基礎論なぜなにスレッド

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1132人目の素数さん
というわけで、楽しくおしゃべりするようなスレッドで、議論するのは
居心地も悪いので、別スレ立ててみました。

まあ、世間の哲学趣味とかに文句やら、基礎論関連で質問やらあったら
ここでやりません?
2132人目の素数さん :2000/10/03(火) 06:54
今井塾関連もやるならこっちでどうですか?
3>2 :2000/10/03(火) 06:58
いきなりソレですか・・・
4132人目の素数さん :2000/10/03(火) 12:21
集合論が現代数学の基礎付けに利用されているからといって数学教育の基礎段階で集合論を教えるのは、
量子力学が物理学の基礎だから、理科教育の基礎段階で量子力学を教えるようなもので、ナンセンス。

という趣旨のことをえらい人がいっていました。
5粘菌ちゃん :2000/10/03(火) 12:28
>>4
小平邦彦さんだと思います。
生物の個体発生は系統発生を繰り返す、とのアナロジーで語っていたと思う。
6132人目の素数さん :2000/10/03(火) 13:06
>>4
懐かしの New Math ですなあ。あれはあれでひどかった。
7132人目の素数さん :2000/10/03(火) 21:17
哲学板か、大学受験板の方に引っ越したほうがうけると思うよ。
数学板じゃなくてさ
8洗濯高利 :2000/10/04(水) 00:47
>7
基礎論を村八分にするなぁー。
公理的集合論に新たなパラドックスをみつけて、
数学の危機を再来させてやるー!

>4
>数学教育の基礎段階で集合論
私は数学教育の基礎段階で述語論理の基本的な定理を教えることを
重要だと思っているぞ。
無矛盾性とか完全性定理ではなくて、
論理式についての
(A→B)→CとA→(B→C)は同値ではないこと、
A∧B→CとA→(B→C)は同値であること、
∀x∃yP(x,y)と∃y∀xP(x,y)は同値ではないことなど
こういう基本的でかつ暗黙の了解にされていることをおしえないがゆえに、
数学の証明で理解不能に陥って挫折する人がけっこういる。
できれば高校から教育されることがいいのだろうが、
大学1年のはじめの2、3時間は述語論理にあててもいいのではと思う。
9132人目の素数さん :2000/10/04(水) 02:30
数学は新しい何かを発見するために学ぶのだと思う。そして人類の生活の向上のために。
10sage :2000/10/04(水) 06:21
>公理的集合論に新たなパラドックスをみつけて、
>数学の危機を再来させてやるー!

べつに大した危機にならないとは思うが、まあ頑張ってくれ。
基礎論屋以外はZFCなんて意識してないだろう。

>できれば高校から教育されることがいいのだろうが、

今の高校数学でもある程度やってない?

>大学1年のはじめの2、3時間は述語論理にあててもいいのではと思う。

うちの大学ではε-δやる前に∀や∃の訓練をやってた。
11ぽこちゃん :2000/10/04(水) 07:37
>9
計算量のクラス分けと、代数多様体の分類に、
意義の違いがどれほどあるんだろうね。

私は代数幾何はわからないが、意義がないとは言わない。
12>11 :2000/10/04(水) 07:51
何故それを9に?
13132人目の素数さん :2000/10/04(水) 09:28
>うちの大学ではε-δやる前に∀や∃の訓練をやってた。

やったやった。
14132人目の素数さん :2000/10/05(木) 15:17
「集合論こければみなこける」は間違いだという主張が目立つが、
公理的集合論で現代数学がほぼすべて展開できるということと
公理的集合論の無矛盾性は証明されていないということを
まず確認しよう。
次に、公理的集合論で新たなパラドックスが発見されたと仮定しよう。
それは矛盾している命題が公理的集合論の定理になったということだ。
公理的集合論がほぼすべての現代数学を展開できるということは
例えば、整数論の定理を公理的集合論の定理として記述できるということだ。
整数論の定理であれば公理的集合論の定理であるといってもいい。
また、公理的集合論の定理で整数論の定理として記述できるものは
整数論の定理であり、公理的集合論の定理である。
さて、ひとたび矛盾が定理となったら、それ以降なんでも証明できる。
1+1≠2も定理になる。これは整数論の命題として十分な命題だ。
もちろん、ある整数論の定理に対して、その否定も整数論の定理と
して証明できる。

ある整数論学者が苦労して100ページにも及ぶ定理の証明を書いた。
そこへ基礎論屋がやってきて、ほんの数行の同じ定理の証明と
その定理の否定の証明をみせた。
この証明に対して、この整数論学者は論理的に反証することができない。
こんな事態が起きるかもしれない。

「集合論こければみなこける」は間違いだという主張について、
なぜそうなのか説明がほしい。

15132人目の素数さん :2000/10/05(木) 15:44
数学的な考察の対象になるものがまず先にあって、それが数や図形や
その他もろもろなのだけど、そういう性質をまとめていく上で、現時点で
記述上基礎作りに使用されているのが公理的集合論ということです。たかだかここ100年の話。

将来には別の理論で数学の基礎が書きなおされる可能性もあるということです。
(数学の基礎を書きなおすということの数学的価値が、必ずしも大きいという訳でもないし。)
16>14 :2000/10/05(木) 15:52
>そこへ基礎論屋がやってきて、ほんの数行の同じ定理の証明と
>その定理の否定の証明をみせた。

まったく同じ仮定のもとで、そういうことは起きるのですか?
17132人目の素数さん :2000/10/05(木) 16:08
正五角形は3つの二等辺三角形と考えるとすべての辺が分かっているので、ピタゴラスの
 定理やヘロンの公式を使うと面積が求められるといえる。だけど、やってみると√の中に
 √が入ったりして大変なことになってしまった。
18132人目の素数さん :2000/10/05(木) 17:29
>16
厳密でないといして証明が必要な補題を挙げられるということはありえます。
191 ざんす :2000/10/06(金) 00:33
おいおい

>∀x∃yP(x,y)と∃y∀xP(x,y)は同値ではないことなど

なんざあ、論理とか習う以前の常識だぜ(苦笑)最近は、理系で、しかも
数学やろうってやつでもこんなレベルなの?
201 ざんす :2000/10/06(金) 00:40
>>7
哲学板にはすでに「論理学」スレッドが存在しています。また、基礎論と
論理学では興味の対象が微妙に違います。最大基数がどうしたなんて議論には
多くの論理学者や哲学者は興味を持たないでしょう。基礎論が
哲学と親和性を持っていたのは昔の話です。ここで、こういうふうにするのが
ベストと思うっすよ。
21ぽこちゃん :2000/10/06(金) 03:12
>11
ごめん>9
別のスレッドの別人と勘違い。

>15
ZF 集合論が矛盾していても、
2階算術が生き残っていたら、かなり生き残るだろうけど。
失うものもおおきいなあ。
221 ざんす :2000/10/06(金) 08:59
4の小平の発言なんだけど、これは、New Math で、算数教育が
大打撃を食らった時の発言だよね。New Math ってのは、まあ、定義からがっちり
抽象化ばしばしで算数を教えると言う今思えばとんでもないやつ。

そういう考えだから、小学校で集合からやりましょうとかも言い出したんだね。

で、当然この New Math は破たんして、批判の集中砲火を浴びたんだけど、
この時、スケープゴートにされたのが集合。そもそもの全体的な構想が狂ってるにも
関わらず、あたかも単元としての集合のみが悪いように言って、集合だけ
小学校では教えないと言う墨塗り教科書みたいなまねをしたのだ。

当時小学生だった俺は、こんな簡単な単元のせいで何かが悪くなったりするんだろうか
不思議に思ったものだ。
23132人目の素数さん :2000/10/07(土) 10:32

数学における基礎論の位置づけはどうなんでしょうか。
やっぱり、ぼくには基礎論の人々は別世界の人に見えます。

基礎論では今どのような状況で、
どのようなことが課題になっていたりするのでしょうか。
# 「P = NP 問題」なんかは基礎論なんでしょうかね?

専門家の方、
できれば素人にもわかりやすく、解説願います。
24132人目の素数さん :2000/10/09(月) 00:47
私は6年間大学で数学をやって殆どの分野が面白いな、と感じたが
基礎論だけはつまらなかった。大事な分野であろうとは思いながらも。
25Scr :2000/10/09(月) 02:11
え?そうかなぁ。
小学校でばりばりぶるばきしてほしかったと、ぼくは思う。
26>25 :2000/10/09(月) 02:30
基本的な計算力や思考力の裏づけがないうちから抽象論やったって
身につくはずないでしょ。
27>25 :2000/10/09(月) 02:52
そういう小学生が大勢いるなら「ばりばりぶるばき」するのもいいかもしれません。
281 ざんす :2000/10/09(月) 06:40
>>27
そんな小学生やだ。
29132人目の素数さん :2000/10/10(火) 05:46
age     
30132人目の素数さん :2000/10/11(水) 05:41

NewMath や Bourbaki はともかく,
高校くらいでもある程度,抽象的なことを
やってもいいんじゃないかなとも思う.

群とか Galois 理論とか,
センスがある生徒なら,非常に興味を示すと思う.
31名無しさん@お腹いっぱい :2000/10/11(水) 16:15
>>30
群を教えるのは賛成。ただ教え方の問題はある。
ただ無味乾燥に群の定義をおしえたあと練習問題をガシガシやらせるより、
群によって表現できる対称性の美しさが分かるようにするといいと思う。
すくなくとも高校のレベルでは具体的な美しさを味わってもらうほうがいいと思うね。
なんでこんなもの習うんだと昔高校でおもったが(いまは教えないらしいね?、歳がバレる^^;)
素粒子物理におけるハドロンの分類や化学における結晶構造の解析、文化人類学の近親相姦タブーと贈与交換の分析などに
実際に使われたときのパワフルさは感動もの。
特にハドロンの分類などは群の対称性から新素粒子の存在が予言され、あとから実物が「発見」されたわけだから、自然にひそむ抽象性には感動する。
高校生にはこの面白さとともにおしえてほしいね。
32132人目の素数さん :2000/10/13(金) 06:05
竹内外史氏の本を読むと、
「LK(の基本定理)は便利、美しい、偉大」と三拍子でほめてます。
LKの基本定理にはどのような応用があるか教えてください。
33132人目の素数さん :2000/10/13(金) 06:17
>>32
あれがないと、証明論がひどいことになるんじゃないかな?

基本定理のおかげで、LK の証明図は、上に行く程式が単純に
なることが保証されるわけで、それに頼っていろいろでき
るってことじゃない?

応用っていうか、微積分の基本定理みたいに、ないとどうにもならん
という定理なのでは?

#詳しい方フォローお願い
341 ざんす :2000/10/14(土) 15:43
それから、基礎論に興味がある人も、がたがた文句を言うひとも、
とりあえず、

「数学の基礎をめぐる論争」シュプリンガー・フェアラーク東京

を見てみることをお勧めします。
351ざんす :2000/10/14(土) 15:51
このほんの中には、

「ブルバキの無知」

という論文が入っている。とりあえず、ブルバキと、数学基礎論
のメインストリームを結び付けるのは無理があると言うことは
言えると思います。関係ないっていうか、連中は基礎論の動向なんぞ
知らないでやってるってことです。

ブルバキストの基礎論への無知丸出しないくつかの発言を考えれば、
このスレに彼等の名前が出てくることはちょっと違和感があります。

無知だからといって別に彼等の仕事全体を批判するわけではないです。
基礎論や集合論絡みでは、彼等はあまり当てにならないと言うことを
言っているだけです。
36132人目の素数さん :2000/10/15(日) 01:16

ピュアな疑問です.

Bourbaki の基礎論に対する無知とは具体的に,
どのような根拠から来るのでしょうか?

『原論』の集合論の巻がナイーヴ集合論の立場から
書かれているという意味でしょうか?
37132人目の素数さん :2000/10/15(日) 11:32
>36
ゲーデルの定理をまるでなかったかのように
書いている、とかそんな内容だったような。
版が改訂されるにつれ言及されるようになったとは言ってるけど。
3836 :2000/10/15(日) 23:47

Bourbaki の初期のメンバーというのは,
H. Cartan, Weil, Dieudonne, Chevalley あたりですよね.
それから,Serre, Borel, Grothendieck でしょうか.
誰も基礎論に興味もってなさそうですね.

というか,数学にもお国柄というのがあると思うんです.
フランス人のやる数学というのはうまく言えないですけど,
非常に抽象的,一般的な定理を作り上げて,
その特別な場合として,具体的な役に立つ結果を出して,
その定理の威力を味あうというような
スタイルが好きだと思うんです.
基礎論でそのような議論はしにくいのではないかと…
39132人目の素数さん :2000/10/20(金) 01:02
>>38
そういうスタイルの問題と言うよりも、なんというか、伝統的なフランス数学界
のながれのせいじゃないかと思うんですけどね。
40132人目の素数さん :2000/10/20(金) 20:04
初期ブルバキの反ドイツ感情…ていうのは?
4136 :2000/10/21(土) 07:12

「反ドイツ感情」というのは感じられません.
というよりも,ドイツの抽象代数学や集合論に
刺激されていたのではないでしょうか.

フランスには Cauchy 以来の解析の伝統がありますが,
彼ら若手の数学者はそれが停滞しているのを感じ,
むしろ,ドイツ的な要素を取り入れ,
集合論をベースにフランス数学を現代化しようというのが
Boubaki を作る動機になったのではないでしょうか.

それは当初,大成功していたように思われます.
42ぽこちゃん:2000/10/26(木) 02:27
同書は fj で議論されてる部分について見ただけですが。
Boulbakiの集合論が非常につかいづらい問題ってのは、初期メンバーになるはずだった
基礎論にも通じてるHerbrandが登山事故で亡くなったことに尽きるんじゃないでしょうか。
43132人目の素数さん:2000/10/26(木) 11:09
>>42
にゃるほど。そういえば、エルブランがいたなあ、、

ブルバキが基礎論絡みを無視するのは、ポワンカレが論理嫌いだった
からだとかってに思ってた。
44132人目の素数さん:2000/10/27(金) 10:05
>>38
ブルバキって、代数幾何方面のひとが多いのでしょうか?
45132人目の素数さん:2000/10/27(金) 14:49
ところで、基礎論って呼び名は誤解を招きやすいと思うんだけど。
英語ではmathematical logicだし。だいたい数学の基礎でもなんでもないでしょ。
4636 = 38:2000/10/27(金) 23:12

> ブルバキって、代数幾何方面のひとが多いのでしょうか?

どうなんでしょう.
Cartan とか Weil とかも初めはやっぱり,
解析みたいのやってたし,
Serre もホモトピー論のようなことをしてたみたいだし,
あの Grothendieck ですら,
Dieudonne や Schwarz の下で,まず,
関数解析で実績を上げたようです.
それから,なんとなく関心が代数幾何のほうに
移っていったのは時代の流れじゃないでしょうか.

1955年の Serre の“Faisceaux Algebriques Coherents”と
いう大論文で層を代数幾何に導入しますが,
これはその象徴的な出来事のように思えます.

でも,Bourbaki の『原論』が代数幾何よりに
偏っていたとは思いません.

というか, Weil も Serre も Grothendieck も
代数幾何というより数論を見ていたのではないでしょうか.
47132人目の素数さん:2000/10/28(土) 01:44
WeilやSerreはともかく、Grothendieckも?
48132人目の素数さん:2000/10/31(火) 22:49
集合論学者ってなにしてんの?
49部外者:2000/11/01(水) 04:13
フォースを使っている。
おいしそうな基数を測っている。
エフェクティブ構成可能か集まってる。
世界が簡単に作れるとこんな変なこともあると喜んでいる。
ゲームで無限に遊んでる。
モデルに活躍の場をあたえてる。
その他いろいろ。
50ぽこちゃん:2000/11/01(水) 04:26
>数学基礎論
ほんとは
単純に論理学もしくは数理論理学で通じてくれたらいいんですけど。
哲学じゃない数学としての論理学を前提とした
証明論・モデル論・帰納的関数論・集合論を包含してる用語として
受け取ってとってもらえないんじゃしかたないですね。
5149:2000/11/01(水) 10:31
>49
なんかおもしろそうなことばかり。
5251:2000/11/01(水) 10:33
名前まちがえた。
49−>48
53132人目の素数さん:2000/11/06(月) 14:05
スレッド濫立防止あげ
54名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/07(火) 12:19
すんまそん、トンデモが入ってる素人ですが教えてください。

「真でも偽でもない命題が存在する」ってことは、数学の世界だけのことなんでしょうか?
現実の物理的世界で、こんなことって起こりえるんでしょうか?起こりえるとしたら
どのように現象として現れるんでしょうか?
55132人目の素数さん:2000/11/07(火) 12:27
まず、数学の世界でも真でも偽でもない命題は存在しない。
ただ、真なのか偽なのかどちらかに決めることができない命題
は存在する。
たとえば「この命題が真であることはけしてわからない」のたぐい。
数学的な論理に従って実際にこういう命題を作るのはそんなに簡単
ではないけど、それは現実の一部だと思うね。

現実社会に近いところではそのことの影響があるかという意味なら、
たとえばコンピュータのプログラムにバグがないことをコンピュータ
自身に判定させることはできないのがそうだね。それは実は真か偽か
決められない命題があることと同じ理屈でそうなっている。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/07(火) 13:14
どうもありがとうございます。なるほどなるほど。
プログラムのバグについては良くわかりました。

トンデモなんですが、現実世界を一つの数学的対象(ここに無理がありますか?)
と見た場合、「その事象が真であることは決して証明できない」ような
事象が存在するのかなあ?って思ったのです。

例えば量子力学の「粒子でありかつ波である存在」とか、相対論の「因果律は破れない」
とかがその例として捉えられないのかな?と妄想してみたんですけど。

「量子力学の体系」の中では証明できないのはわかりますが、もっと広い物質世界全体に
体系を広げると、そういう命題の存在って?ああ、なんか気持ち悪い。
57132人目の素数さん:2000/11/08(水) 07:31
まず、物理の観測事実を証明しようと言うのはある意味
ナンセンスだ。というのも、たとえば「因果律が破れな
いとしたらどうなるか」を議論しているわけだから。

もちろん、長い長い議論の末に「因果律が破れないとし
たら、どこかで破れていなければならない」とかの結論
がでる可能性も無いとは言えない。だけど、それは上の
バグの話と同じで、そんなことがないなどとはけして証
明できない。でもそれはべつに相対論も量子力学も本質
的なことではなくて、もっと基本的な、我々が言語を使っ
て論理を記述することの問題で、まず避けられないこと
なのだ。

標語的に言えば、「全ての科学は実効理論だ」といえばよ
いかな。つまり「いままであっていたから、次は違ってい
ると考える理由はない」程度の意味しかない。それは人間
の言語そのものが持つ限界だから、科学が宗教ではない以
上、過剰な期待は持たないほうがいい。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/08(水) 13:35
どうもありがとうございます。今回の話は、難しくてちょっと良く
わからないところもあります。

僕が妄想した内容がうまく表現できなかったのかも知れませんが、
「現実世界の事象」がすべて「論理命題」に還元できるなら、
「現実世界の事象」のうちで「真か偽か証明できないもの」が存在
するのかなあ?という疑問だったわけです。

>標語的に言えば、「全ての科学は実効理論だ」
という上の内容は、そもそも
「現実世界の事象」は「論理命題」に還元できない、という主張、
と考えれば宜しいわけですか?

またもっと勉強して出直してきますね。
59虫取りさん:2000/11/12(日) 05:26
>55
数学で真でも偽でもない命題が存在するか?

より正確にはどういう論理を採用するかで答えが変わる。
60132人目の素数さん:2000/11/12(日) 13:15
>59
 なるほどね。突っ込もうかと思ったよ。
61132人目の素数さん:2000/11/13(月) 01:52
>>60
つっこめば?だいたい、論理ではなくて公理系だろ?普通の数学する場合に
古典論理以外の論理使うわけねーじゃんか。

それから、ついでに言えば、自己言及を使ったゲーデル的な命題以外に
よりナチュラルな意味を持った決定不能命題は発見されているぞ。
62加護天使:2000/11/14(火) 03:57
そうそう、古典論理以外はまず考えなくてもいいわ、
でも、理論と論理の区別はつけてね。

グッドシュタイン数ってナチュラルかしら?
6361:2000/11/15(水) 00:21
>>62
わたしは「より」とつけましたが?
6461:2000/11/15(水) 05:15
なんか意味もなくきつい言い方にとれる言い方になっとるな(^^;; わるくとらないでちょうだい。
65ぽこちゃん:2000/11/30(木) 01:12
景気回復祈願あげ
66132人目の素数さん:2000/12/04(月) 18:48
age
67132人目の素数さん:2000/12/11(月) 02:57
自然数を規定するペアノ公理系の第5公理は数学的帰納法の公理ですが、
いくつかの本で、この公理が
排他条件:「公理1から4によって構成されるもののみが自然数である」
と同値であると書いてありました。
これが同値であることの証明を教えてください。
68ぽこちゃん:2000/12/13(水) 05:38
自然数の集合Nの公理というかたちでしょうか?

公理1:0はNに含まれる。
公理2:xがNに含まれるならば、S(x)もNに含まれる。
公理3:Nに含まれるどの数xについても、S(x)=0ではない。
公理4:Nに含まれるどの数x,y についても、S(x)=S(y)からx=yが推論される。
公理5:数の集合Wが0を含み、Wの任意の数xについてS(x)がWに含まれるならWはNの全ての数を含む。
6967:2000/12/15(金) 01:47
公理1:0は自然数である。
公理2:xが自然数のとき、s(x)も自然数である。
公理3:s(x)=0となるような自然数xは存在しない。
公理4:x,yが自然数で、s(x)=s(y)ならば、x=yである。
公理5:A(x)を自然数xについての述語とする。
   このとき、
  (@)A(0)が成り立つ。
  (A)任意の自然数kに対して、
    A(k)が成り立つことを仮定すれば、A(s(x))が成り立つ。
  この二つが証明されれば、
  すべての自然数に対して、A(x)が成り立つ。

この公理で第5公理が
「公理1から4によって構成されるもののみが自然数である」
と同値であることの証明を教えてください。
70132人目の素数さん:2000/12/16(土) 02:31
age
71ぽこちゃん:2000/12/20(水) 02:08
>69
もとの帰納法の公理で
Sが”自然数全体”で単調であることを証明できるから
単調とは任意の式P、Qについて次の式がなりたつこと
∀x∃yP((x)→Q(y))→∀x∃y(P(sx)→Q(sy))
Nが最小不動点となり、
「1から4で構成されるもののみ」と結果的に同じとなるとおもうけど。
逆がすぐには思いつかない。

むかしの私を思いだしての余談だけど、
いわゆるwell-foundedな定義と、ペアノ算術の帰納法
そして、集合論の基礎の公理(古典論理で∈帰納法と同値)
をごっちゃにはしてないよね。

72ぽこちゃん:2000/12/20(水) 02:23
>71
すまんおおぼけだ。
定義の式単調の
べつのをコピーしたままだった。
∀x(P(x)→Q(x))→∀x(P(sx)→Q(sx))
73ぽこちゃん:2000/12/20(水) 02:39
>71
訂正する。式をまちがえてるすまん、
二日酔いでぼけてるなあ。
∀x(P(x)→Q(x))⇒∀x(P(sx)→Q(sx))
74132人目の素数さん:2000/12/20(水) 16:40
>>69

A(x)を「xは自然数である」としてみれば自明
75132人目の素数さん:2000/12/20(水) 23:44
>>74
それって、述語?
ていうか、述語って何?
76132人目の素数さん:2000/12/21(木) 04:24
古典論理も忘却の彼方だがこの場合xから{0,1}への関数では
なかろうか。
77ぽこちゃん:2000/12/21(木) 04:44
>74
それができないから、くろうするんだよ。
迎え酒をあおりつつ書くけど、
述語ってのは個体をいれたら論理値をかえす”関数”だ。

個体変数と定数0
等号=を基本述語、後続者sを基本関数記号をとるだど。

項っていうのはものだ
定数もしくは個体変数そのものかそれに基本関数記号を作用させたもの。
式ってのは論理値がかえる
基本述語=の両辺に項をいれたもの、あるいはそれに論理記号をつけたもの。

でだ、
「xは自然数である」の真偽を確かめるのに
自然数って何かがわからなきゃいかんだろ、
公理を全部アンドで結べばいいかといえば、この帰納法の公理は有限じゃない
メタのレベルでもないんだから悪循環起こすよ。
78132人目の素数さん:2001/02/04(日) 00:30
あの、僕は基礎論が専門ではないんですけど、友達が「公理の作り方によっては1+1=3になる公理系も作れ」って言ってたんですが、それは本当なのでしょうか?もし、本当であれば、作ったものを見せて欲しいのですが…
79ぽこちゃん:2001/02/06(火) 03:26
>78
矛盾からどのような論理式でも導ける程度の、
普通の論理をとれば、
矛盾した公理系を採用し、言語としてそれらが含まれていればいいのです。
80ぽこちゃん:2001/02/07(水) 02:54
意味のあるというか、矛盾してない例だと
0,1,+,= が言語に含まれて、
0+1=1が成立するとき、
数字を定義して
0:=0,1:=0+1,2:=(0+1)+1,3:=((0+1)+1)+1
で論理和と同じに公理つくれば、
公理としては、0+1=1,1+1=1後は結合法則で充分だが。
1+1=3=((0+1)+1)+1=1
が証明できる


81あげ:2001/02/10(土) 02:21
あげ
82132人目の素数さん:2001/02/11(日) 11:40
>>78
一番普通なのは、S(0)=0ってするやつじゃないかなぁ。
Peano arithmetic(68参照)から公理4を外しちゃうやつ。
そうすると、{0}をuniverseとするmodelがあるから無矛盾だし、
S(0)=1, S(1)=2, s(2)=3だと思ってしまえば1+1=3だよね。
1+1=2でもあるけど(爆)。全ての自然数は等しい!
ただこれ、この自明なmodel以外にmodel無いよね。
言い忘れた。S(n)は要するにn+1のことね。

もちろん、Peano arithmeticとかそれより少し弱いのとかの公理を
入れて3とか1を普通に定義したら、1+1=3は成り立たない。
証明ちゃんと書いた方が良ければ書くよ。

>ぽこちゃん さん
結合則入れると、2=(0+1)+1=0+(1+1)=0+1=1になって、
3=((0+1)+1)+1=(0+1)+(1+1)=(0+1)+1=2=1になるね。
inductionを認めなくても外から与えられた任意の自然数nを
普通に定義すればそれが1になることを証明できる。
それで構わないけれどもね。
ただ、すごいことが起きているわけではないってことで。
それとも、代入とかinductionに制限付けます?

結局1+1=2っていうのが定義だから、1+1=3っていうのは
2=3とequivalentなんだよな。あんまり嬉しくないね。
8382:2001/02/11(日) 11:54
ちょっと蒸し返しで悪いんだけど67,69の問題について。
私は見習いフォース使い(爆)なのでよく判らないだけど

>「公理1から4によって構成されるもののみが自然数である」
ってのの意味がよく判らない。
っていうか、これが正しいのと超準自然数が作れるっていう
話がどうやったら矛盾しないのかが判らない。
そりゃ超準自然数だって全部の公理を満たしているんだから、
公理1から4によって構成されているのかもしれないけれども。
でも、ごく普通にこの文を解釈すると、0,1,2,3,...のみが
自然数であるっていうことにならない?それは明らかに
non-standard modelの存在に反すると思うんだけど。
うちの図書館にPAの本あったかなぁ…。
84ぽこちゃん:2001/02/14(水) 02:24
私なんか、見習いにもいけなかった。(;_;)
暗黒面にいきそうなときは、どうかお助けを。
>>82
確かに、すごいことは起きません。
結合法則も不要でしょう。
私としては、期待されてるのは、必ずしも算術でないと考えて
78さんもきっとなじみのある、
ブール代数2={0,1}がモデルになるものを使ったまでで、
より簡単でも0じゃちょっと思いました。

>83
調べてみます。
ところで、ペアノの公理のままじゃやりにくくないですか。
8582:2001/02/14(水) 21:07
>暗黒面にいきそうなときは、どうかお助けを。
むしろ暗黒面へいく方向で(爆)。

すみません、「論理和と同じに」っての見落としていて
2値ブール代数になっていることに気づきませんでした。バカ?>自分

1+1=3とかはお話としては面白いんですけどね。
個人的には、基礎論に対する興味がこういうところで止まっていて、
数学としての内容まで行かない人が多いのが残念で。
このスレの上の方にもそういう話があるし。

>ところで、ペアノの公理のままじゃやりにくくないですか。
やりにくいです(爆)。
私ら集合屋さんはそういうのあまり気にしないので、
言語も公理も適当に拡張しつつやってくれて構いません。
8682:2001/02/16(金) 11:24
またゼミで物わかりの悪さを発揮してしまった。うーん。
ただ、やっているのがrevised countable support iterationの話なんだけど、
使っているnotesが異様にシンプルなのでちょっと戸惑っているんだよね。
わしらの業界で定義が面倒くさいことで知られていた概念なのに、
定義もシンプルなら証明もシンプルで。そういうことは割にあるけれども。
ただ、難しさがどこで消化されたのかは判りたいんだけどな。
これまでに単純化しようとする試みが何回か失敗しているのも聞いているから。

単なる近況報告なのでsageで。
8782:2001/02/17(土) 11:14
遅レスでもしてよっかな。

>>7
>基礎論を村八分にするなぁー。
>公理的集合論に新たなパラドックスをみつけて、
>数学の危機を再来させてやるー!

やめて欲しいなぁ。集合屋さんとしては。
基礎論を村八分にさせないためには、数学の他の分野に貢献するのが
一番だと思うんだけど。独立命題探すのもいいし、基礎論の方法で
問題解くのもいい。どちらももうやられているわけだけどね。
「実数の部分集合が全てLebesgue measurableなモデル」とか、
Borel conjectureの独立性とかは基礎論(というか集合論だけど)が
無意味でない証拠だと思うんだが。

>>14
>整数論の定理であれば公理的集合論の定理であるといってもいい。
これは全く問題ない。

>また、公理的集合論の定理で整数論の定理として記述できるものは
>整数論の定理であり、公理的集合論の定理である。
でもこれは違うでしょ。ZFCの公理によって自動的にそこで展開できる
整数論が制限されているかもしれない訳で。
実際forcingで実数の性質が変わる例はいくらでもあるんだからね。
ZFC自体で制限が加わってない保証は全然ないってこと。

ZFCで一番やばげなのはpower set axiomでしょ。
それによって「無限に」続くordinalの列を考えないといけない。
そのおかげでfirst-order languageで何でも記述できるし考えられるのは
有り難いにしても、これを怖がる人はいるわけで。
だから2階算術とかってのが重要視されているんだと思うんだが。

RusselのParadoxが怖かったのは、constructionがあまりにも単純だった
からだよね。どこまでなら考えていいのかがはっきりしなくなったから。
そうでない方法で集合論に矛盾が出ても誰も気にしないと思うよ。集合屋さん以外はね。

それよりも集合論がもっと面白くなることの方がよほど重要だと思うんだけどな。
88ぽこちゃん:2001/02/18(日) 03:49
基礎論の方法で問題を解くといえば、
”数理論理学と数論幾何の交流”なんていう論説も数学に載ってましたねえ。
私は、まだ読んでないし、読める力もないけど。

整数論・集合論
ここまで、道具をもちださなくても、
整数論の定理として記述できるものだけでも
集合論のほうが定理が多くなるんですよ〜〜でもいいんじゃない。
(82さん失礼)

べき集合の公理も”自然”に見えるだけに同意。

整数論の問題や組み合わせ論に解析を使い、
幾何の概念で代数を解いたりするように、
問題を解く方法のひとつであると同時に、
独立した歴然とした数学であることが認められ、
基本的な成果が教養になればいいなあ。
8982:2001/02/18(日) 12:27
>整数論の問題や組み合わせ論に解析を使い、 〜(後略)

まさにそういうことなんですよね。
ただ、今更残っている問題が簡単なはず無いんで、他の分野でも
興味を持たれるような問題にアタックかけようとすれば、そちら
に関しても十分な知識を持っていないといけないわけで。
数学的能力と体力は半端じゃなく必要ですから。
とりあえず今のところは、そういう夢はすごい人たちにお任せ
しておくしかないですね。少なくとも私の出る幕じゃない…。
90>>83:2001/02/18(日) 23:04
超準自然数って自然数に順序同型なものいくつかと場合によっては最後に有限な整列集合を並べて作った自然数より真に大きな整列集合のこと?
69に書かれている「公理」だと、そういうのも否定されてないよな、確かに。
でもペアノの公理はそうじゃなかったはずだよ。ちゃんと順序同型を除いて一意的に定まる事まで証明できる公理だったはず。
そうそう、68に書かれている公理5のような内容がペアノの公理には含まれてたはずだ。
これがあればそれを満たすのは(同型除く)一意的なはず。
69の「公理5」って、公理じゃなくて定理じゃない?公理2がこれの言ってる本質だよね、確か。
9182=83:2001/02/19(月) 09:41
判ったよ。ようやくつながった。ありがとう>90さん
(本来の)Peanoの公理って、何かある世界にいることを仮定して、
その中での自然数の定義を書いてあるものなわけね。
じゃないと言い方自体変だもんなぁ。0が無い世界じゃ0は影も形も
無いんだから、「0は自然数である」とすら言いようがない。
もう少し現代的に行くなら、第5公理の述語に2階述語を認めればいいわけだ。
そうすれば、∀X((∀n ¬n∈X)∨(∃n ¬n∈X ∧ S(n)∈X)が第5公理から
証明できるから排他公理が言える。うんうん。

>>68のぽこちゃんさんの定義をちゃんと見れば、2階述語が
来るべきだって予想つくのになぁ。ダメだ>ヲレ

本来のPeanoの公理について言うときに、英語ではpostulate
っていうことが多いのも、これが今で言うところのaxiomとは
ちょっと違うって気持ちからなのかな。
いや、postulateの本来の意味が違うのは知っているけどさ。
9282:2001/02/19(月) 09:45
自己満足したんでレス
>超準自然数って自然数に順序同型なものいくつかと場合によっては
>最後に有限な整列集合を並べて作った自然数より真に大きな整列集合のこと?

自然数に順序同型なのが二つ以上あったら公理3と5ではじかれ
ちゃいますよー。∀x(x=0∨(∃y x=s(y)))でしょ?
自然数の上に整数のコピーが無限個のっているような形だと
思います。ちょっと構造は定かじゃないんですが。
作るのはcompactness theorem(「その全ての有限個の部分集合が整合的な
公理系は整合的である」)を使うかultrapower使うか。

compactnessの方はちゃんと知っているので書いておきます。
(1階述語のみの)自然数論の公理系の、言語に新しい定数記号
c0,c1,...の可算個とdを付け加え、公理としてそれぞれの
(外から与えられた)自然数nに対して"cn<d"を付け加えます。
そうすると、この新しい公理の有限部分集合は、有限個の新しい
定数記号しか含んでいないので、標準モデルで整合性が言えます。
(c0,c1,...,c8とdが含まれているなら、c0:=0, c1:=1, ..., c8:=8
として、dを9に割り当てれば良いわけです)。
そこからcompactnessを使って公理全体が整合的であることが判ります。
そして完全性定理でモデル作ってから新しい記号を全部取り除けば完成です。
dに割り当てられていた元が超準自然数です。
全ての標準自然数より大きい自然数ですね。

このモデルは全ての公理を満たすだけでなく、標準モデルと
(1階述語の)定理が一緒です。妙なことですけどね。

「証明は有限、モデルは無限」っていうのがよく判るお話。
この論法は何かが可算個並んだものなら何にでも応用できますね。
実は数ヶ月前にもうちのゼミでこの話が出てたりとか。
9382:2001/02/19(月) 09:55
あ、また自己満足に行ってしまった。

69の公理5は定理では無いです。残念ながら。
有限個の公理では、Peanoの公理系は記述できないので。
証明読んだけど忘れた…。調べてきます。
むしろこれが鍵と思われているようで、この公理を弱めてみる研究が
なされているようです(学会で何回か聞いた)。
内容に関してはよく判りませんけど。
ZFCじゃない世界は苦手です。
94ぽこちゃん:2001/02/21(水) 04:40
なんで、帰納⇒正則⇒排他、の順とらなかったんだっていうと
何故か、無限論理のほうにばっかり目がいってたんですよ。
なんでそうしたのか不思議です。
9582:2001/02/23(金) 06:48
正則って何か判らなかった…。
自然数がwell-foundedだってことですね。要するに。

2階述語を許容すると排他性が言えるのに、1階述語だとダメだって
いうのは割に深い話じゃないかと。
つまりは1階述語では正則性を記述できないと言うこと。
ここのことがmeasurable cardinalのお話のキーになっているので。

>>92
セルフツッコミ。
>このモデルは全ての公理を満たすだけでなく、標準モデルと
>(1階述語の)定理が一緒です。妙なことですけどね。

嘘です。公理はそのまま来るからそこから証明できる範囲なら
一緒ですけどね。
ultraproductで作れば本当に標準モデルと定理が一緒な
non-standard modelが作れますが。
96ぽこちゃん:2001/02/24(土) 06:29
ペアノの公理自体1階述語論理じゃないのに、
1階述語で考えてたのは我ながら、おまぬな話です。

>つまりは1階述語では正則性を記述できないと言うこと。
>ここのことがmeasurable cardinalのお話のキーになっているので。
そうか、
勉強が足りないなと反省しきり。
97A.T:2001/02/24(土) 09:27
>>24

>私は6年間大学で数学をやって殆どの分野が面白いな、と感じたが
>基礎論だけはつまらなかった。大事な分野であろうとは思いながらも。

私は6年間大学で数学をやって殆どの分野がツマランな、と感じたが
基礎論だけはオモシロかった。でもホントにオモシロイのは論理ではなく
コンピュータだと知ったのはその後だった。コンピュータバンザイ!!
98A.T:2001/02/24(土) 09:42
>>20

>哲学板にはすでに「論理学」スレッドが存在しています。
>また、基礎論と 論理学では興味の対象が微妙に違います。
>最大基数がどうしたなんて議論には多くの論理学者や
>哲学者は興味を持たないでしょう。基礎論が哲学と
>親和性を持っていたのは昔の話です。

残念ながら、そうだ。

>ここで、こういうふうにするのがベストと思うっすよ。

だから日本は発展途上国なんだ。

日本の基礎論発展において竹内外史の果たした役割は大きいが
それと同時に明かにヒルベルトの証明論に傾斜した基礎論を
吹きこんだ事に関しては批判されるべきだろう。

とはいえ、そこらの集合論屋のように、コーエンのフォーシング
をあたかもスターウォーズのフォースのごとくに振りまわす風潮
も嘆かわしい。そんなことなら、「基礎論」という哲学的香りを
持つ名称は是非返上していただきたいものだ。

#最近George BoolosとRichard Jeffrey(2人とも哲学科の先生)の
#"Computability and Logic"
#を読んでる。内容は学部レベルだが実に濃い本だ。
#日本にはなぜ、こういういい教科書がないのだろう。
99L.W:2001/02/24(土) 12:01
>>49
Q.集合論学者ってなにしてんの?

A.
>フォースを使っている。

そう、子供だましの技だな。
まあ、数学者はみな子供だからかまわんが

>おいしそうな基数を測っている。

そう、餓鬼のお菓子だな。
まあ、数学者はみな餓鬼だからかまわんが

>ゲームで無限に遊んでる。
>モデルに活躍の場をあたえてる。

そう、コドモのオモチャだな。
まあ、数学者はみな子供だからかまわんが

これを称して「学童の喜び」という。
10082:2001/02/25(日) 01:50
>>99
いや、私としてはむしろ嬉しいですが、集合論者の生態をもって数学者
一般を批判すると、「普通の」数学者さんたちに怒られますよ。

そうですね、大人のおもちゃでも遊ぶようにします(違うかも)。
あ、でも羽山秋人は結構好きです(これも違うかも)。
っていうか、モデルもコドモのオモチャですか?
むしろオトナがオモチャにしたいとものじゃないかと

それにしても、「フォースを使っている」が微妙にウケてますね。
10182:2001/02/25(日) 01:52
っていうかなんとなく100ゲット。

>>98

>>基礎論が哲学と
>>親和性を持っていたのは昔の話です。
>
>残念ながら、そうだ。

うーん、でもアメリカでは基礎論関係の授業に哲学の人が
来ていたりしたけどな。それ言ったら日本でも学会に来てたり
するね。どの程度の興味で来ているのかはしらないけど。

>>ここで、こういうふうにするのがベストと思うっすよ。
>だから日本は発展途上国なんだ。

ここ数年外国にいるけど、基礎論やっている人で哲学との
関連を喋りたがる人って見たことがないのだけれども。
もっとも私は集合屋なので、つきあいも集合方面の人が多いし
そのせいかもしれないけどさ。
でも基礎論の学者とはいえ数学者だから、定理が証明できれば
嬉しくてそうじゃないと不満っていうのが普通じゃないかなぁ。
10282:2001/02/25(日) 01:55
引き続き>>98

>とはいえ、そこらの集合論屋のように、コーエンのフォーシング
>をあたかもスターウォーズのフォースのごとくに振りまわす風潮
>も嘆かわしい。

どこを嘆いているのかがよく判らないのだけれども。
そりゃ誰だってZFCからなにか証明したいよ。強い定理の方が嬉しいに
決まっているもんね。でも、世の中独立命題も多いし。
V=Lやlarge cardinalを仮定してやるのも一つの方法だけど。
扱っている対象を直接がしがし変えられるforcingは強力な道具だし、
ある命題がabsoluteには正しくないことを示す有力な手段だと思う。
だからよく使われているだけで「振りまわす風潮」なんてのがあるとは
思えないのだが。

>そんなことなら、「基礎論」という哲学的香りを
>持つ名称は是非返上していただきたいものだ。

上の方でも基礎論という名称があまり正当で無いという意見は
でているけど。っていうか、仲間内じゃそんな言葉使わないよなぁ。
私は自分をset theoristとしか思っていないので。
自己紹介でlogicianとも言うけど、正直ちょっと実感に合わない。
ましてや基礎論なんてものものしい言葉は、ねぇ。

>#日本にはなぜ、こういういい教科書がないのだろう。

教科書書くなんて面倒なことやりたがる人あんまりいないからねぇ。
うちの先生(アメリカ人だが)もある教科書の章を担当しているはずなんだけど、
そっちはろくに書かずに自分の勉強と論文書きばっかりやっているよ。

それに、英語でいい教科書があるならそっち読めばいいもんなぁ。
103A.T:2001/02/25(日) 17:36
>>100
>>101
>>102

ああ、set theoristだというなら、それはそれで結構である。

ところで、L.W。あれも実は私の投稿だ。
Ludwig Wittgensteinの頭文字だな。
彼はカントルの対角線論法から、
「自然数の濃度と実数の濃度は異なる」
ことを証明して喜ぶ態度に対して、
本当に「学童の喜び」とあてこすりを
いったらしい。
104 :2001/02/26(月) 00:54
105132人目の素数さん:2001/02/26(月) 01:10
106132人目の素数さん:2001/02/26(月) 01:57
107加護天使:2001/02/26(月) 02:20
まあ、言葉遊びっておもしろいわ。
私みたいな、ちっちゃーい子供の書いた49にうけてくれるんだもの。
でもね、フォーシングの正体って論理代数価づけでしょ、
ブール代数かハイティング代数くらいだけど
だったら、他の公理化された数学でも使ったらって思うの。
>98
竹内外史については、あいぼんも思うけど
好きな分野を中心に紹介するのはしかたないわね。
10882:2001/02/27(火) 10:10
>>103
>「自然数の濃度と実数の濃度は異なる」ことを証明して喜ぶ態度に対して、
>本当に「学童の喜び」とあてこすりをいったらしい。

ふーん。でも実数が可算だったらかなり困ると思うけどな。
可算加法的で非原子的な測度作れないじゃん。あてこすりになっているのか疑問。

>>107
>だったら、他の公理化された数学でも使ったらって思うの。

頑張ってください(爆)。っていうか、>>89参照です。
でも、頭のいい人たちはちゃんとやっているよ。今日ちょっと調べてみた。
割に古いのだとWhitehead groupのことがあるし、topology関連もちらほら。
Todorcevic, FarahのSome applications of the method of forcingって
本がかなり参考になりそうなんだけど、うちの図書館には無かった。萎え。
109ご冗談でしょう?名無しさん:2001/02/27(火) 15:06
あげ
110132人目の素数さん:2001/02/28(水) 01:02
 
111L.W:2001/02/28(水) 09:31
>>108

そもそも「濃度」を考えること自体が胡散臭い。
「測度」もそう。みな人の勝手な都合を具現化
しただけにすぎない。

#・・・とヴィトゲンシュタインならいいそうだ。
112132人目の素数さん:2001/02/28(水) 13:02
>>111 ドキュソですか?
そもそもウィトゲンシュタインって数学が理解できないので、
哲学をしたひとでしょ。「草稿」のスタイルだって数学のパクリだし。
113L.W:2001/02/28(水) 18:01
>>112 バキューンだな。
負荷が掛からない空転を「回転の速さ」と思うアホがここにもいたか。
114加護天使:2001/02/28(水) 19:14
あいぼんの、勝手な思いこみを具現化したのは哲学かしら。

>>111
「濃度」や「測度」の胡散臭さってまさか
初期のパラドックスのことじゃないわよね
115A.T:2001/02/28(水) 20:00
>>114

いや、パラドックスのことをいっているわけではない。
むしろその後のことだ。パラドックスが解消されたから
それが「実在」だと盲信するオッチョコチョイさ加減を
いっているのだ。
11682:2001/03/01(木) 10:27
>>111
さすがにLebesgue測度が矛盾しているとなるとイヤな人は多いと思うけど?
ZFCが矛盾していても困る人が少ないのは本当だけど。
まあ数学やらないなら何があろうと困りはしないが。

>>113
そういう考え方も出来るとは思うのだけれども。
ただ、数学の世界で褒められるのは何か証明する人だよね。やっぱり。
これは仕方がないと思うよ。Godelも数学者として認められているのは
やっぱりちゃんと数学をやったからでしょ。

数学の世界を離れれば違うとは思う。それはそれで面白いかもしれないけどさ。
117L.W:2001/03/01(木) 12:52
>>116
ZFC以外の「数学」があっても誰も困らないだろう?
数学者は目先のことばっかりに気をとられていて
自分のやっていることが視点を変えるとどう見えるか
なんて中々考えない。もしかしたら、単に自然数の中
でウロチョロしてるだけかもしれない。

もちろん、証明がいかんというつもりはない。ただ
証明だけしていればそれでいいというならそいつは
ただの職人だってこと。職人は悪くはないが、少なく
とも教養ある知識人ではない。教養は単なる知識の量
ではない。物事の見方である。少なくとも2つは
なくてはいかんね。
118132人目の素数さん:2001/03/02(金) 02:18
sage
11982:2001/03/02(金) 09:40
>>118
ってあげてるやん。お約束?まあ最近下がってるからあえてsageなくても。

>>117
>ZFC以外の「数学」があっても誰も困らないだろう?
それはそう。MacLaneがそういう文章を書いていて、結構面白かった。
boundされていないquantifierを認めない体系で集合論やったりしているし。
ただ、私は毎度毎度頭の切り替えが効くほど器用でもないし。

まあだいたいいわんとしていることは判ってきたし、不毛な反論する気も
無いのだけれども。ただ、Boolos-Jeffrey本みたいにちゃんと数学もやっている
(ぱらぱらしか見てないけど)本を面白がれる人が、どう見ても建設的じゃない
ヴィトゲンシュタインの意見を引き合いに出しているのが不思議なんだけど。
哲学の視点だとまた違うのかな?
120M.D:2001/03/02(金) 12:59
名前を変えてみた。Michael Dummettのつもり。

>>119
ヴィトゲンシュタインの意見をただ破壊的と見るのはどうかな?
もちろん、ヴィト氏が数学に対して多々誤解している点はあるけどね。
ナイーブに存在論を信じる人がいる一方で、それをどこまで掘り崩せる
か考える人がいてもいいんじゃないかなってこと。それでも数学が
否定されるとは思わないけど。(ヴィト氏もそう思っていたと思う)
121ぽこちゃん:2001/03/03(土) 03:22
基礎論に限らず、特に理論家タイプの学者は、
陰伏的にせよ世界観をもっていると思うんだけど。
基礎論でだけ何故こんなに問題になるのだろう?

