>>737 >日本軍は中国軍はド弱いと思っているので、
>陥落など簡単だと思っていたと思うよ。
これが上海戦でずいぶん苦戦したんだよ。
そしておまけに、便衣兵にも泣かされたんだよ。
本当に弱い相手なら、無理して大虐殺なんかしないよ。かえって怖がった証拠
今殺しとかんと、後が大変だという奴。
でも殺したことで中国兵が降伏しなくなったんじゃないかな。
>敵前上陸...
>名古屋第三師団2万人の内半分の1万人は中国軍の機関銃陣地が
>抜けずに海岸で全滅してしまいました。
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02u8.htm
>>747 >漏れの祖父は戦時中、教師として台湾にいたんだ。嘘は言わない人だ。
嘘は言わなくても、南京に行ったタイミングがある。
オームによるサリン事件にしても、タイミングが合えばエライ目に会うが
会わなければ何も、目撃もしないし形跡さえもない。
目撃者としての資格の問題だ。
もちろん中国軍も虐殺してるよ。
でもスケールが全然、桁が違う!
>748
>「誰も(委員会もプレスも)認識し得なかった分の人達が誰も認識し得ないように
>虐殺され、誰も認識し得ないように埋葬した」という論理か?
当然そうだよ。
南京陥落時は、誰も総人口を調査できないし、噂とヤマカンの世界なんだよ。
100万人いた調査から、良民票16万人分発行の間は、マトモな調査は
無かったわけだ。
上海から撤退して逃げてきたのも居るだろうし、郊外の農民も避難して入るだろ
うし南京から逃げ出すのも居るだろうし、日本軍のビラを信じてじっとしてる市民
もいる。
誰にも大混乱の時の人口はわからん!虐殺した人数もアヤフヤだ。
しかし慈善団体の埋葬記録は残っている。これは強いよ!!!
>日本軍自身が処理した遺体以外に、南京の民間慈善団体や福祉団体が処理した
>遺体は、約18万5千体である。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/lin5.html
>>749 >ラーベは「廃墟にいたのは5万」と書いてるが、貴方は10万20万と思ってるわけだ
調査をたとえ、したって事実とは違ってんだよ、
調査もしないで噂とヤマカンの大混乱の時代に、そんな数字を当てにして
論理を組み立てるのが、間違ってる!
今の中国は1人子供政策のおかげで、ずいぶんゴマカシもあると聞く。
人口だって当てにならんよ。
でも最低限、調査をやったらしい数字で、論理を組み立てないと砂上の楼閣
今の中国も高級官僚はえばってる様だね。
”無理が通れば、道理が引っ込む”
>通常、車の事故であれば、追突した方が悪いのではと思うので、中国人ガイド
>に聞いてみた。彼に言わせると、ボルボ車を運転していた若い男はおそらく
>高級官僚の息子で、タクシーの運転手も警官も後難を恐れて
http://homepage2.nifty.com/keiseisya/sub21.htm 南京事件の頃は、軍隊が万能だったのに、憲兵があまりにも弱い。
中島師団長が憲兵のトップ経験者では、憲兵もやりにくかったろうね。
雲の上の人が、相手ではな!!!!!
スレ立て乙ー>恵也 dionはスレ立てやすいのかなぁ。儂では全然立てられなかったよ。スレ立てられる 串とか知らんしな。
というわけで、前スレへのレスです。>計算機さん
-----------------------------
>>748 > (これ原文(英語?)ないの?)
どこかにあるのでしょうが、私は知りません。
> これは、「陥落当時の南京市の人口は20万〜25万であった。我々の抽出調査の結果を
> 50倍すれば22万1150となるが、これは住民総数の80〜90%だろう(つまり実人口は
> 24万5722〜276436)し、調査漏れもあった」ということだろ?
> 「突っ込むんだったら第1票の注を見ろ」って書いてるわけだから、それと矛盾する
> ことを書くわけないだろ?
別に矛盾しません。あなたが省略した「当時」というのが調査時点なのかそれとも陥
落時を指すのかはっきりしませんが、その「第1票の注」には三月下旬人口としての25万
から27万が書いてありますから、これが「実人口は24万5722〜276436」に一致するわけで、
スマイスが記した20〜25万には一致しません。故に「当時」とは調査時のことを指すと見
るのが妥当です。
それでも、20〜25万が陥落時人口として使えると仰るなら、それがどうして正しい概略
値として使えるのか、論拠を示してください。私は徹底的に使えないと云うことを示しま
した。
> 「誰も(委員会もプレスも)認識し得なかった分の人達が誰も認識し得ないように
> 虐殺され、誰も認識し得ないように埋葬した」という論理か?
それはベイツが東京裁判で言っているのです。(次レス)
東京裁判 ベイツ証言 ○ベーツ証人 (略) 日本軍入城後何日もの間、私の家の近所の路で、射殺された民間人の屍体がごろごろして居りまし た。此の虐殺行為の及ぶ全範囲と云ふものは非常に広いのでありまして、全体のところを申上げる ことの出来る人は一人も居りませぬ。我々は安全地帯及び其の附近の地方に付て出来るだけ調査し たのであります。「スミス」教授及び私は、色々な調査・観察の結果、我々が確かに知って居る範 囲内で、城内で一万二千人の男女及び子供が殺されたことを結論と致します。 (林モニター 男女及び子供を含む非戦闘員) 其の他市内で多数殺された者がありますが、我々は其の数を調査することは出来ませぬ。又、市外 でも殺された者が相当居ります。今まで申したことは、中国の兵隊であり或は曾て中国の兵隊であ ったことのある何万人の男の虐殺を全然含まないものであります。 ○サトン検察官 前の兵隊又は兵隊であった者が殺された、どう云う状態で殺されましたか。 ○ベーツ証人 中国兵隊の大きな一群は城外の直ぐ外で降伏し、武装を解除され七十二時間後、機銃 掃射に依って射殺されたのであります。是は揚子江の畔であります。国際委員会は三万人の兵士の 亡骸を葬る為め労働者を雇ったのであります。是は我々の労働救済対策として行ったのであります。 揚子江に葬られた屍体及び他の方法に依って葬られた屍体の数は数へることが出来ませぬ。 (林モニター 埋められた屍体) 『日中戦争史資料集8』 P49 東京裁判 マギー証言 ○マギー証人 (小野寺モニター 一寸訂正致します。我々委員会で推定した所では、安全地帯に入ったのは少くとも 二十万は入ったと思ふ。其の外に安全地帯に来なかった者がどの位あったかは到底推定出来ないと思 ふ。けれども 三十万は最低の見境りであらうと思ふ。兎に角城外に居った者、市外に居った者がど の位居ったかと云ふことは到底推定出来兼ねる)
>>749 > > 一月中旬以降の大雑把な数としては、そう見る他ないとは思います。
> ということは(少なくとも城内の)虐殺は1月中旬以降は起こってないというわけだね。
断定は出来ませんが、数の上からは少ないのではないかとは思っています。
> > 例えば夏淑琴事件の夏淑琴は〜残っていた食料を少しずつ食べて生き延びた〜
> 12/13から01/14まで残っていた食料で生き延びたということか?ラーベは「廃墟にいた
> のは5万」と書いてるが、貴方は10万20万と思ってるわけだろ?違うの?
いいえ、繰り返しますが実数は不明です。もちろん50万や100万というとてつもない
数を言うつもりはありませんが。なお、全部が全部1/14まで生き延びたと言うことではなく、
最終的に安全区に推計で25万集まった、ということです。また、全員生き延びたのではな
く、死亡した人がいる可能性もある、と言っています。
> それなら「日本軍は残虐だ」というのも彼の思いこみだろう。
「ある面で」と私は言いました。残虐を示す記録は何もラーベだけではありませんので、
ラーベ一人を否定しても仕方ありません。
>>749 > 可能性は0にも100にもならない。だから「可能性は常にある」。その可能性の蓋然性、
> 妥当性、論理があるかどうかが問題。
そのとおりです。しかし、その検証をしないまま、安易にスマイス調査にあるからといって
その人口数を使うことは無茶でしかありません。最低でも、それならそれでマギー証言を根拠を
ちゃんと示して否定する必要があります。
> 「その統計値は間違ってる可能性があるから信用できない」と言ってるだけで、正かるべき
>人口や間違いの原因(証拠)をあげていない。
事実に反します。私はその原因となり得るものを上げています。
>「市長の【20万】という発表が頭に残ってるだけ」という論拠もない。
示しています。馬市長が難民数を示した後たった三日後に既にラーベは「20万」という数を
言い始め、その11/25の日記に3回も20万という数字が記載されています。それ以降一月中旬以
降になるまでこれは変化していません。
> 逆に言えば、人口がある程度正確なら10万人単位の虐殺など無かったという論を否定していない。
その程度の正確なものはないので、否定できません。
>>8 >dionはスレ立てやすいのかなぁ。儂では全然立てられなかったよ。
>スレ立てられる串とか知らんしな。
いや、昨日は3回ほどしたが出来なかったよ。
掲示板に戻って、一番下の新規スレッド作成に入って今日は2回ほどしたら
作れたよ。
14 :
計算機 :03/06/06 12:31 ID:mgVycAyx
15 :
計算機 :03/06/06 12:32 ID:mgVycAyx
>>5-6 悪いがレスはパスさせてもらう。
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/crime%[email protected] 右上の写真のキャプションは
"A grotesque exhibitio of chinese skulls, placed by playful Japanese soldiers at Nanking."
「南京でのふざけた日本兵による中国人の頭蓋骨のグロテスクな展示」
左下は
"Last rites at Nanking for a heap of charred bones which once were Japanese soldiers."
「南京での火葬された日本兵の骨の山の最後の儀式」
ぶっちゃけ、葬式ということね。確かに僧侶らしき人もいる。
右下は
"The remains of a none too well executed funeral pyre of Chinese."
「焼かれすぎて何も残っていない中国人」
日本兵(左下)と同様に中国人(右上、右下)もわざわざ火葬したということか?
「ふざけてる」か「グロテスク」かどうかは別としてわざわざ焼いてるということだよね。
16 :
計算機 :03/06/06 12:32 ID:mgVycAyx
>>7 否定するなら自分で証拠を出さなきゃ。「13年6月以前に立折襟の制服があったことを示す
写真はこれだ!」とかね。それに、写真を何枚も貼ってるが、どの写真で何が言いたいのか
分からんから吟味のしようがない。根拠がマダマダ不十分、親切味が無いよ。
17 :
計算機 :03/06/06 12:33 ID:mgVycAyx
>>9 なるほど、第1表が示すのは調査をした3月下旬当時の値だというわけだね。つまり、
3月下旬の南京市の人口は25万〜27万と言うことだね。となると、1月中旬(01/17?)以降
城内の人口は24万〜27万ということだね?(第1表から再計算: 23万6222〜26万5750)
(「24万〜27万」はメンドウだから以降は便宜的に25万でいいかな?)
>>11 >いいえ、繰り返しますが実数は不明です。〜死亡した人がいる可能性もある、と言っています。
貴方の「南京大虐殺」はどの程度の数を想定してるの?数万程度なら俺は否定しないし、
むしろ意見の一致を見ていると思うよ。
>>12 >> 「その統計値は間違ってる可能性があるから信用できない」と言ってるだけで、正かるべき
>>人口や間違いの原因(証拠)をあげていない。
> 事実に反します。私はその原因となり得るものを上げています。
ラーベその他の人口に関する証言は市長の発言を引きずった思いこみだということか?
ちょっと確認したいんだけど、貴方が人口で信頼してるのはこの「第1表注」の25万〜27万と
戦前の100万だけかな?日本軍の登記(最低16万人)は?
貴方が貼った
△1937年10月28日 53万人余 (警察庁、広田外相電)
△1937年11月23日 50余万人 (南京市政府報告)
*1938年3月1日 235,056人 (南京特務委員会、難民収容所にいる女性は含まれない)
△1938年3月 250,000人-270,000人 (スマイス調査)
のうち信頼してるのは?
ついでに言うと、埋葬数に関するデータはどれを信用しているの?
ところで、「ラーベは廃墟に住んでいた5万人が安全区に流入してきたと言ってるが、それは
ラーベの思いこみで最初から安全区内に25万人いた」と言われたらどう反論する?
18 :
やれやれ・・・ :03/06/06 12:43 ID:M7IwTrm6
19 :
朝まで名無しさん :03/06/06 12:49 ID:1bFEXNE2
もう新スレか 前スレはまだ700なのに キティ恵也 ◆o4NEPA8feA は意地でもスレタイを100万にしたいようだ
>>18 刀を吊るすベルト云々のところの写真な、それ将校じゃないんじゃないか?
その写真に写っているベルトらしきものは雑嚢(ショルダーバッグみたいなもんだ)のストラップ
に見えるんだが。
そこに写っているのが将校だというソースがあるなら紹介してくれ。
「(そんな事実は)全然知らない。だが、戦争の常だ、多少のことはやむを得まい。 いつの時代、どこの国でも悲惨なことは起こり得る・・・・ドレスデン、ハンブルグそ の他の都市で(君たちの)四発爆撃機が襲来した後には、もっと大きな死骸の山 が築かれた。罪もない女や子供が無数に虐殺されたのだ。君たち紳士がこのよう な写真に関心を払うなら、東の方に行ってみるがいい。写真ではない実物が現に 東方の蛮族の手によって行われているのだ」 ハンス・ルーデル
24 :
朝まで名無しさん :03/06/06 13:37 ID:cFJGVuM/
6billion
25 :
朝まで名無しさん :03/06/06 13:46 ID:ky4ca6wZ
こんなとこで議論してても、米国でガンガン日本の残虐さを誇大吹聴して 教科書にまで載せさせてる中国の反日パワーには敵わないづら。
27 :
計算機 :03/06/06 14:00 ID:mgVycAyx
28 :
計算機 :03/06/06 14:01 ID:mgVycAyx
29 :
計算機 :03/06/06 14:03 ID:mgVycAyx
>>恵也 直リンは避けたほうがいいよ。頭の『 h 』を取ってから貼りな。
31 :
計算機 :03/06/06 14:18 ID:mgVycAyx
>>20 左から3番目(右から5番目)の軽機を構えてる人?
だとしたら軍刀じゃないし、将校が軽機を構えることはないよ(少なくともこの写真の
状況では)。
ついでに質問だけど、32式軍刀は昭和10年に95式軍刀(日本刀みたいなヤツだよね)に
変わってるよね。南京に32式軍刀なりのサーベルみたいなヤツは持ってったのかな?
怪しげな写真を見ると日本刀のようなのばかりだけど。
>>17 > 貴方の「南京大虐殺」はどの程度の数を想定してるの?数万程度なら俺は否定しないし、
> むしろ意見の一致を見ていると思うよ。
私自身はそれは未だ何とも言えません。軍人捕虜や便衣兵容疑者殺害等を含めた虐殺数の
積み上げ方式、埋葬数(日本軍処理数含む)からの推定、ロングスパン的な人口変化の推移等々、
色々な検討事項があり、また数字自体を上げることが果たしてどれだけ意味があるのか、様々
な観点があります。敢えて言うなら繰り返しになりますが、4万を最低限度とするが、これを
遙かに超えてしまうだろう、と現在は考えています。
> >> 「その統計値は間違ってる可能性があるから信用できない」と言ってるだけで、正かるべき
> >>人口や間違いの原因(証拠)をあげていない。
> > 事実に反します。私はその原因となり得るものを上げています。
> ラーベその他の人口に関する証言は市長の発言を引きずった思いこみだということか?
そこの私の言ったことは違います。概略25万という人口には、死亡人口が含まれてい
ない。その傍証にはベイツの証言の他、様々な具体的な可能性がある、といっています。
なお、ラーベは馬市長が国民党に書簡を送ったその日(11/23)に馬市長に会っていることが
ラーベの日記に書いてあります。委員長(就任は11/25)ですから、権限委譲のこともあり、
知ってて当然ですが、11/25にはドイツ・ヒットラー総統やジーメンス上海宛の電報を打った
りしており、その中にも20万人は出てきます。この日の日記は、これから安全区のことで
大変だ、という内心が現れています。20万という数字が、よほど大きく思えたに違いあ
りません。
>>17 > ちょっと確認したいんだけど、貴方が人口で信頼してるのはこの「第1表注」の25万〜27万と
> 戦前の100万だけかな?日本軍の登記(最低16万人)は?
敢えて言えば、戦前100万はともかく、登記された人口及びその推計である25万は20万より
は精度はあるだろうし、25〜27は調査に基づく数値であるからある程度確からしいとは思い
ます。南京特務委員会のそれはもっと確からしいでしょう。50万や53万はよく分かりません。
陥落時はそれよりは減っているような気はしますが。
> ところで、「ラーベは廃墟に住んでいた5万人が安全区に流入してきたと言ってるが、それは
> ラーベの思いこみで最初から安全区内に25万人いた」と言われたらどう反論する?
そのように反論する人が最初から安全区に25万いたことを証明すべきでしょう(苦笑)。
ラーベがどのようなことについて思い込みが強いかは、ラーベの日記に現れていることで、
そこをちゃんと見るべきでしょう。
34 :
計算機 :03/06/06 16:27 ID:mgVycAyx
>>32-33 う〜ん。議論のとっかかりが無くなっちゃうんだけどな。
以下のデータしか信用しないということかな?
・1月14日 日本軍が登記した16万とそこから推計した25万(19号:ラーベ)
・1月中旬 以降城内の人口は24万〜27万
・3月下旬 南京市の人口は25万〜27万(スマイス)
・1938年3月1日 23万5,056人+難民収容所にいる女性(南京特務委員会)
>4万を最低限度とするが、これを
>遙かに超えてしまうだろう、と現在は考えています。
4万の根拠は?
> そこの私の言ったことは違います。概略25万という人口には、死亡人口が含まれてい
>ない。その傍証にはベイツの証言の他、様々な具体的な可能性がある、といっています。
これは、「廃墟にいた5万」が安全区にいた20万に加わって25万になったというところの
話だよね?貴方は「加わったのは5万だが、それは生存者だけでもっと沢山いたはずだ」
ということだよね?
>>27 > 蘇州であるということが重要だね。
> 「南京市の南の雨花台における虐殺後に撮影された写真」ではないということ。
私の議論ではないけど、これには同意する。アイリス・チャンは、伝え聞くところでは
少々やり過ぎだと思う。「レイプオブ南京」見てないからほんとのところはよく分からん
けど。
----------
そもそも、写真ってプロパガンダというか、方法はともかく「作られた」可能性がある
写真って結構多いしね。有名なロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」などは実際には
訓練中に兵士が転けるところを偶然撮られた写真だという説が有力だそうだし。もちろん、
ロバート・キャパには素晴らしい写真の方が多い。
日本軍(というか新聞社とかかな?)も結構やっているようで、南京入城の記念に取った
城壁に並んだ兵士を取ったようなのを「城壁を打ち破って歓声を上げる兵士」みたいに
取ってる奴があるけど、あれはその辺にいた兵士を集めて取っただけで、打ち破った兵隊
はそこにはいないとか、色々ある様子。
まぁ、目黒輜重連隊平坦自動車大17中隊の村瀬守保氏の写真なんかもあるわけだから、
疑わしい写真に拘る必要もあんまり無いように思うんだけどね。というより、写真は場合
にもよりけりだけど、確証的な使い方は出来ないと思うんだけどね。一般受けはするけど
そこを狙ってプロパガンダがあるわけだし。
>>2 >>日本軍は中国軍はド弱いと思っているので、
>>陥落など簡単だと思っていたと思うよ。
>
>これが上海戦でずいぶん苦戦したんだよ。
>そしておまけに、便衣兵にも泣かされたんだよ。
兵数的には相手側(支那軍)も相当なものだったので決死の覚悟で市街戦に望み
フタを開けたら圧倒的な戦力差
のちに延々と言われ無き大虐殺と言われるための条件だな
史上、戦争でこのような状況ってのは最初で最後かもな。
>>34 > 以下のデータしか信用しないということかな?
> ・1月14日 日本軍が登記した16万とそこから推計した25万(19号:ラーベ)
> ・1月中旬 以降城内の人口は24万〜27万
> ・3月下旬 南京市の人口は25万〜27万(スマイス)
> ・1938年3月1日 23万5,056人+難民収容所にいる女性(南京特務委員会)
それはそうなんですが、この議論にはあんまり関係ないのでは? 私の捉え方を確かめ
ているのかな、と思ったんでお答えしたんですが。
> 4万の根拠は?
泰郁彦氏と板倉由明氏の虐殺数(軍人の取り扱いの差で違いがあって板倉氏は1.3万
(1〜2万)なのだが、泰氏の方を賛同して)の根拠に同意しており、私の考えは最低限こ
れを含むということです。但し、例えば泰氏の場合ですが、幕府山捕虜の殺害を八千と捉
えており私は二万弱と考えていますから、これだけでも大きな違いがあります。
・・・すると、5万以上になりますね(笑)。まぁ、虐殺数の推計は疎かにしていますの
でまだまだ何とも言えませんけど。
> これは、「廃墟にいた5万」が安全区にいた20万に加わって25万になったというところの
> 話だよね?貴方は「加わったのは5万だが、それは生存者だけでもっと沢山いたはずだ」
> ということだよね?
いいえ、分からないと言っています。ただ、例えば下関では12/13〜14にかけての民間人
2〜3万の死体などの目撃事例などがあり(虐殺ではないという見解があるが)、また城内は
徹底的に掃蕩をやったはずで、城外も日本軍は焼き払っている(放火?スマイス報告のベイ
ツによる前文より)など、ほぼいなかったというような可能性の方が低い、と思います。
夏淑琴事件の事例などは比較的安全区に近いところですし、離れたところではどうなって
いるのかよく分かりません。
下関の件、貴方が貼り付けた証言資料ではたくさんというのは判るが 2〜3万という数字には何の根拠もない。 たくさんというのを表現するとき2万・3万というのは非常に口にしやすい。
>>38 もう出かける時間なので一言だけ。
可能性の話です。陥落後に安全区外に市民はいない、ということを言うためにはこれらの
可能性を否定しなくてはならないという意味で言っているのです。
下関には揚子江を越え南京から逃げようとする市民がいるのは想像が付くが そのような密度で安全区外に市民がいる理由が判らない。 安全区外の市内にひとけは無かったという複数ある証言に特に問題があるとは思わない。
42 :
計算機 :03/06/06 18:10 ID:mgVycAyx
>>37 意見の一致しているところと異なってるところ、というか、認めるところと認めないところを
はっきりさせたかったのね。スレも新しくなったし。
俺の主張は
「11月末から2月半ばまで20万〜25万という数字が変わってないから大規模な
(10万単位の)虐殺はない」(ラーベその他の人口の見積もりを信頼している)
というもので、大して貴方の主張は、
「01/14のラーベによる25万より前の数字は確かな根拠がないものなので人口は不明と
判断すべき」
で、共通の認識として、「1月半ばから3月にかけては25万〜27万で大規模な変化はない」
でいいかな?
城門が閉じられていた期間は明らかなのかな?これが分かればもう少し絞り込めるな。
> ・・・すると、5万以上になりますね(笑)。
5万〜6万というところかな?だとしたらこれ以上の数に関する議論は不毛かなとも思う。
俺も泰郁彦氏と板倉由明氏の主張をそれほど深く吟味しているわけではないからひとまず
勉強することにするよ。城門の件も含めて。
43 :
計算機 :03/06/06 18:34 ID:mgVycAyx
ちょいと調べたけど、城門の閉鎖は12/08のようだね。
44 :
朝まで名無しさん :03/06/06 20:33 ID:t0KElxTR
おめーら、もうチットは文を短くしろ! 短期間に一体いくつスレを立てては、満杯にしてる! そのせいで、いくつかのスレは消えてるんだぞ!
45 :
朝まで名無しさん :03/06/06 20:49 ID:PwgYAlkq
172 :ななしさん@EMACS21 :02/12/22 11:09 ID:UXqsrOGu
>>151 散々木出ですが、当時中共抗日軍は便衣兵がおおく、
日本軍としてはどいつが軍人でどいつが民間人か
わかりませんでした。なので、少しでも怪しければ
殺されています。
便衣兵はハーグ条約を無視した物なので、一般市民が
殺戮されたとしても仕方ないと思います。
174 :名無しさん@3周年 :02/12/22 11:13 ID:sb+KSvP6
>>172 変装軍人だからといって、その場で殺しちゃいかん。
きちんと裁判にかけてから処刑しないといけない。
197 :名無しさん@3周年 :02/12/22 11:28 ID:HcIahA8O
>>174 何を悠長な。。
日本軍は便衣兵によって多大な犠牲を出してきたんだぞ。
殺さなきゃならない状況があるんだよ。現実においては。
誰も便衣兵が殺されても同情する奴はいないし、
それを承知でやってたのが中国政府。
209 :名無しさん@3周年 :02/12/22 11:31 ID:biSPQmzb
>>174 それは違う
当時の国際法ではゲリラがいると正規軍が民間人を撃つ可能性が
高くなるという理由で厳しくとりしまっていたんだよ
だからゲリラとわかった時点で殺されても文句は言えない
というのが当時の慣例だった
46 :
朝まで名無しさん :03/06/06 20:50 ID:V13Owx6J
47 :
朝まで名無しさん :03/06/06 21:00 ID:V13Owx6J
ずばり言わせてもらえば、はなから日本を非難することが目的の 工作員や洗脳されちゃった思考停止君でもなければ、リンク先の 「これまでに概観した戦時国際法の関連法規に照らして、南京攻略戦での 日本陸軍の行動の一部始終(詳述は割愛)を点検すると、きわめて厳しい 軍事情勢の下にありながら、戦闘部隊が交戦法規の遵守に非常に慎重な 考慮を払い、激戦中のも能う限りの努力をそのために払った事実が明らかにされ、 筆者などむしろ深い感動を覚えざるを得ないのである。」 と同じ結論に達するものと思います。
48 :
朝まで名無しさん :03/06/06 21:51 ID:SZCYNrRn
>>45 中共抗日軍がなんで南京攻略戦に出てくるわけ?
言ってることがまともなだけに惜しいな。
49 :
朝まで名無しさん :03/06/06 21:54 ID:TIH+ofyD
50 :
朝まで名無しさん :03/06/06 21:57 ID:PwgYAlkq
>>48 すまん、コピペそのままにしてます。
じゃ、行きがけの駄賃で
229 :名無しさん@3周年 :02/12/22 11:37 ID:ENUYqAPG
>>209 禿同。
ベトコンが捕まって即時射殺されてる映像が残ってたりするが、ゲリラの処遇はそんなものだった。
昨今はゲリラにも活動の内容次第で正規兵に準じる扱いをすべしという風潮だけどね。
189 :名無しさん@3周年 :02/12/22 11:23 ID:ENUYqAPG
この規定・権利・義務は次の条件を満たす義勇軍、民兵を含む全ての軍隊に適用となる。
・部下を統率する指揮官がいること。
・遠方からも判別できる固定された標章を着用していること。
・堂々と武器を携行していること。
・戦争の規則と慣習に則って作戦を遂行していること。
・民兵または義勇軍が軍隊を構成するかまたはその一部をなす場合、言葉としての軍隊がそのまま適用となる。
↑のヘイグ陸戦規定における軍隊の定義に便衣兵が当てはまるかどうかですな
51 :
朝まで名無しさん :03/06/07 12:00 ID:ljpWPZv5
もう6周目なんだろ。それぞれの立場で、既出データの突合せでもしてみろよ。 その瞬間に出ているのネタの信憑性の真偽を言い合ったところで一体何になる。 これ以上、バカみたいに馬鹿早いスレの濫発をするんなら、よそでやってくれ!
53 :
朝まで名無しさん :03/06/07 12:43 ID:ggnfcuMo
記念碑の存在は証拠にはならないと思うが
>>30 >直リンは避けたほうがいいよ。頭の『 h 』を取ってから貼りな。
なんでだ???
>>36 >史上、戦争でこのような状況ってのは最初で最後かもな。
そんな事は無いよ、もっと酷いのもあるよ。
ジンギスカンの使者が、貢物を持って行った都市で皆殺しにあい、怒って
その都市を、完全に女子供まで皆殺しにしたとか、
旧約聖書のヨシュア記では神様の命令で、生きとし生けるものすべて羊まで
殺したとか、正義と言う名の怖さを感じる記録はいっぱい有るよ。
どこまで信用するかの問題もあるが、、、
>ジンギスカンの世界大陸制覇では寡占で 占領地を維持するために、反逆の
>芽を摘むため、女子供迄皆殺し、首を刎ね、種族を滅亡させた
http://suguakix.infoseek.livedoor.com/kamikaze.htm
>>40 >安全区外の市内にひとけは無かったという複数ある証言に特に問題があるとは思わない
日本軍はビラを撒いて、家の中でじっとしている人や捕虜になる人の安全は
保証すると宣伝してました。
俺が住民だとしても、家や家財道具の財産を全て捨てて逃げるより、戦闘の
巻き添えを食わないように、財産を守りながら家の奥で隠れていると思う。
逃げるにしても、家族の中の誰か1人は危険を冒しても私財を守る為に残す
と思うがね。爺さん婆さん子供がその為犠牲になったようだが、、、、
>日本軍は南京を包囲する数日の間,絶えずビラをばらまいた、「日本軍は
>善良市民の保護に全力を尽くし、安全な生活を保障し、それぞれに仕事を
>与えるように力を尽くす」と称した。同時に飛行機からは優待証が大量に
>撒かれ守衛軍の投降を勧めた:
http://www.come.or.jp/hshy/j95/11si1.html
58 :
:03/06/07 13:31 ID:zb18IBy8
59 :
:03/06/07 13:38 ID:zb18IBy8
一四九九年に金の採掘が、一定の税を払うだけで自由化されると、入植者 たちは、それぞれの支配下のインディオたちを長期に金鉱で働かせて金を 採掘させた。エスパニョーラ島の金生産は一気に増加し、コロンブスに 代わる新しい総督が赴任した一五〇二年には、年産二トンにも達した。 ヨーロッパ人のこの島への入植は、北部のイサベラから南部のサントドミ ンゴへ続く中央部が中心であり、この地方におけるインディオの組織的な 抵抗は、一四九七年までには終息していた。その後も散発的な抵抗はあった が、一五〇二年ころから新総督が全島の平定に乗り出し、一五〇三年には、 島の西南部の女王で、全島の女王でもあったアナカオナが絞首刑になり、 翌一五〇四年には、島の東部で相当規模の抵抗戦を行った、コトゥバマナー という名の首長が処刑されて、全島が平定された。ヨーロッパ人とインディ オでは、武器に天と地ほどの開きがあったから、インディオがいかに抵抗 しても、ヨーロッパ人がこれを制圧するのは、赤子の手をひねるようなも のだった。
60 :
:03/06/07 13:39 ID:zb18IBy8
銃や砲は、その音を聞くだけでインディオは天の雷が落ちてきたかと恐れ たし、馬に乗った騎士も驚異だった。とくに大きな戦力を発揮したのは犬 だった。手を放せばインディオを襲うように訓練された猟犬が、一斉に裸の 人たちを倒し、腹を引き裂いた。一五〇〇年代初頭の戦いでは、一匹が百人 のインディオを殺したと言われる。島のヨーロッパ人入植者は、レパルティ ミエント制によってインディオに寄食し、戦いとなれば容易な殺戮をくり返 すことによって、人間性を荒廃させて行った。インディオも同じ人間なのだ という感覚が失われ、いくらインディオを殺しても心の痛みを感じなくなっ た。面白半分にインディオを刀で切り殺したり、母親が抱いている赤児をむ りやり奪って、犬に餌として与えたりした。戦いで降伏したインディオは、 血止めもせず両手を切ったので、村に帰り着くまでに大半が出血多量で死ん だ。
61 :
BB :03/06/07 13:43 ID:Ao63L2fa
中国の資料鵜呑みの恵也の戯言は聞き飽きました。
>>61 >中国の資料鵜呑みの恵也の戯言は聞き飽きました。
でも一番具体的だし、資料数が多いんだよ。
東京裁判や南京裁判で命がけの裁判を争って、戦犯の連中が敗れて死刑に
なったんだからね。
それを事件後70年もたってから、命も何も賭けずにいい加減な資料で改竄まで
やって日本軍を守ってもな。
あなたは、田中正明氏みたいな方の資料を、鵜呑みにしてんじゃないかい?
死んだ人の日記まで、追加したり、言葉を変えたりしてるんじゃチョッと、、、
>田中正明氏(74)の編書「松井石根大将の陣中日誌」に収録されている陣中日誌
>が、大規模に改ざんされていることがわかったうえ、さらに戦後に松井・元大将の書いた『支
>那事変日誌抜粋』もまたひどい改ざんやでっちあげされていることが
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/kaizan.htm
>>56 事前に均等と予想して圧倒的な戦力差だった戦闘のことを言ったつもりだったんだが
オレの文章わかりづらいか?
>>63 >事前に均等と予想して圧倒的な戦力差だった戦闘
戦闘のほとんどはそんなものじゃないかな。
それに戦力は最高の軍事秘密で、戦争するときは少しでも自軍を強く見せて
士気を奮い立たせるものだ。
それが、敗走してくる軍隊がはいりこんで守るとなると、士気は最悪。
関が原の合戦でも、ごく一部の裏切りによる崩れが、総崩れに繋がった。
源氏と平家の戦いでも、水鳥の羽音で奇襲を受けたと勘違いして平家が
逃げ出したというほど、ムード的な面が大きいもの。
>大混乱になり、ついに、総崩れになり、一戦も交えないで敗走してしまった
http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/goose.html
>>63 の質問は オレの文章わかりづらいか? なんだが
67 :
朝まで名無しさん :03/06/07 19:08 ID:9Nszojjh
>>2 あなたが紹介している『呉淞(ウースン)上陸作戦』
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02u8.htm に以下の記述があります。
加熱してすぐ撃てなくなる日本の機関銃
日本の軽機関銃は、部品精度が甘く故障が続発した。
故障を減らそうとして、さく薬を減らした弾丸を作ってしまい、
威力も劣るものになってしまった...
南京大虐殺では、機関銃による処刑もありますが、
中国兵を撃つときだけ故障しない不思議な
機関銃があることになりませんか。
また、30万人殺されたと言われていますが、
かなり多くの人が機関銃で殺されたと考えていますか。
68 :
朝まで名無しさん :03/06/07 19:29 ID:PBBhDqdS
中国軍のチェコ機関銃を接収して攻撃したんだろ。
69 :
朝まで名無しさん :03/06/07 19:36 ID:9Nszojjh
それなら中国人を殺す時には 中国軍が使っていたビストルで撃ち殺したとか、 機関銃ばかりで それらの武器を持っていた中国軍が 大虐殺したのじゃないの?
>>66 貴方の文章は、何を言いたいのかまったく理解不能!
相手の理解能力も考えて、はっきりと書いてくれ。
>>42 >「11月末から2月半ばまで20万〜25万という数字が変わってないから
日本軍が攻めてきている、大混乱の中で調べることの出来る組織があるか?
人口調査より優先する仕事が、いっぱいあってそれどころじゃないだろう。
11月末の数字は、逃げ出す最中のお役人のヤマカンに過ぎん。
そんな数字は、人口の移動が落ち着いてこそ調べれるもの!
>>65 >>63 の質問は オレの文章わかりづらいか? なんだが
俺には判りづらいから、勘違いしたんだろうが。
勘違いは俺の得意技だ!
>>67 >中国兵を撃つときだけ故障しない不思議な
>機関銃があることになりませんか。
故障も当然してるでしょう。
ただ記録に残す人がいなかっただけ。
故障した機関銃より、無抵抗の捕虜や市民を殺してることの方が
ニュース価値は全然違うで。
たまに故障してるのみても、日記や報告に載せる馬鹿がいるか?
中国軍の武器も当然使ってるよ、性能試験の意味でも、武器の処分
をする意味でも、ドイツ製のモーゼル拳銃も手に入れた人は多かった
と思うよ。良い銃は誰でも欲しがるし、故障するのは願い下げだ。
後で作った日本の機銃も、チェコの機銃をずいぶん参考にしたみたいだよ。
ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/7kaizan-1.htmより引用 「松井石根大将の陣中日誌」は、いわゆる「改竄事件」で有名な本です。まずは、「改竄」に
関する田中氏の言い分を聞いてみましょう。
「「南京事件」を隠すために、意図的に改ざんしたものでは毛頭ありません。だいいち
大将の日誌には、南京に“虐殺”事件があった、なかった、などということとはまっ
たく無関係なのです。」
「月刊評論八三四号」
これが、真実かどうかは、田中氏以外の者には判りません。しかしながら、これは、田中氏が
「松井石根大将の陣中日誌」に書いている
「かねてから南京に何万という大虐殺が行われたという説に疑問を抱いていたが、この
たび発掘された松井軍司令官の陣中日誌を読むにおよんで、南京虐殺は全くの虚構で
あるという確信を得た。近くこの虚構を本にして世に問うつもりである」
(P40)
という記述と明らかに矛盾しています。
ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/7kaizan-2.htmより引用 以下に、松井大将の陣中日誌の原文を記載します。
「十二月二十三日(晴)
二週間振[リ]ニ帰来ス 上海情勢漸次平静ニ向ヒツツアルモ南市ノ処分未タ終ラス 滬西方
面ニアル外国人ノ居住モ一応ハ許可セルモ 支那人ノ出入自由ナラサル為メ実行意ノ如クナ
ラス 其後ノ謀略ニ付原田少将、楠本大佐ヲ召致シテ情況ヲ聞ク 是亦多少共進展ノ模様ニ
テ上海在住実業家ヲ網羅スル和平、救民運動ハ漸ク其緒ニ就カントシツツアルモ未タ十分ノ
纏ヲ見ス 一層ノ努力ヲ要スルモノト思ハル思フニ先日来のパネー事件、蕪湖事件等英米抗
議ニ対スル東西ノ衝撃か兎角ニ上海支那人中ニモ鋭敏ニ影響スルモノアリシ乎 杭州占領(欄外)
第十軍ハ此日杭州ヲ占領ス 最早何程抵抗ナク第百十四、百一師団ニヨリ易ク占領セラレタ
ルハ可欣 尚在留外国人ノ問題モナク無事ナリシカ幸ナリ 今後風紀問題等モ故障ナカラン
コトヲ只祈ルノミ 銭塘江対岸ニ対スル作戦ハ今後ノ情勢ニ依リ決スル事トシ暫ク蕭山、余
杭附近ヲ消極的ニ占領セシムルニ止ム」「南京戦史資料集U」
(「南京戦史」偕行社 P146)
見ていただけば、一目瞭然ですが、もともとの陣中日誌には、田中氏の本にある、 此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外人記者団と会見す。最初南京占領軍と 其国際的影響を知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムズのフレーザーを招致し、 然る後在上海の各国通信印と会見す。質問は主として、首都陥落後の日本方針及パネー号 に対する善後処置なり。 などという記述はありません。これについて、田中氏は既述のように 「日記以外に大将が弁護人に与えたメモの挿入(二ヶ所)を日記本文と峻別しなかった等、づさ んな点のあったことは認めます。」 「月刊評論八三四号」 と述べています。
しかし、田中氏のしたことは、ただ単に、日誌に、もともと無かった文章を挿入しただけでは ありません。 田中氏は、自分が挿入した文章に、 編者注 南京占領から十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が「南京虐殺」 に関する質問を受けたという様子が全くみられない点、注目すべきである。 という、「編者注」をつけています。 田中氏のした行為が「日記以外に大将が弁護人に与えたメモの挿入(二ヶ所)を日記本文と峻別 しなかった」などというレベルの問題ではないことがお判りになると思います。 田中氏は、史料を改竄し、その改竄した史料をもとに、南京事件の否定を行おうとしたと言わざ るを得ません。 まさに「原文を勝手に書き直して、虐殺事件を隠した」としか言い様がありません。 しかも、田中氏は、既述のように、自らの改竄を認めておりません。これでは、歴史を研究する 資格はないと言わざるを得ないでしょう。 <引用終了>
田中正明が原本から書き写したというの元々の文章はこれ。
ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/7kaizan.htmより引用 (P40)
「十二月二十三日(晴)
二週間振りに帰来す。上海情勢漸次平静に向かひつつあるも、南市の処分未だ終らず、滬西方面にある
外国人の居住も一応は許可せるも、支那人の出入自由ならざる為め実行意の如くならず。其後の謀略に
付原田少将、楠本大佐を招致して情況を聞く。是亦多少共進展の模様にて、上海在住実業家を網羅する
和平、救民運動は漸く其緒に就かんとしつつあるも、未だ十分の纏りを見ず、一層の努力を要するもの
と思はる。思ふに先日来のパネー号事件、蕪湖事件等英米の抗議に対する東西の衝撃が兎角に上海支那
人中にも鋭敏に影響するものあらん乎。
此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外人記者団と会見す。最初南京占領軍と其国際的影響
を知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムズのフレーザーを招致し、然る後在上海の各国通信印
と会見す。質問は主として、首都陥落後の日本方針及パネー号に対する善後処置なり。
編者注 南京占領から十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が「南京虐殺」に関する質問
を受けたという様子が全くみられない点、注目すべきである。
杭州占領。(欄外)
第十軍は此日杭州を占領す。最早何程の抵抗もなく、第百十四、百一師団により易く占領せられたるは欣
ぶべし。尚在留外国人及権益に関して問題もなく無事なりしは幸なり。今後風紀問題等に故障なからんこ
とを只管祈るのみ。
銭塘江対岸に対する作戦は今後の情勢に依り決することとし、暫く蕭山、余杭附近を消極的に占領せしむ
るに止む。」
(P137)
80 :
:03/06/08 00:43 ID:aBNIZmH5
>>80 計算機のレス(
>>27 ,
>>28 )読んだか?彼は慎重だからツッコまなかったが、
年代もなにも誤解するように巧妙に絵だけコピペしてるだけだよ。
話をそらすなよ!蘇州の写真なんだろ!
82 :
81 :03/06/08 01:02 ID:Eal85fD4
ついでに
>>31 も読め。おまえが証拠だと思ってる写真よーく見てみろ!
ここらへんで再確認ね。 南京で30万人が死んだ→30万人虐殺の根拠にはならない。 南京で日本軍による虐殺・強姦等の残虐行為があった→大虐殺の根拠にはならない。 南京で人っ子一人死んでない、等ということを主張してる否定派はいない。 少なくとも以上を踏まえた上で議論するように。
>>81 >年代もなにも誤解するように巧妙に絵だけコピペしてるだけだよ。
いろんなHP見てもなかなか、ぴったりの写真は出てこないものだが
毎日新聞の不許可写真は、本物は意外とはっきりしてたぞ。
ベルトの方向に関しては、否定派の負けだ!
それに日本兵じゃなければ、どこの兵隊の写真なんだ?
主要国の写真があったが、どう見ても中国兵じゃなく雰囲気は日本兵だよ。
>中国は工業の近代化が遅れたため、歩兵の装備はほとんど輸入に頼らざるを
>得なかった。制服はドイツ式の灰青色のもの。その後、カーキー色に変わった。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/wensu/twmu/Modern/4.2.html それに日本軍は当時、詰め襟ばかりだったというが、その証拠は有るんかね?
立折襟がまったくなかったという証明はなかなか出来んよ。
全ての兵隊の当時の軍服を調べんとイカンし、正式採用の前に評判を見るための
試験採用をまったくしなかったとも、思えんし撮影年月日がわかるような
はっきりした写真がドレだけ残ってることやら????
大将14年の上等兵の立折襟にしても、撮影年月日がわからんし、、、
写真を捏造と断定するのは本当に難しい。
85 :
朝まで名無しさん :03/06/08 11:13 ID:kCrC0r95
南京には多く見積もっても20万人しかいなかった。30万人は殺せない。 誰も大虐殺など見ていない。 日本軍には余分な武器、弾薬はなかった。 南京に入った日本軍を包囲するため、中国軍がすぐに南京を包囲していたため、日本軍は南京解放後、すぐに南京 から出て、中国軍を一掃しなければならなかった。 南京包囲とは言っても、脱出路は確保していた。 日本軍の一部が城壁を越えたら、中国軍司令官は1番に逃げ出した。 中国軍が戦後、南京に入ったとき、南京市民を粛清という名目で虐殺した。 戦前から、中国は南京で粛清をしていた。
86 :
朝まで名無しさん :03/06/08 13:11 ID:PG/XJ6+E
「南京大虐殺事件について」
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A06.html <Q6>日本軍が南京で30万人もの中国人を殺したそうですが、本当ですか。
<A6>嘘です。
3、虐殺を目撃した人はいるのですか。
当時の資料では南京市内で虐殺を見た人はいません。
国際委員会の代表のドイツ人ラーベのように、後に日本軍が数万人を
虐殺したと述べた人もいます。
彼はドイツ政府へは政治的な主張でそう報告しましたが、
イギリス大使館には虐殺は数百人だと、日本大使館には49人の虐殺が
あったと異なった数の報告をしています。
しかし、彼は実際には一件の殺人も目撃してはいません。
日本軍の占領後の南京には一万数千人の日本人がいて
中国人に交じって住んでいた人も多かったのですが、
当時は南京大虐殺などということを聞いた人はいません。
日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺した
という証言をした人もいました。
しかし、これまで本名で証言をした人は
例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、
周囲の人の証言や記録を調査すれば、
彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。
87 :
朝まで名無しさん :03/06/08 13:12 ID:PG/XJ6+E
終わっていない「南京大虐殺」でっちあげ問題
http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/san_01.shtml (1) でっちあげ宣伝者への証人喚問
朝日新聞の記者、幹部、その他でっちあげを行ったマスコミ関係者は、
誰が嘘をリークし、その情報に対してどのように裏をとり、
誰が記事に採用したかなど、罪の全てを隠さず国民に明かすべきである。
しかも、朝日新聞など報道加害者は、現実になんら反省も謝罪もしていず、
野放し状態にあるのだ。
その後にも、「全ての疑惑が晴れたわけではありません」とか言いだし、
でっち上げの事例に目を閉ざすことからも解るように、
ほとんど狂信状態にある。
大量のでっち上げが発覚という恐るべき胡散臭さから、
残りの「実例写真」と称するものの胡散臭さを自分なりに
推察するという能力が、根底から欠如している。
サヨクの恐ろしさ滑稽さはのひとつは、考えないことにある。
余談:「南京大虐殺」捏造に見るサヨクの冤罪捏造吊るし上げ体質
「証言が疑わしくとも、南京大虐殺が無かったことの証明にならない。」
そもそも「南京大虐殺」を盲信した理由が「証言」にあったはずだ。
「証言」が疑わしいのであるなら、「南京大虐殺」そのものも
疑わしいということになるのだ。
「証拠写真」の嘘は既に大量に証明されている。
その上「証言」が疑わしいのであるなら、
少なくとも「南京大虐殺」があったと断定できないはずだ。
>>87 >そもそも「南京大虐殺」を盲信した理由が「証言」にあったはずだ。
>「証言」が疑わしいのであるなら
証言が疑わしいといってるのは、あなた方だけじゃないの?
日本の国としても、東京裁判、南京裁判を認めて誤ってるんだし、決着済みの話
日本が国として認めてないわけじゃないので、国としての賠償も大負けにして
もらって、蒋介石や周恩来のおかげでタダになったんだから。
まあタダほど怖いものはないとは言うが、、、
>1951年9月8日、日本政府が署名承認した、「サンフランシスコ条約」
>第11条に「日本は極東軍事裁判、及び各同盟国法廷が出した日本国内外で
>の判決結果を受け入れる」とある。これは、日本政府はずでに1946年―
>1947年の極東軍事法廷及び中国法廷の南京大虐殺に対する結果を承認し、
>かつ受け入れたことに他ならない
http://www22.tok2.com/home/asianhomepage/tukuru.htm
また永久ループ
92 :
朝まで名無しさん :03/06/08 14:58 ID:gnUVQp4s
まだやってるのかいな 半世紀以上続いてる集団ヒステリーだな そんなに殺す暇も武器も無かったことは明白 それだけの死体処理することがどれほど困難か考えてみれば分かること 全く殺されなかったとは言わないが 言うほどは殺されてません
故ヴぁに難しい話をしても無駄(w 戦前の日本が国家(社会主義)だったことを認めないんだから。 なぜ共産主義が収容所のような監視国家になったかを考えれば 責任の一端は自由主義の横暴さに起因しているのだよ
>自身の職員だけでは、処理しきれず、臨時工を雇ったり、 >多くの農民や有志の市民に依拠して遺体処理に当った。 ボランティーアですね。 中古トラック1台しかない組織とかなんとか指摘されての苦し紛れの理由付け?
昭和21年7月29日、東京裁判で証人台に立ったベイツは城内で1万2千人の非戦闘員と3万人の兵士が殺された兵民4万人虐殺説という持論を展開した。 彼は中華民国が主張する埋葬記録の団体のうち紅卍字会のみが埋葬に従事していたことを知っていたからである。そこで紅卍字会による4万3千体の埋葬のみを根拠としたのである。
97 :
朝まで名無しさん :03/06/08 16:50 ID:1EGEdFn/
恵也も靴屋も実は否定派なんだって。 わざと痛いレスして「肯定派って痛い連中」って印象を 与えるのが目的。 で、それは成功してる(w
98 :
朝まで名無しさん :03/06/08 17:11 ID:bH/v4GNx
>>97 在日右翼の街頭宣伝活動みたいなもんですね
99 :
朝まで名無しさん :03/06/08 17:18 ID:1EGEdFn/
そゆこと。
どうりで
>>90 で
>自分の目で大量虐殺を見た米人記者の回顧談
http://www.history.gr.jp/nanking/dathin.html 否定派のサイトに張ってあるんで変だと思った
これ捕虜の掃蕩は具体的に証言してるのに、肝心の民間人無差別虐殺
については「虐殺と言えます」と心許無いんだよなぁ
否定派も「ほれみろ」ってことで紹介してるのか?
その下のも
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/eye.htm 内容の分類でもしてみる
@戦死
許傳音証言の
>どこを見ても死体ばかりでした。南京のあらゆる場所がこれ
>と同じ状態なのです。日本軍はすべての中国人を無差別に殺しました。
の例
「どこを見ても」「あらゆる」「すべて」
同胞の死体の山はショックだろうが戦場における戦闘の結果?
南京のあらゆる場所がこれ←そういうのは揚子江近辺だけ(誇張)
A捕虜及び敗残兵抽出で間違われた市民の処刑
石朋や陳徳貴の例
これについてはさんざん議論されている
B日本兵による犯罪行為
許傳音証言の13人家族中11人が殺された例など
(この例でも否定派から疑問点は出ている)
そういうのを逐一安全委員会が調査報告してその結果が殺人49件
李秀英の例は安全委員会の報告で却下されている
石朋の証言 >南京陥落後、退却の命令を受けた時、私たちは揚子江で渡河の順番を待って >いました。イタリア製の大砲を河に棄て、何万という兵士が川岸に群がり >ました。私たちが河を渡る前に日本軍に捕まりました。みんな捕虜になりま >したが、この中には一般市民もたくさんいました。 >私たちは日本兵に動物の群れのように扱われ虐殺の目的で草鞋峡まで連行されました。 >まず、機関銃掃射の嵐です。それから銃剣や手榴弾で止めを刺されます。 退却の命令を受けてせっかく退却しようとしているのに捕まえやがって 日本軍の奴らけしからん!!!ということ? ハァ? 何万という兵士に市民も入り乱れはお約束?
102 :
朝まで名無しさん :03/06/08 22:26 ID:FiFpZsz5
昨日中国人の同僚と日中戦争の議論になった。 南京の事とかで日本を攻めてたけど都合が悪 くなると論点をずらして結局最初に日本が攻め てきた事が悪いと言いだした。日本も元寇に遭っ たし中国はいろんな国に攻め入ってるって言っ たら何にも言わなくなった。 根拠のない事で日本責めて、 結局金欲しいだけなんじゃないか、 すげー不愉快。
103 :
朝まで名無しさん :03/06/08 22:31 ID:4C6C0IOB
本当に何もやってないなら、無視すればいいだよね。 むきになって否定するから、からかわれるんじゃない? 朝鮮総連みたいに否定するから、かんぐられる。
105 :
朝まで名無しさん :03/06/08 23:03 ID:FiFpZsz5
作り話で非難するのは罪なわけだが。 名誉毀損という言葉を知らないのか?
106 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/08 23:12 ID:qCo564GG
>>96 > 昭和21年7月29日、東京裁判で証人台に立ったベイツは城内で1万2千人の非戦闘員と3万人の兵士が殺された兵民4万人虐殺説という持論を展開した。
> 彼は中華民国が主張する埋葬記録の団体のうち紅卍字会のみが埋葬に従事していたことを知っていたからである。そこで紅卍字会による4万3千体の埋葬のみを根拠としたのである。
ベイツは4万虐殺説を持論としてなんかいません。
東京裁判 ベイツ証言
○ベーツ証人 (略)
日本軍入城後何日もの間、私の家の近所の路で、射殺された民間人の屍体がごろごろして居りまし
た。此の虐殺行為の及ぶ全範囲と云ふものは非常に広いのでありまして、全体のところを申上げる
ことの出来る人は一人も居りませぬ。我々は安全地帯及び其の附近の地方に付て出来るだけ調査し
たのであります。「スミス」教授及び私は、色々な調査・観察の結果、我々が確かに知って居る範
囲内で、城内で一万二千人の男女及び子供が殺されたことを結論と致します。
(林モニター 男女及び子供を含む非戦闘員)
其の他市内で多数殺された者がありますが、我々は其の数を調査することは出来ませぬ。又、市外
でも殺された者が相当居ります。今まで申したことは、中国の兵隊であり或は曾て中国の兵隊であ
ったことのある何万人の男の虐殺を全然含まないものであります。
○サトン検察官 前の兵隊又は兵隊であった者が殺された、どう云う状態で殺されましたか。
○ベーツ証人 中国兵隊の大きな一群は城外の直ぐ外で降伏し、武装を解除され七十二時間後、機銃
掃射に依って射殺されたのであります。是は揚子江の畔であります。国際委員会は三万人の兵士の
亡骸を葬る為め労働者を雇ったのであります。是は我々の労働救済対策として行ったのであります。
揚子江に葬られた屍体及び他の方法に依って葬られた屍体の数は数へることが出来ませぬ。
(林モニター 埋められた屍体)
『日中戦争史資料集8』 P49
>>105 >作り話で非難するのは罪なわけだが。
>名誉毀損という言葉を知らないのか?
