824 :
HAA〜A〜 :02/05/05 07:26
>>823 どういう問題意識か。思ってもいなかった繋がりとは何か。私は全く高度さは感じなかったが。
もちろん私は、野矢氏の本より価値があるとは思っていないほうだ。
825 :
考える名無しさん :02/05/05 08:00
保坂のほうがずっと頭良い野やより
826 :
考える名無しさん :02/05/05 19:21
うそ〜ん。保坂より野矢の方が遥かに頭いいでしょう。
保坂ってだれですか?
828 :
考える名無しさん :02/05/08 20:14
ワロタ
保坂和志
830 :
考える名無しさん :02/05/12 21:59
マジで書いてるのか? 保坂なんてただの作家じゃん。 しかも大バカ。
831 :
考える名無しさん :02/05/16 00:54
保坂ってどういうこと書いてるの? 書名出版社名とアウトラインおしえて
人から名スレと聞いたので、いま読み終えたけど。。 2ちゃんってこんなにもレベル低いんだ。 ミックさんと稲さんはしっかりと自分の頭で考える人たちだと思うけど、 あそこで議論が止まってしまうとは。 あともう一人のコテハンは。。まあ一生あの程度でしょうね。 ニックさんもオフ会ではさぞお困りだったでしょう。 この2時間はなんだったのか。二度と来ません。
833 :
考える名無しさん :02/05/18 01:15
>>832 文句を書き込むよりも再び活性化させてみろよ。
そんな書き込みで終わるのなら、
結局、キミも同じレベルにしかすぎない。
>>832 >二度と来ません。
具体性の無い書き逃げ。プ
いちご姫ってウィトが専門てわけでもないと思うが・・・
836 :
考える名無しさん :02/05/22 13:46
不定時あげ
837 :
ははあの三年忌 :02/05/22 20:35
>>835 私はその道のプロだと思う。
簡単に応答的にあれだけのコメント書けないよ。
専門論文を多くチェックしてるし、コメントもできる。
また日本ではビビル先生がたに堂々の評価を下せる。
貴殿はどうしてそう感じるか。
838 :
考える名無しさん :02/05/23 11:37
839 :
考える名無しさん :02/05/23 11:38
↑の本の中でどれが一番良いですか? わかりやすい英語で書かれているほうが良いです。
840 :
考える名無しさん :02/05/23 11:43
バカな質問してすみませんでした。 今気づきました。
841 :
考える名無しさん :02/05/23 12:23
何じゃ、ここは
古本で全集買うとしたら幾らまでOKっすか?
843 :
考える名無しさん :02/05/26 00:49
やめて、ホワイトヘッドにしよう。ウィトゲンシュタインは飽きた。マジデ。
>843 ぜひ実行くれ。 今までにも同じこと言うのは何人もいたが、結局ここ以外で成功した例がない。ちょいとさびしいだろ。
845 :
考える名無しさん :02/06/02 22:16
そうだね
846 :
考える名無しさん :02/06/05 16:19
ヴィゲドン文章下手糞ね
847 :
考える名無しさん :02/06/05 16:34
ってこのスレで白頭もやるのか?