>>115
カールおじさんなら、無矛盾すなわちモデルの存在といえば
「ここがロードス島だ跳ね踊ってみろ」というだろうな。

でも、つまらんモデルでもそこに操作できる対象として存在はしてるわけだし、
実際に踊っちゃうこともある。
122132人目の素数さん:2001/03/03(土) 03:45
>>121
ナイーブの極み
12382:2001/03/03(土) 10:56
レス保留でちょっと書きたかったことを。
>>107関連なんだけど、数学の43(1991)No.2、pp128--138に
「アーベル群への集合論の応用」って論説があった。
ここに出てくる、Aに上付きの(B)っていうのがまさに
ブール代数値アーベル群。それっぽくなく解説してあるけどさ。
まあ暇があったら見てみるのもいいかも。
124ぽこちゃん:2001/03/04(日) 02:19
>>122
まあ、ナイーブと言われればそれまでだけどね。
本来のものはただただ生々流転のみあって
世界もなにも実在してないかもしれないが
「学童の遊び場」としてはあることは認めざるを得ないんじゃ。
125132人目の素数さん:2001/03/04(日) 08:08
>>124

まあ、「学童の遊び場」はいいんだけどさ。

一概に学童といっても、一年坊主もいれば六年生もおるわけで
上級生がガキ相手に
「ボクたち、わっかるかなぁ?わっかんねえだろ〜なぁ」
というのもアリだろ。

ま、早く進級するんだね。
12682:2001/03/06(火) 11:56
これまで何回かレス付けようとして、そのたびに途中で
やめたり間違えて消しちゃったりしていたんだけど。

今日何気なくThe Bulletin of Symbolic Logicの最新号
見たら、"Does Mathematics need new axioms?"なんてのが
載っていたので、ちょっとだけ読んでみる。
会ったことのあるPen Maddyさんのだけ。英語読むの遅いんで。
彼の考え方は多分私のそれにかなり近いと思う
当然ながらよほど洗練されているが。
「どうせなら数学が前に進めるような方向にものを考えた方が
人生楽しいんじゃない」って感じ?私の貧弱な言い方だと。
数学で起こったことを否定するより、それを認めて考えた方が
「建設的」っていうか、「元気が出る」っていうか。
「実在」を考えて立ち止まることが数学に悪影響を及ぼすとは
あまり思わないけれども、数学の側から見て面白いこと話が
出て来るとも思わない、ってこと。
数学者の立場で読んでそれなりに面白い哲学的考察ってのは
本当にあるんだけどね。方向が少し違うというか。

我々には形式主義って逃げ場があって。「実在」を要求されたら、
「いやー、とりあえず論理式の列は存在しているよね」ってわけだ。
ZFCが矛盾していてそこでの議論は「実在」する何かに対する
ものでは無かったとしても、証明に使われた手法自体は残る。
そのうちいくつかは矛盾しない公理系で使えるだろう。
「実在」の議論に対する、少なくとも逃避場所はそこにある。

まあ、数学やっているときは形式主義なんか意識しないけどさ。
保険としてはでかいよ。
127M.D:2001/03/06(火) 14:19
>>126

>「どうせなら数学が前に進めるような方向に
> ものを考えた方が人生楽しいんじゃない」

ボクならこういうね。
「で、どっちが前だい?」

ボクにいわせれば、ヒトがそう信じきっている足元が
スコーンと抜けることがイチバン楽しい瞬間だね。
建設と破壊の差はどこにある?どちらも変化じゃないのかい?

>「実在」を考えて立ち止まることが数学に悪影響を及ぼすとは
>あまり思わないけれども、数学の側から見て面白いこと話が
>出て来るとも思わない、ってこと。

ああ、それは面白いことを知らないからさ。

>数学者の立場で読んでそれなりに面白い哲学的考察ってのは
>本当にあるんだけどね。方向が少し違うというか。

数学者が面白がるような哲学的考察なんて、ただのオナニーだろ。
女を抱いたことがないから、オナニーに熱中するんだよ(笑)

>我々には形式主義って逃げ場があって。「実在」を要求されたら、
>「いやー、とりあえず論理式の列は存在しているよね」ってわけだ。

だったら論理式の列の操作をそのまま理論化すりゃええじゃないか。
ああ、そうそう「哲学者」のソール・クリプキは、数学の理論の実に多くが
字面上はただの数論だと喝破したそうだ。(もちろん、ちゃんと証明もした)
ゲーデルはそれを聞いて口アングリだったそうだ。

>ZFCが矛盾していてそこでの議論は「実在」する何かに対する
>ものでは無かったとしても、証明に使われた手法自体は残る。
>そのうちいくつかは矛盾しない公理系で使えるだろう。
>「実在」の議論に対する、少なくとも逃避場所はそこにある。

じゃ自然数論が矛盾していたらどうする?(笑)

そんなわけはない?ゲンツェンの無矛盾性証明がある、だって?
をひをひ、超限帰納法が矛盾してたらどうするんだい?

自然数論がもし矛盾していたらもう逃げ場所なんかない。
ギリギリの場所だぜ。どうすんだよ。いったい(笑)

まあ、そんな心配したことはないが、保証もないのは確か。
というより、保証できたら、そいつがバクダンだ(笑)
128ぽこちゃん:2001/03/07(水) 02:29
>ああ、そうそう「哲学者」のソール・クリプキは、数学の理論の実に多くが
>字面上はただの数論だと喝破したそうだ。(もちろん、ちゃんと証明もした)
>ゲーデルはそれを聞いて口アングリだったそうだ。

ゲーデルの不完全性定理って数学の数論化でしたね。
どっちが先か、あるいは独立かどうなんでしょう。

129M.D:2001/03/07(水) 08:10
>>128

クリプキは、もちろんゲーデルより後の人(まだ生きてます)
彼が見つけたのは、例えば、集合論のある定理が、そっくりそのまま
数論のある定理に対応するような写像が存在するということ。

要するに、いくら小難しい公理を立てて、証明をやろうが、
実は数論の壁の内側でチョコチョコやってるだけのことだと
いうこと。
130ろうさんかんざんらん:2001/03/07(水) 16:43
さげ
13182:2001/03/08(木) 10:38
>ボクならこういうね。
>「で、どっちが前だい?」

数学者にとっての数学の前は定理や証明が増える方向だと思うけど?
前後が逆になることはないと思うけどな。
矛盾が出てもそっちが前だよね。証明する必要はなくなるけど、
そこまでの定理は定理として残るんだし。
としたら後ろに進むことはできんか。ははは。

>>数学者の立場で読んでそれなりに面白い哲学的考察ってのは
>>本当にあるんだけどね。方向が少し違うというか。
>数学者が面白がるような哲学的考察なんて、ただのオナニーだろ。
>女を抱いたことがないから、オナニーに熱中するんだよ(笑)

なんだか例が適切でない気が。Penelope Maddyさんみたいな哲学者
(少なくとも所属はDepartment of Logic and Philosophy of Science)が、
数学者が喜ぶことをやるのもオナニーですか?
数学者がやったらそりゃオナニーかもしれないけど。

それと、基礎論を哲学的に見た場合の面白さっていうのが
判るような本とかはある?出来れば日本の外でも手に入る物で。
本当に部分的にしか知らないからさ。
それが判りたい気持ちも含めてレス付けていたつもりなんだけど、
なんだかあんまり上手くいっていないみたいだし。
13282:2001/03/08(木) 10:40
>だったら論理式の列の操作をそのまま理論化すりゃええじゃないか。

面倒くさい割に実りが少ないのでイヤです。
そのために完全性定理があってモデルでも考えられるんだし。

>じゃ自然数論が矛盾していたらどうする?(笑)

証明読んで面白がる。救える手段がないか考える。
ダメっぽかったら学校やめて就職先を探す(爆)。

っていうか、自然数論って普通のやつでしょ。
帰納法で使える論理式制限すればまだ生き残れる可能性はあると思うけど?

それに、証明自体は存在しているからね。やっぱり。
一つ一つの証明は単なる有限列だから許してもらえるだろうし。
かなり辛くなるけど弱い自然数論を記述する方法は残るんじゃないかな。
これはこれでわくわくするプログラムだと思ったり。

(数学的に)矛盾判るのって数学の進歩じゃん。
新しい証明が書かれるわけでしょ。しかも、自然数論が
矛盾しちゃったりなんかするってのはかなり直感に反するわけで、
かなりイカした証明になること請け合いじゃない?
今現在ある研究が(それ自体としては)意味がなくなるのは残念だけど、
それはそれで楽しそうな気がするんだけどな。
13382:2001/03/08(木) 10:44
Kripkeの定理って、あと一人と共著で出ている、
"Deduction-preserving recursive isomorphisms between theories"
Fund. Math. 61(1967) 141--163のやつのことね。
今日見つけてとりあえず定理だけ読んできた。

なかなか面白い話だね。証明されているのは、二つのある条件を
満たした理論があったときに、片方の論理式全体からもう片方の
論理式全体への帰納的「同型写像」になるっていうこと。
同型って言うのはこの場合、¬と⇒とあとdeductionが保存される
ってことになっている。まあ妥当な言い方でしょ。
つーことは定理は定理に、undecidableはundecidableに写っているわけだ。
「ある条件」ってのは普通に使われている理論だったらたいてい
成り立っているようなものであるのは言うまでもなく。

だから、公理を固定してそれを数論にコードした不完全性定理の
証明が元とは言えるけれども、結果は全然別の話>>128

これを使えば確かにほとんど全ての数学の定理は
数論の定理に帰納的に変換できるね。
うん、嬉しいことじゃないかな。
集合論はよく「変なものばかり扱いあがって」とかって
言われていじめられるので、これを引き合いに出して
数論でも記述できるんだとか反論してみよう。
よけいいじめられること間違いなし!

とにかく、これを壁とは思わないけどな、私は。
数論って本当は複雑なんだな、と思うだけだけど。
帰納的変換はあるにしても、元の体系の方が自然で
面白がれる証明が書けるのは確かなわけだし。
134M.D:2001/03/08(木) 16:43
>>131
>数学者にとっての数学の前は定理や証明が増える方向だと思うけど?

「増える」にもいろいろあるでしょうよ。
例えば連続体仮説のどの結果を採用するのがよいかと問われたら?

ところでMaddyさんの実在論は哲学者からは
結構ボッコボコに叩かれてます。
まあこの辺の話は
リーディングス 数学の哲学 ゲーデル以後
飯田 隆 編 勁草書房
A5 360頁 本体価格(税別):\5,500
C-CODE 1995年
ISBN 4-326-10104-0
でも読んで。

>>133
そう、ゲーデルとは全く別。
同じだといった覚えはないぞ。

集合論の複雑さが見かけ上のもので
実は数論自体がすでに十分複雑怪奇で
あることがよく分かるでしょう。

これを吉と見るか凶と見るかは人それぞれ。
135ぽこちゃん:2001/03/10(土) 01:46
>そう、ゲーデルとは全く別。
>同じだといった覚えはないぞ。

MDさん、82さんのおかげで了解。
13682:2001/03/11(日) 09:21
>例えば連続体仮説のどの結果を採用するのがよいかと問われたら?

連続体濃度がいくつになればいいのか、って話?
一つに決めないといけないのならMartin Maximumでアレフ2だけど。
でもどうせequiconsistentだからね。連続体濃度がどうなっても。
ZFが矛盾していないならどれで考えることも可能だし、
相互作用で何かが証明できることもあるかもしれない。
可能性が減るのはもったいないと、私は思うのだけれども。

>集合論の複雑さが見かけ上のもので
>実は数論自体がすでに十分複雑怪奇で
>あることがよく分かるでしょう。

少なくとも集合やっている人で、集合論が数論より本当に複雑だと
思っている人はかなり少ないと思うのだけれども。
ご存じの通り、集合論の動機の一つは実数の構造の解析だし。
今となっては集合論の中の興味も少なくはないけれども、出来れば
実数やそれに近いところに話を持っていきたいと思っている方が普通
だと思うよ。とりあえず私の知っている人はだいたいそう。

むしろあの定理は普通の数学者に言って回りたいな。
137M.D:2001/03/11(日) 10:40
>>136
>連続体濃度がいくつになればいいのか、って話?
まあ、どうせ「形式」だから、それこそ適当に遊べばいいんだけね。

>少なくとも集合やっている人で、集合論が数論より
>本当に複雑だと思っている人はかなり少ないと思うのだけれども。
うーむ、でもそりゃ実は結果論だよねえ。
さいしょからそういうスレた態度がとれたわけではないと思うよ。
マジメなプラトニズムに対して、これまたマジメなアンチ・プラトニズムが
あって、その真摯な対決に疲れた上での「シラケ」って感じでしょ。

マジメさだけでは疲れるけどシラケだけども退屈だ。
適度な波ってもんが必要。まあ、わざわざ波なんて
起こさなくても、どうせ適当に揺らぐんだろうけど(笑)

>むしろあの定理は普通の数学者に言って回りたいな。
アハハ、でもさあ、普通の数学者ってのは、実は
「19世紀的な純粋数学的数学観」を思いっきり
引きずってるでしょ。あれは実にキモチ悪いね。

やっぱりラッセルパラドックス的な異常事態が
もっと純粋数学プロパーなところで勃発しないと
目がさめないんじゃないかな。幾何学あたりでは
量子化云々で「黒船来襲」とかいってるけど、
あんなものまだまだ「プチ危機」だね。ホンマモン
の「グラン危機」が起きて、素朴なプラトニズムを
それこそグラグラ揺るがしたらオモシロイんだけどね。
13882:2001/03/13(火) 10:46
>うーむ、でもそりゃ実は結果論だよねえ。
>さいしょからそういうスレた態度がとれたわけではないと思うよ。

そうかもしれない。私などはすでにスレてしまった人たちから
教わっているので比較的自然にそういう態度になっているけれども。
ただ、日常的に可算モデルとかを使うので、証明とか論理の限界を
肌で感じているというのもあると思う。

「19世紀的な純粋数学的数学観」、これは多分そう。
ほとんどの数学者が基礎論のもたらした新しい見方を無視している。
ZFCをベースとして認めるかはともかくとして、証明やモデルという
概念はきっちりと持っていて欲しいのだけれども。
モデル論的な証明が書ける場合も多いようだしもったいない。

などとやっぱり数学内経済のことに気が行く奴。

危機が起きればそれは確実なんだけどね。
もう少し地道な努力として、absoluteだと思われている命題の独立性を
示そうとしたりはするわけだ。なかなか揺れてくれないけどさ。
いずれにしても、GodelやHilbertの業績はもっと評価を受けるべきだし、
数学者の日常感覚の一つであるべきだとは思う。
139xxx:2001/03/14(水) 06:44
選択公理の信憑性に尽きると思う。
14082:2001/03/14(水) 10:55
>選択公理の信憑性に尽きると思う。

何が?
GodelがZFが無矛盾ならZF+選択公理(ZFC)が無矛盾だっての証明したのは
知っているよね。構成可能集合の話。
なのになんで選択公理の「信憑性」が問題なの?
選択公理の無矛盾性が言えてしまうからZFは信憑性が無いってこと?

もしかして「実在性」の話?だったら私にはわからないや。

選択公理が成り立たないモデルってだけならいくらでも研究されて
いるけどね。決定性の公理(AD)とかdependent choice(DC)とかの話。
私はあまりよく知らないんだけどさ。
141Stromdorf:2001/03/14(水) 11:57
選択公理の話が出てきたので割り込み。
直観主義論理を前提にした集合論において、選択公理と外延性公理(ε-公理でもよい)
を仮定すると排中律が導けてしまう、というのを知ったときはかなり驚きだった。
142M.D:2001/03/14(水) 20:32
>>139

信憑性なんて基準になり得ないよ。
だってどっちでも「つじつまが合う」んだから。

このことがどうも普通の人には分からないらしい。
「つじつまの合う」解釈が唯一つしかないと
アタマから決めてかかっている。でも違うんだ。
143D.Scott:2001/03/14(水) 20:37
>>141

まだまだ甘いね。

直観主義論理上で、Dと、DからDへの関数全体を一対一に
対応させるような領域(こういうものは計算論では重要だ)
を考えた場合、その領域Dは、二点集合を部分集合として
含まない。しかしながら、それは1点集合ではない。
1441 ざんす:2001/03/16(金) 03:21
>>140
たぶん、バナッハ=タルスキの定理の事を小耳に挟んだのではないかと
僕なんかは推察しますが。
145P.Cohen:2001/03/16(金) 07:53
>>139
>>140
>>144

ところで
「全ての集合が可測であること」

「全ての集合が整列できること」
と、どちらが信憑性が高いのかね?

もちろん、ご存知のように、
上記の2つは両立しない。
整列可能なら非可測な集合が存在し、
また可測なら、整列不可能な集合が存在する。

139の貴方はどちらを選びますか?
146構成主義数学者:2001/03/16(金) 10:22
> 139の貴方はどちらを選びますか?

 整列可能性も「すべての集合が可測」も超越的だ!受け入れん。排中律もけしか
らん。だけど選択公理はよい(#141の問題は、外延性公理を使わないことで対応す
る)。
147132人目の素数さん:2001/03/17(土) 10:05
>>146

もしかしてベキ集合も超越的だから受け入れませんか?
148sage:2001/03/17(土) 11:56
整列可能性 ⇔ 選択公理
149構成主義数学者:2001/03/17(土) 15:17
> もしかしてベキ集合も超越的だから受け入れませんか?

 階層論理風に、任意に与えられた理論の上にその理論の対象を「元」とする
「集合論」を新しく構築していくのはよい。だからせめて「冪集合」の構築は
有限回止まりだな。

> 整列可能性 ⇔ 選択公理

 直観主義論理だとそうはいかない。⇒ はOKだけど、← の方は、排中率をバ
ンバン使ってる。直観じゃなくて直感的に見ても、見た目「わかりやすい」選択
公理から排中律なしで整列可能性などという「超越的」な結論が出るわけないで
しょ。
150132人目の素数さん:2001/03/17(土) 16:01
>>149

ちょっとオカシイんじゃないですか?
右辺では集合を構成的なものに限っているのに
左辺では非構成的な集合も考えてるなんて
明かに狂っています。

もし左辺を受け入れないなら右辺も受け入れられません。
右辺を受け入れるなら左辺も受け入れざるを得ない。

ちなみに←方向は排中律は全く使いません。
その理由は直観的に明らかです。
151132人目の素数さん:2001/03/17(土) 16:04
>>149

ああ、それから、無限集合に対して
そのベキ集合は構成的ではありませんよ。
念の為
152132人目の素数さん:2001/03/17(土) 16:09
>>146

もし構成的な集合しか考えないなら、整列可能性も可測性もOKです。
もちろん選択公理はOKです。(そもそも証明可能な定理です)
また非構成的な集合を考えた上で、構成的な方法のみを用いるならば
整列可能性も可測性もNGですが、同時に選択公理もNGです。
153132人目の素数さん:2001/03/17(土) 16:15
>>146
>>149

選択公理は見た目「わかりやすい」かもしれませんが、
ただ、天下りな公理で決めただけの集合でその満足を
期待するのはかなり超越的な態度です。
154I4:2001/03/19(月) 11:09
82だけどハンドルつけてみた。構成的な人への嫌がらせ。
っていうか、少し離れている間にいろいろあったみたいね。

>>144
読んだ時点では名前しか知らなかったのでちょっとだけ調べてみました。
なるほどね。そうかもしれません。
でも、拒否するのは無限の公理でもいいような気はするんですが。

以降、直観主義はほとんど知識がないことは断っておいて。

>>146
外延性なしの集合論のモデルはすぐ作れるけど、それをベースに
ものを考えるのは辛いような気が。

>>149
選択公理から整列可能性は、べき集合にchoiceかけて、
inductionするだけだよね。どこで排中律使うの?
って既にツッコミ入っているけどさ。

>>152
>また非構成的な集合を考えた上で、構成的な方法のみを用いるならば
>整列可能性も可測性もNGですが、同時に選択公理もNGです。

普通に考えるとそうだと思いますけど、多分選択公理は「構成的な方法」だと
いうことになっているんじゃないですか?この人の場合。
どうしてかは全く判りませんが。


っていうか、超越的っていい響きだな。
155構成主義数学者:2001/03/19(月) 12:39
>>150
 構成主義数学をご存知内容ですね。Bishopの“Foundation of Constructive Mathematics”
をご覧ください。ちなみに私の言う「構成的」というのは、かの有名なV=Lで出てくる「空集合
から構成していって作った集合」の意味ではありません。>ALL

 選択公理から整列可能性を示すのに排中律が必要ないなんてとんでもありません。
実際、排中律を使わないと、「1点からなる集合が整列可能である」ことすら証明
できません。実際「空なのか、元が1個なのか不明」な部分集合について、その自
然数と一対一対応がつきません。
 そもそも整列可能性の証明は、直感的にいうと、「集合 A が空でなければまず1
点を取る。もしこれで空になれば終わり。もしまだ元があれば、さらに次の元を取る。
これを超限的にくりかえす」わけですが、一点を取るごとに、残った集合が空なのか
空でないのかがわからない(排中律を仮定しないから)ので、整列のさせようがない
んです。数学的に厳密な説明がほしければ、いくらでもおつきあいしましょう。
156構成主義数学者:2001/03/19(月) 12:45
訂正。「整列可能」の定義にもよりますが、「1点からなる集合が整列可能」
と書いたところは「一点からなる集合の部分集合はいつでも整列可能」に置き
かえてください。

>>151
> ああ、それから、無限集合に対して そのベキ集合は構成的ではありませんよ。

 「構成的」の意味が私の意味と違ってるのでは?

>>154
> 外延性なしの集合論のモデルはすぐ作れるけど、それをベースに
ものを考えるのは辛いような気が。

 いえ、前出のBishopさんは、それできちんと数学を展開しています。

http://plato.stanford.edu/entries/mathematics-constructive/
157構成主義数学者:2001/03/19(月) 12:46
訂正。「整列可能」の定義にもよりますが、「1点からなる集合が整列可能」
と書いたところは「一点からなる集合の部分集合はいつでも整列可能」に置き
かえてください。

>>151
> ああ、それから、無限集合に対して そのベキ集合は構成的ではありませんよ。

 「構成的」の意味が私の意味と違ってるのでは?

>>154
> 外延性なしの集合論のモデルはすぐ作れるけど、それをベースに
ものを考えるのは辛いような気が。

 いえ、前出のBishopさんは、それできちんと数学を展開しています。

http://plato.stanford.edu/entries/mathematics-constructive/
158構成主義数学者:2001/03/19(月) 12:46
訂正。「整列可能」の定義にもよりますが、「1点からなる集合が整列可能」
と書いたところは「一点からなる集合の部分集合はいつでも整列可能」に置き
かえてください。

>>151
> ああ、それから、無限集合に対して そのベキ集合は構成的ではありませんよ。

 「構成的」の意味が私の意味と違ってるのでは?

>>154
> 外延性なしの集合論のモデルはすぐ作れるけど、それをベースに
ものを考えるのは辛いような気が。

 いえ、前出のBishopさんは、それできちんと数学を展開しています。

http://plato.stanford.edu/entries/mathematics-constructive/
159構成主義数学者:2001/03/19(月) 12:51
すいません、ダブッてしまいました。スマン!

>>154
> 選択公理から整列可能性は、べき集合にchoiceかけて、inductionするだけだ
よね。どこで排中律使うの?

 そのinduction って超限帰納法のことでしょ。超限帰納法自体に排中律が使わ
れています。
160132人目の素数さん:2001/03/19(月) 12:53
>>155
>実際、排中律を使わないと、「1点からなる集合が整列可能である」ことすら証明
できません。

その場合の排中律は証明可能でしょう。
161132人目の素数さん:2001/03/19(月) 12:55
>>159
>超限帰納法自体に排中律が使われています。

Bishopは超限帰納法を使っていますよ。
162構成主義数学者:2001/03/19(月) 13:02
>>153
> 選択公理は見た目「わかりやすい」かもしれませんが、
ただ、天下りな公理で決めただけの集合でその満足を
期待するのはかなり超越的な態度です。

 前出のBishopさんは選択公理が構成的であることは何ら疑ってないようです。
これに対して同じ構成主義者の間にも異論があることは事実です。しかし、排中
律は、ある種の指導原理においては「根拠が無い」といえるのですが↓

http://village.infoweb.ne.jp/~fwiz0276/intuition.htm

選択公理は(ε-公理さえ仮定しなければ)、要するにε-quantifierを
導入すれば成り立ってしまうのであり、ε-quantifier自体は「具体的に
見つかった対象」をε記号で表す、という意味を持つだけなので、何ら超
越的ではない、ということです。Bishopさんはこういった根拠については
ふれていませんが、私は上記の理路によりBishopさんの考えに賛成です。
163構成主義数学者:2001/03/19(月) 13:11
>>161
> >超限帰納法自体に排中律が使われています。
> Bishopは超限帰納法を使っていますよ。

 構成主義数学における「超限帰納法」は定義の仕方に依存しますが、任意の集合
が整列可能であることを証明するに足るような「超限帰納法」を構成主義論理のも
とで構築していますか?
 もしできてるんなら「1点からなる集合の部分集合」の濃度は自然数になるはず
ですが、「空だか元を持つかわからん」ような集合は、有限集合であるにもかかわ
らず自然数の濃度をもちませんよね?
164132人目の素数さん:2001/03/19(月) 15:46
>>163

そもそも整列可能であるようなものしか集合としてみとめてないでしょう。
ご存知なかったんですか?(笑)
165132人目の素数さん:2001/03/19(月) 15:50
>>164

>前出のBishopさんは選択公理が構成的であることは何ら疑ってないようです。

そもそも構成的な集合しか考えてなければ、その範囲では選択公理は自明でしょう。
でも、無限集合のべき集合とかいう超越的なものまで選択公理が成り立つなんて
虫のいいことをいったらダメに決まってるでしょう。
166132人目の素数さん:2001/03/19(月) 15:50
>>162

>前出のBishopさんは選択公理が構成的であることは何ら疑ってないようです。

そもそも構成的な集合しか考えてなければ、その範囲では選択公理は自明でしょう。
でも、無限集合のべき集合とかいう超越的なものまで選択公理が成り立つなんて
虫のいいことをいったらダメに決まってるでしょう。
167構成主義数学者:2001/03/19(月) 15:52
>>164
> そもそも整列可能であるようなものしか集合としてみとめてないでしょう。

 そんなことはないでしょうが。実際、構成主義的ルベーグ積分論では抽象的な
測度空間の部分集合のような非可算な集合をバンバン考えていますよ。というよ
り、実数全体の集合って構成主義数学では整列不可能ではなかったかな。

P.S. そもそもウケ狙い?まじめに応答しちゃいけなかったのかな?
168構成主義数学者:2001/03/19(月) 17:37
>>166
> 構成的な集合しか考えてなければ、その範囲では選択公理は自明でしょう。

 なんで?自然数から自然数の部分集合への選択公理だって決して「自明」ではな
いです。なにせ排中律を仮定してないので、自然数の空でない部分集合に最小元が
存在するとは限らないから。

> 無限集合のべき集合とかいう超越的なものまで選択公理が成り立つなんて
虫のいいことをいったら

 無限集合の冪集合が何で超越的なの?
169132人目の素数さん:2001/03/19(月) 22:16
>>168

では、無限集合の冪集合を構成してみてください
170132人目の素数さん:2001/03/19(月) 22:26
>>167
>実数全体の集合って構成主義数学では整列不可能ではなかったかな。

じゃ、その実数全体の集合は”密輸入”ですね。

171132人目の素数さん:2001/03/19(月) 22:30
>>168
>自然数から自然数の部分集合への選択公理だって決して「自明」ではな
いです。

そりゃ自明じゃないでしょう。構成的とは限らないから?
頭は大丈夫ですか?
構成的なら最小限の存在がいえるでしょう。
お分かりですか?
172132人目の素数さん:2001/03/19(月) 22:31
>>171

>構成的とは限らないから?

?は要りませんね。
構成的とは限らないから。
173構成主義数学者:2001/03/20(火) 02:55
>>169
 一体「構成的」という言葉をどういう意味で使ってるのかなあ。私は「構成的」
という言葉を「排中律を使わない」という意味で使ってるんだけど。だから冪集
合の定義は

P(A)={B|B⊂A}

でかまわないし、このような集合を考えること自体は構成主義数学で許されてる
んだけど・・・。そもそも「構成的数学」ではすべての概念が「構成的」です。
ただ、排中律が使わないため、通常の数学だと存在が示せるものも構成的数学では
存在が証明できないことがある。すなわち構成的数学でも存在が証明できるものの
ことを「構成的な」存在というだけのことです。少なくとも私の定義では「構成的」
というのはそういう意味です。冪集合は、勝手に与えられた理論を「集合論化」した
ものを考える、というだけのことであって、そのような「理論の拡大」を考えること
は構成主義数学では何ら問題にならないんです。
 意味が通じてるかなあ・・・?
174構成主義数学者:2001/03/20(火) 03:01
>>170
 上記の発言で言いたいことの本質は尽きているけど、「実数」の集合
は、通常の数学と同じように、コーシー列に例の同値関係をいれた集合
として定義されるものであり、構成主義数学でも「存在」しますから構
成的です。ただし注意しなければならないのは、デデキントの切断で定
義する実数とこれとは同型にならないし、デデキント流の実数は「いく
らでも近い近似値が計算できる」という重要な性質を持たないので、構
成的数学ではあまり役に立ちません。
175構成主義数学者:2001/03/20(火) 03:04
>>171

> 構成的なら最小限の存在がいえるでしょう。

 これ、意味不明です。気になるから、貴方のおっしゃる「構成的」の定義を
教えてください。

176132人目の素数さん:2001/03/20(火) 07:31
>>173
>私は「構成的」という言葉を「排中律を使わない」という意味で使ってるんだけど。

それは論理の話であって、集合の構成方法ではないでしょう。
Bishopを持ち出すなら、当然区別していると思ったが
まさかそれも知らないとは。本当にBishop読んだんですか?
集合の構成からいえば、非可述的な方法は構成的とは言いません。
もちろん、ベキ集合は非可述的方法の最たるものです。
177132人目の素数さん:2001/03/20(火) 07:35
>>174
あはは、それはIZF(直観主義集合論)の話でしょう。
いっておきますが、それはBishopの体系とは違いますよ。
竹内の本にもそうあるでしょう。前者は論理として排中律
を捨てた直観主義論理を用いているだけで、集合の構成は
相変わらず非可述的だから、選択公理なんて成立しません。
一方、Bishopの場合、可述的な方法によって構成された
集合しか用いないから、その範囲では、選択公理が成り立つ
ということです。読めば誰でも分かること。
178構成主義数学者:2001/03/20(火) 08:07
>>176
> それは論理の話であって、集合の構成方法ではないでしょう。

 なんだ。集合の構成方法のことをいってるのか。私は論理の話をしてたのです。
私の話の流れを見れば明かだと思ったのに。

>>174
> あはは、それはIZF(直観主義集合論)の話でしょう。
いっておきますが、それはBishopの体系とは違いますよ。
竹内の本にもそうあるでしょう。前者は論理として排中律
を捨てた直観主義論理を用いているだけで、集合の構成は
相変わらず非可述的だから、選択公理なんて成立しません。

 いや、私はIZFの話をしているのではないです。なにせ私は外延性公理は仮定して
いないからね。竹内さんの本は知ってます。そこではIZFでは選択公理を仮定すると
排中律が成り立ってしまうことの説明があった。ですが、Bishopの場合、選択公理
は仮定して、逆に外延性は捨てている。

> 一方、Bishopの場合、可述的な方法によって構成された 集合しか用いないから、

 それはウソでしょう?私はBishopのFoundation of Constructive Mathematics
と H.Cheng(綴り自信なし)との積分論に関する共著を読んだけど、「一般的な実数
の集合」や full set(通常の数学における測度ゼロ集合の補集合のこと)とかバン
バン出てきますが・・・。これらの集合は可述的ですか?
179構成主義数学者:2001/03/20(火) 08:22
 ちなみにBishopの本では実数の定義は有理数列 xn のうち
 |xn − xm| ≦ n^(-1) + m^(-1)
を満たすものからなる集合に同値関係をセットで考えたもの、として定義している。
この「実数」の集合が完備であることを示すのに選択公理(少なくとも可算選択公
理)がいるはず。
 んでもって選択公理を仮定しているから、実数の定義は「すべてのコーシー列」
からなる集合に同値関係を入れたものと同型になる。

180構成主義数学者:2001/03/20(火) 08:29
>>179
 スマン、選択公理が必要云々は撤回。証明のプロセスで使う論法の相手は有限個の有理
数に対する術語論理命題だったから、自動的に排中律が成り立つんだった。
 でもBishopが選択公理を仮定してるのは事実。そう宣言してるし。
181132人目の素数さん:2001/03/20(火) 09:13
>>178
>なんだ。集合の構成方法のことをいってるのか。
>私は論理の話をしてたのです。
>私の話の流れを見れば明かだと思ったのに。

私、私、と自己主張はお止めください。
貴方が私の話を聞けなかった(聞かなかった、ではない)
ことが間違っていたのです。
182132人目の素数さん:2001/03/20(火) 09:36
>>179
>ちなみにBishopの本では実数の定義は有理数列 xn のうち
> |xn − xm| ≦ n^(-1) + m^(-1)
>を満たすものからなる集合に同値関係をセットで考えたもの、として定義している。

簡単に書いてますね。

ところで、もし外延性を構成的見地から否定されるのなら、
上記でいう「同値関係」も当然構成的に問題になることは
お分かりでしょうね。

すなわち二つの有理数列があったとして、それが実は
同値かどうかを決める手続きがあるかどうかということ
ですよ。
183構成主義数学者:2001/03/20(火) 10:59
>>181
> 貴方が私の話を聞けなかった(聞かなかった、ではない)ことが間違っていたのです。

 それはお互いさま。そもそも私は(あえていう)、構成的な集合の話などしていない。
話題にしたのは「排中律なしで選択公理から整列可能性が出るか」ということだけ。
その命第を吟味する対象を「構成可能集合」に限定しようとしたのは貴方であって、私
じゃありません。

>>182
> ところで、もし外延性を構成的見地から否定されるのなら、
上記でいう「同値関係」も当然構成的に問題になることは
お分かりでしょうね。

 だから「構成的に問題になる」ってどういうこと?二つの有理数列が同値である
かどうか決める手続きがないのは当たり前で、これこそが、構成主義数学では実数に
対して「x=y or x≠y」が証明できないことと直結している(というか、そのも
の)でしょう?
 構成主義数学というのは命題が成り立っているか号かを決める手続きがあるか否か
を問題にするわけではない。ただ、何かの存在が証明できるときは、その対象が具体
的な式で記述できるところが通常の数学と違うだけ。
184構成主義数学者:2001/03/20(火) 11:45
>>182
> ところで、もし外延性を構成的見地から否定されるのなら、
上記でいう「同値関係」も当然構成的に問題になることは
お分かりでしょうね。

 ああ、そうかそうか、あなたの言いたいことはわかったよ。通常の数学のように、
集合 A と A 上の同値関係 〜 があったとき、A の 〜 に対する同値類の集合
を A/〜 と書くと、外延性がないから A/〜 が A の商空間にならないんじゃな
いか、ということだろ?
 その難点をBishopはうまく避けている。Bishopはただ集合 A だけを考えるので
なく、必ず集合 A と A 上の同値関係 〜 のペア (A,〜) を考えることにして
いる(等号つき集合)。〜 がいわば、A における等号の替わりになる二項関係な
わけだ。そして、(A,〜)から (B,≡) への「写像」とは ∀x∈Af(x)∈B と
なるようなもの(通常の数学における「写像」と同じ)、(A,〜)から (B,≡) へ
の「関数」とは、写像であって、両同値関係と両立するもののこと、と定義して、両
概念を区別している。これなら外延性公理がなくても困らない。

185132人目の素数さん:2001/03/20(火) 14:59
>>182
>そもそも私は(あえていう)、構成的な集合の話などしていない。
>話題にしたのは「排中律なしで選択公理から整列可能性が出るか」ということだけ。

そもそも、「構成主義」を単に排中律の排除と考えることが間違ってます。
当然最初に取り上げるべき原理は「整列性」でしょう。これを集合の構成
原理として採用するから、選択は公理ではなく「定理」となるわけです。

IZFは排中律と選択公理を捨てたが外延性は採用しました。
貴方の場合は排中律と選択公理は採用し外延性は捨てました。
でも、冪集合のような非構成的集合をもちこんだので、
結局、整列性を諦めねばならなくなりました。
それは存在定理から具体的な「答」を導くことを諦める
ことを意味します。なぜなら、選択公理で天下り的に
関数の存在を認めてしまっているが、非構成的集合に
関する原理から関数を構築する手がかりはないからです。
本末転倒ですね。

本当の構成的数学なら、整列的原理から背理法抜きで
存在定理を証明すれば、そこから選択「定理」の証明の
定める具体的手続きによってアルゴリズムを導けるはず
です。Martin=Loefの体系はそうなっていますよ。
186132人目の素数さん:2001/03/20(火) 15:01
>>186
>貴方の場合は排中律と選択公理は採用し外延性は捨てました。

これは誤り。正しくは

貴方の場合は選択公理は採用し排中律と外延性は捨てました。

ですね。
187構成主義数学者:2001/03/20(火) 17:10
>>185
 読みました。結局貴方と私の見解の相違は「哲学」の違いだったのですね。
私の立場というのは「ある指導原理において、“根拠のある”公理のみを前提にし
て理論を展開する」ことです。私が選択公理を認めるのは、実はε-quantifierの
導入を認めるからです。これは要するに、ある対象式 t に対して P(t) が証明
できたとき、そのような t の具体的な形に関心がないので εxP(x) で表わそう、
というだけのことですから、何ら超越的ではありません。├ P(t) なら ├ P(εxP(x))
を導いてよい、という推論規則はそれ以上でも以下でもありません。この推論規則
から、選択公理は導かれてしまいますが、そもそも排中律を認めないので ∃xP(x)
が存在が証明できるときは、必ず具体的な式 t によって P(t) が証明できるはずだ
から、この t が自動的に選択関数になってしまう、というのが構成主義の思想です。
ですから選択公理は何ら超越的ではない、ということです。つまり「選択公理で天下
り的に 関数の存在を認めてしまっている」ことにはならないのです。

 一方、外延性公理の拒否は、集合 A={x|P(x)} と集合 B={x|Q(x)} は、
P と Q が命題として異なれば「別の対象」と考えるべきだ、という思想に立っ
ています。実際、集合 {A,B} から {0,1} への関数を考えたいとき、f(A)=0,
f(B)=1 と定義するのは、P と Q が命題として異なれば実際は問題ないはず
です。ところがある日 ∀x(P(x)⇔Q(x)) がある人によって証明されてしまった
としますと、もし外延性公理を仮定すると、A=B が得られて理論が矛盾してし
まいます。これを「そりゃないだろう!」という感覚を持つのが外延性公理拒否の
思想です。
188構成主義数学者:2001/03/20(火) 17:18
>>185
> 当然最初に取り上げるべき原理は「整列性」でしょう。

 このような思想は初めて見ました。構成主義において実数の集合を考えたければ実数
の集合も整列されているべきだ、ということでしょうか。私にはすごく不自然に感じ
ます。この考え方にどういう背景があるのかもう少し教えてください。それから

> 整列性を諦めねばならなくなりました。

ということから

> それは存在定理から具体的な「答」を導くことを諦めることを意味します。

を主張するところの論理的つながりがよくわかりません。
189132人目の素数さん:2001/03/20(火) 20:26
>>188
>構成主義において実数の集合を考えたければ
>実数の集合も整列されているべきだ

そもそも構成主義において実数の集合を考えよう
という発想に問題があります。実数の集合は
どうしたって天下り的に与えなくてはならない
からです。

こういう発想は構成主義的にいえばまったく自然です。
むしろ「…なる性質をもつもの」というだけで実数が
あると思いこむことこそ不自然極まりない発想なのです。

この考え方はクロネッカーに遡ります。ポアンカレも
このような発想を持っていました。
190132人目の素数さん:2001/03/20(火) 20:40
>>187
>私の立場というのは「ある指導原理において、
>“根拠のある”公理のみを前提にして
>理論を展開する」ことです。

本当の構成主義は、
「”根拠のある”集合のみから理論を展開する」
ことです。
たとえ排中律を使わなくとも、もともとの公理で、
天下り的に集合を導入してしまえば、そのような
集合に関する操作を完全に構成的に実現すること
はできません。それは選択公理を導入したところで
変わるものではありません。あなたは排中律さえ
使わなければ構成的だと思っているようですが、
片手落ちです。集合の構成自体から構成的でなくては
貴方のいうような超越性の排除はできません。

そして実数の集合が実はこのような超越性の最たる
ものなのです。
191構成主義数学者:2001/03/20(火) 21:24
>>190
> あなたは排中律さえ 使わなければ構成的だと思っているよう
ですが、片手落ちです。

 それは違います。論理記号の推論規則の中で「根拠がない」のは排中律ですが、
集合論の公理の中にも、例えば外延性公理などは「根拠がない」ものがあります。
 あなたとは「基準」が違うだけで、「根拠」の有無で採否を決めています。

> もともとの公理で、 天下り的に集合を導入してしまえば、そのような
集合に関する操作を完全に構成的に実現することはできません。

 ですから、私は「集合に関する操作を構成的にすること」を「構成的」と
言ってるんじゃないですってば。そんな概念は「存在」の「構成的」さを保
証するのに何の役にも立たない、といっているのです。私が排除している「存
在」というのは、雑な言い方をすれば「存在しないと仮定すると矛盾する」だ
けの「存在」です。

> 集合の構成自体から構成的でなくては 貴方のいうような超越性の排除は
できません。

 それは「貴方にとって」ですね。別に「抽象的な集合を考えること」それ自体
が超越的なんじゃないです(私の立場では)。私にとって超越的なのは、例えば
「具体的に構築もできないのに存在すると言う」ことなんですよ。例えば超フィ
ルターの存在とか・・・。
192構成主義数学者:2001/03/20(火) 21:28
 ちなみに「私の立場」と件のBishopさんの本の立場とほぼ同じだと思ってます。
念のため。
193132人目の素数さん:2001/03/20(火) 22:03
>>191

>ですから、私は「集合に関する操作を構成的にすること」を
>「構成的」と言ってるんじゃないですってば。

ああ、でも

>私にとって超越的なのは、例えば
>「具体的に構築もできないのに存在すると言う」
>ことなんですよ。

といってますね。

ところで実数の全体は具体的に構築できるんですか?(笑)

個々の実数を構築できるから、全体と構築できる
という錯覚に陥っているだけではないですか?

>そんな概念は「存在」の「構成的」さを保証するのに
>何の役にも立たない、といっているのです。

役に立たないのは、排中律や選択公理の護持のほうでしょう。

そもそも、そういったものは、根本原理でもなんでもなくて、
いわば構成を第一に考えたために出てきた結果なのですよ。
例えば、排中律は、命題の判定が確実に出来る手続きの
存在を仮定すれば矛盾に陥ることから排除されざるを得ない
のですよ。外延性の排除も同様。

>私が排除している「存在」というのは、雑な言い方をすれば
>「存在しないと仮定すると矛盾する」だけの「存在」です。

じゃ、べき集合は存在すると仮定しても矛盾しないから
存在するとでもいいたいのですか?(笑)

まったく御都合主義ですね。
194構成主義数学者:2001/03/20(火) 22:29
>>193
> 実数の全体は具体的に構築できるんですか?

