476 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/10(火) 10:25:46 ID:6sfDDmIg0
サンクス。移動した。コピペも乙。
後は回答を待つだけか。
とはいえ「理解の浅い懐疑主義初心者」や
「ちょっとした知識を得た中学生」みたいな回答や逃げにならなければいいが。
創作文芸板から移動。
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/bun/1160324435/211-213 211 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/10(火) 10:11:46
とりあえず、文芸をアートとエンターテインメントどっちだと捉えてるのか知りたい。
そんで、実話怪談を好んでいるからって、超常現象ビリーバーとは限らなくね?
胡散臭い話って事を承知で楽しんでいる人の方が多いと思うけど。
あと、新耳が創作文芸なら実話怪談と名乗るのおかしくね?
実際に体験した人がいる実話怪談として売ってきたのはズルくね?
212 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/10(火) 10:13:15
続きはこちらでどうぞ。
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1156555799/ 213 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/10(火) 10:23:20
実話とか聞き書きとか現代民話とか名乗れるのは、
基本的に体験談を書き記してるって立場だからだと思うのよ。
上手に書いて読者を怖がらせるのがメインで、
体験した怪現象を自由に改変しながら書いた話、
これを実話怪談て呼べるのかな。
創作怪談にとっては本当にあった事も含まれていますって
売りに出来るのかも知れないけど、
実話怪談が作者の空想も混ざってますとか言うと
そんなの誰が買うんだよってなんねえ?
>>476 該当書は、「エイリアンは存在しない。存在しないのに、なぜ存在するように思いこむのか」
という書で、心理学の視点から書かれている、ということで了解した。
で、リンク先のレビューにもあるように、「ないという前提から始める」書であるわけで、
「ないという前提が正しい」ということを証明する書ではない。
故に、「幽霊はいない。いないのになぜいるように思いこむのか」ということを、実話怪談の
体験者の体験を否定するところから入ろうという批判だと受け取った。
これもリンク先のレビューと同様に、「幽霊がいないという前提を証明する」ことにはならない。
著者が心理学者の立場から「納得できる理由付け」を導きだそうとしたという点においては、
感心するし、そうした努力の見られる書なのだろうと思う。
が、「絶対に間違いない」という前提が、本当に絶対なのかどうかについては、確定的証明
ができたと断じることは難しいのではないか?
その「前提の盲信を、そのままにしていいのか?」というのが、実話怪談を成立させるポイント
だと思うのだが。
479 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/10(火) 10:38:51 ID:6sfDDmIg0
>「前提の盲信を、そのままにしていいのか?」というのが、実話怪談を成立させるポイント
だね。
間違った意見かもしれないけど、
実話怪談好きというのは「ないという前提」も「あるという前提」もない状態から
始まっていると思うんだよな。
「絶対ないとも絶対あるとも言い切れない」部分に実話怪談の面白さはあるわけで。
前述の書籍やリンク先を読むと、「心理学の立場から語るオカルト」という魅力はある。
それにこういう話は嫌いじゃない。だけど、実話怪談の成立に関して、これを例にとって
批判するのは、ちょっと違うような気もする。
>>478 観測できない=存在しないものとして考えてよい、というのは科学の基本で、
例えばニュートリノなどのように長く「存在は予測されていたが、観測できなかった
ので、ないものとして考えられていた(ニュートリノの重量はゼロで計算されてきた)」
というものもある。
もちろん、現代ではニュートリノは実在し、観測もされていることをニューカミオカンデ
などの存在とともに、広く知られるとおり。
しかし、観測される前までのニュートリノは「おばけ」と同じ扱いだった。
ニュートリノが観測できるようになったのは、科学技術の進歩の結果だが、観測技術が
進歩しなければ、今もニュートリノは「空想上の存在で実在しないもの」に留まっていたはずだ。
つまり、「現代の科学で観測できないものは、現状ではないものとして認識するしかない」
ことを了解することと、「新しい技術で観測できるようになるかもしれない、または観測された」
ことを否定することとは、別の問題だと言える。
現時点での科学では幽霊やそうした存在を定量的に観測できないし、100%の説得力を
持って記録できないから、現代科学では幽霊は「いない」ことになっている。かつてのニュートリノと同じ。
が、ことの全てが実在するかどうかはともかくとしても、その全てが実在しないと否定することには
無理があるのではないか、という意見もある。
これが、オカルトが完全否定されない、実話怪談が存在する余地を残している部分でもある。
が、「今、現時点で可能な科学技術理論に基づいて、総括的な結論を得よう」としたら、
「心理学的な見地から言えば【気のせい】」と結論づけて説明することは、たやすい。
たやすい方法に逃げ込んで、可能な範囲での説明を行っているのが前述の参考文献であると言える。
現時点での科学に基づいた結論という意味では十分足りるとは思う。説得力もあるし、それを
信じることで心の平安を得たい人には、格好の教典たり得ると思う。
が、それもまた、「ないという前提」に立っているに過ぎないといわれたらいかがなものか。
悪魔の証明というのがある。
「ないものを、ないと証明せよ」という奴で、ないものは厳密には証明できない。
あった(在った)からこそ、何らかの証拠が残るのであり、在るという証明をするのは可能だけど、
それが「なかった」証明をするのは酷く難しい。というより厳密には不可能。
可能性というのは「可能である要素」を言い、不可能ではないことを証明しかできない。
実話怪談は、そうした「痕跡」を「ないとは思うが、あるかもしれない可能性」として列挙する
ものであって、「あるかもしれない可能性」「ないと言えない可能性」を提示することはできる。
だから、「ないと思うけど、絶対にないとは言えない」という結論が残る。
創作怪談のうち、実話を下敷きにしないもの(完全創作)について言えば、
著者が「それは絶対にない。すべて著者の脳から出た」と保証し、それを読者が受け入れることで
成立しているので、「絶対にない」という著者の主張を信じるなら、そこに幽霊は実在しない。
が、実話を下敷きに書かれた創作怪談は、「下敷きにした実話」の存在によって、
完全な創作という、創作怪談(創作小説)の拠り所が消えてしまうのではないか。
a)100%創作
b)99%から1%の間の創作
c)99%から1%の間の実話
d)100%実話
こういう区分があったとき、「1%でも創作が入っていれば、それは実話怪談とは言えない」
という主張から、(d)以外の全ては創作怪談または創作性のある怪談、実話の否定=著者の手柄
となってきたが、実は逆で、(a)以外の全て(b)〜(c)は、すべからく「創作ではない可能性」を色濃く残す、
「実話怪談」と呼んでいいものなのではないか。1%でも「完全創作ではない可能性」が残っていたら。
(a)〜(d)の組み合わせのどこかに線を引くとしたら、それは(c)(d)の間ではなくて、(a)(b)の間だと思う。
1%でも実話の可能性が在れば、それは実話怪談と受け取ることが可能だから。
482 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/10(火) 10:48:03 ID:6sfDDmIg0
で、新耳なんだけどさ。
幽第5号から引用してみると
京極「「新耳」の多くは実話をもとにした創作怪談でしょ?
(中略)怪談としてのキモはやはりやはり書きかたなわけで」
それを受けて木原氏は
木原「これは作り物を交えていない、ゼロから作ったものじゃないんだ、
ということを提示したかったんです。
とある。
気になるのは京極発言の「「新耳」の多くは」」というのと「もとにした創作怪談」という部分。
あと木原発言の「これは作り物を交えていない」という言葉。
京極氏の言葉だと「新耳は実話を怖く読めるように書いたもので文技をつかったもの」だから、
(文技部分は)創作である、といいたいのかな?と思う。
だけど「新耳の多くは」という言葉が気になる。「新耳のそれ以外は?」とか「多くがどこにかかっている?」
とか考えると、京極氏は「新耳は実話ベースの創作怪談。フィクション」といいたいのか?とか思ってしまう。
それに対する木原氏は「作り物は交えていない=文技は駆使しているけど、フィクションは髪の毛一筋たりとも
交えていない」という京極発言に対する主張にも聴こえる。
このあたり、ちょっとひっかかった。
ここでいう実話の定義は、「著者が創作したのではない出来事」
「著者が自由に設定できないできごと」だと思う。制限枠、でもいい。
著者が自由にできない条件が盛り込まれたのが実話怪談。
著者が全て自由にできる条件のみで構成されているのが創作怪談。
比率として、創作の占める割合が増えていけば、創作怪談に近づくか
と言われたら、100%全てが創作である、例えばエターナルファンタジー
のようなものしか、100%の創作とは言えないかもしれない。
>>482 その辺りは、怪談之怪の中でもまだ結論が出せていない部分なのではないか。
創作怪談を単に「怪談を書いた」という意味に置き換えただけなら、京極意見も存在しうる。
「ゼロから著者のみによって作られた(前提から出来事から体験者の存在に至るまで)怪談」
という意味で京極氏が使っているなら、少なくとも木原/中山氏の意見はそれとイコールとは
思いにくい。
東氏の「ネタが実話でも創作でも、それを描く文芸(文技)が重要で、ネタの実存性は問わない」
というのは、怪談之怪が分解しないための理由付けなのではないか。
ただ、いずれも、著者の保護が主眼に置かれているように思う。
そうしておけば、ネタが「事実と偽った捏造でした」ということに至った場合でも、「そう思いこませる
だけの恐怖表現にこそ価値がある」とすることが可能だから。将来的な責任回避のための布石、
と言ったらそれは穿ちすぎだろうか。
218 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/10(火) 10:48:43
入口は二つあってもいいのよ。
店の看板はそれぞれ掲げられてるの。「実話」「創作」って。
そのほうが一見(いちげん)の客には親切だから。
でも常連になって、店の奥のほうまで覗くようになると
二つの店が実は奥の方でつながってることに気がつく。
「実話」から入ったのに「創作」から出てしまったり。その逆もある。
この「店の奥のほうの混沌としたグレーゾーン」のことを
実話怪談作家の多くは意識してると思うよ。
そっと「創作」店舗のほうに行って商品を補充してきたりとかね。
でも「実話」の客はある意味ピュアな人も多いから
そんなことは口が裂けても明かせないと思うけど。
>>485について言えば、「実話怪談も創作怪談も怪談文芸」と言い切ることで、
入り口をひとつにしたい、というのが真実ではないのか?
店の看板はひとつしかないのに、店の中に入ると男湯と女湯に別れてる銭湯のようなもの。
読者は男湯女湯双方のいずれかを、結局は選ぶことになる。
確かに中には混浴部分もあるかもしれない。
しかし、男湯側が混浴に積極的だったとしても、女湯側が混浴に積極的とは限らない。
「どちらも湯には違いないのだから、すべてを混浴にすべきだ!」
という男湯の主張に対して、女湯は「湯は必要だが、全面混浴にする必要はない」としている
のが、現状なのではないかとも思われ。
487 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/10(火) 11:02:30 ID:6sfDDmIg0
>>484 確かに怪談之怪は「怪談の定義づけはしない」といっているね。
これはある程度の回答が出ると、怪談之怪メンバーの主張が
それぞれ別の方向向いちゃいかねないかもしれない。
あながち穿ちすぎの考えでもないかもね。
で
>>485で「でも「実話」の客はある意味ピュアな人も多い」。
木原氏も自分のことをそういう感じでいっていたような気がする。
「体験と取材を押し出した」とかいっていたところで。
>>481 a)100%創作
b)99%から1%の間の創作
c)99%から1%の間の実話
d)100%実話
線を引く場所がaとbだとしても「創作と実話」を一緒に考えるのは余計無理があることになる。
「著者の主張はどっちなのか?」
「取材した体験談自体をいじって創作にしていいのか?(創作した部分はどこなのか)」
とか考える事は沢山あるし。
>>474の210に対して。
>「話を作る方なので実話怪談と呼ばれる作品はズルイ作り方にしか見えない」
というのは、怪談創作を志す人にとっては、至極自然な感想だと思える。
これは、創作怪談は「アイデアをゼロから構築して恐怖譚を紡いでおり、著者のウェートが
大きく、かつ、著者の手柄が大きい」という前提に立っている。それはまったくもってその通り。
実話怪談は「体験者、ネタ提供者」が存在し、その存在を作品成立の拠り所にしている
わけだから、ゼロから自分のアイデアだけで勝負する、創作怪談著者から見れば
「ズルイ」=「他人の成果を元にしているのに、作品に対する賞賛は著者が受けるのはズルイ」
というニュアンスであろうと思う。
ここを、「体験者がいようといまいと、恐怖表現の技術の部分のみ注目することで、
どちらも等しく評価しよう」という仲裁役wに入ろうとしているのが、怪談之怪東主張なのではあるまいか。
つまり、東主張は「(すでに獲得している)実話怪談著者を、怪談文芸の枠の中で評価するために、
実話怪談はズルイのではないか、という創作怪談著者の不満を慰撫すること」が目的なのではないか。
結果的に、「実話とは言ってるけど、所詮は創作だから」という形で納得させたり、
「表現技術こそが注目すべき点で、ネタ(体験者の有無)は無関係」とすることで、
「実話怪談のズルさ」を緩和させよう(創作著者を納得させよう)という試みなのかもすれない。
489 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/10(火) 11:31:49 ID:6sfDDmIg0
ずるい、と言われても読者からすれば関係な(ry)。
といえど、著者側からすると色々あるんだろうね。
だけど、「アイデアを内から出す」創作は好きなようにアイデアを転がすことが出来るメリットが。
「アイデアが外から来る」実話は好きなようにネタをいじれない、というデメリットも。
アイデアが外からくる実話怪談が「ズルイ」と考える理由を考えると、
a)「自分で考えずに怖い話を借りてこられるからズルイ」
b)「創作怪談は信憑性を出すのに苦労しているのに、実話怪談は「実話だ」というだけで、
信憑性を掌中にするからズルイ」
が考えられる。
(a)について言えば、オリジナルのアイデアを内からわき出させる努力・苦労は忍ばれるが、
外にある実話を探り当てる努力・苦労には、オリジナルのそれとは別種の苦労があるわけで、
「サラリーマンは大変。だけど月給とボーナスと社会保障があって羨ましい。でも想定外の収入はない」
「自営業は大変。だけど想定外の収入があって羨ましい。でも月給とボーナスと社会保障はない」
みたいなもので、それぞれ苦労やメリット・デメリットが異なるので、隣の芝生をうらやんでもしょうがない。
(b)について言えば、創作怪談は最初から創作なのに、恐怖を裏打ちするのに「信憑性」
を出そうと苦労している、ということが窺える。結局は「信憑性=事実らしさ」がないと、
恐怖譚を恐怖してもらいにくい、という点は創作怪談も認めている、ということか。
その点をして、「最初から実話であると宣言している実話怪談は、創作怪談がもっとも
苦心する「もっともらしさ」をたやすく手に入れてるところが許せない」ということかもすれない。
491 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/10(火) 11:42:29 ID:6sfDDmIg0
だけどその「もっともらしさ」がない実話怪談もある場合が。
もちろん文技でのもっともらしさとは違うよ。
「体験談のもっともらしさ」という点で。
よくあるのは「これは実話ですね」という言葉。
要するに「あるかもしれない度が高い」体験談。
金縛りであったり、火の玉を見たであったり、女が立っていたとか
そういう「ありがち系」をはじめとしたもの。
逆に「あるかもしれない度が低い怪談」でも、
実話、という黄門様の印籠的な言葉で認められることもある。
このあたりも「ずるい」に直結するのかな?
