっちゃうよ。

>出典不明だから自説なのかと思うと、「翻訳書」系・
>先人系の書物にネタが転がっていたりして結構笑える。

僕もどこらへんがそうなのか具体的に言ってもらえると参考になって助かる。(笑)
まあ、永井さんの性格を考慮すれば、問題自体を考えるのに必死で、誰それが
何を言ったかなんて興味がないじゃないの?まあ、哲学研究者としてはあるまじき
行為だけど。(笑)だから自分の考えがオリジナルなものかどうかにも興味がないと
思う。問題自体を自分自身で考えるのに必死だから。「自分自身」で考えるのが
哲学だからね。自分が考えたことが過去に誰か言ってたとしても哲学としての価値
は減少しないと思うよ。まあ、それも哲学研究者としては良くないけど。



325考える名無しさん:02/02/24 16:55
中田さんみたいな大人の方が足繁く通って来て下されば、たぶん荒れません。
326考える名無しさん:02/02/25 04:05
>322
 公衆トイレのあのドアの向こうから「紙をくれ」という声が聞こえたとする。
その場合君ならどういう対応がベストだと思うのだろう?
 1.あほ、とわらいつつ、黙って立ち去る。
 2.「紙の用意を確認してからトイレは使おうね」と言ってやる。
 3.ティシュ・ペーパーを投げ込んでやる。
 4.その他。

>323,324
 困ってもいないのに、紙だけは要求しているように見える。仮に紙を渡しても「これは紙ではない」とか「こんな紙では使えない」
とか「量が足りない」とか文句をいうのだろう。

>325
 人違い。2ちゃんねるはこどもの来るところではないYO!

324のように「熱血先生なら何を言ってもOK」という糞味噌発言が大人の発言と
みなされるようではまともな議論なんて望むべくもないと思える。
324は何をいっているか無自覚みたいだし。
ここのようなミーハー・スレでは、カリスマを持ち上げることだけが意味があって、
少しでも彼を批判しようものなら322みたいなやつが出てきて荒れる。らしい。
321や322が何をいったとしても荒れているようには見えないという視点もあるのに。
教師のレベルは弟子を見ればわかる。ということか。(w
327考える名無しさん:02/02/25 06:02
>>326
悪口だけいっちょまえ(例えが下手糞だが)で、言ってることに内容ないね。
328考える名無しさん:02/02/25 10:24
age
329考える名無しさん:02/02/25 14:51
>>326
>仮に紙を渡しても…文句をいうのだろう。

無用な推測はけっこうですので、紙を渡してください。
330中田:02/02/26 14:20
>326
なんかイヤなことでもありました?(笑)
まず「荒れている」についてですが、僕は303あたりのレスから「荒れているな」と
思ったのですが。325さんもそれを踏まえたレスだと思います.......

322さんも326さんもいったい何が問題なんですか?
それがよくわからないのですが。

1 哲学者永井均、そしてその哲学
2 大学教師、哲学研究者としての永井均
3 永井均の人間性
4 永井均に群がる人達

1以外の批判について僕はあまり関心ありません。
別に2−4への批判もいいだろうけど。
まずはさあ1を批判してよ、と僕個人は願ってます。
永井さんの哲学観を批判するもよし、独在論や倫理学を批判するもよし。
ちゃんとした批判もなく罵倒しあっているだけだから、僕は「荒れている」と言っただけで
まっとうな批判なら「荒れている」なんて言いませんよ。
>322さんにしても具体的なことを全然述べてませんし。
せめて「先人系の書物」の固有名だけでも挙げてよ。
331中田:02/02/26 14:39
放言についてですが。
これも永井さんのネタ提供のためのリップサービスだと思わないかな?
多少初学者にとっつきやすくして本が売れやすくするためだろうし。
まあ、そうゆう放言にだけ関心を持っちゃう読者も読者だろうけど。
(322さんも326さんもそうゆう読者かも?永井哲学の内容に関する議論が
いっこうにされないから)
永井さん自身も「転ブラ」の「談話室」みたいなのにだけ関心を持つストーカー
みたいな奴は困る、って言ってなかったっけ?

そもそも放言をする永井さんが許せないのか、そうゆう放言を「ご愛嬌」と言って
済ます僕が許せないのか、どっちですか?

言論の自由が保たれているだし、本人が言いたきゃそれでいいんじゃないですか?
それに小気味いい放言ができるのも一つの才能だよ。
ビート某さんも田中某元外務大臣もそれが人気上昇に一役買っているんでしょう?

僕からすれば326さんのほうが「ミーハー」にしか見えないですけど。
理由は何度も言うように永井哲学の内実に踏み込んでいないから。
僕は真剣に踏み込んでいるのに。

>仮に紙を渡しても…文句をいうのだろう。

文句なんてケチくさいことしませんよ。永井さんを丸裸にしましょうよ。
332中田:02/02/26 14:42
>ここのようなミーハー・スレでは、カリスマを持ち上げることだけが意味があって、
>少しでも彼を批判しようものなら322みたいなやつが出てきて荒れる。

これは326さんの単なる思い込み。
少なくとも僕は永井さんをカリスマなんてつゆほどに思っていません。
そんなこと言っている暇があったら何度も言うように永井哲学の内実
に踏み込んでくださいよ。
333考える名無し:02/02/28 09:19
「私」にこだわって生きていた人間が、あるひ「」を捨てようと決意したら
どうなるのだろうか。
334考える名無しさん:02/02/28 22:28
>>324
>実は、僕はこんな問題を考えているんだよ、一緒に
>考えてみない?、っていう呼びかけであって

そんなこと永井は言わないと思いますがね。
335>334:02/03/02 10:42
正確に言うなら、
俺はこういうこと考えてきたんだけど、同じこと考えてる人はいるかな? いたら一緒に考えてみない?
て感じじゃない?
336考える名無しさん:02/03/02 13:56
>>335
もっと正確に言えば
「<私>の考えを、同じように考えてるロボットがいて、それらが<私>について
の考えを深めてくれると、永井にとってはうれしい」
って感じじゃない?
337考える名無しさん:02/03/02 14:12
>>335
「一緒に」って、永井が言いますかね?
>>336
「うれしい」んですかね、永井は。
338考える名無しさん:02/03/02 15:54
永井氏は、たとえば「他者」ってのを、主題としては語らないでしょ。
ある存在者と主題として語ってしまうっていう語りのありかた自体に、事象の理解を歪める力が潜在しているって洞察が基本にある。
「<私>」ってのも、主語として(「<私>は」というように)使うようなものではないでしょ。本当は。
<>ってのは抹消記号×の変形。「<私>」は、存在論的な議論の俎上で用いられる記号でしょ?

なんつうか、これを交通可能な自我論の俎上で扱ってしまうと、336みたいな物言いになってしまうと思うんですが。
おれも理解が足らないかもしれないけど…。
永井氏の議論は、飽くまでも「他の誰でもないこの私が存在しているという、この奇妙さは何だろう」ということをつきつめていく過程だから、
その種の疑問を覚えたことがなかったり、少なくもと興味が抱けない人には、はじめっから誤解を生じ易いのものなのじゃないかと思う。

解釈的理性と省察的理性の違いってやつを永井氏は言うけど、つまり解釈的理性は事象を解釈することで新たな意味体系をつくりあげる作業だけど、省察的理性は既存の意味体系を事象の本質理解へ向けて掘り崩していく作業だってことだよね。
永井氏の議論は、言うまでもなく後者だから、同質の問題意識からその議論に参加するひとは歓迎するって感じじゃないですかね。
339336:02/03/02 20:44
>>337
自分の議論が誰かによって深められるってことで「うれしい」ってことね。
「<私>の存在の比類なさ」の「はじめに」とか、
あと「子供のための哲学」とかにもそんなことが書いてたけど
まあ、こんなことはどうでもいいことだよな。

>>338
「交通可能な自我論の俎上」ってのは?
340中田:02/03/03 14:44
>333
どうなるんでしょうね(笑)
ただ、<>って、一つの永井的実践的、倫理的態度なんだよね。
純粋存在論の境地を示すだけではないと思う。
<>の記号でこそ、他者の他者性を開示できる、なんて言っている時、「なぜ悪いことをしてはいけないのか」
を読んだ時、「子供のための哲学」で通俗的道徳の根拠づけを拒否する感じが独在論の感じと似ている、と言っ
ている時などに僕はそう思う。

>ある存在者を主題として語ってしまうっていう語りのありかた自体に、事象の理解を歪める力が潜在しているって洞察が基本にある。

これは確実にありますね。付け加えて「事象の理解を歪める」とともに、そうゆう語りかたでは自分が言いたいことが他者に伝わらない
、という洞察があると思う。
<>って永井的コミュニケーションの方法なんだよね。自分だけを語ることで他者とコミュニケーションする。
自分だけを語ることによってしか、他者に伝えられない何かがある、という洞察があると思う。
永井さんのそのような趣味を理解できない人は永井さんからすれば粗野な人間ということになるだろうし、永井さん
のそうゆう趣味は、もっと繊細な趣味をお持ちの人からすれば粗野の趣味だろうと思うだろうし。
まあ趣味の違いかな。
たぶん永井さんの議論を完全に理解した上で(つまり永井的コミュニケーションが理解できないからではなく)
、永井的コミュニケーションを拒否する人もいると思う。
(文字どうりの意味で。で、当然僕の語り方もものすごく粗野ということになる)
趣味の違いがすべて、ってことなのかな?



341中田:02/03/03 15:01
>336
なぜロボットから、そのような反応が返ってくるのか、かが永井的問題なんじゃないの?
やっぱり自分と同じ様な人間がいるのかもしれない、っていう疑問を<<私>>で表わそうと
していると思う。

ちなみに永井さんの<>も、永井さんより繊細の趣味をお持ちの方であれば
「交通可能な自我論」ということになると思います。

まあ永井さんにダメだしをするとすれば、なぜ永井さんの議論が全くわからない人
が出てくるのか、をちゃんと考察してほしいですね、認識の徒なんですから。
永井さんの議論がわからない、というのも世界の一つの諸相ですからね。
だから、

>永井氏の議論は、言うまでもなく後者だから、同質の問題意識からその
>議論に参加するひとは歓迎するって感じじゃないですかね。

そうだとしても、永井さんは異質な問題意識から議論に参加する人も
歓迎しなければいけない。たとえ永井的問題意識から議論がずらされ
ていくとしても。

342941:02/03/03 15:28
>なぜロボットから、そのような反応が返ってくるのか、
>かが永井的問題なんじゃないの?
>やっぱり自分と同じ様な人間がいるのかもしれない、っていう疑問を
><<私>>で表わそうと していると思う。

永井本人がどうかということは別にして、
むしろ、逆にそんな反応が返ってくることの違和感、つまり
<私>と同じではない(それゆえ自分と同じ人間なんていない)
のに、「ロボット」が言語ゲームではそこまで語れる
ということの「気持ち悪さ」の指摘が「独我論」でいいたいこと
なんじゃないでしょうか?
つまり、自分と同じような人間なんて疑問はそもそも出ないのでは?
343なっち:02/03/19 13:54
要するに、中田さんは実存主義者ですね。実存主義的永井解釈。
永井はもっと形式主義で、<今>とか<現実>とかとの形式の類
似性を探ることに興味を持っている。         
344考える名無しさん:02/03/19 14:02
>>永井さんにダメだしをするとすれば、なぜ永井さんの議論が全くわからない人
が出てくるのか、をちゃんと考察してほしいですね

俺はね
単に永井はガキなんだとおもう
345考える名無しさん:02/03/19 14:03
たとえばレトリックというのをわからないやつとかいるじゃん
大人の会話にはいれないやつ 多分そういうやつ
346考える名無しさん:02/03/19 14:07
誰もが自然と了解して行っている言語ゲームに
どこか常に「ウソ」を感じてしまうんだねきっと。
ぎゃくにいうと「ホント」っていうのを突き詰めないと気が済まない。
子の両者から生まれたのが<魂>なんだなーと思う。

347考える名無しさん:02/03/19 14:10
子どもはこどもらしく。
348考える名無しさん:02/03/19 14:19

永井の世界には カラタニのいうような
どうにも煮ても焼いてもくえないような「他者」というのが欠落しているよね。
というよりも永井にとっては全世界が不思議!なのか。

カラタニにも「他者」ないけど。
349考える名無しさん:02/03/19 14:24
なんかカラタニ読んでると
そとにでたいーといううめきがいつも聞こえてくる。
哲学バンで感覚的な表現ばかりですいません。
350なっち:02/03/19 15:48
その人がどういう人であるか、とか、その人の思想の一般的印象とか、
そういう種類の話ではなく、ここでは、哲学の中身そのものについて
立ち入った議論をするのではないのですか。中田さーん。
351考える名無しさん:02/03/19 16:04
だすな。
あちきはは <魂>はたとえ工場でうまれたのであってもかまわない
という永井のあの一文にビビビとしびれてしまっているのです.....
352考える名無しさん:02/03/19 21:53
永井の本読むと目が回ってくる。<<私>について語る>ついて語る<私>と堂堂巡りになっちゃうんだよな〜〜
哲学書なれしている人にはそうでもないんだろうけど。
軽いトリップ感があって楽しいけど、「結局なんだったんだろう…?」と言う読後感がなんとも・・・(^^;)
353考える名無しさん:02/03/19 23:27
>>352

問題を解いた先には答えがある、答えさえでてしまえば問い自体には意味がなくなってしまうという考え方、
これから解放された。それがなんともいえない爽快感ではあった。
しかし彼の問いの立て方の出発点が宗教的なのかな。
この世で俺しか存在しない時、
そもそも倫理なんてないと思うんだが。

354考える名無しさん:02/03/19 23:36
>>353
永井均のは存在論だもの。
存在を倫理と結びつけるとそれはソクラテスの詭弁に陥ると、永井均的には言えるんでないの?
存在は善という断言の拒否。

個人的には、そこにつよい興味があるけど。
355考える名無しさん:02/03/19 23:58
>>354

存在論というのはわからんのですが、
彼の問いとその答えは最終的には善悪という価値の否定
彼岸までいってるけど

なぜその問いが発生したのかというのは、どうしても言語ゲームの世界外のことだと
思わせてしまう何かが彼の論にはある気がしてしまうのだ。
356考える名無しさん:02/03/21 09:46
>言語ゲームの世界外のことだと思わせてしまう何か
<魂>(という比喩で表現される本来それ自体は語り得ない実体)。

道徳的善悪は、言語ゲームの内部で肯定されたり否定されたりする事柄に過ぎない。

357kinako:02/03/22 15:22
永井という人は学問的にも思想的にも全く偉くないけど、
彼が発見し、拘った問題そのものは、正真正銘のホンモノで、
ここも含めて、すべての人がそこまで登れていない。
かつて中田は、《私》を貶めていたけど、そうじゃない。
<私>の不可避的な《私》化、と、
それにもかかわらず、そこで失われるものこそ(→だけ)が実在する、
ということこそが問題のすべてなのだ。
哲学史的には、<神>と《神》、新しくは、<現実>と《現実》も、同型で、
しかも、デカルトとライプニッツを見れば分かるように、
それらすべてが相互に内容的にも連関している。
ここが解ければ、哲学(その中心的な部分)は終わるのではないか。
358考える名無しさん:02/03/22 23:29
>kinako
もっと語ってみてほしい。
359中田:02/03/23 00:43
>343
僕は「転ブラ」よりも、「なぜ悪いことをしてはいけないのか?」の議論のほうが
おもしろい、っていう意味では実存主義的ではあるのかもしれないけど。(あえて
つっこんで言えばニーチェ的)
でも永井的議論と実存主義は全然違いますね。
永井さんと実存主義は

1 <私>の存在は偶然である。
2 <私>は永井均でなくてもいることができる。(と考えることができる)
3 <私>は他者には理解できてはならない。理解できてたとしたら
  それは<<私>>である。 

という点で違うと思います。1、2はいうまでもないし、3も実存主義にはないでしょう。
サルトルに「私の議論は理解されてはならない」という身悶えがあったでしょうか?
(この身悶えがあるかないかでかなり言説の質が変わってくると思う)

360中田:02/03/23 00:57
><私>の不可避的な《私》化、と、
>それにもかかわらず、そこで失われるものこそ(→だけ)が実在する、
>ということこそが問題のすべてなのだ。

「<私>存在の比類なさ」の時期までの永井さんみたいな感じですね。
「転ブラ」で言えばE君ってところかな。
「転ブラ」圏内で言えば<私><<私>>を使った言語ゲームは一体なんな
のか?ってところに問題の重心が傾いているとも思うのだけど。

>かつて中田は、《私》を貶めていたけど、そうじゃない

うん、たしかにかつてはそうだけど、今はそうでもないですよ。

361中田:02/03/23 01:06
>344
いやそういうことじゃなくてさ。
独在論が分かるか分からないかで、かなり世界の見方、人生の見方
が違ってくる。(特に<私>は永井じゃなくてもよかった。ってのは
だいぶ人生の物の見方に影響を与えていると思う。「なぜ悪いことを
してはいけないのか」の「徹底的利己主義」はこれを利用してできて
ものだし)
その分かる分からないの分岐点はどのようなにして出来るのか?
ってのを知りたいんですよ。
362中田:02/03/23 01:20
他者が問題となってますが、何度も言うようですけど、永井さんに
他者はいますって。いなきゃそもそも独在論なるものを語るはずな
いもん。永井さんには他者の影がつきまとっている、っていうとこ
ろがわからない。でないと、なぜ悪いことをしてはいけないのか」
で永井さんが永井さんに「語る」ことを強いている道徳感覚を、執
拗に問題としていることが分からない。
本当に他者がいないならまさに沈黙ですよ。
沈黙こそが究極の道徳拒否。

最近考えたんですが、永井論の独自性は「<私>は偶然永井均である」
ってところにあると思えてきました。じゃないと、「なぜ<私>は永井
均の利益に奉仕しなければいけないのか」みたいな言葉言えないもん。
これはまさに永井さんが史上初めて生み出した考えだと思う。


363哲学初心者:02/03/23 08:24
最近、哲学に興味持ちはじめて、永井均のウィトゲンシュタイン入門を買って
読んでいるのですが、初っ端から躓いてしまいました。問題は22ページ
の内容なんですが、言ってることがさっぱりわかりません。論理が破綻している
と思ってしまうのです。だれか理解できた方います?いたら、もう少し詳しく
説明していただけないでしょうか。よろしくおねがいします。
364哲学愛好者:02/03/23 15:16
>363
『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書)か『<私>の存在の比類なさ』
(剄草書房)か、どちからを先に読むことを勧めます。『翔太と猫のインサイト
の夏休み』(ナカニシヤ出版)では、水槽の中の脳の話とつながっていて興味深
く、個人的にはここをもっと展開していほしいと常々思っているのですが。
365哲学初心者:02/03/24 06:55
>>364
 了解です。今日本屋にでも行って探してこようかと思います。
でも恐らくウィトゲンシュタイン入門は私には理解できないと思います。
正直言って鬱です。「<子ども>のための哲学」も分かるかどうか、、、
366考える名無しさん:02/03/24 08:52
>>363
22ページの内容ってどんなんでしたっけ?
367ある日 めがさめたら:02/03/24 09:53

<子ども>から「おとな」になっていたのかな

おともだちだった野良猫のおはなしも 突然ききとれなくなってしまった
野良猫のなまえもわすれてしまった

あたらしく ヤーという名前をつけてやった
368考える名無しさん:02/03/24 10:25
てか永井さんってかっこいいと思います。外見も含めて。
本当に偉大なかたですね。
369kinako:02/03/25 17:47
>360
E君ではなくその逆でもある。
逆に《私》について語るときにも<私>を参照せざるをえない。
なぜなら、もうすでに<私>が存在しているから。
しかし、そのことの意味が他人に通じたときにはすでに《私》化している。
哲学的な原理は、むしろ《現実》と<現実>の対比にあるような気がする。
その意味ではF君(ちなみにFは女性?)が重要。
しかし、倫理的には、コミュニケーションは虚構化するというE君の主張がやはり重要だ。
これは自己意識の成立そのものが虚構性を孕むということで、
人生は原理的に芝居であるという意味を含むと解する。

370考える名無しさん:02/03/25 17:53
永井さんは<私>が、なぜか人間永井に付着したことの偶然性を問題としている。
上の出会いの偶然性をここに適用してみると、永井さんはどちらの側からの
偶然性を問題としているのだろうか?
もちろん、<私>でしょうな。
つまり<私>が偶然性を感知している。
しかし、そうすると<私>が何か精神的実体に見えはしないだろうか?
僕が前から再三<私>の精神的実体化と言っているのはこのことなんですが......

まあ、永井さんが神の視点ごときものから偶然性を問題としているなら、僕の批判はあてはまらないだろうけど。
371びたみん ◆BWLMxAG. :02/03/25 20:58
>>369
>逆に《私》について語るときにも<私>を参照せざるをえない。
せざるを得なくないと思うよ。
何故なら、〈私〉なんて世界に存在していなくても、《私》に関する
議論が平然として行われていることは充分可能だから。


372考える名無しさん:02/03/26 14:24
結局<私>がなんなのか、さっぱり分からん。
373考える名無しさん:02/03/27 11:43
>>372
 だからそれは語りえぬものだとゆうてるやん
374考える名無しさん:02/03/27 12:59
>>373
だから語りえぬものを何でみんなそう分かっているのかってことや。
375考える名無しさん:02/03/27 14:01
>>374
あんた、永井の本は読んだことあるの?
376考える名無しさん:02/03/27 15:22
永井の子供ための哲学にある<私>の向こうのもう一つの奇跡って奴か。

永井が<私>という言葉を出した途端に「<私>」という言葉をめぐる言語ゲームが
始まっただけなのかもしれませぬ。
377kinako:02/03/27 18:26
>>371
二つの反論が考えられる。
1、《私》についての議論だけがなされることはありえない。
  《私》は<私>との対比でしか問題にできないから。
   だから、フィヒテのような哲学者も実は<私>を問題にしてた。
2、いやそうではなく、<私>はもう存在している、それがすべての出発点。
   <私>なんて存在しなくても、というのも、存在してしまった後の話。   
  存在しなかった場合も、存在してからしか考えられない。
  しかも、もう存在するその世界の内部から。
ところが、2のような反論も、読む人には、1のような反論に読みかえられる!
378374:02/03/28 10:48
>>375
あるよ。
「子供」だけだけど。
379考える名無しさん:02/03/28 12:29
偽問題の典型だよ。永井均の「私」って。
380考える名無しさん:02/03/28 14:05
語りえないもの、と言われたら素直にそう受け取るしかない。
理解するとか、そういった次元にはもうない。
381374:02/03/28 14:08
>>380
いやいや、何でそう言っている当の本人がそう理解しているのか、ってことでしょ。
語りえないものを語りえないものだと、なぜ永井が知っているのか。
382>>374:02/03/28 15:34
普遍的に述べようとすると、<私>が<私>ではなくなって、「私」になら
ざるをえないから。
ちゃんと読めやゴルァ!!!
383なっち:02/03/28 16:55
いえいえ、みなさん。
そういう形式的な読み替えが問題なのではないと思いますよ。
端的に、たくさんの人間のうちの一人がなぜかこの私であるということ、
すべての出発点であるはずのこの端的な事実が、
およそ学知のメスが入れられない説明不可能なありかたをしていること、
にもかかわらず、それを引きうけて生きざるをえないということ、
これが問題なんですよ。
だから実存主義的に解釈するのが正しい。
そう解釈すれば、偽問題もくそもない。
それ以外に問題なんて何もないくらい問題ですよ。
そうじゃないですか。
>369
人生は芝居だけど、人生が存在すること自体は芝居じゃない。
読み替えとか、そういうのは、このズレのことでしょ。
だから、存在し生きていくことの、
この異様さそのものを問題にしているんだと思うよ。

384374:02/03/28 21:38
>>382
そうじゃなくてさ。
<私>について語ろうとすると「私」の話になっちゃうって言うんでしょう?
それは分かってるの。
でもね、そもそも語れないものについて何で知っている人がいるのかって聞いてるの。
<私>について語ろうとしても語れない、だったら実はそんなものはないんだっていう
ことにはならないの?
どうして語れもしない<私>とかいうものがあると知っているの?
385>>374:02/03/28 22:07
あんたは全てのことが語りうる、と、思っているのかい?
386考える名無しさん:02/03/29 02:06
生きていることと、存在していることは、違うことだと思う。
永井はそう考えてる。実存主義的解釈なんてまったくまと外れだと思うが。

「実存」って言葉にしたって、ハイデガーがなんで「存在」ではなく「実存」なんて言い方をしたと思うの?
「存在」を客体的に論じることの誤謬を少しでも是正しようとしたからだろう。
387374:02/03/29 02:42
>>385
そうは思ってないよ。
でも<私>は語りうるものでもないし、当然目に見えたり手で触れたりするもの
ではないのでしょ?
そうすると、どうして<私>が存在するって分かるのかなって。
388考える名無しさん:02/03/29 15:51
>>なっち
>343と>383で、言ってることが矛盾してるんじゃない?
389>>374:02/03/29 20:28
だからおれたちにはわかんねーっつーの
390幼稚園除籍2号:02/03/29 20:55
マジスレなんでしょ。もっと、原理的に考えようよ。
例えば、ピアニスト一家の話や片目が義眼の師匠筋の見解じゃなくて。
記号論とか情報理論、現象学経由であらかた解決つく問題だし、フーコーとか柄谷とか出てきたら終わりジャン。
だから、サッカーとかあさま山荘とか性病の話をしよう。マジでそっちの方が時代の要請に合うし、第一それも女の存在には負けるし、勝てないよ。
391考える名無しさん:02/03/30 00:21
ウィトゲンシュタイン入門で引用されてる『青本』の
独我論の部分は完全に誤解。言語は実在に責任を持たない。
「私」という言葉も例外ではない。
392考える名無しさん:02/03/30 18:15
>>391
「誤解」という話はつまらないよ。だから、どうしたの? と思うだけだもの。
393なっち:02/03/31 16:30
>388
矛盾していたかも知れない。私は実存主義的に解釈する、と言うべきだった。
>386
ハイデガーがどう関係するのかわからない。
実存というのは本質との対義語で、
この対義は現実性と可能性の対比と重なるから、
結局<現実>と《現実》との対比にも重なるんじゃないか。
だから、私は最終<現実>主義者です。
わかってもらえるでしょうか。
394考える名無しさん:02/04/07 13:34
中田さん、最近見かけないね。
395考える名無しさん:02/04/09 15:21
青山拓央『タイムトラベルの哲学』を読んだ。
以前に中田さんが疑問視していたG君説というのは、
この青山説をモデルにしてるんじゃないのかな?
この関係はすごく興味深い。色々な意味で。
396中田:02/04/10 22:13
>393
実存主義っていう言葉は誤解を招くからあまり使わない方がいいと
思うのだけど。永井さんは個人という単位で思考することを嫌って
いると思うし。

>だから、私は最終<現実>主義者です。

これを言って相手に理解されるということはどうゆうことか?
ってところが問題のミソでは?