 {x|x は有理数列で |xn − xm|≦ 1/n + 1/m }

と定義すればいいだけです(笑)。こう「書い」て「定義す」ることは構成数学で
許されています。これを構成数学では「具体的に構築」といっています。なにせちゃ
んと定義してますから。

> 役に立たないのは、排中律や選択公理の護持のほうでしょう。
> そもそも、そういったものは、根本原理でもなんでもなくて、いわば構成を
第一に考えたために出てきた結果なのですよ。

 もちろん、排中律が基本原理でないのは確かです。私の立場の場合「構成を
第一に考え」ていません。「根拠があるかどうか」を第一に考えています。
「構成的」になるのはその結果に過ぎません。本当は「根拠を第一に考えた数学」
と呼ぶべきなんですが、普通の数学が「非構成的」だから、それと対比させるた
めのネーミングを採用したに過ぎません。

> じゃ、べき集合は存在すると仮定しても矛盾しないから存在するとでもいい
たいのですか?

 冪集合の場合は、公理というより「理論の拡大」ですね。任意に理論 T が与え
られたとき、理論 T に {x|P(x)} という項を表わすquantifierを追加して、こ
れらを「集合」と呼び、x をもとの理論 T の対象を表わす変数、A を集合をあ
らわす変数とするとき、
x∈{x|P(x)} ⇔ P(x)
を公理図式に追加した理論を P(T) とするのです。すなわち「冪集合」というよ
り「冪理論」P(T) を随時構築してよい、という意味です。冪理論で集合を含まな
い命題が証明できれば、それは冪理論に拡大しなくても証明できる、とかいうメタ
定理が成り立つんじゃないかと思いますが、もしそうなら、冪理論を考えることは
何ら超越的な総座ではないはずです。
 こういうバックグラウンドがあるので、決してご都合主義じゃありません。
195132人目の素数さん:2001/03/20(火) 22:43
>>194
> {x|x は有理数列で |xn − xm|≦ 1/n + 1/m }
>と定義すればいいだけです(笑)。

では、有理数列の集合はどう定義します?

>こう「書い」て「定義す」ることは構成数学で許されています。

いや、正確にはBishopがそうしたから、
ああ、いいんだな、と貴方が判断した
のでしょう?(笑)

>これを構成数学では「具体的に構築」といっています。
>なにせちゃんと定義してますから。

では、お伺いしましょう。公理に何の前触れも無く
存在記号が表れるようなものを貴方は具体的に構築
されたものとするわけですか?いっておきますが、
数列の集合も冪集合も存在記号なしに定義できや
しないでしょう。どうですか?

>もちろん、排中律が基本原理でないのは確かです。

やっと認めましたね。

>私の立場の場合「構成を第一に考え」ていません。

それでなぜ、「構成主義」なのですか?

>「構成的」になるのはその結果に過ぎません

ああ、まだ分かっていない。いいですか?
もし、公理に無条件に存在記号を用いたら、
そこで構成的もなにもありはしないのですよ。

>本当は「根拠を第一に考えた数学」と呼ぶべきなんですが、

ええ、ぜひそうしてください。
貴方も嘘はつきたくないでしょう。
構成的でもなんでもないのに構成主義だなんて
実に酷い嘘ですよ。まったく。
196132人目の素数さん:2001/03/20(火) 22:54
>>194
>冪集合の場合は、公理というより「理論の拡大」ですね。

なんと呼ぼうが結構ですが、任意の集合に対して、
その冪集合を構成する方法がないことくらいは
お分かりでしょう。

>冪理論で集合を含まない命題が証明できれば、それは
>冪理論に拡大しなくても証明できる、とかいうメタ
>定理が成り立つんじゃないかと思いますが、

思うだけじゃダメですね。

>もしそうなら、冪理論を考えることは
>何ら超越的な総座ではないはずです。

そもそも、冪集合をもちいなくても証明できるなら
冪集合を考える意味がないはずですが、如何ですか?(笑)

>こういうバックグラウンドがあるので、
>決してご都合主義じゃありません。

あなたのいうバックグラウンドはどうやら
あなたの行為をナンセンスといっているようだ(笑)
197構成主義数学者:2001/03/20(火) 23:49
>>195
> では、有理数列の集合はどう定義します?

 自然数の集合(=自然数論上の冪理論)から有理数の集合への写像が
有理数列ですね。だから再び冪理論を構築すれば、「有理数列の集合」
を考えることができます。

> >こう「書い」て「定義す」ることは構成数学で許されています。
> いや、正確にはBishopがそうしたから、ああ、いいんだな、と貴方が判断した
のでしょう?

 いいや。Bishopは冪理論だのという「論理の定式化」を明示して説明してません。
この辺の理論武装(笑)は私が勝手に考えたものです。

> 公理に何の前触れも無く存在記号が表れるようなものを

 そんな公理は仮定してません。

> やっと認めましたね

 最初から認めてますけど

> もし、公理に無条件に存在記号を用いたら、そこで構成的もなにもありはしないのですよ。

 もちろんそうです。だからそんな公理は前提にしてません。

> 構成的でもなんでもないのに構成主義だなんて実に酷い嘘ですよ

 いや、結果的に(私の意味では)構成的になってるんだからいいじゃないですか?

>>196
> なんと呼ぼうが結構ですが、任意の集合に対して、その冪集合を構成する方法
がないことくらいはお分かりでしょう。

 「方法がない」の意味が不明ですが、理論 T の冪理論 P(T) の集合 A に
対し、P(T) の更に冪理論 P(P(T)) を考えます。

 P(A)={' B| B⊂A}'

と置いて、これを A の冪集合と呼べばいいだけじゃないですか?
ちなみに P(P(T)) における集合の記号をP(T) における集合の記号と区別
するためにダッシュを付けました。

> 思うだけじゃダメですね。

 もちろん証明が必要ですね。

> そもそも、冪集合をもちいなくても証明できるなら
冪集合を考える意味がないはずですが、如何ですか?

 そういうことってゲンツェンの基本定理でよくおきる話じゃないですか?

> あなたの行為をナンセンスといっているようだ

 私には、あなたが自らの思い込みで物分りが悪いようにしか見えませんが。

198132人目の素数さん:2001/03/21(水) 08:15
>>197

>> 公理に何の前触れも無く存在記号が表れるようなものを
> そんな公理は仮定してません。
>> もし、公理に無条件に存在記号を用いたら、
>>そこで構成的もなにもありはしないのですよ。
> もちろんそうです。だからそんな公理は前提にしてません。

嘘でしょう。べき集合は何の前触れもなく存在を認めたものでしょう。

>> 構成的でもなんでもないのに構成主義だなんて実に酷い嘘ですよ
> いや、結果的に(私の意味では)構成的になってるんだからいいじゃないですか?

いや、結果的に、貴方の意味でも構成的でありませんよ。
貴方がそれに気づかなかっただけです。
もういちどべき集合の公理をご覧なさい。

> 私には、あなたが自らの思い込みで物分りが悪いようにしか見えませんが。

私は、あなたの「思い込み」を指摘しました。
これで認められないなら、物分かりが悪いのは
あなたです。
199I4:2001/03/21(水) 09:07
なんか盛り上がってるなぁ。両方とも頑張れ。でも冷静にね。
私は矛盾が見つかりさえしなければ超越的でいいって人なんで傍観だけど。
それ以前に、議論に混じれるほど直観主義その他に知識がないし。

ただ、多分議論の対象になっているのは、先のリンクのこの辺じゃないかと。
>If that is the case, then we can practice constructive mathematics
>using intuitionistic logic on any reasonably defined mathematical objects,
>not just some class of 'constructive objects'.
(http://plato.stanford.edu/entries/mathematics-constructive/)

同じページの下の方には、
>Note that Richman's philosophy is one of the practice of constructive
>mathematics, and is certainly compatible with a more radical constructive
>philosophy of mathematics itself, such as Brouwer's intuitionism, in which
>the objects of mathematics are mental constructs.
なんて文章もあるし。立場の違いが一番大きいんじゃないですか?

>構成主義数学者さん
リンク読みました。あとBishop-Bridgeの本の前書きも。
こういう方向もあるのかと参考になりました。ありがとうございます。
200構成主義数学者:2001/03/21(水) 09:39
>>198
> 嘘でしょう。べき集合は何の前触れもなく存在を認めたものでしょう。

 私の方法では、冪集合の存在を公理にするという通常のZFの方法ではあ
りません。どちらかというとクラスの概念を持つBGの方に近いです。BGだと
{x|P(x)} という記号は項を表わすquantifierとしてあらかじめ与えられ
ており、P(A)={B|B⊂A} と定義するのは「存在」と関係ありません。
かわりにBGでは「P(A) は集合である」いいかえると「P(A) はクラスの
元になり得る」という命題を公理にしているわけです。
 これだと∃を含む公理の形にはなっていませんが、こと「集合としての存在」
としては天下り的に認めたことになるので、私の立場からはやはり問題があり
ます。
 しかし、このBGの公理をよく見ると、「P(A) は集合である」という公理は
要するにBG集合論という「固定された理論」の中で、再帰的に冪集合の冪集合を
作るなどの操作が行えるようにするための方便であって、もし理論を固定しなく
てもよい、つまり必要に応じて「理論の拡大」を行っていけばよい、という立場
に徹するならば、「P(A) は集合である」という公理は必要のないものです。
 ですから私は「理論は必要に応じて拡大すればよい」との立場にたつので、
冪集合の「存在公理」は仮定する必要がないのです。
201構成主義数学者:2001/03/21(水) 09:59
>>199
I4さん、フォローどうもありがとうございます。

> なんて文章もあるし。立場の違いが一番大きいんじゃないですか?

 おっしゃるとおりです。私も私の立場こそが唯一の「構成主義」だ、などと主張
するつもりはありません。「数学を行うのに、なるべく“根拠”のある公理、推論
規則だけを使うようにしよう。そうすれば、その結果導かれる“存在”は構成的な
ものだけに限定されるはずだ(というよりそのような立場で存在が保証されるもの
のみを構成的と呼ぼう)」という立場なのです。もちろん、そうでない「構成的」
という概念を提案してもかまいません。決して排他的なものではないと思います。

 ちなみに

http://village.infoweb.ne.jp/~fwiz0276/intuition.htm

は、私が学生のとき(ウン十年前)に思いついた内容で、要するに直観主義論理
における論理記号の推論規則というのは「その論理記号の定義以外の何ものでも
ない」ということを証明論的に示したものです。つまり、排中律というのは、論
理記号の定義という役割を超えたことを主張してしまっていて、それがゆえに超
越的なわけです。これらの事実は大変基本的であるにもかかわらず、この事実を
明確に指摘した本が見当たらないのが不思議です。ただ、私が知らないだけかも
しれないので、このような直観主義論理の本質について解説してある本やサイト
をご存知の方がおられたらぜひ紹介して下さると嬉しいです。
 ちなみに、この事実は、ゲンツェンのLJで「sequenceの右式は唯一つでなけ
ればならない」という形で反映されてはいると思いますが、このことから「直観
主義の推論規則は定義以外の何ものでもない」という「意味」を読み取るのは困
難です。
202構成主義数学者:2001/03/21(水) 11:18
 私が「冪理論」などというものを持ち込んだので、補足します。

 そもそも「集合」という概念が数学において大変便利な道具(というか、それ
なしでの議論は不可能といってもいい)なのはなぜか。私は、数学で集合が有用
なのは、それが「ものの集まり」だから、ではないと思っています。

 集合という概念を数学の現場で実際にどう使っているかと言うと、要するに、
{x|P(x)} という一変項の、結果が項であるようなquantifierを考えて、もと
の理論の任意の対象 t に対して

t∈ {x|P(x)} ⇔ P(t)

を推論規則として使っている、というところだと思います。つまり、この推論
規則こそが、数学において集合の概念が便利であることの理由です。では、こ
の推論規則とは何か?

 通常の数学を記述するのに使用している論理は1階の述語論理ですが、これ
は項を表わす変数はあるのに命題を表わす変数というものはありません。しか
し「変数」というのは一般論を記述するのに大変重要であり、特に∀や∃をつ
けた命題を書きたければ変数で表わすことができなければ話になりません。そ
のことに注意して上の推論規則をよく見ると、集合 {x|P(x)} というのは、
要するに一変項命題 P(x) を項合 {x|P(x)} に「変換」して、それを変数
で表わせるようにした技巧のことである、とみなすことができます。つまり、
集合と言うのは「ものの集まり」だ、ということが本質なのではなく、「命題
を項として扱うための技巧」である、ということが本質なのだ、と私は思いま
す。そして、一般に集合すなわち「命題を項として表わしたもの」をAと書い
たとき、「xがこの項によって表わされるところの命題を満たす」ということ
を x∈A と表わすわけです。これが「∈」という記号の「意味」です。

 「集合」という概念をこのようにみなすと、「集合を考えること」=「一変
項命題を変数によって自由に議論すること」なのですから、「集合」として
「(132人目さんの意味において)構成的なもの」のみを扱う、ということ
は「(132人目さんの意味において)構成的な命題」のみを扱う、というこ
とと等価であることになります。しかし、命題の構成は本来自由であり、そも
そも与えられた命題が「(132人目さんの意味において)構成的」であるか
どうかは証明してみないとわからないことであり、それによって論理記号に関
する推論まで制約を受けるというのでは不自由、それこそ「本末転倒だ」とい
うことになります。
 少なくとも私にとって「集合」という概念は上記のようなモノですから、私
の立場からは132人目さんの「構成的」という概念は本質的でない、という
ことになります。
203構成主義数学者:2001/03/21(水) 11:24
>>202
訂正です。上から17行目

> 要するに一変項命題 P(x) を項合 {x|P(x)} に「変換」して、それを変数



# 要するに一変項命題 P(x) を項 {x|P(x)} に「変換」して、それを変数

に訂正します。
204132人目の素数さん:2001/03/22(木) 08:06
>BGだと{x|P(x)} という記号は項を表わすquantifierとして
>あらかじめ与えられており、P(A)={B|B⊂A} と
>定義するのは「存在」と関係ありません。

内包を認めるのは超越的ではないといいたげですね。
205構成主義数学者:2001/03/22(木) 09:44
>>204
> 内包を認めるのは超越的ではないといいたげですね。

 というより「理論の拡大」だよね。「内包」というのは私の言葉で言えば「冪理論」
すなわち「一変項命題」の「項」への「変換」に過ぎない。まあ、証明論的に「超越的
でない」ことを「厳格に示す」となるとゲンツェンの基本定理なみのシンドい議論が必
要になるとは思うが、まあ直感的に言えば「内包(の根拠となる冪理論)ってのは、命
題を変数で表わすようにした技巧でしかないから、それ自体は超越的ではない」ってと
こかな。
206構成主義数学者:2001/03/22(木) 10:08
 ゲンツェンの基本定理に関する補足です。

 この定理の真の意義は、「ある論理記号を含まない論理式が証明できる場合は、
その論理式に関する推論規則を使わなくても証明できる」ということを示したと
ころにあります。その「超限帰納法」バージョンである「自然数論の無矛盾性の
証明」も、やっていることは何かと言うと「変数を含まない自然数論の命題が証
明できたときは、数学的帰納法を使わなくても証明できる」ことの証明に他なり
ません。自然数論の無矛盾性は、その単なるコロラリーです。

 で、ある論理記号の導入が「非構成的でない」と言うことを、証明論的に、
「その論理記号を含まない式が証明できる場合は、その論理式に関する推論規則
を使わなくても証明できる」という意味であると定義します。私が「ゲンツェン
の基本定理なみの議論」と言ったのは、こういう背景によるものです。

207構成主義数学者:2001/03/22(木) 10:15
 補足の補足です。「非構成的でない」の定義におけるsequencceの右式は高々
1つ、というLJをベースにした話です(でないと排中律も「構成的」になって
しまう)。これは自然推論、すなわちNJで考えることを本質的に意味します。
自然推論の方が「論理式の定義」という概念を考えるのに適しているからです。
208132人目の素数さん:2001/03/22(木) 12:47
>>205
>まあ直感的に言えば「内包(の根拠となる冪理論)ってのは、
>命題を変数で表わすようにした技巧でしかないから、
>それ自体は超越的ではない」ってとこかな。

ところで、⊂はどう定義されているのですか?
B⊂Aは、x∈B⇒x∈Aというところでしょうか。

で、BがAに含まれるというときに、Bの元すべてについて
それがAの元であることを示さなくてはならない。Aのべき集合
の元であることを具体的に確認しようとすると、べき集合に対する
なんらかの超限帰納法がなくてはやってられないでしょう。

209構成主義数学者:2001/03/22(木) 13:28
>>208

> ところで、⊂はどう定義されているのですか?
> B⊂Aは、x∈B⇒x∈Aというところでしょうか。

 これは Yes です。後半は言ってることの意味がよくわかりません。冪理論の
発想からすると、B={x|P(x)},A={x|Q(x)} なんだから、具体的に確認す
るときの「B⊂A を示すこと」の困難さは「P(x)⇒Q(x) を示すこと」の困
難さと変わりがない。なんでそこに「超限帰納法」が出てくるのか意味不明です。
210132人目の素数さん:2001/03/22(木) 16:07
>具体的に確認するときの「B⊂A を示すこと」の困難さは
>「P(x)⇒Q(x) を示すこと」の困難さと変わりがない。

そうです。

>なんでそこに「超限帰納法」が出てくるのか意味不明です。

だからです。すなわちべき集合の要素かどうかは
P(x)⇒Q(x)が正しいか否かにかかってきます。
これは一般には非決定的ではありませんか?
211132人目の素数さん:2001/03/22(木) 16:42
ちんちんは膣に内包可能であるが
膣はちんちんに内包不可能である
これを式で表せ(配点100)
212構成主義数学者:2001/03/22(木) 17:39
>>210
> だからです。すなわちべき集合の要素かどうかは
> P(x)⇒Q(x)が正しいか否かにかかってきます。
> これは一般には非決定的ではありませんか?

 もちろん非決定的です。しかしこれはそもそも命題 P(x) を一般的に考えた
とき、すべての命題 P(x) が決定的なわけではないんですから当たり前です。
すべての命題が決定的なら、それは排中律が成立する、ということであり、直感
主義論理を考える必要がなくなります。「非決定的な命題」が存在するからこそ
古典論理とは違う論理のもとで数学を行うことの意義があるのです。
 ですから、繰り返しになりますが、構成主義論理のもとでも非決定的な命題や
非決定的な集合が存在するのは当たり前のことです。
213132人目の素数さん:2001/03/23(金) 15:23
>>212
>構成主義論理のもとでも非決定的な命題や
>非決定的な集合が存在するのは当たり前のことです。

前者はいいけど、後者はどうもなあ

そもそも論理だけなら「構成主義」といわずに「直観主義」と
いってほしい。「構成的」という言葉は集合の定義に関する
場合に使ってほしいわけです。完全性定理の完全と、不完全性
定理の完全を区別しないようなものです。
214構成主義数学者:2001/03/23(金) 18:04
>>213
> そもそも論理だけなら「構成主義」といわずに「直観主義」と
いってほしい。「構成的」という言葉は集合の定義に関する
場合に使ってほしいわけです。完全性定理の完全と、不完全性
定理の完全を区別しないようなものです。

 「完全性定理」と「不完全性定理」か。なるほど、これも誤解を招く名前だね。
どっちかを「完備」とでも名づけてくれりゃよかったのにね。
 ちなみに「構成主義」を「直観主義」と名づけると、論理についてはよいが、数
学についてはブラウアーのと混同するからよくないと思う。集合の「構成的」は
「構成して作っていった」という意味だし、私のいう「構成的数学」の「構成的」
は「構成できるものしか存在できない」という意味だからなあ。「構成主義数学」
をもし私が勝手に命名していいなら「根拠主義数学」かな。直観主義論理も「根拠
主義論理」の方がいいかもね。
215I4:2001/03/27(火) 09:30
終わりっすか?結局は言葉の解釈だけ?
それじゃ保留にしていた質問をしてみます。

>構成主義数学者さん
どうもあなたの話(およびBishop-Bridgeをぱらぱらとくらい)
からすると、扱う対象はやっぱりある意味での構成可能性を仮定
されているような気がするんですが。
べき理論のときも付け加わるのはある命題で定義される集合だけ
ですよね。

外延性を否定している以上、むしろそうでないと対象を区別する
手段が無くなってしまうような気がします。
関数とかに関しては例のペアにする議論で抜けられるにしても。

つまりは、Bridge曰くのany reasonably defined mathematical objectsが
本来の「構成的対象」に比べてどの程度大きいのかっていうのがわからない
んですよ。なにか具体的なお話はありますか?

以上、構成主義素人より。
216I4:2001/03/27(火) 09:32
もっともわし本来の立場からすると、Principle of Omniscienceが成り立たない
って状況はやっぱり気持ち悪くてねぇ。とてもそこでは動けないや。
構成主義の主張自体は理解できても感覚は変わらなくて。

それどころかmeasurable cardinalが矛盾しちゃうとかなり悲しかったり。
まあ、そうするとかなりたくさんの定理がabsoluteになるんで面白くもあるけど。
楽しくさえあれば砂上の楼閣であってもそこで遊ぼうっていう感じ。
むしろ、それどころじゃなく根拠のないI1-I3でさえ未だ矛盾が見つかっていない
っていうことの方に面白みが感じられるというか。
そして、その根拠のない激強の仮定からでも解決できない問題があるのがね。
217132人目の素数さん:2001/03/27(火) 12:09
Principle of Omniscienceってなんですか?
218構成主義数学者:2001/03/27(火) 14:25
> 構成主義の主張自体は理解できても感覚は変わらなくて。

 そう。そこだと思う。大抵の基礎論やってる人は「数学の世界」の住民で、彼らの
住む世界では排中律も成り立ってるし、その世界にころがってる集合はZFも満たすか
らね。
 しかし、我々の住む世界では、とにかく論理記号は「定義した以上のものではない」
から、具体的にP(x)を満たすtが構成できたときのみ「存在する」わけで、感覚が違
うのは当然なのです。

> measurable cardinalが矛盾しちゃうとかなり悲しかったり。

 我々の世界では、例えば「自然数の濃度を持つ集合」を「有限集合」と名づけると、
「有限集合の部分集合は有限集合とは限らない」とか「区分的に一次式であるような
関数の中ですら中間値の定理が成り立たない例がある」とか「すべての実数で定義さ
れた不連続な実数値関数の実例は作れない」というのが「常識」であるわけだ。とて
も「通常の数学の世界」の住人には感覚的に付いていけないだろう。

>>217

 0か1からなる数列{an}があるとき、「すべてのan=0であるか、又はan=1
となるnが存在する」ということ。「すべてのanが0であることも証明できないし、
an=1であるようなnも見つけられない」ような数列ならゲーデルの不完全性定理
の証明で出てくる命題を使って構成できるけど、構成主義数学では、「すべてのan
=0であるか、又はan=1となるnが存在する」ことを認めること自体を拒否する
わけである。我々にしてみれば、216さんとは反対に、「こんな原理、成り立つわけ
ないだろう」というのが「素直な感覚」だけどね。
219132人目の素数さん:2001/03/27(火) 15:45
>大抵の基礎論やってる人は「数学の世界」の住民で

僕は計算機屋です。師匠もそうだし。

>彼らの住む世界では排中律も成り立ってるし

僕の住む世界ではそんなもんないですよ。
ChurchもTuringも、証明したことですがね。

あ、でもStromdorfさんは、なんかまだ数学に未練があるでしょ。
片足かかってるよね。あんな実数の構成、計算機屋なら口にしないもん。

>我々にしてみれば

でも、僕とStromdorfさんでは理由が違うよ。
僕がこれを受け入れないのは、手続きが存在しないから。
Stromdorfさんの理由はちょっと理解できないな。
一種のパラノイアじゃないかな。
220構成主義数学者:2001/03/27(火) 16:33
 計算機屋さんだと「手続きの存在」にこだわるのはわかりますね。
でも私はあいにく計算機数学には余り興味がありません。ただ「推論
の根拠」にこだわっているだけです。これを「数学に未練がある」と
表現されるなら、それでかまいません。なにせ、「構成主義数学者」
は「数学」者ですから(笑)。
 ちなみに、例え「有限」しか扱わなくても、本当は計算機になじみ
ませんよね。例えば「宇宙のすべての素粒子の個数より多い文字列を
書き下す」ことは、現実には絶対にできませんから。
221加護天使:2001/03/28(水) 03:17
だいぶ、議論があったみたいね。
言葉って、しっかり使わないといらないもめ事になったりするわ。
あいぼんも、
位相の本読んだときに、完備・完全・正規・正則で混乱したわ。
そうそう、T3,T4の公理を充たしてもT1を充たさない空間って有限集合でも例があるのね。

じゃ本題ね。
構成主義数学者さんへ、
1.古典論理から排中律を除いたからといって、
直観論理にはなるとは限らないんじゃないの?
2.直観論理で各論理記号が独立であることと推論則が定義であることは同じなの?
3.関数の外延性がなりたたないことは、
計算量を比べるならだったらあたりまえじゃない?
4.記述集合論は知らないけど、外延性だけの判断なの?
222構成主義数学者:2001/03/28(水) 09:49
>>221

>1
 それって「直観主義論理」の定義では?

>2
 「論理記号の独立性」というのがどういう意味かわからないけど、ゲンツェンの
 定式化では推論規則が論理記号別に完全に分離してるよね。これは直観主義論理
 に限った話ではなくて、古典論理でも同じだから「推論則が定義であること」と
 は同じじゃないよね。ただし「推論則が定義」という意味を私流に定義した場合
 の話だけど。

>3
 「関数の外延性」とは?「(∀x(f(x)=g(x)))⇒(f=g)」のことかな?これ
 も集合の外延性と同じことで、これと選択公理を仮定すると排中率が証明できて
 しまう。「計算量を比べるとあたりまえ」とはどういう意味かな?

>4
 そうではない。例えば正則性公理も「根拠がない」ことでは一緒。あとの公理は
 BG集合論ではすべて「クラスのうちのあるものが集合だ」という公理だから、
 私の立場ではすべて「理論の拡大」の話になってしまう。
2231 ざんす:2001/03/29(木) 02:43
>>1
>それって「直観主義論理」の定義では?

全然違います。排中律が成立しない直観主義論理ではない論理は幾らも
考えられます。排中律が成立しない3値論理とかをでっち上げることは
難しいことではありません。記憶で言ってるので間違ってるかも知れな
いですが、Lesniewski の3値論理は排中律が成立しないはずです。
直観主義論理には、有限値の matrix は存在しないので、この3値論理と
直観主義論理が別物であることはいうまでもないです。
224加護天使:2001/03/29(木) 03:42
あいぼん自身がちょっとあやふやな言葉使っちゃった、ごめんね。
それから、構成主義数学者さんを責めてるわけじゃないのはわかってね。

>>2
>>「論理記号の独立性」というのがどういう意味かわからないけど
1階直観論理の場合は、
矛盾記号を入れないなら、各論理記号は他の論理記号で表せないの意味でつかったの。
で、必要十分な推論規則だから、独立性が維持されるのじゃないかなと思ったわけ。
ところで、
あのページの証明って意味論的な証明にみえるの。

>>3
>>「関数の外延性」とは?「(∀x(f(x)=g(x)))⇒(f=g)」のことかな?
そうそう、ありがとう。
疑問は、等しい値を返す関数でも、定義のしかたが違えば、計算量は異なるのだから
定義のしかたまで考える必要のある場合は外延性が無いほうが自然じゃないかなって思ったの。
立ち読みしたFefermanの理論の解説読んだからかしら。
225構成主義数学者:2001/03/29(木) 10:56
>>223
 ちゃうちゃう。私が言ってる「直観主義論理イコール排中律を捨てた古典論理」と
いうのはゲンツェンの自然推論での話だ。古典論理の自然推論NKから「排中律」あ
るいは「二重否定」という推論規則を捨てれば直観主義論理の自然推論NJが得られ
る、という意味。
 もちろん「排中律を持たない推論体系は直観主義論理だけだ」などとは主張してい
ない。
226構成主義数学者:2001/03/29(木) 11:04
>>224
> 1階直観論理の場合は、矛盾記号を入れないなら、各論理記号は他の論理記号で
表せないの意味でつかったの。で、必要十分な推論規則だから、独立性が維持され
るのじゃないかなと思ったわけ。

 うむ。それをもって「論理記号の独立性」の定義にしてもいいかもね。

> あのページの証明って意味論的な証明にみえるの。

 推論規則の「意味」を考えている、という観点ではそうかも。でも普通の基礎論
における範疇からいうと、あれもシンタクスでしょうね。意味論というのはモデル
理論のことだ、みたいな雰囲気があるから。


> 疑問は、等しい値を返す関数でも、定義のしかたが違えば、計算量は異なるのだ
から定義のしかたまで考える必要のある場合は外延性が無いほうが自然じゃないかな
って思ったの。

 それは構成主義数学の立場からはまことに正当な考えだと思う。構成主義数学では、
集合とは「一変数命題をモノのようにみなしたもの」であり、関数とは「一変数の項
をモノのようにみなしたもの」であるから、命題や項が「記号列として」違うものな
な異なる対象とみなす、という立場。記号列として違えば、当然計算式として異なる
から計算量だって違ってくることになる。あなたの感覚は非常に正しいと思う。
227132人目の素数さん:2001/03/30(金) 06:53
Stromdorfさん、いつも同じこといっていて飽きないですか?
228構成主義数学者:2001/03/30(金) 10:05
>>227
 反論もいつも(このスレに限らず)同じパターンなので飽きてる。何か他のアプ
ローチないかな・・・。
229132人目の素数さん:2001/03/30(金) 10:21
近似値でかたずける訳にはいかないのでしょうか?
230構成主義数学者:2001/03/30(金) 11:04
>>229
 近似値?
 もうすこし詳しく説明して!
231132人目の素数さん:2001/03/31(土) 09:23
>反論もいつも同じパターンなので飽きてる。

もしあなたが間違っているなら、
反論はいつも同じでしょう。
232132人目の素数さん:2001/03/31(土) 16:14
>>229

近似値ってなんだよ?(ププ)
2331 ざんす:2001/04/07(土) 04:07
あげてみよう
234おいおい、:2001/04/10(火) 23:46
>>231
「間違ってる」とか「正しい」とかいう問題じゃないだろ、この場合?
私のように「普通の数学」しか馴染みのない人間の場合、直観主義自体
に、やっぱり感覚がついていかない。
それは、正しいわけでも間違ってる訳でもない。感覚の問題。
235素朴な疑問er:2001/04/10(火) 23:53
直観主義論理を土台にして数学の体系を作るとどうなるの?
236132人目の素数さん:2001/04/11(水) 01:59
あのさ、似非構成主義者さんはTroelstra & van Dalen でも読んで出直したら?
勝手に世界を作らずに普通の言葉で喋らないと相手にしてもらえないよ。
トンデモの典型パターンじゃん。
237I4:2001/04/11(水) 09:32
近似値ってなんだったんだろ??
それはともかく、>>218は割と私にとって謎なんだよね。
私に構成主義やって欲しいんだろうか。

私は集合論の証明方法や雰囲気が好きでやっているわけでね。
I1-I3は定義された時点でinconsistentのIを使って名前を
付けられているくらいで、根拠なんて言葉からほど遠い対象
だけれども、それを使った証明になんら違和感を感じない。
「矛盾出るかもなぁ」とか思っているだけで。
…もっともこれはこれで、普通の数学からは離れた感覚かもしれないけど。

だから今となっては言うことは、
「あなたの立場は判った。んじゃ頑張って」くらいなもん。
それでいいと思うんだけど。
238似非構成主義者:2001/04/11(水) 09:50
>>236
 Troelstra & van Dalen を読んだ人に私の旧名を譲り、改名するとしよう。
で、通常の数学と違う公理や推論規則を使う立場にはいろんな立場があると思う
から、意見が違うのはかまわないのではないかな?所詮論文雑誌じゃなくて2ch
だし・・・。要は自分の主張する世界に自己矛盾がないことが必須条件だと思う。
239似非構成主義者:2001/04/11(水) 09:54
>>235
 Bishopの“Foundation of Constructive Mathematics”で実行されているよ。
私の立場もBishopの立場と整合性があるが。ただしBishopの書いてないことまで
「補足」と称して主張したり、かってな述語を発明したりしてるけどな。
240似非構成主義者:2001/04/11(水) 10:02
>>237

> 私に構成主義やって欲しいんだろうか。

 滅相も無い!私はそんなに押し付けがましくないぞ(文体は押し付けがましい
かもしれないけどな)。でも私は「構成主義者」を名乗るときは人格まで変わる
のだ。悪く思わないでくれ(思ってもらってもよいが)。
 私は確かに謎だろう。でも大学時代に基礎論の授業を聞いたとき、有限の立場
を考慮せず、「数学の中で」論理学を操るのが主流になっているのはこっちにと
って逆に謎だった。これは今でもそうだろうし、有名な「ゲーデルBBS」でも感
じる。確かに基礎論の専門家としてやっていくためには「有限の立場」だけでは
やることが殆ど残ってないだろうから「数学の中で」議論せざるを得ないんだろ
うけれど、どうもそれだけではないような気がする(彼らは数学の世界に“住ん
でいる”ような印象を受ける)。
241似非基礎論屋:2001/04/12(木) 11:32
>>240

ゲーデルBBSの林氏に「君の見解は誤解だ」といわれたからって、
ここでウップン晴らしするのは如何なものかな?

彼がいうのは、証明の定義が「構成的」なものに限られる必要はない
ということだろう。もちろん、構成的でなければ、証明である否かを
確認することはできないが、それ故、定義が「形式的」でないとする
ならば、誤りだということだ。
242似非構成主義者:2001/04/12(木) 11:52
>>241

 いや、うさばらしではなく、私の言ってることがわからん、と言われたので問題
にしたのだ。そもそも私は証明論、つまり「実際の数学などのような理論体系にお
ける“現実の”証明行為」のことを念頭においてものを考えていたので「構成的で
ない証明」などという概念は最初からカヤの外だったのだ。林氏が私のコメントに
対して「意味がわからん」という反応ではなく「貴方は紙に書いていく現実の証明
行為のことしか考えてないのだね。」と書いてくれれば私は理解できたのだが、そ
れなしにいきなり意味不明と書かれたので私の方こそわからなかったのだ。このこ
とを釈明しているのであって、別にウサ晴らしをしているわけではない。
243似非基礎論屋:2001/04/12(木) 12:04
>私の言ってることがわからん、と言われたので問題にしたのだ。

多分、林氏は、証明の形式的定義に対して、なぜ↓

>そもそも私は証明論、つまり「実際の数学などのような理論体系に
>おける“現実の”証明行為」のことを念頭においてものを考えて
>いたので「構成的でない証明」などという概念は最初からカヤの外
>だったのだ。

のような態度が、なぜ無条件に前提されるのか
わからなかったのでしょう。

>林氏が私のコメントに対して「意味がわからん」という反応ではなく
>「貴方は紙に書いていく現実の証明行為のことしか考えてないのだね。」
>と書いてくれれば私は理解できたのだが、
>それなしにいきなり意味不明と書かれたので私の方こそわからなかったのだ。

なぜ、見ず知らずのあなたにそこまで
面倒みなくてはいけないのだろうか?
244似非基礎論屋:2001/04/12(木) 12:10
さらにいえば、林氏は「無矛盾性のパラドックス」の中で

「紙に書いていく現実の証明行為」

そのものが実は形式化不可能なものであると
暗に示唆している。だからその正当性を
「証明」しようとするS氏の企ては無理解に
端を発する無駄な徒労だと感じたのでは
ないだろうか?
245似非構成主義者:2001/04/12(木) 13:10
>>243
> のような態度が、なぜ無条件に前提されるのかわからなかったのでしょう。

 そう。そのことを私はコメントしたわけだ。

> なぜ、見ず知らずのあなたにそこまで面倒みなくてはいけないのだろうか?

 面倒を見てほしいとは言っていない。素直に「理解できない」と書かれたのが
「不思議だった」という感想を述べただけだ。

>>244
 哲学論争っぽいな。意見としては伺っとくが、納得はできないな。
246似非基礎論屋:2001/04/12(木) 15:27
>哲学論争っぽいな。

いや、数学的にも確認されたこと。
これはゲーデルの不完全性定理と同じ。

すなわち「本当の自然数」を形式化できないのだから
「本当の有限」も形式化できないし、あなたのいう
「本当の証明」も同様ということ。

>意見としては伺っとくが、納得はできないな。

納得しなくてもいい。あなたに自省心がないだけのこと。
247似非基礎論屋:2001/04/12(木) 15:30
>あなたに自省心がないだけのこと。

もっとも限界なき自省心などあろう筈もないが。
248似非構成主義者:2001/04/12(木) 16:05
> すなわち「本当の自然数」を形式化できないのだから
>「本当の有限」も形式化できないし、あなたのいう
>「本当の証明」も同様ということ。

 そういう話か。それなら意味が違うね。私がやってるのは「実際に紙に書いた
証明文」に関する理論だが、「有限」を「形式化」などしていない。単に「根拠
のある推論規則」を定義して、それに関して議論しているだけだ。それが「有限
的」に見えるだけの話であって、別に「有限」を意識したり「定義」したりして
いるわけではない。
249似非基礎論屋:2001/04/12(木) 16:11
>私がやってるのは「実際に紙に書いた証明文」に関する理論だが、
>「有限」を「形式化」などしていない。

なぜなら、そんなことはできないから、かね?
「実際に紙に書く」というのは、案に有限を
要請しているのではないかね?

>単に「根拠のある推論規則」を定義して、
>それに関して議論しているだけだ。

その根拠は、「実際に紙に書く」行為によって
見出されるものだろう。それで有限を意識しない
のは単に感受性か鈍磨しているといわれても仕方
ない。
250似非構成主義者:2001/04/12(木) 16:43
> 「実際に紙に書く」というのは、案に有限を要請しているの
ではないかね?

 それを有限と呼ぶなら呼べばよい。しかし、現実に「紙に書いた」
記号列に対する議論はゲンツェンの基本定理の証明などで実行されて
いるではないか?ただ、その証明論の対象となるものが何か、という
ことが「特徴付けられない」というだけじゃないのかい?

 私「紙に書かれた証明文」なるものを「特徴付けたい」と思ってい
るわけではない。単に「紙に書かれた証明文」の持つ性質のうち、議
論に必要なものだけを取り出して議論しているわけだ。この議論の対
象となっているものを「特徴づけ」尽くす必要があるのかい?
251こらこら:2001/04/12(木) 19:22
>>似非基礎論屋。
もう少し、論理的な叙述に限定しろ。
あんたの表現は感情的すぎて、かなり見苦しい。
「林氏」とか何とか、いきなり持ち出すな。
自信があるなら、自分の言葉で語れ。
それと、いちいち下げるな。この場合、かえってうっとうしい。

>>似非構成主義者
数学の世界に住むっていうのは、多くの人間にとっては普通のこと。
むしろ、あんたが何故数学の外の世界に住みたいのか、
その根拠というかきっかけのようなものを、もう少し具体的に
解説してくれないと。所詮、まずは感覚ありきの話なのだから。
そういう説明がないと、過去の発言にもあったが、殆どの
読者(?)から見てあんたはやっぱりかなりのパラノだ。
252似非構成主義者:2001/04/12(木) 19:45
>>251

> あんたが何故数学の外の世界に住みたいのか、
> その根拠というかきっかけのようなものを、もう少し具体的に
> 解説してくれないと。

 私は数学の外に住んでいるときにこの名前を使うことにしているからだ。
・・・というのでは多分納得しないであろう。ではこんなことをわめいてい
るそもそもの「きっかけ」を話そう。
 私はもともと物理に一番興味があり、物理で使っている数学の説明がいい
かげん(今にして思えば物理なんだから当たり前だが)なのに不満を持ち、
それで数学に興味を移した。ところが数学の本を読んで、その公理がなぜ前
提にされているのかが気になり、その公理の「根拠」が知りたくなった。そ
んな中で直観主義論理のもつ「定義以外の何物でもない」という性質を発見
してから「根拠はよくわからないが便利だから」ということで前提にされて
いるZFの世界におさらばした、ってわけだ。もちろん本当におさらばしたわ
けじゃないが、「約束事」で成り立ってる数学はそれはそれとしてやりなが
ら、「単なる約束事でない、より根底になる根拠がある世界」にも首を突っ
込んだ」ってとこかな。
253132人目の素数さん:2001/04/12(木) 21:20
>>250

指図するな。貴様、何様だ。
何も知らないくせにいちいち口出しするな。
黙っていればいいんだ。
貴様がいちばんうっとおしい。
254似非基礎論屋:2001/04/12(木) 21:28
>>252

では、自然数も実数も認めないということだね。
何の根拠もないからね。おさらばするというなら
そこまで徹底的にやっていただきたい。
Wittgensteinは実無限は存在しないといいきった。
Wittgenstein万歳!
255I4:2001/04/13(金) 07:36
参考文献、ゲーデルBBSはここ。
http://alan.scitec.kobe-u.ac.jp/~hayashi/history/bbs/top.cgi
どの記事にリンク張ったらいいかわからなかったんでトップに。

>>252
似非構成主義者さんを特に弁護したいわけでもないのだけれども、
どの程度の根拠で満足するかは個人の問題だから、考え方自体の拒否は
できないと思うんだけど。あからさまな間違いがあるのでなければ。
ゲーデルBBSでのは間違いといえるだろうけど、それは決着済みだし。
256似非基礎論屋:2001/04/13(金) 08:15
>>255
>それは決着済みだし

では、君も誤解している。
257なるほど:2001/04/13(金) 09:06
>>252
かなり筋の通った説明だ。
もちろん、だからと言って私が、例えば「排中律を拒否した」
世界観に簡単に順応できる訳ではないが。
しかし、論旨というか文脈は非常によく分かった。
>>253
250の発言の、何が気に入らなくて怒ってんだ?
>>254
やはり、かなり見苦しいと思うが?
「自然数に何の根拠もない」と考える感性は、限りなく
不毛だ。
例えばZFを最初に学んだときに、本当に「根拠がない」
と感じたのか??
かなり懐疑的な人生観だな。
258似非基礎論屋:2001/04/13(金) 09:43
>>257

「感情的」とか「見苦しい」とかいうほうがよほど不毛だろう。
それに実際、自然数の公理にはポジティブな根拠はない。
不都合な点がいまだ見出せないことを根拠としてもよいが
それはネガティブなものにすぎない。
はっきりいって私は君ほど信心深くないのだ。
259う〜む、:2001/04/13(金) 09:55
確かに、数学者たるもの「信心深くない」ことを
誇るべきではある。
その意味では、やはり似非基礎の言うことに一理あるか。
しっかし、あんまり頭良すぎんのも、考えものだぞ>似非基礎
260似非構成主義者:2001/04/13(金) 13:12
>>254
 確かに「数学的帰納法」は「根拠がない」ものの一つだろう。ところで
「有限の立場」の推論では(メタ言語において)数学的帰納法を使っている。
これは、その根拠がある、というよりは、「紙に書かれた記号列がそういう
性質を持つ」という仮説にしたがっているからだろう。
 だから、数学的帰納法を仮定するのは「一つの人工的な理論」を考えてい
るだけだとは思うが、「紙に書かれた記号列に対する一仮説」として研究す
るにはそれで十分ではないかな?一方で「自然数」というのは「一点と自分
自身での写像をもつ集合」の圏における「始対象」という特徴づけもあり、
それ自身は「根拠はない」かもしれないが、それなりに「自然な概念」では
ある。個人的に興味を持つにはこれで十分ではないかな。それすらも否定し
たら数学的な議論など何もできなくなってしまう。
261似非構成主義者:2001/04/13(金) 13:15
>>255,256
 あれは「間違い」というより、単に「有限の立場」か否か、という前提の
違いの問題だと思う。
262似非基礎論屋:2001/04/13(金) 14:21
>>260
>数学的帰納法を仮定するのは「一つの人工的な理論」を考えているだけ
>だとは思うが、「紙に書かれた記号列に対する一仮説」として研究する
>にはそれで十分ではないかな?

だったら数学や物理学も「一つの人工的な理論」を考えているだけであり
研究する分にはそれで十分ではないか。
あなたが批判することとあなたが信じることのどこに差がある?ないだろう。

それが結局
「他人がやるのは気に入らないが、自分がやるのはOKだ」
というダブルスタンダードだといっているのだ。
263似非構成主義者:2001/04/13(金) 14:47
>>262

> だったら数学や物理学も「一つの人工的な理論」を考えているだけであり
研究する分にはそれで十分ではないか。

 少し違うな。「自然数」すなわち「数学的帰納法を満たす対象」を、構成主
義論理でやるのは、研究対象が人工的なだけで、推論は「必然」だ。通常の数
学は推論もすべて人工的だ。


>「他人がやるのは気に入らないが、自分がやるのはOKだ」

 私がいつ「他人がやるのは気に入らない」と言ったかい?他人が何をやろう
が勝手だ。貴方こそ私の立場を気に入らないといって文句を言っているのでは
ないかな?
264似非構成主義者:2001/04/13(金) 14:55
 ついでにもう一言

 「自然数」は、かなり「自然な」概念であることが、いろいろな観点から主張
されている。例えば先ほどの圏における始対象という特徴づけもそうだし、ゲン
ツェンの「自然数論の無矛盾性証明」における「最終結果が変数を含まないなら
数学的帰納法を使わなくても証明できる」という定理などがそうだ。
 これに対して例えば「ZF」とか「排中律」とか「排中率を前提にしている場合
の選択公理」にこの種の「自然さ」はあるのかね?(これは反語ではない。質問
である。私が知らないだけで、あるのかもしれないと思っているから教えてほし
い、という意味だ。)
265似非基礎論屋:2001/04/14(土) 08:50
>少し違うな。

少しも違わんな。

>「自然数」すなわち「数学的帰納法を満たす対象」を、
>構成主義論理でやるのは、研究対象が人工的なだけで、
>推論は「必然」だ。通常の数学は推論もすべて人工的だ。

それは君の頭がカタイだけだろう。対象と推論が整然と
分かれるのか?それならば、君が「必然」と叫ぶ
構成主義論理上で、「人工的」な真偽値を導入すれば、
普通の数学も展開できてしまうではないか。いかに
君が無駄な主張をしているか、明かだな。

>貴方こそ私の立場を気に入らないといって文句を言っているのでは
ないかな?

