1 :
日曜8時の名無しさん:
なんで主人公があんなにきもいのですか?
あなたのこころがきもいからです
wwwwwwwwww
5 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/13(日) 23:16:09.02 ID:xD3iPwf7
今和泉島津家って祖を遡ると戦国時代は誰になるの?
戦国島津で言ってくれたほうがわかりがいい
6 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/13(日) 23:26:57.10 ID:M+94Yqbw
>>5 分家が出来るのは22代継豊の時で徳川吉宗の時代だから、
戦国時代の祖は普通に義久じゃね?
7 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/13(日) 23:35:30.73 ID:AzLgNaWy
密貿易に偽造貨幣、
犯罪行為を藩ぐるみで行ってるのに、
なぜ藩主の息子(嫡男)斉彬はそれらを他人事みたく、追及する側に立っていられるのか、
てか、老中・阿部はなぜ斉彬をそんなふうに扱うのか?
「チェスト」って外国から入ってきた掛け声かと思っていたんですが、
日本語だったんですか?
あっ、見直したら自己解決したかも
>篤姫(1836〜1883)…岩本千波(8)→宮崎あおい(22)
>調所広郷(1776〜1848) …平幹二朗(74)
昨日、平幹二朗さんが死んでたから1848年ですね。ってことはまだ12才かw
反戦思想とか凄いじゃん
>>9 江戸後期から流行っていたのと、
東郷平八郎がチェスト=胸という英語から広めたという説はデマということから
チェスト=胸説は今はあまり信憑性はない。
剣術の掛け声「えい、とー」が、「えぇい、とー」、「ちぇい、とー」、「チェストー」
と変わっていたという説もあるが、これも証拠なし。
結論をいえば不明。
14 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/14(月) 09:13:39.61 ID:R70DTj++
西郷は肩かどこかに傷を持ってて、大久保は理由は知らないけど
とにかく双方とも剣術はからっきしってイメージだったけど
二話目くらいの時代だとそうでも無かったの?
あと、中村半次郎が好きだから早く西郷の側に付いて欲しいけど
出番はあるんだろうか…?
江戸時代の上流武士の姫があんなに簡単に外に出て、気軽に男と口を聞ける環境に
いるものだろうか。目上に意見するのもおかしい。
男尊女卑と儒教と女大学に縛られていて、父親や兄弟に絶対服従で
女三界に家なしの思想で、家に閉じ込められているイメージがあるのだが。
当時のお姫様の生活を記した日記や手記などで真実を知りたい。
それだとドラマにならんということでしょ
鹿児島は極端に男尊女卑です「おなごは黙っていろ」ですね
ただまあ後ろで手綱握ってるのもおなごですが
17 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 00:18:56.50 ID:9QNHKWgL
>>6 義久に子供はいない。
近世の薩摩藩主は、義弘の子孫。
18 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 00:25:05.31 ID:9QNHKWgL
>>5 ついでに言えば、篤姫の父島津忠剛は、薩摩藩主斉宣の子(斉興の弟)で、
今和泉家の養子になった人物。
19 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 01:18:58.73 ID:zTes4R6h
2話、アバンに出てきた
「ぬけぎ」って何ですか?
どういう字を書くのですか?
あと同ナレーションの
「調所は、藩の「さんぐ」を長期分割返済…」の、「さんぐ」ってのも、
同様に何ですか?
ついでに「呪詛調伏」って何でしょうか?
>>19 抜け荷(密貿易)と債務(借金)のことか?
呪詛調伏は平たく言えば呪い殺すってことだが・・
あ、釣り?
21 :
19:2008/01/15(火) 02:12:47.99 ID:zTes4R6h
>>20 ありがとうございます。 釣りではありません。
改めて何度再生して聞いてみても、
「ぬけぎ」「さんぐ」としか聞こえませんでした。
大河は何作か見た事あるのですが、
篤姫は、聞き取りにくい単語が多数出てきて、
その度に気になって、話に集中出来ません。
ナレーターもヘタなので、
下にテロップを入れて欲しいですね。
22 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 02:36:33.17 ID:fugroVwn
>>9 昔からある薩摩示現流の気合の叫び、「猿叫」と言うらしい
言葉自体に意味はないっぽい
この示現流っていう流派は最初の一撃「一の太刀」に全てをかける
ので、ちぇすとおおおって叫びながら束ねた木に木刀で力いっぱい
振り下ろす修行を延々とやってたそうです。
西郷や大久保らが剣の稽古してたが
あれは示現流ではなくて薬丸自顕流かな 横木だし
24 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 04:03:51.48 ID:HtWd20BW
>>9 鹿児島弁に「ちぇすといけ」という言葉があって(日常会話で使う人はいないけど)、直訳すると「びしっと行け」みたいなかんじ
「ちぇすと」だけ単独では使用しない
示現流の掛け声って「きぇーーーーぃっ!」とかなんか奇声だよね
去年のスレは史実マニアや歴史マニアや舞台マニアや役者マニアなどが
入り乱れて、スレも高度な話題満載でバトルも凄かったが、今年は質問レベルが
低いし活気がないな。実況でも話の筋が分からないので解説いて欲しいと言う要望が多かった。
普段大河をみない歴史も知らない人が多いみたいだ。
26 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 04:58:46.68 ID:h+v0SkZu
幕末の薩摩を扱った「篤姫」に何故に男色シーンが登場し無いのですか?
はてさて面妖な限りぢゃて。
当時の鹿児島では衆道が、まだまだ盛んで、男尊女卑は徹底していた筈
でせうに。
原作者よりも非道い脚本家は歴史に何の関心もナイ無知な人物なのですね?
演出家によるんじゃない?
去年は晴信と高坂や勘助と高坂の絡みなどいろいろあったけど
筋に関係なく必要ないとか、脚本家や演出家が好まないとかあるんだろう。
28 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 05:41:32.05 ID:h+v0SkZu
いや、衆道描写は絶対に必要ぢやて。
幕末の薩摩を扱った「篤姫」に何故に男色シーンが登場し無いのぢやゑ?
如何に「婦女童蒙」向きの大衆ドラマだとて、はてさて面妖な限りぢゃて。
当時の鹿児島では衆道が、まだまだ盛んで、男尊女卑は身分の上下を問わず
徹底していた筈であろうに(つい近年まで男女の衣類は一緒に洗濯せなんだの)
脚本家は、原作者よりも非道い歴史に何の関心もナイ無知な人物なのぢやな?
29 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 07:52:46.73 ID:KZXzEiDk
たしかに脚本家がフェミ臭プンプンで非難あびるのは仕方ないけど、
>>28みたいなアホとかにゴチャゴチャ言われるのは可哀相ではあるなw
NHKで濃い衆道なんぞ描けるわけねーだろバカか
そんなに史実に忠実が良いなら日本史板行くかNHKに抗議しろよ
ホモ描写をもっと描け!ってw
30 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 08:05:34.71 ID:h+v0SkZu
幕末の薩摩を扱った「篤姫」に何故に男色シーンが登場し無いのぢやゑ?
如何に「婦女童蒙」向きの大衆ドラマだとて、はてさて面妖な限りぢゃて。
当時の鹿児島では衆道が、まだまだ盛んで、男尊女卑は身分の上下を問わず
徹底していた筈であろうに(つい近年まで男女の衣類は一緒に洗濯せなんだの)
脚本家は、原作者よりも非道い歴史に何の関心もナイ無知な人物なのぢやな?
西郷や島津公らの男色場面は何としても描く可きぢゃぞゑ!
わけを教えてたもれ。
阿部寛と高橋英樹の絡みといった老人同士のセックス・シーンもイイだろうナッ!
>>28 超ド変態のド白痴めーツ!!!
テメエの如き出来損ないの凡庸ヘテロの変質者なんざ
中共の即席麺を喰らってサッサと死に腐れーイッ!!!!
31 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 08:07:03.76 ID:h+v0SkZu
幕末の薩摩を扱った「篤姫」に何故に男色シーンが登場し無いのぢやゑ?
如何に「婦女童蒙」向きの大衆ドラマだとて、はてさて面妖な限りぢゃて。
当時の鹿児島では衆道が、まだまだ盛んで、男尊女卑は身分の上下を問わず
徹底していた筈であろうに(つい近年まで男女の衣類は一緒に洗濯せなんだの)
脚本家は、原作者よりも非道い歴史に何の関心もナイ無知な人物なのぢやな?
西郷や島津公らの男色場面は何としても描く可きぢゃぞゑ!
わけを教えてたもれ。
阿部寛と高橋英樹の絡みといった老人同士のセックス・シーンもイイだろうナッ!
>>29 超ド変態のド白痴めーツ!!!
テメエの如き出来損ないの凡庸ヘテロの変質者なんざ
中共の即席麺を喰らってサッサと死に腐れーイッ!!!!
32 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 08:08:18.61 ID:h+v0SkZu
29番!
テメエに言ってやってめんだゼッ!!!
ドアホウめがッ!
>>25 戦国前期〜中期の関東の情勢って知られてないから質問が相次ぐのはしょうがない
幕末についてはついこのまえ新選組やってたこともあるし有名人登場するし
そもそも政治情勢話がメインのストーリー展開でもないしで聞くまでもないってことだろうな
動乱の時期になると勢力争いが奇々怪々なことになるので質問が増えるんじゃないか
正直、質問するほど難しいことがない、あまり史実の事件に触れてない。
薩摩の姫がいろんなことに疑問もって、
調所って改革するような家老のとこに行きました。
薩摩は借金があって、調所が悪いことしながらも返して蓄財しました。
これで終わりだからな。
「おゆら騒動」しかほぼ史実は語ってない。
前作は、北条と今川と武田が何故争っているのか?って複雑な状況だったし。
「桜島の誓い」って結局何を誓ったんですか?
前作は戦国前期で関東に小豪族が乱立して、烏合集散が激しく、さすがに脚本家も
視聴者も大変だと思ったのか、ドラマで小山田に地図を持たせて、評定の場で
詳しくプレゼンしていたな。
戦国の川中島の戦いをわかりやすく、地図上にシュミレーションする職人さんもいたりして
面白かった。
後半勢力争いが入り組んでくると、説明を求める意見も多くなるかも知れない。
>>18 斉興と忠剛は兄弟だったのか
養子に出たとはいえ現藩主の弟なのに容赦なく取り立てって厳しいんだな
>>25 去年のスレも途中から歴史オタが質問者そっちのけでうんちく語ってただけじゃん
第1話のラストに篤姫と帯刀がバイバイって手を振っていましたが、
幕末にああいう挨拶はもう存在したのですか?それとも薩摩では昔からああだったの?
義経の時も難しくなりすぎて別に初心者向けのスレが立っちゃってたけど
初心者歓迎ってことなんだから、あまり高度にならない方がいいだろ。
41 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 19:22:50.07 ID:HjaCwS/l
151 名前: 日曜8時の名無しさん Mail: 投稿日: 2008/01/15(火) 11:54:06.50 ID: h+v0SkZu
歴史音痴が台本を書いてるせいで、トンチンカンな場面だらけだったよナッ!
家光が女色家であるかの如き「男色シーンの欠如」は犯罪モノだ、
と云っても過言では無いゼッ!!!!!!!!!!!!
42 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 22:20:57.40 ID:x1k3h/u2
>>33 去年の大河は、第1回の冒頭からいきなり合戦シーンで始まっちゃったから、
視聴者側が否が応でも当時の甲斐を取り巻く状況について把握する必要に
迫られた。
一方今年の大河は、まあいろいろな意味で、取り立てて予備知識を
仕入れなくても、話についていくのは大したことなさそうという安心感(?)を
視聴者に与えている。
どうして薩摩弁を使わないのですか?
違和感ありすぎます。
44 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 22:52:25.49 ID:DgwWSWLc
薩摩弁を使って喜ぶのは鹿児島県人だけだからです
45 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/15(火) 23:27:06.69 ID:cgQfCMud
「翔ぶが如く」の時、薩摩弁に字幕スーパーを入れていたが
面倒くさいから、やりたくないのか?
>>45 面倒くさいというよりそれに至るまでの鹿児島弁にクレーム殺到したから自重したんだと思う。
47 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/16(水) 00:01:30.20 ID:HjaCwS/l
身分が卑しい人達は鹿児島弁使ってたじゃん
48 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/16(水) 00:02:33.70 ID:cgQfCMud
ところで薩摩の密貿易って、藩の財政を建て直すために
調所が始めたのか?
琉球の事は薩摩藩に任せていたようだし、
江戸から遠いので、薩摩には幕府の隠密が入りにくかったと言うから
江戸時代初期からこっそりやっていたんじゃないのか?
だから幕府も気付くのが遅すぎると思うな。
知ってることをいまさらひっぱりだして叱責した→いいかげん斉彬に継がせろということなんですね
50 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/16(水) 13:42:08.68 ID:Rqaqprxj
>>48 うすうす分かっていたとしても、幕府側としてはどうしようもないよ。
島津氏とか対馬の宗氏とかの場合、改易するわけにもいかないし。
51 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/16(水) 13:44:21.67 ID:Rqaqprxj
>>49 まあそんなところでしょう。
取り潰されない代わりに、家督相続に関して幕府の介入を受けることはよくあるね。
薩摩の場合
幕府も外国のオランダや朝鮮と貿易してきた。
幕府以外の大名がやると密貿易になるんだろう。
大名が豊かになって軍備を備え倒幕に走るのが怖いから制限して、自分が貿易を
独占したが、結局最後は外国から新式銃や大砲を買って軍備を強化した薩長にやられるわけだ。
鎖国もキリシタン流入を止めるだけじゃなく、大名の強大な力を抑える為にした。
53 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/16(水) 16:56:51.23 ID:2n7r9Nwb
幾島に瘤があったというのは史実なのでしょうか?
>>25 そういう貴方サマは、風林w以前の大河を見てたの?
宮崎あおいは12才ですか?
当然、処女ですね
56 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/19(土) 07:22:55.50 ID:9x16ibqf
島津氏の対琉球利権、宗氏の対朝鮮利権、松前氏の対蝦夷地利権に関しては、
幕府としてもどうしようもなかっただろう。
仮に難癖を付けて取り潰したとしても、辺境の統治や異民族との交渉を直接行う
ノウハウが幕府にはないし、他の大名を転封させて入れるにしても、喜んで
こんなところへ行く大名もいない。
結局、多少のことは目をつぶって放置しか方策がないんだよな。
対馬藩が国書改竄なんかを公然とやっているのも、こうした事情が大きいし。
57 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/19(土) 11:17:31.39 ID:TRVVoC7e
結局今和泉島津家は追加の上納金払えたの?
払えないまま当主の自粛謹慎で許してもらえたわけ?
調所の財政改革もすでに成果出ている頃のようだし
斉彬派である分家いじめと見ていいですか?
59 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/20(日) 12:20:13.70 ID:eO9Bw1pe
斉興の父斉宣だって幕府命令で隠居させられたのだから、斉興だって覚悟を決めとかないと。
60 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/20(日) 15:57:19.56 ID:gzEj42Tr
初歩的な質問でごめんなさい 御台所が隠居した時につける「〜院」というのは
誰が決めるのですか
>>60 幕閣が決めて、次期将軍が裁可します。
ついでに隠居料の高も。
62 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/20(日) 16:57:39.06 ID:FgcI8APk
ていうか、篤姫って面白い?
64 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/20(日) 18:51:54.32 ID:x6ZvLEby
俺は去年のお子様向け見かけ倒し大河よりはいいと思った
篤姫、横からは気になんないけど正面から見ると鼻筋通ってないから変な顔
66 :
60:2008/01/20(日) 21:07:18.70 ID:IBzJRziY
返信ありがとうございます
島津一門のお姫様がなんで末端の下級武士と仲良くなってるんだろう
>>67 原作ではそんなカケラも無い。
NHKスタッフと脚本家の、勘違い創意工夫の賜物の
学芸会脚色です。
69 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/21(月) 04:42:59.65 ID:so1Bk9mO
如何に低能な婦女童蒙に向けて作った低俗ドラマとはいえ、
これは一応「歴史もの」であろう程に。
史実として有り得ない設定や言動を描いて何が面白いと思っているのであろう?
シナリオ・ライターは白痴なんだろうナッ!!!
ただの仮装大会でしかない駄作を書きやがったゼッ!!!!
家祥が3話で食べていたのは何ですか?
71 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/21(月) 05:01:05.42 ID:so1Bk9mO
幕末の薩摩を扱った「篤姫」に何故に男色シーンが登場し無いのぢやゑ?
如何に「婦女童蒙」向きの大衆ドラマだとて、はてさて面妖な限りぢゃて。
当時の鹿児島では衆道が、まだまだ盛んで、男尊女卑は身分の上下を問わず
徹底していた筈であろうに(つい近年まで男女の衣類は一緒に洗濯せなんだの)
脚本家は、原作者よりも非道い歴史に何の関心もナイ無知な人物なのぢやな?
西郷や島津公らの男色場面は何としても描く可きぢゃぞゑ!
わけを教えてたもれ。
阿部寛と高橋英樹の絡みといった老人同士のセックス・シーンもイイだろうナッ!
72 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/21(月) 05:11:55.89 ID:so1Bk9mO
幾島に瘤があったというのは史実なのかゑ?
誰ひとり知らぬと申すのか!
73 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/21(月) 07:20:38.90 ID:tysm9UqH
お前アホだろ
篤姫にはないよ。スィーツ大河だもの。
「草燃える」「北条時宗」「風林火山」とか過去大河にはあったけど。
永井路子や杉本苑子などの硬派の歴史小説には衆道描写は普通に書かれてるが
この作品にはない。
75 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/21(月) 07:52:51.95 ID:so1Bk9mO
73番のドアホウは誰に向かって喚いて居るのぢや?
>>71 実際には衆道云々の記録が無いから
某小説に影響されすぎだなぁ
アチコチ書き込んでるとこみると、よほどホモネタが好きで堪らないんだね
77 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/21(月) 16:47:03.87 ID:jOUUDzRz
下級藩士にすぎない西郷隆盛や大久保利通が
なぜ、薩摩藩を牛耳るようになるまで出世できたのですか?
そして、なぜ、親友であるはずの西郷と大久保は後に対立し、
西南戦争で殺しあうことになるのですか?
翔ぶが如くを見てください
このスレの趣旨とは関係ありません
79 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/21(月) 17:03:02.41 ID:r9KL5RMn
視聴率を教えてください。
>>76 >71は史板や他板でも顰蹙かってるホモ吉かもしれないので
相手にしないほうが良いよ。
推奨NGWord:ぢゃ
82 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/21(月) 19:32:38.67 ID:ODxFqlcy
>>68陳腐な仲良し平等捏造で、後半の下級武士の革命的な幕末運動の迫力が半減しそうだ。
実際、江戸落城後の姫にとってそこに居た西郷某とは薩摩のナニ者ぞ?…だったろうに。
>>82 >陳腐な仲良し平等捏造
そんなシーンなかったろ。内容をよく理解できていない証拠。
84 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/21(月) 21:30:09.59 ID:CkNhK3wA
>>62 風林前半のようなワクワクする緊張感はないが、ドラマとして普通に面白い。
風林後半に比べたら遥かにいいと思う。
85 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/22(火) 05:28:23.71 ID:VFQgxmvU
西之丸の世子たる家定が、何故に本丸の将軍家慶が島津家当主らと対面している
ところへ、いきなり出て来たりして自由自在に遊んでみたり出来るのですか?
86 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/22(火) 07:55:54.14 ID:iFjKSNoj
>>77 粛清と共食いを繰り返して
上の人間がどんどんいなくなっていったから
87 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/22(火) 09:35:06.85 ID:OHSJHXjX
88 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/22(火) 09:39:53.12 ID:ftfMO80A
>>84 風鈴は後半へなればなるほど面白みが増していったが。
篤姫と愉快な下級武士達の学芸会とは比較にならん
89 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/22(火) 09:47:15.32 ID:ftfMO80A
それにしても今年は質問スレが流行らないな。
誰か去年みたいに年齢対照表とか作成したりしないの?
今年の大河は史実なんてくだらない事よりは出演者の演技を堪能したいんだよ。
だからくだらない質問が無い
暴れん坊将軍や水戸黄門で史実について質問するやつがいないようなもんだな
92 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/22(火) 12:23:59.74 ID:VFQgxmvU
都の近衛家に仕える老女・幾島が何故に関東訛りの方言で喋るのぢや?
御所言葉が遣えぬとあらば、京都に於いて肩身が狭いであろうに。
はてさて面妖な限りぢゃて!
93 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/22(火) 13:30:35.90 ID:vDZnXbos
彼女が江戸無血開城に大きな役割を果たしたとはどういう意味ですか?
篤姫が江戸城の門のかんぬきを持っていたのです
幾島の父は某藩の江戸詰次席家老で、生まれ育ちは江戸。
奉公始めも薩摩藩の江戸屋敷。
>93
勝と西郷の会談場に、篤姫が乗り込んで話をまとめたんですよ。
江戸の町が火の海にならなかったのもなんちゃって篤姫のおかげ。
慶喜似大政奉還の決意をさせたのもなんちゃって篤姫の説得のせい。
鞍馬天狗の正体は篤姫だったそうです
史実がくだらないなら大河を見る意味がない。
大河は何年もまえから脚本家が膨大な史料と格闘して、どれをドラマに取り入れるか取捨選択して
歴史専門家の学者や時代考証の先生たちの審査を得て、作られるもの。
即席栽培のいい加減な時代考証のドラマとは違う。
NHKには当時の月の満ち欠けや動植物が日本固有のものかという、細かいことでも
速攻で苦情が入るので手抜きができないと、前の大河のPが言っていた。
おそらく薩摩言葉についても速攻で苦情がいったと思われる。
>>97 で、質問は何?
>前の大河のP
お得意のフレーズだな。このレスの書き手がわかってしまったw
昨日は「花まるマーケット」に内野が出たんだから、
その映像でも思い浮かべて、大人しく眠りなさいな。
99 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/23(水) 08:22:23.07 ID:1Lbw+NvH
>大河は何年もまえから脚本家が膨大な史料と格闘して、どれをドラマに取り入れるか取捨選択して
>歴史専門家の学者や時代考証の先生たちの審査を得て、作られるもの。
>即席栽培のいい加減な時代考証のドラマとは違う。
天璋院が西郷に嘆願書を出す前に、勝海舟が山岡鉄舟を駿府に派遣して江戸開城引渡しの事前打合せを
行っている事実を故意に無視して彼女の功績にしているから批判されてるんでしょ。
上記が事実なら相当いい加減なザル審査か人選に問題があるとしか思えない。
100 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/23(水) 08:53:27.66 ID:VRuCjXE/
時代考証は人によって異なりますが、ほとんど名義だけで何もしていない
ケースも多いです。
戦国大河で時代考証になることが多い静岡大のO先生なんかは、まともに意見を
言っても脚本家やドラマスタッフと衝突するだけなんで、嫌気が差して最近は
何も言わなくなったとか。
因みに今年の時代考証のH先生(鹿児島大)は、それ以前にミーハー的で
学問的な評判はよろしくないという話もあります。
今年に関していえば、大河ドラマストーリーの本にハッキリ書かれていますが、
篤姫と小松帯刀との関係を、宮尾登美子原作にもないラブコメ風味で描くこうと
スタッフに提案したのは、このH先生らしいですしw
>>95 まるでまつ様のようなスーパーウーマンですね。
102 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/23(水) 09:06:39.98 ID:CV9857GY
都の近衛家に仕える老女・幾島が何故に関東訛りの方言で喋るのぢや?
御所言葉が遣えぬとあらば、京都に於いて肩身が狭いであろうに。
はてさて面妖な限りぢゃて!
もちろん大河ドラマなぞ婦女童蒙向きの大衆コメディーでしか無いコトは
百も承知なんだがナッ!!!!!!
103 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/23(水) 09:19:13.49 ID:VRuCjXE/
時代考証のH先生は「その時歴史が」で何回も見たおなじみの顔だね。
名前だけ貸してるという話は前にも聞いた事がある。助言を無視されるケースも。
閉鎖的大奥と外の世界の橋渡しの為に小松が必要だったのだろうが、ラブコメ風味は酷いな。
再放送の「翔ぶが如く」のほう「篤姫」のスレより賑わってて専門的な話をしてるし。
>>99 そもそも原作読んだ?それって原作批判なの?
>>104 釣り?翔ぶが如くの時代考証の人って知ってる?
何かここにいる人の批判の矛先って無茶苦茶だな。
これでは初心者が立ち寄り辛くなっちゃうよ。
>>101 歴史の蔭では常に女性が活躍してるからこれくらい普通
107 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/23(水) 23:31:40.89 ID:qXvNI614
108 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/24(木) 08:11:08.80 ID:VWKP0Qrc
>>105 たぶん
>>104は「翔ぶが如く」のときの時代考証もあの人だってことは、
承知の上での話だと思うよ。
109 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/24(木) 08:13:13.64 ID:VWKP0Qrc
ところで、去年の「風林火山」の時代考証だったS先生は、どのくらいドラマに
口出ししてたんだろう?
あの先生って、とりあえず戦国期の武田氏研究では第一人者だよね。
>>109 ドラマ中にオタが語りたがるようなマイナーな史実ネタ入れてたりしたから
それなりに仕事してたんでない
風林火山だって史実的にはおかしいところもけっこうあったのに
篤姫と違って叩かれないようですがなぜでしょうか
>>110 >マイナーな史実ネタ
ああいうのはスタッフが凄い量の本を集めてきて読んで、
物語の引き伸ばしに使えるようなネタをあげてるんじゃないのかね。
小山田と笠原夫人の件なども「妙法寺記」の記述を
参考にしたのだろうけど、普通に売ってるような本にでているし。
前スレにもあるけど、他作の考証の先生のように
そんなに干渉しているとは思えないな。
>>111 まずドラマは創作でしかないので、史実はともかく
長笈や伊勢姫の「伝説・伝承」逸話を突然に取り込んだりしてて、
色んなものを盛りこみすぎって非難はしてたよ。
「風林火山」は面白いとしつつ、
でもここは変だと指摘してた人はわりといたけどね。
113 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/24(木) 10:53:13.53 ID:HBKXJDkT
細かいところに変な箇所はあっても、時代の雰囲気がある程度出ているものは非難されにくい。
逆にその時代にあり得ないような現代的な価値観が全面に出てきてしまっているようなものは、ボロクソにいわれる。
風林前半は特に板全体が批判を受け付けない空気だったからね
厨信者アンチスレッドなんて妙なものができちまうぐらいだったからな
116 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/24(木) 22:15:38.38 ID:lKXFXNkn
>>114 それまでがパッとしない大河の連続だったからこそ、風鈴すげーよ的な感じに
なった面が強いと思う。
もし「風林火山」が、「翔ぶが如く」「太平記」の次くらいの年に
放送されていたら、あそこまでネ申扱いはされなかっただろう。
もし「篤姫」が、「翔ぶが如く」「太平記」の次くらいの年に
放送されていたら、ここまでバッシングされることはなかっただろう。
118 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/25(金) 00:14:49.88 ID:T3sj4pRS
>>107 スルーされてるので私が答えましょう「大丈夫ではない」
平成の大河は酷すぎたからね。
たしかに「風林火山」は「太平記」や「獅子の時代」や「花神」や「風と雲と虹と」
や「黄金の日日」などの後だったら、あれほど騒がれなかったと思う。
特に前半は評判が良かった。
畑違いの役者の異種格闘技は昔からNHKのお家芸だし、久しぶりの大河らしい感じがした。
そのあとに現代的視点満載の娯楽に徹した「篤姫」が来たから、違和感が凄い。
水戸黄門と同じだと思えばいいのかもしれない。
120 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/25(金) 05:03:12.00 ID:S/Ra0PRb
おいらは逆に、去年が最後まで神過ぎたから、割り切って観てるよ。
思いっきり娯楽に徹してくれれば良いと。
個人的に天璋院の最後は好きだから、楽しみながら軽ーく観るよw
幕末ヲタの出番すらないと思うから
このスレは間違いなく過疎ると思うけどねw
121 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/25(金) 05:13:18.06 ID:bXC2zDVo
無血開城までで終わるのかな・・・
それとも生涯全部ドラマするのかな?
皆様どう思いますか?
後半生の方を楽しみにしてたら
将軍やめて逃げ出した所で終わった慶喜を
思い出したよ。
>>121 会見で最晩年まで演じると主役が言っているので、明治もすこしは描くだろうな。
124 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/25(金) 18:19:25.76 ID:WVbRtIzb
125 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/25(金) 21:14:51.50 ID:KDP8Qx2s
でも脚本は全部書き終わったのか?
もしまだなら変更もありえるのではないか。
もしかしたら、準主役の小松帯刀が死ぬところ(1870年)が
最終回で、終わり近くで最晩年にワープしそうな気がするな。
>>100 >篤姫と小松帯刀との関係を、宮尾登美子原作にもないラブコメ風味で描くこうと
>スタッフに提案したのは、このH先生らしいですしw
こんな釣りをまともに信じてはいけないよ。
127 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/25(金) 21:45:36.37 ID:47N9kC1g
それだと薩摩が分裂した西南戦争が描けないよ
あえてワープするか?
小松の死と密接に描くと思うよ西郷vs大久保
小松があと10年生きてたら
薩摩は2つに割れなかったと言われるし
小松、西郷、大久保の死はナレーションで解説入れる感じだろう。
まだ登場してない滝山その他の大奥メンバーのその後も説明しないといけないし。
私財を投じて女中達を援助したとか最期まで慶喜に恨みを抱いてたとかの晩年シーンと
恒例の回想シーンも入れないといけないだろうから時間が無いし、
そんなに期待しちゃいけないだろうね。
でも視聴率がこのまま健闘すれば、組!とか風鈴みたいな対応策を考えるかも。
129 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/26(土) 07:37:02.94 ID:3H3DDY77
「篤姫」では、どうして母親のお幸の方ら既婚婦人が
鉄漿もつけず、眉も剃らないで平気で過ごして居るのでしょうか?
また、島津の分家といえども万石余の今和泉家の娘が何故、
奥に居ないで、公然と家臣らのいる表に出て来て活発に動き回ったり、
侍女の一人すら連れずに男性と二人っ切りで他出したりするのですか?
台本書きがコスプレ・コメディーに徹して遊んでいるからなのでしょうか?
昔は時代劇ではお歯黒してましたけどお客さんから「気持ち悪いからやめて」という意見がきてやめたんです
そのようにご理解ください
131 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/26(土) 09:18:11.37 ID:7gXviye9
>>106 :日曜8時の名無しさん:2008/01/23(水) 16:46:10.61 ID:gfnN6/FC
>>101 >歴史の蔭では常に女性が活躍してるからこれくらい普通
超歴史ミステリーの影響か最近はこの手の妄想家が増えた
133 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/26(土) 15:56:52.22 ID:Lms86olH
>>126 NHK出版の『大河ドラマストーリー「篤姫」前編』のなかにある
宮崎おあい・瑛太・原口泉・佐野元彦の座談会のページを見てから
発言して下さい。
134 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/27(日) 06:48:28.98 ID:MMTshGQt
以前、フジテレビ「大奥」の掲示板で、
「天璋院の子孫」だ等と称する騙り者が居たが、
あの僭越な虚言者は今でも何処かの板に書き込んで居るのだろうか?
如何に無知な婦女童蒙とても見抜けるような偽りを平気で記して、
相も変わらず恥をかき散らして居るのかナッ?
135 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/27(日) 13:52:21.72 ID:V9+AZKH7
>>134 正直、この板に来たところで、
・・・・だから何?
くらいのリアクションしか貰えないだろw
134は他所でも見たしコピペだろ
>>133 曲解もいいところ。
原口教授は今まで日の当たらなかった幻の宰相といわれた男
小松帯刀をクローズアップしてもいいのではという提案をしただけ。
ラブコメ風に描くなんて一言もいってないし
同じ座談会の中でも二人は親友であって
恋愛に発展しないとはっきり書かれてあるのだから
ラブコメ風味ということすら当たらないよ。
139 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/28(月) 04:12:42.75 ID:zQgjKp2W
戦犯は脚本家か?正月の番宣で小松役の役者がラブコメ楽しみにしてくださいと言ってたな。
140 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/28(月) 05:06:40.61 ID:iMIVVAew
どうして薩摩島津家の分家の娘が現代の関東訛りの方言で喋るのですか?
また、いくら低能な「婦女童蒙」にへつらう作品だとて、今和泉家の娘が
島津藩主に向かって真っ直ぐに面を上げて、相手の眼を凝視しつつ話をする
が如き不作法な真似をさせる等、監督は何が面白いと思っているのでしょうか?
142 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/28(月) 21:51:01.14 ID:Pamz9LT9
>>138 瑛太が「ラブコメです」と明言しているんだから、出演者の意識の中では
序盤は於一と尚五郎のラブコメ。
尚五郎だけがほのかな思いを寄せている設定だからだろう。
多少コメディのように描かれるのは仕方ないのでは?
