●● 秦郁彦氏を語るスレ2 ●●

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107名無しさん@お腹いっぱい。
>>106 (続き)

だいぶ前、『週刊読書人』に、中国から引き揚げて来たある日本人が、満州の学校で中国人の
級友から、「俺たち中国人は同じ中国人同士でもときどきわからなくなるが、お前ら日本人は
底抜けに単純なんだな」と言われた体験談を書いているのを読んだことがある。
西尾も以前、『諸君!』に寄稿した論文で、ナチスの迫害を逃れ、欧州から日本を経て米国に
渡ったユダヤ人科学者の日本人評として、「ある日本的単純さ」「日本人はまだ認識の木の実を
食べたことがない」と書かれている文章を紹介したことがある。また西尾は、人間理解において、
青年期の文学作品の読書体験の重要性を指摘したこともある。
結局、秦は「人のいいおじさん」に過ぎない。知的に優秀であっても、善人はいともたやすく悪人
の毒牙にかかりがち。悪を的確に見抜くには、自分自身も同じ悪の意識を心奥に飼っている必要
がある。古代スパルタでは、兵隊の試験をする際、泥棒のテストをしたという。なぜなら、泥棒が
うまい奴は戦争で役に立つから。人間の能力とは知能だけではない。戦争を中心とする歴史は、
ある意味、人間の最高レベルの悪が織り成すドラマであり、その理解には悪人の素質が不可欠
だが、秦にはそれがない。彼は『ラーベ日記』を真に受け、ラーベを善人だと思い込んだレベル。
まさに小林よしのり以下。秦の限界は、国際政治における日本人の限界をも示しているだろう。

危機克服の基本的姿勢 日本と欧米の違い
http://www1.ocn.ne.jp/~s-shiga/verdad06_97.htm