自分が批判されて悔しいからって八つあたりはやめてもらえるかな。
266似非基礎論屋:2001/04/14(土) 09:00
>>264

ついに狂ったか。

>「自然数」は、かなり「自然な」概念であることが、
>いろいろな観点から主張されている。
>例えば先ほどの圏における始対象という特徴づけもそうだし、
>ゲンツェンの「自然数論の無矛盾性証明」における
>「最終結果が変数を含まないなら数学的帰納法を使わなくても
>証明できる」という定理などがそうだ。

圏論の始対象がなぜ「自然」なのか?大体ZFも無限公理を
使ってるだろうよ。君のいうのは、同一のものを一方で肯定し
他方で否定するくらい矛盾した行為だと思わないかね?
ところで、ゲンツェンの「自然数論の無矛盾性証明」自身には
数学的帰納法は使わないのかな?(笑)使っているだろう?
だったら、自分で「自分は正気だ」というようなものだ。

こんな程度で自然というなら、直観主義論理が無矛盾なら、
排中律を加えても無矛盾だという論法で、排中律も正当化
できてしまうではないか(笑)
267I4:2001/04/14(土) 09:40
>>255
>では、君も誤解している。
何を?無限の証明図が使われることもあるってだけの話じゃん、あれ。
それをStromdorfさんが認めた時点で終了じゃないの?
それ以前の話は知らないけど。

っていうか、>>240は読んだ?わしのような根拠レスな態度も
非難しているわけじゃないみたいだけど。
268似非基礎論屋:2001/04/14(土) 10:33
>何を?無限の証明図が使われることもあるってだけの話じゃん、あれ。

君はそれだけしか理解できなかったのか?

>それをStromdorfさんが認めた時点で終了じゃないの?

終了しているのは君の思考

ってゆうか?君なんもわかってないだろ。
そんなん、非難以前の問題。
269似非基礎論屋:2001/04/14(土) 11:09
集合論屋のI4君さ、
「無限の証明図が使われることもあるってだけの話じゃん」
なんていうなら、そいつを書いてみてくれる?

I4も似非構成主義者も分かってないのは、
「人が実際にしていること」と、「形式化できること」
の違い。

例えば、排中律を満たすような真偽の定義も形式化できる
(似非構成主義者ならきっと心臓が止まるほどビックリするだろう)

実に簡単だ。
f、…を命題、gを命題からゲーデル数への写像とする。
Tを以下のように定義すればよい。
1.fが命題論理のトートロジーならT(g(f))
2.f_NOTがfの否定なら、T(g(f_NOT))⇔¬T(g(f))
3.f_ORがf1∨f2なら、T(g(f_OR))⇔T(g(f1))∨T(g(f2))
4.f_EXが∃xf(x)なら、T(Ex(f_EX))⇔∃y(g(f(x)[x/y]))

似非構成主義者が「人工的な理論」を許すなら、このような
Tの定義も当然許すだろう。Tが具体的な数論の式として
書き表せるようなことはないが、だからといってその存在を
も否定できるわけではない。

例えていえば、√2が有理数として表せないからといって
その存在を否定できるわけではないということ。
270132人目の素数さん:2001/04/15(日) 02:17
>>269
何が言いたいのかよーわからんなあ。
命題論理って古典命題論理?
T(g(-))がその命題についてのメタ論理における述語になっていると言いたいの?
それが帰納的に定義されているから似非構成主義者さんの立場でも許されるはずということ?
メタ論理は直観主義述語論理+帰納的定義?
それと4にはバグが二つあるよね?
271似非:2001/04/15(日) 07:39
>>270

>4には2つバグがあるよね

どうもありがとう

一箇所はEx(f_EX)ね。
もう一箇所は、xをyに書きかえるところで
Tが抜けた。

4.f_EXが∃xf(x)なら、
T(g(f_EX))⇔∃yT(g(f(x)[x/y]))
272似非基礎論屋:2001/04/15(日) 07:44
>>270
>命題論理って古典命題論理?

そう。

>T(g(-))がその命題についてのメタ論理における
>述語になっていると言いたいの?

それこそ何がいいたいのかよーわからんなあ。
Tに具体的に何かが入るかってこと?
それはムリだろ。1.だけならともかく。

>それが帰納的に定義されているから
>似非構成主義者さんの立場でも
>許されるはずということ?

命題論理のトートロジー判定だけなら
その手続きを具体的に書き下すことは
できるから、そういえるね。
でも、2,3,4とつくともうそうは
いえないだろうね。

>メタ論理は直観主義述語論理+帰納的定義?

狭義には前者だけだろう。後者は似非構成主義者氏のいう
人工的な理論だな。しかしながら自然数の定義だって、
上の真偽の定義と似たり寄ったりだろう。なぜ、自然数
の定義ならOKで、真偽の定義ならNGなんだ?

そこが私のいいたいこと。
273I4:2001/04/15(日) 09:19
なんで「使う」だけでそこまで解釈が進むのかなぁ。
はい、無限の証明図は数学的対象として形式化できるだけで、
実際に数学者が何かを証明するときに使うわけではありませんね。
そうですね、確かに。

まあでも、私自身はZFCマンセーな人だからね。
古典論理+ZFCで遊ぶことはどちらからも否定されてないわけだからそれでいいや。
274似非基礎論屋:2001/04/15(日) 16:36
>>273

私としては、集合論屋の君を非難するつもりはない。
むしろ、集合論屋に背を向けながら、実は度重なる
数学的概念の密輸入によって後ずさりしている誰か
さんの態度を「二重の裏切り」といっているだけ。

要するに集合論に背をむけるなら密輸入はやめるべきだし
数学したいなら、集合論だろうがなんだろうが飲み込む
べきだということ。
275270:2001/04/16(月) 00:00
メタ論理という言葉はちょっとまずかったかな.
厳密には論理(形式系)が三つ出てくるしね.

まず排中律をもつ論理L1と,
それのコーディングに対する述語Tを定義する論理L2と,
L1に対するモデルをL2でのT(g(P))の証明可能性か充足可能性から定義する
という議論を行う論理L3があるよね.

L1は4があるから古典述語論理だと思うけど,
引数をもつ述語記号に対応するTの定義がないんじゃない?
そんなものは考えない?それとも4を削除して命題論理に制限する?

次にL2は直観主義述語論理+コーディングに必要な理論らしいけど
Tを定義するメカニズムは何をつかっているの?
1-4をL2における述語記号Tに対する公理として与えるの?
それなら1-4の前提部分はコーディングにさかのぼって記述するということ?

それからモデルを定義するL3はどの論理上のどの程度の強さを持つ理論?
ZFC?

なんでそういうことを聞くかというと,この例でなんで

> 例えば、排中律を満たすような真偽の定義も形式化できる
> (似非構成主義者ならきっと心臓が止まるほどビックリするだろう)

となるかがわからんかったから.
276似非基礎論屋:2001/04/16(月) 08:05
>Tを定義するメカニズムは何をつかっているの?
>1-4をL2における述語記号Tに対する公理として与えるの?

Yes.

だからコーディングは必要ない。
だいたい出来ないだろう。

コーディングが形式化の条件だというなら、
まさに誤解に陥っている。
277似非基礎論屋:2001/04/16(月) 08:12
>>276

私はコーディングを
「Tをある理論の述語として具体的に記述すること」
と解釈した。

ところで自然数のNや、集合論の∈はその意味で
具体的に記述されているというのであろうか?
答えはNoだろう。結局、似非構成主義者のいう
ように、その特性を公理として「人工的」に
与えただけである。
278似非構成主義者:2001/04/16(月) 12:02
 週末に随分溜まったな。

>>266

> 圏論の始対象がなぜ「自然」なのか?大体ZFも無限公理を
使ってるだろうよ。

 なぜ「自然」かって・・・。定義がシンプルだ、というだけだ。帰納法や「次の
元」が単射であることを逐一仮定するより自然ではないかね?
 後半は意味不明だ。ZFの無限公理はBGで言えば「元が無限個の“小さい”元」
が存在する、ということに過ぎない。この公理がどうかしたの?

>>267

> 何を?無限の証明図が使われることもあるってだけの話じゃん、あれ。

 確かにゲンツェンの自然数論の無矛盾性の証明には無限個の証明図が出てくる。
しかし、自然数において矛盾が証明できたと仮定したとき、その証明図とか、途中
で変形していくときに表れる証明図自体は常に有限個の記号から成り立っている。
何か問題があるのか?

>>269

> I4も似非構成主義者も分かってないのは、
>「人が実際にしていること」と、「形式化できること」
> の違い。

> 例えば、排中律を満たすような真偽の定義も形式化できる
>(似非構成主義者ならきっと心臓が止まるほどビックリするだろう)

 別に驚かないよ。というより何を主張したいのかわからん。私は「人が実際にで
きること」を定式化してはいるが、「何が定式化できるか」などを問題にしている
わけではない。「排中律を満たすような真偽の定義」だって当然形式化できるだろ
う。しかし、それが何で私の立場への反論になるわけ?
279270:2001/04/17(火) 00:31
コーディングとはここではゲーデル化のこと.
直観主義算術で通常のゲーデル化が可能かどうかに
依存したくなかったので一般的な表現をしただけ.

>>276
> コーディングが形式化の条件だというなら、
> まさに誤解に陥っている。

べつにそういうことは主張しないけど,
L2でL1のゲーデル数を取り扱うことは以下で最初から仮定されているよね?

>>269
> f、…を命題、gを命題からゲーデル数への写像とする。

ゲーデル化そのものを取り扱うとは書いてないけど,
1-4を公理化する以上,1-4の条件部分もL2の論理式で書かなければならないから,
少なくともL2でgを適切に定義する必要があると思うけど?

似非基礎論屋さんが似非構成主義者さんへの反論として言いたいのは
林晋先生が主張しているような形式化そのものに関する問題だと思うけど,
この例自体が適当に修正しつつ読まないとよーわからんし
これがなんで似非基礎論屋さんの言いたいことの
例になっているのかもやっぱりよーわからん.
この例が本質的でないならあっさり捨てた方がいいんじゃない?

280似非基礎論屋:2001/04/17(火) 06:59
>コーディングとはここではゲーデル化のこと.

思ったとおり

>L2でL1のゲーデル数を取り扱うことは以下で最初から仮定されているよね?

それはその通り。

問題はT自身にはゲーデル数を対応させることが出来ないということ。
これはL1が数論の場合には、構成的にも認められるだろう。

>1-4を公理化する以上,1-4の条件部分もL2の論理式で書かなければならないから,
>少なくともL2でgを適切に定義する必要があると思うけど?

私はTの中に入る論理式をL2(すなわちTを含む式)だとはいっていないよ。
gの定義はもちろん可能だが、T自身のgを求めるべきというなら、それは誤りだといおう。
281似非基礎論屋:2001/04/17(火) 07:06
>>279
>この例自体が適当に修正しつつ読まないとよーわからんし

最初の2つの書き間違いについては謝る。それでいいだろう。
その先の話で、270こと似非集合論屋氏(←勝手に命名させて
いただいだ。似非三人衆というわけだ)が問題にするのは、
gの引数の範囲だろう。確かにTを含む理論L2において、その
引数の範囲はL1だから、L2と等しくはない。しかしながら、
それはL1の真偽がL1で形式化できないから、まったく形式化
できないということにはならないといっているのだ。そして
似非構成主義者氏が、「人工的拡張」を許すというなら、この
ような拡張を拒む何らの理由もないといっているのだ。

>これがなんで似非基礎論屋さんの言いたいことの
>例になっているのかもやっぱりよーわからん.

これでもわからんか?わからんなら顔あらって出なおせ
自分で考えなくては数学は理解できん。

>この例が本質的でないならあっさり捨てた方がいいんじゃない?

この例は本質的だ。あっさり捨てるべきは君の思いこみだろう。
282似非構成主義者:2001/04/17(火) 09:49
 話題が拡散してきたぞ???

 私の立場を具体的に説明しよう(くどい!という批判は承知してるがまあ大目に
見てくれ)。
 ゲンツェンの自然推論で、論理記号の推論規則には導入規則と消去規則がある。
例として ∨ を考えてみよう。これの導入規則と言うのは二つあって、

 P
───
P∨Q



 Q
───
P∨Q

だ。一方で、消去規則は

P∨Q
P├R
Q├R
───
 R

だ。これらの導入規則と消去規則は推論規則としては独立だ。ところが、これらは
勝手に与えられたものという以上の性質を持っている。というのは、消去規則の上
式にある消去される式、すなわち P∨Q を2つある導入規則どちらでもよいが、
その上式に置き換えると(例えば最初の導入規則を取れば)

 P
P├R
Q├R
───
 R

という「推論規則」が得られるが、これは論理記号の推論規則を使わなくても成り
立つ推論規則であるという意味で「自明な推論規則」だ。このような性質は、∧,
⇒,⇔,∀,∃ そして矛盾記号 ⊥ の推論規則についても成り立つ。唯一成り立た
ないのが ¬ の推論規則だ。
 次に、再び ∨ を例にして説明するが、∨ の導入規則を捨てて(消去規則は残し
ておく)、かわりに ∨' という論理記号を導入し、それについて ∨ の導入規則と
同じ推論規則を仮定する:

 P
───
P∨'Q

 Q
───
P∨'Q

 このとき、P∨Q から P∨'Q が導ける。この性質もまた、∧,⇒,⇔,∀,
∃ そして矛盾記号 ⊥ の推論規則について成り立つ。ここでも唯一成り立たない
のが ¬ の推論規則だ。
 これらの性質が何を意味するのかについては既にHPに説明したとおりだが、要す
るに、消去規則がこのような性質を持っていると、その論理記号はその導入規則で
論理式を「定義する」以上のことをしない、ということになる。そして、論理記号
に対してそのような性質をもつ推論規則のみを仮定したのが直観主義論理であるか
ら、直観主義論理とは「論理記号はその導入規則で論理式を定義する以上のことを
しない」論理である、ということになる。
 このスレで私が書いているのは、この「記号の定義する以上のことをしない」と
いう方針を一般の数学記号でも貫いたら、どんな数学が出来上がるか、ということ
だ。(続く)
283似非構成主義者:2001/04/17(火) 10:04
 論理記号ではない数学記号でポピュラーなのが「等号」だ。これは、導入規則と
して

───
t=t

 消去規則として

s=t
P(s)
───
P(t)

を持つ。ただし導入規則の上式は空であり、消去規則の s と t は任意の項、
P は任意の1変項論理式だ。これについても先の書き込みと同じ性質が成り立つ。
すなわち、消去規則の上式の s=t を導入規則の上式で置き換えると、空な式に
置き換えることになるが、そのかわり、導入規則の下式では s には t が代入さ
れているから、消去規則の上式を空式で置き換えるときに s にも t を代入しな
ければならない。ゆえに、置き換えた「推論規則」は

P(t)
───
P(t)

となって、やはり「自明な」推論規則になる。次に導入規則を捨てて、=' という
述語記号を導入し、推論規則として

───
t='t

を与えると、s=t から s='t が導ける。なぜなら、P(x) として s='x と
いう論理式をとると、まず =' の導入規則により s='s すなわち P(s) が成
り立つが、これと前提 s=t により、= の消去規則によって P(t) すなわち
s='t が導けるからだ。
 ゆえに、等号の推論規則についても「記号を定義する以上のことをしない」とい
う性質を持つことがわかった。よって構成主義数学では等号の使用は可である。

284似非構成主義者:2001/04/17(火) 10:19
 次はいよいよ「選択公理」に関係する話だ。構成主義数学では、選択公理よりも
より基本的な推論を仮定する。それはε-quantifierだ。これは、一変項論理式 P
と任意の変数 x に対して εxP(x) という項を作るものだ。そして、このε-quantifier
に対する推論規則は、導入規則:

 P(t)
──────
P(εxP(x))

を持つのみだ。ここで t は勝手な項だ。そして消去規則は無い(ちょうど矛盾記
号については逆に導入規則が無いのと対照的だ)。さて、先の書き込みの性質のう
ち、最初の性質については、消去規則が無いのだから確かめるべき主張も無い(こ
れは矛盾記号のときも同じだった)。
 次に2番目の性質だが、導入規則を捨てて、かわりに ε' という記号と

 P(t)
──────
P(ε'xP(x))

を仮定すれば P(εxP(x)) から P(ε'xP(x)) が導ける。なぜなら t のところ
に εxP(x) を代入すればよいからだ。
 以上により、ε-quantifier も構成主義数学では使用可であることになる。
 さて、ε-quantifierを導入すれば、選択公理は自明になる。実際、∀x∃yP(x,y)
を仮定すると ∃yP(x,y) が成り立つが、ここで ∃ の消去規則を適用するために
P(x,a) を仮定すると、ε-quantifier の導入規則により P(x,εyP(x,y)) が
成り立つ。これは変数 a を含まないから、仮定 P(x,a) 無しで成り立つ。そこ
で、εyP(x,y) を f(x) と書けば、P(x,f(x)) が成り立ち、最後に ∀ の導入
規則により ∀xP(x,f(x)) が成り立つ。これは選択関数 f(x) が構成できたこ
とを意味する。ゆえに選択公理は構成主義数学では「真」である。

285132人目の素数さん:2001/04/17(火) 14:47
>そこで、εyP(x,y) を f(x) と書けば・・・
>これは選択関数 f(x) が構成できたことを意味する。

なんか胡散臭いぞ。
286132人目の素数さん:2001/04/17(火) 14:53
似非構成主義者はさすが似非だけあって
realizingとかいうことは丸きり知らんらしい。

ε−quantifierだけで解決するなら古典論理でもOKだろう。
逆にrealizingで選択関数を実現すると、排中律が矛盾する
ことが簡単に示せる。
詳しくは林・小林の「構成的プログラミングの基礎」を読まれたい。
287似非構成主義者:2001/04/17(火) 15:49
>>286

> ε−quantifierだけで解決するなら古典論理でもOKだろう。
> 逆にrealizingで選択関数を実現すると、排中律が矛盾する
> ことが簡単に示せる。

 詳しく説明希望。「排中律が矛盾する」の意味がわからないが。ちなみに、単に
ε-quantifier を導入するだけじゃなくて、ε公理:

∀x[P(x)⇔Q(x)] ⇒ εxP(x)=εxQ(x)

も仮定した場合、外延性公理と同じで排中律が証明できてしまう。でも構成主義数
学では、このε公理は仮定しない。例の2条件を満たさないからだ。

 ところで

> ε−quantifierだけで解決するなら古典論理でもOKだろう。

の意味も不明だが、ε-公理を仮定して、選択公理も ∃ 記号も導いたり定義したり
してしまうのがブルバキの流儀だよね。
288素人:2001/04/17(火) 16:13
不完全性定理の無矛盾性は立証できるのですか?

すいません、素人な質問で・・・。
289132人目の素数さん:2001/04/17(火) 16:39
>>287

>ちなみに、単にε-quantifier を導入するだけじゃなくて、
>ε公理:
>∀x[P(x)⇔Q(x)] ⇒ εxP(x)=εxQ(x)
>も仮定した場合、外延性公理と同じで排中律が証明できてしまう。
>でも構成主義数学では、このε公理は仮定しない。
>例の2条件を満たさないからだ。

ε公理って外延性そのものじゃないか?
ちなみにrealizingを利用する場合、
外延性も矛盾する。やはり排中律が
証明できてしまうから。
これも詳しくは林・小林の
「構成的プログラミングの基礎」
を読まれたい。
排中律が矛盾するところの説明には
実は不動点コンビネータを使ってる。
290132人目の素数さん:2001/04/17(火) 16:47
>>287
>「排中律が矛盾する」の意味がわからないが。

構成的な意味で証明可能ということは、定理を
実現する関数の存在も意味する。もし排中律が
証明可能なら、全ての命題について、真偽を
決定できることになるが、それは矛盾を導く
ということ。

もっとも、これは排中律が間違っているという
意味ではない。排中律の意味を構成的に理解
しようとすることが間違っているということ。
喩えていえば、正方形の対角線の長さが有理数で
表せないからといって、対角線に長さがないとは
いわないだろう?それとも君はピタゴラスかね?(笑)
291村 昔:2001/04/17(火) 23:46
裏ゲーデルBBSといった所でしょうか(^^)
292132人目の素数さん:2001/04/18(水) 01:00
上げとく!!
2931 ざんす:2001/04/18(水) 02:19
>>290

参加者も重なってるのかなあ(^^;;
294132人目の素数さん:2001/04/18(水) 08:21
>>289
>ちなみにrealizingを利用する場合、
>外延性も矛盾する。やはり排中律が
>証明できてしまうから。

大嘘。外延性の矛盾は、体系固有の性質によるもので
realizingによらない。ちなみに、矛盾はラッセル
パラドックスの導出により示される。
295132人目の素数さん:2001/04/19(木) 20:51
ゲンツェンの推論規則も好きだし、ε-quantifier もいいと思うけど、
結局は294の言うとおり、ラッセルのパラドクスで矛盾を解決できちゃうね。
推論式は後ほど、、、
296132人目の素数さん:2001/04/20(金) 07:40
>>295
>>ちなみに、矛盾はラッセルパラドックスの導出により示される。
>結局は294の言うとおり、ラッセルのパラドクスで矛盾を解決できちゃうね。

294と295の言ってることは違うな。
林・小林の本ではFeffermanやAczelの体系をつかってるので
ZFのような集合論とは違っている。もちろんZFでは外延性は
矛盾を及ぼさない。


297age屋:2001/05/06(日) 02:32
age
2981 ざんす:2001/05/07(月) 03:09
スレ濫立防止あげってことですなあ。

議論が進行してると書き込みしにくいでしょうが、
質問関係もお気軽にどうぞって事で、、、
299132人目の素数さん:2001/05/11(金) 02:54
もうネタ切れすか?
300132人目の素数さん:2001/05/11(金) 14:40
ゲーデルの不完全性定理の証明を講義してください.
301似非ゲーデル:2001/05/11(金) 14:55
ゲーデルの不完全性定理が偽であると仮定する。
「この文章は偽である」という文を S と置くと、
Sは真 ⇔ Sは偽、となり矛盾する
よって仮定は謝りであり、ゲーデルの不完全性定理は真である
302132人目の素数さん:2001/05/11(金) 16:01
単なる3流大学の学生ですが、ここの議論は凄くかっこいいです!
全然、意味は分かりませんでしたが、全部読みましたYo!
構造主義者さんも、I4さんも基礎論屋さんも議論して下さい!(久しぶりに感動した・・・かっこ良すぎ・・・)
3031 ざんす:2001/05/12(土) 01:40
>>300
ほいほい。

形式的な数学理論 K において、

1) K において A が証明されるとき、そしてその時のみに限り、
K において Bew(A) が証明されるような、Bew(X) という
オペレータが理論 K 上で定義できる。

2) 理論 K 上で構成される任意のオペレータ H に関して、

A <-> H(A)

となる文が少なくとも一つ存在する。

この二つの命題をまず証明し、この二つから決定不能命題の存在を
示すと言うのが大雑把な証明の手順です。

これでいいですかね?
304132人目の素数さん :2001/05/12(土) 03:07
>>303
そこの「形式的な数学理論 K 」はゲーデルの証明では自然数論だったと思いま
すが、それが実数論の場合はどうなんでしょうか?
305加護天使:2001/05/12(土) 04:45
実数論も無矛盾なら不完全だったとおもうわ。
でもね、実閉体だったかしら、無矛盾かつ完全な理論もあるのよ。
306 1 ざんす:2001/05/12(土) 10:15
>>304
自然数論を含む形式的数学理論においては >>303 の二つの命題が
成立しちゃいます。だから、実数論も不完全になるですよ。

>>305
実閉体や代数的閉体の理論は完全ですね。Tarski の結果ですなあ。
俺そういやあ読んだことねーや(苦笑)
307つまり:2001/05/12(土) 17:16
実閉体の理論≠実数論の理論

「自然数論」という言葉だけが喧伝されているが、
要は理論の中で、理論自身を語り得るようなもの
ということ。
308もち厨房ざんす:2001/05/14(月) 00:01
1ざんす>実閉体や代数的閉体の理論は完全ですね。Tarski の結果ですなあ。

“実閉体”てのは実数から自然数論(つーかペアノの公理系)を落として
代数構造とあと順序、位相かなんかだけ考えたもの、てな感じ?

その場合数学的帰納法とはどういう関係になるのかしら?
309加護天使:2001/06/05(火) 00:56
あげる。
310ぽこちゃん:2001/06/12(火) 02:19
ひさしぶり、age
3111ざんす:2001/06/17(日) 12:11
>>308

うわい、大分時間が開いたなあ。

専門外なので、論文を読んでないし、聞いた話だけで恐縮なんだけど、
数学的帰納法はあんまり関係ないと思うよ。

多分、神戸大学の人たちが書いた不完全性定理の教科書に詳しくのってるんだろうと
思いつつみてないなあ、、、

御存じの通り、5、6、7月はこの業界は忙しいので、暇ができたら
ふぉろーしときます。
312308:2001/06/18(月) 01:17
>1
私が知ったかぶり書いた為にスレが枯れたみたいで恐縮です。

>多分、神戸大学の人たちが書いた不完全性定理の教科書に詳しくのってるんだろうと
>思いつつみてないなあ、、、
実閉体はH先生のBBS過去ログにもチラッと出てきますね。
わかる人は当たり前だと思ってるみたい。当然か...
313132人目の素数さん:2001/06/29(金) 23:45
揚げ徳
314数学と革命:2001/06/30(土) 00:23
1930年代は革命運動に身を投じ、メキシコでトロツキーの秘書および護衛をする。Frida Kahloの恋人。その後、革命運動から離脱し、NYUで数学博士を取得し、世界的な論理学者となる。Harvard, Stanford教授。ゲーテル著作集を編集する。1986年、妻に殺される。

彼の伝記は、
From Trotsky to Gödel
by Anita Burdman Feferman
432 pages (December 18, 2000)
A K Peters, Ltd.; ISBN: 1568811489
http://www.akpeters.com/book.asp?bID=146
315132人目の素数さん:2001/07/01(日) 11:06
>>314
Heijenoort ってそういう人なの!?知らなかったなあ。
316132人目の素数さん:2001/07/07(土) 18:45
ファッションは数学です
317132人目の素数さん:2001/07/14(土) 01:46
age
318132人目の素数さん:2001/07/14(土) 04:06
基礎論さんに質問です。
帰納法の公理
M⊂N、1∈M、I∈M⇒I´∈M
⇒M=N
問題 積 ∃φ:N×N∋(I、y)→N∋φ(I、y)
(1)φ(I、1):=I
(2)φ(I、y´):=φ(I、y)+I
@このとき、φが一意的に存在するならば、φ(a、b)=ab
Aab=ba
@、Aを示せ。
まったくもって解りません。お願いします。
319加護天使:2001/07/16(月) 03:46
>>318
まづは機種依存文字をよけてかいてくださいね。
320まおまお:2001/07/16(月) 17:05
オレも読めんな。
書き直してくれsage
321132人目の素数さん:2001/07/16(月) 18:27
機種依存文字とはなんですか?
322sage:2001/07/17(火) 23:32
>>321
google でひいてきなよ。
323132人目の素数さん:2001/07/18(水) 00:48
基礎論さんに質問です。
帰納法の公理
M⊂N、1∈M、I∈M⇒I´∈M
⇒M=N
問題 積 ∃φ:N×N∋(I、y)→N∋φ(I、y)
(1)φ(I、1):=I
(2)φ(I、y´):=φ(I、y)+I
1.このとき、φが一意的に存在するならば、φ(a、b)=ab
2.ab=ba
1、2を示せ。
まったくもって解りません。お願いします。
324132人目の素数さん:2001/07/18(水) 00:49
訂正したのですが、駄目でしょうか?
325ぽこちゃん:2001/07/18(水) 02:45
俺も読めないけど、
積が(1)(2)で定義されたものと等しいことを証明して
それが交換法則を充たすことの証明だね。
でもこれだと、問題としての前提を欠いている気がする。
積は与えられてるの?
326132人目の素数さん:2001/07/18(水) 13:17
基礎論さんに質問です。
帰納法の公理
M⊂N、1∈M、x∈M⇒x’∈M
⇒M=N
問題 積 ∃φ:N×N∋(x、y)→N∋φ(x、y)
(1)φ(x、1):=x
(2)φ(x、y’):=φ(x、y)+x
1.このとき、φが一意的に存在するならば、φ(a、b)=ab
2.ab=ba
1、2を示せ。
いろいろ調べましたが、たぶんこれでオーケーかと
積は、φ(x、y’)は、x*(y+1)なのでφ(x、y)+x です。
x'=x+1,y'=y+1
聞いてる身分で悪いのですが、これで問題は大丈夫ですか?専門外なのできついです。
327132人目の素数さん:2001/07/18(水) 13:27
>>326
いやね、ab ってのはどう言う意味なの?その問題の前に
定義されてるでしょ?その定義を書いてよ。
328132人目の素数さん:2001/07/18(水) 15:14
む?
329132人目の素数さん:2001/07/18(水) 19:21
(1)、(2)からabというのは、φ(a、b)の括弧の中のa,bをa*bとみなす
ということなのでは?だから、N×N∋(a、b)→N∋φ(a、b)で
φ(a、b)=ab 。これ以外にabについての記述はありません。
すいません、言ってる事は変ですか?
330加護天使:2001/07/19(木) 02:00
問題文が次の1・2を証明せよだと解るんだけど。

1.このとき、φが一意的に存在する
2.a*b=b*a

できたら、仮コテハンでもいいから使ってね。
331132人目の素数さん:2001/07/20(金) 17:46
すいませんでした。出題者が無知なだけに迷惑かけてしまいました。
なんかこれ以上聞くと恥ずかしいので、問題についてはもうあきらめます。
ありがとうございました。
332加護天使:2001/07/21(土) 03:30
”わからない”から聞くのよ。
あきらめないで、聞いてね。
333132人目の素数さん:2001/07/23(月) 11:11
>>330
これならわかるな。

1) 定義を満たす二つの関数 φ と φ'があるとすると、結局
この二つが同じものであることを帰納法で示す。

2) まず、全ての x に対して、1*x = x*1 を帰納法で示して、、、でいいのかな?
334132人目の素数さん:2001/07/24(火) 10:17
むむ、反応がないな。

2)
1*n = n*1 とする。

1*n' = 1*n + 1 (定義より) = n*1 + 1 (帰納法の過程)
= n + 1 (定義より) = n' * 1 (定義より)

まあ、こんな感じか、、、
335あ・げ:2001/07/26(木) 15:09
意味なくあげ〜
336132人目の素数さん:2001/07/29(日) 19:30
337132人目の素数さん:2001/08/07(火) 00:55
過去スレ防止あげ
338scheme使い見習い:2001/08/07(火) 15:41
他スレにて
「基礎論自体が、コンピュータサイエンスのための応用数学じゃん」
の一言にぐっときた。
339132人目の素数さん:2001/08/10(金) 02:12
逆だと言い返したかった?
340 ◆.989izTM:2001/08/10(金) 11:51
a
341s:2001/08/10(金) 11:57
>>338-339
次のICMまであと一年だね
ロジックがらみのひともフィールズ賞の有力候補に挙がってるよ
タルスキー問題を解決したひとね
342132人目の素数さん:2001/08/10(金) 22:57
「タルスキー問題の解決」についてもっと説明してくれ
343132人目の素数さん:2001/08/11(土) 00:30
函数体に関するモーデル・ラング予想の解決のことが言いたいの?
それならフルショフスキーだが.
344132人目の素数さん:2001/08/11(土) 01:18
基礎論ちょっとやりたい
お勧めの教科書はなんでしょうか?
shoenfieldとかかな
なるべく分かりやすくて日本語ならもっといいのですが。
345加護天使:2001/08/11(土) 02:23
とりあえず、次の本はどうでしょう。
田中ほか 数学基礎論講義 日本評論社
346344:2001/08/11(土) 03:02
>>345
数学基礎論講義は在庫切れみたいです。
再刷待ちかな。
私もこの本よさそうだと思ってたのですけど。
347132人目の素数さん:2001/08/11(土) 09:42
>>341
>タルスキー問題を解決したひと

Olga Kharlampovich
(Олга Харлампович)

そういえば女性のフィールズメダリストはまだいなかったな。
348s:2001/08/11(土) 10:32
>>343, >>347
俺が言っているのはフルショフスキーのへブル大の同僚セラのこと
フルショフスキーも重要なひとだけど、年齢制限にひっかからないの?
(ICM'98で見ただけだから彼の年齢についてはまったく分かりません)
セラの専門は離散群論、低次元トポロジーだけどね。

>>347 で挙がっている人たちもタルスキー問題を解決したと数年前に
アナウンスしたけど証明はまだ出てないですね。
(セラは合計500ページもある証明を既に公開している)

ここにはロシア一派とユダヤ一派のにわかには信じがたいイザコザがあるんですが、
priorityをめぐるこの騒動のせいでセラがメダルを逃すとしたら残念ですね。
349132人目の素数さん:2001/08/11(土) 12:04
>>348
>俺が言っているのはフルショフスキーのへブル大の同僚セラのこと

Zlil Sela
http://www.ma.huji.ac.il/~zlil/

Olga Kharlampovich
http://www.math.mcgill.ca/~olga/

ところで、”証明”は正しくなければただの文字列です。
セラ氏が既に公開している、合計500ページもある証明は
あなたもしくは他の専門家によって認められたのでしょうか?
350s:2001/08/11(土) 12:29
ロジックは俺の専門外なんでね。証明のチェックなんてできないよ。
専門家たちの感触はいいみたいだけど。

あと、先にアナウンスした二人は既にプレプリントを配ってたみたいですね。
(セラが証明を出した後のことですが。。。)

>ところで、”証明”は正しくなければただの文字列です。
これには賛成できないな
3511 ざんす:2001/08/11(土) 12:32
前原先生の放送大学での数学基礎論の講座ってのは
だめかな?
352s:2001/08/11(土) 12:34
補足。ちょっとトゲのある言い方をしてしまいました。
>>ところで、”証明”は正しくなければただの文字列です。
>これには賛成できないな
最終的に結果が all or nothing だということにはもちろん賛成です
353132人目の素数さん:2001/08/11(土) 13:45
1ざんす>前原先生の放送大学での数学基礎論の講座

前原先生て現役なんですか!!!!! この講義だけ聴きたいな・・・

「田中ほか 数学基礎論講義 日本評論社」は見かけたらキープした方がいいですね。
まさに数学としての基礎論の王道、自習は無理なので勉強会とかしたいですね
3541 ざんす:2001/08/11(土) 14:08
>>353
いやいや、前原先生はとっくに亡くなっております。もうかれこれ
10年近くになるかなあ、、、

#遺稿集ってでないんですか?まってるんですけど。

放送大学で講議されていたんでビデオがあるんですよ。放送大学に
いけば、見せてもらえるかと思います。
355132人目の素数さん:2001/08/11(土) 14:58
>>350
>専門家たちの感触はいいみたいだけど。

では
「ロシア一派とユダヤ一派のにわかには信じがたいイザコザ」
も、決着ずみということですね。
356s:2001/08/11(土) 15:51
>>355 priorityの問題。
舌足らずの説明が誤解を招くといけないので
詳しい事を書くつもりはありませんが、
イザコザ真っ最中といったところですな。
この世界ではめったにないことなんですけどね。

セラはフィールズ賞をねらえる位置につけているわけですし。
357132人目の素数さん:2001/08/11(土) 16:46
>>356

貴方の態度は、Selaには好意的なように見えますが
それは貴方個人の趣味だということですか?
358132人目の素数さん:2001/08/11(土) 20:32
数学の基礎としての数学基礎論に興味があるならShoenfieldがやっぱりお勧め.
一階述語論理や型理論や不完全性定理や集合論やモデル論といった
個々のトピックについての教科書なら日本語でも良い本が色々あるけど.
359132人目の素数さん:2001/08/12(日) 21:33
基礎論を独習しています
間抜けな質問で申し訳ないですが
みなさんは、ドイツ文字をノートに
どう書いているんですか?
360132人目の素数さん:2001/08/12(日) 21:49
>>359
ドイツ語の筆記体で書いてますよ。
英語とは違うので、区別が出来ます。
361359:2001/08/12(日) 22:58
回答どうも
やってみます
さすがに、aとか区別できないのは
使われていないわけですね
362ぽこちゃん:2001/08/14(火) 03:53
>>344
もっておいても好さそうな本として次の2冊はどうでしょう。
Barwise,J. ed
:Handbook of Mathematical Logic (North Holland)

Heijenoort,J. ed
:From Frege to Geodel
A Source Book in Mathematical Logic,1879-1931 (Harvard U.P.)

もっとも、
HandBookのほうはちょっと古いので、
もっと現代的なものがあればいいのですが。
Source Bookのほうも、
1931-1965くらいのものもあるのでしょうか?
、不完全性定理・計算・構成可能・強制法などを含められるので。
363あぼーん:あぼーん
あぼーん
364遅レス:2001/08/14(火) 16:17
>>339-341
>>「基礎論自体が、コンピュータサイエンスのための応用数学じゃん」
>逆だと言い返したかった?
あ、いや、そういう考え方もあるかと思って、ちょいと感心したのです。
365132人目の素数さん:2001/08/18(土) 02:01
>>362
Handbookは趣味で買うには高いし記述が初心者向けではない.
From Frege...はどちらかというと数学史的関心がある人向け.
数学的内容を初めて学ぶなら既出のShoenfieldのテキストの方が良いよ.
> 不完全性定理・計算・構成可能・強制法などを含められるので。
この辺も全部入っているし.

>>364
証明論,再帰関数論,圏論はかなりそういう雰囲気.
集合論,モデル論はそうでもない.
いまやこういう分類もそぐわなくなってるけど.
366132人目の素数さん:2001/08/21(火) 11:00
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/jinji/20010821k0000m060102000c.html

訃報:
倉田令二朗さん70歳=河合文化教育研究所主任研究員

 倉田令二朗さん70歳(くらた・れいじろう=河合文化教育研究所主任研究員、
数学基礎論専攻)8日、脳内出血のため死去。葬儀は近親者のみで行った。
関係者による「しのぶ会」を行う予定。自宅は香川県丸亀市通町165の2。
喪主は妻ヒデ子さん。

 数学者ガウス、ガロアらが唱えた理論の研究の第一人者。
367366:2001/08/21(火) 11:02
>数学者ガウス、ガロアらが唱えた理論の研究の第一人者。
について説明を激しくきぼーん
368132人目の素数さん:2001/08/21(火) 12:04
>>367
晩年の数学史関連の翻訳活動のことを言ってるんじゃないのか?
369132人目の素数さん:2001/08/21(火) 13:46
>>365
Shoenfieldにはsecond order logicは出てくるかな?

ところで、Goedelの結果が「不完全性定理」といわれるのは、
実は、自然数論の命題の非決定性が、二階論理の不完全性を
示すからだという話があるんだけど本当?
370132人目の素数さん:2001/08/21(火) 21:21
倉田令二朗さん、亡くなってたんだ。ぜんぜんしらなかった。徳田球一の物まねが得意だったそうだ
数セミで追悼記事が出るんだろうな
371132人目の素数さん:2001/08/21(火) 21:25
倉田さんは、小針さんとか森毅、福富節夫らと、数学者のベトナム反戦運動=ベト数懇やってたんです。
372132人目の素数さん:2001/08/21(火) 21:46
森毅なんて数学者じゃねえよ!!!
373132人目の素数さん:2001/08/21(火) 22:31
森毅で思い出した。
線形空間の基底の存在はツォルンのレンマを使って証明できるが、
基底の元の個数は常に一定というのは、線形代数の基礎だが、無限次元では、二つの基底の濃度が等しいことをどう示すかずっと分からなくて、

森毅が「数学ワンメbイント双書 無限集合」の中で、無限次元の場合は、無限の計算が楽なので有限次元よりずっとやさしい、と書いてあったんです。
でもそれって、K上線形だとしたとき、体Kの濃度が可算個のときならそうだけど、一般的には言えないんじゃないかと思って、
自分で、有限次元の証明を、無限次元へ拡張する形で、線形空間Vの元を整列化したりしてなんとか証明したんです。
それをここに書くには、余白と時間がないので書きませんが、とにかく苦労して証明しました。
森毅の言うように、簡単に証明できるのでしょうか?
374132人目の素数さん:2001/08/21(火) 23:13
ワンポイント
375ぽこちゃん:2001/08/22(水) 05:12
倉田令二朗先生の数学基礎論関連の
河合塾の講座に参加させていただきました。
こころより哀悼もうしあげます。

河合出版の基礎論シリーズどうなっちゃうんんだろう、心配。
376366:2001/08/22(水) 09:53
俺は放置かよ!!!
>367 名前:366 投稿日:2001/08/21(火) 11:02
>>数学者ガウス、ガロアらが唱えた理論の研究の第一人者。
>について説明を激しくきぼーん
377132人目の素数さん:2001/08/22(水) 11:10
>>372
森毅は数学解説者
3781 ざんす:2001/08/22(水) 12:18
>>376
おいおい、>>368 を読んでくれてないの?
379373 :2001/08/23(木) 15:37
>>373
誰か教えてくれよ
380132人目の素数さん:01/08/30 12:49 ID:EDCzxSMs
どーでもいいが、ゲンツェンのカット除去定理の証明が難しいんですけど。
というか、証明のなかの2重帰納法が難しい。
あれは、
(@)degree=0,rank=2のとき、カットなしの証明に変えられる。
(A)degree=n-1,rank=m のときカットなしの証明に変えられるならば
degree=n,rank=2 のときカットなしの証明に変えられる。
(B)degree=n,rank=m-1 のときカットなしの証明に変えられるならば
degree=n,rank=m のときカットなしの証明に変えられる。
の3つを証明しているということでいいんですよね?
これによって、(i)と(B)からdegree=0,rank=m のときが証明されて、
この結果と(A)からdegree=1,rank=2 のときが証明されて、
この結果と(B)からdegree=1,rank=m のときが証明されて、
この結果と(A)からdegree=2,rank=2 のときが証明されれ、
・・・以下くりかえし。
よって、任意のdegreeと任意のrankでカットなしの証明に変えられる。
これで合ってますか?
やっぱりどーでもよくはないので、間違ってたら指摘してほしいです。
381132人目の素数さん:01/09/19 07:09
>>380
あってるようにおもわれ。でも俺も苦手なんだよな、基本定理は。
382132人目の素数さん:01/09/19 07:38
>>380
「二重帰納法」ってどういうつもりで自分がいっているか
はっきり説明できれば、二重帰納法がわかりこれもわかる。
べつに二重帰納法が特別難しいわけではないが、慣れてい
ない数学者は多い。以下この繰り返しという形でなく、
degree m, rank n のところがわかるために有限回のカット
除去で済むことを理解の目標に置いたらよい。二重帰納法
だと無限回のステップになるという錯覚をもっている人が
多い。帰納法のステップはいくら無限になっても無限回
カットをとらないといけないわけではない。
383132人目の素数さん:01/09/19 12:19
  /""""""""彡
  / 〈~~~~~^~~~~ヽ
 |  /        |
 | / ´\  ハ /` |
 |./| ̄ ̄|冖| ̄ ̄| 
 (6|~`― ´ |`―‐′ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 || |    ,,,,, 」,,,,   |  < 先生、ゼータ関数を猿でも
 |||  【 一 ー 】 /    \_  理解できるように説明してください。
 || \   丁  /  
彡|   \__/ |
384132人目の素数さん:01/09/20 00:53
>>383
ンナ事できるか!!
  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
< 先生、猿をゼータ関数で
 \_  理解できるように解析してください。
386380:01/09/20 23:22
レスがもらえてうれしいのでスレッド引っ張りあげときます。
二重帰納法については本当はもっと、数学的帰納法を
二回使うことによって証明しているということを
しっかり表現したかったのですが、コンパクトに
まとめられなかったので、以下繰り返し・・・
という形でごまかしてしまいました。
>381さんと>382さん、レスありがとうございました。
387382:01/09/20 23:45
現状ではこれでよいと思うが、せっかく苦労されたようだから
もう少しコメントする。普通の帰納法の場合 m については高々
1,...,m-1 についての帰納法の仮定ですむが、二重帰納法であ
ると (1,0) の場合 (0,m) のうちどれだけの仮定が必要か定か
ではない。そのため、ここには本質的な(重大なという意味で
はなく数学的に示すことのできる)違いがある。
388加護天使:01/09/22 04:32
忘れてごめんね。
389132人目の素数さん:01/09/25 12:24
S. Shelah って集合論の人? 基礎論? 何かものすごくできる
人だって聴いたけど。
390加護天使:01/09/26 04:58
>>389
彼の業績を勉強してないので、あまりいえないけど
モデル論などで大きな業績をあげているそうです。
参照
Shelah's Archive
http://math.rutgers.edu/%7Eshelah/
個人的には集合論は基礎論ではない。
てゆ〜か(このてゆ〜かは、そもそも、に置き換え可能)
ゲーデル以来、基礎論は死んだ、といいたい。
392132人目の素数さん:01/09/26 11:55
そう。現在の数学基礎論は少なくとも数学の基礎ではないよね。
393389:01/09/27 23:14
>>390
Shelah's Archiv 見ましたけど、ものすごい数ですね。濃度計算
みたいな名前の本もありましたけど、なにを読んだらいいんでし
ょうか.
394タコ:01/10/05 14:34
>>391
>ゲーデル以来、基礎論は死んだ
詳しい解説を聞きたい。
395132人目の素数さん:01/10/06 21:21
>>391
俺も聞きたいぜ…
396加護天使:01/10/08 07:09
>>391
私も聞きたいわ。
397代役:01/10/08 08:44
391 が答えないので代役。
基礎論という分野ができたのは、Hilbertの形式主義と無矛盾性
証明に関するProgramによる(「と思う」を以下省略)。ゲーデル
の不完全性定理はそのProgramの可能性を否定した。もう1つは
これもHilbertの第10問題でアルゴリズムの問題だが、この形式化
は基礎論の問題であったが1930年頃には決着していて、これにも
ゲーデルはかんでいる。Turingの「Halting問題が計算不可能」っ
てのは不完全性定理の筋を計算可能性に移しかえているもので、
ゲーデルはTuringの功績といっているが、ゲーデルは既にわかって
いたと思われている。連続体仮説はHilbertの時点では、集合論が
固定化されていなかったから基礎論の問題ではなかったが1930年代の
終わりころには一応定着したZFC集合論との整合性をゲーデルが示し
これ以後のCohenの結果などは391のいうように基礎論の結果という
雰囲気ではなくなっている。まぁこんなとこかな。
398代役:01/10/08 08:48
>>397
訂正:下から4行目、「基礎論の問題であったが」が正しい。
「基礎論の問題でなかったが」になってる。
399132人目の素数さん:01/10/08 09:12
>>373
無限になると無限集合Xと可算無限集合との直積の濃度がX
の濃度と等しくなる。ベクトル空間では有限列で表示される
からこのことを頭にいれておくと簡単。(もちろん基底が
整列されていることから始める。選択公理を仮定している
話だから問題ない。)
400391:01/10/08 09:41
>>394
>>395
>>396

基礎論は「基礎」論でなくなったと書くべきだったかな?

