1 :
今さら文転なんて無理 :
03/12/22 11:04 数理論理学がかなり面白くなって数学科行ってみようと思った者ですが、 調べると数学より哲学科でよくやってる?ようですね。なぜ? 素人の厨房(工房ですが)ですみません。数学ですよね?あれ。 数理論理学→哲学 数学基礎論→数学 ってこと?でもこの二つって同じではないのですか?? ちなみにきっかけは、 竹内外史「集合とはなにか」講談社ブルーバックスでした。 面白かったです。
なんか支離滅裂な文章でごめんなさい! 自分なりに調べてみますが、アドバイスあったら教えてください。 ちなみに高2です。周りにこんなマイナー(ごめんなさい!) な分野に詳しい人いないので。
3 :
132人目の素数さん :03/12/22 11:24
数理論理学が面白くなって数学科に行きたくなったのなら、 数学的に、そして数理論理学的にレベルの高い先生に接する のがいいのではないでしょうか。数学的にはレベルが高くても 数理論理学的にはレベルが高いと言えない先生も少なくないだろ うし、要注意。 ところが先生も大学間を移動する可能性があるから、どこの大学 に行けばいいとは断言出来ないと思う。
> 調べると数学より哲学科でよくやってる?ようですね。
そんなことない。お前の事実誤認。
哲学の人がいろいろ言及してたりすることもあるだろうけど、
トンデモなことを言ってるだけの人もいるし、
もちろん、哲学系の人でちゃんと分かってやってる人もいるけど、
哲学科のほうがよくやってるなんてことはない。
ただまあ、日本の数学科では数学基礎論や数理論理学が軽視されてるのは確かだが。
この辺を見れば雰囲気なんかが分かると思う:
http://kurt.scitec.kobe-u.ac.jp/~sato/
>>4 おいおい、おまいも言い方が極端だよ。
だからといって数学でまともにやってるわけでもない。つーか、君の
紹介している佐藤さんも、「もし数学科に論理学がまともにあったら」
ってかいてるやん。日本で論理をやる場合は、学部できめることは出来ず、
学校と先生できめねばならない、っていうのが正解。
哲学系なら慶応文学部哲学科が伝統を守ってるし、情報系とかなら
北陸先端大には小野先生がおるし、数学科なら神戸大学がいいんだっけ?
論理がやりたいなら間違っても東大、東工大の数学科を偏差値で選ばない
ようにな(w
#っていうか、
>>1 よ、単発スレたてないで、基礎論スレで聞いてくれないか?
>>5 そのへんのことは、「ただまあ」以下に書いたことで
バランスを取ったつもりだったんですが。
あと、必ずしも日本に限った話をしてるわけでは無いと思ったんでな。
まあ、とりあえず補足さんくす。
>>6 らじゃ。2ちゃんには珍しく建設的なやり取りでうれしいね。
8 :
132人目の素数さん :03/12/23 17:45
>論理がやりたいなら間違っても東大、東工大の数学科を偏差値で選ばない ようにな(w 情報科学科にいけばOK
論理の先生は情報科学だね。確かに。
数理論理学→離散数学 数学基礎論→計算理論 高校生じゃわからんだろうな。でも1の分野に一番密接なのは実は情報学科 じゃないのかな?とはいえ情報学科のメインはプログラミングだからその点 は覚悟しとけ。
>>10 離散数学に数理論理学は入らないよ。
逆に計算理論やるのに数理論理学は常識
ゲーデル知らずに不動点作用素語っちゃいかん
・・・ってこともないけど(w
>数学より哲学科でよくやってる?ようですね。 そうおもって文学部哲学科にいくと カントとかヘーゲルとかやらされちゃうぞ。
>>11 離散数学ってのは狭い意味ではグラフ理論だが、広い意味ではコンピューターに
必要な数学をほとんど含める。広く浅くだが。離散数学の教科書みてみな。
>離散数学ってのは狭い意味ではグラフ理論だが それは狭すぎ。組み合わせ論が落っこちてる。 >広い意味ではコンピューターに必要な数学をほとんど含める。 それは広すぎ。計算量理論とかプログラムの意味論とかは 離散数学とは異なる独立の分野。離散数学の教科書よく見てみな
>>15 >離散数学I Discrete Mathematics I
>知能情報システム工学科 (夜間主コース)
>1年次 前期 必修 2単位
>1週目 記号論理(命題演算)
>2週目 記号論理(論理の諸公式)
明らかに、ブール代数だな。
完全性定理も不完全性定理もカット除去も出てこない。
1年坊主の講義だから当然だけどな。
君、大学行ったのか?
>そもそも計算量理論もプログラム意味論も数学じゃないんだが。 証明論もモデル理論も数学じゃないんだが(w
>>17 正確には(数学科の講義内容にはない、という意味で)
"数学"じゃないんだが、という意味。分かったか?
>完全性定理も不完全性定理もカット除去も出てこない。 はいはい、これは数学基礎論のほうね。この辺は計算理論のTMの決定性問題の あたりで近い概念がでてきますね。ま、日本語の不自由な人を相手してもしょう がないからもうやめる。ところで日本語どこで学んだ?
>>19 日本語の問題ではないと思われ。
大学に行った事ない工房の
>>10 =
>>13 =
>>15 が
シラバスだけ読んで勝手に妄想してるのが
真相と思われ。大学行け
>>8 東大の情報科学科で論理っぽいのは萩谷先生だけじゃなかったっけ?
競争率厳しそうだよね。
22 :
132人目の素数さん :03/12/24 17:30
>>8 東工大の情報理工学研究科に鹿島先生がいらっしゃるのでは?
計算機科学にあまり興味がないなら、東工大数学科に入って個人的に
接触するというのもアリなんじゃないかな。
むしろ計算複雑さの理論なんかは 数学だとか計算機科学だとか範囲を決め付けてしまわない方が面白いような 確率論や解析学も使われるし.
24 :
ミ* ゚−゚)ミ<バンビ :03/12/24 18:06
俺も高2で、学部は決まったけど学科はまだ。てか学科で何するのかとか よくわからん。大学入ってやっと学科の中身がよくわかんのかな? カオス理論は数学科、哲学科、物理科どこでもやれるっぽいし、 あーわからん
いつから哲学科が理学部に
26 :
132人目の素数さん :03/12/24 20:55
哲学部数学科に行けばよろし
>>1 もう少し悩め。キミのやりたい分野が 明確になるだろう。 いつか分かるよ、文系・理系なんていう分け方が ナンセンスであることが。 大学人が目覚める瞬間をもう少し待つとしよう。。
1+1=2 この式に、どれだけの意味を見出せるだろうか? 「1」を「1」として自分が定義しなければ 独自の数学を確立することが出来る。 果たしてキミの言う「1」と、俺の言う「1」は一致しているのか?
>この辺は計算理論のTMの決定性問題の >あたりで近い概念がでてきますね。 てゆーか、証明論は実質停止性の証明。 Kruskalとか知らんのか?
30 :
132人目の素数さん :03/12/24 23:13
>>29 あんたも相当イタいな。チューリング機械の停止性問題と不完全定理は
ヒルベルトの同じ問題に対する答えだから基本的な考え方は同じなのは
当然。実際チューリングの停止性問題は第一不完全性定理のweakerformと
同じ。なんで必死なのかわからん。
>チューリング機械の停止性問題と不完全定理は >ヒルベルトの同じ問題に対する答えだから >基本的な考え方は同じなのは当然。 いまどき、そんな常識わざわざ口にだすあんたがイタイよ。 それより、証明論の超限帰納法が実際にはある手続き (証明の正規化)の停止性に関するものだったり、 ゲーデルによる自然数論の無矛盾性が、原始帰納的な 汎関数の停止と同値だったりするほうが、面白いだろ? つまり、一歩先を行ってるってわけだ。どうよ(w
というわけでみなさん,CやJavaだけじゃなくて LispやHaskellも使いましょう.
33 :
132人目の素数さん :03/12/25 18:44
Haskell マンセー!
prologもよろしこ
>>1 とは違う厨房です。
数学科に進みたいと思っています。
入門書を斜め読みしただけなんですが、
数学科の授業(数理論理学)でも、フレーゲとかラッセルとか、出てくるんですか?
それとも、これらの人物は、哲学科でのみ語られているのでしょうか?
愚問で、すみません。
厨房質問続きで、すみません。 「哲学的」な話は、なんとなく面白いのですが、 数学には関係ないのですよね? フレーゲとかラッセルとかを全く知らなくても、 数理論理学の研究には影響ないのでしょうか? クリプキとかだと、数理系の入門書でも名前をみかけるのですが、 この人は、どうなんでしょうか?
丸痴してんじゃねえよぼけ
数理論理学の授業自体がないよね。 1回あるかないかぐらい。 数学科は解析、代数、幾何の授業ばっかだよ。
>>37 すみません。いろんな人の意見がききたかったので.....
>>38 そうなんですか。
なんか、さびしいですね
(もちろん、解析・代数・幾何も好きなんですけど)。
数理論理学も、哲学ではなく、数学の一分野なんですよね。
なのになんで、そんなにマイナーなんでしょうか?
>なんで、そんなにマイナーなんでしょうか? つまらないから(笑 数理論理学(?)関係で、フィールズ賞とったのは コーエンただ一人。しかもそのコーエンはもともと 専門は解析学だったが、野心満々な奴で、賞ねらい のために、連続体仮説に手を出したともっぱらの噂 コーエンが天才なんだか、連続体仮説が実は大した ことないのか知らないけどさ。それ以来、集合論の 結果は、どんなものでもフィールズ賞の対象には ならないという暗黙の了解があるのではないかと もっぱらの噂。
コーエンと言ったら普通モーリス・コーエンなんだがな。 バ〜カw
43 :
132人目の素数さん :04/01/04 16:03
>>40 CohenはForcingという方法を開発してロジックに大きな影響を与えたことは
間違いない。だから大したことないというのは結果だけ見る限り間違い。
あと、数理論理学それ自体とは厳密には異なるが、その上に成り立っている
いわゆる「ロジック」(モデルの理論、帰納的関数の理論など)はHilbertの第10問題の解決や
Mordell予想の証明、ラムゼイ型定理など数学の多くの分野に影響を与えている。
だからつまらないというのも間違い。
>>43 そう、ムキになるなよ(w
数学全体からみれば、ロジック自体大したことない(w
Hilbertの第10問題も、結局は還元のテクニックだけ。
肝心の非決定性はゲーデル・チューリングによるもの。
あとモーデル予想じゃなくてモーデル・ラング予想ね。
マツシンキモ! ∧_∧ ∧_∧ (´<_` ) エムシラよりはマシなんだから見逃してやれよw ( ´_ゝ`) / ⌒i ______________________ / \ | | / 彡川川川三三三ミ〜 プゥ〜ン / / ̄ ̄ ̄ ̄/ / 川|川/ M\|〜 __(__ニつ/ I.I.I. Inc. / ∠ ‖|‖ ◎---◎ |〜 数学全体からみれば、ロジック自体大したことない(^^;) \/____/ | 川川‖ /// 3///ヽ〜 | 川川 ∴)д(∴)〜 | 川川 〜 /〜 ___ | 川川川‖ 〜 /川〜 ピュッピュッ .| | |\_ | / 川川 _/ ;|\〜 ρ | | | | |\ | / / ;| | ρ | | | | |::::| |( (;; ・ ・;) ρ | | | | |::::| | \ \ 亠 ρ);;  ̄ ̄\ | | | | |::::| |: \ \ C)) ;) ̄ ̄\っ))))〜〜| | | | |::::| | \  ̄つ/ / ;) | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | \ (__/ _;)  ̄ ̄ ̄.| _________. | | ;;\__/ ;) シコシコ | | ..|.| | (;;; );; ) \ | | (^^;) .....|.| \____________________
46 :
132人目の素数さん :04/01/04 20:11
ロジックは数学全体の根幹を対象にして、フツーの数学屋なんかには到底 到達できない深遠な数理を明らかにするものである、と言ってみる。
とにかく、いろいろなことを勉強してみます。
48 :
132人目の素数さん :04/01/04 20:25
カントールとゲーテルあたりで満足して他やる。くらいが普通だろうか。 高校生ならまだまだ知識が足りないだろうけど、自分で興味あるんなら、 まず本を読む事だな。わかんなくてもいい。たくさん読め。大学行って から学ぼうなんて思うな。自分で漁れ。大学ってのは80パーセントは ろくでもない物だ。 んで、まず数学の歴史をざっと学ぶんだな。高校程度では正直100年以上は 前の数学しかやらないから、それが数学なんて思うのは大きな間違い。 自分で歩め。好奇心の指す方向のまま。
>>48 アドバイス、ありがとうございます。
質問厨で申し訳ないのですが、
「カントールとゲーテルあたりで満足して他やる。くらいが普通だろうか。」
の部分は、
「カントール、ゲーデルを学んだら、数理論理学の勉強はやめて、
他の分野を学ぶのが、普通の数学徒だ」という意味でしょうか?
50 :
132人目の素数さん :04/01/04 20:51
>>48 カントールとゲーテルが何をしたかをざっと学んでわかった気になり、
それ以上数理論理学を深追いしないで、もっと自分に判り易いあるいは
好みに合う分野をやるって意味です。
ちなみにこの2人が何故重要かと言うと他の数学、科学、コンピューター
がらみにも良く関係してくるからです。
52 :
132人目の素数さん :04/01/04 20:57
カントールは言わば数学基礎論を起こした人物で、 ゲーテルはその限界を示した人物です。 この2人でさえ、俺はもう忘れたが100年以上は前でしょう? 違ったかな? 今ではおそらくもっとずっと先を皆研究しているはずです。 その最先端にいくまでまあ4、5年は最低かかるんじゃあないかな? って意味です。ちなみにどの数学分野でもきっと通常は5、6年はかかると 思います。
>カントールは言わば数学基礎論を起こした人物で 違うよ。集合論の祖。集合論は数学基礎論ではない。 数学基礎論の祖というならフレーゲのほうがふさわしいかも。 ラッセルのパラドックスもフレーゲの体系に対するものだし。 (カントルの集合論にもあてはまったわけだけどね) >ゲーテルはその限界を示した人物です。 ゲー”デ”ルね。 ゲーデルは、数学の基礎に関する議論を 歴史に変えてしまったといえる。 それとともに、モデル理論の基礎として 完全性定理を考えた功績は大きい。 (もう一つは、カット除去で証明論の基礎を 築いたゲンツェンかな) >今ではおそらくもっとずっと先を皆研究しているはずです。 何を先というかは難しいな。 集合論の研究に対して、ゲーデルの不完全性定理が 与えた影響は小さいよ。むしろコーエンのほうが 影響は大きいでしょう。 でも、今の集合論の研究って面白いかな?
>高校程度では正直100年以上は前の数学しかやらないから、 いや、200年は前だな。例外は行列くらいか。 大学で、複素関数論やったって19世紀どまりでしょう。
へ〜
56 :
132人目の素数さん :04/01/05 01:05
僕は、普通の数学者はカントールの素朴集合論はちゃんとやる けど、ゲーデルの不完全性定理の証明は検討しないと思ってた。
57 :
132人目の素数さん :04/01/05 01:12
いや、あれは事件だったから、当時は皆吟味したはずだ。 ここで説明してる奴でも俺と彼でまあ50年くらい違う様に 君は実は俺よりも遅れていて150年くらいか? まあ俺の言いたかったのは自慢とかではなく 知性の地平線、境界に関する事だ。 地球にはもうあまりフロンティアはなさそうだけど(まあ、地底とか海底とかまだ まだあるんだろうけど)知性のフロンティアは日々広がってるから見くびらない方 がいいって言う事です。それが今はどんなにマイナーな分野でもね。マイナーなん ていつメジャーになるのかわかんないんだし。
58 :
132人目の素数さん :04/01/05 01:22
数理論理学が凄く無いなんて話を聞くと、ゲーデルも二流の天才 という風に聞こえてくるのだが。 ゲーデル以前は斯界の大天才がこぞって争った時代なんですか?
59 :
132人目の素数さん :04/01/05 01:26
今だって、ゲーデルはあらゆる数学的真理をおびやかしています。 皆、忘れた振りしているだけです。 だって、彼の言う事に従ってたら、あんまり不毛だからね。 2流どころじゃあない。超1流ですよ。勿論。 彼の提示した問題は実に根本的で、今だ誰もそこからなんかのがれられないんだし、 勿論、解決なんかしてはいないんだから、、、。
>>57 >君は実は俺よりも遅れていて
「実は」がいまいち意味不明。
僕の今日の最初の投稿の番号が分ってるような口振りだね。
何番だと思ってるのですか?
ちなみに僕は数学者でない。論理学者でもない。
でも勝手に論理学者を尊敬してるつもり。数学者も尊敬してるつもり。
61 :
132人目の素数さん :04/01/05 01:28
俺が言ってる君は君じゃあないよ。
62 :
132人目の素数さん :04/01/05 01:30
尊敬なんかしなくていいよ。 ただ、知性の境界はすごく広いって事だけだよ。俺の言いたいのは、、、。 ちなみに俺はずっと1に言ってるだけなんだが、、、。
だからね、今の数学者はみんな形式主義なの。 哲学なんて不毛なものは数学から切り離したの。
>>53 >それとともに、モデル理論の基礎として
>完全性定理を考えた功績は大きい。
むかし fj で、モデル理論の基本を学ぶのに完全性定理を勉強するのが
いいと言ってる人に噛み付いてる変なやつがいたこと思い出した。
65 :
132人目の素数さん :04/01/05 11:36
形式主義にしても、何が存在すると思うのかはハッキリ決めておかないと 困るんじゃないかな。 自然数全体の集合が存在するということは認めたとしても、その次に大きな 濃度の集合がどんな集合として存在すると思うのか決められるように感じるが、 決められない? 実数全体の集合が存在することも認めるのに、その直前の 濃度が自然数の濃度かどうかは分らない? 公理が足りないだけだと思えばいいのかな。
>>40 > 数理論理学(?)関係で、フィールズ賞とったのは
>コーエンただ一人。しかもそのコーエンはもともと
いやあ、正直チューリング賞もあるから、とりにくいフィールズ賞を
ねらわんでも。
>>65 お前 ZFC のことを何も知らないだろ。
68 :
132人目の素数さん :04/01/05 18:00
>正直チューリング賞もあるから、 でも、連続体仮説は解けたが、P=NP問題はまだ解けてないぞ。
100万ドルsage
哲学はこの世の根本原理を深く追求する学問とされています。 ・・・・・量の根本原理・・・・・ ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 人々は宇宙を途方もなく大きいものだと認識していますが、実は宇宙は とても小さいものなのです。 ネズミは人間から見れば小さな生き物ですが、ダニにしてみればネズミ は大きな生き物です。そしてダニから見た人間は途方もなく大きなものな のです。その途方もなく大きな人間も鯨から見れば尻尾の先でしかありま せん。その鯨も・・・ 実はこの宇宙というものは神様の鼻くその一部でしかないのです。 【我々人間は大きいものを大きいと認識して、小さいものを小さいと認識 していますが、果たしてそれらは真に大きいものであり、真に小さいもの なのでしょうか?】
まず 【この世は有と無から成ります】 、何も無い空間。その空間には大きさも重さも何もありません。 全ての【認識は不可能】です。 次にその何も無い空間に一点の有(物体、個体)をイメージします。 そこから【認識は始まり】ます。 無(空間)は有(物体)に働きを与え、有は様々な現象、実像を起こします。 一点の有には一方向の時間(無)という実体の無いものの働きにより運動 (有、変形)が起こります。 時間を宿した有はやがて二方向の実体のないものの働きによりAとaの 二点に分裂(有)されます。 Aとaの分裂は新たなる個々の時間の発生を意味しますが、同時に一つ の全体の時間というものにAとaは繋がれています。
大きさにしても重さにしても【量は二点で決まります】
二点の内の一点(基準)は我々個々に存在しています。
その(人間)基準から見れば宇宙は間違いなく大きいものなのです。
【我々人間は大きいものを大きいと認識して、小さいものを小さいと認識
していますが、果たしてそれらは真に大きいものであり、真に小さいもの
なのでしょうか?】この愚問には基準が存在していません。量の認識は
不可能。となります。
そしてこの逆が人間の言葉でいう【無限】です。基準は存在しても量を決
定するもう一点がないものです。
【無】は限りがありません。大きくも小さくもなく、広くもなく狭くもありませ
ん。しかし人間は量があるかのごとく無限【大】などとして形容します。
無限に大きいものは存在しません。分かる範囲のみが量として成立する
のです。つまり量は【有限】なのです。
http://aa4a.com/chichannel/ 8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
73 :
132人目の素数さん :04/01/05 22:46
>>67 ZFCとやらや、連続体仮説の解決を知ったからといって、それで
「そんなのもういいんでしょ」と思うわけにはいかないでしょう。
十二指腸、おまえはもう出て来るな! ヴォケ!!!
★プラス(+)とマイナス(-) ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 時(運動)は流れて変化(分裂、融合)を生じます。 質量。つまり重力ですが、これも電磁、光熱などと同様に【宇宙の変化 の一環】に他なりません。宇宙ではこの重力という実体の無いものの働 きにより分裂と融合が行なわれます。 【重力といのは対天体に働く二つのベクトル↓↑です】 現在物理学では重力には引力しかなく、反重力はないとされていますが これは誤りです。 A水蒸気 a地球 B熱気球 Cロケット 一般にはABCの動きを反重力とはいいません。例えばBとCではまるで 別物の力の働きだとしてみてしまいますが・・・確かにその通りです。 しかし別物と認識するにはB対C、C対Bであり、対aつまり対地球的な視 点ではないのです。重力の考え方は対地球的でなければなりません。
人はロケットをロケットとして認識しますが、そのような認識を必要とす
るのは人位なものです。宇宙の原理を知るにはそのような認識は必要
ではありません。対地球的な視点に立てばロケットも単なる物体(個体・
有)でしかないのです。そしてその物体と地球の関係は二つのベクトルに
よって成り立つのです。
引力が発生するには必ずその反発力(反重力)が存在します。雨が降る
には水蒸気となって上がった過程があります。リンゴが落ちるのはリンゴ
の木が引力に逆らい成長し、地中の水分を吸い上げた結果なのです。
熱気球だから、ロケットだからといって地球との関係に特別な数式は必要
ないのです。現在の物理はこれらの考え方を無視していますが果たして
無視していいことなのでしょうか。物理では電磁と重力はまったく別物でま
るで統一できないというようなことを聞いたことがありますが・・・どちらもこ
の宇宙の変化の一環なのです。数式にしてもプラスとマイナス。マイナス
は【プラスの反】なのです。
http://aa4a.com/chichannel/ 8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
79 :
132人目の素数さん :04/01/08 18:43
80 :
132人目の素数さん :04/01/09 23:02
数理論理学は数学の、基礎です。 頑張ってください。 おもしろいのは、建設したカントールは社会的には子供(世渡りがへた)で、 ぶち壊しにしたゲーデルは大人でした。
★整数と分数
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
http://aa4a.com/chichannel/ 8/29【2千5百年の眠りから】より
速度というのは時間や長さ重さといったものと比べると人的要素の強い
量といえます。計算をしなければ値がでなかったり、ものさしとスピードガン
とを比べても分かると思います。
さて、光速(熱速)ですが。【実は光速には速度はありません】
光速=無
音波=振動
水波=上下動
上記を見れば分かると思いますが波(光も波とされている)には速度の
値に相当する空間位置の移動というものが無いのです。例えば音速が
秒速350mとすると、何が秒速350mもの速さで移動するのか考えてみれ
ばわかると思います。音を伝えるのは空気ですが、空気が秒速350mで
移動してるのではないのです。ましてや光となると、媒体するものすら無
いのですから速度の概念がまったく当てはまらないのです。
次に【光速というものには相対性がありません】光速=約30万q/sという 値ですが、これは分数のプロセスを持った部分的な値なのです。値という ものは一点(個体)基準の整数と、全体(気)基準の分数があるのですが、 光速の場合は全体基準の値より成り立っているのです。 光(熱)は水面にできる波紋と似たようなものです。波紋というものは全 体に広がります。一昔前、地球の裏側のチリで起きた津波が日本にきた こともあります。TVで糸電話はどこまできこえるのか?という疑問に答え るべく実験をやったのを見ましたが、それに対し専門家は「せいぜい2、30 m位だろう」と答えましたが確か7/800までいって糸が切れこれが記録と なりました。気の遠くなるような何万光年という所からでも光は届くのです が、もともと伝達というものは全体に広がるものなのです。光の速さを測 る実験ではよくもこんな方法を考えたものだと関心しましたが、この実験 ではレーザーが使われています。一見、レーザーは集中的なもので全体 とは無縁に感じますが、垂直方向からも線状に見えます。しかしその見え ること自体が垂直方向への広がりをも示しているのです。
変化(光)ははるか遠くの物にも変化(光)をもたらします。さて光速=約30万 q/sという値ですが、これは全体に広がる伝達時間(分母の数値は不確 定)を1秒で区切ったというもので、簡単にいってしまえば先程も述べまし たが全体基準の分数です。速度も分数の数式で表せますが、その値は一 点(0)基準の整数になります。時間は時間で等分できても、距離は時間で は等分できないのです。一個のリンゴは5秒という単位で区切ることはでき ません。 速度(整数)でしたら確かに相対性はありますが分数には相対性はありま せん。しいていえば分数の性質は一定(等分)です。ものさしの目盛りが一 定でなかったら困ります。 相対性理論というのは光速を速度だとし、一定の値を示す光速に対し、 速度は相対的であるはずだとして理論を展開していったものなのです。 つまり観測結果(一定)を捻じ曲げ、空間を捻じ曲げ、帳尻を合わせたもの といえます。 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ ニュートンもアインシュタインもただのバカ
85 :
132人目の素数さん :04/01/10 23:46
クリプキとかクワインってのは哲学だけじゃなくて論理学でも一流なのかい?
>>80 もっと歴史を勉強した方がよい。
>>85 クリプキは可能世界意味論という強力な道具を論理の世界にもたらしたわけで、
クワインは、MF とか NF とかかな、よく引用される仕事は。この二つは
ラッセルに酷評されてるが(w あと大きな定理がいくつかあった気がするけど
とっさにおもいつなないな。
>>87 ラッセルなんてラッセルのパラドックスしか語られないじゃん(w
タイプ理論?クワインの仕事がダメっていうならあれもダメだろ。
>>88 ラッセルには、Principia Mathematica の完成、記述理論の完成、タイプ理論の完成など
いろいろありますが?タイプ理論自体は現在でもよく研究されてるんですが
どうやらご存じないようですな。記述理論はクワインの哲学にも多大な影響を
与えてるね。
クワインの仕事を酷評したのは、それがタイプ理論だからではなく、
その公理が技巧的でナチュラルなものではないと言う部分を批判し
たんだが、知ってていってるんだよね?
>Principia Mathematica の完成、記述理論の完成、タイプ理論の完成 全部、完全な失敗作だけどね。 >タイプ理論自体は現在でもよく研究されてるんですが 馬鹿が沢山いるってことだね。
>クワインの仕事を酷評したのは、それがタイプ理論だからではなく、 >その公理が技巧的でナチュラルなものではないと言う部分を >批判したんだが タイプ理論は、ナチュラルに間違ってるんだが、知らないんだね。 馬鹿だねー
>>90-91 なんだ、電波か(w Yahooにでもいってろ、電波。御大の方が
よほどましだ。
>>95 βακαμων!
Principia Mathematica(記述理論やタイプ理論は言うに及ばず)は
それ自体が失敗作であるのみならず、その根幹に位置する20世紀論理学
そのものが失敗作だということが分からんのか!
>>96 そもそも計算に先んじて論理を考えることが失敗なんだけどね。
>>96 あなた様は、かの「エムシラ御大さま」でいらっしゃいますか?
>>96 その「成り済ましかた」、あっぱれである。 褒めてつかわす。 ヽ(^。^)ノ
>>82 〜
>>83 の補足
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
┣★╋╋╋┫ (1目盛=5m)
0・・・・・・・・・25
┣★╋╋╋┫ (1目盛=1分)
0・・・・・・・・・5
>>700 でののポイントは距離÷時間ではなく、時間を時間で等分したこと
にあります。
>>700 で【分母の数値は不確定】としていますが、これだと理
解しにくいことでしょうから確定している図で考えてみましょう。
0〜25の所に波が到達するまで5分かかったとします。0〜★の数値は
距離÷時間でも(5)出ますし、5分を1分で等分しても(5)出ます。
光速の測定方法は形の上ではどちらかというと距離÷時間の形となり
ますが、では何を基盤として成り立つかというと全体性を有する伝達時間
であり、分数のプロセスである時間を時間で等分したものとなります。
不確定の数値で考えるとどうなるかというと、実はこれはあまり考える必
要はありません。問題とするのは一点基準か全体基準かだけになります。
「こんなデコボコ(不特定の分母)のりんご3等分なんかできるわけないじゃ
ないか!しかも3分の1は割り切れねぇだろ」
「うるせー!3分の1つったら3分の1だ。割り切れねぇだと?3進法で考え
りゃ割り切れるだろドアホ」
整数に分数、一点基準に全体基準。これはそもそも人間が数字という
ものを生み出す前の考え方で、数値はどうでもいいのです。
視点(基準)を変えることにより本質も変わります。相対性→一定。割り
切れない→割り切れる。天動説→地動説。どの視点にたった考え方で
あるのか。これが問題なのです。
http://aa4a.com/chichannel/ 8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
>>80 大人だったの?
食事に毒を入れられると錯覚して、最後は誰も信用できなくなって餓死したんじゃ・・・
ゲーデルは、誰かさんみたいに、精神を病んでたの。 # 日本にも来たんだけど、横浜港に着いた時、“言い知れぬ不安”に襲われて、 上陸できずに、そのままその船で帰って行った。
「臭いハゲ」ってのは、おまえのことだろ(爆笑
>>106 正しくは、1940年、ヨーロッパからシベリア鉄道を通って
アメリカにいく途中、横浜に立ち寄っただけ。
>>106 はゲーデルに嫉妬する御大の完全な妄想。
(御大は精神のみならず知性も病んでるからゲーデル以下)
御大はイギリスにも行ったが、ケンブリッジに着いた時 ”言い知れぬ敗北感”に襲われて、大学の門をくぐらずに そのまま列車で帰って行った。
おまいのが妄想だな(w
おまいのは負け惜しみだな(w
それも、おまいのが妄想だな(w
「御大はイギリスにも行ったが、ケンブリッジに着いた時」と言った時点で、 妄想だな(w # 御大がケンブリッジに行くのは未だ先の話だものなぁ〜(w
そもそも御大がイギリスに行くということ自体が妄想。 これまでにイギリスに行ったこともないし、これからも行くことはないだろう。 ヒッキーにイギリスに行く旅費が(ry
fjへの投稿記事などを読むと、御大がイギリスに住んでいたことがあるのは間違いないと思うが、どうか?
117 :
132人目の素数さん :04/01/24 21:46
ここは酷いインターネッツですね
>>114 ケンブリッジに通信教育課程なんてあったっけ?(w
#某代議士同様、学歴詐称のニヨイがプンプン
御大は、以前、確か、fj.sci.mathに投稿したクイズの正解者に「想い出のケンブリッジ」とかいうの(写真集?)を プレゼントしたことがあったんじゃ〜なかったっけなぁ〜。
120 :
132人目の素数さん :04/01/25 21:15
今、fj.sci.mathが、御大が久しぶりに投稿したクイズで、久しぶりに盛り上がってるな(w
エムシラ御大のケンブリッジ講演なんてあり得ないっす。ヤシのホラにきまってまっす。 /:::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::|_|_|_|_|_| |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) |ノ (∵∴∪( o o)∴) | < ∵ 3 ∵> /\ └ ___ ノ .\\U ___ノ\ \\_ _) ヽ 敬白 マツシン
そうであってほしいという、おまいの気持ちは分かるよ、マツシン炭(w
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ えー、相対性理論の理論を否定しましたが、観測より成る(理論ではなく) 数式は多分問題ないでしょう(俺は知らんが)これはニュートン力学も同様 です。プラスとマイナスがあってプラスが引力、マイナスは反発力ではない。 とする説明がダメなだけで数式自体は有効です。ぶっちゃけた話、数式は 帳尻があえばいいのです。説明が立派でも帳尻の合わない数式は糞といえ ましょう。 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
125 :
132人目の素数さん :04/02/02 14:44
>>124 十二指腸虫、オマエはもう出て来るな、ヴォケナスめ!
126 :
132人目の素数さん :04/02/02 15:29
漏れは筑波大学といったらモデル理論の牙城みたいに 思ってたんだけど。ロジックであることに違いは無いけど むしろ公理的集合論的な色彩が強いと思われ。
記号論理学と数理論理学はおなじなの?
大体同じ意味だけど少しニュアンスが異なる、ということで いいんじゃないの?
というか、1は視野が狭いと思われ。 折角数学では数少ない領域横断的な分野なんだから。 数学と哲学と工学と。 数学の中で村八分になっていることは秘密
>>1 ,
>>128 人により使い方が違うので、確認が必要。
記号論理学 = 数理論理学 ⊂ 数学基礎論 だったり、
記号論理学 ⊂ 数理論理学 = 数学基礎論 だったり。
記号論理学 = 数理論理学 = 数学基礎論 もあり。
>>131 記号論理学=数学基礎論という使い方をする人はなかなか
いないんじゃないか?
