1 :
南無観自在菩薩:
2 :
南無観自在菩薩:2005/08/24(水) 14:25:42 ID:qFtNQxlp
3 :
南無観自在菩薩:2005/08/24(水) 14:59:20 ID:qFtNQxlp
>忘れ得ぬ海から、未来へ
>
>過去の海、昭和19年10月25日、比島エンガノ岬沖
>日本海軍の第一機動艦隊、悲しき最後の一戦へ
>スタッフたちの御祖父たちの、語り尽くせぬ物語、
>「古佛へのまなざし」のルーツがそこにあります。
4 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/24(水) 15:44:27 ID:UGhodjDG
5 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/25(木) 05:36:55 ID:Alk2fC/U
>ホームページ「古佛へのまなざし」の運営スタッフ陣については資格や年齢制限があり、
>資格は「大学にて美術史学もしくは仏教美術を専攻した方」で「民間企業社員、自営業等、
>非公務員であり、在野の研究者であること」であり、幾つかの付帯条件がつき、更に独身
>であることが必須条件です。年齢制限は、「日常生活において仏像彫刻史研究を絶対優先
>とする」ために、10〜30代のメンバーをスタッフとして集め、現在はスタッフ集めは
>行っておりません。
「非公務員」はまだしも、「独身であることが必須条件」って、どういうことだ?代表は
「人妻」には興味ないってことか?やっぱ、女子高校生達は代表の「喜び組」なのか?
年齢制限が30代までなら、もうすぐ(来年)40歳の骨皮は資格が無くなるじゃん。
代表だけは別格・別待遇なのか?
6 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/26(金) 05:25:08 ID:DL4HRVp4
>戦後60周年の節目に、レイテ島で、エンガノ岬で戦った日本陸海軍の将兵たち
>の孫たちが、さまざまな思いのもとに行動しています。
>なお、参考までに拙ページを立ち上げた時のメンバーは、骨皮、立花、鍋島、波
>多野、宇喜多、出雲、菊亭、伊勢、一橋、相模の10名だけでしたが、この10名
>全員が、レイテ島やエンガノ岬で戦った日本陸海軍の将兵たちの孫でした。その
>後に加わった天童、十河、結城、近藤、久住、千葉の6名も同様でした。このメン
>バーたちが主力となってのニューアル工事です。
7 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/26(金) 06:15:17 ID:+S9keBsb
>門の前に立ち止まった骨皮大佐に、伊勢中佐が敬礼した。
>「大佐殿、元気そうで何よりですな」
こいつら、本当に「大佐」とか呼び合ったり、敬礼したりしてるらしいな。
40近い男たちが「軍隊ごっこ」って、痛杉だろ。
8 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/27(土) 21:37:21 ID:0YPwVZZF
某極右団体(偽装仏像ヲタ・グループ)、
本日、奈良博「古密教」展に登場。
9 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/28(日) 20:12:28 ID:vWtbsA92
>建川陸軍大佐どの -投稿者: 奈良敦子 返信 2004/02/13 01:10:54
>
> 昨日の夕方、京都本部へ行ってきました。こんどの四月から副代表になられる建川大佐
>どのが上洛してこられたのです。伊勢中佐が心服するバリバリの「ミスター鎌倉彫刻史」
>であり「関東軍連隊長陸軍大佐」なのです。ウチらの骨皮海軍大佐と同格ですよ・・。
>でね、結城さんたちにスタッフ紹介用の顔写真を渡してきたのですが、なんと本当に陸軍
>大佐の軍装で撮影してます。コスプレにしてはハマリすぎ。よくやるなー。
「陸軍大佐の軍装で撮影」って、「よくやるなー」じゃなくて、もう完全に「ビョーキ」だろ。
こいつら軍装して喜んだり、旧陸海軍を尊敬しているんじゃなくて、逆に「冒涜」している
だろ。そんなに兵隊にあこがれるなら、日本に安住せず、どこかの国の傭兵にでもなれよ。
カッコだけマネして軍隊がわかったような気になっているんのかねえ。全く幼稚な連中だね。
10 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/30(火) 12:55:18 ID:UBzZ8z3t
(この人の言葉)
「古佛へのまなざし」が注目する人物 A
ダグラス・マッカーサー 「I shall return」(私は、帰る)
第二次大戦中の、連合国太平洋方面軍の最高司令官。
開戦直後のフィリピン攻防戦にて苦闘し、大統領命令にてコレヒドールを脱出。オーストラリアに後退して
軍を建て直し、演説にてこの言葉を繰り返し述べて当時の流行語にさせた。