ところで数学の基礎を問うことが無意味になったからといって
数理哲学そのものが無意味になったわけではない。

ただ、基礎の無意味性は、数理哲学固有の問題ではなく、
むしろ言語に関わるものとして捉えられたため、
数理哲学は、言語哲学に包摂されてしまったとみるのが
順当だろう。
401代役:01/10/08 09:51
>>400
全然違った、失礼!
402132人目の素数さん:01/10/12 12:40
ヒルベルトの第10問題について教えて下さい。
403132人目の素数さん:01/10/12 14:07
>>402
廣瀬健先生の『帰納的関数』という本に詳しく載っております。
404加護天使:01/10/15 02:32
> 廣瀬 健 帰納的関数 共立出版(共立講座 現代の数学)
品切れかも?
手元の本のまえがきを読むと、
帰納的汎関数・解析的階層は原稿まで用意されていたのか
割愛せず収録してほしかったなあ、ついでに一般化帰納的関数も。
405132人目の素数さん:01/10/15 05:52
>>403
ヒルベルトの第10問題のMati???vichの解法のその後の
発展ってあるんですか?
406132人目の素数さん:01/10/22 03:06
あげどうふ
407>405:01/10/22 03:18
408132人目の素数さん:01/10/22 06:20
>>407
どうも有難うございました。
P=NP問題との関係もあるんだ。数学の深い結果は難しい問題とつながるから
不思議だよね。まあ人間にとってわかり難いところってことかもしれないけど。
4091 ざんす:01/11/02 11:39
定期あげ
410数学好きだった:01/11/04 23:09
>>397
えらく論理学方面の歴史が抜けてる気がするけど?
あとブルバキとかも.
SAGとか読みたいなぁ、時間無いけど、、、
4111 ざんす:01/11/05 12:15
ブルバキは logic をかなり軽視してる部分があるよね。

>>397 ヒルベルトのプログラム以前に logic という分野は成立していると思われ。

カントルによる集合論の成立、Russell のパラドックスの解決という目標の
出現のほうがさきでしょ?
412132人目の素数さん:01/11/05 13:57
>>411
> ブルバキは logic をかなり軽視してる部分があるよね。

 そうなの?僕は逆にブルバキで初めて集合と論理の概念が循環論法
でないことを知った。『集合1』のあの徹底ぶりは、logicのある種の
極みではないかい?
413第二の今井発見:01/11/06 21:44
Yahooウォッチャー4

830 :132人目の素数さん :01/11/04 11:18
Strom_dorfは小学校の算数も怪しいぜ。

839 :132人目の素数さん :01/11/04 15:06
>>830
数理論理学は怪しいらしい。
べつの掲示板で注意されてた。

871 :132人目の素数さん :01/11/05 10:27
>>839
どうも、本人です。
林先生のBBSの件(ω無矛盾性)のことですね。
でも実は林先生の発言自体にも論理的に問題があったと思います(普通は証明論で
は「証明文」といえば、証明の「有限列」のことを指すはずですから)。
まあ、こちらが気楽なアマの立場でありながら、プロを相手に批判するのは(こっ
ちが知識でも力量でもかなわないことは明白だし、プロは、不用意な発言が仕事に
直接かかわるという非対称な立場にあるという観点から見ても)大変失礼な行為で
すから、素直に謝っておきました。
実は先生に批判された後で、「たまりかねて」私の主張に理解を示していただいた
メールをある方から頂いております。
ただ、念のため書きますが、私は林先生を尊敬しております。
414第二の今井発見:01/11/06 21:46
Yahooウォッチャー4

872 :132人目の素数さん :01/11/05 11:24
>>871
ゲーデルBBSを読みました。たぶん林晋先生の詳しいところに入りすぎているため、
ご自分の素人宣言を忘れてしまわれたのでしょう。「証明文」といったら「証明」
を指すに決まっています。それは林先生がおかしい。ただω−ruleが絡むとこれを
どのように制限するか?つまりrecursivenessをどこで考えるか?など胃が痛く
なるようなことがあり、このruleを使った証明文となるとこれは明らかに有限列
でない、、、。などなど、まぁそんなとこでしょう。でも林晋先生があつくなって
書いているのが面白かったです。

874 :132人目の素数さん :01/11/05 11:59
>>871

> 実は林先生の発言自体にも論理的に問題があったと思います
> (普通は証明論では「証明文」といえば、証明の「有限列」
> のことを指すはずですから)。

ぜんぜん駄目じゃん。Stromdorf(笑)

問題は、その「普通」が意味するところの「有限」でしょう。
林晋氏が何のためにパラドックスの本で、
無矛盾性のパラドックス書いたのかわかる?

877 :132人目の素数さん :01/11/05 12:12
>>871
>まあ、こちらが気楽なアマの立場でありながら、プロを相手に批判するのは(こっ
>ちが知識でも力量でもかなわないことは明白だし、プロは、不用意な発言が仕事に
>直接かかわるという非対称な立場にあるという観点から見ても)大変失礼な行為で
>すから、素直に謝っておきました。

なんかスリカエてない?
プロ対アマじゃなくて実名対匿名の問題だとおもう。
415第二の今井発見:01/11/06 21:48
Yahooウォッチャー4

878 :132人目の素数さん :01/11/05 12:19
>>874
>>875
いってることがよくわからない。林晋先生は「証明文」というブルバキにでていた
言葉使いは知らなかったと書いてあり、普通はただ「証明」という、と答えている。
Strom_dorfさんのゲーデルBBSでのやりとりは極めて普通、わかっていないところは
林晋先生に指摘されたしそれでよいので変に足をひっぱるのは根性がわるいな。
>>872は生意気だよな、recursiveness どこで考えるなんて専門家風なこといってるもん
な。

880 :132人目の素数さん :01/11/05 12:40
>>874
 どういう意味でしょうか?もう少し詳しく説明していただけないで
しょうか?
 ω-rule というのは、任意の「数字」n に対して ├A(n) ならば
∀nA(n) を証明してよい、という推論規則のことだと私は理解して
いて、これなら別に証明の「無限列」なる概念を導入する必要はあり
ません。実際に ω-rule について書いた本にどう定義しているかわか
りませんが。

882 :132人目の素数さん :01/11/05 13:40
>877
再び本人です。
それもありますが、私がいけなかったのは、BBSの管理人である林先生
の専門の分野について質問されているのに、こともあろうに知識も半可
通の私がしゃぁしゃぁと「回答」なんぞを書き込んでしまったことでし
ょう。少なくともプロが開設しているBBSに書いてあることは、たとえ
本人が書いた文章でなくても影響が大きいので、訊かれた内容の10倍く
らい知っている人が回答しないと質問者に誤解を与えかねず、BBSの管
理人に迷惑がかかります。私の行為はその辺りの配慮が足りなかった、
ということです。
416第二の今井発見:01/11/06 21:50
883 :132人目の素数さん :01/11/05 14:46
>>880
874ではありません。仮定が無限個あるわけで証明としてはその一つ一つに証明
があるわけで、コード化しない限り有限列では済まないのですが、いかがでしょう?


884 :132人目の素数さん :01/11/05 16:12
>>880

>任意の「数字」n に対して

どういう意味でしょうか?(笑)

ここで、数字を帰納的に定義したら最後、元の木阿弥です。
どうして数学的帰納法を使わないのか、となる。

887 :132人目の素数さん :01/11/05 16:36
>>882
林さんが面子にこだわって自分を攻撃したというニュアンスを出そうと
努力して書いたんならもう一度自省した方がいいよ。そこで立ち止まれない
とこの板で話題になってる他の人物達と同じになってしまう可能性があるよ。
417第二の今井発見:01/11/06 21:51
885 :132人目の素数さん :01/11/05 16:29
>>882

以下を読む限り、Stromdorfが無知から「こんなの証明じゃない!」と
ほざいて、林氏から「お前が間違っている!」と一喝された”だけ”だろ。

Stromdorf:

>論理的推論では、証明は常に有限個の論理式で構成されています。
>そして、論理的推論に用いる「推論規則」というのは、与えられた
>証明において、必ず「A(とB(と…))が証明されていたら、Pを証明に
>追加してよい」という形で述べられます。

>従って A(0),A(1),… という無限個の命題が「証明されている」証明
>というものは存在しません。ですから、「A(0),A(1),… という無限個
>の命題が証明されているならば∀nA(n)を導いてよい」という「推論規則」
>は、通常の意味での推論規則としてのルールを逸脱しているわけです、
>というか、そもそもこの推論規則を適用できる証明文というものは
>あり得ないわけです。

Hayashi:

>ω-rule を inference rule としてもつ、infinitary proof というものは、
>論理学では普通に考えます。無限の proof は、通常は無限の木を
>使って記述します。そういうものも含めて、形式系ということも
>ありますので、ω-rule をもつ形式系という言い方は、何等おかしく
>ありません。


886 :885 :01/11/05 16:33
はっきりいえば、Stromdorfも>>872も間違ってるな。
そんでもって>>874>>875は的ハズレ。
418第二の今井発見:01/11/06 21:53
888 :132人目の素数さん :01/11/05 16:40
それまでの流れがわからないけれども、885の引用部分だけだとStromdorfさんの
書いていることは普通でしょう。ω−ruleのある論理体系は普通ではないから。
でも880がStromdorfさんなら883,884の指摘のように変だと思います。

895 :132人目の素数さん :01/11/05 18:36
>>885
またまた本人です(笑)
 まあそうなんですが、私の書いたのは「証明文というのは有限個しか書かれてい
ないものをいう」という定義のもとで議論してるので、その意味では間違いはない
と思うんですが、「そもそもこの推論規則を適用できる証明文というものはあり得
ないわけです。」というくだりが、私が半可通ゆえの「言い過ぎ」ですね。林先生
は、まさにそうでない体系に対する論文を書かれた方なんですから、こんなこと書
かれたら黙って見過ごすわけにはいかないでしょう。

>>888
 880の発言の件ですが、これに対する883、884の趣旨の方が私には理解できませ
ん。「任意の「数字」n に対して ├A(n) ならば」というのは、「├A(0),├A(1),
├A(2),├A(3),…ならば」という意味であり、これは「任意の数字 0,1,2,… に
対して A(n) が証明可能ならば」と言っても同じです。これは無限個の証明文が
「目の前に一度に与えられている」必要はありません。「任意に与えられた数字 n
に対して A(n) を証明するアルゴリズムがあるなら」ということですから、全ての n
に対する証明が既に書かれている必要はないわけです。
419第二の今井発見:01/11/06 21:56
896 :132人目の素数さん :01/11/05 19:51
>>895
ω−ruleは通常証明が全部一度に与えられるというのが基本だと思います。です
からこれは普通の論理形式ではないと思い、888のように書きました。
おっしゃっている「アルゴリズムがあって」というのはそれを制限したもので
883のコード化を使っているものだと思いますがそれだとしても885の引用部分
との整合性がないと感じたのです。ここで説明をするのは無理だと思いますし、
おわりにします。
420第二の今井発見:01/11/06 21:57
918 :885 :01/11/06 15:37
>>895
>「任意に与えられた数字 nに対して A(n) を証明する
>アルゴリズムがあるなら」ということですから

チガウでしょ。それじゃ、数学的帰納法を使うのと違わないじゃん。


919 :132人目の素数さん :01/11/06 16:30
>>918
 わかりやすくするためにアルゴリズムという言い方をしたけれど、正確に言うと、
「証明論自体の推論を直感主義論理(つまり有限の立場)で行った場合の“任意の
数字nに対して A(n) が証明可能”という意味」です。
 それに対して、証明論を数学内部で展開する(つまり証明論の推論に古典論理を
用いる)場合は、“”の中身は証明の無限列を考えることと本質的に同じことにな
りますね。


921 :132人目の素数さん :01/11/06 16:44
>>918
 あ、それからもう一つ。
> 数学的帰納法を使うのと違わないじゃん。
ってどういう意味でしょうか。
 例えばゲーデルの不完全性定理の証明で出てくる命題 A(x) で、
A(0),A(1),A(2),… はすべて証明可能だけれども ∀xA(x) は
証明できない、っていう命題が作れますよね。この場合、A(0),
A(1),A(2),… は決して「その理論内部の」数学的帰納法で証明
してるわけじゃなくて(実際それができるなら ∀xA(x) は証明で
きてしまう)、その理論外部の、メタ数学における帰納法で、個々の
数字 n に対する A(n) が証明可能であることを証明するわけです。
 このメタ数学で使う帰納法を私は「アルゴリズムがある」という表
現で表わしたのであって、その理論内部の帰納法を使っているわけで
はないですよね。
421第二の今井発見:01/11/06 21:58
920 :885 :01/11/06 16:42
>>919

あなたの一番の問題点は、
「証明論は有限の立場(直観主義)でなくてはいけない」
というところ。


922 :132人目の素数さん :01/11/06 16:48
>>920
 私はそんなことは主張していない(そんなことを言ったらモデル理論
はすべて無意味になります)。林先生に指摘されたあの文章は有限の立
場での主張だけど、林先生の指摘はそうでない推論における話ですよね。
それはそれでわかった、ということを私は述べたわけです。
 ちなみに「私の興味の対象」が「有限の立場」です、というのなら正
しいですけど。
422第二の今井発見:01/11/06 21:59
923 :885 :01/11/06 17:15
>>921
>例えばゲーデルの不完全性定理の証明で出てくる命題 A(x) で、
>A(0),A(1),A(2),… はすべて証明可能だけれども ∀xA(x) は
>証明できない、っていう命題が作れますよね。

ええ。

>この場合、A(0),A(1),A(2),… は決して「その理論内部の」
>数学的帰納法で証明してるわけじゃなくて
>(実際それができるなら ∀xA(x) は証明できてしまう)、
>その理論外部の、メタ数学における帰納法で、個々の数字 n に
>対する A(n) が証明可能であることを証明するわけです。

最後の2行が、貴方の誤りです。
メタ数学における帰納法?いつ、誰が、どこでそんな嘘を
貴方に吹込んだのですか?

個々のnに対する証明が存在するからといって、それら
全てをまとめあげるアルゴリズムがいつでもどこでも
存在するということにはなりませんよ。


924 :885 :01/11/06 17:19
>私はそんなことは主張していない

では>>921の「メタ数学における帰納法」とは何ですか。
証明論が有限の立場に限らないというのなら、そんなものは
まったく必要ないでしょう。


925 :132人目の素数さん :01/11/06 17:24
>>923
 ですから、それは推論規則に古典論理を使ってるからでしょう?
 私は有限の立場の場合のことをいっていると説明しているではな
いですか。

>>924
 これも同上。
423132人目の素数さん:01/11/06 22:06
>>個々のnに対する証明が存在するからといって、
>>それら全てをまとめあげるアルゴリズムが
>>いつでもどこでも存在するということにはなりませんよ。

>ですから、それは推論規則に古典論理を使ってるからでしょう?
>私は有限の立場の場合のことをいっていると説明しているではな
いですか。

個々のnの証明が有限でも、それだけでは全体のアルゴリズムが
構成できるということにはならんだろ。正気か?
今井よりは全然謙虚だと思うのだが。。。。。

今井のこと舐めてんじゃない?
425132人目の素数さん:01/11/06 22:28
>>423
証明図全体が帰納的枚挙可能なら1つ1つが証明可能ならミュウ一発で
帰納的っていう意味でアルゴリズムがあるじゃない。結構微妙なんじゃ
ない?
426132人目の素数さん:01/11/06 22:39
>>424
>今井よりは全然謙虚だと思うのだが。。。。。

ポーズだろ。

>>425
>ミュウ一発で帰納的

知ったかぶりだな。
1もダメ、2もダメ、3もダメ・・・だからけっきょく全部ダメ
という証明にどうしてミューがつかえるんだよ。
427おまけ:01/11/06 22:41
926 名前:132人目の素数さん :01/11/06 17:27
そういえば、Dr.Gも、ゲーデル命題の超限的な生成により
完全な公理系が実現できると、ペンローズが書いたことを
真に受けてしゃべり、林氏から半可通といわれたな。

あの前にも東北大の田中研のBBSで、無思索からまったく
初歩的な誤りをおかしたにもかかわらず、長い間気がつかず
無駄な議論を延々と行った。この2件で彼は「終わった」ね。


927 名前:132人目の素数さん :01/11/06 17:50
>>926
Consis を超限的に付け加えて完全な公理系をつくるというのは、Feferman
の昔の論文にあったと思う。だから、そんな変な話ではないと思うけど。べつに
Dr.Gシンパではないが。

927はFefermanの論文読みなおしたほうがいいな。
428132人目の素数さん:01/11/06 23:14
あのさあ、「第2の今井」とかほざいてるヤツって何が言いたいの?
429132人目の素数さん:01/11/06 23:26
Stromdorfだよ。ω-ruleの話に戻そう。
 一般に推論規則というのが、それより上に「書かれている」命題群に
対して適用すべきもの、と規定するなら、ω-ruleが推論体系内部の推
論規則であるためには、証明文は無限列である場合を想定しなきゃなら
ない。
 いわゆる「実際の推論体系」つまり数学内部(=集合論内部)で論理
式だとか推論だとかいう概念を作って行う推論体系じゃなくて、実際に
紙の上とか黒板の上とかコンピューター内部で展開する「推論体系」で
は証明文の有限列しか扱えないわけだから、こういう「有限の」体系で
は、上の意味でω-ruleというのは推論規則にならない。
 私がゲーデルBBSで最初に書いたのは、こういう趣旨だ。

 ω-ruleが推論規則として意味を持つのは、「無限個の論理式が書か
れている」という概念が意味を持つ「推論体系」か、あるいは「推論規
則」の意味を拡大して、「まだ書かれてなくてもメタな議論で証明可能
と判明したものに対しては適用してよい」というようにした場合に限る。
 例えば不完全性定理の証明に出てくる A(n) の場合、すべての数字
0,1,2,… に対して ├A(n) であることがメタな議論で証明できるが、
そういう場合でもω-ruleの対象にしてよい、というのなら、「証明文
は有限列に限る」ような理論においても ∀xA(x) は証明可能になる。
>>429
>Stromdorfだよ。
これって429=Stromdorfってこと?
431まさか:01/11/07 00:09
Stromdorf=川村 ?
こういう時に初心者な質問するのまずいよね…
4331 ざんす:01/11/07 04:12
>>412
ブルバキの主導的メンバーが基礎論軽視の発言をいろいろぶちかまして
くれてます(^^;;

>>426
10年近く前からStromdorf氏をウォッチしてますが、謙虚というか
人当たりはいいし、親切な方であると思いますよ。

>>423
よろしいんじゃないでしょうか?
434132人目の素数さん:01/11/07 07:51
>>429
>一般に推論規則というのが、それより上に「書かれている」命題群に
>対して適用すべきもの、と規定するなら、ω-ruleが推論体系内部の
>推論規則であるためには、証明文は無限列である場合を想定しなきゃ
>ならない。

それでいいじゃないか。

> いわゆる「実際の推論体系」つまり数学内部(=集合論内部)で
>論理式だとか推論だとかいう概念を作って行う推論体系じゃなくて、
>実際に紙の上とか黒板の上とかコンピューター内部で展開する
>「推論体系」では証明文の有限列しか扱えないわけだから、こういう
>「有限の」体系では、上の意味でω-ruleというのは推論規則にならない。
> 私がゲーデルBBSで最初に書いたのは、こういう趣旨だ。

だから、それが間違ってる。

問題は、「実際」とか「有限」とかが定義できないこと。
証明を形式的に規定する場合には、何が実際で、何が有限か
判定することができないということ。

ところで、不完全性定理の場合、
「すべての数字0,1,2,… に対して
 ├A(n) であることがメタな議論で証明できる」
というが、そのメタな議論は形式的な証明の定義が
無矛盾であることを前提とした背理法であって、
帰納法でない。
435132人目の素数さん:01/11/07 08:46
>>434
林晋先生がおしゃたから正しいってことはないよ。
436132人目の素数さん:01/11/07 09:12
434のいってることは滅茶苦茶。
437132人目の素数さん:01/11/07 09:46
>>434
> 問題は、「実際」とか「有限」とかが定義できないこと。

 ははぁ、貴方が何をこだわってるのか、ここを読んでわかったよ。
貴方がこんなことをいうのは、貴方が数学(=集合論)の世界に「住ん
で」いるからだ。いいかい、「紙に書いた推論」を「有限の立場」で
扱うというのは、通常の数学(=集合論)の中の議論じゃないんだよ。
 これは、初めから「有限の対象」という概念しかないような、集合論
とは異なる推論体系なんだ。そして、ゲーデルの「不完全定理」は、も
ちろん、この推論体系でも意味を持つ。ところが「完全性定理」とかモ
デル理論とか「意味論」は、この推論体系の中では意味を持たないんだ。
 言ってることがわかるか?

 あ、それから

> 無矛盾であることを前提とした背理法であって、

というのは誤りだよ。これは理論の無矛盾性の仮定がなくても証明でき
るんだ。ちょっと考えればわかるよ。そのことをきちんと書いた本は少
ないと思うけどね。
 無矛盾性の仮定が必要なのは ∀xA(x) が証明不可能だ、という主張
の方だ。
438132人目の素数さん:01/11/07 10:30
>>437
>> 問題は、「実際」とか「有限」とかが定義できないこと。
>貴方がこんなことをいうのは、貴方が数学(=集合論)の世界に
>「住んで」いるからだ。いいかい、「紙に書いた推論」を
>「有限の立場」で扱うというのは、通常の数学(=集合論)の
>中の議論じゃないんだよ。

ああ、全然分かっていないようだな。

ゲーデルは、「有限の立場」が「有限の立場」では定義できない
ことを「有限の立場」で示した。すなわち紙に書いた証明の定義と
実際の証明は違うってことを、実際に証明したってわけさ。

君が「完全性定理」とかモデル理論とか「意味論」とかに、意味を
見出さないのは勝手だけど、その理由は有限性にあるのではないよ。
自分で自分を定義し切れないことにあるんだよ。

ああ、それから「あ、それから・・・」のところで、
「すべての数字0,1,2,… に対して ├A(n) である」
というだけなら、矛盾していてもOKだな。
しかし、そんな話をしたいのではないだろう?
「すべての数字に対して」というところで帰納法が
あるかないかという話ではなかったのかな?
439132人目の素数さん:01/11/07 10:38
>>438

ゲーデルも、林も、有限を有限たらしめる為には、
無限の存在を前提しなくてはならないということに
気づいていた。

だからこそ「有限主義者」に対して、その無自覚性を
鋭く攻撃したのである。

「初めから「有限の対象」という概念しかないような、
 集合論とは異なる推論体系」
というものを根拠づけるためには、「有限の対象全体」
という無限を必要とするのである。
440132人目の素数さん:01/11/07 10:51
> ゲーデルは、「有限の立場」が「有限の立場」では定義できない
ことを「有限の立場」で示した。

 それは一つの論評だろう?それに異議を唱えるつもりはないが、
有限の立場において「有限の立場」を「定義」する必要があるのか?
有限の立場というのはどういう推論を許します、と最初に宣言して
おけば十分だろう。この「宣言」自体は、もちろん有限の立場の内部
の議論ではない。それにそもそも私はこんな話はしていない。貴方の
勝手な要請だろう。

> 君が「完全性定理」とかモデル理論とか「意味論」とかに、意味を
> 見出さないのは勝手だけど、その理由は有限性にあるのではないよ。
> 自分で自分を定義し切れないことにあるんだよ。

 またまた私が主張してないことに反論して・・・。「私が」意味を見
い出さないなんて言ってない。実際に「有限の立場」で書かれた議論に
はそういう概念はないでしょ?と言ってるだけなのにね。
 それから、最後の一行も、これは貴方の「論評」に過ぎないでしょ?
441132人目の素数さん:01/11/07 10:58
> しかし、そんな話をしたいのではないだろう?
>「すべての数字に対して」というところで帰納法が
> あるかないかという話ではなかったのかな?

 有限の立場では排中律が使えないから、「任意の数字 n に対して A(n)
が証明可能である」という主張を証明するには、メタの立場で帰納法を用い
る以外に方法がないだろう、と言っているのだ。もし数学内部で証明論をや
るなら、背理法による「任意の〜に対して〜が成り立つ」という証明も可能
だから、必ずしもメタな帰納法が必要になるとは限らない。私が言いたかっ
たのはそういうことだけだ。
442132人目の素数さん:01/11/07 11:02
 それからもう一つ、これは質問。
 貴方は「有限の立場」というものは「ない」と主張してるの?
443132人目の素数さん:01/11/07 11:05
> 「初めから「有限の対象」という概念しかないような、
> 集合論とは異なる推論体系」
> というものを根拠づけるためには、「有限の対象全体」
> という無限を必要とするのである。

 集合論に骨の髄までどっぷり浸かっているな・・・。
444442:01/11/07 11:09
ちょっと言い足りなかった。訂正。
 貴方は集合論を使わないと有限の立場というものは定義できない、
と主張してるの?
445132人目の素数さん:01/11/07 11:12
「有限の立場」ってのは定義のあるものではないから、どういったっていいような
ものだけど、上の議論ではどなたのも竹内外史著「数学基礎論」の序論のものとは
だいぶ違っているな。まあ進化してるってことですかな。
446132人目の素数さん:01/11/07 11:15
竹内氏の本では「最初のε数までの超限帰納法を使うのも有限の立場」
という立場のようだが、そこまでいくとやりすぎかもしれない。実際、
これだと「有限の立場」をきちんと形式化したとき、実は推論に2階
の術語論理を使っていることになるのじゃないかな?
447132人目の素数さん:01/11/07 11:26
>>446
「有限の立場」というのは普通、形式化されないで雰囲気をいっているものだと
思っていましたが。
448132人目の素数さん:01/11/07 11:50
>>440
>有限の立場において「有限の立場」を「定義」する必要があるのか?

おや。人には定義、定義とうるさいStromdorfが、
自分の立場には、定義など要らぬというわけか。

>有限の立場というのはどういう推論を許します、
>と最初に宣言しておけば十分だろう。
>この「宣言」自体は、もちろん有限の立場の
>内部の議論ではない。

それでは有限の立場を唱える意味がないではないか。

宣言、そしてその中にある「有限」の意味こそがもっとも
重要であるのに、Stromdorfはその肝心要の「有限」には
何の説明も加えない。これこそ底抜けだ。

>>441
>有限の立場では排中律が使えないから、
>「任意の数字 n に対して A(n) が証明可能である」
>という主張を証明するには、メタの立場で帰納法を
>用いる以外に方法がないだろう、と言っているのだ。
>もし数学内部で証明論をやるなら、背理法による
>「任意の〜に対して〜が成り立つ」という証明も可能
>だから、必ずしもメタな帰納法が必要になるとは限らない。
>私が言いたかったのはそういうことだけだ。

それは貴方の「論評」に過ぎぬよ(藁)

ω-ruleに貴方の勝手な要請を持ち込まれても迷惑だ(藁)

>>442
>貴方は「有限の立場」というものは「ない」と主張してるの?

いや、有限の立場は、単に排中律の排除ではなく、
行為の問題だということだ。ヴィトゲンシュタインなら
語り得ぬことであり、ただ示し得るのみというだろう。

>>443
>集合論に骨の髄までどっぷり浸かっているな・・・。

貴方は集合論は実在そのものだと信じているのか?(藁)
449まおまお:01/11/07 21:07
おお!!
門外漢の私にも、ようやく少し分かってきたぞ。
特に、>>434には啓蒙された。感謝。

例えばコンピュータが有限であるのは、「外から」眺める
限りにおいては「常識」だ。しかし、「任意のコンピュータ」
に対して、それを判定するアルゴリズムとなると‥‥‥。うん、
>「有限」とかが定義できない
の意味が、ようやく分かったよ。

ところで両者、どちらでも良いから教えてくれ。
>>443は何故、「集合論に骨の髄まで‥‥‥」という表現を
用いているのか??
ここのところが、私にはよく理解できなかった。
450132人目の素数さん:01/11/07 21:43
>>449
>>443は何故、「集合論に骨の髄まで‥‥‥」という表現を用いているのか??

無限=集合論、という理解なんでしょう。

ところで、ω-ruleをつかえば自然数論は完全になると、
ヒルベルトが示している。ω-ruleを含んだ証明可能性は、
帰納的述語どころか算術的述語としても定義できない。
とはいえ、二階算術上では定義できる。もちろん、二階
算術そのものは、ω-ruleを使っても相変わらず不完全
であるが。(二階の限量子を使った命題では一般に
完全性が成り立たなくなる。)
451132人目の素数さん:01/11/07 23:36
>>448

> おや。人には定義、定義とうるさいStromdorfが、
> 自分の立場には、定義など要らぬというわけか。

 相変わらず人の文章の読解力のないヤツだな。私は「有限の立場」
という概念が「有限の立場」の内部で定義できない、と言っているの
だよ。有限の立場を始める前段でそれを定義することはもちろんでき
る。例えばブルバキ「集合1」で数学を記述するための論理学を説明
している部分があるだろう。そこで「論理式」や「証明(文)」という
概念がきちっと定義されている。
 その後に「超数学」すなわち有限の立場によるいくつかのCritere
の証明が書かれている。その推論の規則はブルバキでは明示されてい
ないが、実際にどんな推論規則が使われているのかは、その推論を見
てみれば明らかなはずだ。実際に書き下すことも出きるけれども、面
倒だから書いていないだけだ。
452132人目の素数さん:01/11/08 06:53
結局のところ、論点は「Shromdorfは生意気だ」っていうのと「わたしはそんなつ
もりはありません」っていうのが主な論点のようにみえる。その理由は「有限の立
場」をからませているから。もともとはHilbertのプログラムで理想的にうまくい
くという想定で考えられていたと思いますが、ゲーデルの不完全性定理でそううま
くはいかないってわかった。それでもなおかつ、まだ生き残っているのは、「有限
の立場」の定義がないから。現在、「生き残っている有限の立場」っていうのは
誰かが何かを示して、周りが「それ有限の立場っていっていいんじゃない?」って
いって「そうだね!」ってなったとき「有限の立場」の証明だってなるっていうよ
うな話しだと思う。
アルゴリズムの話も似たようなところがあって、一応Church's Thesisで結着して
いるけれども、recursiveではアルゴリズムがあるとはいえないって雰囲気は明瞭
で425に書いてあるように超越的な方法であれ、証明できるといえればその証明を
みつける帰納関数はある。ただ、こういうのはアルゴリズムがあるって感じじゃ
ない。最近はfeasibleっていうのもあるようですが、これはもっと現実的なとこ
ろだな。ともかく「アルゴリズム」っていうのも無定義用語だと思う。つまり、
いつでも論争が起こりうるってことなのでしょう。
453132人目の素数さん:01/11/08 07:06
>>451
>相変わらず人の文章の読解力のないヤツだな。

相変わらず自省のできないヤツだな(笑)

>私は「有限の立場」という概念が「有限の立場」の内部で
>定義できない、と言っているのだよ。

私は、もっと踏みこんで
「有限そのものに対する有限な定義はそもそも不可能だ」
といっているのだよ。

>実際に書き下すことも出きるけれども、
>面倒だから書いていないだけだ。

実際に書き下してみたところで、
そんな節穴の目では、何が書き得ない
ことかわかるまい。
454132人目の素数さん:01/11/08 07:18
>>452
>もともとはHilbertのプログラムで理想的にうまくいくという
>想定で考えられていたと思いますが、ゲーデルの不完全性定理で
>そううまくはいかないってわかった。
>それでもなおかつ、まだ生き残っているのは、「有限の立場」
>の定義がないから。現在、「生き残っている有限の立場」って
>いうのは誰かが何かを示して、周りが「それ有限の立場って
>いっていいんじゃない?」っていって「そうだね!」って
>なったとき「有限の立場」の証明だってなるっていうような
>話しだと思う。

それは瑣末なことだと思う。例えば、自然数論の無矛盾性証明に
新たな「有限の立場」を持ち出しても、それ自身の無矛盾性を
示すためには、また新たな「有限の立場」を持ち出さざるを
得ない。要するに究極的な「有限の立場」はない、ということが
ゲーデルの不完全性定理のもっとも重要な結果じゃないですか?
455132人目の素数さん:01/11/08 07:20
またモメてんの?
熱力学講義の二の舞か
456453:01/11/08 07:55
>>454
おっしゃるように形式体系として取り込めないような「有限の立場」というのがあ
るようには思えないというのが本音です。しかし、誰もそれを示すことはできない。
形式化されていないものについて「いくらでもがんばれる」良い例は2chの有名人
の論理学があります。
そして、現在生き残っている可能性としての「有限の立場」は453に書いたような
ものだろう、という意味です。力点は無定義用語なので「私の有限の立場」ってな
ことになってしまうだろう、ってことです。
457454:01/11/08 08:56
456=452だろ。

いや、いいたいのは究極の有限の立場は決して形式化できないだろうってこと。
形式化された有限の立場は、結局影でしかない。
「無定義用語」とか「私の・・・」というのはその現われだろう。

某氏の論理学については、他に適当なスレッドがあるので
ここでは言及しない。
458452:01/11/08 10:56
>>457
456=452です。453とうち間違いました。とくに意見の相違は感じていません。
456=452はあまり「有限の立場」に興味がないってことくらいでしょうか。
459132人目の素数さん:01/11/08 16:07
>>453
 少なくとも、「ゲーデルの不完全性定理の証明」が証明とみなせるような「有限
の立場」を形式化するだけなら、推論規則としては、普通のゲンツェンの自然推論
のNKプラス数学的帰納法だけで十分じゃない?
 文句ある?
460132人目の素数さん:01/11/08 16:08
間違えた。NKじゃなくてNJだった。
461132人目の素数さん:01/11/08 16:18
有限の立場における「証明(文)」の定義:

1.1個の「命題」だけからなる記号列は証明文である。
2・証明文の後ろにカンマを書き、更にその後ろに命題を1個書いた記
  号列は証明文である。
3.以上によって得られたもののみが証明文である。

 ちなみに 3 の規則が意味不明だと怒る人がいるが、これは実は、実
際に有限の立場での推論を行うに当たって「数学的帰納法」の役割を果
たす推論規則を表わしているのだ。つまり、有限の立場で、すべての証
明文が P という性質を持っていることを証明する場合、

A.1個の命題からなる記号列は P という性質を持っていること
B.ある記号列 S が P という性質を持っているなら S の後ろにカ
  ンマを書き、更に1個の命題を書いた記号列も P という性質を満
  たす。

ということを証明すれば、すべての証明文が P という性質を満たすと
結論してよい、という「有限の立場」における推論規則を表わしている
わけ。

 さて、上記の定義では、証明文というのは「直感的」には「有限列」
しか証明文と呼んでいないことになるが、そのことを「有限の立場」に
おいて「証明」することなどもちろんできないが、だからと言って、有
限の立場というものが曖昧に規定されているわけではない。
 有限の立場というものはこのようにきちっと規定できる。それと、有
限の立場において証明文が有限列であると言うことが定式化できない、
という事実とは何の関係もないのだ。
462132人目の素数さん:01/11/08 16:22
 失礼。461 の発言の 2 の「更にその後ろに命題を1個書いた記号
列」というのは「更にその後ろに与えられた公理(図式)を用いて得ら
れる命題を1個書いた記号列」の間違いだ。訂正してお詫びする。
463132人目の素数さん:01/11/08 17:14
>>461
>3 の規則が意味不明だと怒る人がいるが、これは実は、
>実際に有限の立場での推論を行うに当たって
>「数学的帰納法」の役割を果たす推論規則を表わしているのだ。

怒らないよ。笑うけど(笑)

なぜ、笑うかというと、ここで帰納法の「意味」が問題になるから。
464132人目の素数さん:01/11/08 17:17
ところで以下の林さんの文章を読む限りでは、単に
「証明という場合、有限でなければいけないと
 限っているわけではない」
といってるだけのようだ。

>ω-rule を inference rule としてもつ、infinitary proof というものは、
>論理学では普通に考えます。無限の proof は、通常は無限の木を
>使って記述します。そういうものも含めて、形式系ということも
>ありますので、ω-rule をもつ形式系という言い方は、何等おかしく
>ありません。

>ゲーデルの定理のような「基礎付け」の問題の場合には、
>形式的体系というと、すくなくとも証明図が有限の場合が
>普通です。しかし、数学としての論理学では、無限論理は
>極く普通の対象ですし、基礎付けの場合でも、たとえば、
>Gentzen の最初の無矛盾性証明やら、Schutte の証明論では、
>ω-rule をもつ無限証明図が本質的な役割を果たしています。
465132人目の素数さん:01/11/08 17:40
>>463

> ここで帰納法の「意味」が問題になるから。

 どう問題になるの?

>>464
 そうですね。そのとおりです。

>>形式的体系というと、すくなくとも証明図が有限の場合が
>>普通です。しかし、数学としての論理学では、無限論理は
>>極く普通の対象ですし、

の中の「数学としての論理学では」というところがポイントです。私の
ゲーデルBBSでの「なまいきな」発言は、「証明論には有限の立場しか
ないよ」という趣旨に読めるので、それに対する批判であろうと思われ
ます。
466まおまお:01/11/08 20:48
>>461
なる程、主張は理解できたよ。私にも理解できるような
書き方をしてくれて、嬉しい(^^; しかし‥‥‥。

途中から匿名になっちゃったんで、あるいは私が間違ってる
のかも知れないんだけどね、>>461さんってのは以前、
「principle of omniscienceは認め難い」っていう立場だった
人じゃないかと思うんだよ、話の流れから言って。違ってたら
許してくれ。
で、それってのは>>461の、特に「3の規則」のような、明解な
(言い方によっては「都合の良い」)要求とは、矛盾しないもの
なの??
どうも、感覚的に噛み合わない気がするんだが‥‥‥。
467132人目の素数さん:01/11/08 20:50
>>465
>>ここで帰納法の「意味」が問題になるから。
>どう問題になるの?

そうだな、貴方が無意識に考えている「意味」は
「実際に遂行できる」ということになるだろう。
しかし、それは語れるものではなく、まさに
実際に遂行することで示すしかないということさ。

そんなものは考えなくていいと言いたそうだね。
でも、実際にはそれが一番重要な結論なんだよ。
468132人目の素数さん:01/11/08 21:28
>>427 がFefermanの論文を読み直した方がいい、というので読んでみました。実は
初めてよんだのですが。
927に書いてあることが書いてありました。これがDr.Gの名誉回復になるか知りませ
んが多少詳しく説明します。ペンローズ、、、のことも知りませんがFefermanは
有名な人ですから、ペンローズのいっているのは、この事実と関係しているのかも
しれませんね。 Transfinite recursive progressions ....
Jour. Symbolic Logic (1962)259-316
お読みになる人のためにpageを書いておきます。主定理はp310の5.15で、
ペアノ算術から始めて、うまく超限帰納法によってそれまで作った理論のConsis
を付け加えていくとω^(ω^ω +1)以下でstandard model の true
sentence 全体に一致する complete theory が出来る。基本的は技術は
Kleene の帰納定理です、これはゲーデルの対角化定理の帰納関数版です。
「うまくとる」とというのはConsisを付け加えていくというのは有限個のとき
は問題がないのですが、それを超えるとコード化しないといけなくなるため
帰納整列順序のコードを使って分岐させながらつくります。その枝を「うまく
とる」ということです。基本的な定義はp265−268です。
469132人目の素数さん:01/11/08 22:03
>>468
>ペアノ算術から始めて、うまく超限帰納法によってそれまで作った理論の
>Consisを付け加えていくとω^(ω^ω +1)以下でstandard model の
> true sentence 全体に一致する complete theory が出来る。

それはおかしい。そのやり方では、Pi_1 sentenceではcompleteでも、
Pi_2 sentenceではincompleteな筈。Fefermanは、local reflection
principleの超限的反復でも、同じ結果にしかならないことを示した上で
しかしながら、global reflection principleの超限的反復なら、全て
のarithmetical true sentencesが証明できることを示している。

詳しくは、下のページの3.11をみられたい。

http://psyche.cs.monash.edu.au/v2/psyche-2-07-feferman.html
470132人目の素数さん:01/11/08 22:21
>>469
おっしゃるとおりでp274から詳しくそのことが書いてあります。
471132人目の素数さん:01/11/08 22:35
>>468
ついでにShoenfieldの1959年の論文
"On a restricted omega-rule"
とかいうのも読んでみてくれ。

通常のω-ruleに対して、これを帰納的な形に制限しても
同様の結果が得られるのだそうだ。実はやり口はそんなに
違わないのじゃないかと睨んでいるのだが。
472132人目の素数さん:01/11/09 06:54
468の続きです。詳しい方は469の指摘も参照にしてください。(reflection とい
うのは証明があれば正しいといったことを書いたものですからオイのような粗雑者
にはConsisだって同じようなものですが微妙な違いがあってp274−276にありま
す。ただ極限数ではそれまでのConsisの和になっていますから、ほぼ元の直感的
なことが実行されていると思ってもよいという感じはもてます。)
続きは Feferman-Spector の Incompleteness along paths ...
Jour. Symbolic Logic (1962) 383-390 です。 468で分岐の中から「うまく」
枝をとると、とありますが、ものすごく下手にとると帰納順序数全部に渡る長さ
の枝で incomplete なもの(469にあるPi_1でも incomplete)があるという結
果です。
このことからもわかることですが分岐しているなかで長さが同じものでも論理的
に同値ではないTheoryがつくられているということです。これが何故起こるかを
考えるのはちょっと面白いと思います。計算機では有限集合をあつかうとき、有
限列が基本です。論理式の集合を考えるときコード化しようとすれば帰納関数で
並べることになります(集合の特性関数を使ってもコードを使うので実質的に同じ
です)。この並べ方は色々あるわけで、この並べ方を極限にもっていき、その和
集合に対応するコードを使うということをしているうちに当初の直感的に考えた
ものでない情報がまぎれこんでくるのだろう思います。
しかし、まぁ微妙な話ではありますね。
473132人目の素数さん:01/11/09 09:33
>>468
>Dr.Gの名誉回復になるか知りませんが

Dr.Gがいってるようなことは、Fefermanの結果とは
微妙だが決定的に違う。

前者は体系自身が完全になるといっているが、
後者は数論の真なる式については完全になる
といっている。決して体系それ自身が完全に
なるとはいっていない。
474132人目の素数さん:01/11/09 12:23
>>473
まあ、とくにDr.Gに恩義があるわけではないのですが情報ありがとうござい
ました.
472の記述でカッコ内で「極限数ではそれまでの和」とかいているのはp283
3.4を見てあらぬことを書いてしまいました,訂正します.「順序数のコードを
うまくとるとConsisを付け加えるという直感的なものと一致するようにも
とれる」ということです.詳しくなりすぎているのであとは省略します.
475132人目の素数さん:01/11/09 16:21
>>471
Shoenfield の論文が手にはいらないので残念ながら証明の手法はわかりません.
コード化は似た手口ですると思いますが,荒っぽいω-ruleの高さの帰納法だと
予想されるのでKleeneの帰納定理は使わないと予想します.そのうち手に入ったら
お知らせします.このスレッドが残っていたらですが.
476132人目の素数さん:01/11/09 17:43
Stromdorf じゃなくて132人目の素数さんになっちゃったね
よみづらい
477132人目の素数さん:01/11/09 21:18
>>469の Feferman の評論って強烈だね。オイは英語がM_SHIRAISHIみたいに
堪能じゃないから辞書ひいちゃったよ。かなり頭にきたみたいだね。前に
Martin Davis が書いているせいか、1.2じゃ一応押さえ気味みたいなことを
かいてるけど、全然そうじゃないな。1.1の「cut a wide swath through」
ってのは「はでにやる、誇示する、えらそうにする」って辞書に書いてあって
2chにふさわしいなって思ったね。Penroseいいじゃない!どうよ!
478132人目の素数さん:01/11/09 21:39
>>476

いいんじゃないか。ここでは書いてあることが重要なんで
書いたやつがだれかは重要ではない。

>>477

どうよ、っていわれてもね。
Penroseは、ゲーデルを用いた議論が随分とご自慢みたいだけど、
あれは全然意味ないね。公理系ではゲーデル命題は証明できないが
人にはそれが正しいと分かるっていうけど、よーく考えると、
人は明かに無矛盾性を前提しているわけで、それならゲーデル
命題が真になるのは明らかなんだよ。別に特別人が賢いわけじゃ
ない。
479蚊系:01/11/09 21:48
はい,どうです.
480132人目の素数さん:01/11/09 22:18
>>478
全然意味がないっていうことはできるだろうが、よくある経済学者、社会学者の
数学の使い方のように見れば、結構手が込んでいてそれらしく見えないことは
ないと思うけどな。どうよ、っていわれてもっていうんなら、ダメか?
481132人目の素数さん:01/11/10 08:53
別の話題。
自然数で1または2っていえばよくわかっていると皆んな思う。
それで、 n を連続体仮説が成立するとき1、連続体仮説が成立
しないとき2とする。これは、「普通」の数学では自然数と認め
られている。このへんでよく出てくる直観主義だと排中律にひっ
かかるから認められないが、普通認められている。
これだけでも気持ち悪いと思うが、この連続体仮説の代わりにま
だ解けていない、双子素数の問題や、色々な問題をいれて自然数
を定義する。すると、なんか1と2の間に沢山自然数があるよう
な雰囲気が漂ってくるような気がしませんか?
482加護天使:01/11/11 01:42
>>481
ちょっと趣旨がわからない。
いろいろなモデルでの自然数があるというのと、
関数が計算しにくいもしくはできないというのは違うと思う。
483132人目の素数さん:01/11/11 08:30
>>482
あなた様は、モデルなんていう専門家の概念をお持ちのようですが、普通の
数学者はいわゆる昔懐かしきカントールユニバースに住んでいるわけでござ
いますね。さてここで考えますと481のnは何なんですか?ってことです。
また別の問題についてmを同様に定義しますと将来m=2ってなったりする
わけです。こういう自然数と1、2と区別しなくていいんですか?平気でい
られますか?ってことなのですが。
484132人目の素数さん:01/11/11 08:50
>>483
>nは何なんですか?