日本では歴史的な経緯により、公理的集合論、モデル理論、帰納的関数論、 証明論、論理等の分野の総称として数学基礎論という名称を用いています。 Mathematical Review を見るとわかりますが、この分野の総称は Mathematical Logic です。この Mathematical Logic の和訳として数理論理学という名称 を使う人がいるというのはよいですね。 後者の場合、個人としては数学基礎論という名称はもっと狭い意味で使って 区別をしていたりするのですが、前者の用法も広く使われているために、妥 協して、数理論理学と数学基礎論を同じ意味で使うことは結構あると思います。
▲▲▲ 光熱 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ ★熱力学第二法則・熱は自発的に冷たい物から熱い物に流れることはない。 |―――― │─── |高|低| │ │ │ | → | │同 温│ |温|温| │ │ │ ――――| ──── 物理では熱力学第二をいろいろな形で説明していますが、その内の一つ。 A:高温の物体と低温の物体を接触させると高温から低温に熱は流れるが 低温から高温に熱は流れることはないと物理では説明しています。 確かにサーモ何とかというやつで赤い部分(高温部)の流れを見ると青 (低温部)に流れ込みます。しかしこれは【熱を熱いもの】であるとした場合 であって、【熱を冷たいもの】と仮定すると青が高温部に流れ込みます。 実は熱というのは【熱い、冷たい、をひっくるめて熱】なのです。 よって【熱の流れは熱くもなり↑寒くもなる↓】ということがいえます。 夏になれば・・・冬になれば・・・・・・当たり前のことです。
B:次に高温と低温の二つの物体を接触させておくと同温になり、高温と
低温に分かれることはないと物理では説明しています。
確かに常温の実験室で考えるとその通りです。しかし夜一定の温度を持っ
た岩が朝日を浴びると境界線こそはできませんが高温部と低温部になり
ます。宇宙空間においてはもっと温度差が出るそうです。自然現象というの
はあいにく実験室みたいな常温ではないのです。
熱力学第2はすべて人間の勝手な基準設定により成り立っています。
これに関連するものにエントロピーがありますがこれも【閉鎖系】が前提
になっていますが本当に熱を閉じ込めれるものなのでしょうか?南極に
魔法瓶にお湯でも入れて持っていけば解るでしょう。
★熱力学第一法則・熱は運動エネルギーである。
これも糞にあたります。仮にこの世に熱が無いにしても磁気や重力で運
動は起こります。それに対し、時間が無ければ運動は起こり得ません。
運動に直接結びつくのは時間なのです。そして熱は光なのです。
http://aa4a.com/chichannel/過去投稿一覧8/29 【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
1=良くわかりませんが、数理経済学が経済学部にあるのと似ている。
でも、経済学を知らなくても数学は出来るが、 論理学を全く知らないと、数学は出来ないから、 数理論理学⊂(広義の)数学 というのはあながち間違ってないしなぁ。まぁ、フッサール の論理学ぐらいにまでなると、もう完全に哲学のお話だが。
>>1 関係ないけど&もういないかも知れんが「集合とはなにか」が
面白かったなら、公理的集合論を勉強すれ。
田中尚夫や難波完爾、倉田・篠田やKunen、Jeckなんかを
お勧めします。今から数学科で基礎論をやっても、技術的な話が
多くて失望するかも。
▲▲▲ 統一 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
小物のボーア君も東洋哲学をしてたそうで・・・・・老子を引用します。
老子 第40章 (中国の古典2 麦谷邦夫訳 学習研究社)
根源に立ち返るのが道の動きで:、柔弱なのが道の働きだ。
この世界の万物は有から生じるが、その【有は無から生じる】のだ。
よく問題にされる[有は無から生じる]を解りやすく現しているのが交流発
電機で、磁石【SN、NS】をくるくる回すだけでコイルに電子が発生します。
磁気というものには実体といえるものはありません。その実体のない磁気
【無】が実像的な電子【有】を生み出します。ビックバン説などのように何も
ないところから物体が生まれるというのとは違います・・・の訳がない。
重力にしても熱気にしても同様でこの実体のないものの働きにより実像的
な現象を生み出すのです。重力
>>77 >>78 光熱
>>135 >>136 軽軽熱熱S S
↑↓↑↓↑↓
重重冷冷N N
141 :
132人目の素数さん :04/02/09 19:50
先生、妄想がはびこっていて、数学しずらいです。 なんとかしてください。
第42章 道が一気【↑】を生じ、一気が陰陽二気【↑↓】を生じ、 陰陽二気が交わって陰陽冲和の三気【=】が万物を生み出す。 万物は陰気を背負い陽気を抱き、冲和の気によって調和を保っているのだ。 一気というのは【一つの方向性、時間(生命)】のことでですが時間には実 体はありません。その実体のない時間が実像的な【運動】を起こします。 一気を宿したものはやがて陰陽二気、つまり実体のない二つのベクトルを 生み出します。つまり物理的には【陰気を有した雌】と【陽気を有した雄】 との間で【融合と分裂】という【変化】を起こします。変化は全体に対する個 というものを決定づけるものであり、それは全体の時間(ひとつの時間)に 対して固有の時間というものを決定付けるものでもあります。 重くなれば(↓)大地に融合され、軽くなれば(↑)大地から分裂し、冷たくな れば(気体→液体→固体)融合され、熱くなれば(固体→液体→気体)分裂。
さて、同極は引き合い、異極は反発するという現象こそは見ることができ ますが、磁気でも↑↓で融合と分裂が本当に起こるのでしょうか? これは極微の世界で認識することができます。対消滅と対発生です。 二つのベクトルは、分裂する時、融合する時に、起こります。しかし分裂し た後、融合した後、は【気の変動はなくなり冲和(=)】されます。 観測というのは観測対象となるものの磁気変動をとらえ、その磁気変動が 観測者側に実像を生み出すのです。よって磁気変動がなくては観測でき ません。それがあたかも物体が真空に対消滅したり、真空から対発生して 見えるのですが、これはただの融合と分裂なのです。 何もないところから物体が発生したり、消滅するわけがない。 自然界に存在する4っつの力?熱はどうする?生命は?生命だって自然 界に存在するもの。物理学の統一理論はまるでダメ。未だ電磁と重力すら まとめれない始末。つまり理がないからいつまでもまとめれないのである。 人も時間(魂)を宿し変化を成します。【この世は有と無からなる】のです。 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
144 :
132人目の素数さん :04/02/09 20:11
先生、スカラー波による失禁攻撃でマイナス1000ポイントです。
妄想が頭にはびこるのは一日の食事、睡眠、リズムが崩れているからです。 健全な精神は健全な肉体に宿るというように、不養生は精神面を不安定に します。勉強なんかやめて運動をしなさい。
セクースだけでは運動にはなりませぬか?
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 何も無い所から一点の基準という種が生まれました。その一つの種から プラスとマイナスの二つの方向に幹と根が伸びました。一本の幹と根は は足し算と引き算。掛け算と割り算。と枝分かれし・・・更に微分、積分と ・・・そして大きな数学という大木ができあがりました。 人は一つの方向性を求めたがります。一つの基準からこれは良いこと、 これは悪いことと。しかし自然は容赦なく二つの方向性を与えます。 アメリカに言わせれゃテロリストは悪で正義はアメリカ。テロリストに言わ せりゃアメリカは悪で正義はテロリストと。どちらが正論なのでしょうか? ・・・どちらが正論かは私には解りません。ただいえることはどちらも真実 なのです。正論でないからとして真実を葬ることはできません。 二つの方向性が入り乱れる中、真実という一つの方向性(時間)を基にして 人間も、この世に存在しているのです。 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
なんでロジック・スレが嫌がられるか良くわかりますね(^^;;;
十二使鳥をアク禁には出来ないもんですかね。
2chブラウザでフィルター処理すればいいじゃん。
704
基礎論スレが1001になっちゃったけど、どうする? なんかウザイ香具師も数名いるし。
うーむ。仮に立てるとしてもスレタイをどうすればいいでしょうかね。
Kripkeって偉いの?
156 :
132人目の素数さん :04/03/23 00:36
十二指腸にレスするのってわざと?
基礎論の次スレをキボンヌでござる
タイトルどうしようか決まってないから立てられないんだけど
1に今更ながらレスすると、「外国の」哲学科なら 結構基礎論臭い事が出来ると思う。
英米だけかもね。余り詳しくないが、分析哲学の 進んでいるのは米仏らしいからね。独仏なんかに行っても 数学っぽいことは出来ない感じがする。 中東や南米やアフリカは言うも更なり。 あほな事を書いてしまった。失礼。
ドイツなら分析哲学やってる、と思う。 そのために日本から留学した人の話を聞いたことがある。
>>162 南米はda Costa学派の本場じゃなかったっけ?今はどうだか知らんが。
>>163 ドイツ語圏には違いないがオーストリア(ウィーン)だろ。
これも今はどうなってるか知らん。
165 :
132人目の素数さん :04/04/02 02:38
数学者として論理学がしたいんだったら 普通に数学科の理論計算機科学とかの先生について 自分は基礎論っぽいのをやればいいんじゃないの? 哲学科から行くと数学自体が全く出来ない哲厨になってしまう可能性あり。 ただでさえ基礎的な発見はトンデモ扱いされ易いから 数学としての体裁が整ってないと精神的に相当負荷がかかると思う。 もともと哲学者肌なら哲学科でいいのだろうけど。
>>数学自体が全く出来ない哲厨 e.g.スマリヤンの『ゲーデルの不完全性定理』の訳者 >>ただでさえ基礎的な発見はトンデモ扱いされ易いから この板だけ
>哲学科から行くと・・・ つーか、科哲やってる連中って学部は理系が多いだろ。 数学できなくて数理哲学なんかできるわけないじゃん。
おれが哲厨が嫌いな理由。あいつらは知らないことについて
しゃべりすぎる。だけど理系の学問について知らないことは
まだいい。ああ、無知なやつがしったかしてるだけなんだなと
思うだけだから。
一番我慢がならないのは、歴史についてあまりに知らなすぎること。
そんなやつが政治や倫理について何か語れるのか?
まあ
>>1 よ。おまいは絶対に文系には逝ってはいけない。理系のように
厳密ではないし、総合的にあらゆることを見通すほど手広くもない。
そういう中途半端なことをやっている人間に関わってもろくなことがない。
>>168 漏れが藻毎を嫌いな理由。藻毎は他人を馬鹿にしすぎる。
藻毎は劣等感から他人に嫉妬してるんだろう。
まあ、168よ。藻毎は絶対に数学を勉強してはいけない。
藻毎のような感情的な人間が理性を保つことはできないし
そうできなければますます劣等感に苛まれるだろう。
そういう無知無能な人間が感情的になってナイフを
振り回してもロクなことがない。
感情はガソリンと同じ 燃料としては有用だが、 エンジンのないものにとっては 単に危険物でしかない。
>>166 革命的な事を発言するのは勇気がいる
カントールもひどい目にあったし
革命は失敗すれば打ち首だからね ネットで革命家を気取ッてる「自称」の人は 革命家でもなんでもないけど。
173 :
132人目の素数さん :04/04/05 23:18
>>166 たしか、高橋昌一郎って、数学科卒&哲学卒じゃなかった?
詳しく知らんが。
そうだけど外国の大学(ウェスタンミシガン)だから 訳語はご存知ないし、数学も何を勉強されたのか よく分からんし、今では数学と関係ない哲学ばかりやってるし。
959
174
177 :
132人目の素数さん :04/05/13 19:19
数理論理学を小学生から(もちろん小学生用に簡易化して) 大学教養課程までみっちり仕込めば世の中は大分よくなるな。
178 :
132人目の素数さん :04/05/13 19:33
なんで?感情を論理で抑えるのはどうかと。
179 :
132人目の素数さん :04/05/13 19:51
>>178-179 数理論理学で明らかに間違いと言える推論は限られてるんじゃないのか?
まあそういった推論でも間違いを間違いと見抜けるのは大事なことだと思うが…
日本の哲学者は外国の論理系の哲学者に比べると どうしても劣って見えるよね。 少なくとも多少とも数学的な業績という観点からは。
日本の学者に外国の研究の紹介以上を求めてはいけない。
463
>>164 今もそうだと思うよ。去年のフランスにはたくさんブラジリアン来てた
らしいし。
捕手安芸
186 :
132人目の素数さん :04/06/11 16:39
今日やっとGodelの"What is Cantor's Continuum Problem?"を 読み終わった……疲れた……
187 :
132人目の素数さん :04/06/11 16:54
それは素晴らしい。是非感想をどうぞ。
>>164 今もda Costa の弟子達がぶいぶい言わせているので、南米は分析哲学の
本場の一つと言えるのかも。まあ、
>>160 は、まだ専門誌をよんだことがないのだろう。
189 :
132人目の素数さん :04/06/11 20:43
808
190 :
132人目の素数さん :04/06/14 12:57
社会的せんたく理論
191 :
132人目の素数さん :04/06/23 15:08
531
192 :
132人目の素数さん :04/07/03 08:03
364
193 :
132人目の素数さん :04/07/04 23:27
>>173-174 彼のプロフィールを見ると初めから哲学的なことに関心があったみたい。
哲学と数学を学ぼうと思って、両方専攻しているのは立派。
哲学では主席?(presidential scholar)だったようだ。
その後、ミシガン大学で論理学及び哲学を学ぶ修士号を取る。
訳語をご存じないのですか?確かに外国の大学でしか教育受けてないのだから
知らなくて当然かも。でも日本の大学で勉強しなおしてないのかな?
東大の研究室に暫くいたはず。
日本の哲学科出身の人よりは信用がおけるのでは?
立花 隆を押し黙らせるくらいの実力はある。
あと彼は自分の無知は自覚していて、知らないことを勉強する意欲はあるみたいです。
そこら辺りは好感が持てるとの事。
>>168 のケースには当てはまらない。
194 :
132人目の素数さん :04/07/04 23:38
数学とは、人間の意識と認識と感覚を、文字と数と式で表したものだ・・・。 三角形を三角形と認識し、四角形を四角形と認識し、円を円と認識するするのは、すべての動植物と有機体がそのようにする訳ではないだろう・・・。
195 :
132人目の素数さん :04/07/04 23:39
数学とは、人間の意識と認識と感覚を、文字と数と式で表したものだ・・・。 三角形を三角形と認識し、四角形を四角形と認識し、円を円と認識するのは、おそらくはすべての動植物と有機体がそのようにする訳ではないだろう・・・。
196 :
132人目の素数さん :04/07/04 23:45
数学とは、人間の意識と認識と感覚を、文字と数と式で表したものだ・・・。 三角形を三角形と認識し、四角形を四角形と認識し、円を円と認識するのは、人間だけとまでは言わないが、おそらくはすべての動植物と有機体がそのようにする訳ではないだろう・・・。 いや、よく分からないが・・・。 単に人間の特別な点は書き記しているだけであって、数学的思考と言うものはすべての動植物と有機体が有しているのかもしれない・・・。 しかしアルファベット圏の数学の文字や数や式と漢字圏の数学の文字や数や式の表し方は、全然違う・・・。 多分おそらくは一見しただけでは互いに、それが数学の事を表しているかどうかが分からないであろう・・・。
197 :
132人目の素数さん :04/07/04 23:48
>>196 アインシュタインの相対性理論の説明を文章で表すとなると、膨大な量が必要になるが、
数式で表すとなるとE=mc^2だけで済む。
数学とはそういうものなのかもしれない・・・。
198 :
132人目の素数さん :04/07/04 23:49
>>196 アインシュタインの相対性理論の説明を文章や音や映像で表すとなると、膨大な量が必要になるが、
数式で表すとなるとE=mc^2だけで済む。
数学とはそういうものなのかもしれない・・・。
>>193 主席ってw
博士もとってないし、向こうでもたいしたこと無かったんだと思うよ。
特にあめりかの修士はアレだって言うしね・・・。
200 :
132人目の素数さん :04/07/17 15:32
__ )
γ´γ~ \
|∞/ 从从) )
W | | l l |
ヽリ.ハ~ ワノ) <やた!さくらが200Getだよ〜
┌─────────────────∪─∪─────────────────――┐
│
>>300 は死ね・くたばれ・消えろ・失せろ・潰れろ・馬鹿・あほ・間抜け・ドジ。 │
│
>>400 はポンコツ・トンチキ・ガラクタ・クズ・ゴミ・カス・最低以下の下劣・下等種族。 │
│
>>500 は劣等種族・下衆野郎・腐れ外道・邪道・外道・非道・ウジ虫・害虫・ガン細胞。. │
│
>>600 はウィルス・ばい菌・疫病神・病原体・汚染源・公害・ダイオキシン・有毒物質。. │
│
>>700 は廃棄物・発ガン物質・猛毒・毒物・アメーバ・ダニ・ゴキブリ・シラミ・ノミ。 │
│
>>800 は毛虫・蠅・蚊・ボウフラ・芋虫・掃き溜め・汚物・糞・ゲロ・糞虫野郎・ほら吹き。. │
│
>>900 は基地外・デタラメ・ハッタリ・穀潰し・ろくでなし・ごろつき・ヤクザ者。 │
│
>>1000 は放射性廃棄物・余命1年・アク・割れたコップ・精神年齢7歳・3審は必要なし。(以下略)│
>>199 ミシガンでもか?日本よりはマシじゃないの?
202 :
132人目の素数さん :04/07/28 19:06
576
僕も大学で数学基礎論を学びたいとおもっているのですが、 具体的にどこにゼミがあるのでしょうか? 名古屋大、神戸大、などにはあるとかきいたんですが。 というか、東大は実際どうなんですか?
数学・情報系の学科にあり、大学の知名度の高い所のみ書いてみると 京都、東京、東北、筑波、九州、神戸、名古屋、慶應 他、国公私立ともにまだあるが、基礎論といっても幅広いし、何をしたいかによる ただ普通の数学をやっておいたほうが色々な意味で良い
>204 お答えありがとうございます 京大は上の方で、基礎論のゼミはやってなくて 学生が自主的に開いてるっていうのがのってたんですが、どういうことですか? まだ数学基礎論の中での分野とかはあまりしらないので これから学問書をあさろうとおもいますが、 どういう本が良いのかわかりません。 普通の数学っていっても大学の数学自体あまり知らないんですが 基礎論以外にはそこまで興味ないかも… 他にも物理学の統計力学にも興味があっていま数学科と迷ってる最中です。
>205 理学でなく、京大の工学部情報学科 >165さんの>理論計算機科学とかの先生 は工学部所属の場合もあるので注意 数理論理学だと結構あるが、 基礎付けの基礎論だと少ないかも
追加 ただ、工学部情報学科で基礎論のゼミをしているか分かりません ただ研究の主題はあなたが言う基礎論ではないと思います、多分 部外者なので勝手なことも言えないので、 一応自分で聞くなり調べるなりするということで宜しく
208 :
132人目の素数さん :04/08/03 12:54
基礎論の院生の指導のできるとこはすくないんじゃない というより、指導教官で行くしかないんでは
基礎論がやりたくて京大の総人に行きかけた でもやめた
>206 そうなんですか。 数学基礎論(というかそもそも理学など基礎学問) を専門的にやりたいんなら米英仏の大学の方が良いんでしょうか。 でも高校から直接っていうのも難しいそうですね。 ってか留学についてはネットで調べましたがなかなか思うように 情報が無くて…。
>>211 専門の研究を進めるのは修士あたりからと考えていいので、
そんなにあせらなくても良いと思う。
大学院留学の方がいろいろな面でやりやすい(大変なことには変わりないけど)。
>>211 京大でも東大でも米英仏でも狙える実力があるならメールで訊ねてみれば?
基礎分野というのも微妙だが、キーワードは
記述集合論、descriptive set theory
逆数学、reverse mathematics
順序数解析、ordinal analysis、
で良いでしょうか皆さん
bounded arithmeticも入れても良いか?
>>210 赤本見たらなんか基礎論っぽいことをやってそうだったから
受けてみようかなあと思った。
でも当時は物理にも興味があったから理学部にした。
>>213 213 のバックグラウンドが見えてくるというか、
随分と偏っているリストだと思う。
公理的集合論、 axiomatic set theory
帰納的関数論、 recursion theory
モデル理論、 model theory
基礎分野の基礎論であり、理論計算機科学でもないと言っているから、 >203が言う基礎論はそのようなものだろうと想像して>213を書いた訳です >213の広い所からふるうのも良いが、>215の狭い所から広げていくのも良いでしょ >203は、↑↓で検索してヒットした大学・用語・人で再検索していくと、上下から挟撃ちにできるはず 巨大基数、large cardinal 相対的無矛盾性 体のモデル理論
217 :
132人目の素数さん :04/08/08 01:34
スレタイから逸れるけど、単発で立てるほどでもない質問です。 数理論理の入門本は、何がお薦めですか? 林晋 「数理論理学」(コロナ社,1989)という本は、どうでしょう?
なんでもいいから、とりあえず一冊モノにすれば? どうせアレコレ言い合いしても それだけで何かした気になって前進しないから。 その本でいいと思うよ。
数セミの記事から 1 論理一般 古典論理以外の論理体系 2 証明論と構成的数学 算術の公理系、解析学の基礎 3 モデル論 代数構造の性質、濃度 4 集合論 ZF+α 5 計算論 計算可能性、複雑さ に分類されるそうで。
>>数セミの記事 数セミって数学セミナーっていう雑誌のこと? いつの記事?
>>220 ゴメソ。ちゃんと書くべきだったね。
初出
数学セミナー1998年6月号 記事 「数学基礎論の学び方」 田中一之
「数学完全ガイダンス 第2版」(日本評論社)にも載ってるのでそちらの方が手に入りやすいかと。
返信遅れましたが 皆さんありがとうございます。 なかなか分かりませんが参考にして調べてます。
tanasinn Proof tanasinn=(sina/cosa)*sinn ヨn a→∞ k(0,∞) Σ(1+sinaf(k)(a)/cosa*k!) x/0=tanasinn ∀x (∵tanasinx^n+tanasiny^n=tanasinz^n) assign c=(op==0)?tana*sinn; (op==1)?nurupo; (op==2)?ga; `bx; end module ∀ytanasinn(a,y),¬tanasin(a,b)ト∀ytanasinn(a,y)(Reflection a,b:new) ∀ytanasinn(a,y),¬tanasin(a,b)トtanasinn(a,y) (∀-elim) トヨx∀ytanasinn(x,y),⊃∀yヨxtanasin(x、y)(⊃-intro) ∴x/0=0^0=tanasinn ∴tanasinn //
224 :
132人目の素数さん :04/08/20 15:41
319
225 :
132人目の素数さん :04/08/21 21:49
証明可能の記号(|-)の前に論理式があれば、 演繹可能の話ですが、恒真式(またはトートロジ)の記号(|=)の前に 論理式(解釈Ωなどではなく)がある場合、何を意味するのでしょうか?
226 :
132人目の素数さん :04/08/21 22:00
恒真な論理式
227 :
132人目の素数さん :04/08/21 22:02
>>226 それは |=A などの場合じゃないんですか?
B|=A みたいな記法の意味(定義)を教えて欲しいんですが。
229 :
132人目の素数さん :04/08/21 22:08
A,Bはトートロジ
>>229 ありがとうございます。
変な記法ですね。
読んでいるのは本(教科書)?論文? 本なら|=の定義のところに書いてないか?
>>230 ってマジで>229で納得できるのかよ・・・
233 :
ようするに :04/08/22 12:13
(B|=A)|=("A=B")
滑った嘘ネタをかぶさんでもよろしいよ
まさかとは思うけど、文をおかしな所で切ってることないよね? 今、数理論理学を勉強中だけど教科書にないよ、そんなの。。。 むろん|=の定義のところにも。。
だから嘘だって言ってるのに
この分野の基礎レベルでは |-や|=等の記法をどのように定義するかが重要であり、 色々な方法で導入された定義等が同値であることを示すことも主目的の一つ なので、一般的に|-や|=はどういう意味?とかいう質問は別として、 具体的な記法(上のA|=Bとか)について分からないと言われても、 その本でどのように導入されているのか分からない以上、本読めとしか言い様がない 書名か定義を書かない限り、アドバイス出来ない
よくわかりました。 先輩、ありがとう。
けど一応アドバイス程度にだが、多分 A1,・・・,An|=B は |=((A1&・・・$An)->B) な意味で、 教科書なら何処かにそんな風に書いてあるはず
|= の左の部分は式の有限列ではなく集合にすることもある。
左の集合の式全部を真にするモデルすべてにおいて右の式が真
と定義されることが多いと思う。
すると左が空のとき右が妥当であるという記法は特別な場合として
包摂されてきれい。とか。
「もしくはそれと同値の定義がなされる」←
>>237 に敬意
証明可能の記号(|-)の前に論理式があれば演繹可能
つまり演繹定理を次のように記述でき
Γ,A |- B ⇒ Γ |- A ⊃ B (Γは論理式のある集合、A,Bは論理式)
( とくにΓが空集合のとき A |- B ⇒ |- A ⊃ B )
Hp の論理式 C が形式的体系 Hp で恒真であるための
必要かつ十分な条件は、C が Hp で証明可能であること
|= C <=> |- C
だから
Γ|- C <=> Γ |= C ( C は例えば A ⊃ B )
>>239 ,
>>240 を納得。 ‥という流れでいいでしょうか??
結果的にはそうなる が、>241の最後の「だから」を証明するには、 Γ,A|=B ⇔Γ|=A⊃B を証明しないといけない そのためにはΓ|=Cがどのように定義されているかを抑える必要がある で結局その本の中でΓ|=Cの定義は見つかったの?? 一階述語論理などΓ|= C<=>Γ|- Cが言える体系であれば言いが、 Γ|=C =>Γ|-C がいえない体系が出てくると>241では説明がつかなくなる 一階述語論理では|-と|=の強さが同じになるというだけです
いや、自分は 235, 238, 241 なんで 話題提供の 225 の元ネタの事情は知らないです。 こっちの教科書で” Γ|= C ”は(少なくともまだ)出てこないし。 案外、論理式 A をフレーム F を用いて、 Fの元・領域 M の点列 m で解釈する記号” F,m |= A ”のことだった というヲチではないでしょうか? 「一階述語論理では|-と|=の強さが同じになるというだけ」 ごっつぁんです。↑
244 :
132人目の素数さん :04/08/29 16:25
358
245 :
132人目の素数さん :04/08/31 02:57
マグロウヒル大学演習シリーズの現代論理学ってどうですか?
246 :
132人目の素数さん :04/08/31 03:04
例題から学ぶ教科書みたいな感じなのが好き。
>>245 semantics の話がほとんど出てこなかったような気がするので、
数学寄りの立場で形式論理学を勉強しようとしている人には、
積極的に薦めようとは思いません。
249 :
132人目の素数さん :04/09/07 00:56
913
かおり
251 :
132人目の素数さん :04/09/14 15:07:31
535
252 :
132人目の素数さん :04/09/19 14:04:42
828
253 :
FeaturesOfTheGod ◆UdoWOLrsDM :04/09/19 16:53:17
おりがみ。 哲学しながら論理学をやればいいこと。 哲学にも論理ぐらいは通るはずだ。
FeaturesOfTheGod ◆UdoWOLrsDM には論理が通らない。 ただの迷惑な上げ荒らし。
255 :
FeaturesOfTheGod ◆UdoWOLrsDM :04/09/19 17:59:09
Re:>254 お前は論理をよく分かっていないらしい。
256 :
132人目の素数さん :04/09/20 17:15:45
日本の哲学科出で著名な論理学者って誰がいる?全く浮かばない。
257 :
132人目の素数さん :04/09/20 21:57:31
>>256 日本の著名な論理学者って何人いるのさ?
数えるほどだ!
てか質問を変える。 哲学科出身の論理学者を教えてくれ。
みつ岡田?
哲学科出身といっても、それは師事する先生がその科にいたからって場合もあるよな
262 :
132人目の素数さん :04/09/23 23:33:10
>>261 意味不明。
おまえの前提としていることをふべて書き並べろ。
>262 マジでこんなの分からないってお前何様? こんなのは大学一般では当たり前のことだが、知らないのか? 大学とは無縁の煽りか、大学に夢想している妄想系な輩なんだろうな それにふべて書くのは無理だな、パターンなんて無限にあるのにな まぁバカ相手に分かりやすい例を一つ書いてやると↓な風になる 自分は数学科にいた ⇒数理論理学ををやりたいが自分の大学では専門の先生がいない ⇒担当教官になってもらいたい先生がA大学の哲学科にいる ⇒その先生と相談してA大学哲学科へ編入 ⇒数理論理学の研究を続け学位取得 ⇒A大学哲学科卒業 まだ分からないか?お前と関係ない世界のことだから分からないくてもいいんだよ
数理論理学を志す理系の学生がわざわざ胡散臭い哲学科にいこう思うほどの 哲学科の教官が誰なのか知りたい。
FregeだってRussellだってTarskiだってKripkeだって哲学者なのに、 数学者の見識の狭さにはほとほとあきれる 哲学者の例えば9割がひどいとしても、 残り1割にすばらしい人がいるかもしれないとは考えないのか? あるいは数学者は全員がどの哲学者よりも優れているとでも いいたいんだろうか?
タルは哲か?
267 :
262 :04/09/24 21:47:58
>>263 あたっまわりーな君ってば、
おいらが君に言わせたかったのは、
「わたしは、哲学科を馬鹿にしております。よほどの理由が無い限り哲学科卒なんてありえません。」
って感じのことさ。
まあ君の限界なんてこの程度なんだろうなあ。
得意げに矢印使って説明なんかしちゃったりしてさ。
君にはがっかりだよ。
>>265 超一流大学卒の哲学者はすばらしい
それ以外の哲学者はビチ糞以下
>>266 残念ながら哲だよ。哲学論文いくつもある。
>>269 参考のため聞くけど、あなたはどっち?
本人は、「自分は数学者だけど、たぶんある種の哲学者だとも言える」
みたいな言い方してたから、基本的には数学者なのだと思ってた。
>>267 矢印で見やすいのに、何を得意げに批判してんだか
>おいらが君に言わせたかったのは
お前が言いたいだけだろ、恥ずかしい奴
ほんとにあたっまわりーな君ってば、 がっかりだよ。
272 :
132人目の素数さん :04/09/25 23:56:29
>>270 もちろん樽好きは基本的には数学者だよ。
漏れ自身は元哲の数学転向組欝氏
>>273 哲学者でもある、という意味だったのか。ありがとう。
275 :
132人目の素数さん :04/10/03 12:13:37
180
276 :
132人目の素数さん :04/10/08 05:24:51
748
277 :
132人目の素数さん :04/10/13 10:33:22
794
278 :
132人目の素数さん :04/10/18 03:24:00
789
510
280 :
132人目の素数さん :04/10/27 02:29:38
929
"数学"基礎論なんだから、まずは数学をやるべきだよ。 数学もろくに出来ないのに、基礎論やろうとするのなんて、 言葉をしゃべれないのに、言語学学んでしゃべれるように なろうとしてるようなもんだ。
>"数学"基礎論なんだから、まずは数学をやるべきだよ。 てゆーか、基礎論なんていわずに、論理とか集合論とか いったほうがいいと思うな。
>2 証明論と構成的数学 >算術の公理系、解析学の基礎 >3 モデル論 >代数構造の性質、濃度 こういうのも、「基礎論」といわずに 「メタ数学」といったほうがいいな。 結局数学自体を数学によって分析してる わけで。
>>281 ここは「数理論理学」スレだからスレ違いだ罠
285 :
203 :04/10/27 22:16:57
(主要な)大学のサイトを調べたんですが、 学士過程数学科で数理論理学の授業があるのは筑波大学だけですかね(?) 工学部や情報科学は行きたくないし… 基礎論質問スレでなんにも答えてもらえないみたいなのでまたここに来ました。 今、「絶対に」研究者になりたいと思ってます。 専攻は替わるかもしれませんが大学に行ったらかなり勉強するつもりです。 いろんなところで研究者なら旧帝大、とくに東大京大が有利といわれますが それはどういう意味なんでしょうか。結果的にそういう人がおおいという意味なのか、 環境がいいという意味なのか。大学が関係あるとしたら、学部は関係なくて 大学院で決まるんでしょうか。 例えば、ただ研究者になりたいだけなら専攻変えて東大に行け、っていうのは あり得ますか。
ロジックやるにしても自習や自主ゼミでなんとでもなるし、 東大京大以外では周りのレベルがおそらくかなり見劣りする。 行けるのに他を選ぶのは愚かというもの。
>>285 絶対に工学系あるいは情報科学系にいった方がいいと思う
288 :
203 :04/10/28 02:40:52
あの、ひとつ云うと 個人的に東大京大いくには浪人になるとおもいます。 阪大までならA判定ですけど。 それから数学では論理学以外はまだあんまり調べたことがありません。
>>285 学部での講義一覧に記載されているような数学基礎論や数理論理学関連の科目は、
それを専門としない人のために開設されているものと考えてください。
重要なことは、きちんとした専門の先生をセミナーの指導教員として選択できる
ということです。
>>285 「絶対に」ってなぜ?そんなに研究者になりたかったら
数学じゃなくて別の分野に行ったら?
数学の研究者\approx 数学の大学教授だから
数学は非常に研究者になりにくい(需要ないしね)
ロジックなら尚更のこと(一寸日本の数学者のコミュニティでは村八分の感が……)
もしロジックをやると決めてるならもう今から勉強しとけばいい
どうせ学部では教養の文系科目くらいしか論理学の授業なんて無いだろうし
英語の本では良い教科書が沢山ある
東北大学では四年向けにゼミもやったりするらしいけど
大学入学の時点で基礎論の逆数学をやるとまで決めちゃうのもなあ
ttp://www.math.tohoku.ac.jp/~tanaka/T-semi.html
>>285 >工学部や情報科学は行きたくないし…
でもいわゆる数学に興味がないなら、数学科はやめたほうがいいよ。
とはいえ、集合論をやるなら、位相や測度は知っておいたほうがいいね。
>今、「絶対に」研究者になりたいと思ってます。
研究者はなりたくてもなれるものではないといわれたな。
>大学に行ったらかなり勉強するつもりです。
ああ、じゃ無理だな。
だって研究者になる人はみな大学に入る前から勉強してるもの。
>東大京大いくには浪人になるとおもいます。 >阪大までならA判定ですけど。 ああ、じゃ数学の研究者は無理だな。 >数学では論理学以外はまだあんまり調べたことがありません。 ぜひ調べるように。多分驚愕して数学科に行きたくなくなる。 諦めるなら早いうちがいいよ。才能ないのにずるずる 大学院までいっても、教師以外に就職の口なんかないから。
ところで203はなぜ 「大学で数学基礎論を学びたい」 と思ったのかな? 今までにロジックに関してどんな本 (ブルーバックス等の啓蒙本を含む) を読んだのかな?
>とりあえず一冊モノにすれば? 「ゲーデル・エッシャー・バッハ」をちゃんと読めば 大抵の人は、お腹一杯になってロジックやりたいなんて 言わなくなるもんだけどね。 (逆にいうと、ロジックやりたいっていってる人の大半は 「ゲーデル・エッシャー・バッハ」すら読めてない。)
ひさびさの松本信号点灯
>>292 おいおい、若い人のヤル気を萎えさせるような事言うなって
京大の森脇さんってたしか浪人だろ?
(高校の頃から数学はやってたんだろうけど)
というか
>>285 の将来がどうでもいいならむしろ励ませw
>>294 「ゲーデル・エッシャー・バッハ」
あれは面白くて良い本だけどロジックの本というより
再帰現象について取り扱った部分があるだけだろ?たしか。
(逆に言えばロジックには関心の無い人でも
読む価値のある本、ということだが)
-----------------------------------------------------
高校でルービックキューブにはまってた頃メタマジックゲームの
ルービックキューブの章よく読んだなあ。
ノミックやTitForTatをはじめて知ったのもあの本だもんなあ
でも多人数囚人のジレンマに関するホフスタッターの考えは
なんか純論理的には妙だったよな。
>>296 この程度で萎えるなら研究者なんて無理だって。
無闇に励ますのは罪悪。むしろ叩いて鍛えるべし。
>>296 >「ゲーデル・エッシャー・バッハ」
>あれは面白くて良い本だけどロジックの本というより
>再帰現象について取り扱った部分があるだけだろ?
