解体しなくていいから、
スキャンした本文載せてくれ。
宣伝のためにわざわざスレを立てる時点で、もういやん。
>2
『天馬空を行く』の解説を載せましたが、どうですか?
5 :
考える名無しさん:01/09/20 21:19
HPを広めたいならいろんなスレにリンク貼ればいいじゃん。
柄谷スレ多すぎるよ。
6 :
考える名無しさん :01/09/22 00:17
まだあpできねーのか?
>6
pとは何でしょう?
8 :
考える名無しさん:01/09/22 12:39
makorinさんあなたが何者かは分らないが、
『天馬〜』の解説はありがたかったです
10 :
考える名無しさん:01/10/08 18:14
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 俺をこんなとこに入れてただで済むと思うなよ!
\_________ __________
| / \, ∨ ,|| .|| .|| .|| .|| .||
,, ,,, ,,,, |  ̄ ̄~~ , || .|| .|| .|| .|| .||/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,, ,,, ,,, | _____ ,, || .|| .|| .|| .|| .||| 柄谷なんぞを宣伝するからだ!
| ,┃‖‖‖‖┃ ,|| .|| .|| .|| .|| .||| 愚か者め、獄門張り付けだ!
,,,, ,,,, , | ,┃‖‖‖‖┃, || .|| .ii‐ii‐ii‐ii\___ __________
,,,, ,,,, , |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ || .|| .ll .|| .|| .|| ∨
| ,, ,,, || .|| .|| .|| .||=||D ∧_∧
, ,,,, ,, |___∧ ∧,,,,__||_,||_,||_,||_,||_,||_____________(・_・ )
/,, ,,, ,(,,゚Д゚) ,, \|| .ll .|| .|| .|| ( )
/ , ,,, , ,,,/
>>1| , , \!!、|| .|| .|| | | |
/ ,, \(___ノ , \!!、|| .|| (_(__)
/ ,, ,,, ,, ,, \!!、||
/,,_________________,,\!!
11 :
考える名無しさん:01/10/08 18:18
おまえ柄谷行人の研究しててこんなくだらないことしかできないことを
辱めよ。頭悪いくせにいきがってんじゃねえよ。市ね
12 :
考える名無しさん:01/10/09 05:29
makorinさんのHPを頑張って探しましたが『天馬空を行く』の解説がどうしても
見つからないのですが。
なんだか気になってしようがないです。
有り難うmakorinさん。
感謝感謝です。
評判良いよ。精神科医の鼎談がね。浅田が全然しゃべらないから。
あんなに喋らない浅田も珍しいって評判。
久本福子は『柄谷行人論』で、『内省と遡行』論を
書いてましたが、読解、議論のレベルとしてどうなんでしょう?
おれは好きだけど、やっぱ神秘主義者あるいは隠れ神智学者のたぐいだとおもうわけよ。
かならずしも否定的な意味で言うのではなく..。
最近の、これは予言ではない。とか読むとね。
失業率が上がり、不安が増している。
にもかかわらず、資本主義を信じて
いる人たちがいる。
他方、柄谷は失業は社会民主主義でも
解決可能というが、それすら出てくる
気配はない。
結局、失業者は戦争で処分されるだろう。
NAMという「戦後」の約束の地は
夥しい戦死せる失業者の死体の上に構築
されるだろう。
そして柄谷は新たなる『死霊』を書くこと
になるのだ・・・
マルコーニ Guglielmo Marconi
サバティーニ Gabriela Sabatini
マルディーニ Paoro Mardini
パンターニ Marco Pantani
柄谷 Kojin Karatani
どこが好きかっていえば、個人的だけど、怒りのツボが一緒のところ(藁
>明治=昭和平行説もあったし、
私も内心はそう思ってる。
昔のある一時期にオカルトに走っていたのは
あんまり言及されませんね。
24 :
あほあほガール:01/11/04 04:41
されてるよ。奥さんが「冥王まさこ」とかいう占星術師だったんだよね。
25 :
あほあほガール:01/11/04 04:42
村上ドラゴンと坂本ドラゴンとの鼎談でオカルってたって時分で言ってるよ。
具体的には、彼はどんなオカルトに走ってたんでしょう?
えっとね、チベット逝って密教をかじって帰ってきた時、
女房だか彼女だかの知り合いが、たまたま集英社刊行の某女性誌の
編集部にいたもんで、その関係で当時の
精神世界ブームのハシリみたいな感じで、雑文をその女性誌に
書かせてもらったわけ。確かそれが発端だったはずで、それから
長い間「チベット密教」のやれ「風のように走る」とか
異常なほどの感知力とか、オカルトめいた修行云々をあちこち書いて、
その内「宗教」でメシ喰うようになってた。
なんだっけ『チベットのモーツァルト』だったっけか、売り出し時の
本は?? 本来、相当なオカルで、いまさらどう取り澄ましてみても
底は知れてんのヨ。
中沢新一(w
>>27
それ中沢新一のことでしょ? 禿しくスレ違い。ココ柄谷スレです。
30 :
考える名無しさん:01/11/04 07:19
じつは、柄谷の宣伝スレよん。
31 :
考える名無しさん:01/11/04 09:14
ネタだろ
32 :
考える名無しさん:01/11/04 10:43
打ちひしがれ弱ってる時、オカルトにすがりたくなる気持ちが
解ったって言ってたな。
占星術を本気で語ってた頃があった。
何か尤も似つかわしくない(w
つまんねーやつらだ。。
34 :
Kurihara:01/11/06 04:03
「健康だからタバコが吸える」とは
ビートたけしさんの名言ですが、
ただ今禁煙中の柄谷さんは健康不安を
感じているようですね。
お大事に。
36 :
考える名無しさん:01/11/17 07:32
37 :
考える名無しさん:01/11/17 08:05
殻谷のアクロバット理論は分かりきったこといってんのに、
その「思わせぶり」な書き方で
かなり得してると思うよ。
初期の文章は読んでもどーってことないのばかりでし
38 :
考える名無しさ ん:01/11/17 09:04
どうして大木こだま・ひびきに傾倒しているのかな?
39 :
考える名無しさん:01/11/17 21:23
>>37 まあ初期のもの読んでどーってことないと思う人は読む必要ないわな
40 :
考える名無しさん:01/11/17 23:19
柄谷が患っていた病気ってなに?
まこりんさん。
「日本がワールドカップ出場を決めたテレビ中継が
韓国で高視聴率だった」という話を、柄谷が書くのと
久米宏が言うのでは違うのはなぜだろう、とは思います。
柄谷は、昔、浅田との対談(ダイアローグ)で
精神安定剤を飲んでた時期があったと言ってたと思います。
エンタツ・アチャコの作家に興味あると
「批評空間」で言ってましたよね。
42 :
makorin:01/11/21 23:09
43 :
考える名無しさん:01/11/21 23:31
>>37 それは君が柄谷の開いた地平でものをみてるから
44 :
makorin:01/11/24 16:14
45 :
考える名無しさん:01/11/26 14:16
ところで、柄谷が「言葉と悲劇」のなかで
なぜ「悲劇」といっているのかわからん
makorinさん、読めないのがいっぱいあるんだけど
48 :
考える名無しさん:01/12/02 21:54
>>47 これ読みたかったんですよ。どうもどうも。
50 :
考える名無しさん:01/12/06 01:09
>32
ダイアローグかなんかにはいってる
中沢新一との対談で
数学的に来世が存在が証明できるとかなんとか言ってた気がする。
その辺は紙一重なのかな。
つーかなんとも精妙な部分なのかな。
福田和也著『甘美な人生』で「柄谷行人論」読みました。
こんなに痛烈な批判、読んだことなかったです。
未だ柄谷ファンなのですが、少し考えてみようと思います。
皆さん、読まれましたか?
52 :
文学界新年特別号:01/12/07 07:19
「入れ札と籤引き」
>>51 読んだ。が、福田の書くものからは、「石原慎太郎を誉めれば思考停止も解除
されるだろう」程度の発想しか感じられないので、つまらない。
柄谷の面白いのは、
>>49のリンク先ように阿部和重に根拠のない可能性を感じ
るところで、文芸評論家としての勘どころは福田よりやっぱ全然上。
54 :
入れ札と籤引き:01/12/07 22:04
55 :
考える名無しさん:01/12/10 18:20
死ね、死ね、ポランニー!
労働力の商品化に反対して、労働力の証券化を
考えたバカ野郎。バイ菌のように有害な考えを
広めた極悪犯罪者
労働力が商品化されているのがいけないんだ。
じゃあ、それを止めるために、個人が労働力を
自由に売れないように、共同体の意志によって
労働力の使用を決定させよう
お前はバカバカバカ。そんなの労働力の証券化
じゃない。中国の農村部で起ってること、見て
みろや。共同体の意志によって、女を嫁として
働かせる。お前は、こういうことを奨励してる
バカ野郎。さっさと死んじまえ
57 :
makorin:01/12/12 23:48
58 :
2001/4/9 UCLA:01/12/18 02:10
59 :
makorin:01/12/18 07:45
>>58 トラクリの英訳本 From Deconstruction to Movement なんて副題が付いて
るよ。
挑発的だね。
61 :
考える名無しさん:01/12/18 10:42
↑講演会のパンフじゃん。
63 :
考える名無しさん:01/12/18 16:15
64 :
柄谷サイトかと思った:01/12/19 01:14
makorinさん、蓮實や安部公房の名前がまちがってますよ。
66 :
2001/3/30-4/1 Princeton:01/12/19 19:59
67 :
2001/3/30Princeton:01/12/21 07:11
68 :
makorin:01/12/21 07:18
↑間違えました。
多和田葉子との対談「言葉の傷口」で、
柄谷が珍しく聞き手になってますが、
理由は、フランクフルト、女性、「批評空間」に
小説を書いてもらったから?でしょうか。
「実」の旧字体なら、僕のDYNABOOKでは
変換できないみたいです。
69 :
makorin:01/12/24 13:11
『柄谷行人初期論文集(仮題)』批評空間社
71 :
「探求V」第18,19回:01/12/27 20:35
あの封印された「探求V」が!
先日ロマン主義うんぬんを語っていた、らげちゃんも必読だ。。
73 :
柄谷行人はここが間違っている1:01/12/28 05:25
1:アームチェアー・アンポロジストを称賛しているところ。
2:民族主義を地域主義からとらえず、帝国=連邦維持派と同一視
しているところ。これでは世界も日本もわかるはずがない。
3:だからコロニアル問題についてまるでわからない。「おらが国」主義者を
嘲笑しているところなど、戦前であれば、朝鮮や台湾の民族主義者を嘲笑
していたにちがいない。ましてや、金時鐘のような苦渋の選択について、
思いはかりようがない。
4:普遍主義が現象としては、帝国としてしか存在しえないことを直視
できない。今ならば、アメリカである。
5:日本がいまだに1930年代のように、世界史的に役割をもっているのだ
などと過大評価している。構造的に類似はあっても、同一性が反復する
はずがない。
まだまだ続くよ。しかし、これは新左翼への批判としても通用できるな。
74 :
考える名無しさん:01/12/28 05:30
75 :
考える名無しさん:01/12/28 05:31
76 :
考える名無しさん:01/12/28 05:37
実際
>>73に反論できるカラタニストはいない。
2chで論争しているカラタニストもいない。
何よりも柄谷の言説を舐めずり合ってるだけだから
免疫がとにかく弱い。
77 :
柄谷行人はここが間違っている2:01/12/28 06:05
中上健次『化粧』(講談社文芸文庫)の柄谷行人解説(「小説の位相」)より
「中上は、いってみれば、前者のようなリアリスティックな空間と、後者の
ような民俗学的な空間とをつなごうとしている。彼は、前者、すなわち
近代的な意識および空間の側から出発し、それを還元することによって
後者にいたるという手続きをとっている」。「『物語』は、いわば現象学的
還元においてのみあらわれるのである。むしろ、われわれが注意しておく
べきなのは、中上が『物語』を、たんに歴史的過去への遡行としてでなく、
現象学的な還元における遡行として見いだしたこと、いいかえれば、
たんに近代への否定としてではなく、近代的な意識の徹底化において
見いだしたことである」。
ここでは、前後者の違いが時間的なもの(近代と前近代)としてしか
見い出されておらず、空間的、つまり社会構造、社会システムの違いと
して見い出されていない。ここが柄谷の弱点。これは風景描写論の根幹にかかわる。
78 :
考える名無しさん:01/12/28 06:47
矮小化した「柄谷」を攻撃してるだけなんじゃないの。
79 :
考える名無しさん:01/12/28 07:42
私信でちょっと長いが
始めからそういう事態になるの予想してたんじゃないのか。
と昨日いおうと思ったがめんどいのでやめた。
その攻撃は、もちろん背後から攻撃するなといったのにしたからやった。
前になんとかクオリアのとこでIHがなんかリンクした時に、有名になるのを非常に嫌がってるようだったのでそうした。結果、あのような反応があった。(つーか、流すなら空白投稿か、一文字でやればいいのに)攻撃の方向性は間違ってなかったようだ。
>>73 論旨がよく分からないのだが・・。
例えば
>1:アームチェアー・アンポロジストを称賛しているところ。
これは具体的には誰?
アームチェア・アンソロポロジストを称賛したから柄谷がダメってのは
もう少し解説希望。
>>78 もち、その通り。柄谷を全否定できるなんて、最初から思ってない。
柄谷の抽象理論については、いまだに一目おいている。でも具体的な
ことを語ると、みるも悲惨という印象をうける。不勉強なんだろうな。
>>80 どっかの対談で喋ってたでしょ。つまり、現地調査とか、そういう
視点がまるでない。これは一笑にふせない。現地調査の欠けた学問は
ある意味で致命的なところがある。とりわけ上部構造の進捗が下部構造に
比較して極端に遅れるような東洋や日本の文脈においては(世俗化の
不徹底)。そういうことをいっているわけ。
レヴィ・ストロースのことかNA。
こういう批判は昔あったYO。日共系から。
>>82 なにをいってるのか、わかんない。ま、俺の説明もわるいけど。
わっかりやすい例でいおう。岡田英弘の「世界史の誕生」を素材に
使う(岡田が学界でどういう待遇なのか、知らないけれど)。中国では
相当に早い時期から、北方の遊牧民が華北では支配者なんだな。唐朝ですら
鮮卑が王族なんだよな。宮廷ではアルタイ系の言葉が喋られてたかもしん
ない。しかし「正史」にそれが反映されねえんだよ。ものを書くという
共同行為(上部構造)は因襲しがちだからさ、なまの事実やなまのものを、
それが真実でも反映できないんだな。東洋ではその傾向が強えんだな。
表現の世俗化(権威の私有化)が弱いんだよ。これが日本にもまだ、いえる
んだよ。それは日本の「正史」にも同じことがいえるんじゃねえのってこと。
84 :
考える名無しさん:01/12/29 15:22
>>83 >>82が言いたいのは実証的な研究者からの、
レヴィ・ストロースの演繹的な方法論に対する批判のことかと。
86 :
考える名無しさん:01/12/29 19:33
というより、たんに、原理遡行的な考察、普遍性をもとめる抽象理論は
事実レベルでの差異を覆い隠してしまう、という指摘でしょう。
まあたしかに、柄谷はレヴィ・ストの構造主義にも影響されてるけど。
87 :
柄谷の間違い3:01/12/29 20:23
たしかに柄谷さん、ありあわせの材料で性急に一般化をするんだけど、
その結果の、「もっともらしさ」ってのは、わかんないんだよね。
柄谷の様々なアイディアに、いちいちは感心をするんだが、
それらを統合してみると、矛盾だらけ。本人も整理していないと思われる。
柄谷の「日本精神分析」にも俺は反対なんだ。日本は漢字に去勢されて
いないというんだが、そもそも中国では官僚語と民衆語とが剥離している。
かれの中国論はあやしい。
韓国は去勢されたというんだが、古田博司によれば、韓国では実質的に
民衆に漢字が定着しなかったからこそ、ハングルに容易に移行しえた、と。
大陸と島、という区別もあやしい。島で国境がないから主体が形成
されないという論には断固、反対する。日本にだって国境はある。
88 :
考える名無しさん:01/12/29 20:44
言説空間というのは、ネット上の空間と同じでまさに抽象的な空間
だから、純粋な理論が物理的な摩擦なしに、通用ないしは流通して
しまうという怖さがある。
日本精神分析については、タイトルを聞いたとき、反射的に岸田秀を
思い浮かべた。
しかし、その抽象的な理論も、いまのようにネットが普及してくると、
そこではじめて、妙に生々しさをもって迫ってきたような感じもある。
その意味で、柄谷は時代に助けられていると思う。
==H======================================================
2ちゃんねるのお勧めな話題と
ネットでの面白い出来事を配送したいと思ってます。。。
===============================読者数:84480人 発行日:2001/12/21
どもども、ひろゆきですー。
こないだのメルマガでお知らせしましたが、警察を相手にしたおいらの勇姿見てくれましたかー?
警察を相手にしても一歩も引かなかったですよー。
いやあ、5月に珍走団に土下座させられて以来、「ひろゆきってヘタレ?」なんて言う奴等が
いるので頑張ってみたですよー。
「得意気に武勇伝を披露する中学生みたいで馬鹿みたい」なんて声も聞きますが大きなお世話ですー。
実を言うと、おいらは企業や警察を相手に勇姿を見せるのは結構得意なんですー。
この連中はいきなりパーンチやキーック飛ばしてくることはないですからねー。
苦手なのはやっぱり珍走の連中ですー。
あいつらときたら、おいらの屁理屈に全く耳を貸しませんからねー。
まったく困った連中ですー。えぇえぇ、、、
ところで今回発売した本の中で珍走団との一件をいかにもクールに乗りきったように嘘を吐いて
しまいましたが、これって奴等の世界じゃ背信行為に当たるんですよねー?
本当は丁重に詫びて許してもらったわけですからー。
もし珍走団がそれを読んで再び乗り込んできたらどうしたらいいんすかねー?
もちろん言い分けは用意してありますけど、言葉遊びに付き合ってくれるかなあ、、、
なんだかちょっぴり不安な今日この頃ですー。。。
それはさておき、最近みんなおいらに冷たくない?なーんか信者だって激減してきたしー、、、
以前はネット王子とかwebヒーローなんて言ってもて囃してくれてたじゃん、、、
それが最近じゃ、ワキガ王子に歯糞オトコなんて、、、ちょっとひどいよー(泣
明日からは頼んだじょ!
んじゃ!
岸田秀というよりも、ラカンね。山城むつみもこの柄谷説を補強
してんだけどね。ラカンの『エクリ』日本語版序文を使って。
ラカンは漢字や日本語を勉強していたというけれど、どうなんだろね、
どのぐらいやったのか。あんまりラカンのその勉強を過大評価
できるかね。
て優花、七十三氏の意見に面白いところがあるとすれば、
「断固、反対」「生々しさ」「東洋」「日本の文脈」といった、
抽象的かつ観念的な断定にあるのだし、「上部構造、下部構造」っていう
具体的なようで観念的な図式に今もって拘りつづける愚直さにあるにゃん。
で、これは「矮小化した『柄谷』」の特徴に似てるにゃん。
七十三氏の意見は何々批判としては鋭敏でもないし、独自の意見としては
普通すぎるのが難点かとにゃん。
>>91 鋭敏さなんて、誇示してるつもりないけどね。そんなにあんたの
癪に触ったのかい。俺は単に柄谷体系を批判したいだけで、
かつ、他の人の批判も読みたいだけでしてね。俺を問題にしてどうすんだよ。
ここは「解体」スレなんだろ。同じようにやってくれよな。
そういう感情的癒着なんざ、興味ないんだけどねえ。
93 :
考える名無しさん:01/12/29 21:59
>>90 だいたい一年生のころからですね。柄谷というひどく不思議
な男がいて、目立たない男で、いつも影に隠れていて、こそこそや
ってて、物もあんまり言わないし、あれが政治運動に使い物になる
んだろうかという、そういうひどくマイナーな印象だった男が、あ
るとき突然大演説をブチはじめて、さなぎが蝶に変貌するように変
貌したんだよね。そんな気がする。彼は理論派というよりは心情派
なんだ。柄谷君は浪花節的というか、ひどく心情主義的に酔ったり
腹を立てたり、いちいちその度に方向が百八十度変わるっていうタ
イプの人でしょう。弁証法だとか存在論だとか、そんなことはあん
まり考えないですむ人らしいんだよ。唐牛(かろうじ)(注:唐牛
健太郎、安保闘争全盛期の全学連委員長)もそうだった。彼は思想
的な本はあまり読んで読んでないんじゃないかな。 歌謡曲と焼酎と
マラルメの詩があればいいというような人間で…そういう意味では、
わりあい僕は古臭い左翼、読書会的左翼でした。僕の兄貴がもう既
に左翼運動をやっていましたから、家にはそういう本がギシギシと
あって、マルクスでもエンゲルスでもレーニンでもスターリンでも
何でもあるわけです。そういう左翼人家庭、今はもうないね。」
>>93 おもろい。笑った。どっかからの引用か?。
>>93 典拠は、中大ブントの三上?。西部ではない。
しかしこれは、遠からず、当たってそうな観察だな。心情派で、180度
変わるっていうのは。
て優花、七十三氏の意見と同様のものが体系的多数派として普通にもともとあるので、
それに対して抽象力でもって、観念的な「生々しい下部構造の実証」を批判したのが
からてゃに的切断というんではにゃいのかにゃ。
97 :
考える名無しさん:01/12/29 23:54
93は加藤なんとかだろ
教えて。加藤だれ?。どの雑誌?。
99 :
考える名無しさん:01/12/30 07:14
>>93 これは柄谷による学生時代の西部すすむ評だろ?
群像か新潮の柄谷のインタビューかなんかの引用で、
「柄谷」のところが「西部」だったような。
あれ?ちがったか?
100 :
Rage@:01/12/30 07:26
加藤尚武による西部評だったと思う。
101 :
考える名無しさん:01/12/30 07:59
>>92 藁。いやいや柄谷に体系なんてないだろう。そこが今まで批判論者達
共通の悩みの種だったわけでさ(野家が体系について言及していたよ
うな)。新作にしてもいずれ放棄することは目に見えている。
102 :
考える名無しさん :01/12/30 10:59
ん?で、結局
>>73のいうことは、レヴィスト云々とは違うのかな?
レヴィの初発の問題意識は、実証的研究に傾きすぎてる人類学において「理論」を構築することだった。
もちろんあらゆる研究対象において経験的妥当性をもつ理論を構築することは容易なことじゃない。
個々の実証的な研究者からしてみれば多くの批判すべき点があるだろうし、事実、批判された。
しかし彼らは、実証的に反証しても理論的に反証しないじゃないか。
そもそも、彼らには理論を構築しようとする意志があるのか。
理論と実証があってこそ科学なのに、人類学にはそれが欠けているではないか、と。これがレヴィの回答。
正直、人類学に詳しいわけじゃないけど、これは社会科学一般に当てはまると思う。理論と実証があってこそ科学、という部分。
ある意味、聞きなれたことではあるが。
一人で理論も実証もできるわけではないのだから、理論家が「ありあわせの材料」で理論化しちゃうのは仕方がない。
逆にいえば、細かな事実関係を見過ごしちゃうことは、理論の宿命。
と、ここまで書いて、前レスみたら
>>73もこのことは一応了解してるようだし、
勉強にもなるから、できればもっと具体的に、秩序だててやって欲しいな、と。
特に、「島国」のとこ、興味ある。
ただ柄谷行人が理論的か、というと何か微妙に違う。やはり思想という感じがする・・
↑あれ?こんなに量多かったか?逝ってきます・・・
あ、ちなみにここでの理論というのは、帰納じゃなくて演繹のことね。
いやあ、秩序だててやってないのは、俺のほうだ・・・
>>102-
>>104 帰納じゃなくて演繹の理論なら柄谷は「理論的」だと思うが。
逆にNAMなんかの場合、山形や宮台なんかの社会学的な「理論」による反論は
全く正しくて、柄谷の言うことはパラノイアックな妄想(これを思想と呼んで
もいいが)にしか見えなかったりする。
しかし、NAM自体は「実践」なんだね。
ひどい結果になるかもしれないし、完璧に上手くいくかもしれないし、修正し
て成功するかもしれないが、いずれにせよ実践である以上、結果が出てくる。
そこが面白いところだ。
106 :
考える名無しさん:01/12/30 18:17
なんにせよ、「原理」というのは、何かを構築するためには有効だが、
ある事象を解明したり分析するのには、そのダイナミズムさゆえに、
事象の差異の細かさに対応しきれない面が生じてくるということだね。
107 :
考える名無しさん:01/12/30 19:23
どっちなんだよ。でも、なーんだ、ひっかかっちゃった。
たしかに加藤尚武の西部評っぽいよな。加藤は
広松全集の月報にも広松のブント関与について、ちょこっと
触れていたよ。
(俺はNAMについては、どうこういうつもりはない。勝手に
やればいいわけで、他人がどうこういう必要はない)。
109 :
考える名無しさん:01/12/30 20:04
いや、
>>102-104がいってるのは、哲学というのは実証的なものではない、ということだよ。
ま、それは置いといて。
>>73は一応
>>102が言ってるようなことを、一応自覚して書いてる?
俗っぽいことをいうようだが、なんで、浅田彰は柄谷殺しをしなかったの?
あれほど柄谷が「エディプス的主体」などと、煽ってんのに。
中上はしているように思う。中上の死後の柄谷の「差異の産物」だったか。
ありゃあ、ひどかったなあ。死人に口なしだよ。中上を勝手に私領化
しちまいやがった。墓の下から呪い殺されないように、柄谷さん、
気をつけたほうがいい。
>>109 そんな難問に俺ごときが答えを出せるかっつうの。
帰納も演繹も必要だけど、この両者が矛盾しかねないからな。
俺は戸谷敏之だとか福本和夫後期は好きだよ。マルキストでかつ
民俗資料を実証的に調べてる。でもそれだって、イデオロギーという
ことになるわな。仮説は先行してんだから。
梅棹氏もね、「つらぬく」と「つらねる」といういいかたをしてるわけ。
かれは「つらねる」に立つ、と。でも一方で、「仮説がないと、
記述にすぎん」ともいってるわけ。アンチノミーなんじゃないの?。
いかん、本音を喋っちまったよ。出血サーヴィスだよ。
>>111=
>>73?しかも=
>>110?・・う〜ん?
ってか、ちゃんと読んでる?
書いてること自体は分かるんだが、全体として何を言ってるのか分からないのは、
俺の頭が悪いからなのであろうか・・・。
>>112 鶴見太郎『柳田国男とその弟子たち』(人文書院)の講読を
すすめる。
>>113 ・・・・。わかりました・・・。(地雷踏んじゃったか・・・)
理論と実証、帰納と演繹という素朴な批判をわざわざするのには、裏がある。
実証「主義」などという人はたいてい理論以前の色眼鏡で資料を漁って作業
してるだけだったり。個人的なこだわりが「主義」となって、理論を欠くこと
の言い訳になったり。理論を欠く実証なんてありえないし、前提にしている
理論が最低のものだったりする。実際、実証主義者はちっとも謙虚ではない。
たいていの一次資料ってたんに材料で、一次的かどうかもあやしい。
116 :
考える名無しさん:01/12/30 22:00
>>110 浅田は柄谷が「父」として君臨してるとは思ってないんじゃないか。
山城むつみが柄谷を「父」と想定してることを批判してたから。
117 :
考える名無しさん:01/12/30 23:11
>>116話逸れるけど、浅田ってさ、消費社会万歳で宙に浮いてフワフワって感じするけど、
もちろんそれは誤解なんだけど、彼自身誤解を招くようなことをやっちゃってるわけでしょう。
なぜそんなことしちゃうかというと、彼のもつ「苦しさ」の反動だと思う。
当然浅田はこのことを自覚してるだろうね。
ただ、「心の底で思ってても言ってはいけないこと」だと考えてるんだろう。
だから「突っ走るしかない」と。このことは「構造と力」の序文に書いてあるね。
とにかく、浅田はすごく誠実な人だよ。(←もうめちゃくちゃだな)
話を元に戻すと、
>>73にいいたいのは「演繹的理論を舐めんな」ということ。
>>115の言う通り。簡単に「現地調査」なんて言うけど、君は「純粋経験」しちゃってるのか?っちゅうねん。
そのことを踏まえた上でなら確かに
>>73の持ってる知識は勉強になるので続けましょうや。
>>116 そうなんだろうね。
でもね、端的に柄谷のいっていることで、間違っているところを
指摘すればよいとおれは考える。そういうことを端的に
やっている人は、案外に、少ない。無視は多いけど。
柄谷の教条主義的言説自体は俺は好きなんだけどね。
なんだ、
>>111は
>>73なのか。
じゃあわかってるんだったら、初めから「柄谷は間違ってる」なんて、
大上段に構えなきゃいいのに。
む?俺がそう思ってしまうのは「柄谷ファン」から脱け出してないってことか?
ま、いいや。とにかく君の知識は貴重だ。続けてくれ。
120 :
117=112:01/12/30 23:28
>>118 すまん。俺のほうが馬鹿だった。
君はわざと大上段に構えて、反応をうかがったわけね。
どうやら、君のほうが一本上だったようだ。
121 :
考える名無しさん:01/12/30 23:32
違う。肯定的な意味よ。
おっちょこちょいさといい、
自己批判といい、
なかなかのものだと思うよ。
それこそ演繹的に、「しっかりと体系的で実証もしっかりやり、変節も無い」のが
いいのだという原則からは、旧左翼系の学者か地味な郷土史家が一番偉いということになる。
数学でさえ時代の文脈から自由な理論なんてものはない。哲学も政治的文脈なしのものなんてない。
時代と関係の無い「空疎な理論」を(仮設して)批判する側にはむしろ政治的立場が色濃くある。
なによりも実証主義は歴史修正主義にほとんど反論できない(実際してない)し、
理論的に内容が似てることが多い。
125 :
柄谷のましなところ?:02/01/02 05:42
1:柄谷がゲーデル問題について考えていたときに、HTMLと似たことについて
考えていたのかな。bbsで煽り(フレア、フレーム)が出るのも広い意味で
ゲーデル問題かな?。意図的な煽りじゃなくても、必然的に(俺のも含めて)
出るものな。(「Inter-Communication」誌座談会で似た話をしていたな)。
ここから柄谷は他者論(「探究」)にむかうけど、これが、俺、わかんない。
むしろこちらが(ユダヤ?)神秘主義っぽい。ここ、誰か、おせえて。
2:去年秋に大滝詠一が活動再開したけど、柄谷、大滝の「分母分子論」を
リアルタイムで読んでる。これは偉い。大滝の問題意識を共有していたかも
しんない。細野に関してもそう。にもかかわらず、下品でへたれの坂本と
「つるん」でいたのはわかんない。
>>124 たしかに俺は「日本回帰」してるかもしんないけどさ、あんたのような人は
無理をしてでも、一度、長期間、外国滞在をして、それから日本を好悪ぬきに
客観視したほうがいい。
y. _
.uz_ .__,ll|yr .,ylllミ′ ___
¨ア ゙^リl厂 _,yz|厂 Wllllzzzzyyyyyzzlllllllllllリミ干
ll! |lll||zzzzyyr .,yillllllリ「⌒
uzWllト .ll| ._ ll| .ll! .ll|′
.ill! .__,lllyzlミ゙ |l| .ll! zllWlWllllzz .ll!
ill|′ア「^lll゙″ ll! llト ..ll| .ll!
゙卅 |l| .,|l| |l| =llミ″ {li,,,
..」l|″ 爻 ill厂 リ .゙゙リlly,_
.i;lllzyyyyyi;||} ゙゙干lizy__
 ̄⌒゙ア干WWllllzzzzyyyyyyy ur ¨^アリllzr
.ill「
llli .{l!
;ll! ..ill″
.lllzlllllll彳 _卅
.|ll. .,zl厂
lll .yl|″
,yyzzzllll|zy .|ll′
ll厂 {l..゙ミ|zy 《|
ll| ll| .|l| ,y
{ly _,yl|「 .|l| _zl|′
゙ア「″ アWWWlミ″
127 :
考える名無しさん:02/01/02 06:58
126
朝からご苦労さん(ワラ
128 :
考える名無しさん:02/01/02 07:13
>>112 書いてること自体は分かるんだが、全体として何を言ってるのか分からないのは、
俺の頭が悪いからなのであろうか・・・。
これはむしろ逆だと思う。
用語法が雑なのと、一見、とっ散らかってるランダムな論旨のように見えて、
立場はけっこう一貫してるような感じ。
「実証」というより著書からの「引用」なわけで、カラヤン的といえばカラヤン的。
でも、問題にしてるところは重要なとこついてるから面白いんじゃ。
(4)柄谷行人 批判
テロ事件後の9月16日に、『NAM』を主宰する思想家、柄谷行人が、テロ事件に
対するコメント『これは予言ではない』を公表した。
http://www.criticalspace.org/special/karatani/010916.html 同文章中で、柄谷は「アメリカは、アフガニスタンを攻撃するだろう。しかし、それは何の証拠もないのだから、たんに、
他のアラブ諸国の間に、原理主義の拡大を招くだけである。」と述べている。しかし後日明らかになったとおり、イスラム諸国の
ほとんどを含む国連加盟国において、その証拠は信用あるものとして承認された。
そしてタリバンを筆頭とするアフガンのイスラム原理主義は、気の毒なほどに駆逐されてしまった。
彼は「これは予言ではない」と言ったが、そのとおり、「誤推測」であることがあとで判明しただけである。
さらにひどいことに、柄谷は、「イスラム原理主義は、資本と国家を「否定」する革命運動であって、
現在の世界資本主義の中から、そして、それに対抗する運動の無能さ・愚劣さから生まれてきたものだ」と語っている。
これは単なるイスラム教に対する無知というばかりではなく、あらゆる運動をマルクス主義的な革命理論の
観点からしか語れない思想的貧弱さを露呈する語り部である。さらに「どうか、皆さん、国家と資本が煽動する愚かな
興奮の中に呑み込まれたり、右顧左眄・右往左往することはやめてもらいたい。」とまで、ご丁寧な添え書きが
付け加えられている。戦後団塊世代以下の誰が、そんな単純な国家と資本の止揚といった、アナクロ革命理論の
ありきたりの図式に右顧左眄することだろうか。グローバリゼーションの問題は、国家も資本もすべて同一の
協力体制にある権力と化すところから生じてくるのであり、さらにそれが国家という境界を越えてボーダーレス化
するその先に、イスラム異文化や原理主義との衝突が発生するのである。
さらに極めつけは、最後の「アメリカ人の多くはすでに発狂している。日本人の多くもそうなるだろう」という、
彼の感情論めいた妄言である。これが日本を代表してきた思想家ないしは知識人の言葉とは、到底思えないのである。
http://lp.jiyu.net/chishikijin.htm
130 :
考える名無しさん:02/01/02 09:09
131 :
阿修羅と比ヤングハケーン!!:02/01/02 10:53
132 :
考える名無しさん:02/01/02 14:18
帰納法と演繹法とでは、帰納法のほうが方法論として有効性が高いのは
賢明なる人々はなんとなくとはいえ察知していると思う。
だが、これをはっきりと証明的に表せないのは、その証明法自体を帰納法で
いくか、演繹法でいくか、という問題がそこにあるから。
さらには有効性だけを人は求めるのではないということもある。
客観的にみれば、すすんで非効率なことを守ろうとするのが人間である。
合理だけでは語れない。
帰納法>自由民主主義
演繹法>原理主義
新左翼は傾向として宇野経済学一本だから、1930年代の講座派-労農派の論争を参照すれば、労農派に近いところがある。宇野も具体的に日本史について語
っているけどね。新左翼は世界資本主義から日本を見るという傾向があるから
演繹的なところはあるわな。講座派は日本の特殊性をみたというよりも、
社会システムの自律性を問題にしている。そこで帰納的になりやすい。講座派
後期はヴェーバーを問題にするけど、新左翼にヴェーバーは必須文献になって
いないらしい。これを観測問題にあてはめると、
外部観測(phonetic)=演繹と内部観測(phonemic)=帰納と単純化できないか。
両方、必要だけど。
レヴィ=ストにからめると、それぞれの状態は函数として比較はできるけど、
そのフレームの外部の問題を変数化できるのかということがある。する努力は
するべきだが、容易にはできない。(でも俺は構造主義を理解できていない
なあ)(長文ですまん)。
134 :
考える名無しさん:02/01/04 20:25
2000年度第3回全統記述模試「国語」一:
柄谷行人『倫理21』カントが第三アンチノミーにおいて
解答・解説の著者紹介:
柄谷行人(からたに・こうじん)は、一九四一年、尼崎に生まれる。
日本を代表する文芸評論家。
東京大学経済学部卒業、同大学大学院英文科修士課程終了。
一九六九年、「<意識>と<自然>――漱石試論」により群像新人賞受賞。
一九七八年、『マルクスとその可能性の中心』で亀井勝一郎賞受賞。
著書に『日本近代文学の起源』、『探求T・U』などがある。
因みに:
国語の受験者数117,784人
平均点32.5点/満点60.0点
頑張れ柄谷!
135 :
考える名無しさん:02/01/04 22:08
村上龍再読が読めないのですが、マコさん・・・
柄谷の60年反復説は、蓮実「物語批判序説」へのレスポンズではないか?。
柄谷には、紋切型に殉ずる覚悟があるのだろう。その覚悟と強度が、鎌田
哲哉などにとっての、真理性なんだろう。新しさは紋切型を通してのみ
ありえるというような・・・。
でもその覚悟は、原典主義であって、修正主義を許さない。その強度に
耐えられないものが、転向者だというんだろう。その態度をユーモアとみる
のか、アイロニーやシニシズムとみるのか、そこに分岐がある。俺は
柄谷のその強度に、ブラック・ユーモアならぬ、ブラック・シニシズムを
感じるんだが、みなさんは、どうなんだろう?。
137 :
「探求V」第12,18回:02/01/08 01:03
138 :
「探求V」第13回:02/01/08 21:54
139 :
考える名無しさん:02/01/09 01:55
スウェーデンボルク好きそうだよな
140 :
考える名無し:02/01/09 03:48
>>137 竹田青嗣は在阪韓国人出身で、相応のシヴィアな環境があるから、
柄谷の理想論に反発をもつのもわからないでないけど、竹田の書き方って
おセンチじゃない?。いってることはわかるけど、読むのにちょっと
恥ずかしい。
141 :
「探求V」第14回:02/01/10 22:10
142 :
「探求V」第10回:02/01/12 23:32
143 :
「探求V」第7,24回:02/01/15 21:18
144 :
考える名無しさん :02/01/16 22:48
スレ違いだけど、スガ秀実について(最近の『早稲田』連載をは
フォローしてないんで御承知を)。
かれは絶対主義以前の事象について語るべき言葉をもたない。
近代や言文一致についてやたらと拘泥しているようだけど、
それが徳川後期の江戸文化の蓄積がないとありえなかったことをは
見ない(そもそも江戸に遷都することも)。
そんでもって議会主義をも否定するもんだから、絶対主義の
国有化論者かよってなことになる。左派がかった山県有朋っていう
ところか?。
145 :
「探求V」第8,9回:02/01/17 01:24
>>145スガの高橋書評批判がweb「批評空間」に出た。タイムリーだね。
俺はスガ氏のおもっているより、日本史はもっと複雑で入り組んでいる
と思うけどね。だから大逆には基本的に反対。
東日本を中心に絶対主義をとるときに(薩長土肥の勝利なんて意味ない。
薩長土肥の下級官僚よりも、幕臣の下級官僚の方がはるかに老獪だった)、
なぜ西日本の遺制、石母田正ならば古代的論理と呼ぶべきもの、を利用
せざるをえないのか、これについてはまだ完全には解明されていないと俺は
考えているけど。(もっとも西欧だって中近東の宗教を利用している点に
おいては類似しているという反論はありえる。しかしここでは詳細には
論じえない)。
ああ、別にスガが「大逆」に賛成していると俺は主張しているわけではないんで、
それを御承知を。スガがやっていることは、「大逆」についてのリアクションの
研究ということにすぎないんで勘違いしないでね。
148 :
考える名無しさん:02/01/17 15:57
高橋源一郎は反論するだろうか(ワクワク
149 :
マルクスその可能性の中心1:02/01/20 08:02
150 :
考える名無しさん:02/01/22 06:38
151 :
マルクスその可能性の中心2:02/01/22 22:08
152 :
考える名無しさん:02/01/25 03:38
ってゆーか柄谷のチャリンコが、うっざーーーい!
もっと端っこ走りなさいyo−ーーー!