真剣な恋愛に発展しないのだから…。
昨年の似つかわしくないギャグ的台詞がちりばめられたシーンよりは
安心して見ていられるという気がしますが。
144 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/29(火) 00:24:18.42 ID:VGafLdnZ
昨年の重厚さに比べたら、今年の学芸会なんてw
史実では篤姫って将軍を2人毒殺するんだよね
そのシーンはありますか?
>>144 え、あれこそ子供歌舞伎以下の学芸会でしょ?
>>144 申し訳ないけど去年のが重厚だなんて賛成出来ません。
内野も好きな俳優ではあったけど暴走し過ぎだし、脚本家は原作破壊し過ぎ。
あんなラスト、風林火山の意味ないじゃん、全否定じゃん。
風林火山の原作自体は好きだけど、ドラマのラストはあれでいいよ。
149 :
千早城のチンチン大将:2008/01/29(火) 06:01:45.21 ID:Rv3a1KG8
ワシ風林火山の時無視されまくったチンチン大将やけど、一体ワシの質問はどないなったんや?
誰か教えてくれへんか
150 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/29(火) 11:34:37.63 ID:vsZ2qp+O
やっぱ「翔ぶが如く」と比べるとな・・・。
毎日あっちこっちにマルチ乙
去年は歴史マニアが、ドラマ内の戦国時代の年表とか、登場人物全員の年齢と戦歴と死亡原因とか
丁寧に調べて、ドラマを見る上で参考にしてね、とスレに張ってた人がいたけど、今年は誰もいないね。
ああいう手間のかかることをやる情熱もわかないドラマなのかな。
クマで大河を語るスレーも、職人さん雲隠れしちゃったし。
153 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/29(火) 13:58:14.42 ID:PTi0VaKu
劇画チック崩れ風鈴が重厚ってジョークでつか?
風鈴信者の姿
やったー、合戦だ、、殺陣だ、レイプだ、乱捕りだ、すっご〜い
>>152 オタの自己満足を煽るのがドラマのできを決めるわけじゃないし
155 :
日曜8時の名無しさん:2008/01/29(火) 21:44:51.78 ID:37iIEVca
>>152 同じ幕末物でも、「翔ぶが如く」の時代に2chがあったら、そういうことをやろうという人が現れたかも知れない。
風林火山は良くも悪くも漫画だよね。篤姫は良くも悪くも国産ドラマ
157 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/01(金) 16:58:49.94 ID:JiN65C0n
ここまで俗衆に媚び諂うが如きお粗末千万な駄作を製作するのなら、
いっそのこと「コメディー・篤姫でござる」というタイトルにする可きだったナッ!
本来ここで語られるようなネタも
本スレが過疎ってるのでそこで語られてる状況
だから伸びない
159 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/03(日) 22:01:51.56 ID:bqTN1y0r
仮にもし幕末の薩摩隼人に此の猿芝居を見せたならば、定めし
こは鹿児島・島津家中を徹底的に嘲弄・罵倒せんが為に作りしものぞ!
と怒り狂うて、台本書きをはじめ制作者など関係者一同を撫で斬りに
致した事であろうぞ。
ほんに笑止千万なる駄作を送り出すものよのう。
絶対にあり得ぬ設定、あり得ぬ言葉遣い、あり得ぬ人情・風俗を描いて
最底辺の視聴者に媚びる卑しい心様でなくては、ここまで愚劣な代物は
出来ぬであろうぞ!!!!!!!!!!!!!!
160 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/03(日) 23:30:07.22 ID:7eDeVeeS
篤姫と尚五郎、どっちが長生きするのですか?
162 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/04(月) 18:02:48.92 ID:evJ6JCWx
しつもーん
ジョン万次郎は土佐の人なのになんでとっとと帰らないで
薩摩にいたんすか?いつまでいるんすか?
大河ドラマって全何話ぐらいで完結するんですか?
事故解決しました
端的にお聞きします。
篤姫に夫婦生活はあったんでしょうか?
>>164 斉彬が米国事情に興味を持ったから。嘉永5年(1852年:斉彬襲封の翌年)には土佐に帰ります。
以下蛇足だが、琉球に嘉永四年(1851年)に米国船で到着。
当時琉球は薩摩支配下にあったためまず島津が接触した。
ここで半年程留め置かれた後、長崎に移送。翌年土佐に帰ります。
薩摩にいた間斉彬は万次郎を城内にまで呼びつけ、数十日の間外国の事情を詳しく聞きます。
この事が薩摩藩の洋式産業の振興に影響を与えたと言われています。
170 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/11(月) 10:36:20.63 ID:J+NncgDr
物語の内容とは関係ないけど、かつの母の着物のすそが長いのはなぜですか?
171 :
sage:2008/02/11(月) 20:28:29.58 ID:lhBGcGns
鹿児島人だけど、普通に面白く観てるよ。
大河初心者でも入りやすい。
歴史マニアさんたちは、今は少女(於一)視点の展開だから
小難しいことはやってくれないものと思って、しばらく我慢してくれw
(かといってヒロインが成長したらドラマも複雑になるという保証は無いが)
於一と愉快な仲間たちの設定にもウケた。いや良くやってくれたなと。
あれはあれで痛快で、かなり好きだ。
史実重視じゃ絶対出て来ない発想。
大体、史実通りでないといけないなら、同じ題材でいろんな作品作りにくいと思う。
@小松と篤姫に交流はあったの?
A家定と篤姫の関係は?
たぶんなかったでしょうね
174 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/15(金) 04:43:44.14 ID:4IQBeGZQ
都の近衛家に仕える老女・幾島が何故に関東訛りの方言で喋るのぢや?
御所言葉が遣えぬとあらば、京都に於いて肩身が狭いであろう程に。
はてさて面妖な限りぢゃて!
幾島が江戸生まれという事なぞ全く以て理由にはならぬぞゑ!
関東弁なぞ「卑しい田舎言葉」として徹底的に蔑んでいた京の都人、
それも五摂家筆頭・近衛家に仕える身となりながら、
江戸弁を直そうともしないで、禁裏近辺にて通用する筈がないではないか?!?!
明治天皇の後宮に出仕した下田歌子ですら、野暮な関東訛りなぞ断じて
遣わずして、一生懸命に京風の御所言葉を学んで、東京訛りが出ぬように
努力したというのにナッ!。 片腹痛いぞよ。
笑止千万だゼッ!!!! まったく!
もちろん大河ドラマなぞ婦女童蒙向きの大衆コメディーでしか無いコトは
百も承知なんだがナッ!!!!!!
誰ぞ釈明してみやれ!!!!!!!!!!!!!!
篤姫が歴史上に存在し、西郷に書簡を送ったこと以外は全部フィクション。
小松と大久保ともつながりはないし菊本も創作。
176 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/16(土) 14:47:25.92 ID:3yzWLdAi
>>174 幾島は、近衛忠煕室であった島津斉彬の姉・郁姫(興子)付きの女中で、
郁姫亡き後も近衛家にとどまった、という設定。
(興子は正しくは斉彬の伯母で斉彬の父の養女になった)。
つまり、幾島は島津家女中の出身。
興子の母が誰かはちょっと調べてないが、
島津江戸屋敷におかれていた正室・側室の娘ならば、
幾島が江戸生まれであってもおかしくない。
どちらにせよ幾島は都の公家の出身ではない。
>>176 ホモ吉は幾島の出自や経歴について、
ちゃんとわかってるみたいだしw
色々な板に、スレに、同じこと書き込んでるから
もういちいち反応することもないかと。
178 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/18(月) 02:48:49.00 ID:owWsuefE
肝付家子息とやらが前日の宵に祝いを届ける為に唐突に訪ねて来るシーンが
あったかと思うが、薩藩に於いてはかかる非礼が作法であったのかゑ?
如何に辺境の地とは雖も、さてもさても片腹痛き限りぢゃのう!
嗤っちまったゼッ!!!!
176〜177の超ド変態ド白痴どもは向後一切黙して居れーイッ!!1
よいな!
179 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/18(月) 03:00:06.10 ID:owWsuefE
娘を送り出した今和泉家の玄関に残ったのは当主家族だけで
使用人が誰も式台の脇下に控えても居ないのは何故ぢや?
此の屋敷には息女を見送る家臣などは誰一人居らぬというのかゑ?
ホームドラマだから家族以外の人間は存在せぬのだナッ!
滑稽至極ぢゃのう!!!
180 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/18(月) 05:08:54.60 ID:llcl0xRN
181 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/18(月) 12:07:47.68 ID:4dSv4kTz
>>175 >西郷に書簡を送ったこと
それも使者が出発する2日前に勝海舟が駿府に派遣した山岡鉄舟と西郷で
無血開城の打合せを始めているので、この時点で既に西郷は江戸を攻撃する気がなく
篤姫のやったことは歴史的にもほとんど無意味
182 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/18(月) 13:17:07.53 ID:hFg2guMW
庭田嗣子の役、73歳の中村メイコがやるそうだけど、
メイコと100歳ちがいの1834年生まれってことは、
和宮降嫁のときには、まだ30前だぞ。
なんかおかしくないか?
去年も20代の管領様を60代の歌舞伎役者の重鎮がやったし(義経で金売り吉次の人)
大河では当たり前の事。
中村メイコは徹子の部屋やスタバに出てたけど、ドラマで見れるのがうれしいからOK。
>>183 おおウッドベキアだな。
>歌舞伎界の重鎮 www
高島屋を>歌舞伎界の重鎮 なんてのは大いなる勘違いだぞ。
>大河では当たり前のこと
アンタさ、大河は「風林火山」からみ始めてるんじゃないの?
185 :
162:2008/02/21(木) 11:06:46.31 ID:LmbBp+Vt
>>168 おお!お答えが返ってきていた。
とても丁寧な回答ありがとうございました。
よくわかりました。
一旦土佐に帰国した後も薩摩や幕府に招かれて色々指導してるよな。>ジョン万
ジョン万次郎ってすげーなー、頭良かったんだねーといっつも思う。
漁師の倅で14で遭難して助けられて、そりゃいろんな人の援助はあっただろうが
それで、日本を左右させるあれだけの知識を蓄えて指導出来たんだからなあ。
私なんぞ遭難して助けられても、食うや食わず生きてるだけで精一杯だよきっと。
斉彬&阿部ちゃんが、軍艦を作りたい理由と
江守徹の考え(攘夷)の関連性がわからなかったので
教えて下さい。
>>188 斉彬からすると、自藩のためにも日本全体のためにも蒸気軍艦を作って欧米に備えたい
しかし、それまで諸藩が大船を建造するのは禁止されていた。
特に外様の薩摩が蒸気船作りたいというと警戒される。
その一方で水戸の斉昭は攘夷主張だが、海防(攘夷)のために海軍力が必要だと言うことは認識していた
だから、斉彬は外様への警戒心を起こさせずに斉昭に後押しをしてもらおうと阿部と一芝居うった
ってのがドラマ上での流れ。
ドラマじゃ薩摩が蒸気船作るのがはばかられることを説明してなかったから
斉彬と小松がなんで喜んでるのかわかりにくかったところがあると思う
>>189 >薩摩が蒸気船作るのがはばかられることを説明してなかった
「幕府によって禁止されてる」ってせりふがあったと思う。
191 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/23(土) 15:11:56.71 ID:t9fmQMzP
流行らないな。去年だったら今頃はそろそろpart2に移行する頃じゃね?
193 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/23(土) 19:10:17.46 ID:4AwVXH1o
>>182 やっぱり30前の女の役を70代の老婆に演じさせるのは違和感がある。
わざわざ年齢設定を改変(というか改竄)する理由が理解できない。
メイコを出したいなら、年相応の他の役で出せばいいのに。
>>187 こないだ民放で、日本に初めてミシンを伝えたのも彼だと言ってた。
195 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/24(日) 12:53:49.58 ID:3MtP5p0z
>>187 しかし明治維新後は目立った活躍が無いんだよな
間違いなく近代化の起爆剤の導火線になった人だけど
爆弾そのものでは無かったという感じかな
196 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/24(日) 18:51:18.21 ID:h6C6QI3T
>>195 所詮、土佐の漁師だからな。
それにジョン万自身はノンポリの技術屋であって、革命家でも政治家でもないし。
幕府の旗本に取り立てられた為
新政府に敬遠されたことがある。
後、通訳が得意で当時の技術を良く見知っていたが
日本での読み書きの素養が無かった為
今の単に海外で育った帰国子女と同じで
英語の聞き取り・会話はできても、
難しい文章を把握して正しい日本語の文章(文語)
に訳せなかった。
198 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/24(日) 22:18:55.63 ID:c4JYtmPq
大変歴史オンチな質問でスマン
お城の女性の「広川」「高山」「幾島」などの名前は自分の出た家の名字なの?
それともお城に入ったときに貰う名前?
>>198 江戸城大奥や他の武家屋敷でもそうだと思うが、
原則、実名や本名で御殿奉公はしない。
>>198 うる覚えだが、本名は名乗らないので、大奥取締役とかに名前を付けてもらう。
名前によってその女中の格式が分かるようになっている。
例えば「ひろかわ」とか「きくもと」みたいに格の高い女中は必ず4文字(3文字の場合もあり)。
「しの」のように2文字の人はそれほど格は高くない(といっても低すぎるわけでもない)。
頭に「お」が付く女性は格が低いかな。「おね」とか「おとみ」とか「おたま」とか。
あまり参考にならなくてすんません。
それから余談だけど、誤解のないようにちょっと書いておくが、
大奥というのは将軍家のみに使われる。
大名家などのそれは「中奥」という。
でも今回番組の冒頭で、島津家にも「大奥」があったよね。
そのあたりが疑問なので分かる人がいたら教えてください。
>199 >200
ありがとうございます、やはり本名じゃないのか。
女性の名前で4文字というのは最近は一般的じゃないし名字かなと
思ってしまった。
山とか滝とか自然のもの、風景というか絵としてイメージしやすいような
雰囲気のある名前をつけるんだな。
>>201 まず他の大名家と、島津家の違い。
上臈や御年寄(大名家では老女)と言う役職があること。
表使と御右筆の両方があること、呉服の間があること。
世子の生母を「御内証」と呼ぶこと。
類例としては、御三家や、加賀藩、仙台藩があげられる。
その理由として考えられるのは、家門譜代外様、藩の大小ではなく、
将軍家、奥との緊密さにあるらしい。
例えば、加賀藩は将軍家の娘を二度正室に迎えているし、
仙台藩は将軍家の娘を二人、養女に迎えている。
島津家も五代将軍綱吉の娘、竹姫が島津家に輿入れしているし、
重豪の娘、茂姫が11代将軍に嫁いでいるから、江戸城大奥の影響が
あってもおかしくないと思う。
大奥の女性って、結婚しないんですか?
する人も居るししない人も居るししてる人も居る
206 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/25(月) 23:24:13.17 ID:Bfy/Ejbe
大奥の女性って普段何してるんでしょうか
姫教育にあんなに必要ないと思うんですが
あと、大奥にリストラはありますか
将軍吉宗が美人ばかり選んでリストラしたという話は
よく聞く。
208 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/26(火) 09:04:32.76 ID:7Owiu/X9
春日局は夫と離縁して大奥入りした様な
>>204 大奥の女性は盆と正月などしか里へ帰ることが許されなかった。
一方、大奥に入ることのできる成人男性は将軍のみ。
必然的に多くの女性は将軍の手がつかなければ独身ということに。
ただ、未亡人や離婚経験者はいた模様。
210 :
209:2008/02/27(水) 16:34:30.28 ID:q0YNajRr
追加
お目見え以下の女中では、結婚のための行儀見習いとして来ている者もいた。
実際、寿退社していく女中たちも大勢いたらしい。
ただ、将軍の手が一度でもつくとそういうわけにもいかなくなる。
という話をドラマ大奥でもやっていたな。
上のほうの女中になると、御台所について京からやってきた公家出身の高級女中であったり、
あるいは下から出世してあがってきた女中たちということになり、
一生独身を貫く女中が少なくなかった。
211 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/27(水) 21:31:40.58 ID:0jwG1gbz
>>165 すっごい亀レスですが、ドラマ上ではLOVEを作るそうです(by脚本家)
宮崎あおいと脚本家で篤姫に女としての幸せを味あわせてあげたい、と
いうことを思っているそうな。
212 :
日曜8時の名無しさん:2008/02/28(木) 12:25:42.31 ID:NR5hN3V7
幾島局は近衛家老女として登場する場面では
落飾して得浄院とかいう院号を称していた筈。
それなのに何故に大河では薙髪して居ないのですか?
>>201 亀レスだけど今日地元NHK鹿児島で放送された
篤姫コーナーで鶴丸城の古い絵地図が出てきて大奥がちゃんと記されていた。
江戸ばかりでなく薩摩でも大奥と言っていたんだね。
結構広そうな感じだったね。
篤姫の乳母が自害しましたけど
あのくだりがよくわかりません。
忠義のように言われてましたが、祝い事の前に
主君の家で死ぬなんて考えが理解できませんし
あの家の人も迷惑ぎみにいっていましたし
何で死ぬことが姫のためになるのか、当時の忠義の価値観を踏まえて
どなたか説明してもらえませんか?
篤姫は斉彬の子女たちとは交流があったのでしょうか?
216 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/02(日) 21:25:37.42 ID:dVhKP5D+
すごく初歩的な質問すいません。
今和泉島津家の「今和泉」はどういう意味なのでしょうか。
今和泉さんて人が後に島津の名字をもらったんですか?
>>216 4代藩主島津忠宗の次男忠氏が和泉庄(今の出水市)を譲り受けて
和泉氏を称したがのちに5代目までで断絶していた。
その300年後に島津22代藩主継豊が弟忠郷に和泉家を再興させ
以後、今の和泉家ということで今和泉家ってことになったらしい。
でも、苗字はあくまでも島津だけど。
>>216 よく、田舎でいう「屋号」のようなものではないでしょうか。
田舎では、同じ苗字の人がいっぱいなので、その人のことを、地名やほかの名前、もしくは祖先の名前で読んだりします。
「今和泉」は、指宿市の北部の地域名みたいなので、同じ「島津」ですが、おかつの実家は今和泉なので、
「今和泉」って言われているのではないのでしょうか。
ところで、私の友人の嫁ぎ先は、屋号が「正五郎」というそうです。
回覧板なんかまわして、「ああ、正五郎の嫁さんだぞ」とか言われると言っていました。
>>216 島津さん、だと本家と分家合わせるとたくさんいるので、
区別するために分家には、それぞれ別の名前をつけてる。
今和泉島津家も分家ですが、苗字は普通に島津さんですよ。
それから今和泉は、領地のあった地名から。
220 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/02(日) 21:56:13.31 ID:yDOGH+Mi
>>214 原作者が別件の事件を元にこさえたフィクションで、
インパクトのあるエピソードながら、歴史的事実も背景もございません。
>>215 なかったわけではないでしょう。年は離れすぎていますが。
>>216 島津4代忠宗(1251-1325)の子忠氏が和泉家を興す。
↓
5代和泉直久が伊集院頼久・島津久林(1412-1430)と戦い討死。嫡流途絶える。
↓
1744年、島津継豊(1702-1760)が弟忠郷に和泉家の跡を継がせ、今の和泉(出水)家→今和泉家となる
↓
1825年、今和泉家島津忠喬の養子に島津忠剛(1806-1854,島津斉宣の七男)入る
↓
1836年、一人娘のお一うまれる。
>>220 島津忠剛は斉彬からみると叔父なんだね。
つまり斉彬と篤姫はいとこ同士か。
>>220 そうですね。同じ藩邸で過ごした時期あるかもしれないから全く交流がないわけないと思いますが、逸話とか文献に残ってれば面白いのになぁ。
篤姫は薩摩時代にドラマのような着付けを実際にしてたのでしょうか?斉彬実子たちは本家の姫でありながらラフに随分着くずした着付けですが…
鶴丸城は、いつ誰が壊したの?
>>222 >斉彬実子たちは
それは尚古集成館蔵の、斉彬が撮った三息女の写真のことを
指しているのだと思うけれど、
きっちりした着付けにするのは、もう映像のお約束。
時代劇のお決まりだと思ったほうが良い。
>>222 実際の江戸時代の着物の着方は
今の着付けとは全然違うよ。
着物を着たことがあればわかるだろうけど
あんな苦しい着方で日々をすごすのは拷問。
当時は帯もゆるくて楽な着方が主流で
髪型も今の時代劇のハンコと違い何十種類もあって
いろんなおしゃれをしてた。
日本史板で斉彬の子女は絣の質素な着物を着てかんざしも挿してない
と言ってたのが、その写真なのかな?
鶴松城もナレーションで質素な造りと紹介していたし、質実剛健で男尊女卑で
軍事優先の薩摩のお国柄が感じられる。
ドラマは篤姫が江戸無血開城のとき書状を送ったこと意外ほとんどフィクション
だから、日本の貴族はロシアのエカテリィーナ女帝やイギリスのエリザベス女王などと
比べるとほんとに質素で地味だね。
戦前でも天皇の皇女の身に着ける宝石が質素で、中国軍閥の婦人のよりも劣っていたと
書いた手記を読んだことがある。堅実な家風だと誉めていたが。
227 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/04(火) 08:12:50.48 ID:n1ZmWKOb
江戸時代の日本の「貴族階級」は位は高くても
実際は極貧生活で農家の庄屋の方がよっぽど恵まれていた
と聞いたことがあるな
228 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/04(火) 12:41:05.99 ID:TNvjV9wX
>>214 原作だと、
菊本自身が「自分のような身分の低いものが乳母という事実を、
自害することで、抹消してほしかった」
みたいな・・・
229 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/04(火) 15:11:55.67 ID:eeRArmNq
名前なんですが、
一(かつ)→敬子→篤子
と
一(かつ)→篤子→敬子
と2通りありますがどちらが正しいの?
混乱してまいりまする。
於一の兄貴が「身分の低い者」「身分の低い者」と西郷や大久保を
蔑んでいるけど、10数年後は、立場逆転するんだから
おもしろいよなあ。戦国時代でいえば、まさに下克上。
西郷、大久保は、明治維新政府の元勲。
島津家や徳川家よりも上に立つ。 廃藩置県で幕藩体制そのものがなくなる。
於一の兄貴はその頃をなにをしていたのだろうか。
>>229 一子→篤子→敬子が正しい。
敬子になったのは、近衛家の養女となった時。
ただし、同時に君号は「篤君」となった。
婚礼後の篤姫の手紙などは、「敬子」と書されている。
>>193 ギャラとネームバリューの兼合いじゃないか?
高橋、松坂、平などの超有名所と、流行りの若手に支払うと他の役者や脚本家に割ける予算がほとんどない。
同じギャラ払うなら無名の歳相応の役者より、役作りは無視してもネームバリューのある人の方が視聴率はとれるだろう。
中村メイコさんのギャラがなんぼか知らんけど。
相対的に大河のギャラは安いらしいが、若手には大河出演の箔がつくから、安いギャラでも請けたらしいけどね…昔は。
233 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/05(水) 15:31:37.00 ID:GQdXV7/K
>>231 ご教授感謝です。
宮尾先生の「天璋院篤姫」では
実父から「成人名 敬子」名を改めてる場面がありました。
小説は間違いですか?
小説の題材や設定に、あからさまに「間違い」って言葉は用いづらいな。
>>233 まず、宮尾本は歴史書ではなく『小説』
史実と小説は違う。
宮尾先生が「天璋院篤姫」を執筆した頃は、(昭和五十八年二月)は
まだ、鹿児島県の黎明館が発足しておらず(昭和五十八年八月会館)
今よりも史料の閲覧が、困難な時代だったらしい。
当時は篤姫研究もほとんどされておらず、その中で宮尾先生は
出来うる限りの調査は行っているとのこと。
なお、家臣たちは斉彬の養女になってからは「篤姫様」と呼び、
篤姫が渋谷の藩邸を出てからは「姫君様」と呼び(これは江戸城からの指示)
婚礼終了と同時に「後台様」と呼ぶようになったとのこと。
篤姫が人気が出てきたのは、小説やTVドラマの影響で
大久保さんと同じで、地元ですらほとんどの人が認知してなかった偉人だしね
実は凄いことをしていたと見直されてきたのは最近だと思う。
大久保さんの若い人への認知度は漫画の影響が大きいだろうし
つか甲東公は二昔前までは悪人というか嫌われ役だったのでは
凄い人なのは日本史や幕末史をかじっていれば誰でもわかる
今後評価が上がりそうなのは久光と小松
株なら今が買い時だなw
238 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/06(木) 16:34:06.52 ID:UNOQx1aq
>>234 それは十分分かってます。
性格やそのときに合った気持ちなんかは
誰にも分かる訳ないし想像でかかれるのは勿論だと思います。
ただある程度資料に残ってそうな事だったので
別の説があったのかと思ったまでです。
>>235 またまた、ご教授感謝です。
資料閲覧が困難な中あれだけの物をかかれるとは
小説家ってすごいですね。
239 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/08(土) 20:36:02.33 ID:8f3FB/fc
島津斉彬についてですが、藩主の時は、従四位上・中将だったのに、
明治になり、累進を重ね、ついに正一位になっています。死後、
これだけの昇進を果たした人は過去に例がなかったと思いますが、
どのような背景があったのでしょうか?
240 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/08(土) 23:13:49.93 ID:Cpe2BpN1
大河収録しながら映画も撮影なんて大変だなぁ。体もつんですかね。
242 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/09(日) 04:51:52.34 ID:F88Aoznb
老女の名前について質問します
菊本・幾島・広川とすべて苗字の気がするのですが『名』の部分はなかったのでしょうか?
しのの場合は名前だと思うのですが
身分の高い女性は出自を明らかにするために苗字の部分で呼ばれたのでしょうか?
もしくは出仕した場合別の名前を拝領したということなのでしょうか?
243 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/09(日) 08:34:51.05 ID:p1+bTlpK
244 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/09(日) 11:23:37.81 ID:8HkzOEvw
本人乙!!
>>244 何が本人なんだ?あおい自身だとでも言いたいのかw
苗字みたいなのは簡単に言えば会社名みたいなものだと推測するが。
会社名には苗字・名前という概念がない。
247 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/09(日) 12:03:53.65 ID:TtO5is02
>>242 菊本とか広川とか幾島というのは、ホステスの源氏名みたいなもの。
本名ではない。
248 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/09(日) 18:45:19.94 ID:ydiLIPMo
篤姫ヤリマン説は本当ですか?
そんなレスして恥ずかしくないか?
250 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/09(日) 23:23:23.30 ID:jiHGtSQz
江戸無血開城について詳しくおねがいします
251 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/10(月) 08:46:01.24 ID:b5TV8yBr
今回の「篤姫」で養父たる島津家当主の殿様が
篤姫の居室に入って来た時に、なぜ養女の姫は
すぐに上座を殿様に譲らずに、平気で座って居たのですか?
この姫は作法を知らないという設定だからでしょうか?
252 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/10(月) 08:50:06.30 ID:ViELPUfo
253 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/10(月) 11:26:24.01 ID:v9q13f8m
>>251 あれは俺も気になったw
ハラハラしてドラマどころじゃなかったな。
次のシーンで島津公が上座に直ってるのを見て一安心。
理由については…測りしれんねぇ。酷過ぎて。
まあ不出来な姫を強調しようとしてやり過ぎたか、
端から時代考証や所作指導が入ってないか。
高橋が上座までづかづか歩いて来ても、頭下げてるとはいえ動く気配すらなかったもんな篤姫。
下手すりゃ手討ちだなw
255 :
千早城のチンチン大将:2008/03/10(月) 17:34:57.43 ID:U46wlV40
ワシの風林火山の時の質問がいまだにスルーされとるんやが、一体全体誰が答えてくれるんや?
256 :
千早城のチンチン大将:2008/03/10(月) 19:59:45.99 ID:U46wlV40
信長役の俳優って誰やったんや?って質問やけど
>>254 フォーマルな会見ならいざ知らず、気軽に「おい、お篤や、いるか?じゃまするぞ」
という感じで入ってきたからあれでいいんじゃない?
そうではなくて「お篤、そなたに申し渡しておくことがある。そこへ座れ」
という感じだったら上座を譲るべきだとは思うけど。
>>257 まあこの篤姫なら(どうでも)いいんじゃね。
考証とか所作とかよりコント優先らしいからw
260 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/10(月) 23:07:03.57 ID:qMSuMvqf
>>257 それはおかしい。
おかしいとわかった上で、篤姫はこれで問題無い世界なんだな
ぐらいに思ったほうが・・・
まぁ身についてないんだって表現なのかなとは思ってた。
>>260 ありがとうw
そう言いたかったんだが、萎えてしまったんだ。
262 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/10(月) 23:15:02.12 ID:qMSuMvqf
>>261 でも、言わせて貰うと、今和泉家は分家で、父は前々藩主の息子という
素晴らしい家柄なのに全く躾がなってないということにもなる。
視聴者に近い雰囲気を出したいんだろうけど・・・・
>>262 まあなw
だが、このドラマの場合躾以前な気がする。
おそらく、目上に上座を譲るとか、城内で走らないwとか箸の使い方だの武家の一人娘としての心構えなんて
この時代普通の武家で育ったら、例え下級武士の娘でも自然に身につくもんだと思うよ。
その「普通」とか「自然」を無視して無理矢理ストーリーを解らせようとするから
普通の時代劇のつもりで観てると頭が?だらけになるんじゃね?
今の篤姫じゃまるで町娘を引っ張ってきたみたいじゃないかw
昔、本で家定公が料理が趣味だったって言うのを読んだ。
一体どんな格好で料理をしていたのだろうか。
袴姿でたすきがけ、前掛けをしていたのだろうか。
なんて考えていたら、将軍様のご飯て誰が作っていたんだろうという疑問が。
町人?それとも一応武士?
だれか知りませんか。
265 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/11(火) 08:48:06.01 ID:Y/+DHXin
266 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/11(火) 09:07:09.22 ID:l0+BynpY
>>264 家定公の趣味はカステラ作り。
将軍様のごはんをだれが作っていたか?
それは勿論、炊事担当の御末なんかが作っていたわけですが。
町人や武士が片手間にできるわけでなし、
将軍家に正式雇用された専属の者がいたわけです。
御末の出身といえば様々ですが、
御目見え以下ですので大した身分の者ではありません。
267 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/11(火) 09:32:55.82 ID:1ac6TZ9a
>将軍様のごはんをだれが作っていたか?
>それは勿論、炊事担当の御末なんかが作っていたわけですが。
宮廷女官チャングムの誓いじゃなくて、
江戸城御末……いえ、なんでもありません。ごめんなさいー!!
将軍は中奥に普段は小姓と居て、身の回りの世話も風呂も食事も男の家臣が
手取り足取り細々と全部面倒を見て、大奥にはお世継ぎ作る義務のときだけ通ったらしい。
普段の就寝も小姓が足元の布団に寝て独り寝が普通でスケジュールがびっしりで
大変だったらしい。
食事しながら髪を結ってもらい顔をそってもらい、男料理人が作った食事も冷めていて
酒もまずかったらしい。賄いの家臣たちは残り物をもらって家に持ち帰ったらしい。
何人も毒見してるうちに料理が冷めちゃってるのと
熱いものは身体に良くないといって食べさせなかったんだっけ?
仕方が無いとはいえ味気ない話だよね
大奥に入り浸っていたという人もいるわけだけどね。
子沢山の将軍はそうだが、幕末の頃は、将軍の命日とかは駄目とか
決まりがやかましくなって、月の半分も行けなくなり、大奥ではお年寄り連中が
煙たくて、しきたりもやかましく、気が休まる事がなかったそうだ。
家定と家茂は短命で跡継ぎなしで、慶喜は大奥には正妻を入れず自分も寄り付かなかった。
最後、鳥羽伏見の敗戦から軍艦で逃げ帰ったとき、徳川家延命の命乞いを頼みに
和宮や篤姫に新政府への橋渡しを嘆願したとき大奥に来たくらいだ。
大奥って最初の設立当時の理念はともかく
ほとんど幕府のお荷物、やっかいもの状態だったしね。
国家予算の四分の一も消費してるなんて、現代から見るとアフォすぎるハーレムだよ。
しかも肝心の御台所や側室以上に、お年寄りや役職の贅沢三昧の浪費が酷くて
撤廃するわけにいかなかったのはわかるけど、
よくもあんなのを続けさせていたなと感心する。
>>272 まあ、大概、権力者や金持ちの金や労力のかけ方なんて生活レベルからしたらアフォなもんだしな
それが後世には文化財となるから皮肉なもんだけど
>>272 その辺は平安時代の大内裏もそんな感じだったような…
中宮や国母(天皇の生母)にまで上り詰めれば女性の方が地位が高かった
権力が集中して継嗣問題が出てくると子供生める女は強いよね
日本人自身が自分自身の手で大奥に終止符をうったのは賢明だった。
似たような組織の清朝の宦官が支配するハーレムや李氏朝鮮のハーレム
トルコの奴隷宦官長が支配するハーレムなどがアジアに存在したけど
政権末期に国家の足かせになって悲惨な終末になった。
外国人女性研究家が、それぞれを比較研究してる本を読んだが、イスラムのハーレムでも
王が幼少のときは母親が政治を支配する事もあったらしい。
懸命もなにも、西洋の真似をするのが精一杯。
西洋では一夫一婦制だから大奥というより天皇だから内裏を
大々的に復帰させては未開の国の人と思われかねず。
でも、愛人がいたり浮気は男の甲斐性なんていったり
今とは前々違うのは確か。
西洋も神様に誓いを立てて一夫一婦制をうたってたわりに
夫婦それぞれ愛人囲ってたりが公然の秘密の時代もあったけどね
しかも英国王室なんか皇太子がつい最近までその手の大きな騒動起こしてた
ついには後妻にしちゃったし…とスレ違いだなスマソ
>>278 でも公式には認めてないよ。
側室という位はない。
勿論第二夫人も。
だから日本で公式に認められる側室は、西洋では「愛人」なわけで。
でも西洋でいう「愛人」は、日本で同じ言葉をみて受ける印象とは別物だよ
適訳がないからその言葉をはめただけで。
結婚したら離婚できない宗教的な背景で
当時から結婚しないで夫婦生活を送るのが根付いた
公然の社会だから
さすがに現代では国のシンボルがそれでは
国民の建前の倫理の顔をつぶすからいい顔はされないけれど
都の近衛家に仕える老女・幾島が何故に関東訛りの方言で喋るのぢや?
