恵比寿様信仰【夷・戎・蛭子】

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27天之御名無主:2005/05/31(火) 11:20:01
興味あるからage
28天之御名無主:2005/09/06(火) 03:37:54
大阪府堺市の石津神社と石津太神社age
29天之御名無主:2005/09/10(土) 01:53:08
やっぱりヒルコのスレあるやんけ・・・福子信仰スレと半分被っちまってるな
30名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:21:17
水子とエビスって関係あり?
そもそもイザナギとイザナミの間でできた子供が奇形で、
海(水)に流して流れ着いた先でエビスになったというけど、
ただの流産だったってことは?
たぶん低レベルですが。
31名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:52:22
水子と関係あり、↑はでも淡路島のことだね。地図をみてたら淡路島
と琵琶湖は双子にみえた。どちらも、イザナミ、イザナギ両神に縁も深いしね。
32名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 03:03:57
俺は漂着したのは兵庫の西宮ってなにかで読んだよ。
西宮神社は、えびす神社の総社。
淡路島から西宮に流れ着いたってこと?
33天之御名無主:2005/09/21(水) 00:55:45
エビスとヒルコは別物だと思う。

エビスには蝦夷の字をあてるが、これはエミシやエゾでもある。つまり異民族の意味を多分に
もつと思われる。また、前にも指摘があるようにクジラ・イルカ等を指すこともあることから、
外部からの訪問者という意味も含むように思える。

宮本常一は漁労・狩猟生活を基盤とした縄文人の子孫を指す言葉ではないかと推論している。
仮にそれが事実で、エビスという名称が彼らが自ら誇りをもって名乗った名前であったとしても、
弥生系ヤマト朝廷の側からすれば、あくまで多くの異民族のひとつ、あるいは外部の人間の
総称という程度の認識だったとしても何ら不思議はない。

上記を踏まえると、エビスとは、ヤマト国家とは別の文化・風俗をもった外来のモノ・コトを
指し示す言葉であった可能性が高い。そうであれば、七福神の恵比寿様が宝船に乗って
やってくる外来神の姿をとることとも矛盾しない。

エビスという言葉がアウトサイダーの意味合いを内包するとすれば、イザナギ・イザナミ
の交合によって産み出されたヒルコは、エビスとは性格を異にすると考えるべきだろう。
エビスは外から内への訪問者であり、ヒルコは内から外への追放者と見えるからである。
34天之御名無主:2005/09/22(木) 03:18:33
エビスってのは後からできた抽象的概念で、欠落している「形象」を
ヒルコだの鯨だの水死体だの異民族だの猿だの武士だので埋めて全体像を作ってるわけでそ。
35天之御名無主:2005/09/22(木) 14:40:51
恵比寿=金毘羅(コンピラ)=クンビーラ(インドでワニ)=ガネーシャ(インドの象の神)
と思うんだに。金刀比羅宮の神山も象頭山だしね。
36天之御名無主:2005/09/22(木) 17:11:29
あと、ビリケンってアメリカの神だけど日本の福の神、恵比寿さんに似てるね
37天之御名無主:2005/09/22(木) 17:17:59
ビリケンさんも大阪だけど、阪神が優勝した時にダイブする橋は戎橋っていうんだって。
死んだらそのまま、エビスさんだねw
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20050922p301.htm
38天之御名無主:2005/09/29(木) 01:08:37
>34はエビスを抜いてヒルコだけの話として読まなきゃいけないなぁ・・オモタ
3934:2005/10/05(水) 00:35:46
>>38
なんで? どこが?
40天之御名無主:2005/10/10(月) 01:42:14
>>39さんへ
>>38さんは、

欠落している「形象」をヒルコと呼ぶのであって、
鯨だの水死体だの異民族だの猿だの武士だので埋めて「ヒルコの」全体像を作ってる。

見たいな事が言いたかったんじゃないかな? 違うかも知れんけど
41天之御名無主:2006/03/27(月) 23:47:31
えべっさんとお稲荷さん!?
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1006079748/l50
42天之御名無主:2006/05/19(金) 20:12:31
もし恵比須さんが蛭子であるとしたら、
恵比須さんは、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの長兄ということになるのか。
43天之御名無主:2006/05/19(金) 20:21:38
エビス三郎で、三男坊って説もあるね。
44天若彦:2006/06/07(水) 16:12:45
八王子の子安神社では水子の守り神として蛭子を祭っているよ。
45天若彦:2006/06/07(水) 16:30:59
ホツマタエでは蛭子は和歌姫、下照姫とも呼ばれている、で、
しかもタカムスビノカミの息子の思兼尊(アチヒコ)とできちゃってるんだ。