何なんでしょうね。

>こういう自然数と1、2と区別しなくていいんですか?

今ここで直ちに区別できなければ数学でないというわけですか?

>平気でいられますか?

ほう、あなたは数学は自分の精神の安定のための
薬だと思っているようだ。残念だが、そのような
効能は数学にはない。
485132人目の素数さん:01/11/11 09:51
>>485
どうも意図を勘違いされているようですな?他人の精神状態を不安定にしよう
としているのです。つまり、未来の精神兵器の開発に勤しんでいるわけです。
すぐには効き目がないのが特徴で、現在のところ毒にも薬にもならないように
見えるのです時間がたつと段々効き目がでます。
>>485
御愁傷様(笑)
487132人目の素数さん:01/11/11 14:53
>>483
なるほど、真偽値を通じて
あなたは一種の自己参照ということに気づいているわけだ。
過大評価かもしれないが、いい疑問だ。
ならば、ここで道を踏み外さないようにしないといけないな。
まっとうな数学基礎論の本を、
ゆっくり気をつけて読んでみることを薦める。
488132人目の素数さん:01/11/11 15:11
>>487
>まっとうな数学基礎論の本

例えば?日本語のものはないだろうから英語でいいぞ。
489132人目の素数さん:01/11/11 21:53
>>487
>>488
どういう本を読んだらよいのでしょうか?
490ぽこちゃん:01/11/12 03:23
>>488
おひさしぶり。

>>344-358
近辺のほうで挙がっていた本以外にも
次の本が完全性定理・不完全性定理の翻訳が
付いていていいかもしれません。

広瀬健・横田一正 ゲーデルの世界 海鳴社

後は、ブール価扱ってる集合論の本などどうでしょう。
たとえば、ちょっと不親切だけどコンパクトなものとして
難波完爾 集合論 サイエンス社
491132人目の素数さん:01/11/12 07:38
>>490
結論としては
田中ほか 数学基礎論講義 日本評論社
もあるけど、やっぱShoenfieldってことかな?
492132人目の素数さん:01/11/12 11:32
>>491
Shoenfieldって、面白い話を聴いたことがあるよ。この本が出たばかりの頃
まだ生きていた近藤基吉先生が大変な本が出たって皆んなにいって回ったって
話。出てすぐ全部読んじゃったのかと思ったら、どうも近藤先生はKondo-
Addisonの定理の証明だけ読んだのらしかったって話しで、近藤先生の定理が
それまでよりずっと簡単になっているってことを「大変な本」っていって
いたらしい。その後Determinacyがらみでもっと要領よくなったみたいだけ
ど、まあともかく、昔の話だな。
493132人目の素数さん:01/11/12 17:29
Shoenfield の Mathematical Logic は色々なところで読まれたらし
いね。モデル理論と帰納論の項がよいってことは聴いたことがあるし
集合論は最悪って話しも聴いたなぁ。
483さんよく勉強してください。一人で読むのは大変でしょうが。
>>493
>集合論は最悪って話しも聴いたなぁ。

そういう人は、集合論はさげKunenを読めばいいんじゃないかな?
495132人目の素数さん:01/11/13 11:05
>>494
Kunen の本はよい本なのでしょうか?強制法の定本とも聴いていますが。
>>495
いいかどうかしらんよ。集合論の本といえばKunenしか知らんから。
ほかにいい本があれば教えてほしい。
497132人目の素数さん:01/11/13 14:49
>>496
例えば、Jech の厚い本とか Kanamori の本とかあるから誰かどの本が
どんなだかって教えてくれるといい。
>>497

ああ、Jechもあったね。
499132人目の素数さん:01/11/13 22:48
数学基礎論全般の基礎知識を身に付けたいのなら,
いい悪いを考える前にSchoenfieldを読め(演習問題を解けとまでは言わない),
わからなければ他の本を参照しろ,って感じ.
ちゃんとした集合論の本(JachやKunen,ましてやKanamori)を
ちゃんと読むにはそのぐらいの知識は要るだろう.
500加護天使:01/11/14 06:22
まあ、西村敏夫・難波完爾の付章でもいいけど。
501132人目の素数さん:01/11/14 06:59
>>499

はぁい。
502132人目の素数さん:01/11/14 07:26
>>500
その付章って、わけがかわからなくて有名なんじゃないの?
>>502
難波先生の文章は確かに読みにくい
504132人目の素数さん:01/11/14 11:33
>>503
細かいことで恐縮です.その話題の本のp200からp202の論理式の
木構造とループ、ホモトピー類の話って声をだして読むことはできます
が何がいいたいのかちっともわからないんですが。
>>504
そこの部分って要は、木にはループがないっていうだけじゃないの?
話の流れを見て、その場限りの話題は読み捨てるのも肝心だね。
506加護天使:01/11/14 16:56
述語・関数・個体・真偽値の関係を確認していれば、
それで、十分いうつもりだけだったんだけど。
説明不足ごめん。
もっとも、完全性定理はあれで感じがつかまると思うけど。

ホモトピーまで読まなくていいって。
507504:01/11/14 22:10
皆さん有難うございました。またわからなかったら聴きますので
よろしくお願いします。
508132人目の素数さん:01/11/15 16:20
 どのスレで聞くのが適切なのか分かりませんが,どなたかお助けを。(ちなみに私
は数学関係の仕事をしている物ではありません。数学をやるのは久しぶりです。)
 私は以前,数理論理学をかじった事があるのですが,最近「理論の形式化ってどん
な感じだったかなあ」とふと思い立ち,今まで”積ん読”だったブルバキの集合論1
の第1章を読んでみる事にしました。そして,最初のうち次のように思いこんでいま
した。
(事柄1)「理論Tにおいて論理式(ブルバキでは関係式と呼んでいる)Aが証明される
      事から論理式Bも証明されることが言えるとき,理論Tから論理式A⇒Bも
      証明できる。」
最初のうちはそれに反する事も起きず,何とも思っていなかったのですが,よくよく
考えてみると,(事柄1)はより正確には次のものでした。
(事柄2)「理論Tの公理および,論理式Aを出発点として論理式Bが証明できる時,
      理論Tから論理式A⇒Bが証明できる。」
としてみれば,これはブルバキでもC14(演繹法則)として提示されている事その物で
す。さて,この事に気が付かざるを得なくなったのは,ブルバキのC27(p.33)に出会っ
てからです。それはどういうものかと言うと
C27「Rが理論Tの定理であり,文字xが理論Tの定数でなければ,∀xRは理論Tの定理で
   ある。」
です。私は最初,上記の(事柄1)と(事柄2)の違いに気が付いていなかったため,
当然
(主張1)「文字xが理論Tの定数でなければ,R⇒∀xRは理論Tの定理である」
がいえるものだと思いこんでいました。でも,なんとなく違う気がするのです。どな
たか教えていただけませんか。できれば(主張1)が誤りなら,できるだけ簡単な反
例を教えてくださると嬉しいです。もし(主張1)が正しいならその解説を概略でよ
いのでお教えください。

頭の中がぐちゃぐちゃになってきた…。
実はすごく自明な事だったりして…
509132人目の素数さん:01/11/15 16:41
>>508
 R として「x=0」という論理式をとれば簡単な反例になる。
510 :01/11/15 20:16
Rが文字xを含まないとき
   頭に∀xをつけても真偽は変わらない
Rが文字xを含むとき
 (1)xが自由変項なら
  →Rが真とは、xに何を入れてもRが真であること(?)
  ∴∀xRxが真
 (2)xが束縛変項なら
  →Rの中に∀xか∃xが入っている
  →頭に∀xをつけても真偽は変わらない

意味的にはこうかしらん?あほ学生ですんません(w

R⇒∀xRx
は「Rが理論Tの定理∴Rが理論Tで証明される」
ということとは関係の無い論理式なので別の問題だということで(w
511132人目の素数さん:01/11/16 08:25
>C27「Rが理論Tの定理であり,文字xが理論Tの定数でなければ,∀xRは理論Tの定理で
   ある。」
>(主張1)「文字xが理論Tの定数でなければ,R⇒∀xRは理論Tの定理である」

C27と主張1は違います。
C27の場合、Rの証明に文字xは関与していません。
一方(主張1)は極論をいえばω-ruleです。
xに適当な値を代入してそれがみな正しいという状況は
単に文字xを無視して論理だけで証明できる場合に限る
わけではありません。
512508:01/11/16 09:41
508です
>>509さん,>>510さん,>>511さんありがとうございます。とにかく(事柄1)と
(事柄2)は違うと言う事ですね。それを教えていただいただけでも本当に助かり
ます。ただ,自分のこの胸のひっかかりがどこからくるのか今だわからず,よって
言葉にもできないのでとても気持ちの悪い状態でいます。

>>509さん
びっくりするほど簡単な例で自分にあきれています。ただ,私が厨房なばっかりに
まだ,いわゆる述語論理に相当する部分まで進んでいません。ですから,
  論理式 x=0⇒∀x(x=0)  (x=0⇒∀y(y=0)と同じ?)
が証明できない事(その否定が証明される事の方が楽かな)をきちんと形式的に示
さないと納得しないと思います。

>>510
あほ学生だなんてそんな。わたしこそあほ社会人です。

>>511
ωという文字から連想されることから少し理解したような気になりますが,しかし
生半可な理解は危険ですので,記憶の隅においておくだけにします。

あと,ふと思ったんですが,もしかして命題論理の範囲では>>508の(事柄1)に
相当するものは成り立ってしまうんでしょうか。

ブルバキのような形式化ははじめて見ました。ブルバキのやり方だとτと□を導入
することによって,∀xRも∃xRも略記になっちゃうんですね。そして,ある意味
束縛変数が存在しないんですね。ι記号の分かりづら(すいません,私にはわかりづ
らかったです)さよりは,分かりやすい気もしますが,ブルバキの形式化もご存知の
方はどう思いますか。

なんか,変な気まぐれ起こしてブルバキ読んじゃうなんて分をこえていたのかなあ,
などど思う今日この頃でした。
513509:01/11/16 10:36
>>512

> 論理式 x=0⇒∀x(x=0)  (x=0⇒∀y(y=0)と同じ?)
> が証明できない事(その否定が証明される事の方が楽かな)をきちんと形式的に示
> さないと納得しないと思います。

 まず ¬(1=0)は証明可能なので ∃y¬(y=0)すなわち ¬∀y(y=0)
は証明可能です。ところで 0=0 は証明可能ですから、0=0∧¬∀y(y=0)
すなわち ¬(0=0⇒∀y(y=0))も証明可能です。ゆえに
∃x¬(x=0⇒∀y(y=0))すなわち ¬∀x(x=0⇒∀y(y=0))は
証明可能です。
 さてここで、もし x=0⇒∀y(y=0)が証明可能であったとしますと、全称
汎化により ∀x(x=0⇒∀y(y=0))が証明可能になります。ところが上記
に示したように、この命題の否定命題も証明可能なので、これは考えている理論が
矛盾していることを意味します。ゆえに、無矛盾なり論においては x=0⇒∀y(y=0)
は証明不可能であることがわかります。
514509:01/11/16 10:45
> ブルバキの形式化もご存知の方はどう思いますか。

 ブルバキのτは普通はεと書きます。これはε-quantifierと呼ばれ
ているもので、これを使うと「〜なるモノが存在する」という定理が
証明された場合、その「モノ」を表わす論理式を具体的に書き下すこ
とができます。ところがこのε-quantifierを使う論理はそれ以上の
効果があり、例えば「選択公理」があえて「公理」にしなくても自動
的に成り立ってしまうほか、通常の公理的集合論では整列集合に関す
る複雑な議論をしなければ定義できなかった「集合の濃度」という概
念が、いともあっさりと定義できてしまう、という「メリット」があ
ります。
515132人目の素数さん:01/11/16 10:49
>>511

> 一方(主張1)は極論をいえばω-ruleです。

 ちょっと何か勘違いしてませんかぁ?
>>515

ちょっと何か考え落としてないかい?
517132人目の素数さん:01/11/16 11:20
>>516

ω-ruleというんだったら「文字xが理論Tの定数でなければ,R⇒∀xRは理論Tの定理である」
という主張じゃなくて「理論Tのすべての定数tに対してRが定理なら∀xRは理論Tの定理である」
という主張に対するコメントじゃない?
518留め年アホ:01/11/16 12:02
「文字xが理論Tの定数である」ってどいうこと?
519132人目の素数さん:01/11/16 13:35
>>518
 ブルバキでは「理論Tの定数」というのは理論Tの公理に含まれている(自由)変数
のこと。なお、ここで(自由)とカッコに入れたのは、ブルバキでは「鎖」という表記
上のテクニックを用いて「束縛変数」という概念を使わないで論理学を構築しており、
「変数」といえば「自由変数」を意味することになるから(ちなみにブルバキでは
「変数」じゃなくて「文字」と呼んでいる)。
 ちなみに「鎖」というのは、τ_x(P) という論理式を、「本当はPの中のxと書か
れている個所を一斉に記号□に置き換えて、それぞれを冒頭のτと鎖で結んだ記号列
のことを表わすものとする」ということ。つまり束縛変数と言う概念を使わずに、そ
れを記号□で置き換えてしまって、ただどの□とどのτが対応しているかわからなく
ならないように両者を鎖で結ぶわけだ。
520508:01/11/16 16:15
 509さん>>513のような丁寧なコメントをしていただきまして,なんとお礼を申
し上げてよいものやら。本当にありがとうございます。
 さて,少しずつ引っかかりが取れてきました。わざわざ私の引っかかりを説明すな,
と言われるかもしれませんが,もしかしたら引っかかりが取れたと言うのも勘違いか
もしれませんので,ここで述べます。ただし,私は数理論理学一般に精通しているわ
けでもなく,今現在はブルバキ集合論1の第1章のしかもそのまた一部しか知りませ
んので,ブルバキの用語で述べます。
 どうしても引っかかるのが,>>508の(事柄1)再掲しますと,
(事柄1)「理論Tにおいて論理式(ブルバキでは関係式と呼んでいる)Aが証明される
      事から論理式Bも証明されることが言えるとき,理論Tから論理式A⇒Bも
      証明できる。」
これが,ブルバキの∃∀が登場する前の段階では,反例を見つけられないのです。そ
こで,何か簡単な条件をつければ言えるのではないかと思えてしょうがないのです。
 気が付いてみると当たり前と言えば当たり前なのですが,
(事柄3)「理論Tにどのような明示的公理があるかどうかにかかわりなく論理式Aが
      証明できる時に論理式Bが証明できるならば,その時理論Tでは論理式A⇒B
      が証明できる。」
です。やっぱりまだすっきりしないです。なぜ,これが正しいと思っているかと言う
と,理論Tに明示的公理としてAを付け加えればAが証明できるのは当たり前です。”A”
だけで証明になりますから。それでも(事柄3)からBの証明の存在が言える。という
ことは結局,理論Tの公理とAを出発点としてBが証明できるので,理論TでA⇒Bが証明
できる。

うーーーむ。言葉にすると何も前進していない気がしてくるなあ。
実は今回自分で整理したノートのいたるところに(事柄1)で証明しているところが
あって,一つ一つ確かめていくと,結局(事柄1)を使わなくても証明できちゃうん
ですよねぇ。それでどうしてもひっかかっちゃうんです。
どなたか,目からウロコを落としてくださる方いませんでしょうか。
521132人目の素数さん:01/11/16 16:37
>>520
 (事項3)は、貴方の仰るとおり正しいですが、(事象1)は何か他
に条件をつけない限り正しくありません。
 たとえば自然数論より強い無矛盾な理論において、A を証明も反証も不
可能な命題、B を反証可能な命題とします(ゲーデルの不完全性定理によ
り、A のような命題は必ず存在します)。
 すると、「A が証明可能と仮定すれば B は証明可能」です。なぜなら、
この主張は前提が間違っているからです(P がウソなら「PならばQ」は
正しい!)。ところが(事項1)が正しいとすると、A⇒B は証明可能な
はずですが、これは対偶を取れば ¬B⇒¬A が証明可能であることを意
味します。ところが ¬B は証明可能なので、¬A は証明可能ということ
になり、A が反証不可能であることに反します。
522132人目の素数さん:01/11/16 16:38
>>520
よい例かはわかりません。TをZFC集合論としてください。CHは連続体仮説
GCHは一般連続体仮説とします。TのもとにCH⇒GCHは証明できません。
ちゃんと否定のモデルがあります。しかし T からCHは証明できませんから
「TからCHが証明できれば、TからGCHが証明できる」ということは正しい
わけです。これではどうでしょう。
523508:01/11/16 16:46
>>521さん,>>522さん同じ方でしょうか?ありがとうございます。私の>>520でいい
たかったことは,(事柄1)を訂正して(事柄3)にすると,(つまり(事柄3)
なら)正しいのではないか,と言う事です。いずれにしても,(事柄3)なら正しい
のですね?それなら安心です。また,色々例を教えていただいて本当にありがとうご
ざいます。
524132人目の素数さん:01/11/16 16:54
>>521さん,>>522さん同じ方でしょうか?

 投稿時間から推測してそれはないと思われ
525522:01/11/16 17:22
>>523
(事柄3)の言葉使い理解できません。 納得されているのならまぁよいのですが、
「理論TのもとAを仮定するとBが証明できれば、理論TのもとA⇒Bが証明できる」
という表現が普通で、あまり誤解がないのではないか?と思います。
526 :01/11/16 18:29
>(事柄2)「理論Tの公理および,論理式Aを出発点として論理式Bが証明できる時,
      理論Tから論理式A⇒Bが証明できる。」
これはいわゆる演繹定理じゃないんですか。
A⇒Bを証明する最も一般的な方法。
527うんうん:01/11/16 18:33
たしかそういうのあった。思い出した。
Inference Theorem ね。
528132人目の素数さん:01/11/16 18:41
>>526
 そうそう、ゲンツェンの自然推論では「⇒導入規則」って呼ばれてい
る推論規則(公理図式)だ。この自然推論では、(事柄2)が逝ってみ
れば「⇒」という論理記号の「定義」に相当する。
529518:01/11/16 20:32
>>519
ありがとうブルバキ読んでみます
5301 ざんす:01/11/17 01:53
>>528
Axiomatic Method の場合は、規則としてあらかじめ入れないで、
定理となる場合が多いですなあ、Deduction Theorem。

A |- B iff |- A -> B

ということでしょ?この定理は述語論理においてももちろん成立しますが、
仮定付きで証明した場合には存在汎化の摘要が制限を受けるので矛盾した
事柄が起きないのです。

508 さんは存在汎化がどのようなときに行えるのかをきちんと理解した上で
問題を考え直されたらいかがですか?
531508:01/11/18 10:29
508です。
 ちょっとのぞいていない間に皆さんありがとうございます。もともとは何がわから
ないかわからない状態で質問していたのですが、途中からは、自分で整理したノート
のいたるところに(事柄1)で証明しているところがあって,ちょっと条件を付け加
えれば、全面的に書き直さなくても済むんなら助かるなあ、と思うようになっていた
のでした。それで(事柄3)が出てきたのです。でも良く考えてみると、(事柄3)
は、私のノートに都合良くなるように私が考えたものであるため、私以外の人が読む
と「何言ってるかわからんぞゴルァ」となるでしょうね。
 いずれにしても、ここで皆さんがこんなにコメントしてくれたおかげで、ノートを
作り直す決心がつきました。>>508にも書いていますように、(事柄2)がブルバキ
の言うC14(演繹法則)であるということは、この疑問を持った最初からわかっていた
ことです。全面的にノートを書きなおす事にします。皆さんありがとうございまし
た。
532132人目の素数さん:01/11/20 05:01
基礎論初心者なのですが、全体の概観を掴むのに良い入門書ってありますか?
533132人目の素数さん:01/11/20 11:53
>>532
多分ないんだと思います。1960年頃は Kleene の Introduction
to Metamathematics でその後は、前にいろいろな人が書いてる
Shoenfield の Mathematical Logic だったのだろうと思い
ます。その後、いくつかの分野が厚みをましたため、概観するような本
は書けないのではないでしょうか?
534132人目の素数さん:01/11/22 10:31
>>533
いやあ、とりあえず、今時勉強するにしても、命題論理、述語論理の基本、
述語論理の完全性定理、回帰関数、不完全性定理あたりをとりあえず
一通り押さえるのは必要だろうから、Shoenfield でも Bell & Machover
でも全部通して読めば今だっていいことはいいと思うよ。

全部通して読んでる人が世界に何人いるのか知らんけど(笑)

Shoenfield の練習問題って相当難しいかった記憶が、、、
>>535

Shoenfield、買いました。
まだ、パラパラと眺めた程度ですが、
Boolos&Jeffreyの本に比べると
ハイレベルですね(^^ゞ)
536132人目の素数さん:01/11/22 12:21
>>534
難しいのは本の内容自体もそうで、535さんのいわれるようだと思いますが
具体的にどこの練習問題が相当難しいのですか?
537532:01/11/23 10:07
日本語のものはありませんか?(翻訳含む)
538534:01/11/24 10:04
>>536
具体的にどの問題っていうのは、今手元に本がないのでちょいと
言えないんですが、確か論理の基本の部分のしょっぱなからかなり
考えさせられる問題や、しゃれにならんでこれは的な問題が並んで
いた記憶があるんだけど。5年前に一回やったきりなので、よく覚え
てないのです、申し訳ない。

とりあえず、日本語でよく出ている論理学の学部生向けの入門書の
練習問題とは一線を画するとは言えると思うけど。
539535:01/11/24 13:23
>命題論理、述語論理の基本、
>述語論理の完全性定理、回帰関数、不完全性定理

回帰関数って再起的関数(或いは帰納的関数)の誤りでしょう。

もっとも上記程度の話しでいいのなら、
Boolos&Jeffreyでもいいよね。

モデル理論とか関数の階層とかフォーシングとかなら
Shoenfieldを読む意義はあるとおもうけどね。
再起的関数って再帰的関数(あるいは回帰関数)の誤りでしょう。
>>540
回帰関数って何だよ。はじめて聞いた(ワラ
>>537
俺は数学よくわからないし、
ひとに本勧めたりできる人間じゃないんだけど、、、

 倉田令二朗『入門数学基礎論』

はどうなんでしょうか。
543132人目の素数さん:01/11/24 20:21
>>542
河合の奴か?お話程度の内容だったと思うが.
少なくともプロへのトレーニングとして読むもんじゃない.
545132人目の素数さん:01/11/24 21:15
>>544
教養程度の基礎論に関する知識が欲しいです。
河合文化教育研究所のシリーズを全部読めば、
なんとか学部生レベルぐらいにはなるものでしょうか?

いきなり英語はちょっときついです。
546132人目の素数さん:01/11/24 21:35

Vol・1



このコーナーでは、風俗ばかりで体は使っているが頭はからっきしと言う貴方!そうっ!貴方です。

是非このコーナーを読んでいただいて、頭の柔軟体操をして頂きたい。それが著者の望みである。

もしかしたら、Vol・1で終わるかも・・・・。



それでは、問題です。



『仲良し3人組がプレゼントを買うために、雑貨屋を訪れました。3人が決めたプレゼントの値段は、

3,000円でした。これを三人は、一人1,000円づつ出して買う事にしました。しかし3人は、

あまりお金が無かったので、店員に、値切り交渉をしました。困った店員は、店長に相談したら、

2500円でいいと言われました。そこで店員は、200円ネコババをして3人には2,700円と

言って、一人に100円づつ返しました。

そこで問題。3人に100円づつ返すと、一人、900円

900円×3人は、2700円

ネコババ分200円たすと、2900円

残り100円の行方は・・・』
547加護天使:01/11/25 02:52
>>542
その本は結構ミスプリのたぐいが多かったと聞きます。
この河合数学基礎論シリーズは”いざない””入門””補追”以外だったら、
興味のある分野があったら買ったらいいかも。

(ただし、公理的集合論は基礎的なところだけだけどコンパクト
コーヘンの連続体仮説の集合論のところを抜き出したみたいな。)
「ゲーデル、バッハ」本を読んだような人(自分でもあるんですがw)
が次に何か理論的なものを読むとしたら何がいいですかね。基礎論に
関心を持つ人は哲学や計算機の人とかにたくさんいるはずなのに、
どれを読んでいいのかよく分からないというのがあると思うんですよ。

やっぱり河合の”いざない”からかな?
549535:01/11/25 10:38
>>548

英語はヤだ、という向きにはジェフリーの「形式論理学」
(戸田山和久訳、産業図書)は如何?

でも、Boolos&Jeffreyの"Computability and Logic"の
英語はそんなに難しくないけどね。
5501 ざんす:01/11/25 15:27
>>539
Recursive の訳語の一つが「回帰」だよ。古風な言い方だけど(笑)

例) recursion formula 【数】 帰納式, 回帰公式. 
551をひをひ:01/11/25 15:46
>>550
普通、回帰という言葉は統計で使う。
そしてそれは英語ではregressionという。

recursionといえば再帰だよ。回帰じゃない。
552132人目の素数さん:01/11/25 15:47
>>550

厨房?(w
553132人目の素数さん:01/11/25 15:55
>>551>>552
チミたちはひよっこだから550みたいな爺の知ってることを知らない
だけさ!
554132人目の素数さん:01/11/25 15:59
>>553

年のせいにしてごまかすなよ。(w
555132人目の素数さん:01/11/25 16:12
>>554
お前ひよっこで553と550が同じだと思ってるだろう。ちがうんだぜ。
昔の本に回帰って書いてあるのがあるのさ。怪奇ってのはないけどな。
556132人目の素数さん:01/11/25 16:21
>>555

どの本だよ(w
まったくわざわざ図書館で探したのかねえ(w
557132人目の素数さん:01/11/25 16:31
>>556
お前さんみたいなインターネットなんてちゃちなものでしか
調べられない子供にはみつからないさ。ちゃんと図書館に行って
おいで。550はヒントの一つにもなってるがわからんだろう。
558132人目の素数さん:01/11/25 16:38
>>557
もしかして数学用語辞典の類?(w
をひをひ、そんなもの、マジで信じるのは
厨房だけだって。俺なら見つけたって
ププって笑うだけで、こんなところで
ジマンげに書いたりしないぜ。恥ずかしくって(w
559132人目の素数さん:01/11/25 16:59
>>558
ヒントってのは年代のヒントになるって意味さ。こんな言葉の和訳
の歴史を知ってる知らないで自慢すると思ってるんだね。つまり
チミはひよっこだってことさ。
5601ざんす:01/11/25 19:28
何でこう低レベルな煽りあいになるのかな(苦笑
だいたい爺って、あんた、わたしゃまだ30だよ(苦笑

recursion や recursive の訳語は、いろいろ昔からもめていて
「帰納的」「回帰的」「再帰的」が、せめぎ合っていて
それぞれ一長一短があって >>559 のいうように世代によって
はやりがいろいろあるんだってばさ。

たとえば、「帰納的」は訳語としてよく使われてるけど、induction の方の「帰納」と紛らわしいとして
使わないという人もいるし、「回帰」の方は、途中でも
出てたけど、統計の方で大々的に使われていてそっちと紛らわしいので
あまり使われなくなったんじゃないかな?
5611ざんす:01/11/25 19:41
東大出版会の清水先生の論理の本はHenkin の定理を使った完全性定理と
ブール代数のを使った完全性定理の話がきれいにまとめてあったと思う
けど、これなんてどうでしょ?

これに不完全性定理の勉強のために、前原先生の「数学基礎論入門」を
読めば、いいんじゃないの?

帰納的関数論と強制法と基本定理のいい教科書は知らないや。
>>560
だから、回帰的を使ってる文献挙げてみろや。できるだろ。
1さん、失礼な言い方ですけど、やっぱ爺です。
それと、562さん、見苦しいよ。
別に訳語なんてどうでもいいじゃんってことでこの話題、おわり。
565132人目の素数さん:01/11/26 11:15
>>564

やっぱ口からでまかせか。どっちが見苦しいんだか。(w
566132人目の素数さん:01/11/26 19:28
「超積と超準解析」(齋藤正彦・東京図書)
たまたま古本屋で安値で手に入ったのだけど…

これで超準解析勉強し始めようと思うのですが、
これで良かったんですかね。もっといい本ありますか?
567132人目の素数さん:01/11/26 21:39
>>537
 倉田令二朗『入門数学基礎論』 はお話程度の内容ではありません。
一階述語論理計算の基礎、完全性定理、回帰関数、不完全性定理
について非常に厳密に書かれています。が、
全編にわたってミスプリの嵐です。あと記述がコンパクトすぎて
説明不足の感じを受けました。
でも持っていて損はしないはず。
568加護天使:01/11/27 02:40
>>567

547へのレス?

私も567さんと同じような感想ですが、
あまりに、ミスプリが多いので薦めないというだけです。
結構、ミスプリ直しながら読むって大変じゃないですか。

倉田先生も、
”入門”を書いてみたけどちょっと説明不足とかがあるから
”補追”や”いざない”を書いたっていうようなことを
おっしゃってました。
だから、”入門”で勉強を始めるなら
内容の重複はあってもあわせて持って置くほうがいいかと思います。
5691ざんす:01/11/27 11:10
>>567
知ってる人には便利なんだけど、初学者にはちょっと勧めがたいですね、
あの本は。


日評からでてる小野寛晰先生の「情報における論理」も結構良かった気が、、

小野先生、部分構造論理(substructural logic)の日本語の本とか出さない
かな? G. Priest のこの間出た本みたいなのりの。
570132人目の素数さん:01/11/27 16:52
>>569

なんだよ。結局「回帰」をつかった文献の例は
一つもあげずに知らん振りかよ。いい気なもんだな(w
16時、17時台のレスには注意と…
572132人目の素数さん:01/11/27 21:12
>>571

何時でもでるよ。やーいやーい。ハッタリ野郎(w
573132人目の素数さん:01/11/27 21:14
1ざんすって、もしかして、しどりともき?
574sage:01/11/28 20:38
厨房来たりて
糞を撒く…か
Q&A数学基礎論が、
ブックオフにあって100円になったら拾うつもりだったのに
、残念、話に種が消えた。
収束したかな。
577すんまそん:01/11/30 11:50
前原昭二の「数理論理学」(培風館)のp.201に以下の「...」のように書いてあります。
但し
Flg(A)とは公理系Aから証明可能な閉じた論理式全体のことです。

「以後,われわれはmodel Mの解釈で真となる論理式の全体TMについて,つぎの性質
 を用いることにする:
  A⊂TM⇒Flg(A)⊂TM
 しかしFlg(A)は,公理系Aを一定にしておいても,われわれの使用する論理体系に
 よって異なった意味をもつ。例えば,論理体系としてequalityを含む述語計算を採用
 すれば,上のことは,一般のmodel Mについては成り立たない。」

私は,ちょっと数理論理学をかじってみたくて,この本を色々ながめているんですが,
  A⊂TM⇒Flg(A)⊂TM
が成り立たないことが想像できないのです。これが成り立たない簡単な例ってあるで
しょうか。実数の世界で「∃x(x^2+1=0)」が成り立ず,複素数の世界では成り立ってし
まう事は例になってるのかなあ。それとも,=を等号に解釈しないmodelを考えたりす
るのかなあ。
578すんまそん:01/11/30 12:16
すいません。もう一つお願いします。ブルバキ集合論1には
 (∀x(R⇔S))⇒((εxR)=(εxS))
が等号に関する公理の一つとして採用(ブルバキではεでなくτ)されていますが,
もっと,もっともらしい論理式を公理にして証明する事はできないのでしょうか。
例えば,
  →t=t  s=t,F(s)→F(t)
なるsequentなどを公理(って言ってもいいのかな)として証明できると嬉しいのですが。
579132人目の素数さん:01/11/30 12:42
>>578
 もっともらしい、という所がクセモノですね。ご提示の公理は「ε公理」
と呼ばれていますが、これはかなり強力な公理です。どう強力かというと、
例えば排中律を仮定しない直観主義論理というのがありますが、直観主義
論理においてε公理を仮定すると排中律が証明されてしまいます。
 ですからもし尤もらしいというからには排中律をも含んでしまうほどの
強力な公理ということになりますが、残念ながら →t=t  s=t,F(s)→F(t)
(これは等号の公理ですね)のような「素朴な」公理で言い換えるのは無理
でしょう。
580すんまそんです:01/11/30 13:47
>>579
>もっともらしい、という所がクセモノですね。
確かにそのとおりです。
私の手元の本には
  ∃xF(x)→F(εxF(x))
をε公理と書いてありますが,私はこの公理はもっともらしいと思っています。それ
から古典論理における公理や推論(もちろん排中律も含めて)はもっともらしいと思っ
ています。それでも
 (∀x(R⇔S))⇒((εxR)=(εxS)) ・・・(1)
は証明できないでしょうか。というより,私が(1)を少しもっともらしくなく感じて
しまうのはR(x)を満たすxが唯一とは限らないからなんです。
 どうも,ものわかりがわるいものですいません。
581132人目の素数さん:01/11/30 15:02
>>577

p190 1.4 ”=の解釈について”を読んでごらん。
582すんまそんです:01/11/30 15:16
>>581
読んで見ましたが,それでも
  A⊂TM⇒Flg(A)⊂TM
が成り立たないことが想像できませんでした。すいません,何かヒントを。
583すんまそんです:01/11/30 15:19
あ,もしかして,modelを勘違いしてるのかな。
584すんまそんです:01/11/30 15:36
>>581
もしかして,等号を含む述語計算で考えると,公理系Aがどういうものかにかかわらず
例えば,1=1はFlg(A)に含まれてしまうのでしょうか。なぜなら,→t=tはGrundsequenz
ですから。それなのに,一般のmodelでは1=1はTMに含まれるとは限らないという事でい
いんでしょうか。あ,もちろん1は対象記号として用意されているという前提で話して
ます。
585132人目の素数さん:01/11/30 15:54
>>580
 「∃xF(x)→F(εxF(x)) 」のことをε公理と呼ぶ流儀もあるのですね。
ではそういう呼び名は紛らわしいのでやめましょう。
 既にブルバキで証明して見せているように、ZF集合論で、公理
「(∀x(R⇔S))⇒((εxR)=(εxS))」を仮定すると、選択公理
が証明されてしまいます。ところがZFが無矛盾である限りZFと選択公理は
独立ですから、ZFのように沢山公理系を持つ理論においてすら、選択公理
以上の公理を導入しないと、公理
「(∀x(R⇔S))⇒((εxR)=(εxS))」
は導出できません。ちなみに貴方の基準では選択公理は「尤もらしい」の
でしょうか?「選択公理」も「排中律」も仮定すると、有名なバナッハ・
タルスキーの“パラドクス”(球を有限個に分割して組み替えると、同じ
大きさの球が2個できる)が導けてしまいますが、この結果を「尤もらし
い」と感じますか?
586132人目の素数さん:01/11/30 16:07
>>581

p190の1.4に=は必ずしも”等号”として
実現されるとは限らないと書いてありません
でしたか?。
587132人目の素数さん:01/11/30 16:11
>>585
>「選択公理」も「排中律」も仮定すると、
>有名なバナッハ・タルスキーの“パラドクス”
>(球を有限個に分割して組み替えると、
>同じ 大きさの球が2個できる)が導けてしまいますが、
>この結果を「尤もらしい」と感じますか?

そもそも測度の考え方がちょっと胡散臭いからね(笑)

上のような結果がでても、選択公理や排中律が
いけないということにはならないよ。
588132人目の素数さん:01/11/30 16:25
>>585
>貴方の基準では選択公理は「尤もらしい」のでしょうか?

あなたの基準では測度の定義はもっともらしいのかい?(笑)
589すんまそんです:01/11/30 16:36
>>586さんへ

>>584はどうですか
590132人目の素数さん:01/11/30 16:38
>>589

まず、あなたが自分で考えてください。
591すんまそんです:01/11/30 17:01
怒っちゃったんでしょうか
592132人目の素数さん:01/11/30 17:07
>>591

考える気は毛頭ないということでしょうか?(笑)
593132人目の素数さん:01/11/30 17:14
>>577
>それとも,=を等号に解釈しないmodelを考えたりするのかなあ。

ズバリ、そうだよ。

「一般のmodel Mについては成り立たない。」というのは
一般のmodelでは、必ず=を等号に解釈するわけではないから
だよ。それが書いてあるのがp190だよ。それだけのこと。
594132人目の素数さん:01/11/30 17:25
「もっともらしいかどうか」っていうとやはりStromdorfさんでしょ。
専門家ってこの手の議論にのらないからなぁ。
595132人目の素数さん:01/11/30 17:29
マクスウェルの定理?て何?大学で教えてくれるの?
596132人目の素数さん:01/11/30 17:56
>>594
 まあ、主観的な話ですからなぁ。プロはそんな結論の出ない問題に
熱くなって消耗したくないでしょう。「もっともらしいかどうか」っ
ていうところというよりはむしろ「排中律」を振りかざしてるところ
でバレてると思いますが(笑)。
597すんまそんです:01/11/30 20:00
もっともらしいと言う言葉が私の言いたいことを伝えられなくなった原因のようです。
私の手元には今
  前原昭二「数理論理学」(培風館)
があります。全部じっくり読むだけのひまがあれば言いのですが、そうもいかず、所々
証明を読まなかったり、理解できなくても先に進んだりしています。それで、
そのp.147に次のように書いてあります。
「ε-quantifierは、その表現能力において、∀xとか∃xというquantifierよりも、
たしかにまさっている。・・・(中略)・・・この意味においては、ε-operatorの
添加によって、述語計算は、その内容において拡張された、と言ってよい。
 しかし、その拡張は本質的でない。ε-operatorの添加によっても、LKはなんら本質
的には拡張されたことにはならない。このことを簡潔に表明したものがε−定理なので
ある。以下、順を追って、そのことを説明していく。
 説明の立場をはっきりとさせておくために、取り扱う述語計算は’equalityを含む
LK’としておく、Equalityを含まないLKに対してもε−定理は成立するが、それにつ
いては、この章の最後に述べる。」

ちなみに、p.145に「ε-operatorのことをε-quantifierとよぶこともある。」とかい
てあります。そして、p.176ではε記号を持つ述語計算の推論図はequalityを含むLKに
おけるのとまったく同じ形式のものを用いると言うことと、Grundsequenzとしては
 F(t)→F(εxF(x))
を用いると言うことが書かれています。この範囲で、ブルバキにのってる
 (∀x(R⇔S))⇒((εxR)=(εxS)) ・・・(1)
が証明できないものだろうかと思ったのです。
 また、この本の最後の参考文献の所で、次のような記述があります。
「通常のε−公理のほかに
   ∀z(A(z)〜B(z))→εxA(x)=εyB(y)・・・(2)
 という公理を追加した場合にもε−定理は成立する」
とも、書いてあります。(〜は⇔のことです。)
この掲示板では(2)すなわち(1)は、選択公理を証明するほど強いと言われ、一方で手
元の本では「ε-operatorの添加によっても、LKはなんら本質的には拡張されたこと
にはならない。このことを簡潔に表明したものがε−定理なのである。」とあります。
私は混乱しています。どうかお助けを。
(明日までネットをのぞけません。レスできませんがお願いします。ああ、modelの
ことも聞きたいのに...)
598132人目の素数さん:01/11/30 20:41
>>597

暇がないなら諦めな。
分かろうという気持ちをスッパリすててバカになりきれ。
リコウぶろうとする気持ちほど見苦しいものはない。
バカ万歳!!!(笑)
599132人目の素数さん:01/11/30 20:49
>>596

もし選択公理を疑う理由がバナッハ・タルスキだとしたら
あんまり意味がないと思う。どんな集合にも測度の性質が
成り立つという考えは、それほどもっともらしくない。

ところで構成可能性の点からいえば、問題なのは
選択公理よりもむしろ外延性だろう。
600132人目の素数さん:01/11/30 21:02
>>597

証明も読めない人間が混乱するのは当然
やっぱりあなたにその本を読むことは時間の無駄です。
神保町の明倫館あたりに売りはらうのがよろしい。
数百円でマンガでも買ったほうが絶対お得(笑)
やれやれ、また雰囲気悪くなってきたなあ。例の粘厨君が
スレに居着いてしまったのか。迷惑だなあ。
602132人目の素数さん:01/11/30 21:34
>>601

ほんと、分かりもしないのに、なんでもかんでも
教えてってねだる奴ってメイワクだよね(笑)
603132人目の素数さん:01/12/01 13:52
>>597 がわからないっていってるのは普通じゃないかなぁ。
名のしれている(亡くなった)方の名の知れているジャーナルにこの
ことを間違ってかいてあるみたいだよ。つまり、そのことについて
597の方がましってことになるね。(会社に勤める前のことだから
「みたい」って書いたけど探せっていわれれば探せると思うよ、見た
ことがあるってこと。)
要するに元の理論によってεをつけたとき強くなったり変わらなかった
りするってことだよね。弱くなることはないけどね。
>>603
それをいうなら、数学がわからないのが普通だろう(笑)
605132人目の素数さん:01/12/01 17:02
>>604
確かに!そうなんだと思います、程度の差はあるけど。
606132人目の素数さん:01/12/01 20:00
竹内外史さんの写真てありますか?(できればネットで

あと、今どうなさってるか分かる方居ます?イリノイ大学の名誉教授らしいことまでは分かったのですが・・・
607加護天使:01/12/02 06:23
>>606
検索してみればでてくるかも?
Takeuti,Gaisi

それにしても、どうして2chでブルバキの集合論読む人が
こんなに多いんだろう?
608132人目の素数さん:01/12/02 06:26
>>607
日本語の集合論の本が少ないからでしょうね。
609132人目の素数さん:01/12/02 08:38
時代遅れ非数学家卒サラリーマンが読んでるんでしょ。
数学的田舎人。
610132人目の素数さん:01/12/02 08:49
>>609
そう、他人を非難するような言葉で表現される必然性はあるのでしょうか?

ブルバキ以後、数学全体を見据えてという立場でのシリーズはないのでは
ないでしょうか?そうすると、数学は何をやってるのか?ということを外
から見ようとするとブルバキは一つの対象になると思います。日本では
50年位前から岩波から数学のシリーズがでていますが、色々な分野を集め
ていうだけで、統一的な思想を感じられるものではないのではないでしょ
うか?
611132人目の素数さん:01/12/02 08:59
数学をやりたいのではなく、哲学風に数学を眺めて語りたいだけだと思うけど。
612132人目の素数さん:01/12/02 09:00
>>610

そう、トーシロほどナントカの一つ覚えで全体全体と騒ぐね。
そのくせ、岩波だと差別化がはかれないからブルバキという。
ようするにただ見栄坊なだけだよな。

もう、数学は一つじゃない。数学は一つだと見え透いたウソを
つくのはやめようぜ。ただ自分が代数も解析も幾何も集合論も
しってるぜといいたいだけなんだろ。思想なんてほんとうは
どうでもいいんだろ。アンタが知を生み出すこともできずに、
ただ人の知ばかりかき集める、知のオタクに成り果てている
ことは、アンタ以外の人にはみなお見通しなんだよ。アンタ
だってほんとうは自分がオタクだとわかってるんだろう?
613612:01/12/02 09:08
まあ、ブルバキでなくてもいえることだが、本というものは
早い話が人の思索の残りカスである。
こういうものを有り難がるのは、非専門家とか田舎モノとか
いう前に、自ら世界を切り開こうという野心を失った残りカス
の人生を生きてる人間である。

ところで専門家や都会人がかっこいいと思う精神も、なんだか
残りカス的である。当人は人にかっこいいと思われたいために
やってるわけじゃないだろう。結局は>>609>>610も同じ穴の
ムジナだ。自分の楽しみが見出せなくなって、ただ他人に対して
自分がどう見えるかだけしかわからなくなった餓鬼という意味で。
614612:01/12/02 09:10
…といってる俺自身ただの残りカスだ…
615132人目の素数さん:01/12/02 09:13
哲学・思想系のアフォ共に対しては幾ら批判してもしすぎることはない。
蛆虫のように湧いてくるのでやるだけ無駄といえば無駄だが。
616132人目の素数さん:01/12/02 09:17
数学だってやはり流行や対象への接し方の変化はあるわけだから
時代遅れのアプローチをする人たちに日常でよく使われるたとえ
を出すのは問題ないことだと思いますが。
617612:01/12/02 09:23
アプローチに関しては時代遅れも最先端もない。
成功するか失敗するかだけである。

問題は結果としての知識をそれだけで手放しで
礼賛することにある。それは安易な自慰行為である。
618610:01/12/02 09:33
>>612
少し誤解されているようなで付け加えます。
例えば、外国の話になると、ドイツといえば日本からみればひとかたまり
のように扱うことも平気でできますが、ドイツの人にとって見ればそうで
もないでしょう。「日本人は几帳面だ」というのを聴けば、「人による」
と答えるのが普通でしょう、しかし、いくつかの国と比べれば、そうかな
とも思えます。だから数学を外から見る人の立場というのもあってもよい
だろうといっているのです。
私はブルバキは並んでる本を見たことはありますし、手にとったことはあ
ります。可換環論はよいという話しは聴いたことがあります。しかし、1
ページたりとも読みとおしたことはありません。ですから読んでの感想で
はありませんがブルバキはあなたのいわれる「差別化」をしているという
点からも当時のそしてその後のフランスの数学の流れを感じられる何かを
いわれるところのカスによって表していることにはなっていると思いますが。
619 :01/12/02 09:42
>結果としての知識〜
は賛成だけど、前半に関してはある程度の傾向はあると思うが。
まあ私見なので気に入らないようでしたら無視してください。

それと618さんは知恵遅れ気味なのでこれ以上書き込まないほうがいいですよ。
620618:01/12/02 09:46
>>619
すみません、よくあることなのですが、知恵おくれだと自分がわかって
ないことがどこだかわからないのです。もう少し明確に指摘していただけ
ませんか?
621 :01/12/02 09:49
そこまで親切ではありませんので。
醜態を晒したいのならご自由に。
622132人目の素数さん:01/12/02 10:05
それでは続けさせていただきますが、
>>613 「早い話が人の思索の残りカスである。」というのはある
面から見て賛同できる考え方であるとは思う。しかし、すばらしい
研究をした数学者を表彰するという組織はどのような人が運営する
のだろうか?すばらしい芸術作品をどのような人が賛美し、芸術家
を励ますか?そのようなことを考えれば当然別な考え方も浮かぶ。
つまり、第一義的に「すばらしい成果」をめざすのは当然であるが
そのような行為を支える集団を構成することも大切なことであると
いうことがあります。それで 610 の2行目を書いたのです。
>>621 これで醜態を晒すのは終わりです、ご心配有難うございました。
>>622

なぜ表彰が必要なのか?
なぜ賛美が必要なのか?
なぜ励ましが必要なのか?