御所言葉が遣えぬとあらば、京都に於いて肩身が狭いであろうに。
はてさて面妖な限りぢゃて!
もちろん大河ドラマなぞ婦女童蒙向きの大衆コメディーでしか無いコトは
百も承知なんだがナッ!!!!!!
282 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/13(木) 10:46:58.84 ID:PPW2EVg2
>>280 昭和天皇の時代まで、後継ぎを産ませるために
正妻以外の女性を天皇に宛うシステムがあったらしいな。
昭和天皇は拒否ったらしいが。
質問。家定も家茂も、亡くなってから葬儀まで最低でも一ヶ月は間があったらしいが、
冷凍保存も無理な当時、一体どうやって一ヶ月以上も遺体を保ってたんだろう。
原作では「朱」に埋めて…とあったが、朱とは朱肉の事かな。
朱肉に防腐効果があるのかな?
家茂が亡くなって一ヶ月後に遺体を見た篤姫が、顔が黒いから毒殺!と思うシーンがあるが
腐ってたんじゃね?と思ってしまった。
>>282 朱ってのは水銀朱ですね。丹(たん)ともいいます。
水銀を含む鉱物(泥状)で昔から高貴な人の遺体を埋めるのに使いました。
昔は不老不死の薬といわれていたものです。
>>283 ありがとうございます。
そうすると朱肉に埋まってた訳じゃないんですねw
朱肉に埋まった一ヶ月経過の真っ黒な顔の遺体って
なんとグロいのかと思ってました。
水銀という事は、これまた劇薬というか毒そのものですが
防腐効果はあったんですかね?
細菌も住めないだろうからあったのかもしれませんね。
匂いとか、結構生々しく想像しちゃうんですが…
何れにせよ、高貴な方限定という事は、水銀自体高価な物なんですね。
今も皇室とかじゃやってるのかな。
環境汚染になるから無理かな。
>>282 家定は知らんが家茂の場合はの戦陣の大阪城で病死したから
当時は遺体を江戸に運ぶのに塩漬けという話も聞いたことがある
現代のように現地で火葬にするわけにもいかなかっただろうし
腐食の激しい夏場に亡くなってるから大変だったろうね
286 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/13(木) 14:58:22.29 ID:HJFS63tO
>>277 内裏といっても、日本の場合は平安京の大内裏が天皇の日常の住居として
使われていたのは結局、平安の前半期だけで、時代が下れば里内裏が
当たり前のようになるからな。
287 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/13(木) 15:04:52.70 ID:HJFS63tO
>>280 「愛妾」って訳されることも多いな。
>>282 その前に大正天皇にも貞明皇后以外の配偶者はいなかった。
ただ大正天皇の場合は、昭和天皇をはじめ皇位継承権を有する皇子が次々と
4人も生まれたために、側室を儲ける必要性がなかった。
その後、昭和天皇は子供が4人続けて内親王だったため、周囲は側室を
おくように勧めるも天皇本人が拒否し、5人目にして漸く今上陛下が生まれた。
皇族にとっての一番重要な仕事は、後世に皇室の血を伝えることだと考えれば、
近代以降の皇后のなかでは、男子ばかり4人も生んだ貞明皇后が一番優秀と
いうことになる。
288 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/13(木) 15:13:27.97 ID:+YAR9IXJ
>>285 確かに死亡した季節は大きいな。
例えば平泉の奥州藤原3代のミイラとかも、実際には夏場に死んだ清衡だけ
他の2人よりかなり劣化が激しいっていうし。
>>287 スレチだけど、しかしその視野って可哀想だ。
雅子さんも立派に女の子を産んで育ててるのに
男が埋めない皇太子の嫁は役立たずと見る人がいて
もう日本もそろそろ現天皇家の皇太子の直系なら男女問わず
天皇になれるようにすればいいのにと思う。
皇太子にちゃんと子供がいるのに
弟の子供に皇位が行くのは、複雑だろう。
女性に宮家が作れるとなると予算の面があれなんだろうけども…
まあ男系の血筋の宮さんを婿に取れば
丸く治まる話だと思うが。
質問なのですが奥入りする前に篤姫が慕っていた人が
篤姫@菅野美穂の大奥だと小松帯刀ではなく別の薩摩武士になっていました。
実際の史実ではどうなのか教えてください。
それともどっちも挿話で奥入り前に慕っていた人などいないのでしょうか?
もう一つ、これまた篤姫@菅野美穂だと奥入り後も篤姫は薩摩言葉が抜けていないし、
食事の作法などもガサツなのですが実際にはどうだったのでしょうか?
実際の史実では奥入り前に幾島に作法を学んだりしたのでしょうか?
最後にもう一つ。
これまた篤姫@菅野美穂なのですがお世継ぎを作らせないために
瀧山に避妊薬?を飲まされていました。
大河ではまだの話ですが実際の史実でもお世継ぎを作らせないために毒をもったり、
毒をもらないまでもお世継ぎを作らせたくないという思想などはあったのでしょうか?
ただ単純に御代所が子宝に恵まれなかっただけなのでしょうか?
ご教授よろしくお願いします。
娯楽ドラマお台場大奥に史実を求めているのは釣りですか?
真面目に聞いているのですか?
>>292 真面目な質問です。
どちらも脚色はあるでしょうが…。
大河の方が史実に近いのだろうとは思うのですが。
小松帯刀が実在の人物と最近知って篤姫との実際の関係が気になり始めたのがきっかけで
そのうちに篤姫@菅野美穂の大奥と両方で疑問が生まれてきたので。
>>293 本スレでしょっちゅう話が出てるけど、
普通に考えて嫁入り前の姫が
若い男とつるんで歩いたり、親しくなったりしません。
政略の道具ですからね。
篤姫とはお友達ではないのでどういう人なのか問われれば
わからないとしか言いようが無いけど普通に考えて
良家の姫君がなんの心得もなく大奥に正妻としてあがるかな?と。
避妊薬は噂としてはあるけど事実関係は確認できません。
というわけで、申し訳ありませんが菅野篤姫は見てません。
お台場大奥は第一章の春日が病床に御台所を呼びつけて
説教たれるという失礼な事をしているのを見て脱落しました。
>>294 ありがとうございます。
避妊薬の話は説としてはあるんですね。
大河で世継ぎが生まれない件がどう説明されるのか楽しみです。
さらっとただ単純に生まれないとなるのかもしれませんが…。
現実的に姫君が若い男とつるむことは考えがたいのですね…。
ということは大河で描かれているように篤姫が大久保など
幕末に活躍する薩摩の志士とあんなに親しかったわけではないのでしょうか?
でも江戸城開放の手引きなど薩摩の志士に篤姫は力添えをするんですよね?
薩摩の志士たちと面識くらいはあったのでしょうか?
>>295 薩摩志士と篤姫との実際の関係性は
身分制度の厳しかったあの時代に特に親しかったことはまずありえない
面識が出来たのは江戸城開場問題が具体的になってきてからだよ
初歩的な事をそんだけ細かくアレコレ質問しまくりなら
ココのスレを最初からちゃんと見直すか
自分できっちり文献等を読んだ方が良いと思うよ
それと民放ドラマ(直近ではフジ)の大奥は時代劇とは名ばかりの内容。
アレを間に受けて史実だと思わないように。
>>291 篤姫は、無血開城やその後の記録を見ると
面倒見が良く、人の世話をかき頼れる人だったそうだから
大河よりも、菅野美穂が演じた自立してる女のほうがイメージ的には近いけど
ドラマはどちらもほとんどフィクションだと割り切る方がいい
徳川家の姫でもそうだけど、嫡子と違い
無名のお姫様の人間性まで記録に残すような習慣は日本にはないし
正室になってからの記録を元に想像するしかないと思う。
薩摩言葉はしゃべってなかったと思う。
親元の大名家が笑われない程度は教育されてるだろうし
無作法や教養がない人を、そもそも選抜して嫁がせない。
慕っていた人が居たかどうかはわからない。
あの当時の良家の姫なら、親同士が決めたいいなづけが居ただろうと思うほうが自然
>>296 ありがとうございます。
幕末の志士たちとずっと以前から面識があったわけではないんですね。
大河を見てると篤姫の周りに歴史に名を残す志士たちが
集っていたので凄いなぁと思っていたのですが。
興味あるので色々と本を読んだりして勉強してみようと思います。
>>297 ありがとうございます。
人間性ほか細かいことまで記述したものはあまり書かれていないものなのですね…。
幕末あたりだとけっこう色々残していそうなイメージだったので意外でした。
299 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/13(木) 23:43:50.58 ID:J4p2FPyv
>>289 スレ違いと分かっているなら、そういう話をするな。
不愉快だ
>>298 篤姫スレは歴史に詳しい人が少ないから
色々調べれば半年も経たずに解説員にまわれるよ。
がんばって。
>>296 江戸城開城問題が具体的になってから
というより開城後じゃないのかな?
江戸城出るまでは使いは出しても本人は外に出ないから。
302 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/13(木) 23:52:21.13 ID:J4p2FPyv
色々調べれば・・・って、孫引きを推奨してどうするw
ID:NR3DaBGVは悪い意味で本スレで有名な人だから
>>289 雅子妃は日本の皇位継承法が男系男子に限られていることを知らずに皇室に嫁いだわけじゃないだろう。
別に皇子が生まれないからといっては雅子妃を責めるのはいただけないが、皇子が生まれない以上は皇位が別系に移るのは仕方がない。
それに皇室じゃなくたって、日本の一般的な旧家で、男子の継承者がいるにも関わらず、それを差し置いて女系に継承させるということは、普通ではないだろう。
305 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/14(金) 08:40:44.65 ID:ziVS+86T
306 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/14(金) 08:42:48.33 ID:ziVS+86T
女が皇位継承ができなくなったのは明治時代にできた法律のせい。
古代には女帝がたくさんいたし、江戸時代にも女性の天皇はいた。
制度を元に戻せば無問題。
>>279 ヨーロッパの王室にも側室というか公妾はいました。
「寵姫」といって正式にお披露目もして王妃の次の立場でした。
ほとんどが貴族の姫ですが、庶民で寵姫になった人もあります。
有名な人ではルイ15世のポンパドール夫人・デュバリュー夫人です。
寵姫の子供は庶子ですから、継承権はありません。
でも爵位は与えられました。
イギリスのチャールズ2世には庶子は12人?いたそうですが
嫡子はいなかったので、王位は弟のジェームス2世に移りました。
ダイアナ元妃はチャールズ2世の庶子3人と、ジェームス2世の庶子1人の
血を継いでるそうです。
西洋の寵妃の庶子は継承権は無いが、日本の側室の庶子は
法律でも保障されていて、堂々と継承できる。正妻の嫡子のほうが少ないくらい。
西洋はキリスト教で一夫一婦制。日本始め中国やイスラムなどは一夫多婦制。
19世紀に清の高官は西洋に赴任するとき、奥さんを複数伴ったので、欧米人の失笑をかった。
日本でも昭和天皇が一夫一婦制の実践者。それまでは側室を持つのは当たり前。
明治の高官で正妻だけの人のほうが珍しい。明治は正妻妾同居の人もいた。
310 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/14(金) 14:04:40.64 ID:DU+QT1P7
>>307は男系の女帝の存在と女系による皇位継承の根本的な違いを未だに分かっていない阿呆
どうせ天皇は、どこの馬の骨ともわからない庶民の大工のおゆらの血が流れてるし
財政的に苦しくて細々と続いた天皇家は、女の腹は借り物の思想で、女の血については
いい加減で千数百年の歴史の間には、どんな卑賤な身分の血が入ってるかわからないのに
いまさら男系を守るなんて笑止。
女系を続けて庶民に埋没しても構わない。
まさか戦前の皇国史観の、神聖で犯すべきでない特別な存在と思ってるのかな。
国家の危機のとき国民を一致団結させる力はあるかもしれないが、神話は信じない。
古墳も科学的に調査すべき。
スレの趣旨とずれてきてるようだな
313 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/14(金) 15:34:38.22 ID:qKmd1bVb
政権交代して民主党政権が出来れば、皇位継承は女系主義に変わるから大丈夫。
雅子さんとか皇位継承の話は皇室板(あんのか?w)逝けよw
316 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/14(金) 15:52:08.03 ID:qKmd1bVb
民主党政権が男系による皇位継承を禁止する法案をつくれば、必然的に女系になるはず。
>>307 女性天皇を問題視してる人はほとんどいないよ。
過去にたくさんいるしね
昔いた女性天皇は、いわば男と男の場つなぎで
男の東宮(皇太子)が居ない時は、天皇の女の子供でも東宮になれるし皇位も継承できる。
けれどその女性天皇の子供は、東宮にも天皇にもなれる資格がない。
現代、論争されてる継承問題は
その女性天皇の子供にも継承権を与えようということ。
これが、「女系」天皇問題。
日本は千数百年間の長期に渡って、男系の血筋のみを継承して続いた
世界でまれな皇室だからこだわってる古い人たちが多いわけ。
継承して続いたとたてまえで言ってるだけで、
途中で2派に分かれてるし、歴史をみるとぐだぐだなんだから
こだわる理由はないんだけどな
>>311 おゆらって島津久光の母の?
皇室には入ってないんじゃね?
島津藩には入ってるんかもしれんが。
つか、現代の皇室の行く末はどうでもいいよ。
所詮象徴天皇なんだから。
319 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/14(金) 16:41:03.93 ID:EQA/nOT7
>>317 >継承して続いたとたてまえで言ってるだけで、
>途中で2派に分かれてるし、歴史をみるとぐだぐだなんだから
南北朝は、両統ともにそれ以前の皇統と男系で繋がりますが、何か?
南北朝の時点でもう天皇家は終わってる
つか初期の皇家はどこの血が入ってるか
こだわってなかったしな
>318
釣り?
>>318 今上にはお由羅の血が流れてますよ。
現・島津家は久光の子孫ですし、香淳皇后は曾孫で今上は玄孫です。
皇室の事なら、今上は光格天皇の子孫だけど
光格天皇の母親・大江磐代は全くの庶民です。
父親は浪人で母親は商人の娘でした。
光格天皇の祖母は、名前すらも判ってません。
閑院宮家の下働きの「家女房」だったようです。
まあ女系の血筋はどうでもいいんだろう。
というか皇室の血筋の話はどうでもいいw
鬼女にかまうとスレが荒れる見本だな
326 :
千早城のチンチン大将:2008/03/14(金) 21:09:58.68 ID:z4naQio/
ワシの存在を無視するからスレが荒れるんや
ところで風林火山の信長役って誰やったんや?
いい加減答えてくれはれ
328 :
千早城のチンチン大将:2008/03/14(金) 21:48:42.49 ID:z4naQio/
ウサギさんは寂しくなると死ぬゆーけど、ワシも誰からも相手されなくなっていつかは死ぬで、しかし
まあ何やな、これからはワシみたいに質問してもスルーされる哀れな人間を出さん為にも、千早の司馬遼太郎と言われたこのワシがみんなの質問に答えたるで〜
329 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/14(金) 21:52:02.97 ID:1cFAvooS
原作にも篤姫と尚五郎さんの恋物語って描かれてるのでしょうか?
>>324-325 今回の皇室の血筋云々のA級戦犯は、
>>289だろう。
こいつが雅子妃が可哀想とか、女系にも継承を認めろとか、宣伝工作っぽい
レスをしたことから雰囲気がおかしくなった。
もちろんそれ以前から皇室ネタ的な話は時々出ていたが、
>>289が感情論的な
自説の宣伝を始めるまでは荒れる気配はなかった。
たった1レスに、ギャーギャーわめき散らして
何日も前の話にいまだに噛み付いてるなんてみっともない。
女の腐ってウジが湧いてるような男か
それとも更年期障害でイライラしてる女か
>>328 大河ドラマ. 『風林火山』(2007), 織田信長=佐久間二郎,
原作:井上靖, 出演は第45回シルエットのみ.
>>329 原作を読めば良いだけの話なんだから
いくら初心者スレでも釣りでしょ。
334 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/15(土) 03:12:31.09 ID:mmRfVNXT
>>329 原作で小松帯刀はほとんど触れられない。
宮尾登美子の脳内では小松についての具体的な人物像はないと思う。
今回の大河での小松の扱いは時代考証の原口先生による入れ知恵が大きい。
>309と>311は、内野ヲタで風林から大河を見始めた大河ニワカのくせに
色んな板で検討違いの自論を長文で展開する基地外の、通称ウッドベキア。
309は正しいよ。
認定厨。
337 :
千早城のチンチン大将:2008/03/15(土) 19:03:13.80 ID:ZKRdyMNy
>>332 おおきに、おおきに
あんたホンマにええ人やなぁ
地獄に仏とはこの事やで、しかし
そうなんや、シルエットで誰か分からんかったんや
これでもう思い残す事あらへん
ホンマおおきに
338 :
332 :2008/03/15(土) 19:28:28.69 ID:Cmjo30Rj
>>337 2010年の大河は北方 謙三 (著)「楠木正成」と予想する者
これも何かの縁でござろう。
339 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/15(土) 20:59:45.63 ID:O0/a3EFS
島津斉彬は、お公家服は着ないの?
>>339 島津の殿さんはお武家はんどっさかいに。
公家の着物は着やはりまへんのぇ。ほな、おおきに。
参内なんてしないのにいつ着るのよ
参内ゆうのは、皇居に伺うて天皇さんにお会いする事どっせ。
横から口挟んでエライすんまへん。堪忍どっせ。
天皇に会わなくても内裏に参じれば参内じゃないのか?
>>343=ID:TCG+XZL+
732:日曜8時の名無しさん 2008/03/16 02:12:36 TCG+XZL+ [sage]
ああ、読まないんでしたね。
一方的攻撃ですか卑怯者。
733:日曜8時の名無しさん 2008/03/16 02:37:55 6wNRY2u2
>>732 さっさと消えろ キモ粘着女
粘着してあぼーんされたら卑怯者よばわり。
レスが刺々しいつうか、ネチネチ絡んでくるね、この女。
俺もあぼーんするけど粘着しないでねw
345 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/16(日) 19:34:17.88 ID:MU1hZV3h
お公家服って何よ?
束帯?衣冠?直衣?直垂?
お公家服とか、どっせとか、
なんか妙な問答が続いてて書きづらいんだけど・・・
島津家の身分なら従四位上の身分に相応の衣裳で、
大礼(対朝廷、祭事、神事、将軍宣下の式など)なら衣冠束帯、
正月元旦や二日の行事登城には直垂、
こんな感じなんじゃないの。
347 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/17(月) 12:44:59.16 ID:K+ZcJCWF
3月16日放送分の斉彬と尚五郎のやり取りについて教えてください。
1.いかに主君からの問いとはいえ、武士たるもの、
「片思いでした」なんて告白してしまうものでしょうか。
真っ赤になりながらも「そのようなことはございません」が模範回答だと思うのですが。
小松先生等、他の皆さんもいる公式の場で。
ましてや、篤姫本人には伝えてない気持ちなのに。
2.「片思い」という言葉は、あの時代、あの階層で使われていた言葉でしょうか。
時代劇では「片恋」という言葉は聞いたことがありますが。
3.斉彬から「して、両家の間の話は」といった質問が出なかったのはなぜですか。
いかに開明派大名ではあっても、一族と重臣の家の縁談(?)であれば、
しかもあの時代です、家同士の関係がまず気になるのではないでしょうか。
「所詮このドラマの時代考証は…」といった趣旨以外の回答があれば
お聞かせください。
348 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/17(月) 12:51:06.79 ID:N9rgKAj5
まあ中卒の反日ドキュソじゃ幼稚で品がないのも頷ける。
>>347 >1.いかに主君からの問いとはいえ、武士たるもの、
「片思いでした」なんて告白してしまうものでしょうか。
真っ赤になりながらも「そのようなことはございません」が模範回答だと思うのですが。
尚五郎にしてみれば、ここで下手に全否定してしまうと、篤姫まで斉彬に疑われてしまうと感じたのではなかろうか
350 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/17(月) 13:15:34.28 ID:H876woX4
「ごこうぎ」って何ですか?
【御公儀】
朝廷や幕府を敬い、はばかっていう語。
352 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/17(月) 14:48:04.94 ID:H876woX4
>>347 俺の解釈だけど。
1.その通りだと思う。
尚五郎も模範回答をするつもりが、
緊張のあまりつい地がでてあらぬ事を口走り、
何とかフォローしようと墓穴を掘り続けるところを殿様に遮られた。
彼の清廉潔白な嘘のつけない人柄や初心さを表現するための方便かと。
3.二つあって、一つは家同士になんの約定もない事は予め調査済みだった。
しかも今和泉島津家は肝付家より家格が上なので
忠剛が養子縁組を承知した以上、肝付家の意向はそれ程重要視してなかった。
も一つは、突っ込んで薮蛇になるのを避けたw
なんてね
雅子さんも立派に女の子を産んで育ててるのに
男が埋めない皇太子の嫁は役立たずと見る人がいて
もう日本もそろそろ現天皇家の皇太子の直系なら男女問わず
天皇になれるようにすればいいのにと思う。
皇太子にちゃんと子供がいるのに
弟の子供に皇位が行くのは、複雑だろう。
355 :
347です:2008/03/18(火) 12:31:06.28 ID:ZF4Bqw+Z
レスをありがとうございます。ところで、
>>349さん
「疑われてしまう」の意味がよくわかりません。篤姫の何がどう疑われるのですか。
>>353さん
1.へのお答えについて
本当に「初心」であれば、「そんなことはございません」と言いながら
真っ赤になってうつむいてしまうのでは、と思います。
その様子を見て察してやるのがイキな殿様というものです。
「片思いでした」なんてしゃあしゃあと言ってしまう男は、逆に
変にスレているのではないか、と不審を抱く…のは、私だけでしょうか。
3.へのお答えについて
尚五郎は両方の父親から、形はともあれ、内諾を得ています。
斉彬の情報網が本気で調べれば、少なくとも一方は引っかかるのではないでしょうか。
そもそも、直前の場面を振り返ってみれば、
斉彬は、小松先生から指摘されるまで、篤姫と尚五郎が親しかったことを知らなかった様子。
調べようなどと思ったこともないのではないでしょうか。
「も一つ」の「薮蛇」という言葉も、含意がいっぱいありそうで、
なんとなくわかるのですが、やはりよくわからないところがあります。
もう少し、いろんなご意見をお聞きしたいと思います。
>>355 ドラマは見る人の解釈次第でいろんな見方があっていいと思うよ。
俺の解釈は俺にとっては正解だし、お前さんの解釈はお前さんには正解なんだろうと思う。
納得できる解釈が見つかるといいね。
>>355 >「疑われてしまう」の意味がよくわかりません。篤姫の何がどう疑われるのですか。
斉彬の「想い想われる仲だったのか?」という質問に対して
尚五郎が顔を真っ赤にして「全くそのようなことはございません」と否定してしまうと、「こいつらつきあってたのか?」と受け取られかねない、ということです。
あの場面は殿様に下手に隠すより、正直に話して正解じゃないですか(武士がどうこうは置いといて)
このドラマは最後どこまで描かれるんですか?
大政奉還ぐらいまで?
それとも新政府の政争にリンクさせながら篤姫が死ぬまで、だろうかね
>>358 最初の会見で主役が40代まで演じると言っているので死ぬまでやる可能性が高い。
少なくとも、西郷・大久保の死は描きそうだ。
360 :
347=355です:2008/03/21(金) 12:31:30.79 ID:PKEDGkoN
>>356さん
うーん、かわされましたね。
>>357さん
>「こいつらつきあってたのか?」と受け取られかねない、ということです。
それで何か困りますか?
付き合っていたのが問題であれば、後のことになりますが、
和宮なんてあの場面で絶対出てこないでしょう。
また、すぐ後に篤姫の方にもどう思い思われていたのか尋ねる場面があります。
結局「疑われ」ていることになりませんか?
361 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/21(金) 14:24:32.77 ID:BSdlV/wv
362 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/21(金) 14:28:08.58 ID:BSdlV/wv
ああ 言っとくけど俺は357じゃないからな。
お前みたいな揚げ足取りがウザいだけw
ジョン万次郎はもう出ないのですかね?
ペリーの通訳をしたんじゃなかったかな。
あの眼光鋭い万次郎をもう1回見たい。
364 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/22(土) 23:11:32.63 ID:unnnRapA
あおいってしっかり勉強しているのか
歴史について、自分の運命についての葛藤が
上手く表現出来ているみたいに見えるね。
学校でも勉強したろうけど、原作もよく読みこんでいるんだな。
366 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/22(土) 23:20:58.80 ID:+wSLkSOf
>>358 維新後の勝や和宮とのやりとりは見たい
これは多分大河初で新鮮だと思う
367 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/23(日) 16:10:34.62 ID:pxA1Ytwi
東京都新宿区西新宿5丁目の路上で16日早朝、男性が数人組の男に金属バットのようなもので殴られた
事件で、意識不明の重体になっていた男性が21日早朝、収容先の病院で死亡した。死因は脳挫傷とみられる。
警視庁の調べで、男性は渋谷区本町3丁目、韓国籍の会社員金剛弘さん(32)とわかった。
金村剛弘(かねむらたかひろ)氏
1975年12月23日生まれ、西新宿出身の在日朝鮮人。
広末涼子の元夫の岡沢高宏氏らとチーム・新宿ジャックス結成。
舎弟に宮崎あおいの夫の高岡蒼甫氏がいる。
その後、暴走族・狂乱恋命に所属し、関東連合の面倒見となり、現在は暴力団の弘道会に所属。
2008年3月16日未明、複数の男に襲われ、意識不明の重態に。
21日死去。
舎弟の高岡蒼甫(妻は宮崎あおい)はオフィシャルブログで、昨年、金村の誕生日を祝っている。
今月20日誕生日だった金村君。おめでとうございます。
この人は自分の兄貴的存在。社会のルール、
人生の生きかた、悪いことは悪い、いいことはいい
いい意味でいろいろ学ばせてもらってます。
368 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/23(日) 16:24:55.05 ID:NAUJpW/j
損切りは迅速に
危機管理の鉄則
369 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/23(日) 16:28:13.11 ID:M+l1XJYZ
この時代のSEXは、なんて言うの?
夜伽とか御伽かねえ。
でも単なる添い寝の意味にも使うから違うかも。
まぐわうでは情緒が無いよなあ
371 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/23(日) 20:07:36.08 ID:fGbWxga9
篤姫の良さがわからない風鈴厨って。。。
契りを交わすだろう
373 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/24(月) 00:37:29.39 ID:f71vlN0N
伽か契りか…
ありがとうございます。
契りは、平安の頃から使われてるよね?
なんで、現代では情緒もへったくれもなくなちゃったんだろ…
忠剛の島津家と島津本家は遠い昔に別れた家系なんですか?
>>374 島津家四代当主・忠宗の子を初代とするのが和泉家ですが、
15世紀に一旦は絶えています。
二十一代当主・吉貴の時代に再興され、「今」の「和泉家」と言う事で
「今和泉家」と名を改められています。
篤姫の父忠剛は、島津本家九代藩主・島津斉宣の七男ですが、20歳の時に
今和泉家としては五代目、和泉家から数えて十代目の当主となっています。
376 :
374:2008/03/24(月) 12:29:44.21 ID:KQ/EzbpE
>>375 ありがとう
ということはなりあきらからすると篤姫タンはイトコなのか
なんという萌え設定
いとこを養女にするなんていうのはまだましな方だよ。
378 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/24(月) 13:04:31.14 ID:eHz+DnV/
織田信長は地侍の娘を幼女にして武田家に腰入れさせたとか
379 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/24(月) 13:40:04.69 ID:ycXdDSUo
実家から連れて行った唯一の腰元が、
篤姫と家族の水入らずの別れに同席していましたが、
あれは、もともと彼女も一族の一人だったということですか?
しのともお別れだからでそ。
原作ではしのの出自までは触れてなかったと思う。史実はわからんが。
当時の使用人は基本住み込みが多かったからまあ家族みたいなもんなんじゃね?
家庭の内情を全部知られる訳だから、貧しい遠縁の次女三女や、紹介されて
つてで奉公に上がるパターンも多かったらしいね。
今みたいにハロワも家政婦紹介センターみたいのもなかったからなあw
まあ普通の武家なら乳母はともかく侍女が家族に混ざる事はなかったと思うよ。
あれはスイーツ(笑)脚本家の書いたドラマだからw
>>379 主従ではあるが篤姫の今和泉の家での準家族の関係があった女性だから同席。
篤姫に勝手に話してはいけない、と決めた幾島のお計らい。
しのが同席させてもらえたのに長男が同席させてもらえなかったのはなぜ?
長男は病弱だから。
肝付家だって長男が来ないで三男坊が来たじゃん。
385 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/24(月) 21:20:33.32 ID:knIpmVFx
長男は結婚して家を出たという設定ではないかな。最初に家族と会うシーンで、お幸の隣にいた女性が忠冬の奥さんなんだよ。
そういえば、
よく絡んでくるごちゃごちゃうるさい兄貴は三男なんだね。
長兄と次兄は、今どうしているのだろう?
>>386 長兄は結婚して別宅に住んでたんでしょ。
次兄は永吉島津家に養子に出ている。
長兄はたまに出てくるけど、次兄は全く出てこなくなったね。
唯一出ていたのが第一回放送の時、
「久敬も養子に出す事にしました」と母上が言って、
当惑している久敬がアップになった時だけか。
389 :
379:2008/03/24(月) 22:30:51.03 ID:ycXdDSUo
みなさん、ありがとう。
あのしのさんていう娘、せっかくついてきたのに、
あまり活躍できなくて、何となく気になってたもので。
>>389 >しのさんていう娘
ついでに書いておくと、しのは於一が幼少の頃から仕えていて、
その頃すでに成人していたみたいだから、本当は相当な年だよ。
391 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/24(月) 22:34:37.51 ID:wtyv3yV9
藩主島津斉彬の娘(養女)っていうのは
藩主の弟の久光よりも偉いんでしょうか?
今の藩主の弟ということは元は藩主の息子ということなので身分的には同じで
逆に叔父さんで年上だから久光の方が上のような気が…
(もしかして分家に行ったから家臣扱い?)
392 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/24(月) 22:45:03.91 ID:VS6Wlrzo
素直に叔父と姪の関係だと思えば良いのでは
>>391 >もしかして分家に行ったから家臣扱い?
その通り。
藩主の弟だの何だの、あまり関係ないから。
思い出してもらいたいのは、斉興が藩主だった頃、
その弟だった忠剛が、斉興の息子である斉彬に平伏していたでしょ?
それをそのまま当てはめてみればわかりやすい。
>>383 長男が同席して篤姫が言葉をかけても視聴者が泣かないので
兄はひとりだけ描けばいいってことだろ。脚本家の手抜き。
父母と姫とおっちょこちょいの兄で一家族
本当は側室2人に正妻の子供は長男・次男・篤姫。
側室の子供は三男・妹。
でもホームドラマ大河として成り立たないから、都合の悪い部分はすべて切り捨てる。
側室や庶子まで描いてこそ時代劇ホームドラマ。
抹殺された側室腹の於才ちゃん、可哀想w
大河で家臣や家族が省略されるのはよくあることだがな。
一族のエピソード一人にまとめられちゃったりとかね
家族の物語じゃないんだから
そんなところまで書かなくていいよ
いらないものまで出して全体を見失う
それこそ素人の脚本だ。
長男は扱いが中途半端すぎたな。
あれなら省略した方がよかったのに酷い。
まさに素人以下の脚本演出だったね。
長男は篤姫のふところの広さや人間性を良く見せる
当て馬にされた役どころなんだから
上手な使い方だと思うけど。
ゆとりなもんで篤姫とのお別れに呼ばれたり呼ばれなかったりすることによって
どう篤姫の人間性に影響するのかわからんかったよ。
長男、出てたか?