すんまそん
153 :
マルクスその可能性の中心3,4:02/01/25 07:34
154 :
マルクスその可能性の中心:02/01/27 00:03
4まで全文載せました。
他者、交通、カント、ヴィットゲンシュタイン、
シェークスピアありです。
マルクスも悪筆だったそうです。
柏の図書館には「政治少年死す」が載った
『文學界』はありませんでした。
156 :
考える名無しさん:02/01/29 09:50
>>129 それ本当だとしたら、イスラムに関する知識無さ過ぎ。
基本的知識の欠片でもあれば、イスラム教において『原理主義(ファンダメンタリズム)』
は認められないって事ぐらい分るのに、それが「広がる」とか言ってる時点でメチャクチャ
言ってる。
何故 イスラム諸国がタリバン支持に回らなかったのかという宗教的な理由も分って
いない。
157 :
考える名無しさん:02/01/29 10:40
スガさんの本を読み始めたいのですが、
皆さんはどの著作から読み始めましたか。
158 :
考える名無しさん:02/01/29 12:25
>>129 原理主義って言うのは「イスラム教では認められない」
とか、そういうものじゃなくて、どこにでも可能態として存在するものだろ。
159 :
考える名無しさん:02/01/29 12:34
>>129 ついでに言えば
>原理主義の拡大を招くだけである。」と述べている。しかし後日明らかになったとおり、イスラム諸国の
>ほとんどを含む国連加盟国において、その証拠は信用あるものとして承認された。
この部分が全くわけわからん。国連で承認されたことが、
なぜ原理主義が拡大しないことの証左になるわけ?
>>159 第三者の横レスで申し訳ないけど、
国連で承認されたのは、アメリカがアフガンを攻撃する理由としての
根拠(つまりビンラディンがテロ攻撃を指揮していたこと)であって、
そもそも、柄谷の言い分は、アメリカが確証なしにアフガンを攻撃する
ならば、それに対する反発が当然起こる、という論理だから、
ビンラディンの攻撃が認められれば、アメリカの攻撃は正当性のある
ものとなり、原理主義者予備軍のひとたちの怒りの爆発を論理的には
押し流すことになる、ということではないの。
161 :
考える名無しさん:02/01/29 13:18
>>160 いや、僕が言いたいのは、「証拠がない」という柄谷の言明はさほど重要ではなくて、
民間レベルで原理主義が拡大するかどうかが問題なんだってこと。
そりゃ柄谷の言い回しでは「証拠がない」ことを根拠にしてるけどさ。
それが間違いだというんだったらよくわかるけど、原理主義が拡大しない根拠にはならない。
では実際のイスラム諸国の国民達の間ではどうなってるかというと、
明らかに原理主義的に過激化する方向にいってるんじゃない?
162 :
考える名無しさん:02/01/29 14:46
>>158 お前、もうチョット宗教勉強しろよ、マジで…
163 :
考える名無しさん:02/01/29 14:55
>>162 宗教に限らずナショナリズムだろうが共産主義だろうが、
それがイズムとして世の中に定着したとき原理主義的になる可能性を秘めてるっていうのは、
正しいと思うが。仮に
>>158がイスラム教のことを全く知らないとしても。
具体的には、なぜイスラム教が原理主義を受け入れないの?
164 :
考える名無しさん:02/01/29 15:07
>>156 君のいっていることが、よく、わからん。
>>157 初期の評論集は入手しにくいものがあるんだよね。『花田清輝』を私はまだ
買ってない。『探偵のクリティック』は、格好の、スガ入門にいいんじゃない。
スガの機転だとか、1930年代の表象のありかたなどについて、よく、わかる。
ところで、「批評空間」サイトでスガ氏がひどい不作法なレスをつけているよ。
>>160=76
あんた、ひさしぶりじゃん。
165 :
考える名無しさん:02/01/29 15:57
>>129は誰かのサイトからのコピペだからね。
スレ違いかもしれないけれど、今回の「テロ」と報復爆撃について
欧米の知識人はいろいろな反応はあるけれど、イスラームに宗教改革の
経験がないことを指摘していることが一般にあるらしい(共同通信の
サイトの英語版のworld nowのPaul JohnsonやPeter Hamilへのインタ
ヴュー)。
欧米自身の反ユダヤ主義や反イスラーム主義の歴史(現在)を十分に
反省しないうちにイスラームに宗教改革をもとめる態度もどうかという
ことかもしれないが、でもそれはいえるんだよね。イスラームにどの
ように世俗化(あるいは俗語革命など)が現れてくるのかという疑問は
疑問としてのこる。
もう一個、スレ違いだけど。
関西のフランクフルト学派研究者(徳永恂、小岸昭、細見、他)がある
時期からマラーノ(隠れユダヤ教徒)研究に中心をシフトさせている。
ところで、なぜ、マラーノばかりで、隠れムスリムについて、ほとんど
言及しないのか、不思議だ(最近については知らないけど)。小岸氏
『スペインを追われたユダヤ人』(筑摩学芸文庫)に、「ミナレットに擬したアルガルヴェの煙突」が出てくるんだから、意識はしているのだろうが。
(「批評空間」新号を未入手なんで、臼杵陽氏などの発言を読んでいない状態の言及だから、既出かもしんないことを断わっておくよ)。
168 :
シャランラ:02/01/29 21:04
よくわからないけど、解体したら死んじゃうんでしょ?そうでしょ?
169 :
70年代の仕事が良かった:02/01/29 22:05
「可能性の中心」に、二度目は茶番、自意識、
コペルニクス(的転回ではない)が出てきました。
小岸昭氏は和田勉に似てる萌え
171 :
清原は小野ヤスシ:02/01/30 22:07
柄谷は細川たかし、
浅田は鉄腕アトム、のび太。
172 :
宗教は阿片:02/01/30 23:50
ユンソナは原久美子、
ソニンは浅田好未、
松嶋奈々子は松田聖子。
>>166 マラーノだったか、名前は忘れたけど、イベリア半島の隠れユダヤ教徒って、キリスト教徒に
無理やり改宗させられそうになったから、隠れて信仰するようになったんでしょ?
隠れムスリムってのは、どういう経緯で、隠れムスリムになったの?
>>173 っていうか、実在するんでしょ?。しないのか?。研究がそこを
注目していないのか、社会的に隠蔽されているのか。いるとしても
それはマラーノと同じ理由でしょ。そもそもイベリア半島はレコンキ
スタ以前はイスラーム政権だったわけだから、常識的にかんがえて、
イスラーム教徒(ムスリム)は多くいたんじゃないの。それなのに
一向に注目されず、ユダヤ教徒だけが研究としては残っているところに
偏向があるんじゃないの、それが私の推測。あるいはイベリア半島の
ユダヤ教徒とムスリムは重複していた、区別されていなかった??ことも
考えられる。
(余計なことをいえば、小岸氏のマラーノ研究は若干、シオニズムとの
親和性がつきまといがちだったところがあるように少なくとも私には
思える。それは彼の研究の貴重さを削減し、価値をおとしめるために
いうのではない。イスラームのファクターをはなから除外している
ために、偏向が生まれやすいのだ)。
>>145 天皇はもっと自由にいろいろ発言して貰いたいと俺は思う。ところで今回の
発言が天皇さんの自発性に基づいたものなのか、韓国研究者などの要請・助言に基づいた
ものなのか、区別しがたい側面があり、そういう俺らの邪推が結局、天皇の自由な
発言を抑圧することになる。ここは難しいよね。
176 :
「探求V」第20,21回:02/02/01 07:33
177 :
2001/2/19 フロリダ大学:02/02/01 19:42
>>165 誰からもレスがないんで、自分からつける(スレ違いを勘弁してね)。
正則アラビア語(アル・フスハー)はアナロジーでいえばラテン語の
地位に比較できるかどうかということがまずある。ただアラビア語は
ラテン語に比すればはるかに口語性・口承性がつよい。ラテン語は
欧州では聖職者や大学知識人しか使わないけれど、アラビア語は、意味が
わからなくとも、一般大衆や庶民も暗誦が要求されたりして、日常生活との
結びつきがつよい(TV語でもある)。結果、俗語(民族語)としての
アンミーヤ(だったか?)が抑圧されているんだろうか?ともおもう。
ここらを専門家に教えて欲しいものだな。イスラームにはルターのような
存在は発生しえないのか。しかしそもそも軌跡が違うのだから、その
アナロジーこそが決定的に間違っているのか。後者が事実だと思われる。
179 :
165(つづき):02/02/01 21:00
A:イスラームのとりわけ大きな法源としてアル・クルアーン(コーラン)
とハディースとがある。前者はユダヤ教のトーラー?のようなもの、
後者はキリスト教の聖書のようなものと理解することができるか?。
前者は神が預言者に語りかけた言葉を記録したもの、後者は預言者の
言行録を周囲の人間が伝承してきたもの。イスラームでは双方ともに
アラビア語で書かれている。
B:キリスト教には前者にあたるものがなく、後者は古典ギリシャ語で
書かれているのだが、ローマ帝国の宗教となったこともあり、ラテン語
での解釈がすすむ。そしてニケア公会議、カルケドン公会議で、
一神教としてはまともな単神論を排除して、三位一体論を採択するに
いたる(これは神を三分割することじゃないのかねえ?)。
C:さらに後に北方の「蛮族」のゲルマン族がそれを内面化しカトリック
教会を保護するようになり、それへの反逆としてプロテスタントが
現れ、民族主義、世俗化の生活風俗、現代科学などがあらわれてくる。
このBとCに反中東ということが政治的目的としてあるのかもしれない。
柄谷や鵜飼哲のプロブレマティックとこの図式とが、どう絡むのか?。
ところで最近NAMってどうなの?
>>166 イベリア半島はレコンキスタ以前はイスラーム政権だったわけだから、
イスラーム教徒(ムスリム)は多くいましたよ。
ただ、レコンキスタ以後にどうなったかは、知りません。
レコンキスタ以前の事は、蓮實と山内の対談本に詳しく書かれてますよ。
なんと、ムスリムの方がキリスト教徒よりもエロエロだったらしいです。
酒池肉林だったんだってさ。身持ちが悪かったんだって、山内氏によれば。
現在のムスリムからは想像できないけど。
あ、でも、トルコのムスリムは現在でも酒は飲むしエロでもあるけどね。
>>181 「レコンキスタ以後にどうなったか」に興味があるんだけどね。
誰か知っている人はいないかな。語りにくいだろうが。
全員がオスマンなどに逃げたわけじゃないから。
「トルコのムスリムは現在でも酒は飲むし」。これマジ?。
俺の知っているトルコ人のムスリム(日本への留学生)はまじめ
だったけどねえ。現地については、どうなんだかわからん。
>>166 >「トルコのムスリムは現在でも酒は飲むし」。これマジ?。
現場を見たわけじゃないけど、マジ。大抵のトルコ紹介本に書いてある事。
ライオンのミルク、とかいう酒が名産らしいよ。
トルコって、東部とイスタンブールでは習慣がかなり違うらしいけど。
>>183 ムスリムでも土地土地によって、習慣を異にするということかな。
でもエロはいいけどね、酒については、結構、やばいはずだけどね。
エロはある程度許されているけど、酒については問答無用の厳禁の
はずなんだけどね(飲むものが酒以外に絶対にない場合のみ許される
んじゃなかったかな?)。
イスラムの宗教改革とか言ってる人は、具体的には何を求めているの?
政教分離?それは無理だよ。
>>185 この場合は政教分離というよりも、広くいえば聖典や聖人に対する
文献主義的な解読ということです。日本の場合は津田左右吉の仕事などに
あたるといわれています。西欧ならば新約聖書へのそれです。
イスラム教に原理主義はあり得ないとの解釈はどうでもいい
んじゃないか?
@イスラーム=原理主義
Aイスラム教があのテロ集団<原理主義者>を内包してる
とか言ってない。
最初から、イスラームと、現実にいる<イスラム原理主義>
と呼ばれる人たちをセパレートしてるのだから。
そして、<原理主義>がますますアラブ諸国に広がるのも事実だろうし
駆逐できないのも事実じゃん。
国連でアラブ諸国が証拠として認めたことが、広がらなかった
との根拠になるなんて誤読もいいとこ。
少数派で、それどころか国家を形成しないとすら書いてるのに
何で国連に参加してるんだ(笑
これを、Aのように語った知識人は吉本隆明くらいだよ。
事実そうなんだけど、言っちゃうとまずいよね。
とりあえず、あのテロとイスラームとは無関係いや対立概念ですら
あるという事にしておこう。柄谷もそうしている。
188 :
「探求V」第17回:02/02/02 19:28
NAMのMLって恐いんだね。
190 :
「探求V」第1、6回:02/02/05 20:02
191 :
「探求V」第:02/02/06 19:48
192 :
↑第2回です。:02/02/06 19:51
超越論的統覚Xが出てきました。
下は「人間と思想」。
193 :
考える名無しさん:02/02/09 05:14
お食事するときはもっと
美味しそうに頂きなさいよ−−ーーー
スマソ
大恥をかくかもしれないが・・・。
柄谷のマルクス論への素朴な疑問として、産業資本と商人資本との同一視が
ある。G-W-Gの過程といっても、それは一緒とはいえない。マルクスは
俺のみるところでは、重農学派にちかい。生産資本に固執しており、流通
資本を生産資本の記述の範疇に還元しようとしている。だから利潤と利子
との区別がある。こういうと労働価値説に逆行しかねないけど。
たしかに遠隔地貿易は複数の価値体系(複数の社会システム)の間を媒介
しているから、詐欺とはいえない。しかしそれは広くいえば消費財の生産
部門にかぎる。生産財生産部門や科学知識においてはシステムの違いは
あまりない。こんなことを書くと、すわ、大塚久雄かといわれかねない
けどね。(かれのイギリス史論は史実的に間違っている)。でも全否定
をすることはないわな。バブルを昔から一番嫌ってたのは彼だしね。
195 :
考える名無しさん:02/02/09 06:20
問一、もし柄谷行人が父親だったらあなたはどうしますか?
問二、もし浅田彰が父親だったらあなたはどうしますか?
196 :
考える名無しさん:02/02/09 06:22
>>195 1 薬ありがとう(噂真ネタ)
2 看護婦はいやずら(同上)
>>194 『トラクリ』はともかく『マルクスその可能性の中心』(講談社学術
文庫)のp.68〜69に、産業資本と商人資本とを同一範疇に捉えてよい
とする理由の説明はある。しかしあんまり説得力がない。剰余価値と
労働論(相対的、絶対的)との結合への論難は、説得力はあるけど。
剰余価値は労働力ではなくて生産手段に関わるんじゃないのか?。
マルクスはこれを否定するのかな(第二巻)。
>>197 しかし柄谷は前述著のp.75以下でそれについてきちんと説明はしている。
生産性の向上(協業、分業の有機化、分化などの技術革新)によって
相対的剰余価値がうまれる。それによって、既存の市場(諸商品の
関係体系)と新しいそれとの差額でもって、剰余価値がありえる、と。
時間的なシステムの差異から利潤を獲得する、と。しかしそれは、
時間的なそれとのみいえるのか?。単にそれは安くて速くすんだという
だけなのか。そしてそれは空間的差額のそれ(商人資本)と単純に
比較できるそれなのか。
なんだか、無理矢理のいちゃもんつけになっちゃったな、自己批判します。
199 :
現代思想の風景:02/02/09 11:27
200 :
私はなぜ批評家になったか:02/02/10 00:02
201 :
考える名無しさん:02/02/10 00:27
>>187 「解釈」じゃなくてイスラム教にその宗教的性質から原理主義はあり得ないという
のは宗教学的事実でしょ。
原理主義が成立する為の要件は、啓典が確立していて且つ外面行動に関する規範が
存在しない事だから、三大宗教の内原理主義が成立するのはキリスト教のみ。
202 :
考える名無しさん:02/02/10 02:00
>>201 要するにあなたは原理主義とはプロテスタント的なものに限定されると
そう言っているわけか?。これはどうかな・・・。イスラーム過激派にある
ような原典回帰主義と原理主義との関係は如何?。プロテスタントの一派
にも、新約聖書の一字一句を真実とする原典主義は存在する。それは
広い意味では、原理主義ではないわけか。(原典主義の一派も、閉鎖的な
コミューンを形成して周囲には一切、迷惑をかけないという集団がアメリカ
などではあるそうだから、それらを危険視することは間違っている)。
203 :
下世話な考える名無しさん:02/02/10 03:22
下世話な話、スガは昔からだが、なぜ、高橋源にあんなに辛辣なんだろな?。
スガは高橋源や糸井を転向者だと捉えているようだけど、エクリチュールの
水準では、スガは後者にはるかに及ばない。スガもいろいろ現代詩について
マイナーな同人誌にも目配せしているようだけどさ。
最近のスガはかつての新左翼の言説性に本卦帰りしちゃったのかな。
あと、同じ左翼でも、スガは平岡正明なんかとは「仲が良く」ない。これも
なぜなのかな?。理論的に、ではなく、ゆきがかりかもね。いい加減な
ものだけど、なにか、深い背景があるのか?。スガの批評はだから公正に
映えないことが多い。その非公正には理由があるのか?。
204 :
考える名無しさん:02/02/11 20:52
__,,.-‐''''''''''''''''''''ー:-、_
,,.-'";:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:~`ヽ:、_
,/;:;:;:;;:-'"~~''ヾ/~~~'''''--、;:;:;;:;:;:;;:\
/;:;:;:-'" `ヾ;:;:;:;:;:;;ヽ、
/;:;:彡 ヾ;:;:;:;:;:;;:ヽ
/;;::;:三 i;:;:ミ;:;:;:;::ヽ
,i";:;:彡 - '' - 、. ヾ;:;:;:;:;:;:;:;:;i
/;:;;:;彡 ,,...:-'" ,,,..... ミ;:;:\;:;:ミ|
/;:;:;:;:;:彡 - ' ''"" - ''" ミ;;;;;;;;ヾ;;;;|
i!;:;/;:;:;彡 ,,;;;;;;;!!!!!:、 ヽ、;:;:;:;;::、
!i;:;:;:;:;:;:;| ,,;;;!!!!;;;;:::: :::. '"" _ ノ i / |
ヾ;:彡/ _ _ ::: :::: ,,.ィゝ-''ヽー ' ヾ/ゝ |
!;:;:;:| ゝ_,.-''"ゞ-'ゝ,;: ::::;:;:;::ー= '" :::ノ |
i、/ ,.-‐>ゝ: : ' " ::::;:;:;: : : :; /
:| ..:/ :::: '⌒ヽ ;::‐'
ゝ、 ..::::: ゝ - 、 ,:-‐-' `ヽ、 .. :|
i ::::/:: `'''' i:::: |
ヽ !:::: __,,,..::;;;;;;;;;;;::::‐-っー ,!
ヽ `::: `ーゞL:L:L:Ll.-'~ノ .:: /
\ ` `ー-、二二,.:'' .:: ,ィ"
,,...--;'''"";:ヾ, :.. ,;: /
,..:-'" ー:、 .....,,,,,,.... ,.::'"
~`''''ー--―''''""
帝国主義と帝国を区別する必要があり、グローバル資本主義とはこの帝国
という新しい抽象概念でありまして、アメリカの自由・平等と抱き合わせて
全てを呑み込んでいく力であるからして・・・・・(へっっくしょ〜ん!)
205 :
考える名無しさん:02/02/11 21:38
>>203 昔から源一に冷たかったの?
あんまりそんな印象ないんだけど
206 :
考える名無しさん:02/02/11 23:07
いきさつはどうあれ今回の高橋は酷い
>>206 スガの評論のスペキュレーションって、本当のところ、正確なのか?
(「大逆」検証は別として)。パーフォーマンスが先立ってるし、
スガって軽薄に未消化のうちに、流行の言説をすぐ利用するしな
(新用語の流行が状況の症候の反映だということを承知してやって
やがる)。俺だったら、スガの果実を利用するのに用心する。
ところでスガは新左翼の言説に本卦帰りしてるんじゃなくって、大西巨人の
論争のスタイルを真似てるかもね。大西のスタイルなんて、どこがいいん
だか。やつあたりをすると、大西の『神聖喜劇』は喜劇と銘されてるけど、
笑えないなあ。井口時男が大西と富士正晴とを並列させて論じている
ものがあったが、富士の戦争小説の方が笑えるよな。『童貞』だとか。
208 :
不勉強な207:02/02/12 05:22
大西の『神聖喜劇』は一人称小説でさ、大西と柄谷との対談にあった
ように、大西はモームの技法を取り入れているんでしょ。それが駄目
なんじゃないの。同じくモーム好きの村上春樹なんかと似てこなく
ない?。語り手(東堂)が全然、相対化されないんだよな。ま、これは
雑な批判だから、すぐ論駁されるだろうが。
あと、『神聖喜劇』のなかの村上少尉に、村上少尉がというべきか、
大西に「似ている」と思われる(?。創作上の人物だけど)。大西は日本
浪漫派体質のつよい人だよ(と思う)。あの小説のなかで村上を
徹底的に批判するような視点はあったっけ?。あったかもしれない
けれど。
同じ日本浪漫派ならば、渦中にいて内在的にそれを批判しようとして
いた?、富士正晴の方が、おもしろいと思うけどね?。ま、どっちを
取るってのは、不毛な対立軸だけど。
209 :
ポスト・モダンにおける「主体」の問題、闘争のエチカ:02/02/12 21:48
210 :
↑無作為の権力、昭和精神史を検証する、も:02/02/12 23:15
浅田との対談は、「ダイアローグ」に載ってた
”土人”対談でしょうね。
「自然」はやっぱり、オカルトですかね。
「(共同体の)外部に出ろ」とこの頃、言ったましたが、
今やっているNAMは「想像の共同体」ではないか?と思ってます。
211 :
考える名無しさん:02/02/13 00:08
>>209 ずいぶん前に卒業したけど源チャン・・・
212 :
「探求V」第4回:02/02/13 19:30
213 :
「探求V」第5回:02/02/14 21:27
214 :
「想像力のベース」全文載せました。:02/02/15 21:27
コジェーヴが、フクヤマ以前に「歴史の終焉」を述べていたんですね。
215 :
考える名無しさん:02/02/15 21:33
>>214 無知がばれるからあんまり余計なこといわないほうがいいよ
216 :
考える名無しさん:02/02/15 21:59
何をこの野郎!
217 :
『差異としての場所』まえがき:02/02/15 23:21
218 :
「受賞の言葉」:02/02/16 20:27
219 :
考える名無しさん:02/02/16 21:34
日本医大講師・・・
220 :
交通について、文体について:02/02/18 18:08
222 :
考える名無しさん:02/02/19 13:11
「転向」が問題になるんなら
スガは高橋や糸井なんかより西部にカラムべきなんじゃないの?
でも西部に対してはむしろ敬意のようなものがあるよね。
223 :
考える名無しさん :02/02/19 18:28
>>222 スガの花田清輝の戦時中の活動の二番煎じ。勿論、それがバレバレである
ことをスガは自覚してるんだろうけど。(『発言者』での活動は)。
ところで西部、あれはハイエクを誤読してるよ。ハイエクの共同体って
ローカルの、たとえば北陸だとか四国だとか、その程度の規模のもの。
西部は一方、どこかで議会を嘲笑して官僚を擁護していた。しかも
中央集権の官僚を。それでハイエクの論点の一番弱いところの「合理性を
超えた慣習や習俗への服従」をもちあげる。その慣習や習俗の範囲は
ハイエクにとっては、狭い空間のそれなのだ。西部にとっては中央集権
国家の強制するそれということになる。西部は「贋の個人主義者」として
「真の個人主義」の弱い論点を悪用するという、最悪のことをしている。
224 :
「探求V」第23回:02/02/19 19:51
>>223 久しぶりに哲学板でマトモなカキコを見たので記念上げ。
226 :
マクベス論、マルクスの系譜学・予備的考察:02/02/21 22:18
善雄は以外にケチなんで腹わた煮えくり返ってます。
『重力01』は、どんな内容なの?。地方では売ってんのかしら。
四条畷警察の税金泥棒 谷口隆男巡査部長を即刻クビにせよ!
||
||
||
∧||∧
( ⌒ ヽ 彡<<谷口隆男巡査部長
∪ ノ プラーン
∪∪
230 :
考える名無しさん:02/02/22 04:06
鎌田、柄谷のコワイロ(声色)屋。
231 :
makorin bbsへのres:02/02/23 05:10
江戸時代の思想を粗雑化すると:
朱子学右派=「居敬」の重視→崎門、水戸学派。(国民統合)。
朱子学左派=「窮理」へ→実学から蘭学へ。(自然科学の発達)。
(これは徂徠から音声中心主義の発生への流れへの批判、柄谷の問題意識
とは別の話)。(丸山真男は朱子学の窮理をスコラ哲学に比較する
までもないと一蹴してしまっているが、それは過小評価にすぎる)。
この「居敬」と「窮理」の区別は中国人の日本学学者が言及していたけど、
日本の学界でどう受容されているのか、知らない。
232 :
231(つづき):02/02/23 06:33
国学についての様々な規定の箇条書き:
1:徂徠の外国語観の反転としての民族語観と音声中心主義(しかし本当は
音声中心主義が欠けているんだよ。もっと徹底的にやれば清瀬義三郎則府の
派生文法論がわかったのに。あるいは日本文字で世界の各民族語の音韻を
表現できないだとかの欠点を国文学者は直面するべきだ。アルファベットは
できるのにさ。それは工夫や改変を努力をしたからだよ)。
2:朱子学や陽明学をもとからある神道(日本的道教)の体系に吸収
・還元しようとする動き。
3:京都の(相伝の)有職故実学の漏洩と普及。
4:地方のマニュファクチュア・資本家的地主が封建領主の支配を揚棄
せむとする絶対主義的要求(服部之総)。服部が注目するのは大国隆正。
ただしこれはマルクス方程式に材料を投入した図式だから正しいかどうか
はわからない。
5:地域的自然誌と分類学。
6:国学と231の朱子学右派との関連は如何?。
7:他。
ところで、高島俊男『漢字と日本人』(文春新書)は下らないと思った。
233 :
孤独なる制覇:02/02/23 17:27
>>233 「続・日本精神分析」にはちょっと驚かされた。でも短期の韓国滞在で
あんなにころっと意見を簡単に変える(加える)柄谷さんの軽薄さには、
厭きれかえらされるね。俺には韓国への迎合だとしか読めなかったけど。
235 :
考える名無しさん:02/02/24 09:29
柄谷って在日朝鮮人なんですか。
236 :
考える名無しさん:02/02/24 12:35
iesu
東大入れねーだろ。
238 :
考える名無しさん:02/02/24 17:41
>>235,236
尼崎の代々の地主です。朝鮮人は日本人のように例えば「善」という
一文字を子孫末々の命名に継承するなんてことはしません。
>>237 あなたはキちがいでしょうね。自分が思っているよりもそのはず
ですよ。注意した方がいいです。
日本人国籍でなければ国立大学の入学試験は
受けられないだろう、と思っただけです。
240 :
考える名無しさん:02/02/24 18:34
受けれます
>>239 下手な遁辞を想定して煽りを入れるのは、やめてよね。
少し前ですが、公立大学は受験可だが、
国立はまだダメだ、というニュースを見ましたよ。
243 :
考える名無しさん:02/02/24 20:49
留学生枠は?
朝鮮学校とかその辺の問題かと思われ
大検とれば受験できたと思った
国籍そのものは関係ないはず
>>235 「選評 正統的(オータンティク)な在日朝鮮人 大江健三郎」てのは
李恢成についてのものだよ。それで勘違いしたんだね。
>>237,239
きつい言い方をして悪かったがね、君は外国人高校(各種学校扱い)の
大学入学資格未取得の問題と混同しているんだよ。244の言っている
とおりのはず。大検を通れば問題はない。大体、姜尚中は日本国籍を
取ってないでしょ?、でも国立大学の東大教授になってるよね。こういう
レトリックは間違っているかい?。もし本当に君のいうとおりならば、
低頭平身して謝るが。
一般の入学生と、留学生や教員は意味が違うと思います。
要は外国人を官僚にしたくないのか、と。
「続・日本精神分析」は、韓国での講演だったとか?
>>242 君はマジレスだったの(237)。まだ半分疑っているけどね、もしまともな
それだったならば、「キちがい」といったのは、謝りますよ。
俺の友だちの在日韓国人(日本国籍をとっていない)の弟が、公立大学から
国立大学に途中編入したことがあったよ。だから、これは
きちんと調べなくちゃいけないけど、君のいっているのは、誤報だと思う。
「外国人を官僚にしたくないのか」は妄想にすぎる。
「妄想にすぎる」ってのは、つまり、実際に公務就労権がほとんど外国籍
人にはないんだから(一部枠をのぞいて)、君のいっているのはナン
センス、という意味。
>>249 それでどうだったの。おもしろかったの?。目次からみるかぎり、
あんまり購買意欲が沸かないけどねえ。
鎌田の「ドストエフスキー・ノート」の諸問題(続)は面白いよ。
江藤淳は、マルクスを理解してない、故に小林秀雄をも理解しえない、って
批評ね。
それから、スガ秀実への大杉重男、鎌田の両人によるインタヴューも良かった。
スガの疎外論批判の他の人のものには無い特徴について鎌田が語ったりしてる。
それから、大杉が「あの時点でそれ(蓮實、柄谷を批判すること)ができていれば、
今本当に尊敬できるんだけど(笑)。」っつうブッチャケ本音トークしてます。
面と向かって本音言うなんて、大杉さんも偉いです。
大杉は、蓮実=ナポレオン三世説を唱えてもいます。
インタヴューは他に、「批評空間」代表の内藤裕治へのものと、作家の古井由吉への
ものがあります。
内藤裕治の話は流通及び雑誌運営の現状と将来について。
特別に知的興奮を齎してくれはしないが、出版システムを詳しく紹介してくれてる。
古井由吉の話は、おじいちゃんの昔話。おじいちゃんマニアにお薦め。
哲学プロパーの人には、どうでも良い話。
つまらないのは、討議資料の地域通貨の現実性と可能性(抄)by西部忠。
ま、俺が批評空間とか読んで勉強してたからツマラナイと感じたんだけどね。
「また、その話かよ!(by三村)」って突っ込みました、心の中で。
Q初心者向け。
「重力」俺の家付近では結構でかい本屋でも置いていなーい
253 :
考える名無しさん:02/02/25 03:20
>>251 ありがと。ちょっとだけ、購入しようかという気にはなった。
「スガの疎外論批判の他の人のものには無い特徴」ってなんだろ。
これがスガの最近の仕事(『大衆社会教育論批判』だったか?)の
根幹を表すということかな。なるほど。
「古井由吉の話は、おじいちゃんの昔話」、これ、そう?。古井は
やっぱおもしろいはずでしょう。
ま、とにかく、ちょっと参考にはなりましたわ。
254 :
隠喩としての建築T:02/02/25 19:24
255 :
考える名無しさん:02/02/25 20:13
『重力』ジュンク堂で売ってたよ
店内の椅子に座って半分ぐらい読んだ
>>253 『大衆社会教育論批判』は未読なので、スガの最近の仕事の根幹を表してるのかどうか
は、なんとも言えません。
ま、読んでからのお楽しみと言う事で。ネタばらしは程々にしないとね。
「マルクスその可能性の中心」と「トランスクリティーク」の比較もやってるよ。
史実的にも、理論的にも、スガのインタヴューは面白いです。
70年代初頭の「日本読書新聞」から、「流動」「杼」を経て現在に至る経緯を語られ
てます。
>古井はやっぱおもしろいはずでしょう。
文学の「内容」については語ってないよ。
文学を取り巻く「環境」について語ってます。
面白いんだけどね、「歴史」としては。
>>253 しかし、可能涼介の文章には、萎えた。萎え萎え。
公式サイトの自己紹介文で、「劇詩人、矢沢永吉原理主義者。」って書いてる
んだけど、「●▲◆原理主義者」っつう言い回しは、頭の悪い大学生っぽくて困
った。
自己紹介文は、字数制限があるから、短く書かなきゃいけない、ってのを考慮
に入れても、「アホちゃうか?」という印象を拭えない。
「●▲◆原理主義者」の●▲◆の部分が、人名だってゆうのが、バカっぽい。
その●▲◆って人物を批判しないって事でしょ?
どんなに偉い人物に対してでも、そう言う態度で接してはマズイと思うのよ。
それから、本誌の発刊討議の前編の6ページでの発言から、再び、私の脳裏に
、「アホちゃうか?」という語句が浮かんだ。
私に、その語句を思い起こさせる2度目の原因を作った文を引用しよう。
>内容と言うか、ある種の実力で突破する、売れるとか売れないとかじゃなく
て、すごいものを書けば結果的に売れる、何とかなる、そう感じてしまう。
もぉ何がなんだか意味不明です。
この人、劇詩人もしくは戯曲家であって、俳優ではないんでしょ?
俳優も兼ねるのかも知れないけど。
いずれにしろ俳優専門の人ではないんだから、もっと理論的に話せないとダメ
なんじゃない?
同じ演劇人の文章でも、「季刊思潮」に載った鈴木忠志の文章と比べると・・
月とスッポン、って感じかしら?
>>175 新聞報道によると、さきの天皇さんの発言に外務省などが陰で動いた
ということはないらしい。この報道の真偽と関係なく俺もこの発言は
天皇さんの真情が発露された個人的なものだと考える。柄谷なんかは
これをすわ同祖論の復活かなどというのかもしれないが、それは違うん
じゃないかな。
TVの報道によると、この発言に「韓国人」は概ね、「好意的らしい」。
つまり効果があったといいたいんだろう。たしかに「韓国人」は「日本人」
以上に天皇の発言をシリアスに受けているかもしれない(主題にも
よるんだろうけれど。また韓国の報道と韓国の「世論」とを同一視は
できないが)。しかし、そういう報道をすることが(日本の報道機関が。
TV朝日だったと思う)、あたかも天皇が現今の韓日関係を憂いてそういう
発言をしたかのように解釈されやすい(そういう解釈を誘導しているん
だろうか?)。天皇さんが政治的意図をもって、首相越えに政治的発言を
したなどと主張するにひとしくなる。これは違うんじゃないか。どうなん
でしょうね。時宜だとして誤解されやすいけれど。
僕は「君が代」は歌わないですが、
「天皇が百済系」であること、しかもそれを
現天皇が明言したのは実はショックでした。
オリンピックも、いつもにも増して
「日本」を応援する気がなくなったというか。
「外国人を公務員にさせない」のも当り前なのか?
という疑問にもつながります。
『重力』は「批評空間」の周辺の雑誌のようですね。
「批評空間」休刊中の『早稲田文学』(柄谷のインタビュー)や
『文學界』(柄谷、アンダーソンの講演)みたいな感じですか?
260 :
考える名無しさん:02/02/26 04:43
>>259 柄谷蓮實を批判しまくれよゴルァ!!という雑誌です
261 :
考える名無しさん:02/02/26 04:43
なんでアカとアオがあるの?
>>259 君の書いていることはよくわからないことが多いんだけどね。
ありうべき誤解のために書いておくけど、「百済系」といっても、
桓武天皇の母親がそうだというのにすぎない。百済からきたとは
実証などされていない。前近代において王室や皇室が国際結婚を
するのは普通のことだから(天皇家と徳川との姻戚関係も当時に
おいては国際結婚のようなものだ)。君の論旨だと結局、
同祖論になるんだよね。(余計なことを書くけどさ、君、若書きでしょ。
もうちょっと勉強しようね。俺も精進して勉強するからさ。これは
皮肉っているんじゃないんだよ。気を悪くするなら謝るけどね)。
>>203 高橋も糸井も新左翼の運動に相当に深く関わって、気が狂うほどの
経験をしている。それを経て、あの文体、文意識になっている。
スガなども当然、それがわかっていて、わかっているがゆえにか、
ほとんど、全否定の経緯だぜ。その「ゆえに」っていうのがな、
後の世代からするとわかりにくいし、不快だよ。後の世代から読んで
誤解もする。スガは過激派だったころの高橋や糸井に代行して現在の
高橋や糸井を批判している、だとか。それは違うけどね。それだと
単なるルサンチマンだもの。
糸井には各論で不満はあるけど、一人で人民戦線を今でもしている。
世代論をいうつもりはないけど、俺はそれをある程度、評価せねば
ならないと思う。
ああ、つまらねえ文章になったか。(1980年頃の書評や世評をきちんと
調べないといけない。調べずに書きました。ごめん)。(実際に
活動家でありつづけている人からすれば、高橋も糸井も単純な転向
なんだろうけれどもね。それはわかってますよ)。
>>263 ちょっと暴走することを許してくれ。
つけたし。スガはそういう経験の深浅、有無を無化する言説をもって
いることはあるということ。
あと、スレ違いだけど、誰だったか、中上健次の伝記を書いたやつが
いたでしょ。そのなかで中上の新左翼への加担を多分に想像的なものに
すぎなかったと総括している。早稲田の社学同にいた荒井の証言ひとつ
でもって。中上が生きてこれを読んだらどう思うだろうか?。すると
中上が、花園紀男(赤軍派右派)からオルグをうけたという話は嘘か?。
ここをつっこんだ人って、いるんだろうか?。
鎌田の『丸山真男論』て、おもしろいの?。京極を丸山で批判するときに、
マルクス原始的蓄積の粗雑な比喩を使っているだけじゃん。
『知里真志保の闘争』はどうだ?。太田龍をあえて批判したところには
感心したが、それ以外はもひとつ。俺はアイヌの友人がいないから、
北海道の事情をよく知らないんだけど、知里への内在的批判はほとんど
なかったよな。しかも植民地問題に接近するためのマニュアルを作って
いるようにすら見える。俺の経験ではマニュアルはないんだけどね。
あと脱線だが、武田泰淳の『森と湖のまつり』をひいて、知里モデルの
アイヌ青年の先祖(モデルは実在人)の話について言及している。しかし
あれは武田の晩年の『上海の螢』だったか、そこで明らかになるが、王
(さんずいつき)兆銘について言及している形式とうりふたつなんだよな。
構造的に同型だと武田は思っているらしい。同型は同質と一緒ではないが、
同質だと厄介なことになる。アイヌの話でなくても良いことになりかね
ない?。鎌田はそれに気づいているのか。あと魯迅を好きらしいが、弟の
周作人は「親日協力者」だとみなされている(そこにも抵抗はあるだろ
うが)。魯迅も相当に危うい立場にあったことを見ねばならない(ここは
大恥をかくかもしれない。これから検証してみますわ)。
266 :
隠喩としての建築V:02/02/26 19:21
>>266 君それだけ読んでてわかんないの?
>「建築への意志」が「探求」で「独我論」になったのでしょうか。
これは意味不明
>「決定不可能」、「ド・マン」は「流行」だったんですよね。
この当時では柄谷が「流行ら」せたんじゃない?