>391
「なぜ悪いことはしてはいけないのか?」の大庭さんの永井批判みたいな
感じですね。

>386
存在することと生きることをそんなにすっぱりと
区別できるのかが問題ですよね。<私>が生きていなければ
何も存在しはしないし、<私>が存在するのであれば、<私>
は生きている、ということだ。>340で言っているように<私>
は存在論的にも、倫理的にも解釈できる。どちらか一方を排除する
ことはできないと思う。永井さんやみなさんが問題を感じている
事柄というものはそうゆうものでは?
397中田:02/04/10 22:15
問題を解いた先には答えがある、答えさえでてしまえば問い自体には意味がなくなってしまうという考え方、
これから解放された。それがなんともいえない爽快感ではあった。
独在論が分かるか分からないかで、かなり世界の見方、人生の見方
が違ってくる。(特に<私>は永井じゃなくてもよかった。ってのは
だいぶ人生の物の見方に影響を与えていると思う。「なぜ悪いことを
してはいけないのか」の「徹底的利己主義」はこれを利用してできて
ものだし)
それとも哲学をしているものは現実を知らず、社会を知らず、人付き合いも乏しいから
現実に飛び込んで、社会に揉まれ、いろんな人と交流して
代案が出せるときにはできるかぎり丁寧かつ明確にそれを語らなければならない。
質問や反駁や代案の提示は、それを通じて自分自身が真理へ近づけるという願望に
僕という人間の立場から偶然性が感知される。
だから僕が、Aさんの立場から、その偶然性を感知することもできない。
AとB、二つの系列があったとしたらどちらか一方の側からしか偶然性は感知されえない、
ということだ。
398中田:02/04/10 22:16
僕が真に永井的感覚に共感しているのは、この世界の中で、同じ人間であるのに、
なんでこんなにも他人と僕は違うありかたをしているのだろう、というようなフレーズです。
「子供のための哲学」P34-35のような言葉

もしかしたら、僕は<私>がなぜ存在するのか?という問題にはあまり興味がないのかもしれません。
もう存在しちっまているからしょうがない、という思いがある。
それよりも問題なのは<私>なようなものが存在しちまった後のこと。
つまり<私>が一人の人間であること。
それが一人の人間として存在し、生きることに困惑を生じさせますね。
と、僕は感じてます。
399     :02/04/10 22:25
永井均はなにか無敵のようですね。学会でも。
永井俊哉がけっこうシステム論からいいせんいってたとおもわれ。
オオバタケシはだめ。
400中田:02/04/10 22:29
>なっちさん、kiankoさん、374さん
そう簡単に<私>か<<私>>っていうのを決定できないのが
問題のキモでは?だから、永井さんもE君とC君の対話という
形で問題を突き詰めている。
>284 >293を読んでみてください。

>だから、フィヒテのような哲学者も実は<私>を問題にしてた。

この言い方は曲者だ(笑)。だったら主観を問題にしていた哲学者は
みんな<私>を問題としていた、ってなってしまいますよ。

で、なっちさんはE君的なのかな?結論が性急すぎるような.....
やっぱE君的な人って、哲学すること自体はあまり好きじゃないのかな?

>379
具体的に説明してくれると永井さんも助かると思いますよ。永井さん自身も
自分は変な錯覚に捕らわれているのではないか?って問いかけてるじゃない。
(「<私>の存在の比類なさ」)

>369
>人生は原理的に芝居であるという意味を含むと解する。
これは「<私>のメタフィジックス」でもう言っていることだし
今更言われても......




401中田:02/04/10 22:33
ん?>397 >398は嫌がらせなのかな?
402中田:02/04/10 22:37
>370 >397 >398にしてもそれは過去の僕でさ。
今の僕とは全然違いますよ。それを引用されてもね。
>250ぐらいが分岐点ですんで。
まあ>250以下のレスは誤読の山として笑ってやってくださいな。
403中田:02/04/10 22:50
蛇足。
「哲学の木」での永井さんの哲学することの喜びと悲しみと誇りに
ついての文章はよかった。初めて一読した時はとても熱くなってし
まった。特に誇りについては.....同意と反感が入り混じった微妙な
感じを覚えたな。

404中田:02/04/10 22:57
独在論の軌跡
出発点 「<私>のメタフィジックス」
初期  「「魂」に対する態度」
中期  「ヴィトゲンシュタイン入門」
    「<子供>のための哲学」
    「<私>の存在の比類なさ」
後期  「転校生とブラックジャック」
    「なぜ悪いことをしてはいけないのか?」

参考にしてみてください。(期の移り変わりは理論的変化を示している)
405考える名無しさん:02/04/12 12:44
>400
『<私>のメタフィジックス』で「人生は芝居である」なんて言ってたっけ?
 何処? 
 もし言っているとすれば、E君というのはかつての自分のことで、
 現在の考えではないということになるんじゃないかな。
406小林:02/04/12 14:28
 <私>によって、「輪廻」という現象を考えることができるんじゃないかな。
実際に人は輪廻するかどうか、ということではなくて、「輪廻」とは「理論
的に」ありえることなのか、あるいは何か意味があるのか、という問いに答
えることができるはずだ。
 Aという人が死に、Bという人に生まれ変わったとして、それを検証するこ
とは不可能であり、またBにとって前世のAという人生の記憶が失われている
以上、BにとってのAの人生は、他の凡百の人生となんら変わりなく他人事で
ある。希に前世の記憶がある、と主張する人もいるけれど。
 しかし、AもBも<私>であることはありえる。だとすれば、人が輪廻すると
すれば、少なくとも、そのことには意味がある(けれどもそれも検証は不可
能だけどね)。
 わたしが死んで、生まれ変わった人物(あるいは動物?)が、<私>ではな
いならば、そんな輪廻など無意味だし、そもそも輪廻とは何がどうなること
なのか、さっぱりわからないことになってしまう。
407考える名無しさん:02/04/13 00:38
あの、ちょっと質問なんですけど。
私が人物BがBとして存続しながら、その人物は<私>ではない、っていうことを想像できる
方っています?
408kinako:02/04/13 15:01
>407
文字通りにとれば、想像できない人はいないだろう。
もともと人物Bが<私>でなければいいのだから。
そうではなく、<私>である人物Bが・・・という意味だとするなら、
分裂の思考実験で十分だと思う。だが、分裂が何を意味するかは問題。
>404
とすると、実は「マンガは哲学する」が後期の最初の著作だったのでは。
>400
だから、この種の議論はすべてもう永井がやってしまっているのだ。
その先に、何があるのか、何が言えるか、が問題。
これは本物の哲学的思索が必要とされる。難しい。
(主観を問題にしていた哲学者がみな<私>を問題にしていたわけではなく、
 例えば明らかにサルトルは<私>を問題にしていない。あれは人間論だから。)
409考える名無しさん:02/04/13 20:25
↓のスレで登場している中田さんはこのスレの中田さん?
俺は何がしたいんだ?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1018469351/
410考える名無しさん:02/04/14 00:11
>408
>もともと人物Bが<私>でなければいいのだから。


よくわからないんですが。
僕には想像できません。

>そうではなく、<私>である人物Bが・・・という意味だとするなら、
>分裂の思考実験で十分だと思う。

でも、分裂したとしても一方は<私>じゃないんですか?
それは単に同じ自我が複製不可能ということを示している
だけのような気がするんですが。
411kinako:02/04/14 13:32
>410
>僕には想像できません。

単に人物Bという他人が存続するだけだよ。
>分裂したそしても一方は<私>じゃないんですか?
もちろん<私>だ。そして、他方は<私>じゃない。
それで、人物BがBとして存続していながら<私>でなくなる、
という条件を満たしている。それだけのこと。
412考える名無しさん:02/04/15 03:34
>>410
>>僕には想像できません。
>?
>単に人物Bという他人が存続するだけだよ。

その考え方は論点の先取りでしょう。

>>分裂したとしても一方は<私>じゃないんですか?
>もちろん<私>だ。そして、他方は<私>じゃない。
>それで、人物BがBとして存続していながら<私>でなくなる、
>という条件を満たしている。それだけのこと。

これも同じ。
さらに一つのものが分裂したという時点で既にBが存続している
とは言えないと思うけど。
413考える名無しさん:02/04/15 18:28
話の順序としては、BがBのまま存続しながら<私>でなくなることを
想像できるのだから、<私>はBという特定の人物との関係は本質的なもの
ではない、というのが永井の論法でしょう?だけど、こういう論法はあまり
信頼性がない。なぜなら、直観に大きく依存しているから。しかし、411
のように「想像できない」という人がいるということはその直観は不正確
であるかもしれない可能性がある。だとすれば、こういう感覚に訴える
論法は議論のきっかけにはなっても議論そのものとしては信頼できないのでは。

そういう意味では412のようなおもいっきり直観で議論をしている人は
もっと他の論拠を提示しないと、410のような直観を共有できない人にはいつまでも
納得されないと思う。
414小林:02/04/15 22:55
 昨日、初めて池田晶子編著の「2001年哲学の旅」を読みました。この中に、
池田晶子と永井均の対談が掲載されています。
 その中で池田は、永井に対してこんな質問をしています。(p220)
「ところで、このオリジナルな永井哲学を展開しているのは、果たして永井均
さんなんですか、それとも<私>なんですか。」
 それに対して永井は、一度は「<私>と永井という人とは、現実には同一であ
るわけですから」と言いながら、結局
「印象としては、問題を感じているのは<私>の方、それを推し進めるために頭
を使っているのが永井」と答えています。
 ぬるい質問にはぬるい答えしか返ってこない、という一例ですが、それはと
もかく、この永井の答えは間違っているのではないでしょうか?
 <私>は、行為をしたり思索をおこなったりするはずがないのと同様、何かを
感じたりするはずもないと思います。頭を使ったのも、問題を感じたのも永井。
だってそれは「世界」の中のできごとなのですから。
 <私>は、ただ「在る」だけではないのか。
415<私>:02/04/15 23:28
我思う、故に我あり。


「永井均」とは、そのように名付けられた人格的同一性を持続的に保持している存在者のこと。

>「<私>と永井という人とは、現実には同一であるわけですから」
とはつまり、<私>=永井という等式の"="を「現実」と呼んでいるだけのこと。
池田の質問は、そこに(それがまさに"="という等式で結ばれてしまっている「現実」に)必然を見ようとする者のもの。

>「印象としては、問題を感じているのは<私>の方、それを推し進めるために頭を使っているのが永井」
<私>の存在は、問題そのものであって、または<私>問題そのものの端的な当事者なのでは? 当事者でなければ、そもその問題は浮上しないはず。
「永井」という存在を、永井は人格的同一性を持続的に保持している存在者としてしか見ないのでは。
416<私>:02/04/15 23:30
誤:または<私>問題そのものの当事者

正:かつ<私>問題そのものの当事者
417kinako:02/04/16 21:54
>412
論点先取の意味を知っているのかね。
407は「私が人物Bが・・・」と書いている。 
どこにもその人物Bがもともと<私>だなんて書いてない。
だから「文字通りに取れば」創造可能どころか、
単に他人Bが他人Bであり続けるだけで、現実にいくらでもあること。
また、分裂によって人物Bが存続
しなくなるというなら、その論拠が必要。
それを示さねば、そういうのを論点先取と言うのだ。
>413
これは直観の問題ではなく、複数の論拠(基準)の対立の問題。
そして、『転ブラ』の永井はその点をすでに詳細に論じている。
406などもそうだが、なぜこうも、すでに論じ終わっている問題ばかり、
なされた議論を忘れたかのように、蒸し返すのだ。
分裂の問題は、人物は世界内存在者だから分裂という出来事は世界内の出来事
だが、<私>はもちろん《私》も世界そのものと相関的に唯一の存在だから、
どちらの視点から見るかで出来事の意味ががらっと変わるという点にある。
これは哲学的に実に先鋭な問題なのに、だれもそこまでついて来ていない。
永井がかわいそうだ。
418考える名無しさん:02/04/17 00:24
>417
まあまあ、そう熱くならないで。
じゃあもともと<私>であったBという人物が<私>でなくなる、ということは
想像できるんですか?
あと「テンブラ」とかいう本の永井が詳細に論じているという複数の基準の対立
の問題というのを詳しく説明してもらえますか?
419考える名無しさん:02/04/17 00:29
>また、分裂によって人物Bが存続
>しなくなるというなら、その論拠が必要。
>それを示さねば、そういうのを論点先取と言うのだ。

どっちもどっちだと思うけど。
でも「分裂」っていっている時点で「存続」とはちがうんでないの。

>永井がかわいそうだ。

ははは、そうだね、君が頑張って守ってあげてよ。


420考える名無しさん:02/04/17 00:57
>>418
>じゃあもともと<私>であったBという人物が<私>でなくなる、ということは
>想像できるんですか?

っていうのは、

>そうではなく、<私>である人物Bが・・・という意味だとするなら、
>分裂の思考実験で十分だと思う。だが、分裂が何を意味するかは問題。

って言ってるよ。

>419
>でも「分裂」っていっている時点で「存続」とはちがうんでないの。

うーん、どうかねえ。まず「人物」っていうものを正確に定義しないと話が
進まないんじゃないの?その上で「人物が分裂する」と「人物が存続する」の
違いをはっきりさせた方がいいと思う。どのみち「分裂」の意味はかなり
ややこしくなりそうだし。でも単純に一つものがそのまま「存続」するのと
一つのものが複数のものに「分裂」するのとでは、直感的には全く違うよね。
だから「分裂によって人物Bが存続しなくなるというなら、その論拠が必要。
それを示さねば、そういうのを論点先取と言うのだ。」という417の言い分は
ちょっとおかしいと思うけど?むしろ逆に「分裂の後にもそのまま存続すると
いうのなら、はっきりとした論拠が必要」だと思う。でも「分裂」はかなりやや
こしい話になりそう。



421kinako:02/04/17 18:36
>418
もちろん人格同一性原理、統覚原理、独在性原理の対立。
そして例えば人格同一性にも心理的継続性と物理的継続性の基本的対立があり、
その物理的継続性の内にも物理的性質的同一性を取るか時空連続性を取るか、
といった対立がある。常識ではないか。
>419
>420
すでにそうした議論は永井が詳論しているということが前提ではないのか。
その議論を検討して批判したり疑問を出したりするならわかるが、
まるっきり無視(読んでもいない!!!)じゃ話にもならない。
問題の中心はあくまでも統覚原理と独在原理の対立にあって、
これこそが本質と実存の古典的対立を中心化された世界論に適用した
最も先鋭な論点ではないか。
すでに徹底的に論じつくされていることを(それを知らずに)蒸し返し
ていても仕方がない。
それにしても「転ブラ」を読まずに来ている奴までいるとは心底驚いた。
こんな所にいても無駄だとわかった。
さよなら。
422考える名無しさん:02/04/17 18:50
>>421
あらら、怒っちゃったよ。
短気な人ね。
読んでない奴に教えてくれたっていいじゃないの。
それにキーワードだけをちらつかせて結局何にも説明してないじゃないの。
というか説明できないのか。
残念。
それじゃあ大好きな永井は守れないですよ。
423考える名無しさん:02/04/17 22:15
どうでもいいけど、ここの人たちはなぜすぐ喧嘩を始めるんですか?
424 :02/04/17 22:22
さよなら。
425考える名無しさん:02/04/17 22:23
宗教が存在の奇跡を神にあずけたのに対して
永井はそれを自分のものにしようとしてんじゃないのか?
つまり自分は神だと。
426考える名無しさん:02/04/17 22:29
>391
>「なぜ悪いことはしてはいけないのか?」の大庭さんの永井批判みたいな
>感じですね。

まあ、それはそれとして一つの批判ではありうるんではないの。
427ラジャー:02/04/18 04:49
人は、いるって。
独在性は想像力の及ばない実体で、僕らは無限の距離によって隔たれている。
それは、間違いないと僕も思う。
でも、君はすぐそこにいる。
僕は、名前を持っている。
きっと、それが生きるってことだよ。
永井さんが問題としていることは、言葉にするのが難しいことだけど、
同様に、大庭健が言おうとしている「共に生きる」という考え方も
(あんま知らないけど)、陳腐な言葉で説明できることじゃない。
二つが向かっている方向は、一緒なんじゃないか?
世界を取り戻したいと。
独在性が一人の人間に付着してしまっている事実は覆しようがない。
それこそ、死ぬ以外には。
一方で、ちょっとでも真面目で繊細な神経の持ち主であれば、
今のような時代、永井さんの言うことは容易に理解できるだろう。
時代は、そこまで来てしまっている。
たぶん、大庭さんにはその嘆きが分からない。
でも、普通に社会で生きていけば、自分も他人も同等に位置付けて
思考するのは当たり前だと思う。
他者のリアリティをひたすら言葉でのみ取り戻そうとしている行為に
変わりないと思うんだけど、どうだろう?
どうにか言語化したいんだ。
いきなりスマソ。


428蝉風呂:02/04/18 22:12
>kinako
どこぞの玄人筋の方とお見受けしあしたが、賭場荒らしはいけません。素人
さんに迷惑をかけちゃあ。あんさんのおっしゃりたいことは、クワインから
ルイスにいたるpossible centered worlds の議論に永井のactual centered
world論を位置づけて、その線で彼を超える議論を出すことこそが本質的なこ
とだということでっしゃろ。そりゃそうかもしれんけど、そんなことができ
るやつがこんなとこに来ているわけがないやん!
>418
想像できるかどうか(また人によってどう直観が違うか)とかが問題ではなく、
そのとき異なる基準が使われていることが問題で、そういう基準の競合関係は
「転ブラ」の永井が詳述しているのだから、まずそれを読んでからだ、とkina
ちゃんは言っているのね。永井スレである以上、そこまでは当然の主張だと思
いますけど、違う?

で、玄人の高飛車な賭場荒らしや素人の無知な蒸し返しを避けるには、やっぱ
り中田さんに出てきてもらって「転ブラ」の地道な解読を再開してもらうのが
一番だと思うんだけどなあ・・・
429考える名無しさん:02/04/18 22:56
まあまあ、そんなに素人にプレッシャーをかけなさんな。
玄人なんだったら、素人に丁寧に教えてやったらいい啓蒙になるのでは。
ここに来てるのはほとんどが素人なのだから、それに永井を擁護したい
人はそうするべきだと思うが。
もちろん読んでない本は読むべきですがね。
でも、永井キャリアの長い人もいれば短い人もいるのだから、なんでも
かんでも「読んでない奴に発言権なし」みたいな事を言っちゃったら、
素人さんが気軽に参加できないじゃないですか。
430考える名無しさん:02/04/25 21:56
擁護したい?
431HAA〜A〜:02/05/02 10:52
転ブラの一節の意味を教えてください。

デリダの「声と現象」の私論はどんな意味なんですか。

永井とは、どう違うんですか。
432考える名無しさん:02/05/04 16:43
>425
(゚Д゚)ハァ?
なんでそんな結論が出るのか、不勉強な私にも分かるように教えてください。
433蝉風呂:02/05/04 22:43
>>431
デリダは、「私」と発話した人は死んでも「私」という語は意味作用を続け
るという理由で、「<私>の発話には私の死が構造的に必然的だ」と言った。
そのうえ<私>が現に生きて存在してもいることは意味作用の「おまけ」に
すぎない、と。対して、永井は、そうしたすべてがそのオマケの中で起こっ
ているではないか、と言う。そして、本当に問題なのは、この後者のことが、
たまたま<私>が現に存在しているという偶然的事実(奇跡)の帰結なのか、
それともこれまた「私」という語の意味作用の構造的必然なのか、そっちの
方こそ問題なんだ、と言っている。これはkinakoがしつこく問うていた難問
だが、ここからただひとつ確実に言えることは、デリダが虚仮おどしの三流
哲学者だというだけだ。これは、まあ、確実。
434考える名無しさん:02/05/05 13:01
>>433
説明うまいね。
んで、その水準の議論をするのであれば、やっぱり転校生とブラックジャック
を読んでおく必要はあるわけで。子どもための哲学までの独在論理解じゃ
イライラする人が出るのは仕方がないと思われ。
435考える名無しさん:02/05/12 15:52
『世界思想』(世界思想社)という雑誌の2002年春号に、
「<私>と<今>」という論文を書いている。
たった3ページだけど纏まっている。
436考える名無しさん:02/05/14 03:13
DAT逝き防止age
437中田:02/05/15 00:10
>408
「マンガは哲学する」はまだ読んでいませんのでわかりません。
「その先」をぜひkinakoさんに思索してもらいたいです。
>421
>問題の中心はあくまでも統覚原理と独在原理の対立にあって、
>これこそが本質と実存の古典的対立を中心化された世界論に適用した
>最も先鋭な論点ではないか。
これをもうちょっと説明してほしいのだけど....。
本質と実存の対立ね.....
まあkinakoさんの苛立ちもわかりますけどね。

>405『<私>のメタフィジックス』で「人生は芝居である」なんて言ってたっけ?
>  何処? 
>  もし言っているとすれば、E君というのはかつての自分のことで、
>  現在の考えではないということになるんじゃないかな。

「人生の作品化」という章を僕はそのように読んだのですが。
「現在の考え」ではない、とは言いきれないじゃないですか?
たぶん(笑)
438中田:02/05/15 00:17
>429
蝉風呂さんは実力派と見うけました。
蝉風呂さんにぜひ「転ブラ」を読解してもらいたいです。

僕のこの問題にたいする認識の頂点は250−300あたりですね。
その後のレスは瑣末なカキコばかりです。
(ようは進歩してない 笑)
もう一回「転ブラ」読み直してみようかな。

>435
その文章ぜひ読んでみたいですね。
439蝉風呂:02/05/18 14:54
>438
『転ブラ』の読解をここでやるのは、ぼくには無理です。
ひとつ理由は、ぼくは蝉風呂なので、新たな解釈なり有効な批判なりを
思いついたら、自分の名(本名)で論文として発表したいからです。
さもしい根性ですみません。
ぼくは中田さんとも他の多くの人とも違って、『転ブラ』を、そして
『転ブラ』だけを(!)、きわめて高く評価しています。
日本の哲学者は、日本で独自に始まる哲学を、自分の目で評価し内在的
に批評する能力と気概が、誰ひとりないみたい。
外国の後追いばかりで、嘆かわしいことです。
440 :02/05/31 03:35
ところで名前とその指し示すものの間に
違和感を感じてる人はいませんか?

彼の議論はそこで共感できるかどうかに尽きると思うのだけど。
ウィトゲン同様。
441考える名無しさん:02/06/02 12:08
>>440
意味がわからないよ。
名前とその指すものの間の違和感?
そこで共感できるかどうかに尽きるとは?
名前って?
どういうことが言いたいの?
442考える名無しさん:02/06/03 18:40
永井均には「マンガは哲学する」のノリで「トータルリコール」「ザ・フライ」
「エンゼル・ハート」を哲学的に語ってホスィ。あれらの映画には永井的<私>に
関わる問題がからんでいると思う。
443考える名無しさん:02/06/05 22:27
この人今でも中央で働いてるの?
444考える名無しさん:02/06/05 22:51
見つからねえから落ちたと思ってたのに、まだあったか。
445考える名無しさん:02/06/06 00:06
>>442
千葉大にいます。
446考える名無しさん:02/06/09 17:46
俺は永井の<私>ってのは良くわからないんだよね…。
というより、それが「問題」であるってことがわからない、と言うべきかな。
むしろ永井の倫理的な感性のほうに関心があって、それだけを取り出してみれば
ニーチェ=スピノザの線に吸収してしまえるような気もするけど、
それは独在と切り離しえないらしい。こういうのってなんじゃろな?
447考える名無しさん:02/06/10 21:26
つまり、ハイデガーを経由したうえでニーチェ。ライプニッツを経由したう
えでスピノザ、ということなのね。そういう「問題」なんですよ。本当は。
ライプニッツであってデカルトでないところがみそかもね。
448考える名無しさん:02/06/10 22:03
問題つーよりは、単に現実を叙述しているだけって気もするんだが…。
だから永井読んでも単なる現状認識だけなんだよね。まあ現状が
どういうものかっていうのを正しく分析するのが哲学の仕事では
あるのだろうけど。
449考える名無しさん:02/06/10 22:14
何か基盤をもって思考することができない。
えー根拠の不在を逆手にとって理論を作ってるような気がする。
450考える名無しさん:02/06/11 14:21
野矢茂樹著『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』の中に、永井の
『ウィトゲンシュタイン入門』についての記述がいくつかあった。
あんまり関係ないかもしれないけど。
451っていうか:02/06/11 23:39
永井さんが「タイムトラベルの哲学」の著者をなんであんなに持ち上げてるかわかんないんだよね。

永井さんのは学術的にはともかくとして、読み物として面白いでしょ。
ただ、青山某にはそれがない。
452考える名無しさん:02/06/12 11:13
>>446
問題である理由は、今日の哲学(もちろん諸科学はすべて)の主流である自然
主義ないし物理主義に反する存在論だからです。彼の言うことが「現実」であ
るなら、科学や今日主流の自然主義的な哲学は基本的なところでに間違っがっ
ているか、少なくともそれらでは本質的に捉えられない「現実」が存在すると
いうことになります。これは、大変なことで、彼の倫理的感性なんか(たとえ
それがその存在論と切り離せないとしても)それにくらべればたいしたことで
はないのではないといえますね。
>>451
「タイムとラベルの哲学」は、読み物としてもすごく面白いですけど・・・


453 :02/06/12 11:46
このスレの720-721のように論理を誤解しているものがいます。
厄介な輩なんで哲学版の力をかりたいです。
もしお時間があれば御協力おねがいします……

http://tv.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1022857217/l50
454 :02/06/12 12:19
>>451
同感。論述の仕方に怪し気な手さばきが感じられた。
本人も「満足してない」って言ってたけど、あれじゃ出版する価値ないと思う。
アキレスと亀のところ以外は単なるおしゃべり。「問題感覚」はあっても思考は無かったね。
455考える名無しさん:02/06/12 13:26
>454
具体的に批判しないと、単なる負け惜しみになるという罠
456考える名無しさん:02/06/12 15:16
454は「満足してない」って本人から聞いたの?
たぶんあなたが考えてるレベルの「満足してない」とはちがうよ。
あれがほんとに単なるおしゃべりに見えるなら、思考どころか
問題感覚も共有できてないと思う。

451も「学術的にはともかく」とかつけちゃうあたり、
ルサンチマンがうずまいててやだなあ。
457考える名無しさん:02/06/12 17:45
タイトラ、良い本ジャン。
458452:02/06/12 19:06
訂正

間違っがって→間違って
たいしたことでないのではないと
      →たいしたことではないのではないかと

ついで言うと、『タイトラ』もまた時制(とりわけ現在)の実在論を
取ることで、同じように大きな「問題」を提起している。どちらも
「学術的」に見ても、巨大な問題提起をしていることは疑う余地がな
い。問題はむしろ本格的な学術的反論がないことの方だ。日本の「哲
学者」たちは、いったい何をやっているんだろう。
459考える名無しさん:02/06/12 20:24
460おいおい:02/06/14 22:40
下書き込みは、共有できない、とかルサンチマンとか付けるあたり
ダメ男だろうな。

>454は「満足してない」って本人から聞いたの?
>たぶんあなたが考えてるレベルの「満足してない」とはちがうよ。
>あれがほんとに単なるおしゃべりに見えるなら、思考どころか
>問題感覚も共有できてないと思う。
>
>451も「学術的にはともかく」とかつけちゃうあたり、
>ルサンチマンがうずまいててやだなあ。
461考える名無しさん:02/06/14 23:20
>>460
なにか、くやしいらしい。
462考える名無しさん:02/06/14 23:30
>>460
正直、スマンかった(w
463考える名無しさん:02/06/14 23:35
どうせ460=451だろ
どうして「学術的」に価値がないと思うのか言ってみな
464考える名無しさん:02/06/14 23:59
煽りは、ほっとこうよ。
中田さん、戻ってきてくんないかなあ...。
465考える名無しさん:02/06/16 22:43
<私>についてじゃないとだめなの?
『ルサンチマンの哲学』が一番面白いと思うんだけど。
ああいう話と<私>の話とは、どう関係しているんですか?
「独在と切り離せない」というのはどういう風になの?
誰か教えてください。自分の解釈でもいいので。
466考える名無しさん:02/06/17 06:39
>465
「ニヒリズムからの出発」を読めば、独在性と彼の倫理学の関係が
よくわかると思われ。
467考える名無しさん:02/06/19 02:01
>>466
ナカニシヤ出版の『ニヒリズムからの出発』に入っている「ニヒリズムとして
の哲学」という論文のことですよね? 読んでみたけど(非常に面白かったけ
ど)独在論との関係はやっぱりわからなかったよ。むしろ、ますますわからな
くなってしまった。前から思っていたんだけど、永井の本って、本ごとに雰囲
気がすごく違いませんか。永井均って何人いるの?って感じ。
いや、全体がつながっている漠然とした感じだけはわかるんだけど・・・

468考える名無しさん:02/06/22 12:16
>467
読んでみると、確かに、独在論とは直接つながるようには書いていないですな。
この論文では意図的にそうしたのかも。
他の著作を合わせて考えると、
「自分と他人とを(できるだけ)同じように考えるべきだ」というのは、
重要な価値であるとされている
 ↓
「自分の存在は特別だ」と考えることは、独在論について考えることで
あると同時に、重要な価値とされていることを疑うことでもある

ということだと思われ。

もっとも、独在論と倫理とを本当につなげなければならないかどうかは、
漏れにはよくわからないけど。
469468:02/06/22 15:38
いや、なんか違うなあ…。自分で書いておいてアレだが。
すいません、漏れにはよくわかりません。
470考える名無しさん:02/06/22 17:34
「ニヒリズム〜」より「なぜ人を殺してはいけないのか」のほうが
ダイレクトに語ってなかった?要は永井的<私>は天上天下唯我独尊で、
社会性を超越してるから、社会の倫理道徳に縛られない。<私>が
人を殺さなけりゃ救われないって思えば殺すしかないっていうような
ことだった。
471考える名無しさん:02/06/22 18:54
じゃ逆に善いことしなけりゃ救われないと思えばそうするしかないってこと?
もしそうだとするとつまんない話だよねえ。あたりまえっていうか。
『なぜ悪いことことを』の方を読んだとき、なんか違う感じがしたけどなあ。
読んだときはちょっとわかったような気がしたんだけど、漏れにもよくわからん。
なんか、頭悪い奴ばかりだねえ。このごろ、このスレ。
472考える名無しさん:02/06/22 21:49
http://up.to/buruma
 ロリはここに逝ってよい!ゴラァ!
  iii■∧  /
━ (,, ゜Д゜) / ━━━━━ ∧∧━━    ∧∧
   |   つ ∇   (゜Д゜;)   (゜Д゜;)
   |  |┌─┐   /⊂   ヽ    /⊂  ヽ
 〜|  ||□|  √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜
   ∪∪ |   |  ||   ━┳┛  ||   ━┳┛
 ̄ ̄ ̄ ̄|   | ====∧==========
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |  すげー!!サンプルだけで抜けるよ!!!