三男、庶子のくせに態度でかすぎ
なんか忠敬がすっかり庶子扱いになっているけど、「嫡流系図」には
ちゃんと忠剛の実子と書かれていますが。
>>405 嫡子だろうが庶子だろうが実子にかわりはない
庶子って「正室腹じゃないけど実子」のことなのでは・・・
結婚した長男は跡継ぎ息子じゃないの?
なんで別居なの?
>>408 長男は跡取りだよ。実際にちゃんと次期当主になるし。
ただしこの長男もやっぱり短命で最終的に三男が後を継ぐ。
んで、別居ってのはどっからの話?ドラマ内でもそれらしい台詞は何にもないけど。
ああいう家格の家の場合は別居ではなく
同じ敷地内で母屋とは別棟で所帯を持つってことになるんでは?
ちなみに原作では三男も忠剛と正室との間に生まれたことになっているが
史実では正室ではなく側室との間に生まれた男の子。
ドラマは史実ではなく原作の方の設定を取ったんだろうね
410 :
日曜8時の名無しさん:2008/03/26(水) 03:56:47.54 ID:4Q/9AK3B
>長男、出てたか?
長男、出てたよ。
三男の横に並んでいただろ。
なんか具合が悪そうで、三男が気にしていたわっていたよ。
家督を継いだあとすぐ病死するという伏線だろう。
斉彬も小松も、すぐ病死するし、尚五郎も維新後まもなく病死する。
たぶん、いまだったら手術してちょっと入院すれば助かるようなもんかもな。
昭和のはじめまで盲腸、胃潰瘍、かっけ、はしかで死んでたわけだしね。
今なら入院すらいらない簡単な治療
江戸時代の人は子供を5、6人産む人もいたけど
人口は3千万しかいなかったと思えば
有名なオギノ式避妊法を作った医者の話をTVで観たが東北の寒村では
昭和30年ごろまでアフリカなみの幼児死亡率で驚いた。
たくさん生んでたくさん死なせる。
長寿日本はつい最近の事らしい。人口も3千万だったのが終戦時は9千万。
一億は植民地の人口も入れた数らしい。
大正時代はスペイン風邪(インフルエンザ)で大量に死んでいるね。
>>412 そうして、健康なものだけが生き残る。
生物学的にはそのほうが健全なのかもしれないけどね。
再放送を見たら、
父親をはじめ男は全員土下座して、母親だけしゃがんでいたが、
ああいうのをみると、
薩摩が【男尊女卑】の国だったというのが怪しくなってくるな。
それとも、現代のフェミ的解釈での演出かな?
>>414 普通なら女まで薩摩のお城に上がるなんていうことはありえない。それが例え篤姫を見送る宴だとしても。
斉彬だったから男尊女卑を気にしなかったのでは、とも考えられるが、斉彬はむやみに身分を越えた接し方をしたわけではなく、
身分や立場は厳格にわきまえつつ、能力のある者は登用するというスタンスだから、それとこれとは違う話なので、やはりありえないだろう。
まあ今の世の中、男尊女卑を忠実にドラマ上で再現すると、それが事実なのにすぐ抗議が来るからなあ。
それと、やはり脚本家が女なのが原因だろうな。
母親が土下座してなかったシーンは登城シーンじゃなくて
今泉家の門前で篤姫の籠を見送るシーンだろ。
当時の女性のああいうしきたりを知らないから414には答えられないが
515もちょっと見当違いなレスすな。
>>416 あまり真剣に見てなかったものですまんね。
だとしたらそれは別に男尊女卑とはまた違う話じゃないかな。
単に土下座で着物が汚れるのはよくないとかそういうことじゃないか。
>>417 私も着物が汚れるからだろうと思った。
男の紋付羽織袴は洗い張りして洗えるけど、女の正装の打ち掛けは洗えないもの。
母親・お幸は長い時間、しゃがんで頭(こうべ)を垂れてたけど、土下座よりも
キツイだろうな、と思って見てた。
>>415 >普通なら女まで薩摩のお城に上がるなんていうことはありえない。
篤姫を見送る宴ではないが、催しの会については、女性も出席したと言う
史料が残されている。「公史料」より。
「御家督御内証御祝」と言う斉彬が家督を継いだ時に、一門家の当主を
はじめ、その妻や母、子供たちが参集し、御目見以上の女中たちの参加も
許されていた。
ちなみに史料によれば、今和泉家は篤姫をはじめ、於龍、於才三人出席しているし
忠剛夫妻、忠剛の養父忠喬夫妻、篤姫兄の忠冬夫妻が出席している。
昨日の放送で、西郷が自分よりも下の者たちを江戸へ送るなどした働きが
西郷江戸行き決定の評価につながったという台詞がありましたが
本編で西郷がそういう働きをしている場面が無かったように思い昨日は唐突に感じました
ひょっとして撮影はしたけどカットされたというパターンなのでしょうか
><篤姫>視聴率20%超 人気の秘密は「家族愛」3月31日16時53分配信 毎日新聞
パパにも側室いるのにね ドラマではきっぱり無し
この脚本、やたらと「立ち聞き」があっていろいろ漏れるのですが
そこも韓国ドラマっぽいとおもう
出自の上書き、「元は分家の出なのに」と将軍家にはバレないのでしょうか
バレても結局は公家の養女、でまとまる話なのが不思議なのですが
>>405 江戸時代の系図でわざわざ「実子」と書いてある場合、
何らかの事情で実子として認められない人を記録上そう残すために書く。
ちなみに篤姫も幕府への届け出は斉彬の「実子」
大事なのは家柄で血筋などどうでもいいからバレるバレないの問題ではないんじゃね
家光からしてあれだから
424 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/03(木) 23:03:00.24 ID:2gfT7rlC
>>415 脚本家が女性であることに問題点の原因を求めようとするのなら、その前に
「翔ぶが如く」を見たほうがいい。
あれも脚本家は女性だが、露骨なフェミ的演出はなかった。
>>423 家光がなんなんだ?
家光は秀忠の実子だし、しかも正室腹の所生だぞ。
>>424 >>423は家光が秀忠と於江与(正室)の子供ではなく
実は家康と春日局との間に出来た子だったっていう超眉唾な説を言いたいんじゃね?
>>424 優れた女性脚本家があることは、さんざん概出だよ。
>>426 見当違いなレスだと思う。
よく読んでみろや。
斉彬さんは、どうしていつも、怒ったような顔をしているのですか?
眉毛直角だぞ(w
>>428 それは、もと桃太郎侍だったから。
ちなみに、幾島さんとは、もと信長濃姫コンビだった。
430 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/14(月) 03:17:48.68 ID:1Daki1wZ
ここもまだ過疎ってるね
質問です。
篤姫は、当主の一の姫ですよね。原作で、大奥に入ったときも、
夫将軍家定の嫡母はすでになく、実母は側室で身分がまだ下だったので
篤姫が上座、姑が下座とかかれていました。また、テレビでも、篤姫の実母は
「篤姫は側室でなく、(身分が下のものの家でも)正室として嫁がせたい」といい
側室の身分が低く奉公人扱いであるとされています。
なのに、なぜ、太守様の側室お由羅の方に 「由羅様」とへりくだっていっているのですか?
太守様は、自分の祖父に当たるのですから、当然頭をさげてへりくだるし、太守にはべっている
お由羅の方が上座になっているのは自然かもしれないけれど、言葉遣いは、「お由羅様」ではなく
「お由羅殿」になるのではないでしょうか?
それから、御台所になる予定があるとしても、内定もしていない状態で、太守と側室が
はっはーといきなり頭を下げるものですか?おそれいっても、今は自分のほうが上なのだから
頭までは下げないのでは?
解答:このドラマはそんな細かい事まで考えて作られていません。
>>432 しかし、スタッフには、時代考証の係りの名前がちゃんと出ているが、この人は
何しているんですか?
ホームドラマを盛り上げるための演出でしょ。
>>433 その人は最低限の仕事はしているでしょう。
茶道具を与えられるという事はすなわち隠居を言い渡される事だとか、篤姫様はしきたりにより「裏門」から入っただとか。
一方で、
幾島が篤姫に御台所としてのたしなみを事細かく教えておきながら、後で幾島自身が英姫に「は?」と聞き返したり、
義理の祖父の前で現代用語で独り言を言ったり、尚五郎が姫の前でいきなり抜刀したり、
篤姫が斉彬の実の娘を着物の裾でさりげなく叩いてもNGにならなかったり、
こういう細かい事をいちいちあげていては枚挙に暇がないほど。
だから結論として、こちらも細かい事まで考えてみないほうがいい、ということになるわけです。
全体として筋が通っていればいいと思う。
ハリウッド映画だっておかしなところがいくつもあるように
ドラマも、ん?と思うような点はどのドラマにもあるよ。
揚げ足を取るのが楽しい人はそういうところを見つけては
噛み付いて吼え続けるんだろうね。
ごめんなさい。もう一つ。
>>431のレスで
言葉遣いは、「お由羅様」ではなく
「お由羅殿」になるのではないでしょうか?
とあるけど、女性から女性へ殿と呼ぶことは無いのでは。
それとへりくだってるのは篤姫がむしろ意図的にやったことでしょうね。
下手に出て二人の様子を伺ったんだと見たけど。
438 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/14(月) 12:15:59.83 ID:FsS1FRsq
斉彬の正室役が余貴美子かよ。見えない、まぁ顔もよく見えないけど。
声も変えてるのか。
余貴美子ってヘリウムガス吸ったような声だよね。
440 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/14(月) 15:54:16.25 ID:RUTzzflP
ダースベイダーのイメージです
441 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/14(月) 17:34:18.45 ID:0sn2Bt74
教えてください、昨日違うスレに書いてしまいまして・・・
第二話だったか、おゆら騒動で激高した藩士が刀で切りつけて書面を奪い、
次の場面で島津斉興が「xxxことごとく切腹じゃ」と叫ぶ件ですが。
Q1・多勢で切りつけた藩士は斉彬派なのでしょうか?
それとも久光派なのでしょうか?
Q2・切りつけた藩士が「あったぞー!」と言っていた書面には何が書かれていたのでしょうか?
Q3・その書面と斉興が手に取った書面は同じものでしょうか?
違うなら斉興が見た書面は誰からのもので、何と書いてあったのでしょうか?
442 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/14(月) 17:35:35.35 ID:hqoakBdF
大奥で菅野美穂をこれでもか、と意地悪してた浅野ゆう子の役って誰がやるの
>>436 「楽しければいい」というならかまわないけど、昨日のような回を見た後で
「全体として筋が通っていればいい」といったらいけないでしょう。
(昨日のは脚本が ん?の回でしたから)
それとも「全体として」というのは50回通してのことなのかな。
でも全回通して見て筋が破綻してるのはよくよくの失敗作だけだから
それだとさすがに要求するレベルが低すぎですよ。
ドラマのシーンとしてはよくは覚えていないけれど
斉興に切りかかったのは斉彬派というか
斉興のやり方に不満をもっていた武士たち。
お由羅の息子忠教(久光)を支持していた連中でないことは確か。
見つけたものは、恐らく屋敷の床下からお由羅が仕込んだとみられた
呪詛調伏の人形が見つかったものと思われる。
従って、斉興が見ていた書面とは別だろうと思われる。
斉興が見ていたのは幕府からの沙汰状か何かではないでしょうか?
詳しく覚えている方、教えてください。
>>441 斉彬の子供たちが、幼くして次々と病没していました。
そして次男が亡くなった際、その床下から呪詛の人形が発見されました。
この事で、お由羅一派に対する疑惑は、噂では治まらなくなりました。
斉彬派はお由羅派の、暗殺計画を練ります。
調所一派の悪行を書き連ねた密書を作り、公議に委ねるつもりでした。
ところが、これが発覚する前に、斉興の手に渡ってしまったのです。
この事が、薩摩藩が斉彬派と忠教派に割れてしまう「お由羅騒動」の
始まりです。
ドラマ上では、多分切りつけられた方が斉彬側ではないですか?
公議に委ねようとした密書を、取られたのだと思います。
ですから斉興が見ていたのも、その密書かと思います。
幕府がこの事件を知ったのは、斉彬派が切腹・遠島などの処分を受けた後ですから。
それに幕府そのものが、この事で直接薩摩藩に何か処分はしていません。
斉興の隠居を促しただけです。
>>446 >>444ですが、なるほどその通りでしたね。
結局斉彬派は斉興の暗殺を計画したというだけで
実行する以前に密書が斉興の手に渡ってしまった訳でしたね。
斉興が茶器を贈られた件もすっかり忘れておりました。
448 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/14(月) 21:37:36.72 ID:hqoakBdF
×公議
○公儀
>>442 そっちの大奥は見てないんだけど
滝山役ということなら稲森いずみですよね。
451 :
441:2008/04/15(火) 00:08:42.46 ID:2hZaX1mx
>>446,447
レスありがとうございます。
見直してみると447さんの説明で納得できました。
どもです。
去年同様の、「なんでそういう点を質問する?」印象の
質問お馬鹿さんたちが復活?
そんな疑問NHKのHP見たり少しクグレばわかるじゃん厨も。
でも、スレが賑わってよかったね。
宮崎あおいって旦那が893なの?
初心者歓迎って書いてあるのに文句言うバカって・・・
>>452みたいな人がいると初心者が質問しにくくなるよね。
456 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/15(火) 15:33:47.86 ID:kjrm0a+D
すんまへん、仮面ライダーとウルトラマンてどっちが強いんや?
>>437 実の母親については 殿で読んでるよ。
お雪殿?だっけかな。
>>453 宮崎あおいの夫が、兄貴分として慕っていた親しい友人が
繁華街で刺されて死んでいたらしい、たぶん893やちんぴらのいさかいのせいとかいう
記事が、週間新潮だか週間文春にかかれたということ。
広末涼子の夫と、宮崎あおいの夫と、その殺されたチンピラが仲良くて
結婚式にも参列してたとかいう話。
キジョ板ではその件で宮崎がたたかれていたけれど、正直
演技が上手かったら夫はどうでもいいと思うけれどな。夫が御曹司だろうが
お公家さんだろうが、今の演技だったら・・・・・・・。
何だこのスレは?
初心者に優しくないなww
アフォな荒らし連中が本スレから流れてきているような
誘導しているヤツがいるから
ぶり返しになるけど、
庶子が本宅に住んで、嫡子に兄貴風をふかすって、アリなの?
嫡男>>その他の嫡子>>>>>庶子、じゃないの?
>>462 そうでもないみたい。腹は借り物というくらいで
庶子と嫡子の身分の差がどのくらいあったのかは微妙。
庶子が嫡子より先に生まれて、嫡子のほうがずっと年が下だったばあい
世継をどちらにするかといえば、嫡子が幼いと庶子がまず引き継ぐケースが殆ど。
また、庶子が長男、嫡子が次男であった場合、庶子の生母が有力者だと
お家騒動になりかねないような争いに。庶子の母が身分が低く、
嫡子の母が有力な家からとついでくると争いにはならないが・・。
津軽藩では正室が三成の母の嫡男、そして、その後家康の養女が
お嫁にきて、幼い次男が生まれたときには、家康の養女の子を跡継ぎにして
嫡男には毒をもったらしい?とかそういう話があったし、鍋島でも、その類の話を聞いた。
篤姫の原作でも、篤姫の妹に、側室腹の子がいて、そこに身分の差はないけれど
やはり、他の兄弟姉妹と母が違うのでわびしいとかひけめがあり、篤姫は哀れにもおもい
いとおしさがつのったなんて書いてあって、微妙な関係がわかるね。
正妻に大して必ずしも愛があるわけじゃないし、結局、生まれた順番と、
藩主と藩の重役がどの子を重視しているかではないだろうか。
>>463 なるほど、、そうすると、正室の立場が、現代と比較して相対的に弱かった、ということになりますね。
>>464 将軍家では、将軍の正室から生まれた子がちゃんと成長して後継者になった例って
家光くらいじゃない?政略結婚だから愛情ないし、政敵の血の子供が後継者になると
敵に内通するかもって(戦をしてない時代でも、水面下のごたごたや勢力争いはあったはず)
おそれもあって何かの意思が働いたとかいわれてるよね。
その点、忠義の家臣の娘が側室になってその子のほうが安心とか。側室は、ある程度は
殿様の好みが反映されるし、正室より家柄が低いから気取ってなくて上手に甘えたりとりいったりすれば
殿様も愛情がわくだろうから、愛妾の子をとりたててやりたいって思うこともあるだろうし。
466 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 11:56:49.85 ID:4QZUr1/7
昨日の日テレ見て「家光は春日局と秀忠の子供だと稲葉家の史書にも書いてある」のを
真に受けちゃったのかもね
名前が残ってる側室が産んだことになってる将軍の実子だって本当は誰が産んだか分らない
「おい」とか「誰ぞこれへ」だけで呼ばれて一生奉公した人が産んだ子が
なんかの間違いで歴史上の人物になることもあるし
春日局が野心家で稲葉家再興を目論んでいた事だけは納得できる
こんな怖い女に育てられたら男色にも走るわな家光
当時は、身分のたかいつつしみ深い女は、嫉妬することははしたないっていわれたし
身分の高い人が妾をもつのが当然だったから今よりずっと妾の地位が高かったでしょ。
今みたいに不倫だって法律的に損害賠償なんてされないし、妻は家長になれなかったから
妾だけに子がいれば夫が死ねば妾の子が家長になっちゃうから妻より上になっちゃうし。
身分でいえば、嫡母が上だけれど、妾だった実母のほうがいとおしいのは実子としては当然で
正妻さんといえども正妻の地位にふんぞりかえってはいられないよね。
468 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 12:39:55.55 ID:cFP1NZAc
そんな時代に帰るのも悪くはないかなとw
お妾もてるから男は有利かというとそうでもないし
食べさせていかなきゃいけないし、戦にも行かなきゃいけない
女も皇室批判してる場合じゃないよね
篤姫の時代は鎖国が続いて平和に麻痺してたから
女が意見出来たのかもしれないんだけど
戦国時代の女のほうが強いし義務も果たしてる
お市は浅井家嫁がされて離婚させられて美女娘を名家に嫁がせてちゃんと血を残してる
戦国一の美女でありながら耐えながら実績あり
>>458 「結婚式に参列」って、それを言うなら列席w
ちゃんと日本語勉強してからレスつけようね
470 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 13:16:14.35 ID:/ZoIdpK3
意味が通じりゃいいんじゃないの?
昼真っから2chやってる人たちの文化圏なんだから
大事なのは感性の問題よ
471 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 13:37:50.50 ID:/ZoIdpK3
近頃は厨房までが枕営業なる言葉を使っているが
そもそも昨日まで相撲とってた虎寿丸がぽっくり逝く時代
斉彬が篤姫に継嗣を望んでいたとは考えにくい
家定は側室とも何もないという噂があったくらいだから
薩摩が篤姫を枕営業に利用した、暗愚な将軍に寝物語で
次期将軍を水戸慶喜にするよう睡眠教育するんでしょ?
第15回「姫、出陣」の高輪の屋敷から帰ってきたシーンの
「あれで気が済んだとは思えぬが」という篤姫のセリフ(36分40秒くらい)は
「斉興やお由羅の斉彬に対する憎しみや対抗心が消えたとは思えない」と
言っているってことでいいんですか。
473 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 16:00:31.41 ID:okK1sIuA
>>472 原作にも史実にも篤姫が高輪へ乗り込んでいったというエピソードはないので
脚本家がナニユエそんな台詞を言わせたのか分りません
斉興とお由羅の対抗心は久光へと受け継がれていくと篤姫はまだ気づいてないでしょう
スケベ爺ぃとお妾退治ぐらい朝飯前とタカを括っているとしたらネンネ姫
久光の巻き返しを匂わすための伏線なら脚本家の小細工
474 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 17:05:04.61 ID:MOAQiUtL
>斉興とお由羅の対抗心は久光へと受け継がれていくと篤姫はまだ気づいてないでしょう
>久光の巻き返しを匂わすための伏線なら脚本家の小細工
妄想はスレに書かなくてもいいぉw
あんたの頭の中では久光が悪者ということは分かるが
475 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 17:21:53.65 ID:hMV/O0Gf
>>474 田渕の頭の中では久光が悪者なんだから
間違ってはないけど
あんたの妄想がストーリーに反映されることはまずないから
脚本家ぶるのはやめなさいな、ブタ野郎
476 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 17:33:11.49 ID:MOAQiUtL
>田渕の頭の中では久光が悪者なんだから
ソースは?
HPにもガイドブックにもないけどw
あんたが田淵本人なら仕方ないがwwwwww
八百屋だか大工だかの娘が大藩島津の殿の愛妾になって
男の子をあげたんだから、そしてほかにめぼしい跡継ぎが少ない家系で
そして、殿に愛妾の子かわいさに、ちっとも隠居させずに、長男派の家臣を
大粛清させたんだからそりゃ、腹黒い女って世間はみるよね。
西郷隆盛も、絶対に久光を主として認めなたくないが仕方がないので
久光の子をたてて(幼少の子なら無垢だろうと)、そして久光はその子の後見を
することで政治にかかわったらよいのではないかと言ったとかいう話があるそうだから、
当時斉彬派が、お由羅の子久光をそうとう悪者とみていたのは間違いないと思う。
良子女王が入内するときにの事件も、お由羅の血のせいみたいにいわれたらしいし。
478 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 18:09:44.75 ID:MOAQiUtL
>そして、殿に愛妾の子かわいさに、ちっとも隠居させずに、長男派の家臣を
>大粛清させたんだからそりゃ、腹黒い女って世間はみるよね。
斉興が隠居しなかったのは財政再建に逆行する世子斉彬に藩主を継がせたくなかったから
当時分家にいた久光を藩主にするためには斉彬を廃嫡するか死んでもらうしか方法はないし
どちらにしても不審な動きは幕府から睨まれる
幕府に対しては事勿れ主義を貫いた斉興-調所にしてみれば余計な波風は立てたくない
>当時斉彬派が、お由羅の子久光をそうとう悪者とみていたのは間違いないと思う。
お由羅騒動当時はそうかもしれぬが、文久時代は違うと思う。
斉彬派のドラマでの描き方は難しいと思う。
なんせ、お由羅騒動で家老・奉行クラスの主要人物は一度壊滅している。
ドラマでは忠剛、小松を斉彬派のように描いているが、そんな事実は無い。
久光を最後まで憎みぬいたのは西郷一人のような感じもある。
皆がそこまで憎いなら水戸のように血で血を洗う藩内抗争が起こるはず。
>西郷隆盛も、絶対に久光を主として認めなたくないが仕方がないので
>久光の子をたてて(幼少の子なら無垢だろうと)、そして久光はその子の後見を
>することで政治にかかわったらよいのではないかと言ったとかいう話があるそうだから、
西郷の発言が残っていたにせよ安政当時、藩政に口出しできる地位ではなかった。
斉彬死後、久光が実権握るまでに3年かかっている点もお忘れなく。
479 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 18:32:48.35 ID:QSbsoqk1
>>437 >とあるけど、女性から女性へ殿と呼ぶことは無いのでは。
篤姫が島津本家に養女に行った後での両親の再会のシーンでは
「お幸殿」と言ってたよ。
女性でも対等な立場か目下には「殿」をつけて呼ぶような気がする。
480 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 19:01:27.09 ID:VKC9U5Jh
久光が生麦事件の張本人じゃなかった?
鹿児島じゃどんな扱いか知らないけど
英国に多額の賠償金支払うハメになったんだから
久光は悪者と見る人が多いけど
481 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 19:06:42.61 ID:5q+1zEe0
大奥では女主人に使える女中は、全員女主人をだんな様と言ってたらしいね。
150年前でも現代と全然違うから言葉は難しい。
成彬のあとを、久光の息子が継いだのは、
斉彬の遺言だったんじゃないの?
483 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/17(木) 19:13:46.54 ID:Yrmf4uln
殿は目下に使う言葉だとずっと思ってた
社長あてに退職願を書いた人が○○殿って書いたのをみて社長が
「様と殿を使い分けられない人が辞めてくれて良かった」と言ってたから
辞める会社に恩はないと言いたかったのかも
>>483 社長にそもそも敬称つけるほうがおかしくない?
○○社長 これでよろし。
>>483 松の廊下での刃傷事件も、浅野内匠頭が吉良上野介に対して「吉良殿」と話しかけ、
それで不機嫌になった吉良が「吉良殿じゃと?御身の身分では吉良様と言うが道理であろう」
と咎めたのが発端だとする読み物や演目があるよね。
>>483 確かに社長に殿をつけるのは(態となら、かなりの怨念)
>>484の言うような意味でもおかしな退職願だったと思う。
しかし社長が自分に様をつけろというのも、
やめた人のことを後で言うのも人間としてはどうかという話だね。
ただ認識としてはやはり様の方が殿より上というのは事実だから
今でも社外文書出すのに○○殿で出すところもあるようだけど
○○様にしておいたほうが無難だと思うね。
自営業の人なら知ってると思うけど、税務署から確定申告書などを送ってくる
封筒の宛名は「○○殿」なんだよね。
数ある郵送物の中でも、唯一、税務署だけ。
488 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/18(金) 16:57:23.11 ID:BI77fzNE
>>450 滝山役は稲森いずみですか…
う〜ん、どっちかというと稲森は滝山にイビられる篤姫ってイメージだよね
489 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/18(金) 17:08:28.73 ID:i3vWJDlA
フジの浅野やら松下みたいなゴツイ女は大奥では駕籠かきだったでしょう
高島礼子も定年間近の遊女ってとこでしょう
稲森はスタイル良しで現代劇向き
姫様は透き通るような白さと折れそうな華奢さが必要です、de森光子www
>>488 写真みろ。篤姫は、おとなしくいびられているタイプの女ではない。
江戸城大奥に田舎から入り込んだ姫という物語でのイメージでしょう。
実像のことではない。
少なくとも、原作では、滝山に篤姫がいびられたなんて
表現はまったくないよ。篤姫の実家の島津家が推す慶喜じゃなくて
家茂をおすのが今までの大奥の意見で、それを滝山が主張して
篤姫もぜひそうしてくださいといわれるだけ。
篤姫は、署名はしないけれど、滝山は好きに行動していいと言ったと
書かれているし、滝山が「いったん嫁いだら、実家ではなく嫁いだ家を一番に
考えてほしい」といわれて、実際に会ってみて自分は家茂のほうが適任と思ったと
表現されている。
滝山にいびられたとか、島津でほれあっていた男と密会したとかってのは、
お台場大奥の創作では?
史実とは関係ないんですが篤姫の日本髪はなんか小さい気がします
何か現代風のアレンジがされてるんでしょうか?
それとも正式な姫のスタイルなのでしょうか?
篤姫には直接関係は無いが、機会あって木曽三川公園と千本松原に行ってきた。
薩摩藩の大借金の原因になった宝暦治水事件の詳細も分かった。
治水工事犠牲者が祀ってある治水神社にもお参りしてきたよ
過去にあんな遺恨があれば薩摩藩が最終的に到幕派になったのも理解できた気がするよ
到幕の話が具体的に出てきたら宝暦治水事件の話にも少し触れてくれればいいなあ
>>494 討幕も大借金も宝暦治水事件とは直接には関係ない
大借金の元凶重豪の政策とは直近だがな
質問です。
殿様が西郷隆盛に姫の婚礼支度を命じられるところがあったけど、
西郷は実際には何をするの?
調度品や衣類等婚礼道具は幾島を先頭に鏡台はどこの何某に、漆器はあの名人に‥と贅を尽くすだろうに。
そんなもん、西郷に判るはずないし‥?
>>496 西郷は、典礼を一つ一つ克明に調べ上げ、細心の注意を払って支度を整えたと
言われている。
松平慶永の回想録によると、篤姫の婚礼道具は、衣服は京都西陣へ注文し
高価な品でも既製品の購入は禁止して新調させたとの事。
また首飾り・かんざし等は職人を邸内に招いて製造させたらしい。
これらは、斉彬が自ら篤姫のために注文したらしいが、実際に奔走して
行動したのは西郷だと言うことでしょうね。
それだけ斉彬の西郷への信頼が、厚かったのでしょう。
斉彬は西郷に藤田東湖や橋本佐内らに接近させて、生きた勉強をさせて
篤姫の輿入れの支度・近衛家との連絡・大奥との交渉などのいっさいを
任せていくわけだから。
有名な話だけど、後に西郷はよく「篤姫様の輿入れで、金銀細工・絹物・
珊瑚・鼈甲・陶漆器の鑑定の玄人になった」と自慢したそう。
>>496 日用品じゃないんだから奥女中が直接注文することはない。
婚礼道具は、藩主の命をうけて藩の予算から藩のまつりごととして発注されるので
藩のしかるべきお役の人がやるのです。
もちろん、男にはわからんので、これこれこういうものをという指示は奥からでてくる。
その指示をうけて、実際に商人と交渉して契約を結び、「ちゃんとやらんといかんぜよ!」と
はっぱをかけ、経過報告を奥にし、奥に点検してもらって直してもらったりするのが西郷どん。
>倒幕に向かう原動力の1つになってもおかしくはない。
普通に考えて百十数年後まで怨恨を引っ張れるだろうかな?
トップさえその形跡がないのに。
重豪が治水費用と一桁違う借金をこさえたのも、趣味以上に政治工作資金もあったのでは?
治水工事の教訓は幕府と密接のな関係構築に直接繋がっているのでは?
>>500 >普通に考えて百十数年後まで怨恨を引っ張れるだろうかな?
徳川家が支配する江戸時代のことだから、いくら死人を出しても「無かったこと」にしたんでしょ。
(幕府が命じた過酷な労働への抗議の切腹→薩摩藩は幕府を刺激したくないので、あくまで個人的な自殺処理)
そういう時代だったんだから、いくら怨恨を引きずっていても、そういうのを表に出すのは御法度。
怨恨が表に出て、幕府に盾突くことでもしたら、お家取り潰しの危機だろうな。
あくまでポーズとして忘れたフリをしてただけだな。
百数十年も引っ張れるか?と言うが、だったら秀吉の朝○出兵はどうなる?
410年あまりも前のことなのに、未だにかの国は根に持ってるじゃないかw
いくら年数が経っても、会津若松市のお年寄りの多くがいまだに薩摩を嫌っているように、
たった百数十年とはいえ記録にはしっかりと残っていて、いまだに語り草になっているんだよ。
治水工事に教訓も何もありゃしないだろ、ただお家存亡の危機で耐え忍んだだけだな。
むしろそれまで以上に幕府に対して警戒心や恐怖心を抱く元となったろうな。
関係構築だって、あくまでも不利な外様藩であることを認識した上での保険だろうね。
502 :
日曜8時の名無しさん:2008/04/23(水) 03:11:18.16 ID:cxtproej
1
代表取締役社長
田中太郎殿
2
代表取締役社長
田中太郎様
3
田中太郎代表取締役社長
さあ、どれがいいと思う。
退職願いだったよね。
社内報とか議事録とかなら田中社長、鈴木専務のように、
確かに役職以外の「敬称」はいらんけど。
そういえば「課長・島耕作」もいよいよ「社長・島耕作」になるんだよな
長州藩も関ヶ原で負けて領地を削られた恨みを忘れてなかったし、
韓国・中国も未来永劫忘れる事はなさそうだし、子々孫々に受け継がれたのだろうな。
韓国大統領が殴った相手は忘れても殴られた相手は覚えているものだとこの間の
TVの討論会で言っていた。
何百年たっても足を「向けて」寝るとか
長州の某だったっけ
皇室のお妃選びについても、薩長だから徳川方だったからという
要素もあったらしいし、(秩父宮妃は、会津藩の出身で、いつまでも薩長のみでなく
徳川親藩とも融和をはかろうという目的があって嫁した)
戦後の農地改革は、今でもはっきり恨み節をあらわにする人が多いし。
江戸時代の身分で今も結婚に障害があるカップルもいるし。
東北や北陸地方では、今でも江戸時代の藩同士の争いをひっぱって
縁談や就職にケチがつくこともあるし。
敗戦を境にすぱっとかわって忘れられちゃったようなこともあるけれど
けっこう、因習は残っていると思う。最近のまったくないよ〜って風潮のほうが
歴史的には珍しい時代なんじゃないかな。
負けたほうの怨念が残るってのはわかるけど、言い伝えや国策(中韓
>>501,504)など仕組まれなければ伝わらない
薩摩の場合、長州の年初挨拶のようにおおっぴらには伝わっていない
妙円寺参りも怨念を後世に伝える祭りではなく、島津義弘と家臣たちの遺徳や武勇を偲ぶ祭り
ちなみに、鳥羽伏見戦前の上洛出兵だって、薩摩藩の大勢は反対だった
それを、西郷、大久保、小松の三人が揃って帰藩して藩論をひっくり返した
三人の行動は久光の意向によるのだが、藩中枢の大部分は討幕を望んでいなかった
逆に、戊辰戦争後、凱旋した討幕派は藩政改革の名の下に討幕慎重派を駆逐
久光の次男(島津右近)などは自殺に追い込まれる
>>507 >薩摩の場合、長州の年初挨拶のようにおおっぴらには伝わっていない
怨恨が無くなったとか風化されて忘れさられたのではなく、
怨恨を相手にぶつけられる空気がない。というか、ぶつけられなくなった。
明治33年の三川分流工事完成時に宝暦治水碑が千本松原南端に建てられている。
また、昭和13年には藩士を顕彰するために平田靱負を祭神として治水神社が建立され
亡くなった人たちの神霊が祀られていることから、
明治〜戦中に、薩摩の江戸期を振り返る声の大きな人がいたのだろうか、
木曽川治水工事の功績を称えるとともに、
治水工事の悲劇を風化させないように、しっかりとクギを差したんだろう。
クギを差して以降は、現在も岐阜県と鹿児島県の木曽川治水工事がらみの
祭祀や慣習(教職員派遣交流)が続いている。
妙円寺参りをググってみたのだが、鹿児島県の3大行事の1つなんだね。
島津義弘の武勇を偲ぶお祭りらしいが、怨恨は表に出していなくても
江戸期から現代まで祭りを風化させずに語り継いできたことからして、
昔も今も関が原の敗走に並々ならぬ関心があるとみえるね。
長州みたいに実は毎年祭りのたびに当主から跡取りに
「正直、家康本陣へ退却(特攻ともいう)しときゃよかった。」
と愚痴る儀式があったりしてw
現代でも30代後半〜40代で既に多くの女性が白髪に悩んでいます。
白髪染めのCMは大抵、その年代の方がやっているようです。
なのに「篤姫」に限らず大河ドラマは、紛れもない老人(例・菊本、栗川)
以外は基本的に真っ黒な髪です。男性は50代くらいになってようやく
白髪が混じり始める程度で、女性は信じられないほど黒髪率が高いです。
染髪が未発達な時代なので、現実と乖離しているのではないかと思います。
お歯黒とかはともかく、白髪は現代でも珍しくはないので40〜50代の
白髪は別に問題ないと思いますが、何かできない理由があるのでしょうか?