>「建築への意志」が「探求」で「独我論」になったのでしょうか。
「建築への意志」は、フロイト論で言う「形而上学的欲動」=「死の欲動」
であって「独我論」とは文脈が少し違う。
キーワードが変わったという事と、
両者の文中での使い方が似ている、という意味です。
「流行」は日本という事ではないです。
イーグルトンにも「いわゆる決定不可能」とありました。
>>259 ”『重力』は「批評空間」の周辺の雑誌”って、どのような意味に受け取ったら良いのか
わからないんだけど、執筆者は重なってるよ。
大杉さんと鎌田さんが、「柄谷をちゃんと批判しよう!甘やかすのは良くない!」
って感じの雑誌よ。
文芸雑誌の流通システム、経済的自立の話が多かったね。
共同討議は、大杉と鎌田と西部の意見が割れてる部分が面白かったな。
意見が割れてる方が、俺にとっては考えるヒントになるからさ。
憲法1条と9条と日米安保と地域通貨の話が、混沌としてて興味深かった。
>>266 あなたのいっているのと違う意味かもしれないが、俺も似た
印象をもつ。『探究』は「見かけ」より、わかりにくい。
『内省と遡行』『形式化の諸問題』『言語・数・貨幣』は原理主義的
(この言葉の定義でのつっこみは困るけど)なまでに純粋思惟を追究
していて、柄谷さんは気違いになりかかったんでしょ。オカルトにも
近付いた。その追究の仕方には疑問はあるけどね。そこから「転回」
があって、『探究』になったというストーリーだけどさ、『探究』は
本当はさらにオカルトなんじゃないのかね。誰かも、構造主義を棄てて
実存主義に戻ったなどと不満を漏らしていた(1970年代を棄てて
1960年代に戻った、と)。柄谷はアメリカでユダヤ教徒系の友人が
多いんでしょ。そういう交流からも、なんらかのアイディアを得て
いるんだろうか。(「オカルト」って誤解を与えるかもしれないな)。
>>266 ところでね、スガも盛んに時代の記憶を再現させようとしている
津村喬の『メディアの政治』(1974年)を最近に入手したんだけど、
凄いよ。柄谷の「形式化の諸問題」を先取りしているエッセイもあるし、
内ゲバの盛んなときだから、偽文書・偽名を利用とする党派の戦略の
開き直りの情報戦争までを視野に入れて、現在のwebの情報戦まで
間接的には射程に入れているといってもいいんじゃないか。これは
言い過ぎかな。しかし一読の価値あり。1970年代、柄谷は津村をどう
読んでいたのかな?。
>>272 「探求」はさらにオカルトでいいんじゃない
結局「現実」が一番オカルトって話しでしょ
275 :
考える名無しさん:02/02/27 15:53
>273
多分、ちゃんと読んでいないし、クソだと思っているでしょう。
殻谷はマオイストが嫌いだからね。
それに当時の殻谷は吉本隆明の圏域にあった。
でも、最近の蚊等谷は猪俣ツナオの評価といい、
ツムラを反復(?)してるね。
なお、ツムラは実は猪俣の子供という説あり。
浅田、中沢(とりわけ後者)はツムラの影響下にあったみたいだよ。
だめ連のペペ長谷川のおじいさんは猪俣生涯の盟友で、
ペペにはツムラに抱かれた写真もあるとか。
>>275 マジですか?。でも、津村は目元は兄貴の孟に似てるでしょ?。母親に
似ているということか。猪俣は太ってたんすかね。でも知りませんでした
(恥ずかしい)、高野実は猪俣と友人だったんですか。津村が猪俣を
やたらと誉めるのも、よく知っているからですか。それでペペ長谷川が
そうだって!?。私のクソカキコにも、こういう掘り出しもののレスが
来るとは、ついているというか、罪ぶかいというか。
小倉利丸なんかも、津村の影響があるんすかね。津村を超えていないけど。
(小倉さんは人物としてはいい人ですけど)。
275さんは、相当に詳しそうだから、いろいろ質問したいことも
あるんすよ。調子に乗っていいですかね。答えたくないなら、無視でも
いいっすよ。最低限でいいです。
スガの「早稲田文学」連載で津村のルフェーブル親近感を疎外論だと
してしまっているけど、ルフェーブルの「都市革命」(今井成美訳)
なんて、バブルを予測しているじゃないかということ。資本の空間支配
には、ほんと、参った、ですよ(津村ならば資本の情報や空間の領域への
参入は、「剰余価値」を獲得できなくなっている資本の最後のあがきだ
と捉えていたかもしれない。その性急な没落論に躓きがあったのかな)。
まったく、少なくとも私には対抗措置がなかったですよ。これを予見して
いたなんて、センスはいいですよね(津村も含めて)。
津村の日常生活批判・身体批判は「気」を注目せしめて、かれは気功師に
なるんですけどね。気を自覚するのは、いいっすよ。津村はでも
精神分析(とりわけラカン)についてはどうだったんですかね。ラカン
までいかなくても、木村敏の「間」だって「気」なのに。(ましてや
ミレールとかもマオイストなのにね)。(これは「音」「声」の問題にも
かかわる、津村が音楽の領域でやるべきだったことを細野晴臣がやって
しまった。細野の1990年代の苦闘を左翼は自覚するべきだ)。
まだいろいろあるんだけど、長くなるから、このへんで。
278 :
URLが変わります。:02/02/27 19:22
>>278 マコリンさん、基礎的な質問をしていいですか?。
文芸誌掲載の文章の、web転載の著作権の問題は、本当に大丈夫なの?。
責めているんじゃないけど。
(俺の糞カキコはコピーフリーっすよ。でも糞粗悪品の使用上の結果は
自分で責任をとってくださいね)。
聞いてはいけないことを何故・・・
僕はNAM会員で、MLでHPをやってる事を
伝えた事はあります。反応ないですが。
柄谷の雑誌掲載時の文章が、粗悪という事ですか?
>反応ないですが
ヤバイから皆引いただけです。
法律的にもヤバイと思うけど、存命中の人のを載せるのは倫理的にも駄目じゃない?
著作者に経済的な見返りが無いじゃん。
Qでもいいから、払わなきゃ。
>>281 倫理主義的に響いたのならば謝ります。きちんと聞いてるんだから
いいんじゃないかな。図書館でコピーすることはできるものね(署名は
必要だけど)。それをwebで流通させると無料にはなるけど、中身に
すぎないものね。宣伝効果にもなるし。283の考えにはあまり賛成
できない。実際の刊行本を丸ごと、転載させることには問題がある
だろうけれど。俺はちょっと確認したかっただけです。あなたが
NAM会員だということを公表したことには感謝しますよ。
「柄谷の雑誌掲載時の文章が、粗悪という事ですか?」、これは
うがちすぎです。
「いづれにせよ、判断は自分でやりましょう。恫喝や威嚇、
ルサンチマンに屈してはならない。努力は無償であるべきです」という
標語を頭に浮かべたりもしました(なに書いてるかわからねえって?、
まあ、いいじゃん)。
出てくるかもしれない誤解のために書いておく。
「自己批判、更生しないうちは、〜〜をする資格がない」とは
「過失」と「自己批判」とを等価に捉えている。帳簿の上には合う
かもしれない。そのような等価交換を疑った人が誰かはみなも御存知の
とおり。
自己批判もこれまた、ヴォランティアのようなものだ。したいやつは
すればいいし、したくないやつはしなけりゃいい。趣味の問題だよ。
自己批判を相手に期待したり促したりするやつは、結局、悪趣味なん
だろうな。
相手に主体を植えつけて、ここをクリアしないかぎり、俺はお前を
認めないとは、相手を支配する有効な道具だけどさ。なんで同じ
土俵がなくっちゃならないのよってね。しかも他人の土俵だ。
森恒夫も◯◯のような良心的で正義感のある人間だったんだけどね。
でもそれだけじゃ、ああいうことになるのよ。
あえて、啓蒙的に書いてみた。
いづれにせよ、各々の身の丈からはずれて、規範(ここでは架空の
整合性という意味)を自己増殖(利子生み資本のようなものか?)
させることのないようにしたいね、というそれだけのこと。
そういうことすることが快感だという人もいるんだけどね。
287 :
考える名無しさん:02/02/28 02:25
柄谷!そろそろかかってこいや!
読解力ないの?>>ALL
>>281 おっと、肝腎なことを書き忘れていた。俺は佐々木さんがこのまま
掲載しつづけることには賛成っすよ。読み過したものを読めたしね。
御世話にはなってます。俺は確認をとりたかっただけなんで。
>>277 細野さんの音楽は圧倒的に肯定的なものだから、本当はこのように
政治的に悪用をしたり、拘束づけたりするべきではない。
>>281 「柄谷の雑誌掲載時の文章が、粗悪という事ですか?」
違います。いうまでもなく、俺の文章のことをいっているんです。
コピーフリーって、コピーライトの対概念です。あえて、当たり前の
ことを書いたんです。佐々木さんに対してだけではなく。
ご意見ありがとうございます。
「載せる」より、柄谷の文章を書きながら
「読む」事が目的でもあります。
結果的に柄谷の宣伝になってるかもしれないですが。
横書きにするにあたって、漢数字を数字に変えるところで
悩む場合がありますが、そこで厳密には
「違う文章」になってるかも、とも思いました。
ところで、「批評空間」は「早稲田文学」並みの
値段、厚さで良いと思います。
293 :
考える名無しさん:02/02/28 09:25
>276,277
ルフェーブルは確かに疎外論だけど、そこから都市論に行って、疎外論のリミットを画した
とはいえますね。
ツムラの都市論については、佐伯隆幸が送ればせに注目している(『現代演劇の起源』)、トロいけど。
ツムラは語学がまったくできないから、当時はラカンを無視(読んでない)でしょう。
アルチュセールについても否定的。当時の翻訳状況の限界でしょう。
デリダには、小林ヤスオを介して、多少注目していた。
ただ、ツムラは「パロールの復権」というテーゼをくずせなかったからね。
294 :
291,263:02/02/28 11:52
>>292 良かった。つづけてください。
>>293 レスにマジに感謝します。
「語学がまったくできない」俺としては、「翻訳状況の限界」は
自戒とするべきものでもあります。
>>263 これは糸井氏に迷惑な話だ。
295 :
294, 73, 223:02/02/28 14:06
>>281 俺の立場を明確にしておきます(互酬性というわけではないけど)。
袋だたきに会うのが怖くて、ぼかしていたんですけどね。
俺の柄谷氏の日本論に不満なのは、そこから、devolutionの問題が
出てこないことにある(柄谷氏のブントの出自としての下部構造、
経済法則の重視、主体の消去と関係しているのか?)。
devolutionをどう訳すのかという問題もあるけど(devolutionの
系譜としては、古くは梅棹忠夫、最近では森嶋通夫のものなどがある。
川勝平太のそれは梅棹version)。京大系知識人によるものが多い。
それを東京の知識人は「二流」「ルサンチマン」「東京を意識しす
ぎる」などと誤読してきた。これがある種類の植民地問題だということ
をは理解しない。それを左翼すらが理解しない。
ユーゴスラヴィアで起こったことはそこの特殊的な事情であるとともに
一般性もある。インドネシアで「反復」されている。ともに中央の
連邦=普遍性の維持の側が、分離独立派を「浄化」せしめている。
日本では「反復」されにくいにせよ、似たことがおこれば、似たことを
するのだろうか。
無論、「分離独立」とは「隷属(依存でもある)」とともに複数のそれ
(鎌田氏の言葉を真似れば「暴力は複数ある」)であり、別のものへ
の隷属でもあり、隷属(依存)と同時に抵抗や混血もおこる。事態は
複雑。朝鮮、台湾、沖縄(琉球)、北海道(アイヌモシリ)など、帝国と
帝国の中間地帯にある地域は、これからdevolutionする側にとっては、
モデルケースではある。
アナロジーでいえば、men's libがwomen's libの条件となってきた
ということか。
NAM「東京」NAM「大阪」のその地名は慣習名であると同時に、行政
区画による名前でもある。政治的上部構造(行政)の問題を私は無視
できないんですよね。地方人として。だから経済重視のアナキズムには
賛成できないところがある。
アルチュセールの当時の翻訳状況の限界、は西川長夫のこと?
>>281 namのMLって、必ず柄谷は読んでるの?だったらupして良いと思うけど。
長い間、掲示板を汚して御免ね。そろそろ退場しますわ。
大体、書きたいことは尽くしたんで。どうもすみませんでした。
柄谷は、全部MLを読んでるみたいですが、
僕のHPを知っているかは分かりません。
それを確認したり、出版社に連絡してまで
掲載したいという訳でもありません。
著作権は講談社にあります、などと
書くだけで大分違いますか?
柄谷と著作権といえば、
山城むつみの「内省と遡行」評はどう思いますか?
300 :
考える名無しさん:02/03/01 14:38
柄谷行人を<300>する
301 :
浅田による『隠喩としての建築』評:02/03/01 19:28
∧ ∧
/.::ヽ /.:: ヽ
/.::: ヽ /.:::: ヽ
/.::: ヽ /.:::: ヽ 「ハシゴ」は「階梯」の
/.::::::. ヽ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,/.::::::::. ヽ
/.::::::::::: ヽ 事ですね。
/.::::::::: / ヽ ヽ
/.::::::: / ‐・‐ ‐・‐\ ヽ
ヽ.:::::: .:::: /
ヽ.::::: .::::: /
ヽ.:::: \__/ /
ヽ.:::: \/ /
\.::::: /
カラタニの仕事を年代ごとに追ってきがついたのだが、彼は時代のかわりめに「村上龍論」を書いている。時代の変わり目に村上龍、これは本人も気にしていないような気がする。
>>299 柄谷は、全部MLを読んでるんなら、講談社には何も言わなくてもよいかと思います。
山城むつみの「内省と遡行」評は、読んでないので、何とも言えませんです。
305 :
考える名無しさん:02/03/01 22:15
>304
お前、バカ?
306 :
共同主観性をめぐって:02/03/01 22:35
307 :
間違えました。:02/03/01 22:40
308 :
また間違えました。:02/03/01 22:45
>>306 現代論理学入門
沢田 允茂
と殆ど同じ記述があるってやつでしょ
でも山城のいいたいのはそこじゃなくて・・・
なんか君沢山柄谷読んでるわりには・・・
解体したら死んじゃうの?だめだよ!そんなの・・・
311 :
考える名無しさん:02/03/02 00:13
>>306 まあわかるけど、山城はそれどころじゃないくらい疑わしいが(w
福田について書いたときもこいつ批判以外書けるのだろうかと小1時間と(略
312 :
考える名無しさん:02/03/02 01:36
東君が言うのよ。
どうしても「なぜ柄谷氏はこんなにダメになってしまったのだろう」と考えてしまう
ってさ。往復書簡からのコピーでした。
ってさ。往復書簡からのコピーでした
314 :
考える名無しさん:02/03/02 02:30
素朴な疑問だがOCRで吸いとってんのか、手動で入力してんのか?
後者なら、もはや写経の世界だな。。
ってさ。往復しない書簡からのコピーでした
ってさ。往復書簡からのコピーでした
317 :
「探求」第1回:02/03/02 14:04
318 :
考える名無しさん:02/03/02 20:16
319 :
考える名無しさん:02/03/02 23:52
ある意味で「余裕派」というラベルは的を得ている。文壇主流の人々が漱石に何かしら
違和を感じていたことには根拠がないわけではない。
「『草枕』について」より。
新潮文庫『草枕』所収の解説で昭和五十六年九月に書かれた作品。
この「的を得ている」という誤植が、ことによると20年以上?放置されているのにはなにか理由があるのか。
退場したはずなのに、御免。自分の言葉を裏切った。
>>274 今になって東浩紀氏「存在論的、郵便的」を読み返しています。
現実がどうオカルトであるかを細密に論じていることが今になって
わかった。相当に深いところまで行っているんだね。
かれのラカン批判には反対だけど、かれの絶望感、言語観が深いこと
は(今になって)わかった。
321 :
考える名無しさん:02/03/03 03:54
>>321 まだ駄目だ。きちんと語る能力がない。
あなたの自力でやってくれ。
>>321 あのペダンティックな書物の総体について語ることは俺の手に負えない。
ラカン批判だけ触れておく。ジジェクでもってラカンを「代表」させて
いるところに疑問がある。ジジェクは臨床から切り離されている(と
思う。セッションは受けているかもしれないが)。新宮一成氏が
「批評空間」討議で喋ったように、ジジェクで症例報告を書こうと
してもうまくいかないということだから、なんか一貫性がないんだろう。
ジジェクは細部をごまかしているのかもしれない。
俺にとっては、ラカンを読むときのポイントは、ラカンの言語観、つまり
転移論にある。これは自己言及性、クラインの壷とも関わりがあり、かつ
そこから抜け出てもいる。デリダがラカンの転移論をどう批判したかが
東氏のデリダ論とも関係するんじゃないかな。これは柄谷氏の「探究」や
本当は「筋金入りのラカニアン」の浅田氏とも関係するでしょう。
まだ、ここまでしか、わからない。転移論と固有名(あるいは「父の名」?
)とどう関係するかは、俺にとっては、これからです。
固有名と「父の名」との混同には異論があるかもしれない。
またそれを実際水準の話と混同することにはさらに嘲弄がある
のかもしれない。
ただ述べさせてもらうと、「父の名」には文化人類学的に様々な差異が
あって、単純に「姓」と混同できない。文化圏・社会構造の違いにおいて
差違がある。ということだけ、付け加えさせて貰います。
これまた放言を。
中野敏男氏の新著を読んでないんだけど、彼はどこかで、
本位田祥男「統制経済の理論」について触れていた(「大航海」対談かな)。
本位田は1939年の平賀粛学の当事者。戦争中は翼賛会の経済企画部長か
なにかをしていた。戦後は公職追放もうけている。かれは実は協同組合の
研究家で、現在なお、生活協同組合などでは「日本のオーエン」などとして
尊敬をうけている。
もち、柄谷氏の協同組合連合構想と本位田のそれとはちがう。本位田は協同
組合と行政とを連結させようとしているし、後者によって前者を育成する
方向をもっている。それでファシズムのco-operativeな経済政策をもって
いる。どうも、戦後の「法人資本主義」にも間接的に影響を与えているの
かもしれない。
柄谷と本位田がどう違うのか、俺には興味があります。
ウォーラーシュタインを紹介したグループは、その淵源を遡行すれば、
京大人文研の飯沼二郎や角山栄らの「世界資本主義分析」派になる。
これは大塚久雄や講座派への内在的批判・実証的批判によっている。
これは、柄谷氏の価値形態論から強引にマルクスを「誤読」する
(マルクスの潜在性を重視する)という姿勢より、いいと思うけどね
(というより、『その可能性の中心』はニーチェによるマルクス批判の
文脈も強いと思う)。角山氏の回想によれば、しかし京大ブント
(の赤軍派左派に近い立場だろうか?)が、かれらが角山氏の著を
剽窃したり、誤読したりしたことがあるそうです(「中央公論」)。
(『トラクリ』単行本をまだ読んでないことを考慮してね)。
また無責任な(検証していない)放言。
「共同研究・転向」での赤松克麿への評価は、あまりおもしろいものでは
ない。赤松が腹の底でなにを考えていたのか、俺は気になります。
俺は日本国憲法(新憲法)があまり好きじゃないんですけど、それは
おしつけだからいけないわけではなく、軍事独裁下で行われていることに
疑問がある。主体はちがっても2・26事件が成功して憲法を改正し、社会
主義的な政策が行われたと仮定してみたら、GHQのやったこともそれと
似ていなくない。2・26などがないと、1945年もない。もっともそのために
軍部に覇権が移って悲惨なことが行われたけれども。(だから2・26は
間接的に成功している)。
大日本帝国憲法と日本国憲法との間の連続性、正統性がわからない。これは
憲法学者のきちんとした議論はありますけどね。左翼の間での議論はある
のかな。
大西巨人が徴兵を拒否せずに積極的に応じたのも、軍隊の要素が◯◯に
必要不可欠だと考えていたから。この考えが正しいかどうか(大西の本領は
そこにあると思う)。俺はその軍事◯◯を拒否したいんですけどね。
330 :
「探求」第2回:02/03/03 22:21
1930、1940年代の日本中世史学の発達の一部は日本資本主義論争の
影響下にあると思われる。戦後の中世史学においては、網野善彦氏の
簡潔な図式を利用すれば、石母田正と清水三男、永原慶二と黒田俊雄、
石井進と大山喬平などにおいて、歴史観・日本史観に違いや対立軸がある。
網野氏はその対立を統合しようとしている。網野が平泉澄の再版だと
捉える見方はあまりに浅薄で的を得ていない。また山口昌男も網野氏とは
違うやりかたにおいて、その統合を企図しているといっていいかも
しれない(?)。ただ網野氏はまだまだ旧左翼の尻尾が切れていない
(それが私には不満ですわ)。
写経と独り言のスレですから、ここは。
>>332 それでも別に構わねえ。
蓮実スレに書く気がしないので、ここで。
蓮実の排除ってヨーロッパ人に学んだものだろうけど、ヨーロッパ人の
排除って、異質なものを一切、許さない排除に近いんでしょ。そんなもの
を学ぶのは何なんだ。その排除には否認を含むが、見たくないものは
一切、絶対、見ない。そんなヨーロッパ的美に比較するならば、スガ的
かもしれないが、雑や混乱の方がまし。アジアは醜いが、その分、共存
を前提としている。ヨーロッパにはその前提がない。その前提は意識
して作られたものというよりも、最初からの違いなんじゃないか。
これからもそうだろう。
334 :
14年度講義内容:02/03/04 20:13
大国と大黒天との(誰によるのか?)失錯はどういうことだ?。
(大国主命ということか)。
>>334 ごめんなさい。あまり読んだことがない。岩波新書で「日本文化史」が
あったかな。家永さんて、どの系列だっけ。そしてこの質問はどういう
動機ですか?。
>> 258
東京の「天皇主義者」などは、今上天皇でもって歴代の天皇の人格を代表
させる志向をもっているけど、それが腹が立つ。昭和天皇(裕仁さん)は
歴代の天皇のなかでも相当に出来の悪い部類に属すと思われるが、だから
といって、それで歴代の天皇・天皇史をすべて否定することには(少なく
とも)俺は反対せざるをえない。試みにこれまでの天皇をすべて一堂に
会させてかれらの歴史観や政治観を議論させることを仮定したとすれば
(ギャグ漫画じゃないよ)、それはまったく紛糾し収拾はつきにくいだ
ろう。俺はそのように希望するけどね。個々の天皇の信念には差異が
あって(こういうことをいえば、南北朝乱を復活させることになるかも
しれないが)、しかも歴史観、日本史観が相反する場合がある。その
紛糾は揚棄され統合されたと東京の「天皇主義者」はいう。それは違う
と思う。かれらは天皇の自己忘却を促進させている。それで天皇を道具と
して扱っている。(御用の憲法・国際法学者はこの意見に反対だろう)。
(以前に俺が「キちがい」だとか「若書き」などと罵倒してしまった
のは佐々木さんでしたか?。私は勘違いしていました。私のこの推測・
妄想が誤りであることを望みますけど、私はもっと歳の若い十代
の男の子を想定して、下品な言葉を使っていました。相互に顔の見え
ない、bbsでのやりとりですから、それを了解してください)。
>>329 「大日本帝国憲法と日本国憲法との間の連続性、正統性がわからない」。
こんなことを書けば自民党右派と思われるかもしれない(憲法調査会でも
自民党「右派」はさかんにそういうことをいっている)。自民党のなかには
そりゃ阿呆は多いが、明治以来の議会主義の伝統を堅持しているのも多い
(勿論、かれらは資本主義の将来については楽観的だったのだが。当時は
修正資本主義という言葉を使う側が、保守派のなかの左派だった)。
かれらの言い分を推測すれば、共産党など1930年代においては議会を否定し、
外国の軍隊(Soviet赤軍)の日本への侵入をなかば(?)「歓迎」していた
ではないかということがある(この点はどうなのか)。かれらの「反共」
にはそういう要素もある。実際、代々木共産党はその点については、
公式的には総括していないと思う。なしくずしなのは共産党も一緒なのだ。
スガは「戦後民主主義批判」というけれど、「戦前民主主義」から考えねば
ならない。
つけたし:
ここで俺の念頭にあるのは、河合栄治郎の『ファツシズム批判』なん
ですけどもね。かれは1944年だったかに死んでしまう。かれが戦後、
新憲法についてどう思ったか、を想像することはおもしろい(河合の
身近な人はそれを考えているだろうけど)。(大森義太郎の息子の
大森映の『労農派の昭和史』によれば、河合はしかし東京帝大経済学部の
人事においては暴君のごとき存在だったようです。とても人格者では
なかったらしい)。
>>336 森毅が以前に『週刊朝日』で喋って(書いて)いたのだが、それに類似
するのだが、俺も天皇という存在には賛成したい。みなが一緒ではつまら
ない。ああいう、変わった、異質の家系が実在することは世の中にとっても
いいことだ。
一方、天皇の名の下における大虐殺が行われたことも事実で、これについて
は、考えこまざるをえない。これは幕末以来の理想、明治システムが破綻
したということで、たとえば、軍人勅諭など、軍隊の叛乱を制御するはず
だったものが、日中戦争時には、上官の恣意性を保証するものとなっていた。
機能が変化している。
この後者をどう考えるべきなのかは、私にはわからない。たしかに柄谷の
いうように、昭和天皇の「責任」は問題になると思う(それが刑事の
ものなのかどうか)。宣戦の詔勅に署名しているし(議会に従っている
だけだとしても)。印鑑を押しているんだから、言い訳できないと思わ
れる。(柄谷は蜷川新をひいていたが、かれはもともと佐幕の直系で、
若干、私情が入っている)。(加藤・橋爪らの天皇責任論はどうなの?。
読んでいる人は教えて欲しい)。
>>339 といっても、勝者のアメリカが赦してんだから、責任の追究のしようが
難しいという厳然たる事実はある。
>>333 ヨーロッパが「見たくないものは一切、絶対、見ない。」ってのは、本当ですか?
僕は、違うんじゃないか?と思うんですけど。
フランスの植民地支配って、フランス人が直接植民地を統治するらしいから、
見たくないものをも見てしまうんじゃないかしら?(ニューカレドニアとか)
イギリスがインドを支配した時は、インド原住民のヒエラルキーを利用して、
現地のインド人に管理を任せて、統治したらしいから、見たくないものは見ず
に済んだかもと思うけど。
>>342 そういう意見もあるかと思います。
私は蓮実氏の映画批評はメディア・リテラシーの一環のなかのものとしては
価値あるものと思いますが、画面への還元主義(同一性を強化する)は
差異を隠蔽するものだと考えます。(あなたと関係なく、映画なぞたかが
映画なんだという謙虚な気持ちがない、蓮実エピゴーネンにはあまり
近付きたくはないですね)。卑しい文章になったかもしれません。
私は読んでいないのですが、蓮実氏の初期の「鏡を怖れるナルシス」は
どういう論旨なのですか。タイトルからして、蓮実氏の病的体験、傷を
想起させるものがありますね。それを(おそらく)批判しているにせよ。
また蓮実氏の映画神学と、四方田犬彦氏もひいていた原将人の映画神学
とは、どういう関係があるのでしょう。(私も苦労して原氏の『見たい
映画のことだけを』を入手しましたよ)。
蓮實でいこう
346 :
「探求」第3回:02/03/06 18:08
人間天皇の人格資質と、象徴的権威・権力としての天皇制は区別されると思うが。
後者は、いわば、政治の宗教的側面の問題を孕んでいる。
俺の知り合いが、矢沢永吉が借金の為放出したベンツのカブリを500万で買った。
さすがにすげえオーディオが付いてた。
永ちゃんは立派な人です。
>>344 原将人氏の著作と蓮実氏の初期の「鏡を怖れるナルシス」は未読なので、何とも
申し上げられません。すんまそん。
>>347 まづ、天皇家という存在は差異を擁護するものだとの私の論旨は、
個人の天皇の人格や性格とはまるで関係のない話です。こういう
誤読をする人がいるとは正直、思いませんでした(怒らないでね)。
天皇と天皇制とは混同できないことを主張したつもりが、そう
解釈されたということについては、私にも問題があったのかも
しれません。
>>349 レスに感謝いたしますが、344の方はかならずしもあなたに向けられた
ものではありません。紛らわしいことをしてすみませんでした。
つけたし。
>>349 すっごい失礼だということに気づいた。
「かならずしもあなたに向けられたもの」→ 「かならずしもあなただけに
向けられたもの」に訂正。訂正してもなお失礼だな。いづれにせよ失礼をば
お詫びします。
謹慎の意味もこめて、しばらく(今度こそ!)、書き込みを自粛します。
レス(まともなもの、ひどいもの)にはレスしませんので、御了承を。
許可なくリンクをつけるけど、次の古い記事
http://www.rondan.co.jp/html/dokusho/itoman/mokuji.html これが必ずしも象徴だとは思わない。繊維という斜陽の衰退産業への
メインバンクによる再建政策が成功のうちに悲惨なものに移るという
過程を内側から報告している。商人資本だろうが産業資本だろうが
利潤をとれるならば資本主義だという考えは環境においては、このように
残酷なものになるということの一つの症例(抛っておいても潰れたという
考えもあるかもしれないが)。かつメインバンク・システムの一つの
挫折をも象徴しているのかもしれない。あまりにもおもしろいので、
みなにも読んでほしいです。(もっとも書き手は三代にもわたる
伊藤萬社員だから、住銀・金融資本側には辛辣になる傾向があるんだけど)。
>>350 差異を擁護する、というのは、所謂「まれびと」信仰のような意味でしょうか?
354 :
「探求」第3、4回:02/03/07 22:08
左翼運動畑の人間が、
無理にハスミを読むことはないと思う。
彼はたまたま『海』つながりで文壇に関わったにすぎない面もあるし、
あの映画批評はむしろ、
佐々木基一路線との対比で理解すべき。
今やシネフィルがひたすら気持ち悪いのは、
批評空間webでも明らかだが。
自粛をやめさせていただきます(自粛や退場の宣言は意味ない、
とも思う)。この点については熟慮したいです。
>>355 あなたはいつもシャープですね。プロでしょ?。プロがこういう
掲示板に書き込むことについては心配もあります。
いろいろ噂をたてられやしないかという。
>>353 もひとつ、意味がわかりません。
>>352 「三代にわたる社員」ではない。また、伊藤萬は問屋であって、流通資本。
>>339 「軍隊の叛乱の制御」→「軍隊・正規軍の分裂への制御・抑止」。
俺の書いたことを煽りだと勘違いして不粋な詮索や勘ぐりの出てこない
ことを強く望む(心のなかで思うのは自由だが、実際にそれを書き込む
のはよそう)。そもそも俺の下世話な妄想であることの方が可能性が
高いんだから(欲望=転移ではないつもりだが)。嵩の知れるような
ことはやめようね。
天皇についての幾つかの。
1:天皇は所詮は関西ローカルの存在にすぎない。被差別部落は天皇の陰画、
objet peti aのようなものだが(?)、後者は近畿や西日本に顕著にあるものに
すぎない。(被差別部落についての考察は、黒田俊雄、大山喬平、網野
善彦、脇田晴子、丹生谷哲一などでも差異はある。柄谷がひいた石尾芳久の
ような考えはあたかも羽仁五郎的な疎外論だな。中上がそんなに馬鹿か?。
鈴木とはもともと熊野三山の神人として著明な姓だ。その神人が一向一揆に
参加したという可能性はあるかもしれない)。そのローカル性を例えば
水戸学派の観念論者にはわからない。かれらは符牒で一致させているだけの
話だ。
2:しかし一方、廃藩置県が容易に行われたなど、日本の土地や役職は天皇に
帰属するという思想はあったのではないかという論駁。ここからはトンデモ
話になるかもしれない。アジアの神話などで、神々が土地・領土を産出した
という例は日本の他にあるのかという問題。福永光司によれば日本の神話
には道教の文献に依拠した証拠が明白だそうなのだが、編纂者はそれだけ
でなく、景教などいろんな文献を読んでいたのではないかという推測。
(景教とは公会議に排除されたシリアのネストリウス派の単神論の基督教。
中国に伝来していたとの話がある)。
例によって放言なので、使用するときは調査した上で。
いくつかの初心者の質問。
1:スガが『花田清輝』を書いたのは、津村が新日本文学に入会したことと
間接的に関係があるのか?
2:吉本の「自立」って、共産党にも新左翼セクトにもつかないという意味
か?。
3:森毅(かれも花田ファンの一人だが)の『ボクの京大物語』(福武
文庫)での、上田正昭を団交などで吊るし上げて、のちに大阪女子大の
助教授になったってのは、市田良彦のことか?
4:森毅のジャーナリズムでの活動には、間接的に、早逝した小針あき宏
(『数学の七つの迷信』・東京図書)の影響もあるのか?
5:叛旗派は選挙をとりいれたり、自主解散したり、なかなかいい線を
いっていると思われるが、どうなの?(しかし神津氏のアクの強い文章は
ちょっと、気疲れさせられる)。かれらの共同体論には違和感もあるが。
360 :
考える名無しさん:02/03/08 19:51
361 :
考える名無しさん:02/03/09 08:14
今年の柄谷さん関連のシンポジウム情報きぼーん。
『柄谷行人初期論文集』なんて出すの?
もはや井上用水みたいなノリだな。
364 :
359,179,194:02/03/09 17:54
中沢新一「緑の資本論」(今月号の「すばる」に掲載)を立ち読みした。
なかなかおもしろかったよ。最後のスークについてのところ、実際に
訪問して黒田壽郎や黒田美代子の書いていることが正確なのかどうか
を検証してくれれば、もっと、よかった。でも人はこの論文をマオイズムの
志向と変わらないってつっこみを入れるんだろうな。ロマンティックだ
ということはあるのかもしれない。いや、あるんだろうな。
ゆえあって坂口弘「あさま山荘1972」(下)を読み返しているけど
(上巻をまだもっていない)、かれらの躓きは一義性を単純に捉えたことに
あるのかなって、とも思った。
どうでもいい日記のような書き込み、ごめん。
>>362 津村はペンネーム。労働運動家の高野実の息子。猪俣との関係は、
早稲田つながりかな。
情報感謝。
なかなか面白そうだなあ。こんど『国文学の鑑賞』で読んでみよう。
システム エラーが発生しました。
このスレッドには現在書き込みが出来ません。
367 :
「探求」第5回:02/03/09 23:36
この志紀島啓ってのはものすごくサムいんですけど
なんなの?
『持ちつ持たれつのそのやりとりによって(引用者注:青山氏のゼミ)、
我々が作ろうとしているのは<戦後のヴィジョン>としての作品である。
<戦後のヴィジョン>とは、一言で言えば(言えるはずもないのだが)、
「死者の倫理的視覚化」である。映像と倫理の問題は、技術の進歩と
共にかつてより一層問われなければならないわけで、我々はその点を
実際の作品作りを通して問おうとしている』(青山真治・朝日新聞夕刊
3/8.02)。
ナイーヴだけど、蓮実より良心的?だよな。
中沢新一の論文 買おうと思ってるのですが、買う価値あります?
立ち読みでオッケー?
>>370 買う方がいいでしょう。俺は金がなかったから立ち読みしただけで。
おもしろいですよ。中沢氏の剛腕が感じられて。ただ手持ちの材料で
順列組み合わせをしたという印象はある。
ところで関係ない話だけど(また卑劣なことをさせて頂きます)
某掲示板へのピョコラ.アナログ.という人の書き込み:
『「臨床への視座を欠くラカン受容」という表現は、本来は臨床理論である
はずのラカン理論が、日本ではどうしても定着していないという意味で
用いました。病的な感性のある人であれば、ラカンの著作にしても、或は
ドゥルーズ/ガタリの著作にしても、そこに、精神病/狂気(alienation)
の本質的な部分に肉薄する、思考のダイナミズムを感じ取ることができる
はずなのですが、私がそれまで接してきたラカン論者、ドゥルーズ論者
にはそうした感性が全く抜け落ちていました。』
京大・名古屋大のラカン派はもともと精神病理学論者で最初から、
分裂病(最近は統合失調症に更名された)への治療理論としてラカンを
摂取しているんだけど、仏文系にはよくもわるくもそういう切実性は
あまり、ない。(東君は転移を鏡像的に捉えている箇所があるが転移は
むしろ象徴的なものと関わるのでは?。それはモデル-ライヴァル
だとか複合感情だとか、そういうものではない。東君のフロイト解釈は
啓蒙的だけど、ちょっと、違和感がのこる)。(「協会」問題には全然
興味なく引用したんで御了承を)。
372 :
364(つけたし):02/03/11 07:06
俺も近いうちに買います。
ただジジェクを擁護するところがあるとすれば次のような挿入部。
『理論を治療の役に立てることで、修正主義はその弁証法的緊張を消し
去る。疎外された社会では、治療は究極的に失敗する定めであり、この
失敗の理由は理論そのものからもたらされる。治療の「成功」は、患者の
「正常化」、患者の現存する社会への「正常な」機能への適応であるのに
対し、精神分析の理論の決定的な成果は、まさに「心の病」がまさに
現存する社会秩序の構造から結果するいきさつを説明するものなのだ。
つまり個人の「狂気」は、しかじかの文明に固有の「不満」にもとづいて
いる。だから理論が治療に従属することは、精神分析の批判的次元の喪失を
必要とするのだ。(中略)。治療が成功するのは、それが必要でない社会
においてのみである---つまり「心の疎外」を生み出さない社会において
のみである。(中略)。ここ(引用先)に特殊なタイプの「失敗した遭遇」
がある。精神分析治療は、それが可能でないところだけで必要なのであり、
それがもはや必要のないところだけで可能だということだ』(松浦俊輔訳
だったと思う)。
といってもこれは疎外論だけどね。ただ名古屋や京都などの東京の
「周縁部」(の小中心)でラカン受容が促進されたこともなんらかの
社会的な因果関係があるのかなあ。そう言い切ることには問題があるが。
374 :
「探求」第6回:02/03/12 22:41
375 :
竹田青嗣の『批評とポスト・モダン』評:02/03/13 07:24
376 :
21世紀の人文科学をめぐって:02/03/14 19:18
笠井-東対談の二回目がでたぜよ。下劣な書き込みをしますわ。
柄谷の数多い対談でも柄谷-笠井対談(「ポストモダン批判」)は一番
おもしろいんじゃないか?。すくなくとも対談たりえている。
そこでも一義性の脱構築のことが話題になってんだけどさ。ところで
笠井の「マルクス葬送派」はわかんないんだけどね。笠井はルカーチに
立っているとはいえど、しかし一義性に依拠してんでしょ。でもさ、
袴田茂樹(袴田陸奥男の息子だが)のロシア論なんかを読むと、
レーニン-スターリン主義ってのが、ロシアの特殊性に完全に依存して
いることがよくわかる。全然、世界的に一般性がないわけよ。なぜ
レーニン主義に日本の旧左翼新左翼かぎらず、いかれちゃったのかな。
グラムシやライヒのみならず、ヴィーンにもマックス・アドラーなんて
いう、ケルゼンとまともに論戦しているマルクス主義者がいて日本に
紹介されていたのに、1917年以降はレーニン一色になっちゃう。これが
わからん。レーニンはマルクスをマニュアル化しているが、あくまでも
ロシア的にマニュアル化している。それが発展か?。ジジェクが最近に
「レーニンを反復する」なんて文章を出しているけど(webでも読める)、
やっぱ、わからん。少なくとも俺はレーニンにはうんざりだわ。(こんな
ことを書くと、殺されるかな?)。(袴田が書いているが、日教組などの
方法にあったマカレンコ理論は完全にロシア的産物だということだ)。
袴田の方法それ自体を批判するというのなら、まだ話はわかるが。また
日本のレーニン主義がすべて徒労にすぎなかったとまでは言わない。もし
そうなら哀しすぎる。
378 :
377(訂正):02/03/15 05:30
「1917年以降」→「1929年頃以降?」。
佐野学は1930年出版のかれの全集第一巻ですでにアドラーを批判して
いるが。レーニンをone of themではなくonly oneとして神格化した
のは、スターリンの党内の覇権掌握以後のはずだ。(?)
379 :
考える名無しさん:02/03/15 10:14
外部とか社会システムに制御された自律性のない人間の定義だとか、まったく
魅力ないなあ。やっぱり、ファシズムの香りがするわ。
>>379 これは俺への批判ですね。こういう言及は歓迎ですよ。「ファシズムの
香り」という指摘にも感謝します。矛盾するようですが、私もそれを
心配はしているんですよ。
社会についての考察で、社会実在説と社会唯名説とがありました(小泉
義之「デカルト=哲学のすすめ」から借用する)。私はどちらかといえば
社会実在説です。それは社会構造が生得的にあるといっているのではなく、
実際にあるんだから認めざるをえないということです。勿論、それで個人の
責任が消失するわけではないし、自律性がまったくなくなるわけでは
ないでしょう。しかし自律性が完全にあるとも私は言い切れません。ここは
いろいろ追究したいこともあるんですが、スペースが足りません。私は
あなたよりもおそらくもっとプラグマティストでして、中途半端で、曖昧に
見えるところにいます。個人のアトム性についての認定があなたと私とでは
違うのかもしれません。ただ私の方があなたより保守主義であることは
事実かもしれませんね。
書き忘れ:
自分自身の経験として、場所を移して住むと、振る舞いのみならず
心の状態(趣味、嗜好、生理)も変わるという怖い(?)事実への驚愕と
記憶とが俺にはあります。これが俺のプロブレマティックです。すでに
藤岡喜愛氏、福井勝義氏などの仕事が先駆しています(しかしそこには
精神分析がない)。しかし、これは個人のアトム性とは関係のないと
いう指摘もありえます。しかしこれ以上ゆくと、神学に近くなりますから、
やめておきましょう。
ぐるりと回った話をすれば、津村喬が藤岡喜愛に親炙があったこと
(『魂が癒されるとき』。帯津良一と共著。タイトルがいかがわしい
ことは俺の責任じゃねえ)を知ったときは、これは問題意識が違うかも
しれないが、唸った。生意気な言い方だが、津村、やるなあと思わざるを
えなかった。(381とこれは告白じみたかな。俺が病的だという)。
383 :
考える名無しさん:02/03/15 14:40
>380,381
あなたの考える社会実在説は、ハイデガーの「世界内存在」やフッサー
ルのいう「生活世界」という考えに近いですね。人間は環境に影響を受
けて生きているというのは、確かにあります。
しかし、人間はそれらの影響を超えて、自らを意識し、決断できる存在
でもあると思います。
柄谷は実存的な領域を、無視して言動している傾向を、私は感じていま
す。また、自分たちの組織NAMを資本主義に対置して、外部と言ってい
ます。柄谷の自論を展開すれば、NAMこそ、人間の自律性に取って代わ
るシステムだと言っていることになります。
384 :
考える名無しさん:02/03/15 15:01
>383に追加
柄谷にとって、外部はNAMというより、自分たちが作る非資本主義体制
でした。まあ、どっちのシステムにしろ、組織が人間を支配するわけ
で、自律性を奪うシステムが資本主義だろうが、非資本主義だろうが、
彼の思い描く社会システムに魅力は感じません。というのも、やはり
自分は自ら決断して生きていくことに、魅力を感じるからです。
その決断さえも、柄谷は外部がそうさせているのだと言うわけですが、
それを根拠付ける決定的な要因を、柄谷は提出できていないと思います。
>>383,384
私はあなたと立場は違いますが、あなたはあなたの一貫性がある
ことはよくわかります。
柄谷氏についていえば、あなたの言及にかならずしも賛成では
ないのですが、正鵠を得ているところもありましょう。柄谷+笠井
対談にあるように、柄谷氏はブントの頃に経済決定論者に近い立場にいた
(その分で、倫理主義からは自由であった)ことを告白しています
から。でもそれはそれでいいんじゃないですか。それは柄谷氏の立場
ですから。私も実際はそれに親近感は勝手ながらあります。資本法則の
超越性は。しかし資本法則が行政や社会構造を無視して一貫するとまでは
考えていません(「屈曲」があると思うのです)。その立場もまた人
それぞれだとしかいえません。
386 :
考える名無しさん:02/03/15 15:50
>>383 >>384 柄谷はむしろ実存(主義)に振れ過ぎているのでは?
