☆朝夕の娯楽★天声人語&素粒子。親の因果が52報い
1 :
文責・名無しさん:
「親の因果が52(子に)報い」
かつて存在した、見世物小屋の口上。
呼び込みの爺さんが「親の因果が子に報い、生まれ出たる不肖の子がこの蛇女!あな痛ましや、
蛇女が食らうのは生きた蛇。御代は見てからで結構だ。さあさ、入った入った」などといった口
上を述べていた。
人間ポンプ、生きた蛇を食うなどの奇芸を見せる他、畸形、障碍者をウシ女、タコ女といったお
どろおどろしいものに仕立てて見世物にしてもいた。
_,,,,,,_
/◎ _ヽ
l <@∀@)〜
/| /⌒ヽ/⌒ヽ/Oノ:_フ⊃
| .ソ ノ ノ ノ:_ノ
!、__入_入__ノU"U
「因果応報」といった仏教思想っぽく聞こえるが、ただの口上、煽り文句である。
朝日新聞のメインコラム、天声人語(朝刊)&素粒子(夕刊)を論じるスレです。
確認ソース(全文コピペは、各自の自己責任でおながいします)
http://www.asahi.com/paper/column.html 前スレ
☆朝夕の娯楽★天声人語&素粒子。麻生、出て51★
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1234204155/l50
2 :
文責・名無しさん:2009/07/30(木) 16:50:34 ID:z6km37Rz0
3 :
文責・名無しさん:2009/07/30(木) 16:51:03 ID:z6km37Rz0
4 :
文責・名無しさん:2009/07/30(木) 16:51:52 ID:z6km37Rz0
5 :
文責・名無しさん:2009/07/30(木) 16:52:22 ID:z6km37Rz0
【このスレの登場人物紹介】(1/3)
冨永格(ただし)、福島申二
2007年4月1日から天声人語担当。かわりばんこに天人書いてるよ。
-----
福島記者は主に社会部で多様なテーマの取材にあたり、編集委員も務めました。02年から3
年間はニューヨーク特派員としてイラク戦争前後の国連や米大統領選を報道しました。50歳。
冨永記者は経済部と外報部の取材経験が長く、2度のブリュッセル勤務で欧州統合の最前線を
伝えました。欧州には通算10年滞在し、04年から今年1月まではパリ支局長でした。50歳。
-----
愛称およびAA募集中。
駒野剛、真鍋弘樹
2009年4月1日から素粒子担当。現在、1ヶ月毎に筆者交代制。
-----
駒野記者は経済畑の取材経験が長く、論説委員として財政や税制、少子高齢化社会の目指すべ
き姿などで社説を書いてきました。50歳。
真鍋記者は、沖縄の米軍基地問題や格差にあえぐ若者の姿など広く社会問題を担当。3月まで
ニューヨーク特派員をつとめました。43歳。
-----
愛称およびAA募集中。
6 :
文責・名無しさん:2009/07/30(木) 16:53:04 ID:z6km37Rz0
【このスレの登場人物紹介】(2/3)
加藤明
2008年1月4日から素粒子担当。
/ー- 77年入社。社会部で長く取材にあたり、東京本社社会部次長、
/==ヽ i 週間朝日編集長などを務めた。
▲_▲/. |/ 2002W杯の韓国マンセー報道への指摘に「あまりにも貧相なナ
/|\(-@∀@) キョキョキョ ショナリズムだ」などと逆ギレした過去を持つ。
⌒⌒''(つ 朝 Φ_. 鳩山法相を「死に神」と揶揄する素粒子で大ブレイク。数日後の
▼~|\ .\三\[=]\ 素粒子で謝罪にもならない言い訳を書いて勝手に幕を引く無責
| .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 任っぷりで、読者に素粒子のなんたるかを強烈に印象付けた。
. \| 死神新聞 | 2009年3月31日で素粒子担当を降ろされた。
(※中傷する意図は全くありません)
AAは現在、社説スレのテンプレートとして大活躍中。
高橋郁夫 (通称イクー)
∧イク-ヘ 先代の素粒子担当であるタミー時代の天人2号を経て、
( -@∀@)ア 2004年4月から正式に天人責任筆者へ昇格した。
/ , 〈. 「どんぐり年金」ではブレイクが予感されたが、その後は
ヽ_,) _⌒;. ペダンチックな引用に終始し、2007年3月31日を以って
(,, ノ´ | ̄ ̄ ̄ 天人担当を退いた。
7 :
文責・名無しさん:2009/07/30(木) 16:53:35 ID:z6km37Rz0
【このスレの登場人物紹介】(3/3)
河谷史夫 (通称フミー)
゛丶从、, 人从 ,, 2002年12月から2007年12月まで素粒子担当。
,ヽ, ';, その独善と欺瞞と偏見に満ちた内容に加え
ヾ` ∧フミー∧: ,,'' 酔っ払いのクダマキのような下品な文体は止まるところを知らず、
ミヽ (∀..:;;;):: '' " 多数の住人をして「ぶん殴りたくなる」と言わしめたほど。
\ φ ...::;;;;;) "シ 浦安市のTDL成人式を「ネズミ踊り」と評したため、教育長から
ヾ .:| .:;;| .:;;|::. て 朝日新聞社社長宛に抗議文が送られたことは有名。
(ヽ (___::;i__::;i ( '' 安倍氏に最後まで悪口を浴びせながら担当を退いた。
小池民男 (通称タミー:故人)
┌──────┐
|┌────┐| 2001年4月〜2004年3月の先代天人責任筆者。
|| // || いかにも朝日的な中学生レベルの内容もさることながら
||.∧タミー∧.|| 一目でタミーとわかるヘタな文章やアクロバティックな展開、
||(@∀@∩ .|..| 自分にとって都合のいい文・言葉の部分的無断引用などを駆使し
||( ⊃ .ノ || 「ペットボトル原爆」に代表される多くの迷・珍コラムを世に遺した。
|└────┘| 06年4月執筆を続けたが食道癌のため、朝日新聞東京本社向かいの
└──────┘ 国立がんセンターにて死去。
深代惇郎 (故人)
┌──────┐
|┌────┐| 1973年2月〜1975年11月の天人担当。
|| //|| 筆者の意図が明確でわかりやすいストレートな表現が特徴で、
|| .∩深∩. || コラムニストとしての住人の評判は高い。
||( @∀@ )||
||( )|| タミー、イクーの駄文との比較のために、しばしば引き合いに出される。
|└────┘|
└──────┘
8 :
文責・名無しさん:2009/07/30(木) 16:54:23 ID:z6km37Rz0
三○三○ .______
三○∧_∧ 三○ |│\ \. テンプレここまでーーーーーーー!!
. (#@Д@) .|| | |.
┌三○三○三○||/ ̄ ̄ ̄/ .
| ヽ三○二二二」二二二二二|
スレタイ由来
693 名前: 文責・名無しさん [sage] 投稿日: 2009/07/08(水) 21:36:51 ID:B+G40WcR0
早いものでそろそろこのスレも終わりですね
次スレのタイトル案ですが、
親の因果が52(子に)報ゆ
でどうでしょうか?
このスレのスタートからの出来事で52が当てられそうなのは、某カルデロンだと思うので
http://www.asahi.com/national/update/0413/TKY200904130186.html -----
まあ、これも「親の因果」というのはちょっと違う気もするが。
支援者たちによってたかって祀り上げられさらし者になってしまった、という風に見ると、この
口上もあながち的外れではないかもしれん。
9 :
文責・名無しさん:2009/07/31(金) 09:57:04 ID:opINa1I30
天声人語 2009年7月31日(金)付
天体ショーの雲を恨み、暴れ梅雨に泣く。北の夏山には魔物が潜むと知った。どうにもならぬ
ことに唇をかみながら、希望の糸をまさぐる7月の言葉から。
風雨に邪魔された悪石島の皆既日食。でも、島民70人は来島者と交流を深めた。自治会長の
有川和則さん(57)は、日食で名が売れた島に観光客が万来する日を待つ。「今回見た顔をま
た見られたら、こんなうれしいことはないね」。
95年、東京都八王子市のスーパーで起きた女性3人射殺事件が、時効まで1年を切った。高
校生の娘を失った両親が談話。「時効という言葉を聞くたびに心を締め付けられます……私たち
家族にとっては、何年たとうとも、あの日から時間は止まったままです」。
「命のほうは延長16回くらいまで来ているのかなあ」。和歌山県の箕島高校を春夏4度の優
勝に導いた名将、尾藤公(ただし)さん(66)は、04年からがんと闘う。「命の延長戦に終
わりはない。この夏も高校野球から元気をもらいたい」。
ゴルフ全英オープンに挑み、予選落ちした石川遼選手(17)。「風にボールが負けたという
より、僕の基本的な姿勢というのがこの風にはかなわなかった」。かたや、米ツアーでの初優勝
を飾った宮里藍選手(24)は「緊張している自分を含めて、うまくコントロールできました」。
アポロ11号で人が月に到達して40年たった。12号で続いたアラン・ビーンさん(77)
は、画家として月の世界を描き続ける。「月に行った者にしか描けないスピリットを描いて、人
類は素晴らしいことができるんだと後世に伝えたい」
天声人語 2009年8月1日(土)付
冷夏の兆しに勢いづいたか、新型インフルエンザが収まらない。小さな救いは、感染の中心に
いる10代が一つ所に固まっていないことだろう。学校という苗床をしばし離れ、若い木はそれ
ぞれの枝を広げる。
過日、近所の桜並木で「親子さくら博士教室」があった。春の開花と秋の紅葉の幕あい、休ん
でいるように見える桜木を観察し、自然の営みに親しむ試みだ。小学生たちは古木に浮かんだヤ
ニやコケを触り、セミの抜け殻や黄金虫に大騒ぎだった。
ざっくり割れた木肌を黒アリがはい、木漏れ日が道に揺れる。役目を終え、早々と黄に染まっ
た葉もあった。説明役の樹木医によると、この時期の桜は太るのを中断し、次の春へと芽をつけ
始める。
子どもたちにとっても、来るべき開花に備えて多くの芽をつけるのが夏休みである。遠い日を
思えば、親や先生が教えてくれないことは山ほどあった。8月の過ごし方ひとつで世界は広がり、
人生序盤の選択が豊かになる。
大人への入り口は近づくかもしれない。法制審議会の部会が、成人とする年齢を20歳から18
歳に引き下げるのが適当、と結論づけたためだ。酒やたばこと違い、早くから社会に関心を持つ
のは悪くない。法改正の首尾にかかわらず、どうか賢く大人びてほしい。
背伸びして政治を「観察」するのに、今ほどの好機はない。各党は国民との約束を競い、政権
を争う。選挙権の使い道を問われる歴史の節目。いつか大人も子どもも、自分はどこで何をして
いたかと振り返る夏になろう。いつもと違う8月が始まった。
天声人語 2009年8月2日(日)付
留守中、故郷は早春から盛夏になった。137日と15時間の精勤を終え、地上の人に戻った
若田光一さん。日本の実験棟を完成させたほか、宇宙に長逗留(ながとうりゅう)する影響を調
べ、結果を体というカプセルで持ち帰った。
たわしのように伸びていた髪を整え、飛行士は「ハッチが開いて草の香りが入ってきた時、地
球に優しく迎えられた気がした」と語った。この惑星から長く離れた人だけにわかる「命の匂(に
お)い」である。足取りは確かでも、45日間のリハビリが待つ。
泳ぎ疲れて水から上がり、わが身を持て余した記憶がよみがえる。「立つ」とは重い頭や胴を
支えること、「歩く」とはそれらを支えたまま運ぶことだと知った。久々の重力は想像を絶する。
連続での宇宙滞在記録は、ロシアのワレリー・ポリャコフ氏が95年に達成した438日。火
星行きを想定した実験だった。生涯で2年近く付き合った無重量の状態を、氏は「自然が作った
最も柔らかいベッド」と表現した。離れて身にしむ寝心地に違いない。
医師だけに、宙に抱かれていると、血流や心臓弁の開閉までを探りとれたという。やはり自著
によると、長期滞在を通じてより人間的になり、なぜか宇宙に関する夢をパタリと見なくなった
そうだ。夢が現実になった証しだろう。
「宇宙から国境は見えない」。92年に飛んだ毛利衛さんの至言だ。若田さんがカメラの前で
実証した通り、無重量の下では水と油も仲良く混ざる。優しい星の上で人類がそうなる日をふと
思う。世界平和の夢、だれも見なくなる時代を引き寄せたい。
天声人語 2009年8月3日(月)付
待っていた坊やが今年もやってきた。とは言っても人間ではない。わが家の鉢植えミカンに姿
を現した柚子坊(ゆずぼう)のことだ。葉っぱと見まがう保護色も鮮やかな、アゲハチョウの幼
虫をそう呼ぶ。
芋虫、と聞いただけで総毛立つ人もいる。蝶(ちょう)よ花よの成虫にくらべ、幼虫の人気は
散々だ。その芋虫も、柚子坊と呼べば愛らしい赤子のように思われてくる。わが柚子坊は、すで
に葉を何枚もむさぼり、健康優良児よろしく丸々と肥えている。
柚子坊が1匹育つのに、何十枚も葉を食べるそうだ。何年か前に、1本だけだったミカンが派
手にやられた。そこでユズやハッサクを増やした。今なら5、6匹は養える。それでも果実は育
つから、収穫の楽しみもある。
〈二つ折りの恋文が、花の番地を捜している〉と蝶をなぞらえたのは、『博物誌』のルナール
だった。のどかな春の蝶のイメージだろう。片や炎天に影を落として舞う夏のアゲハは、身を焼
くかのように情熱的で美しい。
わけても日盛りの黒アゲハは神秘的だ。その姿を、宙を舞う喪章にたとえた人もあった。幽明
の境をひらひら飛ぶ。そんな想像だろうか。精霊の戻り来るお盆の頃にふさわしい、飛翔の姿か
もしれない。
さて、わが柚子坊である。羽化まで今しばらく、鳥たちから逃れなくてはならない。あの大き
な目玉の模様は敵を威嚇するためにあるらしい。それを見て徳川夢声は「団十郎のような立派な
目」と驚いたそうだ。武運つたなく餌食(えじき)にならぬよう、名優の威にあやからせたい。
案じつつ願いつつ、夏の日がゆく。
天声人語 2009年8月4日(火)付
ふんどしの上に水泳パンツを重ねて世界記録を連発した人である。古橋広之進さんは「水着争
い」に冷ややかだった。客死の地となったローマの世界選手権を境に、高速水着に歯止めがかか
るかもしれない。トビウオ80歳の遺言にも思える。
食べるのが精いっぱいの戦後、日大水泳部の主食はスイトン、マメカス、トウモロコシで、コ
メは1升を30人分のおかゆにした。交代で農家を回り、買い出したイモの半分を闇市でさばい
てやりくりしたという。
戦中、防火用水に使われたプールの水は濁り、藻がわいていた。敗戦で打ちひしがれ、飢える
国民はスポーツどころではない。だからこそ皆、古橋さんの快挙に歓喜し、勇気づけられた。
1949(昭和24)年に招かれた全米選手権。占領軍を率いるマッカーサー元帥は「徹底的
にやっつけろ。それがアメリカ人への礼儀だ」と励ました。圧巻は初日の1500メートル自由
形予選だった。A組で僚友の橋爪四郎さんが世界新を出す。30分後、B組の古橋さんはそれを
17秒近く縮めてみせた。
「日本のプールは短い」「時計がのろい」といった陰口は消え、反日感情が尾を引くロサンゼ
ルスの空気は一変した。当人は「フェアな一面に接し、私たちも彼らに対する認識を大いに改め
た」と回顧している。
同じ年、日本は湯川秀樹博士のノーベル賞にもわいた。スポーツで科学で、再び世界と競える
喜び、分かり合う幸せ。国際社会復帰への自信は、経済大国へと引き継がれる。裸一貫での再出
発にふさわしい、時代が欲したヒーローだった。
天声人語 2009年8月5日(水)付
この時期に曇天が続くと、どうにも落ち着かない。五感に染み込んだ日本の8月といえば、青
空、蝉(せみ)しぐれ、かき氷。そこにはいつも、追憶の香煙が薄くたなびく。
「八月の空がまぶしく、かつ青ければ青いほど、なぜか戦争への思いが深まります。八月の空
と海。父の愛した空と海が、ともに青く澄みつづけるように、二度と惨劇の舞台にならないよう
に、と願うばかりです」。
『城山三郎が娘に語った戦争』(朝日文庫)で、亡き作家の次女井上紀子さんはそう記す。皇
国を信じ、裏切られた。海軍体験に根ざした城山さんの反戦思想は筋金入りで、とりわけ非道の
極み、自爆攻撃の特攻を憎んだ。
沖縄の海に散った22歳の慶大生が、出撃前夜にしたためた一文から引く。「権力主義の国家
は一時的に隆盛であらうとも必ずや最後には破れることは明白な事実です……明日は自由主義者
が一人この世から去つていきます。彼の後ろ姿は寂しいですが、心中満足でいつぱいです」。
死を前にこれほどを書き残せる若い知性が、何千何万と理不尽な最期を強いられた。この遺書
を著作で紹介した保阪正康さんは、「日本の戦時指導者への最大の告発のように思えてならない」
と断じている。
忘れてならない魂の叫びは、世界に散らばる。『アンネの日記』が先日、人類が残すべき史料
としてユネスコの記録遺産「世界の記憶」に登録された。そのユダヤ人少女が、隠れ家から強制
収容所へと連行されたのは65年前のきのうだった。国を問わず、有名無名の生を記憶に刻み直
す夏である。
15 :
文責・名無しさん:2009/08/05(水) 20:20:28 ID:2Scm+wcK0
今日の素粒子が酷かった
天声人語 2009年8月6日(木)付
使ってしまった国の大統領が廃絶を口にし、隣国の独裁者が実験を重ねる核兵器。かすかな希
望と、空恐ろしい現実のはざまで、広島原爆の日を迎えた。あの時生まれた命は64歳になるの
に、人類の歩みの、なんと遅いことか。
原爆の夜に交錯した生と死。詩人、栗原貞子さんの代表作「生ましめんかな」は、地下室での
出産劇を描いた。4年前に没した詩人宅から、未発表の86編が見つかったという。「こえ」は
こう始まる。
〈その日、生きのこった人々は/いろとりどりの夏の花と/線香をその前に供え/あの日の悲
しみをつみ重ねるように/花と線香の山をつくった。/焙(あぶ)るような光のなかで/香煙は
碑をつつみ/人らは目をとじてぬかずいた……〉。
モノクロの風景として、1955(昭和30)年の原爆忌が残る。平和公園は立ち退き前の民
家で雑然とし、まさに焙る光の中、ひしめく参列者の頭上を煙が流れる。地元の写真家明田弘司
(あけだ・こうし)さん(86)による一枚だ。
近刊の写真集『百二十八枚の広島』(南々社)で、悲憤だけではない被爆地を知った。50年
代を中心に、他の焦土と同じか、それ以上の力強さで復興していく街がそこにある。原爆ドーム
前に現れたお好み焼き屋、被爆瓦を観光客に売る露店。まずは生きなければならない。
街は戻り、新たな命が平和の時を生きる。だが、戻らぬ時と帰らざるものを語り継ぐ人たちは
老いていく。一瞬で、あるいは長い苦しみの果てに消えた命たちに、そろそろ報いたい。利いた
ふうな現実論は、核廃絶への歩みを鈍らせるだけだ。
----------
「利いたふうな現実論」という表現は、新しいな。
天人子、御論は「理想論」だと考えているのか、それとも「正しい現実論」だと考えているのか。
天声人語 2009年8月7日(金)付
裁判所の中は自由に撮影できないため、法廷スケッチという芸術が生まれた。法廷画家たちは
大衆の興味に応え、裁かれる者をアップで描くのが常だ。彼らが、匿名の一般人にこれほど筆を
走らせたことはない。
東京地裁で開かれた初の裁判員裁判。小紙にも連日、いけだまなぶ氏の達者なイラストが載っ
た。番号で呼ばれ、絵で歴史に刻まれた裁判員たちは、懸命に大役を果たしたように見える。
初日のくじ引きには、呼び出された49人のうち47人が集まった。法廷で初めて口を開いた
のは白ブラウスの4番。歴史的な質問は「えーと」で始まり、証言と調書の違いを問う真っ当な
内容だった。被告には6人全員が質問し、判決後の会見にも応じた。
近隣トラブルの殺人は事実関係に大きな争いがなく、殺意のほどが問われた。検察官や弁護士
は、ちんぷんかんぷんの「裁判語」を封印し、主張の売り込みに努めた。
途中、3番の女性が風邪で欠け、男性が7番で補充された。さほど複雑でない事件、きちんと
協力する市民、さらにはハプニングまで、裁判所が教科書に載せたくなるような首尾である。
とはいえ、重い罪を軽く裁けるものではない。素人だからこそ、裁判員はあいまいな証言に困
惑し、遺族や被告の肉声に揺れた。「仕事とは違う疲れ方でした」と吐露したのは6番の男性だ。
ぼかした法廷スケッチとは裏腹に、言い渡す刑が重いほど、自ら裁いた記憶は深く残ろう。
裁判に市民感覚を採り入れる試みが始動した。整然と、しかし「X番さん」の苦悶(くもん)
を予感させて。
天声人語 2009年8月8日(土)付
どんなに天候不順の夏でも、立秋あたりから必ず熱くなる地がある。きょう高校野球が始まる
甲子園だ。地方大会に参加した約4千校のほとんどが姿を消し、わずかに49校が夢の途上にあ
る。
夢を追う少年がいて、少年に夢を託す大人がいる。球児の3年間を預かる監督たちである。毎
夏、名将の采配や談話を楽しみにしているファンも多いだろう。今大会の名物監督といえば、常
総学院(茨城)を率いる木内幸男さんの笑顔がまず浮かぶ。
大舞台で選手の力を縦横に引き出す「木内マジック」。使い手も78歳になった。「甲子園で
校歌を1回聴かせてやると、2回、3回と聴くチャンスが出てくるものです」とテレビで語って
いた。手品師、なお現役である。
木内さんの常総は03年、ダルビッシュ有投手(現日本ハム)を擁する東北(宮城)を倒して
優勝した。東北の監督だった若生(わこう)正広さんはこの夏、強打の九州国際大付(福岡)を
連れてきた。甲子園の神様は何を考えたか、開幕戦で両監督が再び相まみえる。
「ひとつは夢を持てること、もうひとつはきちんと挫折を経験できること」。高校野球の素晴
らしさをこう説いたのは野球解説者の江川卓さんだ。怪物と騒がれながら、自らの押し出し四球
で最後の夏が終わった。敗れたことで、大学野球で頂点に立つ意欲がわいてきたという。
最強の1校を除き、白球の夢はもれなく負けで終わる。それはしかし、新たな夢の始まりでも
ある。巡り合わせの妙、勝ち抜き戦ゆえの非情が球趣を盛り上げ、甲子園の温度計は裏切らない。
天声人語 2009年8月9日(日)付
車いすに座った小幡悦子さん(80)の足は「くの字」に曲がり、えぐれた太ももは引きつっ
ている。64年前のきょう、爆心から1キロで被爆した。辛うじて生き延びたが、原爆は容赦の
ない爪跡(つめあと)を体に残した。
昨年、朝日新聞長崎総局の取材を受けた。ためらいながら「足の写真を撮らせてほしい」と頼
む記者に、小幡さんはうなずいた。「この足が原爆だから……。私が伝えられるのは足だけだか
らね」。つらく、重い言葉である。
小紙の長崎県版で、若い記者たちが去年の夏から、毎日欠かさず被爆者の聞き書きを載せてい
る。それをまとめた『ナガサキノート』(朝日文庫)を読んだ。語られる事実に圧倒され、そし
て鍛えられる記者の姿が、記事の向こうに透けて見える。
自分たちは何も知らないのではないか、が出発点だった。原爆忌が過ぎると潮が引いたように
なる報道への自省もこめた。「あの日から苦しみは一日も止(や)んだことはない」。それが取
材を通して得た実感の一つだという。
広島で被爆した政治学者の丸山真男が、かつて語っていた。「今日に至っても原爆症患者が生
まれつつある、長期患者が死んでいる……いわば毎日原爆が落ちているんじゃないか」と。その
現実は今も変わっていない。
丸山はまた、これまでに語られたことは実際に起きたことの何十万分の一ではないか、とも言っ
ていた。語られたことを胸に刻みつつ、長崎で広島で「黙されたこと」のいかばかりかに思いを
致したい。核兵器の残虐が、膨大な沈黙への想像からも浮かび上がってくる。
天声人語 2009年8月10日(月)付
〈好きなもの イチゴ珈琲花美人 懐手して宇宙見物〉と言った物理学の寺田寅彦が、病気で
コーヒーを1年以上飲めなかったことがある。久しぶりに味わうと、カフェインのためだろう、
まわりの様子が違って見えた。
なぜか愉快で仕方なく、世の中が祝福と希望に輝いて見えた。気がつくと手にじっとり脂汗を
握っていたそうだ。「人間というものはわずかな薬物によって支配されるあわれな存在である」
と、科学者らしい随想を残している(「コーヒー哲学序説」)。
嗜好品でそれだから、覚せい剤の支配力は計り知れない。この人も「あわれな存在」だったの
か、タレントの酒井法子容疑者(38)が覚せい剤所持の疑いで逮捕された。清楚な花が、くた
りと散った印象である。
〈失跡を逃亡にする逮捕状〉と昨日の朝日川柳にあった。さらに潜伏だの出頭だのという言葉
にまみれて、偶像(アイドル)は堕ちた。裁判員制度の広報映画で主役を演じてもいた。だが事
件がこのまま進めば、彼女が座るのは被告人席ということになる。
近年、覚せい剤を「スピード」や「S」などと軽く呼ぶそうだ。背徳的な注射ではなく、あぶっ
て煙をストローで吸う。罪悪感を弱める錯覚の魔手に、からめ取られる人が少なくない。
10年ほど前、ある芸能人が覚せい剤で逮捕された。裁判で、「捕まってよかった。これでや
り直しがきく」と述べていたのが記憶に残る。何度もやめようとしたが出来なかったのだという。
この薬物の恐ろしさである。酒井容疑者の胸にいま、何が去来しているのだろうか。
----------
引用に寺田寅彦をもってくるあたりは、面白い。
「堕ちた偶像(アイドル)」という表現は、ありきたりだ。
内容はちょっと散漫な感じ。覚醒剤雑感、といったところ。
天声人語 2009年8月11日(火)付
山登りをしていた昔、よくラジオの気象情報を聞いて天気図をつくった。多くの観測地点から
届くデータを図に落とし、等圧線を書き込んでいく。長い夏山登山では、デンと構えて好天をも
たらす太平洋高気圧が頼もしく見えたものだ。
その夏の主役が、今年は調子を上げてこない。東京は夏らしく晴れる日がない。東北は梅雨明
けの発表もなく立秋となった。日照が足りず農作物にも影響が出ている。低迷する4番打者を見
るような、もどかしさが募る。
そこへ台風の接近である。きのう、通勤途上に仰いだ空は墨を流したように暗く、大粒の雨が
銀の矢となって降りしぶいた。兵庫や岡山県では10人以上が亡くなり、行方の分からない人も
いる。被害は東日本にも広がっている。
お天気博士の倉嶋厚さんが、「人間は大気の海の底に住む海底動物」だと書いていた(『暮ら
しの気象学』)。言い得て妙である。大気中の自然の営みが、炎暑や寒波、豪雨や竜巻などとなっ
て、人の住む「海底」におりてくる。
たとえば、しとしと降る雨は、毎秒数センチというゆるい上昇気流がつくる雲から落ちてくる。
だが集中豪雨は、毎秒数メートルもの激しい上昇気流が水蒸気を運びあげて、叩(たた)くよう
に降る。「4番打者の低迷」にしても、大気の営みを変える力は人間にはない。
「60年住んでいて初めて」と驚く被災地の声をテレビが報じていた。乱調の夏に、きのうま
での無事が今日の安全を保証してくれないことを肝に銘じたい。自然のサイクルもまた、人間の
時間をはるかに超えて長大である。
----------
お天気話に興が乗る天人子。筆が踊る々々。
巨大な自然とちっぽけな人類、という構図は、この天人子の大のお気に入り。
あと電波ゆんゆんなのは15日かな
天声人語 2009年8月12日(水)付
この世界のことを「天地」と書いて「あめつち」と読む。そこからの連想だろうか、古くには
「天地の袋」という縁起物があって、女子が新春を祝って作ったそうだ。幸福を中に入れて逃が
さぬようにと、上も下も縫い合わせたという。
天地のはざまに人は住み、世界には多彩な幸がある。一方で、あれやこれやの災いも多い。「天
変地異」はその最たるものだ。台風という天変を心配して床に就いたら、朝早くに地異で跳び起
きた。「すわ東海地震か」と肝をつぶした人も多かったのではないか。
駿河湾を震源とする地震は、静岡県を中心に広い地域を襲った。台風が来ているからと遠慮す
ることなく、雨にゆるむ国土を最大震度6弱で揺さぶった。東名高速道の路肩がざっくりとえぐ
られた。
きのうの小欄は天変について書いた。空の変調もときに急激で、たとえば「三杯雷」という言
葉がある。雷鳴を聞くと飯を三杯食べる間に土砂降りになる。そんな戒めだという。だが地震に
はその間もない。常に背後からの辻斬(つじぎ)りさながらだ。
おとといの小欄に引いた寺田寅彦は、防災の大切さを説く警世家でもあった。日本の自然には
「慈母の愛」と「厳父の厳しさ」があると述べ、愛に甘えて厳を忘れると痛い目に遭うと警告を
残している。
天変も地異も、はるか太古からの地球の営みだ。きのうの揺れは東海地震の前兆ではないよう
だが油断はならない。天地のはざまに間借りするわれわれ次第で、被害は増えも減りもする。怠っ
てはいないかという、厳父からの忠告かもしれない。
天声人語 2009年8月13日(木)付
きのうは「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子が生まれた日だったと気づき、その叔父の
淡谷悠蔵の逸話をふと思い出した。農民運動に携わり、青森県から選出されて社会党の衆院議員
をつとめた人である。
昭和30年代の半ばのこと、池田勇人首相が、かの所得倍増計画を打ち上げた。国会で説く池
田に、淡谷は「所得倍増の中には農民も入っているのか」と迫った。短い質問は池田を絶句させ、
淡谷は大いに名を上げたそうだ。
「淡谷の農民算数が池田の高等数学に勝った」などと新聞が書き立てたと、作家の吉武輝子さん
が『ブルースの女王・淡谷のり子』に書いている。日本の農業はその後、高度経済成長と行き交
うように衰退していく。そして今や、食料の自給率は4割前後を低迷する。
その農業をめぐる政策が、きたる総選挙の大きな争点になっている。民主党は農家への戸別所
得補償を打ち出した。自民党も所得の増加を第一にうたい、盛りだくさんの支援策を掲げている。
淡谷が聞いたら喜ぶだろうか、それともバラマキだと叱(しか)るだろうか。
農業、とりわけ米はもともと政治的利害に左右されやすい「政治作物」だったという。だが最
近は、その場の政局に振り回される「政局作物」になったと、東大名誉教授の佐伯尚美さんが小
紙で語っていた。定見と展望を欠く政治への叱咤(しった)だとお見受けした。
青い稲が美しくそよぐ季節である。各党の公約はよもや、青田を「票田」としか見ない甘言で
はあるまい。じっくりと吟味して「日本の食」の将来を託すことにする。
天声人語 2009年8月14日(金)付
じりじりと地を灼(や)く、炎暑に似合う花を思い描いてみる。夾(きょう)竹桃(ちくと
う)、向日葵(ひまわり)、さらに百日紅(さるすべり)といったところか。それら夏の花々を
アゲハ蝶(ちょう)がまつわり飛ぶ図には、どこか艶(なま)めかしい趣がある。
そのアゲハの幼虫、柚子坊(ゆずぼう)のことを先日書いたら、思いのほか多くの便りをいた
だいた。「緑濃き下蔭(したかげ)を舞ひ黒揚羽(あげは)〈危険な関係〉を愉(たの)しむご
とし」と、東京の篠塚純子さんはかつて詠んだ歌を送ってくださった。庭では毎年、アゲハが生
まれるそうだ。
仙台の池沢祐子さんからは、羽化した黒アゲハの美しい写真が届いた。庭木の柚子坊が次々に
鳥に食べられるのを見かね、5匹を網の中へかくまってユズの葉を与えたそうだ。育った蝶は外
へ放したという。嫌われがちな柚子坊も、やさしさに感謝だろう。
便りは女性からが大半だった。昆虫といえば少年の専売のようだが、王朝文学の「虫めづる姫
君」のDNAが連綿と流れているのだろうか。とはいっても、客観写生を説いた俳人の虚子に〈命
かけて芋虫憎む女かな〉の一句もあるから、世の柚子坊よ、油断は禁物かもしれぬ。
わが家の鉢植えミカンの柚子坊は、鳥の目をかいくぐってサナギになり、地震で揺れた朝に羽
化した。黒地に黄色のナミアゲハだった。ナミは「並」。ありふれたゆえのやや失敬な名だが、
蝶のあずかり知らぬことである。
柚子坊を育て上げた木は葉がだいぶやられた。ピンポン球ほどの青い実を涼しげにぶら下げて、
ひと仕事を終えた風情で日を浴びている。寒くなれば色づいて、かくて季節はめぐっていく。
天声人語 2009年8月15日(土)付
人はだれも名前を持ち、どの死者にもその名で営まれた人生がある。おびただしい犠牲を出し
たシベリア抑留から生還した詩人の石原吉郎は、「死においてただ員数であるとき、それは絶望
そのものだ」と書き残した。
「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなくてはならない」と述べ、大量殺戮(さつ
りく)を「数の恐怖」としてのみとらえることは許されない、と記した。酷寒と重労働のソ連の
強制収容所で、名もない無残な死を見た者の、怒りと鎮魂の筆だったに違いない。
同じ思いを、新潟県に住む元抑留者の村山常雄さん(83)は行動に移した。死亡した日本人
のうち4万6300人分の名前を、11年かけて調べ、まとめた。すべてを載せて一昨年に自費
出版した『シベリアに逝きし人々を刻す』は重さが2キロにおよぶ。まさに「紙の碑(いしぶみ)」
である。
様々な資料を突き合わせて、ロシア側資料の奇妙な名も丹念に特定していった。たとえば「コ
チ・カショニチ」は「幸地亀吉」と分かった。名前とともに生年や死亡日、埋葬地も明らかになっ
ていった。
どれだけ意味のあることか、と思ったりもしたという。だが、やめられなかった。「無名にさ
れることは存在の否定です。その恥辱で人間をおとしめたのが戦争であり、抑留でした」と村山
さんは振り返る。
8月15日がまためぐってきた。幾多の命が「員数」として果てた戦争の罪深さをあらためて
思う。遠ざかる過去だが、今日ぐらいは引き戻したい。生者にせよ死者にせよ、昭和を終わらせ
られない人が、まだ少なくはない。
27 :
文責・名無しさん:2009/08/15(土) 15:38:24 ID:2cIKKSoe0
素粒子 2009年8月13日(木)
「民主党との一番の違いは責任力」。
なるほどそうですか。
◎
さて責任力とは?
2代続けて政権を放り出したこととか。
◎
国際会議に出張して、もうろう会見して
最近断酒宣言とか。
◎
郵政解散時の総務相が
「民営化に賛成じゃなかった」とか。
◎
何だか分からない。
せめて有権者は責任力をしっかり行使。
-------------
政局第一で国政を混乱させ続けた
民主党の無責任さにはまったく触れず。
28 :
文責・名無しさん:2009/08/15(土) 21:06:28 ID:OAMR5EU7P
素粒子やってると、
誰の文も粗暴になってきてないかな
天声人語 2009年8月16日(日)付
東京で土日が続けて晴れたら3カ月ぶりという。全国の予報でも晴れマークが「安定多数」を
占め、ようやくの夏である。月遅れの商機を逃すまいと、うなぎ屋の換気扇が盛んに白煙を噴き
出していた。
2度あった土用の丑(うし)の日に、スーパーのかば焼きを食した。まず一匹490円の台湾
産、「二の丑」は3倍の値の愛知産。国内の養殖ブランドがおいしいのは当然として、輸入の品
もいけた。
食通が舌で書いたうなぎを味読すると、丑の日が何度あっても足りなくなる。作家の吉田健一
は白焼きの茶漬けを推した。上等な吸い物のように、魚の味が海苔(のり)と山葵(わさび)に
溶け合い、「海とも山とも付かない境地」と記す。天然物だろう。
養殖と天然、実は兄弟姉妹の関係にある。南海で生まれた幼生はふらふらと潮に乗って北上す
る。ようじほどの稚魚は、沿岸で捕まれば養殖池に送られ、川を上ればやがて天然物と貴ばれる。
何年かを生き延びた成魚は産卵のため再び海へ。「海とも山とも付かない」一生である。
うなぎの養殖史は130年になるそうだ。沿岸にやって来る稚魚の量は70年代の1割ほどに
減り、卵から育てる「完全養殖」が待たれる。ところが、産卵前後の様子がわからない。産卵場
らしいマリアナ諸島沖で親を捕獲したものの、幼生の餌など謎は多い。
かば焼きは養殖を頼り、養殖はその起点を自然界に頼る。子が育つ海、将来の親がすむ川、両
者が行き交う河口付近が健やかでないと幻の魚になりかねない。夏の味覚は案外もろい皿の上に
あると、心して味わいたい。
天声人語 2009年8月18日(火)付
「21歳。極致の数字をまだまだ縮めそうな、おそるべき雷光である」と、奇(く)しくも去
年のきょう、小欄に書いた。雷光とは、北京五輪の男子100メートルを疾走したジャマイカの
ボルト選手である。
その稲妻が、1年ののちに再び駆け抜けた。ベルリンの世界陸上で出した9秒58は、途方も
ない世界新記録だという。2位になったライバル、ゲイ選手(米国)の談話がいい。「人間がこん
なに速く走れることがわかった。残念ながら私じゃなかったが」。脱帽、ということだろう。
北京では快挙の半面、世界を残念がらせた。勝ちを確信したのか両手を広げて減速してしまっ
たからだ。今度はゴールまで真剣だった。敗れた選手は、わずかな差が、千里を隔てたように遠
く思われたに違いない。
国際陸上競技連盟ができた1912年、世界記録は10秒6だった。以来、人類は1世紀をか
けて1秒余を縮めてきた。「たった」と思うか、「よくぞ」と見るか。ならせば年に約0.01
秒。ともあれ、水滴が石をうがつような努力の賜(たまもの)だろう。
人類最速への興味は、車がどれだけ速くても薄れない。一編の詩が思い浮かぶ。〈ふくらはぎ
優しいなまえ 円柱のようにふくらみ静かだ その下のくるぶし 硬い果実のように丸い対偶
夢が仕掛けてあるのだ……〉(「走る人」沢口信治)。最速とは、人体の能力への、最も素朴な
憧(あこが)れかもしれない。
次なる目標は9秒台の前半ということか。専門家によれば可能性はあるそうだ。人類未体験の
領域に突き進む、「夢の仕掛けられた足」である。
実家帰って久々に朝日読む日々だけど、素粒子の下劣さに読者は閉口しないんだろうか
ウヨサヨ以前に品やウィットの欠片も無い2chの放言レベル
クオリティペーパーの名が泣くと一読者の俺の目ですら腐る思いなんだけど
どうせ夕刊だからもうほったらかしなのかな
天声人語 2009年8月19日(水)付
国や民族の苦難の歴史が、ひとりの政治家の人生に深々と刻まれることがある。元韓国大統領
の金大中氏は、まぎれもなくそうした人だった。「波瀾(はらん)万丈」という言葉さえ軽く響
く85年の生涯を、きのう静かに閉じた。
日本の統治時代に朝鮮半島南部の島で生まれた。以来、死刑判決などで5度にわたって殺され
かけたという。6年を獄中で過ごし、40年もの間、軟禁と亡命と監視の中で生きてきた。その
来し方は、平和と民主主義に守られて暮らす者の想像を超える。
3度目に死に直面したのが、1973年に東京で起きた「金大中事件」だった。白昼のホテル
から韓国の情報機関に拉致され、5日後にソウルの路上に放り出された。軍政下の不気味な事件
として、その名を日本人の記憶に刻むことになった。
大きな功績は、独裁体制を終わらせ、民主主義の定着に尽くしたことだろう。98年には勝ち
得た民主主義の下で大統領になる。やはり政治犯から大統領に就いた南アフリカのマンデラ氏と
並び称され、ノーベル賞にも輝いた。
筋金の入ったその生き方に、「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である」
という欧州の古い言葉が重なり合う。圧政の中で人生に刻まれた幾多の傷は、闘いを挑んだ向こ
う傷として、今では誇らしい勲章に違いない。
愛妻家でも知られ、「私は生涯を通じて異性を本当に愛したことがない人には魅力を感じない」
と述べていた。巨星は墜(お)ちたが、生まれたばかりの雲になって、分断された民族の行方を
見守っていることだろう。
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えらくまた、持ち上げたものだ。
天声人語 2009年8月20日(木)付
さすがはエスプリの国と言うべきか、フランスに『楽天家用小辞典』なる書物があると仏文学
の河盛好蔵が書いている。かつて小欄でふれたが、様々な事柄を皮肉たっぷりに定義していて、
たとえば「約束」は「選挙のときに使われる小銭」となる。
さらに、「漠然とした約束は拒絶の最も丁寧な形式である」「約束を守らない人間にもあまり
厳しくしてはならない。彼らは希望の種をまく人だから」とワサビをきかす。選挙に向けた各党
のマニフェストを眺めていて思い出した。
民主党は「高校授業料の無償化」や「子ども手当」「高速道路の無料化」などを打ち上げた。
待ち望む人はいるだろうが、実を結ばせる財源は大丈夫か。辞典のように寛容にならず、ここは
ひとつ厳しい吟味が必要だ。
片や自民党は、「10年で家庭の所得を100万円増やす」を売りの一つにする。おいしそう
だが漠然としてはいないか。かつて「この程度の約束を守らないことは大したことではない」と
言った某元首相の声が、どこからか聞こえてくる人もいるだろう。
英国が発祥のマニフェストが日本に紹介されたのは、実は古い。119年前の第1回衆院選の
際に「選挙檄文(げきぶん)」と翻訳されたそうだ。「檄」には主張を広く知らせ、決起を促す
意味がある。
「投票用紙で武装して、蜂起する日が近づいてきた」と豪州在住の作家、森巣博さんが小紙に
寄せていた。歴史的とされる選挙。蜂起までに公約の虚と実、真と偽をとくと見定めるとしよう。
かつがれました、では子孫(こまご)の将来にも申し訳がない。
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小話、公約、檄文。色々と書いた挙句、締めの段落は森巣氏のお言葉。
なんとも、朝日新聞らしい。
>>33 評価基準をまぜごぜにしてしまうと、パッと見はそれでよいように見えるかもしれないけど、って話だな
天声人語 2009年8月21日(金)付
歳時記をめくると、病気にも季節がある。夏ならコレラ、暑気あたり、赤痢……。「鬼の霍乱
(かくらん)」の霍乱は、今なら食中毒や日射病のことらしい。夏風邪もあるが影は薄い。風邪
や流感のたぐいは、やはり木枯らしの季節でないと実感がわかないようだ。
そんな日本人の油断を、邪悪なウイルスが虎視眈々(こしたんたん)と突いてきたようにも見
える。新型のインフルエンザが、「本格的な流行が始まったと考えていい」(舛添厚労相)勢い
で広がりだした。死亡例も報告され、甲子園球児やプロ野球選手、力士にも感染がおよんでいる。
まず列島を巻き込んだのは5月だった。マスクは売り切れ、催事は取りやめになり、修学旅行
の中止が生徒を泣かせた。保育所休業でお母さんは途方に暮れた。過剰反応とも言われたが6月
になると潮が引くように関心はうせた。
インフルのウイルスに高温多湿は住みにくい。だが、片隅でしっかり生きながらえていたよう
だ。再び鎌首を持ち上げて患者は増えた。〈騒いでた頃より多い感染者〉と、ひと月前の朝日川
柳は世の無警戒を諷(ふう)している。
〈冬来たりなば春遠からじ〉は名高い詩の一節だが、ウイルスには、苦手の夏が来たら「秋遠
からじ」だろう。専門家によれば今はまだくすぶっている程度。秋から冬に、燎原(りょうげん)
の火となって暴れる恐れがある。
大正中期のスペイン風邪も、秋からの第2波でぐっと凶暴性を増した。せんだっての第1波の
際に、「マスクは冬の風物詩ではなくなった」と言われた。正しく恐れて身構えて、長い闘いに
向き合うとする。
天声人語 2009年8月22日(土)付
人それぞれではあろうが、上品な小ぶりのグラスでビールを飲むのはどうも味気ない。佳境に
入ることなく底をついて、欲求不満ばかり残る。ちまちまと注(つ)ぎ合うのも興をそぐ。大ぶ
りの器で、ぐぐっと喉(のど)へ流す爽快(そうかい)が、あの酒の醍醐味(だいごみ)だろう。
中国の清代の政治家だった康有為に、本場ドイツのビアホールを詠んだ漢詩がある。〈三千の
人 酔いて 飲むこと鯨の如し〉。壮観なさまをうたう詩句を、中国文学の一海知義さんの著作
に教わった。飲むときはかくあるべし、のご同輩も多いのではないだろうか。
そのビール類飲料が、今年の夏は苦戦している。いまの統計を取り始めた92年以降、7月と
しては出荷が過去最低に落ち込んだという。大手5社のまとめだが、長雨あり低温ありの天候不
順が響いたらしい。
「空腹」が料理の最高の調味料なら、ビールにとって最高の引き立て役は「暑さ」に尽きよう。
技をきわめた日本産のキレとコクだが、お天道様の気まぐれには色あせるようだ。消費量世界7
位の日本の鯨たちも、いまひとつ元気がない。
茨木のり子さんにこんな詩がある。〈どこかに美しい村はないか 一日の仕事の終りには一杯
の黒麦酒(ビール) 鍬(くわ)を立てかけ 籠(かご)を置き 男も女も大きなジョッキをか
たむける……〉。暑さばかりではない。「ひと汗」かいた充実もビールによく合うようである。
思えば庶民的ながら、ジョッキをかざせば祝祭的な飲み物でもある。天候が不順なら、ここは
ひとつ充実感か。自分の手で引き立てるなら、その味はまた格別かもしれない。
天声人語 2009年8月23日(日)付
秋を出迎えに、栃木県北部の那須高原を訪ねた。小さな人造湖を涼風が渡り、リンドウの青い
花を揺らしていた。水面に張り出した桜の枝先には、ちらほらと赤トンボ。羽の両端が黒い。
帰路、鬼怒(きぬ)川に寄った。つり橋のワイヤに、別の種類の赤トンボが列をなしている。
欄干の一匹にそっと指を近づけると、何のつもりか飛び移ってきた。逃げもせず頭をひねる姿が
愛らしく、左手でカメラに収めた。
「赤トンボ」という種はいない。日本に20種ほどいるトンボ科アカネ属の総称という。写真
を調べてみたら、鬼怒川の愛敬者はアキアカネだった。代表的な赤トンボで、真夏は高地にいて、
涼しくなると里に下りてくる。稲穂の上を群れ飛ぶ、秋の使者である。
田んぼで繁殖し、害虫を食べるアキアカネは、長らく人間と共栄の関係にあった。人なつこい
習性もそれゆえだろう。ところが農業の衰勢を映してか、各地で減少が伝えられる。
全国で生態調査を続けるNPO法人「むさしの里山研究会」代表の新井裕(あらい・ゆたか)
さんは、著書『赤とんぼの謎』(どうぶつ社)で「やがて、赤とんぼを見ても何の思い出も持た
ない人々でこの国は覆われてしまうのか」と案じた。アキアカネが舞う田園風景は日本人の心の
ふるさとなのに、と。
農薬は実りをもたらした半面、赤トンボから餌と「仕事」を奪った。湿地が消え、休耕田が増
え、温暖化が進み、トンボには生きにくい環境である。きょうは暑さがやむとされる節目、処暑。
秋の使いが山を下りる候、小さな生き物との共存を考えてみたい。
天声人語 2009年8月24日(月)付
30日は仕事なので、一足先に選挙権を使ってきた。区役所の出張所にできたばかりの投票所
には絶え間なく人が訪れ、暦が1週繰り上がったかのようだ。昨日の朝日川柳の一句が浮かんだ。
〈待ちきれず期日前投票に行く私〉。
各紙の情勢調査は「民主党圧勝」である。議席の予測は、小紙「300うかがう勢い」、読売
「300超す勢い」、毎日「320超す勢い」。掲載が後になるほど「勢い」が増している。片
や自民党には「半減」の悪夢が忍び寄る。
郵政選挙で「純ちゃんブーム」に乗った無党派層が、大挙して「政権交代ムード」に身を任せ
たかに見える。大盤振る舞いの公約に不安を覚えつつも、いっぺん民主にやらせてみると思い定
めた人が結構いるらしい。
風の変化が増幅される小選挙区制の、自民には災い、民主には恵みである。それが4首相でつ
ないだ4年間への審判、我慢の爆発ならば、今さら「ムードに流れる大衆」とくさしても始まら
ない。前回「ブームで300議席」の自民に、そもそも嘆く資格はなかろう。
あと6日、この風は変わらないのか。新聞の予想に対し、麻生首相はきのうのテレビで「1日
2日で全然違います」と巻き返しを誓った。油断を恐れる民主党の鳩山代表も、同じ番組で「メ
ディアが乗りすぎている」と、両者が一致した。
報じたことの虚実は時が検証しよう。報道に身を置く者にも、この戦後史の山場は勝負時であ
る。久しぶりに、いや初めて「歴史」に関与している感慨を覚える。コラム書きではなく、一人
の有権者として。
----------
第4段落「嘆く資格はなかろう」。この『そんな資格は無い』とか言う切り捨て方は大っ嫌い。
お前の話など端っから聞く気は無い、という決めつけと遮断だから。
実際のところとしても、手前でブームの端緒を作った小泉氏と、作ってもらったブームに乗るだ
けの民主党とは、若干現象が違うものだと思う。
最終段落、天人子、あなたは報道者なのか、コラム書きなのか、「ただの有権者」なのか。
立場を都合よくコロコロと変えるのはいささか無責任と言う気がする。
>>38 あ、そうだ。
> 報じたことの虚実は時が検証しよう。
『ウソを報道している』てのは、前提事実なんだ。
お前、報道する前にまず検証しろよ。
時が、あなたの「ウソ」を暴いたとき、あなたはどうするんだ。
クビを切られるのか。
腹を切るのか。
街路樹に吊るされるのか。
垂れ流した後で『事実が報道と違う結果になりました』とだけ言って誤魔化すのか。
後になって『あの時は事実だと信ずるに足る証拠があった、私たちも騙された被害者だ』とか言っ
て開き直るのか。
「時が検証」ねえ。
手前で検証できないなら、こないだ偉そうに述べていた『自律が放送の自由を守る』なんつうの
は、朝日新聞には出来ない芸当だってことだな。
半年前に朝日に「日本の民主主義は劣化している」と書いてあったけど本当ですね。w
たまには真実を書くことあるんですね。w
41 :
文責・名無しさん:2009/08/24(月) 16:54:47 ID:KurgPSNPP
今日の天人は報道の中立性をあからさまに放置してますよとしか読めないんだが。
抗議モンじゃね?
最後の段落で報道関係者と私人を使い分けたつもりなんだよw
これまで歴史とつくものに関与しまくってきた集団の一員が何を言うのやらって話でもあるが。
今日は酷かった
歴史を作ったのはお前自身だろうがと言いたい
>>38 605 名前: 文責・名無しさん [sage] 投稿日: 04/09/03 06:50 ID:cKnegdyL
■《天声人語》 09月03日付
米大統領選挙での対決は、「ブッシュ、チェイニー(共和党)対ケリー、エドワーズ(民主党)」と
正式に決まった。指名受諾演説を前に、対テロ戦争についてのブッシュ発言の乱れぶりが目につ
いた。
米テレビに聞かれた時は、対テロ戦に「勝てるとは思わない」と答えた。ところが翌日の演説はこ
うなる。「確かなことは、この戦争に勝ちつつあり、勝つだろうということだ」
重大な、イラクへの先制攻撃の根拠ですらクルクルと変える人である。つい本音が出て、急ぎ修
正したのかも知れない。「勝利の確証が無いのに、大統領が勝つ勝つと言えば言うほど、彼は投
票の日に敗者に近づく」と評した米紙もある。
いわば「ブッシュ氏主演」で、マイケル・ムーア監督が「他の娯楽映画のように映画館で2時間楽
しんでもらいたい」と語ったとプログラムにある「華氏911」を見た。戯画化された大統領の姿に
は、おかしみや頼りなさ、不安を感じた。しかし、「爆撃で5回葬式を出した」と泣き叫ぶイラクの女
性や、人と街が攻撃される映像の連続は、楽しむどころではない。
大統領の、映像にはなりにくい部分を描いた『攻撃計画』(日本経済新聞社)の印象的な場面を
思い出した。著者ボブ・ウッドワード氏が「歴史は結果によって評価されます」と言うと、ブッシュ氏
は、ほおをゆるめた。
「歴史か」。大統領は肩をすくめ、ポケットから両手を出すと、腕をひろげて、遠い先のことだとい
うしぐさをした。「わかるものか。そのころには、われわれはみんな死んでいるよ」
↑で引用したブッシュのセリフとそっくりな事を、まさか天声人語が言い出すとはね。
天声人語 2009年8月25日(火)付
豊かな水が大地を潤す。日本では普通に見る景色のありがたさを、ペシャワール会(本部・福
岡)のDVD「アフガンに命の水を」を見て思った。最貧の国で26年にわたって支援を続けて
きたNGOの報告である。
医師の中村哲さんを中心に、もとは医療活動にかかわっていた。やがて井戸を掘り、農業指導
へと幅を広げていく。「飢えや渇きは薬では治せない」と痛感したからだ。今月3日には、乾き
きった大地に全長24キロの用水路を作りあげた。
6年がかりの工事の様子を、映像は伝える。人海戦術で掘り進み、伝統の石積み法で岸を固め
ていった。2年前に約半分が完成して通水した。潤った土地にいま、青々と麦がそよぐ。「日本
人」に感謝する村の古老の笑顔がいい。
戦乱と干ばつの続くアフガニスタンは、さしずめ「人災と天災の荒野」だという。祖国の荒廃
は人の心も荒(すさ)ませる。最悪の治安の中で、村人に守られて指導を続ける中村さんの姿に
胸を打たれる。
この国を舞台に映画を撮ったイラン人監督、モフセン・マフマルバフ氏の著書にこうあった。
「もしも人びとの足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、数百万のアフガン
人が死と難民への道を辿(たど)らずにすんだでしょう」。同じ思いが、会の人にも流れている
ことだろう。
スタッフのひとり伊藤和也さんが殺害されて明日で1年になる。しかし夜明けはまだ遠く、米
国は増派を進めている。腕力頼みの荒療治だけではない、「アフガン復興」に向ける志を、かの
国の政治家にも聞いてみたい。
----------
一周忌にアフガニスタン大統領選挙をからめて、というところか。
最終段落「かの国の政治家」てのは、米国の政治家か、アフガニスタンの政治家か。
どうでもいいが、朝日新聞なんだから、夏の全国高校野球選手権大会について書けばいいのに。
>>46 朝日はペシャワール会大好きだね。
寄付を呼び掛ける投書を載せたり、短歌のネタにもなってるし。
中村医師については、タリバンとその支持基盤とされるパシュトゥン人寄りすぎではと
批判もあるけどその辺どうなんだろう。
天声人語 2009年8月26日(水)付
48枚ある花札に、なぜか平安朝の書家、小野道風(おのの・とうふう)が描かれている。柳
に跳びつく蛙(かえる)を眺める図である。失敗を続けてやっと跳び移った姿に打たれ、ますま
す励んで名をなしたという逸話は、真偽はさておき日本人の好みに合うようだ。
その道風も驚くような「空飛ぶ蛙」がヒマラヤ山系で見つかったと、先ごろの小紙が伝えてい
た。鳥のように飛ぶのではない。発達した後ろ脚の膜を使ってムササビのように滑空するという
から、いわばグライダーである。
ヒマラヤの地形は険しく、人跡はまれだ。調査をした世界自然保護基金によると、この蛙をは
じめ350以上の新種の動植物が見つかったという。薄目を開けて哲学者ふうな蛙の写真は、と
うとう人間に発見された不幸を嘆いているように、見えなくもない。
やかましく騒ぐことを「蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)」という。だが世界的に「蛙鳴」は細る
一方らしい。開発に追われ、農薬に脅かされ、感染症の追い打ちも受けて蛙族の受難は進む。水
陸双方で生きられるというより、水陸両方がないと生きられない弱い生き物なのだという。
蛙の詩で知られる草野心平は、その姿に生命の賛歌を見た。だが死の悲しみも書き残している。
〈しづかにすすむ一列の。ながい無言の一列の。蛙の列がすすんでゆく。ひたひに青い蛍をとも
し。万の蛙等すすんでゆく……〉。蛙の葬送を空想した一節である。
なじみ深い水辺の隣人を、我々は相当に追いつめていると専門家は憂えている。悲しい葬送へ
の加担を続けていては、道風先生にも合わせる顔がない。
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毎度お馴染み、大自然を想い地球環境を憂える天人子。
カエル繋がりというだけで、文章はあちらこちらに蛙飛びだけど、内容は面白い。
>なじみ深い水辺の隣人を、我々は相当に追いつめていると専門家は憂えている。
>悲しい葬送へ の加担を続けていては、道風先生にも合わせる顔がない。
その深ーい慈悲の心を、たまには森林にも向けてやりませんか。
販売店の悲鳴すら無視して実売部数の何割も余計に新聞を送りつけて
着いた傍から回収に向かうような紙の無駄は、もうやめにして、さ。
天声人語 2009年8月27日(木)付
「秋」という言葉は、実り豊かなイメージの奥に凋落(ちょうらく)の響きを宿す。「秋扇
(しゅうせん)」といえば、夏には重宝された扇が、秋風とともに打ち捨てられて顧みられなく
なる悲哀を言う。その、人心の離れた秋の扇さながらに、自民党の苦戦は甚だしい。
小紙が行った選挙中盤の情勢調査では、100議席に届くかどうかという厳しさである。「民
主大勝」の下馬評への揺り戻しがあるかと思われたが、民意は非自民で高止まりしたままらしい。
4年前の郵政選挙を裏返したような情勢に、軍書『甲陽軍鑑』の一節が浮かぶ。「九分十分
(くぶじゅうぶ)の勝ちは、味方大負けの下作(したつくり)なり」。大勝というのはくせ者で、
驕(おご)りや慢心が後に大敗を招く。だから勝ちは六、七分でいいという、武田信玄の言であ
る。
圧勝の遺産にしがみついて食いつなぐ与党に、嫌気のさした人は少なくなかった。うわずった
末に「小泉劇場の正体見たり」の4年でもあっただろう。名将の言うとおり、巨大議席を得た大
勝ちの中に、すでに凋落の芽は潜んでいたようである。
だが、その合わせ鏡は民主党を映してもいる。優勢ぶりに比べて政策への評価は低く、仮に大
勝してもすぐ秋風が吹きかねない。しかし考えてみれば、いずれの与党も「秋の扇」となって下
野する緊張感の中でこそ、政治は営まれるべきだろう。
そうした「国政のかたち」に道をつけるかもしれない選挙である。今回の民意は「風」という
より、もっと質量のある「水の流れ」のように思われる。政治を鍛える力をしっかりつけた、そ
れぞれの一票でありたい。
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劣勢にあえぐ自民党を見て恍惚に打ち震えるか、天人子。
第5段落『下野する緊張感の中でこそ』。それは容易にポピュリズムに堕すと思う。
最終段落『「水の流れ」のように』。起こした風が大海原のうねりを作ったことにご満悦。煽動
屋冥利に尽きるというものだろう。
しかし押し寄せる津波は、もう風の力では押しとどめられまい。それは何度も経験しているだろ
うに、忘れたか。
無理やり技術移転・資金ノウハウ人材支援させられた
鉄鋼・造船・重工業
韓国人の本性をいち早く見抜いて距離を置いた自動車
アホで逃げ遅れた電機
文化・知財ドロされ続けているコンテンツ業界、食品産業
いろいろ置かれた状況でわかれるなあ…
天声人語 2009年8月28日(金)付
気象予報官にもタイプがあって、その昔は「屋上派」と「地下室派」がいたそうだ。気象予報
士の森田正光さんが、鹿児島気象台長だった倉嶋厚さんから聞いたという話を小紙に寄せていた。
屋上派は屋上で空を眺め、風を確かめる。実況に照らしてデータを修正して予報を出す。片や
地下室派は、部屋にこもって資料とにらめっこをする。解析技術は高いが、降っているのに「晴
れ」と予報するぐらい実況には無頓着な人たちなのだそうだ。
相通じる話を、免疫学者の多田富雄さんが書いていた(読売新聞)。医者がパソコンばかり眺
めて、患者の顔を見て診察しない。数値に頼って患者の訴えを聞かない。多田さんによれば科学
的根拠に基づく医療が行きすぎたゆえの問題らしい。
その反省から「ナラティブ・ベイスト・メディシン」というのが提唱されているそうだ。訳せ
ば「物語に基づく医療」となる。聞き慣れないが、つまりは話をよく聞き、「ひとりの人間とし
ての患者」を忘れない医療である。
結構な話だが、医師のコミュニケーション能力は大丈夫かと心配になる。最近、ある医学部を
見学した人が驚いていた。「患者ロボット」を相手に問診の訓練をするのだという。なぜロボッ
トなのかと聞くと、人との対話が得意でない学生もいますから、などと説明があったそうだ。
その大学が「最先端」なのかもしれないが、ひょっとしてそんな流れなのだろうか。病という
難事において人生という物語を共有してくれる、「屋上派の医師」がもっと育てばいいのだけれ
ど。
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"Narrative Based Medicine"てのは、そういう意味なのか。コラムにある『屋上派』ということ
とは、なんか違うもののような気がするんだが。
そういや報道、マスメディアも、ナラティブ・アプローチを自分に都合よく使っているな。
物語が事実を作る。記事に書いたことが事実になる。報道こそが事実を作る。
そういう感じで。
>>50 嘘や間違いを報じても「報道の自由」「編集権」に守られて選挙も何もないマスコミには、
どれほどの緊張感があるんでしょうね。
まあネットの普及で業界全体が「秋の扇」になりつつあるわけですが。
天声人語 2009年8月29日(土)付
アメリカ東部の州で少女が殺された古い事件を、在米中に小さな記事にしたことがある。発生
から27年たって有罪評決を受けたのは、ケネディ家に連なる男だった。
ケネディ元大統領の弟であるロバート(元司法長官)の義理の甥(おい)という「末席」だっ
たが、メディアは連日大きく報じた。王室のない米国で、一族はそれに代わる存在とも言われる。
良きにつけ悪(あ)しきにつけ、かの国における注目ぶりを、あらためて感じたものだ。
その名門を率いて、「最後の大物」と呼ばれていたエドワード・ケネディ上院議員が亡くなっ
た。暗殺された元大統領の末弟でリベラル派を代表する長老だった。オバマ大統領の誕生に大き
な役割を果たした人でもある。
一度だけ間近に見たことがある。優しげな目が、意志と信念を宿すように光っていた。上の兄
も、やはり暗殺された下の兄も、伝説の世界の住人である。重い遺影を担いでの人生は、一族の
家長として険しかったに違いない。
94年、元大統領の夫人だったジャクリーンが亡くなったときの弔辞が印象深い。「世間は、
ジャッキーにも伝説上の存在になるよう迫りました。でも、彼女は世間に注目されたくなかった
のです」。それは、自らの胸の内だったようにも思われる。
エドワード氏亡きあとの一族に、力強い後継者は見あたらない。「ケネディ王朝」も終焉(しゅ
うえん)へ向かうと見る向きが多いようだ。だが、氏の政治信条はオバマ大統領に引き継がれた
はずである。病を得ながらも最後の大仕事を成し終えて、兄たちのもとへ旅立った。
天声人語 2009年8月30日(日)付
独裁国家でもないのに、ほぼ一貫して一党が政権の座にある日本は特別だ。それでうまくいっ
た面もあれば、行き詰まった点もある。一切合切に審判が下る。一票にかける8月の言葉から。
7月の失業率は過去最悪に。さいたま市で職業訓練を受ける石川均さん(39)は今春、自動
車業界で「派遣切り」に遭った。訓練が終わる年末の状況を案じつつ、期日前投票に期待を込め
た。「停滞していた空気が動き出すかもしれない」。
住民の過半が高齢者の都営団地に暮らす宮嵜(みやざき)安代さん(68)。「戦後ずっとた
まってきた澱(おり)のようなものをなくしてみたい。ご破算で願いましては、もいいのかな」。
今回から小選挙区にも広がった在外投票。8カ国の仲間と裁判で国を動かした在ロサンゼルス
の高瀬隼彦さん(79)は「天下分け目の選挙に投票できる」。上海の能多まり子さん(55)
は「政権交代がかかった選挙で期待がある。働きながら子育てできる社会に」と一票。
「国民は真に何を望んでいるのか。それは、働く意思を持つ者と家族が一定の水準で平穏に暮
らせることに他ならない」。奈良県五條市の主婦三木栄子さん(61)は声欄で訴えた。「大金
は得られずとも仕事に誇りを持ち、やり抜くことで安定した生活が営める国であってほしい」。
「最大の夏政(まつ)りで日本という神輿(みこし)を担ごう」。大阪の繁華街で若者に投票
を呼びかけた関西学院大生の市橋拓さん(21)。「年金も介護も実はヤバいんじゃないか。僕
らが選挙に行って責任を持とうと思った」。
きょうを、顧みて誇れる日にしたい。
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誇り、ねえ。
誰のどういう誇りなのさ。煽動屋稼業の誇りか。
新聞、テレビ、報道屋、マスメディアとしての『あんた』が、誇ってしまっては遺憾のだよ。
そこらへん、わかっていないっぽいけどさ、天人子。
天声人語 2009年8月31日(月)付
国会は歴史的な掃除のただ中にある。いや議事堂のことだ。建設から73年、高圧水流による
初の汚れ落としで、黒ずんだ御影石に桜色が戻ってきた。議席の布地も張り替わるが、まずはお
尻の方がごっそり入れ替わった。
負けに不思議の負けなし。自民党は傍目(はため)にも耐用年数が尽き、最後は民意のあずか
り知らぬ面々が1年交代で首相の座をとことん軽くした。政治の非力に一部の官僚がつけこみ、
血税や年金が消えていく。やりきれない閉塞(へいそく)を、投票箱に注がれた高圧水が襲った。
だが、うっぷんを晴らして喜んでいる時ではない。積年のよどみは黒々とまだそこにあり、日
本を桜色に蘇生する持ち時間は限られる。しがらみのなさや、新たな発想が暮らしや外交に生き
なければ代えた意味がない。
55年前にも「戦後最大」と評された政変があった。首相鳩山一郎の大衆人気は、前任吉田茂
の近づきがたさの反動でもある。小欄の先輩、荒垣秀雄は「気分の上では世の中がいくらか明る
くなった」と歓迎した。孫の圧勝も前政権の「お陰」と割り引くのがいい。
「希望だけ膨らますと期待外れの時の揺り戻しが強い」。万感こもる宮崎県知事の戒めだ。有
権者は、小選挙区という洗浄機の使い勝手、破壊力を知った。約束した「日本の大掃除」の手を
緩めたら、自民の二の舞いだろう。
時の権力に目を光らせるのがジャーナリズムの本懐。なれば小欄も今朝をもって照準を改め、
筆鋒(ひっぽう)を研ぎ直すとする。明るくなったか否かを後世に問われるのは、政変後の気分
ではなく現実である。
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なんだか白々しい。
最終段落『ジャーナリズムの本懐』。民主党は、野党であった時代にも「権力」だったと思うの
だが、新聞記事書きにとっては違ったのかね。
第5段落『「日本の大掃除」の手を緩めたら』。政権を担う側は変わっても、そのケツを蹴り上げ
るヤツは変わらぬマスメディア。
朝日新聞社屋も、えらく汚れているんじゃないかねえ。いっぺん洗ったら如何か。
他紙コラムをいくつか。
【日経】春秋(8/31)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090830AS1K3000330082009.html そのときも大いに風が吹いたのだろう。明治23年、近代史に残る第1回衆院選の話である。自
由民権運動の流れをくむ「民党」が171議席を得たのに、政府系の候補者は84議席。日本の国政選
挙の歴史は野党圧勝から始まったわけだ。
ほぼ120年を経て、こんどは民党ならぬ民主党の劇的な躍進を平成の有権者はもたらした。予測
はあったけれど、現実の数字をみると風、というより嵐のすさまじさに息をのむ。これを生みだ
したのは政権交代を求める選挙民の沸々たる熱に違いない。時代を動かすダイナミズムが久々に
目覚めたのはたしかだ。
もっとも、それは自公政権への幻滅の裏返しでもあろう。「歴史は多くの場合において悔恨の
書であった」と民俗学者の柳田国男は述べている。4年前、圧倒的な力を与えて送り出した政権
の不行跡を人々はいやというほど見た。その深い悔恨こそが、今回の大転換を支えていることを
民主党も忘れてはなるまい。
明治の最初の衆院選に投票できたのは国民のほんの一握りだった。それとは比べものにならな
い膨大な数の民意が描きあげた、鮮やかな政権交代である。ああ、こんなはずではなかった。後々、
そんな思いを決して抱かせないでほしい。政治がいつの世も私たちに残してきた「悔恨の書」を
積み重ねないでほしい。
【毎日】余録:政権交代という選択
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20090831k0000m070274000c.html 20世紀を代表する自由主義思想家ハイエクにいわせると、民主主義は統治の目標について何
も示していない。だが「それは人間がこれまで発見した統治方法の中で、統治者を平和的に代え
る唯一の方法だからこそ、闘って実現しようとする価値がある」。
いや、むろん有権者は各党の掲げる政策目標を慎重に検討したことだろう。だがそれにもまし
て今は政権交代という民主主義の証しを示す時だとの思いが堰(せき)を切ったように見える。
そう感じさせる民主党の歴史的圧勝と自民党の大敗である。
2大政党を軸とした総選挙による政権交代はここ半世紀以上なかった出来事だ。1955年以
来続いた自民党の1党優位制から、2大政党を軸とした政権交代のある政治へ−−有権者が選ん
だのは、民主主義の政党システムの交代でもある。
源氏と平家、東軍と西軍、勤皇と佐幕……歴史の転換は二つの軸への力の結集と、その対決を
通して実現することが多い。いわばその歴史のダイナミズムを議会政治に取り込もうという2大
政党間の政権交代だ。民主党の得票は長期政権のよどみ一掃への期待によってふくらんだ。
ただ2大政党を軸とした政権交代が常に政治の質を高めるとは限らない。こと日本では戦前の
政友会と民政党の政争が軍の政治介入を招き、国民を破局に導いた歴史がある。民主主義はその
統治の目標と内実を保証してくれるわけではない。
これから政権交代と共にかつてない政治的光景を目の当たりにする数カ月となる。国民はその
変化の意味するところをじっくり読み取ることになろう。むろん政権を代えようと思えば代えら
れることはもう十分に分かっている。
【東京】筆洗
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2009083102000122.html チュニジアの首都チュニス近郊に、フェニキア人がつくった古代国家カルタゴがあった。第三
次ポエニ戦争で紀元前一四六年にローマに滅ぼされ、都市は完全に破壊された。
太平洋戦争末期、一億玉砕論が渦巻く中、戦争を終結に導いた鈴木貫太郎首相の頭には、カル
タゴの滅亡があった。戦争に負けても民族に力があれば再興できるが、国がなくなれば何も残ら
ない−と。
この逸話を思い出したのは、千葉県野田市の鈴木貫太郎記念館前での麻生太郎首相の街頭演説
をニュースで聞いた時だ。祖父の元首相吉田茂が一九四六年に首相を拝命した際、鈴木から「(戦
争は)負けっぷりは良くせにゃいかん」と言われたと首相は明かした。
選挙期間中に意味深長な発言だと話題になったが、総選挙で自民党は衆院の議席を半分以下に
減らした。この負けっぷりは二人の元首相が生きていればどう評するだろう。
新人候補が与党の大物議員を次々と破った民主党の圧勝は、民意が塊となって動く小選挙区制
の力学を見せつけたが、民主党の政策への支持というより、与党への不満というマグマが、大爆
発した感がある。
細川政権の教訓もあり、政権は短命では終わらないだろう。落選した大物議員の一部は比例代
表で復活当選したが、野党暮らしに耐えられない議員が党を飛び出せば、それこそ自民党はカル
タゴになりかねない。
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カルタゴ。無防備都市云々でよく聞かれる言葉だな。
「反戦」「平和」「軍隊なんか要らない」と叫ぶだけでは、カルタゴのように滅ぼされるだけだ、
という文脈で。
筆洗子がどういった意図で、こんな引用をしたのかは知らんけど。
【北國】時鐘
http://www.hokkoku.co.jp/jisyoh/hjisyoh.htm 自民党が、ぶっ壊された。過去の実績も伝統も、そして戦後日本を支えてきた自負も一顧だに
されず粉砕されたに等しい。有権者の選択は残酷である。
開戦前から勝敗は分かっていた、とはいえ、これは「革命的」といってもいいだろう。戦い終
わり日が暮れて、首相経験者や党幹部、小泉チルドレンが死屍累々(ししるいるい)と重なる無
残な「関ケ原」を見る思いである。
が、革命の歴史は権力を奪った側にも残酷であることを忘れてはなるまい。古今東西、権力奪
取した直後から革命軍には内部闘争の嵐が吹き荒れる。民主党は、敵失で転がり込んだ政権であ
ることを念頭に謙虚に足場を固めなくてはなるまい。
この歴史的大勝は4年前に小泉劇場に熱狂し、自民に300議席を与えたのと同じ有権者が出
した結果である。有権者はバランス感覚を持っているというが、バランスを通り越して振り子が
振り切れるほどの揺り戻しだった。
二大政党政治が定着するまでの試練なのだろうか。新時代の入り口か、混迷の始まりなのか。
戦後政治の歴史的一瞬を見た興奮以上に、次の揺り戻しと明日の日本の政治が気がかりだ。
今日の各紙コラムは、なにやら無性に暗い。
若干浮かれ気味の天人ですら、高揚感より「祭りの後の虚脱感」の方が強く感じられる。
賢者モードっぽい雰囲気で。
アリバイ作りか。結果への悔恨か。そこらへんはわからんけど。
参考までに、郵政選挙のときの天声人語。
【天声人語】2005年09月12日(月曜日)付
冠省 小泉純一郎様。圧勝でしたね。一夜明けて、勝利の味はいかがですか。
戦後の日本に保革二大政党の「55年体制」ができて、今年で半世紀ですね。
今度の「05年体制」は、「小泉マジック体制」とか「小泉劇場体制」と呼ばれるようになるかも知れません。
あなたは、郵政民営化の賛否を国民に問うと言って解散しました。
しかしこの票の大雪崩は、郵政の民営化への賛成だけで起きたとは思えません。
「殺されてもいい」「賛成か反対か」。こんな、あなたの「歯切れの良さ」や、目や耳にはっきりと届く
一言・ワンフレーズが、人々を強く引きつけたと思います。 尊敬しておられると聞くチャーチル元英首相の
語録には「短い言葉は最高」というのがあるそうです。
圧勝するさまを見ていて、「独」という字が思い浮かびました。独特な党首の独断による独(ひと)り勝ちでした。
今後、国政が小泉自民党の独壇場になって、独走や独善にまで陥ることはないのでしょうか。
圧倒的な多数を与えた有権者でも、それは望んでいないはずです。
明治時代、口の悪さで知られた斎藤緑雨という文人がいました。
「拍手喝采は人を愚にするの道なり。つとめて拍手せよ、つとめて喝采せよ、渠(かれ)おのづから倒れん」
(『緑雨警語』冨山房)。
タフなあなたのことです。いくら拍手喝采されても、倒れることはないのかもしれません。しかし、郵政以外に、
待ったなしの課題は山ほどあります。
勝利の勢いあまって、肝心の日本という国が倒れないように、くれぐれもお願い致します。 不尽 (以上)
いつも乙です
>>62 あらためて読み直すと今回と態度の違いが凄いなw
64 :
文責・名無しさん:2009/08/31(月) 20:31:28 ID:VmaoakbW0
>>62 >圧勝するさまを見ていて、「独」という字が思い浮かびました。
今回の民主党の圧勝も同じだと思うのだが?