補記:「あるかもしれない度」はビリーバー的「あるんだって!」という
断言ではなく「あるかもしれないね。もしかしたら」という視点での
楽しみ方を指す。
あ、しまった、俺ずっとageてた。
すまんです。
荒れもせずに議論が成立しているスレを久しぶりにみた
>>493 厳密には議論ではないのかもすれないw
が、投げかけられた意見や疑問について、ひとつひとつその言葉の趣旨を
紐解いていくというのは、必要なことかも。
うまく説明できなくても、言いたいことの断片は隠されているだろう、という予測から、
疑問や主張の骨子を見ることは可能だと思うし、それに対する考察や別の立場からの
反論も可能だとおもふ。
また「異なる立場にとっての正義」を理解することで、どこかにおとしどころは見つかるのかもすれない。
それが「対話による解決」だとおもふ。
もちろん、「拒絶による一時的解決(問題炎上の無限モラトリアム)」というのもないではない。
それが鎖国政策であれ、相互無視であれ、没交渉を徹底することで
「交渉しても絶対に合意できないのだから、交渉によって生じる齟齬・摩擦を能動的に回避する」
というのも、問題を加熱させない方法の一つとしてはアリだろう。
スルーの徹底は「没交渉主義・拒絶による一時的解決・モラトリアム主義」であり、
短期的な問題回避としては有効。2ちゃんねるの多くのスレでは「スルー推奨」や「NGワード徹底」
で、意見衝突を回避する方法を獲得している。
それ以外の方法としては、やはり「相互に相手を研究すること」、
「賛同者(シンパシー)を多く獲得して多数意見の構成者を増やすこと」
しかないだろうともおもふ。
賛同者の獲得のためには、興味がない人の興味を引く、不理解の不を解きほぐす努力を重ねる
のが、効果的だらふとおもふ。
気長に続けていくのが吉ではないだらふか。
本当は、相互考察というか「自分側から相手がどう見えているのか」
についてを、同じフィールド(スレ)で相互に、決して相手を見下すことなく、
相手の主張する正義を尊重しつつ、それについての理解を深めあう、
という形で、冷静に行えるのがベストなのだとおもふ。
その場合、扇情的な発言を控え、また自作自演(自分で発言して自分で賛同)
ができにくい、ID付きのスレでやるのがよりベター。
なかなか難しいことだと思うけれども、いつかそういう落ち着いた議論が
できる日がくるといいとおもふ。
496 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/11(水) 14:27:07 ID:9N5waz660
>>1および
>>6より
>目指しているのはどこか、
>支持している読者層は、
このあたり、かなり的を得ていると思う。俺は難しい文を書くのが今は苦手になってしまった。
ここ数年は、対象とされる年齢層、そしてメディア(今の場合ならIEや専ブラのフォントなど)による「読みやすさ」
そして何より読者が何を求めているか(これは反応を見ながら)
なんてことを考えながら書いてる。まぁ趣味のレベルだけど。
まず怪談好き、怖い話が読みたい、と思って読むのだから、怖くなれば始まらない。
たまに感動話があってもいいけど、基本的には恐怖心を味わいたい。
ここが創作・実話共に目指しているところなのかな。
恐怖は身近なものであるほど共感しやすいよね。
その点、実話怪談は「次は自分も…」という単純明快な恐怖の構造が作れるメリットがある。
創作怪談は共感を得るのが難しいので、海外のホラー映画なんかはすぐにグロやショッカーに走りたがるよね。
安易だし、それなりに効果はあるんだけど文章で表現するととても陳腐になり勝ち。課題かな。
「読みやすさ」というのも大事だと思う。
一時ほど顕著ではないけど活字離れは続いていると思うし、そんな「文章読むのはあまり…」なんて子供たちが
読者層の大半を占めているのが怪談・ホラーというジャンルなのだから、「読んで欲しい」のならば簡単な表現を
心がけるのが基本なのではないだろうか。
以前にやってしまったことなのだが、掲示板に書き込んだあとで「これ(漢字)なんて読むんですか?」というレス。
もう読者が冷めているのがわかってしまう(笑) 読みやすさが大事だと痛感した出来事でした。
長文・駄文失礼いたしました。とりとめのない文章ですがツッコミ・補足お待ちしておりますm(_ _)m
>>496 読みやすさというのは、いろいろ解釈できるところだとおもふ。
例えば、「平易な表現」「かみ砕いた表現」をして読みやすさという場合もあるし、
「難しい漢字を平仮名に開く」も読みやすさだし、「取っつきにくいテーマから、取っつきやすいテーマへ」
というのも読みやすさを工夫する上で切り口の一つたりえるとおもふ。
IEや専ブラのフォント、極論すればAAを使うか使わないかまで含めて、「読まれやすさ」
を工夫するための切り口は無限にあると考えられうる。
この「かみ砕いた表現で読まれやすく」というのを、「日よって読者に媚びた」と取る人もいるし、
「読ませたいテーマを読者に届けるためには、表現方法が変わったっていい」と取る人もいる。
これは、表現方法そのもの(手段)の技巧を見せたいのか、テーマ(目的)が届くなら表現方法(手段)
はフレキシブルであってもいいと考えるのかの違いでもあるかもすれない。
もし、テーマ軽視、表現方法(手段)そのものの優劣や錬磨研鑽度を誇りたいのだとすると、
それは手段と目的が転倒している、という誹りを逃れられないかもすれない。
実話怪談であれ創作怪談であれ、目的は「テーマを読者の心の深いところに届けること」であって、
文芸や文章技術とされる表現方法は手段に過ぎない。と、おもふ。
その手段を用いて、何を伝えたいのか。
その「何を伝えたいのか」がおろそかになっていって、「どうだ、恐ろしい表現方法だらう」という
方向にばかり目が向いてしまうと、当然ながら「それであなたは何を言いたいの」ということにもなりかねなひ。
創作怪談=小説は、「誰について描きたいのか、何について訴えたいのか」が
抜け落ちてしまったら、すでにその時点で魂が抜け落ちていると言わざるを得なひ。
もちろんそれは実話怪談でも同様だが、実話怪談は体験者から託された、
「変えてはいけないテーマ」が常に作品全体を支配することになるとおもふ。
そのテーマの実体は「呪い」であったり、「何はともあれ怖かったんだ!」といふ
体験者の悲痛な叫びであったりするかもしれなひ。
その体験者の感じた感覚を損なうことなく再現することに、恐怖表現という技法を
注ぎ込むのが実話怪談なのだとおもふ。
創作怪談なら、著者当人が読者に届けたいテーマがそれにあたる。
この部分を蔑ろにして、「恐怖表現とは」という話にばかり気が向いてしまうのだとすれば、
それはやはり些か、人形を作って魂を込めなひようなものではないかとおもふ。
>497
もひとつ。
「活字離れ」についてなのだが、おもふに活字離れというのは言われているほど
進んではいなひとおもふ。
まず、漫画。絵柄ばかりに目を奪われがちだが、漫画はフキダシの中の活字を
抜きにしては物語を理解できなひ。
次に、メール、ブログ、掲示板(2ちゃんねる含む)といったネット文化。
これらは「文字コミュニケーション」であるわけで、当然ながら文字(活字)を
読まないことには成立し得ないし、発信する側にまわったとき、活字/文字を書く
ことに接する。つまりは、文字を読む、書くという習慣について言えば、ネット時代以前
よりも、ネット時代の渦中にある現在のほうが、遙かに増えているのだとおもふ。
これだけ活字が読まれているのに書籍を読む方向にシフトしないのは、
提供媒体の形状変化が大きいのではないかとおもふ。
かつて、書籍と言えばハードカバー化粧箱入り網紐の索引付きであった。
が、そんな本は持ち歩いて読むのに向かない。値段も高い。読書習慣は、
家でじっくり腰を据えて読むものではなく、通勤通学や「ちょっとした時間の空き」
に文庫を読むというものに変わった。値段も安いし。
しかし、文庫の値段も500〜600円以上するようになった。(文庫が登場したばかりの
頃は、1冊180円、高くても250円、300円程度だったのに)
さらに、テキストビュアーとして便利な携帯電話が普及するとなると、文庫ですらも
「重くて嵩張って邪魔」ということになるのだとおもふ。
携帯電話でテキストを売る商売が成立しはじめているのも、ここらへんの
読者側の読書環境の変化によるものではないかとおもふ。
本(文章)を読む習慣そのものが減っているわけでは、決してないとおもふのだ。
それを踏まえる必要はあるかもしれなひ。
>>496 著者というものは、「書いたものができるだけ多くの人に読まれる」ということを、
目標とするものなのではないかとおもふ。それは著者にとって正義である。
その点に絞れば、創作・実話それぞれの著者の目指すところは同じはずだ。
できれば「できるだけ多くの人に読まれたい」のだとおもふ。
読まれたくなかったらそもそも書かないとおもふし。
ただ、「読んだ人が理解してくれる(=受け入れてくれる)」とは限らなひ。
a)理解されず、拒絶されるのが怖いから、できるだけ平易に書く、という選択肢もあるし、
b)理解されず、拒絶されるのが怖いから、理解してくれる人だけが読めばいいという選択肢もあろう。
a)を突き詰めていくと、表現の改良を繰り返しながら、平易な表現または受け入れられやすい表現
を模索する方向に進んでいくのかもすれない。それがいい結果になる場合もあろうし、
逆に「またそれかよ」的な批判を浴びる可能性だってある。諸刃の剣だ。
b)を突き進めていくと、市場拡大・・というよりも、「できるだけ多くの人に読まれたい」という、
本来の目的が阻害されてしまふ。読者を著者が選ぶという行為を肯定する著者も
いたが(井伏鱒二とか)、本来的な「書くこと」の意義から言えば正しいとは言いがたひ。
諸々難しひことだとおもふ。
501 :
496:2006/10/11(水) 19:40:04 ID:9N5waz660
>>497-500 早速の補足とご意見、有難うございます。
>テーマ軽視、表現方法(手段)そのものの優劣や錬磨研鑽度を誇りたいのだとすると
かつての自分を思い出しました^^;
文章を書くこと自体が楽しかった反面、ただの言葉遊びと忠告をを受けたこともありました。
>その(実話怪談の)テーマの実体は「呪い」であったり、「何はともあれ怖かったんだ!」といふ
>体験者の悲痛な叫びであったりするかもしれなひ
>創作怪談=小説は、「誰について描きたいのか、何について訴えたいのか」が
>抜け落ちてしまったら、すでにその時点で魂が抜け落ちていると言わざるを得なひ。
う〜む、身につまされる言葉です。
創作であっても「怖ければいい」逆に言えば「怖くなければいけない」とつい思ってしまいます。
ある意味、自由であることが創作のいい部分でもありますもんね。
単純な「怖い話」に留まらずもっといろいろなテーマを持たせて見る。
少し、噛み砕いてもう一度考えて見ようと思います。有難うございましたm(_ _)m
>>501 礼にはおよばなひ。
自分は孫娘の誕生を心待ちにする、一介の老いぼれに過ぎなひ。
503 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 01:18:51 ID:dgwO6Gi00
ちょっと荒れたらすまぬ。
>>503 言うなれば、これが「手法に固執してテーマの伝達が疎かになる」の一例と思ってもいいかもすれない。
ここでの発言は、主張される内容が重視されており、表現手法そのものは重視されていなひ。
文体・口調・著述癖がこの場合の手法・表現手段に当たると言っていい。
>503の指摘は手法の稚拙を貶すものであり、テーマに当たるものがなひ。
こうした表面的な手法の功劣に囚われすぎることで、結果的に語るべきテーマが軽視されていく
傾向は、テーマそのものが自由に設定できる創作怪談では、しばしば陥りがちな落とし穴
なのではないかとおもふ。実話怪談にも同様の落とし穴がないとは言えなひ。
が、実話怪談には「体験者が得た体験」という絶対にはずせなひ大テーマがある。
(これをはずすとそもそも実話怪談を語る意味が消失してしまふ)
表現手段・手法は錬磨されるに越したことはなひ。
その点については同意するが、それはテーマの表現・演出のための手法としてであって、
テーマ伝達が成されるための副次的なものに過ぎなひとおもふ。
テーマ伝達なしに表現技術だけが錬磨された状態とは、それこそ「唄うまくして、唄う唄なし」
であろうかとおもふ。
505 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 09:50:47 ID:dgwO6Gi00
へたくそな懐古調というか、間違えた表記が散見された時点で、読むに値しないものと
判断されちゃうよ。使いこなせないのならいい加減普通の文章にしなさい。
中国製品の日本人向け取り扱い説明書並みの文章では、いくら真面目に書いてあっても
誰も読みはしないよ。
>>505 ところで、内容についての反論は?
特になければ、「読まずに判断」ということになるが。
「〜できなひ」「〜すれない」は、懐古調を意識したものではなくて、
2ちゃんねるに広く分布する語尾の方言程度のものとして、
こだわらずに読み流すのが吉。
著者の特定(正確には連続性)を示すサインのようなものだから。
さて、このように「作法の充実」を読むか読まないかの前提条件にしている
ところが、テーマより作法(この場合表現手法)を重視する態度という
指摘に、指摘された当人が担保を与えていると見てよい。
その証拠に、
>>505は「手法重視」については繰り返しているものの、
指摘された内容そのものに対しては、反応しないことで潜在的に指摘を
認めている。
507 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 10:41:49 ID:dgwO6Gi00
ならば502のような記載は控えなさい。
しかし便利だね。2ちゃ的表現という逃げ道を使えばどんなおバカな表現でも
自分ではなく2ちゃのせいに出来る。
きちんとした擬古文でも書いて御覧なさい。
>>507 あなたの言い分はもう分かったからw
では記載されている内容については、同意ということ?
それとも異論がある?
異論があるなら、ちゃんと書いてみて欲しい。
そこから議論が広がるからね。
あ、擬古文でもいいよ。
>>507 >502を控える理由がよくわからないのだが、それは
>>501最終行に対して
「そうした気遣いは不要だ」ということを表明してはいけない、という指摘だろうか?
そしてここは2ちゃんねるであって、どういった表現を使おうとも アリ ではないか?
少なくとも、創作文芸板ではないからね。
きちんとした擬古文を書く必然は特に感じない。
繰り返しになるが、
>>503,505,507
でID:dgwO6Gi00がこだわっているのは、すべて「表現技法」についてのみ。
伝達すべきテーマが重視されるべきであって、伝達のための表現方法や作法は
テーマに継ぐ優先度であり、表現手法が重視される場ではない場合、そこに
拘泥するのは本末転倒ではないか?
というようなことは、
>>504,506で指摘した通り。一応補足としておこう。
ここから導きだされるのは、「作法の充実」が第一条件で、作法が十分に整備されて
いないものは、そこに込められたテーマが読み取られないのは当然だ、というのが
ID:dgwO6Gi00の主張であろうと受け取る。
これは文芸(文章による表現技法)の【正確性】を重視し、その技法で何をするか、伝えるか、
という本来目的が軽視されている気もする。
いちばん近いのは、ディベートに接したイギリス人のようなもので、相手が英語を
母国語としない場合であっても、
「正確な英語でなければ、その発言内容は考慮検討に値しない」
という態度は、厳格と言えるかもしれないが同時に「把握力に乏しい」か、「形式重視」か、
「尊大」と取られる場合もあろうかと思う。
この場
>>495-501での話題は「表現方法」「作法」にはなく、「内容」にありそれを重視すべきだ、という
ものなのだが、ID:dgwO6Gi00の指摘はその部分には何一つ触れていない。それが全てと思われる。
510 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 11:29:58 ID:dgwO6Gi00
伝えたい事があるから表現するわけだから、内容がなければ仕方がない。
ただ内容を正確に伝達するためには正しい表現を用いなければならない。
表現がいい加減な文章というのは、正しく相手に伝えたいという気持ちがないと解釈する。
故にそのような文章は最後まで読まない。読んで欲しければまずキチンと書くべきである。
お前の書いた「ぷぷぷw」・「2ちゃ的表現」等は表現として正しいのかと。
>>510 では
>>509についてはどうなのだろうか?
それに「文章をちゃんと書け」以前に「ちゃんと内容を読んでいるか」疑問。
>>510が思う正しい文章で書き直してくれてもいいんだが。
>>510 「正確な英語でなければ相手にしないイギリス人は正しい」という理解と受け止めた。
「たどたどしい英語であっても、意志を伝えようと努力する母国が英語ではない人の主張を、
読み取ろうとする努力をする人」でありたい、と返しておきたい。
今しているのは、原語の違う出身国からきた異国人同士の会話に限りなく近い。
話法の完全性・正確性にこだわることで、本来目的であるコミュニケーションへの不介入、
または不寛容な態度を取ることを正しいと強弁するのは、いかがなものかと思う。
514 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 12:38:15 ID:dgwO6Gi00
ここ日本でしょ? 突然英語の話なんか持ち出したのは図星だったから?
英語を日本語に、イギリス人を日本人に置き換えて考えることも出来ないのな。
517 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 12:44:33 ID:dgwO6Gi00
訴えたい、伝えたいのであればそこまでやるのが最低限の礼儀だろ?
出版社が誤字・脱字をなくすために躍起になるのも正しく伝えたいから。
物書きであれば正しく書く事を目指すのは至極当然の事。
その上でメッセージを込める。
>>516 多分、「例え話をそのまま受け取るタイプ」だと思う。
もう少し平易に書かないと、理解できない人なのかも。
ではそこで再度質問しよう。
お前の書いた「ぷぷぷw」・「2ちゃ的表現」等は表現として正しいのかと。
堅い話を薄めるためにふざけた口調で書いてる、
そのぐらいの空気漏れにも読めるだぜ?
>>518 1行目(しかも文頭)以外読んでもないに赤いき○ねを賭けても良い。
というか
>>509も読んでいないに緑のた○きを賭けても良い。
>>520 それなら、それ以前の全てのテキストの語調には何ら問題はないな。
524 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 13:18:37 ID:dgwO6Gi00
こんな事も理解できないレベルの者が実話や創作について語ってると言うことが驚きだ。
道理でオカ板でも創作板でも痛い奴が現れるとここへ行けという理由が判った。
>>514 については、例え話が理解しにくい(連想力が乏しい)のだと理解した。
同情するが、残念ながらこちらの配慮では解決が難しい。
>>517 >>509はおそらく読み落としているのだと了解した。
再読をお奨めする。
句読点を忘れる程に必死か…
>>524 >>509を再読の上、意見を。
文芸板出身者は、技法と作法にこだわるばかりの頑固なイギリス人だということを、
まったく否定しない人なのだということもよくわかったよ。
でも、安心してほしい。
語彙に乏しく、連想力や応用力の拙い君が納得できるまで、包容力を持って接したいと思う。
実話怪談の元となる体験を経験した人間というのはね、自分の正気を受け入れて貰えるまで、
言い方や言葉遣いを変えて、辛抱強く説諭することには馴れてるんだ。
ばかばかしいの一言で投げ出す逃げ出す人の相手には馴れている。
さあ、じっくり話を聞こうじゃないか。
528 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 13:27:36 ID:dgwO6Gi00
とても人の話を聞きだすのに慣れている人の言葉とは思えない。
済まないが君の集めた実話怪談とやらをここで披露してみせてくれ。
さて、
>>517の理論に沿ってみることにしよう。
君の主張が正しいのだとすると、
・正しくしゃべれない(文章を記述できない)者
は、一切の主張をしてはいけない、ということになる。
また、
・正しくしゃべる(文章を記述する)技術
を、十分にモノにした者以外にも、発言や主張の機会は与えられないことになる。
発言すべき機会は、掲示板、ブログに留まらない。あらゆる「発言・主張の発露の機会」は、
正しい作法を修得していないものに対して門戸を閉ざす、それが当然だ、ということになるね。
体験談を語る人々の多くは、文章や弁舌の専門家じゃない。
彼らは(それは自分もだけど)、どこから切り出せばいいのか戸惑いながら、
そして拙いながらも自分の見聞した体験を必死に伝えようとする。
君の意見に沿うと、そのように「拙くても必死に伝えようとする」という態度に対して、
「ちゃんとしゃべれるようになったら出直してこい」という対応をするのと同じことなのだが?
そこに語られている、書かれていることを読み取ろうという優しさについて言えば、
不十分・不完全に語られたそれを読み解こうとする実話怪談読者諸氏のそれに比べて、
君は遙かに劣るのではないか?
