1 :
天之御名無主:
古代豪族の氏姓と現代人の姓についてかつての大和朝廷で与えられた氏姓(ウジカバネ)と同じ苗字の現代人を上げるスレです。
基本的に現代人の苗字は明治初期の地名が元になるものが大半だそうで、
例えば『藤原』さんという苗字の人が『藤原氏』の末裔かというとそうでもないそうです。
むしろ同じだとまず間違いなく無関係なのだとか…
ただし、『一条』さんや『冷泉』さんは、充分可能性がメチャ高です。
まあ、それはともあれ、身近ななんちゃって豪族みたいな名前について語りましょう。
ちなみにウチの学校には、在原先生がいますが、惜しいことに読みはアリハラです。
2 :
そういえば:2006/12/10(日) 22:51:06
物部、中臣、橘、大伴(伴)、京極なんちゅう名前の人にもあったことがないなぁ。
3 :
天之御名無主:2006/12/10(日) 23:52:54
橘や京極はよくいる
4 :
天之御名無主:2006/12/11(月) 01:15:50
予備校の先生が言ってた話しだが大学時代に
同じクラスに藤原北家○○という苗字のやつがいたそうな。
あとスケート選手にもいる『村主』って苗字は奈良時代の、詳細はわかってないが渡来系の役職の名前だと思う。
5 :
天之御名無主:2006/12/11(月) 13:00:58
小・中の時、物部ってやついたなぁ。社会の授業の時先生につっこまれてた
6 :
天之御名無主:2006/12/11(月) 18:29:53
今だに選挙でてんのって
古代氏族多いよなあ
明治維新は古代氏族復権なんだとつくづく思う
7 :
天之御名無主:2006/12/12(火) 22:02:13
司馬遼太郎の義経の話に、猫間中納言って出てきて、可愛い名前だとオモタ
8 :
天之御名無主:2006/12/13(水) 23:40:18
物部氏の本宗家がいたといわれる大阪府の八尾には今でも物部さんという苗字の人がいる
「もののべ」でもはく「ものべ」と読むらしいけど。
9 :
天之御名無主:2006/12/13(水) 23:41:26
×でもはく
○でもなく
10 :
天之御名無主:2006/12/15(金) 03:53:40
漢字は違うけど読み方同じ、ってのは何人か知ってる。
蘇我→曽我
橘→立花
大伴→大友
秦→羽田、畑
京極→京極(京極夏彦とかは本名?)
11 :
天之御名無主:2006/12/16(土) 15:16:13
社内名簿見ていたら、射馬給令という苗字の人がいたんだが、なんて読むんだろう?
しゃばきゅうれい??
「いまくれ」「いまきいれ」「いまきゅうり」etcあたりかな?
「今給黎」さんの文字違いだと思う。鹿児島あたりにある姓ですが。
13 :
天之御名無主:2006/12/16(土) 17:09:31
>>12 なるほど!ありがとうございます!
京都のお公家さんかと思ったけど、鹿児島なら違うっぽいですね。
14 :
天之御名無主:2006/12/16(土) 17:37:21
ところで「古代豪族」とありますが、
スレ主さまは、どこまで古代にするおつもりですか?
橘は県犬飼三千代が特別に奈良時代に賜ったもので、奈良時代は古代に入るので良しとしても
一条(平安時代も後)のようなものや、
京極のような(そもそも佐々木から分かれた比較的新しいもの)まで並べてありますよね
どこかで「古代」は何時までと区切った方が面白いのではないでしょうか
15 :
1:2006/12/16(土) 23:06:48
深く考えてませんでしたが、応仁の乱くらいまでとしときましょうか。
でも話の流れによってはそれにこだわらずという事で。
ちゃんとした歴史の区分では『古代』てことは飛鳥時代とかなのかもしれないけど。。。
百済って苗字の知人がいる
17 :
天之御名無主:2006/12/17(日) 21:41:00
普通は古代は「奈良時代」までと思う。
新撰姓氏録に書かれている姓が古代の姓氏と思う。
苗字が変化するのは「藤原」の「ナントカ」「源」の「ナントカ」から
「の」が抜けてくる時代よね。
藤原氏でも源氏でも住んでいる土地にちなんだ名前が新たに出てきて
それが「一条」とか「足利」とか。
その変化は平安末期から鎌倉あたり。
そこから日本の苗字は激変というかたくさん出てくるでしょう。
「応仁の乱」で区切るのはどんな意味があるのか。
下剋上で新興勢力が表に出てくるから? それ以前ということ?
でもスレタイとはあまりに離れすぎてるよ
18 :
1:2006/12/17(日) 22:44:48
>17
おっしゃるとおりですね。
すみません、あまり考えずにスレ立てました。
応仁で区切ったのは、単に『戦前戦後』で分けやすかったからです。
さてそれじゃあ、そもそも古代豪族のうじかばね
と言えるのは何氏だろうかという所から考えてみましょうか。
万葉集に出てくるような代表的なものから、
えらい古代に滅亡してるような氏族まで、
いろいろあるとは思いますが。。。
蘇我、大伴、秦、物部、中臣、
源平藤橘、在原、山上、犬上、
坂上、菅原、山部、高市、
あとどんなんありましたっけ?
19 :
天之御名無主:2006/12/17(日) 23:38:32
そうよね。ここはそもそも民俗・神話学なんだし
室町入れたらおかしいものね〜
息長氏 尾張氏 海部氏 多氏 子部氏 日下部氏 平群氏 紀氏
鴨氏 日置氏 佐伯氏 春日氏 伊福部 巨勢氏 土師氏 葛井氏
まだまだいっぱい
【古代】 中世より前の時代
【太古】 上古より前の時代
【上古】 大和・奈良時代
【中古】 平安時代
【中世】 鎌倉時代・室町時代 時として平安後期(平家政権以後)も含む。
【近古】 鎌倉・室町時代
【近世】 江戸時代
【近代】 明治以後
こうじゃなかったっけ?
21 :
天之御名無主:2006/12/18(月) 17:37:37
とても細かく言えばね
でも普通こうした場合は 奈良までよ
22 :
天之御名無主:2006/12/18(月) 17:45:31
平安時代が長すぎるしね。
でもこのスレのスレ主さんは そんなに知らないで建てたそうだし
面白そうだから寄って 遊んでいるけど
なにしろ
「深く考えてませんでしたが、応仁の乱くらいまでとしときましょうか。」
とおっしゃるくらいですし。
ところで
>>20 さんは 参加するならどこで区切ったらよいと思ってますの?
ご意見伺いたいです
23 :
天之御名無主:2006/12/20(水) 01:26:56
駿台模試のランキングに「ミナモトノ ヨシフサ」
っていう名前があったけど、正式には「ノ」が入るのかな?
源氏でミナモトノなんて名字の奴はいないと思うが
25 :
天之御名無主:2006/12/20(水) 17:21:17
>>24 さんのいうのは正しい。
しかし「の」は必要
「ミナモト ノ ヨシフサ」
もしくは「ミナモトノヨシフサ」
でも
>>23 みたいに「ミナモトノ ヨシフサ」とルビある場合多いかな〜
26 :
天之御名無主:2006/12/20(水) 19:27:39
27 :
天之御名無主:2006/12/20(水) 20:42:57
>24
昔NHKで、八丈島に源さんという家があって、
源為朝の子孫にして、今の日本で唯一「みなもと」姓の世帯だと見た記憶があるが…
憶え違いだったらスマソ
28 :
天之御名無主:2006/12/20(水) 22:36:15
北海道の函館に源という方いましたよ
>>27 なるほろ
源為朝の子孫というのは詐称くさいね
普通氏を名字にはしないから。公式文書に名を書くと
源(名字)源(氏)為朝(名)
源源為朝となってしまう。変でしょ。
八丈島という地域性を鑑みると流された人の落胤の子孫とかが
源と名字をつけちゃった可能性もあるかな
あとは明治新姓とか。
30 :
天之御名無主:2006/12/21(木) 17:12:33
>>29 為朝は、最期に八丈島で死んでいるからね
子孫だという氏族がいて 明治維新後に「源」名乗ってもおかしくない
もっとも為朝の子孫は琉球王もそうだと名乗っていたり
あちこちにいるだろうけれど
31 :
20:2006/12/22(金) 21:57:35
>>22 スレをざっと見たところで提案すると、区切りを設けるなら、平安前期くらいでは?
>>17 で挙がっているので乗っかりますけど、『新撰姓氏録』に記されている氏だけでも1000以上
あったはずですが、源平藤橘あたりまでは含めないと、発言者の枠を狭めてしまい、盛り上がらない
と思いますね。
『新撰姓氏録』が編纂され活用された背景を考えると、律令制が実体を失うころまでにしたほうが
無理がなさそうです。
地名由来のものなどは除きたいのでしょう?
奈良時代までで区切ったとして、区切りから漏れたレスを 22さんがひとつひとつ軌道修正してゆく
のも大変かと。
奈良時代までだと
>>1で出ている在原氏も外れますしね。
>参加するなら
個人的には月にそう何度も覗きにくるほうではないので積極的な参加はできないと思います。
言葉足らずで申しわけありませんが、スレの健全な進行を祈ります。
32 :
天之御名無主:2006/12/22(金) 23:58:38
>>31 22です。ご意見ありがとうございます。
そうですね。賛成。源ですこしスレも賑わいましたし、平安前期がいいですね
スレ主さんもそれでよいですか?
実は「豪族」というのもどのくらいが「豪」か、それも基準が難しいですから
古代の氏族というくらいのことにしましょう。
さて19の続き
葛城氏 和邇氏
で、葛城ユキという歌手いたけれど、芸名だったのかな〜
33 :
天之御名無主:2006/12/23(土) 00:28:45
>>29 〇流刑 知能犯・上流階級で学もある武士
島の人々は学がある人が増えた。
〇拷問処刑 下級武士の下人々
34 :
1:2006/12/23(土) 12:01:51
>32
私は多くの人が楽しめるスレになれば
どんな定義でも構いませんです。
35 :
天之御名無主:2006/12/23(土) 16:33:11
スレ主さん
ではそのようなことで とにかく楽しくやりましょう!
36 :
天之御名無主:2006/12/25(月) 23:09:35
豪族じゃないけど「羽柴」はいるのに「豊臣」いないのなんでだろ〜♪
37 :
天之御名無主:2006/12/26(火) 00:20:54
木下は?
>>36 豊臣 約50人 天正14年に羽柴秀吉が豊臣姓を賜わる。以後家臣などへ賜姓多く、明治に復姓か?
39 :
天之御名無主:2006/12/26(火) 07:17:26
萱堂ってのが居た。珍しいだけかな?そいつの家と親戚しか居ないって言ってた。
生天目は日本の元々の苗字かどうかが疑問。
40 :
天之御名無主:2006/12/26(火) 17:24:34
7269 生天目 約1,200 生田目と通ず。下野発祥、紀氏。現在、茨城県から福島県にかけて多い。
>>39 順位苗字**世帯数フリガナ1
64200萱堂5カヤドウ
5世帯しかいないから彼のいうとおりだろうね
43 :
天之御名無主:2006/12/27(水) 00:27:52
>>34 廬原国造にしか興味無いけど支援するよん。
廬原樹里ってグラビアアイドルがいるんだが廬原国造かな?
だとしたら、顔は好みじゃないけど自分は旧廬原国領地在住だからイメージプレイで逝ってみるかな。
そういや島根県に多いみたいだけど、井原って小字があるからもしかしてそれが由来かな?
PCが壊れてるとこういうのが調べられなくてキツイorz
>>43 順位 苗字 世帯数 フリガナ1 フリガナ2 フリガナ3
68700 廬原 4 イオハラ イハラ イオリハラ☆
>地名の由来について
>337 :天之御名無主 :2006/07/30(日) 00:23:47
>PC故障中なので「廬原」の由来を教えて下さい。
同じ人?早く修理に出しなさいよ。
大体それ本名なのか?
>>45 ボーナスが少なかったから買い換えを悩んでるんだよ…
正月になるとお年玉あげなきゃなんないし…orz
>>46 こんな可愛くもなくて難読なだけの芸名使うか?www
知り合いに紀野ってのがいるんだけどやはり紀朝臣かな?
そういえばこの間コンビニに行ったら店員の名札が紀だったからオッと思ったが、中国人だったw
なんで中国人ってわかったんだ?
物部さんは結構いるのに、蘇我さんは少ないね。
50 :
天之御名無主:2006/12/31(日) 20:35:14
どっちも絶滅してても不思議じゃないのにね。
物部⇒蘇我氏によりあぼーん
蘇我⇒中臣氏によりあぼーん
51 :
天之御名無主:2007/01/01(月) 00:02:51
ちょっと違うよ
蘇我氏にあぼーんされたのは本宗家のみ。
同じようにいわゆる大化の改新あぼーんされたのも蝦夷、入鹿の系統だけ。
だから、物部(これは日本全国に広がっていて謎もそれだけ多い)はたくさんいた
同じように蘇我もいた。蘇我赤兄あたりが最後の有力者だけど壬申の乱で負けたからね。
その後の蘇我氏は「石川」と名を変える。
万葉集に数人出てくる「石川郎女」はその蘇我から出て名前の変わった石川のお嬢さん。
物部も「石上」と名を変えたりしている。
52 :
天之御名無主:2007/01/01(月) 00:08:46
物部天鈴っていうのもいるよね
53 :
天之御名無主:2007/01/01(月) 00:10:17
物部で思い出した!
