550 :
,:
>>464 の続き
ロマスとナイトがフリーメーソンリーに加入したのは、純然たる好奇心からだった。その儀式の起源を知り
たいと考えたのだ。一般に、フリーメーソンリーは中世のギルドに起源を持つと考えられている。シャル
トルやサン・ドニなどの建築家たちによる一種の組合だ。だがロマスとナイトは、その儀式を詳しく調
べていくうちに、フルーメーソンリーはそれよりはるかに古いものであり、イエスとその弟ヤコブの時代
のイェルサレム教会にまで遡るものである事を確信した。しかも、その伝承自体はさらに古く、
紀元前9600年の洪水にまで溯るというのである。
ロマスとナイトが特に興味を引かれていたのは、スコットランドにおける最も注目すべき宗教建築―
―エディンバラ近郊のロスロリン礼拝堂だ。
私は、1996年5月、エディンバラ滞在中にジョイとともにここをたずねた。それは15世紀半
ばのテンプル騎士、ウィリアム・セント=クレアによって建立されたおどろくべき建物で、キリスト教のものと
いうより異教のものに見える。壁も柱も、つたや花、果実の彫刻で埋め尽くされており、「グ
リーンマン」と呼ばれる異教の像が至るところにある。
キリスト教の教会で、この怪物はいったい何をしているのか?神話においては、彼は春にお
ける植物の復活を表し、彼を中心とした異教の祭りが行われた。
もう20年以上も前に書いた「ミステリーズ」(1978)という本で、私は、月の女神ディアナ
を崇拝する古代の宗教を論じた。それはキリスト教によって追放されたが、死に絶えたわけで
はない。すでに述べたように、マーガレット・マレイという奇矯な学者は、魔女術とは実際にはディ
アナ崇拝に基づく宗教だったと論じている。魔女裁判で言及される、悪魔が主宰する魔女の
サバトというのは実際には異教の豊穣祭であり、これを主宰していた祭司長は山羊の足と角
を持つ神パンに扮していたという
551 :
,:2008/05/28(水) 22:43:48 ID:TD/3JVYb0
キリスト教の教会で、この怪物はいったい何をしているのか?神話においては、彼は春にお
ける植物の復活を表し、彼を中心とした異教の祭りが行われた。
もう20年以上も前に書いた「ミステリーズ」(1978)という本で、私は、月の女神ディアナ
を崇拝する古代の宗教を論じた。それはキリスト教によって追放されたが、死に絶えたわけで
はない。すでに述べたように、マーガレット・マレイという奇矯な学者は、魔女術とは実際にはディ
アナ崇拝に基づく宗教だったと論じている。魔女裁判で言及される、悪魔が主宰する魔女の
サバトというのは実際には異教の豊穣祭であり、これを主宰していた祭司長は山羊の足と角
を持つ神パンに扮していたという
コーンウォールへ帰る列車の中で、私はロスロリンの書店で買い求めたロバート・ロマスとクリストファー・ナイトによ
る「ヒラムの鍵」(1996 邦訳は封印のイエス 学研)を読んだ。ロスロリンを中心テーマとする本だ。
そして私は、ウィリアム・セント=クレアが何らかの興味深い――そして非キリスト教の――秘儀の守護者
なのではないかという疑いを強くしたのだ。
現代のフリーメーソンは、彼等の奇妙な参入儀礼――首に引き縄、片足に上靴、もう一方の裾を
膝までまくりあげ、一連のわけのわからない質疑応答を受ける――は、純然たる創作だと
考える傾向がある。だがロマスとナイトは、これこそが秘密の暗号だと考えるに至った。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1179911235/74-77 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1160100092/370-377
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E6%B5%B7%E6%96%87%E6%9B%B8#.E5.B9.B4.E4.BB.A3.E3.81.A8.E5.86.85.E5.AE.B9 死海文書
教会の虚偽を暴露する死海文書
当然ならが、教会は、このようなキリスト教発生の顛末を完全に否定し続けてきたし、それに
対する反論も存在しなかった――1947年までは。この年、死海の畔のクムランに近い洞窟で、
あるものが発見された。それは教会の屋台骨を揺さぶるものとなったのである。
1947年の初頭のある日、ベドウィンの羊飼いの少年が、いなくなった山羊を探してクムラン