>>528 スレタイをよく読み返していただきたい。
ここは、考察するスレであって、実話怪談を披露するスレではないよ。
いつになったら、「お前の書いた「ぷぷぷw」・「2ちゃ的表現」等は表現として正しいのかと。 」
という質問に対して答えが返ってくるのやら。
532 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 13:33:23 ID:dgwO6Gi00
なんだ。方法論を語るだけで実行はしないのか? 机上の空論ね。了解。
勝利宣言早いねぇ…
>>528 >物書きであれば正しく書く事を目指すのは至極当然の事。
>とても人の話を聞きだすのに慣れている人の言葉とは思えない。
>済まないが君の集めた実話怪談とやらをここで披露してみせてくれ。
書き込んでいる、読んでいる人全てが作家だと勘違いをしているのか。
このスレは「実話怪談と創作怪談について考察」するスレ。
誰が書いても、誰が読んでもかまわない。
それに「意図が伝わるのであれば」どんな書き方でも別にかまわないと思うのだが。
>>432 スレの意図を読み違えている時点でアウト。
まさかあなた作家(志望)じゃあるまいね?
さて、ここまでのやりとりをまとめてみると、以下のようなことが見えてくるように思える。
a)読解力もだが、不完全な表現・描写で語られた、門外漢の体験談から、
その真意を聞き取ろうと必死に耳をそばだて、不十分な語彙からその真意を
読み取るために想像力や連想力を駆使する、という態度。
b)もうひとつは、完全な作法や手続きを経ていない書式(プロトコル)で語られた
ものについては、真意を聞き取る努力すら不要であるとして、真意を読み取る努力
を放棄することが、間違っていないと主張する態度。
b)は、この場ではID:bpkLjg0W0の態度を指していると受け取ってくれてかまわない。
a)は実話怪談を読むもの、聞くもの、実話怪談の著者などによく見られる態度と言える。
平山夢明について、繰り返し「インタビュアーとして優れている」「聞く能力に長けている」
という指摘が、相棒の加藤一からなされていることをID:bpkLjg0W0は知らないかもしれないが、
体験者が忘れている記憶すらも、丹念に聞き拾うことで、全体像を復元しようというのが
実話怪談を書く者を筆頭に、読む者にも求められる能力だ。
一方、(b)にあるような態度を取れば、実話怪談は見つけられないし提示されても
そこにある恐怖を拾い取ることは難しい。読む姿勢の差が、同じ作品に対する評価
をまったく違うものにしてしまう原因は、そういったところにあるのかもしれない。
もっとも、「正しい書き方」にすることで、(b)のような態度の読者にも、門戸を広げることが
可能だということであれば、文体を変えることなどやぶさかではない。(
>>509以降そうしている)
が、こうした指摘を行う人は、自分が指摘したこと以外については、結局は興味を抱かない。
取れる揚げ足を取り尽くしたら、後が続かない。
こうした人にまで、「自分はこう思ったのだ」「こうした体験をしたのだ」ということを、
受け入れてもらうことの難しさを考えると、読み理解することに積極的な実話怪談読者が
創作怪談を違和感なく受け入れることができるのに、逆が難しい理由がわかるような気もする。
537 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 13:40:05 ID:dgwO6Gi00
>>534 「言い方や言葉遣いを変えて、辛抱強く説諭することには馴れてるんだ」
というから実際そうやって聞き出し、それを披露する立場の人間と判断した。
そうじゃないんだったらこんな表現を出すべきじゃない。
538 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 13:42:54 ID:dgwO6Gi00
>>536 悪いけど、読んで欲しいという気持ちが伝わってこないものは読まないよ。
努力してまで読もうとは全然思わない。
周りの人間を「説得」したこともないのか?
何かの「説明」をしたこともないのか?
そしてどうやったら、その文章から「聞き出す」などどいう文意を汲めるんだ?
>>537 体験談を「人に話すときに」だ。
>527の、君が指摘した1行上の行を正しく引用しよう。
>実話怪談の元となる体験を経験した人間というのはね、自分の正気を受け入れて貰えるまで、
>言い方や言葉遣いを変えて、辛抱強く説諭することには馴れてるんだ。
君は今引用した行のうちの1行目を読み落としたか、意識的に無視したね?
「実話怪談の元となる体験を経験した人間というのは」とあるが、これを、
「体験談を集めた人間」と君は理解したようだが、「体験した人間」と、なぜ素直に読み取れないのかね?
541 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 13:45:23 ID:dgwO6Gi00
情報を発信する者は正しい文章を書けと言っているだけ。
それすら判らない相手をわざわざ説得してあげる義務はこちらにはない。
そっくりそのまま自分のことじゃんw
>>538 無理しなくていいよ。
読まないんじゃなくて、読めないんだろ?
すでに読めている行すら、読み零しているじゃないか。
でも大丈夫。同情するけど、投げ出したりしないよ。
>>538 >読んで欲しいという気持ち
というより、受け手が「理解しようとする気持ち」がなければ
ネット上の掲示板や情報とは付き合えないと思う。
もちろん、通常生活においても、そういう気持ちは大切だと思うし。
相手にだけ「こうしろああしろ」じゃなくて、対等な立場でものを見ないと、
色んなことを見落とすと思うよ。
545 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 13:48:05 ID:dgwO6Gi00
あぁ、これは自律神経失調の方でしたか!
それは大変失礼しました。
お大事に。
在宅療法中ですか? 早く良くなると良いですね。
>>541 それについては、>529に書いた通り。
正しい文章で書いていても、君は読まない。
つまり、「一度でも間違った作法で書いた経験がある人間の文章は、
一切拒絶する」という態度を君は続けているのだね。
そして、自分が取った同様の態度については釈明はしないのだね。
君の書いた文章が作法から外れていても、こちらは特に気にしない。
が、君は作法から外れていると君が判断したものについては、ただのめくらになってしまうのだね。
>529が何か君の思う作法から外れているのだとすると、
君は条件を示さずに、自分の秘密の内規と照らし合わせて、
人を判断するタイプの人間だということになるね。
>>545 このように、実話怪談体験者=自律神経失調症と決めつけて、対話を拒否する態度。
こういった人が、もっとも人とコミュニケーションを積極的に取ることが出来ない人間の典型と言える。
なぜこのような人間になってしまうのかを考えてみよう。
548 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 13:51:47 ID:dgwO6Gi00
だって病気だよ。
早く病院いった方が良いよ。
煽ろうとして失敗したらレッテル貼りか…
カスだな。
>>547 >なぜこのような人間になってしまうのかを考えてみよう。
昔、何かそれが原因で痛い目にあったから?
それか元々通信簿に「人の話をよく聞かない子ですね」と書かれるような正確だから?
あらら。しまった。
性格を「正確」と変換ミス。
また「正しくものを伝える意図が(ry」といじられちゃうwww
まず言えることは、彼が「演説、または自分の主張の途中に他人に介入させることを嫌う」
という人間だということだ。
自分の主張や発言が否定されたり、途中で遮られるのが嫌なんだね。
なぜか。
自分の主張は完全なものとしてまとめられた後に、発言・発表されたものだ、という
自負を持っているのだろう。つまり彼は「発表の場」は必要であっても、自分の主張を
他人の主張と混ぜ合わせることで、錬磨する必要がない、と当人は思っている。
平たく言えば「自分が完全だ」と信じる余り、「聞く耳を持たない」わけだね。
こういう態度は、一人で作品全てをハンドリングしなければならない、という強迫観念に
常に苛まされている、孤独な小説家にわりと多い。何しろ、作品内部においては作者は
神であるわけで、気に入らない発言や不都合な行動などを一切取らせない強権力を、
作品内部に対して発揮できる。
その延長線上の態度を、作品外で振る舞おうとすると、自分の作品の登場人物ではない、
実在の第三者によって、自説が否定されたり傷つけられたりする。
そのことを受け入れられないから、コミュニケーションを否定してしまう。
掲示板はあくまで発表の場であって、意見交換の場には成り得ない。
意見交換の場ではないということは、他人の意見を聞く必要も、聞いて自分の中に
取り入れる必要もないわけだから、相手が自分の切に跪く以外の態度を取ることは
想定外であり、また受け入れられないわけだね。
553 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 13:56:35 ID:dgwO6Gi00
新興宗教の勧誘員と自律神経の失調した人からは、
何にも教わりたいとは思わないんだよね、悪いけど。
結構若い頃から症状出始めたでしょう?
文章作成ルールも学んでないみたいだよね。
大変だけど、今は良いお薬もあるから、焦らずにゆっくり治療した方が良いよ。
自分が体験した事をあんまり言い触らさない方が良いよ。症状が進行するからね。
>>553 言いたいことがあるなら、ちゃんと文中から引用して突っ込めばいい。
それをせずに「はいはい、病気、病気w」なんていうのはあまりにも駄目な行為だと思う。
こうした態度を取る=自分の作り出した架空の理論の上に立つ自分や、
自分が信奉してきた何らかの基準の上で優等生である自分を、別の基準で
計り直されることに耐えられない人であったりする。
これを言うとスレ違いの上に少しもめるかもしれないけど、中華思想の序列で
言えば優等生であるはずの韓国が、中華思想とは別種の序列で自分の上位
にある日本に対して耐えられない、聞こえない、自分達がナンバーワン、小中華、
と連呼するのにも似ているね。
ネットの掲示板は、自分より勝っているか劣っているかはともかくとしても、
自分が信じていたのとはまったくベクトルのことなる主張や理論、意見が、
すべて「仮定」の状態で飛び交っている。その中に一歩足を踏み入れたら、
自分の信じていた定説・真理ですら、仮設の一つにすぎないということを、
自分の世界だけを見ている人はどうしても忘れがちになる。
これ、自己紹介なのかな?
何か可哀想になってきた。
>>554 どちらかというと、
>>553が病気なのだと思う。
つまり、他人と自分の境界が曖昧な上に、他人を拒絶することでしか、
自分の自我を保てない。
我々は、自分以外の人間がいることを知っているし、そうした人々が
様々な考え方を持っているのを知っている。ときに受け入れ、時に衝突し、
意見を常にリミックスし続けることで、その都度その都度の方向性を再検討
し続ける。それが普通の態度だし、自分と他人の境界を確認する方法でもある。
彼のように、他人を拒絶することでしか、自分の自我を保つ術がないというのは、
軽度の自閉症と言えるものかもしれないね。
大変気の毒なことだと思う。
>>557 「医者のふりをする○○病患者」を思い出した。
自分は医者だ、と思い込んで、周囲が病気なんだ、と
思っている人物視点で展開する小説。
>我々は、自分以外の人間がいることを知っているし、そうした人々が
>様々な考え方を持っているのを知っている。ときに受け入れ、時に衝突し、
>意見を常にリミックスし続けることで、その都度その都度の方向性を再検討
>し続ける。それが普通の態度だし、自分と他人の境界を確認する方法でもある。
同意。
「アステカの祭壇」は21世紀最初の壮大な釣り&創作会談
560 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 14:43:54 ID:75Wa+4sR0
スレが急に伸びたから何盛り上がっているのかと思ったら・・・期待した俺のワクワクを返せ
>>524 >こんな事も理解できないレベルの者が実話や創作について語ってると言うことが驚きだ。
>道理でオカ板でも創作板でも痛い奴が現れるとここへ行けという理由が判った。
一応、釣られておくけどみんな↑嫁
ID:dgwO6Gi00はここへ池と言われた「痛い奴」なんだぞ。そんなにいじめるなw
>>560 いあいあ。
そういう人にでも優しく接するのがオカ板のいいところ、ということに。
作家志望の人って、どうして議論が苦手なんだぜ?
これってまるっきり創作文芸板と同じ展開なんだぜ?
>>562 作家志望全体の傾向なのか、「彼」一人の個人的資質なのかはわからないので
断言はしにくい性質のものだとした上で言うなら、
>>552または補足としての
>>553で概ね理解できるように思う。
この理解が正確かどうかは、また別の考察が必要かもしれないけど。
まあ、個人的資質、ということにしておきたい。
しかし、書き込みなくなったね。彼。
確実に個人の資質でしょ。
逆に一人がハイクオリティだからと言って、板や同志望の人全体が
ハイクオリティとは限らないのと一緒。
オカ板クオリティ=常に全力で釣られる
創作文芸板クオリティ=言い逃げ
>>565-566 個人の資質でなければ辛すぎるからね。そうだと思いたい。
また、そういう性質であるが故に、彼から「志望」の部分が外れないのかもしれない。
>そういう性質であるが故に、彼から「志望」の部分が外れないのかもしれない。
それいっちゃいけないw
570 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 15:37:30 ID:dgwO6Gi00
おかげさまで今年外させていただきました。すまんね。
あぁ、志望するのを止めたのか。
賢明だよ、お前程度にしてはな。
>>571 違うんじゃないの?
「今年<志望>を外した」の意味では?
ということはプロ作家かw
で、怪談系スレに来ているという事は怪談を書いているんだな。
>>570 彼は類推するに、
1)超怖スレで話題のホンネマン氏。ランカーであるというのが事実なら。
2)文芸板で話題のてのひら怪談収録者。事実なら。
3)その他。
のいずれかとお見受けするが、(1)〜(3)のいずれだとしても、
事実証明ができない宣言は、言っても無駄と言われていなかったか?
いずれにせよ、ここまでの理解度の程度なら、それはまぐれに過ぎないのかも。
罪なことだ。
>>572 それはない。
…と思ったが、同人誌デビューも立派な「作家」だな。
こっちならまぁ…
>3)その他。
大豆とかそのあたりだったりしてな。
「自分が○○○だ」
というのを宣言して、それを実証する方法は以下の通り。
オカ板的優しさに則って教えておきたい。
1)自分を証明する必要がある発言は、トリップを付けて行う。(できればBe)
2)トリップをブログや個人HPなど2ちゃんねる以外の場所で公開する。
3)個人HPに、個人でなければ知り得ない情報を書く。
4)個人HPの発言者たる自分の実存性について、自分以外の第三者に証明を仰ぐ。
(この場合の第三者は、公正性が高い、または知名度が高く信頼性が高い存在でなければ無意味)
それを踏まえても、自分が自分であることの証明というのは酷く難しい。
自分が自分であることを証明できない場で残された個人の痕跡というものは、
署名としてすら何の意味も成さないわけだが。
>>576 ということは、この読解力0マンの
「デビューしましたけど何か?」
という発言自身、証明できない、となるね。
負け惜しみだったのかなぁ?
>>577 それはわからない。白かもしれないし黒かもしれない。
ただ、自分の発言が事実であるという根拠がなければ、彼の発言は何ら効力を持たない。
自分の発言が事実である根拠を彼が示せなければ、それは無意味な発言だということ。
仮に根拠を示すことが出来た場合は、個人特定というリスクを彼は負うことになる。
彼がそれをリスクと考えるかどうかはわからないが、これまでの流れで言えばリスクと考えて
いるからこそ、身分を明らかにしないのだと思う。それは理解できる。
が、身分を明らかにしなければ効果がないような発現をする理由が何かを考えると、
1)断片的なヒントを公開することで、話題にされたい、という功名心。
2)自分が得ている(と想定して)相手に対するアドバンテージ(この場合はプロ、という立場)を
相手に行使することで、相手より有利な立場に立ちたい、という戦術的心理。
3)いきがかり上の勢い。
といったところが考えられる。おそらくは(2)だろうと思うが、それを含めても「身分は明かさず、
しかし賞賛または尊敬、幾分かの嫉妬を得たい」という欲望としての(1)はあるかもしれない。
579 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 15:55:16 ID:dgwO6Gi00
今、充分に考証した上で書く正しい文章表現で苦労してるから、
このジャンルでの恩返しの意味を込めてそれを情報提供したつもりだったんだけどね。
書かない人たちには無用の情報でした。どうぞ、机上の空論を今後も展開し続けてください。
何度勝利宣言をなさるつもりだ?
この自称作家様は。
>>579 なんか論点ずれてないかい?
「恩返し」といいながら、全く恩返しになっていないんだけど。
やっぱこの人ホンネマンの人だったのかな?
