坂上田村麻呂

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1坂之上田村麻呂
命の保証はすると言って降伏させたアテルイを都へ護送中、アテルイの地元から遠く離れ、
彼の仲間には知られない所に来た時、後ろ手に縛り、暴れるアテルイを押さえつけ、首跳ねてやったわ。
騙し討ち、騙し討ち。
 こうして朝鮮人は、縄文人を支配したのよ。
 しかも、正義の見方アテルイを盗賊の頭に仕立て上げた民話まで地元に植え付けてやったわ。韓ラ韓ラぁ。

立ったまま埋葬された田村麻呂はそう言ってそうですね。
2天之御名無主:04/12/05 23:20:34
2げと
3天之御名無主:04/12/07 12:04:45
日本各地に残る神話や民話には、彼が各地に建立した寺に中央から派遣された僧侶達によって地元に植え付けられたものが多くあるんでしょうね。
4天之御名無主:04/12/07 23:04:41
「まろのやしきはさかのうえにあるさかのうえのたむらまろていじゃ」

「わがなはなわながとしともうす」
5天之御名無主:04/12/10 13:30:23
日本史板でいい話題だと思うが
6天之御名無主:04/12/10 21:38:12
神話や民話には、実際にあった出来事を時の支配民族、朝鮮人の作った朝廷に都合のいい様に史実を捻じ曲げ、面白おかしく作られているものが多いらしい。
7天之御名無主:04/12/10 21:45:32
現在の学説には、実際にあった神話や民話を時の左翼学者、朝鮮人の作ったマスコミに都合のいい様に史実を捻じ曲げ、面白おかしく作られているものが多いらしい。
8天之御名無主:04/12/10 23:18:06
チョン乙




屈折してますねw
9天之御名無主:04/12/11 18:40:14
前に、四国のほうにもそんな話があるって聞いたことがあるけど
10天之御名無主:04/12/11 20:35:41
これ俺の勘だけど、朝廷は東北地方と九州で最後まで侵略戦争してたから、
多分九州にもそんな話があると思う。
そう言うのって大概鬼退治の話なんかになってるんだよね。
11ダンの花:04/12/11 22:02:36
スサノオ→ヤマトタケルっていう文化英雄の系譜をひいているよね。
以下の事は思いつきで書いているんで、眉唾で読んでくださいな。

記紀伝説との相違は、前代が天皇に準じる存在の親征という形をとったのに対して、臣下の一武将の遠征に変わっていることと
ヤマトタケルが常陸風土記では井戸を掘るなどして地名起源説話を残しているのに対し、田村麻呂も井戸に関する地名期限説話を残しているけれど、目立つのは各地で寺社の縁起譚を残しているということ。

これは律令制国家の確立と関係があるんだろう。
官僚制度が整い天皇自らが親征する必要が無くなったことと、朝廷の権威として仏教の勢力が増してきたことが田村麻呂の伝説を作り上げたんだと思う。

この後、仏教の権威は朝廷から離れ、弘法大師をはじめとする名僧の放浪譚が生まれてくる。
田村麻呂の亡くなった弘仁2年(811)から5年後の弘仁7年(816)に弘法大師空海は高野山を下賜されている。
武力、信仰、権力、といったものが未だ未分化だった上代から、それぞれ立場を明らかにしだす古代へと時代は移りだしている。
古い秩序に変わる新しい秩序が見え始めている。
私は上代から古代へと移る過渡期に生まれた英雄として田村麻呂を評価できると考えている。

中央と周辺、権力なんて視線を交えながら文章にしたら面白いものが出来そうな気がするけど、どうなんだろなー
12続きはこっちで:04/12/12 01:06:44
★★古事記、日本書紀について★★
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1012122820/908
13続きはこっちで:04/12/12 01:10:17
14天之御名無主:04/12/12 01:12:35
おじゃる丸は坂上姓だったよな。
どうでもいいか
15風間伸司:04/12/17 22:57:45
サントリーの佐治の先祖らしい
16天之御名無主:04/12/19 16:01:58
悪路王なんて分り易い名前付けたもんだよね。
昔の学の無い民衆はそれを信じたんだろうね。^^;
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