の断崖を歩いていた。そして下からは見えない洞窟を見つけたのだ。石を投げてみたとこ
ろ、何か陶器が割れたような音がする。そこで彼は崖をよじ登り、洞窟の床に降りた。そ
こには沢山の陶器の壺があり、それぞれ高さ2フィート(約60センチ)ほどだった。
ひとつの壺には、ボロボロになった亜麻布で包まれた革の巻物があった。貧しいアラブ人
にとって、その壺は中身よりの価値あるものだった。いくつかの壺は持ち去られ、水入れ
にされた。巻物の一部は焚き付けにされた。そして一部はキリスト教徒の古物商のもとに届い
た。彼はそれを大司教に見せた最終的に巻物の一部はイェルサレムのドミニコ会が運営する考古学研
究所に届き、そこで贋作と鑑定された。だが翌年3月、ジョンズ・ホプキンズ大学のウィリアム・F・
オルブライドは、それが紀元前100年のものであると発表したのだった。
553 :
,:2008/05/28(水) 22:47:39 ID:TD/3JVYb0
323 KB
実際には、また、別の古代の巻物が、その2年前にエジプトのナグ・ハマディで発見されてい
るのだが、これについては後ほど述べる
クムランでさらに多くの死海文書が発見されると、それはイェルサレムのパレスティナ考古学研究所に
運び込まれた。俗にロックフェラー博物館と呼ばれるこの研究所は、ガチガチの保守派であるドミニコ
会士ローランド・ヴォの後見を受けていた。そして死海文書はまだ、学会からさほどの注目を集
めてはいなかった。というのも、それは既知の旧約聖書、たとえばイザヤ書などの古代の写
本に過ぎないとされていたからだ。だがド・ヴォがその真の重要性に気づくや、彼はこれを
隠蔽することが教会のためだということに気づいた。実際、死海文書はローマ・カトリッ
ク教会の土台が虚偽であることを明らかにするものでだったのである。
だが1954年には、これらすべてのことが暴露される寸前となっていた。その首謀者は、
国際学者チームのイギリス代表である一匹狼の学者ジョン・M・アレグロ。まず第一に、純真なアレグロ
は、彼がともに仕事をしているチームのメンバーはまったく私心なき学者たちだと思い込んでい
た。つまり、この巻物にはイエスが神などではなく、単なるユダヤ人の反逆者だと書かれている
という事実を公開しても、誰一人とがめるものはいないだろうと。だが、やがて彼は気づ
くことになる――文書の公開が遅れに遅れていること自体が隠ぺい工作の一端であり、公
開済みのものは難解な内容のものに限られているという事実に。かくも彼は行動を決意し
た。
554 :
,:2008/05/28(水) 22:49:28 ID:TD/3JVYb0
学者たちの隠ぺい工作に気づいたのは、アレグロが最初ではない。アメリカの文芸評論家エドマン
ド・ウィルソンは、1955年に「ニューヨーカー」誌にこの文書をテーマとする記事を書いた。これが好評を
博し、彼は同じ主題で本を書くことにした。左翼で反カトリックだったウィルソンは、すぐに何
らかの陰謀に気づいた。何らかの引き延ばし工作が行われていることは明らかであり、ま
たロックフェラー博物館の学者チームと鋭く対立する学者たちも存在していた。たとえばソルボンヌ大学
のアンドレ・デュポン=ソメ教授は、その5年前に、死海文書の中で磔刑に処せられたと記されて
いる(義の教師)が極めてイエスに似ていることを指摘し、カトリック側から集中砲火を浴びていた。
1956年、ジョン・アレグロはイギリス北部で、死海文書に関して3回ほどラジオで喋った。
そしてド・ヴォのチームにいる友人に対して、あまり神学に縛られないように、なぜなら「私
がそこで研究を終えるころには、君が属すべき教会はどこにもなくなっているだろうから」
と述べた。
彼の放送はイギリスではほとんど反響はなかったが、「ニューヨーク・タイムズ」に採り上げられ、初
期クムラン文書はキリスト教の起源がイエスよりも100年ほどまえにあると述べているようだ、と
書かれた。「タイム」誌もまた、「キリスト以前の磔刑」と題する記事でこれに続いた。今や、カトリッ
クの学者は守勢に立たされた。エドマンド・ウィルソンは無知な素人として一蹴することができたが
彼ら自身のチーム内にいる学者ははるかに厄介だった。
彼等の次の一手は、アレグロを驚愕させた。彼を弾劾する公開書簡を「ザ・タイムズ」に連名
で載せ、(義の教師)とその磔刑に関する彼の主張を否定したのだ。死海文書にはそのよう