逃げ方とかそっくり。
しかしこのスレ、こういう荒らしの書いたことでも
しっかりとスレに則した話に持って行くのが偉いな、と感心した。
>>579 人にものを伝えようということを仕事にしようかという人間が、
自分の意志を伝える努力を放棄したり、相手の主張を理解
しようとする努力を端から放棄するするようではねえ。
正しい文章表現は、「主張を相手に伝えるため」に存在する、
副次的存在である。副次的存在である「表現方法」が徹底
されてさえいれば、どんな主張も必ず相手に伝わる、という
本末転倒な思想が君の中にあるわけだ。
自分は常に正しいと思っているだろう。
自分の主張を疑う自分以外がおかしいと蔑んでいるだろう。
自分の正しい主張を疑う人間を相手にする必要はない、と
自分を盲信することで、君は自分の意見を他人に、他人からの
指摘を自分の中に入れ込んでいく、コミュニケーションを否定・拒否
している。
ところが、それに気づけない。
自分の正しさを疑うことになるようなことはできないわけだな。君には。
こうした議論は、疑問を投げかけるだけなら簡単だ。言い逃げは楽だということ。
だが、相手の主張を理解した上で、自分の従来の主張との差違を吸収
することがとかく難しい。
一番楽なのは「相手がおかしい。自分は正しい」と、異説を排除して
勝利宣言することであり、今君はそうして終止符を自分で打つことで、
自分の勝利で終わった、ということにしたがっている。
そうだな、今の君は、国会質疑をするときの民主党議員に似ているな。
それと、「珍説で論破したつもりになっている」というようなことをどこかに
書こうとしているのではないかとも思うので、念のため述べておこう。
このスレはスレタイにあるように「実話怪談と創作怪談の性質の差について
考察することで、その違い(差を埋めたり同化させたりする必要はない)
を理解しようじゃないか」ということが目的のスレだと思う。
ここに、創作怪談を志向する立場の人が、その立場から自分の主張を
書き込むことは一向に厭わないし、むしろ違いを理解するために有益だとも
思っている。
また、論破して追い払おうというつもりは、少なくとも自分にはない。
議論は相手を打ち破るために行うものではないし、追い払って屈服させる
ために行うものでもない。誤解があればそれを解きほぐすために、埋められない
違いがあるなら、その違いを理解するために行われるべきものだと思う。
これまでの君の意見に触れ、そういった意見を持つ君自身の姿を、
憶測ながらもその発言の断片から想像し、理解しようと試みている。
その理解は正確かもしれないし、不十分かもしれない。
君がその不十分な部分を埋めるためにこの議論につきあってくれるならば、
我々は君という人間がそういった意見を持つにいたった経緯と、君が
その君の結論を変えることが出来ない理由を理解することもできるかもしれない。
その過程で君と意見を同じくすることもあるかもしれないし、理解をした上で、
君とは違う結論を選ぶことになるかもしれない。
人、他人の主張を理解するというのはそういうことだと思うのだ。
自分の中に他人という異質な意見の揺らぎを導入することで、自分が硬化
することを防ぐために議論があると思うのだ。
これは他人を理解し吸収することで行われる成長と言い換えてもいいだろう。
だが残念なことに君は理解や成長を拒否するという。
こちらは君からいろいろと学ばせてもらったのに、君がこちらから何も受け取らずに
去っていくのは、非常に惜しいことだと思うが、それが君が選んだ選択なら仕方がない。
議論は自分を高めるためにあるが、高めるというのは他人を下すことで
手に入れる高度ではないのだと思う。
よく聞き、よく識り、よく考え、差違を理解し、排除せずに共存する。
そうしていくしか、我々が生きる術はないのではないかな。
この世では。
プロ作家のレベルって本当に低いんだなwww所詮この程度ってことかw
周りの人たちのほうがどう見たってまともなこと言ってるw
587 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/12(木) 17:41:36 ID:dgwO6Gi00
じゃ、作家になってごらん。
別に作家志望じゃないしwwwちゃんと働いてますよw
阿呆なことばっかり言ってるID:dgwO6Gi00がプロだと名乗った
↓
プロってレベル低いwww
それだけさ。
じゃついでに言っておく。 ID:dgwO6Gi00のデビュー作はなんだい?
買ってやるから何処の出版社のなんて本なのか挙げてみろよwww
ここまで他人をけなした奴がどれほどちゃんとした日本語使っているのか、オカ版、文芸版、ついでにVIPにも添削してもらうか?
あ、ちなみに俺は ID:dgwO6Gi00が本物のプロかどうかなんて考えてないよw
どちらにせよそう名乗ったからには、 ID:dgwO6Gi00はプロ作家として責任を取るべきww
ま、できればの話だがなwww
>>587 すでに掲げたように、作家かどうか、証明できないことを言い張っても無意味。
匿名掲示板でできることは、自分の実名のときの身分を高らかに謳うことではない。
誰が言っているかについて、何の証明も出来ない場所では、何を言っているかという
発言内容のみが真価を問われる。
2ちゃんねるに限らないけど、匿名掲示板での基本中の基本だろう。
おそらく彼は、そうした流儀に慣れていないだけなのかもしれないけど。
ついでに言えば、プロであろうとなかろうと作家を名乗ることだけなら誰にでもできる。
原稿を売って金を得てプロ(商業)作家という身分を手に入れることだってできるだろう。
ただ、プロであり続けることが難しい。
まぐれや偶然を必然に変え続けることができたとき、自分以外の人間が自分のPNを
掲揚して売り出そうという努力をしてくれるのを、長期的に確認できたときに、
改めて自分はプロだと、匿名掲示板以外の場所で名乗りを上げるのがいいと思う。
俺は本人の証明なんかいらないなぁ
お 前 の 作 品 を 読 ま せ て 見 ろ
それだけですべてわかるでしょwww
ID変わる前に自分の作品挙げとけよw
>>578は上の方の質問や突っ込みに対して
ちゃんと答えるべきだな。議論にもなっていないし。
>>593 「上の方の」ではなくて、具体的にアンカーを付けて促すべきだと思うが。
何を指しているのかわからない。
>>592 それは逆効果な気がw
>ただ、プロであり続けることが難しい。
そうだよなぁ。
プロって、仕事がなくなることを怖がるとか聞いたことがある。
収入がなくなる、ということもあるだろうけど
仕事がなくなる=必要されない、ということでさ、
「プロである自分」のアイデンティティを失うという事だもんな。
>>592 すまん、やりすぎた。 ID:dgwO6Gi00ごめんな。
>>598 いや、ID:dgwO6Gi00は「内容への反論」がないのかな?と。
ざっと見たところ、「書き込みの文体」に対してしか発言してない上、
突然「俺様はすでにプロだ」宣言して終わったみたいだから。
結局「プロの目からのご進言をしに来た」といいつつ、
「人に伝える意思が」となっていて「人の意思を受け取ろうとする姿勢」
が見えなかったことが気になったもんで。
何か見落としがあったのかと思ってチェックしてみたが、
>>536の文中のアンカーが自分になってたw
>>536の文中のアンカーを
× ID:bpkLjg0W0
○ ID:dgwO6Gi00
に変えなければ文意は通じないね。これは申し訳ない。
まあ、誤差の範囲内ということでスルーしてもらえれば幸いだ。
>>599 「プロの高い視点から、教えてやろう。さあ、跪いてありがたく拝聴するがよい」
というつもりでアドバイスをしたら、ありがたく拝聴せずに猛烈なクロスファイアを
受けたので、自分が何を言うつもりだったか、自分が何を指摘されているかが
把握できなくなってしまったのだろうと思う。
プロは人にアドバイスをすることはあっても請うことはなく、素人の意見に左右
されることなどない、ということを示したかったのではないか。
>プロは人にアドバイスをすることはあっても請うことはなく、素人の意見に左右
>されることなどない、ということを示したかったのではないか。
そりゃ人の意見に左右されすぎるのも困り者だけど、
「意見は意見として聞く」のが正しいのでは?と思った。
プロというのは「傲慢」という意味じゃないよね。
見方を変えれば、ID:dgwO6Gi00は「文体についての指摘」や作法としての文章の正確さ
については執拗に食い下がっていたけれども、その文体で示された内容については、
一言も反論をしていなかった。つまり、内容には同意して貰えているのではないか、と思うw
彼が言う擬古文もどきの2ちゃんねる訛りは、>506以降改めているのだから、
ID:dgwO6Gi00は>506以降の内容はきちんと読んで理解しているのでなければ、
彼が最初に掲げた「文章がおかしいから読まない」という自己規則に対して、彼自身が
違反し続けていることになる。
それとの整合性を考えると、以後の内容については読んでおり、かつ特に異論がないから
噛みついていない、ということなのではあるまいか。
>>603 なるほど。そういうことになるか。
しかし、それならそれで「内容に異論はない。が、文体がなってない」と
一言書き添えてくれればいいのになぁw
スレの流れ的には「読者視点」の意見とかが多かったけど、
ID:dgwO6Gi00からは作家視点の意見が聞けたのかもしれないね。
残念。
つまり揚げ足取りしか出来ない上に、自分の作品を読ませる自信も無く逃走・・・と。
プロってすげーなwww
はっ
ごめんよID:dgwO6Gi00、またやっちまった。
もう苛めないから戻ってきてくれ。プロの作家様のご意見を拝聴させてくれよ。
顛末を読んでいて思ったが、内容が大事と言う意見に対し、それを伝えるためにも
キチンと書くここも大事と言ってるだけに読めた。表現の仕方に問題はあるかも知れんけどね。
それに対し
>>605のような煽り方は創作スレのあの板か超-1の板と変わらない。
ここはそんなところになるのを目指している訳ではないのではなかったか?
ていうか、始まりは単なる煽りだったわけで。
503 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2006/10/12(木) 01:18:51 ID:dgwO6Gi00
>>502 擬古文、下手だね。ぷぷぷw
ここから
>>504がこのレスに対してちゃんと答えているのに対して
505 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2006/10/12(木) 09:50:47 ID:dgwO6Gi00
へたくそな懐古調というか、間違えた表記が散見された時点で、読むに値しないものと
判断されちゃうよ。使いこなせないのならいい加減普通の文章にしなさい。
中国製品の日本人向け取り扱い説明書並みの文章では、いくら真面目に書いてあっても
誰も読みはしないよ。
と返した挙句、書かれた内容には一切ふれていない、という状態。
で「伝える為の文章を書け」に終始しちゃっている。
で、「きちんと書くことも大事」というのを踏まえてID:dgwO6Gi00へ
色々とコミュニケーションをとろうとしているのだが、それを拒絶しているように見えるよね。
その後も、それはそのままだった。
これじゃちょっと、と思うよね。
で、これは余計なお世話かもしれないが。
>創作スレのあの板か超-1の板
板の使い方が間違ってるw
だからせっかくのその内容を正確に伝えるための技法の事を言ってるんだと思う。
自分もちょっと書いたりするから、それは嘘じゃないと思える。
せっかく書く立場の人の意見を聞きだすチャンスだっただけに今回の結果は惜しい。
>>608 スレとしては「書く立場」の人間が書き込むことを厭わない。
だけど、今回はコミュニケーションをあちらが拒絶していたのでは?
最初から煽り気味の書き込みで始まっているし、途中はあれで、最後はああだし。
辛抱強く付き合った人もいるけど、それでも駄目だった、と。
>議論は自分を高めるためにあるが、高めるというのは他人を下すことで
>手に入れる高度ではないのだと思う。
>よく聞き、よく識り、よく考え、差違を理解し、排除せずに共存する。
>そうしていくしか、我々が生きる術はないのではないかな。
これがスレ的には正しい議論の姿だと思うよ。
ここは掲示板。
書き方云々言うのは難癖以外の何者でもないと解釈するが?
そういう意味で
>>503はただの荒らし。
消えてもらっても惜しくも何とも無いよ。
それを踏まえて書くけど、正しい擬古文を使え、というのは創作活動において何の意味も無い発言。
国語の授業か、と小一時間。正しい日本語でなければ読む気がしないなんて、お前はどこの翻訳ソフトかと。
>>610 まあまあw
といいつつ
>お前はどこの翻訳ソフトかと。
で笑ったがw
ID:V8Na8yS60
>>6060,608
その指摘に対する回答は、すでに>509でなされている。
つまり、「不完全な文体」と指摘された2ちゃんねる訛りを
>>509以降改めて、
通常の文体で書かれているが、それ以降も主題に対する意見はなく、
また、「すでに改めた」ことについて、遡ってこだわり続けることに終始していた。
これは、戦前の日本の所業について、永久に謝罪と賠償を求め続ける特亜の
行動にも似ている。つまり、「改めた」「別の方向へ進んだ」という現在以降の
対応は評価せず、指摘以前の態度だけを永久に指摘し続けるという、過去だけ
に囚われた態度と言える。
これでは、未来志向の建設的な話には進みにくいわけで、日韓首脳会談の
安倍総理の努力が偲ばれるw
>>610 ものすごい極論を言うとだね。
作家の書いた文章がおかしいとか、間違っていたとする。
もし、作家が完全主義で自分の文章に一切手を入れさせないタイプだったら、
自分の文章は自分の責任で一切を完璧にしなければならない。
一方、作家が自分の文章の間違いを他人の指摘を受け入れて直すことに鷹揚
なタイプだったら、指摘に基づいてその都度直せばいいし、指摘をする側(編集者とか)
は責任をもって「どこがおかしく、どう直すべきか」を指示する必要がある。「おかしい。
だがどこがおかしいのかは自分で考えろ」という指示が許されるのは、デビュー前の
新人の、掲載予定が決まっていない(〆切がない)持ち込み作品に対してのみだと思う。
さらに、自分の文章を編集者(第三者)自らが手直しすることについても抵抗がない
タイプだったら、「じゃあ、おかしいところがあったら直しておいて」ということになるだろう。
その場合、責任の一部は編集者が担うことになるのだが、編集者が直したものを
最終的に著者校正で確認してOKを出したなら、本になった後の責任はやっぱり
名前が出る作家が引き受けることになるんだろうね。
編集者は名前が出ないけど、作家が自信がないことについてフォローしてくれる影の
存在であるわけで(単に原稿取りをするだけじゃなくw)作家の書いた日本語がおかし
かったら編集者に任せちゃえばいいんじゃないのか、と思ったりもする。
もちろん、「それはプロじゃない!」という人もいるんだろうけど、そういう作家の見落とし
を直していくのも編集者の仕事なんだから、甘えてしまって共同作業で作品をモノに
すればいいんじゃないか?
そう考えると、何から何まで作家がすべてを完璧に・・・と考えるのは、編集者との共同作業
を経験したことがないか、編集者を原稿取りと連絡係としてくらいにしか接したことがない
かのどちらかじゃないかと思う。
作家が気を遣うべきは、言葉遣いや文章作成術ももちろんだろうけど、それに優先する
のが内容と構成じゃないかと思うんだがねえ。車の両輪であることに代わりはないだろうけど、
あくまで内容が主、文章表現はサブじゃないだろうか。
文章表現だけを注視するなら、「散文詩」でいいじゃねえか、ということにもなるしね。
なんだか違和感を感じたので添削。
>>579 > 今、充分に考証した上で書く正しい文章表現で苦労してるから、
→ 内容について十分な考証を重ねた上で、正しい文章表現で書くということについて、今、苦労をしている。
> このジャンルでの恩返しの意味を込めてそれを情報提供したつもりだったんだけどね。
→ このジャンルでそれ(正しい文章表現で正しい内容を書くこと)を学んだので、恩返しの意味を込めて後に続く人に自分の得た情報・経験を提供したつもりだった。
> 書かない人たちには無用の情報でした。どうぞ、机上の空論を今後も展開し続けてください。
→ 文章を書く人に向けたアドバイスなので、文章を書かない人には余計なお世話だった。
→ 聞く耳を持たず、さりとて理論はあってもその理論を生かした文章を実地で書くわけでもないなら、
今後も空虚な理論だけを振りかざしていればいい。
・・・だいたいこういう意図だったのだろうと思うが、オリジナルは文章表現に少し違和感を感じた。
ちなみに、この文章から得られる作文者の意図は以下の通り。
・自分は苦労して正しい作法を身に着けた。
・自分の獲得した作法を伝授してやろうと思った。
・自分は成功した作家なので、かつての自分と同様の作家志望にアドバイスするつもりだった。
・しかし、作家志望ではない(書き手ではない読者)が相手ならアドバイスは余計なお世話だった。
・書けない奴ら(つまり、書き手の視点から読者を見下している)は勝手にオナニーしてろ。
>>614 擁護派かと思ったら馬鹿にしてるだけか(笑)
出来たばかりの頃と違って、単なる排他的なスレに成り下がったな。
>>616 単純な排他に見えてるのだとしたら、読解力が下がってるとしか思えないな。
はい、はい。所詮はオカ板ってことね。
>>616 本人乙!とでも言ってもらいたいのか?
>>503 を100回読んで荒らしかどうか判断しろよ。排他と見てもいいがな、排他されて当然の奴だったまでだ。
正しい日本語じゃなきゃ読む気がしない?阿呆か?
作家はいつから正しい日本語を書く職業になったんだ?教科書でも書きたいのか?
そういえば随分昔に教科書に載せる詩で、川の流れを「さらさら」と表現しなかったから載らなかった、なんて事件があったな。
誰も彼もに同じ文を書け?阿呆すぎてかける言葉が見つからないぜ。
>>502氏が使っている擬古文だってあくまでも「本人らしさ」だろうが。
上手い下手なんて関係ない「個性」ってやつだ。誰も添削なんか頼んじゃいない。
文を書くっていうのはそういうことだろう、違うか?
「所詮はオカ板」で思考停止しちゃってるから、何言っても無駄なような気が・・・
>>619 なんでそんなに喧嘩口調なのか判らないなぁ。ここではそれが普通なの?
あ、ひょっとしてオカ板って差別用語だった?
馬鹿にはこれで十分だ。相手してもらっているだけありがたく思え
はいはい。釣られないw
「オカ板」という言葉に反応しているけど、これは単純な釣りと思われる。
これは「俺のいる板の方が上」「俺の方が上」「おまえら馬鹿」という意味で
書いているのだろうけどねw
こういうのはスルーしておいた方が吉。
かまうと思うツボw
さてと。
>>615 >・自分は苦労して正しい作法を身に着けた。
>・自分の獲得した作法を伝授してやろうと思った。
>・自分は成功した作家なので、かつての自分と同様の作家志望にアドバイスするつもりだった。
>・しかし、作家志望ではない(書き手ではない読者)が相手ならアドバイスは余計なお世話だった。
>・書けない奴ら(つまり、書き手の視点から読者を見下している)は勝手にオナニーしてろ。
>>614のこれはは
>>579の意図を汲もうとしている。これはOk?
オリジナルの
>>579をよく読むと、どうしてもそこに「煽り」「釣り」という雰囲気があるよね?
その上で、足りないであろう部分を補ったのが
>>614。
何故こんなことをしなくてはいけないかというと、
>>576はスレ内の書き込みで常に
「正しい文章表現を心がけろ。そうでなければ読み気がしない」と言っていた。
逆にスレ的には「正しくない文章方言でも、相手の意図を読み取る努力をすべきだ」と反論している。
それは「分かり辛く正しくない文章でもちゃんとその意図を読み取っている証拠」なわけだ。
即ち
>>614は始めから擁護も排除しようとも馬鹿にもしていない。
相手の意図を汲み取ろうとしているだけ、なんだね。
だから、このスレは排他主義ではないと思うよ。
で
>>622は「まあまあ、おちつけ」と
自演乙!