だろ?って読んでないのか?喪前
それはともかく、ゲーデルの面白みはいわゆるロジックの
部分じゃないことくらいはわかってるんだろ?
>(逆に言えばロジックには関心の無い人でも
>読む価値のある本、ということだが)
だから喪前も読め。少なくとも”クワイン化”という
言葉が出てくるまで読みつづけないと面白くないぞ。
>>297 逆効果な気がするけどなあ
>>298 thx.いつか読みたいと思ってたんだけどね。ただ厚いからなあ。
救いは幾つかのトピック(相互関連はあるんだろうが)という形で
まとまっているから各章ごとに独立に読めることか。
まあ読んでみます。
ただ個人的にはゲーデルは晩年の数学の豊富な知識に
基づいたプラトニズムが面白いと思う。あまりゲーデルを
知らないからかもしれないが。
("What is Cantor's Continuum Problem?"参照。
ゲーデルによると巨大基数の公理に代表される独立命題φは、
φとnotφのうち片方は数学を豊かにするがもう一方はそうではない、とかなんとか。)
ゲーデルの面白みなんてprimitiveに決まっていることじゃないと思う。
ただ、今読みたいものが
Browerの伝記、"The Liar"by Barwise、"Russel's Mathematical Logic"by Goedl
Bourbakiの集合論(実は結構公理的に面白く書かれていて
\epsilon(なぜか\tauが使われてるが)記号を使って
ZC^-位の強さでできるだけ集合論の公理を最小に抑えて現代数学を展開し、
例えば集合論的な公理の選択にできるだけ依存しないように定式化されている)、
クワインのホーリズムに関する文献
……とかなりロジックプロパーだからなあ……
300 :
132人目の素数さん :04/10/28 13:52:00
>>299 >>無闇に励ますのは罪悪。むしろ叩いて鍛えるべし。
>逆効果な気がするけどなあ
それは君が甘チャンなだけ。
>>ゲーデルの面白みは…
>個人的にはゲーデルは晩年の数学の豊富な知識に基づいた
>プラトニズムが面白いと思う。
ああ、悪かった。不完全性定理の面白みは、と書くべきだった。
君が、不完全性定理を全く知らないとは思わなかったからな。
301 :
132人目の素数さん :04/10/28 13:54:20
>>299 >("What is Cantor's Continuum Problem?"参照。
>ゲーデルによると巨大基数の公理に代表される独立命題φは、
>φとnotφのうち片方は数学を豊かにするがもう一方はそうではない、
>とかなんとか。)
不完全性定理を全く知らない君は、そういう論文を読まないほうがいいな。
全ての命題が決定可能だという妄想を強めるだけだから。
302 :
132人目の素数さん :04/10/28 14:00:54
303 :
132人目の素数さん :04/10/28 14:20:14
>今読みたいものが・・・ どうせなら George Boolos, "The Iterative Conception of Set" George Boolos, "A New Proof of the Godel Incompleteness Theorem" を読んでほしいね。 どちらも Boolosの論文集"Logic, Logic, and Logic"におさめられてる。 あと、雑誌"現代思想"に日本語訳が出ていたなぁ。 もう十数年前のものだが。
>>300 なんで不完全性定理を知らない、という結論になるのかなあ
>>301 知らないだけじゃなくて全く知らないことになっちゃった
そもそも「大きすぎるクラスは集合の元になることは出来ない」というのは
極端に言えばただの作業仮説だろ
まあプラトニズムがお嫌いならプラトニズムの話はしないことにしましょうか
305 :
299 :04/10/28 14:37:06
あ、Boolosの論文はiterativeの方は持ってますからいずれ読みますよ
"Logic, Logic, and Logic"は前本屋で売ってるの見たんだけど買っとけば良かったですね
>>304 が失礼な書き方をしてしまいました。(
>>303 を見る前に書いてしまったもので)
申し訳ない。
>なんで不完全性定理を知らない、という結論になるのかなあ では、その証明を知っているのかい?とても、そうは思えないが。 >そもそも >「大きすぎるクラスは集合の元になることは出来ない」 >というのは極端に言えばただの作業仮説だろ いや、どんなに巨大基数を付け加えても成り立つことだよ。 君は、カントールのパラドクスを知らないのかい? >まあプラトニズムがお嫌いならプラトニズムの話はしないことにしましょうか 集合論を知らないなら、集合論の話はしないがいいね。君が恥をかく。
>Boolosの論文はiterativeの方は持ってますからいずれ読みますよ 個人的にはA New Proofのほうがお薦めだが。 ところでプラトニズムは悪くないが、プラトニズムが 数学的に実現できると思ってるならそれは妄想だろう。
>>306 >>そもそも…いや、どんなに
いや、普通の集合論の人は「全ての集合は集合とならない」と考えていますが
Quineはたぶん必ずしもそうだ、とは考えていないと思います。まあQuineも
「全ての集合の集まりは集合だ」と積極的に信じている訳ではないと思いますが
あまり詳しくQuineの思想を知らないので適当なことしかいえません。
だからこそ読みたい本リストに入っている訳です。
自分が知らない人の思想を勉強したい、というだけなら許されますよね?
松本信号激しく点灯中
>普通の集合論の人は「全ての集合は集合とならない」と考えていますが 普通の集合論では「全ての集合は集合とならない」が、が正しい。 「…の人は…と考えている」は無用。 >Quineはたぶん必ずしもそうだ、とは考えていないと思います。 Quineの考えた集合論は普通の集合論とは違います、が正しい。 Quineのように考えるのであれば、ベキ集合などは無条件に 認められない筈である。なぜならカントールのパラドックスは ベキ集合を認めたが故に発生するからである。
>自分が知らない人の思想を勉強したい、というだけなら許されますよね? 勉強するのはよいが、基礎的なことを知らずに、 新しいことを知ろうとしてもわからないだろう。
>>310 まあQuineの方は「Quineの考えた集合論は普通の集合論とは違います」
の方が正しいと思いますが……
「基礎的なこと」とは具体的には?
>>312 誤解のないようにいっておくが、私は
「普通の集合論は正しく、Quineの集合論は間違ってる」
といっているのではない。
数学者が「…」のように思っているかどうかは知らない。
もしそう考えているとしたら、例えばベキ集合のほうが、
「集合の全体が集合である」という発想よりも自然かつ
有用と感じられているということか。
(もっとも、そういう素朴な態度が常に保たれるかどうか
大いに疑問ではあるが)
「203が帰ってきてこのスレ見たらビックリする」に1000Moschovakis
>「基礎的なこと」とは具体的には? 例えば対角線論法は知ってる?
>>315 2chで論理の話をしたければ基地外に気をつけろという教訓だ
例えばマツシン痰スレに誘導するとか?
最大の白雉がいなくなったら今のスレの伸びも止まるけどな。
確かに最大の白薙である
>>321 がいなくなったら
スレの伸びがピタッと止まったね(w
ほらまた少し伸びた
確かに最大の白薙である
>>323 が現われたら
スレがわずかだが伸びた(w
お、やってるねえオウム返し君
白薙君も好きだね。
というわけで白薙君は数学板からあぼーんしる
>>297 プッ、「203のために〜」なんてはじめから思ってもいないくせに、よく言うよ
しかしこの人も随分と長いこと基礎論系のスレに居付いてるねー
330 :
132人目の素数さん :04/10/28 19:49:03
一階の理論では、ある論理式が証明不可能ならその理論は矛盾しない。 ZFは一階の理論だ。ZFではある論理式が証明不可能だ。 よって、ZFは無矛盾だ。 どこがおかしいんですか?
ZFではある論理式が証明不可能だ
>>330 >>331 の言う通り。不完全性定理って
「ZFではφは証明できない」じゃあなくて
「*ZFが無矛盾なら*ZFではφは証明できない」
なのよ。無矛盾かどうかは結局わからないの。
333 :
203 :04/10/28 21:29:03
どこまでが僕へのレスかよく分かりませんが 沢山レスしてくださってありがとうございます。かなり驚きました。 高校の勉強は大学に行けば無駄かなとおもって英語以外は 実際まだあんまり勉強してません…。それが今更はねかえってきてます。 いままでまともに読んだ本は「数学・基礎の基礎」(廣瀬健)や 「ゲーデルの謎を解く」(林晋)で、黄色いハードカバーの「論理学」 (東大哲学科卒の誰かの著…)という本も一部読みました。(外延がどうとか) 「論理学」では弁証法の章もありましたがあまりなじめませんでした。 以前は哲学科志望だったんですが宗教とかにまったく興味ないのでやめました。 そしていま物理学科(熱力学)も同時に考えているところです。 興味の形態はあまり変わりませんが実は年単位で志望がかわるので 高3にもなってまだ大学選びははやいんじゃないかと思っています。 いま一番やりたいのは基礎論で、冷めたわけではないんですが あんまり盲目になってもいけないし…。ああああーわからん! とにかく数学の他分野しらべます。
学部での基礎論講座は専門以外の者向けって… 今までの大学選びが根底から覆りますね。 基礎論は日本では村八分といわれますが英米の大学は全然違うんですか?
おっしゃ1000Moschovakisゲット! これで漏れも記述集合論の達人だぜイェイw
>>333 >高校の勉強は大学に行けば無駄かな
誰がいつそんな嘘をついたか知らんけど
高校程度でサボるようじゃ
大学で学問なんて無理だな。
4年間遊んでサラリーマンにでもなっとけ。
>いままでまともに読んだ本は >「数学・基礎の基礎」(廣瀬健)や >「ゲーデルの謎を解く」(林晋)で なるほど。 >いま一番やりたいのは基礎論で なぜ? いっとくけど、見た目いい女だからっていって 性格最悪とかユルマンとかいろいろあるんだぞ(w
まあ、漏れから見れば 論理 :定理であれば必ず証明がみつかる手法はあるが 定理でない場合にはウンともスンとも反応がない 不感症の女 集合論:どこまでさぐっても到達不可能基数だの コンパクト基数だの可測基数だのと 終りに行きつかないユルマンの女 って感じだな。
だから基礎論じゃなくて、数学をやれとあれほど(r
>>339 なんかわらえた(w
「数学を犯れ!」いいなぁ・・・うっとりしちゃうなぁ
この本読んでて分らないところがあるのですが質問よろしいでしょうか?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4320016823/qid%3D1095771063/sr%3D1-3/ref%3Dsr%5F1%5F10%5F3/249-4523141-2105120 P34,P35にある証明なんですが
【コレ↓の証明】
m~, m |= ヨx F(x) <=> m~, m |= ¬∀x ¬F(x)
記号の説明をしておくと…、m~はフレーム、m は、各々のm~が具体的な集合
(自然数や整数など)を形式化の対象とするときに、それら対象となる集合領域の
元(数字とか)によって構成した可算列・点列で、形式化された数学理論の命題に頭から
順にはめていく記号(一般的には数字)の列です。
xは束縛変数、F(x)は論理式、¬ は否定。
|= は "m~, m |= A" のときフレームm~上の論理式Aの解釈を定義したもので、
例えばPを述語、tを項、t1[m]が項t1に具体的数字を代入して得られる関数値のとき
"m~, m |= P(t1,…,tn) <=> <t1[m],…,tn[m]>∈P" といった具合に定義されてるものです。
【証明】この本に記載されてる証明は以下、
m~, m |= ¬∀x ¬F(x) <=> m~, m |= ∀x ¬F(x) は成り立たない
<=> [m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない
(注意;記号"=[i]="は「点列mとnではのi番目の要素だけは違いまっせー。」の意。
これにより命題の文中の冒頭からi番目に現れる自由変数aiは
逆に任意の自由度を保証される。 )
<=> m "=[i]=" n を満たすある n に対して [m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない]
…(*)
<=> m "=[i]=" n を満たすある n に対して m~, n |= ¬¬F(ai)
<=> m "=[i]=" n を満たすある n に対して m~, n |= F(ai)
<=> m~, m |= ヨx F(x)
【証明終了】
342 :
132人目の素数さん :04/11/01 18:57:56
つまり分らないところは(*)のココ↓ [m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない <=> m "=[i]=" n を満たすある n に対して [m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない] なんで必要十分条件なの? だってだよ…、 “[m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない” っていうなら、つまり「任意の n 」に対して「成り立たない」んだから 「ある n 」の取り方次第で“ [m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない]”ものもあるし “[m~, n |= ¬F(ai) は成り立つ]”場合もでてくるのでは?? 勿論この議論は間違っていて、“[m~, n |= ¬F(ai) は成り立つ]”を許すと <=> m~, m |= ヨx ¬F(x) となって正反対の「証明」になってしまうんだよ…。 なんで(*)の部分は “[m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない” そのとき・かつそのときに限り “ m "=[i]=" n を満たすある n に対して [m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない] ” なの? 【追伸】 あとこの本のP38の下から8行目と10行目、どういう理屈で“=T(t)[m]”なのか さっぱり分らん。明日、生協の本屋か図書館に行って見てきてみて。 この本、復刊直後に日本国中にばら撒かれたみたいで、どこに行っても (街の市民図書館にさえ)あるから。
.∧__,,∧ うわぁ・・長い間カウントばっかしだと思ってたのに…。 (´・ω・`).。oO( 今JaneDoeから書き込んだら多量の荒れレスが。。 (つ甘と) 漏れの質問でまた荒れっかも。。。 `u―u´
everything is OK now!!
>>342 > [m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない
>
> <=> m "=[i]=" n を満たすある n に対して [m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない]
(*)を次のように読んだら分かる?
m "=[i]=" n を満たし、かつ[m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない] というnがある
>>345 「(*)を次のように読んだら分かる?
m "=[i]=" n を満たし、かつ[m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない] というnがある 」 (**)
うん、その読み方は分りやすいと思う。
でも、前段
[m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない
から今日そのように誰かが導いたとしても、明日、別の人が同じ前段から
m "=[i]=" n を満たし、かつ[m~, n |= ¬F(ai) が成り立つ] というnがある
と導くことも同じように可能じゃないのかと心配している。
その人にそれは論理的に間違っている、許されない
(実際、(**)が前段の必要十分条件として
記述されてる以上、他の枝道は許されないはず)
と、言ってあげたいが漏れ自身その根拠が分らない。。
逆にいえば [m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない <=> m "=[i]=" n を満たし、かつ[m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない] というnがある (**) と [m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない <=> m "=[i]=" n を満たし、かつ[m~, n |= ¬F(ai) が成り立つ] というnがある (***) は両立していいの? 漏れは “<=>” が “⇒” なら (**) と (***) の両立を納得できる。 浅学不才なビギナーにはサパーリですよ。
>>342 日本語の文章表現に引きづられて、意味の解析に失敗してしまう典型的な例です。
「すべての○○は××でない」という文は、
「すべての○○は『××でない』」と
「『すべての○○は××』でない」
の二通りの解釈があります。
この例では、その後者の解釈をする必要があるのだけれど、前者の用法に慣れて
しまっているので、異なる結果に到っているわけです。
この二つが異なることを理解するのは、論理の問題というよりも慣れの問題で、
たとえば、
¬∀ε>0 ∃δ>0 (|x-a|<ε -> |f(x)-f(a)|<δ)
(「関数 f:R->R が x=a で連続ではない」)が
∃ε>0 ∀δ>0 (|x-a|<ε ∧ ¬(|f(x)-f(a)|<δ))
と同値になるということの説明を試みてください。
>>347 > [m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない
>
> <=> m "=[i]=" n を満たし、かつ[m~, n |= ¬F(ai) が成り立つ] というnがある
> (***)
(***)の<=>の左側が偽で右側が真である場合があれば、(***)は成立しない。
<=>の左側が偽、ってことは
[m "=[i]=" n を満たす任意の n に対してm~, n |= ¬F(ai)] が成り立つ (#)
が真ってこと。
(#)と、<=>の右側すなわち
m "=[i]=" n を満たし、かつ[m~, n |= ¬F(ai) が成り立つ] というnがある (##)
が同時に成立するのは明らか(なぜなら(#)は(##)を含意するから)
したがって(***)は成立しない。
おはようございます。(?)
>>348 ,
>>349 ←スゴイッ! すごい分り易い説明でした。
特に「関数 f:R->R が x=a で連続ではない」を使った教え方が
具体的で疑問の余地を後に残しませんでした。
(本書の証明の括弧付けが意味解析のうえで重要なぐらい
分っていたつもりでしたが…、やはり何も知ってはいなかった。。)
『 「任意の n 」に対して「成り立たない」んだから
「ある n 」の取り方次第で“ [m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない]”ったり
“[m~, n |= ¬F(ai) は成り立つ]”ったりするのでは?? 』
・・・
今なら貴方の出した具体例をだして、
それは例えば
¬[∀ε>0 ∃δ>0 (|x-a|<ε -> |f(x)-f(a)|<δ)]
と意味解析すべきところを、頭の中で呟いた際
∀ε>0 ∃δ>0 ¬(|x-a|<ε -> |f(x)-f(a)|<δ)
と意味解析し
∃ε>0 ∀δ>0 (|x-a|<ε ∧ (|f(x)-f(a)|<δ))
を導き出している、
この場合“「(全てのεで)関数がx=aで連続」でない”関数について
「(あるεの取り方で)関数はx=aで連続」になったりするが
これは正当だろうか?と問い直すことが出来ます。
そして
>>349 も納得。
逆に本書の部分証明に適用すると前段・偽、後段・真、とするなら矛盾。
つまり、前段
“[全ての n に対してm~, n |= ¬F(ai)] は成り立たない” から
“ある n で[m~, n |= ¬F(ai) は成り立たない]” は成立し、他方
“ある n で[m~, n |= ¬F(ai) は成り立つ]” は成立せず。
(ところで貴方は頭の中にLispでも入れてるのでしょうか?)
こんな幼い質問、うんざりだよっていう多数の皆さんには
お目汚しとあいなりました。。。
_ ∩ ( ゚∀゚)彡 漏れにも分った♪ 分った♪ ⊂彡 ,,, ,,,,,, : .と .お つ だ .命 _ = ~~ ``ヽ_,=''~´ ´~ヽ : は こ .も け 題 _= ~ ヽ : 思 が り で .の ~=、 ミゞ、 , -彡 ヽ. : わ ま .だ. 分 読 ~=、、、Cl~evj <e~}6)_ 、、、ミ .: ん し .な .っ .み ミ.~~ /', ゚ ;'7 ミ7ヾ~- 、 . : か い ん .た .方 ≡ (','゚, '.人 ゝ | ヽ . : ね .て `= `ー' iノ' | / | ~ーノノノノノ'′ _ ∩ピタ (; ゚д゚) し | | | し ⌒J ( ;´゚д゚) ・・・・・・・・・ c(,_U_U ガク m "=[i]=" n とされる可算列 m の ( ;´゚Д゚) i 番目の要素 m_i は何のためにあるんだー c(,_U_U _,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ ゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ T | l,_,,/\ ,,/\
同書P33に 『言語 L の論理式 A, フレーム・m~の可算列 m のとき、 m~, m |= A を次のように定義する m~, m |= P(t_1,…,t_n) ⇔ <t_1[m],…,t_n[m]> ∈ P ・・・(中略)・・・ m~, m |= ∀x_j F(x_j) ⇔ m "=[i]=" n をみたす任意の n に対して m~, n |= F(a_i) 』 とあり、その理解として 『例えば論理式 A が ∀x_3 P(a_0, a_1, x_3, a_6, a_7) であるとき、 形式言語L内の一つのフレーム・m~と対象領域(例えば自然数の集合)の元から つくられた可算列 m = (m_0, m_1, m_2, ・・・・) によって m~, m |= A として 解釈されるとは、具体的にはフレーム・m~の対象領域のすべての元 v について P(m_0, m_1, v, m_6, m_7) が成り立つということであるから、使われていない 最小番号の自由変数 a_2 を導入し、「可算列 m とは m_2 以外はすべて同じである どんな可算列 n 」に対しても P(a_0, a_1, a_2, a_6, a_7) が成り立てばよい。 すなわち「 m "=[2]=" n 」をみたす任意の n に対して m~, n |= P(a_0, a_1, a_2, a_6, a_7) が成り立てばよいという解釈は妥当である』 とありました。
∧ ∧ .ここで“対象領域のすべての元 v ”の形式化の際、 _( ,,゚Д゚)_ 可算列 m と要素 m_2 以外はすべて同じである lヽ |y/ / 全ての可算列 n を用いて P(a_0, a_1, a_2, a_6, a_7) の . ヽっ=ロとノ 自由変数 a_2 の任意性を保証しているが、 t,, ⌒) ) .では可算 m の要素 m_2 では a_2 をみたせないのか? .という疑問が生じる。 “m~, m |= ∀x_j F(x_j)”を “m "=[i]=" n をみたす任意の n に対して m~, n |= F(a_i)”のように定義すると ここで任意の可算列 n の i 番目の要素 n_i は常に m の要素 m_i とは異なるものと 定義されている。 (命題の文中に投入される機会が与えられていなかった) m_i 自体も対象領域の 元の1つにほかならない。可算列はフレームの対象をなす領域の元から命題の内容に 沿う形で構成される。 ∀x_j の解釈として F(x_j) に F(a_i) の自由変数 a_i を代わりに導入し フレーム・m~の対象領域(ここでは自然数の集合)のすべての元で a_i はみたす はずだった。 m "=[i]=" n で m の要素 m_i だけ忌避(キヒ)するのなら m_i の一点において 対象領域の元の任意性は崩れるのではないのですか?
ところで全角アルファベットと半角アルファベットを混ぜるのは かなり見苦しいのでどうにかしてくれないだろうか
あと”と"をまぜこぜにするのも……なんか意味があるなら良いけど (メタレベルとオブジェクトレベルの区別とか)
フレームの適当な記号が出せないので全角の m~ としたよ。 可算列の m とは概念の階層が違うね。 “ ・・・ ”については文中に数式を入れるときに使ってるよ。 ""は =[i]= の適当な記号が出せないので = [i] = と区別するために 数式中に"=[i]="として埋め込んでるのん。
<⌒/ヽ-、___ /<_/____/ < 見なおしたら引用にも「」の代わりに“ ”を使ってるね。
>>354 > m "=[i]=" n で m の要素 m_i だけ忌避(キヒ)するのなら m_i の一点において
> 対象領域の元の任意性は崩れるのではないのですか?
"=[i]="の定義が問題。もし
>>341 の
> 記号"=[i]="は「点列mとnではのi番目の要素だけは違いまっせー。」
を定義として採用するなら、君の疑問は正しい。
もう一回、"=[i]="の定義を、一字一句間違わないように書き写してみて。
本書P32に初出です。 『 「みたされる」の定義 ここでは言語 L および L のフレームm~を一つ固定して 考えることにし、L の論理式がフレームm~によってみたされるという概念を定義する。 m~の領域Mの元からつくられた可算列をm~の点列といい、m, n などで表す。 m~の二つの点列 m = (m_0, m_1, m_2, ・・・), n = (n_0, n_1, n_2, ・・・), m_i ∈M, n_i ∈M に対し、i≠j ならば m_ j = n_ j であるとき m "=[i]=" n と書くことにする。 そこで L の項,論理式などをフレームm~の元によって解釈することから始めよう。 定義 5 t を L の項とするとき、t[m] を次のように定義する。 1) t が自由変数 a_i のとき、t[m] = m_i 2) t が対象定数 c_i のとき、t[m] = c'_i 3) t が f(t_1, ・・・, t_n) のとき、t[m] = f'(t_1[m], ・・・, t_n[m]) 例 ・・・・中略・・・・ このように t[m] とは直感的にいえば、t に現れる自由変数を m の 元でおきかえ、t に現れる関数記号には、m~の対応する関数をおきかえて得られる M の 元のことである。 定理2 t を L の項,m をm~の点列とすれば、t[m] ∈M である。 ・・・・証明略・・・・ 』
『(つづき)
次に、L の論理式 A ,フレームm~の点列 m を代入したとき、A が成り立つという概念を
帰納的に次のように定義する。
定義6 L の論理式 A, m~の点列 m について、m~, m |= A を次のように定義する。
1) A が素論理式のとき
m~, m |= P(t_1,…,t_n) ⇔ <t_1[m],…,t_n[m]> ∈ P
2) A の一番外側の記号が ¬,∧,∨,⊃のとき
m~, m |= ¬B ⇔ m~, m |= B が成り立たない
・・・・∧,∨,⊃のときの定義,中略・・・・
3) A の一番外側の記号が∀,∃のとき
m~, m |= ∀x_ j F(x_ j) ⇔ m "=[i]=" n をみたす任意の n に対して m~, n |= F(a_i)
・・・・∃のときの定義,略・・・・
ただし3) における a_i は F(x_ j) に現れない自由変数のうちで最小の番号をもったものとする
m~, m |= A のとき、A はm~において m によってみたされる(satisfiale)という。
』
この下に
>>353 の下の
『例えば論理式 A が ∀x_3 P(a_0, a_1, x_3, a_6, a_7) であるとき〜』
が続きます。
m "=[i]=" n の絵的なイメージは こんな↓感じで印刷されております。 . i^ m = n i^ の ^ の部分は完全に i にのっかっておりまする。
こういう文章を読むときは、「常識」を使うと失敗します。 「列 m と列 n は、i 番目の成分 m_i と n_i 以外のところでは一致する」 と書いてあったら、日常的な常識を働かせれば、m_i≠n_i と考えるのが 普通だけれど、気をきかせずに「j≠i ならば m_j=n_j」と読んでください。 このように書くと、j=i のときには何の条件も付いていないことがわかります。 つまり、「m "=[i]=" m」 は正しいのです。
>>363 の繰り返しになってしまうけど、
>>341 > (注意;記号"=[i]="は「点列mとnではのi番目の要素だけは違いまっせー。」の意。
という定義と
>>360 > m~の二つの点列
>
> m = (m_0, m_1, m_2, ・・・), n = (n_0, n_1, n_2, ・・・), m_i ∈M, n_i ∈M
>
> に対し、i≠j ならば m_ j = n_ j であるとき m "=[i]=" n と書くことにする。
という定義は全く違うことを確認しておこう。
>>341 が「m_i≠n_iでないといけない」と言っているのに対し、
>>360 は「m_i≠n_iでないといけない」とは言っていない。
>>360 は「もしかしたらi番目の要素で異なっているような点列mとn」
ということをあらわしている。だから、
m "=[i]=" n をみたす任意の n に対して・・・
と書けば、領域の個体全てをカバーしていることになる。
有難うございます。 それがわかったために、今いろいろと“気づき”がはたらきつつあります。 ただ、別に気になることもあるため後ほどまたきます。 気の利いたAAを用意する余裕もありませんが、すぐ後のために今更ながら フレームの定義を記しておきます。 本書P31 『 フレームの定義を述べれば次のとおりである. 定義4 1) M を空でない集合とし,フレームの領域という. 2) c'_i (i = 0, 1, 2, ・・・). ただし c'_i ∈M とする. L の対象定数 c_i から c'_i への写像をρで表す (c'_i は L の対象定数に対応する具体的な対象を表している). 3) f'_i^n (n = 1, 2, ・・・; i = 0, 1, 2, ・・・). ただし f_i^n を n 変数の関数記号とするとき, f'_i^n は M の n 個の直積 M^n から M への一意写像(M の operation)である. L の関数記号 f_i^n から f'_i^n への写像をσで表す(f'_i^n は L の関数記号に対応する具体的な対象を表している). 4) P'_i^n (n = 1, 2, ・・・; i = 0, 1, 2, ・・・). ただし P_i^n を n 変数の述語記号とするとき, P'_i^n は M の n 個の直積 M^n の部分集合である. すなわち,<v_i, ・・・, v_n>の形の元からなるある集合を 表し,v_i ∈M である. L の述語記号 P_i^n から P'_i^n への写像をτで表す(P'_i^n は L の述語 記号に対応する具体的な対象−M の n 個の元のある関係−をみたす順序対の全体を表している). 以上1)〜4) の集合m~=[M, ρ,σ,τ]を L の一つのフレーム(frame)という. 注 f'_i^n , P'_i^n も簡単に f'_i , P'_i と略すことが多い.m~は L のすべての記号や表現を集合 M に関する記号や命題などに対応させるはたらきをもっている. 』
__ , ────── 、__
, - ':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
/ ;;;;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
/,,;,,,,, ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ,,,,,,,,;::::::丶
/ :::::::::;;,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,;:::::::::::::::::::ヽ
i゙:::;:::::||::::::,!i:::::::::::,|i::::::::::::::::::;:::::::::::::::::::::::::::::::゙i
i゙::::|;;;;| |;;;;;| |::::::::::| |:::::::::::::::::||::::::::::::::::::::::::::::::::| 今回の質問は定理6 の証明内容
. i゙::::::i ''''''''''' '───' |;;;;;;;;;;;;::::::::::::::::::::| に関する
>>370 やのん・・
.|:::::::|,-====-´ ゙ヽ,,,,,,,,,,,,,、 |:::::::::::::::::::|
|;::::::::|,-──、 ~ニニ,,_` |:::::::::::::::::::| 本書の定理6 の記述を関連する
`ヽ、i (、i´ノ ´い,, ノ ' |;;;::::::::::::::/ 定理5 といっしょに
. i ^~~~ー==─ ー'-+、 /^゙-、;;;;/
>>366-369 に転載しておくん・・
{ ヽゝ '-'~ノ
λ ''゙゙''-''-─、 /-'^"
ヽ,_ ^~^ (
/`''丶、 , - /^l
/ /( ノ `'''''''´~ _, - ' ~ ゙i、
{ / /| ̄ ̄ ̄ ̄ _,-'^¨ }
{/ / ゙ー────'~ \|
/ ヽ \
『
定理5
L の項 t に現れる自由変数はたかだか a_ j1, ・・・, a_ jl とし, また m, n がm~の点列で,
m_ j1 = n_ j1, ・・・, m_ jl = n_ jl が成り立つならば, t[m] = t[n]
【証明】
関数記号の個数に関する帰納法で証明する.
・・・・
>>360 の定義5 のとおり m および n の元でおきかえて自明,中略・・・・
』
『(つづき)
定理6
L の論理式 A に現れる自由変数を a_ j1, ・・・, a_ jl とし, また m, n がm~の点列で,
m_ j1 = n_ j1, ・・・, m_ jl = n_ jl が成り立つならば, m~, m |= A ⇔ m~, n |= A
【証明】
A に含まれる論理記号の数に関する帰納法で証明する.
1. A が素論理式のとき
・・・・
>>361 の定義6 の 1) と上の定理5 より自明,中略・・・・
2. A の一番外側の記号が, ¬,∧,∨,⊃のとき
∧のとき
m~, m |= B∧C ⇔ m~, m |= B かつ m~, m |= C
⇔ m~, n |= B かつ m~, n |= C [帰納法の仮定より]
⇔ m~, n |= B∧C
¬,∨,⊃についても同様にできる.
3. A の一番外側の記号が,∀,∃のとき
>>361 の定義6 の 3) より
m~, m |= ∀x F(x)
⇔ m "=[i]=" m-prim をみたす任意の m-prim に対して m~, m-prim |= F(a_i)
m~, n |= ∀x F(x)
⇔ n "=[i]=" n-prim をみたす任意の n-prim に対して m~, n-prim |= F(a_i)
であるから
m "=[i]=" m-prim をみたす任意の m-prim に対して m~, m-prim |= F(a_i)
⇔ n "=[i]=" n-prim をみたす任意の n-prim に対して m~, n-prim |= F(a_i)
・・・(*)
を証明すればよい.
』
『(つづき) ⇒ を証明する すなわち(*)の左辺を仮定し, また n-prim "=[i]=" n をみたす 任意の n-prim について m~, n-prim |= F(a_i) を示せばよい. さて m, n, n-prim および m-prime を次のようにえらぶ( p=1, 2, ・・・, l ) n-prime_i (←漏れ注#) || 1. m-prime = (・・・・, m-prime_ jp, ・・・・, m-prime_ j, ・・・・, m-prime_i, ・・・ ) || || 2. m = (・・・・, m_ jp, ・・・・, m_ j, ・・・・, m_i, ・・・ ) || 3. n = (・・・・, n_ jp, ・・・・, n_ j, ・・・・, n_i, ・・・ ) || || 4. n-prime = (・・・・, n-prime_ jp, ・・・・, n-prime_ j ,・・・・, n-prime_i, ・・・) すなわち, まずはじめに n が 3 によって与えられておるとすると, n-prime "=[i]=" n をみたすような任意の n-prime は 4 によって与えることが できる. さて n と m について m_ j1 = n_ j1, ・・・, m_ jl = n_ jl が成りたつので, m は 2 の形になる. そこで m-prime を m-prime_i = n-prime_i が 成り立つように,1 の形で定義する. 明らかに次の i), ii) が成り立つ. i) m "=[i]=" m-prime であり, (*)の左辺が成り立つという仮定から, m~, m-prime |= F(a_i) が成り立つ. ii) m-prime の決め方から, m-prime と n-prime は m-prime_ j1 = n-prime_ j1, ・・・, m-prime_ jl = n-prime_ jl および m-prime_i = n-prime_i が成り立つ. 』
『(つづき) ところで F(a_i) はもとの∀x F(x) より論理記号の数が1減っているから, 帰納法の仮定が使える. ただし∀x F(x) に比べて,F(a_i) は自由変数 a_i が1つ 増加しているから, 帰納法の仮定は次のようになる. m-prime_ j1 = n-prime_ j1, ・・・, m-prime_ jl = n-prime_ jl および m-prime_i = n-prime_i のときに限りm~, m-prim |= F(a_i) ⇔ m~, n-prim |= F(a_i) ii) よりこの仮定の条件がみたされ, i) より左辺が成り立っているから m~, n-prim |= F(a_i) が成り立つ. m, n を入れかえれば逆も同様に証明できる. ∃x F(x) についても同じようにできる 【証明終了】 』
と、かように定理6 の 3. が証明されています.
ここで m-prime_ jp = n-prime_ jp, ( p=1, 2, ・・・, l ) は定理6 の条件から自然に導かれる
のですが、そのほかに恣意的な条件(漏れ注#1の)m-prime_i = n-prime_i を導入している
ことが確認できると思います.
もちろん m "=[i]=" m-prim ですから当の m-prime_i に n-prime_i ∈Mを用いることも
やぶさかではないのですが、この操作で任意の m-prim では結論である
m~, m-prim |= F(a_i) ⇔ m~, n-prim |= F(a_i) を主張できないのではと漏れは訴えたい。
証明の構造自体はわかる気もするのです。すなわち定理6 の 2. までで論理式 A に
∀と∃が現れない限りm~, m-prim |= A ⇔ m~, n-prim |= A を導ける.
そしてさらに m-prime_i = n-prime_i がいえるなら同じ構造なので
m~, m-prim |= F(a_i) ⇔ m~, n-prim |= F(a_i) も主張できる.
