【歴史】卑弥呼の死亡時期と合致「奈良の箸墓古墳」 邪馬台国畿内説と九州説に一石を投じる結果に…国立歴史民俗博物館★4
1 :
◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:
古墳時代の始まりとされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築造されたのは
240〜260年という研究を国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)がまとめた。
放射性炭素年代測定によるもので、250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重なる。
畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石を投じることになりそうだ。
全長280メートルの前方後円墳である箸墓は、最大でも110メートルだったそれ以前の
墳丘墓とは規模が大きく違う。
強大な政治権力が誕生したことを物語り、時代の画期を示すものと考えられている。
魏志倭人伝にある卑弥呼の墓と、箸墓の後円部の大きさが近いことなどから、
古くから箸墓を卑弥呼の墓とする考えがあった。
考古学では、少し前までは4世紀の築造と考えるのが主流だった。
宮内庁指定の陵墓で本体の調査はできない。
周囲で出土した土器や他の古墳で見つかった鏡などを手がかりに研究が進み、
3世紀後半と見る研究者が増え、卑弥呼との関連が注目されるようになっていた。
歴博は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。
その結果、箸墓の堀や堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている
「布留(ふる)0式」が使われた期間を240〜260年に絞り込んだ。
31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協会の
研究発表会で報告される。
歴博研究グループ代表の西本豊弘教授(考古学)は「慎重に進めた5年間の研究の総まとめで
結果には自信を持っている。どのようにしてこの年代を求めたのか、だれでも検証できるように
測定データも含めてきちんと公表するようにしたい」と話している。
(一部省略)
ソース:asahi.com
http://www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200905280355.html 画像:卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳
http://www.asahi.com/culture/update/0528/images/OSK200905280103.jpg 前:
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243609608/ (★1:2009/05/29(金) 06:54:23)
醜い争い
3 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:34:27 ID:DiAgs0sO0
村西とおるが一言 ↓
4 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:35:24 ID:4vzfLj210
ざんす
5 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:35:43 ID:WAncCUOu0
筑後涙目www
邪馬台=大和でFAってことだな。
7 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:37:00 ID:D2ZahQZs0
>一石って
これで決定じゃね
8 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:37:14 ID:hsOWSvpy0
おれの近所の自称地方史研究家の唱える「邪馬台国群馬県説」が陽の光を見るのはいつ…
9 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:38:06 ID:r7StFMcS0
邪馬台国はどこですか
東日流外三郡誌に邪馬台国は平泉って書いてあるだろ馬鹿
>箸墓
日本史の教師が嬉々として
ここにまつわるエロスな伝説を授業で説明してくれた。
懐かしい
12 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:40:15 ID:32JY9beE0
ぶっちゃけ、掘ってみなきゃ分かんないじゃん。
中味が男って事だってあるんじゃないのw
13 :
58-188-219-81.eonet.ne.jp:2009/05/30(土) 13:40:53 ID:WjE1hWSf0
奈良GJ
卑弥呼は天皇ではありません
15 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:44:30 ID:QfHBNNhF0
卑弥呼は朝鮮人
16 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:44:32 ID:JUAprW41O
なぜ選挙前のこの次期に…
国策うんたらかんたらo(^-^)o
前提1
倭人伝に、邪馬台国は7万戸の大国で、卑弥呼の墓も大きいと書いてることを
信じる。
前提2
そんな大国は、西日本にひとつだけしかなかったはず。
他に大国は無いと信じる
前提3
それに当てはまる古墳は箸墓だけと信じる
これで決定的?
18 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:46:55 ID:irTk07S30
墓があるのと、オリジナルの邪馬台国がその近所にあったかというのは別の話だろ。
九州から奈良に移転した説なら、後日、大掛かりなものを新しいところにつくりなおしたということもあり得るだろう。
19 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:47:17 ID:qswmxEEo0
卑弥呼なんていないだろwwwwwwww
ヒメノミコト にきまってんだろwwwwwww
おそらく真実は公表される事なくボカされるんじゃね?
謎のままのにしといた方が
研究者も観光関連も今後も卑弥呼で飯喰える訳だし
21 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:49:36 ID:4uk+MUV10
卑弥呼の墓の大きさは「径百余歩」の「冢」だ。
まずは「径百余歩」が直径何メートルに相当するのかを考えろ。
話はそれからだ。
ちなみに、一里=三百歩で、狗邪韓国→対海国が「千余里」だからな。
仁徳天皇陵を掘れば一発で分かるとか聞いたことあるなあ
ヒミコって呼び捨てにしていいのか、やんごとなき人の祖先なのは確実だぞw
24 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:52:19 ID:bCtIdaVS0
こんな調査しなくても畿内にあったことは研究者の間では分かりきってるんだがな。
>>12 、 ヽ
|ヽ ト、 ト、 ト、 、.`、
/|l. l. | |l l | | l |l.| |l. l
/' j/ ノ|ル'/レ〃j/l |
-‐7" ヾー---┐|_.j
 ̄ ./゙ニ,ニF、'' l _ヽ
:: ,.,. |ヽ 」9L.` K }.|
l' """ l ) /
h、,.ヘ. レ'/
レ′
r.二二.) /
≡≡ ,イ
. / !
\ / ├、
::::::` ̄´ / !ハ.
26 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:52:51 ID:6C4TYl8s0
卑弥呼の墓は畿内の大和国にあるに決まって居ろうぞ。
27 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:53:08 ID:M7z3kD/90
邪馬台国はみんなの心の中にある。
−−−−−−完ーーーーーー
28 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:54:41 ID:QTC1WzSpO
掘って朝鮮人が出てくるんですね
29 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:55:52 ID:6C4TYl8s0
卑弥呼の墓は畿内の大和国にあるに決まって居ろうぞ。
しかと心得るがよい。
分かったナッ!!!!
30 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:56:41 ID:O0eHP2zE0
私の田舎(播磨国)の神社の伝承では卑弥呼は三輪山のふもとに住んでいたと
いわれていた。
卑弥呼
×ヒミコ
○ピミヲ
32 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:58:49 ID:S+A+4O5K0
奈良県はさっそく
不人気のせんと君に代って
卑弥呼姫をキャラクターにしろ
33 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:59:08 ID:6C+8+MKBO
卑弥呼がどれだけ重要な人物なのかオレに教えてエロい人
34 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 13:59:47 ID:1DIU6Os60
掘れないのをいいことに言いたい放題だな
36 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:00:33 ID:h0HB5jBFO
国立歴史民俗博物館っつったら笑い飯のネタだっけ?
37 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:00:58 ID:rI+0YDL00
あいつらが「ナラはウリナラの『ナラ』なので卑弥呼も朝鮮起源」
と言い出すのに何日かかるだろう?w
38 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:01:41 ID:+EOkYneZ0
卑彌呼は円墳に葬られている、前方後円墳ではない
珍奇な前方後円墳ならば魏志倭人伝に特記すると思うよ
大和にも一つの王朝があったと考える方が妥当だな
卑弥呼より壱与の方が好みだな
41 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:02:15 ID:32JY9beE0
てーか、墓のある所=邪馬台国の近所、とも限らないよなあ。
卑弥呼の遺体を神輿に乗せて女王国全部巡回して到達した端っこの地に収めた、
ってな事もあるかもだし。
42 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:02:31 ID:ExGV1xXO0
青森になら卑弥呼の墓があっても不思議じゃないな
43 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:02:39 ID:P8CCjdUy0
ローマ帝国が専制君主制を敷いていたころの話ですね
なんで掘らないの?
45 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:04:27 ID:bPFpMSx60
46 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:04:28 ID:rI+0YDL00
つか泥棒入らないのか?古墳て
48 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:07:38 ID:bPFpMSx60
コフィーちゃん
普通に考えてもヤマトの国の奈良しかないでしょ、邪馬台国。
50 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:09:33 ID:1hkWwskq0
考古学は昔のことを総合的に考察する学問のはずなのに、よくて出土物学、たいていは出土物フェチにしかなってない
日本書紀にある倭迹迹日百襲姫の箸墓伝承をどう解釈するつもりなのかと思うが、無視して知らん顔なんだろうね
しかし、まあこの時代の日本の非文明っぷりったら、ありゃしないな。
まー今でも欧米、その支配地域に比べたら、「文字によって明らか」はされてないと思うけどw
52 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:10:17 ID:gvwTZ1W+0
盗掘なら江戸時代から盛んにやってるぞ
いまきた。
やまたい博多弁説は出た?
54 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:11:27 ID:UeIdLQtu0
歴博GJ!
56 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:12:07 ID:Mih7ska+0
え〜と、つまり九州涙目ってことで決着したの?
57 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:13:07 ID:bCtIdaVS0
九州王朝説は壬申の乱や大化の改新までもが九州で起きたと言ってるからな。
あれを素直に信じられるなら、学問や科学はもう必要ないよ。
58 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:13:27 ID:GyEcm49A0
59 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:15:15 ID:ExGV1xXO0
>>51 でも、その頃栄えてた国なんて、今は滅亡して残ってない国ばっかりだし。
>>19 >ヒメノミコト にきまってんだろwwwwwww
サー・プリンセスみたいな感じだな。
リボンの騎士っぽいw
61 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:17:30 ID:63yILkeR0
62 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 14:17:56 ID:D+DZfTyG0
西都原古墳は円墳なんだろ。
これを調べるだけでもかなりの成果が出ると思うのだが。
63 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:18:17 ID:32JY9beE0
>>52 てことは、墓をひっくり返すよりも旧家の倉を探った方が文物が出て来るとw
64 :
名無しさん:2009/05/30(土) 14:19:01 ID:GR48XgIK
何も出てこないことより、何か出てきた方が問題>古墳
65 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:19:49 ID:63yILkeR0
1番困るのはどこの誰わからない古墳だった場合だよなw
( ‘д‘)y-~~<邪馬台国は徳島で間違いない その後奈良へ 神武は氷見九子で間違いない 神武に負けて奄美〜沖縄に逃げた卑弥呼一派の元倭国が今に残る祭祀文化を伝承した
>>51 ヨーロッパの北のほうの古代の明らかになってる部分なんて、
日本と同じ程度だろう。
68 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:24:47 ID:bCtIdaVS0
そのくせ九州王朝説は神武天皇の東征伝説も史実なんだと言ってる。
第38代の天智天皇までが九州で王朝を開いていたなら、それより1000年も
前の人物である初代神武天皇が大和を征服して統一王朝を打ち立てたという
話はありえないということになる。
もう時間軸がメチャメチャ。
69 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:25:09 ID:WGVt9xdh0
バカヤロー、邪馬台国は九州に決まっている。
70 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:27:34 ID:0fqgHGIj0
いまどき九州説を喚くのは素人だけ
って、何度もレスされているな。ここを見ると、それが真実だって、本当によく判る。
台風で壁が崩れて、中から古文書が出てくる。これは日本の崩せない定番だよな。
固有名詞でなくて、単に「ひめ」なんじゃないかな。
「邪馬台」も「やま」か「やまと (山人)」なのかも。
土地の言葉がわからない外国人が地名や人名を聞いて
まわると、勘違いが起きやすいから (「カンガルー」や
「ユカタン」や「ヴァジスタス」ほど酷い勘違いでは
ないにせよ)。
中に誰もいませんよ
74 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:28:55 ID:zsPNRCxp0
>>71 なぜか横にはペットボトルに入った尿が置かれてるんですね、わかります
75 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:29:50 ID:9LG6NTJj0
K岡R太郎
「邪馬台国?そんな昔の事は知らん。それよりミナミの犯罪は奈良と和歌山の(ry
76 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:31:48 ID:63yILkeR0
別に九州は名もない豪族でいいから
古墳開けろ
77 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:31:59 ID:dDBJnlc20
前方後円墳の前方は、
1、祭壇
2、参道
の、いずれかだと云われている。
だから、後円だけを墓とするのも、OK
78 :
名無しさん@+周年:2009/05/30(土) 14:32:18 ID:cBCu4i4T0
強い勢力が幾つかあったのだろう。一つに決め付ける必要はない。
九州はもうだめぼ
80 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:33:09 ID:zsPNRCxp0
ヒミコミコミコヒミコミコ
>>71 竹の中からかぐや姫。
桃の中から桃太郎。まだあったかな。
83 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:33:19 ID:/68O/NKLO
なんか邪馬台国が畿内だと困る人がいるの?
純粋にわからないから教えて欲しいんだけど
>>17 前提1に「かつ今も残されていると信じる」が必要じゃないの?
これ言ったら永遠にわからなくなるだろうが
昔に作った大きい墓が現存しているとは限らない。
>>62 西都原は気になるなあ。
南九州に力のあった勢力はいたんだろう。
>>72 卑弥呼は当時の発音でピミヲで、意味は日女王(ひめおう)。
邪馬台はヤマトゥで、台は乙類なので「ト」ではなく「トゥ」。
86 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:34:37 ID:4FtsaRKw0
>>68 時間軸がメチャメチャなのはアンタの方だよ。
安本美典は、ジンムの東征をトヨの後 248AD 以降としてる。丁度、近畿
で銅鐸が祭祀の主役から、急激に主座を失う頃。
87 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:35:04 ID:VoKDirzT0
>>83 関東の学閥が根拠粉砕されて困る
九州人のプライドが困る
銭儲けをしたいと持ってる連中が困る
こんなところかな
墓の時代だけで「卑弥呼だ」って言われてもいまいちピンとこないな。
もっと決定的な証拠発掘してから言ってくれよ。
>>67 北欧なんてノルウェー・ヴァイキングが南欧席巻したのが11・2世紀だよ。ノルウェー人女性
日本語翻訳家が嘆いてた、
「日本人が源氏物語を書いてた頃、私達の先祖は毛皮をまとい棍棒もって暴れまわってた」と。
>>87 関東の学者で九州説となえてる人なんてもういないじゃない?
困るのは九州人だけでしょ。
92 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:38:55 ID:gOV0XFCp0
卑弥呼が朝鮮半島からの帰化人であることに変りはない
93 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:40:52 ID:3S3F3xCpO
倭姫命が卑弥呼なら
トヨは誰なんだろ?
94 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:41:14 ID:63yILkeR0
逆に卑弥呼がいたと言われる時代の物が近くで見つかった
それだけで卑弥呼認定する、それは学者と言えるのか?
昨日も言ったが五稜郭に土方歳三の刀があれば、新撰組は函館に居たことになるのか?
新撰組は京都だろw
95 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:41:16 ID:/68O/NKLO
>>87 あーその程度か
神話がらみで歴史捏造なんて朝鮮人みたいなのがいるのかと思った
金がからむならオレも新説を
新説:邪馬台国は埼玉
「さ」と「や」を入れ替え、あとはアナグラム
こんなに似てる埼玉と邪馬台
半島はまた主張してきそうだなー
<丶`∀´><古墳は韓国起源ニダ
>>90 北欧もサガとかエッダとかあるからいーじゃねーか。
王家も続いてるし。
発掘すりゃ色んな新証拠が見つかって謎の解明に繋がるのに
宮内庁がガンなんだよな。
天皇の正体を明かされるのがそんなに嫌かね。
>>86 安本は九州説で
古田の九州王朝説には批判的だろ
反論する相手を間違えてるよ
それに銅鐸、銅矛、銅剣文化圏という分類は
発掘が進んだ現在ではあまり意味がないとされている
100 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:43:49 ID:3S3F3xCpO
卑弥呼→トヨ、に継いでるのに
トヨ→倭姫命、に継いじゃってる
卑弥呼=倭姫命だと逆にならない?
>>90 >ノルウェー人女性日本語翻訳家が嘆いてた、
>「日本人が源氏物語を書いてた頃、私達の先祖は毛皮をまとい棍棒もって暴れまわってた」と。
いやそんなに卑下することはない。ノルマン人は西欧人に航海術を伝えた。
日本だって、それを存分に使わせてもらった。
航海術を悪用した筆頭はイギリス人。(ところでイギリス人の一部分はデーン人らしいね・・)
102 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:44:39 ID:63yILkeR0
>>98 ってか、すでに開けてるんじゃね??????????????
だから、俺は卑弥呼説はないと思うね
宮内庁は、何言ってるんだこのハゲって思ってるよw
まぁ、バチカン並みに研究者が立ち入るには堅そうだがw
103 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:45:01 ID:4FtsaRKw0
近畿の勢力が、そのまま大和政権に成ったのなら、何故、近畿であんなにポピュラー
だった銅鐸が、250AD頃、忽然とその主座から落ちたのか、それに関する有力な
言い伝えが畿内に残っていないのか、説明が出来ない。九州説の場合は、ジン
ム東征をトヨ後の260AD頃とすれば(安本美典説)説明はつけられる。
104 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:45:40 ID:Sym4biChO
またどっかの歴史マニアのオッサンが埋めただけじゃないのか?
105 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:45:46 ID:j2s1fXNPO
東大が九州説で
京大が近畿説
>>100 卑弥呼を倭姫命にあててるのに
その後継者を世代が上のトヨキイリヒメにあてるんだ
それじゃ矛盾するの当たり前だと思うけど
107 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:46:58 ID:qgWX9EKF0
邪馬台国=ムー大陸
これ定説な
108 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:47:52 ID:To0WRsqKO
卑弥呼の墓がある、ない、で観光資源として全然違うもんね
九州も譲れないだろう
でも、九州は違うと思う
>>92 >卑弥呼が朝鮮半島からの帰化人・・
あぁ、その証拠がないから、もどかしく思い、困っているのだね。
イデオロギーと考古学は相容れない。歴史学はあやしいが。
110 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:49:00 ID:qDPbue6BO
卑弥呼のミトコンドリアDNA女系子孫はいますか?
111 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:50:21 ID:wviGy27I0
ヒミコは今上の祖先なんでしょうか?
112 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:50:26 ID:3S3F3xCpO
卑弥呼=天照大神だと
つじつまがあうなー
継いだ=剣を継いだ
113 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:53:01 ID:63yILkeR0
だいったいさ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
250年だよ?????250年前の歴史に心奪われている考古学者がだよ?????????
同じ時代のモノがあったから卑弥呼の墓??????それでいいの???????お前の研究はそれなの?????
それが学者なの???????????
古墳開けろぐらい言えよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そもそも中国人が中国人向けに中国語で書いた人名や地名を、
なんで勝手に日本語読みしてるのかが分からんな。古代中国語の
発音の研究から始めなくてはな。
>>98 卑弥呼は天皇じゃない
天皇は卑弥呼を殺した豪族に過ぎない
>>108 でも現実問題、奈良県って箸墓だの纏向だのを
観光資源として熱心にプッシュしてるわけじゃないんだよねw
>>110 卑弥呼の子孫は男系、女系問わずひとりもいない
シャーマンとして一生男に接しない独身なんだから
よくある勘違いだけど
卑弥呼→台与という継承は親子関係じゃないよ
だから邪馬台国が女系相続だったわけでもない
118 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:54:45 ID:DLLHyNWU0
畿内は地政学的に京都大学派が支持。
対抗して東大学派が九州説を支持してるんだ。
>>103 纒向における銅鐸の破壊は少し前の2世紀末から3世紀前半では?
弥生的な銅鐸祭祀を捨てて、新たな祭祀秩序を模索してたってことでしょ。
九州の勢力が来たなら、同時代の九州系の土器が大量に出土している
はずだけど、そのような報告は無い。逆に、北九州で近畿系土器の出土が
目立つという有様。
120 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:56:39 ID:rGAZrlgfO
朝鮮ルーツの証拠や朝鮮の宝物がわんさか出てくるのを懸念してるんだろうな、宮内庁は
弟『ひ'みみ'こ(大比比)』、兄『ひ'みこ'こ(大比古)』
天皇(大比比)に代って、百襲姫が王位に就く(『ひ'みみ'こ(卑弥呼)』)。
尾張方面(狗奴国)の兄(大比古)が反発。
みみ[子]‐ひみ[女]‐比比[弟]
みこ[子]‐ひこ[男]‐比古[兄]
卑弥(弥)呼 [女]
卑弥 弓 呼 [男]
おい、おまえら九州幸巡は史実だと思う?
おい、おまえら熊襲討伐は史実だと思う?
おい、おまえら三韓征伐は史実だと思う?
クソ広い中国ですら兵馬俑ほじくり出したのに全く倭人ときたら
>>96 明日5月31日(日曜)、犬HKでチョン半島の任那日本府を遣るらしい.。
4月放送分はチョン学者が出て来て、チョンバイアス掛け捲りだったらしいから、
大体分るが。
>>113 とりあえず無駄な改行をやめろ。
あと知識がないならおとなしくロムってろ。
>>42 それには同意
きっとさがせば世界中の偉人の墓が青森にあるはず
127 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:58:03 ID:j2s1fXNPO
>>114 その前に中国は、七つの海を制した大英帝国を朝貢国と捏造して記述して資料にしていた国
>>123 中国の皇帝と違って
日本の天皇は2600年続いてきたとウソを付いてるから仕方がない
130 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 14:58:43 ID:efy+LdMc0
131 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:00:36 ID:d86axjo8O
なあなあ、どうやったら宮内庁が邪魔してる古墳の発掘ができるようになる?
署名運動?
132 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:00:50 ID:63yILkeR0
俺はこの研究者が気に入らないね
追及すべき立場にいるくせに、同じ時代の物が見つかりました!卑弥呼の墓です!
この短絡的な脳神経を疑ってしまうわwwwwwwwwwww
科学者は超弦理論とか11次元超重力理論とか言ってるのに
土器が見つかったkら卑弥呼とか、科学者バカにしてるだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>123 馬鹿、シナーは王朝が変われば「焚書坑儒」して、チャラにするんだぞ!。
お前 東京築地の朝日新聞東京本社から書き込んでる 前論説主管!若宮啓文(現コラムニスト),
編集局長 木村伊量、編集局員 清水建宇、市川速水等か、其の配下のチョン社員・記者等の
類 だろう。
キリストだってウソを付いてるのは明らかだし
信用できないので捏ち上げ
135 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:02:01 ID:Dlk/PqJ/0
卑弥呼・邪馬台国の卑とか邪とか今だったら名前に絶対つけそうにない字だよな
なんか偉そうな気がしない
>>21 めんどくさいから答え教えてよ。
何メートル?
>>131 邪魔してるのは宮内庁だけじゃないよ、天皇マンセーの
右翼議員とかも邪魔してる。
箸墓を掘りたいなら政権交代するのが一番てっとり早い。
138 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:02:45 ID:4FtsaRKw0
>>120 朝鮮の宝物って何?そんなもの何か有るの?
新羅の金冠なら草原ルートで手に入れたダマスカス産物だと言われてるでしょ。
金冠にブラブラぶら下がってる翡翠の勾玉は日本起源だよね。あと、魏志韓伝
には、朝鮮半島では、倭国を珍しい宝物が多い国として、あがめていると記録
してあるよね。朝鮮産の宝物(笑。
139 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:02:55 ID:d86axjo8O
それでも九州は永遠に卑弥呼起源を唱えるんだろうな
隣の半島のように
盗掘が全くされてない保証ってあるの?
