旧日本軍の「濾溝橋事件」の方がえげつない

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1文責:名無しさん
近衛内閣が登場してから1ヶ月後の1937年(昭和12年)7月7日、北平(北京)郊外の濾溝橋で日中両軍の小さな衝突があった。
これがその後日中全面戦争に発展する発端の「濾溝橋」事件である。
義和団事件をきっかけに日本軍は
1901年以来北平に駐屯軍を置いていた。
7月7日の衝突は歩兵第1連隊第3大隊の
第8中隊(清水節朗大尉以下135名)が

濾溝橋近くで夜間演習を行っているときに起きた。
濾溝橋の近くには宛平県城があり中国軍が駐屯していた。
この両軍が接近したなかで数発の銃声が響く。
点呼をとると日本兵1名がいなかった。
このため第3第隊長一木清直少佐は部隊を出動させた。
しかし、この不明の日本兵は行軍中に道に迷い、
のち部隊に帰還している。
このため日本軍は中国軍の不法射撃を問題にして陳謝を要求した。
歩兵第1連隊長の牟田口廉也大佐は一木第3第隊長に攻撃命令を出した。
第3大隊は宛平県城近くの龍王廟に駐屯する中国軍の攻撃にかかった。
8日と9日の戦闘で12人の戦死者が出た。これが日中戦争の発端である。
たしかに柳条湖事件のような大がかりな謀略で発生したものではなかった。
この不明兵士の問題が解決した後に戦闘が発生した理由は、
牟田口廉也連隊長や一木大隊長が、軍の面目・威信にこだわり、
不法射撃の中国軍に対して一撃をかませてやろうとした
日本軍指揮官の思い上がりと浅はかさの産物であった。
実際、牟田口廉也はその後1944年に司令官として
無謀なインパール作戦を強行して失敗し、ビルマからインド東北部で
大多数の将兵を死なせている。
一木清直もガダルカナル戦で1大隊で同島奪回のために
アメリカ軍1師団と闘って全滅し、自決した猪突猛進型の将校であった。
●この事件での日本軍のえげつなさは以下の通りである。
現地での停戦協定が成立して中国軍の謝罪と宛平県城からの
中国軍の撤退、
および日本軍の濾溝橋からの撤退が決定していたにも関わらず、
近衛内閣は派兵を承認し、濾溝橋事件を中国の
計画的武力抗日であるとした。
これは中国民族への侮蔑意識があり、
中国ナショナリズムへの軽視があった。
しかし、中国は西安事件を境に抗日民族統一戦線を形成しつつあり、
日本軍はこれ以後泥沼の日中戦争へと引き込まれていった。
2文責:名無しさん:01/10/01 10:45 ID:ChgcFgTk
今日も変わらず工作活動お疲れさまです
3文責:名無しさん:01/10/01 10:45 ID:QeI/GguU
日本人がバカ
4文責:名無しさん:01/10/01 10:46 ID:ChgcFgTk
>>3
うんうん、出身地と出自と現在の加入団体教えて。
5文責:名無しさん:01/10/01 10:51 ID:/I5BcwwI
>>1
は、なぜこの事件起こったのか知ってるのかな?
結局サヨ思想が引き起こしたのに。
6文責:名無しさん:01/10/01 14:53 ID:aLEcgIjI
その根拠の説明希望>>5
7正直名無しだが:01/10/01 14:55 ID:v1L6Xj1o
当時の日本の良し悪しでレッテル張りするな。
今の日本は専守防衛国家。いまさら干渉してくるな。
8文責:名無しさん:01/10/01 15:07 ID:.WBza15c