穂積も物部系の豪族だけど
穂積という名の芸能人いたな〜
穂積ぺぺ(古い)、積み木崩しのお父さんの穂積ナントカさん
タイガースの赤星選手、物部氏の祖神が天磐船に乗って来たときに
同乗していた中に、筑紫物部赤星とかいうのがいたはずだけど、
きっと赤星選手のご先祖よ
54 :
天之御名無主:2007/01/01(月) 00:14:33
調べたわ。正確には
筑紫弦田物部(つくしつるたのもののべ)等の先祖の天津赤星(あまつあかぼし)
> 例えば『藤原』さんという苗字の人が『藤原氏』の末裔かというとそうでもないそうです。
何を根拠に言ってるのかねえ
末裔でもそうでなくても庶民の系譜なぞまともに解明できるわけがなかろうに
56 :
天之御名無主:2007/01/07(日) 13:26:30
うんだ うんだ
このスレは 末裔を探すスレではないべ
古代豪族の氏姓と ただ同じ苗字の現代人ってことで楽しんでるんだから
藤原氏 ウンヌンは私のカキコでないけれど
私が赤星選手の先祖がどうのとカキコしたのはすれ違いで悪かった
謝る
57 :
天之御名無主:2007/01/07(日) 22:46:53
15年ほど前、
「新撰姓氏録の研究」をようやく全巻手に入れて毎日読みふけっていた頃
ちまたではPLの清原と桑田が仲たがいした
進学すると公表していた桑田が陰で巨人とできていて清原を裏切ったというような
まあ、プロの世界だからいろいろあって当たり前だが
世間は二人の仲たがいをニュースにして騒いでいた
そんなときに読んだ新撰姓氏録の記述が私には面白くて記憶に残ってる
「清原真人 桑田真人同祖 百済親王之後也」というのだわ
清原も桑田も同じオヤ(百済親王とは敏達天皇の孫)から出たというんで
58 :
1:2007/01/08(月) 00:47:01
>>55 うちの大学の先生のお話です。
地位格付としての「氏(うじ)・姓(かばね)」は、
現代人でいうとろろの「姓(せい)・苗字(みょうじ)」とは、
まったく区別して考えなければならないと。
59 :
天之御名無主:2007/01/08(月) 11:09:33
>58
1さん、荒らしの相手をするのは、荒らしと同じです。放置してあげましょう。
55は荒らしでなかったとしても、真性の知ったかぶりくんですから、やはり放置してあげましょう。
60 :
天之御名無主:2007/01/08(月) 14:59:18
知ったか でもいいじゃん
そもそも民俗神話なんぞは そういう人の集まるところでしょ
1さん 先生の言われたとおりです
だから現代人の苗字との分かれ目(「の」が無くなるあたり)前に、ここでは古代ということで区切ろう
ということになったのよね。
古代のカバネってとても難しいもんだよ
例えば
>>57 の清原真人桑田真人の「真人(まひと)」がカバネ
こういうカバネで身分が違う
でもでも今回のこのスレはそのカバネではなく「氏(うじ)」
つまり清原真人桑田真人の「清原」「桑田」と現在同じ苗字の人をカキコするのでしょ
だって「真人」も「宿禰」も「連」も「臣」も少なすぎるし、
氏が対象と思ってみんな今までカキコしていたんじゃない?
それから1さん、せっかく立てて下さったのだし
もうちょっとこのスレ伸びるように カキコきぼんぬ
61 :
天之御名無主:2007/01/15(月) 22:57:16
凡河内氏 大河内奈々子(女優) 大河内昭爾(文芸評論家)
62 :
天之御名無主:2007/01/20(土) 22:23:38
会社に額田(ぬかた)さんっている。
絶対関係ないだろうけど。w
あと菅原さんってのもいっぱいいるよなぁ
有名どころの姓で高橋(物部、安倍)
>>15 応仁の乱まで下ったら範囲広すぎだろw
64 :
在原さん:2007/01/25(木) 23:15:09
千葉県出身の祖父が在原(ありはら)姓で、結構たくさんいるらしくて。
これって、賜姓とかとはやっぱり関係ないッスよね・・・
65 :
天之御名無主:2007/01/26(金) 00:06:39
考古学者の伴先生の下で働いてたことがある
猪熊先生もかなり有名な血筋だったし、そもそも藤原家の四十何代目とかいう
子孫も考古学か史学の教授だったと思う
考古学者や史学者はけっこう豪族の血筋の人が自分の出身に興味をもって
はまっていく人もいるのかもしれない
あとは恵美という人がいたっけな
恵美押勝は南家の藤原仲麻呂か
66 :
天之御名無主:2007/01/26(金) 16:10:16
伴先生は「とも」「ばん」どちらの読みでした?
67 :
天之御名無主:2007/02/09(金) 12:23:33
私の知ってる某大学教授はバン先生だった
68 :
天之御名無主:2007/02/20(火) 04:06:33
高向って苗字の学校の教師がいたなあ
69 :
天之御名無主:2007/02/20(火) 17:03:17
遊部(あそべ)という名前の友人がいる
70 :
天之御名無主:2007/02/20(火) 18:50:45
土師さんという知り合いがいるけど。
71 :
天之御名無主:2007/02/20(火) 23:31:47
知り合いの山口県出身で大内さんは、大名の子孫らしい。ということは、多々良家の子孫で新羅の皇族になるはずですよね。
72 :
天之御名無主:2007/02/22(木) 03:13:57
鳥取部さんなら中学のときにいたな。
73 :
天之御名無主:2007/02/22(木) 16:42:43
>>72 トトリベと読んでいいのですか?
それとその中学はどのあたりだったのですか?
市町村名教えてください。興味あります
74 :
天之御名無主:2007/02/23(金) 20:17:26
鳥取氏なら北関東の豪族(国造一族)じゃなかったか?
依智秦
76 :
天之御名無主:2007/02/26(月) 22:42:52
依智秦氏=近江の愛知川周辺の豪族
77 :
天之御名無主:2007/03/16(金) 19:57:53
長田はどうですか?
78 :
天之御名無主:2007/03/21(水) 13:16:24
宮崎県や鹿児島県に多い=日高や黒木はどうですか?
79 :
天之御名無主:2007/03/25(日) 20:56:32
ハ,,ハ
('(゚∀゚∩_ おいらをどこかのスレに送って!
/ヽ 〈/\ お別れの時にはお土産を持たせてね!
/| ̄ ̄ ̄|.\/
| .モツ煮..|/
 ̄ ̄ ̄
現在の所持品:たばこ・ライター・コーヒー・ブラックブラック・枕・ケータイ電話
睡眠薬・聖教新聞 ・ダッチワイフ・外付けSCSI340MHDD・ネットランナー4月号
TYG02・小嶋進社長・ゲルトモ・ディプスファンタジア・抵抗1kΩ(黄紫橙金)・媚薬
バーボン・リップクリーム・セガサターン バールのような物・バイブ・50インチ液晶TV
ボンカレー(甘口)・ジローラモ ・ブロント・リサ ステッグマイヤー・オナホール
桜蘭高校ホスト部・鳥肌実・国沢光宏・手鏡・コミケチケット(偽造)・魔導輪・
ショタ同人誌(スカトロ)・コミケ汁(期限切れ)・さくらたんカード
80 :
天之御名無主:2007/03/25(日) 22:18:16
黒木氏 上妻郡 猫尾城
出自には諸説あるが、調氏族とされる。
「黒木氏は本国薩摩、調氏より出づ。大蔵大輔助能、文治年中、
上妻郡黒木庄木屋村に猫尾城を築き、黒木、河崎の両庄を領す」。
「黒木河内木屋村の猫尾城は其の起源詳らかならず。薩州根智目の
城主某、大軍を率して来り攻むる事、二年余にして、遂に猫尾城を
抜きて是に居る。黒木大蔵大輔助能と云ふ。室は島津忠宗の女なり。
黒木六町、及び山門郡瀬高庄にて千町を領す。文治二年春、助能大番
として上京、助能、笛に巧なるを以て、帝、其の曲調の微妙なるに叡
感有りて、調姓、及び官女侍宵小侍従を賜ふ」(黒木由来記)
筑後国氏族譜
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/shizokufu.html
三國ってのは?
>>72-74 阪南市びっくりするほどユートピア Part 18
ttp://kinki.machi.to/bbs/read.pl?BBS=osaka&KEY=1126524835 139 名前: CROWN MAJESTA 投稿日: 2005/09/26(月) 18:20:36 ID:rMyWDDBE
よく初対面の人と話す時『どこの人なん?』といわれ
『大阪』といい
『大阪のどこ?』ときかれ
『阪南市!』と応えると、こんな返事かえってきた事ありませんか?
『阪南市ってどこ?あぁ阿倍野の阪南?』と‥
こんな時あなたなら阪南市を地図無しでどう説明しますか?
阪南市をしらない北の人が結構おられるかと思います。
和歌山扱いされることだってあるかとおもいます。
話は変わりますが、和泉鳥取という駅名の由来を教えて頂きたい。
阪南市は昔、砂丘があったと小耳に挟んだことがあるんですが、知っておられる方いませんか?
140 名前: ななしやねん[] 投稿日: 2005/09/26(月) 18:29:22 ID:QRW5XUGs
関空の近くと説明する。
141 名前: ななしやねん[][] 投稿日: 2005/09/26(月) 18:47:31 ID:lGnDA32A
日本書記には
「垂仁天皇の大皇太子誉津別王は30歳になってもモノを言わなかった。
垂仁23年10月、鵠(うぐい、白鳥の事)が空を飛ぶのを見て、
皇子は初めて「これ何者ぞ?」と言った。
これを聞いて天皇は大いに喜び、その鳥を獲えるように臣下に命じ、
天湯河板挙と言う人が臣が必ず獲えましょうと言い、
遠く出雲の国まで行ってこの鳥を捕え、そのために皇子はモノを言う様になり、
天皇は天湯河板挙に鳥取造の姓を与え賞し、鳥取部と定めた」とある。
同様の伝承は古事記にも見られる。
その際に鳥取郷一円の氏神で鳥取部の祖となった天湯河板挙はその功績によって
鳥取造と土地鳥取郷を賜った時に桑畑村の池に祖神角凝命をまつったのが始まり
142 名前: ななしやねん[] 投稿日: 2005/09/26(月) 18:51:42 ID:lGnDA32A
簡単に言うと、
天皇の命令で鳥を取りに行った人が、ご褒美で「鳥取」という名字と、土地をもらって、
その土地が「鳥取」という名前になったってこと。
で、同様の伝説が鳥取県にも残っているので、恩地は2ヶ所であったんではないかと。
176 名前: ななしやねん[] 投稿日: 2005/10/03(月) 00:37:55 ID:6gVkfXJU
>>142の追加 鳥取県と区別するために、「和泉」をつけた。
84 :
天之御名無主:2007/04/21(土) 13:09:31
>>18 自分の名字その中にあるんですが、祖先を辿る方法がよくわからない。
過去帳とか本家にあるものなの?
>>84 本家か、お寺(氏寺・家寺・菩提寺)か、そのあたりでしょうね。
86 :
天之御名無主:2007/04/22(日) 21:41:03
埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に記載されていた文字には、
第9代雄略天皇の兄、大彦の子孫の名前が記載されており、
大彦の孫が弓己加利獲居(てよかり わけ)
曾孫が多加波止獲居(たかはし わけ)
その子が多沙鬼獲居(たさき わけ)
となっている。すなわち、漢字が日本に入る前から音で「高橋」や「田崎」などの姓があったことが判るよね。
おや、雄略天皇は21代ですよ。
88 :
天之御名無主:2007/04/25(水) 23:42:23
>>87 失礼しました。その通り21代です。
大彦は開化天皇(第9第)の兄で、その子孫の名前が代々記載されています。
そして、第21代の雄略天皇の時代に鉄剣が作製されました。
以上、修正します。
89 :
天之御名無主:2007/04/28(土) 01:04:45
知り合いに内って名字の人がいますが、古い名字なんですか?
本人は、かなり古いって言ってましたが。
90 :
天之御名無主:2007/06/19(火) 10:25:01
奈良に伴てのはいるよ
やはり大伴の子孫みたいだが
あと蘇我にも結構会う
91 :
天之御名無主:2007/06/19(火) 10:45:06
釈由美子は天竺からの渡来人の子孫、という噂をきいた。
92 :
天之御名無主:2007/06/20(水) 00:03:29
知り合いに「橋部」さんという方がいらっしゃいました。
先祖は橋を作ってたのかなぁって思ってました。
由来とかは調べてない。ごめん。
93 :
天之御名無主:2007/06/20(水) 11:19:52
大神さんなら近所にいる。
筒井とかいいなぁ。何かいい
長篠とか関ヶ原とか源平 とか言う苗字はあるんかいな
とおもて調べたら
長篠と源平はおった。
96 :
天之御名無主:2007/06/28(木) 22:07:01
源平・・・
源氏なんだか平家なんだかw
97 :
天之御名無主:2007/07/01(日) 01:22:40
それ以前に古代ではない
98 :
天之御名無主:2007/07/01(日) 01:24:10
豪族でもない
99 :
天之御名無主:2007/07/01(日) 08:40:37
友達に伏見と三条がいる。
でも東北のど田舎なんだけどな。
100 :
天之御名無主:2007/07/01(日) 14:22:12
100ゲット
101 :
天之御名無主:2007/07/01(日) 14:22:51
橋部って もしかしたら土師部の表記が変わったものかも
102 :
天之御名無主:2007/07/03(火) 08:08:49
土師部(はじべ:古代の品部。朝廷に埴輪・土師器などの土器を貢した)
103 :
天之御名無主:2007/07/03(火) 16:56:03
同じサークルに札辻(フダツジ)さんって先輩が居ます。
先輩いわく古い豪族の子孫らしいのですが、聞いた事がない名なので皆疑っています。
どなたか知ってる方いませんか?
ちなみに先輩は奈良県の出身です。
田中
古代豪族倭田中造直(田中造)の子孫。
もしくは新田氏の流れ。
105 :
天之御名無主:2007/07/08(日) 04:47:31
>>103 江戸時代に藩や幕府の法令等を掲げた場所を「札の辻」と言うよね。
うちの近所にもあるわ。
106 :
天之御名無主:2007/07/08(日) 04:49:32
中学のときに「阿蘇」っていう男子がいて、
名前に「惟」の字が入っていたんだけど、
阿蘇氏の子孫か何かかな。
108 :
天之御名無主:2007/07/11(水) 23:27:38
109 :
天之御名無主:2007/07/12(木) 15:50:59
懸主
110 :
天の御名無主:2007/07/18(水) 00:38:36
上司に南雲って苗字の人がいるけど、南雲っていう姓も古代豪族とかに関係するのかな
112 :
天の御名無主:2007/07/21(土) 16:45:35
ない
113 :
107:2007/07/29(日) 17:37:54
阿蘇なのに北海道
115 :
天之御名無主:2007/08/12(日) 21:40:34
大部・太(ふとり)・飯富などは神武天皇の子
神八井耳から出た多氏の末裔?