>>136 なんかwikipediaみたら
百歩=30mという表現があったけど
魏尺だと思うんで6尺=1歩で
1歩=1.44m それを100倍すると144m
箸墓の後円部の直径が150m
143 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:05:58 ID:63yILkeR0
>>138 天皇家の濃いいDNAに刻まれた愛子に受け継がれる
細目を見るからに・・・
古墳は開けない方が良いかもしれない
144 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:06:25 ID:2Ga1OiJX0
>>135 中国が辺境の地の女王の呼び名に当てた字でしかない
>>135 お前さぁ、歴史の本を嫁よ。何で故意にそう言う漢字を当てているのか、ちゃんと書いてあるからな。
「倭国」の倭も同じ理由で使われているんだ。
因みに「朝鮮」も同じ理由でこんな名前を中国様に付けられている。
「日本」は日本で自分で付けた名前な。倭は日本では大和と書いているけどな。
もう少し、少しでいいから、本を読め。
146 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:07:36 ID:d86axjo8O
>>137 右翼の事も知ってる。
天皇を憚っての措置なら当然思い当たるよ。
やっぱり政治から変えなきゃなのか。
まんどくせーなあ。
あと50年くらいしたら変わって…くれないか……。
>>141 むしろあんなに目立つ古墳が
1800年間まったく盗掘されてないとはとても思えない
すでにめぼしい副葬品はないだろうな
149 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:08:33 ID:cwoqSgOK0
>>143 天皇家?
明治天皇は彫りの深い縄文顔。
150 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:08:55 ID:NvCeR6wT0
151 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:09:38 ID:ZTXor/2i0
>>137 あぁ・・・だから、昔朝日、今毎日が、遺跡に熱心なのかw
宮内庁が発掘許可しないのは万世一系のタテマエがあっさり崩れるからでしょ。
153 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:10:01 ID:rGAZrlgfO
>>138 いや産地とかじゃなくて王朝の贈り物だとか
154 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:10:09 ID:t0KxzwTR0
まともな学者なら政治的な論争に巻き込まれる避けるので、嬉々として発掘しようとするのはアチラ方面の学者だけ。
こんな状況で発掘許可を出さないのは賢明。
155 :
名無しさん@+周年:2009/05/30(土) 15:10:32 ID:cBCu4i4T0
卑弥呼、卑弥呼、、、、卑猥な名前だね?
156 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:10:46 ID:+NMjBCNxO
だから邪馬台国は山陰なんでしょ?
言っとくけどキリストの墓は青森だよ
>>141 祟りとか恐れる民族性だから大丈夫じゃね?
仁徳天皇稜は盗掘されてなかったらしいし。
159 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:11:55 ID:bCtIdaVS0
>>86 では、その間の天皇はどうなった?
次々死んでいったのか?
最初から全部デタラメなのか?
物証の代わりに、記紀の記述を根拠にしておきながら、他方で神武がAC246年の
人物だといって勝手に600年も時代をずらしてしまうのは矛盾した態度だろ。
そもそも倭人伝ではトヨは女王となってるが、記紀に出てくる神武は男だ。
資料から都合良いところだけを抜き出して、これだけは事実だと言ってツギハギしてるだけだろ。
160 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:11:58 ID:2Ga1OiJX0
仮に天皇家が朝鮮半島出身だとすれば、
多くの日本人も朝鮮半島の血が流れているということになるだろ。
天皇家のDNAが天皇家だけで完結してるわけじゃなし。
そして現在の朝鮮人も、おそらく大陸の奥地から来た連中ということになるかもしれん。
行き着くところ、アフリカ大陸。
どこから来たなんてどうでもいいわ。
161 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:12:00 ID:63yILkeR0
卑弥呼と天皇家には血の繋がりはない
163 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:12:45 ID:To0WRsqKO
>>116 そうw
構ってないんだよねw
もし卑弥呼の墓となれば、GWとかは栄える…かも知れない。
164 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:13:16 ID:3S3F3xCpO
ヤマタノオロチ→スサノヲ→天照大神→ニニギ→?トヨ→倭姫命→→→伊勢神宮
草薙剣
>>72 倭人もお前は何人だと指差されて、「わ?(私のことですか?)」と自分を指差して答えた人というくらいだからそんなもんだろ。
アイヌだって人って意味しかないのを他の民族が民族名だと思っただけし。
167 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:15:42 ID:2Ga1OiJX0
卑弥呼宇宙人説とかないのか?
>>163 つーか、卑弥呼の墓とわかったとこで観光客なんて来ないよ。
マキムクも整備されたとして平城京や藤原京と同じで、ただの広い空き地になるだけ。
169 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:16:37 ID:63yILkeR0
まぁ、なんていうかあれだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
天皇家のルーツは置いておいて
卑弥呼の墓であるかだけを調べに入ればいいじゃまいかw
170 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:17:10 ID:/Ck4rmEf0
そもそも「倭」という字が当時の中国でどう読まれていたのか。
171 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:17:32 ID:sMqF+ZGw0
>>116 >>163 古墳なんて横から見てもただの里山だしなー
天皇家の墓ってことで観光用整備もできないし。
ピラミッドみたいに砂漠にどーんと立ってるなら見栄えもするけど。
>>167 宇宙人説は万能だから当然ある、と思う。
開けてみても卑弥呼の墓かどうかなんて正確にはわからないよね。
中に「ひみこ」って書いてある名札でも入っているならともかく。
174 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:17:55 ID:0fqgHGIj0
卑弥呼の時代なら、発掘されると困るのは朝鮮人だよ。
公孫氏が楽浪・帯方の半島支配で通商拒否していた時代だからね。
漢の1地方だから、いわゆる穢貊なんかの土着民お呼びじゃない時代だし。
175 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:18:08 ID:rGAZrlgfO
>>160 人類の起源は朝鮮らしい
てのは冗談で、いつぞやの天皇は朝鮮王朝の王の弟らしい
有史くらいからは宮内庁は隠したがってる嫌いが見えるな…
176 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:18:10 ID:4FtsaRKw0
>>159 神話を歴史と勘違いしてる「学者」なんて現代に居ないよ。
それでも神話は、或る程度、歴史的イベントを反映していると考えて、神話を
考証してる事に対して、何そんなにカッカと成ってるの。
177 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:18:38 ID:d86axjo8O
>>173 名札吹いたww
少なくとも女なら可能性高くなるんじゃね?
178 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:18:39 ID:To0WRsqKO
3世紀には天皇家なんかなかったということか。
>>166 知ってる限りでは、「わ」は今でも青森県津軽地方では使われてるよ。
「わ くう」、意味分る?。
>>179 天皇家はあるにはあった、ただ今の天皇とは血が繋がってないだけ。
184 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 15:22:27 ID:Wxj4rON4O
マクモニーグルが透視したじゃん。卑弥呼の先祖は中国昆名から台湾そして沖縄を経由してきたって。山口を本拠に夏は奈良に冬は山口へ移動してたって。
ここは歴ヲタの巣窟だな。
186 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:22:36 ID:0fqgHGIj0
卑弥呼の墓かどうかは、状況から判るんだよ。
例えば、魏志東夷伝倭人条に書いてある、親魏倭王の金印が出てくるとか
魏が倭国に与えたという鏡が大量に出てくるとか、字の書かれた木管が出てくる
可能性すらある。魏が与えた絹の幡の切れ端があるかも知れない。
>>179 それはなんとも言えないだろ
天皇家が邪馬台国に代わって新しく大和政権をつくったり、
血筋が違うのが擁立されてそれが天皇家だったりする場合もあるけど
卑弥呼の一族がいまの皇室の祖先だった可能性だった十分にあるだろう
188 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:23:28 ID:bCtIdaVS0
>>176 つまり九州説を唱えてる学者はオカルトで商売してる連中だということだ。
まあ、それなら税金の無駄遣いだから学者をやめてSF作家にでもなれ。
189 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:23:42 ID:/Ck4rmEf0
>>180 イラっとくる書き方すんなw
「わっや?」意味わかる?
「お前か?」って意味だ。
九州では「わ」=「お前」。
多少乱暴な言い回し。
190 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:24:14 ID:63yILkeR0
目の前に明らかな証拠があるのに
だろうで理論構築するとか、どんなドM野郎だよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
選挙のときに掘り起こしていいかどうかの国民投票しろwwwwwwwwwwwwwwwww
191 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:24:30 ID:j2s1fXNPO
古墳調べるなら子孫追跡のDNA解析技術が発展してからにしてほしい。
たぶん調べたら、左翼涙目だと思うぞ。
5-6世紀には、天皇系を名乗る豪族が全国に散らばってる。
先祖崇拝の強い日本で、いくら何でも一斉に家系を書き替えるのは最強日本伝説みたいな
全てを統制出来る中央政府が存在し、強い信仰を集める王=天皇が居なければ不可能だが
そんな中央政府があったとは思えない。
つまり書き替えるではなく、なんらかの形で天皇の血の系統が入ってる。
天皇家が実際に王だったかは不明だろうし、神武が2000年以上前に実在していても村長レベルの事だろう。
しかし、天皇家が存在してるということは、先祖が必ず存在し
少しずつ勢力を増し強い権力を持ちだし、地方を一族の血筋に管理させてるわけだ。
古墳の多くの遺骨の主は、天皇家の血をひいてるだろうから、今回の墓も解析すれば
本当は王家として存在しなくても、DNAが天皇家に繋がってる可能性は高い。
いきなり無の天皇家が5-6世紀にいきなり支配権を確立するなんて不可能だからな。
DNA追跡のせいで天皇家の支配力が真実より大きく評価されて左翼涙目になる。
>>188 「トロイ戦争? ありゃただの神話、伝説だよww」
と言われながらも、いっしょうけんめい掘ったシュリーマン先生は
偉大だったのだ。
>>191 >先祖が必ず存在し
それはどんな人間でもすべて同じだけどなw
194 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:26:15 ID:d86axjo8O
あー、もうさ、中学生の頃から思ってたけどさ、さっさと発掘させろっての!
まあ他力本願だけどね。
本気でやりたいなら、右翼に狙撃されるの覚悟で政治家になってるわ。
>>176 だから、実証を旨としたバイアスの掛かった学者が誰か「天皇 神話から歴史へ」題で
本を出せば良いんだよう。
196 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:27:20 ID:5/2bLBip0
卑弥呼は諸葛孔明と共通の知人がいる。これ豆な。
197 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:28:17 ID:bCtIdaVS0
仮に神武が実在したとして、若い頃、九州にいた神武も大和を支配していたニギハヤヒと同じ天孫族だから
その時代(といってもいつかはわからないがw)から天孫族は近畿から九州に
至る西日本のほぼ全域に散らばってたと考えられる。
199 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:29:46 ID:3S3F3xCpO
伊勢神宮の斎宮が日の妻との意なら
女アマテラスの他に男アマテラスがいたのかもしれない
その男アマテラスは狗奴国にいて弥馬台国の女アマテラスと争ってたと
200 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:30:16 ID:2GAe3rosO
魔神英雄伝ワタル
202 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:31:20 ID:63yILkeR0
そもそも義経ですらいろいろ情報が入り乱れているのに
卑弥呼なんてわかるわけないだろwwwwwwwwwwwwwwwwww
同じ時代の土器が見つかりましたなんて、義経や戦国時代研究してる学者からすれば鼻笑いレベルだろwwwwwwwwwwww
まぁ、九州も奈良も両方違うんじゃない?
>>189 津軽弁では お前は「 な 」、「 な くう?」は「お前 食う?」の意。
古語の雰囲気を残してる。
204 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:32:26 ID:mr1byMqNO
天皇陛下にお願いすれば?
いいよって言ってくれんじゃね?
ただ、回りがなんかの理由で反対するだろうけど
205 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:33:27 ID:6SeNEZpNO
>>175 えっ、おまい知らないの?人類の起源は北朝鮮だよ
黒い山葡萄原人が北朝鮮から世界各地に移り住んで、黄河文明やインダス文明を作り出したんだぞw
206 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:34:43 ID:cmAqFEdhO
神功皇后がトヨ説とか応神の竹内宿禰のからみとか気になるよなあ
ほんの二千年弱前のことなのになんではっきりわからないのかもどかしい
208 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:35:56 ID:0fqgHGIj0
卑弥呼は日本の皇室に直結する人だよ。たぶん崇神天皇の血縁、たぶん兄弟。
魏志に書かれた、卑弥呼を補佐する男子がおそらく崇神天皇。
台与がのちこの崇神天皇の妃の一人。豊鍬入姫命がその子供。伊勢神宮最初の斎宮。
209 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:36:06 ID:3S3F3xCpO
つまり、乗っ取ったのは
弥馬台国→大和国ではなく
日の実権じゃないのかな?
日の妻の女アマテラスは
日の男アマテラスを倒し
日の実権を、乗っ取ったと
210 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:36:26 ID:J4nx2P2M0
九州説Y先生近況.....
(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
( も、もうだめぼ.....
Ο(
⌒ ο 〜〜〜〜〜〜〜
⌒ 。
___
___/⌒ \__
/ | |( ) |
| | | ∨ ∨ヽ │
__| | | \ | _|_|
ヽ、(_二二⌒)__) \
____| | \二 ⌒l. \
| | ̄ ̄ | | ̄ ̄||
| | | | .||
| |_ | |_ .|| """::
(__) (__) .||
211 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:37:04 ID:63yILkeR0
そういえば、これって古墳の中見なくても
古墳自体が何年に作られたか調べればいいんじゃないの???
それで250年前なら
開けろよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
古墳も開けずに卑弥呼認定なんて研究者がやるべきことじゃない。
212 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:37:05 ID:Wb0fbMJgO
馬鹿なのでもっと解りやすく説明して下さい。
なぜ発掘すると左翼涙目になるのですか?
>>191 そのDNA鑑定で俺のDNAが天皇家と同一の祖先のものとわかったら
俺も皇位継承権もらえるかな?
214 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:38:34 ID:bCtIdaVS0
たぶん、卑弥呼から現皇室まで血統が繋がってることが明らかにされてしまうからだろう。
>>206 記紀が編纂されるまでの数百年間口伝でのみ伝えられてきた話だからなあ
一字一句代々受け継がれてきたとはいえ残された情報量は限られたものだろうしな
216 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:39:07 ID:5G3peKvv0
畿内説でもう決まりだろ。
217 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:39:18 ID:3S3F3xCpO
あ、その前に
ヤマタノオロチから弥馬台国を
乗っ取って、そのあとに
日の実権を乗っ取った
いや、最終決着すると都合の悪い人たちがいるんだろうな
現在の皇室は大化の改新から始まった
220 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:40:21 ID:63yILkeR0
だいたい、宇宙の起源を調べる為に科学者は妄想並べて大型ハドロン衝突型加速器まで作ってるのに
考古学者は古墳一つ開けないのかよ・・・
ぬるいわw
221 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:40:38 ID:TEdOwUm9O
>>211 開けるって、君はエジプトなんかの世界と勘違いしてないかい?
日本の場合もそうだが、玄室なんてほとんど盗掘されてるぜ
むしろ「掘れよ」と表現すべき
222 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:41:19 ID:7aiKPsp40
早く発掘調査すればいいのに。すぐ分かるでしょ。
>>213 遠いか近いかの違いはあるにせよ
日本人の大多数は天皇家と血縁関係にあると思うぞ
225 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:41:53 ID:/xz+IB9VO
俺の勘では卑弥呼&ヤマタイコクは奈良じゃないな
226 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:42:25 ID:ShoZ40p7O
えっ?
なんだ冗談か。
ちょ、冗談は顔だけにしてよね?
現代の皇室は南北朝の後から。これ常識。
228 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:43:12 ID:wO7n8hzw0
>>188 おまえ近畿説学者の本読んだこと無いだろ(^o^)
小林とか白石とか石野とか読んで見ろ、
笑い出すぞ(笑笑笑)
>>213 誰かが指摘してたけど
ミトコンドリアDNAで女系のつながりをたどれるけど
男系は無理じゃないかな
いずれにせよ、あんたがどういう血筋であれ
さかのぼればさかのぼるほど皇室の祖先と同じ祖先に
ぶちあたる可能性はある
人類すべての祖先がアフリカのひとりの女性につながるらしいし
230 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:43:27 ID:+PBKwp/x0
>94に同意します。
>>218 千代田区1-1の斜め上の住人だけど文句ある?
232 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:44:41 ID:3S3F3xCpO
あ、スサノヲがオロチを倒したんだなミスった
ということは、スサノヲは
弥馬台国の大物主であるヤマタノオロチを倒し・・
あーテンパってきた
>>217 ヤマタノオロチは出雲平野を流れる支流の多い川だと言われてる。何やら金竜山浅草寺の
由来に似てる、時代は1000年以上降るが。
234 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:45:25 ID:OmdUKr3NO
このさいあいだとって広島岡山あたりでってことでいんぢゃね?
昔の話してもしかたないじゃ〜ん
235 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:45:33 ID:63yILkeR0
>>221 >玄室なんてほとんど盗掘されてるぜ
盗掘されてるかどうかもわからないんだろ?
?クエスチョンがあるなら調べるべき。
それが研究者の姿勢だ。
目の前に答えの手がかりがあるのにそれを見ずに卑弥呼だ!なんて答えを出すのはナンセンス!(キムタク)
236 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:45:54 ID:aW98dRpa0
魏志倭人伝が対馬まで合っているとして、そこから海を渡って『一支国という島』を経て日本列島に上陸している。
つまり、邪馬台国の場所は、
日本に上陸してから、東南に240q、東に40q、南に水の上を30日行って、さらに南に陸を1ヵ月行った先だ。
当然、一度日本に上陸してその後、瀬戸内海を船で移動したとは考えられない。
方角がまるで違う。
対馬→島ときて、その島から辿りつく日本本土とはどこか・・・・。
そこから東南に240q、東に40q、その後、1ヵ月も水の上を南に行って辿りつく場所とは、日本のどこか・・・。
日本に上陸した後、船で1ヵ月も南下できる場所となれば、当然限られてくる。
それこそ、南北に長い九州の海岸線、
もしくは、湖か、川・・・・。
もしも九州福岡付近に上陸し、その後東南に240q、東に40q行き、九州東側の大分県付近の海岸線に出て、
そこから船で海岸沿いに1ヵ月も南下したとしたら、その後1ヵ月もかけて南に行ける地面がない・・・。
かといって、びわ湖がいくら大きいとは言え、船で1ヵ月も南下できるとは思えない。
残るは川だが、川を船で溯るなんてことは非現実的なので、必然的に北から南に流れる川だ。
日本海側に上陸した後、東南に240q、東に40q行って分水嶺を越え、
船で1ヵ月かけて下れる、太平洋側に北から南に流れる川・・・。
そこからさらに南に陸路を1ヵ月行った場所が邪馬台国だ。
237 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:46:02 ID:0fqgHGIj0
倭国が持ち上げられているのは、司馬懿最大の功績が、遼東から朝鮮半島
支配していた公孫氏を滅ぼして、この地域を魏の支配下に置いたことだからな。
これで倭国とのルートが再開通した。
もう少し魏がもたつけば、卑弥呼義勇軍が半島になだれ込んで
公孫氏と戦っていたかも知れない。
そういえばここの土偶は吉備系だっけ?
少なくともこの時点で既に畿内〜岡山にかけては同じ文化圏だったんだよな
240 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:48:32 ID:4FtsaRKw0
>>165 白頭山大噴火と言えば(946 AD)日本では平安時代の真っ盛り。そんな近代の
大事件でさえ、朝鮮半島では高麗時代に「空が鳴った」程度の言い伝えしか無
いんだ。何とアバウトな国民である事よ。高麗が御先祖様と称して崇めていた
筈の高句麗地帯で起きた大事件でしょ。聖なる御先祖様の地で起きた大噴火な
のに、高麗は、調査団の一つも派遣しなかった。何よ、この無関心。万世一系
と言う様な神話を持たず、御先祖とは「歴史」で繋がっていなかったんだね。
のかね。あんまり好奇心の有る民族では無かったんだな。
>250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重なる
まずこれが正しいのかとw
あのナチスドイツだって、へんてこりんな法律 (ニュルンベルク法)
を施行しないことには民族の区別がつかなかった。
日本人・日本民族も、わけのわからない混血だろ。素直に認めろよ。
243 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 15:49:56 ID:e1QyLqYVQ
天皇は現人神だと主張している連中は、陵墓の発掘調査を許さないだろうね。
エジプトみたいに王朝が滅んでれば、もっと自由に発掘できるんだが。
>>171 本来古墳は雑草のひとつも生えていない土の山に埴輪が綺麗に並んでいないといけない
偉そうに言うわりにろくに管理もしていない宮内庁に腹が立つ
245 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:50:02 ID:8ZR4PC3e0
バチカンに聖遺物を科学的鑑定させろと言っても断られるのと一緒だと思うが…
>>237 倭国内の大乱がなければな
ただし、卑弥呼が魏に使いを送ったのが
朝鮮半島北部を支配していた公孫氏滅亡の直後だったことからもわかるように
邪馬台国は公孫氏をむしろ緩衝勢力として扱っていたようで
両者が対立関係にあったというより、
むしろ交易を通じて友好関係にあったのだろうとみるほうが自然だろう。
247 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:51:36 ID:0fqgHGIj0
夫朝鮮 狡黠多詐 利之所在 不顧信義 蓋穢貊之俗 天性固然 (新井白石 「国書復号紀事」)
>>244 それじゃすぐ雨で流れちゃう気がする。
神聖な「山」の模型なんだから、木が茂ってる方がそれっぽいぞ。
250 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:52:13 ID:3S3F3xCpO
大神神社=元伊勢だから
大神神社の近辺に卑弥呼の墓はあるはず
251 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:53:08 ID:FdUa3sAo0
しかしもしも奈良だった場合は佐賀県涙目だな
邪馬台の里なんてどうどうと看板掲げてんのにさ
>>236 それをすんなり言うと、緯度経度でどのあたりになるんでしょうか。
253 :
卑弥呼:2009/05/30(土) 15:54:00 ID:IlgWG0Bd0
この早さなら言えない
>>249 まあそれは見慣れてるからだよね
築造当時の古墳はやっぱり
>>171の言ってるような形で
寺院や仏像も作りたてのはちょっとケバいかも
まぁ、俺の中では名古屋が邪馬台国なんだけどなwww
ものすごい大発見だけどゴッドハンドじゃないんだろうな(;¬¬)???
>>189 現在の日本語でも自分を意味する言葉「わたし」、「われわれ」、「わが」なんかに残ってるようにもともと「わ」は自分自身の意味ね。
それが畿内から遠い津軽ではそのままの意味で残ってて畿内から比較的近い九州で相手の意味(関西弁で本来自らを意味する「じぶん」を相手の話相手の意味で使うのと同じ用法)
として残ってるのは、方言の分布が畿内から遠いほど畿内での昔の用法に近い形で残ってる(cf.カタツムリ、ナメクジ)と同じよう感じなんで不思議ではないかも。
念のため書いとくと畿内が言語の中心なのはあくまで大和政権がありその後も天皇がいたからであってこれ自体はそれ以前の邪馬台国がどこにあったとは関係ない話だからね。
大体言語の通じない外国人に最初に固有名詞を聞くと民族の一般名詞で答えるからそれがそこの地名や民族名に対外的になるってのはすごく一般的な話。
258 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:56:03 ID:0nlgi0VV0
ヤマタイ ニュータッチラーメン
九州説は箸墓に匹敵する、「卑弥呼の墓」候補がないのが痛いな。年輪年代法に続いて、
放射性炭素年代測定でもほぼ卑弥呼の没年に相当する結果が出たことで、
ますます箸墓=卑弥呼の墓の可能性が高くなってるな。
260 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:56:33 ID:5G3peKvv0
そもそも陳寿の三国志の信憑性なんてそれほど高くないのに
アフォすぎ。
>>254 ということは、造られた当時(というかその後の何十年か)は、
草刈りとかしてたんかな?