その結果、彼のカント論が少し浮いてるんだと僕には思えるのだが。
387 :
考える名無しさん:02/03/15 16:35
>386
柄谷氏のカント解釈は納得できていません。
資本主義には、倫理がない。だから、倫理を備えた経済システム、非資
本主義システムを確立しよう。それには、カントから道徳哲学を拝借し
よう。そんな考え方の筋道で、彼はカントを持ち出して、自分の自論に
権威性を与えようとしていると思われます。
彼なりのカント解釈によれば、「他者を手段としてのみならず、同時に
目的として扱え」が、倫理となります。しかし、こういう解釈では、カ
ントが定義した低次元の法則、仮言命法を超えません。カントが目指し
た高次元の定言的命法に到達できないわけです。
自分を目的として行為してもだめだ。同時に、他者を視野に入れ、他者
をも目的として行為せよ。そうすれば、普遍的な道徳行為がもたらされ
ると、カントは考えていたと、ぼくは解釈しています。
上記のような柄谷的カント解釈だと、人間はその行為において矛盾して
しまいますし、無意味だと思います。
388 :
考える名無しさん:02/03/15 16:42
387の追加
カントが目指した道徳は、新約の「自分を愛するように、他人を愛せ
よ」というキリスト教の教えを、哲学で展開したんだと思います。
自分を愛すると同時に他者を愛する行為を行うこと、そこに道徳の普
遍性を見出したのではないか。そう思います。
>>387-
>>388 このようなですね、新カント派をさらに幼稚にしたようなですね
「倫理」などを前提にしてですね、
はたして柄谷の言うことなど理解できるのか、
私は、大変に疑問に思い、また同時にですね、
「自分の自論に権威性」とはいかがなものかと、
これは全国の人が見ているんですからね、思うんですが委員長!
390 :
考える名無しさん:02/03/15 16:59
>389
中身のない攻撃はやめませんか?
議論らしい議論をしましょうよ。
どうせ、NAM会員でもないくせに。
391 :
考える名無しさん:02/03/15 17:44
>>387-
>>388 柄谷を批判するにせよもう少し落ち着いて柄谷の本を読んだ方がいいですね。
それとは別に、あなたの信念は立派だと思います。
392 :
考える名無しさん:02/03/15 18:02
>391
柄谷は読むのですが、首尾一貫性がないというのか、論理に弱さがある
というか、どうも説得力に欠けるなあというのが実感です。
ぼくが驚いたのは、やはりカントの道徳命法の解釈でしたね。彼はあの
個所だけを抜き出して、微妙な解釈してるわけですが、それも作者の死
によって可能になっているのですかね。
393 :
考える名無しさん:02/03/15 18:07
>>392 それならそれでいいのでは。
あなたには信念があるのだから、それで十分と思われ。
394 :
考える名無しさん:02/03/15 18:14
結局その不快感の合理性・普遍性を根拠できずにいる・・。
こちらが認めることもある、たる「対話」というものの「責任の移動」に依拠しているからいいようなものの、君自身、想像を投げかけては「漸近してきた」わけだ。
誤ってみる。
あとでちかづくように誤ってみる、それを止める。
己の「視界」を振りかざす点では、その段階までしか読まれない、そういう読書において、等価といえなくもないのだ。
だから修正を求めて否定すればするほど、その独善性は「誇張」されてゆく。
これが笑わずにいられるか。
そんなふうに笑えない話を真顔で語るような、こちらには悲しい、多分に犠牲者として悲しくもあろう時世なのだ。
しかし、愚痴は「乱」の玉子であるから、あとは有精卵であることを、独善的に期待するまでである。
(ヒキコそのものが、組織だたない、そう在ることを体現した革命だ、と云えなくもなかろう)
(比喩は情報量が多いため、書き手には管理しきれずに誤解を招く元凶ともなるが、ひとたび読み手が即して考えようとして、その(或る)陥穽に乗ったなら、
比喩が多層的に裏の意味を兼ねる場合もあるので、要注意だ。御参考までに(腹々・・)
>>387,388
もっと展開してもいいのでは?。これだけではわからない。
>>394 誤配の問題は東君の「存在論的、郵便的」でも扱われていた
と思うんだが。誤配はしょうがねえよ、肯定しよう。
東君のあの書物は連帯(?)についての原理的考察ということで
政治論だとも思う。
といっても、誤配にも限度・程度はあるが。
398 :
考える名無しさん:02/03/15 19:01
>395
ぼくからすれば、柄谷のいうカント解釈がわからない。「他者を手
段としてのみならず、同時に 目的として扱え」なんて、意味不明。
まあ、無理やりに解釈すると、仮言命法の領域だよなあ。そこどまり。
399 :
考える名無しさん:02/03/15 19:08
>>396 複数の超越論性のプランはどうなったんだろうか?
なにか展開ありました?
>>398 柄谷のカント論を読み返してみますわ。でもその一点
だけじゃ、論不足の観はあるよ(君はその点が根本的だという
のだろうが)。でも、どんどん書き込んでね。といっても
俺も寄宿者で俺がたちあげたスレではないが。
>>399 あなたが考えて無理だったらば俺も無理ですよ。
消極的にはあるんでしょ。しかし積極的に複数の超越論性は
あるのか?。芸術だとかか。科学か。俺は多数人格なんかは
認めたくないけど。
401 :
考える名無しさん:02/03/15 20:16
402 :
21世紀の人文科学をめぐって:02/03/15 20:23
403 :
考える名無しさん:02/03/15 20:27
404 :
考える名無し:02/03/15 21:42
柄谷の「他者を手段としてのみならず、同時に 目的として扱え」とい
うカント解釈からは、ごっそり自分自身のためという目的が抜け落ちて
いる。
僕はカントは普遍性を獲得するために、自分とさらには同時に他者の
ために行為せよと考えたと解釈している。
柄谷は、さらに他者を未来の他者、そして死んでしまった過去の他者と
して定義する。そういう他者のために行為せよというわけだ。つまり柄
谷のいう他者は、完全な外部に位置し、神とか国家とか理念とかを意味
するようになる。これは、ファシズムを生み出す十分な土壌になると思
う。
自分のために生きることは、柄谷にとっては倫理ではない。それは、資
本のように悪だということになるだろう。
405 :
考える名無しさん:02/03/15 22:03
>>403 哲版だしこのスレの趣旨上何の疑いもなく・・・
406 :
考える名無しさん:02/03/15 22:04
>>404 なるほど。かたちに、明確になってきましたね。
>>377 俺は柄谷ー笠井対談が一番おもしろいと書いたけど、
谷川雁との対談(1991年頃の「すばる」だったか)を読み
そこねた。あれも重要な対談だったはず。
408 :
考える名無しさん:02/03/15 22:13
>>406 なんかそんな感じだけどタスクの方で閉じたら消えたよ
キミも一回踏んでみな!
409 :
考える名無しさん:02/03/16 00:29
>>404 柄谷の〈自由〉という問題をオミットしましたね。
これは致命的。
410 :
考える名無しさん:02/03/16 04:05
>>388 でも自己嫌悪・自己犠牲・自己批判をするように、
他人を嫌悪・犠牲・批判すると言う事と同じと思われ。
他者を道具として扱えと言う事は、ぶっちゃけた話、
他人を剣道家にとっての竹刀のように自分の一部及び延長(道具)として扱う事だが、
他者を目的として扱えと言うのは、
「汝の敵を愛せ」と言うキリスト教の教えのように、
他人を自分のように愛する博愛精神と言うのではなく、
逆に自分を他人とみなしているだけで、
他人の為にしている事が普遍的(皆の為)であればあるほど、
自分に返ってくると言う典型的な共同体意識・共産主義だと思われ。
例えば、ぶっちゃけた話。
自分の住んでいる所では民放チャンネルが見れないから見たい!とか、
光ケーブルのブロードバンドがないから欲しい!と個人が騒いだところで、
テレビ局やNHKは動いてくれないが、
それを恰も大多数の庶民が求めているかのように嘆願し、
庶民には民放チャンネルや光ケーブルが導入された場合の利点を伝える事により、
ある種のムーブメント(ブーム)を起こし、導入させる事に成功するが、
結果的に一番欲しがってた自分が満足すると言う事。
自分の欲求を社会要求に摩り替えているだけである。
しかしそれがエスカレートすると個人=組織=社会の境界線が希薄になり、
全体主義に陥る。ここまでくると右翼も左翼も変わらない。
まぁここまで来た時点で、
自分と社会の見境が付かないくらいの精神分裂病になってるわけだから、
何を言っても聞かないだろうね。
411 :
考える名無しさん:02/03/16 04:28
NAMはエゴイストのアソシエーションらしいから
ムネオや松山千春もNAM入り確定でしょ、柄谷さん。
404さん(あなたは383以来の一連の人ですね?)、念のために書いて
おきますが、NAMに入りたいならば入ればいいのだし、
入りたくないのなら入らなければいいということをは
確認しておきたい。入りたいのに公理に同意できないから
入れないという立場もあるかもしれないが、それならば公理の
改善を待つか、入ってその努力をするかです。それともあなたは
会員のかたですか?。NAMに対するあなたの批難はよくわからない。
(私は会員ではありませんが)。
>>404 それと「ファシズム」という概念を検討抜きに濫用することをは、
やはり、もっと警戒するべきです。なめられますよ。
414 :
「探究」第7、11回:02/03/16 14:07
415 :
考える名無し:02/03/16 15:40
>410
「自分を他人とみなしているだけで、他人の為にしている事が普遍的(皆の為)
であればあるほど、自分に返ってくると言う典型的な共同体意識・共産主義だ
」
この考え方は、自分を目的にすることと同時に他者を目的にすることとまった
く同じ意味ではないでしょうか。
>412
ぼくはNAM会員ではありません。
だれになめられるのでしょうか? 受けてたちます。
>>383 「しかし、人間はそれらの影響を超えて、自らを意識し、
決断できる存在でもあると思います。」→高橋源の揶揄する
実篤的だよ。「人間」と「私」とが直結している。
「柄谷は実存的な領域を、無視して言動している傾向を、
私は感じています。(中略)。柄谷の自論を展開すれば、
NAMこそ、人間の自律性に取って代わるシステムだと
言っていることになります。」→これは意味不明である
(というより妄想にちかい)。柄谷を擁護するいわれは
ないが、柄谷がアンチノミーの基礎問題を無視していると
解釈しているつもりか?。
>>404 「柄谷は、さらに他者を未来の他者、そして死んでしまった
過去の他者として定義する。そういう他者のために行為せよ
というわけだ。(中略)。自分のために生きることは、
柄谷にとっては倫理ではない。」
→どこからこういう読解がでてくるのか、まったく、
わからない。しかもそれをなぜ柄谷に許可を求めるのか
わからない。
でもなんだか青くせえ議論だな。
「ファシズム」だとか、そういう重要で危険な概念を、便利だとして
安易に使うべきではないということだ。
418 :
考える名無しさん:02/03/16 17:56
>>404さん
書き込みを大体拝見させていただきました。創価学会員だったの、
京大卒だなんてのはいくらでも嘘つけますが、梶山先生云々の板
であなたが紹介していた自分の論文は、かつて某B大学に提出さ
れたI君の修士論文の内容と細部に至るまで瓜二つなのですね、
これが。I君と君は同一人物なのでしょうか? 羊羹屋というの
もB大学の君の世代以外知らないことです。同一人物でないとい
うなら、君はI君の修士論文を剽窃していることになってしまい
ますね。君、もしくは君のまわりにはIP抜きを吹聴する人がい
るようですね。本当なら、私は全くかまいませんので、私のIP
抜いてアドレスを調べ、私宛にメールを下さい。待っています。
古き知り合いかもしれない者より。
>>404 君のいっていることで、いくつか、わからないことがある。
1:「他人を手段としてのみだけでなく同時に目的として」は
柄谷の言葉ではない。そもそもこれはカントの言葉だということ。
2:NAMのサイトの柄谷氏の「孤立をもとめて連帯をおそれず」の
エッセイふたつもあるし、君がなぜそんな誤読をわざとするのか、
わからない。俺は「エゴイスト」という言葉を使うことには疑問は
あるけどね。
3:これは俺が経験論者だからかもしれないが、どんな定言的命法でも
それが現象として現れたかぎりでは(現れざるをえない)、それに同意
するかいなかは、個人の選択に委ねられる。その選択が主観や錯覚に
すぎないとしても。あなたの道徳がどんなに立派でもそれを無条件で
他人に内在させるかぎりその道徳は背反する。もっともカントは自由を
法則に服従することだと規定しているからこれについては反論はあるだ
ろうが。(ああ、青くせえことを書いちまうんだよなあ。自己嫌悪するよ。
自分だとか他人だとか、そんなこと、俺はどうでもいいんだけど)。
あるいはカントの考えている国家がどの程度の規模のものなのか、俺には
わからない。
4:君がアンチノミー(主体と因果性との)のことと資本主義との関係を
どう捉えているのか、わからない。君はすでに資本主義の現実性を
超えているのか?。それこそ主観だと思うんだが。
誰だったか、NAM東京での学習会で、柄谷氏のカント利用についての
危うさ、それへの疑問を述べている人がいた。諸義務間の衝突の処理の
困難だとか。ああいう議論ならば、まだ、わかるんだが(といっても
それへも留保はつけたい)、君のそれは、単なるいちゃもんづけだ。
もっとも俺もそうかもしれず、自戒としたいが。
(俺はNAMの目的それ自体は崇高なものだと考えている。疑問は単なる
方法論についてだ)。
上は417ではなく416です。いかん。失錯をしてしまった。
笑ってくれ。
本当はカントやヘーゲルの考えている国家は小規模のものかも
しれないよ。それならば定言的命法が個人の選択を超えるのも
わからないでない。これは民族主義だけどね。しかし俺のいって
いるのは、地域的な民族主義だ。柄谷氏は帝国と民族とを混同して
いる。しかしさらにいうべきなのは、民族と帝国との関係もアンチノミーに
近いのだ。帝国(連邦)ぬきの民族はないし、多民族ぬきの帝国もない。
これについては例えば俺は韓国(朝鮮、名称はどっちでもいい)の分裂
についても、新左翼などの考えには同意できない。
日本でジジェクのナショナリズム批判を使う人が、一方、かれが、人口
200万!の(日本の四国規模の領土らしいが)独立国家を支持している
(その与党の参画者)のだということをはきちんと見ているのか?。
ここらへんの機微を理解しないと国際音痴だといわれないか?。
定言的命法とルソーの一般意志との関係は如何?。ルソーの
考えていた共同体も小さいものだったらしいが。
一般意志が作動するためには、反発がないためには、
ある程度の共感や「常識」は必要となる。俺はそれを決して
否定しようとは考えていない。柄谷さんは新学期の講議で
あらためて本居宣長をとりあげるらしいが、どうなることやら。
真意の一端は批評空間の座談会「日本精神分析再論」である程度明らかになるるだろう
424 :
「探究」第12回:02/03/17 02:50
馬鹿ばっかり。何クソ真面目なこと書いてんの?
「大地」を体験してからモノをイエッての。
視野が狭い。
そんな奴が産んだ子供はもっと視野が狭くなる。
マザーアースはそんなばい菌はいらないよ。
ばい菌は環境に不可欠なものだと思います。
「マザーアース」という自然の擬人化は誤解を生むことがあります。
427 :
考える名無しさん:02/03/17 03:56
トシちゃんは、はえぎわヤバイ。発毛菌希望
俺がカントの本質を理解していないことについては自己批判したいっす
けどね。責任転嫁するけど篠田英雄訳はどうなんですか?。
カント「判断力批判」で唖然としたのは、絵画をもちあげて、音楽を
蔑んでいるところ。おいおい、この人、大丈夫かと思った。
全体主義的なことをいうと、聴覚不自由者は別として、音楽の領域こそ
社会性、公共性は問われると俺は考えている。そこにおいて趣味の自由が
ありえるとは俺は(本当は)考えていない。面とむかって他人にはいう
つもりはないけど。そこにおいて理性の能力を越えた越権があるとしても、
アプリオリな?、規則が建てられるはずだと考えている(信仰にちかいが)
。少なくとも「これがいい」とはいえないにせよ、「これはわるい、
あきらかにわるい、こんなものを公共に垂れ流すのは社会的にもよくない」
とはいえると考えている(勿論、どんないい音楽でも強制的に他人に
聴かせることは悪いが)。(粗雑ないいかただから誤解を与えるかも
しれないが)。
ぶっちゃけていえば、悟性や理性がすぐれていても、感覚の鈍い哲学者
(カントにかぎらず)はあまり信用できないところがある。
感覚や感性を重視すればファシズムに接近する
音楽は特にね
>>429 それは褒め言葉だよ。そんな立派なものじゃないだろ。
それと音楽は数学的カテゴリーともかかわるから?、カントから
カントの趣味を越えて解釈するとどうなるのか、考えるべき。
それと最近の若い人は音楽の歌詞ではなく音そのものを
イデオロギー(?)として理解していることはお忘れなく。
で何がいいたい?
>>419 「俺はNAMの目的それ自体は崇高なもの」、これはカント的に使って
いるわけではないんで。舌が滑っているが。
カントの崇高って、よくわからなかったし、いまもわからない。
フロイトの「無気味なもの」かと思っていたんだけど。
>>399 「複数の超越論性のプラン」が崇高的なものと比較できるか?。
それは現実、都市、そこであたりまえにある。こういうものは
回収しえないでしょ。そういう荒廃のなかにいるべきなの?。
俺は田舎に住んでいるからね、精神的には虚構として断念として
平穏だが。
>>431 「で何がいいたい?」。自分の言いたいことを相手に
転写しないで欲しいね。自分が何を言いたいかは、自分で
考えてくれ。それは俺の問題じゃない。
434 :
考える名無しさん:02/03/17 18:53
いやだから何がいいたい?
吸う交尾って純粋理性批判で切り捨てた超感性的領域を
判断力に取り戻すための概念って理解していいの?
おいおい、がくっだな。粘着君かよ。
買い被った俺がわるかったか。
438 :
「探究」第13回:02/03/17 21:52
439 :
考える名無しさん:02/03/17 23:18
いやいやだから何がいいたい?
粘着とかいってごまかすの?
>>439 自分の欲望を自覚してください。私はあなたの
大文字の他者ではありません。
「被分析者は、大文字の他者も、どれほど自分の欲望についての
真実を所有していないか、自分の欲望がどれほど保証も根拠もなく、
それ自体としてのみ権威づけられているかということを経験しなけ
ればならないのである。まさにこの意味で、転移の解消は、被分析者が
分析者に対して向けていた質問の矢を被分析者自身に向ける瞬間の
ことを言っているのである。初めは被分析者(ヒステリー)の質問は
、答えを有していると想定されている分析者に向けられる。それから
被分析者は、分析者自身は被分析者に向けられている大きな疑問符で
しかないということを認めざるをえなくなる」(ジジェク=松浦俊輔訳)
>大きな疑問符でしかない
要するに 答えたくないと
自分で考えろと
分析者に質問スンナ
患者という立場をわきまえろと
ただひたすらに柄谷の真言を書き写す。
これが誠の柄谷読者の在りようでございます。
443 :
考える名無しさん:02/03/18 13:00
>419
1:柄谷はカントの定言命法を彼の意図によって、わざと曲解していると思う。
2:柄谷のいう連帯って、時空を共にするお互いのためにではなくて、超越項
としての他者のために、お互いの生を捧げようといっていると思う。
3:カントの定言命法に、ぼくは賛成しているわけではない。ただ、柄谷は確
信犯的に自分の思想あるいは宗教的信条に、それを再解釈して取り入れている
と考える。
統覚(綜合)について考えている。単数の統覚と複数の
統覚との間もアンチノミー。アンチノミーというか・・・。
地域通貨は、それと関係するのか。?。
過去に「総括」っていう言葉が流行ったよなあ。
理性の狡智はどうなんだろ。
>>430 「音楽は数学的カテゴリーともかかわるから?、」→
まったくのでたらめ。馬鹿。
3/23(土)NHKラジオ第2。AM10:05〜。「私の日本語辞典」。
川田 順造先生「「ことばと文字」(3)−西の風・南の風−」。
かぎりなく本物にちかい訓読論。第1回目を聴きのがした。
すでに盛り場は過ぎたかもしれないが、次回で最終回だと思う。
>>446 2ch-er好きな妄想をいえば、川田のこの放送を通してs.H、i.Y、
h.Aなどの天皇観の一端を窺えるかもしれないという・・・。
h.F、h.Wのような単純な日本観ではない。・・・。?。
448 :
考える名無しさん:02/03/19 10:26
>>416 『「人間」と「私」とが直結している。』は、実存的意味と一般的意味の差異
のことを言っているのかな?
NAMではなくて、NAMによって作られる非資本主義体制が、人間を支配運営する
ということです。そのあとのレスで書いてます。
「NAM生成」の32ページで、他者を触れ得ないもの、つまり超越項として定義
しています。
>>448 いい加減にしような。「成人の日」の青年の主張を聞かされて
いる気分だよ。「高校生」とは対話しようとは思わんよ。
柄谷のNAMを批判するなら、せめてマルクス『資本』を
熟読してからにしてくれ(これは自戒でもあるんだが)。
君の願望を聞かされてもなあ。自分のために生きたいんなら
柄谷の許可なく生きるこった。
「他者を超越項(論的仮象)として定義するカント解釈が宗教的ファシズム
を生み出す危険性がある」という考えは基本的には妥当なものではないか?
ただ、NAMにおいてはそれを阻止するために、一見小細工にみえるような
「くじ引き」とか「個人の複数の場の所属」とか「地域通貨」のような
「制度」を導入しているのである。
が、しかし、一方でそのような「制度」を理念的に支えるのが柄谷的カント
解釈であるのも確かなので、この二重性を絶えず意識する必要がある。
451 :
考える名無しさん:02/03/19 14:06
>>448 「NAM生成」の32ページは、36ページの誤りです。
452 :
考える名無しさん:02/03/19 14:08
>>449 あなたの批判は、中身がありません。マルクスの資本論を読まずとも、
柄谷批判はじゅうぶんできます。
453 :
考える名無しさん:02/03/19 14:23
>>450 柄谷の理論や政治運動は、どうみても継ぎはぎだらけで、万人の共感
を得るには無理があります。
カントは道徳論において、他者を未来とか過去に限定なんかしてませ
んよね。今を共に生きる他者、それは生身の人間であり、現象として
自分の目の前にいる相手を意味するわけです。
柄谷のいう他者は、過去にあったか、または未来にあるかもしれない
人間でもいいし、建築物でもいい、またアソシエイツでもいいわけで
す。だって、我々が絶対触れることができないものであるからです。
柄谷のいう他者は、カントの文脈でいえば、神という超越項す。
柄谷の倫理は現在を生きる他者(人間)は、未来や過去の他者と言う
目的の手段でなければならないわけです。他者は他者でも他者違いと
いうわけです。
454 :
☆最新話題☆:02/03/19 14:54
>>447 447は単なる放言だが、しかしスガ氏も抗議していた蓮実学長(前)の
天皇招聘。それとは関係ないが、蓮実氏の天皇制観、天皇観は相当に
確固なものがあるはずである。単なる日和見はない。印欧語を徹底的に
やった人の意見はさすがだね。(勿論、天皇と訓読とをアナロジーに
とれるのかという疑問もある)。(川田さんは別に訓読について述べた
わけではないけどね。また蓮実と川田を同一化することもおかしいと
いえばおかしいが)。あいかわらずみにくい文章だが(こういう
読解は、たかが、一観点にすぎない)、関西側からの天皇観ばかりを
述べてきたので、ここらで、東京中央の絶対主義的官僚
(しかも、とりわけ優秀な)の天皇制・天皇観についても、かんがえ
たい。
456 :
考える名無しさん:02/03/19 23:28
もう君の独り言はいいよ
>>456 君が何をいっているのかわかりにくいが、基礎的なことを
語らせてもらうと、掲示板の統覚と主題はひとつだけではない。
まさかあなたは新書き込みが総括として現れているなどと
いう、弁証法の誤解をしているわけではないと思うんだが。
俺は「高校生」とは対話をしようとは思わぬが、「高校生」に
ここに書き込むななどと命令をすることはできない。当たり前の
ことだ。あえて邪推をしてみたが、このように記しておく。
もっとも俺も自分の気づかぬうちに「高校生」になり、あるいは
そうみなされていることはありえる。
もっとも「高校生」が増えると、今以上にさらに水準は落ちて、
「荒らし」の嵐となることはありえる。(「高校生」の具体的
定義は難しいが)。
それと俺は何ごとかの立場・集団を意図的には代表しているわけでは
ないんで(結果については知らない)、それだけは御承知してくれ。
(代表という概念は難しい)。
459 :
考える名無しさん:02/03/20 01:01
「荒らし」の嵐
「荒らし」の嵐
「荒らし」の嵐
「荒らし」の嵐
また自分の投げ掛けた質問や疑問がそのまま「高校生」以下に
規範として受容されることほど(そういうとんでもない可能性
だって、ないことはない)、辛いこともない。
456君には、私のいいたいことが、おそらく、まるでわからない
とは思うが。
461 :
455=140:02/03/20 01:58
>>140 これは駄目な発言だった。筆名といえど竹田青嗣を名乗り
つづけることへの強固な意志(姜なにがしではなく)を
軽んじるわけにはいかない。この意志については私はわかっては
いた。かれ自身、それが通名「問題」の現実的議論(すでに十分
すぎるほどの蓄積はある)に巻き込まれることを承知の上についても。
かれの初期の在日朝鮮人文学論には反対だが。あれは非常に誤解
されやすい。その批評と切り離して、その「通名」については
考えこむ(私は)。
(現在の「新日韓併合時代」ともいえるようなグローバリズムの時代と
過去の大日帝の「グローバリズム」とを同一視できるかどうかは
わからないが)。
462 :
考える名無しさん:02/03/20 02:27
>筆名といえど竹田青嗣
自分でなのった筆名だからこそ
とも思うが。
463 :
考える名無しさん:02/03/20 02:34
「たったひとつの私のものではない言語」
なにゆえの執拗なデリダ批判?
464 :
「探究」第14回:02/03/20 07:09
465 :
考える名無しさん:02/03/20 08:23
>>たったひとつの私のものではない言語
すごいねこれ
私の父は私であり私の息子も私である
466 :
考える名無しさん:02/03/20 08:34
わたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたし
467 :
考える名無しさん:02/03/20 08:41
たわし
東君の本(「郵便的」)の最初にでてくるが、文や言の決定不能性
はconstantiveとperformativeとの間の決定不能としてあらわれるんだが、
俺のいう「高校生」とは、そのperformativityについて、すさまじく、
鈍感なんだな。なぜなんだ?。経験の不足のせいか、共有している
はずの前提(知識)がないためか。勿論、純粋なperfomativeな文も
ないんだろうが。ただ遵法主義といっても、リアリズムのないそれは
ありえるのか?。単にconstantiveとして、seriousに受け取ることのみが
抵抗だろうか?。/
Zizekのcynicism批判はおもしろいが、parasiticな場面でのcynicismは
どうなんだろう。劇でも漫才でも脚本があって虚構である(そこにも
スガのいう上演性のつよい再現前と上演性を隠蔽した再現前との差異は
あるが)。それを知りながら我々はそれを娯しむ。舞台と客席(さらに
現在ではそこに放送局という第三者が介在する)との間の転移や逆転移は
醍醐味がある。
469 :
考える名無しさん:02/03/20 14:27
>>468 君の問いを、意識と行為の間のずれの問題として理解します。
なぜずれが生まれるのか? それは意識が理念で物事を考えるからで
す。そして、そのずれをなぜそんなにも問題化するのか?理念でどこ
までも突き進むことに、自己自身としての幻想を見ているからです。
意識上の理念を自分として絶対化する必要はないと思います。
>>468 こんなことを書くとスレの性格を変化させてしまうかもしれないが。
去年の12/25のTV朝日だったか、M-1グランプリ(全国放送)をこの
スレで見た人はいるだろうか。麒麟のネタは漫才のなかにコントの
要素を多分に入れたものだった。(これは松竹のTKOなどもやっている)。
あるいは逆に。ある時期から、さんまやDT、木村祐一などは、芸人の技術を
あえて表面に出すということをしている。現前・再現前のパラダイムが
1980年代後半から変化したらしい。
もっともこれはお笑い芸人板ではないから、この程度で自粛せねば
ならないが。
「高校生」って、他人の文章を読まないのは
これは責めるべきではない。
しかし彼等の自分自身の文章すら、まともに読んでいない。
言葉を粗末に扱っているよなあ。勿論、
これは他山の石だ。自戒としたい。
(ちょっとルサンチマンっぽい文章になった?)。
472 :
考える名無しさん:02/03/20 16:40
>>471 論敵を「高校生」と定義して、自分たちを少しでも、彼の上位に置こう
として、優位に立とうと試みる。見え透いたアプローチだよなあ。
自分たちこそは言葉の擁護者だって?。一体どこが?
473 :
考える名無しさん:02/03/20 16:49
ことばの決定不能性は、どこから生まれるのか?
自分の生々しい実存的経験は、彼独自のもので、それはことばとしては
還元仕切れないからだ。
ことばにすると、他者と共有できる意味を獲得するが、一般性となって
しまうため、彼独自の経験とは、味わいが異なるものになる。
しかし、その差異がいったいどうしたというんだろう?そんな差異を問
題にするのは、超越項を暗黙のうちに設定し、絶望しているからだろう。
474 :
考える名無しさん:02/03/20 17:27
>>470 君はほんとにつまんない評論をするんだね。うんざり。
475 :
考える名無しさん:02/03/20 18:05
柄谷は資本と国家を悪とし、通産省が行うエコマネーという手段を、
LETSと同じような機能を持つにもかかわらず、評価しない。それは
なぜかと言えば、国家は悪だからだ。悪の組織が、何をしようが、
それは評価に値しないと、彼は考える。
この考え方は、アメリカがオサマビンラディンを野蛮な敵国と決め
付けた対立観とまったく同じだ。
476 :
考える名無しさん:02/03/20 18:25
妄想ネタの批判は飽きました。
感情的な印象批判もいりません。
本の読解に基づいた批判を希望します。
477 :
考える名無しさん:02/03/20 18:27
>471
あいもかわらず、内容のない批判に終始してますね。君のような批判は
小学生が友達に向かって、「おまえのかあちゃん、でべそ」と言ってる
のと基本はおんなじ。うわべだけを取り繕って、批判した気でいるなん
てさ。それで、おもしろいのかね。
478 :
考える名無しさん:02/03/20 18:34
>>476 だからね。きちんと具体的に論駁しなさいよ。どこが妄想ネタで、そ
の根拠はどこにあるのか、またどこが感情的な印象批判なのか、その
根拠をきちんと言いなさい。君が柄谷の本もろくに読んでいないこと
がよくわかるだけです。これじゃあ、あまりにも柄谷が可愛そうだ。
中身のない抽象的な批判は、単なる嵐といっしょだね。そろそろ、お
後がよろしいようで。
>>478 ちゃんと読んだ形跡がありかつ刺激的な批判にレスしたいものですね。
自分の勉強にもなるし。
かなり盛り上がってやがんな。軽薄で不謹慎かもしれないが
それはそれでおもしれえという気持ちもある。
繰り返しになるんだが、ロジカル・タイプが滅茶苦茶な
言説の体をなしていない文章に対面する意味はない。
それに自分で気づかないとはな。怠けるのも好い加減に
してくれ。「自分の文章をまともに読んでいない」とは
そういうことだ。これを俺が指摘するならば、かれは
永遠に更生の機会をなくすだろう。こういうことを
いちいち書かねばならないことにすでに俺に屈辱感
(悪への加担?)がある。
いや、やはり480は間違っている。多重人格者とは
対話できない。これだけで十分だ。俺はすでに
矛盾をおかした。自分の言語を自分で裏切ることは
できない。俺にもプライドがある。これ以上は
釈明しないようにしたい。
青いことをいうようだが、今回のやりとりによって
「不在の超自我」はありうるべきもののなかで
最高の正義であることがよくわかった。その分
ではみなに感謝したい。(この文章にシニカルな
要素はないつもりだ)。(つまり過剰享楽によって
他人を悶絶させる猥褻さも)。
>>480-
>>482 言わずもがなジサクジエンですよね?
俺の文章って、そんなにわかりにくいのかな。通俗的に、
世俗的に書いてみようか。
1:387は柄谷がカントの定言的命法をねじまげたといった。すると
443で自分はカントの定言的命法を賛成していないといった。なにを
いっているわけ?。君の乏しい頭で柄谷を攻撃するところの唯一の
拠点(と俺にはみえた)を信じていないなら、君の文章は意味をなさ
ない。
2:君は「うけてたつ」と書いた。俺は416と419で二回も君の文章を
検査してあげた。その労に対してなんの礼もないんだな。
君は結局、他人に労働させてばかりの人間なんだよ。これからも
相変わらず君は逃げをうつ文章を書くだろうが、他の人は知らんが、
俺はあんたを一切信用しないよ。
そして過去ログをろくに読まない人間の加勢でせいぜい
いい気になるこった。
485 :
考える名無しさん:02/03/21 05:19
⊂ルサンチマン⊃
487 :
484(さらに訂正):02/03/21 05:38
「二回も君の文章」→「君の、読むにも論じるにも値しないような文章を
わざわざ二回も」
「なにをいっているわけ?」→「なにを
いっているわけ?+なにをしているわけ?」
柄谷批判を煽ったことが失敗だったか。これらの悲惨なものが
網にひっかかるとは想像してなかった。自己批判せねばならない
かもしれない。ただし、柄谷やまともな人からすれば、俺も
あいつらも目くそ鼻くそで、一緒のようなものだろうが。
悲惨な柄谷読者のいるスレはここか・・・
383 以降の書き込みは、柄谷を内在的に批判するのではなく
(俺だって、それに成功しているつもりはない)、柄谷を意図的に
誹謗・中傷するものだということがよくわかっただろう。
つまり論理とは関係なく、個人的な利害や怨恨でそれをしている
ことが、よく、わかる。なんらかの悪意が背景にある。
これの尻馬に乗った人間もそれ相応の責任を自分でとることに
なるだろう。
ところでスガは新左翼の言説に本卦帰りしてるんじゃなくって、大西巨人の
論争のスタイルを真似てるかもね。大西のスタイルなんて、どこがいいん
だか。やつあたりをすると、大西の『神聖喜劇』は喜劇と銘されてるけど、
下世話な話、スガは昔からだが、なぜ、高橋源にあんなに辛辣なんだろな?。
スガは高橋源や糸井を転向者だと捉えているようだけど、エクリチュールの
水準では、スガは後者にはるかに及ばない。スガもいろいろ現代詩について
マイナーな同人誌にも目配せしているようだけどさ。
あと、『神聖喜劇』のなかの村上少尉に、村上少尉がというべきか、
大西に「似ている」と思われる(?。創作上の人物だけど)。大西は日本
浪漫派体質のつよい人だよ(と思う)。あの小説のなかで村上を
徹底的に批判するような視点はあったっけ?。あったかもしれない
けれど。
ところで西部、あれはハイエクを誤読してるよ。ハイエクの共同体って
ローカルの、たとえば北陸だとか四国だとか、その程度の規模のもの。
西部は一方、どこかで議会を嘲笑して官僚を擁護していた。しかも
派生文法論がわかったのに。あるいは日本文字で世界の各民族語の音韻を
表現できないだとかの欠点を国文学者は直面するべきだ。アルファベットは
とおりのはず。大検を通れば問題はない。大体、姜尚中は日本国籍を
取ってないでしょ?、でも国立大学の東大教授になってるよね。こういう
レトリックは間違っているかい?。もし本当に君のいうとおりならば、
実証などされていない。前近代において王室や皇室が国際結婚を
するのは普通のことだから(天皇家と徳川との姻戚関係も当時に
おいては国際結婚のようなものだ)。君の論旨だと結局、
中上が、花園紀男(赤軍派右派)からオルグをうけたという話は嘘か?。
ここをつっこんだ人って、いるんだろうか?。
>>492 他人のハンドルを騙るって、てめえ、最低のやつだな。
それだけはやっちゃあいけないことをやってやがんな。
てめえ、出るところに出るか?。
494 :
考える名無しさん:02/03/22 01:22
>>493 これくらいなら、まだいいほうです。
2chはもっとひどいことをされます。ほんとにひどいことですよ。
「てめえ、出るところに出るか?」。このセリフを何度のみこんだことか。
★結局、2chは2ch。そんなセリフはほとんど無意味。
開き直って面白いこと、書きましょうよ。
★柄谷のトラクリ、読み物としては最高におもしろかったなぁ。
>>494 あなた、注意しなさいよ。
過去ログの流れ(文脈)を見ずにそんなことを不注意に書き込むと
あなたこそが492だと疑われるという可能性もあることを。
とんだ闖入者だな。
497 :
考える名無しさん:02/03/22 01:53
OFWの「路地裏」ができるほどOFWはステイタスになったんだね。
492よ。お前のやったことはお前の思っているよりも
深くお前に祟るだろう。自分の行為を低く見積もらないことだ。
そしてインターネットや掲示板の可能性を完全否定しているのは
お前だということをよく知ることだ。
499 :
考える名無しさん:02/03/22 10:33
>>484 君の言う通俗、世俗と高貴という価値観分けがよくわからないな。
自分は高貴で他者は世俗なの? この考えは柄谷の「資本(利益)は悪で、
非資本(善)だ」という分け方といっしょだ。そういう土台が、権力主義を
生み出すんだよ。自分たちはエリートだ。他の連中は非エリートだ。だから
さ、吉本隆明に柄谷、浅田、蓮見を知の三バカトリオって、言われているんだ。
相手が理解できないから、世俗的に書くなんて、思い上がりもいいかげんに
してほしい。それは、自分のファシズム的な態度を認めたことにもなる。
他者にわかりやすく書くことは、独我性を超えて関係性を築くことの大切な
契機だ。
1:カントの道徳論を利用して、柄谷は自論を展開している。そのカント解釈
には無理がある。ぼくはカントの定言命法は、実践的な効果ではとても怪し
いと思っている。このふたつの考えのどこが矛盾するの?
500 :
考える名無しさん:02/03/22 13:21
柄谷行人を<500ゲット>する
501 :
考える名無しさん:02/03/23 06:14
最近の一連の書き込みこそが
あらゆる言説の持つパフォーマティヴィティー
を裏書きする
事は一柄谷問題にとどまらない
502 :
「探究」第15回:02/03/23 06:58
503 :
対馬斉『人間であるという運命−マルクスの存在思想』:02/03/23 20:58
ほんとキモいスレだな
505 :
「探究」第16回:02/03/25 07:35
506 :
考える名無しさん:02/03/25 15:40
しかし、もともとこの掲示板は、柄谷の何を解体しているんだろうか?単な
る論文の紹介じゃねえか。
507 :
考える名無しさん:02/03/25 16:34
脱構築とか言いつつも、
普通に哲学マニアであることが判明した
デリダみたいなもの
その型落ちヴァージョン
デリダなんかと比べちゃ嫌!
509 :
KARATANI-B:02/03/26 22:00
マニアじゃなきゃダチコウツクできないんじゃないの?
511 :
考える名無しさん:02/03/27 14:31
ダチコウツク
ちょっと自己批判したいことがある。
マコリンさんに以前にメールを出して返事がないんで(書き方に問題も
ありました)、悪意なしに、ここに書き込みますよ。マコリンさんの
ところの掲示板に書くつもりだったんだけど荒らすのも悪いし、ここで
書いた過去ログへの自己批判だから、ここでやります。著作権のことです。
284で私は図書館での複製のことを書いたが、あれは著作権法第31条で明確に
保護され承認された行為でした。また「宣伝になる」というのは没論理です。
話は別です。283氏の「Qを支払え」との説にも一理あると思います。「賛成
できない」と書いたのは(今は)撤回します。しかし著作者のみならず
興業主(掲載雑誌の出版社)の権利の方が問題だし、いろいろ困難なことが
あります。
私のマコリンさんへの提案は「全掲載」を断念して、著作権法第32条で認め
られている「引用」の水準にすることです。しかし「引用」の範囲が「公正
な慣行」という曖昧な条文ですので(私はこの法の判例をよく知らない)、
マコリンさんの主観によることになります。
私は大変に御世話になっていますが、しかし、全掲載は法律的には難しい
ようです。ちょっと、考えてみてください。
私がくると荒れるだろうので、なるべくここに書き込むことも自粛します。
513 :
makorin:02/03/27 20:12
514 :
考える名無しさん :02/03/28 01:17
515 :
「探究」第16,17回:02/03/28 07:16
516 :
「探究」第10,23回:02/03/30 21:41
517 :
「探究」第24回:02/04/01 22:03
518 :
考える名無しさん:02/04/03 17:34
資本も国家も国民も悪だなんて、よくも言えたもんだ。何が三位一体だよ。
philosophers are regarded as subversives, corruptors of the
social order, liable to undermine the moral standards of the
nation.