作り話といってるのは、日本でも世界でも少数派!
それに東京裁判で20万人以上、南京裁判で日本軍が処理した数まで入れて
30万人以上は死亡。もう確定判決が出てますので、負け犬の遠吠え!
サンフランシスコ条約で、日本も認めてやっと国際社会に仲間入りさせて
貰いましたので、今さら70年もたって言っても、寝言みたいなもの。
>−「否定派のウソ」と「事実」−
http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html
110 :
朝まで名無しさん :03/06/09 00:24 ID:osb0Ezdw
>>109 その後本格的に民間人無差別虐殺が始まるんだよね。
111 :
朝まで名無しさん :03/06/09 00:25 ID:VXzqkepU
>>108 あなたは勝ち犬ですか?
戦争で負けたものはどんな事を言われても仕方の無いって事?
あんたの論理だと、勝者多数派の言っていることがすべて真実ってことになるな。
112 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 00:37 ID:KwTofhNI
しょーもないことを少し。 虐殺否定派のよく使う台詞「虐殺を見ていない」。 例えば警察は殺人を直接見ないと容疑者を捕まえてはいけないのだろうか。 あまりに下らないので、以前から何も言わなかったが、こうした否定の仕方を 信用している人が実際にいる、というのは哀れという気がする。
>>110 >その後本格的に民間人無差別虐殺が始まるんだよね
多分この事だと思うが、俺が兵隊だったら断りきらんだろう。
命令となったら無条件で従わんと、一族の恥とか、言われそう。
>南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部
>を殺せ」という軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、
>住民を銃剣で突き殺した。
114 :
直リン :03/06/09 00:39 ID:rbLIrnLT
115 :
朝まで名無しさん :03/06/09 00:41 ID:+dKxwAhe
>>85 >>中国の資料鵜呑みの恵也の戯言は聞き飽きました。
>でも一番具体的だし、資料数が多いんだよ。
中国の資料を信用するということは、30万虐殺説を支持
するんですね。
>>109 のような「〜からでしょう。」という言い方だと何とでも言えるんじゃないかな
なんか自ら持ち出したダーディンの証言の重要性を自ら格下げしている、本丸は別だと
>ウサギを殺すような
自分が目撃したことの5W1Hは欲しい所、どれだけの不当性があるか評価しづらい
怪しい挙動を示した奴は簡単にパスパス撃ってたというようなイメージは感じるが、
老人子供女性無差別大量というならそれこそ「今でもはっきりと覚えています」と証言する筈でしょう
117 :
朝まで名無しさん :03/06/09 00:46 ID:+dKxwAhe
訂正
>>90 >>中国の資料鵜呑みの恵也の戯言は聞き飽きました。
>でも一番具体的だし、資料数が多いんだよ。
中国の資料を信用するということは、30万虐殺説を支持
するんですね。
南京大虐殺は声高に訴えるのに文化大革命には何も触れないブサヨ。 りそなには声高に批判するのに朝鮮銀行には何も触れないマスゴミ。
>>112 俺は見ていないけど靴屋は人を殺してるらしい。
警察よすぐ靴屋を逮捕してくれ。
>>103 >むきになって否定するから、からかわれるんじゃない?
このスレ見てみ、否定派って何を否定している?
>>113 >南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので
住民が武装蜂起とかしたの?
122 :
朝まで名無しさん :03/06/09 01:50 ID:J9DDvaK3
123 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 01:59 ID:KwTofhNI
>>119 まったく謂われのないことを公言されましたので、名誉毀損で訴えても良いですか?
そういやぁ、東史郎氏は名誉毀損で敗訴したのって、良く聞くねぇ。
124 :
朝まで名無しさん :03/06/09 02:03 ID:OV/CilAU
>>112 >例えば警察は殺人を直接見ないと容疑者を捕まえてはいけないのだろうか。
いいコト言った。
さっそく警察の捜査のように南京事件を解明してくれ。
死体の身元は?死因は?場所や死亡時刻は?
日本軍がやったという物証は?目撃者は?容疑者のアリバイは?
「たぶんやっただろう」では警察も動けませんよw
お前らいつまで続ける気?
126 :
朝まで名無しさん :03/06/09 02:19 ID:OV/CilAU
>>108 >作り話といってるのは、日本でも世界でも少数派!
数の多い方が勝ちなのかよ(笑)
万が一この先「南京虐殺はウソ」「東京裁判は戦勝国によるリンチ」などといった
否定派系の意見が「世界の多数派」になったりしたら、アンタどうすんの?
今までの主張全部ひっくり返して「虐殺無かった!多数派!」って言うの?
>>123 残念ながらハンドルネームに対しての名誉毀損は
ほぼ確実に成立しない。
128 :
朝まで名無しさん :03/06/09 02:32 ID:zfKOmisv
ひとつ確実なのは、正確な数字はもはや絶対にわからないということ。 そのうえで、原爆の犠牲者は2万なのか20万なのかというような問題が残る。 で、加害者側が相手の出した数字は詐欺だといって逆切れしてる様子が、世界にも伝わる
129 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 02:41 ID:KwTofhNI
>>124 > さっそく警察の捜査のように南京事件を解明してくれ。
> 死体の身元は?死因は?場所や死亡時刻は?
> 日本軍がやったという物証は?目撃者は?容疑者のアリバイは?
それだけやったら、警察も動かずに済みますね。ああ、私、警察官でも何でもないですよ。
> 「たぶんやっただろう」では警察も動けませんよw
桶川ストーカー殺人事件では、そんな感じで動かなかった警察の怠慢が指摘されていましたね。
130 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 02:43 ID:KwTofhNI
>>127 > 残念ながらハンドルネームに対しての名誉毀損は
> ほぼ確実に成立しない。
はい? 私、裁判所に訴えるなんていってませんよ。ああ、違う、君が認めないのか(苦笑)
131 :
朝まで名無しさん :03/06/09 04:11 ID:OV/CilAU
>>129 >それだけやったら、警察も動かずに済みますね。ああ、私、警察官でも何でもないですよ。
それなら、そもそも「警察が〜」とかいう例え方がまずおかしい。
>>112 は文字通り「しょーもない」という事ですな。
>桶川ストーカー殺人事件では、そんな感じで動かなかった警察の怠慢が指摘されていましたね。
「起きるかもしれない事件への対処」と、
「起きた事件の捜査方法」を比べるのがおかしい。
とりあえず前スレでもそうだが、お前さんはまずそのスリカエ癖を治せ。
前のスレで死体の処理についてボランティアがそんなにいるのはおかしい という意見があったが、 イラクで取材してきた人から写真と話を聞いたが、死体は5日も放置しておくと 脳味噌がグラグラする凄い腐臭を出して、風船のように膨らむから、 見つけ次第埋めるか火葬するかしないと、とても生活できたものではないのだ そうだ。 とはいえ、葬儀できるのは戦闘が終わった後でないと無理なのだそうだ。 そりゃそうだ。臭くて堪らんからといって外に行って自分が銃殺されたら 堪らない。 …というのが、ヒントになると思うので、書いておきます。 平和な世界にいると気づかないことってあるよね。臭いは報道写真からは 伝わらないし。
133 :
朝まで名無しさん :03/06/09 05:23 ID:OV/CilAU
>>132 放置してたらとても生活できない、って?
それならボランティアだの崇善堂だのなんか待たずに
軍隊が片っ端から処理してるはずだろ。
それとも軍人なら腐臭で脳味噌グラグラしても大丈夫ってか?(笑)
134 :
朝まで名無しさん :03/06/09 05:26 ID:OV/CilAU
>平和な世界にいると気づかないことってあるよね
まったくだ。平和な世界にいる
>>132 は、
>>133 のような簡単な事にも気づかない(笑)
最悪のアパルトヘイト国家ですね。イスラエルは。
また、東京23区程度の面積のガザでは、自治が始まったとはいえ、
土地の45%以上がイスラエルの入植地や軍事用地として占領されたままです。
入植地には数千人のイスラエル人が住んでいますが、例えばこれらの入植者が
使用する水の量は、百万人以上のパレスチナ人全体の水の使用量と同じというような、
大きな差別が存在し、入植地の周辺では、近隣のパレスチナ人の家屋や農地が
無残に破壊され、数千人が家を失っています。 (2001年12月4日、ガザ)
http://plaza17.mbn.or.jp/~CCP/others/appeal2.html イスラエルの入植地は現在も増え続けています。
そこには日本のニュータウンのような高層アパートがいっぱい建てられています。
オスロ合意では暫定措置として
(1)イスラエル軍の占領地からの部分撤退、
(2)入植地の新設を行わないこと、
(3)パレスチナ政体(国家、自治州など)の地位などが保証されました。
逆にイスラエル人がもともとイスラエルと言われていた所に戻ることを約束しました。
ところが93年のオスロ合意以降、入植地は増えるばかりで全然減りません。
−−−−
つい最近、パレスチナ人が住んでいるガザ地区にイスラエル軍が空爆を行いました。
ここは世界一、人間が混み合って住んでいる地域です。
1平方キロメートルに5500人が住んでいます。
同じガザでも、イスラエル人が住んでいる地区では、
1平方キロメートルに6人しか住んでいません。
その一方で、60%のところに130万人が住み、
40%のところに5000人が住む。この5000人のために、
イスラエルはガザ地域を封鎖し、道路を管理しているのです。(2002-8-15)
http://www.bund.org/opinion/1085-5.htm
136 :
バク ◆Zseml6E7q6 :03/06/09 09:16 ID:j8YsG8Ly
崇善堂の埋葬記録に関しては、傍証記録が無い事、 日本軍の戦果報告等との矛盾などから信憑性が無い。 紅卍字会に関しては、傍証記録等から4万人埋葬したと報告の資料には信憑性はあるが、 実際の所は1万人前後の埋葬ではないかとの指摘もある(丸山進氏の証言)。 日本側の資料・証言等で立証できる1000人以上の集団殺害は、 第九師団第七連隊の安全区掃討作戦において抽出した便衣兵6670人、 第十六師団三十三連隊の太平門・下関・獅子山付近で捕らえた捕虜3096人、 第十六師団歩兵三十旅団が南京西部地区警備中に捕えた敗残兵数千人、 第百十四師団歩兵六十六連隊第一大隊が雨花門外で捕えた捕虜1657人、 山田支隊が幕府山で捕えた捕虜数千人、 合計2万人前後、ただし、民間人が巻き込まれた疑いがあるのは第七連隊の件だけ。 当時の状況を考えると、集団殺害=虐殺とは言いきれない。 また、戦死者・戦傷死者・戦病死者は虐殺被害の中には入らない。 その点などを考えると、中国政府や虐殺肯定派が言っている大虐殺は無いと言うしかない。 ただし、南京事件はあった。
>>110 >その後本格的に民間人無差別虐殺が始まる
おいおい、だとするなら安全委員会は「日本兵がこんな事件起こしました」
という個々の訴えにちまちまと応対するようなをことをやっている場合じゃない。
それこそがそのようなことがなかったことの証人なんだよ。
138 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 09:43 ID:ZLdftsHO
>>131 スリカエたのはあんただよ。私が言っているのは、例えば
>>86 。
それを何? お前が捜査しろって? 捜査資金くれんだったらやっても良いけど(w)
> とりあえず前スレでもそうだが、お前さんはまずそのスリカエ癖を治せ。
お前がな(w)
139 :
朝まで名無しさん :03/06/09 10:19 ID:MrmNzCzI
結局裁判で決まったのなら事実として扱われるんじゃないの?よっぽどの証拠が無い限りね
140 :
計算機 :03/06/09 10:21 ID:sws9YNxd
>>81 ,82
わざわざありがとう。
>>84 というわけ(「話をそらすなよ!蘇州の写真なんだろ!」)で、君にはレスしない。
>>139 だから、その裁判ってのが東京裁判なもんだからケチが付く。
142 :
バク ◆Zseml6E7q6 :03/06/09 10:36 ID:j8YsG8Ly
計算機さんが出てきたから、機関銃の件について書くけど、 計算機さんのおっしゃる通り、92式を南京に持っていったのには疑問が出ますね。 しかし92式が持ってかなかったからといっても、3年式・11年式・38式の3種の弾丸を 持ってってますから、補給に関して言えば難しいでしょう。 なお、武器等を鹵獲しても、整備してからじゃないと怖くて使えないし、 鹵獲した弾薬だからといって無駄使いはしない。
>>128 「正確な数字」以前に「正確な「何の」数字」を議論しているのかがわからん。
>>135 >オスロ合意では暫定措置として
力の背景のない合意ということなんだろうな。
中国人蔑視が中国人を怒らせて、泥沼に入ったように
パレスチナ人蔑視が、イスラエルを泥沼に引きずり込んでるようだ。
中国も大きかったが、アラブも大きいからね。
>>95 >中古トラック1台しかない組織とかなんとか指摘されての苦し紛れの理由付け?
トラックはほとんど使えなかったと思うよ。
アメリカ大使館関係者からさえ車を徴発してたのに、当時の中国人の慈善団体
がトラックを所有してるとは思えん。
それに燃料も軍の統制下だろうし、そこまで中国人にサービスしたかね。
人力で運んだと見るのが自然じゃないかな?
イラクの人間の盾とか言って、話題になった連中がいたがあの連中と同じ一時的
にブームにのっかりたいボランティアが集まっただけのこと。
イラクまでだと金かかって仕方ないが、遺体の埋葬ならスコップ一つで出来る。
組織なんて素人の寄せ集めで何とかなるよ、宇宙ロケットを飛ばす組織じゃ
あるまいし。金もないタダの慈善団体で偉そうにやってると思うかい?
紅卍字会は日本の特務関係者から金もらって、雇った人に給料出してたが
崇善堂は金がほとんど無いのが、かえって幸いしたはずだ。
ただの線香花火みたいなブームに、乗っただけの組織?だからやれたの。
>>100 >李秀英の例は安全委員会の報告で却下されている
これはどういう意味なんだい?
大怪我して病院で治療した写真が残されてる人だろ。
それを却下するとは、どうも理解できん。
この人の証言を偽物だと本に書いてエライメにあった人がいるんだね。
>判決は、李秀英さんが本人であることを認め、松村氏が「偽者」呼ばわり
>したことは、著しく李さんの名誉を傷つけたとして、李さんに130万円の
>慰謝料、弁護費用20万の合計150万円の支払いを命じました
http://www1.jca.apc.org/aml/200205/27786.html 内容的には慰謝料の金額が一ケタ違ってるような感じだ。
>>102 >昨日中国人の同僚と日中戦争の議論になった。
議論するにしても水掛け論にして、終わらせては面白くない。
南京虐殺を持ち出されて、通洲事件を出し元寇や文化革命、チベット動乱での
虐殺を出してもナ、、、、
通洲事件はともかくとして、元寇、文革、チベット動乱は噂に過ぎんし証明は
今では不可能でしょう。
私はそれらも犠牲者がずいぶん出たとは思ってるが、南京虐殺みたいに裁判で
国際的にも事実として結論が出たことに対して、噂みたいなものをぶつけても
迫力負けしてるとしか言えん。
むしろ事実と見られる旧約聖書のヨシュア記、アメリカインディアンの虐殺等
人間の愚かさを証明してるものならゴマント残ってるのだから、その一つとして
彼の話を聞いてやるべきだったのでは。
それが加害者の子孫としての義務だと思うがね。
彼も金が欲しくて言ってはいないよ。蒋介石の”怨をもって徳で答える”
とか格好をつけて、賠償金をただにしてくれたんだけどね。
それに比べると貴方の人格の低さがよく見える\(^o^)/\(^o^)/
>元衆議院議員浜田幸一氏の著書「永田町、あのときの話」の中にこのような
>一節が記されている
http://www.mskj.or.jp/getsurei/yaita9810.html
>>111 >あなたは勝ち犬ですか?
犬に例えたら”ご先祖はそんなに殺してないぞ”と吠えてる犬じゃないから
負け犬の遠吠えはしてないな。
裁判で結論が出たことを、事件後70年もしたら”そうだったの”で終わら
してるから、吠えない犬じゃないかな。
だから勝ち負けを超越した犬。まあ人類の先祖は調べたらどこかで皆やってる
俺も因縁から言えば、因は持ってるが、縁がなかったから悪行をせんで済んだ
だけのことだ。
>>115 >中国の資料を信用するということは、30万虐殺説を支持
>するんですね。
中国の資料じゃないよ。
世界の資料だよ。量としては中国にあるものが多いいとは思うが日本にも
あるし、アメリカの南京事件当時の新聞、ドイツのラーベ日記、東京裁判
南京裁判、李秀英さんの日本での裁判、東史郎氏の日本での裁判などを
総合的に考えて、30万人以上は当時の南京市で殺したでしょう。
まあ全て日本語に翻訳したものしか読んでないけどね(^。^)
>>116 >老人子供女性無差別大量というならそれこそ「今でもはっきりと覚えて
>います」と証言する筈
ダーディン氏は老人、子供、女性は遺体は見ててもその殺人現場は見てない
が、中国軍の兵隊の処刑現場は見てるから、印象から行って表現に差がある
のは当然のことだ。目の前で人間が殺されてるのを考えてみろ!
>>146 考えられるのは加害者が日本兵でなかったと安全委員会が判断したということ
>>149 >その殺人現場は見てない
だから、そもそもあんたがその証言者としてダーディン氏を出してきたの
153 :
計算機 :03/06/09 11:21 ID:sws9YNxd
>>靴屋
>>42 から自レスのコピペ
>俺の主張は
>「11月末から2月半ばまで20万〜25万という数字が変わってないから大規模な
>(10万単位の)虐殺はない」(ラーベその他の人口の見積もりを信頼している)
>というもので、大して貴方の主張は、
>「01/14のラーベによる25万より前の数字は確かな根拠がないものなので人口は不明と
>判断すべき」
>で、共通の認識として、「1月半ばから3月にかけては25万〜27万で大規模な変化はない」
>でいいかな?
反論するレスがないけどこれは納得して貰えたということかな?
154 :
計算機 :03/06/09 11:21 ID:sws9YNxd
>>74 (前後してごめん)
「H氏(西白河郡) 証言 第2機関銃中隊所属・下士官」ってやつ?
>軍服を濡らして持って行き、冷却しながら撃った。
というところのことを言ってるのかな。
3年式機関銃(重機関銃)は銃身交換が簡単に行えるようになってる。
軍服を濡らして、「はずした銃身」を冷却しながら撃ったというなら
多少効率的ではあるね。濡れた軍服を銃身に巻いて撃ったというなら冷却効率は逆に悪くなる。
3年式重機は銃身に薄いフィンを多数つけて冷却効率を上げているわけだから、巻いた当初は
冷えても軍服はすぐに「断熱材」になるね。銃身の上で軍服を搾った(水をかけた)というなら
分かる。
バイクのエンジン(空冷)を考えて欲しいんだけど、濡れた布を巻くよりも団扇で煽った方が
よく冷えるよ。水をかけると冷えるのは事実だけど、
ttp://www103.sakura.ne.jp/~key/army/rifle/jp_3hmg.htm ttp://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/m_gun/3hmg.htm ちなみに「11年式軽機はすぐ壊れる」というのは「銃身が加熱しやすい」ということじゃない。
薬莢切れ(ちぎれた薬莢が薬室に張り付いて抜けなくなる)、撃針折れ、リターンスプリング折れ
が多い。陸軍士官学校の「兵器学教程」には「戦闘射撃における故障発生率は210発に1発なり」
という記載もあったほど。
1日5,000人、3日で15,000人。1人当たり4発(25%)として6万発の弾。1.2t。
重の数が増えれば1人当たりの消費量はもっと増えるね。
155 :
計算機 :03/06/09 11:32 ID:sws9YNxd
>>142 92式の正式採用が昭和14年というのが味噌だと思う。
38式歩兵銃、11年式軽機、3年式重機の弾は(火薬の量は違うけど)同じモノで
互換性がある。11年式に至っては38氏起用のクリップをそのまま装填できるよ。
>鹵獲した弾薬だから〜
これはその通りだと思う。日本軍は鹵獲した「チェッコ機銃」を「チ式7.9mm軽機」として
準制式採用してるからよっぽど良かったんだろうね。だから96式軽機ができたんだろうと
思う。
156 :
計算機 :03/06/09 11:35 ID:sws9YNxd
>>155 の補足
互換性はあるけど、38氏起用の通常弾を11年式に使うとやっぱりすぐ壊れたらしい。
そうでなくても(減装弾でも)壊れたらしいが・・・
弾薬の統一化を図ったんだけど、結果的に全然ダメだった(余計紛らわしくなった)
ってことね・・・
>>124 >「たぶんやっただろう」では警察も動けませんよw
ここでは警察ではなく連合国が動いて、判決も出て処罰も済んでます。
一事不裁理という言葉を知らないのかな?
貴方は何周遅れのランナーなんだい。
>>126 >東京裁判は戦勝国によるリンチ
俺もそれはそうだと思ってるよ。戦勝国も似たことはしてるよ。
誰もそのことは否定してないと思うがね。
否定派系の意見が「世界の多数派」になったらって、空理空論も良い
ところで、裁判で死刑になった戦犯の人たちが生き返るわけでもなかろう。
>>131 >「起きるかもしれない事件への対処」と、
桶川ストーカー事件で問題になったのはそれじゃないよ。
ここまで市民が嫌がらせをされ、恐怖感から警察に助けを求めているのに
その現在”起きている被害”に警察が役に立たない対応しかしなかったこと
被害者が死んだ後も、犯人がわかってるのにホッタラカシにして調査能力
も週刊誌記者に劣り、逮捕能力もなにも無いのがあからさまになったことだ。
南京での憲兵隊より劣る!
>>133 >軍隊が片っ端から処理してるはずだろ。
中国人に対する見せしめの意味があったんじゃないの。
日本軍に歯向かったら、こんなことになるという昔のさらし首の思想。
匂いの強いところは中国人だけで、軍隊は離れたところに駐屯したのでは。
それと数が多すぎて、軍が使用する場所は軍が片付けたが、それ以外は処理が追い
つかなかったことも、、、
掃討作戦なんかもあるし、まだまだ戦争中なんだからね。
恵也の駄長文みてるほうがよっぽど脳味噌がグラグラするよ。
質問者の意図から微妙にズレたレスするのは恒例?
>>149 >>115 氏は恵也から「30万虐殺説を支持する」という言質を取りたいんだと思うが・・・。
取れてるけどね。こいつからどんな言質取ってもこの先無意味だ。
>>162 中華民国が出した崇善堂の資料こそ、出所も責任者もなにもわからんただの数字の羅列。
何の説得力もない。田中正明氏みたいな資料の改竄じゃないの?
166 :
バク ◆Zseml6E7q6 :03/06/09 13:02 ID:j8YsG8Ly
私がカキコした > 日本側の資料・証言等で立証できる1000人以上の集団殺害は、 > 第九師団第七連隊の安全区掃討作戦において抽出した便衣兵6670人、 > 第十六師団三十三連隊の太平門・下関・獅子山付近で捕らえた捕虜3096人、 > 第十六師団歩兵三十旅団が南京西部地区警備中に捕えた敗残兵数千人、 > 第百十四師団歩兵六十六連隊第一大隊が雨花門外で捕えた捕虜1657人、 > 山田支隊が幕府山で捕えた捕虜数千人、 って、「諸君7月号」で掲載されている、原剛(はら たけし)防衛研究所調査員の 私見からなんだけどね。 ちなみにあくまでも原氏の私見であり、政府や防衛庁の公式見解ではないが、 我々より多くの資料を基に執筆しているので信頼性は高いと思うけどね。 また、「諸君7月号」の掲載文をこう書き込んで〆ている。 「最後に、今後とも資料発掘につとめ、学問的、実証的研究に取り組むことが 重要であることを強調したい。」 実証的研究って、発掘された死体の年代測定も含まれるんだけどね。
167 :
朝まで名無しさん :03/06/09 13:16 ID:OV/CilAU
>>138 >スリカエたのはあんただよ。私が言っているのは、例えば
>>86 。
プッ、86は俺じゃねぇよ(笑)
それはさておき、お前が言ってるのはその
>>86 みたいなのに対し
「警察は目撃してなきゃ逮捕できんのか」
とかいうヘリクツを返したわけだよな。で、そこにツッコんだら
>お前が捜査しろって? 捜査資金くれんだったらやっても良いけど(w)
ナニコレ?
警察の捜査とは違うって事を自分で認めてんじゃん。
だったらさっさと
>>86 に「きちんと」反論したら?
>>112 は86に対して何の反論にもなってないよ(笑)
168 :
朝まで名無しさん :03/06/09 13:19 ID:OV/CilAU
>>145 >一時的にブームにのっかりたいボランティアが集まっただけのこと。
言ってる事が二転三転するな、お前は。
前は「住んでるところに死体があったらたまらないから」って言ってなかった?
ブームって何だよ?何ブーム?
169 :
朝まで名無しさん :03/06/09 13:23 ID:OV/CilAU
>>157 >ここでは警察ではなく連合国が動いて、判決も出て処罰も済んでます。
>一事不裁理という言葉を知らないのかな?
>貴方は何周遅れのランナーなんだい。
連合国っつーか「戦勝国」な。処罰っつーか「見せしめ」な。
で、俺は日本人だけど、あんたは連合国側の人間なのかい?何人?(笑)
170 :
朝まで名無しさん :03/06/09 13:26 ID:ZOLCbKiV
恵也はちうごくんダヨ。
171 :
朝まで名無しさん :03/06/09 13:27 ID:OV/CilAU
>>159 >現在”起きている被害”に警察が役に立たない対応しかしなかったこと
被害ったってストーカーだぜ?具体的に何ができるのよ?
怪しいヤツを見たら片っ端からしょっぴけ、とでも?
・・・どうやら恵也は特高の復活を望んでるようだね(笑)
172 :
朝まで名無しさん :03/06/09 13:30 ID:OV/CilAU
>>161 >中国人に対する見せしめの意味があったんじゃないの。
バカ?
>>132 に
>脳味噌がグラグラする凄い腐臭を出して、風船のように膨らむから、
>見つけ次第埋めるか火葬するかしないと、とても生活できたものではないのだ
>そうだ。
と書いてあるから「だったら軍隊だって処理するだろ」と返したんだぜ?
脳がグラグラして生活できない状態で、見せしめとかやってる場合じゃないだろ(笑)
173 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 13:36 ID:ZLdftsHO
>>167 >
>>112 は86に対して何の反論にもなってないよ(笑)
反論なんかしてないよ。する価値無いから(w)
174 :
朝まで名無しさん :03/06/09 13:38 ID:ZOLCbKiV
結局そんな態度になっちゃうのならレスやめちゃえよ。
175 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 13:39 ID:ZLdftsHO
>>153 > 反論するレスがないけどこれは納得して貰えたということかな?
良いんじゃないですか。特に反論はありません。但し、その20〜25万を信頼する根拠は
示して貰ってませんが。それをずっと待ってるんですけど。
176 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 14:14 ID:ZLdftsHO
>>174 馬鹿って良いよなぁ。有り難く説明して「あげる」から、目んタマ限界まで開いてよく読めよ。
そもそも、こっちは「虐殺など直接見ていない」(※これもおかしな話だけどね)から、伝聞などによる
それらの証言や記録などは虐殺の証拠にならない、という理屈への反論なのだよ。
そう、これらの後には「伝聞などによるそれらの証言や記録」という証拠(以下"伝聞証拠"と呼ぶ。ここでは
この呼び方は必ずしも伝聞だけ、というわけではないことに注意。直接殺害を見ていないことを意味するだけ
である)が付随している。この「直接見てないから証拠にならない」はこの伝聞証拠を否定するためのものだ。
例えばマギーが見たたった一例の日本兵による殺人目撃事例がある。なんと、否定派はこれまで否定する
のだが、殺害そのものは陰に隠れて見ていないから、証拠にならないというのである。いやはや、ここま
でくると馬鹿げているという他ない。銃を持った日本兵に追いかけられた中国人市民を目撃、視界に隠れた
ところで銃声あり、そこへ行ってみるとそのさっき見た中国人市民(老人である)が撃たれて死んでいる、
他の中国人市民の目撃もある、というような話であったと思う(悪いが今資料のどこにあるのか分からないので
正確ではない)が、これでなおこの伝聞証拠は「殺害を直接見てない」から証拠にならないというのだから驚きだ。
ここまで言っても、これでも証拠になるわけではないと君(やそれに同調する他の人)が思うのであれば、
馬鹿の称号を有り難く授けてやるから受け取れ(w)
従って、こっちのこの理屈を突き崩すには、即ち正しい反論は、この理屈を否定するものであることが絶対条件で
あり、そうでないものは反論になっておらず、こっちも反論でないものに再反論するのは馬鹿らしいと言うだけで
ある。
177 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 14:20 ID:ZLdftsHO
>>176 は ID:OV/CilAUとそれに同調するものへの説教だからな(w)
178 :
朝まで名無しさん :03/06/09 14:22 ID:8CCl1tUy
179 :
計算機 :03/06/09 14:23 ID:sws9YNxd
>>175 根拠と言われても困るが、食料なりなんなりの手配をしていた人物(ラーベ)や、
市長、調査した委員会のメンバーその他の発言だから信憑性があるだろうということね。
そして、それらの発言なり証言なりに矛盾が感じられないということね。
矛盾があるとすれば、虐殺された20万なり30万なりの出所が分からないというくらいかな。
加えて言えば、肯定派のサイト(例の資料ね)にも載っているから肯定派としても
ある程度信頼しているモノだろうと言うこと。
というか、こういうデータを元に肯定派は虐殺があったと言ってるんじゃないのか?
で、これからの議論だけど、共通の認識である
「1月半ばから3月にかけては25万〜27万で大規模な変化はない」
をもう少し絞り込みたいんだけど、城門の閉鎖は12/8だよね。城門が開いた(というか、
出入りが可能になった)のはいつ頃?調べ方が悪いせいか見つからない・・・
ところで、泰郁彦氏と板倉由明氏の主張ってのはぶっちゃけ、
紅卍字会の埋葬記録を信じると言うことなのかな。
180 :
朝まで名無しさん :03/06/09 14:26 ID:ZOLCbKiV
う〜ん、やっぱり靴屋はネタ屋だったようだ。「場か』ってのが多くなってきたモンな。 はやとちりさん。
>>140 >(「話をそらすなよ!蘇州の写真なんだろ!」)で、君にはレスしない。
それじゃ、蘇州で日本軍が大虐殺をしたのを認めてるわけだ。
蘇州でやるなら、南京でだけは、虐殺をやってないというのが不自然!
183 :
無料動画直リン :03/06/09 14:39 ID:rbLIrnLT
>>152 >そもそもあんたがその証言者としてダーディン氏を出してきたの
中国兵処刑の目撃者で、民間人遺体の目撃はしてんだよ。
証言者の資格は十分あるだろうに!!
>>163 >質問者の意図から微妙にズレたレスするのは恒例?
人間がずれてるから仕方ないだろ。
貴方と同じ人間なら、まったくずれない返事も出来るけどね。
>>151 >146 考えられるのは加害者が日本兵でなかったと安全委員会が判断したと
>いうこと
本人が日本兵だと言ってんだろう?
それを安全委員会は審査するだけの、却下したりする調査能力があったのかい。
本人の写真と筑紫哲也氏のインタビューが中頃に有ります。
しかしこんなおばあさんに、嘘を言わせるなんて出来ないよ。
俺も92歳の鰻を取るのが趣味の方を知ってるが、新しいことはナカナカ
覚える力がなくなって、記憶もずいぶん薄くなってると思うぞ。
>私は、日本兵に体中を何度も刺されたのですよ―――。
http://www.history.gr.jp/nanking/tvtbs020926.html
>>176 俺、否定派ってことになるけど、そのマギーの殺人目撃事例を別に否定しないです。だから安心して大虐殺の話、続けて下さい。
188 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 14:57 ID:ZLdftsHO
>>179 > 根拠と言われても困るが、食料なりなんなりの手配をしていた人物(ラーベ)や、
> 市長、調査した委員会のメンバーその他の発言だから信憑性があるだろうということね。
> そして、それらの発言なり証言なりに矛盾が感じられないということね。
てことは、スマイス調査にあるから正しいという説は捨てた、ということで宜しいですね。なお、
この件に関し付加事項です。スマイス調査の付録の部分に以下のようにありました。
「独自の数字」をできるところではどこでも手に入れた。関係ある全耕地面積の独自の推定
は調査した農村作付面積を点検するのに使われた。(第十七表を見よ)現在の南京市の人口
に関しては、十二月・一月に日本軍によって登録された人数と、五月三十一日現在で新市政
府が発表した登録者総計とがある。南京における建物にかんする独自の計算あるいは評価額
の資料は入手できなかった。
つまり、少なくとも20万の依拠資料はない(※25万自体は上で言う登録数である)ということです。
あと、肯定派サイトにあるっつったって、純粋に「史料」だというだけだし、あそこには幕府山事件の
両角手記と栗原証言の二つがあるわけですし。
城門の開門時期についてですが、12/8に必ずしも全門閉鎖していたわけではありません。例えば下関に
通じる把江門は門が二つあるのですが一つは開いていて、脱出する人はそこから出ています。12/12か13
には中国軍が殺到して、督戦隊により城門が閉じられ、同士討ちで多数の死亡者が出ています。また、
陥落後の管理は当然日本軍でして、開けていたのか閉めていたのかよく分かりません。締め切ったまま
にはしていないでしょう。要は、日本軍の催促により安全区から難民を帰すかどうか、でして、一月下旬〜
二月上旬からは徐々に戻っていきます。このあたりについては色々史料を当たらないとよく分からない
と思います。
板倉氏と泰氏の違いはここを参照。一般人については基数の取り方に違いがありますが、何れもスマイス
調査から持ってきています。
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/giseisha.html
189 :
計算機 :03/06/09 14:58 ID:sws9YNxd
>>182 を見て思い出した。
>>15 でも書いたけど、なんで焼いてるんだろ?
俺の訳が間違ってるのか?(特に右下の写真)
それと、右上の写真のベルト状のものはなんだろ?
説教ねぇ。 自分の発言読み返してどう思うんだろこいつ。
>>176 ちょっとそれって、まず勝手に「伝聞証拠」の定義を拡大解釈しておいて
伝聞証拠(ともだちのともだちの類)の怪しさを指摘するのを
けん制するギミックじゃないのか?(ましてや説教たれるなよ)
192 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 15:41 ID:NkoISUTU
>>191 だから、ちゃんと断っておる。「直接見たということを含まない虐殺の証拠」とでも言うべきでしたか?
ただでさえ長ったらしいという批判あるからな。ほんのちょっぴりは気遣っておる。
まあな、現場にいて殺害の瞬間だけ物影で見えなかったという、そのマギーの例を 「伝聞」と言うやつはふつうおらんだろと思うから
194 :
朝まで名無しさん :03/06/09 15:51 ID:pu1hxQT1
195 :
朝まで名無しさん :03/06/09 15:51 ID:ZOLCbKiV
まあ、靴屋もちょっと疲れてんだろうから。「スレが荒れてんよ」 ってことも読めなくなってんだろ。
196 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 15:57 ID:NkoISUTU
>>195 うん、せっかくのお休みの日に刺激する輩がおるんで、いい加減に遊んでいるだけさ。
197 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 16:11 ID:NkoISUTU
そうそう忘れてた。
>>167 >
>>138 > >スリカエたのはあんただよ。私が言っているのは、例えば
>>86 。
> プッ、86は俺じゃねぇよ(笑)
とお笑いのようであるが、
>>112 の内容が対象としている例が
>>86 なのであって、
>>112 は
別に特定の誰かに当てたものではない。ことほどに理解力の欠如というものは、論理能力の
貧弱さにあるのだろうなぁ(w)
198 :
計算機 :03/06/09 16:26 ID:sws9YNxd
>>188 > てことは、スマイス調査にあるから正しいという説は捨てた、ということで宜しいですね。
捨てたわけじゃないよ。俺は今でも信頼してるけど、一つのデータに関して信頼するしないを
続けても不毛だと思っただけ。
だから、「共通の認識」から話を始めたいのね。
12/03 すべての城門は土嚢で閉鎖されているが、中山門と長江岸へ通じる 邑江門および舞湖に
向かう南門(中華門=訳者)の3つは部分的に開いている。
(アメリカ資料編P92~93:アチソン)
12/08 邑江門を通って江岸に出て行くのは今も容易であるが 、中国人はそこから城内に入ることは
許されていない。昨夜警官が、城壁の外側 下関地区の家々を一軒一軒回って、長江を渡って
浦口へ行くように警告して 歩いた。
(アメリカ資料編P95~96:アチソン)
12/09 中国軍当局が、江岸へ通ずる邑江門をいつでも閉鎖できるようにしたい と強く要求〜
我々が邑江門を通過した時、門を土嚢で封鎖する作業が進められており また城外の下関の
広い範囲と城壁の近くが焼き払われていた。
以上
ttp://nankinrein.hp.infoseek.co.jp/america.htmlより 12/13には第16師団が下関に来てるよね(師団全部じゃないけど)。陥落(12/13)してから
大規模な流出はあったのかな?
>>164 >中華民国が出した崇善堂の資料こそ、出所も責任者もなにもわからんただの数字の羅列。
>何の説得力もない。田中正明氏みたいな資料の改竄じゃないの?
頭は大丈夫かい?
崇善堂の資料は 出所は崇善堂
責任者は 周一漁
埋葬現場別の埋葬数のHPどっかにあったが出てこん。
>、崇善堂は相対的にやや複雑で、堂長の周一漁は埋葬隊の隊長を兼任しており、
>四つの分隊を設置し、それぞれの隊に主任を一人置き、食事を提供し、給料は
>払わなかった
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/ikotsu.html
>>168 >言ってる事が二転三転するな、お前は。
>前は「住んでるところに死体があったらたまらないから」って言ってなかった?
理解能力が不足してるよ。
自分の国だろ、歩いていけるところくらいに死体があったら位に、大きく考えなさい
言葉は限界があるから、言葉の裏を理解する癖を付けなさい。
いちいち長たらしく言葉で表現できるか!
イラクへの人間の盾も、ニュースが流れると盾になりたいという変わり者が
ずいぶん集まってきたが、後には外務省が危険だからとパスポートを発行して
くれなくなったとか聞いた。これをブームと言う。
すぐ消え去るのは目に見えてるが、やりたくなった人は集まってくるものだ。
>>169 >あんたは連合国側の人間なのかい?何人?(笑)
一応これでも、純大和民族だ。被選挙権もある。
でも大和民族の起こした悪行を、屁理屈こねて隠すような卑怯者じゃない。
悪行は謝れば済むこと、嘘をつけば永遠に引きずるだけだ。
俺に理解できんのは、国家としては金銭的にも解決済みのことをなんで
引きずりたいのか?
30万人でも5万人でもドングリが背比べをしてるようなものだが、、、
>>171 >被害ったってストーカーだぜ?具体的に何ができるのよ?
出来ることなら、無数にあるよ。
警察権力、検察権力の怖さを知らないのじゃないの?
お役人の宣伝や言い訳をマトモに信じてる、中学生かい?
相手は風俗関係のお店を経営して、そうとう良い生活をしていた野郎
みたいだが、その営業停止処分から、捜索、お役人は変わるが税金関係から
叩けばいくらでも埃が出てくる連中だ。
警察、検察が本気になれば、抵抗できる人はほとんど無いよ。
三井検事でさえ、検察組織が本気になったら、屁理屈つけても逮捕できるんだよ
>それは私に会う予定の数時間前に大阪地検特捜部に逮捕されてしまった
>からです。その人物というのは今日の夕刊から派手なニュースの主人公に
>なっている大阪高等検察庁の公安部長、
http://www.1101.com/torigoe/2002-04-23.html
>>172 >脳がグラグラして生活できない状態で、見せしめとかやってる場合じゃないだろ
貴方も理解力が無いね。
匂いの範囲は決まってて、広くないの。
日本軍が生活するところや、エライサンノ視察するところ、新聞記者なんかの
コースは最優先に、日本軍自身が先頭に立って埋葬してるよ。
そうしなければ担当者の責任問題になるよ。
問題にしてるのはそれ以外の場所が、1月間も軍に埋葬許可を出してもらえ
なかったの。
南京市といってもずいぶん広いんだよ、
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/map.html
204 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 16:51 ID:NkoISUTU
>>198 どーでも良い話だが「邑江門」の「邑」を私は「把」としちゃったんだが、正確には手偏に邑だね。
> 12/13には第16師団が下関に来てるよね(師団全部じゃないけど)。陥落(12/13)してから
> 大規模な流出はあったのかな?
それは流入も含めないでしょう。ただ、12/13には渡河するための大型船を下関に返さず、取り残された
市民や兵が残っていたと伝えられます。これが残っていた数百の小舟に殺到したりして、軍民併せて多数が
死んだと。
ところでしつこいようですが、20-25万を信用するというのなら、マギー証言は信用しないということで
良いですね?
>>197 理解力の欠如というのも確かにあるのかも知れんが、君の文章の判りづらさもあると思うぞ。
相手の理解力を批判する前に、自らの文章を推敲してみたらどうだ?
自分の非を棚に上げて相手を小ばかにしたレスをしていると、敵が増えるだけだぞ。
206 :
朝まで名無しさん :03/06/09 16:57 ID:ZOLCbKiV
僕もそう思うんですよ。
207 :
計算機 :03/06/09 16:59 ID:sws9YNxd
>>204 マギー証言って、
「安全地帯には約二十万、或は三十万を超したかも知れませぬ。城外の安全地帯には
モットモット沢山居りましたが、何れにしても推定は不可能であります。」
ってヤツ?
訂正が入って、「安全区内に20万で、城内(安全区内を含めて)30万」というヤツ?
208 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 17:12 ID:NkoISUTU
>>205 ご忠告は有り難く受け止めておくが、評価は個々人に任せるよ。
>>189 >15でも書いたけど、なんで焼いてるんだろ?
火葬のつもりで焼いたんじゃない。
しかし屋外でこれだけになるまで焼いたのは、ずいぶん苦労したと思うよ
焼く前は頭で考えると、天気の良い日に遺体を集めて、戦利品のガソリンや
軽油をぶっ掛けたら簡単に焼却できると思ったんじゃない。
やった事の無い素人はそうだと思うよ。
俺も今は山奥に居るが、茂りすぎた木の選定をして燃やす木が直径4m
高さ1.5mくらいになり、2日後の天気の良い日に燃やそうとした。
車のガソリンと、サラダオイルと新聞紙を使ってやったが無理だ。
皆さんは真似しないように、ガソリンがボンなんて、大きな音たてたよ。
勢いよく燃えたのが最初の10分くらいで、後は黒くこげた木が真ん中にあり
スカスカで燃えやすい葉がなくなり、周りの9割以上は、そのまんまだ。
ドウショウカ悩んでます。
お骨になるまで屋外で焼いたのなら相当の量の軽油や、チャンと良い大きさに
切った乾燥した薪が使われたんじゃないかな。それにある程度の技術もいる。
四苦八苦してお骨にした記念に写真を撮ったんでしょう。
210 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 17:16 ID:NkoISUTU
>>207 > 訂正が入って、「安全区内に20万で、城内(安全区内を含めて)30万」というヤツ?
我々委員会で推定した所では、安全地帯に入ったのは少くとも二十万は入ったと思ふ。其の外に
安全地帯に来なかった者がどの位あったかは到底推定出来ないと思ふ。けれども三十万は最低の
見境りであらうと思ふ。兎に角城外に居った者、市外に居った者がどの位居ったかと云ふことは
到底推定出来兼ねる
ですよ。これは、後になって色々な情報を整理した上での証言だと思いますので、「見方」としては
正しいんじゃないか、と思うんです。証言台で証言させられているという重みもある。つまり、これを
正しいとすると少なくとも市民人口20-25万は否定されます。
そうじゃなくて、安全区内人口としては信用するということですか?
>>202 はは入れません、失礼しました。
>実は午後3時からインタビューする予定になっていたある人物が、
直前になって会うために用意していたホテルに来れない状況になってしまったからです。
なぜか?
それは私に会う予定の数時間前に大阪地検特捜部に逮捕されてしまった
からです。その人物というのは今日の夕刊から派手なニュースの主人公になっている
大阪高等検察庁の公安部長、三井環氏(57)です。
前代未聞ですよねえ・・・
高検の部長といえば次はどこかの地検の検事正になろうかという
幹部中の幹部。その幹部が同じ建物に入っている大阪地検の検事に逮捕されてしまったんですから。
容疑はなにやら人格的に問題があったかのようなニュースになっています。
検察庁がそういう発表をしているから、マスコミもそういう角度で報道しています。
しかし、この事件はそんなに表面的なものではないようです。
彼はこれまで匿名で週刊誌に検察庁という組織にはびこっている
裏金作りについて内部告発していました。
実は今日私が会うのも、その裏金作りについて詳細に聞くためでした。
これまでは匿名でしたが、
彼はようやく実名で公表してもいい感じになっていたところでした。
勿論まだテレビカメラの前でインタビューに応ずるという
確約があったわけではないんですが・・・・私の勘ではそういう方向だったと思っています。
その直前ですからねえ・・・
あまりにもピッタシカンカンの逮捕劇に、驚きを通り越して恐ろしさを感じます。
日本の検察は自らを護るためにはここまでやるのか!!
しかし、日本の検察庁という組織に幹部が自由に出来るカネを(つまり裏金ですね)
プールする手法があったことは確かなようです。これからは恐らくかなりやばい戦いになるでしょう。
もし私の身に何かがあったらそういうことです。
ここにこう書いておくことがそういう意味で大事なんだと思います。
それから検察組織の中で内部告発の情報があったら匿名で結構です。お寄せ下さい、是非。
212 :
計算機 :03/06/09 17:34 ID:sws9YNxd
>>209 やっぱり火葬だと思うか。君の言うとおりこれだけきれいに焼くとすると
大変だよね。なんでわざわざ中国人の死体を火葬してるんだろう(右上)。
右下みたいに黒焦げってのは分かるんだが。
まあ、どうでもいい話か・・・
>>210 安全区内に20万いて、区外に30万いる。つまり合わせて50万と言うこと?
だとしたら信用しない。
内外合わせて30万なら「思う」とか「到底推定できかねる」という程度の数字だから、
20万〜25万と矛盾しないと考えてるよ。
>>166 >我々より多くの資料を基に執筆しているので信頼性は高いと思うけどね。
原剛氏が多くの資料に近づけるのは判るが、その資料名がわからん。
わからない資料名は、日本軍関係として未だに機密にしてる資料だろう。
それでは、原剛氏の都合の良い、偏見の目をとうした資料だけじゃ
信頼性は格段に落ちる。
昔の大本営発表もそうだが、最初頃はある程度信頼性があったと聞く。
チャンと担当者の一つの報告だけでなく、別系統の複数のチェックをして
発表してたので、大げさな戦果報告は公表されなかったとか。
でも敗色濃厚になると、報告の中でも大げさな奴だけ発表して信用を落とした
とかいうが、それと同じで、チェック機能が働いていないから、落第。
214 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 17:49 ID:NkoISUTU
>>212 いや、そう読めるかも知れませんが、市内に30万ということだと思いますよ。いくら何でも
最低が50万では多すぎると思います。
> 内外合わせて30万なら「思う」とか「到底推定できかねる」という程度の数字だから、
> 20万〜25万と矛盾しないと考えてるよ。
いや、マギーは最低限の見積もりと言っているのだから、矛盾しますよ。最低でも五万の差は虐殺
規模推計に当たっては大きすぎませんか。
名無しが靴屋の個人評価を書き込むスレはここですか?
>>179 >市長、調査した委員会のメンバーその他の発言だから信憑性があるだろうということね。
>そして、それらの発言なり証言なりに矛盾が感じられないということね。
矛盾が無いのが当たり前。
情報源が同じなんだから。
逃げ出す直前の市長さんの話から、現在の人口をみんなで推定しているようなもの
しかし食料や燃料の配給には、必要だがそれは自分達が保護している人口だけだ。
保護している避難民に関してだけの、信頼性のある数字だ。
占領後3週間の虐殺が酷く、虐殺は6週間は続いたという。
朝香宮司令官が南京からいなくなってから、初めて落ち着いてきたんじゃないか
安全区はそれでも、西洋人の目があるから少しは遠慮したんでしょう。
217 :
計算機 :03/06/09 18:01 ID:sws9YNxd
>>214 マギー: 「安全地帯には約二十万、或は三十万を超したかも知れませぬ。」
小野寺モニター:「其の外に安全地帯に来なかった者がどの位あったかは到底推定出来ないと思ふ。
けれども三十万は最低の見境りであらうと思ふ。」
上記の通り「かも知れませぬ」、「あらうと思ふ」だから
市長やラーベ他を否定してマギーを肯定することはできないな。
貴方はなんでこの証言を信頼するの?
218 :
計算機 :03/06/09 18:08 ID:sws9YNxd
ところで、この「小野寺モニター」ってどういう人?
219 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 18:16 ID:NkoISUTU
>>217 > 貴方はなんでこの証言を信頼するの?
その理由は既に述べました。
>これは、後になって色々な情報を整理した上での証言だと思いますので、「見方」としては
>正しいんじゃないか、と思うんです。証言台で証言させられているという重みもある。
何度も申しますが、安全区国際委員会などの外国人の当時の認識はあくまで安全区のみでした。彼らは城外には
人はいない、乃至は数千人程度という認識であった。しかしマギーやベイツは他にもいた、と東京裁判の時点では
言っているわけです。これを信用しないというのは、彼らが偽証していることを意味します。少なくともマギーは
具体的に30万人以上といっている。当時の認識では25万だった筈です。マギーは日記を証言台に持ち込んで証
言しており、その日記に人口が書いてあるかどうかまでは存じませんが、当時の状況を思い起こしながら証言して
いることは明らかです。その上で、30万以上だと言っているわけです。
偽証であることが根拠づけられない限りは、他に疑うべき根拠が無く、信用する他ないと思います。
220 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 18:17 ID:NkoISUTU
>>218 速記を採っている最中に修正する人ではないですか。私はそういう風に想像しましたけど。
221 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 18:18 ID:NkoISUTU
いや、通訳の修正かな
222 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 18:23 ID:NkoISUTU
>>217 > 上記の通り「かも知れませぬ」、「あらうと思ふ」だから
裁判所法廷ですから、慎重な証言が求められるので、「かも知れませぬ」、「あらうと思ふ」などという
修飾がつくのですね。それ故に逆に信憑性がある、のではないでしょうか。
223 :
朝まで名無しさん :03/06/09 18:39 ID:JfZ78e8S
まぁ、結論から言うとなかったんけどな。
224 :
計算機 :03/06/09 18:41 ID:sws9YNxd
>>219 > その理由は既に述べました。
悪いんだけど、レス番か何かを示してくれないかな。
> 偽証であることが根拠づけられない限りは、他に疑うべき根拠が無く、信用する他ないと思います。
市長やラーベ他は「証言」はしてないかも知れないけど、ウソであるという根拠もないんじゃないの?
ウィルソンは「11月の終わり及び12月の最初の2週間」に「併し占領後市民の大部分は市をさりまして、
人口の総計は50万以下となったのであります」と証言してるけど、大学病院からの手紙では
「約数十万(12/09)」、「15万から20万(12/14)」、「20万(12/18)」となってるよね。
これはどっちを信頼するの?
それにベイツは「スミス教授及び私は、色々な調査・観察の結果、我々が確かに知っている範囲内で、
城内で1万2000人の男女及び子供が殺されたことを結論といたします。」と言ってるけど、これを
信用するなら1万2000で決着付いてるんじゃないの?
>>222 市長やラーベ他は市の責任者だったり安全区の責任者だよね。「それ故に信憑性がある」、のでは
ないかという反論が可能だよ。
225 :
計算機 :03/06/09 18:45 ID:sws9YNxd
城門の通行だけど、2月中旬(02/18?)の安全区の解散以降に通行が可能になったらしい。 らしいというのは明確なソースが見つかってないから。
>>212 >なんでわざわざ中国人の死体を火葬してるんだろう(右上)。
俺と同じように、予定では完全にお骨にするつもりで燃して黒焦げで
ドモならんで意地になって一部だけでもお骨にしたんじゃないの。
どのくらい燃料がいるか、時間がかかるか、人員が必要かを一応掴んでおきた
かったんじゃない?