それより1よ、出身地と現在の加入団体教えてくれよ。
9正直名無しだが:01/10/01 15:10 ID:v1L6Xj1o
>>8 どうせ「市民団体」だし、下手に突っ込むとケサレルカモヨ
10文責:名無しさん:01/10/01 17:10 ID:hKF8NUAI
>>6
首謀者がアカにかぶれてて(大正デモクラシー)、中国共産党のふがいなさに
政府を無視して行動した説のことでは?
11文責:名無しさん:01/10/01 19:39 ID:iPCfKKSE
1は濾溝橋事件で日本軍・国民党軍の両者に発砲したのは中国共産党だと
いうことをしらんのか?
事件当時、日本軍は実弾演習をしていなかったし国民党軍の数は日本軍の
10倍近くいたし、この事件自体わりと早期に沈静化したんでしょ。
日中戦争の引き金はこの事件よりむしろ第二次上海事変だと思うのだが。
12文責:名無しさん:01/10/01 19:54 ID:MNA49/gA
>11
いや、むしろ通州事件がきっかけだと思ったが。
13文責:名無しさん:01/10/01 20:00 ID:q1YT4cjk
だから板違いだって・・・
14文責:名無しさん:01/10/01 20:06 ID:GlOCIhyA
国民党支配地域で活動してた劉少奇(後の中共国家主席で、毛沢東に
文革で打倒されて1969年に虐待のうちに死亡)たちが発砲した。
15>>14:01/10/01 20:13 ID:25xDa/.w
極東軍事裁判では共産党「桑畑三十郎」説を裏付ける旧海軍の
無線傍受記録は証拠採用されなかったと聞きましたが?
そのあたりの詳細が載っている本、ありますか?<劉少奇発砲・紛争下手人説
16NNS:01/10/01 20:22 ID:iOrgboik
 ところで1よ ’の方がえげつない’と言うが、何と比べて’えげつない’のか書いてないぞ。
もしかして論破されるのが怖いのか?
17朝詩新聞:01/10/01 22:34 ID:OdLdPF4w
彦星と 棚機津女と 今宵逢ふ 天の河門に 波立つなゆめ(柿本人麻呂)
18文責:名無しさん:01/10/01 22:38 ID:aLEcgIjI
その不明兵士って、便所に行ってたんだろう?
現場の指令官や牟田口は、中国と戦線を構えたくて口実を見つけて
たんだろう。今回の米国のように。
19ウマー:01/10/01 22:50 ID:MQtvCnow
ねえねえ、そんな事よりチベットについて話そうよ
20 :01/10/01 23:36 ID:uHBCXtaE
>>1
baka
21ぺきんぱあ:01/10/01 23:48 ID:OdLdPF4w
「戦争の放棄を放棄する」
「戦争の放棄を保持しない」
「戦争の放棄を認めない」究極の護憲論ここに完成!!
「平和憲法」万歳!!
22文責:名無しさん:01/10/01 23:51 ID:qbspRV/k
え?共産党の謀略だろ?
うまいことやったよねー。
23文責:名無しさん:01/10/01 23:59 ID:aLEcgIjI
22は「しか」さんですか?
19と22の二人揃って一人前=馬鹿
24文責:名無しさん:01/10/02 00:04 ID:8wr.m53U
>>15  >>18
文芸春秋1953年5月号
    1970年5月号
    1988年8月号
中央公論1978年8月号
丸   1997年12月号
葛西純一「新資料蘆溝橋事件」
中国人民解放軍総政治部発行「戦史政治読本」