848 :
考える名無しさん :02/06/18 10:57
ageとくか
849 :
考える名無しさん :02/06/26 21:15
age
>>846 簡潔ジャン。thatが少ないからか(ww
851 :
考える名無しさん :02/07/04 20:28
age
852 :
考える名無しさん :02/07/10 04:49
853 :
考える名無しさん :02/07/15 21:05
誰か、ウィトについて書かれてる、わかりやすい本を知らんかな? ちなみに、 藤本の講談社学術文庫はもう読みますた。
854 :
考える名無しさん :02/07/15 21:10
野矢と永井と飯田の本だね
855 :
考える名無しさん :02/07/24 20:31
age
856 :
考える名無しさん :02/08/02 22:35
一昔前のわけわからんブームは終わったようだね
857 :
考える名無しさん :02/08/02 22:43
>>583 「論哲論考」の最後の3ページを「するめ」のようによくかんでよむとよい。
最後の一行に立ち至り、「全自己否定」する構成の微妙さをよく読む。
全部読んだって「学術文庫」より少ないよ。「字数」では。
野矢さんの本を読んだよッ。 おもろかったゼイ。 特に、要素命題における普遍論争に関して イロイロ憮然としてたトコがあったので とっても示唆的でした。 以前、細川さんの本を少し覗いた時に、名の配置の記号化 を援用して、唯名論を擁護する記述が あったんけど、どうも納得いかなかった。 野矢さんは性質や関係も対象として取り入れる と考えて、それを論考の脈絡や、唯名論の不自然さを シェイクしながら、独特のウィットでもって実在論を擁護 してたけど、ニフニフ・・・!って感じだったー。
ルッキー(´Д`*)ハァハァ
860 :
考える名無しさん :02/08/11 00:15
age
861 :
考える名無しさん :02/08/12 05:30
日本人が好きそうな哲学者
862 :
考える名無しさん :02/08/17 23:59
誰か続きやらんの?
ヴィトゲンシュタインの入門には、本人の著作を読むのが手っ取り早いと思います。 青土社から出ている「反哲学的断章」は、鋭い(ちょっとキレた)アフォリズム集でいいですよ。 また、ヴィトゲンシュタインの入門は、日本の学者だったら、野矢さんのものが確かにいいですね。 また、「論考」、「探求」、「青本」の訳または読解では、黒崎宏さんのものが、センスもあっていい訳・読解だと思います。 「論考」、「探求」のみドイツ語と読み比べましたが、黒崎さんの訳は正確でした。 なお、大修館の全集には、誤訳がまじっていました。
864 :
考える名無しさん :02/08/18 01:32
>>863 誤訳って具体的にどこですか?
よろしければ教えてください。
奥雅弘と藤本隆志に対して「誤訳」とはすごいですね
865 :
考える名無しさん :02/08/18 11:05
少なくとも藤本訳は誤訳多いよ。 また、入門書はどれもみんな自分の解釈だから、読むなら複数読まないとね。 一冊だけ読んで原典読むと、その解釈を押し付けて読むだけになるね。 黒崎訳の読解部分も要注意。強力な黒崎解釈が入っている。
866 :
考える名無しさん :02/08/19 20:20
>>865 >黒崎訳の読解部分も要注意。強力な黒崎解釈が入っている。
だからタイトル 訳でなく「読解」なんだからさ(建前上は) いいんじゃない?
>>866 もちろんいいですよ。あたりまえ。入門書の場合と同じことです。
>>864 おれの知ってるのでは次のようなのがある。
大修館の全集8巻の藤本隆史訳『哲学探究』第1部第432節は意味が変になってる。
この個所の独語原文の趣旨は
「記号をそれ単独で見たら死んでるよーにしか見えないけど、使用されるときには記号は生きてる。そんとき記号自身に命があんのか、使用が記号の命なのか。」
ってことで、記号の命は、記号自身の中にあるのか、記号の外の使用なのか、って対比をしてるんだと思うが、藤本訳では最後のところが
「その中でそれは生きた息吹を取り入れるのか。それとも、慣用がその息吹なのか。」
というふうに、記号は使用の中で生きてるのか、使用が記号の命なのか、っていうとんちんかんな対比になってる。
誤訳のもとは、「記号」に帰っていくsichを「使用」を指すsieと勘違いしてるから。というよりは、アンスコームの英訳と同じ間違いだから、この個所を独語原文からじゃなくて英訳から重訳してるっぽい。
それから藤本訳に限った話ではないが、Familienaehnlichkeiten (青色本でfamily likenesses)をウィトゲンシュタインは単数と(『心理学の何ちゃら』の中にあった)複数(その他あちこち)を使い分けてるのに、それに気を使っていない訳の方が多いと思う。
英語からの誤訳だと、黒崎が『生涯と哲学』で、
「ドゥルーリー、君が何になろうとも考えることをやめちゃーいけないよ。」
という感じの職業選択の話でもしてるようなエピソードを書いていたけど、原文は"Whatever becomes of you"のはずだから、ここは「君に何が起きても」と訳す。語感を捉えそこねたか辞書を引く手間を惜しんだと思われる。ま、これはどーでもいい感じがする。
おれは哲学専攻でもないし独語の単位も落としてる(wのでこれ以上は知らない。
>>865 誤訳が多い少ないと一般的な論評してる方が格好はつけやすいかもしれないけど、詳しく知ってるんだったら具体的な個所を挙げてやる方が親切ではないの?