実際こういったことはやらないと判らんし、お骨に簡単に出来れば衛生面でも
ずいぶん楽だろう。簡単じゃないのが判って止めたんじゃないの。
227 :
計算機 :03/06/09 19:02 ID:sws9YNxd
228 :
計算機 :03/06/09 19:06 ID:sws9YNxd
>>226 左下の写真は日本兵を火葬にしてるよね。こっちもきれいに「お骨」になってる。
南京に来るまでに何回かやってるだろうから、わざわざ南京で中国人を使って
テストするというのも不自然な気がする。
悪いんだけど、今日はこの辺で。
>>217 >上記の通り「かも知れませぬ」、「あらうと思ふ」だから
>市長やラーベ他を否定してマギーを肯定することはできないな。
俺はこういった証言の方を信用する。
はっきり自分で判ってることと、判っていないことを2分してくれるから
その点、スマイス調査では注意深く読まんと、自分の自信のある数字と
又聞きでアヤフヤな数字が混在してる。
南京の人口を聞かれて(南京市だと思うが)
安全地帯は20万人以上、南京は30万人以上と答えてはいるが、南京城外
や南京市外には何人いたか推定も出来ないと答えてる。
安全地帯に1937.12.13時点で20万人以上逃げ込んできたと
マギー氏は信じてた。
南京市というと南京城外も含むから、この30万人以上と言う数字は
彼女は自信が無いということだろう。
市民が避難した南京市外になったら想像もつかんということじゃない?
>我々委員会で推定した所では、安全地帯に入ったのは少くとも二十万
>は入ったと思ふ。其の外に安全地帯に来なかった者がどの位あったか
>は到底推定出来ないと思ふ。けれども三十万は最低の見境りであらう
>と思ふ。兎に角城外に居った者、市外に居った者がどの位居ったかと
>云ふことは到底推定出来兼ねる
http://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/mondai/jinkou.html#magee1 しかし東京裁判の日本語に翻訳した人の器量が悪すぎる。
その程度の器量しかない人でも、やらせないといけないほど人材が不足
してたのかね、終戦直後じゃ仕方ないか!
230 :
朝まで名無しさん :03/06/09 20:16 ID:+dKxwAhe
Nステーションで放送された「102人の証言」、この本の中に 2時間、機関銃を撃ちまくるとか 腰だめで、機関銃を撃つという話があるそうですが、 虐殺肯定をする方はこれをどう考えますか。 ちなみに、私は、 こんな話、書いて恥ずかしくないのかなと思ったことと なんでこのような嘘をつくのか不思議でした。
>>224 >「約数十万(12/09)」、「15万から20万(12/14)」、「20万(12/18)」となってるよね。
>これはどっちを信頼するの?
全部ヤマカン。
逃げ出した市長からの又聞きや、同じ安全委員会で仲間のラーベと話して
仕入れただけの数字。
その当時はどの組織にも、人口調査する暇も人員も能力も無い。
>色々な調査・観察の結果、我々が確かに知っている範囲内で、城内で1万2000人
>の男女及び子供が殺されたことを結論といたします。」と言ってるけど、これを
>信用するなら1万2000で決着付いてるんじゃないの?
これは決着ではなく、確認したできた人数。
人が確認できた人数を合計しただけで、城内で未確認の場所があるわけだ。
安全区は南京城内の8分の一くらいの土地で、安全区から自由に出て行けなか
った。安全区内はたしかだと思うが、城内は広すぎる。
だから決着はしていない。
232 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 20:30 ID:NkoISUTU
>>230 「あるそうですが」じゃ、いけないと思いますね。きちんと読まないと。
過去スレでもやったと思いますが、80を超えた人に証言して貰っているわけで、正確な描写を
期待するのは無理があると思います。例えばその二時間撃ちにしても、冷却しながら撃った
とでも考えれば別に不思議ではないと思います。腰だめ撃ちは当時の教本にもありました。
それと、嘘かどうかはあなたが決めることではありません。嘘だと仰りたいのなら、嘘であることを
あなたが証明する必要がありますよ。
233 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/09 22:14 ID:NkoISUTU
>>224 > 悪いんだけど、レス番か何かを示してくれないかな。
>>219 でもうちょっと子細に書きましたのがそれです。
> 市長やラーベ他は「証言」はしてないかも知れないけど、ウソであるという根拠もないんじゃないの?
あのぉ、何度も何度も、それは馬市長の難民予想数から来たものであると推定する以外にない、
と言っているんですが。しかも安全区内だけ、と。しかも実数を調べたという記録がないのですよ。
無論、正しくないとは言っていない。12月末から1月末までに行われた登記数からの推定で25万と
出たから、その程度には正しかったのでしょう。但しこの25万も当初20万よりは精度は良いかも知れ
ないが、やはりざっとした推定でしょう。
しかし、何れにせよ安全区内だけ、です。それに対しマギーは安全区外を言っているのです。南京市
って城区よりもかなり広い地域です。そんなに広い地域がどうなっているかなんて、当時分かるわけあ
りませんよ。そもそも城外には出られなかったんだし。そしてベイツもスマイス調査範囲外で多くの殺
された人がいるだろう、と言っています。
こうしたことは後になってでないと分からないのです。だから、市長やラーベがウソをついていたので
はなく、単に当時では分からなかった、知りようがなかったからであって、マギー等の東京裁判の方が
信憑性はある、と言っているのです。
> それにベイツは「スミス教授及び私は、色々な調査・観察の結果、我々が確かに知っている範囲内で、
> 城内で1万2000人の男女及び子供が殺されたことを結論といたします。」と言ってるけど、これを
> 信用するなら1万2000で決着付いてるんじゃないの?
「我々が確かに知っている範囲内で」「城内で」ですよ。そこは何回も私が引用したんですが。
> 市長やラーベ他は市の責任者だったり安全区の責任者だよね。「それ故に信憑性がある」、のではないかという反論が可能だよ。
上で述べたように、反論になってません。仮に正しいとしてもそれは安全区の人口でしかありません。
>>228 >わざわざ南京で中国人を使ってテストするというのも不自然な気がする。
当時は、高級将校はともかく指だけ切り落として残りは埋葬してたんじゃないの
数千躰以上の火葬と、一体だけの火葬とずい分違うだろう。
>>218 >ところで、この「小野寺モニター」ってどういう人?
モニター:監視人、意見を述べる人
裁判所の日本語の通訳が、内容的におかしいときに、書類を正式に記録するときに
別の翻訳の専門家の意見として記録に残したものじゃないかな。
同時通訳だったので、翻訳する人も大変だったのはわかるが、ずい分下手だ。
>>222 のような言い方ならなんとだって言える
始めから結論ありきの戦争裁判での南京事件の審議だから
裁判のマギーは多く言うように期待が掛かっている雰囲気を感じ
多めに言ったあとの予防線としての「かも知れませぬ」、「あらうと思ふ」
、なのではないでしょうか。
238 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/10 00:47 ID:/5Dc9K8P
>>236 > 随分好都合な解釈だな。
なんで? 裁判所は一応は「真実のみを述べる」と誓わされる場ですよ。まぁ、東京裁判に偽証罪なんか
ありませんけども、それでも一応は弁護人や裁判から突っ込みが入る場でしたからね。それに、一応は日本の
戦争責任を問うという極めて重要な場でしたですよ。歴史的な重さがあるほどに。一応はね。
どうやら安全区内に約20万というのは異論ないようですが、 あと下関の埠頭付近に河を越えようとした市民が集まっていたのは分かるとして 問題はその他の安全区外の市内ですね、モットモット沢山居ったのでしょうか? 支那派遣第三艦隊の従軍画家であった住谷盤根の証言 「私は(略)南京が陥落した直後、下関マアトウから新聞記者の自動車に 便乗して、興中門の累々たる伏屍を超えて南京市内に入った。人っ子一人 歩くものはなく、無人の街、建物は半焼けの家並みであった。自動車から 降りて自転車を拾った。少々ペダルの工合が悪いためスピードは出ないが、 結構乗れる。これで南京市政府や参謀本部、市政会館へ入ってみたが、 森閑として人影はもちろんまったくない。死せる南京という言葉が適当であった」
240 :
計算機 :03/06/10 11:03 ID:A0Z9uPkb
>>233 マギーが正しい根拠としては
・東京裁判で証言してるから
・偽証だと証明されていないから
・時間が経ってから証言しているから
ということかな。
貴方の言葉を借りれば、「思いこんでた」かもしれないよ。
東京裁判は日本を「裁く」ための裁判なわけだから、連合軍側に
有利な(多少水増しして)証言をしただけかもしれない。
それに30万も調査に基づいたものじゃないし。
更に言えば、「ウィルソンの50万以下」についてはどう考える?
20万も30万も確かに「50万以下」であるということかな?
馬市長の
11/23 調査によれば現在約50万(で、将来的には20万だろう)
11/27 市民の脱出は続いてるが、30万〜40万が残ってる
ラーベ他の
12/17 我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていました〜
〜20万の中国市民〜
12/12~01/13 南京に残った全住民、つまり約二〇万から二五万の人々が難民区に
逃げ込んだ。
01/13 城内にはもはや誰一人住んでいないが、残りの約二〇万の市民は安全区
(旧住宅街)に収容され
を「思いこみ」であるとか「調査が信頼できない」というなら
マギーの30万はもっと信頼できない。
そもそもマギーは「それは一寸幾ら居ったかと云ふことは申上兼ねるのでありますが、
我々の委員会の「メンバー」の委員の推定に依りますと、安全地帯には約二十万、
或は三十万を超したかも知れませぬ。」と言ってるわけだから数字に(市長やラーベ他を
超えるような)自信があるとは思えない。
241 :
計算機 :03/06/10 11:04 ID:A0Z9uPkb
>>233 >こうしたことは後になってでないと分からないのです。
スミスは1938年3月に調査してるわけで、「こうしたこと」が分かった後で
発表している(「市の陥落当時(12/12〜13)の人口は20万〜25万」)。
というか、信頼するしないの話だから、これ以上は無意味だと思うよ。
それよりも共通認識である「1月半ばから3月にかけては25万〜27万で大規模な
変化はない」というところから絞り込みたい。
> 「我々が確かに知っている範囲内で」「城内で」ですよ。そこは何回も
私が引用したんですが。
これについては後で。どういう反論かは想像がついてるかもしれないが。
242 :
計算機 :03/06/10 11:30 ID:A0Z9uPkb
>>229 信用するしないは別として、俺も自信を持って言った数字とは思えない。
>日本語に翻訳した人の器量が悪すぎる。
俺もそう思う。モニターの訂正なしでは意味が通らんよね。
>>231 悪いんだけど、君の考えてる人口推移を簡潔にまとめてくれ。
ベイツの証言に関してはあとで。
>>234 指じゃなくて首だな?
う〜ん。それだと二度手間だよなあ。
>>235 なるほど。明らかな間違いや誤解を訂正する立場の人ってことか。
>>239 >問題はその他の安全区外の市内ですね、モットモット沢山居ったのでしょうか?
俺はずい分家の中で隠れて、じっとしていた人はいたと思う。
日本の現在の常識を考えても、たとえば外国が東京を占領したとしても商店の人は
誰かはいないと商品を簡単に取られる心配や、火をつけられる心配や多々有る。
日本軍は飛行機からのビラで、降伏する兵隊には危害を加えず、家でじっとしてる
良民は保護すると、松井司令官の名前で繰り返し宣伝していた。
それを日本軍も正式には認めていない安全区に逃げ込んで、乞食をするより
かって知ったる家でおとなしく、少しの食料と水でも食いつなぐ方が現実的だ。
占領後に日本軍が家屋を燃やし始めたのは、家の中に隠れてる人が中国兵を
かくまっていたり、中国兵が捨てた武器を隠してたりするのが、完全には捜索
出来ないからだろう。
燃やすことで完全に中国兵も追い出せるし、武器もなくなり安全になるという
日本軍だけの都合を考えた放火だったんだろう。
>十二月二十一日
>『日本軍が街を焼きはらっているのはもはや疑う余地はない。たぶん略奪や
>強奪の跡を消すためだろう』
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/rabe2.htm
>>242 >君の考えてる人口推移を簡潔にまとめてくれ
南京陥落時は、誰も総人口を調査できないし、噂とヤマカンの世界なんだよ。
100万人いた調査から、良民票16万人分発行の間は、マトモな調査は
無かったわけだ。
245 :
計算機 :03/06/10 13:19 ID:A0Z9uPkb
>>244 >>153 に再掲してあるけど、
共通の認識である「1月半ばから3月にかけては25万〜27万で大規模な変化はない」
というのはどうかな。1月半ばというのは日本軍の登記した人口が16万で、ラーベは
それに子供と歳をとった夫人を加えて25万〜30万としているよね。で、それ以降
ラーベは25万としてる。3月の調査は例のスマイス。
247 :
朝まで名無しさん :03/06/10 14:04 ID:GSEkvzkM
ところで南京で虐殺があったとして何が問題なんだ? ウイルスを完全に消滅できなかったことか?
248 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/10 14:18 ID:iGs3OAuo
>>240 > マギーが正しい根拠としては
重要なのはそこではありません。そうではなく、当時の認識が25万であり、安全区外には殆ど人
はいなかったという認識だったのに、それと違うことを述べているという事実です。ウィルソンも同
じです。何故25万と言わずに50万以下という言い方をするのか。
はっきり書けば当時の認識と思われるものと、東京裁判で言っていることが矛盾しているのです。
その理由として考えられるのは、仰るように、連合国側に有利な発言をしようとした、或いは私が
言っているように既に陥落後約10年も経っているのだから、当時の状況を整理して考えられるよう
になっていたからだ、ということです。真実を述べようとはしなかった、かまたは、真実を述べよう
としたか、何れかです。
では、現段階で分かる限りにおいて、それらの証言や記録などの人口が、「実際」と矛盾するのか、
という考察が必要になります。彼らは当時ほぼ安全区のことしか知らなかった、スマイス調査におい
ても、調査は限られたものでしかなく、20-25万人口などは人口の冒頭で述べられているに過ぎず、ス
マイス報告の前文を書いたベイツは調査範囲外のことは分からないと言っているなど、当時の認識と
それから約十年を経ての証言が異なることは、「当時の状況を整理して考えられるようになっていた
から」と推定すれば、矛盾しないのです。
これを補足するものにラーベのヒットラー宛の上申書の記述があります。数は当てにならないとし
ても「5万〜6万」人の民間人が殺された、と言っているわけです。また、資料のどこにあったかも
忘れましたがウィルソンはそれを10万と言っています。勿論この数も余り当てにはなりませんが、
規模としては明らかに、彼らの認識であったはずの「25万+安全区外に人はいない」から見て無視
できない規模です。
> を「思いこみ」であるとか「調査が信頼できない」というなら
文脈を理解しておられませんね。要は、真の実人口、という観点があなたにないからだと思います。
マギーの30万も、この数字が大事なのではなく、当時の認識と明らかに異なるということが重要な
のです。
南京陥落の際、中国側のトップが正式に降伏せずに遁走したため戦闘状態は継続された。 南京大虐殺の実態は南京守備隊の殲滅であり、日本側は中国人を何人殺害するかあらかじめ 見積もって組織的に殺害を実行した。市民に犠牲が出たのは、員数あわせの為に殺害された からである。殺害された数は日本側が見積もっていた守備隊の総員数と大体一致するはずである。 年明けには予定の人数に達したため、組織的虐殺は終結し、南京は平静を取り戻した、というのが 真相であろう。
250 :
計算機 :03/06/10 16:44 ID:A0Z9uPkb
>>248 マギーが正しい根拠としては
・東京裁判で証言してるから
・偽証だと証明されていないから
・時間が経ってから証言しているから
・当時の一般的な認識(20万〜25万)と異なることを証言しているから
・当時の状況を整理して考えられるようになっていたから
ということかな。
> では、現段階で分かる限りにおいて、それらの証言や〜「当時の状況を整理して
>考えられるようになっていたから」と推定すれば、矛盾しないのです。
連合国側に有利に(水増しして)発言したというのでも矛盾は生じないんじゃない?
ウィルソンを否定してマギーを肯定する根拠は?
マギーって裁判で、ものすごい数の日本軍の残虐行為を告発したけど、実際に目撃したのは
2件だけだったって人だよね。日本軍が残虐だという先入観からこういう発言をしたと
捕らえても矛盾はないよね?
スミスは「市の陥落当時(12/12〜13)の人口は20万〜25万であった」
と言ってるわけだから安全区内だけじゃないよね。調査も城外まで行っている。
スミスは「当時の状況を整理して考えられるようになって」なかったのか?
>要は、真の実人口、という観点があなたにないからだと思います。
「真の」かどうかは分からんが、共通認識から当時の人口を絞り込もうというのでは
いかんのかな?
>マギーの30万も、この数字が大事なのではなく〜
数字は信用していないということかな?
ちょっと気になるんだけど、安全区外の城内に多数が残っていたという
証言なり文献なりはこのマギー証言だけ?
それに、マギー自信が「それは一寸幾ら居ったかと云ふことは申上兼ねる」と言う
ような証言に何故こんなにこだわるのか理解できないよ。
南京手品 南京錠 南京鼠 南京袋 南京豆 南京玉簾 南京虫
252 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/10 17:18 ID:Yyo5mTbh
参考のため、ウィルソン証言部分をK−K氏のページよりもうちょっと多く引用。>計算機 ○岡本(尚)弁護人 証人は証人の病院の医者、看護婦等が南京の落城に先立ちまして逃げたという証言をされましたが、 それは証人の病院に止まらず、その近隣の人々も概ね逃げたのではありませうか。 ○ウィルソン証人 日本軍の南京占領以前、南京の人口は百万でありました。併し占領後市民の大部分は去りまして、 人口の総計は五十万以下となったのであります。 ○岡本(尚)弁護人 それは概ね−−私は時を聞き漏したのですが、何時の標準にして五十万以下ですか。 ○ウィルソン証人 それは十一月終わり及び十二月の最初の二週間のことを申したのであります。 『日中戦争史資料8』P21
253 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/10 18:59 ID:CPUlz3O0
>>250 > ・東京裁判で証言してるから
これは、「であらうと思ふ」から曖昧と言うことに対する反論ということ。
> ・偽証だと証明されていないから
もちろん明らかに偽証であれば、潔く捨てるよ。
> ・当時の状況を整理して考えられるようになっていたから
と推定することにより、矛盾が無くなるから。
> 連合国側に有利に(水増しして)発言したというのでも矛盾は生じないんじゃない?
しかし、偽証(に近いもの)でないとしても矛盾はしない。無理に偽証とすることは、日本が冤罪
であったと言わんが為、になるのではないか?
> ウィルソンを否定してマギーを肯定する根拠は?
いつのウィルソン? 東京裁判のウィルソンとは矛盾しません。
> マギーって裁判で、ものすごい数の日本軍の残虐行為を告発したけど、実際に目撃したのは
> 2件だけだったって人だよね。日本軍が残虐だという先入観からこういう発言をしたと
> 捕らえても矛盾はないよね?
無理に偽証とすることは、日本が冤罪であったと言わんが為、になるのではないか?
> スミスは「市の陥落当時(12/12〜13)の人口は20万〜25万であった」
> と言ってるわけだから安全区内だけじゃないよね。調査も城外まで行っている。
だ・か・ら、陥落時の調査なんか出来ませんし、してません。
254 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/10 18:59 ID:CPUlz3O0
>>250 > スミスは「当時の状況を整理して考えられるようになって」なかったのか?
調査報告は、あくまで調査したことに基づいてだけ(他に資料があればその資料を用いて)、記載され
ているだけです。一部、被害者数が実態より少なくなることは触れられている。
> 「真の」かどうかは分からんが、共通認識から当時の人口を絞り込もうというのでは
> いかんのかな?
陥落時人口は不明であり、虐殺数推定には使えるものはない、ということには変わりません。
> ちょっと気になるんだけど、安全区外の城内に多数が残っていたという
> 証言なり文献なりはこのマギー証言だけ?
色々示してきたと思うのですが、こういうのもあります。
> それに、マギー自信が「それは一寸幾ら居ったかと云ふことは申上兼ねる」と言う
> ような証言に何故こんなにこだわるのか理解できないよ。
そりゃ、陥落時人口を示唆する証言で、「20−25万」説に反するわけだからね。
255 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/10 19:09 ID:CPUlz3O0
256 :
朝まで名無しさん :03/06/10 19:24 ID:Ko0oClTt
通して読んだけど、肯定派ってのは 虐殺で死んだ人数はよく知ってるのに、 生きていた人口は分からないんだね。 普通は逆なものなんだが。
>>255 のリンク先(「安全区外」の残留住民)読んだけど
5万はちょっと過大ではないかとも言っていますね。
元々、中国側資料の埋葬合計数に達する為の安全区外住民数の議論ですよね。
全部殺されても、ゴールはまだ遠いですね。
258 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/10 20:38 ID:CPUlz3O0
>>257 > 元々、中国側資料の埋葬合計数に達する為の安全区外住民数の議論ですよね。
いいえ、少なくとも私はそんな議論してません。
「日本軍はラジオを使って市民に、家にいれば危害は加えない、 なにも怖がることはない、と放送していました。」 いやー、とは言ってもよぉー 戦場になるんだからよぉー 「日本軍の砲弾が新街路近くの一角に落ち、一〇〇人以上の死傷者を出した。」 砲弾も飛び交うだろうしバグダットみたく誤爆ってやつかもね 守るべき富が多い筈の富裕層はかなり早い時期から南京を脱出しており、 つまりそのような危機感知能力も無く 一般市民を守る為に安全委員会は尽力をつくし安全区を用意しており 同胞市民を守る為に唐生智は市民は安全区に集まるように命令を出しおり もう愚者という他ない。 神戸の大地震の時に避難住宅に避難せず半壊の家から動かない人というのも、 これ以上壊れることはないと判断したらそれ以外には危険要因は無いんだから その例えも変だと思うぞ
>>250 >マギーが正しい根拠としては
> ・東京裁判で証言してるから
> ・偽証だと証明されていないから
> ・時間が経ってから証言しているから
> ・当時の一般的な認識(20万〜25万)と異なることを証言しているから
> ・当時の状況を整理して考えられるようになっていたから
おい計算機!これってやんわりと
’こんなのを根拠にしている靴屋は基地外です’と言っているんだろ!
日本軍の損害が5万程度で75万の国府軍が壊滅したのだから大戦果だろう。 大体、日中戦争全体で、日本軍は50万程度の損害で3500万もの中国人を 殲滅したそうだから日本軍将兵は一人死ぬにつき70人の中国人を殺していた 勇士だった。
262 :
朝まで名無しさん :03/06/11 00:10 ID:UxnhktH9
66 :日出づる処の名無し :02/08/18 09:28 ID:ssWbN8DM 「南京大虐殺、日本兵生存者数と証言者数反比例の法則」 (統計学的には全く説明できない現象) 南京作戦参加師団 第5師団 ニューギニア西部のセラム島 ピルで終戦を迎える 第6師団 ブーゲンビル島で終戦を迎える 第9師団 台湾で終戦を迎える 第16師団 レイテで玉砕 第114師団 北支臨汾で終戦を迎える。終戦後、国民党と組んで共産党軍と戦っている 証言者は何故か玉砕した16師団(特に33連隊)に集中 16師団を除く4個師団で終戦時の生存者は3万人はくだらないはず。 33連隊の生存者はどれくらい? 南京作戦主要参加艦艇 24駆逐隊 乗組員の生還者は僅か 海風 トラック島北方にて米潜水艦「ガードフィッシュ」の雷撃を受け沈没 山風 房総半島沖にて米潜水艦「ノーチラス」の雷撃を受け沈没 江風 ベラ湾夜戦にて米駆逐艦の雷撃を受け沈没 涼風 ポナペ島北西にて米潜水艦「スキップジャック」の攻撃を受け沈没 11戦隊 乗組員の大半が生還 安宅 上海にて終戦を迎える。後に中華民国に接収、国府軍軍艦「安東」と命名される 勢多 上海にて航行不能の状態で終戦を迎える。後に中華民国へ接収される 比良 上海にて航行不能の状態で終戦を迎える。後に中華民国へ接収される 保津 安慶付近で座礁、座礁したまま敵機の爆撃を受け大破着底 陸軍のケースと同じで、証言者はやはり生還者の少ない24駆逐隊の方
263 :
朝まで名無しさん :03/06/11 00:22 ID:UYhkFrMk
264 :
朝まで名無しさん :03/06/11 00:23 ID:IJZowXby
>>262 単に、軍隊で嫌な思いをした兵士が証言しているだけでしょ。
伊潜水艦で終戦間近に、重巡インディアナポリスを撃沈した橋本以行氏
は当時南京にいたが、マスコミには殆ど何もその手の事を明らかにして
いないが、ニューカムの「インディアナポリス撃沈」などや、彼の身内
の人が作ったサイトを総合すると、どうも虐殺を見たとしかうけとれか
ねない事が書かれているんだよね。でも…公式には、それをはっきりさ
せていない。大抵、そんなもんなんじゃないのかな?
265 :
朝まで名無しさん :03/06/11 03:24 ID:Q9KmfC18
ところで、何十万もの死体を片づけるのにどのくらい労力と面積がいると思う? まともに墓標を立てるとしたら一人当たり50cm x 2mとして、 200,000平方メータ(20万死んだとして)。平方根はだいたい 450m x 450mになる。青山霊園(26万平方メータ)よりちょっと 小さいぐらいかな。「人口密度」は何倍もあるだろうけど。 ちなみに日比谷公園は16万平方メートル。
266 :
えICBM :03/06/11 08:46 ID:9ZXQmlHi
>>262 第16師団の兵士の証言が多いのは、この師団が下関方面へ攻撃したからである。
南京から敗走する国府軍兵士は揚子江を渡河するために船着場がある下関へ殺到した。
そうなると当然のように船が足りないため渡れない兵士で下関は充満した。
その下関を正面から攻第16師団が、揚子江沿いに北から山田支隊、南から第6師団の
第45連隊、揚子江の対岸から国崎支隊が攻撃した。
そのため、下関で戦った(というか一方的な殲滅)これらの部隊の兵士による投降兵殺
害の証言が多い。
中国、ましてや、当時の中国 信じることが出来ますか
268 :
趣味仕事 ◆uBsX9s9Xc2 :03/06/11 09:50 ID:5C9aTxDx
正直、思うのだが一番の問題は肯定派と否定派で論点がずれている事だと・・。 (2ch的にはその方が面白かったりもするのだが)例えば虐殺がまったくなかったと、 考えている人間はココにはほとんど居ないだろう。では何が問題なのか、少し整理してみると 南京問題 ・その規模と状況の検証。(当時の人口や総死傷者数など) ・その割合の検証。(民間人、軍人、虐殺で亡くなったもの、戦闘で亡くなったもの (その他の混乱によって亡くなったもの、また中国軍、日本軍、暴徒それぞれの加害割合) ・東京裁判及びその他における証言の信憑性。 ・中国政府発表の信憑性。 南京問題以外 ・当時の常識として(現在ではない)どこまでが許容とされるか。 ・中国軍(国民、共産、地方軍閥)の残虐性はなぜ問題とされないのか。 ・戦後、日本人やドイツ人に対する残虐行為は問題とされないのはなぜか。 (第三者的に見るためにドイツを例に取るとある戦場で戦ったある連隊のドイツ人捕虜の内 戦後ドイツに戻れたのは11人だった。またこの戦場で戦ったドイツ人捕虜の内から適当に 各階級から一名づつ、将軍、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、下士官、兵を収容所から連れ出し その戦場で公開処刑にしたなど、どうみても正当とは言えない理由で処刑された多くの人間は 日本人やドイツ人であるという理由だけで歴史から抹消されて良いのか) ・アメリカ的大国主義の理屈は当時も今も対して変わらない。南京問題におけるアメリカのスタンスと イラクに対するスタンスは根本的に同じ(大国のエゴ)と思われるが、日本では南京問題肯定され イラク問題が否定されるのはなぜか。 で、結論はここで分けた南京問題と南京問題以外を同じ土俵で戦わせると話が混乱するばかりということだろう。
269 :
計算機 :03/06/11 11:52 ID:khNDjtTw
>>253 >無理に偽証とすることは、日本が冤罪
>であったと言わんが為、になるのではないか?
無理に正しいとすることは日本が虐殺
をしたと言わんが為、になるのではないか?
>いつのウィルソン?
「11月終わりおよび12月の最初の2週間の人口の総計が50万」というヤツね。
確かに20万も30万も50万以下だね。
>だ・か・ら、陥落時の調査なんか出来ませんし、してません。
ごめん、これは俺の言葉が足りなかったな。言いたかったことは
スミスは安全区内でなく市全体の人口について言及しているということね。
そして、3月の調査は城外まで行っている。だから、証言の時に安全区内、
あるいは城内のみしか視野になかったということはないだろうということね。
>調査報告は、あくまで調査したことに基づいてだけ〜
マギーはその調査すらしていないだろ?
>陥落時人口は不明であり、虐殺数推定には使えるものはない
でもマギーは信用して使うんだろ?
> そりゃ、陥落時人口を示唆する証言で、「20‐25万」説に反するわけだからね。
そんな弱々しい証言を信用するのが理解できないよ。
270 :
計算機 :03/06/11 11:53 ID:khNDjtTw
>>255 そのサイトにクレーガーの01/11の書簡があるね。日本軍の略奪に関する
記述がある(記述の日付は12/13)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
二、ボルヒャート、ポーレ、マイアー邸
一二月一三日午後、この家には何の異状もなかった。使用人はまだ住んでいて、安全区に
移るつもりはなかった。一二月一五日、四人の日本兵を見かけたが、そのなかには下士官が
一人いて、長靴、衣類、食器類、時計、毛布などの物品を家から持ち去ろうとしていた。
私はすでに逃げた二名の兵士に追いつき、力尽くで物を降ろさせることがでいた。下士官は
「和田隊水田上等兵」と名乗った。(以下略)
四、中央路、燕京新村の家々―リンデマン邸、センツェク邸、ブッセ邸
一二月一三日、クンスト&アルバース邸に続いて視察した。両鉄門はしっかりと施錠され、
門番はまだそこに住みつづけるつもりでいた。全家屋に鍵がかけられ、手出しされた形跡は
なかった。一五日午後、二度目の訪問をおこなった。門番はまだいたが、虐待と暴行を
加えられたうえ、日本兵が略奪物を運び去るのを手伝わなければならなかった。(以下略)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
クレーガーは「事実、南京に残った全住民、つまり約二〇万から二五万の人々が難民区に
逃げ込んだ。」と記述している。
(南京の運命の日々 一九三七年一二月一二日〜一九三八年一月一三日:クレーガー)
この記述は難民区(安全区)内のみを見て書いたわけじゃないということだね。
271 :
計算機 :03/06/11 11:53 ID:khNDjtTw
>>255 (つづき)
「ダーディンからの聞き書き(2)」についてだけど、彼は1937/12/18にNYタイムズで記事を
書いてるよね。これはどこで書いたの?3日間しかいなかったと書いてるけどそれはいつ頃?
「その地域には日本軍の占領後行ってみましたが、死体がたくさん転がっていました。
日本軍の砲弾が激しく撃ち込まれたところです。砲弾によって多くの人々が殺されました」
と書いてるから12/13以降だよね。「その地域には日本軍の占領後」とわざわざ書いてるって
ことは占領(12/13)をまたがる形で3日間ということかな?
で、12/19の記事で「自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと思われる」と
書いてるけど、「日本軍の砲弾が新街路近くの一角に落ち、一〇〇人以上の死傷者を出した」
のは12/11だよね。それに、「5万人以上」という程度であればの血のラーベの認識と一致し、
且つその「5万人いじょう」のうちの5万人は安全区内に来たことになる。
272 :
計算機 :03/06/11 11:53 ID:khNDjtTw
>>260 基地外とは言わないけど、少なくとも俺はこの根拠では信用できんということは確か。
>>265 それ実は俺が書いたんだよね・・・「南京大虐殺はなかった」とかいうスレじゃなかったっけ?
>>266 久しぶり。
>>268 >・当時の常識として(現在ではない)どこまでが許容とされるか。
これは南京での状況と「その当時」どうであったかということだから南京問題として
扱わないとまずいんじゃないかな。国際法云々というのは普遍的なものだけど、時間、
場所、状況(ちょっとダブるけど)は南京固有のモノだし。
273 :
計算機 :03/06/11 11:56 ID:khNDjtTw
>>265 前スレか前々スレで一人当たりの体積を元に計算したのもあるよ。
計算間違い(10倍)もあるから気をつけて。
>>249 >年明けには予定の人数に達したため、組織的虐殺は終結し
俺はそう思ってない。
むしろ二月の初めまで大量に虐殺は続いていたと聞くし、片付けても片付けても
新たに遺体が出来て、きりがないという証言も有る。
占領軍のトップ、皇族の朝香宮司令官が交代したのが2月初めだ。
だからこの時点で、日本軍としての全体的意思が変化したと見るべきだ。
司令官が交代してからも3月中頃までは、虐殺記録が残ってます。
> 三月一七日午後一〇時、日本兵六名が、高という鵠済門に住む四〇歳の
>農夫の家に侵入した。かれらは、「数名の女が欲しい」と要求した。高氏は、
>連れてこられるような女性は知らないし、見つけることもできないと答えた。
>すると兵士たちは、高氏の体と首を何度も激しく突き、頭部を銃剣で切った。
>高氏は走って逃げたが、家の入り口にたどり着いたとき、大量の出血して倒
>れてしまった。高氏はふたたび起き上がれずに、亡くなった
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/49nin.html
275 :
_ :03/06/11 12:40 ID:84rLd/d/
276 :
趣味仕事 ◆uBsX9s9Xc2 :03/06/11 12:50 ID:5C9aTxDx
>>272 南京での状況というのは確かに固有のものだと思うし、それはそれで検証の必要はある。
ただ当時の中国社会の常識や考え方、さらに国際社会の論理となると話が大きくなりすぎるので、
南京問題に混ぜるのは微妙だな。
>国際法云々というのは普遍的なも
は、確かに条文は普遍的だけど解釈はやはり時代や国によって違うのでは?
あとこのスレは結局何処までを追求の目標にしているのかがよく分からない。
事実の認定のみを目的としているのか、
(この場合、善悪論にはならない。なぜなら歴史事実そのものには善悪というものは無いと思うので)
それとも日本人の南京での犯罪行為を立証するための事実確認なのか。それとも単に
「南京大虐殺はなかった」とうい意見についての反論なのか?
277 :
計算機 :03/06/11 13:03 ID:khNDjtTw
>>276 >ただ当時の中国社会の常識や考え方、さらに国際社会の論理となると話が大きくなりすぎるので、
>南京問題に混ぜるのは微妙だな。
「南京大虐殺」当時のという冠は付くだろうね。
>>国際法云々というのは普遍的なも
>は、確かに条文は普遍的だけど解釈はやはり時代や国によって違うのでは?
だから、「・当時の常識として(現在ではない)どこまでが許容とされるか。」は
南京問題じゃないかなと思うんだよね。
・・・と、ここまで書いてきて、やっぱり、法解釈(許容)自体は南京問題じゃない
ような気がしてきた・・・
>あとこのスレは結局何処までを追求の目標にしているのかがよく分からない。
今のところは人数論かな(w
善悪を語ってもしょうがないことは分かってるし、極端な話決着が付くとも思ってないけど
捏造された証拠や論理的に(物理的に)不可能な数値は排除しときたいところだね。
278 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 13:04 ID:G/WOvW63
>>269 マギー証言またはウィルソン証言については、以前にも述べたように、当時の記録のみから推定される
限りにおいて、彼らの当時の認識であったであろうと推定される人口認識と矛盾する、からこそ重要性が
あるといっています。彼らは安全区外に人はいないと思っていたはずなのです。
スマイス報告の人口の項の冒頭でただ一回だけ触れられている20万から25万という数字については、
在留外国人の一月中旬以前の認識していた人口数と、一月中旬以降のそれとぴたり一致することから、スマ
イスはそれをそのまま書いただけと判断するのが妥当です。そしてその数は安全区内を元にした人口数でし
た。
さらに言えば、スマイス調査のこの時期、在留外国人は紅卍字会の埋葬数(約四万体)しか知りませんでし
た。その後、東京裁判で提出された埋葬記録がそれを大きく上回ることは言うまでもないですね。このうち
もっとも頻繁に疑問視される崇善堂は「城外で」十万体もの処理をしたと言われています。もちろんこの信
憑性に疑義のあることは知っています。
しかしスマイスはこうした遺体の調査は紅卍字会の埋葬記録(死体自体については調べていない)以外、し
ていません。崇善堂の処理遺体数についての疑問はありますが、埋葬活動があったこと自体は事実です。従っ
てこの点からも、スマイスはその報告に、自らが知り得た情報以外は記載していないことが分かります。そ
もそもこの報告は被害実態を明らかにして救済活動に役立てるために作成されたものであり、日本軍の暴虐
を暴くためのものではありません。
つまり、どっちを信用するということではなく、このような事情を考慮すれば矛盾するものではない、と
いうことです。
ここで一つ質問です。私の推測通りでないとするなら、では何故スマイスは「二十万から二十五万人」など
と五万の幅を持たせて書いたのでしょうか。戦前人口は「100万」の一つの数字しか書いてないわけですが。
279 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 13:13 ID:G/WOvW63
>>270 > クレーガーは「事実、南京に残った全住民、つまり約二〇万から二五万の人々が難民区に
> 逃げ込んだ。」と記述している。
一月十三日の時点では、安全区外で大規模な虐殺があったようなことは彼らが認識していなかった
であろうことは何度も述べておりますが。しかも、安全区外の人に言及したそれは十二月十三日陥落
時点の話です。
彼らが一人として大規模な虐殺を見ていないことは、言うまでもないことですね。
280 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 13:15 ID:G/WOvW63
>>271 > 「ダーディンからの聞き書き(2)」についてだけど、彼は1937/12/18にNYタイムズで記事を
> 書いてるよね。これはどこで書いたの?3日間しかいなかったと書いてるけどそれはいつ頃?
冒頭をよくご覧下さい。
> のは12/11だよね。それに、「5万人以上」という程度であればの血のラーベの認識と一致し、
> 且つその「5万人いじょう」のうちの5万人は安全区内に来たことになる。
あなたはこっちの数字とあっちの数字が一致すると、同じものを指すと短絡的に発想されるのですか?
281 :
朝まで名無しさん :03/06/11 13:16 ID:8JZep5ST
戦死でなった遺体と虐殺でなった遺体と別々に記録していたのかねぇ? 死んだ時に立ち会わないと区別がつかないような気がするが・・・
282 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 13:45 ID:G/WOvW63
>>280 > > 且つその「5万人いじょう」のうちの5万人は安全区内に来たことになる。
> あなたはこっちの数字とあっちの数字が一致すると、同じものを指すと短絡的に発想されるのですか?
これは私の誤解。ダーディンはおそらくは城内人口を言っているのでしょう。私が認識している市民人口は
南京市域を指します。城外では城内には入れません。
283 :
計算機 :03/06/11 14:57 ID:khNDjtTw
>>278 > スマイス報告の人口の項の冒頭でただ一回だけ触れられている〜
>〜そしてその数は安全区内を元にした人口数でした。
スミスは8月末になって報告してるんだよね。3月の調査結果(城外まで含む)と
矛盾するなら「南京市の陥落当時の人口をを20万〜25万と見積もっていたが
XXXの理由で実際はYYYだった」と発言するんじゃないかな。
> さらに言えば、スマイス調査のこの時期、在留外国人は紅卍字会の埋葬数
>(約四万体)しか知りませんでした。その後、東京裁判で提出された埋葬記録が
>それを大きく上回ることは言うまでもないですね。
> しかしスマイスはこうした遺体の調査は紅卍字会の埋葬記録(死体自体については
>調べていない)以外、していません。崇善堂の処理遺体数についての疑問はありますが、
>埋葬活動があったこと自体は事実です。従ってこの点からも、スマイスはその報告に、
>自らが知り得た情報以外は記載していないことが分かります。そもそもこの報告は
>被害実態を明らかにして救済活動に役立てるために作成されたものであり、日本軍の暴虐
>を暴くためのものではありません。
つまりマギーは崇善堂他を含めた埋葬数(15万)を知っていたから30万と発言した
ということ?
> ここで一つ質問です。私の推測通りでないとするなら、では何故スマイスは
>「二十万から二十五万人」などと五万の幅を持たせて書いたのでしょうか。
>戦前人口は「100万」の一つの数字しか書いてないわけですが。
戦前の人口は市のデータだから幅を持たせる意味がないからだろうね。
幅の話となると、マギーは(というか小野寺モニターか?)「安全区内は少なくとも20万、
城内は最低30万」と言ってるわけだから10万単位だね。精度としては落ちるんじゃないかな。
284 :
計算機 :03/06/11 14:57 ID:khNDjtTw
>>278 貴方がマギーの証言を信用する根拠
・東京裁判で証言してるから
・偽証だと証明されていないから
・時間が経って当時の状況を整理して考えられるようになってから証言しているから
・当時の一般的な認識(20万〜25万)と異なることを証言しているから
はこれだけなんだよね?
市長やラーベやスミスの発言の信憑性を疑うのと同じ厳しさで評価すれば
彼らの足元にも及ばないんじゃないの?
285 :
計算機 :03/06/11 14:58 ID:khNDjtTw
>>279 >>270 は虐殺の有無についてのレスじゃないよ。
クレーガーは安全区外にも行ってるということね。
>>255 のページにはクレーガーしかないけど、
例えば、ラーベの日記には以下のような記述がある。
12/13 我々はメインストリートを非常に用心しながら進んでいった。〜上海路へと曲がると〜
12/17 クレーガーが中華門のちかくのシュメーリング家から帰ってきた。
01/17 昨日の午後、ローゼンと一緒にかなり長い間市内をまわった。
ラーベもクレーガーも安全区内に閉じこもってた(区内しか認識できなかった)わけじゃないって
ことだね。
>>280 > 冒頭をよくご覧下さい。
どこ?
> あなたはこっちの数字とあっちの数字が一致すると、同じものを指すと短絡的に発想されるのですか?
???
ラーベは01/17に「増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ」と書いてるよね。
で、ダーディンは12/19に「安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を
数えるものと思われる」と書いてる。これは違うものなの?
>>249 >南京陥落の際、中国側のトップが正式に降伏せずに遁走したため戦闘状態は
>継続された。
正確には少し違います。
当初、降伏を日本側が勧告し、中国側がぐずぐずしてる間に時間切れになり
中国側が降伏を申し出たときには、日本側が拒否してます。
>朝香宮鳩彦が新しく上海派遣軍軍司令官になってから、十二月五日、中島今
>朝吾師団長の「予備交渉の結果中国軍は降伏の用意あり」という報告を聞き、
>彼の署名で「始末せよ」という極秘文書を司令部より出している
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/hon3.htm
>>256 >生きていた人口は分からないんだね。
>普通は逆なものなんだが。
混乱してるときは、人は逃げ回ってるし、家の中に隠れたり、若い女性は
表通にさえ出てこないでしょう。
今でさえ中国は、1人子供政策で内緒で人口統計に出てこない人までいる
んだからね。安全で困ることがなければ、そんな事はないけど。
虐殺で死んだ人数もはっきり判ってないよ。
少ない遺体を近所の人が適当に埋葬した数字は、カウントされてないから。
30万以上と言うのは、慈善団体や日本軍がまとめて処理した数字を集めた
だけの数字だ。
288 :
朝まで名無しさん :03/06/11 15:22 ID:iaNKne+n
>>257 >中国側資料の埋葬合計数に達する為の安全区外住民数の議論ですよね
達しなくても、関係ないよ。
高興祖さんの主張は南京市での中国人慈善団体の埋葬数が20万以上であり
安全区は南京市のゴクゴク一部分に過ぎない。
そこに居た当時の西洋人は、南京市のほとんどの人が安全区に来たと認識して
たが安全区以外のことはほとんど知らないし、知る必要も調査をしたわけでも
ない。調査をしたのは占領3ヶ月後の、1938年3月からだ。
東京裁判でもそのことを証言してるよ。
>>265 >何十万もの死体を片づけるのにどのくらい労力と面積がいると思う?
10万体以上は揚子江に流したようだが、これだと面積はゼロだ。
千体以上の遺体を埋葬した場所は判ってるようだが、大きな穴にまとめて
埋葬していたよ。爆弾の穴や塹壕で掘った穴にどんどん入れて埋めてたよ。
新たに穴を掘るより、楽だからね。
>>267 >中国、ましてや、当時の中国
>信じることが出来ますか
政治家、ましてや、今の日本の政治家
信じることが出来ますか
貴方は信じるよりも、自分の目を信じれるように修行しなさい。
中国も日本もマスコミも、嘘や大げさは当たり前!
294 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 15:39 ID:G/WOvW63
>>283 > スミスは8月末になって報告してるんだよね。3月の調査結果(城外まで含む)と
> 矛盾するなら「南京市の陥落当時の人口をを20万〜25万と見積もっていたが
> XXXの理由で実際はYYYだった」と発言するんじゃないかな。
意味不明です。三月に陥落時の人口調査なんか出来ません。私はただ単に当時在留外国人が認識していた
数字をそのまま記載しただけである、といっています。
> 戦前の人口は市のデータだから幅を持たせる意味がないからだろうね。
> 幅の話となると、マギーは(というか小野寺モニターか?)「安全区内は少なくとも20万、
> 城内は最低30万」と言ってるわけだから10万単位だね。精度としては落ちるんじゃないかな。
質問の答えになっていません。再掲します。
------------------------
ここで一つ質問です。私の推測通りでないとするなら、では何故スマイスは「二十万から二十五万人」など
と五万の幅を持たせて書いたのでしょうか。戦前人口は「100万」の一つの数字しか書いてないわけですが。
------------------------
私の推測を認めるなら認めるで結構ですので、はっきりお答え下さい。
295 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 15:41 ID:G/WOvW63
>>284 > 貴方がマギーの証言を信用する根拠
> ・東京裁判で証言してるから
> ・偽証だと証明されていないから
> ・時間が経って当時の状況を整理して考えられるようになってから証言しているから
> ・当時の一般的な認識(20万〜25万)と異なることを証言しているから
> はこれだけなんだよね?
> 市長やラーベやスミスの発言の信憑性を疑うのと同じ厳しさで評価すれば
> 彼らの足元にも及ばないんじゃないの?
ですから、信用するしないの問題ではない、と何回も言っているはずですが。私はあなたの解釈は
採ってはいないことをお忘れ無く。
>計算機へ 295で >推測 って言ってる以上、「自分はこう考える。」って表明しているだけで、 またその前後のやり取りで、「あなたの指摘は採用しない(考えは変えない)って 宣言しちゃってるんだからほっとけば? あとは読んでる人間にまかせればいいし、「安全区人口は基本的に増減してない。 であるいじょう日本軍が殺した市民が南京にいた「はず」でスタートしてるの見えて んだからさ。
>>271 >(ダーディンが)3日間しかいなかったと書いてるけどそれはいつ頃?
日本軍の占領後3日間の意味でしょう。12月15日に南京から追い出されてます
そのときの記事を新聞社に送ろうとしたが、船の無線を使わしてもらえなかったとかで
上海についてから記事を送りました。
ライバルのスティールは何とかうまいとこ船の無線を使わせてもらい15日に
新聞社に記事を送れました。
自宅待機の5万人以上と言うのは、タダの避難民の噂とヤマカンに過ぎん。
調べる手段も人員も何もない。
298 :
えICBM :03/06/11 15:48 ID:obM5WrL+
>>272 :計算機
>久しぶり。
わざわざ挨拶ありがとうございます。
ところで前のスレで死体の処理に塹壕を使ったらというレスをしてましたが、続報です。
当時の国府軍の塹壕がどのようなものかわからず図書館で調べたのですが、ちょっとだけありますた。
日本軍の偵察機が上空から撮影した上海郊外と南京郊外の国府軍の陣地の空中写真を見ました。
イメージしてたものと違って、波線のような塹壕が四方に延々と続いてました。
死体を放り込めばかなりの数埋葬できるでしょう。
国府軍陣地の位置は、防衛庁防衛研究所戦史部著の戦史業書「支那事変陸軍作戦<1>」に詳しくありました。
南京周辺の国府軍陣地は三層からなっており、それぞれ南京を中心に弧を描いて揚子江に両端が達しています。
外層は南京城から20キロ以上離れています。
中層は10から15キロのところにあり、内層は2から10キロの位置にあります。
陣地の規模からみれば、全ての死体を塹壕に埋葬すれば全て片付くと思われます。
しかし、問題があります。
それは、恐らく最も死者が多かったと思われる下関から最寄の陣地までは10キロ以上離れている点です。
死体を陣地まで運んで、塹壕に埋めたのなら話もわかりますが、この辺は証言を洗う必要があるでしょう。
299 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 15:54 ID:G/WOvW63
>>285 > ラーベもクレーガーも安全区内に閉じこもってた(区内しか認識できなかった)わけじゃないって
> ことだね。
それが、城外を含めた市内全域であるわけですか? 城内でも良いですが、全部見たのですか?
> ラーベは01/17に「増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ」と書いてるよね。
それはあくまでもラーベの認識です。私は以前ラーベが矛盾したことを言っていると書きました。ラーベら
在留外国人は南京残留市民は全員集めた、と20万人が市民人口だった認識の際には言っていたはずだから
です。このことは、必ずしも在留外国人の認識が正しいとは言えないことを意味し、「全員集めた」という
認識は正しくないわけで、そうした記録をを読む私たちが考えなければならないことではありませんか。
闇雲に、市長やラーベの方が正しいと言っているようではお話になりません。
> で、ダーディンは12/19に「安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を
> 数えるものと思われる」と書いてる。これは違うものなの?
私はこれは些か多いのではないかと思っているのですが、ゆう氏もそのページで仰るように、何れにせよ確たる
証拠はありません。但し、ラーベのそれと、ダーディンのそれは「城内でも」少なくとも陥落後数日は安全区外に
人がいた可能性を示唆しています。
300 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 15:58 ID:G/WOvW63
>>283 > つまりマギーは崇善堂他を含めた埋葬数(15万)を知っていたから30万と発言した
> ということ?
そんなことはマギーは言っていません。マギーが何を根拠にしてそ30万が最低限度といったのかは
よく分かりません。私が重要視しているのは、当時の認識(と我々が解釈できるところのもの)と矛盾し
ているという事実です。
301 :
朝まで名無しさん :03/06/11 15:58 ID:CIpL+0OO
302 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 16:03 ID:G/WOvW63
303 :
えICBM :03/06/11 16:12 ID:obM5WrL+
>>302 :靴屋
ご無沙汰です。
南京大虐殺を新しい切り口で調べたいと思ってるのですが、なんせ私の住む町では史料がそろいません。
国会図書館などを利用できたら良いのですが。
>>290 占領地の混乱が占領軍の仕業でないというサンプル貼って。
何考えてんだこのバカ
>>283 >スミスは8月末になって報告してるんだよね。3月の調査結果(城外まで含む)と
>矛盾するなら「南京市の陥落当時の人口をを20万〜25万と見積もっていたが
>XXXの理由で実際はYYYだった」と発言するんじゃないかな。
スマイス調査は調査時点1938年3月の50軒に1軒の訪問調査
一家全滅や一家で疎開したら数字に出てこん。
それに3ヶ月以上前の人口を調べるような、仕事を受けてる訳じゃない。
そんな事をしてたら、調査の為の調査になって、時間がいくら有っても足らん。
スマイスはこれからの南京城内への食糧、燃料、輸送網整備の必要性での調査だ
>当地域の農家からどのような食糧の供給を予想できるであろうか?
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/smythe.html
>>298 >恐らく最も死者が多かったと思われる下関から最寄の陣地までは10キロ以上離れている
下関の遺体は7割方は、揚子江に水葬にしてるよ。
>私が十五日夕刻、碇泊場司令部に着くとすぐ、司令官より次の命令が下った。「安達少佐が死体処
理に当っている。おまえもこれを援護せよ」 こうして私は下関埠頭に行きました。(埠頭はニ分担さ
れ、安達少佐が東側、私が西側を担当して死体の処理に当った。われわれは三十隻の蒸気船と十台の
トラックを全部利用した。十六日から十八日までのニ日間で私が一万九千体、安達少佐が一万六千体
を処理した。私が到着する前に安達少佐が処理した六万五千体とあわせると碇泊場司今部が処理した
死体の数は十万を超える。その十万のうち三万は埋められるか焼かれた。他は揚子江に投棄された。
何の話してるの?下関付近の戦闘で多くの死者が出たという話?
308 :
えICBM :03/06/11 16:31 ID:obM5WrL+
309 :
えICBM :03/06/11 16:41 ID:obM5WrL+
310 :
朝まで名無しさん :03/06/11 16:43 ID:MQJxQfL1
つーか数千〜1万程度ならともかく、 7万体もの死体をいっぺんに流したら 川の流れが止まってしまうだろが。 死体1体を50kgとして、7万体だと3500トンだぞ(笑) もっと常識的な範囲で信憑性のある証言を持ってこい。
>>304 >占領地の混乱が占領軍の仕業でない(か)というサンプル貼って。
占領したら、その土地での全権力を軍隊は握ってしまうんだよ。
安全区で元兵隊らしき人を殺そうと、強姦しようとブレーキが効かん。
わずかに外国人の目が気にかかるくらいのオールマイティーだ。
わざと混乱を放置することで、軍隊の役割を認めさせ、依頼心を心に刻むのも
一つの方法だろう。
312 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 16:46 ID:G/WOvW63
313 :
朝まで名無しさん :03/06/11 16:49 ID:MQJxQfL1
>>311 ベトナムでの韓国人のような考え方だな(笑)
アメリカ軍はフセイン政権ぶっ潰した時、
占領地で強姦だの虐殺だのやってたのか?
>>311 実行者を占領軍兵(日本兵)にするなよw
315 :
朝まで名無しさん :03/06/11 16:51 ID:SSYk7vt7
南京40万人説まで出てきているらしいです。 さすが、ちゅうこくちん、あるよ!
>>311 >わざと混乱を放置することで、軍隊の役割を認めさせ、依頼心を心に刻むのも
>一つの方法だろう。
だから何でこんな例を出すんだバカ、いい加減にしろ!
現地人の狼藉者に対峙して日本軍が南京市民に依頼されてるんなら
大虐殺話の大前提が崩れるだろ!