なんか積極的に木とか植えてたかと思ってた。
262 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 15:57:21 ID:mV9h6vM8O
涙目で反論する九州大学の教授は面白かった
263 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 15:58:02 ID:e1QyLqYVQ
>>251 俺も、今まで吉野ヶ里が邪馬台国だと思ってたから、イメージ変わるわ。
卑弥呼は九州美人だと思ってたのに、関西人だとは…
>>245 >バチカンに聖遺物を科学的鑑定させろと言っても断られるのと一緒だと思うが
キリストの遺骸を覆っていたとされる布・・ あれを C14 年代鑑定したと聞く。
結果は・・ へへへ。Web あたりで調べてね。
>>261 ああすまない、安価ミスったけどわかったみたいね
>>244のが築造当時の古墳の姿ね
たしかに直後に大雨が降ったりすると崩壊する可能性はあるな
>>237 しかし 古代シナー人は日本人だけは「おとなしい、小柄な」の意味の漢字にわざわざ人偏付けて
表したのは不思議だ。何故だろう?。
267 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:00:17 ID:63yILkeR0
古墳=卑弥呼なら
古墳=天皇家の物じゃないってこと?
卑弥呼=天皇なんてとんでも理論?
よくわからん・・・
なぜ邪馬台国を大和と認めないの?2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1212934340/l50 576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw
579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>>576 それと・・・
「 祭 器 場 」 って何なんだ?
祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w
590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
595 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw
598 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)
卑弥呼=日御子=アマテラスで、その弟がスサノオ
でもって古代天皇家の直接の先祖ということでいいんでないかい
270 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:03:05 ID:xVYQQFZI0
「ずっと卑弥呼は畿内だと思ってました」
と藍子さんが出てくるにはまだ早いか・・・
つーかどっちでもいいよ
有力な証拠が出ても九州説支持のやつは
まず自分たちの主張曲げそうにないし
271 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:03:35 ID:wO7n8hzw0
>>189 奄美では私=「わん」だよ。お前=「うら」もしくは「ぃや」、あなた=「なん」
関西人がお前の意味で「じぶん」って使うようなもんだな
非常にいらってくるしね。
>>269 それだと「神武天皇」をいつの時代に置くのよw
大王級の古墳だろうと言われて、唯一発掘されている古墳がある
大阪高槻にある今城塚古墳。第26代継体天皇の陵墓といわれている。
神社だといわれる家形埴輪とか、巫女だといわれる女性埴輪とか
色々面白いものが出土している。時代は、この箸墓よりずっとあとだけど。
274 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:04:36 ID:0nlgi0VV0
>>240 おいおい。リンク先みたか?
それを言っちゃうと、十和田湖火山噴火の記述も結構心許ないぞ。
卑弥呼タンぬるぼ
277 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:05:39 ID:63yILkeR0
古墳=卑弥呼なら
古墳=天皇家の物じゃないってことと仮定しよう
宮内庁何調子乗ってるの?????????????????????????????
古墳は天皇の物じゃないんだぞ?
宮内庁はここ 100 年くらいひっちゃきになって、各古墳 (天皇墓) の埋蔵物を
整理整頓調整移動させていたりした/やっているのだろう。だから、
今さら発掘調査しても無駄だろう。単なる盗掘よりよっぽど^2 タチが悪いぞ。
279 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:07:19 ID:4FtsaRKw0
>>272 安本美典説では、ジンム東征は、トヨの後の 270AD 頃に想定されている。
丁度その頃から、近畿で、あれほど大切にされていた祭祀用の銅鐸が忽然と
主役の座から落ちてる。何か近畿で大事件が起きた事を暗示する。
280 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:07:22 ID:3S3F3xCpO
卑弥呼=アマテラス
男の王=ニニギ
トヨ=トヨ
草薙の剣を継承した順で探ったら
倭人伝の継承順と一致した
おれ天才
281 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:08:41 ID:wO7n8hzw0
>>261 葺き石を敷き詰めていたり、周囲に巨大な埴輪を起てていたんだから、
目立つ存在の筈だよ、今の感覚でみたらあかんでしょ。
神戸付近で築造当時に戻している古墳(五色塚か?)があるから見てみたら。
282 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:08:50 ID:uARmFO070
100余人の殉葬って話だけどそんな風習が日本にあったか?
聞いたことないんだけど。
でもそんなんが出てきたら卑弥呼確定だな。
箸墓は違うと思うけど。
283 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:10:45 ID:bCtIdaVS0
>>279 >近畿で、あれほど大切にされていた祭祀用の銅鐸が忽然と
>主役の座から落ちてる
また「銅鐸が忽然と」かw
284 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:10:57 ID:8g1CzaR/0
285 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 16:11:33 ID:e1QyLqYVQ
古墳って未だに謎が多いよな。
鍵穴の形をしてるのには、神秘的なものを感じる。
卑弥呼が前方後円墳の発案者なんじゃね?
それかイヨたんか?
宮内庁が天皇墓の調査を許可しないのは、明治以来長年にわたる
収納物の「整理整頓調整移動抹消複製追加」がバレてしまうのを
恐れているからだと思うが、どうだろうか。
287 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:13:08 ID:gFAKWYDo0
邪馬台国の 漢字に意味はないんでしょ。音を表しただけでしょ。
魏志倭人伝が書かれた時代には どんな発音だったの?
やまと に近い発音だったんじゃないの?
日本に、他に それに近い発音の場所がないんでしょ。
それを考えれば、近畿だと思う。
>>282 日本書紀の垂仁紀に
臣下が殉葬の代わりに埴輪を作って埋めるように進言したという記事があるよ
だから日本にも殉葬の習慣があったんじゃない
289 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:13:52 ID:xqkBTEzp0
宮内庁解体したほうがいいな
290 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:13:53 ID:ZuV/SDcm0
>>282 ∧_∧
( ^∀^)<
>>282 そう、奴婢の遺骨いっぱーい出てきて
( つ ⊂ ) DNN鑑定でほぼ確定!
.) ) )
(__)_)
>>276 / ,===ヽ
〈田ル从リリ〉|
ルiリ ゚ -゚ノ ||<ガッ!
. (i }`ー)}つ
. く,__ハ_ゝ||
しノ L)
せんとくんに続いて、萌えキャラひみこタン、いよタンを作るべきw
293 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:14:31 ID:4FtsaRKw0
>>279 変な日本語を書いたので訂正。↑ → ↓
丁度その頃から、近畿では、あれほど大切にされていた銅鐸が祭祀の主役の座
から落ちて、地上から忽然と姿を消してる。何か近畿で大事件が起きた事を暗
示する。
294 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:14:37 ID:80qftzul0
>>273 へーえ、そうなんだ。初めて聞いた。で、宮内庁は継体天皇陵は何所に設定してるんだろう?。
296 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:18:18 ID:gFAKWYDo0
>>242 日本人・日本民族も、わけのわからない混血だろ。素直に認めろよ。
混血でない民族なんていないだろう。
日本人の混血の度合いは、朝鮮人なんかの混血にくらべてずっと低い。
二千年間に千度も他民族に侵略されて略奪や強姦を受けた朝鮮民族は、世界でも
まれに見る混血度の高い民族だ。
発掘させて、歴史がひっくり返るもよし。
何も出てこなくともよし。
別人の墓と判明するもよし。
半島のものが出てくるもよし。
しかし、新たな謎が出てきてもっと訳が分からなくなるのが一番面白い!
と思う俺は少数派の中の少数派だろうな。
299 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:19:19 ID:63yILkeR0
根本的なこと聞いていいか?
仮に仮にだよ。俺の家の土壌から250年前の土器の欠片(卑とか書かれてあってさw)が見つかったとするじゃない。
だったら、俺の家の近くに卑弥呼がいたことになるの?
そんなレベル?
古墳がないとか言われるかもしれないけど、
>>1の学者は古墳だけが頼りなの?
301 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:20:21 ID:3S3F3xCpO
九州説論者には可哀相だが畿内しかないよ
302 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:20:45 ID:MPXXDeo5P
畿内説というか、巻向周辺が邪馬台国だったという状況証拠が、たくさん集まって
きたね。
今年からまた大々的に発掘を始めるらしいし、そろそろ決着が着くかもね。
>>287 九州にも有るよ。だから邪馬台国論争の発端に為ったんだから。
近畿にある地名のほとんだが九州地方にも有る。
304 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:22:01 ID:aW98dRpa0
>>252 始めて海を1000余里渡ると対馬国(つまこく)に至る(「始度一海千餘里、至對馬國」)
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る(「又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國」)
これで、一大国の位置関係は対馬の南ということから、
一大国があった場所は、福岡・佐賀の沖合いであったことが推測できるが、その後、
日本列島に取り付くまでは、
また海を1000余里渡ると末盧国(まつろこく)に至る(「又渡一海千餘里、至末盧國」)
で、方角が記されていない。
つまり、福岡・佐賀の沖合いの島まで来たからと言っても、福岡・佐賀周辺に上陸したとは限らないのだ。
GPSなんぞ無く、人間の感覚のみで距離を記述している時代、朝鮮半島から対馬、対馬から壱岐、と、
同じぐらいの距離を船で進んだと感じるほど船で移動していることを考えると、
海流に乗って山口、島根方面に移動したとも考えられ、その周辺で大きな国と言えば出雲・松江。
しかし、ここを末盧国(まつろこく)つまり、日本上陸点だとすると、その後
東南へ500里陸行すると伊都国(いとこく)に到着する(「東南陸行五百里、到伊都國」)
東南に100里進むと奴国(なこく)に至る(「東南至奴國百里」)
で、中国地方を横断し、その後、瀬戸内海に沿って
東へ100里行くと不弥国(ふみこく)に至る(「東行至不彌國百里」)
で大阪に出て、
南へ水行20日で投馬国(とうまこく)に至る(「南至投馬國水行二十日」)
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国[2]に至る(「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」)
で、
邪馬台国は、紀伊半島の和歌山県熊野付近の山岳国家か・・・とも思われるが、最後の陸路1ヵ月の説明がつかない。
305 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:22:11 ID:Dlk/PqJ/0
前方後円墳っていうけどどうしても前円後方墳に見えるのは俺だけじゃないだろ
306 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:22:23 ID:wO7n8hzw0
そう言えば、魏志の記載とピッタリ一致するな。
スサノオが卑彌呼を殺して(天の岩屋戸伝説)王位を簒奪しようとするが、
誰も味方に付かず追放されて、イヨが王位を次いだって事になるな。
卑彌呼以死・・・更立男王國中不服更相誅殺当時殺千余人
復立卑彌呼宗女壹與
つまりアマテラス=卑彌呼&壹與って事だね。
307 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 16:22:29 ID:e1QyLqYVQ
>>292 イヨたんってのは萌え要素だよな。
13才で女王になったんだから。
ナウシカとか、もののけ姫に匹敵するキャラクターになる。
308 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:22:33 ID:80qftzul0
>>303 >近畿にある地名のほとんだが九州地方にも有る。
おおざっぱすぎるので、例を出せ。
309 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:23:29 ID:qL/UfLFH0
310 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:23:30 ID:3S3F3xCpO
>>299 それはちょっと違う
古墳の周囲の濠から出てきた土器を測定したら250年前後だった
だから、その古墳が250年前後に作られたというという流れだよ
>>287 当時の中国語の発音を調べると、少しはヒントになるかもしれない。
地域によっても違うだろうから、それも考慮しないとね。
辞書とか発音記号という概念が出てきたのは 1500 〜 1600 年以降だったような。
315 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:25:19 ID:b1RcPfZP0
ていうか、卑弥呼の死亡時期なんて本当に正しいのか?
316 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:25:27 ID:vR6TC4FQ0
古代日本史では注目すべき論争なんだろうが
世界史的に見たら普通のシャーマニズム体制の
女酋長だし、大陸との関係も他の周辺蛮族を
真似てるだけだし、たいした話でもないよな
317 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:25:34 ID:63yILkeR0
>>292 > 萌えキャラひみこタン、いよタンを作るべきw
歴史的勉強もかねてNHKでアニメ化だなw
場所は明かさず話だけで繋いで貰えれば良い。
>>303 遷都したんだろうね。
京都が東に遷って“東”京都になったみたいにさ。
319 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:26:56 ID:GVxy4blq0
>>304 面白いけど無理があるw
朝鮮南部−対馬ー壱岐なんかと同じぐらいの距離なら、どうみても北九州沿岸。
対馬海流てそんなに速くないから、島根辺りだと時間が掛かりすぎるだろう。
それに、邪馬台国は大戸数の国家だから、平地にあったはず。
>>297 あれ、俺いつ書き込みしたっけ?
つーぐらい同意ですが何か?
>>309 どう為ってるんだ?、何か神話と実証の鬩ぎ合い事態だな。神話と歴史の対立か、
困ったモンだな、宮内庁さん!。
322 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:27:54 ID:bCtIdaVS0
>>287 現代日本語では同じ「ヤマト」だが、古代の「ト」音には甲音と乙音があって、
その場合、「大和」は邪馬台になるが、九州の「山門」はそうならないんだよね。
これも九州説で騙されやすいところ。
323 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:28:16 ID:qL/UfLFH0
>>315 おれは にわかには 信じないが、只それだけを頼りに
いろいろ言い放っているヤツはいるね。
325 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 16:29:39 ID:e1QyLqYVQ
>>317 「獣の奏者エリン」がそれっぽいじゃん。
326 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:29:40 ID:wO7n8hzw0
>>304 水行十日陸行一月を水行+陸行と読んだらアカンよ、
水行すれば十日、陸行すれば一月と読むんだよ。
そうでなければ全部で1万2千里で末廬まで一万里という数値がワケワカメになるでしょ。
金印が見つかったのって志賀の島だったっけ
なら九州じゃないの?
328 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:30:37 ID:63yILkeR0
>>315 そんなん中国人の気分次第だろwwwwwwwwww
違うの?
魏志「倭人伝」って中国の書物だよね?
329 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:30:56 ID:sYUfoNaOO
邪馬台国は近畿が有利にはなってきたみたいだな。
問題は邪馬台国と大和朝廷には何らかの関係があるかどうかだな。
330 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:31:43 ID:rjo07f1DO
ヤマタイ国って、あの時代のいくつかある国の一つでしょ
魏がいかにも日本列島の代表的な国みたいに書いてるけど
331 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:31:43 ID:qL/UfLFH0
>>321 天皇陵比定地と陵墓参考地のベースになっているのは江戸時代末期の国学者による研究(本居宣長だったかな)で
明治時代に確定させてしまったから、戦後になって変更することが出来なかったようだ。
変更するためには調査しないといけないが調査が出来ないようにしてあるし、解禁したせいで古墳が荒れでもしたら
解禁した役人の責任になっちゃうから誰も彼も二の足を踏んで先送りして今に至ると
332 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:32:01 ID:wO7n8hzw0
>>315 絶対に正しいよ、
魏の死者帳政が邪馬台国に滞在中に死んだんだから。
333 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:32:54 ID:63yILkeR0
>>325 俺としては「うたわれるもの」がそれっぽいような・・・
あんな感じで作ってもらえればw
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の正史『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の倭人の条の略称であり、日本において一般に知られる通称である。
正式な名前は「『三国志』魏書東夷伝倭人条」である。全文で1988(又は2008)文字からなっている。著者陳寿の死後正史の扱いを受ける。
著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年-290年間)に書かれた。現存する数種の版本のうち、「百衲本」が最も善本とされるが、現在の中国では諸本を校訂した「中華書局本」が多く通行しており日本語訳もこれを底本としている。
、『三国志』の中に「倭人伝」という列伝が存在したわけではなく、あくまでも「東夷伝」の中に倭及び倭人の記述があるということに過ぎないということである。
従って東夷伝の中に記された「東夷」の概念には当然倭人の事も含まれていると考えられるため、倭人に関する条のみならず、東夷伝全体を通読しなければ意味がないという考え方もある。
↑wikipediaより
335 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:33:11 ID:MPXXDeo5P
>>327 それは違う金印。漢時代にもらった奴。まあそれも本物かどうか判らんが。
親魏倭王と彫った奴がでてきたら、決着はつくんだけどね。
336 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:33:28 ID:sYUfoNaOO
>>327 それは奴国の金印だ。
漢委奴国王の金印ね。
337 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:33:36 ID:3S3F3xCpO
伊勢神宮を探るべきだな
天皇家の真相はココにありそう
九州説?ナイナイ、邪馬台国は旧大和国らへんだよ
338 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:33:46 ID:d86axjo8O
339 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:33:51 ID:GVxy4blq0
>>322 奈良時代の甲音、乙音が3世紀の九州にあったと考える方がどうかしている。
まずその証明が必要だ。
また、中国人がそれを正確に聞き取ったかどうかも分からない。
ヒナモリなんかはどうなるのってことになる。
340 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:33:52 ID:4FtsaRKw0
341 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:34:43 ID:D6Bsel8b0
邪馬台国=大和政権だとすれば、日本書紀に具体的な記述がありそうなものだと思うのだが・・・。
邪馬台国があったとしても大和政権の大和地方または全国統一過程で吸収されたか滅ぼされた一王権ではないかと思うんだよね。
現在まで続く天皇家とは何の関係もないから日本書紀の記述には残らなかったと。
>>327 それは魏じゃなくて邪馬台国より200年ぐらい前の後漢の光武帝が送った金印
高校の日本史レベルの常識だぞ
343 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:35:16 ID:wO7n8hzw0
>>335 それは違うだろ(笑)
近畿説は三角縁神獣鏡は伝世鏡だと強弁してなかったかい(笑笑笑)
344 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:35:51 ID:rjo07f1DO
スサノオも実在してたか怪しい
345 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:36:00 ID:k4S/newJ0
日本史を捏造するのはやめろよ。
日本の古墳に埋葬されているのは古代朝鮮の王子であることは既に判明した事実であり、
その事実を踏まえれば、日本は古代朝鮮の一部として存在していたのであり、確固たる「日本」という国が独立していたわけじゃないのは明らかな事実。
日本人をこれ以上騙さないでくれ。
346 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:36:15 ID:aW98dRpa0
また、福岡・佐賀の沖合いの島まで来て、そこから福岡・佐賀周辺に上陸したとすると、
福岡・佐賀の沖合いの島から福岡・佐賀周辺に上陸するまでを、
海を1000余里渡ると感じることは難しく、そこを乗り越えたとしても、
東南へ500里陸行すると伊都国(いとこく)に到着する(「東南陸行五百里、到伊都國」)
東南に100里進むと奴国(なこく)に至る(「東南至奴國百里」)
で、北部九州を横断し、その後、
東へ100里行くと不弥国(ふみこく)に至る(「東行至不彌國百里」)
で大分県別府周辺に出て、そこから、豊後水道・日向灘と、
南へ水行20日で投馬国(とうまこく)に至る(「南至投馬國水行二十日」)
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国[2]に至る(「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」)
で、
邪馬台国は、九州南部の宮崎・鹿児島県境、都城付近・・・とも思われるが、これも、陸行1月の説明がつかない。
俺がゴッドハンドで審議倭王の金印見つけるよ
348 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:37:08 ID:d86axjo8O
>>342 私の記憶では、小学校の社会科資料集に載ってたような…
>>341 たぶんそうだろうね。
そして邪馬台国は3世紀当時の日本の支配国だった。
そこからの結論は、日本書紀が記す「日本の歴史」が実際とは全く違うものだと言うことだろうな。
そこまで言わんでも・・・
351 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:38:02 ID:sYUfoNaOO
>>339 雛守は都から離れた田舎を守護する役の意味のような気がする
352 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:39:30 ID:LtLdTt8LO
>>299 まさかとは思うのだが
古墳の作られた年代は「今から250年前」ではなくて西暦250年前後だぞ?
いや、わかってるとは思うがなんだか250年前とかいう表現が多いから気になった。
今から250年前だと江戸時代だから卑弥呼なんて当然いないぐらいは判るよな・・・・
うむ、すまん、忘れてくれ
354 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:39:47 ID:MPXXDeo5P
>>343 おいおい、志賀の金印の話をしてるのに、九州とか畿内とか関係無いぞ。
まして鏡なんて関係ないだろ。
(笑)までいっぱいつけて、なんか頭おかしくない?
>>346 まあ東夷伝倭人条には邪馬台国以外の国もたくさんでてくるわけだが、じゃあ、近畿に邪馬台国があった場合、
それ以外は近畿のどこにあったのさ。
356 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:40:14 ID:rjo07f1DO
日本の古代史は天皇の
勝者としての歴史をつづったもんって事だろ
357 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:40:21 ID:3S3F3xCpO
委奴国って狗奴国となんか接点ある?
358 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:40:25 ID:wO7n8hzw0
>>344 モデルが実在したのは間違いないだろ。
俺は卑彌呼に使えた男弟だろと思うが。
359 :
奈良県民:2009/05/30(土) 16:40:29 ID:H1f+FVP1O
わかりきっていたこと。
我々の奈良こそ日本国の起源。
360 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:40:37 ID:bCtIdaVS0
>>339 日本語の場合、時代を経るごとに、似た音は、近い音、発音の容易な音へと
収斂され単純化されていってる。
>また、中国人がそれを正確に聞き取ったかどうかも分からない。
まあ、それはそうだと思うが、大和の方が近いというのは事実。
361 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:40:52 ID:63yILkeR0
>>353 それはわかってる。
安心してくれたまえ
>>359 そう仮定した場合、邪馬台国以外のその時代の国々は近畿のどこにあった?
でも見つけた金印をまじめに届けた人も偉いよな
俺なら鍋で溶かして田中貴金属にもってくよ
・1970年代の日本の民間教科書と韓国の国定教科書を比較して任那日本府完全否定
・1970年代の教科書と2009年現在の日本の歴史教科書を比較して「ほら、今はもう任那日本府なんて書いてないでしょ?」
・広開土王碑の碑文を一部抜粋し、ここに書かれている「倭」とは倭からやってきた傭兵の事で倭国の事では無い
・勿論、広開土王碑の倭が百済、新羅を臣下に加えたの記述はカット
・倭はカヤの鉄を欲していた。その対価として傭兵などの労働力を送った
・半島から日本に渡ったのは技術者で、日本から半島に渡ったのは奴隷
・前方後円墳?何それおいしいの?
・前方後円墳に眠るのは奴隷
・日本の事は「倭」と呼び、半島の百済や新羅や高句麗の事は「韓国」と呼ぶ
・神功皇后の名前カット
・宋書の「倭人が頗る多い」の記述はカット、と言うかそもそも中国の存在無視
・四神は韓国起源
・中国の資料や中国の実態や半島南部の前方後円墳や勾玉には一切触れず、日本側が受けた文化的影響全てが韓国からやってきた
・勾玉、翡翠も朝鮮から頂いたというのがこの番組
・日本には文字が無かったので、音読み訓読みをつくってくれた百済人には本当〜に感謝しなければなりませんねぇ by立命館教授
・百済は独立した文明圏なんです!
・朝鮮人の教授曰く、百済は単なる通過点ではないんです!百済には百済の仏教があったんです!
百済の仏教を日本は選択したんです!だから日本の仏教は中国のものとは違うんです!
・武寧王他、百済、新羅から日本へ連れてきた人質は無視
・新羅の王位についた倭人無視
・日本はもっと韓国側から歴史を見て、韓国側の意見を取り入れて学ぶべき by立命館教授
>>361 内心(マジかよ知らんかった・・・)
と思ってそうw
366 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:43:01 ID:kEyc4kCR0
>>341 神功摂政三十九年条から
「魏志に曰く〜」の記事があるよ
367 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:43:01 ID:63yILkeR0
古墳には卑弥呼が眠っているのか
それとも天皇家が眠っているのか
>>1の学者にはここら辺を調べて欲しいねぇ〜
368 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:43:49 ID:szIlJlaL0
スレ伸びてるな
おまいら歴史好きなんだな
おれもだけど
370 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:43:58 ID:sYUfoNaOO
>>358 どうでも事だが、スサノヲが日本人とは思えない。
糞を撒き散らしたりする性格から考えて隣国の…
371 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:44:00 ID:d86axjo8O
>>363 歴史の資料集見ながら何度も思ったぜ。
鍬で掘ってたらカッキーン!て固い岩に当たって、その下にあったんだっけ?