(
>>361 定義6 の 3) より a_i は論理式 A すなわち F(x) に現れない最小の自由変数)
ところが(*)のm~, m-prim |= F(a_i) ⇔ m~, n-prim |= F(a_i) が主張できるなら
m~, m |= ∀x F(x) ⇔ m~, n |= ∀x F(x) を主張できる.
すなわち論理式 A に含まれる論理記号の数に関する帰納法で
A の一番外側の記号が∀のときm~, m |= A ⇔ m~, n |= A を証明できる,・・・と.
そして漏れが恣意的な条件とする m-prime_i = n-prime_i についても a_i が論理式 A に
現れない自由変数である以上,証明結果であるm~, m |= A ⇔ m~, n |= A の条件としは
定理6 にある m-prime_ jp = n-prime_ jp, ( p=1, 2, ・・・, l ) だけで必要十分だという
声も聞こえるような気もするのです.
m "=[i]=" m-prim なる m-prim の要素 m-prime_i に n-prime_i ∈Mを用いることは
常に可能なゆえに定理6 の条件には提示不要であるという考えは正当なのか,
あるいは漏れは今回も本質的に考え違いをしているのか,について御教示願いたいです.
>>370 図を用いて却って複雑になっているけど、証明は正しい。
分かりやすいように注釈をつけて書き直すこともできるけど、
ひとまず証明に使われている帰納法についてもう一回よく考え直してみて。
>>367 > 定理6
> L の論理式 A に現れる自由変数を a_ j1, ・・・, a_ jl とし, また m, n がm~の点列で,
> m_ j1 = n_ j1, ・・・, m_ jl = n_ jl が成り立つならば, m~, m |= A ⇔ m~, n |= A
> 【証明】
> A に含まれる論理記号の数に関する帰納法で証明する.
答えてあげたいのは山々だけどこの本 やり方が古いから読みたくないんだよな…… まあ34年以上の本だから当然だけど
と時間を与えて悩んでもらおうと思ったんだけど、
根本的には間違ってないし、割とよく考えているから、
いきなり説明しよう。
まずこの証明で使われているのは「論理記号の数に関する」帰納法だということ。
したがって証明することは
i)Aの論理記号の数が0の場合、すなわちAが素論理式の場合、定理6が成立すること、それと
ii)A'の論理記号の数がnの場合に定理6が成立することを想定すると、A'を部分式としてもち
論理記号の数がn+1であるAについて定理6が成立すること、この2点。
問題なのはAが∀x F(x)の形をしている時なわけだ。
証明にしたがってA'はF(a_i)と考えることにする。
>>367 > m~, m |= ∀x F(x)
> ⇔ m "=[i]=" m-prim をみたす任意の m-prim に対して m~, m-prim |= F(a_i)
> m~, n |= ∀x F(x)
> ⇔ n "=[i]=" n-prim をみたす任意の n-prim に対して m~, n-prim |= F(a_i)
F(a_i)は確かに∀x F(x)より論理記号の数が一つ少ないから
>>370 > m~, m-prim |= F(a_i) ⇔ m~, n-prim |= F(a_i)
が成立する、と一足飛びにいきたいところを我慢して、
次のことを考えてみよう。
どうしてm-prime_i = n-prime_iが帰納法の仮定に加えられるのか。
>>374 の答えは、「a_iがF(a_i)の自由変数の一つだから」。
つまりこういうこと。ここで使われる帰納法の仮定を詳細にすると
F(a_i)に現れる自由変数を a_ j1, ・・・, a_ jl, a_i としまた m-prim, n-prim がm~の点列で,
m-prim_ j1 = n-prim_ j1, ・・・, m-prim_ jl = n-prim_ jl, m-prime_i = n-prime_i が成り立つならば,
m~, m-prim |= F(a_i) ⇔ m~, n-prime |= F(a_i)
となる。自由変数が増えているから変な気がするだけで、論理記号は減っているのだから
この仮定が成立するとしていいわけだ。
これで疑問が解けた?
有難うございます。 疑問は解けたと思います。
以下は雑感です。
項や論理式などを定義する方策としての帰納的定義には安心感を覚えます。
概念に当てはまるものを1つももらすことなくカバーできることを「知って」いるからです。
「帰納」と称していますが、その実、密かにアブダクション(*)のような気さえします。
(*) アブダクションはルール(箱の中のボールはすべて白)と結果(手元に白いボールがある)
からケース(ボールは箱から取り出された)を、演繹はルールとケースから結果を、
帰納法ではケースと結果からルールを得る。 (情報系の本からの聞きかじり。)
しかし帰納法にはいつも漠とした不安を感じずにはおれません。
「〜に関する帰納法で証明する」ことを思いついたとき、証明の本質が「〜」であることを
誰が保証するのでしょうか?
漏れが「〜に関する帰納法で証明する」と言い出すとき「〜」の部分は見当違いでは?
との自問に耐えねばなりません。 ゆえに帰納法は本質を把握済みで正しいことが自明の
問題に限って証明可能な気さえしてきます。。
この悶々とした気分を晴らす知恵を他書(知識と推論、森下真一著)に見つけました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4320026608/3w-asin-books-22/249-4689650-2894763 一つの方策は構造に注目することのようです。
(↑これまたどこの生協や図書館(市民図書館含む)にでもある
情報系の書架にある朱色のあのシリーズ。 酸素が薄くなるぐらいサパーリだから読まないけど。)
P11の下にいい言葉がありました。 帰納的に定義された概念が性質 P を満たすことを構造に関する 帰納法で証明すると、いつも1つももらすことなくカバーできる、と。 『 例えば,任意の項 t が性質 P を満たすことを構造に関する帰納法で証明するとは,項の帰納的定義 の各項目に対応する次の命題を証明することである. (1) t が変数のとき, t は P を満たす. (2) t が定数記号のとき, t は P を満たす. (3) t が f(t_1, ・・・, t_n) の形をしているとき,各 t_1, ・・・, t_n が P を満たすと仮定すれば (このような仮定を帰納法の仮定(inductiv hypothesis)と呼ぶ.), t は P を満たす. 帰納的定義では短い記号列を定義した後に長い記号列を定義していくが,帰納法では,短い記号列に対して 性質を証明した後に長い記号列に対してその性質を証明していくわけである. 』 結局、定理6 を「論理記号の数に関する帰納法で証明する」とは次の主張に等しいのでしょう。。 論理式は帰納的に定義され、それは論理記号の数に関する帰納的定義の構造をとる。 であるから論理式が性質 P を満たすなら 論理式の帰納的定義の各項目に対応する次の命題を満たし 1. A が素論理式のとき性質 P を満たす 2. A の一番外側の記号が, ¬,∧,∨,⊃のとき性質 P を満たす 3. A の一番外側の記号が,∀,∃のとき性質 P を満たす それは事実上、論理記号の数に関する帰納的定義の各項目が性質 P をとっている構造に 着目することに等しい。 すなわち論理記号の数に関する帰納法で証明する事により1つももらすことなくカバーできる。
『知識と推論』ってどこにでもあるの? 情報系の本はあまり見ないから分からないのだが。 ロジックやってる人って哲学や情報科学の本棚も チェックしている殊勝な人が多いよね
朱色のシリーズは私が知る限りどこにでも(とりあえず)置いてるみたいです。 (刷りも定期的に重ねられています。) しかし情報系の方から聞くところでは、 つかみ所のないとっつき難さのため人気がないようです。 知識と推論といえば検索かけると東工大の先生の著書の方がよりメジャーに なりつつあるみたいです。しかし目次を見る限りは工学的アプローチのようで、 実験装置を計算機の中に用意する方法の本ですね。
ふーん、個人的には情報系の本は 小野先生の『情報科学における論理』とか 林先生の『数理論理学』や高橋先生の『計算論』とかしか知らないや。 まあ探せばイイのは他にもあるんだろうけど。 ちなみに分かってると思うけど 定義の帰納はrecursive[-tion]で帰納法はinductive[-tion]ね。 ニュアンスが違うから最初の方を再帰と訳して使い分ける人もいる。 ちょっと情報系くさいのが数学専門の人には難点だけど。
ニュアンスってか意味、用法が違うか。 まあ英語でもinductive definitionなんて書いてあったりするけど。 どっちにも帰納と当てるとrecursionの訳に困ったりする。 帰納法(?):再帰法 帰納的定義:再帰的定義 帰納的可算:再帰的に枚挙可能 ただ田中先生のモデル論の訳語はどうも良く分からないけど。
親切にありがとうございます。 たしかに帰納的定義は再帰的定義のほうがずっとピンときますね。 私もそのように使い分けようと思います。 彡´⌒ヽミ 紹介された本はなんだか難しそうで (´・ω・`) 読むだけで髪の毛が薄くなりかねないから (つ難と) なるだけずっと後に回したいと思いました。 `u―u´ 彡´⌒ヽ ( ´_ゝ`) 漏れらストレスに弱いからね・・・
813
>>テンソル総合スレ
>>
http://science3.2ch.net/test/read.cgi/math/1085268444/363 漏れ個人的な意見ですが、
まずアリストテレスの論理学に対しては良く知らないから何とも…
ゲーデルの『Principia Mathematica及び関連体系での形式的に決定不可能な命題に関して I』
の最後のコメントとヒルベルト・プログラムの関係はかなり難しい問題だから、断定口調は
イクナイ!と思いますが、「>>明言していた」は実際にゲーデルがそう書いているので
それ程問題は無いでしょうね。↓参照URL(林晋先生のページ。問4.参照。)
ttp://www.shayashi.jp/history/myth.html ただ、算術の無矛盾性証明には\varepsilon_0までの超限帰納法、もしくはそれと同等の強さの
仮定が必要である、という事実自体は間違いなく標準的な見解になっているので、
問題はこれを「有限の立場」と見做すか否かだと思われます。「有限の立場」自体はエルブランか
誰かが論文中で明示的に定式化していたと思います。(ソース忘れた!)
恐らくそれを文字通り解釈すると、プログラムは破綻した、ということになると思いますが、
竹内先生は『ヒルベルトの23の問題』で、\varepsilon_0までには順序数は可算個しかないので
ただの記号列だと見れば全く問題ない、という旨のことを書かれています。それが標準的な見解か
どうかはともかく、竹内先生の言を引いておけば相手も表立った反論はしづらいと思うのですけどね。
(まあでも田中先生はまた違うことを書いていますがw↓参照URL
ttp://members.at.infoseek.co.jp/nbz/ref/hprogram.html たぶんシンプソンの受け売りだろうと思いますけど無矛盾性は相対的にしか示せない、という
認識自体は個人的には正しいと思います。ポアンカレの批判に対する明確な返答にもなっていますし。)
>>“不完全性定理”の本性が何であるかについては、今なお、
>>議論されており、状況は流動的である。
は「“不完全性定理”の本性」、「状況は流動的」といった言葉が曖昧なので内容の当否以前に却下ですね。
数理論理学の説明に、(例えば)recursion theoryに関して一言もないのも本当は
おかしいんですけどね。英語版にはあるのに。
385 :
132人目の素数さん :04/11/12 18:09:04
>>384 >数理論理学の説明に、(例えば)recursion theoryに関して
>一言もないのも本当はおかしいんですけどね。
じゃ、君が書いてよ(笑)
386 :
132人目の素数さん :04/11/12 18:17:15
>竹内先生の言を引いておけば相手も表立った反論はしづらいと思うのですけどね。 竹内マンセーの素人以外は、公然と反論するよ。彼はもう過去の人だから。 「絶対的な無矛盾性証明」は、「集合全体の集合」と同様の無理がある。 自然数論の無矛盾性証明にε0を持ち出すのも、集合論の無矛盾性に 到達不可能基数を持ち出すみたいなもんで、そんなことをしたって ε0は絶対じゃないし、到達不可能基数までのVが集合になるわけ でもない。
387 :
132人目の素数さん :04/11/12 18:42:17
> 自然数論の無矛盾性証明にε0を持ち出すのも、集合論の無矛盾性に > 到達不可能基数を持ち出すみたいなもんで、 それは随分と違うように思えるが。(mod 素人) では等しいけど。
389 :
132人目の素数さん :04/11/13 00:09:23
素人にはえぷしろん0て順序数が何なのかすら分からないんだけど。 素朴集合論の本にはじぇんじぇんでてこんかったぞ。 ぐぐってもみんな既知として使ってやがる。どなたか教えてくださいよ。
>>389 順序数 α>0 は ∀β,γ<α(β+γ<α) をみたすとき、α を additive principal number という。
additive principal number を小さい順に数え上げる関数 f(α)=ω^α の fixed point を ε 数という。
ε 数のうち最小のものが ε_0.
最初に定義したのは Cantor なので、由緒正しい歴史を持っているのだが、普通の人は知らない。
>>388 喩えであって精密な対応関係があると思うのはヴァカなわけだが。
>>391 素人が考えつきそうな喩えだと書いているだけ。
>>392 自称玄人は喩えを嫌う。喩えはウソだと思うヴァカだから
「ε0までには順序数は可算個しかないので ただの記号列だと見れば全く問題ない」 という竹内の発言も、なんか可算なら なんでもかんでもOKだと思うDQN素人が いいそうな発言だよね。
395 :
132人目の素数さん :04/11/13 12:51:36
おめーおら馬鹿だな
「おめー、おら馬鹿だな」?
>>384 > 竹内先生は『ヒルベルトの23の問題』で、\varepsilon_0までには順序数は可算個しかないので
> ただの記号列だと見れば全く問題ない、という旨のことを書かれています。
どこにもそんな文章はなかった。
ωという記号の上にωという記号が乗っているだけです、 ということが書いてあったろ 今手元に無いので原文を参照できないけど。
>>399 「\varepsilon_0までには順序数は可算個しかないので」なんて書いてない。
401 :
132人目の素数さん :04/11/21 19:35:09
551
(・3・)ノ エェー 数理論理学やりたいのになんで哲学科なんだYO あれ数学ですC といってみるてすつ
404 :
132人目の素数さん :04/11/27 11:59:58
ロジックってなんで数学の世界でマイナー扱いされてるの?日本だけ?
何でかなあ。日本だけでもないかもしれないけど、 このハブられかたは尋常じゃないよね 哲学に近いからかなあ? それでも、修辞学とかよりはまだマシかも知れないけど。
406 :
132人目の素数さん :04/11/27 13:20:47
>>405 他スレにも書いたが、
岩波の数学書は十数年前から、「文化に貢献する」
から、「金儲け主義」に変わりつつある。
左翼を自称する岩波が金儲け主義になったのか。
改訂版も誤りが全然直っていない。
角川春樹と大して変わらんな。
日本における数理論理学の位置に関する
>>405 のレスに対し
岩波の金儲け主義がどうのという
>>406 の意図が全然分からん
408 :
132人目の素数さん :04/11/27 16:07:25
失礼。 他のスレだった。
数学界の分科会で「数学基礎論と歴史」て酷い分類ですよね。 完全に“その他”と言うか、年寄りの暇つぶしと言わんばかり。
>>409 だから本屋でも数学史の棚に並んでいたりするのか。
411 :
132人目の素数さん :04/12/05 12:22:27
170
412 :
132人目の素数さん :04/12/09 21:00:08
結局何故マイナーなんだろう・・・ 海外における地位はどんなもんですか?
マイナーです
414 :
132人目の素数さん :04/12/11 18:30:06
基礎論の中でもマイナーな方だな。
基礎論とほぼ同義じゃないの?数学の世界での用法は 基礎論≒Logic≒Mathematical Logic≒数理論理学 だと思ったけど違うの? 実際ShoenfieldのMathematical Logicなんて基礎論そのものだと思うけど。
416 :
132人目の素数さん :04/12/12 23:43:03
基礎論て英語でなんていうんだ? the foudation of mathematicsじゃただの数学の基礎だろ?
基礎論はmathematical logic 基礎論屋はlogician
日本で基礎論というものをfoudation of mathematicsと呼ぶことは多いけど それ以外のものを指してfoudation of mathematicsということもある
数学基礎論では、一階述語論理までで、それ以外は 数理論理学という位置付けですか?そして外野から そういった論理学を基礎論に持ち込もうとすると、 トンデモ認定されるというか。
>>418 例えば?
>>419 えー、どういう意味の事言ってるんですか?
不完全性定理で、証明可能性術語と様相論理の絡みとか
結構研究されたりしますよ?
高階術語論理もそれなりに研究されてると思うけどなあ……
その無矛盾性の証明に関心を持っている人が少ないだけで。
421 :
BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :04/12/13 11:32:54
foudationって何語だよ?
>>419 確かに意味不明。まさか
数学基礎論=一階述語論理
数理論理学=その他の論理
といいたいのか?
それは妄想だろ。
#漏れとしては数学基礎論=数理論理学
423 :
132人目の素数さん :04/12/13 13:05:25
読んでて舌がもつれそうなスレだな。
424 :
132人目の素数さん :04/12/13 14:16:22
歴史関係・従軍慰安婦
http://www.ii-park.net/~imzapanese/rekisi/ianfu.htm 平成3(1991)年末、かの『朝日新聞』が「従軍慰安婦」問題で
徹底的な糾弾キャンペーンを展開した事がありました。
この時、吉田清治(よしだ-せいじ)氏の著書
『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房 1983)の
「慰安婦狩り」の問題が、
「済州(チェジュ)島にて軍の協力により、慰安婦狩りを行い、
一週間で205人の女性を強制連行した」
と言う記事として掲載されました。
しかし、その後、千葉大学の秦郁彦(はた-いくひこ)教授の
実地調査では、吉田氏の著書は「捏造」である事が発覚
(その報告は『正論』1992年6月号に詳しい)。
又、『週刊新潮』1995年1月5日号 の取材結果でも、
事実無根である事が判明。当の著者もあれは創作だった」と
認めたのです。
(記事捏造がお得意な、天下の大新聞『朝日新聞』の面目躍如ですね>笑)
英語でlogicianなら問題ないが“論理学者”と訳してしまうと、 アリストテレス、スコラやカント、ヘーゲルを研究してると思われる。 だから内輪ではロジシャン、外部には数学者と名のっておくのが無難。
>>420 例えば数学の基礎についての哲学論議も
日本じゃ基礎論とは言わない(と思う)が
アメリカではfoundation of mathematicsと呼ばれる
海外でも純粋なろじさんは哲学臭いのを嫌うんだよなあ?
ShelahやWoodinはけっこう哲学っぽい議論が好きだそうだが・・・
>>426 まあそうだけど、でも20世紀初頭の基礎論論争は
どちらかというと、かなり哲学っぽくないですか?
直観主義と形式主義の決着は数学的な定理とかではつかないような。
>>428 Shelahって哲学っぽい議論が好きなの?
Barwiseはかなり哲学っぽいけど。(『うそつき』とか)
ちなみに哲学ってもエクリチュールがどうのとか
人間の悟性が云々とかそういうのでもないので念のため。
>>429 その通りだと思うが、どうして俺にそういうレスをするのか
意図がよくわかんない。
そういう哲学を指してfoundation of mathematicsということもある、
って俺は言いたかったわけだから。
日本でもそういう哲学を数学基礎論と呼ぶ、って言いたいの?
直観主義、形式主義間の論争⊆哲学 - 数学 だけど、一般にはこういう論争は基礎論の一部 という認識が広まっているのではないか、 ということです。
そっか。広まってるのか。
広まってないと思うが・・・
哲学的な議論の要請は、負け戦での突撃命令みたいなものだな。 まったく無価値だとは思わないけど、そういう問題意識もつ時点で 負けかな、みたいな。
じゃあShelahもWoodinも負け犬かー
そこで野矢茂樹ですよ。
ってかSimpsonのF.O.M.の定義、どっかのスレに貼ってあったような あくまでSimpsonの考えだが
438 :
132人目の素数さん :04/12/18 14:56:35
439 :
132人目の素数さん :04/12/23 05:32:09
日本で最も頭のイイ人達は 柄谷行人、浅田彰、吉本隆明、宮台真司、立花隆、村上陽一郎、 宮崎哲弥、福田和也、安部公房、西部邁、野矢茂樹、東浩紀、佐々木力。 この人たちは数学的に不完全性定理を理解した上で その意味と応用を考える事が出来る。無機な数学を 活きた哲学にする。 理解するのに、汲々としているレベルとは違う。 理解して自慢してるレベルとは違う。 タコツボ型の視野狭窄専門バカとは違う。 これで文句は無かろう。 万能型の天才にはどうしても納得出来ない? スーパーインテリジェンス。 彼等の知識は分流し、奔流となって大河となり、循環し続ける。 彼等という知の伏流が奔流となってこの日本を覆う時、それは旧い知の 終焉を告げる。終焉は再生、創造の時を告げる。 以上 哲学>数学の証明。
なつかしいコピペだなあ
高校数学の理解も怪しそうな香具師ばかり並べているのはわざとなのか
林晋先生は来年から京大文学部にいくらしいね。
443 :
132人目の素数さん :04/12/23 12:33:04
えっと、佐々木力は確かに不完全性定理理解してるけど、浅田彰はあまり理解してないぞ 安部公房は今更確かめようがないが、あまり理解してなかったんじゃないだろうか。 野矢茂樹は微妙なところ。一応ゲーデル本らしきものも書いてるけど、どうもあまり分かってないっぽい。 立花隆には理解していてほしいけど、以前熱力学の第二法則分かってなかったから、望みは薄い。
444 :
132人目の素数さん :04/12/23 12:39:48
宮崎は論外なの?
445 :
132人目の素数さん :04/12/23 12:40:10
野矢茂樹は基数すらわかってるかあやしい
446 :
132人目の素数さん :04/12/23 12:54:39
不可(ry を理解していることは、どういう状態で満たされるの? 表現定理とか他の基本的な定理から不可〜までの証明をできれば、 理解していることが必要十分か?必要だけ? 仮に必要条件であったとして、これを何も参照せずに実行できる哲学のひとは稀だろうな。
まあ不完全性定理は自己言及が云々とか言ってる
(主にポストモダンの)人々以外は別に罪はないかと。
別にこの人たち全員がそういうこと言ってるわけじゃないでしょ。
>>445 tasikani!!!
不可(ryって何かと一瞬思った。
よーし、その名称が嫌なら父さん「定理の非極大性」定理とか呼んじゃうぞー
野矢は数学的帰納法さえわかってないでしょ。
449 :
132人目の素数さん :04/12/25 01:22:44
age
450 :
132人目の素数さん :04/12/25 05:26:33
一階述語論理の意味論もりかいしてねーのに
完全性定理も不完全性定理もないだろw
ちなみに
>>439 はそろいもそろってバカぞろい。
吉本だけがまだまとも。
450は典型的団塊のバカ。
452 :
132人目の素数さん :04/12/25 12:54:43
野矢とかその辺の人達は、何がどうわかっていないのか教えていただけると嬉しいです。 あと数学がわかっている哲学者、また、哲学的な数学者がいたら教えて下さい。
浅田彰批判だったら、黒木先生のホームページにあるよ。 で、野矢さんは、間違った理解はしてないと思うけど、 数学科を出てる癖して、どうも理解が浅そう、と言う感じがする。 (無限論の教室とか参照) 数学が分かっている哲学者なら、スマリヤンとかどうだろう。 まあ数学といっても数理論理学、基礎論のことになっちゃうけど。 代数幾何学がわかっている哲学者とか、位相幾何学がわかっている 哲学者とかは一寸知らないなあ
>数学が分かっている哲学者なら、スマリヤンとかどうだろう。 スマリヤンは数学がわかってる奇術師&ピアニスト >代数幾何学がわかっている哲学者とか、 >位相幾何学がわかっている哲学者とか そういう知識は哲学には無駄なんだよ。
スマリヤンは哲学科の教授ですが? 昔はラッセルとかは数学を分かっている教授だったはずだけどなあ クワインとかパットナムとか、英米哲学なら、論理学が分かっている奴も多いかも。 なにせ、数学∩哲学≒論理学だからなあ そういう知識は哲学には無駄なんだよ。 まあ細かい知識はそうだろうが、現代数学がどんな学問かだけでも 知っておくと、その人の世界の認識は全然違うと思う。
>スマリヤンは哲学科の教授ですが? 知ってるよ。 でも、クワインやパトナムと同様の意味で 哲学者かといわれると違う気がする。 >現代数学がどんな学問かだけでも知っておくと、 >その人の世界の認識は全然違うと思う。 学問を知らない人が、想像でそういうことをいうのは まあ仕方ないけど、数学も哲学も知ってる人がこんな ことをいったら、正直ボケたかと思う。
457 :
132人目の素数さん :04/12/27 12:56:39
age
458 :
132人目の素数さん :04/12/27 14:17:02
クワインとかクリプキはそれぞれに有名な業績があるけど、 パットナムにはどんなのがあるの?
459 :
132人目の素数さん :04/12/27 14:48:53
数学@2ch掲示板 ■ ▼ BBQ が止まっています BBS が止まっています
>でも、クワインやパトナムと同様の意味で
もっと詳しく。
>>458 Putnam's Theorem とかかな。
>>456 論理学者と分析哲学者(言語哲学?)の差だね。
スマリヤンはrecursion theoryとか様相論理の集合論への応用とか、
そういう仕事をやってるんだっけ?
>>456 いや、「学問を知らない人」、哲学しか知らない人と
「数学も哲学も知ってる人」では、論理とか真理に対する
認識が異なるのではないか、と言ってるんだけど。
ってかあなた自身がそういうこと書いてない?www
462 :
132人目の素数さん :04/12/29 13:27:47
野矢氏による数学的帰納法の説明 (林晋編パラドックスより) ------------------------------------------------------------------------------- 「数学的帰納法」という証明方法を知っているだろうか。n=kで証明できたと仮定して、 それを利用してn=k+1の証明を与える。そこでさらに、n=1の場合の証明を与える。 そうすると、そこからn=2の証明が与えられ、さらにそれを使ってn=3の場合の証明が 与えられる。 以下同様、こうしてすべての自然数についての証明が与えられたとみなされる。 そういう証明法である。 ふつうこれはすべての自然数についてある命題を「証明したもの」と考えられる。 だか、実のところすべての自然数についての証明を与えてなどいないのである。 このようにしていけば、いくらでも大きい数で証明を作ることができる。 数学的帰納法はその指示を与えているにすきない。 それは証明ではなく、証明作成法の指示なのである。 -------------------------------------------------------------------------------
>>462 野矢なんてゴミ
セクハラ佐々木力と一緒に追放しちまえ
>>461 いや、君は何も知らないといってるんだけど
それも分からないかい?お**さん
465 :
132人目の素数さん :04/12/31 22:06:58
age
>>464 そういうあおりは議論の妨げにしかならん。煽りあいがやりたければ
ν速へいけよ。
467 :
132人目の素数さん :05/01/02 09:59:50
日本で最も優雅な人達は 村上龍、坂本龍一、岩井俊二、平野啓一郎、小西康陽、日比野克彦、佐々木力。 この人たちは、不完全性定理なんぞに構っている暇は無い。 彼等のアーティスティックセンスは無限大。宇宙そのもの。 彼等のアーティスティックセンスは完全である。 しかし数学の如き児技では証明不可能。 これって不完全性定理?(w 彼らが神なら数学は丁稚レベル。 キミタチとは住む世界が違う。 彼等の奔流はキミタチを飲みこまない。 キミタチを置き去りにする。 彼等のサロンは身分に厳しい。君達は門前払い。 ごくごく一部の選ばれた人間のみに入会資格が与えられる。 これからは勝ち組と負け組に分れた階級社会になるだろう。 不完全性定理を理解する為に汲々として人生を使い果たすような つまらない連中とは違う。 彼等は生きる意味を知っている。彼等は人生の達人。遊びの達人である。
「不完全性定理」をNGワードにしたらまずいかな…?
469 :
132人目の素数さん :05/01/04 00:15:47
社会学板で不完全性定理がどうしたとか抜かしてる連中と同レベル だな。あいつらの頭の中では、「不完全」という言葉が重要なので あって、要は「数学は不完全だ」という結論だけ取れればいいだけ で、それを社会学で学問に完全は無いという極めて幼稚な結論を 出したいがためにわざわざ理解出来るわけが無いゲーデルの名前 を出してるだけで、勿論不完全性定理なんか理解出来る知能は無い。
470 :
132人目の素数さん :05/01/04 13:44:22
世界で最も頭のイイ人達は レイモンド・スマリヤン、高橋昌一郎。 この人たちは数学的に不完全性定理を理解した上で その意味と応用を考える事が出来る。無機な数学を 活きた哲学にする。 理解するのに、汲々としているレベルとは違う。 理解して自慢してるレベルとは違う。 タコツボ型の視野狭窄専門バカとは違う。 これで文句は無かろう。 万能型の天才にはどうしても納得出来ない? スーパーインテリジェンス。 彼等の知識は分流し、奔流となって大河となり、循環し続ける。 彼等という知の伏流が奔流となってこの日本を覆う時、それは旧い知の 終焉を告げる。終焉は再生、創造の時を告げる。
新ネタきぼん
472 :
132人目の素数さん :05/01/04 15:55:58
ポモとホモって字が似ているね レズとレスも似ている セックスとエックスも似ている ハァハァ
なんか、2chの基礎論スレには煽り好きな人が長らくいらっしゃいますねえ まあだからこそ2chなのかも知れませんが
475 :
132人目の素数さん :05/01/15 07:06:22
このスレで扱ってるようなことやってるスゴい人って誰?日本人で。
海外でも名が知られているのは竹内外史
477 :
475 :05/01/15 13:17:54
このスレで扱ってるようなことやってる 竹内外史がやったのはGentzen流の証明論だろ
竹内先生の場合は無矛盾性証明に執着が強かったみたいですね。 あれが本当にGentzenの証明論を継承したと言えるのかどうか・・・
>>479 カット除去に固執してる点ではGentzenの後継者
数理論理学の専門家いる哲学科 って、北大、慶応くらいしかない じゃん、国内じゃ。英語圏の大学 なら、各哲学科に必ず1人はいる けどね。
669
483 :
132人目の素数さん :05/02/26 07:59:38
749
484 :
132人目の素数さん :05/02/26 10:20:29
485 :
132人目の素数さん :05/03/04 18:44:28
KNW
486 :
132人目の素数さん :05/03/15 08:19:53
164
487 :
132人目の素数さん :05/03/15 11:06:19
488 :
132人目の素数さん :2005/03/26(土) 19:08:28
240
489 :
132人目の素数さん :2005/03/26(土) 20:13:35
A クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った B 白人は正直だと白人が言った Aは矛盾なのに、Bはなぜ信じられるのか?
490 :
BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :2005/03/26(土) 21:22:47
Re:>489 矛盾って何?
491 :
132人目の素数さん :2005/04/07(木) 15:09:21
ここはみにくいスレですね
492 :
132人目の素数さん :2005/04/07(木) 15:57:07
クレタ人が「クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った」と言った場合 はどうなるの?これも矛盾なの? Bは嘘。実際、嘘つきの白人はいっぱいいる。 白人嘘つき。インデアン嘘つかない。
493 :
132人目の素数さん :2005/04/07(木) 16:29:27
>>489 Bが正しいという馬鹿はここにはおるまい。
・・・と知的恫喝を一発かました上で(笑)
白人が正直であれうそつきであれ、
そしてBの文章が真であれ偽であれ
別に論理的には問題ない。
しかしAはそうではない。
Aを真としても偽としてもおかしくなるからだ。
494 :
132人目の素数さん :2005/04/07(木) 16:43:23
だからどうした。 「ある特定のクレタ人は嘘つきだと別のクレタ人が言った」 のかもしれないぞ。 「すべてのクレタ人は嘘つきだとあるクレタ人が言った」 のだとしても、まだ話もできない赤ん坊はどうしてくれる。
495 :
132人目の素数さん :2005/04/07(木) 17:41:23
>>489 ケースB は場合分けが必要な事例。場合分けで考えるということは、日常的感覚では信じていない
ということになる。
496 :
132人目の素数さん :2005/04/07(木) 23:13:41
隈部正博って有名?
「松坂の集合位相」の本の13,15ページ(凄い最初のほうのページ) (2.3) A⊂C,B⊂C ⇒ A∪B⊂C (左辺のコンマ’,’は’かつ’の意味(P14)) (2.3)’ A⊃C,B⊃C ⇒ A∩B⊃C とあるのですが、⇒の記号は⇔でもOKな気がするのです (⊂,⊃は部分集合の記号です。) だってだって、 A∪B = (A-B)∪(A∩B)∪(B-A) A = (A-B)∪(A∩B) B = (B-A)∪(A∩B) ですから たとえば(2.3)などは A∪Bの元はx∈(A-B) y∈(A∩B) z∈(B-A)のいずれかであり A∪B⊂Cのとき x∈Cかつy∈Cかつz∈C よって x∈Cかつy∈C より (A-B)⊂Cかつ(A∩B)⊂C (2.3)十分条件より (A-B)∪(A∩B)⊂C すなわち A⊂C さらに、 y∈Cかつz∈C より (A∩B)⊂Cかつ(B-A)⊂C (2.3)十分条件より (B-A)∪(A∩B)⊂C すなわち B⊂C とできて(2.3)必要条件もみたされるのですから、⇔としても問題ないと思うのです。 松坂先生はいったい何を心配しているのでしょうか?
>>497 定義とか公理のような形で導入される命題は、他の定理の証明で使われることを考えて
出来る限り弱い形で述べるのが普通なのだよ。
この場合⇒は⇔よりも弱く(⇔ならば⇒は明らか)、⇔が⇒から導けるから⇒を採用する。
必ずしもそうとは言えないけどね。 議論の簡明さを重視して強い形で述べることもある。 ただ、この場合逆は明らかだからどっちでもいいんじゃない?
500 :
132人目の素数さん :2005/04/08(金) 16:58:35
だとしたら大抵のことが恣意的にどっちでもよくなる。 ちゃんとした著者の本だから、ちゃんと理由があってのことだと思うよ。
ごちゃごちゃしていた 矢印ならなんでもよかった いまは判例を探している
502 :
132人目の素数さん :2005/04/08(金) 17:15:18
他の教科書ではどうなの?
別に数学の本の一文字一文字に 深い理由があると思っちゃいけないと思うよ 実際、この矢印が⇔の記号だったら酷く違和感があるか、 と言ったら別に無いでしょ とこの本を読んでもいない俺が言ってみるテスト。 というか、多少スレ違いなような。
507 :
132人目の素数さん :2005/04/09(土) 18:24:41
>>497 手元に松坂本がないので,状況がよく分かりませんが・・・
おそらく、(母)集合 X の(全)集合族における、
A∪B、A∩B の特徴付けを記述している部分ではないでしょうか?
508 :
507 :2005/04/09(土) 18:30:11
質問部分は、A∪B、A∩Bの外延的定義を与えていて, それがA∪B、A∩Bの内挿的(?)定義と同値かどうか問うているだけではないでしょうか?