473考える名無しさん:02/06/22 22:41
>>471
永井の言う「倫理的」というものは思考として独立にあるんだと思う。
永井がいらだつのは、思考が持つ性格(それを倫理性と言っている。
俗的な倫理とは違うので注意)を自覚しないような言論であって、なぜ
悪いことをしてはいけないのかということも、端的には理由がないと
いっているよね。つまり、方向の違うものを混同してはいけないという
ことだと思う。
ヴィトゲンシュタインがいう「沈黙せねばならない」というのも、言及
してはならないという意味に勘違いしているひとを時々みかけるけど、
そうじゃなくて、ヴィトゲンシュタインは哲学の領域からそのような領
域を開放したかったんだよね。
474考える名無しさん:02/06/24 12:52
『なぜ悪いことをしてはいけないか』では、「今日、道徳を守る唯一の方法は
哲学である」という、それまでの議論を逆転させるかのようなオモロイ結論を
導き出してたような気がする(w
475考える名無しさん:02/06/24 15:25
私が永井に興味をはじめて持ったのは、知る人ぞ知る『情況』という左翼雑誌の、
「<他者>と<物語>〜間主体性の実践哲学」という鼎談において、でした。
だいぶ古い号ですが、1991年7.8合併号「特集・ポストモダン―前衛なき戦争」。

当時の私は鼎談の相方の大庭健にほぼ同意する事が多かったのですが、
大庭の論というよりも発言の態度といったものに、ある種の独善的な感じ、を受けたのを
何故か鮮明に覚えています。それとと同時に、永井の論のもつ、なにか、大きな危険性も。
476考える名無しさん:02/06/24 15:28
>じゃ逆に善いことしなけりゃ救われないと思えばそうするしかないってこと?
>もしそうだとするとつまんない話だよねえ。あたりまえっていうか。

いや、だからさ。
つまんないとか、面白いとか、そういうことじゃないし。
そんなこといったら哲学自体つまらん人にはつまらんでしょ。

ただ<私>の独在論から倫理につながるのってある意味では当然だと思う。
永井先生っぽく言えば、同質的な他者の存在が前提となってるのが道徳だし、
その道徳を独在論的思考から考察すると...ってことではないかと。
ただ、そういう道徳論よりもやっぱり<私>そのものの問題の方が深いし、
>>452にもあるように、物理主義では説明できない何かにつながるかも
しれない。というか、そもそも何が問題なのかも未だに表現しきれていない
わけで。過去ログにもあったけど、この問題がクリアになれば、哲学という
もののすんごく重要な部分は解決するでしょ。つか、ヴィトゲンシュタイン
がやり残した部分というか。
477475:02/06/24 15:37
私は同号に掲載された天野恵一のヤクザ映画評論が読みたくて買った者で、
哲学的な難しい話はわかりません。

永井が非常に礼儀をわきまえた、才気ある子供のような嫌なやつだという印象ぐらいしか。

ただ、鼎談ですので、彼の書物を読むと理解しがたい「沈黙」が、
話中において(例えば大庭に対しする態度として)明かになるかもしれません。参考までに。
478考える名無しさん:02/06/24 19:44
永井・大庭の鼎談…そんなものがあったと聞くと、笑えてしまう(w
479考える名無しさん:02/06/25 00:07
永井のいう「問題を提出する事のみが重要だ」という主張にどうしても違和感を
感じてしまう(もちろんあとは自由に考えるということだけど)。
また端々に見える保守的かつ抑圧的な物言い(たとえば、哲学とこういうもので
あるとか、問題を共有する者としか議論したくないとか、これは哲学ではないと
か)にも疑問を感じる。彼はもともと論理的に色々な事を考え詰めたいと思って
いたのだろうと思うけど、常に、私はそのような事は言っていないとか言えてし
まう余地を残しているように思えるし、またいろいろな言説に対して、考えてい
るようでいて実は自動的に反論や懐疑できてしまう技術を磨いただけではないだ
ろうかという疑いも抱いてしまう。
いくつかの論文(転ブラの最後のやつ(系譜学などを論じたもの)など)は好きだ
けれども、その他のものはだんだんと文章からいいわけのような印象を受け始め、
永井は考えを深める途中で何か懐疑論の罠にはまっているのではないかという気
がして、だんだんと読まなくなってしまった。
柄谷は読みたいけれど、永井は読む気がしないのは、やはり「問題を提出する事
のみが重要だ」という態度への違和感、文章からなんらかの開放への意思のよう
なものが感じられないところにあるのだろうと思う。もちろん、こういうことい
うと、永井は「じゃあいいよ」というだけなのだろうが。
480考える名無しさん:02/06/25 00:41
481考える名無しさん:02/06/25 07:13
>479
哲学に「なんらかの開放への意思」を求めるのが間違っているかト。

でも永井も「子どものための哲学対話」では自分の哲学的姿勢を
実生活で「建設的に」応用しようとする姿勢を見せてはいるわな。
482考える名無しさん:02/06/25 09:25
永井・大庭の鼎談、自分も読んでみたい(w
鼎談って事は3人だよね。もう一人は誰だったんだろう?

「なぜ人を殺してはいけないのか」は、対談相手の小泉義之と話が
噛み合ってないので浅い議論しかされてない本ですが、この中に
「きみは私を殺しても良い、『だから』私はきみを殺してはいけない」
というタイトルの文章を永井が書いていて、ちょっと面白かったです。
このタイトルに永井の倫理的感性と<私>の独在性との繋がりが
端的に表れていると思いました。
「私が人を殺しても良いと認められるなら、人が私を殺すことも
認めなくてはならない」というよくある議論は、他の人と置き換え
不可能な<私>には通用しないし、>>470にあるように
<私>の存在は社会的規範に先行してるので、<私>が人を殺しては
いけない理由はない事になります。
これは「きみ」にとっての<私>にも成り立つ事なので、
「きみは私を殺しても良い」となる訳ですが、こう議論を進めると
<私>の独在性に反するので云々…となるのはいつもの通りです。
このように独在的な<私>の比類なさを考えると、この驚くべき存在が
殺人などの暴力によって損なわれるのはよくない(社会的規範とは
違う「よくない」ですが)。やはりこれも「きみ」とっての<私>にも
成り立つ議論なので「『だから』私はきみを殺してはいけない」…
483482(続き):02/06/25 09:32
永井の考えには、このように殺人などの「悪い事」について徹底的に
考えれば所謂「悪い事」をしなくなるのではないかというのがあると
思うのですが、これも<私>の独在性と繋がった考えですよね。
まあ、永井の倫理的感覚に対する共感と<私>の独在性の問題を
共有する事は別の話だと思いますが。

それにしても、<私>の独在性の問題を共有するって
いったいどういう事なんでしょうね?
独在性について考えれば考えるほど共有など不可能な気がするし、
その一方でこのスレからも分かるように端的な事実として
共有されてる気もするし…
484 :02/06/25 14:35
>>483
基本的に同感です。
でも永井は「悪い事」に関しては「生まれの良さ」とか「育ちの良さ」とか
「趣味」の問題だからどうしようもない、と考えてるような気がします。
ダメな奴は「徹底的に考える」なんてことはしない、と思っている。
485考える名無しさん:02/06/26 15:01
>>479
比較にならない。
柄谷は、よくある日本の(文芸批評系の)大思想家ってやつだ。
いま人気があっても死ねば忘れられる。
それは彼の思想が時代的背景を持ち、時代にコミットしているということでもある。
永井は、おそらくは日本初の単なる哲学者というもので、
はるかにマイナーで、今後もずっとその真価は少数の者にしかわからない。
でも、もはや歴史に残ることは間違いない。
これはゼノンがあのパラドックスを考えたというだけで歴史に名を残してしまったのと同じことだ。
開放への意思がどうしたとか、そういった煤けたチャチな評価基準は通用しない。
そもそも時代的背景といっさい無縁で、時代にコミットしていない。
ああいう単なる哲学にどいう態度で接したらいいのか、
たぶん、まだ、だれもわかっていない。
日本初の歴史に名を残す哲学の誕生を素直に喜びましょうか。
それとも・・・
ともあれ、印象批評は無意味。
ゼノンに対するそれが無意味であるように。

486考える名無しさん:02/06/26 15:22
野矢は?
487考える名無しさん:02/06/26 20:26
>>485
私は実はゼノンのパラドックスがなぜそれほど興味深いのかまったく理解できない・・・。
まあそれはいいとして、永井の哲学は自閉的な感じがするのだが、どうだろうか。たぶん
比類なき<私>、独在性というものに関連してそう思えてしまうのだろうが、読み方が
いけないのか?それとも自閉的なのは別に構わないのだろうか。
私は永井が日本初の単なる哲学者とは思わない。だた、そのようなものを出版してしまった
初の人かもしれないが。
488考える名無しさん:02/06/26 20:34
>487
それがわからんのじゃ、しようがないよな・・。

自閉的というか、メタフィジカルな次元の話だから、それがわからないとピンとこないはず。
永井自身、人間的な次元での「私」とか「人」とか「人間」という問題事象から自分の問題意識を洗練させて<>という表記を編み出した。
「<私>のメタフィジックス」はそれがとてもわかりやすく論述してある。
人間的な次元での「私」はあたりまえのように認めている。
489考える名無しさん:02/06/26 20:38
485は哲学者を評価しすぎだな。
永井は一部のやつにしか理解できないっていってるが、
永井無茶苦茶うれてるじゃないかよ
柄谷だってうれてるが一部のやつにしか理解されてないかもしれないじゃか
まったく同じこと両方に言えるぞ

評価基準が恣意的だなー

あなたが個人的に永井がいいっていえばいいんで
とくに柄谷を貶める説得する理由なんかあるの?

なにか他をおとしめなきゃ
永井スゴイっていえないのかい

両者を評価して柄谷はダメってんなら 基準が説得力ないよ

ロマン的ね 以外と
490考える名無しさん:02/06/26 20:42
歴史に残るかどうかなんかどーでもいいんでしょ

優雅に柄谷は無視しておれは永井にリアリティーを感じるぐらいがいいね

比較しちゃダメよ、永井的じゃないんでない
491考える名無しさん:02/06/26 20:48
1永井スゴイッて基準と
2柄谷『より』永井スゴイッて基準の違いだね


1と2を混同してるようなきが
492考える名無しさん:02/06/26 20:50
2は、個人の趣味ってことにならない他者には?

どう
493考える名無しさん:02/06/26 20:51
あっまちがえた
たぶん ごめん
494考える名無しさん:02/06/26 20:59
1が個人的で他者にわかんなくて(わかんねーやつにはわかんねー)
2がかっこつき社会の基準で永井は無視するんでない、どーでもいーじゃんと

どうよっ

495考える名無しさん:02/06/26 21:01
別に比較はしなくてもいいと思うけど、両者並べた場合、コミュニケーションとれそうで
とれないようなのがちょっと興味深い。
>>485 ああいう単なる哲学にどいう態度で接したらいいのか、たぶん、まだ、だれもわかっていない。
いや、わかっていると思うが。やっぱり普通は公表しないんだよ。永井は個人的なやむない(?)理由で
そうしているだけだというのは押さえておいた方がいいと思う。
496考える名無しさん:02/06/26 21:10
おっしゃることはわかるんですが
永井は個人的に好きだが(ぼくは柄谷もてきとーによんでますが)
そのスゴサを人にいうもんじゃないような(しつこくてわるいね)
でもいいたくなってしまうという。ここがおもろい
公表する必要もないですしね。
だから人前にみせてさースゴイですねーってのは永井的じゃないね
まーぼくは性格わるいんでちょっとはすごいぞといってもいいんだけど

いかが 
497考える名無しさん:02/06/26 21:14
でも あなたは健全ですねー
とほめおとす
498考える名無しさん:02/06/26 21:17
496のぼく文はちょっと酷い わるい
499考える名無しさん:02/06/26 21:22
じゃあどういう哲学者が人に見せて「すごいですねー」になるのぉぅ
500考える名無しさん:02/06/26 21:27
それに関してはですね。ぼかぁわかんないんですね
ごめんなさい。
ただ永井はちょっとちがうんじゃないかと
そういうことを言いたくなるってことをどうかんがえるかじゃないかな

いっしょに考えよゥ そうだー
501考える名無しさん:02/06/26 21:46
ちなみに整理すると
1永井をスゴイッていう基準
2柄谷『より』永井のがスゴイッて基準

1と2は違うんですね。だから1の基準を2に適用はできません。
2には2の基準が(あるだろう/あるはずだ/ないかな?)ので、
勝手に評価の土俵をどちらの側も提示できないんですね。
どうかしら、

502考える名無しさん:02/06/26 21:49
2の基準を提示する欲望ってのは永井的なニーチェのルサンチマン
になりやすくない?

どうよっ きいてるっ えっ きいてないっ あっそ


503考える名無しさん:02/06/27 00:37
中学生と『〈魂〉に対する態度』を読んでます。
恥ずかしいコンプの人だ、というのが、
彼らのリアクションですね。
504考える名無しさん:02/06/27 02:57
しょーもないレッテルではあるがw
505考える名無しさん:02/06/27 11:00
いや中学生はただしい
506試金石:02/06/27 12:22
>>485
基本的に賛成です。でも、そいうことをここで言っても単なるファンとしか理
解されないんですよ。下から3行目の・・・の所に勝手に僕の考えを入れさせ
てもらうなら、永井についてではなく、問題について、具体的にはたとえばE説
とH説の違いとか、F説とG説の関連とか、あるいはD説の独立の美技とか、そう
いうことについて「哲学的議論」をすべきであり、いわゆる永井ファンの方に
は申し訳ないが、それ以外にすべきことなどないと考えます。
このスレではかつて中田氏がそうされていたし、その後はたしかkinakoとか
蝉風呂だとかが、多少そういう議論をしかけていましたが、他の人たちがつい
てこれなくて、結局、みんな嫌になってやめてしまうんですよね。そして、い
まのような「印象批評」などというより単なる馬鹿話になると、急にレスが
増える!
 結論は要するに2chはどうしようもないという、実は誰でも知っていること
の確認になってしまいそうなので、ひょっとするとそうではないかもしれない
ということを示す試金石として、「問い」を出してみます。
1、『転ブラ』119頁6行目には「初発に」という語が見られるが、これ
と時間との関係はどうなっているのか。また、これとの関係で、Eは超越論的
要請が立てられてしまえばそのとき同時にそうでない可能性も立てられてい
ると言うが、この主張は正当化できるか。できる(できな)とすればいかな
る根拠でか? なたこれと120頁のDのヴィトゲンシュタイン解釈との関係
は?
2、『転ブラ』133頁で、Gは未来と過去との対比を持ち出している。この
主張は正しいだろうか。正しいとすればいかなる理由でか。誤っているとすれ
ばその根拠は何か?Eならば過去についても未来と同じことが言えると言って
しまうとも思われるが、それは何がまずいのか。あるいはまずくないのか。
2、『転ブラ』143頁で、Eは「それをどう説明するんだ」と言っている。
このとき彼はどのような「説明」を求めているのか。どのような(種類の)
説ならか彼を満足させることができるか。たとえばなんらかの宗教的説明
が彼を満足させる可能性があるだろうか。あわせて宗教の本質は何か。
 いまたまたま読み返していた箇所からあげたが、このわずか20頁少々
の間だけでも、あげれば他にもきりがないほど哲学的問いが詰まっている。
余計なおしゃべり(印象批評や背後詮索)をやめて、(例えば)これらにつ
いて哲学的議論だけをするという選択肢が考えられると思います。
 実際、ゼノンについては現にみんなそうしているます。ゼノンのパラドッ
クスの意義が理解できない人は単に黙っています。あれが実はパラドックス
ではないという綿密な論証も、もちろんあります。
 もしまともなレスがあり、哲学的議論そのものがが盛り上がるようなら、そ
のとき僕自身の考えも出して、議論に加わりたいと思います。


507?1/4?3?μ?3?n@?e^?u¨?N:02/06/27 14:52
506はよくわかってんな。
485は実は印象批評になってんだよな。
あの文章は非永井的ですね


508考える名無しさん:02/06/27 16:54
駄レス507は無視して506から
509考える名無しさん:02/06/27 23:47
2chには向いていない。
ちなみにゼノンのパラドックスがパラドックスではないという議論の肝を教えてくれないかな。
素人にはだめか。
510考える名無しさん:02/06/28 03:42
永井にとって、問題は永井の〈私〉なのであって、
俺とは関係ない。
だから読む必要も感じない。
511 :02/06/28 08:04
>>510
永井の本は単純におもしろいのであって
永井の哲学を自分の哲学とかって思っちゃうやつがうざいだけ
讀んでおもろいもん
512考える名無しさん:02/06/28 12:38
とりあえず答えられそうな所だけ書いてみる.

>1、『転ブラ』119頁6行目には「初発に」という語が見られるが、これ
>と時間との関係はどうなっているのか。

127頁冒頭の「最初というのは、今という意味なのか」というやりとりが、この
答えになっていると思われる。つまり、<私>が、「いま」、存在していることが
全ての前提である。
…でも、かりに<私>の存在があらゆることの前提であって、時間というもの
自体の前提にもなっているとすると、<私>と「今」とを単純に並べて論じる
のはおかしいのかなあ、と素人なりにつぶやいてみる。
たぶん永井は、<私>の存在が時間というもの自体の前提になっているとは
考えていないんだろうけど。
513保科正之:02/06/29 00:35
>>506

私はよくわかりませんが大変興味深い問題なので

>『転ブラ』143頁で、Eは「それをどう説明するんだ」と言っている。
このとき彼はどのような「説明」を求めているのか。どのような(種類の)
説ならか彼を満足させることができるか。

説明を求めていないのでは。
生の事実として現在今Eであることを引き受けるしかない。
同じ種類のことは、誰でもいえるが同じことは誰でも言えないという。
そういうことしかありえないのだから、
如何なる説明も同じこれに到達できない。
514考える名無しさん:02/07/02 23:45
>>506の質問に対応するのは難しいので、スレ見てあらためて永井さんの著作読んで今思っている事を
書きますので、感想あれば教えてください。

1.「転校生」P144に記述されている「いまここで生じているような対立がどういう種類の対立である
かが完璧に見極められればそこで哲学は終わる・・・」ということに関連して、私は「<私>の存在の比類な
さ」において、<私>と他者に関する問題は完全に見極められていると思う。つまり同書において展開さ
れている内容に関し、なんら異論がない。
>>421において言及されている統覚原理と独在原理の対立の問題も、基本的に<私>と他者の問題と同じ
と思う。また>>428に触れられている可能世界論における可能主義と現実主義の問題も、同じと考える。
つまり、形式において一方が他方の存在をを必要としているという捕らえ方である。
別の言葉でいえば、「転校生」は「<私>の存在」に対して、種々の論点を深めてはいるが、「<私>の
存在」に示された基本的な問題に関してあらたに示されたものはないと思う。いかがか。
あらためていえば、「<私>の存在」において提示されている問題については解明されてしまっている
と思う。そこに示された<私>と他者に関する考察に根本的に異論をはさむ余地は見当たらない。

2.従って「<私>の存在」以降の考察の可能性の問題としては、以下のように考えられる。
(1)省察的解明(この言葉は「「魂」に対する態度」での柄谷「探求」の批評で使われた
   意味に用いる)(永井の言う哲学)
   >>506に示されたような問題を考察する事が考えられる。しかしそれは、性質として
   は、ゲーデル以降の数学基礎論と同様のものである。もちろん、だから意味がないわ
   けではない。「タイムトラベルの哲学」や「存在論的、郵便的」はその部類に入るだ
   ろう。
(2)解釈的解明
   柄谷の著作のようなものになる。永井の言う思想になるだろう。また、倫理の問題も
   ここに含まれる。
(3)文学、人文科学
(4)社会科学
(5)自然科学

つまり、「<私>の存在」により、確実にあるものが終わったのだと考える。
永井の根本的な問題は、形式論から存在論へ移るところ、つまり「転校生」P85にある「言
葉の使い方に関する事実が隠してしまう、何か極めて特殊な事実がある」という問題なの
だが、それは「<私>の存在」に記された「奇跡性」「偶然性」以上に言いうる事はないと
思う。その意味で問題はなくなっている。<私>を<<私>>から常に引き離す思考の努力がも
とめられているが、それもその限りで異論はないだろう。
515考える名無しさん:02/07/02 23:45
余談
1.柄谷について
>>485で彼は思想家だといっているが、それは全く正しいと思う。しかし、永井と比較に
ならないというのは、永井を緻密に読みうる人にしては偏見をもって柄谷を読んでいると
思う。柄谷の「探求U」の単独性は永井の独在性の議論とある点で同じものを思考してい
ると思うし、デカルトに対する解釈での外部も永井の他者とある点で同じものを思考して
いると思う。その点で刺激的だと感じない人はいないはずである。永井は「「魂」に対す
る」で探求の評論をしているが、あまり誠実に読んだとは思えない。
逆に、探求Uにおいて柄谷が永井と異なっているものは、永井も言っている解釈的解明と
なる部分である。そして、そのことは柄谷は間違いなく自覚している。柄谷は気分で永井
は論理というような捕らえ方は間違っている。

2.永井の興味深い点
永井の著作の興味深い点は、実は<私>に関する論理的考察でない部分にあるともいえる。
例えば、「<私>の存在」P78「単独性を媒介にして独在性を伝達しえたのではあるまいか」
同P109「他者の身体が身体であることにほんの少しの疑いも感じていない」や「転校生」
P50「ボクは自分であろうと他人であろうと一般に人がふつうの意味で痛がったり悲しが
ったりすること自体はまったく自明のことだと思う」といった、論理でない確信性である。
これらは<私>に関する形式論、存在論の本質には関係ないのだが、それをなぜかしるすこ
とが、永井の独在性論を、自閉から最終的に救っているように感じる。

3.印象批評について
印象批評が評判悪いようだが、印象批評がその批評の対象となっているのもの議論を深め
るのになんら役に立たないというのは、実業に携わっている者は学者以上にわかりきって
いると思う。しかしながら印象批評を行うのは、単にアホなのではなく、印象批評以外に
取りうる態度はないじゃないかという姿勢を含んでいると思う。印象批評は役に立たない
が、無意味ではない。そのような立場はありうるのだ。だから、それを踏まえた上で無視
するというのは哲学の取りうる態度だと思うが、無意味として切り捨てるのは、逆に重要
なものを失い、哲学を完全なる自閉に追い込むように思う。
2chは、基本的に情報交換と印象批評の場であると思う(規定ではなく、ながめた感想で
す)。だから、どうしようもないと思うのではなく、嵐ふく中かろうじて論議がなりたつ
ようなのを楽しむというのが良いのではないかとも思う。
516考える名無しさん:02/07/02 23:47
馬鹿ばっか・・・・ばーーーーか
517考える名無しさん:02/07/03 00:15
というより永井の本ちゃんと読んでるやつっているの
518考える名無しさん:02/07/03 00:19
やっぱバカだよなぁ
永井よんでるやつって偏見の固まりだもんなぁ
519考える名無しさん:02/07/03 23:09
514=515ですが、スレつかなかったようなので、一応追加の説明して引っ込みます。
問題にしたかったのは、永井さんの著作をねたにしてなにか議論できるとすれば、まずは
「<私>の存在」あるいは「<子供>のための哲学」の前半にて展開されている<私>に関する
論に異論があるかないかということだと思います。私が「終わっている」と書いたのは、
もちろん永井が「<子供>」の前半にて終わったと書いていることであり、私は論の展開に
異論をはさむ余地がないと思いましたので、やはり終わっていると感じたということを提
示しただけです。従って、この部分に関して哲学するとしたら、異論がある場合、どの論
の展開が間違っているかを指摘することだと思います。>>506さんの問題提示は、このあ
とにくるものでしょう。そして永井も書いているとおり、そこでの問題に関しては、上記
問題が「終わった」限りにおいて、その問題の質は変わっています。そのことは認識して
おく必要はあるでしょう。
そして終わった後の態度としては、上述したとおりですが、すでに根本の問題はなくなっ
ていると考えますので、私に関しては、永井の意味での哲学すること(を公表すること)
にもうあまり関心はなくなり、上記で言うと(2)以降の部分にいまは関心があります。