>>623:
加えて言うと、>579は「正しい文章表現をしなければ」と自己規定
しているわりには、>579の文面そのものが正しい(わかりやすさと文法的正確さ)
文章じゃないんだよね。主語がないとか、読点がないので修飾詞が掛かる
単語がわかりづらいとか。こりゃ、相当苦労したんだろう、と思ってw
正しくないから読む気がしないかと言われたら、正しくあろうがなかろうが
読み取る努力をするのが「読者」だから。
>579は最後まで「著者」「書き手」の視点だったけど、著者が書いたものを
どのように受け取り、読み取り、理解するかということを繰り返し訴えている
このスレは、基本的に「読者」の視点なんだよね。
つまり、ここで再現されていたのは、著者と読者という異なる視点の対立であって、
著者は正しい表現にこだわり、読者は表現の正しさよりメッセージを読み取ること
そのものを重視している、と。そういうことだと思うんだけどね。
>625
ところで、君の出身地の板に、「自演乙」を合いの手もしくはコーラス、お囃子
のように口にする人がいるスレがあるけど、君もそこの出身なんだね。
書き物をする人にしては、語彙が少ないように思えるけど。
ID変更作業乙!
>>627 IDの生成ルールに疎い人なのかw
文芸板の人間は専用ブラウザの存在を知らないっていうのは伝説じゃなかったんだな。
勘違い推理お見事!
全力で釣られるのがこのスレの礼儀なのでw
消去法で行くと、
1)以前から「著者」vs「読者」の意識の差から疑似抗争状態にある創作文芸板東スレの住人
週末は東スレは動きが少ない(東ブログの更新がない他)ので、疑心暗鬼から東スレが共食い状態に。
それを嫌って、このスレに出向してきている。
2)入院中と捨てぜりふのトーホグ・ホンネマン(仮称)がジャミングをかけている。
3)実は
>>503 。正面から反論できないので、IDが変わったことをいいことに自演している。
(よく知られているところでは、自作自演をしている当人に限って自分から目を背けさせたいがために
他人に「自演乙」と指名する、というが君はどうかな?)
他にもあるけど、疑いが濃厚なのはこのあたり。
「所詮オカ板(>618,621)」という批判から見ると、逆説的に「オカ板住人ではない」または
「オカ板を見下すことを正しいと思っている」のどちらか、(外部の者)という可能性が高いね。
もちろん、嫌だ嫌だと言いながら常駐しているツンデレ住人もいるので、全てとは言わないけど。
そして、上記の推察が当たっていようともいなくとも、「そう見える振る舞いをしている」または、
「そう見せることで文芸板東スレへの敵愾心を煽ろうとしている」というところから、以前から
向こうのスレでも言われている「W粘着」ではないかとも思われる。
そうであってもなくても、「そう見える」っていうところが重要なんだよね。
妄想乙!
ID:t45DD5VC0はこれまで出たことをちゃんと読んでる?
単に「妄想」とか少ないボキャブラリでレスしても、何の解決にもならないよ。
言いたいことがあるなら、順序だてて、理論的に反論しないと。
あんな自分勝手な屁理屈真面目に読む奴いるの?
>>633 屁理屈、と取る人もいるだろう。
だけど、それなりに面白い事を書いてあると思うし、
逆にキミがその「屁理屈」だと思ったところを理路整然と突っ込めばいいのでは?
と書いてて思ったけど、
>>633は読んだ上で屁理屈だと思った、でいいんだよね?
……まさか、「こんな屁理屈な文章読むに値しないから、読んでるわけねぇ」と
いうつまらないことは、言わないよね?
80 :名無し物書き@推敲中?:2006/10/14(土) 11:59:50
VSスレはガチでパラノイアと小児病患者の巣だから関わり合いになっちゃダメ。
あそこに比べたら超怖スレとかは常識人のサロンに見える。
>>636 他板の書き込みをコピペするんじゃなくて、キミの言葉でちゃんと書き込みをしておくれ。
あと、何故「パラノイア」「小児病患者」の巣だと思ったのかもよろしく。
(コレを貼った、ということはキミがそう思っているからでしょ?)
age
殴り込み&返り討ち乙!
640 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/14(土) 23:01:38 ID:o7R0NWE30
殴りこみ?誰かに殴りこみ(攻撃)をかけられたと思っているのかな・・・
それでこの一行レスで返り討ちにしたと思っている・・・と、いう意味にとっていいのかな。
何が起こったのかは知らないが、推測するにもしかして
>>636の書き込みがオカ版住民の仕業と思ってやり返しに来ているのかな・・・
ちょっとkwsk説明してはくれないか?
>>639 もう少しきちんと書いてくれないと分からん。
大丈夫。判ってる奴はいるから。
644 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/15(日) 09:23:07 ID:ykxIFV4b0
>>636 >超怖スレとかは
の発言で
>>636の書き込みをした人物は少なくともオカ版に出入りしている人物、という推測をしたのだろうね。
同様に
>>636はどこにあるのか知らんがVSスレとやらの住人である(またはそこに縁のある)ものであると推測できる。当たり前のことだけど一応再確認のため。
まぁ、オカ版住人、という表現はこれほど間口の広い版では正確な表現ではないと思うけど。オカ版だけに出入りしている人のほうが珍しいのではないだろうか。
その書き込みをした人物はオカ版に出入りしている人物かもしれない。もしかしたら俺かもしれないし、違うかもしれない。
どちらにせよ、これ以上スレを荒らすのはやめにしてほしい。
せっかくの良スレなのだし、この荒れている状態でも読むに値するレスが続くスレなんて稀有だからね。
どうしても・・・というなら、頼むから超怖スレとやらでやってくれないか?
良スレ? なんだかんぁ
×良スレ
○隔離スレ
>>645 絶対善のスレというのはないわけで、心地よく思う者もいればそう感じないものもいる。
また、スレの内容が個々の理解の一助になる場合もあれば、それが一言一句頭に入ってこない人もいる。
そうした意味で、スレの価値は相対的なものであり千差万別である。
だから、どう感じる人がいてもかまわないわけだが、自分以外の人が良いと主観的に判断しているものを、
わざわざ「客観的に悪いのだ」と腐すような幼稚なことはしなくてもいいと思う。
>>644 このスレができた経緯から言うと、元々「超怖スレ(オカ板)」から分離してできたのがこのスレ。
超怖スレは実話怪談本・「超」怖い話に関する話題のスレだが、実話怪談を創作怪談の一分野と
認識する人々(創作文芸板東スレ)との摩擦から、超怖スレが荒れたため、
実話怪談と創作怪談の比較と考察のため、及び、創作怪談のスタンスの人からの意見を
聞くために、このスレが別途分離された。
その意味では、流れ的にはこのスレが隔離スレという
>>646の指摘は間違いではない。
これまでのところ、
実話怪談論者は「読者視点」「体験談肯定」「市場論(多く消費されることで部数が増え、ジャンルが活発になる)」
を唱え、
創作怪談論者の断片的な発言から聞き取れる主張は、
「作者(書き手)視点」「書かない人間(読者)に対する蔑視感情(作者優越感)」「体験談否定」
「市場論より文芸性と品質論(よいものを作ることに執心し、金勘定にかつかつするのは下品)」
というもの。
ただ、このスレの議論には直接参加せずに「珍説」と呪文を唱えるか、聞く耳を持たないレッテルを貼るかに
終始する人が多く、実際の創作怪談論者の主張はわかりにくい。
質問に対してはほとんどが東雅夫のテキストの引用がそのまま貼られるが、それを整理解釈して
説明し直す能力はないようだ。
忘れてるぞ。
「実話」とはこの業界では「胃酸臭い」と同義語である。
だろ?
全く自分に都合のいい意見だけ書き連ねるここのどこが良スレだよ。
>>648 だから、創作怪談の書き手にとって都合が良くて説得力のある意見を、
読んだ人間が「なるほど」と膝を打って納得するように説明すればいいじゃない。
ここはそのために、「双方の意見を聞く」場としてあるわけで、
「意見はあるが言うまでもない」
「言うまでもないことだから説明しない」
「言うまでもないことを理解できない者は相手にならない」
と言って、理解を促す努力を放棄しているのはいかがなものかと。
これは、「正しい答えを自分だけが持っているが、それについては教えない」という態度。
秘密の自己規定への服従を、その規定の説明をしていない相手に強いるという。
要は、「意見が正しいかどうか、正義かどうか」ということは、発信者の主観的な問題で、
それを受け取る、「判断を決めかねている多数」に、理解を促し賛同を得られるような
説明ができるかどうかが重要なのだと思われる。
書き手として、著述・叙述を仕事にすることを目指しているならできるだろ?
「実話」=「胡散臭い」は、このスレの
>>430-435辺りで出た結論だろ?
なんでそれを無視するんだよ?
>>648,650
別に無視しちゃいないけど、それがだから何?
>>434 で、「実話というのは、真贋不確かだが、創作と断言できないものをさして使われる修飾詞」
ということを言っているわけだが、だから?
>>481 で、「では、実話怪談と創作怪談はどこに線を引くべきか?」という話が出ている。
「胡散臭い話=実話怪談」は、真贋不確かで完全な実話(d)とは言えないかもしれないが、
完全な創作(a)とも言えない。その場合、創作と実話の線引きは、(c)と(d)の間ではなく、
(a)と(b)の間に引かれるものなのではないか、という話に続くんだよな。
連綿と続いている意見の中のひとつだけをすくい取ってみて、全てを表現しているような気分に
陥るのは近視眼的だと思うが。
怪談文芸の視点から、「泉鏡花だって体験談に影響を受けて怪談を書いたのだから、
実話か創作かという線引きには意味はなく、すべては(創作怪談を上位とする)怪談文芸
の中に含まれるのだ」というのが、創作怪談論者が引用する東論の主題だったな。
>>481の定義で行くと、泉鏡花が書いてきたものや、実際にあった事件を下敷きにして書かれた
四谷怪談も含めて、それらはすべて「実話怪談」である、という反論はどうだろうw
実話、または実際にあった事件を一切影響されずに書かれたものだけが、創作怪談であり、
1%であっても、実話に影響を受けた(または、怪異のもっとも重要な部分が創作ではない)
怪談は、すべて実話怪談の範疇に入る。
怪談文芸(著者の文芸性が重視される創作怪談)は、実話怪談の一バリエーションに過ぎないんだよ。
というわけで、
>>653の珍説wを説得力を持った反論で否定して頂きたい。
「バカじゃね?」
「はいはい珍説珍説」
というのは、説得力を持った反論とは言えないぞ。
ちなみに、「ネタの真贋にかかわらず、著者の文芸性(文章表現力)が重要なのだ」
というのをそのまま受け取ると、実話怪談の問題点(とされていること)は、文章表現力の拡充
のみだということになるね。(創作怪談論の人々が、「文章がうまい作家が書く実話怪談」に
対して否定的ではないところを見ると)
そうすると、分野の否定ではなく個人技の否定をしたい、ということなのかな?
それと、明確な反論が期待できないようであれば、そのときは東スレに行くから。
この間もあっちにやってきてあっさり返り討ちにあったばかりなのに?
>>656 このスレに留まっているのは、東スレに対して遠慮しているからだが?
ここでやらなくていいなら、今後はずっと東スレでやるぞ?
>>656 ついでに言うと、最近は向こうに行った記憶はない。
誰かがコピペしたのかもしれないが、コピペに何か言っても
返答が得られないのは当然だろう。
だいたい、君のレベルから察するに、何か適当なレッテルを貼って、
後は「言うまでもないことが判らない奴には言う必要もない」という
理論をぶって終わりになっただけなのではないか?
それで、改めて聞くが向こうでやっていいのか?
あそこも今グダグダだけどね。
オレが許可するものでもないと思うけど、いきたきゃ行けば。
って言うか2ちゃなんて誰かの許可がないと書き込んじゃいけないスレなんてないよ。
ここなら良くて別スレなら駄目って思考が理解出来ん…
>>660 基本は「他スレに内政干渉しない」ということでは?
「スレ違いの話題はしない」ただこれは、強制力・罰則があるルールではなくて、
あくまで「マナー」の問題でもある。
マナーがない、罰則を伴うルールが何もないなら、何をしてもいいという考え方は
荒らしと一緒。
もともとこの「創作怪談と実話怪談」というテーマは、他のスレで発生した。
(複数のスレに縦断的に展開されていた)けれども、それぞれのスレの本来のテーマ
から外れてくる、反論とレッテル貼りの応酬になって、発生元の元々のテーマが
圧迫されるので、
「それ専用の話題をするスレッド」
として分離独立された。隔離された、というのは指摘として正しいけど、
隔離スレであることを自覚した上で、このスレから出ないほうがそれぞれの関連スレに
迷惑が掛からないという暗黙の了解もあって、ここが被害担当の特務艦スレに
なっているわけ。
何かあると「それはVSスレに池」「続きはVSスレで」という、スレ違い議論のバッファ
として使われるという位置づけ。
繰り返しになるけど、元々は、
「超」怖い話[オカ板] ……「超」怖い話ファンスレ
「実話怪談本」について熱く語れ[オカ板] ……実話怪談本全般スレ
屁本&幽怪談文学賞[創作文芸板](通称東スレ) ……創作怪談投稿者スレ
新耳袋[オカ板][創作文芸板](いずれもすでに途絶) ……新耳袋ファンスレ
の4つのスレで相互砲撃状態に陥った話題があったことが発端。
基本的には、超怖スレvs東スレのそれぞれの住人同士による罵りあい
がそれぞれ相互に相手のスレに対して、または自スレ内での応酬という形で
小競り合いが勃発。
それぞれのスレ内での話題を、相手のスレにコピペすることで燃料とする、
という手法(これは双方のスレでW粘着と呼ばれている)で、双方ともに荒れた。
加えて創作文芸板はIDの出ない板なので、東スレでは潜入工作なのか
第五列なのか攪乱なのかわからないような意見が飛び交い、
疑心暗鬼の恐慌状態に陥った。
その煽りから、東スレ(創作文芸)では混乱を避けたスレ内テーマの「三題噺」が独立して待避。
超怖スレ、実話怪談スレ(オカ板)では、「双方異なる意見同士で議論できる機会を作るべきだ」
として、VSスレ(このスレ)が分離独立。
東スレ住人による攻撃/挑発は基本的にこのスレが引き受けるという暗黙の了解で成り立っている。
オカ板住人側はVSスレを「そういう場所(待避先)」として受け入れているものの、
創作文芸住人側は「話題に触れない(話題に出さない)」派と、「レッテル貼りで議論拒否」派
に分かれているが、レッテル貼り議論拒否派の言動が、結果的にIDの出ない創作文芸板への
「反論者(この場合はオカ板住人)招致」の原因になっている。
創作文芸板がそうしたスレ間/板間抗争の経験が少ないとは思わないが、東スレの住人は
そうした経験があまり多くないのかもしれない。
双方の板(スレ)のうちの穏健派の共通の了解事項はおそらく下に挙げる通り。
・できれば相互不介入(相互スレへの内政不干渉)が望ましい
・荒れる原因になる因子を自ら呼び込むべきではない
・本来のスレのテーマを邪魔されたくない
(以上、表現は違うが全て「内政不干渉の徹底」)
相互努力としては、
・相手のスレに関する話題を極力控える(配慮)
・相手のスレに関する話題が出たら極力反応しない(スルー推奨)
・関連話題にどうしても触れたいときは、隔離スレなどの待避先で行う(オカ板ではこのスレが推奨されている)
・隔離スレ以外に話題が出ることを極力抑えるように心がける
が、必要。強制力は伴わないから、あくまで「自分が迷惑を被りたくなかったら、
そうしておくといいかもしれない」くらいのもの。
スレ同士の対立は、上位法規の罰則や強制がないという意味でも国同士の対立に似ていて、
その対立解決のための提案も「双方が遵守努力をしないと成立しない」という、
国際条約とよく似ている。
一方が配慮しても、もう一方が配慮しなければ条約は成立しないというのは、
国連安保理決議という配慮と、それを配慮しない北朝鮮の関係を見れば明らか。
>>659-660 の言い分は個人としては正しいし、書いてはいけないスレというのはない。
が、「書くべきではない話題」や、「控えた方がお互いのため」という話題はある。
そういうものをどう扱うかが大人のマナーであるわけなのだが、掲示板を使い慣れない
人は、しばしばそういう配慮を欠くし、「なぜダメか」というのを考えることができないようだな。
おそらく
>>659はこのスレの議論を東スレに「連れ出したい」のではないか?
>>660が>659と同一人物かどうかはわからないが、ここまでの説明(このスレができた
経緯の説明と、存在理由)を読んでなお、「ここなら良くて別スレなら駄目」という
思考が理解できないとしたら、それは「異質な社会性や党派性による対立と混乱を
回避する努力」というのを経験したことがない、自分にとって未経験のことだから理解
できないのだと思う。
共通の趣味についてだけ確認をしあうスレではなく、対立する意見が混在するスレ
にも行ってみたほうがいいかもしれないし、それ以前に自分のリアルな周囲の人間と
意見が対立した場合に、どのように解決しているかを思い出してみたほうがいいかもしれない。
>>664 ご丁寧に有り難うございますです。
因みに、
>>659とは別人です。
引っかかったのが、「○○に書き込むには誰かの許可が必要だけど、○○では
許可が要らない」と取れる主張だったので。
そういう意味なら納得です。
ちと内容が情けなさ過ぎると思う
208 :名無し物書き@推敲中?:2006/10/16(月) 00:34:06
>>196 声援ありがとう
>>197 熱いのがいいならそうするけど
>>198 それが分かってるのに、かまってしまうキミは低脳だねw
>>199 そんなもん確認するかバカ。揚げ足とるだけだハゲ
>>200 キミみたいのはあえてスルーだwww
>>201 キミの脳内の小人たちがか?
>>202 人に命令すんなよw何様?
>>203 知るか(苦笑
>>204 だから何?
>>666 それも少なくとも俺は知らん。
第五列かW粘着じゃないの?