天声人語 2009年9月1日(火)付
棚田を保存する運動に加わって、週末の一日、実った稲を刈り取った。日照不足が心配だった
が、稲穂は黄金色に輝いて頭を垂れている。ざくざく鎌を動かすと、さまざまな生き物が驚いて
動き出した。
大小のバッタがあわてて跳びはねる。嫌われ者のカメムシは逃げ足が鈍い。ヤゴの抜け殻が残っ
ているのは、トンボに変身したのだろう。イモリもいる。カマキリは「なにを!」とにらみつけ
てくる。「蟷螂(とうろう)の斧(おの)」とはよく言ったものだ。
田んぼに水が張られている時期には、「にごっている田はよく実る」と言われるそうだ。小さ
い魚や虫たちが動き回るから、煙幕を張ったように水がにごる。つまり「生物多様性」の恩恵に
あずかりながら、稲はすくすく育つというわけだ。
地球上の様々な動植物は互いに結びつき、バランスを保ちながら生きている。それを言う生物
多様性という言葉だが、「聞いたこともない」という人が6割以上にのぼるそうだ。内閣府によ
る最近の調査でわかった。
小社は今年、豊かな自然を残す「にほんの里100選」を選んだ。全国から4千を超す応募が
あったが、それらの応募文の中にも生物多様性に関する言葉はごくまれだったという。堅苦しい
漢字で記す、まだまだなじみの薄い造語らしい。
きょうから9月。長雨がちだったこの夏は、猛暑の年には挨拶(あいさつ)のように口にした
「地球温暖化」もあまり聞かれなかったようだ。経済も、利便も、環境も、とは欲張れぬ時代で
ある。小さきもののかざす「斧」を思い出しつつ、人間の暮らしを省みる。
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選挙の余韻もどこへやら。自然に身をおき額に汗する天人子。
去年も、同じようなコラムを書いていたな。その時も思ったんだが、生物多様性条約第10回締約
国会議、略称COP10の話は、しないのか。
【中日】中日春秋 2009年9月1日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2009090102000037.html 古代ギリシャの数学者ピタゴラスは「友情とは何か」と聞かれ、こう答えたといわれる。
「220と284のようなものだ」。
この二つの数字は、その数自身を除く約数の和が、互いに相手の数字になる関係である。220
なら1、2、4、5、10、11、20、22、44、55、110で、全部足すと284。
284の方も同様に足していけば220になる。ピタゴラスの話から、こういう数字は「友愛数」
と呼ばれる。
次の首相になる民主党代表、鳩山さんの政治信条がまさに「友愛」。総選挙は民主大勝だった
とはいえ、自公政権の強引さをさんざん批判してきた立場だ。野党第一党となる自民党とも、あ
る面、うまくつきあう必要があろう。
しかし、獲得議席数はとても“友愛数”とは言い難い、308と119。救急車を呼びたいほ
ど痛めつけられた側が、痛めつけた側の友愛を素直に受け入れられるかどうか。連立協議の相手
とこそ友情は必要だが、308と社民党の7、国民新党の3も、それぞれ非対称すぎて“友愛数”
らしからぬ。
鳩山さんは今、「数の力を笠(かさ)に着ることはしない」と誓うが、強者が弱者と仲良くす
るのは案外難しい。最後は力で解決できるとの事実に常に誘惑される。いちいち相手の言い分を
聞き、妥協を探るのが面倒になっていく。
だが、多分、その時だ。勝利の中に、敗北の芽は育ち始める。
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今日の天人がたいして面白くなかったんで、他紙コラム。
議席数の数字で遊んでいるだけの、まあ言ってしまえば自己満足コラムなんだけれど、友愛数を
持ち出したあたりと、最後の段落『だが、多分、その時だ』の味わいが、ちょっと良かった。
>>65 > 棚田を保存する運動に加わって、週末の一日、実った稲を刈り取った。日照不足が心配だった
> が、稲穂は黄金色に輝いて頭を垂れている。ざくざく鎌を動かすと、さまざまな生き物が驚いて
> 動き出した。
なんか、三分の二議席を取った民主党が天下りとか議員年金とか官僚制度とか
いろんな「タブー」にメスを入れるのに期待しているみたいな感じだ。
ついこの間までは自公政権が自身の延命をしていたのに…
そんな感じを第一段から感じ取る俺っておかしい?
今日の素粒子はマトモな内容だったが、民主の応援で萌えすぎて賢者タイムになってる感じがする
天声人語 2009年9月2日(水)付
ものを書くときに形容詞の扱いは難しい。うまく使えば引き立つが、下手だと言葉は浮いてし
まう。文章は形容詞から腐ると言ったのは、たしか作家の開高健だった。飾り言葉は美味(おい)
しいだけに朽ちるのも早い。
古い記事を読んでいたら、中曽根元首相が、当時新党さきがけの代表幹事だった鳩山由紀夫氏
に注文をつけていた。「政治は、美しいとか、キラリと光るとか、形容詞でやるのでなく、動詞
でやるものだ」と。13年前、旧民主党を結成する直前のことである。
辛口の意見に、鳩山氏は「行動の前に哲学的な形容詞を大事にするべきではないか」と反論し
ていた。政治スタイルや人生観の違いだろう。氏は今も、「愛のあふれる」といった、扱いの難
しい言葉を好んで語る。哲学を重んじる姿勢は変わっていないようだ。
政治に力強い動詞は欠かせない。政策を進める意志である。動詞なき形容詞は、絵に描いた餅
の飾りにすぎない。とはいえ形容詞を欠く動詞もまた、やせ細った政治だろう。持ち味の形容詞
を腐らせない実行力が、いよいよ試される。
16日には特別国会が召集されて首相指名を受ける。就任会見や所信表明での一言一句が吟味
され、そこから先は容赦のない現実が待つ。言葉で訴えたもろもろの実(じつ)が問われる。期
待のすぐ横に失望の奈落が口を開けているのは、新政権の常である。
「言行一致の美名を得る為には、まず自己弁護に長じなければならぬ」と皮肉屋の芥川龍之介
は言った。せっかくの形容詞が、そのために乱れ飛ぶようでは、国民は失望する。
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動詞だとか形容詞だとか、なにやら迂遠に書いている感じ。
天声人語 2009年9月3日(木)付
作家の三島由紀夫が大蔵省の官僚だったころ、大臣の演説草稿を頼まれたことがあった。しか
し書き上げると上司は満足しなかった。根本的に書き直されたと、自著の『文章讀本』で振り返っ
ている。
直された文は三島も感心する「名文」だった。「すべてが感情や個性的なものから離れ、心の
琴線に触れるような言葉は注意深く削除され」ていた。紋切り型の表現がちりばめられ、不特定
多数に話すための、見事な出来栄えになっていたという。
小説家を感服させた「名文」は、お役所文章の一典型だろう。いんぎんで、ていねいで、中身
がない。さらに近年は、カタカナ語の氾濫(はんらん)もあって、読みにくさに磨きがかかって
いる。あいまいに徹し、分かりやすいと沽券(こけん)にかかわる、と言わんばかりのものもあ
る。
文は人なり。そこから読み取れる官僚の精神像を、作家の井上ひさしさんはざっとこう言う。
「わざわざ難しく表現して国民を煙(けむ)に巻き、それによって自分たちを、堂々として、お
ごそかで、いかめしい存在に見せたがる」(『にほん語観察ノート』)。
お役所言語の隆盛には、作文棒読みの政治家が一役も二役も買ってきた。官僚支配はいまや目
の敵(かたき)だが、それは官僚言語による政治の支配でもあっただろう。国会答弁もしかり。
分かりやすい言葉、生きた言葉は、いつしか追いやられていった。
政治が遠いのはそれゆえでもあろう。民主党の「脱・官僚依存」は「脱・官僚言語」でもあっ
てほしい。はじめに言葉ありき。そこにも日本を変える源流があるのではないか。
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とにかく官僚、官僚的なるものを悪者にしたい天人子。
ご自身のコラムや、御紙の社説を見てみては如何か。第3段落で例示しているような、たいそうな
「名文」が載っているよ。
お役所、官僚、政治家、大臣、そういうところに何か「悪いものの原因」がある、というのを前
提として書いているようだけれど、それは思い込みだ。
『官僚的』『お役所言葉』という言葉で誤魔化されているけど、それはどこにでもある。
これからは自民党政府の悪口が書けなくなるから
コラムのネタ探しが大変ですね。w
天声人語 2009年9月4日(金)付
93年の衆院選のあと自民党が下野したとき、宮沢首相を徳川慶喜(よしのぶ)になぞらえる
人がいた。大政を奉還した江戸幕府最後の15代将軍である。宮沢さんも15代の自民党総裁だっ
た。
慶喜はなかなかの人物だったというが、宮沢さんも懐が深かったのだろう。非自民政権が発足
した直後に細川首相に会って、親身に助言をした。「バランス感覚を持つ賢人から機会をいただ
いて本当にうれしかった」と細川氏は当時を振り返っている。
宮沢さんらしいグッドルーザー(良き敗者)ぶりといえる。ひるがえって麻生さんはどうだろ
う。選挙後初めての「ぶらさがり取材」の様子をテレビが伝えていた。露骨な苛立(いらだ)ち
を記者団にぶつける日本の首相は、悲しいが「良き敗者」の像からずいぶん遠い。
それは、メディアを通して、国民に悪態をつくことでもある。いささかひどいと思ったのか、
「ノーカットで流します」と報じる局もあった。党の負った深い傷に、総裁自ら塩をすり込んで
いるようなものだ。
鏡に映った姿が不満だからと、鏡を責めても仕方がない。自民を惨敗させた民意は、党の現状
を映した鏡である。おのが姿を正していくしか再生への道はないのに、外に向けて腹を立てても
始まらない。
徳川慶喜に話を戻せば、明治政府成立の最大の功績者という見方がある。その意味で麻生さん
の名も歴史に残る。とはいえまだ現役総理で、引き継ぎの任もある。「自民党最後の首相」と史
書に刻まれないために、なすべきこと、なすべきでないことは、ご本人が一番承知のはずである。
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麻生氏を叩けるのなら何でもいい、らしい。
第4段落『「ノーカットで流します」』。普段からノーカットで流せよ、阿呆が。
つーか、天人子、あなたは、内容経緯を書かず『苛立ちをぶつける』などと部分を切り取って書
いているではないか。
よい記者とは、相手を苛立たせて失言を引き出すことが出来る記者、なのだとか。手前らの基準
での手前らの成果を、手前らのやり方で誇る。下種いマッチポンプだな。
相変わらず自民の悪口か。
それも、9月でおしまいか。
これから先どうすんの?書くことないじゃん。w
74 :
文責・名無しさん:2009/09/04(金) 15:33:06 ID:P+IK0Qz00
>>72 この前早野が宮沢のオフレコ発言を晒してたけど、
「憲法を変えちゃいかん」はともかく、「ドイツは反省してないからまた戦争するよ」なんてのは
どう考えても失言だと思うんだがな。
仲良しの政治家なら失言でも死ぬまで伏せてくれるのか、それとも当時の「戦後補償はドイツを見習え」
キャンペーンに都合が悪いから伏せていたのか。
75 :
文責・名無しさん:2009/09/04(金) 18:05:48 ID:4CTxNnCUP
>>73 しばらくは自民時代はああだったこうだっただから改革が進まない
で飯を食うつもりかもしれない
天声人語 2009年9月5日(土)付
夜道を歩いていたら、植え込みで「チン、チン」と鳴いている。今年はじめて聞くカネタタキ
だ。コオロギの仲間で、鉦(かね)をたたくように鳴く。立ち止まって耳をすますと、別の葉陰
からもチン、チン……。秋が耳の奥へ広がっていく。
12カ月を音のイメージで表した「音の歳時記」という詩が、那珂太郎さんにある。一月は「し
いん」。厳冬に天地は静まる。二月は「ぴしり」。春が兆して氷が割れる。三月の「たふたふ」
は雪どけの川。詩人の感性は、さすがにみずみずしい。
四月は「ひらひら」。野を越えて蝶(ちょう)が飛ぶ。五月は「さわさわ」と風がわたる。六
月「しとしと」。七月の「ぎよぎよ」は蛙(かえる)の合唱だ。そして八月の「かなかなかな」
から、九月は「りりりりり」。音の呼びさます季節感も趣は深い。
その詩さながらに、東京ではここ数日で、樹上の吹奏楽から草むらの弦楽に楽団が変わった。
カネタタキはささやかな打楽器か。虫の声の移ろいは、太陽の季節から「もののあわれ」の季節
への、舞台の巡りを人に教える。
昔は、虫の音にも「聞きなし」があった。リーリーと鳴くコオロギの声を「糸刺せ、針刺せ、
つづれ刺せ」と聞いたそうだ。冬着の繕いを急がせる声だという。夜が静かだったころの炉辺の
想像である。
那珂さんの詩は、十月「かさこそ」、十一月は「さくさく」と続く。落ち葉と、霜の朝である。
十二月は「しんしん」。雪が降って、時の逝く音だそうだ。
心をすませば聞こえるかもしれない。日々の喧噪(けんそう)から、ときには心身を解き放つ
のもいい。
天声人語 2009年9月6日(日)付
時に、男という性を返上したくなる報道に出会う。昨秋、大阪府内で男2人に襲われた女性が、
事件の4日後、警察にすべてを話した上で命を絶った。結婚を控え、式場を探していたという。
字にも口にもしたくない強姦(ごうかん)の語には、「乱暴」「レイプ」では伝えきれないお
ぞましさが宿る。無論、被害者の痛み、悔しさは言葉で尽くせるはずもない。
女性2人を襲い、強盗強姦などの罪に問われた男(22)に、青森地裁で求刑通りの懲役15
年が言い渡された。性犯罪では初の裁判員裁判。弁護側は懲役5年が適当としていた。男性の裁
判員は「被害者の気持ちを理解するのは、非常に大変な心の作業でした」と語る。
「女性として一番ひどいことをされた」という叫びは通じたが、負担は大きい。被害の詳細が
法廷で再現され、6人中5人を男性が占めた裁判員には、被害者の声ばかりか姿もさらされた。
もっと訴えやすくする工夫が要る。
つらい体験を著書『性犯罪被害にあうということ』で明かした小林美佳さんは記した。「それ
までの二十四年間を過ごしてきた私が、消えた……すべてが洗い流されたように感じた」。泣い
ては吐きの日々。雑踏では異臭を放つ動物のように見られている気がしたという。
法曹界が長らく男性社会だったこともあろう。これほどむごい強姦罪の法定刑がなぜか強盗よ
り軽い。殺人に等しい冒頭の事件も、判決は懲役7年までだった。強盗がついたとはいえ、厳罰
の側に張りついた市民感覚を支持する。次からも、最たる女性差別を痛撃してほしい。
78 :
文責・名無しさん:2009/09/06(日) 18:16:47 ID:xVG6cxKW0
>>77 >警察にすべてを話した上で命を絶った。
逮捕された後で自殺したんだったら、犯人は刑に服さなかったということか?
だとしたら、その女は馬鹿だったんだろうなw
起訴されて判決が確定するのを見届けないと意味がないだろ。
79 :
文責・名無しさん:2009/09/06(日) 18:33:49 ID:xVG6cxKW0
>>78 自己レス
それどころか、逮捕すらされなかったかもな。
>殺人に等しい冒頭の事件も、判決は懲役7年までだった。
逮捕・起訴・判決までこぎつけたとしても最高で「懲役7年までだった」という表現と受け取れる。
ということは、そこまでいかなかったということか。
>厳罰の側に張りついた市民感覚を支持する。
>次からも、最たる女性差別を痛撃してほしい。
今日の天声人語はまともだった。こんなまともな天声人語は初めてだ。
まさしく「激変」だな。
今までだったら「被告は涙を流して罪を後悔しているのに、被害者は許そうとしなかった。」
といった内容で悪人は被告なのか被害者なのか分からないようなコラムばかりだったのにね。
81 :
文責・名無しさん:2009/09/07(月) 04:30:44 ID:zTrhsPi3P
まあ、女性だから・・・という感じもある。
その強姦された女性を批判する気にはなれないだろ普通…
ショックで犯人の逮捕やら刑やらのことまで考える余裕なかっただろうし
確かに今回だけはまともだなw
>82
痴漢冤罪とか有るから俺は無条件で信じるなんて
ノルマ達成したいポリ公のような方針は採りたくないけどな
そんなこと書いてしまったが、基本的に間違ったことを書いてないってのには同意。
84 :
文責・名無しさん:2009/09/07(月) 09:42:00 ID:R2wkFeH70
裁判員裁判で性犯罪を裁くのは間違いだ、即刻やめろ、って言えないようなやつがなにを紳士気取ってんだか。
なにが問題なのか感触程度にも掴めない程度の頭なんだろ。なにが工夫だ。小学生かおまえは。
返上? あほか。政権かチャンピオンベルトかなんかか。
気障こいて書き出してんじゃねえよ。
じゃあ性転換でも去勢でもすれば?
そんなことおまえがかっこつけて言ってなんかなんのか?
その無神経が「異臭を放つ動物」部分の抜粋に繋がってるわな。
一面コラムでわざわざ抜き出すのがよりによってそこかよ。
上から目線でなにが「市民感覚」だ。ニュース視てないのか。強姦だけでも求刑通り支持してくれたに決まってるじゃねえか。
なんだ「強盗がついたとはいえ」ってのは。ボロ出してんじゃねえよ。
なんだ「張りついた」ってのは。市民は知能の低い妖怪かなんかか。
強姦は女性差別なのか? そんなに軽いもんか? そもそも差別で強姦するのか?
最たるのは強姦殺人じゃねえのか? 殺人までいけばまた例によって、
死んだ人間は生き返らない、で、死刑存置論者を時代遅れ呼ばわりか?
一般人が憤るのは結構だが、あくまで自殺込みでは裁けないんだよ。記者なら冷静に書けよ。
いや、実はいたって冷静なんだろうな。昂揚しているんじゃなくて、昂揚した風の文章を楽しんで書いたんだろ。
そうでなけりゃ、出会う。とか、宿る。とか、日々。とか、こんな文章書けるわけがない。
厳罰を支持するの次も痛撃しろの、おまえが量刑の正否を決めんのか。何様のつもりだ。
厳罰化は単純じゃなかったのか。お得意の私刑かよ。安倍も麻生も強姦魔と同じか。
叩いても悪人と非難されないネタと、見え透いた善人面しても叩かれにくいネタと、毎日そればっかり探してんだろ。
85 :
文責・名無しさん:2009/09/07(月) 09:43:51 ID:R2wkFeH70
(長すぎたので、続き)
それにしても呼び出しに応じて参加してやってるものを
判決前から各紙各局から男というだけで悪者にされて5人の男性はほんとたいへんだったろうね。
初めてなんで男多めに、なんてマスゴミとのあいだでまさかナシがついてたんじゃねえだろうなw
見当違いな人間悪人視して傍聴マニアについては一言もなしか。おまえらが大好きな「女性」もニタニタしながら大勢いただろ。
強姦の被害についてはるかに無関心なのは同性である女たちのほう、そんなことはまともな男ならみんな知ってる。
天声人語 2009年9月7日(月)付
アメリカンフットボールの伝説的指導者ニュート・ロックニーに名言がある。〈要は個人では
なくチーム一丸で動くこと。私は監督として、ベストの11人ではなく、11人でベストになる
選手を使う〉。
スターに頼らず、まとまりの中から力をひねり出すのが団体競技のイロハだろう。究極のチー
ムプレーである政治もしかり。とりわけ、期待も不安も大きい政変後の内閣は、実力者をそろえ
た上で、結束と結果を求められる。花も実もである。
1954(昭和29)年に成立した鳩山一郎内閣は、なかなかの顔ぶれだった。大戦の降伏文
書に署名した重光葵(まもる)が副総理・外相に座り、蔵相には法王と呼ばれた日銀総裁一万田
尚登(いちまだ・ひさと)。通産相の石橋湛山(たんざん)、運輸相の三木武夫は後に首相とな
る。
55年の時が流れ、もう一つの民主党が「ベスト」づくりに腐心している。鳩山代表は祖父に
倣ったか、菅直人、岡田克也氏らを要職に、脇にテレビ論客もちりばめ、重厚かつ清新な布陣に
するらしい。
なにせ、小沢一郎氏が仕切る巨大与党と釣り合わせる必要がある。「鳩山・一郎内閣」の陰口
を封じるには、花も実もある組閣で公約実現に動き出すしかない。「日本のマネジメントは鳩山、
党と選挙は小沢」の分業がうまく動くかどうか、両者の器が試されよう。
冒頭のロックニーには〈勝ちすぎは負けすぎと同じほど悲惨だ。どちらも大衆の熱狂を冷ます〉
の言もある。だが、大差の総選挙に白ける間もなく、いよいよ本当の勝負が始まる。チームと戦
いぶりを確かめようと、スタジアムは満員だ。
----------
第4段落『テレビ論客』。この単語、あまりいい印象の言葉ではない気がするのだが。
「お座敷学者」「御用識者」なんかと同じ類の。
87 :
↑:2009/09/07(月) 12:29:15 ID:gNhSqucQ0
>脇にテレビ論客もちりばめ、重厚かつ清新な布陣にするらしい。
「テレビ論客」って誰だ?
まさか、ワイドショーに出ている某コメンテーターじゃあるまいな。
天声人語 2009年9月8日(火)付
小脇に抱えて絵になる物のひとつに、フランスパンがある。週末のパリ、お使いの子が細長い
バゲットを抱えて朝の裏道を急ぐ。焼きたての香りに負け、先っぽに小さな歯形がついているこ
ともある。
さて、これはどう抱えたのだろう。不二家の店から「ペコちゃん人形」を盗んだ疑いで、暴力
団員(42)が和歌山県警に捕まった。ペコちゃんを抱えて車に走る中年男は、絵にならないば
かりかうら悲しい。
関西では今年初め、不二家の店先から人形が消える事件が相次いだ。しばらくして大阪のリサ
イクル店で10体が見つかり、警察が関連を調べていたという。人形は高さ1メートル、目方は
10キロで、ネット上の競売では20万円の値がつくそうだ。
東京・銀座で開かれていた「ペコちゃんミュージアム」をのぞいた。約60年前に生まれ、た
ちまち看板娘になった永遠の6歳。ご婦人がひしめく会場には各時代の人形がうちそろい、かわ
いい舌を出している。なるほど、手元に一つあっても悪くない。
町田忍さんの『路上ポップ・ドールのひみつ』(扶桑社)に、人形を家族のようにかわいがる
不二家店主の話がある。色落ちに気づけば塗り足し、寒い日は毛糸のポンチョをかけてやるとい
う。和歌山の件、店や正しいマニアにすれば、営利誘拐にも等しい所業であろう。
頭をなで、瞳をのぞくうちに情が移り、人形は市場価値を超えた宝物になる。お金が絡めば夢
の居心地は悪かろうに、盗品と感づきながら頭をなでる御仁がいる。心の折り合いをどうつけて
いるのやら、ああ気が知れない。
----------
締りのないコラム。
出だしのフランスパンは、そこだけで終わっていて、異物感がある。おフランス帰りか。
うら悲しい、気が知れない、と、犯罪に対する感情は薄いようだ。
さきたま抄 9月8日
朝食の定番である納豆。いきなりしょうゆをかけるので
はなく、まずははしでよーくかき混ぜてからしょうゆをか
けるのが、正式というか、おいしい食べ方なんだそうだ▼納豆に含ま
れる「ナットウキナーゼ」は、血栓の主成分であるフィブリンに直接働き掛け
る分解(溶解)作用があり、血圧降下の作用もあるという(日本ナットウキナ
ーゼ協会)▼あのねばねばのところがナットウキナーゼで、分解作用は8時
間ほど続くといわれる。だから、脳梗塞(こうそく)などの予防のため、朝食よ
りも夕食に供する人も多いと聞く▼そして食べ方。1パック分を全部ご飯に
かけちゃう人、必ず卵とか、かつおぶしとか入れる人、みそ汁などの「汁物」
に入れる人。山芋やオクラなどの「粘り物」と合わせれば立派な料理だし、東京
農業大学の小泉武夫教授が紹介する焼き納豆なんてものもある▼納豆つい
でに、もう一つの朝の定番・卵かけご飯について一言。最近は卵かけご飯に合う
しょうゆとか、ふりかけなども販売されている。いずれにしろ、ご飯に卵全
部入れてかき回して、という人が多いと思う▼ここでちょっと変わったおい
しい食べ方を一つ。熱々のご飯をさらに1分ぐらいレンジでチンし「超熱々」
にする。そこにしょうゆを入れてかき混ぜた卵を大さじ2杯ぐらいだけかけ
て食す。ちんまりした食べ方だけど、卵が半熟になって、たまらない。
伝説のあぶくま抄には遠く及ばないのは承知ですが、他に書くことは無かったのかとw
タミー当時の穴埋め作品に通ずるものを感じました。ただそれだけ。
天声人語 2009年9月9日(水)付
鰯(いわし)の頭も信心から、という。値打ちがないものでも信仰すればありがたい。この格
言、からかい半分ながら、無から有を生む宗教の底力を言い表す。ひとたび信じた鰯の頭にあれ
これ価値が加われば、信者の喜びはいや増そう。
金沢市の宗教家(62)が、自分のDNA情報を添えた「ご神体」で荒稼ぎし、金沢国税局に
約10億円の所得隠しを指摘された。口内粘液から得たという情報を電子チップに刻み、きれい
なガラス柱に張りつけた置物だ。
病気が治ると称し、原価の約20倍の100万円で1100個売ったという。「教祖様の分身」
に治癒の気力をもらった人もいようが、どうにも利ざやが大きい。装いこそ今風でも、商いの手
口は古くさい。
週刊ダイヤモンドの最新号が「新宗教」を特集している。昨今は広く薄く、教祖の本などで明
朗に集金する「コンビニ型」が主流らしい。1人から100万円より、100人から1万円ずつ。
「少数の信者から身ぐるみはがすようなやり方は長続きしない」という。
他方、長続きとは別の魂胆から、宗教の公益性を隠れミノにした税金逃れが後を絶たない。
5億円超を追徴されたDNAの主も、課税で優遇される宗教法人の買収に熱心だったと聞く。宗
教家は「国を養うロマンのつもりで当局の指摘に従った」そうだ。
宗教という精神世界で身を立てながら、先端科学を都合よく拝借しては、「いいとこ取り」で
ひともうけと見られるだけだ。純であるべき信仰の対象を、欲得の能書きでゴテゴテ飾るもので
はない。鰯の頭に失礼である。
----------
コラムとしてはまあまあ面白いけど、どうも全体的に、宗教に対して冷笑的に見えるのが厭味。
最終段落『鰯の頭に失礼である』は酷い。
宗教、精神世界、信仰の対象を、十把一絡げに「鰯の頭」扱いしている風に読めるから。
>>91 > コラムとしてはまあまあ面白いけど、どうも全体的に、宗教に対して冷笑的に見えるのが厭味。
> 最終段落『鰯の頭に失礼である』は酷い。
> 宗教、精神世界、信仰の対象を、十把一絡げに「鰯の頭」扱いしている風に読めるから。
仕方ないよ。それが宗教だ。
儀式的なものを持ち出してきたらそれこそ平凡に暮らしていた人は胡散臭いものを感じるもの。
ぶっちゃけこの天人氏、共産イデオロギーに染まったことある?
それとか今流行の婉曲な創価叩きとか。
天声人語 2009年9月10日(木)付
犬猿の仲とはいうが、両者は桃太郎の家来を仲良く務めている。まして、本能ではなく利害で
動く人間ともなれば、小異を捨てて大同につくのは茶飯事。それも上げ潮の時は話が早いようだ。
民主党がつくる政権は、社民党と国民新党を加えた3党連立となることが決まった。在日米軍
基地など、隔たりのある外交・安保分野は「小異」として玉虫色の合意文書に塗り込められた。
衆院の議席を動物の目方に見立てれば、民主は308キロのクマ、社民は7キロのスピッツ、
国民新は3キロのチワワとでもなろうか。例えに他意はないが、小型犬にも独自の鳴き声があり、
クマの背で黙してはいられまい。節目でのほころびをどう取り繕うか、クマの頭脳と度量の見せ
どころだ。
ところで、気がかりは119キロの自民イノシシである。クマに倒されてから元気がなく、気
を取り直して猛進しようにも方向が定まらない。首相指名では「若林正俊」と書くそうだが、当
の元農水相が言う通り、その名に意味はない。白紙よりましという情けない選択となった。
二大政党制の是非はさておき、最大野党がしっかりしないと「二大」の効用さえ分からない。
小紙の世論調査では、76%が「立ち直って」とイノシシを励ましている。せめて総裁選では、
国民の優しさと我慢に応えてほしい。
勝ってまとまり、負ければもめる。政治の非情を映して秋が深まる中、内外の課題は待ってく
れない。雇用や福祉の不安、新型インフル、財政赤字、温暖化……。与野党が知恵を競って退治
すべき「鬼」は多い。
----------
いつまでたっても、自民党がいないと不安らしい。
『民主党が来たからもう安心』と言える政党ではない、ということか。それとも、民主党批判を
したくないが故の指桑罵槐か。
なんにしろ、自民党にとってはいい迷惑。『野党がしっかりしないから問題解決に失敗した』な
どと言われても困惑するだけだろう。
天声人語 2009年9月11日(金)付
ここ10年、朝日歌壇で介護が多く詠まれるようになった。妻の面倒を見る歌がたまに載る。
〈栗むいて口に放り込む妻在りて四十回目の結婚記念日〉前田治。日常をカラリと描いても、
「夫作」には細い風が抜ける。
「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」代表荒川不二夫さん(82)が語っていた。8年
の介護の末に妻を送り、今は息子の世話をする人である。「男性は家事に不慣れだし、弱音も吐
きづらい。介護疲れ、孤立感、経済的な苦しさは虐待や心中にもつながります」。
寝たきりの妻(60)の首を包丁で刺し、10日間のけがをさせた被告(63)に、山口地裁
で執行猶予つきの判決が言い渡された。懲役4年の求刑に対し、判決は「介護疲れ」を理由に実
刑を退け、保護観察を添えた。
結婚2年で脳出血に倒れた妻を、被告は13年間、一人で介護してきた。死にきれずに自首し
たという。法廷では「僕が好いた人。今でも妻が好きです」と声を詰まらせ、施設に移された妻
も厳罰を望まなかった。
裁判長は「裁判員の意見」を読み上げた。「生きがいを見つけ、肩の力を抜いて生きて下さい。
周りと協力して見守り、二度と悲しませないように」。介護がひとごとでない裁判員もいた。事
件当事者の身になる「素人裁き」の温(ぬく)もりが、優しい判決に残る。
元気だった妻との2年に劣らず、続く13年も今では宝物だろう。苦楽を共にしたその人は、
ひとつ屋根でなくても同じ秋空の下、幸いにも呼吸を続けている。朝日俳壇からも引く。〈妻逝
きて介護なき日の残暑かな〉渡辺憲司
96 :
文責・名無しさん:2009/09/12(土) 12:24:19 ID:FQrQqWCk0
京大ガンバレ
天声人語が政府批判できるのもあと3日。
それから先は朝日の上層部から圧力がかかって政府批判できなくなるだろうから、
最後の書きおさめに三日連続で政府批判をお願いします。
天声人語 2009年9月12日(土)付
一線記者の頃、その日の仕事が終わると打ち合わせと称して繰り出した。飲むうちに日付が変
わり、帰ればいいのにラーメンで締めるという日課である。その前にギョーザとビールがついた。
いま健診で怒られるたび、あれで10年は命が縮んだと悔やむが、ほろ酔いラーメンは体を張
るに値する味だった。スープの背脂がぎっとり絡んだ太麺(めん)が、仕事漬けの身に一時の安
息をくれた。目方と一緒に。
米ノースウエスタン大のチームが、夜食べると太ることをマウスの実験で確かめたそうだ。明
るい時だけ食べられるグループと、暗い時だけのグループに分け、高脂肪の餌をやり続けた。6
週間後の体重増加は「昼食組」の平均20%に対し、「夜食組」は48%に達した。
実験中の摂取カロリーと運動量に差はなく、寝るべき時間帯に食べたのがより肥えた理由とみ
られる。深夜には食べるなというメタボ予防の戒め通り、生活リズムを無視した暴食は体内時計
が許さないらしい。
捨てる神あれば拾う神あり。京都大の上杉志成(もとなり)教授らのチームが、細胞内で脂肪
ができるのを抑える化合物を見つけた。過食するマウスに4週間与えたところ、与えなかった一
群に比べ体重は12%、血糖値は70%低くなった。脂肪肝も防げたという。
研究を重ねれば、いくら食べても太らない薬ができるかもしれない。朝から焼き肉、深夜にカ
ツ丼。ついでに、飲むほどに肝臓が元気になるお酒が発明されたら人生は楽しかろう。ただし、
使っても減らない財布があったらの話。見果てぬ夢のあれこれである。
----------
毎度お馴染み、腹回りを気にする天人子。
毒にも薬にもならない類のコラムだけれど、軽妙で面白い。
天声人語 2009年9月13日(日)付
初秋の一日、上州と越後を結ぶ三国街道の山道を歩いた。いわし雲が浮かんで夏はすでに遠い
が、秋が色を整えるには少し間がある。群馬と新潟県境の三国峠に着くと、昔ここを越えた人々
の名を刻む碑があった。
越後側は豪雪地だけに、ゆかりの名も見える。「雪国」の川端康成は、国境のトンネルを列車
で抜けただけでなく、歩いて峠越えもしたようだ。鈴木牧之(ぼくし)は江戸時代に「北越雪譜」
を著した越後人である。すべてを閉ざす雪への恨み節のような、その一節は印象深い。
「今年もまた、この雪の中にある事かと雪を悲しむは辺郷の寒国に生まれたる不幸というべし」。
初雪を見ての感慨だ。暖地と違って雪が風流の対象ではないことを、くどいほどに説いている。
そんな牧之が聞いたら羨(うらや)むような話題が、先日の小紙にあった。モスクワの市長が、
雪雲を消して降雪を減らす計画を打ち出したそうだ。除雪費を減らすためといい、人工降雨の技
術を応用するらしい。雪雲が来る前に、郊外で降らせてしまうのだという。
雨や雪を人工的に降らせる研究は、日本でも戦後すぐに始まった。「天の意」を人が操る願望
は強いとみえ、今では約40カ国が取り組んでいる。将来、より有用な技術になる可能性がある
そうだ。
市長の皮算用では除雪費は3分の1に減るらしい。結構なことだが、天の摂理を乱さないかと、
素人にはいささかの心配もある。技術のもたらす果実も、収穫の仕方を誤ると痛い目に遭いかね
ない。北国の福音になればいいが、などと、峠を下りながら考えた。
----------
これまた毎度お馴染み、自然に向き合う天人子。
天声人語 2009年9月14日(月)付
中間管理職たる者、上役の評価は気がかりだが、部下たちの評判にもつい聞き耳を立ててしま
う。さる課長は、若手たちから「気のおけない人」と言われていると喜んでいた。
心安い人だ、という好意的な表現である。ところがある時、「気を許せない」という意味で使っ
ているとわかって、しょげてしまったそうだ。英文学者の外山滋比古さんが『日本語の作法』と
いう本に書いている。
この手の悲喜劇がいま、いたる所にありそうだ。文化庁の「国語に関する世論調査」で、いく
つかの慣用句の誤用の実態がわかった。たとえば「時を分かたず」は、「いつも」の意味だと正
しく答えた人は14%で、67%は「すぐに」だと思っていた。
「御の字」は「大いにありがたい」だが、正答は4割に満たなかった。誤りの「一応、納得で
きる」が5割を超えていた。商談で「この値段なら御の字」と言われたら、さて、どちらの意味
か。「時を分かたず」もそうだが、笑えぬ誤解を生む恐れもありそうだ。
大きな流れで気になったこともある。「言葉に表して伝え合う」のを重く見る人が減って、「察
し合って心を通わせる」人が増えていた。居心地の良い「仲間内」で安んじたがるという、昨今
の傾向の表れでもあろうか。
「今日(こんにち)は心を軽んじ言葉を愛し、思わぬことでも言ってしまおうとする」と、柳
田国男がかつて述べていた。その反動でもあるまいが、「言葉より心」では言語力は細りかねな
い。言葉のじれったさに向き合ってこそ、「察し合う心」も育まれるように思うのだが。
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最終段落『言葉のじれったさに向き合ってこそ』。
「誤用と切り捨てるのではなく」だの「時代と言葉の変化」だのと、したり顔で述べる述べるよ
うな社説やコラムが多いが、天人の書いていることの方が、個人的には好感が持てる。
しかし。
一週間も前のトピックだぜ、これ。
>>100 > 大きな流れで気になったこともある。「言葉に表して伝え合う」のを重く見る人が減って、
>「察し合って心を通わせる」人が増えていた。居心地の良い「仲間内」で安んじたがるという、
>昨今の傾向の表れでもあろうか。
「安倍はKY」と書き散らして喜んでたマスコミはどうなのよ?
何他人事のように書いてんだか。
天声人語 2009年9月15日(火)付
その一打以上に、当人の感想が待ち遠しかった。「解放されましたね。人の記録との戦いにピ
リオドを打てた」。重圧をしのばせるコメントに、少しほっとした。
雨空のテキサスで、イチロー選手が9年連続200安打の大リーグ記録を残した。8年連続で
並んでいたのは明治時代の選手である。三つの世紀にまたがるベースボールの歴史を、細身の日
本人が何度も塗り替え、彼ならではの語録が「正史」として刻まれていく。
古いファンは「ベーブ・ルース以前」を思い起こすという。腕力よりバットを操る技術、スピー
ド、そして頭を競う野球だ。ボテボテの内野ゴロがクロスプレーになる。歴史的な安打は、3バ
ウンド目をすくい上げた遊撃手が送球をあきらめた。
打率より安打数にこだわる。3割を守ろうとすればつらい打席も、ヒットを1本増やしたいと
思えば楽しめると。「楽しみ」を重ねての200本ながら、毎年となると大きなケガや不調は許
されない。例えれば、編み物をしながらの綱渡り。そんな苦行を思う。
「僕は天才ではありません。なぜなら自分がどうしてヒットを打てるか説明できるからです」
「驚かれているならまだまだ。驚かれないようになりたい」。刻まれた言葉の数々は近寄りがた
くもある。
50歳で惜しまれながら辞めるのが夢、と聞いた。足と目が許す限り、このまま前だけ見て進
むのだろう。なにしろ「現役のうちは過去を懐かしんではいけません」という至言の主だ。「よ
し、私も」とは思わない。あやかる気がなえるほどの高みである。
>>102 >並んでいたのは明治時代の選手である。三つの世紀にまたがる
なんで「明治時代」かな?
文脈からもテーマ的にも、もちろん朝日的にもここは「19世紀」とするのが適当だろうに。
縦書きだと19世紀より明治の方が締まるんじゃない
天声人語 2009年9月16日(水)付
銅と亜鉛の合金は、その輝きから「貧者の金」と呼ばれる。仏具や金管楽器、身近なところで
は5円玉の黄金色がそれで、真鍮(しんちゅう)ともいう。見てくれを取り繕う金めっきと違い、
渋いが本物の色である。
100年前、夏目漱石が小紙に連載した「それから」に、よく知られた一節がある。「鍍金
(めっき)を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑
(ぶべつ)を我慢する方が楽である」。実家の金でだらだら暮らす主人公が、昔の自分を引き合
いに現状を肯定するくだりだ。
私たちは時に、世渡りの都合から己を飾る。金でないのは承知だが、ここぞという場で真鍮を
さらすわけにはいかない。重職であればあるほど、めっきの世話になることが多くなる。
さて、その地位もあと数時間。麻生首相を書くのも最後となった。総理大臣ともなれば、普通
は発言に細心の注意を払う。テレビカメラの前で、ぶら下がり取材の記者に嫌みを返すことはな
い。高級店への日参も控えるものだ。そうした「切ない工面」とは無縁の、正直な人だった。
人呼んで「半径2メートルの男」は、サービス精神あふれる座談の名手と聞いた。地金によほ
ど自信があったのだろうが、座談の続きのような失言や誤読が重なると、一転、持ち前の明るさ
を渋面に塗り込めてしまった。
めっき漬けの政界にあって、地金で通す人は貴重である。しかし、それだけでは務まらない重
責もある。ご自身が望んだ地位ながら、心底やってよかったと思っておられようか。いずれ、座
談の名人芸でお聞きしたい。
----------
下種奴。
>>105 >ぶら下がり取材の記者に嫌みを返すことはない
よほど腹にすえかねてた様だw
108 :
文責・名無しさん:2009/09/16(水) 19:33:23 ID:9g6Pc6JC0
アホ丸出しの質問ばかりする、あのぶら下がり取材を受けたら
普通、嫌みぐらい言いたくなるだろ。
>107 108
そのぶら下がりも今日でおしまい。
ハトはぶらさがり拒否だもんな。
>>110 いまさら遅えよ _| ̄|〇 もっと早く書けってんだ。。。ダンディーだな太郎。
>>110 > 衆院解散について問われ続けた首相は、解散の決意だけは繰り返し、時期ははぐらかし続け
>た。特に連日のぶら下がり取材では、同じ質問にいらだち、その様子が報じられて支持率を下
>げるという悪循環に陥った。対照的にインタビューや記者会見は丁寧。自民党、自公政権が継
>続して取り組んできた内政・外交政策を語る時は特にそうだった。
手前らのたくらみで支持率を下げさせた、と白状していやがる。
この下種どもが地獄に落ちますように。なるべく早く。
天声人語 2009年9月17日(木)付
東京都文京区の旧鳩山邸を訪れた。町名から「音羽御殿」と呼ばれた洋館だ。首相だった鳩山
一郎は自らの半身不随もあって、大物たちを自宅に呼ぶことが多かった。玄関の階段を上がって
右手の第2応接室。主(あるじ)が愛した椅子(いす)と、六つの客用ソファがテーブルを囲ん
でいる。
54年前、緒方竹虎、三木武吉、大野伴睦、岸信介らが、保守合同で生まれる大政党について
論じた部屋である。党名は自由民主か、民主自由か。当時、政治はこの洋間を中心に回っていた。
自由、民主、社会。3語の離合が織りなす戦後の政党史である。二つをつなげて祖父らが旗揚
げした党を追い落とし、民主党代表の鳩山由紀夫氏が首相に就いた。「民社国」連立政権が船出
した。
閣僚には党幹部や論客が並び、朝まで野党だった割にはなじみの顔が多い。無論、政権交代の
評価は、誰がではなく何をやるかにかかる。衆目注視の下、すべてはこれからだ。
新人議員の大群も登院した。こちらはひと夏で売った顔が目立つ。当座は政権を頭数で支える
役回りでも、いずれ官僚に負けない専門性を身につけ、世直しの力になってくれようか。与野党
が政策を競う中で、利権や情実で動く政治を終わらせたい。
その日、鳩山氏は「未知の世界に遭遇していく。失敗もあろうかと思う。その時はぜひ、内向
きにならず外向きに」と仲間に訴えた。そう、新政権が見聞きし、感じるべきは、与党の名に共
通する「民」である。くらしの、喜怒哀楽の現場に身を置き、どうか応接間の似合わない政権党
であってほしい。
----------
音羽御殿と昔話。だらだらぐだぐだとマス目を埋めただけ、という雰囲気。
そんなに書きたくないなら、書かなきゃいいのに。
他紙コラムも、当然、鳩山内閣。
【北海道】卓上四季:鳩が飛んだ日(9月17日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/189309.html 釈迦(しゃか)の知恵を試そうとして帝釈天がタカに変身した。懐に逃げ込んだハトを引き渡
せ、と釈迦に迫る。釈迦は自分のもも肉をハトの重さの分だけ量ると、割いてタカにやった。ハ
トは救われる。「鳩の秤(はかり)」とは、自分を犠牲にして他に尽くすことを言う。
「鳩の杖(つえ)」もある。高齢までよく働いた者をねぎらうのに贈られた。献身の秤を持ち、
いたわりの杖を携え、安心して暮らせる社会へ努力してほしい−期待の風の中、鳩山由紀夫首相
の新政権が飛び立つ。
「鳩のように素直に、蛇のように賢くあれ」。政治のバランスは友愛だけでは済まない。財政
を考えれば「さあ鳩が出ますよ」式の手品は無理だ。抜け目のない知恵がいる。
「鳩に三枝(さんし)の礼あり」。礼を知る鳩は、親の3本下の枝に止まるという。308議
席におごる与党ではいけない。「鳩を憎み豆を作らぬ」。鳩に種を掘り返されるからと必要な仕
事をしなければ、何も生まれてこない。こちらは野党への言葉だろう。
西洋文明で、鳩は平和を象徴する。日本では古来、八幡宮の使いの鳥だ。侍たちは戦う前、こ
の神に武運長久を祈った。改憲を持論とする鳩はハト派なのか、タカ派なのか。
「小鳩体制」「鳩山・一郎政権」。小沢一郎・民主党幹事長との組み合わせにはそんなあだ名
もある。この先、名コンビとなるか、二重権力と評されるのか。今は飛翔(ひしょう)の具合を
見守っている。
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『鳩が飛んだ日』とはまた。
悲しくなって海を見に行ったりするのか。騙されているのだという暗喩か。
鳩がらみの慣用句には『鳩の飼い』というものがある。曰く『口先で人を誑(たぶら)かして世
渡りをする人。詐欺師や如何様(いかさま)師などにいう』とか。
【毎日】余録:「政治主導」の船出
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20090917k0000m070121000c.html 「整備文」−−霞が関の役人の書く文章をかつてこう名づけたのはカナダ人翻訳家イアン・アー
シーさんだった。「○○基盤整備」「××整備計画」など役所の書類で見るこの「整備」、彼に
よると霞が関では破壊以外のほとんどの作業を示すのに使われる。
いや、よく調べると自然破壊の「整備事業」も多いから「破壊」の意味すら含むと言い直して
いる。つまり分かりにくく、漠然とした抽象的な漢語こそ役人の好む言葉で、その代表が国民の
税金を際限なくのみ込んでいく「整備」だという。
「検討」「…等」「…を図る」などを連発するのも整備文の特徴である。アーシーさんによる
と、役人の整備文は内容をぼかすためわざと難解にするが、逆に政治家の話は一見分かりやすい
日本語なのに中身が何もない不思議な言葉という。
国民をケムに巻く役人言葉と、耳に心地いいが内容空疎な政治家言葉。戦後長らく続いたこの
二つの言葉の組み合わせを根本から覆そうという「政治主導」のスローガンだ。いわば国の統治
をめぐる文化革命に挑む鳩山新政権が誕生した。
確かに「脱官僚依存」の本拠となる国家戦略局や行政刷新会議の担当相に重鎮を配し、要所に
各行政の実情に通じた論客を布陣した閣僚人事である。組閣後恒例の閣僚への各省次官の政策説
明も廃され、新閣僚が役所の「整備文」にもとづき応答するような会見はご法度となった。
だが今後求められるのは役人批判でなく、役人をリードする政治の言葉の力だ。従来の政策調
整に代わる首相官邸主導の政策決定システムにはまだ目鼻がついていないが、「早急に整備を図
りたい」という釈明なら要らない。
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第4段落『文化革命』。余録子本人は違うことを考えて書いたかもしれないが、この単語、どうに
も、中国は毛沢東氏の粛清運動を想起させる。
『役人言葉』『政治家言葉』ということについては、9月3日の天人で触れた。
この単語、これそのものが間違いであり、すり替えであり、煽動である。何故なら、言葉の使い
方の方法論の一に過ぎないのに、役人や政治家を悪者に仕立て上げているから。
「テレビ論客」はいつ登場するんですか?
天声人語 2009年9月18日(金)付
日本航空がジェット機を導入したのは1960年、太平洋路線だった。「空飛ぶ日本間」と呼ばれた機内には生け花が飾られ、座席は西陣織。
客室乗務員はトイレで着替え、振り袖で接客した。
これは際物としても、こまやかな日航のサービスが業界の手本となった時代がある。おしぼり、調味料の個別包装も同社から世界に広まったという。
以上、航空アナリスト杉浦一機さんの本で知った。残念ながら、書名は『地に堕ちた日本航空』(草思社)だが。
日航が米デルタ航空などと資本提携の交渉に入った。人減らし、赤字路線の廃止だけでは追いつかない経営危機である。
甘い再建策に裏切られてきた銀行団は追加融資に腰が引け、「国の翼」のメンツを捨てて同業に助けを請う。
ジェット化までを顧みた「10年史」にある。<新しい時代の新しい事業を担う自負と、無際限な大空のいざないが心の支柱となった>。
日航の誕生は、占領状態の終わりに重なる慶事だった。独立国なら顔となる航空会社「フラッグ・キャリア」を持つべきだと官民が燃えた。
海外で暮らした頃、空港で見る日本の飛行機は里心をちくりと刺した。定期航路という見えない絆に、故国とつながっている安らぎも覚えた。
そこはかとない外資への抵抗感は、そうした心情の裏返しだろう。
企業の国籍にこだわる時代ではないが、身を削り、手を尽くしての選択なのか。
どんな血をいれるにせよ、「心の支柱」に翻る旗がいまだに親方日の丸では、新政権も支援に身が入るまい。残り時間はそれほどない。
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五星紅旗か太極旗なら良いんですよね^^
JALとANAの立ち位置の違いを上手く書いたレスがあったんだけど
保存し忘れた、これほど大きくなるとは思わず
たしかビズ板だったんだけどな、もったいないことをした
ANALJA
122 :
文責・名無しさん:2009/09/19(土) 01:01:08 ID:/f9WrorTP
JAP ANA(ir)L IN (e)
あとは分かるな
わかんねーよwww
天声人語 2009年9月19日(土)付
さあ5連休、という方もおられよう。敬老の日が03年から第3月曜に移され、今年のように
翌々日が秋分の日になることがある。挟まれた火曜も規定で休日に転じ、初の「シルバーウイー
ク」が成立した。
二つの祝日が同じ週の月と水に並ぶのが5連休の条件。次は6年後、その次はさらに11年後
で、今世紀は14回と数えた人もいる。日本での皆既日食ほど珍しくはないが、黄金週間のよう
に毎年あるわけではない。
芸事の場合、けいこを1日休めば自分に分かり、2日休めば師匠に知られ、3日休めば客にば
れるという。5日休んだら別人だろう。そんな「休みの魔力」を逆手にとって、ここで心機一転
という手もある。とりわけ今年は、ひと区切りの機運が世に満ちている。
主が代わった政治の世界は「リセット」著しい。外相は日米密約の調査を命じ、国交相は巨大
ダムの建設中止を告げた。厚労相や総務相も予習抜かりなく、早速ひと暴れの気配だ。各紙調査
の内閣支持率は久しぶりの70%台。世論を後ろ盾に、霞が関との知恵比べが始まる。
片や出直しの自民党。再起を期しての総裁選は、64歳の元財務相に46歳の2人が挑む構図
になった。党の支持率は10%台まで落ち込み、もはや失うものはない。与党ぼけの頭を、民主
党をしのぐスピードで切り替えるのみだ。
秋思(しゅうし)という言葉がある。夏の熱情の揺り戻しか、これからの思索は深く静かに、
胸奥にたたずむ。「変化」への陣容が整い、本当の激変まで間がある連休。どこかで、国の行く
末に思いを巡らすのも悪くない。
----------
今日もまた、なにやらぐだぐだ思いを馳せる天人子。主題が定まらず散文的。
他紙コラム。
【中日】中日春秋
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2009091902000040.html 「〜を廃止」「〜を見直し」…。この種の見出しが新聞に溢(あふ)れている。もちろん、鳩
山政権が発足して以後だ。
前政権のにおいがするものは、事業であれ、人事であれ、慣習であれ、当たるをさいわいなぎ
倒す感じがあるが、歴史的な政権交代がなったわけだし、多くは、総選挙で掲げたマニフェスト
(政権公約)にうたっていたことだ。そのこと自体は、だから、当然だろう。
だが、持ったが病で、心配症。今度は、新政権が世に「変革」の様を強調せんと思うあまり、
「変革しすぎ」が起きやしないか、と気になっていた。思う先から出てきたのが、官僚の記者会
見禁止令である。
早速、国連大使や気象庁長官の会見までがキャンセルに。同庁が「三カ月予報の会見もどうな
のか…」などと戸惑うに至っては、もうジョークである。脱官僚は結構だが、情報公開のチャン
ネルを制限するなど、筋違いというほかない。
なにしろ、本当の意味の「新」政権だ。気負いがあるのは仕方がないが、「騎虎(きこ)の勢
い」は困る。会見の件に限らず、変革も落ち着いて進めてほしい。<壊れていない物は直すな>
とかいう西諺(せいげん)や、『徒然草』の一節、<改めて益(やく)なき事は、改めぬをよし
とするなり>辺りを心に留めておくぐらいで、ちょうどいい。
当然だが、国民が望んだのは「とにかく変わる」ことではない。「よく変わる」ことである。
-----
最終段落『「とにかく変わる」ことではない』。初めて聞いたよ、新聞屋がそんなこと言うの。
お前さん方、とにかく変えさえすれば良くなる、と言っていなかったかね。
まあ、中日春秋子は以前から民主党への警戒感を隠していなかったからな。社説や紙面は、臆面
も無い持ち上げっぷりに溢れていたりするけど。
今、他のレス見てきたけど天声人語と同じようなことが書いてあった。
天声人語はいつから2ちゃんの仲間になったんだよ。w
天声人語 2009年9月20日(日)付
同じ漢字を使うだけに、中国語にはときおり、分かったようで分からない言葉がある。そうし
た一つに「空巣老人」なるものがあると、『漢語的不思議世界』(岩波書店)という近刊に教わっ
た。
空き巣ねらいの怪老人、ではない。独り暮らしのお年寄りのことだという。雛(ひな)が育っ
て飛び立てば、巣は空っぽになる。一人っ子政策の影響などで高齢者だけ残される世帯が増え、
かの大家族の国でも社会問題になっているのだという。
お年寄りをさいなむ孤独感は、国を問わず影が濃いようだ。先ごろは警視庁の調査で深刻な実
態がわかった。万引きをした高齢者に聞いたら、動機に「孤独」や「生きがいがない」をあげる
人が目立っていた。約9割が、友人は「いない」「少ない」と答えたそうだ。
人生への絶望感は脳卒中などの危険を高めることが、最近の米ミネソタ大の研究でわかった。
秋田大の調査でも「生きがい」のある人は脳卒中のリスクが低かった。前向きな気持ちを失うと、
もろもろに害ばかりが増えるらしい。
私見だが、女性の方が、男性よりも前向きだという印象が強い。ある福祉団体が募った「60
歳からの川柳」に〈大概(たいがい)は妻に掛かってくる電話〉とあった。言い当てられた思い
の夫君も、おられるのではないか。
老いてからの「友情の芽」は若い頃ほど丈夫ではないそうだ。育つのは遅く、萎(しお)れや
すいという。だが、ゆえに味わい深くもあろうと若輩ながら想像する。仲間内の旅行に趣味に、
家族再会のひとときに、どうぞ心の満ちる敬老連休を過ごされたい。
陰湿な嫌味。精神が異常としか思えん。
それと、女性は歳をとっても前向き、なんていうのは残間とかいうババアなんかもやってますが、
死生観の欠落でしかないわけで。
万引きについては、わずかな事例でなんでも一括りにして悦に入るキチゴミどもの常套手段。
ちなみに空き巣とはもともと留守宅のことを指すわけで、空き巣狙いを略して泥棒のことを空き巣と慣用。
日本語でも空巣老人の表現は正しい。たまさか知らなくても書く前にわかりそうなもんだがなあ。
書く、という行為にはそういう効用もあるわけで。ガリ勉で詰め込んだ知識の範囲内でしかものを考えられんか。
天声人語 2009年9月21日(月)付
クマというのは器用貧乏らしい。木にも登れば穴も掘り、泳ぎもできるが、何でもできるのは
何でもへたなのと同じ。木登りはネコに、穴掘りはアナグマに、泳ぎはカワウソに及ばないと、
雪博士で知られた高橋喜平さんが書いていた。
そんな身ごなしに愛嬌(あいきょう)があるのか、動物としてのイメージは「癒やし系」だろ
う。テディベアあり、プーさんあり、日本では金太郎の相撲の相手でもある。だが、おとなしい
ツキノワグマも牙をむけば猛獣に豹変(ひょうへん)する。
岐阜県の乗鞍岳で観光に来た人たちが襲われ、9人が負傷した。スカイラインのバスターミナ
ルでの惨事に、あたりはパニックになったそうだ。毎年秋に多発する、人とクマとの遭遇の悲劇
である。
現地は標高が高く、餌になるような木の実などないはずだと専門家は言う。昔、高所の山小屋
で残飯をあさるクマを見たことがあるが、今回もそのくちだろうか。集落近くでの遭遇多発とい
い、人との棲(す)み分けは難しくなるばかりのようだ。
きょうが命日の宮沢賢治に「なめとこ山の熊」という物語がある。熊撃ちと熊。殺し殺される
ものの交感を描いて切ない。「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ」。熊撃ちの声
は、毎年、多くのクマをやむなく捕殺する今の時代に重なって聞こえる。
顔を合わさずに暮らす。それだけのことが難しい。実のなる木を山に植えるなど、志ある人が
共存の道を探っているが、先は遠い。人の安全は何より大切だ。一方でクマを守るのも、たまさ
か人に生まれた側の務めだと考えたい。
天声人語 2009年9月22日(火)付
しばしば木々を取り上げる小欄だが、思えば「生えているものを書く」ばかりだった。連休の
一日、埋め合わせにと植樹のボランティアに参加した。場所は山ではなく、海である。
東京湾に浮かぶ「中央防波堤内側埋立地」。1973年から14年間、東京23区が出した
1230万トンのゴミと残土で造られた島だ。都民の手を借りてこの地を緑化する「海の森」計
画が、07年に動き出した。
お台場方面から海底トンネルを抜け、ススキの穂が揺れる島に出た。頭上高く羽田からの旅客
機が右に旋回していく。指示に従い、エノキとシロダモの苗木を植えた。五輪が東京に来れば、
ここで馬術競技の一部があるそうだ。ただ、森らしくなるのは30年後というから、見届ける自
信はない。
都市を生命体に見立てると、こうした人工島はトイレにあたる。大量生産と大量消費の残りか
すが、海上30メートルに積もる。「海の森」の先に延びる現在の処分場は、埋め立てができる
最後の海面だという。
昨年度、23区からは約300万トンのゴミが出され、50万トン近くが埋められた。焼却炉
の性能が上がり、かさばる廃プラスチックは燃やされ始めたが、それでも、東京湾に甘えられる
のはせいぜい半世紀。その先の展望はない。
植樹の行き帰り、東京港に架かるレインボーブリッジを歩いて渡った。湾岸のスカイラインは
ここ10年ほどでまた変わり、超高層マンションの群れが秋空を突いている。同じ姿をとどめな
い東京は、やはり生き物である。その細胞の一つとして、せめて排出は控えめにと思った。
乙です。
>クマというのは器用貧乏らしい。
なんだよ、器用貧乏って。なにも損はしてないだろ。
>木登りはネコに、穴掘りはアナグマに、泳ぎはカワウソに及ばない
別に及ばなくてもいいんじゃないか? 一番強いんだし。種によって特性は様々なんだから。
>雪博士で知られた高橋喜平さんが
動物博士じゃないのかよ。知られた、って誰も知らねえよ。
>そんな身ごなしに愛嬌(あいきょう)があるのか、
たいした話ではないと言え、こじつけるなあ、相変わらす。
>動物としてのイメージは「癒やし系」だろう。テディベアあり、プーさんあり
キャラにしたらほとんどの動物は癒し系じゃないか?