372 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:44:17 ID:fcSbmZIg0
魏志倭人伝著者「やべー、こまかいとこアバウトに書いたのが争いのネタになっちったよ・・・」
どうも、AV女優を思い出すんだが
>>344 スサノオは須佐の尊
神武天皇の幼名
卑弥呼の弟だったけどクーデターに失敗して近畿に亡命。
そこで豪族達の支持を得て九州に再侵攻、
近畿、九州を治める邪馬台(やまと)国の皇となる。
邪馬台国は畿内でもあり九州でもある。
377 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:46:02 ID:kEyc4kCR0
>>206 武内宿禰の存在が一番「非常識」なような気がするんだよね。
なんだあの異様な長寿は。300歳以上生きてる事になってるんじゃまいか。
378 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:46:43 ID:63yILkeR0
>>369 なるほど〜〜〜
この時代では魏は九州まで行くのが限界で畿内までは行けるわけないって考え方なのね。
379 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:47:04 ID:sYUfoNaOO
>>374 邪馬台国を大和朝廷がぶっ潰したのならあるかも…
>>372 「・・・ただのカラ出張請求書なんだけどな」
>>377 Q42.闕史八代の天皇は架空か? 戻 る
A42.記紀の綏靖紀から開化紀までの八代天皇の事蹟が極端に少ないことから、紀年延長のために創作されたのだと言う曲学阿世の歴史学者の説が戦後長期間にわたって日本国民を洗脳している。
紀年延長の目的だけなら八代などと遠慮せずに五十代以上の架空天皇を創作した方が無理が無いのである。
しかし、後裔の無い天皇乱造を避け同時代に実在した天皇系譜の人物を縦に並べると同時に古代天皇の在位年数と崩年にゲタを履かせて極端な紀年延長を行い、神武天皇即位年の紀元前660年に辻褄を合わせたのである。
例えば、紀年延長後の応神天皇の在位(270−310年)と百済辰斯王(実は即位385年)が応神天皇3年に即位の記事に誤差が有るように、過去に遡るほど対外関係の紀年差が拡大する矛盾が露呈する。
神武紀に新羅関係の記事が有るはずだが、紀年延長により神武即位を新羅も存在しない紀元前660年にした為、対外記事を削除せざるを得なくなったのである。(神武皇兄の稲氷命が新羅王始祖説あり)
この事実を覆い隠すために日本書記編纂中の持統天皇五年(691)に皇別の雀部氏(神武天皇裔)、春日氏(孝昭天皇裔)、阿部氏、膳部氏、羽田氏、巨勢氏、石川氏、平群氏、紀氏(以上孝元天皇裔)、
上毛野氏(崇神天皇裔)と、有力氏族の石上氏、大三輪氏、大伴氏、佐伯氏、穂積氏、采女氏、安曇氏、藤原氏の十八氏に提出させた纂記を焼却して証拠隠滅を謀ったものと思われる。 ※詳細は初期天皇系譜仮説を参照。
後世、多くの家系は残存記録を元に系譜を復元した様だが、上古の系譜は不鮮明な家系が多いのである。
古事記上つ巻に「御毛沼の命は、波の穂を跳みて、常世の国に渡りまし」とあるが、これは神武天皇の皇兄が燕へ派遣された事蹟であり、五胡十六国時代の前燕(307-370)ではないかと思われる。 (常世は燕の別称)
同じく「稲氷の命は、妣の国と為して、海原に入りましき」とあるが、これは新羅建国(356)で新羅王となった事蹟を暗示しており、神武天皇即位は西暦361年(辛酉年)と逆算され、崇神天皇の任那建国(369)も推定される。
※稲氷命の新羅始祖説については、金姓略系譜を参照。
382 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 16:47:28 ID:idkUuymv0
>>375 おいおい そんなデタラメを書いて面白いのか?
383 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:47:28 ID:GVxy4blq0
>>366 それを書いてて、卑弥呼を正史に乗せてないんだから、
言い伝えのたぐいが無かったんだろう。
神功だと思わせることしかできなかったと。
384 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:47:36 ID:4FtsaRKw0
>>345 釣りにしても程度低すぎ。魏志韓伝に、朝鮮半島では、人々が、倭国を珍しい
宝物が沢山ある大国として崇めていると、わざわざ書いてある。一方、倭人伝
の方には、倭人が朝鮮半島の人々や国々を崇めていいるなんてチートモ書いて
ない。鉄資源をあさりに倭人が朝鮮半島にイパーイ来てるとは書いてあるけどね。
倭人に取っては朝鮮半島は、鉄資源の草狩り場でしかなかったのよ。
従って闕史八代天皇は綏靖天皇と孝安天皇を除けば後裔氏族が存在することから、実在は確実であるが即位が無かった可能性が高く、日本書紀編纂に併せて皇位を追贈されたものと推定される。
我が国の漢語は特殊な仏典、漢籍を除き漢音より呉音が多く、竹田昌暉氏の「呉族渡来説」も捨てがたい。
何故ならばフランスの学者ラクペリー提唱の漢民族バビロニア起源説があり、シュメール起源と思われる皇姓は現在でも中国と日本に存在して、三国時代の呉の皇象は能書家として有名である。
西暦280年呉滅亡後南九州へ大挙渡来(いわゆる天孫降臨)して皇別の先祖となった仮説も成立する。
また台湾に伝わる伝承では「天照大神は徐福に連れられて琉球に渡った秦の始皇帝の三女である」というにわかには信じられないが、我が国の先祖の遡源が半島だけでなく大陸にあることを窺わせる。
※詳細は日本上古史仮説を参照。
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/fq&a.htm
386 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:48:18 ID:wO7n8hzw0
>>372 朝鮮等と比べて異常なほど詳細なんだよ。
如何に魏が邪馬台国を重視しているかが判るほどにね。
387 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:48:20 ID:rjo07f1DO
>>370 俺もそう思った
ワガママで癇癪持ちで犯罪者気質な所が…
388 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:48:50 ID:kEyc4kCR0
>>381 >百済辰斯王(実は即位385年)
それ三国史記(12世紀の書物)の記述からだよね?
>>229 男系はY染色体亜形分析。ちょうどミトコンドリアと補完し合う形になる。
人類の移動の足跡は既にかなり解明されている
390 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:49:01 ID:SKJqg8Y2P
九州でも畿内でもなく韓国なんだろ?
391 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:49:09 ID:gDxnQqqP0
ソース:asahi.com
wwwwwwwwwwwwwwwwww
>>378 だから、その時代の近畿の国々はどういう位置配置であったのか答えろよ。
393 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:49:28 ID:aW98dRpa0
つまり、邪馬台国がどこにあったのかの鍵は、
海を千里渡って対馬に来て、
そこから南にまた同じぐらい海を渡って福岡・佐賀の沖合いの島まで来て、
その福岡・佐賀の沖合いの島から、同じぐらい船を使って、日本列島のどこに上陸したのか
が重要になってくる。
その上陸地点からは少なくとも、東に移動できる陸地があり、
その東に移動した後の陸地からは、南に1ヵ月移動できる水面がなければならない。
>>376 クーデターに失敗して東に逃げたんじゃないんです(>_<)
アレは東征です(>_<)
395 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 16:50:02 ID:e1QyLqYVQ
>>368 歴史の中でも、特に古代史は分からないことだらけだから、いろいろ推理していくのが面白いんだよ。
396 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:50:10 ID:z9766TlW0
九州説は十人十色で、みんな言うことがバラバラなんだな。
邪馬台国比定地も、山門あり吉野ヶ里あり甘木あり博多あり宇佐あり日向ありで
まあ言うならば何でもアリだ。
だから九州説は信用されない。
仮に一人が正しいとしても、残り九人はみんなウソのつき合いをしているわけだ。
397 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 16:50:12 ID:idkUuymv0
>>381 日本の歴史学はだめだ
根拠もなしに小説を書く
398 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 16:51:13 ID:VS73KuwL0
399 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:51:36 ID:acn8ohVe0
卑弥呼さまああああああああああああ!!!
>>393 ニューギニア・ボルネオ・インドネシアかなー。
いやきっとオーストラリアに違いない!
402 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:52:19 ID:aW98dRpa0
403 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:52:44 ID:sYUfoNaOO
405 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 16:53:03 ID:U9KaXRoi0
>>387 二代目スサノオは朝鮮半島から来たと記紀に書いてます。
406 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:53:19 ID:NvCeR6wT0
魏の思惑なんてアレだろ、呉のすぐ近くまで我が国の勢力が行き届いてますよってだけだろ
中国の史書における距離や人数の記述なんて信用できるか
407 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:53:23 ID:GVxy4blq0
大体、真珠を5千個だったか贈れる国ってそうはないだろう。
自然の真珠でそれだけって相当な数だろ。
>>396 その点、機内説は最初から結論ありきだから簡単だよねw
408 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:55:08 ID:kEyc4kCR0
>>383 「魏志にいわく
明帝の景初の三年の六月、倭の女王、大夫難斗米等を遣わして、郡に詣りて、天子に詣らむことを求めて朝献す。」
もし倭の女王ってのが神功であると思わせたかったのなら、この記事を載せた人は
「神功は明帝に朝貢した存在だよ」と知らせたかったということになるのでは。
410 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:55:25 ID:JTR/9taz0
>>66 ( ‘д‘)y-~~
> 神武に負けて奄美〜沖縄に逃げた卑弥呼一派の元倭国が今に残る祭祀文化を伝承した
これ面白い説だね。当たらずとも遠からず、みたいな。
411 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:55:28 ID:qL/UfLFH0
412 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:55:50 ID:ZxlAqL640
学者って連中、特に文系は一度仮説にしがみ付いたら
後々その誤りに気づいてもそれを受け入れられずに生涯自説を提唱し続けて
しばしば学問の健全な発展を阻害するもんだ
物証だけ見ればもうとっくの昔に畿内でFAなんだよ
413 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:56:20 ID:63yILkeR0
この時代の船の航続能力は?
414 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:56:42 ID:sYUfoNaOO
>>409 できるわけないだろ。
資料が残ってないんだぜw
416 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:56:59 ID:I0/Ur7e90
これ単に卑弥呼と同じ時期に亡くなった誰かの墓 ってだけじゃん
九州説を唱えてるのは九州人だけという現実
>>370 ただクソを撒くっていうのは
平安時代の女房や江戸時代の大奥でもやってるからねぇ
AV女優卑弥呼が現れたとき、右翼はこれに何ら抗議しなかった。
これこそ右翼が邪馬台国と天皇家に何の関係もないと思ってるなによりの証拠である。
423 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 16:58:29 ID:63yILkeR0
>>380 あの時代に市民オンブズマンがいなかったことが悔やまれる
日本の歴史学が誤ったのは、マルクス主義的歴史の必然なんぞと言うエセ科学を
歴史学の中に持ち込んだから。
どうしても日本が遅れていて、進んでいる朝鮮半島から物が来ないといけないという、
政治で歴史を記述する「歴史屋」が大量に出現したせいだよ。
旧ソ連が崩壊してこの残党はかなり減ったけど、今でも大勢力だからね。
428 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 16:59:09 ID:U9KaXRoi0
429 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:00:20 ID:sYUfoNaOO
九州からは何も見つからねえw
430 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:00:32 ID:3S3F3xCpO
現天皇家は
邪馬台国(大和国)を乗っ取っり
卑弥呼(アマテラス)を乗っ取っり、天皇家と無理矢理、繋げた
邪馬台国(大和国)の卑弥呼(アマテラス)より以前のボスは
狗奴国(現三重県、旧伊勢国)の佐田大神であろう
草薙剣がある、伊勢神宮に真相が隠されておろう
431 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:00:34 ID:wO7n8hzw0
>>377 安本美典の天皇在位平均十年説に当てはめれば50年程度だからそれほど異常でも無いでしょ。
432 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 17:00:42 ID:e1QyLqYVQ
>>412 東大VS京大の学閥争いもあったと思う。
プライドの張り合いで真実がないがしろにされるってのは愚かな事だよ。
九州説は、騎馬民族説なる珍説と共に死滅した。
435 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:01:28 ID:kEyc4kCR0
>>400 それらの記事は
12世紀の三国史記を書いた人は、なぜわざわざ日本を関連させようとしたんだろうね
って話になるものだと思うけど。
邪馬台国は韓国にあるんだよ
437 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:01:42 ID:63yILkeR0
あぁ、沖縄かw
>>55 被葬者といわれるヤマトトトモモソヒメが、通ってきていた三輪山の神オオモモノヌシに捨てられ、
箸で「ホト」(女陰)を突いて自殺したという神話。
だったっけ。
439 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:02:23 ID:hHSofrZL0
スサノオのモデルは武埴安彦命で卑弥呼の次に擁立された男王です。
>>397 最初から最後までフィクションの歴史教科書を有難がるあんたにだけは言われたくない。
>>431 だから、この国の公式記録によると何百年ということになって、
非正式な個人の見解が正しいとかいう間違った国
442 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:02:49 ID:u3nC/v3QO
邪馬台国って嫌な当字だよな。
443 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:02:53 ID:aW98dRpa0
>>419 はははは(笑)
そこがまつろ国なら、
東南へ500里陸行して、東南に100里進んで、東へ100里行ったら、
その先、南へ水行20日できる水面が無い(笑)
444 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:03:02 ID:wBlG5V9tO
とりあえず
古田武彦(笑)
安本美典(笑)
445 :
287:2009/05/30(土) 17:03:09 ID:/nK8CRTs0
303、313、322さん
勉強になりました。有り難うございます。
446 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:03:21 ID:GVxy4blq0
近畿にあったのは、魏じゃなくて呉に朝貢してた別の国。
記録に残ってるよ。
447 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:03:30 ID:U9KaXRoi0
>>429 少なくとも
>>1よりは吉野ケ里遺跡の方がはるかに史料価値が高いと思うが
448 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:03:40 ID:wO7n8hzw0
>>429 近畿からは何も見つからないんだよ、
鉄、鏡、絹
全て九州説を支持するんだよ。
449 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:04:00 ID:kEyc4kCR0
>>418 それ小説の中で、でしょ・・・源氏物語での嫌がらせの様子
450 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:04:27 ID:D4RPkZgA0
新説
邪馬台国は千葉
451 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:04:40 ID:MPXXDeo5P
>>412 異論を唱えるものが、残っている疑問点を呈してくれるのは、進歩の為だよ。
それらに答えていけば、更に確証が持てたり、気づいていない事実に気づいたり
するしね。
452 :
奈良県民:2009/05/30(土) 17:04:51 ID:jo7u+r5W0
もう、考古学はいいだろ。
税金投入反対。
453 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:05:13 ID:1TeYM9um0
畿内にあったのは渡来人の文明
倭は九州文明。
●台
「台」を「ト」と読ませているのは、
日本書紀別伝第三および旧事紀の中で
興台産霊(ココトムスビ)の神の台(ト)として用いてあるだけ。
だから一般的な用字とはいえない。
もともと無理な読み方で、原音は明らかに漢語でタイ、
呉音でダイであるからタとしか読めない。
また、ヤ、マ、トの各音が、どんな意味をもっており、邪馬台という国の名が
何を意味するかということすらわからないで、これまでの邪馬台国論争は、
ただ漠然とヤマトとかヤマタイとか読んで論争を繰り返している。
●邪
「邪」は、ヤとエの中間音として発音すべきで、
記紀では「屋」の字をもってあてられる。
現在、入り江といっているエの部分の原音だと思われる。
●馬
馬は本来漢音でバ、呉音ではメであるが、後代合体して
慣用的にマとも発音される。
バラ(原)、イバラ(茨)、イマラクの国(茨城の国)、マメ(豆)、ハマ(浜)などが
意味する畑(やきはた)の意味がある。
本来、倭人伝に記された固有名詞は、音写を目的とした漢字を
用いただけの音表であるから、
一文字を日本語の二字音として発音してならないことは常識。
この原則さえわからず平気で一字を二字音で読んだり、
漢音と呉音を混同して読んでいる人も多い。
>>443 松浦(マツラ)という地名がそこにはある。
古代の不正確な距離測定を取るか、それとも5000年残る地名を取るか。
まあ九州にも良い所はあるよ
元気出せって
457 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:06:06 ID:YDYNIacK0
キリスト教の学校が博打とか
笑えるな。
まったく自重せよw
邪馬台国をヤマタイコクと読むこと自体、九州説(非畿内説)に偏向してるんだよね。
素直に読んだらヤマトコクとしか読めない。
459 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:07:14 ID:xNT6OEff0
>>451 1に史料、2に検証
勝手に妄想を書いてはダメです。
畿内説はひょっとして関西人の劣等感がもたらしたのではないかな
発祥や起源が大好きな人たち。
461 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:07:37 ID:AuZpafLxO
>>444 どっちもお前よりかは、学識もあるので
お前の妄想や願望説よりかは信憑性を持つ
462 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:07:47 ID:63yILkeR0
近畿説では大和を中国人が聞いて邪馬台国と訳したということ?
つまり、大和の長は卑弥呼であったということ?
九州房涙目w
>>449 でも日本人だぞw
源氏の登場人物だし。
源氏物語の登場人物は全て一人の同人女の妄想でしょ
466 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:10:03 ID:wO7n8hzw0
>>441 だれも記紀の記述そのまま信用してないよ。
あくまでも伝承をまとめたのが記紀でしょ。
伝承の中にどれだけの真実が有るかを検討するのが歴史学、
津田そうきち見たいに不可知論者張りに根拠もなく全て否定する必要は無い。
魏志と記紀が一致している記述(卑彌呼とアマテラス周辺)とかを見れば信頼性は相当高い。
467 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:10:29 ID:GVxy4blq0
邪馬台国が九州だったとしても、畿内、関東辺りに当然王者はいた。
いなかったはずはないので、そいつらの墓だろう、ってだけだよ。
時期以外に同定する根拠は無い。
記録に欠けてるんだから、畿内説であるわけがない。
468 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:10:31 ID:X3K670ot0
九州のものですがぶっちゃげ邪馬台国奈良でいいけどな
469 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:12:06 ID:xNT6OEff0
>>462 それは日本式の読み方
中国人がなんで日本式で読むのか訳わからんわ
470 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:12:21 ID:aW98dRpa0
>>455 そんな不確かな事より、
日本に上陸してから200キロ以上と感じるほど東に陸路移動して、
その後、南に水路移動したという、確実なことを考慮すべき。
すくなくとも、その地図に書かれている国々は、
九州の東側、大分から宮崎にかけて並べるべきだよ。
近畿に邪馬台国があった場合のその他の国の配置を教えてください。
472 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:12:26 ID:3S3F3xCpO
男王はニニギじゃないのけ?
474 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:12:55 ID:FRWBzVqNi
畿内でない場合、卑弥呼朝廷は大和朝廷とは敵対勢力だったと考えてもよろしいでしょうか
東征の伝説が残ってるのになんで機内なの?
東征したあとで邪馬台国になったの?
九州厨涙目w
477 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:13:27 ID:kEyc4kCR0
>>431 安本さんの個人的な見解を置いたとしても、
やまとたけるの時代から、たしか仁徳天皇の時代まで存在した人物になるんだよ?
他にそういう人がいたならまだ話も分かるけれど
居ないんだから「異常」だよ。
>>465 でも同人女が隣国人の妄想をするとは思えないぞ
>>474 天孫降臨の地は九州です。今の皇族も最初は九州にいました。
その後、近畿に東征しました。
481 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:14:30 ID:63yILkeR0
>>469 日本人がやまとこくと言ったのを
中国人が邪馬台国って書いてるってことでしょ。
畿内説の場合。
そうなると大和国(邪馬台国)の長は卑弥呼で・・・
482 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:15:30 ID:0D0UX7k+0
ハッテン途上苦苦
483 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 17:15:34 ID:e1QyLqYVQ
東京帝国大学の白鳥庫吉がこの論争の戦犯。
当時は発掘調査が未発達だから、仕方ないが、結局、京都帝国大学の内藤湖南の畿内説が正しかった。
それとも機内にあった邪馬台国を西からやってきた勢力が乗っ取っちゃったの?
485 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:16:04 ID:xNT6OEff0
畿内からは「界をしきいて対す」ような遺跡はでてないんだろ
みんなオープン集落
だから畿内は倭ではない。
486 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:16:27 ID:3S3F3xCpO
もし邪馬台国が九州の一国だったら、日本には他にもいろいろな国があって、
それぞれの国が中国と交流してて、それぞれの国の名を伝えていただろうね。
488 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:16:37 ID:kEyc4kCR0
>>474 神社伝承学(日本書紀などは朝廷の意向で内容が変えられてるので
全国の神社に伝わる話を集めて歴史を解明しようというもの)では、
邪馬台国は出雲に征服された。
>>475 文字通り伝説、神話の類と考えればよいのでは
まあ列島が動いた事を加味すれば畿内らしいが
学者連中はそこまで脳が柔軟じゃぁない
492 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:17:37 ID:OJBD/LFg0
>>481 邪馬台は中国読みでヤマトなのか?
もこれ以上噛み砕いて説明できないんだが
493 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:17:39 ID:63yILkeR0
九州説厨はいろいろ情報持ってくるのに
畿内説厨が全然情報を持ってこない
九州涙目とかそんなのばっか
何か畿内説を示す、有力な情報や物証を頼む。
今回の以外で。
しかしたった3世紀のことがわからないわけがないのにな
そもそも紀元前の文書とかねえのかよ
記紀はでたらめってお父さんが言ってたけど
496 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:18:02 ID:chX0+dHB0
邪馬台国はヤマトコクで畿内だよ。
観光のために学問をねじ曲げて九州説を唱えるようなことは
そろそろやめるべき。
497 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:18:13 ID:Q/UEDW/ai
>>480 ありがとうございます
しかし疑問があるのですが東征する場合、別朝廷である出雲朝廷の中国地方を通過しなければなりません
何らかの戦いの記録は残ってないのでしょうか?
498 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:18:14 ID:wO7n8hzw0
>>483 畿内説を支持する遺物は畿内に表われないわけですが(笑笑笑)
>>488 紫式部は在でも何でもない貴族だけど?
それがなぜ隣国の風習を宮中の出来事として描く?
卑弥呼は何年に死んだんだ?
国民の財産を宮内庁がナニ勘違いしてんだか、さっさと学術調査させろよ
調査してまずいことでもあるのか、天皇は朝鮮人とか
>>489 なら、邪馬台国-->出雲国-->東征勢力、の順に関西地方の覇権が移り変わったのね
503 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:19:49 ID:63yILkeR0
>>492 ほったいもいじるな的思考だよ。
普通考えるだろ・・・
発音を聞いて中国人が当て字にしたってことだろ
>>458 それは違う。邪馬台国の読みが
ヤマタイかヤマトかというのは些細な問題。
倭人伝に書かれてる習慣、風俗は明らかに南国のもの。
“倭人伝に書かれている邪馬台国”が畿内にあった
とするのは流石にどうかと思う。
それとは無関係に畿内に大きな勢力があり偶然似た名前の
勢力を名乗っていたとか九州の邪馬台国を後に併合して
その名前と歴史を奪ったとかはあったかもしれないが。
素人だけに大人気の九州説も馬鹿にしたものじゃないよ。
九州にあったかも知れないんだから。
たとえ可能性が殆どゼロでも、完全なゼロではないんだし。
>>487 朝貢なんて売国は、弱小だからやるもの
邪馬台国以外の記録も、倭人伝にあるよ。
●狗奴国
>其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。不屬女王
その南に、狗奴国がある。王は男である。
狗奴国の官を“狗古智卑狗”という。女王に従わない国である。
●邪馬台国の東
>女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種
女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。
いずれも倭人である。
507 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:20:54 ID:wO7n8hzw0
じゃあ淡路島説唱えるわ・・・
509 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:21:17 ID:GVxy4blq0
>>487 あったよ実際。記録に残ってる。名前失念。
技師倭人にも、
「女王国の東、海を渡る1千余里、また国あり、皆倭種なり」とあるから、
その条件を満たすには、邪馬台国は四国か、九州でないといけない。
近畿はあり得ない。
510 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:21:26 ID:Dlk/PqJ/0
卑弥呼が天皇家の祖先と仮定すると日本書紀に卑弥呼の記載がないのは一系の天皇家に女王の時代があったのがまずいから?