哲学者は破壊的活動分子(社会構造(国家の道徳基準を弱めるのに
責任のある)の壊乱者)と見なされます。
520 :
「探究」第25、26回:02/04/04 07:41
521 :
考える名無しさん:02/04/04 08:57
柄谷ってさあ、最近ボケたように思うのよ。
NAMって何?彼の単なる共産趣味でアフォな運動をしないでほしいな。
522 :
考える名無しさん:02/04/04 13:24
浅田氏もNAMをもう成功したもののように語る柄谷行人に辟易していた。
自粛してたけど、一向に書き込みが増えてねえじゃんか。
なんだ、反論野郎しかいねえのか。
柄谷氏の「これは予言ではない」を読み返していたんだけど、
俺なんかの立場も、日本浪漫派の矮小な反復ということかも
しれないが、日本浪漫派をここで俺は延々と批判してきたのは、
わかる人ならばわかると思う。保田与重郎は芭蕉を「南朝の志」と
いうんだが(『日本語録』)、嘘もいいかげんにしろ(逆だ)。西部に
ついては223で触れたが、福田和也なんか言及するにも値しないという
前提で書いていることは承知してほしい。(石原莞爾は山本勝之助に
「日本の変革の主体に軍隊を置くことは間違いですよ。軍には限界が
あります。それを知つて下さい」と言ったという=『日本を亡ぼしたもの』。
この言の含蓄を理解せねばならない。俺が329、337で書いたことと矛盾し
関係するのだが。ただ石原はいろいろ矛盾したことも多いが)。
これはなれなれしいので遠慮していたんだが、禁を破る。宮台真司
社会学博士も次のように書いているところをみると、俺の書いたことも
あながち妄想・反動とばかりはいえないだろう。
「■ むろん違いもある。メディアリテラシー概念が多文化主義を背景とする
というとき、米国的グローバリズムに対抗するという意味だけでなく、
国内的な多様性に敏感になるという意味をも含む。三島の文化防衛論も
左翼反米思想も、この点については比較的鈍感だったと言っていい。
■日本は、反米と域内多様性との双方に敏感な「大亜細亜主義」の右翼的
伝統もあるが(例えば大震災時の朝鮮人虐殺調査をした黒龍会)、
ここは右翼思想の紹介の場ではないので、メディアリテラシー概念が私
たち日本人に馴染み深い文化的論点を含むことを示唆するに留めよう。 」
(3/18づけの宮台webメッセージ)。
柄谷氏の60年反復説(60年周期説)を俺は「同一性の反復」だとして
批判したが(73)、それは中国の評価とも関係していた。柄谷氏は中上との
対談(『国文学』。最後の対談)でも、F.Jameson・浅田彰との鼎談でも
中国は破綻に向かっていると予想していた。しかしその後をみていると
やはりそうではない。まだ、わからないが、破綻どころか、WTOに加盟したし、
日本の地位を奪う「世界の工場」になるとまで言われている。俺が
「反復しないだろう」「日本を過大評価しすぎ」と書いたのは、生産力の
中心が日本から韓国・台湾を媒介し中国大陸に向かっているのではないかと
いう現状と経緯を背景としている(この契機は1970年頃からのもの
だろうが)。
これについては、どうなんだろう?。(最近の朝日新聞で伊藤忠の社長
だったか、日本は輸出立国ではなく所得立国になるべきだと、金融工学
をメインにしろと主張していた。これは昔の「金融資本」とちょっと
違う)。
俺は295でdevolutionのことについて触れたが、そこには注意を
要するらしい。太田薫なんて岩井章と組んで高野実を総評議長から
追放した、生産性向上論の右派とばかりに偏見をもっていたんだが、
そうとばかりはいえないのは、かれの『役人を斬る』(東洋経済新報社・
1973年)を近頃再読していたんだけど、そう思う。臨行調や行監委の
委員をつとめた経験から行政改革について述べているんだけど、「左翼が
中央集権的で中央官僚と変わらない」という俺の批難が必ずしも当たって
いないことがよくわかる。道州制や広域行政の問題にしろ(現実化しつつ
あるのだが)、それは地方自治を実現させるどころか逆に骨抜きにするものだ
とのかれの指摘はさすがだ。devolutionが実現してもいろいろ工夫がないと
さらに集権制や直接支配は強化されるかもしれない(尤も太田はすでに財政と
事務の自治体への大規模な委譲を主張しているのであって、今の道州制議論と
1960年代の道州制の議論とは水準が違うのかもしれない)。
526 :
「探究」第18、27回:02/04/06 23:43
彼は自己表現に対して明らかな自負がある。
彼の表現は極めて個人的でありすぎるので、
彼が死んでしまえば彼の表現など誰も用いないだろう。
528 :
Kurihara:02/04/09 22:03
柄谷さんの生涯最大の汚点は『AERA』での
「戦争くらい止めてみせます」発言でしょうね。
その後にN.Y.のWTCテロに始まる"戦争"が
本当に起こってしまいましたからね。
イスラエルーパレスチナ問題もあるし。それに対して
柄谷さんはなにもできてないし、戦後のためにNAMは
あると逃げを打っただけだし。
全く恥ずかしいですね、柄谷さん。
コンピュータや法律の勉強を日記で宣言して、いつのまにかうやむやに
なるぐらい柄谷は全く恥ずかしい奴だ。
>> 474
4/9朝日新聞夕刊に掲載。佐藤健二「ボケ。理屈の枠を外す力」。
知識社会学っていうジャンルがあるってよ。
宮台氏の著作に影響をうけた若者が自殺をし、そのことに心動かされた
宮台氏がその若者の実家を訪問し、仏壇に線香をたてたという(その
関係の書物は私は未読)。それはまあ宮台氏の勝手。そのことに浅田氏が
言及をし、著者がいちいち読者の蒙(被)影響について責任なんか
とれるか、とるべきかと疑問に付した。これはなかなか鋭利なツッコミ。
しかし、すると、中沢新一とオウムとの関係は如何?。中沢がオウムを
擁護したり、なかば扇動していた面もあったようだが、中沢がサリンを
ばらまいたわけではないし、中沢の書物にオウムの連中が影響を受けたこと
に対して、著者はいちいち責任なんか、とれるのか?。しかし馬鹿な?
中森の扇動で浅田は中沢の「弾劾」への加担をしたようだ(「噂の真相」の
かなり昔のバックナンバー)。同じ座談会でかくも矛盾したことをなせる
浅田氏の衰弱。ここ、誰か、つっこんだ人、いる?。
ま、どうでもいい話だけどね。いやしい書き込みだな。
>>275 津村が猪俣の子供だなんて、ガセだ。兄貴ならともかく、弟の方がそう
ならば、猪俣は幽霊になっても生殖力があることになる。ただ高野孟の
サイトを参照。猪俣の細かな略歴をみれる。
>>530 尤も、この書き込みがオウムやサリンの被害者、犠牲者にとって
不謹慎だというんならば、謝らねばならないかもしれない。
私はそのときに東京にいたわけではないので、その騒擾の
雰囲気はよくわからない。
>>531 部外者の分際でナニ知った口きいてんの?
おまえが死ねば良かったのに。
>>532 他人に対して軽々しく「死ね」と平気で書ける
おまえさんも、それ相応の責任をとって貰わないとな。
(530にではなく、531にレスをつけるところからして
おまえさんが俺の言葉と自分の言葉とを同一的に捉えている。
なにひとつ頭を使ってないことがよくわかる。なれなれしいんだよ)。
534 :
考える名無しさん:02/04/10 14:29
柄谷は意識は社会システムで決定されるなんて言ってるが、そうする
と、社会は意識にとって、超越項になってしまい、人間の上に鎮座し
てしまうことになる。
柄谷の倫理には、なぜか自分のためにという視点が欠けている。人間は
本来、自己保存のために生きるようなもので、そのことを無視しては
ならないだろう。
柄谷がくどいくらいにアンチノミーについて語っても534みたいなバカ
が出てくるのが世の中というものです。
536 :
考える名無しさん:02/04/10 15:44
\|
_,. -‐ ' "´ ̄ ``'' ‐ 、_..|
`‐、,. ‐'ト、/〈/イ〉 ,イ ト、 ノー-i ` ‐ 、
、 ヽ. | |-'" ̄ヽヽ、ヽ{. \. / }/_,,.-へ ,ゝ`'‐、
l i ! !. 、y─ュ=、ニ7ノl/}ニニ-=ニ、,レ' ノ 7 : ̄
. | | | ! (cり 〈 ‘ (dJ ´ノル ./ .:
. ! ! !. │ ,:=  ̄ ''´ ,ゝ、 ̄=-:._ | )/ ;
/ ! |. | " _,.ィ `!// ,' 534よ
/ ゙、. l、 |│ ,'
, ' ヽ ゙、. i∠二二二ヽ ,' |. ,' 哲学は自分で学ぶものだ!
ヽ.ヽ {':::._ | ,イ .!.,'
. ヽヽ ヽ、_ `ー、 / / :| i,'
ヽ`、___/ ̄ ̄ ̄`i.' _|l'
:;!  ̄ :ト. __ .| ̄ !
:::i :|.| |l ! ! !
` ー---- !」__,!| |_」--‐‐
537 :
考える名無しさん:02/04/10 17:03
>>535 柄谷は構造主義と実存主義を両立させようとしてるみたいだけど、つじつま
合わせだという感をぬぐえないですね。
柄谷のアンチノミーを説明する内容が、徹底していないことに疑問があると
は思わないのかね?
538 :
考える名無しさん:02/04/10 17:05
539 :
キャッチマン=素人:02/04/10 17:05
額面どおりにしか受け取ったわけではないので、「あまり適切なレスではないかも
しれませんが」と断っておいたのです。512さんの質問の射程距離がはっきりしなかったし、
かなり難しい問題だと思ったので。
_,,_ _,,
「二=-'--''=''~,, (
ノ'~ ヾi
/// /i i; ヽ, ヽ, i,
.i// i |. i ゝ, !, i; !~ゝ,
!'!'i 人,!=;;-'ヽ;;==;;,iゞく\(
人!'ヾ ,iソ| ,,iソ|,:iゝ,,/ヽ'
⌒)_i'i, ̄ _!  ̄.∧ _,,'=-,,_
~ |. iゝ,,_`´_,,イ /,,-'~'i. i'-,,
| |_!ノ"''" !,.7/く,|. |. \
/~| ||`,,_,,d'゚////~'''|i|. |, \
/ ,| | '-,,△,,ノ. ~..i, ,-ノ'!.ノ ヽ, \
.i /| | ":::::::" ::i; /^ヽ, i ヽ,
| / i ,i' :. ::: ::i,/ \ !, i
| '!;:!:!. : :::i ヽ,,_ ,!
.| i:|!::::::::::::::::...........:::ノ .i,~''-''
| i !::::::::::::::::::::::::::::i i,
| :| :. :::::::::::::: ::::::::i-,,_ iヽ, i| iヽ i,
i i ::.... ...:::::i, ~ iノ| | | !
.i i ::..... .....:::: :::i ヽ .i |.!
| / ::.. .::::i ソ. ソ
! /:.. ..:::::ヽ
540 :
考える名無しさん:02/04/10 17:19
>>535 柄谷びいきって、どういうわけか、君のような相手を見下して語る
人たちが多いよねえ。そういう態度って、柄谷の倫理に反するんじゃ
ないかね。
541 :
考える名無しさん:02/04/10 19:35
現実に何ができるかということが批評家に求められるとも思わないが、
倫理とか他者とか、どうも柄谷行人用語は用いられないし、伝わりにくい。
柄谷行人の死後に彼の著作本が読まれ続けるかどうか。
実は小林秀雄みたいなもんだし
543 :
考える名無しさん:02/04/10 21:14
柄谷は「戦後」のための思想といっているが
実際は彼自身の「死後」を意識しただけなのではないか?
講談社から全集を出す約束をしているとか
Columbia, Cornell, MIT, Dukeから出版したり
そもそも、「トランスクリティーク」の文体は、ありゃなんだ。
どう考えても「死後」を意識しているな。
「死なない問題」以前のレベルだ!
544 :
考える名無しさん:02/04/10 21:17
小林さんを教師として信頼できない状態になってるなら、
そのことを当局に話すべきだと思うけどね。
要するに自分自身(例えば俺の場合なら俺)の現実の社会での生き方
を自分自身が模索している時に 先人の知恵として参考になるから学問として生き残って
いるんじゃないの。別に哲学なんて勉強しなくても自分の生き方模索しているやつはいるし
結局こいつらがやりたいのは「哲学批判」でなくて「学問批判」でしかないんだよ
自分が学問できないので他人を妬んでるだけさ
反省する必要なしという状態に陥る可能性のほうが高いはずです。
そして、前記の事実ゆえに人間一般から宗教が自発的に生まれて
るのだとしたら、私達一人一人の行為にもそれが見出せる可能性はあります。
例え堅固な懐疑主義者であっても。
それらの衝動が少なくともあるのならばそれを抽象して
研究することが出来るのではないでしょうか。(現実的な視点から)
545 :
Kurihara:02/04/10 23:01
柄谷さん、超準解析の勉強はすすんでいますか?
今度その成果をどこかの雑誌に発表してくださいね。
お願いします。
超準解析か。。。
ノンスタンダードアナリシスね。
昔、細野春臣が中沢新一とつるんでたとき流行ってた。
確かレーベルの名前もノンスタンダードなんとかとか。。。
そんなことより、『トランスクリターン』がさっき2chラジオ
で放送されたから。
勉強してるとは書いてなかったと思う
興味があるとしかも厳密には理解できないがと留保も付けて
? ? ? ? ?
感性にうつる世界をそのまま見渡すと、ほんと退屈だ。
超越への意志はここにはじまる。
そんだけ。
550 :
「探究」第28回、ニューロマンティックな方向:02/04/11 02:18
対象意識を喪失した至高の批評を
目指しているので、すいません。
養老孟司「文学の問題でいえば、文体なんです。文体が大事なんです。
文章の中身のオリジナリティというのをしばしば問題にする
けど、文体というのは型だから、これが個性なのね。……」
553 :
考える名無しさん:02/04/11 11:25
みんなぁ。やってるか〜。
554 :
考える名無しさん:02/04/11 18:49
柄谷行人は父殺しをやりたいだけなんでしょう。
自分こそが小林秀雄の次に来るものと自負しているようだし。
555 :
考える名無しさん:02/04/11 21:41
>>554 柄谷の父は地主だったらしいね。
そして柄谷の出身地である尼崎は
日本有数の環境汚染地域だった。
この二点が柄谷をマルクスへと駆り立てた
と思われる。
556 :
考える名無しさん:02/04/12 02:12
>555
柄谷行人と中上健次は「二人で父(小林秀雄)殺しをしよう」と言っていたらしい。
557 :
考える名無しさん:02/04/12 02:33
ある種のファザコンじゃな
558 :
考える名無しさん:02/04/12 02:56
そんな柄谷もいまでは殺される立場になったが。
559 :
考える名無しさん:02/04/12 03:02
漏れとしてはまず歯炭を・・
560 :
考える名無しさん:02/04/12 03:03
むしろ誰にも殺されずに衰弱死といったところでしょう。
561 :
考える名無しさん:02/04/12 19:24
そんなに解体したいかね?
岩波書店、講座「天皇と王権を考える」全10巻、刊行開始。
柄谷はよくやったほうだ。
おそらく50年後には批評そのものが
あるかどうかも疑わしいからな。
「しかし、カントが、第一批判、第二批判において示した『限界』を、
第三批判において解決したと考えるのはまちがっている。彼が示した
のは、これらの三つが構造的なリングをなしているということである。
それは、現象、物自体、超越論的仮象がどれ一つをとっても成立しない
ような、ラカンのメタファーで言えば、『ボロメオの環』をなすという
ことと対応している」(『トランスクリティーク』1・2「文芸批評と
超越論的批判」より=『群像』連載版)。
この「ボロメオの結び目」は、たとえば藤田博史氏が「RSIと補填」という
小論で簡明に紹介していた。
しかしこの「1・2 文芸批評と超越論的批判」(おもしろいし納得しや
すい)と次の「1・3 視差と物自体」のオカルト話との連結がわかり
にくいなあ。俺の馬鹿な頭ではなおさら。なぜ1・2から1・3のスウェーデン
ボルグの話がでてくるのか?。どういう文脈なのでしょう。
寿命のことか?。
>>564 それを知るためにはベルグソンが
スピリチアリスト(心霊学者)でも
あったことを想起すれば足りる。
スピリチアリストをなめてはいけない。
「資本主義者、などというものはそもそも存在しないわけです。
だいたいマルクスはカピタリスムス資本主義なんて言葉はつかっちゃぁいない(笑)」
「大陸ヨーロッパに資本制や市場経済が発達したかといえばそうではないでしょう(笑)
ボードリヤールの存在がそれを裏付けている。あの程度で通用するんだから。」
「三木 清や近衛、彼等が開戦前にやったことはクレムリンのいいなりにならない
社会主義です。戦後の田中角栄もそうだ。」
(田中や自民党の政策は宇野派のものをそのまま採用している)
>>565 ベルグソンねえ。あんま、きちんと読んでないなあ。
(特にカソリックに回心したことについて)。
私自身は、スウェーデンボルグにも麻原(の予言)にも
全然、興味はないんですけどね。
俺が中沢新一から啓蒙されたと思ったのは、合理主義自体が「世界が
合理的に成立している」という無根拠な前提を信じるという宗教性を
秘めていることを、これを柄谷氏以上に強く暴いて、その宗教性を
肯定したことによる。でもその中沢氏の、おそらく周囲の左翼の「浅薄」
な啓蒙性(肝腎なところに直面したくない)への厭味や嫌がらせのなかに、
シニシズムがあって、ために、悪質な低質な宗教団体(オウムにかぎらない)、
魔術(ほとんど詐欺)をも評価したりするという信じ難いことをして、そこ
に躓きがあった。ここは擁護できない。でも合理主義を徹底化させれば
非合理なものとなる、それを肯定せよとしたのには、価値はあった。
中沢の言説の布教性(誤解されやすかった)があってこそ、宮台真司の
言説が受容される準備があったんだから、宮台は中沢に内心は感謝して
いるんじゃないの?。どうでもいい話だけど。
宮台氏がしばしば、ひく話、「社会と宗教とはどちらが大きいか?」
や、宗教と社会とはどう重なるのかという問題、これは曲がりなり
にも中沢が先駆して提出した話でしょう。こういうことをオウムの
あの事件の処理のなかで、安心してしまって、誰も考えなくても
よいことになっちゃったけど。
また私の嫌いなバブルという時代の啓蒙性は、社会が我々の考える
以上に、無気味で、人を狂わせるほどの力をもったものだということを
教えたことにあると思われる。(古井由吉さんの「楽天記」にはそれ
への描写が濃い)。これは西谷修氏のいう、宗教的共同体の世俗化の
なかでの社会学の発生とも関係のある話。そういうものが一時的にでも
露わになった。
でも、565さんよ、こんな話をするつもりじゃなかったんだけどね。
本当は、ボロメオの比喩、柄谷さんの横断的統覚?の話を
したかったんですけどね。(ネタばらしをすると、webで、
「中点」の話もでたし・・・)。
ついでに宮台氏の名誉のために付け加えると(もう散々に
言及はあったんでしょうけど)、宮台氏も最初は嫌がらせの
啓蒙ばかりをしていて(自尊感情の、尊厳のうすっぺらさ、
脆弱さを、あげつらう)、代々木忠の「プラトニック・アニマル」
なんかをも高く評価していたようだけど、途中から立場を
変換したようで、それは(私は勝手に)共感しえる(その変換は
戦略や演技かもしれない?)。自他をものとして扱うだけじゃ
連帯などないしね。システムの優位を認めながら、主体の選択への
帰属をも認める。これは矛盾ではないと思う。
>>564 >次の「1・3 視差と物自体」のオカルト話との連結がわかり\にくいなあ。
>俺の馬鹿な頭ではなおさら。なぜ1・2から1・3のスウェーデンボルグの話
>がでてくるのか?。どういう文脈なのでしょう。
うん、まぁこれはね、神秘主義自体は何の関係もない訳でね。
ようは、ここにコップがあると。で、普通はそれを「コップ」と認識する。
しかし、電波な奴(カントは視霊者を脳病だと言っている)がそれを「たわ
し」だと言い張ったとしよう。そうすると「コップ」と「たわし」の認識の
差異が「視差」ということで、そこにあるのは「コップ」でも「たわし」で
もない、両者の視差によってしか表象され得ない「物自体」と呼ぶしかない
もの、ということだね。
だが、そのような「物自体」が「コップ」という認識に収束されていく過程
(進化と言ってる人もいたね)すなわち、物自体→現象→超越論的仮象を考
えると、どうしても「物自体」にこのプロセスを進行させる力が内蔵されて
いると考えてしまいがちなんだ。
そうすると、最初から物自体に超越論的仮象が埋め込まれているようになっ
てしまい、視差は消滅し上のプロセスはただの円環構造を描いてしまうこと
になる。そこで、『ボロメオの環』のように円を描きつつも超越論的仮象が
物自体に還元されない、すなわち視差(つまり他者)を消滅させない構造と
して互いのフェーズが支えあうボロメオの環を持ち出した訳だね。
572 :
「トランスクリティーク」1、「探究」第19回:02/04/13 15:38
>>571 なんか、ひっさしぶりに、まじな、まともなレスがきた。
感謝します。でも、難しいなあ。勉強してみます。
>573
残念ながら571はソーカルのにせ論文的なフェイク。
575 :
吾輩は名無しである:02/04/14 00:31
14日紀伊国屋で柄谷に質問するつもりのやつはいないのか。
576 :
吾輩は名無しである:02/04/14 00:43
柄谷の「トランスクリティーク」が再生紙でできているのは、地球環境を考慮しての柄谷の倫理かららしいぞ
577 :
余談でスマソ:02/04/14 02:31
>>568 >合理主義を徹底化させれば 非合理なものとなる
囚人のジレンマなんかはその一例でしょうか。
あるいはゲーデル問題なんかはどうです?
自己言及性は合理性を破綻させるものとして扱って良いのでしょうか。
>>574 574さんよ、気合いでいい加減なことを書かないでくれ。571氏をけなす
ならば、ちゃんとした論拠を示して欲しい。はったりはよそうね。
571氏の論点を私なりに消化すると、物自体の用法として、諸範疇の差異を
超える同一的ななにかを指すものとして使われている。
彼が批判している「内蔵」指向の考えは、ゲーテ的っていうの?、オート
ポイエーシスっぽい考え、それを退けようとしている(?)。
そもそも柄谷氏が「ボロメオの環」をひいたのは、的確な使用だったのか
私には、よく、わからない。私が564でひいた文章の主旨は、悟性と理性を
構想力が統御するとしても、しかし構想力が特権的な地位にあるわけでは
ないという意味でしょう。ラカンの三界とカントの三批判は対応するん
だろうか?。
なんか、いかにも2ch-erにありがちな(2ch批判ではないよ)、教材を
同一的になぞっただけの、消化不良の文章になっちゃったな。
571さんは、その文章で、ヘーゲルを(ヘーゲルに限らないのか、
判断や推理のカテゴリー論一般を)オートポイエーシスからのみ読解
する考えを批判しようとしている、と、こう推測していいのかな?。
574さんよ(あんたに聞くよ)。
ちょっと脱線。柄谷さんは、しばしば、録音機や写真機の比喩をだす。
他者の担保として。でもね、たしかに写真で見てみたら俺の顔ってこんなに
歪んでいるの?、だとか、俺の声って、きしょいよなあ、だとかの、
へこみを、必要以上にうじうじと悩むのは、所詮はそれこそ自意識の不安
でしょ。他人は俺が「なんで、俺の顔がこんなに歪んでいるのよ」だとか
「俺の声って、なんでこんなにきしょいのか」などの、おぞましさに悩む
ことについては鈍感だよ。自分は自分の思っているものではないとしても、
他者もまた同様であって、他者が特権的な地位にいるわけではないんだ
よね。そのような「おぞましさ」に執心するのは、所詮は、相川コージ
「コージ苑」的な自意識じゃないの?(例が古い)。もう一ひねりが
足りない。
昔に三木清が「弁証法と有機体説」を書いて、弁証法の進展は
有機体的なものではないとした。マルキシズムと全体主義との混同を
諌めているという文脈がある。でもそれへの反論もあって、ヘーゲルは
具体的に生命について述べているじゃないかというものがある。
571さんのいっていることを勝手に拡大解釈すると、かれのいう
「視差の解消」への反論は、ここでは性差の解消への反論ともなぞら
れるか?。これはラカン派のオートポイエーシスや自己組織性論者への
批判の拠点でもあり、柄谷氏も「コンピューターを造るならば男女別に
造った方がよい」との昔の発言とも関わる。
(ちなみに三木清は「構想力の論理」で構想力を特権化していると
いっても、いいかもしれない)。
(俺の言いたいのは、571は本格的であり、574は下劣だということ
だけだ)。
581 :
考える名無しさん:02/04/14 11:07
>580
おやおや。君はある一行を下劣と思ったらしい。ならば君は顔でもしかめ
て通り過ぎるべきであった。下劣なものにからめば、それだけ君も下劣になる。
さて、誰かがコップを「たわし」だと言い張るだけでは「視差」は生じない。
君はそいつに説得されはしまい。スウェーデンボルクのいうことが単なるはっ
たりなどではないと、一方では認めるほかないから、強い視差が生じる。つま
り自分が自明と見なしていたことが少しもそうでないらしいという意識が生じ
る。コップをたわしと言い張る奴は切り捨てればよいし、現に人はそうしている。
次に、「コップ」は「超越論的仮象」ではない。コップは現象。現象を悟性
が整理したものといってもいい。カントは現象と仮象を区別している(超越論
的仮象は、カラヤンの場合、「理念」に近い?)。
>579
男っぷりがどう、という話とは全然関係ないよ。
582 :
考える名無しさん:02/04/14 12:46
これは個人的な感想ですけれども、藤田マンセーの580氏が、下劣という
言葉を知っているとは思いませんでしたわ。
例えば、小学校の教室でカギを「これは木だ!」と言い張る生徒が現れたとした
らどうか?
教師と他の生徒が一丸となって、「お前は狂っている。これは木ではなくてカギ
なのだ」と言ってそいつを「切り捨てれば」よいのか。
だが、その生徒の言葉をよく聞けば「木」ではなく「key」と言っているとしたら
どうだろうか?
つまり視差とは、共同体の「内部」ではなく「間」で生じるということだね。
スウェーデンボルクの例も「この世」と「あの世」という「間」における視差と
して理解すべきだね。
したがって
>、「コップ」は「超越論的仮象」ではない。コップは現象。現象を悟性
>が整理したものといってもいい。
というのはその通りだが、現象とはあくまで共同体の内部における「合意
と調停」であって、超越論的仮象とは、それぞれの共同体において、それ
ぞれの「合意と調停」を可能にする「普遍的な動力」と考えてみて欲しい。
そして、この「普遍的な動力」を物自体に見出したとき、「普遍的な動力」
は「一般的な動力」になり共同体間の境界が消滅する、すなわち他者が消え
るということで、結果的には現象(「合意と調停」)のみで世界を構成でき
るということになってしまう。
これはもちろん政治的な問題であって、力のある人間が、一つの超越論的仮
象(理念)つまり「アメリカ的自由と民主主義」を世界のあらゆる人間(物
自体)に見出す状況が現下の悲惨な世界情勢を招いているわけである。
>>581 具体的に反論されたのには歓迎をしたい。あの段階では、
571=574、自作自演のひっかけ術の可能性もあったから。
「下劣」という言葉は、とりあえずは(と限定をいれて)
撤回します。
(超越論的仮象が理念的なものであり、現象と混同できぬ
という指摘はその通りだと思う)。
そして583さんの議論、私はかれに同一化するつもりはないが、
大変に魅力を感じることはできる。掲示板の議論だから、細かい
点については、いろいろ粗もあるだろうが。583さんの文章を
読んで、務台理作の「社会存在論」だとか盛山和夫「制度論の構図」
を思い出したりもする。581氏が論証なしに「フェイク」と断言
したことについては、納得しがたい。表面的な字句はともかく、
内実をつかんでいるのだろうか?。
583さんに質問をすると、種の社会論、特殊を媒介しないと一般は
ありえないとする説についてはどう思われますか。アメリカの
グローバリズムを批判なさっていますが。これは難しい問題ですが。
>例えば、小学校の教室でカギを「これは木だ!」と言い張る生徒が現れたとした
>らどうか
誤解がないかい? 正確にはその生徒は「これはkeyだ」と言い張っているんで
しょ? そしてそれを周囲が誤解しただけ。視差でも何でもないよ。
>>586 反論といっても、雑音じゃ、駄目なんだけどね。
583さんは、クリピキの「プラス」と「クワス」の議論を
わかりやすい例でたとえたんでしょ。
(尤も雑音にも懇切丁寧に説得しつづけるOFWのような
人格者もいるが)。
なんの能動的な努力もせずに「おれたちを分からせてみろ」と
開き直るのは、いかがなものか。
>>585 >種の社会論、特殊を媒介しないと一般はありえないとする説につい
>てはどう思われますか
特殊−一般という対比と、単独−普遍という対比を分けて考える、とい
うことですよ。前者は共同体内部の対比であって後者は共同体間を前提
とした対比ということで、よく知らないが「種の社会論」というのはそ
の名から想像するに、やはり共同体内部の理論なのであって、その意味
では特殊を媒介しないと一般はありえないとする説は正しいのでは。
>>586 この例では他の生徒も教師も英語を全く知らないことが前提になる。
この状況で「誤解」と言えるのは、日本語と英語の両方を知ってる人
で、この人は二つの言語に対して超越論的態度であると言えるが、中国
語を話す生徒の前では「日本語と英語の二カ国語の共同体」の内部に
含まれるかもしれない。
そうすると最終的には「自分達の知らない言語を話す人間が存在すると
いうことを全員が分かっていればいいんでしょ」という話に行き着く。
だが、しかし、これこそが超越論的仮象を物自体に見出してしまうという
こと、つまり(ボロメオの環ではなく)円環構造になるということなん
ですね。言い方を変えれば「超越的な共同体を形成してしまう」という
ことで「超越-論-的」と区別しなければならない。
何故なのか?
共同体を超越しているかのごとく振舞う人間は、宗教であれ世界平和を
唱える政治家であれ必ず破綻するからであって、最初の例に戻れば人が
母国語(一つとは限らない)から「解放」されることはあり得ないからだ。
589 :
533あらためスタン・ケントン:02/04/15 01:16
固定ハンドルを使いますわ。できるかぎり、これを
騙ることをよしてほしいが・・・(私は小心者ですから)。
>>588 御返信に感謝します。
反論というわけじゃないけど、感想をすこし。
私自身は、単独性とは統整的理念としては納得できるけれど、
私自身は自分を単独者とは名乗れないし、その資格もない。
柄谷氏の場合は、サルトルの実存主義に強い影響をうけて
いるんでしょうね。実存は実存として認められるけれども、
私自身は容易には、単独-普遍を主張することには違和感が
あります。ということだけを応答しておきます。
590 :
考える名無しさん:02/04/15 14:32
>>588 >そうすると最終的には「自分達の知らない言語を話す人間が存在すると
>いうことを全員が分かっていればいいんでしょ」という話に行き着く。
>だが、しかし、これこそが超越論的仮象を物自体に見出してしまうという
>こと、つまり(ボロメオの環ではなく)円環構造になるということなん
>ですね。
上の考え方でも、超越論的仮象を物自体に見出すことにはならない。超越論
的仮象を物自体に見出すことは、人間の素朴な客観信仰に基づくからだ。た
だそれだけのことだ。
母国語という共同体を越え出ることができないから、世界平和を実現できな
いというのは詭弁に過ぎない。たとえば、英語であれば、各共同体を越えで
て、意思疎通できるのが実感だ。それを否定する人間は、頭が少し変だと
思われるだろう。数学の概念も、自然科学の概念も共同体を超えて、通用
する。
自分の理論体系で物事を判断するようになると、自らの首を絞めることに
なるから、気をつけた方がいい。
>超越論 的仮象を物自体に見出すことは、人間の素朴な客観信仰に
>基づくからだ。
その通り。だが「人間の素朴な客観信仰」を甘く考えてはダメだ、と
いうことだね。なぜならそれはいつでも反転するから。
例えば、上の例で言えば「自分達の知らない言語を話す人間が存在する」
ことを認識することは必要。しかし、それが反転すれば、あらゆる言語に
「素朴な客観信仰」を持ってしまう。だが、それは実際には母国語信仰の
裏返しにすぎない、ということになりかねない。
私の考えでは、明確な意思を持って英語を世界共通語にして世界平和に役
立たせようという考えには賛成だし、何の問題もない。しかし、あくまで
それは「人工的に」やるべきであって、そこに「実感」などを持ち出して
はならない。
例えば、私の「実感」ではユークリッド幾何学の第五公準は全く正しい。
それを否定する人は「頭が少し変だと思われる」。だが、ガウスが「自分
の理論体系で物事を判断」した結果、それを否定した数学をつくりあげて
しまった。これはつまり、今まで「共同体を超えて通用する」と思われて
いた数学が実は一つの共同体(システム)でしか通用しないことを証明
したようなもんだね。
ちなみに、カントのお陰で非ユークリッド幾何学の論文発表が遅れたとい
う説もあるが、ガウスは実はカントを何度も読み最終的には評価していた
らしい。
592 :
考える名無しさん:02/04/15 17:09
>>591 あらゆる言語に素朴な客観信仰を持つ自分のそうしたものの見方とは何かを
問えばいいだろう。
言語は常に「人口的」で一般的だ。しかし、人間は実存的実感から出発する
ことを忘れてはならない。
君があげたガウスの例は、じゅうぶん共同体を超えて通用する。というのは、
別の共同体がその数学体系の誤りを正すことができるからだ。正すことがで
きることは、共通の認識体系があることを前提にする。
>あらゆる言語に素朴な客観信仰を持つ自分のそうしたものの見方とは何かを
>問えばいいだろう。
その通りです。
>しかし、人間は実存的実感から出発することを忘れてはならない。
これ(実存主義)も正しい。しかし一方で、人間は構造によって規定され
ている(構造主義)というのも正しい。両方正しいんですね。
例えば英語に関する実感を英国、米国の歴史的な経済力、軍事力抜きには
考えられないはず。
>(誤りを)正すことができることは、共通の認識体系があることを前提
>にする。
「誤りを正す」というのは反証するということで、反証の可能性を考えて
始めて共通の認識体系が生まれるわけです。
したがって上の引用は次のように言い変えたいのです。
共通の認識体系があることは、(誤りを)正すことができることを前提に
する。
594 :
考える名無しさん:02/04/15 19:01
>>593 >共通の認識体系があることは、(誤りを)正すことができることを前提に
>する。
これは卵が先かにわとりが先かの論理的詭弁に過ぎない。実存主義も構造
主義も正しいとは、主観も物自体も同時に存在するというに言っているに
すぎない。
そうではなく、構造主義を成立させているのは、実存の意識の場であるこ
とを明確に認識することが大切だ。
>構造主義を成立させているのは、実存の意識の場であることを明確
>に認識することが大切だ。
しかし、この場合「実存の意識の場」は分析不可能な「穴」になってしま
うわけで、これを構造として捉えるとまさに「卵が先かにわとりが先かの
論理的詭弁」になってしまうと。
ただ、構造主義を基底に考えても結局ゼロ記号のようなものが「穴」にな
ってしまうわけでね。
そこで結局は、東浩紀的に言えば、「穴」=否定神学をとるか、「論理的
詭弁」=複数の超越論性をとるかという問題になるわけだが、後者の場合
論理をいくら重ねても「詭弁」から脱却できないわけで、最早「実践」
しかないと。それが柄谷の政治運動や東のオタク分析(これも政治的実践
の一つであると考えてもよい)であって、やっていることは全く別でも
トランスクリティークと複数の超越論性(郵便的脱構築)という似た思想
の共通する帰結なのではないか。
596 :
?l?|?e´?1/4?3?μ:02/04/15 22:05
>>595 実存の意識の場を分析する必要はないでしょう。また、そこを「穴」などと解釈
する必要もない。
人間の認識の限界、その飽和点を明確にすることが大切なのだ。何が言い得て、
何が言えないかを明確にすることがとても大切だ。飽和点を越えて何だかんだ
と言いはじめるから、柄谷や東のように、対極に別の物語を据えたりするよう
なバカなことを考えてしまうことになる。
597 :
589(Stan Kenton):02/04/15 23:34
>>595 私は月餅祭さんが、「論駁」が終わっても、この板に
どんどんと話題を提出して、板を「主導」して貰うことを
望みます。強制するわけではないけど。
ところで、「哲学往復書簡4」のここに皮肉ぬきに
泣けた。(生の話題で御免)。
「日本では戦後民主主義体制として確立された、戦後復興と
高度成長を経済的基盤とする五五年体制。換言すれば、勤労と
進歩の理念が支配的だった一時代ですね。これにたいし日本に
おける最 初のポストモダン世代は、生真面目な勤労の精神に
遊戯の具体的体験を対置したわけです。飢餓と貧困に苦しんだ
戦中派の親から、とにかく高学歴を達成し、有名企業の傘の下
で平穏無事な人生を送るのが「幸福」だといわれ続けてきた
子供たちが、生の一回性と特権的な経験を求めて反抗した
一時代」。
この「反抗」の対象って、いまの「親」じゃないからね。
私ももはや実感としては、わからなくなってきている。
なんか懐かしいというか、ちょっと、こもごも沸いてくる。
598 :
589(Stan Kenton):02/04/16 00:30
私自身は、誰かさんのように「偽の和解」を暴くだけでは
なく、「偽の敵対」を暴くということもしてみたい。
言葉を紡ぐこと自体はどうでもできるからね。
「関東といふ所は気風が妙だからナ。尊氏と新田でも、御覧
ナ。親類同士で、アーいふ喧嘩だらう。高時でも、悪いもの
かといへば、さうでない、八百人も自殺してるよ。一ツ敵に
なると、何といふことなしに、骨肉相殺すまでに至るのが
風だ。その代り、一ツ解けてくると、また、ガラリとするのだ。
昔から、アアだ。九州とは、よほど違ふ」(「海舟座談」=
岩波文庫。をすこし修正)。
革マル派と中核派のことを喋っているかなどとも思うよなあ。
それだけではないんだが。ま、単なる仮想的投機。価値はない。
(ところで地裁の判決だと思うが、ネット上の匿名の文章でも
著作権をみとめる判例が出たらしい)。
599 :
589(Stan Kenton):02/04/16 00:50
「言葉を紡ぐこと自体はどうでもできるからね」。
これは論争を妨害するつもりはないんで、
595さん、596さん、まだまだ、やりたければ
どうぞ。
600 :
589(Stan Kenton):02/04/16 02:56
具体的に語らせて貰いましょうか。挿入させて下さい。
>>593 「これ(実存主義)も正しい。しかし一方で、人間は構造に
よって規定されている(構造主義)というのも正しい。両方正
しいんですね。」
まったくその通り。このふたつはアンチノミーの関係だけど、
アンチノミーは成立しえるし、私観だと、克服するべきではない。
ヘーゲルはそれを歴史を導入して、絶対知-歴史の狡智として克服
したけれども、私自身はアンチノミーの動態に興味がある。
>>596 「人間の認識の限界、その飽和点を明確にすることが大切なのだ。
何が言い得て、 何が言えないかを明確にすることがとても大切だ。」
たしかにそのとおり。カントの目ざしているところはそれであり、
しかしするとあなたはアンチノミーを容認せねばならない。
またカントは、先験的綜合判断を実践の領域に限定しながらも
追究している。先験的綜合判断(後験的綜合判断ではないという意味)
はそれこそ思弁的=投機的なものだけれどもね。柄谷はそれを統整的
には認めているようだ。あまりにも早く諦めてはならない。
私の考えでは、それこそ 先験的綜合判断の領域を調停するのが
精神分析なんだけど。
ただ、それは先験的とはいいながら、呼び掛けられていることへの
応答ではないか、自発的ではないのではないかと私は考えている。
幽霊、ファンタスムへの責任とも関わると思う。
601 :
589(Stan Kenton):02/04/16 03:26
整理がてら、アンチノミーについていくつか。
一方、社会的決定理論だとか、選択についての科学だから、
それは、主体の情報処理能力をまったく信用していないから
(責任の根拠を奪い、同意を自動的に強制する)それは外側
からアンチノミーは解消される。
社会心理学(動機科学)、分子生物学もその方向だな。
人間の終焉か。
また、内部観測と外部観測との矛盾と相克もこのアンチノミーの
形式。ヴェクトルの違いということかもしれない。
602 :
考える名無しさん:02/04/16 10:40
>589(Stan Kenton)
>>600 >>601 「先験的綜合判断の領域を調停するのが
精神分析なんだけど。」
ある物語を説明する根拠を、別の物語に求めてしまい、それは果てしない循環
をもたらしてしまう。これって、自然科学のアプローチを使ったひとつの見方
にすぎない。哲学をなぜ、自然科学の方法で語ろうとするのか、その根拠とは
何かを、自らによく問いただすことが必要に思う。自然科学的アプローチに対
する絶対の信頼があるのだろうか。マルクスも同様だった。しかし、それらが
もたらしたものは、異を唱える者たちを粛清させる事態だった。
603 :
考える名無しさん:02/04/16 10:50
>589
>>600 「それは先験的とはいいながら、呼び掛けられていることへの
応答ではないか、自発的ではないのではないかと私は考えている。」
自分の意識の中に、或るものに対する志向性が存在する。だから、それは
実在するという推論は、まったく成立しない。たとえば、自分の理想とす
る異性を思い描いたところで、そんな相手が他者として実在するという確
信性は保証されないわけだ。本質存在から、事実存在は導き出されない。
604 :
考える名無しさん:02/04/16 10:58
>>601 外部に支配されている、決定されているという観点は、ひとつの社会
学的アプローチにすぎない。それを絶対化し、人間の終焉などと結論
づけるのは、思想の自殺行為だ。
外部に支配されているという見方を決定するのは、その本人であり、
外部の何かではない。また、外部の何かが、そう決定したのだと言っ
ても、それもそのように本人が意識の場で決定したのだ。
605 :
589(Stan Kenton):02/04/17 03:22
>>602〜604
御返信ありがとう。ただ、あなたのなかの一貫性、格率が見えない。
ある論点への疑問を提議し弱点をついてくれるのはありがたいが、
あなたはどういう合目的性をもっているのか?。
>>602 これはよくわからない。
>>603 これはよくわかる。先験性とは前験性と訳せなかったのかな。
たしかに経験を経由していないのに、そこで拡張判断をすると
それこそ、反証をどうするのかという問題はおこる。精神分析の
夢判断などでも、下手をすると、恣意的なものとなる。
でも、それらが実在しないとはいえない。柄谷は死者や生まれぬ
他者のことを言っていたでしょ。かれらは経験的には(経験は
ありえないのだが)、凡俗であり、ありふれたものかもしれない。
しかしそれらを無視することはできない。
>>604 これはシニカルに書いたんだけどね。私も嫌だよ。でもその現実を
ひとまづ、認めねばならない。
月餅祭さんに質問をすると、物自体と超越論的仮象との関係について、
あなたの定義に、ちょっと、違和感はあるんだけどね。
理性が物自体を把握しようとすると(越権)、超越論的仮象が起こる
のであり、物自体の基体性についての捉えかたが、ちょっと、正統的な
カント解釈と、違うのではないか?。そういう素朴な疑問。
(現在、内包と外延、それの往還運動と結合、それらの基礎について勉強
しているところです。このような馬鹿を啓蒙するというつもりで、
有志者は参加してください)。
606 :
589(Stan Kenton):02/04/17 03:56
ドゥルーズがディッケンズの小説をひいていたんでしょ(私は
読んでないのに語る)。
あるどうしようもない、いやなやつ、価値のないやつが、突如、
瀕死の状態におちいる。そいつを嫌っていたのに、周囲の好人物?