うちの仕事のお客さんに「紀(きの)」さんがいる
117 :
天之御名無主:2007/08/13(月) 02:41:28
キクチさんは魏志倭人伝に出てくる
118 :
天之御名無主:2007/08/13(月) 02:58:36
八尾に刑部さんいるよ、地名もあるし、弓削さんもいる。
蘇我より曽我部のほうがあったの多い。
119 :
天之御名無主:2007/08/13(月) 22:48:30
中臣
120 :
天之御名無主:2007/08/15(水) 00:27:44
大伴
なんかみんな朝鮮だね。
122 :
天之御名無主:2007/08/15(水) 02:26:35
そういえば小学生時代高知県山間部に住んでたんだけど、姓と名の間に「の」を
つけて普段は呼んでた。(EX.源頼朝:ミナモト ノ ヨリトモみたいに)式典とか公
の場では「の」は付けなかったけど。
合田の▲ちゃん、とか、池(←苗字)の●くんとか、気のせいか男の子に対して
が多かった気がする。今でもそうなんでしょうか?高知県の人、他地域でもそうだと
言う人、教えて!!
歴史を勉強する年頃になってから、「あの頃は普通に聞いてたけど、古風な地域
だったんだなー」と思った。蘇我馬子とか、稗田阿礼とか、那須与一とか、藤原道長とか、「の」
が無いとなんか物足りないよね?「〜の」って「どこどこの出身の」という事を
伝えたいから付けられた?女性には使われてないみたいだけど・・・。
123 :
天之御名無主:2007/08/15(水) 03:00:20
兄貴の同級生に平群さんがいたなぁ。
由来とかは不明だが
>>122 > 女性には使われてないみたいだけど・・・。
ん?結構ありますよ。ちょっとだけ挙げると、
橘三千代 (たちばなのみちよ) …… 橘諸兄のお母さん。
藤原定子 (ふじわらのていし) …… 清少納言が仕えた一条天皇の中宮。
藤原彰子 (ふじわらのしょうし) …… 紫式部が仕えた一条天皇の中宮。藤原道長の娘。
平時子 (たいらのときこ) …… 平清盛の奥さん。
俺の祖先は戦国時代まで「刑部」を名乗ってたらしいが、
じゃあ当時朝廷と関係があったってこと?
関ヶ原の隣、上石津には大神神社がある。三輪氏の三輪朝臣高市麿が692年に奈良から分祀。
素麺文化も伝わり、古い様式が残っている。他にも古墳や古い神社等がある興味深い地域。
その上石津に三輪家という旧家があり、三輪を名乗る家が多く残っている。
関ヶ原の合戦で島津家と三輪氏が関わった記録も残っている。
127 :
天の御名無主:2007/08/19(日) 14:31:36
>>115 太(ふとり)ではなくそれも「おふ(おお)」と読みます。
その列は本来みんな同じく「おふ」です。部が付いているのだけは「べ」が付きますが。
部の付いていない太と飯富は多という氏族と同じで表記が変わったものです。
神武の第一氏から出たと記紀には書かれていることに間違いはないです。
本家本元の多氏は現在でも奈良県田原本町に多という土地があり
そこに多神社があり神主は今なお多氏です。
古事記はここの氏族太安万侶が序文を書いていて、多氏族の蔵から平安時代に出たというものです。
128 :
天之御名無主:2007/08/25(土) 04:37:12
古代豪族の氏姓と同じ苗字である由来は、
その豪族の部民(○○部)だったか、豪族の領地で、
後に豪族の氏姓が地名になった土地の出身で、明治皆姓の時にその地名を苗字にした。
ほとんどが、このいずれか。
129 :
天之御名無主:2007/08/25(土) 04:39:26
>>128 苗字研究から見れば大多数がそうなんだろうけど、
ろくに調べずに自分が豪族の末裔だと信じてる人とか、
ニセの家系図を盲信してる人とかが多そうだから、
実際は違うんですよとか説明したらそれはそれで逆ギレされそうだ。
131 :
天之御名無主:2007/08/25(土) 14:21:40
古代の豪族って神様の子孫ってフィクションが付いてるような連中だろ?
大体は神社とセットなんじゃね?神社と無縁の人達は単なる同姓でしょ。
132 :
天之御名無主:2007/08/25(土) 17:59:40
>>130 古代の豪族の氏姓は苗字ではないから、古代以降、そのような氏姓ではなく苗字を名のっている。
例えば、古代氏族の土師氏なら大江姓となり子孫は、毛利、寒河江、海東その他の苗字を名のり、
古代姓の土師のままではない。
古代氏族と同じ苗字であるということは、それだけでほとんとが明治皆姓か、ごくまれに、
江戸時代に系図作成の必要が生じた時に古代氏族を先祖としたにすぎないことが分かる。
ニセ系図を盲信している人に出会ったら、心の中で笑って、そっとしておいてやれば。
そんな系図は、どこでも通用しないから。
133 :
天之御名無主:2007/08/25(土) 19:23:08
血の繋がりは別問題として、古い姓を現在の苗字として受け継いでるのは、
発祥の地や分祀先で神社を守ってきた一族くらいじゃね?
その土地にずっと住んでて地名とも関係なく、とてもとてもマイナーな古代豪族の苗字なままな我が一族(ry
ちなみにwebで検索したら○○国○○氏と出ることは出るが、昔っからそこで勢力を張ってた。くらいの内容。
城も戦国時代には某有名大名にそっくり取られてて、「あそこ(地方自治体の文化財な山城跡)に元々はご先祖様がいたんだぞー」。 と年寄りが言ってる程度な現状っす。
135 :
天之御名無主:2007/08/27(月) 13:24:14
吉宗の実母が巨勢氏らしいんだけど、これもこのパターンにあてはまるのかな?
136 :
天の御名無主:2007/08/28(火) 16:35:30
はい。あてはまります
137 :
天之御名無主:2007/08/28(火) 23:55:46
>>135 あてはまらない場合の方が多い。
古代氏族の巨勢氏の支配した地域が巨勢郡、巨勢村、巨勢庄というような地名になり、
そこへ源平藤橘その他を本姓とする一族が支配地とし、地名の巨勢を苗字にした場合が現実。
138 :
天の御名無主:2007/08/29(水) 02:56:14
>>135 吉宗の母は奈良県御所出身という伝承がありますよね
そのあたりは古代の巨勢氏の本貫地でした
実際に彼女が古代氏族の末裔か否かは なかなか分からないもので
そんなことを言い始めたらこのスレは成り立たないですし
この場合は「あてはまる」でまあ良いのではないでしょうか。
紀ノ川の河口は和歌山ですが 川を遡れば奈良の御所あたりまで行けます
大和の葛城あたりに栄えてた古代の勢力はこの川をずいぶん利用していたのではと思います
吉宗の母がそういう地域から出て 紀州の徳川へ奉公に上がったというのも
紀ノ川を一つのルートに和歌山と御所が最近まで深く繋がっていたということではないかと思っています
139 :
天之御名無主:2007/08/30(木) 16:24:44
越智って人いたな
オチって読みを知っててもエッチって呼びたくなる越智さんw
141 :
天之御名無主:2007/08/31(金) 05:14:59
現在の越智は地名姓であり、古代氏族とは無縁。
伊藤博文が越智氏の末裔と自称したらしいが。
143 :
天の御名無主:2007/08/31(金) 12:47:39
ここのスレは「古代豪族と同じ名前の現代人」でしょう
何時の間に、末裔かどうかをウンヌンするスレになったの?
同じ名前なら地名姓でもOKじゃない?
144 :
天之御名無主:2007/08/31(金) 21:12:07
>身近ななんちゃって豪族みたいな名前について語りましょう。
だそうだよ。
>>132 でもたまに、TVに出て自称しちゃう人もいるし。
そういや土御門の末裔自称して本家に怒られた陰陽師ってどうしてるのかな。
家業続けてるだろ
そういうのは神経図太くて根性捻じ曲がってるからしぶとい
147 :
天之御名無主:2007/09/28(金) 17:44:42
安室奈美恵さんの性器を狙っているクズどもに告ぐ!!
安室奈美恵さん性器は我々が守る。
安室奈美恵性器親衛隊
148 :
天之御名無主:2007/09/30(日) 23:01:37
>>147 そんな汚物に興味はない。なぜならば、俺は、俺こそが、
aikoの「世界一かわいいマンコ伝説」の語り部だからだ!
149 :
天之御名無主:2007/10/04(木) 08:41:55
>>148 ↑
安室奈美恵さんの性器を狙うクズ!!!
150 :
天之御名無主:2007/10/08(月) 15:11:51
>>132 私の名字は土師なんだけど、明治以降ってことなんね〜。
151 :
天之御名無主:2007/10/08(月) 19:10:09
俺の母方の苗字は全国に100世帯くらい。まあ、一般的な読みとは違う
からもっと少ないと思う。んで先祖は士族。家に明治の頃の戸籍みたいのが
あって士族って書いてある。
父方は結構有名な地名が苗字なんやけど、全国に11世帯しかいない。
こっちの先祖は地名だからおそらく農民かな
>>151 武士系よりも、地方地主の方が源平藤橘の系譜ってことでは、
可能性が高いと思う。
千年以上全国各地に次々と都落ちして土着化してる訳だし。
153 :
天之御名無主:2007/10/09(火) 17:25:16
歴史のある旧家の多くは最終的に地方の大地主になってるよ。
身分制度の最後の時代に支配者側にいたかどうかって話にすぎないからな。
戦で成り上がった武士の子孫なんて人殺しの家系でしかない。
古代豪族の家系で、大地主として地方に君臨してきた家の方が格上。
知り合いに義澤さんがいる
『義』が入る名字は由緒があるらしい
由緒があろうとなかろうと、そんなはどうでもいいよ
古代豪族と同じ苗字なのそれ?なんか関係はあるの?
156 :
天之御名無主:2007/10/10(水) 21:57:15
郡司って苗字は、郡司だった家なのか。
はたまた国造(コクゾウ)って家は、国造(クニノミヤッコ)だった家なのか…??
157 :
天之御名無主:2007/10/14(日) 18:50:54
国造という苗字の家があるのか すごいな
158 :
天之御名無主:2007/10/14(日) 21:10:42
>>156 1106 郡司 約16,500 郡司を世襲した家が名乗る。薩摩、大隅、日向、常陸、陸前、阿波などに。
>>157 苗字7000傑には国造さんは無かった。
俺の母方の親戚の苗字も珍しくて7000傑で調べても出なかったから
ググったら電話帳から調べた少ない苗字の世帯数というサイトがあってそこに載ってたから
もしかしたら国造さんもそこに載ってるかも
160 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/10/30(火) 19:56:03
そもそも、一族の名である氏と姓(カバネ)と家の名である名字(苗字)は別物でしょう。
何度かそれらしいことが言われているようですが。
明治に氏と苗字、通称と諱が統合された際に、苗字ではなく氏を選択した家も存在したよ
うですが、本来は別物な訳で、近代以降「そうした家があった」ぐらいの話でしかない。
応仁の乱の頃に「名字」で「藤原」と名乗っているのは、藤原という土地を「名字の地」
にしていた「住人」であって、氏として名乗った訳ではありません。
勿論、藤原氏はいましたが、家名は別に名乗っています。
なお、「苗字」表記になるのは主に近世からで、中世には基本的に「名字」でした。
古代の「氏」とは異なり、「名字」というのは中世に「家」が領有していた地名か
ら名乗ったもので、そもそも別次元の存在です。
元々ここは残念な「なんちゃって豪族」を語るスレです。
ウナギ目ウミヘビ科の奇妙な魚が爬虫類のウミヘビと関係がないように、
同じ固有名詞を有するものが同類とは限りません。
姓がそのまま苗字となり生き残ったケースは稀中の稀ですね。
162 :
天之御名無主:2007/11/11(日) 12:33:45
163 :
天之御名無主:2007/11/15(木) 12:39:19
真田伊豆守滋野朝臣信之
164 :
天之御名無主:2007/11/17(土) 11:25:53
最近渦中の守屋氏ですが結構ポピュラーな名字なんですね。
中には物部氏との関係を謳う家も多いんでしょうか。
氏神が守屋公だったりするよ。
166 :
天之御名無主:2007/11/18(日) 00:04:25
高校の時 宇宙って先生がいた
167 :
天之御名無主:2007/12/08(土) 10:12:12
物部茂卿
168 :
天之御名無主:2007/12/14(金) 16:38:56
岐阜県の加茂郡には加茂姓の旧家がある。
169 :
天之御名無主:2007/12/19(水) 01:58:56
忌部って苗字の人がいた。
170 :
天之御名無主:2007/12/19(水) 08:36:02
走邊(はしべ)っていう知人がいます。
171 :
天之御名無主:2007/12/19(水) 10:48:51
奇形児総出産頻度
1.48%(1999)→1.42%(2000)→1.70%(2001)→1.77%(2002)→1.84%(2003)→1.95(2005)
172 :
天之御名無主:2007/12/22(土) 16:49:08
中学の時同級生に社内(しゃない)って苗字の人がいた。
親は普通の農家だった。
蒲生だけど、武家だよね?
174 :
天之御名無主:2008/01/14(月) 20:16:08
吉宗の実母って、下層民と聞いたが・・・。
175 :
天之御名無主:2008/01/18(金) 22:20:15
波多は古いけど、これといって話ないのか?