>>508 外延的記法,内包的記法についてはこの本の§1に述べられているのみです。
質問部分は§2 集合の間の演算 に記されており、当該部分に
>>508 のようなことは
記されておりません。
>>507 の「(全)集合族における、A∪B、A∩B の特徴付けを記述している」
部分がちょうど§2の終盤の文にあるので念のため以下に。
(2.17) ∀A∈α(A⊂∪α)
(2.18) [∀A∈α(A⊂C)] ⇒ ∪α⊂C
これらは明らかに(2.2),(2.3)の一般化であって(2.17),(2.18)は、
∪αが、αに属するすべての集合を含むような集合のうちで最小のもの
であることを示すのである。
これは書かれてあるとおり
http://science3.2ch.net/test/read.cgi/math/1094191074/187 の「(2.3)のすぐ下に書いてある文章」を一般化して記述しなおしたもの。
>>507 は松坂スレの187の方と同じく、特徴付けを記述するのが目的だから
文意に沿う形で⇒としたのでは?という指摘と思われます。
私はまだ専門書を読みなれておらず、定理の記述は正確を旨とすべきものと
頑なに信じておりましたので、
>>507 、
>>498 のようなことは及びもつきませんでした。
他に良い考えも浮かばない以上、いわれるとおり囚われないつもりです。
どうも有り難うございます。
専門書ってただの大学の初級の教科書じゃん……
ただの大学の初級の教科書で⇔が⇒にワザワザなってんのは何でかなぁ…と 知識をお持ちの貴方なら論理的な必要性を何か知ってるかなぁ…と
だから要らんことに拘りすぎなんだって
うん。「異常に細かい」と知人から指摘されたことあり。 本読んでても、もぅ気になることとかいっぱい。
514 :
132人目の素数さん :2005/04/10(日) 11:41:27
>>497 テクストでは、明確には記されていませんが、
著者は以下のようなことを意図していたと想われます。
A,B⊂X の和集合の2通りで定義する
定義1)
A∪B:={x∈X:x∈A または x∈B}
定義2)
次の2条件を満たすXの部分集合をA*Bとする。
a) A⊂A*B, B⊂A*B
b)∀C⊂X s.t.A⊂C∧B⊂C → A*B⊂C
ここで注意すべきことは、A*Bとは2条件を満たすものなら
何でもよいということです(といっても、一意性の証明はtrivialです)。
それと存在性は何も保障されていない、という点です。
テクスト本文では、この存在性の証明を行っているものです。
(熟読してみてください)
余談ですが、条件a),b) から
“A⊂C∧B⊂C ← A*B⊂C”は簡単に示せます。
515 :
514 :2005/04/10(日) 11:52:35
結論を書くのを忘れた!! つまり、定義1と定義2は同値ということ、が示せる。(以上!)
>>514 さん、ありがとうございます。
著者の意外な思索を行間から汲み取れて面白かったです。
あなたの目に留まってよかった。
>>514 テクスト本文では、この存在性の証明を行っている
うゎっ、ホントだ。
条件a,条件bの組を厳密に適用したらA*Bなる記号が示す中身が
定義1)のA∪Bの実体に等しくなるね。
条件bはA*BがCで抑えられることを要請しとるから、
A*Bがその部分集合にA, Bをとるという条件aに関して
逆にA,Bの元以外の普遍集合Xの元を取れなくしとるもんね。
この事実と条件aとで、結局A*Bは
定義1)に示されたA∪Bに等しくなるね。
存在性の証明とやらはテキストの”(2.3)の証明”のなかで
具体的にx∈A*Bなるxがx∈A,x∈B,x∈Cとして
存在し得ると読むのかな。
テキストの「そのとき,A∪Bの定義によって」、は
「そのとき,条件(2.2)によって」と読み換えんと
定義1と定義2の同値の主張にならんということは
もちろん言うまでもない。
しかし、こんなことよく気が付くなぁ。
さすが数理論理学番ですね。
518 :
132人目の素数さん :2005/04/30(土) 19:13:30
527
519 :
132人目の素数さん :2005/04/30(土) 20:13:32
つまらん質問で申し訳ないんですが、p→qの真・偽について、 pが偽の時は真になるというのはどうしてなんでしょうか? 学生に聞かれたら、どう説明しますか?
そういう風に定義したから。 そのように定義すると楽だから。 qが真ならpの真偽値に関わらず真、というのを 認めてしまえば、あとは対偶をとって誤魔化せばいい
対偶、対偶、おなかがグー
522 :
519 :2005/04/30(土) 23:39:49
>>520 そういう風に定義すると、具体的に何がどう楽になるのでしょうか?
対偶を説明のために使うのは順番としてよいのでしょうか?
どっちみち、
>qが真ならpの真偽値に関わらず真
というのをなんとか説明して欲しいわけで。
言いたいことは「qが真ならpの真偽値に関わらずp⇒qが真」ということは 全く関係ないpを用意してもp⇒qが真にならざる得ないので 気持ちが悪い、ということでしょ? 例えば「πは無理数⇒2の倍数は整数」全体は真というのは何か釈然としない、とか。 これが釈然としないと「qが真ならpの真偽値に関わらずp⇒qは真」の 対偶をとって説明される「pが偽ならqの真偽値に関わらずp⇒qは真」も 釈然としなくなるしね。 例えば「πは有理数⇒3の倍数は整数」,「πは有理数⇒4の倍数は虚数」 などが真であることが釈然としなくなる。
524 :
BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :2005/05/01(日) 15:06:07
「1は自然数でない⇒1と2は自然数でない」 という命題はどうだろう? 「1は自然数であるか、1と2は自然数でないの少なくとも一方が成り立つ。」 は正しい。
525 :
BlackLightOfStar ◆ifsBJ/KedU :2005/05/01(日) 15:08:11
「not P or Q」はpがqを内含するための必要条件にはなるが、十分条件にはならない。
別に
>>520 でいいと思うんだが。
もう少し詳しく言うと、
・pと¬pが同時に成り立つ
・全ての論理式が正しい
が同じであること(理論が不健全であるということ)を表してる。
527 :
519 :2005/05/01(日) 17:33:19
たとえば pとして「xは整数である」qとして「xの二乗は整数である」 っていう複合命題 p→qを考える。p真だと確かにqも真であり、p,q 真の時のp→qが真だというのは直感と合致している。 で、ここで、話を広げて、p→qはxが何であれ真であるとしてしまおう。 直感的には、そんなに変ではないよね。 ∀x{(xは整数である)→(xの二乗は整数である}=T すると、例えばx=√2だと、pは偽、qは真になるし、x=0.1だとp,qともに偽。 で、偽→真も、偽→偽も真であるとしていいことになる。いっぽう、xをどう とっても、pが真、qが偽という場合はありえないので、真→偽は偽としても よいだろうということになる。逆に、この場合を真としてしまうと、p→q は恒真式になってしまって意味がなくなるので、どうしても偽になってもら わないと困る。 対偶と一致しないと困るという要請だけからは、偽→偽が真であればよい というだけで、たとえば、偽→真も真→偽もどちらも偽としてもかまわない ことになりはしませんでしょうか。
528 :
132人目の素数さん :2005/05/01(日) 17:36:31
2chにも たまには有益なスレがあるようですね
そのように論理体系を独自に設計することは出来ると思いますが 一方でそのようにデザインした論理体系では、 (通常のトートロジーの定義において) 完全性定理が成り立たなくなることはないですか?
>>527 >>526 に書いたように、矛盾が導けるような理論では全ての命題が真にならないといけない。
つまり¬pとpが同時に真なら任意の命題qが真になるということだ。
これを更に言い換えれば、¬pという前提のもとではp→qが任意の命題qについて成り立つ、と言える。
ところで偽→真を偽とするなら、q→p→qや¬p→p→qのような公理は使えないわけだが
この辺はどうするの?
矛盾が導けるような理論では全ての命題が真にならないといけない …わかる ¬pとpが同時に真なら任意の命題qが真になる …わかる (¬pとpが同時に真なら)p→qが任意の命題qについて成り立つ …わかる ¬pという前提のもとではp→qが任意の命題qについて成り立つ …? これがいえれば、次に”qが真ならpの真偽値に関わらず真”が いえるけど、今は”¬pとpが同時に真”でなくとも(矛盾が無くても) >qが真ならpの真偽値に関わらず真 というのをなんとか説明して欲しいと求められているのでは?
>>531 あー、そうだね。難しいなあ。
>>530 はむしろ下の段落の事実に注目してもらうということで。
何にしろ質問者が帰ってこないことには進まんな。
>>527 偽→真が真の場合、A内のすべての男にヒゲがはえていれば、男でない者に
ヒゲがはえていようといまいと
∀x∈A: xは男である→xにはヒゲがはえている
は真になるけど、偽→真が偽の場合には、A内のすべての男にヒゲがはえていて
も、男でないのにヒゲがはえている者がいると偽になってしまう。
偽→真を偽にした場合、男でない者にヒゲがはえているかどうかに関係なく
男にはヒゲがはえていることはどのように表すの?
というか、真理表を使って命題論理を調べる、 という前提の下においては、一番自然な→の定義の 仕方がp→q、というだけ そもそもpがp(x)のように自由変数を含まないときは 日常用語でも通常の数学でも、ほとんどp→qという 命題を扱うことはないわけで、直感的にはこのような 命題を考えること自体が不自然、ともいえる
535 :
519 :2005/05/01(日) 21:42:04
私が
>>527 でやろうとしたのは、p→qの真理値表の定義をできるだけ
自然に「説明」できないかということなので、最後のパラグラフは単なる
おまけです。
単に、「対偶と真理値表において等価にするため」という制約だけでは、
偽→偽が真しか出てこないんじゃなかろうかと思っただけで、ことさら
偽→真が偽である論理体系がつくれるなどと主張してるわけではありま
せんので、誤解なきよう。
「対偶と真理値表において等価にするため」という制約だけでは、 偽→偽が真しか出てこないのではというのは、そのとおりだと思います。 他方、偽→真が偽である別な論理体系は支障なくつくれると思いますよ。 どのように有用かは分かりませんが。 命題論理が強力であるように、完全性定理が破綻しないように 恣意的にそのように不値を与えていると思われます。 このことと直感的な理由付けを与えることとは別でレトリックな気がしますね。 難しかろうと思います。 公理の矛盾の誘引例を示した方が納得してもらい易いのではないでしょか? 例えば指数法則の調和のために”x^0 = 1”と恣意的に定義すること と似ているかと思われます。
別に完全性定理とかは関係ないでしょ
>>529 relevant logicなら完全性も証明されてるよ。
意味論が極めてアド・ホックなのが疑問視さ
れているけど。
>>538 論文の著者とタイトルきぼんぬ
"relevant logic"で検索したらすぐ出るかな?
>>540 証明論の立場からなら、
S. Read 'Relevant Logic'(1988 絶版)(意味論は可能世界意味論に基づく)
可能世界意味論の立場からなら、
G. Priest 'An Introduction to Non-Classical Logic' (2001)(8〜10章)
状況意味論の立場からなら、
E. D. Mares 'Relevant Logic' (2004)
可能世界意味論的扱いの批判なら、
B. J. Copeland "On what a semantics is not a semantics" Journal of Philosophical Logic 8 (1979)
手っ取り早く知りたければ、
The Balckwell Guide to Philosophical Logic (2001)の第13章。
ウェブ上で知りたければ↓
ttp://plato.stanford.edu/entries/logic-relevance/ Relavant Logicは元々は豪州での名称、Relevance Logicは元々は米国での名称。現状
は前者の方が一般的。日本では「適切さの論理」、「相関論理」、「関連論理」と呼ばれる。
Relevant Logicはあくまで演繹的関連性に関する論理(「P→(Q→P)」「(P∧¬P)→Q」が
定理とならない)。条件法のもっと自然な論理を求めるのなら、Conditional Logic[条件法
論理]がお勧め。こっちの文献は
D. Lewis 'Counterfactuals' (1973)
G. Priest 'An Introduction to Non-Classical Logic' (2001)(5章)
J. Bennett 'A Philosophical Guide to Conditionals' (2003)
p⇒qの真理値の話だけど, pやqが変数を持っているp(x),q(x)である場合に関して P={x ; p(x)},Q={x ; q(x)}を考えて,任意の集合Xに対して φ⊆Xであるから,と説明するのはどうだろう? φ⊆X自体は、X^c⊆U(Uは対象領域)から、両辺の対偶を取れば分かるし
p⇒q の真偽値の話は、なぜ「偽な命題を仮定するとどんな命題も真」なのか、ということの説明ということだと思う。 これは、ゲンツェンの自然推論でいうと、矛盾消去規則、すなわち矛盾からは任意の命題が導けることに対応している。 そして矛盾の消去規則は、矛盾記号に導入規則が「存在しない」ことに対応している。 一般に、自然推論では、論理記号∧,∨,⇒,⇔,∀,∃については導入規則と消去規則があり、それらの消去規則は導入規則に「共役」な形を持っている。 これで「空な」導入規則と、それに「共役」な消去規則を持つのが矛盾という論理記号である、というわけ。
544 :
132人目の素数さん :2005/05/03(火) 08:41:27
p→qにおいて、qにpの否定を入れると、pが偽のときには、 「pならばpでない」は真ということになるの?
>>542 いわんとすることを私なりに汲み取って考えると
p(x)⇒q(x)が真⇒偽のときも
そのように考えると全体を真と評価できそう気が‥。
私の考え違いかもしれないけれど。
546 :
132人目の素数さん :2005/05/03(火) 17:59:27
>>534 がおっしゃるように、命題が共通の変数を含まない場合に
p→qの真偽を考えること自体、もともと不自然なんでしょうね。
「4が自然数であるならば4は偶数である」の真偽を問われても
あまり自明ではないような。
で、p,qが変数xを含む場合には、「任意のxに対して、p(x)が真で
あるならかならずq(x)も真である」ときに「p→qが真」と考えるの
が自然だと思う。一方、「p→qが偽」となるのは、その否定で、
「p(x)が真でq(x)が偽となるようなxが存在する」場合であろう。
このような自然な意味での推論の真偽と複合命題「p(x)→q(x)」
の真理値表との間に対応づけをするとすれば、p(x),q(x)共に真の
時に真、p(x)真でq(x)偽の時に偽と定義してやるのが自然で、
「p→qが真」=「p(x)を真とする任意のxでp(x)→q(x)が真」
「p→qが偽」=「p(x)を真とするあるxでp(x)→q(x)が偽」
と表現できることになる。
残るは、p(x)が偽となる場合についての p(x)→q(x)の真偽をどうする
かだが、これをいずれも真としてやると、
「p→qが真」=「任意のxでp(x)→q(x)が真」
「p→qが偽」=「p(x)→q(x)を偽とするxが存在する」
となってすっきりする。
いまいちかな、この説明じゃ。
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄↓ | | >「p→qが真」=「任意のxでp(x)→q(x)が真」 | ↓ | 「p(x)→q(x)が真」とはどういうことか? | | >「p→qが偽」=「p(x)→q(x)を偽とするxが存在する」 | ↓ | 「p(x)→q(x)が偽である」とはどういうことか? | | | ↓ | | >p(x),q(x)共に真の時に真、p(x)真でq(x)偽の時に偽と | >定義してやるのが自然で、 | >「p→qが真」=「p(x)を真とする任意のxでp(x)→q(x)が真」 | >「p→qが偽」=「p(x)を真とするあるxでp(x)→q(x)が偽」 | >と表現できることになる。 | | ↓ | | >p(x)が偽となる場合についての p(x)→q(x)の真偽をどうするかだが、 | >これをいずれも真としてやると、 | | ↓ |____________↓(最初に戻る) >となってすっきりする。 しない。
548 :
132人目の素数さん :2005/05/03(火) 20:25:04
>>547 引用の順番が間違ってますね。
この際、個々のxに対する命題論理としてのp(x)→q(x)の真理値に関しては、
もう意味を考えないことにするわけです。一方、xを固定しない場合の「p→q
が真」であるということについては、「p(x)を真とするようなx全体の集合P
が、q(x)を真とするようなx全体の集合Qに含まれる」と素直に解釈してやる。
で、この表現に整合するように(真偽の区別が表現上対応するように)個々の
p(x)→q(x)の真偽を定義してやろうよ、というわけです。
そうすると、p(x) ,q(x), p(x)→q(x)の真理値表で埋まるのは、それらがそれぞれ、
真、真、真と真、偽、偽となる部分で、そうしてやればとりあえず
>「p→qが真」=「p(x)を真とする任意のxでp(x)→q(x)が真」
>「p→qが偽」=「p(x)を真とするあるxでp(x)→q(x)が偽」
と表現できることになるわけです、で、真理値表の残った部分、すなわち
>p(x)が偽となる場合についての p(x)→q(x)の真偽をどうするかだが、
>これをいずれも真としてやると、
「p(x)を真とする」などという枕詞をつけないで、すっきりと、
>「p→qが真」=「任意のxでp(x)→q(x)が真」
>「p→qが偽」=「p(x)→q(x)を偽とするxが存在する」
と表現できちゃうぞ、ってことです。
つまり…、次のようなことを言わんとしているのでしょうか? 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 p(x)→q(x)は以下のようにモデル化出来ます。 P={x|p(x)が真},Q={y|q(y)が真},P⊂Q PやQに元があることを1で表し、逆に元がない状態を0で表すことにします。 各状態でP⊂Qが成り立てば1とし、成り立たなければ0で表すことにします。 P Q | P⊂Q ="p(x)→q(x)"  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 1 1 .| 1 1 0 .| 0 0 1 .| 1 … 任意の集合Xに対しφ⊂Xが成り立つことより 0 0 .| 1 … φ⊂φが成り立つことより このようなモデルを使うことでp(x)が偽でq(y)が真のとき、 p(x)→q(x)が真をとることを直感で理解できます。
550 :
132人目の素数さん :2005/05/03(火) 23:00:35
>>549 いや、全然違うような...。
よく理解できないんですが、P、Qが1でも P⊂Q
が1の場合もあれば、0の場合もありえますよね。
自然言語としての「ならば」の用法との関係もよく
わかりません。
P⊂Qが「成り立てば」を「構成可能であれば」と読んでもらえませんか。 っていうか、そういうことをおっしゃってると想像していました。 >「ならば」の用法との関係 こっちはあなたがP⊂Qに反映させたのだと想像していました。
条件法「ならば」の日常的な用法から言って, ∀x [ p(x) → q(x) ] ⇔∀x [ ¬p(x) ∨ q(x) ] を説明したら,それでよしとするべきじゃないでしょうか? 実際,脳内では全称閉包を考えているわけだし
まずP→Qと¬P∨Qがトートロジカルに等価であることを直感的に理解させる 次にPが偽であれば¬P∨Qが真であることを確認させる それから→が自然言語の「ならば」の意味を表しているという思い込みを捨てさせる 最後に自然言語の「ならば」の意味についてはさまざまな取り組みがあることについて情報を与える これで納得しないなら、その学生は哲学には向いてるかもしれないが論理学には向いていないと思う
>>548 >これをいずれも真としてやると、
「p(x)を真とする」などという枕詞をつけないで、すっきりと、
>「p→qが真」=「任意のxでp(x)→q(x)が真」
>「p→qが偽」=「p(x)→q(x)を偽とするxが存在する」
と表現できちゃうぞ、ってことです。
貴方がこの一文で何を言わんとしているのか
私は何度考えても正確なところが読めませんでした。
(学生を選ぶ講義になりそうです)
仮に
これをいずれも偽としてやると、
「p(x)を真とする」などという枕詞をつけないで、すっきりと、
>「p→qが真」=「任意のxでp(x)→q(x)が真」
>「p→qが偽」=「p(x)→q(x)を偽とするxが存在する」
と表現することは本当に適わないのですか?
555 :
132人目の素数さん :2005/05/04(水) 11:24:16
>>551 すいません、具体例で説明してもらわないとよくわかりません。
論理学の用語には不慣れなので。
>>552 ∀x [ ¬p(x) ∨ q(x) が真](すなわちP⊂Q)っていうのが、
日常的な「ならば」の用法と合致していることから、それと
同値になるようにp(x)→q(x)の論理値表を定義してやるとい
うことでしょうか?
だとすれば、主旨としては同じようなことを言ってるんだと思
います。
>>553 >これをいずれも偽としてやると、
(中略)
>と表現することは本当に適わないのですか
たとえば、p(x)偽、q(x)偽に対応するp(x)→q(x)が偽だとすると、
たとえP⊂Q(すなわち「p→qが真」)であっても、p(x)→q(x)
を偽とするxがQの補集合の中に存在することになるので、無理
です。
もしかして「p→qが「真」」という表現の仕方が混乱させてし
まったっかもしれません。表記の仕方がおかしかったらごめん
なさい。
556 :
132人目の素数さん :2005/05/04(水) 11:25:14
「構成可能であれば」
>具体例で説明して
>P、Qが1でも P⊂Q
>が1の場合もあれば、0の場合もありえますよね
そのとおりで
P、Qが1でP⊂Qが1の場合を考えることが出来る、
という程度の意味。
(逆にPが1で、Qが0の場合P⊂Qはありえない)
>>555 たぶん私はあなたの講義の単位は取れそうにないです。
履修申請はあきらめました。m(_ _)m
そもそも真理関数的な枠組みで納得いく説明は無理だろ。
"p(x)→q(x)"≡P⊂Qと素直に解釈してやる。 ■ まず、P⊂Qが成り立っているという前提で考える。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 | ̄Q ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | ̄P ̄ ̄| | p(x)は真 | | x ..| | | |_____| | q(x)は真 |________| | ̄Q ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | ̄P ̄ ̄| ...| p(x)は偽 | | .| x | | |_____| ..| q(x)は真 |________| | ̄Q ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | ̄P ̄ ̄| ...| p(x)は偽 | | .| ...| x ←??? | |_____| ...| q(x)は偽 ↓ |________| .↓ xの真偽にかかわらず、P⊂Qが成り立っているという前提のもとでは、 「p(x)を真とする」などという枕詞には意味がないので 「P⊂Qが成り立っている」=「p→qが真」=「任意のxでp(x)→q(x)が真」がいえる ■ "P not⊂ Q" という前提では 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 | ̄ ̄Q ̄ ̄| | ̄P ̄| ̄.| ...| | x | ...| .| p(x)は真 「"P not⊂ Q"」 |____|_| .| =「p→qが偽」 |________| q(x)は偽 =「p(x)→q(x)を偽とするxが存在する」
久々に豚の自演の臭いがして来たな(w
かなりのトンデモ理論な気がするが、自演ではない。
>>560 ギブアップ済みだが真面目に付き合ってた私がとりあえず存在する(した)。
サッパリ意味わからんでは失礼なんで礼を尽くして
>>559 を用意しました。
私はもぅいいけど、以後はこの図を使って説明すると
>>560 とかに分かってもらえるかも。
少なくとも何を伝えようとしてるかぐらいは。
562 :
557 :2005/05/04(水) 22:05:36
>>559 そういう理解でおおむねよろしいかと思います。集約して言えば、
p(x)→q(x)の真理値表を認めてやれば、
1)「P⊂Qが成り立っている」ということは「任意のxでp(x)→q(x)が真」と表現できる。
2)「P⊂Qが成り立っていない」ということは「p(x)→q(x)が偽となるxが存在する」と
表現できる。
ということで、p(x)→q(x)の真理値表をああいう風に定義した意味があると納得しては
もらえまいかということです。
563 :
555 :2005/05/04(水) 22:06:50
564 :
BlockKnightOffline ◆yPnpjLO5jE :2005/05/04(水) 22:12:21
幾何学を知らぬものこの門をくぐるべからず(プラトンのアカデメイア) 数学できないやつは哲学を学ぶ資格なし・・・! のはずが、ソフィーの世界なんたら以降、偽哲学者が増えたような
565 :
555 :2005/05/04(水) 22:54:02
>>559 くどいようだけど、微妙に齟齬があるようなので、補足しておきますと、
>xの真偽にかかわらず、
xは変数であって、命題ではありませんので真偽は関係ありません。
>「p(x)を真とする」などという枕詞には意味がないので
なんかちょっと違うような。
あるxに対する「p(x)→q(x)」という複合命題の真偽は未定義であり、
さあ、これをどう決めようかという立場が出発点なのです。で、日常
的な用法と照らして、P⊂Qと合致するように決めようとしたわけです。
で、単にP⊂Qが成り立つ場合と、そうでない場合と区別するためだけ
なら、p(x)が真の場合についてのみ考えればよくて、q(x)が真の時に
はp(x)→q(x)が真、q(x)が偽の時にはp(x)→q(x)が偽とだけ定義して
やれば、それぞれ、「p(x)を真とするxについてはp(x)→q(x)が真」
「p(x)を真とするxにp(x)→q(x)を偽とするものがある」と表現できる。
じゃあ、p(x)が偽の場合はどう定義しようかと。うん、そのときは
p(x)→q(x)はq(x)にかかわらず真と定義してやればいいじゃん。そう
すれば、「p(x)を真とする」という枕詞もすっかり外すことができて
「任意のxでp(x)→q(x)が真」、「p(x)→q(x)が偽となるxが存在する」
と簡潔に表現ができるようになって、スッキリするぞ。めでたしめで
たし、ってわけです。
566 :
555 :2005/05/04(水) 23:02:30
>さあ、これをどう決めようかという立場が出発点なのです。 っていのは、あくまでも「私が説明するための出発点」という意味であって、 本来どうやって決まったのかということとは無関係ですので、念のため。 p→qの真理値表を「納得」してもらうための方便としての説明の一例を 考えているだけであって、特に新奇な理論を提唱しているわけでもあり ません。 こう真理値が定義してあると、こういうふうに都合がいいんだよ、とい う初学者にもわかるような具体例があればという質問からはいったので すが、これといったお答えがいただけなかったので、自分なりに考えて みたという次第です。
>>562 >そういう理解でおおむねよろしい
>>549 (
>>551 >>557 ) も
>>559 も、p(x),q(x)の値によらず、ともかくまず
"P⊂Qが成り立っているという前提"を必要とする、という点で本質的に同じ議論です。
そして、
>>559 でP⊂Qが描かれている3つの図において
それぞれのp(x)とq(x)の真偽値の組み合わせに対し、
各々別途に"P not⊂ Q"の図を作成出来る事実を無視してはいけません。
つまり(いみじくも
>>550 で貴方自身が指摘されたように)、
p(x)とq(x)の真偽値の組み合わせとP⊂Qとは直接に関係はありません。
A⊂Bの定義が、"組み合わせ"に本質を持たない以上、当然です。
「"p(x)→q(x)"≡P⊂Qと素直に解釈してやる」戦略をとられたとして
P⊂Qと関係のないp(x)とq(x)の真偽値の組み合わせを持ち出し
"「p(x)を真とする」という枕詞もすっかり外すことができて"
"スッキリするぞ。めでたしめでたし"
というのは嘘であり、「嘘も方便」ならぬ詭弁です。
最後の最後に、あなたの熱意と奇妙な努力に対し次の一文を捧げたいと思います。
『 一行目と二行目はあたりまえだが、三行目と四行目を読むや、疑念が湧き起こる。
論理学者はなぜ、ワルシャワは中国にないというだけの根拠で、
「ワルシャワが中国にあれば、肝臓は大きな臓器である」という命題を真とみなすのか。
「ワルシャワが中国にあれば、肝臓は小さな臓器である」という仮定文を何故黙認するのか。
時として論理学者は、この表で自分の考えを説明しようとするが、無駄に終わる。
記号”→”についての真理値表は、まさに恣意的であり、論理学者は発見をしたというより
決断を下したのである。
これ以上のことは問題にするに値しない。これについては、私を信じていただくほかない。』
(デイヴィッド・バーリンスキ 「史上最大の発明アルゴリズム」の一節)
>>559 はあなたの書き込みではないので、
念には念を入れてことわっておきますが、
>>565 の
「p(x)が偽の場合はどう定義しようかと。うん、そのときは
p(x)→q(x)はq(x)にかかわらず真と定義してやればいいじゃん。」
とは、P⊂Qと関係のないp(x)とq(x)の真偽値の組み合わせを
貴方が御自分の説に組み入れたことを示す一文にあたります。
(それゆえ
>>565 の理解として
>>559 で「おおむねよい」という
御言葉になるものと推察します。)
この点、大丈夫だと思いますが心配に思えてきたので念のため。
569 :
555 :2005/05/07(土) 00:28:46
>>567 >それぞれのp(x)とq(x)の真偽値の組み合わせに対し、
>各々別途に"P not⊂ Q"の図を作成出来る事実
なんか、まったく理解しておられないようですね。個々のxに対する
p,qの真偽の組み合わせがどうかなんてことではなく、「pを真とする
ようなすべてのxに対してqが真であること」がP⊂Qを意味してるんで
すよ。
p(x)→q(x)の意味を解釈することが目的なのではなくて、その真理値
表の定義が「どのように都合良くできてるか」ということを納得して
もらうことが目的なんですよ。勘違いしないでください。
570 :
555 :2005/05/07(土) 00:40:50
>>568 前後しちゃったようですね。
>P⊂Qと関係のないp(x)とq(x)の真偽値の組み合わせを
>貴方が御自分の説に組み入れたことを示す一文にあたります。
これを読むと、やはり正しく理解されてるようなので前言(
>>569 の前半)
は撤回しておきます。
>「p(x)を真とする」という枕詞もすっかり外すことができて
>「任意のxでp(x)→q(x)が真」、「p(x)→q(x)が偽となるxが存在する」
>と簡潔に表現ができるようになって、スッキリするぞ。
これは、論理的必然性を述べてるのではなく、単に形式的にきれい(ま、
これも主観ですが)になるというだけの話なんですよ。真理値表が違う
組み合わせだったら、こんなふうには表現できませんよ、ってことに
すぎません。
571 :
132人目の素数さん :2005/05/17(火) 18:11:57
ポスモダどもへ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1116175495/ 1 名前:人文男 2005/05/16(月) 01:44:55
>ポスモダどもへ
もうおまいらには愛想がつきた。
ただでさえ大学改革の時期で人文系は予算もポストも学術誌の誌面も削られそうで頭痛いのに
さらに他分野からの信頼失うような恥さらしやがって。
世間様はポスモダでない人文系も一括して「これだから人文系は・・・」としか見てくれないんだぞ。
この責任どうしてくれる?
これで人文系全体のパイが減って俺がアカポスつけなかったらおまえらのせいだからな。
科学哲学の連中も、科学哲学ってだけでポスモダ相対主義者って思われるって怒ってたぞ。
実際の科学哲学系の連中はポスモダ嫌いが多いのにさ。
哲板の科学哲学スレ行って謝ってこいよ。
>自然科学系/社会科学系/教育行政担当者さんへ
頼むからポスモダと人文系全体を一緒にしないでください。
少なくとも私は非ポスモダの人文系です。
ポスモダ連中の処理は、そうですねえ、首都大学東京にでも一括して送り込んで、
「都市ポストモダン学部」でも開設したらどうでしょう?
572 :
132人目の素数さん :2005/05/17(火) 20:19:32
トートロジーにはまりたいのですか?
人間は必ずクソをする
ソクラテスは人間だ
575 :
132人目の素数さん :2005/05/21(土) 17:38:00
したがって、糞をしないこの物体はソクラテスではない。
576 :
132人目の素数さん :2005/05/21(土) 17:39:04
いや、そいつはソクラテスだよ。だけど、すでに死んでる。
577 :
132人目の素数さん :2005/05/21(土) 20:59:26
理系科目と文系科目が相対するものならば 次の等式が成り立つ。 (理系科目)=−(文系科目) この右辺を移項すると (理系科目)+(文系科目)=0 従って理系科目と文系科目を同時に勉強すると 0(何も残らない)となる。
578 :
132人目の素数さん :2005/05/21(土) 21:36:09
その命題は真だな。 前提が偽だから。
579 :
132人目の素数さん :2005/05/23(月) 11:09:49
hoshu
580 :
132人目の素数さん :2005/05/23(月) 13:02:56
581 :
132人目の素数さん :2005/05/23(月) 13:08:04
「クレタ人はみんなうそつきだとクレタ人がいった」 king、これを数式で証明せよ。 はやくやれ
582 :
GreatFixer ◆ASWqyCy.nQ :2005/05/24(火) 09:43:52
Re:
>>581 クレタ人がそう言えば証明完了だな。
「もしもAならばBである」 って 「A→B」 とどう違うの?
584 :
132人目の素数さん :2005/05/25(水) 08:40:34
>>583 比べてみれば自明。
「もしも」と「である」が消えて「ならば」が「→」に変わったという違いがある。
なるほど!
587 :
132人目の素数さん :2005/05/28(土) 20:09:20
>>583 もしもAならば、ってのが
・ある理論の中でAが証明可能
・ある理論の中でAを単に仮定する
のどちらの意味であるかによって違う。
後者なら「A→B」 と同じじゃないか?
>>581 どういう数学的立場でこの命題を捉えるかが、まず問題です
この命題はメタになっています。
589 :
132人目の素数さん :2005/07/14(木) 22:45:54
710
部分構造論理や中間論理って何か応用されてるの?
304
592 :
132人目の素数さん :2005/09/04(日) 02:15:55
論理学は言葉の世界だからなぁ
593 :
132人目の素数さん :2005/10/05(水) 23:30:18
∀c∈C( ∃a∈A(p) ) ∧ ∀a∈A( ∃b∈B(q) ) ⇒ ∀c∈C( ∃a∈A( ∃b∈B( p∧q) ) ) 俺は今、証明問題解いてる最中。 機械的に↑こういうことして済ませたい問題あり。 感覚的には全然オッ毛だと思うけど、本当にイイ? つっこまれない?
数理論理学やっても数学のバックグラウンドが全く無いような文系ちゃんじゃ 食っていけないのは当然で、かなりプログラミングでもできないと社会に出ても何もできないから あるていど実学にシフトできるところにいたほうがいいよ
595 :
132人目の素数さん :2005/10/05(水) 23:53:21
数理論理学であろうが数学であろうが食っていけないのは心得ていますんで
(ついでにいうとJava・J2EEやC++ぐらい誰にだって出来ることも心得ていますんで)
数学の証明問題で
>>593 のようにしてオッ毛かどうか考えてください。
俺の代わりに深く。
596 :
132人目の素数さん :2005/10/06(木) 01:17:51
朝が近づいてきてるので自分で
>>593 の証明考えた。
お前等、安心して使え。正しいです。
証明はめんどくさいから教えてやらん。
597 :
:2005/11/04(金) 02:14:23
戸田山和久『論理学をつくる』って、どう?
598 :
132人目の素数さん :2005/11/04(金) 12:32:56
>>593 なんか式がヘンだぞ。普通こう書かないか?
∀c∈C.∃a∈A.P(c,a)∧∀a∈A.∃b∈B.Q(a,b)
⇒∀c∈C.∃a∈A.∃b∈B.P(c,a)∧Q(a,b)
述語の引数をちゃんと書かないのは理解してないからじゃないか?