869 :
考える名無しさん :02/09/02 10:24
>>868 独語から英語への翻訳でさえ、(たとえば再帰動詞の訳をめぐって)
初歩的なミスを犯すことがあるんですね。
でもウィトの場合、原文そのものが試行錯誤の不統一って気もしますが。
それはそうと、野矢さんの『論考を読む』、遅まきながら読みました。
非常にわかりやすく、おもしろかったです。
870 :
考える名無しさん :02/09/06 03:10
藤本訳の誤訳の典型例としては 我々の言語ゲームは 比較の対象として提示されているのであって、「摩擦や風圧 を顧慮しない最初の近似である」と「近似ではない」という独文の主張を反対に訳し ているところPU I-130とか 「引き受けるべきもの,与えられているものは生活形式である」の「引き受けるべ きもの」を「付け加えるもの」と意味不明な訳にしたてているところ(PU-II-xi)と かもある あと Gebrauchを「慣用」はどうしてもいただけない ※いちいち本を参照していないので、文章に要約・パラフレーズがあったり、参照箇 所が間違っていたら赦して
>>870 確認しました。
PU I-130
原文"Unsere klaren und einfachen Sprachspiele sind nicht Vorstudien zu einer kuenftigen Reglementierung der Sprache,
- gleichsam erste Annaeherungen, ohne Beruecksichtigung der Reibung und des Luftwiderstands.
Vielmehr stehen die Sprachspiele da als Vergleichsobjekte, die durch Aehnlichkeit und Unaehnlichkeit ein Licht in die Verhaeltnisse unsrer Sprache werfen sollen."
藤本訳、大修館「われわれの明瞭かつ単純な言語ゲームは、将来の言語規制を目指した予備研究なのではなく、-いわば、摩擦や風圧を顧慮しない最初の近似である。むしろ、これらの言語ゲームは比較の対象として提示されているのであり、
それらは、類似や相違を介して、われわれの言語の諸状態に光明を投げかけるべきものなのである。」
藤本訳、法政大「われわれの明瞭かつ簡単な言語ゲームは、将来言語を規制するための予備研究ではない。
-いわば、摩擦や風圧を考慮しない最初の近似法である。これらの言語ゲームは、むしろ、比較の対象として提示されているのであり、それらの類似や相違を通して、われわれの言語に関する諸々の事実を解明すべきものである。」
黒田訳、平凡社「我々の明瞭かつ単純な言語ゲームは、将来における言語規制を目的にした予備研究ではなく、
-いわば摩擦や大気の抵抗を計算に入れない最初の近似である。むしろこれらの言語ゲームは比較対象として、すなわち類似と相違の双方を通じて我々の言語の諸状態に光明を投ずべきものとして設定されているのである。」
確かに原文は「一次近似ではない」でした。
PU-II-xi
原文"Die Hinzunehmende, Gegebene - koennte man sagen - seien Lebensformen."
藤本訳、大修館「つけ加えるもの、与えられているものは生活様式である-とひとは言うことができよう-。」
黒田訳、平凡社「引き受けるべきもの、与えられたもの、それが生活形式である-と言えるであろう。」
藤本訳の「生活様式」もいただけないと思われますが、
藤本訳でGebrauchを「慣用」としているのがいただけない理由、
「使用」とするのとどういうところが違ってくるのか教えて下され。
872 :
考える名無しさん :02/09/25 18:49
ウィトゲンシュタインは天才。凄い男〜
873 :
考える名無しさん :
02/09/25 19:35 ウィトゲンシュタインは天才。凄い男〜