>>340の補足
メシアは厳密に言うとイスラエル王国第2代王ダビデの血を引いていることが条件。だからエフライムだけが日本に来たなら、天皇家に
資格はない。ユダ2部族では後にイエスが現れ、キリスト教指導者達は、ユダヤ人に対してはエルサレム教団、非ユダヤ人に対してはキ
リスト教団が布教に当たった。イエスはエルサレム教団の指導者に失われたエフライムのもとへ行けと言っており、ユダ王家以下丸ごと
日本に向かった可能性がある。オレが怪しいと睨んでいるのは百済王家。百済王は「臣は高句麗と共に源が夫余に出づ」と言ったが、天
皇家同様ルーツ隠しだろう。そして、秦氏(=秦人?)らが2部族の民だ。蘇我氏は日本に本拠を移したユダ王家=百済王家だろう。蘇我
馬子の名自体キリスト復活を暗示している。仏教受容はイエスの指示によるルーツ隠しの一環だろう。隋書倭国伝によれば607年日本
の王タリシヒコが「日出づる処の天子、日没する処の天子に致す」の国書を送ったが、当時は女帝の推古で、この男性名は聖徳太子即位
の証明という説がある。それならなぜ隠すのか。逆に即位しなかった場合、太子が実在ならなぜ初の女帝を立てる必要があったのか。オ
レの推測では聖徳太子=蘇我馬子、2人の行動は一心同体だった。即位していたのは馬子で、その子蝦夷が墓を「陵」、孫の入鹿は自分
の家を「宮門」子を「王子」と称したことがそれを示唆している。ではなぜ皇族ではない蘇我氏が3代も即位できたのか。オレの考えで
はアブラハムはシュメール王家の人だが、モーゼの頃から預言者の民族指導の時代になった。その指名で王位に就いたのが初代・第2代
王サウルとダビデだ。だが第4代レハベアムに反旗を翻し、10部族はイエロベアムを擁立、多数派になったのは彼こそシュメール王家
の者だからだろう。天皇家はこの直系に違いない。しかし旧約聖書ではダビデの王座は永遠を約束されており、全部族統一の王もその子
孫。だからエフライムはそれを無視できず、暗殺をも駆使する蘇我氏を止められなかった。しかし反感は高まり大化の改新となった。だ
が蘇我馬子の業績は否定できず、聖徳太子という架空の人物のものとし、蘇我氏即位の事実は隠蔽され、当時は推古が天皇だったことに
した。では天皇家にダビデの血は流れていないのか?実は桓武天皇の母、高野新笠が百済王家の子孫。桓武が「百済王等は朕が外戚なり」
と言ったのはそのため。聖書の言うダビデの若枝とはこの事だろう。ダビデ直系が王位に就くのではなく血が注がれるという事。百済の
遺民の渡来で2部族も日本に来たのである。ホセア書第1章第11節に「ユダの人々とイスラエルの人々は共に集まり、ひとりの長を立
てて、その地からのぼってくる。」と記されている事からも12部族は一ヶ所にいるのである。エゼキエル書の預言「ひとりの王が彼ら
全体の王となり、彼らは重ねて2つの国民とならず、再び2つの国に分れない。」(第37章22節)は既に日本で成就しているのだ。
秦氏が建設し桓武が遷都した平安京は、イスラエルのラビ、グリンバーグによればエルサレムの漢訳。ソロモン神殿が再建されるシオン
の地とは京都のことだろう。