いや、全く必要ない。
どれほど非難されようが、
止めろといわれようが
やりたいものはやるだろう。
>>623
それは2ちゃんねるの書き込みに対してもそっくりあてはまることなのだが…
以上のやり取りで、世の中にはブルバキコンプレックスとでも呼べるものが存在することがわかった。
>世の中にはブルバキコンプレックスとでも
>呼べるものが存在することがわかった。

コンプレックスというより信仰だろう。
知がそれだけで信仰の対象になるのが
現代の病理である。
626は信仰以外の行動原理をお持ちのようだ。ぜひご教示願いたい。
>>614
それがわかってるなら黙ってろよ(笑 くだらねえ事書き散らしやがって。
基礎論スレなんだから基礎論を語れ。そういうはなしは哲学板でやれ。

610 も、>>34 からの流れを読め。ブルバキが語りたければブルバキスレを
立てたまえ。
629132人目の素数さん:01/12/03 11:01
>>597
> 選択公理を証明するほど強い

> ε-operatorの添加によっても、LKはなんら本質的には拡張されたことにはならない

 この2つは矛盾してないよ。前者はZFという公理系の話で、後者はLKの推論規則以外
に公理を持たない理論での話だ。
630132人目の素数さん:01/12/03 15:42
層コホモロジ−と直観主義集合論が関係があるという話を聴いた
ことがあるのですが、どういうことなのでしょうか?
631132人目の素数さん:01/12/03 17:42
以前Shelahのことを聴いたとき教わったホームページに
The Future of Set Theory
http://www.math.rutgers.edu/~shelah/future/E16.html
というのがありました。証明があるような論文ではないのですが、英語なので
もう一つはっきり意味がわからないところもあります。でもなかなか面白く
読みました。集合論に関する多くの研究者の感覚はこの文のようなものなの
でしょうか?
632132人目の素数さん:01/12/03 18:39
>>630
topoiだったかな黄表紙に有ったと思うけど、
忘れたので不正確かもしれないけど。
高階直観論理上の理論とtoposとは対応している、
toposは直観主義集合論とみなせる、
という事だったと思う。

話題は変わるが、
書店の店頭に日本語の集合論の本って殆ど無いね。
田中尚夫のも無いし、
カナモリか倉田・篠田くらいじゃん
だからといって、ブルバキのほうが入手しやすいとも思えないが。
633132人目の素数さん:01/12/03 18:39
そもそも「肥やし」ってのは、殆どの場合何かの
残りカスだからね。
純度の高い思索の残滓なら、捨てたもんでもない。

>>629みたいな、まともな書き込みキボンヌ
634132人目の素数さん:01/12/03 18:45
>>603 って>>629 のことだったわけ?
635加護天使:01/12/03 23:11
本を読むってことは、
ニュートンじゃないけど
巨人の肩にのって遠くを見るためだと思う。
636132人目の素数さん:01/12/04 13:05
>>632
どうも有難うございました。Goldblatt という人の Topoi という本
がありました。層とのつながりは書いてあるようですが層コホモロジ−の
ことは全くないみたいですね。応用はないのでしょうか?
Shoenfield横浜中央図書館にねぇよクソ…
638sage:01/12/05 23:20
川崎の県立理工図書館は?
639132人目の素数さん:01/12/08 09:59
>>638
あそこは色々そろっとろね。
640132人目の素数さん:01/12/08 12:23
Shoenfield、二冊買ったぞ。
amazonはよ送れ!!
641132人目の素数さん:01/12/09 12:05
>>640
うちはついたYO!

amazon も、ときならぬ Shoenfield 人気に驚いているだろうのう。
642132人目の素数さん:01/12/09 14:21
Shoenfield て Mathemaical Logic の ことですか?
もしそうなら、20年来 たまに読んでます。
643132人目の素数さん:01/12/10 02:01
決めた!おれもamazonでMathematical Logic買うぞ。
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
Shoenfield
俺、カード持ってないから、一生懸命バイトして買ってる。
Simpson,S Subsystems of Second-Order Arithmetic
を買おうと思った矢先に、品切れで泣いたぞ。
第二版か、廉価版だしてくれ、、。
646132人目の素数さん:01/12/14 03:53
>>645
ア、マ、ゾ〜〜〜〜ンは代引きできてよかったね、age.
647645:01/12/16 07:18
>>646
カード専用だったんじゃないの?
648646:01/12/16 08:45
>>647
日本国内の場合は代引もOKになったみたい。

くわしくは、

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/browse/-/753580/ref=mk_fs_pop_gw/250-0395299-6354609

を御覧あれ。
649加護天使:01/12/17 06:38
646さん
ふ〜ん、私も、知らなかったありがとう。
そういえば、●善で注文するとamazonで検索してたわ。
650132人目の素数さん:01/12/19 00:42
あれって何か不思議な感じがしませんか。
まず矛盾にいたる証明図の存在を仮定する。次に、
矛盾にいたる証明図に順序数を対応させて、証明図を変形すること
によって対応する順序数を小さくしていきますよね。
そのとき順序数は小さくなるけど、
論理記号に関する推論の数そのものは減ってないんですよね。
けど対応する順序数に関する超限帰納法によって、最後には
論理記号に関する推論のない矛盾にいたる証明図になる、という結論に達する。
しかしそのような証明図は有り得ない、
故に矛盾にいたる証明図は存在しない、 ということらしいんですけど…。
変形しても論理記号の推論は減ってないのに、超限帰納法により
有限回の変形で論理記号の推論は無くなるという結論。
理屈は分かるけど、何か納得できないというか不思議というか…。
651>>650はミスです:01/12/19 00:47
>>最近、ゲンツェンの自然数論の無矛盾性の証明を読んだんですけど、
この文を先頭に追加してください。ゴメンナサイ。 
652132人目の素数さん:01/12/19 16:54
話は変わるが「ゲーデルの不完全性定理」って難しいのか?
653132人目の素数さん:01/12/19 17:04
連続体仮説の独立性の証明の方が難しい
654132人目の素数さん:01/12/19 17:14
>>653
するとあなた様はどちらも理解されているんですね?
すごいなあ。
655653:01/12/19 23:28
いや〜、難しいんで、漏れには「どっちも理解できねぇ」だけだよ。(^^;)
656昨日的定義:01/12/20 16:46
>>655
私も読んでみたけど、未だに理解できません。
「ゲーデルの世界」の付録のゲーデルの
論文を読んだけど、いきずまってしまいました。
特に帰納的定義を45個くらいやって行くところ
で、∨ と メタ言語の <選言> が同一の
センテンスに入っているのが、基本的に
解りませんでした。暇なときは何時も
読んでますが、いっこうに進みません。
>>656
"不完全性定理"ってさぁ、あれ、間違ってたんだってさ。
だから、もうすぐ潰れるんだそうだYO。
658132人目の素数さん:01/12/21 08:50
>>634
今ごろ書いてもしょうがないのかもしれませんが、>>603 の意味は
>>629 です。ただ >>629 さんは別の方ですが。

形式体系は全部まとめて意味がわかるものだから、その一部を代え
たりすると、初めの意図とちがうことになることは一般によくある
のだ思います。

>>657
ついでだが不完全性定理が間違っているって話は昔から何度もあって
いまでも INTERNET で沢山の大学、研究所に送りつけてる人もいる。
だから、M_SHIRAISHI の専売特許じゃないね。
659132人目の素数さん:01/12/21 21:42
Gewって何の略ですか?
林晋先生でさえ学生時代何度も完全性の証明ができて、
どこがオカシイかわからなかったらしいね。
ド素人が形式系の一部だけつまみ食いしても絶対ダメなわけよ。
661132人目の素数さん:01/12/22 13:57
>>660
完全性の証明ってどういう意味?
「無矛盾性」の間違いじゃない?
660>>661
>「無矛盾性」の間違いじゃない?

そうです書き間違えです、ゴメンナサイ。
たしかゲーデルBBSかHPの記事に、そんなことが出てました。

興味ある人は自分でさがしてね(^^;;;;;;
663132人目の素数さん:01/12/23 11:26
で、>>656はその後理解できたのかい?

不完全性定理ネタは飽き気味だな
Dr.Gだろ、このネタばっか書いてるの
665132人目の素数さん:01/12/23 12:04
>>664 を飽きさせないために。
「ある公理系 Kが無矛盾である」ってのはどう表現するの
ですか?
>>664
>Dr.Gだろ、このネタばっか書いてるの

失礼な(笑)
オレはとうに飽きたぞ(笑)
667132人目の素数さん:01/12/23 18:06
>>656
>∨ と メタ言語の <選言> が
>同一のセンテンスに入っているのが、
>基本的に解りませんでした。

これ¬と<否定>についてもいえるけど、
これ以上、掘り下げた説明はできないよ。

例えば、高級言語はCPUの機械語に還元できるけど。
機械語それ自身の意味なんてもう物理現象としてしか
示せないでしょ。

昔LISPの処理系をLISPで書いたものを教科書で
読まされたけど、まさに同様の同語反復状況があったね。
668132人目の素数さん:01/12/23 21:48
>>667
その話はすごくいい話だと思う。よく「、、、を意味する」論理式
っていうけど、最終的に書いたら機械語のなっちゃって即物的だし
その前のところは同語反復状況。ある形式体系で形式化できるか
どうかはともかく機械語としての論理式を書けないと話にならない。
>>664
>>666
Dr.Gと名乗っていた奴って、最近は全然見なくなったんどけど、どして?
670加護天使:01/12/24 02:16
>>667
うん、
それ自体は意味づけのない機械語としての論理式こそが、
形式的体系なんだろうけど、「あたりまえじゃん」とか、「同語反復じゃない?」とか
感じるな。
671132人目の素数さん:01/12/24 07:40
>>670
「あたりまえじゃん」とか「同語反復じゃない?」ってのが
違ったもので異なった内容がそこに生まれるってところが
形式論理のすごいというか、気持ち悪いというか、ってところ
なんでしょうね。
672132人目の素数さん:01/12/24 13:56
よくわかんないけど結局>>656は、述語論理を考察するのに
述語論理を使うということが納得できないということですか?
・・・もしかして全然違いますか?
>>650
書いてあるようだとすると「理屈はわかるけど」ってのが
すごく怪しいな。
一般に帰納法の証明は極めて具体的なものなのに形式的に
しか考えない人がよくいて、そのパターンのように感じる
んですが。
言語学ってこの辺のところがいい加減だよね。
言語学を記述する言語については問わないのか?
っていう疑問には触れない。
Wittgensteinなんかはそこから社会的なもの
(規則に従う云々の話)に向かうわけだけど、
彼らはそういったことをするわけでもない。
どうも納得いかない。
>>674
言語学って、数理言語学のこと?それともそうでない系統の
言語学ですか?数学の中に入っている系統だと社会もへったくれ
もないから、そうでない方ってことですか?
676チャーミー石川:01/12/24 21:24
>それ自体は意味づけのない機械語としての論理式こそが、
>形式的体系なんだろうけど

そーかなぁ。機械語の意味は機械にあるんじゃない?
だから、論理式の意味は人間の脳にある?

うーん、わかんなくなっちゃったぁ?
677昨日的定義:01/12/24 23:53
>>672
>656は、述語論理を考察するのに
>述語論理を使うということが納得できないということですか?
半ばそうです。
納得できないというよりは、自分の理解力が無いという感じもします。

その感じを説明しますと、、、

「ゲーデルの世界」の付録のゲーデルの帰納的定義を
していくところで
14 x DIS y =  E(9)*R(7)*E(y)
と定義してあるのを読み(<選言>の定義)
ずっとたどっていって、

21 で
 Op (x,y,z) <=> x = Neg(y) ∨ x = y Dis z
    ∨∃v[v≦x ∧ Var(v) ∧ x = Gen (v,y) ]

と書いてあるのを読むとなんか急に違う感じがするのです。
(違うところへ連れて行かれる感じですし、
  ∨ と E(9)*R(7)*E(y) とは人間が行う操作として
 どう違うのだろうという感じです)

これはたとえば、2の 素数の定義についてもいえます。

1 で x/y <=> x は y で 割り切れる
を定義し

2で
 Prim (x) <=> ¬∃[z≦x ∧z≠1 ∧ z≠ x ∧ x/z ] ∧ x > 1 .

と定義しますが、これが<素数>の空間を必要十分に満たしてない
感じもします。(他の各定義についていえることですが[ ]の中の
z≦x で 縛りを与えてますが作為的な感じです)
どう思われますか。
(私はもちろん基礎論をまじめに志しているものです)
>>669
いまはこのへんにいるよ.あいからわず名前をころころ変えてるけど.
ttp://www.qualia-manifesto.com/mail.html
ttp://155.teacup.com/kenmogi/bbs
679132人目の素数さん:01/12/25 01:30
>  ∨ と E(9)*R(7)*E(y) とは人間が行う操作として
> どう違うのだろうという感じです)

記号を単に書き表すことと、「または」ということを人間が頭の中で
考えることとはちがうことでしょ。

>と定義しますが、これが<素数>の空間を必要十分に満たしてない
>感じもします。(他の各定義についていえることですが[ ]の中の

「感じ」じゃあれげなので、明確に言ってみてくんな。そうしないと、
勘違いを指摘してもらえないよ。

>z≦x で 縛りを与えてますが作為的な感じです)

うみゅ、、、そういう縛りがあることが重要な意味を持つ
ことは理解できてる?
680加護天使:01/12/25 04:18
>>677
まづは「ゲーデルの世界」の130頁の図5.2を参考にしてみて。

1の”/”の定義ではZがXを超えた数だと
上手く意図した通りの「割り切れる」にならないから
2での素数の定義でちょっとだけ工夫するだけじゃないの。
普通の定義で
素数って、1でない数で1またはその数の他にで割り切れるものが無いってことだね。
681650:01/12/25 06:59
>>673
改めて証明を読みなおしてみたら、だいたい君の言うとおりでしたよ。
俺の理解が浅かっただけでした。
与えられた変形をくり返せば、論理記号の推論もちゃんと無くなっていきますね。
いやぁ、何か頭の中のモヤモヤがようやくとれたような気分です。
>>677
あまり関係ないけど昨日的定義さんが、ヴィトゲンなんたらみたいに
哲学に走らないことを祈ってます。
682673:01/12/25 07:55
>>681
明解にわかるって気持ちがよいですよね。

三段論法除去定理が基本だと思いますが、本当になくなる
ところは自明で、そこに到達するまでは三段論法が増えつ
づけるっていう帰納法だから不思議な感じはしますよね。
帰納法の複雑さが順序数の大きさに対応しているというのが
この分野の基本的な見方のようでございますね。
683ヴィト:01/12/25 10:02
>>681

私の名前を呼んだかね(笑)
ところで、681氏がこの問題で私を連想したのは正解だ。
形式的定義はその根本においてトートロジーなのだ。
しかしながら、実際の言葉と意味の関係は
そのようなものではない。
684ヴィト:01/12/25 10:05
>>674
>Wittgensteinなんかはそこから社会的なもの
>(規則に従う云々の話)に向かうわけだけど、

おお、私はそんなこといってたかね?(笑)

規則云々の話は確かにしたが、社会的云々は違和感があるな。
どっかの社会学者の論説といっしょくたにしてないか?
>>683
オニイサン呼ばれてないよ!
否定形で引用されているんだから、苦笑いしながら
出てきちゃダメ。
686ヴィト:01/12/25 10:13
>>677
>私はもちろん基礎論をまじめに志しているものです

君のマジメさは、数学では敬遠されるだろうね。
しかし、哲学ではおおいに歓迎されるだろう。
687ヴィト:01/12/25 10:16
>>685

呼ばれていようがいまいが、肯定的だろうが否定的だろうが
どうせ何か言わねばなるまいと思っていたのでどうでもいいのだ(笑)
688ヴィト:01/12/25 10:22
>>679
>記号を単に書き表すことと、「または」ということを
>人間が頭の中で考えることとはちがうことでしょ。

そう。記号をいくら書き並べたところで、
操作そのものを示すことはできない。
>>687
ヴィトのオニイサンは数学の意味に興味があるわけ?それとも
数学に興味を持つ人間に興味があるわけ?それとも数学の結果
を解釈することに興味があるわけ?
数学を自分でやるということには全然興味がないように見えま
すが。
690ヴィト:01/12/25 11:49
>数学の意味に興味があるわけ?

然り

>数学に興味を持つ人間に興味があるわけ?

否。ガキに興味はない。

>それとも数学の結果を解釈することに興味があるわけ?

否。

>数学を自分でやるということには全然興味がないように見えま
すが。

然り。ガキの遊びに興味はない。
>>690
てぇことはー、ヴィトのオニイサンは「数学なんてあんまり
意味ないんじゃない?」なんてふっかけて、血の気の多く
単純な数学好きをつっついて遊んでるってとこなわけでっか?
692ヴィト:01/12/25 13:24
>>691

いや、数学に意味がないわけがない。
ただ、文字で数学を語った気になるアサハカな人間に
鋭いツッコミをいれるのは吝かでない。
>>692
ほう!なるほど、ヴィトって名前をくっつけてるだけあって
中々高尚ですな。「吝かではない」なんて遠慮しちゃって、
鋭いツッコミをいれたくてうずうずしてるわけね。
まあ、そのうちスキだらけのオニイサンが現れるでしょう。
>>694
なるほど、確かに、脇の甘い高見山(若い人はしらないだろうな)
みたいな腰高なオニイサンがごろごろいそうだな。立ちあがりざま
肩透かしとか、けたぐり一発でベッタと両手をつきそうな。
ちょっと呼んで来てヴィトのオニイサンにかわいがってもらったら
よさそうなのもいそうだね。
ウィトゲンさん出すととたんにレベルが下がるから禁句にしませんか?
勿論彼の言ってることは素晴らしいことは分かった上での話です。
697132人目の素数さん:01/12/25 22:58
質問です。
たとえば1階の算術、ペアノ算術、でそれ自身の無矛盾である
ことを書くとき、矛盾が証明されないって書くんですよね。
証明は普通のシステムとして、矛盾っていうのは0=1じゃ
いけないんですか?ゲーデルの不完全性定理のとき使うのは
そうじゃないみたいなんですが。
698132人目の素数さん:01/12/25 23:38
>>697
ゲーデルの原論文でどうしているかは知らないけど、
1階の論理と0≠1を含んでいる理論ならそれでもいいんじゃない?
そういう理論なら¬Pr(「0=1」)と¬Pr(矛盾)の等値は定理でしょ。
699132人目の素数さん:01/12/26 00:05
(;´Д`)ヴィトタン…
700ヴィト:01/12/26 11:18
>>696
>ウィトゲンさん出すととたんにレベルが下がるから禁句にしませんか?

オレのせいにすなよ(笑)

#700ゲット(笑)
Wittgenstein=板違い
702加護天使:01/12/27 01:02
遠隔レス
>>630
Constructivism in Mathmatics vol.2
の14章が層・景・高階直観論理に当てられてた。
703132人目の素数さん:01/12/27 01:46
>>689
そこいらへんのややこしいところには、クライゼルが扱いに
注意すべきことを述べてる。(「クライゼルの注意」ってやつ)

前原昭二の晩年の論文に、そのあたりの問題を論じたものがある。
面白いので読んでみるべし。
>>702
景って気色悪いからやめれ.
705ヴィト:01/12/27 10:37
>>703

ほう、クライゼルは何に注意しろといったのかな?

また、前原の論文の何が面白かったのかな?
706132人目の素数さん:01/12/27 10:56
>>703
もう少し踏み込んだ説明をお願いします。
クライゼルの注意というのは前原昭二著「数学基礎論入門」に
書いてあるのを見たことはあります。でもあんまりよくわからな
かった。
707ヴィト:01/12/27 11:51
もしかして、>>703のレスは
>>689に対してじゃなくて
>>698に対するものじゃないか?
>>707
ヴィトさん、まともじゃん、交通整理して。
709ヴィト:01/12/27 12:07
>>708

知らんよ。なんで数学の意味がどうこういう話に
クライゼルごとき小僧が口だすのか分からんから
多分、レス違いだろうと思ったまで。
クライゼルを「・・・ごとき小僧」って、チミほんと凄いね。
711132人目の素数さん:01/12/30 02:47
>>706
林晋氏のサイトの「数学基礎論入門」の書評に説明があるよ。
まず、それをよんでみてヨ。
712ヴィト:01/12/30 11:13
>>710

いや、スゴイかどうかはしらんが、
クライゼルは小僧のころ、実際にヴィトゲンヲタだったのだ。
もっとも、その後幻滅して数学とかいうガキの遊戯に
はまってしまったらしいがね。
713132人目の素数さん:01/12/30 12:08
>>711
読んだけど、あんまり具体的なことは書いてなかったよ。
確か、前原本ではクライゼルの注意っていうのはロッサー文に
関するような話で何だかわかんなかったんだと思った。
714加護天使:02/01/04 05:33
今年が基礎論にとっても、いい年でありますように。
715132人目の素数さん:02/01/04 05:54
>>714に一票。
716132人目の素数さん:02/01/04 19:01
命題マンセー
717昨日的定義:02/01/05 12:00
(昨年の話で恐縮です)
>>679
>>z≦x で 縛りを与えてますが作為的な感じです)

>うみゅ、、、そういう縛りがあることが重要な意味を持つ
>ことは理解できてる?

おかげさまで、
改めて読みなおして、前には理解できなかった
原論文の注33の意味がわかりました。そこでは
「帰納的定義(∃、∀、μ に対する)保証のため
に 縛りを与えており、ほとんどの場合に
縛りをはずしても、概念は拡張されない」
と有ります。(すみません正確に引用してません)

ゲーデルのえらい所はえらい所ですが、やはり
奥歯にものが挟まった感じはしませんか。


>>680 加護天使 様
>まづは「ゲーデルの世界」の130頁の図5.2を参考にしてみて。

有難う。
私は表現可能性を理解していないようです。
味噌汁で顔を洗って出なおします。
718ヴィト:02/01/05 12:12
>>717

いっとくけど、ゲーデルも神ではないので、
解決していないことを求めるのは酷だぜ。

つまり、言葉の意味は本質的には語り得ぬものなんだ。
ゲーデルの結果は、そのレベルでも分かる、という意味では
特に哲学的なわけではない。数学的な児戯だわな。
>>718
そういうことは、ゲーデルの仕事の細部それぞれの意味をきちんと
「語って」から言いましょう。それができないなら、お願いですから
哲学板に帰ってください。

上のほうで歯の浮くようなおべっかを言っている人がいたあたりで
お願いしようかとも思ったのですが。
720ヴィト:02/01/05 14:37
>>719
そういう君は語れるかね?

基本的には、ゲーデルの仕事は以下の2つを示したことにつきる。

1)以下の性質をもつ証明可能性□の構成
  □(P⇒Q)⇒(□P⇒□Q)、□P⇒□□P
2)G⇔¬□Gなる命題Gの構成

 2)より□(G⇔¬□G)。
 □Gならば、1)の前者より□(¬□G)であるが、
 同時に1)の後者より、□□Gである。
 □が無矛盾であるなら、任意の命題Pについて
 ¬(□P∧□¬P)であるようなことはない。
 □Gであると無矛盾性の仮定と矛盾する。
 したがって、無矛盾ならば¬□Gでなくてはならない。

 語るべきことはこれだけだ。
 なにも意味など語る必要もない。
 これが「手品」のタネというものだ。
721719:02/01/05 15:33
えーと、皆さん、私がつっこんでもいいですか? いくつかつっこみ
どころを残しておきましょうか?
>>719

中で出すなよ(笑)
723719:02/01/05 16:28
>>720
ヴィトさん、不完全性定理を云々したいなら、まず、形式的な
証明の概念をちゃんと把握しないといけませんよ。

推論規則A/□Aはお認めになるんですよね? この規則がないと
> 2)より□(G⇔¬□G)。
は導けませんね。その上、細かいことですが、
> 2)より□(G⇔¬□G)。
> □Gならば、1)の前者より□(¬□G)であるが
も導けません。おわかりになりますか?

ところが、
> ¬□Gでなくてはならない。
と(2)からGは導かれませんか? それと上の推論規則から□Gも
導かれませんか? □Gと¬□Gは
> □が無矛盾であるなら
なんてトンカチなこと言わなくとも矛盾しますよ?

さてどうします?

ところで、>>720でお使いの□は、可証性の論理の様相演算子
ですか? どんな参考書を使ってらっしゃるのやら・・・。
724719:02/01/05 16:41
>>722
私、じらすタイプなんで(w
725ヴィト:02/01/05 17:02
>推論規則A/□Aはお認めになるんですよね?

その推論規則のいわんとするところは、
「Aが証明可能なら、□Aが証明可能」
ということだろう。それなら、然り。

>この規則がないと
>>2)より□(G⇔¬□G)。
>は導けませんね。

まあ、然り。
でも実際は、そこはまったく些細なことだよ。

>その上、細かいことですが、
>> 2)より□(G⇔¬□G)。
>> □Gならば、1)の前者より□(¬□G)であるが
>も導けません。おわかりになりますか?

わからんね(笑)

>ところが、
>> ¬□Gでなくてはならない。
>と(2)からGは導かれませんか?

さよう。無矛盾性からGは導出可能である。

>それと上の推論規則から□Gも導かれませんか?

いいや。

なぜかわからんかね?わからなければわからせてあげよう。

君のいう推論規則で、Aは仮定なしに証明されなくてはならない。
しかしながら、先のGは無矛盾性という仮定のもとに証明されている。
だから単純に推論規則を適用して□Gを導くことはできない。

まあ、この程度のトンカチは、様相論理の勉学時間が2〜3時間以内
の初学者なら、かならずやるものであるから心配せずともよい(笑)

>ところで、>>720でお使いの□は、可証性の論理の様相演算子ですか?

そうともいう。

>どんな参考書を使ってらっしゃるのやら・・・。

G.Boolosの"The Logic of Provability"

いい本だぞ(笑)

もっとも、君は、基本的な技をマスターしてないようだから、
日本評論社の小野先生あたりの本で勉強したほうがいいかもな。
あれもいい本だぞ。
>>724

でも実は早漏だろ。(ププ)
727719:02/01/05 17:09
ヴィトさん、とりあえず上のつっこみの要点は、理論の中での
証明と理論に関する証明をあなたが混同してますよ、もしくは
きちんと区別できている書き方になってませんよ、というもの
です。そこを整理してみて、どこがおかしいか考えてみてくだ
さい。つっこみどころはまだまだありますけどね(w
728719:02/01/05 17:15
おっと失礼、もうお返事がありましたね。やはりBoolosです
か。いい本ですよね。でも、あの本にのっとると、あなたの
ような書き方はできないんじゃないかな。

まず、
> >その上、細かいことですが、
> >> 2)より□(G⇔¬□G)。
> >> □Gならば、1)の前者より□(¬□G)であるが
> >も導けません。おわかりになりますか?
>
> わからんね(笑)
それじゃP/□Pなしに解いてみてください。

あと、
> しかしながら、先のGは無矛盾性という仮定のもとに証明されている。
これはその通りですよ。よくできました。

ただし、可証性様相を使うなら、無矛盾性を仮定するのでは
なく、¬□(A&¬A)⊃¬□Gというように、体系内の証明で
書かなくてはなりませんよ。
729719:02/01/05 17:20
体系内の証明で書かない場合、あなたの挙げた可導性条件
(1)を使って証明をするメリットがありません。なぜなら、
(1)は、第1ではなく、第2不完全性定理を証明するために
使うからです。そもそもあなた、第1不完全性定理も半分
しかわかってませんよ?
730ヴィト:02/01/05 17:20
>>727
それでヒマを稼いだつもりかい(笑)

何をいいたいのか知らないが、>>725で書いたように
無矛盾性の仮定からGが導けても、そこから君の好きな
推論規則とやらで、□Gを導くことはできんよ。
それは明白に君が間違っている。改めたまえ。

のっけからこんな初歩的なミスしてるようじゃ、
先が思いやられるな。これからミス発見毎に
¥10づつ指導料をいただこうかな?(笑)
731719:02/01/05 17:25
> でも実際は、そこはまったく些細なことだよ。
よく読んだら凄いこと言ってますね。様相論理をなめてはいけ
ませんよ。P/□Pの成り立たない体系もあるんですからね。

しかし不毛なことになっちゃったな。
732719:02/01/05 17:27
>>730
> 推論規則とやらで、□Gを導くことはできんよ。
えっとね、導けるとは言ってませんよ。>>727でも書きましたが、
あなたの書き方がおかしいから指摘したまでのことです。
733ヴィト:02/01/05 17:32
>>728
>それじゃP/□Pなしに解いてみてください。

不動点もしくはクワイン化の話をつっこみたいんなら、
GEBの14章でも読んでくれたまえ(笑)

>ただし、可証性様相を使うなら、無矛盾性を仮定するのでは
>なく、¬□(A&¬A)⊃¬□Gというように、体系内の証明で
>書かなくてはなりませんよ。

うむ、そうしたければ、そうするがよかろう(笑)

>>729

いっておくが、ここでPAとGLとの関係を論じるつもりはないぞ。
そういうことはそれこそBoolosの本でも読んでくれたまえ。

私がいっているのは、証明可能性の性質1)と、不動点による2)
が不完全性定理のタネであって、証明可能性述語の作り方をいくら
ほじくっても、「証明の哲学的意味」を見出すことはできんよ、
ということ。おわかりかな?
734ヴィト:02/01/05 17:36
>>731
べつになめてはおらぬよ。
それにここでは成り立っているのだから、
成り立たぬ体系についてはどうでもよい。
違うかね?

>>732
>えっとね、導けるとは言ってませんよ。

どうだかな?

>あなたの書き方がおかしいから指摘したまでのことです。

それにしちゃあ、なんだか怖がっているようだが(笑)
735719:02/01/05 17:37
>>733
ふむ。そういう路線ですか。じゃあ、>>720は不完全性定理の解説では
なかったということですね?じゃあはじめからそう言いましょうよ、と
文句は言いたい気もしますが・・・。
736719:02/01/05 17:39
>>734
じゃあおいおい補足してみましょうか?
まず、「無矛盾なら¬□G」というのは、多義的なのはいいですか?
737ヴィト:02/01/05 17:47
>>735
>じゃあ、>>720は不完全性定理の解説ではなかったということですね?

それは君が何を解説してほしいかによる。

まず、私は1)の証明可能性の具体的な実現については述べなかった。
しかし、一度でも読んでみたことがあるなら分かるが、形式化は、
面倒ではあるか、特に天才的着想を必要とするわけではない。

次に、私は2)を実現するトリックについても述べなかった。
まあ、一度聞くと結構面白いと思うものだが、それ自体は
他愛もないものだ。

最後にこう書いたからとて、ゲーデルの仕事の数学的意義は
失われまい。ただ、哲学的意義に関して過大な見方をする
方々に対して、注意を促したまで。それは数学界と哲学界
双方にとって意義のあることと思うがね。
738ヴィト:02/01/05 17:53
>まず、「無矛盾なら¬□G」というのは、多義的なのはいいですか?

あはは、君は僕が無矛盾性について式を書かなかったことが
お気に召さぬらしいね。
必要とあらば式を書けばいい。>>720でも

>□が無矛盾であるなら、任意の命題Pについて
>(□P∧□¬P)であるようなことはない。

と書いている。(原文では¬がついていたが、誤りなので消した)
¬(□P∧□¬P)を無矛盾性とすれば文句はあるまい。
739719:02/01/05 17:55
>>737
うーん、とりあえず、第1不完全性くらいは導いてもらえます?
あなたの言う「無矛盾なら¬□G」は、第1不完全性を体系内で
形式化したものの、しかも半分だけでしょう?

えっと、>>736の続きだと、「無矛盾なら¬□G」は、
(i)理論Tが無矛盾なら¬□GがTの定理
というようにとるのが普通かとは思いますが、あなたの意図した、
(ii)¬□Gが理論T∪{Tの無矛盾性}の定理
という読み方もできなくはないでしょう。
私のつっこみは、(i)だとすると□GもTの定理になっちゃいますよ、
というものです。あなたは証明を理論に相対化した書き方をしない
ので、そのへんもう少し厳密にやっていただきたいのですが、まあ
いいですかね。

ただし、(ii)の場合、無矛盾性を形式的にどう表現するかが問題に
なるわけです。>>697,>>698,>>703あたりで問題になってますね?
そのへんを「無矛盾性」の一言で済ますと、ゲーデル以降の研究の
意義を見失いますよ?
740719:02/01/05 18:02
なんか、書き込むタイミングがうまくいってなくてすみません。

>>737
> ただ、哲学的意義に関して過大な見方をする
> 方々に対して、注意を促したまで。
それは私も賛成しますが、あなたはちょっと過小評価し過ぎのよう
な気もします。証明上のテクニックの話ばかりなさいますが、定理
そのものの内容についてはまだ触れてらっしゃらないでしょう?

>>738
普通、無矛盾性は、□1つで済ますと思いますよ。まあそれはただ
の書き方の問題ですからいいんですが、それでも、P/□Pは必要に
なりますよ(w ←悪意はないので
741719:02/01/05 18:05
>>738
> あはは、君は僕が無矛盾性について式を書かなかったことが
> お気に召さぬらしいね。
ん? 読み飛ばしてた。それ、違いますよ。>>739にも書きました
が、ここで問題にしてる多義性は、無矛盾性の形式的表現の多義
性とは違いますので、よろしく。
742719:02/01/05 18:13
それと、いいかげん「□が無矛盾であるなら」くらいは訂正して
くださいよ。Boolos、そんな書き方してましたっけ?
今手元にはBoolos-Jeffreyの29章しかないのでわかりませんが、
こっちではそんな書き方してませんよ?
743719:02/01/05 18:19
あれ、ヴィトさん帰っちゃったかな。さっきまで頻繁に書き込んで
くれてたのに。ゲーデル文そのままだけじゃ可証性様相使ってても
面白くないから、これからが楽しいところなのに・・・。
744ヴィト:02/01/05 18:25
>うーん、とりあえず、第1不完全性くらいは導いてもらえます?
>あなたの言う「無矛盾なら¬□G」は、第1不完全性を体系内で
>形式化したものの、しかも半分だけでしょう?

もう半分って¬□¬Gのことかい?
ああ、あっちはω無矛盾性がどーたらいう話だからやめとく。
別に□□Gだからって□Gなわけではないだろ。

>えっと、>>736の続きだと、「無矛盾なら¬□G」は、
>(i)理論Tが無矛盾なら¬□GがTの定理
>というようにとるのが普通かとは思いますが

ああ、そうとったのか。でも違うぞ。正確には
「理論Tおよび理論Tの無矛盾性から¬□Gが証明できる」
だろ。これで文句あるまい。

しかし、これのどこが哲学的意義なんだ?(笑)

>(ii)の場合、無矛盾性を形式的にどう表現するかが
>問題になるわけです。

「数学的に」な(笑)

>そのへんを「無矛盾性」の一言で済ますと、
>ゲーデル以降の研究の意義を見失いますよ?

ほう。では尋ねよう。
君は、ゲーデル以降の無矛盾性の表現の研究の
意義をどう考えているのかね?
745ヴィト:02/01/05 18:29
>>740
>証明上のテクニックの話ばかりなさいますが、
>定理 そのものの内容についてはまだ触れて
>らっしゃらないでしょう?

ほう。ではまた尋ねよう。
君は、ゲーデルの定理の内容とはなんだと思っているのかね?
746ヴィト:02/01/05 18:32
>いいかげん「□が無矛盾であるなら」くらいは
>訂正してくださいよ。

君はシンタックスチェッカーかね(笑)
「様相□が、無矛盾性¬(□A∧□¬A)を満足するなら」
ということだろう?
747ヴィト:02/01/05 18:36
>ゲーデル文そのままだけじゃ可証性様相使ってても
>面白くないから、これからが楽しいところなのに・・・。

オマエ、ほんまもんのガキだろ。

例えば、ヘンキン文の証明とか面白い
とかいうんじゃないだろうな(笑)

まあ、そういうガキの喜びそうな話はいくらもあるが
そんなものいくら扱ったって哲学的にはちっとも深くならんよ。

ああ、しかし、数学バカに哲学なんかわからないか(笑)
748719:02/01/05 18:49
>>744

> ああ、そうとったのか。

やっとわかっていただけました? ああよかった。これでまともに
取り合ってもらえるかな。
> (ii)¬□Gが理論T∪{Tの無矛盾性}の定理
の延長上で「□GがT∪{Tの無矛盾性}の定理」と言ってたわけで、
「□GがTの定理」と主張したかったわけじゃないんですよ。でも
こちらもヴィトさんを見くびってたのは確かなんでスマソ。

> >(ii)の場合、無矛盾性を形式的にどう表現するかが
> >問題になるわけです。
> 「数学的に」な(笑)

あなたが□を使われているからそちらにあわせたんですってば。
でも別に、数学の場合でも「形式的」でいいんじゃないんすか?
>>711で挙がってた林先生のページでも、「形式的」になってます
よ? そのあたりはよくわかりませんので、「数学的」と言うべき
根拠があれば教えてください。

> >そのへんを「無矛盾性」の一言で済ますと、
> >ゲーデル以降の研究の意義を見失いますよ?
> ほう。では尋ねよう。
> 君は、ゲーデル以降の無矛盾性の表現の研究の
> 意義をどう考えているのかね?

それこそ>>711で触れてたような話でしょう。あなたの(1)の可導
性条件だって、直に与えたのはレーブでしょう? それがゲーデル
以降の研究の意義のすべてだ、とは言いませんが。
749719:02/01/05 19:17
>>745
> 君は、ゲーデルの定理の内容とはなんだと思っているのかね?
いや、訊いてるのはこっちですってば。ゲーデルの定理の証明の
道具立てを2つだけ挙げて(しかもそのうち片方はレーブの業績)
ゲーデルの仕事の意義はこれだけだ、とおっしゃるので、「じゃあ
ゲーデルが完成した意義ある仕事って対角化定理だけかよ!」と
思い、
(I)QのRE拡大の無矛盾な理論が完全でないこと
(II)QのRE拡大の無矛盾な理論TでTの無矛盾性が証明できないこと
になんで意義がないのか、説明していただこうと思ったんですが。
ゲーデルは(数学についての哲学での)哲学的な意義も主張して
いたんじゃなかったですか?

>>746
> 君はシンタックスチェッカーかね(笑)
ミス発見したので¥10ください(w >>730

>>747
> まあ、そういうガキの喜びそうな話はいくらもあるが
いやまさに、
> もう半分って¬□¬Gのことかい?
> ああ、あっちはω無矛盾性がどーたらいう話だから
なんで、数学的に面白いんじゃないんですか? そりゃまあ哲学
的にはどうか知りませんが。ああ、だからあなたは数学のことを
「児戯」と呼ぶわけですね。相容れないのはそこか。なんとなく、
理解はできた感じ。数学的な細部を些細と放り投げて「哲学的な
意義はない」と言うのは哲学としても怠慢なんじゃないか、とは
思いますが。
750ヴィト:02/01/05 19:48
>>748
>でも別に、数学の場合でも「形式的」でいいんじゃないんすか?

ああ、そういう意味じゃないぞ。
「無矛盾性を形式的にどう表現するかが「数学的に」問題になる」
といったまで。

それから
>あなたの(1)の可導性条件だって、直に与えたのはレーブでしょう?
それは些細なことだ。

>>749
>> 君は、ゲーデルの定理の内容とはなんだと思っているのかね?
>いや、訊いてるのはこっちですってば。

答えられないかね?

>「じゃあゲーデルが完成した意義ある仕事って対角化定理だけかよ!」

それはラッセル、いや、カントルの仕事だろ(笑)

むしろ君がレーブの仕事だといってるものこそ、実際はゲーデルの仕事だ。
実際に証明可能性述語を書いたのはゲーデルなのだから。

>(I)QのRE拡大の無矛盾な理論が完全でないこと
>(II)QのRE拡大の無矛盾な理論TでTの無矛盾性が証明できないこと
>になんで意義がないのか

君のいう意義は、小学生の読書感想文と同じものだろう?
君は、哲学とはそんなものだと思っているのかい?(笑)
そいつはいただけないな。

>ゲーデルは(数学についての哲学での)哲学的な意義も
>主張していたんじゃなかったですか?

ああ、実在論のことか。もちろん、実在論を唱えるのは随意だ。
しかし、それだけでは特に深みがあるわけではない。

ところで、ω無矛盾性とかは哲学的には特に面白くはない。
些細なことにいつまでもこだわりつづけるほうが哲学としては
怠慢なのだ。つまり無駄な知は贅肉なのだ。
わたしは、エサならなんでも食う育ち盛りのガキではない。
751719:02/01/05 20:17
>>750

> 「無矛盾性を形式的にどう表現するかが「数学的に」問題になる」
意図は了解。ただ、ゲーデルの第2定理はその数学的な問題に大きく依存
してるんですけどね。

> >あなたの(1)の可導性条件だって、直に与えたのはレーブでしょう?
> それは些細なことだ。
・・・。まあ数学は児戯なんでしょ。いいですよ。

> >「じゃあゲーデルが完成した意義ある仕事って対角化定理だけかよ!」
> それはラッセル、いや、カントルの仕事だろ(笑)
え、ゲーデル数ってカントールも使ってたんですか? それともゲーデル
数を使わない対角化定理の証明、というのがカントールにあるんですか?
・・・対角線論法のことだったりして(w

> むしろ君がレーブの仕事だといってるものこそ、実際はゲーデルの仕事だ。
> 実際に証明可能性述語を書いたのはゲーデルなのだから。
いやだから、可証性述語にもいろいろあってね・・・。もういいわ。

> 君のいう意義は、小学生の読書感想文と同じものだろう?
> 君は、哲学とはそんなものだと思っているのかい?(笑)
だって、哲学に関するあなたの発言読んでたら・・・。

> >ゲーデルは(数学についての哲学での)哲学的な意義も
> >主張していたんじゃなかったですか?
> ああ、実在論のことか。
違いますよ。ヒルベルト絡みです。
752ヴィト:02/01/05 20:27
>ゲーデルの第2定理はその数学的な問題に
>大きく依存してるんですけどね。

第二定理はオマケだ(笑)

>え、ゲーデル数ってカントールも使ってたんですか?

対角線論法の話なら、ゲーデル数は本質じゃないだろ。
ゲーデル数が重要なのは、むしろ、証明可能性述語の構成の上でだろう。

>いやだから、可証性述語にもいろいろあってね・・・。

ああ、だから贅肉タップリの数学小僧はいやなんだ(笑)

>>ああ、実在論のことか。
>違いますよ。ヒルベルト絡みです。

ますます詰らん。
やっぱり数学小僧に哲学は無理か。
753ヴィト:02/01/05 20:30
数学小僧の719には>>656のいってることの意味はわからんだろうな。
754719:02/01/05 20:52
>>752
> >ゲーデルの第2定理はその数学的な問題に
> >大きく依存してるんですけどね。
> 第二定理はオマケだ(笑)
わあ。じゃあ可導性条件なんて持ち出さないように。

> 対角線論法の話なら、ゲーデル数は本質じゃないだろ。
まさかほんとに対角化定理と対角線論法を混同してるんじゃないよね?

> ああ、だから贅肉タップリの数学小僧はいやなんだ(笑)
ところで、ウィトゲンシュタインってそういう頭の悪い物言いをする哲学
者だったの?

> >>ああ、実在論のことか。
> >違いますよ。ヒルベルト絡みです。
> ますます詰らん。
> やっぱり数学小僧に哲学は無理か。
ゲーデルの言ってるのは不完全性定理がヒルベルトのプログラムに対して
持つ「認識論的」意義でしょ? 哲学的に重要なんじゃないの?
755719:02/01/05 21:00
> 対角線論法の話なら、ゲーデル数は本質じゃないだろ。
> ゲーデル数が重要なのは、むしろ、証明可能性述語の構成の上でだろう。

対角化定理の話でこんなこと言う人相手に時間割くのもどうかなっていう
気がしてきたな・・・。
756719:02/01/05 21:29
何にせよ、正月早々、また不完全性定理で、しかもこんなくだらない
話で基礎論板荒らして(「また」って私のせいでの荒れは1度目ですが)
すみません>all。反省してます。後悔もしてます。
757ヴィト:02/01/05 22:03
>ところで、ウィトゲンシュタインって
>そういう頭の悪い物言いをする哲学者だったの?

数学者からみればバカにみえるだろうな。
もっとも数学者が「小利口」なだけなのだが。

>ゲーデルの言ってるのは不完全性定理が
>ヒルベルトのプログラムに対して持つ
>「認識論的」意義でしょ? 哲学的に重要なんじゃないの?

いいや、全然(笑)

ところで、対角化の「クワイン化」のアイデアが、
単なる対角線論法より「進んでいる」といいたいなら
それは勝手だが、そんなことにいちいち狂喜するのは
数学者だけだぞ。
ここは数学板なので、

>数学者だけだぞ。

みたいなことばっかいうなら、哲学板でやってくれよ。
類似スレはいくらでもあるんだし。

第二不完全性定理をおまけというのはかなーり君独特の哲学的な
立場にたっての発言だろ?それを一般的な哲学的見解のように
いって君のいう「数学小僧」をまどわすなよ。
759ヴィト:02/01/06 14:55
>>758

何、イラついてるんだ?