176 :
天之御名無主:2008/01/19(土) 04:53:59
波多氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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波多(はた)氏は、平安時代末期から戦国時代末期まで肥前松浦地方で活躍した上松浦党の最大の一族。
嵯峨源氏の流れをくむ渡辺党松浦氏の一統で、渡辺綱の曽孫にあたる松浦久の二男の松浦持が康和四年(1102年)から
波多持と波多姓を名乗り、岸岳城を本拠として発展した。
後年、子孫の波多親は、朝鮮出兵に際しては鍋島直茂に従って出陣したが、文禄二年(1593年)に豊臣秀吉から知行を没収され
波多氏は滅亡したと思われているが、実は子孫は未だ健在である。
別の一族として大和国高市郡波多郷には、より古くから孝元天皇の曾孫武内宿禰の子、羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)
を祖とする波多臣一族が住んでいた。
177 :
天之御名無主:2008/01/19(土) 05:01:57
呼子 松浦半島の入江に面する細長い港町 佐賀県 呼子町 松浦町 宮町 釣 ...
中尾家旧宅 中尾家はかつて小川島鯨組主として栄え、初代甚六が宝永・正徳年間に突き取り捕鯨を始めたといわれている。
初代中尾甚六の出身については、秀吉によって筑波に追放された波多三河守親の家臣と伝えられている。中尾家は8代に渡り組を出した。 ...
www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/saga_data/yobuko/yobuko_file.htm - 6k - キャッシュ - 関連ページ
在日米海軍司令官、佐世保市長表敬訪問
2005年2月2日
佐世保 - 、在日米海軍司令官リック・ルイー少将は、光武顕佐世保市長を訪ね、
在日米海軍の管轄下にある一部の土地に関する共同委員会の最近の決定を伝えた。
佐世保市内にあるこの土地は、日米両当局による共同使用が認められている土地。
またルーイ少将は、海上自衛隊佐世保地方総監の中尾誠三海将を表敬訪問した。
この会談には、在福岡米国領事館のジョイス・ウォング首席領事、米海軍佐世保基地司令官マイケル・ジェームズ大佐、
ならびに在日米海軍のスタッフも同席し、一行は光武佐世保市長主催の夕食会に出席した。
http://japan.usembassy.gov/fukuoka/jpgs/wwwjnagasaki.jpg http://japan.usembassy.gov/fukuoka/j/fj-20050202.html
178 :
天之御名無主:2008/02/02(土) 15:38:46
このスレにいるみんなの家系は、何氏の流れを汲むのか
分かる人いますか?あるいは、何氏に属していたとか。
自分の親父の実家は岡山県笠岡市在住だけど、何でも
猿掛城城代家老の家系に属するとか言ってたけど・・・何氏になるんだろう・・・。
179 :
178:2008/02/02(土) 15:42:29
不正確ではあるが苗字が小野だが小野氏
大分なのでてっきり大友かと思っていたが調べたら鎌倉時代に大友能直に小野氏と自己申告
↑
ずーっと下って (この間の繋がりがつかめなかった)
↓
戦功により戦国時代末期に2貫5百文土地を貰ったと書状にあるらしい(県の資料になってる)、そこの地名は明治時代以降小野になる
今は関東在住だけどなw
当方秋田だが、こちらに「物部」さんが神主やってる神社があるよ
由来素性はよく知らないけど
うちの家系は某地方の三輪地区に昔から住んでます。
大学の後輩が大神の血筋だったので丁寧に扱ってましたw
183 :
天之御名無主:2008/02/11(月) 15:13:39
俺は大阪府岸和田市在住なんだが、俺の母方の祖母が紛れも無く
れっきとした岸和田藩士の武家の家だったよ。
写真でも残ってるけど、結婚式の時とかデッカイ家紋の付いた
陣幕みたいなのを家の周囲をぐるりと囲って飾ってあってビビッタww
苗字は「酒井」って言うんだけど詳しい事は聞いてないから、何氏の
流れを汲んでいるのか分からない・・・。
岸和田藩主の岡部氏は藤原南家の流れのようだけど・・・。
あと、徳川四天王だった酒井忠次は大江氏の流れってことになってるけど
この酒井氏とはまぁ恐らく関係は無いと思うww
>>132 本当に由緒のある家柄なら壬申戸籍の写しくらい持ってるよな。
徴兵検査の際にも戸籍を取ってる場合もあるから。
185 :
天之御名無主:2008/03/13(木) 12:13:48
自分の姓の起源由来ってどこかで調べられないでしょうか?
186 :
天之御名無主:2008/03/14(金) 03:39:02
滋野でおじゃる
一条、二条、九条、鷹司、近衛の五摂家の人、見かけたことある人いる?
188 :
天之御名無主:2008/03/14(金) 13:50:14
一条さんは昔ストリップ劇場で良く見かけた。
源氏名かよ
近衛十四郎・・・は芸名か
191 :
天之御名無主:2008/03/15(土) 06:37:45
妹の同級生だった紀(きい)君の家は天皇家よりも古い家系図があった。
おうちは伊勢神宮と同格の神社。
192 :
天之御名無主:2008/03/15(土) 06:45:02
熱田?それとも出雲?
出雲は国譲りをしたから伊勢のほうが上になるのか?
193 :
天之御名無主:2008/03/15(土) 15:00:08
195 :
天之御名無主:2008/03/16(日) 10:40:31
>>191 紀氏は神皇産霊神の子孫だから、確かにそこからの系図なら皇室より古い。
196 :
天之御名無主:2008/03/17(月) 11:41:20
>>18 波多、羽田、(畑もその流れをくむもの有る)
波多
>>176 大和国高市郡波多郷に住んでいた波多一族が波多の本流だろう。
この波多郷の一部に藤原氏が住んでいたところを藤原郷と言い始めた。
波多神社はこの周辺に沢山有る。 ダンジリの岸和田にも波多神社が有るね。
http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/hatajinja.html 「旭・太田・修斉地区 だんじり祭」パンフ」 【波多神社】の記事より、まま。
起源は応神天皇の時代の前後、波多八代宿彌の父武内宿彌は大臣として大和朝廷の政治の中心にあり、子供が大和国の近隣を治めていたが、和泉国のこの畑に土着し、御祭神「波多八代宿彌」の波多神社を創建した。
波多神社にお祀りされている「波多八代宿彌」は、第八代孝元天皇の曾孫にあたる人物で、「古事記」、「日本書紀」に記載がみえる。
聖徳太子が活躍した時代より200年位前に、大和朝廷明日香宮の政治の中心で、父武内宿彌と共に古代の日本国建設に活躍した武人である。
当波多神社の創建は何年か、古い神社のため不明である。
波多八代宿彌が「日本書紀」に、百済国へ応神3年(392)に遠征と記述されている。
また延喜式神名帳(927)に「従五位上の官位」を持った神社と記載されているので、延喜の時代には、すでに長い神社歴があったものと思われ、創建は西暦400年位から600年位の間ではないかと思われる。
臣(おみ)は、ヤマト王権で使われていた姓(かばね)の一つで、姓の中では連と並んで高位に位置していた。
元々、ヤマト王権に対して服属した畿内周辺の豪族に与えられた姓であり、
ヤマト王権の中核を為す蘇我氏、巨勢氏(巨瀬・許勢)、紀氏、平群氏、葛城氏、波多氏、阿部氏などの有力な豪族がこの姓を称した。
また、地方でも有力な豪族に対しては臣の姓を名乗ることが許されている。
『日本書紀』などの中では、臣姓の多くは継体天皇以前の天皇から別れ出た氏族としている。
また、蘇我氏他有力7氏族は武内宿禰を共通の祖としている。
神奈備掲示板 より
http://kamnavi.jp/log/yumv0801.htm 奥野正男著『邪馬台国の東遷』には、北九州の地名 平群 曽我 羽田 基肄 葛木 巨勢をあげています。
その地名を冠とした氏族は武内宿禰の子孫として大和王権内で活躍しています。
−−−九州北部の地図と地名−−−『邪馬台国の東遷』から
博多湾 /
−−−−−−/
曾我
平群 羽田
背振山地
======= I 甘木
==I基肄
武雄 巨勢 I葛木
−−−−−+−−−筑後川
有明海
古代豪族入門
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7.html 葛城氏へ 賀茂族考(1)へ
古代初期天皇家概論へ 物部氏考へ 継体天皇出自考へ
蘇我氏考へ 古代天皇家概論へ 尾張氏考へ 息長氏考へ
和邇氏考へ 大伴氏考へ 紀氏考 阿倍氏・膳氏考
吉備氏考へ 越智氏考へ 三輪氏考へ 秦氏考へ 東漢氏考へ 古代天皇家概論Uへ
多治比氏考 橘氏考(附:県犬養氏) 中臣氏・大中臣氏考(含:卜部氏)
忌部氏考 出雲氏考T(出雲臣氏・出雲国造家・武藏氏)
出雲氏考U(土師氏・菅原氏・大江氏)
毛野氏考(上毛野氏・下毛野氏 附:宇都宮氏) 磯城氏考(十市県主氏・春日県主氏)附:中原氏
和気氏考 百済氏考(百済王氏 附:大内氏) 多氏考(附:阿蘇氏・金刺氏)
宇佐氏考(辛島氏・宇佐大神氏)
秦の後裔として、楽家として栄えた東儀、林、岡、薗家などが生まれた。現在の宮内庁楽部にもその子孫がいる。国家「君が代」林広守 軍歌「海ゆかば」東儀季芳 作曲。
202 :
、:2008/03/26(水) 12:26:57
和泉って名字、由緒正しそうで実はどこにでもいるよな
和泉国も波多氏系統
204 :
天之御名無主:2008/05/09(金) 19:41:22
俺の姓はは弓削なんだけど物部系だったのか
まあ豪族じゃなくて部民の子孫なんだろうけど
昔、父親が「苗字に『東』がついて、それを音読み『トウ』と読む人は、公家家系だ」
と言っていましたが、本当なんでしょうか?
スレチ承知で質問すみません。。。
んなわけねえだろ
それじゃあ公家家系が何万人もいることになるぞ
>>207 そうですよね…また嘘情報を教えられたようです。
ありがとうございます。
実際「東」を「トウ」と読むパターンは「ヒガシ」に比べて少ないとは思いますが
いくらなんでも無いですよね。
彼女が「トウ」の方で、家柄が良さそうなので思い出して少し気になって…。
ありがとうございました。
もしそんな話があったとしても、苗字の大半はパクりなんだからな。
210 :
天之御名無主:2008/05/29(木) 02:03:18
母の旧姓が「武田」で武家っぽいんだけど、ずっと公家らしい。
祖母が皇族の超遠戚だとか。
211 :
天之御名無主:2008/05/29(木) 17:41:08
「っぽい」とか「らしい」とか曖昧な話は99%作り話。
212 :
天之御名無主:2008/05/30(金) 01:35:01
>>211 んなこと言われても、自分の目で確かめたことがないからなぁ……
213 :
天之御名無主:2008/05/30(金) 02:04:08
そんな特別な家系なら何らかの形跡があるだろ。
名家は名家と縁組してきてるから、色んな名門と繋がってる。
隠しても隠しきれない程の余韻があるはず。
地域の年寄りや高齢の教師に特別扱いされたりすると思うぞ。
ちょっと調べれば自分に繋がる資料がが次々に出てきたりする。
一族を失脚させたライバルの子孫が母方の祖母だったりしてびっくりしたり。
とりあえず、ちゃんと調べてから語れ。本物だと簡潔に語れなくなるけどな。
氏家さんは?
「氏」は古代の豪族(氏族、氏神など)だから貴族だったと聞いたことがあるけど。
天武朝貴族1
■皇別
神武天皇の末裔 多朝臣、茨田宿禰、小子部宿禰
安寧天皇の末裔 新田部宿禰、猪使宿禰
孝昭天皇の末裔 大春日朝臣、大宅朝臣、粟田朝臣、小野朝臣、櫟井朝臣、柿本朝臣、布留宿禰
孝霊天皇の末裔 下道朝臣、笠朝臣
大彦命の末裔 高橋真人、阿倍朝臣、膳朝臣、若桜部朝臣、宍人朝臣、伊賀朝臣、阿閉朝臣
武内宿禰の末裔 巨勢朝臣、紀朝臣、波多朝臣、平群朝臣、雀部朝臣、石川朝臣、桜井朝臣、田中朝臣、小墾田朝臣、川辺朝臣、軽部朝臣、岸田朝臣、高向朝臣、来目朝臣、角朝臣、星川朝臣、林朝臣、波弥朝臣、道守朝臣、坂本朝臣、玉手朝臣
開化天皇の末裔 草壁宿禰
崇神天皇の末裔 茨城真人、上毛野朝臣、車持朝臣、下毛野朝臣、佐味朝臣、大野朝臣、池田朝臣
日本武尊の末裔 犬上朝臣、綾朝臣
応神天皇の末裔 羽田真人、息長真人、山道真人
継体天皇の末裔 三国真人、坂田真人、酒人真人
宣化天皇の末裔 丹比真人、猪名真人
敏達天皇の末裔 守山真人、路真人
用明天皇の末裔 当麻真人
天武朝貴族2
■神別
◆天孫
天穂日命の末裔 土師宿禰
天津彦根命の末裔 山背朝臣、桜井田部宿禰、額田部宿禰、凡川内忌寸、山背忌寸
火明命の末裔 尾張宿禰、境部宿禰、伊福部宿禰、児部宿禰、襷丹比宿禰、靱丹比宿禰、神服部宿禰、津守宿禰、稚犬養宿禰
◆天神
高皇産霊尊の末裔 大伴宿禰、佐伯宿禰、忌部宿禰、倉宿禰、玉祖宿禰、葛城忌寸
神皇産霊尊の末裔 県犬養宿禰、山部宿禰、爪工宿禰、田目宿禰、間人宿禰
角凝命の末裔 委文宿禰
津速産霊尊の末裔 中臣朝臣、中臣酒人宿禰
饒速日命の末裔 物部朝臣、采女朝臣、穂積朝臣、巫部宿禰、忍壁宿禰、漆部宿禰、若湯人宿禰、弓削宿禰、氷宿禰、矢集宿禰、狭井宿禰、阿刀宿禰、菟道宿禰、小治田宿禰、舂米宿禰、美濃矢集宿禰
振魂命の末裔 掃部宿禰
◆地祇
大国主命の末裔 大三輪朝臣、鴨朝臣、胸方朝臣
海神綿積命の末裔 安曇宿禰、凡海宿禰、海犬養宿禰
椎根津彦命の末裔 大倭忌寸
隼人族 大隅忌寸
天武朝貴族3
■蕃別
◆漢土 秦の始皇帝の末裔 秦忌寸
後漢霊帝の末裔 紀酒人忌寸、倭漢忌寸、河内漢忌寸、書忌寸
◆新羅 新羅国王の末裔 三宅宿禰
■未詳
大湯人宿禰、諸会宿禰、難波忌寸
武内宿禰の末裔 ってのがえらく多いのが目に付くね。
蘇我の名前が無いのはどうして?