318 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 17:11 ID:G/WOvW63
319 :
朝まで名無しさん :03/06/11 17:12 ID:MQJxQfL1
>>316 >二千メートル、いやもっと広かったであろうか、その広い川幅
肉眼で2キロの幅を計れたのか、超人だな(笑)
それはともかく、幅2kmとしても10万体入れたら
川の流れはせき止められるよ。計算してみな。
>日本の川と誤解してんじゃないのかい?
日本の川じゃ、流れが止まるとかいう以前に
そもそも10万体も捨てられない(笑)
320 :
朝まで名無しさん :03/06/11 17:18 ID:MQJxQfL1
>>297 >自宅待機の5万人以上と言うのは、タダの避難民の噂とヤマカンに過ぎん。
>調べる手段も人員も何もない。
なるほど、当時の外国人達は南京の状況について
噂とヤマカンだけで判断してた、という事ですな。
ラーベもダーティンも全部そんなんだろうね。
そんな連中の証言なんて一切合財アテにならんね。
さて、それら以外で虐殺目撃の証言って何かあるの?
321 :
えICBM :03/06/11 17:21 ID:obM5WrL+
>>恵也
私の持ってる史料の地図だと下関から対岸までは4キロはありそうだ。
どこかに川幅をしっかり書いた資料は無いのか?
>>318 :靴屋
>ただねぇ、太田供述書には梶谷日記という内容が全然違うものがあるんです。
規模が規模だから太田供述書どうりだともっと他にも証言があるだろう。
ところでこの太田ってどこの師団?
322 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 17:23 ID:G/WOvW63
>>319 その話を計算した人がいまして。ちょっとログから引用します。引用先は多分既に
ネット上にありません。
---------------
まずわかっていることは、揚子江には筏のようにほとんど隙間なく死体が浮かんでい
たという事である。その範囲は向こう岸まで約2千メートルである。では人間は川の上
流方向から下流方向にかけて何メートル見渡せるだろうか。観測者の目の高さを1.5
メートル、地球半径を6,378キロメートルとして、見渡せる地平線までの距離を計
算してみると、その距離は4.37キロメートルであることがわかる。
さらに大気の屈折による影響(大気差)のため6%ほど遠くまで見渡せるため、実質
4.63キロメートルとなる。つまり、川の上流方向から下流方向にかけて人間が見渡
せる距離は4.63×2=9.26、つまり約9千メートルなのである。
ということは、揚子江はこの時、2,000×9,000=18,000,000平
方メートル内にぎっしりと死体が浮かんでいたことになる。
次に、人間の形を0.5×1.5メートルの長方形として単純化しこれを何体、視界
の揚子江内に敷き詰めることができるか、計算してみると、
18,000,000/(0.5×1.5)=24,000,000
つまり、2千4百万体となる。しかし、証言者によると死体は”山”のようなってい
たそうだし、視界の外側にある死体は計算に入れてない。また、日本兵が虐殺した中国
人の死体がすべて揚子江に浮かんでいたと考えるのは不自然である。つまり、南京全体
ではこの2千4百万体を遥かに上回る人間が虐殺されたことになる。
---------------
まぁ、表現をそのまま信じるのもどうかと思いますが。
323 :
えICBM :03/06/11 17:29 ID:obM5WrL+
>>322 普通こういう計算をする場合は考えられる範囲の計算をする。
つまり計算結果に幅を持たせるものだ。
その計算だと一つの計算例に過ぎず、それから何かを語るのは片手落ちだろう。
>>313 >アメリカ軍はフセイン政権ぶっ潰した時、
>占領地で強姦だの虐殺だのやってたのか?
程度の差はあるが、やってるよ。無いと見るのが異常だ。
どこの兵隊にも不良分子はいるしね。
沖縄の米軍を見たらわかるだろう、中学生相手だっけ、占領軍は優越感の塊だよ。
まあ、南京みたいなだらしないことはしてないが。
325 :
計算機 :03/06/11 17:38 ID:khNDjtTw
>>294 >意味不明です。三月に陥落時の人口調査なんか出来ません。
>私はただ単に当時在留外国人が認識していた
>数字をそのまま記載しただけである、といっています。
俺が言いたいのはスミスは20万〜25万という数字が妥当だと思っているから報告した
ということね。
3月の調査結果と20万〜25万を照らし合わせて、且つ時間が経って当時の状況を整理して
考えられるようになっても20万〜25万という数字を訂正しなかったということね。
>私の推測を認めるなら認めるで結構ですので、はっきりお答え下さい。
当時の市長やラーベのデータを信用してる(思いこんでる)からと答えて
欲しいのかな?
スミス自身が混乱の中にいたわけだからかっちりしたデータは出てこないだろう。
実際、最初は20万程度だと思っていたのが25万になったわけだしね。
そして、最初から25万いたのを20万と思いこんでた可能性だってあるし、22万が
24万に増えただけかもしれない。
だからといって「最低30万」になるかと言えばそれは別。
>>295 > ですから、信用するしないの問題ではない、と何回も言っているはずです
>が。私はあなたの解釈は採ってはいないことをお忘れ無く。
???貴方はラーベ他の「市民はほとんど全部安全区にいてその数は20万」を
信用してないわけでしょ?で、マギー証言の「最低30万」というのを信用している
んじゃないの?
マギー証言を信用するというならその根拠が必要だよね。その根拠が
>>284 で示した
4点ということじゃないの?
「信用する」という言葉が不適当だと思うなら「採択する」でもいいよ。
326 :
計算機 :03/06/11 17:38 ID:khNDjtTw
>>296 生暖かく見守って欲しい。
>>297 なるほど。12/13(12?)〜12/15かな。ありがとう。
>>298 >波線のような塹壕
真っ直ぐだと敵が塹壕に進入して、銃を撃ったときに見通せちゃう(銃でねらえちゃう)
からジグザクに掘るんだそうだよ。爆弾を放り込まれたときもジグザグなら被害を受ける
距離が小さくてすむだろうし。
>外層は南京城から20キロ以上離れています。
(略)
>死体を陣地まで運んで、塹壕に埋めたのなら話もわかりますが、この辺は証言を洗う必要が
>あるでしょう。
ひょっとして、10km以上離れた陣地まで運んで埋めるのと資格で穴を掘って埋めるのと
どっちが効率的か(というか効率的だと当時考えたか)が問題なのかな。
327 :
計算機 :03/06/11 17:39 ID:khNDjtTw
>>299 > それが、城外を含めた市内全域であるわけですか?
俺は城外について言及したことはないよ。スミスの調査内容でも城内部分に限って
言及してきたはず。だから共通認識として1末から3月までの人口も正確には
24万〜27万としてきた(
>>17 )
>城内でも良いですが、全部見たのですか?
小学生みたいな反論するなよ。
>闇雲に、市長やラーベの方が正しいと言っているようではお話になりません。
俺には貴方が闇雲にマギーの証言を正しいと言ってるように思えるよ。
>>300 > そんなことはマギーは言っていません。
俺もマギーがそう言ってるとは言ってないよ(w
貴方がそう言ってる。
>スマイス調査のこの時期、在留外国人は紅卍字会の埋葬数
>(約四万体)しか知りませんでした。〜
>〜従ってこの点からも、スマイスはその報告に、
>自らが知り得た情報以外は記載していないことが分かります。
貴方はマギーは「自らが知り得た情報以外」を加味して30万と証言したと言ってる。
>>278 を読み直して欲しい。
>>305 まあ、ちょっと待て。
>>322 その論理だと、4.6km先の人間を認識できるということになるね。
渋谷駅から東京タワーにいる人を認識できるということになるね。
諏訪湖の対岸近くに浮いている人間を認識していることになるね。
328 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 17:40 ID:G/WOvW63
>>321 > 規模が規模だから太田供述書どうりだともっと他にも証言があるだろう。
いや、他にはないようです。
> ところでこの太田ってどこの師団?
私の持っている史料にはどこの所属か書いてありません。騎兵第四連隊とあります。蕪湖を出発しているところから
第一八師団かも知れません。
329 :
計算機 :03/06/11 17:44 ID:khNDjtTw
ごめん、書き忘れ。
>>300 >マギーが何を根拠にしてそ30万が最低限度といったのかは
>よく分かりません。私が重要視しているのは、当時の認識(と我々が解釈できるところのもの)と矛盾し
>ているという事実です。
貴方が重要視するのはかまわんよ。問題は貴方がその証言を絶対視してることだよ。
市長やラーベの数字がが正しい程度にマギー証言は正しいかもしれないし、市長やラーベの数字が
疑わしい程度にマギーも疑わしい。
俺個人はマギーの方がずっと疑わしいと思ってるが。
ところで、
>>212 後半から延々やってるけど、仮にマギー証言を認めるとしたら
城内で5万以上が虐殺されたとするのかな?
330 :
えICBM :03/06/11 17:47 ID:obM5WrL+
>>326 :計算機
なるほど、ジグザグ波波は塹壕に遮蔽物を作るわけなのか、知らなかった。
>ひょっとして、10km以上離れた陣地まで運んで埋めるのと資格で穴を掘って埋めるのと
>どっちが効率的か(というか効率的だと当時考えたか)が問題なのかな。
その辺は実際埋葬した人の証言が無い限りわからないだろう。
けど南京城の南と東側は陣地と殲滅地点が近いので、そちらの埋葬は楽だったろう。
>その論理だと、4.6km先の人間を認識できるということになるね。
良い猟師になれるだろう。
331 :
計算機 :03/06/11 17:57 ID:khNDjtTw
>>330 >良い猟師になれるだろう。
ゴルゴ13ですら2kmなんだけどね。
まあ、認識するのと当てるのは違うか(w
332 :
えICBM :03/06/11 18:13 ID:obM5WrL+
>>328 :靴屋
>私の持っている史料にはどこの所属か書いてありません。騎兵第四連隊とあります。蕪湖を出発しているところから
>第一八師団かも知れません。
騎兵第四連隊は日露戦争当時は第四師団に所属してます。
ただ、南京攻略戦のときにどこに所属していたかは、ちょっとわかりません。
第四師団は南京攻略戦に参加してないので、どこかの部隊と混成されたのでしょう。
333 :
えICBM :03/06/11 18:14 ID:obM5WrL+
>>331 :計算機
間違い間違い。
猟師じゃなくて漁師だった。
334 :
計算機 :03/06/11 18:25 ID:khNDjtTw
>>靴屋
これ以上の議論は不毛だろうから、俺の主張を書いとくよ。
市長やラーベ他の陥落当時の市の人口は20万程度で、日本軍の登記(16万)を元に
推計し直したら25万になったというのは信頼性があると思う。また、城内のほとんどが
安全区内にいたと思う(もちろん「全部」とは言わない)。
なぜなら
・市長は市民(金持ちだけかもしれんが)の誘導の責任の一端を担ってるし、
その経過も把握していただろうから。
・ラーベは安全区内の難民の食料その他を手配する立場にあったわけだから
ある程度の精度で安全区内の人数を把握していたはずだから。
・また彼(彼以外も)は安全区外にも出掛けているから区外の状況についても
ある程度把握していたはずだから。
ちなみに安全区内20万、区外の城内5万なら80%が安全区内にいたことになるね。
仮に区内22万、区外の城内2万(だいたい区内20万で合わせて25万)なら90%以上が
区内にいたことになる。
マギーの「最低30万」を信用しないのは
・「それは一寸幾ら居ったかと云ふことは申上兼ねる」ような数字で、且つ
「到底推定出来ないと思ふ」ような数字だから。
・「30万」と「最低」の両方の根拠が不明だから。
・死体の埋葬数について新しいデータ(崇善堂)にとらわれている考えられるから。
>>333 水面に浮かんでる水鳥を撃つのかと思った・・・
335 :
計算機 :03/06/11 18:36 ID:khNDjtTw
ごめん、また書き忘れ。 市長とラーベ他の数字を信用する理由を追加。 ・市長は市民(金持ちだけかもしれんが)の誘導の責任の一端を担ってるし、 その経過も把握していただろうから。 ・ラーベは安全区内の難民の食料その他を手配する立場にあったわけだから ある程度の精度で安全区内の人数を把握していたはずだから。 ・また彼(彼以外も)は安全区外にも出掛けているから区外の状況についても ある程度把握していたはずだから。 ・後に(3月)調査したスミスが訂正してないから。 最後のスミスを追加ね。 スミスは「市の陥落以降、14週もたった後でも、住民の43パーセントが住んでいたのである。」 と報告してるけど、これは陥落当時はもっと多かったことを示している。
336 :
計算機 :03/06/11 18:37 ID:khNDjtTw
今日はこの辺で。
337 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 18:49 ID:G/WOvW63
>>325 > 俺が言いたいのはスミスは20万〜25万という数字が妥当だと思っているから報告した
> ということね。
では、スマイスはどうしてそれが妥当だと思ったのでしょうか。推測で構いませんのでお答え願
います。
> 3月の調査結果と20万〜25万を照らし合わせて、且つ時間が経って当時の状況を整理して
> 考えられるようになっても20万〜25万という数字を訂正しなかったということね。
訂正しなかった? どうして訂正の必要性が生ずる場合があり得るのですか? 調べることなど
出来ないのですから、訂正など出来るわけないのですか。
> スミス自身が混乱の中にいたわけだからかっちりしたデータは出てこないだろう。
> 実際、最初は20万程度だと思っていたのが25万になったわけだしね。
> そして、最初から25万いたのを20万と思いこんでた可能性だってあるし、22万が
> 24万に増えただけかもしれない。
私が聞いているのは、どうして25万と書かずに20〜25などという「書き方」をしているのか
です。人口表の注釈を見れば明らかなように、25万には一応根拠があります。ならば、陥落時に
人口が少なくなることはないのだから、25万と書けば良いはずです。戦前人口も100万という
書き方をしているのです。これは当時そう「言われていた」からです。20−25もそう言われてい
ました。
338 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 18:49 ID:G/WOvW63
>>325 > 信用してないわけでしょ?で、マギー証言の「最低30万」というのを信用している
> んじゃないの?
数そのものは陥落時実人口を示すという意味では重要ではありません。そうではなく、当時の認識が
「25万であり安全区外に人はほぼいない」という認識であった筈なのに、その「当人」がそれと異な
ることを言っている、ということです。要するにウィルソンにせよ、「当人」自身が矛盾したことを
言っているのです。別人が矛盾したことを言っているわけではないのです。
ラーベも、ドイツ帰国後(1938/6)の上申書の中で市民犠牲者は5〜6万と言っています。我々が記録
から判断される限りにおいて、当時の認識だったと思われるものと、「当人」自身たちの言っているこ
とがかなり違うのです。
計算機さんは、ラーベらの言った数字を信用するわけでしょう? じゃ、このようにそれと異なる記
述は信用しないのですか?
339 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 18:50 ID:G/WOvW63
>>327 > 俺は城外について言及したことはないよ。
城外人口も重要ですよ。なにせ、崇善堂は十万体もの埋葬処理を城外にて行ったらしいですから。
塹壕を利用した埋葬の話もありますね。塹壕以外にもクリークというものもありますが。
> >城内でも良いですが、全部見たのですか?
> 小学生みたいな反論するなよ。
城外人口も重要な観点だからです。戦前では城外市内には約15万の人口があったといわれ、攻略
戦時には近郊六県の避難流入があったかも知れません。中国軍の清野作戦も実態は限られた部分にし
か行っていないようであり、城区より遙かに広い市内全域の焼き払いはなかったでしょう。
> > そんなことはマギーは言っていません。
> 俺もマギーがそう言ってるとは言ってないよ(w
> 貴方がそう言ってる。
あれはスマイス調査が、調査しなかったことに対しては何も言及していないことを例として示した
だけであり、マギー証言への私による言及とは関係ありません。
> 貴方はマギーは「自らが知り得た情報以外」を加味して30万と証言したと言ってる。
上記の撮りです。
>>278 をよく読み直して下さい。
> その論理だと、4.6km先の人間を認識できるということになるね。
表現をマジに受け取ってそのまま計算しただけですね。こんなログが良く私のパソコンにあったもん
だなぁと。
340 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 18:50 ID:G/WOvW63
>>329 > 貴方が重要視するのはかまわんよ。問題は貴方がその証言を絶対視してることだよ。
> 市長やラーベの数字がが正しい程度にマギー証言は正しいかもしれないし、市長やラーベの数字が
> 疑わしい程度にマギーも疑わしい。
これについては前述したように当時南京にいた「当人」自身が矛盾したことを言っている、ということに
尽きます(*1)。ラーベも市民被害数という対象の違いはありますが、同様です。
*1:当人といっても、マギー自身、ウィルソン自身というわけではありません。これについては詳細は
別途調べる必要があります。私が言っている当人とは「安全区国際委員会」(または「南京国際赤十
字委員会」)にいて共通認識を持っていたであろう人々、ということです。
> 城内で5万以上が虐殺されたとするのかな?
前述したように、マギーのいう数そのものが陥落時実人口(の最低限)を指すとは考えていません。マギー
証言の重要性は当人自身が矛盾したことをいっている、ということが重要なのです。
・在留外国人の当時の認識は市民人口25万←→マギー証言では最低30万と「大きな差」がある。
・安全区外には殆ど人はいなかった←→到底推定できかねる。
341 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 19:14 ID:G/WOvW63
>>323 > 普通こういう計算をする場合は考えられる範囲の計算をする。
> つまり計算結果に幅を持たせるものだ。
> その計算だと一つの計算例に過ぎず、それから何かを語るのは片手落ちだろう。
いや、十万体如きでは堰き止まらないという話ね。
342 :
朝まで名無しさん :03/06/11 20:02 ID:UxnhktH9
>>靴屋
君の負け
計算機氏のロジックを崩せてないし君のレスは駄々をこねてるだけでロジックがない。
このままで行くと虐殺された人口が無くなっちゃうから急にマギー証言に拘泥し始めたんだろ?
城門が閉まってる期間ってのもまずいわなあ。
将棋で言えば後何手かで計算機がつむよ(w
つーかマギーに関しては
>>283 で既につんでる。ヘマしたね。>>靴屋
344 :
朝まで名無しさん :03/06/11 20:18 ID:yaPcoiDN
いずれにしろ中国人を殺す事は罪ではない。
345 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 20:29 ID:G/WOvW63
346 :
えICBM :03/06/11 20:33 ID:obM5WrL+
>>342 >一般市民の場合は、どう説明しますか?
一般市民を殺害したという証言が多いのなら教えてくれ。
347 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 20:47 ID:G/WOvW63
>>334 > ・市長は市民(金持ちだけかもしれんが)の誘導の責任の一端を担ってるし、
> その経過も把握していただろうから。
調査したという根拠を示して下さい。市民の脱出などの流動的な状態が続く中で、どうやって
実際の人口が掴めるのでしょうか。馬市長は12/8、なんと陥落の五日前に逃げてしまいます。これ
で責任なんかあったといえるのでしょうか。
> ・ラーベは安全区内の難民の食料その他を手配する立場にあったわけだから
> ある程度の精度で安全区内の人数を把握していたはずだから。
じゃぁ、日本軍に米を取られたりしているわけですが、そうすると不足してしまっていた筈なん
ですが、不足していたという事実を示す記録はありません。きちんと管理して的確に配給していた
なら、日本軍の接収により酷く苦しい状態になったはずです。
> ・また彼(彼以外も)は安全区外にも出掛けているから区外の状況についても
> ある程度把握していたはずだから。
どの程度把握していたのでしょうか。
> ちなみに安全区内20万、区外の城内5万なら80%が安全区内にいたことになるね。
> 仮に区内22万、区外の城内2万(だいたい区内20万で合わせて25万)なら90%以上が
> 区内にいたことになる。
これはスマイス調査の話だと思いますが、その「当時」は三月調査ということで決着していた筈
ですよ。
348 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 20:47 ID:G/WOvW63
>>334 > マギーの「最低30万」を信用しないのは
> ・「それは一寸幾ら居ったかと云ふことは申上兼ねる」ような数字で、且つ
> 「到底推定出来ないと思ふ」ような数字だから。
> ・「30万」と「最低」の両方の根拠が不明だから。
> ・死体の埋葬数について新しいデータ(崇善堂)にとらわれている考えられるから。
それは変です。マギーら在留外国人には当時安全区外にはほぼ人はいないという認識だったはず
です。また、30万ではなく25万だった筈です。なお、崇善堂は私の述べたことを誤解したこと
によるものですが、マギーが崇善堂の記録を知っていたという根拠は何もありません。
あと、スマイス調査の訂正の話ですが、これも既に述べたようにスマイスは陥落時の調査などし
ていないのですから訂正などあり得ません。
要は、計算機さんの述べたことは全部計算機さんの頭の中の想像に過ぎないことであり、陥落時人口が
実際に20-25万であるということを到底埋めきれるものではありません。
349 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/11 21:57 ID:ApNOg6yt
>>322 自己レスですが、
>>322 の話は、本多勝一『南京への道』にあった以下のような証言を否定しよう
とする試みで書かれたものです。
−−−−−−−−−−
(揚子江は)2千メートル、いや、もっと広かったであろうか、その広い川幅
いっぱいに、数え切れないほどの死体が浮遊していたのだ。見渡す限り、死体し
か目に入るものはなかった。川の岸にも、そして川の中にも。それは兵士ではな
く民間人の死体であった。大人も子供も、男も女も、まるで川全体に浮かべた”
イカダ”のように、ゆっくりと流れている。上流に目を移しても死体の”山”は
続いていた。
−−−−−−−−−−
実に馬鹿げた計算をした人がいる、というだけです。そんなにうまく2400万体もの死体を
揚子江のその全域にぎっちし詰め切れるわけありません・・・という問題でもないですが。
350 :
朝まで名無しさん :03/06/11 22:03 ID:BgwTp9Hx
『政変昭和秘史』/サンケイ出版 「女房持ちの多くの兵たちが、突然動員され、出征させられるのだから、大陸各地で性犯罪が 頻発するであろう事は自明だったのだが、これを抑制したり、取り締まったりする方法は なかったわけだ。事実、当時の逓信事務次官だった小野猛は、極秘だがお目にかけよう、 と言って分厚い数冊の写真帳を貸してくれたので、開いてみたら、暴行の限りを尽くした写真が 一杯である。ストリップ写真に食傷している現代人が見ても、ぎょっとするようなエロ・グロ写真。 そして、血刀を差し上げている一兵士の周囲に、数十筒の中国兵の首級が並べられている ものだとか、近衛に相似した中国兵の首級を木の枝にひっかけ、葉巻をくわえたような形で、 切断した男根を口に挿し込んだものだとか、筆紙に尽くしがたい残虐写真が満載されていた。 ・・これらの写真は、小野次官の説明によると、出征兵士たちが、自己の武勇(?)を誇示する ためかどうか、写真にとって家郷に送ったものが、途中検閲によって押収されたものだと いうことだ。日本民族に潜在する残虐性が、戦場という異常事態に触発されて暴発したもの であるにせよ、あまりにも無残であり、ひどすぎるというxxの声である。 かつて外国人によって書かれた「奉天20年」に見られる日露戦争当時の軍規整々を謳われた のと同じ日本人、しかも私共の父祖の時代との対比であるだけに、驚きは大きく、とくに 下村海南は、日露戦争当時、逓信省郵政局長として活躍した人物だけに、痛恨の情は ひとしおだったようだ。終戦時のこと、この問題に関係するのだが、支那派遣軍最高司令官 だった岡村寧次陸軍大将は、引き揚げて帰国後、戦時中日本兵士が中国大陸で犯した 残虐事件について、数多くの資料を持っていること、日本人がかような残虐事件を犯すに 至ったのは、過去の教育が誤っていたのではなかろうか、新生日本の将来を考えると、 どうしても日本人の精神改造というか、人格の練り直しをはからねばならぬと思うが、 研究してくれぬか、と大きな袋をかつぎ込んで相談にやってきたことがある。」
351 :
朝まで名無しさん :03/06/11 22:04 ID:BgwTp9Hx
「戦場神経症並びに犯罪について」より (昭和13年4月 上海第一兵站病院 予備陸軍軍医中尉 早尾乕雄) 第三章 戦場に於ける犯罪に就て 今時の事変中将兵中に頻発せる犯罪事件は其の数極めて多く其の原因につきても種々講究 するの要を感じ命により法務部及び憲兵隊と連絡をとり調書、司法書類、被告人等につき 調査を実施せし結果により得たる所を左に記述せんと欲す。 (三)犯罪の種類 官憲の取締行き届かざりし頃は放火、掠奪、殺人、窃盗、強奪、強姦等凡ゆる重犯行為思 ふがままに行はれつつありしが取締厳となると共に放火は漸次数を滅したるを見たり。必 要上の放火よりは遊戯的放火の少からざるを見たり。殺人行為も減少せり。姦したる後に 是を殺したる例も其の目撃者より聞けり掠奪、強奪も見られたるも漸次減少しつつあり。 反之奇異なる現象は休戦期間の続くと共に戦友間の傷害が目立ちて多くなり支那人強姦例 は殆ど数を挙げ得ざるほどの多数に上り詐欺、脅迫、強奪、服飾潜用等の如き犯罪をも見 るに至れり。犯行は次第に在留邦人にも向けらるるに至れり。 (中略) 在留邦人の冷淡を憤慨なす者もあれど功績赫々たる聖戦参加の将兵が如何に万死に一生を 得たりと雖も上海に於いて「ダンス」に興じ下等なる売笑婦に戯れ或は徒に剣を抜きて人 を傷つけ、或は拳銃を発砲して傷害し恐喝し或は無銭飲食なす等到底内地人の夢想だもせ ざる痛恨事なり。上海は実に日本軍人の犯罪都市と化したる観あり。南京亦是に次がんと する有様なり。実に日本軍人の堕落と言はざるべからず。 (高崎隆治 編『軍医官の戦場報告意見集』(不二出版 1990)所載) (※但し原文カタカナを引用者改め)
352 :
朝まで名無しさん :03/06/11 22:43 ID:jOHJUzuW
====松井は処刑を前にした1948年12月9日、花山老師に南京事件について最後の述懐をなした。==== 南京事件はお恥ずかしい限りです。…私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、 今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときはシナ人に対してはもちろんだが、 ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、 柳川中将も軍司令官だったが、折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまったと。 ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。 従って、私だけでもこういう結果になることは当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で たいへんに嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。 (松井石根上海派遣軍司令官、南京戦の責任者)
353 :
やれやれ・・・ :03/06/11 22:45 ID:fa8M80zd
>>319 君がどんな計算をしたのか知らんがね。
私が簡単に計算してみた所では、
人間一人の体積を、1.7m*0.3m*0.5m=0.255m3とする。
その10万体の体積を求めると、0.255*100000体=25500m3
揚子江の川幅は2000m、深さは10mとし、川をせき止められる人間の堤防の厚さは10mとする。
(それでも人間の軽さでは押し流されるだろうがね、人間の体重を考えない君の主張にかなり有利な数字だよ)
2000m*10m*10m=200000m3
10万体の体積25500m3では、川をせき止めるには遥かに数が足りない訳だが?
>>310 たったの「3500トン」では、毎秒6万トンの水圧には耐えられないだろうね(秒速3mの水流とした場合)
君の計算結果はどうかね?こんなに圧倒的な差ができるのだから、
君が実際に計算したのかどうか疑わしいが(w
354 :
朝まで名無しさん :03/06/11 23:09 ID:MQJxQfL1
>>353 計算ご苦労さん。深さを「そのまま」かけてるところとか
幅2キロの川が秒速3メートルで流れてるとか
いろいろツッコミどころはあるが、
実際にやってみたという事には素直に賞賛する。あんたの勝ち。
355 :
朝まで名無しさん :03/06/11 23:17 ID:UNlM8XkU
山田正紀の「ミステリオペラ」は南京大虐殺を扱ったミステリーだな。知ってる?
356 :
朝まで名無しさん :03/06/12 00:12 ID:mk8o3PzS
>>354 ( ゚д゚)ポカーン
普通はわざわざこんな計算などしなくとも、人間の体で川の流れをせき止める事など到底不可能なことはわかるはずだが・・・
357 :
朝まで名無しさん :03/06/12 00:13 ID:PyXI51W8
だって相手が普通じゃないんだもん(w
358 :
朝まで名無しさん :03/06/12 00:38 ID:VqMu/y0j
阿南惟幾(軍人・事件当時、陸軍省人事局長) 「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より 来るものにして言語に絶するものあり」 (昭和12年12月22日の陸軍省局長会報に於けるメモより・秦郁彦『南京事 件』(中公新書 1986)所載) 真崎甚三郎(軍人・元教育総監) (※上海派遣軍を視察してきた江藤源九郎予備役少将からの報告を聞いて) 「同君は自ら日露戦争の苦き実験あり、今回も主なる責任者の談を交えて研究せり。 従って同君の意見は相当に権威あるものと云はざるべからず。之によれば一言にし て云はば軍紀風紀頽廃し、これを建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということ に帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍び ざるものありたり」 (『真崎甚三郎日記』(山川出版社 1987)昭和13年1月28日付より) (※は引用者補足) 畑俊六(軍人・事件当時、教育総監) 「支那派遣軍も作戦一段落とともに、軍紀風紀ようやく退廃、掠奪、強姦類のまこ とに忌まわしき行為も少からざる様なれば、この際召集予后備役者を内地に帰らし め、また上海方面にある松井 大将も現役者をもって代らしめ、また軍司令官、師 団長などの召集者も逐次現役者をもって交代せ しむるの必要あり」 (『続・現代史資料4 畑俊六日誌』(みすず書房 1983)昭和13年1月29 日付より)
359 :
朝まで名無しさん :03/06/12 00:42 ID:WhTI2H1R
つか当時の長江は乾水期じゃなかったか? 水量が少ないからせき止める事は多少楽になるかもよ? それ以前に水が流れてるところまで広大な底なし沼が広がってるわけだが。 空輸でもするか?
360 :
朝まで名無しさん :03/06/12 01:45 ID:hlb1+36L
>>346 >一般市民を殺害したという証言が多いのなら教えてくれ。
ここのスレで紹介されている資料では多いと思ったのですが、
多くないのなら失礼しました。
361 :
朝まで名無しさん :03/06/12 01:46 ID:aE/MPZsZ
362 :
朝まで名無しさん :03/06/12 02:31 ID:WhTI2H1R
>>358 何十万人殺した、とは書いてないので「肯定」の根拠にならないね。
どの程度の「強盗、強姦、掠奪」が「聞くに忍び ざるものありたり」だったのか?
強盗、強姦、掠奪が一件も無かったなんて言う「否定派」はいない。
363 :
朝まで名無しさん :03/06/12 03:26 ID:VqMu/y0j
>これをみると日本が戦時中に非道なことをしたとは思えなくなるんだけど 目をつぶっちゃいけません。プラスもマイナスも見つめましょ。
なんか、ソースを出すのはいいが、 そのソースの文章自体がソースを出していないため、 いまいち信頼性のない文章ばかりだな。
>>318 :靴屋 ◆DH9Ep4fU/w
>ただねぇ、太田供述書には梶谷日記という内容が全然違うものがあるんです。
太田供述書と梶谷日記を同格に見てんじゃないかな?
内容的には、証拠能力を例えたらアメリカとイラクの戦力くらいの差があるよ。
太田供述書は、本人が自分で遺体処理を指揮して処分した証言。
梶谷日記は
大田少佐ー安達少佐(同僚)−梶谷曹長(部下)−畝本氏が発掘、保管
またその日記も”騎兵第4連隊史”に掲載されてたものを発見したわけで
安達少佐や太田少佐の行動を証言したのでなく、日記に書いてないだけの事
追記 畝本氏の証言のおかしいところは多々ある。 ・畝本氏は梶本日記を根拠にしてるが、その原本を公開してるのか? 田中正明氏と同じマボロシ派の畝本氏(南京虐殺は5000人位と主張) が日記を発見し保管して、都合の良いポイントだけ公表しただけで、改竄 の可能性はないのか。 ・梶谷曹長は太田少佐の直属の部下ではないし、彼にわかるのは安達少佐に 指示されたことくらいで、少佐になると貴族扱いになり寝食を一緒にせず 人に指示を出すのが仕事だとか、 それでは遺体処理の部隊に指示を出し、梶谷曹長の司令部開設の部隊にも ソバなんだから指示を出したと考えられないか? 南京占領直後で八面六臂の大仕事をやってたとも、十分考えられる。 少佐の下には、尉官クラスや梶谷曹長みたいな現場主任クラスの人が 現場の差配をしてたはず。 ・梶谷曹長が太田少佐が南京に居なかったと、証言したわけでなく日記に 太田少佐や、安達少佐の行動が書いてなかったというだけで、そんな エライサンの行動を日記に書くのが珍しいくらいじゃないかな。 自分の仕事を書いてもね。 結論 ”太田供述書と梶谷日記(畝本氏証言)とは証拠能力は雲泥の差”
>>347 このスレ最初から読んだけどさあ、おまえは矛盾があるからマギー証言を正しいと言ってるだけだろ?
マギー証言が正しいとするんだったらマギーの調査方法を教えろよ。さぞかし精確な調査をしたんだろうな(藁
おまえは343が言う通りもうつんでるんだよ。334みたいにおまえの主張をまとめてみろよ。
おまえと計算機さんとどっちが正しいかすぐにわかるよ(藁
おまえの負け。次に交代した方がいいぞ(藁
369 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/12 11:17 ID:LI87p7p2
>>366 > 結論
> ”太田供述書と梶谷日記(畝本氏証言)とは証拠能力は雲泥の差”
いや、決してそうは言えないです。太田供述書の信憑性は、撫順収容所で、ウソの自白をしたのではないか
と言われてしまえば、返す言葉がないはずです。無論、太田氏は既に亡くなって久しく証明することは出来ま
せんが、梶谷日記改竄の可能性と、「可能性」としては同じです。
370 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/12 11:25 ID:LI87p7p2
>>368 > このスレ最初から読んだけどさあ、おまえは矛盾があるからマギー証言を正しいと言ってるだけだろ?
「マギー証言が正しい」なんて言った覚えはないし、言うつもりもないですよ。ちゃんと最初から
読んだのですか?
> マギー証言が正しいとするんだったらマギーの調査方法を教えろよ。さぞかし精確な調査をしたんだろうな(藁
当時25万+安全区外に人はいない、というのが当時の記録から判断される限りにおいては在留外
国人の認識だったはずなのに、その「当人」がそれとは異なることを言っているから重要だと言って
いるんですよ。
> おまえは343が言う通りもうつんでるんだよ。334みたいにおまえの主張をまとめてみろよ。
私は陥落時人口は不明だから、虐殺数推計には使えないと反論しているだけですよ。なお、人を「おまえ」呼
ばわりされる方に指図されたいとは思いません。見ず知らずの人でも人にお願いするなら最低限の礼儀はあって
然るべきでしょう。
371 :
えICBM :03/06/12 11:31 ID:Tk3RK0sG
>>360 :朝まで名無しさん :03/06/12 01:45 ID:hlb1+36L
>
>>346 >
>
>>一般市民を殺害したという証言が多いのなら教えてくれ。
>
>ここのスレで紹介されている資料では多いと思ったのですが、
>多くないのなら失礼しました。
兵士の証言はほとんどが投降兵や捕虜、摘発した兵の殺害です。
一般市民の殺害証言はとても少ない。
少ない理由は、無かったからなのか、隠してるのかわかりませんが、無い証言を議論しても
しょうがないでしょう。
>>343 >城門が閉まってる期間ってのもまずいわなあ。
城内にいた便衣兵容疑者は城外に連れ出して、処刑したと聞くし
城外から若い女性が、安全区に避難しに来たとの記事もあるよ。
閉まっていたとはいっても、不審者は出入りが制限されていたと言うだけの事
373 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/12 11:40 ID:LI87p7p2
今日は、少々忙しいので、夕方か、また後日になります。では。
で、全部の遺体を処理するのにどれぐらいかかったんですか?
377 :
えICBM :03/06/12 11:58 ID:Tk3RK0sG
>>374 >>一般市民を殺害したという証言が多いのなら教えてくれ。
>
>太田少佐の証言だと、下関で処分した遺体は20%が兵隊で80%は市民だ。
>>彼は十五万の死体の中に中国兵は三万に過ぎなかったと認めている。
>
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/hon3.htm 太田少佐の証言を疑う気は無いが、その証言は死体の数について述べてるだけだ。
彼らがどのようにして殺害されたかは述べていない。
戦闘に巻き込まれたのか、敵兵として殺害されたのか、普通の市民が虐殺されたのかはわからない。
どのように殺したかを議論するには、殺害した兵自身の証言があれば信憑性が高まる。
なので殺害に加担した兵自身の証言を重要視している。
>>369 >太田供述書の信憑性は、撫順収容所で、ウソの自白をしたのではないか
その必要が太田少佐に、あるかどうかの問題。
自分で遺体処理の指揮をしてなくて、これだけのことが喋れるでしょうか?
喋ることで何か利益が期待できるのでしょうか?
むしろ生き残ってるような中国人に、止めを刺し川に流したという証言は
一歩間違うと死刑になる程度の重罪です。
それだけの事を、具体的にしゃべることは、嘘の自白と言うには不自然です。
洗脳による嘘の自白と言う論理だと思うが、洗脳は情報の遮断と、同じ情報の
繰り返しのインプットと聞いてます。
オーム真理教の医者の本を読んだりしたが、洗脳では嘘の自供は無理です。
忘れさせることは出来ても、これだけの具体性は出来ません!
それに洗脳はオーム真理教のように、情報の遮断がなくなると回復します。
>管理所は我々に体刑を加え拷問したわけではなかった。又、どこかの宗教の
>ように、荒修行をさせ、薬剤を打ってマインド・コントロールを加えた訳で
>もなかった
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/sawada_kikokumade.htm
>>376 >で、全部の遺体を処理するのにどれぐらいかかったんですか?
川に水葬にしたのが7万体、火葬と埋葬が3万体の処分だが、
800人の兵隊で、トラック10台、船30隻で5日間とか書いてある
兵隊の方もだんだん仕事にはなれて早くなるとは思うが、その後も
下関では処刑があったようです。
『日本軍は香港で何をしたか』 謝永光著 森幹夫訳 四六判/264頁/9310 価格:2300円 社会評論社 より P.36,37 九龍が占領された翌朝、農夫の姿に変装した二人の女性が、有名な作家侶倫(原名李林風)の家の門を叩いた。頭巾をとると、鑽石山(ダイヤモンド・ヒル)の某映画製作所に避難していた女優であることが分かった。 彼女たちは恐怖に引きつった表情で、日本軍の馬丁に暴行された昨夜の出来事を打明けた。 当時の鑽石山はまだ一面の荒れ山で、未完成の映画制作所があるだけだった。製作所の経営者は避難してきた彼の会社の管轄下の職員や俳優をかくまっていた。 最初の数日間は平穏無事で、「皇軍」の姿は全くみられなかった。ところがある日、突然五、六人の‘獣兵‘が現れ、麻雀をしていた四人の女優を輪姦したという。 前述の女優は日本軍の馬丁に暴行されたが、この馬丁とは恐らく朝鮮人に違いなかった。 当時朝鮮は亡国の運命を辿り、台湾も日本の植民地であった。日本は兵力不足のため、大量の朝鮮人や台湾人が戦場に駆り出されていた。 香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、 日 本 の 正 規 軍 よ り も も っ と 凶 暴 だ っ た。 このとき民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、 ほ と ん ど 日 本 人 の 手 先 と な っ て 悪 事 を 働 い て い た 朝 鮮 人 で あ っ た。 当時香港住民は 日 本 軍 に 対 す る よ り も も っ と 激 し い 憎 悪 の 念 を 彼 ら に 抱 い た。 P.142 (日本軍占領下の香港では) ア ヘ ン 販 売 や 売 春 市 場 は 朝 鮮 人 が 中 心 と な っ て 取 り 仕 切 っ て い た。 ちなみに、この本の著者は日本軍による香港占領を体験した鍼灸医です。
381 :
朝まで名無しさん :03/06/12 12:33 ID:aE/MPZsZ
>>381 それ超有名FLASHだから多分みんな知ってるよ。
384 :
えICBM :03/06/12 12:51 ID:Tk3RK0sG
>>382 揚子江の死体に明らかな民間人は多いようだね。
また、占領中の南京での殺害もあったようだ。
>>380 >香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが
その兵隊を管理監督するのは、日本憲兵。
人種が違うからと責任回避なんか出来るか?
誰だって、なにやっても捕まらんならなんだってやるよ。
どこにだって、不良分子はいるんだから。
むしろ上海で、源義経の京都占領の時のように、そういった不良分子を
公開裁判して公開処刑をし、日本軍に対する見せしめを松井大将が
やれる人間だったら、歴史は変わってたか!もな
松井大将は即、更迭されてたかも知れんがね。
386 :
計算機 :03/06/12 13:11 ID:+oZx5kUd
>>337 ,348
> では、スマイスはどうしてそれが妥当だと思ったのでしょうか。(337)
何故妥当だと判断したかまでは分からないよ(w
訂正がないということは妥当だと思ってるということね。
> 訂正しなかった? どうして訂正の必要性が生ずる場合があり得るのですか?
>調べることなど出来ないのですから、訂正など出来るわけないのですか。(337)
>スマイスは陥落時の調査などしていないのですから訂正などあり得ません。(348)
陥落当時の人口が20万〜25万と思われていて、3月に24万〜27万(城内を再計算:
>>17 )なら
人口はどちらかと言えば増えてることになる。もちろん重なってる部分もあるから
増えてないとも言える。どちらにしてもスミスは矛盾を感じていないと言うこと。
でなければ「当時は20万〜25万と思われていたが、XX万〜YY万であったと思われる」
というような文言が入るだろう。「20万〜25万」をそのまま報告してるということは
訂正する必要がなかったということ。
> 私が聞いているのは、どうして25万と書かずに〜
>〜25万と書けば良いはずです。
「第1表の注」で「25万」としてるのは「12月末から1月末にかけて」の登録から推定
された数字だよね。当然1月末の時点での登録データに基づいての数字となる。
だけど貴方の言う通り陥落時に人口が減ることはないなら25万と言うべきだったかもしれないね。
>>338 マギーやウィルソンの証言に矛盾が起こる原因は
>>278 のに書かれてるよ。
>スマイス調査のこの時期、在留外国人は紅卍字会の埋葬数(約四万体)しか知りませんでした。
つまりマギーとウィルソンは知っていたからということね。
犠牲者週に関する議論は後で。
387 :
計算機 :03/06/12 13:12 ID:+oZx5kUd
>>339 >> 俺は城外について言及したことはないよ。
> 城外人口も重要ですよ。
今は城内の話ね。
>>327 は
>>299 への回答。
> あれはスマイス調査が、調査しなかったことに対しては何も言及していないことを例として
>示しただけであり、マギー証言への私による言及とは関係ありません。
前レスと重なるけど、スミスは崇善堂の処理遺体数を知らなかったから20万〜25万のままで、
マギーとウィルソンは知っていたから「最低30万」、「50万以下」となったとしかとれないよ。
もしマギー達が知らなかったら20万とか25万とかの証言をしたってことだろ?
つまり、崇善堂の処理遺体数から人口を逆算してるということだね。
>>340 > ・在留外国人の当時の認識は市民人口25万←→マギー証言では最低30万と「大きな差」がある。
つまり30万という数字を重くみてるということだね。「25万」じゃ貴方は納得しないんだろ?
388 :
計算機 :03/06/12 13:13 ID:+oZx5kUd
>>347 ラーベの日記に寄れば、市長は金持ち80万はきっちり逃がしたんだよね。
市長ならば当然市民の経済状態は把握してるだろうし、同時に移動状況も把握してる
だろうね。
金持ちが逃げてから自分が逃げたわけだ。城門は彼が逃げた直後(12/09)に閉じられて
いるしね。
ラーベは足りない分の米を日本を含め色々なところに要求してる。第9号文書、第14号文書、
第19号文書、第22号文書、第24号文書に書かれてるね。第26合分書では現金についても
書かれてる。
同様にフィッチも第23号文書で人数と食料について言及してる。
> これはスマイス調査の話だと思いますが、
いや、ラーベ他の「ほとんどの市民が安全区内にいた」の「ほとんど」の程度に関する
話だよ。
>>348 > それは変です。マギーら在留外国人には当時安全区外にはほぼ人はいないという
>認識だったはずです。また、30万ではなく25万だった筈です。
悪いけど何を言いたいのか分からない。
「三十万は最低の見境りであらうと思ふ」というのはマギーが言ったことで、
その「30万」にも「最低」にも根拠が述べられていないと言うことね。
>要は、計算機さんの述べたことは全部計算機さんの頭の中の想像に過ぎないことであり
悪いけど、「当時の認識と矛盾があるから」、「時間が経ってるから」etcというような
根拠に比べれば論理的だと思うよ。
>>349 なるほど、逆説的に否定しているということか。
389 :
計算機 :03/06/12 13:13 ID:+oZx5kUd
>>368 >334みたいにおまえの主張をまとめてみろよ。
いいアイディアだね。是非そうして欲しい >靴屋
390 :
計算機 :03/06/12 13:29 ID:+oZx5kUd
>>370 >私は陥落時人口は不明だから、虐殺数推計には使えないと反論しているだけですよ。
なら話は早い。
>>42 からやっと進むな。
>>42 を再掲載。
俺の主張は
「11月末から2月半ばまで20万〜25万という数字が変わってないから大規模な
(10万単位の)虐殺はない」(ラーベその他の人口の見積もりを信頼している)
というもので、大して貴方の主張は、
「01/14のラーベによる25万より前の数字は確かな根拠がないものなので人口は不明と
判断すべき」
で、共通の認識として、「1月半ばから3月にかけては25万〜27万で大規模な変化はない」
で、城門は12/09にはすべて閉まっていた(万人単位で通行はできなかった)。
12/13以降は日本軍が閉鎖しているので02/25までは大規模な出入りはなかった。
ということかな。
>>372 大規模な出入りはどうなの?
例えば、市民(非戦闘員)の出入りだけは許されていたとか、入るのはOKで出るのはダメとか、
その逆とか。
>>385 >その兵隊を管理監督するのは、日本憲兵。
>人種が違うからと責任回避なんか出来るか?
それはその通りだな。彼らは当時「日本人」であったわけだから責任は日本にあるだろうね。
>>351 、
>>358 所詮軍隊は野郎どもの集団なので残念ながら性犯罪等が皆無とはいかないとは思います。
でもそのような資料の証言がモラルをどの程度のレベルににおいての発言なのか判りません。
資料から、(例えば終戦後日本に進駐した米軍と比べてみて(犯罪発生数:兵士数))
犯罪の発生頻度がどうだったか判りませんでしょうか?
>388
>市長ならば当然市民の経済状態は把握してるだろうし、同時に移動状況も把握してる
>だろうね
貴方が逃げ出した市長の立場ならどうだい?
逃げようか、どうしょうか迷ってる時に、市民の懐状態や、移動状態を把握
出来るものかね。
むしろ日本軍の動向、疎開する場所の選定、持ち出せる財産、家族の食料、親族
の動向、移動する時の警備、宿の手配、蒋介石の意向、心配は無数にあるよ。
それよりも良心があれば、逃げた後に残る人に少しでも南京市の財産を役立て
あとを汚さないようにするくらいが関の山だろう。
市の状態を把握する必要は、ラーベ氏にはあっても、逃げ出す市長にはない。
城門からの出入りは日本軍に監視されてたようで、大規模な入りは判らん、出は
処刑するのに、外に出されてたようだ。
>今度は千三百人も捕まえたというのだ。スマイスとミルズと私の三人でなんと
>か助けようとしたが聞き入れられなかった。およそ百人の武装した日本兵に
>取り囲まれ、とうとう連れていかれてしまった。射殺されるにちがいない
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/rabe2.htm >其の子供が約百名の中国人と共に、南京の街の城壁の外部に、約五十名づつに
>団になって連れて行かれたのであります
http://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/mondai/simin/simin_a2.html#magee03
393 :
計算機 :03/06/12 17:46 ID:+oZx5kUd
>>392 市長が善人だったとは俺も思ってないよ(w
彼の「50万」、「30万〜40万」も「半分くらい」、「半分よりは減った」という
程度のものだと思う。半分じゃなくて2/3かもしれないし、1/3かもしれない。
だけど、減っていってるということは信頼してもいいんじゃないかな。
経済状態をある程度把握していれば「逃げたくても金がなかった(ラーベ)」人達
の数も分かるだろうから「20万の難民」というのもある程度信頼してる。ただし、
市長が20万と言ってるから信頼してるんじゃないよ。ラーベ他の食料手配とかも
加味して20万(最初から25万かもしれないとも思うが)という数字を信頼してる。
ところで、ラーベやベイツやスミスってどこに住んでたの?難民と一緒に安全区内に
住んでたの?
12/10の日記を観ると、ラーベは日本軍よりむしろ中国軍に腹を立ててるんだな。
「欧州の記者たちが報道規制されている」と書いてあるけど、規制をしてたのは
日本軍?中国軍?
教えて君で悪いけどね。
>>391 それはモラルは相当高い位置においての発言だと思うよ
だって「ダンス」に興じたり無銭飲食したりする事が、到底内地人の夢想だもせざる痛恨事って言ってるんだもんw
>>351 >上海に於いて「ダンス」に興じ下等なる売笑婦に戯れ或は徒に剣を抜きて人
>を傷つけ、或は拳銃を発砲して傷害し恐喝し或は無銭飲食なす等到底内地人
>の夢想だもせざる痛恨事なり。
また、無銭飲食が痛恨事という認識なんだから、農村における食料の徴発の際などでも(軍票であるにしろ)やはり対価を払ってたって事じゃないかな。
>>393 >「20万の難民」というのもある程度信頼してる。
難民が安全区に入ってきた時の、安全区内のラーベ氏の人口は信頼出来る。
そこなら自由に移動して調査も、目検討でも、出来るからね。
しかし安全区外の、城内、城外近郊、南京市全体では、彼には調べる手段が無い
ラーベは安全区内の自宅に住んでたんじゃないかな。
たいして広くない庭に、300人がテント小屋で避難してたとかあったよ。
若い女性にとっては一番安全なところだったようだ。
報道規制は中国軍でも日本軍でもやってるでしょう。
日本軍の占領する前は、中国軍にはずい分腹を立ててたが、占領後は
まったく逆になったね。
でも交渉相手だから、何とか必死に我慢してたようだが。
このくらいの食料や燃料はタダでやるのが普通だと思うがね。
どのみち、中国軍からかっぱらった奴なんだから、、、、
>当委員会が福井氏と交渉しているのと時を何じくして、陸軍兵站部のT・
>石田少佐より、救援用として多量の米と小麦を売りたい、とスパークリング氏
>に話しがありました
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/doc_safety19.html
396 :
朝まで名無しさん :03/06/12 18:22 ID:51YZxNSn
>>268 まともな人間がこんなところに来ちゃ駄目だぞ。
ここは、自分の結論の正しさを証明するために
相手が出す証拠や論理を解体・無視・侮蔑するところだ。
君みたいに最初に結論を持たない人間が迷い込むところではない。
398 :
計算機 :03/06/12 18:28 ID:+oZx5kUd
>>395 >しかし安全区外の、城内、城外近郊、南京市全体では、彼には調べる手段が無い
ここが重要だね。
安全区外の城内に関しては、ラーベも区内に閉じこもってたわけじゃないだろうから
ある程度把握してると思う。俺は10万も20万もいたとは考えにくいと思う。
俺としては「増えた5万は(安全区外の)廃墟にいた人達(が安全区内に入ってきた)」
というのも実は信じてない。元からほぼ25万だったんじゃないかと思ってる。日本軍の登記
を見たら予想外に多かったんで修正しただけだと思ってるよ。
ラーベの言う通り実際に5万増えたのだとしても1ヶ月程度かかって増えてるだろうと思う。
でなければ気づくだろうしね。
ラーベの自宅は安全区内か。ありがとう。たぶんその他も区内なんだろうな。
今日はこの辺で。
399 :
朝まで名無しさん :03/06/12 18:29 ID:hATR5Agk
南京大虐殺の残虐行為 高興祖
http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz318.html 1.南京大虐殺の残虐行為の真相
南京国際委員会委員長でドイツ・ジーメンス洋行の支配人のラーべが、
「およそ2万人の中国の婦人が強姦された」と言っている。
3.死体の処理と被虐殺人数
1937年12月16日、彼は死体処理の命令を受けた。
その司令部は運輸兵を800名選抜し、トラックを配備し
船舶で死体を運送した。
太田と安達少佐はそれぞれ400名を率いて、太田が処理したのが
1万9000体、安達が処理したのが8万1000体であった。
(
http://www.history.gr.jp/nanking/moriou.html#05 この人は12月25日に、上海から初めて南京に来た人であります。)
4.国際法廷と中国法廷の判決
法廷は当時の中立国の外国人が組織した国際委員会の
『南京安全区档案』に列挙してある日本軍の暴行、
外国人記者のティンパリーが書いた『外国人の目撃した日本軍の暴行』
(2)および当時南京防衛戦に参加した中国軍営長の郭岐が書いた
『陥都血涙録』(3)を複写して突き合わせ、それぞれの
記載されていることがことごとく一致していることを発見した。
5.次々と新しい証拠が発見される
すべてのこれらの証拠はみな、再度極東国際軍事法廷と中国戦犯裁判軍事法廷
のこの事件に対する判決の正確さをあらためて実証しているものである、
400 :
朝まで名無しさん :03/06/12 18:29 ID:hATR5Agk
発掘!! 「新史料」が証(あ)かす「『南京虐殺』の虚構」
http://www.yoshiko-sakurai.net/works/works_syokun_0201_1.html 北村稔氏(立命館大学教授)櫻井よしこ(ジャーナリスト)
◆ティンパーリーの正体を突止める
北村:『曾虚白自伝』の中にも、「ティンパーリーは都合のよいことに、
我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の『抗戦委員会』
に参加していた3人の重要人物のうちの1人であった」
◆情報戦略にナイーブな日本人
北村: 例えば、中国における南京事件の裁判で決定的証拠として
採用されたものに、『陥都血涙録』という資料があります。
これは国民党の士官であった郭岐の回想録です。
他にも南京の外港である下関の放火なども日本軍によるものだと
決めつけていますが、これは明らかに中国軍が南京撤退に際して
火を付けたものです。また、本書の中では、そうした虐殺が
行われていたという南京にいたはずの彼が、
のんびりと碁を打ったりして平々凡々と過ごしているといった
矛盾するような記述も出てくる。
◆ナショナリズムと「感情の記憶」
櫻井:「崇善堂」が占領からわずか4ヵ月で11万余りの遺体を埋葬した
という記録は事実なのかについても興味深い事実が指摘されています。
櫻井:この大西氏が紅卍会の活動についてはよく知っているのですが、
崇善堂については「全然名前を聞いたことはなかったし、知らなかった」
「それが戦後、東京裁判で、すごい活動をしたといっている。。
>>397 「雰囲気じゃない」「〜でしょう」ですか
402 :
名無し :03/06/12 19:54 ID:Ftv0TDSy
南京事件は存在しない。発生していない。それが宣伝されるのは、 情報の時代の汚点だ。いかに人がだまされやすいかという証明である。 マスコミが腐敗堕落したことがまずかった。
403 :
朝まで名無しさん :03/06/12 21:50 ID:hlb1+36L
>>371 >兵士の証言はほとんどが投降兵や捕虜、摘発した兵の殺害です。
>一般市民の殺害証言はとても少ない。
>少ない理由は、無かったからなのか、隠してるのかわかりませんが、無い証言を議論しても
>しょうがないでしょう。
あなたのとても少ない一般市民の殺害証言を
取り出した場合、
16師団からの証言が一番多いのでないでしょうか?