読んでからそう言う寝言をいえ。
25>>1:01/10/02 00:11 ID:L.DZzZbs
ハァ?
26@22:01/10/02 00:33 ID:O44cHp6U
>>1
当時日本軍は国民党軍と和解の動きもあったが、共産党軍にしてみると
それは困る。
日本軍と国民党軍が戦って共倒れするのが一番いい。
発砲は中国共産党によるもの。
まんまと踊らされた日本と国民党軍。
日本は敗戦、国民党軍は台湾へ逃れた。
そして、共産党は見事に中国を支配した。
27原妖狐:01/10/02 00:36 ID:u0WCY0jE

なんか関係ないこといってるう。>>1
28文責:名無しさん:01/10/02 00:43 ID:imU1hy1s
お前らの愛読誌「正論」に、法眼晋作が書いているようなことは、
なかったと言いたいわけだ。
29文責:名無しさん:01/10/02 00:51 ID:yLJv0EPA
>>1
多分ネタなんでしょうね。
一応事実を書いておきますね。
蘆溝橋事件は共産党の謀略でした。

我が国は事件発生当初から不拡大方針をとり現地部隊は数度の不法
射撃に対しても、7時間にわたって一発の応射もせずに隠忍自重(いん
にんじちょう)を堅持しました。
又政府も陸軍中央も現地解決を期待して、3週間不拡大方針に基ずい
て事態の推移を注視し続けましたが、中国側の度重なる停戦協定違反と
背信に、7月28日遂に開戦に踏み切り翌29日平津地方に進攻したのです。

蘆溝橋事件の経緯。日本軍は支那軍の四度に渡る攻撃、七時間を堪えた。
後になって劉少奇(リュウショウキ:中国共産軍)がスターリン(ソ連)の
命令で俺がやったと名乗り出ました。
共産党軍の兵士向けのパンフレットには、
「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって
行われたものである」 とはっきりと記述されていました。
又、昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、
「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方
に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我
々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」 と発言しています。
共産党自らが「自白」しているのですから、これ以上の証拠はありません。

 中共政権が支那本土を掌握した時(1949年10月1日)、中華人民
共和国宣言の際)周恩来首相は誇らしげに言ったのです。
「あのとき(支那事変勃発時)我々の軍隊が日本軍と中国国民党軍
(蒋介石軍)の両方に(夜暗にまぎれて)鉄砲を撃ち込み、日華両
軍の相互不信を煽って停戦協定を妨げたのが、我々(中国共産党)
に今日の栄光をもたらした起因である」
 動向5月号1539号「唐沢」を嗤って過ごせるか 参照

 戦史研究家 山内一正
30文責:名無しさん:01/10/02 01:02 ID:mc5q7dk.
>>1
あの、中国側は、停戦協定に反して、郎坊事件(7月25日)、
広安門事件(7月26日)を引き起こしていたのは御存知ですか?
31文責:名無しさん:01/10/02 01:02 ID:O44cHp6U
>30
もったいぶらずに教えてちょ。
32文責:名無しさん:01/10/02 01:10 ID:EToTonm.
今チベットで虐殺を行っている中国の方が100倍えげつない
33文責:名無しさん:01/10/02 01:19 ID:o1UR/V2Y
>>31
軍用電線工事中などに攻撃された事件等。
34文責:名無しさん:01/10/02 01:21 ID:8i9rCNvo
昭和12(1937)年7月7日の深夜盧溝橋(ろこうきょう)で、中国側の
了解を得て日本軍が演習をしていました。
中国へ日本軍が駐屯していたのは、侵略の為ではありません。
清国が各国に対して(我が国も含む)駐兵権を認めていたのです。
その駐兵権に基づいて駐屯していたのです。日本人(当時朝鮮人を
含む)を守っていたのです。
その当時蒋介石軍と日本軍は親しくして何ら争いがなかったのです。
深夜突如として日本軍と蒋介石軍に不法射撃をして姿を消した者があ
ったのです。
両軍は互いに相手を疑い戦争が起きました。後になって劉少奇(リュ
ウショウキ:中国共産軍)がスターリン(ソ連)の命令で俺がやったと
名乗り出ました。これが支那事変となり、大東亜戦争にまで発展した
のです。
35文責:名無しさん:01/10/02 01:24 ID:C1jdLoqI
 「ニューヨーク・タイムズ」アーベント特派員の記事
 「日本ハ第一次上海事件ヲ繰リ返スヲ好マズ、忍耐、隠忍以テ、極力
 事態ノ悪化ヲ防止セント努メタルモ、支那ニ於ケル外国権益ヲ渦中ニ
 引キ込ムヲ企図シタル支那人ニ依リテ、文字通リ戦争ニ押シ込マレタ
 ルナリ。」
36文責:名無しさん:01/10/02 01:31 ID:yI0VB472
日本政府は真摯かつ不断に、「慎重な世界的平和の精神と相和する
真実な平和政策」をとっていたのである。
「日本はその歴史のこの段階において数々の実例をもって、平和への
意志をきわめて印象的に示した」。
「すなわち日英同盟の失効の甘受、ウラジオストックおよび青島からの
軍隊撤収の決定、1924年の挑発的な米国移民法にたいする日本の威厳ある
自制、またとくに銘記すべきさい、たとえば1927年の南京不法事件の時、
日本側はその自衛については米英いずれよりも遥に非闘争的であって、
中国の挑発にたいしてことさら報復手段をとらなかったことである」。