2−4)入鹿(?−645)
@父;蘇我蝦夷 母;不明 (物部鎌姫大刀自連公?尾輿孫?)
A642年国政の実権を握り、父蝦夷以上の勢いを持つ。
本名;蘇我鞍作
B643年山背大兄皇子を廃し、古人大兄皇子(34舒明長子)を次期天皇に立てようと謀る。どちらも蘇我氏の血を引く皇子である。ついに山背大兄王を殺す。
父蝦夷は、これを聞き怒る。ーーー聖徳太子系の血筋が総て絶たれた。ーーー
221 :
天之御名無主:2008/05/31(土) 03:01:55
>>213 余韻……諸事情で本家とは縁切ってるけど、母が時々「うちは○○(地域)の××(苗字)だぞ」と言ってるくらいかな。
名前と地域から調べてみよう。すこし歴史ありそうだし。
半端ですまん。不快な思いをさせたようだ。
武内宿禰っていうのは、ニニギが来る前から日本に住んでいた縄文人の総称。
だから日本人のほとんどは武内宿禰の子孫なんだよ。
223 :
天之御名無主:2008/06/01(日) 05:12:43
>>222 どこぞのトンデモ本読んだんだ?w
なら、甘味内宿禰も縄文人の総称か?w
224 :
天之御名無主:2008/06/01(日) 07:19:23
?W
WWWW
武内宿禰は蘇我氏の始祖とされる人物だろ
まあ実在はしないんだろうけど
226 :
天之御名無主:2008/06/02(月) 01:08:37
武内宿禰(たけのうちのすくね)
◆この神様の別称
高良玉垂神(こうらたまたれのかみ)
◆この神様の神格・神徳
神格:長寿の神、宰相の神
神徳:延命長寿、武運長久、厄除け、立身出世、商売繁盛、子育て、試験合格、勝負必勝など
◆この神様が祀られている全国の主な神社
高麗神社[埼玉県入間郡日高町]
鵜甘神社[福井県今立郡池田町]
石清水八幡宮(末社)[京都府八幡市ハ幡高坊]
気比神宮[福井県敦賀市曙町]
宇倍神社[鳥取県岩美郡国府町]
住吉神社[山口県下関市一の宮町]
徳威神社[愛媛県東予市吉田]
高良大社[福岡県久留米市御井町]
新田神社[鹿児島県川内市宮内町]
その他各地の八幡宮など
北九州の高良山の周辺に子供たちの地名が有る。
228 :
天之御名無主:2008/06/03(火) 00:52:03
延命長寿にもほどがありますな
サンジェルマンさんと同じく
サンジェルマン伯爵は荒木飛呂彦だから
>>1 は、>古代豪族の氏姓と現代人の姓についてかつての大和朝廷で与えられた氏姓(ウジカバネ)と同じ苗字の現代人を上げるスレです。
と言っているけど、うじ、かばねの意味を取り違えているね。
当時(天武以降?)の呼び方は、 家名、官職、氏、姓、名前 だから、現代に残る名字だと 家名か氏だけだろう。
姓は出身の血族関係を表すだけ。 真人、朝臣、連、宿禰などなど。
源、平、藤原、橘等は、氏
例 足利内大臣正二位源朝臣義政
日本書紀って目茶苦茶歴史を書き換えてるね。 貴族にとって都合のよいように書き換えている。
例えば?
>>232のパパはインターネットの社長だったのに違うことにされてる
あとスーパーハカーの友達の記述も削除されてた
自分ちの祖先の話じゃないのに人んちの神様がやったことを自分の祖先がやったことにしてる。
236 :
天之御名無主:2008/06/07(土) 20:22:43
征服した一族の祖先の手柄は全部ゲッツしちゃうんだよな。
まあ、その一族から嫁を入れて正当な吸収合併にするわけだけど。
協調性というのはみんなが同じ考えをすることもなければ、集団の中で個人が犠牲になることでもありません。
各個人が尊重され、また多種多様な考え方が共存するというのが真の協調性です。
「共生社会」を作るには「皆同じことをする」のが大事なのではない。互いに「認め合う」のが大切なのだ。
アラシかと思ったけど、空気読めない人かな?
何故突然協調性に関する自論を展開しているか
241 :
天之御名無主:2008/06/09(月) 20:50:55
壬生って苗字って珍しいの?
みぶさんだっけ。 結構珍しい方では。
243 :
天之御名無主:2008/06/22(日) 00:23:40
石丸のルーツわかる人いますか?
244 :
天之御名無主:2008/06/22(日) 01:17:55
>>243 日本の苗字7000傑によると
摂津国豊島郡萱野郷石丸村発祥。
藤原氏秀郷流、清和源氏、在原氏など。
だそうです。
245 :
天之御名無主:2008/06/22(日) 11:43:31
ありがとうございます 親からは平家って聞いていたのでびっくりです
246 :
天之御名無主:2008/06/27(金) 16:33:21
俺は猪苗代氏の家系らしいな
247 :
天之御名無主:2008/06/27(金) 21:05:49
独り言?どう関係があるの?その証拠は?
守屋姓ってどう?
ω・`)呼んだ?
諏訪氏や洩矢氏は超プレミアだな。
始まりは天皇家より古いんじゃないか?
慶應義塾大学法学部にいきたふ
253 :
天之御名無主:2008/07/04(金) 00:05:29
天皇家より古いor同等の歴史がある家って他に何がある?
254 :
天之御名無主:2008/07/04(金) 02:51:19
中国の漢書かなにかにある最古の倭人の姓はキクチ氏。
別の天孫族なら天皇家より古いor同等だよな。
古代豪族はそういうのを始祖にしたものが多いけど現在まで途切れることなく伝えられているかどうかは怪しい。
256 :
天之御名無主:2008/07/04(金) 10:20:16
血脈は兎も角、古代からある一族の氏姓が現在まで残ってんのは凄いと思います。
記紀によると内の名前も欠史八代から続いてるみたいです。
思想が残ることこそが血脈や氏姓よりも価値がある。
思想が受け継がれることは、本人の思考が受け継がれることだからだ。いわば不死身。
某社家の血筋として品行方正に生きています。歴史は私が紡ぎます。
貴様はただの通過点に過ぎない。
260 :
天之御名無主:2008/07/05(土) 13:37:39
>>259 紡ぐと言う意味では、通過点になることこそ最大の意義。
価値のない血統だ。
無意味そのものなのだ。
263 :
天之御名無主:2008/07/06(日) 00:18:49
芸能人とか政治家とかで古代豪族系いる?
芸能人はアレだろ、歌舞伎に代表されるように
元々の出身が特殊な地域だったり流れ者の人達がほとんどなんだろ
今はそういうのとは本当に無縁の人達もかなり増えたんだろうけど
大衆演劇辺りはまだその名残があるな
《芸名・源氏名》
芸能人・ホスト・ホステス・おなべ・おかま・風俗嬢・AV嬢・デリヘル嬢・ホテヘル嬢・ソープ嬢・ファションヘルス嬢・歌舞伎役者・落語家・漫才師・
267 :
天之御名無主:2008/07/06(日) 03:43:50
平安時代・鎌倉時代・室町時代・江戸時代までの流れ。
南北朝時代
古来から受け継ぐ苗字【天皇家・公家・社家・武家・守護・諸大名・外様大名・分家・家巨】苗字があるが人々
268 :
天之御名無主:2008/07/11(金) 18:00:20
先輩の苗字が沖佐々木って人がいます。
先祖の話では昔は佐々木だったけど、
大名だか凄い権力のあるひとに沖をつけてもらったらしい。
そうですか
で、それは古代豪族の氏姓と同じなんですか?
企業脅して広告費せびってるんだから
まあ もう庶民の敵だよ TVは
その広告費のせいで商品が2割ましくらい高いし
金くれるとなったら、悪徳企業でも平気でマンセーしてるし
>>255 神官にはそう言う人いるよ。 神様の子孫。
273 :
天之御名無主:2008/07/16(水) 19:34:48
俺は某有名社家の血筋だから神様の子孫だよ。
うちは人間宣言してないから現人神といえよう。
敬わないと呪われちゃうから気を付けてね。
274 :
天之御名無主:2008/07/17(木) 00:05:33
275 :
天之御名無主:2008/07/17(木) 04:35:11
>>273 昔の社家 (氏族)継承だけがなれる。
第二次大戦後からは女性でも社家 継承が認められた。
最高級の社家は公卿や天皇家との係わりがある。
皇學館大學 か 國學院大學 修了過程か必要。
あらゆる各国の神道教養も必要されます。
誉高き人々だね。
276 :
天之御名無主:2008/07/17(木) 22:36:23
>>273 >人間宣言してない
そういえばそうだなw
277 :
天之御名無主:2008/07/17(木) 22:48:52
>>273 人間宣言などしなくても現人神じゃないから安心汁w
諏訪は諏訪神族
守矢は洩矢神の末裔
>>277 江戸末期
考明天皇は神てき存在ですね。
昭和天皇から庶民への露出度が増えたぐらいです。
守矢諏訪子
知り合いに醍醐さんがおりまする
283 :
天之御名無主:2008/08/01(金) 01:38:32
うちは秦氏の末裔らしいんだけど
苗字が羽田や畠とかじゃないんだよ。
秦氏の末裔は始皇帝の子孫だから
天皇家より古いんだよ
それを言うなら皇室だって呉の太白の子孫だから始皇帝より古いよ。
みんなミトコンドリアから連綿と続く家柄の持ち主だからな
アフリカ最強
>>283 秦と羽田が同系列かどうかははっきりしていないのでは? どちらも渡来系であることは確からしいが。
そもそも波多から羽田に改名している。 記紀の記述では日本史への登場は波多の方が秦より古い。
秦は色んな家系と交わって勢力を保っていたから、波多をもらった時も有れば藤原をもらった人もいる。
秦の始皇帝の子孫と言うのは眉唾だろう。
百済や新羅の王族の子孫っていうのも眉唾モノだな
289 :
天之御名無主:2008/08/12(火) 22:11:51
今、オリンピックの水泳男子リレーで物部っていう人が泳いでいたよ
へー
291 :
天之御名無主:2008/08/12(火) 22:44:39
大和さんっているよね
ふーん
293 :
天之御名無主:2008/08/13(水) 22:40:13
水泳選手は物部ではなく物延(もののべ)靖記さんでした〜
でも同じ読みですから元は物部氏ではないかな
字は変わるからね
「秦」が「畑」や「羽田」になったりするように
地名なんじゃね
295 :
天之御名無主:2008/08/14(木) 21:19:12
どこにそんな地名があるのでしょ?
さあ?どっかにあるんじゃね?
297 :
天之御名無主:2008/08/15(金) 07:29:29
秋田かどっかに物部っていなかった?
神社もあったような・・・
物部は職制で、実は石井(イワヰ)姓だったというし、
石川、磐井、岩本・・あたりも物部の子孫かもしれません。
299 :
天之御名無主:2008/08/15(金) 23:05:46
物部は地方にたくさんある
有名なのは四国
294が地名なんじゃね
と聞かれる前に「物延」姓だったと書いたのよ
なので、294さんは物延が地名だと言うのだと思って
そんな地名はどこにあるのかお聞きしたのです。
ところで298の石井姓だったの話の出典は?
石川は物部ではなく蘇我氏が後に石川を名乗ります
同じ頃、物部は石上を名乗ります
300 :
天之御名無主:2008/08/15(金) 23:08:01
物部は地方にたくさんある
有名なのは四国
294が地名なんじゃね
と聞かれる前に「物延」姓だったと書いたのよ
なので、294さんは物延が地名だと言うのだと思って
そんな地名はどこにあるのかお聞きしたのです。
ところで298の石井姓だったの話の出典は?
石川は物部ではなく蘇我氏が後に石川を名乗ります
同じ頃、物部は石上を名乗ります
301 :
天之御名無主:2008/08/15(金) 23:09:57
同じのを二つも貼る事になってごめん
確かめた際に反映されていなかったので
念のためにもう一度貼ってしまいました
302 :
天之御名無主:2008/08/16(土) 19:45:36
『日本の歴史学会は「ミマニアン・ドキュメンツ」(任那日本府-公文書群)を研究せよ』
■『三国史記』編纂の資料として使われた『ミマニアン・ドキュメンツ』(M資料)
高麗時代前期(1145年)に編纂された朝鮮最古の歴史書・『三国史記』は興味深い書物である。
この書は、半島側の資料として、『古記』、『海東古記』、『三韓古記』、『本国古記』、『新羅古記』、
金大問『高僧伝』、『花郎世記』などを第一次史料として引用したとされているが、
かつて半島南部を統治していた任那日本府(シラキ日本府)によって記録され、伝承されきた古文書、
いわゆる『任那日本府-公文書群』(ミマニアン・ドキュメンツ)も、資料として使われているようだ。
シラキ(弁韓)を建国した稲飯命とその子孫に関する記録を、『朴氏』(日子氏[ボコ氏])の歴史として
記録しているのだ。
捏造・創作も多く見受けられるが、白村江戦争後にワイ族によって焚書されたと思われていた
『任那日本府-公文書群』が、1145年まで残っていたという事実は驚きである。
おそらく、日本書紀にその名が記されている『百済本記』、『百済記』、『百済新撰』なども、
『三国史記』編纂の際の資料として使われた『任那日本府-公文書群』の一部であろう。
ミマニアン・ドキュメンツは『三国史記』が完成すると同時に焚書されており、現存しない。
しかし、『三国史記』の内容を、日本側の古文書や伝説・神話と照らし合わせながら分析することで、
ミマニアン・ドキュメンツの内容を、あるていど復元することは可能である。
聖書学者が、さまざまな古文書や考古学資料を基にして、新約聖書-福音書の資料となった
『Q資料』の内容を解明しているように、日本の歴史学者も『古事記』、『日本書紀』、『新撰姓氏録』、
『風土記』、『三国史記』などの内容を調べることで、『M資料』の内容を解明できるであろう。
303 :
天之御名無主:2008/08/17(日) 12:27:58
同級生に物部っていたけど
なに?真鍋だ?