あと、時代劇全てですが、男性の髷が全員揃って大きすぎる気がします。
あんな剛毛の大銀杏みたいなだとは思えないのですが。
ヅラにリアリティもとめるのはわからなくもないがw
どうでもいいや
あんまり頭に個性を求めてないんじゃない?
いちおう当時も染髪はあったし、今のようにシャンプーつかって毎日
洗髪できないから、それなりに黒くはそまっていたと思うよ。
それにさ・・室内はすごーく暗かったの。特に夜なんか、ろうそくや油だよ。
そんなしっかりものは見えないから髪の毛の染めた様子なんか見えやしないって。
顔を真っ白にぬっていたんだからね。そうしないとわからないほど暗かったらしいですよ。
おはぐろだってしていないんだし、そもそもあんなてかてか生地の打ちかけなんて
なかったし。そのあたりのリアリティをもとめたらもう時代劇はみられない。
ただ、ある程度の許容範囲ってのはあると思う。ずらはあんなもんでいいと思うか、
いや許さないと思うか。大相撲みれば、まげを地毛でゆったらどうなるか考えれば
そんなにヅラにレパートリーもとめてもおかしいだけって気もするし。
お歯黒も白塗りもリアリティ出してやったらどんなことになるか興味はあるけどね。
大河でやられたら嫌だけど検証番組とかでやってくれないかな、とたまに思う。
>>513 以前、民放、たぶんテレトウだったかな・・・
三宅祐司が司会で高橋英樹なんかが出てやっていたような。
御台所の一日を古文書から再現していたよ。
真っ白の顔にぬりたくっておはぐろして、薄暗いなかで
朝おきる時間もきめられてて、支度も2時間くらいかかる。もち
トイレの時間も厳守だったりしてた。正直、暗い中に白い顔がうかびあがって
超ホラー
>>514 古文書じゃなくて、大正になってから生き残りの大奥女中にインタビューした記録から再現したもの。
>>515 いや、文書もはっきり出てたよ。ぐちゃぐちゃの読みにくい草書の文が
ちゃんと画面にでて、線がひかれて読まれたりしていた。
510です。
ご回答ありがとうございます。ビジュアルのリアリティはあまり追求しない
ということなのでしょうね。ただ、その当時の感覚の年相応に見えた方が
視聴者が感情移入しやすいと私は個人的には思います。
役の実年齢より年上の役者さんが演じる場合(島津斉彬、忠剛など)、
当時の年齢感覚に近いのかなと思います(年上すぎると不気味だけど)。
年下の役者さんが演じるときは、ちょっと違和感があります。
特に主人公が年取ったときは大抵、若すぎに見えます(功名が辻の千代など)。
そういうときに白髪とか使って年相応に見えさせた方がいいかなと思います。
(風林火山の勘助はいい感じに老けてたので感情移入しやすかった)
>>517 それは、大昔の大河からそうですね。でも、かつらやメイクの問題だけじゃないと思います。
女優さんは若くてきれいな方がヒロインに選ばれるし、あんまり老け姿が堂にいっていると
今後の芸能活動に差し支えるという観点もあるのかも。
最近の若手女優さんが、演技の基礎勉強が不足していて、それなりに熟年女性の
演技ができないってのもあるのかもしれない。それに小顔が流行だから
かつらが似合わないし着物姿も迫力不足で、大人の女性感が出ないというのもあると思う。
草燃ゆるの、岩下志麻なんか若いときも中年も(メイクの差はなくても)上手に
演じ分けていて、年齢の違和感なかったけれど
伊達政宗の桜田淳子は年取ってからは違和感ありまくりだった。
そして誰もが思っていること
(ゴクミから)ズン子に変わった時点で違和感ありまくり
松たか子が三田佳子になったときも、愕然とした(笑
男だけど、包帯取ったら吉宗が…(以下略)
島津斉彬の子女3人の写真を見たら、お姫様と思えないほど質素な地味な着物姿で写ってる。
薩摩は質実剛健で男尊女卑で軍備に一番金をかける尚武の国柄。
実際はドラマみたいなきんきら衣装は、儀式のときだけ着て、大都会の大商人よりも普通は
質素だったのかな。
>>522 斉彬の姫3人の写真のことは多数のスレでさんざん概出。
>ドラマみたいなきんきら衣裳は
もともとの映画も含めで時代劇ドラマの、もとの黎明期の頃から
歌舞伎の衣裳や扮装から流れてきているのでそういうものになる。
姫のびらびら簪や大きな髷や豪奢な衣裳も、
浪人の月代の大袈裟な伸び具合も
お殿様のきんきら衣裳も、みな歌舞伎からの流れ。
>>518 去年の三条なんてどうだったでしょうか?
メイクや衣装も落ち着いた感じだと思うし、
童顔の人が年を取ったらこんな感じなんだろうか
と思わせてくれるものはありましたが、
元が童顔なので微妙に違和感が・・・w。
三条夫人は2ちゃんでは好評だった。
娘から子供を生んだ落ち着いた女性になって違和感がなかった。
はじめから賢く慎み深く上品に描写されていたし、常に冷静で感情に振り回される事もない。
やはり演技力がものをいうね。
武田信玄のイメージの三条夫人を完全に塗り替えてしまった。
本来はこのほうが実像に近いと好評だった。
>>525 ウッドベキアがまた質問スレに登場か。
>賢く慎み深く上品に描写されてたし
北条家に嫁ぐ長女(実在だと黄梅院ね)が旅立つときに
感情丸出しの台詞で長々と泣いたりしてたけどね。
>武田信玄のイメージの三条夫人を完全に塗り替えてしまった
>本来はこのほうが実像に近いと評判だった
「完全に」とは、また大袈裟な。
2ちゃんには紺野三条の贔屓もいまだにたくさん居るよ。
勿論、どの三条も結局は創作ということをわかったうえでね。
自分だって武田研究者の上野晴郎氏の三条夫人についての著作を読み
円光院へ墓参りもしたことがあるけど
「本来はこのほうが実像に近い」なんて言い方はしない。
実際、戦国の世に公家の娘が武家に嫁ぐのは、さぞかしつらいものがあったんだろうなと思う。
比較的、平和な時代の和宮はあれだけごねて、他の公家出身の正室も決して夫と仲良しではなく
お飾りだったらしいし。綱吉夫人は、徳川にうらみがあったらしいし。
英姫からもらった道具と西郷どんが用意した道具にバッティングはなかったんですか。
>>528 どういうバッティングのこと?火鉢が二つあるとかそういうこと?
全部ひととおりそろえるから、もちろん同じ種類の品が2つそろうことになるよ。
同じ作者の同じ質の品ってことはないと思うけれど。
正式なお嫁入り道具は、西郷さんが用意したもので、嫡母からもらったものは
お嫁入り道具ではなく、ただお嫁入りに際してもっていっただけということにしたはず。
530 :
伊藤伊織:2008/05/05(月) 13:53:03.17 ID:vgYrSOFS
1 1 2 6 8 5 2 5 7 2
4 0 6 3 5 1 8 2 0 2
5 5 1 2 7 2 3 6 6 7
7 8 7 7 5 6 5 3 6 2
6 0 5 2 4 7 5 2 6 1
大体このドラマで「賢侯」として出てるのって
水戸、島津、松平春嶽、伊達宗城かな。
昨日、阿部と堀田の進退の顛末を別所で聞いているのは上記4人だと思った。
よく喋るのが春嶽。いるんだかいないんだか分からないのが宗城ですか?
そもそも3人だったかもしれんような気も駿河。
532 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/05(月) 23:11:49.32 ID:vRwyaSqj
>>531 幕末の四賢候といえば、上記−水戸+山内容堂
回答ありがとうございます。
ですがドラマで豊信出てましたっけ?
幕末の四賢候といえば、島津成彬、松平慶永、山内豊信、伊達宗城だけど、
今は水戸斉昭が活発に発言している時期なので、
例の脚本の都合上か、絵的に多すぎるとかで、山内が省かれているのだね。
でも、この中で省略されやすいのは伊達だと思うけど。
山内は、大政奉還にからんで重要人物だから、このあと出てくると思う。たぶん
上川がやるらしいよ
>>522 >実際はドラマみたいなきんきら衣装は、儀式のときだけ着て、
本木の「徳川慶喜」で慶喜の母・若尾文子は普段のシーンでは
結城紬を着てましたよね。
打ち掛けは着てませんでした。
実際篤姫には尚五郎のような淡い恋心を共有しあう幼なじみがいたんですか?
>>537 いくら分家でも小大名に匹敵するほどの家の姫。
男女6歳にして席をおなじうせずの時代には、少なくともテレビの尚五郎のような
関係はありえない。遠くからちらりとみて、思いをよせる程度。(もう少し身分が下の家の
下級武士の娘でものすごい発展家なら付け文はしたかも。)
しかし、たとえ、恋があったとしてもそんなの歴史の文書にのこると思う?
当時の女性に関する記録は極端に少なくは篤姫ほどの人のことだって記録はすごく少ないんだよ。
男の有名人だって、恋愛の記録なんてごくごくまれなんだよ。
余計なことですが、それを言うなら
男女7歳にして席をおなじうせずでは。
>>539 ごめん、うちでいわれていたのをついつい書いてしまった。
当時は数え年だったので、今の年齢でいうと6歳・・・だから、6歳になったら
男の人と一緒はだめと祖母にいわれたのが、つい・・。
541 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/14(水) 22:59:36.38 ID:COPnESGn
こないだ大久保がハリスのいる場所を「駿河の下田」とかって言ってましたけど
下田って駿河じゃなくて伊豆ですよね?
>>541 そう、下田は「伊豆国」、「豆州」(ずしゅう)です。
質問スレでってほどの問題でもない、NHKの超恥ずかしいミスですね。
「最も史実に忠実な大河は?」のスレですぐに話題になっていたよ。
宮崎の位置を知らない日本人の多さ考えたら大久保さんだって間違えるのも自然
大久保は、のちには元老になったが、もとはといえば大した教育もない
島津の下級芋侍だから、駿河も伊豆も同じあたり・・くらいしかわかんなかったのか。
言い方からし下田ってのがどこにあるのか知らなさそうな感じだったね。
○○市ってニュースで出てきてもいまいちどこの県なのかピンと来ないような。
大久保は下級武士とはいえ祖父は藩医だし父は外国館勤めだった
同胞たちと比べれば、内外の事情には明るいはずだがね
駿河の下田の件は単純にNHKのミスでそ
547 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/16(金) 00:57:35.78 ID:1rEyh9dB
しかし下田が伊豆半島のさきっぽにあるなんて小学生でも知ってるぞ。
ミスにしてもお粗末すぎる。
ハリスに献上されたお吉の悲話は有名だもんねえ。
ハリス自体は妾を所望したんじゃなくて(ハリスは厳格な清教徒)
病を得たので看護婦を希望したんだよ。
しかし、当時の幕府役人には看護婦なんて理解されてないし
ああ妾が欲しいのか?って考えで、芸者が採用された。
玄人女性なのである程度は納得づくだし、
庶民にとっては破格な高額な代償はきちん払われている。
お吉は酒色にすさんだ皮膚感もあって(すでに性病だった説もあり)
すぐにヒマを出された。
元ラシャメンと周囲から見られ、不幸な最後を迎えたのは真実だけど、
新劇や小説のような悲恋悲話はほとんど作り話だというよ。
って、スレ違いごめん。
その話は聞いたことがある。潔癖なハリスは気味悪がってすぐ送り返したらしい。
看護婦と芸者の違いもわからない人間がいる国で近代化をするんだから、いくら
長い太平の世の江戸時代に識字率が高いとかいろいろ蓄積があるからと言っても
当時の指導者はいまの中国みたく大変だったろうな。
お吉については、本当のところはわからないことが多すぎだし。
ハリスのために当時や四足で禁忌だった牛乳をもとめたとか
美談があるけれど・・・結局、金で夫とわかれて妾にはいった?
とかいう人の噂があったらしいとかいう伝説の類で、演劇にしようかというときに
下田の古老にきいてまわったら、そういわれれば子供のころ、乞食女で
キチガイがいて、大人がイジンといってたとかいう話になって調査がすすんだらしいが。
ハリスとわかれたあと、再婚したらしいとかいう話もあるし、ま、でも下田生まれの者には
なじみのロマンスなんで(観光用だけれどね)、ちょっとは出てこないと思っているけど。
辰巳琢郎は「伊豆の下田」と言ってるな。
公式のよくある質問に訂正きたね。
どう訂正されているか楽しみだ
<お知らせ> 第19回「大奥入城」 5月11日(日)の放送について
5月11日(日)の放送内で、大久保正助(原田泰造さん)のセリフで、
「伊豆の下田」とすべきところを、「駿河の下田」と誤って放送してし
まいました。5月17日(土)の再放送では修正して放送します。
修正して放送しますって
たいぞうが声だけ吹き替えしてるのかな?
口は駿河のままで。それともたいぞうのとこだけとりなおし?
なんか楽しみだぞ。
>>554 功名の時も再放送で音差し換えやったけどな。
再録音やアフレコしなくても、いまは編集技術が発達しているので
数語ぐらいだと、今までの台詞を切ったり貼ったりして直せるらしい。
557 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/17(土) 01:57:22.95 ID:E7c3oN4k
>>553 あした見れないのが残念だ。
だれか修正前と修正後の両方の映像をうpしてくれたいしないかなぁ。
セリフ被せただけでしたね
それにしてもNHKスタッフ誰も気付かなかったんだろうか?
>>547 下田が伊豆半島の先っぽにあるなんて知ってる小学生は関東辺りに住んでる子だけだと思うよ。
大久保は内外の事情に明るくたって日本全国の地名とその位置を知ってるとは思えないのだが、
素直に考えたら駿河の下田と思っただけでも上等な気がする。
でもまあ、NHKが修正するのなら、ミスだったんだろうな。
篤姫が婚礼の儀で首からぶら下げてたのって何ですか?
562 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/19(月) 03:26:37.46 ID:pEzCiTO/
昨夜の放送を観ると、ドラマでは13代将軍は
うつけの振りをしているふうに描かれそうですが、本当は違いますよね?
脳性麻痺だったと聞いたような気がするが…
563 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/19(月) 03:46:00.07 ID:gyw0CGc0
>>537 子孫やなんかに取材して作ってるからまんざら嘘でもないみたいですよ
>>563 多少の交流はあった可能性はあっても、あわい恋があったなんて
子孫にわかるわけがないよ。自分の祖母の初恋なら知っている人もわずかに
いるかもしれないけれど、自分の曾祖母の代の初恋を知ってる?
家柄からして、将来、縁談がもちこまれる可能性が高い家で将来の婿候補の一人で
かつ家同士が親しい歴史があり、親同士も交流があったため、幼少のとき
対面したことがあった、双方が大人になったあと書き残したものや周囲の記録で
○○どのは、壮健でいらっしゃるかのう?などと気にかけるお言葉があった
・・・・この程度が限界でしょう。恋心があった、なんて子孫だってわかるわけがない。
>>562 本当にふりをしていたとしても、本当のところは不明。
歴史にそんな事実は残っていない。将軍が、何かの病気らしく
生殖能力があったかどうか、知能に疑問があるとか、疱瘡をわずらってあばたがあったのではないか
このくらいしかわかっていない。
御簾の向こう側の人で、対面できる人は限られていたから。対面できたとしても
顔を直接しっかり見れる立場の人がごくわずかで、さらに、ちょっと障害がある!などと
見たままをはっきり口にしたり書いたら、おそれ多いことと首がとぶかも。
障害があるってことは当時悪口になった。英明なとのなれど、常人にははかりしれない部分があるとか
ご幼少のときのご病気のせいか、少々、現をはなれて夢をみている風があるとか
そんな表現がつかわれ、今日の歴史家がそれから想像しているってこと。
566 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/19(月) 09:00:14.47 ID:XVHxv42w
ウツケって何ですか?
567 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/19(月) 09:08:21.85 ID:tEp+wXR1
>>562 カステラ作りに熱中したって聞いた事ある、
それが本当ならもし脳性麻痺でも極軽いものだったのじゃないかなあ。
566の目の前にある箱は、みかん箱?
篤姫は新撰組は出てくるんですか?
571 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/19(月) 12:31:02.81 ID:Yl+knsA8
篤姫って慶喜を次の将軍にするために御台所になったんですよね?
でもそれだったら篤姫が世継を生む必要なくないですか?
もしかしてドラマ上そういうことにしてるだけで、
史実では最初から世継のことは求められてなかったとか?
572 :
日曜8時の名無しさん:2008/05/19(月) 12:34:15.09 ID:gyw0CGc0
>>564 知らんよそんなことは。とにかく取材に基づいてると聞いたよ。
>>571 国難に世継ぎは間に合わん
世継ぎの件は主に大奥内での権力あらそい
>>573 う〜ん、納得したようなしないような。
世継を産んだ方が慶喜を将軍にしやすいってことですか?
でもむしろ世継がいる方が余計な揉め事になりそうな気もするんですが・・・。
どうも水戸(江守)がわからんなあ。
阿部にしろ、斉彬にしろ彼の息子を将軍後継者にするために動いて篤姫の件だってその流れなのに、
むしろ邪魔ばっかしてたよね。。
脚本的に問題ないんだが、この点だけはどうも。
あと、徳川家の立場からみて阿部ってどうよ。
彼が外様の意見きいたり、朝廷に話ふったりしたもんで幕府の権威低下→弱体化じゃない?
>>575 >彼が外様の意見きいたり、朝廷に話ふったりしたもんで幕府の権威低下→弱体化じゃない?
本人はそれなりの見識や思惑はあってのことだが、中立もしくは幕府方から見れば、歴史上でもそういう評価
逆に、それだからこそ、歴史の進歩を崇拝する識者には阿部は名君扱い。
>>575 斉昭は亀田父あたり。あそこまでひどくはないだろうがw
阿部に関しては未曾有の国難に直面してる
>>574 まずは主導権を握る必要がある
>>575 水戸斉昭は尊皇攘夷の大ボスとして祀り上げられていたから、立場上攘夷強行を引っ込めるわけにいかなかった。
また、徳川家の立場から雄藩の台頭を不審な目で見ていた。
もっとも自身も幕閣から不審な目で見られ、大奥を敵に回すことにもなった。
斉昭と幕閣との確執は藩主就任のお家騒動の時からあったので、個人的に目の敵にされていた。
阿部は大奥の後ろ盾もあり政治的な背景は強力なのだが、既に幕府の権威は失墜していた。
水野忠邦や井伊直弼のように強権発動すると反動で失脚する、そんなご時世だった。
それで、尊皇攘夷のドンや藩政改革を成功させ、潤沢な軍資金のあった雄藩を幕政に呼び寄せた。
また、世襲的だった官僚制度を改め、実力を備えた者を進んで登用した。
改革の半ばで過労死してしまうわけだが。
一方で、自藩の運営は放置していたらしい。
>>571 世継ぎを生むのは長期的には重要。
>>574 世継ぎを生んだ方が、圧姫の発言力は増すだろうね。慶喜さんは置いといて。
お志賀さんに子どもができる可能性を誰も想定してないのはなぜ?
もう側室に上がって何年にもなるのに出来ないから、とか?
>>579 大河ドラマでは部屋持ちという設定だけど
史実では志賀は三人部屋住まいで同居の女中は本寿院と篤姫付の人だった。
私生活で妊娠の徴候が出たらすぐに知らせるよう見張られていたらしいよ。
582 :
579:2008/05/20(火) 12:08:09.63 ID:ovLinMZI
そっか、一応警戒されてなかったわけではないんだね。
でも長年できないし…と特に話題には上らなくなってた、と。
お志賀だけでなく前の姫2人にもずっと子どもができないんだから、
家定が原因と思うのが自然だろうに、篤姫にはみんな普通に
期待している(少なくとも大奥内では)感じで、なんか釈然と
しなくて。
御台所はシンボルでお飾りだから子供ができなくても存在してることに
意義があるのでは。
将軍に御台所がいないと形にならないので迎えたが、跡継ぎは誰も(姑以外は)
期待してなくて養子を迎えることは表の世界では暗黙の了解だった。
志賀は年上で家定の介護要員だった。
阿部が権威失墜した幕府で、外国に安全を脅かされてる状態のなかで、庶民や外様大名にまで
危機にどう対処したらいいか広く意見を求めて、譜代だけで政を運営するという掟を破っため、
幕府政治の秩序が壊れたが、結果的に勝海舟などの優れた実力のある人材を広く活用する道を作った。
そのおかげで日本は植民地にならずにすみ、後世からは感謝されている。
>>581 お中臈に将軍の手がついても、子ができていない時点では
「お手つき」でも個室の局はもらえない場合が多いと聞いたことがある。
お志賀の場合だけが >三人部屋住い だったわけでも無さそう
>>582 二人のうち、片方の姫は、姫自体に障害があって
子ができなかったらしく、もう一人も夫婦生活があったかは
微妙らしいよ。どっちも公家のおかざりの姫様だしねー。
歴代の仲でも生殖能力あふれる殿様は側室にじゃんじゃん
産ませているけれど、御台所にできないのは、都合が悪いから流させた
理由もあるけれど、おかざりで迎えた姫君には殿も気乗りがあまりしない
(器量もいまひとつとか、気取りかえっていて性格がいまひとつとか
武家と趣味が違って公家風の不思議ちゃんとか)ってせいもあったのかなって思う。
>>582 最初の正室は幼い頃から大奥入りしていて、家定とは幼なじみみたいに育ったらしい。
死んだのは大奥改革をしようとして暗殺されたという説が有る。
最近発表された当時の大奥詰め役人の家族の日記では、実は天皇の娘だったと噂されていたようだ。
志賀に手がついたのは、この最初の正室が亡くなったあとのようだね。
587 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/02(月) 01:57:56.02 ID:/QfiWdTU
そういえば、コロッケ出てこないけどもう出番なし?だとしたら一体なんだったんだ?
西郷隆盛の演技が、軽過ぎて違和感ある。
演出の意図? 役者の力不足?
もっと、どっしりした人だったのでは?
西郷より個人的には大久保のが違和感ありまくりだなぁ
これじゃ質問の答えになってないなw すまん
西郷も大久保もまだペーペーの時代だから
西郷が大活躍するのは二度目の遠島から赦免されて以降だし
大久保が活躍するのは久光の側近になって以降
591 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/02(月) 19:46:50.81 ID:jnG1jpXW
新選組は小松とか龍馬に絡んでくるの?
まだ見廻組の方が出番あったりして・・・
もう6月だというのに、いつまで大奥ゴッコやってるんだ。
この調子で行ったら、幕末の動乱、明治維新まで行かないで終わるぞ。
594 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/04(水) 00:39:33.67 ID:urgfG1pr
幕末の動乱と明治維新は超特急ですっとばすから安心せい
595 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/04(水) 01:14:59.54 ID:qepQeMaQ
忠実ってよく出てくるけど誰のこと??
596 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/04(水) 03:38:07.90 ID:Jp0SUjtw
アホウ
by寿桂尼
597 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/04(水) 03:44:11.06 ID:fll2BV2p
>>588 そうさなぁ
西郷は鐘みたいな男だ
小さく叩けば小さく鳴る
大きく叩けば大きく鳴る
598 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/04(水) 07:35:04.99 ID:aJXjCLg2
>>593 そうか、そういえばもう6月か。今年も半分過ぎようとしている。速すぎる。
599 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/05(木) 00:56:41.67 ID:rpwQ4qbG
篤姫が嫁入りする前あたり、江戸高輪の薩摩藩の屋敷で夜のシーンが多くあった。
その時薩摩藩の屋敷の軒先にかかっていた、丸いマリのような明かりは薩摩独特の
物なのだろうか?他のどの夜のシーンにもあの明かりは登場しない。中はろうそくが
入っているらしく、またたいて見えた。
ぼんぼりのこと?
601 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/05(木) 07:50:34.90 ID:rpwQ4qbG
>>600 ぼんぼりは、骨がせいぜい縦に数本とかが多いけど、大河に登場したのは
まるで糸玉のようにたくさん有った。どこから火を入れるんだろうと思うくらい。
個人的には見たことが無くていまだに分かりません・・・
歴史ヲタの人に質問しま〜す!
桜田門外の変が終わってから和宮は嫁いでくるのでしょうか?
桜田門外の変・・・万延元年(1860)3月3日
和宮降家 ・・・文久2年(1862)2月11日
604 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/07(土) 00:16:40.02 ID:ugcBljFp
最近良く出てくる寝所での家定と篤姫の会話シーン。奥の方に丸い形をした
窓が有るけど、あれの外は庭なのだろうか?だとしたら無用心だな。
>>604 中庭だと思うよ。それに、お城には城壁もあればお堀もあって、
大奥は一番奥で、上様が入るのはそのまた奥でしょ。いきなり外庭ではない。
今の天皇家のお住まいに、くせものが入って陛下のお命ねらうとしたら・・・その大変さを
考えてみれば窓があっても無用心ではないよ。
>>601 んー自分にはわからないな
稲荷(狐)信仰で宝珠はでてくるけどその流れかしらね
あるいは「狐の嫁入り」とか…
篤姫はまだ処女のままなんですかね?
次週以降、本寿院ともめるそうですが、
いくら嫁と姑といっても、本寿院にそんな権限あったのでしょうか?
初対面で、篤姫の方が上座に居た時点で、もうそれはないものと思っていたので、びっくり!
もちろん、立場からすれば御台所である篤姫のほうが上。
しかし阿部、徳川斉昭という慶喜推進派の後ろ盾がなくなり篤姫は孤立。
しかも初対面での本寿院はただ世継ぎを産んでくれる人ということで
篤姫に下手に出ていただけ。
大奥での勢力図から考えると今のところ強いのは本寿院といったところか。
611 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/09(月) 20:55:16.87 ID:yPSmuMop
慶喜が本心を隠していたような謁見は
瀧山のような間諜ともいうべき存在を警戒していたのでしょうか
話は変わるけど寝所での篤の
「勝ちにございます」
は五目並べのことだけなのか
それとも家定とのまつりごとの駆け引きにおいての意味も含んでいるのかな
慶福の“お毒味事件”のエピソード、忠実かどうか知らないけど、
嘘つきで狡猾な人間(慶福@松田翔太)が大奥の女達を丸め込む話にしか見えなかった。
だって食べないで「腐ってる」と言い放ち、毒味役に確かめることもさせない・・・
でもNHK公式ページをみると
>篤姫をはじめ、その場に居合わせた者はみな、慶福の判断と威厳に感嘆。
>“お毒味事件”は、期せずして慶福の温厚で聡明な人柄をアピールすることとなった。
・・・どう思いましたか?
>>612 歴史的事実は無いのでしょうけど、大奥が既に慶福に好印象を持っていることを示す演出ではありますね。
立場的に言えば、
慶福は紀州藩主(一国一城の主)、御三家当主としての立ち振る舞いが身についている
慶喜は御三卿の当主(将軍継承のための家柄で領地も領民もない)、藩主教育は(たぶん)施されていない
例えば篤姫の目を見て会話する慶福、目を合わせない慶喜の対比も、
そういった記録が残っているのではなく、演出の妙でしょう。
>>613 おっしゃることはもっともだと思うが
最後の2行は疑問。
将軍になる前だから、慶福も、慶喜も御台所篤子よりは
目下のもの。目上の者の目を見て話すのは当時のマナー違反。
ちゃんと目をみて話しなさいってのは、西洋流マナーが入ってからの
話。今でも伝統のある世界では、自分より上の人と目をあわせることは
大変に失礼なこととされ、厳しく叱責される。
>>613 これ↓のこと?
>食事時、家綱が汁物をすすろうとしたところ、髪の毛が入っていた。
>家綱は平然とその髪の毛を箸で摘まんで取り除いたが、小姓が替えの物を用意しようとした。
>だが、家綱はその小姓に対し、「その汁は途中で捨て、椀を空にして下げるように」といった。
>つまり、これは御椀を空にすることにより、普段のおかわりと同じ様に扱えということで、
>咎められる者が出ないようにとの家綱の配慮があったということである。
>>615 おっしゃることはごもっともだが
大河ドラマは時代再現が目的ではない
現代の一般論で目の演技を判断するのが自然だろう
『今でも伝統ある世界』って市井の人間とは無縁な世界だろう
そんな雲の上のこと言われてもなんだかなあ
私は
>>615に同意だな。
そして
>>612の2.3行に同意。
現代の一般論に当てはめようとすると、なんだか無理が出る気はしませんか?
現代人である私から見ても、じっと目を見る慶福に無礼さを感じたけど。
大福のシーンは世代や身分によって見方が変わる
よくわkりました
史実の慶喜は一橋に養子に入る前に、水戸斉昭の正妻の子供として、文武両道とも
厳しく躾けられ、養子に行くから水戸流の帝王学も叩き込まれて、何十人もの子供のうちで
優秀だから選ばれて一橋の養子に入ったと聞いた。
弓は大好きで明治になってからも体を壊して医者に止められてもやっていたらしい。
趣味も絵画に写真に手芸に自転車に投網と器用な人だったから、政治的に公から身を引いても
退屈しなかったんだろう。
政治的野心を捨て国内の混乱を引き起こすのを避けて、引きこもったのはいいが、
旧家臣が額に汗して働き、新時代に生活できなくて苦労してるのに、遊びまわっていたのはやっぱり貴族だなと思った。
私も、あんまりじーーっと目を見ている
慶福は無礼なやっちゃなーまだ、子供だからおそれを知らないのかなと
思った。現代だって天皇陛下の目をじっと見て話すなんて無礼な人いないもんね。
623 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 12:23:40.70 ID:r7mbyrGb
当時の人の歴史的知識の無さってどうよ。
孝明天皇なんかまるでわが国始まって以来、外人来たことないように思い込んでるし。
例えば、信長公記とか読めば、外人の宣教師がそこら辺歩き回ってたこと分かるわけだし。
幕府の役職についてる人間だったら、一般常識として権現様の顧問にエゲレス人がいたとか、
3代様の時代になって鎖国になったとか知ってなきゃおかしい。
それが鎖国こそわが国開闢以来の祖法みたいな論理がまかり通ってたのってどう考えてもおかしいんだけど、
何ででしょう。
624 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 14:38:32.93 ID:o907TiL5
大久保、西郷、桂など薩長が評価されているようですが?
なぜなんでしょう?確かに近代化には早く取り組めたかも
しれませんが、所詮テロ集団ですよね?
それにくらべて最後まで忠実に仕事をした旧幕府軍の方が
現代では評価されるべきと考えますが如何思いますか?
