★★古事記、日本書紀について★★

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908坂上田村麻呂から転載
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1102220300/
11 :ダンの花 :04/12/11 22:02:36
スサノオ→ヤマトタケルっていう文化英雄の系譜をひいているよね。
以下の事は思いつきで書いているんで、眉唾で読んでくださいな。

記紀伝説との相違は、前代が天皇に準じる存在の親征という形をとったのに対して、臣下の一武将の遠征に変わっていることと
ヤマトタケルが常陸風土記では井戸を掘るなどして地名起源説話を残しているのに対し、田村麻呂も井戸に関する地名期限説話を残しているけれど、目立つのは各地で寺社の縁起譚を残しているということ。

これは律令制国家の確立と関係があるんだろう。
官僚制度が整い天皇自らが親征する必要が無くなったことと、朝廷の権威として仏教の勢力が増してきたことが田村麻呂の伝説を作り上げたんだと思う。

この後、仏教の権威は朝廷から離れ、弘法大師をはじめとする名僧の放浪譚が生まれてくる。
田村麻呂の亡くなった弘仁2年(811)から5年後の弘仁7年(816)に弘法大師空海は高野山を下賜されている。
武力、信仰、権力、といったものが未だ未分化だった上代から、それぞれ立場を明らかにしだす古代へと時代は移りだしている。
古い秩序に変わる新しい秩序が見え始めている。
私は上代から古代へと移る過渡期に生まれた英雄として田村麻呂を評価できると考えている。

中央と周辺、権力なんて視線を交えながら文章にしたら面白いものが出来そうな気がするけど、どうなんだろなー