な内容は何処にも書かれていない、と彼らは断言した。彼らがわざわざこの騒動を公にし
たことは、アレグロにとっては意外だった。彼は死海文書を隠蔽しようとしていたのではなか
ったか?だが実際には、それは完全に抹殺する作戦の第一歩だったのである。なのに純真
な彼は、依然として自分が研究チームの一員であり、ドヴォや他のメンバーとも論争はす
るが、友好的な関係を続けている、と信じていたのだった。
555 :
,:2008/05/28(水) 22:54:13 ID:TD/3JVYb0
もうひとつ、(銅の巻物)に関する微妙な問題があった。これは1952年にクムラン洞窟で発見
されたもので、文字が刻まれていた。2つの断片があり、いずれも巻き取られていたが、も
ろさのために開くこともできなかった。アレグロの友人であるマンテェスター大学のH・ライト=ベイカー教
授が、これを寸断して読めるようにする機械を工夫した。こうして、それは神殿から持ち
出された財宝の目録であることが判明した。
またしてもド・ヴォのチームは困惑した。エッセネ派は神殿を営むサドカイ派の敵であるとされていた
のに、この発見はそれを覆すものだ。国際チームはそれまで、エッセネ派というのは孤立した
カルトであり、たいした重要性は持たないと主張していた。だが明らかにそうではないことが
判明したのだが、ド・ヴォが(鋼の巻物)のことを秘密にしようとした理由はそれだけではない。
もしも隠された財宝のことが公になれば何千というベドウィンが手に手に鍬を持ってクムラン
に殺到するだろう。だからこれについては口外しないように言われたとき、アレグロは納得し
た――それに、遅かれ早かれそのこともまた明らかにされる日が来るだろう。そんなわけ
で、彼は当時執筆中であった死海文書についての本の中ですら、そのことに触れていない。
だが1956年5月、最終的な公式発表が行われた。財宝は虚構であり、いずれにしてもクムラ
ンとは関係ないというのだ。これを聞いて、アレグロは騙まし討ちされたと感じた。
もうひとつ、(銅の巻物)に関する微妙な問題があった。これは1952年にクムラン洞窟で発見
されたもので、文字が刻まれていた。2つの断片があり、いずれも巻き取られていたが、も
ろさのために開くこともできなかった。アレグロの友人であるマンテェスター大学のH・ライト=ベイカー教
授が、これを寸断して読めるようにする機械を工夫した。こうして、それは神殿から持ち
出された財宝の目録であることが判明した。
556 :
、:2008/05/28(水) 22:59:46 ID:TD/3JVYb0
アレグロがヨルダンを説得し、ロックフェラー博物館を国有化させたとき、彼の勝利は確定したかのよ
うに見えた――それは1966年末に実現した。だがその後、1967年に6日戦争が勃発、イェ
ルサレムはイスラエルの領土となった。そしてイスラエルは、教皇と事を構えることを望んではいなかっ
た。かくしてロックフェラー・チームは、その最高の収蔵品相手に時間つぶしを続行することを許可
された。
そして驚くべきことに、アレグロはまんまと敵の術中にはまってしまったのだ。1970年、彼
は「聖なるキノコと十字架」という本を書いた。同書は文献学に基づいて、イエスは実在しなか
ったと論じていた。イエスとは、当時豊穣崇拝で用いられていた幻覚性キノコによって呼び起こ
された神格の象徴だったというのである。
まさに荒唐無稽な説だ。特に、アレグロ専門であるエッセネ派の文書によれば、イエスの――
あるいは、少なくとも磔刑に処せられた(義の教師)の――実在には疑いの余地はない。
それに、こんな途方もない奇説を唱えたからといって、アレグロ自身が薬物を摂取したと非難
されるいわれはまったくない。そもそも彼は酒もタバコもやらないのだ。
だがいずれにせよアレグロは自爆し、ロックフェラーチームに勝利を譲った。彼は学会での地位も一般
的な人気も取り戻すことはなかった。1988年、彼は53歳で急死した(宿敵ド・ヴォは1972
年に死んでいた)。もう二年ほど長生きしていたら、ド・ヴォ・チームの有力なメンバーである出
版部長ジョン・ストラグネルの自爆が見られたのに、と思うと残念だ。
メンバーの多くがそうであったようにストラグルもまた強烈な反ユダヤ主義者だった。1990年
11月、イスラエルが死海文書出版プロジェクトの共同編集長として同国の学者エンマヌエル・トヴを指名す
ると、ストラグネルはインタヴューに答えて、ユダヤ教の事を「恐るべき邪教、、、、キリスト教の異端」と述