>日本では金太郎の相撲の相手でもある。
癒されはしないと思うが。
>おとなしいツキノワグマも牙をむけば猛獣に豹変(ひょうへん)する。
そういう動物を猛獣と言う。
>熊撃ちの声は、毎年、多くのクマをやむなく捕殺する今の時代に重なって聞こえる。
またぎと害獣駆除では重ならないだろう。重ねてしまうようじゃ捕鯨を殺戮としか思えないのと同じだな。
生活のため、と言われたら、水を買って地位経済に貢献したい、なんて言い出す白ブタと同じだな。
まあ、最後の段落には賛同する。こういう良識ばっかり毎日見せてくれるといいんだけどねえ。
>都市を生命体に見立てると、こうした人工島はトイレにあたる。
いつもなら、あたろうか、なんて書きそうだけど、変なことだけ断定するんだな。
>同じ姿をとどめない東京は、やはり生き物である。
ケチばっかりつれるようであれだけど、都市生活に酔いしれるコラムならけっこうだが、
自然環境についてのコラムとしては違うんじゃ?
天声人語 2009年9月23日(水)付
ど演歌「浪花(なにわ)恋しぐれ」などで知られる作曲家岡千秋さんがかつて、アエラで語っ
ていた。「僕くらい頭の悪い人間はいない。本当の話、人が100人もいない瀬戸内の小島で、
通知表は1ばかりですよ。でも例外があって、音楽と体育だけは5でした」。
秋。国語は嫌いでも歌がうまい、算数は苦手だが足が速いといった子の出番である。年に一度
の文化祭や運動会を待ちわび、輝く自分を思い描く才能も多かろう。そんな「学校行事の季節」
を、新型インフルエンザが襲った。
全国の小中学校、高校の流行状況を本紙が調べたところ、休校が108、学年・学級閉鎖が
1606校あった。9月初めに比べ、それぞれ3倍、4倍の急増である。この時期の全校行事は
感染を広げかねない。
実際、体育祭の後で500人に感染の疑いが生じた中高一貫校や、文化祭を打ち切って休校し
た高校がある。先生方もつらい。練習の成果を披露し、元気を発散する場を奪う形になるから、
〈予防のためなら生徒も泣かす〉とはいきにくい。されど、強行して感染が広がれば責められる。
滋賀県で7歳の坊やが亡くなり、感染が疑われる国内の死者は18人になった。ワクチン接種
が間もなく始まるが、当面は医師や看護師、妊婦、重病を抱えた人が優先される。せいぜい手洗
い、うがいで用心を怠るまい。
きょうは秋分。平年より早く初霜や初氷の便りが届いている。様子をうかがってきた新型ウイ
ルスが攻勢に出る頃合いだろう。名曲のように、〈それがどうした〉と開き直れないのが悔しい。
天声人語 2009年9月24日(木)付
日本語にしにくい英単語がある。「イニシアチブ」は率先、主唱、主導権などと訳すが、どう
もしっくりこない。そういう振る舞いは私たちの柄でないのかもしれない。とかく「出るクイ」
を疎む国民性である。
ゆえに新鮮、かつ胸のすく姿だった。国連の気候変動サミットで、温暖化ガス削減の新目標を
打ち上げた鳩山首相だ。前政権の3倍超という野心的な数字は、喝采の中で国際公約になった。
大排出国の米国、中国は牽制(けんせい)し合い、大した約束をしていない。新首相のスタン
ドプレーで国民や企業が不公平に泣くことはないか。そんな懸念もあろう。外交舞台では人気者
より、ずる賢い嫌われ者が国益を守ることがままあるからだ。
だが、人類の存亡にかかわる危機は切迫している。主要国のどこかが「地球益」を抱えて駆け
出さなければ何も動くまい。そして日本が走るなら、政権交代に世界の目が集まる今である。途
上国支援を鳩山イニシアチブと自称したのも、日本の型を破る自己主張だった。
もちろん、欧州勢は絶賛だ。海千山千たちにハシゴを外されないよう用心しながら、これから
も得意の「非軍事」で汗をかくのが日本の正道だろう。そうして蓄えた国際社会の尊敬と信用は、
いずれ国を救う。目先の、ちまちまとした損得よりよほど意味がある。
この国が、慣れぬ手で握りかけた主導権だ。かくなる上は米中や途上国を動かし、国内の説得
に努めるしかない。「格好よさ」に見合う責任が鳩山政権にのしかかる。追従しない外交とは、
本来そういうものである。
----------
バカなのか。こいつ。鳩山政権がそんな重責を果たせると思っているのか。
追従しない外交と言いながら、こいつが出した数字には『他の国もやるって言うなら』という前
置きがついている。追従しないってんなら、他国はどうあれオレはやる、と言うべきだろ。
ああ、もう。全段落、一語一語、ツッコミどころが多すぎるわ。
主導権を握りかけた、なんて思ってるのは鳩山しかいないんじゃないか。
>ちまちまとした損得
25%削減で不況になって自殺者が増えるのも「ちまちま」したことか?
素粒子って体制批判じゃなくて朝日が嫌いな特定の人物・団体をボロカスに叩く場所だから
ペンは剣より強し、の精神でね
139 :
文責・名無しさん:2009/09/25(金) 00:05:56 ID:+vtxcjsUP
毒の少ない素粒子だな
自民政権時代のフミーや下等の素粒子は見ていて気分が悪くなるほどのドス黒さだったぞ
まあこっちの文も生暖かい気持ち悪さがあるが
>>137を文字化。
素粒子
鳩山首相、初の日米首脳会
談。論文が「反米」的と批判も
されたが、初顔合わせは無難
にこなし、まずは「親米」気分。
■
思えば過去の日米関係、ブッ
シュ政権の単独主義にも「追
米」一辺倒だった。その一方で
「嫌米」の空気もじわじわと。
そして新政権。対等な関係
を目指す「等米」もいいが、気
兼ねなく意見を言い合う「友米」
はどうだろう。非核や環境で一
緒に走る「共米」も悪くない。
-----
対等な関係を目指のも気に入らない様子。『対等ではないが好ましい』関係を提示し、それがさ
も魅力的であるかのように飾る。
毒が無い、というより、子供だましという感じだな。
これ、今日の素粒子ですか?
そもそも、出る杭叩き、な国民性などという妄言が、
なにかのアンチでしか存在感を示せた気になれない人間がよく使う難癖であって、
嘘を軸にしてるんだから説得力なんか出るわけがない。
海千山千たちにハシゴを外されないよう、って、胸をすかせてくれた相手にえらい失礼だな。
経験の浅いぼっちゃんがきょろきょろおどおど後ろ振り返る様が目に浮かんだわ。
嫌米・反米保守は偏狭な右翼でなく本物の保守、だからこそ危ない、みたいなことを左翼が言ってたけど、
「等米」「友米」「共米」……、いまさらだがやっぱり朝日は本物の左翼・反体制ですらないんだね。
国賊根性丸出しで日本を貶められればなんでもいい、と。
熟語のつくりかたが日本人のレヴェルに達してないぞ。SM本でも買って勉強しろ。
反体制がひっくり返って御用新聞になってるなw
戦時中の朝日新聞に逆戻りしたんじゃないのか?
天声人語 2009年9月25日(金)付
5千円札が出たのは1957(昭和32)年である。翌年には1万円札が続き、聖徳太子は高
度成長の顔となった。大都市には労働者が密集し、家電が普及し始める。そんな時代を、未曽有
の災害が襲った。
59年の9月26日は、今年と同じ土曜だった。名古屋地方気象台は、怪物のような台風15
号に忙殺されていた。接近時の中心気圧は900ヘクトパスカルを下回り、夕刻、さほど衰えな
いまま紀伊半島に上陸する。
停電で情報が途絶える中、南からの暴風に乗って5メートルもの高潮が襲った。港の貯木場か
ら流れ出た巨木が家々をつぶし、死者・不明者は名古屋市の低地を中心に5098人。伊勢湾台
風の名がついたのは4日後である。
阪神大震災まで、これが戦後最悪の天変地異だった。濁流にのまれ、闇に引き裂かれた家族は
数知れず、多くの悲話が残る。一つを、翌年に出た『伊勢湾台風物語』(寺沢鎮著)で知った。
ある家で5歳ほどの男の子の亡きがらが見つかった。傍らに水筒とリュック、財布には1枚の
5千円札が入っていたという。親は「この子だけは」と手を尽くし、水にさらわれたらしい。初
任給が1万円前後の頃である。こうして、中京地区の物づくりを支えるはずだった幾多の命が失
われた。
気象台は台風の進路を読み切り、早めに警報を出していた。行政が避難を徹底させれば死者は
250人に抑えられた、との分析もある。わが身は己で守るだけと、以後、電池式の携帯ラジオ
が普及した。「自助」が命を救うという防災の教訓は、半世紀を経ても色あせない。
>中京地区の物づくりを支えるはずだった幾多の命が
おまえにそんなこと言われたくないという感じ
>>144 >中京地区の物づくりを支えるはずだった幾多の命が失われた。
この言い方ってひどくね?
人の命を生産手段としてしか見てないとも思われかねない。
「産む機械」を批判した口でこういうこと言うかね。
>わが身は己で守るだけと、以後、電池式の携帯ラジオが普及した。
出た、こじつけ。
天声人語 2009年9月26日(土)付
開高健は、小説家が備えるべき資質をピアノ線に例えた。首を断つほどの強さと、ビンビン響
く感性が共に欠かせないのだと。政治家の理想もピアノ線ではないか。張り詰めた信念を、聴衆
の心に送り届けるという意味である。
そんなことを考えながら、国連安全保障理事会の首脳演説を聴いた。全会一致で決議した「核
なき世界」。議長を務めたオバマ米大統領の信念と思いたい。半年前に口にした針路へと各国を
引き寄せる意志は、ピンと張った鋼の筋を思わせる。
かたや鳩山首相。英語の発音はこなれていても、原稿を追う表情はやや硬かった。それでも「被
爆国の責任を果たすために核を持たない」「日本は核廃絶の先頭に立つ」のくだりは、万人の心
に響いたはずだ。
会場の映像は、もどかしくもあった。丸く座った五つの常任理事国が自ら決断すれば、世の核
弾頭の97%はなくせるのだから。オバマ氏のメッセージは、残る3%を蓄える国やテロ集団に
向けたものでもある。心あるリーダーが同じ勇気と正気を保ち、非核の音色を膨らませるしかな
い。
被爆国に生まれながら、「核なき世界など平和ぼけの夢」と語る者がいる。核武装を唱えるに
至っては、地道な外交努力に背を向けた逃げであろう。勇ましい言説に惑わない強さ、感性を備
えたい。
オノ・ヨーコさんに深い言葉がある。〈ひとりで見る夢は夢でしかないが、一緒に見る夢は現
実だ〉。ならば人類共通の願いがかなわぬ道理はない。こと核廃絶については、いい意味で青臭
く、突っ張るハトであれと願う。
----------
「被爆国の責任」「被爆国に生まれた者は核兵器に反対しなければならない」という圧し付けは
酷いな。日本人はそういうカーストに生まれたのか。思想は強制されねばならないのか。
結局、「核兵器の廃絶こそ正しい」「核兵器に反対しないものは愚かである」という前提で、世
界を見て、話を聞けば、そういう風に感じるのであろう。
しかし、鳩山氏の英語の発音、こなれていたか? なんでも持ち上げればいいってモンじゃない。
おれも、こなれてはいなかったと おもう。
提灯記事の手本ワロタ
※ただし中国は除くワロタ
東西冷戦時代の核抑止無視しすぎワロタ
151 :
文責・名無しさん:2009/09/26(土) 16:31:26 ID:pL7tbtbC0
152 :
文責・名無しさん:2009/09/26(土) 16:32:34 ID:pL7tbtbC0
>>151 『フォーサイト』 2009年9月号
「核兵器なき世界」の本当の意味と「日本の役割」 池内恵
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/ 池内氏の分析は的確。中東諸国では従来は毎年のように広島平和記念式典を大きく報じて
きたが、今年はほとんどニュースにならなかったそうだ。中東諸国にとっても、今や核保有は
現実的な選択肢となりつつあるからだと分析。それと軌を一にするかのように、オバマや
キッシンジャーらが「核なき世界」を標榜して核軍縮外交を展開し始めたのは偶然ではないと。
米国は、核保有国と非保有国の格差を維持したいのが本音だが、従来のやり方では困難に
なりつつあるので、「唯一の核使用国としての責任」や「自国の核兵器の削減」を言明することに
よって、逆に米国が倫理的優位性とイニシアチブを確保し、自らは核を手放さずに新たな核保有国
の出現を阻止する核不拡散体制の再構築を打ち出そうとしているのだろうと池内氏は分析。
ところが日本のメディアにはそうした分析はなく、相変らず観念論で報じていると批判している。
『Voice』 2009年9月号
核武装なくして日本は滅ぶ 伊藤貫
http://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12381 伊藤氏も、先の米露の核弾頭削減合意のまやかしを指摘している。
この合意は、ただちに使用可能な状態に数千発の核弾頭の内、わずか数百発を、ミサイルや
爆撃機等から取り外して格納庫にしまうだけの合意に過ぎず、それらの核弾頭を廃棄する
わけではなく、わずか数時間でまた使用可能な状態に戻すこともできるそうだ。
そして、オバマの核軍縮外交を本気で信じているのは、ナイーブな日本人だけだと指摘。
そして、論文中に下記の文章を書いている。
--------------------------------------------------------------------------
著名な核戦略学者であるバーナード・ブローディ(イェール大学教授・元国防総省核戦略担当官)
は、「NPTとは、国際政治において日本を永遠に劣等な立場に置いておくためのシステムだ」と
指摘している。
--------------------------------------------------------------------------
153 :
文責・名無しさん:2009/09/26(土) 16:34:36 ID:pL7tbtbC0
154 :
文責・名無しさん:2009/09/26(土) 16:42:26 ID:pL7tbtbC0
>>151 宮脇 磊介氏(元内閣広報官)
ドナルド・モース氏はリビジョニストであるプレストウィッツのつくった研究所の副所長で、
現在麗澤大学に来ており、近々アメリカに帰る予定である。NSA(National Security Agency:
通信傍受の中心機関)で勤務した経験もある特異な経歴を持っている人である。いかに日本人
がナイーブかを語ってもらった。
どれほどナイーブかということが21世紀社会の日本のあり方に影響を与える。それをどう
克服していくのかがインテリジェンスである。
海外の人たちが日本人を評価するときに使うよく使う言葉がナイーブである。「もともと日本人は
12歳であった」と言ったのはマッカーサー元帥で、彼が占領後の総司令官をやり、帰国後議会で
証言した時に言ったことが、「アメリカ人やイギリス人は45歳、ドイツ人も45歳、しかし日本人は
12歳程度」と証言した。
ナイーブという言葉の意味は、辞書を引くと「無邪気なとか純真な」という意味が書かれているが、
これは決していい言葉でない。物事の本質が分かっていないから無邪気にはしゃいでいられる
ので「ナイーブ」といわれる。
http://ohto-lj.hp.infoseek.co.jp/010301my.htm
155 :
文責・名無しさん:2009/09/26(土) 16:46:00 ID:pL7tbtbC0
>>154 だいぶ前、『週刊読書人』に、中国から引き揚げて来たある日本人が、満州の学校で中国人の
級友から、「俺たち中国人は同じ中国人同士でもときどきわからなくなるが、お前ら日本人は
底抜けに単純なんだな」と言われた体験談を書いているのを読んだことがある。
西尾も以前、『諸君!』に寄稿した論文で、ナチスの迫害を逃れ、欧州から日本を経て米国に
渡ったユダヤ人科学者の日本人評として、「ある日本的単純さ」「日本人はまだ認識の木の実を
食べたことがない」と書かれている文章を紹介したことがある。また西尾は、人間理解において、
青年期の文学作品の読書体験の重要性を指摘したこともある。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1194023393/107
天声人語を書くやつがバカなんじゃなくて、
それを真に受けてありがたがるやつがバカなんだろう。
天声人語 2009年9月27日(日)付
作歌の経験などなく、作法も知らない。だがどうしても詠みたいと、ある航空工学の学者が残
した一首がある。〈はるのそらの とはのなみだの ひとつゆを いまなきひとの たまのみま
えに〉。
漢字を使えば、「春の空の永遠(とわ)の涙のひと露をいま亡き人の魂(たま)の御前(みま
え)に」となるのであろう。1966(昭和41)年2月、全日空機が東京湾に墜落して133
人全員が亡くなった。その調査に加わった山名正夫東大教授(当時)が、犠牲者の霊前にささげ
た鎮魂の歌である。
ジェット時代の幕開けに、それらの大事故が相次いで、国の運輸安全委員会の前身になる組織
はつくられた。その委員会で、4年前のJR宝塚線(福知山線)の事故をめぐる調査情報の漏洩
(ろうえい)が明るみに出た。調査の中立性を揺るがすゆゆしき不祥事である。
JR西日本は報告書の修正まで頼んでいて悪質だ。安全より業績という社風が改まっていない
のだろうか。もともと鉄道も航空も、専門性に閉ざされた狭い世界である。調査側と当事者側の
「なれ合い」は、古くて新しい懸念でもあった。
66年の全日空の事故でも利害関係者が調査団に入っていたという。影響があったのかどうか、
「原因不明」として調査は終了する。組織と相いれなかった山名教授は途中で辞表を出した。
冒頭の一首は、真相に至れぬことを死者にわびる歌でもあったと、人づてに聞いたことがある。
宝塚線事故の犠牲者は107人を数える。揺るがぬ調査に基づく再発の防止こそが、せめてもの
鎮魂なのだと肝に銘じなくてはならない。
天声人語 2009年9月28日(月)付
いまの季節、部屋の中で秋らしい気分を味わうには、ススキを飾るのが手っ取り早い。そう人
に言われて試してみた。原っぱから何本か、ハサミで切ってきて花瓶に投げ込むと、なるほど演
出効果はてきめんだ。窓の向こうの夜空さえ心なしか澄みわたる。
秋の七草を、指を折りつつ挙げてみると、萩(はぎ)、尾花、葛(くず)、撫子(なでしこ)、
女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、それに朝顔となる。朝顔はいまの桔梗(ききょう)
か木槿(むくげ)だという。ススキを尾花と呼ぶのは、花穂が動物の尻尾(しっぽ)に似ている
ためらしい。
ススキの群れは、風になびいて「おいで、おいで」をする。その様を、江戸時代の俳人去来は
「さよなら」に見立てた。〈君が手もまじるなるべし花芒(はなすすき)〉。見送ってくれる人
の振る手が、銀の穂波と一緒にいつまでも揺れている。一読、秋風の立つような余韻を残す。
〈夕焼、小焼、薄(すすき)のさきに火がついた〉。これで全文の「薄」という童謡をつくっ
たのは、北原白秋だった。秋の入り日はあかあかと落ちていく。説明抜きの郷愁を、ススキは呼
びさますようである。
さて、わが部屋のススキは、花穂が開いて、はや秋たけなわの風情になった。窓の外に丸い月
がほしいところだが、まだ半分ばかり欠けている。この月が満ちていって、中秋の名月になる。
花屋で竜胆(りんどう)や吾亦紅(われもこう)を買ってススキの脇に挿してみた。千草の乱
れ咲く広がりはないが、ささやかながら秋の季語の「花野」が出現した。〈かたはらに秋ぐさの
花かたるらくほろびしものはなつかしきかな〉牧水。名歌の調べにも誘われて、秋が胸の底へ染
みていく。
>>148 > オノ・ヨーコさんに深い言葉がある。〈ひとりで見る夢は夢でしかないが、一緒に見る夢は
>現実だ〉。
ひとりで見ようと、多人数で見ようと、たとえ全員で見ようとも、夢は夢だ。
多くの人と同じ理想を共有する、という方向に進むなら現実にもなろう。
だが、皆で目を逸らし続けるだけなら、心地好い夢想に安逸をむさぼる夢上の楼閣の住人だ。
>>158 真犯人探しや、ある単一の物事に原因を求めるのは、『揺るがぬ調査に基づく再発の防止』では
ないと思う。
161 :
文責・名無しさん:2009/09/28(月) 22:32:26 ID:g8z2TJNp0
自民叩きネタなんてとっくに尽きているのに素粒子がまたやっているな。
民主にも叩きネタはたくさんあるはずなのだが。
>>159 「ほう。ススキですか」
「ええ。花瓶に生けようかと思いまして」
「風流ですなあ」
「いや、そんなたいしたものでは――」
なんて話した紳士が天人子だったら、人間不信になるなw
>かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな
夏に負けた自民のことだろ? 下種な野郎。
>>161 自民党を、「自」のついた四文字熟語で表してみると――。
自作自演の政官業癒着に足をすくわれ自縄自縛。
制度疲労の自覚症状はなかったのか、下野したのは自業自得で自己責任。
戦後の成功を導いて、自画自賛はわかるけど、自己否定なしに前進なし。
総裁選も、自己満足に終われば自力更生は遠い。
■
半世紀以上、この党を選んできた日本国民。
自民党とは、自分自身だったのかもしれない。
これのことですよね。ドキュン記事のほうにあったのでコピペさせてもらいましたw
部数も下げ止まって、次は国民叩きの段階に入ったということでしょうか。
天声人語 2009年9月29日(火)付
俳人黛(まゆずみ)まどかさんを世に出した初句集「B面の夏」の題は、〈旅終へてよりB面
の夏休(なつやすみ)〉による。家族旅行の後、宿題だけが残った少女時代の思いを詠んだ作と
いう。楽しんだ残余を言い得て妙のB面。なるほど、くすんだ語感である。
若い方には説明が要るかもしれない。80年代に音楽CDが普及するまで、曲は円盤の両面に
刻まれた。表裏に1曲ずつのシングル盤は普通、ヒットを狙うのはA面で、B面の多くは添え物
に近かった。
地味に終わった自民党の総裁選に、この言葉を懐かしく思い出した。民主党が奏でる青臭いA
面は海の向こうからも聞こえたのに、裏の三重唱は聴衆まばら。5割に満たぬ党員投票率は正直
だ。野党の悲哀であろう。
首相の花が咲かない木に登った谷垣禎一氏は、ベテランの中では善人風ながら、党が出直した
という新鮮味は薄い。B面に針を落としてみたら、どこかで聴いたメロディーだった印象だ。
とはいえ日本の政治にとって、この先数年ほど重い時はない。政権の未熟を突き、対案をぶつ
けるのが自民党の役割となる。反省すべきはし、与党に戻したくなるような成果を重ねるしかな
い。自党の盛衰のみならず、実りある競合に持ち込めるかどうかも谷垣氏次第である。再生の音
を待ちたい。
A面ほど大衆受けを狙わないためか、時に斬新、そして聴くほどにしみる秀作がB面には潜む。
千昌夫さんの「星影のワルツ」、加藤登紀子さんが歌った「知床旅情」、ガロの「学生街の喫茶
店」。盤の裏側から歌謡史に名を刻んだ曲は少なくない。
----------
シングルレコードを懐かしむ向きには、いい感じのコラムだと思う。説明が必要な『若い方』に
とっては、いまいち響きが悪いかもしれん。
内容は、まったくもってどうでもいい、凡庸なもの。
>>162 >戦後の成功を導いて、自画自賛はわかるけど、自己否定なしに前進なし。
自己否定とは、すげえな。
なんだ、やっぱり『自民党は、自民党だから否定』だったのか、お前ら。
なんとなく、だが、ここには本当は『自己批判』と書くつもりだったのではなかろうか。
本来ならば『反省』とするべきなんだけど、それでは「自」がつかないし四文字熟語でもない。
かといって、自己批判などと言ったら共産主義的『粛清』の臭いが出ちゃうから、自己否定と書
き直してみた、という。
四文字熟語ではないけれど『自戒自省』とか、その程度にしておくべきだったんじゃないかなあ。
素粒子 9月29日(火)付
突然の建設中止宣言に、戸惑い憤る八ツ場ダムの地元住民。基地移設の行方を案じて、一刻も早い撤去を求める沖縄県民。
各地の巨大事業、中止か存続かで視線が集まるのはいつも、混乱し、分断される地元だけ。
ダムも基地も、その“利益”を得るのは国民一人一人。決して、ごく一部の地域と住民だけの話ではないはず、なのだが。
■
問題の根っこにあるのは私たちの無関心。私たちの無責任。
―――
すげえ。もはやなにを叩いているのか、なにを言っているのかわからねえ。
アナキズムさらには原始共産制で思考が感情的に停止しているような
近代ならまだしも、現代でこれはないわ
>>163 瑣末かもしれませんが、黛まどかの世代なら、カセットじゃないか、と思ったりもするんですが。旅終えて、ですし。
>A面ほど大衆受けを狙わないためか、時に斬新、そして聴くほどにしみる秀作がB面には潜む。
>盤の裏側から歌謡史に名を刻んだ曲は少なくない。
大衆受けしたからヒットしたんじゃないのか? 自分でも音楽史じゃなく歌謡史と言ってるし。
撞着だらけ。バカじゃねw
天声人語 2009年9月30日(水)付
秋風の中、季節の移ろいにも負けぬ鮮烈さで政治が変わり始めた。鳩山首相が国連で「日本の
民主主義の勝利」と報告した政権交代。真の勝利かどうかは変わった後で国民が判じよう。激動
を歴史に刻む9月の言葉から。
タクシー運転手のトシさん(45)は新閣僚の就任会見に好感を持った。「みんな自分の言葉
で話している。期待した以上に本気なんだ」。でも「急カーブに高速で突っ込んでいく感じ。曲
がりきれるんだろうか」。
霞が関には早くも大波だ。岡田外相は「この問題は国民の不信感を高め、結果として日本の外
交を弱くしている」と日米密約の調査を命じた。外務省幹部は「やはり政治家がやらないと。首
相や外相がやれと言えば我々はやる」。
厚労省に「進駐」した長妻大臣。「私は国民から送り込まれたチェックマン。皆さんとぶつか
るかもしれない。アカを洗いざらい出してほしい」と一発。民主党のマニフェストをかざして「国
民の命令書です。携行、熟読して下さい」。
建設中止を宣告された八ツ場(やんば)ダムの群馬県長野原町。町職員は「いつ完成するか分
からないダムのせいで、賛成派と反対派、移住する人と残る人に分断された」と怒りが収まらず。
視察の前原国交相を「早期完成」の張り紙で迎えた。
「どの政府にも政策を変える権利がある」。クリントン米国務長官は、安保政策の見直しにも
余裕。政権につけば現実的になる、との読みらしい。「選挙運動は詩でやり、政治は散文でする
ものだ」と。変えっぷり、変わりっぷりに、内外の目が注がれる。
素粒子 09/30(水)
歴史的選挙から1カ月。歴史
用語が飛び交った9月だった。
政権交代は「一票革命」、鳩
山首相の言う友愛は「フランス
革命」ばり。「明治維新」以来
の官僚主導脱却は「大政奉還」
で、国会内の転居は「江戸城明
け渡し」。野心的な温暖化防止
案は、現代の「産業革命」か。
■
気宇壮大だが、実像は。一人
一人がこれからの歴史の証人。
<歴史の記述はまずわが名よ
り鵙の贄> 寺山修司
―――
鵙の贄に「もず」の「にえ」、とルビ。
>>169 もはや前後不覚の酩酊状態状態だな。
どうしたいんだ、いったい。
>>169 えーと皮肉はどうした?提灯コラム作るためにその欄書いてたんだっけ?
>>171 フランス革命だろ?
フランス革命といえばロベスピエールの恐怖政治じゃないか
大政奉還の大義名分は攘夷だったな
天声人語 2009年10月1日(木)付
中国では里帰りを探親(タンチン)というそうだ。字面は親族を頼って帰る風だが、財をなし
た華僑は頼られる側だった。東京出身の作家・譚●美(たん・ろみ、「ろ」は「王へんに路」)
さんが、北京生まれの早大教授劉傑(りゅう・けつ)さんとの共著『新華僑 老華僑』(文春新
書)で昔話を紹介している。
70年代後半に里帰りした在日華僑氏。三日三晩の宴会で歓待されたはいいが、費用のほか電
気や下水道の工事までせがまれ、400万円が消えた。それでも母国を支える喜びがあったとい
う。愛国華僑は対中投資の懸け橋となる。
中国は本日、建国60周年を迎えた。歩みを色分けすれば、解放と混乱、続いて開放と成長と
なろうか。譚さんの知人が故郷で散財した頃から、一人当たりの国内総生産は約15倍に増えた。
あの日、毛沢東は整髪して天安門の楼閣に現れ、広場の数十万人を前に中華人民共和国の成立
を宣言した。アヘン戦争以来の屈辱を越え、新中国の実験が始まった瞬間だ。毛は続けた。「我々
は自らの文明と幸福を創造し、世界の平和と自由を促進するために働くだろう」。
豊かになった13億の民の間を今、格差と反目の溝が幾重にも走る。都市と農村、漢族と少数
民族。一党独裁の下、人権や表現の自由にも光明は見えない。長い苦闘の末に建国を勝ち取った
者たちは、明暗のまだら模様を天からどう見ていよう。
共産党の古里でもある農村から貧しい出稼ぎがあふれ、市場経済を巧(うま)く泳いだ富裕層、
特権階級が海外旅行に興じる現実は本意ではあるまい。意あって技なしか、どちらも足りないの
か。国造りの夢、道半ばである。
----------
中国という国の歩みには、えらく親身な天人子。
素粒子 10/01(木)
貸しビルテナント様募集中
<以下条件>
・鉄筋コンクリート造り3階
建て。94年建築ですが美物件。
・家賃は月10万円。周辺の相
場に比べ何と5分の1の安さ。
・延べ床面積880平方b。
広く政治団体事務所など最適。
・電気ガス水道も完備。特別
回線で金星にも交信できます。
・ただし、友愛精神をお持ち
でないお客様はお断りします。
・その他お問い合わせは北海
道室蘭市、マメ鉄砲不動産へ。
―――
「貸しビルテナント様募集中」が太字。
今日の天声人語と余禄、内容が似すぎなんだが気のせい?
>>175 素粒子はキャバクラに連れて行ってもらえなかったのか
天声人語 2009年10月2日(金)付
盲目の箏曲家、宮城道雄の名を世界に広めた名曲「春の海」は、瀬戸内の景色だという。本人
は「島々に桃の花が美しく咲いていると船で聞き、ヒントをだいたい得たわけです」と語ってい
る。
8歳で失明した宮城。幼い記憶と人の話に、自らとらえた風や潮騒を重ね、変化に富んだ琴と
尺八の二重奏に仕上げた。昭和の初め、35歳だった。何度も聞かされたであろう親の故郷、鞆
(とも)の浦の風景も、音符のいくつかになったと思われる。
広島県福山市の景勝地、鞆の浦の一部を埋め立て、長さ180メートルの橋をかける計画に、
広島地裁が待ったをかけた。判決はその景観について、住民の利益にとどまらず「国民の財産」
と踏み込む。景色を守るために公共事業が止められるのは初めてという。
鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央にある。満潮時には東西からの潮が沖で出合い、東西へと引いて
いく。潮待ちの港として古代から栄えたゆえんだ。大伴旅人らの吟詠が万葉集に残る。
映画監督の宮崎駿(はやお)さんは4年前、ここに2カ月滞在し、入り江を眺めて「崖(がけ)
の上のポニョ」の想を練った。「開発でけりがつく時代ではない。公共工事で何かが劇的に変わ
るという幻想は捨てたほうがいい」と判決を喜ぶ。
優しくたゆたう海は古今の才能を刺激し、言葉、音、映像となって私たちを感動させてきた。
「国民の財産」の再生産である。一方に「これでは救急車も入れない」という生活の叫び。行政
には、かけがえのない景色と、足元の暮らしの両方を守る知恵が求められよう。納得の司法判断
である。
----------
地方都市は地方都市のものだけど、そこの景観は国民の財産、と。
地方分権なんぞ持ち出すまでもなく、この司法判断『国民の財産』を尊重するなら、鞆の浦の景
観保護と住民生活の向上には、国民が納めた税金でもって手当てをしなければならない。
最終段落『両方を守る知恵』。知恵だけじゃないのだ。それだけのコスト、リソースを投下しろ
と言うのが、判決のキモであると考える。国民の財産は、国民が守らなければならない。
>>177さんご指摘の余録(毎日新聞 2009年10月2日(金))
鞆の浦景観判決
瀬戸内海の島々を心に浮かべ「春の海」を作曲した箏曲家の宮城道雄は、両親の育った広島県
鞆(とも)を戦後になって訪れた。幼い時に失明した宮城は、肌に触れる空気と音を通して父祖
の故郷のたたずまいに心を奪われた
「朝の清らかな海の風が時々微(かす)かに吹いてくる。波の音は、耳を澄まさなければ聞こえ
ないくらいであった。宿の主人がよって来られて、今、沖の方に打瀬舟(うたせぶね)がたくさ
ん帆をかけて並んでいて、それに朝日が美しく照り映えていると云(い)った。私はそれを聞い
てドビッシーの曲の『海』が耳に浮かんで来た」(古巣乃梅)
きっと目に映る光景ばかりが「景観」ではないのに違いない。心の中に音楽となって立ち上がる
風や波の音、受け継がれてきた人の暮らし、古い伝説や歌や史跡、それらが一体となったたたず
まいが形作るその土地の「景観」なのであろう
古代からの潮待ちの港として万葉集に歌われた鞆の浦だ。歴史的伝承も多く、港の遺構も残る。
そんな歴史と文化に根ざす景観は「国民の財産」だと広島地裁は判決した。景観という公益の保
護のため、計画中の埋め立てを差し止めたのだ
訴えは埋め立てと架橋に反対する住民が起こしていたものだ。だが、地元では架橋は生活に必須
だとする計画推進派が多数を占めている。なかには「国民の財産」のためになぜ地元民が暮らし
を犠牲にせねばならないのかとの反発もあろう
ただ計画推進派もその価値は認めるこの地の景観だ。一方で住民の生き生きとした暮らしにこそ
宿る歴史と文化である。そのすべてが国民全体の父祖からの預かりものというところから地域の
明日の構想を立て直せぬものか。
天声人語 2009年10月3日(土)付
コペルニクスが地動説の公表を決意したのは最晩年だった。科学史に輝く一冊「天体の回転に
ついて」の初版本は死の床に届いたとされる。元になる論文を友人に配ってから30余年が過ぎ
ていた。
当時の宇宙観は、あらゆる天体は地球を中心に回っているという天動説。異を唱えれば教会に
迫害されかねない。中世に固まった頑迷な秩序を覆すのは、勇気と労力が要る作業だった。
与野党の立場が逆転し、霞が関でコペルニクス的転回が多発している。最たるものは概算要求
のやり直しだろう。予算を目いっぱい求める役どころだった各大臣は、自分の省庁の要求を削り
倒せと命じられた。政権公約を実現するには7兆円をひねり出さねばならない。
節度は自ら保てとばかり、半世紀近い習わしだったシーリング(要求上限)も消えた。旧政権
下のメニューをどれほど削るかで、官僚たちの忠誠ぶりや大臣の手腕が試される。大食い競争か
らダイエット合戦へ、天と地ほどの差である。
予算見直しの試金石は、「アニメの殿堂」でみそをつけた補正予算の執行取りやめだ。各省の
返上分はなかなか目標の計3兆円に届かない。こうした政治主導をつかさどる体制はまだ作りか
けで、走りながら考えている様子がうかがえる。
古い秩序を壊して築くべきは、すべてが国民を中心に回る世の中であろう。わけても税金の使
い道は国家の根幹であり、本気で白紙から改めるなら「ミニ革命」どころか「プチ建国」に近い。
つち音、ホコリ、日々高し。しばらくは突貫工事の首尾を見守りたい。
----------
前政権の手になるものは、全て悪、ムダ、不要なものとして切り捨てる、か。
易姓革命、なんて単語を思い出したよ。いまだ民主党を持ち上げるのに忙しい天人子。
「ミニ革命」「プチ建国」。なにかものすごいことが起こっている、と思わせたいようだけれど、
何のことはない、前政権の利権構造に食い込めなかった人々が、その構造を壊して自分に有利な
利権構造を造ろうとしているに過ぎない。
この程度のことは、古今東西よくあること。問題の焦点は、今の政権の能力であろう。首尾を見
守る等と悠長に構えている余裕は、ないと思うが。
結局後でばらまくのに、削減削減で喜んでるのって何か違くないか。
素粒子 10/02(金)
ああ堂々の戦闘機軍! ミサ
イル戦車大行進! 精強軍隊!
◎
ああ彼らはどこに行ったの?
この国の主役たる人民たちは?
◎
建国記念の慶祝祭典なのに一
般市民は締め出され厳戒警備。
◎
「人民の生命財産を守り人民
の苦痛を除き権利を戦い取る」
◎
60年前、毛沢東は宣言した。
いま、その人民におびえてる?
素粒子 10/03(土)
ワクワクドキドキが一瞬にし
てため息に。あーあ残念無念。
◎
肩落とす小谷実可子さんら。
みんな頑張った。ありがとう。
◎
五輪は来ない。でも、環境や
高齢化など東京には課題山積。
◎
緑あふれ弱者にも優しい都市
へ作り直す残り時間は少ない。
◎
おめでとうリオ。南米初の聖
火に目輝かす子たちが見える。
天声人語 2009年10月4日(日)付
昔あった大学入試の合否電報ふうに言えば、「人魚姫ほほえまず」といったところか。デンマー
クでの国際オリンピック委員会総会で、東京は2016年の開催地に落選した。ほほえみを得た
リオデジャネイロは南米初の開催になる。
残念な人も多いだろうが、祝福したい結果である。「五輪の歴史に新しい大陸を仲間入りさせ
てほしい」とブラジルのルラ大統領は語っていた。ちょうど50年前、「アジア初」を訴えて開
催を勝ち得た日本の姿に、その言葉は重なっていく。
あのとき日本は、「五輪という花を初めて東洋にも咲かせて、五つの輪を完璧(かんぺき)な
ものに近づけてほしい」と支持を広げた。五輪の理念と響き合う訴えには、やはり力がある。決
選の投票ではリオが圧勝し、さらに一歩「完璧」に近づいたといえる。
ブラジルは2014年にサッカーのW杯も開く。すぐあとの五輪開催は、盆と正月が立て続け
に来るようなものだ。胃もたれしないか心配になるが、そこはお祭り好きの国。大いに張り切り、
楽しむだろうと知人のブラジル通は見る。
かつてリオを旅した三島由紀夫は名高いカーニバルに圧倒された。「ホテルの窓を閉めたって、
眠れるどころではない」「日本人は、腰を抜かす他はない」と、リオっ子の気質と熱気に脱帽し
ている。人々が「祭り疲れ」する心配はないようである。
日本からの移民が多く縁浅からぬ国である。もろもろの課題を克服して、五輪の新天地でどん
な大会を見せてくれるのか。サンバのリズムなど思い出しながら、はや興味は尽きない。
天声人語 2009年10月5日(月)付
詩人の谷川俊太郎さんは、若いころに「博物館」という詩をつくった。〈石斧など/ガラスの
むこうにひっそりして〉と書き出して、人類の上に流れた長大な時間に思いをはせる。〈星座は
何度も廻(まわ)り/たくさんのわれわれは消滅し/たくさんのわれわれは発生し……〉と言葉
は続く。
その石斧の時代より遥(はる)かに遠い、約440万年前の人類の頭骨の復元模型を、東大の
総合研究博物館で見た。「最古の人類」と先ごろ報じられたラミダス猿人のものが、月末まで一
般に公開されている。
猿人は背丈120センチほどの女性と見られ、「アルディ」の愛称がつけられた。エチオピア
の森で暮らし、二足で歩いて、果実や昆虫などを雑食していたらしい。「されこうべ」は両手に
載るほど小さくて華奢(きゃしゃ)だ。
だが隣に置かれたチンパンジーのものと比べると、人間に近いことが、素人目にもよく分かる。
骨の主が、人類という大河の源流の一滴だったと思えば、どこか慕わしい。茫々(ぼうぼう)、
累々たる過去。その凝縮として存在する我が身に気づき、ふと頬(ほお)をつねってみる。
人間とは何か、という問いに「サルとロボットの間」と言ったのはたしか評論家の立花隆さん
だった。なるほど、サルを「われわれ」とは言わないが、アルディなら言えそうだ。報道の多く
も彼女を「メス」ではなく「女性」と表記していた。
だが彼女の時代も、1億年を1メートルとして地球史を46メートルの巻物にすると、たった
数センチの過去にすぎない。黙して語らぬ、されど様々な想像を紡がせてくれる、華奢で小さな
頭の骨である。
天声人語 2009年10月6日(火)付
俳句には遊び心や想像力が生んだ季語があって、たとえば実際は鳴かないものまで鳴かしてし
まう。いまの季節なら「蓑虫(みのむし)鳴く」がある。秋風にゆれる蓑虫が親を慕って細く鳴
く。そんな虚構で寂寥(せきりょう)をかもし出す。
春なら「亀鳴く」だろう。〈亀鳴くや一升瓶に手が伸びる〉成田千空。くぐもった、のどかな
声の空想は、春愁を呼びさますようである。ところで、政界の「亀さん」も声は負けていない。
亀井静香金融相の、いわゆる「借金の返済猶予」をめぐる発言が様々に波紋を広げている。
中小企業の借金や、個人の住宅ローンの返済を、3年ほど猶予する法案を、国会に出すのだと
いう。期待する人もおられようが、おおむね四面楚歌(しめんそか)である。私的な契約への国
家権力の介入は、自由経済では禁じ手とされているからだ。
あおりで株価を下げた銀行を、「脆弱(ぜいじゃく)な銀行は、営んでいる資格がない」と一
喝した。だが、意気軒高だった声が、ここ数日はくぐもり気味だ。とはいえ意気消沈ではない。
政権の内外で現実的な落とし所を探っているらしい。
もともとがパフォーマンス、という見方もある。強きをくじき、弱きを助ける。「徳政」で耳
目を集めれば国民新党の株は上がる。立ち消えでは収まるまいが、そこは何らかの政策で手当て
をする──そんな憶測だが、どうも真意は読みにくい。
〈亀鳴くや男は無口なるべしと〉田中裕明。人情家で聞こえる亀井さんのことだ。情と理がう
まく溶け合って摩擦を起こさぬ善政を、誰しもが望んでいよう。口よりも実行を第一にして。
----------
まー、えらくお優しいことですなあ、天人子。
いいかげんにせーよ。
188 :
文責・名無しさん:2009/10/06(火) 16:55:55 ID:XSaYd/GX0
素粒子 10/06(火)
官支配に決別。コンクリート
国家に決別。しがらみに決別。
◎
そうだ。悪しき過去との決別
こそ民主党の真骨頂のはずだ。
◎
だが例外もあるらしい。秘書
の独断で済ます政治資金の闇。
◎
そして「捜査に影響がある発
言は避ける」と口つぐむ首相
◎
鳩山さん。自ら真相を明かす
ことが闇に決別する一歩です。
※完全に鳩山政権に見切りをつけたらしい。朝日-小沢ラインと関係あるかな?
素粒子 10/05(月)
◎拝啓 銀行家サマ
「そりゃ、借りた私に責任は
ありますよ。でもね、貸したあ
んたにも、もう少し聞く耳を持
って欲しいですな。亀井さんも
おっしゃってるでしょ。だから
ね、金利分は払いますから、元
本の返済を待ってくれません?
待てない……。あっ、そう。
でもね、言いたかないけど、あ
んたが不良債権で苦しい時、公
的資金で面倒見たじゃない。あ
りゃ私らの税金ですぜ。えっ?
今はおまえが不良債権だって」
―――
「拝啓 銀行家サマ」が太字。
天声人語 2009年10月7日(水)付
ネクタイをとりどりお持ちの向きも、そのすべてを使う人は少ないのではないか。わが箪笥
(たんす)を開けると13本あるが、たまにでも結ぶのは7本しかない。あとはいわばお蔵入り
である。
それらの購入費は無駄遣いだったことになるが、違う考え方もできる。13本買ったから使え
るものが7本ある、という解釈だ。いくら吟味しても、気に入るものだけを百発百中で買うのは
難しい。ならば6本分のお金は、無駄ではなく「無用の用」だったと言えなくもない。
中国古典の「荘子」に次のくだりがある。人が足で踏む地面はわずかだが、だからといってそ
れ以外を削ってしまえば、もはや地面としての用をなさない、と。こうなると「無駄」もなかな
か奥が深い。鳩山政権が吟味にてこずるのは、当然ともいえる。
民主党は、目玉公約の主な財源は無駄を見直して捻出(ねんしゅつ)すると訴えてきた。手始
めに補正予算から3兆円を浮かせるという。だが、出費を削れば景気が再び底に落ちる心配もあ
る。右に二番底、左に公約違反の奈落を覗(のぞ)きながらの、難しい細道が続く。
人は見かけによらぬというが、予算も同じかも知れない。実は理のある出費が穀潰(ごくつぶ)
しに映ったり、反対に本当の無駄が、すまして化粧していることもあろう。見誤れば、ついてく
るのは失政という結果である。
〈ハンドルの遊び無駄だと締め付ける〉と朝日川柳にあった。政権を見る目ももう「あばたも
えくぼ」は卒業だろう。「あの失政も無駄ではなかった」と後で他山の石にされる余裕は、政権
にも、むろん国民にもない。
----------
今更転向宣言か、アリバイ作りか、ガス抜きか。
第5段落。はて。ムダだ浪費だ穀潰しだと決め付け罵倒していたのは、何処の何方だったか。
白粉厚塗りの手伝いまでして麗しき君と誉めそやしていたのは、何処の何方だったか。
お前だよ。
素粒子 10/07(水)
◎閣僚お名前勝手拝見
雄弁は銀、沈黙は金だが……
か 勘弁ならぬぞ構造改革
め 目にもの見せてやる覚悟
い 今の格差社会を招いたは
し 市場原理主義に他ならず
ず ずっと前から思ってた
か 家族の崩壊、企業のせい
きん 金庫に内部留保ためて
ゆう 優先したなリストラ策
しょう 少々言葉過ぎようが
× × ×
思うこと言わぬは腹ふくる。
言えば言ったで、唇寒しの候。
―――
「か」「め」「い」「し」「ず」「か」「きん」「ゆう」「しょう」が太字。
天声人語 2009年10月8日(木)付
地図の上下を逆にすると、もろもろのイメージが変わる。たとえば台風は、日本をめがけて攻
め上がってくる印象だが、さかさに見れば、振り下ろされる刀のようだ。太平洋に向けて無防備
に腹を出した列島を、袈裟懸(けさが)けにせんとばかりに狙ってくる。
手ごわそうな一太刀(ひとたち)が、本土に迫っている。この新聞がお手元に届くころ、台風
18号は四国から東海のどこかに上陸している可能性が強い。神出鬼没で暴れるゲリラ豪雨では
なく、いわば強大な「正規軍」の襲来である。
秋の台風は、東の海上へそれることが多い。しかし今年は、盛夏には昼行灯(ひるあんどん)
だった太平洋高気圧が、いまになって踏ん張っていて、コースを列島寄りに押しているそうだ。
過去10年で最大級というから、進路にあたる所はくれぐれも注意をしていただきたい。
作家の山口瞳が豪雨の体験を書き残している。東京郊外の自宅近くには山も川もなく、水害の
心配はないと思っていた。だが、あるとき水浸しになる。家のあたりの土地が周囲の地域より、
50センチほど低かったからだという。
高きから低きへ水は流れる。ふだんは気にもしないわずかな高低が、大量の水を集中させたの
だった。安全だという思い込みは、かくもはかない。専門家によれば、自分のいる場所を「知る」
ことが身を守る鉄則である。
殴り雨、ごず降り、ざぶり、滝落とし……。地方々々に様々な、激しい雨の呼び名がある。加
えて今日は猛烈な風も吹くだろう。自然の一太刀はかわせない。だが被害をかわす備えと行動は、
われわれ次第である。
----------
言葉遊びで台風を飾ってみました。
まあ、こんなもんか。
天声人語 2009年10月9日(金)付
あす10月10日の「目の愛護デー」は、一〇と一〇を左右の眉と目に見立てて定められた。
3月3日は「耳の日」で、こちらは語呂合わせである。一緒にして「耳目(じもく)」などと呼
ぶが、言われて気がつく違いがある。
〈眼は、いつでも思ったときにすぐ閉じることができるようにできている。しかし、耳のほう
は、自分では自分を閉じることができないようにできている。なぜだろう〉。寺田寅彦の断想だ
が、なかなか示唆に富んでいる。
音をめぐるトラブルが、近年増えている。飛行機や工場といった従来の騒音ではなく、暮らし
の中の音で摩擦が相次ぐ。先日はNHKテレビが、うるさいという苦情で子どもたちが公園で遊
べない実態を紹介していた。
東京の国分寺市は今月、生活音による隣人トラブルを防ぐための条例を作った。これは全国で
も珍しい。部屋の足音、楽器、エアコンその他、いまや「お互い様」では収まらなくなっている
のだという。
「煩音(はんおん)」という造語を、八戸工業大学大学院の橋本典久教授が使っている。騒音
と違い、心理状態や人間関係によって煩わしく聞こえる音を言う。今のトラブルの多くは騒音な
らぬ煩音問題らしい。人々のかかわりが希薄になり、社会が尖(とが)れば、この手の音は増殖
する。
「音に限らず、煩わしさを受ける力が減退しているのでは」と橋本さんは見る。誰しも、耳を
自在に閉じられぬ同士である。ここはいま一歩の気配りと、いま一歩の寛容で歩み寄るのが知恵
だろう。それを教えようと、神は耳を、かく作り給(たも)うたのかも知れない。
----------
10月7日の東京新聞コラム筆洗に、同ネタがある。
目の愛護デーから耳の話へ、というひねりを、寺田寅彦の引用をはさんで上手い具合に着地させ
たところは、面白い。
素粒子 10/08(木)
「目に見えない非常に政治的
な動きがあります」。五輪で?
◎
「かなり思い切った約束をア
フリカの諸君としたようです」
◎
「サルコジが、戦闘機買って
くれるならブラジル支持とか」
◎
裏取引とでも? 150億円
すった負け惜しみじゃないの?
◎
かつて「NOと言える日本」
は今「NOと言われる東京」。
素粒子 10/09(金)
◎役に立たない例題
【質問】沖縄県にある米軍普
天間飛行場について民主党の政
策として正しいものはどれか。
@県外移設の方向に向けて積
極的に行動を起こす。
A同県名護市辺野古に移設す
るとした日米合意を容認する。
B米国の出方と地元の反応を
見て出たとこ勝負で判断する。
【答え】不明。
× × ×
来月やってくるオバマ氏。揺
れる鳩山発言。困る沖縄県民。
ついに発言のブレを皮肉りだした!
>>196 Cそういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、
多少気になるところだが。
とか、なんとか。
最初の『◎役に立たない例題』は、アタマに書いているのに蛇足だな。
むしろ、役に立つ例題、だろう。
鳩山氏の喋ることって、いつもこの類だから。
200 :
文責・名無しさん:2009/10/10(土) 11:45:25 ID:SH/dQQRwO
天声人語を読みなさいby日教組
天声人語 2009年10月10日(土)付
一読したとたんに胸に突き刺さり、ノートに書き取っておいた一首がある。〈おそらくは今も
宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ〉。岩井謙一さんという戦後生まれの歌人が詠んだ。二つ
の光とは広島と長崎に投下された原子爆弾のことだという。
「水ヲ下サイ」はあの日、地の底からわくようにして空へのぼっていった、瀕死(ひんし)の
声、声、声だろう。光も声も、消えてはいない。いまも暗黒の空間を飛び続けている。歌人の想
像力は、原爆の「原罪性」を、読む者に突きつけてくる。
罪深い兵器を廃絶して、「核なき世界」をめざそうと唱えるアメリカのオバマ大統領が、今年
のノーベル平和賞に決まった。現職の国家首脳の受賞は、9年前に韓国大統領だった故金大中氏
が、南北和解への貢献を理由に受賞して以来になる。
オバマ氏は、何かをなしての受賞ではない。だが歴史的とされるプラハ演説を源に、核軍縮の
川は流れ出した。国連安保理も巻き込んで川幅は広がっている。それを涸(か)らしてはならな
いという、ノーベル賞委員会の意思表明でもあろう。
長崎で被爆した作家の林京子さんが、この夏、小紙に語っていた。「人間らしい形を残さない
姿で死ぬ人たちを見ました。人間がこんなにおとしめられていいのか、という思いが私の原点で
す」。同じ思いを、オバマ氏の原点にもしてほしいと願う。
〈燃え残り原爆ドームと呼ばれるもの残らなかった数多(あまた)を見せる〉谷村はるか。聡
明(そうめい)な大統領のこと、被爆地訪問がかなうなら、必ずさまざまな真実を「見る」はず
である。
天声人語 2009年10月11日(日)付
古今の名言に勇気をもらうことがある。例えば〈小事にこだわるには人生は短すぎる〉などは、
落ち込んだ時によく効く。取るに足らない失敗や不評を引きずっていては、前に進めない。
鳩山首相が外遊先で、これを独り唱えたかどうかは知らない。本紙の報道で発覚した「故人献
金」のお粗末について、東京地検特捜部が動き始め、自民党は臨時国会で攻め立てようと手ぐす
ねを引く。
政治資金収支報告書に、故人からを含むウソの献金が並んでいた。浄財をたくさん集めたよう
に装うため、金庫番の秘書が勝手に……との釈明は弱い。名が載らない小口献金はさらに怪しく
見える。政治の大掃除をしようというのに、ほうきにゴミが絡んでいては興ざめだ。
虚偽献金の出どころは首相個人の金という。2千万円超を秘書に引き出されて気づかぬ金銭感
覚を、ご本人は「大まかな人間だった」と反省された。あり余る鳩山家の資産と政治資金がごっ
ちゃになっている心配はないのだろうか。
企業買収の激烈を描いた映画「ハゲタカ」に、印象的な言葉があった。〈人生の悲劇は二つ。
一つは金のない悲劇、もう一つは金のある悲劇だ〉。鳩山氏の不幸はもちろん後者である。大店
(おおだな)のぼんぼんなら金に無頓着なのもご愛敬だが、大まかが「小事」で済まない地位も
ある。
政権交代を受けての国会。論ずべき大事は山ほどあるのに、攻守ところを変えた「政治とカネ」
が争点とは寂しい。首相は捜査を理由に口をつぐむが、ここは民主党の金銭感覚が問われている。
大いにこだわりたい。
----------
鳩山氏の疑惑を、殊更小さく見せようとする天人子。
大事の前の小事、箒に絡んだゴミ、金のある悲劇、金銭感覚だのと物事を矮小化しちゃ遺憾だろ。
民主党が政権獲ったら、「政治とカネ」には興味がなくなったか。
クズが。
203 :
文責・名無しさん:2009/10/11(日) 15:21:23 ID:R5mYxXNo0
麻生内閣であれほど「小事」にばかりこだわっていた新聞に
大事だ小事だ言われてもなぁ〜
カップラーメンの値段のが故人献金より大事なんですね分かります
>>202 >民主党が政権獲ったら、「政治とカネ」には興味がなくなったか。
「世襲」「金持ち」といったワードも消え失せましたね。
天声人語 2009年10月12日(月)付
読者からいただく封書に、筆でしたためたものがある。広げつつ墨跡を追えば、ご用件にかか
わらず背筋が伸びる。いわば正装の来客。寝ころんで接するわけにはいかない。和紙には、触れ
る者の居ずまいを正す力が宿るらしい。
東京・王子の紙の博物館で、企画展「手漉(す)き和紙の今」を見た(11月29日まで)。
人間国宝3氏の作も端正ながら、いろんな原料と技法で伝わる郷土紙がいい。和紙とひとくくり
にするのがためらわれる彩りだ。
展示の紙々は、近く発刊される「和紙總鑑(そうかん)」12巻の一部という。京都などの有
志が、10年がかりで各地の1070点を集め、和英の解説を付した見本帳である。来春にも
800部が市販される。
一説によると来年は、紙すきの技が大陸から伝わって1400年にあたる。以来、和紙は書画
の世界ばかりか、住まいにもなじんだ。戸外の光や音、寒暑を、通すでもなく遮るでもない。障
子が持つあいまいさ、しなやかさこそ、自然との「和の間合い」だろう。
古川柳に〈薄墨の竹を障子に月がかき〉がある。おそらくは美濃紙(みのがみ)の、薄いカン
バスに揺れる竹林の淡影。素材として、また媒体として日本文化を担ってきた和紙の見せどころ
である。洋紙の世にあって、なお千種を超す紙が全国に息づくのもうなずける。
博物館で、はがきの手作りを体験した。もみじを3枚すき込み、透かしを入れ、郵便番号の赤
枠をスタンプで押したら、素人の戯れとは思えぬ一葉に仕上がった。この見ばえも和紙のマジッ
クであろう。いつか礼状に使わせてもらう。
気楽だな、こいつら。遊んでばっかりじゃねえか。
若いときにどんだけがんばったのかはしらんが、天下りをどうこう言えるのかね。
天声人語 2009年10月14日(水)付
リアリズムの鬼と呼ばれた土門拳の写真集『ヒロシマ』は1958(昭和33)年に刊行され
た。被爆者の傷痕や、原爆症の苦悩を見すえた一枚一枚が、核の非人間性を、えぐるように告発
している。
初めて広島入りした日を土門が回想している。戦後も10年余りが流れ、「忘れられた原爆を
撮る」ぐらいの気分だった。だが広島に着いて驚き、狼狽(ろう・ばい)する。「僕などヒロシ
マを忘れていたというより、初めから何も知ってはいなかったのだ」と。そして憑(つ)かれた
ように広島に通い、写真集を世に出した。
その広島と長崎の両市が、2020年五輪に名乗りを上げると表明した。人々は歓迎ばかりで
はない。驚きあり、困惑ありと反応はまちまちなようだ。だが先行きの困難は承知で、試みるに
値する招致ではないだろうか。
土門ではないが、「何も知ってはいない」人は世界に多い。核の唯一の使用国とて例外ではな
い。ヒロシマとナガサキが人々の胸に刻まれれば刻まれるほど、核廃絶の潮流は強まっていくと
信じたい。
とはいえ世界の思いは単純ではないだろう。被爆した詩人、栗原貞子さんの一節を思い出す。
「〈ヒロシマ〉というとき 〈ああヒロシマ〉と やさしくこたえてくれるだろうか 〈ヒロシ
マ〉といえば〈パール・ハーバー〉 〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉……」。
このあたりをこえていくのは、実際的な段取りにも増して難しいことかもしれない。惨禍から
75年の後。めざすのが名にたがわぬ「平和の祭典」なら、挫折しても値打ちはあろうというも
のだ。
----------
広島、長崎は歓迎されねばならない。核兵器の廃絶を願う者は賞賛されねばならない。平和を求
める者には同調しなければならない。その中身がなんであろうとも。
そういう「無条件の賛同」への圧力がある。無条件の賛同を求め、その中に第5段落の如き「だけ
ど日本も悪いんですよ」を混ぜ、それにまで無条件に同意させようとする。
素粒子 10/10(土)
◎ある父と娘の会話
「おい、モラトリアムって何
のことだ」「借金の返済を一時
待ってもらうことよ」「そりゃ
いい。おれも月給は減らされる
わ冬のボーナスももらえるかど
うか分からんしな」「色々条件
があるみたいよ。第一、お父さ
ん、銀行からお金を借りている
の」「ないが母さんに小遣い3
カ月分の借金がある。返せ返せ
とうるさくてたまらん。モラト
リアムだ」。台所から母の怒鳴
り声とお皿が飛んできました。
素粒子 10/13(火)
老将は死なず、ただ消え去る
のみか――。東北楽天で騒動。
◎
老将は悲し。球団創設以来初
の2位確保でも留任にならぬ。
◎
老将は空し。クライマックス
シリーズ前に進退通告の無情。
◎
老将は口惜し。闘うすべが愛
すべきぼやき節しかないとは。
◎
楽天ファンと選手らはもっと
悲し。この有り様で決戦とは。
―――
空しに「むな」し、とルビ。
素粒子 10/14(水)
森田健作さんが怒ってる。あ
あ、前原大臣の発言ね。羽田を
24時間使える国際ハブ空港にし
ていくって。故郷のオヤジも言
ってたな。成田は遠い、羽田か
ら直接海外に行ければどんなに
楽かって。でも、あれだけの闘
争があったよなあ。地元は苦労
したしなあ……。それを今にな
って、あっさり手のひらを返さ
れたんじゃ、森田さんじゃなく
ても怒りたくもなるよなあ。
え、森田さんが新曲だって?
