実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】

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6本当にあった怖い名無し
実話怪談も創作怪談も、読者に恐怖を与えよう、または「恐がりたいという読者の欲求を満たそう」
としていて、著者はそれを満たすために文章を駆使するという点は確かに同じ。
東説では、この点をして「だから恐怖を表現するための文芸が重要なのであり、恐怖表現にそれを
用いている点で実話怪談も創作怪談もない」という主張だ、と東説支持者は言っているのだと思う。

確かにどちらも恐怖表現に紙数を割いていて、いかに怖さを感じられるか、怖さを伝えられるかに腐心
しているところは同じかもしれない。
違いがあるとしたら、創作怪談は「怖さの構造、原因、ストーリー(話運び)、登場人物像」を、恐怖を
感じられるように「創作」している点。

実話怪談は「怖さの構造、原因、ストーリー(話運び)、登場人物像」は、著者が自由に創作できない、
という点。あくまで、「すでに在るものを如何に再現するか?」というテーマに、文章表現リソースが注ぎ込まれる。
「もっと怖くする」「体験談にないオチを付け加える」「登場人物を増やす」ということはできない。

「実話を下敷きにした創作怪談」というものが引き合いに出されるようだが、これにしたところで
「怖さを膨らませるために、元々の実体験談にはなかった要素を付け加えた創作」
であるならば、これは「元の体験談、体験者の恐怖感を再現しよう」という部分に注力する実話怪談とは、
やはり別物と言えるように思う。
「実体験を振り出しとして、または下敷きとして、【もっと怖い話】に作り替える」
というものであって、元の体験談を再現するために文章表現が用いられているわけではない。

この辺りの区別について、東論を支持する人の意見を聞いてみたいところだが、おそらく出てこない
だろうと思うので、東論支持者の意見は今後も推察で検証していくしかなさそう。