べた。さらに彼は、哀愁的な解決手段はユダヤ人全員がキリスト教に改宗する以外にない、と付
け加えた。彼の見解は全世界に伝えられ、数週間もしないうちに彼は解雇された。
>>509 これは優生学といえる代物ではない。単純すぎるので詳しくは書かないけど、
もうすでに行われている。
悪人の魂が生まれて来ない世の中になる、天国の霊界の人しか生まれて来れなくなる
って言われていたけれどこんな単純なことだったのかw
しかし、世の中そんなに甘くない。
558 :
、:2008/05/29(木) 07:44:29 ID:R3gDRYMv0
死海文書へのアクセス権を巡る戦いが終結したのは、1991年9月のことだ。このとき、カリフォ
ルニアのハンティントン図書館は、死海文書の完全な写真一組を所有していることを宣言して、ロックフェ
ラー・チームを意気阻喪させた。それは1953年、ド・ヴォが支配を確立する以前に委託されたも
のだという。ド・ヴォ・チームはその返還を求めたが、黙殺された。そしてハンティントンは、それを
マイクロフィルム化し、わずか10ドルで研究者に提供する予定である旨を発表したのだ。そんなわ
けでついに死海文書は公にされた。
559 :
、:2008/05/29(木) 07:45:28 ID:R3gDRYMv0
ロスロリン礼拝堂の真実、、、
ロマスとナイトによれば、元来のイェルサレム教会はエッセネ派を源とするものであったが、ティトゥスが神殿を
焼き払い、そこに残っていたエッセネ派を皆殺しにしたために壊滅した。だがその伝承は、さ
まざまな文書に生き残った。ロマスとナイトは、アレクサンドリアのクレメンスの書簡の存在を知った。彼は2
世紀の神学者で、秘密の福音書、それにイエス自身が行っていた秘密の儀式について語ってい
る。
そういえば、マンダヤ教徒、つまりティトゥスによる大量虐殺の前にペルシアに逃れたナザレ派(すな
わちエッセネ派)は、洗礼者ヨハネを崇拝してイエスを反逆者と見なしていた。そして彼等の儀式
はフリーメーソンリーのそれにそっくりだった。彼等の儀式は、フリーメーソンリーがエッセネ派とそのイェルサレム教
会にまでさかのぼることができるというロマスとナイトの説をうらづけるように見える。
言い換えれば、エッセネ派は秘儀参入の儀礼を行っていたのであり、そこには特別に許可さ
れた候補者しか参加が許されず、その式次第の中にはフリーメーソンリーと同様、儀礼的な死と再生
が含まれていた。
66年のユダヤ戦争開始直後、奇妙な出来事が起こった。この事件に関しては、歴史家もまだ
完全には理解していない。ウェスパシアヌスがパレスティナに派遣される前に、ケストゥス・ガルスというローマ
人が、強力な軍を率いて到着し、イェルサレムに向けて進軍した。彼らはほとんど無敵で、神殿
を包囲し、その城壁を破壊した。それから、突然考えを改め、撤退したのだ。
560 :
、:2008/05/29(木) 07:46:18 ID:R3gDRYMv0
66年のユダヤ戦争開始直後、奇妙な出来事が起こった。この事件に関しては、歴史家もまだ
完全には理解していない。ウェスパシアヌスがパレスティナに派遣される前に、ケストゥス・ガルスというローマ
人が、強力な軍を率いて到着し、イェルサレムに向けて進軍した。彼らはほとんど無敵で、神殿
を包囲し、その城壁を破壊した。それから、突然考えを改め、撤退したのだ。
あっけにとられたユダヤ人は、ヤハウェが助けてくれたのだと考えるしかなかった。エジプトか
ら脱出するイスラエル人を助けてくださったように、だ。彼らは退却するローマ人を襲い、6000人
を殺した。
ローマはすぐに報復に出て、ウェスパシアヌスを派遣した。彼はユダヤ人の都や町を一度に一つずつ
破壊しながら進軍した。反逆者たちの根城を絶やすためだ。4年以上要したが、最終的には
ローマの勝利、ユダヤの敗北に終わった。
ケストゥスがイェルサレムに進軍していたちょうどそのころ、エッセネ派がその聖文書の隠匿に動いてい
たことはほぼ確実だ。あまり重要でないものはばらばらにして壺にいれ、死海を見下ろす
洞窟に隠した。だが最も重要な文書は、神殿の地下に隠したのだ。ロマスとナイトによれば、こ
れらの文書こそテンプル騎士団の発見したものだという。
だが、ウィリアム・セント=クレアがロスロリンを建てたのは、イギリス最初のフリーメーソンが記録に登場するより2
世紀も前だ。にもかかわらず、セント=クレアがフリーメーソンだ、などということがありえるのだろう
か?