「私は、なにがなんでもフィリピンに帰る」という確固たる決意をあらわし、その言葉通りにフィリピン奪還に成功する。
終戦後は日本に進駐して戦後処理にあたりさまざまな改革を断行して日本の古い体制を破壊し、
新しいシステム作りに尽力した。その内容については様々な評価があるが、頭脳明晰で客観的洞察の出来る
数少ないエリートであったマッカーサーが進駐軍総司令官であったことは、日本にとって非常な幸運であったと、
結果的には言えるかもしれない。これが他の国の軍人であったならば、おそらく今日の日本のかたちは有り得なかっただろう。
11 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/30(火) 12:57:24 ID:UBzZ8z3t
「I shall return」「私は、必ず帰ってくる」が最も適切な訳である。
グレゴリーペック主演の映画では、「私は帰る」と直訳されていた。マッカーサーの不退転の決意と持続力、
どんな窮地にも諦めない不屈の精神が凝縮されたような名台詞である。
太平洋戦線はもとより、朝鮮戦争の仁川作戦でも大成功を収めて戦闘指揮官としての有能さを発揮したが、
「古佛へのまなざし」としては、むしろマッカーサーの真の才能は日本での戦後処理における
民政上の諸施策にこそ示されたと考える。戦争を回避出来なかった日本の古い体質、悪弊、思想などを
次々に打破して根本から作り直し、今で言えば構造改革以上の内容をたった数年間でなしとげた
マッカーサーの政治家とししての実績は高く評価されてよい。
これにならってホームページの「構造改革」に取り組み、思い切って「捨て」、
新たに「造る」ことを実施しているのが、現在の「古佛へのまなざし」なのである。
そして、「I shall return」に象徴されるマッカーサーの不退転の決意と持続力、
どんな窮地にも諦めない不屈の精神を見習って、例え改装工事が長くかかって半年にも一年にもなったとしても、
頑張ってやり抜こう、と皆で励ましあっている。マッカーサーの情熱を見習いましょう
12 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/31(水) 12:06:39 ID:MdM6nPpT
晒しあげ
13 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/08/31(水) 22:38:53 ID:lQiF4r3i
地獄に落ちろ
14 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/01(木) 12:16:01 ID:4rjYvWoK
吉野水分神社には知り合いがいますので、いろいろ伺いました。
まず、神社関係者で「古仏へのまなざし」というサイトについて、
あるいは代表以下スタッフについて、ご存知の方はいないそうです。
また旧日本軍関係者で懇意にされている方もいないそうです。
さらに、神像の開帳についてですが
これは「不測の事態(修理など)」が起きない限りは、扉は「絶対に」開けないそうです。
神社関係者でも見ることはできないそうです。
また、旧日本軍関係者や諸団体の依頼(ないし圧力)があっても、開扉は「絶対に」ないとのこと。
入江泰吉の撮影のための開帳が「唯一の」例外とのこと。
この撮影に関しては「旧日本軍」「政治諸団体」とは、何ら関係ないとも書き添えておきます。
(ちなみに、戦後某宮家の方が披見を依頼されたそうですが、鄭重にお断りしたそうです)
15 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/01(木) 13:28:58 ID:4rjYvWoK
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文1
総湯を楽しんだ後、周囲の商店街や街並みを散歩しながらホテルに戻りました。
予定通りの19時から、ホテルの大広間にて夕食をいただきました。支援者である
老紳士が、私たち一行のために素晴らしい御馳走を注文して下さったのです。恐
縮する私たちに、順番に酒をつぎながら、とても上機嫌な老紳士でした。お礼にと
私たち女性陣がかわるがわるお酌をしてさしあげて、老紳士はますます上機嫌に
なり、ますます赤くなられました。代表さんが心配して言いました。
「大丈夫ですか、Aさん」
「いやなに、これしきの酒など。海軍にいた頃はこの何倍も飲みましたわい」
そう誇らしげに言い、代表さんの肩をバンバン叩いてはワハハハと大笑いを続
ける老紳士でした。戦友でもあった人の孫に会うのが嬉しくてしょうがない、といっ
た様子で、さかんに代表さんや菊亭さんに話し掛け、最終的には遺骨収集事業の
思い出話で大いに盛り上がっていました。どうやら三年前のレイテ島戦跡巡拝遺
骨収集事業で一緒に行動された一人でいらっしゃるようです。
老紳士は、亜弓たちにも、遺骨収集事業の話をしてくれました。初めて聞く内容
なので、真剣になって聞きました。戦争中に海外で亡くなった方々は約300万人と