>>398 >安全区外の城内に関しては、ラーベも区内に閉じこもってたわけじゃないだろうから
>ある程度把握してると思う。俺は10万も20万もいたとは考えにくいと思う。
ラーベも全然出てないわけじゃないが、チラッと通り過ぎて人口の調査が出来るかい
あまりにも大きい破壊に、ラーベが泣き言を書いてた記事があったがそんな事で
人口の把握ができるかい?
安全区は城内区の8分の1、南京市全体の数百分の1の大きさでしょう。
隠れてじっとしている人の事は判らん!
>>401 >「雰囲気じゃない」「〜でしょう」ですか
雰囲気というのは事実かどうかを判断するのには、大事な判断材料。
日本がアメリカに戦争吹っかけたのも、雰囲気が出来てからの話だ。
食料の徴発に行って、軍票じゃ駄目だといわれてスゴスゴ帰れるかい?
それに命令では、周りは全て敵と思えなんて教育受けてるのに軍票なんて
>一つの村を占領すると、必ず中国人が家財道具を持って逃げてくる。
>道路に検問所を作って、歩いてくる中国人を捕まえる
http://www.jca.apc.org/nmnankin/nanba1.html
408 :
朝まで名無しさん :03/06/12 23:11 ID:79nBlK5v
お ま え ら の 言 っ て る 事 は 間 違 っ て る ほ れ ほ れ 引 用 だ っ ふ ん
所謂「三光作戦」と中国が呼ぶ共産ゲリラ掃討戦は成功例もあるが 日本軍が突入したらもぬけの殻という事態の方が多かったのが実情。
個人的に愉快だったのは名取洋之助です。「写真は芸術ではない」という言葉から始まるこの挿話は、 世界的な報道写真家となった彼の決してひるまないわがままな生き方を気楽に描いています。 被写体はあくまでも事実と主観であって、芸術性なんてこれっぽっちも求められない、写真の真のあり方を 提示する一方で、またも国家と個人の関係を赤裸々にします。日中戦争勃発後に孤立した日本の中にあって、 まるで西洋人のような個人主義を貫く彼の挙措(その振るまいを「白人のようだ」、と彼は言われます)は、 集団社会の日本において、とてもお気楽な愛国心を育む結果になり、やがて彼が南京で目の当たりにした景色に 森田は「国家は愛国者を裏切る」というナレーションを被せるのです。「国家となんて手を組むんじゃなかった」 という彼のセリフが私には印象深いです。
411 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 01:25 ID:JmQ1Zqb3
>>386 ひとまず、論点は色々出尽くしたと思いますので、一つ一つ、というわけにも行かないのですが、
確認していきましょう。何せ2ちゃんは資源的にきついものがありますからね。
そもそもスマイス調査でしょ。それで、計算機さんは24〜27万(スマイスは25〜27万)について言及
されておりますが、私は何度もスマイスは調査や資料等にないものについては報告書に何も書いてお
らず、矛盾も何も、知らなかったのだからから訂正など出来なかったのですよ。その証拠の例は、ベ
イツ証言であり、また紅卍字会以外の埋葬隊の存在でしょ。
計算機さんの仰ることはほとんどこればっかりなんですよ。つまり、こうした諸々(他の論点につ
いても)の私の反論を一切「無視して」成り立つものでしょ。私の反論には何の再反論もないのです。
再反論とは私が上げた可能性を根拠を上げて否定すること、です。計算機さんはそれを一切していな
いのです。
しかも、脳内補完で済ませていることが多いのです。例としてはスマイスの言う人口の妥当性とや
らがそれです。スマイスは20-25万が妥当だと思ったの「であろう」、ということに対する根拠は示せ
ませんでしたでしょ。計算機さんがそう思っただけなんですよ。「訂正していない」から? これに対
する私の反論は、陥落時人口など知るわけないのだから、知っていた数字(20万と25万)を書く以外にな
かった、です。訂正なんかそもそも出来ないのです。
そもそもこの報告書は陥落時人口などほとんどまったく意味を持たない救済のための報告書です。だか
ら生き残った人にしか人的被害を調査しておらず、死体の調査なんかしてないのです。唯一、注釈の形
で紅卍字会の埋葬数から市民死亡数を推定しているだけです。それ以外に死体が多くあったことは、こ
の報告の前文を書いたベイツが証言しているわけです。
412 :
朝まで名無しさん :03/06/13 01:38 ID:78GcN9tc
>>359 それでも数十万人程度では絶対に不可能。
人間の体は水に浮くということを忘れるな。
人間の遺体で川をせき止める堤防を作るなら、遺体をコンクリートで固めなきゃいかん。
でないと水の流れに乗ってどんどん流れ去ってしまう。
コンクリートで固めないのであれば、
遺体を大きく積み上げてそれ自体の重さで押さえつけるという方法もあるが、
それこそ、数百数千万人の遺体を集めて一気に短時間で積み上げなければならん。
413 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 01:48 ID:JmQ1Zqb3
>>387 虐殺範囲には南京市域をとるのが通常です。県域を含めた特別市域までは普通は取りませんが、
城区だけでの話というのであれば、私の意図と違いますので、多少の言及をお願いします。スマイス
調査の冒頭人口も、通常は南京市域と捉えて議論されます。
で、マギーやウィルソン、或いはベイツも含めて、崇善堂等の埋葬数を東京裁判証言時になって
知った(検察から教えられた?)から、あのように証言したのだ、という根拠がありませんが?
私は「マギーらは約十年の間に当時の状況を整理できた」などと言いましたが、そうではなく既に
当時、大量市民殺害を認識していたのかも知れません。何故なら、ラーベがドイツ帰国後の1938/6に
書いた上申書に5−6万の市民が殺された、とあるからです。しかも「我々外国人の認識では」
と断り書きまでついています。
つまり、25万という数字には既に市民殺害数は入っていない、と彼らは当時既に認識していた可
能性がある、ということです。この25万は年が明けて一月中旬以降の認識ですしね。だからマギーは
東京裁判で「30万以上」と言ったのかも知れません。少なくともこれならラーベの認識と一致します
しね(25万+5万=30万)。
414 :
359 :03/06/13 01:49 ID:NqatRrv3
>>412 いやいや川を、ましてやいかに乾水期とはいえ長江のような大河をせき止める事の不可能くらい解ってるよ。
回りくどい書き方はしたけどね。2行目の文末に半角小文字のWでも追加しといてくれ。脳内で。
しかしその広大な湿地を船で死体を運んでいったそうだが、ずいぶんと手間がかかってるな。
だれかの説では、長江岸で虐殺してそのまま川に死体を流したから簡単に処理できた、なんてのがあったが。
415 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 02:42 ID:JmQ1Zqb3
>>390 いいえ、一歩も進んでいませんよ。私と計算機さんの差異は、陥落時市民人口を議論するときに、市民殺害
数が考慮に入っているかいないかです。万単位の市民殺害が行われたという記録は安全区内に限ってはありま
せんし、安全区内に限っては概ね20−25万で変化しなかったでしょう。この点について私は一切異論を唱
えてはいませんよ。数字の精度はともかく。
で、12/9には城門が閉じていたとのことですが(少なくとも下関に通じる邑江門だけは二つある門戸のうち片
方だけは陥落直前まで開いていたようですが)、だとしても城内安全区外の人口は不明ですね。ダーディンはどうも
「城内」に安全区に行かずにいた人が数万程度はいた、と思っていたようですが。無論当て推量でしょうが、
いなかったようではないですね。まぁ、このダーディンのいた時期が陥落後三日間だけという制約はありますが。
なお、少なくとも下関は考慮する必要がありますよ。虐殺の如何を問わず。
ところでここのコテハンの人たちの推定死者数はどのくらいですか。 途中参加なので(スマソ)いまいち状況がわからないのですが。 あくまで現状の推測(自説)で構わないので教えて頂きたい。 ちなみに自分は自説が出来るほど考察を進めていないので、 代わりといってはなんですが他の資料を提出させてもらいます。 つづく
ガダルカナル戦 上陸総兵力:約3万1400人(出典不明) 戦死者数:約6000人(出典不明) 死亡率:19% スターリングラード戦 第6軍兵力:約33万人 戦死者数:約8人 死亡率:24% 東京大空襲 人口:約657万人(戦前人口) 直後の死者数:約9.3万(警察発表) 死亡率:1.4% 横浜大空襲 人口:約103万人(戦前人口) 直後の死者数:約0.4万(警察発表) 死亡率:0.3%
418 :
趣味仕事 ◆uBsX9s9Xc2 :03/06/13 10:55 ID:j7OrYNIi
ノモンハン事件 投入兵力:5万6000人(出典不明) 戦死者数:8440人(出典不明) 死亡率:15% 広島原爆投下 人口:34万3034人(1944年2月人口調査) 直後の死者数:約14万人(誤差±1万人)(広島市推定) 死亡率:29% 阪神淡路大震災 神戸市.尼崎市.西宮市.芦屋市人口2,490,842人(H.2) 死者数:6,430人(自治省消防庁) 死亡率:2.5% 南京大虐殺 南京市城内外人口:36万人(人権ネットワーク調べ) 死者数:40万人(中国政府) 死亡率:111%
>>393 >(人口が)減っていってるということは信頼してもいいんじゃないかな。
これは市長や市役所の連中の、友人、親戚などの逃げ出す人数を見てのヤマカン
あくまでも、当時のエリ−ト連中の感触で”50万くらいか”という話。
田舎の人間には何がどうなってるのか、噂と生活の心配の中で日本軍を信頼
したかたが多かったと思うよ。
俺は良民だし日本に協力してたら、殺されはしないだろうってね。
何が信頼できる話なのかは、なかなか判らないものだ。体験しないと。
421 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 12:21 ID:XVc3ygFx
>>418 > 広島原爆投下
> 人口:34万3034人(1944年2月人口調査)
> 直後の死者数:約14万人(誤差±1万人)(広島市推定)
> 死亡率:29%
計算間違いですか?40パーセントくらいだと思うんですが。
422 :
計算機 :03/06/13 12:29 ID:RzHJ/z4x
>>404 >ラーベも全然出てないわけじゃないが、チラッと通り過ぎて人口の調査が出来るかい
ここは問題だね。
だけど、「調査」する必要はないよ。区外に人が多数いるかどうかが分かればいい。
それと、今は城内に限って話をしていると思ってくれ。
>隠れてじっとしている人の事は判らん!
ここも問題だね。
俺は隠れている人達も飯は食わんといかんだろうから家に閉じこもってるわけにもいかんと思う。
電気は止まってたわけだから冷蔵庫(あれば)も使えない。水道も止まってたわけだからどこかから
汲んでこないといけない。
>>靴屋
悪いんだけど、
>>389 を読んでくれ。
何度も書くようだけど、俺は「1月半ばから3月にかけては25万〜27万で大規模な変化はない」
というところから進みたくてしょうがないんだけど、貴方はそれ以外の既に主張が異なると
分かってる部分にこだわってて全然進まない。
陥落時人口が分からない(市長やラーベ他の記録を認めない)なら人口の変化から虐殺数は
求められないわけで、そうなると結局埋葬数の話になるよ。そっちにするかい?
>>416 戦闘員を含めてせいぜい5万程度かな。
論理的におかしいところ、計算間違いなど指摘してくれるとありがたい。
>>420 同意してるのか反対してるのかよく分からんぞ?(w
423 :
計算機 :03/06/13 12:29 ID:RzHJ/z4x
ところで、日本軍の16万という数字は12/20〜01/05に中島兵団による良民証(15万)と、 01/50〜02/25の特務機関による良民証(10万)の発行に基づいてるものだよね。 (華中宣撫工作資料P153) この良民証は安全区内だけで発行されたものじゃないよね。となると、ラーベが25万から認識を 変えた25万という数字は安全区内だけじゃなく城内ということになるね。 15万〜16万が25万になるとすると、02/25での25万は39万〜42万になるな。う〜ん。
424 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 12:45 ID:XVc3ygFx
>>378 > 自分で遺体処理の指揮をしてなくて、これだけのことが喋れるでしょうか?
いや、誰かから聞いた話を色々混ぜて創作したんじゃないかという可能性はありますよ。一応は梶谷
日記で千体程度の遺体処理はやっているわけです。そういう話を知っていたら、一応は太田氏は「少佐」
なんだから、ある程度は話は作れると思いますよ。
> 喋ることで何か利益が期待できるのでしょうか?
そりゃ、晴れて日本の土を踏めるんですよ。
> むしろ生き残ってるような中国人に、止めを刺し川に流したという証言は
> 一歩間違うと死刑になる程度の重罪です。
いや、告白して「帝国主義」が無くなったと判断されたら帰してもらえたんです。
何れにせよ、あくまで可能性ですよ。ただこの話は、太田供述書の言うような事実がなかった、という
ことではありませんよ。太田供述書がウソでも、その遺体処理はあったかも知れません。梶谷日記も日付が
違いますからね。
>>421 41%でした。スマソ。あと
スターリングラード戦
第6軍兵力:約33万人←ドイツ軍第6軍だけの数字
戦死者数:約8人←8万人です。
>>422 まだ過去ログ読みながら資料を漁り始めた処なので、指摘するところには至ってないのですよ。
前から興味はあったのですが・・。
ただこのスレは資料的に当たりを付けられる情報が結構あって、
論理的に話を進めているので良スレだと思いますよ。
>>426 回答サンクス。
ただ、南京市人口100万人というのは少し苦しいのではないかな?
当時の経済レベルや産業レベルから考えると1都市で30万以上を常時養うのはかなり無理。
(産業革命前のロンドンやパリですら30万以上という数字が限界になっている。)
ただ戦争による混乱によって大量の難民が流入という可能性は完全に否定は出来ないが・・・。
あと
>>417-418 の資料は死亡率50%を越えるとかなり嘘臭いという例です。
ただ例外はありますが。
スターリングラード戦参加者のシベリア抑留
捕虜抑留者:9.1万人
未帰還者:8.5万人
死亡行方不明率:93%
429 :
計算機 :03/06/13 13:27 ID:RzHJ/z4x
>>425 「戦闘員を含めてせいぜい5万程度かな。」って書いちゃったけど、
ここでいう「戦闘員」は便衣兵や捕虜を含んでという意味ね。
まっとうな戦闘行為での兵の死者数は考えてない。
>>422 >俺は隠れている人達も飯は食わんといかんだろうから家に閉じこもってる
>わけにもいかんと
俺は1週間ほど断食したことがあるが、人間いざとなったら食料はそれほど
量は多くなくても何とか生きていけるものだ。
水だけはそうはいかんけどね。
日本軍の目に付かいないときに、夜コソコソ水を汲んだり、穀物を集めたり
それなりに、生きる知恵を発揮したと思うよ。
まあ、お釈迦様の”6年間、麻麦の行”は信じてるわけじゃないが、城内は
日本軍に放火されて燃やされたようだが、郊外のほうには隠れていたと思うね。
>6年間の間には毎日1粒の麦と1粒の麻の実だけを食し、
>瞑想を中心としたヨーガによる苦行を行ってん。
>「麻麦の苦行:まばくのくぎょう」。
http://fresheye.oem.melma.com/mag/20/m00067320/a00000009.html
431 :
えICBM :03/06/13 13:39 ID:W9uUHhZO
>>403 >あなたのとても少ない一般市民の殺害証言を取り出した場合、
>16師団からの証言が一番多いのでないでしょうか?
戦史を調べれば次のことがわかる。
南京城は各師団がそれぞれ一個連隊出し城内掃討をおこない12月13日に占領した。
そして、21日に各兵団は南京城内から撤退し、22日から16師団が警備を担当した。
師団は翌1月5日頃まで粛清及び宣撫工作を実施し、治安の回復に努めている。
私の知る限りでは第16師団の殺害証言は戦闘中、戦闘直後の南京城外に集中している。
しかし、占領後、南京城内に長く留まったので、市民殺害等があるのなら多く関わってても不思議ではない。
ちなみに日本兵による市民殺害という南京大虐殺のコアな部分に関しては勉強不足なので私は賛否を述べる気は無い。
>>406 :恵也 ◆o4NEPA8feA :03/06/12 22:49 ID:pBb7Wncm
>
>>371 :えICBM
>>一般市民の殺害証言はとても少ない。
>
>そうでもないよ!
私はあくまでも当時南京攻略戦に参加した日本兵の証言、日記等を中心に調べ、レスしてる。
なので、「一般市民殺害の証言は少ない」というのはあくまでも日本兵の証言、日記についてである。
間違っても南京市民側の証言が少ないとは言ってないことを理解して欲しい。
433 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 14:12 ID:XVc3ygFx
>>423 > ところで、日本軍の16万という数字は12/20〜01/05に中島兵団による良民証(15万)と、
> 01/50〜02/25の特務機関による良民証(10万)の発行に基づいてるものだよね。
グース氏のページでしょ、それは。孫引き以外、推定が混じったものについては誰の推定かを明らか
にするためにどこからの引用なのかちゃんと書かなくてはいけませんよ。
ttp://nankinrein.hp.infoseek.co.jp/page007.html ところがそこでグース氏はおかしなことを言っていますよ。「二月末頃の実際の人口は30万を越え
ていたのではないか」っておかしいですよ。スマイス調査では25-27万(三月)ですよ。つまりグース氏は
スマイス調査を否定しようってわけです。
それどころかグース氏は、計算機さんの主張を覆すことを言っています。城外近郊を含めて25万だ
と言うことは安全区はもっと少なかったってことですよ。てことは、今の今まで計算機さんがラーベら
の認識はある程度は正しい、といっていたのが壊れてしまいますね。何故ならラーベらは25万は安全
区の認識だったからです。
グース氏の主張と計算機さんの主張は相容れませんよ。どうするんですか?
>>432 なるほど、単純に都市部以外の人口も含む訳か。
すると推定人口100万〜25万くらいの間でこれを絞り込む
決定的証拠がないというのが問題なのか?
とすると南京大虐殺が行われた範囲というのは南京市行政区を指すのかな?
それとも他県も含めるのか?もしくは城内だけを指すのか?う〜ん。
435 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 15:01 ID:XVc3ygFx
>422 さて、やむを得ないので計算機さんのご意向に従いましょう。 箇条書きに簡単に書きます。具体的な内容はログをお読み下さいね。 ・スマイス調査の20-25万は、実際の陥落時人口を示したものであるとは言えない。 ・陥落時に調査などしていないし、出来るわけはない。 ・この数字は当時(陥落時以降)の在留外国人の認識にぴたり一致する。 ・25万とは1/14以前までに行われた日本軍側調査に基づく国際委員会の推定である。 ・20万は馬市長による難民推定数と一致し、一月中旬以前までの在留外国人の認識に一致する。 ・従って、この数字は当時の在留外国人の認識した数をそのまま書いただけであると考えられる。 ・在留外国人はこの人口数を安全区内のみの人口と考えていた。 ・スマイス調査は救済のための被害報告が目的であり、そもそも正しい陥落時人口を記述する必要性はない。 ・安全区外の人口はまったく不明である(城内及び市全域)。 ・ダーディンは「戦争が終わると平和になると思っていたい市民がいた」というようなことを書き、 安全区外にも人がいたことを述べている(当時の記事、及び後年の聞き書き)。 ・マギー、ウィルソン証言では、「市民人口25万+安全区外に人はほぼいない」という当人自身たちの 当時の認識と推定されるモデルと異なったことを言っている。 ・ラーベ(上申書)は5〜6万の市民が、ウィルソンは当時の手紙に10万人(軍民)が殺されたと書いている。 ・崇善堂などの他埋葬隊についてはスマイス報告は触れていない。崇善堂が埋葬活動したのは事実である。 ・ヴォートリンは城外遺体が多いこと(市民比率が高い)を日記に触れており、当時の紅卍字会埋葬遺体には 下関や三沙河を含まないと認識していた(初出)。 ・日本軍の記録にも安全区に避難していない住民存在の記録がある。 ・両角手記の信憑性はともかく、手記にも幕府山捕虜の中に一般市民が含まれていたことが記されており、 避難しきれなかった一般市民が少なからずいたと想定される。 全部書ききれないですね(笑)。次レスでヴォートリン日記及びウィルソンの手紙を引用します。
436 :
計算機 :03/06/13 15:08 ID:RzHJ/z4x
>>430 仮に水だけで全く食べ物を口にしないとしたら1週間かせいぜい10日ぐらいだろうね。
水は確かに汲みに行くことはできるね。普段なら数週間分の米(か麦etc)ぐらいは
個人の家にありそうだな。市民の脱出が始まったのは11月以前だから少なくとも
11月末からは補給がないということになるよね。補給がないと分かっていれば節約して
食べるだろうから備蓄分の3倍ぐらいは何とかなりそうな気もする。仮に2週間分の米が
あれば1ヶ月半ぐらいかな。とすると、1月半ばぐらいまでは何とかなるということになるな。
一応書いとくけど、補給が止まった時点で2週間分の米があるという仮定と、
生米生麦生水(玉子じゃない)でということね。で、大量に(10万とか)いる場合は
話が違ってくると思う。
437 :
計算機 :03/06/13 15:08 ID:RzHJ/z4x
>>433 ごめん、ちょっと訂正。
>>423 の「ラーベが25万から認識を変えた25万」は
「ラーベが20万から認識を変えた25万」の間違い。
そのページは
>>227 で既に貼ってる。城門の閉鎖に関するレスで貼ったから不親切ではあるな。ごめん。
で、俺とグース氏の意見が違ってると何かまずいのかな。
> それどころかグース氏は、計算機さんの主張を覆すことを言っています。城外近郊を含めて25万だ
>と言うことは安全区はもっと少なかったってことですよ。てことは、今の今まで計算機さんがラーベら
>の認識はある程度は正しい、といっていたのが壊れてしまいますね。
特に矛盾は感じないな。俺は城内の人口と安全区内の人口はほぼ等しいと思ってるし、城外に
多数の人が住んでたとも思えないからね。それに、ラーベはこの数字を見て20万から25万に認識を
変えたわけだから、最初から最後まで20万でも問題ないんじゃないかな。
城内何人、城外何人という資料があれば参考にしたい。
繰り返すようだけど、俺は「20万(25万)しかいないから30万は殺せない」と言ってるんじゃなくて、
記録にも証言にも大規模な虐殺による人口の減少が見られないと言ってるわけね。
というか、貴方も安全区内で大規模な虐殺があったとは思ってないんだよね?
439 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 15:24 ID:XVc3ygFx
ウィルソンの手紙 1938/5/7 The conservative estimation of the numbers of people slaughted in cold blood is somewhere about 100,000, including of course thousand of soldiers that had thrown down thir arms. 「冷血に虐殺された人達の控えめな評価は約10万人であり、武器を捨てた兵士達を含む。」 『Documents On The Rape Of Nanking』からの訳(靴屋訳。慣れないので旨くないかも・・) ヴォートリンの日記 1938/4/15 紅卍字会の本部を訪ねると、彼らは以下のデータを私にくれた−−彼らが死体を棺に入れて埋葬できるように なったときから、すなわち一月の中旬ごろから四月十四日まで、紅卍字会は城内において一七九三体の死体を埋 葬した。そのうち約80パーセントは民間人であった。城外ではこの時期に三万九五八九体の男性、女性、子ど もの死体を埋葬した。そのうち約25パーセントは民間人であった。これらの死体埋葬数には私たちがきわめて むごい殺害があったことを知っている下関、三沙河の地域は含まれていない。 『南京事件の日々−ミニー・ヴォートリンの日記』より
440 :
計算機 :03/06/13 15:36 ID:RzHJ/z4x
>>435 > ・在留外国人はこの人口数を安全区内のみの人口と考えていた。
在留外国人は「市内のほとんどが安全区内にいた」と考えていたんじゃないの?
> ・崇善堂などの他埋葬隊についてはスマイス報告は触れていない。崇善堂が
> 埋葬活動したのは事実である。
> ・ヴォートリンは城外遺体が多いこと(市民比率が高い)を日記に触れており、
> 当時の紅卍字会埋葬遺体には下関や三沙河を含まないと認識していた(初出)。
崇善堂の埋葬は1月〜3月に城内で7,549体、4月に城外で104,718体で、
紅卍字会は12/22〜02/27に城内で1,739体、12/22〜10/30に城外で41,330体だよね。
つまり虐殺のほとんど(94%)は城外で起こったと考えてるのかな?
>>434 ,438
この地図はどう?
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page016.html
441 :
計算機 :03/06/13 15:40 ID:RzHJ/z4x
>>439 >〜彼らが死体を棺に入れて埋葬できるように
>なったときから、すなわち一月の中旬ごろから四月十四日まで
マジ?
442 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 15:46 ID:XVc3ygFx
>>437 だんだん意味不明になってきてますよ。
>>42 :ラーベその他の人口の見積もりを信頼している
>>179 :食料なりなんなりの手配をしていた人物(ラーベ)や、市長、調査した委員会のメンバーその他
の発言だから信憑性がある
などと仰っておられたわけですよ。しかし最近では、
>>398 :「増えた5万は(安全区外の)廃墟にいた人達(が安全区内に入ってきた)」
というのも実は信じてない。元からほぼ25万だったんじゃないかと思ってる
とも仰っておられるのでよく分からないのですが。少なくとも五万もの差はでかいですよ。信用出来るのか出来ないのか
どっちなんですか。しかも、「最初から最後まで20万でも問題ない」って何なんですか?
>>398 と言っていることが正
反対じゃないですか。
これでは、計算機さんの仰ること自体が信用出来ません。私が問題にしているのはあくまでも「計算機さんの考え」
であって、そもそもは人口がどうとかじゃないですよ。たまたまテーマが人口であるというだけで。
443 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 16:26 ID:XVc3ygFx
>>440 > 在留外国人は「市内のほとんどが安全区内にいた」と考えていたんじゃないの?
「ほとんど」って? 私が言っているのは20万と25万は安全区内を元にした人口だということは
既に述べてありますが。例えば。
-------
南京におけるキリスト教徒の活動に関する予備報告----一九三八年冬季
一九三八年二月十八日 ベイツ(もしくはベイツとミルズ)
南京攻撃が予想された週に、南京住民の膨大な脱出があったにもかかわらず、二五万人が安全区に入り込み、・・・
-------
> 崇善堂の埋葬は1月〜3月に城内で7,549体、4月に城外で104,718体で、
> 紅卍字会は12/22〜02/27に城内で1,739体、12/22〜10/30に城外で41,330体だよね。
> つまり虐殺のほとんど(94%)は城外で起こったと考えてるのかな?
崇善堂の埋葬記録は、日本側史料等で裏付けられず、どこまで信用して良いのかよく分かりません。但し断片的な
史料で、活動自体があったことは裏付けられます。
周一漁崇善堂埋葬隊隊長が南京自治委員会に宛てた書簡(1938/2/6)で「察するに幣堂が埋葬隊を成立させてから
今まで一ヶ月・・・・」と記載されているらしいですよ(『南京事件資料集 中国関係資料編』より)。
> この地図はどう?
>
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page016.html 笠原センセが南京市域(これも私独自の呼び方かも)を「南京城区」といっていたのは知りませんでした。私が言って
いる「城区」は城壁の中の話ですし・・・一応定義は必要ですね。
こっちの方が丁寧ですね(笑)
ttp://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/sougou/map.html
445 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 16:42 ID:XVc3ygFx
>>437 > 記録にも証言にも大規模な虐殺による人口の減少が見られないと言ってるわけね。
虐殺数を含めた人口数なんか、どっこを探してもありませんよ。馬市長の示した50万から国際委員会の25万
の間に、人口数の記録はありません。20万ではなかったわけですし。
> というか、貴方も安全区内で大規模な虐殺があったとは思ってないんだよね?
摘出によると思われるものと、殺人事件以外は記録がありません。
446 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 16:44 ID:XVc3ygFx
>>437 > 虐殺数を含めた人口数なんか、どっこを探してもありませんよ。馬市長の示した50万から国際委員会の25万
> の間に、人口数の記録はありません。20万ではなかったわけですし。
訂正:あるにはある。
-------------
南京の状況----一九三七年十一月二十七日
海軍無線 DJ EB
特殊グレイ文(暗号文)ならびに平文電報
発信:南京
受信:一九三七年十一月二十七日
ワシントン国務長官、漢口・北平米大統領、上海米総領事館宛
第九六三号 十一月二十七日午後二時
三、市民の脱出は続いているが、市長の話では三〇万から四〇万の市民がまだ南京に残っているとのこと。
アチソン
-------------
447 :
計算機 :03/06/13 16:57 ID:RzHJ/z4x
>>442 まず俺が主張してるのは人口の減少が見られないということね。
>>42 で俺が書いたのは
「11月末から2月半ばまで20万〜25万という数字が変わってないから大規模な
(10万単位の)虐殺はない」(ラーベその他の人口の見積もりを信頼している)
だよね。で、12月初めの20万が25万でもいいというのは、以下の通り、
・陥落時の城内の「本当の人口」をX万だとする。
・12月初めラーベ他は城内の人口(X万を)20万だと思っている。
・ラーベ他が手配した20万人分の食料で特に不都合が起こってない。
・ラーベ他は1月半ばに日本軍の登記から25万だと再計算してる(X万を25万だと思う)。
・ラーベは増えた五万は廃墟(安全区外)から流入したと思ってる(実は最初からX万)。
極端な話、X万が20万でも30万でもいいのよ。20万人分の食料で何とかなればね。
マギーを信頼してないのは当時認識していなかった安全区外の人口について論拠もなしに
「最低30万」としてるから。これは「城外に最低10万」と言っているに等しい。
俺がラーベその他の数字を信頼しているというのはこういうことね。
書き忘れたけど、マギー証言(ウィルソンもか?)を信頼する理由も書いて欲しい。
>>435 ではマギー証言を「安全区外の人口はまったく不明」という論拠にしてるよね。
448 :
計算機 :03/06/13 16:57 ID:RzHJ/z4x
>>443 >>240 を再掲。
>ラーベ他の
> 12/17 我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていました〜
> 〜20万の中国市民〜
> 12/12~01/13 南京に残った全住民、つまり約二〇万から二五万の人々が難民区に
> 逃げ込んだ。
> 01/13 城内にはもはや誰一人住んでいないが、残りの約二〇万の市民は安全区
> (旧住宅街)に収容され
引用した文章はこう続く
南京攻撃が予想された週に、南京住民の膨大な脱出があったにもかかわらず、
二五万人が安全区に入り込み、数千人が同区外に留まってさらに悲惨なめに
あうことになった。
(南京におけるキリスト教徒の活動に関する予備報告:ベイツ)
25万に対して数千だから9千としても4%に満たないね。
>恵也、計算機 、靴屋
市の概要はなんとなく分かりました。サンクス。
で、南京大虐殺(南京事件)は、南京市内の出来事と考えて良いということかな。
さらに、市内は城外と城内に分かれる訳だ。そして城外と城内では状況が違う。
城内と安全区域はほぼ同義と考えられそうだ。
あと、人口推移の時系列が必要な気がする。それは
>>17 にあった
△1937年10月28日 53万人余 (警察庁、広田外相電)
△1937年11月23日 50余万人 (南京市政府報告)
*1938年3月1日 235,056人 (南京特務委員会、難民収容所にいる女性は含まれない)
△1938年3月 250,000人-270,000人 (スマイス調査)
が、整理されたものの一つということか。
450 :
計算機 :03/06/13 17:26 ID:RzHJ/z4x
451 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 17:26 ID:XVc3ygFx
>>447 > まず俺が主張してるのは人口の減少が見られないということね。
基本的なことをお伺いしますが、人口の減少が見られない、とはどういうことですか? 市民虐殺数が
各資料の人口(陥落時以降)に含まれないのは、再三申し上げておりますが。
関係ありませんが、しかしグース氏は驚くべきことを言っています。
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/page023.htmlより ------------------
しかし実際には「20万から25万」だったとしています。これは何を意味するかというと
「人口が増加した可能性」をスマイス博士が示唆したということになるでしょう。
-----------------
計算機さんには、ここまで無茶なことはいわないで頂きたいと切に望みます。関係ありませんが。
> 極端な話、X万が20万でも30万でもいいのよ。20万人分の食料で何とかなればね。
ともあれ、人口減少がなければそれで良いというお考えですね。で、その人口減少が見られないから
城内に限っては大規模な虐殺はなかった、とこう結論づけたいわけですね。このことの同意点は、私は
それは安全区内の話としては認める、というものでしたね。
> 書き忘れたけど、マギー証言(ウィルソンもか?)を信頼する理由も書いて欲しい。
それについてはラーベの上申書の記述、ウィルソンの手紙、ヴォートリンの日記の認識(埋葬数に含まれて
いない遺体がある)、などをお示しましたね。つまりマギーを信じるということではなく、他の史料により
裏付けられる、ということですよ。
452 :
計算機 :03/06/13 17:29 ID:RzHJ/z4x
>>449 >城内と安全区域はほぼ同義と考えられそうだ。
ここ(安全区外の城内にどの程度人がいたか)が争点になってるんだよね。
市の中心部でも、大通りの裏には結構空き地(畑かも)あるような都市のその 城外で十万以上も虐殺可能なのかね?
>>449 中国側の言う南京大虐殺は範囲は南京市内(行政区の数は含めていない)
で40万人虐殺で半年以上続いた。
日本の肯定派(中間派含む)は南京特別区込みで(最大)30万、市内5〜10万
の虐殺数6週間の虐殺期間。
否定派は、組織手虐殺無し、兵の不良行為否定せず、捕虜処刑は合法、ま
たは存在せず。
日本の肯定派は、2万〜30万まで幅広いw
455 :
えICBM :03/06/13 17:40 ID:W9uUHhZO
虐殺の範囲は上海から南京にかけての一帯じゃなかったっけ?
456 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 17:53 ID:XVc3ygFx
>>455 40万人説はたしかそうだった
中国の研究家が日本軍が進軍通過していった地域の人口を割り出したもの
(なぜかそれが全部虐殺されたことにw)
日本の大虐殺派の笠原説(城外を入れての20万)を紹介した所、中国の研究家に、
けしからん!城内だけで30万だと怒られたという話も過去スレにあった。
なるほど、城内と安全区域はほぼ同義と考えられるかどうかが現在の争点なのか。 簡単に計ったけど安全区が南北3Km、東西2Km。城内が南北10Km、東西9Km。 安全区が皇居+外堀。城内が山手線内側より若干小さめか。 となると城外は雰囲気としては圏外という感じがするな。徒歩の行動範囲からすると。 南京行政区というのはどちらかというと行政区分先行的なものなのだろうか?
459 :
計算機 :03/06/13 18:11 ID:RzHJ/z4x
>>451 >市民虐殺数が各資料の人口(陥落時以降)に含まれないのは、再三申し上げておりますが。
20万〜25万という数字が安全区内のみの人口だとすればということだよね?
ちょっと確認したいんだけど、前スレ
>>713 からの議論の結論として
>>721 で
>> それに、貴方が書いてるとおり城内外の行き来ができないとしたら南京城内25万(安全区内
>> 20万、区外5万)で意見の一致を見たということになるな。
> 一月中旬以降の大雑把な数としては、そう見る他ないとは思います。つまり陥落時にはこの数値が
>厳密な意味での下限値ではないということに注意して、25万以上、ということになります。
このスレの
>>11 で、
>> > 一月中旬以降の大雑把な数としては、そう見る他ないとは思います。
>> ということは(少なくとも城内の)虐殺は1月中旬以降は起こってないというわけだね。
> 断定は出来ませんが、数の上からは少ないのではないかとは思っています。
と書いてるから以前共通認識としての
「1月半ばから3月にかけては25万〜27万で大規模な変化はない」(
>>42 )
は城内の話だよね?
>それについてはラーベの上申書の記述〜他の史料により裏付けられる、ということですよ。
これは虐殺数から人口を逆算してるということじゃないの?
>>454-458 南京大学の高興祖教授によると
「南京だけでなく8年の間に中国全土で亡くなった中国人の数は3500万人に上ります。」
だそうだよ。
460 :
計算機 :03/06/13 18:36 ID:RzHJ/z4x
ところで、
>>441 でも書いたけど、「棺に入れて」ってのは
どの程度信憑性があるのかな?
「棺」って、タンスみたいな大きな箱に何十人も詰め込むってことじゃないよね?
一人当たり棺一つだよね?
前スレ
>>187 で
1人当たりの体積を0.05立方m(体重50kg)とすると、
1万人で500立方mとなる。20 x 25 x 1 立方m、1000tの土(比重を2としてる)。
20万人で10,000立方m、20,000t。
20万人を100日で埋めるとすると、1日当たり2000人、100立方m、200tの土。
幅10m、長さ10m、深さ1m(+α)の穴を毎日掘ることになる(もちろん死体を
入れてその後埋める)。
崇善堂が1ヶ月に10万体あまりの埋葬を行った(4月)とすると、
10万人で5,000立方m、100 x 50 x 1(+α)、10,000tの土。
これを30で割ると、一日当たり、
3333人で、166.7立方m、12 x 14 x 1(+α)立方m、333tの土。
と計算したけど、棺となると、計算し直さないと・・・
というわけで今日はこの辺で。
461 :
計算機 :03/06/13 18:38 ID:RzHJ/z4x
462 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 18:45 ID:XVc3ygFx
>>459 > 20万〜25万という数字が安全区内のみの人口だとすればということだよね?
意味が分かりません。私が言っているのは様々な史料記録にある陥落時以降の人口「数」に市民虐殺数なんか
入っているものはない(マギー、ウィルソン証言除く)、ってことですよ。平たく言うと、A−B=市民虐殺数となる
Aはない、ということです。
> 「1月半ばから3月にかけては25万〜27万で大規模な変化はない」(
>>42 )
> は城内の話だよね?
違いますよ。スマイス調査は三月であり、調査範囲は城外の一部に渡っており、スマイス調査にある25-27万は
城外を含む行政区市域全体に及びます。
スマイス報告から抜粋--------------
3月下旬の人口は25万ないし27万であって、このうちには調査員の手のとどかぬ人々もあり、また移動中の
人々もあった。
----------------------------------
「調査員の手のとどかぬ人々」とは調査できなかった城外の行政区市域です。
この時期(三月下旬)はご承知のとおり、城内外は自由通行が可能で、避難民は帰っていっています。この時期
には安全区には43%しかいません。
> >それについてはラーベの上申書の記述〜他の史料により裏付けられる、ということですよ。
> これは虐殺数から人口を逆算してるということじゃないの?
在留外国人の誰もそんなことは言っていませんよ。私は数字が合う(陥落時全人口25万ではないという意味で)、
といっているだけです。
太田供述のトラック10台、船30隻ってキリのいい数字
464 :
えICBM :03/06/13 19:14 ID:W9uUHhZO
虐殺の範囲は南京周辺と城区ってことで考えたら良いのだろう。 12月8日から始まる日本軍による南京防衛線への攻撃範囲とほぼ一致するのだろうか?
だとしたら「虐殺」って言うのやめよーな、な
>>463 つまりとりあえずトラック、船を寄せ集めたのではなく
10台、30隻と数を指定して注文したということだな
それに対して「7台しか用意出来ませんでした」というようなこともなく
また2日目あたりでも残りの遺体数は的確に把握しており
「これじゃあと何日かかるかわからないからもっとトラックを」
というようなこともなかったということだ。
467 :
えICBM :03/06/13 20:08 ID:W9uUHhZO
調べてみたら南京市境は南京防衛線三層の内、第中層とほぼ一致する。 外層は中層の外側5〜20キロ外側だった。 中層は12月9日から攻略が始まってる。
防衛線て円周に沿って兵士が並んでるんですか?
469 :
えICBM :03/06/13 20:52 ID:W9uUHhZO
>>468 んなわけない。
図を防衛線というか陣地の配置を見せてあげたいがネット上にはないので我慢してくれ。
原爆落とさなきゃ殺せないような数の人間を畜生のように殺しまくれるわけが無いだろう? 地元紅卍協会もそんなに埋葬した覚えは無いと証言しているし。 第一30万埋めたって証言した団体も戦後いきなり出てきた偽団体。 ネタじゃないかと思わされるような証言もワンサと出てくるし。 紅卍協会からは、「そんな団体に聞き覚えはないし、第一南京での面識も無い」 との証言。 それを堂々と教科書に載せるこの国って、一体どうなってるんだよ? 靖国に眠る先祖たちに申し訳なくてたまらん。
471 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 21:18 ID:XVc3ygFx
>>470 > 紅卍協会からは、「そんな団体に聞き覚えはないし、第一南京での面識も無い」
> との証言。
って、ソース教えてくれませんか。単純に知らないだけなんですけど
本が出てますな。 「日本人49人に聞く南京大虐殺」って本です。 ソースのアドレスを探してきまつ
473 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 21:39 ID:XVc3ygFx
>>460 > ところで、
>>441 でも書いたけど、「棺に入れて」ってのは
> どの程度信憑性があるのかな?
さぁ? まさか棺を何万個も要したとはちょっと考え難いですが、原文はどう書いてあったんでしょうね。
ヴォートリンは、埋葬実態を知らず、埋葬は棺がいると前提していたのかも知れません。何れにせよ、具体的な
埋葬方法は、別に史料か何かで裏付ける必要があるでしょう。そうした資料があればの話ですが。
474 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/13 21:42 ID:XVc3ygFx
>>472 > 本が出てますな。
> 「日本人49人に聞く南京大虐殺」って本です。
> ソースのアドレスを探してきまつ
阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』ですね。未だこの本読んだことないので、文庫版買って読んでみます。
475 :
名無し :03/06/13 22:19 ID:zYWzsG2P
南京事件は当時の反日国である、中国、米国、英国が手を組んでやった国際 謀略だ。証拠を見るとまったく無い。科学的に不可能だ。 21世紀は20世紀の過ちを見直す世紀だ。 大東亜戦争は、自衛戦争以外の何者でもない。 当時の米国は国策を誤り、共産主義と戦う日本を攻撃した。 戦後赤狩りで反省したが、手遅れで朝鮮戦争、ベトナム戦争で大きな犠牲を 生むこととなった。日本は正しいのだ。
そうだ 負けて尚、正義は我にあり。
>>463 >太田供述のトラック10台、船30隻ってキリのいい数字
あんたの考えすぎ。記憶で書いてるのでこれは、約のことでしょう。
自分が動員できるだけ動員したところ、
トラック:::8台〜13台
船::::::25隻〜34隻
それを記憶で書けば単純に、トラック10台、船30隻と証言するもの
それも一度に全部動員できたとは限らないよ。時間差もかかってるんじゃない。
昔の話をする時の、日本語の許容範囲も、勉強しようね。
478 :
朝まで名無しさん :03/06/13 23:53 ID:Ic6Zur1S
ををを、恵也が他者を諭しとるぞぃ。 これで他の人の忠告を聞く事を覚えたら恵也も普通の人に成り下がれるのにね。
479 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/14 02:18 ID:t2LEfK8c
南京事件は、中国政府が30万人なんて電波を飛ばしてくれてるおかげで 信憑性がなくなったな。単なる政治的道具に堕した。 素直に3〜4万って言ってれば、説得力があって、それなりに日本軍の 悪行を世界に示せたのにな。
残り約200KBだよ。このスレは1000までいけるかな?
つまらない例え話だけど、 満員の東京ドームで事故が起こって全員が窒息死したとする。 で、とりあえず死体をドームの外に集めようと言うことになったとして、 100人集まって2人1組になって作業をしたとする。つまり50組が作業をする。 死体1体を運び出すのに20分掛かるとして計算すると、1時間当たり 50X3=150人 ドームの定員が約5万人だから 50000/150=333.333.....のべ約333時間。・・・・う゛ぇ。 なにがどうあれ俺はやりたくないな、こんな仕事。 あっ、仕事じゃなくてボランティアなのか?
483 :
えICBM :03/06/14 15:24 ID:NC+yfhBE
>>482 人類が車輪を発明する前と後では段違いに輸送力が伸びたのがうかがえる。
また、家畜や蒸気機関を輸送手段に用いたことが革命的な出来事ということも想像できる。
なかなか奥深いレスありがとう。
>>477 また「〜でしょう」かよ
そうならば、記憶で書くときでも「約」とか「およそ」とか付けるのが普通
>>470 >紅卍協会からは、「そんな団体に聞き覚えはないし、第一南京での面識も
>無い」との証言
言葉は誤解されないように、使いましょう。
地元紅卍字会の方の証言じゃ無いんじゃない?マボロシ派のHPでもそんな
極端なことは言ってないぞ。
丸山氏の証言より。
>後になって崇善堂その他の弱小団体からも作業の申し込みが自治委員会に
>ありましたが
http://www.history.gr.jp/nanking/reason08.html 原爆落とせなきゃ殺せない人間の数なんて、存在しません。
カンボジアでもナチスドイツでもソ連でも、それより大きな市民を殺してます
旧約聖書のヨシュア記でも30万人とは行かんかも知れんが、生きとし生けるもの
全てを殺してます。”正義という免罪符”があれば人間を簡単に殺します。
まあ、人間のサガというべきものだ。
不思議なんだが、数が多ければ中国政府がなんか儲かるのかね?
日本人が外国人に5万人くらい殺されて、30万人に水増ししても単に
馬鹿正直に外国人を信用して、殺されるまで判らなかった人が多かったという
日本人にとっては恥になる事じゃないかな。
水増し分のお金を日本政府がくれるというなら別だが、蒋介石のおかげで国と
してはただにして貰ったんだからね。
日本がなんか、今さら損をするのかね?俺には理解不能!
「人殺しをなんとも思わない残虐な精神さえあれば武器・弾薬などなくても大量殺戮は可能だ。」 「残虐な人殺しは体力の限界など無く、また技量に関係無く大量に人を殺す。手段の質など問題ではない」
487 :
朝まで名無しさん :03/06/14 17:42 ID:yQon5WPk
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
>>484 >そうならば、記憶で書くときでも「約」とか「およそ」とか付けるのが普通
10年くらい昔の話を、メモも見ずに喋るのに、そこまでやるか?
自分の記憶の中の場面を考え、考え喋るのに、表現法は約を付けても、
付けなくても内容は同じだろ。
馬鹿丁寧な人間は約30隻の船と言っても、普通の人は判りきったこと
として付けん。それをお役人的丁寧さという。
屁のツッパリにもならん言葉!
>>488 喋るんじゃなくて書かされるんじゃなかったっけ?
まぁ太田証言は「満州の撫順収容所に収容されてそこで書いた」
っていう時点で終わってるが。
(或いは真偽の前に、)その証言のなにが問題なのかをはっきりしとかないと 軍民混ざった集団に攻撃を掛けた事か?捕らえて掃蕩した事か? (遺体処理中に初めて民間人が多く混じっているのに気づいているようだが) 死体を川に流したことか?
491 :
えICBM :03/06/14 21:10 ID:dY2Mr6Yi
>>328 :靴屋
>> ところでこの太田ってどこの師団?
>
>私の持っている史料にはどこの所属か書いてありません。騎兵第四連隊とあります。蕪湖を出発しているところから
>第一八師団かも知れません。
第四騎兵連隊の所在を調べたのですが、当時は満州にいたそうです。
ですので、太田氏は敗戦時に騎兵第四連隊に所属してたが、南京攻略の時は他の部隊にいたのではないでしょうか?
493 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/14 23:35 ID:bTohNc/U
494 :
朝まで名無しさん :03/06/15 01:27 ID:duJXceqD
中国プロパガンダ製造部「南京で30万人が殺された!」 (原爆の死者からしてこれくらいは死んだことにしないと) ↓ 日本国内で、南京の人口が20万人 だったことが話題に。 ↓ 中国プロパガンダ製造部「まずい!なんとかせねば・・・ そうだ!長江デルタ一帯で30万人死んだことにしよう!」 ↓ 朝日新聞「我々に任せて下さい!」
495 :
えICBM :03/06/15 02:04 ID:LEjH71h8
>>493 :靴屋
太田氏の所属がわかりました。
「船舶輸送司令部(広島)傘下の南京第二碇泊場司令部少佐」だそうです。
>当時、日本軍将校であった太田寿男騎兵中佐(敗戦時)の撫順戦犯管理所で書い
>た供述書によれば、太田中佐は船舶輸送司令部(広島)傘下の南京第二碇泊場司
>令部少佐として、上海北西部から同13日に攻略した・・・
http://www.jca.apc.org/nmnankin/lin5.html 太田氏の供述によれば、15日に到着したとき既に司令部は南京に開設されてたもようです。
梶谷日記では16日に開設準備ですが。
次は船舶輸送司令部の史料を当たる必要がありますが、果たしてどこにあるのやら。
496 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/15 02:33 ID:eOOZpB/o
>>495 > 次は船舶輸送司令部の史料を当たる必要がありますが、果たしてどこにあるのやら。
ところで、何をお調べになりたいのですか? つまりは、アリバイ?
497 :
えICBM :03/06/15 02:51 ID:LEjH71h8
>>496 アリバイというほどではないですが、太田供述と梶谷日記の食い違う点を他の史料と
つき合わせて、どちらが正しいかを調べてみたいのです。
さかんに肯定派が30万以上の虐殺があったことを論理的に説明しようとしているが、 読むほど南京事件だけが他の歴史の事件とは妙に違う雰囲気を放っていることだけは分かる。
499 :
朝まで名無しさん :03/06/15 13:16 ID:fcM/cBaL
「ホロコースト議論に最高の人材は集まらない、クラリス。 大学の図書館端末からこのスレッドに書きこむ連中を見たまえ。 無線マニアに対人恐怖症。みな性格的に欠陥のあるものばかりなのだ。 ホロコースト検証は科学ではなく骨相学とおなじ、なんらかの【代償行為】 なのだよ」 from 「羊たちの沈黙」(新潮文庫)
500 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/15 15:37 ID:hMEIayTb
>>497 > アリバイというほどではないですが、太田供述と梶谷日記の食い違う点を他の史料と
> つき合わせて、どちらが正しいかを調べてみたいのです。
それ、断片的でも「太田供述書の方が正しい」可能性があることを示せたら大したものだと思います。
私見たこと無いんで。一応板倉の緒論(私が若干短くしました)を示します。
梶谷日記及び手記、当時の史料から検証
・12/13は未だ戦闘が行われており、陸軍の下関入りは午後三時半、海軍「保津、勢多」は午後三時四十分、
軍艦以外の貨物船などが南京入りするのは機雷除去が済んだ十八日以降。
・安達少佐は無錫から梶谷軍曹とともに14日午後下関到着。鈴木司令も陸路で夕刻到着。十三日の到着は
あり得ず、十四日の作業もあり得ないし、14日15日で昼夜兼行で六万五千体の遺体処理は不可能。
・十七日は入城式で十八日は慰霊祭、佐官クラスは出席しているはず。少なくとも三万五千体の遺体処理
など行える筈はない。
・太田少佐南京到着は12/25。12/16〜18は常熟またはその付近にいるはず。
・碇泊場司令部は12/26から二日間の遺体処理を行っただけ。従事者は梶谷指揮下兵10名、クーリー40名。
安達、太田指揮の八百名ではない。
・処理遺体数はせいぜい一千体。全て川へ投入。浦口に運んで焼却埋葬したものなど無い。死体は死後十日
以上、生存者も女子供もない。
騎兵第四連隊史以外、何を板倉が用いたのか分かりませんが・・・
>>495 >梶谷日記では16日に開設準備ですが。
>次は船舶輸送司令部の史料を当たる必要がありますが
70年も前の資料で、終戦のドサクサで燃やされたたり、散逸したりした物
まず無理でしょう。
梶谷日記にしても、太田少佐告白を否定する為に赤の他人の畝本氏が
自分で”騎兵第四連隊史”で見つけて発掘し保管してると勝手に言ってる事。
梶谷氏が言ってるわけじゃない。太田少佐の同僚の安達少佐の部下の日記に、
安達少佐が遺体の処理をやってることが、書いてなかっただけの事。
両方とも事実だと考えても、何の不都合もないよ。
安達少佐のメインの仕事は、船での輸送部門で、遺体の処理は必要上やらザルを
得なくなったので、大勢いる部下の中から、梶谷軍曹にメインの輸送司令部開設
の仕事をさせ、他の部下に遺体処理を指図したと考えればまったくの自然。
だいたい部下の分際で、上司の仕事を日記に全部書くと思うのが変!