幣原および井上のような人物の政治手腕は、「およそ人間としてできる聡明
な処理」の模範と考えられていた。
日本の歴史上この段階において、日本は真実の平和政策を遂行していた
だけでなくまた隣接諸国家によっても、これを遂行しているものと認められ
ていた。

「共同研究 パル判決書」
37文責:名無しさん:01/10/02 01:33 ID:yI0VB472
しかし、こういった政策が通用するような世界状況ではなかった。
リットン報告においても、「実績はなはだ貧弱なりしやの観ありたる対中国
幣原「協調政策」」と言われている。
また、パル判決書でも
(略)ワシントン会議以来十年間、日本政府が採用していた進路から、日本
の外交政策の方向を偏向させる要因となったのである。
「幣原および井上のような人物の政治的手腕中に示されているような、およそ
人間としてできる聡明な処理は全世界にわたって大規模に作用していた集団
的社会勢力の動きによって水泡に帰した」(略)
「多年にわたる世界不況の過程における経済的圧迫の仮借なき強化に悩まされ
て」日本人はついにかれらの一貫した工業的ならびに商業的発展を行おうと
するにあたって、従来採用してきた政策に幻滅を感じた。
彼らが従来行ってきた政策は、日本の力の及びがたい人間的な力だけでなく、
さらに同じように「人間の力も及びがたい非人間的な力によって、破滅の
運命にある」と見られたのであって、よかれあしかれ日本人は、この政策
を維持することによって「経済分野でかれらの国家的生活手段を得ようと
する試しみを続けることに絶望した」としている。
だからこそ、日本国民は満州事変や太平洋戦争開戦に歓声を挙げたのである。
つまり、大熊信行の言うように、「軍国主義というものは、一部少数の軍人
の中にのみあったのではない。われわれ日本人のほとんどすべてにおいて
あったものなのだ」(戦争体験における国家)
と、言うことである。
38ぺきんぱあ:01/10/02 04:24 ID:xW5Qw7v6
彦星の 妻迎え船 漕ぎ出らし 天の河原に 霧の立てるは(山上憶良)
39名無しさん:01/10/02 04:32 ID:4T0zhjW6
いまだに濾溝橋事件の原因は日本軍にあると思ってる奴がいるとは
40文責:名無しさん:01/10/02 04:36 ID:iWntCL/E
盧溝橋事件
41文責:名無しさん:01/10/02 10:03 ID:wPv/J4Jo
教科書では、日本の方になっていたと思うのだが。
42文責:名無しさん:01/10/02 10:19 ID:epVTZtpY
日本史か世界史板の方がふさわしいと思う >> 1
43文責:名無しさん:01/10/02 10:21 ID:lDPOj4Io
>41
サヨ執筆者は、明らかに中国・韓国側の視点で記述してます。
なのに、国民は「新しい歴史教科書」は批判しても、ほかの教科書は批判
しない。
おかしな国民ですよね。
44@名無しさん:01/10/02 10:30 ID:snTeHMxQ
この板の住民の大半は歴史問題の細部にはしろうとだ。
戦うつもりなら、舞台は別にある。
武蔵、小次郎も街中で決闘はしない。
どちらが先に撃ったかというような問題は軍事板が得意。
政治的背景は日本史板がむいている。
45文責:名無しさん:01/10/02 10:41 ID:2j3HyBSk
軍事版はいいが・・・日本史板は・・・政治的背景を語れるのか?
46文責:名無しさん:01/10/02 10:43 ID:epVTZtpY
>>43
あの時はプロとセミプロの市民が張りきっていた
よねぇ。
47文責:名無しさん:01/10/02 12:37 ID:GUWYUzjU
>>24 >>29
そうですか。勉強になります。
48文責:名無しさん:01/10/02 13:24 ID:wchry05k
どうでもいいが何故「蘆」溝橋事件だと誰も突っ込まないのか?
間違った字をコピペしている小学生もいるようだし。