女性天皇の卑弥呼はまだしも台与が明らかに女系だから隠さざるを得ないのかな
当時の人間を挑戦人とか日本人とか呼ぶなら、朝鮮半島南部に住んでたのは日本人じゃないの?
512 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:22:06 ID:p6SrAa6q0
邪馬台国‐大和政権成立の間がわかんね。
今の調査発掘ではここんとこ全く見えてこない。一部外国の記録頼み。
何とかしてくれよ宮内庁。
直系なのか。別系なのか。お粗末なほどわかんない。
513 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:22:33 ID:u3nC/v3QO
魏史倭人伝の最期に「実は、嘘んピョーン。」って記述されてたらどうするんだろう。
514 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:22:33 ID:63yILkeR0
>>507 でも、天皇家も誰が眠ってるかわからないんだろ?????????????????????????????????
それは天皇家の物じゃねぇよw
515 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:23:10 ID:OJBD/LFg0
同じ漢字でも中国式の読みと日本式の読みでは発音が全然違うのですが
日本式の読みかたで2つを比較して「同じになる」と騒いでる馬鹿が畿内説支持者だ
ということは理解した。
>>495 でたらめというより、神話・伝説を集大成して皇室の歴史につながるよう編集してある。
皇室に格式をつけるため天皇の数を増やし、結果として神武天皇が200歳以上生きたことになってしまっている。
>>510 卑弥呼には子供がいないから。台与の子はたぶん居る。
伊勢神宮最初の斎宮。
>>505 それはいいけど九州のどっかにあったじゃ話にならないよ
福岡平野と筑後平野と宇佐と日向じゃ
それぞれ植生や地質の条件が全然違うし
519 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:23:55 ID:3S3F3xCpO
呉太伯の後裔、海洋民族が。農耕民族に、邪馬台国(大和国)を乗っ取られた。
その農耕民族の祖が神武天皇
海洋民族のアマテラス(卑弥呼)は無理矢理、農耕民族の祖にされた
だから真相を隠す必要があった
520 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:24:03 ID:+BGflX/wO
火、火魅子伝〜恋解〜はどうなっちゃうの!?
俺の清端は!?
521 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:24:11 ID:kEyc4kCR0
>>499 貴族だから「事実」を小説の中に書いたのだと断定してるということですか?
あれは物語ですよ。
しかも「嫌がらせ」として描写されているということは、「非常識な行動」だと、読んでいる人に捉えてもらえるものだった
ということでしょう。
>>510 日本書紀が作られた時、女性天皇だったんだが
523 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:24:54 ID:chX0+dHB0
>>504 九州に畿内を超える大規模遺跡があるか?
もし九州にあった場合、3世紀に九州よりも遥かに大きな勢力であるハズの
畿内の記載が倭人伝にないのはなぜか?
そもそも九州説の根源は、国学者の本居宣長が中国に朝貢してた邪馬台国を
国粋主義のイデオロギーから、大和朝廷とは別の小国と流布したことに起因する。
九州説なんてそもそも資料解釈の問題だけで、
学問的な根拠は希薄なんだよ。
>>461 安本美典はともかく、古田武彦は当てに為らないよ。
525 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:25:24 ID:wO7n8hzw0
>>516 記紀が一致しているから数は増やしてない。
普通に記紀が正しかったということだろう。
倭迹迹日百襲媛命=卑弥呼=箸墓古墳
ややこしいのは、卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命なんだけど
書いた人がそれに気付かずに?
卑弥呼=神功皇后にしてしまったことか・・・
527 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:25:51 ID:SPgjdy9Y0
倭国はアラビアンナイトにwakwakとして出てくるのでwakoku発音でいいだろう
528 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:25:58 ID:63yILkeR0
>>515 やっとわかったわw
やまとこくと発音したとしても、その頃の中国の漢字当て書きでは邪馬台国とは書かないってことねw
天照=卑弥呼説は結び付けやすいけどやはり違うだろうな
卑弥呼って今の読み方で「ひみこ」と読めるだけで、
あの時代にはハヒフヘホの発音が無かったっぽいし
中国での発音もわからないんだよな
>>510 多分、基本的に別ものなんだろうね。
神話ってさ、歴史の勝者、天皇家が正史から消し去った事実の
反映なんじゃないかな…
>>515 中国式の発音はピンインていうんだよな。
533 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 17:26:59 ID:e1QyLqYVQ
>>498 遺物?
そんなの今にたくさん出てくるよ。
九州説は説得力がない。都市伝説と同じ。
534 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:27:01 ID:GVxy4blq0
>>523 吉野ヶ里があるだろ。
それも最近の発見だから、他にもあるだろう。
福岡、太宰府辺りは散々開発されてるから探すのは難しいかもしれないが。
田油津姫=卑弥呼?
536 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:27:38 ID:kEyc4kCR0
>>516 >結果として神武天皇が200歳以上生きたことになってしまっている
なってません。
>>504 それは違うw
郡使は歴代伊都国に常駐した訳だから、記述が報告書通りだとすると北部九州の風俗であるのが妥当。
また倭国は中国人から見るとかなり南の儋(タン)耳・朱崖と同じ地域にあると考えていたので、風俗は
同じだろうと、倭人伝の基となる資料に儋(タン)耳・朱崖の風俗が倭人の風俗として書かれていたので、
陳寿がそのまま書いたという説がある。
538 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:27:47 ID:aW98dRpa0
>>509 いや、それだと
日本に上陸してから200キロ以上と感じるほど東に陸路移動して、
その後、南に水路移動したという、確実な事実から、
まず邪馬台国の位置が、宮崎や、鹿児島の東側となるから、
そこからさらに東に海上に漕ぎだすと大平洋のど真ん中となってしまい、
九州説は無くなるよ。
こういうのは、妄想を膨らませるだけ膨らませた方が、面白くなるんじゃまいか?
妄想その1
「邪馬台国は奈良盆地〜旧大和川下流域にあった」
1、「クニ」という広域支配が成立するためには、かなりの余剰生産が必要
→これがない時代は、支配よりも土地の獲得…先住民がいる場合は、追い出したり、皆殺しにしたり
(定住が基本の弥生期では、よほど人口や軍事技術に差がないと不可能)
→技術的に余剰生産が可能だと、支配して労働させ、その余剰生産物を徴収した方がよい
2、弥生時代は稲作が文化の基礎だったことを考えると、稲作技術の発達が余剰生産の鍵
そして、当時の稲作における革新技術は、鉄製農具の使用による乾田の開発
→鉄製農具は大変な貴重品で、大半は朝鮮半島からの輸入品
(弥生後期には鉄器生産が開始されたが、鉄素材はなお輸入に頼っていた)
→当時の技術で乾田開発の最適地は、川沿いの緩い傾斜地
3、鉄器の分布をみると、弥生中期(紀元前1世紀〜1世紀)には北九州に集中し、畿内では少ない
→弥生中期に余剰生産が可能だったのは北九州だから、『クニはまず北九州で成立したと考えられる』
4、弥生後期(2〜3世紀)になると、鉄器は東日本にも広く流通し、畿内からも石器は消えた
→余剰生産を背景に、列島各地にクニが乱立したと考えられる
→こうなると、地理的有利(川沿いの緩い傾斜地をより多く持つ)が、クニの力を決定する
→そして、もっともこの条件を備えていたのが、中心の奈良湖に無数の川が流れ込む奈良盆地だった
→次点は、宍道湖に多くの川が流れ込み、大陸や半島との交流窓口だった出雲
まとめると…
A, 弥生中期(紀元前1世紀〜1世紀)、まず北九州でクニが発生(これが文献上最初の倭国王「帥升」の国)
B, 弥生後期(2〜3世紀)、列島の西側から各地にクニが乱立し始め、互いの支配を巡って闘争が激化(これが倭国大乱)
C, 地理的有利から最有力にのし上がった奈良盆地のクニ(これが邪馬台国)が連合の長になり、一応の平定をみる
四国にあったなら徳島あたりが怪しいと思うんだけど
誰も挙げないってことは何も出てきてないってことなんだろうな
>>534 吉野ヶ里は卑弥呼の時代よりかなり後だよ。
542 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:28:48 ID:SPgjdy9Y0
>>503 おまいが知能指数が著しく低いのはもう判った。
その当て字の中国式の発音はなんだって聞いてやるから答えろ。
>>521 だから、日本だって嫌がらせでクソを撒くんだということだろうが。
嫌がらせでクソを撒くのはあちらの国だって話
>>370が最初だろう。何度も言わせるな。
544 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:28:51 ID:3S3F3xCpO
>>509 邪馬台国の倭人が当時、海洋民族ならば、近畿説は濃厚。
邪馬台国(大和国)の東には、伊勢の海が広がる。
伊勢の海は単なる海ではなく
太陽信仰の発祥地である
太陽が昇る海である
伊勢神宮を探れば真相がわかる
大和国の日巫女だろ?
546 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:29:07 ID:QRn/dC1Y0
>>515 九州説の根拠って出てくる地名を無理やり九州の現代の地名に割り当てることで成り立ってるんですが
547 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:29:10 ID:chX0+dHB0
>>510 卑弥呼は日の巫女で斎王のことでしょう。
箸墓の主であるヤマトモモソヒメと一致する。
>>523 現代だって、福岡と大阪は遠すぎて
普通に暮らしてる人にとっては、外国みたいなもの。
九州までしか来てないなら知るはずもない
549 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:29:23 ID:GVxy4blq0
>>537 思いこみが先なのか、見た経験が先なのかどっちだよ。
中国の使者は実際に来て、壱岐対馬を正確に観察している。
風俗もそうだったんだろう。
>>534 いまどき吉野ヶ里なんて候補地に挙げてるやついないよ
吉野ヶ里は邪馬台国の時代には規模が縮小してしまっていてる
「倭迹迹日百襲媛命」
これって、日本の古い古い祖先のお姫様、ってことじゃないの?
552 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:29:49 ID:/dk6sacKO
553 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:29:50 ID:63yILkeR0
>>542 もうわかったって言ったのに、しつこいなぁ〜
>>530 一部の説では、fa fi fu etc. だったらしいと。
556 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:30:45 ID:B2frYCZs0
畿内説って 馬鹿の集まりというか 知能低いww
論争にならんぜ 発音の違いを理解できないなんてwwww
557 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:30:45 ID:NCYrfwSg0
このスレ、どうして4まで続いているの?
誰か3行で説明してくれ!
>>525 では、崇神天皇陵以前の確実な天皇陵がないのはなぜ?
また、2代から9代まで、記紀では天皇の事績が形式的な記載しかないのもなぜ。また、神武天皇陵は江戸時代の築造だろ。
559 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:31:06 ID:p6SrAa6q0
発音に関してここではこれ以上詳しく語れるやつはいない。
当時の「邪馬台」と「大和」の正確な音価と比較がここで語られたことはない。
1700年以上昔の発音なんてわからん。
560 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:31:11 ID:wO7n8hzw0
>>538 それ直線式読み方で今では誰も相手にしてない読み方、
九州北岸に着いてからは放射線式に読むんだよ。
でないと万二千里の意味が通じなくなる。
こういうのは素人レベルが言い合っても何の意味も無いのは分かってるけど
放置してると長野県の連中がおかしな事言い始めるからな
あいつら地味にキ○ガイだからw
>>551 名前の意味か
確かに字面眺めてるとそんな意味にとれそうな気はするな
563 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:32:06 ID:GVxy4blq0
>>538 勝手に200キロとか、鹿児島と決めつけるなよw
九州から東方向に四国や近畿はあるんだよ。
なんで、そこでいきなり「正確な東」を持ち出すんだw
ああいつ来ても敷居が高いw
誰か噛み砕いて教えとくれよ
畿内と思っていて構わないのね
あとその古墳を掘れる可能性は未来永劫ないの?
九州か畿内しかないのかよ
・北海道
・関東
・東北
・ハワイ
・オーストラリア
566 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:32:17 ID:63yILkeR0
>>546 畿内説も最後の2国以外は九州説と同じなんだよ
568 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:32:53 ID:qMy9mkYy0
だいたい、中国人が調べに来たら文字で確認するだろ
なんで口語だけの調査になるんだよ。
文字はあったぞ。
鏡の裏にかいてあるだろ
GS美神の卑弥呼が見たくて画像ググったらAVだらけでワロタw
なんとなくエロに結びつきやすい要素でもあるのか
570 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:33:40 ID:4wlUVemT0
オメ ・・・イヤなんでもない。
>>557 きのこの山と
たけのこの里
どっちが美味い?
572 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:34:26 ID:u3nC/v3QO
573 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:34:45 ID:63yILkeR0
残念邪馬台国は四国にありました
575 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:35:01 ID:qMy9mkYy0
>>538 >東に200キロ
典型的な畿内論者ですな。
捏造がひどい
>>559 「日曜特集・新世界紀行」で、井沢元彦が
中国人の専門学者に、当時の発音を聞いていた。
でもそれだって怪しいものだろう
狗奴国が神武東征で出来た大和の原型って説もあったな。
崇神天皇のころに狗奴国が邪馬台国滅ぼして大和統一
578 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:35:58 ID:Ecj3PnzM0
じゃ、邪馬台国・・・
579 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:36:22 ID:eKJo5tfw0
>>557 朝鮮人とおなじで 嘘を並べ立てて起源を主張する畿内論者(ほぼ関西人)を叩くため
>>555 FaFiFuとVaViVu、PaPiPuとBaBiBuがあって
花なんて「Pana」と発音されていた可能性があるみたいね
581 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:36:35 ID:wO7n8hzw0
>>554 いや 古代シナー人の眼から見ても、日本人はどっか違ってたんだろ、
だから人偏付けてるんだから。南蛮、東夷何て蔑称してたのに。
583 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:37:21 ID:BPDRVKC0O
ひみこが奈良だとなんなの?なんかあるの?
584 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:37:34 ID:Ngnxp3cD0
585 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 17:37:45 ID:e1QyLqYVQ
>>556 九州説唱えてる奴は、表に出ろ!
歴史を勝手に書き換えるなよ!
586 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:37:57 ID:3S3F3xCpO
箸墓は、卑弥呼というより倭姫命の古墳じゃね?
587 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:38:18 ID:fjg7USw/0 BE:290004023-2BP(0)
歴史ってなんか嘘くさいんだよねぇ
588 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:38:22 ID:Wf/LkO5cO
古代九州といえば磐井の乱なので
俺の心象では九州説は嫌!
589 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:38:42 ID:kEyc4kCR0
>>543 須佐之男の話から分かるのは
日本では、ンコをまき散らしちゃうのは「非常識」で「厭がられること」で
しかも爪をはがされたり、髪の毛を抜かれたりする結果を招く「バカな行為」
あちらの国っぽい、ってのが、だからそもそも的外れなんでしょうよ。
そもそも須佐之男にしても、「キレて滅茶苦茶しちゃった行為」なんだし。
また、それも神話という「物語」での話であって、
事実と混同して話してた
>>418さんのお話がおかしいって突っ込みに対し、なんら反論となるものじゃないと思うけど。
591 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 17:38:50 ID:FifuNicx0
>>558 古墳以前の埋葬方式だったんじゃないか?
甕棺に入れて、盛り土する程度とか。
事跡については、文字ではなく口伝だから
断片的になったりするんでないか?
592 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:38:50 ID:GVxy4blq0
海を渡った東に倭種がいるためには、邪馬台国は四国か九州以外にはありえ無い。
これは大原則で動かない。
593 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:38:54 ID:l67VmLazO
西本先生・・・!
594 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:39:04 ID:NvCeR6wT0
属国は2文字、一目置いてる国には1文字の国名で呼んでいたとか聞いたな
596 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:39:24 ID:0D0UX7k+0
そも自国の歴史を他国の書物に頼るという行為が情けナヤ
598 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:39:31 ID:63yILkeR0
でも、なんかここのスレに書き込んでいる人のほうが
250年前の土器が出た!!!!!!!!卑弥呼の死亡時期と一致してる!!!!!!!!!!!!!
古墳は卑弥呼の墓だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!とか言う研究者より好感が持てる。
探究心がある。
599 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:40:01 ID:wO7n8hzw0
>>546 違います、考古遺物(鉄、鏡、鏡等)もです。
■238年、邪馬台国から魏への朝貢品
男の生口4人
女の生口6人
班布2匹2丈
これだけ。しょぼすぎだろ。
■それに対する魏の答礼品
親魏倭王の金印
赤地に2匹の龍を描いた錦布 5匹(10反)
赤地の縮み毛織物 10張
茜染めの布 50匹(100反)
濃紺の布 50匹(100反)
■卑弥呼個人への贈り物
紺地に三角の模様をあしらった錦 3匹(6反)
細かな斑点入りの華やかな毛織物 5張
白絹 50匹(100反)
金8両 約111グラム
刃渡り5尺の鉄刀 2振り
銅鏡 100枚
貝玉と鉛丹(赤色顔料)それぞれ50斤 約11キロ
ちなみに、卑弥呼より100年以上前
107年、倭国王帥升が後漢に献上した生口は、160人
601 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:40:18 ID:C090jr/yP
なんか昼間は程度が低くなってるなこのスレ。
昨夜は面白かったのに。
603 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:40:50 ID:Ngnxp3cD0
>>589 正確に言うと 「神殿の床でうんこしてみた」 だけどな
バッテン荒川
606 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:41:42 ID:chX0+dHB0
>>581 吉野ヶ里でもマキムクと比べると小さいものだよ。
だから吉野ヶ里が邪馬台国だというのは佐賀県の観光課くらいしかいないのw
邪馬台国は名古屋だろ
名古屋弁で「やまたゃーこく」と言っていたのがなまっただけだ
九州房は本州の主要神社は全て九州からの移設とか朝鮮並の妄言を垂れるから困る
609 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:42:15 ID:3S3F3xCpO
>>592 海洋民族は日本中を海渡してまして
旧大和国の東にも、伊勢の海がありまして
>>588 九州説はともかくとして、磐井の乱は時代が違いすぎだろw
611 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:42:37 ID:wO7n8hzw0
>>586 倭姫は女王じゃないだろ。
まるで論外、大体魏使に拝謁できると思っているの?
612 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:42:46 ID:GVxy4blq0
>>606 だから、吉野ヶ里がそのまま邪馬台国ということじゃなくて、
それくらいの遺跡は他にもあるんだろうってこと。
全くマークされてなかった所で見つかったんだから。
614 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:43:29 ID:Ngnxp3cD0
畿内説には生野菜
豆知識
615 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:43:35 ID:kEyc4kCR0
>>558 書紀を参照にするなら、
崇神天皇までは、埴輪を作ってたくさん埋める形式が出来てなかったからじゃないの
周りのお世話をしてた人たちが一緒に埋められる形だったので、規模が大きくならなかった、しかも殆ど土に還ったとか。
>>606 魏の使者は邪馬台国まで行ったの?
途中までの描写は細かいのに、最後はかなりおおざっぱみたいだけど
バカだな、邪馬台国と結びつけたほうが発掘作業が進めやすいんだよ
吉野ヶ里だって邪馬台国と結びつけた報道がされなかったらろくに発掘されずに埋め戻されてたらしいぞ
だからすぐに邪馬台国邪馬台国って言うんだよ
>>611 斎宮じゃ男性に会うのは無理だね
もっとも卑弥呼も同じようなもんだから使者には会わなかったと思うけど
619 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:43:53 ID:8tNL7VUWO
>383
複数の肩書きを持つ人物に対する調査を肩書き別に複数の調査機関に調べさせたら、それぞれ違う人物像の報告書が上がってくるかもね。
>>592 其れはチョン脳的思考!。事実、科学には恣意的大原則など無いよ。
>>616 いかないわけが無い
皇帝の命を受けた使者だぞ?
>>558 素直に資料が無いって書いてるのにねぇ・・・
崇神さんの前は開祖の神武天皇伝説くらいしかないってことだ。
623 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:44:55 ID:aW98dRpa0
>>563 だから、九州の東は大平洋だってば(笑)
地図見て見(笑)
624 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:45:22 ID:bkvR98x00
>>596 情けないけど、歴史の長さが違うんだからしょうがないな。
>>608 月読はアマテラスの兄弟だが、その御霊は長崎から京都へ分霊された。
627 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:46:44 ID:wO7n8hzw0
>>596 記紀と支那正史で見ているんだが・・・
第一当時は文字が日本に入っていなかった可能性が高いんだよ。
628 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 17:47:13 ID:e1QyLqYVQ
俺はキテレツ大百科で邪馬台国論争を初めて知ったんだ。
べんぞうさんは九州説を支持してたよね。
だから、俺も九州のどこかにあると思っていたんだが、今回の件で、畿内にあるって確信したわ。
>>594 其の中で和人にだけは人偏付けた倭人を使ってる。
630 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:47:41 ID:GVxy4blq0
>>609 伊勢の海の東のどこに陸地があるわけ?
渥美半島以東なら、わざわざ伊勢に回る必要はないんだけど。
それとも、伊勢に邪馬台国があったと?
それは全く話が違うことになるんだが。
「海を渡る」とある以上、地続きじゃなかったはず。
壱岐対馬辺りの記述と同様。
ちなみに、韓国沿岸の海を行ってる場合は、「水行して」とある。
いわゆる「水行陸行」問題もそれだろう。
631 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:47:56 ID:63yILkeR0
魏の人が畿内に辿り着く為のコースが出てない
奈良までどうやって行ったの?
634 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:48:54 ID:9DqS669z0
>>623 終戦後の話で申し訳ないが、
占領軍専用列車を走らせるとき、連合軍は大阪や九州方面の列車を「南行き」と称したそうな
日本人の感覚だと西行きだが、アメリカ人は南行き
民族によって方向感覚が違うのはあるかも
635 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:49:22 ID:bkvR98x00
さて 決定的な証拠を提出します。
九州には倭があった <確実
大和朝廷は 九州の隼人、熊襲を討った <確実
大和朝廷が倭だったとしたら 自分で自分を征伐したことになり矛盾する。
そして、大和朝廷は九州を辺境の地としてしか描いていない。
よって倭と大和は別の勢力であったと考えるほかはない。
>>606 吉野ヶ里では初期の前方後方墳が三基見つかってるんだよね。
前方後円墳じゃなく、前方後方墳でしかも規模も小さかったというのが、
当時のこの地域の格付けを物語っていると思う。
今城塚古墳見ると、天に何かを差し伸べている巫女の埴輪があって、兵士の埴輪もある。
これで、古代大王の軍隊には、巫女というかシャーマンが一緒に従軍していた事がわかる。
手に持って天に掲げていたのは恐らく銅鏡だろう。これで太陽に戦勝を祈っていた。
神功皇后の三韓征伐も、伝説では、九州の勢力を扇動した新羅の賊を討つため
仲哀天皇と下関・北九州へと動座したことになっている。王にシャーマンが同行
するのは今城塚古墳と同じだから、これは上記の古代大王の軍隊そのものだろう。
で、卑弥呼は?というと、役割が大体想像つく。大王は恐らく別にいる。台与も同じだろうな。
638 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/05/30(土) 17:49:56 ID:4Zv2BBIrP
箸墓古墳の埋葬者と言われている「ヤマト・トトヒ・モモソヒメ」は、4世紀中頃の人物。
卑弥呼は3世紀中頃の人物。しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。
3世紀中ごろ、皇室の先祖は九州にいた。ちなみに神武天皇は3世紀末頃の人物。
箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。年代の推定が古すぎる。学者は年代推定をやり直したほうが良い。
もしも箸墓古墳が卑弥呼の墓なら、邪馬台国と大和朝廷は無関係。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
639 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:50:18 ID:wO7n8hzw0
>>558 えーと・・・
どうでも良いことなんですが・・・
初期には支配権が確立していなかったからと考えれば何の問題もないんですが?