「さらばナリタと言わせない」
>>208 招致に失敗しても「平和都市ヒロシマを世界にアピールできた、決して無駄ではなかった」
今回の東京五輪のように招致費用ウン億円が云々、首長の責任が云々とはならずに
サヨクとマスコミの自己満足で終わるんだろうなあ。
>>208 広島→パールハーバー
は百万歩譲ってまだ分かるが
広島→南京
の理屈が分からん
詩人の言葉であって朝日が言ったわけじゃない、と逃げそうだが
天声人語 2009年10月15日(木)付
羽田から飛びたった定期航空の第一便には、中国・大連のカフェーに届けられるスズムシとマ
ツムシ計6千匹がおさまっていた。人間のお客は一人もいない。出来たばかりの航空会社がやっ
と探した大事な「客」だった。1931(昭和6)年のことである。
時は流れて、いまや1年の利用者は6500万人にのぼる。世界でも4位というにぎわいだが、
国際線はごく少ない。「国内は羽田、国際は成田」と棲(す)み分けてきたからだ。その原則を
やめる、という前原国土交通相の発言が波紋を広げた。
発言は日本の表玄関をうたう成田には「格下げ通告」に聞こえる。流血の反対闘争の末に開い
た空港である。苦渋の思いで受け入れてきた地元が、はしごを外される思いになるのは無理から
ぬことだ。
成田は66年に閣議で建設が決まった。民主主義にもとる寝耳に水の決定が、こじれにこじれ
る原因になった。いわゆる「ボタンのかけ違い」である。今回の大臣発言にも、またぞろ「寝耳
に水」という憤りが聞こえていた。
きのうは千葉県の森田知事にねじこまれた。アジアの空を眺めれば「羽田を国際拠点に」とい
う方針は理がある。だが「歴史認識」は甘かったのかもしれない。八ツ場(やんば)ダムといい、
どうも就任以来の前原さん、連綿たるアナログである人の営みに、デジタル的に対処したがる傾
きはないか。
秀才は2点間の最短距離を探すのがうまい。それが正しいとも限るまい。老婆心ながら、とき
に定規を手放した方が、政治という「可能性の芸術」を描きやすいこともあろう。
----------
歴史認識、ときたもんだ。
ハブ空港なるものの必要性だとか、羽田が24時間稼動の巨大空港になることの危険性だとか、む
しろ成田までのアクセスをもっと容易にする方がいいんじゃないかとか、そういう意味で、前原
氏の私案には疑問があるが、歴史認識を持ち出すのはどうかと思う。
空港反対を叫んでいたあっち方面の方々は、どう言うのかな。
恨みがましいな
216 :
文責・名無しさん:2009/10/16(金) 11:02:01 ID:NhwD9+PN0
>>208 >挫折しても値打ちはあろうというものだ。
東京のときは招致活動費用にあれだけうるさく言っていたのに…
217 :
文責・名無しさん:2009/10/16(金) 11:04:11 ID:VWKQaL6q0
\\ 君 が 代 は 千 代 に 八 千 代 に //
\\ さ ざ れ 石 の 巌 と な り て //
\\ 苔 の む す ま で //
\\ //
_ _∩. _ _∩. _ _∩. _ _∩. _ _∩. _ _∩.
( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡
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( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡.
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し ⌒J. し ⌒J. し ⌒J. し ⌒J. し ⌒J. し ⌒J. し ⌒J
日本の水資源が守られますように。日本国家が安泰でありますように。
反日偏向報道が日本からなくなりますように。国歌斉唱。
広島長崎が招致失敗したときの朝日の反応が見てみたい
天声人語 2009年10月16日(金)付
作家の佐藤愛子さんが、子どものころの食卓の思い出を書いている。小説家だった父親の佐藤
紅緑(こうろく)は、季節季節に初ものが出てくると「わっはっは」と笑ったそうだ。「やあ、
マツタケが出たね、わっはっは」という具合である。
子どもにも笑うよう命じるので、一家で笑った。ばかばかしいと言えばそれまでだが、自然の
恵みへの素朴な感謝と喜びがあふれていた、と佐藤さんは懐かしむ。時は流れ、いまや季節感は
薄らいだが、それでも秋は彩り豊かだ。
横綱格は秋刀魚(さんま)だろう。小紙別刷り「be」が「今年も食べたい秋の味覚」を読者
に聞いたら、他を断然引き離していた。2位に新米が入り、3位梨、4位松茸(まつたけ)、5
位は栗。6位の柿までは団子レースになった。海育ちは12位の戻り鰹(かつお)まで姿が見え
ず、秋刀魚の独壇場である。
食べておいしいだけでなく、秋によく似合う。秋刀魚を焼く光景は一幅の絵画である、と言っ
たのは魚博士で知られた末広恭雄だった。したたる脂(あぶら)が炭火にはぜる。煙は流れて、
夕靄(ゆうもや)にとけこんでいく。そこはかとない郷愁が呼びさまされる。
〈あはれ/秋風よ/情(こころ)あらば伝へてよ/――男ありて/今日の夕餉(ゆうげ)に
ひとり/さんまを食(くら)ひて/思ひにふける と〉。佐藤春夫の名詩もあって、この大衆魚
のイメージは不動である。こればかりはタイもヒラメも代役はつとまらない。
資源の量は豊かな魚だという。売られながらも青々と海の色を残す姿は美しい。さて、秋もた
けなわ。海の恵みに感謝しつつ、一幅の絵となって焼くもよし、食らうもよし。
----------
今日の昼飯はサンマでした。
>>218 (-@∀@)
日本を戦争における被害者と位置づけたことがアジア諸国の反発を招いた。
今こそ、中国・韓国・北朝鮮への心からの謝罪が必要だ。
>>219 初ものを食べるとき、東を向いて笑うのはよくある風習で、紅緑が変態だったわけではない。
天声人語 2009年10月17日(土)付
それぞれの道に歩み出すきっかけは人によって様々だ。囲碁の林海峰(りん・かいほう)さん
の場合は父親の手ほどきだったと、ご本人が回想している。台湾で銀行関係の仕事をしていた父
親は碁が好きだった。だが「ざる碁」だったらしく、客に負かされてばかりいた。
そこで、自分より強くなった息子を同行して相手をさせ、「親のかたき」を討たせることを思
いついたそうだ。林さんはあちこち家を回り、たいていは勝ったという。のちに来日しての活躍
は、囲碁好きの方には言わずもがなだろう。
その林さんが持っていた、囲碁名人戦の最年少タイトルの記録が、44年ぶりに破られた。平
成に生まれた20歳の井山裕太八段が、張栩(ちょう・う)名人を下して手中にした。最強の呼
び声が高かった名人を、「完敗でした」と脱帽させての栄誉である。
道をつけたのは、こちらも父親だったそうだ。5歳のころ、テレビゲームの囲碁を見て興味を
持ち始めた。お父さんいわく、「数カ月で歯がたたなくなりました」。だが容赦のない才能の世
界である。プロへの道は勇気も覚悟も要ったことだろう。
「名人」という小説を残した川端康成はかつて、最高峰の碁を「虚空に白刃の風を聞くよう」
に感じると言っていた。方寸の盤上で切り結ぶ棋士に、剣士の孤影を重ねていたのかもしれない。
国外を眺めれば、いつしか韓国と中国に後れをとる日本の囲碁である。新しい風を巻き起こす
期待が若い名人にかかる。風下に甘んじるつもりは本人もない。「世界で戦えることを証明した
い」という、その言や良しである。
同ネタ他紙コラム。
【産経】産経抄 10月17日
http://sankei.jp.msn.com/culture/igo/091017/igo0910170237000-n1.htm 史上最年少で囲碁名人になった井山裕太さん(20)が「デビュー」したのは小学校に入る前、
6歳のときである。小さな碁盤を使った民放の「ミニ碁」大会だった。司会の女流棋士が心配し
て「計算できる?」と聞いたそうだが、みごと5人抜きで優勝した。
関係者たちは、この井山少年をプロに育てるため誰が指導するか話し合った。初め関西弁によ
る解説でおなじみの宮本直毅九段も候補に挙がったが「忙しいし、酔っぱらいだから」となり、
石井邦生九段(67)にお鉢が回った。むろん「酔っぱらい」は冗談である。
天才の師匠に選ばれた石井九段はある決意をした。教えすぎて個性をつぶさないことだ。だが
それは碁の内容についてで、盤外の礼儀は厳しく教えた。対局開始の「お願いします」から終わっ
たときの「ありがとうございました」まで、失することは許さなかった。
以上は石井九段が近著『わが天才棋士・井山裕太』で紹介している。自らを「師匠バカ」と認
めており、随所でその成長がうれしくてたまらない様子がわかる。実にほほえましい。「私は井
山が道を踏みはずさないようにしただけ」と書いているのも印象的だ。
今回の名人戦では、素人目にもまるで鎧袖一触(がいしゅういっしょく)のような勝ち方だっ
た。「師匠バカ」がますます昂(こう)じそうだ。しかし、それより師匠にとってうれしいのは、
井山新名人がいかにも礼儀正しい青年に育ち、「品格ある棋士」への道を歩んでいることのよう
な気がする。
日本の伝統文化である囲碁が礼儀を重んじるのは当然かもしれない。だが同じ伝統文化の相撲
界に、品性を欠く横綱が生まれていることなど考えれば、その教育方針は貴重だ。国歌や国旗に
敬意を払えない学校の先生たちにも聞かせたい。
-----
きっかけではなく、指導者と指導方針に目を向けたコラム。しかし、「国歌や国旗」につなげる
アクロバットっぷりはすげえ。タミーを思い出す。
天声人語 2009年10月18日(日)付
ご近所を歩くと、回収待ちの古新聞を戸口で見かける。弊紙であればもちろん、他紙でもお宅
に一礼する癖がついた。無料の情報があふれる時代、新聞代を払ってくださる読者は社を超えて
大切にしたい。
感謝の念はおのずと新聞を配る人にも向かう。日本の新聞の95%は戸別配達されている。「新
聞配達の日」のきょうは、日本新聞協会が募ったエッセーから紹介したい。
北海道苫小牧市の亀尾優希さん(9)は、母の新聞配りを手伝う。貧血気味のお母さんは団地
の3階まで、娘は4階と5階。「家に帰ったら、お父さんのおべんとうにいれるたまごやきを作
ります。こうして、わたしの一日ははじまります」。小さな働き者を真ん中に、固く結ばれた家
族が浮かんでくる。
「インターネットでは得られない情報が、伝える人と届ける人の誠意の集大成として新聞にな
る」。そう書いてくれたのは、東京都文京区の岩間優(ゆう)さん(14)だ。足の悪いお年寄
りが新聞を心待ちにしていると知り、単なる「記事の集まり」を超えたぬくもりを感じたという。
人の手で運ぶ新聞が温かいのは自然なことかもしれない。今年の新聞配達の代表標語も〈宅配
で届くぬくもり活字の重み〉である。凍える朝でも嵐の夕でもいい。情報の重い束を運ぶ42万
人に思いをはせたい。
新聞社はネットでも発信しているが、そこで再会するわが文は心なしか「誠意」を割り引かれ
ている。特にコラムの場合、体裁の違いはそれほど大きい。どうか小欄は、ぬくもりを添えてお
届けする「縦書き」でお読み下さい。
----------
新聞配達が必要ないとは言わんが、しかし、それなら、スタンド売りの新聞は人の手で運ばない
から暖かくないのかってと、そういうわけでもあるまい。新聞紙は、好きだけどな。なくなって
欲しくは無いが、プロセスをあまりに重視しすぎるのも本末転倒であろうよ。
最終段落『心なしか「誠意」を割り引かれている』。気のせいだ。文字は情報、体裁は印象、印
象が無くても伝わるものは伝わっている。点字や朗読で読む人を排除するな。だいたい、あなた、
天人子、体裁にまで気を配り神経をすり減らす小説家でもあるまい。
>>224 ネタが薄いから文章も薄っぺらだな
最低限、部数減少に一言ふれるべきではないかしらん
>>224 9才の子に新聞配達手伝わせるのっていい話なのか?
227 :
文責・名無しさん:2009/10/18(日) 14:10:46 ID:TSWp6fye0
新聞勧誘の購読申し込みのハガキが、郵便受けに入っていたので、
「反日マスゴミいらねーよ」と書いて投函したよ。
料金受取人払いだったから、朝日は、60円くらい払って罵倒を受け取るわけだwwwww
同ネタ他紙コラム。
【北國】時鐘 2009年10月18日
「雨ニモマケズ風ニモマケズ」の詩を残した宮沢賢治には新聞配達の知人がいたという。ポケッ
トにあめ玉を入れ、子どもに出会うとそれを与え、病気の人がいれば慰めの言葉を掛けて配達の
歩を進める人だった。
「東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ」。
この感動的な詩は17年間新聞を配り続けた知人の影響が強かったという(「デクノボーになり
たい・私の宮沢賢治」山折哲雄著)。
先の台風18号の折、和歌山で、風で倒れた木にバイクがぶつかり新聞配達中の男性が亡くなっ
た。「雨ニモマケズ」の詩をこれほど厳粛な気持ちで思い浮かべたことはなかった。
きょうは「新聞配達の日」。日本新聞協会が募集したエッセーに「新聞配達をしていたお父さん
が、届きたての新聞を読み聞かせてくれるのが好き」との小学生の話があった。宅配制度が特徴
の日本の新聞はこうした配達員と家族に支えられている。
身内話が続いて恐縮だが、雨の日も風の日も文字通り命をかけて新聞を届ける人々の苦労と喜
びの一端をこの日に紹介させていただいた。
-----
天人子は新聞配達にかこつけて新聞紙そのものに注目していた。
時鐘子の目線は、きっちり新聞配達員に向いている。
>>224 朝日新聞もCO2の25%削減に御協力ください。
天声人語 2009年10月19日(月)付
初代の通天閣が浪速の空を突いたのは明治末。パリの凱旋(がいせん)門にエッフェル塔を乗
せたような珍妙な姿ながら、高さは東洋一を誇った。東洋一のうたい文句は、名古屋テレビ塔や
霞が関ビルなど戦後の建物にも残る。大国への歩みを「一」でかみしめた時代である。
東京都墨田区に建設中の東京スカイツリーが、634メートルにかさ上げされるそうだ。中国・
広州のテレビ塔が610メートル前後になると知って、てっぺんのアンテナを予定より24メー
トルほど伸ばす。開業時に「世界一の電波塔」とうたうための変更という。
背伸びしたのが中国なら「やっぱり」と笑うところだろう。経済大国の先達として、すまして
いる手もあった。高さ世界一にこだわる根性や元気が日本に残っていたとは、驚き半分、うれし
さ半分である。
東京タワーがエッフェル塔を超えるべく設計されたように、大きさで一番を欲するのは発展途
上の発想といえる。超高層ビルの新築は東南アジアや中国に目立ち、中東諸国もオイルマネーの
記念塔のごとき計画を競っている。
スカイツリーの634メートルは、東京近辺の旧国名、武蔵の語呂合わせという。電波の送信
基地だから「より高く」を目ざす道理があるのに、世界一にあれこれ理屈をつけるあたり、ほの
かな恥じらいを感じぬでもない。
奇跡の成長に続き、はや衰退期に入ったかに見える日本。ここで妙に達観し、隠居を決め込ん
ではいよいよ先細りではないか。異国の名所を重ね餅(もち)にした浪速のエネルギーは昔話に
しても、成熟国なりに「一」への執着があっていい。
----------
妙に斜に構えた雰囲気を感じるなあ。
第4段落『大きさで一番を欲するのは発展途上の発想』。天人子がそう考えるということ、その
ベースには、何か卑屈でねじれたものが隠れている気がするよ。
最後何が言いたいのかよく分からない文だな
しがみつかない生き方 幻冬舎新書
「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール
香山 リカ著
韓国を挑発しているか煽られているか、
はたまた高度成長へのレトロか
いまいち真意が掴みづらい
素粒子 10/15(木)
「冗談じゃない」の怒りも一
転。笑顔笑顔。話せば分かる。
◎
「あの大臣の一言でパー」じ
ゃなかったの。会えば分かる。
◎
「昨夜は眠れなかった」けど
これで安眠。お悩みは分かる。
◎
でも「羽田成田の合理的すみ
分け」って何だい。分からん。
◎
森田千葉県知事の新曲B面。
「友達よ怒るんじゃない」
素粒子 10/16(金)
工作したり圧力をかけたり。
これは社風ですか。以前は「国
鉄一家」って言われてたから家
風ですか。事故の調査報告書の
文面に削除や修正を求めたり、
公述人に気に入らぬ資料を出す
なと働きかけたりする上層部の
面々。上がこんななら、事故を
起こした運転士が、列車のブレ
ーキ遅れの虚偽報告を車掌に頼
むほど焦ったのも不思議でない
ですな。JR西日本さん。どん
なに裏工作したって失われてし
まった命は帰ってきませんよ!
―――
オマエg(ry
素粒子 10/17(土)
官僚ノ国会答弁禁ズ。民主党
の小沢幹事長が規則を検討中。
◎
「国会審議活性化のため」。
そうそう確かに見苦しかった。
◎
「詳しくは政府委員から」。
そうそう確かに官僚任せでね。
◎
質問へ答弁は大臣が全責任。
そうそう独立独歩を目指して。
◎
えっ、質問の事前調べは官僚
任せ。歩ける前に乳離れ心配。
>>237 なんかムカついた、最早素粒子は毒吐きですらなくただただ人を不快にさせるだけ。
素粒子 10/19(月)
なぜ……。多くの人が絶句し
た。作曲家加藤和彦さん自死。
◎
彼の曲でどれだけ癒やされ、
励まされ、仲間とおどけたか。
◎
あの歌を、こんな思いで聞く
日がくるなんて信じられない。
◎
<悲しくて悲しくて とてもや
りきれない この限りないむな
しさの 救いはないだろうか>
ザ・フォーク・クルセダーズ
「悲しくてやりきれない」
天声人語 2009年10月20日(火)付
今ごろになって、ある数字の違いに気がついた。先ごろの小欄でJR宝塚線(福知山線)の事
故の犠牲者を107人と書いた。だが106人としているメディアもあった。大阪の同僚に聞く
と、運転士を含めるか否かで変わるのだという。
たしかに、「犠牲者」と呼ぶときは1人少なく言うべきかもしれない。一方で、事故の引き金
を引いた者を指弾するだけでは、再発の防止にはつながらない。背景まで徹底して調べる必要が
ある。そうした事故調査のあるべき姿を、JR西日本の数々の裏工作はゆがめた。
警察の聴取に口裏合わせをした疑いもある。安全運行に携わる担当者は「ポリちゃん想定問答
集」なるものを作っていたそうだ。個人的なことで、組織的な関与はないと同社は言うが、一事
が全体を雄弁に語ることもあろう。
安全対策とは、何も起こらなくて当たり前の地味な仕事だ。打って出て社業を伸ばす華々しさ
はない。その「縁の下」を経営陣が軽んずるなら、社員も同じ色に染まるだろう。とかく言われ
る、安全軽視の社風である。
犠牲者といえば、忘れがたい記事がある。事故でパートナーを亡くした女性が1年半後に自殺
した。10年も一緒だったが、結婚していなかったためJRから遺族として接してもらえなかっ
たという。108人目と言うべきか、痛ましさが胸を突く。
事故が起きてから安全策をとる愚を「ツームストン・セーフティー(墓碑の安全)」と言う。
せめて悲劇を無駄にはしない――その誓いさえ偽りでは、犠牲者は2度殺されることになる。
今日の天声人語はなかなかだった
マスコミの方から、YOU公約破っチャイナYO!だもんw
天声人語 2009年10月21日(水)付
手元の辞書には載っていないが、「追われ心」という語があるのを最近知った。いつも何かに
追われるように先を急ぐ気分を言うそうだ。以来、日々のせかせかに、ふと気づいては頭をたた
く。
さて、発足から1カ月を過ぎた鳩山内閣に「追われ心」はないか。そんな類(たぐい)の声を、
このところよく聞く。荷車は最初に動かすときに一番力がいる。止まってしまえば後ずさりもす
る。それは承知しながらの、「マニフェスト至上主義」への懸念だろう。
賛否の割れている公約もある。高速道路の無料化は代表格だ。農家への戸別補償も異見は多い。
決めたことへの邁進(まいしん)は、決めたときに視野になかったものは最後まで目に入らない
危うさをはらむ。臨機応変を欠いた至上主義は、毅然(きぜん)として見えて、その実もろい。
来年度予算の概算要求は過去最高に膨らんだ。新規の国債は、これまた最高の50兆円に届く
との報道もある。地方を合わせた借金はすでに800兆円を超える。数字は国民の前にぶら下が
り不安をかき鳴らす。
かつて漫画家の滝田ゆうが「その暖簾(のれん)をくぐるには、なぜか一応の怯(ひる)みが
あった」と書いていた。質屋の暖簾のことだ。似たような「怯み」を巨額予算に感じる人もいる
のではないか。まして質草は、子や孫の世代の暮らしである。
それにしても、こうも注目された概算要求はかつてなかった。多くの人が予算づくりに一家言
持つようになったとすれば民主党政治のお手柄だろう。だがその批評眼にかなうのが、借金だの
みの公約履行かどうかは、疑問なしとしない。
----------
実行すべきではない非現実的なマニフェストを掲げたというその時点で、彼らの能力や思惑に疑
問を持つべきだ。その時は、おだてて持ち上げていたのに。
最終段落『民主党政治のお手柄』。反面教師、ということか。良かった探しはもう結構。
天声人語 2009年10月22日(木)付
〈わが郷土(さと)の地名冠せる事件あり横浜事件ありし如(ごと)くに(足利事件)〉。破
調の一首が小紙の栃木県版にあった。横浜事件は戦中の大がかりな言論弾圧事件である。連座し
た評論家の青地晨(しん)は、のちにこう書いている。
「いくら真実を述べても、相手はてんから取りあげず、まるで四方をとりまく厚い鉄壁をこぶ
しで叩くような絶望感が、虚偽の自白へ導くのだ」と。青地は戦後、多くの冤罪事件を調べて歩
いた。著書を繰(く)れば、「無実なら自白はしないだろう」という見方は、素朴に過ぎると気
づかされる。
足利事件では女児が殺された。取り調べを録音したテープの中身を、今週の「週刊朝日」が報
じている。ごく一部の掲載だが、青地の言う「絶望感」が密室から漏れ伝わってくる。自白は、
DNA型鑑定とともに有罪の大きな証拠になった。
その事件の再審が始まり、菅家利和さん(63)が無実を訴えた。法廷で、裁判長は「被告人」
ではなく「菅家さん」と呼んだ。明らかな無実である。勝ち取るというより、取り返すと言う方
がふさわしい。
犯人に仕立てられた真相を再審で解明してほしい、と菅家さんは求めている。検察側は逃げ腰
だが、17年半の歳月を奪った大罪である。面子(メンツ)にこだわるかぎり司法の信頼回復は
難しい。
冒頭の青地は、「学問のヨロイに武装された鑑定が大手をふってまかり通る」とも述べている。
今回のDNA型鑑定もしかりだった。真相解明を通して、悲劇の繰り返しに終止符を打ちたい。
自分を最後に。それが、菅家さんの切なる願いでもある。
----------
横浜事件を引き合いに出すあたりが天人風。
天声人語 2009年10月23日(金)付
藤沢周平を読む楽しみの一つは、文章の端々で、その奥ゆかしい人柄にふれることだ。作家に
なる前は食品業界紙の記者をしていた。名をなしてからのこと、旧知の社長に伝記の執筆を頼ま
れたそうだ。
迷った末に引き受けた理由をこう書いている。「十五年間、その業界から暮らしの糧(かて)
をもらったことを、かりそめに思うべきではない、という気持ちがあったからである」。この人
らしい律義さが筆ににじみ出る。
日本郵政の次の社長になる斎藤次郎氏が、律義でないと言うのではない。だが大蔵省を辞めて
15年はたつから、もう「元官僚という意識はない」と言う。小説家に比べて実務家は、過去を
彼方(かなた)に押しやるのが得意なようである。
「10年に一人」と言われた大物官僚である。それこそ、かりそめではない。亀井大臣の人選
に首相も驚いたというが、ならなぜ退けぬ。「辞めて長い」とかばう声は弱々しい。脱官僚、天
下り根絶を売る鳩山商店の看板はこれでガタリと傾いた。
亀井さんの声ばかりが相変わらず元気だ。先ごろの小欄で、俳句の季語の「亀鳴く」は想像だ
と書いたら、実際に聞いたという便りを多数頂戴(ちょうだい)した。亀に発声器官はないが、
呼気などが声のように聞こえることがあるらしい。
企業でも何でも、人事を見れば「権力」の重心はおぼろに透けてくるものだ。斎藤氏が小沢幹
事長に近いと聞けば、首相のリーダーシップにも疑問符がつく。蟻(あり)ならぬ亀の一穴から
土手が崩れる心配もあろう。〈亀鳴くや事と違ひし志〉安住敦。鳩山さんの心境だろうか。
素粒子 10/20(火)
♪小泉さんからお手紙着いた
郵政民営化アンタに任す 仕方
がないので西川さん受けた 社
長になって仕上げてみせよう♪
◎
♪鳩山弟さんからお手紙着いた
かんぽの宿の安売りなんだ
仕方がないので売却やめた 弟
さん切られて西川さん残った♪
◎
♪鳩山兄さんからお手紙着いた
政権代わって民営見直し 社
長もついでにお辞めいただく
仕方がないと西川さん嘆いた♪
素粒子 10/21(水)
◎芝居巡業のご案内
東西トーザイ!!
【演目】国定忠治八ツ場の水。
【出演】関東知事6人衆ほか。
【あらすじ】営々と続けられて
きたダム造り事業に新参の親分
大前原英五郎が待った。大前原
親分は「ダムはムダ」と唱える
摩仁笛須党の誓詞を重んじる。
これに国定慎太郎忠治親分ら6
人衆が「とんだ横車。どういう
了見だい」と立ちはだかった。
【主演者口上】コペンハーゲン
公演失敗の挽回を期する覚悟。
―――
国定忠治に「くにさだちゅうじ」、八ツ場に「やんば」、摩仁笛須党に「まにふえすとう」、
挽回に「ばんかい」、とルビ。
素粒子 10/22(木)
最後のバンカー切り10年に一
度の次官起用。これが政治だ。
◎
並の天下りはノー。官僚中の
官僚はイエス。これが政治だ。
◎
ミスター大蔵省は○。ミスタ
ー財務省は×。これが政治だ。
◎
民営化から公社国有化へ逆走
には最適任? これが政治だ。
◎
「元官僚ではと議論した」と
揺れた鳩山氏。これが政治か。
素粒子 10/23(金)
秋霜烈日。秋の霜と夏の激し
い日差しのように刑罰や志操の
厳しいさまをいう。言葉を体現
しているというバッジが検事の
胸を飾る。言葉は検事の理想像
である。厳正さは犯罪に対して
だけでなく自らの職務にも求め
られる。足利事件で菅家さんが
求める検事の証人尋問や取り調
べテープの証拠採用に検察庁は
及び腰だ。「ずるいじゃないか
君。なんで僕の目を見ていわな
い」。秋霜烈日の言葉はそう言
った検事にも問いかけている。
―――
秋霜烈日に「しゅうそうれつじつ」、とルビ。
>>250 こいつが天下りの人間なんだろうなwww
天声人語 2009年10月24日(土)付
土は働き者だと、この季節になると思う。棚田保存の活動に加えてもらって、今年も新米がと
れた。猫の額ほどの一枚ながら60キロも実らせた。収穫のすんだ田は、ひと仕事を終えて、秋
日和に身を養うような風格を漂わせている。
今年も各地で、その地その地の土と水が稲を実らせた。近ごろの品種は名前も楽しい。北海道
の「ゆめぴりか」、青森の「まっしぐら」、九州なら「にこまる」、岩手は「どんぴしゃり」……。
炊きたての艶(つや)と湯気を思えば、腹の虫が動き出す。
ご飯と日本人は切っても切れない。だが米食民族というより、「米食悲願民族」だったという
人もいる。史上ずっと混ぜ飯を食べてきたからだ。誰もが白米を腹一杯食べられるようになった
のは、昭和も30年代を待ってだった。
その悲願を果たしたものの、米作りは衰退する。消費は減り、価格は下がり、農家は高齢化が
進んだ。働き者の土は、全国で埼玉県とほぼ同じ広さが、耕作放棄で失業中だ。たまの田仕事で
百姓気分の呑気(のんき)さが、申し訳なくなる。
とはいえ、せっかくの新米である。炊くのは、鍋でも釜でも直火がいい。料理にくらべて飯炊
きは不当に軽んじられている、と言ったのは北大路魯山人だった。自分の料亭に来る料理人には、
「君は飯が炊けるか」と一番に聞いたそうだ。
お節介(せっかい)ながら、炊きたての新米に豪華な総菜を並べてはいけない。主役はやはり
一人がいい。ご飯は立派な料理である、と魯山人は言っている。瑞穂(みずほ)の国の歴史と文
化の溶け込んだ一粒一粒は、さて、どんな味がする。
----------
米への目線、愛はわかるんだが、それは、元々米が好きな人にしか伝わらないんじゃないかな。
ワシは米が好きだが、そうではない人に、これがどう伝わるのかというと、多分に自己満足だけし
か伝わらないんじゃないかと思う。
ダメじゃないけどさ。でも、もう少しどうにか、できるんじゃないかな、と。
天声人語 2009年10月25日(日)付
継ぐとは、創(つく)ると同じくらい重い仕事である。東京都美術館の「冷泉(れいぜい)家
王朝の和歌(うた)守(もり)展」を見て思った。藤原定家(ていか)らを祖とする京都・冷泉
家が守り伝えてきた和歌集などが公開されている(12月20日まで)。
定家らが書写しなければ、名歌の数々は今に残らなかったかもしれない。和歌守の偉業と併せ、
時空を超えて文化を運ぶ紙の力を思う。金銀の箔(はく)を散らした料紙などは、流れる名筆に
負けぬ芸術性だ。
先ごろの小欄で和紙について書いたところ、多くのお便りをいただいた。神奈川県藤沢市の女
性(96)は、お母さんの里が「岐阜の山奥」で、美濃紙を戦争中まですいていたという。最後
に送ってもらった分をこれまで障子や水墨画に使ってきたというから、紙は長命だ。
いよいよ残り少なくなりましたと、戦前にすいたという貴重な2枚が同封されていた。優しく
淡い黄色で、1枚には花模様の透かしが入る。歳月を思わせない張りに、今は作句が楽しみとい
う持ち主の人生が重なった。
岡山県倉敷市の女性(50)は、灰がかった茶色の備中和紙に手すきの魅力をつづっておられ
る。常々、気の利いた絵はがきを寄せられる方である。追伸に「久しぶりに墨をすり、筆を持っ
て疲れたけれど、気持ちがしゃんとしました」とあった。
牛乳パックから再生したはがきを送ってくれたのは広島市の女性(71)だ。一枚一枚、授産
所の知的障害者たちが手作りしているという。エコ精神をすき込んだ粗削りな風合いもまたいい。
幸せ者のその紙は、牛乳の次に人の思いを運ぶことになる。
----------
asahi.com : 朝日新聞社 - 冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展
http://www.asahi.com/reizei/
>>250 この人が、天下りの人間なのかどうかはわからんが。
民主党を持ち上げんがためなら何を言ってもいいと思っているのか、この類の方々は。
そういう嘆息、驚愕、呆れ。
脳が腐っているのかねえ。
天声人語 2009年10月26日(月)付
東京の声欄で、投函(とうかん)する前に落とした手紙がちゃんと届いた話を読んだ。誰かが
郵便ポストに入れてくれたらしい。投稿者は「見知らぬ者のためにひと手間をかけて下さった方
がいる事実」に感激したという。
人は信じるに足る存在である――。04年の台風23号で、洪水の一夜を観光バスの屋根で明
かした中島明子さん(69)が、新刊『バス水没事故 幸せをくれた10時間』(朝日新聞出版)
にそう書いている。
京都府舞鶴市の国道で立ち往生したバス。乗り合わせた37人の平均年齢は60代半ばだった。
濁流が車内に満ちる中、割った窓から全員が屋根に。水は屋根を越え、立ちすくむ人々の腰に迫っ
た。流されぬよう隣と肩や腕を組み、ひと固まりになった。
思いやりは思いやりを生む。暗闇で体を温め合ううち、みんな一緒に助かるぞという連帯感が
広がったという。「上を向いて歩こう」の合唱で睡魔に耐えた話はよく知られる。音頭を取った
中島さんは、即興で2番の歌詞を替えた。〈幸せはバスの上に/幸せは水の中に……〉。
看護師を長く勤めた著者は振り返る。「自らをなげうって、無意識のうちに誰かのために行動
できる人たちが、この世界にはごく当たり前に存在する。あの夜、私は64歳にしてそれを知る
ことができました」。極限を生き抜いての感慨である。
人間は細やかな善意だけで動くものではない。わが身はかわいく、世にはせこい敵意や鈍感が
あふれるが、人は助け合う本能を備えていると信じたい。お互い、最も賢いはずの動物に生まれ
てきたのだから。
----------
突如友愛に目覚めたかの如く、大演説をぶつ天人子。
や、この本の著者や事故に遭遇した人たちの感情をどうこう言うつもりはないが。
この天人は、なんだ、やりすぎ。宣伝するにしても、もうちょっとこう、自制しろ。
朝日新聞出版 最新刊行物:書籍:バス水没事故 幸せをくれた10時間
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=10850
256 :
文責・名無しさん:2009/10/26(月) 20:51:02 ID:74l2r3l20
素粒子は政治とカネの問題が大好きなのに鳩山の献金問題には全然触れないね。
257 :
文責・名無しさん:2009/10/27(火) 08:43:44 ID:+4MuMz190
2009年10月27日(火)付
鳩山を指揮棒をゆらゆらと振るフルトベングラーに喩えて、
リーダーシップがふらふらと定まらないと切り捨てて、
早くも自民党の攻撃に期待しだしたようだね。
天声人語 2009年10月27日(火)付
フルトベングラーといえば20世紀の大指揮者である。指揮棒をユラユラと振るので、わかり
にくくて楽団員泣かせだったそうだ。日本の古いファンは「振ると面食らう」などと駄洒落(だ
じゃれ)を言って面白がったものだと、いつか聞いたことがある。
鳩山首相は、自らのリーダーシップを楽団の指揮者に例える。一番大事なことはハーモニーが
奏でられることだ、と言う。しかし発足から40日を過ぎて、郵政の問題など、外れ加減の音色
も聞こえ始めている。棒さばきが問われる中での、きのうの所信表明演説だった。
広げた風呂敷はかなり大きい。ありがちだった政策の羅列ではなく、「いのち」「きずな」さ
らに「人間のための経済」といった深いテーマが響き合って胸に届いた。鳩山さんらしい、理念
にあふれた演説だった。
だが演説は、音楽でいえばまだ楽譜だろう。譜面どおりに演奏できなければ拍手はない。指揮
者としての本番はこれからになる。曲が美(うるわ)しいだけに、フラフラと棒が定まらなけれ
ば国民の不信はより募ることになる。
野に退いた自民党にも初の論戦になる。〈去る者は日に以(もっ)て疎(うと)く 来る者は
日に以て親し〉。夏の選挙以降、中国の古詩そのままの、国民にとっての与野党交代劇だった。
日曜の参院補選では2敗した。斜陽の中で存在感を示せるか、土俵際の勝負である。
郵政のほかにも普天間飛行場あり、首相の政治資金問題ありと突っ込み所は多い。〈議会の目
的は殴り合いを議論に変えること〉。チャーチル元英首相の卓見さながらの丁々発止に期待する。
----------
第3段落『胸に届いた』『理念にあふれた演説だった』。褒め称える言葉を入れないといけないと
いう縛りでもあるのかね。
指揮者で書き始めたのに、第5第6段落、自民党の土俵際とチャーチル氏の言葉で締めるのは、統
一感に欠ける。つーか「自民党」がないと民主党を見ることが出来ないのか。
同ネタ他紙コラム。
【中日】中日春秋
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2009102702000039.html 十七世紀、フランスで活躍した作曲家ジャン・バティスト・リュリは、指揮で命を落とした人
として後世に名を残す。
演奏中、それを打ち付けることで拍子をとっていた指揮棒で自分の足の指を突いてしまい、そ
のけががもとで亡くなった。指揮棒といっても、今見るような細く短いものではなく、杖(つえ)
のような重い棒であったらしい。
しかし、エックハルト・レルケ編『指揮棒は魔法の杖?』なる本を読むと、現代の指揮者でも、
指揮棒で指にけがするといった例は決して少なくないようだ。オペラの指揮中、誤って胸を突き
刺したが、それを抜いて演奏を続けた猛者もいたらしい。
きのう、鳩山首相が所信表明演説に臨んだ。「弱い立場の人々のことをまず考えるのが政治」
「人と人の支え合いを立て直す」「経済合理性に偏った考え方を見直す」…。信条の「友愛」に
基づく決意表明が並んだ。
その言やよし、と思う部分も多かったが、最近、自身のリーダーシップについて「コンダクター
(指揮者)的な役割」と語った鳩山さんである。“与党交響楽団”には小沢・民主党幹事長のよ
うな扱いの難しい大物楽団員もいるから、思った響きを引き出すのは容易ではない。
そして、聴衆は、まずい演奏には容赦がない。“指揮”でけがをしたり、下手をすると命取り
になることもあるのは、なるほど宰相の仕事も同じである。
-----
同じく指揮者を持ち出した中日春秋。こっちは最後まで「指揮者」で通して心地好い。
せっかくなので、基地外投稿スレから転機。
天声人語 2001年12月28日
『世界戦争事典』(河出書房新社)という600ページを超す分厚い本を、ぱらぱらとめくる。
紀元前2000年から最近に至るまで、古今東西にわたる戦争や争乱、内戦の「総目録」といっ
た趣である。
中には、聖戦も正義の戦いも、あったのかもしれない。だが、殺戮(さつりく)に違いはある
まい。よくもまあ、人類は性懲りなく蛮行を重ねてきたものか。いずれ、あの同時多発テロに対
抗する「新しい戦争」が、そこに書き加えられるのだろう。
戦争の最大の被害者は、いつの世も社会の底辺を支える庶民だ。藤木久志・帝京大教授の『雑
兵たちの戦場』(朝日新聞社)には放火、苅田(かりた)(田畑の作物を荒らす)、乱取り(人
や物を奪う)という「雑兵たちの作戦の三点セット」におびえる戦国時代の農民の過酷な姿が生々
しい。
そして、乱暴狼藉(ろうぜき)や略奪に走る雑兵たちの多くもまた、強引に徴用され、あるい
は飢えに耐えかねて村を捨て、戦場に一時の稼ぎの場を求める農民たちだった。弱者が弱者を襲
う。かくれもない戦争の一面の真実だろう。
戦乱にくまどられてきた歴史の故なのかどうか。日本語には、合戦や戦争にまつわる言葉が随
分と多いように思う。「陣中見舞い」「一騎打ち」「白兵戦」「矢面に立つ」「槍玉(やりだま)
にあげる」「軍配をあげる」「鎬(しのぎ)を削る」などなど。
争いごととは縁が深い選挙や政治の世界で、よく耳にする。メディアの業界用語にも、例えば
「夜討ち朝駆け」「抜け駆け」「遊軍」。目くじらをたてることはないのかもしれないが、戦争
用語はあまり多用したくないものだ。
-----
天人スレ第1スレ目の時代のもので、故タミーの作。
第3段落『雑兵たちの作戦の三点セット』てのはなんだ、「三光作戦」とやらの投影か。
戦争用語につなげるアクロバットはタミーらしい。
民主党政権の「国家戦略室」に対する批判ですかな(w
天声人語 2009年10月28日(水)付
どこで聞いたか読んだか忘れたが、印象深かったので覚えている。アメリカの老富豪があると
き、「全財産をはたいてもかなえたい望みはあるか」と聞かれたそうだ。その答えがよかった。
「大好きな『ハックルベリー・フィンの冒険』をまだ読んでいない状態に戻してほしい」、と。
富豪は少年時代に夢中で読んだのだろう。愛書中の愛書なのだが、読み返しても、まっさらで読ん
だあの興奮はよみがえらない。だから、もう一度――。想像まじりだが、こんな一冊のある人は
幸せだと思う。
活字離れが言われる時代に、「幸せ者」は減りつつあるのかと案じていた。だが本好きな中高
生は近年かなり増えているそうだ。調査結果を報じる毎日新聞によれば、学校で読書の時間を設
けるといった取り組みが功を奏しているらしい。
読まないのはむしろ大人かもしれない。4人に1人が「月0冊」だと小紙の記事にあった。理
由は「多忙で時間がない」が3割、「読みたい本がない」が2割。子ども時代の読書体験が、長
じての読書量を左右するようである。
中国に「三余(さんよ)」という言葉がある。読書に適した三つの余暇で、冬と夜、雨の日を
さす。「三上(さんじょう)」なる言葉もあって、文を練るのにいい場所として馬上、枕上(ちん
じょう)、それに厠上(しじょう)を言う。
枕上は寝床だが、馬上は今なら電車の席になろうか。本を読むにも悪くはない。厠上は好きず
きとして、時も所もうまく使って本とつき合う時間を探したい。きのうから読書週間。老富豪の
ようなときめきの「一冊」に、さて巡り合えるだろうか。
----------
最近、読書量が減っている。いかんなあと思う。
天声人語 2009年10月29日(木)付
親方から「たいほう」という名を貰(もら)ったとき、「大砲」かと思ったそうだ。「大鵬」
のいわれを聞いても、ちんぷんかんぷんだったと、ご本人は回想している。のちに大横綱のしこ
名として、戦後昭和史に刻まれる2文字である。
元横綱大鵬の納谷幸喜さん(69)が文化功労者に選ばれた。伝統ある角界から初とは意外だっ
たが、一番ふさわしい人だろう。横綱在位は、わが腕白(わんぱく)時代に重なる。砂場の相撲
遊びでは、誰もがその2文字を名乗りたがったものだ。
優勝32回の金字塔は、「人の5倍」という稽古(けいこ)の賜(たまもの)だった。いまの
角界には稽古不足がはびこっている、と厳しい。それが、芸への精進もなく、テレビに出れば「芸
能人」ともてはやされる風潮と重なるのだそうだ。精進不足の拙筆も、少しばかり耳が痛い。
そんな凡人とは違い、芸を磨き抜いたのが、文化勲章を受ける桂米朝さん(83)である。こ
ちらも落語界で初というのは、話芸は冷や飯を食わされてきたのか。ともあれ重鎮として、誰も
が納得の栄誉だろう。
戦後、絶滅寸前とも言われた上方落語を立て直した。かつて聞かせてもらったとき、端正な芸
に誘い出されるように笑いがわいた。横隔膜の痙攣(けいれん)のようなテレビのお笑いとは、
趣が違う。
「良い雰囲気の中で客席と演者が一つになったような時、真の落語はその中に存在します。そ
して終了と同時に消えてしまいます」。その一瞬のために精進するのが噺家(はなしか)だと米
朝さんは述べる。相撲にも似たものがあろう。芸と勝負の道に咲いた、鮮やかな大輪ふたつであ
る。
----------
asahi.com(朝日新聞社):桂米朝氏に文化勲章 文化功労者に元横綱大鵬の納谷氏ら - 社会
http://www.asahi.com/national/update/1027/TKY200910270323.html
天声人語 2009年10月30日(金)付
秋の新米について先日書いたら何通か便りを頂いた。拝読しつつ、ふと嵐山光三郎さんの一文
を思い出した。「世間では新米というのは悪口である」と作家は言うのである(『ごはんの力』)。
まだ一人前でないのが新米である、と文は続く。「食べれば至上の価値がある新米を、実社会
では半人前として扱うのは、世間というものが古米、古々米、古々々米、古々々々米で出来てい
ることを示す一例である」。ユーモアの中に、なかなかの真理が透けている。
その新米の大豊作に賑(にぎ)わうのが民主党だ。議場での振る舞いが気に障ったらしく、自
民党の谷垣総裁は「ヒトラー・ユーゲント」になぞらえた。ナチスの青少年組織のことである。
良識派らしからぬ「古米ぶり」で、あたら評判を下げてしまった。
小沢幹事長もかなりの古米ぶりとお見受けする。予算のムダを削る「事業仕分け」から新人を
外した。それより議員のイロハを、には一理あろうが、各分野で活躍してきた人たちだ。優美な
統率を求めすぎれば、角を矯めて牛を殺す心配もあろう。
衆院の代表質問をやめたのもいただけない。政府の太鼓たたきのようなものは不要、と小沢さ
んは言う。だが与党質問をそんなものと決めつけるのも古米的な発想ではないだろうか。
「平成維新」をうたうフレッシュ政権である。だが新しい酒も、古い革袋に入れれば味は鈍る。
袋の中が見えにくければ、なおさらだ。〈おーさまのお気に召すよう直します〉。王様然とした
人をチクリとやった、きのうの小紙川柳欄の寸鉄である。
----------
文章はまあまあ。内容はネガティブに「古いもの」を押し込める、相も変らぬ朝日節。
古いもの、新しいものを言う諺や名言は、洋の東西を問わず数多い。
ワシのお気に入りは、諺とは違うが、以下のコピペだ。
『よく頭のおかしいライターやクリエイター気取りのバカが「誰もやらなかった事に挑戦する」
とほざくが、大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ。
王道が何故面白いか理解できない人間に面白い話は作れないぞ!』(AA略)
古いものが何故今まで残っているのか。それを理解しない人ほど、新しいものに飛びつきたがる。
28日の朝日川柳より。
>☆四年前にも居たヒトラー・ユーゲント
それから郵政選挙前後の朝日川柳から。
>ポスターにチョビ髭を描く県も出て
>・反独裁とか。
>復唱の声谺する永田町
>・ハイル小泉。
>国会にハイル!ハイル!の声がする
>・チルドレンならぬ小泉ユーゲント?
>マスゲーム一糸乱れぬチルドレン
>・似てきた?
朝日川柳の投稿者の「古米」ぶりもかなりのようですな。
自民党だって同じことやってたじゃんということのようだが、あなたが指さして笑っているのは鏡ではないのですか?
天声人語 2009年10月31日(土)付
公園の雑木林でトチノキの大木がずいぶん葉を落とした。差し込む光が、散り敷いた枯れ葉の
上に日だまりをつくる。十月尽に今月の人と言葉から。
東京都心をぐるり回る山手線が命名百周年を迎えた。品川駅の立ち食いそば店で33年働く園
部美子さん(68)は、湯気ごしに時代を見てきた。「朝は『行ってくるよ』なんてね。昔のほ
うがゆっくりしていたかな。最近は無言のお客が多いね」。
新潟県中越地震から5年。旧山古志村では「かあちゃん」たちが腕をふるう郷土料理の店が繁
盛している。「村に足を運んでくださる方に休んでもらえる場になれば。それも地震のときに助
けていただいた恩返しかな」と五十嵐なつ子さん(58)。コシヒカリのご飯のお代わり自由が
うれしい。
7年後の五輪がリオに決まり、浜松市で柔道を教えるエジソン・シルバ・バルボザさん(48)
に笑顔が広がった。畳の上で日系ブラジル人の子らが稽古(けいこ)に励む。「日本で育ち、日
本の武道を学んだ子たちが祖国の大舞台に立つ日がくる。わくわくします」。
横浜の高齢者ソフトボールチームには80歳以上が5人いる。その名も「バルーンエルダリー
(空飛ぶ老人)」と意気軒高だ。66歳の近藤敬寿さんは「チームでは『若いもん』と呼ばれて、
それがいいプレッシャーになる」。
全身に障害のある佐世保市の松本涼子さん(61)は、わずかに動く右手で四半世紀、俳句を
詠んできた。〈母に似し寮母の手つき栗御飯〉〈海見えて郷(さと)恋しかり落椿(おちつばき)〉。
句集も編み、次は全国レベルでの入賞を目標に、日々励む。
天声人語 2009年11月1日(日)付
「山田君、全部持ってっちゃいなさい」。「笑点」の大喜利で豪快に笑いながら、座布団没収
を命じる声が耳に残る。落語と茶の間をぐいと引き寄せて、三遊亭円楽さんが76歳で亡くなっ
た。
29歳で真打ち、次いでテレビの人気者に。高座とタレント業を両立させた噺家(はなしか)
の先駆けだろう。客の前で差し歯がぽろりと抜けたことがある。口元を手ぬぐいで押さえ、「こ
れで私も一人前のハナシ家になりました」。出ばやしの元禄花見踊りそのまま、おおらかで華の
ある人だった。
「人物をきちっと描写する。根底はリアリズムです」と、落語の基本を語っている。物腰は柔
らかでも芸では自他に厳しく、だからこそ、登場人物を思い通りに描けない晩年の現実、もどか
しかったに違いない。
脳梗塞(こうそく)から1年で復帰しての高座。「医者からは、もういっぺん起こしたらおし
まいって言われてます。この場でなったら適当にアレして下さい」と笑わせた。聴く者を幸せに
する言葉を持ち通した。
最後は進退をかけた一席に納得がいかず、同じ舞台から引退を表明する。この引き際に小欄が
触れたところ、取材の同僚に「あたしは幸運です。死んだわけでもないのに天声人語にまで取り
上げられた」と語った。師匠円生の訃報(ふほう)が、直後に死んだパンダより小さな扱いだっ
たことを引いての洒落(しゃれ)である。
冗談とはいえ、言葉の達人から随分もったいない「お返事」だった。次はこうして、不本意な
がらご自身が読まない日に載せる巡りとなった。落語界にまた、大きな座布団がぽつんと残され
た。
天声人語 2009年11月2日(月)付
東京・新宿駅の近くに、専門学校と並んで女子大がそびえている。その足元で商う不動産屋さん
の張り紙が目にとまった。〈寮からの脱出〉とある。学生寮からアパートに移りましょうという
宣伝らしい。
学校や職場の寮は経済的だし、管理の目もあるから親元は何かと安心だ。半面、息苦しさを感
じる人もいよう。気ままな一人暮らしにあこがれて都会に出た若者であれば、張り紙の通り、寮
は抜け出すべき所かもしれない。
多くの人は生涯に何度か引っ越しを経験する。間借りや寮が「住宅すごろく」の振り出しなら、
社宅や賃貸マンションなどを経て、上がりは庭付きのマイホームというのが世間相場だろうか。
ところが、究極のゴールと思われる高級住宅地の豪邸に、まだ先があった。
鳩山首相が先日、田園調布の自宅から永田町の公邸に越した。「私どもには大きすぎる」と戸
惑いながらも、職住接近によって国会論戦や日本のかじ取りに専念するという。
由緒ある洋館で生まれ育った鳩山さんだ。サイコロを振る前から上がっていたようなものだが、
今度はお金で買えない住所への転居である。政治を志した一人として、また国民から変革を託さ
れた者として、気を引き締め直す機会にしてほしい。よりよい明日を目ざす国政のすごろくに、
上がりはない。
週明けの列島は寒気の南下で冷え込むと聞く。寒という字を見ると、「年越し派遣村」のテン
トへと続く行列を思い出す。振り出しどころかサイコロさえ握れない路上生活者にとって、しん
どい季節の始まりである。
----------
首相官邸は、ゴールの先じゃなくただの仮住まい、寮と変わらんのではないかな。
名家に生まれ豪邸で育ち、上手い料理を食べ歩く首相に対して、その生活ぶりにあまり執着しな
くなったマスメディア。なんともご都合の良いことである。
他紙コラム。
【北國】時鐘 2009年11月2日
おでんや鍋料理は「エコライフ」になるという。鍋ものは体を温め暖房費が減る。家族が集ま
ると無駄な電気代が要らない。そこで二酸化炭素が減るというわけだ。
だが、母屋でおかゆをすすっているのに、離れですき焼きを食べていると言われたこともあった。
国家の台所事情からみると、鍋の代表であるすき焼きが、エコライフどころか無駄遣いの象徴に
なる。視点を変えれば、善人と悪役が入れ替わる一例だ。
こんなエコの勧めもあった。「ペットボトル飲料を買わずに水筒を持って出かける」。エコには
なるだろうが飲料水業界はやせ細る。「コンクリートから人へ」と、コンクリートを悪者にする
政治の掛け声と似ている。
これでは、セメント産業や土木建設業界は飢えて倒れる。どんな環境下にもそこに生きる人々が
いる。何でも減らせばいいのではない。地球に優しくする心があるなら、人にも優しくしてほし
い。
分かり易いPR文句は、妙薬にもなるが、劇薬にもなる。ひとりを善人にするために、だれかを
悪役にする二者択一論は、エゴが過ぎてとても食えたものではない。
270 :
文責・名無しさん:2009/11/03(火) 11:50:03 ID:6ts7hZJt0
>>268 麻生が首相のときは何度も目にした、セレブ首相と経済的弱者の対比をなぜ避ける?