561 :
、:2008/05/29(木) 07:47:51 ID:R3gDRYMv0
333 KB
ロマスとナイトはロスロリンで多くの証拠を発見し、それを「ヒラムの鍵」や「第二のメシア」(1
997)などに発表したが、中でも最も説得力のある証拠はロスロリンの外の壁にあった彫刻だ。
そこに記されているのは、フリーメーソンリーの儀礼だ。参入者は目隠しをされ、首には縄がかけら
れている。その縄を手にしているのは、外套に十字を染め抜いたテンプル騎士だ。
セント=クレアがテンプル騎士であり、そしてテンプル騎士はまたフリーメーソンであったことは間違えない。
実際、ロマスとナイトによれば、ロスロリンの建立こそ、イギリスにおける最初のフリーメーソンリーの出現を示
すものだという。
ロマスとナイトは、ロスロリンのセント=クレア家の歴史を調べている。(同家の始祖である)ギョーム・ド・
サン=クレールはノルマン人で、1066年の征服王ウィリアムと代々同じころに渡来したらしい彼はギョーム上
品王と呼ばれている。彼の息子がアンリ・ド・サン=クレールで、彼は1095年に第一回十字軍に従軍
し、ユーグ・ド・パイアンとともに戦い、彼とともにイェルサレムに入城した。ユーグはアンリの姪である
カトリーヌ・ド・サン=クレールと結婚した。つまり、セント=クレア家とテンプル騎士団の繋がりはきわめて強
いのだ。
1307年にテンプル騎士団の艦隊がラ・ロシェルを出帆したとき、一部の騎士たちはスコットランドに向
かった。そこにはテンプル騎士団の最盛期である1140年に、キルウィングという修道院が作られて
いた。それはグラスゴーのすぐ南で、テンプル騎士団の中枢基地だった。当然ここは避難所とな
っただろう。特に、さほど遠くないロスロリンにはセント=クレア家がいたのだ。
562 :
、:2008/05/29(木) 07:49:07 ID:R3gDRYMv0
スコットランド王ロバート・ザ・ブルースは教皇から破門されたていたので、テンプル騎士団はスコットランド
では恐れるものは何一つなかった。「ヒラムの鍵」で提唱された主要な仮説の一つは、ロスロリン礼
拝堂がヘロデ神殿の複製として造られた、というものだ。(驚くべきことだが、ヘロデの神殿と
いうものは小教区の教会ほどの大きさしかなかったのだ。)その目的は、テンプル騎士団の最
も重要な「財宝」である貴重な文書を収蔵することである。彼等によれば、ロスロリンの未完成
の外壁は、単にその時点で工事が中断したかのように見えるが、実際にはそれはヘロデが再
建したソロモン神殿の未完成の壁を模したものなのだという。
1447年、ロスロリン礼拝堂がまだ建造中だったころ、ロスロリン城の本丸で火災が発生した。ウィリ
アム・セント=クレアは狂乱した――だが城付司祭がすでに文書を入れた4つの巨大な櫃を避難させ
ていたことを知って、彼は一転安堵した。記録によれば、それを聞いて彼は「元気を取り
戻した」。ロマスとナイトによれば、「文書」を入れた4つの櫃を、本丸自体よりも重視するとい
うのは奇妙な話に聞こえる――ましてや、彼の妻や娘はまだその中にいたのである。だが、
もしもこの櫃の中に、ロスロリン礼拝堂に納めることになっている、イェルサレムからもってきた秘密
文書があったのだとすれば、彼の奇妙な優先順位もよく解ると言うものだ。
これらのすべては、ウィリアム・セント=クレアがフリーメーソンであったこと、そしてエッセネ派とフリーメーソンリー
の間に直接の血の繋がりがあったことを明瞭に物語っている。
そしてそれは、カトリック協会が常にフリーメーソンリーを敵視していた理由にもなる。エッセネ派は、ユダ
ヤの宗教権力に対する叛逆者だった。イエス自身、祭司たちとローマ権力に対する叛乱を率いよう
とした叛逆者だった。聖パウロは自分で勝手に新宗教を捏造した。バーナード・ショーの言う「十
字架教」だ。それは今なお、カトリック教会となって残っている。テンプル騎士団は真実を知
っていた――彼らはイエスが神の子であるという認識を否定した。それゆえに彼らは十字架に
唾をしたと告発され、死ぬまで拷問にかけられたのだ。そしてそれゆえにロスロリンはキリスト教の
教会ではなく、グリーンマンの図像が満ち充ちているのだ。
563 :
、:2008/05/29(木) 07:51:08 ID:R3gDRYMv0
フリーメーソンリーの起源
だが大きな疑問が残っている。なぜロスロリンはソロモン神殿の複製なのか?なぜソロモン神殿はフリーメーソ
ンリーの中心なのか?そしてその建造者ヒラム・アビフは、フリーメーソンリーにとってかくも重要なのか?