も言われ、日本に帰還した遺骨はまだ100万人にも満たない。戦後60年がたとう
というのに、まだ大多数は南洋の海底に、孤島の密林内に骨すら風化しつつ埋も
れているのだそうです。
「そういうわけですので、諸君ら孫、ひ孫の代になっても遺骨収集が関係団体や有
志やボランティアの手によって続けられておるわけです。そんななかに、君たちの
代表さんたちのグループも、レイテ、アンガウル、ペリリューの諸拠点に行かれて
多くの遺骨を持ち帰ってくれた。我々旧軍組織に身を捧げた身としては、いくら感
謝しても感謝しきれんことです。孫、ひ孫の代にまで苦労をかけ、面倒をかけるよ
うなこの戦争の後始末、まことに申し訳ない次第です。じゃから諸君らの団体には
とにかく支援をさせていただくことにしておるわけです」
16 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/01(木) 13:29:32 ID:4rjYvWoK
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文2
それで、ここのホテルの宿泊券をくださったのだな、と納得しました。
「あの戦争では、多くが亡くなったが、生きて帰った者はさらに多い。約600万人の
同胞が、戦地各方面から引き揚げて、焦土の日本に再建の槌音を響かせた。そ
の一人、一人がな、諸君らの祖父、曽祖父であったはずですじゃ」
桜井さんや二階堂さんが、同時にコックリとうなずきました。老紳士は微笑しまし
たが、すぐに表情をひきしめて続けました。
「戦争がさらに長引けば、もっともっと犠牲者が出たのであろうが、しかし、日本の
将来を必死で憂い、戦争終結への秘密工作を画策して、大元帥陛下に御聖断を
具申し続けた少数の方々がおったのじゃ。無益な戦争を止めさせ、600万同胞を
塗炭の苦しみから救い、存亡の危機から祖国を救うため、密命をおびて秘密裏に
終戦工作が行われ、それは辛くも成功した。それで終戦が予定より早まった」
「あのう、8月15日が終戦記念日だと聞いてるのですが、実際には戦争は長く続
けられることになっていたのですか」
日谷が質問すると、老紳士は、コクンとうなずいた。
「要するに、本土決戦じゃ。連合軍は沖縄を占領して、今度は本州のいずれかに
上陸する計画をもっていた。沖縄でおこった戦闘が、今度は本州に拡大するとい
う前提で、陸軍は無謀な抵抗作戦を画策しておったのです。しかしそれをやったら
非戦闘員や民間人に甚大な被害が及ぶ。そうなったら日本は終わりじゃ。国体護
持もなにもあったものではない。それを断固として阻止すべし、との信念にもとづ
き行動し、米内海相すら関知しないところで井上次官の指示によって動き、鈴木
首相や東郷外相に情報を送っていた人物が、おったんじゃ。その方の働きが無け
れば、日本は8月15日に終戦を迎えることが出来ずに本土決戦に突入したはず
じゃ」
17 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/01(木) 13:30:29 ID:4rjYvWoK
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文3
亜弓たちは緊張しました。総理大臣鈴木貫太郎、外務大臣東郷重徳、海軍大臣
米内光政、海軍次官井上成美、といった、近代史の歴史人物たちの名前が次々
に出てくるのです。秘められた歴史の一こまを知らされているようでした。
「その、秘密裏に終戦工作を行っていたという人物を、御存知なのですか」
二階堂さんが質問すると、老紳士は、ウン、と言いました。
「公の歴史においてはな、海軍の福留閣下や松田閣下、陸軍の良識派が秘密裏
に連携して終戦工作を進め、これに海相や次官が関与して陛下の内意を受けて
おったことになっとる。大体はそれで正しいのじゃが、当時はあまりにも陸軍や憲
兵隊の監視がきつくてな、関係者は下手をすると暗殺されかねない危険がつきま
とっておったのですな。それで、海軍では別にもうひとつの工作を秘密に進めるこ
とにして、海相も関知しないうちに井上次官閣下が独断で実施させておった。その
人物のひとりは、陛下に直接話をすることが可能であったから、陛下の御心が終
戦にあることは明白じゃったのです。その人物と非常に親しい海軍の一大佐に密
命が授けられ、ひそかに終戦への可能性が探られたわけです」
「その人は、海軍の大佐だったのですか」
「さよう、あの人の、お祖父さんにあたられる」
そう言って老紳士が指した先には、久住さんや出雲さんと談笑する骨皮代表の
姿がありました。亜弓たちはたがいの顔を見合わせました。ものすごい秘密を知ら
されたような気がして、びっくりしてしまいました。骨皮代表のお祖父さんが、日本
を戦争の惨禍から救い出した一人であったとは。
18 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/01(木) 13:31:09 ID:4rjYvWoK
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文4