305 :
天之御名無主:2008/08/18(月) 20:47:09
龍神さん、地蔵さんという人が地元に居ます。
あと地元では無いけど、竜王って言う人も知り合い繋がりで居ます。
珍しいだけでしょうか?
板違いですか
あぁそうですかorz
将棋強そうな苗字だな
同級生に、師(もろ)がいたけれど、これは物部?
308 :
天之御名無主:2008/09/17(水) 15:57:36
309 :
天之御名無主:2008/10/12(日) 05:21:56
曽我 入鹿
↓
曽我部
長曽我部
平 将門
↓
松平
徳川
御影
葛城
310 :
天之御名無主:2008/10/12(日) 05:36:22
豪族豪士=渡来人
財力と地域の権力を誇って居た。
部落民=同和=難民
紛争地域からの難民や政治犯の流刑民で構成された貧民
遣唐使=帰化人
大陸の文才や数学などに長け
帰化を望むものに、時の権力者が帰化を認めた渡来人
311 :
天之御名無主:2008/10/12(日) 17:25:02
>>310 渡来系が優秀上流貴族になり
部落は先祖代々
動物の皮剥ぎ業者や牢屋の番人を指す言葉です。
俺ん家の西暦1300年以前の氏は,波多だった。 大和の国波多郷に居たらしい。
波多郷には、藤原郷も入ってきた。
奈良の古い豪族はその前がよくわからないんだよね。 多分九州から来たんだとは思うけど。
313 :
天之御名無主:2008/10/19(日) 01:49:32
九州と出雲とその他ですよ。
俺も社家の末裔で珍しい苗字だよ、残念ながら本家本流でなく分流だけどね
苗字書くと個人を特定されるかも知れんから書かないけど、古代氏族だ
社家は古い家柄でないとなれないから、皆古代氏族。 うちの本家も社家。
今の苗字は700年位前に改名しているから古代豪族の苗字ではないが改名前の苗字は古代豪族そのもの。
桓武平氏の傍流の傍流の傍流の・・・と来て14C前半に今の姓を名乗ってうちはさらにその傍流の傍流の傍流くらい
一族会とかいうのから声をかけられたことはないけど事績をまとめた本を売りつけられるくらいの関係
ひでえなおい
317 :
314:2008/10/22(水) 19:57:19
ついでに書いておくと、本家本流は150年くらい前に絶えた、その後は傍流の
一つが社家を継いでる。
ところがこの家は苗字を変えていて、古代氏族名じゃないんだよ。
この家が枝別れしたのは江戸期だと思う。
我が家が枝別れしたのは古くおそらく平安期だろうと思ってる。文献的に確実に
たどれるのは室町期までなんだけどね。
自分は苗字「秦(はた)」だけど、家系とか由来とかまったく知らない。
調べてみたらわかるものなのかな?
このスレみてたら興味湧いてきた。
320 :
天之御名無主:2008/10/24(金) 21:40:39
中学時代の同級生に葛井(くずい)くんという人がいた。
今の大学の先生には、葛井(ふじい)先生という人がいる。
葛井氏って、確か渡来系の古代豪族だよね?
322 :
天之御名無主:2008/10/25(土) 03:04:35
で、皆さんの家は代々裕福で品格と教養に満ちた家風を維持してきてるんですよね?
323 :
天之御名無主:2008/10/25(土) 19:00:20
>>319 多くは公家・武家・社家に流れた。 平安では貴族
高貴な人々です。
324 :
天之御名無主:2008/10/25(土) 19:23:07
このスレで何度も述べられている通り、殆どの古代氏族のウジ(藤原とか物部とか大伴)
は、現代に至る過程で、ウジとは別に居住地または領地等に由来する名字を持つようにな
り、明治には多くがその名字を以て戸籍に登録しました。
従って、例えば現代に「藤原」名字を名乗る人が藤原氏由来かというとはなはだ疑問とい
うのもその通りだと思います。
逆に現代の名字が古代のウジと同じ場合は全て後世の付会かと言えば、そうとも言い切れ
ないようです。
これもこのスレで出ていますが、社家などには卜部・秦などの名字が見られます。
大嘗祭に参加する人の中に、忌部さんという方もおられたようです。
325 :
天之御名無主:2008/10/25(土) 19:39:19
>324続き
では、上記のように過去に於いても現在に於いてもある種のステイタスを維持してきた家
のみが古代のウジを現在に名字として持ち得るのかといえば、必ずしもそうとは言えない
ようです。
一例として私の旧い友人の事例を挙げてみますと、彼の名字は「○×山(自主規制ご容赦)」
といいますが、この名字はそのまんま『新選姓氏録』(以下『録』)大和国神別に登場するウジそのもので
す。
『録』によれば、物部氏が物部氏を名乗る前に当るイカガシコヲの子孫とされており、所謂
「物部八十氏」の1つであるようです。
無論、あくまでも『録』の伝えるところの伝承に過ぎず、イカガシコヲの実在性を含め、この
系譜そのものは事実であると断定はできません。
しかしながら、「○×山」というウジを持つ氏族が存在したのは事実であるようです。
326 :
天之御名無主:2008/10/25(土) 19:49:50
327 :
天之御名無主:2008/10/25(土) 19:53:24
>325続き
さて、この「○×山」という名字ですが、現在では秋田県の旧雄勝郡域(横手市を中心とした
周辺諸地域)に多く見られるそうです。
しかしながら、『倭名類聚抄』を初めとした各種古記録・文献の何処を見ても「○×山」とい
う郡名・郷名・大小字名・荘名は存在せず、従って現在の「○×山」名字は、武士や貴族等の
ような居住地または領地由来では有り得ず、古代のウジそのままである可能性が大きいそうで
す。
ただし、「○×山」という山は『録』の記述にある大和国を初めとして、日本全国にあるよう
です。
寺の山号に於ける「○×山」もまた、日本全国にいくつか存在するそうです。
しかしながら、単に山名由来の名字(例えば富士山とか浅間山とか)は可能性として少なく、
山号由来の名字(例えば比叡山とか音羽山←清水寺の山号)もまた可能性としては少ないと
思われるので、これらが「○×山」名字の由来であるとする蓋然性は低く、従って古代のウジ
そのままである確率が比較的大きいようです。
328 :
天之御名無主:2008/10/25(土) 20:04:18
>327続き
ではこの「○×山」さん、由緒正しい名家の貫禄を漂わせる家柄かというと、全然その
ようなことはなく、本家とされる家には具足等々があるものの、基本的には土豪・足軽
等の下級武士、その後庄屋・農民という家系といったところのようです。
以上、珍しい名字だった旧友の話を記憶の範囲内で書いてみましたが、今となっては部
民の子孫なのかカバネを負った家系の分流なのか全く分からないにしても、社家のよう
な名家でなくとも古代のウジをそのまま受け継いで現在の名字としている可能性がある
ということのようです。
329 :
天之御名無主:2008/10/25(土) 20:07:37
宮家・公家・社家・武家
これら古代から使われた名家 氏名です。
秦は「ハダ」と濁るのが正しいと、京大の上田先生は言っておられました。
確か一番古い表記は「波陀」だそうです。
家の近くにも秦という地名がありますが、地元の人は「ハダ」と言ってます。
ちゃんと濁って読んでいることに先生感心しておられました。
ニダ
>>332 畠山は新選姓氏録レベルの古代の氏じゃなく、源平それぞれの系統の武家の子孫だよね
そうなんだ。いや長谷山さんもそうだけど
畠山さんの方にもそんな由来あるなんて知らんかった
畑いっぱいある山持ってた人が名乗ってんのかな
くらいにしか思ってなかったw
>>332,334
とりあえず、
>>324-328が伏せてるのを敢えて晒すのはどうかと
まあ、特定個人のことじゃないし、隠さなきゃならない程のことではないとは思うけどさ
>>333 平姓畠山氏は源平合戦に出てくる畠山重忠などの流れだね
源姓の方は室町時代の三管領家だね
>>335 苗字出して話するスレでわざわざ伏字にする方がどうかしてる
名前出されるのが嫌なら最初から書かなければいい
知人への配慮が如何こうなんて言い訳するつもりなら
話題にしてる時点でそんなものは欠いてるいると自覚してくれよ
339 :
335:2008/10/27(月) 01:17:00
>>337 えーと、何で俺へのレスで
>言い訳するつもりなら
とか書いてるんだか不明なんだが
それから言ってることが完全に俺様ルールでしょ
もうちょい大人になれって
341 :
天之御名無主:2008/11/13(木) 23:33:52
近くに「蘇我」さんがいる。曽我、曾我はみたことあるけど蘇我は初めて。
近くにいるのに初めて見るのか
ご近所づきあいは大切にな
343 :
天之御名無主:2008/11/14(金) 06:22:56
苗字あるのは
宮家・社家・公家・公卿・上流な武家 ぐらいです。
345 :
長州人:2008/11/30(日) 17:06:53
備後の親戚は物部(ものべ)っているけど物部氏とは関係ないよね?
備後に物部氏がいた史実ってあります?
346 :
長州人:2008/11/30(日) 17:15:46
ウチは中間ですが苗字あったみたいですよ
>>343 大きな庄屋や地主も名字を与えられた家があったと思うが
349 :
長州人:2008/12/02(火) 11:14:22
350 :
長州人:2008/12/02(火) 15:15:15
にして物部氏多いなー
物部ってもともと宝物殿の警備とか担当していた人なのだろうかな?
物の部だから物(宝、道具等)を担当(警備、整理)していた氏族だとしたら
神社、国府あたりに多いだろうね
古代氏族って職業(犬養氏等)や官職(中臣氏等)が多いよね
そういう事を踏まえて苗字で本物の古代氏族かどうかを見るのも
一つの手だね^^
まぁその人の本籍が分からないと
苗字で古代氏族と繋がりがあるとは分からないんだけど・・・
ただ一つ確実に言えるのは古代氏族っぽい名前を名乗ってるけど
公式文書では名乗っている名前とは違う人
これだけは間違いなく古代氏族とは無関係です!!
>>350 とりあえず、物部に限らず、苗字だけでは何とも言えない。
物部で言うなら、連とか首のカバネを持っていた氏上の家系だったのか、氏人だったのか、
部民だったのかわからない。
物部連ならばニギハヤヒの子孫で神別、物部首なら孝昭天皇の末裔で皇別になるから、全く違う。
また、物部郷という地名があるから、後世にそこを苗字の地とした可能性もある。
明治新姓の可能性もある。
352 :
天之御名無主:2008/12/03(水) 16:37:40
とある地域にうちの名字と同じ神社(日本で一カ所だと思う)があるんですが、うちの出身はそこじゃないんです。
で、氏神の地には同じ名字の家は無さそうなんですが。
一族が氏神(神社)残したまま違う地に移住することってある?
文章が分かりにくけりゃ申し訳無い。
>>352 あると思う。
とりあえず分かりやすい例で言うなら、宮島に平氏は居ないだろう。
氏寺でもそうだけど、戦乱や転封がきっかけとなって移住することはあったと思う。
ただし、今となっては大半が自分の苗字と、現存する社号や神名と、地名と、運がよければ
多少の史料があって、その間は推測になるだろうから、絶対にこうだって断言は出来ない
とは思う。
354 :
天之御名無主:2008/12/03(水) 20:20:31
本家が途絶えたんじゃね?
355 :
天之御名無主:2008/12/03(水) 23:46:22
>>323 やっぱり有りますか。
武家では無いんで転封では無いとは思いますが。
>>324 一応、鹿児島に本家は有るそうなんですが。
ちょっと珍しい名字なんで、神社の辺りが発祥地で間違いないとは思うんで、鹿児島に移った経緯が分かればと思いましたが。
356 :
天之御名無主:2008/12/05(金) 16:58:46
>>355 >鹿児島に移った経緯
「鹿児島」が現在の鹿児島市を指すのか県を指すのか分からないけど、中世以降いろいろとあるからねえ。
社伝程度でも情報が無いことには何が何やらきっかけを探るのは厳しいと思う。
まあ参考になるか分かんないけど、現在の鹿児島県外から県内への移住を想定してざっと思いつくところを挙げてみるよ。
・薩摩島津氏の薩摩国・大隈国下向に伴うもの
・若狭・播磨の各島津氏と薩摩島津氏との兼ね合いに伴うもの
・島津氏が一時期甲斐・信濃に所有していた領地に伴うもの
・渋谷諸族の薩摩・大隈国移住に伴うもの
・秀吉の九州征伐の結果、薩摩・大隈国内豊臣領・石田領・細川領の設置に伴うもの
・初期火縄銃や、その関連技術・物資の取引に関連するもの
・明との交易に伴うもの
・琉球や南方諸国との交易に伴うもの
・その他、上記以外も含めた薩摩・大隈国内諸氏を頼って、戦乱などを契機として移住
あと、これも個人的に思ってることなんだけど、社家一族が神社を残して移住を強いられるとしたら、それは社領を失った時になると思う。
それが権力者による差配の結果なのか、守護・地頭の在地土豪化によるのか、戦国乱世の武家による寺社領簒奪によるのか分からないけど。
358 :
天之御名無主:2008/12/24(水) 20:34:24
久米氏がない!
たまに無性に海が見たくなったり、海が好きなのは綿津見三神に関係する苗字だからなのかねぇ…
360 :
天之御名無主:2008/12/26(金) 18:29:19
塩分が不足してるからじゃないか?
361 :
天之御名無主:2008/12/27(土) 22:20:51
三神ってどう読むべき?
ミカミでいいのかな?