その参入儀礼では、3人の職人によるヒラムの殺害が再演され、しかる後に参入者は再生する。
彼が再生するとき、特定の言葉が発音される。まるで戯言の様な言葉だ。(マアト・ネブ・
メン・アア・マアト・バア・アア)。
だがクリストファー・ナイトは偶然、「マアト」が古代エジプト語であることを知った。それは元来、神
殿の基礎のように「秩序ある左右対称の」という意味であり、その後、正義や真実を示す
言葉となった。つまりフリーメーソンリーにおいて極めて重要な役割を果たす概念だ。ナイトによれば、
あの「戯言」は実は古代エジプト語であり、その意味は「マアトの支配者は大いなるかな、
マアトの霊は大いなるかな」の意味だという。
564 :
、:2008/05/29(木) 08:12:33 ID:R3gDRYMv0
テュロス出身のヒラムは、単に神殿大工ではなく、工事全体を監督していた棟梁らしい。
そして彼は部下である3人の職人に襲われ、3発の打撃を受けて殺されるそれはどうやら、
彼が秘密の合図を出すのを拒んだためらしい。その合図があれば、彼らは実際よりも高い
階級(および高い賃金)を主張することができたのだ。とは言うものの、実にまったく疑
わしい話だ――高い階級の合図を知っていたところで、ちょっと仕事をさせてみれば、大
工の腕などすぐにばれるのではないか。ロマスとナイトは、ヒラム・アビフの物語には何らかの重要な
歴史的事実が隠されていると睨んだ。
さらに、フィウリーメーソンリーの儀礼には、なぜあれほどまでに起源が古代エジプトであることを
ほのめかす象徴に満ちているのか?なぜ大ピラミッドは、フリーメーソンリーの中心的なシンボルの一
つなのか?現代アメリカの祖父たちは全員がフリーメーソンであったが、1ドル紙幣の中にピラミッド
のシンボルを置いたのは他ならぬ彼らである。
旧約聖書では、ユダヤ人とエジプト人は深い繋がりがある。そこでロマスとナイトは、その答
えは両者が登場する歴史的事件にあるに違いない、と考えた。そしてその事件は、ソロモンが
神殿を建てるよりもはるか以前に起こったのだろう、と。
さて、「創世記」によれば、ユダヤ人の登場はヤコブが天使と格闘し、その名をイスラエルと改
めて以後だ。そして彼の12人の息子の名が、イスラエル12支族の名となった。後に見るように、
その年代は紀元前16世紀半ばごろと見られる。
ユダヤ人の歴史家ヨゼフスは、「牧人王」ヒクソスと旧約聖書のヘブル人を同一視している。ヒクソスは
実際にはセム人とアジア人の混成集団で、紀元前1750年ごろにエジプトにやってきた-―侵略者
ではなく旱魃を逃れてきた難民だったのである。彼らは紀元前1630年ごろに権力をつかみ、
108年にわたって支配したが、テーベ(現ルクソール)で始まった叛乱をきっかけに、追放の
浮き目にあう。現代の学者はヨセフスが完璧に正しかったとは考えていないが、ユダヤ人の祖先
の中にヒクソスが含まれていることにはほとんど疑いの余地がないようだ。ヒクソスの王はエジプト
北部(下エジプト)を納めていたが、テーベを支配していたのは伝統的なファラオ、セクエンエラだった。
そして彼の長男が叛乱の首謀者となる。
565 :
、:2008/05/29(木) 08:18:03 ID:R3gDRYMv0
ロマスとナイトは問う――ヒラム・アブフの物語に合致するエジプトのファラオはいるだろうか?