上では書かなかったのですが、省察的解明の態度としてもう一つあります。それはその人
にとっての「<子供>のための哲学」を問題提起し展開することです。おそらく、中田さん
は永井と違う問題があるのだとおもいますので、その場合取りうる態度はそれのみでしょう。
「永井の本当にいいたいことは<私>では言えてないのではないか」ということは哲学する問
題ではありえないでしょう。そして中田さんが書く「<子供>のための哲学」は、永井の問題
と全く違っているはずですし、論の展開も全くちがうものとなるのでしょう。それをこの場
で検討するのは可能な事だと思います。残念ながら中田さんの書き込みは永井の著作に引き
ずられて書いてあるので、わたしは明確なかたちでその問題がなんなのか認識する事ができ
ませんでした。

余談の余談ですが、余談の2に書いた事は、おわかりのとおり、「<子供>のための哲学」前
半の終わりあたりに永井が書いている「もう一つの「奇跡」に対する感触」というものに感
じた事と同じことです。
520考える名無しさん:02/07/04 11:06
>>514=515=519
異論をはさむ余地がないほど「終わっている」とは思えません。また『<子ど
も>のための哲学』の議論は現在の永井自身が否定しています。これはある学
会のような場所で彼が配布したハンドアウトに明記されています。むしろ、永
井哲学の哲学としての問題提起ははごく最近、つまり『転校生とブラックジャ
ック』から開始された、と考えるべきでしょう。506さんのような問題提起
は「このあと」どころか、それらの手前に食い込んでしまうのです。この「食
い込んでしまう」ことがらの発見こそが、永井をはじめて哲学者にした、と思
います。終わったどころか、はじまったばかり、です。506さんの問題提起
以外にも、考察さるべき問題が累積していて、どの一つをとっても『<子ども
>のための哲学』の議論では到底決着がつきません。中でも決定的と思われる
論点を一つだけ挙げれば、やはり時間構成ではないでしょうか。よくよく考え
るなら、<私>であることの奇跡とは何なのかが、時間構成との関係抜きに把
握できるはずがありませんから。ここからはじめて、哲学の大海が開けてくる
のではないでしょうか。
521考える名無しさん:02/07/04 14:46
あほらし
522考える名無しさん:02/07/04 23:00
>>520
時間構成との関係抜きに把握できないというのを、もうすこし詳しく教えてほしい。
523考える名無しさん:02/07/04 23:25
>>520
書き込みありがとうございます。永井自身が否定しているというのははじめて知りました。
できればその内容を知りたいです。
それと、反論ではないですが、「終わっている」というのは、「<子ども>のための哲学」での
「<私>の存在の比類なさ」でもいいですが、そこで展開されていない考察さるべき議論が、そ
れらでは「決着できない」から「終わっていない」とは考えていませんでして、何ら「対立す
る論点がない」場合に、「終わっている」のだろうというふうに考えています。
524考える名無しさん:02/07/05 04:06
永井自身が『<子ども>のための哲学』の議論を否定してるとは、私も知りませんでした。
<私>についての議論は『<私>の存在の比類なさ』と『<子ども>のための哲学』で
尽くしたので、その成果の下で『転ブラ』では「現実」や「時間」についての議論が
されてるのかと思ってました。ただ、第8章のG君のレポートでも「時間」ではなく
「擬似記憶」についての議論になっているように、「時間」に関する議論が不十分なのが
気になっていました。
「私」が他人に(過去において)「なった」とか(未来において)「なる」等の思考実験は
<私>についての議論でも本質的な役割をはたしているが、「なった」や「なる」というのが
一体どういうことなのか分からないとなると、これまでの<私>についての議論も
見直さなくてはならなくなるのではないか。
その意味では、『転ブラ』はこれまでの議論を仕切り直して<私>を<現実>や<今>との
関係のなかで捉えていこうという事なのかもしれません。それは哲学的には、より洗練された
議論なのでしょうが、私からみると問題が拡散してしまうという印象も否めません。
私が独在性について考える際に、見ず知らずの他人である永井均の文章で初めて
(漠然と感じていたにせよ、明確に)<私>という問題に気づかされたと云う驚きを
抜きにしては考えられません。これは『転ブラ』P.26にある夢の中の登場人物が夢の主体に
「これはあなたの夢なんだよ」と指摘するという言明不可能な真理に相当するし、
私が気付いた時点で真理になったこの不可能な言明が<私>の世界においてどのような位置を
占めるのかという問題は第5章セミナー3でも議論されています。
このように永井の本を読む体験それ自体が哲学的問題として議論されている点も、永井の本が
私のような哲学専攻ではない読者にも多く読まれている要因だと思いますが、私のような読者が
求めているのはE君やHさんと同じ様に、統覚原理に解消されない独在論の「主張」なのかも
知れません。(これは>>506の3に関係しますが、どんな懐疑の下でも独在的な<私>の存在は
否定できないと云う「主張」が宗教的なものかどうかは分かりません。)
これまでの議論では独在論が統覚原理を打ち負かす事はできないのだから、独在論の「主張」の
ためにも新しい観点の議論が必要なのは分かります。
それは『転ブラ』から展開されようとしている「現実」や「時間」に関する議論なのか。
それについては分からないとしか言えません。<私>について感じたような問題の感覚を、
<現実>や<時間>について感じきれないせいかも知れません。
525524続き:02/07/05 04:09
『転ブラ』での「現実」に関する議論に、問題を感じきれないと書いた事について付け加えます。
『転ブラ」では、中心化された世界という概念を可能世界モデルに持ち込むと云う議論が
展開されているが、この議論で「現実」を捉えきれるのか。
今までと同様に、可能主義と現実主義の対立と共存が繰り返されるだけではないのか。
Fさんのレポートは「両者の対立と共存の必然性が理解された時この議論は終わる」と
結ばれているが、「必然性が理解される」とはどういう事か。
必然性の理解のために形式化された様相論理とそのモデルである可能世界が考えられたと
いうのに、これでは議論が循環するのではないか。
このような細かい疑問に紛れてしまい、<私>について感じたような確たる問題意識を
持てないのです。

とは言え中心化された可能世界という議論は、単なる哲学ファンからみても
面白いアイディアなのでどんどん押し進めてもらいたい所です。
526考える名無しさん:02/07/05 17:08
野矢のが優秀
キモイ
527考える名無しさん:02/07/05 19:31
実際、『<子ども>のための哲学』のどのあたりがどう否定されたんでしょうね?
あれがもしも全面的に間違っているんだとしたら、『転校生とブラックジャック』
だって半分ぐらい(適当)は死んでるんじゃないかと思うので。

できれば詳細をきぼん。
528考える名無しさん:02/07/05 20:30
514=515-519=520ですが
いいたかったことがよく伝わらなかったような気もするのでもう少し説明をします。
>>514の2(1)でアナロジーとしてゲーデルの名前を出しましたが、そこでの意味はこうです。ゲーデルによって
数学が終わったわけではもちろん全くありません。一方数学の根本的な問題がゲーデルにより解明されたという
のも明らかですが、今後発展するであろう数学のいかなる結果でも、ゲーデルの示したものと矛盾はしないでし
ょう。>>523で「対立する論点がない」といったのは、ここでいう「矛盾がない」に類するような意味です。

たとえば三浦俊彦さんの「可能世界の哲学」という本は優れた啓蒙書だと思いますが、そこでの思考が、永井の
<私>の次元に及ぶことができていないのは明らかです。そして、その本に記されたそれゆえに生じていると思わ
れる分析哲学上の重要な問題が、永井の「<私>の存在の比類なさ」の議論によって解明されているものがあると
思います。もちろん<私>の「奇跡性」「偶然性」をいっただけでは解明などではないという意見はあると思いま
すが、それでも私が「終わっている」と思うのは、「奇跡性」「偶然性」を示すとともに、「語りえぬもの」を
めぐる思考によって同時に、「それ以上言えない」事も論理的に示していると思われるからです。

この私の直感が正しい場合、これは極めて重大なことになります。なぜならば、数学においてゲーデルが示した
ことに匹敵することが、分析哲学においてここに達成されている可能性があるからです。ゲーデルの場合、幸い
ノイマンがいたためにその重要さがすぐに理解されるところとなりましたが、永井の議論が十分理解されていな
いのなら、国内外を問わず、多数の分析哲学者により真剣に検討されるべきことと考えます。私は単なる野次馬
であり自分の直感にこれっぽっちも自信はありませんが、「<私>の存在の比類なさ」収録の「他者」および
「独在性と他者」は極めて重要な論文であることは間違いないと思います。

(入不二基義さんにより一部検討されたものがありますが(「相対主義の極北」)、残念ながらわたしはその内
 容を完全には理解できていませんが、異論を出しているのではなく、別の角度から広げているという感じのよ
 うです)
529考える名無しさん:02/07/05 20:31
まちがい 514=515=519=523です。
530   :02/07/05 21:44
三浦の語用論的観測効果の視点から、
永井の独在論が否定される可能性はあるとおもうけどね。
ま、三浦の新刊待ちということでサゲ
531考える名無しさん:02/07/05 23:22
>>528
おっしゃるとおりですが、日本の哲学者はなぜか自国の哲学者の仕事を真剣に
検討しない風習があるようなのです。いったん外国で権威を確立した人を研究
するか、分析哲学者たちは外国で権威を認められた問題だけを後から論じるの
です。
>>530
『論理学入門』の線なら望み薄です。『転ブラ』のHの水準の反論で十分処置
できますから。しかも、だからといってCが間違っているわけではないように、
三浦氏が間違っているわけではない。ここが面白いというか、528さんの言
う通り、きわめて重大であろと考えます。野矢茂樹とか飯田隆とか丹治信治と
かちゃんとした分析哲学者がちゃんと論評すればいいのに。奥雅博の批判など
もあるが、あんな枝葉末節のことばかりではどうしようもない。
532考える名無しさん:02/07/06 00:25
アホバッカ
原書読めよ
533530:02/07/06 00:29
>『論理学入門』の線なら望み薄です。『転ブラ』のHの水準の反論で十分処置
>できますから。

Hの水準の反論というのは具体的に言うと?
534考える名無しさん:02/07/06 13:20
それより、『転ブラ』では永井自身がすでに三浦化しているのではないでしょうか。
『<子ども>のための哲学』を否定しているという情報が正しいとすると、
そのことがよく納得できて4しまうのです。
みなさん、『転ブラ』をよく読んでみてください。
少なくとも「先生」は、特に後になるにつれて、
F説以上にC説に近づいていると読めませんか。
「先生」の主張が永井の主張というわけでもないでしょうけど、
少なくとも『<子ども>のための哲学』前半の議論全体が否定されるような
視点を内含していることは確実ではないでしょうか。
「理解される」以前に自分で先に進んでしまったのかもしれませんが。
535 :02/07/06 13:44
そうかね?
CとEの対立と共存の必然性ってとこまで行きたいんでしょ?
前の議論を否定ではなく包括しようとしてるんではないのですか。
536考える名無しさん:02/07/06 20:17
でもさ、対立と共存が必然化されてしまったら、やっぱり、高次のCじゃないのかなあ。
どう考えても、やっぱり、大事なのは、偶然(奇跡)ってことじゃないかと思うんだけどなあ。
必然的な奇跡なんて、おかしいしゃん?
537考える名無しさん:02/07/06 20:24
必然=奇跡でもとくにおかしくはないと思います。
なぜおかしいのか逆にちょっと理解に苦しみます。
どこらへんに違和感を感じるのでしょうか?
538  :02/07/06 20:37
必然というのは
<私>の存在が必然という意味?
539考える名無しさん:02/07/07 01:19
永井さんの『<私>の存在の比類なさ』の重要性に関して、一つ指摘したい。
分析哲学系の人は敬遠しているかもしれないが、東浩紀さんの『存在論的、郵便的』の第4章の
議論は、その見かけの違いにもかかわらず、永井さんの議論に極めて接近している。しかしな
がら、永井さんの地点に達していないのは、東さんが「<私>の「存在」の問題」に気づいてい
ないところにある。東さんの著作を読んでいる人は多いと思うので、大きく関心を喚起したい。
そして永井さんの議論の重要さを知ってもらいたい。
540考える名無しさん:02/07/07 01:37
539追加
いうまでもないが、永井さんの議論を考える際に『<子ども>のための哲学』にも記さ
れた、竹田氏のような認識の根本的間違いだけは、絶対に避けなければならない。
541考える名無しさん:02/07/07 01:48
永井に引き付けて読む必要ないっしょ
ひどい読解
542考える名無しさん:02/07/07 01:50
>>541
じゃあ古代ギリシア人とかの感覚で読みな木瓜
543考える名無しさん:02/07/07 03:15
>>542
バカだね アホそう
544考える名無しさん:02/07/07 03:18
>542
典型的永井ヲタ
恥さらしてるなぁ
545考える名無しさん:02/07/07 03:20
野矢のが優秀だろ
546考える名無しさん:02/07/07 11:26
東氏の『存在論的、郵便的』P313の「デリダとサールとの転移関係」というようなもので言おう
としている事は、私の考えでは、永井氏の「<私>と<<私>>の拮抗関係」と同一のものである。
また、それ以降のフロイトなどに言及した部分は、永井氏の「単独性を媒介にして独在性を伝達
しえたのではあるまいか」という考えと同様のものをめぐっているように思える。
そして東氏も最後に「私」の問題に言及している。永井氏がそこよりさらに思考を深めているの
は、『転校生とブラックジャック』P85にある「言葉の使い方に関する事実が隠してしまう、何
か極めて特殊な事実がある」という問いを考え、「奇跡性」「偶然性」を示したことにあらわれ
ている。そしてそれが限界。
547考える名無しさん:02/07/07 13:36
野矢茂樹さんの名前が出ていますが、永井さんの『<私>の存在』
に入っている野矢さんの本の書評の内容を考えてみるとわかるこ
とがあります。
そこで野矢さんの主張が否定されているかのように考えるのは
あまり的をえていないと思います。重要なのは、野矢さんの議論
と永井さんの議論が本質的に対立するものではないということで
す。おそらく、野矢さんは永井さんの考えている事を考えた事が
ないのです。別の言葉でいえば、永井さんが示したより根本的な
次元の異なる問題の存在に気づいていないのです。
548考える名無しさん:02/07/07 16:05
なんでより根本的ってわかるの?
549考える名無しさん:02/07/07 16:07
永井の物差ではかってるだけじゃん
野矢のがましだよ
550考える名無しさん:02/07/07 16:51
547とは別人ですが、より根本的かどうかは別にして、次元の異なる問題
(の存在に気づいていないかどうかも別にして)に関心をもっていないの
は事実だとおもいます。
ところで
>>526,545
野矢の方が「優秀」とありますが、これはある意味で事実ですが、結果的に
哲学者としての野矢氏を貶すことにもなるので、要注意。
野矢氏より「優秀な」哲学者なんて掃いて捨てるほどいます。本当です。
しかし、彼らはみんなつまらない。なぜでしょうか。
野矢氏のいいところは、ある点で並はずれて馬鹿なところがあって、
普通の優秀な人ならなんともなく理解して通り過ぎてしまうところに異常こだわ
ってシツコク論じる力があるところです。
これは例えば飯田隆氏などにまったくない能力です。野矢氏の論理学書なんか、
優秀な論理学者には決して書けない種類の、すばらく素朴で、真に哲学的な本です。
そして哲学的優秀さというのはむしろそういう種類のものではないでしょうか。
はっきり言って、独特に頭が悪いのです。
普通の人、とりわけ優秀なひとならすんなり理解できるところができないという能力。
哲学を読む喜びの大半はそれを読むことにあるような気がします。
永井氏も、こだわっている問題はことなるとはいえ、
もちろん同じ種類の真に「哲学的な」人だと思います。
つまり、ある点で野矢氏の水準を越えて、異様に頭が悪いところがある。
私は疑う余地なく彼らはともに本物だと思います。
現代日本で、彼らのように「哲学ができる」人がほかにいるでしょうか。
どちらが「優秀」なんて話は学校の成績だけにしましょう。
551考える名無しさん:02/07/07 17:16
でも、東は永井をけっこう読んでいるらしいよ。
539や546の言うことが正しいなら、
構造だけうまくパクったということかな。
パクるといえば、
さる漫才師の書いた『哲学』という名著かあるけど、
知ってる?

552考える名無しさん:02/07/08 00:00
>>550
飯田には飯田固有の問題があるのよ。
どっちが優秀って話しはこのスレの人が永井マンセーするために
平気でやってることじゃない。
いまさらなにをいってるの

553考える名無しさん:02/07/08 00:06
あと野矢に独自の頭の悪さはないとわたしは考えています。
普通に優秀。
554552+553:02/07/08 00:12
とりあえず普通に納得できない。
そこに書いてあることは誰にでも当て嵌まる。

555考える名無しさん:02/07/08 00:15
539や546はちょっとわざと煽りの冗談ぽいな。永井の評価は別にして。

それと永井の議論は、もちろん低俗な意味での野矢と永井のどっ
ちが優秀とか言う問題では全くないでしょう。永井の議論を理解
する上で重要なのは、まさに、そのようなことではないという点
にこそあるような気がします。
556考える名無しさん:02/07/08 00:17
そんなこと知っとるよ。
557考える名無しさん:02/07/08 00:42
>現代日本で、彼らのように「哲学ができる」人がほかにいるでしょうか。

なんでこんなことを滔々と述べてしまえるのかわからん。
他の分析の人たちがかわいそすぎる。
あまりにも表層的な評価。永井的な書き方をしなきゃ哲学者じゃないなんて!!!
本当に内容で評価してんのかスゴイ疑問。こういう言い方をすると嫌がるかもしれないが
研究者について知らなさすぎる(あたりまえだが)。
558考える名無しさん:02/07/08 00:58
野矢さんの本は、永井さんの議論で言うと、あえて<<私>>の次元での徹底した考察なの
かな。
それは良くわかるような気がする。<私>の次元を問題にしたってしょうがない
と思える部分もあるからなあ。
559考える名無しさん:02/07/08 01:38
だから野矢には野矢の問題があるのよ
あと野矢の本はほとんどバカの振りする秀才の典型だよ。
読めばわかるじゃない。
他の人評価するなら「少し」は彼らが何に惹かれているのかみてやって
560考える名無しさん:02/07/08 13:39
>『転校生とブラックジャック』P85にある「言葉の使い方に関する事実が隠してしまう、何
>か極めて特殊な事実がある」

これって、このスレでも以前に何度か触れられているけど、何の問題だかわかる人
います?<私>の存在の問題そのものではなくて、「世界がそこから開けている
原点が独立に二つ存在しないのは、なぜか」という問題らしいんだけど。
「他人の感覚を感じることはできない」という問題と、どこが違うんでしょうね。
561考える名無しさん:02/07/08 16:31
そこに他者に関する(真の意味での)問題が控えてるのではないかな。
562考える名無しさん:02/07/08 16:39
>>1の元哲学仲間の中村です
哲学厨房の>>1が、「面白いサイトをおしえてくれ」
としきりに言うので、一年前2chを教えてあげました。
すると、彼は見事に厨房になってしまったのです(36歳ですが)
居酒屋に入り、席につくなり「さあ、マターリしようか!!」
会話中も「その話はサゲで!」「オマエモナー!」「やっぱJAVAは
OFFだよな!(Lhacaの使い方さえ解らないレベルなのに)」
嬉々として覚えたての用語を連発しています。
先日など、河原でバーベキューをした時、あまり面識のない人に
「ドキュソって知ってる?元は目撃ドキュンの・・・」などと話し出し、
しまいには酔っ払って川べりに座り、人差し指を天に向かって上げ、
「イッテヨシ!イッテヨシ!イッテヨシ!!!」と叫んでいるのです。
一緒にいる私は痛さで恥ずかしくてしょうがありません。
現実で2ch用語連発するなよ、と言うと
「うるせえ!お前なんかドキュソだ!あぼーんだ!」
と訳のわからない事を言い、相手にされません。
哲学って人格を崩壊させるんですね。もう私は諦めます、哲学。
どうか皆さん>>1を見守ってやってください。


563考える名無しさん:02/07/08 16:52
可愛いやつじゃないか!
564考える名無しさん:02/07/08 21:46
>>562
>哲学って人格を崩壊させるんですね。もう私は諦めます、哲学。
「2chって」の間違いではないの?
哲学なんかより2chのほうがはるかに人格を崩壊させますよ。
みなさん、分かっているとは思いますが、本当に注意してくださいよ。
そういう当人がなんでこんなふうに書き込んでいるのか?
ああ、2chやめますか、人間やまますか、だよな。
それに比べりゃ哲学のことなんか二の次三の次。
ところで、1の方はまったく崩壊してなかっためずらしい例だったと思いますけど。
懐かしいですね、あの頃。
565考える名無しさん:02/07/08 23:49
>>560
言葉でいうの本当に難しいと思うんだけど、問題の意味がわか
らない問題があるというか、考える事を阻む領域があるという
か、561さんの言うとおりだと思います。
566考える名無しさん:02/07/09 00:06
>>560
あえていえば、「<私>の存在のあり方の特異さ」というのかな。もう一つあえていえば、
可能世界を考える事が出来ない領域があるというのかな。事実が思考を拒んでいるよう
なんですよね。
567考える名無しさん:02/07/09 00:27
たとえで言うとこんな感じなのではないか。
将来科学技術が進んで、人の脳を手術して世界が2つ開けるように出来るのかもしれない。
しかし、その場合でも<私>は、その場合のその(他者、もう一つの奇跡)でなにが起こ
るのかを想像する事が出来ない。つまり世界が2つに開けているという事が結局想像でき
ていない。あるいは他者の存在を予想できない。
568考える名無しさん:02/07/09 00:50
568追加
逆にいえば、現に世界は2つ開けているのかもしれない。しかしその場合も、開けて
いるのかもしれないという意味がわからない。世界が1つに開けているのと2つに開
けているのがどう違うのか思考できない。
そうあらせているのは、「<私>の事実」、である。そしてその事実は言葉に出来ない。
569考える名無しさん:02/07/09 01:17
言葉にしてんじゃん
570考える名無しさん:02/07/09 01:45
>>560
話を思いついた。いわゆる多重人格ね。
時系列での多重人格はわかるけど同時の多重人格はなんなのかわからない。
いや、別の個体に分かれて入ればわかるけどそれは多重人格とはいわない。
いや、もっとわかった。
時間はとめられるけど空間は止められない。
いやいや、さらにわかった。アインシュタインによれば、時間が止まるに対応するのは
空間が歪むだ。世界が複数に開くのは空間が歪む場合だ!!
とすると、理論物理学者は空間が歪むという事がどういうことかわかっているだろうから
聞けばいいんじゃないか!!

でもやっぱり<私>の存在は奇跡だ。
571考える名無しさん:02/07/09 01:48
>>570
バカ?
572考える名無しさん:02/07/09 02:07
>>570
> いや、もっとわかった。
> 時間はとめられるけど空間は止められない。
> いやいや、さらにわかった。アインシュタインによれば、時間が止まるに対応するのは
> 空間が歪むだ。世界が複数に開くのは空間が歪む場合だ!!
> とすると、理論物理学者は空間が歪むという事がどういうことかわかっているだろうから
> 聞けばいいんじゃないか!!