209 :名無し物書き@推敲中?:2006/10/16(月) 00:35:25
>>205 明日の朝鬱で電車に飛び込まないようにな、乗客に迷惑だから
>>207 おまえの腋の下が臭いからだろww
210 :名無し物書き@推敲中?:2006/10/16(月) 00:36:13
>>206 キミに合わせたんだねw
212 :名無し物書き@推敲中?:2006/10/16(月) 00:39:32
>>211 腋の下が臭いのを自覚したかww
215 :名無し物書き@推敲中?:2006/10/16(月) 00:44:50
>>213 キミに合わせたんだね
>>214 そんなつまらないレスしかできないセンスでそれ見てもしょうがないんじゃない?
ID:O3rweDIB0が何をしたいのか分からんのだが。
最近、このスレを知ったものです。
そんな経緯があったんですね。
自分は創作でも実話でも面白ければどちらでもいい派です。どちらにも良さはありますもんね。
とてつもなく単純ですけど、いち読者として。
お互いの良い部分を吸収できる議論の場かと思っていましたが…
そんな因縁(怨念?)渦巻く場所だったとは…しかも今なお継続中だったとは…
新参ゆえ、事情も知らずに荒らし(挑発)に反応してしまったのは私です。
この場を借りて皆様にお詫び申し上げます。
671 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/16(月) 15:28:10 ID:BShB2i0a0
>>670 重ねて失礼、
>>619を書いたものでした。
唯でさえ因縁のある相手に、さらに煽るような言葉すみませんでした。
こちらの住人による煽り書き込みを返しに来ただけ。
>>672 こちらの住人は、レッテル貼りの短文煽りはしたことないと思うんだが。
どちらかというと、こちらの住人というのは君らが言うところの「珍説を長文で書くゲロ長文厨」だろ?
なので、その短文煽りはいつものW粘着だと思うよ。
君は釣られたんだよ。
>>670 お互いの良い部分を吸収できる議論の場でありたいと、実話怪談側は願っているよ。
それに乗ってこないイケズは、向こうの人々、ということになるけど。
だいたい、「2ちゃんねる=挑発と荒らしが容認され、レッテルはり倒した方が勝ち」
だと思ってる人が多いみたいなんで、そのあたりの認識の差が埋まらないことには、
今後も有意義な議論に発展させることは難しいかもしれない。
それでも、彼らの考え方をできるだけシミュレーションすることで、このスレは成り立っているわけ。
>彼らの考え方をできるだけシミュレーション
小説執筆と言うストレスを、あそこのスレで発散させているのかもしれないねw
「他者を攻撃すること」「レッテルを貼ること」「仮想的を設定すること」で
自分のアイデンティティを保つ、という意味合いもあるかもしれないけど。
さて。
この創作怪談vs実話怪談の対立というのは、ものすごく単純化できるんじゃないか、と思い至ったので試してみたい。
対立というのは、「相違点を否定し合う」か「共通点を認め合わない」かで起こると見ていい。
今回の場合、話を大胆に単純化すると、だいたいこうなる。
@[創作怪談著者] vs 《実話怪談読者》 →書き手視点からの主張と、読者視点からの反論
@について言うと、創作怪談の主張(東論)は基本的に、「書き手視点」で行われている。
創作怪談(怪談文芸)の著者としてはこうあるべき、という書き手優位の視点で、
書く側の論理と正当性から話が進む。
対して、実話怪談の主張(珍説とされる側)は、基本的に「読み手視点」になっている。
実話怪談の著者は創作怪談の著者より、実数として多くないからというのもあるのだろう。
想像たくましくすれば書ける創作怪談と、取材ありきネタの引きは運次第の実話怪談という
執筆以前の準備の手間、さらに執筆後に評価を得られるかどうか(実話怪談を顕彰する賞はない)
から言えば、創作怪談の執筆者人口が多いのは理解しやすい。
「怪談を読みつつ書く」というアマチュアの人口が多いのは創作怪談だと言えよう。
実話怪談を擁護する主張は、執筆者からではなく読者からになりやすいのでは。
実話怪談側の論理が「売れ行き」「部数」「読者の数」「レビュー」などに偏るのは、
それぞれが「読者の視点」「消費者の視点」など、個々の最終購入者の視点に立っている
せいだろうと思われる。
次。
A[文章表現という共通点を理由に同一のものと考える創作怪談]
vs 《ネタの構築・取得原理の相違から別のものと考える実話怪談》
これまでの文脈を整理すると、創作怪談側からの主張はこう。
「実話怪談はネタの真偽が証明できないのだから、著者の創作である可能性が疑わしい。
が、作り話だと完全否定もできないから、ネタの真偽は問わない(ことで顔を立てる)。
どちらも「文章力による恐怖表現(=これを文芸、と狭義で表現している)」が主体。
故に、「怪談文芸(=文章による恐怖表現、文章技芸)」を用いた文学の範疇に入り、
創作怪談も実話怪談も【同じものと考えてよい】(共通点があるから)」
ということ。
つまり、【共通点に注目することで、同じものと受け取る】という考え方。
これは、「目が二つ、口がひとつ、胎生で子供を産むから、人間と猫は同一の生物」というようなもの。
もちろん、目が二つ、口が一つ、胎生で子供を産むほ乳類であることは事実で、
指摘にはまったく誤謬はないが、「人工衛星を打ち上げる人間と、ニャーニャーとしか鳴かない猫」
を果たして「同一の生物」と言ってしまうことに問題はないのか?
ここで、実話怪談側は、「共通点に着目して同一」という主張に対して、「相違点に着目して別もの」と主張している。
両者の違いは、特に「ネタ(原案)の獲得方法」、「主題(語る目的)」の違いが大きい。
ここで、「目的」についても整理したい。たぶん、ここが混乱を招いているところだと思う。
怪談全体の目的は、実は2系統ある。
「著者にとっての目的」と「読者にとっての目的」だ。
著者の目的は、「それを伝えることによって、読者にどういった感情を励起【させたい】か」と言い換えてよい。
読者の目的は、「それを受け取ることによって、自分はどういった感情を励起【したい】か」と言い換えておこう。
怪談は恐怖を題材とするわけで、ホラー小説、創作怪談(怪談小説)において、
読者の目的はいずれも「恐がりたい」に集約される。第一義は「話が事実かどうか」ではなくて、
「恐がれるかどうか」であって、恐がれる、恐怖が最大限励起されるように工夫をするためなら、
恐怖の題材、表現、前提に、【何を持ち込んでもよい】のが【小説】としてのホラー・怪談だと思う。
読者も怖いと思えるものなら、それがなんでも構わない、という了解があるわけだ。
ただし、読者には好みや恐怖を感じる基準・指針というものが、個々に設定されている。
だから、流血を怖いと思う読者、腐敗を怖いと思う読者、怨念・祟り、心理的圧迫、あついお茶など、
怖いと思う対象・方針とその程度はそれぞれに違う。その話が真実である、と思わされるようなものほど怖い
という読者もいれば、想像力を喚起さえさせられれば必ずしも真実である必要はないという読者もいる。
この読者の「傾向の差」に対応する必要が残る。
ここで、「実話怪談」という選択肢と、「創作怪談」という選択肢が現れる。
実話であることを前提に話を進める実話怪談と、実話であることが前提にはならない創作怪談は、
その入り口の部分で読者をすでに峻別している。このことを考慮に入れなければ、読者に対する
誤解が起こるのではないか。
> 実話怪談を顕彰する賞はない
創作の世界はウソですよと宣言した上で書かれる。
実話はウソなのに本当ですよと宣言して書かれる。
そんなたちの悪いウソをつくような輩にあげる賞はなくて当たり前。
では、「著者の目的」についてはどうか。
著者の感覚が読者に近い場合、「読者は恐がりたいのだから、著者は恐がらせるのが正義だ」
という結論にたどり着きやすいのではないか。
怪談好き読者から発展するのが怪談著者だと考えた場合、著者は「自分が欲することを
読者も欲しているはずだ」と考える。読者は恐怖を欲しているのだから、著者は恐怖を与える
ことが第一義である、という考え方だ。
これはこれで間違いではないと思うし、そうした考え方の怪談著者もしくは怪談著者志望が
多数派なのではないか。
一方で、「創作怪談」にない、実話怪談の著者特有の目的というのもある。
実話怪談著者は採話(取材)した話を、体験者の代わりに語る、というスタイルを採る。
言わば、体験者の代弁者であるわけで、その目的は「恐がってもらう」「恐がらせる」という
ことに加えて「信じてもらう」が入ってくる。
もともとが信じてもらう必要がない創作怪談と、実話怪談が大きく異なる点はそこにある。
創作怪談全般が「恐がってもらうため」に恐怖表現をふんだんに使うのに対して、
実話怪談が恐怖表現を用いるのは必ずしも恐がってもらうためだけではなく、「信じてもらうため
に起きていることを描くと、それが結果的に恐怖描写になる」ということではないか。
創作怪談が「恐がらせるために怖い描写をする」のと、実話怪談が「信じてもらうために
描写した内容が怖かった」のとでは、構成要素は似ているが実態には大きな隔たりがあると言える。
このスレの前のほうにあったと思うのだが、
「表現技術を研鑽する」ことそのものは間違いではないし、伝えたいことを的確に伝えるために
表現を磨く必要は、創作怪談・実話怪談ともにある。
しかし、「恐怖を感じさせるために、恐怖表現力を磨く」のと、
「信じてもらいたいことを表現した結果、それが怖いものだった」というのとでは、やっぱり違う。
目的・手段が怖いのと、結果として怖いのとでは違う。
怪談文芸を支持する人の主張を聞くだに、やはり「手段の先鋭化」が先んじてあって、
手段に合わせたストーリーを考える、手段を磨くことでうまく恐怖を表現できる、ということに終始している。
「手段はもちろん磨かれたほうがいいだろう。しかし、目的は手段ではなく、伝えるべき主題にあり、
主題を伝えた結果として恐怖を共感できる、ということが実話怪談の目的ではないか」
という主張に対して【反論はなかった】と記憶している。(手段についてのみしか反論がなかったから)
著者の目的?
スポーツ新聞の風俗嬢のインタビューを書いてる人間と実話怪談を書いてる人間は同列なんだよね。
だからどちらも賞なんかもらえない。
こいつらの目的は雑文でもなんでもいいからものを書いて糊口を凌ぎたいってだけでしょ。
創作怪談 実話怪談
-------------------------------------------
読者 恐怖を感じたい 恐怖を感じたい
著者 恐怖を感じさせたい 伝えたい事柄を信じてもらいたい。結果として恐怖されたい
体験者の話を聞くと、「恐がってもらいたい」と思って話している人ばかりではない。
「こんなことがあったんだよ、信じてくれよ」という訴えで話されることのほうが多い。
そうした体験を信じない人は体験者を嘘つき呼ばわりする。そして、自分が作った創作のほうが
もっと怖いぞ、と【自分の手腕を誇る】方向にシフトするわけだ。
体験者というのは、自分の体験がいかに怖かったかを説得しようとするが、
あくまでその上限は「自分が体験したことを事実として認めさせたい」にあり、
体験したこと以上の恐怖比べをしたいとは限らない。
手段としての恐怖表現にこだわる人は、「伝えたい事柄」という上限(主題)を持つ体験者の話を、
より以上の恐怖表現手段を持つ自分より劣っていると見なして、体験者を蔑視する。
体験者も、そんな創作怪談著者に積極的に話をしようとは思わない。
結果的に、そういう話を「真実という前提で聞いてくれる実話怪談著者」に話が集まることになる。
創作怪談著者はそういう話を聞いても「大したことではない」と思うか「より以上の恐怖表現」を求め、
「伝えたい、信じてもらいたい」という部分は置き去りになる。
おいおい、折角答えてやったんだから無視すんなよ。
ID:VxPjVECd0のレス。
途中途中で挿入されているから判り辛いんだよ。
679 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/10/18(水) 09:36:48 ID:VxPjVECd0
> 実話怪談を顕彰する賞はない
創作の世界はウソですよと宣言した上で書かれる。
実話はウソなのに本当ですよと宣言して書かれる。
そんなたちの悪いウソをつくような輩にあげる賞はなくて当たり前。
682 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/10/18(水) 09:54:21 ID:VxPjVECd0
著者の目的?
スポーツ新聞の風俗嬢のインタビューを書いてる人間と実話怪談を書いてる人間は同列なんだよね。
だからどちらも賞なんかもらえない。
こいつらの目的は雑文でもなんでもいいからものを書いて糊口を凌ぎたいってだけでしょ。
684 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/10/18(水) 09:59:30 ID:VxPjVECd0
おいおい、折角答えてやったんだから無視すんなよ。
>>679,682
実話怪談を顕彰する賞がないのは、実話怪談そのものが低く見られているから。
検証不能な大昔の怪談は、「秀逸な創作」と受け取られるが、例えば四谷怪談は
当時実在した複数の事件が人々の口の端に上がったものをリミックスして書かれたもの、
ということは小池壮彦氏の取材にある通り。(ここでは氏の説を採ることにしよう)
これを「実話に材を採った創作怪談」としているわけだが、当時としては今のスポーツ新聞
の噂話欄程度の扱いでしかなかった。時代が下ったことで、そうした「価値」が見いだされたに過ぎない。
それ以前の怪談のうち「残っているもの」はさほど多くない。
例えば耳嚢にしても、これも聞き書きの類で、書かれた当時は「顕彰するためのもの」ではなかった。
(そもそも、文学作品、文章、本を顕彰する習慣が生まれたのは明治・大正より遙か以降)
このスレではたびたび引き合いに出る北斎、また写楽などは、「当時人気を誇った」とされるも、
それはやはりスポーツ新聞の人気連載と同程度の意味合いの人気であって、その当時は
顕彰されていない。当時の立場としても、花形だったのはあくまで歌舞伎俳優であって、
それを書いた描き手が花形だったわけではない。
「実話怪談なんてあんな雑文」と言われるように、実話怪談は文芸の末席には数えられない。
実話怪談著者であることは、どちらかというと憚られるもので、食えない小説家が
食うためにPNを変えてエロ小説を売るのと同程度にしか受け取られていない。
エロは大きな市場を得たが、それでもエロで名を成し財を成した人が、高尚な尊敬を
集めているかというと、やはりどこかで蔑視されているのが現状。
だから文芸重視の小説家はエロに手を染めたがらないし、エロに手を染めることを堕落・挫折・恥辱
と受け取る。怪談は純文学とエロの中間あたりにあって、かつては「エログロ」とひとまとめにされてきた。
スポーツ新聞、カストリ新聞の主題もエロとグロが多かった。であるが故に、今もって地位が低い。
(四谷怪談も本来はエロの要素と不可分だ)
そこからエロの要素を省き、うさんくささを希釈し、かつ「著者の独創性が産んだ幻想的な物語」
と言い換えることで、その地位を得ようとしているのが幽などの活動。
>実話はウソなのに本当ですよと宣言して書かれる。
・嘘が誠が判らないことを指して「ウソ」と断言しちゃうのはいかがかと。
「判らないからこそ、不安であり怖い」というのが実話怪談、というのが
このスレで良く出る話。読んでる?
>スポーツ新聞の風俗嬢のインタビューを書いてる人間と実話怪談を書いてる人間は同列なんだよね。
>だからどちらも賞なんかもらえない。
・これはもう少し詳しく書いてくれまいか?
で、賞を貰う為に文章を書く人、なんてプロにはいるのだろうか?