土方や伊庭八郎など賞賛されるべき。
なんでもテロで片付けてよいなら
歴史上の政治に関するほとんどの出来事はテロって言えるよなぁ。
そうやって簡単に人を貶められる奴の脳内は
さぞや綺麗は花が咲き乱れていることだろうね。
626 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 16:16:12.22 ID:0nuH5Hdh
>>624 「勝てば官軍、負ければ賊軍」って有名な格言があるけど
しょせんその程度のこと。
薩摩藩は
・不満分子を粛清しても内部で分裂しなかったこと。
・小松帯刀のような聡明で冷静で皆を平等に取りまとめた若き
リーダーがいたこと。
・状況に応じて臨機応変、志を同じくするならきのうの敵も今日の友
・ヨーロッパ人を味方につけて最新の世界情勢を取り寄せることができた。
・岩倉具視のような融通の利く身分の低い公家を味方につけて朝廷を丸め込められた。
幕府側は
・それぞれの思惑が入り組んで調整だけでも物凄い労力
・徳川宗家、ご3家、譜代、旗本、奉行、大奥がそれぞれ潰しあい
・権力の構造と誰が政治の実権があるか複雑怪奇
・毛沢東が純粋無垢な幼い少年少女達を煽動して政敵を吊るし上げた
ように不遇な庶民を選抜して大義名分をつくり新撰組に武士が出来ない
汚い仕事を押し付けた。
627 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 16:34:05.24 ID:I8Y58E7E
くだらない質問なんですが、当時は焼いた餅は醤油とかをつけずに
食べていたのでしょうか? 昨日は何も付けずに食べてましたが、
あれは醤油が垂れて衣装を汚さないようにしていただけですか?
628 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 16:43:12.96 ID:8c/uzLOq
>>612 実年齢を考えると、最大限で、慶福11歳、慶喜19歳の頃となる
わけで、とても史実であるとは思えません。
ただ、慶福には非常にこまやかな心配りと豪気さの両方を
併せもっているのは確からしいです。20歳で若くして死亡したのは
極めて残念。
それに比べると慶喜の方は豪胆さは変わらずとも、心やさしさは及ばなかったのでは?
・・・家定が実は英明だと言うのは物語としては面白いw
630 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 17:00:07.17 ID:0nuH5Hdh
>>627 餅に醤油をつけて喰うのは明治以降に行われるようになったこと。
昔は台所で調味料を使うことはなかった。つまり料理の味を調味料で
調整するようなことはありえない。
現代人が当たり前と思っていることでも、こんな感じ
>>627 平安時代の昔から、亥の子餅などという
小豆をねりこんだ餅も存在しますので、
あらかじめ何か練り込まれた餅と考えた方がいいのでは?
632 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 17:07:47.48 ID:0nuH5Hdh
少し訂正
昔は台所以外で調味料を使うことはなかった。つまり料理の味を調味料で
調整するようなことはありえない。
特に身分の高い者は菓子以外の食べ物を自分の欲求にもとづいて食べられなかった。
必ず毒見…。
家定が自分で菓子をつくって食べるのを好んだのは食材と調味料の安全を確認できれば
毒見の必要がないからとも考えることが出来る。
633 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 17:17:05.38 ID:0nuH5Hdh
>>631 明治になるまでは芋餅とか豆もちとか餅といっしょに
混ぜた餅だけ単独で食べていたのかもしれない。
仮に醤油をつけるのが好きな人がいたとしたら変わり者か
相当な無作法ものだったんだろう
薩摩ではふかしたサツマイモと餅をいっしょについて
貴重な餅米の量を節約した芋餅が名産だった。
餅になにをつけるかは、地方により味噌をつけて食べるとか
東北地方のようにずんだや納豆や摺った黒胡麻のペーストを
かけるとかいろいろある。
>>628 いや、異人を国土に入れたら先祖に申し訳ないみたいなこと言ってるけどさ、すでに戦国 安土桃山 江戸初にはしっかり西洋人来てるんだから、それはおかしいってこと。好き嫌いとは関係ない。
どうも幕末の人間の知識からは、前の時代の南蛮人渡来の知識がスポーッと抜けてるようで不思議なんだよね。
635 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 18:03:38.19 ID:8c/uzLOq
>>634 考明天皇に会うには官位が必要だ、 会っても格子戸越し 入れるのは位高い公家ぐらい。
異人も京都御所だけさけたらしい。
慶福も早死にしたのはなぜ?
637 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 18:46:35.89 ID:0nuH5Hdh
>>634 いまのような各人が平均した情報や認識を持てる時代とは
違い、西洋と交流してるという意識がなかった可能性も
充分有り得る。
ミカドは室町時代以降、京都御所はおろか市外へ出向くことも
ままならなかったようだ。加えて浮世はなれした世界…。
そういう環境なら日本は孤立無援でも永遠に栄えると思われても
不思議でないはず。
>>636 京都に幾度に街道沿いや京大坂の菓子屋が、将軍御用達の看板を狙って
菓子類を献上。
その食べ過ぎでメタボ&虫歯で死去。
というのが、遺体を発掘した時の検屍の推測。
>>636 脚気という説もある。
脚気もひどいのになると心臓にくる。
いずれにしても偏食がひどいというのは
まちがいなさそう。
>>639 家定の死因も脚気説あるよね。
あの時代、高貴な人々の間では白米を食べるのが習慣になり、
ビタミンB1が欠乏して脚気に罹る人が多かったらしい。
一種の贅沢病だね。
641 :
日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 23:35:42.28 ID:BzjimBc/
>>629 心のやさしさが、将軍として必要かは疑問だなあ。
家康は、自分の妻妾や子にはきわめて冷たかったらしいが
家臣には細やかな心遣いと優しさを示したというし。
民を治めるのはやさしさと厳しさが必要ともいうし、百姓はいかさず殺さずとも・・。
あの幕末のごたごたの中では・・・やさしさを意図的に効果的に使える人、
自分の長所を長所にとどめず、ひとつの武器として利用できるところがないと
将軍として幕府をもちこたえることはできなかったのかも。
慶喜は、自分を支える人を放って責任を投げ出したと東京では評判いまひとつだけれど
自分の器では、とても出来ない、最小限の被害でさっさとかわったほうが世のためと
計算したのではないかと思う。幕府も維持しつつ、勤皇派もすべて納得できるような
政策をしめして、対外的に国を自律させつつ発展させるような器は・・誰にもなかっただろうと思うな。
将軍はお飾りという考え方で来ている訳で
将軍継嗣問題もいろんな理由付けはあっても
譜代と外様の権力闘争でしかなかったわけで
その中で将軍の器云々を言うのは無意味な気もするんですが。
ここでは慶喜を過大評価してる方がいますが
不安定な立場に立たされれば逃げ出したいのは人情ですし
それでいいんじゃないでしょうかね。
>>643 確かに。明治天皇もお飾りといえばお飾りだしね。
・・ただこのスレの慶福過大評価も違和感感じる。
645 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/01(火) 09:16:10.05 ID:qRnR3dNG
所詮戦いは愚かな行為だということが
大河を見てわかった
646 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/01(火) 09:45:27.54 ID:yQHpObM0
647 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/01(火) 12:26:23.29 ID:rm+8jtfE
>家定が自分で菓子をつくって食べるのを好んだのは食材と調味料の安全を確認できれば
>毒見の必要がないからとも考えることが出来る。
鯛のてんぷらの油の質が悪くて死んだらしい家康の最後の楽しみは目の前でてんぷらを
揚げさせること。当時のてんぷらは竹串が刺してあったらしいから
面白がって自分でもやっていたこともあるかも?
648 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/01(火) 19:42:40.64 ID:FhDh+dqv
ガイド後編読んだが、やはり新選組は絡んでこないのね…。
篤姫って引越しオバサンの先祖なの?
基本的なことですみませんが…
前回上様が何度か昼間に篤姫を呼び出していましたが、呼び出していた
部屋は大奥の中ですか?それとも外?
あと、篤姫はお呼びがかかった時と全く違う服装(打ち掛けを羽織るだけではなく
中の着物も違う)で上様のもとを訪れていますが、着替えなくてはいけない
慣習でもあったのですか?あれだけ着替えるとなると時間もかかり、
上様を待たせることになると思うのですが。
>>650 基本的に、御台所は大奥から出る事は出来ません。
ですから、前回の部屋は大奥の中だと思います。
あの部屋はおそらく、御座敷かと思われます。
だいたい昼八つ(午後二時ごろ)将軍は大奥にやって来ます。
この時は御台所と、御座敷でお菓子を食べたり雑談をしたそうですから。
御台所は、将軍に会うたびにお召し替えをしなくてはいけませんでした。
通常は日に3回。一日に5回、お召替えをする事もあったそうです。
そのたびに化粧を整え、違う衣装を着たそうです。
>>651 会う度にお召し替えですか…朝の参拝などの予定がわかっている
場合はいいけど、突然の呼び出しだと大変ですね。
大変わかり易い回答をありがとうございました。
>>629 >それに比べると慶喜の方は豪胆さは変わらずとも、心やさしさは及ばなかったのでは?
篤姫という物語の設定としてそう感じただけならいいが、
実際の人と為りを根拠なく判断しては、慶喜が報われない。
自分は別に慶喜嫌いじゃないが
かなり嫌味な人ではあったと思う。
桐野作人さんのブログからの引用だけど
藤田東湖が斉昭に宛てた書簡のなかで
幕臣から聞いた慶喜の言動
「一橋家の用人が木綿の服で慶喜の前に出たところ、
慶喜がそれは何と申すものかと尋ねたので、綿服だと答えると、
綿服にて出仕するほどなら、娘は踊りの稽古はもうやめたろうなと、
慶喜がからかったので、用人は赤面して引き下がった」
歴史的にどのような役割を果たしたかは議論の分かれるところだろうけど
嫌われる人って物の言い方一つだったりするから。
>>651 夜のお渡り以外にも、夫婦で触れ合う時間ってあったんですね。
大河の篤姫を見てると、朝のお祈りと夜のお渡りのときしか会えないのかと
思っていました。
朝は姑他の人たちが一緒だし、夫婦だけの時間が少ないんだなと。
>>655 基本、夫婦ふたりきりって寝所くらいでしょう。それもすぐ次の間に人がいる。
いつもおそばに人がいて、特別にお話があるからってときだけ、出て行ってもらう。
朝の仏間でのお勤め(お祈りって書いている人がいるけれど、あれは正確には
朝の勤行といって、朝晩仏壇にお勤めすることで一般家庭でもやる)も
全員が全員でてくるわけでもなし・・ドラマでは毎回姑がでてくる設定になっているけれどね。
657 :
655:2008/07/04(金) 22:30:02.18 ID:h1P+2gcj
>>656 ありがとうございます。
将軍家の夫婦関係は、現代の庶民の夫婦とは全く別物のようですね。
ドラマの中で篤姫も「今和泉の父母のような夫婦になりたい・・・」と言ってたし
寂しい思いもしたのでしょうね。
覚悟の上で嫁いだとはいえ、御台所というのは複雑な背景を持ってるんだなぁ。
史実はどうかわかりませんが、篤姫と家定は子供が出来る行為は
一度も果たすことができなかったのでしょうか。
それもまた辛かったろうな・・・
徳川幕府の正室の御台所が生んだ子供が将軍になったのは
3度目の結婚で2代将軍秀忠の姉さん女房になった浅井長政の娘の於江の生んだ
3代目の家光だけで、あとは全部15代まで側室の子供か養子。
夫婦間で愛情があったのは秀忠と於江夫婦と、家茂と和宮夫婦ぐらいだろう。
江戸時代は一夫一婦制でなく家同士の婚姻。
篤姫の父も尚五郎も大久保も西郷も、武家は普通に側室あるいは妾がいた。
妻妾同居の環境に慣れてるから篤姫も大奥で順応できたと思う。
滝山と篤姫ってこれから対立関係になるの?
和宮が出てくると滝山も御台の方に付くから期間は短そうだけど・・・
公式だと結構な険悪関係っぽいが言うほど酷くないのかな?
民放みたいな感じはいらんけど
和宮と篤姫で、嫁姑の対立が始まるはずだけど。
フジのときは、家茂の生母ってことで野際陽子に和宮と対立する姑役を押し付けてたけどね。
菅野に意地悪姑を演じさせたくなかったんだろうね。
篤姫と家定の間には夫婦の愛情があったのでしょうか?家定亡き後も薩摩には帰らず、島津家からの援助も拒否していたということは、やはり家定を愛していたのでしょうか?
662 :
連投すみません:2008/07/07(月) 01:05:48.29 ID:udziJCPd
幕府も崩壊してもはや徳川家にいる理由はないし。嫁いだからには最後まで徳川、と決意したのかもしれませんがそう思ったのはやはり家定を愛していたからでしょうか?…なんて誰にもわからないですね、変な質問してすみません
663 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/07(月) 02:11:14.79 ID:fGekcZYd
一橋擁立の工作員として潜入したのに、それに失敗して、
いまさら薩摩に帰れるわけもない・・・
664 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/07(月) 10:33:16.72 ID:udziJCPd
↑
薩摩からの援助や帰国の提案もあったのにそれはおかしいだろ
>>661 家定に対する愛情から薩摩に帰らなかったのか、
嫁いだら二度と実家の敷居はまたがないという
当時の女性の倫理観からか、御台所としての
矜持からか。
夫への愛だけで今まで1−2度しか会ったことのない
世子を愛し、家をもりたてて、家のために奮闘するかな?
心の中は本人にしかわからないね。日記は残ってないしね。
この当時の将軍や御台所は日記とか残してないし、明治に大奥に奉公した下っ端の女中が
新聞記者に語った話くらいで、身近にお側にいた側近の話とか手記もない。
家定もハリスの日記に会った印象が書いてあるくらい。
大久保など維新の志士たちは日記や手紙がたくさんあるのに。
西郷の手紙には「女の事なのでなかなか話しが進まない。」と篤姫の大奥工作を
言ってたり、徳川存続を訴える篤姫の手紙を歯牙にもかけなかった様子から
薩摩側では薩摩藩の政治的駒だった役目も終え、久光に代替わりして利用価値もなくなり
そのあと西南戦争や廃仏毀釈など薩摩も政情不安で、篤姫も帰る機会を失ったのも一つの要因かも。
実家でも親が死んで代替わりすると疎遠になるし。
667 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/07(月) 11:29:53.95 ID:hPwmyaLP
実際問題、西郷と篤姫は江戸屋敷で会ったぐらいで互いにたいして親しみもなかったんだろう。
このドラマでいくと、篤姫の嘆願を歯牙にもかけないとか考えにくい。
迷う西郷に対し、そこは鬼の大久保が拒否するのかも。
668 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/07(月) 17:19:52.82 ID:udziJCPd
真実は闇の中か…
もっと文献が残ってればな。残念
ふつうに、使命を果たせなかった厄介者としてド田舎薩摩で冴えない暮らしをするより、
大奥の女帝として、幕府倒壊後はは徳川70万石の前夫人・当主亀之助の養育者として
敬われながら東京暮らしする方がよかったってだけでしょ
あと、和宮は「静寛院宮日記」を残している。
670 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/07(月) 18:42:25.54 ID:CQTjjvWT
昨日の「篤姫」では堀田正睦と井伊直弼にはどういったやりとりがありましたか?
この時期にお江戸で亡くなられて、篤姫が祭壇行った時。
遺体って損傷、異臭無かったの?
火葬したの?
672 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/07(月) 21:18:53.36 ID:udziJCPd
673 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/07(月) 21:40:02.69 ID:udziJCPd
チンポ出して終わりかい!
>>669 考え方や認識の違いなのかもしれないけど
>ど田舎薩摩で冴えない暮らしをするより って違和感が。
まず、実家に帰るという選択が武家夫人として無かったであろう。
また実家に戻ったとしても、東京で余生を送るのが普通だろう。
旧藩主はみな東京に屋敷を構えていたものだし、
薩摩の人間は東京ではみなはぶりが良かったのだからな。
また、指摘の日記は和宮の筆ではなく庭田典侍の「御側日記」のことでは?
ここでよく、○○将軍と××は中が良かったの?的な質問があるけど
とりあえず公家、皇族から迎えた御台所と将軍が仲がよろしくなくても
いっこうに構わないことなので、仲について推察する必要もまずない。
また浮世絵や草子類でも、将軍家や大奥に関しての記述や絵画を記すのは
硬く禁止されているため、夫婦仲についての書き物なんて出来ないよ。
(「三王外記」等の醜聞集があるけど、良質の史料とはされていないs)
>>671 今ひとつ質問文章がわからないけど・・・
将軍の死去は(慣例として)数週間ごく一部をのぞき秘密にされる。
ちなみに家定の死は7月12日だが、薨去日は8月8日とされた。
棺の内部に大量の朱を用いて腐乱を防止することになっている。
675 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/07(月) 22:50:06.52 ID:udziJCPd
676 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/08(火) 00:15:44.58 ID:9RN3mw6g
ま 実際はそんなもんかも…。
>>675 家定・篤の間柄を、美化しないことが、そんなに不満か?(www
普通に考えて、
薩摩に戻ったところで、実家にはすでに父母、実兄は亡く、
仲の悪かった腹違いの庶兄が継いでいる。
島津家は斉彬ではなく、久光の血統が継いでいる。
篤の居場所なんか無い。
それよりも、大奥で千人の侍女にかしずかれる生活が捨てがたいのは、
聖女ならぬ身として否定できないところだろう。
夫が死んだとしても正室は実家には戻らないよ。
側室だったら家に戻された人もいるだろうけど。
篤姫の場合は薩摩に帰るとしたら家定の死に際してじゃなくて
幕府が「朝敵」になった時か「江戸城空け渡し」に際して、でしょ。
だから
>>677は「千人の侍女にかしずかれる生活」を前提としている点で
ちょっと違う。
むしろその「千人の侍女」らのその後生活のあてを探してやって奔走して
私財を擲ったのが篤姫。
朱を入れて腐敗を防ぐ・・・の朱って
今で言うと食紅かなんかですか?
>>677 幕府瓦解後に「徳川家より戻りたし」の希望は島津家からあったろうが
(そして、断ったと伝えられているが)万一、戻ったとしても
東京の屋敷だろうし、それなりの待遇は受けるはず。
>大奥で千人の女にかしずかれ
そういう生活が捨て難いも何も、徳川家達家で豪奢な生活はできないし
幕末大奥の女中数は(たぶんお目見得以上だろうが)400名に足らず
篤姫つきの奥女中は70数名という記録がある。
「大奥○千人」なんて大袈裟を、鵜呑みにするのは・・・
また、>669で>前夫人と書いているが、
前夫人というのなら、慶喜夫人の美賀子のことになるのだが。
>>678 家康や、子を産んだ側室がたった1人という秀忠時代はさておき、
大奥の仕組みが整った頃から、将軍家の正室、側室は
将軍死去後は落飾して院号を名乗り
桜田御用屋敷(比丘尼屋敷とも言うか?)で将軍の菩提を弔って暮らす。
これは通常の慣習だが、側室のなかには役職者として大奥に残ったり
息女の嫁ぎ先に押し込められたり、多少の異例も散見する。
>「千人の侍女」らのその後生活のあてを探してやって奔走して私財を擲った
ふーん、ソースは?
ウィキペディアとか言わないでね。
めぞん一刻でも
惣一郎に先立たれた響子は
実家に戻らず一刻館の管理人やってたからな
>>678 >>私財を擲ったのが篤姫。
篤姫の『私財』=個人的財産、っていつ、どのようにして築かれたの?
685 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/08(火) 12:40:53.69 ID:O58xpIch
薩摩から輿入れしてきたときの道具調度、着物、持参金など。
御台所時代に購入した道具調度着物などだろう。
生活費は徳川宗家が出す。
宗家は公爵で賞典禄も最高ランクだから安くはないだろう。
慶喜もかなりの間、宗家の経費で生活していた。
着物をたくさん作る話の時に薩摩より送金があるからいくら使っても良いって話なかったっけ?
687 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/08(火) 13:12:57.13 ID:SfMqwyDo
篤姫は下の世話も女中まかせのお姫様なのに、大奥女中たちの生活を心配した
なんてありえないというスレがあった。
慶喜も趣味が写真で自転車を乗り回して「貴人情を知らず」の状態だったとか。
篤姫が明治時代に勝海舟と友達づきあいしたというのも、勝の法螺だったとかスレがあった。
真相はどうなんだろう?
慶喜を「貴人情を知らず」と罵ったという幕臣の皆さんは、
「アリとキリギリス」でいうところのキリギリスですよ。
「あなたがたは幕府時代、何をしていたのですか?」
「三味線を弾いて小唄をうたっていました」
「じゃあ幕府瓦解後は踊るんですな」
>>688 ありがとうございます。
水銀って腐敗を防ぐ作用があるんですか。
子供の頃、水銀体温計があったのが懐かしいです。
今じゃ電子体温計しかみませんもんね。
691 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/08(火) 16:50:45.68 ID:O58xpIch
御台所の予算もあるよ。着物代や身の回りのものだけで何千両だよ、たぶん。
あと幾島などの年寄は10人扶持、50石、金80両(時代によって若干異なるだろう)それに薪や炭などが支給される。
>>薩摩から輿入れしてきたときの道具調度、着物、持参金など。
>>御台所時代に購入した道具調度着物などだろう。
それは、いわば「公費」で購入した「公物」だろう。
いわば、旧幕府の資産。
元・御台所の私物とはいえないんじゃないか。
勝手に処分して、自由に使えるものとは思えないのだが
放送で篤姫が公方様のところに鍵をあけて行きましたが
史実にもあるんでしょうか?
>>692 現代の公務員に関する感覚でもの言ってないか?
>>674
めちゃくちゃな文章ですみませんでした。
察してくださり、聞きたかった答え下さりありがとうございます。
朱(水銀でしたか)
どの位の防腐作用あるか、不明ですが、亡くなられて半月以上の夏に、
腐敗と、異臭じゃ鳴くどころか、吐くんじゃと。。。
ありがとうございます
>>695 遺体を赤チン漬けにするような要領で
防腐すると考えるのがいいかと。
>>695 いえいえ、わかりづらいとか言ってスミマセン。
どなたかも言ってくださっているけど、
「朱」とは辰砂とか真朱などとも言い、要は水銀です。
(鉱物学的な成分や効き目は詳しくないので・・・)
朱は貴重な資源だっただけに、専門に取扱う朱座というのがあり
将軍死去後、喪を秘しているうちに朱を大量に確保したそうです。
ちなみに、家茂が大坂城で亡くなったのは7月20日で
その棺を乗せた船が大阪を出航したのが9月3日・・・うっ
朱に漬ける?と、そんな長期に渡って保存できるんですか・・・。
形は崩れないのかな?
お供の人たちも大変ですね。
前回、島津が越前松平を大老に推挙していましたが、あれは史実ですか?
昔は水銀は不老不死の妙薬として珍重されますた
かの秦の始皇帝も愛用してますたが人体には普通に毒です
>>700 一橋派が松平慶永を大老だか宰輔だかに推挙したのは史実。
堀田が家定に慶永を推薦すると言った時には井伊がイイ!と
はっきり断られたそうですが…。
703 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/10(木) 00:10:47.81 ID:e71FDQAa
篤姫は将軍慶喜の大奥改革に抵抗したが、結局どうなったの?
俺のうろ覚えでは3万両ほど大奥経費を削減できたようだが
大阪から帰ってきた棺桶の形は、本当に桶を大きくしたみたいな形でした。
(日テレの歴史番組で)
昔の棺桶ってバケツみたいな形だったんですか?
>>702 そうでしたか
ありがとうございました!
>>704 まるい桶(おけ)の形でしたよ。だからカンオケというのです。
庶民の家でもそうだったようで、時代劇でお棺がでてくると
かならず桶でございます。(水戸黄門や大江戸や暴れん坊など
娯楽番組でもね)
>>704 九州の一部など、近年まで土葬が続いていた地域は丸い棺桶を
使っていたらしいね。細長い棺桶より場所を取らなくて済むからだと思う。
埋める時も浅く穴を掘って上に土を盛るので、「土饅頭」ができる。
やがて桶が腐り、中味が土に還ると土饅頭が平らになり、そうしたら
そこに次の棺桶を埋めてもいいことになっていたと聞いたことがある。
地域や時代によって色々違うだろうけど。
そういえば戦前のスパイゾルゲも網走刑務所で収監中に亡くなるが、
丸い棺桶なので、遺体を引き取りにきた日本人の奥さんが、死んでからも自由がないと嘆いたとか。
ドイツ系ロシア人にとっては、普通の棺桶に入れて欲しかったのだろう。
戦前まで結構あの棺桶は使われていたんだな。
更に昔は甕に入れて埋葬していたものね。
丸まった格好で埋めるのは、胎児を模したとも言われるね。
そろそろ板違いかな。
710 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/11(金) 01:28:10.71 ID:QMtpqfej
>>702 そんな事実、実際にあるんだ。
>>700ではないが、井伊の死後の公武合体の流れの中で慶永が政事総裁職に
なる伏線としての演出か何かかと思って見ていた。
しかしよく慶永を大老なんていう発想が出てきたね。
江戸幕府って、初期の頃を除けば大老はほとんど井伊か酒井だけに
固定しているし、第一本来的に将軍家の家臣筋ではない親藩や外様(の
しかも大藩)が幕府の役職に就くって発想が当時の人にあり得たのが
すごいw
もちろん親藩・外様でも、小藩なら願出譜代みたいな感じで役職に就くって
こともあっただろうけど、大藩の場合、プライドがそれを許さないような
気もするし。
家茂の棺って金属製の正方形のものじゃなかったっけ?
幕府の記録にそうあったと思うぞ。
712 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/11(金) 06:54:48.05 ID:SHxpXRvx
宰輔ってわかりにくいな、まんま中国の高官みたいだ。
政事総裁職のほうがわかりやすいだろう。これも老中より上の役職だし。
>>711 へー時代劇フリークとしては、当時の棺は桶型が自然だと思うが、
べつに四角でも変ではないけれど、土葬なのに、金属じゃ、土にかえらないから
非常に不衛生じゃない?伝染病のもとになるから、埋葬の手法については
庶民レベルでもけっこう神経質だったと思うんだけれど。(だからこそ、埋葬の
プロフェッショナルたる職業軍がいたんだし)
>>677 おまいダサいから死んだ方がいいぞw
このスレにおまいはイラネ
BYE-BYE
715 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/11(金) 13:10:08.47 ID:ZPH4gu7J
>>710 大藩のプライドって?
それまで政治から隔離されていたんだから、政治に参加していいよってなれば、みんな喜んで集まってくるだろ普通。
716 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/11(金) 14:01:23.97 ID:kiQfuzE7
717 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/11(金) 14:26:20.12 ID:aIjnjwlh
直江なんとかを今から宣伝したいんでしょう
しらじらしいなぁ〜(笑)
718 :
704:2008/07/11(金) 15:19:01.00 ID:3BOOagZw
棺桶の形、教えてくださってありがとうございました。
私は現代の横型長方形しか知らなかったので、桶型のも
あったことにびっくりしました。
棺『桶』ですから、桶の形してて不思議はないですね。
あの中に上で出ていた防腐用に朱を貯める為なのかなと思ったりしました。
何でこのドラマってこんなにつまらないんですか?
720 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/11(金) 18:01:40.51 ID:3C4ViLmn
合戦シーンがまだないから。
>>719 家定との夫婦愛交流という、美化捏造フィクションを中心にしているから
722 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/13(日) 22:44:52.46 ID:a2oJAZVJ
実際、「篤姫」と呼ばれていたのは何年・何ヶ月なんですか?
天璋院のほうが呼ばれてる時期が長いような・・・・
なぜ上様は最期に御台を呼ばなかったのでしょうか?
死期を悟っていたようなのに、少し不自然に感じました。
たとえ臨終の時でも御台を表に呼ぶのは許されない決まりだったのでしょうか?
>>723 私もそれをまっさきに不思議に思った。
将軍が母や御台を呼べといったら誰も逆らえないはずなのに。
どうやら実際は大奥で死んだらしい家定ですが
ドラマでは御台とラブラブ設定だったので、
原作設定の孤独な死をそのままやるのは無理があったのでは。
725 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/13(日) 23:39:28.08 ID:W/lsQ7Ye
グラバー邸はどの場面で使われたのですか?
>>723 単純にドラマを見ての感想なんだけど
「会いたい」というよりも「来て欲しかった」んじゃないかね?
彼はずっと運命を受け入れて生きてきて死ぬ事すら受け入れてた
でもそういう自分の運命を篤姫が壊してくれた
だからまた壊してくれる事を期待したんだろう
だからって会えないまま死んじゃうくらいなら呼べよ!って言われるとそうなんだけどねw
ただ俺的には「篤姫来てくれ〜」って思いながら涙流す家定の気持ちはなんとなくわかったから違和感なかったわ
>>718 今回は発掘記録どおり箱型の棺でしたね。
質問
セックスのない名ばかりの夫婦の間に、夫婦愛は芽生えるものなのでしょうか?
たとえば、外国人の不法滞在のために偽装結婚の事例が増えていますが、
彼らの間にも夫婦愛は目覚めるのでしょうか?
>>728 あなたは最愛の子供とセックスしたことありますか?
つまり、そういうことです。
子供への愛と夫婦愛では愛の質が違いすぎるよ
>>728 このドラマの家定夫妻は名ばかりの夫婦ではなく
よく話し合って理解し合い、ベタベタいちゃいちゃしてたから
別に普通のセクースしなくても夫婦愛があって不思議はない。
731 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/15(火) 01:47:55.74 ID:kHmU4KV8
娘を襲うファザーファッカーは確かにセックスはしているが、子供を愛しているとはけっしていえないw
篤姫の本スレの過去ログが読めるサイトないでしょうか?
「御台よ、なぜいつかのように会いにこぬ……」
家定に熱愛ラブで、しきたりも先例も無視し数日大奥に姿を見せなかっただけで
38度線を越える自由奔放な篤姫が、なぜ何ヶ月も大奥に来なくて、
病気だということもはっきりわかっているのに、自分から家定に
会いに行こうとしなかったのでしょうか?
>>733 上様死後1ヶ月後に篤姫に知らされたという
説に忠実に従った脚本だから
でも大奥で死んだ説も最近出てきた
らしく、製作側は悔しがってるかも
「その説知ってたら、もっと名場面が
できたのに」って
>>728 質問されてもね。偽装結婚の相手がなくなったあと
その骨と手紙を見て切ない愛情をもつという男の話が
浅田次郎の「まだ見ぬ妻へ」とかいう短編がありますよ。
何を夫婦愛と定義するかによって違うとは思いますが
別にセックスしなくても男女の間に、互いをいとしいと思う
心温かい感情が芽生えることは驚くほど変なことじゃないと思う。
>>735 それは夫婦愛とは違う。何か別の情愛のようなものだと思う。
>>734 他のことでは美化・捏造・歪曲やり放題なのに、なぜそこだけ通説に従ったの?
夫は大奥育ちで、最高権力者で、痴呆で、虚弱で、インポ
妻は田舎育ちで、工作員で、常に毒殺におびえている(前妻ふたりは変死)
しかも12以上の年齢差
このふたりの間に交流や愛情が芽生えたというお話はリアル感がない。
セックスしてたら、もしかしてあるかも・・と思うが・・・
>>736の考えは セックスを伴わない=相手がどんなに大切な存在でも夫婦愛とは呼ばない
なんだろうけど 私はそうは思わない。
>>737 慣れ親しみ息のあったセックス+いろんなことを話し合い+生活のこまごましたことや苦難を
協力して乗り越え+その他互いの思いやりとか→→→夫婦愛の醸成
・・・かなと思ってる。
この時代、主君は家臣にとって大切な存在だが、それは「愛」とは呼ばれない。
薩摩はなんで一橋慶喜に肩入れしてるの?
最初のそこんところからしてわからん
慶喜じゃないとなんでそんなに具合が悪いの?
やばい時代だからつえー将軍が望ましい
よしとみは餓鬼。任せて蘭内
>>736 >そこだけ通説
ってw
篤姫が上様に嫁いだのだって
斉彬が上様と同年に死んだのだって
みんな史実通りじゃん
そりゃ結婚や死のような史実イベントの日付は変えようがない罠。
しかし江戸城のどこで死んだかなどの情報を
変えてもよい通説と捉えるかほぼ定説と捉えるかは難しいところ。
ドラマではとりあえす原作に従ったというところかな。
でも大奥で篤姫に看取られて死ぬのもありだったとしたら
このドラマのラブラブぶりからしてそちらの方が自然だったね。
偽装結婚の話の浅田次郎の「まだ見ぬ妻へ」って新藤兼人監督が演出して
北村一輝主演の舞台の「ラブレター」の事だよね。
主人公が最後に妻の故郷の中国まで尋ねていって慟哭していた。
男女の愛はいろいろだな。
篤姫と家定は史実は愛はなかったと思うけど、御上口突破など掟破りしていて
急にしおらしく1ヶ月も大人しく待つのは、ドラマとしては不自然。
自分も大奥でなくなった新説にそって演出したほうが良かったかな。
>>739 詳しくは忘れたけど、正室のかなり近い親戚だった←一橋慶喜
それやこれやで慶喜が将軍になれば志を同じくする者らが発言力を持つからじゃないかな。
「まだ見ぬ妻へ」って、偽装結婚で相手の男を手紙でしか知らない中国人売春婦が、
せめて会う男を旦那様だと思って奉仕しようと買春客に毎度丹誠込めて相手するけどやがて結局死ぬって話?