文系はこれだからイヤになるな。哲学の議論もこれぐらいのDQNな内容なのかな。
573考える名無しさん:02/07/09 02:14
フリーズワールドはうそだ。時間が止まれば可能世界が爆発するのだ。
時間の起源は可能世界の爆発だ。時間が現実世界を規定している。
574考える名無しさん:02/07/09 02:18
>>572
570は真正DQNです。
哲学とは無縁です
575考える名無しさん:02/07/09 02:39
<私>の死により<私>の世界が終わるのではない。<私>の時間が止まり
可能世界が爆発するのだ。<私>の他者とは、可能世界の爆発だ。
576考える名無しさん:02/07/09 02:56
575 正確を期す。
<私>の時間が止まり<私>の可能世界が爆発する。
つまり、中心化された可能世界論は正しい。
<私>は宇宙だ。そして無限の他の宇宙が存在する。
577考える名無しさん:02/07/09 03:07
>>574
> 570は真正DQNです。
> 哲学とは無縁です

すみません。関心があって読んでいたので、ついキレてしまいました。
「マジレスのみ」となっていましたので。。。

576あたりまではみんな荒らしなんでしょうか。
578考える名無しさん:02/07/09 03:10
荒らしです。
579考える名無しさん:02/07/09 03:11
573 正確を期す
ホーキングは正しい。
時間の始まりはビッグバンである。その時間の前に可能世界の爆発が実現している。
そして、現実世界は時間とともに終わり、可能世界が再び現れる。時間は空間の
最も歪んだ形である可能世界から生み出される。
580考える名無しさん:02/07/09 03:30
ビッグバンの最初は量子力学的世界になる。
そして量子力学の世界は可能世界論とつながる。
(三浦俊彦「可能世界の哲学」)
多次元世界のスーパーストリングスの研究方向とも一致している。

完全なるDQNではない。
581考える名無しさん:02/07/09 03:32
やっぱりDQN
582考える名無しさん:02/07/09 04:21
おそらく全ては可能世界でしょう。
ただし、この可能世界が実現されているというのがどういうものかはわかりません。それは永井
さんが示した認識の限界のためです。ただ、物理的には時間が止まり、空間が最高に歪んだ状態
でしょう。
ここからは理由はわかりませんが、以下のもの(全て同じことをさします)が誕生すると思われ
ます。 

   1つの宇宙の始まり
   可能世界の1つの<私>への中心化=<私>の誕生
   ビッグバン
   時間の始まり

これ以降はたぶん物理学の統一理論の解明するとおりでしょう。
そして最後に以下のことがおこるでしょう(全て同じものをさします)。

   1つの宇宙の終わり
   可能世界の1つの<私>への中心化の終わり=<私>の死
   ブラックホール
   時間の終了

可能世界の中でこのような宇宙が複数誕生していると思われますが、どういうかたち
かはよくわかりません。
1つの宇宙の始まりがなぜ起こるのかもわからないでしょう。
たぶん、そこは限界です。

確かに真性DQNに見えてしまうでしょうね。
583考える名無しさん:02/07/09 04:25
>確かに真性DQNに見えてしまうでしょうね。

見える じゃなく ただのDQN
584考える名無しさん:02/07/09 09:04
582だ。
なんということだ。

アキレスと亀はパラドックスなどではない。もともとアキレスと亀は
ユークリッド空間などで競争はしていないのだ。<私>のいるリーマン
空間で競争をしているのだ。

時間の矢を決めているのはエントロピーなどではない。<私>の存在だ。
時間を感じるのは<私>だけなのだ。<私>が時間だ。負存在の<私>など
なく、時間は逆戻りしない。時間は、一方にあるか、ないかだけだ。
<私>とともに時間はなくなる。

シュレジンガーの猫を観察しているのもただひとり<私>なのだ。

もともと、ユークリッド空間でおこっていることなどこの世の中に
なかったのだ。すべて<私>の存在するリーマン空間、時空間でだけ
おこっていた事なのだ。真の観測者は<私>のみだ。

アインシュタインがいたのに、永井均がいたのに、なんということだ。
585 :02/07/09 09:56
ひょっとして永井って電波なんですか?
586考える名無しさん:02/07/09 11:04
>将来科学技術が進んで、人の脳を手術して世界が2つ開けるように出来るのかもしれない。
>しかし、その場合でも<私>は、その場合のその(他者、もう一つの奇跡)でなにが起こ
>るのかを想像する事が出来ない。

例えば、私(A)が隣の人(B)と脳や神経を接続して、視界の右側はAの視界、
左側はBの視界、というようなことが起こったとします。
そうであるとしても、その私とは独立の他者のことは、やっぱりわからない。
それはその通りだろうと思うんですが、これは「他人の感覚を感じることはでき
ない。もし、『他人の感覚を感じる』と言ってしまいそうなことが起こったとし
ても、私が感じている以上は、私の感覚だと言わざるを得ない」ということの
延長にすぎないんじゃないでしょうか。「新たにBの視界に映っているものを見る
ことができるようになったとしても、見ているのはやっぱり私だ。」というわけです。

…と書いてみた自分としても、「延長にすぎない」は言いすぎかなあ、という
気がしてはいます。しかし、これが事実の問題であって、たんに言語の問題では
ないというのは…うーん…。
だれか言語とか感覚とかについて詳しい人を連れてきてくだせい(w
587考える名無しさん:02/07/09 11:44
>>585
そうです
588:02/07/09 12:01
ここの削除人ってこの板の住人の自我を
許さないみたいね、藁
なんが哲学だ、藁
まあいっか
こんな下馬評しかないところ
589考える名無しさん:02/07/09 12:31
>>560
『転ブラ』P85で「他人の感覚を感じることはできない」という不可能性は「他人」や
「感じる」などの言葉の意味に基づく不可能性なのかもしれないと述べられています。
おそらく永井は、所謂他我問題は言語ゲームという考え方で解消できると考えているのだと
思います。それに対し、≪私≫が二つあると考える事が出来ないというのは、「私」という
語の意味に基づく不可能性だとは言い切れないと感じているのではないでしょうか。
『転ブラ』ではこの問題は、<私>の存在の奇跡性というこれまでの観点からだけではなく
中心化された可能世界論との関連性において考えられ始めています。
これからはFのレポートP167〜P169の(1)(2)(3)の認識を出発点として<私>と<現実>との
関係性が議論されていくのではないかと思っています。

>>580
「量子力学の世界は可能世界論とつながる」とは、どういう意味ですか?
ルイス流可能主義を量子力学の多世界解釈で物理主義的に裏付けるという事でしょうか?
そのような議論を説得力のある形で展開できるとは思えないのですが。
もしかして『可能世界の哲学』ではそのような議論がされてるのですか?
590考える名無しさん:02/07/09 17:49
582だが、挑発的で不正確な物言いが多かったので、もう一度永井さんの議論に触発され、また科学的知見を
とりいれて考えた世界のありようについて別の説明してみたい。

時間が止まり、空間が極度にゆがみ、ついに時空間が消滅したもの、そこに「完全なる可能世界」があらわれ
るいうのが見方だ。これはインフレーション宇宙論の原初状態というのと同一のものをさすだろう。そして決
してみることのできないブラックホールの最果てに、また同じものが出現すると予想している。

完全なる可能世界とは、境界のない無限のようなものかもしれない。そしてそこで生成される1つの有限の時
空間=1つの宇宙=<私>である。この、無限から有限のものが(おそらく確率的に)生成されるしくみ、それ
自体は物理学でやがて解明されるのだろう。しかしなおその場合も、そのうちのひとつの有限時空間=宇宙が、
なぜほかならぬ、この<私>なのであるかは、論理的に理解を超える。これは<私>=時空間の有限性に起因して
いる。その意味で、その完全なる可能世界=境界のない無限を神と示すのはふさわしいことなのかもしれない。
神を完全に知ることは論理的に不可能である。

この見方を最後に支える1点、それは、「この<私>にいつか死がおとづれるだろう」という確信である。言い
方をかえれば、「この<私>は神などではない」ということをわかっているということだ。
591考える名無しさん:02/07/09 18:00
>>586
いいたいことはまったく違うのです。事実としてたった一つの世界しか開いていな
い(と感じる)<私>には、二つの世界を開くということの意味がわからないのです。
>>570のいうとおり、おそらく世界が二つに開くのは、時空がゆがんだときだと推測
えはできるのですが、現実の事実として<私>=時空はゆがんでいない(と感じる)か
ぎり、複数の世界が開けている状態を想像することが不可能なのです。いいかえれば
時空が極端にゆがんだとき実際に<私>がどうなるのかよくわからないのです。
592530:02/07/09 18:19
なんだか、レス読んでると永井の独我論がいかにあいまいな表現によって
展開されているのかよくわかるよ。
たとえば”世界の開き”といった表現ひとつとっても、それで何をいっているのか
きちんと定義されてないんだろうね。
いずれにせよ、世界(あるいは宇宙)の選択の問題などは、<私>の存在を前提にし
ているわけだから、
(<私>が存在するのならば世界はどのようになっていなければならないのかという
)問題を展開発展させる前に、そもそも<私>の存在という事実があるのか、いなか
を一度きちんと議論するべきだと思うよ。

ということで、
やっぱり<私>の存在を言語の捏造物と考える?三浦の新刊待ちということで
サゲ
593考える名無しさん:02/07/09 18:27
590追加
本当に完全なる可能世界=境界のない無限、つまり有限の諸宇宙が1つも発生していない
世界にはもちろんひとつの<私>もいません。時空は存在しません。繰り返しになりますが
宇宙=<私>=時空間です。一つの宇宙の誕生、それはまた完全なる可能世界が<私>に中心
化されることという言い方もできます。そして中心化される=時空の発生により、ゆがみ
のない時空では、可能世界のうちの一つだけが実現されるのです。もっともこの言い方も
正確ではありません。可能世界のうち1つだけが実現されているのが、まさに現在の時空間
なのです。そして時空がゆがめば、可能世界のうち複数の世界が同時に開けることは考え
られます。しかし、それがどういう状態なのかは想像できません。
594考える名無しさん:02/07/09 19:18
ネタかと思ってたらマジレスだったのか…?
もしも真面目に書いているのなら、ここは一応永井スレなのだから、永井の
著作以外の知識があまりない人にもわかるように説明してくれませんかね。
今のままでは、ネタとしか思いようがないです。
マジレスだとしたら失礼な言い方で申し訳ないけど。
595考える名無しさん:02/07/09 20:44
デンパだね
596考える名無しさん:02/07/09 23:02
>>584で言っているのって、なんか正しいような気がしてきた。おれはアホか?
とくに時間のところ。実際、時間がさかのぼっているなんてかりにあったとして
どうやって知ることが出来るんだろうか。目の前で時間がさかのぼっているなん
て言い方が何を意味しているのか全くわからない。言葉の問題か?
かりに夢から覚めて昨日になっていたとしても、本当に昨日なのかということは
この<私>には知ることができないような気がする。
597考える名無しさん:02/07/09 23:50
ひとつづつやっていこう。
まず、『<私>の存在の比類なさ』のP52からP53にある図だ。隣人を持たない<私>は他者を
予想している。しかし、それはあくまで予想しているだけだ。S1、S2とあるが、実際はS1
の世界だけが開けている。
このことから言えるのは、たとえS2(他者)が死んだ(消滅した)としても、それが何を意
味するのかはまったくわからないということです。気をつけなければならないのは、例え
ば実際の友人が死んだとかそういうことではないという点です。それはS1のなかのP1ので
きごとに過ぎない。他者が死んだという場合、全く違う次元の話をしているわけです。
そして、以上からわかるのは、この<私>が死ぬとはどういうことなのか結局この<私>には
わからないということです。
598  :02/07/10 00:09
つーか、誰も死を体験したやつはいないんだから、死ぬということが
どういうことなのかわからないのは当然なんじゃねーの?

599考える名無しさん:02/07/10 00:11
ブランショのパクりだな
あいかわらずレベル低い
600考える名無しさん:02/07/10 01:12
597 つづきです。
このことから、また他者が生まれる(生成される)ということがどんなことなのかも
わかりません。そしてこの<私>が生まれたというのが本当のところどういうことなの
かもよくわかりません。

さて、ここで最終的な目標について示しておきます。問題意識は、現在の宇宙物理学
の知見と、永井さんの<私>の存在の議論をふまえて、世界のありようを予想してみよ
うということです。基本的認識はこうです。いまだかつて物理学は永井さんの議論で言う
<私>の存在の問題を議論の対象としたことはないように思えます。そして、世界のあ
りようを予想するに当たっては、物理学とともに<私>の存在の問題が決定的に重要で
あるとおもわれるということです。したがって、もしかしたらかつてかんがえられた
ことのないようなものを予想しようとしているのかもしれません。

話題はかわりますが、最初の議論でもわかるように、S1(=この<私>)は、本質的な
意味で認識の外部はもちません。しかしながらなぜかはわかりませんが、外部のこと
を予想(思考)することは出来るようです。
さて話を進めます。S2、S3・・・の存在を予想しているといいましたが、S1、S2,S3・・・を
見渡す視点と言うものを(実際にS1が認識する事はなくても)考える事は出来ます。
それをかりにGとします。永井さんの議論で「この<私>がなくなったとしても永井均は
永井均としてなんら変わりないであろう」というような話がでてきます。ここがまず
誤解をうけやすい第一の点です。この言い方はGの視点に立っています。この私がなく
なる(=死ぬ)というのはどういうことかは、とりあえずいまはGの視界からS1が消え
てなくなることとしておきます。永井さんの話で変わりないだろうといわれている永井
均とは、じつはこの<私>が生きている時にその存在を予想しているS2が開いている世
界の中のP1として永井均がいる事を予想しているものであって、議論されているのは
Gの視点から見てS1が消えたとしてもS2のなかのP1はそのままありつづけているという
ことを言っているわけです。別の観点から言いましょう。S2のなかにP1として永井均が
いることはあくまでS1の予想ですから、実際にはいない可能性もあります。いまS3以
降はないものとしますと、その場合、永井均というのは、S1の世界の中で「この<私>が
なぜか永井均なのである」といった場合の永井均しかいませんので、この<私>がなくな
ると永井均もなくなることになります。
601 :02/07/10 14:39
>>600
悪いけどもう勘弁してくれないかな?
どうしてもやりたかったら別スレ立ててやってほしい。
602考える名無しさん:02/07/10 18:30
>「この<私>がなくなったとしても永井均は
>永井均としてなんら変わりないであろう」というような話がでてきます。ここがまず
>誤解をうけやすい第一の点です。この言い方はGの視点に立っています。この私がなく
>なる(=死ぬ)というのはどういうことかは、とりあえずいまはGの視界からS1が消え
>てなくなることとしておきます。

この辺の話って、『転校生とブラック・ジャック』の議論を踏まえなくていいのかなあ?
『転校生』では、他に何の変化もなくこの<私>がいなくなる、なんてことが
そもそも本当に言えるのか、ということが問題になっているわけで。

それはいいとしても、<私>がいなくなること=他の視点から見て、その視界
から消えること、というのは、どうも意味が分かりにくいですが。
603異見:02/07/10 19:23
534−538の議論に共感を感じます。
まず「必然的な奇跡(=偶然)」は「丸い四角」に類する矛盾概念ではないでしょうか。
もう一つ、534さんとはむしろ逆に、三浦って最初から通俗的な意味で永井の軍門に下っているのではないでしょうか。
だって、語用論的観測効果によって説明されるべき事実がある、と思っているんでしょう?
そんなものは実はないのかもしれない、ということのが永井哲学の根本問題で、
そこのところを、みんな、読み取っていないように思われます。
『転ブラ』ではFが主役になりますが、
これからの永井批判はむしろF的な一般的可能世界論からEの直観を守る方向で展開すべきではないでしょうか。
いや、もともとそうだったのではないでしょうか。
永井はもともと言語ゲーム一元論者で、
独我論対言語ゲームの対立の次元を一ランク上げようとしただけでしょうから。
604考える名無しさん:02/07/10 22:16
600です。
せっかく602さんが質問を下さっていますが、601さんのご意見もありますので、
602さんには申し訳ありませんがここにて中止することにします。私は、興味深
いながらもたしかに大きなナンセンスにしか見えない話(妄想)をしようとし
ていました。それは理解が極めて難しい話にならざるをえず、興味のない人に
はばかばかしくうっとおしいだけでしょう。601さんの気持ちは当然です。
2Chねるを利用しようと考えたのが間違っていたと思います。
ご迷惑をお掛け致しました。
605考える名無しさん:02/07/10 22:32
604
すいません。責任を感じ、とりあえず602さんの根本的誤解だけを説明して
終わりにしておく事にします。「他の視点」ではありません。「Gの視点」
です。図示できないのが残念ですが、GとはS1,S2,S3・・・のいわば外部にあ
るものです。<私>がいなくなるということがそもそもいえるのかという疑
問はある確信をついています。<私>がかりにいなくなったとしても、それを
知りうるのはGの視点にたっているもののみです。ここは極めて重要なとこ
ろです。Gのような存在をSは予想できますが、Gの視点には実際には立てま
せん。
最後なのではしょって重要な事を言ってしまいます。Gとはなんでしょうか。
比喩的に言った方がわかりやすいでしょう。いわば神です。そして永井さん
が示した事は、われわれ(<私>)は神を決して知りえないということなのです。
606考える名無しさん:02/07/11 11:20
600はもういいから、だれか、603の「異見」にコメントしてくださいよ。
こっちのほうが面白そうだだけど、ちょっとわけがわからなくなってきたので。
607考える名無しさん:02/07/11 19:43
いや、おれは600にかなり興味を持っている。
もう少し説明して欲しい。
608600:02/07/11 21:26
607さん。もう興味を持たないでください。
今後一切この話題をここで展開しないことを約束して、以下を発信します。

私は世界のありようについて妄想に妄想を重ねたギャグストーリーを、エピソードも含めて
すでに完成しています。最終的に得られた見解だけを示しておきます。

   G(od) ー S(oul) 構造    =  原初宇宙 ー 島宇宙 構造
   ( 神 ー <私> 構造 )       (多宇宙)
   ( 可能世界 ー 中心化 構造 )

この恒等式がもたらす違和感の源泉は予想つきます。<私>という文字がもたらすイメージが
強烈に自由な思考を抑圧していることです。しかし、よくよく考えて見れば、強い支持を得
てきた物理学が示しているのは、まさにすべては物質で出来ているという認識ではなかった
でしょうか。

この見解は、いまだ誰もわかってはいないといわれている量子力学を理解するのに役立つ
とは思いますが、それ以外では、こんな見解を持っていたところで何の役にも立たないで
しょう。完全なギャグです。

しかし、ひょっとするとわれわれに喜びをもたらすことが出来るかもしれない見解が、こ
こから帰結されます。上記等式のとおり、哲学と物理学は繋がっています。一方での表現は
他方での表現に完全に置き換えることが出来ます。その喜びをもたらすかもしれない2つの
見解を、哲学側からの表現にて最後に示します。いや、その前に、礼儀として言っておかな
ければならないことがあります。「神はサイコロ遊びなどしない」そして「有限のほうが
無限よりもいい」(『物理学の果て』デビッド・リンドリーP327参照)と直感により述べた
アインシュタインは、本当に天才だったのです。では述べます。

  「 我々は決して神の心を知ることは出来ない。
    しかし神はサイコロ遊びなどしていないと強く信じることが出来る。 」

  「 神にはひとかけらの自由もない。<私>には自由がある。 」

                                    S.K


                この妄想を、永井均さんと川本隆史さんに捧げます。
609600:02/07/12 19:38
1回だけ約束を破ります。(イイカゲンな…)
物理学的内容に興味のある方は、物理版の以下のスレをのっとり記述してありますので
どうぞご覧下さい。わかりやすく書いたつもりです。
http://science.2ch.net/test/read.cgi/sci/1015342402/l50
11から14です。

ギャグストーリーのちょっとばかり長いシナリオは手書きにて仕上げてありますが(自由な
思考とワープロは相性悪いようです)、今後いかなる場所においてもそれを映像化しないこ
とに決めました。それを行うと、妄想に「取りつかれる」危険性があるからです。従って
これで終了です。
我々は、本当に大切なのは、仮にこの妄想が真実であったとしても、それをギャグとして笑
い飛ばせる心の余裕、自由であると思っています。

ストーリーのあらすじとしては608と今回のリンク先ということになると思いますが、それ以
前にも、質の高低は激しいですが、いくつかスポット予告編をちりばめてあります。どうぞ
お楽しみください。

我々は他社の存在を確信しています。
また、他者とのコミュニケーションが可能であることも確信しています。
お元気で。
                              S.K

            うっかり前回わすれてしまいました。
            この妄想をもう2人、S.W.ホーキングとR.ペンローズにも捧げます。
610 :02/07/12 21:05
今日テレビ神奈川でやってた『オープン・ユア・アイズ』って映画見た人いる?
夢、記憶、ほんとうの人生・・・。
「これは夢だよ」「目を覚ましたい!」「君など一瞬にして消せるんだぞ」
「脇役は今必要ない」「もう一度夢を見るかね?」「これは現実だ!」
「目が覚めたら君は未来で普通に生きてる」「大丈夫よ、目を覚まして」
永井が見たら喜びそうなおもしろい映画でした。
611 :02/07/12 23:42
永井=電波ゆんゆんということで結論がでたようです。
612考える名無しさん:02/07/13 00:42
おいおい。『翔太』なんて最良の入門書じゃないか。
613考える名無しさん:02/07/13 05:48
興味ないかもしんないけど一応。
小説家の保坂和志のHPで野矢茂樹と保坂の対談が読めるよ
リンクの貼り方しらんので興味ある人さがしてちょ
614考える名無しさん:02/07/13 11:43
>>603
基本的には賛成です。
永井の独在論は、ちょうどカントの超越論的観念論が初版発行当時通常の経験
的観念論の一種だと誤解されたように、根本的に誤解されていると思います。
例えば610の映画(見ていません)や、その前に何度も出てきた人が言って
いることもそうですが、そういう種類のことの「不可能性」こそが彼のテーマ
なのに、誰もが彼が苦労してこれこれは「現実」成立のかくかくの条件ゆえに
不可能だという議論を展開すると、あたかもそのこれこれを主張してるかのよう
に取ってしまうのです。永井自身そのことに何度も警告を発しているのにです。
ちょとと前に誰かが「単なる哲学」というようなことを言っていましたが、
まさに単なる哲学として理解する能力が読者に欠けているように思われます。
自分で立てた問いを自分で否定していく「純粋理性批判」がそれ自体どんなに面
白い本か分かる人が少ないように。
615考える名無しさん:02/07/13 12:50
>>600
僕も完全に同じ意見です。(もうすでに読んでいてもらっているとは思いますが、笑)
妄想が意外と真実だったりすることも無いとは言えませんよね。

僕も光子の奇妙な振る舞いについては考えるところがありました。
90年代前後の世界の物理学者がぶっとんだんでしたよね、確か。
平たく極端に言うと

「超ミクロの世界では小さなひかりのつぶは心をもっている」

じゃなかったでしたっけ、どちらの実験結果を知りたいかによってきちんと
結果を振り分けてくれるという。

インフレーション理論にしてもそうです。ビッグバン後一秒の何分の一かの時間でもうかなりの
宇宙が広がっちゃってたのではないでしょうか。
その時広がった宇宙の果てのその時出た光が150億年たってもまだ地球に
届いていない、という。 まさに宇宙は「一瞬にして」広がった。

話は変わりますが、僕の目の前に究極の選択がある。AかBか。僕は結局Aを選んでしまった。
しかし実は宇宙はBを選んだ僕もどこかでか或いは巻き戻してかちゃんと実験
しているんじゃないかと。
不確定性原理ですよね。多重世界は最近の物理学でもよく言われてるというし。

哲学がわかって物理学もわかる人は貴重だと思います。
最後と言わずにどんどん書いて教えて下さい。
616600:02/07/13 15:13
>>615
他者とつながったことがわかり、うれしくなってもう一度約束破ってしまいます。
(この辺がいい加減さの真骨頂です)

実は私は、一部の柔軟な考えをもった物理学者(ペンローズのような)が、当然より武装し
た形で、私の妄想と同じようなものに到達しつつある、あるいはすでに到達していることを予感
しています。(彼らは知的探求のためには、どんなアクロバティックな思考も辞さないです
から。それは見事なものです。)

しかしながら、すでに述べたように、それは決して検証(もっと強い言葉で言えば証明)で
きないでしょう。喜ばしい(と思っているのですが)ことに、ゲーデルもどこまでいっても
正しいのです。(もっとも、私は反証主義を非難しているわけではまったくありません。反
証主義は、我々は神ではないという認識において、なお最大限の思考の自由を擁護するため
の方法だと思います。)

しかしながら、物理学者の権力は強大で、油断なりません。もし、そやつが妄想に取り付か
れ、「これこそ真実だ」などと声高に叫び出したら、ぜひこう言ってやりましょう。

  「我々は神の心を知ることができないのに、なぜ断言などする必要があるのだ?」
617考える名無しさん:02/07/13 15:43
永井と関係ない話はよそでやってくれ。頼むから。
618 :02/07/13 17:54
>>615,616
おまえらマジで迷惑なんだよ。いい気になって住み着いてんじゃねーよ。
物理学を持ち出す奴はもれなくスレ違い。そういう「貴重」な議論はよそでやれ。
619615:02/07/13 19:11
>>616
>実は私は、一部の柔軟な考えをもった物理学者(ペンローズのような)が、当然より武装し
>た形で、私の妄想と同じようなものに到達しつつある、あるいはすでに到達していることを予感
>しています。(彼らは知的探求のためには、どんなアクロバティックな思考も辞さないです
>から。それは見事なものです。)

ニューサイエンティストのみならず先端物理学者ももうそこまで来てますか。
こういう柔軟な考え方も必要。
常にアンテナ張り巡らせてないと進歩がないですからね。
11次元論や超弦理論は出ては来ない。


「 神にはひとかけらの自由もない。<私>には自由がある。 」

これは本当に名言です。深い。
この意味を理解できた者は断言だってしていいんじゃないですか。
620 :02/07/13 19:35
ただ<私>は物理法則の埒外にあるという意味でしょう。
なんかもったいぶって書くことが「考え」の深さを表しているという
傾向は困ったものです。
これも永井の影響なのでしょうか。






621 :02/07/13 19:37
三浦

永井均といえば、現代には珍しい「職人哲学者」である。専門的テクニック
を駆使する人という意味ではない。反対に彼の哲学はどちらかというと非分
析的である。知性より感性で掴んだのっぴきならない世界観の肌合いを尊重
する、昔気質の人生職人なのである。
 永井のキーワードは「哲学的感度」だ。高感度の哲学アンテナを周囲にめ
ぐらし、微妙な神秘や謎の感触を説得的に提示すること、それが課題である。
これを果たしていない哲学書は、どんな見事な論証を積み重ねていても失格
だ。たとえば永井は、デレク・パーフィット著『理由と人格』(勁草書房)
という七百頁を超える体系的哲学書を書評して「私の年来の問いには答えて
いない。……他の多くの哲学書と同様、問いの存在に対する感度が著しく鈍
い」と一蹴している
622 :02/07/13 19:38
三浦
 
先決めした特定のパースペクティブからの問題意識を持たないからといって
苦情を言うのはむろんフェアでなかろう。しかし、パーフィットのあの名著
にすら断じて満足しない頑固職人が日本の哲学界にいるというのは重要なこ
とだ。そしてさらに重要なことに、そんな頑固職人をも感服させる哲学作品
が、実は現代日本に豊富に存在していたらしいのだ。
それはなんと、藤子・F・不二雄や諸星大二郎のマンガだというのである。
623 :02/07/13 19:39
三浦
(中略)

感度は哲学の必要条件ではあっても十分条件ではない。感度という主観的能
力は本来、詩や芸術や骨董の領分であって、哲学の本質は論証であろう。謎
への感性のみを存分敷衍できるマンガ芸術を、永井が哲学として過大評価し
ているように思えてならないのだ。「真の」哲学とは世の哲学者が論文で述
べるようなものではない、マンガや子どもの科白の中に光るものこそ本物な
のだ、といったただでさえ口当たりよいアマチュアリズム礼賛が、哲学初心
の読者の琴線に触れるとすると、由々しきことではなかろうか。
 
624 :02/07/13 19:40
三浦

客観的論証よりも苦吟や詠嘆の断片を然るべき構えで仄めかすことが本当
に深い哲学なのだと思い込むいわば哲学芸道観は、すでにいやというほど
日本に広まっている。「二兎を追う」ことに紛れもなく成功したきわめて
魅力的啓蒙的な本書であるからこそ、哲学という営みへの安易なイメージの
流布に寄与してはいまいかという危惧を、一哲学徒として抱かされた次第で
ある。(了)
625考える名無しさん:02/07/13 19:44
600は自分の議論の批判対象がこのスレでの自分の振るまいに
そのまま当て嵌まる典型だね。言ってもムダだけど。よくあることだ
626考える名無しさん:02/07/13 19:50
基本的に三浦のその文だけにかんしては賛成。
その弊害は、このスレはまあまあましだけど、
鉄版にプチ永井のこどき哲学感で他人の哲学感を
平気で一刀両断する輩は簇生しつづけてるな
627Kurihara:02/07/13 23:45
全くその通りですね。
628考える名無しさん:02/07/14 01:41
三浦の一読者として、とりあえず三浦にいいたい。
三浦は優秀なのにどうでもいいことにこだわっている。
永井の「マンガは哲学する」なんてどうでもいいでしょ。あんなのもご愛嬌だ。
永井は漫画が本質的に絵だということに関心がない。そんなの、
言ってみれば、音楽はまず音だということをわからないで
歌詞がどうのこうのだけ言っている音楽評論みたいなものだ。くだらない。
問題はだ。三浦の語用論からの永井批判が永井批判になっていないということだ。
どういうことか。つまり、三浦の言っている事はまったく正しいからだ。
いや、三浦の体系での精緻な議論は永井など寄せ付けないだろう。
しかしだ。それが永井批判になっていないということの致命的な意味を三浦は考えるべきだ。
三浦は本気で、言語哲学が体系内で完結すると思っているのか?もちろん論考でなく
言語ゲーム的なものの体系だぞ。不完全性定理があるのを知りながらだ。
別に体系内を精緻化するのが悪いわけじゃない。立派な業績だ。
永井は感性の哲学だと喝破したのも正しい。永井は語りえぬものを語ろうともしていうからだ。
だから、三浦は永井にちょっかいなど出す事はない。
629 :02/07/14 05:10
>三浦は本気で、言語哲学が体系内で完結すると思っているのか?