640 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:50:31 ID:63yILkeR0
邪馬台国はどこですか? は面白かったなあ。
642 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:51:43 ID:C090jr/yP
邪馬台国と大和朝廷は無関係だろ。
643 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:51:47 ID:bkvR98x00
>>633 各地から出土してるんじゃない?。確か金属分析遣って比較照合してる筈だ。
646 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:52:11 ID:3S3F3xCpO
奈良まで瀬戸内海を渡ったんじゃね?
卑弥呼って妖怪人間ベラかオノ・ヨーコか五輪真弓みたいなビジュアルでしか再現できない
648 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:52:17 ID:chX0+dHB0
>>611 倭姫命は斎王で、神権政治の古代に司祭をおこなうすごい人。
伊勢神宮をつくったり日本武尊に天叢雲剣を授けたり卑弥呼の風格十分w
女王国までの距離は最後にちゃんと書いてある。
>「帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里」
帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000)
末盧国→奴国 700里 (500+100+100)
すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。
対馬国→一支国が1000余里。
これが対馬と壱岐であるのはほぼ確定とすると
両者の距離は68km。これが1000余里ということになる。
他の距離なども考えるとかなり適当だが、実際より大きく勘定してるようだから
それより近いことはあっても、遠いことはないだろう。
奴国が福岡あたりだとすると、そこから車で1〜2時間くらいの
ところに邪馬台国はある。末盧国からなら2000里。唐津あたりから数時間。
方角は南だ。投馬国も邪馬台国も、はっきり南と書いている。さらに
>「女王国より北は道里や戸数を書けたが、それ以外の国は遠くてわからない」
ともある。つまりそれまで書いた国は邪馬台国より北ってことになる。
だが、1300里を水行陸行1ヶ月かかるのはおかしいという疑問も出てくる。
しかし1300里を30分で移動したなら、有り得ないと言えるが、1ヶ月かけて
移動した可能性は否定できないだろう。
距離は短くても、険しい山越えをしたかもしれないし
(末盧国の描写で、草が生い茂って、前を行く人の姿も見えないとある)
魏使が来たのは夏。台風で増水やガケ崩れなどで足止め、遠回りしたかもしれない。
だから時間がかかってるから遠くまで行ったなどとは断言できない。
それに、日数は郡からの全行程にかかった時間だという説だってある。
それまで日数は一切書いてないんだから、これが全体の日数というのも有り得る。
いずれにせよ途中から距離を書いてないのだから仕方ない。
そして「郡から女王国までは12000余里」とハッキリ書いてあるんだから、
むしろ日数を主張する人はこれをまるで書いてないかのように完全無視してる方がおかしい。
650 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:52:54 ID:63yILkeR0
>>643 調べさせるなら出すなよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
暇な時調べてやるからw
651 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:53:01 ID:GVxy4blq0
>>623 良く地図を見ろw
四国と本土があるぞw
で、本土の東にある陸地は?
652 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:53:10 ID:wO7n8hzw0
>>633 でた!
未だに三角縁神獣鏡を魏鏡と信じている奴が(笑笑笑)
>>638 いたかどうかもわからん伝承の人物に対して○世紀中ごろの人物とかアホか
654 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 17:53:27 ID:uSQC1/5D0
655 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:53:36 ID:aW98dRpa0
それなんだよねぇ・・・・。
魏志倭人伝によれば、日本列島に取り付いたまつろ国から邪馬台国だけを見ても、
まつろ国が福岡にあったと仮定すれば、邪馬台国は宮崎の都城付近だし、
ほぼ九州全土に影響力があることになる・・・・・・。
それぐらいの勢力の痕跡が、九州には無さ過ぎるんだ・・・・。
かといって、奈良だとするにも、位置はとちらかというと、奈良ってよりも和歌山の白浜周辺になる。
656 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:54:26 ID:xI/cE4KQO
>>630 琵琶湖だったとか?
いや素人の戯言なんだけどさ
瀬戸内海を渡るには瀬戸内海の制海権を確立しているか
もしくは瀬戸内海沿岸に割拠する勢力の全てと友好関係を結んでないと無理なんじゃないの?
まぁ、神武大和とは別勢力って可能性も高いんだよね・・・
659 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:55:47 ID:JTl9klU/0
九州説は素人だけに人気があるw
ま、無駄な足掻きだな。
>>649 ありうるとか否定できないとかかもしれないとか断言できないとか説だってあるとか・・・
ようはお前の思い込みだろ
他の九州説の人に失礼だぞ
司馬宙がビルドうpを始めました!
662 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:56:25 ID:p6SrAa6q0
福岡には松浦があるね。
ずっとその名前だね。
まつろ国の出所はわからないけど。
663 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:56:36 ID:wO7n8hzw0
>>638 いや別に、
箸墓が邪馬台国時代だと畿内が邪馬台国では無いという
決定的証拠になるんですが・・・
664 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:56:56 ID:8tNL7VUWO
>>558 倭国大乱の混乱で所在伝承が不明になったかもしれんよ。「欠史」なんだし。
665 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:57:02 ID:kEyc4kCR0
>>639 逆だと思うなぁ。
安定してたら「事件」が起こらない。だから伝説となる事績が殆ど無い。
世が下ると、人が入り乱れて、ものものしい騒動を起こそうとする者が出てくる。
それがまた伝説に加えられるってことじゃないのかな。
>>652 最新の成分分析だと中国製の銅を使った鏡もあるということだ
全部が国産であるとは言えないな
■ SPring8による泉屋博古館所有の鏡の分析結果(発表資料による)
鏡の材料に含まれる微量の銀とアンチモンの割合を分析した結果、
調査対象とした泉屋博古館収蔵の青銅鏡95面は下記の4グループに分けられたという。
戦国時代〜秦時代グループ(中国:紀元前3世紀)
前漢前期グループ(中国:紀元前2世紀)
前漢後期〜三国西晋時代グループ(中国:紀元前1世紀〜紀元3世紀)
古墳時代グループ(日本:紀元3世紀〜5世紀)
3のグループの三国西晋時代の神獣鏡は、同時期の他の鏡に比べ数値が集中しているが、
三角縁神獣鏡については、舶載(中国製)と考えられる6面は
すべて中国の三国西晋時代神獣鏡の狭い分布範囲に入り、
日本製と考えられる2面はいずれも古墳時代の日本製鏡の分布範囲に入った。
>>647 巫女の親玉だから、五輪真弓みたいだったかも知れない。ww
668 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:58:13 ID:aW98dRpa0
>>649 だからそれは違うって(笑)
末盧国→奴国へは、陸路を東に600里移動しなくちゃならない。
つまり、奴国が福岡と言うことは有り得ないよ、
前方後円墳ってチンコ意識した形なん?
670 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:58:34 ID:GVxy4blq0
機内説は、魏志倭人伝を徹底的に否定しないと成立しない。
別にそうしたければすればいいが、
だったら、卑弥呼とか邪馬台国という言葉を使うな。
671 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 17:59:15 ID:63yILkeR0
だから魏の人が畿内に辿り着く為のコースが出てない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
どうやって、奈良に行ったんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
672 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:00:03 ID:wO7n8hzw0
>>666 SPRING8の分析は徹底的に破産したよ。
673 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:00:38 ID:aW98dRpa0
始めて海を1000余里渡ると対馬国(つまこく)に至る(「始度一海千餘里、至對馬國」)
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る(「又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國」)
これで、一大国の位置関係は対馬の南ということから、
一大国があった場所は、福岡・佐賀の沖合いであったことが推測できるが、その後、
日本列島に取り付くまでは、
また海を1000余里渡ると末盧国(まつろこく)に至る(「又渡一海千餘里、至末盧國」)
で、方角が記されていない。
つまり、福岡・佐賀の沖合いの島まで来たからと言っても、福岡・佐賀周辺に上陸したとは限らないのだ。
GPSなんぞ無く、人間の感覚のみで距離を記述している時代、朝鮮半島から対馬、対馬から壱岐、と、
同じぐらいの距離を船で進んだと感じるほど船で移動していることを考えると、
海流に乗って山口、島根方面に移動したとも考えられ、その周辺で大きな国と言えば出雲・松江。
しかし、ここを末盧国(まつろこく)つまり、日本上陸点だとすると、その後
東南へ500里陸行すると伊都国(いとこく)に到着する(「東南陸行五百里、到伊都國」)
東南に100里進むと奴国(なこく)に至る(「東南至奴國百里」)
で、中国地方を横断し、その後、瀬戸内海に沿って
東へ100里行くと不弥国(ふみこく)に至る(「東行至不彌國百里」)
で神戸・大阪周辺に出て、
南へ水行20日で投馬国(とうまこく)に至る(「南至投馬國水行二十日」)
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国[2]に至る(「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」)
で、
邪馬台国は、紀伊半島の和歌山県熊野付近の山岳国家か・・・とも思われるが、最後の陸路1ヵ月の説明がつかない。
674 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:00:40 ID:0fqgHGIj0
まあ、箸墓が卑弥呼の墓ってのは、今回の話が無くても
ほぼ確定って言われていたからな。
これでまたひとつ証拠が増えたという程度で、大勢に影響があるわけでもない。
あとは九州説振りまく「素人」の悪あがき楽しむだけだな。
676 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:01:07 ID:chX0+dHB0
>>670 それ九州説だな。
遺跡がないから資料解釈でしか成立しない。
>>672 コピペでいいから反論張ってみてよ
それから、破産じゃなくて破綻だろ w
678 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:01:37 ID:+abfcFEW0
だいたい伝聞をまとめただけの魏志倭人伝なんか信用してものを考えるほうが異常
しかも中華思想のなかで中国人が書いたもの
ばかばかしい
679 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:01:47 ID:3S3F3xCpO
九州説は無理矢理九州に納めてるだけに気がしてならない
当時の民族は、僕たち農耕民族ではなく
水路中心の、海洋民族なんだよ
奈良まで、瀬戸内海を渡ったんだよ
九州なわけがない、九州説は無理矢理すぎる
680 :
名無しさん@九周年:2009/05/30(土) 18:02:15 ID:FifuNicx0
昔の古代史ブームとかで一般人が大量にあーでもないこーでもないと
やるもんだからメチャクチャだな。
先に邪馬台国の場所を決めて、史書を恣意的に解釈したり、
つまみ食いしたりしたのとか。おのれの思想・信条にあうように
やらかしたりして。。。個人的には専門家にまかせておく。
681 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:02:31 ID:7icvIwJNO
九州説なんて眉唾の怪しげなのばっかりだからな。
>>679 当時は九州なんてなかった
くらいの勢いだなw
683 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:02:49 ID:0fqgHGIj0
↓ 以下「九州説を力説する素人」の高説をお楽しみください。
684 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:02:52 ID:63yILkeR0
>>673 250年頃の航海術で出雲・松江まで行けるの???
>>670 なんで畿内説の人は倭人伝に固執するんだろうね。
大和朝廷が魏史倭人伝の邪馬台国なら
大威張りで日本書記にそう書いたろうに書かれていない。
つまりはそういう事なんだと思う。
686 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:03:27 ID:9L0zSQgP0
顔にも体にも入れ墨をしてよく潜水漁をする
巫女を中心としたシャーマニズム王権
これだけ見てものちの大和朝廷とは縁もゆかりもない異文化の国だとわかる
大和朝廷が邪馬台国を簒奪した側ですよ
687 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:03:34 ID:GVxy4blq0
>>676 文献では畿内説は無いってこと。
遺跡遺物だってあるだろ、絹、剣、鉄、鏡。
九州北部はそれらの宝庫。
689 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:05:02 ID:aW98dRpa0
また、福岡・佐賀の沖合いの島まで来て、そこから福岡・佐賀周辺に上陸したとすると、
福岡・佐賀の沖合いの島から福岡・佐賀周辺に上陸するまでを、
朝鮮半島から対馬、対馬から壱岐、と同じように、海を1000余里渡ると感じることは難しく、
そこを乗り越えたとしても、
東南へ500里陸行すると伊都国(いとこく)に到着する(「東南陸行五百里、到伊都國」)
東南に100里進むと奴国(なこく)に至る(「東南至奴國百里」)
で、北部九州を横断し、その後、
東へ100里行くと不弥国(ふみこく)に至る(「東行至不彌國百里」)
で大分県別府周辺に出て、そこから、豊後水道・日向灘と、
南へ水行20日で投馬国(とうまこく)に至る(「南至投馬國水行二十日」)
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国[2]に至る(「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」)
で、
邪馬台国は、九州南部の宮崎・鹿児島県境、都城付近・・・とも思われるが、これも、陸行1月の説明がつかない。
690 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:05:46 ID:IJ6jFzbn0
691 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:06:24 ID:GVxy4blq0
魏志倭人伝を信用できないだとか、方位が違うだとか、位置関係が全く現実と異なっているのも関わらず、
なんで、卑弥呼にこだわるんだろうね、>畿内説
そこにはそこで、別の王権があったってことで良いだろ?
あったに決まってるし。
頭が狂ってるのかね、あの連中。
ところでこの時代の「出雲」は皆さんどう考えているのれすか?
693 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:06:33 ID:wO7n8hzw0
>>678 お前ちゃんと読んでないジャン、
魏使が何度も邪馬台国に来ているんだよ。
同時代の外交文書と出張報告書に基づく史書をなんと心得るのか?
694 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:06:34 ID:BO41vmOQO
コーエー大正解
695 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:06:40 ID:ZXhn4bvW0
九州はあなどれない
細川などという得体の知れないのが総理に就いたり
そのまんまでさえ知事になれるんだからな
696 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:06:55 ID:chX0+dHB0
>>687 文献では九州説はないのでは?
水行10日陸行1ヶ月の解釈とか九州の中を迷路のように無理くり
船に乗ったり歩き回ってココとかw
そんな場所、伊都から素直に歩いたら10日もかからんだろ?みたいなw
698 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:07:06 ID:w2iiz5OE0
要するに沖縄じゃね?
邪馬台国が九州北部だとして、大和朝廷(の支配者層)が邪馬台国(の支配者層)とも
文化が違い過ぎるのなら、東征して大和朝廷を打ち立てた勢力は北部九州とも全く別の勢力だったんでしょうかね
>>694 無双の卑弥呼ちゃんが
関西弁話してる件か w
701 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:07:51 ID:uSQC1/5D0
>>684 古代は巨木が生えていたので巨艦を作れました。
遣唐使の時代になると巨木を切りつくしてしまい、しょぼい船しかつくれなくなり、命がけの航海になりました。
702 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:07:52 ID:+Sr6bsqtO
山の辺の道 ハイキングコース とても良いぞ
703 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:07:55 ID:3S3F3xCpO
>>685 天皇家にとって
隠さなければならないぎ不都合な事があったんだよ
天照大神(卑弥呼)が、天皇家と血脈が無かったという真相とか
魏志倭人伝が正確なら畿内でも九州でもないよ
705 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:08:09 ID:63yILkeR0
水銀が紐解く鍵だと思う
707 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:08:39 ID:GVxy4blq0
>>696 水行陸行は、韓国内の経路も入れれば成り立つんだけどね。
あれは総計だから。
708 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:08:40 ID:MPXXDeo5P
九州説の人は、口汚いレスや相手を嘲笑するレスが多いね。
倭人伝が信用できないなら
邪馬台国も卑弥呼も信用するなよ。
だから九州なわけないやん
トンデモすぎりだろ
711 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:09:26 ID:rjo07f1DO
無双の卑弥呼はねーわ
なんだあの関西のクソガキ
>>705 まして日本内の経由地なんていくらでもあるなw
713 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:09:37 ID:aW98dRpa0
つまり、邪馬台国がどこにあったのかの鍵は、
海を千里渡って対馬に来て、
そこから南にまた同じぐらい海を渡って福岡・佐賀の沖合いの島まで来て、
その福岡・佐賀の沖合いの島から、同じぐらい船を走らせて、日本列島のどこに上陸したのか
が重要になってくる。
その上陸地点からは少なくとも、東に移動できる陸地があり、
その東に移動した後の陸地からは、南に1ヵ月移動できる水面がなければならない。
715 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:10:01 ID:chX0+dHB0
>>707 だからそうやって資料解釈で無理くり九州に納めようとして
出来上がってるのが九州説なのよ。
>>705 瀬戸内海にせよ日本海にせよ
下船しなくても風待ち、潮待ちの船泊まりはしょっちゅうやるだろ
経由地が書いてないからといって
なんで無停泊で出雲まで行く必要があるんだ
だいいちそれだと次に邪馬台国にいくのにどこで下船するんだよ
717 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:11:48 ID:GVxy4blq0
>>715 いや資料を無理矢理いじってるのは畿内説だけど。
718 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:12:23 ID:wO7n8hzw0
>>713 周旋とあるから一つの島でなければならないね。
それと、魏使は邪馬台国まで恐らく船から下りてないよ。
719 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:12:33 ID:uSQC1/5D0
>>714 大きな船を作るには継ぎ目のない木が必要です。
720 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:12:38 ID:8tNL7VUWO
>>630 当時の伊勢湾は今の濃尾平野深くまであり海路で尾張に渡っていた。
関西から陸上で尾張に行くには美濃へ回って山道獣道を行かなくちゃならなかった。
海路ですぐ行けるなら「海の向こう」だろう。
今と違って地図で隣だからって地理的理由で交通が直行していない土地は隣にはならないよ。
地理的理由による飛び地がそこかしこにあったんだ。今も山奥の入会地なんか沢伝いに飛び地になっているのが地図ですぐにわかる。
国立歴史民俗博物館って弥生人のルーツが中国華中方面だとした所だよね?
あの時も少ない資料で断定したけど、新説飛ばすの好きだよな。
まあ邪馬台国は奈良付近だとは思うけどさ、箸墓が卑弥呼の墓だというのは
あまりに結論急ぎすぎじゃね?
九州説なんて京都大学内藤湖南に対抗して無理やりでっち上げた東京大学説+右翼思想
「学」説でも何でもない。
トンでも妄想の類だな。
邪馬台国がニュー速でこんなに白熱するネタだとは知らなかった
724 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:13:18 ID:chX0+dHB0
>>717 方角だけの話でしょ。
畿内説は遺跡が伴ってるから。
725 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:13:29 ID:w2iiz5OE0
そもそも日本の地形は太古の昔から今の形なの?
>>708 ぱっとしない地方だし、せめて古代は栄えていたと信じたいんだろうね
必死なんだろう
727 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:13:57 ID:gII2kpoh0
>>715 そうそう。
放射読みもそうだし、使者はイト国までしか行ってないというのもそうだし
ごくわずかな表記の違いを
筆者が意図して書き分けたかのように都合よく解釈してるだけ。
それとも、大昔に東征した勢力ってのが
1。九州南部に定着
2。後の邪馬台国とも繋がる北部九州にも縁が深い勢力に負ける
3。東に逃げた
つうことで近畿に新天地を求めて後に大和朝廷を開いたとか
大体民族移動なんて負けて逃げ出す以外に理由なんて考えられないし
730 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:15:04 ID:uSQC1/5D0
>>721 畿内の方が右翼だろ
なんせ万世一系の証明になるもんな
731 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:15:54 ID:63yILkeR0
でも、畿内説は奈良まで行ったんだよな?
732 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:16:00 ID:aW98dRpa0
>>718 それは無いんじゃないの。
末盧国(まつろこく)から不弥国(ふみこく)までは、陸行したと書かれているし・・・。
>>725 この時代は大まかな地形はほぼ現在と同じ
海岸線や一部湖沼などに違いはあるにしても推定可能な範囲
至ると到る?
>>723 この手の話題に食い付くのは真面目な人が多いから
相手の説をトンデモ扱いして煽れば
確実に盛り上がる。
ゲーム機のファン同士の戦いみたいなもんだ。
>>710 九州じゃないとしても、後のヤマトタケルの東遷はどう説明する?。
>>730 あらら、「神武東征」はどうなったのかなw
738 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:17:19 ID:CUTgtPPx0
道なんかない時代に陸を移動するのは大変だぞ。
一日10kmが限界ではないか?
邪馬台国が北九州に?間違ってもそれはないでしょ。
近すぎて候補にすらならない。
大体具体的場所の特定すら出来ないのにねw
倭國と大和は別種なり
741 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:18:00 ID:GVxy4blq0
>>720 「当時の伊勢湾は今の濃尾平野深くまであり海路で尾張に渡っていた。」
お前は、当時の別の資料を持ってるのか?
そもそも何で、邪馬台国から伊勢に来て海を渡らないといけないわけ?
そこに来るのにも山を越えるんだぞ。同じ事だろう。
伊勢神宮が弥生時代にあった証拠はないし。
742 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:18:03 ID:63yILkeR0
743 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:18:12 ID:32JY9beE0
>>730 なんで?
天皇家が弱体化した邪馬台国を乗っ取ったって事になるだけだろ。
744 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:18:18 ID:NlgqCEjqO
★4か
おまえら好きだなw
>>699 大和の始祖、神武天皇は九州から大和に侵攻して立てた王朝という伝説になってるな。
746 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:18:55 ID:AxAKcpuh0
>>737 それは大和でしょ
大和がなにしようが知らんわ
747 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:19:54 ID:3S3F3xCpO
たかが九州の地方のくせに
身の程を弁えろよ
748 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:20:12 ID:wO7n8hzw0
>>728 お前は現代の歴史家と下手したら文字通り首が飛ぶ当時の歴史家を同一視しているな。
>>746 大和が大和に東征したのかw
「知らんわ」って自己責任とか言いたいのかw
751 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:21:06 ID:GVxy4blq0
法隆寺にある仏像群も変なんだよねえ。
あまりにも大量過ぎる。
なんで一カ所にああも集めたのか。
どこからか、略奪してきて置いたんじゃないのかな。
かつてトウキョウのスイドウバシと呼ばれた土地からドーム状の広場が発掘され
これは偉大な人物の墓だったに違いないと30世紀に推定されます
うちの婆ちゃんも先祖はなかなか立派で、金持ちだったってよく言ってるよ
気持ちはわかるけど、
九州説の人ももうそろそろ、現実を見据えよう
動かぬ物証があるんだから
755 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:22:51 ID:3S3F3xCpO
>>750 例えば、自民党政権の日本を
民主党政権が乗っ取っても
国名は日本のままだろ
756 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:22:59 ID:63yILkeR0
いやいや、だから畿内説の人がMAPで魏の人が辿ったと思われるルートを出してくれるのが1番早いんだが・・・
九州説にいちゃもんつける前に・・・
資料通りだと邪馬台国は日本列島じゃないけどな
758 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:23:25 ID:yjkbPM+R0
エジプトなどの他国の古代の墓はあばけても、自国の墓はあばけないってか!!!