天声人語 2009年11月3日(火)付
しばらく前、色づき始めた新宿御苑を歩くと、ジョロウグモがあちこちに大きな網を張ってい
た。巣を作るのはメスで、周りをよく見ると、はるかに小さなオスが数匹いる。残り少ない繁殖
期に愛をささやくが、うかつに近づくと巣の主に襲われるそうだ。求婚も命がけである。
結婚話に乗じた詐欺罪で起訴された女(34)が、別の男性4人からも計1億円を得ていたと
報じられている。複数で大金を振り込む図は、自然界の非情に重なる。
女が張った網はインターネットだった。良縁を求めるサイトで知った男性に「支援」を訴え、
ブログでおしゃれな生活を公開する。そこには、手料理、食べ歩き、高級外車と、男性をおびき
寄せる蜜をまぶしていた。女はこうして、20人ほどに接触したとされる。
ネットを介した出会いで泣くのは女性、毒手は男に生えているという「常識」を揺るがす展開
である。4人はこの女と接した後、なぜか相次いで亡くなった。不自然な最期と女のつながりに
世間の目が注がれている。
晩婚の時代、30代前半の未婚率は男性で50%に迫り、女性も30%を超す。相手を探して
積極的に動く「婚活」の市場で、女は悪意を糖衣にくるみ、時には甘えてみせ、良縁を願う中高
年を信じ込ませたらしい。
ネット上では、異性に化けることも、若く装うこともたやすい。姿形をさらしての付き合いで
さえ、あばたがえくぼになる男女の仲である。その女が地味だ平凡だと聞くほどに、実像と虚像
の境界はぼやけ、ネット空間で増殖する毒素が浮き彫りになってくる。
----------
無理矢理インターネットを絡め、ネット空間に『悪』を押し込める天人子。毒素はネット空間の
中だけで増殖するものでもないだろうに。
女郎蜘蛛(女郎、とは遊女のこと)から書きはじめるあたりは、皮肉なのだろうか、面白い。
インターネットと蜘蛛の網との対比もいい感じ。
>>270 天声人語 2008年10月25日(土)付
> 政財界の酒はまず社交である。夜ごと「ツベコベ」や「チヤホヤ」に囲まれる。麻生首相は料
>亭より高級ホテルを好み、料理店からバーへのはしごが常と聞いた。その日の疲れを高い酒で洗
>い、紫煙にこもる。
> それをもって庶民感覚をどうこう言う気はない。吉田茂の孫にして、資産家の長男に生まれた
>ことは責任の外だ。有能なら、庶民派を気取るぼんくらより余程いい。ただ「首相の夜」ともな
>れば、備えるべきことは多かろう。
> 米国大統領が〈北朝鮮をテロ支援国から外す〉と電話してきた深夜、首相は出張先のホテルで
>酒席の中心にいた。社交より外交の失態だろうが、常在戦場の戒めもある。スーパー視察の一日
>をいつもの帝国ホテルで締めては、頭隠して尻隠さず。番記者に金銭感覚を問われ、真顔で逆襲
>したのも軽かった。
> 池田首相は在任中、大衆には縁遠かった芸者遊びとゴルフを断(た)った。スタイルをお持ち
>の68歳に野暮(やぼ)は承知だが、たまには独り酒のグラスにご自分を映してみませんか。
天声人語 2008年10月31日(金)付
> 参院審議でカップめんの値段を問われた麻生首相。「最初に日清が出した時、えらい安いなあ
>と思ったが、あの時何十円か。いま400円くらいします?」。そんなもの知らなくても首相は
>務まれど、格差対策に魂がこもるまい。
同じく2008年の素粒子から。
素粒子 10/20(月)
街の景気を肌でとスーパー視
察の後、夕食は帝国ホテルの麻
生首相。そのセレブ感覚、羨ま
しくもあり、羨ましくもなし。
素粒子 10/22(水)
東京観光新コースのご案内
わくわく豪邸探訪 渋谷の首
相邸。高台に立つ木造3階建て
洋館。警備上、遠景鑑賞のみ。
× ×
どんな味ツアー 首相動静欄
で話題の高級ホテル一流店で首
相と同じ夕食を。ツアー料金に
食事代含まれず、ご案内のみ。
× ×
うわさのバーめぐり 1日の
シメはやはりバーでなきゃ。首
相動静欄に登場の高級バー入り
口のみハシゴ。首相気分満喫。
素粒子 10/23(木)
受け入れ拒否で妊婦死亡の悲
劇。医師不足で最後の砦崩壊寸
前。なのに今夜も貴方の足は高
級バーに向かうのでしょうか。
× ×
吹き始めた不景気風に、一杯
やらず自宅直帰の人々少なから
ず。なのに今夜も貴方の足は高
級バーに向かうのでしょうか。
× ×
孟子様はおっしゃった。政治
は「民と楽しみを同じゅうす」
と。なのに今夜も貴方の足は高
級バーに向かうのでしょうか。
天声人語 2009年11月4日(水)付
深いものになると、アリの巣は地下4メートルに達するそうだ。人間に置き換えれば、1キロ
以上を道具なしで掘り進んだことになる。穴に沿って食料庫やゴミ捨て場、子育て部屋などが連
なるというから、堂々の地中基地である。
外敵を防ぐには、奥は深く、入り口は小さくというのが基地の勘所となる。アリの巣穴を突き
止める早道は、鳥の目ではなく、虫の目になって行列の後を追うことだ。
それを思うと、よくぞ見つけたものである。月探査機「かぐや」が撮影した月面の画像を詳し
く調べたところ、直径60〜70メートルの不思議な穴が確認された。かぐやは上空100キロ
あたりを周回していたから、カラスがアリの巣を探し当てたに等しい。
穴は普通のクレーターより壁が切り立ち、差し込む光の分析から、深さは約90メートル、底
には広大な横穴が延びるとみられる。横穴は太古の火山活動が残したトンネルで、かぐやが見つ
けた穴はその天井の一部が崩れ落ちたものらしい。
地下の横穴はいずれ、アリの巣のような有人基地に使えるかもしれない。大気のない月面は宇
宙放射線や隕石(いんせき)の危険にさらされ、昼と夜の温度差も大きい。何億年もの試練に耐
えた空洞は格好の天然シェルターとなる。
1年半にわたって鳥の目で月面をとらえ続けたかぐや。その「目の記憶」をたどり、より深い
探査へ夢が膨らむ。やがて人が移り住み、虫の目で月を歩き回る日が来よう。その穴が長期滞在
の扉となるのなら、月面に消えた探査機も本望に違いない。穴の奥、アリのように働くのでは夢
がないけれど。
>>271 「30代前半の未婚率」というデータは下劣な内容の裏打ちとして信憑性があるとかないとかいう以前に、
被害者に三十代はいないんだから関係すらないね。
関係もないデータをわざわざ示してくれたんだから言わせてもらうと、三十代前半で五割にも上るんなら、
アサピーがしつこく特集するようにモテとか非モテとか、肉食(積極的)とか草食(消極的)とか、そんなもの
が原因でないのは明らかだと思うが・・・。
>>275 >月面に消えた探査機も本望に違いない。
w
天声人語 2009年11月5日(木)付
国の台所事情がいよいよひどいことになってきた。今年度上半期の税収は前年同期より24%
減り、年度見通しも46兆円から30兆円台に修正されるという。火の車にせき立てられて、た
ばこ増税が浮上している。
販売が急減しては財政的に元も子もないから、たばこ税の引き上げは「小幅で何度も」が常だっ
た。そのせいか、1箱平均600円の欧米に比べ、日本のたばこは半額。禁煙の旗を振る厚労省
は「しがらみのない政権なんだから」と大幅アップを狙う。
たばこ包囲網は狭まる一方だ。700度の火が幼児の顔あたりを舞うとあって、歩きたばこの
追放が各地に広まった。神奈川県では来春から、不完全ながら飲食店などでの喫煙が規制される。
真綿で絞められるように喫煙率は下がり続け、今春で25%(男性39%、女性12%)。喫
煙者が年に80万人減った計算だ。つまり2兆円強のたばこ税は、より少数が、より高額を背負っ
て支えている。日本たばこ産業は「罰金のような課税」とむくれる。
だがどうだろう。紫煙への依存は、ストレス解消とかの前にニコチン中毒という病である。だ
から値上げは体に良い、という理屈になる。本当に国民の健康を願うなら、財源が枯れるのを覚
悟で1箱千円にしたらいい。
税収を案ずるなら、簡単にやめられない弱みに乗じ、取りやすい所からチマチマ取る姿勢はど
うか。中毒などに頼らない、大きな構想がほしい。孫子の代を見据え、消費税や法人税、さらに
は歳出までを含めた財政の解体修理にかかる時だ。一服している暇はない。
----------
アル中も病だから、酒税の増税は体に良いという理屈を、納得するか。メタボは病だから、砂糖
や油も値上げするか。逆に言えば、高い税金を取るならマリファナも合法か。
この理屈を言いたいなら、煙草は禁止とするべきだろう。大麻を禁止したように。
>>277 俺も朝日のトンデモな記事や投稿の中毒という病なので
朝日新聞も一部1000円くらいにしないか
天声人語 2009年11月6日(金)付
7年前、大リーグ挑戦を決めた松井秀喜選手は、記者会見で一度も笑わなかった。「何を言っ
ても裏切り者と思われるかもしれないが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑
張りたい」。そう、本当によかった。
背番号55の大活躍で、ヤンキースがワールドシリーズを制した。粘っての先制ホームラン、
2本のタイムリーとも胸のすく当たりだった。栄冠には、日本人初の最優秀選手(MVP)とい
う宝石がついた。
オノをぶん回すような巨体がそろう米国では、勝負強い中距離打者の印象が強い。イチロー選
手がカミソリなら、ゴジラはナタの切れ味だろうか。どっしりと構え、狙いすまし、しなやかに
一撃を見舞う。
耐える男に見える。右足で細かく間合いをはかり、総身に火薬を満たしてなお、きわどい球を
見送る。会心の一発が出れば、喜びを押し殺してベースを回る。けがやスランプを理由に取材を
拒むこともなかった。
「巨人の大4番」を捨てた最初の選手である。日本にとどまれば何度もタイトルを取っただろ
う。ワールドチャンピオンにしても、何人かの日本人が先に経験した。4年契約の最終年、新装
のヤンキースタジアム。野球の神様は、最後の最後に「マツイの日」を用意していた。
辛口で鳴らすニューヨークのファンが総立ちでMVPコールを送る。くしゃくしゃの相好で大
男たちと抱き合う姿に、そうか、7年分の笑顔なんだと納得した。自分を裏切るな、迷った時は
挑戦せよ、倒れるなら前に。いくつものエールを発する、いい顔だった。
280 :
文責・名無しさん:2009/11/10(火) 10:31:08 ID:1tRGPCLz0
天声人語 2009年11月7日(土)付
自民党が突っ込み、民主党がしのぐ国会論戦。攻守交代の光景を、筑紫哲也さんならどう論じ
ただろう。立冬の昼下がり、希代のジャーナリストが逝って早いもので1年になる。
当方、あこがれて入社した世代ながら、ほどなく、あちらは雑誌を経てテレビに移られた。じっ
くりお話しできなかったのが悔やまれるが、天上のその人は、別の意味で歯ぎしりしているはず
だ。
「オバマのたたかいや、日本の政治状況の激変ぶりを筑紫さんが見られなかったのをつくづく
残念に思う。さぞかし面白がっていただろうな、と」。「NEWS23」のデスクだった金平茂
紀TBSアメリカ総局長の無念を、新刊の『筑紫哲也』(朝日新聞出版)から引いた。
30年近く交遊した歌手、井上陽水さんが同書で語る。「自分が演じるのではなく、演じてい
る誰かを見たり、世の中に紹介したりするという意味で、観察者のプロだった」。最高のほめ言
葉だろう。
ご本人は記者たる条件を、取材、分析、表現の力と述べている。十二分に観察、消化、発信し
て、なお自由人の余裕をたたえていた。異見や珍説に耳を傾け、談論風発を楽しむ。心のアソビ
が世の中全体から消えつつある時代に、その不在は日増しに大きい。
プロのやじ馬なら、この変わり目にこそ居合わせてほしかった。「いちばん大切な時に、なん
でいないのよ」とは、歌手加藤登紀子さんの嘆きである。せめてもう1年。73歳は天命だった
にしても、筑紫さんの沈黙は早すぎた。彼に問うてみたいこと、彼が語るべきものは尽きない。
----------
いくらなんでも、持ち上げすぎだろうと思うが。
281 :
文責・名無しさん:2009/11/10(火) 10:31:48 ID:1tRGPCLz0
天声人語 2009年11月8日(日)付
名探偵シャーロック・ホームズと、相棒のワトスン博士が出会うくだりは、愛読者にはよく知
られている。名高いコンビが誕生する場面で、ホームズが開口一番に言うのが「あなたはアフガ
ニスタンに行ってこられたのでしょう?」である。
ときは19世紀の終わり近く、ワトスンは英軍の軍医として従軍して戻ったばかりという設定
だ。文明の十字路とも言われたアフガンは、古くから列強の軍靴に踏まれた歴史を持つ。そして
今も、多くの血がこの地で流されている。
政治も治安も悪化の一途をたどっているようだ。汚職がはびこり、麻薬栽培は広がり、10月
の米軍の死者は過去最悪となった。出口の見えぬ泥沼は、いまや「オバマ政権の墓場」とさえ言
われている。
折も折、米国の基地で銃の乱射が起きた。兵士の心のケアを担う精神科軍医の犯行とわかり衝
撃は大きい。近くアフガンに派遣される予定だったという。大統領は来日を延ばして追悼式典に
出ることになった。
わが在米中の7年前を思い出す。アフガン帰りの兵3人が続けて妻を殺す事件が起きた。うち
2人は自殺した。米社会をむしばむ「心の傷」の、氷山の一角だったろう。「自ら傷つくことな
しに戦争などできない」。取材したある帰還兵の言葉がいまも耳に残る。
小説ながらワトスン博士も、帰還したときは心身ともぼろぼろだった。変わらぬ戦争の実態だ
ろう。快刀乱麻を断つ解決などアフガン問題には望みようもない。米国と世界と、何よりもアフ
ガンの人々の抱える深い淵(ふち)を、いまさらながらに思う。
282 :
文責・名無しさん:2009/11/10(火) 10:32:53 ID:1tRGPCLz0
天声人語 2009年11月10日(火)付
毒舌の評論家大宅(おおや)壮一(そういち)が残した名言の中でも、〈男の顔は履歴書であ
る〉は深い。女性も社会的なキャリアを重ねる時代、何も男に限ったことではなかろうが、面相
には脚光や風雪の跡が正直に刻まれる。
英国人女性の遺体を捨てたとして手配された男(30)が、整形手術を重ねて逃げている。大
宅流に言えば履歴書の改ざんである。元の顔からは目元の鋭さが消え、妙な造作になった。親か
らもらった顔をあえて崩し、別人になりすましていたらしい。
計100万円とも言われる整形代をどう払ったのか。履歴書の要らない職場で食いつないでい
たのか、支援者はいるのか。2年半を超す逃亡の軌跡は、遠からずさらされるだろう。
いやな事件が続く。島根県の女子学生(19)はひどい殺され方をした。貧困や飢餓に関心を
寄せる、まじめな女性だったと聞く。英語が得意で、留学を夢見た彼女の履歴書は、アルバイト
以外の職歴を白く残して引きちぎられた。鬼畜の所業と吐き捨てたところで、震えるほどの怒り
は収まらない。
隣の鳥取県では、詐欺容疑で捕まった女(35)の周辺で、何人もの男性が不可解な死を遂げ
ていた。トラック運転手が、新聞記者が、警察官が、それぞれの履歴書を完結させぬまま不意に
息絶えた。最期の顔がゆがんでいては浮かばれない。
いつの日か、これらの事件が裁判員を交えて裁かれる運びになれば、被害者の数だけが焦点で
はなかろう。手口がむごいほど、あくどく逃げ回るほど、市民の心証は厳しくなる。この点、ど
の犯人も覚悟したほうがいい。
天声人語 2009年11月11日(水)付
沖縄県石川市(現うるま市)は、沖縄戦後の日本人収容所から発した街だった。ある日収容者
の前に男が現れ、「残った者が元気でないと死んだ人が浮かばれぬ。命(ヌチ)のお祝いをしよ
う」と踊り始めた逸話が残る。『沖縄言葉(ウチナーグチ)ちょっといい話』(藤木勇人著、双
葉社)で知った。
だが、命のリレーはままならず、彼らの子どもらを再び悲劇が襲う。市立宮森小に米戦闘機が
落ち、児童11人を含む17人が死亡、200人超が負傷して50年になる。
2年生だった校長の平良(たいら)嘉男さん(58)は節目の今年、遺品などを集めた巡回展
を始めた。「生活に追われ基地に耐えることが日常になっていないかと、県民に問いたい」と語
る。
戦争で踏みにじられた後も、この島は異国の戦に酷使されてきた。いや、基地は日本の平和の
ためだという反論があろう。しかし、度重なる墜落事故や性犯罪で流された血涙は、同盟のコス
トといった乾いた言葉ではくくれない。
普天間飛行場の問題も積年の我慢と怒りの先にある。県外移設を訴えて政権を取った鳩山首相
に、地元の期待が膨らむのは当然だ。平良さんも、県内移設に反対する大会に出た。「県外だ国
外だ、と言うのはつらいのです。この苦しみを誰かに強いることになる」。
ベルリンの壁が崩れて20年というのに、極東では冷戦が尾を引き、沖縄の「役割」もなかな
か終わらない。とはいえ、外国の基地がいくつもあるのは、主権国家として異常な姿であろう。
日米ともせっかくの新政権である。この際、お互い腰を据えて同盟の明日を考えたい。
天声人語 2009年11月12日(木)付
肉がお好きで、卒寿を超えてもステーキとフォアグラを一度に頼んでいたという。脚本家の倉
本聰さんが「存在そのものがすでに演技」と惜しむ森繁久弥さん、96歳。後輩のために弔辞を
読む役回りを退き、いよいよ聞く番となった。
人も芸も軽妙だった。TBSの生放送ドラマ「七人の孫」で、お手伝いさん役の新人女優をい
たく気に入った森繁さん、放送当日、急坂のラーメン屋台という妙な場面を注文する。台本なし
の本番。屋台の丸いすに座ったご隠居は、即興で横のお手伝いにすり寄った。
新人がうぶに押しのける。屋台は坂をずり始め、2人は抱き合って倒れ込んだ。このわるさ、
配役を任された久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが『今さらながら大遺言書』(新潮社)で明か
している。相手は後の樹木希林さんだ。
女性を愛し、映画でも尻や胸によく手が伸びた。パシッとやられて退散する流れがおちゃめで、
いやらしさはない。座談の色話には軽(かろ)みが漂い、エロというより、小さな字で助平と書
きたいおかしみがあった。
大阪人のサービス精神に、大御所の威厳がいい案配で重なる。銀幕の盛りはチョビひげ、晩年
は白いあごひげの相を大衆の記憶に刻んだ。お座敷でのドジョウすくいと文化勲章。どちらもは
まる自在の人だった。
勝新太郎さんや芦田伸介さんら、仲間に先立たれる思いを「朝寝坊でロケバスに乗り遅れた私
だけがまごまごしている」と記している。「生きているやつはみんな哀れなんだ」と。久世さん
も、最愛の妻子も待つ次の現場に向かって、悠然とバスに消えた。
他紙コラム。
【西日本】春秋 2009年11月12日
福岡県内の高校生約13万人に、きょうの朝刊が配られる。全国紙と西日本新聞が企画した。
「新聞を若い人に読んでほしい」との思いを込めた
フランスではサルコジ大統領が今年1月に「18歳の国民全員に1年間、無料で新聞を配達す
る」と発表した。政府のメディア委員会の提言を入れた。「新聞を読む習慣を若いうちに身に付
けるべきだ」との考えに基づく
国ぐるみの構えとは比べるべくもないが、福岡での取り組みに込めた思いはどこにも負けない。
電子メディアもいいけれど活字メディアは負けていない。そのことを若者に知ってもらいたい。
思いはそこに行き着く
日本の新聞は地域のことも詳しく伝える。地域について地域と共に考える。読者の声は紙面に
反映させる。時代がどんなに変わろうと地域と向き合う姿勢は変わらない。西日本新聞はそうい
う新聞であり続けます、とPRも交ぜさせていただく
新聞も加わる地域づくりを、今の10代が担う時代が遠からずやって来る。20代30代と続
く生活の舞台が古里以外に移ったとしても故郷への思いは変わらない。こうなるといいなあ、と
願う郷土の将来像を提案してほしい。この朝刊を繰っていくと要領が載っている
フランスなど諸外国のように18歳で政治に参加することはできなくても、18歳を含む高校
生に、純な気持ちの今でないと描けない郷土の明日を…。「福岡の実験」にそんな願いも込めた。
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年間500億で足りよう。
参考:
新政権に望む 「表現・報道の自由」規制、デジタル社会、そして… - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/universalon/clipping/archive/news/2009/08/24/20090824ddm012040004000c.html
天声人語 2009年11月13日(金)付
「絵」を見せられて変化を実感したし、それが狙いでもあったろう。来年度予算の事業仕分け
である。議員と民間の仕分け人が、省庁の要求を削りまくる様が公開された。法廷さながらの真
剣勝負で、初日から廃止の「判決」が相次いだ。
これじゃ公開処刑と役人はぼやくが、あけすけの攻防は建前談議よりずっと面白い。国会審議
にも同じ感慨を抱いた。答弁の虎の巻なし、官僚の助け舟なし。政治家同士の論戦は時に、足を
止めて打ち合うボクシングを思わせた。
場外乱闘も熱い。町村元官房長官が民主党の新人軍団を追い出そうとすると、亀井金融担当相
が「町村あたりになんの権限があるんだ」と毒づいた。町村氏も「亀井退席だ。退席しろお前!」
と負けていない。ちなみに亀井氏が8歳上、東大経済学部の先輩でもある。
民主党はいまだに与党が板につかない。夏まで政府を攻め続けた長妻厚労相は、質問に立った
前任者を再三「舛添大臣」と呼んだ。鳩山首相も厚労相を「長妻委員」とやった。
野党ボケの病は守りに弱い。沖縄、予算、天下り、献金、日航、連立、小沢さん……。与党が
抱えた爆弾は粒ぞろいで、野党のひと押しで火を噴きかねない状況だ。世論の優しさ、さていつ
までもつか。
内政のせわしさにはお構いなく、オバマ米大統領がやって来る。あちらも課題山積、人気にも
影がさす。アジア歴訪の主眼は中国らしいから、心ここにあらずとなりはしないか。「チェンジ」
の重さがこたえる者同士、せめて友情を固め、後々の「総合保険」としてほしい。
----------
第2段落『ずっと面白い』等と中身を見ずサーカスにうつつを抜かす天人子。
悪い官僚を滅多斬りにする正義の仕分け人、というコロセウムの虐殺ショーだけを求めるのは、
政治に関心があるのではなく、パンとサーカスに喜ぶ盲目の衆愚に過ぎない。
第5段落『世論の優しさ』。世論と報道論調とは共振する。世論が先か、報道論調が先か、卵と鶏
の関係にも似てそれは既に判別不能だ。確かなことは、報道には役割、義務があり、サーカスに
喜び中身を語らない報道は、その義務を果たしていないということ。
287 :
文責・名無しさん:2009/11/13(金) 19:54:44 ID:eCbvnkuy0
公開事業仕分けなんて朝日の最も嫌う劇場型政治の典型なのだが、
あれを真剣勝負と呼ぶなんて白々しすぎる。
>>286 > 町村元官房長官が民主党の新人軍団を追い出そうとすると
これまで与野党で分け合うのが慣例だった傍聴席を
民主党は新人議員を動員して占拠した、っていう事実を書いておかないと。
天声人語 2009年11月14日(土)付
ベルギーの画家ルネ・マグリットに、昼と夜が同居した連作「光の帝国」がある。窓あかりの
家と街灯、黒い木立の上は、なぜか青い空と白い雲だ。作者は〈夜と昼の想起は我々を脅かし、
魅了する力を備えている〉と注釈を添えた。
科学の言葉では説きづらいが、かの国に暮らした頃、そうした情景を見た覚えがある。土地の
空気がもたらす超現実とでも言うのか、長い夜が待つ晩秋から初冬の、日没後の一瞬だったと思
う。
英語のトワイライト、日本で逢魔(おうま)が時(とき)と呼ばれる時間帯である。心細い光
の中で、起こり得ないこと、あり得ないものを心の耳目がとらえる。薄暮の歩道で、亡き人の面
影とすれ違った経験をお持ちでなかろうか。
そんな幻想を追い立てるように、今年も電飾がまぶしい季節となった。東京都心の六本木ヒル
ズでは、日本庭園にまで発光ダイオードの粒が散らされ、ケヤキ並木も青白い実をつけた。高層
ホテルは、窓を使った巨大ツリーを競う。
上が暗く、下が明るいのはマグリットの作品とは逆ながら、これから年末にかけての街も「光
の帝国」には違いない。延々と続く「昼」に、家族が集い、恋人たちが憩う。きらめく夜はなる
ほど幻想的だが、それは現実であって幻想ではない。
火ともし頃が恋しい候。ひと粒のあかり、ひと筋の光明は、あたりが暗いほど胸にしみる。夜
汽車の窓にぽつんと浮かんだ灯火に、何ごともない日常、一家だんらんの愛(いと)おしさを見
たのは、フーテンの寅さんだった。抱きしめたくなるような光は、すっかり貴重品である。
290 :
文責・名無しさん:2009/11/16(月) 10:36:54 ID:XsZ0fv3k0
天声人語 2009年11月15日(日)付
ここ何週か、金曜の小紙夕刊を手にすると少し緊張する。この日には脚本家、三谷幸喜さんの
人気エッセー「ありふれた生活」が連載されている(統合版地域は翌朝刊)。三谷家の老猫オシ
マンベの訃報(ふほう)が書かれているのではないか――それが気にかかる。
先月の寄稿によれば、衰弱して目方が半分に減ったそうだ。三谷さん宅では昨夏にも老猫が旅
立った。そのときは死を伝える文とともに、猫が横たわる和田誠さんの挿絵が載った。早刷りの
夕刊をめくり、まず猫の絵がないのを見てほっとする金曜の午後である。
私事にわたるが、拙宅でも夏を前に老猫が死んだ。7キロあった体は3キロにしぼみ、よろよ
ろになって息絶えた。狭い庭に盛った土饅頭(どまんじゅう)に、いまは枯れ葉が散って、猫の
墓ながらそれなりの風情である。
世は空前のペットブームだという。その陰で、年に30万匹という犬と猫が、生きることも許
されずガス室に消えていく。東京で上映中のドキュメンタリー「犬と猫と人間と」を見ると、も
ろもろの場面が人間の身勝手を突いてくる。
ひとりの猫好きのおばあさんの思いを、監督の飯田基晴さんが受け止めて作った。「人も好き
ですけど、人間よりマシみたい、動物の方が」。いまは亡き彼女のつぶやきが、われら霊長類ヒ
ト科の生き物にほろ苦い。
〈犬猫も鳥も樹も好き 人間はうかと好きとは言へず過ぎ来て〉は歌人斎藤史(ふみ)の一首。
人同士とは違う情の注ぎやすさがペット人気の側面にはあるのだろう。かりそめの情に終わらせ
ないことは、人の道のイロハである。
----------
締めの段落がお決まり臭いのが、ちょっと残念。
天声人語 2009年11月16日(月)付
へえ、「井戸の茶碗(ちゃわん)」みたいな話が本当にあるんだ――と落語好きの人は思った
のではないか。ある若侍(わかざむらい)が古びた仏像を二束三文で買い、磨いていたら中から
50両の小判が出てきた。これが落語の筋立てである。
実話は奈良県であった。この9月、中学校のバザーで靴収納用品が2箱、それぞれ10円で売
りに出た。別々の人が買って帰ると箱の中から200万円ずつ、計400万円が出てきた。たま
げた2人は警察に拾得物として届けたそうだ。
謎めいた話は、このほど持ち主が現れて落着となった。小紙の奈良版によれば、63歳の女性
がへそくりとして隠し、うっかり忘れたままバザーに出したという。「よく届けてくれました」
と女性。名高いネタも現代の実話には一本取られた格好だ。
遺失と拾得をめぐる話には往々にドラマがある。なくした時は悲運を呪ったが、届けてくれた
人の情にふれて、逆に幸せな気分をもらった。そんな美談もあれば、泣く泣くあきらめた無念も
聞く。善意と不実の交差する人の世の縮図だろう。
2年前には茨城県で、1千万円の当たり宝くじを置き忘れた人がいた。報道されると19人が
名乗り出た。警察が吟味して持ち主を確定したが、人の世は基本的には、せち辛いものらしい。
ちなみに「井戸の茶碗」では、若侍と、仏像の前の持ち主が「自分の金ではない」と美(うる)
わしく譲り合う。ものの本によれば、世相を映してか、こうした癒やし系の正直話が昨今の寄席
では好まれるそうだ。名演を一席聞きたくなる心地がする、今年の冬の初めである。
----------
よそう、また小判が出ると良くない。
>>282 事件、犯罪者大好きのくせに、被害者が女性ならかっこをつけたがるマッチョ新聞。
>>284 女性を愛し、映画でも尻や胸によく手が伸びた。おちゃめで、いやらしさはない。
ね? こんなもんです。
天声人語 2009年11月17日(火)付
本紙の世論調査で鳩山内閣の支持率が62%になった。発足時の71%から、2カ月で首相の
年齢まで下りてきた。このままどんどん「若返る」かどうかはさておき、新政権の滑り出しを振
り返る頃合いだ。
旧政権は青少年のような支持率に泣いた。飛行機に例えれば、荒野に不時着したり、低空で粘っ
た末に政権交代の空港に降りたり、ふらふらと重力まかせの感があった。新政権の支持率は、同
じ低下でも緊張をはらむ。下降気流と上昇気流の間でもまれ、きしみながら高度を下げる機体を
思う。
下向きの風は尽きない。献金疑惑、冷めた日米同盟、天下り、官房機密費をめぐる沈黙。しか
もそれらを釈明するのは、言葉遣いはていねいだが危なっかしい「鳩山語」だ。
一方に、結構な勢いで支える風がある。行政の無駄を排し、官僚頼みを脱する試みにおいて、
新政権は鮮烈な印象を残してきた。62%はそこへの支持としか考えられない。開かれた政治に
期待をつなぐ、いわば我慢の風である。
それだけに、党首討論を渋るような姿勢は百害に値する。勝手に短い会期にしておいて、「国
会日程がきつい」はなかろう。説明責任に耐えかね、あしき「前例」や霞が関にすがるようでは、
上向きの風はたちまちなえる。
いい意味で素人流を望まれながら、清新さより未熟さが目につく新政権である。公約実現のや
り繰りは厳しく、負の遺産もあろう。しかし、首相の言動を筆頭に、議席に見合う安定感がない
のは困る。再び裏切られたら日本の政治は救われない。早くも正念場である。
----------
鳩山民主党への上昇気流、マスコミの皆様が口でふーふーするのは、もう疲れたか。前政権、自
民党叩きの拳にも、いまいち力っ気がないぞ。
第4段落『行政の無駄』『官僚頼み』。最早これしかないっぽいが、無駄、官僚、それはどういう
ものか、実は何の実際もなく、印象だけしか与えられていない。
最終段落『再び裏切られたら』。政権交代するだけ、だろ。政権交代可能な2大政党制こそ民主主
義なんだろ。民主党が立った途端宗旨替えとは、お前、天人子よ、都合が良すぎるぜ。
294 :
文責・名無しさん:2009/11/17(火) 16:49:50 ID:nO8zHegp0
11月16日の素粒子はいただけなかったな。
1.谷垣が自転車マニアは新聞やテレビを見てる奴なら誰でも知ってることだ。
2.波で船が傾くことは高校生物理を習っている奴なら誰でも知ってることだ。
3.韓国で実弾射撃が出来るのは海外旅行をした奴なら誰でも知ってることだ。
もっと朝日新聞素粒子君は勉強をしてもらいたい。
いち読者より。
295 :
文責・名無しさん:2009/11/17(火) 22:28:22 ID:xeuZMg570
なんか、最近野党としての自民党の活躍がテレビや新聞で見受けられないな。
あれから麻生元総理はどうなったんだ?
そういうのを取り上げてみたら、少しは民主も緊張感が走るんじゃないか?
「ネットの発言は無視」とかいう原則は置いといて。
>>293 >飛行機に例えれば、荒野に不時着したり、低空で粘った末に政権交代の空港に降りたり、
>ふらふらと重力まかせの感があった。新政権の支持率は、同じ低下でも緊張をはらむ。
>下降気流と上昇気流の間でもまれ、きしみながら高度を下げる機体を思う。
漢字の読み間違いだの些細なネタで乗客を扇動してパイロット以下乗員総入れ替えさせたけど、
実際やらせてみたら無能っぷりが次第に明らかになってきて、言い訳と今後どうしようか考え中ってとこか?
性質の悪いハイジャック犯だなw
>>295 あと選挙前言われてた共産党ブームはどこ行ったんでしょうね。
蟹工船ブームとかは何だったの?
天声人語 2009年11月18日(水)付
私鉄駅のエスカレーターに親子連れがいた。母の尻ポケットからのぞく異物を男児は見逃さな
かった。「なんでチャンネル持ってきたの?」。お母さんは「もうやだ。なんでなの」と、リモ
コンを同伴した己を責めた。誰にでもある「うっかり」の多くは笑い話で済む。
だがそれは、不注意ではなく長い闘いの兆しかもしれない。冷蔵庫に何度も空の食器が入って
いる――。群馬県議会議員の大沢幸一さん(66)は6年前、妻正子さん(60)の異変を確信
した。若年性アルツハイマー病だった。
過日、横浜市であった認知症ケアのシンポジウムで、大沢さんにお会いした。生命倫理学会の
公開行事だ。「共倒れにならないよう、妻には笑い薬を与えています」という壇上の発言が心に
残った。
寝る前、おどける夫に笑ってくれれば、妻も自分も安眠できる。反応で症状の進行もわかる。
そして、怒らない、ダメと言わない、押しつけないの三原則を自らに課す。最愛の人の尊厳、誰
が傷つけられようか。
認知症は人格が崩れ、やがては抜け殻になると思われがちだ。しかし、シンポを企画した内科
医の箕岡真子さんは語る。「抜け殻論を乗り越え、患者ではなく一人の生活者として接したい。
以前とは違うけれど、その人は感じ、欲し、つながっていたいのです」。
人格は失われず、隠されていくと考えたい。情緒はむしろ研ぎ澄まされるとも聞いた。介護の
技術に倫理や共感の視点を採り入れることで、本人と家族の「人生の質」を少しでも保てないか。
高齢化が問う、重い宿題である。
天声人語 2009年11月19日(木)付
居酒屋で「めったに入荷しないんです」と勧められると、つい「それでは」となる。遠からず
幻の味になるかもと聞けば、では今のうちにと腰が浮く。希少価値とは、箸(はし)をつける前
から旨(うま)さにゲタを履かせるものらしい。
大西洋クロマグロの来年の漁獲枠が、今年から4割ほど削られた。対象海域のクロマグロは多
くが日本へ輸出され、国内消費の半分を賄う。回転ずしの大トロなどでおなじみだ。在庫が十分
なので急騰はないようだが、心のほっぺたがまた落ちた。
大西洋クロマグロは4メートルにもなる最大種。世界のクロマグロの8割弱を胃袋に入れる日
本向けに、地中海諸国は幼魚から育てる蓄養を競う。これが乱獲の元凶だと、輸出入の全面禁止
を求める動きもある。
江戸期までマグロは下魚で、とれたら肥料にしたという。サツマイモやカボチャと並べ、「ちゃん
とした町人は食すのを恥じる」と書かれたこともある。それがすしの主役となり、最たる下手物
だった脂身が珍重されるのだから、味覚や食文化は意外に浮気者だ。
ゆえに「クロ偏重」も永遠とは限らない。マグロにはトロで見劣りしないミナミ(インド)を
はじめ、メバチ、キハダ、ビンナガとある。末席のビンナガあたりは、「缶詰には缶詰の旨さが
ある」と言いたいところだろう。
栄養源としての食べ物に上下はない。あれは高級、これは低級と区別し、お金になる魚ばかり
を引き抜けば、その資源はいずれ底をつく。広く薄く、おいしくいただくのが、海への礼儀であ
り、料理の腕の見せどころではないか。
----------
うーん、デジャブ。去年の今頃も、マグロの話をしていたなあ。ICCAT(大西洋まぐろ類保存国際
委員会)の年次会議がこの時期だから、あたりまえなんだけど。
資源量だとか、永続的な資源利用だとか、それは考えるべきことだけれど、クロマグロをワシン
トン条約の対象にしようとかいうのは、どうなんだか。
299 :
文責・名無しさん:2009/11/19(木) 17:14:09 ID:Gy9QDYLY0
「心のほっぺたがまた落ちた」の意味が解らんのは小生だけか。
「ほっぺたが落ちる」は美味しくて満足している様と理解していたが
人語氏はマグロがすくなくなってうれしいのか?
>>299 現在のクジラのように、マグロ確保に奔走する日本人を「これだから日本は…」と
高所から説教垂れたいんじゃないの?
狂牛病がきっかけの牛丼騒動のとき、牛丼食いに行ったという朝日記者のwebコラムもそんな感じだった気が。
つか食品偽装が相次いで報道された時も思ったけど、食品のブランド崇拝はメディアの影響も大きいだろうに
何他人事のように書いてるんだよと。
301 :
文責・名無しさん:2009/11/20(金) 10:31:10 ID:A3ff06s40
おじゃまします。
こちらは投稿欄についてではないんでしょうか?
天声人語 2009年11月20日(金)付
バブル散っての就職氷河期は大量のフリーターを生んだ。その世代に属す作家の平野啓一郎さん
(34)が、近刊の「朝日ジャーナル別冊」で京大時代の就職観に触れている。就職活動の友も、
掲載のあてなく小説を書く自分も暗かったという。
「どこで働きたいか、せっぱ詰まっていたわりに全然思いつきませんでした。あんまり歓迎さ
れないまま社会に出ることになった辛(つら)さは、同世代間にも歪(ひず)みを残したと思い
ます」。23歳で芥川賞を取るほどの異才は別として、安定職への道はますます険しい。
来春卒業予定の大学生の就職内定率(10月1日現在)は62.5%。去年の同じ時期より
7.4ポイントも低く、最近の底だった03年の60.2%に近い。昨秋からの世界不況が招い
た、再びの氷河期らしい。
昨今の就活は3年生の秋からもう本番だ。まずは大学による説明会、年が変わって会社訪問や
面接、春には内定が出始める。本紙オピニオン面に登場した学生さんは「就活の開始から逆算し
て、大学生活が追い立てられる」とこぼしていた。
正規雇用の門が狭くなれば、就活はなお忙しい。100社200社と門をたたき、たとえ志望
の業種や企業でなくてもまず内定を得る作戦となる。縁に恵まれず、後輩に交じって落葉のオフィ
ス街を回るのは辛い。
前倒し、新卒での一発勝負という就職戦線は、学生にも採用側にも当たり外れが大きい。適齢
をどんな経済状況で迎えるかは運頼みだし、適材は既卒にもいよう。互いに歪みを残さないよう、
出会いの風景はもっとおおらかでありたい。
----------
今日の社説も、ロスジェネなる単語を用いて同じネタ。
御社の採用はどうなんさ、とは言うまい。しかし、市場が小さければ企業も採用を減らすのは仕
方ないわなあ。背負える分しか背負えないものだ。
そういや、最近は「外国人労働者の受け入れを」とか、そういう声がまた小さくなってきたな。
>>299 「心のほっぺた」「旨さにゲタを履かせる」「味覚や食文化は浮気者」……。
天の声は有難すぎて理解かできん。
「末席のビンナガ」
天界にはマグロに席次があるのか?
>>302 そうはおっしゃいますが、ちょっと景気が回復しただけの年には新卒を取り合う無分別なバカ企業も多数あるわけで、
企業側につく気もないですね。
天声人語 2009年11月21日(土)付
城山三郎さんは機械にめっぽう弱かった。娘さんの著書によると、「無駄に文が長くなる」と
パソコンを拒み、家電とのつき合いは必要最小限。仕事部屋にはエアコンもなかったという。
独り外出する老作家を案じ、ご家族が携帯電話を持たせたことがある。しかし使う気配はなく、
かけても出ない。本人にただすと、充電コードを差したまんま枕元に置いていた。「あれ、夜で
も時刻表示が出るから便利なんだよ」。
「置き時計」への転用はさすがに城山流としても、携帯を腕時計代わりにしている人は多い。
手首のおしゃれに無頓着な筆者もその口だ。時計を外してしばらくは左手に目がいったが、今
では「電話もできる懐中時計」がなじんだ。
思えば、携帯は欲が深い。通信の主役を固定電話から奪ったばかりか、目覚まし、カメラ、テ
レビ、パソコンなどから機能をつまみ食いし、どんどん重装備になった。電子マネーの財布とし
て使える機種も多い。何よりそこには、持ち主の交遊データが詰め込まれている。
戦火が絶えなかった欧州の富裕層は、いざという時に備え、財産を持ち出しやすい宝飾品や絵
画にしていたという。現代人は図らずも、いわば公私の情報資産をその一台に蓄える。携帯はま
すますなくせない。
だからこそ、犯罪捜査では宝の小箱にもなる。芸能人の薬物事件などで携帯の所在や通信記録
が取りざたされるたび、この利器が負わされた責任の重さを思う。「重ね着」の宿命とはいえ、
たまにはゴロリと、枕元に転がっていたい日もあるのではないか。
----------
変なオチだな。
天声人語 2009年11月22日(日)付
なぞなぞをひとつ。子どものころには角(つの)が2本あって、大人になると角がなくなり、
年をとるとまた角が生えてくるものはなあに? 答えは「月」。細く欠けた月の尖(とんが)り
を、角に見立てた謎かけである。
『月の本』(河出書房新社)という一冊をめくると、世界の民族の月をめぐる豊かな想像が楽
しい。餅つきの兎(うさぎ)だけでなく、人間から蜘蛛(くも)まで多彩な「住人」があの球体
にいる。狼(おおかみ)に追われた蛙(かえる)が思いっきり跳ねて月に逃げた、というのはア
メリカ先住民の言い伝えだ。
その蛙が導いたのかどうか、米航空宇宙局(NASA)の探査機が、月で「まとまった量の水」
を発見した。切り離したロケットを月に衝突させ、舞い上がった土などを分析した。また一枚、
月のベールがはがされた。
乾燥した世界と思われていただけに研究班は興奮気味らしい。会見場にバケツを持ち込んで、
見つかった量を「これに12杯ぐらい(約90リットル)」と説明した。「月の水」という究極
の銘水を味わえる日が遠からず来るかもしれない。
ジュール・ベルヌのSF小説「月世界旅行」を思い出す。南北戦争の終わった米国で、大砲を
使う機会がないと嘆く人々が、月に砲弾を撃ち込もうと思いつく。そして3人を乗せた砲弾が発
射される。
そんな絵空事が100年後には現実になった。神話から空想へ、空想から現実へと、科学技術
を道連れに人類は歩んできた。宇宙に限らず、歩みは加速の一途だろう。時の政府が科学への「ま
なざし」を欠くなら、未来への大きな落とし物をすることになりかねない。
天声人語 2009年11月23日(月)付
年に12ある月々に優劣はないが、11月のイメージはいささか不遇かもしれない。木枯らし
が吹き、つめたい雨が野山をたたいて、冬枯れに向かう寂しさが身にしみる。なればこそ、だろ
う。陽光穏やかな日の幸福感はひとしおだ。〈玉の如(ごと)き小春日和を授かりし〉の名句が
俳人松本たかしにある。
そんな一日、甲州の大菩薩嶺を歩いた。雪を頂いたアルプスが遠くに光る。〈晩秋の峰は徳高
き老翁のすがた。なんと気高い、なんと地味な姿で、その銀の高い額(ひたい)をかがやかして
いるのだろう〉。往年の名登山家、大島亮吉の短章が胸に浮かぶ。
南へ目をやると富士山が白い。銀に装う連山を従えるように、この峰の容姿と高さは他を寄せ
つけない。枯れた草に寝ころんで、いつまで眺めていても飽きることがない。
かつて、勤労感謝の休みのころの富士山はにぎわった。冬山前の雪上訓練に山岳会がやってき
て、山梨側の5合目にはテント村ができたものだ。新人は夜になるとテントを追い出されて夜を
明かした。しごきではなく、露営の訓練である。
5合目にある山小屋に聞くと、近年は雪が遅く、付近はまだ根雪になっていないそうだ。「富
士山に秋はない」と冬の到来の早さを言ったのは、山頂測候所に勤務した作家の新田次郎だった。
温暖化のせいか、最高峰でも季節は遅れ加減らしい。
歳時記によれば、秋の山は「山粧(よそお)う」、冬の山は「山眠る」と言う。秋の装いを終
えた山々が眠りにつく中、ひとり富士山だけが玲瓏(れいろう)と屹立(きつりつ)する。そん
な「日本の冬」が間もなくやってくる。
天声人語 2009年11月24日(火)付
勤労感謝の日、東京の芝公園で野宿者への炊き出しをしていた。昨冬の「年越し派遣村」で救
われた人たちが、恩返しにと一肌脱いだそうだ。日比谷公園の列に並んだ男性が、この日はご飯
や豚汁を配る側にいた。
いい話には「再訪もの」が結構ある。20年前の「一杯のかけそば」を覚えておられようか。
大みそかのたびに年越しそばを分け合う母子3人を、そば屋の夫婦はひそかな大盛りで応援した。
来店が絶えて久しい年の瀬、近所の皆が母子に思いをはせる店に、医者と銀行員になった息子た
ちが老母と現れる。
泣かせどころ満載の、よくできた話だった。実話という触れ込みも筋に力を与えた。当時はバ
ブル経済の絶頂期。感動の押し売りと言われようが、お金で買えない人情に世の中が飢えていた。
再訪の孝行息子たちは、人生最大のぜいたくだとかけそば3杯を注文する。このラストまで読
み返し、えも言われぬ違和感が残った。恋しいほどの清貧も、現実の貧しさが生々しすぎて安っ
ぽく映るのだろうか。
日本では6人に1人が貧困とされる。「かけそば」のような一人親世帯に限れば、主要国では
最悪の5割超が貧困層という。とりわけ、親の仕事が不安定な母子家庭は厳しい。炊き出しに並
びたい親子もいるに違いない。
弱者が弱者を支える光景は胸に迫るが、それは公の無策の裏返しでもある。日本経済がデフレ
状況にあると認めたからには、消費がさらに縮こまらないよう、家計と雇用を温める政策を最優
先してほしい。この貧困、美談で救えるものではない。
----------
例の「貧困率」を持ち出してくる天人子。日本人の6人に1人、1人親世帯の5割超が、1杯のかけそ
ばを分け合って食う、そんな国なのか。
309 :
文責・名無しさん:2009/11/24(火) 22:03:41 ID:5oW/l/UT0
>>308 雇用問題であれだけ政府の無策を批判していたのに、
政権代わったら急に歯切れが悪くなりすぎだろ。
>>306 > そんな絵空事が100年後には現実になった。神話から空想へ、空想から現実へと、科学技術
>を道連れに人類は歩んできた。宇宙に限らず、歩みは加速の一途だろう。時の政府が科学への「ま
>なざし」を欠くなら、未来への大きな落とし物をすることになりかねない。
これってもしかして事業仕分けへの批判?
おっかなびっくりというか、ものすごく遠回しやねw
天声人語 2009年11月25日(水)付
江戸から始まる「おくのほそ道」の旅は、東北、北陸を経て岐阜の大垣で結ばれる。芭蕉がそ
こから伊勢に赴いたと知り、「続き」を歩いて紀行風の記事にしたことがあった。妙な句も添え
ていて、思い返すと顔が赤らむ。
大胆といえば、この本も相当な代物だ。俳人312人の投票により、俳聖の作に順位をつけた
『松尾芭蕉この一句』(柳川彰治編著、平凡社)。編者は「不謹慎かと腰が引ける感じもあった」
と告白する。
約1千とされる作品のどれが好きか、多くの人に答えがあろう。当方の好みは166位の〈箱
根越す人もあるらし今朝の雪〉、126位の〈朝露によごれて涼し瓜(うり)の泥〉。40位の
〈名月や池をめぐりて夜もすがら〉……。
おっと、このまま佳境に言い及ぶのは推理小説の結末を明かすに等しい。結果は選者の弁をつ
けて下位から並び、ページを繰るたびにサスペンスが募る趣向だ。上位はいずれ劣らぬ有名句。
誰もがそらんじるあれが13位に押し出されるのだから、投票者の苦心がしのばれる。
企画の妙とはいえ、俳句で二匹目のドジョウを狙えと言われたら途方に暮れる。芸術の分野を
問わず、作品を並べてひとしきり遊べる作家は少ない。周知の作が山とあってのランキングであ
る。
芭蕉評は各様だ。俳壇での神格化にうんざりしていた正岡子規あたりは「過半悪句駄句を以
(もっ)て埋められ」と辛かった。その上で、可なるもの200余句と認める。すそ野が広いか
ら攻め方がいくつもあり、仰ぐ高峰は異なる姿を見せるのだろう。改めて山の大きさを思う。
天声人語 2009年11月26日(木)付
外国のタクシーにいい思い出は少ない。頼みもしない名所案内の末、支払時に「少ないよ」と
日本語で泣かれたのは80年代のソウルだった。90年代のアテネでは、ギアチェンジのたびに
料金メーターを指で加算する「名人芸」を見た。
どちらの街もオリンピックを境に運転手の質が上がったと聞く。東京五輪のお陰かどうか、日
本のタクシーは昔から安心だ。明朗会計、まずは紳士的なドライバー、車内禁煙も助かる。
業界は今、不況と過当競争にあえぐ。新規参入などが大幅に自由化された結果、車は増えたが
客足が伸びない。稼ぐには寸暇を惜しんでハンドルを握るしかないのか。逆境の下、安全、快適、
安価、迅速といった輸送の品質をどう保つかが問われている。
さて、これは質を高める動きだろうか。初乗り500円で営業する大阪の個人タクシー業者8
人に、近畿運輸局が値上げを命じた。業者は「ワンコイン」を続けたいのだが、「適正利益が出
ていない。安全を確保できない」と拒まれた。
損するために走る車はない。要は規制の緩めすぎを改め、初乗り600円台の「秩序」を作り
出す策に見える。運転手さんの体は大切だし、過労で居眠りされても困るが、理由のある安さな
ら役所の出る幕ではない。ゆめゆめ、努力不足の業者を守る愚とならぬよう願いたい。
大阪では全車の1割近い約2千台が初乗り500円で走る。花より実を重んじる利用者が業者
の努力を促すのだろう。初乗り710円の地からは、商都の無秩序、いや知恵比べがまぶしくも
映るのだが。
----------
規制緩和でタクシードライバーがいじめられている、小泉改革は失敗だった、とか、ゆーとった
やないかい。いい加減じゃのー。
天声人語 2009年11月27日(金)付
しっくりこない日本語訳というのがある。欧州委員会もその一つだ。欧州連合(EU)の行政
機関(コミッション)だが、職員2万5千人を擁する権力の呼び名としては軽い。昔の名前が似
合わないところまで、欧州統合が進んだ結果でもあろう。
EUの仕組みがややこしいのは、「超国家」ならではの組織があるせいだ。国家主権の一部を
欧州委員会や欧州議会なるものに譲り渡すということが、そもそもピンと来ない。
その点、欧州理事会、つまり首脳会議は分かりやすい。加盟27カ国のトップが国益をぶつけ
合う場である。仕切り役はこれまで、半年ごとに交代する議長国だったが、4日後に発効する新
条約で常任議長(プレジデント)が置かれることになった。
この職を、我ら日本メディアはEUの大統領になぞらえる。なるほど、欧州の顔を期待された
新ポストではあるが、初代のファンロンパウ・ベルギー首相は国際的には無名で、肩書に比して
地味な人選だ。
これがブレア前英首相あたりだと、サルコジ仏大統領やメルケル独首相ら現役の首脳が食われ
かねない。こうした場合、大国以外で重職を担える国は限られる。創設メンバーのベルギー、オ
ランダ、ルクセンブルク。いつもの、困った時のベネルクスである。
一つの市場と通貨に続くEUの挑戦は、外向きに一つの顔と声を持つことだ。それぞれ、近く
生まれる「大統領と外相」が担う。地位が人を作ることもあろう。欧州の冒険を応援してきた一
人として、この呼び名が「重すぎる誤訳」にならぬことを祈る。
ちょっと面白かった他紙コラム。
【秋田魁】北斗星(11月27日付)
http://www.sakigake.jp/p/column/hokuto.jsp?kc=20091127ax 長年愛用している中華鍋がある。使い方にもよるだろうが、ほかのフライパン類が幾度も世代
交代をしているのに対し、武骨なこの鉄鍋は20年以上も現役で頑張っている。
先日、マーボーナスとチャーハンの夕食を作り終えて、ふと思い当たった。この持ちの違いは
人の世にも当てはまるのではないかと。組織であれ個人であれ、しっかりとしたつくりであれば
長持ちするし、にわか仕込みならば、やはりいずれはメッキがはげてしまう。
振り返れば、自民党政権は丈夫な大鍋だったとみてよさそうだ。高度成長という材料をうまく
料理し、国民に分配した。しかし、さすがに50年余は長丁場。鍋の傷みは目を覆うばかりで更
新の時期に。下野でいそしむはずの修繕も、なかなかはかどらないようである。
代わって登場した「民主鍋」は既にフル稼働状態。事業仕分けというさばき方も派手で、胸が
すく人も多いようだ。張り切らないはずはない。無駄排除、天下り根絶など国民の期待を一身に
背負っているのだから。ところがである。何やら嫌な兆しもほの見えてきた。
デフレに急激な円高と経済の料理法で頭が痛い上に、献金問題で鳩山首相の足元に火がついた
格好となっている。子ども手当や公立高校授業料の実質無償化、農家の戸別所得補償とメニュー
に並べられたごちそうが、本当に食べられるのかどうかもまだ定かではない。
民主鍋が鋼でできているのか、そうでないのか。首相以下、料理人たちの腕が試されている。
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日本国内ではあまり紹介されなかった、シンガポールの新聞の評「鳩山:テフロン首相」が、念
頭にあったかどうか。
古鍋が、本当に傷んでいたのか。テレビショッピングで買った新しい鍋(テフロン加工)は、本
当に良い買い物だったのか。
まあ、当のテフロンコーティングさんに聞くようなことじゃないけれど。あんたらのことだよ、
マスメディアの皆さん。
昨日の素粒子は酷かった。今手元に無いんだが
「円高で輸入品が高くなったけど、そんな高価な舶来品とは縁がないし〜」だそうな
今の輸入品って、むしろ安物が中心じゃないのか?
そしてデフレ気味の今、安物が値上がりするのって大変な事だろ。
円高で輸入品が高くなった?
天声人語 2009年11月28日(土)付
きょう誕生日を祝う有名人の中で、最も「旬」なのは参院議員の蓮舫(れんほう)さんだろう。
彼女を時の人にして、行政刷新会議の事業仕分けが終わった。鋭い舌鋒(ぜっぽう)で注目され
たその人を、傍聴席から見た。華奢(きゃしゃ)だが、威風あたりを払う存在感だった。
42歳になる蓮舫さんは、子どもや食の安全に重きを置いた「ママフェスト」を掲げる。「母
として起(た)つ」と。資料と格闘して深夜に帰っても、早起きして双子に弁当を作る日がある。
母とは強く、ありがたいものである。そして、母子のきずなは永遠だ。
鳩山首相の政治資金に、実母から大金が流れ込んでいた疑いが浮上した。例の偽装献金に充て
られたらしい。「原資は自分の金」と語ってきた首相は、国民に改めて説明するしかない。
首相のお母さんといえば、ブリヂストン創業者の長女で、鳩山家に巨富をもたらしたことで知
られる。勝負時の長子を支えたい心情は分かるが、相手は公人中の公人。親子でどんぶり勘定で
は洒落(しゃれ)にもならない。
「私の知らないところで何が行われていたのか、驚いている」と話す息子が情けない。聞けば
すむ話である。「こっちが驚いているわけで、本人が驚くのはおかしい」。その通り。麻生太郎
さんの言に珍しくうなずいた。
民主党も困りものだ。鮮烈と曖昧(あいまい)、攻と守、透明と混濁。蓮舫さんが好む服装の
ように、白と黒の地が党内でせめぎ合い、新政権を評価しようにも一刀両断といかない。どう転
がるにせよ、ここは日本の政治の分岐点となろう。もだえつつ、「白がんばれ」とつぶやいてい
る。
----------
「白がんばれ」じゃねーだろがよ。お前、ジャーナリストなら、黒いところをお日ぃさんの下に
引きずり出さんかい。
なにやら蓮舫氏を持ち上げていますが、テレビメディア向きの、絵になる人材を仕分け人に選ん
だ民主党の思惑通り、という感じですなあ。
だが、ちょっと待って欲しい。蓮舫は「白」だろうか。
「痴」の一字が抜けているのではないか。冷静な議論が待たれる。
赤勝て、赤勝て、のプロ市民運動会じゃないのか?
320 :
文責・名無しさん:2009/11/28(土) 22:26:02 ID:Heyry27R0
アホ丸出しの蓮舫さん(笑)をベタ褒めする朝日さん(笑)
天声人語 2009年11月29日(日)付
そこにあるのに、それを表す言葉がないために認識されないものがある。裏を返せば、見過ご
されていたものも、名称が与えられることで顕在化する。そうした例の一つが「里山」だろう。
人と自然が共存する、日本の原風景ともいえるたたずまいが、この一語で広く認識されるように
なった。
97歳で亡くなった京大名誉教授の四手井(しでい)綱英さんはその語の生みの親だった。
1960年代に言い出した。「山里をひっくり返しただけですが、これがぴったりきた」。のち
に広辞苑にも載り、言葉とともに里山の豊かさは世に知られていく。
京大に赴任した54年には、それまで「造林学」だった講座を「森林生態学」に改めた。造林
という言葉は人が管理して育てる色合いが濃い。変更は、木々と多様な生き物を主役にして、人
間は脇役に引くという意識の転換でもあった。
先週はもうひとり、京大名誉教授の訃報(ふほう)を聞いた。動物行動学の日高敏隆さんは享
年79。やはり人間を万物のモノサシとして疑わない風潮に異をはさんできた。柔らかいエッセー
に自然界の見方を教わった人は少なくないだろう。
動物はときに自然を破壊するが自然を単純化はしない。しかし人間は手を加えて単純化する。
単純化したもろい環境が世界に広がっている――。若き日の日高さんの懸念は、まさに「生物多
様性」という新語を伴って私たちの前に立ち現れている。
森林の破壊や生き物の絶滅は、なお加速度的に進む。旅立たれた碩学(せきがく)お二人を「後
顧の憂いなく」と見送れないのが、どうにも残念である。
>>317 れんほうが参院議員なら
麻生太郎は衆院議員もしくは代議士とつけるべきではないのか?
なんでさん付けなの?
天声人語 2009年11月30日(月)付
晩秋から初冬、沈む太陽はあかあかと世界を染める。燃え尽きるような落日を見ると、あすま
た朝日となって昇ってくるのが奇跡のようだ。落葉に夕日さす11月の人と言葉から。
人類学の泰斗、フランスのレビストロースさんが100歳で他界した。名著『悲しき熱帯』を
翻訳した東京外大名誉教授の川田順造さん(75)は「先生の言葉で心にしみているのは『世界
は人間なしに始まったし、人間なしにおわるだろう』という一節です」。人間のおごりを静かに
戒める言葉である、と。
童謡「ぞうさん」の詩人まど・みちおさんが100歳の誕生日を迎えた。「自分の世界は空間
的にも時間的にもごくささやかだけれど、生かしていただいている限り、その中には必ず何か新
しいものがあるはずだという考えを持ち続けております」。
自殺したタレント清水由貴子さんの妹、良子(よしこ)さん(42)が『介護うつ お姉ちゃん、
なんで死んじゃったの』を出版した。「介護される人と介護者だけでなく、介護者を見守る目が
必要だった。私はその目になれなかった」。悔恨をこえて悲劇の防止を願う。
大阪の食文化を発信してきた「ほろよい手帖(てちょう) 月刊たる」が創刊30年に。「う
れしくて飲み、悲しくて飲んで生まれる出会いはITには生み出せない」と編集長の高山恵太郎
さん(66)。
ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の残像も鮮烈に森繁久弥さん瞑目(めいもく)。
老いてなお「面白い話はないのか」「芝居の仕事はないのか」と言い続けたそうだ。陽(ひ)は
昇り、また沈む……。かくて時はゆく。
天声人語 2009年12月1日(火)付
古代ギリシャの七賢のひとりタレスは、何が一番難しいかと問われて「自分を知ること」と言っ
たそうだ。では容易なことは?と聞かれ、「他人に忠告すること」と答えたという。
そんな話を、しばらく前の声欄を読んで思い出した。投書した人は、職探しに通うハローワー
クの相談窓口で、小型の色紙を目にしたそうだ。そこには「人間関係うまくいかないのが当たり
前」「転ばない生き方より転んでも起きあがる人生がいい」と書いてあった。
仕事を失った人を励ますつもりだったのだろう。しかし投書者は、落ち込んでいる気持ちを逆
なでする、と立腹していた。紋切り型の人生訓である。古人の言うように、示すのは簡単でも、
意図した通りに人を勇気づけるのは難しいようだ。
きのう、17都道府県のハローワークで「ワンストップ・サービス」の試行があった。求職だ
けでなく、縦割りだった様々な支援を一つの窓口にまとめて応じる失業者対策の目玉である。昨
冬のような「年越し派遣村」を再現させまいと、政府が取り組んでいる。
タレスに相通じる、詩人の吉野弘さんの一節を思い浮かべる。〈他人を励ますのは、気楽です/
自分を励ますのが、大変なんです〉。自分を励ますことのできる灯を、人の心身にともしたとき、
初めて政策に血が通うことになろう。
きょうから暦は師走。12月の異名は、聞くだけで風の寒さをつのらせ、せわしなさを倍にす
る。デフレに円高、株安が追い打ちをかける年の瀬、貧乏神を長逗留(ながとうりゅう)させな
い政府の力量が試されるときでもある。
天声人語 2009年12月2日(水)付
「癇癪(かんしゃく)を起こす」とか「癇癪玉を破裂させる」とか、以前は言ったものだ。い
つしか「キレる」という、寒々とした言葉がとって代わり、世の中も殺伐となってきた。大きい
癇癪玉の破裂は「ブチキレる」などと言う。荒い言葉である。
殺伐感は学びの場にも募っているようだ。文科省の調査によれば、昨年度に確認された児童生
徒の暴力行為は約6万件にのぼった。この3年で7割増え、過去最多だという。数字がすべてで
はないだろうが、ゆゆしき事態には違いない。
彫刻刀を振り回す。床に倒した友だちの顔を踏む。そんな行為も起きている。給食のときに「自
分だけ少ない」と文句を言われた配膳(はいぜん)係は、怒って容器をまるごとひっくり返した。
この程度のことは珍しくないという。
「怒りをうまく言葉にできないようだ」と、あるベテラン教諭は印象を語る。人材育成コンサ
ルタントの辛淑玉(シン・スゴ)さんも同じ指摘をしていた。「怒る」とは言葉で感情を表すこ
とをいう。しかし表現する言葉を失ったときに、人はキレる(『怒りの方法』岩波新書)。
キレやすい人は往々にして表現の力が乏しいそうだ。自らの感情を受け止めて、相手に伝える。
そうした言語力の「堤防」が低いと、感情はたちまちあふれて洪水を起こしてしまう。
携帯やゲーム、会話の減少など、他にも様々な要因が背景にあるようだ。「良い怒り」は人間
関係をつなぐ。だが「キレる」とそれを絶ってしまう、と辛さんは言う。大人も含めて、「怒り
方」のゆがんだ社会は笑い方を忘れた世界のように虚(むな)しい。
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最終段落『携帯やゲーム、会話の減少など、他にも様々な要因が』。怒り方、だとか、言葉をこ
ねくっているけれど、つまりは『道徳感』であろうと思うのだが、そういう言葉は使わないんだ
な。なんで、こいつら、こんなに『道徳』『しつけ』というものが嫌いなんだか。
「怒り方」というが、それは、教えられないと判らないものだと思う。間違った「怒り方」をし
た時に、それを正す、ということ。躾ってのは、そういうものだと思うのだがな。
むかし朝日に「怒りを行動であらわせ」とか書いてあったな
天声人語 2009年12月3日(木)付
1956(昭和31)年に生まれたので、この年の歴史的な流行語と道連れで育った。「もは
や戦後ではない」である。政府の経済白書にうたわれたが、もともとは文学者の中野好夫が書い
た評論の題名だった。その趣旨は、復興を宣言する白書とはやや違う。
「『戦後』という言葉は便利重宝なものであった」と中野は言っている。つまり、「戦後」を
持ち出しさえすれば、責任を免れるとまではいかなくても、何ごとにも便利な言い訳になった。
そろそろ日本人は「戦後」に甘える気分を捨てるべきだ――。そんな意味が込められていた。
時は流れて、流行語の今年の大賞に「政権交代」が選ばれた。予想どおりだった方もおられよ
う。はかない流行(はやり)言葉(ことば)があふれる中、歴史に刻まれそうな重みを、単刀直
入な四文字は宿す。
しかし鳩山首相は表彰式を遠慮した。心中、「もはや政権交代ではない」の思いがあるのかも
しれない。政権の発足からきょうで79日になる。「七難」を隠す便利重宝な語も、そろそろ賞
味期限が見える。
なのに、ここに来て国会軽視がますます著しい。自民も自民だが、民主党の責任はいっそう重
い。国会は採決だけの場ではない。民主的な討議とは、多数派が少数派の批判に耐えられるかど
うかが試される過程にこそ、意味がある。
拙速議決も審議の拒否も、互いに以前の「敵」をまねているようでは、民主党もお里が知れる。
せっかくの流行語大賞である。あれは「政権交代」ではなく単なる「攻守交代」でしたと後世に
注釈がつくようでは情けない。
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ご説明は教科書通り ご丁寧に恐縮です(きどりっこ「流行通信簿」)
所詮、流行語だ。政権交代という流行が、メディアの上で展開した、というだけだ。
その中身を隠したまま煽ったのは、あんただろ、朝日新聞さん。今更『こんなはずじゃなかった
でしょでしょ』とか、バカですか。情けないのはあんたの頭だ。
で、どうすんだ。『わがままだって 大好きならいいよね』と、持ち上げ続けるのか。
天声人語 2009年12月4日(金)付
戦後すぐ、意気揚々と東京美術学校(現東京芸大)に入学した150人に、校長は訓示を垂れ
た。「諸君らのうち宝石はたった一粒です。その一粒を見つけるために君らを集めた。他は石に
すぎません」。亡くなった平山郁夫さんの回想である。
自分は「石」だと思っていたそうだ。3年生のとき、ついに見切りをつける。だが新任の先生
に「君の絵はこれ以上、下手にならない。おおらかにやりなさい」と言われ、続けることにした。
この一言がなかったら、膨大な画業の一切を、私たちは目にできなかったかもしれない。
大河を思わせる画業の原点には、広島での被爆があった。だが15歳で見た地獄は、画家の筆
を凍りつかせもした。描きたいのは「平和」だったが、原爆の絵は心の傷口を広げるのが怖くて
描けない。悩み抜いてたどり着いたのが仏教だった。
「怒りではなく『平和への祈り』こそが私のテーマだとやっと気づいた」と、のちに語ってい
る。以来、出世作の「仏教伝来」からシルクロードをめぐる作品まで、その活躍に詳しい説明は
いるまい。
20年ばかり前、中国西域の砂漠の街カシュガルの民家で、平山さんの絵を見た。小さな複製
をウイグル人一家が粗末な額に飾っていた。娘さんの言葉が良かった。「この絵のような砂漠が
好きです」。
厳しい光景も、平山さんの内面を通るうちに浄化され、静謐(せいひつ)な叙情となって画布
に現れる。それが砂漠の民も魅了したのだろう。娘さんは自分も描きたいと盛んに言っていた。
一粒の宝石に、今ごろなっているだろうか。
329 :
文責・名無しさん:2009/12/04(金) 21:07:42 ID:l8MRDKND0
>怒りではなく『平和への祈り』こそが私のテーマだ
「怒れ」「怒れ」とずっと言い続けてきた朝日新聞
330 :
文責・名無しさん:2009/12/05(土) 10:03:10 ID:OltvCbtL0
鳩山の普天間優柔不断を批判する天声はいつなの?
選挙で負けたとき?
天声人語 2009年12月5日(土)付
師走の今ごろは、喪中のはがきが日々届く。冬の空から降りてきたように、ひそやかに郵便受
けにある。紋切り型のあいさつ文は、事務的な素っ気なさゆえに、亡き人をきっぱりと生者から
遠ざける。
賀状だけのつきあいが長く、もう面影だけの人も、現実に幽明を隔てれば感慨は深い。子を亡
くしたと知れば、友の悲嘆を思って切ない。会いたかった恩師は夏に旅立っていた。何枚かを手
に、歳々年々人同じからず、の思いがつのる。
〈船のやうに年逝く人をこぼしつつ〉。小紙長野県版の俳壇選者、矢島渚男(なぎさお)さん
の句である。過ぎていく年を大きな船の航海にたとえた。そこから一人、二人とこぼれていく。
つまり亡くなっていく。「逝く」のは時であり、人でもある。
「人生の時間は豪華客船に乗っているような華やかなものです」と、句のイメージを矢島さん
は話す。その船から今年も多くの人が下りていった。ゆく年を偲(しの)ぶのは、亡き人を偲ぶ
ことに、どこか通じていく。
先ごろの声欄で、亡くなった後輩から喪中はがきが届いたという女性の話を読んだ。「10月
16日、45歳で、未知の世界を旅することになりました……」。病床でしたためたはがきに親
族が日付を入れて出したそうだ。それこそ天から舞い降りた、心に染みる一枚(ひとひら)だろ
う。
とはいえ偲ぶより、来る年を喜び合う方がどれほど幸せか。当方、これまでの仕事でお近づき
になったご高齢は多い。〈まだ生きているぞ賀状の面構え〉蔵巨水。年の瀬に恙(つつが)なき
を祈りつつ、よき「面構え」との再会を心待ちにする。
天声人語 2009年12月6日(日)付
子ども時代、一番のドキドキは運動会の駆けっこ、とりわけ号砲を待つ数分間だった。一緒に
走る顔ぶれを横目で確かめ、「よくて3位」などと気を回すからさらに硬くなる。
新学期の席替えにも淡い緊張が伴った。あこがれの君、苦手な子。班の顔ぶれによって、しば
らくは登校の意気込みから違う。知らない名も多いクラス替えは運まかせだが、学級内の「当た
り外れ」は鮮明だった。
サッカーファンを一喜一憂させて、32チームが8組に分かれた。来年のワールドカップ南ア
フリカ大会の組み合わせ抽選。日本はオランダ、カメルーン、デンマークと同じ組だ。いずれも
格上ながら「十分対応できる範囲」(岡田武史監督)という。当たりではないが大外れでもない
らしい。
くじは気まぐれだ。74年の西ドイツ大会で、地元西独はなんの因果か初出場の東独と同組に
なった。親善試合さえなかった両国の、最初で最後の公式戦は東が西を1対0で破る。大観衆は
番狂わせに打ちひしがれ、スタジアムから地下鉄の駅まで沈黙の列が続いたという。
しかし、この負けが西独に幸いする。2位で勝ち上がった結果、手ごわいブラジルやオランダ
と当たらずに決勝まで進み、優勝候補のオランダを下して頂点に立った。くじはドラマの始まり
でしかない。
サッカー好きなら、組み合わせ表を見ながら延々と話し込めるだろう。日本の布陣や作戦を論
じるもよし、他の組や先の展開を読むのも楽しい。半年も前にくじを引く理由が分かる気がする。
長くて熱い「前夜祭」の幕開けである。
天声人語 2009年12月7日(月)付
冬日を透かして、クヌギの葉が黄金に染まっていた。光合成の役割を終えた葉は土に還(かえ)
り、今度は底から木を支える。緑から黒へ。その間に放つ一瞬の輝きは、任を果たした喜色に見
える。
樹木医の石井誠治さんと、明治神宮の森を歩いた。クスノキなどの常緑樹が覆う参道に、森厳
の語を思う。森は人跡から守られ、路上に散った葉も中に戻される。結果、その土は都心一の豊
かさと聞いた。
初もうでの人出で知られる神宮は1920(大正9)年の創建。境内の緑の大半は、全国から
の献木10万本を青年団が植えた人工林だ。大隈重信ら時の重鎮は荘厳な杉林にこだわったが、
原生林を描く学者たちが説得したという。正しい判断だった。
早くも20年後、詩人の高橋新吉が〈身は都会の塵域(じんいき)を遠く離れたる心地す〉と
詠んだ。いま、先人が夢見た「永遠の杜(もり)」の情趣はさらに深い。植生は多彩で、石井さん
によればキウイの木まである。どこかで実を食べた鳥が種を運んだらしい。刻々と相を変え、森
は進化する。
神宮の技師は「本当の天然林になるにはあと200年はかかる」と記している。樹木の命をつ
なぐ落葉は、終わりであると同時に始まりでもある。〈冬めくや幹のうしろに幹の見え〉倉田紘
文。
きょうは大雪(たいせつ)にあたる。週末の雨に急(せ)かされ、何億もの葉が枝に別れを告
げたことだろう。落ちて大地に抱かれ、腐葉土への長い旅を始めたはずだ。その足元で続く小さ
な営みを思えば、丸裸になった冬ざれの木々も清々(すがすが)しい。寒いゆえに温かい、そん
な季節が巡ってきた。
天声人語 2009年12月8日(火)付
今年の3月10日、東京大空襲の日の小欄で「戦争と平和をめぐる言葉の空疎化」について書
いた。〈たとえば「戦争の悲惨さ」「命の大切さ」と言う。便利なだけに手垢(てあか)にまみ
れ、もはや中身はからっぽの感が強い〉と。少し言い過ぎかと思ったが、賛同の手紙を何通か頂
戴(ちょうだい)した。
「平和の大切さ」も同じだろう。この手の紋切り型は納まりがよく、人を分かったような気に
させる。一方でものごとを抽象化し、どこか他人事のように遠ざける。往々にして、そこから先
の問題意識と想像力を封じてしまう。
新聞も偉そうなことは言えない。「命の大切さを訴えた」「戦争の悲惨さを胸に」式の表現は
けっこう目立つ。これで記事は一丁あがり、では書き手の考えも深まっていかない。
批評家の小林秀雄が能について述べた一節を思い出す。〈美しい「花」がある、「花」の美し
さという様(よう)なものはない〉。名高いくだりを借りて大胆に言うなら、「『大切な命』が
ある。『命の大切さ』という様なものはない」となろうか。
抽象的な「命の大切さ」でおしまいにせず、ひとりの「大切な命」についてこそが、もっと語
られるべきだろう。「戦争の悲惨さ」は遠くても、「悲惨な戦争」の体験を聞けば、平和への思
いは質量を増していくに違いない。
今日が何の日かを知らない若い世代が、ずいぶん増えていると聞く。わが身も含めて4人に3
人が戦後生まれになった今、風化はいっそう容赦ない。伝える言葉に力を宿らせたいと、かつて
破滅への道を踏み出した日米開戦の日に思う。
----------
空疎な言葉、空疎な記事を云々しながら、変わらぬ空疎な言葉で締める天人子。空疎だ。
第4段落『大胆に言うなら』。言葉を並べ替えただけで、中身が埋まるわけでもなかろうよ。
決まった結論にたどり着くために、言葉遊びを繰り返しても、質量は増えない。
「戦争の悲惨さ」を知れば知るほど人間は戦争したくなるよ。
人間とはそういうものだよ。
>>336 殺られる前に殺れってか?