>>746 違うよ。男はごろつきチンピラでヤクザに頼まれて偽造結婚するが
その相手が見ないうちに亡くなって夫だというので警察から遺骨を押し付けられる。
その骨をかかえて汽車にのっているときに、妻が生前書いた純粋な
自分を思う気持ち、結婚してくれてありがとうという手紙をよんで
人間らしい気持ちをとりもどし、そしてふるさとを思い出し、
亡くなった女性に対して慈しみを覚えるという話だよ。
夫婦愛をどう考えるかは人それぞれだけれど、私は家族愛が夫婦愛の基本だと思うから
セックスなしでも成り立つと思う。血のつながりのない男女が、恋とは違う次元で
家族として大事に思う気持ちってあると思うよ。自分なら十分ありうる。
748 :
718:2008/07/16(水) 16:07:50.60 ID:DJBQq6f0
>>727 でしたね。
みなさん、いろんな情報を持っててスレで教えてくださるので
ドラマを見てても楽しいです。
たかが棺といえども、時代によって形もいろいろで面白いです。
和宮の結婚に伴い、和宮の母親まで大奥入りしますが
嫁の母親が大奥に入るのはよくあることだったんですか?
>>749 ないです。
唯一の例です。
ただし、観行院の大奥入りは母親としてではなく形式的には
天皇に命じられた宮中の女官扱いです。
>>749を読んでいて思いついた質問ですが、
家茂の将軍就任にあたって、家茂の生母も大奥入りしましたよね。
将軍の生母が元々大奥にいない場合、これは良くあることなのですか?
あと、家茂の生母はこのドラマでは誰が演じるのですか?
753 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/19(土) 00:34:01.33 ID:wX5lbW9X
水戸の御老公こと徳川斉昭役に、なんで竹中直人を起用しないんだろう。
肖像画を見れば瓜二つじゃないか。
何年か前の徳川慶喜が放送された時もそう思った。(あの時は菅原文太が演じた)
夫婦愛うんぬんの書き込みがあったけど
そもそも江戸の将軍に「夫婦愛」なんてもんは存在しないと思ったほうがいい。
これは側室についても同様ね。
あくまでも子作りシステムなんだから現代の感覚でとらえちゃダメっすよw
だいたい夫婦愛なんてもんは不要だったんだから。
夫婦愛なんてもんが実際にあったのは家茂&和宮くらいのもんでしょう。
(家茂も側室の存在が示唆されてはいるけどね)
将軍の「夫婦愛」とか「家族を守る」とか真に受けてる人いないでしょう。
でも一応このホームドラマではテーマなので、話題にしてみたってだけかと。
>>753 大奥の女性に嫌われる「うるさ型」としては
今回の江守はかなり適役だと思うんだけどな
本人は不本意だろうけど
竹中にはそういうイメージは薄い
むしろエロいことやっても憎めない感じ
(のだめのシュトレーゼマンみたいに)
757 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/19(土) 14:47:53.34 ID:ON0vf3nq
>>753 とりあえず周囲の役者との年齢バランスだと。
斉昭は一橋推進派の長老格だから。
高橋も60過ぎてるし、江守ぐらいの実年齢からくる長老の雰囲気がほしい。
竹中はそのうち、老獪な家康や斉昭なんかどんどんやると思うよ。
758 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/19(土) 17:36:34.34 ID:ON0vf3nq
正直竹中さんがエロを意識した演技をすると
粘着質になりすぎてお茶の間ドンビキのような気がしないでもない
自分俳優板の竹中スレに似てるから演じて欲しいと書いたことあるけどw
岩井友見のセリフで「城下ではしゅ?が品薄になっていると聞きますがまさかそれを棺に詰めたのでは…」とか言ってたけど何の事ですか?氷みたいなものですか?
それにしても真夏に一月近くも遺体を放置するなんて史実なんだろうかorz
>760
私も先週から「腐るだろ」と思って不思議だったのですが今日のその台詞から
「朱」かと思い検索しました
いわゆるあの絵の具の「朱色」である「朱」ですが、防腐効果があり
鳥居や橋の欄干が朱色なのはそういうことだそうですよ
実際発掘された将軍の棺からは大量の朱が発見され、赤い骨もあったとか
>>761さん
ありがとうございます!!なるほど!!そういうことだったんですか★
ご親切にありがとうございます。モヤモヤが晴れました。ほんとにありがとうございますm(__)m
で、結局クボウサマはオチンチンおっきかったのかな?
どうなの!
答えてよ!!!!
764 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 00:03:38.18 ID:Z/wZxihD
オチンチンおっきいのかな?
765 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 00:08:49.86 ID:Z/wZxihD
おっきいのかな?オチンチン
うるせえな。
童のようにかわいかったんだよ。
767 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 00:20:46.72 ID:Z/wZxihD
そうかなぁ?
意外とおっきかったのかな?おっきいのかな?おっきいのかな?おっきいのかな?おっきいのかな?おっきいのかな?
768 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 00:21:48.55 ID:Z/wZxihD
クボウサマって綺麗なお顔してっけど実はオチンチン 臭そじゃね?おっきいのかな?
769 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 00:25:01.88 ID:Z/wZxihD
クボウサマ オチンチン チョロチョロ チンカス チョコボールむか…
夏だねえ…
771 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 00:49:35.16 ID:Z/wZxihD
と、チンカスずるむけが申しておりもす
島津久光は今後、小松たち家臣からは何と呼ばれるんですか?
「殿」ではないし、まさか名前では呼べないし…。
>>772 定番どおり、「国父様」になるんではないかな?
さぶちゃん
775 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 02:01:11.95 ID:Z/wZxihD
ズルムケ殿様
堀田さんてもう最後まで退場のまま?
千葉県民なんでちょっと気になる
>>777 私もそれ気になりました。
桜田門外の変の後、老中に返り咲くとかしたんでしょうか?
書状を握り締めてたシーン見てると、
何かありそうな気もするんですが。
779 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 11:28:19.61 ID:nAj/4tzx
大奥って
「男子禁制」だとか、重大事以外には将軍以外の男性は入れないとか聴いた記憶があるけども
大奥の中にに男が入りすぎでは?
781 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 12:24:04.85 ID:vNpMOlWL
遺体保存に朱を使うとのことですが大量に使うのですか?
罪人の場合は塩をケツのアナから大量に入れたらしいんですが
将軍にもケツから朱をいれるのですか?
782 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 13:02:32.65 ID:H03yYXbI
それを言うなら結婚まえの武家娘が若い男と外を出歩いていたり
密室で2人きりでを囲碁をしてたり、おかしな演出てんこ盛りの娯楽ドラマ
なのは最初からNHKが女性層を引き入れるために、狙ってる演出なんだろう。
今度は大奥に内緒で尚五郎を引き入れるそうだし、なんでもありなのでは?
783 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 13:08:20.07 ID:eON7+A2u
ワンチップ丈夫wwwwwwwwwwwwwwww
>>779 大奥は場所としては一般的に御台所や側室、その側用人の寝所や女中長屋をさします
それに男の使用人が詰める別棟や老中などが御台所と謁見する大広敷などがあり
その区域を総称して「奥御殿」ともいうそうです
基本的に大奥は男子禁制ですが、緊急の時には衛士もはいりますし
大工や医者も場合に応じて入室許可されます
>>781 古代古墳時代から、世界的にはエジプト時代から
「施朱」といって基本的には体全身に塗る土葬の一工程ですが、
つい最近の徳川家墓所の発掘調査でも
例えば十二代将軍正室の浄観院の墓などは大量の水銀が出土して
いることから少なくても将軍家レベルだと棺桶いっぱいに「朱」の顔料粉
を敷き詰めたのではないかと推測されています
昔は遺体は体育座りみたいに折りたたまれて棺桶?に入れられた
らしいですが、家定も同じだったんですかね。ドラマでも棺桶はどうやら
正方形に近い形のようなので… なんか窮屈な気がするんですが
なぜ横たえた状態にしなかったんでしょうか。
787 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 15:28:44.70 ID:wRPJ53Km
質問
篤姫と幾島が大奥に入って間もないころ、幾島の袖が食べ物に触れたシーンで
滝山が当て布をしたらどうかと提案した時、記憶が定かではないけど
物を大切にしなければいけないみたいな事を言っていた。
ゆえに滝山は倹約な人かと思えば、贅沢をさせてくれないという理由で一橋派を毛嫌いしていた
本寿院サイドに付いていた。
滝山の態度は矛盾している気がするのですが、解説おねがいします。
>>788 大奥の予算内でやりくりする必要・・・当て布
大奥の予算を削れとうるさい・・・斉昭が嫌い
790 :
772:2008/07/21(月) 17:42:26.50 ID:1X/wzmOv
791 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 18:05:28.58 ID:ZwKHUW9q
>>786 当時は座棺が上下を問わず普通。
将軍は束帯姿であぐらを組んだ格好で納棺されてたらしい。
792 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 18:41:16.23 ID:kHl/ADY3
>>788 あれは虐めとか嫌がらせじゃないの?
紀州徳川家は吉宗登場以前は蚊帳の外だったから
それが主流に来たのを尾張、水戸は面白く思っていなかったらしい。
ちなみに井伊一族の末裔の一人を知ってるけど、変わり者が多いね。
顔もご先祖に似たところがある
>>786 我々現代人の感覚からすると、横たえるのが
自然に思われるけれど、古代から埋葬は座った形のほうが
デフォだったみたい。古い時代の古墳からは座った形のほうが
多く出土している。寝ている形のほうが時代が新しい。
>>793 もしかして、寝てる形は、明治以後に導入されたキリスト教式か?
増上寺の徳川家墓所発掘調査でわかったことは
和宮の棺だけ寝棺だったという。
796 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 20:30:34.93 ID:EZhj1q3o
家定が、篤姫を家茂の後継人として表のことにも関われるように
遺言しましたが、史実にもあったのですか?
>>796 大老の井伊も知らないことが記録に残っているわけがない。
798 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 21:28:03.59 ID:n+FqPz7C
尚五郎さんはなんで標準語なの?
>>794 古墳時代にも寝る形はあったけれど、小さくすわらせて足をかかえさせる
形は、縄文の時代からあるから。
あの世って発想もあるし、生まれ変わりって発想もある我が国では
眠っているより生きているときのような形で埋葬する考えのほうが
自然だったのでしょうね。
>>796 少なくとも記録には一切のこってない。それは
原作の宮尾女史の創作。
801 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 22:14:05.96 ID:EZhj1q3o
>>797,800
宮尾女史の創作でしたか。
ありがとうございました。
将軍が亡くなって、御台所が次の将軍の「母君」になるのは何故ですか? 当たり前ですが、天璋院と家茂は、血は繋がってませんよね。
無知ですみません…
803 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 22:52:58.52 ID:Ommqxzza
>>802 要するに「養子」という形で当主は継承されるものだからなんじゃないかな。
つまり、家茂は家定の養子なのだから、家定の正室の養子でもあるということ。
>>803さん
ありがとうございます!
よくわかりました。
そこで次の疑問が…
もし、将軍が亡くなり正室がいなかったとしたら、次の将軍の母君は不在ですか?
過去には「年下の母君」も存在したのですか?
何度もすみません。
806 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/21(月) 23:48:06.76 ID:Ommqxzza
>>804 一橋家から将軍を継いだ11代家斉は、養父の10代将軍家治より前に
家治の正室が死去しており、継室もいなかったので、養母はいなかったようだ。
「年下の?」はわからんです。すんません。
>>804 年下の母君は、ちょっとわからないけれど、
年下の叔母君なんてのもいたよ。
吉宗が前々将軍の養女、自分の養父(前将軍、
吉宗が将軍になったときは死亡していたが)の妹になる人と
男女の思いを通じて正室にしようとしたなんてのは有名だね。
京の公家の清閑寺大納言家の娘で、綱吉の側室の大典侍の姪、
大典侍との縁で綱吉の養女になった竹姫のことだろ。
一人目、二人目と婚約者が死亡し、吉宗との醜聞も囁かれたりしたが
結局は島津継豊に押し付けるようなかたちで嫁いでいった。
吉宗との関係は色んな小説やドラマなんかの良いネタ元なってるし
島津家と幕府との軋轢も良く語られるところだ。
809 :
786:2008/07/22(火) 01:14:03.31 ID:ZQKKUxj5
そういえば、これは「義理の?」ではないけれど、
島津斉彬の曾祖父の重豪の息子、すなわち斉彬の大叔父に
福岡藩を継いだ黒田長溥や南部八戸藩主となった南部信順が
いたけど、彼らは斉彬より年下だったそうだよね。
長溥も信順も重豪の影響を受けて開明派で、斉彬が家督を
継ぐときには一族として発言力があって二人とも兄弟同然で
仲のよかった斉彬を推していたらしい。
>>805さん、
>>806さん
>>807さん、
>>808さん
>>810さん
詳しく教えていただきありがとうございました。
前レスで「無知ですみません」と書きましたが、本当に「無知」ですね。勉強になりました。
(思い返せば、歴史は苦手でした…)
みなさん、またおかしな質問をするかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします。
>>789 なるほど、その解釈なら納得です。ありがとう。
>>792 「あれ」とは?2,3行目も残念ながら意味がわかりません。でもレスありがとう。
813 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/23(水) 00:19:21.48 ID:SylceibH
>>792>>812 紀州徳川家が吉宗登場以前は蚊帳の外だったかどうかはわからないが、
8代将軍の後継の時に、下馬評では御三家筆頭の尾張からだったのに
紀伊の吉宗になってしまったことは、尾張家は恨んだみたいだね。
また、尾張家は藩祖以来の血統が断絶してるけど、その後に家斉と
その弟(つまり紀伊系の一橋系)の子が4代連続で半ば強制的に養子を
送り込んできた。藩内ではその3代目ぐらいには尾張分家から慶勝を
と願っていた派と将軍家にごますり派との間で内紛が起きてしまい
幕末まで続いてしまったらしい。この4代の後にようやく慶勝が相続した
(慶勝は血筋の上では水戸系=祖父が水戸斉昭の叔父、母が斉昭の妹)。
水戸家は最後まで藩祖以来の血統を残すことが出来たけど、斉昭が
継ぐときには例によって家斉の子が押しつけられそうになって、
その時は家臣たちが猛反対して斉昭に決まったといういきさつもあった。
将軍家(紀伊系の一橋系)の養子戦略に行き過ぎもあって、なにかと
尾張、水戸がおもしろく思っていなかったというのは本当なんじゃないかと思う。
814 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/23(水) 01:04:17.18 ID:kTCW2rVV
>ゆえに滝山は倹約な人かと思えば、贅沢をさせてくれないという理由で一橋派を毛嫌いしていた
>本寿院サイドに付いていた。
>滝山の態度は矛盾している気がするのですが、解説おねがいします。
大奥が水戸を嫌ったのは、江守が大奥女中をレイプし、妊娠させるという事件があったから。
そんな話はお茶の間に持ち込めないので、倹約に摩り替えた。
815 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/23(水) 02:13:54.41 ID:SylceibH
唐橋事件がきっかけで大奥は水戸を生理的に嫌うようになったと言われている。
斉昭がまだ藩主になる前の頃の話。その他にもレイプまがいのことがあったとも言われている。
藩主になって海防参与として大奥の倹約を主張したのは本当で、国防のために無駄遣いするな
ということなので真っ当な主張だと思うが、相手憎しで必要以上に強く当たったということは
あったかもしれないと思う。
質問
将軍がお隠れになったという噂が
大奥で飛び交っていた時
侍女の一人が『しゅが品薄になっておると聞きます』
ってあったけど
『しゅ』とは『朱』のことか『氷』のことか
良くわからん・・・・
教えてたも
>>816 「朱」、要は水銀。
このスレの、>698を参照されたし。
>>817 神!!
(教養がないと時代劇も大河も楽しめない時代になってしまったか・・・
地デジチュナー欲しいよなぁ。。。ああ、格差って辛いっぺよ)
唐橋事件は、ゆがんだプライドに支配された誇大妄想狂・大谷木醇堂「燈前一睡夢」の捏造です
820 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/23(水) 12:28:01.49 ID:G1QsB4nC
唐橋事件の真偽は知らないけれども、大奥への倹約要求は、
水野忠邦の改革のときからすでにやられていて、それに大奥は頑固に
抵抗してたみたいだね。水戸斉昭はそれを継承したわけだ。
忠邦や斉昭の方が道理ではあるわな。
大奥はまさに既得権を死にものぐるいで守ろうとする利権団体
(特殊法人みたいなものか)だったんだろうな。
821 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/23(水) 13:04:31.48 ID:oM1i11gn
>>814 実際に倹約をうるさく言ってたよ
そもそも水戸家御三家といっても貧乏で慶喜の母の有栖川宮王女を迎えるときも
財政がきつくて嫁入支度も質素なものだった
幕末水戸家の君主家来ともどもの質素倹約ぶりは
山川菊栄の「武家の女性」に詳しく書いてある
水戸藩主(慶喜兄)が家来の子どもより質素な服だったことなども。
822 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/23(水) 16:02:04.48 ID:/pZfwZ2I
家茂さんは性機能が不能だったのでしょうか?
823 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/23(水) 16:04:29.49 ID:/pZfwZ2I
それと、不能であれば早くから回りも気付いていたと思うのですが
(夜伽のときも見張りの人がいたため)
将軍が不能でも一応は形ばかりになっても結婚はしないと
いけなかったのでしょうか?
824 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/23(水) 23:04:00.71 ID:SylceibH
家茂さんは、ほとんど出張だったからねぇ
高杉「イヨッ、性威大将軍!」
826 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/24(木) 13:57:30.24 ID:BGIuwwgg
性機能があやしかったのは家定さんじゃ?
>>788です。
大奥が一橋派を嫌っていた理由や斉昭が好色であった話まで
滝山の倹約の話から広がって興味深い話、意見等を聞かせて頂きました。
皆さんありがとう。
中岡は誰がするんだろか?それとも暗殺シーンはカットか?
>>828 中岡の撮影は始まっているが、見学した人が顔の知らない役者だったようだ。
>>828 天原まさみちさんって方です。
ご自身のブログにも中岡姿の写真あり。
西郷さんは、島津斉彬が死んだとき自殺を考えたみたいな
ストーリーになっていましたが、ほんとうにそこまで忠誠心のある
人だったんですか?
>>831 西郷は自らを斉彬の遺臣と定義するほどの愚直な人
これが過ぎたために久光との悲劇的な確執を生みます
倒幕に燃える久光に「あなたは斉彬様にはなれません」と
このドラマで言うかどうかは分かりませんが、
要はそういう関係になっていきます
>>832 わかりやすくまとめて教えてくださって、ありがとうございました。
久光とはそのような関係になるんですね。
斉彬をとても慕っていた事がわかりました。
ドラマの中でも斉彬は、西郷を要職につかせていたし
西郷的には恩を感じていたのかなと思いました。
>>833 この点、世渡りはむしろ大久保のほうが上手だったと
言えるでしょうね。
自分の父を島流しにした斉興→久光にあえて取り入って
ドラマで言ってたように「力を利用して」
倒幕を成し遂げるわけですから。
これに対して西郷は、「おゆら騒動」以来、
久光を斉彬の仇と見ていた節がありますので、
今回の斉彬変死も西郷的にはどうにも解せないわけです。
だから殉死まで考えることになる、と。
835 :
833:2008/07/26(土) 17:50:26.00 ID:a7TjqGun
>>834 大久保・・・なるほど。
今日の土スタで大久保のことを『冷徹な人』と言っていましたが
そういう所以があるんですね。
ドラマの中でも権力に対して嫌な思いをする場面も描かれて
いましたね。(西郷と行った先で自分だけ席を外される)
西郷さんは斉彬の死にも疑問を抱いていたんですか。
後継問題もあるし、秘薬を使って殺められた疑惑もあったんでしょうか。
西郷さんは恩義を忘れない人なんですね。
解説ありがとうございました!
西郷は実際に史実でも月照と心中してるし斉彬命だったんだね。
大久保のほうが父親が遠島になったり久光に恨みをだいてもいいのに
感情的にならず理性で割り切って藩主を利用するのはすごいと思う。
そういう理性的なところが利権には関心がなく清廉潔白で同郷人優遇をせず
みんなに平等に接したとかいい方面もあるし、佐賀の乱の江藤新平への処分のように
情け容赦ない面もある。
837 :
772:2008/07/27(日) 21:32:31.86 ID:PRJ+IpVR
>>772 きょう観たら、小松は「殿」と呼んでましたね。
まあ、事実上の「殿」には違いないけど…。
画面に映らない息子・・・
幾島がとうとう大奥を去ってしまいましが、実際も篤姫の
側をはなれておいとましたのでしょうか?
来週はまた涙の別れがあるのですね・・・。
840 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/28(月) 01:01:57.02 ID:XOx6K6nW
史料では江戸開城の頃も幾島はいたみたいだよ
841 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/28(月) 01:12:13.03 ID:XOx6K6nW
近衛家老女の星さんが、いまだに「てんしょういんさん」とか軽く呼んでいるのがちと気になったけどいいの?
篤姫は近衛家の娘だし、官位も従三位じゃなかったっけ。
それは今年になって見つかった資料で分かったこと。
脚本が書かれた頃の常識じゃない。
「〜さん」は公家言葉だよ。上位の人でも〜宮さん。
その割には「西郷っ」と呼捨てにしていたな村岡
844 :
839:2008/07/28(月) 09:59:07.27 ID:1kf1+Yd6
>>840 ありがとうございました。
篤姫にとっては一番心を許せる人でしょうし
最後まで一緒に居られてよかったです。
845 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/28(月) 12:59:43.35 ID:Od4vDfgf
1)天璋院と家茂は仲良かったんでしょうか?
2)実際には家茂の生母も大奥に入ったようですが
大奥での地位は、天璋院と家茂生母はどちらが
高かったのでしょうか?
>>843 西郷は身分も下の下のまたまたしたというほどだもん。
村岡からみたら、ふけばとぶような軽いものだよ。
>>845 1)そういう記録があります。最初は、家茂将軍継嗣に反対だったが
実際にあってみると大変に好感をもったらしく、うまくいっていたという記録がある・・
どこまで真実かは???ですが。幕府側の人間の資料だしね。
2)大奥での地位は、テンショウインが上です。現将軍の嫡母(正式の母)だから。
生母は、たとえ正室であったとしても、将軍家の下のひとつの藩の正室にすぎない。さらに
家茂の生母は、側室じゃなかったっけかな。側室なら、将軍家の下の一藩の側室にすぎません。
>>847 詳しくありがとうございます。
薩摩出身=一ツ橋派ということで、天璋院にも嫌なイメージを
持っていたのかなと思いましたが、ドラマどおり仲良しの
記録もあるんですね。
家茂生母は側室ですね。
なるほど、あくまでも正式の母は前将軍の正室である天璋院で
立場も上となるんですね。
これから家茂が和宮を迎えて、天璋院との絡みがどのようになるのか
楽しみです!
正室と側室ということで、天璋院と家定母本寿院ですが
天璋院(正室)、本寿院(前将軍の側室)となりますが
この場合は将軍の実の母なので、本寿院のほうが
立場が上だったのでしょうか?
よろしくお願いします。
>>849です、連投すいません。
補足ですが、ドラマの中では篤姫が大奥に入ったときに本寿院との対面で
「母上様を下座に座らすわけにはいかない」という風に礼儀を重んじて
本寿院を感激させた・・・というシーンがありましたが、ここからみると
生母といえども側室であれば、現将軍の御台所となる者の方が
立場が上となるのが慣例だったんでしょうか。
篤姫は多くの習慣を変えたというふうなナレーションがあったような??
>>849 いいえ、これも、身分という意味では、テンショウインが上。
大御台所たる、前の将軍の正室はすでに死亡していましたので
篤姫には正式な母である嫡義母はいません。
本寿院は、篤姫が、大奥入りしたときは、まだ下の身分で
篤姫の口ぞえで、身分をあげたのです。それでも
上座は篤姫になるはずで、ドラマはそのへん、いい加減になっちゃっているけれど。
ちなみに、篤姫が、実の姑にあたる本寿院の身分をあげるように
将軍にはたらきかけたことを、本寿院は、表向きは涙をながして
喜んで、できた嫁がきたといったけれど、影では、身分の高いものの
かたくるしい生活がいやで、「余分なこと言って!」といったらしいと
原作にはかかれていますね。
>>850 そう、下座に母がすわるのが当然だったのを、篤姫が上座へどうぞといったのは
ドラマの話ではあるが、異例のこと。
御台所が上、たとえ夫の実母でも側室であるから、下の身分でございますよ。
ただし、母を上の身分にしようと、朝廷からわざわざ官位をもらった例は
5代将軍のときにありましたけれどね。あのとき、正室は影がうすかったのかいなくて、
子供産んだ将軍の寵愛の妻たちは全部側室だったから、ドラマのシーンでは
みな、ケイショウイン(綱吉生母)の下座にいますが・・ケイショウインはのちに
朝廷から地位をもらったよ。
>>851-852 早速のレスありがとうございます。
>表向きは涙をながして喜んで、できた嫁がきたといったけれど、影では・・・
原作ではそのようなくだりもあったのですか。
嫁姑というのは、いつの時代も難しいものの様ですね。
>篤姫の口ぞえで、身分をあげたのです。
驚きました!よく出来た人だなあ・・・天璋院。
義理の母上さまをそこまでしてあげるなんて。
こんな天璋院だったからこそ、和宮が京風を改めない事なども
はがゆい思いもしたんでしょうね。
正室と側室では、身分にかなり差があるんですね。
子をなさない側室はお部屋様になれないから必死になるとか。
代々の将軍の正室の世継ぎが少ないのも怪しい疑惑とか考えちゃいますw
ありがとうございました。
>>851 篤姫が大奥入りした時、本寿院は下の身分で、篤姫の口ぞえで身分をあげた
ってのも原作からじゃない?
実際は、家定が元服した文政十一年(1828)にもう老女上座となっている筈。
家定が将軍となった時には正式に将軍の家族扱い(末席の末席ではあるが)
になってるから、今さら篤姫に身分を上げてもらう必要は無いだろう。
ただ本寿院は身分が上がっても厠に人を入れる事は無く、篤姫も月の時は
そうだったらしいから、その辺りを原作は上手く取り入れたって感じかと。
>>853 将軍生母とはいえ側室が現将軍御台所の下座に座るのは当然で、
篤姫が本寿院に上座を譲ったって記録は見た事はない。
まあ、自分が知らないだけかも知れないので、
出典知っている方いらっしゃったら教えてください。
855 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/28(月) 22:22:12.80 ID:XOx6K6nW
酒井美意子(旧前田侯爵家娘)の本に書いてあったけど、
明治になってから徳川家の集まりがあり、慶喜が到着して上座に座っていたら、
そこに慶喜のあとに宗家を継いだ家達(田安亀之助)が現れ、
「わしの座る場所がないぞ」といったらしい。
慶喜は遠慮して上座を譲ったところ、
「いや、いや」
とかいって、ともに上座に座ったという。
ほんまかいな?と思うけどね。
ほのぼのとしたエピソードだな
明治になってから、本寿院が篤姫を慕う手紙を送っていると見た記憶があるから、本寿院と篤姫は最終的にはかなり仲が良かったのでは?
その辺を上手く見据えた(創作だろうけど)篤姫が本寿院を上座に座らせるエピソードだと思う。
なお、名作のほまれ高い原作だけど、個人的にはかなり違和感がある。
宮尾先生最初の歴史小説で、執筆当時は公開史料も少なかったせいもあるけど。
クレオパトラに30年かけた宮尾先生は「天璋院篤姫」は3年で書いたとインタビューで言っておられるが、
クレオパトラや平家のような最後に滅ぶのと違い、しぶとく生き残っていく篤姫を上手く理解しきれていない気がする。
西郷どんと月照さんはどうして海に飛び込んだんですか?
逃げ道が用意されてたんじゃないんでしょうか?
今さらですが…そもそも、篤姫が一橋派である島津斉彬の養女だったことを
考えれば、御台所になる→上様に慶喜を推挙、なんて流れは容易に想像できた
であろうに、なぜ御台所として迎えることになったんでしょうか?
>>859 ドラマ・・途中まで薩摩や篤姫が一橋派であることに本寿院や滝山は気づいていない。生前の阿部が根回しをしていた。
歴史上の説・・・そもそも篤姫は工作員としてではなく、体の丈夫さを期待されて幕府の側から望まれたという説
861 :
859:2008/07/29(火) 02:48:14.86 ID:BJxj4wJq
>>860 ありがとうございます。お世継ぎ騒動のさなか、本寿院らが「おのれ!
とうとう正体を現しおったな〜(怒)」なんて言ってるの見て、「ヲイヲイ
…嫁に貰うなら身辺調査しっかりやれよ」と思っちゃったもので。
>>858 周囲が逃げ道を用意していたという話がある。
月照がそれにかかわった人や西郷まで巻き込むことを懸念して
自ら水に飛び込んだということになっていますよ。それを西郷が
月照をしたって自分も飛び込んだ。(僧侶なので悟っていた)
当時の人は、敵の手にかかったり罪人として殺されるより
自ら死を選ぶのが名誉だという美学もあったので、日陰者として
逃げて暮らすより、死を選ぶのはそんなに不自然な選択じゃないと思います。
>>859 860さんがすでに述べておられますが、元々薩摩藩からの嫁取りは、
12代将軍家慶の時代に大奥の側から薩摩藩に申し入れがあったんです。
家慶の父・家斉は一橋家から将軍家を継いだ人ですが、ご存じの通りの子だくさん。
世嗣は産まなかったけれど家斉の正室が斉彬の曾祖父重豪の娘・広大院だったので、
その子だくさんにあやかりたいということだったようです。
>>858 あのくだりがいまいち良くわからなかったんだけど、西郷と月照は結局帯刀の
設定した逃げ道で逃げたの?
小松様にまで類が及んではいけないから、早くお帰り下さいというような
ことを言ってたから、気持ちだけ貰って逃げるのは断ったのかと思ってた。
それとも逃げる時(騒ぎが起こる時)には帯刀はここにいないように、と言っただけ?
史実だと、西郷たちが入水したのは日向へ追放される途中の船上らしいけど。
そのうち騒ぎを起こす→しかしその夜のうちに送られた
858です。
なるほど〜
あの舟のシーンがいわゆる「永送り」だったのですね?
そういう視点でもう一度観てみます。
皆様ありがとう!!
西郷は、心中と見せかけて「永送り」を実行したわけだよね
>>867 違う!
永送りと見せかけて心中したが結果的に永送りに成功したのだ
永送りとは・・本当は自分の刀で切るわけですが・・・
他人に殺されるのは非常に不名誉で、自殺するのが名誉な時代だから。
(せんす腹といって扇子を腹にさして切腹の真似して首をきられるように
形だけでも自殺にしてもらえるのが罪としては名誉であった。)
月照が、自分で水に飛び込んだことと、西郷に殺されるのではぜんぜん意味が違うよー。
西郷の入水は講談めいた話はいくつもあるが、まあ真相は正直わからない
明治くらいの月照の伝記では、福岡に入った西郷達はいったん西郷だけ国入りし
月照保護を藩に頼みに行く
後から友人でもある福岡浪人・平野国臣が付き添って月照が山伏の格好で関所を突破
国入りを果たすものも藩につかまって二人とも旅籠に軟禁(ドラマでは西郷が捕まっていたが)
結局西郷は藩に保護どころか、追ってきている幕吏に渡すため日向に追放せよと命じられる
薩摩の国境の関はとても怖い所らしく、不審者が抜けよとすれば郷士にボコられて殺されちゃうくらい
つまり暗に抹殺(ドラマではストレートに永送り)を意味しており、とにかく船で脱出するよう(多分西郷が)手配
船中、平野の見事な笛を聞きながら、しばし浮世の雑談をするが感極まって二人でいきなりドボン
すぐに助け出されたが、西郷だけ生き返り、平野に「武士なら切りあいで死ね」と諭される
追って西郷の処遇も決まり(ここら辺やっぱ帯刀クラスの力か)死んだことにして罷免、奄美大島へ
平野も筑前へ追放・・・てのが定番
871 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/30(水) 02:00:58.88 ID:edD/tAda
げっ。平野国臣の名が出た。
俺んち、平野国臣銅像のすぐ近くなんだよ。
福岡藩で唯一人といってもいい志士だけど、何ほどのこともできなく。
>>855・866
全然ほのぼのした話じゃないんだよ。
譲り合ったんじゃなくて
慶喜が先に来て上座に座ってたら
家達が来た、当然上座に座ろうとしたら慶喜が先に座ってて
カチンと来た家達が「わしの座る場所がないな」と言ったら
慶喜がピョン!と飛び上がるようにして上座を譲ったそうだよ
周りの人はいたたまれなかったらしい。
↑確か、慶喜の孫の喜久子妃殿下か喜佐子さんが書いた本に載ってた
酒井さんがちょっと控えめに書いたのか
孫がお祖父様が苛められたから家達を悪く思ってそう書いたかは判らないけど。
でも、家達は常々「慶喜は徳川を終わらせた人間、わしは徳川を興した人間」
と言って慶喜を見下してたらしい。
喜久子妃殿下は家達が臨終し病室を見舞ったら
「とてもすごい形相で亡くなってらしたので、怖くて逃げるように病室を出ました」
と書いている
慶喜家の人には家達は嫌われてたみたい
873 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/30(水) 14:19:29.75 ID:fSfqAAOO
今更なんですが、スタジオの撮影ってガラス越しとかで
見学できるんですか?