事実、存在した――それも、たったひとり。それはセクエンエラその人だった。
この当時のヒクソスの王は、アポフィスもしくはアポと呼ばれていた。クリストファー・ナイトは、「アポビの
打倒の書」と呼ばれるエジプトの祈祷書を思い出した。彼を倒すための呪文が満載された本
だ。さらに、ヒクソスの王は暴風神セトを崇拝することで人気を落としていた。ほとんどのエ
ジプト人はセトを悪神と見なしていた。
ファラオが王座に就くとき、彼は自ら神に――特に、オリシスの息子ホルスになる儀式を行
う。そして彼が死ぬと、今度はオリシスになる。このとき、死体の口を手斧でこじ開ける「開
口の儀式」と呼ばれる重要な儀式が行われる。こうして王の魂は天上に昇り、神々と出会
い、そして神と民をとりなすという役割を負う。
なぜアポピはこの秘密の儀式を知りたがったのか?2世紀を経てヒクソスはすっかり「エジプ
ト化」され、実際にこの儀式によってファラオが神になると信じるようになったからだ。彼らは
成り上がり者を自覚し、真にエジプト人になることを欲していた。そして当然ながら、フ
ァラオ・アポピは神になることを望んだ。(当然ながらこの段階では、ヒクソスはその後も1000
年にわたってエジプトを支配するつもりでいた。)
セクエンエラは、東部に打撃を受けて死んだ――そのことは、残されたミイラから判明してい
る。ロマスとナイトは、頭部に傷をおい、片目のないグロテスクなミイラ写真を挿入して
いる。彼を殺す動機が最も明らかなのは、ヒクソスのファラオ・アパピだ。
もしセクエンエラがヒラム・アビフの原型であるのなら、3人の殺人者が彼から聞き出そうとした秘
密は、新たに戴冠したファラオをホルスに変える儀式だったにちがいない。
566 :
、:2008/05/29(木) 08:19:50 ID:R3gDRYMv0
ロマスとナイトのシナリオ――それはメーソンリーの儀式に基づくものだが――では、、セクエンエラ
に忍び寄った3人の男の名は、ジュベラ、ジュベロ、ジュベルムであり、その使命は彼から秘密の
儀式を聞き出すことにあった。だがかれは拒絶した。恐らく怒気を含んだ、侮辱的な言葉
を吐いたのだろう――王というものは、脅迫されることを好まないものだ――そこで悪党
どもは、与えられた使命を忘れて逆上し、3発の打撃で彼を殺してしまった(これはメーソンリ
ーの伝承の基盤でもある――彼らは、ヒラム・アビフを殺せと命じられていたのではなく、ただ
秘密を吐かせろといわれただけなのだ。)
ロマストナイトは、さらに魅力的な推測を付け加える――それはセクエンエラの年代に基づく
ものだ――アポピの「宰相」、つまり、セクエンエラに秘密の儀式を吐かせるという計画の黒幕は
ヨセフであるというのだ。ヤコブの息子にして、兄弟によって奴隷に売られたヨセフである。さ
らにまた、殺人者のうちの二人はヨセフの兄、シメオンとレヴィだったという。
第三の殺人者は、彼等によればセクエンエラの神殿の若き神官だった。彼は脅迫によってこの
陰謀に引きずり込まれた。つまりアポピはテーベを滅ぼそうとしている、これを防ぐには「神
を造る」儀式の秘密を明かすしかない、と脅されたのである。
ロマスとナイトは、この仮説を裏付ける驚くべき証拠を発見した。すでに述べたように、
ミイラ化したセクエンエラの頭部には激しい打撃の跡があり、その一つは彼の目を潰した。だがこの
ファラオの側に別のミイラが埋葬されており、その状態はエジプト学者を困惑させてきた。
その肉は墓所の乾燥した空気によってミイラ化しているものの、内臓には――通常とは異な
って――防腐処理が施されていないのだ。さらに彼は虚勢されており、顔に白状の表情が
浮かんでいる。明らかに生きる間に包帯に包まれ、窒息死したのだ。
、、、、、、、、、、、、、、、、、? 、、、、、、、、、、、、
これがファラオの殺害者の一人であることはほとんど間違えない。この恐ろしい死に様と、
セクエンエラの側に埋葬されたという事実からして、彼は「ヒクソス」ではなく、反逆罪に問われた
ファラオの側近であったと考えられる。ほかの二人の犯人――異邦人――は普通に処刑された。
だがなぜ虚勢を?神ホルスが父オリシスと戦ったとき、ホルスは片目を失い、セトは睾丸を失っ
たからだ。だから叛逆の神官の処罰としては、この方法は奇妙だが理にかなっていた――
ことにセクエンエラは片目を失っていたのだ。
セクエンエラの息子カメスは、父の復讐の為に叛乱をあおり、これによってヒクソスはエジプトから
追放された。カメスはエジプトの新たな王朝の始祖となった。そして彼の戴冠の際に執り行われ
たオリシスの死と再生の儀式には、新しい意味が付け加わることとなった――セクエンエラの死と再
生だ(実際の神つくりの儀式が生き残ったかどうかは、当然ながら疑問がある)。
もしも、ロマスとナイトが正しく、ヨセフをエジプトの長官にしたファラオがアポピであるなら
ーー年代はそれを裏付けているが――
セクエンエラの殺害はさらに重大な意味を持つことになる。すでに述べたように、ヨセフの父ヤコブ
はイスラエルとなり、ユダヤの民の始祖となった。もしエジプトから追放されたヒクソスの中にヨセフとそ
の一族がいたとするなら、セクエンエラの殺害事件こそがユダヤ民族を作ったということになるの
だ。
569 :
,:2008/05/29(木) 08:54:27 ID:R3gDRYMv0
やばいな、、、このはなし、、、、、マジ、、、、、、、、、?