結果として賞を貰うことがあっても、賞のために作品を書くなんていうのは
動機が不純じゃないかと思う。
(デビューしたい、とか「手段として賞を狙う」人はいるかもしれないが)
>折角答えてやったんだから無視すんなよ。
これは、途中途中で短いレスを入れるからだよw
最後まで読んで、まとめてレスすればよかったのかもしれない。
で、2ちゃんは掲示板であり、チャットじゃないからねぇw
即レスを望んじゃいけないよ。
福澤氏は「本当は純文学が書きたかったんだけど、純文学は売れないから。
怪談をにじませれば今なら書く機会が増えるので、実話を自分の小説の中に忍ばせている」という。
小説家が目指すのは(それが全てかどうかはともかく)純文学なのかもしれない。
もしくは、その他の本来の目的ジャンルがあるのだろう。
が、それをする口実、または露出の機会を獲得するために、「今なら怪談」ということかもしれない。
つまり、怪談、怪奇・恐怖表現は、別のテーマのための口実でしかないわけで、その意味で、
「主題のために恐怖表現を用いる」ということは、創作怪談(のうち、怪談を主目的にはしていない、
しぶしぶ怪談を書いている著者)には当てはまっているのかもしれない。
が、アマチュアから怪談作家を目指そうという人ほど、その「主題」が置き去りになっている傾向が強い。
そのことは批判しておきたいね。
bk1怪談大賞は「創作も実話もないまぜにした賞」であり、「恐怖表現の優劣」を競う、
技術大会であると思う。つまり、「伝えたい主題」に対する評価が置き去り。
なぜ置き去りになるのかと言えば、創作怪談に対しては「著者のアイデアの独創性」を
褒められるが、実話怪談に対しては「著者の取材力、または体験者の悲壮なメッセージ」を
褒めなければならない。ところが、双方をひとつの俎板に載せて募集しているため、
「主題の真贋の見分けが付かないから、そこは論じない」としてしまった。
つまり、完全に「技術の優劣」だけを見るものになってしまっている。
怪談に限らないが、文章というものは「主題を伝えるために、文章技術を駆使して書かれるもの」
であって、主題を問わない(主題の前提が異なるものを一緒くたにしてしまった)時点で、
「技術大会」に堕してしまったことは惜しいとしか言えない。
双方、垣根なく募集にするなら、「実話怪談部門」と「創作怪談部門」に明確に分けておくべきだった。
>>689 >「実話怪談部門」と「創作怪談部門」に明確に分けておくべき
確かにそうだと思う。
それに「文章技術(彼らが言うところの文芸性)」についての優劣を
はっきりさせるなら、テーマを設けてもよかったかもしれない。
「同じネタを競作する」という部門、とか。
・創作部門A(フリー)
・創作部門B(テーマ)
・実話怪談
blogでやるなら、カテゴリー登録してしまえば管理は楽だろうしさ。
実話怪談を顕彰する賞がないことについて、また別の視点からの雑考を。
すでにこれも書かれていると思うので繰り返しになるが、実話怪談を書くことを恥辱と思わない作家
が多数いることが、実話怪談を顕彰する賞を設置する前提になると思う。
小説を顕彰する賞が多数あるのは、その分野で顕彰されることが名誉であるからだ。
名誉に伴い、例えば「部数増」「発注増」「映画化」などの余録もある。
顕彰されたことそのものも、名誉として受賞者自身が掲げられるし、
それを羨ましく思う競合者の数も多い。
(逆説的には、著者の数が多いからこそ優秀者を峻別して顕彰する必要が生まれる)
一方、実話怪談は著者の数そのものが少ない。毎年、同じ著者の名前が夏にだけ挙がる。
新人著者の名前が、翌年に持ち越されることがほとんどない。同じ名前の著者の新作も、
通年を通じて出ることはほとんどなく、一部の例外を除けば基本的には夏しか出ない。
(夏しか売れない市場だからこそ、同じ著者だけで回していけるのだろう)
それを追う競合者が少ない理由は、ひとえに「夏だけの季節市場」であることが大きい。
(これは実話怪談だけの問題ではなく、創作怪談にも言えること)
市場が小さい→著者(供給者)は多くは不要→顕彰の必然(優秀者の峻別)がない
だから実話怪談を顕彰する賞が存在しないのではないだろうか。たぶん、3〜5年もやったら、
ほとんどの実話怪談提供者に賞が行き渡ってしまう。
こうしたところから見れば、「全体市場」そのものは創作怪談も実話怪談も決して大きくはない。
著者の絶対数が少ない実話怪談は、「つぶしが利く創作怪談」よりさらに少ないだろう。
(ただ、市場全体の小ささと、それを占有する個々のタイトルの市場規模は別として考えるべき。
最大業界の最末席と、最小業界の最大手の市場は、必ずしも比較はできない、という話)
>>690 bk1怪談大賞は毎年進化しているようなので、来年あたりからそのようになるといいなと思う。
「bk1怪談大賞」というくくりで、創作怪談と実話怪談を双方扱おうという姿勢は悪くはない。
ただ、同じ基準で審査しようというのには無理がある。
>690に挙げられた、「創作部門A(フリーテーマ)」「創作部門B(テーマ限定・三題噺とか)」「実話部門」
のような分化は必要だろう。
実話怪談については、「ネタの真贋について裏が取れないから難しい」とのことだが、それは
創作と同列の基準で扱おうとするからではないかと思う。
学術検証を求めているわけではないので、ネタの裏取りは必ずしも必要だとは思えない。(ちょっと暴論)
「本当か嘘かわからない(=胡散臭い)、不安な状態を前提として提供される分野」であり、
読者としては、【不安】を楽しむのが実話怪談ではないかと思う。
この楽しみ方は、創作怪談に対する「よくできた仕掛け(著者の努力)に対する感心」とは別種のものだろう。
ところで、今のペースで進むとおそらく800レス前後くらいに届く前に500kb制限で一杯になると思われる。
次スレテンプレを云々言うのにはまだ少し早いかもしれないが、以下提案。
・スレタイは「VS」と書くと対立を煽るようで揉めるので再考したほうがいいのではないか。
という案が草創期に出ていた。今は通称VSスレできてしまっているが、変えるべきか。
変えるとしたら代案は。提案としては「実話怪談と創作怪談について考察するスレ」で通称「考察スレ」でいいような。
・必須テンプレに、このスレができた経緯を触れておくべきか。
>>662,663 で触れているが、そのままテンプレにすべきかどうか。
VSスレ=創作・実話議論の避難先として隔離を受け入れることが前提になっているので、触れたほうがいいのかも。
>>693 ・スレタイは「実話怪談と創作怪談について考察するスレ」でいいかも。
VSは外した方がいいね。
・必須テンプレに
>>662-663を入れてもいいけど、少しまとめなおした方が。
なぜから「長いと読んでくれない人」がいるからw
それと、
>>1があげている「初期テンプレ」も少々作り直した方がいいね。
実話怪談と創作怪談の相違点について考察するスレです。
様々な視点での意見をお待ちしています。
(創作怪談と実話怪談の優劣を決めるのが主眼ではありません)
>>1はこれくらいシンプルな方がいいかもしれない。
あとは経緯の説明。スレで出てきたことのまとめとか?
>>695 >1 は>694で異議なし。あとは前スレの誘導くらいか。
>2-3あたりに、>662-663の経緯を整理したものを入れる、とか。
自発的隔離スレ(指定避難先)であることは明記したほうがいいかも。
スレで出てきた話題のまとめを入れるとしたら>4-5あたりだと思うが、
たぶんまとめきらないと思う。
論点の整理くらいでいいかも。
でもそれだけでも膨大になりそう。
論点の整理については、拙稿>676あたりからを挙げようと思ったが、
あんまり単純化できているとは言い難い。
長いと読まれない、単純化すると誤解を招く。難しい問題だな。
>662-663の整理を試みようと思ったんだけど、丁寧語にすればさらに長くなるし、
必要事項はあれ以上ほとんど削れなかった orz
>自発的隔離スレ(指定避難先)であることは明記
うん、これは必須だと思う。
それと各スレからの誘導の際の注意、とか。
で
>>676はこのまま仕様して様子を見るのはどうだろう?
>>662-663も、このまま転載かなぁ。
簡略箇条書き版を
>>2-3に。
そして原文をテンプレ最後に、というのはどうだろう?
原文の頭に「
>>2-3の原文はこちら。※長文です」とかいれておく。
これから読む人はちゃんと読んでくれると思うし。
簡略版(
>>2)の原案。
このスレは、実話怪談と創作怪談の差違について、無為に感情的な対立や対話を拒絶した
レッテル貼りに陥った不幸な過去の経験を反省して、冷静かつ建設的に「怪談」を巡る過去、
現在、未来、その他の周辺事項について、落ち着いた考察・議論を重ねるスレです。
【スレ成立の経緯】
・[オカ板]実話怪談系スレと[創作文芸板]創作怪談系スレの意見対立があった。
・双方のスレ同士がレッテル貼りと荒らしの扇動で荒れた。
・このため、双方のスレでの論禍を避けるための議論の待避先/避難先/隔離スレとして設置された。
【スレの傾向と目的、振る舞いについてのマナー】
・冷静に双方の違いを比較、考察する。
・双方の主張に優劣や順位を求めない。
・相手の言い分を理解する努力をする。同時に自分の言い分を理解してもらう努力もする。
・単純なレッテル貼りは思考の放棄と同じ。
・いつもウィットを忘れない。
成立経緯の詳細は
>>3-4をどうぞ(長文です)
で、これっていうのは別に「こっちのほうが上だぜ!」という話じゃない。
母数(初版部数)や単価も違うので一概に比較はできない。
それを出している版元にとって、その商品は売れているかどうか?という。
版元にとって利益を出す商品かどうか?というバロメータとして見た場合、
1)発売直後に売れ筋上位にある(期待値の高い商品)
2)長期に渡って売れ筋上位にある(ロングテール商品)
であるわけで、竹書房に関する売れ筋商品の中で見ると、
2位の怪コレは(1)として評価されてて、12位の東京伝説は(2)として評価されてる。
という見方をしていいのかもしれない。
怪談文芸関連書籍をいくつか当たってみたんだけど、
その会社の発売点数が多いのか、夏季限定商品だからなのか、10/13時点での
売れ筋ランキング20位圏内に創作怪談・怪談文芸系の本は見あたらなかった。
ちなみに、心霊に関する書籍の売れ筋ランキングに、
http://www.ne.jp/asahi/jubus/com/jinbun/html/jinbun43.html 小林壮彦「心霊写真 不思議をめぐる事件史」15位、
加門七海「ほんとにあった怖い話コミックス?怪奇心霊語り」17位、がそれぞれ見える。
リイド社はカテゴリになく、光文社、筑摩書房などは順位上位には怪談関連はなかった。
怪コレはたいして売れてないという指摘もありそうなのと、
怪コレ2、3の決定が早かったのは出来レース、という話が出てたので気になっていたが、
怪コレ1がこれだけ売れ筋をはっきり数字で誇示してたら、業界全体に対してでなく
竹書房の類似商品・文庫と比較しての重要度から言えば、高く見積もられて当然なのかも、と思う。
ポプラ社の動向もみたいですね。
>>700 これ筑摩書房の奴はまともなデータベースとして機能してるのか疑問。
並んでる本を見て思ったが、これはタイトルに「筑摩書房」と入ってる
本のデータベースじゃないのか?下位はランクなし在庫切れだし。
ちくま文庫のデータベースではないだろう。
>>701 こっちのデータベースはタイトルに「心霊」が入ってれば心霊に関する本で
なくても拾っちゃってるね。第2位が泡坂妻夫のミステリだし。
この2つのデータベースはかなり精度に問題がある気がする。
特に前者は何の参考にもならない。
竹書房の奴はちゃんと「竹書房から出た出版物」のデータになっているようだが。
Θの著者がアズになってるのが気になる。
夏冬体制に向けた竹書房の戦略かな?
>>702 地元の書店をいくつか回った時に確認してみたんだが、
某地方チェーン店では平積みになってた。
んで、昨日行ってみたら山が半分になるぐらい捌けてる。
ミニマムな視点なのであんまり説得力はないけど、
あの様子なら書店側の印象も悪くないんじゃないかと勘ぐれた。
なお東の文豪怪談はAmazonのランキングではどれも超-1に桁1つ差をつけられている。
リアル書店でどうなっているかはわからん。
707 :
本当にあった怖い名無し:2006/10/22(日) 02:46:00 ID:w2bU06bo0
下がりすぎ
>>706 >
>>704 > これは疑問だった。
> でも「超」怖い話Aも編著者がアズになってたりするんだよね。
> あれはなんでなんだろう。
いろいろ大人の事情が……税金とかゴニョゴニョ
この流れを見ていて思ったこと。
・実話怪談系の文庫を手に取る人の目的
・創作怪談・怪談文芸系の本を手に取る人の目的
の違いなのかなぁ、と。
それに俺の場合は「怪談本」といえば実話怪談本だからw
怪談本を買う・読むとなった場合、実話怪談本が頭に浮かぶ。
ぱっと「創作怪談・怪談文芸=怪談本」と出てこない。
どちらかというと普通の小説をチョイスする感覚なのかもしれないな。
読むんだけど、実話怪談のような読み方はしない。
スレ内で何度も出てきている「恐怖の概念」の違いからじゃないかなと思う。
・「怪談に実話も創作もない」「文芸性を重視」が、幽と屁の基本です。
という創作文芸板の標語は、そこから一歩も踏み込まないまま思考停止が決まったのかな。
「怪談の中にある実話怪談と創作怪談の、読まれ方(消費され方)の違い」
に踏み込んでいかないと、その成り立ち、求められる理由、書く側の意識、
読者の意識の把握、ということに結びついていかないと思うのだが、創作文芸板は、
「読者がどう思っているかは関係ない」というのが、結論としてあるのかなあ。
何しろ、創作怪談を創作する側からの、そのへんに踏み込んだ意見ってほとんど出てこないので、
想像で語るしかないんだよね。
>>683 この稿をもう少し。
創作怪談 実話怪談
-------------------------------------------
読者 恐怖を感じたい 恐怖を感じたい
著者 恐怖を感じさせたい 伝えたい事柄を信じてもらいたい。結果として恐怖されたい
これおを見ると「読者は恐怖を感じたいのだから、読者にとっては創作怪談も実話怪談もない。
怪談に創作や実話の垣根を作ろうとするのは著者の傲慢ではないのか」という反論が出てくる
んじゃないかと思っていたんだけど、
>>679,682,684にそういう指摘はなかった。
実際、いずれも「怪談には相違ない」という点については特に反対はない。
が、「求められる恐怖の性質や方向性が違うのだという点については譲れない」というのが、
このスレで繰り返されてきたことではないか。
創作怪談と実話怪談の最大の差は「その実在を裏付ける体験者の存在の有無」にある。
体験者の体験が実在するかどうかという疑いと、体験者そのものが実在するかという疑いは
いつも晴らすことが出来ない。
それを晴らすためにはネタ元の体験者を暴露してしまうしかないのだが、体験者がどう考えて
いるかによって、その行為の正否が決まってくる。
体験者が自分の存在をあらわにすること、自分の正体が明かされることを望んでいる場合
(=自分の特殊な体験が価値ある貴重なもので、自慢できるものと思っている場合)と、
自分の存在があらわになり、正体が明かされることを望んでいない場合
(=自分の特殊な体験を当人は自慢したいと思っていない場合、忌避している場合)
とがあるのだが、体験をしたことがないけど恐怖は好き、という読者は体験者を「羨ましい」
と思い、「自慢したがってるはずだ」とすらも思いこんでしまいがち。そこに誤解もあるかもしれない。
実話怪談著者が「体験者の存在」を暴露し、その実在性を証明できれば、
実話怪談の信憑性に関する証明責任は著者から体験者に移動する。
体験談を自慢したい体験者なら、そうした証明責任を負うことを厭わないかもしれないが、
自分の体験談を忌避している、または自分の正気のために否定したいと思っている体験者は
そういう証明責任を負わされることを望まないだろう。そうなったら、次からは口を閉ざされてしまう。
実話怪談はそういう事情から、「ネタ元の体験者」をはっきり明示することがあまりないのではないか。
>>711の話に戻って、「体験者が存在する話」と「体験者が存在しない話」では、読者が望む恐怖の
性質は違うのではないか、だから、怪談という大分類の中に「創作怪談」と「実話怪談」の分化があり、
そこで分化を始めたものについて、上位分類の視点からだけ「同じもの」というのには無理があるのでは
ないか、むしろ大分類のところで留まってしまっては、読者の求めを深く理解できないのではないか、
というのがこのスレで繰り返されてきたことと思う。
読者の視点から、「実話怪談の何が怖い」「創作怪談の何が怖い」というのをはっきり言えれば
いいのだろうけど、結局は「ともかく怖かった」になってしまって、恐怖の核の部分というのはなかなか
説明しづらい。が故に、「わかったわかった、とにかく怖かったんだな?」と生産者側が恐怖の核を
理解しきれないままに進んでいる、そういう著者が創作怪談著者には多い、ということになってしまう。
このスレにときどき現れる人には、「創作怪談と実話怪談の恐怖の性質の違い」「求められていること
の違い」について説明していただきたいところ。
楽しみ方の幅は、読者ごとに大きな開きがあると思う。
「本当と言っているのだから全部本当(ムー民的思考)」や、
「基本的に疑わないが、異常すぎる話はイマイチ乗れない」、
「騙される可能性を承知で読むが、たまに本当だったらどうしようと不安になる」、
「嘲笑し、読後ごみ箱に捨てる」などなど。
他にも沢山あると思うが、自分の周りでは、2番目と3番目のタイプが多い気がする。
つまり多かれ少なかれ、体験者の語った怪現象が事実なら、という楽しみ方をしてる。
しかし、創作怪談作家志望の人々の意見を聞いていると、
「メンヘルの妄想に耳を貸す奴はバカ」ないし「著者を盲信する信者乙」といったニュアンスが強く感じられた。
これは実話怪談の読者そのものを否定しているように思うし、単純なオカルトアレルギーだと思う。
東氏の見解は「創作の中にも実話が含まれている可能性はあり、境界は曖昧」
だったと思うのだが、あのスレの共通認識にはズレがあるように感じた。
個人的には、彼らにこの点をもう少し聞いてみたい。
>>713 あっちのスレは、「提示された設問」を、設問のままにしていて、
そこから解を引き出そうとか、そこから導きだされる次の問いを考えようという動き
があまり見られないように見られた。
以下、多少荒れるであろうことを織り込んで例示。
「イエスは『1+1は何か』と仰った」
「2だろ?」
「いや、イエスは『1+1は何か』と仰っているのだ」
「だから2だろ?」
「イエスの御心は『1+1は何か』であって、それに手を触れることは許されない」
「だから2じゃないのか、と」
「1.5+0.1でも同じですよね」
「2×1じゃいかんのかな」
「答えが求められてるんじゃないんだよ。設問の存在が重要なんだよ」
「だから2じゃないのかよ」
「おまえら黙れ。引用する。聖書見れ。イエスは『1+1は何か』これしか言ってないんだよ。文字通り受け取れよ!」
「じゃあ、1+1は要するに1+1だ。以上FA」
「だから2だろ?」
「珍説乙! 重要なのは1+1ってことだよ!」
「2じゃないのかよ」
バロスwwwwwwwwwwwwww
>>714 ×「1.5+0.1でも同じですよね」
○「1.5+0.5でも同じですよね」
だったorz
まあ、イエスの使徒が1+1以外は認めないという偏狭さを持っていたら、
「2だろ?」「2×1」「1.5+0.5」などの「正しい別の解」も、
「1.5+0.1」の誤った解も、全部「1+1ではないから間違い」
と言いそうなので、あながち間違いだったとは言えない肝酢。
コピペする人は修正してからにするようにw
何事か疑問を提示すると、「怪談の学校見ろ!」と言われる辺り、
「聖書読め!」と連呼、聖書の該当箇所らしき部分を引用した後に、
「だから?」と聞かれると「そこに書いてある通りだ」とキレる信者に、
似ていなくもない。
と、ここまで言ったらまた何か呼び込むかもしれないけど、ここは
それを見越した隔離スレなのでキニシナイ。
52 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/23(月) 17:12:00
どうでもいい。
新耳はもう終わった作品だし。
東も持ち上げておきながら、今は創作怪談って言ってるしなw
中山と木腹も二人の仲は修復不可能状態だし、中山もブログ読む限りでは
怪談書くよりも塾生育成に力を入れたいようにも見える。
今後新耳コンビはどうなってしまうのだろうね(・∀・)ニヤニヤ
55 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/23(月) 17:14:56
>>52 >東も持ち上げておきながら、今は創作怪談って言ってるしなw
相変わらず殿下の意図を全く理解してない人がいるねー。
59 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/23(月) 17:20:47
>>55 信者乙
62 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/23(月) 17:26:38
>>59 「怪談の学校」をちゃんと読んでごらん
キミの知るべきことが書いてあるからね
65 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/23(月) 17:41:43
>>62 いや、それ以前に「創作怪談」と「実話怪談」を対立項と考える間違った思い込みを捨てなきゃダメだよね。
創作怪談にも実話にもとづく作品が多数あるし、実話怪談の多くにも創作の要素は抜きがたく混在している。
そこをちゃんと理解して認識しないかぎり、お話にもならないってことだよね。
71 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2006/10/23(月) 17:49:33
>>65 たまには読者の事も思い出してあげてください。
「創作怪談」読者と「実話怪談」読者、求めているものが同じとは限らない。
創作怪談に実話が入ってればバリューになるけど、
実話怪談に創作が入ってるとガセネタ扱いになる。
今日
>>717の実例があったので保存。
ちなみに
>>71は漏れだが、以降華麗にスルーされてるorz
ついでに。
現在、新耳が創作怪談として仕分けされている問題は
読者の受け止め方(版元の売り方?)は依然として「聞き書きの実話怪談」のままだと思われるし、
中山木原両氏・東氏・京極氏の三者の立場にからむ政治的wな話にしか見えないので
このスレで扱っている系統の問題ではない、と思う。一応。
超怖スレから誘導。
609 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/10/24(火) 11:31:19 ID:cHU9STgN0
bk-1の連中はただの喧嘩好き。
まだ本が出版されていないのに怪コレに勝った気でいるし。
目指すところも購買層も違うので、そもそも勝負にならない。
部数の話をすると市場論だと見下されるし、内容はジャンル違いなので比較不可能。
あと、超怖スレ住人が幽スレへ出張して怪コレの宣伝をするのも問題あり。
少なくとも木原氏は「聞き書き・実話」に拘っていると思われる。
これまでの氏の言動を見るとねぇ。
京極氏の「新耳袋は実話を元にした創作怪談である」という主張。
実は、この創作という言葉が問題なんだよね。
京極氏らしいといえば、らしいのだけどw
創作を辞書で引くと
(1)それまでなかったものを初めてつくりだすこと。
(2)翻訳などに対して、作家の主体的創造力によって芸術作品をつくりだすこと。また、その作品。
「―活動」
(3)事実でなく想像によってつくりだすこと。また、その話など。
「苦しまぎれに―した話」
になる。多分大多数の人が2と3を想像するんじゃないかな。
この創作という言葉が1を意図して使われているとするなら、まだなんとかなるかもしれないが。
だけど、前後の口ぶりから言って、どうも2と3以外のニュアンスはなさげではある。
「新耳袋は、体験談を著者が再構築したもの」という意味合いなら問題ないんだけどね。
これはどの実話怪談にも共通することだと思うし。
実話怪談を書くというのは「創作に対する翻訳」と煮ているのではないか。
ある言語で表現されたものを別の言語になおす、という点とか。
>三者の立場にからむ政治的wな話
これは仕方ないというかw
これを細かく考えると荒れちゃう原因になりかねないからなぁ。
>>721 勝負、という概念からして間違っているのかな。
比較することもないと思うし。
お互いに売れたら売れたで、いいことじゃないかと。
でも、気になるのかねぇ?互いの動向が。
それかよほど対立を促したいのか。
はたまた目の敵にしているのか。
部数に関しては少々気にしてもいいと思うけどね。
市場論だからといって無視するのはできない話だし。
>>722 木原氏が京極氏の発言を訂正していないのは、京極氏が「新耳袋は創作怪談」
というのを、木原氏を褒める文脈で発言しているからだったと記憶してるがどうか?