の全員が、そいつをなんとか介護する。息を吹き返す。また、
空々しい、いやな人間関係に立ち戻る。
介護したこと、おもわず、惻隠の情で動員されてしまったこと、
これは弱さなのか?。そうする態度もありえる。そのまま見殺しに
する方法もありえる。それで死んでしまった、と。にもかかわらず、
死んでもなお、否定も抹消もできない「なにか」、感情はずっと、
しこる。ますます肥大してくる。私のイメージする「物自体」とは
そういうものだ。生存の条件らしい。矛盾したものだよ。
(この文章で私は人殺しを容認したわけでも扇動したわけでもない)。
607 :
考える名無しさん:02/04/17 10:32
>>605 「柄谷は死者や生まれぬ
他者のことを言っていたでしょ。」
柄谷のいう他者は、超越項そのものだ。ぼくたちは、それを知覚することは
できない。過去の死者も未来の他者も概念でしかない。ぼくたちと今を共に
生きている他者とはまったく意味が違う。柄谷にとって、他者とは共同体の
神の別の名称だ。柄谷にとっての他者は、支配を受けられない外部を意味し、
支配を可能にする外部を意味する。そのように他者の本質を定義したところ
で、そういう他者が実在するという結論は導きだされない。
608 :
考える名無しさん:02/04/17 10:37
>>605 「でもその現実を
ひとまづ、認めねばならない。 」
現実だって?あなたがそう解釈しただけでしょう?そうやって、現実
をひとつの社会思想で解釈していると、社会に対する理解が、平板化
してしまう。貧しい視線でしか、社会を照射できなくなってしまう。
609 :
考える名無しさん:02/04/17 10:49
>>606 「否定も抹消もできない「なにか」、感情はずっと、
しこる。ますます肥大してくる。私のイメージする「物自体」とは
そういうものだ。生存の条件らしい。矛盾したものだよ。」
見事な本質観取だと言えるだろう。彼のように存在について感じる
人も多いだろうと思う。ここまでは、何の問題もない。そこから先が
問題だ。
610 :
考える名無しさん:02/04/17 11:47
>595
ゼロ記号な「穴」(オウムを穴といってた人もいたね。あれには
驚いたよ)と超越論的な複数性の可能性ってあんの?
ちと愚問かもしれないけど、東の複数性ってA・ワイズの証明に
みられるようなパッチワーク的論証とは違うよね?わたしは、ワイズ
の論証は現代的だと思うだけどね。
内(構造や実存)と外をいったりきたりって感じがするな。
割とカントのこと知ってるみたいだけど、カント=柄谷の可能性と
限界って何っすか?
>>610 オウムが穴じゃなくて、否定神学的な「穴」とその裏返しのシニシズムが蔓延
するとオウムのようなニセの理念が力を持つことになりかねないし、実際そう
いう作用が働いていたということでしょう。
そこでNAMについて、「ニセの理念」を阻止する為に「正しい理念」を提示
(大きな物語の復権)してシニシズムからの脱却を計る、みたいな見方が
かなり多いがそれは正しくない。
カント=柄谷的には、理念は各領域における具体的な「働き」みたいなもの
でしか提示し得ないのであって、例えば「Q(の仕組み)」そのものが理念
であると。あるいは東の場合「スーパーフラット」そのものが理念であって
それを無理やり理論的に提示すると『存在論的、郵便的』の第4章みたいな
わけのわからないものになってしまい、バカな人間から「クラインの壷の理解
が間違っている」などという下らん批判を受けてしまう。
(上のような意味で東の柄谷批判は360度間違っていて逆に最大の擁護になって
いる)
答えてくれてありがとさんっす。
ふぅ〜む。否定神学的な穴ね・・わかるけど、そりゃやっぱ抽象的すぎる
よ。それに、一般化しすぎるといつの時代でもそれがあてはまることになる
。名前忘れたけど、それを言った社会学者は、そういう意味でオールマイティな
ものとして概念を使いすぎてるね。あれでも、この世の中について何かを知りたい
と思ってる勉強くんには、ちょうどよいのかもしれないけどね。
あれだと何もいってないに等しいと思うよ。
抽象的な理念と現実との関係には、細かいとこは全然興味なしなんですよ。
柄谷は、おもしろい読み物だとは、思うし、浅田さんや柄谷さんは、断定的に
ものをいうからね。これが正解だって思って安心したい人たちには打ってつけ
だと思うよ。それに、いわゆる座談会的なゲームの勝利者が頭がいいって
言われてるわけだからね。わたしゃ、興味がないけど、その傾向は変わらないよね。
やっぱ、柄谷ってカントっすか。どうも、理念ってのがつまらなさの分かれ目
だな。
613 :
589(Stan Kenton):02/04/17 19:32
>>607 君は前に私が散々にぼろかすにいった人かい。
あるいは若い人に一般的な現象なのかな。
全体的に、最近の書き込みを見ても、私よりも歳下の人が
多いようだね。こりゃ、実存と言葉との関係において、どうも
意志疎通がうまくいかないのも、無理ないかもね。まあ、
若い人からも、いろいろ、吸収したいことはあるが。
マルクス主義や理念が物語っていうのも、わかんないけどね。
理想の時代、虚構の時代、動物の時代だなんて、見田-大澤の
くだらない比喩的な時代区分を、鵜呑みにするのはやばいよ。
東君はwebで公表している「ポストモダン再考」という、ひどい
文章でプラザ合意の年時を間違っていたようだけど、あれも
ひどいね。私はかれと同世代だけど、かれはバブル(1984年あたり
から露骨になる)について「同時代的な」記憶をもっているのかな?。
ガリ勉でおぼえていないんじゃないの?。
今の10代はバブルでさえ、過去のことで、その後に物心がついて
いるんでしょ。日本の空転はバブル崩壊後ではなくバブルから起こって
いるんだよ。古井由吉氏「楽天記」の「堕落の子」とは酷くいえば
「君達」なんだけど、たしかにそれを証明するかのように、自分の
経験していないことは、自分と一切、関係ないということのようだ。
これは非常に残念なことだ。東君はかれらと共犯的であるらしい。
東氏と笠井氏との書簡でも、本当に話が合うのかは、わからないね。
記憶が違うのだから。(記憶とは超越論的なものだという前提で
話をしていることは、わかるね?)。
614 :
589(Stan Kenton):02/04/17 19:45
>>613 私が語った対象の人称がごっちゃになったこと
については謝る。
醜悪
な
61なな
文章
619 :
オプティコメンタリーク:02/04/17 22:41
小浜逸郎『にっぽん思想の首領たち』それぞれの思想家?に対する苦言は
頷く部分もあるが、だから何?。という疑問が残る。
特に柄谷行人への批評…、がそういう感じがする。
ただ、これら思想家の抽出基準は?。
柄谷行人が、フロイトやマルクスに言及することの無根拠を問いながら
自らのこれらの思想家の選抜?基準を述べないのは思想批評提言者と
して不適格では。
しかし、生産性のない思想批評だ…。
そういう国だからしようがないが。
620 :
「トランスクリティーク」2:02/04/18 00:47
621 :
オプティコメンタリーク:02/04/18 01:22
柄谷行人を〈解体〉する、いつも重宝しています。
ところで、新潮文庫の夏目漱石の作品解説は柄谷行人氏がほとんど
手がけていますね。
しかし、柄谷氏のものがいかに鋭いとはいえ、柄谷的な読みによる
夏目漱石が一般化するとすれば、それはいいことなのでしょうか?
どうしても、批評が作品を生かすという部分があって。
622 :
考える名無しさん:02/04/18 05:56
単なる世代論に陥ることなしに
時代を判断する作業が必要なんでしょうか
623 :
考える名無しさん:02/04/18 11:08
>>613 世代の違いではなく、考え方の原理が異なるんですよ。
624 :
田畑稔『マルクスとアソシエーション』(新泉社):02/04/18 21:08
序論 アソシエーションというマルクス再読視座
第1章 ルソーのアソシアシオン論とマルクス
第2章 『ドイチェ・イデオロギー』と「諸個人の連合化」
第3章 アソシエーションと移行諸形態
第4章 アソシエーションと「自由な個人性」
補論 マルクス再読の試み
625 :
考える名無しさん:02/04/19 01:20
そこで名指されている人のうち、
少なくとも二人はここにいるよ
627 :
Kurihara:02/04/19 05:34
柄谷さん、「子犬たちへの応答」みたいな文はもう
いいですから、もっと理論的な文章を書いて下さい。
僕のように。
>>626 また、御冗談を。2chは便所の落書きですよ。
まじでいるよw
筑紫もテレビを使って落書きをしているがね。
629 :
589(Stan Kenton):02/04/19 08:13
>>625 あの文章には爆笑したよ。(他人事だよ。俺ら、便所虫とはなんの
関係もない)。(むしろ一定の勝利だ)。
>>626 お前って、ほんとに、馬鹿だな。うぬぼれるのも
いい加減にしろよ。
俺はいっておくけどね(言い訳じみるが)、丹生谷氏が書いていたが、
柄谷が酒席で「俺が文壇だ」と放言したという。柄谷の文体、言説に
その秘密がある。いうまでもなく、俺はそのような文壇なんざ解体して
よい。文壇のなかの(左翼的?)政治性についても崩壊してもよい。
そう考えている。そんな統覚なんか、興味ないよ。
所詮、文学は遊び(サブカル、マスメディア、商品)なんだよ。こんな
もんが、世の中を(指導的に)動かせるなどとうぬぼれるのが間違いだ。
広い意味で、アカデミズムとジャーナリズムとの関係を再考する必要が
ある。
630 :
589(Stan Kenton):02/04/19 08:25
ただ、今の俺にとっては、柄谷よりも鎌田の方が怖い。
鎌田が本当に柄谷から自立したら、柄谷よりはるかに
強敵だよ。柄谷はすでに死んでいるけど(哀しいねえ)。
631 :
考える名無しさん:02/04/19 09:29
もう、どうでもいいや・・・
-― ̄ ̄ ` ―-- _
, ´ ......... . . , ~  ̄" ー _
_/...........::::::::::::::::: : : :/ ,r:::::::::::.:::::::::.:: :::.........` 、
, ´ : ::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::::: : ,ヘ ::::::::::::::::::::::: : ヽ
,/:::;;;;;;;| : ::::::::::::::::::::::::::::::/ /::::::::::::::::::: ● ::::::::::::::::: : : :,/
と,-‐ ´ ̄: ::::::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::r(:::::::::`'::::::::::::::::::::::く
(´__ : : :;;:::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::`(::::::::: ,ヘ:::::::::::::::::::::: ヽ
 ̄ ̄`ヾ_::::::::::::::::::::::し ::::::::::::::::::::::: : ●::::::::::::::::::::::: : : :_>
,_ \:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: `' __:::::::::-‐ ´
(__  ̄~" __ , --‐一~ ̄ ̄ ̄
632 :
考える名無しさん:02/04/19 10:24
>>625 「子犬たちへの応答」は爆笑しました。自分を攻撃する者に対する単な
る悪口じゃねえか。あれが、柄谷さんの本性なのかなあ。すんごい、エ
リート意識丸出しという感じですね。
633 :
考える名無しさん:02/04/19 10:47
>>632 今ごろわかったのか。
そんなにトロいといつまでも便所の落書きしか書けないよ。
634 :
考える名無しさん:02/04/19 12:06
635 :
考える名無しさん:02/04/19 16:35
鎌田って怖いかな?
636 :
589(Stan Kenton):02/04/19 16:36
ただ柄谷さんがあんな、とぼけた、とんだ文章を
書いたのも、武力攻撃事態法案・安全保障会議設置法案改正可決への
危機感からかもしれないね。その意味では、俺も自己批判をせねば
ならないか。この有事関連法案の是非はともかく。
637 :
589(Stan Kenton):02/04/19 16:40
>>635 あらら、かぶったね。
君はともかく、俺はちょっと、怖い。
だから、支離滅裂のいちゃもん文章を過去に書いたよ。
「鎌田、柄谷のコワイロ屋」と書いたのは俺だ。
自己批判する。
638 :
考える名無しさん:02/04/19 17:07
関連スレが一瞬で活性化してしまうところは、
柄谷畏るべしと思う。
読んだことはないんだが・・戯れてるだけじゃない?
割合ストレートに。
<ンジャ口出すななる主張は却下(藁
640 :
Kurihara:02/04/19 17:25
鎌田さんは「文壇の鈴木宗男」になる可能性
が十分にありますね。
鎌田さんの怒りは故郷北海道の公共事業削減
への怒りでもあるわけですから。
ケインズ=バタイユ主義なんですよね、柄谷批判者の
皆さんって。やはり戦後世代なんです。
柄谷さんが依然マルクスに拘ることにいらだっているんです。
「ケインズ政策と先送り政治でいいじゃん!」という感じに。
つまり多幸症なんです、彼らは。
彼らは柄谷さんの幸福主義批判が許せないんですよ。
ふぇのふぉびあマンセー
642 :
考える名無しさん:02/04/19 17:46
ケインズはわかったがなぜバタイユが?
643 :
589(Stan Kenton):02/04/19 18:40
>>640 あなたの今までの書き込みにはもひとつピンと
来なかったんだが、これはおもしろい。
でも「鎌田さんの怒りは故郷北海道の公共事業削減
への怒りでもあるわけですから。」はなんらかの証拠が
あるんだろうか?。私は北海道に行ったことがないので
どういう状況なのか、知らない。そんなに不況がひどい
のか。
北海道といえば私は田中角栄の発言を思いだす(『自民党
政調会』=日本経済新聞社・1983年)
「北海道は鉄道は明治から赤字だ、これから百年もまた赤字だ。
赤字だが、北海道に鉄道が行ったから、百年間で、四万人の
北海道が五百六十万人になった」。
「僕は北海道を一千万人にしたいんです。もう三十年前から
北海道を一千万と言っている」。
「本州と四国は国鉄を民営化してもちゃんとやれるが、
北海道だけは駄目だ。これは沖縄に対する電力と同じだ」。
「軍事的に考えて北海道の鉄道はどうするんだ。北海道から
鉄道を外そうという者は、北海道の治安維持や北海道の
今後を考えていない連中だよ。意図的なことだと言って
間違いないよ」。
たしかに田中はケインジアンだった。
644 :
考える名無しさん:02/04/19 18:51
拡張ではなく、類推へ。
645 :
考える名無しさん:02/04/19 19:13
>>629 >所詮、文学は遊び(サブカル、マスメディア、商品)なんだよ。
おいおい、柄谷を読んだことがあるのか?一体何を呼んできたんだキミは。
文学が遊びでないことくらい、少し読めば分かるはずだが、
敢えて「文学=サブカル、マスメディア、商品」などと等置させるところを見ると、
明らかに宮台以降のソシオロジーの文脈で語っているとしか思えん。
キミの語法だとあらゆるものは「遊び」になってしまうぞ(w
647 :
Kurihara:02/04/19 19:17
>>643 北海道の不況が深刻なのは、北海道大学経済学部
教授の西部忠さんがNAM会員でもあることに鑑みれば
事態の深刻さは自ずと明らかでしょう。因みに、
あの西部邁さんなども北海道出身ですが、彼の怒りも結局
ケイジアン的怒りなので、NAMに批判的な鎌田さんの怒りも
西部邁さんのとつまるところ同根といわなければならないのです。
僕が鎌田さんの怒りがケイジアンのそれだといいたい理由です。
>>642 それはケインズ経済学の哲学的形態がバタイユだからです。
これは、いいだもも(飯田桃)さんが言っていることですが、
バタイユの尽蕩の理論が、ケインズ的な予算使いきり政策
の思弁的反映なのはある意味対応があるでしょうということです。
<<尽蕩=無駄使い=熊しか通らない立派な道路=公共事業=ケインズ>>
という連想をすればそのことが解るはずです。
>Kurihara
こういう思い込みに的外れを掛け合わせたようなのがいるMLは
腐ってくるね、だいたいどこも。
649 :
Kurihara:02/04/19 20:12
>>648 「批評の批評」はもういいですから、貴方の意見を
いってくれませんか?
手前のパラノな思い込みが「批評」だって(プ
つうか「北海道出身者だから公共事業削減反対論者」ってのは
最早、「差別」だけどね。
651 :
Kurihara:02/04/19 20:58
どうでもいいですが、NAMスレに
しつこくAA貼っているのは誰ですか?
同一人物の仕業のようですが。
>>650 激同。
だが正直、
まともとされている批評の多くはこんなだよ。
成功した電波が名声を博するんじゃねーの?
うまくいけば儲けものだ(w
>>647 一応聞くと、そうした事態に対するマルクス的応接って?
二、三のいやな回答が容易に思う浮かぶが、
そうでないのを希望するよ
653 :
Kurihara:02/04/19 22:07
「そうした事態」って不況のことですか?そして、
その不況をマルクスだったらどうするか、と聞いているのですか?
マルクスによれば、不況は貨幣流通の停滞であり、
その停滞の原因はまさに貨幣自身にある。
つまり、貨幣のもつ「蓄積可能性」が貨幣を流通局面から退かせている
のであり、その貨幣の蓄積傾向を資本(守銭奴)がさらに強化してしまう。
ゆえに、資本制下における不況は資本(守銭奴)の除去以外には
解決策はないのであり、そのためには貨幣の蓄積可能性を構造的に否定
する必要がある。つまり、貨幣蓄積が起こらない「新貨幣」をゼロから
作らねばならない。そしてそれへの応接が「LETS」にほかならない。
まあ、こんな感じでしょう。
654 :
Kurihara:02/04/19 22:25
つまり、不況を否定するためには
資本主義を否定するしかない。
(なんという皮肉!資本のトランスナショナルな移動
が、世界的不況を打破するされているから。しかし、
それでは不況はさらに深刻化する。資本の世界化は
地球人を全て守銭奴に変えるからだ。)
ここにマルクスの批評性を見るべきである。
守銭奴
656 :
589(Stan Kenton):02/04/19 23:10
>>653,654
いやあ。すばらしい文章だな。いろいろわかった。
ところで、私はこのスレをブックマークでつけているから
哲学板の他のスレや状況一般についてほとんど見ないのだ
けど、たまに見ると、いい文章を書く人は結構、多い。
なのに指示子もつけていないために、一回きりで、読み
捨てにされてしまうことが多い。惜しいなあ。私や
Kuriharaさんのように固定ハンドルをつけろとはいわない
が、指示子ぐらいつけたらどうか(文の人称への帰属性の固定)。
書き込むというのはやはり誰かにまともに読まれたいわけでしょ。
その欲望自体は卑しいわけではない。指示子をつければ人格的な
一貫性や場の文脈が生まれるし、過度の複雑性の介入も防げると
思うんだがね。どうだろう(過度の複雑性は書き込み自体を殺す)。
人格性がないと、いい文章の意義や権威もなくなるんだよね。
やっていれば、わかると思うんだが(これはお節介か?)。
貨幣の蓄積停滞をやめさせるには「新貨幣」をゼロから作らなくたって
今現在当局がやっているように金利をゼロ(に限りなく近い)、あるいは
マイナスにすればよいだけ。
それでも不況は解決していない。
それは今の日本の産業構造では「必要なもの」を供給できないから。
ケインズ政策が「尽蕩=無駄使い=熊しか通らない立派な道路をつくること」
なんてのは、「均衡」や「有効需要」とか基本中の基本を知らないまさに
「サル以下」の発想だね。経済学以前の常識でわかることだよ。
658 :
589(Stan Kenton):02/04/19 23:14
>>657 金利のマイナスって、なにだね?。そんな銀行が
ありえるのか?。
流通している通貨の殆どが赤字国債なのだよ
>>658 銀行レベルでもあるし、金利政策でもあり得るし、成功した地域通貨は
マイナスの利子(保有してたら価値が減る)だよ。
今の状況じゃ東京三菱なんて小額預金者に対してやりかねないよ。
不況を克服するには、貨幣の問題抜きに
必要な物を効率的に生産すればよい。
だがそれ自体がよい事だとは思えない。
人間は楽して生きるために生まれたのでは
ないから。
662 :
589(Stan Kenton):02/04/19 23:27
>>660 それは実質価値の話だろ?。実際の金利政策で
名目価値(元本)を預ければ預けるほど損をするならば
誰も預金などしない。すると引き上げがおこり逆に恐慌が起こる。
金利政策では一時的にしか変わらない。
市場はすぐにバランスを取り戻す。
665 :
589(Stan Kenton):02/04/19 23:38
>>663 あんたのようなやつを単に言葉を紡ぐだけの
やつという。
666 :
589(Stan Kenton):02/04/19 23:47
実質価値(購買力)が下がるのは貨幣供給量が増えている
から。実際、最近ではそれは国債だ。インフレを抑止するには
利子を上げねばならない。利子を下げるのは生産者に金を回す、
そして雇用を期待するため。利子はかぎりなくゼロには近付くが、
マイナスになることはない。
最近、やたらと新札を見かけるんだが、大丈夫か?。デフレから
急に悪性インフレにならないか?。
667 :
Kurihara:02/04/20 00:05
>>657 資本主義の問題性を守銭奴の問題性にまで
遡って考えたマルクスや柄谷さんが、依然
誰よりも新しいということが、貴方のカキコを見て
改めて感じました。
柄谷も大変だよ。
まあ自業自得だが、バカ読者を生み出してしまった責任をとる為に
NAMを始めたとしたら、それなりに倫理的だ。
669 :
Kurihara:02/04/20 01:43
>>668 このカキコは資本主義が執拗に残存
しつづけるということのメタファーになっているなら
僕はこのカキコにはそれなりに意味がある
と思いますよ。
「守銭奴の問題」ではなくて、「何故、ビックリマンシールじゃなくて
守銭奴(貨幣)なのか」について考えたわけだよマルクスは。
柄谷もそれを考えた。ただし、ゲーデルについて考えたときにね。
それがわからないと、「資本主義のドライブは貨幣蓄蔵にある、だから
不況がおきちゃう。そこで利子を生まない地域通貨さ!万歳!万歳!
全て解決!はっはっは」ということになります。えぇえぇ。
671 :
Kurihara:02/04/20 02:54
>>670 言いたいことは解りますよ。
ただ、柄谷さんは『トラクリ』ではあからさまに
貨幣フェティシズムを批判するようになりましたからね。
おそらくあの子犬のみなさんが『トラクリ』を
評論できないと柄谷さんが言う理由もそこにあろうかと
思われますがね。
子犬のみなさん(特に東さん)にはフェテシズムを否定
することは出来ないでしょうから。
東さんが否定神学を否定するのは、結局、否定神学が
「偶像崇拝の禁止」という教義の哲学的形態だからなのです。
東さんは偶像崇拝の禁止を受容するには余りに「でじこ」
という偶像を愛してしまっているのです。
n次元。
xつの、仮想的な「極」。
たいていのひとは、てきと〜なところで、あっちへふらふら、こっちへあれれのれ♪
この状況を俯瞰すると?
673 :
考える名無しさん:02/04/20 03:08
マルクスが貨幣フェティシズムを否定しているわけではない
674 :
考える名無しさん:02/04/20 03:17
クリたんは子犬の糞以下だとなぜ気づかん!
675 :
考える名無しさん:02/04/20 03:27
>>674 ネタスレは人類の希望だ!!
即刻クリたんに謝罪しる!!
TPO♪
677 :
考える名無しさん:02/04/20 03:36
このくらい言ってめげるようなら偽クリタンじゃないの
つまんないこと気にしないで、別に希望を持ちなよ
678 :
Kurihara:02/04/20 03:39
子犬の糞以下と言われるよりサル以下と言われた方が
腹が立たつのはじつに不思議なことでありますな〜。
浅田さんに人をわざと腹立たせる文を書かせれば、
きっとすごいんでしょうね。
東さんは厄介な人を敵にしたと思います。
(その点、柄谷さんの「子犬」という言い方はまだ愛がある。)
679 :
589(Stan Kenton):02/04/20 03:45
>>663 最近、こういう、わざとでたらめなことを言って、それに
乗ったら「残念、いまのはひっかけでした〜」とする悪質な
やつが多いな。人格的に悲惨すぎる。
有効需要(総投資+総消費)をあげるための二つの
政策(中央銀行による金利操作、政策による公共投資)がある。
有効需要を一番わかってないのは、お前だろ。(尤もこの
さきの問題。マクロ的均衡の問題は期待の概念が入ってきて
難しくなる)。
均衡についてはヒックス「価値と資本」(岩波文庫)を読め。
難しいけれども。それで均衡が成立しない場合がある
ことも知っておけよ。
680 :
考える名無しさん:02/04/20 03:51
さすがクリタンにはまだしも遊びがある。
589より救いがあるよ。NAMなんか止めればいいのに。
681 :
589(Stan Kenton):02/04/20 04:05
どうも勘違いをしているようだな。
俺はNAMとは全然関係ない。
昨日になって、いきなり、程度の低いやつが
増えてきた。これも副産物か。
682 :
考える名無しさん:02/04/20 04:12
程度が高い589はさっさとデビューすべし
683 :
589(Stan Kenton):02/04/20 04:14
デビューしたいという欲望は682
のものであり、私のものではない。
誤解があるといけない。断わっておく。
クルタンにはまだ救いがあるから、NAMなんか止めてもがいいんじゃないっていったの。
589にはいってないのに、自意識過剰なんじゃない?
君はクリタン以下だね。
685 :
589(Stan Kenton):02/04/20 04:30
>>684 だったら自分の文章を研削しなおしなさい。
>>683 およそ言明してるという点において、「デビュー」かと。
687 :
考える名無しさん:02/04/20 04:41
しなおしなさい。プッ
688 :
589(Stan Kenton):02/04/20 04:47
>>686 私の欲望をそんなに知りたいっていうのは
私への転移にかかっていることを証明するものです。
換言すると、間接事実ないし直接証拠の提出を求めます(藁
691 :
考える名無しさん:02/04/20 04:51
688は病気なの?
かあいそう
692 :
考える名無しさん:02/04/20 04:53
確かに、前後のスレを混同する癖があるみたいだね。
分析能力に欠けるな。テクストを読み込むなんて不可能だろうな。
混同に操作的契機があるならば、ちとやっかい、ってか有害。
とまぁ..
ここまでいってしまうと、ピロユキと一蓮托生やな・・(苦藁
695 :
589(Stan Kenton):02/04/20 05:10
多くのヒステリー患者を前にした分析家のようだ。
大文字の他者の欲望がなにかを探る以前に、自分の
欲望に気づくべきです。勿論、これは私も自戒と
せねばなりません。
(私は自分の読みたい文章がすでにあるならば、わざわざ
書き込んだりしません。しかしこれもまた別の転移では
あります)。
あなたがたが本当に否認したいのは、何なのですか?。
問うのならば、貴方がまず陳述せよ。
なお、主張と申立ては区別すること。
697 :
考える名無しさん:02/04/20 05:17
クリタンなのかな?
698 :
589(Stan Kenton):02/04/20 05:20
>>689 いうまでもなく、その言葉はまづ第一に、
あなた自身の言葉に課さねばならない
(試煉をかけるのは自分の言葉からです)。
転移からの離脱は本人の自発性によるしか
ありません。他律的には論理的にも
道徳的にも無理なのです。
また、できれば、過去ログを読んで貰いたい。
話が重複しすぎている。
貴方においてもそうであろうかと。
ということは?
700 :
?l?|?e?L?1/4?3??E^:02/04/20 12:15
日本の現在の不況は、バブル期に貸した借金が、返済されないことで起きてい
るのであって、資本の貨幣を蓄積するからではない。
借金を返済できない企業は、生産物を供給できなくなり、結局倒産する。銀行
はその分、銀行としての血液を自身で供給できなくなり、他の可能性のある企
業へ投資もできなくなる。可能性のある企業も身動きができなくなる。その影
響範囲があまりにも、大きいために、大不況に陥っている。
701 :
対馬斉『人間であるという運命』(作品社):02/04/20 22:14
702 :
Kurihara:02/04/21 03:38
なにより不思議なことがあるとすれば、それは
LETSを導入しさえすれば、資本主義は止めを
刺されるという単純な事実にあります。
この事実は知れば単純なのだが、その事実に到達
するためにはマルクス以来2世紀もの年月が
必要だった。柄谷さんがこの記念すべき時に立ち会え
ことは彼にとっての最上の冥土の土産でしょうし、
NAMをあたかも成功したかのように語る柄谷さんの
余裕もLETSの威光のおかげなのです。
資本の謎を解き、その処方せんさえ発見した柄谷さんの
人生は今まさに絶頂なのです。
まさに至福の時なのです。
なので柄谷さんをそっとしといて上げてください、
子犬のみなさん。
703 :
2ch猛虎会 ◆NXKR8SIo :02/04/21 03:50
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ´∀`) ( ´ー`) ( `∀´) ( ゚ ∀゚ ) ( ^∀^)
( つ┳━∪━━∪━∪━━∪━∪━━∪━┳⊂ つ
| | | ┃ 会 員 募 集 中 ! 2 c h 猛 虎 会 ! ┃ | | |
(__)_) ┻━━━━━━━━━━━━━━━━┻ (__)_)
● スポーツ実況板 →
http://live.2ch.net/dome/ 書き込みの際は、名前欄に「2ch猛虎会#任意の半角英数字」と
入力してください(トリップ取得)。これで入会手続きは終了。
悪質な荒らし行為を行った者は晒し上げて除名します。
704 :
考える名無しさん:02/04/21 03:53
善男本人はこのスレみているのかな?
705 :
考える名無しさん:02/04/21 05:34
最近「転移」の濫用が目立つ。
結局子犬の言説を援用しているのだろう。
>>702 どうしてLETSで資本主義が止まるんだ?
どう見ても資本主義を前提にしたものにしか見えんのだが。
708 :
「トランスクリティーク」3:02/04/21 20:55
709 :
考える名無しさん:02/04/21 21:52
柄谷行人が東氏を子犬と呼ぶ。
このことに始まったことではないが、柄谷行人の文章や発言の論理の飛躍は苦しいものがある。
そしてこの子犬発言は善男が状況の変化に流された上で態度を明らかにした、とも言うことができる。
そして最近、浅田彰は露骨に東氏を罵倒した。
浅田も柄谷もこのことがおのおの自分の態度を変えるものではないと考えているようだが、
彼らは東浩紀と交流していた期間にこのことを予測できていたのだろうか。
柄谷や浅田には特殊かつ時事的な自負心があるようだ。
それは柄谷が『AERA』で「戦争くらい止めてみせます」という発言をしたことからもわかる。
浅田は青山真治の『ユリイカ』を別の『ユリイカ』と間違えるという苦しいいわけをしている。
しかも、このことに対して誰も彼らに言葉をかけないし、彼ら自信がそれを拒否しているようにも見える。
柄谷行人がいう「他者」は柄谷行人には居ないと考える方が自然だろう。
改行よろしく
711 :
考える名無しさん:02/04/21 22:44
>>709 >柄谷行人がいう「他者」は柄谷行人には居ないと考える方が自然だろう。
同意。つうかどう考えても柄谷の言説に他者はいない。
712 :
考える名無しさん:02/04/21 22:49
柄谷行人にとって他者性のあった東浩紀を完全否定した彼に彼我なし。
うーん微妙だな。単にものわかりいい態度に「他者」があるってわけじゃなく
逆説的に柄谷みたいな唯我独尊が「他者」を顕在化させるというか
,.;'‐、____,:-;';:、.
/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ.
/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ.
/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:ヽ.
i;:;:;:;:;:/ノ-'-''"ヽ;:;:;ヽ'''-ヽ、;:;:;:;:;|
{;:;:;:;:ノ■■■ ■■■ヽ;:;:;}
ヽ;:;{ _ _ |;:;:{
};:;|三/ ●),. 、(● ヽ三 |〈
ヽ| " ゙='"/:::ヾ='"゙ | } __________
{ |∫ ∴ (,.、::,. ) ∵ |/ /
ゝ::... ...:人:人:::..... ...! <
{;;ヽ:.:.:.:.:.:.:.<Ξ>:.::.:.:.:.:.:.:/;} \ 動物化!
/ ヽ:.:.:.:.::.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:/ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ |ヽ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:/| \
ヽ ̄ ̄ ̄ /
ヽ___/
715 :
考える名無しさん:02/04/22 01:20
柄谷行人は株で大儲けをしていると事実に対して
ここで議論をしている人がどれほど耐えられるのか。
それこそレトリックの議論よりも本質的だ。
教祖の金儲けに耐えられる貧乏人、手を挙げよ
,.;'‐、____,:-;';:、.
/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ.
/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ.
/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:ヽ.
i;:;:;:;:;:/ノ-'-''"ヽ;:;:;ヽ'''-ヽ、;:;:;:;:;|
{;:;:;:;:ノ■■■ ■■■ヽ;:;:;}
ヽ;:;{ _ _ |;:;:{
};:;|三/ ●),. 、(● ヽ三 |〈
ヽ| " ゙='"/:::ヾ='"゙ | } __________
{ |∫ ∴ (,.、::,. ) ∵ |/ /
ゝ::... ...:人:人:::..... ...! <
{;;ヽ:.:.:.:.:.:.:.<Ξ>:.::.:.:.:.:.:.:/;} \ 志村科学でダッフンだ!
/ ヽ:.:.:.:.::.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:/ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ |ヽ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:/| \
ヽ ̄ ̄ ̄ /
ヽ___/
717 :
考える名無しさん:02/04/22 02:56
転移、転移というけれど、それは影響の過剰ではなく、影響の偏りですよね。
柄谷自身に、その批判は当てはまると思うんだけど。
子犬たちは、その偏りを共有しすぎているんじゃないかな。
無論、東のように足掻いても、抜けだせぬ質のものではあるが。
だから、右翼のデブが問題になるんじゃない?4
718 :
考える名無しさん:02/04/22 10:15
NAMは開かれたコミューンではなく、閉じたコミューンだという感じがする。
自分に敵対するものを罵倒し、自らの正しさを高らかに宣言するような集団
だ。
柄谷のいうNAM原理なんて、八百屋のおじさんや駄菓子屋のおばちゃんが理解
できるだろうか?
柄谷の他者は、神様なんだよね。NAMの神にみんな、跪けといってるんだよ。
719 :
考える名無しさん:02/04/22 10:18
同意。
「開いて」ない。
批判契機に身を晒すリスクを犯していない。
意図的な操作が目立つ。
720 :
考える名無しさん:02/04/22 11:10
NAMの公式サイト見ても重要な基本情報は一切書いてないしね。
今現在の会員数も分からなければ、会費の流れも全く不明。
柄谷は入れば分かるというが、それじゃ何の意味もない。
まさに閉じている。
721 :
考える名無しさん:02/04/22 11:31
一旦「入って」しまえば、
圧倒的な情報リソースの差のもとでの「情報のシャワー」がまってるだろうて
722 :
589(Stan Kenton):02/04/22 12:29
どうでもいい書き込みが目立つねえ。
整理してみようか。柄谷氏の書き込み:
「こういう連中は、全面的に私の言説の中で育ってきて、一人前に
なるために、そこから出ようとして、まず私にからみ攻撃する。しかし、
それでは私に対する従属をますます認めることにしかならない。(何に
しろ私はこんなストーカーどもにつきまとわれたくない。)そもそも、
このような心理はあまりに単純であって、それを自覚できないというこ
とだけからみても、この連中には見込みがない。」
こんなの、当たり前だろ。こういうことをわざわざ書くことに最近の
柄谷氏の脇の甘さが目立つ。またかれらはそういう態度をそれこそ
福田から学んでんだろ。福田和也の唯一ましなところは、権力は禅譲を
待つのでは駄目であって、それを奪い取らなければならないことを自覚
しているところにある。だから柄谷さんのこの応答はヒステリックである
のだが、しかしなにか目的は別かもね。(私自身は柄谷よりも中上健次に
ずっと執着しているのであって、柄谷の言説に育ってきたつもりはない。
勿論、中上に同一化するつもりはないし、私も誤読しているかもしれない)。
鎌田についてすこし。かれはおそらく丸山真男「忠誠と反逆」を読み込んで
いると思う。私の使用ではそれは「小忠」と「大忠」ということになる(
平泉澄「武士道の神髄」=『日本精神講座』新潮社)。平泉史観はつまら
ないが、この「小忠」と「大忠」の区分操作はおもしろい(個-特殊-普遍の
図式を意識していると思われる)。平泉なりの公武合体の説明なんだけど。
鎌田が過激なのは、単に「小忠」を「大忠」の媒介にするだけでなく、
「小忠」のためなら「大忠」を犠牲にしてよいと覚悟しているところ。それは
大忠を構想力として利用することを拒否するから、悟性的な自己撞着を
もたらす可能性が高い。危険もある。しかしそれでもよいと思っているん
だろう。鎌田の生家がどういう事情で北海道に流れたか、尋ねたいところ
でもある(これは特殊なものに普遍を帰属させることになるかもしれない)。
鎌田がわかっていないのは(かれの中上論=「すばる」討議)、天皇は
もともと関西人なのだ。関東が天皇を奪いながら一切の責任を天皇に負わす
のは、倒錯ではないのか。そんなことをしているうちは、関東も自立でき
ないのではないのか。鎌田もスガも貧困が周囲にあったから、国有化議論に
魅了されるのは、わかるのだが、もうちょっと、具体的なことを見て貰わ
ないとね。(この部分はちょっと甘い書き込みだと自分でも思う)。
723 :
考える名無しさん:02/04/22 13:14
>鎌田の生家がどういう事情で北海道に流れたか、尋ねたいところ
>でもある
kuriharaと同じタイプの最低のクズだね。
いいから死ねや。
724 :
考える名無しさん:02/04/22 13:15
同意。
多量の情報の中に、レッテルを紛れ込ませている。論外。
今回の柄谷は明らかにやりすぎだろ
俺はウェブクリティークで読んだだけだが
子犬は言いすぎ
726 :
考える名無しさん:02/04/22 15:26
そもそもその子犬たちはどんな柄谷批判をしていたんですか?