それと、葛西手記なんてトンデモ本を鵜呑みにしている君、イタイよ。
49ネタだけど..:01/10/02 14:16 ID:74q8okzE
日本陸軍最大の悪行..それは戦争末期に行われた大陸打通作戦です。

国民党もたいがいだが、中共の政策で何千万という罪なき人民
が屠殺された。中共が天下をとり人民を圧迫したからです。
その原因は日本軍が太平洋方面で敗北を重ねている状況で、無
謀な作戦を実行し、国民党軍主力に壊滅的な打撃を与えたこと
により、共匪の跳梁跋扈をまねいたことにあります。

国民党軍が弱体化しなけりゃ、日本軍が降伏した際にスムーズ
に正当な機関に引継ぎができるし、匪賊がデカイ顔をしてもす
ぐに殲滅できた筈でしょう。

とはいえ、中華民国政府による赤匪討伐を避けるために、愛国
者のふりして煽動を行った中共のこと、どうこうあがいても、
罪なき人民が共匪に屠殺されるという運命から逃れる術はなか
ったし、現に屠殺されまくったのです。

日本軍の無駄な行動のために中国の方々にご迷惑をおかけしました。
心からお悔やみ申し上げます。 そしてごめんなさい。

よく、中国政府発表の戦争犠牲者数の改竄に文句を言う奴が
いますが、要は大躍進と文革の犠牲者も日本のせいで死んだ
のと同義なののですから、後から死者数が激増するのは当然
なのレス..
50文責:名無しさん:01/10/02 14:57 ID:S9n42osA
>>49
ネタにしてもつまらんし馬鹿馬鹿しすぎるよ
51文責:名無しさん:01/10/02 15:32 ID:nqDuyekU
>>49
オマエのような人種が日本からいなくなれば、早期に日中友好は実現するのだ。
52名無しさん:01/10/02 16:17 ID:nxeiI4AE
縦読みage
53名無し:01/10/02 20:30 ID:POfCcoj.
>1 中国人の宣伝だ。
1936年12月それまで敵対していた蒋介石と毛沢東が日本を支那本土の戦争に
引きこむことで合意。西安の国共協力だ。
以後上海でナチスドイツ顧問団の指導で対日戦用のコンクリート陣地建設開始。
1937年7月8日、日本国際守備軍の夜間演習中に中国側から機銃掃射。
現地停戦。
1937年7月29日、北京近郊の通州で中国軍日本人婦女子幼児など大虐殺。
1937年8月12日、上海で中国軍20万以上が日本人居留民を奇襲攻撃
日本は救出に軍隊を派遣。
1937年12月、日本は70万以上の敵を破って首都南京を征服。
日本は講和を求めたが蒋介石拒否。となり太平洋戦争に向う。

これが経過だ。
ろこう橋の日本軍は、他の米国、英国、フランス、イタリアとともに駐屯する
国際守備隊だった。義和団事件の被害で清朝と条約を結び駐屯していたのである。