サンジンって呼んでる人もいるみたいだけど
○○三神と書く場合、普通はサンジン。ミカミと読む人はまずいない。
363 :
天之御名無主:2008/12/28(日) 12:42:27
そうだったんだ
ありがとう
364 :
天之御名無主:2008/12/28(日) 13:16:45
高校の時の先生の名前
一年 奈良 二年 曽我 三年 阿部 だった
池■田大■作の本名はソン・テチャク。小泉純一郎、小沢一朗は朝鮮人。
911では小型の水爆が使用されている。
http://ri■ch■ardkosh■im■izu.at.webry.info/
創価の保険金殺人事件。
オウム事件は、統一・創価.北朝鮮の共同犯行である。CIAが監修している。
http://www15.ocn.ne.jp/~oy■ako■don/kok_web■site/ir■iguc■hi.htm
与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■bs/read.cgi/news/20■92/115794■1306/
2チャン寝るは「■とう■■■一■教■■会■」が 運■■■営して「個人じョうホう」を収集してる。
駅前で「■手■■■相を見せてください」 と「カンユウ」してるのが「■とう■■■一■教■■会■」。(カ■■■ルト宗■教)
カ■■■ルト宗■教の下にいる人と、上にいる奴を分けて考えないといけない。
下にいる利用される人は上がどんなことをしてるか知らない。
ユダヤ権力の子分→2ちゃん運営=「とう★■■一■教★■★会」上層部=層化上層部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝■鮮■人ハーフの政治家=金■ 正■■日(キ■ム・ジ■ョンイル )=読売サンケイ=小沢十朗
ユダヤ人=ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=アドルフ・ヒトラー=オサマ・ビンラディン
毎■日■■■新聞スレを荒らしてる奴らも「■とう■■■一■教■■■会■」。
荒らしは洗脳するために「ネトウヨ」などのレッテル付けレスを何千回もする。
現実には「ネトウヨ」などは存在しない。
http://cha■ngi.2ch.net/test/read.cgi/ms/12303■63■385/
366 :
天之御名無主:2009/01/07(水) 20:36:27
そのネタ飽きた
367 :
天之御名無主:2009/01/08(木) 15:35:54
すいません。田邉についてご教示いただけませんか?何卒、よろしくお願いします。
日本人が作った漢字である
管、畑、榊、辻などの名字の家は、どんな感じなのでしょうか?
調べてもあまり情報無くて、、、詳しい方それぞれを書いていただけますか?
369 :
天之御名無主:2009/01/15(木) 06:36:00
秦と畑は無関係なん?
372 :
天之御名無主:2009/02/16(月) 02:58:35
宇佐
吉冨?中津?に本家があったらしい(今はない)。
地名を苗字にした・・・とかあったんだろうか??
先祖は八幡宮関係者だと、親戚の自慢話で聞いているけど証拠はない。
373 :
天之御名無主:2009/02/16(月) 03:41:38
>>371関係ない
>>372半分、嘘だろ
俺の苗字も某有名神社に関係ある名前だけど
その神社に近いと言うだけで江戸時代の身分は庄屋
江戸時代以前は何らかの関係があったかも知れないが
それは文字として残ってないから分からない
374 :
天之御名無主:2009/02/16(月) 23:26:06
うちも某有名神社関係の苗字。地域に同じ苗字が沢山ある。
戦国時代には殿様だった庄屋さんちは社家との繋がりが記録に残ってる。
庄屋さんちと繋がりがあれば貴族に繋がるんだが残念ながら記録なし。
四国一の大祭が行われる神社の宮司さんの名は長曽我部だった
今もそのままかどうかは知らないが
古代豪族〜神官〜武士〜庄屋〜村長〜校長〜経営者〜普通の人
私の代で普通の人になりました。ご先祖様ゴメンナサイw
>>373 ありがとう。
自分も冗談だと思ってる。
ただ、大叔父(故人。生きてたら100歳くらい)の話によると、
子供の頃住んでた家には蔵があって、
古い鏡やら色々あったらしい。
今となってはもうわからないけど。
378 :
373:2009/02/17(火) 20:57:50
>>377銅鏡はうちもあるよ
調べて貰ったら江戸時代の物だったけどねw
>>376うちの口伝では
部民-神官-庄屋-地主-役人-普通の人
戦後の農地改革さえなければ……
俺の代で会社員
御先祖様、ごめんなさい
放牧(?)→武家→帰農→役人→商人→会社員→ニート
俺の代でニートになりました。御先祖様、ごめんなさい。
380 :
天之御名無主:2009/03/01(日) 23:36:56
大伴氏って皆が伴氏に改めた
訳ではないんだね
過去に自分の周りにいた古代氏族っぽい名前の人は
葛城(かづらぎ)、毛野(けの)、安倍(あべ)さんくらいだな。
あとは近所に玄部(げんぶ)って人と葦原(あしはら)という人がいるんだが、
これは関係無い?
天野って苗字は、紀氏系統で、丹土を生産する一族だったらしい。
ある巫女さんは、私と似た顔の有名なモデルがいる、と話していた。
顔を見ただけで血の繋がりが判る古代氏族もいるらしい。
383 :
天之御名無主:2009/03/02(月) 23:21:16
天野祝氏は丹生都比売神社の社家。
丹生の姫の伝説によると、中国の姫氏の血を引いているって話らしい。
で、実際に姫氏との繋がりをDNAで調べようとしているらしいのだが、
伝承どおり繋がっていた、という話が出てこないから、
どうもよく分らなくなってきている。
ある巫女さんの一族は、姫氏だとはっきりしてきたらしい。
御先祖様の墓を600ぐらい掘り起こしたり、
祖先が眠ると伝えられてきた中国の墓まで行ったり、
姫氏のDNAの流れを探る調査を継続しているとか。
生命工学が御専門のその巫女さんは、
母親がヨーロッパ人で東洋人より彫りが深い。
しかし、最初に会って一目見たときから、
某誌のグラビアコンテストに載っていた日本人モデルと似てると感じて、
ドキッと来た。
典型的な日本美人の特徴を備えているから似ていると感じるだけなのか、
血筋のせいなのか分からないが、見たことがある人だと感じたのはたしか。
天野祝氏の本家に当たる出雲族の紀氏は、日前国懸両神宮の社家。
神武東征のあと、紀州国造に任命されてから、紀州の統治を行なってきた豪族で、
天皇家と同等の古さを持つ家柄らしい。
日前国懸両神宮には、天岩戸伝説に関わりが深い思兼の一派が祀られている。
勾玉の加工や鏡の製造などの生産技術を持つ祖先を祀っていることがうかがえる。
しかし、肝心の勾玉やその生産技術はどうやら残っていないらしい。
紀氏の傍流とされる天野祝氏のほうは、
丹土を掘って水銀丹や水銀を生産する技術を持つ祖先を祀っているらしい。
これまた社家になってしまい、肝心の生産技術の伝承を失っているらしい。
ここからが重要なのだが、
1.今もヒスイやガラスの宝玉や神剣を家宝として受け継ぐ一族が存在する。
2.宝玉や丹や神剣や鏡などの生産技術を継承する数種類の職人の家を、
取り巻きとして従える、表に出てこない上位氏が存在する。
3.その一族は、神道の前身となった卑弥呼鬼道(道教)の
太陽と内丹を扱う神事を伝承しているが、
日前国懸両神宮や丹生都比売神社には、その系統の神事が見当たらない。
4.上位氏のほうは、姫氏との遺伝的繋がりがあることがほぼ明らかになったらしいが、
社家のほうは、確認出来たという話がいまだに出てこない。
祖霊祭祀に特化して、宝玉や生産技術の伝承を失っている社家と、
今も宝玉を伝え、技術集団を従えている家と、どちらが本筋なのだろう。
丹生都比売大神は別名稚日女とされているが、
名前の由来となった、
肝心の丹を扱う神事や、
太陽の若返りを祝う神事や稚日女の舞などを伝承していないとなると、
表立って一般に知られている社家のほうが、傍流に見えてきてしまう。
壬申の乱の後に即位した天武天皇の出自や年齢が
記紀を見てもはっきりしないことから、
皇室は百済に乗っ取られた可能性が指摘されている。
神武と本当に繋がっているか、興味がある。
記紀のなかに、皇室は姫氏だと記されている箇所があるらしい。
となると、例の天野氏の本流かもしれない巫女さんの一族とDNAを比べれば、
見えてくるものがあるかも。
下のサイトは、面白い推理を展開しているが、、
本当に皇室のルーツが遺伝子から分かるのだろうか。
ttp://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000idennsi.htm
388 :
天之御名無主:2009/03/11(水) 20:40:47
389 :
天之御名無主:2009/03/17(火) 23:57:54
苗字が坂上なのに
本姓が藤原を名乗ってる
390 :
天之御名無主:2009/03/29(日) 17:37:22
古代豪族の子孫の有名人っている?
391 :
天之御名無主:2009/05/09(土) 18:07:54
姫氏が中国大陸からの渡来だとすると、
古代中国の周王朝の王家(皇帝号は後代の秦帝国の始皇帝〜)が姫氏ナノで繋がりが有る賀茂ね。
392 :
天之御名無主:2009/05/09(土) 18:24:21
賀茂。加茂。鴨。かも
>出雲系大豪族。古代の葛城周辺〜山城が勢力圏。葛城姓も同族?
物部氏
>神武(崇神)大王に屈服し天皇家になり損ねたヤマトの元王家〜古代ヤマト朝廷の軍事、兵権を掌握していた大豪族?
武士の別称『モノノフ』の語源。
393 :
天之御名無主:2009/06/08(月) 01:45:11
駒田勝忍人の子孫はいたなぁ、三重に多いけど。
駒田ってのはあんまり多くないし、ほとんどそこ発祥らしいよ
394 :
天之御名無主:2009/06/14(日) 00:43:40
>>343 名字は農民でも持ってたよ。よくなかったとか言われるけど。
それが正式な名乗りかは別にして。
名字と言っても、定義があるが。
395 :
天之御名無主:2009/06/14(日) 05:28:29
>「○衛門」や「○兵衛」というのも実は官職名(=姓)なのであり、
>つまりこれも庶民が好き勝手に名乗っていたわけである。
てあるけど「○衛門」や「○兵衛」はそこらの農民が名乗れるもんじゃないよな
庄屋やら名主やらといったそれなりの連中だけだろ
397 :
天之御名無主:2009/06/15(月) 03:57:08
公称を許可されてなかった。
よく考えてみてほしいけど、身分の固定化なんてのは豊臣江戸以降であって
それ以前は流動的で農民、侍、地侍の明確な線引きはなかった。
武士を職業制にしたのは織田信長が有名。
武家や名主クラスの家に生まれても次男三男なら、口減らしで殺されるか奉公に出るとか
大変だったんだよ。江戸が終わって明治になったら身分差別も一応制度的には消えたから
それまで独占業種だったいわゆる皮革産業等に食うために入っていった下級武士も多かったみたいだね。
そういうところではその下級武士苗字が流行ったり、何人か側室的に娘を入れたりして何家かできたりね・・・
だから同じ苗字でも色んな層の人間がいるわけだよ
うちの母方の大井は船乗り家系なんだが、
江戸時代だかそれより昔だかに偉い人を海だか川だかで助けたときに
大井という名字をもらったらしい。
うちの苗字は全国で三百件も無いというレベル
室町のはじめにはこの苗字を名乗り始めたのに超少ない
鳴かず飛ばずだったんだなあ
400 :
天之御名無主:2009/06/15(月) 22:20:55
>>397 >身分の固定化なんてのは豊臣江戸以降であって
それ以前は流動的で農民、侍、地侍の明確な線引きはなかった。
んなこたーない。
武士「身分」というのはむしろ秀吉の頃から遡れば遡るほど「固定化」していた。
そもそも武士の起こりは、承平天慶期の朝廷への反乱者である平将門、藤原純友らを平らげた側の王臣子孫達が都で「兵の家」(=軍事貴族)となり、その子孫の家々の職掌となっていったもの。
及び彼ら軍事貴族が各国の国司や押領使などに任命された際に、彼らに「武士」としての名簿を提出した郡司や負名層たち(これも基本、承平天慶勲功者の子孫達)。
>武士を職業制にしたのは織田信長が有名
信長の「兵農分離」は百姓や流民などの「兵卒」身分への大量雇用のこと。
こちらの方は確かに「流動的で」農民等との間に「明確な線引きはなかった」ことだろう。
401 :
天之御名無主:2009/06/21(日) 02:26:20
>彼らに「武士」としての名簿を提出した郡司や負名層たち(これも基本、承平天慶勲功者の子孫達)。
ここは違うでしょ?
古代からの土着豪族の子孫や、平安以前の貴族も相当数いるでしょ。穢れ思想が流行った事等で豪族は改姓したり
して後の武士の起源にもなってるし。
いわゆる軍事貴族を頂点とした主従関係を築いてたのが『武士団』であって。
今の警察の国家公務員層と地方公務員層の関係に似てると思うが。
武士って言ったって、解りやすく言えば武田信玄のような元軍事貴族出の先祖を持つ者もいれば
三浦氏や北条氏に代表されるような者もいるわけで。
特に血統や家柄重視が強いのは中央なわけで、土豪や在地武士、しかもその家臣なんてなれば兵農混合だったんだから
。地方の身分の固定は秀吉以降だよ。特に下に行けば行くほどね。都に出て、宮中での出世を考えれば必要だったのが
源平藤橘に代表される平安以降の貴族の血なわけで。だから皆家計図作りに必死だったんだよ
たしかにそうだよね。だから徳川は幕府を起こしたあとに安定させるために貴族や名家の
復興をしたり、権威ある者を大事にした面はあるよね。
下克上は徹底的に封じた。家康は、信長や秀吉をよく見て学んでたんだと思う。
戦国以前からの貴族の統治が行き届かなくなって、平気で武力ある者には構わず縁戚関係を
持って飼いならしてるつもりをやってた貴族達が幅を利かせてた悪しき世から
腕力で封じ込める制度を完成させたのは江戸幕府。
403 :
天之御名無主:2009/06/26(金) 03:39:36
>>401 >古代からの土着豪族の子孫や、平安以前の貴族も相当数いるでしょ。
それが旧国造階級たる郡司層や、富豪の輩たる負名・田堵層のことなんだが。
それとも、郡司や負名は前時代からの何の脈絡もなく、この時代に突如興った新興階層とでも?