この間徳川の墓だってあけたのにな
これはムー的な陰謀を感じるぞwww(・ω・)
もし奈良県が箸墓のマスコットキャラを作ったらどうなってしまうんだろう。
760 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:24:23 ID:aW98dRpa0
つまり、邪馬台国がどこにあったのかの鍵は、
海を千里渡って対馬に来て、
そこから南にまた同じぐらい海を渡って福岡・佐賀の沖合いの島まで来て、
その福岡・佐賀の沖合いの島から、同じぐらい船を走らせて、日本列島のどこに上陸したのか
が重要になってくる。
その上陸地点からは少なくとも、東に200q近く移動できる陸地があり、
その東に移動した後の陸地からは、南に1ヵ月移動できる水面がなければならない。
資料通りだと日本列島じゃないの?
出発地点からの距離が明確にされてるって上の方のレスに出てたけど
まあ邪馬台国南極説ってのまであるらしいから
763 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:24:54 ID:LTYIGqLk0
おまえら日本人同士で争うのはやめろ!!!!!
764 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:24:57 ID:AxAKcpuh0
そういえば 同じ時代なのに倭と大和では船の建造技術が違うな。
大和はしょっっぼい船しか作れなかったのに、倭は5万人も送っている。
第一派:1万余人。船舶170余隻。指揮官は阿倍比羅夫。豊璋王を護送する先遣隊。661年5月出発。
第二派:2万7千人。軍主力。指揮官は毛野稚子、巨勢神前臣譯語、阿倍引田比羅夫。662年3月出発。
第三派:1万余人。指揮官は廬原君。
これも大和と倭が別の勢力の証拠だな。
765 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:25:33 ID:GVxy4blq0
>>760 あと、邪馬台国の東、海を壱岐対馬間ぐらい渡った所に、別の陸地がある、
というのも大事な条件だ。
766 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:25:41 ID:kEyc4kCR0
>>638 七支刀とか、広開土王碑文とか、どうでもいいって感じの認識ですね・・・
767 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:25:54 ID:BPDRVKC00
魏がちゃんと卑弥呼のいた所在地を
大まかにでも書物に記しといてくれてたら・・・(´・ω・`)
769 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:26:29 ID:aW98dRpa0
始めて海を1000余里渡ると対馬国(つまこく)に至る(「始度一海千餘里、至對馬國」)
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る(「又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國」)
これで、一大国の位置関係は対馬の南ということから、
一大国があった場所は、福岡・佐賀の沖合いであったことが推測できるが、その後、
日本列島に取り付くまでは、
また海を1000余里渡ると末盧国(まつろこく)に至る(「又渡一海千餘里、至末盧國」)
で、方角が記されていない。
つまり、福岡・佐賀の沖合いの島まで来たからと言っても、福岡・佐賀周辺に上陸したとは限らないのだ。
GPSなんぞ無く、人間の感覚のみで距離を記述している時代、朝鮮半島から対馬、対馬から壱岐、と、
同じぐらいの距離を船で進んだと感じるほど船で移動していることを考えると、
海流に乗って山口、島根方面に移動したとも考えられ、その周辺で大きな国と言えば出雲・松江。
しかし、ここを末盧国(まつろこく)つまり、日本上陸点だとすると、その後
東南へ500里陸行すると伊都国(いとこく)に到着する(「東南陸行五百里、到伊都國」)
東南に100里進むと奴国(なこく)に至る(「東南至奴國百里」)
で、中国地方を横断し、その後、瀬戸内海に沿って
東へ100里行くと不弥国(ふみこく)に至る(「東行至不彌國百里」)
で神戸・大阪周辺に出て、そこからまた船に乗って、
南へ水行20日で投馬国(とうまこく)に至る(「南至投馬國水行二十日」)
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国[2]に至る(「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」)
で、
邪馬台国は、紀伊半島の和歌山県熊野付近の山岳国家か・・・とも思われるが、最後の陸路1ヵ月の説明がつかない。
>>753 中央の奇妙な線の引かれた斎場の周囲にはイスに似た形状の祭具が固定されています。
その下から見つかった虎の絵が描かれた短い錫丈と袋状になった長細いゴムがどのように
使用されたのか現在は判っていません。
771 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:26:38 ID:3S3F3xCpO
つまりは、天皇家の祖・神武天皇と天照大神に血脈関係など無かったんだよ。
>>757 そもそも倭人伝の読み方だけで決着がつかなかったらから
今のように考古学や科学的分析を使った研究が主体になってきたんだよね
いろいろな小細工なしに素直に旅程を読み解くと九州南方の太平洋上のどっかになってしまって
しかもそこを陸行10日とかいうことになってしまう
倭人って北部九州や朝鮮半島南部に住んでいた人たちなんでしょ、確か
774 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:28:44 ID:GVxy4blq0
>>772 いや、陸行に朝鮮半島を入れればいいんだよ。
実際、そこから書いてるんだから。
中国から見た和国の所在だから、それが当然でもある。
それならたいした問題にならないよ、距離は。
775 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:28:55 ID:9L0zSQgP0
のちの倭国大乱で有力勢力が全滅したのが大きい
その大乱後に伸びた辺境勢力が大和朝廷と名乗った
776 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:29:00 ID:wO7n8hzw0
777 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:29:25 ID:BPDRVKC00
>>768 そだよね・・・(´・ω・`)
大陸の覇権争いで一杯で遠いちっさな島国のことなんざ
さして気にかけてるヒマもなかったろうしね<魏
>>753 コミケの最中に大地震が来て有明壊滅。
そのままほったらかされて30世紀に発掘されたら
考古学者はどういう説を立てるのやら
>>760 素朴な疑問なんだけとさ、
東西を見るときに日の出、日の入りの位置を以て
東西としたとすると
夏至と冬至では結構違ってくるよね?
当時の中国では方位磁石は標準装備?
まぁ九州説はもう無理だ
昔はともかく、これだけ確かな証拠が出てきた現在
無理すぎる
781 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:30:46 ID:63yILkeR0
瀬戸内海って渡るの大変じゃない?
今GoogleMAP見てるけど
>>778 ふつうに宗教儀礼の最中の被災だと考えると思う
それでもかなり当たってる
783 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:31:06 ID:p0GOjcaU0
朝鮮人は悔しがるかもしれないが、
朝鮮半島南部を日本人が支配していたのは紛れもない事実。
支那の歴史書にも広開土王の碑にも記録されている。
784 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:31:13 ID:p6SrAa6q0
1000なんて限番出てる時点で「ここは適当です」と解釈すべきだろう。
男女のひめこー!
>>771 人間と神に血脈関係などあるわけいだろw
787 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:32:11 ID:NvCeR6wT0
>>778 文字、写真、映像と3世紀とは情報量が桁違いだから問題ない
788 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:32:35 ID:AxAKcpuh0
倭 大和
気候 冬でも生野菜 冬は寒い
船の建造技術 高い しょぼい
位置 九州 畿内
朝貢、柵封 大好き あまり好きではない
界をしきいて対す 遺跡有り なし
宗教 シャーマニズム 神道
789 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:32:44 ID:3S3F3xCpO
>>781 そりぁ、大和民族(農耕民族)には無理だろうよ
けど、当時の倭人(海洋民族)には安易に出来るわな
>>647 いやいやわが国のロリコン指向は民族的にも優れて(?)いるわけで、案外志田未来とかフカキョン似かもよ。
あんな科学的知識のない時代から「妖怪人間」もないだろ。つーか、勘弁してくれよ。
791 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:33:02 ID:wO7n8hzw0
>>779 今が何月何日か判っていれば、太陽の位置から東西は判るが、
その前に、北極星があるぞ。
東西の位置より北緯が太陽の位置から判るんだよ。
>>780 九州説は終わってない、例え箸墓から金印が出ても
邪馬台国は九州だったと主張し続けるのが九州派。
あれこれ解釈するより魏志倭人伝の通りに日本列島動かした方がマシな気がするw
人間と神に血脈関係があるんなら、
人間が神なのか、
神が人間なのかどっちかだねえ。
人間は神でないから、
その「神」が人間なんだろうw
要するに偽神w
796 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:34:40 ID:8tNL7VUWO
>>764 恵美押勝は新羅遠征を企画し派遣寸前までいったが、しょぼい船で数万人を半島
に送り出すつもりだったのかね?
同時代に船を失った渤海の使者を日本海側から東北、北海道経由で沿海州に送り
返したが、その船もしょぼかったのか?
神は上だから偉い人のことじゃないの?
798 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:35:16 ID:kEyc4kCR0
>>788 >冬でも生野菜
コーヒー吹くところだったw
799 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:36:02 ID:63yILkeR0
東へ水行20日で投馬国(出雲国)に至る
東へ水行10日で丹後、南へ陸行一月で大和へ至る。
何の矛盾も無いよね。
801 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:36:46 ID:AxAKcpuh0
>>797 そんな甘いことこと言ってるから日本は第二次対戦で惨敗したんだよw
分かってるかいw
803 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:37:14 ID:p6SrAa6q0
征服した側が征服された方を祭るのはけっこうあるね。
ナポレオンが死んだとき遺体を追いやった側(王様以下)が盛大に迎えたしね。
菅原道真の例もあるし。
魏の使者って絶対に邪馬台国に行ってないよな。最初に到着した北九州と思しき
国については詳しく書かれているのに距離が離れるとともに記述が乏しくなっていく。
現地の豪族に接待受けて伝聞で聞いた話を持ち帰っただけだろ。
だから自分の直接見聞きした北九州の風俗しか知らないわけで邪馬台国もこんなんかなと
創造したんでしょう。畿内にあったら絶対行ってないね。
>>774 だからそれが小細工だと言ってるじゃないか。
この時代の距離の測定技術や地理感覚がそれほど正確だと思ってるのかい。
別に誇大に伝えようとか、いい加減に記述しようとか思わないでも
さまざまな要因で誤差がでてくることはむしろ避けようがない。
現に倭人伝では日本列島の位置を会稽郡南部の東冶の東にあると推測してるけど
これは実際の日本列島の位置よりもかなり南になってしまう。
倭人伝の記述だけでつじつまを合わせようとするとどうしても無理が出る。
数十年もの間不毛の論争を繰り返してきたから、学者のほうはもううんざりしてるんだよ。
807 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:39:07 ID:07OL7Iqu0
得体の知れない未開民の居る所に少数の兵士しか居ないのにいく勇気はないと思う。
伝聞の伝聞、又聞きの又聞きだから正確なわけが無い。
現地の豪族も自分に都合の悪い事は絶対言わないだろうし。
>>778 モエ神に祝福された免罪符であるドージンの書を求めて、全国のオタクの民が宗教のメッカであるアル=イアケへと
長い巡礼の旅を経て集まっていた。
彼らを一網打尽にすべく異教徒たちがモエ神を祀る神殿ビッグサイトをオタクの民ごと爆破したのであろう。
810 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:40:03 ID:hfiPUhaj0
後がない後がないって言われつつ粘ってきた九州説さんのことだから
また何かぶち上げてくれるはず
811 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:40:15 ID:8tNL7VUWO
>>741 「海の向こうの倭の別種」の話だろ?
なんで伊勢神宮が出てくるの?
812 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:41:10 ID:0nlgi0VV0
>>804 正解
出雲や吉備とか敵対勢力のど真ん中を突破なんてできない
813 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:41:15 ID:32JY9beE0
>>804 今それ書こうとしてたとこw
魏からの使者なのに、女王に拝謁したって記述もないしな。
学者の面子争いが入ってるからこの話終わらないんだよな-
815 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:41:47 ID:KSyoxeJG0
>>781 渡れるか否かより瀬戸内海通ったとしたら
あんな島だらけの航路について記述がないのはおかしいと思うんだけど?
816 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:42:27 ID:chX0+dHB0
畿内説はまず遺跡があって、これは何モノなのか?から始まってて
歴史資料を当てはめれば邪馬台国の遺跡だろうというわかりやすい理屈。
マキムクが邪馬台国でなくても、大規模遺跡がそこにあるから
「では何モノ?」という解明作業がまた始まるだけで特に困らない。
ところが「邪馬台国は畿内です」いっちゃうと困るのが九州の観光産業。
遺跡もないのにあーだこーだと必死の状態。
自治体の観光課なんてひどいもの。
学術よりも観光客誘致目的でねつ造のオンパレード。
いい加減にしろといいたい。
817 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:42:27 ID:aW98dRpa0
>>779 どうだろう・・・・。
船での航海では方位は舳先の向きで、舳先が常に南に向いているからと言って、実際に船が南に移動しているとは限らない。
だけど、当時の人は知る由もないから、それで辿りつく島や陸は、南にあると言うだろうね。
上陸して陸行する場合は、たぶん、案内人に、次ぎに行く都市はどっちの方向だと聞いて、それをそのまま方位として記述したか、
行き先をあっち・・・とか指させて、その方向を記述しているかのどちらかだろうと思う。
どちらにしても感覚的な判断で、東南とかはどうかと思うけど、おおまかな東西南北は、間違う可能性は少ない・・・つまり、
南だと思って北に行くとか、東だと思って西に行くとかは、ないと思うよ。
だから機内に邪馬台国があったということになると
使者をそこまで迎え入れるだけの広大な勢力範囲を持ってたってことなんだろ
819 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:42:48 ID:9L0zSQgP0
鬼道によって統治されていて、女王(巫女)は民に姿を見せない
お告げは王弟が民衆に知らせる
生きているうちは鬼道の力で諸国を含めてよく統治したが
死んだら諸国相争い騒乱となってしまったので
童女を巫女王に擁立したら争いが治まった
どうみても5世紀頃の日本(大和朝廷支配下)とはあまりにも
違いすぎる文化圏だと言うべきです。
おそらく大和朝廷に先行する卑弥呼型の諸国は、戦乱で衰退か
消失してしまったと見るのが自然
>>813 これは推測だが
たとえ使者が女王国まで行っていたとしても
卑弥呼は使者に直接会うことはなかったと思う。
ふだんから弟以外の男性をしりぞけてたからね。
>>816 なるほどなぁ
どっかの国と気質がちょっとにてるよなぁ
824 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:44:56 ID:63yILkeR0
825 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:45:26 ID:p6SrAa6q0
このスレ、ニュー速+でが珍しく「客観」が幅効かせてるのでなごむな。
うんうん^^
二代目スサノオは朝鮮半島から来たと記紀に書いてます。
827 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:45:44 ID:07OL7Iqu0
>>816 おお 邪馬台国の遺跡だと証明されているのか
すげー
どうみても大和朝廷の遺跡だぞ。
828 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:46:23 ID:3S3F3xCpO
ポマエラは農耕民族なんだろ?
僕は海洋民族だよ
じっちゃが、先住民の子孫だろうなって言ってた
農耕民族って侵略者でそ?東征してきた
>>824 それは黒潮に乗るルートだけど当時の航海術だと危険だろう。
遣唐使なんかもそのルートは使わないぞ
まー紙に書いてある事が少なすぎるんで
紙の内容だけでつじつまあわせると考古学で何か出る度に
ちゃぶ台がえしになって一生論争して遊べるってことだわ
831 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:46:39 ID:aW98dRpa0
瀬戸内海は通らない。
>>828 東征があったって証拠は特にないよ。
なんとなく雰囲気でそんな気がするって話なだけw
833 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:47:27 ID:63yILkeR0
>>827 大和朝廷の遺跡だったらカワイソスだな。
せっかく作ったのに、他の国の物にされるなんて・・・
834 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:47:45 ID:NBUQC8Qk0
いや、物証って。
ホケノ、マキムク、ハシハカ、いつもの空騒ぎやん。
食い倒れ人形で騒ぎ、カーネルサンダースで騒ぎ、マキフン公園で騒ぐ。
今回の件も、何一つ卑弥呼の遺物が出土したわけじゃない。
その時代の畿内地方の墓というだけ。
いや、決定したわけではないから、そうかもしれないというだけ・・・。
安本風に物証を引用すれば、
魏志倭人伝』には、倭人は、「鉄の鏃(やじり)」を使うと記されている。
「鉄の鏃」は、福岡県から398個出土している。
奈良県からは、わずか4個しか出土していない。
この事実を見れば、邪馬台国を奈良県にもっていくのを、だれだって躊躇しそうなものである。
鉄の鏃だけでなく、鉄刀、鉄剣、鉄矛、鉄戈、絹、鏡などでも、状況はみな同じなのである。
それでも、「邪馬台国畿内説」の大宣伝があいかわらず行われている ・・・こんな所か。
835 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:47:48 ID:chX0+dHB0
>>827 邪馬台国=ヤマト国な。
ヤマタイ国ってな読み方、本居宣長が仮に読んだものに過ぎん。
新井白石はヤマト国と読んでるな。
836 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:47:54 ID:wO7n8hzw0
>>792 それは近畿説だろ(笑笑笑)
黒塚からあれだけ大量に三角縁神獣鏡がでてもまだ魏鏡説を頑迷に主張しているんだからね(笑笑笑)
遣唐使の時代は瀬戸内海の安全が保証されてたんじゃないの?
>>824 ふつうに瀬戸内海でしょ
当時の準構造船で外洋はきつい
839 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:48:47 ID:8tNL7VUWO
>>801 いおはらの君は中大兄皇子の命を受けて駿河で船を作ったじゃないか。
平城京建設などで巨木は畿内から減ったが地方にはあろう。
>>827 じゃ、九州にはそれらしき遺跡はあるのかな?
841 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:49:17 ID:hHSofrZL0
>>788 お前、正月に七草粥を食わないの?近畿地方は冬でも野菜が採れるぞ。
>>761 魏志倭人伝には倭の地は会稽東冶の東にあると
書かれている。
陳寿の地理認識では台湾か沖縄あたりに倭国が
あったということになる。
843 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:49:49 ID:63yILkeR0
>>838 でも瀬戸内海だったら、島見えまくりだよ?????????
844 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:50:13 ID:07OL7Iqu0
倭 大和
気候 冬でも生野菜 冬は寒い
船の建造技術 高い しょぼい
位置 九州 畿内
朝貢、柵封 大好き あまり好きではない
界をしきいて対す 遺跡有り なし
宗教 シャーマニズム 神道
青銅器 銅鉾 銅鐸 <new
>>836 その(笑笑笑)ってのは頭悪そうに見えるからやめればいいのに
全部が魏の鏡だと主張してる畿内説の学者は一人もいないだろ
さっき小林とかの名前をあげてたようだけど
>>816 結論に後付けしていくのはどっちも一緒だなw
>>843 技術的に無理なもんは無理
ましてや重要な使節にわざわざ危険なルートを紹介する意味なんて無い
遭難したらどうするのよ
848 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:52:40 ID:07OL7Iqu0
そういえば 卑弥呼の墓の直径は百余歩とあるので
前方後円墳なわけない・・・・・
卑弥呼の墓は円形。
849 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:53:46 ID:63yILkeR0
>>847 でも、瀬戸内海も渦潮とかなかったっけ?
850 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:53:54 ID:aW98dRpa0
紀伊半島に邪馬台国があるとするならば、上陸地点の末盧国(まつろこく)は山陰地方で
そこから陸路を通って瀬戸内海側に抜けて、船で南下して紀伊半島西側を行くルート。
853 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:54:50 ID:TOApSpKN0
モモソ姫の墓だとすると、
崇神朝の四道将軍や武埴安彦がやはり実在した可能性が高まって、ワクワクするねぇ。
854 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 18:55:49 ID:07OL7Iqu0
855 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:55:57 ID:chX0+dHB0
>>846 先に遺跡があるのが畿内。
先に倭人伝があるのが九州。
先にというか九州には倭人伝しかないんだけど。
倭人伝を素直に読めば九州にもならんけどねw
857 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:56:00 ID:63yILkeR0
>>851 道がないし動物とかに襲われる危険もあるし
リスクマネージメント的に海路がガチだったんじゃないの?
現地人の誘導とかあれば陸路も可能だろうけど。
仮に卑弥呼じゃないにしてもこの時代のこれだけの規模の墓が無名の人間なわけがないんで
それはそれで誰かはっきりさせてほしいな
>>846 ほとんどの文献史学者、考古学者は史料や資料をみて畿内に邪馬台国があったんだろうと考える
それがヤマト政権とつながるかどうかは別問題だし
一方九州説はまず九州にあったという結論からスタートしてするとこの遺跡がそうに違いないとなる
860 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:56:36 ID:Ci9mKkbIO
邪馬台国って中国語読みしたらヤマトだよ
だからヤマト政権と同じだよ
861 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:56:41 ID:3S3F3xCpO
当時はまだ農耕天皇が日本を侵略しておらず
海洋先住民の国だったので船の技術は、もうトヨタ自動車並だった
862 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:56:52 ID:32JY9beE0
>>821 弟に会った記述もないんだよ。
というか「倭国とはこんな所です」って書であって、
「自分が倭国に行ってきました」とは書いてないんだよね。
863 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:56:52 ID:hHSofrZL0
>>848 箸墓の後円部の直径が百歩と一致している。前方部は祭祀場所と思われた。
864 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:57:27 ID:0nlgi0VV0
海上交通が発達してたのは日本海側。
しかし、越との関係が良好でないと畿内には入れない。 日本海ルートは無理。
前述した瀬戸内海ルートは敵対勢力のど真ん中なので「無理」。
太平洋ルートも豊後水道を突破し、かつ太平洋の荒波を超え、敵対国の狗奴を突破しなければならない。
これも無理。
結論:使者は畿内には来ていない
865 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:57:31 ID:8tNL7VUWO
>>848 「径」は原意は「こみち」後に「差し渡って(の長さ)」の意味が付加されたが、
図形における「直径」などのように円形に関わる使われかたをするようになった
のはいつからなの?
>>851 鉄道以前の移動は、「船>>>>>陸」が常識
ましてや、統一国家成立以前の、街道整備もできていない状態
船で移動できるところまで行って、そこから陸路っしょ
867 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:58:21 ID:MPXXDeo5P
>>845 >その(笑笑笑)ってのは頭悪そうに見えるからやめればいいのに
俺もさっきそう言ってやったけど、やめてないね。
本当に、頭が悪いんだと思うよ。
卑弥呼の弟こそ真の意味での王だったと思うね。政教分離で政治=弟、宗教=姉
だから卑弥呼の弟が日本書紀の言う○○天皇の可能性すらある。
869 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:58:24 ID:9L0zSQgP0
海路にしても上陸地が敵対勢力だったら一巻の終わりなので
親交ある豪族に案内してもらいながら、すべての周囲の豪族にあらかじめ
話をつけてもらう過程が必須。未開の国を移動するのは海路でも極めて困難。
870 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:59:10 ID:GI03sov9O
歴博と言えば古代米カレー
>>855 畿内に邪馬台国があったという結論かまずあって
該当しそうな遺蹟を邪馬台国呼ばわりしてる。
九州説の吉野ヶ里とかもそう。
どちらも結論が先にあるのさ。
>>862 倭王に封ずるという命を受けた使者が行ってないわけ無いだろ
当然のことをいちいち書くまでも無い事だから書いてないだけ
文字の無かった時代だしすべて口伝えで伝えられたものを
中国から文字が入ってきてはじめて記録したものなんだから
おかしな部分があっても何も不思議じゃない
おかしい部分があるからって全部嘘だと言うのもあれだが
全部信じるもの無理がある
文献はあまり当てにならない
875 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:59:47 ID:p6SrAa6q0
今なら言える!
宮内庁!掘らせろ!!