つうかよく
>>593 から意味が分かったね
全然意味不明だと思ったんだけど
証明みてみたい
601 :
132人目の素数さん :2005/11/05(土) 00:00:29
いや正直手に負えんね A(p)って何だよ?函数かよ?って感じ 一時間くらい眺めてれば分かるのかもしれないが
ああ(笑)、
>>598 の方向でいいと思うんで頑張れ。
麻生外相の口の形みたいな物言いしてないで
頑張ってビシッと決めるんだ。 (´(エ)`)
>>599 =
>>603
俺は
>>593 理解するのに3分ほどかかったかな。
p∧qはさておき、pやq単独の式を括弧でくくるのはあまり見たことなかった。
述語に変数を書かないのは、そういう書き方する人もけっこういる。
∀c∈C( ∃a∈A(p) ) が ∀c∈C.∃a∈A. P(c,a) だと 3分でわかった ってのはすごい!
608 :
132人目の素数さん :2005/11/06(日) 17:22:01
他人を卑下してた人が逃げをかますと空気湿るんで もうちょっと内実の部分をみたいな。すごい! とかじゃなく。
609 :
132人目の素数さん :2005/11/06(日) 18:20:39
>>598 の証明って、システムは何?
LKなら別に特別な考えなしにできるよ。
束縛変数を被らないように書き換えたうえで
量化子全部とっぱらったやつ(これの証明も簡単)から、
固有変数に気をつけて、量化子をつけていくだけ。
(連言と含意はコンマでつなぐのとシーケントの記号に変えたとして。
変えなくてもルーチンにできるけど)
610 :
132人目の素数さん :2005/11/06(日) 20:33:44
一方、俺は
>>598 の真に驚くべきトリビアルな証明を発見したが、
それを記すには住民の心が小さすぎる。
>述語に変数を書かないのは、そういう書き方する人もけっこういる。 それじゃ代入とかの時に困るような、、 それにどの量化子がどこに掛かっててどこに掛かってないかが分かんないから 全てに掛かってると思って計算するしかないし ∃x()って括弧で囲っちゃうのは確かに合理的かもしれんが 普通こういう書き方はあまりしないね
>>609 > LKなら別に特別な考えなしにできるよ。
そもそも、述語論理の証明探索ルーチンは簡単だ。
数学科の学生は、自分は論理的に考えてると豪語するくせに
こういうことは実は全く知らなかったりする。
かくいう漏れがそうだった(爆)
ちなみに最近では別に難関でもない大学の文系の学生相手に
このルーチンを講義する講座がある。
教えてるのは数学者じゃなく哲学の先生。
あまり難関とかそうでないとか関係ないだろ 論理学とか論理哲学系の先生が教えてるんだと思う
>>614 関係ないが、そういうことに固執する
学歴ヲタに対するショックの意味で書いた。
LKなどを知ってる連中に、学歴ヲタはほとんどいない気がする。 いや、なんか感覚的に。 なんか、述語論理と命題論理の区別も知らんくせに ゲーデルがどうのとかラッセルがこうのとか言ってる層に多いような。 何となくだけど。
>>616 LKを知ってる人たちにいったのではない。
君がいうような
「述語論理と命題論理の区別も知らんくせに
ゲーデルがどうのとかラッセルがこうのとか言ってる輩」
にいったのだ。
別に「述語論理と命題論理の区別も知らんくせに ゲーデルがどうのとかラッセルがこうのとか言ってる層」が 事あるごとに学歴の話するわけでもないだろ そういう適当な理解の人に学歴ヲタが多いと考える理由も無いと思う
もうあんまりかまっちゃだめ
620 :
132人目の素数さん :2005/11/14(月) 18:19:05
age
今更なのか、よくわからないけど、 ブルーバックス一冊読んだくらいで 大学で数学とか、論理をやろうっていうのは ちょっと素直過ぎはしないかと… どの学科で入学しようと、 1、2年の頃は教養で論理学の授業とか 受けられるんじゃない?うちはそうだった。 まだ好みも興味もどんどん変わるだろうし、 今からそんなに絞り込んでしまうと 後悔するよ。
どうでしょ 教養の論理学の授業って先生の分野によって印象がかなり違うだろうしね 哲学の人なのか、計算機科学の人なのか、あるいは 数学の人(なぜか工学部に居る数学系の人を含む)で どうせ三つのどれに進んでも殆ど論理学なんて教えてや呉れないんだから 自分で勉強しろ、と
623 :
623 :2005/11/16(水) 22:35:40
6=2*3
チョットおまいらの頭脳を貸してくれ! ∀y{(Py∧Qy)→∃x(Px→Qx)} を還元したいんだが、どうもうまくいかない。 どうやら答えは ∃y(Px∧Qx)→∃x(Px→Qx) となるらしいが、計算過程を教えてくれまいか。
625 :
132人目の素数さん :2005/11/27(日) 21:18:17
チョットおまいらの頭脳を貸してくれ! ∀y{(Py∧Qy)→∃x(Px→Qx)} を還元したいんだが、どうもうまくいかない。 どうやら答えは ∃y(Px∧Qx)→∃x(Px→Qx) となるらしいが、計算過程を教えてくれまいか。
それだけ言われても、どんなルールで証明すべきか 指定されないと模範解答は示せないぞ。 syntacticalに示すのかsemanticalに示すのかもわからんし。 (ていうか「還元」というのも俺にはいまいちわからん。) ていうかその文両方とも定理だな。同値とか以前に。 あまりうまく作られた問題じゃない。 それと > ∃y(Px∧Qx)→ は ∃y(Py∧Qy) の誤植だろ。
還元って何のこと?片方が導けりゃもう一方も導けることを言うんだっけ? 論理のシステムは何を使ってる? Gentzen流?自然演繹のNK/NJ?Sequent計算のLK/LJ? それともHilbert流? ∀y{A(y)→∃xB(x)} と ∃yA(y)→∃B(x) は片方からもう一方が導けるよね(意味を考えてみれば分かる)
628 :
132人目の素数さん :2005/11/28(月) 12:39:37
>>623 >Gentzen流?自然演繹のNK/NJ?Sequent計算のLK/LJ?
それともHilbert流?
どんな違いがあるのか教えていただけませんか?
「自然演繹体系」「Sequent計算」 この2つはいずれもゲンツェンにより創始された形式体系で、 論理式を機械的に生成する規則の集まりから成る。 両者が生成する論理式は同一だが、生成するプロセスに違いがある。 つまり機能は全く同等だが、内部構造の異なる2つの機械だと思えばよい。 自然演繹体系は、その仕組みがラムダ計算と対応づけられるため、 関数型言語の研究などに応用される。 シーケント計算は、論理式の証明可能性や決定可能性を探る際に 用いられることが多い。 いずれの体系も、中の仕掛けをちょっといじるだけで、古典論理、 直観主義論理、その他の非古典論理に対応させることができる。 ヒルベルト流の体系についてはよく知らないので誰かヨロ。
他のやり方もあるんだろうけど、大体歴史的経緯からか、 Gentzen 系か、Hilbert 系かのどちらかが多いと思う (あと哲学系でLemmonとか聞いたことがあるような無いような、、) Hilbert 系は、Gentzen 系を使う意味、メリットが無い場合くらいにしか 使われない気がする
ヒルベルト流は公理を覚えられないから使う気にならない。 やっぱ自然演繹が好きだな。
しかも演繹定理使わんと定理の証明が激ムズだしねw
634 :
132人目の素数さん :2005/11/28(月) 17:07:56
>ヒルベルト流は公理を覚えられないから使う気にならない。 漏れも昔はそう思ってたが、実は覚えるツボがある。 P → (Q → P) はweakening (P → (P → Q)) → (P → Q)はcontraction (P → (Q → R)) → (Q → (P → R)) はexchange Gentzenのsequent calculusに対応してたりする。
特殊なお仕事してるわけでないのなら、 とりあえず公理は多めにとっとけば良いんじゃないの? このスタイルの一階述語論理の公理系の取り方なんて星の数ほどあるし あまり覚える意味無いんじゃないのかな
636 :
132人目の素数さん :2005/11/28(月) 17:27:52
>>きっかけは、竹内外史「集合とはなにか」講談社ブルーバックスでした。 >ブルーバックス一冊読んだくらいで大学で数学とか、 >論理をやろうっていうのはちょっと素直過ぎはしないかと… 誰かブルーバックスでタブロー法での証明法の本書いてくれないか。 多分論理に妙なロマンを抱く輩を根絶できる。
637 :
132人目の素数さん :2005/11/28(月) 17:30:23
>>635 は漏れ(634)に言ってるのか?
なら返事するが、別に覚えるのが目的じゃない。
weakening,contraction,exchangeが重要なんで
書いてみたまで。もっともこういう話は
特殊なお仕事やってる人しか興味がないかな?
いや覚えられないの人
>>636 もうスマリヤンがあるし要らないようなw
ってか論理に変なロマンってどういうこと?
>論理に変なロマンってどういうこと? なんか摩訶不思議な術に違いないという妄想のこと。 >もうスマリヤンがあるし要らないようなw ジェフリーも戸田山も丹治もあるけど 多分数学屋は知らないんだろうなあ(w
数理論理学を使って発見された有名な法則を教えて下さい。
以前からロマンロマンといい続けてきたのは君? ジェフリーは聞いたことあるような 戸田山は数学の本としては微妙 丹治は知らない 俺は別に数学屋じゃないけどね
>>631 欧州では政治的な理由からGentzen流は忌避されていると聞く
数学者向けにはスマリヤンが一番かなあ
644 :
628 :2005/11/28(月) 21:26:32
>>629 >>630 >>631 おお、素晴らしい。ありがとうございました。
Hilbert 系はどうやら私のよく知るタイプの式らしいですが、
Gentzen 系の式というのはどんな感じなのですか?
>哲学系でLemmonとか聞いたことがあるような無いような
論理学者にLemmonていう人がいるけど。そのこと?
>>631 > Hilbert 系は、Gentzen 系を使う意味、メリットが無い場合くらいにしか
> 使われない気がする
証明の構成に関する帰納法を用いる場合、Gentzen 流では
推論規則のゴミを処理するのがわずらわしいという理由で、
Hilbert 流を選択することがよくある。
>>630 > Hilbert style の形式化が先で、Gentzenが新しいstyleの形式化を考案したんだったかと
> NKとLKはどっちが先か分からんけど多分NKが先な気がする
NJ, NK, LJ, LK の順に作ったらしい。(Gentzen の論文にそう書いてある)
648 :
628 :2005/11/28(月) 22:48:32
>>645 早速のレス、ありがとうございました。この形は初めて見ました。
量化記号などはわかるのですが。他の記号もわかると面白そうです。
ところで、皆さんに質問なのですが、これらの式を何に活用するのですか?
哲学に使われる論理式は哲学者の主張の正しさを検証するために
使うのですが、数学だとどういう使われ方をするのですか?
649 :
132人目の素数さん :2005/11/28(月) 23:13:27
>哲学に使われる論理式は哲学者の主張の正しさを検証するために >使うのですが、数学だとどういう使われ方をするのですか? 勝手に一般化しないでくれ。他の哲学専門の人間まで誤解される。
650 :
648 :2005/11/29(火) 03:18:27
>>630 →に関する規則は
P→(Q→P)
(P→(Q→R))→(P→Q)→(P→R)
の2つだけでもいい。ちなみにそれぞれλ式の
λxy.x
λxyz.xz(yz)
に対応している。
上の式をK,下の式をSとすると
SKK ⇒ λz.z
これはP→Pが初めの2つの規則から証明できることに対応している。
その2つだけだと直観主義にしかならないね。 というか、λ計算と対応してるのは直観主義なんで、 論理をBooleanにするための規則が対応するλ式を 持たないのは当たり前だけど。
653 :
132人目の素数さん :2005/11/29(火) 19:56:29
>>625 ?
∀y{(P(y)∧Q(y))→∃x(P(x)→Q(x))}
⇔∀y{(P(y)∧Q(y))→∃x(¬P(x)∨Q(x))}
⇔∀y{¬(P(y)∧Q(y))∨∃x(¬P(x)∨Q(x))}
⇔∀y¬(P(y)∧Q(y))∨∃x(¬P(x)∨Q(x))
⇔¬∃y(P(y)∧Q(y))∨∃x(¬P(x)∨Q(x))
⇔∃y(P(y)∧Q(y))→∃x(P(x)→Q(x))
前原昭二の記号論理入門の新装版が出たね 内容は自然演繹入門で、説明がやたら詳しい
655 :
132人目の素数さん :2005/12/21(水) 14:38:36
age
二年。
213
自分、論理学初心者なのですが ど〜〜〜しても解らないことがあるんです。 「ならば」に関することなのですが。 命題Aと命題Bがあり、「AならばB」の真偽を考えます。 1、AもBも真ならば、「AならばB」は真 2、Aが真でBが偽ならば、「AならばB」は偽 これは解るんです。でも、 3、Aが偽でBが真ならば、「AならばB」は真 4、AもBも偽ならば、「AならばB」は真 ってのが解らないんです。何故真になるのか。 マジ教えてください。。。
>>658 集合Aが集合Bに含まれている図を見て考えれば分かりやすい。
>>658 入試を控えたA君に、B君がこう言った。
「もしお前が合格したらならば、俺はフリチンで校内一周してやるよw」
このとき、Bが「嘘つき」呼ばわりされるのは次のどの場合か?
(1) Aが合格し、Bがフリチンで一周する
(2) Aが合格し、Bがフリチンで一周しない
(3) Aが不合格、Bがフリチンで一周する
(4) Aが不合格、Bがフリチンで一周しない
661 :
132人目の素数さん :2006/01/20(金) 18:45:46
age
662 :
132人目の素数さん :2006/01/20(金) 20:25:31
>>659-660 ものすごい勢いで理解出来ました!
人に説明するときに参考にさせていただきます!
>>660 (3) ⇒ 不合格なのにそんなことするのは、いやがらせとしか思えない。
666 :
132人目の素数さん :2006/01/26(木) 12:12:14
>>660 これは、いっそ教科書に載せるべきでは?
(日本発の世界的成果に挙げていいと思うw)
a
668 :
132人目の素数さん :2006/02/02(木) 09:45:20
同じく入試を控えたB君自身は、内心こっそり誓約を立てた。 「もし俺が不合格ならば、Aとの約束とは別に、俺はフリチンで校内一周しよう」 このとき、Bが「嘘つき」になるのは?
669 :
GiantLeaves ◆6fN.Sojv5w :2006/02/02(木) 12:04:32
talk:
>>668 そんなことより、フリ■ンで校内一周する奴が居るのか?
すとりーking
アハハハハ八八八八八八
672 :
GiantLeaves ◆6fN.Sojv5w :2006/02/02(木) 18:17:31
673 :
132人目の素数さん :2006/02/02(木) 20:26:46
COMMERCEという語を構成する8文字を円形に並べます。 同じ文字が隣り合わないような並べ方は何通り在りますか。 ただし、回転すると重なる並べ方は同じものとみなします。 どうしてもこの問題が解けないんでしゅ(;△;) 誰か教えてくれませんかぁ〜??(><)
240
484
676 :
132人目の素数さん :2006/02/22(水) 20:42:02
Aが偽ならば、Bが偽でも、「AならばB」は真。 ******************* 「AならばB」が「偽ではない」のはわかります。 でも「真」とまでいうのは、やっぱりちょっと。。。。。 せいぜい「無意味」くらいが妥当かと。。。。 論理学の「真」は、日常語の「真」と違っているのでしょうか?
「1+1=1ならば俺は神である」の証明 俺と神さまからなる集合 A={俺,神}を考える。 この集合の個数は1+1であるが、 今1+1=1なので、 この集合の個数は1。 つまり俺=神。
はいはいらっせるらっせる
>>676 yes
別に真偽値を定義しない、でも構わないけど
数学とか論理学でそれやると、色々メンドクサイので
真にしておくとすっきりする、くらいではないかな
>>676 relevant logicをキーワードに勉強したらいいかも。
681 :
132人目の素数さん :2006/02/23(木) 06:56:33
682 :
676 :2006/02/23(木) 11:53:43
>自然数に数項ってのがありますよね。 この時点であちゃー感が漂ってるよねえw そんなアルゴリズムをどこで使うんだよっていう
684 :
132人目の素数さん :2006/02/24(金) 01:12:42
Rを2変数述語記号とする。R構造GにおいてRが非反射性、対称性を満たす とき、Gをグラフと呼ぶ。三角形(Rで互いに結ばれている3点)を持たない 有限グラフの全体をKとする。Kジェネリック構造が存在することを示せ。 わかる方ご教授ください。解答まではわからなくてもこの問題を解くにあ たって勉強するとよい本をご存知の方いれば何でも教えてください。
Kジェネリック構造の意味は解るんですか?
坪井先生のとこかw わろす
688 :
132人目の素数さん :2006/02/26(日) 17:42:08
は?
690 :
132人目の素数さん :2006/02/26(日) 18:09:02
香ばすい
ああ、問題があるのは「数項」じゃなくて「自然数」だよ 自然数論に数項ってのが、ならまだ理解できるけどね >自然数に数項ってのがありますよね。 「こんなこと言われても困る」ってのは共通了解だと思ってたが
692 :
69 :2006/02/26(日) 19:25:16
なるほど。言葉の綾ね。目くじらたてるほどの言い間違いとも思わんが、君の言いたいことはわかった。
693 :
690 :2006/02/26(日) 19:26:58
すまん。692はおれね。
一寸どれが誰のレスか混乱してる感じだけど、、 まあいいかw
214
a,bは0項述語,Pは2項述語で、以下、Pabのように表記する。 ∀x(Pax→Pxa) と ∀xPax→∀xPxa とは論理的同値であるかどうかを確かめよ。 --------------------------------------------------------------------- 論理的同値な文による双条件(≡)文はトートロジーとなるから、 ∀x(Pax→Pxa) ≡ ∀xPax→∀xPxa がトートロジーかどうかを検証することにする。 トートロジーであることの検証は、否定をとった文が矛盾であることを確認すればよい。 タブロー法では、矛盾であるとは経路が全て閉じているということである。
チェック済@ ¬( ∀x(Pax→Pxa) ≡ ∀xPax→∀xPxa ) ../ \ / \ チェック済A ¬∀x(Pax→Pxa) C ∀x(Pax→Pxa) .B ∀xPax→∀xPxa チェック済D ¬( ∀xPax→∀xPxa ) …A〜Dは@より | | チェック済E ∃x¬(Pax→Pxa) .L ∀xPax …Aより チェック済M ¬∀xPxa …LMはDより | | チェック済F ¬(Pab→Pba) チェック済N ∃x¬Pxa …Mより …Eより | | O ¬Pba …Nより .G Pab .| .H ¬Pba チェック済P Pab→Pba …Cより …GHはFより / \ | Q ¬Pab R Pba …QRはPより チェック済I Pab→Pba | | …Bより S Pab OR閉 / \ …Lより .J ¬Pab KPba …JKはIより | .| | QR閉 GJ閉 HK閉
>>697 で経路は全て閉じている
よって ∀x(Pax→Pxa) と ∀xPax→∀xPxa とは論理的同値である
しかし私たちは ∀x(Pax→Pxa) と ∀xPax→∀xPxa とが
論理的に同値ではないことを知っている。
>>696-698 で、誤りはどこにあったのか?
規則を適用するときに ∀x(Pax→Pxa) と ∀xPax→∀xPxa がきちんと区別できてないのが誤り
701 :
132人目の素数さん :2006/03/27(月) 01:31:34
たしかに、頭痛と診断される理由は「頭が痛い」からでもある
>>700 は一休さん
いや「どこで間違えたかわかりません教えてください」と 素直に訊くならこっちも素直に教えてやったけれども 「誤りはどこにあったのか?」じゃネタと判別できないし
703 :
132人目の素数さん :2006/03/27(月) 09:04:01
701は自分じゃないけど、この件はもういいです>all
704 :
β :2006/03/27(月) 09:36:30
705 :
β :2006/03/27(月) 10:50:28
| \| / | / ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄\ / _\ | \/ | / \ ̄ \ U | / | _\ / β U .|/ .| 地 ほ こ \ ̄ | lllllllllllllllllll lllllllllllllllllll | | 獄 ん れ \ | ̄| | ̄ ̄\ / ̄/ | | だ と か \___| 6| U \ ●|川| ●/ / < ・ う ら _____\|  ̄ ̄ ⊃ ̄ / _____ | ・ の が \| | | | | ̄| U _____ / ̄| | | | |/ \・ /\| | | | \ \┼┼┼// | | | |/|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / \| | | \  ̄ ̄ ̄/ | | |/ |
706 :
GiantLeaves ◆6fN.Sojv5w :2006/03/27(月) 12:08:16
直観主義論理では¬¬pとは(p⇒⊥)⇒⊥のことである これはpを仮定して矛盾するならpを仮定しなくても矛盾する、 つまりpの相対無矛盾性を述べていることになる したがって¬¬p⇒pを認める古典論理は、正しいと見做しても 矛盾を生まないようなときには正しいということにしてしまおう、 という立場であると考えられる さて、 直観主義論理上の或る形式的な数学の理論Jにおいて (*) pと¬pがどちらも証明出来ず、証明できない (事がわかった)としよう するとこれはつまり¬¬pと¬¬(¬p)がどちらも証明されたと いうことだからJから⊥が証明されることになる そうするとJからpも証明される事になり、矛盾 したがって(*)は間違いであり、直観主義論理を 採用する限り、p自身も¬pも証明できないようなpは存在しないことが分かります つまり、直観主義論理の完全性が証明された事になります
また、古典論理上の(つまり通常のZFC)において連続体仮説CHは それ自身もその否定も証明できない事はひろく知られています 古典論理は、正しいと見做しても 矛盾を生まないようなときには 正しいということにしてしまおう、という論理ですから、これはつまり CHも¬CHもZFCから証明できる、ということです つまり、古典論理は矛盾しています 以上の理由から、古典論理は破綻しており、我々数学者は 直観主義論理を採用「せねばならない」ことが分かりました おそらく今から100年後にはBrouwerは20世紀のGauss、 数学の世界のKantであると呼ばれるようになるでしょう
糞スレに誤爆・・
710 :
707 :2006/03/29(水) 17:31:45
渾身のネタなのに反応なしか。。
> 次に、いわゆる二重否定 ¬¬P について考えてみましょう。
>これは⊥で表現すれば、(P⇒⊥)⇒⊥ 、すなわち「P を仮定して矛盾するなら
>(P を仮定しなくても)矛盾する」という意味で、これは要するに
>「P を正しいと見なしても、そのことで新たな矛盾を生むことはない」
>ということですから、そういう場合にも P を正しいということに
>してしまおう、という立場も考えられます。
> そこで、直観主義論理の論理記号に、引数の個数が 1 の
>(p⇒⊥の省略記号としてではない)論理接続詞¬を加え、
>推論規則に (¬導入) と次の (¬消去) を加えた推論体系を
>古典論理といいます:
こんな説明してるサイトがあったから、それはどうなの?と思って書いたんだがw
まあ
>>707 は恒真と証明可能をごっちゃにしてるから変な事になるわけだが
>>707 すまん。よくある流れだからスルーした。ググッたら凄いサイトが見つかった。
この手のサイトは探せばいくらでもあるんだろうな。
712 :
707 :2006/03/30(木) 15:01:03
いや、あのサイトはかなりまともだと思いますよ ただ直観論理で数学を展開している上に 外延性公理なしで数学が展開できるとか書いてあるみたいだから 一寸本当かな?とは思うんだけど なんか最近はトンデモサイト蒐集家とかも居るようで
最近に限らんよ
外延性公理無しにどうやって {6の正の約数の集まり}={1,2,3,6} とかを示すんだろうね、と思うんだが 外延性公理がないなら、定義されてるものが本当に集合を 意味しているかどうかすらも危ういと思う
「直観主義論理」でぐぐって1番がWikipediaだったんだけどここでも > 多くの数学者は、個人の精神とは独立した数学的実在を暗に認める立場から、 > 直観主義に賛同せず、排中律の使用も妥当と感じている。 とかトンデモ入ってるな
716 :
715 :2006/03/31(金) 16:04:50
書いた奴のIPを検索したら案の定鉄道総研だったよ・・・ あまりに法則通りの展開に脱力
> 多くの数学者は、個人の精神とは独立した数学的実在を暗に認める立場から、 > 直観主義に賛同せず、排中律の使用も妥当と感じている。 なんで?どこがトンデモ入ってる? 一寸独断的かもしれないけど でも英米哲学系の人が書けば、ダメットとかクワインとか ウィトゲンシュタインとか出てくるのは必至かと
>>715 すまん。俺にもどこがトンデモなのか疑問だ。
もしかして「個人の精神とは」のくだりかな?
よかったら教えてください。
719 :
132人目の素数さん :2006/03/32(土) 02:38:22
数理論理学と代数学って、似たような能力だよね??? 代数学が得意なら数理論理学も得意だと考えてOK?
720 :
BR :2006/03/32(土) 03:38:05
理学部は、文系かも。
基礎論スレ1000逝っちゃいましたね さて次スレを立てるべきかどうか このスレと統合でも悪くは無いと思いますが
統合しないに一票
>>716 ああ、2年半くらい前のものだな(w
ちなみに、今日パネルアタック25の記事を
書いたのは漏れではない。
今はちゃんとログインして書いてるぞ(w
>>717-718 多分
>>715 がトンデモと感じたのは
「個人の精神とは独立した数学的実在を暗に認める立場から」
という箇所だろう。715は形式主義者かつ数学者の大半が
形式主義者であって実在論者ではないと思ってるようだ。
真相は、大抵の数学者はそんな違いが分かるほど数理哲学に
ついて考えたことがないというところだろう・・・
まあ、wikipediaは誰でも編集できるんだから 715も自分の好きなように編集すればいい。
>>710 ああ、stromdorfのサイトか。
>(P⇒⊥)⇒⊥ 、すなわち
>「P を仮定して矛盾するなら(P を仮定しなくても)矛盾する」
>という意味で
ああ、これ間違いだな。正しくは
「Pを仮定して矛盾すると仮定したら矛盾する」
だな。(P を仮定しなくても)というのはおかしい。
>>726 の続き
>これは要するに
>「P を正しいと見なしても、そのことで新たな矛盾を生むことはない」
>ということですから
とはいえ
「P を正しいと見なしても、そのことで新たな矛盾を生むことはない」
が正しいとしても、(P⇒⊥)⇒⊥が証明できるとはいえないが。
その意味で708のツッコミはごもっとも。
728 :
718 :2006/04/03(月) 18:44:01
>>724 サンクス
確かに、多くの数学者が「…暗に認める立場」に立ってるかどうかは疑問だな。
しかし、そのような哲学に踏み込んでも、普通の数学者はちっとも面白くないと
感じるだけだろうね。
そもそも空集合の存在なんて証明できるはずがない、 ただ認めるよりしょうがないじゃないか、ってのは確かにそうだよね
>>728 ところで、数学者が
「直観主義に賛同せず、排中律の使用も妥当と感じている」
理由は何だろう?
何にでも理由を求めては駄目
>>731 「ゴールドバッハの予想が正しいか間違っている」ことは妥当だと思うからじゃね?
直観主義者が排中律嫌うのはなぜ?単に不安だから?
>>733 >直観主義者が排中律嫌うのはなぜ?
理由?1.「正しさ」を証明によって確認する場合
Pか非Pのいずれかが証明できる、という前提は強すぎる。
理由?2.「・・・が存在する」という命題に関して、
「存在しないと矛盾するから。存在する」という
背理法による証明に対して信頼がおけない。
>Pか非Pのいずれかが証明できる、という前提 少なくとも古典論理では、「P∨¬P」と「Pが証明できるか、または¬Pが証明できる」 は違うことを言っている、と考えるわけですが。。 直観主義者でも、「Pが成り立つ」と「Pが証明できる」は意味が違う、 と考えるのが普通なんじゃないの? 直観主義では確かに P∨Qが証明可能⇔Pが証明可能またはQが証明可能 はなりたつけど、P⇔「Pが証明可能」、とは考えないと思うけど (そう説明した本を見たことがない) だから普通の数学者に1.みたいなことを言っても え?そんな前提置いたつもり無いよ?とか言われてお仕舞いだと思うけど >信頼がおけない。 なぜでしょうか
736 :
132人目の素数さん :2006/04/05(水) 22:43:16
age
>>735 >少なくとも古典論理では、
>「P∨¬P」と「Pが証明できるか、または¬Pが証明できる」
>は違うことを言っている、と考えるわけですが。。
ああ、それはゲーデル以後の話でしょ。
不完全性定理が証明される以前は、
真であることと証明できることを
はっきり区別してたわけではない
ですから。
>>735 >直観主義では・・・P⇔「Pが証明可能」、とは考えないと思うけど
734はそんなことは主張していませんよ。
何を妄想してるんでしょうか?
>>735 >>理由?2.「・・・が存在する」という命題に関して、
>>「存在しないと矛盾するから、存在する」という
>>背理法による証明に対して信頼がおけない。
> なぜでしょうか
さぁ(嘲笑
>>732 Π_0^1 文は特殊だからそう思っても不思議はないが、
もっと複雑な場合は?
論理式の前にquantifierが100個くらいついてるような
オドロオドロシイ論理式だと、真とも偽とも定まってないとしても
不思議は無いですよね
>>737 ワイルなんかはゲーデル以後も直観主義的な立場に立っていたようですが
それは1.みたいなことを考えてたわけじゃないと思いますよ
それに
>>733 は「ゲーデル以前の」とは何も書いてないと思うけど。。
それとも、1.の理由が成り立っていたのは、ゲーデル以前の話であって
ゲーデル以後は、直観主義者が直観主義の立場に立つ理由も薄れてしまった、ということですか?
ゲーデルの結果を知って直観主義を捨てた数学者なんて聞いたこと無いけども
742 :
132人目の素数さん :2006/04/07(金) 00:41:14
>>733 直観主義論理と言うのは、論理記号の「意味」を人間が「定義」するもの
だと考える立場だからでしょう。具体的に言うと、自然推論において、各論
理記号の「導入規則」がその論理記号の意味の「定義」であるとみなすわけ
です(このような「意味」論を、真偽値による通常のsemanticsと区別して
proof-theoretic semantics というらしい)。ただし、「導入規則」だけ
では、その上段から下段が導出できること、言いかえると「その下段から導
出できる定理は必ず上段からも導出できる」ことが保証されるだけなので、
その逆、すなわち「その上段から導出できる定理は必ず下段からも導出でき
る」ことを保証する必要があり、これを保証するのが「消去規則」です。
ところが、論理記号の中で、否定記号 ¬ の推論規則だけは、このような
性質を持っていない。つまり、その意味を人間が「定義」したものだという
形になっていないわけです。従って、この ¬ に関する推論規則から導かれ
る「排中律」は「人間が定義した論理記号の意味からは出て来ない」わけで
す。これが、直観主義者が排中律をアプリオリに認めない理由です。という
わけで、
>>734 >Pか非Pのいずれかが証明できる、という前提は強すぎる。
前提というより、論理記号の“定義”から“導かれない”から、というべ
きでしょうね。
>「存在しないと矛盾するから。存在する」という背理法による証明に対
して信頼がおけない。
これも、「信頼がおける」とか「おけない」とかいうことではなく、単
に「背理法」そのものが「排中律」と同じく論理記号の“定義”から“導
かれない”から、ということだと思います。
その解釈はどう考えても Gentzen 以降だよね。 それ以前とか、それ以外の直観主義は何と言ってるの?
>>742 直観主義論理の解釈をするのに「上段」「下段」「導入規則」「除去規則」とか
に依存してるのが気になる。そもそも、直観主義のこのような解釈は初耳だ。
>>743 普通はBHK-解釈じゃないの?
>>741 >ワイルなんかはゲーデル以後も直観主義的な立場に立っていたようですが
>それは1.みたいなことを考えてたわけじゃないと思いますよ
734は、ワイルの立場が1.だとは主張していないが
何を妄想してるんでしょうか?
>
>>733 は「ゲーデル以前の」とは何も書いてないと思うけど。。
>>734 の1.の
>「正しさ」を証明によって確認する場合
というのは、時代と関係ないな。
これに対して
>>735 の
>少なくとも古典論理では、
>「P∨¬P」と「Pが証明できるか、または¬Pが証明できる」
>は違うことを言っている、と考えるわけですが。。
というのは、ゲーデル以後の話でしょ?というのが
>>737 の主張だな。
ああ、それはゲーデル以後の話でしょ。
>1.の理由が成り立っていたのは、ゲーデル以前の話であって
>ゲーデル以後は、直観主義者が直観主義の立場に立つ理由も
>薄れてしまった、ということですか?
ん?
>>735 は古典論理における真偽の解釈の話であって
直観主義論理とは無関係。
で、ゲーデル以降、態度を変えざるを得なくなったのは
真偽が証明手続きによって決定可能だと考えていた人たち。
> 直観主義のこのような解釈は初耳だ。 Martin-Lof の流儀だよね。これで直観主義を代表させるのは ???
749 :
749 :2006/04/07(金) 20:08:33
7=√(49)
>これが、直観主義者が排中律をアプリオリに認めない理由です。 これが、私が排中律をアプリオリに認めない理由です。 (或いは百歩譲って、誰々が排中律をを認めない理由です) の間違いじゃないの? 本当にブラウアーやハイティンクやビショップが皆そういうことを言っていたんですか?
あ、ビショップは直観主義じゃないかも
ま、いいや
直観主義者がみなそう考えていたというのは
>>742 さんの憶測に過ぎないんじゃないかな、と思うわけです
>>745 >>746 私も「
>>734 はワイルの立場が1.だと主張している」とは言っていませんよ
何を妄想してるんでしょうか
「Pか非Pのいずれかが証明できる、という前提は強すぎる。」
そのように「前提」していたのはゲーデル以前の人だけでしょう
前提していたというより、少なくとも自然数論のような理論に対しては
当然成り立つだろう、と漠然と思っていた、というのが事実に近いかもしれませんが
ワイル云々は、直観主義者が、直観主義者を取らない人に説明する理由として
1.が妥当なのはゲーデル以前なのではないか、と言いたくて書いたんですが、、
「存在しないと矛盾するから。存在する」という背理法による証明は、 無限の証明図を含む可能性があるから、有限主義的にも認められないんじゃ?
>>748 これがMartin-LofのTheory of Expressionの話なのかな? 彼の型理論は名前しか
知らないからわからないんだが。
Martin-Lofをもって直観主義とするのは強引すぎると思う。
>>750 >>742 はMartin-Lofの流儀である可能性が高いとすると、あなたの意見が正しい。
ブラウアーとハイティングはMartin-Lof以前だしね。あと、ビショップは直観主義
の中でも異端だとおもうんだけど、直観主義者の間ではどう考えられてんのかな?