874 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/30(水) 17:44:31.34 ID:edD/tAda
>>872 だから、その話自体がどうにも、ほんとかいな?という感じ。
ほんとうなら慶喜は病的な卑屈さだし、家達に至っては精神を病んでるね。
互いにおかしいよ。
だいたい慶喜は先代だよ、いわば親にあたる。
しかも家達は将軍家ですらなかったわけだ。
結局、家定は篤姫を1回もぶっ挿さなかったんでしょうか?
>>872 慶喜家というより水戸家そのものが勤皇の家柄ということで
徳川一族から忌避されてきたんだけどね
水戸光圀の時代からだから伝統的なものだな
そもそも日本の勤皇思想の本といってもいいくらいだからな
徳川家にとって朝廷は仮想敵国
水戸藩が嫌われていたのは理の当然
水戸徳川自体が、将軍を出さないかわりに
時期将軍選定に意見ができ、かつ、第三者の立場で
将軍のまつりごとに苦言を呈して政道を正すための家として
設けられたからね。将軍家に迎合したら役目は果たせないので
常に将軍家にとっては煙たいお目付け役と位置づけられていた・・。
だから、天下の副将軍と名乗るし。
その水戸家の慶喜が、一ツ橋の養子になったからといって
御三家紀伊家をおしのけて将軍になること自体が筋が違うといえば違うねえ。
ID変わったけど872です
上座をどうたらってエピソードはこうやって語り継がれてるから
事実としてはあったんだろうけど目撃した人間の立場によって印象が違うんだろうね
慶喜家は侯爵家になったけど分家で家達家は本家だし
ずっと静岡で隠居生活からいざ侯爵家になって東京に出ても
調度品も揃えられなくて、本家から借りたりしてたみたいだし
自分は徳川を終わらせた人間って引け目もあって
慶喜は本家に頭が上がらなかったんだろうね。
とにかく本家には遠慮してた、って本にも書いてあった。
加えて>876みたいな水戸嫌いがあったならなおさらだよね。
家達家は広大な土地と本家の面目が保てるだけの十分な地位や財力もあり
自分達が一番!って気持ちも強かったんだろうと思う。
家達邸に住んでた篤姫も晩年は質素な生活と言われてるけども
そんな家に居たからそれなりに恵まれた生活だったと思う
(かつての大奥とは比較出来ないし自分の財産はないけれど)
そういえば家康の遺言だかなんだかうろ覚えなんだけど
水戸家から将軍を出したら徳川は滅亡するから
絶対に水戸家から将軍を出すな、って遺言(予言?)があったらしいよね。
それも、そういう水戸家の立場から出た事なのだろうか・・?
>>877 たしか葵三代だったかな、家康がまだ幼い尾張義直・紀伊頼宣・水戸頼房を前にして、
義直・頼宣は将軍を助けよ、頼房は目付をせよ、と言いつける場面があったような
記憶があるなあ。頼房は頼宣の同母弟だから、もともと水戸家は紀伊家の分家的な
扱いだったようだしね。
>>880 うん、そういうのどこかで読んだ気がする。
俺の記憶では家康と言うよりもむしろ尾張義直の話として、義直が非常な勤皇家で、
家訓として徳川と天皇が手切れになったら天皇に付けと言い残したというのだった気がする。
水戸光圀は伯父の尾張義直を大変尊敬していて、その影響もあって水戸学が始まったとも。
幕末の尾張慶勝が早い時期から新政府軍にくわわったのもその家訓のためとも言われているみたい。
尾張の分家から本家を継いだ慶勝は血筋の上では父系・母系ともに水戸家だから
尚更だったのかもしれないね。
>>881 尾張藩祖の義直は、関が原直前にみごもっていて(御竹の方だったけかな)
関が原のちに生まれたのは、お万の方に二人の男児(紀伊と水戸)
お梶の方に夭逝した姫だったと思う。
あまりにも関が原以前と以後の妻子(側妾と子供)に対する態度が違うこと、
末子の水戸に対する地位が異例だったことから、関が原かその直後で家康は
死亡して影武者になったのではとするような説まであるくらい。
そういう秘密の文書が徳川家には伝わるというような都市伝説も時代劇のテーマになっているし。
それだけ、水戸の立場が異質なものだったのだとは思う。
884 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/30(水) 23:14:32.90 ID:edD/tAda
慶喜家が実際に分家というか、別家をたてるよう勅令があったのちは宗家と同格の公爵家だよ。
分家じゃなく別家だろうね。
それまでは自ら謹慎を解いてないから、宗家の先代(隠居・隠居慎み)という位置づけだろうと思う。
それまで宗家から経費が出ていたのはその通り。隠居だから当然だろう。
あと15代将軍にして徳川宗家の当主だった慶喜だよ。
つまり家達の後継指名は慶喜自身がやってるはず。
家達の態度はどう考えてもおかしい。
単なる馬鹿だろうね。
江戸を無血開城して徳川家を守ったのは慶喜の恭順があったればこそ。
もし、前レスあったらすみません。
一応探したのですが、探し方が悪かったのか、見つかりませんでした。
月照と西郷は、本当に自殺しようとしたのですか?
そして、西郷だけ助かったのも事実ですか?
886 :
日曜8時の名無しさん:2008/07/30(水) 23:37:15.74 ID:2fNLQ4Iu
>>884 篤姫の幼児亀之助を、徳川を滅ぼしたのは慶喜じゃ〜慶喜が家茂を毒殺したのじゃ〜
と洗脳したというのは、冗談でなくマジなんだろうね。
家達はふつうに人相悪いんだけど、ドラマでは美少年・家茂の中の人がやるんだってさ。
顔の美醜緯線に、気持ち悪い発想のキャスティングだな。
うん、篤姫は慶喜の事が大嫌いだったから
亀之助に慶喜の事を悪く言った可能性は高いと思う
幼児の時から慶喜の悪口を聴かされてたら
いくら先代でも馬鹿にするようになると思うよ
お母さんがお父さんの悪口を言って
子供がお父さんを馬鹿にするようになるレベル
>889
ああ!そうですね
予言やら呪術といったら天海僧正ですよね。
すっきりしました。
やっぱり天海僧正の力はすごいですね
徳川幕府を正当たらしめるために朱子学使った時点でその危うさに気付いてたんじゃねーの
水戸とかかんけーなく家康ざまあwだな
徳川幕府の名のもとで200年以上も平安な世が続いたんだから
ざまぁも何も無い気もするが
>>886さん
>>885です。
パソコンがない貧乏人なので、携帯から見れなかったら「申し訳ないな」と思っていましたが、
よくわかりました。
ありがとうございました
慶喜の将軍時代に、大奥のコストカットを図って篤姫・和宮と喧嘩したらしいから、
篤姫が慶喜を嫌っても不思議ではないけど、そもそも篤姫の生前は慶喜は謹慎状態
だし、世情も士族の叛乱や自由民権運動(これも一種の反政府運動)と騒がしいから、
反政府の頭目に祭り上げられる危険が想定しうる家達に変な疑いをかけられぬよう
慶喜と仲良くするなと言い含めるのは、好き嫌い以前に政治的判断としては当たり前だと思うが。
>>816-817 いまさらだけど総合見たときには字幕とか何も無かった気がするんだが
土曜の再放送を録画しておいたら画面に字幕で
「朱(防腐剤)」というテロップが入ってるのを発見。
さすがにわかりにくかったから再放送のときに入れたんだろうか?
単なる見落としだったらゴメン。
>>841-842 この場合の〜さん呼ばわりはむしろ敬称ですね。
お寺さんとかお揚げさんとか、いろんなもんにさん付けするw
>>853 > 代々の将軍の正室の世継ぎが少ないのも怪しい疑惑とか考えちゃいますw
五摂家とかから格好つける形で一応正室を立てはするけど、
実際は身体がひ弱だったりして子産みマシーンには適さない人が多かったかも。
あとは誰かさんの遺言だったか、公家の血を徳川に入れちゃならんとかいう名目で
長年にわたってゴニョゴニョ・・・という話もある。
過去に制作された大奥ドラマでも、正室には堕胎薬などを飲ませ続けて
子を産めないようにしたとか、そういう形で何度も描かれてきてたような。
みんな考えることは同じってことでw
>>857 個人的にはクレオパトラも微妙だったからなあ。
>>860>>863 輿入れ前の名前「篤子」も広大院にあやかって命名されたものらしいですね。
>>864-865 いや、小松さんは断られて(´・ω・`)ショボーンだ。
私も一瞬見逃してアレ?ってなったから再放送で確認したよ。
>>875 本当に脳性マヒとすると・・・おセックルは大変でしょうね。
3人の歴代正室も側室も(この人は看護婦のようなものと言われているが)
一人も懐妊してないし。
>>871 わが胸の 燃ゆる思いに比ぶれば 煙は薄し 桜島山
の一首が有名
(私の胸の国を思う燃え滾るような心に比べれば、薩摩の国や人々の心はまだまだ情熱や真心が足りない)
おい、薩摩がけなされてるぞ(笑
見忘れた。
歴史的にどこまで行ったか、重要な変化教えて下さい。
めんどくさいなら、慶喜の動きだけでも…
お願いします!
今回、慶喜は動きなし
煙草吸ってましたよ
幾島は一橋派だったのにどうしてお咎めがなかったのですか?
>>901 一橋派ということだけでは罪は問われない。
実際に井伊が取り締まったのは、水戸に下された勅状に関わった人と
不時登城した大名に関係のある人だけ。
それにドラマでは引退した幾島だが史実は大奥にずーっと居座っていたので手が出せなかった。
903 :
901:2008/08/04(月) 16:28:39.97 ID:NG4/v+RN
ありがとうございます。
不時登城ってなんですか。wiki見ても良くわからなかった。←バカ
厨でスミマセン
>>903 江戸に入る大名は江戸城に通勤するんだけど、
一度に来られると入り口が混乱したり食事の世話がたいへんなので通勤日を決めていたの。
緊急時〈地震とかね〉以外で通勤日じゃない日に城に勝手にやってくるのが不時登城。
来るほうは緊急だと思ったんだけど、来られるほうは違反と判断したわけだ。
>>903 当時の大名は家格等により定式登城日が決まっていた。
この日には必ず登城しなければならないことはもちろん、逆を言えば
この日以外は勝手に登城してはいけないことになっていた。
で、そういう定式登城日以外に許可無く登城することが不時登城。
村岡が詮議されるとき、篤姫の花嫁衣裳を着ていましたが
これは史実でしょうか?
んなわけねえwwwwwww
909 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/05(火) 10:17:09.30 ID:BkLdlWPu
勝海舟と天障院が恋愛してたって史実なんでしょうか。
全部勝海舟の法螺だったそうだ。
このドラマは1%の史実と99%の虚構で成り立ってる。
911 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/05(火) 14:24:37.03 ID:p/h0rOvN
912 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/05(火) 22:09:58.21 ID:FqsnOg1f
>>909 勝は世間知らずの篤姫を吉原とか連れて行って芸者遊びとかしたらしいよ
913 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/06(水) 01:02:06.34 ID:MrH4IWau
天璋院をダシに女遊びしようという腹づもりだろうなw
914 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/06(水) 01:18:23.50 ID:QWOZynvf
それよりも、欲求不満の若未亡人を相手に遊んだほうが面白そうだwww
915 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/06(水) 10:49:31.77 ID:fSEM/f9b
>村岡が詮議されるとき、篤姫の花嫁衣裳を着ていましたが
>これは史実でしょうか?
これは本当
天皇や公家衆への見せしめで死罪になる予定だったんので
御台所の持ち物を見に着けて厳しく責められるのを防いだ
がなければ、拷問されても当然な立場なので
916 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/06(水) 10:52:28.56 ID:pMQar7kf
静岡の有名なスレおじいさんよしのりさんですか?
>915
えーと、ソースは?
918 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/07(木) 11:27:30.87 ID:dyZvqspZ
篤姫と家定はなぜ夜の夫婦生活がなかったのですか?
919 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/07(木) 17:29:14.91 ID:NfilOE12
インポテンツ
920 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/07(木) 17:55:02.62 ID:WERzuaWM
前回の篤姫を見られなかった
おれに展開の解説求む
921 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/07(木) 18:29:24.72 ID:cqIg5pXy
幾島去る
次スレから
このドラマは実在した篤姫その他とはいっさい関わりありませんというテンプレ入れましょう
初心者さんが誤解しないようにね
>>884 史実だとしたら家達は最悪だな。それもこれも篤姫の無分別な洗脳教育の賜物か……。
そういえば原作では和宮が徳川家の集まりにやってきたときも家達が目上の者の態度をとって
後からお付のひとが、宮様に対して無礼だからと忠告したら
世が世なら自分は徳川家で1番偉い、だから和宮よりも自分の方が偉いと言い切って
それをきいた篤姫が、相手が皇妹であろうと毅然とした態度をとっている家達に
立派に育ってくれて感激みたいなシーンあったな
ぶっちゃけ、どこが立派だよ。こんな糞ガキ将来ろくな人間にならないと思った。
形式上、家達の祖父に当たる家茂ですら妻である和宮に対して下座の行をとっていたというのに。
徳川時代でさえ内親王>将軍だった。家茂はそれをわきまえていたのに。
まして幕府はもうとっくになくなって徳川家なんて一華族に過ぎない立場じゃない。
時代を見極めずに将軍になってもいない人間が本来なら自分が権力者だったなんて
傲慢な思想をもって大きくなってるのを自分の教育の賜物だと感激している篤姫の馬鹿さには呆れた。
これがもし史実だったら篤姫は救いようの無い馬鹿だと思ったもんだ
和宮が京都に帰らず、家達を育てる苦労をしているなら説得力もあるが。
彼女はそれをしていない。本来、彼女がその役目を果たしたなら
篤姫が骨を折る必要もなく楽隠居できただろう。
努力をせず傍から見ているより、批判されても必要な行動をとることがどれだけ大変か。
>>924 >世が世なら自分は
所詮、タラ・レバだ。
DQNの発想だよね。
927 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/08(金) 00:42:40.20 ID:E3lm0mM8
>>877 >だから、天下の副将軍と名乗るし。
副将軍というのは、斉昭の流したデマだと読んだことがあるよ。
水戸黄門漫遊記を流行させたのも斉昭。
講談師に金をばらまいて、水戸黄門漫遊記を創作させたようだ。
慶喜への期待を盛り上げるために、いろいろやったということだね。
928 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/08(金) 00:45:51.56 ID:E3lm0mM8
>>884 >つまり家達の後継指名は慶喜自身がやってるはず。
指名したのは家茂だよ。
しかし、政治的に大変な時期なので、慶喜を臨時に将軍にした。
家達が元服するまで幕府が持ったら、家達に位を譲っていたはず。
>>924 しかも「宮も大人になられたww」と上から目線で悦に入るおまけつき
>原作篤姫
確かに和宮は「大人」だよ、凄まじく。
史実の篤姫が亀之助の養育引き受けたのって、徳川新当主をアンチ慶喜に仕立て上げるための
策略だったんじゃないの?
聞けば聞くほどロクなもんじゃねーな篤姫って女は。
931 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/08(金) 12:19:43.99 ID:aERcdV9G
>>925
あのなあ和宮にそんな義務はないぞ
皇室>宮家>華族って時代に
皇室の人間相手に非礼働くなんてただのキチガイだぞ
和宮はあくまでも皇室の人間で
明治天皇ですら叔母だからと敬う相手
家達なんか義理とはいえ親戚じゃなかったら
同席もままならんほど身分の差がある
>>929 大人になられた?
肝心の主人公が全然大人になってねえぞ、おい!
和宮を下座に座らせて孝明天皇の怒りかったこともう忘れてるじゃねえか
篤姫って人間は教訓とは無縁なんだな
自分が正しいと死ぬまで思い込んでた痛い人間なだけかよ
小説内の台詞に、そんな憤らなくても・・・
原作者の宮尾が篤姫を書いたころは史料が少なくて苦労したらしいし
そうとう脚色や創作が入った宮尾版篤姫だし、それを田渕が自分流に勝手に
脚色してるから史実とは相当かけ離れてるんだろう。
夏厨がうざすぎる
夏厨いいたい厨がうざすぎる
今年のこのスレのレベルが低すぎるだけ。
940 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/11(月) 04:53:41.96 ID:eO2//K4W
ちょっと質問なんだけど、「せいちゅうぐみ」の漢字表記って「誠忠組」で
いいの? 『翔ぶが如く』では「精忠組」だったような気がするけど。
あと忠教(久光)の子の薩摩の新藩主の名前って、「忠義」でいいの?
これも『翔ぶが如く』だと幕末段階では茂久で、維新後に「忠義」に
改名したようになっていたけど。久光のほうはあまり知られていない
初名「忠教」で出しているのに、ちょっと不思議に思った。
>>941 sageは半角小文字でいれないと効果無いですよ。
途中参戦者です。
有村次左衛門と誠忠組の人たちとの関係が分かりません。
薩摩の人間ということは過去交流があったのですか?
>>943 最初の頃、まだ篤姫がおてんば姫で周囲の反対をよそに
下々の者と付合っていた時代に面識があります。
篤姫が自宅の台所から勝手に持って来たカツオを食べてました。
その人たちが誠忠組の中心になってます。
有村は三兄弟で、長兄が誠忠組のメンバー。
弟二人が井伊襲撃に参加しました。
>>944 ありがとうございます。
ということは、薩摩で時期を待ってた他のメンバーとは別に
一人(二人か)でさっさと都に上り、桜田門外の変に参加したということでしょうか?
なんかアホな質問でスイマセン。
>>931 お前は身分制度至上主義だな
だからそこが武家の思考とかけ離れてると言ってるんだよ
例えどんなに身分が高かろうが皇妹であろうが、嫁いだからには婚家の色に染まり
そのために尽くすべし、というのが当時武家の考えだろ
和宮は正式に徳川の人間になっていたのだから
家達の養育をする義務がないなんてことはない
身分がどうであれ、徳川の人間として、一人の女としてどうなんだってことだよ
だから幕末維新後の江戸の人々に良く映らなかったんだろ
>>946 おまえは日本の歴史知らないんだな
日本の有史以来皇女は臣下に嫁いでも皇室の人間と決まっている。
そのしきたりを天皇家は二千年守ってきたし
皇女を嫁として向かえた家もきちんと従ってきた
それに逆らったのは徳川家だけ(それも厳密にいえば大奥の女だけ)
徳川もあくまでも天皇家の臣下
自分達の家庭のしきたりを武家や公家相手に押し付けるのはいいだろうが
主君である天皇家に対して行うのはただの不忠
あっちは二千年の歴史と伝統を持っている
そのルールを守るのは当然だし、臣下もそれを遵守するのは当たり前。
天皇家に仕える人間なのに、武家だから例外なんてことはない
武家だろうが公家だろうが、天皇家の僕と言う立場は同じ
まして和宮は内親王宣下を受けている
臣籍降下したわけではない人間に、嫁したら皇族じゃないと思うほうがおかしい
そもそも
だから幕末維新後の江戸の人々に良く映らなかったんだろ >>
これはおまえ一人独りよがりだろ
ちゃんとした資料を元に話せよ。
和宮は家茂死後明治天皇から京に戻るように言われている
しかし徳川家存続が決まるまで江戸にのこって骨をおってやった
徳川の嫁としての務めは十分果たしている。
武家の中でしか通用しないしきたりと
天皇の言葉とどっちが重いかは議論する必要も無い。
それを踏まえて、大局を乗り切るまで徳川家に添ってやったんだから
これ以上何も望むものはないだろ
役目果たした以上は、天皇の言葉に従って帰京する
見事としか言いようが無い行動だ
949 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/11(月) 17:55:49.80 ID:TEZhoSNZ
>>918 将軍家定と篤姫の間に夫婦生活がなかったと推測される理由は
家定がもともと障害者だったことによる。
アメリカ公使タウンゼント・ハリスの日記によると、
家定が江戸城においてハリスを引見した折の様子として
言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らすという行動をとったとある。
これは脳性麻痺の典型的な症状のひとつである。
大河ドラマのストーリーとは大きく異なるが、
篤姫も最初から健全な夫婦生活は期待できないことを
周囲から言い含められていたことと思われる。
>>945 斉彬時代から、江戸詰の藩士の中に水戸の尊攘派と交流を持っていたのがいた。
その集まりで本来は井伊暗殺後、襲撃犯と薩摩から脱藩の有志が合流して京・大阪で蜂起する計画だった。
しかし、ドラマでやったように藩主の告諭で薩摩国許の同士は脱藩中止。
つまり襲撃犯から見れば日和って脱落したことになる。
江戸にいる仲間にも国許へ戻るように命令が下される。
しかし有村兄弟だけが暗殺計画に残留し、下の次左衛門は襲撃に参加。
真ん中の有助は暗殺成功を見届けて水戸の同士と上方へ向かう途中で捕縛される。
そのまま薩摩に連れ戻され、幕府とゴタゴタする前に藩により切腹させられる。
ちなみに有助の顛末は来週ドラマでもやるようだ。
>>950 なるほど〜、よくわかりました。ありがとうございます。
>>946 単に歴史人物への個人的好悪で和宮を非難しているようだけど
和宮は「御台所」という呼称も拒否しているし、
徳川の人間になる必要もそもそも無い立場が許されていたのでは。
宮の意志をうけて議論もされ「御台様と呼んではならない」、
なんて正式なお触れが出たんだものね。
だいたい「降嫁」だよ。
その「嫁いであげましょう」にいたるまでの条件闘争も激しかった。
生母の実家で養育されたとはいえ、「内親王宣下」を受けた格式の和宮に
武家の慣習を押し付けるのは論外なのでは。
皇族とかきもいやつらは出てくんなって感じだな
興味ねーから大河篤姫では一話でとっとと退場願う
954 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/14(木) 08:09:40.91 ID:i3jk739D
>>952 んだからね、「武家の慣習を押し付けるのは論外なのでは」ってのと「徳川に嫁いだのだから」って
のと2つの考えが実際にあったからこそ、大奥で確執が発生したわけでね。。。
格式重視と個人的好悪ってのもどちらが正論かも関係なく、軋轢が現実にあったわけだよ
そこが見所だからおもしろいんだと思う。幕末大奥ものでは公家と武家の異文化の
文化摩擦を描くのが常。
鎌倉時代から天皇と将軍の2元政治が700年も続いていて、それを1元化して
古代のように天皇のもとに結集させたのが王政復古で明治維新。
日本史のなかではつねに2つの文化が拮抗し合い多様性があるから文化が豊かでもある。
慶喜も母親は宮家出身で刺繍や絵の趣味のたおやめぶりもあり、父親が武家出身なので
狩が好きで弓も引くますらおぶりもある。
公家と武家では慣習やしきたりが違うから軋轢があるのは当然。
「太平記」でも尊氏と後醍醐天皇の対立を描いていた。その女版だろう。
さーや様も内親王宣下を受けているの?
明治以降は天皇の直接の子には生まれた時から親王・内親王。
傍系となるごとに王・女王に格が下がるんじゃなかったっけ。
ちなみに女子は結婚で皇族から離脱。よってさーやさんは元内親王。
和宮当時は婚姻による皇籍離脱はないので
一生涯皇族(内親王もまま)で将軍様より位階が上。
当時の日本では和宮より位が上の人物は
孝明天皇と姉の敏宮の二人だけ、
ほかに立場上礼をしたのは天皇の女御だけ。
それで、
和宮さんは、家茂とセックスしたんですか?
高貴で尊いお体に、下賤な東夷のペニスを突っ込まれることはあったんですか?
>>958 最新の和宮の評伝では、セックル禁止だったので御内証を立てたということになってる。
>>959 それでは、欲求不満でヒスになるのも無理ないですね。
御内証とは、下々が言うところのクリちゃんのことですね。わかります。
>>957 なーるほどな
家茂と和宮との間に子ができていたら
その扱いもヤヤコシイことになってたんだろうな
もともとお飾り的に嫁していた五摂家出身などの歴代の嫁さんたちも
誰かさんの「皇室の血を徳川に入れちゃなんね」との遺言もあって
いろいろ妨害されて子供作れなかった人ばかりだもんね。
お飾りだし継嗣をあげることも期待されていずに
政治的背景やドロドロ大奥内での
意図的に子作りの妨害もあったのかもしれないが、
家光のときの本理院のように相性が悪く交流さえしなかった件もある。
(家光の男色嗜好盛んな時期に嫁いだという理由もあったろうが)
また公家や宮家の姫は虚弱で子が出来にくかったという点もある。
子を設けた正室も勿論何人かは居るが。
現実に、現代とちがって身分の高いかたは床の中での
技術にはうといし、姫君たちはもっと技術にうといから・・今の
夫婦生活には遠くおよばず・・そんなによいものでも楽しむものでもなく。
全く経験のない姫様たちはないほうがありがたかったと思うよ。
好きでもなくとついで、交流だってごくわずかだし、生活習慣もぜんぜん違う男が
突然きて、さあ体をゆるせっていわれるわけですからね。
>>964の根拠のない予想はともかく、実際はそうじゃなかったんですね〜
966 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/18(月) 19:04:26.49 ID:SEhyf3/z
和宮下座事件とか天璋院呼び捨てとか
大奥無礼合戦のエピソードのソースってどこなんですか?
967 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/18(月) 19:20:51.78 ID:zPBmUWOi
和宮って優しそうな印象があるけどな
968 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/18(月) 19:32:57.76 ID:G2tCrQgC
でもあれだよね。
天璋院が薩摩に戻ったとしたら双方養子ながらも藩主茂久の姉、久光との血縁上はいとこだよね。
それはいいとしても大御台所という格式はどうすんだろう。
藩主よりも上座ということになるんじゃね?
薩摩には戻らず江戸で藩主とは別の下屋敷あたりに隔離ということになるんだろうか。
天璋院はいかにも薩摩に戻るようなこと言ってたけど・・・
帯刀が久光(忠教)を「殿」と呼んでたけど、あれはアリなんだろうか?
藩主になったことすらないはずだけど。
>>966 和宮について江戸城に入ったお側女官や公家の書留、
また各方面にあてた書状から立証できる。
「(略)それにては禁中の御威光丸つぶれと申す事に相い成り候て、
何供何供心配お遭い候(略)万事御所風の事供もご尋問遊ばされ・・・」
「(略)いつになき宮様御無念に堪えさせられずとの御ことにて、
しきりに御悲嘆の趣き・・・(以下略」
こういう風な書状ね。
対面時の非礼については、もっと公的な書簡も残っているよ。
971 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/18(月) 19:57:20.31 ID:G2tCrQgC
>>969 うん。
帯刀は久光の家来(陪臣)ではなく歴とした一所持ちだから殿と呼べるのは茂久のみだよね。
大殿だと先代になるし、藩父(国父さま)か?あるいは御前(偉い人なら誰でも呼べそうな感じ)とか。
三郎さま、官位があれば便利なのだが。
972 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/18(月) 20:07:25.18 ID:SEhyf3/z
「周防さま」とかじゃなかったっけ
>970
どうもです。
ずいぶん小説的な逸話なので、ほんとにあった話なのかとおもってました。
>>971 斉興はすでに死んでるから「大殿」でいいのでは?
つうか、斉興は生前でも「御隠居様」でいい気がするが。
「三郎様」はありえないよね。面と向かって
974 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/18(月) 22:02:50.60 ID:phfjn6EV
>>971 一応公式には「周防様」で一般藩士からは「国父様」って呼ばれてたみたい
ただ「三郎様」って呼ばれても久光本人は気にしてなかったらしいから、意外と
下に対しては気さくな人物だったのかもしれんなぁ
御一新後は「御前様」や「玉里様」って呼ばれたりしてたようだね
>>967 史実では箱根で療養してたときに村の子供をよく招いてお菓子をあげていたので優しい性格だったろう。
徳川に嫁ぐときもほとんど面会したことがない異母姉敏宮のことを気遣って幕府に屋敷作らせたりと家族思いだったしな
>>968 実際に戻ることになったら、御殿を造営して、そこにお住みになることに
なると思いますよ。江戸にいるのは、さすがに、江戸城を目の前にして
将軍が嫡母を追い出したということであまりにも外聞がわるく
幕府が推奨する儒学の上からもまずいので。
薩摩のお城にそれなりのはなりの御殿・・になるかもしれないけれど
それもあまりにもなので・・。席次は、現在の殿様が下座になるけれど、
将軍と大御台所と同じように、まず、将軍が下座で挨拶したあと、上座にのぼって
篤姫が殿に場所をゆずるって形になるかと。
でも、薩摩では大御台所といっても政治的にはなんの力もなく
特に殿様と会う必要もないので、年始や行事のときの挨拶を奥で受けるだけで
公の席にでて席次がどうのってことはない。
江戸城でも政治的にはなんの力もないものね。天璋院。
幕府も諸藩や朝廷や外国との対応に忙殺され大奥の存在なんか、眼中にもなかっただろうね。
朝廷の和宮降嫁の条件が姑の大奥退去だし、実際公武合体政策の象徴の
和宮とたびたびトラブルを起こし、幕政に迷惑をかけるから、役目を終えた篤姫には
幕臣たちは薩摩に帰還して欲しかったのかな。
薩摩に戻っても後ろ盾の斉彬はいないし代は変わってるから、いままでのような
贅沢三昧はできないから戻りたくなかったんだろうな。
先週の放送、姑が天璋院じゃ朝廷の気分を損ねるから
幕府は天璋院に退場させようとしたんですよね?
それとも、朝廷が誰であろうと皇女に姑なんてものはいらないと言ってきたの?
なんか公武合体派=朝廷を大事にして武家の誇りを忘れた連中 みたいになってたね…
あの話の筋だと、公家、つまり宮家や摂家の出ではない(武家の出である)姑は、
和宮と相性が悪くて朝廷の機嫌を損ねるから全員ダメってことみたい
将軍家茂の生母は篤姫には登場しないのですか?
981 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/20(水) 11:31:09.31 ID:NoEg/gDI
天璋院は五摂家筆頭近衛家の出ですけどね。
しかも実父(とされる)斉彬は勤皇の総本山水戸斉昭と連携した超有力大名だし、
今後薩摩は朝廷工作に関して最大勢力となります。
大久保と岩倉の連携が天皇の御世を作って行きますし、和宮ごときが格式をうるさくいうなど言語道断ですね。
帝の御心を少しは考えて欲しい。
>>981 和宮じゃ無くて、幕閣や薩摩の一部が勝手にそう思っただけだろ。
>>977 和宮東下の条件はもっと様々に重要なものがある。
経過も複雑なものだ。
ここは質問に答えるスレだし、適当な自論ばかり書くなよ。
アンチスレに篭っていたら?
公式サイトでは唐橋の説明が
篤姫付き老女。慶喜の将軍擁立失敗の責任をとって大奥を去る幾島に代わり、
篤姫付きとなって幕末の大奥を支えた。
とあるんですが、まず「篤姫」付き老女ではないし、幾島が去った後は重野が天璋院付きですよね?
43話くらいからしか登場しないし当初の予定と変わったのでしょうか
>>984 原作自体に唐橋の設定に無理があり、それを調整した結果では?
>>幾島に代わり
は原作の設定。
じゃあ公式サイトも変えればいいのに
公式サイトを変えないのは不思議だけどね、
重野の説明だけ加わった
唐橋は42話から、天璋院付きの御中臈として登場の予定
988 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/21(木) 01:57:14.67 ID:7nG3OcQv
幾島が大奥にずっといたとか、大御台になってから増員されたとか、
家定が薨去したのは大奥でだったとかは、
作品発表後にわかったことだから仕方がないけれども、
唐橋の件は調べれば、わかったはずだよ。
宮尾登美子の取材不足だな。
あのさー、執筆時の考証や取材を完璧にする必要はないんだよ。
創作物の小説なんだから。
歴史人物を題材にした創作であって、史実の追求や再現ではない。
むしろ、調べた結果をみな出そうという小説家は下手な奴に多いし
物語や人物の魅力がなく、ほとんど年表や史伝みたいな作は×。
丹念に調べた取材でも、作品化においては
たくさんの部分を捨てている作家がほとんどだ。
宮尾の原作の取材がどうのこうのじゃなくてね。
小説家は歴史研究者では無いんだから。
990 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/21(木) 06:52:25.86 ID:v08Ijf+R
>むしろ、調べた結果をみな出そうという小説家は下手な奴に多いし
たとえば?
988はおそらく小説など読んだことのない知恵おくれだと思う。
あるいは稚拙な文章から、小学生高学年程度かな?
すぐそうやって煽る・・・
次スレは立つ気配ないようですね
>>992はこのスレの良心。好きだ。けっこんしてください
好いちょりましたか
そういうのもいいから
やっぱり好きではありませんでした がっかり
998 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/21(木) 22:38:43.12 ID:NheozxFH
999
1000 :
日曜8時の名無しさん:2008/08/21(木) 23:30:02.43 ID:6hzTuFFx
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