ということで、ろこう橋事件は、蒋介石の支那事変に至る対日挑発事件の一つだった。
共産党と国民党はすでに対日協力体制にはいっていたのである。
54こんな感じか?:01/10/02 23:37 ID:T2R3qqzc
当初は国民党も楽勝と考えてたようだな。
圧倒的兵力、世界中から集めた兵器、軍事顧問の適切なアドバイス。
勝つ筈だ、負けられない..国内の自称愛国者は反日を叫ぶ

本来なら上海の日本人は全滅してあたりまえだったろうに。
租界防衛の兵隊はよくがんばったと思う。
市街戦そして何重もの塹壕を超えていった。そして大部隊到着、南京へ...
外国はなぜか中国の暴挙を傍観、それどころか英国は反日を煽る。
香港以西は日本側のニュースはろくに届かなかった。盧溝橋事件の経緯など
知る由もなく世界輿論は硬化した。

上海で勝てると思ってた、国民党はさんざん反日を煽ったので今更交渉
しようものなら売国奴。
日本は中国軍を打ち破ったということで勝ったと思ってる...あとは泥沼..
55文責:名無しさん:01/10/03 00:22 ID:SDbHjufY
松井石根の日記によると、どうも、南京を占領すれば、中国は降参
するだろう、と考えてたみたいだね。
首都を攻略すれば戦争は終わり、みたいな古い考えを持ってたみたい。
56ある老人のひとり言:01/10/05 09:20 ID:whju31.U
今日、朝日新聞を読んでたら一面に、
日中戦争 反省とおわび表明へ との見だし。
小泉首相は8日に行う中国の国家主席との首脳会談で、日本の加害責任を認めた95年の村山首相談話を踏襲する形で、日中戦争についての「反省とお詫び」の趣旨を自らの表現で表明する意向を固めた。
日中戦争の発火点となった北京郊外の濾溝橋も訪れ、近くにある人民抗日戦争記念館を」見学する。

実にいいことですな。
小泉君、そこで日本の加害責任をおおいに学んできなされ。
57名無しさん:01/10/08 22:08 ID:62Kkwapo
日本軍と中国共産党軍の
軍事衝突は55回あり
日本の戦績は51勝1敗3分であった。
だが終わってみれば
日本は負けたことになっている。
58文責:名無しさん:01/10/09 02:38 ID:qkq0vI.E
勉強になるスレだ。
59@@@:01/10/09 02:47 ID:jB4F2BeY
ブ左翼老人は死んだほうがいいね
60文責:名無しさん:01/10/09 02:50 ID:afzoD55M
侵略って強いものが弱い者を庇うために使う言葉だけど、
実は中国はかなーりな傲慢で強気だったんだね。
日本はよく頑張ったんだ!
61文責:名無しさん:01/10/09 02:59 ID:7n/jCHMg
日本軍って強かったんですね。ちょっと見なおしました。
中国人が日本の憲法九条のことをよく三蔵法師が孫悟空の頭に嵌めた鉄環に
喩えていますが、彼らは日本人の力を恐れているのですね。
一日も早く憲法を改正して日本が本来の力を取り戻せるといいですね。
62文責:名無しさん:01/10/09 04:32 ID:fVqOsPaQ
盧溝橋事件は劉少奇が起こしたものだろ。
いまどき知らない奴がいるのか。
63 :01/10/09 04:56 ID:R.C4JLDA
盧溝橋事件で反省とおわびすべきは中国共産党だよ。
64jj:01/10/09 05:06 ID:jB4F2BeY
>>1
ところでさ、何と比べてえげつないんだ
65文責:名無しさん:01/10/09 06:05 ID:rDzkc8pw
糞駄スレ、立てるな、上げるな、無知野郎。
66 :01/10/09 07:50 ID:mWa5FAyg
チョンしねーーーーーーーーーーーーーーーー
67文責:名無しさん:01/10/09 18:28 ID:v6KI0OpY
>>56
あの時代、どこの国も痛いのは同列。
日本だけが痛いのでないことは、認識が必要だが、
村山のように政治目的でないので、みんな冷静なのでしょう。
ましてや、靖国参拝した首相ですからね。

同列のなかで、日本があえて反省できる事も一つの価値観。
ただ、日本だけが悪としたい政治・思想家は、通用しない
時代になりつつあるのが、現実。
68名無し:01/10/10 22:30 ID:tvJ/5ME.
>1 点呼でいなかった兵隊は小便していたので、すぐに戻った。問題無し。

問題は中国軍が機関銃まで撃ちこんできたことだ。それも翌日も何度も撃ってきた。
明白な攻撃である。
日本は1900年の義和団議定書により北京に国際駐留軍に日本軍を出していた。
ほかに米国、英国、フランス、イタリア、ロシアがおのおの数千の兵士を駐屯
させていた。各国は戦車も持っていた。
その中で、日本だけを狙い撃ちしたのである。
それは既に1936年12月の国民党と共産党が協力して日本を攻撃する
密約が結ばれていたからだ。国共協力だ。
そして1937年には対日戦用に上海に陣地がコンクリートで構築された。
八月に日本人居留地を奇襲攻撃する予定だった。
だから7月のろこう橋事件は宣戦布告の無い対日攻撃の始まりだったのだ。

日本は知らないから現地停戦をした。しかし蒋介石はなお攻撃をつづけ、
7月29日には通州で日本人婦女子、幼児を含むあの大虐殺をしたのである。
そして8月12日、上海日本人居留民2万人を20万の大軍で奇襲した。
日本の本国からの応援が来る10日間に皆殺しにするつもりだったのだ。
それを3千の日本の守備隊が奮戦して、奇跡的に守った。
日本本土からの渡洋爆撃も効果的だったようだ。
日本はやむなく本国から急援軍を送ったのである。
これが日本側の支那事変の始まりだ。
69文責:名無しさん:01/10/11 02:32 ID:srVzEut.
日本もえげつないが米国もえげつない。
70ななしさん:01/10/11 02:37 ID:IAzhUNi2
いえいえ
当時のドイツもイギリスもえげつなかった。
71 :01/10/11 03:02 ID:rXYY4xqE
知っていながら相手を騙す目的で嘘までまじえて
日本を悪く言いふらす日本人のほうが
よっぽどえげつないと思われ
72結論:01/10/11 03:12 ID:Hm5bEMO.
1 が世界で一番えげつない。
喜べ1よ、えげつなさとはいえ世界一になれたんだぞ。
73文責:名無しさん:01/10/11 03:43 ID:Ft7E/kvo
アメリカでの賠償金百兆円問題が本格化したら、ぜひ、サヨク諸氏に
払ってもらいましょう>企業のみなさん。
74文責:名無しさん:01/10/11 04:19 ID:qB6y1h0Q
えっげつな〜
75文責:名無しさん:01/10/11 04:42 ID:9uXhFjeE
日本の自動車メーカーか何かが、アメリカで訴えられ、メーカーが
賠償金を払ったとき(だったか?)、中国でも、「アメリカで金を払った
んだから、我々にも!」という騒ぎがあったとか。
百兆円問題もアメリカ一国で終わるわけもなく。馬鹿サヨはどう責任
を取るんだ?
76文責:名無しさん:01/10/11 09:49 ID:NO5kfQEY
>>64
ビンラビンのニューヨークテロ事件と比べてだ。
77文責:名無しさん
盧溝橋事件の停戦決定後、
日本が対中戦争に進んだのは、通州事件があったせいだろ?
日中開戦の直接原因は、通州事件だから、
小泉首相は、通州事件跡に行くべき。