三浦がいつどこでそんなこといったの?
妄想を根拠に相手を批判するのはやめたほうがいいと思うよ。

だいたい当人からして、

>渡辺‐永井‐ネーゲル‐ロバーツ式に「超難問」を真面目に取る人々がい
>る 限り、私も、それが本物の問いである可能性に対しては敏感でありつづけよう
>とは思 います。しかしいまのところは、ネーゲルが嘆くような、現実にこの問
>いに悩まされ る哲学者がほとんどいないという状態はまったく正当だと私は思う
>のであり、それが なぜ正当かを理路整然と述べる自信も私にはあるのです。

といってるんだから、いちゃもん付けるのは新刊がでてからでもいいじゃないの。

>永井は感性の哲学だと喝破したのも正しい。永井は語りえぬものを語ろうともしていうからだ。
>だから、三浦は永井にちょっかいなど出す事はない。

なんかいかにも永井読者って感じの反応だよね。

永井自身 パーフィットを「私の年来の問いには答えて
いない。……他の多くの哲学書と同様、問いの存在に対する感度が著しく鈍
い」なんて一方的にけちつけながら、他方で(永井の独我論に)「問題を感じない人ははいって
こないでほしい」なんて抜かすんだからたまりませんね。


630考える名無しさん:02/07/14 05:44
>>628
バカ?
自分を棚上げするのは永井ヲタの得意技
631考える名無しさん:02/07/14 06:49
永井か。
そんなやつ、いたな。
7年ほど前、よく読んでいた。
あの頃、かなり多産だったような印象がある。7〜8冊位、読んだ記憶がある。

「自分」が気になっていたのだな、私も。

しかし、「自分系」の哲学書はいろいろあるが、今の私は、それをだいぶ
警戒するようになった。とんでもないものも多いからだ。
永井は「純粋な奴」という印象を持った。それを読んでいた私も、多分、
「純粋な自分」にあこがれていたのだろう。
そういう「純粋な自分への欲望」をもって読むと、たしかに惹きつけられる
文章ではあった。まあ「欲望の鏡としての書物」なのだと考える。

今は、読まない。どっかチガウと思うようになったからだ。

この手の哲学で、今一番私がイケテルと思うのは、『中島義道』だ。
永井は、どうもイケテナイ。
コイツは生きるということをナンダト考えているのだろう。
生きることのコアが「純粋」の相対化にあると思うようになったので、
読まなくなった。
その点、中島は筋金入りだ。今の私はこちらの方を薦める。

もうひとつは、一見、内容は違っても、精紳分析(ラカン、他)や社会学(マートン、他)
を経由して、この手の「哲学」は読んだ方がよい。
深さと懐疑の力が倍増するからだ。

皆様はどうお考えでしょうか。
632考える名無しさん:02/07/14 07:01
>>631
同意
でもこのスレでそれいっても無駄
631は永井の独我論をわかってないっていわれるよ
633考える名無しさん:02/07/14 07:28
>632
631です。ありがとうございます。
たしかに独我論の手前で純粋の相対化へと、私は撤退してしまったのだと思う。
今一度、独我論に向き合ってみることへの誘惑に、チトかられました。
独我論入門の、よい入口をアドバイスいただければ幸いです。

634馬鹿であらん:02/07/14 12:42
>>632
「同意」ということに同意。
しかし、永井の哲学そのものは、独我論とはとくに関係ないと思う。
むしろ、<今>とか、特に<現実>とかいった、いわば実在する指標詞に関する哲学的考察だと思う。
何度か名まえが出たことがあるが、根源的にライプニッツ的な哲学だと思う。
>>631(633)
ゆえに、申し訳ないが、まったく的外れ。中島と永井には哲学的関心において一点の共通性もない。
たぶん、関係ない文脈で勝手によんでいたのだろう。若き日の麗しい読書ですが。
>>621
しかし、永井が「哲学的感度」なんて言葉を『マン哲』以外で使っているの見たことないよ。
>>603(614)
おそらくは、そうだと思いますよ。哲学的に読めば、そうとしか読めない。
だからまあ、言ってみれば、永井ははじめから三浦なんですよね。少なくとも意図において。
『転プラ』では成果におてもそうです。それがなぜか読み取られていないんだよなあ。不思議。
私自身はその意味で彼にもともと批判的でしたし、今はなおさらそうです。
わかってもらえるでしょうか。

ところで、このスレでは非常に高度な指摘が何度かなされているのに、
それらにレスがつくことはほとんどなく、馬鹿が馬鹿なことを言うとレスが続きますね。
キナコとか蝉とかはどうしてるのかなあ。中田さんもね。
願わくは、私が、馬鹿であらんことを!
635考える名無しさん:02/07/14 14:23
>>629
すまん。三浦氏については完全に誤解していた。申し訳ないことをした。
だが、ちょっといっておきたいことがある。

永井は否定しているが、竹田氏が言ったことは、指摘そのものとしては正しい。
「語りえぬもの」の存在は、形式的には<私>の語の自己言及性からきている。
それは「証明できぬもの」を自己言及性によりしめした不完全性定理と、論理
構造的にまったく同じだ。
選択公理が真であろうと偽であろうと自然数論が矛盾しないのと同様、<他者>
がいようといまいと言語哲学は矛盾しない。
ヒルベルトは怒りまくったらしいが、ゲーデル自身は自ら示した結果について
どう思っていたか。悲観どころか、数学は人間理性が理解できるほどちゃちな
ものではないことがわかったと喜んだのだ。
誤解をさせないよう、不完全性定理の内容を正確に示そう。それは、自然数論の
無矛盾性を自然数論内部で証明できないということだ。

ゲーデルが神の存在論に行ってしまったのは何故か。
もちろん、そんなものはうそっぱちだ。証明できるはずがない。それはゲーデル
自身が示したことだ。
永井とゲーデルは同じなのだ。「語りえぬもの(証明できぬもの)」を「語る
(証明する)」ことをしようとしたのだ。
もちろん、そんなの大笑いだ。結果はわかりきっている。まったくの無駄骨だ。
しかし無意味ではない。なぜなら、その場所の存在によってわれわれは生かされ
ているからだ。
もっとも、すぐわかるとおり、こういったことはいってみれば宗教的なものだ。
だからほかのひとは賛同する必要はまったくないだろう。
636考える名無しさん:02/07/14 15:37
私の身体と他のさまざまな物との関係は、絶対的な<ここ>と<そこ>との関係であり、
距離の原点と距離との関係なのだ。
それは、私の知覚能力がみずからを局在化したその場なのである。
では、この私の知覚能力と私の身体とが客観的な共変関係で結ばれているのではないとしたら、
そこにはいったいどういう関係があるのか。
(略)
そうだとすると、私の身体と私とのあいだには、
機械的因果性のさまざまな規則的対応関係以上の何かがあることになるのだろうか。
そこにあるのは、私の身体の身体自身に対するある関係であって、
これが私の身体を私と物との絆たらしめているのである。
(略)
身体は「感ずる物」、「主体的客体」なのだ、と。


何となくコピペ。
コピペなのでsage。
637      :02/07/14 17:23
>>635
>自然数論の無矛盾性を自然数論内部で証明できないということだ。

うーん、半可通な感じが・・・。
638中田:02/07/15 00:02
このスレかなり盛況のようですね。
スレ立てたかいがありました。
でも、お願いだからスレの主旨とまったく関係ない話だけは他でやってくださいね。

>519
>そして中田さんが書く「<子供>のための哲学」は、永井の問題
>と全く違っているはずですし、論の展開も全くちがうものとなるのでしょう。それをこの場
>で検討するのは可能な事だと思います。残念ながら中田さんの書き込みは永井の著作に引き
>ずられて書いてあるので、わたしは明確なかたちでその問題がなんなのか認識する事ができ
>ませんでした。

たしかに微妙に(もしくは大きく)ずれてはいるだろうね。
僕も自分の問題がなんなのかまだよくわかってないけど。
>215ぐらいまでは自分の問題を永井さんの用語を使って思考してだけかもしれない。
ただ>251ぐらいからは永井さんの問題を永井さんに寄り添って
ちゃんと考えているとは思うよ。
639考える名無しさん:02/07/15 00:05
>中田

このスレに参加するためにはどの本を読んでいるのが最低条件ですか?
『転校生とブラックジャック』とあとは?
640中田:02/07/15 00:16
>439
>ぼくは中田さんとも他の多くの人とも違って、『転ブラ』を、そして
>『転ブラ』だけを(!)、きわめて高く評価しています。

いや僕は「転ブラ」を低く評価するなんて言ってないよ。
「転ブラ」よりは「なぜ悪いことはしてはいけないのか」の議論のほう
が僕的にはおもしろい、とは言った記憶はあるけど。

確かに「転ブラ」にはすごいところがあると思うよ。
(やっと最近それを感じることができるようになってきた。)
あんなふうに議論を展開されると普通の哲学書じゃ物足りなくなる感じてしまう。
もしかしたら「転ブラ」は歴史に残る哲学書の名著かも。
この本の精神を真に受け継いだ思考の伝統が制度的に築かれるのであれば。

>日本の哲学者は、日本で独自に始まる哲学を、自分の目で評価し内在的
>に批評する能力と気概が、誰ひとりないみたい。
>外国の後追いばかりで、嘆かわしいことです。

確かに嘆かわしいことです。ただ嘆いてばかりではしょうがないので、
蝉風呂さんみたいな若い人ががんばってくださいよ。(笑)
つーか日本の外国崇拝どうにかなりませんか(笑)
641中田:02/07/15 00:28
>639
基本的に<私>だけを論じるのであれば「転ブラ」と
「なぜ悪いことをしてはいけないのか」ぐらいで十分じゃないのかな。
永井さんも今のところこれらの本で展開した議論が思考の頂点だと
考えていると思うし。しかし「転ブラ」はかなり高度だよ。マジで。
がんばって読んでみてください。

ただ永井さんの思考の遍歴を知っておくことも有益だとは思う。
直接議論とは関係ないかもしれないけど。>404で永井哲学を
前期、中期、後期と区切ってみたので参考にしてください。
(まだ「マン哲」は読んでないよ、ごめん(笑)。いつも図書館から
貸し出されていて読めない)
642中田:02/07/15 00:41
>634
>しかし、永井の哲学そのものは、独我論とはとくに関係ないと思う。
>むしろ、<今>とか、特に<現実>とかいった、いわば実在する指標詞に関する哲学的考察だと思う。
>何度か名まえが出たことがあるが、根源的にライプニッツ的な哲学だと思う。

こうゆう整理の仕方っていいのかな。こんな整理の仕方されると
「なぜ悪いことはしてはいけないのか」の議論も考慮に入れてよ、と言いたくなる。
基本的にこのような整理の仕方は「転ブラ」だけを念頭に入れている。

そうそう、前から思っていたんだけど、どうもみんなの関心が「転ブラ」か
「なぜ悪いことをしてはいけないのか」のどちらか一方に片寄っている気がしてならないだよね。
テクニカルで高度な議論が好きな玄人っぽい人は「転ブラ」を好み、素人っぽい人は
「なぜ悪いことをしてはいけないのか」を好み、という構図だと思う。

僕は両方の著作を考慮に入れないと永井哲学が味わえない、という立場です。

>キナコとか蝉とかはどうしてるのかなあ。中田さんもね。

暑さにバテてます。夏は哲学する気になれない(笑)
643中田:02/07/15 01:00
僕の問題関心として一言。

大庭さんが専修大学紀要の「生田哲学」とかで、永井さんを
「独在真理教」と言ってなじっているのがどうも気になる。
ここに重要な哲学的問題が隠されているのではないか。
大庭さんがいつまでも永井さんを理解しない(というよりそもそも理解したく
ないのかもしれない)のは、ある意味でまっとうで全然おかしいことではない。

このへんはたぶん永井さん本人では解きほぐしえない問題かもしれない。
どうして大庭さんは独在論を理解できないのだろう?
もしかしたら大庭さんこそが永井さんの哲学の本質を
よく理解しているのかもしれない。

戯れに書いてみました。不明瞭な文章ですけど、なにかこのことについて
思う人がいましたらレスください。(何も思うところがなかったら、どうぞ
無視してください)
644考える名無しさん:02/07/15 01:08
>>636はどない?
645S.K:02/07/15 22:12
>>637
おっしゃるとおり見事に半可通です。まったくもって面目ない。
間違っている可能性おおいにありです。
ひとつ誤解されるかなとも思ったので、書いて終わりにします。

ゲーデルが取り付かれてしまったのは、大切な友人を失ったショックも大きく
影響していると言われています。私は、そういうときはできればどうにかした
いと思っています。
宗教的といったのは次のような意味です。

  静かでささやかな祈りであるのなら
  賛同するのではなく
  尊重したいと思う
  わざわざ邪魔することもなかろう

言葉は尽きました。
646考える名無しさん:02/07/16 13:40
ところで、三浦という人はどんなことを述べていて、永井の議論とどういう
関係があるんですか?暇な人がいたら書いてくだせい。
>621−624の文章は、指摘自体は正当だと思うけど、永井の(態度とかではなく)
議論そのものに対する批判ではないことも確かだと思うので。
647考える名無しさん:02/07/16 13:45
>指摘自体は正当だと思う
「正当だと思う」は撤回。「わからなくもない」にしときます。
648173:02/07/17 13:09
>>614
>>534
ありがとうございます。603です。
少しは話が通じそうな人もいるので、続けてみます。
できたら、603を読んでから読んでください。

前提:<>という記号はハイデガーやデリダ抹消記号(×)の代わりであった
という事実からも分かるように、「現実世界に存在しないもの」を表す記号でした。
永井氏は処女作以来、一貫して<私>が理解可能に見えて実は存在(実在)しえない
という方向の議論の可能性を探求した。この線で、ヴィトゲンシュタインの水準を
越える独我論論駁をするのが彼の目標だろう。『なぜ悪いこと』では、自分の目
標は独在論批判であるとはっきり書いるではないか。僕はずとそう思って読んできた。
ところが、(大庭氏にせよ、三浦氏にせよ、その他の有象無象にせいよ)みな、イデ
オロギー的に逆方向の解釈をしてる。いわば問題提起のほう主張と取ってしまっ
ているのです。
という理解を前提にして僕の永井批判を述べます。まったく素朴な議論(ゲーデルが
どうしたとかそんな難しい話はまったくない)、読んでかんがえてださい。

1、Fの可能世界論に基づく「どこまでも概念化されてしまう」論は間違っている。
現実が概念化されないのと同様、<私>にもけっして概念化されない直観的内容の核
がある。現にある。これに固執できる。それが<私>ということの意味であるはずだ。
2、DやGの統覚理論も間違っている。<私>はまったくぼんやりしていても<私>
である。物理的連続性はもちろん、心理的連続性などもいらない。そもそも統覚によ
って超越論的に構成された客観世界に位置を持つ必要がない。<私>は存在するかし
ないかで、だれであるかは、全くの偶然でよい。それでも同じ<私>であることがで
きる。それゆえ、私の死後に私の記憶を全くもたない<私>が生じることは考えられる。
もちろん生じないことも。

以上の二点を、僕は永井批判として、強く主張したい。
そして、これが永井批判であるという点も、強く主張したい。
649603:02/07/17 13:17
173というのは単なる打ち間違いでせす。
(中田さん、ごめんなさい。)
でも、打ち間違いのついでに、中田さんの意見も聞きたいな。
650603:02/07/17 13:50
もうひとつ、関連することを思い出した。
629あたりで引用されていた「問題を感じない人ははいってこないでほしい」
という発言も、少なくとも『転ブラ』ではE君に向かって言われていることですよね?
つまり、E君のように、<私>は存在するに決まっている(哲学的議論は不要?)
と感じる人が「問題を感じない人」なんですよね?
そうとれば、そこで引用されていることなど完全に一貫しているように思えますが?
651 :02/07/17 14:21
>>648
でも永井はまさに、そんなことが言えているのかどうか、ということを問題にしてるんでしょ?
「<私>にもけっして概念化されない直観的内容の核がある」という言葉は
どんな「私」にも当てはまる一般論としてしか理解されないのではないか。
それ以上のことは言えないのではないか。
よってそれは存在しないと言わざるをえないのではないか?
652考える名無しさん:02/07/17 14:46
逆に、なぜ永井は「どんな「私」にも当てはまる一般論としてしか理解されない
のではないか」なんてことを言い出すのか、というのが疑問かもしれませんな。
他人が理解したとか何とか言い出しても、「理解されるはずはない。理解したと
思っている人は、誤解しているにすぎない」と言い続けて、かまわないんじゃ
ないか。そうすれば、概念化だの何だのというややこしい話にならないんじゃないか。
(同時に、話がそれ以上進まなくなっちゃうけど)
つまり、『転校生』で言えばC君みたいな奴は、「問題を理解していない奴」
として無視・追放すればいいんじゃないかと(w
そうできない理由が、なにかあるんだろうか。
653651 :02/07/17 17:32
うーん、なんか651に書いたことは 648さんの問題提起を矮小化してるような気もしてきた。
良かったら無視してください。もうわけわからん。
654614:02/07/18 11:24
少なくとも永井解釈という転で648(603)氏と同意見です。
そして私も、できれば、614を読んでから読んでください。
思うに、問題提起の方を中心にした『<子ども>のための』がベストセラーに
なってしまったので、哲学的議論の方向が誤解されたのではないでしょうか。
彼は初めから哲学的にパラロギスムスかあるいはアンチノミーの提示がしたかったのでしょうから、
大庭や三浦のような議論が「足手まとい」に感じられるのは当然だと思いますね。
ただし、651における批判には態度保留。
もちろん分かっていると思いますが、「それもまた・・・」というのが彼の常に言いたいことで、
言語を用いる限り、ある意味ではやはり・・・
いかん、術中にはまってしまったか?
うーん、ポイントはやはり「言語」の位置づけかもね。
655コギャル&中高生:02/07/18 11:25
http://go.iclub.to/ddiooc/

お役立ちリンク集
必ず役立ちます

コギャルとH出来るサイトはここ
ヌキヌキ部屋へ直行便

http://kado7.ug.to/wowo/

http://kado7.ug.to/wowo/-a.htm
656614:02/07/18 11:26
訂正:上で「651における批判」というのは「648における批判」の間違いです。
657S.K:02/07/18 19:07
>>609 物理版追加(15,16) オソマツカンベン。
658考える名無しさん:02/07/18 19:55
>>648
批判の1は特に永井批判にになっていないと思いますがどうでしょうか。
それは永井が言おうとしていることそのままのように思います。
2についてはよく意味がわかりません。「私の死後に私の記憶を全くもたない<私>が生じる」
というのはどういう意味でしょうか。
659614:02/07/18 21:26
>>658
断じて否。
永井がどこでそのようなことを「言おうとして」いますか。
彼は、初期以来あ「どこまでも概念化されてしまう」ということを、
手をかえ品をかえ、あれほどしつこく言い続けているではありませんか。
彼が一度だって、決して概念化されない直観内容の核がある、
なんて言ったことがありますか。
それは常に否定されているではないですか。
654さんの言うような事情もあるとは思いますが、
それにしても、なぜ658さんのような誤解がこれほど蔓延してしまったのか、
とても不思議です。
2についてはまったく文字通りです。
660614:02/07/18 21:36
>>654
たしかに問題は言語の位置づけかもしれません。
言語で語る限りどこまでも概念化される、
という話は、
言語哲学(至上主義)的偏見にすぎないのではないでしょうか。
その点で、永井も大庭も三浦も、実は同じ穴のムジナなのですよ。
661考える名無しさん:02/07/18 21:42
>>660
じゃあ あなたは違うのですか
オルタナティブを示さず
「永井も大庭も三浦も、実は同じ穴のムジナなのですよ。」
の表現は納得できません。

662  :02/07/18 21:43
>大庭や三浦のような議論が「足手まとい」に感じられるのは当然
>だと思いますね。

へえ、大庭の的外れな批判に対しては「足手まとい」という表現を
していたけど、永井が三浦の批判に対しても「足手まとい」に感じているとい
うのは初耳だな。
614さんの妄想じゃなきゃいいけどね。

>もちろん分かっていると思いますが、「それもまた・・・」というのが彼の常に言いたいことで、
>言語を用いる限り、ある意味ではやはり・・・
>いかん、術中にはまってしまったか?
>うーん、ポイントはやはり「言語」の位置づけかもね。

ほのめかしはもうこりごり。
言いたいことがあるならはっきりと書いてほしいよ。

663  :02/07/18 21:49
>>659
>654さんの言うような事情もあるとは思いますが、

??654が614さんなんでしょう?
664考える名無しさん:02/07/18 22:42
このスレは『ほのめかし』でもってるようなもんでしょ
665考える名無しさん:02/07/20 17:45
614ですが、654と656は書きましたが、659,660は書いていません。
666614:02/07/20 18:01
>>662
言いたいことははっきりと、というのは、おっしゃる通りでだと思います。
「ほのめかし」たつもりはなく、単に途中でよくわからなくなって、
いい加減に打ち切ってしまっただけです。申し訳ありませんでした。
よく考えて、機会があればまた書きます。
しかし「足手まとい」はむしろ三浦の方にこそあてはまるのではないでしょうか。
大庭は、多くの点で単に間違ったことを言っていると思いますが、
三浦は、べつに間違っているわけではいので、
単にアンチノミーの一方を語るだけの人のようなもので、
なおさら余計でしょから。

>>659、660
内容からみて、悪意ではなく、単なる間違いだと思われますが、迷惑ですよ。
667S.K:02/07/21 12:47
>>609 物理版おまけ(17) よかったらどうぞ。ほんとにさらば。
668603=648=649=650:02/07/21 17:30
659と660は僕です。ミスばかりして混乱させて、スマリ。

>>661
もちろん、僕は違いますよ。
プラトンもデカルトもカントもハイデガーも、
中島義道も池田晶子も、道元も親鸞も、加護も辻も、
みんな違うと思いますけど。
オルタナティヴは、「その点で」と極めて明確に示されているじゃありませんか。

ところで皆さん、2000年5月に出た『世界』の別冊
「この本を読もう」というのを読んでますか。
永井が「哲学への懐疑」という文章を書いていますけど、
これ、必読。これを読まずして永井を論ずることなかれ。
永井がムジナであることがはっきりわかります。
669考える名無しさん:02/07/21 18:27
アップお願い
670S.K:02/07/23 11:50
>>609 スマン。間違い発見につきアワテテ修正。コレニテ。
671放下:02/07/25 15:56
>>642やその他の皆様
むしろ『これがニーチェだ』の議論も考慮に入れてよ、と言いたくなるんだけど。
もしこの「第三空間」の意義を考慮に入れなければ、独我論でじゅうぶんでしょうから。
だから『転ブラ』派と『なぜ悪』派という分類は、どう考えても不適切。
『翔太』の最終章と『これがニーチェだ』がなければ、永井哲学なんて無価値だと思うから。
『転ブラ』は、確かにテクニカルに高度な議論でもありますが、確実にこれらと繋がる手応えがあるんだ。
そういう観点から読まないでも、永井に興味が持てるということ自体が、理解しがたいよ。
672中田:02/07/25 20:08
>671
>むしろ『これがニーチェだ』の議論も考慮に入れてよ、と言いたくなるんだけど。
>もしこの「第三空間」の意義を考慮に入れなければ、独我論でじゅうぶんでしょうから。
>だから『転ブラ』派と『なぜ悪』派という分類は、どう考えても不適切。
>『翔太』の最終章と『これがニーチェだ』がなければ、永井哲学なんて無価値だと思うから。
>『転ブラ』は、確かにテクニカルに高度な議論でもありますが、確実にこれらと繋がる手応えがあるんだ。

確実につながる手ごたえは具体的にはどのようなものでしょうか?
それなら僕は「子供のための哲学対話」の「不運」の問題とかも考慮に入れたいな。




673中田:02/07/25 20:09
「転ブラ」を僕なりに整理してみたいと思います。
間違いがあったり、修正が必要だと感じる人はぜひ指摘してください。

F哲学  様相の問題
D哲学  規則の問題
G哲学  時間の問題
C哲学とE哲学  生の問題

最後の生の問題だけ解説してみたいと思います。
どうもC君とE君の対立は、そもそも自分や他人の人生に
対する根本的な態度の食い違いだと思うのだけどどうだろう。
E君がレポートで、C君とは友達関係が疎遠になってしまった、というのは
事実を的確に言い表していると思う。
E君的な人同士、C君的な人同士は友達になれるけど、E君とC君が真に友達となるのは
難しいのではないか。
(というのが僕のわずかな人生経験から引き出される帰結だけどどうでしょう)
どうゆう人生行路を経てE君的な人間かC君的な人間になるかはわからないけど。
もしかしたらそもそも生まれの問題なのかな。
今のところ僕の生は<私>が存在するのか、<<私>>しか存在しないのか
決着がつけられないけど、そもそもこの二種類の生に対する態度が
存在することだけは確かではないか。
(「態度」って言葉しか今のところは思いつかないな)

独在論の議論は、理論と実践が不可分に結びついた議論ではないだろうか。
674--:02/07/25 20:13
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/y0006.html#y20000219215622
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/y0006.html
http://www.freeml.com/message/[email protected]/0005533

ああ、最低だ。。 投稿者:匿 投稿日:09/02 00:54 [PC]
親がまた飯を作ってない。
いつ買ったか判らないもうとっくに賞味期限も切れていると思われるピザを出してきた。
「冷凍庫に入れていたから大丈夫」
いつもそれだ。
朝も昼も何も作ってなかった。
昼は外で買ってきたと言ってたイカ焼きを2枚食べただけ。

よくあるのが茹でただけのスパゲティがテーブルに置いてある事。
ソースは缶詰とかカレーみたいにパックに入った市販のやつ。
夏になってからそれが素麺に代わっただけ。

数ヶ月前から飯を炊く事もたまになくなり電子レンジで暖めるパックに入ったご飯が常に準備
されている。

さっき文句をつけると
「うちより酷い家庭はもっとあるんやで。食わしてもらってるだけでもありがたく思え。」
と言われた。

父が家にいないと飯が酷くなる傾向がある。
単身赴任だった頃は土日の帰ってきた時だけマシな飯が出て来た。

「俺が高いものを求めすぎているんだ」と言い聞かせて自分を静める。
675中田:02/07/25 20:26
>648
僕の拙い感想を述べてみることにします。

>。『なぜ悪いこと』では、自分の目
>標は独在論批判であるとはっきり書いるではないか。

たぶん永井さんが考える独在論批判って、603さんが考える
独在論批判と違うんじゃないかな。
1の批判はやっぱり、E君的観点からF君やC君を批判して
いるようにしか見えない(僕には)。で、永井さんはE君的観点を保持したまま
(転ブラで)議論を進めているじゃないの?