無矛盾性の証明を重要視するのが世間的だからといって
それが本当に意味があることを示しているわけではあるまい。

幻惑されたくないというのなら、まともな理屈の一つも
語ってみてくれ。それができないから、「なぜなぜ」
攻撃しかできないのだろう?小僧ども
不完全性定理の関連は、数学的にはとくに新しい話題も
ないし、小利口、大言壮語、我田引水なんでもありでしょう。
761ヴィト:02/01/06 15:50
三分間熟考の末(笑)哲学板にいくことにした。

あばよ。
762132人目の素数さん:02/01/06 19:43
や、やっとヴィトが消えてくれた…
うれしいよ〜
>>762
禿同
スデウザカツタ
まったくヴィトは正体ばればれだな.
そんときかぶれてる知識をひけらかすのは相変わらずウザイ.
>>764>そんときかぶれてる知識
しかも「数学的な細部は些細でどうでもいい」というだけあって
細部はいいかげんにしかわかってないみたいなので,よく知らない人は
ヴィトの言うことを間に受けないよーにね.
766ヴィト:02/01/07 15:36
>>764
>そんときかぶれてる知識をひけらかすのは相変わらずウザイ.

ん?もしかして□を使ったのがひけらかしだと思ったのか?
それはまったく誤解ってもんだ。

むしろ、無駄な知識を可能な限り捨てて
「記号遊び」の部分だけ見せようとしたのだがね。
767ヴィト:02/01/07 15:51
とはいえ、719のいうように、いささか細部を隠しすぎて
肝心なところまで隠れてしまった(笑)

719氏は、1)の条件はレーブによるものだという。
まあ、たしかに、ああいう形で条件を書いたのは
レーブが最初だろう。しかし、いいたかったのは
そういうことではなく、あのような条件を(そうと
はっきり意識はしなかったにせよ)有する証明可能性
の表現の実現というほうが先にあった。

それはまさにゲーデルの貢献だろう。
>>ヴィト
哲学の人ならマルクスやって下さい。
数学板で遊んでる暇があるなら。

>>その他の方々
最近興味をもって坪井先生のモデル理論に関する本を買ってきたのですが、
ちょっと難しいです。分かるまで粘って読むべきでしょうか?それとも
なにかもう少し分かりやすい情報はありますか?
769ヴィト:02/01/08 08:13
>哲学の人ならマルクスやって下さい。

なぜ?
うざいから
771132人目の素数さん:02/01/10 03:39
772132人目の素数さん:02/01/10 16:25
age
773132人目の素数さん:02/01/10 21:00
S.Shelahの本、高すぎ
>>773
内容がわかったらあんな安いものはない。
775132人目の素数さん :02/01/10 22:26
>>774
$300以上も出して買ったとか?
>>775
内容が理解できれば、その10倍でも高くない。
おいヴィット!尻に火がついてるぞ。どこぞの大学で
ヴィットシュタインが証明した数学の定理についての
集会があるぞ。おめぇ参拝して聴いてこなくてええんか?
778132人目の素数さん:02/01/12 13:27
>>777
訂正:
「ヴィット」は「ヴィト」
「ヴィットシュタイン」は「ヴィットゲンシュタイン」
779132人目の素数さん:02/01/12 13:40
Wittgensteinって数学やってたの?
780132人目の素数さん:02/01/12 14:19
>>779
やってたよ。初期の数理論理学の仕事をいくつか。なんか神秘的に読まれすぎてる
「論理哲学論考」は論理の本だからね。命題論理の真理表のアイデアとか、
モデル理論に与えた影響とかは大きい。真理関数的意味論はヴィトゲンシュタイン
の仕事じゃなかったっけ?

ただし、後期になると数学から離れてしまったことは事実。ゲーデルについて
2,3言及しているけど、それについては信者以外の評価は低いね。
数学そのものや数学の哲学としてはあまり面白くはない。

後期の仕事は数学以外の分野(人工知能とかやってる人々)で評価が高いね。
781ヴィト:02/01/12 16:50
やれやれ、あっちいけといわれたかとおもうと
こんどはこっちこいときた。貴様ら何様だ(笑)

>>780についてだが、最初の4行の話は、数学的にはツマラナイ。
真理表なんてヴィトゲンシュタインじゃなくてもやってるだろうし
その程度では、モデル理論以前の本当の「児戯」だ(笑)

次の3行に関しては、逆に過小評価だろう。
実際、数学基礎論のいろいろな問題の理由は「言葉」に
あるわけで、その意味で、ヴィトゲンシュタインの洞察は
重要な意味をもつ。ただ、単純素朴な数学屋はのっけから
言葉への信頼と不信のアンヴィバレンスがあるから、
そのことを認識し難いだろうけどね。

とはいえ、ヴィトゲンシュタインにとっては言葉が主で、
数学はむしろ従だった。だから最後の一行のような表現
になるのだろう。
おいヴィト、数論かなんかで constructive proof になってる
とかいうやっちゃぞ。
某慶応大学じゃぞ、賽銭もって参拝せにゃなるめぇ。
783ヴィト:02/01/12 17:51
>>782

なにいってるのかわからん。
情報ソースのURLを教えてくれ。
URL はみつかんないから2つに分けてはりつけるぞ。

********************************************************************
Mita Logic Seminar のお知らせ

「ウィトゲンシュタインの数学の哲学」セミナー
Seminar on Wittgenstein's Philosophy of Mathematics
********************************************************************

ウィトゲンシュタインの数学の哲学に関する種々の新たな歴史的事実が
明らかにされ,ウィトゲンシュタインの数学の哲学に新たな観点が
与えられてきた.
本セミナーではこうした流れを受けてウィトゲンシュタインの新しい
「数学の哲学」像について討論する.

[日時] 2002年1月16日(火)午後4時から

[会場] 慶應義塾大学三田キャンパス,東館6階ホール(G-SEC lab.)
(田町駅 (JR山手線)または三田駅(地下鉄三田線),
または赤羽橋駅(地下鉄大江戸線)より徒歩5分).

※東館は三田キャンパス東門上の建物です.

[プログラム(予定)]
16:00 - 17:00 (1)Paolo Mancosu
(米国カリフォルニア大学バークレー校哲学科)
Wittgenstein's constructivization of Euler's proof
of the infinity of primes (joint work with Mathieu Marion)
17:00 - 17:15 休憩
17:15 - 17:45 (2)岡田 光弘(慶応大学文学部哲学科)
Wittgenstein's remarks on recursive proofs
17:45 - 18:15 Discussion on Wittgenstein's Philosophy of Mathematics
[Abstract]
(1)Wittgenstein's constructivization of Euler's proof
of the infinity of primes
--- Paolo Mancosu(米国カリフォルニア大学バークレー校哲学科)

In an unpublished paper, `Zur Frage der Konstruktivit\"{a}t von
Beweisen' (1930), Heinrich Behmann presented a flawed proof of a conjecture
by Felix Kaufmann, in Das Unendliche in der Mathematik und seine
Ausschaltung (1930, p. 66), according to which proofs of existence claims
which do not depend on the axiom of choice implicitly rely on the exhibition
of an instance satisfying the existence claim. Behmann provided a method
for transforming indirect proofs into direct ones. In the last part of his
paper, he presented, as an example, a constructivization of the well-known
proof by Euler of the infinity of the prime numbers. In a footnote, Behmann
attributes this constructive version to Ludwig Wittgenstein. This version
differs from the standard one given by Leopold Kronecker in
Vorlesungen \"{u}ber Zahlentheorie (1901, pp. 270f.)
I shall give textual evidence that Behmann
learned about Wittgenstein's proof through Friedrich Waismann and Kaufmann.
I shall then present the proof and show how it sheds light on Wittgenstein's
remarks on Euler's theorem that are published in
Philosophische Bemerkungen.
Wittgenstein refers to Euler's proof as a ``proof by circumstantial evidence''
and adds that such proofs should ``absolutely never be permitted'' in
mathematics. In these and surrounding passages he criticizes existence
proofs and claims that philosophical clarity will ``prune mathematics''.
Wittgenstein's constructivization of the proof is evidence of the depth of
his thinking on these issues and a clear indication of his constructivist
stance in the early 1930s.


(2)Wittgenstein's remark on recursive proofs
--- 岡田光弘(慶応大学文学部哲学科)

It is known that Wittgenstein gave some important
technical contribution to ``recursive definitions'' and
used it for his philosophical analysis on recursive proofs.
We shall analyze Wittgenstein's remarks in his
Philosophical Grammar Part II and Philosophical Remarks,
compared with G\"{o}del's,
Skolem's, Goodstein's and others' on the same subject.
We shall also discuss Marion's analysis on Wittgenstein's
remarks.
786ヴィト:02/01/12 18:50
>>784
>>785

了解。
見た限り、ヴィトゲンシュタインが数論の定理を証明したわけではないようだ(笑)

最初のマンコスさんの発表は、素数が無限個あるというオイラーの証明に
対して、ヴィトゲンシュタインはどう解釈したかを述べるんだろう。
次の岡田さんの発表も、帰納的証明に対するヴィトゲンシュタインの
考えについて述べるんだろう。
787ヴィト:02/01/12 18:56
とはいえ、個人的には興味がない。

私も中期から後期に移行してきたようだ(笑)
788132人目の素数さん:02/01/13 00:35
いいからヴィトは氏ねよ
>>777f.,782,784f.
あんたもヴィトを召喚せんでくれ。哲学板でやって。
>>781
誰もお前に出てこいなんぞいってないぞ。

真理表だけじゃないってば。まあ、俺の書き方も良くなかったな。

タルスキの仕事が、フレーゲ、ラッセル、初期ヴィトゲンシュタインの強い影響を
受けていることはよく知られている話だ。論考で示された立場を数学的に整備する
とタルスキのモデル論になるそうで。
791中年生活者:02/01/13 14:49
>>781
>やれやれ、あっちいけといわれたかとおもうと
>こんどはこっちこいときた。貴様ら何様だ(笑)

「数学小僧」の「児戯」のあげあしを取るのを
よして、「哲学」とやらの「自慰」をやってておくれよ。

「数学小僧」だってメタの立場をに「立つ」ことを
を忘れないでおくれ。(ジェンダー問題、無視してごめん)

>とはいえ、ヴィトゲンシュタインにとっては言葉が主で、
>>数学はむしろ従だった。だから最後の一行のような表現
>になるのだろう。

こんなふやけた文言じゃ「哲学」であいてにされないかも
知れないけど、向こうでがんばっておくれ。

お元気で。
もうヴィトさんの悪口はよしましょうよ。
私だって言いたい悪口はありますが、悪口と「(笑)」の応酬なんて
つまんないじゃないですか、少なくとも“数学的には”。
実質をとって、“数学小僧”達は数学板、ヴィトさんは哲学板、
それでいいことにしませんか、もう。

というわけで、ヴィトさん、もうこのスレのことはあまり
お気になさらないでください。気持ちよく先日の「あばよ」で
お別れにしましょう。
793ヴィト:02/01/13 16:29
>>790
>俺の書き方も良くなかったな。

君の書き方が良くなかったな(笑)

>>792

うむ、「ヴィト」はもう来ないだろう(笑)
794昨日的定義:02/01/13 16:41
縦書きの本についての話で恐縮です。
「史上最大の発明アルゴリズム」(デービット・バーリンスキ著、
林大訳、早川書房)を買いました。
ライプニッツ、ヒルベルト、ゲーデル、チャーチ、テューリング、ポスト...と
このあたりまで読みましたが、これについて書きこみます。
「ゲーデルは、成果を生むのに必要なエネルギーを得るために
強い向精神薬を服用し、一九三〇年台を通じて各地のサナトリウム
を転々とせざるをえなかった。」(p240)
とか、
(ポストは)「若くして片腕を失った」(p242)とか
しらないことが、かいてありました。

でもゲーデルの「向精神薬」については、本当でしょうか?
795昨日的定義:02/01/13 16:47
794>>の「若くして片腕を失った」(p242)は
(p241)です。すみません。
796132人目の素数さん:02/01/14 03:09
>>794
向精神薬は知らないが、30年代の仕事の後でゲーデルが精神を
病んだことは有名な話だよ。竹内外史や Wao Wang の著作でも
触れられていたと思う。
フレーゲの革命以降の論理学を学んでる俺らには「たかが真理表」だろうが、
12〜13世紀にスコラ学者達に見いだされつつも失われ、19世紀のフレーゲが
起こした革命によってようやく再発見された概念だろ?「児戯」などと
切って捨てられるものではないんでないかい?

#ほんとに哲学書読んでるのか?あ、レスはいらねえよ。
#レスつけたきゃあ、哲学板の関連スレにでもかいてくんな。
>>797

いや、君がナントカの一つ覚えみたいに真理「表」とばかりいうから
重要なのは「表」ではなく、表現と真偽値を対応させるアイデアだろう
といってるわけ。文章は書きようなんだ。わかるか?
79912:02/01/14 10:12
>>798
あなた、いいことおっしゃいますね。
まあ、ご本人(797)も内容的にはそのように書いていられるようでは
ありますね、乱暴ですが。

表というのは色々ありますが、その表をどういう意図で書き、
その表のどこに注目することにより何がわかるか?っていう
別なものとの対応がないと意味がなくなってしまいますからね。
800792:02/01/14 10:16
>>798
まさかヴィトさんじゃないですよね?
>>793> うむ、「ヴィト」はもう来ないだろう(笑)
というのは、HN捨てるだけ、という意味だったりするのか?

>>780さんは>>790では謙遜してらっしゃいますが、>>780での
> 命題論理の真理表のアイデアとか、モデル理論に与えた影響とかは大きい。
という書き方は、「とか」という語を見ても、真理表ばかりが重要だと
言っているとは到底とれません。その証拠に、ちゃんと
> 真理関数的意味論はヴィトゲンシュタインの仕事じゃなかったっけ?
ともおっしゃっています。798さんがヴィトさんかどうかは知りません
が、つまらない口論をふっかけるための無理な揚げ足とりとつけこみは
やめてください。周囲が迷惑です。
>>800

>つまらない口論をふっかけるための
>無理な揚げ足とりとつけこみは
>やめてください。周囲が迷惑です。

じゃ、あなたも人につまらない口論をふっかけるのはやめてね。
あなたが一番迷惑な存在なの。あなただけがわかってないの。
わかった?
802800:02/01/14 11:09
わかりました。
>>801
ひさびさにいってみようか(笑 オマエモナー!!
>>801
Dr. G だろおまえ?おまえのほうがよっぽどいらねーよ。
>>804

誰だよそいつ(ププ)バカじゃねえの?死ねや
過去には、かなり研究レベルにあるらしい人の書き込みが
ありましたが、最近あまりそれがないみたいですが、研究
してる方は書き込んでいないか、おふざけの最中なんでしょうか?
807ミック:02/01/14 23:32
随分険悪な雰囲気のスレですね。
僕は皆さんが嫌いなウィトゲンシュタインの購読スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/979291385/l50
に生息している者です。
もう終息した後のようなので、濁すのはこのレスだけにしますが、ヴィトさんの言ってることがそれほどおかしいとは思わなかったので、おせっかいですが補足してみようと思います。

>ただし、後期になると数学から離れてしまったことは事実。ゲーデルについて
>2,3言及しているけど、それについては信者以外の評価は低いね。

 Wがゲーデルについて言及するようになるのは、1935年が一番古い記録のようです。『数学の基礎』に所見されるほかは、確かに殆どゲーデルについて語りません。
それゆえ、「実はWはゲーデルの不完全性定理を理解できていなかったのでは」という意見の研究者もいます。まあ、そこの真偽はわかりません。ただWがゲーデルの定理のもたらした結果を重要視していなかったのは、確実と言えそうです。
 1935年にシュリックという友人へ宛てた手紙の中で、「数学の中に証明不可能な命題が見出されても、驚くには値しない」と言っています。あるいは以下のような言明もあります。

≪いかに奇異に聞こえようと、ゲーデルの定理に関する私の問題は、「これが証明された」という命題が、数学において何を意味するか、それを明らかにすることに過ぎない≫(『数学の基礎』5−19)

 Wの興味は数学というゲームに参加することにはありませんでした。ですから、数学者のように色々な証明方法を考えたりすることにも興味を示さなかったことも、まあ当然です。
数学の公理系は、幾つあっても良いと考えていたのだから、別にプリンキピア・マテマティカの公理系に欠陥が見つかっても「だからどうした」という感想だったのでしょう。彼の興味は唯一つ「語の意味とは何か」という点にありました。
だから、ヴィトさんの「ヴィトゲンシュタインにとっては言葉が主で、数学はむしろ従だった。」という意見は、Wについてのごく「常識的」な見解だと思うのです。
ただ、数学を「従」として軽んじていたという根拠までは僕は知らないので、これはあるいはヴィトさんの言いすぎかもしれない。

 『論考』については、僕も解らないことだらけなので、何も言えません。
 長々と失礼しました。
808ミック:02/01/14 23:33
あと、
>後期の仕事は数学以外の分野(人工知能とかやってる人々)で評価が高いね。

という部分に惹かれました。
ウィトゲンシュタインと人工知能をテーマにした面白い本がありましたら、哲学板のスレにコソーリ書いておいてくれると嬉しいです。
809132人目の素数さん:02/01/15 01:09
いいから氏ねよ
810132人目の素数さん:02/01/15 01:46
哲学系の人間が胡散臭いのはなぜだろうか。
>>807
あなたにはWittgensteinは難しすぎます。
おそらく人生経験が足りない模様です。
哲学を甘くみてはいけません。
>>807
険悪なのはヴィトのみのせいだぞ。
813ヴィト:02/01/15 11:51
なんだ、ミックさん来てたのか?

あ、でも、これでわかったな。
ヴィトうぜぇとかいってるのは
数学ヲタ一匹のみだ(笑)
>>807
>もう終息した後のようなので、濁すのはこのレスだけにしますが、ヴィトさん
>の言ってることがそれほどおかしいとは思わなかったので、おせっかいですが
>補足してみようと思います。

哲学の領域は広く、その中で数学基礎論に近い哲学と言えば、分析哲学ですが、
Wittgensteinの思想は、分析哲学のメインストリームでは有りません
(もちろんメインストリームがいいとはいえませんが)。
むしろ分析哲学とは関係無いかもしれない。

そんなWittgensteinの思想に
強く影響を受けた方が、哲学を代表して(いるように思えます)、哲学の
名を借りて、数学小僧の『児戯』の楽しい遊び場を蹂躙しないでほしい。
>ヴィトうぜぇとかいってるのは
>数学ヲタ一匹のみだ(笑)

あんた、本気でそう思ってんの?
レスの時刻見たら、あんたへの非難が1人の自作自演じゃないってすぐわかるじゃん。
哲学科の院生の俺から見ても、あんたやり過ぎだよ。恥ずかしい。あんたに哲学を騙られて悔しいわ。
ウィトゲンシュタインから見て数学がどれだけつまらないかを話したいんなら、
哲学板でやればいいじゃんよ。ここはウィトゲンスレか? なんで数学の人に喧嘩売るわけ?
哲学者の中にも数学に興味がある人はもちろん、基礎論で論文書いてる人までいるし、
俺だって、数学基礎論に興味があるからこのスレ覗いてるんじゃないか。
基礎論の研究者さんの中には哲学者と組むことのある人もいるから(先日の林先生もそう)
このスレの皆さんがそう思ってるわけじゃないんだろうけど、>>810みたいなことを
言わせるような振る舞いはやめてくれよ。
816ヴィト:02/01/15 15:03
>数学ヲタ一匹

これは585のことね。

>レスの時刻見たら、あんたへの非難が1人の自作自演じゃないってすぐわかるじゃん。
>哲学科の院生の俺から見ても、あんたやり過ぎだよ。恥ずかしい。
>あんたに哲学を騙られて悔しいわ。

なんだ今度は哲学ヲタか(笑)

数学にしても哲学にしても、
ヲタはすぐに対象に耽溺してしまう。
それが自分自身も仕事もダメにする。

どうでもいいが、文句を聞きたくないなら
息を10分止めてみろ。何も聞こえなくなる(笑)
完全にスレッドレイプされた。
もうこのスレはだめっぽい。
818132人目の素数さん:02/01/15 18:07
いざない本に基礎論の分野として、
・帰納的関数
・モデル理論
・公理的集合論
・証明論
と分けられていますが、証明論とはどんなものなんでしょうか?
またどんな本が入門として適しているのでしょうか?
>>817
そうでもねえって、このところ煽りぎみの発言で場を険悪にしてたやつが
はっきり一人特定できたわけだから、あとはそれを無視すればいいだけさ。

どうせ馬鹿なことしかかきこまねえから、無視ししても害ないからな。

じゃあ、以降は完全無視ということで> all
820132人目の素数さん:02/01/15 23:03
>>818
竹内外史の Proof Theory でいいんじゃないかな?
ミックさん数学のことも計算機のことも知らなすぎ…>むこうのスレ
822132人目の素数さん:02/01/16 04:20
>>821
そこがいいんじゃん.初々しくて.
べつにあせることないし.
823132人目の素数さん:02/01/16 08:40
最近基礎論関係で研究されていることについての情報
はないでしょうか?
>>822
確かに初々しくて良いね。

>>823
過去レスに書いてあることじゃ駄目なの?いろいろ書いてある気が。
825823:02/01/16 10:38
>>824
はじめの200位までに比べて最近のがだいぶ古い感じがしたので。
826132人目の素数さん:02/01/16 11:19
哲ヲタは自分の無能さを哲学用語で誤魔化してるとしか思えません。
素直に問題を定めてそれを解くことに集中すればよいのにね。
このスレッドのような態度をとっている限り、一生何もできなそう。
>>819
>>826

なるほど>>817のいっていたことは本当らしい。
結局最初のカキコよりもその後の反響カキコで
ダメになるんだよな(w
828加護天使:02/01/17 03:33
証明論の入門なら、
竹内・八杉の”証明論入門”で Gentzen の算術の無矛盾証明と
2階論理のひとかじりも見ておくのもいいかな。
(竹内氏の哲学は無視する方がいいかも)
"Proof Theory"はその後でも。

煽りを無視することを
某掲示板では「心の中で削除」と称すらしい。
829132人目の素数さん:02/01/19 00:58
こっちに書いとくかな。あっちに書いといて、「選択公理、Zornの補題 が必要な定理」蓄積スレ
にすると便利かもだが、問題は誰がそのようなものを便利と考えるかだな。

>選択公理、Zornの補題 が必要な定理

ケーニッヒの補題(ただし、弱ケーニッヒの補題には必要ない)
>>829
弱ケーニッヒの補題ってどういう補題ですか?
831132人目の素数さん:02/01/19 13:21
>>830
二分木の場合に限定したのが弱ケーニッヒの補題だよ。
>>829
831 さんの答えによっていますが、ニ分木自体に少なくとも
全順序が入っていなければ選択公理がいると思いますが?
>>361
そうですかぁ。では A.N.Whitehead が Homotopy Theory を
お書きになったということですね。
どうも有難うございました。G.W.Whitehead も Homotopy
Theory を書いて有名な人ですが J.H.C. とは無関係ときいて
おり Whitehead ってのは皆、関係がないのかと思ってました
らそうなんですか?
834833:02/01/20 17:33
すみません。違うスレッドに書き込んでしまいました。
>>832
よく考えてみたらその通りだと思う。弱ケーニッヒの補題と
一般の場合で強さが違うのを勘違いしていたっぽいす。鬱氏、、、
>>834
一概に関係ないわけでもないが。
>>836

でも、>>833の話は直接の関係がない。
838132人目の素数さん:02/01/25 22:32
ここで議論することが「数学セミナー、、、」でやってるから
こっちをあげとく。
839132人目の素数さん:02/01/26 13:29
「数学セミナー、、、」のスレッド116で「集合論は数学基礎論でなかったし
数学基礎論でない」という意見がありますが、そうなんですか?
>>839

ああ、それを言ったのはオレだ。

集合論が数学基礎論でなかったというのは、
カントルが集合論を考えたときに、数学を
基礎付けるものとして考えたわけではない
だろうという意味。

たしかに、集合論から出たパラドックスが、
数学の基礎付けの問題を掘り起こしたという
ことはあるけれども、それは結果論だろう。

集合論がこれからも数学基礎論ではないだろう
というのは、今の研究が、例えば群論において
いろいろな群の研究を行うような感覚で、
いろいろな「集合論的ユニバース」に関する
研究に成り果てていると感じるからである。

個々の研究の結果が数学自体に影響を与える
可能性は否定しないが、それは、数学を基礎
付けるというものとは別だろう。

思うに、数学基礎論はフレーゲに始まり
ゲーデルによって終らせられた徒花だった。
今後新たな「数学の哲学」がうまれる
だろうが、それらは、数学基礎論とよばれる
べきではないと思う。
841 :02/01/27 05:40
>>840
もう基礎論とかいう恥ずかしい名前は止めにしてほしい
>>841
アメリカだと、もろにロジック、ロジシャンて言うよね。
>>842
集合論やってる人がなんで論理学者って呼ばれて「もろ」
なんですか?
844132人目の素数さん:02/01/27 16:48
いまや基礎論の本流はむしろ、理論計算機科学だろう。あっちでは
実用をともないながらも、もろ哲学という感じだ。
>>844
Google で Saharon Shelah っていれてごらん。
846132人目の素数さん:02/01/27 17:17
>>845
Yahooで打ってみた。
いいたいこと言ってよ。Shelahぐらい知っているよ。
基礎論、理論計算機科学、グラフ理論、離散数学、組み合わせ論
と広くやっている人だよね。分野をみると複数のことをやっている
みたいだけれど、いろいろ関連しているので、雑多にやっている
わけではないんだよね。
>>847
まず
http://www.math.rutgers.edu/~shelah/
だろうが
タイトルを見れ!! >>846 あんたなんか忘れているんじゃ
ないかい?ほれ、その次郎長の子分のつえ−やつが、、、
まあ一杯飲みねぇ、、、。
>>844
>いまや基礎論の本流はむしろ、理論計算機科学だろう。

理論計算機科学ってのもどうなんだろうねえ?
センスのある人は、例えば言語関係とか心関係に
いっちゃったんじゃないのかな?
どーでもいいがyahoo使うな。あんなもん
851132人目の素数さん:02/01/30 22:14
Saharon Shelah の
The Future of Set Theory
http://www.math.rutgers.edu/~shelah/future/E16.html
は631にあるがなかなか面白いぞ。Shelahは強制法の結果はあまり
重要に思ってないんだね。
852132人目の素数さん:02/02/01 20:56
自宅のパソコンで動作開始から30時間を経過したプログラムが
まだ計算中なのか、それとも無限ループに陥っているのかの
区別がつきませんが、とりあえずage
853質問:02/02/01 23:06
1+1=2がわからないのですが、
これは基礎論と関係ないですか?
たぶんこのすれのうえのほうにもあったよそれよんでからにしてくれる。
>>852
このスレ的には深い発言だなあ(笑)
856132人目の素数さん:02/02/02 04:03
竹内外史って毀誉褒貶が激しいの?
理由が不明なんだけど。
竹内氏自体は悪くないが、結果として竹内氏のみが
日本の基礎論の顔になってしまったことによる影響
は良いものとはいえない。
858132人目の素数さん:02/02/02 11:34
851に関して、

Saharon Shelahの最初のでかい論文は、Forcingを直接に
使ってはいなかったよな。
ええと、何を証明したんだったっけま。覚えている人が
いたら教えてチョ。

859加護天使:02/02/03 00:49
>>852

そうそう、停止問題、
一般的には、停止するかの判断はつきません。
もちろん、途中で停止しないことがわかる場合もある。

いちおう親切に答えとくね。
860加護天使:02/02/04 05:30
> いちおう親切に答えとくね。
書き込んだ後反省。
決して、いやみではないので。
861132人目の素数さん:02/02/04 14:37
>>859
茶茶です。
この場合すこし状況がちがうんじゃないでしょうか?
これはループに陥っているかどうか?ということを心配されて
いるので停止するかどうかではないのですね。
当然ですが、ループに陥っているかどうかは、原理的には決定
可能ですね、現実問題としては難しいでしょうけど。
862132人目の素数さん:02/02/06 08:30
>>858
Saharon Shelah が有名になったのはモデル論の Chang-
Keisler の本の open problem を次々解いたってんじゃない?
863132人目の素数さん:02/02/06 09:52
普通の人の質問です。
もしよかったら。

排中律
A=¬(¬A)
が成り立たない直観主義論理で数学の基礎を構築すると、
今の数学とはちょっと違ってしまうという話を聞きました。
具体的にはどのような分野がどのように様変わりするのでしょうか?
864どーでもいいけど:02/02/06 11:55
「アートマンはネティーネティーアートマンである」みたいだな。
865132人目の素数さん:02/02/06 16:15
>>863
背理法を使った存在定理なんかが面倒になりそう。
直感主義の提唱者=ブラウラーの不動点定理なんかどうなんだろう?
866852(ネタふり人):02/02/06 18:10
>861
あっ、そうなんですか!
 直観主義の許容する背理法は、Aという仮定を立てて矛盾が起きたら、Aという仮定は間違っていた、と結論するものだけだから。
めんどいよな。ヒルベルトが「数学者を楽園から追い出すつもりか」と怒った訳さ。
>>866
「ループ」とは以前と同じ場所にもどったことだから、今動かしている
コンピューターを監視する、性能がずっと高いコンピューターを
設置していれば判定できる(日時などがはいっている場合、それが
000..みたいに戻らないうちはループしているとは判定されないぞ!)。
それに比べ、プログラムが止まるかどうかは性能がずっと高いコンピ
ューターがあっても同じ。もちろん時間の上限をもうければ話が
違うし、普通問題にしている「止まるかどうか」は人間の生活時間
あるいは生命時間で上限がある。
>>867
「直観主義の許容する背理法、、、」ってなんですか?
その筋で、、、訳さ、っていわれても、どういうわけだか全然
わからない。
>>865
不動点定理の直観主義版は、証明がよいのだと直観主義人はほ
こってる。
>>863
ちょっとびっくりするのは、「閉区間上で定義された関数は一
様連続」っていう定理。直観主義版では連続関数でないものは
定義できない。いわゆる特性関数は空集合あるいは全体集合で
ないと定義できないってわけでその中にのめりこんでいないと
理解不能。でも Bishop-Bridges の本も出てて、直観主義人は
存在していて論文も出版されてる。
>その中にのめりこんでいないと理解不能。

ふんとに?
 それじゃなんだか思想みたいじゃん。
871132人目の素数さん:02/02/07 20:58
>>869
素人の素朴な疑問ね。

完全性をもっていない限りは、
Aか¬Aのどちらかが必ず証明できるとは限らない、んですよね?
だとすると¬Aの証明が作れない。
からと言って、Aが成り立つといって良いんでしょうか?

背理法が使えなくなるので不便にはなると思うのですが、
直観主義の方が慎重で好ましく思えます。
どうして主流じゃないのでしょう?
それとも背理法を使っても数学の本質にはあまり問題無い理由はあるのでしょうか?
872869じゃないけど:02/02/07 21:48
>だとすると¬Aの証明が作れない。
>からと言って、Aが成り立つといって良いんでしょうか?

直感主義じゃなくてもそんなこといわない。
¬Aと仮定して矛盾が起きる、つまり、¬¬Aが証明されたのでAが証明された、というのが非直感主義

ある性質の物が存在するかどうかというときに

A それを具体的に構成できる 
B 存在しないとすると矛盾する
C 存在すると仮定しても矛盾しない
D 存在しないと仮定しても矛盾しない
E 存在すると仮定すると矛盾する
 
例 A 1次方程式の解 / B 不動点定理 / C,D 選択集合 / E 開区間での最大値
存在の「強さ」は A>B>C>D>E
Aを「存在する」 Eを「存在しない」 とすることでは、両者は同じ
Bの扱いで異なる。直感主義で不動点定理を証明するって、与えられた集合や写像を使って不動点を具体的に求めるって個とかな?
867 じゃないんだけど、、、

>>869
>「直観主義の許容する背理法、、、」ってなんですか?

直観主義においては全ての背理法が拒否されてると思ってない?
>>873
直観主義論理で許容される推論に背理法という名前がつくの
はその趣旨に反する。873さんは867にあるような推論を背理法
と呼ぶらしいですが。
875132人目の素数さん:02/02/08 11:37
>>867
>Aという仮定を立てて矛盾が起きたら、Aという仮定は間違っていた

説明が足りない。
直観主義論理では、二重否定¬¬AをAと同じとは見ないと
言わなくては意味がない。
英語でI don't have no money. と言ったら、
金がない(I don't have any money.)という意味だ。
>>876
日本語で「わたしはお金をもってなくはない」といったら
少しはもってることだ。
これを根拠に日本語の方が英語より非論理的ではないと主張
しよう。
878132人目の素数さん:02/02/08 17:58
>>876
英語でI don't have no money.と言ったら
金がない(I have no money.)と言う意味に
とってくれるかもしれないが、資力と知力のない
人と思われかねないと思われ。
879132人目の素数さん:02/02/08 19:23
I don't have no money
スラングでは言うらしい。
金がないという意味だけど、、マイナスの2乗でプラス、じゃなくて、「0円も持っていない」って解釈すれば納得いきそうだが
880132人目の素数さん:02/02/08 19:25
選択公理がなかったらどうなるんだろう?
解析学あたりが困るんじゃないかな?
881132人目の素数さん:02/02/09 00:00
>>874
ふ〜〜ん。

1. P⊃Q (仮定)
2. P⊃〜Q(仮定)
3. P (背理法の仮定)
4. Q
5. 〜Q
6. Q∧〜Q

以上より、((P⊃Q)∧(P⊃〜Q))⊃〜P

のような推論は一般的には背理法と呼ばれ、かつ直観主義論理でも
成立する推論なんだが、直観主義だと名前が変わるんだ。は〜〜。
今更こんな初歩的なことをこのスレに書き込むのはちょっと痛いぞ。
なんかかくならちゃんとかけやぼけえ。

>>875
足りないとかいいだしたらきりがないだろうが、、、

直観主義でだめ;P∨〜P(排中律)、〜〜P⊃P(二重否定除去)、
(〜P⊃〜Q)⊃(Q⊃P)(対偶)

直観主義でおけ:P⊃〜〜P(二重否定除去)、
(P⊃Q)⊃(〜Q⊃〜P)(対偶)

背理法という証明法は対偶を用いた証明方法と言い換えられるのはい
いよね?

で、古典論理上で行われていると解釈できる数学の証明の中で、背理法を
用いて証明されているもののうち、前者の対偶が本質的に使われてい
る場合は、直観主義論理上ではその証明は維持できない。おけな対偶を
使ってるばあいは、もちろんおけ、ってな話だろ?

紛糾するような話題か(w?
>>881
ふーん。
背理法っていったら、P の否定を仮定すると矛盾するので
P だという論法だと理解してるぞ。
示そうとすることが否定命題でないと使えない背理法なんて
直観主義論理のなかでの話じゃないのかな?
884882:02/02/09 14:46
おっとお。P⊃〜〜P(二重否定除去)は二重否定導入のまちがいね。

>>883
そう?「Pでない」という結論を示すために、「P」を仮定して
証明するなんて大学入試問題にもあるだろ。
>>884
そう?
それで、それ背理法って呼ぶわけ?ただの推論じゃなくて。
>>881
専門家の間でどういわれるかはともかく、広辞苑では「背理法」は
ある判断の否定を真とすれば、、、となっていて 883 にあるような
ことだな。
887132人目の素数さん:02/02/10 01:11
>>883
君の背理法の定義や広辞苑の定義にそうように、
>>881 の「3. P」を、「3. 〜〜P」としても直観主義論理上でも
成立するんだけど?なぜなら、〜〜〜Pと〜Pの同値性は直観主義
論理でも成立するから。


>直観主義論理のなかでの話じゃないのかな?

だから、直観主義論理の中の話だよ。通常の数学で、定理として出てくる
ものの中で、背理法を使うものは軒並みだめになる印象を初学者は持つだ
ろうけど、否定的命題を証明するのに背理法を使った場合は直観主義でも
おけ、という話をしてるんだろ?
背理法の場合、要するに、存在証明に「存在しない」を仮定して矛盾を導いても、存在するというものを具体的に構成できないからだめ。
存在することを仮定して矛盾を導いて「存在しない」を証明するのはOK,って事でしょ?
>>887
排中律や背理法が確実性が低く感じるということと、直観主義論理が
生まれたことが関係しているから、言葉使いとして違和感があるという
趣旨で書いただけで数学的内容がおかしいといったわけではない。
たぶん、そのような意味にとられなかったようですね。
890132人目の素数さん:02/02/11 15:02
>>889

もしかして、何もわかってない?

つまり
Aを仮定して矛盾を導き¬Aを証明する
のと
¬Aを仮定して矛盾を導きAを証明する
のとは違う。

後者は、前者のほかに¬¬A⇔Aも用いてる。
これがないと
¬Aを仮定して矛盾を導き¬¬Aを証明する
だけになっちゃう。
>>890
もしかしてブラワァーて知らないんじゃない?

背理法とか排中律とかを使わないことを提唱したんでしょ。
それで出来た直観主義論理のなかで、推論に背理法なんて名前
つけるのなら、直観主義論理の適当な推論に排中律って名前
つけても驚かないよ!
892887:02/02/12 01:01
>>891
わかってないことは、よ〜〜〜くわかったよ。

しかし、あの人のカタカナ表記はかなり揺れがあるけれども、
「ブラワァー」ってのは初めてみたよ。

>背理法とか排中律とかを使わないことを提唱したんでしょ。

違うよ。「無制限に使うべきではない」と主張したんだよ。
>>892
よーーーーく、わかったよ。ものすごーーーい博学なんですねぇ。
894132人目の素数さん:02/02/12 09:03
しょうもない喧嘩は止めましょう。

とりあえず他の人には迷惑です。
895まおまお:02/02/12 17:13
対偶って、二重否定除去を用いて証明できるよね。

いや、否定記号が除去される方の対偶を禁止することで、
二重否定除去が自動的に禁止されるのなら、何故両方
並記して禁止してあるのかな?
と思ったもんで。
>>896
普通、使ってよい推論をならべてあるわけで、禁止事項を
ならべるというのはおかしいのでないでしょうか?
禁止事項を並べるときりがなくなってしまうのでは?
897まおまお:02/02/13 08:57
あ、そっかそっか。言われてみれば、その通りだわな(^^;
要するに>>882は、代表的な注意点を列挙したに過ぎない
んだね。納得ナットク。
どうもありがと>>896
898882:02/02/16 15:01
細かいことだが、、
>>895
>いや、否定記号が除去される方の対偶を禁止することで、
>二重否定除去が自動的に禁止されるのなら、何故両方

自動的に禁止されない。否定記号が除去される方の対偶が定理に
ならないが、二重否定除去が成立するシステムなんか簡単に作れるよ。

簡単だから、自分で証明してみ?暗算ででるよ。
899132人目の素数さん:02/02/16 17:57
>>898

それって、「⊃」の証明に、制限をつけるようなもの?

制限がなければ、二重否定除去が成立すれば、
否定記号が除去される方の対偶も定理になるよね。

つまり、(〜P⊃〜Q)のほかに〜PとQを前提すれば矛盾する
からQを前提として〜〜Pが証明できることになるね。

ここで、二重否定の除去を使えば、Pが証明できることになるから
「⊃」の性質から、前提Qを結論のほうにもってくれば、Q⊃Pが
証明できるね。

そう結論できないためには、上の推論のどれかを制限しなくてはいけないね。
900882:02/02/17 02:09
>>899
>それって、「⊃」の証明に、制限をつけるようなもの?

ちがうよ。Gentzen 流で考えてるのかな?Axiomatic Method で
考えたほうが理解しやすいよ。

含意、選言、連言に関する公理と modus ponens は通常通りの体系に、
〜〜P⊃P と P⊃〜〜P を公理として付け加えた体系を
考える。この体系と、各対偶を表す論理式が独立であるこ
とは容易に確認できるYO! この体系は、対偶に制限はあるけれども
二重否定則には制限がない体系になってるんだよ。

#証明のヒント:この体系の「〜」は否定としてまともに働きません。

もちろん、含意とmodus ponensは普通通りなので、含意に関して特別な
制限はないよ。
>>900

>#証明のヒント:この体系の「〜」は否定としてまともに働きません。

それって(P⊃⊥)⊃〜Pじゃないってことかな?

でも、それはここの文脈を無視してるね。
895は否定の意味を変えていいとはいってないよ。
否定がまともに機能しないように導入するというのはどういう
システムなのかちゃんときかないとダメじゃないかなぁ。
論理のシステムは1セット機能するものだから部分的にはずして
これをつけってって感じの話はあまり面白くない、なにか対応
する興味をもてるモデルがないと。
>>901
>895は否定の意味を変えていいとはいってないよ。

そう言う話じゃないんだよ。>>895 は、

>いや、否定記号が除去される方の対偶を禁止することで、
>二重否定除去が自動的に禁止されるのなら、何故両方

といってるね?これはつまり、
「二重否定除去から否定記号が除去される方の対偶が導かれる」
ということになる(対偶だね)けど、これは成立しないと言い
たいの。

その証明のために、特異なシステムを作ってみせたってことだよ。

>>902
>する興味をもてるモデルがないと。

単に二重否定則から対偶が導き得ない、対偶を禁止しても、
それが即二重否定則の禁止とならないことを示すためだけ
のモデルであるから、別に「興味深い」必要なないんだよ。

っていうか、これは典型的な練習問題なんですけど。
推論規則が全くない、公理だけのシステムでは公理にないもの
は証明できない。だから、ある程度の公理と推論が前提にあって
そのうえでの話を 895 さんはいってるのだと思う。900さんは
Gentzen 流でもおっしゃってる主張をうまく表現できるのでし
ょうか。この推論もあの推論も使ってはいけないっていうことに
なるのでしょうが?
905132人目の素数さん:02/02/19 01:34
>>904
何度も言うようだが、常識的な知識を披露しているだけなのに、
なぜこうまでつっかられる(苦笑?このスレはときどきこういう
変な雰囲気になることがあるのはなぜだろう。この間も、
半可通の >>891 が暴れてたが、、、悪いけど、ちょっとむっとしたので
あまり親切なレスはつけないよ。

>ょうか。この推論もあの推論も使ってはいけないっていうことに
>なるのでしょうが?

なるわけない。>>900 をよく読め。

>含意、選言、連言に関する公理と modus ponens は通常通りの体系に、

とかいてある。これはすなわち、否定が本質的に出現しない部分においては、
直観主義論理と同等の定理が全て導出できるということだ。Gentzen 流の
自然演繹の言葉で言えば、連言選言含意の全てのイントロとエリミネーション
ルールは保存されている状態である。
906905:02/02/19 01:47
続き。
>は証明できない。だから、ある程度の公理と推論が前提にあって
というのは同意だが、そのある程度はすでに示してあったつもりなんだがね。

fregean syllogisms + simpllification + modus ponens という構成に、
適切な否定に関する公理を付け加えると古典論理ができ上がることは
よく知られている。適切な公理としては、

1)(A \supset \neg B) \supset ((A \supset B) \supset \neg A)
2)否定をとるほうの対偶
3)二重否定除去 + (A \land \neg A) \supset B

などがあげられるだろうか。

これ見てわかるだろうけど、二重否定除去だけでは、古典論理的否定を
特徴づけるには不十分なのだ。だから逆に言うと、強いほうの対偶を
導出できないように制限を加えても二重否定除去が生き残る可能性が
あるって事になるのです。
907905:02/02/19 02:01
なんか親切に全部答えを書いてる気がするが、、、

>Gentzen 流でもおっしゃってる主張をうまく表現できるのでし

NK で言えば、否定のイントロと否定のエリミネーションの二重否定じゃない
ほうを削ったのが近いかな?このようにしてやると、二重否定除去は証明
出来るけど、対偶は出せないね?LK だったらどうかとかは自分で考えてくれ。

以上。
そろそろパート2の準備を。950 踏んだ人が作るって事でどー?
>>906>>907
大体、様子がわかりました。証明を扱っている人で直観主義論関係を
扱っている人のあいだでは常識なのだろうということがわかりました。
有難うございました。
910まおまお:02/02/19 10:05
あやや、全然読んでなくてスマソ。ま、読んでもあまり理解できな(以下略(^^;

いや、>>882で「直観主義でおけ」って書いてあったから、否定記号導入の
方の対偶はサクサク使って良いのかな、と思って。
で、
(〜Q⊃〜P)⊃(〜〜P⊃〜〜Q)
だから
P∧(〜Q⊃〜P)

P∧(〜〜P⊃〜〜Q)

(〜〜P)∧(〜〜P⊃〜〜Q)

〜〜Q ⊃ Q(二重否定除去)
よって
(〜Q⊃〜P)⊃(P⊃Q)

‥‥っていう式変型の、どのステップがイカガワシイのか、教えてたもれ。
とりあえず、>>908。建てといて
>そろそろパート2の準備を。

次は「論理なぜなにスレ」と「集合論なぜなにスレ」にして
913908:02/02/20 02:53
ぱーと2たてといたよ〜!!

http://cheese.2ch.net/test/read.cgi/math/1014140987/l50

>>912
なんか、スレ2ついきなり立てるのに躊躇しちゃって、
わけなかったよ。すまにゅ。
>>910
あってるぞ、その推論。(Q⊃P)⊃(〜P⊃〜Q)+ 〜〜Q ⊃ Q
も古典論理になるってことでわ?
>>914
直観主義論理に二重否定除去を付け加えれば、古典論理になるのだから
直観主義論理をベースにすれば、895 さんのいっていることは正しいと思い
ます。
898 さん(914さんと同じかどうかわかりませんが)がその後説明された
ことは結局、直観主義論理より弱いあるシステム(900)で、二重否定除去と対偶
の論理的強さを比べた結果を説明していたということなのでしょうか?
∀・)<途中で止まってる・・・
>>977 (・∀・)アトハマカセタ
ココマデハ(・∀・)ヤッテオイテヤル
 
  
   
    
     
      
       
        
 
  
   
    
     
      
       
        
         
999finisher:02/03/05 15:26
あとひとつ。
1000finisher:02/03/05 15:27
フィニーッシュ〜〜〜!
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