攻撃能力を持つことと、先制攻撃は別個の概念だぜ
>337
概念w
本能だよ 防衛本能
防衛本能が過敏になると攻撃的になる 平和を脅かす存在が許せなくなるから
それが北朝鮮に対する極端な憎悪や在日朝鮮人の排斥につながっている
天声人語 2009年12月9日(水)付
このところの政府を見ていると童謡「小ぎつね」(勝承夫=かつ・よしお=作詞)が口をつく。
3番の歌詞が鳩山首相に重なる。――小ぎつねコンコン穴の中 穴の中 大きな尻尾(しっぽ)
はじゃまにはなるし 小首をかしげて考える――。
尻尾は連立を組む社民党と国民新党である。天下の公党を尻尾呼ばわりは失礼だが、尻尾が胴
体を振り回すたとえは言い得て妙だ。小さいけれど大きな「尻尾」をもてあまし気味に、首相は
小首かしげて何を考えているのか。そのあたりがよく見えてこない。
きのう閣議決定した総額7.2兆円の経済対策でも亀井大臣の国民新党に揺さぶられた。結局、
地方の公共事業を上積みしたが、首相がリーダーシップを発揮したふしは見あたらない。亀井さん
にかき回されっぱなしの印象だ。
普天間飛行場問題では、県外移設を言う社民党の理念が重い。さらに、地元沖縄にも米国にも
それぞれ立場がある。首相の「三方美人」ぶりは、一人の女が男3人に愛を誓う落語の「三枚起
請(きしょう)」を思わせる。寄席なら笑えるが、ことは国の安全保障にかかわる大事である。
鳩山さんはたぶん優しい人なのだろう。優しくあるべきときに優しい人は素晴らしい。だが、
いつも優しい人は、優柔不断が裏返っているだけの場合がある。厳しく処した後の気まずさを考
えて、ことを先送りしてしまう。
政権発足前の小欄で、中曽根元首相がかつて、鳩山氏に「政治は形容詞ではなく動詞でやるも
のだ」と注文をつけた逸話を書いた。そろそろ得意の形容詞ではなく、ゆるぎない動詞の出番で
ある。
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民主党、鳩山首相には、えらくお優しい天人子。
第4段落『ことは国の安全保障にかかわる大事である』。お前さん、本当に、安全保障を大事だと
思っているんかね。
天声人語 2009年12月10日(木)付
〈まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている〉の書き出しで、司馬遼太郎作「坂の
上の雲」は始まる。その小さな国の開化に、琉球王国は呑(の)み込まれていった。いわゆる琉
球処分で沖縄県になってから、今年で130年になる。
明治政府が琉球にこだわった大きな理由は「国防」だった。唱歌の「蛍の光」はかつて4番ま
であり、千島の奥も沖縄も、八洲(やしま)の内の守りなり……と歌われたそうだ。先の戦争で
は本土を守る「捨て石」にされ、戦争が終わると「太平洋の要石(かなめいし)」になった。基
地の島である。
戦後、本土は憲法9条に守られる。しかし沖縄には異なる時間が流れてきた。朝鮮戦争、ベト
ナム戦争、湾岸戦争、さらにはイラク戦争。基地を通じて戦争にかかわってきた。三つの世紀を
またぐ歴史の先に、いまの普天間飛行場問題がある。
米側との「返還」の合意からすでに13年がたつ。県内移設を突きつけられた当時の大田知事
は、「この狭い沖縄の、どこにそんな場所があるのか」と憤った。島の多くの人々の思いでもあっ
ただろう。
ラテン語の諺(ことわざ)に「平和を望むなら戦争を準備せよ」とあるそうだ。顧みれば本土
は、自らの平和のために、戦後もずっと沖縄に「戦争の準備」の場であることを強いてきたので
はなかったか。
「平和を望むなら平和を準備したほうがいい」。これは評論家の故・加藤周一さんが切り返し
た言葉である。沖縄の歴史と現実を沖縄だけのものとせず、考えを巡らせたい。考えの一つ一つ
が、ひいては「平和の準備」につながっていく。
----------
沖縄は「捨て石」にされた、という人もいるが、捨て石にあれだけのリソースを投入すると思っ
ているのか。要石だから守ろうとしたのだし、結果守れなかったというのが正しかろう。
彼の地が要石であることは、1000年も前から変わらない。
最終段落『平和を準備したほうがいい』。平和の準備として憲法9条を守れ、と加藤氏は主張した。
非武装反戦、それだけで「平和」になど、なるものか。
>戦後、本土は憲法9条に守られる
???
>>341 沖縄には日本国憲法が適用されなかったって言いたいんじゃね?
9条は相手の国を守って自国を戒めてる(?)だけで、
自国を守る役目は存在しないんだけどな。
>>「平和を望むなら平和を準備したほうがいい」。これは評論家の故・加藤周一さんが切り返し
た言葉である
これ切り返しになってんのか?
単なる屁理屈レベルの戯言にしか見えん
9条のおかげで今まで平和に暮らせてたと思い込んでる輩多いな
だから無防備平和論なんて唱えるのだろうか
あ、工作員様は別ですので
>>340 琉球王国とか朝鮮王朝とか、清の威光をアテにしてろくな軍隊持ってなかったから
簡単に屈服させられちゃったんじゃねーのってのは禁句?
その点ではラテンの諺は正しいと思うんだが。
> 「平和を望むなら平和を準備したほうがいい」。これは評論家の故・加藤周一さんが切り返し
>た言葉である。
以前基地外投稿スレで同じような事書いてる大学生の投稿を見たような。
(そいつが加藤にかぶれてただけかもしれんが)
大学生レベルでも思いつく屁理屈を主張する「知の巨人(笑)」とそれを有難がる自称クオリティーペーパー。
イワシの頭も何とやら。
>>340 > 戦後、本土は憲法9条に守られる。
それはないない。
日米安保条約の間違えだろうがw
戦前のような平和な僻地のが良かったとか、田舎物の貧乏人はソテツでも食ってろとか言いたいのだろうか?
> ラテン語の諺(ことわざ)に「平和を望むなら戦争を準備せよ」とあるそうだ。
パラベラムを戦争に備えろでなく、戦争を準備せよと訳すとずいぶんと荒っぽく感じますね。
天声人語 2009年12月11日(金)付
有権者の抜きはなった刃が日本の政治を袈裟懸(けさが)けにした。これぞ「一票両断」。住
友生命が募った年の瀬恒例の創作四字熟語に、一年を振り返る名作迷作が多く寄せられた。
寒空の炊き出しで今年は明けた。派遣切りや雇い止めで仕事を失った人々が「断雇(だんこ)
反対」を叫んだ。夏の選挙で永田町はひっくり返る。「政権好待(こうたい)」が実現したが、
新政権の「鳩世済民(きゅうせいさいみん)」の手腕はいかに。
新型インフルエンザが上陸すると、店頭からマスクが消えた。日本中が「顔面総白」となって、
来訪の外国人も驚いた。うつされてはたまらないと、通勤電車も人ごみも「一咳(いっせき)触
発」でピリピリする。予防したくてもワクチンは足りず、切歯扼腕(せっしやくわん)ならぬ「接
種待腕(まつわん)」がなお続く。
高速道路の「千円」は功罪が半ばした。喜々として「遠奔千走(とおほんせんそう)」する人
もあれば、「千車万列」の大渋滞にプロの運転手は泣かされ、客をとられた鉄道も船も泣いた。
暦の魔術で初の「秋休五日」(シルバーウイーク)となったものの、どこもかしこもやはり渋滞。
「司民参加」の裁判員制度が始まり、「判官判民」の裁きに市民感覚がにじみ出た。白昼の天
体ショーは「皆祈日食」で晴天を待ったが、悪石島は無情の雨。米国では旅客機が川に奇跡の不
時着。「一機冬川(いっきとうせん)」の機長の離れ業が喝采を浴びた。
この人を忘れてはいけない。石川遼君めあての「一目遼戦(りょうせん)」のギャラリーでゴ
ルフ界はわいた。国宝の阿修羅像展も長蛇の盛況となり、多くの人が「阿美共感(あびきょう
かん)」した。ゆく年に、忘れ得ぬあのまなざしが、ふと胸をよぎる。
----------
恒例の創作四字熟語ネタ天人。「判官判民」「皆祈日食」あたりは上手いと思った。阿修羅像展
は、朝日新聞主催だからな、そら取り上げるだろうさ。
天人にはないが、「川寝落惨」「舞消寂尊」の無理繰り加減は心地好い。
創作四字熟語|住友生命
https://cam.sumitomolife.co.jp/jukugo/index.html
発足3ヶ月経ちますがまだ手腕に「期待」する段階なのでしょうか
一体いつ始まるのですか?
天声人語 2009年12月12日(土)付
詩人の三好達治の思い出を井伏鱒二が書いている。一緒に講演に出かけた先々で、三好は校歌
の作詞を頼まれたが、そこでは固辞した。理由がまじめだった。「僕が校歌を作って、このさき
心中でもしたら、その学校の生徒は散々だ」。
校歌とノーベル賞が同じにはならないが、オバマ大統領は、本心は平和賞を断りたかったかも
知れない。先の見えない「戦争」を二つも抱えながらの受賞である。このさき、何が起きるかわ
からない。
栄誉というより重い十字架だろう。アフガンやイラクで毎日人が死んでいる。核兵器廃絶でも、
実績を上げたのではなく、いわば希望の先買いだ。受賞のスピーチで、「戦時の大統領」は理念
と現実のはざまで慎重に言葉をつないだ。
「暴力は平和をもたらさない」というキング牧師の言葉を援用した。その一方で、平和のため
の「正しい戦争」があると説いた。ヒトラーとの戦いをたとえにしたが、取り扱いの難しい言葉
である。
「良い戦争も悪い平和もあったためしがない」と言ったのは、アメリカ独立の父のひとりフラン
クリンだった。だからというべきか、戦争の歴史は、戦争を正当化する歴史でもあった。古今東
西、百の国に百の「正しい戦争」があったことを、そのスピーチに思い出す。
三好の逸話ではないが、今後のオバマ氏いかんでは平和賞も深い傷を負う。それを承知でノー
ベル賞委員会は火中の栗を拾い、大統領も応えたのだろう。氏のうたう「核兵器のない世界」は
はるかに遠いが、冷笑という風で灯を吹き消したくはない。
----------
なんとも苦しいな。「暴力は平和をもたらさない」「良い戦争も悪い平和もあったためしがない」
などと引用を重ね、どうにかして『戦争の否定』に持ち込みたい様子。
オバマ氏の演説も、まあ、ノーベル平和賞受賞スピーチで言うことじゃない現実的なものだと思
うが、この類の夢想的な主張がリアルであると信じている人が主流になった今では、価値のある
ものなのかもしれない。
このネタで書いたコラムは多くない。
【産経】産経抄 12月12日
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091212/plc0912120256000-n1.htm プラトン研究などで知られる哲学者、田中美知太郎氏は現代政治にも積極的に発言していた。
かつて著書『今日の政治的関心』の中でこう述べている。「平和というものは、われわれが平和
の歌を歌っていれば、それで守られるというものではない」。
さらに続けて「いわゆる平和憲法だけで平和が保障されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法
で禁止しておいた方がよかったかも知れない」と言う。戦後日本のあまりに現実離れした「平和
主義」をこれほど的確に、しかも皮肉たっぷりに批判した論はなかった。
それでもなお平和の歌で平和を守ろうという人たちは、オバマ米大統領のノーベル平和賞受賞
記念演説をどう聞いただろう。その人たちが最も嫌う戦争を「平和を維持する一定の役割をもっ
ている」と認めたのである。会場には平和賞授賞式とは異質の空気が流れたようだ。
オバマ氏はまた、戦後の歴史を「米国が血を流し軍事を増強することで世界の安全を支えてき
た」とまで言い切った。オバマ氏にノーベル賞を授与すれば、戦争がなくなるとでも思っていた
人たちには肩透かしだろう。日本のマスコミも困惑気味だった。
だが、米大統領は自国と同盟国の安全に最も重い責任を負わされている。安全をめぐる世界の
現実がどれだけ厳しいかを、正確に知る立場にもある。「平和って、話し合いや友情だけではと
ても守れないんですよ」と世界中に訴えているようにも聞こえた。
それにひきかえ鳩山由紀夫首相の「楽天家」ぶりはどうだろう。「友愛」を唱えておれば各国
と仲良くできると考え、米軍基地問題の迷走でも、さっぱり危機感が伝わってこない。憲法に台
風襲来禁止を書いて済ますような政治にしか思えないのだ。
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朝日新聞などは、こういう主張を『冷笑という風』等と言うかも知れない。
朝日は自衛の戦争も反対なのかよ?
そこをはっきりしてもらわないと困るのよ
天声人語 2009年12月13日(日)付
甘党でなくても、栗ぜんざいが恋しい時がある。小豆あんのまったり、栗のほっこりが湯気に
溶け合い、冷え込んだ日などうれしいものだ。色の取り合わせも鮮やかで、味わいに一役買って
いる。
補色とか反対色とか難しいことは知らないけれど、引き立て合う色というのが確かにある。甘
味どころに映える黄と赤紫はその一対だろう。師走の街にあふれる赤と緑の組み合わせも、華が
あっていい。
二つの色がクリスマスを彩るのには理屈があって、一説によれば赤はキリストの血、緑は永遠
の命を表すという。この由来を語る植物といえば、赤い実と艶(つや)やかな葉のセイヨウヒイ
ラギがまず浮かぶ。昨今は見栄えのするポインセチアが好まれるようだ。
月初め、埼玉県本庄市でポインセチアの出荷を見学した。広いハウスは18度に保たれ、水や
りの管を差した鉢がすき間なく並ぶ。換気扇の風に、包葉の波が赤く揺れていた。メキシコあた
りの原産だけに、冬の戸外は苦手らしい。
鉢の多くは今ごろ、寒気に耐えて店頭やテーマパークを飾っているはずだ。生産者の須長賢一
さん(62)によると、不況でホテルなどの注文が伸びず、市場価格は前年の8〜9割。くすん
だご時世に、派手やかな色は浮きがちだ。
赤より居心地が悪いのは、年末年始に欠かせぬ金色かもしれない。しかし、金ぴかには程遠い
世の中だからこそ、ささやかな輝きや色づかいが心にしみる。幾らかのぬくもり、なにがしかの
元気をもらいに、宵の街に出てみようか。きょうは、光に縁の深い聖(サンタ)ルチアの日であ
る。
天声人語 2009年12月15日(火)付
ものの本によれば、結婚しなければ出来ないことが二つあって、一つは夫婦げんか、もう一つ
は離婚なのだそうだ。片や犬も食わないと言われ、もう一方も真砂(まさご)の数ほどあるが、
著名人の場合はメディアに「ドル箱」を提供する。
ありふれた交通事故が大ニュースに発展するとは、出動した救急隊も驚いたろう。夫婦げんか
が原因ともされた事故の後、タイガー・ウッズ選手は噴き出す醜聞にまみれた。水に落ちた犬な
らぬ虎さながらに、ついに無期限にクラブを置くと自ら宣言した。人気に頼ってきたゴルフ界に
は衝撃である。
様々な意味で英雄だった。強いうえに品行方正、慈善活動には進んで加わった。保守色の濃い
ゴルフ界に残る人種差別の空気を破ってもきた。それが今や、名前のあがった「愛人」は2けた
を数える。
背信行為による汚名には、それまでの善行がすべて跳ね返る。米国の集中豪雨的な報道は、わ
がワイドショーも色を失うほどらしい。クリントン元大統領の不倫以来だと、在米の知人が知ら
せてくれた。
墜(お)ちたる偶像に夢を砕かれたファンは少なくあるまい。その昔、大リーグで球史に残る
八百長があった。名手シューレス・ジョーらが追放された。裁判所で無実を願う少年が叫んだ
「嘘(うそ)だと言ってよ、ジョー」の言葉を、ウッズに投げたい人もいることだろう。
「妻や子どもたちを失望させ傷つけた」と本人は深く懺悔(ざんげ)している。立ち直ってほ
しい人である。しばらく「犬も食わぬ」ふうにそっとしておく度量が米社会とメディアにあれば
いいのだが。
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朝日新聞は、スポーツ新聞かね。天人子よ。
内容は凡庸。水に投げ落として石を投げつけるのがお好きなマスメディアが、何を偉そうに、と
思わないでもない。
>>354 漢字の読み間違い程度をことさらに報道する
日本のマスコミの方がよっぽどだと思うが
天声人語 2009年12月16日(水)付
自由主義者で知られた清沢洌(きよし)は戦時中に「暗黒日記」をつづった。終戦の年の1月
2日、戦争をあおる徳富蘇峰の書いた新聞記事を引いている。なんと敵の爆弾が東京に落とされ
るのを期待する記事である。
帝都の真ん中に落ちる敵弾だけが国民を覚醒(かくせい)させ、「一億皇民の心構え」を固く
する――という書きぶりは時代の狂気そのものだ。清沢は蘇峰の無責任を批判するが、ほどなく
東京は激しい空襲に遭う。一夜にして約10万人が命を奪われた。
その東京大空襲の被災者や遺族が、国に謝罪と賠償を求めた裁判の判決がおとといあった。東
京地裁は訴えを棄却した。「心情は理解できる」としつつも、立法によって解決すべき問題だと
退けた。
軍人には年金や恩給がある。だが一般の戦災は多く放置されてきた。その理不尽を原告は問う
た。当時の国土は戦場さながらだった。国はことあるごとに「一億」という表現で軍民一体の総
力戦を鼓舞した。歴史を思えば訴えには理がある。ちなみに蘇峰の記事の題も「一億英雄たれ」
だった。
〈あなた方は逝ってしまった 口紅やおしろいに触れることもなく……木陰に子を眠らせる母
となることもなく〉。これは大阪の空襲で落命した動員女学生を悼んだ詩人、島田陽子さんの一
節だ。東京ばかりでない。全国で60余の都市が空襲の炎に巻かれて燃えた。
原告の平均年齢は77歳という。なお控訴する姿に、「戦争のせい」「時代が悪かった」とい
う諦(あきら)めをはねのける怒りを見る。怒りの中に、次世代がくむべき重い戦争体験は限り
ない。
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第2段落『時代の狂気』。例えば「仮に日本が攻撃されたら、憲法9条を守って全員死ねばいい、
それで日本が滅びても、こんな良い民族がいたのだと思ってもらえる」とか、そういう類のこと
を言う人々がいるけれど、反対方向の「狂気の言葉」だよな。そう思いませんかね。
最終段落『怒り』。何に対する怒りだろうな。
天声人語 2009年12月17日(木)付
サスペンス映画の巨匠ヒチコックには「巻き込まれ型」の筋立てが多い。善良な市民がいつの
間にか事件の犯人にされていく。実話をもとにヘンリー・フォンダが主演した「間違えられた男」
をご記憶の方もおられよう。
桜井昌司さんと杉山卓男さんの2人が「間違えられた男」だったのは、ほぼ確実なことらしい。
42年前に茨城で男性が殺された「布川(ふかわ)事件」で、有罪になった両人の再審が決まっ
た。ともに29年拘束され仮釈放されている。失われたものはあまりに大きい。
はなから犯人扱いされ、朝から晩まで「自白しろ」と言われ続けたそうだ。自白に転じる一押
(ひとお)しはうそ発見器だったと桜井さんは言う。公平な機械にすがる思いだったが、取調官
に「すべてうそと出た」と言われ、耐えていた心が折れた。
「最初の『やりました』という一言が、取り調べの山である」と、冤罪事件に連座した経験の
ある評論家の青地晨(しん)が書いている。「あとは際限ない自己崩壊が続き、完全に係官のロ
ボットになる」と。密室の恐ろしさである。
菅家利和さんの「足利事件」も自白の強要と偏重が根っこにあった。さらに今回、検察は2人
に有利な目撃証言などを伏せてもいた。正義と公正を欠いた司法権力は野に放たれた虎にも等し
い。
ヒチコックの映画にはハッピーエンドが多いが、冒頭のはそうでもない。主人公の嫌疑は晴れ
るが、ショックで心を病んだ妻は元に戻らない。失われたものの象徴だろう。当時20歳だった
桜井さんと21歳だった杉山さんは、いま62歳と63歳になっている。
天声人語 2009年12月18日(金)付
古代の中国に尾生高(びせいこう)という男がいて、橋の下で女と会う約束をした。待ちに待っ
たが女は来ない。折からの雨に川は増水してきたが、かたくなに約束を守ってその場を離れなかっ
たそうだ。
水が引いたあと、人々は橋脚にしがみついて死んでいるその姿を見つける――。「尾生の信」
として伝わる故事である。約束を違えぬ誠実をほめるか、融通のきかない愚直を笑うか、評価は
人によりけりだろう。マニフェストをめぐる民主党政権の逡巡(しゅんじゅん)に、この故事が
胸中で重なっていた。
そんな政府の背中を押すように、小沢幹事長が鳩山首相に「マニフェスト改変」を突きつけた。
政府はありがたく拝聴したそうだ。ガソリン減税はやめよと言い、そうなれば公約の重要な変更
になる。子ども手当にも所得制限を設けよという。
予想を超えて財源は窮乏し、マニフェストを貫けば他のもろもろが軋(きし)みをあげる。だ
が公約への期待も大きい。尾生高ではないが、約束をとっても現実に即しても評価は割れよう。
約束破りの役回りを小沢氏が引き受けたとの観測もある。
ところで、かの「論語」にも尾生高とおぼしき人物が登場するそうだ。酢を借りに来た人に、
無いと断らずに、隣から借りてきて体面をつくろったという。孔子さまは「彼は正直者ではない」
と難じたと、手元の故事集に教わった。
改変の求めは、優しい首相に代わって幹事長が「酢は無い」と国民に断った図だろうか。孔子
さまは小沢さんをほめるかもしれない。だが国民の目には、笑えぬ二人羽織があらためて焼き付
いた。
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なんという。なんという書き方か。このような書き方ができるのか。ここまで美化できるものか。
たまらぬ天声人語であった。
しかしなあ、『羊飼いの少年』だとか『君側の奸』だとか『闇将軍』だとか、そういう風な単語
が思い浮かぶのだが、よりにもよって「孔子さまは小沢さんをほめるかも」かよ。
小沢氏は横暴な専制君主だと、なぜ言えないのかね。
論語には良い事が書いてある
学校の道徳の教科書も論語を取り入れるべき
朝日新聞も社員教育に論語を使用してほしい
360 :
文責・名無しさん:2009/12/18(金) 21:53:01 ID:YBYXF2080
>>358 >約束破りの役回りを小沢氏が引き受けたとの観測もある。
そんな苦し紛れな観測を信じているのは、民主党を安易に信じてしまったために
後に引けない連中だけだろ。
天声人語 2009年12月19日(土)付
ご時世だから年中出回ってはいるが、大根はやはり吐く息が白くなる頃からがうまい。ブリ大
根も、おでん種もいい。スポンジさながらに、どんな味も体に染みわたらせる得意技で、冬の食
卓をにぎわせる。
風呂吹きは大根が堂々の主役になる。裏に十文字の隠し包丁を入れ、昆布を敷いた鍋で煮る。
急(せ)かずに弱火でゆっくり時間をかける。〈風呂吹や忙は心を亡(ほろ)ぼすと〉森澄雄。
湯上がりのような大根を、ふうふう吹きながら口に運べば、師走の寒波もしのげそうだ。
借りて耕しているわが菜園で、今年も大根が穫(と)れ盛りになった。冬野菜というのは、暑
い季節にはすぐに育ってしまい、風味が薄く水っぽいのだという。冬の畑でじりじり育ち、土の
滋養をたっぷり取り込んでこそおいしくなると、以前に紙面で読んだことがある。
青首をつかんで引っ張ると、意外なほどに簡単に抜ける。水をかけてタワシで洗えば、まぶし
いばかりに白く輝く。そういえば〈大根を洗ふ門(かど)には冬来(きた)る〉と、「笑う門に
は福来る」をもじって詠んだ江戸川柳もあった。
同じ江戸の〈五月女(さおとめ)のしまわぬうちは土大根〉は、田植えをする女性の足を泥つ
き大根に見立てた。〈白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる〉と俵万智さんにう
たわれた白菜とともに、艶(つや)っぽい冬野菜の双璧(そうへき)でもあろう。
寒波は週末がピークらしい。夜ふけに音もなく降りだした雪で、けさ起きたら銀世界という方
もおられよう。こんな日は、食卓にたつ湯気そのものがごちそうになる。さて、大根の出番とな
るか。
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腹が減る天人。
大根、美味いよね。
天声人語 2009年12月20日(日)付
昭和も半ばまで、女の子は大抵「○子」だった。この習いを破ったのが明美である。明治安田
生命によると、1957(昭和32)年生まれで10傑に入り、65年に首位となった。真由美、
由美、直美が続き、「○美」がひと時代を築く。
名は世に連れ、世は名に連れ。73年に千昌夫さんが歌った「アケミという名で十八で」(西
沢爽作詞、遠藤実作曲)の女性も、明美が広まる頃の生まれとなる。以後、愛や美咲の天下を経
て、ここ10年ほどは百花繚乱(りょうらん)だ。
ベネッセコーポレーションが09年生まれの名を調べたところ、女の子は凛(りん)、さくら、
陽菜(ひな)。男の子は大翔(ひろと)、翔太、蓮(れん)の順だった。男児は元気、女児は優
しさを願っての命名が多いという。
目新しい名前も、秀作であれば盛んに使われて普通になる。わが子を同世代に埋没させまいと
いうのか、七音(どれみ)、一二三(わるつ)、騎士(ないと)など、謎かけのような工夫が話
題を呼んだこともあった。思いがこもり、個性的かつ簡明な一つを選ぶのは楽ではない。
東京で見た声欄に、埼玉県の森まりもさん(17)の投書があった。逆から読んでも「もりま
りも」で、小学生時代は面白がられたそうだ。母親に尋ねたら「回文を狙っていた」とのこと。
今は愛着がわき、自己紹介でも触れるが、名づけは背負う子のことも考えてと訴える。
まりもさんの言う通り、姓は変わっても名は一生だ。後々、持ち主に笑顔で説明できる作であ
りたい。それを笑顔で聞ければ、すなわち良い名前ということだろう。親心が並ぶランキングを
眺めながら、どの子にも幸あれと願う。
天声人語 2009年12月21日(月)付
要するに、肝心なことは先送りらしい。COP15と呼ばれる温暖化防止の国際会議である。
京都議定書に続く約束はまとまらず、次善の合意文書も、採択ではなく「留意する」にとどまっ
た。首脳が集まっての足踏みだけに痛い。
二酸化炭素を出し続けてきた国々にとやかく言われる筋合いはない。これが途上国の本音だろ
う。さあ発展という時に、環境という名の枷(かせ)をはめられては困ると。こうした主張を代
弁する中国は、今や温室効果ガスの最大の排出国である。
片や先進国代表として範を垂れるべき米国は、産業界に押されて京都議定書を袖にし、次なる
削減目標も日欧に見劣りする水準だ。両排出大国の「偏り」が、温暖化と闘う気勢をそぐ。
来年のCOP16に向けて仕切り直すという。しかし、15でだめなら16や17がある、と
いう考えは危うい。〈十五、十六、十七と、私の人生暗かった……〉。藤圭子さんのかれた歌声
を思い出す。〈過去はどんなに暗くとも、夢は夜ひらく〉と続くのだが、人類に夢を見ている暇
(いとま)はない。
交渉の間にも極地の氷は解け、海水の酸性化が進む。多発する洪水や干ばつは新たな貧困と紛
争を生み、つまりは世界が荒れる。破局への歯止めと緊張を欠いた先送りは後退にも等しい。
命にかかわる会議に出られない点で、将来の世代は動植物と変わらない。閉じた地球。空や海
の包容力にいつまで甘えられるのか。そういえば藤さんの娘、宇多田ヒカルさんが〈時間がたて
ばわかる〉と歌っていた。この言葉、いつも前向きな意味とは限らない。
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『気温の上昇が大きすぎる』『排出する温室効果ガスが多すぎる』なら、こういうコラムも書け
るだろうが。
もしも『新たな貧困や紛争が生まれないように、世界が荒れないように、人類が持続的に発展す
るためには、人類の数は多すぎる』と言われたら、朝日新聞や左巻きの方々はどうするかな。
>>363 8年ぶりくらいに来てみたら、天声人語ってまともになったなぁ。
天声人語 2009年12月22日(火)付
冬の星座がきらめく空へ、宇宙飛行士の野口聡一さんが飛びたっていった。カザフスタンのバ
イコヌール基地は、ソ連時代にガガーリンが人類初の宇宙飛行をした記念の地でもある。帰還し
ての「地球は青かった」はあまりに名高い。
だが、それと対(つい)のように語られた言葉は忘れられた。成功の翌日、小紙はこう伝えて
いる。「空はとても暗かったが、地球は青みがかっていた」。つまり「宇宙は暗黒だったが、地
球は青かった」と。二つの対比があってこそ、感動への理解はいっそう深まるように思われる。
その表現は、のちに月から見た地球の姿の先触れでもあった。前にも書いたが、茨木のり子さん
の詩の一節にこうある。〈生まれてこのかた なにに一番驚いたかと言えば 水一滴もこぼさず
に廻(まわ)る地球を 外からパチリと写した一枚の写真 こういうところに棲(す)んでいま
したか……〉。
鏡に映る己(おの)が姿を見ると、人は自分の存在をより意識し、自己愛も強まるという。そ
れに照らせば、宇宙開発とは、人類が地球を愛(いと)おしむのと表裏一体の営みでもあろう。
「地球上の争いの何というケチくささ、と世界中のたれもが人工衛星一号の時言った。あれか
ら四年」と、ガガーリンの飛行のとき小紙夕刊の「素粒子」は書いている。その後も争いの止
(や)まぬ世界への皮肉だった。
それからさらに48年。争いにこりず、加えて温暖化で自然を痛めつける人類の姿が地上にあ
る。天上の野口さんからのメッセージで、漆黒の空間に浮かぶ奇跡への思いが、広く深く養われ
ればいいのだが。
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『この広大な宇宙に比べ人類とはなんとちっぽけなものだろう』だの『宇宙の暗黒にぽつんと浮
かぶ小さなだが青く美しい地球』だの、そういう類の方向も、まあ、いいけどさ。
もうちょっと、こう、フロンティアスピリッツが沸き立つような、心が燃えるようなコラムには
ならんものか。
>>535 > 「地球上の争いの何というケチくささ、と世界中のたれもが人工衛星一号の時言った。あれか
>ら四年」と、ガガーリンの飛行のとき小紙夕刊の「素粒子」は書いている。その後も争いの止
>(や)まぬ世界への皮肉だった。
昔から朝日はお花畑なんだな。
余禄の書いているように、宇宙ロケットとミサイルの技術は紙一重だし
さらには東西冷戦の中での米ソの国家の威信がかかってたわけで、
そういう面では「地上の争い」が宇宙開発の後押ししたとも言えるんだが。
しかし余禄の上から目線は何だ、「アホなMD信者は知らないだろうから毎日の記者様が教えてやるよ」ってか。
てめえも学生に聞かれてあわてて調べたくせして。
天声人語 2009年12月23日(水)付
不況風がつめたい師走の街で「せんべろ酒場」が人を集めているという。千円でべろべろに酔
える、を略したらしい。定義はないが、安くて、チェーン店でないのが条件のようだ。らしき店
の暖簾をくぐると、モツの煮込みが250円など、手頃な値段に頬がゆるむ。
手元の辞書を引くと、「べろべろ」は酔ってろれつが回らない状態をさす。酔態の表現にも使
い分けがあって、「ぐでんぐでん」は正体を無くした様子を言うそうだ。財布にやさしい「せん
べろ」でも、酔い加減はやはり「ほろり」程度が賢明である。
酒の功は限りないが、罪もまた多い。「百薬の長とはいへど、万(よろず)の病は酒よりこそ
起これ」と古くに戒めたのは「徒然草」の兼好法師だった。近年は、アルコール依存症患者の増
加が深刻になっている。
「予備軍」を含めると440万人にのぼるという。自殺の背景になることも多く、もはや「飲ん
べえ」などと、のどかに呼べない人も少なくないようだ。克服するには、しっかりした治療と支
援が欠かせない。
とはいえ厳しい年の瀬に、語らい、労をねぎらい合う一杯はうれしい。腹に下りて、胃の形が
分かるほどにじわっと広がる熱燗など、何ものにも代え難い。〈おでん酒酌むや肝胆相照らし〉
誓子。冬の巷の幸いである。
漢詩にちなんで酒のことを「忘憂」とも言う。しかし兼好法師は「酔っぱらいは昔の憂さを思
い出して泣く」と手厳しかった。冬至も過ぎて、忘年会はそろそろ最終盤だろうか。憂さに負け
ない笑顔の杯を、ほどほどを旨に楽しまれたい。
天声人語 2009年12月24日(木)付
エズラ・ボーゲル氏といえば『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者で知られる米国の学者
である。知日派で中国通の氏がかつて、次のように言っていたと、職場の先輩の松山幸雄さんの
近著『鳩山から鳩山へ』(朝日新聞出版)に教わった。
「中国には方策があって対策がない。日本には対策があって方策がない」と。日本人は「次の
株主総会」といった目先の対策は得意だが、長期戦略を立てるのは下手だという指摘だった。民
族性だろうか、それは今の民主党政権にもそのまま当てはまる。
賛否はあっても、それぞれの政策には存在感がある。ジグソーパズルでいえば一枚ずつの小片
である。だが全体の絵が見えてこない。めざす「国のかたち」が曖昧(あいまい)では霧の中に
置かれた羊のように国民は不安になる。
鳴り物入りの「国家戦略室」は鳴かず飛ばず。代わって霧の中からぬっと現れたのは、「次の
参院選」という目先の対策に熱心な小沢幹事長の剛腕だった。そしていま、支持率の砂時計がさ
らさら落ちゆく100日目の鳩山内閣である。
恋愛のことを、作家の亀井勝一郎が「美しい誤解」と言っている。そして結婚生活を「恋愛が
美しき誤解であったということへの、惨憺(さんたん)たる理解」だと辛辣(しんらつ)に定義
した。首相との蜜月もそろそろ過ぎて、国民の胸の内はそう傾きつつあるのだろうか。
俗に、3カ月の蜜月に続くのは3年の喧嘩(けんか)、30年の我慢、などと言う。実のある
喧嘩なら悪くはない。だがそれも、ときに憎まれ役たることを、首相が毅然(きぜん)と引き受
けた上での話になる。
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最終段落『実のある喧嘩なら悪くはない』。誰と誰だ。民主党と、国民とか。何がどうなったら
『実のある喧嘩』なんだ。そして、その時お前さん、マスメディアはどこにいる。
現実を比喩で面白おかしく解釈するのは、遊びとしては楽しいけれど、それは現実と同じもので
はない。現実生活はもっと非情なものだ。マスメディアの遊戯とは違う。
ところで、鳩山民主党連立政権を、恋愛、結婚に喩えるなら、衆院選前の自民党のCMはどう思う
ね、天人子。
天声人語 2009年12月25日(金)付
日清戦争のあと、露、独、仏による「三国干渉」で日本は遼東半島を清に返還する。ときの陸奥宗光外相に、
国民からごうごうと非難がわいた。陸奥はその回想記『蹇蹇録(けんけんろく)』に、次のように書き残した。
「当時何人(なんぴと)を以(もっ)て此(この)局に当たらしむるも亦(また)決して他策なかりしを信ぜむと欲す」。
後世に訴え、歴史に呼びかけるような一文である。佐藤栄作元首相も同じ思いだったろうか。沖縄返還交渉をめぐって、
当時のニクソン米大統領と交わした「密約」の文書がその遺品の中から見つかった。
密約は、「核抜き本土並み」をうたった返還の裏で、有事の際の核再持ち込みを認めている。国是の「非核三原則」と
矛盾する。ホワイトハウスの小部屋で、2人きりで署名をしたそうだ。表に出たら内閣はつぶれていただろう。
密約のいきさつは、首相の密使として米側と交渉した故・若泉敬氏の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文芸春秋)に
詳しい。『蹇蹇録』を座右に置いたという氏は、言葉を書名に借用した。やむにやまれぬ後世への呼びかけであろう。
権謀の渦巻く外交を、ビアスの『悪魔の辞典』は「祖国のために嘘(うそ)を言う愛国的行為」だと言う。自国民を欺くことも、
国益にかなえば可とされようか。
悲願の沖縄返還のための、ぎりぎりの判断との見方もある。だが、のちに「非核三原則」などが評価されて、
佐藤氏がノーベル平和賞を受けたのは、やはり皮肉である。とまれ文書は破棄されず、秘密は広く共有された。
歴史の審判を待つ故人の遺志を、そこに見る思いもする。
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いつもの人が来ないみたいなので代理でうp。
天声人語 2009年12月26日(土)付
幕末から明治の初め、欧米から「お雇い外国人」がやってきて先進技術を伝えた。彼らを悩ませたのは、
時間にかまわぬ日本の習慣だったという。「日本人の悠長さといったら呆(あき)れるぐらいだ」と
あるオランダ人は書き残している。
ゆるい時間意識はしかし、すぐに厳格になる。眼鏡、ランプとともにまず普及した洋品は時計だった。
そして鉄道の発達が時間管理の徹底に一役も二役も買ったと、『遅刻の誕生』(三元社)という本に教えられた。
鉄路の八達(はったつ)につれて明治から続くスピード化も、そろそろここが終着駅だろうか。やや旧聞に属するが、
JR東海が、計画中のリニア新幹線は東京と大阪を最短1時間7分で結ぶと試算した。弾丸列車ぶりに「時は金なり」の
格言も脱帽だろう。
乗り継ぎを入れても東京から広島まで3時間かからない。とはいえ、かつて新幹線を「夢の超特急」と呼んだ
高揚感はいま一つだ。追われるように先を急ぐ人生に、さらにムチが入るだけではないか――。
重ねた齢(よわい)のせいか、技術への期待は昔ほど素朴ではない
その昔、「急行」が初めて走ったときに怒った人がいたそうだ。「乗る時間を短くして運賃が高いとはけしからん」
という理屈だったらしい。苦笑しつつも、忘れていた牧歌を聞くような懐かしみがわく。
時計にせよ暦にせよ、見えないはずの「時間」を見えるようにしたのも科学であり技術だった。そして年の瀬、
時の流れはいっそう忙(せわ)しない。外国人を呆れさせたご先祖の悠長に思いをはせて、新しいカレンダーを
壁に掛ける。
天声人語 2009年12月27日(日)付
イモムシがチョウになる前、サナギという段階がある。じっとしているうちに、幼虫の体は
成虫のそれへと化ける。一変の予感と、先が見えない不安。初めての「鳩山予算」も、
どこか危なげな仮の姿に思える。
道路やダムを削り、子ども手当などで社会保障費が膨らんだ。コンクリから人へ、
命を守る予算という。歳出が最大となる一方、税収は25年前の水準に落ち込み、国債発行や
「埋蔵金」で帳尻を合わせた。
一般会計は92兆2992億円。9と2の連なりに「苦肉」の文字が浮かぶ。ガソリンの減税を
見送るなど、金科玉条に見えたマニフェストも傷めた。子どもなし、車ありの喫煙者あたりは、
鳩山首相に裏切られた思いだろう。
だが、これは急場しのぎの「サナギ予算」である。生後100日の政権に満点を求めるのは、
イモムシに飛んでみせろと迫るにも等しい。重ねた無理と迷走は、欲張りな公約だけが理由ではない。
旧政権のお荷物を背負い、景気に足を取られながらも年内に形にしたのだから、まあまあだ。
それにしても、国と地方の借金が来年度末で862兆円とは恐ろしい。このうえ国債を乱発すれば
金利が上がり、住宅ローンや企業の資金繰りを圧迫しかねない。埋蔵金は掘り出せばなくなる。
むこう1年は、新政権の、というより日本の行く末を占う正念場である。財政再建と成長の方途を、
タブーや聖域なしに固める時だ。その一歩となる次の予算で、美しく、力強いチョウの姿を待ちたい。
サナギから、太ったイモムシが出てくる悪夢は許されない。
−−−−−−−−−−−−−
景気が悪いのは政権交代する前から分かってたことなんですがね。
民主相手にはどこまでも優しい天人子。
天声人語 2009年12月28日(月)付
明治政府が雇ったドイツ人技師クニッピング。彼が英語で記した5語が、本邦初の天気予報となる。
全国的に風向き天候とも定まらず、雨が降るかもしれませんと、実に大雑把なものだった。
とはいえ、画伯と呼ばれた絵師による天気図とともに、気象庁の前身の東京気象台から
恭しく発表された。初期の予報は交番に張り出されたというから、「官報」の権威がしのばれる。
昨今、お国が発した情報だからといって、ありがたく受け取る風潮は薄れた。
気象庁が、1955(昭和30)年から続けてきた桜の開花予想をやめるそうだ。気象情報会社や
日本気象協会が独自の予想を発表しており、国の機関が手がける意味がなくなったという。
いわば自発的な「事業仕分け」である。
民間も力をつけ、開花を見通す腕を上げている。ここ3年の予想と開花日のズレを全国11地点で
集計したところ、気象庁の精度が最も低かったらしい。今年は全地点で外す「完敗」だった。
スポーツ紙や専門紙の競馬予想を持ち出すまでもなく、売れる情報には民間が飛びつき、
競争が始まるのが常だ。天気でも時間帯や地域を限ったピンポイント予報が、小売店やイベント業者に
重宝されている。より高く、より広く売るための努力は商品を磨き上げる。
余計な仕事を作りたがる役所が多い中、気象庁は潔い。「国民が一定の情報を得られる環境が整った」
という担当者の弁もまともである。どうか、民の生命と財産を守る本務に励んでほしい。
多少の早い遅いはあろうが、税金を使わずとも桜は咲く。
天声人語 2009年12月29日(火)付
銀座に店を構える美容師の佐藤心泉(しんせん)さんが、東京の社会面で「バブル景気」を
語っていた。1980年代後半、独立を夢見て、大阪・北新地の美容室で朝から晩まで働いた頃の話だ。
客の多くは歓楽街の女性だった。高級クラブが次々にオープンし、一つ30万円する
祝いの胡蝶蘭(こちょうらん)が街を行き交う。「海外旅行している間に株が上がって、
数千万円もうかったわ」。そんな会話を聞きながら、出勤する彼女たちの髪をセットした。
好況下の金あまりに支えられ、東京証券取引所の平均株価は89年だけで3割も上がった。
まさに寝ている間に資産が太った。そして20年前のきょう、大納会の終値は空前の3万8915円87銭をつける。
いまに至るまで、これが日経平均の最高値として残るとは誰も考えなかった。
冷戦が終わった効果も期待し、証券業界は「1年後は4万5千円」と強気だった。だが、国の引き締めで
土地神話は揺らぎ、現実は4割減の2万3千円台。破局の始まりである。編集者の都築響一さんは、
あの時代を、神様が働きバチに贈った3年限りの〈発情無礼講タイム〉と記す。
株価は今年、バブル崩壊後の最安値をまた更新した。心の平穏を保つには宴(うたげ)を懐かしんではいけない。
無礼講のツケを「失われた10年」で払い、人は地道の貴さを知ったはずだ。
地道とは元々、馬を普通の速さで進ませることで、反対語は早道だという。寝ていてもうけ、楽して稼ぐ
「にせ早道」は、いずれ行き詰まる。教えを刻んだ記念碑として、振り返ればあの数字がギラリと立っている。
天声人語 2009年12月30日(水)付
中央競馬を締めくくる有馬記念は、2番人気のドリームジャーニーが制した。「夢」を追い
「旅」を続けるのは人も同じ。苦闘の末にたどりついた師走の言葉から。
昨秋に前立腺がんと分かった写真家の荒木経惟(のぶよし)さん(69)。このほど出した作品集は
「遺作 空2」。「タイトルと自分の写真が一番の薬になるね。撮り続けることが生きること。まだまだ、
あたしはこんなもんじゃないと『生欲』がわいてきた。まわりが応援してくれるんだな。人間も空も」
沖縄返還時に日米の密約はあった。元外務省アメリカ局長の吉野文六さん(91)が、東京地裁で
そう証言した。会見では「大きな歴史には貢献できてはいないだろうが、真相を語ったつもりです」
「どんな堅い仕事にも、漫才のボケとツッコミのような複眼の手法が役に立つ」。吉本興業から
法政大学大学院客員教授に転じた木村政雄さんの助言だ。「本音を言ってみる、笑われるかもしれない
提案をしてみる。空気の流れが変わり、思わぬ花が咲くこともある」
大型店の攻勢を受ける町の電器屋さん。団結を訴える大阪のアトム電器社長、井坂泰博さんは、
近隣の高齢者などにニーズはあると見る。「大きな魚は腹がつかえて入り込めない磯辺に、
小さな魚のエサ場がある」
バハマでのフリーダイビング(素潜り)世界選手権で107メートルの日本記録を作った篠宮龍三さん(33)。
「地上の約12倍の水圧なのに、海に生かされている感覚があり、穏やかな気持ちになれた」。いらつく世の中、
いっぺん丸ごと潜らせてみたい。
天声人語 2009年12月31日(木)付
時は公平だ。だれの1日にも24時間が与えられ、8760時間を使い切って1年が尽きる。
この日を笑顔で迎えた人ばかりではなかろうが、絶好調でも、どん底でも、ほどなく
心機一転の節目が訪れる。
10年前、フィンランド北部の、ロシアとノルウェーに接するあたりを訪れた。それぞれ
時差のある3国が隣り合う、珍しい場所である。冷戦の残り香はすでになく、年越しの晩には
各国の国境警備兵が集まり、2000年入りを1時間おきに3回祝うと聞かされた。
しかし、その後の世界は祝賀から遠いものとなった。90年代がナインティーズなら、
00〜09年の、つまり本日で終わる00年代をどう呼び習わすかが、米国で話題になっているという。
ゼロズ、ダブルオーズ、何にせよ、恐怖と混迷の10年に変わりはない。
激動は日本にも達した。政権交代の波を起こした有権者は、波が引いた後の景色に失望していよう。
頼りなげな首相と、こわもての幹事長、そして両人の献金問題。政策の迷走はしばし堪(こら)えるにせよ、
政権の構えに不安が募る。
与えられた時間はそうない。10年先までの成長戦略は発表されたが、危機は足元にある。
景気の二番底が黒い口を開ける中、「公設」の派遣村が各地にでき、生活費のどこを削るかという
「家計の事業仕分け」が進んでいる。
そうした時代だからこそ、引き続きのご愛読はありがたい。投じたお金、時間に見合う満足を
お届けできただろうか。末永く何分かを割いてもらえるよう、さらなる精進を期して00年代の筆をおく。
よい10年代を。
>>371 > その昔、「急行」が初めて走ったときに怒った人がいたそうだ。「乗る時間を短くして運賃が高いとはけしからん」
>という理屈だったらしい。苦笑しつつも、忘れていた牧歌を聞くような懐かしみがわく。
この言葉、言ったのは小林一三です。
378 :
文責・名無しさん:2009/12/31(木) 13:05:16 ID:I29t+Ryo0
家計の事業仕分けで新聞が真っ先に切り捨てられまくりで
大幅部数減なのに余裕だな。
>>370-376 年末年始でサボっていました。
ありがとうございます。
>>376 えらく暗いな天人子。
第4段落『波が引いた後の景色に失望していよう』。波を煽ったお前さんがたには、何かもうちょっ
と別の言葉が必要だと思いませんかね。
最終段落『投じたお金、時間に見合う満足をお届けできただろうか』。すまん、お金は投じてい
ないよ。
天声人語 2010年1月1日(金)付
通には異論もあろうが、パリ一番の小粋な場所はバンドーム広場だと思う。ナポレオン像を頂
く円柱を囲み、名高いホテルや宝飾店が並んでいる。小雨の夕刻など、石畳に灯(ともしび)が
にじんで大人の空気が満ちる。
近作で描いた画家笹倉鉄平さんは、「パリの持つ上品さ、高級感、エスプリ、気位の高さ、そ
の何もかもを凝縮したような」と表現した。近くのコンコルド広場が太陽なら、ずっと小さく、
しっとりしたこちらは月か。一角に、フレデリック・ショパンが39年の生を終えた部屋がある。
今年は「ピアノの詩人」の生誕200年だ。幼少期から、故国ポーランドでは「モーツァルト
の再来」と評判だった。人柄ゆえか控えめな音で、鍵盤をまさぐるように弾いたとされる。
ショパン研究で知られた佐藤允彦(まさひこ)さんは、曲調の本質の一つは「うつろい」だと
書いた。「確かな表現の意志から始まるというのではなく、何げなく触れた鍵盤のある一音から
ショパンの心が開き、そこから音楽が始まり、確かな表現となって形を整えていく」。
自在に流れる旋律は心地よい。あるプレリュードを聴けば、胃薬の宣伝を思い出し、腹も気分
も軽くなる。広く愛されるあのノクターンは、どこか遠慮がちに移ろう調べで心を静めてくれる。
昼から夜想曲に浸りたいような、ささくれた時代を生きる私たちだ。ショパンに限らず、おの
おの「聴く薬」の二つ三つはそろえておきたい。大雪と満月で明けた2010年。太陽に元気を
もらうより、月に癒やしを請う年になる予感がする。予感である。
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おフランス帰りか。年始からまた、微妙な味わいのコラムであるなあ。
プレリュード7番は、太田胃散のCM曲か。革命のエチュード、小犬のワルツ、英雄、軍隊ポロネー
ズ、幻想即興曲、別れの曲、等々多くの人が知っているであろう曲が多い中、これを選ぶセンス
は、どうなんだろうな。
最終段落『月に癒しを』。今年の1日目からコレかよ。あんたがたのお望み通り、自民党政権を倒
して民主党政権にしたっつーのに、もうコレかよ。
天声人語 2010年1月3日(日)付
日本の子どもたちは冬休みのさなかだろうが、古い時代の中国には「冬学(とうがく)」なる
ものがあったそうだ。農村の子らを農閑期に学ばせるために、冬にだけ開かれる寺子屋のような
ものだったらしい。
かの国では、読書にふさわしい季節も冬とされていた。本を読むのに適した「三余(さんよ)」
という余暇があって、雨の日と夜、それに冬のことを言った。それなら冬の夜は、またとない好
機ということになろうか。江戸時代の日本の漢詩人、菅茶山(かんさざん)に「冬夜読書」とい
う作がある。
「雪は山堂を擁して 樹影深し」に始まり「一穂(いっすい)の青灯 万古の心」で終わる四
行の絶句は、雪の夜に書物をひもとく喜びを伝える。「一穂の青灯」は燭台(しょくだい)の明
かり。「万古の心」は書物の伝える古人の思い。歌人の土岐善麿はこのくだりを「ともしびに面
影立つや昔びと」と風雅に意訳している。
元日の小紙の別刷り特集が、今年は「国民読書年」だと伝えていた。読むことを通じて豊かな
言語力を育むのが目的という。読書は受け身に見えて、実は脳をフル回転させる営みであるらし
い。
昨今、言葉で感情を表せずに「キレる」子が目立っている。背景には言語力の低下があるとさ
れる。一方で頼もしい傾向もある。図書館を利用する小学生は、07年に1人あたり約36冊の
本を借りていた。これは過去最多という。
巣ごもり派も多かった年末年始、「読み納め」や「読み初(ぞ)め」を楽しまれた方もおられ
よう。人との出会いはすてきだが、書物との邂逅(かいこう)も捨てがたい。一生ものの一冊に
会える読書年であればいい。
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うん、本を読まんとなあ。
天声人語 2010年1月4日(月)付
近くの公園を歩くと、南に向いた斜面に一群の水仙が咲いていた。一重(ひとえ)のニホンス
イセンに華々しさはないが、新春らしい清らかさを匂(にお)わせている。〈水仙は八重より一
重孤に徹す〉西嶋あさ子。きりりとした姿の一重びいきに、わが意を得たりの方もおられるだろ
う。
この花は、日本家屋の暗がりにも似合う。水仙で名高い福井の越前海岸を訪ねた開高健は、「正
月花としてあちらこちらの家の闇に鮮やかな閃(ひらめ)きをあたえ……」と書いた。たしかに、
ほの暗い玄関などに生けられた水仙を見ると、ぽっと明かりがともった心地にさせられる。
またの名を「雪中花」と呼ぶのは、寒さに負けずに花を開き、雪の中でも芳香を放つからだろ
う。越前岬水仙ランドに聞くと1500万株は今が見ごろという。きのうは雪が舞い、海には灰
色の波が寄せていたそうだ。
その北陸をはじめ日本海側は、雪の三が日になったところが多かった。年初に降る雪や雨を「御
降」と書いて「おさがり」と呼ぶ。豊作の兆しとはいえ、故郷からのUターンに難渋された方も
おられたことだろう。
今年の暦は余情を欠き、きょう4日の月曜から、きっぱりと日常が立ち戻る。年の瀬のざわめ
きも、初春の華やぎも一族再会も、たちまち思い出となって流れ去る。去年と今年の入れ替わり
は、実に素早い。
水仙に話を戻せば、植物の組み合わせで「双清(そうせい)」といえば梅と水仙をさすそうだ。
寒さに向かって清々(すがすが)しく花開く姿は、ともにどこか人を励ますところがある。あや
かりつつ、この1年に向き合うとする。
天声人語 2010年1月5日(火)付
初もうでの参拝者数は、神社仏閣の規模と格、周辺の人口で決まるようだ。大都市の有名どこ
ろに人が集まるゆえんだが、その数がまた、社寺の威勢の証しともなる。政治家も同じらしい。
1985年の元日、東京・目白台の田中角栄邸には夕刻までに約650人が訪れた。脳梗塞(こ
うそく)で倒れる2カ月前、闇将軍として迎えた最後の正月である。元日には200人分を届け
ていたと、近所のすし店主が後に語っている。目白もうでは、派閥で動いた古い政治を象徴する
景色だった。
四半世紀を経て、同じ絵を見た。元日、都下深沢にある小沢一郎・民主党幹事長の私邸には、
166人の国会議員が訪れたという。衆参の定数の23%が同じ門をくぐったことになる。
広い座敷で2度に分けて宴を催す盛況だった。「小沢神社」の威勢と周辺人口は、政界でも別
格とみえる。それほどの人物が、年始参りの出欠で扱いを変えるとは思えないが、顔を出してお
くのが無難と考えた議員は多かろう。
参院選を半年後に控え、小沢氏の剛腕と機略に頼る向きは多い。新人議員を引き連れた訪中も
そうだが、「数は力」の理屈は旧田中派からの遺伝子かもしれない。数を増やしたうえで、民主
党を純化された小沢軍団にする腹だろうか。
元日の各紙は氏の資金問題を大きく報じた。ご本人や議員たちが、「小沢もうで」にどんな御
利益を念じているのかは知らない。厄よけにせよ必勝祈願にせよ、大政変後の新春らしからぬ旧
態に戸惑いを覚える。頼みもしない料理が出てきた時の、あの違和感である。
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えらく筆が重いな、天人子。古い政治、自民党時代の政治に対する罵倒なら火を噴かんばかりの
墨痕で叩きつけるというのに、相手が小沢だと、また大人しいじゃないか。
新年の挨拶の人数を云々するのは、まあどうでもいいことだろう。欲得ずくかもしれんし、人望
なのかもしれんし。しかし、彼奴のゼニ金の話は、こんなに軽く流していいことなのかね。
天声人語 2010年1月6日(水)付
先日、群馬県の知人から細長い宅配便が届いた。「生もの」「割れもの」と注意書きが2枚はっ
てある。自然薯(じねんじょ)だった。大人の腕ほどもある見事な姿は、なるほど、どこも欠け
てはならない彫刻を思わせた。
生もので割れものとは、思い込みを裏切る異質の取り合わせだ。宅配で送るものでは、あとは
メロンぐらいだろうか。同様の意外性を、人間そっくりのロボットにも感じる。人肌をまとった
ような機械には、軟と硬、温と冷が同居している。
ある百貨店グループが、初売りの話題づくりに人型ロボットの注文を取った。2体限りの特製
で、価格は西暦にちなんで2010万円。それでも全国で数十件の応募があったそうだ。
抽選のうえ、購入者と同じ顔、体、声を持つロボットを、開発会社のココロ(東京)が半年か
けて作る。あらかじめ用意した言葉を、それなりの表情や身ぶりでしゃべるという。同じ大金を
出すなら別の容姿にしたい気もするが、自分がもう一人いる世界も面白い。
ロボットの好感度は、外見や動作が人間に近づくほど増す。ところが、ある時点で強烈な不快
感に転じ、人と見分けがつかない水準で好感に戻るという。中途半端に人っぽい段階を「不気味
の谷」と呼ぶそうだ。『ロボットのいるくらし』(ロボLDK実行委員会編)に教わった。
人と機械という異質をすり合わせ、「谷」を越えようとする人型ロボ。重さ100キロという
から、輸送時は「割れもの」というより大型機械の扱いだろう。包装の片隅にでも小さく「生も
の」とはってやりたい。
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自然薯、ロボット、不気味の谷。なんか、イマイチつながりが悪い、中途半端なコラム。
ココロのロボットなら、I-FAIRYの方が欲しい。
株式会社ココロ I-FAIRY
http://www.kokoro-dreams.co.jp/i_fairy/index.html
天声人語 2010年1月7日(木)付
人好き、話し好きで、いずれ喫茶店でもやりたいと思っている人はいないだろうか。現実の客
商売は趣味でやれるほど甘くないが、経営がなんとかなるのなら、コーヒーをいれながらの政治
談議も悪くない。
年明けとともに、鳩山首相のブログ「鳩cafe」がネット上に店開きした。初回には自ら撮っ
た「元日の空」を載せている。同時に「つぶやき」を随時書き込むツイッターも始まり、きのう
は「天気の良い朝には公邸の庭でウォーキングをすることにしました……観客は鳩一羽でした」
とある。
ネットで発信し、国民との距離を縮めたいそうだ。だが、マスターの世間話と違って、どんな
小声だろうが首相の発信は公の色を帯びる。これで本心は語れまい。無愛想な店主のごとく、面
白くもない言葉が並ぶだけだろう。
側近と相談して発するつぶやきに、政治の近さを感じる国民がどれほどいようか。自民党の加
藤紘一氏は「そんな暇があったら普天間をどうするか、じっと悩んで考えてほしい。日本中でツ
イッターを一番やっちゃいけないのが総理」と手厳しい。
首相がつぶやいている間に、体調が思わしくない藤井財務相が辞表を出した。予算づくりの激
務が77歳の体に障ったか。閣外に別の首相がいるような現状に嫌気がさした、との説もある。
通常国会が迫る。いきなり論戦の矢面に立つのは、菅副総理とて楽な仕事ではなかろう。開か
れた官邸もいいが、先にやるべきことが多すぎる。まずは政権内の主導権を握ることだ。気楽な
カフェは「退職後」がふさわしい。
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最終段落『政権内の主導権』ねえ。民主党政権に対してはお優しいこと。鳩山氏が民主党代表に
なってから、どれ程の月日が経っているとお思いかね。
つぶやき、ということ。あなた、新聞記事書きの方々も、気楽な「床屋政談」めいた新聞紙面に
なっていないか、気をつけるべきだと思うよ。
天声人語 2010年1月8日(金)付
大型のクジラは、毎日5トンを超すオキアミや小魚を腹に収めるそうだ。この大食漢だけを保
護した時、生態系にどんな影響があるかは想像するしかない。海のこと、知っているようで何も
知らなかったと、近く公開の記録映画「オーシャンズ」で痛感した。
圧巻は、水面を跳ねながら泳ぐイルカたちだ。高速ボートで並走し、ブレない工夫を施したカ
メラで撮ったという。イルカが海面に追い込んだイワシの群れに、上空で待ち構えるカツオドリ
が次々と突っ込んでいく。
船で引く魚雷型カメラ、無人ヘリも駆使し、大小の生き物たちが活写される。漁師や船乗りも
たぶん見ていない光景を前に、この役者たちと「青い劇場」を守らねばと胸に刻んだ。
陸からの汚染物は深海にまで届くという。大気中の二酸化炭素が溶け込み、海水の酸性化が進
む。独自の生態系を育む南米ガラパゴス諸島では、温暖化と乱獲により、24本の腕を持つヒト
デやスズメダイの仲間が絶滅したと伝えられた。
〈海は一枚の大きな紺の布だと歌った詩人もある。さしずめ波打際(なみうちぎわ)は、それ
を縁どる白いレースということになる〉。井上靖の作品「海」の一節に、荒れ狂う波の映像が重
なる。布は鉛色に染まってうねり、白いレースが激しく岸を打つ。海は巨大な生命体のようだ。
映画の語りに「人間の英知が海を汚していく」とあった。陸の主ゆえ、また、それがあまりに
力強いから、人は海の衰弱に無頓着すぎた。調査捕鯨への無法行為などは、本当の危機を見えに
くくするだけだ。英知で報いる時である。
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いつもの、大自然に思いをはせる天人子。
最初の段落の『この大食漢だけを保護したとき』云々は、微妙な物言いをするね。
天声人語 2010年1月9日(土)付
「座敷わらし」が出る旅館として知られた岩手県二戸市の緑風荘が、去年の秋に全焼した。炎
の中から赤い着物の子が飛び出し、母屋裏の神社に逃げ込んだと噂(うわさ)になった。神社は
宿の看板と共に焼け残り、再建の動きを見守る。
東北に伝わる座敷わらしは、旧家に住みつく童子の精霊。かの『遠野(とおの)物語』は〈こ