永井さんが考える独在論批判は、僕の妄想によると(笑)
「転ブラ」で議論しているような問題そのものが問題でならなくなる地点を
見つけ出すことじゃないのかな。
そのためには、まず問題内部の構造自体を緻密に見極めよう
としているところじゃないのかな、と僕は考える。
676放下:02/07/26 14:37
>>672
手応えだから、あまり「具体的」には言えませんが、強いて言えば、
中心化された現実世界の<現実>性は概念化もされなければ確率的考慮の対象にもならない、
といったことかな。
これがすなわち第三空間や存在者の存在の問題に繋がっていると思う。
いくつかの宗教を経由しましたが、結局、宗教というものを捨てて、
自分の人生について、この方向で考えていくほかはない、と考えるにいたった。
たしかに、『哲学対話』の、特に真ん中あたりの考察も、いろいろと参考になる。
哲学は、『転ブラ』の議論でさえも、やはり人生の問題につきると思う。
少なくとも素人にとっては、それ以外にはありえないよ。
自分の人生をどう受けとめたらよいのか、結局、それだけではないでしょうか。
>>660
ムジナは三浦だけだと思うよ。
一般に大庭さんの評価が低いようですが、彼の全体を考慮に入れれば、彼は彼で、ちゃんとしたことを言っていると思う。
それにひきかえ三浦は「問題を感じていない」。独在論とか<私>の問題ではなく、そもそもの、人生の問題を。
やむにやまれず考え出された、どんな哲学的議論についても、ただその議論の論理についてだけ議論する奴が、必ず出てくる。
そうして、哲学は死んでいくのではないでしょうか。いつの時代にも。
677放下:02/07/26 17:51
言い足りない感じがするので、もう一言だけ。これが最後です。
ぼくはあるとき自分の悪を(罪をと言ってよい)自覚することで、
自分がまったく無価値であることにき気づき、自分というものを初めて透明に捉え、
世界や他者をあるがままに受け入れられる、と感じた時があった。
人生の本当の意味がやっとわかった、と思った。
それが自分をもう一段深いところで美化するための嘘かもしれないと気づかされたのは、
永井さんの『これがニーチェだ』を読んだ時だった。
ショックだった。
そのときから、以前から気にはなっていた『<子ども>のための哲学』などの独在をめぐる
議論の本当の意味が初めて理解できるようになった。
「信者」という言葉を悪い意味で使う人が多いが、
少なくとも自己に関する真実は、何かを信じる(信じざるを得ない体験をする)
ことによってしか絶対に見えてこない。
そういう体験を求めようとしない人にとって、哲学とはいったい何なのですか?
678S.K:02/07/27 11:46
>>609 ありがとうございました。
679考える名無しさん:02/07/27 15:35
>>621-624
永井の印象が全く違って驚いた。
どちらかというと、「尋常ならざる論理癖」という池田晶子の悪口の方が
当たってんじゃないか。
三浦という人はどういう人か知らないが、その意味で、せっかくの「同じ
穴のむじな」を、何かの先入観が働いて、わざわざ変な違う穴に置き入れ
てるように見えて、可笑しかった。
それに、そんなことより『マン哲』は駄本だよ.
なんであんなものを評価して本気で受け取ってるんだ?
680考える名無しさん:02/07/27 23:04
>>679
それ当たってる。間違いなく永井は論理を突き詰めている。
(哲学のジャーゴンを使わないと論理じゃないなどと言うやつは、文章が
よめないやつだと思う。)
でも、本人も言ってるけど、論理の後に個人的なものも入っている。
そこが好き嫌いかな。
681考える名無しさん:02/07/28 18:54
個人的なものが入っているのは当然で、そうであるべきだと思う。
いろいろ考えてみたが、その意味でやっぱり、
「問題を感じない人は入ってこないでほしい」というのは正当な要求なのではないだろうか?
どんな問題であれ、それが世間や学界で話題になっているという理由だけで、
自分自身で直接に感じた(持った)こともないのに、
なされている議論を後から読んだだけで、
その言葉についてだけ、何か「論証」したくなってしまう人は、
結局、哲学を腐敗させ、瓦解させてていくのではなくいだろうか。
放下さんほど「人生」に引きつけるつもりはないが、
その問題が自分にとって本当に本質的な意味を持つかどうかは、
哲学にとってはやはり決定的なことではないだろうか?
たとえ玄人であっても(いや玄人であればなおさら)だ。
少なくとも個人的には、そうでない「哲学」など存在してほしくないと思う。
682考える名無しさん:02/07/28 22:38
>>671 >>677
私が重要だと思うのは『これがニーチェだ』の第三空間の議論で
でてくる「肯定」の一語ですよね。
「肯定」を自分も持っているのだけれども、でも本当のところは、
これがどこから発せられているのか良くわからないものでもあり
ます。
683考える名無しさん:02/07/29 12:21
永井の議論を、人生とか生き方に引き付けて理解する人が、多いんですかね。
私なんかは、「自分に赤く見えるものが他人に青く見える、ということはないのか」
とか、「規則に従うとはどういうことなのか」という方面の議論がわりと好き
なんですが。
普通の意味での(?)人生の問題(それももちろん重大ですが)より、そもそも
他人の言葉を理解するとはどういうことなのか、自分の言語活動が成り立って
いるといえる根拠が本当にあるのか、という問題のほうが先にある、という気が
する。

まあ、これは趣味の問題なんでしょうが。
684考える名無しさん:02/07/29 23:03
>>683 内容はなんであれ「こういう問題の議論をしたい」「こういう事を考
えている」というのを「人生の問題」と表現する人がいるだけで、たぶん同
じなんだと思います。つまるところ存在の問題ですよね。それを言葉で語る
事をとくにせずに日々暮らしているひとも同じなんだと思います。
685603=648=649=650:02/07/31 13:49
>>675
それは文字通り「妄想」です。
もっと単純に考えましょう。
648における批判1がE君的観点からなされているのはもちろんのことです。

僕の独自の論点は、概念化されない直観内容という点にあります。
例えば、空間という概念は、空間直観を離れては無意味です。
空間概念についてのいかなる議論も現実の空間直観を前提にしていて、
それは決して概念化されません。
<私>は言語としては必然的に《私》へと概念化されても、
事実としては概念化されません。
まったく自明なことです(ムジナでさえなければ)。
686603=648=649=650:02/07/31 14:14
もう一言。
「E君」というは、おそらく過去の(子どもの)永井の象徴なんですよ。
「先生」がなぜE君にあれほど冷たいのか考えてみてださい。
あと、当然の事ながら、
同じムジナにも慌てたムジナと用心深いムジナがいます。
687考える名無しさん:02/07/31 14:41
君が現実と思っているものは実は虚構だよ。
培養液につけられた脳に「世界」という情報を入力して、君の行動は虚構の
世界に出力されている。君は実験台に過ぎないんだよ。
両親も親友も全て送り込まれた情報なんだよ。虚構なんだよ。

今の自分はこう反論します。
「屁理屈じゃん。」
みなさんはどう考えます?
688考える名無しさん:02/07/31 15:37
「屁理屈じゃん。」で済ませられるような人は、そういう問題とは関係ない
(なくなった)人だ、ということでしょう。現にそういう問題に頭を悩ませ
ている人にとっては、屁理屈では済まないと思う。


そういう問題に頭を悩ませるということは、偉いことでも得になることでも
なんでもないので、関係なくなったのならそれはそれでいい、とは思いますが。
689考える名無しさん:02/07/31 15:59
>685
><私>は言語としては必然的に《私》へと概念化されても、
>事実としては概念化されません。
>まったく自明なことです(ムジナでさえなければ)。

永井は、<私>についての議論が「他人に伝わったときには」概念化される、という
旨のことを書いているとは思いますが、<私>が事実として概念化される、などと
いうことを、本当に言っていますかね?
C君は、<私>と思ったときにはすでに≪私≫になっている、と言っているので、
あるいはC君はそういう主張をしてるのかもしれません。しかし、永井の主張全体が、
他人に伝わる場面のみでなく、事実としても<私>が概念化されてしまう、という
ものであるというのは、無理があると思いますが。
690S.K:02/07/31 22:44
>>609 (最終注)追加 興味あれば。
691蝉風呂:02/08/01 15:06
お久しぶりです。
>>685
いい論点だとは思う。
しかし、問題は、<私>は概念でもないが、また単なる直観でもないところにある。
われわれは「空間」という概念を使ってコミュニケートする以前に、すでに空間を生きている。
<私>は、もし直観だとしても、必然的に概念化される、という本質を初めから持っているような直観だろう。
<今>も同じだと思う。
だから、問題は、逆に、それらが初めから単なる概念にすぎないのだとしても、
必然的に直観化される、という特質を持つのではないか、という点にあるわけだ。
そうでなければ、その概念は完結しない、というように。
ここが永井哲学の苦境でありかつエレメントですね。
692余談:02/08/01 19:58
蝉さんの言うことは相変わらず難しくて分かりませんが、
直接知っている人に聞いた話では、
永井さんって、実は、酒好きでカラオケ好きの、ひどく気楽なオジサンで、
千葉大学の教官紹介か何かのパンフレットに、
趣味はカラオケで、カラオケの「狂気度」ではソニーの茂木健一郎にしか負けたことがない、
とか自慢げに書いているそうです。
茂木さんとカラオケに行ったりしているのかなあ。
中島義道さんとのカラオケの話は、中島さんの『偏食人間』に出てたけど、
あまり狂気という感じじゃなかったけど。
それと、サプリメントにも凝っていて、薬物に非常にに詳しく、
なんと三浦俊彦の『サプリメント戦争』が愛読書だそうですよ。
もし知りたければ、もっと続きもありますけど...
693考える名無しさん:02/08/01 20:20
>薬物に非常にに詳しく
もう少し表現の仕方とかさ…(笑
694考える名無しさん:02/08/02 12:26
>691
>われわれは「空間」という概念を使ってコミュニケートする以前に、すでに空間を生きている。

もしも、「空間」という概念を全く知らない人がいたとしたら、その人は空間を
生きているといえるんでしょうか。「空間」という概念を全く知らない人にとっても、
空間の直観というものがあるんでしょうか。
自分でも質問の内容がよくわかってない質問で、申し訳ないですが。
695考える名無しさん:02/08/02 21:47
>>691
「エレメント」ってどういう意味? 要素?
696考える名無しさん:02/08/02 22:46
>>691 わりこみ
必然的に概念化される直観とおっしゃっていますが、わたしの考えですと
概念化されないなら直観はないんですよ。つまり直観といっても、それは
感じていることがすでに言葉なわけです。表現しなかったとしても。
697蝉風呂:02/08/03 08:30
>>696
これは685さんが答えるべき問いだと思いますが、685さんに賛成。
例えば、空間直観は概念化されきることができないという点で。
これはカントのきわめてすぐれた洞察だったと思う。
ただし、ぼくの独自の問題提起は、むしろその逆で、
必然的に直観化される概念、というものがあるのではないか、というほうです。
こちらのほうが、永井さんが神の存在証明の問題と結びつけて論じている、
きわめてユニークな論点だと思う。
もちろん、<私>の奇跡的存在を、根底から脅かします。
>>695
苦境の逆。最も真価を発揮できる場所、境遇のこと。
>>697
これも685さんが答えるべき問いですが、
空間を生きているといえるというのが685さんの答えでしょう。
ただし、以前に紹介されていた永井さんの『世界』の論文などは、
それを真っ向から否定している。
しかし、『転ブラ』の議論はもっともっと遥かに精妙です。
>>685
>>689
永井さん自身がすべの登場人物の主張が自分の主張だといっているのだから、
文字通りそう取るべきだと思う。永井解釈としては、です。
E君もC君も彼の一部なのでしょうから。
欠席していたM君(=三浦君)が入っても同じことだなあ。

698考える名無しさん:02/08/03 13:16
>>697
685さんと697さんがいっていることがなんとなくわかった。でもそれは言葉は違え
ども永井さんがすでにいっていることじゃないかと思います。そしてなお「事実」
が「<私>の奇跡的存在」を脅かすことはないと考えます。
699蝉風呂:02/08/03 16:58
>>598
念のために注意しておきますが、ぼくと685さんの考えはまるで違いますよ。
そして、ぼくのほうは、もちろん永井さんがすでに言っていることで、すでに
そう言っているんだというのがぼくの主張です。だから、奇跡的存在を脅かす
可能性があるというのも、永井さん自身がそう考えている、ということです。
685さんとは、永井解釈も違えば、主張もまるで違いますので、念のため。
700考える名無しさん:02/08/03 23:20
>>699
698ですが、ちょっと書き方がよくなかったですね。反省します。念を押していた
だいた事は理解しているつもりです。わたしが言いたかったのは、現実世界の
奇跡性(なぜこうあるのかがわからないこと)ということです(奇跡性という言
葉が適当であるかどうかはわかりませんが)。もちろん現実世界は<私>と切り離せ
ないと思います。必然的に直観化される概念の「必然」が問題だとおっしゃって
いると思いますが(まちがっていたら指摘してください)、それは必ずしも奇跡
性とはつながっておらず、むしろ「他の直観(他者)」の存在を予感させるもの
であるということではないでしょうか。(というふうに永井さんを読んだのですが
いかがでしょうか)。
701蝉風呂:02/08/04 10:00
>>700
なるほど、と思いました。
しかし、問題は、他者もまた《私》であって、その世界の<私>であり、
逆に、<私>もまた《私》であることによって、すでに他者である、というこ
とですね。
問題はこの運動の始点がどこにあるのか、ということだと思う。
「私」という概念そのもののうちにあるという可能性を『転ブラ』は考察して
いますね(685さんは専らこの方向で永井さんを理解して、かつそれに批判
的なようですが)。これは、いわば概念が奇跡を包み込んでしまうという方向
ですね(神の存在の存在論的証明のように)。もちろん、逆の可能性もある。
ともあれ、こういうところで、ついゲーデル的とか何とか言いたくなってしま
うことだけは用心しないと。
702考える名無しさん:02/08/04 14:23
>>701
698=700=実はS.K(興味深かったのですいません)

私は蝉風呂さんと違って、問題の鍵は、そこに(アナロジーではない)ゲーデル問題
が現れていることを認めるかどうかにあると考えています。認めない立場にも正当な
理由があるということも理解しているつもりです。さまざまな問題において議論が分
かれるのは、本質的にはそのことに関わっているものが多いと考えます。私がゲーデ
ル問題だと考える理由は、すでに記した事の含意に過ぎず、改めてのべることは粘着
質になってしまうので避けたいと思います。たぶんわかる人にはわかり、わからない
人にはわからないという結果にならざるを得ないでしょう。数学であるという偏見を
抱かない事は大切だとは思いますが。

ただ、蝉風呂さんにではなく、その他知らざる人に対してですが、注意を喚起したい
事があります。私の考えでは、かつての柄谷さんや一部のディコンストラクションの
人たちは、確かに完全に間違いとはいえないものの、やはり間違いを犯したと思いま
す。ちゃちなディコンストラクションが最終的にむなしさしかもたらさなかったのも
そのためと思われます。かれらは、ゲーデルを読み、形式化(論理化)の果てに決定
不能に陥り、体系が崩壊するという筋書きを立てた様子があります(この解釈には私
の偏見も入っています)。それはやはり間違っています。ゲーデルもそんな事を言い
たかったのではないでしょう。むしろ、論理の果てにおいて、我々は(個人的に)直
観を働かせている事を見出したというべきだと考えます。その意味で、分析哲学が可
能世界意味論に踏み込んだのは賞賛できることと思います。もちろんそれ(直観)は
論理的に無根拠だということは可能でしょう。しかし、私に言わせればそれも間違っ
ています。直観(感性)には(個人的には)「論理的でない根拠」があるのです。そ
の「論理的でない根拠」の存在を否定する事ことこそ論理的でないといえると思って
います。もちろんこれは論理の果てでの話です。
703考える名無しさん:02/08/05 13:54
このスレって、むずかしい哲学的議論をちゃんとやってるんだね。
珍しいね。感心感心。
704考える名無しさん:02/08/05 21:07
>>702
<私>の問題に関して、ゲーデル問題云々というのは結局アナロジーにすぎないのでは
ないでしょうか。ゲーデル問題というのは不完全性定理で示された、自然数論を含む
形式的体系における決定不能命題の存在の事を指しているのだと思いますが、この証明の
議論を抜きにしては定理を眺めるだけではアナロジー(それもごく表面的な)としてし
か語れないと思います。ゲーデル自身の証明では、命題の証明過程を算術化することにより
自分自身の証明不可能性を表す命題を体系内に構成してみせたのですが、このような議論は
<私>に関する議論とは全く性格を異にすると思います。
仮に、自然言語の形式的意味論をどのように構築してもその中で<私>が持つ性格は
決定不能命題と同様のものであることを示すという事ならアナロジーでない
ゲーデル問題が現れてると言えるかもしれませんが、例えそのような議論がなされても
それは《私》についての話になってしまうのではないでしょうか。

それから>>700で指摘されてる「現実世界の奇跡性」については、私も同感です。
中心化された可能世界論なら<私>と《私》の拮抗関係について充分な説明がなされるかも
しれませんが、それは問題が現実主義と可能主義の拮抗関係に移るだけであり、
<私>の奇跡性が<現実>の奇跡性に言い換えられるだけなのではないかと疑っています。
705考える名無しさん:02/08/06 01:32
>>704
質問がありましたので答えてみたいと思います。
ゲーデルの問題は自然数論にだけ限定されるものではありません。たとえばスマリヤンの『ゲーデル
の不完全性定理』などに示されています。わたしのゲーデル問題の理解は、スマリヤンに負っている
ところが多いと思います。

<私>の問題に関して言えば、実際は「<私>の存在」を記述できない(伝達できない)という事実が
逆に独在性を示しているという構造があります。つまり独在性がある限り、それは伝え得ない(記
述できない)と考えられます。それをゲーデル問題といっているわけです。つまり「この<私>の存
在」は証明する事も反証することもできません。しかし、疑いえない直観によりその存在は真であ
ると確信します。別にゲーデルの名前を出さなくてもすむところをあえて出したのは、直観が働い
ている事を強調したかったがためです。そして直観が働いているという事実は、言語ゲームのあり
ようの分析、事実からもわかるということをいいたかったがためです。
もちろんこの直観が働いているのは、他者も同じと思われます。言語を情報処理と直観とをあわせ
て理解(誤解?)しているのだと思います。これは、理解には「気づき」が絶対必要だというペン
ローズの主張ともつながっています。
この意味で、704さんのおっしゃっている事には、わたしは特段の対立点なく同意できます。

もちろん、これが永井さんの言いたい事だといっているわけでは全くありません。この問題だけです
と、このスレにも出ていますが、それは言葉の問題(記述の問題)ではないかということにもなって
きます。そうとらえることが必ずしも間違っているとは言いません。しかしそうしてしまうと、直観
のみにより<私>はとらえることが出来るという事実を遠くざけるような気がします。そして永井さん
の議論で重要なのは、その<私>のありようについて考察を突き詰めた事だと考えます。

ここからは必ずしも永井さんの考えている事とはちがうかも知れませんが、私の考えでは、上記の言
語ゲームの事実は、物理的事実でもあるということです。永井さんの議論が他のものと違って見えた
のはその点です。独在性の物理的事実です。これが恐らく、言語分析を重んじる哲学、そして客観性
を重んじる物理学が、それゆえに気づきにくくしているものだと思います。そして私の関心にとって
は、直観の由来というのを考えるに当たって、ゲーデルの議論(それはまたペンローズの議論でもあ
るのですが)が重要だったのです。
706 :02/08/06 12:43
>しかし、疑いえない直観によりその存在は真であ
>ると確信します。

なんで疑いえないわけ?
707 :02/08/06 13:36
>705
あんたもしつこいね。新スレ立ててやってよ。そのほうがお互いにとって良いと思うよ。
708考える名無しさん:02/08/06 17:53
<私>は世界を始めて開く視点そのものなのですから、
直観とか概念とか、そういった種類のものとは、根本的に違うものだと思います。
だから、この問題は、残念ながら、特殊です。
まったく特殊です。
それゆえ、たぶん、解決不可能でしょう。
だから、存在もしないと「言いたくなる」人が多いと思いますよ。
悲しいことですが。
709考える名無しさん:02/08/06 22:30
>>708
直観という言葉の使い方がわるいのかもしれません。「そうある」ということです。
たぶん、とらえているものは同じだと思います。ただ、なぜそうあるのかはまったく
わからないのですが、どうあるのかはいくらかは考える事が可能だと思っています。
だから、特殊という形で言いたくないところがあります。何を解決というかにもより
ますが、解決不可能とも思いません。不可能であっても悲しくなる理由もわたしには
ありません。そこが違いかもしれません。
>>706 「個人的」ということを重ねて申しておきます。ご指摘どおりもうやめます。
710708:02/08/07 10:19
>>709
理解しました。「そうある」ということですね。

ところで、誰か、「直観」という語の意味を教えてくれませんか。
哲学で使う「直観」って「直感」とは違うんですよね?
空間が直観の形式だ、とかいわれてもピンとこないのですが。
711考える名無しさん:02/08/08 17:15
>>710
岩波の「哲学思想事典」に渡辺二郎の解説があるよ。
要するに、論証を通してではなく、じかに分かるということではないかな。
すべてが論証ということはありえないから、じかにわかるということは確かにあるでしょうね。
空間について言えば、時間もだけど、それを直接知っている人にしか、説明しようがない、
ということではないのかな。
しかし、時空の直観には普遍性がある。
で、話はちょっと逸れる(というか本筋に戻る)けど、
永井という人は、そういう意味では直観主義的な哲学者(例えばベルクソンのような)ではなく、
どちらかといえば、はっきりロゴス派だと思うけど、
哲学というものの普遍性をかなり自覚的に否定している、という点で、
多くの(殆どすべての?)他の哲学者と対立する見地に立っているように思う。
ある特定の哲学はある特定の種類の人にしか意味を持たない、とはっきり言っているから。
そういう哲学観は、あまり例がないように思うけど、どうかな?
712考える名無しさん:02/08/09 11:02
《哲学の気》の「哲学」の項目は、まえに中田さんが感動してたけど、
よく考えると、あまりにも異様な哲学観だと思うね。
あれだと、自分で子どものころからその問題が気になって考えていたら、
問題の中身が何でれ哲学ということになるし、
着に、哲学的問題とされているものににつて、大人になってからま
713712:02/08/09 11:15
訂正:『哲学の木』です。
続き:大人(大学生ぐらい?)になってから、哲学を知って興味を持ち、
それを勉強することによって哲学をするようになるということはできないことになる。
そうすると、多くの「哲学者」は哲学をしていないことになるだろうし、
そして今でも意外に多くの科学者哲学をやっていることになるんじゃないだろうか。
この帰結を永井は喜んで受け入れるのかもしれないけど、
『哲学の木』の序文の言い方で言えば、あまりにもプラトン的で、
アリストテレス的要素を無視しすぎているようの思えます。
714考える名無しさん:02/08/09 22:52
ウィトゲンシュタインもかなり異様だ 特に論考以降 好きだけど。
715考える名無しさん:02/08/10 12:03
凡庸であるよりは異様であるほうがいいよ。
哲学の世界に、もっともっとはるかに異様な人が、もっともといろんの方向で、たくさん出てくればいいのに。
このごろ、こじんまりした優等生のなれのはてみたいなやつばかりだからな。
ほんとにつまんないねえ。
このままじゃ哲学なんて、近い将来、消滅すると思うよ。
716 :02/08/10 13:09
>よく考えると、あまりにも異様な哲学観だと思うね。
>あれだと、自分で子どものころからその問題が気になって考えていたら、
>問題の中身が何でれ哲学ということになるし

異様じゃなくてたんに幼稚なだけだって。(笑)

717 :02/08/10 13:12
 大半が軽薄なジョークであればあるほど、ジョークと哲学問題の連続性が
実感される。
「だれでも……「いかに生きるべきか」とか「自分とは何か」と
いった疑問を抱く(と思う)が、一度このような疑問を抱いたら、それを解
決しないまま一生を終えるのは不幸だと感じるのではなかろうか。ナンセン
スのもっている深刻な見せかけと闘い、できればそれを笑えるような形にし
てみせること、これが哲学の役割ではないかとわたしは思う」。
なるほど、この一節はジョークではなかろう。
 ナンセンスをシリアスな本当の問題として奉り直す反動的揺り戻しが、
今日の日本の哲学界に起こりつつある。右の著者の言葉を私は勝手に、
永井均の<私>論への批判として受け取ったのだが、さてしかし……、
やはり本書は、ただのユーモアエッセイ集ではなく、哲学批判の書として
読むべきなのだろうか?
               三浦::土屋賢二『人間は笑う葦である』書評
718考える名無しさん:02/08/10 14:02
意味不明
719715:02/08/10 21:31
>>716
幼稚でも何でもいいから、みんながもっと異様なことをどんどんやればいいと思うね。
(笑)ってるだけよりは、幼稚なら幼稚を徹底的に突き進むほうが遥かに面白いから。
ほかにもっともっと、別方向に徹底的に幼稚な哲学者がどんどん出てくればいいのに。

>>717
ナンセンスだろうと、シリアスだろうと、そんなことはそれぞれ好きなようにやればいいじゃん。
「反動的揺り戻し」なんて、ポストモダンの時代のレトリックじゃるまいし。
反動なら反動で、そんなこと全然かまわないじゃん。反動の何が悪いんじゃい?
もっともっと反動的な哲学者がどんどん出てくればいいじゃん!
720考える名無しさん:02/08/10 21:43
幼稚かどうかはかんけいないぞ。
哲学はもともとある人間の能力を細かく分類しているだけだ。
しかし最後に至った地点では、その能力「そのもの」の破壊力は研ぎ澄まされ
ているのではないか、、、、、と私は思う。根拠は無いが。
721考える名無しさん:02/08/10 21:58
っていうか、まえから思ってるんだけど、
三浦さんって、永井って奴のことをちっとも分かってないんじゃないかなあ。
なんか、大まじめで非論理的な、むかしの実存主義者みたいなもんだと勝手に決め込んでる。
はっきり言って、永井のレトリックに騙されまくりって感じがする。
三浦さんの方こそ、意外に幼稚なんじゃないだろうか?
騙されてない者の目から見れば、永井という人は、幼稚でもシリアスでもなくて、どう見たって相当に老獪な奴だよ。
(馬鹿な人のために注意:もちろんこれはぜんぜん批判ではなく擁護論ですよ)。
722知識ない:02/08/10 22:02
私は三浦も長居もしらん
723考える名無しさん:02/08/11 09:09
っていうか、まえから思ってるんだけど、
三浦さんって、永井って奴のことをちっとも分かってないんじゃないかなあ。
なんか、大まじめで非論理的な、むかしの実存主義者みたいなもんだと勝手に決め込んでる。
はっきり言って、永井のレトリックに騙されまくりって感じがする。
三浦さんの方こそ、意外に幼稚なんじゃないだろうか?
騙されてない者の目から見れば、永井という人は、幼稚でもシリアスでもなくて、どう見たって相当に老獪な奴だよ。
(馬鹿な人のために注意:もちろんこれはぜんぜん批判ではなく擁護論ですよ)。
プッ
724考える名無しさん:02/08/11 11:12
>>721(723)
老獪ってずる賢いという意味ですか?
あんまりそんな感じもしないけど。
そんなことより、せっかく「むすかしい哲学的議論を」ちゃんとやっていたのに、
また馬鹿が馬鹿なことを言い始めて(?)馬鹿馬鹿しい話になってしまいましたね。
やっぱり、哲学的議論そのものが読みたいです。
例えば、今まで出されてない問題としては、
《私》という概念(<私>ではなく)はどういう地位を占めるのか、とかです。
多世界における複数の<私>のことなのか、それとも統覚原理によって持続するときの<私>のことなのか、とか、
そういう問題です。
もしかして、両方なんでしょうか。でも、両方っておかしくないでしょうか。
そのどちらにしても、その場合の《私》と《今》の関係とか、そういった問題も、すごく興味があります。
永井という人ががどういう人かなんてどうでもいいし、そもそも自分に関係ないじゃないですか。
725 :02/08/11 12:59
>統覚原理によって持続するときの<私>のことなのか

頭角原理によって持続するときの<私>というのはなんですか?
726724:02/08/11 15:21
>>725
あまりよくわかってないので間違っているかもしれませんが、
独在性原理では<私>の時間的持続が説明できないので、
統覚の統一の可能性の条件というのを考慮に入れて、
そこで<私>が持続するといえるようになる。
と、いうように考えられたときの<私>が《私》であるということになります。
で、このとき、人格同一性原理と統覚原理との対立という新たな問題も生じるのではないかと思うのですが、
(統覚のはたらきは世界そのものの時間的持続の構成と一体化しているはずですから)
考えていると、ゴチャゴチャになって分からなくなってしまいます。
727 :02/08/11 16:49
なんか難しい言葉がいっぱいでてきて頭悪いからよくわかんないんだけどさ、

>独在性原理では<私>の時間的持続が説明できないので

時間的持続というのは、例えば、昨日の<私>と今日の<私>が
同じ<私>かどうかってこと?