大国主命とタギリ姫との間の子にも下照姫がいるんだけどね、そっちは天若彦とくっついちゃってる。
この二つの下照姫の関係を知りたい。

46天之御名無主:2006/06/07(水) 22:08:19
そうか、全然認識してなかったが、蛭子って女だったのか。

下が照るんだから、パイパンってことかね。
ついでに、幼女みたいだから若姫、和歌姫ってことで。
47山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/06/07(水) 23:35:08
>エビス三郎
平安後期には、西宮に戎神や三郎神やその他諸々の神が祀られていた
事が確認出来ます。つまり、元々は神格が異なる。
記紀の蛭子や事代主命との同一視は、後世の事でしょう。
室町時代には、戎・大黒信仰が成立し、戎三郎と呼ばれ、蛭子の同一
で、本地は薬師如来などと言われる様になります。
48天若彦:2006/06/07(水) 23:39:45
さらにエビスはエミシとも言い、アイヌ系の民族で大和朝廷によって迫害された民族という情報もある。
49天之御名無主:2006/06/08(木) 19:28:33
> 伊弉諾尊・伊弉冉尊、共に議(はか)りて曰はく、吾(われ)已(すで)に大八洲国及山川草木を
> 生めり。何(いか)にぞ天下(あめのした)の主(きみ)たる者を生まざらむやと。

> 是に共に日神(ひのかみ)を生みます。大日靈貴※(おほひるめむち)と号す。此の子、
> 光華明彩(ひかりうるはしく)、六合(あめつち)の内に照り徹らせり。故(か)れ二神喜びて曰はく、
> 吾が息(みこ)多(さは)なりといえども、未だ若此(かく)霊異(くしび)なる児(みこ)は有さず。
> 久しく此の国に留めまつるべからず。自ら当(まさ)に早く天(あめ)に送りまつるべしとのりたまひ
> て、天上(あめ)の事を授けまつりき。是の時、天地(あめつち)相去サることを未だ遠からず、
> 故れ天柱(あめのみはしら)を以て天上に挙げまつりき。
>  ※ 「おほひるめむち」の「靈」の字の「巫」の部分は「女」。

> 次に月神(つきのかみ)を生みたまひき。其の光彩(ひかりうるはしきこと)日に亜(つ)げり、日に
> 配びて治すべしと。故れ亦天に送りたまふ。

> 次に蛭児(ひるこ)を生みます。已に三歳(みとせ)になるまで、脚(あし)猶(な)ほ立たざりき。
> 故れ天磐豫(木扁+豫)樟船(あめのいはくすぶね)に載せて、順風(かぜのまにまに)放ち棄て
> たまひき。

> 次に素戔嗚尊(すさのをのみこと)を生みたまひき。

イザナギとイザナミの事教えて!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/993454577/138
50天之御名無主:2006/06/13(火) 16:48:47
>>45

>ホツマタエでは・・・

この時点で受け入れてくれる人間と俺みたいに拒絶する人間に分かれるなwwwwwww
51天之御名無主:2006/06/29(木) 12:04:23
ウルトラマン二人より強いエビス様
52天之御名無主:2006/06/29(木) 14:38:17
淡路島にある恵比寿神社は、ヒルコを祭る神社と、事代主を祭る神社の
二種類がある。
53蛭子:2006/06/29(木) 22:16:56
>>45
>ホツマツタエかどうか記憶にないが言霊三書によると、
和歌姫は琴の名手であると同時に織物も得意で、
コレを大国主の娘に伝授した時に名前も譲渡したと書かれてましたよ。

54天之御名無主:2006/06/30(金) 21:42:21
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55山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/07/08(土) 11:20:41
>>47
夷三郎は、屋代本などの『平家物語』にも出て来ました。
56天之御名無主:2006/10/06(金) 15:54:46
全国の恵比寿の石像にある共通点とかわからない?
57天之御名無主:2006/10/06(金) 15:56:12
今ちょっとしたレポートで調べてるんだけど
誰か詳しい奴いないか?
58天之御名無主:2006/10/08(日) 12:45:46
海や河川に禍、罪、穢れを流し根の国の底の国の速佐須良姫に消してもらうと大祓詞にもあるが
蛭子の場合はその儀式?或いは東南アジアに見られる習俗の海洋葬?
それが後年漂着神信仰に混合されたの?
59天之御名無主:2006/10/08(日) 15:38:12
ほとんどの話はこっちで出尽くしてますね。
レポートの参考まで。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/990722986/