の神の宿りたもう家は富貴自在なりということなり〉、つまり吉兆だと紹介した。日本の民俗学
の原点とされる柳田国男の名著が出て、今年で100年になる。
農商務省の役人だった柳田の転機は33歳、岩手県遠野郷を出た佐々木喜善(きぜん)との出
会いだ。柳田は、文学青年が訥々(とつとつ)と語る故郷の奇談や妖怪話に引き込まれ、聞き書
きをし、現地を歩いた。
自費出版の初版は350部だった。河童(かっぱ)や天狗(てんぐ)、神隠しなど、夢と現(う
つつ)にまたがる話が文語体で並ぶ。「文学として読んできた」という三島由紀夫は〈これ以上
はないほど簡潔に、真実の刃物が無造作に抜き身で置かれてゐる〉と絶賛した。
実は京都や江戸から遠い地方に、豊かな文化がいくつも息づいていた。同様の伝承は各地にあ
るものの、誰かが書き残さねば、いずれは口と耳の間にこぼれ、消えていく。その意味で柳田が
救ったものは大きい。文献より実地に重きを置く手法も生き続ける。
1世紀を経て、日本列島はほぼ均質の金太郎アメになった。方言までが危ういが、幸い、民話
の数々は文字に起こされ、図書という安住の地を得ている。柳田の足跡も、座敷わらしの幻影も
山里深くに抱き、遠野はいま雪の中にある。
天声人語 2010年1月10日(日)付
世界初の定期航空は1914年に米国で誕生した。2人乗りの1人がパイロットで、1人が乗
客だった。片道20分ほどの飛行は人気だったが、客が1人では採算がとれず、4カ月で営業停
止になったそうだ(『飛行機は世界を変えた』岩波書店)。
初期のエアラインはどこも苦しかった。だが各国の政府は翼に威信をかけ、中小の会社を一社
にまとめて強力に援助した。そうして「ナショナル・フラッグ・キャリア」、つまり国の顔でも
ある航空会社が生まれていく。
戦後の日本は日本航空がその地位を占めた。花形企業の代名詞だったが、80年代半ばから揺
らぎだす。ジャンボ機事故や全日空の国際線進出などで、まず学生の就職人気が逆転した。とは
いえ、いつの間にこれほど凋落(ちょうらく)していたかと、昨夏以来の騒ぎに驚いた人も少な
くあるまい。
その日航をめぐって、会社更生法の適用申請が固まったという。あけすけに言えば倒産である。
イメージが悪いと反対もあったが、巨額の公金を入れるからには透明性は欠かせない。やむを得
ない流れだろう。
週刊朝日の名編集長だった扇谷正造が昔、企業の継続とは「一本の灯を守っていくこと」だと
書いていた。日航はしくじった。公金投入は、消えかかった灯は国民の財産でもあるという考え
に基づいている。
初の定期飛行から1世紀近く、いまや最大800人が乗る旅客機も飛ぶ。地球はいよいよ狭く、
「強い翼」は国の将来に欠かせない。新しい酒を新しい革袋に入れての経営再建になろう。甘え
を捨てた辛口でお願いしたい。
天声人語 2010年1月11日(月)付
葉をすっかり落とした公園の雑木林は明るい。日が暮れて通りかかると、照明灯が裸木を浮か
び上がらせている。人工の灯は趣を欠くが、こんな和歌を思い出したりする。〈風寒み木の葉晴
れゆく夜な夜なに残るくまなき庭の月影〉。
平安の末に生まれた式子(しょくし)内親王が詠んだ。木の葉が散りゆく夜ごと、月はいよい
よ隈(くま)なく庭を照らして冴(さ)えわたる。これは初冬の歌だが、裸の木々にさす月光は、
寒さの極みこそ趣が深い。そして見上げれば、季節風に磨かれて星々が光る。
南には、三つの1等星をつなぐ「冬の大三角」がはっきりわかる。その右にオリオンが構える。
1等星を二つも持つ贅沢(ぜいたく)な星座だ。首をよじればカシオペア、北斗七星……。有名
な者たちの住む天空である。
その宇宙をめぐって、年明けから面白い話題が相次いだ。ガリレオは海王星が太陽を回る惑星
だと知っていたのでは?というのもあった。もしそうなら、海王星の発見は200年以上もさか
のぼるそうだ。
19世紀の半ばに海王星は見つかった。偶然ではなく計算で存在が予測されていたため、「天
体力学の勝利」とも言われた。その価値が減りはしまい。だが「地球は動く」と口にするのも命
がけだったガリレオに、もう一つ勲章が加わるかもしれない。
〈あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ〉永井陽子。きのうの紙面はオ
リオン座にある1等星ベテルギウスの大爆発の予兆を伝えていた。巨大な星の死である。星とて
も歳々年々同じではない。万物の定まりなきを夜の空に思う。
天声人語 2010年1月12日(火)付
野菜や家畜の改良で、かけ合わせた品種はしばしば「両親」より丈夫で発育がいい。これを雑
種強勢と呼ぶそうだ。雑種を意味するハイブリッド車の勢いに、自然界の法則が重なる。電気と
ガソリンの混血はもう、好奇の目で見られることもない。
去年の新車販売の首位は、前年(10位)の3倍売れたトヨタの「プリウス」だった。モーター
とエンジンのかけ合いが生む低燃費、割安感のある3代目の発売、減税が効いたらしい。
10年前、初代に試乗した。静かさ、走りに感心しつつも、「エコ自慢」を超えて市場の支持
が広がるだろうか、と自問した。環境ばかりか家計にも優しいとなれば、なるほど売れぬ理由は
ない。ホンダのインサイトなども合わせ、ハイブリッドは軽を含む乗用車販売の1割に迫る。
自動車史は、石油消費の歴史でもある。ガソリン車の将来を案じ、トヨタが別の姿を探り始め
たのは1993年だった。プロジェクト名は「G21」。21世紀の地球に受け入れられ、かつ
売れる車になる。開発コード890T、プリウスの使命である。
96年の正月、武骨な試作車がテストコースを走った。誰ともなく出た言葉は「とにかく動い
たね」だったというが、翌年には早くも商品化した。全社の期待を背に、一流の技術陣がアクセ
ルを踏み込んだ時の馬力を思う。
鳩山首相が野心的な温暖化対策を打ち出すと、産業界は怒声まじりの悲鳴を上げた。しかし、
環境に気遣いながら、企業と消費者が共に満足する道は必ずある。日本のモノづくりを、いま一
度信じてみたい。
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信じてみたい、とは勝手な言い草である。
時によっては都合よく『日本』を信じてみたり、時によっては『日本はもうダメだ』とか言って
みたり。
天声人語 2010年1月13日(水)付
力士を志す少年に、「一番」という言葉を使って目標を語ってもらうとする。大方は「一番強
くなる」だろうが、「一番でも多く勝つ」も悪くない。相撲人生を縦に見るか、横に見るかの違
いだろう。横長のそれから、大記録が生まれた。
史上最多、幕内808勝を達成した大関魁皇である。白星数の上位は名横綱ばかり。幕内最年
長の37歳まで星を稼げるのは綱の重圧がないせいもあろう。だが、ずっと「二番目に強い」の
も並大抵のことではない。
同期のアケボノ(曙の点つき)や若貴兄弟は早々に出世し、最高位を極め、30歳前後で引退
している。対する魁皇関は、優勝した次の場所で何度も苦杯をなめた。ケガにも泣いた。波乱彩
る土俵歴は、いくつもの頂が連なる岩山を思わせる。
凍(い)てついた蛇口をねじ切り、リンゴを片手でつぶす握力。右上手さえ引けば寄っても投
げても横綱級なのに、まわしに手が届かないと視線が泳ぎ、がぜん心細くなる。不利な体勢から
力任せの小手投げも多い。素人目にも裏表のない、正直な取り口だ。
新記録をかけた昨日の相手は、54度目の対戦となる千代大海だった。同じ古参大関として踏ん
張ってきたが、今場所は関脇に落ち、引退の瀬戸際にある。そんな戦友を、後ろから抱えて豪快
に投げた。立ち上がった背に、そっと手を添えた。
気は優しくて力持ち。この人ほど「お相撲さん」と呼びたくなる力士もいない。その優しさが
ここ一番でもろさに化けようと、ファンは温かい。808勝の喜びは、それに続く528敗137休
があってこその味わいである。
天声人語 2010年1月14日(木)付
棚に転がる貝殻を耳にあてると、かすかに潮騒が鳴ることがある。柄にもなく思い出に浸るう
ち、波の音は記憶を離れ、漠とした古(いにしえ)のざわめきに変わっていく。貝殻には、時を
封じ込めたかのような風情がある。
欧州の研究チームが、5万年前の装身具をスペインの洞窟(どうくつ)で見つけたという。小
さな穴が開いた貝殻で、ひもを通して首飾りにしたらしい。中には顔料とおぼしきオレンジ色の
鉱物が付着したものがあり、「化粧」の道具にも使っていたようだ。
今の人類が欧州に広がったのは約4万年前。ということは、入れ替わるように衰勢となったネ
アンデルタール人が貝細工を残したことになる。絶滅の理由は知能の未発達とされてきたが、実
はそこそこ知的で、おしゃれだったのではないか。
狩猟のための石器と違い、生存に関係のない装飾品には遊び心がのぞく。動物の骨や歯、木の
実なども使ったことだろう。森や浜で、あれこれ見つくろう姿が浮かんでくる。
さらには顔料である。高橋雅夫氏の『化粧ものがたり』によると、古代人にとってオレンジ色
は特別な意味を持っていた。それは、恐ろしい闇を追い払ってくれる朝日の輝きであり、暖をと
り、獲物の肉を焼くたき火の色だった。喜びと幸せの色だ。
水面に映る己の姿を見ながら、貝殻で飾り、顔や体を祝いの彩りに染める。彼らが生存競争に
敗れたのは、足りない知恵のせいではなく、あふれる優しさが災いしたのかもしれない。驚きの
発見に推論を重ねて、あるところからは想像の一人旅。考古学の愉悦である。
天声人語 2010年1月15日(金)付
〈ミャンマーで銃弾に倒れた写真家一人あなたの勇姿で我が夢決まる〉。千葉県の高専1年中
島武忍(たくま)さんの歌だ。長井健司さん(享年50)は帰らぬが、若者の心に多くを残した。
東洋大学が募った第23回「現代学生百人一首」から。
〈メール待つ心も体も寒い冬あなたの返信まるでゆたんぽ〉高2渋谷希(のぞみ)。親指で始
まり、手のひらで育つはずの恋なのに……〈流行のインフルエンザ対策は彼とつないだ手も洗わ
なきゃ〉高3小川舞子。
恋ならずとも人間関係は楽じゃない。〈友が降り電車に一人残されてため息深く演技終了〉高1
小崎遥佳(はるか)。〈親友と遊び疲れた帰り道夢の話は少し嘘(うそ)つく〉高3中川知明。
そう、演技も方便も優しさゆえ。相手を気遣い、大人への階段をまた上がる。
〈入試の時緊張してた教室が今では一番落ちつく居場所〉高1星君枝。己と向き合って詠む学
校生活。「チェンジ」こそ成長の証しだ。〈ブカブカの制服を着てはや二年思い出つまりちょう
どよくなる〉高2関根拓馬。
家族に注ぐ視線はどこまでも温かい。〈おばあちゃんこれが高校の制服だ勇んで見せる春の墓
の前〉高1奈良岡貴大(たかひろ)。〈寝坊してご飯はいいと言ったのにかばんにひとつ鮭(さ
け)のおにぎり〉高2金子聡美。
〈歴史的政権交代に立ち会えた開いてみたい未来の教科書〉高2小笠原華子。10代は政治に
無関心、と侮るなかれ。番外の小学生からも〈六時から見たいテレビがあったのにどこまわして
も政権交代〉小6吉永健大(たけひろ)。鳩山さん、小沢さん、この世代がじっと見ていること
をお忘れなく。
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第23回東洋大学「現代学生百人一首」入選作品100首および小学生の部10首発表
http://www.toyo.ac.jp/issyu/nyusen_23_2010.html 恒例の、現代学生百人一首ネタ。
天声人語 2010年1月16日(土)付
四という数は死につながると嫌われやすいが、二つ並べば幸せ(四合わせ)と読める。先人の
知恵はありがたく、大抵の忌み事には逃げ道があるものだ。運気がどうであれ、今日を生き延び
ねばならない。
ここで、東京本社発行の紙面をお読みの方は右上の欄外をご覧いただきたい。「44444号」
とある。これは発行号数で、創刊が早かった大阪本社や、それに準じた名古屋、西部本社の新聞
は46000台に達している。
五つ並んだ4。朝から縁起が悪いとみるか、幸せいっぱいと言い聞かせるかは人それぞれだ。
もちろん、軽く無視するもいい。さて、通常国会を控えた週末、民主党の面々はこの偶然に何を
思うだろう。
小沢幹事長の資金問題で、東京地検特捜部が強制捜査に乗り出し、元秘書の石川知裕衆院議員
らを逮捕した。焦点は小沢氏側が土地購入に充てたという4億円の出どころだ。不吉な数に0が
8個もついている。「逃げ道」はあるのだろうか。
参院選に勝って自民党にとどめを刺したい民主党。失礼ながら鳩山首相の代わりはいても、小
沢氏の代役は見当たらない。政権を代えた民意があればこそ、いつにも増して氏は強気、片や特
捜部も腹をくくったかに見える。権力対権力の吉凶はいかに。双方、屈すればかなりの深手とな
る。
志(4)が並んだ日だから言っておきたい。国民のためにという志があるのなら、小沢氏は早々
に説明を尽くすしかない。側近が捕まったのだ。有権者が与えた圧倒的多数を頼みに黙り通すつ
もりなら、これ以上の裏切りはない。
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前半と後半との話題のズレっぷりが非道い。
第3段落『もちろん、軽く無視するのも』て、流す程度の話なら振るなよ。
最終段落『説明を尽くすしか』。説明で満足するのか、こいつ。
>>394 小沢逮捕直前という大事な時期によくこんな文章が書けるな…
「四」と小沢の間に関連性が全くない。
学生が作文の宿題で文字数稼ぐために無駄なこと書いたりするけど、
それと同レベル。
これで給料もらえるとかありえない。
最近の天声人語は本当に微妙な物が多いな。
自分が大人になったから、物足りなく感じられるようになったのか
実際に本文の質が落ちているのかわからないが
皮肉や風刺に切れ味を感じない。
たまに読売の編集手帳読むと、面白くてうらやましくなってしまう。
とはいえ、阪神ファンだから読売新聞は購読する気にならないんだが。
天声人語 2010年1月17日(日)付
「15の春」といえば試練の代名詞であり、壁を越えた喜びを表す言葉でもある。生まれた子
が少年少女になり、高校生や社会人として巣立っていく。それと同じ歳月が、阪神大震災の起き
た日から流れた。
15年を機に「あしなが育英会」がまとめた冊子「遺児たちが語る、いまの思い」を読んだ。
長くて短く、短くて長かったであろう、それぞれの来し方に胸が詰まる。今は男女2人の子に恵
まれた岡田幸代さん(31)は、「この15年、どんだけ涙が出るのだろと思うほど泣いた」と
書いていた。
川口綾香さん(27)も女の子をさずかった。しかし心の傷ゆえか、出産に臨んだ病院で「失
うのが怖い」と口走っていたと、あとで看護師から聞かされた。「命あるものは死ぬ」という感
覚が、今も強くあるという。
だが、それぞれの内には人への感謝が流れている。「独りじゃない」「忘れられていない」─
─そうして支えられてきた遺児は多い。遺児だけではない。人を励ますのは人なのだという確信
は、あの震災を機に、災害列島の共有財産になっていった。
地球上で悲劇はやまず、今度はカリブ海の貧国ハイチを大地震が襲った。首都は壊滅し、死者
は数万との情報もある。がれきの下で細くともる命の灯が、この瞬間にも消えていると思えばつ
らい。
神戸などでは、6434人の犠牲を悼みつつ、ハイチの苦難を思う一日となろう。地球という
生き物の上で、誰もが災害と背中合わせに暮らしている。悲嘆の中に希望の灯を消さぬ英知と仕
組みを、人類の共有財産にできないものか。
398 :
文責・名無しさん:2010/01/19(火) 16:19:45 ID:RBweJaPI0
天声人語 2010年1月18日(月)付
民主党の小沢一郎幹事長が鳩山由紀夫首相に「トラスト・ミー」と言ったかどうかは知らない。
おとといの党大会で、首相は「私は小沢幹事長を信じている」と語った。本人には「(検察と)
どうぞ戦ってください」と背中を押したそうだ。
信頼関係といえば聞こえはいい。しかし実態は、国民そっちのけで一蓮托生(いちれんたくしょ
う)を契(ちぎ)りあった運命共同体のようだ。政権と検察の「全面対決」、「宣戦布告」といっ
た言葉が各紙に躍る。遺恨試合ともいえる「総力戦」でとばっちりを食うのは、他ならぬ国民と
いうことになる。
きょうから新年度予算などを審議する通常国会が始まる。難問は山積みだ。日米関係はこじれ、
雇用はままならず、景気が二番底に沈む恐れもある。そんな差し迫った課題も「政治とカネ」の
攻防にかき消されかねない。
権力者の言葉の重みを「綸言(りんげん)汗の如し」と言う。口にしたことは、汗が体に戻ら
ないのと同じように取り消せない。首相の「戦ってください」もその類(たぐい)だろう。検察
を含む行政の長として不適切だった。
さらに借金の連帯保証のようでもある。小沢氏の潔白が証明され、疑惑という「借金」が帳消
しにならなければ共倒れが待つ。そうならぬ確信があって言うのか、国民への責任感を欠いた言
葉なのかは、いまは想像するしかない。
〈同じ穴むじな列なし出入りする〉と昨日の朝日川柳にあった。「政治とカネ」という穴に、
これまでも、どれだけの狢(むじな)が絡め取られたことか。旧態依然の醜聞で新しい政治の生
気がしぼんでいく図は、見るに忍びない。
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最終段落『旧態依然の醜聞で新しい政治の生気が』。新しい政治、ねえ。
政治腐敗など、千年前から有り続け、千年後も有り続けるブン屋のメシの種だろうに。
目の前の犯罪から眼を逸らし、新しい政治とやらにすがりつくってのは、貴兄らの中にあるはず
の「ジャーナリズム精神」に照らして、どうなんだね。恥はないか。
天声人語 2010年1月19日(火)付
植木等さんは、映画で演じる無責任男と、きまじめな自分との落差に悩んだという。「僕の場
合、何を演じているかというと、結局、植木等なんです」。そんな独白が残る。有名人であるほ
ど、ひとたび固まったイメージは崩れにくい。
57歳で急死した野球人、小林繁さんは「悲運」の形容で語られることが多かった。江川卓投
手を巡る「空白の一日」騒動の巻き添えで、巨人から阪神に出された。以後、江川さんには敵役、
小林さんには悲運の影がついて回ることになる。
実力の世界で、妙な虚像は迷惑だったかもしれない。小林さんは移籍の年に22勝をあげ、中
でも巨人戦は8勝負けなし。シーズン終了後、文芸春秋誌に語っている。「ぼくを支えたものは、
巨人には絶対優勝させないぞという意地でした」。
地力があっての話だが、逆境をバネにする生き方というものを教えてくれた。帽子を飛ばし、
気迫、執念、反骨が現実の力に転じるさまは、それぞれに闘う多くの人を勇気づけたものだ。
七つの球種を際どいコースに放り込んだ。ストライクゾーンを48のマス目に分け、外側のマ
スを狙って投げたという。ボール一個分は無理でも、ミット半分のコントロールを自らに課して
いた。
自身は「意地っ張りで見えっ張り」、阪神の先輩江本孟紀さんは「投手らしい最高のナルシス
ト」と評した。格好はどうでもいいから、球場でもっと見たかった。何も悲運のイメージを早世
で完結させることはない。どのマスを狙ったのか知らないが、運命の神様のノーコンぶりに涙が
出る。
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タイミングにC調に無責任。導入にこれをもってくるのは、どうにも収まりが悪いな。
書きたい事はわかるんだが、その引用は球界から持ってこれなかったかね。
締めの言葉もイマイチ。
なかなかコメント入れれないけど
いつも投下してくれる方、お疲れ様です
最後に感想ついてるのが何気にありがたい
天声人語 2010年1月20日(水)付
曇り空の下、技術陣の気がかりは離陸や巡航ではなく、着陸だった。ジャンボ機の初飛行であ
る。あの巨体が無事地上に降りるのか、との疑念が航空専門家の間にあったからだ。
開発リーダーのジョー・サッター氏が自伝(堀千恵子訳)に記す。〈威風堂々とした外洋航路
船ばりに滑走路に降下してきたかと思うと、静かに滑空し、それはそれは見事な着陸をやっての
けた……いまや真の飛行機が手に入り、成功もどうやら夢ではない〉。
空の旅を大衆化した立役者は明日、就航40年を迎える。ロングセラーの最大の顧客が、法的
整理に入った日本航空だった。リストラの一環として、効率の悪いジャンボ37機をすべて退役
させるという。一つの時代の終わりを思う。
評論家の佐高信氏は「役所と民間の悪いところを合わせたような会社」と辛辣(しんらつ)だ。
政治に弱い体質に大企業病が宿っていた。ジャンボの大量購入も、対米配慮と無縁ではあるまい。
空港を乱造した政治家、天下り官僚の責任は不問で、また税金が投入される。
日航でジャンボを長く操った田口美貴夫氏は、着陸より離陸が難しいという。高度も速度もゼ
ロから燃料満載の400トンが突き進む。整備から操縦まで、すべてが完璧(かんぺき)で初め
て機体は舞い上がると、著書『機長の700万マイル』にある。
国家管理という空港に不時着し、会社更生法の格納庫で身軽になる日航。初めての着陸に固唾
(かたず)をのんだジャンボ開発陣のように、納税者は再びの離陸を厳しく見守りたい。天候が
どうであれ、今度はしっかり飛んでもらう。
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前半、『747 ジャンボをつくった男』からの引用から始まるあたりは、エキサイティングな書き
方だけど、進むに従って定型句があふれ出し、結局はいつものつまらないコラムに着陸。
第4段落『対米配慮と無縁ではあるまい』て、推測かね。そういや、全日空にはロッキード事件な
んてのがあったな。
ああ、そういや、朝日新聞さんは全日空の株主でしたね。
相変わらずつまらないコラムだなw
どうでもいい話だけど747って次期戦略輸送機の選定に敗れたボーイングがそのノウハウを流用して作った機体なんだよな
>>402 天人が引用しているジョー・サッター氏の著書「747 ジャンボをつくった男」で、ジョー氏がそ
の説を否定しているそうだ。
>747がこれだけ短期間で設計できた理由を、世間はC-5計画でボーイングがロッキードに負けた
>ことによる、けがの功名だと言う人がいる。恥ずかしながら私もそう思っていたのだが、著者
>ははっきりそれをガセビアと否定する。
>
>>P. 133
>>米空軍のC-5受注競争で、私の新型機ボーイング747が得たものと言えば、高バイパス比の巨
>>大なエンジンだけだということをひと言申し添えておきたい。巷では、ボーイング社は競争
>>に敗れた軍用のC-5案を生かして民間用の747を設計したという、まことしやかな憶測がさん
>>ざん書き立てられている。しかし、747はC-5とは関係ないまったくのオリジナル設計なおだ。
404 Blog Not Found:1969年の二大発明の一つ - 書評 - 747 ジャンボを作った男
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51022085.html
天声人語 2010年1月21日(木)付
大寒というのに、昨日の東京は春の陽気だった。勝手なもので、冷えているべき空気が妙にポ
カポカしているのは落ち着かない。民主党内に渦巻く「反検察」の熱にも、同じ違和感を覚える。
検察がマスコミを通じて世論を操っているとの不信からか、捜査情報の漏れを追及するチーム
をつくるという。石川衆院議員の逮捕にも「不当」の声がある。糾明すべきこと、頑張りどころ
を間違えていないか。これでは捜査への嫌がらせである。
時の政権が党利党略で横やりを入れては、司直の正義は保てない。西松事件で小沢一郎氏の秘
書が捕まった時、野党の民主党は、政権と結んだ国策捜査だと非難した。目下の状況は与党の思
い通りになっていないのだから、「検察の独立」を誇ればいい。せめて静かに見守るべきだ。
名うての捜査機関も、組織としては法務省に属す。行政の長たる鳩山首相は、己の「部下」を
もっと信じてはどうだろう。無論、どんな権力も暴走すれば危険である。検察が小沢氏憎しで動
いているなら、これはこれで怖い。怨念(おんねん)めいたものは排し、プロの仕事を見せてほ
しい。
今年も、共産党を除く各党が政党交付金を求め、民主党には前年比27%増、約173億円の
税金が渡されるという。この党はどうも、期待と共に授かった308議席を、悪用とは言わない
が無駄に使っている気がする。
この通常国会こそ、新しい政治の春になるはずだった。またぞろカネ絡みの混迷では政権交代
の四字が泣こう。熱い論戦を待っていたのに、こちらはお寒い限りである。
----------
民主党議員のアレコレから感じるのが、違和感程度か。まだまだお優しいなあ、天人子。
第5段落『悪用とは言わないが』。無駄遣いならなお悪い。こいつら、ガキの集まりか。
最終段落『新しい政治の春』『熱い論戦を待っていたのに』。本当かね。民主党政権にそんなも
のを期待していたのかね。あんた、言っちゃ悪いが、それが本気なら、頭が悪いにも程がある。
いい加減、白状せーよ。本当のところは、何を期待していたのか(それとも期待など何もなかっ
たか)ってところを。
天声人語 2010年1月22日(金)付
美しすぎる情景は、時に心を乱すものらしい。〈桜の樹の下には屍体(したい)が埋まってい
る! これは信じていいことなんだよ。何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなん
て信じられないことじゃないか〉。梶井基次郎の短編小説「桜の樹の下には」の冒頭だ。
実際、墓石に代えて木を植える弔い方がある。やや神秘めくが、故人が使い残した精気のよう
なものが幹の中をはい上がり、葉を茂らせ、花や実をつける。そう考えれば、四季の営みもいと
おしい。夭折(ようせつ)の墓ほど樹勢は強かろう。
命を自然に返すという点で、散骨にも通じる「樹木葬」。10年ほど前に岩手県のお寺で始ま
り、全国の民間霊園などに広まった。墓地不足に悩む東京都が、数年内に都の霊園に導入するそ
うだ。
民間より安い都立霊園は人気があり、今年度の公募は平均12倍の狭き門だった。都内では年
に2万基の墓が新たに必要なのに、民間を含む供給はその3割にとどまるという。木の周りに何
人かの遺骨を埋葬すれば、土地を有効に使え、緑化も進む。
都会では後継ぎのない人が増え、地方には世話をする人のいない墓も多い。「先祖代々」に入
りたくない人もいる。慰霊の役目を木に、つまり地球に託すと思えば、墓を「守る」気苦労は幾
らか軽くなろう。
石でも木でも、その前で合掌する行為が形ばかりでは、墓参りする意味がない。大切なのは愛
する人をしのぶ装置ではなく、しのぶ心である。墓を持たない選択を含め、弔いの多様化はごく
自然な流れといえる。思い出の温め方は、人それぞれでいい。
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話の内容は、面白いけど。『緑化も進む』だの『人それぞれでいい』だのの言葉で、文化風習を
破壊しようとしている、という風にも聞こえるな、朝日新聞が言うと。
最終段落『大切なのは愛する人をしのぶ装置ではなく、しのぶ心である』。心を維持するために
装置がある、と思うんだがな。心が大切だってのはその通りなんだが、頼りない『心』を繋ぎ止
めるために装置をつくり、その心と装置を維持するための仕組み、ルーチンとしてしきたりが出
来ているわけで、そういう経緯を無視して因習を軽視するのは愚かしい。
天声人語 2010年1月23日(土)付
パスカルの言に〈時は苦しみや争いを癒やす。それは人が変わるからである〉がある。しかし、
歳月が苦しみや争いを際立たせることもある。20年近い時は、2人の男性に苦い再会をもたら
した。
「足利事件」の再審公判で、ぬれぎぬを着せられた菅家利和さん(63)を取り調べた元検事、
森川大司さん(62)が証人として出廷した。謝罪を求める菅家さんに「深刻に受け止めていま
す」を繰り返す。すげない応答は、検察組織が「取り調べに問題なし」としているためだろう。
調べの録音テープも流された。両者の立場は今と逆である。無実を訴え始めた菅家さん。検事
はDNA鑑定の結果を突きつけ、たたみかける。「どうなんだい。ずるいんじゃないか、君」
「なんで僕の目を見て言わないの、そういうこと」。
返答を促す検事がたまに発する「うん?」「ん?」が効いている。口調は穏やかでも、力関係
に天と地の違いがある。短いが鋭い矢は菅家さんの心を刺し、口をこじ開けた。「ごめんなさい。
勘弁してくださいよお」。
涙ながらに絞り出したのだろう。身に覚えなき殺人を何度も「自白」させられる悔しさはいか
ばかりか。否認から「再自白」に至るやりとりが当時の法廷で明らかにされていたら、と思わず
にはいられない。
調書には、長い沈黙も「ん?」も嗚咽(おえつ)も残らない。調べの様子がそのまま記録され
ていれば、「自白の舞台裏」が見えてくる。菅家さんの冤罪から、教訓や反省以上のものを残し
たい。残さないと、鉄格子の中に消えた17年半が本当の無駄になる。
天声人語 2010年1月24日(日)付
「標札泥棒」という随筆が作家の立原正秋にある。門柱にかけていたのを受験の季節に盗まれ
た。しばらくたった朝、新聞を取りに行くと元の所に戻されていて、「おかげさまで合格しまし
た」と書いた紙がポストに入っていたそうだ。
昭和40年代の随筆だが、その昔、表(標)札を盗んで合格を願うまじないがあった。通や透
など「とおる」と読む名の表札は要注意だったようだ。いまなら稚気ではすまされまいが、受験
生の切実は昔も今も変わらない。
今年もシーズンが到来して、様々な願掛けがにぎわいを見せる。東京の湯島天神を訪ねると祈
願の絵馬が鈴なりだ。その数は約5万。「今年こそ受かりますよう 母」は浪人生の母堂だろう。
教え子への御利益(ごりやく)を願う先生の絵馬も多い。
隅田川を渡った回向院(えこういん)には、あの鼠(ねずみ)小僧次郎吉の墓がある。どんな
屋敷へもするりと入った伝にあやかろうと参拝が絶えない。石粉を持ち帰ってお守りにする習わ
しで、墓前の「お前立ち」と呼ばれる石はすっかりちびている。
厳しい景気に締めつけられて、今年の大学受験は「安・近・少」なのだという。授業料の安い
国公立。自宅から通える近場で、出願は少なく。加えてインフルエンザの心配も抜けきらない。
木から落ちないコアラのふん、蒸気機関車の滑り止めの砂、「勝どき駅」の合格祈願切符……。
いつもの八百万(やおよろず)ぶりだが今年の願掛けはいっそう切実かもしれない。〈ポップコーン
はじけ合格通知来る〉山崎(崎はやまへんに立つ崎)千枝子。わが30余年前を懐かしみながら、
春遠からじとエールを送る。
あれ、アウシュビッツに繋げるのかと思ったら普通の随筆だった。
>>407 受験生がマネしたらどうする。
と思ったが、「現役受験生は天声人語を読んでる」って逆宣伝になるっぽい気がしてきた。。。。
>>409 表札泥棒は赤塚不二夫の漫画のネタにすらされてたからな
ある一定以上の年代の人間なら分かると思う
天声人語 2010年1月25日(月)付
江戸の昔に「投げ込み寺」と呼ばれる寺があった。たとえば遊女が死んでも手厚く葬られるこ
とは少なく、菰(こも)に巻くなどして寺に捨てられた。遊里に近い寺は遺棄が多い。だれ言う
となく「投げ込み寺」と呼ばれるようになったそうだ。
その一つ、東京の下町の浄閑寺には、安政江戸地震のとき、犠牲になった多くの人たちが投げ
込まれた。ご住職によれば、大きな穴を掘って無縁の亡きがらを葬ったそうだ。境内の供養塔が
往時の悲話を今に伝えている。
そんな哀史も思い起こさせる、中米ハイチの大地震の惨状である。現地に入った本紙記者の報
告に胸が痛む。壊滅状態の首都近くでは、おびただしい遺体が溝に投げ込まれ、埋められている
という。
年格好も性別も記録されず、ひたすら「処理」されているそうだ。やむを得ぬとはいえ「一人
一人の死」はかき消されていく。そして、辛うじて生き残った者は「最悪の人道危機」(国連)
のただ中にある。親を亡くした子らには人身売買の魔手も伸びている。
自然に厚薄はない、と言う。恵みも災いも、自然は人を分けへだてしないという意味だ。だが、
自然は公平でも人の側に格差がある。最貧国を襲った地震は、豊かな国とは異なる残忍さで、生
者を、死者をさいなんでいる。
阪神大震災の直後、被害の大きかった神戸市長田区で小学生の作文集が編まれた。それは「か
みさまのいじわる」と題された。熱心なカトリック信者の多いハイチの人たちも天を恨んでいよ
うか。神ならぬ人間同士の、いっそう手厚い支援が必要だ。
天声人語 2010年1月26日(火)付
記者を続けていると、取材相手のはっとする言葉に出合うことがある。「民主主義はもうこり
ごりだ」は忘れがたい。コザ市(いまの沖縄市)の元市長で10年ほど前に97歳で亡くなった
大山朝常(ちょうじょう)さんが、絞り出すような声で言った。
元教育者だった。沖縄戦で息子2人、娘1人、母と兄を失った。戦後は政治家として「基地は
いらない」と訴え続けた。ところが減りもしない。本土による、本土のための民主主義が苦難を
島に押しつけている。日本政府への深い失望が、「こりごり」の一語には込められていた。
そんな基地のひとつ普天間飛行場をめぐって、名護市の民意は移設への異議を申し立てた。市
長選で、移設に反対する稲嶺進氏が現職を破った。結果は重い。政府が軽んずれば、「本土のた
めの民主主義」が繰り返されることになろう。
心配なのは鳩山首相の腹のすわり具合だ。戻る橋を焼かれたとも言われる。風見鶏を決め込ん
でいて青くなったかもしれない。いずれにせよ数カ月で政治家としてのすべてが問われよう。も
う「宇宙人」を言い訳にはできない。
戦争で壊滅し、戦後は基地の島になった故郷を「不沈母艦」にたとえて悲しんだのは詩人の山
之口貘(ばく)だった。その密集ぶりは、米国防総省の元高官に「小さな籠(かご)に、あまり
に多くの卵を入れている」と言わせもした。
「日本の安全保障じゃない。本土の安全保障のために基地がある」。そんな大山さんの声も耳
の奥に残る。普天間という危うい卵をつまんで立ちつくす首相は、どこの籠に入れる心づもりな
のか。
----------
前半の民主主義云々が後半では消えてしまい、鳩山首相の決断にすりかえられてしまっている。
『民主主義はもうこりごり』という感情は、まあ、判らんではないが、それは革命思想なんかに
共鳴しやすく、英雄的な革命家による独裁政権に繋がるのではないかなあ、などと思った。
最終段落『日本の安全保障/本土の安全保障』。どーして、こーゆー方々、ここまで沖縄を日本
から切り離したがるのかねえ。
「民主主義のコスト」ということに着目した他紙コラム。
【中日】中日春秋 2010年1月26日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2010012602000041.html 民主主義はやっかいなシステムだ。国民の知る権利、言論の自由…とにかく面倒なことが多い。
もし、こう主張すれば、多分、中国政府の支持は得られるだろう。伝えられるところによれば、
例えばメディアの情報統制はお手の物。ネット検閲も日常茶飯事だという。こうした“中国流”
について、あまり触れずにきた米政府の態度がここへきて変わった。
ネット検索の大手企業がサイバー攻撃に遭い、中国からの撤退を検討し始めたことに端を発し
た問題で、クリントン米国務長官が中国を批判した。ネット企業に検閲を拒否するよう求め、そ
うした態度をとる国は「次代から締め出される」と警告したが、中国は聞く耳を持たない。
確かに、言論の自由がない世界はある意味、低コストだ。問題は告発されず、行政や企業が環
境だの人権だのに配慮する必要も少ないから出費が抑えられ、モノは安く生産できる。批判で政
治が混乱することもない。
逆の世界はコスト高。やっかいで面倒だ。中国の指導部には不思議かもしれないが、お上から
庶民まで、そのやっかいさを全部承知、ひっくるめて引き受け、民主主義を守っているのが、わ
れわれの社会である。
だから、やっかいな報道だからって「捜査当局のリークが問題だ」などと騒ぎ立て、言論の自
由を脅かすようなことを平気で言う政治家はわが国には…え、いるの?
-----
中国ネタで。第4段落『言論の自由がない世界はある意味、低コストだ』あたりは、朝日新聞さん
では言えない言葉かな。
天人と中日春秋をならべて、民主主義について考えさせる、なんてのは、わりと面白い学習教材
かもしれん。
天声人語 2010年1月27日(水)付
自分も道楽ざんまいの親父が放蕩息子に意見するのは、人間喜劇のひとつの型だろう。上方落
語の「親子茶屋」もこの手の話だ。この親父、親子で遊んでは身上をつぶすと案じ、息子が早く
死なないかと思うのだから並ではない。
おとといの前原国土交通相も「道楽親父」に意見される気分だったか。衆院予算委員会で、自
民党の町村元官房長官の質問に「自分たちのツケをほっといて文句を言うのはやめていただきた
い」と語気を強めた。
混迷の深い八ツ場ダムをめぐる質問だった。大臣自身、就任早々に「中止」と言明したのを、
「凍結」にすべきだったと悔やんでいるようにも聞く。前日は地元で対話に臨んだ。もろもろが
胸中にあって、小爆発を起こしたのかもしれない。
鳩山首相を思い出す。谷垣自民党総裁の代表質問に「あなた方に言われたくない。こんな財政
にしたのは誰だ」とやった。あとで詫(わ)びたのは見識だったろう。前の政権党だからと道楽
親父の意見のように退けては、論議は深まらない。
戦前のこと、「国体」をめぐる論議が国会で沸いた。微妙な問題だけに岡田啓介首相は「憲法
第1条に明らかであります」の一辺倒で逃げ通した。憲法1条の塹壕に入られると始末に負えな
いと、野党を怒らせたという。
鳩山内閣は答弁で、「自民政権のせい」という塹壕を使用禁止にすべきだろう。寅さんではな
いが、それを言っちゃあおしまいよである。「親の意見と冷や酒は後になって効いてくる」。人
生の達人だった寅さんはたしか、そんな俗言もよく口にした。
----------
民主党議員の方々は『自民党じゃダメだ、オレならもっと上手くやる』と言って政権を獲ったの
だから、その『もっと上手くやる』について自信満々に語らにゃいかんと思う。
それなのに、ちょいと批判されたら『お前が言うな』と憤慨するあたり、『上手く』の中身なん
て何一つ持っていないのだろうなあ、この方々。
415 :
文責・名無しさん:2010/01/27(水) 22:44:14 ID:RdPzukSO0
天声人語の質の低下
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/6b3f4008b0e6e5f3391b4ffc556320c6 今朝の天声人語(朝日新聞のコラム)で、おとといの衆院予算委員会での自民党の
町村元官房長官と前原国土交通相との「小衝突」を道楽三昧の親父が放蕩息子に意見
する落語の「親子茶屋」として取り上げている。大朝日の人気を支えている天声人語の
文章としては呆れる。
予算委員会でのヤリトリを実際に見ていた者としては、前原大臣の態度は決して
「小爆発」という程度のものではなかった。あの時、コップの水をぶっかけても国民は
納得したことだろう。問題はあの瞬間のことだけではない。自民党の質問のどこに
「親父の心配」があるのだろうか。どこを見たら放蕩息子に対する道楽親父の心配が
感じられるのだろうか。わざわざ寅さんの言葉まで引用して「親の意見と冷や酒は後
になって効いてくる」などという言葉が、この場面でどういう意味を持つのだろうか。
自分自身がしてきた道楽をさておき、息子の道楽をたしなめる親父には、愛情があるが、
町村元幹事長のどこに愛情があるのだろうか。ただ、必死で民主党を潰そうとする
無意味な「あがき」だけではないか。今まで天声人語は朝日新聞の「良心」と思ってい
たが、随分質が低下したものである。
>>413 シナは政府の上位に共産党が乗っかかってるもんな〜 ( ・∀・)ニヤニヤ
天声人語 2010年1月29日(金)付
「何でも時代のせいにしてりゃあ、そりゃあ楽だわな」。文化人としても知られた紀伊国屋書店の創業者田辺茂一(もいち)が、
かつて語っていたと、先ごろの週刊朝日で読んだ。「時代」を「他人」あるいは「世の中」にしても、その意味はほぼ変わらない
▼何でも自分以外の「せい」にしたがる甘えと未熟が、凝縮し、暴走したのがこの事件だっただろうか。東京の秋葉原で一昨年6月、
無差別に17人を殺傷した加藤智大(ともひろ)被告(27)が初公判の法廷に立った
▼遺族のいる傍聴席に深々と頭を下げたそうだ。犯行を認め、「申し訳ございませんでした」とわびた。償いとして事件を起こした
いきさつを説明するとも述べた。だが今後の裁判で「時代のせい」「他人のせい」を言い募るなら、むなしいばかりだ
▼どんな事件にも背景はある。この凶行は時代の閉塞感(へいそくかん)を表す「記号」のようにも語られる。しかし、悲しみの深い
遺族がせめて知りたいのは、一般論と「身内の死」をつなぐ被告の心身の軌跡だろう。その上でしか謝罪は成り立つまい
▼警察庁によれば、全国で去年に起きた殺人事件は戦後最少になった。皮肉なことに、ネット社会で人間関係が希薄化したのが一因という
可能性があるそうだ。特定の相手への動機が生まれにくい。そうなったで今度は、「誰でもよかった」が目立っている
▼被告は世を恨んでネットへ逃げ、そこでも孤立した。「一線」を越えた軌跡は、一線を越えさせない知恵につながるだろう。
再び誰かに繰り返させないことが、犠牲者へのせめてもの供養になる。
天声入語 2010年1月29日(金)付
「何でも時代のせいにしてりゃあ、そりゃあ楽だわな」。文化人としても知られた紀伊国屋書店の創業者田辺茂一(もいち)が、
かつて語っていたと、先ごろの週刊朝日で読んだ。「時代」を「自民」あるいは「前政権」にしても、その意味はほぼ変わらない
▼何でも自分以外の「せい」にしたがる甘えと未熟が、凝縮し、暴走したのがこの内閣だっただろうか。沖縄の基地問題で今年5月、
関係者全員が合意できる結論を出すとした鳩山由紀夫(ゆきお)首相(63)が所信表明の演壇に立った
▼議員席や傍聴席に深々と頭を下げたそうだ。資金疑惑を認め、「申し訳ございませんでした」とわびた。償いとして事件を起こした
いきさつを説明するとも述べた。だが今後の国会で「自民のせい」「前政権のせい」を言い募るなら、むなしいばかりだ
▼どんな事件にも背景はある。この疑惑は民主党の閉塞感(へいそくかん)を表す「記号」のようにも語られる。しかし、悲しみの深い
国民がせめて知りたいのは、一般論と「身内のカネ」をつなぐ首相の心身の軌跡だろう。その上でしか謝罪は成り立つまい
▼検察庁によれば、全国で去年に起きた政治家の事件は戦後最少になった。皮肉なことに、国会で民主党が自民を追及したのが一因という
可能性があるそうだ。特定の政党への依存が生まれにくい。そうなったで今度は、「小沢でなければ」が目立っている
▼首相は世を恨んでネットへ逃げ、そこでも孤立した。「一線」を越えた軌跡は、一線を越えさせない知恵につながるだろう。
再び誰かに繰り返させないことが、国民へのせめてもの謝罪になる?
死者の気持ちを代弁するようなことを言われても困るな
天声人語 2010年1月30日(金)付
「一八歳。紺サージの制服を脱ぎ捨てて、ジーンズとバスケットシューズが新たなる制服になったあの頃。
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が愛読書だった季節……」。かつて小紙に寄せた、落合恵子さんの
エッセーの一節である。青春の逃げ足はいつも早い。
だが、「永遠の青春」もある。その若者像を小説に刻んだ作家、J・D・サリンジャー氏の訃報が米国から届いた。
享年91。1951年の『ライ麦畑』は、世界で最も読まれた青春の一冊に数えられよう。大人への嫌悪や孤独を
描いて、それは狂おしく激しい。
決定的な一作を残してあとは終生沈黙するという、伝説めいた作家がまれにいる。たとえば、『風と共に去りぬ』
のマーガレット・ミッチェルがそうだ。サリンジャー氏も似たところがあった。寡作で知られ、名声に包まれる中で
筆を折った。
北辺の田舎に引きこもり、高い塀をめぐらして昼もカーテンを下ろした。有名を嫌うことでかえって有名になった。
ゆえに詮索され、犬を飼っているかどうかでメディアが論争したこともあったという。
『ライ麦』は内容もさることながら、野崎孝訳の日本語タイトルが光っていた。題にひかれて手にとった
我が昔を思い出す。近年は原題の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で村上春樹さんの訳本も出た。売上げは双方で
290万部にのぼっている。
伝説に殉じるように作者は逝ったが、遺産は世界で読み継がれることだろう。青春は短い。だからこそ、
希有な青春文学の頭上には、「永遠」の枕詞が色あせない。
天声人語 2010年1月31日(金)付
英国の詩人シェリーの「西風に寄せる歌」(上田和夫訳)は〈おう 激しい西風 秋のいぶきよ〉と始まる。
結びは有名な〈冬来たりなば 春は遠からずや〉。淡い光が透ける一月の言葉から。
歌手の岡林信康さん(63)が美空ひばりの曲を歌ったCDを出した。「ひばりさんは結局、富士山や
縄文杉みたいな、日本の風土が生んだ自然現象だったんじゃないか。戦争のがれきの中から生まれ出て、
成長のシンボルとして日本人を励まし続けた」
日本の空にトキを戻す理由は二つあると、山階鳥類研究所の山岸哲所長。生物多様性を増やすのと、
より重要なのは「トキが生き続けられる環境を取り戻すこと。トキの再生は地域の再生なのです」
動物本来の生き方を見せて、全国から客を呼ぶ北海道の旭山動物園。昨年園長になった坂東元さんは
「どの職員も個性豊か。でも、旭山の理念という串が全職員を貫いて一本の串団子となれば、旭山カラーは
引き継がれていく」
破綻した夕張市立総合病院を引き継いだ医師村上智彦さん(48)は、病床を大幅に減らし、往診による
在宅医療に賭ける。「各地の医療崩壊は、コンビニが必要なのにデパートを建ててきたようなものだから。
年老いても生活の質を保って、安心して死ねる場所をつくればいい」
「倹約に努める美徳的な行動が、まとまれば結果として人々の生活をさらに脅かす。浪費や美食など、
多少の悪徳を許して刺激しないと、経済は生きていけません」と語る経済学者、岩井克人さんによれば、
「底」とは希望でもある。
−−−−−−−−−−−−−−−
麻生のバー通いをさんざん揶揄しておいて、何を思って最後の岩井氏の言葉を引用したのかね。
天声人語 2010年2月1日(月)付
岡本眸(ひとみ)さんの句に〈葱(ねぎ)焼いて世にも人にも飽きずをり〉がある。ネギは焼いてうまくなる
野菜の一番かもしれない。ぬらりとした薄皮や髄のあたりから甘みがとろけ出し、生きる喜びさえ教えてくれる。
本来、薬味となる尖(とが)った食材である。火を通すだけでこれほど化けるものかと思う。ツンからデレへの
変わりようは、どこか仕事も遊びもいける人のようで、できる野菜と呼ぶにふさわしい。しかも風邪に効くとされている。
富山大大学院の林利光教授らが、ネギの「薬効」が本当らしいと突き止めた。A型インフルエンザに感染させた
マウスの実験で、ネギの抽出物を与えてきた一群は、そうでない群に比べウイルス量が3分の1に抑えられたという。
抗体の量は逆に3倍近かった。
林教授は「ネギの成分のどれかに、予防的に免疫力を高める効果があるのでは」と語る。大衆が頼りにしてきた
言い伝え、信じるに足るらしい。寒さに弱いチンパンジーにネギを食べさせている動物園もある。
「おいしい良薬」はそうそうない。どの成分がどう効くのか、難しい話は先生とネズミにお任せするとして、
この時期、ネギ三昧(ざんまい)というのも悪くない。白も青も旬は冬。群馬の下仁田、京都の九条、
いずれも寒さで滋味が増す。
同じ季語にも、俳人の感性は別のひらめきで応える。黒田杏子(ももこ)さんは〈白葱のひかりの棒をいま刻む〉と
料理した。月が替わり、寒の谷もあと二つ三つというところか。名のある産地であろうとなかろうと、店先の
「ひかりの棒」たちがこぞって輝く季節である。
天声人語 2010年2月2日(火)付
30年ほど前のこと。当時のパリのルーブル美術館別館に、ある画家が自作をこっそり持ち込んで「展示」し、
2日後にバレて撤去されたことがある。この悪戯をめぐり当時の小欄が「美の殿堂で、感に堪えぬ面持ちで
この絵を鑑賞した人もいたわけだ」と少し意地悪く書いている。
名画あまたのルーブルだが、ダビンチの「モナリザ」は至宝そのものだ。天才画家の威光は偽物にも及ぶらしい。
先ごろニューヨークであった競売で、ダビンチの「婦人の肖像」の模写と鑑定された絵に約1億4千万円という値がついた。
モナリザを彷彿(ほうふつ)させる女性の肖像で、流し目が印象深い。ルーブルには本物がある。ダビンチが
2枚描いていたと言われ、1世紀近く真贋(しんがん)論争が続いていたが、最新の分析で2枚目は偽物と分かった。
冒頭の悪戯について、当時の小欄の筆者は「ルーブルに展示されて撤去された唯一の絵として値を呼ぶかもしれぬ」
と書いた。今回の偽物の高値には、真贋論争に敗れた話題性も一役買ったようだ。
模写や贋作はときに、深い物語を秘めている。井上靖の短編「ある偽作家の生涯」は、親友の天才に呑(の)み込まれて、
その贋作づくりに堕していく画家の悲劇を描く。巨大な才に小才が打ちひしがれるさまは、小説ながら絵の厳しさを語って
現実味がある。
「婦人の肖像」の模写は、18世紀半ば以前にダビンチの信奉者によって描かれたらしい。どんな物語が
作者にあったのだろう。パンを得るためか修業のためか。流し目の美女のすまし顔に、こっそりと聞いてみたい。
天声人語 2010年2月3日(水)付
一門といい破門といい、相撲界の言葉は古めかしい。伝統を守るための古めかしさならいざ知らず、
古いこと自体が伝統になっては時代からこぼれる。日本相撲協会の理事選挙を見ていて、昔ふうに
「入れ札(ふだ)」と呼びたくなる気分にかられた。
作家の菊池寛に「入れ札」という話がある。上州から信州へ落ちていく国定忠治の一党の話だ。
誰もが忠治について行きたいが、大勢では目立ってしまう。やむなく3人に絞る投票をする。子分の葛藤(かっとう)を
巧みに描いた好短編である。
小説ではあるが、その入れ札とて無記名で行われた。だが相撲協会の理事選では、立会人に票を見せるよう
求める声が出たそうだ。退けられたが、その古さに驚く。そもそも3期連続で無投票だった。苔(こけ)むした
イメージが協会を包んでいる。
劣勢とされた貴乃花親方の当選は「奇跡が起きた」のだという。「誰の一票」まで勘定できた村社会だが、
「一門栄えて相撲廃(すた)る」では本末転倒になってしまう。危機感から流れた票もあったように聞く。
古い角界には謀反と映るかもしれない。だが「謀叛(むほん)人となるを恐れてはならぬ。新しいものは
常に謀叛である」という徳冨蘆花の言葉もある。新しいものを期待していいのか、親方自身の言葉を
もっと聞きたいものだ。
鯨に呑(の)まれたのに気づかず安穏(あんのん)と泳ぐ小魚のたとえがある。巨漢ぞろいの角界だが、
これまでの危機への鈍感はその小魚を思わせた。朝青龍の件もあってファンの目はいよいよ厳しい。
新風を呼ぶ志のある謀反人が、本当ならもう2、3人は欲しい。
−−−−−−−−−−−−−−−
「親方自身の言葉をもっと聞きたいものだ」と、「造反者探し」に走るのは果たして相撲にとって有益なんですかね。
改革を求めているはずのメディアが結果として「村社会」の片棒を担ぐとなればまさに本末転倒。
http://www.j-cast.com/2010/02/05059580.html
天声人語 2010年2月4日(木)付
唱歌の「早春賦」にいささかの思い出がある。小学校の音楽の時間、女の先生が「今日から季節が変わって、
この歌が歌えるのです」とオルガンを弾いて美しい声を聞かせてくれた。自分もお好きな曲だったのだろう。
四十数年前の、おそらくは寒かった立春の日である。
春は名のみの……の歌詞は難しかったが旋律は心に残った。様々に歌われる曲だが、女声コーラスが
一番ふさわしく思われる。独りのハミング、低唱もいい。知らず知らず口をついている。もしこの歌がなかったら、
春待つ季節の唇は随分さみしいことだろう。
きょうは立春。とはいえ名歌そのままの、名ばかりの節目である。強い寒気が流れ込み、日本海側は雪が降りしきる。
太平洋側も冷たい風が鼻の先を抜けていく。それでもきょうを境に、冷え込みも「余寒」と呼ばれるようになる。
二十四節気をさらに分けた七十二候では、いまごろが「東風(はるかぜ)解凍(こおりをとく)」にあたる。
中国唐代の大詩人、白居易にも一節がある。〈池に波紋有りて氷尽(ことごと)く開く/今日知らず 誰か計会(けいかい)
するを/春風春水一時に来(きた)る〉
池の氷が解けてさざなみが立つ。いったい誰が計らったのか、春風と春水が一緒に来るようにと――そんな意味だという。
冬の中から約束を果たすようにやってくる春。自然の摂理へのおおらかな畏敬(いけい)を詩人はうたう。
氷がとけたら何になる? テストである子が「水になる」ではなく「春になる」と答えたという話は、虚実はおいてほほえましい。
早春賦の恩師ならマルをもらえるような気がする。春よ来い。
426 :
文責・名無しさん:2010/02/08(月) 02:07:00 ID:GFcPsngv0
天声人語 2010年2月5日(金)付
京の五色、大坂の三彩に対して江戸の着物の粋(いき)は茶色と黒だった。「四十八茶百鼠(ねずみ)」と言われ、
人々は微妙な色の違いを楽しんだという。百鼠とは、白と黒の間の濃淡さまざまなグレーのこと。江戸研究家の
杉浦日向子さんの遺著に教えられた。
濃淡の差はあれ、百鼠のどれかの色で民主党の小沢幹事長を眺める人は、少なくないだろう。自らの資金管理団体の
土地取引をめぐる事件で不起訴となった。嫌疑は「なし」ではなく「不十分」という判断である。
元事務担当者の石川知裕衆院議員と秘書ら2人は起訴された。虚偽記載は知らなかったという小沢氏だが、
政治的、道義的な責任はまぬがれない。起訴か不起訴か、善悪二元論の刑事責任に比べてそれは幅広く、深い。
こちらのグレーは、その色合いがいっそう濃い
検察も灰色がかって見える。捜査は「小沢憎し」だったのではないか。なぜ政権交代後のこの時期に……。
もろもろの疑問がわく。検察に委ねられた権力は遺恨晴らしの道具ではない。誤解を避けるには、
こちらも十分な説明が必要になる。
「国民のレベル以上の政治家は生まれない」と小沢氏は著書で言う。名高い「法則」だが釈然としない。自らの醜聞も
国民のレベルのせいにされてはかなわない。清新な政治への期待を、民主党への一票に込めた人は多かったはずだ。
幹事長は続投という。まずは風見鶏を頭に立てて世論観測といったところか。逆風が吹いて「参院選に凶」と出れば
退くとの見方もある。灰色決着の黒白(こくびゃく)を、民意が引き取ることになる。
−−−−−−−−−−−−−−−
小沢の金の問題は政権交代前から出てきていたのでは?
その時も「なぜ解散総選挙の近いこの時期に」と言ってたような。
天声人語 2010年2月6日(土)付
イソップの物語に「盗みをする子と母親」の話がある。母親が叱(しか)らなかったため、子は長じて
手に負えない盗人になる。とうとう捕まって刑場へ引いて行かれるとき、嘆く母親に息子が言った。
「なぜ最初のときに俺(おれ)をぶってくれなかった」
暴行問題で土俵を去る横綱朝青龍に、そんな教訓話を思い出した。たび重なる素行不良を周囲が甘やかしたのか。
本人が聞く耳を持たなかったのか。たぶん両方だったのだろう。いまさら誰の責任かを論じても、覆水は盆に返らない。
記者会見で、この結末を、自分にとっての運命じゃないかと語っていた。相撲協会も師匠も「運命」を案じていたようだ。
しかし客を呼べる。その人気は角界の「米びつ」でもあった。及び腰が慢心をあおり、大看板は屋根から落ちた。
それにしても、これほどの騒ぎは横綱双葉山の連勝ストップ以来ではないか。69連勝のあと、ついに敗れたのは
71年前。歌舞伎座でニュースが伝えられると、客席が凍りついたようになったとの逸話も残る。日本中がこの話題で
持ちきりになったそうだ。
〈やはらかに人分け行くや勝相撲〉。江戸期の俳人几董(きとう)の句は力士のたたずまいを詠んで秀逸だ。
鬼の形相の土俵から一歩出れば、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)の空気を身にまとわせて、ゆうゆうと風を切る。
だが朝青龍はそれが苦手だった。
土俵外でも心身は荒く、抑制の美も理解しなかった。とはいえ角界を支えた風雲児には違いなかった。
もろもろの是非はおいて、この人が去った穴を、相撲好きは三月場所でかみしめることになる。
天声人語 2010年2月7日(日)付
本欄へのご感想の中には、ただ黙するしかないようなものがある。埋葬地に木を植える「樹木葬」を取り上げた
過日の小文にも、そのようなお便りをいただいた。
「いつ折れるとも知れない心を老夫婦で支え合いながら、娘のために樹木葬の適地を探しています」。
次女を34歳で亡くしたばかりのご夫婦からだった。乳がんの告知からわずか1年半。夫と、告知の直後に生まれた
男児が残された。
遺言めいたメモには、病のため震える字で家族葬の希望と、お墓にはオリーブかローズマリーを植えてほしいと
あったそうだ。若い人ほど木の勢いは強かろうと書いた小欄を、励ましと受け止めていただいた。偶然に言葉もない。
ご連絡すると、お二人は乳がん撲滅への願いを静かに語られた
同じ34歳で逝った女性を悼む歌がある。小学生の姉妹の親でもあった。〈遺児ふたり長き髪もつ明日よりは
母に代わりて誰が結ばむ〉羽場百合子。作者は朝日歌壇にも入選を重ねた元教師で、弱き者を思いやる歌風が際立つ。
どんな死も悲しいけれど、若い母親のそれは切ない。お母さんは風になり木になって、わが子に声援を送り続ける。
他の母親より少し短い、真珠のような思い出を抱きしめながら。
乳がんに侵された先の女性は、幼子にも走り書きを残していた。〈男の子はやさしくなければいけません。まわりの人の
言うことをよくきいて。いっぱいおでかけにつれていってもらうんだよ。本もいっぱいよんで、音楽もいっぱいきいて……〉。
連なる「いっぱい」に、母性の叫びを聴く。
429 :
文責・名無しさん:2010/02/08(月) 23:32:34 ID:OLMK6/h90
今日の素粒子、us使う方が意味分からなくなると思うんだが
天声人語 2010年2月9日(火)付
踏鞴と書いて「たたら」と読む。昔、足で踏んで溶鉱炉などに空気を送る送風機のことを言った。転じて「たたらを踏む」
は空足(からあし)を踏むこと。段差のある場所で見当を誤り、よろけた経験は誰にもあるだろう。
車のブレーキを踏んでも利かない感覚は、「たたらを踏む」のに近いだろうか。1秒前後の利きの遅れとはいえ、
違和感に運転者があわてれば、事故につながりかねない。あると思って踏んだ地面がなかった。大仰だが、
ブレーキが利かないとはそんな印象である。
人気車種プリウスのブレーキの問題で、トヨタがとうとう国交省にリコールを届け出るという。全車の無償修理であり、
欠陥を認めることでもある。発覚以来、不具合ではなく「運転感覚の問題」で片付けようとする姿勢に批判が高まっていた。
ひと月ほど前の小欄で、プリウスの成功を「一流の技術陣がアクセルを踏み込んだ時の馬力を思う」と書いた。
組織にも「心技体」がある。技は一流でも、心や体が覚束(おぼつか)なければ信頼はついえてしまう。
「不良品にはならなくても、『こんなものを納品したら会社の恥だ』と妥協しない人と、『まあいいや』と見逃す人とでは、
ネジの出来がまるで違う。ネジが積まれた山をひと目見たら美しさが違うんですわ」。作家の小関智弘さんの
『現場で生まれた100のことば』に見つけた、あるネジ職人の心意気だ。
見事な「ものづくり魂」に比べ、不良品にあらずと言いつのるトヨタは小さく見える。守るものは体面ではなく、
お家芸の「品質と安全」であってほしい。
>>430 心技体って元々武道の言葉だろ。
>技は一流でも、心や体が覚束(おぼつか)なければ信頼はついえてしまう。
朝青龍の時と違って「大企業」には随分と手厳しいな。
ところで素粒子の下衆な表現に心が伴っているとでもいうのかね?