太田少佐も5人くらいの部下と南京に来たのだから、800人で遺体処理をしてる
安達少佐の部下が、仕事場所も違うとこに、応援に来た太田少佐の事を日記に
書くはずもない。
>十二月十五日朝、将校二、兵三と許甫鎮より輸送船で下関に到着
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/tominaga_saihanron.htm それに事件後10年もしてから、思い出し思い出し書いてたら自分のことでさえ
日付がアヤフヤにずれるのに、同僚の安達少佐の遺体処理日付など当てにはならん
しかし自分のやった遺体処理数などは、おおよその数は間違いないと思うよ。
結論:太田少佐告白と梶谷日記は無関係!
502 :
朝まで名無しさん :03/06/15 16:25 ID:t7CFv4XN
503 :
朝まで名無しさん :03/06/15 16:42 ID:HtMUlqyR
>>498 そうだね。
戦闘が短期間で終結しながら、占領軍が捕虜や市民を虐殺したり強姦したからな。
非常に偏執的で悪質だった事件ですな。
504 :
名無し :03/06/15 17:11 ID:JIkO1VbL
南京事件の出所は中国政府だ。中国政府がうそつきなことは中国肺炎 で証明済みだ。シナ人の文化では、うそをつくのは悪くない。 だまされるほうが悪いのだ。日本人の錯覚を利用した宣伝犯罪だ。 1937年8月、中国軍30万は上海の日本人居留地を奇襲攻撃したが、 日本の本格反攻を受けて、戦線崩壊し、12月首都南京も陥落した。 ただ日本軍は8万程度、中国軍は100万とも言う大軍だ。 日本は包囲された中で首都を陥落させたが、大軍との戦闘は南京周辺 で続いていた。そんな戦場で逃げ遅れた難民を大量に捕らえて殺しても、 何の益にもならない上、貴重な弾薬を失い、兵員をさかなければならず、 戦略的に不可能だ。 そして、処刑するには巨大な収容所が必要だ。そして飲料水が必要だ。 糞尿汚水処理場も必要だ。しかし何もない。科学的に不可能だ。 作文をしてもうそはうそ。かえって作為性が暴露される。 いまどき「南京事件」など信じる日本人はいないよ。
505 :
えICBM :03/06/15 17:21 ID:LEjH71h8
>>500 :靴屋
>>501 :えなり
太田供述は南京攻略から時間がたっており、また特殊な環境での供述なので詳細な点についてまで正誤を比較するのは酷だろう。
日にちや、人員数などが事実と異なることを考慮する必要があるだろう。
しかし、遺体処理作業の責任者の一人であるため、その供述を無視する事はできない。
梶谷日記は、日記と書いてるのだから当時書かれたものだろう。
そのため日にちや詳細については信憑性が高いだろう。
しかし、立場は現場作業の責任者ではないので、作業全体についての記述とはいえないだろう。
板倉論文については、板倉氏は否定派ではあるだろうが、無茶な論理を用いるような人物では無いようだ。
しかし、当時の状況については憶測で語ってるような点も多々あるのではないだろうか?
これらの要素と他の史料を付き合せて自分なりの理解をしたいのだが。
506 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/15 17:27 ID:hMEIayTb
■陥落時の南京市民人口「25万人」について この人口数が出てくるのは、1938/1/14付けで安全区国際委員会が日本大使館に当てた文書(第19号文書) である。 貴下が登記した市民は一六万人と思いますが、それは十歳以下の子供は含まれていないし、いくつかの地区では、 年とった婦人も含まれていません。ですから、当市の総人口は多分二五万から三〇万だと思います。 このうち30万が出てくるのはこれ以降この文書だけであって、この頃以降在留外国人の認識は25万となるわけだ が、25万−16万=9万と、十歳以下の子供といくつかの地区の老婦人の数が多少多いと感じられる。スマイス調査(三月) での構成比率は9才以下が20.9%で、仮に老婦人を55才以上としても6.8%で、計27.7%だから、+9万(36%)は多すぎ るのではないか。せいぜい+6万〜7万程度で、計22〜23万ではないだろうか。ただ、老婦人の線引きがどこか分から ないので、はっきりしたことは言えないが。 なお、『華中宣撫工作史料』に記される安居証合計数25万は逆に多すぎる。老婦人及び子供は含まれていないの だから、仮に多めに構成比率を30%とすると、総人口は約36万人にも達する。この時期にはまだ郊外からの避難民 復帰はほとんど無いだろうし、安全区外の残留市民がこれほど多いとは思えないし、また国際委員会の見積もりが そこまでかけ離れていたとは考え難いからである。スマイス調査とも合わない(三月下旬で行政区市域全体でも 25〜27万)。この原因については、中島兵団と特務機関でダブっている可能性が考えられる。敗残兵及抗日分子が 主目的だから、調査主体が変わって、再度同じ人(人数は分からないが)が調べられたのではないだろうか。
508 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/15 17:44 ID:hMEIayTb
>>505 > 板倉論文については、板倉氏は否定派ではあるだろうが、無茶な論理を用いるような人物では無いようだ。
> しかし、当時の状況については憶測で語ってるような点も多々あるのではないだろうか?
無茶な論理もたまにはやります。ずっと前に幕府山事件関連で板倉の「捕虜一万の長さ」の検証もどきをや
りましたが、あれなんかそうですね。史料をごまかすような人では決してありませんが、多少偏った読み方を
するのは事実です。将校を大事にして下級兵士はあまり重要視しないとか場合によっては無視さえする。
無論、そんじょそこらの否定派論客とはレベルが違いますが。
> これらの要素と他の史料を付き合せて自分なりの理解をしたいのだが。
私も、太田供述書自体、見てないので『南京戦史』を見る機会があったら見てみようと思います。
>>500 >12/13は未だ戦闘が行われており、陸軍の下関入りは午後三時半
この表現もおかしい
12/13は捕虜に殺害もドンドンやっている。時間はどうだろうか。
完全に片付いて安全になり、司令部の南京入りがと言うことじゃない。
戦闘なら、暗くなってくるし考えにくい。
>佐々木支隊 一万数千 敗残兵殺戮
http://plaza25.mbn.or.jp/~hinode_kogei/DATA.html#nanking1 >装甲車が江上に撃滅したものならびに各部隊の俘虜を合算すれば、
>我が支隊のみにて二万以上の敵は解決されている筈である。(中略)
>午後二時ごろ、概して掃蕩を終わって背後を安全にし
http://hayawasa.tripod.com/tokyo01.htm >16師団佐々木旅団長の作戦記録の中では、12月13日午前10時
>彼は部隊を率いて下関に向かって進撃した。当時南京は三方を囲まれ
>南京から逃げるためには揚子江を渡るしかなく、しかし渡河の手段が
>足りず、大量の中国兵と市民が揚子江岸と下関地区に集中していた。
>佐々木支隊は一部分が城北の五つの城門を占領し、中国の軍民が城内
>に帰ってくる道を断ち切り、一部分は下関地区と揚子江岸に集中して
>いる中国軍民に対して気が狂ったように射撃をくわえた。
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/gao2.html それにスティールなど新聞記者は12/15にその港から追い出されてる
んだから、港の付近は船の輸送業務のためにも遺体処理できるだけは
大急ぎで12/13からでもやったと見るのが自然だ。
板倉氏の緒論はあまりに作為的。タダでさえ輸送が遅れすぎてるのに
510 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/15 18:15 ID:hMEIayTb
>>509 まぁまぁ、そう慌てない方が良いと思いますよ。中帰連の人ですら二つの説があるという
ことは認めざるを得ない、というようなことを仰っていますしね。私も、太田少佐説が完全
にウソだとも思ってません。ただ、供述書の内容とされるものがあまりにもショッキングで
俄には信じ難い。だからこそ、慎重な態度が必要だと思いますよ。実際、私自身、太田供述
書が正しいとした研究者は知りません。笠原でさえ知っていたはずなのに『南京事件』で
一行たりとも触れていません。
511 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/15 18:21 ID:hMEIayTb
>>506 > なお、『華中宣撫工作史料』に記される安居証合計数25万は逆に多すぎる。老婦人及び子供は含まれていないの
> だから、仮に多めに構成比率を30%とすると、総人口は約36万人にも達する。
「多め」はいけませんね。少なくしましょう。25%にしますと約33万人です。もちろんこれでも多すぎますが。
あいまいなソースの提出まことに遺憾に感じております。 どうかお許しを まぁどうなっても日本がやってないものはやっていないのだが。
>>510 >供述書の内容とされるものがあまりにもショッキングで
俄には信じ難い。
仮に太田証言が正しいとしても
どこがショッキングなのかね?その証言のどこに不法殺害があるのかね?
514 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/16 01:25 ID:4Ufewg6X
>>513 > どこがショッキングなのかね?その証言のどこに不法殺害があるのかね?
あのですね、私は「不法殺害がある」なんて一言も言ってないんですけども。ただ私は太田供述書自体
は未だ見てません。板倉のまとめたものを読んだだけですけども、そこには日本軍は捕虜と住民を15万
人殺害した、とありますね。それと、そのうち10万体を五日間で全部揚子江に流した、とあります。
「こんなに不法殺害があったのか」なんて考えもしてません。そういう十万体もの遺体処理状況を想像
して単にショッキングと感じただけです。無論、中国はこれが不法殺害の証拠、といっているらしいで
すが、少なくとも太田証言自体を見ないと私には未だなんとも。
で、あなたは太田供述書をどうお思いなのですか?
>日本軍は捕虜と住民を15万人殺害した こっちの証言部分出てましたっけ?
516 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/16 02:04 ID:4Ufewg6X
>>515 何度も言うように私は原文見てませんが、あの板倉がそう書いているんだから間違いないと思いますよ。
板倉は
>>500 で示したように、完全に信憑性ゼロと考えていました(※過去形なのはお亡くなりになったから)。
私も、今のところ梶谷日記の方があっているように思っていますが、確信までには至ってません。
517 :
朝まで名無しさん :03/06/16 02:17 ID:pS44PbM+
30万人までやるつもり? 戦争やってたんだ南京で誰一人死んでないなんて思わないが 大きく大きく膨らますにも程があるわ。
「日本軍は捕虜と住民を15万人殺害した」 というなら不法殺害の議論になるんですが (例によって’捕虜と住民’という並置表現には注文付くだろうが) 遺体処理がショッキングだから俄には信じ難い とか 感情的なことを言ったらきりがないですし
519 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/16 03:06 ID:4Ufewg6X
>>518 > 遺体処理がショッキングだから俄には信じ難い とか
> 感情的なことを言ったらきりがないですし
もちろん史料は冷静に吟味する必要はあります。確かにその意味では
>>510 は若干反省すべきかも知れません。
あくまでそれは私個人の感想に過ぎない。ただ、それでもなお、15万もの(うち10万を下関で処理)遺体を隠蔽せん
が如く手早く処理するとは、これ虐殺の組織的計画性を強く印象づけますよ。しかも陥落時12/13の時点での虐殺
数です(板倉のまとめ方ではそう読めますが、太田供述書自体を未だ見てないので違うかも知れません)。私はまさか
そこまで組織的計画性があったとは今のところは思っておりません。このような意味でも少々信じ難いのです。
ただ、この遺体がどこで殺害されたとされているのか、という疑問もあります。何れにせよ、現段階では保留です。
15万殺害し、10万を処理 またキリのいい数字だな。 「組織的計画性のある虐殺」って具体的にどんな行為を指してのものですか?
>>512 >まぁどうなっても日本がやってないものはやっていないのだが。
言葉は正確に!
日本がやってないと信じたいから、信じないんだ(これが正解)
貴方は弱い人間だ。
クリスチャンなんかは、仲間の信者が大虐殺したのを旧約聖書に
文書としてまで残してまで、正面から事実を凝視してんだよ!
大虐殺より大事なことが、世の中にはいっぱい有るのを知ってんだよ。
貴方と違って
>神が先祖に約束の地を、強く雄々しく、勇猛果敢に取得した
>(侵略した)物語です。 ヨシュア記(カナン征服記)
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/23yoshua.html
>>511 >「多め」はいけませんね。少なくしましょう
安居証を全ての人が取得したという、前提が間違っている。
日本軍に対する信頼感が大きければともかく、その手続きも
市民にとっては命がけの手続きになるなら、おとなしく隠れ
住む人が多々有ると見るのが自然だ。
日本軍に対しても、中国軍に対しても不信感と怖れで一杯だろう
どんな集団にも不良分子はいるし、税金や徴発をされてロクなこと
ないよ。お役人に見つかって文句言われても”安居証なんて知りま
せんでした”と言っても命を取られるわけじゃないだろう。
今でさえ中国は1人子供政策なんて、やってるんだからお役人の
言うこと聞いてて、ロクなことあるかい。
>>516 >私も、今のところ梶谷日記の方があっているように思っていますが
私は、太田供述書を信頼性が有ると思ってる。
太田氏が単に遺体を水葬にしたというなら、ともかく生き残ってる
人に止めを刺してます。
このことは死刑まで覚悟してのことで、単に帰りたいとか、待遇を
良くして欲しいとか言うのでは説明できません。
実際に100人斬りの方たちは死刑になってますし、判決が出るま
での恐怖感を考えると、嘘とは思えません。
オーム真理教で正直に喋って反省する人、完黙を続ける人は居ても
嘘の人殺しを言える人はいません。
>。私の隊が処理した二万の中で三百五十人がまだ生きていました
>私は兵に命じて鉄製の円匙十字鍬(えんぴじゅうじしゅう)を使
>って止めを刺して、川に投棄せよと言いました。」
>>516 >追加
太田少佐や安達少佐は何のために、下関に来たと思います?
遺体の処理は手段で、目的は下関を輸送基地として整備し軍事物資
を大量に運べるように、その専門家として占領直後に危険を冒して
でも直属の専門家の部下を5人ほど連れてきてるわけです。
実際に遺体の処理をしたのは、輸送の専門家というより16師団の
兵隊が、専門家に指図されて優先清掃場所を先にやったと思います。
それと、碇泊場司令部を開設準備も重要な仕事だったと思いますが
時間と手間がかかるのは、岸壁や道路に山積みになった遺体の処理
そのままでは船はマトモに着けないし、資材は置けないし、車は通れ
ないし、全く仕事にならないでしょう。
梶谷軍曹が輸送の専門家として現場にいたとしたら、遺体の処理より
司令部の開設準備にまわり、清掃関係は16師団の輸送に詳しくない
応援の方たちの肉体労働仕事になるのが自然です。
12月26日からの遺体の処理ではあまりにも戦時下では遅すぎます
その時のは、実際の輸送作業をやってて邪魔になる遺体や目立ち過ぎる
場所の遺体を、片付けたのであって”おまけの仕事”でさえ1000体
も遺体が有ったという事でしょう。
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/052.htm 下の方の赤ん坊の写真は信じられんが、それ以外のはマボロシ派の
偽造写真だという説は、間違いだと思う。
526 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/16 12:44 ID:4Ufewg6X
>>520 誤解なきよう申し添えますと、第二碇泊場司令部が下関で処理したのが十万体ということでして、残り五万体も別の隊
によって処理されている、と書いてありますので全数が処理されています。念のため。
組織的計画性ですが、板倉のまとめたものを読む限り12/13の時点で15万人殺害したと読める、という前提でお話しし
ますが、これほどの殺害をするには、一体どうやったら出来るんでしょうか。よく、「30万も殺すには原爆でもない
と無理」とかいうのがあったと思いますが、ともかくそれくらいの勢いでやらないと先ず無理です。しかも、中国軍も
住民も十万や十五万もまとまってどこかにいたという事実もない(安全区は別だが、ここでは大量殺戮は起きていない)
ようだし、ばらばらに散らばったそれら軍民を、十五万人も一挙に殺すには余程周到な計画と全軍の協力がないと出来
ないと思いますよ。そして次の日から即それを全て江中へ投入するなどして処理するが如きは、最早流れ作業と言って
良いくらいです。ばらばらに散らばったところにある遺体をわざわざ下関へ十万体も運んでいるわけです。
ともあれ「組織的計画性」がないと、こんなの無理、という意味で言っています。具体的な「組織的計画性」を示す何か
別の証拠をさして言っているのではないし、今のところ私は知りません。
とは言っても、「組織的計画性はなかった」かどうかは知りませんし、組織的計画性がなくとも、ひょっとしたら出来た
のかも知れません。考え難いとは思うが、可能性までは否定しないという意味で。例えば幕府山事件では、私の推定する
ところ約一万五千〜二万もの捕虜を揚子江岸で一挙にまとめて殺害し、二日〜三日程度で全遺体を江中へ投入したと考え
ています。推測ではありますが、こういうことを考えると必ずしも絶対に出来ないとまでは言えません。
>>522 例えとして中世の歴史を出すのはいかがなものか?
恵也流にいうと 10万=8万〜13万の範囲 になるんだろがな
>>526 未練たらしい文章だな
528 :
計算機 :03/06/16 13:23 ID:DmbFVYr+
>>462 > 意味が分かりません。私が言っているのは様々な史料記録にある陥落時以降の
>人口「数」に市民虐殺数なんか入っているものはない(マギー、ウィルソン証言
>除く)、ってことですよ。
つまり裁判以前に市民の大規模な虐殺の記録はないってこと?
>スマイス調査にある25-27万は城外を含む行政区市域全体に及びます。
1月半ばのラーベの25万はどう?日本軍の調査(登記)は城外も含んでるけど、
これも城外を含む行政区市域全体と考えていいかな?
前スレ
>>721 前後で「城門が閉まっていたから」という議論があったんで、
てっきり城内の話だと思ってたんだけど。
> 在留外国人の誰もそんなことは言っていませんよ。私は数字が合う(陥落時
>全人口25万ではないという意味で)、といっているだけです。
つまり、(埋葬記録や後のラーベの記述やらの)虐殺数を考えると25万では
足りないからマギーやウィルソンの「最低30万」、「50万以下」というのは妥当だ
ということね。
>>473 「棺に入れた(02/03)」、「埋葬した(04/02)」だけなら単に死体を埋めた
という意味で使ってることも考えられるけど、「死体を棺に入れて埋葬」だからね。
もうちょっと調べてみるよ。
>>506 ,511
ラーベの文書(9号)を読んで、「じゃあ、良民証の発行範囲を広げるか」と
特務機関が考えて既調査地域にも配りなおしたとも考えられるね。
ただ、基の資料には「老婆及十二歳以下の小児を除く」って書いてあるんだよね・・・
これについてももうちょっと調べてみるよ。
529 :
計算機 :03/06/16 13:23 ID:DmbFVYr+
530 :
朝まで名無しさん :03/06/16 13:25 ID:ofj8eT5c
531 :
朝まで名無しさん :03/06/16 13:26 ID:ofj8eT5c
>>529 >そんなこと言い出したら15万(16万)ですら「最低の」数値になるぞ。
最低も良いとこだよ。
日本軍も中国軍も信頼されてないよ。
臆病でなにも信頼しない人たちが、生き残る可能性は大きいの。
貴方がその当時、美しい若い娘を持ってる親だとしたら、正直に
軍隊に報告するかい?
終戦時の女性が、占領軍が来るときは山に真剣になって逃げ込んだという
そう言った不良分子はどこにもいるんだから、せいぜい自己防衛は皆
やってると思うよ。
遺体の数字だけは、数字の中では一番信用がある。
>李秀英さんは日本軍の兵士に強姦されそうになり、全身にたくさんの傷を負った
http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html
>>527 >例えとして中世の歴史を出すのはいかがなものか?
そういった遺体の処理の詳しい資料は全て、終戦時のドサクサで
日本軍関係は処分できるものは全て燃しちゃったんだ。
日本のマボロシ派が言う数字も、虐殺派が言う数字も記録のない数字は
中世の歴史と同じ様なだいたいの数字に、成り下がったんだよ!
まあ70年も前の歴史だからね。
534 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/16 14:05 ID:4Ufewg6X
>>532 いやつまり、もっと多くの人が生き残っていたことになるんですよ。それこそ30万人虐殺説はどんどん
あり得ないことになっちゃうよ。いまんとこ、恵也さんは30万人虐殺説なのでは?違うのかい?
535 :
朝まで名無しさん :03/06/16 14:13 ID:mvxIpjg4
情報技術が発達した現代でさえイラク人が何人しんだかわからないのに。 よくやるねえ。
>>533 仮にも当事者の証言なんですが。それが中世の歴史と同じ様な
だいたいの数字に、成り下がるんですね。
537 :
計算機 :03/06/16 14:36 ID:DmbFVYr+
538 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/16 14:45 ID:4Ufewg6X
>>528 > つまり裁判以前に市民の大規模な虐殺の記録はないってこと?
言い方が悪かったかな。これまで言ってきたように、陥落後当時の史料からは陥落時25万くらいしか判断出来ない
ってことですよ。そしてそれは翌年一月中旬頃以降になって分かるものである、と。これは繰り返し言ってきたこと
なので最早言うまでもないと思っていましたが。
> 1月半ばのラーベの25万はどう?日本軍の調査(登記)は城外も含んでるけど、
> これも城外を含む行政区市域全体と考えていいかな?
それは中島兵団による1/5までのものですよ、おそらく。この時期は安全区外にはほとんど人はいなかったと思いま
すし、計算機さんもそう主張されてませんでしたか? 城内外でやったとは書いてあるけど、その内訳は書いてないわ
けだし、範囲も分からない。しかも、これ安居証を配った範囲であるとは書いてませんね。あくまで、城内外の敗残兵
等の摘出範囲ですよ。(『華中宣撫工作資料』)
> つまり、(埋葬記録や後のラーベの記述やらの)虐殺数を考えると25万では
> 足りないからマギーやウィルソンの「最低30万」、「50万以下」というのは妥当だ
> ということね。
「虐殺数を考えると25万では【足りない】」ってどういう意味? 当時の生き残った市民数は25万であり、それ以外
に陥落時点でいた人は殺された人である。これは良いですね? そしていつ頃からかはさっぱりわからないが、どうや
ら外国人は万単位の市民が殺されたと考えていたらしい。我々が分かるのはここまでです。で、彼らが認識していたは
ずの二十五万に殺された市民の数を足すとラーベの五万を最低としても陥落時には30万はいたことになる。これは
マギー証言に一致する。故にマギー証言は、別に矛盾したことを言っているわけではないと解釈可能である、というこ
となんですが。
539 :
計算機 :03/06/16 15:19 ID:DmbFVYr+
>>538 >それは中島兵団による1/5までのものですよ、おそらく。この時期は安全区外には
>ほとんど人はいなかったと思いますし、計算機さんもそう主張されてませんでしたか?
少なくとも「この時期(01/05)」は、
安全区の人口≒城内の人口≒南京市の人口
ということだね?
俺は陥落当時から安全区外にはほとんど人がいなかったと思ってるけど、貴方は
いつ頃からだと思ってる?
>しかも、これ安居証を配った範囲であるとは書いてませんね。あくまで、城内外の
>敗残兵等の摘出範囲ですよ。
件の文書には「この結果良民として(老婆及十二歳以下の小児を除く)安居之証を
交付せる者左の如し(概数) 」となってるから、捜査範囲内で摘出されなかった
人達(子供と老婆を除いて)には安居証が発行されたと考えるべきじゃないのかな?
540 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/16 16:33 ID:GT4mhlHx
>>539 > 俺は陥落当時から安全区外にはほとんど人がいなかったと思ってるけど、貴方は
> いつ頃からだと思ってる?
正直よく分からない。城内に限っては、未だ避難していない人がある程度いたと思ってますよ。それがその後どう
なっていったのか、ほんとによく分からない。一月上旬頃にはもうほとんどいなくなっていたとは思われますが。
> 捜査範囲内で摘出されなかった人達(子供と老婆を除いて)には安居証が発行されたと考えるべきじゃないのかな?
治安確立の先決問題は城内外に於ける敗残兵及抗日分子の捜査摘出にして昨年十二年二十二日以降本年一月五日に
至るの間に於て中島兵団の施行せる査問に協力し約四千名の敗残兵並抗日分子を摘出し一月六日より二月二十五日
に至る間更に特務機関に於て天谷警備支隊の協力を得て城内外に■る(於ける?)査問を続行し約五百を摘出せり
となっていますから、城内外は「敗残兵及抗日分子の捜査摘出」のことであることは間違いないですね。安居証は
よく分からない書き方ですね。必ずしも、安居証交付作業=敗残兵及び抗日分子摘出作業ってわけじゃないわけですし。
同じ虐殺肯定派同士でありながら、 恵也の矛盾点にツッコミ入れてる靴屋氏は素直にスゲェと思った。 俺は否定派なんだけど、靴屋氏を応援したくなった。困った(笑)
542 :
朝まで名無しさん :03/06/16 17:58 ID:dWJNpPe8
「まぼろし」とは思えないが、30万人以上説には少し? というのは死体の処理方法の段階でツメが甘いような気がする。 ドイツとか旧ソ連の例が出ていたが、彼等には時間と施設があった。 アウシュヴィッツ/ビルケナウの例で見ると、稼動していた3年間で 100万未満。時間で考えると、日本軍は殺害スピード世界一。 処理方法は当初土に埋めていたが、地中にある大量の死体が腐敗し てくると、腐敗ガスが蜃気楼のように立ち上り、大量の蠅が発生、 加えて地下水も汚染された。それで以後は消却に切り替えられた。 塹壕程度の浅い穴に土を被せただけだと、野犬が掘り起こしたりし て大変だ。その後南京ではおこって当然の疫病の記録はないが。 「〜じゃないかな」という推測はちょっと辛い。分からない部分は 不明でいいのでは。
1〜299999人にはちょうど。
544 :
計算機 :03/06/16 21:38 ID:DmbFVYr+
ごめん、仕事してたらこんな時間に・・・ 悪いんだけどレスは明日。
日本人って死体を河に流す習慣があったっけ?
>>536 >仮にも当事者の証言なんですが。それが中世の歴史と同じ様な
>だいたいの数字に、成り下がるんですね
貴方も10年後になんかの数字を”思い出して書け”なんて言われたら
細かい数字は覚えてないのじゃない?
俺の近所の92歳のおばあさんは、ご近所の人のTEL番号を覚えてるが
中にはそれだけの記憶力持つ人もいる。
しかし遺体処理の総合計をソラで覚える人は、あまり居ないだろう。
547 :
朝まで名無しさん :03/06/17 10:03 ID:s+GxCI9F
/  ̄ ̄ ̄ ̄ \ / \ / \ / / /λ \ / / / / \ ヽ / / / / \ | / / /\ / / `ー 、 | \ \ / \ | .| ー―-、 | \ \ / \ | | | | \ \ / /\ \ | | l \ | \ / \ \ ,^ヽ.| ,;;_llliiillli_iJ ,;;iiillIIii_ |/= \ / \ ,` |i^.| | ,彳てフ’ 气.てフ' | i | \ / \ \/ ヽ | | ヽ  ̄'/ 【  ̄ , |_// \ / /\ \ | ||  ̄ ┃  ̄ |_l\ \/ / \ \ `-| / ┃ | \ / \ \ | | _,__i ) .| \ / / / l i| ||;|||||||i |. \/ / / ヽ、 |||||:|||||||||ll ( / / / |\  ̄ ̄二 ̄ ̄ |//^\ / / _ ,――| \ / / \ \ / / |\ ー――一 / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ` ' / | \ _/ / / \ | / 入 / /
548 :
朝まで名無しさん :03/06/17 10:06 ID:s+GxCI9F
/  ̄ ̄ ̄ ̄ \ / \ / \ / / /λ \ / / / / \ ヽ / / / / \ | / / /\ / / `ー 、 | \ \ / \ | .| ー―-、 | \ \ / \ | | | | \ \ / /\ \ | | l \ | \ / \ \ ,^ヽ.| ,;;_llliiillli_iJ ,;;iiillIIii_ |/= \ / \ ,` |i^.| | ,彳てフ’ 气.てフ' | i | \ / \ \/ ヽ | | ヽ  ̄'/ 【  ̄ , |_// \ / /\ \ | ||  ̄ ┃  ̄ |_l\ \/ / \ \ `-| / ┃ | \ / \ \ | | _,__i ) .| \ / / / l i| ||;|||||||i |. \/ / / ヽ、 |||||:|||||||||ll ( / / / |\  ̄ ̄二 ̄ ̄ |//^\ / / _ ,――| \ / / \ \ / / |\ ー――一 / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ` ' / | \ _/ / / \ | / 入 / / しかしこの板はサヨク臭くていけませんね
>>534 >30万人虐殺説はどんどんあり得ないことになっちゃうよ。いまん
>とこ、恵也さんは30万人虐殺説なのでは?
多くの人が生き残っていて、それでも30万人は殺されたんじゃない
と言うのが俺の考え。
実際に逃げれたのは、南京の逃げ出した市長さんや、ラーベ氏の予想
よりはるかに少なかった。安全区以外の場所はヤマカンでしかない。
調査能力の問題だし、安全区以外の場所で現におおぜい死に、埋葬さ
れてる。
逃げ出せた人は、正確な情報を持ち、日本軍の当時の行動を知り
的確な時期に、移動できるだけの資金を持ってた人たちだけだ。
役場のエリート連中と、下々の連中との情報ギャップを無視してる
この地図を見ても安全区から、離れた場所で虐殺は行われている。
西洋人から文句言われるのが判っていたからだろう。
だからこそ、安全区の中の方が、中途半端な街中より安全だといって
人がある程度増えたと思われる。
この時に、安全区に逃げるか、日本軍にも中国軍にも見つからない
辺ぴな場所にも疎開したと思うよ。
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/map.html 戦争中の軍隊のソバにいてもロクな事はないから、俺なら辺ぴな
場所に行くな。沖縄戦でも軍隊のそばにいてエライメにあってるよ
>厚生省の調査によると,14歳末満の戦没者1万1,483人のうち,
>「壕提供」が1万0,101人,「食糧提供」76人,「自決」313人,
>「友軍よりの射殺」 14人,などがあげられて
http://plaza18.mbn.or.jp/~modernH/paper20.htm
>>548 >日本人って死体を河に流す習慣があったっけ?
そんな習慣はないのじゃないかな。
でも海に水葬と言うのは、海軍では有るようだが揚子江というのは
幅が2000mもあるから、海みたいなものだしな。
それよりも遺体を捨てるのに、人手と時間から必要に迫られてというべきだろう。
源平の合戦の壇ノ浦で、天皇が入水自殺したのは海だからな。
>>550 >それよりも遺体を捨てるのに、人手と時間から必要に迫られてというべきだろう。
>源平の合戦の壇ノ浦で、天皇が入水自殺したのは海だからな。
関係ない話題ですまんが。
ぜんぜん意味が「通らないので何がいいたいのかわからん。
>>551 >ぜんぜん意味が「通らないので何がいいたいのかわからん。
水葬の習慣は、日本にはないとは言えないのじゃないか?
と言うことだ。揚子江で水葬しても瀬戸内海の水葬と、海と川の差があっても
揚子江は海みたいなもんだから。
>>527 >例えとして中世の歴史を出すのはいかがなものか?
それなら現代の例えだ。
>連邦議会の調査委員会は「イラク軍がマスタードガスと神経ガスでクルド人
>10万人を殺した」と発表し、イラク虐殺説が広まったという。
>だが、密室ではなく戸外に散布したガスで一度に10万人も殺せるのか――。
>首をかしげる専門家も少なくなかった。その後、広報誌のように「5000人」
>という死者数が多用されるようになったが、昨年10月のCIAの報告書は
>死者を「数百人」と記し、
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/tokusyu/power_1/06.html しかしこれは裁判もないし、国際的監視の下で調べた東京裁判とは本質的に
異なっている。たしかに勝利者が敗者を裁いたにしても、国際的監視があって
その結論が”中国人による埋葬”で20万人以上の結論、証拠価値は大きいよ。
554 :
朝まで名無しさん :03/06/17 12:44 ID:CM5Dyyml
国際的監視の下で調べた東京裁判 いい加減な裁判の象徴になってるわけだが 世界中の厳格な法関係者は東京裁判=不当と結論付けている
555 :
朝まで名無しさん :03/06/17 12:47 ID:CM5Dyyml
>>たしかに勝利者が敗者を裁いたにしても、国際的監視があって その結論が”中国人による埋葬”で20万人以上の結論、証拠価値は大きいよ。 そのわりにはたいした証拠出てこないな
>>519 >ただ、この遺体がどこで殺害されたとされているのか、という疑問もあります
1937年12月13日の下関侵攻、一般市民がずい分巻き添えになった模様。
12月16日 下関媒炭港
12月18日 下関草鞋峡
この3つの分が大きかったんじゃないかな。
軍隊が人を殺すことは、縛ってる相手なら難しいことじゃないが、遺体を処理
するのが時間と人手を食うもの。
だからこそ殺すことは表に出さず、処理の簡単な港まで別の言い訳で連れて
きて、揚子江に流しやすいようにして処刑したのだろう。
>南京大虐殺事件年表
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/nenpyou.html
557 :
朝まで名無しさん :03/06/17 13:15 ID:SgUn9f0T
>>553 >国際的監視があって
具体的にどんな監視があったのかね?
ていうか、あの戦争における「戦勝国」がどこだか分かってるかね?
アメリカを筆頭に、欧米列強のそうそうたるメンツが揃ってるわけだが、
「それ(ら)に対する国際的監視」なんて事実上ありえるのかね?
>>554 >いい加減な裁判の象徴になってるわけだが
>世界中の厳格な法関係者は東京裁判=不当と結論付けている
それほどいい加減とは思えんけどね。
日本の裁判所みたいに四角四面でやってる、厳格な法関係者?なら
そういうかも知れんが、オームの麻原彰晃を天寿を全うさせる様な
法関係者じゃないの?
俺はそんな法関係者は”税金の寄生虫”だと思っている。
貴方もその寄生虫の1匹かい?
東京裁判でさえ、終戦後3年間もかけて絞首刑を執行してるのに
貴方は何十年かけても”厳格な法関係者”みたいに裁判して
裁判官も何人も代わり、被告人が天寿を全うする頃死刑にする方
なんだろ。
世界中に日本ほど馬鹿”厳格な法関係者”なんているのかね?
温室育ちの、純粋培養された、世間知らずの”厳格な法関係者”
559 :
朝まで名無しさん :03/06/17 13:22 ID:SgUn9f0T
>>556 >軍隊が人を殺すことは、縛ってる相手なら難しいことじゃないが、遺体を処理
>するのが時間と人手を食うもの。
だからこそ意味も無く一般市民を虐殺したりはしない、
という発想は無いのかね?
「大量に殺すと処理が面倒だ」という状況で、
「だったら処理しやすい場所まで連れて行こう」ではなく、
「じゃあ殺すのやめよう」で済むんじゃないか?
それとも民間人じゃなくて敵兵殺害の話?
560 :
朝まで名無しさん :03/06/17 13:25 ID:SgUn9f0T
>>550 >>552 入水自殺と水葬の習慣の有無は関係無いぞ。
>>553 >だが、密室ではなく戸外に散布したガスで一度に10万人も殺せるのか――。
↑
こういう資料を引用しておきながら、
「原爆使ったわけでもないのに30万人も殺せるのか」
という疑問は沸いてこないのかね?
561 :
朝まで名無しさん :03/06/17 13:30 ID:LZDpk4oo
富山県は貨物船「スーヤンサン」号(874トン、乗組員16人) の総代理店「日中海運」に対し、同船が海上給油を行い、帰国するよう求めているが、 「日中海運」は一切拒否。。。。。 「日中海運」(東京) 03-3248-1055 〒104-0045 東京都中央区築地1丁目12−13 抗議電話ヨロシコ
562 :
朝まで名無しさん :03/06/17 13:31 ID:SgUn9f0T
564 :
朝まで名無しさん :03/06/17 13:38 ID:SgUn9f0T
>>549 >実際に逃げれたのは、南京の逃げ出した市長さんや、ラーベ氏の予想
>よりはるかに少なかった。安全区以外の場所はヤマカンでしかない。
この言い分自体もヤマカンでしかないけどな(笑)
>逃げ出せた人は、正確な情報を持ち
なんで「ただ逃げてるだけの一般人」が、
「国際調査員」よりも正確な情報を持てるんだよ(笑)
>この地図を見ても安全区から、離れた場所で虐殺は行われている。
>西洋人から文句言われるのが判っていたからだろう。
その地図にまず信憑性が無い
(印のついている各場所においてどのような虐殺があったのか書かれてない)。
それと、いわゆる一般的な「虐殺」をするような人間が、
文句言われるから、という理由で避けたりするだろうか?
それだけの理性が残ってるのなら虐殺もしないと思うが?
>戦争中の軍隊のソバにいてもロクな事はないから、俺なら辺ぴな
>場所に行くな。
だったらなおさら(安全区以外の)南京城内には
人が残ってるはず無いじゃん。バカ?
>>560 >「原爆使ったわけでもないのに30万人も殺せるのか」
10万人くらいの日本兵が南京攻略戦に参加したんじゃない?
一人頭3人くらい軽いものだろう。
それも大きな虐殺が6週間ほど続いたというし、不可能なことじゃなかろう
日本に居て現在の日本人を基準にしてしか、イメージ出来てないのじゃないかな
時代によっても、国によっても生活感覚、生活常識は変化してるよ。
>南京大虐殺当時のフィルムと生き証人の証言を中心につづったもので、
>正直言ってこれには参った。というのは、写真とは比べものにならない迫力
>で日本軍の犯罪を告発したものであり
http://plaza18.mbn.or.jp/~modernH/paper24.htm
当時南京にそんなに人いなかったで解決してる問題だと思ってた。
>>562 >東京裁判の話ではリンク貼らないのはなぜかね?
少しは貼ってるはずだが、最初頃は真面目に見てたよ。
田中正明氏のHPも疑問は持っても、意外と真面目に読んでたよ。
でもあまりにも意識的な、改竄、日にちの変更、書いてないことの挿入
をいくら読み難い他人の日記とはいえ、書いて本に出しては、信頼できん。
あれから田中正明氏らしき人のHPは遠慮して、読まんし出さなくなったよ。
マボロシ派も板倉氏だったら真面目に読んでるぞ。
チャンと個人名でHPを出して書いてあるのは、マダマダ信頼感は持ってるのでね
>田中正明氏の松井大将日誌改ざん
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/kaizan.htm
569 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/17 15:36 ID:WLDnybJe
>>556 まぁ、太田供述書を一度見てみます。近所の図書館が書庫整理期間中で未だ先になりますけど。
> 12月18日 下関草鞋峡
これは一つの大きな疑問点でしてね。南京裁判での
魯甦証言概要はこうなっています。
日本軍は南京入城後、兵士や難民五万七千四百十八人を、幕府山付近の四、五箇所村(*)
に閉じこめ飲食を経つ。凍餓死するもの甚だ多し。十二月十六日夜、生存せる者を二人ずつ
縛って四列に並べ、下関の草鞋峡においやり、機銃で掃射し、銃剣にて刺し、石油をかけて
焼き、死体を揚子江に投入す。この屠殺のとき、教導総隊馮班長及び保安隊郭某は縛を脱し
て地上に倒れ、死体の下に隠れ難を逃れた。馮班長は左肩に刺刀傷、郭某は背中に火傷を負っ
たものの、上元門に近い大茅洞に逃げ込み、そこにいた私から衣類を求めて着替え、ひそか
に揚子江を渡って八卦州に逃げることに成功した。当時私は警察に勤務していたが、大腿部
を受傷し、大茅洞に隠れていて、その惨状を目のあたりにしたのである。
(阿部輝郎『南京の氷雨』p135-136より引用)
*これは村の箇所数ではなく四箇所村、五箇所村という名称の村である。東京裁判では「数ヶ所村」などと誤記され
ていたりする。
良く否定派が疑問にする五万七千四百十八人が一桁目まであるのは不自然だというものですが、目測で数えたはず
はないから、馮か郭から聞いたものではないかという推測もあり得ます。しかし本質的な問題はそこではなく、いわ
ゆる幕府山事件そのものか、またはすぐ近くでそれより遙かに多い虐殺があったという事実です。どうやら、幕府山
事件とは場所が違うのではないかという説が有力らしいですが、この虐殺の事実は他の資料では未だ裏付けがありま
せん。魯甦証言だけのようです。しかしひょっとすると、幕府山事件以外の事件と重なっているのかも知れません。
これもまた課題にしてありますが、今のところよくは調べてません。
570 :
上一夫(1) :03/06/17 16:45 ID:+t04I6sj
太田壽男 供述書(p420)と梶谷健郎 日記(p428)は、ともに偕行社発行の「南京戦史資料集U」に納められています。 それによると、太田壽男氏は、香川県善通寺騎兵第11聯隊留守附として勤務中(教育及経理主任)、1937年10月中旬第二碇泊場司令部の員を命せらる。 (第二碇泊場司令部は大阪に於いて新に編成されたるものにして、其の編成は司令官一、部附将校十三名、通訳二名、下士官十五名、計三十一名)、とあります。(p420) 梶谷氏は、昭和12年11月、本来の騎兵とは全く畑違いの碇泊場司令部に召集されています。 日記は、1937年11月5日(動員令下る。待望の召集令今五時受領す。・・・・)から始まり、1938年 10月7日までが現存しているとされるが、南京戦史資料集Uでは、12月31日(晴)(今日は最後の日とて最多忙なり。明日はお正月のため・・・・)までが載せられています。(p438)
571 :
上一夫(2) :03/06/17 16:48 ID:+t04I6sj
平成2年12月14日の毎日新聞社夕刊の記事が、太田供述書が問題になった発端です。 以下引用 「1937年(昭和12年)十二月の「南京事件」の死体処理の模様を告白した旧日本軍将校の「罪行 供述書」が南京の『侵華日軍大屠殺遭遇同胞記念館』に保存されていることがわかり、毎日記者がこのほど全文の写しを入手した。 「捕虜及び住民の死体約七万体を揚子江に流し、約三万体を焼却した」など、虐殺の実態をうかがわせる供述がなされている。・・・・・・」 さらに太田氏と同じ撫順戦犯管理所にいた元満州国警察官の「十五、六人が一室に集まり、互いに批判しながら書いた。激しい議論もあった。みんな想像ではなく、事実だけを書いていた」との談話が続く。
572 :
上一夫(3) :03/06/17 16:49 ID:+t04I6sj
太田供述書と梶谷日記、当時の史料などから検証をはじめましょう。 (1)太田氏のアリバイ 太田壽男供述書(p420〜421) 「第二碇泊場司令部は、12月11日常熟出発南京に向ひ前進す、太田少佐は在許甫鎮第二碇泊場司令部将校二、兵三を率ひ、許甫鎮より便船により南京に向ひ前進し司令部に帰還すべし。 私(太田)は右命令受領后、在甫許鎮支部に連絡の結果12月14日夕大図丸の来たるを知りこれに便乗し、12月15日朝甫許鎮出発揚子江を南京に向ひ航行す。」 確認しておく事は、12月15日の朝、船に乗り、南京に向かったとあります。 梶谷健郎日記(p437) 12月25日(晴) 「欄外」大正天皇祭(騎四時代鶴田准尉来訪される) 「朝来寒気殊に甚だしきも快晴なり。正午頃常熟より太田少佐外来る。津倉、泉原来り久しぶりにて歓談す。夕食はスキヤキを実施せり。」 太田少佐が南京に到着したのは二十五日であり、十六日から十八日には常熟又はその付近におり、南京での死体処理は不可能と考えられます。
573 :
上一夫(4) :03/06/17 16:51 ID:+t04I6sj
(2)安達少佐のアリバイ 梶谷健郎日記(p434〜435) 12月12日(晴)母の命日 「午前11時自動車の都合つき、安達少佐、自分、原田上等兵外運転手共三名、午後2時15分、37年自動車にて無宿を発し、江陰に向かう。・・・・・・」 12月13日(晴) 「丹陽午前9時発。ガソリン及びオイルを注油し、一路南京を前進す。午後1時湯水鎮を通過、3時南京手前二里の麒麟門站を左に折れ、二里の地点にて一泊に決す。・・・・」 12月14日(晴) 「南京入城の日。麒麟門站に引き返し更に軍司令部の位置湯水鎮につき、連絡の上昼食後一路南京に入城す。時に正午、城内の残兵未だ相当あり。北部の碼頭には行けず、鈴木部隊長も来られた。」 12月15日(晴) 「午前午后共付近の敗残兵を海軍と共に掃トウす。十数名を射殺せり。負傷せるものも多数あり。これらを一ヶ所に集合せしむ。駆逐艦海風は一番乗りにして他の七隻入港せり。」 以上より安達少佐らによる十四日、十五日の両日、昼夜兼行での六万五千の死体処理などはおおよそ不可能である。
574 :
朝まで名無しさん :03/06/17 16:55 ID:SgUn9f0T
>>565 >それに上官の命令は”天皇の命令と思え”
>という教育受けてたんで、逆らえなかったんだよ。
捕虜処刑はともかく、「大虐殺せよ」って命令なんかあったのか?(笑)
>おまけに草木まで敵と思えとか、年寄りでも、子供でも中国軍に密告したり
>手榴弾を部屋に入れられたので”措置せよ”と命令されたり
子供だろうが年寄りだろうが、手榴弾投げ込んでくるんなら「敵」だろ。
それとも当時の中国には少年法が適用されてたのか?(笑)
>>第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に
>>「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という
>>無茶苦茶な命令が届いた。
そのリンク先には「この命令は出所不明」とも書いてあるが、
まさかこんなヨタ話を資料として使うつもりじゃないだろうね?
575 :
朝まで名無しさん :03/06/17 17:01 ID:SgUn9f0T
>>566 >10万人くらいの日本兵が南京攻略戦に参加したんじゃない?
>一人頭3人くらい軽いものだろう。
またこのテの単純計算か。じゃあ例えば、日本国民は1億以上いるから
日本国民がその気になれば3億人虐殺できるんだな?
>日本に居て現在の日本人を基準にしてしか、イメージ出来てないのじゃないかな
>時代によっても、国によっても生活感覚、生活常識は変化してるよ。
「死体埋葬はボランティア」とかいってるお前がそれを言うか(爆笑)
576 :
朝まで名無しさん :03/06/17 17:02 ID:SgUn9f0T
>>568 俺が貼ったリンクは田中正明のだけじゃないんだが?
肯定派って、否定派の持ってくる資料は
何でもかんでも田中正明だと思ってないか?(笑)
で結局当時の南京には何万人いたのさ。
578 :
上一夫(5) :03/06/17 17:22 ID:+t04I6sj
南京への交通手段 太田供述書では、「大図丸に便乗し、12月15日朝、甫許鎮出発揚子江を南京に向ひ航行す。」とありますが、これは無理な話です。 梶谷日記にありますように、第二碇泊場の人々は苦労しながら、自動車で陸路南京にむかいました。(日記を読むとよくわかります。) 揚子江からは、海軍の先頭「保津、勢多」の下関突入が12月13日午後3時40分であり、軍艦以外の貨物船等が南京まで運航するのは、機雷除去が進んだ12月18日以降です。
579 :
計算機 :03/06/17 17:24 ID:mdsoTv3W
>>540 忙しくて、なかなかレスできなくて申し訳ない。
>>539 で、少なくともこの時期(01/05)は、「安全区の人口≒城内の人口≒南京市の人口」
と書いたけど、「01/05頃から3月まで南京市の人口は25万程度で、大規模な虐殺はない」
ということでいいかな。
安居証についてだけど、貴方の論理で行くと、発行されたのは15万(16万)だけど、
実際にはもっと多かったということにならないかな?
発行がダブってるというのは問題だね。日本軍としてはダブるのは当然避けたい。
というか、ダブったら摘出されない敵対勢力が出るから、少なくとも日本軍としては
厳密にやりたいと思っているだろう。中国人がどのくらい偽れるかが論点かな。
あるいはラーベ達の推計方法が間違っていた可能性もあるね。
>>569 この証言はやっぱり栗原証言と同じなのかな。彼も他部隊と併せて7万程度と
証言しているようだし。
580 :
計算機 :03/06/17 17:25 ID:mdsoTv3W
>>549 >実際に逃げれたのは、南京の逃げ出した市長さんや、ラーベ氏の予想
>よりはるかに少なかった。安全区以外の場所はヤマカンでしかない。
>調査能力の問題だし、安全区以外の場所で現におおぜい死に、埋葬さ
>れてる。
ここが問題なんだな。
・埋葬数(死体の数)15万とその他諸々合わせて20万、30万。
・裁判の判決で認められている。
というだけなら、ここにレスするのはあまり意味がないと思うよ。
傍聴人の立場になるからね。レスするとしたら、陪審員か、最低でも弁護側、
検察側に立たないと。
>>564 >「国際調査員」よりも正確な情報を持てるんだよ(笑)
南京安全区国際委員会の委員のこと?
この方達は安全区に置いては、自由に動けたし調べたと思うから
安全区の中の人口はだいたい信頼できると思うよ。
・でもその外の南京城内
・それから南京城の近郊
・南京市郊外(安全区の100倍の面積はあるんじゃない?)
この3箇所は出てみることも出来ず、ただ逃げ出した昔の南京市長さんや
仲間の委員さんの噂話でしか判らなかったの。
日本軍の大虐殺がやられてたし、安全区の食料、燃料、人命の保護で精一杯
だったと思うよ。
その中の人口の記述は、安全区内の話しか信頼性はない!
>印のついている各場所においてどのような虐殺があったのか書かれ
>てない
四画の部分は解説があるよ。
それ以外の部分はHPや本で自分で調べるしかないだろうな。
しかし中国に行ったら、南京裁判の記録として残してると思うが。
命令で虐殺しなくてはいけなかったのと、軍隊のことは除隊しても
バラサナイのが、旧軍の”鉄の規律”です。
変わり者がずい分出てきたけどね。でも少数派。見せしめにされる。
>東史郎さんの告白録
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/azumazen1.htm 南京城内は、自分の店や家財道具を守ろうとしたり。ビラで良民には
安全を保証すると、宣伝してたからここまでやるとは思わなかった
んだろ。東京に土地や店を持ってる人間が、簡単に逃げ出すか!
>>567 >当時南京にそんなに人いなかったで解決してる問題だと思ってた。
南京市内の話と、安全区内の話が意識的にごちゃ混ぜにしてあります
信頼できる調査は戦前に、100万人くらい市民がいたことと
占領後スマイス調査で、22万人ほどいると確認できたくらいです。
港町の下関は極端に減っています。
戦前の下関の人口は調べきらんが、今の日本の100万人都市
北九州市で、港のある門司区は10万人以上生活してるが、スマイス
調査では2300人しか存在が推定されてません。
当時の中国の首都ですし、物資の出入りはすごかったと思うよ。
北九州市みたいな地方都市じゃないのだから。
>ルイス・S・C・スミス博士(金陵大学社会学教授)と助手による
南京国際救済委員会を代表して1938年作製
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/doc_smyth.html
583 :
上一夫(6) :03/06/17 17:41 ID:+t04I6sj
梶谷健郎日記に以下のような記載があります。 12月26日(晴) 「午後死体清掃の為苦力四十名を指揮し悪臭の中を片附く。約一千個に及べり。目を明けて見る能わず、誠に今世の生地獄と云うべきなり。」 板倉由明著 本当はこうだった 南京事件 p429によると、 「12月25日の梶谷日記「朝来寒気殊に甚だしきも快晴なり。正午頃常熟より太田少佐外来る。」 同日、開設準備多忙のため着手されなかった湾港の死体処理が命令され、梶谷軍曹は26日から 兵十、クーリー四十をもって機舟(後部にディーゼル機関をつけたもの、通称ヤンマー)五隻に各兵二、 及び適当にクーリーを分乗せしめ、二メートルほどの棒の先にL字型の金具をつけた急造の「トビグチ」 で死体を引っかけて沖の方へ流した。十日以上たった死体は悪臭鼻につき、足場の悪さもあって作業は翌々日の正午頃までかかった」とあります。
584 :
えICBM :03/06/17 19:11 ID:jxSQxOKm
>>573 :上一夫(4)
>12月12日(晴)母の命日
>「午前11時自動車の都合つき、安達少佐、自分、原田上等兵外運転手共三名、
>午後2時15分、37年自動車にて無宿を発し、江陰に向かう。・・・・・・」
無宿を出発とありますが、無錫の間違いではないでしょうか?
また12月12日の日記の後半部が「・・・」と省略されてますが、もしもお分か
りでしたら教えてください。
>>578 :上一夫(5)
>太田供述書では、「大図丸に便乗し、12月15日朝、甫許鎮出発揚子江を南京
>に向ひ航行す。」とありますが、これは無理な話です。
>梶谷日記にありますように、第二碇泊場の人々は苦労しながら、自動車で陸路南
>京にむかいました。(日記を読むとよくわかります。)
太田氏が移動の命令を受けた常熟と、梶谷氏が命令を受けた無錫では場所が異なります。
常熟は許甫鎮の南西20キロの位置にあります。
無錫は比較的内陸にあり許甫鎮の西60キロの位置にあります。
太田氏が水路移動、梶谷氏が陸路移動という手段をとったのは妥当でしょう。
また梶谷氏が12日出発し最初に向かった江陰は無錫の真北にある揚子江沿いの町で
南京とは方向が違います。
恐らく江陰で船に乗り換える意図があったのだと思いますが出来ずに丹陽に向かっ
たのでしょう。
585 :
朝まで名無しさん :03/06/17 20:36 ID:SgUn9f0T
>>581 >この3箇所は出てみることも出来ず、ただ逃げ出した昔の南京市長さんや
>仲間の委員さんの噂話でしか判らなかったの。
>日本軍の大虐殺がやられてたし、安全区の食料、燃料、人命の保護で精一杯
>だったと思うよ。
ほほう、安全区の外にはとても出られない状況だった、と。
つまり虐殺を見た者は誰もいない、という事ですね?(笑)
>命令で虐殺しなくてはいけなかったのと、軍隊のことは除隊しても
>バラサナイのが、旧軍の”鉄の規律”です。
それは「だからあったんだ」という根拠にはならんのだが。
俺には、ソースを出せないので言い訳してるようにしか見えん。
>南京城内は、自分の店や家財道具を守ろうとしたり。ビラで良民には
>安全を保証すると、宣伝してたからここまでやるとは思わなかった
>んだろ。東京に土地や店を持ってる人間が、簡単に逃げ出すか!