(最近そういうのに疎くなったので)
727 :
考える名無しさん:02/04/22 21:06
東氏に関わった上で、東氏を完全否定した柄谷行人。
柄谷の立場が他者を顕在化するとは偶像崇拝に等しいのでは?
少なくとも、現在は「人物」は必要とされていない。
柄谷の自負心は柄谷の独特な文章表現から容易に「柄谷行人」を連想させる。
柄谷行人は人物が世界を俯瞰・体系化できるといった甘い幻想をもつ最後の人物かもしれない。
728 :
考える名無しさん:02/04/22 21:48
>>727 一点突破読み(可能性の中心批評)をやったきた柄谷はその代償として
いろんなものを切り捨ててきたわけで、子犬の件も別に目新しいことは
ないでしょ。
新しい世代(自分の批評の影響下にあった世代)が出てきて、その対象
が広がっただけ。
そんなことより、東はどんな柄谷批判をしていたのかな?
昔は自分の郵便的脱構築に対して、柄谷の超越論的批評は物自体を考える
るための条件にすぎない否定神学というような批判をしていたとおもうが。
729 :
考える名無しさん:02/04/23 02:00
フロイト−ユング
フッサール−ハイデガー
730 :
考える名無しさん:02/04/23 06:29
731 :
missup:02/04/23 06:30
>そんなことをしているうちは、関東も自立できないのではないのか
??
733 :
考える名無しさん:02/04/23 14:23
柄谷は昔からああいうキャラだろ。
じゃなきゃNAMみたいな運動はできないんじゃないの。
まあそれがNAMの限界でもあるのだけど。
734 :
考える名無しさん:02/04/23 17:18
>>730 言っている意味がわかりかねますが。「批評する者は批評される」という
柄谷行人自身の言葉を柄谷行人自身が拒否している矛盾をどう捉えているのですか。
「これは予言ではない」と露骨に繰り返す表現から「予言があたって嬉しい」という印象をもった人は少なくないでしょう。
批評家を自負する人間がこんな論理の飛躍をつかって且つ誰からも文句を言わせないという態度は批評されて然るべきものではないでしょうか。
しかも「戦争くらい止めてみせる」と公に言ったうえでこの発言行為をする柄谷行人にどんな批評性があるのかを聞きたいものです。
おまけに「小犬たちへの応答」のどこが文章なのか、批評なのか、論理性すらあるのか私には判りかねます。
しかし、
>>730の言うように柄谷行人が別に変わったわけでもなく、
衰弱したわけでもなく、ただ今の状況についていけなくなっただけ、
ただ柄谷行人の正体が状況の変化によって明らかになってきたというのなら話の筋は通りそうですが。
>1
その必要は全くないっしょ、はじめっからバラけてるもん。カスカス
>>730 ありがとう。
なるほどね…
柄谷は以前から国家論は『資本論』からやるべきで、初期マルクスにもどる
べきではないと言っている。
あるいは市民社会からやるべきではないと。
特に、9.11以降はこれを忘れるべきではない、ということになるだろう。
柄谷を批判するにしても、あらためて『トラクリ』を知的緊張をもって読む
べきでしょう。
結局、東は『トラクリ』の基本的な構えに全然届いていないのよ。
柄谷は「衰弱」したという東のことばはそのまま東本人にもあてはまる。
往復書簡の東の文にはなんの生彩もなく、ただ保身的スタンスの表明だけが
目立っているように感じる。
まあ、いきなりちゃぶ台ひっくり返す柄谷もいかがかとは思うが、お元気で
なによりだとは思う。
今後は面倒くさがらずに、皿単位でコツコツひっくり返してほしいものだ。
>>736 >>結局、東は『トラクリ』の基本的な構えに全然届いていないのよ。
>>柄谷は「衰弱」したという東のことばはそのまま東本人にもあてはまる。
>>往復書簡の東の文にはなんの生彩もなく、ただ保身的スタンスの表明だけが
>>目立っているように感じる。
そそ。僕はあの文章を読んで東君に置換してパロディ化したくなったんですよ。
要するに東君は単なるガキなわけね。しかも彼はあの9/11当日に「網状言論」
のシンポジウムに出かけて「萌え」がどうとか言いながら、でじこにウツツを
ぬかしていたわけで(藁)、そんな彼に柄谷氏の批判をする資格があるとは到底
思えないわけでね。
お前ら、まだ戦後の準備してないの?
お前ら、まだ戦後の準備してないの?
なぜにここまで語られるほど重要なのかわからん。
自分は全くかすらなかった。1冊しか読んでない。頭悪くてゴメンネ。
>>737 いや、勘違いをしていました。網状言論のシンポは9/16ね。
どのみち大した違いはないけど(藁)。
>>734 >>言っている意味がわかりかねますが。「批評する者は批評される」と
>>いう柄谷行人自身の言葉を柄谷行人自身が拒否している矛盾をどう
>>捉えているのですか。
まあ確かにそれは矛盾でしょうね。僕は鎌田氏のみが唯一柄谷氏を
批判できうるのではないかとは考えていますが、しかし彼自身の活動
もまた柄谷氏同様に閉じて閉塞しているのですよ。雑誌「重力」を
見ればその閉塞状況はお分かりでしょう。ここには何の未来もありません。
>> しかも「戦争くらい止めてみせる」と公に言ったうえでこの発言
>> 行為をする柄谷行人にどんな批評性があるのかを聞きたいものです。
公の言説とは言っても酒席で三流ルポライターに向かって吐いた
言説が朝日新聞社のしょうもない週刊誌の記事にされてしまっただけ
なんですがね。
>> おまけに「小犬たちへの応答」のどこが文章なのか、批評なのか、
>> 論理性すらあるのか私には判りかねます。
柄谷氏にしてみれば、自分の若書きの文章を取り上げて重箱の隅を
ほじくるような批評をする鎌田氏や、アニメオタクの東氏などを持て
余しているのでしょうね。彼がああ言わざるを得ない状況は僕には
よく分かります。別に僕は柄谷信者でも何でもないですがね。
そろそろ「子犬たちへの応答」関連のネタは批評空間スレへ
移したらどうでしょうか?
論壇の人間関係相関図はもういいでしょう。
それより柄谷さんの理論をそのものとして
もっと検討しませんか?
>>742 問題はLETS-System, Q-project が何処まで現実的に軌道に乗っているのか、
乗りつつあるのか、その一点にあるでしょうね。この地域通貨経済圏 project
が現実化しない限り、NAM は単なる『トランスクリティーク』最終章から派生
したナルシスティックな想像的=倒錯的に自閉した柄谷氏の理論的妄想に過ぎ
ないとの誹りを免れざるを得ない、というのは言うまでもないわけで、現に
そういう批判を大杉氏と鎌田氏が『重力』誌上で痛烈に行っているわけですが、
彼らは批評界に於ける柄谷・蓮實体制に対する新たな造反組なわけでしてね。
だからこそ柄谷氏は彼らにある種の脅威を感じているわけでしょう。併し
僕の見るところ、当然『トラクリ』の現実的な実践的転回の契機は最終章の
部分にしか存在しない。つまりマルクスが構想した貨幣を「揚棄」するもの
としての「貨幣のアンチノミー」としてのLETS System の創造と始動。及び
消費=流通過程に於ける不買運動とそれを補完するための消費=生産協同組合
(COOP)の創造と始動。・・・ただし問題はこのどうしようもない末期症状
にある腐敗しきった日本の政財界の現状下にある経済状況下で、counter
cancer としての NAM が白アリのように国家と資本を内在的に超出させ得る
のかという点に関しては僕はペシミステッィクでネガティヴな印象しか持て
ない。西部忠氏が一つの経済学的な思考実験として理論的に追求している
だけなのではないかという疑念が僕には強くあり、その意味で僕は NAM
に加入しようとは一度も考えたことはない。また NAM の組織システムにも
疑義がある。この意味で僕は柄谷信者ではない、と自己規定して良いのだと
思っているわけです。LETS-System が現実化する時、従来の再編を繰り返す
金融=銀行業界との相関関係は一体どのようなことになるのか。現に既に
NHK などでは地域振興券などと同等のような扱いで試験的に行われている
地域通貨圏域のレポートなどがありましたが、結局はそのような形で国家
経済に馴致したマイナーな補完態としての通貨としてしか普及しないの
ではないか。柄谷氏は LETS で銀行も作れるなどと豪語していましたが、
僕はそれを信ずることは出来ない。一体それは誰が担い、誰が現実化する
というのか?銀行業界に NAM のシンパサイザ−がいて実現するとでも
言うのか?そこまで行動を起こす気が本当にあの連中にあるのか?これ
以上情報を知ろうと考えれば NAMに加入せざるを得ないと言うことになる
のかも知れないが、僕はそれとは断固として一定の距離を取ることにして
いるわけです。
744 :
考える名無しさん:02/04/24 03:21
LETSに興味あるけど、いまは様子見だね。
745 :
考える名無しさん:02/04/24 03:25
./"´:;;::;;;: ::::;::"ソヽ
/ ,ヘ〜-ー'´⌒``ヽ:ヽ / ノ 彡:三:三:三:ミ |: \
>>1を徹底的に破壊する
| |. __,,;;ィ t;;;;,,,_ :ヽ│
/| | |シ ,ィェァ') (.yェュ、 ミ| | |\
/ /| !r、| ''. | | '''''Y ) |ヽ ヽ
| / | ヽ{ . (r、 n) /:: };ノ | ヽヽ
| | L し} : 、___二__., ;:::::jJ _| | |
| | / !、.:. ´ ..::::... `ノ::::ノ ヽ | |
| | | ,-‐‐‐‐‐‐‐- _,〉、ゝ '""'ノ/:| -‐‐‐‐‐‐‐、 | | |
| | | ヽ ̄~‐‐ 、 __,,ィ';;;;ト `ニニ: ::..ノ|ヽ、_´ ,.-‐~ ̄ノ | | |
| | | ヽ (ソヽ/"" ~~^ ^~~ ゙゙゙ヽヽ/ヾ| / | | |
| | | / ,--、| | | ,‐‐、 〈 ,| | |
| | | _/ /===))ゝ____,...-‐↑‐-、.._____ノ)(===ヽ `‐;;、 l | |
| | _| ∠ヽ |=l/ .|二=/´_..|__丶:=二| ゝ=ノ /==ヽ |_ | |
|__|__| ∠=:::::) /´| |==|~ |  ̄|:==| | ゝ ゝ===ヽ |__|__|
/二二>==´ ノ 丿 ゝ=:|~ ̄l| ̄~~|::::=ノ ゝ `‐`==<二二::ヽ
( /{ミ三∀__/ (____,.......-‐|_/ゝ__..|....._ノ\_|‐-........____) `ゝ∀
746 :
考える名無しさん:02/04/24 03:29
/)
/´ ̄`⌒"、フ
o´∀`o)~ |\
(∩ つ,/\| ,〉
( ( )/\/
⊂--⊂-"
747 :
( ´∀`)さん :02/04/24 03:32
748 :
Kurihara:02/04/24 03:32
>>743 なるほど。おっしゃりたいことはよく分かります。
ただ、僕は懐疑論好きで他人の意表をつくことに
長けている柄谷さんが、「希望」を語りだしたこと
の意味を現実への対応として受容すべきと考えています。
柄谷さんは「イロニーの反対語は真面目ではなく、現実だ。」
といいますが、その現実が柄谷さんに希望を語らしめるほど、
逆に逼迫しているということですよね。
ジジェクはプロレタリアートは今「不可視」化していると、
といっていますが、それはプロレタリアートの消滅を
意味しているのではないんですね。
プロレタリアートの悲劇は「第三世界という彼岸」に堆積
しているだけで、それは先進国の視点には隠蔽されている。
それゆえ柄谷さんが「不可視の物自体」に拘るのは、
その政治経済的対応物が第三世界のプロレタリアート
だからです。彼らは「他者」なのですね、文字通り。
そういう他者=プロレタリアートへの応答責任が柄谷さんに
NAMをつくらせたんです。
そしてそのメッセージが「プロレタリアートであることを
やめろ」というボイコットの呼びかけですね。
つまり、他者ではなく「主体」たれ、という自由への呼びかけ
がそれなのです。
749 :
考える名無しさん:02/04/24 08:55
>748
イロニーなんて言うなよ。オナニーじゃあるまいし。
アイロニーって言えよ。これ常識。
>748
プロレタリアートって君のことだろう。
やめたきゃ自分からやめな。
751 :
考える名無しさん:02/04/24 10:19
>>748 第三世界の人々が不可視だって?何言ってるんだろう?
第三世界の悲劇が隠蔽されてるって?隠蔽されてるんだったら、
確認もできないわけだが、こうしてちゃんとメディアの介在で確認
できてるじゃないか。だからこそ、君にも問題にできるわけでしょう。
柄谷のいう他者は過去と未来に限定されるのであって、今を共に
生きる他者のことではないでしょう。
ぼくたちに知覚される他者は、柄谷のいう他者じゃないよ。
人間をブルジョワとプロレタリアートという階級に分けて、闘争させる
なんて、もはや古いゲームではないだろうか。市民をそうした価値観で
扇動させて、自分は高みの見物かな?
752 :
考える名無しさん:02/04/24 13:06
>>751 >柄谷のいう他者は過去と未来に限定されるのであって
まじっすか?
それじゃあ形而上学じゃん。
「限定」とか、生きている他者は他者ではないってどこでいってるの?
おもしろいから教えて。
753 :
通りすがり:02/04/24 13:34
>>749 >イロニーなんて言うなよ。オナニーじゃあるまいし。
>アイロニーって言えよ。これ常識。
「これ常識」、これまじ?
フランス哲学の本でイロニーて書いてても、それについてなんか
いうときやっぱりアイロニーというのが常識?
754 :
考える名無しさん:02/04/24 13:35
>>752 柄谷のいう他者は「合意と調停」ができない者を指すのであって
確かに死者と未来の人間には、それが不可能だが、だからといって
それだけに限定されるものでは全くないね。例えば、アルカイダの
連中に「合意と調停」は難しいだろう。
一方、第三世界のプロレタリアートが「他者」だというのは柄谷の
文脈では全く的外れのデタラメで、しかも、
>「プロレタリアートであることをやめろ」というボイコットの
>呼びかけですね。 つまり、他者ではなく「主体」たれ、という
>自由への呼びかけ
なんていうのは、 金ちゃんの主体思想そのもので、いくらなんでも
NAMをそんなものといっしょに語るとは実に迷惑な話だ。
755 :
589(Stan Kenton):02/04/24 16:32
2ch依存からやめようとしているので、これで最後にします。
横やりになるかもしれませんが。スレ違いを勘弁してください。
有事関連3法案は明確にブッシュの「悪の枢軸」発言を承けています。
来るべき戦争は北朝鮮で起こります。今年の秋口から来年の初めにかけて
かもしれません。若い人はおちゃらけて、それはおもしろいという人も
いるかもしれませんが、それこそ、迂闊というものです。そのような
不謹慎さは批評でもなんでもないのです。
いくつかの問いを出してみましょう。安保条約をどう思うのか。
日本の軍隊に反対する人はアメリカの軍隊についてはどう思うのか。
なぜ朝鮮戦争はたえず反復するのか。
私は来るべき戦争について何もできませんが、私はその戦争に反対します。
いかに北朝鮮の体制に問題があっても、そこの人間が苦しんでいると
しても、それを無理矢理に崩壊させて体制変換を企図するなど、おそらく
大抵の韓国人も反対でしょう。
9・11はアメリカニズムのなかの単純性への反動として出てきたわけで、
9・11の防止を企図するための行動は転倒しているはずです。
みなさんも、どうか、来るべき戦争に反対してきただきたい。何も
できなくても、反対することだけはできるのです。
>何もできなくても、反対することだけはできるのです。
反対を念じればいいのか?アホか。
757 :
考える名無しさん :02/04/24 17:56
>>752 たしか、以前は絶対的な他者でなく、相対的な他者との絶対的な関係を
重視していたけど、最近は過去と未来の他者という感じで、
絶対的な他者についても考えるようになったといっているわけで、
勿論限定しているわけではないと思うよ。
NAMにおいては、エコとの関わりで、未来や過去の他者が重要なんだろうけど。
758 :
考える名無しさん:02/04/24 18:25
>>757 >絶対的な他者についても
ついて「も」というよりも
もっと強い転向があったと
思うけど。
759 :
考える名無しさん:02/04/24 18:30
昔は、
絶対的な他者について論じること:形而上学
相対的な他者への気遣い:批評
だったんだけど、
探究IIIあたりで、逆転したみたい。
760 :
考える名無しさん:02/04/24 18:35
柄谷行人のジャイアニズムの歯止めになっていたのが、
>>759の図式だったのだけれど、
探究IIIで、浅田彰の示唆によってカント主義者に
回帰した結果、
オレ様的=超越論的主体が絶対的な位置を占めることに
なって、おかしくなったんだと思う。
>>760 ああ、典型的な誤読だね。
まぁ柄谷も「超越論的」の使い方がコロコロ変わるんでしょうがない
けどな。
762 :
考える名無しさん:02/04/24 18:43
その限りで、本当は東氏の
存在論的・郵便的という概念対は、
柄谷の超越論的一元化に対して、
有効な理論的批判の原理になるはずだったのだけれど…
東氏本人が、別の形でポストモダン的に解体された主体
(これはその実、ロマン主義的な主体に他ならない)
に回帰してしまったからなあ…
763 :
考える名無しさん:02/04/24 18:46
結局、思想家は自分の体質とある程度異質な思想と
緊張関係を持っていたほうがいいんだろうなあ。
カントと柄谷に親和性が必ずしもあったとは思えないけれど、
カント的基礎付け主義が柄谷的ジャイアニズムの基礎付けに
使われることになってしまったのは不幸とした言いようがない。
764 :
考える名無しさん:02/04/24 18:47
誤読が柄谷の魅力とは言っても、
それでよかったのかどうか。
765 :
考える名無しさん:02/04/24 18:52
物自体の発見という意味でコペルニクス的展開をとらえる
という字面だけを見れば、
「それはカント的主体=主観への回帰ではない」
と、好意的に言うこともできるけれど、
やはり、柄谷自身、かつて批判していた
「絶対的他者の形而上学」に回帰しているとしか思えない。
もっとも、それに対して、「相対的他者の経験(科)学」を
実践しようとする東氏も、かつて柄谷がひいたレールの
上を走ろうとしているといえないわけではない。
766 :
( ´∀`)さん:02/04/24 20:38
∧ ィ−、
1 ! 〃 /7
,' |, -一 ||'ー -、, / /
!i !'´ . !! {/
/V , -''"ヾk^ ` ヽ、ゝ
,' / ヾ\
, / ヾ `''ー-、,
i / ハ⌒イ リ⌒从 ヾf√
r^ゝ\fj {/ /从,r=、ゝ / r=、jノノ从/hm
ゝ ( jソ_ 八ツ {!;;~j `' }!;;リ /)厂 ヘ 八
7r-ムン _{ ゝヽ、 lヲ ノ^j  ̄ }
 ̄ iV人ヾノ ー ー '' ノ"`''ー-、, i
〈√ ̄`''⌒`''⌒ ' 、 ,'`'' t-、,
i j i ヾ ヽ、 j`'ー、ヒ, j
iメ⌒メ / i \ /  ̄
ヾ、 ノ ,' ; ヽ、 /
\ ,ノ
`''ー--t=i一''''
767 :
考える名無しさん:02/04/24 22:53
『探求T』とか書くなよ。『探究T』だろうが。いらいら。
『 卓球 T 』 ピング ポング
769 :
考える名無しさん:02/04/24 23:38
まこりん様。
「倒産はこわくない」の奥村宏氏とカラヤンの対談本はいつどこからでるか、
御存じですか?
>>760 なんで、浅田はそんな示唆を与えたの?
相対的他者との絶対的な関係って、ドゥルーズみたいで面白いと思ったのに。
和製ポストモダニズムに、取り込まれる恐れがあるって事?
771 :
考える名無しさん:02/04/25 03:19
ジャナリズム批評ってなんですか。
772 :
Kurihara:02/04/25 04:43
柄谷さんの本より面白い本があったら、
教えて下さい。
普段の読書傾向をあえて外して、自分で選んで、買ってみると、よいかもしれない。
結果を請合うことはできません。
ただ、普段とは違うなにかをやってみるって試みは、無益ではない可能性が高いとおもいます。
774 :
Kurihara:02/04/25 05:28
本屋に行くと憂鬱になりますね。
くだらない本ばかりがあって。
イロニーの極点こそ真面目なら、
くだらないとは真面目ということなのかも。
イロニーでも真面目でもない「現実的な本」が
柄谷さんの本以外にあったら、教えてください。
というか、哲学書を越える本が読みたい。
哲学もいい加減、飽きました。
>>773 アドバイス、ありがとうございます。
775 :
考える名無しさん:02/04/25 06:40
>>770 あんなに、柄谷がはまると思っていなかった、と
どこかで言っていたから、多分、深い考えがあってでは
なかったと思われ。(いつも罪作りなアサやん)
探究シリーズで、デカルト、ヴィットゲンシュタインと
来たからというのと、あと何かはずなのだけれど、
ちょっと忘れてしまった。いずれにせよ、そんなにはまるとは思っていなかった、
というのが本当のところらしい。
776 :
考える名無しさん:02/04/25 10:25
>>754 「例えば、アルカイダの連中に「合意と調停」は難しいだろう。」
でも、まったく可能性がないとは誰も言えないだろう。お互いが少しでも
分かり合えるような他者は、柄谷にとって他者ではない。そう考えると絶
対的な他者は過去の死者と未来の特定できない他者しか考えざるを得なく
なる。
777 :
考える名無しさん:02/04/25 10:53
>>776 「絶対的な他者」ってのがすでにダメで、浅田的に言えば「絶対的」な垂直性と
「相対的(経験的)」な水平性をクロスする「斜めの他者」を考えろということ。
そんなのは「論理的欺瞞」っていえば、そこでおしまいね。
未来の他者っていうのは、後で気が変わるかもしれない他人や自分自身や、
コミュニケーションが取れたと思ったらそれは誤解だったというのは、
入らないの?
それだと具体的でないにしても、現実的な他者だとは言えると思うけど。
でも、それだと相対的他者との関係の絶対性というのと、変わらないか。
779 :
考える名無しさん:02/04/25 18:56
>>777 斜めの他者ってなんだい? やっぱり論理的欺瞞だね。結局、自ら
作った論理の環に閉じ込められているだけでしょう。
780 :
考える名無しさん:02/04/25 19:05
相対的な他者との絶定的な関係って
普通のキリスト教道徳「汝の隣人を愛せ」に聞こえるんですけど?
「分かりあえるか、あえないか」とかいう幼稚な問題意識では
ちょっと理解できないだろう。
783 :
「トランスクリティーク」3、4、再びマルクスの可能性の中心を問う:02/04/25 20:14
784 :
考える名無しさん:02/04/25 20:20
浅田によればこういうことかな。
経験的=超越論的二重体という垂直的なカント的主体と、精神分析における
分析者─被分析者のような横の関系がある。
そして後者は前者の認識を可能にする。
きれいにまとまりすぎているからやはり警戒は必要。
これをもう一度柄谷に戻って考えるとこうなるのでは。
他者は横軸にあるが、これは勝手に内面化できない他者、逆に言えば、勝手
に相手の立場に立つことができない他者である。
横軸は現象ではあるが、「他者」は物自体である。
これは「他者」が現象と区別されながらも、存在論的な深層ではないこと
(神秘的なものではないこと)、そしてこの「他者」性という前提が「現
象」に普遍性を与えるということ(総合判断を成立させるということ)を
意味する。
未来の他者、過去の他者は、格上げされた他者ではなく、他者が歴史の問
題にも及ぶという問題系を示唆するものである。
こんな感じかな。
785 :
芳川泰久「文字・物語・物自体」(98年):02/04/25 22:14
786 :
Kurihara:02/04/25 23:59
左翼たることは柄谷さんにとって
気質(ヒューモア)であり、笑い(ヒューモア)なの
でしょう。
僕は僕と同じものを柄谷さんに覚えますね。
787 :
考える名無しさん:02/04/26 00:03
>僕は僕と同じものを柄谷さんに覚えますね。
そういう人多いのよ。
だから困っちゃうんです。
788 :
「同一性の回帰」、宇野邦一「天使の批評」(88年):02/04/26 00:37
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/douitsusei.html 池田雄一という人の、高澤秀次『評伝 中上健次』評(98年)。
このような感情転移のあり方は、なにも評伝というスタイルのせいでは
ない。渡部直己の『愛しさについて』のようなテキスト分析批評におい
ても、そのような転移の例をみることができる。というよりも、テキス
ト分析の方がより露骨に、そのような転移を誘発するように思われる。
ということは中上健次に関しては、当分なにを書いてもテキストの聖典
化に貢献することとなってしまうということなのだろうか。対策として
は、坂口安吾について語るときに、柄谷行人がとった戦略、すなわち安
吾が知的であるということ以外は語らない、というやり方が参考になる。
その場合、柄谷のように知的なものを実体化する必要はない。つまり中
上は知的な人物であると主張する必要はない。むしろこの場合、作品自
体が知的なものであるということを証明すればよい。これは、美的なも
のが知的なものなしでは成立しえないということを考慮すれば、きわめ
てまっとうな戦略である。作品は評論家どものチキンレースのだしでは
ない、ということだ。
>>784 漏れの考えもそれに近いんだけど、それって結局
相対的な他者との関係を突き詰めていけば、
導き出せない?
探究の1と2は、そんな感じだったと思うけど。
>>789 相対的な他者との関係を突き詰めて超越論的な縦軸が確認されたはず。
(しかしこの「突き詰める」はかつての形式化とは連関しているが違うもの)
そこから縦の主体構造と横断性の連結、すなわちトランスクリティークとい
う概念が生まれた。
トランスクリティークは、突き詰めていけばそのうち馴れてきて自ずと解る
もの、というしろものにはとても見えない。
「相対的な他者との関係を突き詰めて」という表現はちょっと物語がかって
いて誤解を生むかもね。
792 :
Kurihara:02/04/26 01:50
で、柄谷さんは結局なにがいいたいのでしょうか?
外部や他者の発見が柄谷さんの理論のテーマ
ですが、それは偶然性や歴史や分裂病者や固有名や
神などの「判例」の発見を持って終わりなのでしょうか?
その先が見えないのですよ。理論としては。
実践としてはNAMなのでしょうが、理論としてはどうなのか?
>>792 僕へのレス?
『トラクリ』読んだ上での話し?
それならば、もう少し読んだ痕跡がわかるように話してくれないと…
794 :
Kurihara:02/04/26 04:20
>>793 いや、別にそういうわけではありません。
『トラクリ』は読みましたが、なんでそこから
NAMになるのかかわからないのです。
795 :
考える名無しさん:02/04/26 06:58
このスレって、1さんのhpの話題から完全にズレてますね(w
ただの柄谷スレになってます。
796 :
考える名無しさん:02/04/26 07:03
というか、近大の総合文化講座の受講生いませんか?
797 :
考える名無しさん:02/04/26 10:23
>>794 それは、実質的に読めていないに等しいということです。
798 :
考える名無しさん:02/04/26 10:26
俺もそう思う。
799 :
考える名無しさん:02/04/26 10:29
誰かシンポジウムなどで発言してくれませんかね。
「150冊」は「声に出して読みたい日本語」と同じ流れではないですか、と。
超怒ると思う、彼。
800 :
考える名無しさん:02/04/26 10:32
あのぅ、つまり、東君的にいえば
ただの「営業」なので、あまりつっこんじゃだめ。
801 :
考える名無しさん:02/04/26 11:07
>>784 精神分析や社会科学や自然科学やらで、主体を定義したいようだけど、
そういうアプローチは妥当かどうかを決めるのは、結局主体であるわけ
で、外部が決定するわけではない。
>「他者」は物自体である。
これは、生活世界の素朴な客観信仰にすぎない。それはあくまでも信憑契機
として与えられるだけだ。人間の認識構造には、明らかに限界点があり、そ
の限界領域で確かめられる信憑から、物自体があると考えているにすぎない。
そこの認識の性格をわきまえていなければ、柄谷形而上学のようなものがど
んどん生まれて来る事になる。
>そしてこの「他者」性という前提が「現象」に普遍性を与えるということ
>(総合判断を成立させるということ)を意味する。
結局、主観と客観の対立図式で、客観を優位に立てようとする、主観の戦略
に他ならない。ミイラ取りがミイラになるようなものだ。
802 :
考える名無しさん:02/04/26 11:09
同意。
肉薄はできても・・
803 :
考える名無しさん:02/04/26 11:23
>>792 結局、柄谷は人類の歴史が繰り返してきたような新興宗教の教祖だ
ということだ。蓋を外せば、みんな本質は同じだというに尽きる。
その末路はどうなんだと言えば、過去のそうした宗教を社会学的に
みれば察しがつくだろう。ドグマを作り、既存の社会と国家を悪と
定義し、自らのNAMで救われると説いている。他者は神であり、
それに反逆する奴は、断罪されることになるだろう。他者のために
自分の命と人生を捧げなさいと命令するのであり、それが最もNAM
らしい人間の生き方となる。・・・まあ、このくらいでいいか。
804 :
考える名無しさん:02/04/26 11:34
>>801 君の話は「実存主義が正しい」の一言で済むね。
805 :
考える名無しさん:02/04/26 11:54
>>784がまとめたように
>「他者」が現象と区別されながらも、存在論的な深層ではないこと
>(神秘的なものではないこと)、そしてこの「他者」性という前提
>が「現象」に普遍性を与えるということ(総合判断を成立させると
>いうこと)を意味する。
がトラクリのポイントであって、これが理解できないと、アンチノミー
が「論理的欺瞞」になったり、他者が神になったり、何故NAM(LETS)な
のかわからなかったりするわけです。
806 :
考える名無しさん:02/04/26 12:38
物自体・他者性が総合判断を成立させる?
カントはそんなこと言ってたの?
807 :
「日本語で書くことの意味」(88年):02/04/26 15:35
808 :
考える名無しさん:02/04/26 15:54
>>804 その通りだ。実存主義の他に、それを凌駕できる認識論は出ていな
いと思う。ジャックデリダも柄田もダメだ。
>>808 襞と平面の思想は?
良いところを突いてると思うけど。
810 :
考える名無しさん:02/04/26 15:58
>>805 結局、君が言いたいのは、認識や価値の基準を外部に求めましょうと
いうことでしょ。そういう考え方だと、突き詰めると、やっぱりダメ
だよということです。
「他者性」という基準を立てている奴は、やっぱり自分でしょ。外部
じゃないよ。
811 :
考える名無しさん:02/04/26 16:24
まずは150冊読みましょう
>>810 確か、柄谷がいってるのは、、具体的なコミュニケーションにおける、
齟齬が自分に他者性という問題を考えさせるのだということでしょ。
一人じゃ考えられない。
813 :
考える名無しさん :02/04/26 16:56
>>810 「自分」というのが何であるかという問いも立てずに、自分自分といわれてもねえ。
814 :
井口時男「スノビズム空間の批評」(88年):02/04/26 17:04
815 :
考える名無しさん:02/04/26 17:17
ここでごちゃごちゃいってるのはみんなクズ
816 :
考える名無しさん:02/04/26 18:04
>>810 君、実は柄谷、あんまり読んでないでしょ。
君が考えてるような、実存VS構造の不毛な対立をなんとかしたいってのが
柄谷の基本的な出発点な訳で、一方の立場にとどまっった主張なんて全く
問題外なんだよ。
>「他者性」という基準を立てている奴は、やっぱり自分でしょ。外部
>じゃないよ
こんなのいまさら幼稚すぎて話にならんよ。
817 :
考える名無しさん:02/04/26 18:43
物自体は人間の認識能力に従属しない。
これをカントの可能性の中心として読解しようというのが柄谷の試み。
感性的直感能力の受容性とのからみで、『純理』でいえばp522を柄谷は
『トラクリ』第1章はじめで取り上げている。
これを否定するとカントのコペルニクス的転回は単に主観の能動性の復権
にすぎなくなる。
これではたんなる天動説の主張。
カントは主観の能力の復権を目指したのではなく、その限界及び越権を示
した限りで天動説の枠組みを明らかにし、それを通して物自体を思考の中
心に据えた地動説をとることでコペルニクス的転回をはかったとするのが
柄谷のカント読解。
これを踏まえて「数学的判断は総合判断である」というカントの考えを柄
谷は肯定し、科学的認識においても他者問題を据えることになる。
物自体を否定する者は「数学的判断は総合判断である」を当然否定する。
主観か客観かとか経験論か合理論かというように、いきなり硬直した選択
をやらかしたり、なんでも折衷してしたりすると『トラクリ』はまったく
読めないはず。
818 :
考える名無しさん:02/04/26 18:45
>>810 その擬似フッサール主義を「実存主義」と言い切っちゃうあたり、
竹田か西研の厨房読者だろ?
カンギレム読め
819 :
考える名無しさん:02/04/26 19:00
>>812 具体的な他者経験から、それを内面化して考えるのが人間だと思う。
他者の問題もそうでしょう。
>>813 自分の理解は、各人が日ごろ感じている自分でいいと思う。
>>816 >実存VS構造の不毛な対立をなんとかしたい
その問いにうまく応えることに、柄谷は失敗していると思う。
柄谷のいう他者は、理念としてしか、経験できないことがらだ。たと
え、それが死者であれ、未来の他者であれ。
うまく乗り越えていくためには、実存から出発するしかないと
ぼくは思う。
820 :
考える名無しさん :02/04/26 19:38
>>819 >自分の理解は、各人が日ごろ感じている自分でいいと思う。
そこで思考停止しては、「自分」を彼岸においた形而上学と変わらないと思うが、
どうか。
821 :
?l?|?e?L?1/4?3??E^:02/04/26 22:18
>>817 「物自体は人間の認識能力に従属しない。」
なぜ、そう言えるのかを問うことが必要だ。もの自体の知覚現象が自
分の意志に反して、現れるからだろう。だから、もの自体を外部に想
定しまう。人間に認識能力がそもそもなければ、もの自体が存在する
という信憑も崩れてしまう。
数学は実在ではなく、理念の世界に過ぎない。理念として存在するも
のが実在するわけではない。数学では、点は面積がないわけだが、実
在はしない。理念で想像するのも困難だが。言わば、数学は厳密なル
ールの束なのだ。
822 :
考える名無し:02/04/26 22:27
>>818 その通りだ。竹田や西の実存主義の方に、やはり分があると思う。
大切なのは、社会や他人との(柄谷のいう他者ではない)関係性
を考えるためには、社会一般性の問いを実存的視野の中で、再構
築し、自分の問として捉え直す作業だ。
井上陽水も歌ってるように、ぼくにとって大切なのは、社会一般の
問題よりも、君に会いに行くための傘をどうしようかということな
のだ。
823 :
考える名無し:02/04/26 22:37
824 :
考える名無し :02/04/26 22:42
柄谷のいう他者は、物語とか理念としてしか、拘束力をもたない。つ
まり、弱い。
それは、実存的な領域に現れる信憑性をもった出来事の前で、吹き飛
んでしまう。
825 :
考える名無しさん:02/04/26 23:39
柄谷も弱いが竹田はもっと弱い。
自己から出発する?紛争って双方が
自己から出発してオリアイつかなくて
始まるんでネーノ?
826 :
考える名無しさん:02/04/27 00:01
竹田哲学で、中東問題を乗り越えるためには、まず、双方が、テーブル
の席に着くべきだ。そこで、さまざまな課題の問いを立て、本質観取を
行いつつ、解決していくしかない。
827 :
考える名無しさん:02/04/27 00:55
フッサールの認識論を「実存主義」と呼ぶべきじゃないよ
828 :
考える名無しさん:02/04/27 01:22
我、初めて哲板に訪ないてみれど、かくも白痴ばかりなりけり。
829 :
「トランスクリティーク」第5回:02/04/27 13:39
830 :
考える名無しさん:02/04/27 13:59
以前は柄谷行人関連のスレさえなかった。
しかし、最近はこのスレへの書き込みが増えてきた。
02/04/18〜02/04/27の間に
もう既に200以上の書き込みがされている。
831 :
考える名無しさん:02/04/27 14:42
kuriharaさんのおかげだな
>>816 実存と構造の循環論法を避けるために、
各人が日頃感じている自分を聖域とし、
そこから全ての理論を構築するというのが、
実存主義らしい。
考えるのをやめれば、全てが解決するって事だね。
そら、最初っから考えていないんだから、
上手く問いに答えることにも成功するでしょう。
どうも混乱しているようだが、ようは「自分の実感から全て始まる」的な
「なんちゃって実存主義」で柄谷を批判できると思ってるバカが一人いる
ということか?
834 :
大杉重男「孤独を拒否する倫理 東浩紀【存在論的、郵便的】」:02/04/27 21:42
かつて柄谷行人が吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』を「孤独な書物」と
評して以来、日本において真剣な理論的著作は常に「孤独」という実存主義的キ
ャッチフレーズによって語られて来た。「孤独」という言葉は、その理論的作業
に携わる者の名を世間からは(真に)理解されない不遇の天才、ロマン主義的英
雄の固有名として商業的作業の内実を具体的に問うことを禁止する。
836 :
考える名無しさん:02/04/27 23:39
>>829 大西巨人・柄谷行人が清水寺で対談するという話はその後どうなったのでしょう?
大西氏とこの寺とは関係浅からぬそうなんですが、どういった関係なんでしょうね。
837 :
2・1 事前と事後:02/04/27 23:49
『トラクリ』の「メロン」が、
雑誌掲載時は「レモン」でした。
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/trans-5.html 834の続き。
この倫理的意志は最初から明確だったというよりは、初出から本書に至る過程の
中で自然成長的に固められて来たもののように見える。初めは柄谷の『内省と遡
行』や『探究T』に倣い、かなり無防備な(文芸批評的と言っても良いが)調子
で初出の連載を始めた氏は、途中からモデルを浅田彰の『構造と力』に変更し、
読者を意識した(研究論文的と言えるかもしれない)文体と内容に移行する。そ
こに生じた亀裂は、本書にまとめられるに当たってかなり和らげられているとは
いえ、著者も認めているようになお痕跡として残っている。
838 :
837の続き。:02/04/28 01:03
氏によれば「新たな概念を提出し新たな哲学的固有名になること、それは新たな
郵便物を新たな郵便局から発送することを意味する」が、「どこかで眠っている
かもしれない郵便物を探索するデリダに、新しい郵便局は必要ない」。ソクラテ
ス、プラトン、カント、ヘーゲルのような大文字の哲学的固有名しか問題にしな
いデリダの「保守性」はこのことから理論的に正当化されるが、東氏自身最後に
認めているように同様の保守性が固有名あるいは古名の系譜学としての本書に転
移していることは明白である。そしてデリダが「新しい郵便局」=新しい哲学者
を拒否することで、逆説的にプラトン以来の伝統的な哲学的固有名のメッセージ
を受け取る新しい郵便局となったように、東氏も本書を書くことで小林秀雄(あ
るいは本居宣長?)から柄谷行人・浅田彰に至る日本的固有名の系譜の新しい郵
便局になることを倫理的に選択したと言って良いかもしれない。これは皮肉では
なく積極的に祝福すべきである。少なくともそのために「ぼくは時代の感性を信
じている」(『構造と力』)などと言わなくて済んだだけ、90年代は無駄ではな
かったということだろうか。
839 :
Kurihara:02/04/28 03:09
「資本とはなにか?」
この問いにまともに答えたのは
歴史上、マルクスと柄谷さんだけでは
ないでしょうか?
840 :
考える名無しさん:02/04/28 03:29
資本は空想の産物
841 :
吾輩は名無しである:02/04/28 19:58
私もその空想の中で生きてきた。
そしてそれが空想であることを伝えようとしたが
結局象徴が崩れるまでそれが空想であることに誰も気づきはしなかった。
いや、もしかしたら今も
パト2?
843 :
考える名無しさん:02/04/30 10:16
>>833 自分の実感から始めないで、何から始めるわけ? 外部から?
君も、ぼくの考えに違和感を感じたから、コメントしたわけでしょ?