ちなみに三国志でみるに東南アジアの海洋葬で、生きたまま海に捨て子を
するのは倭人だけ。「濊伝」には当時の朝鮮半島東海岸にあった濊国に漂着
した「項(うなじ)の中にまた顔」のあるシャム双生児が船に乗せて流して
あったという記述があり、海流の方向から当時の邪馬一国から流されたもの
である事がわかります。また「濊伝」の難破した漁師の話として当時の日本
列島で7月に「童女をとりて海に沈む」という生贄の風習も伝えています。

60天之御名無主:2006/10/09(月) 08:47:01
戎神と三郎神のプロフィール、由来などの詳細きぼんぬ。
また、蛭子や事代主と同一視され、現在の恵比寿様に落ち着いたのはいつ頃で、
どんな経緯があったのでしょうか?
61天之御名無主:2007/06/04(月) 23:26:48
お姉さん今日何色?
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=253864
62天之御名無主:2007/09/08(土) 23:18:56
63山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/09/10(月) 00:01:57
>蛭子や事代主と同一視され
蛭子との同一視は、鎌倉時代までには行われていました。
現在主流の事代主命説は、ぐっと下りますね。多分、江戸後期でしょう。
それが全国規模になったのは、『福神信仰』で言われている通り、明治以降
でしょうね。由来も意識されていなかった「エビス」が、記紀神話の教育と
共に、「事代主命」と喧伝されるようになった。
64天之御名無主:2007/12/04(火) 00:00:38
65天之御名無主:2007/12/07(金) 19:14:05
恵比須 大国でタッグ組んでたんじゃないの?

スクナヒコナって神さんを祭ってる神社の神紋は柏で恵比寿さんの衣にもよく柏が見られるし。
事代主さんって一言主大神って事ないですよね?
スクナヒコナさんが事代主or一言主さんと同一神という説はないよね?
今宮戎神社に行っって御祭神にエビスさんってないのが意外に思う人が殆どと思う。
66天之御名無主:2008/01/10(木) 12:24:52
クルンテープ神社

北海道と言えばこれでしょう、やはり。
67天之御名無主:2008/02/12(火) 22:47:40
↑なにそれ
68天之御名無主:2008/05/25(日) 14:55:29
エビスさんイコール蛭子(イザナギ&イザナミの最初の子)なら、

エビスさんは、
どっこい、アマテラスやツクヨミ、スサノオの兄にあたるわけだ。
69天之御名無主:2008/11/17(月) 00:49:25
福娘は正月の終わりを告げる十日戎で「商売繁盛笹(ささ)持って来い」
の有名な掛け声と共に縁起物の福笹を参拝者に手渡す。福娘の一人、
村岡万由子さん(18)は「健康に気をつけて頑張ります」と話していた。
http://web.archive.org/web/20010126074000/www.nnn.co.jp/dainichi/news/news0105.html
http://7u1107.img.jugem.jp/20061107_117932.jpg

正月が近づいてきましたねえ
70天之御名無主:2009/09/29(火) 23:30:18
家のすぐそばに勧請されたらしい恵比寿様がある
最近になって時々手を合わせる
71天之御名無主:2010/06/14(月) 14:26:50
【今宮戎神社】大阪市浪速区
 旧暦の1月10日にキンマラ市
がたち、金粉を塗った張子の男根
が売られ、大半の人がこれを買っ
て福運を願った。どうも昔は笹で
はなく、張子の男根を授かってい
たようだ。ただし、明治5年の太
政官布告で全面的に禁止となりま
した。因みに福笹は京都えびす神
社が最初に授けていたようだ。
72天之御名無主:2010/06/14(月) 14:44:53
▼【キンマラ】
⇒旧・正月10日、今宮戎神社
(大阪府) 金粉を塗った土製
や木製や張り子の男根が山と積
まれ、大半の人がこれを買って
福運を祈った。ただし、明治5
年の太政官布告で全面的に禁止
となった。「十日恵比寿」とも
言った。→大阪・大阪市浪速区

 ▽【……余聞】
  喜田川守貞の『守貞漫稿』
には『恒例の売物として張抜き
製の陰茎に金粉を置き、あるい
はべんがら塗りの物を売る』と
ある。
73天之御名無主:2010/06/26(土) 07:17:44
有名戎の一覧と起源。
結構あたらしい十日戎も多いし、
福笹も明治以前はどうも京都ゑびす神社〔建仁寺〕
以外出していなかったようだ。