意見が180度変わってるんですが。ニワトリさんですか?
>>549 >この時に、安全区に逃げるか、日本軍にも中国軍にも見つからない
>辺ぴな場所にも疎開したと思うよ。
>
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/map.html >戦争中の軍隊のソバにいてもロクな事はないから、俺なら辺ぴな
>場所に行くな。沖縄戦でも軍隊のそばにいてエライメにあってるよ
586 :
朝まで名無しさん :03/06/17 20:40 ID:SgUn9f0T
>>582 >南京市内の話と、安全区内の話が意識的にごちゃ混ぜにしてあります
ごちゃ混ぜにしてる本人が言うなよ(笑)
>戦前の下関の人口は調べきらんが、今の日本の100万人都市
>北九州市で、港のある門司区は10万人以上生活してるが、スマイス
>調査では2300人しか存在が推定されてません。
だから何?門司区の人口が10万以上だから、
世界各国の港町は全部人口10万以上だって言いたいの?(笑)
>当時の中国の首都ですし、物資の出入りはすごかったと思うよ。
そりゃ平和な時はそうだろうよ(笑)
587 :
えICBM :03/06/17 21:11 ID:jxSQxOKm
>>上一夫氏
もしよければ、梶谷日記の12月10、11日の部分も教えてください。
>>572 の太田供述によると12月11日に第二碇泊場司令部に移動の司令が入ってる
ようなので、梶谷日記と比較したいのです。
588 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/17 21:50 ID:WLDnybJe
>>579 > と書いたけど、「01/05頃から3月まで南京市の人口は25万程度で、大規模な虐殺はない」
> ということでいいかな。
ええ、それでいいと思いますよ。
> 安居証についてだけど、貴方の論理で行くと、発行されたのは15万(16万)だけど、
> 実際にはもっと多かったということにならないかな?
うーん、よく分からないんですよ。ただ、1/5時点で、安居証は一端全数配り負えたんじゃないかと。
そうでないと、国際委員会推定が如何にも馬鹿な推定をやっている事になる。
> 発行がダブってるというのは問題だね。日本軍としてはダブるのは当然避けたい。
というか、配り直したんじゃないかな。念には念を入れるために、壮年男子だけをもう一回調べたの
かもしれません。何れにせよ、私の試算で33万から36万にも達するというのは国際委員会推定ともかけ
離れすぎだし、スマイス調査とも合いません。だから、人口数としては単純に登記総数を考える事が出
来ません。
> この証言はやっぱり栗原証言と同じなのかな。彼も他部隊と併せて7万程度と証言しているようだし。
これは気付きませんでした。確かに栗原は聞いた話として七万と言ってますね。栗原は13500しか認識
していなかったから、確かに足すと約七万です。ただ、栗原は紫金山が多かったと言ってますね。
それより中国人の日本での犯罪どうにかしろよお
>>581 >虐殺を見た者は誰もいない、という事ですね?(笑)
便衣兵容疑者として、まと降伏した兵隊として連れ出して
殺してる機関銃の音は、西洋人に聞かれてるよ。
その遺体も確認してる。
>意見が180度変わってるんですが。ニワトリさんですか?
時期を考えて書いてくれ。
最初頃は日本軍はなにもせんと思い、家財道具が心配だし残る。
それが、お隣さんが放火され殺されだしたら、家財道具も放って
逃げ出すだろう。TPOを考えてくれ。
>>586 >当時の中国の首都ですし、物資の出入りはすごかったと思うよ。
>そりゃ平和な時はそうだろうよ(笑)
戦争のときはモットすごいだろ。
リスクは大きいが戦場になる前までは、商人は稼ぎ時だよ。
>>573 >安達少佐のアリバイ
梶谷日記は本当なのかね?
内容も日付からすべて、本物としても疑問がある。
12月14日の南京城に昼ごろ着いて、たった6kmくらいの
下関まで、なんで行けなかったの?
車なら10分もかからんだろう。それも13日に占領してて
軍事物資が足らなくて、大至急、船の輸送システムを完成せんと
いけない時期に、それも翌日には海軍と一緒に敗残兵の処理をや
ってんだ?
それこそやれるところから、船が接岸して車で物資を運べるように
16師団の兵隊だろうと、中国人だろうと使って大仕事をする時だぞ
軍隊はお米さえ食べられんで、苦労してんだから考えられん。
>>578 >12月13日午後3時40分であり、軍艦以外の貨物船等が南京
>まで運航するのは、機雷除去が進んだ12月18日以降です。
機雷を除去だなんて、軍艦だけが行動してるわけじゃなかろうに。
軍艦が行動するには、戦闘後すぐに燃料や弾薬の補給の為の
輸送船が付いてるし、その船に太田少佐は乗せてもらったんだよ。
輸送関係の責任将校なんだし、民間の船と混同してんじゃないか?
それに当日の12月13日まで港は避難するのに動いてたんだから、
機雷なんてタカが知れたものだろうに。
597 :
白旗新聞 :03/06/17 23:53 ID:OuxsoQFg
>>553 やはりおまえ馬鹿?
その前の話の流れだと当事者の証言という例えを出さないと意味ないんだが。
出してるその例えも変だし(ウン十万という話がいかにいい加減かという)
>>598 >その前の話の流れだと当事者の証言という例えを出さないと意味ないんだが。
ぴったりする例えって、見つけたってあまりないのよ。
なんだったら自分で出してくれ、贅沢者!
600 :
朝まで名無しさん :03/06/18 01:34 ID:iyWMIPAM
143 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 02/08/20 01:31 ID:1WE2Csq8
>>112 詳しくは知らんが、機関銃は2時間なんて撃てないはずだ。
日本製機関銃は銃身がすぐ赤熱して、使い物にならんと聞いた。
たしかノモンハン事件の時そうだったはず。
166 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 02/08/20 01:36 ID:I7hkEt/d
>>143 水冷で水を常に補給していたと強弁する久米の予感。
銃身を交換しつつ射撃をしたと強弁する久米の予感。
銃を一定間隔で交換したと強弁する久米の予感。
2時間ではなく20分の誤りだったと強弁する久米の予感。
457 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 02/08/20 02:36 ID:gMqWWIMx
今、本屋でアメリカ軍資料。
日本軍の兵器の一覧(これが題ではないよ、内容ね)が売っていたね。
誰かかって調べろ!
ただね。
俺がもっている資料の範囲では、日本軍の兵器はモデルチェンジは非常に遅く
軽機関銃では大正11年からの「十一式軽機関銃」
昭和11年からの「96式軽機」がある。
で、ネットで調べたらつけちゃった。
軽機は太平洋戦争でもこの2丁。
これはともに這いつくばって撃つやつだよ。
腰は「第二次大戦の時アメリカが発明したのが最初だったはず!」
つまり、時代的におかしいし兵器がもっている。そっか!オーパーツなんだ。
すごいぞテレ朝!tvダックルでバトルじゃ!
>www.warbirds.nu/kunimoto/rikugun/crazy01.html
601 :
朝まで名無しさん :03/06/18 01:35 ID:iyWMIPAM
818 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 02/08/20 04:42 ID:lonmyH2x
>>807 薬室の内部が発火温度まで上がるか否か、考える必要はないと思う。
闇雲に機関銃を連射していると機関部へ熱が伝わり、熱くて引き金が
引けなくなると思うのだが……。識者の意見を求む。
>>808 銃身を交換しても、機関部が熱いからね。
水冷式のマキシム機関銃でも、二時間連射というのは奇想天外だよな。
857 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 02/08/20 05:03 ID:Zc27powf
>>844 当時日本軍が使っていたのは重機関銃も軽機関銃も空冷だよ。
中国軍が輸入した外国製水冷機関銃を鹵獲していたとしても
どの国の水冷機関銃も一人では扱えない、ましてや腰だめ射撃
なんて絶対不可能。
174 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 02/08/20 01:48 ID:jBz+xEqM
>85
腰だめで撃てるのは・・・小銃くらいだろうか?
とりあえず、軽機は無理だと思う。
日本軍の軽機も中国のチェコも10`近くあるし
なにしろ反動がきついだろう。
小銃にしても、普通処刑とかってちゃんと構え撃ちすると思うけど。
どうせ殺すのなら、わざわざあてづらい腰だめより
ちゃんと狙って一発で仕留められるようにした方が効率いい。
602 :
名無し :03/06/18 07:32 ID:8SROZOrJ
日本の南京征服の経過は明らかであり、謎も秘密も無い。 数十万の中国軍の包囲下での戦いであり、占領しても周囲では戦いは続いている。 兵士も新しい戦場に向かって進軍している。南京でのんびりしているひま など無いのだ。敵の投降兵を処刑しても野戦では当然だ。逃がせばすぐに武器 をとって日本軍を攻撃してくるのだから。そんなことをしたら中国軍に馬鹿に されるだろう。戦争というのはそういうものだ。 「南京事件日本人48名の証言」小学館文庫を読むと良い。 よくわかる。
>>602 >逃がせばすぐに武器をとって日本軍を攻撃してくるのだから。
俺もそう思う。
兵隊を釈放するという奴は馬鹿だ!
それも川の中州まで、連れてって釈放するなんて誰が何のために言い出したのか?
釈放すんだったら、収容してるところから少しくらい食料を与えてすぐ釈放できる
だろうに、しかしまず日本軍自身、食料がなくて困ってたんだからな。
604 :
上一夫 :03/06/18 10:08 ID:30FXR/Us
>>584 >>587 えICBMさんへ。 無宿はご指摘のように無錫の書き間違いでした。ご指摘ありがとうございました。 梶谷健郎日記の12月10日、11日、12日を全文記載いたします。 12月10日(晴) 本日より本格的支部の任務に遭遇せんと隊長の訓示あり。衛兵所も設置され倉治少尉と共に 事務所にて計画工務の書類作製す。 故郷大阪より内藤氏、兄上、吉田清一氏、家内より手紙来る。 明日は部隊長殿来られる由、戦争は相当長びく由なり。部隊給与は戦地としては充分なり。 寝具良好なり。 12月11日(晴) 午前午后共、部隊長殿の来着を待つため清潔整頓に努力す。 倉治少尉以下四名、江陰付近の諸隊と連絡のため出発す。本日の命令にて 明十二日いよいよ待望の南京に先進する事となれり。 本日の手紙にて無錫にありと報告した事が残念であった。 鈴木部隊の主力を合して出発する。敵の首都に入る、何ぞ痛快なる。 誠に男児の本懐を言うべし。
605 :
朝まで名無しさん :03/06/18 10:09 ID:guWzGQy3
606 :
上一夫 :03/06/18 10:10 ID:30FXR/Us
続きです。 12月12日(晴) 母の命日 午前十一時自動車の都合つき、安達少佐、自分、原田上等兵外運転手共三名、 午後二時十五分、三七年自動車にて無錫を発し、江陰に向かう。 全道路石畳にして午後三時三十分江陰着、直ちに道を左に取り常州に向ひ金壇に向かうか、 或いは直接丹陽に向はんかと。近道を選び直接丹陽に向ふに決し、道路を右にとり進む事約五里、 鉄道線路を横切りて右に出ず、進む事二里にして道の誤れるを発見し、鉄道踏切まで引き返し クリークに沿ひ西進する。 途中にて日没し道極めて悪く、歩兵の夜間軍に会い自動車意の如く進まず。悪路又悪路、 ある時はクリークに入らんとし、ある時は破損せる橋に飛び入らんとし、苦心又苦心、 先頭に立ち道案内をなしつつ午后九時三十分丹陽に着す。 清自動車部隊に一泊を依頼し、翌朝ガソリンを補給し南京に向かう予定なりしが、南京はまだ 陥落せず。十五日入城式の由にて我々も意外の感あり。 途中句容にて二、三日休止するにあらざれば前進するを得ず。 午後十時五十分眠る。天気は良好にして温かし。 安達少佐は別室にて我々五名は一室にて眠る。
607 :
上一夫 :03/06/18 10:55 ID:30FXR/Us
>>595 :恵也さんへ。 >梶谷日記は本当なのかね? 内容も日付からすべて、本物としても疑問がある。 太田壽男供述書と梶谷健郎日記の内容について、「書かれていること全て事実である」 などと考える人は誰もいないでしょう。 実際見たことなのか、経験したことなのか、あるいは伝聞なのか、「木を見て森は見ていないのではないか」等々、他の史料とつき合わせて検証するために、わたくしが考えている 疑問点を提示したわけです。 恵也さんが、「内容も日付からすべて、本物としても疑問がある」と考えられる事を 提示されないと、議論は始まりません。 >12月14日の南京城に昼ごろ着いて、たった6kmくらいの下関まで、なんで行けなかったの? 梶谷健郎日記の12月14日に答えは出てますよ。 「麒麟門站に引返し更に軍司令部の位置湯水鎮に着き、連絡の上昼食後一路南京に入城す。時正午、城内の残兵は未だ相当あり、北部の碼頭には行けず、鈴木部隊長も来られた。」 わかりますよね。 >それこそやれるところから、船が接岸して車で物資を運べるように 16師団の兵隊だろうと、中国人だろうと使って大仕事をする時だぞ 軍隊はお米さえ食べられんで、苦労してんだから考えられん。 この文章は自らの首を絞めることになります。 このような時に、なぜ大規模に死体の処理をしていたのでしょうか。 恵也さん、その様なことをしている場合ではないですよね。
608 :
計算機 :03/06/18 11:22 ID:LTVYx1nC
>>588 >>と書いたけど、「01/05頃から3月まで南京市の人口は25万程度で、大規模な虐殺はない」
>>ということでいいかな。
> ええ、それでいいと思いますよ。
了解。
安居証についてだけど、やっぱりもうちょっと細かい資料が欲しいところだね。
>1/5時点で、安居証は一端全数配り負えたんじゃないかと。
これは中島兵団が一旦全地域をさらって、その後特務機関が「落ち穂拾い」をした
ということだね。
>>423 で「15万〜16万が25万になるとすると、02/25での25万は39万〜42万になる」と
書いたけど、逆に02/25の時点で30万だとすると以下のようになる。
01/05 or 01/14 02/25
登記 15万〜16万 25万
ラーベ 25万 <39万〜42万>
計算機 <18万〜19万> 30万
恣意的な計算だけど、まあだいたい合致していないと言えないこともないような気が
しないでもないかな(w
この計算で行くと、ラーベの20万はだいたいあってて、別に25万にする必要はなかったって
ことになるかな。食料その他が多めに配給されるのは当事者としてはうれしいだろうけど。
もちろんこの結果を強弁するつもりはないよ。
609 :
計算機 :03/06/18 11:23 ID:LTVYx1nC
>>600 96式軽機は最終試作が昭和12年、正式採用は13年。だから南京には間に合わなかった。
持っていったのは38式歩兵銃(騎兵銃)、11年式軽機、3年式機関銃(重機)。
で、11年式は革と石綿でできたグリップをつけて腰溜めで撃つことも一応可能だった。
それよりも、貴方が貼っている通り、銃身の加熱と故障の方が問題だった。
>>601 引き金が熱くて引けなくなる頃にはクックオフ(薬室に装填された途端に発射)が
起こってるだろうね。
ちなみに熱くなるのはほとんどが弾と銃身の摩擦によるもので、機関部が加熱するのは
銃身からの熱伝導。銃身交換をすればその時点で冷えるから機関部はそれほど熱くはならないよ。
610 :
朝まで名無しさん :03/06/18 12:20 ID:VpOaTFzj
ここまでは名探偵コナン君レベル。
611 :
sage :03/06/18 12:20 ID:vozFTjPR
何度も言うが、こういう荒らしスレッド、別名「釣りスレッド」に投稿する行為も荒らしだからな。 ひろゆきに金を寄付しろとまでは言わないが、せめてひろゆきの提供してくれる場所を利用する以上、最低限のマナーくらい守ってくれよ。 終了
612 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/18 14:52 ID:F9OVZ16X
>>608 一応、人口論は落ち着いたという事で宜しいでしょうか。一応のまとめは既に
>>435 にありますので、取り敢えずの結論
と致します。全部書き切れているわけではありませんが、以下にちょっと書き換えて再掲します。
・スマイス調査の20-25万は、実際の陥落時人口を示したものであるとは言えない。
・陥落時に調査などしていないし、出来るわけはない。
・この数字は当時(陥落時以降)の在留外国人の認識にぴたり一致する。
・25万とは1/14以前までに行われた日本軍側調査に基づく国際委員会の推定である。
・20万は馬市長による難民推定数と一致し、一月中旬以前までの在留外国人の認識に一致する。
・従って、この数字は当時の在留外国人の認識した数をそのまま書いただけであると考えられる。
・在留外国人のこの人口の認識は安全区内のみの人口に基づく。
・スマイス調査は救済のための被害報告が目的であり、そもそも正しい陥落時人口を記述する必要性はない。
・安全区外の人口はまったく不明である(城内及び市全域)。
・ダーディンは「戦争が終わると平和になると思っていたい市民がいた」というようなことを書き、
安全区外にも人がいたことを述べている(当時の記事、及び後年の聞き書き)。
・マギー、ウィルソン証言では、「市民人口25万+安全区外に人はほぼいない」という当人自身たちの
当時の認識と推定されるモデルと異なったことを言っている。
・ラーベ(上申書)は5〜6万の市民が、ウィルソンは当時の手紙に10万人(軍民)が殺されたと書いている。
・崇善堂などの他埋葬隊についてはスマイス報告は触れていない。崇善堂が埋葬活動したのは事実である。
・ヴォートリンは城外遺体が多いこと(市民比率が高い)を日記に触れており、当時の紅卍字会埋葬遺体には
下関や三沙河を含まないと認識していた。
・日本軍の記録にも安全区に避難していない住民存在の記録がある。
・両角手記の信憑性はともかく、手記にも幕府山捕虜の中に一般市民が含まれていたことが記されており、
避難しきれなかった一般市民が少なからずいたと想定される。
613 :
計算機 :03/06/18 15:55 ID:LTVYx1nC
>>612 一応書いとくけど、俺は陥落当時も20万(〜25万)だと思ってる。
市長やラーベ他の見積もりをある程度信頼しているということね。
そして、安全区外(の城外)にはほとんどはいなかったと思ってる。
これもラーベ他の証言を信頼しているということね。
ともあれ、
「01/05頃から3月まで南京市の人口は25万程度で、大規模な虐殺はない」
という共通認識が得られたのは良かった。
>>607 >(12/14)時正午、城内の残兵は未だ相当あり、北部の碼頭には行けず、鈴木
>部隊長も来られた。」 わかりますよね。
判らんね
前の日に安全区の元兵士を連行して射殺してんだよ。もう戦闘は終わり
元兵士で非武装の人間を見つけて、処刑する段階に入ってるのに、お嬢様じゃ
あるまいし、輸送担当の兵隊がその翌日の、正午にもなっても道が危険だから
通らない程の臆病者だったのかね。
>(12/13)元兵士を千人ほど収容しておいた最高法院の建物から、四百ないし
>五百人が連行された。機関銃の射撃音が幾度も聞こえたところをみると銃殺
>されたにちがいない
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/rabe2.htm おまけに翌日15日は海軍と一緒に中国兵の掃討作戦までするとはね。
>(12/15)午前午后共付近の敗残兵を海軍と共に掃トウす
本来の自分の仕事(輸送システムの完成)を忘れてんじゃないの?
その日は新聞記者も南京から追い出されて船に乗る日で、港も日本人や西洋人
の連中には安全にはなってるんだよ。中国兵の処刑を堂々とやってるしね。
それを自分の仕事を放って、掃討戦をやってるとは!
>私が南京を去ることになる12月15日にも城門のすぐ外の揚子江の水ぎわで日本軍
>が機関銃で中国軍の捕虜を射殺しているのを見ました。
http://www.history.gr.jp/nanking/dathin.html 梶谷日記は畝本氏が発掘保管してるというが”捏造の可能性”が非常に大きい
自分達の本来の仕事も忘れ、掃討戦の必要もない日に掃討戦をやってる。
日記の原本は公開されてるのかね。
615 :
上一夫 :03/06/18 18:19 ID:30FXR/Us
>>614 恵也さんへ。 >私が南京を去ることになる12月15日にも城門のすぐ外の揚子江の水ぎわで日本軍 >が機関銃で中国軍の捕虜を射殺しているのを見ました。 パナイ号乗組員の救護も兼ねて南京に到着した米砲艦オアフ号や他の艦で、 ダーディーン、スティール、マクダニエル等は、12月15日に南京を離れています。 この時に、彼らは日本軍が捕虜を処刑するのを見たと言います。 ダーディーンの特電「上海行きの船に乗船する間際に、記者はバンド(停泊地)で二百人の男性が処刑されるのを目撃した。殺害時間は10分であった。・・・・・」 スティール「南京を離れるとき、われわれ一行が最後に目撃したものは、河岸近くの城壁を背にして三百人の中国人の一群を整然と処刑している光景であった。そこにはすでに膝がうずまるほど死体が積まれていた。」 そこで質問なのですが、15日南京を離れる記者たちは、14日、15日と下関地区全域で安達少佐が作業したという死体処理を、目撃しなかったのでしょうか。 その時の推定死体総数は約十万、その中碼頭及び稍下流から揚子江に投入した数は約三万五千、焼却・埋葬地点まで運んだのが約三万、計約六万五千であり、この両日は迅速に処理するために夜間も作業を進めた、とあります。 配備された小船約三十隻、配属陸上輸送隊約八百人、トラック約十両。 下関地区の大部分は碼頭(埠頭の中国語)から揚子江に投入した。碼頭から比較的遠い地点はトラック或は手押し車を使い、近い地点は急造担架で運んだ。 15日に南京を離れる記者は、碇泊場から揚子江に捨てられた三万五千という死体を見なかったのでしょうか。昼夜行われた作業を見なかったのでしょうか。 論理的な考察をお願いいたします。
616 :
朝まで名無しさん :03/06/18 18:37 ID:iOr6VLUa
中国共産党が主張している南京大虐殺30万人 30万人説が崩れてるんだから、そこでもうこの話 終わりじゃない? 戦争やってんだから残虐行為はあっただろう、それは日本軍に 限定した事じゃないよ。 左翼の皆さんの日本軍に対しての拘り様は変質的でもある それ程のエネルギーを正しい方向に持って行けば日本も 良くなるのにな〜。
617 :
朝まで名無しさん :03/06/18 18:41 ID:iOr6VLUa
恵也・靴屋早く死んでくれ 詰まらん屁理屈ばかり聞き飽きたわ。
618 :
朝まで名無しさん :03/06/18 18:44 ID:iOr6VLUa
619 :
朝まで名無しさん :03/06/18 19:05 ID:PxhcWQS2
爆弾完全マニュアル
http://mgfai.tripod.co.jp/ 花火で爆弾から1000円でつくる時限発火装置?
一万円で家数軒バラバラ、日用品のみで作る驚異の爆薬、仕掛け方の解説も?・・・
黒色火薬なんて目じゃない。今もっとも熱いサイト!!
爆弾の作り方、爆弾製造法、時限爆弾の作り方の恐怖をあなたに教えます。
620 :
朝まで名無しさん :03/06/18 19:56 ID:DC9XR+q/
622 :
朝まで名無しさん :03/06/19 00:30 ID:OVMkN2b/
地球史探訪:国際法を犠牲にした東京裁判
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog039.html ■4.ゲリラ戦の禁止■
パール判事も論じているように、南京事件に関しては多数のでっち
上げ証拠が採用されて、松井石根大将は、一般市民保護のために
十分な保護措置をとらなかったとして死刑に処せられた。
一方、シナ側の便衣兵(市民と同じ服を着て、日本兵を襲うゲリラ)
戦法が国際法違反であったという弁護側の主張は無視された。
東京裁判で中国のゲリラ戦が咎められずに済まされたため、
それが明確な国際法違反であることがないがしろにされ、
やがて共産主義の有効な戦法として定着する。
それに苦しめられたのは、アメリカ自身であった。
ベトナム戦争で共産ゲリラに手を焼き、ついにはソンミ村事件など、
一般人をも巻き込む虐殺事件も引き起こした。
ゲリラ戦を禁じたのは、一般市民を戦闘の巻き添えにしないため
の文明国家間の知恵であった。
このルールが東京裁判以降、無視されるようになってしまった。
ゲリラが認められてしまえば、テロも五十歩百歩である
>>622 >ゲリラ戦を禁じたのは、一般市民を戦闘の巻き添えにしないため
>の文明国家間の知恵であった。
国際法は、相手も自国も守って、役に立ってこその国際法
相手が守る気の無い国際法は、屁みたいなもの。
東京裁判でゲリラ戦を咎めたって、ベトナムがゲリラ戦をやらないはず無いだろう
アメリカと喧嘩するのに、それ以外に戦法があるかい?
624 :
朝まで名無しさん :03/06/19 03:11 ID:raK5yiSj
通州事件が南京事件(というかその後)に及ぼした影響について 通州事件が日本に知られると、当時の新聞が「比類なき鬼畜行動・恨みは深し! 世紀の残虐、あ々呪いの通州」などと報じたように、一気に対中感情は悪化 した。これがその後の日本軍の行動に与えた影響は想像に難しくない。南京事件 後に田中隆吉少将が南京で上海派遣軍参謀で中支那方面軍参謀を勤めた長勇大佐 から聞いたとされるように「通州に於て行はれた日本人虐殺に対する報復の時機 が来たと喜んだ」などという考えがあったわけである。それが、中国人に対する 虐殺等の非道な行いの原因の全てではないにせよ、憎悪感情が背景にあったが故 に非道な行動に陥りやすくしていたとは言い得るであろう。 裏を返せば、以上述べたことと同様に、南京事件議論に通州事件を持ち出すと言 うことは、南京事件をも肯定する(つまり通州事件の酷さを考えれば南京事件も 免罪されるというような)意識さえ、その否定論者に生じかねないという気もするのだが。
625 :
朝まで名無しさん :03/06/19 04:48 ID:zZoaSr1b
まるで子供の論理だ
>>恵也 >国際法は、相手も自国も守って、役に立ってこその国際法 >相手が守る気の無い国際法は、屁みたいなもの。 国際法を守る気が無かった国民党軍が悪い、ということでFAね。
627 :
上一夫 :03/06/19 09:41 ID:62J31uOE
>>621 恵也さんへ。 >15日に追い出される時点では、碇泊場では遺体が川には見当たらなかった事は 確実でも、何時までも遺体が同じ場所に有るわけじゃない。 15日時点で碇泊場は使える程度の遺体の片付けが、終わっていた証拠だ。 あなたは、15日外国人記者たちが南京を離れる時点で、外人記者たちには、その死体が目撃できないほど片付けられていたと書かれました。 太田壽男供述書(南京戦史資料集U p426)を提示いたします。 「12月14日、15日は、下関地区を区別せず安達少佐が全部を担任して実施せし時 推定したい総数 約十万の内 碼頭及び一部梢々下流より揚子江に流したる数 約三万五千 焼却、埋没位置に運搬せる数(2日間にて概ね終る) 約三万 右の内重傷にして瀕死の数 約千五百 計六万五千(内重傷瀕死 千五百を含む) 12月14日、15日の2日間は昼間は勿論、夜間に於いても処理を行ひ之れを迅速ならしめたのである」 太田壽男供述書では、15日の昼間も勿論、夜間に於いても死体を処理していたと述べられています。恵也さんと違いますよね。 もう一度おききします。15日の昼夜にわたり行われていた、信じられない数の死体処置を なぜ外国人記者たちは目撃しなかったのでしょうか。
>>624 >虐殺等の非道な行いの原因の全てではないにせよ、憎悪感情が背景にあった
>が故に非道な行動に陥りやすくしていたとは言い得るであろう
俺もそう思う。
何か原因がなければ、人間はなかなか非情にはなれないもの。例え命令でもね。
原因があってこそ、反応して、結果を出すもの。
通洲事件も、それなりの原因があるから、一部の過激な連中が反応した結果だ
南京大虐殺も、また同じと言うところかな。組織の怖さ、人間のサガと言うか。
人間がどんなに残酷になれるか、ユダヤ人を大量虐殺したアイヒマンにちなんで
アイヒマン実験と言う、面白い研究結果があります。
人間は、言い訳さえ与えられたら極端に、冷酷に、行動できる動物だ!!!!
>参加者の数は見かけ上、八十名であり、それぞれ二人づつ組を作り、二人の
>内一方を教師役とし、もう一方を生徒役に振り分けた。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/4263/220.html
>>626 >国際法を守る気が無かった国民党軍が悪い、ということでFAね
国民党が悪いとか、日本軍が悪いの問題じゃないでしょう。
人間のサガとでも言う問題で、独りよがりの正義ほど怖い物はない。
国際法は人間のサガの、ただのブレーキの手段。
630 :
朝まで名無しさん :03/06/19 12:29 ID:H900mE+l
>>628 アドルフ アイヒマンは帝国保安本部のゲシュタポ(ユダヤ課)
輸送担当責任者。殺戮システムの重要ポジションではあったが、
直接の殺戮実行者ではない。
一般的な比喩ならスルーだが、事件のディテールが議論されるス
レでは、生半可な知識を披瀝するな。
>>627 >15日の昼間も勿論、夜間に於いても死体を処理していたと述べられています。
>恵也さんと違いますよね。
違っていません。
南京事件に興味を持って調べ始めて1月ほどの初心者で、南京戦資料集なんて持たんが
少し内容が違うようだが、どうしてだろう??
14日と15日は安達少佐が指示を出してたようだが、800人の人間が清掃したのかな
それだけの人間が、組織的にするとしたら最初に優先するのが新聞記者や、太田少佐が
15日に着いたとする船着場付近でしょう。
14日に800人の人間が集中して処理すれば、その日の内にもずい分片付けれるよ。
俺はモット多くの人間が、最初頃は船着場は片付けの仕事をしたと思うよ。
なんと言っても待ちに待った補給船が付けれる様に、突貫工事をするんだから
そして15日には太田少佐も到着したと考えると忙しかったろうな!
>私が到着する前に安達少佐が処理した六万五千体とあわせると
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/hon3.htm
632 :
朝まで名無しさん :03/06/19 12:48 ID:1qyPhdZ0
イラクに大量破壊兵器は無かったからなあ。 南京も無かったかもなあ。
633 :
朝まで名無しさん :03/06/19 12:52 ID:1qyPhdZ0
資料も情報もあてにはできんなあ。 操作は簡単だ。 兎に角、イラクの大量破壊兵器が無いもんなあ。 南京も無いかもなあ。
>>恵也 〜たのかな 〜でしょう。 〜すれば〜れるよ。 〜思うよ。 〜ろうな! 君の脳内物語など誰も聞いとりゃせんよ。オナニーは自室でやりたまえ。 あと、君の理屈だと国際法は守らなくてもいいらしいから、今後日本軍の国際法違反の話は しないように。
>>614 >前の日に安全区の元兵士を連行して射殺してんだよ。もう戦闘は終わり
ほほう、13日の時点で安全区の便衣兵摘出とその処刑が全て完了していた、と言うのかね?
>元兵士で非武装の人間を見つけて、処刑する段階に入ってるのに
と思ったら、完了してねぇのかよ!?わずか2行で矛盾してるぞ(笑)
>おまけに翌日15日は海軍と一緒に中国兵の掃討作戦までするとはね。
>>(12/15)午前午后共付近の敗残兵を海軍と共に掃トウす
>本来の自分の仕事(輸送システムの完成)を忘れてんじゃないの?
敵兵が残ってる事が分かってるのに輸送もへったくれもあるかよ?
お前、思想うんぬん以前に軍事的知識すら全然無いんだな。
無知なお子様はもう喋るな、見苦しい。
>>621 一連の恵也の意見を簡単にまとめると、
・虐殺は数ヶ月に渡って延々と行われた
・でも15日の時点で死体は片付けられていた
やはり旧日本軍というのは超人集団だった模様(笑)
>>623 >国際法は、相手も自国も守って、役に立ってこその国際法
>相手が守る気の無い国際法は、屁みたいなもの。
>東京裁判でゲリラ戦を咎めたって、ベトナムがゲリラ戦をやらないはず無いだろう
否定派がよく使う「戦争だからしょうがない論」と全く一緒。
その理屈で免罪されるなら、そもそもこんなスレッド自体必要無い。
中国側が国際法を守ってないので国際法なんか屁みたいなもの、
捕虜殺害や便衣兵容疑者即決処刑も以下同文。
>アメリカと喧嘩するのに、それ以外に戦法があるかい?
当時の中国にとって、日本はアメリカ並の強大国だったのか?
極東の島国・日本と戦うのに、大陸の大国家・中国様が、
国際法無視のゲリラ戦術しか戦法が無かった、とでも?
>>590 >問題はそういった可能性が有るからと、目に映る人間を殺したことだよ。
相手が便衣兵戦術をやめないという以上、それしか戦法は無いだろう?
便衣兵(ゲリラ)戦術が「なぜいけない事なのか」を考えた事無いの?
>>591 >目的の為には、手段を選ばずなんて人がいるからね。
お前が言うな(爆笑)
>>592 >>虐殺を見た者は誰もいない、という事ですね?(笑)
>便衣兵容疑者として、まと降伏した兵隊として連れ出して
>殺してる機関銃の音は、西洋人に聞かれてるよ。
>その遺体も確認してる。
日本語読めないの?もっぺん言うよ?
「虐殺」を「見た」者は誰もいない、という事ですね?
あと、「音を聞いた」という話が
>>581 と矛盾してる事に気づかんか?
>>593 >戦争のときはモットすごいだろ。
>リスクは大きいが戦場になる前までは、商人は稼ぎ時だよ。
戦争特需を「戦場での商売」と勘違いしてないか?アホ?
>>594 >貴方はそこまで糞真面目に信じて読んでるのかい?
爆笑。つまり君がちょくちょく提示してるリンク先は、
真面目に読んで信じちゃいけないって事か(笑)
>そこを真面目に本当のことを書くと、書かれた関係者からの
>嫌がらせや、抗議がすごいからぼかしてあるの。
不特定多数の読者の反応を怖がるのであるなら、
そもそもWebサイトなど立ち上げるべきではない。
まぁこれは南京論でなくサイト論になるからまた別の話だが。
>>624 >>628 それで有ったいう結論でクリア出来てしまう
あなた達2人の脳の構造がわかりません。勝手に相槌打ち合ってて下さい。
641 :
朝まで名無しさん :03/06/19 21:02 ID:c4OYzJdz
ゴー宣・2chプチウヨ少年Q&A(1) Q1.大東亜戦争はアジア解放戦争だと聞いたけど? A.ウソです。御前会議による『大東亜政略指導大綱』には、 「「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し・・」 とあります。これは極秘決定で、傀儡政府許可はビルマ・フィリピンだけ、 しかも口約束です。 Q2.日本軍は軍規厳粛な神兵だったんでしょ? A.違います。1940/9/19「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍規振作対策」によれば、 「事変勃発以来ノ実情ニ徴スルニ赫々タル武勲ノ反面ニ掠奪、強姦、放火、 俘虜惨殺等皇軍タルノ本質ニ反スル幾多ノ犯行を生シ為ニ聖戦ニ対スル内外ノ 嫌悪反感ヲ招来シ・・」とあり、1937年7月〜1939年末までの1年5ヶ月での 強姦致死傷は732件とあります。日本軍において強姦は被害者の親告罪だったので、 実際はこの数倍から数十倍と思われます。岡村寧次司令官は南京事件のあと、 親告罪だった陸軍刑法を改正し、戦後には日本陸軍の軍規について教育が悪かった と述べています(『政変昭和秘史』) Q3.でも南京大虐殺はなかったんだよね? A.「大虐殺」が30万人なら、「中虐殺」があったと言える。90年代に入り、 「まぼろし派」は絶滅した(by秦郁彦)。中間派の秦郁彦氏は4万〜6万人と結論 しています。むしろ「南京大虐殺」と「南京虐殺事件」の『差分』は、 南京大虐殺はなかった→みんな騙されていたんだ。日本軍の強姦・虐殺もなかった、 大東亜戦争はアジア解放戦争だったんだ! という、リビジョニストにとってこそ無くてはならない「プロパガンダ」と言えるでしょう。
642 :
えICBM :03/06/19 23:06 ID:7ooamFWu
>>604 :上一夫
日記のコピーありがとうございます。
当時の様子を知るには日記や手記が一番ですね。
今後の参考にしていきたいと思います。
>>635 >敵兵が残ってる事が分かってるのに輸送もへったくれもあるかよ?
敵兵でも、元敵兵だろうが。
武器を捨て降伏してる兵隊を、殺したから日本と言う国が恥をかいたんだよ。
13日の時点で、安全区に元兵隊として逃げ込んだ武装なき連中を5百人ほど
わざわざ無理やり連れ出して処刑する程の”暇と人手が”日本軍に有ったと
言うことだ
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/rabe2.htm それを貴方は未だに銃を持ち、南京城内で日本軍と戦ってる中国兵が大勢いると
誤魔化す。
実際は取り残された兵隊は、戦うどころか逃げるだけで精一杯で、安全区の委員に
銃を取り上げられ、降伏の交渉を全面的に委員にお任せしてるのを処刑してる。
こういった状態を”敵兵がいる”とは普通の日本語では表現しない。
捕虜がいるとは、表現するがね。
軍事的知識のあるお方はなんと表現するんだい?
言葉は、現実を表現する一つの手段に過ぎないのだが、モット別の表現があるかい?
>>636 >・虐殺は数ヶ月に渡って延々と行われた
>・でも15日の時点で死体は片付けられていた
貴方は落第!
・虐殺は、6週間にわたって1月一杯まで続けられた。
・1937/12/15には、下関の船着場とかメイン道路とか荷物置き場など、どうしても
輸送システムに必要な場所付近の死体は片付けられてた。
当時の日本は世界の7大強国には入っていたでしょう。
中国は眠れる獅子とか言われて”チャンコロ”と人間扱いにされてません。
だからこそ日本軍が{暴支膺懲は国民の強い呼びかけであった}といって
南京でやりたい放題の懲らしめる為の、卑劣なことをやってしまったんだよ。
今では中国は完全な強国、独立国だが、日本は????
>国際法無視のゲリラ戦術しか戦法が無かった、とでも?
ゲリラ戦は国際法違反じゃありません!
>「虐殺」を「見た」者は誰もいない、という事ですね?
降伏した兵士が、日本軍に連れ出されて死んでも、虐殺といわないのかい?
西洋人記者は下関で処刑されてるところを見てるんだがね。
>>581 と矛盾とは何のこと?
それにこういったことも虐殺の一つだろう。
>とにかく「誰か」、「誰か」、「誰か」と言うんですけれど、みんな怖い
>から、「誰か」、「誰か」、「誰か」、バン、それが普通なんですね。
>とにかく叔父もそれをやって、撃った。そしたら、それが赤ん坊を抱えた
>母親だったっていうんですよ
http://www.jca.apc.org/nmnankin/news12-4.html
>>638 >不特定多数の読者の反応を怖がるのであるなら、
そうじゃないのよ。
組織化された方々の、団体があってイチャモンを付けて、東史郎氏みたいに
書かれた人が急性健忘症になり、証拠を出せと言われて出したけど、日本の
裁判所が”証拠不十分だから”と名誉毀損の慰謝料を払わされたの。
>わざわざ南京の現地まで出向いて、実際に郵便袋に人形をいれ、手榴弾を
>結びつけて池に放りこむなどの実験をしてみたり、現地検証の文書を持出
>したりしたのであったが、それらは一顧だにされなかった。
http://member.nifty.ne.jp/jsts/tuda.html
647 :
朝まで名無しさん :03/06/20 01:07 ID:y249FoI8
吉田清治のような鬼畜が居る限り当時の詳細状況はわからん。
>恵也 言いたい事は大体分かるし同意出来なくもないが、微妙な処で論点がずれているように思えます。 人間のサガというのは分かりますが、そこであえて日本人、ドイツ人という風に名指しする理由が 分かりません。自分の考えとしては彼らと我々の違いは単に負けた側と勝った側の違いに過ぎない と思うのです。(といって日本軍の罪が免罪になるわけではないが・・・) つまり、論点としては人はどういう場面でそういうことをするのか、という部分あると思うのです。 (アイヒマンやヒムラーにだけ特別そうした資質があったのではなく、その場面その立場にあれば だれでもありえることだと・・。彼らとあって話をした人間の感想などを書かれた物を読むと、お もいのほか好意的に書かれている事が多い。彼らが特別な人間では無いことがわかる。) で、問題は(もちろん分かり切ってる事ではあると思うがあえて・・)世の中には彼らが悪者で 悪魔の様な人間で居てくれなくては困る人たちが居るということではないでしょうか。つまり 日本軍は悪であり、それを批判している自分は善良である。他者を貶めて自分を偉く見せよう とする人はいつの時代にもいたのです。 (もしくは自分のしたことを隠すために他人の罪だけを主張する)あなたがそうだとは 言わない(そうでないと思う)がその論理の立て方がそのように見える事がある。そしてそうした ものには必ず反発があり、南京問題は無かったなどと言い出す人間も出てくるわけだ。 強い力には必ずその反対の強い力が生まれる。最近サヨクの人が日本が右傾化しているなどと主張 しているが、それを生み出しているのが自分達自身であることに気づいていない様に思う。 南京大虐殺30万人説と南京問題は無かった説はは対極にありながら、本質的には同類である というのがこのスレを数日追ってきた自分の感想です。
649 :
朝まで名無しさん :03/06/20 05:53 ID:wCPcvrn1
>>646 アイヒマンのプロファイルをお願いしてるわけではない。
個人的には戦後、同僚のアロイスと共に逃亡していることから、
決して「無自覚」だったとは思ってないが。
要はアイヒマンが殺戮に直接手を下したか、という事実。
事実は殺戮作戦にはどっぷりだが、あくまで輸送がその使命。
戦史は事実のみが重要で、「だったろう」とか「でしょうね」で
切り捨てるのはできるだけ避けてほしい、ということ。
南京戦で言えば、松井司令官は軍の管理責任が問われたが、事件
とされる個々の事例に直接指示した―手を下した事実はない。
また、入城しなかった部隊についても、風紀紊乱の咎を問うこと
はできない。これらを峻別して語ってほしい。
そうでなければ、そもそもスレ立てる必要無いし、「日本軍は何
がなんでも悪、全てに有罪!」で証明終わり。あなたの脳内でひ
たすら納得して下さったら、本日も神州は不滅でしょう。
650 :
計算機 :03/06/20 09:42 ID:VVewu4o5
ごめん、今週(って言ってももう今日しかないけど)は忙しくて書けそうにないよ。 中途半端で中断して申し訳ない>靴屋
>>647 >吉田清治のような鬼畜が居る限り当時の詳細状況はわからん
居なくても、判らんでしょう。
時間の偉大さを、知らないのかい?
どんなことでも、自分の都合の良い様に、信じようと思えば思えるようになる。
>>649 >入城しなかった部隊についても、風紀紊乱の咎を問うことはできない
風紀紊乱の対策責任、権限を持っていたのは”誰か”ということ。
俺は松井大将にも大きな責任があり、権限も有ったと思います。
風紀紊乱の大きな原因になった現地からの徴発(カッパライ)は食料輸送
体制をマトモに整えず、上海だけで終わらす予定が南京まで突っ走らせた。
20万人の軍隊が、現地で徴発したら百姓は堪らんし、抵抗するにも出来ん。
それを下の人間の責任にするのは、卑怯だ!
以前書いたが、源義経に習ってどこかで見せしめに”皇軍”の不良分子を
公開処刑すべきだったし、それで幕僚の信頼を失ってもやるべきだった。
京都の占領で源義経はそれをやり、京都市民の信頼は得たが、幕僚の信頼を
なくし、源頼朝には完敗することになったが、、、、
残念ながら松井大将は、タダ口先だけの要望しか出来ない程度の器量だった
アイヒマンが直接手を下さなくても、ユダヤ人虐殺システムの重要な役割を
したから、役割をしてるときは”無自覚”でも敗戦時には、自覚が出来たん
じゃない。だからこそ逃げ出したので、敗戦時にも自覚が出来なければ
100人斬りの、向井少尉みたいに堂々と裁判して死刑になってるでしょう
それから俺は日本軍は悪だとは思っていない。
運が悪かったとは考えるがね。
立場が違えば、八路軍の兵士も米兵も俺も同じ行動をしてるでしょう。
>携帯せし被服は全部没収し、僅かに褌一本、ボロ靴一足とし全裸のままとす
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-3gyakutai.htm
>>652 だからって我々がここで無かった事柄まであった事にしてもしょうがないんだよ
>>654 >我々がここで無かった事柄まであった事にしてもしょうがないんだよ
無かった事柄だと貴方が判断してるだけのこと。
私はあった事柄だと、判断している。
656 :
上一夫 :03/06/20 17:29 ID:wUEPWzp1
>>631 恵也さんへ。 太田壽男少佐は、詳細な二枚の地図を残されました。(南京戦史資料集U p424〜425) 南京下関に於ける死体処理略図(第一)、および太田壽男供述書を読んでみますと、 「南京市内にある死体は攻略部隊が貨物自動車にて揚子江岸に運搬し 直接碼頭の上流附近より揚子江に流した、その数約五万 」 以外は、すべて下関碼頭(約1000mX600m)に集められています。 下関の死体は、碼頭より遠き場所にあるものは貨物自動車、手車等を用い、 近きものは簡単なる急造担架により運搬され集められました。 そこには海軍にて使用した海軍桟橋(A)以外に、(B)〜(E)まで、 死体を小舟にて運搬時に使用した桟橋が作られており、 下関碼頭の死体集積所に集められた死体は、大部は下関碼頭及其の稍々下流より揚子江に流され、 一部は浦口東方約四千粁の地点に於て焼却埋没し処理されたわけです。(太田壽男供述書による) 「第二碇泊場司令部に於ける死体処理は12月14日より概ね五日間に亘り実施す」。 「十四日、十五日は下関地区を一地区として安達少佐が其の処理を担当せしが、 私が1937年12月15日夕南京碇泊場司令部に許甫鎮より帰還後二地区とし私は右半 部を担当し、十六日、十七日、十八日の三日間実施す。」と書かれています。 死体処理は、休み無く続けられており、12月14日、15日の二日間は 昼間は勿論、夜間に於ても処理を行ひ之れを迅速ならしめたのである、とあります。 15日海軍桟橋から船に乗った外国人記者たちの目の前で行われていたことになります。 地図を見れば、一目瞭然です。外国人記者の乗った海軍桟橋の目の前に、数万の死体が 集められていたのですから。 船着き場の死体を下関碼頭に移しても、数万の死体が集められた集積所を、 外国人記者の前から隠すことは不可能です。 地図を一度見て確認してください。
安全区を攻撃しなかった、市民無差別虐殺をしなかった。 兵士である夫や子供が連行されるのを泣いて慈悲を請う妻や母親の姿に 可愛そうだが仕方がないという感情を持っていた。 日本軍は決して悪ではない。
658 :
朝まで名無しさん :03/06/20 20:42 ID:7ZIc/hp+
>>656 奇異なのはそこなんです。
数万の死体が河幅一杯に流れている(長江のその辺りの流れの速度は
どのくらいなんでしょうか?)未だ目にしたことのないような光景!
写真を撮れば世紀のスクープ写真。記者は何故撮らなかったのでしょ
うか?
659 :
直リン :03/06/20 20:42 ID:fBZKR12N
660 :
朝まで名無しさん :03/06/20 20:50 ID:TCwxFw8p
貴方達、日本人として不健康ですよ。無かった事にしなさい。
661 :
恵也名言集1 :03/06/20 22:13 ID:ksBLs6O7
恵也に対するツッコミは数多くあるんだが、
とりあえず反論とか書き込む前に
>>644 >ゲリラ戦は国際法違反じゃありません!
これだけは晒し上げとかんとな。
662 :
朝まで名無しさん :03/06/20 22:20 ID:ksBLs6O7
>>644 >>・虐殺は数ヶ月に渡って延々と行われた
>>・でも15日の時点で死体は片付けられていた
>貴方は落第!
>・虐殺は、6週間にわたって1月一杯まで続けられた。
>・1937/12/15には、下関の船着場とかメイン道路とか荷物置き場など、どうしても
>輸送システムに必要な場所付近の死体は片付けられてた。
上と下とで、何か違うのかい?
「虐殺は続いていたのに死体は片付けられてた」
という点に、何も変わりはないんだけど?
>当時の日本は世界の7大強国には入っていたでしょう。
はぁ?何を根拠に言ってるの?人口も資源も中国の方が圧倒的に上なんだよ?
それとも「軍隊の強さ=国の強さ」とでもいうつもりかい?
>今では中国は完全な強国、独立国だが、日本は????
上の理屈(軍隊の強さ=国の強さ)でいくなら、
むしろ今現在の方が日本は強国なんだけど?(笑)
>>「虐殺」を「見た」者は誰もいない、という事ですね?
>降伏した兵士が、日本軍に連れ出されて死んでも、虐殺といわないのかい?
>西洋人記者は下関で処刑されてるところを見てるんだがね。
>
>>581 と矛盾とは何のこと?
まず「降伏した兵士が〜いわないのかい?」の部分は
質問に対する答えとして全く関係無いな。
次に矛盾点についてだが、お前は
>>581 で
「外国人は安全区から出られなかったから噂話しか聞いてなかった」
と書いている。にも関わらずその後のレスで
「機関銃の音を聞いた」だの「処刑を見た」だの書いているが、
外国人達が虐殺見ていたというなら
>>581 はデタラメという事だ。
663 :
朝まで名無しさん :03/06/20 22:25 ID:ksBLs6O7
>>643 >敵兵でも、元敵兵だろうが。
>武器を捨て降伏してる兵隊を、殺したから日本と言う国が恥をかいたんだよ。
お前、13日の時点で敵兵が全部自主的に降伏したと思ってんの?
13日ってのは南京陥落の日だぜ?
その時点で敵兵が降伏してくれてるんなら、
便衣兵狩りなんかやるわけ無いだろ。
最低限、時系列くらいはしっかり押さえとけよ。お前は不勉強すぎる。
664 :
朝まで名無しさん :03/06/20 22:30 ID:ksBLs6O7
>>645 >組織化された方々の、団体があってイチャモンを付けて、東史郎氏みたいに
>書かれた人が急性健忘症になり、証拠を出せと言われて出したけど、日本の
>裁判所が”証拠不十分だから”と名誉毀損の慰謝料を払わされたの。
まるっっっっっきり関係無い。話をそらしてばかりだなお前は。
ていうかそんな事言うんだったら、じゃあお前の一連の書き込みは
元日本軍将兵達の遺族にとって名誉毀損だから訴えれる事になるぞ?
東條英機や松井大将やその他の遺族達に、
慰謝料払う覚悟があって書き込みしてるのかお前?
665 :
朝まで名無しさん :03/06/20 22:34 ID:ksBLs6O7
>>652 >日本軍の行った悪の行為は、私自身の心の中にも存在するし、ほとんどの
>人の心の中に存在するもの。
おい、「人類の基準」をお前が設けるつもりか?いい加減にしろ。
つーか自分の文章に自分で酔ってるだろお前。
666 :
名無し :03/06/20 22:37 ID:Acflahiy
南京事件を矮小化して論じてはならない。 個人の記録などは容易に偽造できるので大きく抑えることだ。 南京事件がうそであることは科学的に明らかである。 たった8万の戦闘中の軍隊が80万の敵に囲まれて、30万の民間人 を殺す理由もないし方法も無い。理由を聞きたいよ。 現実は野戦における単なる投降兵の処刑に過ぎない。 万国共通の作戦だ。
>>656 >15日海軍桟橋から船に乗った外国人記者たちの目の前で行われていたこと
>になります。地図を見れば、一目瞭然です
貴方はいろいろ持ってるね。
そう言ってもHPに公開されたわけでもなし、本物であるという証拠は有るの?
最近、偽造証拠と言うのが多くてね。
梶谷日記も偽造の感じがする。あまりに不自然だ。
少なくとも歴史探求者であれば、立場は違ってもそれだけはやってはいけないこと
考古学者で神の手なんて言われて、いい気になってた馬鹿も居たが、、
12月14日と12月15日は太田少佐は仕事はしてなかったはずです。
やってたのは安達少佐で、彼の告白は無かったはずですが、、、、
それとも貴方は、安達少佐の告白を持っておられるわけですか?
少なくとも13日は捕虜、民間人の虐殺をやり、その後片付けを、日本軍は
しているはずだが、それがなんで、15日までかかっている訳なんだろうか?