同時に、亜弓には、これまで不思議に思っていたことが全て理解出来てきたの
でした。代表さんが昭和史や戦争について非常に詳しいこと、代表さんが何度も
遺骨収集事業に参加されていること、代表さんの知人に海軍関係者がたくさんお
られること、そして教育委員会をはじめとする行政機関のOBたちがきわめて好意
的でしかも秘仏見学にいろいろと便宜を図ってくださったこと、そういう海軍関係者
たちが「古佛へのまなざし」の九州旅行や信州旅行などに援助をしてくださったこ
と、などがいっぺんに思い出されました。比叡山延暦寺の秘仏本尊だって、吉野
水分神社のご神体女神像だって見せてあげますぞ、とある元海軍中佐の老人が
笑って話していた理由も、なんとなく分かりかけてきたのでした。
代表さんのお祖父さんが、あの戦争を終わらせた一人だったのです。その功績
は、たぶん日本の歴史のなかで最も素晴らしいものなのではないでしょうか。代表
さんの心意気、誇り、信念は、おそらくお祖父さんのものを受け継いでいるに違い
ありません。
「お嬢さん方、我々帝国海軍の生き残りの老いぼれどもが、常にあんたらの団体
を支援し馳走させていただくのも、その為じゃ。全国の教育関係の古株はほとんど
海軍の出身だから話はすぐに通る。宗教関係者にも話は通る。あんたらが、今ま
であちこちの秘仏を開いてみせてもらったのも、この一事による。日本を存亡の
危機から救い、600万同胞を塗炭の苦しみから救った一人の軍人の存在は、公
には秘せられて全ての公文書には記載もない。じゃが国家の政治中枢に身をおい
た者なら、一度はその存在を聞かされとるはず。大元帥天皇陛下が、最も信頼し
終戦への希望を託した人物の部下じゃからな。名前こそ歴史には残らぬが、その
業績は至高のものであった。いまの日本全国民は、その方に感謝せねばならんわ
なあ。そしてあんたらの代表さんは、その孫じゃ」
老紳士は、そう言って、ワハハハと大笑いされました。桜井さんが注いだ酒を一
口飲み、ポツリと言いました。
19 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/01(木) 13:32:05 ID:4rjYvWoK
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文5
「ああ、あの方に、大佐殿に、もう一度会いしたいものやなあ。」
老紳士と、代表さんのお祖父さんは、かなり親しい間柄だったようです。後で代
表さんに訪ねると、こう教えてくれました。
「実はあのAさんも、終戦工作に荷担しておられたんですよ。そうですか、そのこと
は言っておられませんでしたか。あの人はもとは軍医でね、祖父も軍医だから非常
に気が合ったと聞いております。ただ、祖父が大佐で、Aさんは少佐でしたから、任
務の内容に若干の差があったようで、祖父が天皇陛下の言葉を直接にいただけ
る立場にあったのに対して、Aさんは井上中将の指示によって働いておられたそう
です」
すると、Aさんも、日本を存亡の危機から救い、600万同胞を塗炭の苦しみから
救った大恩人のひとりであるわけです。改めて尊敬の気持がわきあがってきまし
た。21時に宴会が終わり、今度は亜弓たちも全員玄関にならんで老紳士を見送
りました。またまた黒いベンツがさっと近寄って、運転手がドアをあけて老紳士に
お辞儀をしました。やっぱり相当な身分の方のようです。
夜の闇に小さくなってゆくテールランプの光に、代表さんは小さくお辞儀をしてい
ました。そうして、しばらく立ち続けていました。
各部屋に戻りましたが、まだ寝るには早いので、それぞれ誰かの部屋へ遊びに
行ったり、ホテル内のバーや飲み処などへ繰り出していました。亜弓は日谷と一
緒にホテルのロビーをうろうろしていたのですが、通りかかった池田伯耆守さまと
安藤さんに声をかけられ、四人で和食コーナーに入って雑炊セットを楽しみながら
雑談をしました。
20 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/01(木) 13:32:46 ID:4rjYvWoK
かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文6
そんななか、池田伯耆守さまは、この春から古佛ページで行われている新ホーム
ページのことに触れました。
「あれはその後、どこまでいっとるのかな」
日谷も亜弓もその新ホームページ計画のことは知っていますが、直接に関わっ
ていないので、細かいところまでは分かりませんでした。そのことを話すと、池田伯
耆守さまは、そうかそうかもしれんな、と納得したようにうなずかれました。
「俺が思うに、君たちの古佛ページは、今年で四年目に入る。以前に聞いた話で
は、「三、四年ぐらいで一回はターニングポイントを迎えるべき」ということやった」
「ターニングポイント、ですか」
「おう、つまりだな、古佛ページに何らかの変化というか、改革をやるのと違うかな