あと海路はかなり危険です。自然の驚異は今とは較べものにならない。
江戸時代まで航路は港伝いに一日移動するのが常態。(外洋航路はべつだけどね)
876 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 18:59:53 ID:dYzMh/620
畿内の古墳からは漢字が書かれた銅鏡が出土していて、卑弥呼が魏に使いを
送った年号が書かれてるし、当時の畿内には中国文化が流入していた証拠。
>>864 使者は畿内まで来れないから、行路について伝聞で
あれこれ書いたというのが一番正解だと思う。
878 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:02:35 ID:Vb+mDMHiO
このスレ、元教師の歴史オタクって多そう
879 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:03:15 ID:MPXXDeo5P
>>875 >今なら言える!
>宮内庁!掘らせろ!!
その通りだと思う。でも宮内庁の役人は言い出せないだろうな。
天皇陛下の英断を待ちたいね。
卑弥呼の弟=祟神天皇・・・・じゃあ無さそうだが。
本当に国を動かしていた実力者は弟でしょう。女王国と言っても象徴的存在に過ぎないとか。
ただ権威としては姉の方が上でしょうけど。
881 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:03:49 ID:Ci9mKkbIO
卑弥呼は女帝だろ。天皇が天皇と名乗る前の大王だろ。
倭国大乱で勝ち残ったヤマト政権の大王だろ。
882 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:03:50 ID:63yILkeR0
機内が目的地じゃなかったんじゃね?
884 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:04:35 ID:hHSofrZL0
>>864 丹後は卑弥呼・台与の実家で水行に何の問題もない。丹後から纏向までは陸行一月です。
885 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:05:03 ID:chX0+dHB0
>>871 九州説を唱えてる学者はもう今はいないのでは?
学術的には畿内説で固まってる状態になってるのに
九州の自治体などの役人が観光のために九州説を唱えるから
「畿内だよ」って話が再燃してるだけだろ。
886 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:05:10 ID:/+8mbV7IO
↓藤村新一が一言
>>881 ほら
妄想その2
「卑弥呼は過渡期の支配者だった」
1、稲作は農閑期の剰余労働を生みだし、高床式倉庫・竪穴式住居・環濠集落などの建設を可能にしたが、
余剰生産物の増大はさらに、専業の兵・職人・商人を養うことを可能にし、奴隷の所有を可能にした
→余剰生産力が国力を決定するのはこれが原因
→鉄器の国内生産がはじまり、流通も加速する
→高地性集落などの軍事拠点への兵の常駐
→奴隷による(あるいは稲作を奴隷に任せた結果生まれた剰余労働力による)、大規模な土木工事の開始
2、卑弥呼は邪馬台国(奈良盆地)のシャーマンにして、王だった
→当時の人々の最大の関心事は、稲作の生産に直結する、天候と川(氾濫・渇水)および水源の山だった
→初期の邪馬台国には、大規模な治水工事をするだけの大量の鉄器・渡来人技術者・工事用労働力はまだなく、
氾濫・渇水を防ぐために古来からの呪術的手段に頼っていた
→卑弥呼も本職は、奈良盆地の天候と川および水源の山を司るシャーマンだった
→その後、邪馬台国の支配拡大(鉄器と技術者、奴隷の供給)と奈良盆地の開発の進展(余剰生産物の増大)で、
大量の鉄器と技術者、兵・奴隷を所有することになり、卑弥呼も王としての性質を強めた
3、大量の鉄器と渡来人技術者、工事用労働力が確保できたため、大規模な治水工事がはじまった
→これらは治水の他、集落や道の整備…そして、墳墓の建設にも使用したと思う
→この結果、卑弥呼の墳墓は、それまでに前例のない巨大なものになった
→こうして、邪馬台国による土木建設は、独特の前方後円墳の建設を伴うという特性をもつに至った
→さて、大規模な治水工事は、それまでとは比較にならないほどに、稲作の生産力を増大させる
そして、その莫大な余剰生産が相応の剰余労働力を生みだし、さらに巨大な土木建設を可能にする
…というスパイラルが起きる(これが古墳時代の幕開け)
こうして、治水工事の効果を目の当たりにした邪馬台国の人々からは、シャーマン支配の文化は徐々に消えていくことになる
卑弥呼はそういう過渡期の支配者だったのだろう
888 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:05:44 ID:kEyc4kCR0
>>795 人間と血脈関係があるという認識の下で形成された神の概念と
人間と血縁関係がないという認識の下で形成された神の概念とは
根本的に違う構造をしていると考えると
前者の認識が当たり前の社会にあっては、後者の神概念が嘘に思え
後者の認識が当たり前の社会にあっては、前者の神概念が嘘に思える
のは当然と言える。認識が食い違っているからだ。
前者では神という存在はその延長線上に人があるものであって、
後者では神という存在は、人とは並列的に存在し続けるものとなるんだろう。
基本的に「神」というものは
長い年月をかけて、その共同体において形成された、世界観を構成する要素であり
また共同体ごとに違った認識(世界観また神概念)があって当たり前であるように感じる。
(そして、上記の前者後者を含めて、それらがただの空想であったり、人の勝手な思い込みであると論じてみても結局は
そうした現象を含めて当時の社会が成り立っていたのだと確認することにしかならないだろうと思う。)
889 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:05:52 ID:1hkWwskq0
考古学者が今なすべきことは出土土器の付属物を鑑定して土器の年代を詳しく決定することではない。
宮内庁を説得して、箸墓を学術的に発掘することである。
なぜ説得できないのか。
一つ、墳墓にふさわしい敬意をもって発掘することができない。神道の知識がない。
一つ、高松塚のように傷つけられてしまう恐れがある。本務さえまともにできない。
一つ、でたらめ言っても首にできない。でたらめがはびこってしまうことになる。
学術的発掘が最重要とは思うが、現状では宮内庁のほうに加担せざるをえない。
890 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:06:01 ID:63yILkeR0
そもそも、魏志倭人伝には邪馬台国着いたって書いてあるんでしょ?
コースまでわざわざ無駄に表記して
どちらかに固まるほど材料があるのだろうか
893 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 19:06:29 ID:07OL7Iqu0
>>885 そうやって勢力を誇るのが学問のやり方なのか?
「周辺の土器」じゃ埒があかないから空けて中調べろよ
大陸製の金属器がたくさん出てきたら畿内説確定でいいじゃん
弥生時代の鉄器は北部九州に圧倒的に多いのだが
古墳時代を前後して近畿に集中している
いつからか勢力の中心が北部九州から近畿に移転したらしいのだが
邪馬台国は微妙な時期にある
考古学的にどうみるかだね
神武東征もこの意味ではリアリティがある
>>882 北九州辺りをウロウロしてたんだろ。
そこで色々伝聞をまとめた。
早いとこ決めてやんなよ
卑弥呼弁当、卑弥呼まんじゅう
売出し今か今かと待ってる地元業者にも失礼だ
898 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:07:36 ID:XNZlDxBxO
キム・ヨナは卑弥呼の子孫だった。
899 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 19:07:53 ID:MQX7ga6H0
900 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:08:28 ID:chX0+dHB0
>>893 仕方がないじゃん。
九州説は資料解釈ばかりで「ここだ」という場所は多いけど
その「ここだ」という場所からも倭人伝に書かれてるような
大規模遺跡が出ない。
901 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 19:08:58 ID:aaFz9Osb0
902 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:09:15 ID:32JY9beE0
>>872 じゃ、なんで会った記述ないの?
弟にでも。
使節ならそれこそがメインに書くべき事なのに、
行くのに何日とか、余所の国の行政官が誰かとか、
生野菜食ってるとか、どうでも良い事ばっかり書いてるんだけど。
使節の記録というより、倭国の調査報告書って感じだし、
それは伝聞でも書けそうな物だろ。
903 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:09:44 ID:63yILkeR0
>>897 そら無理だ
古墳調べるまで畿内説・九州説は永遠に平行線だ。
決定的証拠がないなら、どちらの言い分も正しいことになる。
904 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:09:48 ID:3S3F3xCpO
で、今更、九州にこだわる九州論者の理由はなに?観光?
905 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:10:04 ID:K5wYBCJSO
>>880 モモソ姫は大物主に嫁いだとされている。巫女として神様につかえたという意味だろう。
モモソ姫が三輪山の巫女であり、大田田根子に大物主を祭らせた。
大物主の一族の大田田根子が義理の弟という位置付けになったのかも。
906 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:10:13 ID:/CZXrv4SO
この理屈って
俺の祖父は誰某と同じ日に死んでるから、俺はその子孫に違いないと言い張るのと同じじゃね?
俺、ジェームスディーンと同じ誕生日だし、もしかしたらジェームスディーン本人なのかも
みたいなもんだよな
907 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:10:15 ID:8tNL7VUWO
>>851 大街道を整備した奈良時代でも陸路の確保は大変だった。
秋田城は雄物川を渡った向こう岸の丘の上にあったが、連絡できるまともな陸路がなかった。
海路を使っていた。新潟あたりから秋田までは沿岸は湿地が多く歩ける場所は限られている上、山賊多発地帯。
海路の方が楽で安全。恵美押勝の時ようやく多賀城から山形経由の内陸の連絡路が作られた。
この連絡路も現地の蝦夷に気を遣ってたのでなかなか出来なかった。
>>895 どちらも邪馬台国だったって話かもね。
前期邪馬台国、後期邪馬台国。
909 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 19:11:17 ID:GIset7SB0
>>900 大規模遺跡があることが 邪馬台国が畿内でなかった証拠である。
卑弥呼の墓でさえ直径30mの円形
それよりもはるかにでかい前方後円墳がある大和は倭とは別の文明
ちなみに沖縄の墓は円形です。
910 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:11:25 ID:p6SrAa6q0
掘れないんだから話はここまで・・・
上陸地点の国から遠くなれば遠くなるほど記述があいまいになる。方向とか距離とかも
メチャクチャ。直接行ってたらこんな訳の分からない事にはなってないって。
現地の豪族も親邪馬台国派の連中だから
現地の豪族「金印は我々が送り届けますんで張政殿はこの吉野ヶ里でゆっくりしていってくださいよ」
張政「それもそうだなわざわざ危険を冒していく事もあるまい。言葉も通じないし文化も違う。君子あやうきに近づかずだな」
張政「この吉野ヶ里を何倍も大きくしたのがおそらく邪馬台国であろう。しっかり風俗を書き記さねば・・・・」
ま、こんな感じでしょう。
>>866 12,3世紀にロシア横切ってアナトリア高原まで侵入:略奪を働いたヴァイキングも平底の
船だった。
913 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:12:05 ID:chX0+dHB0
本家邪馬台国と元祖邪馬台国か
>>899 なんかwikipediaみたら
百歩=30mという表現があったけど
魏尺だと思うんで6尺=1歩で
1歩=1.44m それを100倍すると144m
箸墓の後円部の直径が150m
918 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:13:17 ID:xjpGXN1tO
卑弥呼の死亡時期なんで確定できんの
919 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:13:22 ID:0nlgi0VV0
>>884 丹後からの陸路は問題が少なそうだけど
出雲・吉備2勢力のまん前突っ切るってのも無理があるなぁ。
920 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:13:31 ID:p0GOjcaU0
>>861 おまえって、稲作は中国南部から日本に直接伝わって、それから朝鮮半島に伝わったと言うことが
稲のDNAの分析から明らかになったことを知っている?
921 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 19:13:39 ID:yX6ygbgJ0
九州 倭 生粋の日本土着文明
畿内 大和 半島人との混血文明 <掘り返されるとまずいので調査禁止
922 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:13:53 ID:xFI29oG80
923 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:14:59 ID:c+nW2uPQ0
山口県も最近は有望
925 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:15:25 ID:RRsBQl1h0
キーワード:ゴッドハンド
抽出レス数:2
926 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:15:31 ID:9L0zSQgP0
鬼道とはどんなものかちょっと考えてみよう。
おなじシャーマニズムでも黒龍江省の先住民とかシベリア南部だと
大体において男が神秘体験を経て霊力を授かり、シャーマンとなる
しかしシャーマンは族長ではなく、むしろ預言者とか巫医の位置づけで実権はない
これに対して中国南部沿岸や台湾だと、タンキー(童乱)といって
年端もいかない男児や女児が、天性のまたは訓練による霊力を発揮して
お告げをするがこれも霊能力者という粋を出ない
しかし沖縄ではごく一部だが、女性が精神錯乱的な段階を経て「神に選ばれ」(カミダーリー)
巫女となり、地域の精神文化を大きく主導するという伝統がある
邪馬台国(卑弥呼)の鬼道は、現在のアジア文化から見てもきわめて珍しい
女性シャーマンによる政治王権で非常に興味深いものだ。もちろん大和朝廷の宗教文化との連続性は無いと思われる。
>>918 確定というより
魏志と晋書という二つの歴史書に
卑弥呼の死について書いてあって
150年前後だと推定できるということ
929 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:15:39 ID:p0GOjcaU0
>>917 邪馬台国は大和朝廷だろ。
支那の歴史書に、大和朝廷というのは昔の邪馬台国だよ、と書かれているよ。
930 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:16:07 ID:63yILkeR0
邪馬台国=大和国
じゃあ、卑弥呼は大和王朝の長なの?
それはないと言われる。
無理矢理こじつけるから、こうなる。
931 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:16:17 ID:CEpY5XII0
西暦200年〜300年初頭(倭国大乱期)に天皇なんていません。。
勝手に歴史作るな
932 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:16:46 ID:A95yYyUU0
>>909 では、あれだけ国の名前が列挙されてる倭人伝に
その邪馬台国より遥かに規模がでかい畿内のことが書かれてないのはなぜ?
大和朝廷は倭人の国ではないと?w
>>882 吉野ヶ里遺跡にでも居たんじゃない?ずっと滞在して卑弥呼らの返事を待って
魏に帰ったと。
バイキング船は竜骨があり、細長い板を重ねて船体を形作った、舵が側面にある、四角帆と櫂で進む数十人乗りの船だよ
平底じゃない
935 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:17:21 ID:Qqo7vei/0
東日流外三郡誌をよめ
邪馬台国の在処が書いてある
>>929 別種
民族は同じでも国は違うということ
卑弥呼は日の巫女
つまり天照の巫女
1800年続く世界最長の大和王朝は彼女というカリスマで大きくなったとも言われてる
938 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:17:30 ID:p6SrAa6q0
>丹後からの陸路は問題が少なそうだけど
>出雲・吉備2勢力のまん前突っ切るってのも無理があるなぁ。
抗争してるのは倭国内であって倭国の宗主国である中国の使者はフリーで通れないなこともないだろ。
万一手に掛けたら、鏡とか剣とか権威の象徴くれなくなるし。
939 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/30(土) 19:17:46 ID:Jr9FOWlE0
>>918 その8年、太守王キ官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹エン史張政等を遣わし、因って詔書・黄幢をもたらし、難升米に拝仮せしめ、檄をつくりてこれを告喩す。
卑弥呼以て死す。(※)
※えーと 説得してたら次のシーンで、いきなり卑弥呼死にました
まあ暗殺ね
940 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:18:08 ID:3S3F3xCpO
神武天皇は東征してきた異民族だろ
941 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:18:12 ID:jzRXBZUAO
邪馬台=やまと の当て字だから
942 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:18:17 ID:63yILkeR0
>>919 吉備や出雲を敵対勢力と見る必要はないのでは
現に投馬国に関する記述があるんだから
むしろこれらの地域も含めた連合国家というのが
一般的な邪馬台国の認識なのでは
944 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:18:43 ID:8CuWuq3BO
九州だろうな
945 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:19:14 ID:wO7n8hzw0
>>877 確かに畿内にはこれないだろうな(笑笑笑)
遣塞曹掾史張政等因齎勅書黄幢拜仮難升米為檄告諭之
死んだときどうして墓の形状まで判ったんだろうね(^o^)
946 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:19:19 ID:s7VCXjNB0
いまどき近畿説って言って恥ずかしくないの?
948 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:19:42 ID:22+Zh6yC0
>>868 日本のお家芸ともいえる支配体系だねw
権威(宗教)と権力(政治)の分離。
奈良=大和
出雲=渡来人
九州=邪馬台国
おまいらに質問だが、
卑弥呼って誰なんだ?
エロい人教えてください
951 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:20:10 ID:mcvTzYimO
九州論派が躍起になってるから伸びてるのかw
だったら文献以外の科学的な
検査ができる資料用意しろよwww
>>921 大和から見たら、半島なんて九州以下の雑魚の田舎。
953 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:20:27 ID:63yILkeR0
>>941 それ、俺がずいぶん前に言って総叩き食らったよw
仮に日本人がやまとこくと発音したとして
中国人が当て字で書いたとしても中国の読み方では邪馬台国にはならないそうな。
>>934 平底といったのは別に風呂桶状を言ったのじゃない。竜骨に取り付けた横げたを長めにして
横平の意味。
955 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:21:54 ID:8CuWuq3BO
957 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:22:00 ID:Dlk/PqJ/0
>>943 出雲が敵対勢力なら出雲に日本最大の神社がある理由がわからないよな
958 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:22:14 ID:wO7n8hzw0
>>902 イヨに会った記述が有るよ。
恐らく到着前後に卑彌呼が死んだんだよ。
だから「以死」以後の文が有るでしょ。
邪馬台国に行く途中で魏の使者が山賊に襲われて殺されたとかなったら大問題。
直接行くのは使者も見ず知らずの土地で怖いだろう・・・・
匈奴みたいな部族が居るかもしれないと警戒するのは当たり前で。
自分がこの立場だったら行けないね。当時は車とか電車とか合ったわけじゃないんだし
長距離を徒歩で移動するのは大変危険。
宇佐神宮だろうな
961 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:22:29 ID:A95yYyUU0
>>953 隋書にはヤマトは魏書の言う邪馬台なりと書いてある。
叩く方がおかしいんだよw
962 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:22:29 ID:kEyc4kCR0
963 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:22:45 ID:63yILkeR0
天皇陛下もこれくらいの仕事はしていいんじゃないの???????????????
古墳発掘許可ぐらいくれよ・・・
奈良=大和
出雲=渡来人
九州=邪馬台国
大和は渡来人と混ざって謎の古事記完成
邪馬台国は大和に滅ぼされたので卑弥呼は古事記に登場しない
奈良はいっぱい古墳あるからいいだろ
少しぐらい九州に分けてやれよ、大人気ないな
966 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:23:26 ID:3S3F3xCpO
海洋民族であるアマテラス卑弥呼は
農耕天皇にレイプされたでokだと思う
>>957 敵対というか、奈良もふくむ瀬戸内海沿岸諸国とは、ちょっと違う立ち位置にいたんじゃないかな?
日本海ルートの雄って感じに
968 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:23:49 ID:22+Zh6yC0
遠く離れた国に使者としてきたのが、職務に真面目な役人とは限らないだろうよ・
倭人伝が怪しくなるのは
九州上陸後、邪馬台国へ至る行程の部分
ここからは、どうも伝聞で書いた節があるって話もあるんだろ
>>965 バームクーヘンを切り分けてるんじゃないから
>>939 暗殺かどうかはわからん
卑弥呼が既に死んでいたという記述にすぎない
>>953 多分同じ事を大多数の人が考えているw
叩いているのは必死な九州説w
973 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:25:30 ID:kEyc4kCR0
>>966 発想が下品だなぁ・・・
>>965 九州は古い神社のお家が結構にあったと思うんだけど。
それこそ皇室並みに古いところ。
ヤマトトトヒモモソヒメ
トが3つも重なる(・∀・)
ちなみに中調べても何も出てこないんじゃないかな
戦後すぐくらいまでは前方と後円の間に野良道があったらしいし。
盗掘の限りを尽くされてるよ、箸墓。
975 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:25:43 ID:63yILkeR0
>>958 イヨに会ったのかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そんな大切なことは早く言えw
976 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:25:49 ID:mX1JnGt90
みんな邪馬台国が大好きっ子なんですね
卑弥呼って役職名だろ?
何人か卑弥呼はいたんじゃないの?
978 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:26:14 ID:/CZXrv4SO
もしかして…
邪馬台国は韓国が起源じゃないか…?
979 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:26:38 ID:Ci9mKkbIO
朝鮮に神社なんかねーだろうがよ
>>957 日本書紀か、古事記かで
出雲が降服して出雲大社をたてたということになってる
>>966 むしろ反対だ。
農耕天皇の卑弥呼が海洋民族のたくましい隼人に…
982 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:27:14 ID:wO7n8hzw0
>>964 出雲は渡来人じゃない。黒潮、対馬海流に載って辿り着いた漂着民。南方要素が大きい。
984 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:27:33 ID:9L0zSQgP0
鬼道によって代々にわたり血縁にあまり関係なく巫女王を擁立している国と
直系男子一系で後継者を厳格に決める国とが同じであるはずもなく、
その2つが時期的に100年ちょっとしかずれていないのであれば尚更
別の国だと考えるのが自然。
985 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:27:58 ID:63yILkeR0
>>974 盗掘の限りを尽くされたとしても
盗品として価値のある物と歴史的調査として価値があるものは違うかもしれない。
986 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:28:10 ID:dUUO/ZnoO
>>953 参考までに呉音が多く残る現代上海語だと
邪馬台はヤムデイとなる
カタカナ表記自体ちょっと無理があるのは承知してくれ
ちなみに上海語だと「人」の発音はニンだ
北京語のレンとは全然違う
台湾と書いたらデイウェンと読む
987 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:28:40 ID:8tNL7VUWO
>>931 「天皇」号はシナ皇帝の配下ではないと示すものだから、卑弥呼の時代に「天皇」号が無くてもかまわない。
ただね、「天皇」号以前からシナ皇帝の配下の意識は無かったみたいだ。鉄剣の「治天下」とか天子が使う言葉を使っている。
日本書紀が漢風称号を「天皇」号で統一した理由もそこにあるかもしれない。
随書倭国伝
倭国は、百済や新羅の東南に在り、水陸を越えること三千里、大海中の山島に依って居する。
三国魏の時代、通訳を伴って中国と通じたのは三十余国。皆が王を自称した。
東夷の人は里数(距離)を知らない、ただ日を以って計っている。
その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。
その地形は東高西低。都は邪靡堆(ヤマト)、魏志の説に則れば、邪馬臺(ヤマタイ)というなり。
古伝承では楽浪郡の境および帯方郡から一万二千里、会稽の東に在り、?耳と相似するという。
>>968 鶏事件の朝鮮通信氏の事か〜!!
まあそれはともかく吉野ヶ里遺跡とかでのんびり接待漬けになってたと予想する。
990 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:29:32 ID:kEyc4kCR0
>>984 でも書紀を書いてた人は、わざわざ神功紀に「倭の女王」の記事を採録させてる
なぞやなぞ。
>>972 邪馬台国が大和なら大和朝廷は九州から遷都しただけって話になるだけだから
あまり大した意味はない。
992 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:29:56 ID:wO7n8hzw0
>>975 近畿説の奴らってまともに文献に当たってないんだよなー。
全部簡単に論破できる(^o^)
993 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:30:09 ID:dxrJElSyO
>>974 明日のダービー
6枠ウンウン
7枠トトト
8枠アンアンアン
7枠から行かせてもらうわ
994 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:30:18 ID:63yILkeR0
でも、やまとこくの発音を邪馬台国って当て字にして書くって
現代の価値感じゃね?
995 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:30:20 ID:aFQ25tdwO
他国の書物と後世の歴史書で国の成り立ちを研究するとかわけわからん
遺跡があるならあけろよ。宮内庁意味分からん
ちなみにこの頃ローマは軍人皇帝時代ですた
ローマも野蛮だけど後のキリスト教の時代と比べると文明国だなあと思う
999 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:32:31 ID:FUDZ5erl0
俺の先祖もその時期になくなっているんだが、
どうして俺に取材が来ないのかな。
1000 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 19:32:41 ID:63yILkeR0
イヨに会ったということは瀬戸内海突っ切った
1001 :
1001:
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