>>752 >ワイル云々は、直観主義者が、直観主義者を取らない人に説明する理由として
>1.が妥当なのはゲーデル以前なのではないか、と言いたくて書いたんですが、、
だからそれが論理的でないといってるわけだよ。
つまり「真であることと証明できることとは違う」
っていう言い訳は、排中律を擁護するためのもので
直観主義とは実は関係ないわけだ。
ぼく松本真吾よろしくね
ぼく川村明よろしくね
759 :
742 :2006/04/08(土) 11:52:00
>>750 ,
>>754 ,
>>755 おっしゃるとおりで、もちろんブラウアーやハイティンクやビショップが
そういうことを言っていたわけではありませんし、
>>742 で説明した直観主
義論理の特徴付けは、数ある直観主義論理の流儀や解釈のワンノブゼムに過
ぎず、ましてやこれが直観主義論理の唯一の解釈というわけではもちろんあ
りません。ただ、本質的な見方があとになってから発見されるということは
他の分野でもよくあることですし、このような proof-theoretic semantics
のような見方はGentzenによって始まったわけですが、その自然推論の体系の
自然さなどを考えると、あくまで個人的な感想としては、最も本質を突いた
直観主義論理の特徴づけではないかな、と思っているわけです。
ただし
>>742 の書き方ではこのような趣旨は全く読み取れないのは確か
ですし、著しく誤解を招く書き方であったことは明白ですから、その点は陳
謝します。
760 :
742 :2006/04/08(土) 12:32:23
>>744 >直観主義論理の解釈をするのに「上段」「下段」「導入規則」「除去規則」とか
に依存してるのが気になる。
これはむしろ逆で、論理記号のproof-theoreticな「意味」を推論規則によって「定義」しようとすれば、その結果が、Gentzenが (NJ) で具体的に与えた「導入規則」と「消去規則」の形になる、というべきでしょうね。
具体的に「かつ」∧ の場合で説明すると、P∧Q の「意味」をproof-theoreticに定義するとするならば
「P∧Q とは、P と Q が共に証明されているという意味である」
ということになるのですが、このままでは何のことだかよくわからない。
そこで、これを証明論的に意味がわかるように次のように「翻訳」します:
「(a) P∧Q が証明されているとき導かれる定理は、P と Q が共に
証明されている場合にも定理になり、逆に (b) P と Q が共に証明されているとき導かれる定理は、P∧Q が証明されている場合にも定理になる」
次に、これらの性質を満たすように推論規則を導入せよ、という問題を考えると、(NJ) の推論規則(∧-導入)を推論規則にすると性質(a)が成り立ち、逆に性質 (a) が成り立つような推論体系では(∧-導入)が「導かれる推論規則」になります。
同様に、(NJ) の推論規則(∧-消去)を推論規則にすると性質(b)が成り立ち、逆に性質 (b) が成り立つような推論体系では(∧-消去)が「導かれる推論規則」になります。
つまり、∧ の「意味」を上記のようなproof-theoreticに定義しようとすれば、そのためには (NJ) の(∧-導入)と(∧-消去)を推論規則に設定することが「必然」だ、ということです。
761 :
742 :2006/04/08(土) 13:10:39
このような特徴付けによると興味深いのは、(LK) では (∧-左) と(∨-右)が全く対称で、(∧-右)と(∨-左)が全く対称な形 をしているのに、(NK) や (NJ) では(∧-消去)と(∨-導入)こ そ対称な形をしているのに(∨-消去)と(∧-導入)が対称な形 になっていないのはなぜだ、という疑問に答えられることです。 そもそも形式主義の精神では、推論規則というのはどう決めよ うと勝手であり、推論規則自体が何か別のモノから導出できるわ けではないはうなのに、なぜ (NK) や (NJ) では ∧ と ∨ に関 する推論規則を対称に定義しないんだ、という祇園があると思い ます。 ところが、上で説明したような立場では、∨ とは、その意味を 「P∨Q とは、P と Q の少なくとも一方が証明されているという意味である」 すなわち証明論的に 「(a) P∨Q が証明されているとき導かれる定理は、P と Q の少なくとも一方が証明されている場合にも定理になり、逆に (b) P と Q の少なくとも一方が証明されているとき導かれる定理は、P∨Q が証明されている場合にも定理になる」 が成り立つように推論規則を導入しようとすれば、必然的に、(NJ) の(∨-導入)と(∨-消去)を設定しなければならないことがわかります。 従ってその結果が ∧ に対する推論規則と対称的にならなくても、(推論規則は実は自由に決めたものなのではなくて、上で説明したような「定義」になるような推論規則を求めよという問題の解として導かれたものなのだから)不審とするに当たらない、とうことになります。
762 :
742 :2006/04/08(土) 13:13:54
訂正 はうなのに → はずなのに 祇園 → 疑問
763 :
742 :2006/04/08(土) 13:47:08
ついでなので ⇒ についてもコメントします。この記号の「定義」は 「P⇒Q とは、P を仮定すれば Q が証明されるという意味である」 すなわち 「(a) P⇒Q が証明されているとき導かれる定理は、P を公理に追加したとき Q が証明された場合にも定理になり、逆に (b) P を公理に追加したとき Q が証明されたとき導かれる定理は、P⇒Q が証明されている場合にも定理になる」 ということになり、この性質が成り立つように推論規則を導入しようとすれば、必然的に、(NJ) の(⇒-導入)と(⇒-消去)を設定しなければならないことがわかります。
直観主義の話なのに、直観主義論理の話しかしないというのも ちょっとどうかと思う。直観主義といえども、すべての排中律 を否定しているわけではないわけで、どれを認めるかはその命 題の内容に立ち入った話が必要だよね。
>>756 ?
いやそうじゃなくて1.みたいなことを言われても
「真であることと証明できることとは違う」(*)
と認識している人(≒ゲーデル以後)に対しては
説得的な説明にならんのじゃないかってことなんですが
もしタイムマシンで今から70余年前に戻って
その時代の人に説明するのなら1.でもいいのでしょうけど
「ゲーデル以後」の今の人に説明する以上、
今の人の認識を前提に説明しなきゃならないし
今ではゲーデルの結果が分かっている以上、その結果を踏まえて説明すべきと思いますが
>>734 は直観主義者が自分達で納得するための理由だから
他の人には意味不明でも構わないんでしょうか
(*)に対しては直観主義ではどう考えているんですか? 直観主義では、ある命題の真偽が我々の精神とは 独立に定まっている(真であるが証明可能ではないかもしれない)、 という考えを放棄するので、真である、という概念を形式的に定義することはできるが、 あくまで人工的な概念でナンセンスに近いってことでしょうか? 少なくとも、フェルマーの最終定理は別の人が先に証明していれば その否定が証明されていたかもしれない、とは考えないわけでw 命題の真偽が定まっていなくても、ある命題とその命題の否定のどちらが 証明されうるかについてある程度の部分は決まっている、 というのには間違いないと思うんですが。。
>>765-766 (*)は古典論理を擁護してる人の認識であって、
それを擁護しない人(例えば直観主義者)にとっては
時代に関係なく、ただの言い訳ってことさ。
いや言い訳とか言っても実際そうでしょう?
「我々が「自然数」と通常考えているものに関する命題で、恐らく「正しい」が、
(少なくともその否定が今後証明されることはまずないであろうもので)
我々が通常仮定する公理系からは証明できないものが常に存在する」、
というのは言い訳とか言い訳じゃないとかじゃなくて、
直観主義なのか古典論理なのかとかに関わらず
公理的な方法で数学を行う限り、それを認めるかあるいは
ゲーデルの証明の間違いを指摘するかせざるを得ないものだと思いますけど
そうすると必然的に「正しい」と「証明可能」は違う、
という認識にならざるを得ないと思いますけどね
直観主義者にとってみればそりゃ直観主義をとらない理由なんて
全て間違っているんでしょうけど、間違いだから間違い、で終わってしまえば
>>734 だって古典論理の人にとって見れば直観主義者の戯言になってしまうし
神様は存在するから存在する、以上、というのとほとんど変わらないじゃないですか
769 :
742 :2006/04/08(土) 19:04:23
>>766 > (*)に対しては直観主義ではどう考えているんですか?
proof-theoretic semantics な直観主義の世界に住んでる人
にとっては、「“真”って何?“証明可能”という概念以外に
“正しい”という意味の概念が定義できるの?」といったとこ
ろでしょうかね。
>>767 多分そうでしょうね。
770 :
742 :2006/04/08(土) 19:15:28
>>768 証明可能であることをもって「正しい」と呼ぶことにしても、それで不具合が
生じることはないと思います。
決定不能問題は正しくも誤りでもない命題だということになるだけだから。
ところでゲーデルが不完全性定理で構成した1変項命題 P(x) は ∀xP(x)
は証明できないけど P(0), P(1), P(2) ,… はすべて証明可能ってのがあり
ますよね。こういう命題を 768 さんは「正しいけど証明できない」命題だと考
えているのでしょうか?
proof-theoretic semantic な直観主義者にとって、「∀xP(x) とは自由変
数 x に対して P(x) が証明可能であることを意味する」わけなので(実際、
推論規則(∀-導入)と(∀-消去)を採用するということはそういう意味)、
この直観主義者にとっては、この命題は「正しくない」ことになります。
771 :
742 :2006/04/08(土) 19:17:39
訂正 誤)この命題は「正しくない」ことになります。 正)この命題は「正しい」ことになりません。
>>768 ロッサーの方法なら、直接Pも¬Pも証明できない命題Pが作れますよ。
それから”恐らく「正しい」”の”恐らく”が取れることはありません。
(-∀-)
774 :
132人目の素数さん :2006/04/08(土) 21:08:36
>>763 自分の知っているNJには、
矛盾(人)からは何でも出る、という推論規則がありますが、
これも似たような考えから説明が付くんですか?
面白いので教えて欲しいです。
>>774 はい。説明がつくんです。ここがこの流儀の真骨頂なんですね。ただし少し異質であることは覚悟してください。
今までの議論は、結局のところ、で論理記号の「意味」を
「(a) ○○が証明されているとき導かれる定理は、〜が証明された場合にも定理になり、逆に (b) 〜が証明されたとき導かれる定理は、○○が証明されている場合にも定理になる」
という形で“定義”してきたのでした。ただし○○には定義しようとしている論理記号を含んだ式が来ます。
ところで、この (a) の部分が成り立つように規定される推論規則が「導入規則」であり、(b) の部分が成り立つように規定される推論規則が「消去規則」なのでした。
(続く)
(承前) ところが導入規則の形をよく見ると、導入規則の上段が、まさに上の「〜」の部分を表していて、導入規則の下段が○○でできていることがわかります。 つまり、導入規則こそがその論理記号の定義に関するすべての情報を持っていることがわかります。 言いかえると、導入規則さえ与えてやれば、それによってproof-theoretic semanticに定義される論理記号の消去規則は自動的に(本質的に)一意的に定まってしまう、ということになります。 実は今まで解説してきた流儀では、「導入規則」を与えたとき、それに対応する「消去規則」との間には機械的な関係があります。 それは「消去規則の上段の、当該論理記号を陽に含む式を導入規則の上段で置き換えると自明な推論になる」という事実と、「当該論理記号を含む論理式に消去規則を適用して導入規則を導入するともとの論理式が再現される」という性質です(説明は少し不正確ですが)。 そこで、「もし導入規則を与えなかったらどうなるか」、すなわち「空な導入規則によって“意味”を定義する論理記号を導入したら、その論理記号の消去規則はどうなるか」を考えてみます。 実は、この空な導入規則で規定される論理記号が「人」なのです。この場合、(人-消去)は、空な導入規則に上の意味で対応する推論規則になることが確かめられます。 で、人 が導入規則が空であるということで「定義」される、ということは、「導入規則を持たない」→「導入しない」→「証明されることを期待しない」→「証明されて欲しくない」命題、ということですから、これを「矛盾」と呼ぼう、というわけです。 ただし、「証明されて欲しくない命題」というのは、証明論的に証明不可能な命題という概念とは違う(前者は推論規則で規定される概念、後者は超数学的な証明を行って初めて得られる概念)ので注意してください。
>>760 俺は、直観主義より後に出てきたゲンツェンの自然演繹の考えかたによって
直観主義を規定しようとしていることに疑問を感じたわけです。
直観主義の本質が、ブラウアーではなく、ハイティング、マーチンレーフに
よって後から本質が明かにされた可能性に関しては、異論をはさむ余地はな
いです。
普通は矛盾律は p⊃(q⊃p)から対偶とって pから(¬p⊃q)を導いて説明しないかな
失礼 ¬p⊃¬qの間違いだ とすると、この場合一寸まずいな うーむ
>証明可能であることをもって「正しい」と呼ぶことにしても、 >それで不具合が生じることはないと思います。 >決定不能問題は正しくも誤りでもない命題だと >いうことになるだけだから。 同様に自然数論の無矛盾性も正しくも誤りでもない命題。 「自然数論は矛盾する」という公理を入れた理論から 矛盾が導き出せなくても「いまのところ見出されないだけ」 といい続けられるから問題ない。 ヴィトゲンシュタインのクワスと同じだな。
ゲー 「ゲーデル命題は証明できないが正しい」 ヴィト「証明できないなら正しいとはいえないじゃないか」 ゲー 「一方で証明はある、といいながら、もう一方で これも証明ではない、あれも証明でない、というのは おかしな態度だ」 ヴィト「証明は無限にあるのだから、そのうち有限個だけ 調べたところでないからといって、見つからないとは いえない。」 ゲー 「もし、見つからなかったら?」 ヴィト「では、尋ねるが、無限個のものを調べつくせるのかい? 君のいう「もし」というのは、いつだい? そういう時点がないならその質問は無意味だな」 ゲー 「神には真偽は明らかだと思うが」 ヴィト「我々は神ではないのだから、そういうことはいっても仕方ない」 ゲー 「神はいないとでも?」 ヴィト「いや、神がいないとはいっていない。 神がいようがいまいが、人には確かめられないのだから そういうことはいっても仕方ない」
782 :
742 :2006/04/10(月) 22:46:42
>>774 775-776はちょっとややこしいので、もう少しわかりやすく解説してみます。
論理記号 ∨ の導入規則は
(∨-導入1)├P なら ├P∨Q
(∨-導入2)├Q なら ├P∨Q
の2個から成り、この2つの導入規則から
(a) P∨Q が証明されているとき導かれる定理は、P と Q の少なくとも一方が証明されている場合にも定理になる。
が成り立つことは明らかです。一方、この逆の
(b) P と Q の少なくとも一方が証明されているとき導かれる定理は、P∨Q が証明されている場合にも定理になる。
は、
(b)' 条件「├P なら ├R」と「├Q なら ├R」を共に満たすような命題 R に対しては必ず「├P∨Q なら ├R」
と言い換えることができます。そして、この条件を推論規則として表現したものが、まさに
(∨-消去)P├R と Q├R と ├P∨Q なら ├R
であることはほとんど明らかでしょう。
(続く)
(b)'
783 :
742 :2006/04/10(月) 23:00:01
∨ の場合でわかるように、導入規則を2個持つ論理記号 ■ に関する (b) の言い換え (b)' は (b)' 条件「〜(1)」と条件「〜(2)」を共に満たすような命題 R に対しては必ず「├P■Q なら ├R」 の形になるわけですから、もし導入規則n個によって規定される論理記号 ■ があれば、その論理記号に対する (b)' は (b)' 条件「〜(1)」と … と条件「〜(n)」をすべて満たすような命題 R に対しては必ず「├P■Q なら ├R」 という形を持ちます(ちなみにここでは ■ が2変数の論理記号であると仮定していますが、何変数でも(0変数でも)話は同じです)。 つまり、導入規則の数が多ければ多いほど、(b)' に出てくる命題 R に対する制約条件は多くなります。 そこで、それでは導入規則が“無い”場合はどうなるでしょう?この場合は (b)' の条件が全く無くなりますから、 (b)' 制約条件が何も無い命題 R に対して必ず「├P■Q なら ├R」 となります。ただし、条件が無いのですから、∨ の場合は制約条件の中に出てきた P とか Q という命題はそもそも無いので、新しい論理記号 ■ も命題変数を持たない、すなわち0変項論理記号であるはずです。つまり (b)' は、本当は (b)' 制約条件が何も無い命題 R に対して必ず「├■ なら ├R」 これは、■ を 人 に書き換えれば、774 さんがおっしゃる「矛盾(人)からは何でも出る」という推論規則、すなわち(人-消去)に他なりません。
そこまで行くと論理体系を定義する場合の 単なる「美学」のレベルの問題になりませんか? LKは前提と結論とか∧と∨が双対的な関係になっていて美しい これは直観主義などではなく古典論理が数学の基礎のなるべき論理であることの 何よりの証左である みたいなw
785 :
742 :2006/04/11(火) 00:43:25
>>784 もちろん評価はいろいろあると思うんですが、私がこの方法に“惚れている”理由は、
(1) 論理記号の「意味」を通常のsemanticsによらず、純粋にsyntaxの概念だけを使って「陽に」定義しているということ
(2) P が「偽」のとき P⇒Q が「真」になる理由が“自然に”説明できること
(3) ∨ や∃ に関する消去規則が他の推論規則に比べて複雑な形をしているが、そのことの理由が説明できること
(4) 更には述語論理における意味論では通常の真偽値による意味の定義に実は難があり、ここで解説した方法ではそのような難点が無いこと
といった様々な理由によります。
まあ、それも価値観の一つに過ぎない、と言われれば全くその通りなんですが。
(4)の >実は難があり ってどういうことでしょう? 直観主義の意味論のほうがよほど大変だと思いますが
>>786 さあ、742ことStromdorf(川村明)個人の精神的な障碍だろ?
>>789 いや、精神が不自由な男にただただ同情しているだけだ。
もっと自由に考えれば何も悩むことがないのに。
>>786 >直観主義の意味論のほうがよほど大変だと思いますが
それは、古典論理の「二値論理」もしくは「ブール代数」を真理値に持つモデルに対して、直観主義論理のクリプキ・モデルのようなものをイメージしておられるのだと思いますが、ここで述べているのはそのような対比ではありません。
ハイティング代数であれ、クリプキ・モデルであれ、古典論理とは単に真理値の集合が違うだけで、このような意味論は同じ発想の延長線上にあります。
私が 785 で述べたのは、古典論理の真理値による(通常の)意味論には、そもそも述語論理に適用した場合に解釈上の(というか、実は意味の定義上の)問題があるのです。
これに対し、proof-theoretic semantics によって述語論理の量化記号の「意味」を定義すれば、このような真理値から定義される意味論が持つ問題点が生じなくなる、ということを述べたわけです
(まあ、785 の各項目は追って順に説明していきますが、最初に (4) について質問があったので、その概要の予告を述べておきました)。
792 :
742 :2006/04/11(火) 22:36:57
まず (1) 論理記号の「意味」を通常のsemanticsによらず、純粋にsyntaxの概念だけを使って「陽に」定義しているということ ですが、自然推論の ∧ ∨ ⇒ 人 の推論規則については 「P∧Q とは P と Q が共に証明されていることを言う」 「P∨Q とは P か Q の少なくとも一方が証明されていることを言う」 「P⇒Q とは P を仮定に付け加えたとき Q が証明されていることを言う」 「人 とは証明されないはうの命題のことである」 という「陽な定義」を推論規則として表現したものでした。ところが (NK) でも (NJ) でも、¬ に対する推論規則だけは例外で、例えばその導入規則から見る限り、 「¬P とは、P を仮定したとき、Q と ¬Q が共に証明されることを言う」 というのが ¬P の定義であると解釈しなければなりませんが、これは定義文の中に ¬Q という形で定義すべき論理記号 ¬ が含まれてしまっており、これでは「陽な定義」とは言えません。 古典論理では ¬ という論理記号を定義しないと背理法が正当化できませんから、この事実は、言い換えると「古典論理というのは論理記号の意味をsyntaxだけでもって陽に定義するという立場に立っていない」ということを意味します。 これに対し、直観主義論理における考え方は単純です。このような「陰な定義」しかできない論理記号 ¬ は初めから採用しない。 そのかわり、直観主義論理では、古典論理の「P は偽」に替わる概念として、「P は 人 と同値である」あるいは同じことですが「P を仮定すると 人 が証明される」つまり、P⇒人 のことを ¬P と略記する(つまり ¬ は単なる省略記号)わけです。
793 :
742 :2006/04/11(火) 22:39:22
すいません。キーボードの調子がおかしくて、またまた訂正です。 誤)証明されないはうの命題 正)証明されないはずの命題
794 :
742 :2006/04/11(火) 22:52:42
次に (2) P が「偽」のとき P⇒Q が「真」になる理由が“自然に”説明できること ですが、これは P が「真」ということを「P は証明されている」のことであると定義し、P が「偽」であるということを「¬P は証明されている」のことであると定義すると、 P が「偽」なら ¬P つまり P⇒人 が定理なので、P を仮定に追加すると、(⇒-消去)により 人 が得られr、更に(人-消去)により任意の命題が、従って特に Q が得られるので、(⇒-導入)により P⇒Q が証明されます。つまり P⇒Q は「真」です。 実は、同じようにして、P と Q がそれぞれ「真」又は「偽」のとき、P∧Q , P∨Q , P⇒Q , ¬P は、それぞれ通常の真偽値で定めるときと同じ「真」「偽」値を取ることがわかります。 このような手法のメリットは、「P⇒Q」を日常言語の場合と同じく「P であると仮定すると Q」という意味であると「素直に」定義しているだけであるにもかかわらず、P が「偽」の場合は自動的に「真」になることが導出される、というメリットがあります。 (通常の意味論における真偽値の定義の場合は、これを「単なる規約だよ」と言うだけで、どうもしっくりこない、という不自然さがある。)
795 :
742 :2006/04/11(火) 23:07:55
次は (3) を飛ばして (4) を説明します。 (4) 更には述語論理における意味論では通常の真偽値による意味の定義に実は難があり、ここで解説した方法ではそのような難点が無いこと というのはどういう意味かというと、通常の述語論理の真偽値の定義だと、∀xP(x) の真偽値は、考えている領域 Ω のすべての元 a に対して P(a) が真のとき真、それ以外のとき偽と定義するわけです。 私が問題にしたいのは、「これって本当にていぎになってんの?」という疑問です。 例えば Ω 有限集合で、例えば5つの元 a, b, c, d, e だけからなる場合だったら、既に意味を定義している論理記号 ∧ を使って ∀xP(x) とは P(a)∧P(b)∧P(c)∧P(d)∧P(e) のことである と定義すればよいわけですが、Ω が無限集合だったら、「Ω の“すべての”元 x に対して P(x) が真」ってどういう意味なの?と聞かれたら、どう説明するのか、というわけです。 Ω が自然数の集合なら、よく「そりゃ決まってるじゃないか、P(0) が真で、P(1) が真で、…(以下同様)のことだよ」というかもしれまえんが、これを … などという曖昧な表現を使わないできちんと定義するとしたらどうするつもりなのでしょうか? 結局、体系内部の「すべての」にあたる ∀ という概念の意味を定義するのに、メタレベルでの「すべての」の意味を使って定義せざるを得ないわけです。 しかるに、体系内部であろうがメタレベルであろうが、対象が無限個ある場合の「意味」って実は定義できないじゃないか、ということが言いたいわけです。 しかし、実際には数学の世界では「任意の ε に対し」などと平気で使っているのですから、何らかの方法で「意味を定義している」はずです。それが実は(∀-導入)と(∀-消去)という推論規則です。 (続く)
796 :
742 :2006/04/11(火) 23:20:37
通常の数学では、任意の x に対して P(x) である、ということを証明するための標準的な方法は、自由変数(どの仮定にも含まれていない変数)x を用いて P(x) が証明できたとき「よって ∀xP(x) は証明された」という論法を使います。 Gentzenの自然推論は、この実態を逆手にって、これを論理記号 ∀ の導入規則に採用するわけです。 このことを今までの立場(すなわち proof-theoretic に意味を定義する立場)で解釈すると、結局 ∀ という論理記号の「意味」を 「∀xP(x) とは、どの仮定にも現れない変数 x に対して P(x) が証明できたことをいう」 と定義する、と定めていることに他なりません。これは、超数学的に意味の取れる形に表現すれば、 「(a) ∀xP(x) が証明されているとき導かれる定理は、どの仮定にも現れない変数 x に対して P(x) が証明された場合にも定理になり、逆に (b) どの仮定にも現れない変数 x に対して P(x) が証明されたとき導かれる定理は、∀xP(x) が証明されている場合にも定理になる」 となり、(a) を保障するのが(∀-導入)で、(b) を保障するのが(∀-消去)ということになります。 このように、無限個の対象に対する真偽値によって真偽値を定めるなどということをしなくても論理記号の「意味」を定めることができる、というメリットがる、というわけです。
>Gentzenの自然推論は、この実態を逆手にとって、 逆手にとってなどいないでしょ。 どんな形式化も同じことをやっている。
そんなところにいちゃもんつけんでも
そんな「意味」の定義したら、普通我々が考えている 「意味」とはそもそも全く異なるものになると思いますが 「意味論」とか"semantics"と名乗ること自体、混同を招くし、おかしい気がします そもそもPの「意味」と言っても、本質的には 単にある形式的な体系で論理式Pが導出可能である、 ってことしか言ってない気がする、そんなものが「意味」って言えるのだろうか、という もっと根本的な疑問もあります
それに∀xP(x)の意味の定義が出来ないじゃないか
「すべての」なんて曖昧な表現使っちゃ駄目だって仰いますけど
そんなのは定義せずとも明らかだ、というのが普通の立場かと思います
「∀xP(x) とは自由変数 x に対して P(x) が証明可能であることを意味する」
なんていうのはちょっと無理がありすぎると思いますけどね
定義せずとも、というのは、辞書でAという単語の定義を調べて、
次はAの説明に出てきたBという単語の定義を調べて、次は(りゃ
とやっていけばいずれ定義不能になるのは明らかだからです
従ってそんな完璧な定義をするのはそもそも不可能で、
或る程度のところで諦めるべし、というのがEuclid、Hilbert以来の知恵です
それを自分の好きなところで留まって論拠とするのは如何なものでしょうか
或いは、そのような無定義術語の意味は、公理によって
関係の関係を規定することで「間接的に」定まるのだ、
という立場に立つなら、あなたの構文論的な「意味」の「定義」も
或る程度は擁護できるやもしれませんが
そのような立場こそ、ゲーデルによって完全に否定されてしまったものであると思われます
実際に「自然数」のきちんとした定義なんて結局不可能ですよね
自然数の部分的構造の定義なら可能ですけどね
(話がそれますが、自然数はωのことじゃないか、とかいう人も居るかもしれません
例えばこの人とかはそう思ってそうですね
ttp://homepage3.nifty.com/gomiken/essay/column/number.htm では公理的集合論はnの構造が実は{1,2,.........,n-1}という集合であることを示したのでしょうか?
これは当然大間違いで、集合論は自然数「論」の一つのモデルを作ったに過ぎず、
多少私見が混じるかもしれませんが、ωだって自然数論の単なるモデルであって自然数そのものではありません
{1,2,.........,n-1}と{...{φ}...}は同じものか?とか似たようなことをどっかの哲学者も言っていました
個人的には実数体のモデルのDedekind流とCantor流の二つの構成法を知っていれば、
どっちが本当の実数だとかは言えないんだから明らかなことだと思うんですけどね)
または、に関してですが、P∨QとはPまたはQのどちらかが証明できることだ、だったら
直観主義の∨にはあまり大した意味なんて無いことになるんじゃないかな、
Pと言い切ってしまえば良いものをP∨Qと遠回しに言うだけで
本質的な概念では無いのではないか、というのが
直観主義論理を勉強していくと誰でも多少は抱く違和感だと思いますけどね
(そりゃあ実用上はもしかしたら便利かもしれませんけどね)
古典論理の∨は、恐らくもっとずっと深い、深遠なものです
直観主義者は、構成主義にせよアルゴリズム的な解釈をするにせよ、
公理をたてる、つまり証明できないので前提する、ということの意味をよく考えて居ないのではないでしょうか
彼らの言うようなことは、公理から証明できる定理に関してはよく理解できるし納得できるのですが
それが公理に対しても当てはまるでしょうか?
Euclidが「線とは幅のない長さである」といった場合に
彼は幅の無い長さが概念的に「構成可能」であると主張したのでしょうか?
或いはそれが証明可能であると仮定せよ、と主張したのでしょうか?
そうではなく、単に議論しても証明のしようが無いので
前提してしまおう、と考えただけだ、というのが普通の理解かと思います
Euclidを例に取りましたが以降の数学の理論の公理に対しても同様です
では公理としてはどんな論理式をとってきてもいいのか?というのも、よくそうだ、と仰る方が居ますけど
これは原理上可能なだけで、実際にはそうやって出来る数学の九割は数学の真似事に過ぎず
意味があり深い価値のある数学などそのほんの一握りです
公理を選ぶには、やはり非論理的、直感的な我々の感覚に頼らざるを得ないわけです
--- --- --- --- ---
長文失礼
感じた違和感を言葉にしてみたら長くなりました
レスアンカー忘れましたが
>>799 は
>>742 です
>>795 >通常の述語論理の真偽値の定義だと、
>∀xP(x) の真偽値は、考えている領域 Ω のすべての元 a に対して
>P(a) が真のとき真、それ以外のとき偽と定義するわけです。
>私が問題にしたいのは、
>「これって本当にていぎになってんの?」
>という疑問です。
それは定義をどう考えるかによる。
定義を決定手続きと考えるヒトもいれば
単に満たすべき制約と考えるヒトもいる。
>>795 >Ω が無限集合だったら、
>「Ω の“すべての”元 x に対して P(x) が真」
>ってどういう意味なの?と聞かれたら、
>どう説明するのか、というわけです。
>(中略)
>Ω が自然数の集合なら、よく
>「そりゃ決まってるじゃないか、P(0) が真で、P(1) が真で、
>…(以下同様)のことだよ」というかもしれまえんが、
>これを … などという曖昧な表現を使わないで
>きちんと定義するとしたらどうするつもりなのでしょうか?
曖昧が絶対にいかんということはあるまい。
きちんと定義することでキミのように間違うこともある。
>結局、体系内部の「すべての」にあたる ∀ という概念の >意味を定義するのに、メタレベルでの「すべての」の意味を >使って定義せざるを得ないわけです。 それはメタレベルでの定義というより再帰的定義だな。 >しかるに、体系内部であろうがメタレベルであろうが、 >対象が無限個ある場合の「意味」って実は定義できないじゃないか、 >ということが言いたいわけです。 再帰的定義を定義と認めない立場はあるだろうが そもそも再帰的にしか定義していないことに対して これを「きちんと」再帰的でない定義に「改竄」する のはいただけない。
>>796 もっとも、(∀-導入)や(∀-消去)だけでは
対象領域について何も言及してないから数学的には
無意味なわけだが
で、対象領域を自然数に限定したい場合に、
ペアノの公理系とやらを設定したりするわけだが
実際には一階述語論理上で考えると
「0でもない1でもない2でもない・・・自然数が存在する」
という命題が真でもおかしくないということになる。
もっとも、こういうのはやっぱりおかしいわけで
「きちんと定義したんだから間違いない」
と主張するのなら、
「きちんと定義すれば間違いないという主張が間違っている」
ということになる。
>>799 >そんな「意味」の定義したら、普通我々が考えている
>「意味」とはそもそも全く異なるものになると思いますが
742は異ならないとはいっていないよ。
>「意味論」とか"semantics"と名乗ること自体、混同を招くし、
>おかしい気がします
こんなことで混同する799のほうがおかしいと思うが。
>>800 >「すべての」なんて曖昧な表現使っちゃ駄目だって仰いますけど
>そんなのは定義せずとも明らかだ、というのが普通の立場かと思います
明らかだとは思わんな。それはナイーブすぎる。
むしろ、明らかでなくてはいかんのか?と問いたい。
いいたいことはそういうことなんだから
いくら明らかでないのが気持ち悪くても仕方ない。
>>801 >直観主義者は、構成主義にせよアルゴリズム的な解釈をするにせよ、
>公理をたてる、つまり証明できないので前提する、ということの意味を
>よく考えて居ないのではないでしょうか
そりゃ全然的外れな言いがかりだな。
直観主義は別に公理を否定しない。
>>804 こういう定義を再帰的定義って言いますかね?
通常はnのときを定義するのにn-1のときの既に定義されたものを使って
定義するようなのを再帰的定義と言うんだと思いますが
>>805 >対象領域について何も言及してないから数学的には無意味なわけだが
普通のsemanticsとしてはそうでしょうけどこの"semantics"ではそうとも言えないんじゃないですか?
>>806 で仰ってるように、これは所謂世間一般で言うところの意味論ではないでしょう?
寧ろ証明論的な動機付けという側面が非常に強いものだと思います
(
>>796 さんに聞かないと本当のところは分かりませんが)
>真でもおかしくない
全ての命題に真とか偽とかの真偽値を考えてしまっている時点で
話がかみあっていない気がします
「0でもない1でもない2でもない・・・自然数が存在する」
ことが導出されてもおかしくない、とは言えませんし、実際決して証明されないでしょう
かといってその否定も導出されることは無い、それだけのことで
直観主義の人にとっては何も問題ないと思いますよ
>>808 いや公理を否定している、とまでは言ってなくて
公理に対しては、直観主義的な解釈をすると変なことになる、
と以前は思ってたんですけど、ちょっと考えたら、
公理を選ぶ段階で、非構成的な(直観主義的に問題のある)公理を
全く除いてしまえば問題は起きませんね
>>801 後段は確かにまったく的外れだったようです
この部分は皆さん無視してください
すいません
>>809 >
>>804 > こういう定義を再帰的定義って言いますかね?