どんな証言も一応、疑いのフィルターを通したい。
>自らの責任を回避したい一部将校の「証言」を安易に利用することによって
>いかに事実を歪曲した「ルポルタージュ」が作られるかを典型的に示している。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/data/nangjin/horyo.htm
>そう言ってもHPに公開されたわけでもなし、本物であるという証拠は有るの? >最近、偽造証拠と言うのが多くてね。 >梶谷日記も偽造の感じがする。あまりに不自然だ。 貴方はどこが不自然なのか説明する必要があります。 自分の意見と相反するものを捏造よばわりですか。 貴方の検証は「〜だと思う」ばかりだ。
671 :
朝まで名無しさん :03/06/21 00:31 ID:5EkfWFi9
恵也氏はスゴイ。 辛抱強くROMってきましたが、南京事件にかける氏の精力、感服つかまつりました。 当初、民コロの何を言っても耳を貸さないタイプという認識でしたが、矛盾に対して、絶対に直球で返さないそのスタイル、事実認定が重要になるとき、故意に論点をずらして、印象で返答、必ず引用リンク先コピペ。ここが微妙。質問者に「ちょっとズレてる」と思わせるのが肝。 ループが途切れないのは、時折の燃料投下。図らずも、反応してしまう悲しい性。 その後出版のご予定でも? 『わたしはいかにして南京をを愛するようになったか?』 買うよ。
672 :
朝まで名無しさん :03/06/21 00:58 ID:oMEaZ/SI
南京大虐殺が嘘っちゅ-のはよくわかったから もういいよ。 それよか、宣伝屋連中のことが興味あるな。 やっぱ、共産、社民系なの?それとも朝鮮関係? もろ中国関係なのかね?
673 :
朝まで名無しさん :03/06/21 00:59 ID:oMEaZ/SI
「僕はこうして工作宣伝員になりました」 っつーのをやってよ。
>>622 >「虐殺は続いていたのに死体は片付けられてた」
>という点に、何も変わりはないんだけど?
虐殺の量が13日とその以降では、全然違うだろう。
13日は日本軍の総攻撃で、下関に逃げ込んだ市民と中国軍をいっぱい殺してんの
それ以降は量は極端に減り、輸送の邪魔にならないように手際よくやられたの
>人口も資源も中国の方が圧倒的に上なんだよ?
だからこそ眠れる獅子と馬鹿にされて、軍閥が中国全土に広がり、やっとこさ
蒋介石が統一できたところの、赤ん坊だったんだ。
今の日本は軍事費は多いいが、アメリカの使い走りしか出来ん!
>>664 >東條英機や松井大将やその他の遺族達に、
>慰謝料払う覚悟があって書き込みしてるのかお前?
逆に日本人をこれだけ恥さらしにした慰謝料を貰いたいくらいだ。
678 :
朝まで名無しさん :03/06/21 01:06 ID:5EkfWFi9
ますます絶好調。 もう勝ったと思っているから、誰か教育して下さる方は?
>>669 >貴方はどこが不自然なのか説明する必要があります。
説明したはずだが、理解できないのかい?
>>614 に書いてたはずだが、具体的な反論は無いのじゃない?
前の日に安全区の元兵士を連行して射殺してんだよ。もう戦闘は終わり
元兵士で非武装の人間を見つけて、処刑する段階に入ってるのに、お嬢様じゃ
あるまいし、輸送担当の兵隊がその翌日の、正午にもなっても道が危険だから
通らない程の臆病者だったのかね。
>(12/13)元兵士を千人ほど収容しておいた最高法院の建物から、四百ないし
>五百人が連行された。機関銃の射撃音が幾度も聞こえたところをみると銃殺
>されたにちがいない
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/rabe2.htm おまけに翌日15日は海軍と一緒に中国兵の掃討作戦までするとはね。
>(12/15)午前午后共付近の敗残兵を海軍と共に掃トウす
本来の自分の仕事(輸送システムの完成)を忘れてんじゃないの?
その日は新聞記者も南京から追い出されて船に乗る日で、港も日本人や西洋人
の連中には安全にはなってるんだよ。中国兵の処刑を堂々とやってるしね。
それを自分の仕事を放って、掃討戦をやってるとは!
>私が南京を去ることになる12月15日にも城門のすぐ外の揚子江の水ぎわで日本軍
>が機関銃で中国軍の捕虜を射殺しているのを見ました。
http://www.history.gr.jp/nanking/dathin.html 梶谷日記は畝本氏が発掘保管してるというが”捏造の可能性”が非常に大きい
自分達の本来の仕事も忘れ、掃討戦の必要もない日に掃討戦をやってる。
日記の原本は公開されてるのかね。
どちらか一方の権力により発せられた事実は、 もう一方の権力によって証明されなければならない。
681 :
朝まで名無しさん :03/06/21 01:20 ID:oMEaZ/SI
ついに虐殺真理教信者はこの 恵也 ◆o4NEPA8feA とかいう キチガイ一人になったのかな? では、恵也 ◆o4NEPA8feA君。 今、君がしているような話はもうぜんぜん無意味だからさ。 君が虐殺真理教信者になるまでの話を宜しく頼むよ。 電波全開でいいからさ。
682 :
朝まで名無しさん :03/06/21 01:42 ID:9ImJ5W29
6万人は多すぎるだろう。 虐殺したのはほんの100人ぐらいじゃねぇの? 大虐殺じゃないから問題ないでしょう。
683 :
朝まで名無しさん :03/06/21 02:21 ID:sYQIrfAe
>>682 日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
684 :
朝まで名無しさん :03/06/21 02:25 ID:qpfk5raJ
「虐殺?全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も
聞いたことはない。誰もそういうことを言ったこともないし、朝日新聞では話題になったことも
ありません。難民区は兵隊や憲兵がいて入れませんでした。ですから市民は安全でした。
一般市民の屍体というのは一つも見ていません。紅卍字会の人が戦死体をかたづけたり
していました。」
(山本治氏 大阪朝日新聞記者)
「南京事件ねえ、全然聞いてない。もしあったとすれば、記者の中で話が出るはずだ。記者
というのは、少しでも話題になりそうなことは、互いに話をするし、それが仕事ですからねえ。
噂としても、聞いたことがない。
朝日では、現地記者を集め、座談会もやったが、あったなら話がでるはずだ。報道規制?
何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていた。」
(橋本登美三郎氏 朝日新聞南京派遣記者団キャップ)
「私が編集局長の時、南京に特派した記者たちを集めて、一人一人聞いてみたが、そのよう
なことは見たことも聞いたこともない、という返事ばかりだ。何万、何十万なんていう虐殺など、
絶対にない。」
(細川隆元氏 朝日新聞編集局長)
http://touarenmeilv.infoseek.livedoor.com/zoruge.htm
685 :
朝まで名無しさん :03/06/21 02:34 ID:sYQIrfAe
1982(昭和57)年 8月24日 鈴木善幸首相〔教科書問題での記者会見〕 「過去の戦争を通じ、重大な損害を与えた責任を深く痛感している」 「『侵略』という批判もあることは認識する必要がある」 1983(昭和58)年 1月 中曽根康弘首相 「両国関係は、遺憾ながら過去の歴史において不幸な歴史があったのは事実であり、これを厳粛に受け止めなければならない」 1984(昭和59)年 9月7日 昭和天皇〔全斗カン大統領来日、宮中晩餐会〕 「今世紀の一時期において、不幸な過去が存在したことは、まことに遺憾」 中曽根康弘首相〔歓迎昼食会〕 「貴国および貴国民に多大な困難をもたらした」 「深い遺憾の念を覚える」 1990(平成2)年 3月 中山太郎外相 サハリン残留韓国・朝鮮人問題に関するによる謝罪答弁 5月25日 海部俊樹首相〔第1回首脳会談〕 「過去の一時期、朝鮮半島の方々が、我が国の行為により耐えがたい苦しみと悲しみを体験されたことについて、謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたい」 5月 今上天皇 「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」
686 :
朝まで名無しさん :03/06/21 02:34 ID:sYQIrfAe
1992(平成2)年 1月17日 宮沢喜一首相〔訪韓、従軍慰安婦問題で〕 「筆舌に尽くしがたい辛酸を舐められた方々に衷心よりお詫びし反省したい」 「胸がつまる重い」 1993(平成5)年 8月11日 細川護煕首相〔首相就任後、初の内閣記者との会見〕 「先の戦争は侵略戦争」 11月7日 細川護煕首相〔訪韓(慶州のみ、滞在22時間)〕 「わが国の植民地支配によって、朝鮮半島の方々が、母国語教育の機会を奪われたり、姓名を日本式に改名させられたり、従軍慰安婦、徴用などで、耐えがたい苦しみと悲しみを体験された事に加害者として、心より反省し、陳謝したい。」 1994(平成6)年 7月24日 村山富市首相〔訪韓〕 「心からのお詫びと厳しい反省の気持ちを申し上げたい」 1995(平成7)年 8月15日 村山富市首相〔戦後50年にあたっての首相談話〕 「遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。この歴史事実を謙虚に受け止め、痛切な反省の意を表明し、心からお詫びの気持ちを表明する」
687 :
朝まで名無しさん :03/06/21 02:35 ID:sYQIrfAe
1996(平成8)年 6月 橋本龍太郎首相 「創始改名などが、いかに多くの韓国の方の心を傷付けたかは想像に余る」 「(従軍慰安婦問題について)これほどの女性の名誉と尊厳を傷付けた問題はない。心からお詫びと反省の言葉を申し上げたい。」 1998(平成10)年 4月3日 橋本龍太郎首相〔アジア欧州会議での日韓首脳会談(ロンドン)〕 歴史問題は語らず、「日韓パートナーシップ」を提言 10月8日 今上天皇〔金大中大統領、訪日〕 「わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみを与えた時代…深い悲しみ」 小渕恵三首相〔「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」共同宣言〕 「韓国国民に対し、痛切な反省と心からのお詫び」。 韓国国民に向けた「お詫び」を公式文書に明記。金大統領はこれを評価
688 :
朝まで名無しさん :03/06/21 02:35 ID:sYQIrfAe
2001(平成12)年 11月18日小泉純一郎首相は就任後初めて韓国を訪れ、植民地時代に独立 運動家らが投獄された刑務所跡地にある西大門独立公園を訪れ、「心からの 反省とおわび」を記者団に語った。 金大中大統領は首相の「おわび」を高く評価し、その実践を要望した。 「日本の植民地支配により韓国の国民に対して多大な損害と苦痛を与えたこ とに対し、心から反省とおわびをする。一人の政治家、人間として韓国人の苦 痛と犠牲を忘れてはならないと思った。これまで外国からの侵略や祖国の分 断など大変な辛酸をなめ、想像を絶する苦痛に耐え、韓国が今、発展してい ることに心から敬意を表す。 日韓関係は過去の歴史を踏まえながら反省しつつ、このような苦難の歴史を 二度と繰り返さないよう協調せねばならない。日韓二国の友好関係の進展が アジアの発展と世界平和に寄与する。 自由と平和を脅かすテロが全人類の脅威となっているが、同盟関係にある韓 国と日本、そして米国が協力することがアジアの発展と世界の平和に寄与す る。幸い、来年には日韓共同開催のサッカーワールドカップ(W杯)が開催され る。W杯を成功させ、これを契機に日韓両国の交流、協力が深まることに期待 する。」
689 :
朝まで名無しさん :03/06/21 02:58 ID:Kog5hY9S
きも
690 :
朝まで名無しさん :03/06/21 07:17 ID:qQh3tRgI
>>672 >やっぱ、共産、社民系なの?それとも朝鮮関係?
>もろ中国関係なのかね?
いや、今のとこは菅直人のファンだ。
”菅直人について語ろうに2”に書き込んでるよ。何だったら見てくれ。
共産、社民は融通性が足らん。辻元も少しファンだがあれは、闇のCIAに
つぶされたしね。
中国関係は株を持ってるくらいかな。
少しの金額で買えたし、今のところ儲からして貰ってるよ。
それ以外はまったく関係ないな、友人になった人もいないし、、、
在日の人は昔、大阪にいたとき友人になったが、引っ越してからは連絡も
途絶えてしまったよ。しっかりしたシビアな考えを持ってる方でマージャンが
強かったよ。
693 :
朝まで名無しさん :03/06/21 09:37 ID:SvXm6ePZ
ほら、みんな気付いた? 菅直人、辻本、これらがキーワードだ。 ちょっとしたフューエルインジェクション。 まじめに反応してる人にリンクで返す。 意図を感じるね。 前に名探偵コナンなみの推理。てカキコしたひといたけど、 そのとおりだよ。真実はひとつ。 この香具師はスレ存続させたいだけだよ。
694 :
上一夫(1) :03/06/21 12:18 ID:ZgF3uLEO
>>667 恵也さんへ。 >>15日海軍桟橋から船に乗った外国人記者たちの目の前で行われていたこと >>になります。地図を見れば、一目瞭然です >貴方はいろいろ持ってるね。 >そう言ってもHPに公開されたわけでもなし、本物であるという証拠は有るの? >最近、偽造証拠と言うのが多くてね。 1937年12月の『南京大虐殺』の死体処理の模様を告白した 旧日本軍将校の『罪行供述書』が南京の『侵華日軍大屠殺遭難同胞記念館』 に保存されていることがわかり、毎日記者がこのほど全文の写しを入手した。 平成2年12月14日の毎日新聞夕刊に掲載されました。 地図は太田壽男少佐(当時)が書いたものであり、なぜ恵也さんが >本物であるという証拠は有るの?、と言われるのか、よく理解できません。 中国側が、毎日新聞にリークして、新聞紙上に発表させた太田壽男供述書を あなたがお疑いになるのは、如何なものでしょうか。 >12月14日と12月15日は太田少佐は仕事はしてなかったはずです。 やってたのは安達少佐で、彼の告白は無かったはずですが、、、、 それとも貴方は、安達少佐の告白を持っておられるわけですか? 私の引用は、あなたが事実と主張される太田壽男供述書からです。 イ)2月14日、15日は下関地区を区別せず安達少佐が全部を担当して実施せし時 碼頭及一部稍々下流より揚子江に流したる数 約三万五千 焼却、埋没位置に運搬せる数(二日間にて概ね終る) 約三万 右の内重傷にて瀕死の数 約千五百 計六万五千(内重傷瀕死 1,500を含む) 12月14日、15日の二日間は昼間は勿論、夜間に於ても処理を行ひ之れを迅速ならしめたのである。(p426) 私が安達少佐の告白を持つ必要などありませんよね。 あなたが事実と主張される太田壽男供述書に上記のように書かれているのですから。
695 :
上一夫(2) :03/06/21 12:20 ID:ZgF3uLEO
私は太田壽男供述書に基づいて、恵也さんに反論しています。 私が指摘した地図をご覧になって、死体集積所が海軍桟橋の直ぐ横にある事を ご確認下さい。地図が信用できないとの言い訳は、太田壽男供述書が信用できない との事になりますよ。 >少なくとも13日は捕虜、民間人の虐殺をやり、その後片付けを、日本軍は しているはずだが、それがなんで、15日までかかっている訳なんだろうか? どんな証言も一応、疑いのフィルターを通したい。(恵也さん) 処理死体の概数、処理日数、区分等の関する事項 第二碇泊場司令部に於ける死体処理は12月14日より概ね五日間に亘り実施す 十四日、十五日は下関地区を一地区として安達少佐が其の処理を担当せしが 私が19年12月15日夕南京碇泊場司令部に許甫鎮より帰還後二地区とし 私は右半部を担当し、十六日、十七日、十八日の三日間実施す。 (太田壽男供述書 南京戦史資料集Up422) 揚子江には、14日から18日まで、死体が流されていたとありますが、 あなたは、そうでないおっしゃいます。 恵也さんは、太田壽男供述書を否定されるのですか。
696 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/21 15:01 ID:DEz0rnMa
私はふたたび中山門にとって返した。そこでわたしははじめて、無気味で、悲惨な 大量虐殺にぶつかった。二十五メートルの城壁の上に、一列に並べた捕虜が、つぎ つぎに、城外に銃剣で突き落とされている。その多数の日本兵達は。銃剣をしごき、 気合いをかけて、城壁の捕虜の胸、腰と突く。血しぶきが宙を飛ぶ。鬼気せまるす さまじい光景である。・・・・ 神経の凍る思いで、その場を去り、帰途にふたたび『功志社』の門をくぐってみ た先ほどは気づかなかったその門内に、一本の大木があり、その子十余名の敗残兵 が、針金で縛りつけられていた。どの顔も紙のように白く、肌もあらわにある者は 座り、ある者は立って、ウツロな目で、私をジッと見つめた。そのとき、数人の日 本兵がガヤガヤと入ってきた。二、三人がツルはしをもっていたので工兵と知れた。 そばに立っている私には目もくれず、その中の一人が、その大木の前に立つと、 「こいつらよくも、オレたちの仲間をやりやがったな」とさけぶや、やにわに、ツ ルはしをふりあげて、この無抵抗の捕虜の一人の頭めがけて、ふりおろした。鋭く 光ったツルはしのさきが"ザクッ"と音をたてて刺さり、ドクッと血がふきだした。 それをみたあとの数人は、身をもがいたがどうにもすることができず、他の兵の暴 力のなすがままになってしまった。・・・・・この捕虜のなかには丸腰の軍装もあったが、 市民のそれと分かるようなものもいた。 (鈴木次郎『私はあの"南京の悲劇"を目撃した』)
697 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/21 15:02 ID:DEz0rnMa
軍官学校で"処刑"の現場に行きあわせる。校舎の一角に収容してある捕虜を一人ずつ 校庭に引き出し、下士官がそれを前方の防空壕の方向に走らせる。待ちかまえた兵隊が 銃剣で背後から突き貫く。悲鳴をあげて壕に転げ落ちると、さらに上から止めを刺す。 それを三箇所で並行してやっているのだ。 引きだされ、突き放される捕虜の中には、拒み、抵抗し、叫びたてる男もいるが、多 くは観念しきったように、死の壕に向かって走る。傍らの将校に聞くと「新兵教育だ」 という。壕のなかでは鮮血でまみれた死体が重なっていく。・・・・・交代で突き刺す側の兵 隊も蒼白な顔をしている。指すかけ声と刺される死の叫びが交錯する情景は凄惨だった。 私は辛うじて十人目まで見た時、吐き気を催した。そして逃げるように校舎を出た。・・・・ 午後、支局[同盟通信社の野戦支局]を出ると銃声が聞こえる。連絡員の中村太郎をつ れて、銃声をたずねていくと、それは交通銀行の浦の池の畔だった。ここでも処刑が行 われていたのだ。死刑執行人は小銃と拳銃を持った兵隊で、捕虜を池畔に立たせ背後か ら撃つ。その衝撃で池に落ち、まだ息があると上からもう一発だ。・・・・ 「記者さん、やってみないか」兵隊を指揮していた下士官が、私に小銃を差しだした。 私は驚いて手を引っこめた。すると中村太郎に「君はどうだ」と銃をすすめる。中村は にやりと笑ってそれを受けとり、捕虜の背中に銃口を接近させると引き金を引いた。ズ ドンという音とともに男は背中を丸めるようにして簿しゃんと池に水しぶきを上げた。 それきりだった。 (前田雄二『戦争の流れの中に』)
698 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/21 15:11 ID:DEz0rnMa
五島、わが六師団はいよいよ出発征途にのぼるが、オレが情報主任参謀として一切 の報道関係の責任者だ。従軍記者諸君に伝えろ。よいか、軍に不利な情報は一切書い てはいかん。この命令に違反した奴は即内地送還だぞ。記事検閲を原則とし、特に軍 機の秘密事項を書き送った奴は戦時陸軍刑法で銃殺だ。 (東京情報社編『南京作戦の真相』)
700 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/21 16:04 ID:DEz0rnMa
↑
>>696-698 は、当時南京に入った従軍記者や文化人などの人達は何も見ていない、と
いうことへの反論の意図です。引用は孫引きでして、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』
からです。
他、ネットで見つけたもの。
>1966年、大宅壮一は「大宅考察隊」を作って、文化大革命下の中国を
>訪問した。現地の座談会で大宅は次のように発言している。
>ちなみに『サンデー毎日』臨時増刊号に載っている。
>
>「入城前後、入城までの過程において相当の大虐殺があったことは事実だと思う。
>三十万とか、建物の三分の一とか、数字はちょっと信用できないけどね。まあ
>相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として十分いえるね」
他にももっとありますが、資源を浪費しないために一応はこれでやめておきます。
リクエストがあれば、やっても良いけど。
大宅壮一は何を目撃したのかねぇ
>>696-698 わざわざはり付け、ツルハシで一撃
虐殺があったことは否定できないが、こういう殺し方をしていたら、30万人殺すのは一体いつになるのやら。
703 :
えICBM :03/06/21 21:18 ID:34X/dsUm
>>靴屋 こんばんわ。 南京陥落直後多数の記者が南京に入場してるのに虐殺の話を聞いた事も無いという証言が多い。 一方兵士では、日記や手記に虐殺が合ったらしいという噂があちこちに見られる。 こうなると、兵士と記者の置かれた状況が異なるという推測が導かれる。 当時の記者は軍によってどのような状況に置かれていたのだろうか? その辺を証言してる記者っていないの?
704 :
朝まで名無しさん :03/06/21 21:56 ID:oMEaZ/SI
「南京超人伝説をつくる会」 虐殺派にぴったりのネーミングだと思うのだが如何?
>>699 >撤退をもくろんでおり「降伏はしていない」ようだが。
>両手を挙げてはっきりと降伏の意思を示さないといけないのでは。
この人は降伏した後で、他所に連れてかれて処刑されたんだろ。
降伏は完了してんだよ。
>石朋
>南京陥落後、退却の命令を受けた時、私たちは揚子江で渡河の順番を待って
>いました。イタリア製の大砲を河に棄て、何万という兵士が川岸に群がりました。私た
>ちが河を渡る前に日本軍に捕まりました。みんな捕虜になりましたが、この中には一般
>市民もたくさんいました。
>私たちは日本兵に動物の群れのように扱われ虐殺の目的で草鞋峡まで連行されました。
>まず、機関銃掃射の嵐です
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/eye.htm
706 :
朝まで名無しさん :03/06/21 22:01 ID:oMEaZ/SI
「世界に広めよう 風説の輪!」 南京虐殺真理教
707 :
朝まで名無しさん :03/06/21 22:03 ID:oMEaZ/SI
「信じるものは救われる」 南京虐殺真理教
要は殺し方の問題でしょ。そりゃつるはしで頭穴開けたり したら20人位でも立派な大虐殺。 一瞬の閃光で30万人くらいが死んだならコレは殺したとは言わず 単に死んだだけだから虐殺にはならない。第一縄縛られて頭かち わられたら死ぬまでに殺されるという意識歩けど、ピカッ と光った途端に分解すれば本人どうなったか分からんまま 消えるわけでコレは虐殺とは言わない。
709 :
朝まで名無しさん :03/06/21 22:07 ID:oMEaZ/SI
>>708 その感性は凄いぞ。漏れには理解できん。
710 :
朝まで名無しさん :03/06/21 22:08 ID:oMEaZ/SI
「人間の無限の可能性を信じて 想像力を解き放て」 南京虐殺真理教
711 :
朝まで名無しさん :03/06/21 22:39 ID:utkg6yQK
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
712 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/21 23:26 ID:DEz0rnMa
>>703 > 当時の記者は軍によってどのような状況に置かれていたのだろうか?
> その辺を証言してる記者っていないの?
さぁ、詳しい現場での実態まではさすがに調べ切れていません。ただ当時は戦意高揚まっただ
中のマスコミでしたから、
>>697 の中村太郎のように自ら捕虜の殺害に荷担したものまでいたよ
うですし、虐殺を見ながら虐殺とは思わなかった記者等が多かったのかも知れません。
ただしかし、全くないということでは全然なくて、実際には目撃談は結構あるようです。
かなり古〜い本なんかにあるようなのですが、なかなか探しきれなくて・・・
713 :
朝まで名無しさん :03/06/21 23:49 ID:+lRZiJWG
ゴー宣・2chプチウヨ少年Q&A(1) Q1.大東亜戦争はアジア解放戦争だと聞いたけど? A.ウソです。御前会議による『大東亜政略指導大綱』には、 「「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し・・」 とあります。これは極秘決定で、傀儡政府許可はビルマ・フィリピンだけ、 しかも口約束です。 Q2.日本軍は軍規厳粛な神兵だったんでしょ? A.違います。1940/9/19「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍規振作対策」によれば、 「事変勃発以来ノ実情ニ徴スルニ赫々タル武勲ノ反面ニ掠奪、強姦、放火、 俘虜惨殺等皇軍タルノ本質ニ反スル幾多ノ犯行を生シ為ニ聖戦ニ対スル内外ノ 嫌悪反感ヲ招来シ・・」とあり、1937年7月〜1939年末までの1年5ヶ月での 強姦致死傷は732件とあります。日本軍において強姦は被害者の親告罪だったので、 実際はこの数倍から数十倍と思われます。岡村寧次司令官は南京事件のあと、 親告罪だった陸軍刑法を改正し、戦後には日本陸軍の軍規について教育が悪かった と述べています(『政変昭和秘史』) Q3.でも南京大虐殺はなかったんだよね? A.「大虐殺」が30万人なら、「中虐殺」があったと言える。90年代に入り、 「まぼろし派」は絶滅した(by秦郁彦)。中間派の秦郁彦氏は4万〜6万人と結論 しています。むしろ「南京大虐殺」と「南京虐殺事件」の『差分』は、 南京大虐殺はなかった→みんな騙されていたんだ。日本軍の強姦・虐殺もなかった、 大東亜戦争はアジア解放戦争だったんだ! という、リビジョニストにとってこそ無くてはならない「プロパガンダ」と言えるでしょう。
>>694 >事実と主張される太田壽男供述書に上記のように書かれているのですから。
貴方はその資料を持ってるか知れんが、俺は持たん。
卑怯だとおもわんか!
それに貴方の書いてる原本は毎日新聞じゃないだろう。
新聞の夕刊が400ページなんてあるはずない。
地図も告白書も自分がもって、気に入ったとこだけ出してなんで15日は
遺体を新聞記者が記事にしなかったんだと言われても、答えようが無い
それこそ妄想とそれ以外のデータでイメージするしかない。
>碼頭及一部稍々下流より揚子江に流したる数 約三万五千
これがなんで、海軍桟橋で、新聞記者が乗る場所だといえるのかい?
貴方は15日に安達少佐たちがかたずけた遺体が、新聞記者が帰る船着場だと
主張してるが、そんなに狭いところかい?
中山埠頭は2000mくらいあるはずだが、目の前とは言い過ぎ!
100mも離れたら何やってるか、よう判らんのに500m位簡単に
離せるだろう。
軍隊が船着場の遺体を片付けたのは前日の14日と見るのが自然だと思うがな。
遠く離れた場所は15日以降だよ。
>15日海軍桟橋から船に乗った外国人記者たちの目の前で行われていたこと
>になります。地図を見れば、一目瞭然です
時間と場所と地図を具体的に証明できるのかい?
私には海軍桟橋の大きさ,位置なにもわからん素人だが判るHPでも
教えてくれないと素直に信じることは無理だ。
海軍桟橋と中山埠頭は違うのかい?
>揚子江には、14日から18日まで、死体が流されていたとありますが、
>あなたは、そうでないおっしゃいます。
俺はそんな事言ってないぞ。コピーで出してくれ
新聞記者が極端に多いい遺体を見たら、記事にしないのはおかしいから
15日の記者が追い出される時は、揚子江に遺体の数は極端な数では
無かったといったんだ。
南京のソバの川で極端に多かったのは13日と14日だ。
>赤星義雄は、次の様に回顧している。「12月14日、私たちは城内
>を通り揚子江岸に向かって進んで行った」「揚子江岸は普通の波止場
>同様、船の発着場であったが、そこに立って揚子江の流れを見た時、
>信じられないような光景が広がっていた。2千m、いやもっとであろ
>うか、その広い川幅いっぱいに
http://www.jca.apc.org/nmnankin/lin5.html
>>714 >貴方はその資料を持ってるか知れんが、俺は持たん。
>卑怯だとおもわんか!
逆切れ?
アホですか?
それとも恵也ってひょっとして偉大なる釣り師なのか・・・?
>>703 > その辺を証言してる記者っていないの?
いろいろ有るよ。
>朝日新聞の従軍記者だった今井正剛は、揚子江にのぞむ下関(シャーカン)
>の埠頭で、恐ろしい光景を見た
http://homepage1.nifty.com/spz/china1/china-kaisetu2.htm >中山門があった。この地域で虐殺された中国人捕虜は日本人記者
>を震いあがらせるほどの残虐な方法で殺害された。次の証言は毎日新聞の
>鈴木二郎記者のものである。
>鈴木氏は南京を攻略した日本軍の従軍記者である。彼は市内にいた四日間
>に日本軍による数限りない残虐行為を目撃した。十二月十三日、中山門近く
>の城壁での大量虐殺を次のように描いている。
「そこで私ははじめて、不気味で、悲惨な大虐殺にぶつかった。二十五メートル
の城壁の上に、一列に並べられた捕虜が、つぎつぎに、城外に銃剣で突き落
とされている。そして日本兵たちは、銃剣をを持ち、気合いをかけて、捕虜の
胸、腰を突く。血しぶきが宙を飛ぶ。鬼気せまるすさまじい光景である。
私はしばらくその惨劇を見ながらぼうぜんと立ちすくんでいた。」
>>708 >消えるわけでコレは虐殺とは言わない。
苦しんで死なんと虐殺と言わんのか?
ここで使ってる虐殺の意味は、無抵抗のものをまとめて
いっぱい殺したと言う意味だ!
死ぬ時は苦しんだ奴も多いいと思うよ。
腹に銃弾を受けると死ぬまで、ずい分苦しむとか。
威勢のいい警官でさえ二度と銃を持つまいと思うほど苦しむ
貴方の誤解:広島の原爆は、苦しまなかった運のいい奴も居るが
ほとんどが苦しんでる。
皮膚がやけどでズル剥けになり、皮膚をたらしたままで歩いて逃げ出し
運良く病院にたどり付けても、水を飲ますと簡単に死ぬからと飲まして
もらえず渇きの中でずい分死んでる。
それにやけどの傷がふさがり、カサブタノ下に蛆がわき神経をいじられて
痛みの中で我慢してた人が多かったとか。
俺の叔父さんは、弟が看病に来てくれてたのでカサブタヲ取り蛆を取って
あげたとか聞いた。蛆の痛みもタマランとか!
>>702 >こういう殺し方をしていたら、30万人殺すのは一体いつになるのやら。
逆も考えられん?
同じ殺し方に飽きてきて、変わったやり方をしたくなったと。
たしかに毎日、同じ食事じゃ飽きてくる。
720 :
朝まで名無しさん :03/06/22 01:16 ID:8PrpsQJY
虐殺はなくて、日本軍に反抗して戦った市民と戦っただけが、ホントのとこじゃね?
721 :
朝まで名無しさん :03/06/22 01:18 ID:niAlj7BH
>>720 日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
722 :
朝まで名無しさん :03/06/22 01:28 ID:fFfHxAgk
209 :日出づる処の名無し :02/08/23 21:42 ID:esqHp/4e 本日、102人の証言を立ち読み。(買うまでのものとは思えなかった。w) で、気づいた点。 この本の編集者:松岡環なる人物によると、戦友会名簿と南京戦の資料にて 登場してくる人物などを調べて(&南京何とか電話相談?からの証言)、 200人の方々の証言を集め回ったと書いてある。 ここで、疑問。 まず、松岡曰く、『「16師団33連隊と38連隊」の方々を中心に証言を集めてた。』 と、自分でも告白しているが、16師団はレイテ戦でほぼ全滅。 生存者は、約620名。これは、朝日新聞などの資料でも明らか。 で、そこで戦友会だが、全滅した場合、16師団の戦友会は結成されていないのでは?と来る。 と言うのも、どこかの書き込みにてあったのだが、全滅した所は戦友会が作られていないと 自衛隊戦史資料室より、回答があったとある。 防衛庁にも中佐以上でないと名簿は、残っていないとの事。 じゃ、一体、松岡は、どこから南京戦当時の16師団33連隊と38連隊の戦友会名簿を 手に入れたんでしょう? また、もし、南京戦は16師団に居たとして、終戦は別の所属だとして、どこから どの様にして一般兵士が、南京戦当時、16師団と遡って見つける事が出来たんだろう? 本には、不思議と殆ど将官クラスの証言はなく、一般兵ばかり。 ついでに、証言の殆どが、なぜか16師団に集中。 また、松岡はこんな事も言っている。 戦友会に所属していない人や一人暮らしの方は、良く話してくれた。と。 なんじゃ、そりゃ〜。w 彼女は、以前、捏造で有名な東史郎に深く関わっている人物。 かなり、大掛かりで大規模な東史郎型捏造を全滅した16師団を使い行っている 可能性が高いのではないでしょうか?
最近の自動応答プログラムは恵也っていうのか。 Kouei型よりも進歩しているようだが、勝利宣言はいつでるのかね?
724 :
朝まで名無しさん :03/06/22 01:31 ID:8wmJPQoq
シナの人工知能技術も発展してきたか
725 :
朝まで名無しさん :03/06/22 02:45 ID:niAlj7BH
726 :
朝まで名無しさん :03/06/22 05:15 ID:2MJEZ87h
恵也って奴キチガイだな。
727 :
朝まで名無しさん :03/06/22 05:27 ID:BhAD4YGu
>>726 なるほど、と言うことは恵也君は正気と言うことになる。バカウヨ2チャンネラーに
キチガイ呼ばわりされることは正気と言うことだからだ(藁
728 :
朝まで名無しさん :03/06/22 06:27 ID:5j3G11TI
ジョンウーの映画「南京1937」 人種を問わず韓国人でも中国人でも逆の立場だったら フツーにこんな感じなんだろうなって思ったりしておもしろい。
で、結論は何万人なの?
730 :
朝まで名無しさん :03/06/22 08:18 ID:bD2X38OK
>恵也 >素直に信じられない だったら二度と議論するな。
733 :
朝まで名無しさん :03/06/22 10:18 ID:B7NHmYSE
「真理に反するものは全て嘘」 南京虐殺真理教
734 :
朝まで名無しさん :03/06/22 10:19 ID:B7NHmYSE
「日本軍は絶対悪」 南京虐殺真理教
735 :
朝まで名無しさん :03/06/22 10:22 ID:B7NHmYSE
「はじめに南京大虐殺あり」 南京虐殺の証人
736 :
朝まで名無しさん :03/06/22 10:31 ID:ycEX4Rc4
ゴー宣・2chプチウヨ少年Q&A(1) Q1.大東亜戦争はアジア解放戦争だと聞いたけど? A.ウソです。御前会議による『大東亜政略指導大綱』には、 「「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し・・」 とあります。これは極秘決定で、傀儡政府許可はビルマ・フィリピンだけ、 しかも口約束です。 Q2.日本軍は軍規厳粛な神兵だったんでしょ? A.違います。1940/9/19「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍規振作対策」によれば、 「事変勃発以来ノ実情ニ徴スルニ赫々タル武勲ノ反面ニ掠奪、強姦、放火、 俘虜惨殺等皇軍タルノ本質ニ反スル幾多ノ犯行を生シ為ニ聖戦ニ対スル内外ノ 嫌悪反感ヲ招来シ・・」とあり、1937年7月〜1939年末までの1年5ヶ月での 強姦致死傷は732件とあります。日本軍において強姦は被害者の親告罪だったので、 実際はこの数倍から数十倍と思われます。岡村寧次司令官は南京事件のあと、 親告罪だった陸軍刑法を改正し、戦後には日本陸軍の軍規について教育が悪かった と述べています(『政変昭和秘史』) Q3.でも南京大虐殺はなかったんだよね? A.「大虐殺」が30万人なら、「中虐殺」があったと言える。90年代に入り、 「まぼろし派」は絶滅した(by秦郁彦)。中間派の秦郁彦氏は4万〜6万人と結論 しています。むしろ「南京大虐殺」と「南京虐殺事件」の『差分』は、 南京大虐殺はなかった→みんな騙されていたんだ。日本軍の強姦・虐殺もなかった、 大東亜戦争はアジア解放戦争だったんだ! という、リビジョニストにとってこそ無くてはならない「プロパガンダ」と言えるでしょう。
737 :
朝まで名無しさん :03/06/22 10:32 ID:dbv0yNs0
隠蔽にミスって政治的日本人洗脳に利用されてにお前らめでてーな
738 :
朝まで名無しさん :03/06/22 11:13 ID:pl0vXh9g
>>668 だからさ、お前は
>>581 で
「外国人は安全区の外に出られず噂話でしか分からない」
と書いてあるだろ?なのに以降の発言で
「外国人も虐殺を見聞きしている」
としているから矛盾だ、と言ってるの。
>>674 >それ以降は量は極端に減り、輸送の邪魔にならないように手際よくやられたの
「手際の良い虐殺」ってどんなんだよ(笑)
だんだん支離滅裂になってきたな・・・あ、お前は最初からそうか(笑)
>>人口も資源も中国の方が圧倒的に上なんだよ?
>だからこそ眠れる獅子と馬鹿にされて、軍閥が中国全土に広がり、やっとこさ
>蒋介石が統一できたところの、赤ん坊だったんだ。
そんな理由では、数の上で圧倒的に少ない日本軍相手に
ゲリラ戦術しか取れないくらい中国が弱かった、という証拠にはならんわな。
ていうか改めて聞くが、南京戦の(お互いの)参加将兵数くらい
もちろん知ってるんだろうなお前?
お前の言説を見てると、それすら怪しく見えるんだが。
739 :
朝まで名無しさん :03/06/22 11:24 ID:pl0vXh9g
>>675 >13日の時点で、安全区から降伏した兵を連れ出して、射殺してる
この件についてのこれまでの議論の流れ↓
恵也「13日の時点で戦闘は終わり。なのに危険を訴える輸送部隊はヘタレ」
俺「13日の時点で敵兵が全部片付いたわけじゃないだろ」
恵也「13日の時点で処刑が始まってる」
つまり13日から残兵掃討が「始まった」んだろ?
だったら14日の時点で輸送部隊が「敵兵がまだ残ってる」というのも
別にハズレではないだろ?まだ始まったところなんだからさ。
もっぺん聞くが、敵兵が「13日の時点で全部」降伏あるいは処刑されたのか?
そうでないのならお前の元の発言
>>614 は、これまた嘘だという事になる。
740 :
朝まで名無しさん :03/06/22 11:32 ID:pl0vXh9g
741 :
朝まで名無しさん :03/06/22 11:34 ID:pl0vXh9g
>>692 いっぱい出てるよ、というから何を持ち出してくるのかと思ったら、
>南京攻略戦に従軍したときの見聞を基にした書かれた石川達三の小説
>「生きている兵隊」(中央公論1938年3月号)には、長江における大量殺戮
>が書かれている:
石川達三の「小説」・・・(爆笑)
742 :
朝まで名無しさん :03/06/22 11:39 ID:yX/SySmh
あの、物差しみたいな処刑道具で首切断して虐殺したのって、 南京だったっけ? それにしてもあれはしどい・・。
743 :
朝まで名無しさん :03/06/22 11:42 ID:pl0vXh9g
>>705 >この人は降伏した後で、他所に連れてかれて処刑されたんだろ。
これまた俺は699ではないが、文章読めないの?
「撤退をもくろんでおり」と書いてあるだろ?
ていうか、お前は何を根拠にそういう事を断言してるの?
>>714 >貴方はその資料を持ってるか知れんが、俺は持たん。
>卑怯だとおもわんか!
スゲェ、あんた最高(笑) 久々に腹の底から爆笑した。
744 :
朝まで名無しさん :03/06/22 11:43 ID:pl0vXh9g
>>732 >喋ったら東史郎氏みたいに、見せしめに急性健忘症の上官が”俺はやってない”
>とやった証明をさせられて、裁判に負けて何十万円も慰謝料を請求されては
>喋れんでしょう。
嫌がらせされる、とかいうならともかく
ちゃんとした裁判を「見せしめ」呼ばわりかよ・・・
じゃあ東京裁判は?(笑)
>>705 だから投降したんではなくて撤退しようとしたところを捕えられたんじゃないか。
>>703 >一方兵士では、日記や手記に虐殺が合ったらしいという噂があちこちに見られる。
それは捕虜の処刑以外のことでですか?
>>722 ハン板にこんな書き込みがあって、ちょっと気になった。
>戦史で日本軍が「玉砕」しても実は生存者がいるケースもあって、その場合朝鮮
>人の比率が高い。サイパンでも陥落前の捕虜の半数以上が朝鮮人というから、配
>備部隊人口比で言うと相当ヘンなことになる。
748 :
朝まで名無しさん :03/06/22 17:56 ID:pl0vXh9g
>>736 >御前会議による『大東亜政略指導大綱』には、
>「「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し・・」
>とあります。
その事自体は事実だが、
>大東亜戦争はアジア解放戦争だと聞いたけど?
この質問に対する回答として用いるのはどうかと思うぞ。
御前会議で大東亜政略指導大綱を作成したのは、敗戦直前の1943年末だぞ。
戦争を始めた当初はアジア各国の独立共栄を理想としていたが、
戦局が悪化したので「やむなく」物資供給源を欲したのであって、
最初から領土拡大が目的だったかのように言うのは恣意的といわざるを得ない。
749 :
朝まで名無しさん :03/06/22 18:19 ID:pl0vXh9g
>>736 続き
>1940/9/19「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍規振作対策」によれば、
>「事変勃発以来ノ実情ニ徴スルニ赫々タル武勲ノ反面ニ掠奪、強姦、放火、
>俘虜惨殺等皇軍タルノ本質ニ反スル幾多ノ犯行を生シ為ニ聖戦ニ対スル内外ノ
>嫌悪反感ヲ招来シ・・」とあり
その資料引用は途中で切られてるが、続きはこうなっている。
「慰安施設ニ関シ周到ナル考慮ヲ払ヒ殺伐ナル感情及劣情ヲ緩和抑制スルコトニ留意スルヲ要ス
特ニ性的慰安所ヨリ受クル兵ノ精神的影響ハ最モ率直深刻ニシテ之カ指導監督ノ適否ハ
志気ノ振興、軍紀ノ維持、犯罪及性病ノ予防等ニ影響スル所大ナルヲ思ハサルヘカラス」
つまり兵隊が殺伐としていて放置すると犯罪に走る、
「だから慰安所を設置して兵士達の気持ちを和らげろ」
という通達なわけだ。後半部分を切って引用したのはわざとかい?(笑)
>むしろ「南京大虐殺」と「南京虐殺事件」の『差分』は、
>南京大虐殺はなかった→みんな騙されていたんだ。日本軍の強姦・虐殺もなかった、
>大東亜戦争はアジア解放戦争だったんだ!
>という、リビジョニストにとってこそ無くてはならない「プロパガンダ」と言えるでしょう。
それと同様に南京事件も
南京大虐殺はあった→日本軍は強姦・虐殺しまくっていた、大東亜戦争は解放戦争なんかじゃない!
という、サヨクにとって無くてはならない(以下略)
ていうかプロパガンダという言葉の意味を分かってるのだろうか?
南京事件を政治的に利用しているのは、いったいどっちの側だ?
『日本軍は香港で何をしたか』 謝永光著 森幹夫訳 四六判/264頁/9310 価格:2300円 社会評論社 より P.36,37 九龍が占領された翌朝、農夫の姿に変装した二人の女性が、有名な作家侶倫(原名李林風)の家の門を叩いた。頭巾をとると、鑽石山(ダイヤモンド・ヒル)の某映画製作所に避難していた女優であることが分かった。 彼女たちは恐怖に引きつった表情で、日本軍の馬丁に暴行された昨夜の出来事を打明けた。 当時の鑽石山はまだ一面の荒れ山で、未完成の映画制作所があるだけだった。製作所の経営者は避難してきた彼の会社の管轄下の職員や俳優をかくまっていた。 最初の数日間は平穏無事で、「皇軍」の姿は全くみられなかった。ところがある日、突然五、六人の‘獣兵‘が現れ、麻雀をしていた四人の女優を輪姦したという。 前述の女優は日本軍の馬丁に暴行されたが、この馬丁とは恐らく朝鮮人に違いなかった。 当時朝鮮は亡国の運命を辿り、台湾も日本の植民地であった。日本は兵力不足のため、大量の朝鮮人や台湾人が戦場に駆り出されていた。 香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、 日 本 の 正 規 軍 よ り も も っ と 凶 暴 だ っ た。 このとき民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、 ほ と ん ど 日 本 人 の 手 先 と な っ て 悪 事 を 働 い て い た 朝 鮮 人 で あ っ た。 当時香港住民は 日 本 軍 に 対 す る よ り も も っ と 激 し い 憎 悪 の 念 を 彼 ら に 抱 い た。 P.142 (日本軍占領下の香港では) ア ヘ ン 販 売 や 売 春 市 場 は 朝 鮮 人 が 中 心 と な っ て 取 り 仕 切 っ て い た。 ちなみに、この本の著者は日本軍による香港占領を体験した鍼灸医です。
751 :
上一夫(1) :03/06/23 11:58 ID:l/7ccbUa
>>714 恵也さんへ。 >貴方はその資料を持ってるか知れんが、俺は持たん。 卑怯だとおもわんか! >地図も告白書も自分がもって、気に入ったとこだけ出してなんで15日は 遺体を新聞記者が記事にしなかったんだと言われても、答えようが無い 「日本軍の罪行」の史料として、恵也さんは、太田壽男供述書を 引用され、その否定的日記である「梶谷健郎日記」を捏造の可能性がある と指摘されました。 私の常識では、太田壽男供述書と梶谷健郎日記の記載されている本とか、 そのコピーは当然お手元にあり、何度もお読みになり、他の史料とともに 検証され、あなたのお言葉・お考えとなっていると、考えていました。 その様な準備もなく論争することを、私をなじるより、 あなたは自分に恥じなければなりません。
752 :
上一夫(2) :03/06/23 12:00 ID:l/7ccbUa
>それに貴方の書いてる原本は毎日新聞じゃないだろう。 新聞の夕刊が400ページなんてあるはずない。 太田壽男供述書は、1954年8月3日付便せん四十四枚、です。 >それこそ妄想とそれ以外のデータでイメージするしかない。 妄想(根拠のない主観的な想像や信念)という言葉を、ご使用になるのは 如何なものか。あなたは妄想でイメージするのですか。
753 :
上一夫(3) :03/06/23 12:02 ID:l/7ccbUa
>これがなんで、海軍桟橋で、新聞記者が乗る場所だといえるのかい? >貴方は15日に安達少佐たちがかたずけた遺体が、新聞記者が帰る船着場だと 主張してるが、そんなに狭いところかい? 中山埠頭は2000mくらいあるはずだが、目の前とは言い過ぎ! 100mも離れたら何やってるか、よう判らんのに500m位簡単に 離せるだろう。軍隊が船着場の遺体を片付けたのは前日の14日と見るのが自然だと思うがな。遠く離れた場所は15日以降だよ。 論争以前の基本認識が不完全なので、以上のような質問が出るのでしょうが、 太田壽男少佐が自ら書かれた地図をご覧になれば、自ずと答えは出てきます。 海軍桟橋、下関碼頭の位置関係も詳細に記載されていますよ。 以下の論点も恵也さんの勉強不足、資料不足が明らかになった今、 これ以上の論争は私にとって、意味がありません。
754 :
朝まで名無しさん :03/06/23 12:06 ID:0Ap50275
マッカーサーがやってきた夜、近辺では何百件もの 米兵による日本女性レイプ事件が起こっている 戦争が終わっていてさえこのありさま
>>736 Q3
まずやるべきはその「差分」を作りだしたリビジョニストを糾弾する事だろう。
計算機はどうした? 愛想尽かしたか?
757 :
靴屋 ◆DH9Ep4fU/w :03/06/23 16:41 ID:+sIyvtbn
>>736 どなたがどこからコピペされたのか存じませんが、私が確実に知っている部分で誤りがあります。
> A.「大虐殺」が30万人なら、「中虐殺」があったと言える。90年代に入り、
> 「まぼろし派」は絶滅した(by秦郁彦)。中間派の秦郁彦氏は4万〜6万人と結論
> しています。
泰氏の主張は3.8万〜4.2万です。
これに賛同する人も多いようですが、この数値は根拠がよく分からない不法殺害として考えるべき
割引率なるものを用いており(板倉も同様)、また、紅卍字会以外の埋葬団体の埋葬数や、それ以外
の虐殺数報告を信憑性に不確かさがあって「不明なもの」だからという理由で全て却下した数字で
あり、最低限認めるべき数字、という以外の意味はありません。この点はスマイス報告の市民殺害
数の意味と同じです。つまり、板倉や泰氏の虐殺数は、実際的な虐殺数推定を示すものではありま
せん。
758 :
朝まで名無しさん :03/06/23 17:56 ID:/+QEoEBz
戦争には、犠牲者が付き物、世界で見ればユダヤ人も相当な数が殺された。 今昔人類始まって以来争いが絶えないのです。 何人殺されたか論じるのは、愚かなことと思う。発展性がない。
759 :
朝まで名無しさん :03/06/23 20:05 ID:fF8OpEK/
>>755 まずやるべきことは「南京大虐殺は大嘘」だと
世界に知らしめることだろ。
760 :
朝まで名無しさん :03/06/23 20:16 ID:F+sSmNOm
虐殺くらい平気でやれるくらいの神経じゃないと 戦争は勝てないんじゃないかな? あったことをなかったかのように言う図々しさがないと 生きていけないんじゃないかな? 日本人は大陸の民族に負けないくらいの 狂気を持っているべきだったんじゃないかな?
761 :
朝まで名無しさん :03/06/23 20:22 ID:fF8OpEK/
アメリカに勝てなかったから敗戦国となったわけだが、 アメリカに勝てなかった原因に、残虐性とか 狂気は関係ないと思うよ。
762 :
朝まで名無しさん :03/06/23 20:24 ID:ZlMLrEIh
一部で略奪位はあったかもしれない。 でも何人かの中国人と付き合うと、彼らがものすごく 数字にアバウトなことを実感する。 3000年の歴史がいつの間にか5000年の歴史、 12億人の人口がいつの間にか15億人に。 数十万の上乗せ位、彼らには微々たるものでは。
763 :
朝まで名無しさん :03/06/23 20:46 ID:/+QEoEBz
馬鹿者ども。 くだらん議論をするな。 教科書に南京大虐殺があったと、記載されているのを知らないのか。 くだらん議論をする暇があったら、職安に行け、ヒッキ−ども。
>>740 >まだまだ戦わなければならん敵が山ほど残ってるのに、
>意味無く民間人虐殺なんかしてるヒマは無いっつー事だ。
中国軍は逃げ回って、次の重慶方面に逃げるのに必死だから、暇が出来たの
>>752 >新聞の夕刊が400ページなんてあるはずない。
>太田壽男供述書は、1954年8月3日付便せん四十四枚、です。
それにしては400何ページの引用とか載ってるのはどういう意味だ!
いい加減な引用するなよな。元ネタくらいマトモに出せ。
毎日新聞と言うのは嘘か!
>平成2年12月14日の毎日新聞夕刊に掲載されました。
>夜間に於ても処理を行ひ之れを迅速ならしめたのである。(p426)
貴方も安達少佐の原本を持ってるわけでもあるまいし、本物かどうかも判らん
雑誌を信用して出してる存在で、良くえばれるもんだ!
下の人は、その原本に触って見れる人だよ。
>1937年12月16日、彼は死体処理の命令を受けた。その司令部は
>運輸兵を800名選抜し、トラックを配備し、船舶で死体を運送した。
>太田と安達少佐はそれぞれ400名を率いて、太田が処理したのが
>1万9000体、安達が処理したのが8万1000体であった
http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz318.html 貴方は鈴木明氏などの、資料をマトモに信じる四角四面タイプの人間かい?
全ての資料を疑い、自分の持ってる孫引きの資料程度は疑うのは常識だろう。
>鈴木明氏が提示する資料の信憑性に疑いがあることについて、かつて、
>洞氏は山本七平氏の紹介する資料との比較において詳細に論じたことがある。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15980&range=1
768 :
名無し :03/06/23 23:08 ID:aCJ1cgDX
南京事件がうそである事は中共が良く知っている。だから調査を拒否するのだ。 物証はまるっきり無い。あるのは作文だけだよ。 作文なら宇宙戦争だって可能だ。 中国肺炎だって、うそ発表だ。宣伝を本気にするほうが悪いというのが中国の 常識だ。
769 :
朝まで名無しさん :03/06/23 23:12 ID:22YkY6Ud
>>768 日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
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朝まで名無しさん :03/06/23 23:13 ID:O1XuGlcA
881 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 02/08/20 05:15 ID:ibZM5W6d ∧_∧ (-@∀@) (__|=L_) (_,,_,,_) 彡※※※※ミ 軍靴の音が聞こえますな・・・ -------------------------------------------------------------------------------- ∧_∧ 「おい いくらだ、十六文か、それじゃ、銭がこまかいよ」 (-@∀@) 「1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6つ、7つ、8つ…」 (__|=L_) (_,,_,,_) 「…南京虐殺は?」 彡※※※※ミ -------------------------------------------------------------------------------- ∧_∧ (@∀@-) 「へぇ、30万で」 (__|=L_) (_,,_,,_) 彡※※※※ミ
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朝まで名無しさん :
03/06/23 23:14 ID:O1XuGlcA 885 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 02/08/20 05:15 ID:ibZM5W6d ∧_∧ (;@∀@) 「そうかい 30万、31万…… (__|=L_) (_,,_,,_) 「…………」 彡※※※※ミ -------------------------------------------------------------------------------- ∧_∧ ( @∀@ ) 「ま、何はともあれ悪いのは日本ということでして… (| | ソ | |) (U_,_U) 「……おあとがよろしいようで」 彡※※※※ミ \ ふざけんな / \ 金返せ!/ \ ゴルァ!/ \ /