もしくは別のホームページを模索してみるというやり方も考えられる」
「それは、あのー、古佛へのまなざしにとってどんな意味があるのですか」
「それは俺にも分からんさな。ただ、今年は、エンガノ岬沖海戦より60年目の区切
りをひとつ超えた。そして古佛ページの主要メンバーは、エンガノ岬沖海戦を戦っ
た第一機動艦隊の孫ぞろいやな。史実にのっとって、エンガノ岬沖海戦の10月2
5日にページを思いきって止めてしまうかもしれんな」
「えっ、ええーっ!!」
「何ですかそれ、そんなの聞いてないです!」
「そんなに驚くな、騒ぐな、いまのは俺の推測やからな」
「なんだあ、びっくりしましたよー」
「しかし、心の準備だけはしておいたほうがええ。古佛ページがいつまでも今の状
態で維持されるということはあまり考えられないんやから。いざとなったら止めると
いう選択肢だってあるはずや」
21 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/01(木) 13:33:25 ID:4rjYvWoK
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文7
「香織ちゃん、亜弓ちゃん、いま古佛ページがひそかに新ホームページを模索して
作っているということ自体が、果たしていまの古佛ページに必要なことかどうかを
考えてみることや。いまあれだけ安定してて、メンバーも読者も多く順調な古佛ペ
ージに、なんで新ホームページが二つも三つも必要なのか、考えてみたことがあ
るんかな」
「・・・・・・・・」
「いつの時代でも、どんな社会においても、志のある者はな、自身が非常に安定し
ているときにこそ次に備えての準備をひそかに進めてゆくものや。たぶん、新ホー
ムページというのはそういう意味合いでつくられとるのと違うか」
越前白山旅行の時点では、新ホームページのことは余り具体的には知らされて
いなかったのです。でも7月から計画が具体化しはじめ、戦後60周年を記念して
のリニューアルを行い、古佛ページを大々的に改装してゆくというプランが発表さ
れました。この文を綴った7月20日の時点では、新ホームページは三つ計画され
てそのうちの一つはすでに試験的に公開をはじめているということでした。そして
10月に古佛ページを一気に変えてゆくのだそうです。そのために準備委員会をこ
れから作って、8月中に立ち上げてリニューアルの細かい内容を相談しながら決め
ていくのだそうです。
越前白山旅行の時点では、池田伯耆守さまに言われたことの意味が、亜弓たち
にはあまりよく分かっていなかったと思います。部屋に戻って寝る前に、二階堂さ
んに尋ねてみたのですが、二階堂さんも首をかしげていました。
「さあ、新しいのを作っているということは聞いたけど、古佛ページのもうひとつの
別館みたいなのを作るんじゃないかなあ」
22 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/01(木) 13:34:43 ID:4rjYvWoK
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文8
そんな程度の推測に終わっていたのでした。でも、実際には、亜弓たちの想像を
はるかに超える壮大な計画が、進んでいたのでした。そのため、仏像見学を目的
とした古佛スタッフ有志による宿泊旅行が、この越前白山旅行をラストとすること
になることを、亜弓たちも奈良へ帰ってしばらく経ってから正式に知らされたので
した。
そのときに、久住さんが言いました。
「古佛ページは、いままでモデルチェンジもマイナーチェンジもしていないのね。だ
から変わるのであれば、思い切って最大限にチェンジしてしまうほうが意味が大き
くなるかもしれませんよ。周囲はびっくりするか、呆れるかのどっちかでしょうけれ
どね」
そう言って微笑した久住さんでした。でも、どのように変わるのかは、これから相
談して決めていくことなので、実は古佛スタッフの誰にも、これからのことは分から
ないのだそうです。なんだか不安ですが、楽しみでもあります。
実は、越前白山旅行から帰ってまもない頃に、新編の第601隊の皆さんと初め
てお会いする機会をもったのですが、その第601隊の皆さんが、新ホームページ
のことやリニューアルのことに大きな役割を果たすことになるのでした。とても重要
なことなので、そのことについては、また日を改めて書いてみます。 (完)
(7.20 高山亜弓)
23 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/02(金) 12:27:37 ID:spw1nd7e
24 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/02(金) 23:19:15 ID:PjJE4W15
鼠講かなんかか?
25 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/03(土) 18:29:34 ID:Y7ma5Sl3