>穢れ思想が流行った事等で豪族は改姓したり
して後の武士の起源にもなってるし。
ちょっと文意が不明。
普通は、武士階級も、その発生当初の頃は殺生を生業とするが故に「穢れ」た階層の一環と見なされていた、
だからこそ承平天慶勲功者たる軍事貴族や、彼ら軍事貴族の郎党等となった郡司・負名層の専門職として特化されて行ったという経緯がある、という風に解釈されているのだが。
君の文章だと軍事貴族と関係しない「豪族」層がわざわざ世の中から「穢れ」た存在と見なされている階層に憧れをもって身を投じたという文意に取れてしまうのだが。
404 :
403つづき:2009/06/26(金) 04:06:47
>>401 >いわゆる軍事貴族を頂点とした主従関係を築いてたのが『武士団』であって。
だからそのように主張しているわけだが。
>今の警察の国家公務員層と地方公務員層の関係に似てると思うが。
似ているね。確かに。
>武士って言ったって、解りやすく言えば武田信玄のような元軍事貴族出の先祖を持つ者もいれば
>三浦氏や北条氏に代表されるような者もいるわけで。
武田氏についてはその通り。
だが、三浦氏等の所謂「坂東八平氏」等については、ちょっと難しい解釈をはらんでいる。
まず遠祖とされる平良文との関係だが、これは仮冒説と真実説の2つがあるが、俺は現在判断を保留している。
次に良文は厳密に言うと承平天慶勲功者ではないが、貞盛と同じ桓武平氏一門ということで、いわばそれに準じた扱いを受けているのかどうか、
それが分からないという問題がある(かつて、史板で有名な某コテ氏に何度か尋ねているのだが、そこの話になるといつもはぐらかされるという経緯がある)。
405 :
天之御名無主:2009/07/01(水) 09:55:47
貴族→武家→士族→官僚→政治家→高級軍人→公務員→会社員→超最低下級層
ご先祖様、こんなのですみません。
今はいじめられるはで最悪です。
結婚できんのかな‥
まあそんなもんですわ
407 :
天之御名無主:2009/07/01(水) 21:36:45
>今の警察の国家公務員層と地方公務員層の関係に似てると思うが。
似ても似つかないわけだが?
中央赴任の軍事貴族(キャリア官僚)と、在庁の現地豪族(地方公務員)との上下関係ということで言えば、その構図は激似している。
ただ、そこは昔のことでもあるので、両者は姻戚関係を結んで、時代が下ると軍事貴族(キャリア官僚)の在庁化が起こるのが今とは違う。
まあ、どちらも世襲の時代だから当然そうなって行くことになるんだが。
409 :
天之御名無主:2009/09/05(土) 00:39:38
時枝は誰の豪族の苗字と同じか教えて
410 :
天之御名無主:2009/09/05(土) 15:41:00
阿波(徳島)の忌部(本家)さんは現在は田舎のフツーの農家デスが、
神代からの(天岩戸開け)血脈と家柄で
天皇陛下の即位式等には代々招かれ倶奉しています。
渡辺氏は源氏の融を始祖とした流れ。
大坂の天満橋付近を拠点(座摩神社が総氏神)に淀川などの水運を掌握して栄え、各地に展開していきました。
友人が當麻で珍しいから調べたら奈良の方の豪族だった。寺があるらしいね。
412 :
天之御名無主:2009/10/09(金) 13:02:02
苗字が昔の遣唐使(のちの豪族になる)と同じですが、現在の本家はまるで別の場所です。
あまり無い苗字なので、なにか関連性があるのかな?と考えていたんですが
ここを見ると、古代豪族の苗字と現在の苗字の関連性は、かなり疑わしいと。
本家の人に聞いたら、どうやら祖先は山伏だったと聞いて地元の文献などを
調べたいと思ってるんですが、例えばどんなところから調べれば面白いでしょうか?
413 :
天之御名無主:2009/10/10(土) 21:02:58
神社やお寺関連の家は、古くからの名前をそのまま
現在に伝えているものが多そう。
善光寺住職の若麻績さんも古いですね。
414 :
天之御名無主:2009/10/13(火) 02:28:05
武士でも仮冒が多いわけだが、寺社関連で記録があるなら
ほぼ確定だからな。
でも、山伏ってのは繋がりを見付け辛そうだなぁ。
仏教、神道、道教、拝火教、自然崇拝ごちゃ混ぜの山伏。
さらに、YHWH(テトラグラマトン)のアラム文字が刻まれた、
小さな純金の八咫鏡の分霊品を大事そうに持ち歩いてたりすると、
ユダヤ教徒なのかキリスト教徒なのかイスラム教徒なのかと勘違いする人まで出てくる。
この八百万の神に対する信仰こそ、もっとも日本的な信仰の姿といえるかもしれない。
神道の修行体系は、山伏の修験道と非常に関わりが深い。
たとえば、古来から巫女達の修行の場として有名で、
数多くの歌が詠まれてきた、日本三大神滝の一つ布引の滝の名前は、
龍神に仕える雨乞いの神事で舞を披露する巫女、
乙姫様の修行の場だったことに由来するという伝承がその土地に残っていて、
古くは神道の修行の場だったらしいのだが、
その後、役行者小角が開いたとされる修験道の道場が建ち、今では某社の研修のためのお寺になっている。
その場所では、今でも手入れされている現役の古墳にお参りするために禊を行ったり、
修行をする巫女さん達を見かけることが稀にあるのだが、
古事記に残っている、葛城の一言主が雄略天皇と出会ったときの経緯を、
一言主に仕える氏族の視点から語ったエピソードを口伝していて、昔話を聞くことができたり、なかなか面白い。
葛城といえば、役行者小角の出身地と考えられている土地。
神道と修験道の行場が重なっているのは、古い時代に二つが一つだったからだろう。
そして、腰が落ち着かない山伏の子はというと、母親の家で育てられることも多い。
昔ながらの母系社会が現代まで保たれてきた背景には、こういった事情があるらしい。
先祖はたぶんアブラハム。今無職、ひきこもり。
417 :
天之御名無主:2010/02/21(日) 22:17:52
「國母」はどう?
すごく由緒正しそう
そもそも、古代(って言っていいのかわからんが)豪族の子孫だよ。
そういう人結構いるよ。
養子養女の子孫だから自分の姓は違うが、父方が物部の血を引いて親戚が物部です
読みは「ものべ」です、豪族の物部氏に関係あるか否か判りません
数代前まで物部の先祖は京都で仏具店を開いていたそうです
420 :
天之御名無主:2010/02/25(木) 21:39:28
421 :
天之御名無主:2010/02/25(木) 22:49:36
阿蘇はブレがない。学者が多いらしい
422 :
天之御名無主:2010/02/26(金) 15:41:52
うちも豪族です。
名前は言えませんが。
423 :
天之御名無主:2010/02/26(金) 19:40:07
今も豪族?
豪族といっても、ほかの豪族に飲み込まれたら権力を失うか
恨まれて最下層に追いやられる下克上状態だからな。
日本の歴史をみると古墳時代以降はあまたの豪族が各々の私利私欲で世の中をかき回しながら
世の中を回してきたみたいだが春日大社のような有力社ですら藤原氏の氏神というくらい
神様まで何れかの豪族のがらみという状態。
今も昔も番長(=豪族)はいることから人間変わらないものだな。
進化してるはシステムというところか
豪族というのは氏姓制度のトップであって日本社会そのものだからな。
小中学校の村社会を重んじない奴は村八分(いじめ)なんてのもその延長線だろうけど
たいてい豪族と取り巻き2割、距離を置く1割、多勢に盲従7割で
豪族に目をつけられても対抗組織をつくれないと村八分にされるのだ
教師(神)への生贄もやるしね。
三国真人末裔なんだけど三国には家紋ないのかな?
うちの一族は苗字の家紋はあっても三国の家紋はないし井伊本家は橘紋だから気になった。
427 :
天之御名無主:2010/04/06(火) 02:53:07
僕はあの小石一族の本家的な子孫だよ。
428 :
天之御名無主:2010/04/06(火) 07:42:19
ウチはアダムとイブの末裔だけど、何か?
429 :
天之御名無主:2010/04/10(土) 05:19:08
奈良の山奥に三原姓がかたまってある部落がある。
たまたま仕事で知り合ったんだが、
言い伝えによると、逃げ隠れた源氏の里だとか。
で、源氏を隠す為に
源 → 三原 となっているとの説だった。
真偽は知らん。
430 :
天之御名無主:2010/04/10(土) 05:30:43
三重県の伊賀とか津には「村主 スグリ」性があるな。
古代の渡来系カバネの一つかな。
スケートの村主さんもおじいさんが三重県民だな。
私の知り合いの村主さんは、忍者の上忍の子孫らしい。
村主カバネは、渡来系のどういう職業集団だか不明だが、
身体的に優れた集団だったのだろうか。
431 :
天之御名無主:2010/04/10(土) 15:44:52
私の家は確か北海道?の方がルーツなんだけど、
平家らしいです。滅びたんじゃなかったのか。
元の名前はおばあさまには教えて貰えなかったけど、
今は森です。
432 :
つかたんの歴史:2010/04/11(日) 21:25:57
語ろう。
433 :
天之御名無主:2010/05/02(日) 00:24:07
>>431 北海道は平家とは関係ないですよ。
平家は傲慢の限りを尽くした後、本州と九州の境目(壇ノ浦)で源氏にフルボッコされて散り散りになりました。
落ち延びたわずかな人間は四国や九州の山間部に身を潜めました。
源氏の殲滅部隊にバレて狩られたところもあったと思われます。
山間部に逃げ延びた平家の落ち人はそこで山里を形成し極貧の憂き目にあいます。
作物がない、物資がない。 山間部には木こりや身元の定かでない者たちもいましたから
交流相手はそういった人々でしょう。そういった人々にやがて同化していって平家を示すものは何もなくなった。
そのうち戦国時代になって人の移動は急激に高まり、その後は国替えなどもあったりと。
平家の末裔というのが果たして意味があるのか?そして信憑性があるのか、疑問に思えてきますね。
おばあさまの時代だと、昭和の最初のころまで氏族だけ、学校の賞状などには名前の前に氏族と明記されていました。
そのためもし先祖代々苗字をお持ちであったのなら誇りをもって孫に教えたと思うのですが。
おばあさまのお心がどういったものであったのかは分かりませんね。
父方の苗字を探るか、母方の苗字を探るかでもまた全然違った結果が見えますし。
434 :
天之御名無主:2010/05/04(火) 13:59:02
家紋のチェックを鴨〜ン。
渡邊は何の子孫?
渡辺綱とか?
>>438 渡辺の祖は、渡辺綱(源綱)ということになってる。
渡辺は、源綱が本拠を置いた所が摂津国の渡辺津(現大阪市中央区旧淀川河口)
であったため、そう呼ばれるようになった。
440 :
天之御名無主:2010/05/25(火) 13:45:01
天皇家も下野する時は、古例にのっとり地名を名字にすべきだな。
名字は、千代田徳仁とか東京雅子とかが良いと思う。
441 :
天之御名無主:2010/05/26(水) 23:31:48
渡辺と渡部ではビミョーに立場が異なる鴨?
渡部は渡辺氏に仕える部民、ご一党さま的な出自かと
ンデ。一族の総氏神は大阪市中央区の「渡辺」に御鎮座の「坐摩神社」。元々、宮中に奉斉されていた神様方
古来、住吉大社と共に摂津国一宮。
(大阪府神社庁が境内地に所在。)
元々は天満橋南詰めの坐摩神社の神輿御旅所に御鎮座。
大阪城築城の煽りを受けて郭外の現在地に遷座。地名もそれに伴って変更。
摂津の式内社/坐摩神社
座摩"と記すことも多く、"ザマ"とも呼ぶ。 ...
大江"とは旧社地名"大江岸"によるもので、旧社地にいう神功皇后関連の伝承にもとづくものであろうが、
坐摩神社の本来の祭神が神功皇后であったのを、何時の時代化にか末社に貶めたとも考えられる。 ...
www3.ocn.ne.jp/~tohara/settu-ikasuri.html
↑大江っていうと広島ですか?だから神功皇后ですか?
443 :
天之御名無主:2010/05/27(木) 16:08:59
日本の名字人口
トップ50の名字なんてさ
多すぎて「価値」がねぇよ!!
繁殖しすぎだ!!!
>>443 良いこと言った!!
血統だか系統なんて
所詮、ボウフラが気にする事ではないよ
445 :
天之御名無主:2010/05/29(土) 14:23:47
>>431 北海道で平氏ですかぁ
開拓団としてはいったのかな?
平家は滅びてませんよー
源氏に負けたのは清盛の系統だけ、
頼朝に味方した平氏もいたのです
平氏の中で清盛の爺さんから始まる系統が平家ね
小早川氏の祖先の土肥氏も確か桓武平氏だったっけな
岸さんは吉士氏の末裔
>>445 >平家は滅びてませんよー
>源氏に負けたのは清盛の系統だけ、
>頼朝に味方した平氏もいたのです
確かにそうなんだけど・・・
ただ、
>頼朝に味方した平氏
といったら三浦氏や上総氏や千葉氏だろうけど、
良文流平氏は平家とか伊勢氏のような貞盛流平氏に比べたら、若干弱いんだよねー、平氏としての筋目の点で。
特に三浦氏に関しては系図も大混乱しちゃってるし(良文流なのか良茂流なのかも曖昧)。
東国で筋目正しい平氏(つまり国香・貞盛流)といったら、常陸・大掾氏、陸奥・岩城氏、越後・城氏といったところかねー。
450 :
天之御名無主:2010/06/05(土) 07:31:33
451 :
天之御名無主:2010/06/06(日) 00:28:54
家紋調べたら渡辺星ってゆう家紋だった。
家紋から先祖って分からんかね?
最近大阪府八尾市の跡部町に引っ越してきた。近くに跡部神社があるんだけど跡部って苗字なんだろうか?
神社の中うろうろしても由来とか何も書いてなくて謎。
自己解決しました、変な書き込みすみません。