実感から始めないでどーするよ。
844 :
考える名無しさん:02/04/30 11:00
>>843 柄谷のことはともかく、あなたが馬鹿にされるのは、日常的な実感
の、自明性からスタートしているから。
馬鹿(何も考えないやつ)は強いって事で、良いじゃない。
俺は最近の柄谷も、他者を「穴」に持ってきただけで、形而上学と変わらないと
思うけど。
カントも柄谷も物自体を中心に考えたからといって、物自体から始めた
わけではないの。
なるほど、『純理』の体系構成にはそう言われるような要素もある。
しかし、なんといってもカントによって感性とか悟性という旧来の概
念はコペルニクス的転回を遂げたわけね。
そこにおいてカントを読む時、弁証論が批評(批判)の源泉として浮
上するし、柄谷もそれが言える言質をカントから取っている。
弁証論抜きでは物自体は、現象に対する本質というような古臭い枠組み
に納まるほかない。
この観点からハイデガーのカントに対する後進性が問われるだろう。
いいところまでいったのだが。
847 :
考える名無しさん:02/04/30 14:52
>>845 では、君に問うけど、君はいったいどこから出発するわけ?
それを知りたいね。
>>846 君は、人を馬鹿にするわりには、自分の立場をきちんと説明できて
いないよね。理論の表面をなぞってばかりいる。考え方の本質をき
ちんと説明したらどう?君のいう弁証論をもっと詳しく知りたいね。
>>846も
>>847も、どうにもネタに思えて仕方ないのだが。。。
「弁証論」とか「どこから出発」とか。。
849 :
考える名無しさん:02/04/30 16:06
なぜ、こんなにも柄谷の理論に突っ込みを入れたくなるのかは、
理論のさまざまな個所に、アポリアを含んでいるからなのよね。
少し、突っつくと、あれよあれよと、芋づる式に出てくるわけよ。
だから、こうして、この掲示板も続くわけね。
>少し、突っつくと、あれよあれよと、芋づる式に出てくるわけよ
柄谷は哲学の素人だからね。
自分でも少し手を広げすぎたことを反省してるんじゃないかな?
かといって文学の批評をやらなかったら今の彼はないだろうし。。
難しいところだ。
>>847 だからあなたの言っていることは、
構造を観察する実存←→その実存を構成する構造、外部、無意識など
の循環論法を脱するために、右側については考えない。
↓
ウマー
に過ぎないわけ。
考えないのだから循環しない。だから循環を脱したなどと言うのは、もう、アホかと。
847じゃないけどちょっと違うんじゃない?
>>851 >実存を構成する構造、外部、無意識
これらは実存を構成するといっても結局は証明しようのない「お話」であって
それは主体がそう考えたい、思い込みたいってだけでしょ
だから循環するとは勝手に主体が偽の循環をでっち上げてるってことでしょ
853 :
考える名無しさん:02/04/30 18:34
>>851 >構造を観察する実存←→その実存を構成する構造、外部、無意識など
>の循環論法を脱するために、右側については考えない。
実存を構成する構造とか外部とか、無意識とか、こういうものはすべて、
人間が実存の領域で決定したことであって、右側について考えないこと
じゃないよ。結局、主観―客観という2項図式で、自分を逸脱して神の
ような視点で世界や自分を見つめているだけじゃないか。そういう視点も
よく考えれば実存の場で、想像してるだけだと分かるはずだよ。
852の言う通り。
アメリカでの韓谷評価というか、アメリカでジェイムソンとかが
書評書いたりしてるのないの?
だけど
>>853に全面的に賛成でもないです
「実存を懐疑したり、相対化する議論も結局実存の場での想像である」
っていうのはツッコミとして正しいけどそこから
「だから実存から出発すべきだ」
には実はそんなにすんなり繋がらないと思う
うまく言えないが例として竹田セイジなんかは「言語」や「貨幣」なんかを
全然相手にできてないと思う
ジェイムソンはバカだと蓮實は言ってたね
857 :
考える名無しさん:02/05/01 01:09
ジェイムソンはサルトル研究ということで偽装左翼してたからな。
ハスミは世界中にうようよいたサルトリアンを一度叩いたあとに登場している。
(そしてあとからコソーリフローベール論を誉める)
858 :
吾輩は名無しである:02/05/01 04:55
資本主義よりましなものがない
859 :
考える名無しさん:02/05/01 10:15
>>856 >竹田セイジなんかは「言語」や「貨幣」なんかを
>全然相手にできてないと思う
上の内容だけだと、竹田哲学に対する批判がよく分からないな。もう少し、
説明してくれるといいんだけど。
竹田さんは近著「言語的思考へ ─ 脱構築と現象学」で言語について考察
してるよ。読んでみればどう?
860 :
考える名無しさん :02/05/01 11:25
正直、竹田の話はどうでも良い
861 :
考える名無しさん:02/05/01 17:29
>>860 そう吐き捨てるんじゃなくて、彼の考え方のどんなところに、批判を加えたい
のかをはっきり、明記してくれよ。
議論はそこからだ。
>>859 その新刊は知ってるけどチラット見ただけでちゃんと読んでません、だけど根本的に
意見変更していないなら
>>856で言った感じは変わりませんまあ竹田はおいといて
「実存から出発すべきだ」という主張に対する異論としてひとつ
>>822でこう言ってる
>井上陽水も歌ってるように、ぼくにとって大切なのは、社会一般の
>問題よりも、君に会いに行くための傘をどうしようかということな
>のだ。
これ傘がないとかいう歌ですよねこれを例にとると
「傘がない」という端的な事実が実存に影響を与え規定しているといえるんじゃない
そして「傘がないという事実」は自分がどう思おうが考えようがどうにも
ならないことでそれを「外部」と言い換えられるとすれば
「外部」が実存に影響を与え規定していると言い得るんじゃない?
勿論こう考え納得しているのは実存の場でだけどつまりやっぱり循環してる、と
863 :
考える名無しさん:02/05/01 19:56
>>861 竹田哲学は知らないが、彼の哲学者紹介はとにかくアンフェアだと思う。
デリダにしろドゥルーズにしろ、浅田からの敷衍で批判するのは恥ずかしい。
語学できないらしいからしょうがないね。しょうがなくないけど。
どこから出発というのも偽の問題でしょう。
誰だって、ある実感とそれを相対化する現実から、つねに出発させられている。
それをことさらに実存だとか、外部だとか強調するのは不毛です。
そんな水準にこだわっていられること自体が、実存からの逃避に見える。
柄谷の講談社学芸文庫『畏怖する人間』の「あとがき」を読んでみて。
プラスそこに収録されている三浦雅士の「人間紹介」を読んでみて。
柄谷が君のいうような光景をけっして退けているのではないことがわかるはず。
864 :
考える名無しさん :02/05/01 22:04
>>862 >そして「傘がないという事実」は自分がどう思おうが考えようがどうにも
>ならないことでそれを「外部」と言い換えられるとすれば
つーか、柄谷の言ってる事ってそういう事じゃないの?
実存の感じるおののきだとか、違和感だとかから、他者や外部に至ると。
だから、マルクスのスレでもカントスレとかでも、実存論的一点突破しかできないって、
批判されるんでしょ。。
865 :
考える名無しさん:02/05/01 22:41
竹田にはどうしても、
デリダやドゥルーズがファッション野郎にしか見えない。
実際は違うのにね。
彼らが「団塊の世代としての実感」から考えた、
それなりに誠実な思考の成果なのかもしれないんだが。
866 :
考える名無しさん :02/05/01 23:53
時期的な問題もあったのかもしれないね。
いわゆる現代思想ブームの頃は、アンチ・オイディプスすら抄訳しかなかったわけで、
差異と反復でも、90年代になってからだからなあ。
あれを読んでれば、ドゥルーズは割と誠実な哲学者だって分かったと思うけど。
867 :
考える名無しさん:02/05/02 00:14
竹田は論外だと思うけど
だいたい語学できないのに哲学やろうっていうのがチョット
868 :
考える名無しさん:02/05/02 00:22
「語学ができる」って言い方は良くないぞ。
「文献が読める」にしないと。
柄谷も英語の授業では辞書を引き引きやってたらしいが
870 :
「トランスクリティーク」6:02/05/02 00:59
871 :
考える名無しさん:02/05/02 01:03
極端な話し、外国語が話せなくても自分が専門としている文献が
読めりゃいいんだよ。
872 :
考える名無しさん:02/05/02 01:27
竹田は文献も読めない。それで現象学マンセー
873 :
考える名無しさん :02/05/02 01:30
別に竹田の話はもう良いよ。
それよりも、前の方で出てた、浩紀が郵便的で行ってた柄谷批判はどうなの。
結構面白そうなんだけど。
874 :
考える名無しさん:02/05/02 10:25
>>862 「傘がない」ことで困るのは、自分の愛している女性に会いたいという気持ち
に対して、天候の障害が生じているからでしょう。「傘がない」という外部に
実存的意味を与えているのは、本人の欲望とか気持ちだろう。
875 :
考える名無しさん:02/05/02 10:32
>>862 874を修正。「傘がない」は、柄谷のいう外部とは考えない。念のため。
876 :
考える名無しさん:02/05/02 10:36
877 :
考える名無しさん :02/05/02 13:37
>>875 856じゃないけど、ちゃんと読め。
>自分がどう思おうが考えようがどうにも ならないことでそれを「外部」と
言い換えられるとすれば
日常的なルーチンワークが上手くいかない時に、
自分が感じる違和感やおののきによって、外部の存在や
世界が無限であることを、知ることができるって、
確か探究の1か2に書いてあった。
そこを突き詰めて、絶対的他者に至るということは、
前の方に誰かが書いていたとおり。
だから実存論的一点突破なんでしょ。
柄谷をちゃんと読んでから、批判して欲しいっす。
というわけで、東の批判について、誰か解説キボンヌ。
>「確か」探究の1か2に書いてあった。
> 柄谷をちゃんと読んでから、批判して欲しいっす。
ちゃんと読んでないじゃん。だめじゃん。
879 :
考える名無しさん:02/05/02 14:41
>>877 君は、自分の意志に反して何かが在るという確信のことを言っている
と思う。自分は確かにそう感じ取っているということですよね。自分
とは異なる何かが、打ち消すことができないものとして、そこに在る
という確信。
実存主義も、そこから出発するわけだ。でも、何かが疑いなく在ると
確信する場合、問い方として、どうして自分はそう判断するのだろう
かという問いが生まれてくる。認識の限界点は、このどうしても譲れ
ないという確信部分にあるのであって、それ以上遡って、何を言おう
が意味がないと思われる認識の臨界点だ。
だが、この確信部分も、結局、人間の認識構造の限界を暴露するもの
であり、認識構造の確信成立条件の一条件に過ぎない。
それはあくまでも、認識を形成する構成契機のひとつなのであって、
「絶対」などという性質を与えてはならない契機なのだ。
880 :
考える名無しさん:02/05/02 14:59
879の続き
「絶対」は特権性や権威性を、自分や集団が他者に与える意味であり、
解釈であることを肝に銘じておくべきだ。何か自分の意志ではどうし
ようもないものが、そこに在るという感じを確信するだけで、それ以
上のことは何も言えないし、言ってはならないと思う。言えば、物語
がそこから始まるからだ。
君が絶対的他者を認めたいという気持ちが、神に対する気持ちが、柄谷
理論に正当性を与えている核心部分なのだと思う。
881 :
考える名無しさん:02/05/02 15:14
>>877 >日常的なルーチンワークが上手くいかない時に、
>自分が感じる違和感やおののきによって、外部の存在や
>世界が無限であることを、知ることができる
外部の存在があるわけでも、無限な世界が在るわけでもない。
在るのは、おののきによって、外部の存在や無限な世界が在ると確信
している意識という場だ。
カントやマルクスから本気で何かを継承しようとしてやってる人を
東や竹田と比べるのはなんか違うんじゃないか?
上手く継承なんてとてもじゃないが出来ていないように思えるのなら
無視すればいいだけだし。
883 :
考える名無しさん:02/05/02 21:57
無視してもいい気になるだけの人多いのよね〜。
884 :
考える名無しさん:02/05/02 22:01
お願いだから、ここで柄谷−竹田という軸を立てないでくれ。
ほんとにお願い。
885 :
『存在論的、郵便的』:02/05/02 22:06
886 :
考える名無しさん :02/05/02 22:10
>>876 柄谷の印象は関係ないよん。
むしろ哲板ではごく一般的な反応。
柄谷だって、原書を読まずにスピノザをやってるし。
そりゃスピノチストブチキレでしょうよ。
他スレ見れば分かるけど、哲板では竹田も柄谷も
ウンコちゃん扱いよん。
「早く哲板と現代思想板を分けろ」って反応が一般的やん。
だから「哲板住人は低レベルだ、哲板の印象がさらに悪くなる」が、正しい反応。
漏れは別に良いと思うけどね。
竹田のは、竹田現象学なわけだし。
ニーチェや現代思想系の解説書がウンコなので、
竹田の本は読んでないので、批判する権利もないし。
887 :
考える名無しさん:02/05/02 22:25
ウンコは言語だよ。
888 :
考える名無しさん:02/05/02 22:29
だいたいここで、まともな議論してると思っていたら、これは怖いな。
889 :
考える名無しさん:02/05/02 22:32
中村雄二郎『哲学入門』の「論争」のレベルにも達してない。
低レベルを文字通り、低レベルとして認識して、その「低レベル」を
同一内容として考えている人っていったい…。
これが、サルになるということなのか。
やはり、『必読書150』は読んどいたほうがいいな。
890 :
考える名無しさん :02/05/02 22:44
>>889 ん?
「語学が無きゃだめ、原書読まなきゃ駄目」
っていうのが、柄谷信者(アンチ竹田)に固有の反応じゃなくて、
哲板では一般的な反応と言うことなんだけど。
だからそういう意見のレベルが低いのなら、
それは柄谷信者のレベルではなく、哲板のレベルが低い
と言うこと。
891 :
考える名無しさん:02/05/02 23:24
哲板のレベルが低い、とすまして書ける感覚がわかんない。
原書読まなきゃだめ、っていうのは
なんか嫌だな。
そんなこといってる暇があったら、
読む易い翻訳だしてくれたほうが、
「一般人」にとってそれだけありがたいことか。
結局、みずからを特権化したい中産階級のエゴイズムを
専門家の「原書主義」には感じないわけにはいかない。
中世のケンブリッジで、ラテン語にこだわりすぎて
100年分学問の進歩が遅れたという説を
読んだことがある。
ていうか、哲学やってる人はラテン語と古代ギリシア語は
当然マスターされてるんでしょうね。
893 :
Kurihara:02/05/03 01:44
柄谷さんは誤読のプロなんだから、
原書に拘りなんかそもそもありませんよ。
『資本論』へのエンゲルスの犯罪的改稿を検証
する時には、さすがに『資本論』の原書にあたった
とは思いますがね。そういう時以外は、翻訳で
すませていると思いますよ。
日本人の書く日本語のテクストを読む機会も多かっただろうし。
894 :
考える名無しさん :02/05/03 02:51
>>891 だからそういう意味じゃないって。私自身の見解でもないし。
「語学駄目で原書読めないのは駄目」がレベルが低い意見というなら、
それは柄谷の読者のレベルが低いと言うことでなく、
哲板のレベルが低いって事だと言うこと。
どのスレに行っても「原書で読まないのはクズ」みたいな意見が蔓延してるでしょ。
>>893 つか、柄谷の読者はそういったことを言ってはいけないと言うことなのか。
柄谷は原書を読まないのだから、竹田が原書を読まないからと行って、
馬鹿にするのはレベルが低いと。
895 :
Kurihara:02/05/03 03:14
柄谷さんが原書にあたらないのは
柄谷さんがもともと数学科志望の生徒
だったことと関係があると思います。
関係構造(代数的構造)の把握のためには、
何語であれ、とにかく言葉のちゃんとした連なりが
与えられていれば、それでいいのですからね。
つまり、ただ言葉の連なりだけが重要であって、
それが原テクストとの照合性に乏しくとも、
その連なり自体の関係構造の把握は可能ということです。
896 :
考える名無しさん :02/05/03 03:32
でも、柄谷が原書に当たらない理由が、
竹田の読者がいうところの「自分があると思いこみたいだけの」
関係構造を把握すれば充分と考えているからだというのが、
面白い。
すると竹田が原書に当たらない理由は何かな。
自分の意識の問題だけ追究すればいいと考えている、ヒキーだから?
努力が嫌いなんでしょうw
898 :
kurihara:02/05/03 09:47
柄谷さんも原書にあたっているときもあるし(全部とはいわない)、
英語の論文はよくよんでいるんじゃないでしょうか。
けど、日本の大学先生の「原書主義」は、職人の「この世界は奥が深い」
と同じで、結局じぶんのテリトリーをあらされたくないがためのいいわけだと思いますよ。
もっともその○○研究者というのは日本でしか通用しないわけで、外国に自分の論
をもっていくことは考えていない。結局明治以来あるいは大正教養主義の「洋学隊」のパラダイムで
動いている。それはポストモダン学者でも同じでしょう。
けどそれがさすがに通用しなくなっているというのが今のポイントなんじゃないでしょうか。
翻訳したくなるものないもの。そして「(外国の偉い)○○によれば」という
論文パターンを作成するのはさすがに今時恥ずかしいでしょう。
899 :
kurihara:02/05/03 09:58
また原書にあたれ、という哲学研究者が英語・フランス語しゃべれない
というのもよく目撃しますよ。かなり高名な人でも。
「しゃべる」というのはどういうレベルでか、というのも議論する必要があるかも
しれませんが。
(@)
ヽlノ / ♪
.〆⌒ ⌒ ヽ くKurihara先生には
/ lノノ)ノ|ノ ついていけない…
| | | @@|| \
((◯ |. | |'__▽.ソ| .◯)) シ
□|| ̄ ̄||~'†~|| ̄ ̄||□ ャ シ
゚ . ̄| ̄)|\/|~|~ ̄ .゚ . カ ャ
\/ミ ミY カ
| .| | |
./ | | \
\|__|/ ,,,,,,,,,,
∨ /. ( i _ i )
(⌒ /| (∩∩)
901 :
3・2 言語学的アプローチ:02/05/03 12:40
902 :
?l?|?e´?1/4?3?μ :02/05/03 13:50
>>896 君の現象学に対する理解は、俗的なレベルだよ。現象学は、思い込みの哲学
じゃない。自分自身で、思考の成立過程を、辿り直すようなプロセスをして
いないだろ。自分自身の思考力で、現象学と対決してほしい。
信念対立がどうして起こるのか? 世界観や人間観の対立がどうして起こる
のか? 普遍洞察性はどうして成立するのかを説き明かすための思考の技術
だ。
>自分自身で、思考の成立過程を、辿り直すようなプロセスをしていないだろ。
「竹田現象学」をなぞっているだけの人間がよく言うわ。
904 :
Kurihara:02/05/03 21:23
柄谷さんと竹田さんの差異を一言でいうと、
柄谷さんにはユーモアがあるが、竹田さんには
ユーモアがない、ということですね。
この差異は決定的に重要ですよ。
905 :
Kurihara:02/05/03 21:43
関係ないですけど、ビートたけしさんが、
田中角栄を評して、「俗物性が余りに徹底していた
がために、むしろ普通の俗物とはどこか異質だった」
といっていますね。
この批評の仕方を見ると、ビートたけしさんは
デリダを読んでいたように見えますよね。
『だから私は嫌われる』のなかで、デリダとフーコー
の名前が出てきますので、余計そう感じてしまいます。
柄谷さんとたけしさんとの間になにか通底するものが
あるなら、それはやはり「ユーモア」でしょうね。
この二人はその卓抜なユーモアのセンスによって、「世界」に
認められたのではないでしょうか。
906 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/05/03 21:46
ユーモアって何でしか?
907 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/05/03 21:56
成る程。
908 :
Kurihara:02/05/03 22:06
ウソこけ
910 :
考える名無しさん:02/05/03 22:51
殻谷はマテリアルであることを徹底していて逆に浪漫派ぽくなっている藁
912 :
考える名無しさん :02/05/03 23:42
>>910 柄谷ってその辺り、徹底してるかなあ。
探究とか読んでみると、逆に肝心なところで
「文学」に逃げている感じがするんだけど。
99匹と1匹の羊の話とか、大審問官の話とか。
同じ単独と普遍や固有名詞の問題でも、差異と反復とかと比べると、
かなり不満が残るんだけど。
本人が思っているほど、論理的な人じゃないでしょ。
面白いことは面白いんだけど。
>>902 前の方で出てたけど、言語や貨幣についてはさっぱりじゃん。
竹田スレ見ても、9・11の問題でアホなことしか書いてなかったし。
NAMだって、現実問題として上手くいっているようには見えないけど、
資本主義への対抗手段として、少なくとも原理的には正しいと思えるし。
ああいう問題に対して、「他者なんて幻想」なんて考え方で、
対応出来るの?
この板に来てはじめてみた名前だけれど・・
哲学の学たる所以は、「開いて」いること/批判契機に自らを晒していること にあるかとおもわれ
914 :
考える名無しさん:02/05/03 23:55
そうして、複数の主体の間でコミュニケーションが反復されると、いずれはエラー(錯誤)が生じる。
敵対なり、批判の応酬なりが端緒であったとしても、相互理解の契機は、絶無というわけでもない ともおもわれ
つまりは伝言ゲームってわけだ。
そういうことなのかもしれん(思案中
伝言ゲームなど存在しない。
あるのは、伝言ゲームが存在すると確信している、意識という場だ(藁
間主観的なモノが「無い」がゆえに、それを希求せずにはいられない ということかともおもわれ
>「開いて」いること/批判契機に自らを晒していること
これって、「笑える」ってことですよね。
隙を、「作って」おくこと にも似ているかもしれないですねぇ・・
921 :
考える名無しさん:02/05/04 15:49
誤読というより創造的解釈とか言ってほしい。つまり、原書に忠実とか
いって出している出版社のレベルとかみると結局大手への反発からの
ルサンチマンにすぎなかったりする。
922 :
考える名無しさん:02/05/04 16:51
原書主義がエクリチュールの<差延>を妨げるものであるならば、
原書主義というのはデリダが批判するところのロゴス中心主義に他ならないのではないか。
923 :
考える名無しさん:02/05/04 19:41
読み方がわからねえよ!!!
924 :
「トランスクリティーク」7:02/05/04 19:47
原書主義がどうとかじゃなくて
たんに原書読めないより読めたほうが説得力あると思うんだけど
エラソーにできそうだし
926 :
田畑稔『マルクスとアソシエーション』(94年、新泉社):02/05/05 01:41
読み易くて意外に面白かったです。
「可能な共産主義」、「コントロールの下」、
「クリティーク」について書いてました。
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tabata.html 田畑氏の「マルクス再読」は、
次に『市民社会とマテリアリズム』、
『”弁証法的唯物論”へのオールタナティヴ』を
予定しているそうです。
田畑氏が今まで出した共著。
『歴史の哲学』(北樹出版)
『マルクス主義と唯物論哲学』『天皇制を哲学する』
『企業モラルを哲学する』『日本の〈保守〉を哲学する』(三一書房)
『現代日本の教育イデオロギー』(青弓社)
『現代日本の宗教』『証言・唯物論研究会事件と天皇制』(新泉社)
『社会主義像の展相』(世界書院)
927 :
考える名無しさん:02/05/05 07:51
柄谷行人予言禁止令発令。
戦争防止禁止。
928 :
考える名無しさん:02/05/05 09:58
何こーじんだよ!!!!!!
読めねえよ!!!!!!
930 :
考える名無しさん:02/05/05 10:36
がらやだろう?
931 :
考える名無しさん:02/05/05 17:07
カラヤンアポジカ
うんこちんこまんこ
933 :
考える名無しさん:02/05/05 20:45
-─===─ヽ/へ 我が教団に入信して 悔い改め給え
iiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ ______ ___ ,-───
彡≡≡≡≡|≡ミミヾ / \ _-=─=- / `
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ \ _-=≡///:: ;; ''ヽ丶/ヾ ヾ .,! !,,!_´,,//_//
\iiiiiiiゞ ─ | / '' ~ ヾ/=/`''~~ /彡-
\iiヽ ── | / |=.| 二 | 三
━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ _,-=- _,-= ヽ| | ヽ| ── \三
⊂⊃,.:: :: ⊂⊃ ヽiiiii ⊂⊃ノ_⊂⊃ ヽ |≡ , 、 || ヽ ,, 、ー ̄ \
::: |iiiii ヽ .|≡_≡=-、___, - -=≡=_ / ⊂⊃ ⊂⊃ |=
|iii| ( о ) | | ,⊂⊃ | | ⊂⊃ |┤ / |/
( ● ● ) .|iiii| /_,,,,;;iiiiiiii;;;,,_ヽ |ヽ二_,( )\_二/ | ( 。つ\
》━━━━《 |iiiii|///;;;;───、ヾ. | /( )ヽ | / 丶ー
》 / ̄ ̄\ 《 |iiiiiiii|:::///\__/ヾヽ| / ⌒`´⌒ | /____」
《《 \ ̄ ̄/ 》》 |iiiiiiiiiii|::// ;; ; ;; 》::::::| / | |/ /
》》  ̄ ̄ 《《 》》》》》iiiii|::《 ;; ;; ;》 ;;》:( |_/ヽ_'\_/ | | |__/ //
《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|/ 》 ;;》 》 ;;ミ ヽ 、\_ ̄  ̄/ヽ ヽ -─ /
巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII ヽヽ《 ;;; 》( \ |  ̄ ̄ _// ヽ_____/_ノ
巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii ``《人/ \__ ヽ____/ /≒/-'
四大宗教代表【よんだいしゅうきょうだいひょう】
■ウム真理教(■原彰晃)、■イフスペース(■橋弘二)、 ■価学会(■田大作)、■の華(■永法源)
半分引退しているくせにスポットライトに当たっていたい柄谷と
柄谷なしでは花の業界って、ほとんどアンントニオ猪木とプロ
レスみたいな関係だよな。
「死んだ犬」をちゃんと殺すためには、一切、言及するのを止め
て、「あなたなしでもやっていける。」ということを示すしかないけ
ど。小犬達にはむりかな。
>>934 >柄谷なしでは花の業界って、
の「花」は記述途中の変換ミスのようですが、
正解は次の3つのうちのどれでしょう。
@柄谷なしでは話のない
A柄谷なしでは鼻くそ以下の
B柄谷なしでは話に花の咲かない
936 :
考える名無しさん:02/05/07 01:15
「柄谷君は挑発的だから、ちょっと
応対に困るなぁ(笑)」by 廣松渉
938 :
考える名無しさん:02/05/07 10:22
>>912 >前の方で出てたけど、言語や貨幣についてはさっぱりじゃん。
「貨幣について」の竹田さんの思考は、まだ見えないけど、言語についての
思考は、「言語的思考へ」に明らかです。
>竹田スレ見ても、9・11の問題でアホなことしか書いてなかったし。
原理的なことほど、結果的に単純に見えるもんだ。
>ああいう問題に対して、「他者なんて幻想」なんて考え方で、
>対応出来るの?
あいもかわらず、俗的な理解で終わっているな。人間は、そもそも、幻想関
係の網の目の中で生きているのであって、その幻想的理解が、両者に一致す
るとき、共有や共通了解が生まれるわけだ。自然を数学的体系に還元化して
理解するのも、ひとつの幻想的理解です。
939 :
考える名無しさん:02/05/07 11:12
>>938 この手の観念論者はなぐってわからせろ、という
非哲学的な回答も正しい気がしてくる今日この頃。
940 :
考える名無しさん:02/05/07 12:00
>>939 ファシスト野郎め!アメリカといっしょじゃねえか。
941 :
考える名無しさん:02/05/07 13:29
柄谷行人、浅田彰は読む必要はない。渡辺直己も、すが秀美も、あらゆる批評主義者の本は忘れなさい。
942 :
考える名無しさん:02/05/07 13:29
これを読まなければ屑である。
943 :
考える名無しさん:02/05/07 13:29
これを読まなければカスである。
哲学の人は殻谷なんて読んじゃいけないと思うんだけど。
これを読まなければスカである
946 :
考える名無しさん:02/05/07 13:56
>>940 どいつもこいつも竹田と同じものの見方をしなければならない、
という考えよりはマシだと思う。
948 :
考える名無しさん :02/05/07 16:11
>>938 それならさ、竹田スレでまともな話をしてくれよ。
「まず両者が交渉のテーブルに」
なんてのじゃなく(藁
949 :
考える名無しさん :02/05/07 17:56
>>941 竹田も批評出身じゃねーか。
哲板でまともに相手にされていない点でも同じだろ。
竹田信者と柄谷信者の貶し合い、目くそ鼻くそなんですけど。
950 :
考える名無しさん:02/05/07 18:10
>>947 どうも分かっちゃいねえよな。竹田と同じものの見方をしろなんて、
いつ誰が言ったんだ?誤解もいいかげんにしてくれ。
竹田は、人間のものの考え方の原理と認識の限界点を明示しただけだ。
目の視界能力は、人間一般にとって同じ構造であるのと同様、ものごと
を考える能力や理解する構造は、すべての人間にとって原理的には同じ
なんだということを言ったにすぎない。
951 :
考える名無しさん:02/05/07 18:37
>>949 そうかなあ?
竹田のことは知らないけど、柄谷のカント論はすごいと思うけど。
学者がだんまりを決め込んでるのは自分達の縄張りを守るためじゃないの?
952 :
考える名無しさん:02/05/07 19:32
>>951 そういうことだろうね。
哲学界という閉じた世界での特殊権力の闘争において、その外部の柄谷を
容認することは、その闘争におけるステータスを失いかねないことだろう。
引用ひとつでも、こんなしょぼい官僚主義にかなったものでないといけな
いというわけだ。
カント学者のカント論はつまらないよ。
苦労して読んでも、なにも残らない。
だからなんだよ、と怒鳴りたくなる(俺の能力の問題もあるだろうが)。
読み終わってから、苦労を覚悟して直にカントを読もうなんて気にならない
研究書なんてなんの価値があるのか。
でも中島の『カントの時間論』『時間論』はすばらしいと思った。
953 :
考える名無しさん:02/05/07 20:01
>竹田は、人間のものの考え方の原理と認識の限界点を明示しただけだ。
>目の視界能力は、人間一般にとって同じ構造であるのと同様、ものごと
>を考える能力や理解する構造は、すべての人間にとって原理的には同じ
>なんだということを言ったにすぎない。
「言ったにすぎない」って謙遜か?
随分大それたことだと思うんだが。
954 :
考える名無しさん:02/05/07 20:35
>>952 話のもっていきかたが、うまい!
そんなに良い?<中島
955 :
「トランスクリティーク」8:02/05/08 03:05
>カント学者のカント論はつまらないよ。
>苦労して読んでも、なにも残らない。
>だからなんだよ、と怒鳴りたくなる(俺の能力の問題もあるだろうが)。
>読み終わってから、苦労を覚悟して直にカントを読もうなんて気にならない
>研究書なんてなんの価値があるのか。
なあ、こんなこと言われてカント研究者はだまってられんの?
こんな板のよりによってこんなスレみてるか知らんけど。
俺の専門だったら、だまっちゃいないよ。
しかし、カント研究者の論文はたしかにつまらないものが多いかも。
中島が「〜にかけては、私は第一人者ですっていうやつはアホ」
みたいなこといってたけど、学部時代の教授が「カントの
この部分に関しては私以上にわかってる人はいません」とかいってて
正直こいつアホだと思ってしまったよ。
カントのスレでは割と好意的だったけど、分析系やライプニッツのスレでは、
無茶苦茶に叩かれてたよ。
クリプキを、浅い理解(つーか、誤解)で叩いてるとかで。
カントスレでも、面白いことは確かだけど、実存論的な部分にしか柄谷は興味がないから、
これでカントを全て分かったみたいな考えるのは危険だみたいな。
柄谷の狙いは、正確な理解ではなく、「誰にも似ていないその単独的な在り方が、
普遍的である」という、「生き方を実践する」ということだから、彼の読みが乱暴であ
ることは、仕方のないところではあるんだけど。
書いてあることをそのまま整理するということは、ユニークな生き方に反するわけで。
カント主義者は誰もカントに似ていないっていうのは、そういうことでしょ。
だから、柄谷信者は誰も柄谷に似ていないとも言えるんだけど。
学者の書いたものがつまらないのは、仕方がないよ。
それを読むことがカントを読む助けになればいいんだから。
それを読んだあと、「純理」なりなんなりが、面白ければそれがその本の成功でしょ。
958 :
考える名無しさん:02/05/09 12:51
柄谷のカント解釈に普遍性があるとは、思えない。
959 :
考える名無しさん:02/05/09 16:36
現代書館『ORGAN』創刊号、「現代思想批判」に載った、
「精神の場所―デカルトと外部性」というのは他の単行本に収録されていますか?
960 :
考える名無しさん:02/05/09 20:06
>>957 >カントのスレでは割と好意的だったけど、分析系やライプニッツのスレでは、
>無茶苦茶に叩かれてたよ。
それはそうでしょうね。
柄谷は分析的判断のみを確実なものとすることを形而上学と批判しているんだから。
>実存論的な部分にしか柄谷は興味がないから、これでカントを全て分かった
>みたいな考えるのは危険だみたいな。
たしかにそういう危険はあるね。
だけど、柄谷の批評はコペルニクス的転回を問い質し、総合的判断を救い出し、
三批判の連関を問い質しているわけで、これを単に実存的とするのも危険かと。
>書いてあることをそのまま整理するということは、ユニークな生き方に反す
>るわけで。
スレがトラクリを読んでない人ばかりの時、適宜トラクリの整理レスがあるの
は良いかなと。
でも効果ないみたいね(w
話しは逸れるけど、ドゥルーズの超越論的経験論は面白そう。
>>954 中島いいですよ。
特に、『純理』の初っ端の感性論読んで、「なんの意義があるのか」と怪しみ、
めげた人には
961 :
3・4 結び:02/05/09 21:04
どうでもいいことにこだわるのが
ヲ タ
963 :
考える名無しさん:02/05/09 22:06
>>961 >「精神の場所」は再録されてないんじゃないでしょうか。
わかりました。古書を買います。
>>960 分析についてはよく分からないけど、ライプニッツについては、柄谷はわざと貶めている
ように見えた。
スレを見る限りではライプニッツのモナド論は、ドゥルーズ的な永遠回帰の問題にも
繋がるみたい。まあ、ドゥルーズが拘ったのもよく分かるというか。
柄谷って、思想的には普遍と単独とか、固有名詞の問題とか、ドゥルーズっぽいけど、
本の読み方はハイデガー(ニーチェ講義なんかの)みたい。
自分を語るために、先人をわざと貶めるところとか。
スピノザスレで煽ってた某おじさんも言うように、ドゥルーズは、割とテクストに忠実な
読み方をするからね。だから彼の解説書は、信用出来るんだけど。
そういえば、ドゥルーズ追悼の座談会では、「ドゥルーズの最高傑作は「差異と反復」だけど、
自分の「隠喩としての建築」に近い」とか語ってたな(実際は探究以降の仕事に近い)。
あと、柄谷は肝心なところで情念みたいなところに逃げるからね。
大審問官を引用したり、99匹と1匹の羊の話を引用したり。
少なくとも、「差異と反復」は、伝統哲学のモデルに則って語ってるから。
先に大杉の言葉の引用があったけど、柄谷は論理じゃなく情念の人だと思う。
中上もやっぱり柄谷は情念の人みたいな事を言ってたし。だからカリスマ性があるん
だろうけど(やっぱりハイデガーか)。
俺はトラクリ以降は読んでないんだけど、その辺りは変わってないのかな。
あと、スピノザスレでは、日本語訳に引きずられた誤解をしてるところが晒されてたな。
965 :
考える名無しさん:02/05/10 16:06
>>961 柄谷特有のカント道徳の解釈だが、カント自身の道徳もそうだが、抽象的で
実践向きじゃないなと思う。結果を考えずに行為なんて果たしてできるのか?
また、意志だけを重要視して、結果が悪をもたらした場合、それでも、正し
い行為だったなどと抜かすのか?カントの仮言命法と定言命法の区別をどう
柄谷が考えているのかも分からない。
966 :
考える名無しさん:02/05/10 18:57
「国文学 解釈と鑑賞」別冊 『柄谷行人』の「柄谷行人著書・著作」、
結構掲載漏れ多いぞ!
「柄谷行人」の著作リストだぞ、もっと精確に願いたいね。
967 :
考える名無しさん:02/05/11 04:03
『トランスクリティーク』が再生紙でできており、
地球に還るようにできているように、
また柄谷行人も土に還るのでしょう。
>967
で、再生するわけ?それって、スポック博士じゃないの。(笑
969 :
考える名無しさん:02/05/11 07:10
柄谷行人はよい肥料として再利用されます。
970 :
考える名無しさん:02/05/11 07:49
肥料?小犬のエサじゃなくて?
971 :
千と千尋とミル☆マスカラス:02/05/11 18:53
972 :
考える名無しさん:02/05/11 18:57
再生紙を作るには、材木から製紙する場合よりも、倍のダイオキシンを
出さなければならないって知ってた?
漂白の為に塩素を沢山使うかららしいよ。
>972
「トラクリ」からダイオキシン(笑
974 :
考える名無しさん:02/05/11 21:12
実情としてのトラクリはダイオキシンを生む。
大地に還すべきではない書物は焚書しましょう。
「トラクリ」は天に召されるべき書物だったのです。
同類の愚スレが乱立してるが、人生論と哲学を同梱してないか?
人生論を考えるためには、正しい(善という意味ではなく正確にはという意味)
考えることや、厳密に世界(二元論の上での客観という狭い意味合いではない)
の在り方や考究した上で、それを根拠にするから万人に対して、
こうこうこのように考えるのが善い考え方=生き方だと主張できるのであって、
それについて努力しなかったり、人生論を先にして話を顛倒してはならない。
顛倒させれば、世界や考えることを批判的に厳密に考察する事以上に、
自己が理想とする人生論に合わせて世界を自明的に恣意的に解釈することだけ堕してしまう。
>>965 これって、結果や行動そのものはともかくとして、行動しようとしたことが正しいという事じ
ゃないの。
確か、ハイデガーの行動そのものは正しくなかったけど、ハイデガーが何かをしなけれ
ばならないと思ったことは正しい、みたいな事を言ってたような。
>>964 君はドゥルーズに詳しいようだからひとつ教えてほしい。
カントの「演繹論」およびその第二版への改訂に関して、中島とドゥルーズの読解
自体にはある種共通点があるよに思えるが、その評価が正反対だ。
同じカントを読み、読解の端緒において恐らくは共通点がありながら、その後ここ
まで正反対の哲学を展開するのは非常に興味深い。
中島の「再認の総合」から「時間の超越論的観念性」に到るラインはわかるのだが、
ドゥルーズの「再認の総合」批判から「超越論的経験論」に到るプロセスがわから
ないので、それについて教えてほしい。
後から考えて「超越論的経験論」から「再認の総合」批判を振返れば全くわからな
いこともないが、それも印象の域を出ないし、そもそも「超越論的経験論」なんて
あり得るのかとも思う。
「超越論的経験論」を扱った他の哲学者の文章はいくつか読んだがやはりよくわか
らなかった。
あと、君は俺を他の人と勘違いしてるよ
スレ違いになってしまったがよろしく。
978 :
「資本・国家・倫理」:02/05/13 02:40
979 :
考える名無しさん:02/05/13 17:38
『差異と反復』モナー
980 :
考える名無しさん:02/05/13 19:51
『意味の論理学』モナー
981 :
考える名無しさん:02/05/13 19:55
そろそろ1000取り合戦やりますので後のことはよろしく。
982 :
考える名無しさん:02/05/13 19:56
柄谷うせろ。
983 :
考える名無しさん:02/05/13 19:56
ドピュ。
984 :
考える名無しさん:02/05/13 19:58
( ´・ω・`)
985 :
考える名無しさん:02/05/13 19:59
( ´・ω・`)ショボーン
986 :
考える名無しさん:02/05/13 20:00
( ´・ω・`)哲学板。。。。。ショボーイ
987 :
考える名無しさん:02/05/13 20:01
( ´・ω・`)そんなに生と死が気になるなら、メンヘル板逝けヴぁ。
988 :
考える名無しさん:02/05/13 20:02
( ´・ω・`)哲学に不可欠なものとは?だって。ヴァーカ。
989 :
考える名無しさん:02/05/13 20:03
( ´・ω・`)どうして人間は生きているのか、だって。ヴァーカ。
990 :
考える名無しさん:02/05/13 20:04
( ´・ω・`)990!!!!!
991 :
考える名無しさん:02/05/13 20:05
( ´・ω・`)永遠の命、だって。ヴァーカ。
992 :
考える名無しさん:02/05/13 20:07
( ´・ω・`)This board is phiolosophy of philosophy.
993 :
考える名無しさん:02/05/13 20:08
( ´・ω・`)浅田彰、だって。ヴァーカ。
994 :
考える名無しさん:02/05/13 20:09
994
995 :
考える名無しさん:02/05/13 20:10
( ´・ω・`)995
996 :
考える名無しさん:02/05/13 20:11
アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!!!!!!!
997 :
考える名無しさん:02/05/13 20:12
( ´・ω・`)
自由意志と決定論。結構な二項対立ですな。
998 :
考える名無しさん:02/05/13 20:12
キュウキュウハチ!
999 :
考える名無しさん:02/05/13 20:13
999
1000 :
考える名無しさん:02/05/13 20:13
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。