1 :
朝まで名無しさん:
2 :
朝まで名無しさん:03/04/26 17:05 ID:TxOLzwpc
r
3 :
朝まで名無しさん:03/04/26 17:07 ID:M92LrzkX
知らん
4 :
朝まで名無しさん:03/04/26 17:12 ID:KVxP5Fva
そう言わんと、相手してやろうよ。
なんかかわいそうだしさ。
とりあえず、いつものでもペーストしておこうか。
南京大虐殺肯定派は、以下の項目について自己の主張を整理するところから始めてもらいたい。
1.虐殺の規模と範囲(死者の人数・虐殺が行われたとする地域と期間)
2.虐殺の主体(命令者・実行者)
3.犠牲者の種別(軍人・民間人・便衣兵・捕虜(捕虜資格を有する投降者)のいずれを含むか)
4.国際法上の問題点(虐殺者の行為がもつ違法性の解説)
5.以上を裏付ける証拠文献(信頼性の高い文書や画像/裏づけのない証言は却下)
●1で「30万人説」を取らない>
現在40万人説すら言い出した中共にはどう対処するのか?
●1で「南京市内・1ヶ月以内」以外を主張する>
それは中共が主張する「南京大虐殺」とは別のものだが、それについての釈明は?
●2で「命令者=日本軍」以外を主張する>
それに日本国が責任を追わねばならない根拠は?
●3を明確にしない>
それでは国際法上の論点が整理できない。もう一度調べなおせ。
●4で国際法についての説明ができない>
勉強しろ。
●5で一次資料を挙げられない>
逝ってよし。
5 :
朝まで名無しさん:03/04/26 20:57 ID:aU+q/5I2
6 :
朝まで名無しさん:03/04/26 22:20 ID:jwhXOiQp
1.虐殺の規模と範囲(死者の人数・虐殺が行われたとする地域と期間)
範囲が今まで通りとすると、4〜5万人説を採用する。中共の言っている
事はおかしいが、冷静に対応するしかなかんべ。
2.虐殺の主体(命令者・実行者)
命令者は現場の指揮官。ただ、補給や休みなしで南京に突入させた軍部の
責任はやっぱ免れないんじゃないの〜
3.犠牲者の種別(軍人・民間人・便衣兵・捕虜(捕虜資格を有する投降者)のいずれを含むか)
軍人は抜かして、捕虜・民間人。便衣兵ってホントに南京にいたの?
4.国際法上の問題点(虐殺者の行為がもつ違法性の解説)
裁判抜きで怪しい人物を処分しちゃいかんでしょ。数が少ないならおめこぼ
しもあったやも知れんけど、あー大々的にやられちゃまずいねー。
5.以上を裏付ける証拠文献(信頼性の高い文書や画像/裏づけのない証言は却下)
あのねー。歴史検証にいちいち一次資料を用いる必要があるなら、歴史
教科書は空白だらけなんだよ。わかる?
7 :
朝まで名無しさん:03/04/26 22:27 ID:jB7hO53v
証言は一次資料、文書は多くの場合二次資料、
これ常識よ。
8 :
朝まで名無しさん:03/04/26 22:30 ID:sAnLuM8M
9 :
:03/04/26 22:51 ID:GHD6gPrf
日本の学者は数万と少なく見積もっている
ピュ−リッツァ賞受賞 「昭和天皇」
10 :
朝まで名無しさん:03/04/26 23:09 ID:FUols1dO
ループの構図を繰り返さないために以下のような議論をされる場合は、
確実に相手を論破できるか、ループに陥らないように注意してください。
1、南京にいたのは便衣兵ではなく【便衣兵の容疑者】だ(肯定派)
2、南京戦は一個の独立した作戦行動ではなく、上海から継続している戦闘であり、
である以上、南京以前に国民党軍が便衣戦術を取っている。であれば、便衣した
時点で日本軍が便衣兵とみなし、治安維持と便衣活動の予防のために摘発する
のは当然である。これはハーグの占領軍の義務にも係わる(否定派)
3-a、摘発自体に問題は無いとしても、裁判をせずに便衣兵として処刑するのは
問題ある。(肯定派)
3-a-1、便衣兵は摘発時即処刑というのが各国軍において「常識」であり「慣習」と
して成立している。(否定派)
3-a-2、南京にいたのは便衣兵ではなく【便衣兵の容疑者】だ(肯定派)ループ開始
3-b、間諜と便衣兵は同じだろう。過去に軍律裁判において、間諜は裁判にかけ
られている(肯定派)
3-b-1、間諜と便衣兵(ゲリラ)は違う。作戦行動としても諜報活動は軍事行動と
して認められても、民間人を巻き込むゲリラとそれを当時は同一に扱っていなかっ