570 :
、?:2008/05/29(木) 08:57:17 ID:R3gDRYMv0
とすれば、セクエンエラ殺害事件がユダヤ人によって極めて重視され、ソロモン神殿の建設者ヒラム・アビフの殺害へと形を変えたことの説明もつく。
さてここまでの内容は、実を言えばロマスとナイトによるさらに大胆かつ想像力豊かな仮説を
一瞥するための準備段階に過ぎない。フリーメーソンリーの歴史の研究の過程で、彼らは仰天すべき
一連の発見を成し遂げた。ヒラム・アビフの正体がセクエンエラだというのは、その端緒に過ぎないと
いうのである。ヒラム・アビフの殺害とともに、エジプトの神話はユダヤの神話へと変容した。この
ことはつまり、フリーメーソンリーの伝統の一部は、その視と再生の儀式とともに、セクエンエラの時代か
ら続いているということを意味する。
これは、ロマスとナイト」による預言者エノクへの言及によってさらに確かなものとなっている、
と私には思える。「ヒラムの鍵」では、彼に対して短い言及が3度なされるだけだが、その続
編である「第二のメシア」の終盤、フリーメーソンリーの(スコットランド儀礼)における第13階級儀礼
に関する記述がある。その儀礼で語られる内容は、「モーセとアブラハムの時代よりも遥か以前、
古のエノクは世界が洪水もしくは秘による黙示録的な災害によって滅びることを予見し、当時
の人間の少なくとも一部を保管しようと決意した。滅びを生き延びた人たちの未来の文明
に手渡すためである。そこで彼は、聖刻文字を使って、偉大な科学と建築術の秘密を、2
本の柱に書き付けた。一本は煉瓦、一本は石でできていた。」
「さらにメーソンリーの伝承によれば、その後、この柱はほとんど破壊されてしまうが、その一
部は洪水後も残り、後に発見される――一つはユダヤ人によって、もう一つはエジプト人に
よって、」つまり、この2人のメーソンリーによれば、フリーメーソンリーの起源は、―-すなわちその儀礼
において中心的な役割を果たす二本の柱は――エノクにまでさかのぼることができるのだ。
571 :
、:2008/05/29(木) 09:10:12 ID:R3gDRYMv0
567
、、、、、エノク関係者か、、、、、、、?
、、、、、いる、、、、?
、、、、、、、?
572 :
,:2008/05/29(木) 09:12:29 ID:R3gDRYMv0
正直に言えば、初めて「ヒラムの鍵」を読んだ時、これもまたフリーメーソンリーの起源を古代に求
めようとするフィクション的な仮設の一つとしか思えなかった。だが、「第二のメシア」を読み終
えるころには、否定的な気持ちはなくなっていた。ロマスとナイトは、フリーメーソンリーのエジプト
起源について、そしてソロモン神殿からエッセネ派、テンプル騎士団へと伝えられた秘密について、説
得力ある証言をしているように感じられた。
ロマスとナイトは、エノクと洪水に関する伝承を、フリーメーソンリーにとって中心的な意味を持つとして
強調している。そして彼等の3冊目の本「ウリエルの機械」(1999)では、エノクは事実上、
中心的な人物となる。すでに述べたように、ロマスとナイトは大洪水の原因を紀元前7640年の彗
星衝突に求め、古代人は「ウリエルの機械」を用いてこの衝突を予知した、という。同書には
金星に関する言及が32回もあるが、この星は「ユダヤ教、フリーメーソンリー、その他多くの古代の
伝承において、復活の象徴である」という。
つまり、メーソンリーの伝承と、本書で述べてきた古代文明に関する仮説は、ここで一致する
のだ。