アレフっぽいな
26 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/04(日) 19:49:48 ID:dmppTRpV
age
27 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/04(日) 23:41:53 ID:dmppTRpV
age
28 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/05(月) 14:27:42 ID:VuNs4Hw3
--------------------------------------------------------------------------------
デジカメ -投稿者: 星野直哉 返信 2005/09/03 22:26:33 del:
おお、新さん、やりましたな。
富士のS9000は、あれはいいですね。検討の時に手にとって「これもいいな」と感じたのですが、ズームが電動なのが・・・。
きむちゃん様、仏像撮影の目標が阿修羅像とは、これは実際の話、可能なのでしょうか。
私もあちこちで仏像を撮影しましたが、奈良の有名な仏像では薬師寺の薬師三尊と聖観音、唐招提寺金堂の三仏像、東大寺戒壇院四天王ぐらいのもので、
いずれも堂の外から望遠で撮りました。堂内で撮影したことがあるのは長岳寺の阿弥陀三尊ぐらいですか。それらの撮影にはほとんどライカのR8を使っていました。
レンズが明るいので暗い堂内の仏像がはっきり分かるのでした。
「丹波から但馬へ」の取材撮影ではタングステンフィルム使用だったのでキャノンのEOS55を使いました。仏像の撮影は低感度高精細フィルムを使うと写真が綺麗になりますね。
ポジなので、スライドで大きく映写して細部までじっくり見たり出来ます。
でも私自身は本当は仏像よりは風景を撮るほうが好きです。これからデジカメでどんな写真が撮れるのか、自分でも楽しみでわくわくしています。
↑これって、単なる盗み撮りやん。
29 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/05(月) 22:15:17 ID:e+ZnLbWR
それって単なる盗撮じゃね?
そのへんの国宝仏は撮影禁止だろ?
30 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/06(火) 15:01:02 ID:eRCwNMQ5
>私もあちこちで仏像を撮影しましたが、
>奈良の有名な仏像では薬師寺の薬師三尊と聖観音、
>唐招提寺金堂の三仏像、東大寺戒壇院四天王ぐらいのもので、
>いずれも堂の外から望遠で撮りました。
>堂内で撮影したことがあるのは長岳寺の阿弥陀三尊ぐらいですか。
>それらの撮影にはほとんどライカのR8を使っていました。
>レンズが明るいので暗い堂内の仏像がはっきり分かるのでした。
31 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/06(火) 23:08:26 ID:v6UpvuND
ヲチ板の馬鹿どもには
あまりにも高踏的で難しすぎるスレでつ
32 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/08(木) 20:36:27 ID:T1CNrWIz
バカばっかだからな
アハハ
33 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 21:15:21 ID:yc8Z21Or
晒しage
34 :
美術板より:2005/09/11(日) 20:23:41 ID:6pGz9wJT
35 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:05:02 ID:Xcp+dyS4
強制ID板は、書き込む度にクッキーを削除すればよろしい。
36 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:05:47 ID:Xcp+dyS4
強制ID板は、書き込む度にクッキーを削除すればよろしい。
37 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:06:30 ID:Xcp+dyS4
だめですねい。
38 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:09:18 ID:Xcp+dyS4
帰るわ。
39 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 23:26:34 ID:gteSRQHs
>>34 芸のないマルチポストで荒らすなよ、古佛派遣の工作員君。
>↑ヲチ板のスレには来れない。
>なぜなら、強制ID板なので自作自演の粘着がバレるからww
こちらにも来ましたが、それが何か?