天声人語 2010年2月10日(水)付
ノーベル賞を受けた英国の劇作家バーナード・ショーは、嘘(うそ)か誠か、こんな逸話を残す。
パーティーの席上、とある女優に「私と結婚しませんこと」とささやかれたそうだ。
「私の容姿とあなたの頭脳を持った子が生まれたら素晴らしい」と。だがショーは「やめておきましょう」と断る。
「僕の容姿とあなたの頭脳を持つ子だったらかわいそうだ」。ブラックジョークめくが、皮肉屋の本領発揮である。
さて、この結婚がどんな果実を生むか、期待した人は少なくなかっただろう。キリンとサントリーである。
財界人も飲んべえも、それぞれの立場で注目した縁談だったが、破談になった。相整えば世界5位の
食品企業が誕生するはずだった。
昨夏に「交際」が発覚した。だが多難とも噂(うわさ)されていた。社風も違う。浪速で生まれ、
「やってみなはれ」精神のサントリーに対し、旧財閥系のキリンは重厚で手堅い。例えるなら草書と
楷書(かいしょ)か。異質が溶けあい、墨痕も鮮やかに大書される旗印が、掲げられる日はもうない
双方のファンには、持ち味の減殺を案じる声もあった。知人の飲み助は、落語の古今亭志ん生と桂文楽を
引き合いにした。融通無碍(ゆうずうむげ)な志ん生。端正な文楽。昭和の名人の芸風を双方の社風に例え、
「“古今亭文楽”など聞きたくはない」と赤い顔で力んでいた。
破談発表の夜、紅灯の巷(ちまた)はその話題に花が咲いたそうだ。経済論、文化論、カイシャ論……結婚論も
あったかも知れない。一夜の酒のサカナとなって左党のサービスにこれ努め、冬の空にはかなく消えた。
天声人語 2010年2月11日(木)付
出世作の「遠雷」も忘れがたいが、立松和平さんといえばオニオンスライスである。早大に合格して上京し、
下宿の近くの食堂へ行った。むろん懐は寒い。品書きをにらみ、一番安いオニオンスライスを注文した。
「オニオンス・ライス」、つまり玉葱(たまねぎ)ご飯だと解釈したのだった。薄切りの玉葱が運ばれたが、
おかずだと思い、ご飯が来るのをひたすら待ったそうだ。「玉葱の上にかかった花かつおが、
人を小馬鹿にしたように揺れていた」と回想している。
そんな田舎の青年が、そのまま年を重ねたような風貌(ふうぼう)だった。故郷の栃木弁が似合っていた。
玉葱の食堂では、訛(なま)りが恥ずかしくてご飯を「催促」できなかったという。だが後年はそれが持ち味になり、
語りは炉辺談話の趣をかもしていた。62歳での他界は惜しまれる。
いわゆる書斎派ではない。世界を旅し、足跡は南極にもおよぶ。知床に山小屋を構えて通いつめた。
諫早湾の干拓に物申し、鉱山開発で荒廃した足尾の山に木を植えた。自然が本来持つ「豊饒(ほうじょう)」への、
ゆるがぬ信頼が身を貫いていた。
かつて小紙に、「老後の楽しみは木を植えること」だと寄せていた。何百年も伐採しない森を作り、その木材で
法隆寺など古い寺院を未来に残したい。夢を温めていたが、人生の時間を天はもぎ取ってしまった。
冒頭の食堂に話を戻せば、立松さんは玉葱だけ黙って食べたそうだ。そして「東京暮らしはつらいな」と思う。
切ないのに、どこかおかしくて、あたたかい。そんな空気を人徳のようにまとい続けた作家だった。
天声人語 2010年2月12日(金)付
ある行為がすたれたために忘れられていく動詞がある。「くべる」もその一つだろう。漢字で書けば
「焼べる」となる。若い人はご存じだろうか。燃やすために、物を火の中に入れることを言う。
〈湯ぶねより一(ひ)とくべたのむ時雨かな〉川端茅舎(ぼうしゃ)。いまなら追い焚(だ)きボタンですむが、
「ひとくべ」の言い方を懐かしく思い出す人もおられよう。とりわけ都会は火を焚く暮らしから遠くなった。
正月の松飾りを燃やす機会がなくなり、生ゴミに出す人もいると先ごろの声欄にあった
たしかに、どんど焼きの祭事は減った気がする。落ち葉焚きは何年も見ない。もはや「絶滅危惧(きぐ)種」らしい。
童謡は歌えても、生き物のように変化し、飽きずに眺めていられる火を都会っ子は知らないようだ。
「火を焚きなさい」とわが子に呼びかける詩が、屋久島で暮らした詩人の山尾三省にある。〈やがて調子が出てくると/
ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が/いっしんに燃え立つだろう〉
〈人間は/火を焚く動物だった/だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ……〉。そして火のある所、
火を囲む行為が生まれる。〈一人退(の)き二人よりくる焚火かな〉久保田万太郎。だが、手をかざし、お尻をあぶりつつの
コミュニケーションも今は遠い光景である
囲む人々の中には、鍋奉行ならぬ「焚き火奉行」がいたものだ。生きている火は、燃やすというより「育てる」という
言い方がふさわしい。「くべる」の語とともに、奥深い技術を忘れつつあるのかもしれない。
天声人語 2010年2月13日(土)付
ロッキード事件が発覚した当初、自民党の中曽根康弘幹事長から「もみ消し要請」があったとする米側の
公文書が見つかった。内容もさることながら、表記が興味深い。言葉をめぐる日米関係の一端を見る思いがする。
文書を読むと、もみ消す意味の「HUSH UP」に続けて(MOMIKESU)と日本語のローマ字表記を残している。
この「もみ消す」は政治的陰影に満ちた要請のキーワードだ。単純に「HUSH UP」に置き換えていいものか。
訳した米側担当者は悩んだのに違いない
戦争末期にポツダム宣言を「黙殺」するとした日本の回答を思い出す。徹底抗戦派を抱えつつ終戦を模索していた
政府には、ぎりぎりの表現だったという。これが相手方には「無視」「拒絶」の意味に英訳されて伝わったとされる。
広島と長崎の惨事はそれから間もなくだった。『ベルリッツの世界言葉百科』には「この一語の英訳が違っていたら
原爆投下はなかったかもしれない」とあるそうだ。鳥飼玖美子さんの『歴史をかえた誤訳』に経緯が詳しく書かれている。
日米繊維交渉の佐藤・ニクソン会談では、「善処する」が「最善を尽くす」と通訳された。だが佐藤首相は、
「善処する」の日本的な意味どおり何もしなかった。腹芸的な言葉がまっすぐに訳されて、日米関係はこじれていった。
そしていま、鳩山首相の「トラスト・ミー」である。政治的陰影をかなぐり捨てた直球を、もみ消す術(すべ)はないようだ。
一つの言葉がときに背負う重みを、冒頭の文書から思い巡らせてみた。
天声人語 2010年2月14日(日)付
自慢話にならない限り、長老の人生論は聴くに値する。どんな人生であれ、一つをほぼやり遂げた事実が
言葉に重みを与える。80近くまで生きた江戸時代の俳人滝瓢水(ひょうすい)も、教訓めいた句を多く残した。
〈浜までは海女も蓑着る時雨かな〉は、いよいよとなるまでは最善を心がけよ、といった意味らしい。評論家の
外山(とやま)滋比古(しげひこ)さんが、近著『マイナスのプラス』(講談社)でこの句を引いて、「どうせ」の思考に
クギを刺している。
「最後の最後まで、生きるために力をつくすのが美しい……浜まで身を大切にする人は、海に入ってからも
いい働きをする」。86歳の外山さんは、「どうせ××だから」との判断は人生を小さくすると戒め、逆境や失敗を
糧にする生き方にエールを送る。マイナス先行の勧めである。
相通じる発言を本紙で目にした。「こうでなければ幸せになれない、という思い込みは捨てるべきです」。
『不幸な国の幸福論』(集英社新書)を書いた作家の加賀乙彦(おとひこ)さんだ。
日本人は他の目を気にし、世間のいう「幸福行き」のレールを外れまいとする。勢い、個は育たず、子どもは
考える力を奪われるとの見方だ。精神科医でもある80歳が求めるのは、幸福の形を決めつけないしなやかな精神。
そして、挫折も幸せの要件だと説く。年長の識者2人が、期せずして同じ助言に達したのが面白い。
バンクーバーからの映像には、準備を尽くして「浜」に立つ選手たちがいる。冬季五輪の開会式に目を奪われながら、
彼らを待つ栄光と、その何倍もの挫折に思いをはせた。
天声人語 2010年2月15日(月)付
73歳が詠むから許される句もある。〈ときめきが動悸(どうき)にかわる古稀(こき)の恋〉。全国老人福祉施設
協議会の第6回「60歳からの主張」川柳部門には約2千句が寄せられた。入賞作と、最終選考に残ったものから
紹介する。
〈掛けてきた年金実は賭けていた〉。社会へのまなざしは鋭い。〈日本発武士道にない派遣斬(ぎ)り〉。福祉政策は、
老より幼に重きを置くかに見える。そこで〈敗戦国興して老後報われず〉。
〈カラオケで美声聴かせて入れ歯落ち〉〈置き場所を思い出せない備忘録〉と、老いを笑い飛ばす自虐の句も目立つ。
〈角が取れ丸くなるのは背中だけ〉〈遼君のスイング真似(まね)て腰痛め〉など、綾小路きみまろさんの名調子で
聴いてみたい。
名刺抜きの付き合いに慣れるのもひと苦労で、〈定年前の肩書き言うな居酒屋で〉。しかし男というもの、いくつになっても
妙なライバル意識が抜けない。〈買った墓地嫌いな奴(やつ)の相向かい〉
〈新婚と思って老々介護する〉。何十年も一緒にいれば、夫婦の仲は様々だ。〈補聴器が老妻の愚痴ひろってる〉。
かと思えば〈老妻とダジャレの応酬日々楽し〉という関係も。皆が夢見る共白髪の日々にも、ふと我に返る時がある。
〈婆(ばあ)さんや茶柱立って何がある〉
優秀賞は、冷めた視線で〈喜寿祝い寿司(すし)に集まり我(わ)れ孤独〉。ごちそう目当ての親族を、声ではなく字で
チクリとやるのが老境。同様に〈子や孫が無理はするなとこきつかう〉。まあ、使う気にさせる体も素晴らしい。
万事、前向きに考えたい。〈物忘れ嘆くな頭のダイエット〉
天声人語 2010年2月16日(火)付
碁や将棋にはうといが、方寸の盤をめぐる話は面白い。平安期の説話集『今昔物語』に、あやしい碁打ち女の話がある。
天皇の碁の師でもある寛蓮という名人が、ある日、通りで少女に呼び止められる。
案内された家の女主人に対局を望まれ、気楽に打ち進めた。だが、気がつくと名人の石はみな殺しになっている。
こんなはずはない。女は何者か、と怖くなった名人は逃げ出してしまう。京の街はしばらく、この噂(うわさ)で
持ちきりになったという
東京の小学5年藤沢里菜(りな)さんの快挙を聞いて、つい、そんな話を思い出した。日本棋院の試験に見事合格し、
男も含めて史上最年少の11歳半で囲碁のプロ棋士になると、先ごろ報じられた。「小学生のうちにプロになりたいと
思っていた」と言うから、万年ザル碁の凡人は脱帽である。
将棋界では17歳の女流名人が誕生した。島根の高校3年里見香奈さんは「倉敷藤花(くらしき・とうか)」という
女流タイトルをすでに持ち、10代での二冠は約27年ぶりになる。
こちらのプロ入りは12歳だから、「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」の諺(ことわざ)を地でいく。「女流名人に
ふさわしい人になるよう、立ち居振る舞いに気をつけて棋力向上に努力したい」。当たり前といえば当たり前の抱負が、
当節、頼もしく新鮮に響く。
ところで冒頭の碁打ち女の話は、朝日歌壇の選者馬場あき子さんの『歌よみの眼』に教わった。馬場さんによれば、
かの紫式部も清少納言もかなりの碁好きだったらしい。脈々たる歴史というべきか。囲碁も将棋も、女流の伝統に咲く
新たな大輪に期待が膨らむ。
>>433 オニオンスライスのネタってさ、
ヤングジャンプのマンガ、キャンパスクロッキーの方が先じゃなかったっけ???1980年ころだけど。
>>435 読売だとナベツネとナカソネが盟友だからこんなコラムはMOMIKESUんだろうなー。
天声人語 2010年2月17日(水)付
どこの湖の冬だろう、彫刻家で詩人の高村光太郎に「氷上戯技」という短い詩がある。〈さあ行こう、
あの七里四方の氷の上へ/たたけばきいんと音のする/あのガラス張りの空気を破って/隼(はやぶさ)よりも
ほそく研いだこの身を投げて/飛ぼう/すべろう〉
昔の少年たちの歓声が聞こえるようだ。時代は違うが、この2人も冬には、氷雪と戯れる子ども時代を
過ごしたのかと想像した。スピードスケート500メートルで銀メダルを手にした長島圭一郎選手と、
銅の加藤条治選手である
長島選手は雑草タイプらしい。前回のトリノ五輪では惨敗して泣いた。「力もないのに出て、打ちのめされた。
恥ずかしくて死にたくなった」と言う。タイムより勝ち負けにこだわる哲学は、野天の真剣勝負師を思わせるものがある。
加藤選手も前回、期待されたが6位に沈んだ。その後車を買い、ナンバーを「3399」にした。世界初の33秒台への
決意というから、こちらは技を研ぎ澄ます求道の人か。どちらも恥辱と屈辱をばねに、日本勢初のメダルをもぎとった。
残念ながらフィギュアでは、ロシアに国籍を変えた川口悠子選手のペアが4位に終わった。移り住んで8年、
「ペアはロシア人の誇りなんです。それが分かってきた」と言っていた。だがスロージャンプで転んだ。
〈獲物追ふ豹(ひょう)にも似たり女子フィギュア氷上リンクの轍(わだち)すさまじ〉。朝日歌壇に載った
渕上範子さんの作だ。ペアとて同じ、そして銀盤の傷痕は栄光と悔恨の証人でもある。3位と4位の間の
非情な距離をあらためて思う。
天声人語 2010年2月18日(木)付
「春秋」とは歳月のことを言い、転じて年齢をさす。「春秋に富む」とは若くて将来が長い意味だが、
昨今はご高齢に向けて使う誤用も多いそうだ。それは皮肉かと、言われた方は面食らう。
齢(よわい)を重ねた人には「春秋高し」という言い方がある
その「高し」と「富む」が、自民党内でせめぎ合っているようだ。野党転落で檜(ひのき)舞台の減った
重鎮たちが、テレビ中継される国会審議に活路を求め、「質問させろ」とやる気満々なのだという。
いきおい若手のチャンスは減って、ぼやきの声が止まらない。
5日と8日の衆院予算委の中継時には、質問者10人のうち6人が、派閥領袖(りょうしゅう)ら当選8回以上だった。
電波少年ならぬ電波高年というべきか。「人気回復には世代交代が必要なのに、自分だけは別と思っている」と
若手は手厳しい。
たしか徳川夢声だったと記憶する。芸について、「自分と同じぐらいのうまさと思ったときは相手の方が数段上」
と言っていた。自分を見る目は誰しも甘い。年齢もしかり。自分と同じ年格好に見える人は、実際には何歳か
若い場合が多いそうだ。
自民の重鎮には、「春秋高し」ではなく、まだまだ「春秋に富む」心意気の人が多いのだろう。一概に悪いことではない。
重鎮という鍋ぶたを吹き飛ばす、若手の噴火力があればいいだけの話である。
きのうは谷垣総裁が、中継付きの晴れ舞台、党首討論に挑んだ。飛距離の出ないスキーのジャンプを見るようだった。
若手の目にはどう映っただろう。野党第1党の生命力が萎(な)えてはいないかと、気にかかる。
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自民を叩いて政権交代を煽っといて、今更「生命力が萎えてはいないか」ってアホですか。
しかし自民でもお気に入りの加藤だけはいちいち持ち上げてるのにはあきれる。
天声人語 2010年2月19日(金)付
騙(だま)し絵で知られるオランダの画家エッシャーに「滝」という作品がある。水路から落ちる水が
水車を回して流れる。流れを目で追っていくと、あれ? また同じ落ち口に戻っていく。錯覚を巧みに使い、
現実にはありえない無限連鎖を描いた傑作とされる。
ありふれた無限連鎖も人の世にはある。「今どきの若い者は……」の嘆きである。かのソクラテスも
若者に嘆息したそうだ。言われた者がいつしか言う年齢になり、生きかわり死にかわり、有史以来の
バトンリレーが続いてきた。
かつて「太陽族」があり「みゆき族」があった。五輪スノーボードの国母和宏選手の服装問題も、
逸話の一つになろう。だいぶ叩(たた)かれ、国会でも取りあげられた。出場辞退がちらつき、
本人は開会式参加を自粛した。「バンクーバー五輪外伝」として記憶されるに違いない。
多少の小言はわが胸にもある。にも増して、ひとりの若者のささいな「未熟」をあげつらう、
世の不寛容が気になった。若いネット世代からの非難も目立ったと聞く。どこかとげとげしい時代である。
皮肉屋だった芥川龍之介に一言がある。〈最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑(けいべつ)しながら、
しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである〉。だが、若い身空でその処世術にたけた人物が
魅力的だとも思えない。
「両親が見えた。応援してくれるのでうれしかった」と臨んだ決勝ではふるわなかった。8位は不本意だったろうが、
次がある。4年後に、「今の若い者は」と嘆くほど自身が老け込んでいないよう、願っている。
−−−−−−−−−−−−−−−
朝日の入社試験に腰パン・シャツ出し・ドレッドヘアで行っても受かるんですかね。
こういう「若者文化に寛容なオトナ」を演じたい人間か、TPOを本気で分かってない人間しか
こうなるまで周りに居なかったのが國母の不幸のような。
444 :
文責・名無しさん:2010/02/21(日) 17:40:06 ID:WXz2vZD10
>ひとりの若者のささいな「未熟」をあげつらう、世の不寛容が気になった。
一般論としては「若者のささいな未熟をあげつらう」のは良くない。
しかし、国母のふるまいから見て、次はもっと酷いトラブルを引き起こすかもしれない。
朝日は一般論や普遍論を振り回して、個々の特性を見ようとしない。
北朝鮮問題がいい例だ。「北朝鮮の行動をことさらにあげつらうな」
「北朝鮮を批判ばかりする風潮に危うさを感じる」と言い続けて
朝日は北朝鮮の本質を見ようとしなかった。
一般論・普遍論ならちょっと本を読みかじれば中学生でも言える。
本当に重要なのは、そこに存在する「固有の本質」を見抜く洞察力を持つことだ。
天声人語 2010年2月20日(土)付
氷がとけたら何になる? テストである子が「水になる」ではなく「春になる」と答えたという話を、先ごろの小欄で書いた。
伝聞だったので「虚実はおいて」と断ったら、子ども時代を札幌で過ごしたという60代の女性から便りをいただいた。
セピア色をした「りかのてすと」のカラーコピーが入っていた。「ゆきはとけるとなにになる」の問いに「つちがでて
はるになります」と鉛筆で書かれている。残念ながらバツをもらい、全体の点数は85点。お母さんが取り置いていたのを、
遺品の中から見つけたそうだ。
電話で話をお聞きした。子ども時代、クロッカスなどの球根を庭に植えた。春になると真っ先に球根の上の雪がとけ、
丸く小さく地面が見えた。やがて美しい緑の芽が出る。その印象が答案になったのでしょう、と話しておられた。
早春の風はまだ冷たいが、石垣りんの詩「二月のあかり」を思い出す。〈二月には 土の中にあかりがともる。
……草の芽や 球根たちが出発する その用意をして上げるために 土の中でも お母さんが目をさましている〉
植物ばかりではない。都内の井の頭自然文化園を訪ねたら、越冬中の昆虫を観察できる展示があった。
落ち葉の下や土の中に様々な命が息づいている。「お母さん」が小さきものたちを起こして回る日も、遠くはない。
テストで「春になる」と答えた人は他にもおられることだろう。きのうは二十四節気の雨水だった。水ぬるみ始めるころ。
もうひと辛抱、ふた辛抱で、幼い答えを正解とすべく、季節がめぐる。
天声人語 2010年2月21日(日)付
子どもは宝探しが大好きだ。繰り返し遊ぶうち、そこが庭なら庭を、森なら森を知ることになる。小道を抜けたら杉木立、
桜並木の裏手には小さな池というように。
年初から続く本紙の「しつもん! ドラえもん」が50回を迎えた。1面にあるクイズの答えをその日の紙面から探し、
「情報の森」に遊んでもらう試み、幸い好評と聞いた。丸っこいのが跳んだり転げたりする姿に、横の当方も和んでいる。
東京の「ひととき」欄で、埼玉県の主婦がドラえもんの効能に触れていた。教室での態度が乱れ、学校から脳波検査を
勧められた小学4年生の息子さんが、新聞を熱心にめくり始めたという。「その横顔を見るたび、私の心にかすみ草ほどの
小さな花が咲く。大丈夫。この子は大丈夫……」
興味の対象を見つけた子を、祈るように見守る親心である。多くの読者から、親子の会話が増えた、子どもが朝刊を
取りに行くようになったと、うれしいお便りが届いている。新聞が喜ばれ、併せて小さな読者を育むのなら言うことはない。
小欄も見習いたい。
22世紀からやって来たドラえもんは、腹のポケットから色んな道具を取り出し、のび太を助ける。ご近所のよしみで
質問。のぞけば文章が浮かんでくる「すぐ書けるーぺ」なんてものは……ないよねえ。
ドラえもんのせりふに〈未来(みらい)なんて、ちょっとしたはずみでどんどん変(か)わるから〉がある。作中では
楽観を戒める言葉だが、何事もあまり悲観することはないとも取れる。毎朝の問答で、一つでも多くの未来が輝きますように。
−−−−−−−−−−−−−−−
天声人語はまだだけど、朝日社説が浮かんでくる自動生成プログラムはすでにありますねw
天声人語 2010年2月22日(月)付
かぐや姫のヒット曲「赤ちょうちん」の一節にある。〈雨がつづくと仕事もせずに/キャベツばかりをかじってた……〉。
喜多條忠(きたじょう・まこと)さんの詞は、若い二人のその日暮らしをうたう。前作の「神田川」と同様、
いわゆる四畳半フォークの香りが強い。
曲中ではキャベツが貧しさを語るが、昨今、節約のシンボルは別の野菜らしい。モヤシが家計と食卓を支えていると
読める記事に、三十数年前の歌が浮かんだ次第である。
総務省の家計調査によると、2009年の世帯当たりの消費支出は2年続けて落ち込んだ。収入が減り、食費が
切り詰められる中、モヤシへの出費は07年半ばからずっと前年同期を上回っている。去年は1割を超す伸びだったという。
確かにモヤシは、みずみずしい食感、豊かな栄養価とともに、安値安定が売り物だ。とはいえ三食こればかりとはいかない。
野菜炒(いた)めのように、脇役で使われることが多い。焼きそばあたりでは、増量の密命を帯びて縁の下にもぐるような
役どころである。
作家の椎名誠さんに、健康診断で痛風の恐れを言われ、モヤシ料理にはまる作品がある。この野菜を愛(いと)おしむ
「私」は考える。〈野菜炒めだけでなく、モヤシが全体的にその実力のわりには軽んぜられた地位にあるのは「その安さ」と
いうことも関係あるのではないか〉
その安さから軽くあしらわれ、その安さゆえに台所のピンチを救う。脇役が活躍するドラマも悪くはないが、細身の色白が
やけに頼もしく見える目下の悲喜劇。政治という名の主役はどう眺めているのやら。
天声人語 2010年2月23日(火)付
〈江戸の敵(かたき)を長崎で討つ〉の例えは、本来は「長崎が討つ」だという説がある。江戸での見せ物興行で
大阪の竹細工が大評判を呼び、地元勢は面目をつぶされる。ところが長崎からのガラス細工がさらなる人気を博し、
江戸の職人たちも留飲を下げた、との由来である。
外国に開かれた長崎は先取の地でもあった。「長崎で討つ」となるとその意味は消え、意外な場所や筋違いのことで
恨みを晴らす例えとなる。だが、これは筋違いどころか当然の報いではないか。与党が敵を討たれた長崎知事選だ。
すべての国会議員を民主党が占める長崎。自民党系の圧勝は、現政権への不満でなくて何だろう。ガラス細工の
新しさが江戸っ子を驚かせたように、参院選に先がけて風が変わったと、民主党は肝に銘じるべきだ。
本紙調査の内閣支持率は4割を切った。「政治とカネ」の当事者が十分な説明を怠ったままなのに、党内から
批判が聞こえてこない不思議に、無党派層の離反は加速する。改革を見守りたい層の我慢も限界に近い。むろん、
審議拒否に出るようでは自民党の支持率も上向くまい。
冒頭の「長崎が」説を付した小学館の「ことわざ大辞典」に、〈長崎の怖い雑魚〉という古語があった。遠隔地の
不案内と、イワシなどの「小合(こあい)雑魚」をかけた言い回しで、何ともいえぬ恐ろしいことの意味だという
自民はイヤ、民主もダメの政治不信。そのうち選挙も納税もばからしくなって、日本社会から活力がますます
失われていく。そんな展開こそ、いま一番の「怖い雑魚」である。
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そもそも「世襲」「金持ち」をキーワードに安倍、福田、麻生をこき下ろしておいて、
世襲で金持ちの鳩山を「華麗なる一族」と持ち上げるマスコミは何なのよと。
天声人語 2010年2月24日(火)付
ビートルズの解散から40年になる。メンバー個々の活動が目立ち始めたのは1968年だった。
別れを意識した4人は69年夏、有終の美を飾るべく最後のアルバム録音に臨む。「アビーロード」だ。
広報担当の著作によると、プロデューサーのジョージ・マーティンはこの傑作をこう評した。「A面はジョン、
B面はポールと僕が望むようになった」。それは、ジョン・レノンに始まりポール・マッカートニーで終わった、
とも語られるバンドの歴史に重なる。
先ごろ、アルバムが制作されたロンドン北部のスタジオが売りに出ると報じられた。ところが「売らないで」
の声がわき起こり、所有者のEMIグループは売却を断念したと伝えられる。
ビートルズの曲の9割がここで録音された。4人が横断歩道を渡ってスタジオを去る有名なジャケット写真は、
解散を暗示するものと話題になった。周りにはファンの姿が絶えない観光地である。資金難の会社は
巨万のブランド価値に注目したが、「史跡」とあっては換金しづらい。
稀代の感性が生み出した自在の曲想は、この場で形を整え、人類が永久に楽しめる「音の世界遺産」になった。
4人の活動は実質7年。彼らの才能、友情、不和のすべてを見届けて、スタジオはなおそこにある。
ゆかりの地にも染みわたる伝説の重さ。最後のシングルにどうにか間に合ったビートルズ世代の端くれとしても、
感慨深い。「どれだけ大切な資産なのかを痛感した」という関係者の言を信じよう。願わくばレット・イット・ビー、
あるがままに。
天声人語 2010年2月25日(木)付
その結晶の麗姿から、雪には「六花(りっか)」の異称がある。大気中のちりに水の分子がつき、六方に伸びてゆく。
ゆっくり成長した結晶ほど、大きく美しい形になるという。バンクーバーの氷上に、4年待たされた二輪の花が
並んで咲いた。
冬季五輪の女子フィギュア。ショートプログラムで、韓国の金妍児(キム・ヨナ)選手が首位、浅田真央選手が
2位につけた。ともに10代半ばから世界で争いながら、前回トリノは年齢制限などで出場できなかった。
以来、技と美を六方に伸ばし、初舞台でまみえる結晶二つである。
先に滑った真央さんの曲は「仮面舞踏会」。ポーズをとって、曲が始まる前に4回まばたいた。仮面も緊張までは
隠せない。しかし、勝負のトリプルアクセルが成功すると、社交界にデビューする少女の生気が戻った。
続いて登場した妍児さんは「007」。少し背伸びをしてボンドガールになりきり、妖(あや)しく、なまめかしく舞い切った。
この競技、スポーツであり芸術であり、何よりショーなのだと得心した。
二人は、誕生日が20日違うだけの19歳で、国際大会での成績は伯仲している。両親と姉1人の家族構成も同じ、
背格好までそっくりだ。妍児さんは、真央さんのことを「もう一人の私」と表現してもいる。
できすぎた背景と展開に彩られて、めったにないライバル物語がいよいよ佳境を迎える。その結末は
期待の真綿にくるまれ、あすのフリー演技へと大切に運ばれた。フィクションでは再現しえない熱狂と鼓動が
二人を待つだろう。だから、「4年に1度」はたまらない。
天声人語 2010年2月26日(金)付
日本の自動車史で初の純国産といえるのは、トヨタ自動車が1955(昭和30)年に出したクラウンだろう。
3年後には、左ハンドルにして米国に輸出された。だが、パワー不足のうえ壊れやすいと不評を買い、
退散の憂き目に遭う。
以来半世紀、「TOYOTA」は信頼のブランドに育った。その頭上に輝く「品質の王冠(クラウン)」が今、
ずり落ちかけている。冠を両手で支えるようにして、豊田章男(とよだ・あきお)社長が米議会の公聴会に出向いた。
トヨタ車の不具合をただす、自動車の国の「お白州」である。
「すべてのトヨタ車に私の名がついている。お客様に安心してほしい気持ちは誰よりも強いのです」。眼鏡の奥の、
少しおびえたようなまなざしは、誠実さゆえと受け止められただろうか。
この国の自動車は日々の生活に欠かせぬ移動手段だ。技術陣には言い分もあろうが、自らの「足」に裏切られた
米国民の怒りは想像に難くない。航空にせよ食品にせよ、客の命を預かる企業はつくづく怖いと思う。
品質に失望したユーザーらの言動は、この上ない逆宣伝となる。
ホンダを興した本田宗一郎は、社名にわが名を冠したことを生涯悔やんだ。片や豊田喜一郎は同族経営の
米フォードに親近感を抱いていたという。その孫の章男氏は、一つ間違えば世襲をとやかく言われるハンディを負う。
公聴会は政治ショーのにおいが強いが、トヨタの振る舞いには日本ブランド全体の信用がかかっている。社長以下、
いく重もの緊張感を信頼回復のバネにしていくしかなかろう。冠を頂く者の宿命である。
天声人語 2010年2月27日(土)付
映画インディ・ジョーンズのシリーズに、暗黒の谷に架かる見えない橋を渡る場面がある。
〈勇気を示せ〉という指南に従い、神を信じ、己を信じ、主人公は虚空に大きく左足を踏み出す。
彼女も自分を信じ、左足で踏み切ったに違いない。
冬季五輪の女子フィギュアで、浅田真央選手が3回転半ジャンプをすべて成功させて銀メダルに輝いた。
期待と注目度からして、勝っても負けても、国内的には「真央の五輪」になるとわかっていたバンクーバー。
重圧の下での健闘である。
緊張によるこわばりを、ご本人はかつて「試合になると心に橋が現れる」と表現した。高くて細い、透き通った橋。
そこから落ちるというより、足が宙に浮いて力が入らない感覚だという(宇都宮直子著『浅田真央、16歳』)。
小学4年で5種の3回転を、中学2年で看板となる3回転半を跳んだ。小枝のような体つきが少し大人びても、
脇を締めて回転半径を抑え、この大技に挑み続ける。猛練習で見えない橋に打ち勝ち、自己ベストの点数で
極限の谷を渡り終えた。
ただそこには、ひと足先に世界最高得点で渡りきった金妍児(キム・ヨナ)選手がいた。頂点を目ざしてきた
真央さんには悔しさもあろうが、相手が完璧(かんぺき)に演じたのだから仕方がない。試練から逃げず、
ライバル物語に花を添えた二人に拍手を送りたい。
タラソワコーチは、真央さんのことを「神様からの贈り物」という。逸材は、日本女性のたおやかさを存分に
見せてくれた。鮮烈、良質なドラマを残し、時差17時間の氷上にも春一番が吹き抜けた。
天声人語 2010年2月28日(日)付
北国のある地方では、立春のあと初めて雪を交えず雨だけが降る日を「雨一番」と呼ぶそうだ。
足踏みして春を待つ、2月の紙上の人と言葉から。
「遠野物語」発刊から100年の岩手県遠野市。名所のカッパ淵で、運萬(うんまん)治男さん(61)は
カッパの「守り人」を任じる。遠野の人は実際の出来事にカッパをからませて暮らしを伝えてきた。
「カッパはいるとかいないとかいうもんでなくて、一人ひとりの気持ちの中で会うもんなの」
秋田県では、国の重要無形民俗文化財のナマハゲが近年おとなしくなった。荒々しさが消え草食系の
新世代が目立つそうだ。民俗学が専門の東北芸術工科大学の赤坂憲雄・大学院長(56)は
「現代人は祭りのパワーを上手に使いこなす知恵を失いつつある」と案じる。
「ゲド戦記」の翻訳で知られる児童文学の清水真砂子さん(68)が青山学院女子短大を去る。最終講義で
「すぐれた子どもの文学は、苦しくても生きてごらん、大丈夫と背中を押してくれる。みなさんもそんな一人に」
本紙俳壇の選者金子兜太(とうた)さん(90)が毎日芸術賞の特別賞を受けた。贈呈式の挨拶(あいさつ)で
「講評にある句〈男根は落鮎(おちあゆ)のごと垂れにけり〉は自分のことを書いたのであります」。
「私のにはまだ落ち鮎程度の実体感がある、と。そのことを申し添えたい」に会場は大笑いとなった。
九十翁の悠々たる貫禄(かんろく)である。
その金子さんが先ごろの本紙俳壇で選んだ一席に、足立威宏さんの〈里芋といふ極上の土食らふ〉。
生かされてある実感は尊い。芋ばかりでなく人も味わいを増す。
天声人語 2010年3月1日(月)付
ポーランドのノーベル賞詩人シンボルスカの詩集『終わりと始まり』から一節を引く。〈またやって来たからといって/
春を恨んだりはしない/例年のように自分の義務を/果たしているからといって/春を責めたりはしない〉
そして続く。〈わかっている わたしがいくら悲しくても/そのせいで緑の萌(も)えるのが止まったりはしないと……〉。
訳者の沼野充義さんによれば、夫の死を悼んだ詩だという。自然は色をかえすのに人は戻らない。命あふれる春にこそ、
悲しみは募るのだろうか。
大切な人を亡くした深い悲嘆と、それを乗り越えていく体験を小社が募集したら、5056編が寄せられた。
審査の下読みに加わって何編かを拝読した。ともに生きた日々への感謝がある。悔やみきれない思いも残る。
上手も下手もこえて、幾度も読み返させられた。
うち153編を収めた『千の風になったあなたへ贈る手紙』(朝日文庫)が近く発売になる。「息子よ。私も、お父さんも
泣くまいと思ったのです。悲しんだら、あなたは、親不孝者になってしまうから」と59歳の母は語りかける。
「葬儀から帰って洗面所を覗(のぞ)くと、今はもう主の居ない化粧水の壜(びん)が空(むな)しく並んでいました。
『さよなら』と言いながら全部を流しました。コポコポと泣いていました」。だが79歳の夫は再び前を向いて歩き出す。
亡き妻への手紙は「もう大丈夫」と締めくくられている。
悲しみの荒野にも緑の芽は吹く。春を喜べる日がきっと来る。空を渡る風の励ましが、胸に染みるような一冊である。
天声人語 2010年3月2日(火)付
たび重なるつらい経験から、三陸地方には「地震=津波」の教えが染みついているという。だが、50年前の
チリ津波は勝手が違った。前触れとなる揺れがなかったこと、むくむくと高潮のように寄せてきたことだ。
未明に津波を目撃した漁師は「海が膨れ上がって、のっこ、のっことやって来た」と語っている(吉村昭著『海の壁』)。
近海で発生した過去の津波が一気に突進してきたのと違い、引いては寄せる周期が長かった。干上がった海底で
魚を取る子など、間一髪の話が残っている。「のっこ、のっこ」の怖さだろう。
再びチリで起きた大地震で、三陸海岸などに大津波警報が出た。その名も恐ろしげな警報は17年ぶりだという。
太平洋に沿った鉄道は止まり、全国で150万人が避難を促された。
NHKは当然としても、東京マラソンの中継、アニメ、CMまでが、警報を伝える列島の地図入りで放送された。
防災大国の入念な態勢は、幾多の犠牲と引き換えに築き上げたものだ。気象庁は「過大な予測」をわびたが、
逆に間違えるより余程いい。
津波は飛行機の速さで太平洋を渡ってきた。海を介して、どの国もつながっていると実感する。天災に国境はない。
人間社会のはるか前からグローバルなのだ。だからこそ、「対岸の遠き隣国」に急いで救援の手を差し伸べたい。
防災とは、まだ見ぬ破局に備えることをいう。地球はいま、天変地異ばかりでなく、ともに挑むべき緩慢な危機に
満ちている。温暖化、海洋の汚染、資源の枯渇。厄介な「のっこ、のっこ」である。
天声人語 2010年3月3日(水)付
雪と氷が舞台ゆえに、札幌も長野も、冬季五輪の記憶は決まって白地によみがえる。浅田真央、上村愛子、
小平奈緒、チーム青森……。女子ばかりで恐縮だが、選手団の帰国を節目に、バンクーバーの興奮も白い紙に
包んで胸に納めよう。
金メダルなしの戦績には、それぞれ思いがあろう。橋本聖子選手団長は「国の支え」を訴えた。選手たちにも
「国家事業として五輪に臨むという姿勢を再確認してほしい」と伝えたそうだ。
「銅を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」。東京都知事の石原慎太郎さんは、ご本人言うところの惨敗に
あきれ、「国家の心意気」を求める。「国家という重いものを背負わない人間が、いい成績を出せるわけがない」と。
国を挙げての育成や強化はいい。ただ、五輪が国威発揚の場になっては、最高レベルの肉体の競演に水を差す。
日の丸に燃えても、背負って押しつぶされては元も子もなかろう。ほどほどに国を意識する、しなやかな精神がほしい。
ロシア代表としてフィギュアのペアに出た川口悠子さんは、日本国籍を捨ててまで夢を追った。「日本のためとか、
ロシアのためではなく、自分が好きだから滑っています」と話すのをテレビで見て、爽快(そうかい)だった。
真央さんは「金妍児(キム・ヨナ)選手には現役を続けてほしい。やはり一緒に試合に出て、しっかりと勝ちたい」と語る。
私たちが心に刻むのは、個々の選手の笑顔や涙、正直な言葉である。オリンピックは国家間ではなく、選手間の競争だ。
日の丸は、白い思い出に透けて見えるくらいがいい。
457 :
文責・名無しさん:2010/03/04(木) 00:17:12 ID:mQrqDdAl0
>>456 新聞不信/五輪でも出た朝日の「日の丸」嫌い
http://www.excite.co.jp/News/magazine/MAG6/20100225/104/ 五輪報道で露呈。やっぱり朝日は日の丸が嫌いだった?
http://netadane.net/?p=1299 ところが本日(2月25日)に発売された『週刊文春』によれば、朝日新聞では、これら日本人
メダリストが日の丸を掲げた写真を、一度も掲載していたいのだとか。
これって一体どういうこと?
先日の高橋大輔選手の銅メダルを例に挙げると、各新聞は以下のように掲載したとのこと。
【読売新聞】日の丸を手に笑顔を見せる高橋選手の特大カラー写真を、トップ記事の中に掲載。
【産経新聞】同じく、日の丸を手に、観客に答えた場面の写真を掲載。
【朝日新聞】表彰台の上でメダルを掲げる高橋選手の写真を掲載。
【毎日新聞】銅メダルを誇らしげに観客に見せる高橋選手の写真を掲載。
ちなみに朝日も毎日も、国旗国歌法案や学校で国旗掲揚に反対した新聞とのこと。
これは単なる偶然か?
それとも、意図的に日の丸を避けたのか?
朝日新聞朝刊は2月21日現在までに、1面に日の丸を手にした写真は、一度も掲載して
いないのだそうです。
ところで、朝日新聞は18日の夕刊で、女子滑降でワンツーフィニッシュを決めたアメリカ選手の
写真を掲載しています。
そのときは、堂々と両選手が星条旗を振っているカットが掲載されたとのこと。
星条旗ならよくて日の丸はダメなの?
【論説】 「今回の五輪、『日の丸』意識薄らぐ…ボーダーレス化、歓迎すべきことだ。五輪では国は深い意味合い持たない」…朝日新聞
http://yomi.mobi/read.cgi/newsplus/tsushima_newsplus_1267006640/
458 :
文責・名無しさん:2010/03/04(木) 00:19:49 ID:mQrqDdAl0
>>456 「選手間の競争」だというなら、国が金銭面で支援するのはおかしいだろ。
天声人語 2010年3月4日(木)付
カクテルは酒や果汁を混ぜて作るが、中には混ぜるべからずの変わり種もある。リキュールなどを
比重の大きい順にそっとグラスに注ぎ、色違いの層を重ねる「プースカフェ」だ。好みの層をストローで飲む、
いわば胃の中で完結する一品である
これを、上からしか見えない湯飲みでこしらえたらどうだろう。今の民主党である。外見は最近つぎ足された
「オザワ」なる強い酒一色。そこに、そういえば下のほうに「旧社会党」という古酒があったっけ、と思い出させる
事件が起きた
北海道教職員組合の幹部らが、先の衆院選で民主党候補に違法な資金を出していたとして、札幌地検に
逮捕された。さらされたのは、金も人も労組丸抱えという昔ながらの実態だ。
片や小沢幹事長の資金問題は自民党の臭(にお)いが強い。何のことはない。55年体制は政権党の中で
生きていた。「○○党的なもの」が半端に混ざり、しかも互いの旧弊を競っているかにさえ見える。有権者は、
正体不明の液体を一口で飲めと言われているようなものだろう。
今週号の週刊朝日で、識者が「民主党バブルの崩壊」を論じている。東大教授の御厨(みくりや)貴(たかし)さんは
「民主党に期待していた票が引きこもり、参院選の投票率は大きく下がるかもしれない」と、変化を望んだ国民の
白けを案じる。
カクテル専門書によると、作り損ねたプースカフェほどみじめな飲み物はない。腹に収まれば同じと言われようが、
怪しげな酒を前に飲んべえだって引きこもるしかない。このまま選挙のカウンターに出しては客に失礼である。
−−−−−−−−−−−−−−−
中身を見せずにひたすら「自民は賞味期限切れ、もうこのカクテルしかない」と湯飲みを演じたマスコミ。
はじめは政権交代という勝利の美酒に酔っていた信者も悪酔いして、とにかくジミンガーとクダをまくばかり。
天声人語 2010年3月5日(金)付
川崎洋さんの詩に「夏の海」がある。大自然との会話を子どもたちに説きながら、こう結ばれる。〈それから/
あの星とこっちの星とむこうの星と/勝手に結んで/きみだけの星座をつくるといい〉。どうにでもなる未来。
それこそ、10代までの特権だろう。
それがどうも怪しい。就職という大人への入り口でひとたびつまずくと、起き上がりにくい社会になってきた。
それも、景気の巡り合わせ、親の収入といった本人の力が及ばぬところで、未来が狭まりかねない。
大卒ばかりか、高校卒業予定者の就職内定率が芳しくない。昨年末で75%、沖縄や北海道では5割前後だった。
とりわけ、家計の事情で大学や専門学校への進学をあきらめた未内定者は、背水の陣を破られた思いだろう。
授業料を払えない生徒も増えている。滞納ゆえに卒業できなければ就職どころではない。職探しの厳しさとあわせ、
卒業クライシス(危機)と呼ぶそうだ。働く貧困層へと続く道である。彼らが10年後に「貧乏な親」になれば、
貧困が再生産される。
自分を磨く時間が4年ある大学生と違い、原石にすぎない18歳にまで新卒での一発勝負を強いるのは酷ではないか。
10代で先が見えてしまう国に、輝く未来があろうはずもない。国や自治体の音頭で敗者復活の仕組みがほしい。
むろん、一度や二度の失敗でふさぎ込むことはない。人生の残り時間が長いのは、それだけで大きな財産だ。
くじけそうになったら、若さという星から夢という星に、まっすぐ、太い線を引き直そう。何度も、何度でも。
天声人語 2010年3月6日(土)付
自然界などで、ささいな変化が重大な結果をもたらすことを「バタフライ効果」という。チョウの羽ばたきによる
空気の震えが、巡り巡って地球の反対側で気象異変を引き起こす、との例えらしい。
嵐を呼ぶかどうかはさておき、チョウが飛ぶ様はどこか神秘的だ。昔は霊魂と結びつけて語られた。
風に任せているようで、時に意思のようなものがのぞく。捕まりそうで、捕まらない。〈めちやくちやに手をふり
蝶(ちょう)にふれんとす〉山口青邨(せいそん)
「チョウ小型センサー」と題する記事を読んだ。東京大学の研究チームが、チョウの羽に検出器をつけて
飛翔(ひしょう)の仕組みを調べているそうだ。センサーは1ミリ四方。シリコンの薄板のたわみで、羽にかかる
空気の圧力を測る。
クロアゲハで実験したところ、飛び上がる時には通常の飛翔の倍の力がかかっていた。センサーの重さは
チョウの0.15%というから、人ならミカンを持ち歩く感覚だろうか。トンボでも試し、虫が飛ぶ様子を解明したいという
俳句の世界では、出が遅い大型のアゲハは「夏の蝶」とするそうだ。単に「蝶」といえば、これからの季題である。
モンシロチョウは菜の花やキャベツ畑の上を、ポカポカと弾むように漂う。〈初蝶の触れゆく先の草青む〉野澤節子
チョウの古名は「かわひらこ」とか。楽しげに舞う姿を目に浮かべれば、その語感にひざを打つ。この虫が呼ぶべきは、
やはり嵐より春である。きょうは、冬ごもりの生き物がはい出るとされる啓蟄(けいちつ)だ。行きつ戻りつ、ひと雨ごとに
季節のページがめくられる。
天声人語 2010年3月7日(日)付
子どもを連れた母親が危険に直面したときにとる姿勢は、日本と米国で異なるらしい。日本のお母さんはたいてい、
わが子を抱きしめてうずくまる防御姿勢をとるのだという。
これに対し、アメリカの母親は、まず子どもを後ろにはねのけ、敵に直面して、両手を広げ仁王立ちになるそうだ。
歴史学者だった会田雄次の著作を引いた『ことばの四季報』(稲垣吉彦)から孫引きさせてもらった。
民族、文化的背景の考察はおいて、どちらの姿も、本能ともいえる親の愛の表れに違いはあるまい。
危険からわが子を守るどころか、自らが鬼畜となって子を死なせる虐待が、この国で後を絶たない。
「死なせる」と書いたが、実情を聞けば「殺す」にも等しい。奈良の智樹くんは、食べさせてもらえず、
5歳なのに体重は6キロしかなかった。
4歳で死亡した埼玉の力人くんは、「お水をください」と哀願する声を近所の人が聞いていた。肉体の苦痛はむろん、
恐怖と絶望はいかばかりだったか。短い命が不憫(ふびん)でならない
俳優の加藤剛さんの随筆を読んでいたら、幼いわが子を肩車する場面があった。父の額をしっかり押さえる
小さな手を「若木の枝で編んだ桂冠(けいかん)」にたとえている。栄誉の冠を戴(いただ)いて、父親たる加藤さんは
「凱旋(がいせん)将軍のごとく」歩を進めるのである。
愛された記憶が、愛するという資質を耕す。親から子への豊かな申し送りがいま、揺らいでいるようにも思われる。
虐待という危機には、地域と社会が両手を広げて仁王立ちになりたい。命が奪われてからでは総(すべ)てが遅い。
天声人語 2010年3月8日(月)付
四季折々の詩を残したが、山村暮鳥といえば「春の詩人」だろう。のどかな牧歌を思わせるその詩群に
「郊外小景」という一編がある。遠くに見える山なみは雪で白い。だが、よく見ると、山かげから一すじの煙が立っている
〈おや、あんなところにも/自分達(たち)とおなじような/人間がすんでいるのだろうか/それなら/
あの煙のしたには/鶏もないているだろう/子どももあそんでいるだろう……〉。煙の立つところ、人の営みがある。
いまは「何軒」と呼ぶ家の数を、昔は「何煙」と数えたこともあったと、民俗学の柳田国男が書いている。
「くべる」という言葉が死語になりつつあると先ごろ書いたら、多くの便りを頂戴(ちょうだい)した。かつて火を焚(た)く
ことは身近だった。深い郷愁を年配の方々はお持ちのようだ。
勤めから帰った遅い風呂は、いつも母親が薪をくべてくれたと懐かしむ人もいた。松飾りを庭でくべて
「小さな小さなどんど焼き」を毎年します、という文面もあった。ガスの青い炎にはないぬくもりを、くべるという行為は
包んでいるらしい。
蕪村の〈春雨や人住みて煙壁を洩(も)る〉を思い出す。つましい山家で柴(しば)をくべている。壁のすき間から
煙がもれ、芽吹きの細い雨にたゆたう様は、暮鳥の詩とどこか響きあう。一幅の絵を見るような名品である。
「くべる」への郷愁を懐古趣味と笑うなかれ。人が生きるための技術でもある。便りには、マッチを擦ったことのない
若者がいて驚いたというのもあった。何かの折に困りはしないだろうか。老婆心がふと頭をよぎる。
天声人語 2010年3月9日(火)付
冬季五輪のテレビ解説に引き込まれて、カーリングという競技の楽しさを教わった。ストーンを投じるたびに
形勢が動き、打つべき手が変わる。赤い石の優勢を黄色の一投が覆し、黄の支配を赤の一撃が崩す面白さ。
ミリ単位の偶然が勝敗を分けもする。豪快にして繊細、心技体に加えて知が欠かせない。「一石を投じる」と
いうが、氷上のチェスでは、一石が水面どころか状況を一変させる。
一つの石が、惑星の未来を変えることもある。恐竜を絶滅させたとされる小惑星の衝突について、12カ国の
共同研究チームが「間違いなし」と結論づけた。各地の地層を詳しく調べた結果だ。6550万年前、
直径10キロ以上の小惑星が今のメキシコ東部に超高速でぶつかったらしい。
直径200キロほどの衝突跡が確認されている。衝突でマグニチュード11の大地震、高さ300メートルの
津波が起きたという。数字はどれも想像を絶する。大気中に飛び散った粉じんが太陽光を遮り、寒さと食料不足で
多くの動植物が絶えた。巨体ほどもろかった。
小さな動物はこの試練を生き延び、やがて、進化の枝先から転げ出た人類がこの星の支配者となる。
小惑星が地球をそれ、恐竜が健在だったらと考えてみる。ヤリと弓矢のご先祖様は天下を取れたろうか。
大宇宙に思いをはせれば、心技体も知も及ばぬ偶然に生かされていると感じ入る。恐竜の全盛に終止符を
打ったのは、ただ一つの小惑星だった。つい、おごれる者は久しからずの戒めが胸をよぎる。
二つ目はいつかと気をもんでも仕方ないのだが。
天声人語 2010年3月10日(水)付
14年前の朝日小学生新聞に、1年生の短い詩がある。〈ようちえん/にゅうえんしきで/ぼくがなき/
そつえんしきで/ママがなく〉秋元健太。短歌にも足らない30字で、自身の成長と親の愛を余すところがない。
卒園式で父母を泣かせてきたのが「思い出のアルバム」だ。〈いつのことだか/おもいだしてごらん……〉。
顔中を口にして歌う子に苦労を重ね、母親や先生方の涙腺は緩む。NHK「みんなのうた」で全国に広まった
80年代には、9割の卒園式で歌われたという。
東京都調布市の常楽院に歌碑がある。元住職で、幼稚園を開いていた本多鉄麿が作曲した縁だ。作詞は、
墨田区で保育園長をしていた増子とし。こちらはクリスチャンだった。
珠玉の合作が生まれたのは1957年。おそらくは保育研究会の場で「異教」が出会い、立場を超えて
子どもの門出を祝いたいとの思いが結実した。四季の回想を連ねた詞は冬だけ二つある。お寺や神社系の園のため、
クリスマスに触れないものを用意したと聞く。
半世紀前の歌づくりには、次代を担う子どもへの愛情がにじむ。いわば玄人の愛である。片や、
親は育児の素人から危なげに出発し、わが子については誰よりも通じたプロになっていく。卒園式や卒業式は
両親の成長の節目でもあろう。
泣き笑いを重ねて迎える親子のひと区切り、そして新たな旅立ち。薄桃色の日ざしの中で、それぞれの心の
アルバムに育ちの跡が刻まれる。泣いてよし笑ってよしの集いによって、この国の春はほどよく厳かな、
晴れの季節になる。
天声人語 2010年3月11日(木)付
若手芸人のネタに、バス停を毎日少しずつ動かし、2年で家の前まで持ってくるというのがあった。
「武勇伝」をまねる気はないが、大雨の日は戸口からバスに乗りたくもなる。バスから電車に乗り継ぐ人は、
バス停が駅ならいいのにと思うだろう。
現実には、駅が乱立することはない。停車してばかりの路線では交通が滞るし、そもそも建設費が許さない。
ところが、空に目をやれば採算そっちのけの「我田引港」が続く。乱立のトリを飾って、国内98番目の茨城空港が
きょう開港する。
定期便はまずソウル、次いで神戸に1日1往復ずつ。成田や羽田が近すぎ、客足を案じる大手の航空会社は
飛びたがらない。首都圏三つ目と言えば聞こえはいいが、バス停に電車をとめた印象はぬぐいがたい。
自衛隊の基地に滑走路を足した共用空港だ。税金の無駄と言われた静岡より安上がりだし、旅客ターミナルも
倹約を旨とする。だが、格安航空会社とチャーター便が頼りでは先の需要が心細い。
国土交通省によると、08年度の利用実績が過去の予測に届いた空港は、羽田など8港だけだった。
見通しの半分にも満たないところが33ある。空港欲しさゆえ、あるいは滑走路を増やすため、計画に合わせて
予測をこしらえたらしい。
茨城も、年81万人の当初予測に対し20万人そこそことされている。空港近くに住み、韓国や神戸にちょいちょい
行く人にとっては、戸口からバスが出るような便利さに違いない。そのバスはしかし、ほとんどの納税者を素通りし、
イバラの道を行くことになる。
天声人語 2010年3月12日(金)付
政治家の言葉が干からびて久しい。見ばえと、聞こえのいいトークが重んじられる昨今だ。30年前、
現職首相のまま逝った大平正芳さんは逆だった。風姿は鈍牛に擬せられ、口を開けば「アーウー」でも、
弁舌に知性が感じられた。
論敵だった共産党の不破哲三氏は「国会での答弁にしろ、討論会での発言にしろ、議事録を起こして
アーウーを抜くと、きちんと筋の通った文章になっている……なかなか信頼できる協議相手でした」と回顧している。
経済から文化重視へ、地球社会への貢献など、示した未来図も真っ当だった。性に合わない壮絶な派閥抗争が
命を縮めたが、評価は没してなお高い。きょうが生誕100年にあたる。
池田内閣の外相時代、ライシャワー駐日米大使から朝食に誘われ、核持ち込みの解釈が日米で違うと知る。
これをぐっと腹に納めて「暗黙の合意」が成立した。それでも急死する直前まで、真相の公表を何度か試みたという。
「密約」の存在は終生、心のトゲだったに違いない。
首相時代に官房副長官で仕え、師と仰ぐ自民党の加藤紘一氏は「思索の人」と評した。ある時、理想の国土を
説いたそうだ。「地方都市が栄え、町はずれの鎮守の森から祭りばやしが流れる」。田園都市構想の原風景だろうか。
経済や社会の不備を家庭が補えればと念じながらも、「望ましい家庭のあり方を政府が示すのはよくない」と
クギを刺した。言葉の数々をたどれば、日本と日本人への抑えの利いた信頼に行きつく。今や消え入りそうな
「良質の保守」をそこに見る。
天声人語 2010年3月13日(土)付
江戸川柳に〈箱入りにすれば内にて虫がつき〉がある。大店(おおだな)の主人は、娘が悪い男に
たぶらかされないかと気が気でない。なるたけ外に出さずに育てたら使用人と恋仲になった、というお話だ。
蝶(ちょう)よ花よと大切にされるほど、子は世間に疎くなる。陰から見守りながら、少しずつ風に当てていく
案配が難しい。虫がつく程度ならいいが、命にかかわる「箱入り」もある。
佐渡島の保護センターにいたトキ9羽が、テンに襲われ死んだ。秋の放鳥に備え、えさ取りや飛び方を
学んでいた一群だ。テンは夜陰に紛れて訓練ケージに忍び込んだ。池や木を配したケージは広いが、
暗闇で飛べないトキはパニックに陥ったらしい。外敵を知らない「愛児」たちの災難に、飼育員らの落胆いかばかりか。
幸い、これまで野に放たれた30羽の大半は元気で、つがいもできそうだ。センターには卵から育てたトキが
まだ100羽ほどいる。放鳥計画を練り直し、野生復帰に挑み続けてほしい。
佐渡のテンは、苗木を食べる野ウサギの天敵として、半世紀前に持ち込まれた二十数匹を祖とする。
箱入りだろうが特別天然記念物だろうが、腹ぺこで獲物に遭えば襲うのが野の掟(おきて)である。修業中のトキに
すれば、野生からのとんだ「出張指導」だった。
テンの駆除を求める声もあるが、もとよりこの小動物に罪はない。あの一匹は闇に身を潜め、野ウサギを食べたら
益獣、トキを殺せば害獣という「人の掟」に小首をかしげていることだろう。万物が動き始める早春、
生きとし生ける物たちの哀れがしみる。
天声人語 2010年3月16日(火)付
ハトは生まれて半年もすれば成熟し、年に十数個もの卵を産み始めるそうだ。強い繁殖力
は都市のハト害の背景でもある。かと思えば、「チェンジ」の多産を期待されながら、
なかなかその気配のないハトもいる
鳩山政権の半年である。日米密約の解明など、変化の卵も何個か転がり出たが、
ため息はその何倍も出た。鳩山首相と小沢幹事長が招いた失地は、もはや醜聞の
主が代わるまで戻るまい。民主党内は息苦しさで満ちている
財政赤字に切り込む前に、ばらまき政策に突き進むのも気がかりだ。早晩、消費税の
引き上げが浮上しよう。普天間の先は見えず、景気が劇的に上向く気配もない。なのに、
首相には危機感やリーダーシップが見えない
そんなこんなで、発足時に70%あった内閣支持率は半減した。期待で水ぶくれした
支持がはがれ落ちている。そいつをいただこうと、この間まで大臣だった自民党の
面々から新党の誘いが止まらない。首相の弟さんがそうであるように、こんな時、政治家は
妙に生き生きする
さて「失望」の受け皿は、再びの自民党か、それを割って出る勢力か、はたまた野党
第2党をうかがう「みんなの党」か。いやいや、大量棄権という「げんなりの党」かもしれない
英国の思想家、カーライルの金言に〈経験は最良の教師である。ただし授業料が
めっぽう高い〉がある。授業料を議席で払う政党はまだしも、国民にはここで勉強している
余裕はない。歴史的な政権交代を痛い経験で終わらせては、この国はまた何年かを
失うことになる。
>>469 >歴史的な政権交代を痛い経験で終わらせては、この国はまた何年かを失うことになる。
マスコミもその何年かを失わせた当事者という自覚はないんだろうなあ。
しかし自民でこの状況だったら「政治とカネ」「任命責任」「早く解散を」と大騒ぎしたろうに、
マスコミの皆さんも大人しいことで。
天声人語 2010年3月17日(水)付
初代林家三平さんに、三軒並んだラーメン屋の小咄(こばなし)がある。右端が「日本一うまい」と
看板を出すと、左端は「世界一」できた。困った真ん中のおやじ、寝ないで考えたのが「入り口はこちら」。
そんな爆笑王の高座を思い起こす異聞が、福岡から届いた。
博多ラーメンの「元祖長浜屋」は、麺(めん)だけのお代わり、替え玉発祥の店として知られる。
袂(たもと)を分かった元従業員らが昨年末、向かいに「元祖ラーメン長浜家(け)」を開いた。4月には、
そこの一人が「元祖長浜家」を近所に出すという
三つの「元祖」がトンコツで競うことになる。あつれきを承知でそう名乗るからには、あとの二つも
腕に覚えがあるのだろう。三平師匠ならずとも「もう大変なんすから」である。
麺とスープ、具だけの作りなのに、ラーメンほど深く研究されている外食はない。職人たちは独自の味を
追い求め、行列のできる店がテレビや雑誌で紹介される。食べ手にも、一口すするだけでダシを当てる
達人がいる。
行列の元祖といえば、つけ麺を考案し、業界で神様と呼ばれる大勝軒(たいしょうけん)(東京)会長
山岸一雄さんだろう。理想の一杯を素朴に語っている。「毎日食べても飽きがこなくて体にもいい。
成長期の子どものための栄養満点のスープであったり……」。鬼の異名をとるラーメン店主、
佐野実さんとの対談だ。
元祖を争う伝統と、目新しさを競う情熱、そして神も鬼もいる話題性が、この国民食の爛熟(らんじゅく)を
支えているらしい。どんぶりの中に広がる、数百円の小宇宙よ。日本人の舌は、つくづく勤勉だと思う。
天声人語 2010年3月18日(木)付
まず、場所がよろしくない。中東のカタールといえば、日本サッカー史の語り草「ドーハの悲劇」の舞台である。
同名の痛恨が、今度は水産史に刻まれるかもしれない。
大西洋クロマグロをワシントン条約で保護する動きが、ドーハでの締約国会議で山場を迎えた。絶滅の恐れが
認められれば、輸出入が禁じられる。当たり前に市場に出ていた魚が、いきなりパンダやジュゴンの仲間入りだ。
「最後の手段」が出番を間違えた風でもある。
批判の的は、天然の幼魚を一網打尽にし、いけすで育てる蓄養だ。脂が乗りやすい蓄養マグロは大半が日本向け。
国内には在庫が十分あり、同種はわが太平洋にもいるが、いずれ品薄と高騰が心配される。卵からの完全養殖が
穴を埋めるのはまだ先だろう。
ビジネスと天然資源の間合いは難しい。目先のもうけに皆が突進すれば、枯渇という仕返しに遭う。トロより赤身が
好きなへそ曲がりとしては、高速で回遊する天然物を細く長く楽しみたい。
すし職人の小野二郎さん(84)が、『すきやばし次郎 旬を握る』(文春文庫)で、マグロの「甘酸っぱい香り」
「押しつけがましくない甘みと渋み」の由来を語っている。「大海原を泳ぎ回る巨大な赤身魚の血がもたらす香り、
そして味なんですね」と
口からエラに抜ける海水で呼吸するため、マグロは泳ぎ続けないと死ぬ。巨体が命がけで蓄えた自然の恵みを、
ありがたく、節度を持って味わうのが人の道かと思う。ワ条約による「別件逮捕」の当否はさておき、
漁を控える勇断はあってもいい。
天声人語 2010年3月19日(金)付
桃太郎はイヌ、サル、キジを引き連れて鬼退治に向かう。ある目的のためにチームができ、
各自が持ち味を生かして大願を成す筋立ては、活劇の王道であろう。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」、
黒澤明の「七人の侍」など、傑作は数知れない。
目ざす世の中を胸に、苦難を越えて突き進むのは政党も同じである。無論、金やポストの「きび団子」に
釣られた仲間もいる。民主党の冒険ドラマは、鬼が島に着いてからが締まらない。宝の山で寝ているなら、
次の桃太郎が取りに行くだけだ。
ところが、次になるべき自民党がいけない。きび団子が尽きて支持団体は遠ざかり、離党議員は元大臣を
含めて6人を数える。新党という脱出ボートが出たり引っ込んだり、余計なことで騒がしい。
かつての社会党を見るようだ。党勢が衰えると党名を変え、さらに小さくなった。政権を追われた自民党も、
「和魂党」や「自由新党」をまじめに考えたらしい。賞味期限が切れたのは当事者がよくご存じだ。
保守合同で汗をかいた三木武吉は、結党後の演説で訴えた。「旧態依然たる民主党と自由党を解体して、
寄せ木細工式に自民党と名づけただけだ……政党を若返らせなければならぬ」。だが、その党は寄せ木のまま
長期政権にあぐらをかき、見放された。
こんな逆境こそ観衆を熱くする見せ場なのに、新たな物語に踏み出すどころか一人抜け、二人去り。
桃太郎の旅を逆回しで見せられているようだ。そのうち桃の中に閉じこもり、どんぶらこと川上に消えかねない。
まじめにやってほしい。
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御高説を垂れるのも結構だけど、政権与党もマスコミも自民を批判してりゃいいという
「甘えの構図」から抜けられなければ、賞味期限切れと見放されるだけでは。
天声人語 2010年3月20日(土)付
日本で携帯電話が広まるのは1990年代後半だ。〈ホームの公衆電話に長い列〉といった手記を読み返し、
普及率が10%に満たない「携帯以前」の凶事を実感した。地下鉄サリン事件から15年になる。
一報は8時9分、茅場町駅からの119番「お客さんがけいれん」だった。八丁堀、築地、神谷町と、
日比谷線の各駅から救急要請が相次ぎ、東京消防庁は大混乱に陥る。3路線5本の電車を襲った毒ガスで
13人が死亡、約6千人が負傷した。
「どれほど息苦しかったのか、主人のことを考えるとき、私は呼吸を止めてみることがある。このまま死んでも
いいと思うことさえある」。霞ケ関駅助役の夫を亡くした高橋シズヱさん(63)の記だ。被害者の会代表としての
日々を顧みた著書『ここにいること』(岩波書店)にある。
21歳で心身をボロボロにされた女性は、退院後も窓から白煙が忍び込む夢にうなされた。現場に居合わせた
己を責め、自殺を考えた。でも高橋さんの陳述を聞いて甘えに気づいたという。「少なくとも私は、大事な人を
一人も失っていない」と。
後遺症に苦しむ人、職場で孤立し、仕事を辞めた人もいる。そして、なお続く教団、裁判、賠償交渉。数え切れない
人生を狂わせ、オウムによる無差別テロはまだそこにある。
億万の涙に換えて、犯罪被害者の扱いは改善された。だが、人の不幸にますます鈍い世である。1人1台の
携帯が車内を「個室」にしたように、つながりより閉じこもりが優勢だ。あの日に共有した恐怖と怒りだけは、
歳月から守りたい。
天声人語 2010年3月21日(日)付
きょう春分の日は彼岸の中日になる。寒から暖へ転じる候だが、きまって思い出すのは正岡子規の
〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉である。母の言葉をそのまま一句に仕立てたそうだ。さすがの自在さである。
敬意を表して、彼岸の入りに東京・田端にある墓所を訪ねてみた。母八重の墓と並んでうららかな日を
浴びていた。隣には、生前に自ら書いた墓碑銘を刻した碑がある。「……明治三十□年□月□日没ス
享年三十□月給四十圓(えん)」。なるほど、□の部分は生きているうちは分からない。給金を記した墓というのも
随分と珍しい。
こうした、歴史上の人物の墓めぐりが、いま静かな人気なのだという。愛好者を指す「墓マイラー」なる
言葉も生まれている。そのための地図を作った所もある。子規の親友だった漱石が眠る雑司ケ谷(ぞうしがや)
霊園もその一つだ。
地図を頼りに訪ねると、文豪の墓は堂々としていた。多くの有名人にまじって大塚楠緒子(くすおこ)の墓も
見つけた。詩文にたけた才女で、早世を悼んだ漱石は〈有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中〉の名高い句を
詠んでいる。
一説、漱石が思いを寄せたともされる楠緒子は今年で没後100年になるそうだ。漱石の「夢十夜」が
ふと胸に浮かんだ。「百年待っていて下さい」と言い残して死んだ、作中の有名な「女」が重なり合う。
墓マイラーもなかなか面白い。
きょうは代々の墓にお参りの方もおられよう。有名人でもご先祖様でも、墓はいつもどこか懐かしい。
聞こうと心する耳には届く。そんな言葉で昔を語ってくれているからかもしれない。
天声人語 2010年3月22日(月)付
弥生や花見月といった温雅な呼び名を持つけれど、ひと皮むけば三月の本性は荒々しい。
冬の寒気と春の暖気がぶつかり合って、思わぬ嵐を各地にもたらす。「三月は獅子のようにやってくる」。
英国のことわざは、そのまま日本にも当てはまる。
三月は気分屋でもある。どっと南風が吹き込んだかと思うと、返す刀で北風が荒(すさ)び、大雪を
降らせたりする。そんな気まぐれを対馬あたりでは「手のひら返し」と呼ぶそうだ。春突風、春疾風(はやて)、
彼岸荒れ……。春の嵐を表す言葉は多彩だ。おとといから昨日にかけて、連休の列島を駆け抜けた。
東京や千葉では30メートルを超す風が吹いた。明け方にはごうごうと空が鳴った。鉄道は止まり、
飛行機も欠航が相次いだ。安全優先は当たり前だが、足止めに泣いた人はやりきれない。
静岡県では野焼きの3人が火に巻かれて亡くなった。これも「凶風」のせいらしい。筆者にも経験があるが、
ゆっくりと野を焼く火も、風が吹くと突然あらぬ方へ走り出す。火と風の相性への油断が、どこかに
あったのかもしれない。
気象学者、関口武さんの『風の事典』によれば、日本には2千を超す風の呼び名がある。多くが死語に
なりつつあるのは、暮らしが自然から離れたためらしい。野焼きに限らず、風の名は忘れても、風の恐ろしさを
忘れてしまってはなるまい。
春の嵐のあとは、西風に乗って黄砂が飛来した。大陸で舞い上がる黄砂は年に2億から3億トンというから
風は侮れない。身も心もざらりと不快にする迷惑千万な客に、何か手はないものか。
天声人語 2010年3月23日(火)付
聞いて慰められる人は多いかも知れないが、たばこをめぐるこんな迷言がある。「禁煙はわけなく
出来ることだ。すでに千回はやってみた」。手元の本によれば米国の作家マーク・トウェインが
発言主となっている。
ほかにも歴史上の人物が似たことを言っているらしく、禁煙の試みと失敗の多いことを物語る。先ごろの
報道によればオバマ大統領も同じ轍(てつ)を踏んでいるらしい。「必死の努力を続けている」と去年言っていたが、
まだ煙と縁が切れないようだ。
吸うことを喫煙と言い、好きな人を愛煙家と呼ぶ。たばこと煙は一心同体、切り離せないと思っていたら、
火を使わず煙も出ないたばこが登場するという。日本たばこ産業(JT)が5月に、まずは東京で売り出すそうだ。
香りを楽しむ「嗅(か)ぎたばこ」の一種だという。紙巻きたばこに似た形で、ニコチンは軽いたばこの
20分の1程度になる。吸う本人の健康リスクはあるそうだが、煙で他人に迷惑はかけない。それが売りである。
〈嫌煙の鬼にもなれずオフイスの窓少しあけ烟(けむり)逃がしむ〉中島央子。いまや立場は逆転し、
職場禁煙は加速している。とはいえ飲食店は多くが例外だ。客はいやなら席を立てるが、従業員には
つらい人も多いのではないか。
仮に政府が薦めても防塵(ぼう・じん)マスクなど使えまい。窓を開けて煙を逃がすのは客の手前
はばかられよう。「せめて無煙たばこを」が今後、嫌煙派の従業員や客の声になるやも知れない。
無煙がひいては禁煙の成功を呼ぶなら、JTはいざ知らず、ご本人にも悪いことではない。
天声人語 2010年3月23日(火)付
人生には二つの穴があるという。お金を入れる穴と、出す穴だそうだ。多くの人は、入れる穴の直径より、出す穴を小さめにして暮らしているのだと、人間通で知られた文学者の高橋義孝が書いている
▼世間には、入れる穴を広げる金もうけこそ人生だと考える人がいる。片や、出す穴をできるだけ大きくして、お金を使うのが人生だと考える人もいる。人生色々だが、入れる穴が小さいのに、出す穴ばかりが大きければ、これは早晩行き詰まる
▼さて、この国の穴はどうだろう。きのう成立した新年度予算の一般会計総額は過去最高の92兆円にのぼる。だが税収は37兆円。入れる穴は出す穴の半分もない。新規の国債は44兆円。借金が税収より多いのは、当初予算では戦後初という。数字はどれも空恐ろしい
▼今日をしのぐ借金は、子や孫の代を質草にした借り入れだ。いきおい次世代は、先の難儀を予想して身構える。ある大学生調査では、退職後に頼れるのは「貯蓄など自助努力の資産」だと3分の2が答えていた。「公的年金」は2割に満たなかった
▼若者に老後を聞くのも無粋だが、退職後の生活費の準備をいつから始めるかも聞いたそうだ。8割が学生時代から30代までにと答えたという。何だか彼らに申し訳なくなる
▼国家財政の話ではないが、あれやこれやと事を後世に押しつける風潮に、明治の毒舌家斎藤緑雨はかみついた。「なりたくなきは後世なるかな。後世はまさに、塵芥(じんかい)掃除の請負所の如(ごと)くなるべし」。ツケを回さぬための議論は、もう待ったなしである。
…昔の人の発言とはいえ、
「なりたくなきは後世なるかな。後世はまさに、
塵芥掃除の請負所の如くなるべし」
などとなんのフォローもなく引用したのでは、
清掃業者への職業差別だろ。
>>478 3月23日ではなく、3月25日の天声人語でした