<私>というのは、定義上唯一なもの、並び立つものがいない存在として
規定されてるんじゃないの?

<私>が並び立つものがない唯一の存在であるなら、
<私>の同一性は問題にならないんじゃないの?

728724:02/08/11 20:43
>>727
ぼくも頭も悪いし、よく理解もしてないので、ちゃんとした説明はとても無理なのですが、
同一性というよりはごく短い持続の条件のようなものを考えたほうがいいように思います。
<私>が唯一者であっても、やはり意識する主体ではある限り持続すると考えざるをえないですよね?
それとも、<私>は時間的にも並び立つものがないのでしょうか?
実を言うと、個人的なそんな感じもしているし、永井さんもはそう言っているようにも読めるのです。
もしそうなら、そうでればこそ、持続を「構成する」条件が独在者の側になくてはならないことになるでしょう。
独在者とそれの持つ統覚原理だけから、そのつど世界そのものを構成する!ということになりますよね?
すごい世界観ですけど、それが《私》であるとも読めるような気がするのです。
だんだん怪しくなってきたのでこれでやめますが、
ぼくはそのことを考えていると、世界のあり方がこれまでと全く変わって感じられてきて、
頭がおかしくなりそうです。もちろん、とても楽しいけどね。
729:02/08/12 15:38
>>728
時間的に離れた二つの〈私〉の同一性は統覚原理が与え、それは人物の同一性
ではなくむしろ世界そのものの同一性の構成(同じ一つの世界が持続している)
によってなされる、ということだろうか? そうだとすると、7行目の「その
つど」はまずくないかな? それが「そのつど」であるといえるような時間は
どこにもないはずだから。それとも、まさにそのことが〈私〉と《私》の違い
だということなのかな?
730考える名無しさん:02/08/12 15:54
バカの集まり
731考える名無しさん:02/08/13 00:09
今なされているような議論ももちろん重要だと思うが、724の意見に反して、716,717より前はさほど馬韓馬鹿しい話でもなかったと思う。
問題は哲学の本質にかかわっていて、途中の煽りを無視さえしていれば、まじめに論じるに値する話題だったと思う。
永井の主張は、直観とか感度とかを重視するといったことではなく、哲学を学習する以前に、<子ども>の頃から、感じていた「素朴な疑問」を哲学の中に持ち込んでよく、出来る限り持ち込むべきだという主張だったと思われる。
これは尊重すべき意見ではあると思う。自分自身の素朴な疑問を哲学の中で生かせる人はそうすべきだし、そういう人も仕事も尊重されるべきではあるから。
そのことが哲学の世界に外部から息吹を吹き込んで活性化させる可能性もあるだろう。実際、哲学史上にもそのような哲学者も多いと思われる。
しかし、だからといってそういう哲学以外は哲学でないというのは誇張にすぎない。誇張は最初の提唱者の宿命としてやむをえないとしてもだ。
哲学を学習し、その内部にすでに存在していた問題に対して論証による解決をはかるのも、立派な哲学であることは疑いない。
現在の哲学に最も影響を与えている哲学者であるクワインが、<子ども>の頃から彼の全体論に結実するような素朴な疑問を抱いていたとは思えない。
だからといって、クワインは哲学者でないなどと言うのは無意味だろう。
(ただしクワインは決して論証的な哲学者ではなく、むしろ直観的な哲学者で、そのことが彼の哲学の大きな影響力の原因となっていると思うが、それはまた別の問題だ)。
728,729のような議論も需要で興味深いとは思うが、こういう問題も少しも馬鹿馬鹿しくはない。
732考える名無しさん:02/08/13 11:22
馬鹿バッカ
733考える名無しさん:02/08/13 11:26
そうだね。
734考える名無しさん:02/08/13 11:53
確かに永井はたいしたことないのにね
735考える名無しさん:02/08/13 12:07
やかましい
736考える名無しさん:02/08/13 12:07
732と733の時間間隔が近すぎますよ。
まず、労を惜しまず、もう少し時間を開けるようにしてみましょう。
そして、単に子供の落書きのように「馬鹿」と書くだけでなく、
今度は、どういう点で「馬鹿」なのかもしっかり書いてみましょうね。
哲学板らしく、それそれの論点に即してね。
ガンバッテね!
737考える名無しさん:02/08/13 12:12
うん、こ
738考える名無しさん:02/08/13 12:13
永井は馬鹿
739考える名無しさん:02/08/13 12:14
確かに オタはさらにバカ
740考える名無しさん:02/08/13 12:17
733と732違う
732と734は同じ
やっぱり永井は馬鹿
741考える名無しさん:02/08/13 12:19
 バカの掃溜めスレ
742考える名無しさん:02/08/13 12:22
736は恥じさらしの大馬鹿なり
743考える名無しさん:02/08/13 12:22
馬鹿!馬鹿とか言う奴が馬鹿てことに気付け。馬鹿!
744考える名無しさん:02/08/13 12:23
永井オタはやっぱり馬鹿
745考える名無しさん:02/08/13 12:26
743
オマエモナー
746永井など知らぬ:02/08/13 12:28
馬鹿がんばる
747724:02/08/13 12:29
無視すればいいといっても、やはり目障りなので、
マジレス以外はやめてほしいと思います。
別に永井さんが偉いと思っているわけでもなく、賛否はそれそれあるけど、
ともあれ、彼の言っていることそヒントにして考えたい問題がある連中が集まっているだけのことですから。
「馬鹿」でぜんぜんかまわないから、いちいち指摘しないで結構。

>>731
基本的に賛成です。(クワインのことはよく知らないのでわかりませんが)
>>728
>まさにそのことが〈私〉と《私》の違い
の「そのこと」って精確にどのことですか?
うまく読み取れないので。
748考える名無しさん:02/08/13 12:30
永井は馬鹿かつアフォ

749考える名無しさん:02/08/13 12:35
永井信者キモイ
750考える名無しさん:02/08/13 12:38
永井も、永井じゃなくても、とにかく馬鹿。
751考える名無しさん:02/08/13 12:43
馬と鹿
752考える名無しさん:02/08/13 12:54
おれと同じ学部のやつで永井信者がいるんだけど
なんかしらなえけど特権意識がすごくてキモイ
被害に遭ってるヤツ多いと思うね おまえだよ
753考える名無しさん:02/08/13 13:10
ヲタバカ
754考える名無しさん:02/08/13 13:19
永井=バカ
755考える名無しさん:02/08/13 13:21
752に同意
それと同じやつ一人知ってる
もしかしたら752と同一人物かもしれない(w
756考える名無しさん:02/08/13 13:59
747は馬鹿
757考える名無しさん:02/08/13 15:12
永井をタきもい
758考える名無しさん:02/08/13 15:38
見てて思ったけど永井読みは信者化し易いのは確かだと思う
759考える名無しさん:02/08/13 15:39
悲しい世界
760考える名無しさん:02/08/13 15:42
otakimoi
761考える名無しさん:02/08/13 15:52
永井ヲタ氏ね バーカ
762:02/08/13 16:29
>>747
あっという間に蛆がわいて、落ち着いてお答えできる環境ではなくなってしまいました。
これが2chなるものの宿命なのでしょうか。
ぼくは、永井についてではなく『転ブラ』について、論じるべき問題はまだまだあると思いましたが、
この環境ではもうとても無理でしょう。
馬鹿とかキモいとかいった単純な価値評価ではなく、議論の内容に即してきちんと把握して論評する、
という当然のことができない人が、一応哲学に興味を持っているはずの人の中にこれほどいるとは驚きです。
とても残念なことです。
論じられていた問題は、決して永井という一人の哲学者に固有の問題ではなく、
古典的にはライプニッツやカントに即しても論じることができる、
そして永井の「信者」などでは決して対象化して論じることができない、
ちゃんとした哲学的問題です。
そのことさえも分からない人たちが多いのであれば、
やはりもうここに来るのは無意味でしょう。
せっかく「むすかしい哲学的議論」がちゃんとできる珍しいスレだったのに残念ですけど。
もう蛆虫どもに明け渡してもいいかもしれません。
763考える名無しさん:02/08/13 16:32
762ガ蛆
バカですな こやつハ
764考える名無しさん:02/08/13 16:34
762は相当勘違いしてるアフォ
やだやだ こんな馬鹿かんちがいばっかで

765考える名無しさん:02/08/13 16:36
762はもうくんな
議論のレベルが下がる下がる
766考える名無しさん:02/08/13 16:37
やっぱり永井ヲタはキモイし選民意識があるウザイやつら
実生活上迷惑なのでちかよってこないでちょ おまえだよ おまえ
767考える名無しさん:02/08/13 16:39
762はフェアのようで選民意識にミチミチた駄文
氏ね
768考える名無しさん:02/08/13 16:42
普通の意味での選民意識はないだろ、奇跡性への共感はあっても。
永井も人間としては立派じゃないといってるし。
769考える名無しさん:02/08/13 16:44

「立派じゃない」という逆説において選民意識全開だろ
やっぱりヲタはウザイし実際 害があるし
770考える名無しさん:02/08/13 16:45
ヲタバカ
771考える名無しさん:02/08/13 16:45
そうかなあw?
772考える名無しさん:02/08/13 16:46
ナガイヲタシネ
773考える名無しさん:02/08/13 16:49
奇跡性への共感は宗教の原点だよ
バカバッカ
774考える名無しさん:02/08/13 16:50
762は とにかく馬鹿
775考える名無しさん:02/08/13 16:50
ゃっぱり永井ヲタはバカで気もイつらの掃溜めですな
776考える名無しさん:02/08/13 16:50
池田と同じで選民と取られがちだけど
心底ではその手の特別さはくだらない
とおもってるような。
777考える名無しさん:02/08/13 16:53
ナニガ「ような」ダ
バーカ
778考える名無しさん:02/08/13 16:54
推測だからな。誠実なのさw
779考える名無しさん:02/08/13 16:54
「心底では」とか「ような」とかがあやしいな
780考える名無しさん:02/08/13 16:55
やっぱヲタはバカ
781考える名無しさん:02/08/13 16:57
だから誠実さの現れだw
それに私は永井や池田は人間としては
苦手な部類だぞ。
782考える名無しさん:02/08/13 17:02
しかし、まあ、そうは言っても、
人のことを「バカ」とかばかり言っていても仕方がないのも事実ですな。
783考える名無しさん:02/08/14 00:08
>>762
ぱっと見蛆が沢山湧いたように見えるかもしれないけど
良く見てみればスレを汚してる蛆虫はこの一日では
一人かせいぜい二人くらいだよ。

ま、いずれにせよここは多数決が成り立つ場所なわけでもないのだし。
問題を理解していないような書き込みが幾ら多くても、
それで理解されるべき書き込みがかき消されることはないし、
消されない限りは問題を理解する人にはきちんと届くのだから、
この環境を気にして去る必要はないんじゃないのかな。
784考える名無しさん:02/08/14 08:46
また蛆がでてきたな
785考える名無しさん:02/08/14 08:58
さらにバカの信者化が加速してるな
害虫の集まり
786考える名無しさん:02/08/14 09:56
783は永井ヲタのグロテスクかつバカな選民意識がよくみえて興味深いですな
結局ヲタはこの程度 バーカ
787考える名無しさん:02/08/14 09:59
762はカントもライプニッツも読んでないくせに 無理するな ぷっぷっ
788考える名無しさん:02/08/14 10:01
 バカな永井教信者がミサに集まるスレはここでせうか
789考える名無しさん:02/08/14 10:07
永井ヲタはキモイにぁ
ご都合主義者だし
痛いとこ突かれるとすぐ蛆よばわりだからなぁ
頭悪いのに バカは無理するな
790考える名無しさん:02/08/14 10:08
おたきものはきだめ
791コギャルとHな出会い:02/08/14 10:21
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792考える名無しさん:02/08/14 10:25
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やだやだ
793考える名無しさん:02/08/14 12:45
 
永井ヲタはバカ
794:02/08/14 20:29
>>783
よけいなことを言わずに、
すっきり明け渡してしまえばいいのに。
もう、そうしましょうよ。
蛆虫たち(一人?)だけの天国にしてやりましょうよ。
よけいなお節介はやかずに。
そのほうが面白いじゃないですか。
795考える名無しさん:02/08/15 00:57
永井均って西川きよしの弟子だよねぇ?
796考える名無しさん:02/08/15 08:57
永井ヲタキモイ
797考える名無しさん:02/08/15 21:47
>783
ほっときゃいいんだよ。こんな夏厨。
あいてにするだけ無駄。
798考える名無しさん:02/08/15 22:50
>>783 
9/1になれば、また落ち着いてくるでしょう。

ちょっと、永井スレでは評判のあまりよくない、「マンガは哲学する」の中から、
ひとつだけですが、私の関心を書いてみたいと思います。
(本当は、吉田戦車の作品に基づく言語ゲームの問題が、私的にはおもしろいのですが、
 ここは、<私>についてのスレなので、下記にしました。)

第2章 私とは誰か 1.死んだのは誰か−萩尾望都「半神」
シャムの双生児として産まれた、頭が弱くわがままな妹のユーシーと
醜いが頭の良い姉のユージー。姉は妹を、嫌悪している。で、13歳のときに、
これ以上同体で生きるのは栄養供給が難しいので切り離すことになります。
手術後、自分で栄養分を補給できない妹のユーシーは、ひからびて姉のユージーのような
外見になります。そして死ぬ。姉のユージーは健康を回復し、かつての妹ユーシーのような美貌になる。
いったい私は誰なのか?鏡の中の「ユーシー」に向って、
「愛よりももっと深く愛していたよおまえを。
 憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよお前を。」
と語りかける。

というようなストーリーなのですが、その、
 ※語りは、ユージーの視点から語られ、絵は、神(読者)の視点から描かれる
799798:02/08/15 22:51
(続き)

この語りと絵の視点の乖離は、映画やマンガでは通常の手法として用いられる訳ですが、
私の関心は、
 ※このような、語りと絵の乖離は、(例えば、遠近法の発明のように)いつ発明されたのか?
 ※このような話を読むとき、読んでいる私は、ストーリーの中の「私」に対してどうのような立場にたっており、(感情移入など)
  そして、何を理解したと考えているのか?
といったことを、言語ゲームの拡張として考えることはできないのか? といったことです。
もしかすると、映画やマンガでストーリーを語ることが確立し、話者と映像の視点が分離することに違和感がなくなったとき
このことが知らず識らずのうちに思考実験の役割を果たし、<<私>>を媒介に<私>を理解してしまわせてしまう?
あるいは、<<私>>を媒介に<私>を理解することができる背景があって、視点の分離を受け入れられる?
というようなことを、ときどきツラツラ考えています。

なお、第1章でとりあげられている、吉田戦車を始め、ここで取り上げられていることをもとに
いろいろな思考が可能になるという意味では、「子供のための哲学」で述べている、哲学を始めるための本
としては、むしろ、この「マンガは哲学する」は格好の材料になる気がしています。
800考える名無しさん:02/08/16 11:04
最近知ったんだけど、永井氏は社会学の大澤真幸のことべたぼめしてるんだよね。
大澤に較べれば他の論者はちまちましているとかいってるし。
誰も大澤の異様さに驚いていないのは不思議だとかもいってるし。
801考える名無しさん:02/08/16 12:08
たぶん、『〈子ども〉のための哲学』のような本で哲学を知っていたら、
哲学なんかに興味をもたなかっただろうな。
しょうがないか、教科書に『はじめての構造主義』が採用されるくらいだから。

こまったもんだよ、最近の日本の哲学・思想界は。
802考える名無しさん:02/08/16 12:09
まったくもって、ひでえ世界だ。
803考える名無しさん:02/08/16 12:11
?801は何を言いたいの?
804考える名無しさん:02/08/16 12:18
>>801
ちるちるみちる。
805考える名無しさん:02/08/16 12:19
永井均なんか読みたくないといいたのさ。
806考える名無しさん:02/08/16 12:21
>>800
大澤とは誰ですか
くわしく教えてください。
知ってる人ならだれでもいいけど
807考える名無しさん:02/08/16 12:24
やっぱり永井は駄目ですか?
808考える名無しさん:02/08/16 12:37
永井が嫌われるのはしかたないんでしょうか?
809考える名無しさん:02/08/16 12:42
顕教と密教に分かれているからだと思う
だけど、このスレの住人はみんな明晰であろうとしていると思うし、
永井の片言節句を盲信している人はいないと思うし
ちゃんと、距離を取っているんじゃないかな
810考える名無しさん:02/08/16 21:08
>>808
顕教と密教ですか、なかなかうまい比喩ですね。良い感じです。
811 :02/08/16 23:46
顕教と密教という比喩は全く的外れだと思います。
明晰であろうとすること と 盲信すること というのはまあ、わかります。
でも自分が今考えているのか、それとも信じているだけなのか、というのは
なかなか難しい問題ですね。
812考える名無しさん:02/08/17 13:07
>>798
798さんの関心をもたれていることと一致するかどうかわかりませんが、話を受けて
ちょっと思ったところを書かせていただきます。

そのまんがの実際の展開は知りませんが、ストーリーの続きとして次のようなこと
を考えました。
1.次のページで私はユージーであることに突然気づく(絵が書かれている)。
2.その次のページで私はユーシーであることに突然気づく(絵が書かれている)。
3.そのまた次のページに絵ではなく文字で「なんちゃって」と書かれている。

3に至って読者は混乱する(なんちゃってってどういうことだよ!)。

意図的に説明抜きで考えている項目をいくつか列挙。
(たぶん、おなじようなことを考えた人は過去にもたくさんいるでしょう)
@見ていることに強く影響はされるが、根本的には見ていることと独立にものごと
 を考える事が出来る。
 (歴史的なことはわかりませんが突然気づいたのかな)
A理解には「受身」の要素が常に色濃く漂っている。受身は絶えず起こっているが、
 受けたとたんに経験になり解釈を可能にする。理解と解釈の違い。
 (受身といっても共同体うんぬんとはちょい違うことを言いたいのですが・・・)
B「受身」は日常的には(悪い意味ではないが)隠蔽されがちだが、いくつかのこ
 とが存在を感じさせる(ことに突然気づいた)。
 1つは言語ゲームで、わたし(あるいは他者)にかんすることがらによく現れる。
 もっとはっきりわかりやすいのは時間で、時間はただ流れるだけで、完全に受身。
 (このふたつをならべることは、こじつけ以外には見えないが、はたして・・・)

すでにツッコミを入れたくなっていると思いますが、お察しのとおり、このような
問題は、早急に考えてしまわないほうがいいと思わせるところがありますので(変
な方向にフォークがすっぽ抜けるかも)、この辺でとりあえずおしまいです。
813809:02/08/17 15:50
>>811
自分が今考えてるのか、ただ信じているだけなのか

という意味もこめて顕教と密教という言葉を使ったんですが。
全く同じじゃないにしても、少しはかぶるとおもうのですが。
顕教密教の比喩を全否定されたのに
自分が今考えてるのか、ただ信じているだけなのか
ということを811氏がいうのは少し納得できなねます。
別にたいした問題じゃないのでこだわりませんが、


814考える名無しさん:02/08/31 23:04
815 :02/09/01 03:19
>>813
密教とは一般に仏教の中で特に祈祷や呪文などを重視する宗派のこと。
それに対しての顕教とははっきりしたテクストによる教えを意味する。
永井が著作の他に儀式的な催しを行っているのならけっこうですが
そうでないなら単にテクストの読み方のレベルでの問題なわけですから
密教という比喩はずれていると思います。
816考える名無しさん:02/09/03 18:27
正直、永井信者があまりうまくイメージできない俺。
要するに自分探し系の人なのか?または転ブラのE君の低レベル版?
分かるようで分からん。
817817:02/09/03 18:34
今時・・・って思ったけど、ユニクロ買ったと思ってやったらマジすごかった。
これは騙しでも違法でもないよ。

■参加方法■(このゲームの仕組み・紹介含む)
@まず、下記4人の口座に¥1000ずつお金を振り込んでください。
(銀行の自動振込機で振り込みます。4人の口座部分を印刷して行くと楽です)
A次に、このメールをそのまま使って、リストにある4つの口座の一番上を削除します。
 そして一番下にあなたの口座番号を書きます。
 後は、番号を上から順に振りなおします。(こうして順番に上の人が抜けて
 いくので違法性はないと弁護士の方の説明がありました)
Bそれをできるだけたくさんインターネットの掲示板に書き込みして下さい。
 掲示板を見た人がどんどん同じように振り込んでくれます。
 最初の1週間で10件以上振り込みがない場合はもうヒトフンバリします。
C後は、現金¥1000が振り込まれるのを待つだけです。
--- --- --- --- --- --- --- --- --- --- --- --- ---
※一番上の口座を削除するので【法律】を犯さなくて済むのです。
 それだけは絶対に守ってください。
※お金を降り込まないでリストに自分の名前を載せると、上位の人の振り込み確認で
 訴えられたり、いろいろな攻撃を受けてしまいます。
 良心を持って参加することで、みなさんが同条件で収益を期待できるのです。
※参加して2週間を過ぎた頃から降り込み額が平均して増加してきます。
 毎日がとても楽しくなる4千円のゲームに騙されたと思って今すぐ参加してみてください。
 すごい額になって返ってきます。お金が途切れてきたら上記の行動を繰り返せばいいのです。
-------------------------------------------------------------
■リスト■

(1)群馬銀行 高崎支店 普通 1018272
(2)三井住友銀行 天満橋支店 普通 488044
(3)UFJ銀行 浦安パークシティ出張所 普通 5381782
(4)大和銀行 千里中央支店 普通 7376575
818考える名無しさん:02/09/04 19:54
顕教密教はけっこうあってるとおれは思うけどね
819考える名無しさん:02/09/04 19:57
mlk
820sage :02/09/20 22:12
もうすぐ落ちますね
821sage :02/09/20 22:13
「これがニーチェだ」は最高ですね
822sage :02/09/20 22:18
僕は最初にウィトゲンシュタイン入門を読んだのです。
もちろんウィトゲンシュタインに入門するために。
その時はそこで語られている独我論を理解できませんでした。
823sage :02/09/20 22:26
その後しばらくしてこのスレを読んだのですよ。
<私><私><私>・・・最初は軽い嫌悪感を覚えました。
しかしその議論のまじめさに次第に引き込まれ、「子供のための哲学」を購入しました。
そして現在に至る。おわり。
824sage :02/09/20 22:32
つまり永井さんの著作を読むきっかけになったこのスレが落ちていくのを見て
なにか書き込んでおきたいと僕は思ったのです。ゴホゴホ。
もちろんsageですので御安心ください。さようならみなさん。電パンチ!
825age:02/09/22 10:54
試しにageてみます
826考える名無しさん:02/09/22 14:12
思ったのだが、このスレの中田さんは
実は時間論者の青山君だったら、どうしよう。
ほら、青山君ってサッカー選手の中田に似てるでしょ。

しっかし、「マンガを哲学する」はつまんねえなあ。
827798:02/09/22 15:16
>>826
あなたにとってはおもしろくないかもしれないが、
私にとっては、おもしろい。
828考える名無しさん:02/09/23 01:00
>827
すまん、正直>826に同意。
マンガ読みとしての感想も含むが、あの本はツマランと思う。
829798:02/09/23 02:52
>>827 は、ある書籍のある一文のパロディでした。スマソ。
830考える名無しさん:02/09/23 11:38
マンガのことなんか忘れて、純粋に哲学書として読めば、あれはすごく面白い。
まだ展開されていない論点が満載されてるし。
青山の時間論といちばんリンクしてるのもあれでしょ?
831考える名無しさん:02/09/23 11:39
そうかなぁ
832考える名無しさん:02/09/23 11:51
哲学書かよ あれが
まぁまぁおもろいとは思うけど
833826:02/09/23 13:02
あれは、漫画の評論としても粗雑に過ぎるし
哲学書としても水準は低いんじゃないか?

ところで、永井の問題が持っている構造は、独在性以外の
領域ともリンクしていると思われるんだが、その辺、どう思う?

例えば、上にあったゲーデル問題や、他にも固有名や
主客の相克など、実質こそ違えど、その
構造を共有してる問題群があると思う。
834考える名無しさん:02/09/24 08:23
そんなこといったらみんなそう。
どくザイ論とニヒリズム論でいいけどね 
この二つが卓越してるけど、他はべつにとくに永井を持ち出す必要あんのかなぁ
835考える名無しさん:02/09/24 23:53
>>826
独在論以外の論点は、全然おもしろくない。
あと、「つまならい」って連呼する「だけ」なのは、鬱陶しい。
836考える名無しさん:02/09/26 15:16
>>833
だからそのことが『マンガは哲学する』に書いてあるじゃないですか。
独在論と時間論のつながりがはじめて書かれたのはあれでしょ?
これまで誰も言ったことがないことで、まだだれも論評さえしていない(と思う)。
本質は、世界の連続性を何が成り立たせているか、という問題だと思う。
あの本で独在論は一例にすぎないということがはわかる。
837考える名無しさん:02/09/26 15:22
> これまで誰も言ったことがないことで、

自分の勉強不足をかえりみずこういうこと言うのだけは感心せんなあ
838考える名無しさん:02/09/26 15:40
それは永井オタの得意技
839考える名無しさん:02/09/26 16:13
>>837
それを言うなら、だれがどこで言ったのかをちゃんと言わなくては。
それが言えないなら、感心せんのはきみだぞ。


840考える名無しさん:02/09/26 16:27
なにか勘違いした教えて君が痛い
841考える名無しさん:02/10/01 14:55
また、オマエか!!
842考える名無しさん:02/10/02 06:27
マジレス
843考える名無しさん:02/10/19 13:25
人気なくなったね
844考える名無しさん:02/10/23 00:32
一周年か。さげ
845考える名無しさん:02/10/24 09:43
>独在論と時間論のつながり

これは昔からあるんでないかな?インド哲学とか。
量子力学の多世界論とかも深く関わっている問題では?
846考える名無しさん

考えている問題自体をけなすつもりは全然ないけどさ。
はじめて俺が考えたみたいなのはちょっとな。
永井も信者も謙虚さが・・・以下略。