循環的定義とか非可述的定義と呼ばれているものだよね。
Gentzen の仕事のキーは「ならば」の意味の非可述性をどのように乗り越えるかだったのらしいが。
>>782 はい、分からなくて考えていたら、
お礼を言うのも忘れて、遂にここのことまで忘れてしまいました。
今から読ませてもらいます。ありがとうございました。
813 :
742 :2006/04/13(木) 22:34:58
おお、どうも 世界標準なんですか ちょっと数学と関係ない話になってしまうけど 昔、言葉の意味は用例の総体によって定まるんじゃないか、 とか思いついたりもしたんですが、ちょっとしてから 日常言語を考えてみると全然そうじゃないよな、とか思い直したりした覚えがあります うーん、このsyntaxによって"定義"したものを"semantics"と呼ぶんですか なんか腹の底で気持ち悪いのはもう諦めるしかないのかなあ
815 :
742 :2006/04/13(木) 23:25:55
>>800 >「すべての」なんて曖昧な表現使っちゃ駄目だって仰いますけど
>そんなのは定義せずとも明らかだ、というのが普通の立場かと思います
これは
>>807 さんもおっしゃっているように、いささか素朴過ぎる意見だと思います。
定義してもいないのに「意味は明らか」と言いきってしまったのでは、客観的な議論の対象になりません。
この「定義してもいないのに意味が明らか」だと思ってしまうのは、多分次の2つの理由によるのだと思います。
理由その1は、人間の頭というものが、論理ではなく類推によって新しい概念を取得する能力に長けている、という事実です。
この能力があるからこそ赤ん坊は言語(母国語)をマスターできるわけです。
大人が新しい外国語をマスターするとき、既に知っている言語(母国語)に翻訳して習得するのは、「論理的に定義する」ことに当たります。
これに対し、翻訳という方法を取ることが原理的に不可能な赤ん坊が、全くの無から母国語をマスターするのは、まさにこの「類推で物事を理解する人間の能力」の賜物に他なりません。
しかし、この能力が、時として「実際は客観的に意味が定義されているわけで無いのに、すでに意味が定義されていると錯覚する」という副作用を生むことになります。
この点は注意深くものごとを観察する必要があります。
次に理由その2は、現実にある語を使っているとき、その「意味」を定義した覚えはないけれど、その語の「使い方」がある約束事に常に従っている場合があります
(この約束事の存在事態に気づかないこともよくあります)。
実際、数学で「すべての」という言葉を使用しているときは、必ず(∀-導入)か(∀-消去)という推論規則に実は従っている、つまり、この2つの推論規則を皆が共通に暗黙のルールとして使っているのだ、ということが判明したわけです
(このことを改めて自覚させたのはGentzenの偉大な業績だと思います)。
つまり、この場合は、この共通のルールである推論規則そのものが、「すべての」という言葉の「用法による定義」ということになります。このような定義こそが実は「意味」を規定しているのだ、という考え方が「証明論的意味論」における「意味」なわけです。
816 :
742 :2006/04/13(木) 23:50:04
>>800 > 或いは、そのような無定義術語の意味は、公理によって
>関係の関係を規定することで「間接的に」定まるのだ、
>という立場に立つなら、あなたの構文論的な「意味」の「定義」も
>或る程度は擁護できるやもしれませんが
>そのような立場こそ、ゲーデルによって完全に否定されてしまったものであると思われます
この最後の主張はよく理解できませんが、これは「意味と言うからにはどんな命題も真か偽のいずれかの意味を持っていなければならない」と考えているのでしょうか。
そういうことんら、確かにゲーデルの不完全性定理により「真なのに証明できない命題が存在する」ことになるので「真」という概念を「証明可能」によって定義することは無理でしょう。
しかし、私は別に「意味」を定義するとき、「すべての命題が「真」か「偽」のどちらかの値を持つ」べしなどという制約条件は考えていないのですから、このような問題は生じないはずです。
>実際に「自然数」のきちんとした定義なんて結局不可能ですよね
この「きちんとした定義」という言葉で何をいわんとしているのかがよくわかりません。
自然数という概念は、ペアノの公理による定義でも、「一点を指定した集合と自分自身の中への写像の組」からなる圏の始対象、という圏論的な定義でもよいですが、私はこれらの定義(個人的には特に後者)こそが自然数の定義の本質だと思います。
貴方がおっしゃるのは、自然数に関するすべての命題の真偽を形式的推論体系のもとで一意的に定めることが不可能だから、自然数の性質を証明体系として一意的に定めることができない、ということをおっしゃっているのでしょうか?
だとしたら、そもそも「真偽」という概念を証明可能性とは別に考える必要はないとする「証明論的意味論」の立場では、これは問題にならないと思います。
証明された命題が「真」、反証された命題が「偽」、それだけのことです。
そして、公理が増えれば真な命題も偽な命題も増える。ただそれだけのことです。
817 :
742 :2006/04/14(金) 00:08:35
補足です。
>「一点を指定した集合と自分自身の中への写像の組」からなる圏の始対象
これだと何のことだかわからないといけないのでもう少し丁寧に説明します。
集合 A と A の元 a と、A から A への写像 φ からなる3つ組 (A, a, φ) のことを「対象」とよぶことにします。
2つの対象 (A, a, φ) , (B, b, ψ) に対し、前者を域、後者を余域とする射 f とは、A から B への写像であって
(1) f(a) = b
(2) f。φ = ψ。f
を満たすもののことであると定義すれば、これは一つの圏を定めます。
この圏に始対象 (N, 0, s) が存在するとき、N の元を自然数、0 をゼロ、s(x) を x のsuccessorと呼ぶ、という定義のことです。
この圏論的な自然数の定義のメリットは、(少なくいとも純形式上は何であんな公理を指定するのかということがよくわからないペアノの公理と違って)定義が自然であるという(主観的な)評価に加えて、
自然数の「実体」を特に規定せず、その性質のみによって定義しており、
さらにペアノの公理の場合と違って「機能的な関数の構成」が定義そのものに含まれているという点です。
ところで、
>>800 さんが挙げておられる、いわゆる集合論的に定義される ω というのは、この圏論的な定義による自然数の集合「の一つ」になっているという意味で、
いわば「自然数のモデル(といってもいわゆるモデル理論のいう“モデル”ではないが)の一つ」であることに相違ありません。
明らかだ、は確かに不味かったですね 「意味」という言葉に数学的な定義とかは無いですし 曖昧なのでそれ以外の言葉を使って言うと Tarski流のsemanticsは、ある命題が「真である」ことの定義を述べて、 その方法に従って調べていけば実際に与えられた命題が真であるのか偽であるのかが定まる、 というのではなく、命題の「真である」という性質が満たすべき条件を述べているだけだと思います 本人達も多分そのつもりで居たのではないかな 直観主義の人たちは、古典論理の人に私達はあなた達の∨、¬は使いたくない、 p∨¬p、は我々の「∨」「¬」の使い方(解釈)によれば成り立たないよ、と言った上で (もっとも、古典論理にとってみれば、勝手に元と違う解釈を施されている時点で p∨¬pじゃなくてp∨' ¬' pになってしまっているわけで 成り立とうが成り立たなかろうが知った事ではないでしょうけど) その分派である所の、proof-theoretic semantics派の人は、 「用法が定まれば「意味」とやらも定まるのだ」と信じることにしましょう、ということにして (個人的には、なぜ信じるのか、ということの理由付けは もう哲学や個人的思想、好き嫌いにでも頼るよりしょうがないと思いますが) 用法を定めている、ということですかね # しかしそう考えてみると直観主義では排中律が成り立たないってあれ、非常にミスリーディングですね # 排中律についてはどうなのか知らないが、(排中律)'についていうのなら、これは成り立たない、というべきであったのに
819 :
742 :2006/04/14(金) 00:42:22
>>801 > または、に関してですが、P∨QとはPまたはQのどちらかが証明できることだ、だったら
>直観主義の∨にはあまり大した意味なんて無いことになるんじゃないかな、
>Pと言い切ってしまえば良いものをP∨Qと遠回しに言うだけで
>本質的な概念では無いのではないか、というのが
>直観主義論理を勉強していくと誰でも多少は抱く違和感だと思いますけどね
>(そりゃあ実用上はもしかしたら便利かもしれませんけどね)
>古典論理の∨は、恐らくもっとずっと深い、深遠なものです
「もっとずっと深い、深遠なもの」というのは、裏を返せば「本来定義したい、持たせようとした性質以上の性質を持ってしまう」ということでもあります。
proof-theoretic semantics な直観主義の立場からすれば、論理記号は定義した意味だけを持って欲しいわけで、それ以上の意味を持ったのではむしろ困るわけです。
つまり「もっとずっと深い、深遠なもの」は持たないほうがよい、という価値観を持っているのですから、評価はむしろ逆になります。
直観主義述語論理では、自然推論において、ある複合命題が証明可能なときは、その中に登場する論理記号の推論規則のみを使って証明できることが知られています。
ところが、古典論理ではそうではありません。
例えば (P⇒Q)∨(Q⇒P) という(直観主義論理では証明できない)命題を考えると、これは古典論理で証明可能ですが、その証明は、この命題の中に出てくる ∨ と ⇒ の推論規則だけでは証明できません。
どうしても、この命題に登場しない ¬ に関する推論規則も使わないと証明できないのです。
つまり、古典論理では、¬ という論理記号が「何らかの定義された意味」以上の「意味」を持ってしまうために、その論理記号自身とは関係ない命題の証明可能性にまで“ちょっかいを出している”ことになります。
これが「もっとずっと深い、深遠なもの」の例だ、というのなら、そんな深遠さは迷惑だ、と考えるのがおそらく直観主義的な発想でしょうね。
820 :
742 :2006/04/14(金) 00:46:19
余談ですが、ある論理学の本に、「∧ と ⇒ と ∀ の意味は古典論理と直観主義論理で同じだが、∨ と ∃ の意味は古典論理と直観主義では異なる」と解説したものがあります。 そのココロは、古典論理では P と Q のいずれを証明したわけでもないのに P∨Q が証明できたり、P(t) をある項 t に対して証明したわけでもないのに ∃xP(x) が証明できたりするからでしょう。 しかし、自然推論で見る限り、∨ や ∃ に関する推論規則は古典論理でも直観主義論理でも共通であり、上のような主張は形式上の根拠を持たないかのように見えます。 ところがそうではないんですね。ちゃんと ∨ や ∃ の「(証明論的)意味」が、古典論理と直観主義論理で確かに違っていて、他の論理記号では共通であることが、形式上の性質としてちゃんと証明できるんです。 これは「直観主義論理の視点から古典論理を解釈する」と自然に出てくる話なんですが、普通の立場である「古典論理の立場から直観主義論理を特徴付ける」とは逆の立場なので、あまりポピュラーではないかもしれません。
821 :
742 :2006/04/14(金) 00:56:21
>>818 >その分派である所の、proof-theoretic semantics派の人は、
>「用法が定まれば「意味」とやらも定まるのだ」と信じることにしましょう、ということにして
これはかなりニュアンスが違います。
「意味」なるものを用法のみによって「定義」してみよう、と言っているだけです。
もちろんそうでない流儀があってもかまわない。
ただ、「意味」なるものをsyntaxによってのみ定義するような推論体系というのはどんなものなのだろうということに興味があって研究しているのだけだ、ということでしょうね。
別に何かを「信じて」いるわけではありません。むしろ何かを「信じて」いるのは(上の「すべての」に関する議論が示しているように)古典論理こそが当然の推論体系だと思っている人たちの方ではないでしょうか?
>「本来定義したい、持たせようとした性質以上の性質を持ってしまう」
直観主義者は持たせたくなかったかもしれませんが
そうでない人は持たせたかった、というだけの話でしょう?
>>816 >そして、公理が増えれば真な命題も偽な命題も増える。
私は、公理を後から増やすのは定義とは言わないと思いますけど。。
公理を増やさなくて済むような決定的な公理は無いでしょう?
どんな公理系Tによってに形式的に定義をしたとしても、それより真に強く、
また自然な(Tからは導かれないが、Tが意味のある定義であるとしたら、
当然なりたつべきであると思われるような定理しか付け加わらないような)
公理系T'があるわけですから、そもそもまともな定義はしようが無いと思いますけどね
>>821 「意味」、「定義」をどういう意図で使われてるんでしょうか
「意味」を「定義」した、というのは論理記号の用法の解説をした、というのとどこか違うんでしょうか
「定義」しました、と言われても、私には「定義」されたはずの「意味」が分からないわけですが。。
意味じゃなくて「意味」なのだから、表層意識では定義されたはずの
意味が分からないように思えても、実のところは「意味」は分かっているのだから安心しろ、ということでしょうか
それとも、逆に定義と違って「定義」なのだから、何かを「定義」したからといって
それが万人に分かるようになるわけではない、ということなんでしょうか
>>818 デデキントのやったことの言い換えに過ぎないでしょ。
825 :
742 :2006/04/14(金) 01:17:43
>>822 後半部分についてですが、まだ理解に行き違いがあるようです。
私の説明した立場では、
命題は、証明されたとき初めて「真」になる。
反証されたとき初めて「偽」になる。
証明も反証もされていないうちは命題は「真」とか「偽」という性質を持たない。
ことになります。最初からすべての命題の真偽が定まっているべきだという考え方自体をそもそもしないわけです。
ですから「公理を増やさなくて済む」というのも意味不明です。この表現には「〜するためには」という接頭辞が付くと考えるべきでしょうが、
「すべての命題の真偽を確定させるためには」という趣旨でしょうか?
そうだとしたら、ですから、そのような目的自体を持っていない、ということなんです。
826 :
742 :2006/04/14(金) 01:24:16
>>823 今まで(導入規則)の説明で説明してきた通りで、
>>792 の「」の中のような方法で「意味」を「定義」する、という立場です。
これは「論理記号の用法の解説をした」というのとも少し違います。
もっと限定された趣旨であり、「陽な定義」です。
例えば (LK) や (LY) だって「論理記号の用法で」「意味」を「定義」していると言えないこともないけれども、これは「○○とは〜のことをいう」というような「陽な」定義にはなっていません。
Hilbert-Ackermannの流儀も同様です。これも「意味」を「用法」で「定義」しているけれども(Bourbakiでもはっきりそう書いてある)、「陽な」定義ではありません。
827 :
742 :2006/04/14(金) 01:26:13
誤)(LY) 正)(LJ) ハズカシイ…
>>825 いやそういう趣旨でなくて、
TとT'という公理系があった場合に
TとT'が同値でなければTで定義したものとT'で定義したものは違うものになるじゃないですか
で、望むべき対象でT'が成り立つのだとすれば定義としては
TよりT'のほうが望ましい、T'によって定義されるもののおうが望むべき対象に近い、というそれだけです
>>826 ああ、
>>792 今見ると何となくわかりますね
なるほど
で、
>>792 で定義されるところのものを「意味」と呼ぼうと
>>809 >こういう定義を再帰的定義って言いますかね?
なんか742氏みたいなこといってるね。
別に停止性のチェックなんてしなくていいわけだが・・・
>所謂世間一般で言うところの意味論
ブーリアンモデルじゃなきゃ意味論じゃないっていう人は
それしか知らん素人だけでそれって世間一般じゃないでしょ(w
>>815 >実際、数学で「すべての」という言葉を使用しているときは、
>必ず(∀-導入)か(∀-消去)という推論規則に実は従っている、
>つまり、この2つの推論規則を皆が共通に暗黙のルールとして
>使っているのだ、ということが判明したわけです
数学で、というのはウソだな。論理学で、というべき。
数学の場合は、当然、非論理的(というのは論理では正しいと
証明できないという意味)な数学的公理を設定しているわけだから。
例えば数学的帰納法とかね。
ところで、
>>792 で暗に
「陽な定義でなければ定義に非ず」
といってるようだが、それは偏狭な態度だな。
826を読むとそうは思えない
823への返答として書かれた826を 「陽な定義でなければ定義に非ず」 という趣旨にはとても読めない
>>832 >>826 のこの文章が目に入らない?
>「意味」を「用法」で「定義」しているけれども、「陽な」定義ではありません。
これって
「「定義」は定義じゃない」
と暗にいってるんだよね。暗ってわかる?
明らかでないから暗なんだよ。
まだわからんかね。言い換えると 「陽な定義でなければ定義に非ず」 という趣旨に読むと826は 823への返答として意味をなさない
>>836 >まだわからんかね。
まだ風呂のつもりで肥溜めにつかってるのかね?(w
なるほど 松本真吾=肥 ってことか うまいこというな
839 :
132人目の素数さん :2006/04/15(土) 01:32:26
age
松本和夫の数理論理学は売れ過ぎ(広まり過ぎ)だと思うのは私だけだろうか あの本の記法はどこへ行っても通じる標準的なものだとか 考えてる人が多すぎるような気がする H_qとかいきなり何の説明も無しに分かるものなのかなあ
他が品切れというのが、最大の元凶。
洋書だとPropositionalにPを使って、PredicateにQを使ってる場合があるから 洋書で入門すればおけ。
>>841 そもそも松本和夫の数理論理学を知らん。
記法のことしか口にできん人は大成しない
A or not A and B = A or B の良い覚え方を教えて下さい。
847 :
GiantLeaves ◆6fN.Sojv5w :2006/04/17(月) 15:40:30
talk:
>>846 a+((-a)*b)=1+a*b=a*b.
848 :
GiantLeaves ◆6fN.Sojv5w :2006/04/17(月) 15:41:13
talk:
>>847 a+((-a)*b)=1*(a+b)=a+b.
849 :
GiantLeaves ◆6fN.Sojv5w :2006/04/17(月) 15:41:43
talk:
>>846 a+((-a*b)=(a+(-a))*(a+b)=1*(a+b)=a+b.
158
614
460
853 :
132人目の素数さん :2006/07/13(木) 14:07:48
240 名前:KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/07/13(木) 13:56:29 人の脳を読む能力を悪用する奴を潰せ。
854 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/07/14(金) 09:53:58
人の脳を読む能力を悪用する奴を潰せ。
855 :
132人目の素数さん :2006/07/18(火) 11:14:19
ビィトゲンシュタインを読めば、わかります。
856 :
132人目の素数さん :2006/07/22(土) 17:56:44
数理論理学で定番のテキストは何ですか?
857 :
132人目の素数さん :2006/07/22(土) 18:49:56
カペロマンのサイドワインダー
>>856 論理学 野矢 茂樹
形式論理学 リチャード ジェフリー
論理学をつくる 戸田山 和久
タブローの方法による論理学入門 丹治 信春
別に定番と言うほどのこともない本だと思うけどね あるものを取り合えず並べたというか
>>859 みな哲学者の書いた本で、しかもタブロー法を取り扱ってるな。
>>861 構ってチャンの相手しなくてもよいのでは。
>>862 数学者の無能の弁解はしなくてもいいよ。
見苦しいから
はあ?
>>864 > はあ?
↑図星をつかれたが弁解できない人の心の叫び。
いやなんで数学者の無能とか意味不明な言葉が 脈絡もなく出て来るんだよ
868 :
132人目の素数さん :2006/07/26(水) 12:32:01
869 :
132人目の素数さん :2006/07/26(水) 15:48:48
数理論理学やりたいのになんでメコスジなんだよ!
>>863 レス内容から人物同定するほど読解力ないのに、なんでそんなアホなこと書くのかな。
まあ、要するにあんたはアホだw
ああ、Barwiseの"Handbook of Mathematical Logic"ね。 (Study in Logic & the Foundations of Mathematics)
613
874 :
132人目の素数さん :2006/08/20(日) 20:48:19
誰でもピカソに出た藁谷 敏晴さんってお茶の間ではかなり有名な 天才数学者になっちゃったけど、 この人って慶応の文学部卒なんだね。この人の研究はやっぱ哲学系なんですか?
>>874 うーん、藁谷 敏晴さんって、数学者なのか?
本業は科学哲学だと思ってたが。
ま、本人がそういうんなら、そうなんでしょう。
>慶応の文学部卒 ここは、ロジックではレベル高いよ。 岡田光弘氏とか照井一成氏とかも ここの出身でしょ。
固有強制法{シェラハ}の概要お願いします
606
東大出版のゲーデル本の二巻は10月か
997
今日本屋の数学書の棚を眺めてたら バーワイズとエチェメンディの論理学の教科書が売られてた。 いつの間に。 厚いけど、普通の数学書ほど内容が詰まっているわけではなくて、 言葉での説明にページ数が割かれていて、「論理学をつくる」とかと似た印象。 まあ著者が著者だからどことなくマニアックな雰囲気が漂ってるが。
>>881 「論理学の基礎と演習」(原題Language,Proof and Logic)ですな。
しかし1万円とは高い。
665
king
886 :
KingOfUniverse ◆667la1PjK2 :2006/12/21(木) 17:07:41
三年。
888 :
132人目の素数さん :2007/01/10(水) 04:51:46
講談社から出てる、ヴリグトの「論理分析哲学」を読んでるトコなんですが、 ブールの論理代数に関して、 xでないという表現を1−xと表してるんですが、これは当時の数学テクにあったんでしょうか? また、x~=xという条件をどこから導きだしたのかも気になります。
哲学板とマルチ
その本読まずにレスしますがBooleの時代からあるテクニックのはずです。 x~=x云々は本持ってないので知らん。
>>1 CS系いけ
死ぬほど記号論理学がやれるから
まずはλ calculusの勉強からな
892 :
132人目の素数さん :2007/02/05(月) 14:59:36
age
そしてCS系に逝ったら、今度は数学をちゃんとやるべきだと悟ることになる だから最初から数学科に逝けばよいのだ
奈良女子大の某先生のWeb pageに 「数理論理学を学ぶために最低限必要なセンス」として ・シンタックスとセマンティクスの区別と オブジェクトレベルとメタレベルの区別が区別できること が挙げてあるけど、これって結構難しいよね。
馬から落馬するくらい難しいかもね。
頭痛が痛いw
897 :
132人目の素数さん :2007/03/11(日) 17:52:54
ag
898 :
132人目の素数さん :2007/03/11(日) 19:41:16
>>890 ブルバキに載ってました。。。
自己解決しました。
900 :
132人目の素数さん :2007/04/10(火) 17:50:58
>>894 その先生なら、最低限のセンスしかないので
ツマラン研究しかできんという話だが。
901 :
うあhwww :2007/04/10(火) 18:48:26
だぁりんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん っだぁああ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああありん いろんなぁあああああ嗚呼あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ かくどから いみkjどwさふぁ
「連続体の数理哲学」沢口昭聿 ってこのスレ的には評価高い本なのですか?
無名の本だと思う。 それにそもそも数理哲学≠数理論理学だし、 今ではあまり数理哲学って言い方もしないだろうし。
数理哲学とかいうのはたいていヘーゲル経由
>>直観主義論理について勉強したい人 定評のあるのがNorth Hollandとかから出てるし、 LNMにも直観主義論理に関する巻がある。 まあまず手に入りやすいところで、 最初は「論理の哲学」の直観主義の解説を読んだり、 「情報科学における論理」の少々無味乾燥な解説でも読んだりするのが先決。 あとは章末巻末の文献を辿って行けば良い。 Logic and Structureは数理論理の入門書にしては 妙に直観主義について詳しいと思う。 著者の趣味(というか専門)もあるんだろう。
906 :
132人目の素数さん :2007/04/19(木) 02:05:34
>>875 彼のD論は数論だね
慶應休学してウィーン大学行って数学科を飛び級2年で
卒業してきたんじゃなかったかな
本人から直接聞いたわけじゃないんで本当かどうかわからないけどね
我々の業界じゃ彼を知らなかったらモグリもいいとこ
ま、業界自体が異常に狭いんだけどw
欧米でも知名度抜群だし、リスペクトしてる人本当に多いよ
本人くさいな
908 :
132人目の素数さん :2007/04/19(木) 02:34:47
数論というと、ここでは普通にリスペクトされるが…
>彼のD論は数論だね "Ontology as a Natural Extension of Predicate Calculus in which IS-A Relation is Expressible" これが数論の論文ですか。へー。 少なくとも数学者が「数論」と言ってイメージするような 「数論」でないことは確かだと思うけどねー。 専攻は一応経営工学ってことになってるね。 relevance logicとかparaconsistent logicとかを研究してるらしいから 記号論理であることは確かなんだろうけど、 東北とか筑波とかの数学科で研究されてるような 「論理学」とはあまり関係ないんじゃないかと思うんだけどなあ、
基礎論はうちでけっこうやってる人多い方だけどそれでも 数学科全体からしたらオプションみたいな扱いだな 情報系のとこならけっこうやってるのかな?
>>909 > "Ontology as a Natural Extension of Predicate Calculus in which IS-A Relation is Expressible"
「IS-A関係が表現できる、述語論理の自然な拡張であるオントロジー」
数論ではないな。
ここでOntologyを「存在論」ではなく「オントロジー」と訳したのは
オントロジー工学でいうそれと同じだと思ったから。
実際 検索したら、
http://www-ikn.ist.hokudai.ac.jp/sigfpai/past/fpai56.html IS-A関係の論理としてのオントロジー
東京工業大学 藁谷敏晴
なんてのもひっかかった。
912 :
132人目の素数さん :2007/04/19(木) 19:50:29
哲学の人は、こんなのを数論って言うの?
多分、そうなんだろう。
もっとも藁谷敏晴は数学者を自称してるけど。
>>906 がモグリ数学者であるという可能性は出来れば考えたくないが、さてw
>藁谷敏晴は数学者を自称してるけど。 オントロジーの話が、数学的でない、とはいわない。 もっとも普通は数学とはいわないが。 別に数学でないからつまらないとは思わない。 逆につまらない数学は沢山ある。
話が噛み合ってないぞ。 オントロジーが数論だということに突っ込んでるだけで、 そのオントロジーとやらがつまらないと言ってるわけではないと思うが・・・
そりゃ数学以外にも面白いことはたくさんあるんだから当たり前だ。
♪だから論理論理 甘い甘いメロディに酔わされて 論理論理 口ずさむ痛みのない洒落たストーリー♪
♪言葉に出来ないことは無理にしないことにした〜♪ おお、いかにも現代論理学っぽいぞ
そのむかし、哲学は理系だったからさ。その伝統だよ。
哲学系と理学系、どうしてここまで話がかみ合わなくなったのでしょうね。
ヒント:形而上学
こけおどしのヒントなんか要らんよ 説明せよと言われればできんくせに
455
さて、ゲーデルと20世紀の論理学全4巻が完結しましたが, なにかご意見は?
「論理学をつくる」の263ページ,練習問題80(2)(b)を この本の「公理系APL」をもちいて示そうと思ったんだけど なかなか上手くいかない。 249ページのD1,D2,D3を用いて含意で表記しなおして さらにあわよくばP→Q,Q→Pだけで記述しなおし これらをA,Bで表わせば簡単に示せるかも…と思ったのですが P∨Q,¬(P∧Q)はP→Q,Q→Pのみを代数的に用いても 表わせない。 なぜなら真理表の1,4行目がP→Q,Q→Pは同じになるのに P∨Q,¬(P∧Q)は違うんですよね。 (だからP→Q,Q→Pにどんな論理演算を実行しても 真理表の1,4行目でP∨Q,¬(P∧Q)の違いを表わせない) 地道にP,Qレベルでやるしかないが、私の武器は 森下の「知識と推論」35ページあたりでパクった A3の一番左の末項をゴールに当てはめて適当にMP2回で さかのぼるテクのみ…。 そんなわけでだれかかわりに御願いします。
>>926 問題がわからないから答えようがない。
例えば、「公理系APL」と普通の論理の公理系の等価性を証明して、
普通の論理でその問題を解いて「公理系APL」に「翻訳」するとか手段はあると思う。
藁谷さんて何ヶ国語できるんだ?
(2)Γ|-ndA,Γ|-nd¬Aなる論理式Aがあるとき、ΓをND矛盾していると言うことにする。
次のものがND矛盾していることを示せ。
(b) {P∨Q,¬(P∧Q),P?Q}
公理系APL
A1 A→(B→A)
A2 (A→(B→C))→((A→B)→(A→C))
A3 (¬B→¬A)→((¬B→A)→B)
R1 MP
ただしA,Bは図式文字とする
なおその他の論理定項は次のように定義する。
D1 A∧B =df ¬(A→¬B)
D2 A∨B =df ¬A→B
D3 A?B =df (A→B)∧(B→A)
…です。解答はΓ|-nd¬(P∧Q)とΓ|-ndP∧Qを自然演繹で示してたよ。
そっちは簡単。
(
>>926 の「A3の一番左の末項」は「一番右」の誤記)
>>929 の?のところは双条件法の記号が入るよ。(失敗した)
NDってnatural deductionの略で、この証明はNKで行っていいのかな。 andとかorを略記だと見做してるから多分良いんだろうね。だとすると P⇔Qより(P→Q)∧(Q→P) P∨Qより¬P→Q 排中律によりP∨¬P(証明略)かつP→Qかつ¬P→QだからQ。 QかつQ→PだからMPによってP。 ¬(P∧Q)より¬¬(P→¬Q)。二重否定除去によってP→¬Q。 PだからMPによって¬Q。Qかつ¬Qだから矛盾
932 :
132人目の素数さん :2007/08/17(金) 11:07:40
保守
>>925 各巻の表紙の色が、国電カラー
1 黄色(総武線)
2 橙色(中央線)
3 緑色(山手線)
4 青色(京浜東北線)
934 :
132人目の素数さん :2007/10/21(日) 04:05:28
国電って、もしかしてププ
E電
936 :
132人目の素数さん :2007/10/23(火) 09:44:42
↑何でそれを知ってる? おぬし、まさか・・・全部の駅暗唱できるだろ?
あたれー あたれ国電パーンーチー
939 :
132人目の素数さん :2007/10/24(水) 00:16:35
>>939 はかつて日本国有鉄道という公共事業体があったのを知らんらしい。
この調子では電電公社こと日本電信電話公社も知らんのだろう。
まあ、きっと今の赤ん坊たちは、郵政省を知らずに大人になるんだろうが。
そんな私も院電や省線は知らない。
知らないこと自体はいいんだけど 知らずに馬鹿にするのは駄目だな
国電と国鉄は違う。 国電とは国鉄時代の大都市圏近距離路線のことだ。
944 :
132人目の素数さん :2007/10/25(木) 01:21:04
なにこのスレ
947 :
132人目の素数さん :2007/10/25(木) 12:06:38
>>915 超カメレスではあるが、そのオントロジーって言うのは、
あのレスニェフスキーの「オントロジー」だってのは分かってるか?
948 :
132人目の素数さん :2007/10/25(木) 12:53:36
数理論理学っていうのは、同時代の数学の全体像が一通り分かって、 その上、数学史と数学思想史を一通り知ったうえでやるんじゃなければ、 「まともな」研究はできないんじゃないかと思うんだが、 この前提条件を満たすのは、超人でもなければ不可能に近いような気がする。
数学全部+数学基礎論+論理学全部+数学の哲学+哲学物理学史+数学史not=ぽも
951 :
132人目の素数さん :2007/10/25(木) 21:25:04
>>950 その前提条件満たさないで論理学研究してるやつって、
結局投げ込まれた餌に食いつくうなぎみたいに
バカでもできそうなテーマに群れを成して飛びついて、
隙間産業みたいな研究してほとんど誰も読まないような
論文書いてるだけでしょ。ひょっとしてあなたもその一人?w
952 :
132人目の素数さん :2007/10/25(木) 22:01:48
↑こいつ、頭おかしくなってるから、相手にしないように。
953 :
132人目の素数さん :2007/10/25(木) 22:16:09
要するに「数理論理学やってる奴はクズ」って言いたいだけだろ。 事実その通りかも知れんが、数理論理学を否定してもオヌシの価値が上がるわけじゃないから。
954 :
132人目の素数さん :2007/10/25(木) 22:38:43
そんなこと言ってねえだろが。 まあ、数理論理学でも何でもやっぱり、 クズ以上のモノになるのは大変だっつうことだ。
論理学に限らず、数学で超一流の研究をしたいなら、 数学の全体像を一通り分かった上でやらないといけないだろう。 全く数理論理学に限った話じゃないな。
数学で超一流と言いたいなら、数学だけでは足りない 数学の超一流は、最低限、物理学もマスターしている ペレルマンしかり
>>955 そういう数学者はいるのか? 多くの数学者が数学のなかの
さらに狭い分野を専門にしている専門畑だぞ。
958 :
132人目の素数さん :2007/10/26(金) 10:22:25
それはそれでいいんだが、数学基礎論とか数学論理学とかは やっぱり数学全体に対する見通しが必要なんじゃないだろうか。 それを欠いたまま、既存の基礎論なり論理学の研究の枝先に 自分の研究をぶら下げるんじゃ・・・。ま、実際には枝先まで 行くだけでも大変だろうけどな。
数学でもなんでも枝先なんて努力馬鹿がやること。 頭の切れる奴は根幹を開拓する。
文系っぽい言い草ですねw
>>948 数理論理学というのは、論理に対する数学的研究なのであって
論理によって数学を研究するものではない。
したがって「数学の全体像」とか「数学史」とか
「数学思想史」とかいうのは的外れである。
>>951 論理の研究では、一見とってもバカげているように見えることが
マジメに研究されていたりするが、後年こういうことが数学の思想の
”転換点”として大々的に語られたりするものである。
>>955 >数学の全体像
こういうことを口にする人の知っている数学は
せいぜい微積分どまりであり、複素解析の
留数解析なんて披露すると
「最先端の数学だ!」
と絶叫したりする。
ホンマかいな
「こういう人はこうだ!」とかいう偏見はいかんな
966 :
132人目の素数さん :2007/10/26(金) 19:09:33
まともな数学者で「数学の全体像」なんて言ってる奴は一人もいない。
>>965 >偏見はいかんな
こういう人は自分の「偏見のない見方」が
偏見そのものだとは決して認めない。
正義の人は残酷な極悪人というのは常識である。
ご都合主義で気持ち悪い宗教ですね
あー、眠む。
>>962 > 論理の研究では、一見とってもバカげているように見えることが
> マジメに研究されていたりするが、後年こういうことが数学の思想の
> ”転換点”として大々的に語られたりするものである。
例えばなによ?
単に「数学の全体像」とか言ってる人が 「数理論理学」に対して偏見持ってるだけじゃないの? たぶん一昔前の「数学基礎論」と全く同じニュアンスで語ってるでしょ?
971 :
132人目の素数さん :2007/10/27(土) 19:41:14
どういうこと? 「一昔前の数学基礎論」と「数理論理学」がどう違っていて、 それが「数学の全体像」とどう関係しているのか説明して?
一昔前の数学基礎論→ヒルベルトプログラムや無矛盾性や数学の基礎付け等の研究?
数理論理学→純粋な論理学の数学的研究や理論計算機科学みたいなのも結構ある
数学の全体像との関係→
>>970 じゃないから知らない
973 :
132人目の素数さん :2007/11/01(木) 22:15:04
久々に来たが
おまえら釣られすぎ
あげ足鳥に釣られすぎ
それと
>>940 は釣られやすいオッサンって事はわかった。
>あげ足鳥 ああ、フラミンゴかw
ほら。あげ足鳥 漢字変換が面倒なんだけどね
IMEで記号がまともに入力できないんですけど
「ろんり」で漢字変換してみ
論理
ゲーデルがダンサーだか飲み屋のねーちゃんだかと結婚したと聞いて 数学基礎論が嫌いになりますた
>>979 おぬし、飲み屋のねーちゃんに振られたのか?w
981 :
132人目の素数さん :2007/11/10(土) 16:17:00
アーレフが基礎論の研究所を作ればいいと思う
三年三百二十四日五時間十分。
>>981 アーレフより定説、定説連呼してた某電波教団の方がいいんじゃないのか?
>>979 てか、そんなカバー絵の論理学大衆啓蒙書が出ていたような気が、、、。
三年三百二十五日。
なんかHeyting algebraとかそういうのを解説した 論理学の薄い本が出てたけど(書名忘れた) 読んだ方、購入された方居ますか?
三年三百二十六日十六時間。
三年三百二十七日。