「このおとっつあんたちが書くと凄い怪談になる」という文脈の中で「新耳袋は事実を
下敷きにした創作怪談」と言っていて、木原氏もそれを否定していない。
でも、聞き書き実録怪談だということそのものを捨てているわけでもない。
焦臭い話に入っていくんだろうけど、新耳で大ネタを多く取材してきたのは中山氏で、
中山氏は怪談之怪・幽ではあまり発言していないし、会の方針に影響を与えている
ようにも見えない。新耳のスポークスマンは木原氏だし。
そのあたりから、いろいろな類推が出てくるけど、それは憶測の域を出ないので割愛。
ただ、新耳は「現代の遠野物語」とか、一時期実話怪談色について積極的に打ち出して
いたんだけど、幽では新耳へのそういうアプローチってあんまり見ない気がする。
その辺りに温度差の可能性を疑ってしまうんだろうけど。
もうじき500kb制限に掛かりそうなんで、次スレ立てたほうがいいかもしれん。
建ててくる。
>>721 実話怪談と創作怪談の比較考察の端的な例として、怪コレとてのひらは
比較しやすいというのはあるのかもしれない。
この場合、「どちらが勝っているか」という優劣を求めようとするから揉めるわけで、
どういった方向性の違いがあるか、というのを比べてみるというのは、それはそれで
一度やっておくべきことかもしれん。
どちらかがどちらかを意識している、というよりも、当事者はともかく読者側は
どちらもある程度意識はするだろうと思う。その存在を互いに知っているなら、という
条件付きだけど。
怪談の世界は広くないし、「こういう本が出るらしい」となれば、情報が広まるのは
早い。情報源が「目の前に並んでいるのを見るまで気付かなかった」という昔なら
いざ知らず、怪談好きのレビューブログも、書店の新刊情報も、2ちゃんねるみたいな
情報交換の機会も、すべてパソコン上から読めるわけで、情報の集約と取得はずっと
容易い。怪コレの話もてのひらの話も、「怪談ならなんでも手を出す」という層なら、
いやでも耳に入る。
そこから、比較はされていくのは仕方ないことだと思う。
超怖スレ住人が幽スレに出張して怪コレの宣伝をしているのは、挑発になってしまって
いるように思う。どうしても挑発したいならこのスレでwすべき。
ただ、挑発の結果報告を超怖スレでしているところを見ると、もしかしたら「超怖スレから
幽スレに喧嘩をふっかけにいった住人がいる」というアリバイ作りをしたいだけなんじゃないか、
という疑念がどうしても残る。事実はわからんし、善意かもしれないけど、善意が良い結果
になっていないのでは、ということは気付いて欲しいかも。
>>724 「いや、それは違う!」といえなかったのかもしれな(ry
それはおいといて。
褒める文脈ではあるんだけどw
「幽」5号の対談の流れを見ると、その京極氏の発言直後、
木原氏はやんわりと実話であることが重要だ、と発言していると思う。
「これは作り物を交えていない、0から作ったものじゃない」とかね。
この辺りは
>>724のいうとおり「実話怪談というのを捨てていない」証拠だと思うし、
怪談之怪の温度差の原因でもあるのか知れない。
怪談之怪メンバーの立ち位置や発言を見ると、やはりそれぞれの思惑というのは
存在するのだろうな、と。
>幽では新耳へのそういうアプローチってあんまり見ない
木原氏と中山氏の連載は「聞き書き実話怪談取材レポート」として
新耳袋の取材の裏を見せようとしているのだと思っていた。
=「我々は実話怪談であることをやめていない」という主張なんじゃないか。
対して、幽の方針としては、実話を打ち出すより「新耳の文芸性」を打ち出したいのだろう。
それは判る。判るのだけど、やはりこれも著者と雑誌と読者の求めるものがずれている気が。
>>727 乙です
次スレも更に突っ込んだ考察を期待
というわけで、次スレとまたがりそうな気がするけど、【てのひら】と【怪コレ】の比較考察とか。
とりあえずはすでに判明しているデータなど。
対象ジャンル
【てのひら】 怪談ならなんでも。創作怪談(ゼロからの完全創作)、実話怪談(聞き書き)の双方を対象とする
【怪コレ】 実話怪談を対象とする。創作怪談(ゼロからの完全創作、オチや出来事に関する創作)は排除する
対象著者と人数
【てのひら】 bk1怪談大賞応募者から72人を選抜。伸べ100話を収録
【怪コレ】 超-1応募者から第一巻は17人を選抜。第一巻は伸べ82輪を収録
母体企画の開催目的
【てのひら】 ビーケーワンの夏期振興企画。怪談文芸発展のための、傑作怪談を求める文芸賞 →傑作怪談を求める
【怪コレ】 「超」怖い話の新人共著者の捜索と選抜、獲得のための、著者能力テスト →実話怪談を書き続けられる著者を求める
審査方法
【てのひら】 東雅夫、福澤徹三、加門七海の三名による審査選抜。専門家のセンスと読解力に信頼性を置いて選ぶ。
【怪コレ】 読者及び応募者による互選講評。読者・応募者のセンスと読解力に信頼性を置いて選ぶ。
作品集について
【てのひら】 bk1第四回大会審査終了後(2006/8)に内定、9月に確定。ポプラ社より2007/2刊行予定。おそらく単行本。定価1000〜1200円300頁前後?続刊未定。
【怪コレ】 超-1募集告知時(2006/1)に予告、開催期間中(2006/4)に内定、開催期間中(2006/5)に確定。竹書房より2006/9/30に刊行。文庫本。定価600円。272頁。2006/10、11に続刊、計3巻。
てのひらは創作文芸板東スレで、怪コレはオカルト板超怖スレで、それぞれ話題になっている。
で、どういう話題の盛り上がり方をしているのかというのにも着目しておきたい。
てのひらは、圧倒的に「著者視点」「書き手視点」での盛り上がりだったように思う。
これは、板の性格にもよると思う。創作文芸板は「創作をする人の集う板」であるわけで、
実質的には「文学賞に出す書き手が集まる板」になっている。東スレも、「幽」「bk1」を
対象とした文学賞挑戦者のサロンになっている、と見て間違いないと思う。
当然、スレ住人は応募者が中心。話題も「いかに書くか」や「審査員へのアピール」
が多いようだ。
「てのひら怪談」に対する理解も書き手視点からになるのも無理からぬところ。
それに「いかに載るか」や「書き手としてどう向き合うか」が興味の中心となっている。
対して「怪コレクション」は、オカルト板超怖スレで話題になっている。
元々超-1は「超」怖い話から派生したものであるわけで、超怖スレで話題になるのは
これも自然な成り行き。スレには書き手も参加しているのだろうけれども、いろいろな
経緯wもあって、スレになるべく書き手として降臨しないのが暗黙の了解になっているね。
また、「オカ板はビリーバーに優しい」というのを別におくとして、超怖スレでは「書き手視点」
の話よりも、「読み手視点」の話が多いように思う。これも、「書き手であることを明らかに
しない」という暗黙の了解ができてから(それ以前からそうではあったけど)、読み手として
どうか?という見方をしばしばされるためかもしれない。
超-1自体、「読者が講評する」というシステムを採っていたこととも関係がある。
双方の違いは、板の性格の違いだけではなくて、そのまま創作怪談と実話怪談の
読者の違いでもあるのかもしれない。
実話怪談は、それが実話であるかどうかを最終的に判断して決めるのは、
実は著者ではなく体験者でもなく、読者であると思う。もちろん、事実は事実として
あるのだろうが、それを「事実として受け入れる=信用する」か、「あり得ない、と
切って捨てる=信用しない」かは、個々の読者が個々の判断で決めることができる。
だから、実話怪談の成立には「読者の判断」というのが欠かせない。
読者が判断する基準というのはひとそれぞれで、「著者の言い分を信頼して」という
場合もあれば、「自分が自らそれを裏付けて(現地に行っちゃったり)」というのもある。
または、「前後関係から類推して、ないと断言できない」だったり。
どちらにせよ、その信憑性についての最終判断は読者が下せるものだ。
読者の位置づけが大きいということが、そのまま読者が書籍に対して思い入れる機会と
それを発信する機会を大きくしている。
体験者・著者・読者のどれが欠けても実話怪談は成立しない、という指摘にある、
トリニティの構成要素として、体験者と読者の双方が実話怪談の支持者であるのだと思う。
超怖スレなどで、読者視点からの発言が多いことの説明は以上。
対して、東スレに見られる創作怪談関連では、著者の発言がほとんどで、
「読者としてどうか」という発言はあまり見られなかった。
これは純粋にスレの性質・板の傾向の違いと言ってしまえばそれまでだが、
読者として他人の作品を見るときの態度の違いも気になる。
話は戻って、てのひら怪談を、「読者」として考察する人が、今のところ
ほとんどいないことが気になっている。てのひらを持ち上げる、または高く評価
している東スレの住人のほとんどは、おそらく「書き手」なのだろう。採否にかかわらず。
だから、「作品発表のステージ」として、または「デビューのチャンス」としててのひらを
評価している。これは、著者視点での評価であって、それを買う購読者からの
評価とは異なる。
購読者がてのひらにどのような魅力を感じるか、購読者にてのひらをどのように
アピールするかについては、今ひとつ見えてこない。
そのあたり、「創作者による創作者のための創作者を読者とした本」というイメージ
がてのひらにはつきまとう。
怪コレは「読者から著者を募る」という切り口から入ったせいもあるかもしれないが、
著者へのアピールよりも「読者へのアピール」にリソースを割いているようにも見える。
もっとも、編者からの宣伝またはコメントは、当人のブログか怪コレ本誌にしかない
わけで、その真意は実際にはわからない。
ただ、「開催中の超-1にリアルタイムに触れていなかった人が多数派であろう」という
前提に立っていることは、「そこに居合わせなかった読者を多数と見て、それを意識
している」と見て間違いではないと思う。
てのひらは何分にも完成品ができていないので、読者に対してどういうアピールを
行うつもりのものなのかが、未だ見えてこない。
「著者のための記念品」になってしまうのだとしたら残念なことだが、「読者に訴えるもの」
になるとしたら、今後発売までの間にどういうアピールをしてくるのかが興味深いところ。
小島信夫死去。
でもそれ以上に、大木金太郎逝去に心を馳せてしまう。。。
さらば頭突き王。
>今後発売までの間にどういうアピールをしてくるのか
まずは「宣伝媒体の潤沢さ」を利用するだろうね。
MF関連やbk1、幽、東氏が同時にアピールを始めることは想像に難くない。
また、採用者70名の一部がネットなどで情報を発信するだろう。
・MF(幽やダヴィンチなどの媒体)では注目の新刊として扱う
・bk1では「自社発の企画」としてのプッシュと予約特典をつけるだろう
・東氏は様々な媒体でレビューを展開
・怪談之怪などの関係者からのプッシュもある可能性が
・当然ポプラも宣伝はきちんと打つだろう
って、「内輪褒め」+「職権乱用」みたいに思えるなw
読者に訴えるものがない。
どの層を狙っているか、などを考えたら、結構ピンポイントになりそうではある。
ポプラの思惑を推察するのも手かもしれないな。
そんでまあ、
1)どの層を狙っているか
・怪談ファン
・ホラーファン
・幻想文学ファン
・怪談文芸ファン
・応募者層
ぱっと思いつくとこれくらいか。
応募者層が一人5冊買ったら、約350冊だがw
怪談ファンが食いつかないと、ちょっと厳しいのではないか?
ここで思うのは「怪談ファン」と内わけ。
創作怪談ファン層と実話怪談ファン層の割合はどうなっているのだろう?
個人的には実話怪談ファン=怪談ファンではないか、と感じているのだが。
だとすると、実話怪談ファン層を飲み込むことが肝要になるはず。
だが、そこに対してのアピールはない。
2)ポプラの思惑
ポプラといえば子供向けの書籍が頭に浮かぶ。
が、最近は一般向け書籍への注力も始めているように感じた。
(2000万の文学賞とか、その辺りの売り方とか)
その一環として「大人向けの怪談関連」を始めたいのではないだろうか?
これまでは子供向けの怪談書籍をヒットさせていたポプラだが、
大人が読むに耐えうるだけの怪談書籍を出す為に、とかw
とはいえ、突然本を出しても売れないことは判っている。
なら、どこかと提携して、そのノウハウや人脈を利用した方がいい。
そこに「利害関係の一致」という点が浮かび上がってくる・・・と書くと荒れそうだな。
そろそろ止めておこう。
3)幽とbk1の関係
これに関しては「受賞者の売り出し」というアレが(ry
>>737 内輪褒めでも職権濫用でも、持てるリソースを全て注ぎ込むのは戦略として
当然のことと思うので、それはよし。
ないないづくしの超怖とてのひらを比べるのは、1944年の大日本帝国と
アメリカ合衆国を比較するくらいの差があるのだがw、歴史にIFがないように
現時点の背景の勢力差について「もし同じだったら」みたいな想定は無意味だし、
そういう背景勢力を整備する能力や期間も、主催者の才能・実績・能力のうちだろう。
48歳の東雅夫と39歳の加藤一の経験値、人脈の差というのもある。
そういうキャリア・蓄積はおいとくとして、てのひら怪談そのものに目を向けた場合に、
それをバックアップする側から見てどれほどのウェイトがあるか、というのも興味を引く
ところかも。宣伝媒体が潤沢であったとしても、そのリソースが無尽蔵に割けるわけ
ではないし、リソースを注ぎ込むだけの価値があるものでなければ、リソースを使う
ことについて許可が出まい、と。
雑誌の場合、例えば1頁広告を打ったらうん万円とかうん十万円の広告料を本来なら
取れるところに、「新刊よろしく」という自社広を入れたり、キャンペーン紹介記事を
入れたりするわけで。幽やその他の関連媒体が、どのくらい宣伝に力を入れるかで、
てのひら怪談のMF・ポプラ・bk1の中での重要度が見えてくるのではないかと思われる。
東氏にとっては、「たくさんある仕事の中のひとつ」なのか、将来の布石として重視してるのか。
東氏の思惑とそれを支援するMF・ポプラの思惑は一致しているのか、などなど。
それはそれとして、そろそろ一杯一杯だと思うので、続きは次スレへ。
実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1161661757/