お前ら、批判者が一人だけだと思い込んでいない?
そう思い込みたい気持もわかるけどねw
40 :
美術板より:2005/09/11(日) 23:32:29 ID:6pGz9wJT
41 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/12(月) 00:00:07 ID:KdS8f5cC
>>40 >これじゃ、リアル社会でも何もできないわな。
>小心粘着、せいぜい2chの中でがんばれや
リアル社会では何もできず、せいぜい2chの中で、マルチポストの小心粘着
しているのは古佛からの派遣工作員の君だろ。
42 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/12(月) 14:52:28 ID:xum9t/Ou
35 :名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 22:05:02 ID:Xcp+dyS4
強制ID板は、書き込む度にクッキーを削除すればよろしい。
36 :名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 22:05:47 ID:Xcp+dyS4
強制ID板は、書き込む度にクッキーを削除すればよろしい。
37 :名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 22:06:30 ID:Xcp+dyS4
だめですねい。
38 :名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 22:09:18 ID:Xcp+dyS4
帰るわ。
43 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/12(月) 23:18:36 ID:Y57yf3JL
44 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/13(火) 15:36:17 ID:E9Cd5to9
[2650] キトラ、高松塚 -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/09/12 01:27:03 del:
奈良新聞の記事、「壁画に新たなカビ-高松塚古墳」のところ。
「文化庁は8日、明日香村平田の国特別史跡「高松塚古墳」(7世紀末―8世紀初め)で、
石室西壁に描かれた「白虎」の壁面に新たに黒いカビが発生し、東壁の「青竜」の壁面のしみが黒く拡大していることを明らかにした。
カビはこびりついたような状態で、白虎の前足の一部など絵の上にも生えていた。同庁は殺菌措置をとったが、
専門家らにカビの分析を依頼して除去方法など今後の対応を検討する。」
ということですが、要するに文化庁はカビの対策すら有効に出来てないのですね。文化庁って、本当に大丈夫な役所?と疑問に思ってしまうのデス。
国がやらずに、奈良県に任せて橿原考古学研究所の優秀な技術でやらせたほうが良かったかもしれません。
石室の解体なんて、文化財保存のかたちからいうと破壊に等しいと思うのです。高松塚古墳をどのように扱うか、
という根本のところですでに間違ってるまま、お役人仕事でズルズルときてしまっているように思います。
キトラの壁画は剥がすし、高松塚は解体だというし、つまり文化庁は貴重な壁画古墳の破壊ばかりやって
巨額の費用を国民の税金からもつていっちゃってるんですね。
こんなの、本当に文化財保存と言えるカナ。
45 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/13(火) 22:18:45 ID:DtH/lXcY
納税していないガキに言われたくわない罠
46 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/14(水) 22:01:16 ID:nE3hmimf
神仏板や美術板の
ねちっこいキティ粘着が
ここにはあまりこないのねw
自作自演がバレるからかなwww
47 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/15(木) 05:59:01 ID:gg6nYrZo
ねちっこいキティ粘着工作員乙
48 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/15(木) 13:45:40 ID:pvFbhK0J
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/14(水) 22:01:16 ID:nE3hmimf
神仏板や美術板の
ねちっこいキティ粘着が
ここにはあまりこないのねw
自作自演がバレるからかなwww
47 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/09/15(木) 05:59:01 ID:gg6nYrZo
ねちっこいキティ粘着工作員乙
↑↑↑ ばかばっかw ↑↑↑
49 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:
ここは強制ID板だから、ここにはなかなか書き込めないとか
アホ丸出しなことを「古佛からの派遣工作員」が言っているスレは
ここですか?