@今宮戎神社の十日戎の起源  十日戎の行事は江戸時代中ごろから賑わいを
見せだし、延宝三年(1675)の現在残る最古の 大阪の案内の図「葦分舟」
には今宮の十日戎の風景が描かれています。
A西宮神社の十日戎の起源  毎年商売繁盛を祈願する十日えびすは、古くは
御狩神事(みかりしんじ)とか忌籠祭(いごもりさい)と称されていました。
かっては、市中の各戸も九日の夕刻に門を閉じ、静寂を守っていたことが室町
時代の重篇応仁記に記録されています。
B堀川戎の十日戎の起源  江戸時代中ごろより祭礼が盛り上がり、 ミナミの
今宮えびすとキタの堀川えびす が大阪の 十日えびすを代表するようになる

C大阪天満宮の十日戎の起源  戦後途絶えていた十日戎を、上方落語教会会
長 桂三枝の意向もあり復活する。
D柳原蛭子神社の十日戎の起源  神戸市兵庫区の柳原のえべっさんの十日戎
は、そんなに古い行事ではなく、先々代の宮司(井上四郎宮司)が、西柳原町
内や柳原商店街や福海寺(大黒さん)の協力をえて、西宮戎(西宮神社)の十
日戎の繁栄を参考に始めた。

三大十日戎 @西宮神社 A今宮神社 B京都戎神社(柳原蛭子神社)
(堀川戎神社) などが三大十日戎としてあげられる。

74天之御名無主:2010/06/26(土) 07:34:19
○西宮神社の十日戎は
昔、御狩神事(みかりしんじ)とか
忌籠祭(いごもりさい)と称されていました。
○今宮神社の十日戎は
昔、キンマラ市と称されていました。
○京都ゑびす神社の十日戎は
昔、京都五山の建仁寺の行事として福笹を授けていました。
伝統って変わっていくんだね
75天之御名無主:2010/07/31(土) 07:08:34
神戸の柳原のえべっさんに子供の頃からいってるけど、
今宮、西宮のえべっさんにいって、柳原のえべっさんの特異性がわかった。
それは祀られている大黒さんがお寺なのだ!
そこで調べてみると、おもしろい話があった。

古くは柳原蛭子神社のえべっさんは宮守を置かず、
地元の有志によって支えられていました。
そのため1月の9、10、11日に「神事とし
ての 十日戎」が行なわれていたかどおか分か
りません。境内地も戦後の都市計画で拡張さ
れるまでは、現在の様に広くありませんでした。
戦争で焼けてしまった旧社殿は地域の頼母子講
で建てられたようです。加島の玉子焼きで知られ
る加島氏が運営する神農会の何代か前の親方が、
神社からの依頼で出店を出すまでは、今日の様
な十日戎ではなく、ひっそりとしていたようです。
出店を出しだすに当たり、柳原の町内では店舗を
出す人達で反対する人も多くいました。その当時、
柳原蛭子神社と大黒さんの福海寺の氏子と檀家が
共通しており、寺総代と神社総代世話役を兼ねる
人が多くいました。神社総代世話人の意見が分かれ、
神社総代らが町内で影響力のあった福海寺のオオミ
さんと言う住職に取りまとめを頼んだようです。
福海寺は近隣住民で組織する、頼母子講の胴元も
していたようです。そして神社・寺総代らに薦められる
形で福海寺は台所に祀ってあった大黒さんを表に移動させ、
境内を開放し、大黒さんを祭るようになったそうです。
えべっさんは戦後宮司さんが若くしてなくなり、また町内で
おもりをしていたそうです。


76天之御名無主
柳原のえびすさん自体そんなに古い祭りではなく、
前の前の宮司さんが、柳原町内や柳原商店街や福海寺
の協力をえて、西宮のえべっさんの繁栄を参考に始めたようです。
それまでは地元の有志でひっそりとお祀りしていたようです。

えべっさんは境内が今よりもっと境内が狭かったため、近隣の協力
無しではお祭りが出来なかったようです。最初の頃はぜんぜん賑わ
ってなく、宮司さん自身が鍋釜を棒でたたいて、兵庫駅に汽車が着
く時間を見て、お客を呼びに行っていたほどらしいです。出店が出
だしてようやく盛り上がったようです。

何年か前にドラマ水戸黄門で柳原十日えびすの場面が出ていたようですが、
えびす神社は古くからあっても祭礼はありませんでした。全くのフィクションです。

明治の頃までは宮司さんは存在せず、近隣の住民によってお守りされていました。
明治に出版された兵庫史のバイブル「西摂大観」にも記載無く神社の記載も有りません。
その他兵庫史の有名どころの兵庫名所記、摂津名所図会などにも同じです。
大黒さんの福海寺にも観音さんや尊氏の記事はあっても、大黒さんの記述はまったく
ありません。