た、でなければ、ジュネーブ条約で慣習外ではあるが人道主義に則ったゲリラの
取り扱いの成文法が出来るわけが無い。(否定派)
3-b-2、南京にいたのは【便衣兵の容疑者】で便衣兵ではないからその定義は的はず
れだ(肯定派)ループ開始。
11 :
朝まで名無しさん:03/04/27 08:52 ID:FgC5j+uI
>>10 ループと書いているが、肯定派の方が有利な書き方をしているな。
12 :
:03/04/27 16:19 ID:xCVXhDSc
他の板を巡ってみたんだが、南京大虐殺スレはあちこちにあって、
’なかったという教授がいますか’、というコピペを繰り返すやつ出没してるんだね。
もしかして、スレを立てるやつ自体がこいつで、かまって欲しい、というのは結構当たりか。
13 :
次スレ:03/05/02 20:36 ID:ncBWC+1x
14 :
朝まで名無しさん:03/05/02 20:49 ID:8TjkLXQH
一人でも虐殺は虐殺
さっさと謝罪しろ日本
15 :
abc:03/05/03 01:58 ID:ivY12Hcw
>>14 一人でも虐殺は虐殺
さっさと謝罪しろ日本
アホか。戦争に犠牲者はつきものだ。
戦争を非難することはあっても殺人(戦闘)を非難しても
しようがなかろう。
16 :
BB:03/05/03 02:04 ID:Q0upqGA+
戦争をして国際法を犯してない国は無い、勿論日本もだ
中国もアメリカもすべてだ。
17 :
朝まで名無しさん:03/05/14 00:31 ID:iSkd2RUR
ラーベの日記「南京の真実」
http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html ラーベの日記には『局部に竹を突っ込まれた女の人の死体を
そこら中で見かける。吐き気がして息苦しくなる。
70を越えた人さえ何度も暴行されているのだ』とあるが、
強姦のあと「局部に竹を突っ込む」などという風習は、
支那にあっても、日本には絶対ない。
また、ラーベは『日本兵はモーゼル拳銃をもっていた』というが
当時日本軍にはモーゼル拳銃など一丁もない。
日本人を憎悪していたマギー牧師でさえ
「安全区は難民の“天国”だったかも知れない」
とさえ述べているのである。
すなわち“捕虜・便衣兵の処刑・殺害”はあったが
それは戦闘行為の枠内で論ぜられるべきものであって、
非戦闘員の大量虐殺などはなかった。
南京陥落と同時に入城した新聞・雑誌記者、カメラマンは
約150名といわれる(外人記者5名を含む)。
そのうちの誰一人として非戦闘員の虐殺などは見ていないのである。
殺人 49件、この数字は、南京占領の12月13日から
翌年2月9日までの南京における日本軍非行を記録した
国際委員会の総トータルである。
これをラーベ日記は、虐殺5〜6万、強姦実に2万件というのである。
その根拠は何ら示していない。
18 :
朝まで名無しさん:03/05/14 01:07 ID:iSkd2RUR
「南京大虐殺」はなかった
http://www.history.gr.jp/nanking/moriou.html#05 朝日新聞の今井正剛記者という記者が「南京城内の大量殺人」という
本を書いております。大阪毎日(当時)の後藤記者が、
「あなたはとんでもない事を書いていますね」とただしたところ、
今井記者は、「あれは興味本位で書いたのだ」と白状しています。
東京日々新聞の鈴木二郎という記者は、「私は12月12日に中山門より
入城した。後続部隊が次々に中山門上で万歳をし、写真を撮っていた。
中山門の上では盛んに捕虜が虐殺されていた」と証言しております。
12月12日には、私は先ほどお話したように、
中山門正面約2キロ手前の溝山の山頂にいました。
双眼鏡で中山門の城壁がやっと見えたのですが、
敵兵がいっぱいおりました。一体いつになったらあれを占領できるのかと、
その時思ったことを私ははっきり覚えています。
そんな時期に、一新聞記者がどうして中山門に入れるのでしょうか。
東京日々新聞の浅海一男という記者が、「百人斬り」という記事を
書いています。
さらに野田少尉は大隊副官、向井少尉は大隊砲小隊長であり、
両方とも部下が銃剣を持って敵陣に突入する部隊の指揮官ではありません。
そういう将校に、敵に突入して百人斬りを命ずる馬鹿がいるでしょうか?
宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の
決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、
その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮買ったものであると、
読者が抗議しています。
19 :
山崎渉:03/05/21 23:18 ID:7PBsjHd6
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
20 :
山崎渉:03/05/28 14:11 ID:sx1e3H4P
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
21 :
朝まで名無しさん:03/05/30 20:09 ID:aUK3vXEJ
参考資料一覧・1 南京大虐殺事件
http://plaza25.mbn.or.jp/~hinode_kogei/DATA.html ●南京事件に関する、日本側の記録
「第一一四師団第六六連隊第一大隊 戦闘詳報」
(十三日午後二時)午後二時零分、連隊長より左の命令を受く。
旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。
その方法は十数名を捕縛して逐次銃殺してはいかん。
(中略)
各隊共に午後五時ごろ準備終わり刺殺を開始し、
おおむね午後七時三十分刺殺を終わり、連隊に報告す。
第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり。
●南京事件に関する、中国側の記録
「江寧県誌」
一二月下旬、上坊で婦女一〇名が強姦され、陰部に鉄棒を刺して
殺害される。
三八年一月八日、陸郎村で県城から避難していた市民が、
「敗残兵狩り」で一〇〇余人殺害される。
そのとき婦女八人が輪姦され、腹を割かれて殺害される。
●南京事件に関する、第三国の報道
「南京大虐殺」 シカゴ・デイリー・ニューズ
一九三七年十二月十五日 A・T・スティール
南京を離れるとき、我々一行が最後に目撃したものは、河岸近くの城壁を
背にして三〇〇人の中国人の一群を整然と処刑している光景であった。
そこにはすでに膝がうずまるほど死体が積まれていた。
22 :
朝まで名無しさん:03/05/30 20:09 ID:aUK3vXEJ
大虐殺派のウソ写真と証言
http://www.history.gr.jp/nanking/lie.html#10 ◆マギー牧師の“南京虐殺”フィルム
このフィルムに対して藤原彰・元一橋大学教授は
「虐殺の事実を裏付けるのに、これだけでも十分」
(ニューヨーク3日共同)と手放しの評価を与えている。
ところが、同フィルムの1部は、「幻」どころか、
1938年5月16日号の米誌『LIFE』ですでに紹介されていた。
しかもその大半は病院で治療を受ける中国人の姿で、
戦争の一場面を示す当時どこにでもある写真であった。
◆南京事件またニセ写真
平成7年3月5日、産経新聞より。
東北地方のプロック紙「河北新報」の昨年5月20日付夕刊に
掲載された中国政府提供の南京事件(南京大虐殺)の写真について、
仙台市在住の旧軍人から
「日本兵の軍服が当時(昭和12年12月)と異なる。
南京事件とは無関係」という指摘が11日までに、産経新聞に寄せられた。
この写真について「南京事件とは無関係」と指摘したのは
仙台市青葉区新坂町の無職、庄司鋭男さん(73)。
南京事件は昭和12(1937)年12月にあったとされている。
13年以降の軍服を日本兵が南京事件当時に着ているはずがない」と指摘する。
渡辺英亮・河北新報社広報局長の話「写真は東京新聞から配信され、
間違いないと思って掲載したが、指摘があれば、慎重に調べてみたい」
こんな1を助けてあげて…
24 :
山崎 渉:03/07/12 12:03 ID:GDPcmuKR
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
25 :
山崎 渉:03/07/15 13:18 ID:AWLsoYeJ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
27 :
山崎 渉:
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン