"こ の ス レ を 覗 く も の 、 汝 、 一 切 の ネ タ バ レ を 覚 悟 せ よ"
(参加作品内でのネタバレを見ても泣いたり暴れたりしないこと)
※ルール、登場キャラクター等についての詳細はまとめサイトを参照してください。
――――【注意】――――
当企画「ラノベ・ロワイアル」は 40ほどの出版物を元にしていますが、この企画立案、
まとめサイト運営および活動自体はそれらの 出版物の作者や出版元が携わるものではなく、
それらの作品のファンが勝手に行っているものです。
この「ラノベ・ロワイアル」にそれらの作者の方々は関与されていません。
話の展開についてなど、そちらのほうに感想や要望を出さないで下さい。
テンプレは
>>2-9あたり。
2/4【Dクラッカーズ】 物部景× / 甲斐氷太 / 海野千絵 / 緋崎正介 (ベリアル)×
1/2【Missing】 十叶詠子 / 空目恭一×
2/3【されど罪人は竜と踊る】 ギギナ / ガユス× / クエロ・ラディーン
0/1【アリソン】 ヴィルヘルム・シュルツ×
1/2【ウィザーズブレイン】 ヴァーミリオン・CD・ヘイズ / 天樹錬 ×
2/3【エンジェルハウリング】 フリウ・ハリスコー / ミズー・ビアンカ× / ウルペン
1/2【キーリ】 キーリ× / ハーヴェイ
1/4【キノの旅】 キノ / シズ× / キノの師匠 (若いころver)× / ティファナ×
3/4【ザ・サード】 火乃香 / パイフウ / しずく (F)× / ブルーブレイカー (蒼い殺戮者)
1/5【スレイヤーズ】 リナ・インバース / アメリア・ウィル・テラス・セイルーン× / ズーマ× / ゼルガディス× / ゼロス×
1/5【チキチキ シリーズ】 袁鳳月× / 李麗芳× / 李淑芳 / 呉星秀 ×/ 趙緑麗×
1/3【デュラララ!!】 セルティ・ストゥルルソン× / 平和島静雄× / 折原臨也
0/2【バイトでウィザード】 一条京介× / 一条豊花×
1/4【バッカーノ!!】 クレア・スタンフィールド / シャーネ・ラフォレット× / アイザック・ディアン× / ミリア・ハーヴェント×
1/2【ヴぁんぷ】 ゲルハルト=フォン=バルシュタイン子爵 / ヴォッド・スタルフ×
2/5【ブギーポップ】 宮下藤花 (ブギーポップ) / 霧間凪× / フォルテッシモ× / 九連内朱巳 / ユージン×
0/1【フォーチュンクエスト】 トレイトン・サブラァニア・ファンデュ (シロちゃん)×
0/2【ブラッドジャケット】 アーヴィング・ナイトウォーカー× / ハックルボーン神父×
2/5【フルメタルパニック】 千鳥かなめ / 相良宗介 / ガウルン ×/ クルツ・ウェーバー× / テレサ・テスタロッサ×
2/5【マリア様がみてる】 福沢祐巳 / 小笠原祥子× / 藤堂志摩子× / 島津由乃× / 佐藤聖
0/1【ラグナロク】 ジェイス×
0/1【リアルバウトハイスクール】 御剣涼子×
2/3【ロードス島戦記】 ディードリット× / アシュラム (黒衣の騎士) / ピロテース
1/1【陰陽ノ京】 慶滋保胤
3/5【終わりのクロニクル】 佐山御言 / 新庄運切× / 出雲覚 / 風見千里 / オドー×
0/2【学校を出よう】 宮野秀策× / 光明寺茉衣子×
1/2【機甲都市伯林】 ダウゲ・ベルガー / ヘラード・シュバイツァー×
0/2【銀河英雄伝説】 ×ヤン・ウェンリー / オフレッサー×
2/5【戯言 シリーズ】 いーちゃん× / 零崎人識 / 哀川潤× / 萩原子荻× / 匂宮出夢
2/5【涼宮ハルヒ シリーズ】 キョン× / 涼宮ハルヒ× / 長門有希 / 朝比奈みくる× / 古泉一樹
2/2【事件 シリーズ】 エドワース・シーズワークス・マークウィッスル (ED) / ヒースロゥ・クリストフ (風の騎士)
1/3【灼眼のシャナ】 シャナ / 坂井悠二× / マージョリー・ドー×
0/1【十二国記】 高里要(泰麒)×
2/4【創竜伝】 小早川奈津子 / 鳥羽茉理× / 竜堂終 / 竜堂始×
1/4【卵王子カイルロッドの苦難】 カイルロッド× / イルダーナフ× / アリュセ / リリア×
1/1【撲殺天使ドクロちゃん】 ドクロちゃん
2/4【魔界都市ブルース】 秋せつら× / メフィスト× / 屍刑四郎 / 美姫
4/5【魔術師オーフェン】 オーフェン / ボルカノ・ボルカン / コミクロン / クリーオウ・エバーラスティン / マジク・リン×
0/2【楽園の魔女たち】 サラ・バーリン× / ダナティア・アリール・アンクルージュ×
全117名 残り48人
※×=死亡者
【おまけ:喋るアイテム他】
2/3【エンジェルハウリング】 ウルトプライド / ギーア× / スィリー
1/1【キーリ】 兵長
2/2【キノの旅】 エルメス / 陸
1/1【されど罪人は竜と踊る】 帰ってきたヒルルカ
1/1【ブギーポップ】 エンブリオ
1/1【ロードス島戦記】 カーラ
2/2【終わりのクロニクル】 G-sp2 / ムキチ
1/2【灼眼のシャナ】 アラストール&コキュートス / マルコシアス&グリモア×
0/1【楽園の魔女たち】 地獄天使号×
【基本ルール】
全員で殺し合いをしてもらい、最後まで生き残った一人が勝者となる。
勝者のみ元の世界に帰ることができる。
ゲームに参加するプレイヤー間でのやりとりに反則はない。
ゲーム開始時、プレイヤーはスタート地点からテレポートさせられMAP上にバラバラに配置される。
プレイヤー全員が死亡した場合、ゲームオーバー(勝者なし)となる。
開催場所は異次元世界であり、どのような能力、魔法、道具等を使用しても外に逃れることは不可能である。
【スタート時の持ち物】
プレイヤーがあらかじめ所有していた武器、装備品、所持品は全て没収。
ただし、義手など体と一体化している武器、装置はその限りではない。
また、衣服とポケットに入るくらいの雑貨(武器は除く)は持ち込みを許される。
ゲーム開始直前にプレイヤーは開催側から以下の物を支給される。
「多少の食料」「飲料水」「懐中電灯」「開催場所の地図」「鉛筆と紙」「方位磁石」「時計」
「デイパック」「名簿」「ランダムアイテム」以上の9品。
「食料」 → 複数個のパン(丸二日分程度)
「飲料水」 → 1リットルのペットボトル×2(真水)
「開催場所の地図」 → 禁止エリアを判別するための境界線と座標も記されている。
「鉛筆と紙」 → 普通の鉛筆と紙。
「方位磁石」 → 安っぽい普通のコンパス。東西南北がわかる。
「時計」 → 普通の時計。時刻がわかる。開催者側が指定する時刻はこの時計で確認する。
「デイパック」→他の荷物を運ぶための小さいリュック。
「名簿」→全ての参加キャラの名前がのっている。
「ランダムアイテム」 → 何かのアイテムが一つ入っている。内容はランダム。
※「ランダムアイテム」は作者が「エントリー作品中のアイテム」と「現実の日常品」の中から自由に選んでください。
必ずしもデイパックに入るサイズである必要はありません。
エルメス(キノの旅)やカーラのサークレット(ロードス島戦記)はこのアイテム扱いでOKです。
また、イベントのバランスを著しく崩してしまうようなトンデモアイテムはやめましょう。
【「呪いの刻印」と禁止エリアについて】
ゲーム開始前からプレイヤーは全員、「呪いの刻印」を押されている。
刻印の呪いが発動すると、そのプレイヤーの魂はデリート(削除)され死ぬ。(例外はない)
開催者側はいつでも自由に呪いを発動させることができる。
この刻印はプレイヤーの生死を常に判断し、開催者側へプレイヤーの生死と現在位置のデータを送っている。
24時間死者が出ない場合は全員の呪いが発動し、全員が死ぬ。
「呪いの刻印」を外すことは専門的な知識がないと難しい。
下手に無理やり取り去ろうとすると呪いが自動的に発動し死ぬことになる。
プレイヤーには説明はされないが、実は盗聴機能があり音声は開催者側に筒抜けである。
開催者側が一定時間毎に指定する禁止エリア内にいると呪いが自動的に発動する。
禁止エリアは2時間ごとに1エリアづつ禁止エリアが増えていく。
【放送について】
放送は6時間ごとに行われる。放送は魔法により頭に直接伝達される。
放送内容は「禁止エリアの場所と指定される時間」「過去6時間に死んだキャラ名」「残りの人数」
「管理者(黒幕の場合も?)の気まぐれなお話」等となっています。
【能力の制限について】
超人的なプレイヤーは能力を制限される。 また、超技術の武器についても同様である。
※体術や技術、身体的な能力について:原作でどんなに強くても、現実のスペシャリストレベルまで能力を落とす。
※魔法や超能力等の超常的な能力と超技術の武器について:効果や破壊力を対個人兵器のレベルまで落とす。
不死身もしくはそれに類する能力について:不死身→致命傷を受けにくい、超回復→高い治癒能力
【本文】
名前欄:タイトル(?/?)※トリップ推奨。
本文:内容
本文の最後に・・・
【名前 死亡】※死亡したキャラが出た場合のみいれる。
【残り○○人】※必ずいれる。
【本文の後に】
【チーム名(メンバー/メンバー)】※個人の場合は書かない。
【座標/場所/時間(何日目・何時)】
【キャラクター名】
[状態]:キャラクターの肉体的、精神的状態を記入。
[装備]:キャラクターが装備している武器など、すぐに使える(使っている)ものを記入。
[道具]:キャラクターがバックパックなどにしまっている武器・アイテムなどを記入。
[思考]:キャラクターの目的と、現在具体的に行っていることを記入。
以下、人数分。
【例】
【SOS団(涼宮ハルヒ/キョン/長門有希)】
【B-4/学校校舎・職員室/2日目・16:20】
【涼宮ハルヒ】
[状態]:左足首を骨折/右ひじの擦過傷は今回で回復。
[装備]:なし/森の人(拳銃)はキョンへと移動。
[道具]:霊液(残り少し)/各種糸セット(未使用)
[思考]:SOS団を全員集める/現在は休憩中
1.書き手になる場合はまず、まとめサイトに目を通すこと。
2.書く前に過去ログ、MAPは確認しましょう。(矛盾のある作品はNG対象です)
3.知らないキャラクターを適当に書かない。(最低でもまとめサイトの詳細ぐらいは目を通してください)
4.イベントのバランスを極端に崩すような話を書くのはやめましょう。
5.話のレス数は10レス以内に留めるよう工夫してください。
6.投稿された作品は最大限尊重しましょう。(問題があれば議論スレへ報告)
7.キャラやネタがかぶることはよくあります。譲り合いの精神を忘れずに。
8.疑問、感想等は該当スレの方へ、本スレには書き込まないよう注意してください。
9.繰り返しますが、これはあくまでファン活動の一環です。作者や出版社に迷惑を掛けないで下さい。
10.ライトノベル板の文字数制限は【名前欄32文字、本文1024文字、ただし32行】です。
11.ライトノベル板の連投防止制限時間は30秒に1回です。
12.更に繰り返しますが、絶対にスレの外へ持ち出さないで下さい。鬱憤も不満も疑問も歓喜も慟哭も、全ては該当スレへ。
【投稿するときの注意】
投稿段階で被るのを防ぐため、投稿する前には必ず雑談・協議スレで
「>???(もっとも最近投下宣言をされた方)さんの後に投下します」
と宣言をして下さい。 いったんリロードし、誰かと被っていないか確認することも忘れずに。
その後、雑談・協議スレで宣言された順番で投稿していただきます。
前の人の投稿が全て終わったのを確認したうえで次の人は投稿を開始してください。
また、順番が回ってきてから15分たっても投稿が開始されない場合、その人は順番から外されます。
9 :
追記:2007/01/25(木) 01:34:32 ID:1Kx0I4y1
【スレ立ての注意】
このスレッドは、一レス当たりの文字数が多いため、1000まで書き込むことができません。
500kを越えそうになったら、次スレを立ててください。
――――テンプレ終了。
#前スレの最後の番号より続けます
「まさか両方に飲ませるつもりだったのかい? そうだね、それも手かもしれない。
だけど半分こにしてしまって、本当にその傷から二人を助けられるのかな?
その“不死の酒”とやらがどれほどの力を持つのか知らないが、難しくないかい?
それよりも片方だけに飲ませた方がまだ確実ってものじゃないか」
「で、ですが、片方を見捨てるなどと……」
「片方だけでも助けられる事を神様に感謝しなくちゃあ。俺は信じてないけどね。
それに狩りに両方とも助けられても、半死半生になってしまったらどうするんだい」
臨也は最も無難な選択肢を吊して、嗤った。
「それだと、『助かったところで二人は足手まといになっちゃう』ね」
その言葉に保胤の頭にも血が上った。
「あなたは、仲間を利害でしか見ていないのですか!?」
「当然だよ。今の状況を何だと思っているんだい?
追撃に向かった方は二人になってしまった。
あの二人はとても強いそうだからそれでも生き残るかな?
だけど二人じゃ全てをカバーするなんて出来ないよね。敵はこっちにも来るかもしれない。
さっきだって戦いの後の隙を突然の乱入者に突かれてしまったんだろう?
このマンションを憎らしく思っている、ゲームに乗った奴は他にも居るはずだよ。
それらが隠れて手ぐすね引いて隙を待っている、そんな可能性は高いじゃないか。
なにせ爆発まで起きて危険を露呈してしまったんだからね。
今はとてつもなく危険な事態なんだ。一人でも多くの戦力が要る。
その千絵って子だって護らないといけないんだろう?」
臨也は目の前の危険を積み上げて見る見るうちに保胤を追い込んでいく。
「ここは確実な戦力の確保を取らなきゃあいけない。そういう物だろう?
ほら、リナの顔色がどんどん悪くなっていく。ベルガーももう喋れないじゃないか。
痙攣もしだしている。これはもう5分も持たないね。
さあ、早く! 二人の内のどちらか片方に、“不死の酒”を使うんだ!」
「私は…………私は……!!」
「早く!!」
急き立てながら、臨也は考えていた。
(しかしまったく、困ったもんだね)
臨也は一つ小さなミスを犯していた。
それは不死の酒の瓶をそのまま保胤に返してしまった事だ。
残る不死の酒は丁度半分。
つまり、明らかに志摩子に飲ませたはずの分が減っていない。
その事に気づかれれば必然的に疑われてしまうだろう。
使える機会が来る事自体はある意味で望んではいた。
使ってしまっても志摩子の時は死んだという事実は彼を苦しめるだろう。
(だからってこんな結果を望んではいなかったんだけどな。あの大集団がなんて有様だ)
まさか二人も重傷に陥るとは思っていなかった。
しかも保胤は両方とも救うつもりのようだ。
もちろん臨也も、両方とも五体満足で生き残ってくれれば言うことは無い。
(だけど流石にそこまでは無理じゃあないか?
1/4で完治、つまり致命傷から4人も完全回復させるなんて話が上手すぎる。
しばらくは何も出来ないくらい足手まといになったりするんじゃないか?)
もしそうなれば最悪だ。
戦力になる人間が二人、それから足手まといが一人の集団なら、
足手まといの世話をしてやっておけばまだ二人の頼もしい仲間が護ってくれる。
一人が足手まといを護ることに専念しても、残り一人は自分を守る壁が居る。
だが戦力になる人間が一人、足手まといが三人の集団なんかと一緒には居られない。
別行動中の戦力二人が無事に戻ってきた所で足手まといを一人ずつ面倒を見ればそれでおしまい。
もしそんな事になれば臨也はこの集団を見限るつもりだった。
(このツキの無さじゃもう見限っても良いくらいだけど、まだ戦力は残っているからね。
まだ少しは期待しても良いかな。
さあ保胤。君は真っ当な選択を選んでくれるよね?)
臨也は心の底から期待しながら、保胤の選択を待った。
そして保胤は――
* * *
森の中。彼は息を潜めながら、ゆっくりと茂みを這って逃げていた。
彼はこの世界において、なんら特殊な力を持たなかった。
武器を持っていなければ全く戦力には数えられないだろう。
そんな人物はこと戦闘中においては存在感を失う。
まるで空気のように稀薄な、そこに居ても居なくても気づかれない存在と化すのだ。
不運にも持っていたグルカナイフは落としてしまったが、それさえも気配の薄さを助長した。
その存在感の無さが彼、古泉一樹を救ったのだ。
「まったく、酷い目に遭ったものです」
飄々と呟く。
彼はシャナとフリウとの戦いにおいてかなり早期に抜け出していた。
隠れて見物してパイフウ達の旗色が良ければこっそり戻るつもりだったが、残念ながらそうならなかった。
仕方ないので彼らを諦め、一人で逃げ出したのである。
「……おや、これはさっきの」
彼は茂みの一つに少年が倒れているのを見つけた。
竜堂終。シャナに胴体を両断されたはずの少年である。
だが驚くべき事に、両断されたはずの胴体が今では繋がっていた。
「まさか……生きているんですか?」
継ぎ目が有りそうな辺りには繋ぎ合わせるように針金が刺さっている。
確かに竜堂終は胴体を両断されるという致命的で衝撃的な傷を受けた。
だが炎を纏った神速の刃の切り口は滑らかで、単純に切断されていた。
その見た目の強烈さとは裏腹に、治療さえ早ければ治しやすい傷だったのだ。
もっとも、それを戦闘の僅かな間隙に行ったメフィストの奮闘は信じがたい物には違いない。
更にメフィストはシャナとフリウの必殺の一撃の直前に彼をここまで投擲したのだ。
それも大きく衝撃を受け止めてくれる茂みに向けて。
(困りましたね。敵なわけですし、ここはトドメを刺しておきたい所ですが……)
彼は銃弾を受けても皮膚が鱗のようになってひび割れるだけで耐えて見せた。
少なくとも素手やそこらに転がっている石ころではどうにもならないだろう。
さっきのナイフを落としていなければあれを継ぎ目に突き刺せば殺せたのだろうが。
(……おや、これは)
だが気づく。終のすぐ近くには彼の使っていた真紅の長剣が転がっていた。
胴体を両断されてもしばらくは腕が硬直し握り続けていたのか、それともメフィストが投げたのか。
更に彼の腰にはコンバットナイフが吊されている。
あのどちらかを針金で継ぎ合わせてある繋ぎ目に叩き込めば、殺せるだろう。
(殺せる機会は逃すべきではないでしょうね)
古泉はゆっくりと終に近寄るとまず騎士剣“真紅”を持ち上げてみた。
……残念ながら、随分と重い。
(これは狙いがずれるかもしれませんね)
狙いがずれればあの鱗に止められてしまうだろう。
古泉は騎士剣を諦め、終の腰からサバイバルナイフを抜きはなった。
これなら継ぎ目を外す事は有り得ない。針金で繋ぎ合わせたその隙間を抉れるだろう。
古泉は終のすぐ横にしゃがみ込みしっかりと狙いを定めた。
そして胴体に向けてナイフを振りかざしたその瞬間。
終の目が、開いた。
現在時刻23時50分。
第四回放送まで残り10分。
――10分もの時間が残っている。
【108 メフィスト 死亡】
【残り 47人】
【D-5/森/1日目・23:50】
【戦慄舞闘団】
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:まだ傷有り(程度不明)
[装備]:なし
[道具]:有機コード、デイパック(支給品一式・パン6食分・水1100ml)
船長室で見つけた積み荷の目録
[思考]:逃げ延びる。南下する? それとも西へ進む?
[備考]:刻印の性能に気付いています。ダナティアの放送を妄信していない。
火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
【火乃香】
[状態]:まだ傷有り(程度不明、やや軽傷)
[装備]:騎士剣・陰
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:逃げ延びる。南下する? それとも西へ進む?
[備考]:『物語』を発症しました。
【コミクロン】
[状態]:まだ傷有り(程度不明)、腕は動くようになった
[装備]:エドゲイン君
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1000ml) 未完成の刻印解除構成式(頭の中)
刻印解除構成式のメモ数枚
[思考]:逃げ延びる。南下する? それとも西へ進む?
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着ています。
火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
【パイフウ】
[状態]:まだ傷有り(程度不明、やや重傷)
[装備]:ライフル(残弾29)
外套(数カ所に小さな血痕が付着。脇腹辺りに穴が空いている。
偏光迷彩に支障があるかは不明)
[道具]:なし
[思考]:予定全崩壊。火乃香は絶対に死なせたくない。
[備考]:外套の偏光迷彩は起動時間十分、再起動までに十分必要。
さらに高速で運動したり、水や塵をかぶると迷彩に歪みが出来ます。
[チーム行動予定]:逃げ延びる。南下する? それとも西へ進む?
【D-5/道路/1日目・23:50】
【地獄姉妹】
【シャナ】
[状態]:吸血鬼(身体能力向上)/消耗有り、まだ十分戦える
[装備]:贄殿遮那/神鉄如意
[道具]:支給品一式(パン6食分・ダナティアの血500ml)
/悠二の血に濡れたメロンパン4個&保存食1食分/濡れていない保存食2食分/眠気覚ましガム
/悠二のレポートその2(大雑把な日記形式)/タリスマン
[思考]:目の前の4人を追いつめ仕留める/シャナと自分を同一視/
大集団の者達を殺させない為にその敵を殺す/最終的にフリウは絶対に殺す
[備考]:体内の散弾片はそこを抉られた事により吹き飛びました。
18時に放送された禁止エリアを覚えていない。
C-8は、禁止エリアではないと思っている。
【フリウ・ハリスコー】
[状態]:全身血塗れ。右腕にヒビ。正常な判断が出来ていない
[装備]:水晶眼(眼帯なし、ウルトプライド召喚中)、右腕と胸部に包帯
[道具]:デイパック(支給品一式・パン5食分・水1500mm)、缶詰などの食糧
[思考]:目の前の4人を追いつめ仕留める/シャナと自分を同一視/全部壊す
【C-6/マンション1・2F室内/1日目・23:50】
【大集団の名残】
【慶滋保胤】
[状態]:かなりの精神的ダメージ。不死化(不完全)
ボロボロの着物を包帯のように巻きつけている
[装備]:携帯電話(呼び出し中)
[道具]:デイパック(支給品一式(パン6食分・水2000ml))、不死の酒(未完成、残り半分)
[思考]:不死の酒を――!!/シャナの事が気になる。千絵を落ち着かせたい。
【海野千絵】
[状態]:物語に感染。錯乱し心神喪失状態。かなり精神不安定
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:不明
[備考]:吸血鬼だった時の記憶は全て鮮明に残っている。
【折原臨也】
[状態]:不機嫌(表には出さない)
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水2000ml)、
ジッポーライター、救急箱、スピリタス1本(少し減った)、
セルティとの静雄関連の筆談に使った紙
[思考]:保胤を集団内で孤立させたい。危なくなれば集団から抜ける。
クエロに何らかの対処を。人間観察(あくまで保身優先)。
ゲームからの脱出(利用出来るものは利用、邪魔なものは排除)。
残り人数が少なくなったら勝ち残りを目指す
[備考]:クエロの演技に気づいている。
コート下の服に血が付着+肩口の部分が少し焦げている。
【ダウゲ・ベルガー】
[状態]:両肺損傷(右肺は傷は塞いだがどちらにせよ長く保たない)
[装備]:強臓式武剣”運命”、単二式精燃槽(残り四つ)、黒い卵(天人の緊急避難装置)、
PSG−1(残弾20)、鈍ら刀
[道具]:携帯電話(呼び出し中)、コキュートス
[思考]:????
[備考]:天人の緊急避難装置:所持者の身に危険が及ぶと、最も近い親類の所へと転移させる。
【リナ・インバース】
[状態]:重傷(10分と保たない)/疲労困憊。魔法は一切使えない。
[装備]:光の剣(柄のみ)
[道具]:メガホン
[思考]:????
千絵が心配、美姫に苦手意識(姉の面影を重ねています)
仲間集め及び複数人数での生存。管理者を殺害する。美姫を許す気はない
【C-5/森/1日目・23:50】
【死ぬのは――】
【古泉一樹】
[状態]:左肩・右足に銃創(縫合し包帯が巻いてある)
[装備]:コンバットナイフ
[道具]:デイパック(支給品一式・パン10食分・水1800ml)
[思考]:終を殺害。出来れば学校に行きたい。
手段を問わず生き残り、主催者に自らの世界への不干渉と、
(参加者がコピーではなかった場合)SOS団の復活を交渉。
[備考]:学校にハルヒの力による空間があることに気づいている(中身の詳細は知らない
【竜堂終】
[状態]:両断直後くっついた。現在負傷度合い不明/目覚めた
[装備]:騎士剣“紅蓮”(すぐ近くに落ちている)
[道具]:なし
[思考]:????
19 :
>>4修正:2007/01/25(木) 20:33:38 ID:93SJSlJg
3/5【終わりのクロニクル】 佐山御言 / 新庄運切× / 出雲覚 / 風見千里 / オドー×
0/2【学校を出よう】 宮野秀策× / 光明寺茉衣子×
1/2【機甲都市伯林】 ダウゲ・ベルガー / ヘラード・シュバイツァー×
0/2【銀河英雄伝説】 ×ヤン・ウェンリー / オフレッサー×
2/5【戯言 シリーズ】 いーちゃん× / 零崎人識 / 哀川潤× / 萩原子荻× / 匂宮出夢
2/5【涼宮ハルヒ シリーズ】 キョン× / 涼宮ハルヒ× / 長門有希 / 朝比奈みくる× / 古泉一樹
1/2【事件 シリーズ】 エドワース・シーズワークス・マークウィッスル (ED)× / ヒースロゥ・クリストフ (風の騎士)
1/3【灼眼のシャナ】 シャナ / 坂井悠二× / マージョリー・ドー×
0/1【十二国記】 高里要(泰麒)×
2/4【創竜伝】 小早川奈津子 / 鳥羽茉理× / 竜堂終 / 竜堂始×
1/4【卵王子カイルロッドの苦難】 カイルロッド× / イルダーナフ× / アリュセ / リリア×
1/1【撲殺天使ドクロちゃん】 ドクロちゃん
2/4【魔界都市ブルース】 秋せつら× / メフィスト× / 屍刑四郎 / 美姫
4/5【魔術師オーフェン】 オーフェン / ボルカノ・ボルカン / コミクロン / クリーオウ・エバーラスティン / マジク・リン×
0/2【楽園の魔女たち】 サラ・バーリン× / ダナティア・アリール・アンクルージュ×
全117名 残り47人
※×=死亡者
(EDの死亡漏れを修正しました)
【おまけ:喋るアイテム他】
2/3【エンジェルハウリング】 ウルトプライド / ギーア× / スィリー
1/1【キーリ】 兵長
2/2【キノの旅】 エルメス / 陸
1/1【されど罪人は竜と踊る】 帰ってきたヒルルカ
1/1【ブギーポップ】 エンブリオ
1/1【ロードス島戦記】 カーラ
2/2【終わりのクロニクル】 G-sp2 / ムキチ
1/2【灼眼のシャナ】 アラストール&コキュートス / マルコシアス&グリモア×
0/1【楽園の魔女たち】 地獄天使号×
第三回放送から一時間と数十分が経過した頃だった。
東の市街地で轟き続ける破壊音を聞きながら、淑芳は真っ直ぐに北上していた。
(C-3周辺には、しばらく近づきたくありませんわね)
現在地はC-1の海岸だ。周囲に遮蔽物はほとんどないが、C-3付近から逃げる人影が
淑芳の視界内に現れることはなかった。
逃走経路としては不便な部類に含まれる場所なので、当然といえば当然だ。
淑芳は今、A-1へ行こうとしている。
わざわざ僻地を目指すのは、どこにあるか判らない禁止エリアを避けるためであり、
同時に他の参加者から離れるためでもある。
(わたしくらいしか留まりたがらなそうな場所は、禁止エリアにならないでしょう)
午前中に指定された禁止エリアは、南西部の森や南東部の半島から、安全性を大幅に
失わせた。幾人もの参加者が移動を余儀なくされたと見て間違いはないだろう。
いろいろと計算された上で禁止エリアは選ばれているらしい。
半島の居心地を悪くしたかったならH-6ではなくG-6を塞げばよさそうなものでは
あるが、G-6を塞ぎたくなかった理由があったとしても、とりたてておかしくはない。
例えば、G-6に“すぐ死にはしないが動けない”という状態の参加者が放送以前から
いて、他の参加者は誰もそれを知らない、という状況だった場合。
そういうとき、主催者側はG-6をしばらく禁止エリアにしないのではないか。
参加者の死が、参加者の意思と無関係なものになりかねない、という理由で。
参加者は参加者によって殺されるべきだ、と主催者側は考えるのではなかろうか。
(急ぎましょう。捜されても見つかりにくい場所へ行けない以上、見つかりやすくても
捜されにくい場所へ、一刻も早く隠れたいところですわ)
E-1もD-1も、淑芳はほとんど調べていない。せめて海洋遊園地内にあった石碑だけ
でも確認できればよかったのだろうが、そんなことをしている余裕はなかった。
移動中、B-1で奇妙な物体を目にして、淑芳は足を止める。
砂の中から、不自然な何かが露出していた。
(手の形をした石……いえ、これは岩の肌に覆われた手……?)
岩でできた人体を簡単に埋めた後、雨が砂の一部を洗い流せば、きっとこうなる。
物理法則を超越できる世界の出身者で、この島の異常性を存分に知っている淑芳は、
もはや、この程度の些細な怪奇現象くらいでは驚かない。
しばし黙考した末に、淑芳は小さく頷く。
呪符が投げ放たれ、砂の膨らみに接触すると同時に、呪文が唱えられた。
「臨兵闘者以下略! 天風来々、急々如律令!」
突風によって砂が吹き飛ぶ。
砂の中から現れたものは、無惨に分断されて事切れた参加者の遺体だった。
それが既に死んでいると確認した次の瞬間、淑芳は周囲を見回す。
(第三者に目撃されてはいないようですわね)
血塗れの服を着て死体のそばにいる時点で、とてつもなく不穏に見える光景だろう。
事情を知らない人物が近くにいれば、問答無用で攻撃してきても不思議ではない。
手持ちの呪符が残り少ない今、淑芳は符術使いとしての真価を発揮できない状態だ。
戦うにしても逃げるにしても、相手より先に考え相手より早く動かねば命が危ない。
淑芳は、再び死体に視線を向けた。
(どうやら“隠したかったから”ではなく“葬りたかったから”埋めたようですわね。
生前の姿に似せて『部品』が並べられていますもの)
亡骸のそばに遺品がないのは、持ち去られたか海に捨てられたかしたからだろう。
死因らしき傷跡は、恐るべきものではあったが不可解ではなかった。
傷跡があるのは攻撃されたから。実に単純明快な因果関係だ。
だが、遺体を覆う岩の肌が、どんな過程を経て生じた物なのか――それは謎だ。
淑芳の問いに対して『神の叡智』は複数の例を挙げ、この中のどれかだと答えた。
加護だったのか、呪縛だったのか、そのどちらでもなかったのか、判然としない。
正解を知るために必要な情報は揃っていない。
あるかどうかすら判らなくて役に立つかどうかも判らない手掛かりを探していられる
ような暇はない。“殺してはならない敵”のいた海洋遊園地や、陸を運ばせたH-2や、
崩壊中のC-3から、少しでも遠くへ、できる限り急いで離れるべき状況だった。
だが、この謎を解くことが無意味だと決まったわけでもない。次の機会があるならば
一応調べておくべきかもしれない。
(厄介事の原因にならないよう、とりあえず今は埋め直しておきましょう)
淑芳の故郷には、冥府も霊魂も輪廻も実在している。“人は死ねば死者になるのでは
なく死体になるだけだ”という考え方を、淑芳はしない。しかし、それでも淑芳は墓を
暴いたことを後悔しなかった。わずかに生じた罪悪感は、意思の力で叩き潰した。
人間ほどの大きさをした砂の竜を、呪符と呪文が出現させる。
砂を材料にして作られた下僕は、亡骸の上に覆い被さってから、ただの砂に戻った。
呪符と神通力とを温存することよりも、時間を節約することを優先した結果だ。
何をどれだけやれるのかを把握するための実験も、当然ながら兼ねてはいたが。
(術を改良した成果は多少ありましたけれど、あくまでも多少でしかありませんのね)
相変わらず、現実は非情なようだった。
もう一度、周囲を見回してから、淑芳は移動を再開する。
A-1までの経路に相変わらず人影は見えず、何事もなく目的地へと到着した淑芳は、
またしても墓の前へ立つことになった。
(何故かしら……はっきりとは判りませんけれど、妙な違和感がありますわ)
眉根を寄せて、淑芳はうつむく。視線の先の地面には、穴を掘って埋めた跡がある。
(まるで、あるべきものが欠けているみたいな……さっきの墓には確かにあった何かが
この墓には存在していないような……)
神仙であるが故に備えている、五感ではない知覚能力がそう告げていた。
かつて毒薬を飲んで仮死状態になり幽体離脱したときの記憶が、淑芳の頭をよぎる。
(ああ、なるほど……誰かが死ねば残るはずの生命の残滓がここにはありませんのね。
ひょっとすると、いいものが発見できるかもしれませんわ)
余裕があればこの墓も暴いて調べておく、と淑芳は決めた。
別の場所で殺された後に、ここまで運ばれて葬られただけで、犠牲者の生命の残滓は
殺害現場に留まっている、ということなのかもしれない。
あるいは、形見の品が埋まっているだけで、ここには死体がないのかもしれない。
けれど、現状を説明できそうな仮説は他にもある。
(ここに埋まっているのが“『世界』に挑んだ者”の亡骸だとするなら……主催者側に
逆らい、この『ゲーム』を打破しようと足掻いた末に、呪いの刻印を発動させられて
魂を消し飛ばされた犠牲者がここにいたとするなら、調べない手はありませんわね。
アマワへ復讐するためなら何だってやりましょう。それで誰かが傷ついたとしても、
わたしの仲間たちが復讐を喜ばなかったとしても……わたしには、こんな生き方しか
選べませんもの)
自分が正しくはないことを、淑芳は自覚している。
――私怨を理由に他者を煽って復讐の道具に仕立てあげようという企みが、正しい
はずなどなかった。
自分が正しくはないと理解した上で、淑芳は、自分の信じる正しさを他者に望む。
大切な誰かを守るために戦い、死にもの狂いでアマワを滅ぼせ、と。
自分にとっての正しさが別の種類の正しさを踏みにじると承知した上で、自己犠牲を
他者に要求すること自体が傲慢なのだと判っていながら、それでも淑芳は、己の信じる
正しさを他者の中に求め続ける。
正しい者たちを生かすためになら、正しくないと思った相手を淑芳は見捨てられる。
ただひたすら隠れているだけの卑怯者も、守るべき相手のいない殺人者も、敵の眼前に
仲間を置き去りにして逃げる臆病者も、必要とあらば容赦なく襲えるだろう。
静かに、穏やかに、けれど確かに淑芳は狂い始めていた。
【A-1/島津由乃の墓の前/1日目・20:10頃】
【李淑芳】
[状態]:精神の根本的な部分が狂い始めているが、表面的には冷静さを失っていない
[装備]:懐中電灯/呪符(3枚)
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン4食分・水800ml)
[思考]:外道らしく振る舞い、戦いを通じて団結者たちを成長させ、アマワを討たせる
/まずは呪符を作る/役立ちそうな情報を書き記し、託せるように残す
[備考]:第二回放送をまったく聞いておらず、第三回放送を途中から憶えていません。
『神の叡智』を得ています。服がカイルロッドの血で染まっています。
夢の中でアマワと会話しましたが、契約者になってはいません。
『君は仲間を失っていく』と言って、アマワが未来を約束しています。
※ゼルガディスの遺体はB-1の砂の中に埋まっています。彼を最初に埋葬した人物は
おそらく秋せつらだと思われますが、確証はありません。
「まあ黒いものは不吉だっていわれてるわりに、咄嗟に思いつくのは黒猫くらいだわな」
慣れるのは嫌いだ。
マンションで佐山達と別れた後、オーフェンは努めて何も思考しないようにしながら商店街を目指していた。
最寄りで長居できそうな場所はそこと病院跡のどちらかで、何とはなしに商店街のほうが居心地はいいだろうと思ったからだ。
とはいえ、無思考で長距離を歩くというのもなかなか辛い。だからオーフェンは壊れたラジオのように繰り返していた。慣れることは嫌いだ。
マンネリ化に陥れば、人は何も感じなくなる。
健康を害する習慣、規則の無視、幸せな日常――もっとも、最後のに慣れたことはついぞ無かったが。
「しかし逆に幸福なものを考えてみるといい。教会もウェディングドレスもブライダルケーキも軒並み白い。
まあ何か偏ってる気もするが気にするな。結婚は幸せだというのが年寄りの通説だ。そして大概、そう言う奴ほど配偶者を疎ましく思っている」
とにかく、慣れてしまえば万事は意味を為さなくなる。痛みや苦痛も慣れてしまえば気にならない。感じないのだから。
だが当人だけが不幸な状況に陥っていることに気づいていないのは、それはそれでどん底ではないだろうか?
「脇道にそれたが、要はあれだ。黒は不吉ってことだわな。
黒い教会で黒い花嫁が黒いケーキに黒いナイフで入刀してみろ。もはやそれは立派な宗教だとは思わねっか?」
「思うにだな――」
オーフェンはようやく観念して声をあげた。
吊り上がった皮肉気な双眸で、頑張って無視していた喋る人虫を睨む。
無論、それでスィリーが反省するわけでもないが。
この煩わしい人精霊との会話に慣れたくはなかったのだが、だからといって聞き流しているのも不毛だ。
頭を抱えて――この動作もトトカンタ時代でだいぶ慣れさせられたが――呻く。
「お前を黙らせることってできないのか?」
「そうやって言論の自由を侵害する国家は屋台骨だけでやってかなきゃならん。例えるなら吊さないで直立させようとする骸骨模型。
とまれあれだな。お前さんまで前時代的小娘思考にシフトしてきたのは由々しき事態だと俺は思う」
「小娘?」
「まあやたらと俺を水晶檻に閉じこめたがっていた辺り、猟奇的な趣味だったのだろう。
幸いにして斧を持っているのは見たことがないが」
「……そいつも苦労してた訳か」
きっと友達になれそうだ、とオーフェンは独りごちた。
体の疲労は、ほぼ取れている。
約束の時間を寝過ごすわけにはいかないので、仮眠を何回かに分けて取った。
もちろん森の中で寝床に相応しい場所があるわけもないが、それでも軽く休む程度なら事足りる。
どうせ役に立つこともないと、学生の間で不評極まりなかった山中野外訓練がこんなところで役に立つというのは皮肉である。
休憩の時間を含めれば、あれから一時間はたっただろうか?
時計を確認する気も起きずに、オーフェンは何とはなしに夜空を見上げた。
人の活動時間中に昇っている太陽とは違い、月の傾きから時間の経過を測るのは難しい。
とはいえ、そろそろ着く頃だろうと見当は付けていた。
悲しいことに、こういったなんの儲けにも繋がらない勘はよく当たる。
「……で、なんでさっきから黒は不吉だと喚いてるんだ?」
「黒ずくめは不吉だと忌み嫌われているから、まあ交渉が成功しなくても落ち込むな黒いの、と人生の先達として忠告している」
「……」
「感謝はいらんぞ」
「そうだな」
投げやりに言って、心持ち歩調を早める。それでもスィリーは遅れることなく着いてきたが。
胸中で苦笑する。人精霊の言葉は無意味だが、それでも人は無意味から意味を捻り出すことは出来る。
(交渉か。確かにあんまり上手くいった試しはないけどよ)
ギギナと名乗ったあの狂戦士と取引――いまいちこちらの差し出したものが分かりかねたが――を成功させられたのは幸運だった。
あれは強力な戦士だ。クリーオウを保護して貰えれば、彼女に降りかかる大抵の危機は防げるだろう。
そう信じ込むことが出来れば、気持ちも多少は軽くなる。
「まあ何とかはいらん、というのは大抵が建前なわけで。人生を悟ると簡単に本音を訳せるようになる。
そのなんたるかを教えてやるべきだろうが、授業料はいらん」
そう言いつつ広げた右手を突き出してくる人精霊が、オーフェンを追い越していった。
平行して進んでいた物の均衡が崩れるのは、どちらかが速度を上げた時か速度を下げた時である。
オーフェンは立ち止まっていた。商店街に着いたのだ。
ただし、あるのはその残滓だけだったが。
「……なんだこりゃ」
破壊は徹底的に行われていた。
建造物はあらかた壊され、もとがどういう形であったのかも判別できない。
道路には丸く陥没した穴がいくつも空いている。
ざっと観察する限り、破壊はすべて同一の手段で行われていた。
つまり、これはひとりの手で引き起こされたということになる。
無論、オーフェンも似たようなことは出来る――本来の威力で魔術を使えば。
だが、これが弱体化させられた参加者同士の衝突によるものだとは思えなかった。
まるで丸太の雨でも降ってきたかのようだ。
(案外はずれてないかもな)
思い着くまま浮かんできた思考に自分で頷く。
戦闘ならば、こんな無目的な破壊は行うまい。
これだけ破壊され尽しているとなると――
そう。石造りの壁を粉砕する程の攻撃を、ひたすら避け続けたということになる。
「なんでだろーな。それでトトカンタを思い出しちまうってのは……」
「ほほう。お前さんも郷愁に浸っていたか」
オーフェンが頭を抱えてしゃがみ込んでいると、先行しすぎたスィリーが戻ってくる。
「お前さんの故郷にもやたらと破壊しまくる魔神とかいたわけだ。
まったく迷惑極まりないが、つまるところ人生ってのはそういう迷惑の掛け合いゲームだぁな」
「うっせ――って、何だって?」
人精霊を視界に捉え、反射的に聞き返す。
まともな返答を期待していたわけではない――という心構えさえ意識しない。
それほどまでにオーフェンが人精霊に対して抱いていた評価というのは低かった。が。
「お前、心当たりがあるのか?」
「無くもない。
まあ人生を長く生きるとだ。知識が貯まりすぎて引き出しが重くなって開かずになり、
結果として痴呆性老人が生まれる」
「どうやら期待した俺が馬鹿だったようだ」
溜め息とともに、詳しい検分を再開させようと残骸に視線を戻す。
「魔神」
スィリーが、珍しく短い言葉で区切った。
この人精霊の口にした単語だ。期待すべきものではない。
そう思いながらも、オーフェンは振り返っていた。
ふらふらと漂う人精霊に先程までと変わった様子はない。
相変わらず軽薄に、好きなように言葉を紡いでいく。
「魔神って知ってっか? 前に教授してやろうとしたら、その若造には知ってると突っぱねられたんだが。
まあなんだ、悪徳の狩人どもに扱き使われてる間抜け精霊ってことで、結局は奴隷階級だ。恐れる必要はない。訴訟を起こされる心配もねっからな」
「……つまり、こういうことか? その魔神だかなんだかを従えてる奴がいる? 少なくともお前のいた所だと」
この精霊の言葉を解読するというひどく難解な作業に頭を痛めながらそれをやり遂げる。
「どれぐらい強力なんだ?」
「まあ俺様に敵う奴は見たことがないな。少なくともそれで抗議された覚えはない」
「いや、待てよ――」
オーフェンはスィリーの言葉を半ばで頭から閉め出しながら記憶を探った。
最近聞いた覚えがある。精霊……
『獣……精霊!』
思念の糸を放つ襲撃者。それが恐れるように吐き捨てた言葉。
「あの黒ずくめか……」
「いっちゃなんだが、お前さん鏡という文明の利器を知ってるか?
なるほどそれは気づかないわけだ」
やはり人精霊の言葉を無視し、さらに深く思い出す。あの巨大な炎の獅子。精霊。
(あの獅子はレリーフに封じ込められてた。きちんと体系立てられたシステム。
……つまりは、あんなのを武器にしてるような連中がいるわけだ)
半ば呆れるような心地で呻く。
それならばこの大規模破壊にも納得がいった。
対峙した一瞬で炎獅子が撒き散らした凶暴な熱量を思い出す。
確かにあんな怪物を好き勝手に暴れさせたらこうもなるだろう。
もっとも、これがその魔神とやらの仕業だと断定できるわけでもないが――いや、まて。
血の気が一気に引き、青ざめる。
獣精霊はいた。目の前の惨劇を引き起こせるような手段もこの島にはある――
(これが参加者の仕業だとしたら……!)
剣呑な解答に気付き、急いで瓦礫を調べる。
参加者が破壊を行うのなら、その理由は狩る側にしろ狩られる側にしろひとつだけだ。
戦闘。殺し合い。
「我は生む小さき精霊!」
呪文に従い光が灯る。光量を最大にした鬼火は、瓦礫の影を払い流した。
詳しく検分することでやはり最悪の事態が発覚する――
痕跡から見てこの破壊はごく最近、いやついさっき行われた。
「おう何だ。トレジャーハントか。それとも叔父さんの遺産か?」
急激上がった光量にやられて墜落しながらも、人精霊は言葉を吐くことを止めない。
少なくとも、見つかった物は宝の類ではなかった。見つけて嬉しいものでは決してない。
瓦礫の下から人の腕と、その中身が流れ出している。むろん、死んでいるのだろう。
「やっぱりか、糞っ垂れ!」
罵声をあげると、オーフェンは駆けだした――ギギナとの待ち合わせ場所である、小屋の方角へ向けて一直線に。
戦闘が発生するには、口火を切る側であるマーダーの存在が必要不可欠だ。
この商店街を廃墟にした戦いで、どちらが勝利したのかは分からない。
だが、少なくともあれほどの力を行使できるマーダーが付近にいる可能性がある。
警戒する理由はそれだけで十分。
このゲームに乗ったマーダーの場合、目的は殺人だ。最後のひとりになるために全員を殺す。
――ならば、放送で大集団のいることが判明しているマンションに向かう確率は高い。
大規模破壊を得意とするのなら、むしろ一網打尽は望むところだろう。
そしてそのすぐ傍には、クリーオウを連れているかも知れないギギナとの待ち合わせ場所がある。
ギギナは優れた戦士だ。だが、無敵ではない。
所詮は推測だ。だが、悪い予感というものはなぜだか的中することが多い。
(不幸不幸の人生だけどよ――そこまでツキに見放されてはねえよな!?)
それは、存外に難しい条件なのかも知れなかった。
彼らは咄嗟に森の中に飛び込んでいた。各々、傷は浅い。
網膜にはひとりの男が焼き付いている。自らの生命を代価に、彼らを生かしてくれた魔界医師。
彼の処置は死に際にあってすら完璧だったのだ。
埋葬をしたいところだったが、その時間はない。事態は生命の危機から立ち直ってなお緊急を要していた。
「西へ逃げよう」
メフィストの遺言を呟き、決断したのはヘイズだった。だが、その表情は暗い。
全員が分かっていたのだろう。自分たちは足場と見通しの悪い地面を走る。対して相手は空を飛ぶ。
追いつかれるのは必至。さらにいうのなら戦力も桁違いだ。
(勝てるわけがない)
なまじっかIブレインによる未来予知演算が可能なヘイズは、誰よりも正しくそれを理解していた。
戦力、状況、地の利――その他諸々の要素で敗北の演算結果がはじき出される
それでも逃走を選んだのは、ここで生命を放棄できないからだ。
放棄するというのならば、それは侮辱だ。すべてを投げうって彼らを存続させた者への侮辱。
「奴らはそれをしようとしてる」
静かに、呟く。
火乃香、コミクロン、そしてパイフウはその呟きを黙って聞いていた。
誰もがその言葉の意味を理解している。
誰もがその言葉の重みを理解している。
誰もがその言葉の不可能を予測している――
「だけど、俺達はそれにどこまでも抗わなくちゃいけない……!」
すべてを理解している彼らに、反論はない。いや――
ひとりだけ、コミクロンが青白い顔をしてぼそりと呟いた。
「……無駄だ。それじゃ無駄死にだ」
予想外の言葉に、驚愕の表情で火乃香が振り向く。
コミクロンの表情はどこまでも白かった。暗いのではない。ただ白い。そこにはあらゆる感情が消えていた
「あんなのから逃げられる訳もないし、勝てるわけもな、いっ」
陰鬱な言葉を吐き捨てたコミクロンの語尾が跳ね上がる。
ヘイズがコミクロンの胸ぐらを掴んでいた。押し殺した怒声があげる。
「じゃあどうしろってんだ! このまま無駄死にするってのか!」
「俺たち全員が何をしようと、それは無駄死にになるっていってるんだ!」
いつになく強い語調で、コミクロンが絶叫する。
そこに――その底なしの悲壮感の中に、だが諦観がないことにヘイズは気づいた。
胸ぐらを掴まれたまま、コミクロンが冷たい口調で断言する。
「だから、俺が行く。俺がしんがりで足止めをする。
その間に三人はバラバラに逃げてくれ。そうすれば少しは生き残る確率もあがるだろ」
「馬鹿なこと――」
制止の言葉をあげようとしたヘイズの喉に、夜気で冷えた指先が当たった。
コミクロンの指だ。いつの間にか胸ぐらを掴んでいたヘイズの手が払われ、逆に急所に触れられている。
その正確さと指先から伝わってくる冷気に、ヘイズは身震いした。
いつもふざけたことを言っていたこの男は――こんなにも冷たい表情ができる奴だったか?
「……ティッシやキリランシェロほどじゃないけどな。<塔>の魔術士には戦闘訓練が課されているんだ。
殺す覚悟と――殺される覚悟。必要なら、その両方を魔術士は要求される」
我ながら馬鹿げたことを言っていると、コミクロンは自覚していた。
暗殺の時代は終わったのだ。そんなのは前時代的な、カビの生えた訓示でしかない。
それが自分に必要になるなんて、ずっと思っていなかった。
「でも、いまは必要なんだ」
今のコミクロンの命を捨てる覚悟とは、誰かを救う覚悟。
二度と仲間を死なせたくない。自分の無力さが死なせた少女の肌の冷たさ。
そんなものは、もう沢山だ。
「どのみち空を飛ぶ奴らに有効な攻撃手段を持っているのは俺だけだろ。だから」
「……私のことを忘れてない?」
言葉を遮ったのはそれまで沈黙を守っていたパイフウだった。
コミクロンは僅かに目を見開いた。<塔>の最機密――いや、もはやこのゲームにそれは愚問か。
「……施条銃か。でも、それじゃ単純に威力が――」
「威力は関係ないでしょう? あくまで“囮”ならね」
コミクロンはびくりと身を竦めた。
目の前の女性が発した言葉の裏には、自分が相打ち狙いで挑もうとしていることを見破っている響きがあったからだ。
魔術士達は魔術を制御するため、無意識のうちに全力を封じている。
その制限を外して全力で放てば、おそらく刻印で弱体化している今の状態でも通常規模の魔術を放てるだろう。
ただし、バックファイアで確実に死ぬことを厭わなければだ。
コミクロンはそれを承知で意味消滅を仕掛ける気でいた。
この中で傷を治療できるのはコミクロンしかいない。だからコミクロンはひとりで行く必要があった。
自分の中にある、目前でシャーネを死なせた悲しみ。それと同種のものを置き土産にするのは趣味が悪すぎる。
そう、思っていた。
その後ろ向きな逃走を、パイフウが打ち砕く。
「あなたは卑怯者。逃げろなんて言って、一番逃げているのはあなたじゃない」
「……あんたは違うのか?」
逆に問われると、パイフウは苦笑を見せた。
違いない――静かに認める。確かに自分は逃げようとしている。
その質問には答えずに、パイフウは火乃香を見つめた。戸惑うように、火乃香が口を開く。
「先生は……」
「……お願い、ほのちゃん。聞かないで」
懇願する。彼女に問われれば、自分は容易く決壊してしまうかも知れない。
辺境随一の暗殺者。かつて彼女はそう謳われていた。
だが、いまの自分はどうだ。そんな称号など、見る影もない。
ひたすらにいまの彼女は人間だった。冷徹な殺し屋ではなく、ただの人間。人間では怪物に勝てない。
だから逃げているのだ。火乃香にゲームに乗ったことを知られたくない。火乃香にその理由を背負わせたくない。
だが嘘も言えない。これを逃げといわずに何という?
彷徨うように、指先が外套に触れた。
支援
(私も、逃げることしかできない……)
彼女に出会ってしまえば、冷徹な強さは発揮できない。パイフウという人間は、弱い。
そうか。
(……そうか)
唐突に、気づく。
パイフウは顔を上げた。
そうだ、自分は弱い卑怯者だ――捨て鉢な戦いは出来ない。
何故ならば、その理由は目の前にいるではないか。
「私は逃げるんじゃない。そしてあなた達を助けるでもない」
自分は弱い――だからどうした。
「私には私の矜持がある」
口許に刻むは獣の笑み。
何故黒幕の犬に成り果てた――?
「私は譲れない、奪われたくない物のために戦う!」
――彼女を救うと誓ったからだろうが!
彼女の宣告に、コミクロンとヘイズは黙っていた。だが、長い沈黙ではない。
その言葉には力があった。皮肉にも彼女が破滅の切っ掛けを作った大集団の長、ダナティアと同種の力が。
「やれやれ――ティッシかアザリーみたいな女だな」
「嫌いじゃないぜ。そういうの」
二人の顔には苦笑と了解。だが、火乃香だけが表情を歪ませている。
パイフウは優しい笑みを浮かべながら、迷彩外套を火乃香に押しつけた。少しでも彼女を救ってくれるように。
こんな表情も……忘れていた。管理者共に奪われていた。
だが取り戻した。もう大丈夫だ。この顔ができるのなら、自分はまだ戦える。
「あなた達、彼女をきちんと守りなさいよ――ナイトの役目を譲ってあげるんだから、光栄に思いなさい」
「お姫様ってタマかよ。だが、約束する。俺たちは絶対に死なない。そしてお互いに誰も死なせない」
ヘイズが力強く断言する。
「コンビネーション1−1−9」
コミクロンが大陸最高峰の治癒魔術を発動。鈍痛のみを神経に残し、パイフウの傷が瞬時に塞がる。
「餞別、いやこれは貸しだな。あとで返せよ。そしてこの偉大なる頭脳に刻まれたことを感謝するがいい」
「……ありがとう」
彼女のためならば、臆面もなくそんな言葉も言えた。
「先生……あとで、また会えるよね?」
ただ、泣きそうな顔をした火乃香には、ひと言も返すことは出来なかった。
困ったように笑みを浮かべて、誤魔化す。
彼女にだけは、嘘を付けなかった。
◇◇◇
「……二手に分かれた。ひとりがこっちに向かってくる」
「本当? どっちを狙うの?」
「三人の方を――逃げられると厄介だわ」
シャナが判断した途端、狙ったようなタイミングで銃弾が炎の翼を掠めた。
「……訂正、銃を持ってる。背後を突かれると面倒だから、先にひとりをやるわよ――」
翼を翻し、シャナは標的を捉える。
左目に視界を開き、フリウ・ハリスコーは標的を見据える。
◇◇◇
かつて人は闇を恐れた。
見通せない暗闇を。人智の及ばない何かが潜んでいそうな黒色を恐れた。
人は灯りを造った。知識の灯火は、しだいに暗闇を生活の圏内から遠ざけていった。
だが、それでも暗闇は無くならない。闇を忘れても、人は闇を恐れる。
パイフウは暗闇の森を全力で走る。そこに恐怖はない。あるとすれば怖いくらいの歓喜だった。
彼女の足取りに迷いはない。外套を脱ぎ捨てたパイフウの体は軽い。
だがそれ以上に、彼女の体を強く後押ししている物がある。
それはとてもとても古くさく、
それはとてもとても青くさく、
だが世界の何よりも強靭だった。
聞かれれば赤面してしまうほど恥ずかしい。だが、いまはそれがむしろ誇らしい。
今も昔もこれからも、これはきっと最強の武装だ。
(ほのちゃんを助けられる。ほのちゃんの為に戦える)
冷徹を気取り、管理者の犬になることは我慢できた。
だが、嫌悪はあった。いくら押し込められても気に入らないことには変わりない。
いまは、それがない。
(私はいま――臆面もなくほのちゃんの為に戦えている!)
空を見上げる。輝く翼で飛行する物体は目立ったが、的は小さい。
構わずにパイフウはライフルを構えた。一発だけ撃つ。
観測手は居ない。だが弾丸は敵を掠めた。有り得ざる手応えにそれを感じた。感覚がひたすら鋭敏になっている――
(私は最強だ)
パイフウは一点の疑問もなくそれを信じることが出来た。
自分は死ぬ。それはきっとひどく火乃香を悲しませるだろう。
ごめんなさい。ほのちゃん。あなただけにはこの苦しみを背負わせたくなかった。
(私が殺した人達も……きっとそう。悲しんだ人がいた)
静かに、認める。
どうしようもなかったのだ。パイフウは火乃香を守りたかった。
だけどそれは彼女の都合。それを押しつけられ、殺された連中にとって知ったことではない。
(ごめんなさいとは言えない。償うことも出来ない。
これは代償なんでしょうね。悲しみは連鎖する。それが私の所までやってきた)
だから、逃れられない。パイフウはここで死ぬ。
(だから……今一度の、自分勝手を)
パイフウは跳躍した。
太い木の枝に掴まり、逆上がりの要領で一回転。幹に背を預けて、射撃体勢を取る。
――思ったよりも速い。スコープに映った大きな影を、パイフウは睨み付けた。
きっとあれは自分を殺す。
そしてきっと、あれは自分より弱い。
思わず唇の端が吊り上がり、真珠色の犬歯が覗く。
弾倉内に残っていた弾丸を全て撃ち込む。火薬が連続して炸裂する威力に銃が震える。
だが、パイフウはそれを完全にコントロールしきっていた。迫る二人組が回避の為に旋回し、僅かに遠ざかる。
パイフウはすぐにその場から飛び降りた。一秒後、影が再び接近し、樹上に銀の巨人が現れる。
タリスマンのブーストを飛行に使っているので、破壊精霊の力は再び制限されている。
それでも銀の一撃は、パイフウが足場に使っていた大樹を粉微塵に打ち砕いていた。
パイフウは走る。できるだけ火乃香達から遠ざかるように。
背後で銀の巨人が消え、再び影が上空に舞う。
(やはり、あの巨人はある程度近づかないと使えない)
どれだけ離れても使えるのなら、先程の戦闘であんな奇襲をする必要はない。
地上に降りてくれば、闇に乗じての狙撃と奇襲に秀でるパイフウの餌食になる可能性がある。
だから空の利を捨てるつもりは無いのだろう。しかし、ならば一撃でパイフウを仕留めなければならない。
(ならば一撃で殺されなければいい)
その根拠の無い自信は、無限に沸き上がってくる。
疑問の声が聞こえた。落ち着き払った、だがどこか苛立ちを含んでいるようにも聞こえる。
『……君は誰だ。かつてのミズー・ビアンカなのか?』
その質問に、彼女は大笑した。
誰が発した疑問なのかは知らないが、馬鹿げたことを言う。
「愚問」
彼女はパイフウ。ただのパイフウ。
現在、この島にいるどの参加者よりも強い最強者。誰にも冒せない無敵の存在。
『何故奪えない……君は心の証明なのか?』
証明せよ。心の実在を証明せよ。
問うことだけしなかった精霊は、理解できない。
――それはとてもとても古くさく――
――それはとてもとても青くさく――
どこまでも陳腐なそれは、だが世界の何よりも強靭だった。
「私から、心を奪う?」
浮かべるのは優しい笑み。火乃香のことを想うだけで、この笑みはひたすらに尽きない。
「奪いたければ触れるがいい。だけど、誰も私からは奪えない」
空を見上げる。影は直上から一気に降下。最速の助走を付けて、炎弾と破壊精霊を繰り出してくる。
パイフウは、吼えた。ライフルに新しいカートリッジを叩き込み、初弾を薬室に装填する。
――彼女は取り戻した。完全にとまではいかないが、奪われていた物を取り戻した。
「――私は、最強だ!」
――それから数分後。
(……思ったよりも手間取った)
地面に着地して、無感動にシャナは呟いた。
幾度目かの突進の末、解放された破壊精霊ウルトプライドはその豪腕を標的に叩きつけた。
標的が、この世界いたという痕跡も残さずに消失する。
今の彼女にとって、殺人とは時間の経過という意味でしかない。
だがその無感動の中に、彼女は奇妙な違和感を覚えていた。
(なぜだか、勝った気がしない)
確かに『殺した』。確かに『殺されていない』。自分は負けていない。
こうしてわざわざ地面に降りて確認もしてみた。討ち損じた、という訳でもない。
だというのに、なぜだか――実感が湧かない。
(……まあいいか)
それよりも、自分にはやるべきことがある。
振り返る。そこには精霊を封じ、空虚な眼差しを彷徨わせているフリウの姿があった。
「さあ急ぐわよ――あの三人も、そして他の参加者も」
「うん。全部、壊す」
再びデモンズ・ブラッドを活性化させ、増幅した翼を具現化。破壊と殺人の申し子は空に舞い――
そして二人同時に眉をひそめた。
「……なに、あれ」
鬱蒼と木が生い茂る森。
先程まで、確かに森だった場所。
その一部分。ある箇所に生えている木々の群れが、次々と切り倒されていた――
夜の森。木の葉は彼らを上空から覆い隠し、暗闇は痕跡を見つけにくくしてくれる。
それでも死神は追跡をやめないだろう。この島から敵となる生命が消えるその時まで。
ヘイズの背後からは、途切れ途切れに轟音が追いかけてくる。
パイフウは善戦していた。この音が続いている限りは、自分たちが殺される心配はない。だが。
――演算終了。逃走成功確率12,74%
(クソっ)
先程から行っているIブレインの演算結果は、相変わらずろくでもなかった。
逃げれば逃げるほど逃走成功の確率は上がる。だが、それはコンマ小数点以下の微々たる物でしかない。
まるで、どれだけ足掻いても逃れられない未来を予告するように。
バラバラに逃げれば確率は跳ね上がるだろう――だが、誰もそれを提案しなかった。火乃香すらも。
パイフウと別れた後で、一番最初に走り出したも彼女だった。
(火乃香は強い――フリをしてるんだろうな、きっと)
横目で、隣を走る彼女を見やる。
パイフウという、彼女と浅からぬ縁のある女性から受け取ったコートを大事に着込んで走る表情に迷いはない。
だが、それは感情を押し込めているだけだろう。演算ではなく、直感でそれを察する。
それでも、気丈だ。そうして他人を気遣えるのだから。
思わず口許に笑みが浮かぶ。
「どう、したヴァー、ミリオ、ン。酸素、欠乏症、で、幻覚でも、見えたか」
「お前こそ、息、上がってるぜ?」
二人で、声を殺して笑い合う。それでさらに肺に負担が掛かる。
だが、誰も止まろうとはしなかった。いつしか牛歩に劣る速度になろうとも、止まることはしない。
魔界医師メフィスト、そしてパイフウ。
自分たちを生かしてくれた彼らに報いる方法は、きっとそれだけだ。
ひたすらに逃げ続けて、そして――まあ、そこから先はあとで考える。
そのためにも、逃走を完了させなければ行けない。
(それでも逃げるだけじゃ、成功しない)
盲信ではなく、決意でもなく、生き残るためならば現実を直視しなければならない。
それは絶望ではない。生存への意思だ。
ヴァーミリオン・CD・ヘイズ。彼は最強ではない。
フレイムヘイズとやり合えるほどの技量はなく、破壊精霊と殴り合えるほどの膂力もない。
ならば考えろ。もとより自分は欠陥品。その欠陥品のみに許された超速演算。人食い鳩が持てる武装はそれっきりだ。
Iブレインが稼働する。あらゆる情報、戦術、経験を統合し組み合わせ、生存へのロジックを組み上げていく。
(……クソ、足りねえ)
だが何をするにしても、手足の数が足り無さすぎる。
自分の記憶容量が狭いとはいえ、それでも遭遇はつい先程。脳裏に残る残像は鮮明だ。
だから分かる。炎使いの馬鹿げた身体能力には対抗できず、最強無比の巨人には対応すら出来ない。
(……ひとつだけ分かったことがあるとすれば、あの巨人の有効範囲くらいか)
ぽつりと胸中で洩らす。独り言に使えるような酸素は、もはや持ち合わせていなかった。
演算から導き出された結果。あの巨人は制御されているようで“されていない”。
戦術、破壊対象への選別にムラがありすぎる。手近な物から破壊している感じだ。
つまり、障害物が多いところで使用するにはある程度目標に接近しなくてはならない。
(だが、それなら一番近いところにいる使用者に危害が及ばないのは何故だ?)
何者からも制御されないような存在を武器にできるはずがない。どこかで詐欺をやられている。
さらに演算を続行する。
戦闘中、巨人が奇妙な方法で移動することがあった。まるで瞬間移動でもするかのように。
だが本当に瞬間移動が出来るのならば、走ったり跳んだりする必要はない。おそらくはここに意味がある。
科学者が対照実験から見出すように、瞬間移動した瞬間と、その他の時の情報から共通点と異なっている部分を検索。
―――エラー。ほんの僅か、情報が足りない。喉を掻きむしりたくなるようなもどかしさ。
(……クソ、あとひとつ、なにかあれば――)
計算しかできないということは、解答に従うしかないということだ。
ヴァーミリオン・ヘイズ。彼自身に解答を書き換える力はない。
だからヘイズは偶然を望んでいた。
緻密な計算によって戦闘を行う彼にとっては、忌むべき要因でさえあるそれを。
(……けっ。らしくもないか)
そんなものに縋るとは、情けないにも程がある。
演算を止めずに、こうなりゃぶっ倒れるまで走ってやる、と覚悟したその時。
不意に、前方の茂みから人影が飛び出してくる。
(っ――こんな時に!)
三人は急停止した。合わせるように、人影も警戒するように拳を構える。
暗がりで不鮮明にしか確認できないが、どうやらそれは服の色のせいもあるらしい。全身黒ずくめ――
(最悪だ――思いっきりマーダーくせえじゃねえか!)
あまりにも強大なマーダーに追われていたため、遭遇戦など予期していなかった。
三体一とはいえ、ここで光や音のでる攻撃をしたら追撃者達に居所がばれる。
仮に相手が格闘の達人なら、無音で無効化できるのは剣技に秀でた火乃香しかいない。
だが、敵には無音という制限がない。
仮に銃器や魔法のような武器を持っているのだとしたら牽制しなくてはいけない。
「お前は――」
「お前ら――」
発言は同時。だが、構わずにヘイズは続けた。
「このゲームに乗った奴か!?」
「この近くで戦闘があったのか!?」
叫び合った内容から、情報を確認する。
互いにマーダーでないことが、一応は宣言された。だが、ヘイズ達には時間がない。
警戒は解かず、視線を逸らさないまま首を振る。生存のための地響きはまだ続いていたが、いつ途切れるとも知れない。
「悪いが話してる暇はない。後ろから超弩級のマーダー組が追撃してきている。いまは仲間が足止めしているが――」
「どうでもいい! 戦闘があったのなら、そこに金髪の小娘がいなかったか!?」
無視するようにして叫ぶ黒ずくめ。噛み合わない会話と時間の浪費に苛立ちが募る。
「いなかったよ! とにかく今はそんな場合じゃないんだ――!」
「ヘイズ、時間の無駄よ。まだ先生が食い止めている内に、早く」
「うむ。その通りだヴァーミリオン」
コミクロンが最後にそう断じた。黒ずくめにびしりと指を突きつけ、宣告する。
「貴様、とにかく道を空けろ! でないと俺様の問答無用調停装置が――」
「って――コミクロン!?」
なにやら黒ずくめが驚愕し、絶叫する。
どうやらコミクロンに原因があるようだが――
(――おい、待て)
ヘイズは違和感に気づいた。まだこちらはコミクロンの名前を口にしていない。
ヘイズとコミクロンは最初期の頃から組んでいるが、この目の前の男に遭遇したことはない。
ならば、この黒ずくめは――
「むう。貴様、何故この世紀の大天才の名を――ああ、俺が天才だからか」
「やっぱりコミクロンか。いや、俺――僕だ! キリランシェロだ!」
「……なんだと? キリランシェロ? 嘘を付け、リストには載ってなかったぞ」
「いまはオーフェンって名乗ってるんだよ――ていうか、クソ。こんなのありなのか?」
「つまり――」
ヘイズは会話を遮った。時間が惜しい。
「あんたはコミクロンと同郷の――魔術士か? 証明できるものは?」
「<牙の塔>、チャイルドマン教室で一緒に学んだ。チャイルドマンはキエサルヒマ最強の黒魔術士だ。
ついでに、これがその証明だ」
黒ずくめが銀色を投げてくる。ナイフを警戒したが、どうやらそれはペンダントらしい。
コミクロンがキャッチし、裏側を確認する。
「コミクロン?」
「……確かに、キリランシェロのだ。言ってることも正しいが……」
むむ、と唸るコミクロン。時間の経過に苛立ちを隠しきれなくなってきた火乃香。
――パイフウと別れてから約一分。命と引き替えの足止めも、そろそろ限界だろうとヘイズは踏んでいた。
だがコミクロンと同郷だというこの黒魔術士の協力が得られれば。
事態を好転――とまでは行かなくても、破滅を先延ばしくらいは出来るかも知れない。
「キリランシェロ――だったか? 急いでいるようだったが、ここから先には進めない。
凄腕のマーダー二人がこっちを追跡している。誰彼構わず殺しまる最悪の奴らだ。だから俺たちと――」
「――悪いが組んで逃げるっていうのはなしだ。それよりも、くそっ。誰彼構わずだと? 最悪じゃねえか!」
「アンタは何しにここへ? 目的があるんなら協力できるとは思わないか?」
相手の返答に失望を覚えながらも、ヘイズは根気強く尋ねた。
このまま逃げ続けて僅かな確率にかけるか、あまりレートの良くない博打にかけるか。
確率としては五分五分だろう。
「……この近くで零時に仲間と待ち合わせをしていたんだが、俺もマーダーの痕跡を見つけて戻ってきたんだ。
いまから一時間くらい前に待ち合わせ場所に着いた。そしたらついさっき爆音と叫び声みたいなのが聞こえた。
仲間が被害にあったのかもと思って見に行こうとしたら、いまここであんたらに会ったわけだ」
一息でそう言い切ると、オーフェンは急にあれ? といって辺りを見渡し始めた。
「そういやあの人虫、どこにいきやがった? さっきまでそこにいたんだが」
「連れがいるのか? 小娘?」
「いや、きっぱりと連れってほどじゃないんだが、そいつの知り合いがいたらしくてな。
話を総合すると、どうもアンタ達のいってるマーダーがそうみたいだが――」
「――待て。敵の知り合いがいるのか?」
ヘイズははっとして、オーフェンに詰め寄った。
オーフェンは肩をすくめるような動作をすると、頷いた。
「ああ。つっても人畜無害……いやまあ、とにかく物理的な攻撃力はない奴だが」
「んなこたどうでもいい!」
急に声を荒げるヘイズ。その変貌に、残りの三人が絶句する。
ヘイズ自身も驚いていた。自分のことなのに、そうする理由がよく分からない。
だが、胸中に怒りはなかった。あえてカテゴライズするとすれば、それは――
「そいつはどこにいる!? いや、アンタでもいい。敵について何か聞かなかったか!?」
「ちょっと、ヘイズ――」
「おい、ヴァーミリオン?」
火乃香とコミクロンの問いにも、ヘイズは答えない。
オーフェンはしばらく考えるように虚空を見やった。記憶を辿る。
巨大な咆吼が響いた時、それにスィリーは反応した。ただし、やはりいつもの軽い空虚な口調で。
『ぬう。あれはまさしく小娘魔神の雄叫び』
『小娘?』
『小娘を知らんのか? 増長し、すぐに泣き、さらに喧しく、俺様を拉致監禁しようとする残酷な生き物だが』
『……さっきいってた奴か。そいつが……近くにいる? あの叫び声はそいつのか?』
『あんな声で叫ぶのは小娘とはいわん気がする。絶対ナイフとか舐め回してるし、無駄にマッチョそうだ。
しかしまああれだな。無抵抗飛行路に干渉できる精霊が解放されたとしたら、俺も安全じゃねえしな。
逃げていいか?』
『危険なのか!?』
『うむ。長老は言っていた。水晶眼に掴まりたくなかったら人間には近づくな、と。
まあ実際のところ近づいて水晶眼に掴まる可能性は皆無なわけだが、死んじまう可能性があるというのは洒落にならん。
――っておい黒ずくめ、急に走ってどこにいく?』
さほど長くはかけずに、答える。
「……水晶眼がどうこうだとか、魔神だとか、そういう益体もない話は延々と聞いた」
「水晶眼? 魔神?」
「さあな。意味までは知らねえよ。というより、あの人虫の言うことに意味があるのかどうか――」
かぶりを振りながら、オーフェンの言葉の後半は呻き声になっていた。
だが、ヘイズはそれを聞いていない。I−ブレインが再び高速で演算を開始している。
そうして、ようやく“答え”がでる
(――繋がった)
足りなかった部分に、繋がった。
偶然にも。
「くっ――はははははは!」
「ちょ、ヘイズ!?」「ヴァーミリオン!?」
笑いが止まらない。こんな偶然は彼の高度演算機能ですら算出できない。
だからこそ、あの常識外なマーダー達に打ち勝てる。
「――あるぞ」
「……え?」
唐突に呟いたヘイズにきょとんとする二人と、黒ずくめ――確かオーフェンだかキリランシェロだかと言ったか。
彼らを見渡しながら、ヘイズは紡いだ。反撃の言葉を。
「この戦いに勝つ方法だ。俺たちは勝ち残れる――」
タリスマンの力で炎の翼を増幅。飛翔し、目標を捉えるまでに一分と掛からない。
だが、シャナはこのまま突撃することを得策ではないと判断する。
吸血鬼は夜に生きる生物だ。いまのシャナは、暗くて視界に困るということはない。
その超視覚が、敵の奇妙な動作を見破っていた。
十メートル四方ほどに木が伐採され、平地となったその中心に顔までは見えないが三つの人影がある。
(たぶん、待ち伏せ)
シャナは決して自分の力を過信してはいない。
そこに油断はない。なぜならば、彼女には果たすべき目標があるからだ。
敵を、殺す。自己保存の為ではなく、他者の生存の為に殺す。
殺さなければいけない。その義務のために、彼女に失敗は許されない。
故に、彼女に油断はない。
敵もまさかこの局面ではったりはあるまい。待ち構えているということは、こちらを打ち破る自信があるということ。
おそらくはあの急造の陣地も、何かを狙ってのことなのだろう。
(なら、こっちもそれを利用する)
フリウはシャナ。シャナはフリウ。
この短時間での戦闘で、彼女たちはお互いの癖や性質を完全に把握し始めていた。
歪んだ心の合致は、それほどまでに強い。
「真上から仕掛ける。障害物がないから、おまえの破壊精霊を最大射程で使える」
「分かった」
フリウが答える。
彼女の使う破壊精霊はあくまで虚像。ただの投影ゆえに、精霊は彼女からそれほど離れられない。
かつてリス・オニキスニに指示する前。生涯で二度目の解放をした時に、彼女は精霊に引きずられていた。
先程のパイフウとの戦いで、すでに彼女たちは障害物の多いところは不利だと悟っている。
待ち伏せされているのだったら、接近戦もそれほど安全ではない。
――ならば一番の有効策は、最遠距離から最大火力を叩き込むことだ。
「上空に到達したら、翼のブーストを解いておまえに回す。一撃で決めて」
言い放つより速く、シャナは急上昇を開始する。
フリウ・ハリスコーは念糸を紡ぎ始めた。水晶眼に接続し、開門式を唱えるタイミングを計る。
ふと、フリウはシャナを右目で盗み見た。
抱えられているため、接している部分からは人の温もりを感じる。だが。
(……あたしは、この人と同じ)
自分の温もりならば、信用できない。それは錯覚かも知れない。
かつてフリウ・ハリスコーは未知を下した。
信じるに足る、確たる物。それを問われ、フリウ・ハリスコーはひとの繋がりを示した。
証拠などない。だが信じられるもの。
ひとは独りでは生きられない。だが、ふたりならきっと信じられる。
シャナにはいる。多くを失ったが、それでもシャナは己が信じられる者の為に戦っている。
フリウにはいない。全てを失い、フリウ・ハリスコーは孤独だった。
(だから、あたしは何も信じられない)
気配がした。気のせいかも知れない。だがどちらも似たようなものだ。その本質は果たされるであろう未来にある。
精霊アマワ。フリウはぼんやりとその名前を繰り返した。
黒幕はきっとこいつだろう――シャナから聞いた時、フリウは確信していた。
アマワはいつも奪っていく。そしていまのフリウにそれを止める術はない。
(サリオン……アイゼン、ラズ、マリオ、マデュー、マーカス、ミズー・ビアンカ……)
もう会えない彼らの名前。そこにフリウはいくつか名を付け加えた。ロシナンテ、要、潤、アイザック、ミリア。
失ったものは、取り返せない。この異界に来て、フリウ・ハリスコーはすべてを失った。
信じられない……ひとりであるかぎり何も信じられない……
(だから、全部壊そう)
知らずの内、俯いていた顔をあげる。と。
「よお」
「……」
そこには見覚えのある顔があった。
いや、顔というには語弊があるか。こちらから十センチほどしか離れていないのに、その全身象が視界に収まる。
最初に浮かんだ感情は、懐かしさというよりは単純な疑問だった。
「……スィリー? なんであんたここにいるのよ」
「さあなぁ。高度すぎて言っても小娘には理解できないかもしれんし」
羽があるというのに、相変わらず人精霊はそれを無視した姿勢で飛行していた。寸分違わず、こちらと同じ速度で。
「しっかしまあ、随分な挨拶だぁな。
俺を置いてった黒ずくめを追いかけてたら、何やら森林破壊活動に勤しんでる小娘を見つけてわざわざ来てやったのに。
まあ小娘だからな。ああ小娘ならしょうがないな」
うんうんとスィリーは勝手に納得すると、だがすぐに顔をしかめた。
ようやく周囲の状況に気づいたとでもいうように辺りを見渡し、言ってくる。
「ぬう。しかし小娘も飛べるようになっていたとは小癪千万。
こうして制空権まで奪われて、俺は西へ東への根無し草。まあもともと飛んでるのに根っこも何もないが」
以前と変わらず、何の益体もないことを言う人精霊は、しかしある一点で視線を止めた。
その視線を辿ろうとし、全く辿れないことで理解する。スィリーは念糸の繋がれた水晶眼を注視していた。
「……制空権の徹底的剥奪か? いや、答えんでいい。ところで俺帰ってもいいか?」
「あ――」
その言葉に。
無意味なはずの人精霊の言葉に反応するように、フリウは反射的に念糸を解こうとしていた。
――その刹那。
きゅぼうっ、というゴム地を指で擦るような音と共に、火球がスィリーを飲み込んだ。
火は一瞬で消えるが、その時にはスィリーも焼失している。
「……余計なことは考えなくていい」
耳元で、そんな声が響く。
シャナは気づいたのだろう。繋がっていた同一の存在が、同一でなくなろうとした瞬間を。
歪みで練り上げられた彼女たちの絆。それはあらゆる意味で、この世の如何なる物質を破壊できる破壊精霊と同じだ。
それはもしかしたら、一番弱い。
手軽に簡単に信じることの出来る手段。だが、最強ではない。
怒りは湧かなかった。フリウは再び俯いて、念糸を繋ぎ直す。
(……あたしは、これで本当に全部なくしちゃった)
気づけば上昇は終わり、下降に転じている。
フリウ・ハリスコーは開門式を唱え始めた。シャナも翼のブーストを解除し、増幅の呪文を唱える。
再び彼女たちは同一となった。完全に息のあった動作で、その他余分なものは一切無い。
それでもフリウは自分の頬を撫でてみる。
しかし一筋も濡れていないことだけを確認すると、彼女は再び狂気に没した。
◇◇◇
「……真上から来たか」
火乃香の努力によって突貫工事で造り上げた舞台。その中心に根付いている切り株の上でヘイズは待ち構えていた。
<I−ブレイン。動作効率を100%に再設定>
抵効率で直前までひたすら演算させていたI−ブレインを一気に引き上げる。
初撃は自分が担う。失敗すれば全滅だ。
それは許されない。だからこうして周到なまでの用意を行った。
夜の静寂は空気分子の運動予測演算を容易くさせた。
舞台を整えれば、木の枝や葉がぶつかり合うことで空気分子の運動を不規則にさせることもない。
パイフウがいなければ、こんな大がかりな仕掛けは出来なかった。
だから失敗は許されない。支払ったものを無駄には出来ない。
ヘイズは上空を睨みやる。
木を切り倒したのは、演算の補助ともうひとつ理由があった。視界の確保。
こちらが相手を確認でき、さらには相手からもこちらを確認してくれなければならない。
双方がお互いを認識していると確認することで、奇襲という可能性は消える。
(そうすると、互いのアドバンテージは待ち伏せの罠と、突貫の勢い)
こちらの罠が相手を打ち破るか。それとも相手の圧倒的戦力がこちらを打ち破るか。
――決まっている。
(俺たちが、勝つ)
敵は炎の翼で姿勢を制御しながら降下してくる。
降りてくるのは小娘ふたりだが、隕石が降ってくるのと然したる違いはない。
未だ、翼の光は豆粒のように遠い。だから錯覚だろうが、ヘイズには彼女たちの顔が見えるような気がした。
白い眼球を、こちらに向けて。
(視線か)
巨人の瞬間移動の謎は、僅かに情報が足りずに解けなかった。
だが、オーフェンが洩らした単語。眼という単語。それがヒントになった。
銀の巨人は、常に少女の目の前にいた。目の前にしかいなかった。
これならば全ての仮定に説明が付く。少女が自分を見ないかぎり、自分が攻撃の対象になることはない。
おそらくは眼球が向いている方向にしかあの巨人は顕現も出来ないし、進むことも出来ないのだろう。
恐ろしいほどの偶然が、最後の一押しとなった。
『俺の先生曰く、起こっちまった偶然を否定するのは愚か者だってな』
全ての事情を話したとき、あの黒魔術士はそんなことを言っていた。
(……腑に落ちないが、確かに疑ってもしょうがない)
この反撃は全てが笑ってしまうほどの偶然によって成り立っていた。
頭上の点が大きくなる。重力に引かれ加速しながら、破壊の使徒達が舞い降りてくる。
だが、ヘイズはその降下を完全に予測演算していた。
速度、炎の翼による空気の揺らぎ、そして取るであろう最適戦術。
ありとあらゆる要因を予測し尽し、仮定の未来を見ることは容易い。
なぜならば、彼はヴァーミリオン・CD・ヘイズであるからだ。
(お前達の判断は正しい。あの時点での急襲は、本来俺たちにとってチェックメイトだった。
ただ、誰も予測できないクソみたいな偶然が全てを変えた)
――彼らは知る由もないが、それは偶然ではなく必然だった。
この島の『偶然』は全てアマワの物だ。契約者たるアマワ。契約はあらゆる偶然をもってして存続される。
アマワが誰かに味方することはない。ただ、解答を提示できそうな者を存続させるだけ。
それがシャナだった。故に、本来ならばヘイズ達を偶然は助けず、逆に破滅させる。
ヘイズ達はオーフェンと偶然にすれ違っただろうし、あるいは偶然に最強の戦闘狂と再会する可能性もあった。
だが、アマワはその時余裕がなかった。
ただひとり――最強を自ら証明する者が居たために。実在する心があったために。
シャナとフリウが近づく。水晶眼の最大射程。それはヘイズの射程より、僅かに長い。
コミクロンの魔術ならば迎撃も出来ただろうが、怪物となったシャナに防がれるのは自明の理だ。
故に、コミクロンは動かない。ただ、ヘイズだけが一直線に敵を見据えている。
「此に更なる魔力を与えよ!」
「――開門よ、成れ!」
破滅が宣告される。
音もなく、完全な破壊精霊ウルトプライドがヘイズの傍らに現れる。
破壊精霊は最寄りの物質から破壊する。この場合は、平地の中心にひとり佇むヘイズから。
だが、誰も動じない。
ウルトプライドが拳を振り上げる。それでも誰も叫ばない。
(敗因その一。俺はすでに、その巨人を一度見ている)
故に、予測演算のための情報には困らない。
拳が振り下ろされ、着弾して、ヘイズがこの世から消滅する瞬間。
その死までの予定時刻を、ヘイズは完全に予測しきっていた。
<予測演算成功。『破砕の領域』展開準備完了>
空を飛ぶ彼女達。上空から落ちてくるのならば、それはこちらに近づいてくるということだ。
銀の軌跡がヘイズを捉える直前――その僅か寸前に、射程に届く。
ヘイズは指を鳴らした。パチンという小さな音が、だが決定的に静寂を揺るがす。
指先から生じた空気分子の変動が広がり、それは夜空に論理回路を展開する!
破壊を司る巨人が、消える。
「っ!?」
彼の『破砕の領域』では、巨人に致命傷を与えることは出来ない。無論、上空の彼女たちにもだ。
だが、ひとつだけ例外があった。
彼女たちの姿勢を制御していた物。破壊精霊を宿すフリウが下を向いているために必要な物。
炎の翼が、情報解体される。
咄嗟のことだ。スカイダイビングの経験者だって即座に対応することは出来ない。そしてフリウにその経験はない。
体勢が落ち葉のようにクルクルと回転し、破壊精霊の照準が定まらない!
「くっ――!」
シャナはフリウを後ろから抱きかかえているため、破壊の視界に入ることはない。
だが、このままでは激突死は免れない。
シャナは意識を集中させた。再び翼を作り、姿勢を制御。
(予測済みだっ!)
前の一撃の後、ヘイズはすでに次の演算に移っている。
<――『破砕の領域』展開準備完了>
ヘイズがもう一度指を鳴らし、翼を散らす。
まるで神話にある蝋の羽の英雄のように、彼女たちの落下は止まらない。
シャナは翼を展開し続けるのは難しいと判断した。よって、その選択肢を排除。
地上ギリギリで一瞬だけ翼を構築し姿勢制御、吸血鬼の身体能力を使い、落下の衝撃とフリウの体重を支える。
フリウは目が回っていたが、それでも吐き気は堪えていた。歪む視界にヘイズを捉える。
(壊れろ!)
念じる。破壊精霊が狙いを取り戻し、再びヘイズを狙う。
ヘイズに避ける手段は、無い。
だが、やはりヘイズは動じない。避けるでもなく、じっと精霊の拳を見据えている。
(敗因その二。俺たちの方が手足の数は多い)
ヘイズに避ける手段はない。だからヘイズの代わりに、未来を書き換える者が居た。
ガサリという木の葉が擦れる音。
倒木の、葉っぱが生い茂ったたくさんの枝。そこからコミクロンの上半身が突きでている。
敵の上昇を見て取った瞬間、すぐに二人はその中に隠れていたのだ。
コミクロンは頭の中で編んでいた、巨大な魔術構成を解き放つ。
ヘイズの論理回路と相克し、黒魔術は弱体化する。
だが、関係なかった。
なぜならばコミクロンの構成は巨大でこそあったが、内容は見習いでも出来るような単純なものだったからだ。
しかしシャナの反応も速い。瞬時にコミクロンとの間に夜傘を展開し、防御の体勢を取る。
だが、それも関係はない。
なぜならば、それを破壊するのは破壊の王なのだから。
「コンビネーション0−2−8!」
フリウはその破壊の左目の中に、ヘイズを映していた。
だが、その姿が変化する。
(……誰?)
見覚えがあるようで、ないようで、はっきりしない。
だが、すぐに気づく。見覚えはある。だが、それを生の視線で見ることは無かった。
フリウ・ハリスコー。絶対破壊者が己の視界の中にいる。
(どうして――!?)
コミクロンの使った魔術は光線の屈折。
百八十度屈折し、反射となった視線はフリウ自身を捉えていた。
破壊の王が顕現する。フリウの前に、初めてその破壊意思を主に向ける。
「――!」
慌てて閉門式を唱え、精霊を封印する。
フリウと繋がっているシャナも、視界の変化を感じていた。だが、戸惑いはない。
贄殿遮那を一振りする。瞬時に平地は炎に満たされた。
通常の炎ならば魔術に干渉は出来ない。だが、シャナの炎は普通の炎ではない。
コミクロンの魔術の構成が焼き尽くされ、さらに拡大してヘイズとコミクロンを狙う。
「我退けるじゃじゃ馬の舞い!」
フレイムヘイズの炎が魔術に干渉できるのなら、魔術もまた炎に干渉できる。
パン――という乾いた音がして、炎が鎮火される。
「新手か!」
シャナとフリウが声の方を見やると、やはりコミクロンと同じように隠れていたオーフェンの姿があった。
魔術は防御と攻撃、そのふたつを同時に行えない。
その欠点を補うため、一方が防御を、そしてもう一方が攻撃を司る。
オーフェンの世界での強力無比な戦闘集団。宮廷魔術士<十三使徒>の常套手段。
だがその戦術は、彼らの異能が連発できないということを暗示していた。
シャナはそれをすぐに看破し、とフリウと共に次の行動に移っていた。予想外。だが、まだ戦力はこちらの方が上だ。
(わたしがあの白衣を殺す。あなたはもう一度精霊を)
(わかった)
言葉すら使わず、意思の疎通が行われる。
「通るならばその道。開くのならばその扉――」
フリウの開門式を背に、シャナが駆け出す。左手に贄殿遮那。右手に神鉄如意。
だが、一歩目を踏み出す時にシャナは違和感を覚えた。
黒ずくめの出現は予想外。ならば。
(もうひとりは――どこだ!?)
気付き、コミクロンへと向かう速度を上げる。
その時、声が聞こえた。
「敗因その三――」
もはや空気分子の振動のことを考えなくてもよいヘイズが呟いている。
炎の余波で『破砕の領域』は使えない。だが。
「――うちのお姫様を怒らせたことだ」
鮮血が舞う。
背中を袈裟に斬られ、シャナはその場に崩れ落ちた
倒れ臥す最中、見ると虚空から騎士剣と、そして無慈悲にこちらを見下ろす少女の顔が浮いている。
火乃香だった。形見の迷彩外套を身に纏い、敵が着地した瞬間から気配を絶って忍び寄っていたのだ。
奇襲ならば、身体能力の差を零に出来る。
「――先生の、仇だっ!」
そう叫ぶ彼女の顔は、泣いているようにも見えた。
居合いの勢いは、体を両断するものだっただろう。
だが寸前に気付いたシャナは、何とか回避行動を取れていた。
傷は深いが生きている。生きているなら、まだ殺せる。
「――殺す!」
具象化した炎の拳が、火乃香を打ちすえようと振るわれる。
だが、そこに標的はいなかった。
「――え?」
最初から、火乃香は二撃目を振るうつもりはなかった。
すでに火乃香は引いている――『射線上』から。
いつの間にか、コミクロンとオーフェンはヘイズの元に駆け寄っていた。火乃香も大きく迂回しながら、それに合流する。
(不味い――!)
コミクロンとオーフェンは、すでに次の魔術構成を展開していた。
傷ついた体を無理に動かし、シャナが無防備なフリウの前に立つ。
防御用に夜傘を再び展開する。
「敗因その四。偶然この場にいた魔術士は、コミクロンより強力だった」
「ふっ、この天才の人脈だっ!」
騒ぐ二人を横目に――
オーフェンは力強く、真っ直ぐに指さした。眼前の敵を。自分と探し人を危険にさらす存在を。
大規模な構成を編み上げる。魔力は弱められたが、訓練による自制は損なわれいない。
だが、本来の規模でなければ威力が足りない。
その威力をコミクロンが補い、構成を編む一弾指を火乃香が稼ぐ。
「我が左手に――」
「コンビネーション――」
だが呪文を唱え始めた瞬間、フリウが開門式の末尾を唱えた。
「開門よ、成れ!」
破壊精霊が顕現する。不完全だが、それでも人を殺すには十分な力を持っている。
フリウはこの瞬間を待っていたのだ。視線をねじ曲げられる術を使う二人が動けなくなる瞬間を。
視界を得た水晶眼に、四人を映す。
ウルトプライドは咆吼をあげ、目の前の一番手近な目標を殴り飛ばした。
澄んだ音が響き、剣が、舞う。
「――!?」
弾き飛ばしたのは、火乃香が投擲した騎士剣だった。
それでも破壊精霊は突進するだろう。そして敵を破壊するだろう。
――だが、それは失われた未来の出来事だ。
膨大な演算の先に、小さな勝利を掴み取る。
全てを予測し、計算し尽したのはヴァーミリオン・CD・ヘイズ。
――それしかすることのできない、欠陥品の人食い鳩である。
「――冥府の王!」
魔術が発動する。キエサルヒマ大陸でも最高峰の魔術師達が吼える。
崩壊の因子。それは破壊の王の胸部に着弾し、着弾した部分を崩壊させ、大爆発を引き起こした。
物質崩壊が破壊精霊を消し飛ばし、夜傘に傷を付ける。
それでもアラストールの皮膜は威力の大部分を削いだ。
――そして、次の攻撃は防げない!
「――5−3−8!」
コミクロンの不慣れな空間爆砕の構成は、それでも傷ついたシャナとフリウに逃げる暇を与えなかった。
空間が踊る衝撃に夜傘が完全に引きちぎられ、その主と背後の絶対者を吹き飛ばす。
――そして荒れ狂う衝撃が止むと、そこには何も残ってはいなかった。
勝敗は、決した。
「……やった、のか」
ヘイズはその場に座り込んだ。I−ブレインを酷使したため、酷く頭痛がする。
誘われるように、コミクロンとオーフェンも腰を下ろした。巨大な魔術の使用は、容赦なく体力を奪う。
「――肝が冷えたぞヴァーミリオン。この天才も、二度くらいもう駄目だと思った」
オーフェンは呻く体力も惜しいのか、ただ荒く息を吐くだけだ。
黒魔術の最終形態の一、物質の崩壊。その代償は大きい。
オーフェンは黙ったまま、少し離れたところにいる少女を見ていた。
立ったままの火乃香。聞いたところによれば、大切な人を失ったばかりだという。
オーフェンにはクリーオウがいる。火乃香にはもういない。
だが、その横顔を見て、オーフェンの胸中にはある言葉が浮かんだ。
(だが絶望はしていない、か。この島にも、まだ希望は残っている)
苦笑する。
――この島に神はいない。
人は疑心暗鬼に殺し合う。
だが。
「だが、絶望しない。してたまるかってんだ」
冷えた夜に、荒く白い息が立ち昇る。
それを見ながら、オーフェンの苦笑いは止まらなかった。
◇◇◇
目を開けると、そこは森の中だった。
それは当たり前だろう。吹き飛ばされたのだから、背後の森の中にいるのは当然だ。
――だが、それを見ることが出来るのは不自然だ。
(――生きている? 何で?)
フリウは己の生存に驚愕していた。
あの瞬間、死ぬのは当然だと思った。破壊精霊を失った眼球の痛みを感じた瞬間。
そして目前で同一視していたシャナの体が消失した時、ならば自分も死ぬのだと思っていた。
だが、生きている。
(……そうか)
破壊精霊は、死ぬ間際まで破壊を止めない。
爆破の瞬間に、拳を振り下ろしていたのだろう。
それが威力を相殺し、尚かつシャナに守られる形になったフリウを救った。
ウルトプライドの真の性質を見抜けなかった、ヘイズの冒した唯一の計算違い。
(なら、壊さなきゃ)
破壊精霊は使えない。虚像とはいえ、それは破壊精霊の力そのものだ。しばらくは回復しない。
体は動かない。両腕が折れている。罅の入っていた右腕はともかく、左腕までが折れているのは――
言葉を思い出す。シャナとフリウが同調した時の言葉を。
『もしもわたしが死んだ時、絶対におまえを道連れにしてやる』
(そうか、あの時――)
夜傘の皮膜が破れた瞬間、シャナはフリウを神鉄如意で打っていた。誓いを果たすために。
だが凶器を振り切る時間はなく、左腕を折るに留まったたのだろう。
(……絶望していたからかな)
防御が破れた瞬間、彼女たちは死を予測し、それに縛られた。
もしかしたら、荒れ狂う衝撃の渦の中でも、生き延びられたかも知れない。絶望していなければ。
それが――そんなものが、勝敗を分けたのかも知れない。
(皮肉なもんだよね。あの人は仲間の為に敵を殺さなきゃいけなかった。
あたしは理由もなく壊すだけ。なのに生き残ったのはあたし)
ため息をついて、俯く。
それでもフリウは壊すだろう。半身を失っただけでやることに変わりはない。全て壊す。
ひとりでは何も信じることが出来ない。だから壊してしまってもいい。
集中し、念糸を紡ぐ。
念糸に五感は必要ない。相手を目視する必要もない。
あらゆる制限を突破し、念糸は相手に触れられる。人の思いのように。
フリウは顔をあげた。茂みの向こう、自分を殺しかけた四人組全員に、同時に念糸を繋ぐ。
「よお」
そして、既視感。
「……え」
目前に、死んだはずの人精霊が漂っている。多少焦げてはいたが。
「な、なんであんた生きてんのよ――」
「小娘はあれだな。やはり修行が足らん。飲んだくれの師匠は見つかったか?
まあ咄嗟に無抵抗飛行路に逃げ込んだんだが、最近は突然体が爆発するらしい。これはメモしとかねっと」
そういいながらスィリーは自分の体を探るが、そんな服装で何かを隠せるわけもない。
(……ああ、そうか)
フリウは笑った。
「む。小娘。人を嘲る奴は嘲られているのだと気付くべきだ。
ところで小娘はメモ持ってっか?」
「持ってないよ、そんなの」
「分かってはいた。小娘は所詮、役立たずだと」
「あんたに――」
言われたくない。という台詞を喉の奥に飲み込む。
「……ううん。ありがとう、スィリー」
「メモは無いぞ。まあ感謝は受け取っておくが」
憮然としている人精霊。とても懐かしい姿。
辺りは硝化の森ではない。かつての水溶ける場所ではない。取り戻したのは花ではない。
それでもフリウ・ハリスコーは取り戻した。
(信じられる……あたしは信じられる。言葉を全部覚えてる)
ミズー・ビアンカ。ベスポルト・シックルド。リス・オニキス。
ロシナンテ。要。潤。アイザック。ミリア。
彼らの言葉を覚えてる。彼女の人生に携わった者達の、すべての言葉を覚えてる。
彼らの生命は終わってしまった。自分が終わらしてしまったものもある。
だけど、それは無くなってなんかいない。
忘れていた。だけど、取り戻した。
(あたしはもう大丈夫だ。アマワ。お前の用意した絶望を退けられる)
まだ言葉を聞ける。元の世界に戻り、気の良いハンター達と言葉を交わせる。
そう信じることが出来る。
「それで、これからどうすんだ小娘?」
「そうだね、どうしようか」
彼女の呟きは、もう孤独に満ちてはいなかった。
腕は動かないが、頬が濡れているのを自覚する。
時刻は零時丁度。
放送が、始まる。
【023 パイフウ 死亡 094 シャナ 死亡】
【残り 45人】
【D-5/森/2日目・00:00】
【奇跡ではない、だが同じもの】
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:疲労。 軽傷。
[装備]:なし
[道具]:有機コード、デイパック(支給品一式・パン6食分・水1100ml)
船長室で見つけた積み荷の目録
[思考]:放送を聞く。残りの大集団への接触も考慮しつつ、これからどうするか考える。
[備考]:刻印の性能に気付いています。ダナティアの放送を妄信していない。
火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
【火乃香】
[状態]:やや消耗。軽傷。。
[装備]:騎士剣・陰 (損傷不明) 迷彩外套
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:放送を聞く。残りの大集団への接触も考慮しつつ、これからどうするのか考える。絶望しない
[備考]:『物語』を発症しました。
【コミクロン】
[状態]:疲労。軽傷。
[装備]:エドゲイン君
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1000ml) 未完成の刻印解除構成式(頭の中)
刻印解除構成式のメモ数枚
[思考]:放送を聞く。残りの大集団への接触も考慮しつつ、これからどうするのか考える。
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着ています。
火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
『キリランシェロ』について、多少疑問を持っています。
【オーフェン】
[状態]:疲労。身体のあちこちに切り傷。[装備]:牙の塔の紋章×2
[道具]:デイパック(支給品一式・パン4食分・水1000ml)
[思考]:クリーオウの捜索。ゲームからの脱出。放送を聞く。絶望しない。
0時にE-5小屋に移動。
(禁止エリアになっていた場合はC-5石段前、それもだめならB-5石段終点)
【人精霊と小娘】
【フリウ・ハリスコー】
[状態]:全身血塗れ。両腕骨折。全身打撲。だが絶望しない。
[装備]:水晶眼(眼帯なし)、右腕と胸部に包帯 スィリー
[道具]:デイパック(支給品一式・パン5食分・水1500mm)、缶詰などの食糧
[思考]:放送を聞く。ゲームからの脱出。
[備考]:アマワの存在を知覚しました。アマワが黒幕だと思っています。
ウルトプライドが再生するまで約半日かかります。
[最強証明における追加事項修正]
【D-5/森】の一部分の木が伐採されています。
【D-5/森】に装備品『神鉄如意』と『贄殿遮那』が半ば埋もれています。
※神鉄如意の損傷は不明。次の書き手さんにまかせます
[さらに最強証明における追加修正事項]
※シャナの装備していたタリスマンは粉々になりました。
※火乃香の装備している迷彩外套は起動しますが、
血が付着している部分と損傷している部分は透明化しないため、明るい屋内等だと視認される可能性があります。
彼が死んだ。
青春と呼べる日々を共に過ごした、何かと気にくわない、しかし相棒と言える存在が死んだ。
憐憫も侮蔑の念も生まれなかった。いつもの皮肉も悪口雑言も思い浮かばない。
ただわずかに感じた怒りが、苛立ちとなって身体を這い回った。それがひどく不快だった。
だからその感情を消し去るために、一時的に刃を仕舞うことに決めた。
代わりに用いるのは、不慣れな口先。
それはある意味、挑戦といえた。
「ギギァ、ギャーイ、ドク……グフ? 断末魔か?」
「……ギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフだ」
そんな意を決した行為は、どうやら初っ端から失敗したらしかった。
「いきなり間違えるなんて失礼ですわ、覚。
ギギナ、ですのね。あたしはアリュセと言いますの。
平和的に情報交換ができるのでしたら、むしろこちらからお願いしたいくらいですわ」
「俺は出雲・覚だ。覚えやすい名前だろ? 俺もまともな会話ができるなら望むところだ。
というわけでお前バニースーツ持ってねえ?」
「いきなり異常な話題に変えないでください出夢さん」
「うわ開始時点から付き合ってる奴に間違えられた!?」
長身で肩幅の広い青年と、その腰程度の身長しかない幼い少女の組み合わせだった。
名乗ったかと思えば二人で口論を始めているが、双方ともに注意はギギナからそらしていない。
さすがに武装した人間に容易に気を許すほど、愚かではないらしい。会話の内容は馬鹿そのものだったが。
「……ともかく、とある三人の人物についての情報が欲しい。そちらが提示する条件は出来る限り飲もう。
騙し討ちをする気は一切無い」
会話に割り込み、二つのデイパックと腰の大剣、それに背負っていた屠竜刀を地面に下ろす。
さらに数歩進んでそれを背後に追いやり、両手を挙げた。
相棒とは違い、ギギナは賢しく心理戦をこなせる技量はない。甘言を弄すことも策略を巡らすことも不可能だ。
ゆえに、ただ真摯な態度を見せることしかできない。それすらも似合わないと思うが、我慢するしかない。
ガユス並に性格が歪曲していなければ、事務的な会話程度は成り立つだろう。
「あら、意外と丁寧な方じゃないですの。少なくとも覚よりは話が通じそうですわ」
「む、お前はああいうのが好みなのか?」
「外見に加えて、礼儀正しくて沈着冷静な殿方は魅力的ですのよ?」
「なるほど、原川派か。確かにお前ヒオとジャンル似てるしな。
……ってことはまさかお前も全裸癖が!?」
「あるわけないですのー!」
歪曲を通り越して混沌としていた。
(明らかにハズレを引いたが……それでも情報が得られる機会は貴重だ。逃すべきではない)
今回の放送時点で、既に半数以上の命が失われている。
この二人のような積極的に他者と協力しようとする者は、ほとんど残っていないかもしれない。
次の放送時には、あの愛娘の恩人と再会する予定があったが、その前に彼が死ぬ可能性もゼロではない。
仕方なく、不毛な漫才に割って入る。
「既に死亡している、赤毛の男の情報がほしい。
名はガユス。軟弱で間抜け顔の暇がなくても人に嫌がらせをする口先だけで生きていた男だ」
「やたら主観的な説明だな。あいにくだが赤毛に会ったことはねえ。
今度は俺たちから聞くが、お前千里って知らねえか? 上から下まで俺好みのオンナなんだが」
「主観的過ぎて殴りたくなる説明ですわね」
「あいつを殴るのは難しいぞ? 何せ稀代のコングパワーの持ち主だからな」
好意的な女には普通使わない形容だったが、なぜか出雲は誇らしげだった。
抽象的すぎる説明に心当たりなどなく、より詳しい特徴を要求しようとして、ふと気づく。
「貴様の嗜好なぞ知らぬが、奇声を発し怪力を持つ着ぐるみが飛びかかってきたことならあるな」
「着ぐるみ? 千里にんな趣味はないぞ」
「中身の詳細は不明だが、異様に頑丈な着ぐるみだった。防具にはなりえるのではないか?」
「…………、いや、そもそも千里が殺し合いに乗るわけがねえ。奇行癖も鬼嫁暴力だけだしな」
「……そうか」
かなり特殊な付き合いをしているらしい。一瞬郷里の婚約者のことを思い出して、わずかな身震いと共にかき消す。
着ぐるみについては、おそらく本当に別人なのだろう。共通する特徴は怪力だけだし、あの体型からして女性というのも考えにくい。
しかし次の話に移ろうとすると、なぜかアリュセが話を続けた。
「殺し合うつもりじゃなくて、何か理由があったのかもしれませんわ」
心なしか、彼女の目の色が変わっていた。
たとえるなら、悪戯を思いついた子供のものに。
「着ぐるみが脱げなくなって、混乱していた可能性もありますわ。
それに、着ぐるみが邪魔だったけれど、何かを必死で伝えたかったのかもしれませんし。……たとえば、好意などを」
「何ー!?」
「いや、それはさすがに飛躍しす……」
「飛びかかってきたんでしょう? 抱きつこうとしたのかもしれませんわよ?」
「んなまさか、千里が浮気など……!?」
「吊り橋効果ってよくいいますし……こんな美形な方がいたら、心も動くんじゃないですのー?」
「千里――っ!?」
叫び、出雲は頭を抱えて悶え出した。
それを追いつめた当人がにやにやと眺める場面は、とても殺し合いゲームの最中とは思えない。
と、不意にその笑みがギギナの方へと向けられた。
「……これでまともに話せますわね」
その呟きと同時に、アリュセの足が大地からわずかに浮いた。
そのまま空中を滑るように移動して、ギギナの足下に着地する。
「今なら、横やりなしで情報交換できますわ。
覚は忘れてるようですけど、その着ぐるみならあたし達も見てますもの。あんな体格、人間ではありえませんわ」
「……意図的に誘導したというのか? 貴様、その姿は咒式か何かの偽装か?」
「偽装? あたし十歳だから難しいことはわかりませんわ」
白々しい答えとは裏腹な艶っぽい笑みを浮かべて、彼女は対話を続ける。
「ともかく、他の二人の方についても教えていただけません?
もし知っていれば遠慮無く話しますし、知らなくとも今後出会うことがあれば、あなたのことを伝えておきますわ」
「……条件は何だ?」
「見返りなんて求めませんわ。強いて言うなら、あたし達とその知人に危害を加えないことですけど。
あたしはただ、できる限り多くの方の助けになりたいだけですもの」
「こんな闘争の場で、か?」
「状況によって信念を変えられるほど、あたしは器用じゃありませんもの」
疑念に返ってきた苦笑は、少し弱々しく見えた。しかしすぐに元の微笑に戻り、こちらの返答を待っている。
まっすぐにこちらを見る目に、嘘はないように思えた。そこには確かに、確固たる信念を貫き通せる意志が見える。
「……探しているのは、クエロという女と、クリーオウという小娘だ。特徴は――」
己の判断を信じて、ギギナは二人の情報を告げた。
並べ立てられた特徴を、アリュセは真剣な面持ちで聞いていた。
しかし最後まで伝え終わると、彼女は少し申し訳なさそうな顔をして、
「残念ですが、どちらの方の情報も持ち合わせていませんわ。
少し前までここにいた、もう一組の参加者達でしたら、何か知っていたのかもしれませんが……」
「あのロリコンビとは危険人物の話しかしなかったもんな。
今考えれば、問答無用で殴りかかってきたあいつら自身も危険度高いと思うんだがどうよ?」
「……その方々に問答無用でバニースーツを勧める方よりは、危険度低いと思いますの」
唐突に、ふたたび出雲が会話に割り込んできた。
アリュセに半眼で睨まれても、先程と変わらず平然としている。確かに様々な意味で危険と言えた。
「案外早く復活しましたのね」
「さっきは狼狽えてしまったがもう大丈夫だ。
俺は千里の心を信じる! 千里の愛の実在を証明してみせる!」
「主催者辺りに見せつけると、効果的な気がしますわね。……脱力効果で」
意気込む出雲に、アリュセは大きなため息をついた。
それで諦めたらしく、彼を無視してふたたび視線をこちらに向ける。
「では、その方々に出会ったらあなたのことを伝えておきますわね」
「いや、クエロは危険人物だ。私のことを伝えればろくなことにならんだろう。
クリーオウの方は、オーフェンという人物から捜索を依頼されている。
私よりも彼の名前を言って、出来ればE-5の小屋に行くように伝えてほしい。
彼女はくれぐれも丁重に扱え。我が娘の恩人の探し人だからな」
「娘? アリュセ並の子供がまだいたのか? つくづく趣味悪ぃ主催者だな」
「参加者ではない。許し難いことに支給品として他人に配給されていた」
そう言ってヒルルカを保護しているデイパックに視線を向けると、二人は怪訝な顔をした。
「支給品って……呪術でもかけられたんですの?」
「いや、救出してすぐに健康状態は確認したが、異常はなかった。
重傷も尊い犠牲と温情によって癒された。私が生んだ椅子だ、これ以上は傷つけさせぬ」
「…………い、いす?」
「椅子だが?」
「えっと、座る、あの?」
「椅子だ」
断言した直後、アリュセの表情が固まった。
不審に思い声をかけようとすると、なぜかものすごい勢いで後退された。
さらにふたたび空中に浮き上がったかと思うと、出雲のいる位置まで高速で逃げ去った。
「なななななんですのこの人は! なんで椅子が娘になるんですの!?」
「落ち着けアリュセ。色々とおかしいが個人の趣味だ。そういうことにしとけ。
深く考えるとこっちが変な時空に巻き込まれる」
「そ、そうですわね。個人の趣味個人の趣味個人の趣味……」
しゃがみ込んで会話しつつ、恐れ、または哀れみを含んだ視線でちらちらとこちらを見る。
突然の態度の変化に、疑問符だけがギギナの脳裏に浮かぶ。
できる限り真面目に対応しているつもりなのだが、何か不備があっただろうか。
「覚はやっぱり慣れてるんですのね……今初めてあなたが頼もしく思えましたわ」
「これくらいのおかしな奴、俺んとこには腐るほどいるからな。
むしろお前が免疫なさ過ぎじゃねえ?」
「免疫なんて普通できませんわ!
……って、もしかして、あたしみたいなまともな世界から来た人の方が少数派ですの?」
「ロリが火球飛ばす世界はまともじゃないと思うんだがなぁ。まぁ、俺んとこはセメントロリが滑空砲ぶっぱなしてるが」
「うわぁ、恐ろしいところですのね日本って……」
訳のわからない会話を数十秒続けた後、出雲の方がギギナを見据えた。その瞳には、なぜか若干憐憫の色が見えた。
彼は立ち上がると、表情を引きつらせたアリュセをかばうように前に出て、
「椅子の恩人の知人ってのはあんまり想像したくねえが、会ったらちゃんと伝えておくぜ。
脳がアレな奴を怒らせたくはねえからな」
「……こちらも千里とやらに出会えば伝えておこう。
脳の存在自体が危ぶまれる輩の恨みを買いたくはないからな」
思わずいつも通りに言い返してしまったが、彼は特に気にしていないようだった。
というより、それを機に別の何かに気づいたらしい。
「……その言いようで思い出したんだが、佐山・御言って知らねえか? まぁあくまでついでなんだが」
「佐山……だと?」
「お、知ってるのか?」
「早朝出会った。詳細は言いたくもない」
尊大な態度と奇妙な物言いで、やる気を徹底的に削いだ男女のことを思い出し、ギギナは眉根を寄せる。
あの不愉快な少年の知り合いだと知っていれば、そもそもこの二人と話そうとは思わなかっただろう。
「そうか。まぁ、その気持ちはわかるぜ。
人の話は聞かないわ場をわきまえずエロ話するわ惚気るわで最悪の……ってアリュセ、なぜそんな目で俺を見る」
「別に……ただ類は友を呼ぶという言葉の意味を痛感しただけですの」
「るいって誰だよ?
よくわからんが、つまり俺のおかげで一つ賢くなったってことか? おお、すげえぞ俺!」
「ええ、本っ当に凄い人ですわ……」
アリュセのため息と共に呟かれた言葉に、ギギナは胸中で同意した。
彼は佐山とは別の意味で、関わりたくない奇人だ。
「……では、私は行く。協力には感謝しよう」
「こちらこそ、ありがとうございましたわ。
あなたの価値観は、ええと、よく理解できませんでしたけど、ご武運を」
穏やかな、しかしどこか恐れるような声を疑問に思いながら、ギギナは荷物を持ち直して歩き出す。
具体的な目的地はない。非力な人間が隠れていそうな建物を、しらみつぶしに覗いていくしかないだろう。
(ガユスならば、もっと効率のいい探索方法を思いつくのだろうな)
そんなことを考えてしまい、ふたたび苛立ちを覚えては唇を噛む。
口うるさい相棒がいないことが少し、本当に少しだけ悔やまれた。
【E-4/倉庫入口前/1日目・18:40】
【ギギナ】
[状態]:静かなる怒り
[装備]:屠竜刀ネレトー、魂砕き
[道具]:デイパック1(支給品一式・パン4食分・水1000ml)
デイパック2(ヒルルカ、咒弾(生体強化系5発分、生体変化系5発分))
[思考]:人がいそうな場所をしらみつぶしに探す。
クエロとガユスとクリーオウの情報収集。ガユスを弔って仇を討つ?
0時にE-5小屋に移動する。強き者と戦うのを少し控える(望まればする)。クエロを警戒。
『覚とアリュセ』
【出雲・覚】
[状態]:左腕に銃創(止血済)
[装備]:スペツナズナイフ
[道具]:デイパック(支給品一式・パン4食分・水500mm)、炭化銃、うまか棒50本セット
[思考]:千里、ついでに馬鹿佐山と合流。
クリーオウにあったら言づてを。ウルペンを追う。アリュセの面倒を見る
【アリュセ】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品一式・パン5食分・水1000mm)
[思考]:覚の人捜しに付き合う。できる限り他の参加者を救いたい。
クリーオウにあったら言づてを。ウルペンを追う。覚の面倒を見る。
人は本当の恐怖と相対した時、どんな反応を示すのだろう?
震えるか? 立ち竦むか? 命乞いか? はてまた崇めるか?
(違う)
ウルペンは首を振った。
それは単純なものではない。そんなひと言で表せるようなものではない。
体が震えている。もとより体は五体満足よりほど遠い。だが、彼を苛んでいるのは体の欠損などではない。
眩暈がする。吐き気がする。脳が裏返り、地面を足が掴んでいられない。
生きたまま内臓を全て引き抜かれるような激痛と虚脱。体がくの字に折れ、自然と視界が下を向く。
足下には仮面を被った死体がある。エドワース・シーズワークス・マークウィッスル。その骨と皮。
念糸は強力な武器だ。そして訓練された念糸使いが用いれば、不可避の武器にすらなる。
速度、距離、隔てる物質――すべて無効化し、念糸は相手に届く。
もとよりそれは思念の通路。耳を塞いでいたって言葉は届く。だから念糸は如何なる手段であっても防げない。
――本当に?
本当に、死んだのか?
『未来永劫、お前は何も信じられまい』
EDの視線と言葉は極めて鋭く、それはまるですり抜けるようにウルペンの心臓を突き刺した。
動揺と激しい動悸に、ウルペンは知らず呼吸を乱す。
空気が足りない。血液が足りない。光が足りない。全て不足している。
世界の全てが信用できない。
呼吸しているのは毒素ではないか? 体を巡っているのは熱湯ではないか? 眼前の世界は虚像ではないか?
妄想だ。そう一蹴できた。できたはずだ。
信じることが出来れば。
「はっ――あ」
喘ぐ。だが取り入れたいのは生存のための酸素ではなく、存在のための真実。
地面の存在を信じることが出来なければ、人は外を歩くことも出来ない。
空の不動を信じることが出来なければ、人は空が堕ちてくることを恐れる。
ウルペンは転がっている骸の脇で膝を折り、その仮面に手をかけた。
(俺の、俺の絶望。それすらも確かなものでは無いというのか?)
仮面を剥がす為に力を込める。込めたつもりだった。
動かない。仮面はぴくりともしない。
だがその理由さえ分からない。仮面がキツイだけか? それとも無自覚の拒絶か?
(これで証明されるのならば――)
眼球が零れるほど目を見開き、ウルペンはもう一度力を込めた。
今度は、あっさりと仮面をむしり取ることに成功する。
「……あ」
そして、直視した。直視してしまった。
「……ああ」
EDの仮面の下。念糸の効果でミイラ化し、人相さえ分からないはずのその表情。
だがその眼球は――いまもなお鮮明に、ウルペンを睨んでいる。
萎んでいるはずの双眸が永劫に彼を糾弾し続けている。
まるで水晶眼だ。死体は腐敗してもこの視線は不滅だろう。永久にその弾劾を閉じこめたままだろう。
「ひっ――!」
悲鳴を上げた。弾けたバネ仕掛けのように死体から飛び退く。
死体から遠ざかり、それでもウルペンは二、三歩よろめくように後退した。
足りない。どれだけ逃げても逃げられない。
この死体は死んでいない。
怪物だ。怪物領域があった。その仮面の下に隠していた!
「あ、あああ」
右手を見る。引き剥がした仮面を落としていなかったのは、単純に筋肉が硬直していた所為だろう。
仮面という単語は、すぐに黒衣を連想させた。逆しまの聖人。その中は空洞だと思わせることで、怪物に皮一枚だけ近づいた者達。
かつて、ウルペンもその格好をしていた。黒衣の内側。そこは帝都だった。確約された安息の場所。
震える手で、仮面を自分の顔に押しつける。だが。
「違う!」
そのまま顔の上半分を覆う仮面を肉に食い込ませるように押しつけ、絶叫する。
「俺が求めていたのは……こんな、ものではっ!」
かつての安寧はない。あるのはただの寒々しい行為とその感触のみ。
よろめき、尻餅をつくように座り込むと、ウルペンはそのまま片手で顔を覆った。
泣くのではない。その撫でるような感触すら信じられないのだから。
(分かっていたはずだった。俺はかつて死んだ。だがここにいる)
いずれ果たされるべき約束は破られた。契約は信用できない。
死んだはずの自分が生きている。死してすら確たる物が手に入らない――
『未来永劫、お前は――』
「やめろ……やめろっ……」
耳朶にいつまでも残響する呪いの言葉を振り払うように、ウルペンはかぶりを振った。じりじりと死体から遠ざかる。
ED。戦地調停士。己の舌先と謀略のみで問題を解決する者。
故に、彼の言葉はこの世の如何なる刃よりも鋭い。
そして、鋭すぎた。振るうのを加減する者が居なければ、それはどこまでも切り裂いてしまう。
彼の最後の言葉は、放たれた。放たれただけだった。振るう本人が死んでしまったのだから、誰もフォローは出来ない。
あるいはEDが生存していたのなら、抉られた心を利用することもできただろう。
それでも現実には誰もいない。EDの残した呪いに縛られているウルペン以外には。
『――何も信じられまい』
「――ぁぁああああああアアア!」
叫び、駆け出す――EDから受け取った地図を粉々に引き裂き、今しがた侵入してきた地上との出入り口へと。
怖かった。ただひたすらに怖かった。あの男の言葉が現実になるのが恐ろしかった。
あの男の地図が真実ならば、あの男の口走った予定は予言になる。そんな気がしてならなかった。
地上に出る。清涼な夜気を口にしても動悸は収まらない。ウルペンは走り続けた。
気が付くと声が響いていた。強い声。どこかミズー・ビアンカを髣髴とさせる。そんな声。
島全土に響いているのだろう。ウルペンは絶望を叫びながらそれを聞いた――
『忌まわしき未知の問い掛けに弄ばれる者達よ』
『あたくしは進撃します』
『あたくしは怒りに身を任せない』
『あたくしは諦めに心を委ねない』
『あたくしを動かすのは……』
『……決意だけよ!!』
「――なにを根拠に信じればいい!」
立ち止まる。それは息が続かなくなっていたためでもあったが、放送の主に癇癪をぶつける為でもあった。
何故、そんな言葉が言える。何故、そんな確信を込められる。言葉などというあやふやな物に。
「――いつだって求めてきた! 八年もだ! それなのに見つからなかった!」
アストラは彼の物にならなかった。
彼女を愛していた。それだけは確かな物だと信じたかった。
だが、それを唯一肯定してくれた義妹は、死んだ。
「おまえの言葉は確かな物か!? アマワに約束でもされたか!? ならばそれは果たされない!」
帝都は滅び去った。ベスポルトは死んだ。ウルペンは死んだ。約束は果たされなかった。
地面に膝を突き、狂ったように頭を掻きむしる――髪が引きちぎられる痛みも、今は心地良い。
「おまえの決意とやらは確たる物か!? それが精霊に弄ばれているのだとしてもか!」
駄々を捏ねる子供のように、ウルペンは吼える。赤く裂けた空に、慟哭を投げかける。
――まるで血の色だ。未来を暗示させる。
これは開幕の宣言となり得ないだろう。ウルペンは胸中でそう断じた。
これは絶望で塗りたくられる予兆だ。かつて彼の帝都を焼き尽くした二匹の獣。彼女たちと同じ炎の色。
業火の力――すべてを虚無に飲み込む。
「……殺すまでもない。貴様は散々アマワに弄ばれ、それを決意と勘違いしたまま死ぬがいい」
鬱憤をすべて吐き出した後、最後にぽつりと付け加える。
声が小さくなったのは、自身の台詞に覚えがあったからだ。
(精霊に弄ばれ死ぬ、か)
――まるで、生前の自分だ。
吐き捨て、立ち上がる。
激昂は体力と気力を消耗させた。放送の直前まで眠り続けることとしよう。
そうして、粉菓子のようなすかすかの決意だけで歩みを始めた時。
「……見つけた」
茂みから、金属製の筒のような物を構えた男が出てきた。
赤銅色の髪。常にやる気のなさそうだった顔は、あの時のまま無表情という絶望に凍り付いている。
ウルペンは、その男に見覚えがあった。
(……契約者)
自分の意志は信じられると断言した黒髪の少女。その連れだ。名前は――ハーベイ、とか言ったか。
「……あれからずっとあんたを探してた。叫んでるなんて思わなかった」
自分自身に確認するような口調で呟きながら、その男はこちらを射程に納めた。
筒の穴をこちらに向け、殺意を放射してくる。念糸で片腕を破壊したはずだが、いまは五体満足のようだ。
どうやら叫び声を聞きつけてきたらしい。だが真に恐るべきはこの瞬間にウルペンの近くにいたという幸運よりも、その執念か。
「お前は殺す。けど、その前に答えろ。なんでキーリを殺した」
表情はほとんど変えないまま、だが強く睨み付けてくる。
念糸の効果を知り、警戒しているのだろう。武器は例の自動的に動く腕が握っている。
金属製の筒は、ウルペンも似たような物をこの島で何度か見ていた。
ボウガンのような武器だろう――威力も速度も桁違いだが。
何にせよ、すでに照準されているのなら、念糸では対抗できない。
(図らずとも、いままでとは逆の状況になったか)
命を握られ、質問を強要される。
それを不快と感じないのは、ウルペンが打ちのめされた後だったからだろう。これ以上は倒れようがない。
問いに答えるのは簡単だった。だが、その前にすべきことがある。
ウルペンはかつてのように、質問を投げかけた。
「お前は……確かなものを提示できるか?」
殺されるかも知れない――
その可能性はあった。それを恐れる気にもなれないが。
だが意外にも、赤銅髪の男は律儀に返してきた。僅かに考え込むようにしてから、告げてくる。
「……面倒くさくて今まで考えないようにしてたけど、無くしてみて分かった。
俺にもあったんだ。あんなナリでも、キーリは俺にとって大きな存在だった。
不死人として惑星中を彷徨ったけど、俺はあいつが……あー、なんだ。
上手く言えないけど、一番くらいに大切だったんだ」
普段はほとんど無口で、喋ったとしてもぶっきらぼうなこの不死人は、かつて無いほどに長く言葉を紡いだ。
――何十年も惑星を歩いて、それ以上の年月を不死の兵士として過ごして。
殺伐と無味乾燥な日々。戦争中はレゾンデートルの為に何となく殺して、戦後はすることもなく何となく放浪した。
そして、いつのまにかあの少女がついてきた。兵長を埋葬しに行く途中だった。
兵長とはそれほど仲が良かったわけではない。当然だ。自分が殺してしまったのだから。
あるのは罪悪感だけで、言ってしまえば腫物だった。
過去の清算。埋葬を引き受けたのも、そんな思いがどこかにあったからかもしれない。
いつからだろう。その気持ちが薄れていったのは。
いつからだろう。キーリと兵長との三人旅から抜け出せなくなってしまったのは。
幸せなんてぬるま湯と同じだ。浸かっている間は暖かくても、そこから出てしまえば風邪を引く。
絶対に、後のタメになんか、ならないのに――
……いつからだろう。それにずっと浸っていたいと思い始めてしまったのは。
ウルペンはそれを聞いていた。僅かに沈黙し、そしてさらに問いを重ねる。
「それは、愛していたということか?」
「……かもな」
ハーヴェイもしばし黙考した後、そう返した。
とても不器用な言葉だったが、それでも確かなものだったのかも知れない。
だったのかも、知れない。
ウルペンは即座に返した。刃の切っ先を向けるように、辛辣に言葉を突きつける。
「ならば、なぜ俺を殺そうとする?」
「……命乞い?」
「そうではない」
今となっては、死すらも確たる物ではない。
生命を失っても、こうして動き回るのではないか? そも、今の自分は生きているのか?
ある意味目の前の不死人よりも、ウルペンにとって『死』は遠い。
「俺を殺して、お前は何か得るものがあるのか? あの娘が帰ってくるわけではあるまい。
俺が、奪ったのだから」
「……それを殺した本人が聞くかよ」
「問われなければ、解答を得る機会もあるまい?」
「知るか。とにかく、殺す」
「――そうか」
無感情に即答してくる男を見て――
ウルペンが浮かべたのは、失望の表情だった。
「ならば、あの娘の意志とやらもその程度のものだったというわけか」
「……ヨアヒムより腹の立つ奴がいるなんて思いもしなかった」
それが、合図だった。
体勢を低くしたウルペンが、ハーヴェイの懐に飛び込んでくる。
ハーヴェイもそれに反応していた。悠久に近い時を生きる不死人。兵士として過ごした年月は誰よりも長い。
構えた拳銃を撃つ。遅れて紡がれたウルペンの念糸が放たれる。
着弾は、やはり弾丸の方が早かった。
血と、ウルペンの装面していたEDの仮面が飛ぶ。黒衣を身に纏った体がよろめく。
だがウルペンは絶命していなかった。弾は仮面を掠め、かつて奪われた方の眼球を削っただけである。
二発目を撃つ前に、念糸がハーヴェイの肩――義手と二の腕の境目を捉える。
「この――!」
振り払おうとしても、念糸には干渉できない。
パン、という袋を破裂させたような音。ハーヴェイの右肩が干涸らび、骨と皮だけなる。
それでも義手は動いていた。肘だけを曲げ、器用にウルペンを狙い――
その義手をウルペンが掴んだ。袖から覗いた金属骨格に残った指を絡ませ、脆くなった接合部から一息とかけずに千切りとる。
そしてそれを鞭のようにして、ウルペンは義手をハーヴェイの顔面に叩きつけた。衝撃で金属の指から拳銃がこぼれ落ちる。
地面に落ちた危険な金属塊を蹴飛ばしながら、ウルペンはもう一度義手を振り上げた。
「……おい」
だが、それが振り下ろされることはなかった。
ウルペンの右手首が掴まれている。顔面、それも目の近くを打たれたというのに、ハーヴェイは怯む様子もない。
驚愕に、ウルペンは目を見開いた。それが隙だった。
ハーヴェイが手首を掴んだまま背後に回り込み、そのまま俯せに押し倒す。
そしてトドメとばかりに関節を捻っていく。抵抗しようとしても、力ではウルペンに勝ち目はない。
不死人が兵器として有効だったのはそのタフネスと、自身が自壊するほどの筋力を容易に発揮できるからだ。
ハーヴェイは躊躇いもせず、相手の関節を稼働限界以上にねじり上げた。なんら抵抗無く、関節がおかしな方向に曲がる。
どこか遠くで再度、乾いた音が響くのをハーヴェイは聞いていた。念糸の炸裂音。
だが痛痒は感じない。痛覚を遮断することは、不死の兵士にとって容易い。
三撃目を喰らうよりも早く、殺す。抵抗力を奪ったところで、次は首をへし折ろうとハーヴェイは決めていた。
だが首筋に手を伸ばした刹那、メキメキと嫌な音が背後から響く。
「……!」
咄嗟に背後を振り向くと、抱きついても両手が回りきらないほどの大木がこちらに倒れてくるところだった。
弾けた木片が頬に当たる。幹の折れた部分が、まるでそこだけ脆くなったようにボロボロになっていた。
銀の糸が、視界の隅で閃く。
どうやら先程の二撃目はこの木を壊死させたらしい。なるほど。威力を調節すれば倒す方向を定めるのは簡単だろう。
だが、不死人にとってこんな事態はピンチでも何でもない。
木が倒れてくるよりも早く、ウルペンの首をへし折る。それで終わりだ。
ハーヴェイはすぐに視線を戻した。木に注意を取られていたのは一秒足らず。腕の折れている敵が脱出できるはずはない。
――その、はずだ。
だがその理論とは逆に、現実のハーヴェイは地面に突っ伏していた。
ハーヴェイと地面の間にウルペンは、いない。欠片も存在していない。
「……腕を掴まれたままだったのなら、相討ち以上にはならなかっただろうな」
底冷えのする声が、間近で響く。
見ると、ウルペンはいつの間にかハーヴェイの傍らに立っていた。不死人の首筋を容赦なく踏みつけている。
「がっ!?」
地面に押しつけられ、気道が塞がる感触に唾を吐きだす。
死ににくいとはいえ、基本的な構造は人間と同じだ。頸動脈を圧迫され、脳に血液が回らなくなれば意識は保てない。
次々と機能を放棄する脳髄。こういう時は決まって、ろくなことを思いつかない。
(なんで……折ったのに動けるんだ……?)
起死回生の手段だとかそういうものではなく、ハーヴェイが疑問に思ったのはそんな些細なことだった。
ウルペンの肘関節はまだ奇妙な方向に曲がったままだ。が、腕を一振りするだけで正常な形に戻る。
折れていない――その理不尽を見せつけるかのように、ウルペンは右腕の先をハーヴェイに向けた。
血が足りなくてぼやける視界。白く歪んだその世界で、相手の指先から放たれた銀の糸は一際美しく見えた。
念糸が接続され、ハーヴェイの体から水分を奪っていく。
――『心臓』がある限り不死人は無敵。だが、それを被う肉の鎧がない状態で『核』は大木の一撃に耐えられるか?
暗転し始めた思考回路で、そんなことを考えられる筈もなかったが。
幻覚が見え始める。眼前の黒衣とだぶるように、黒い影がウルペンに覆い被さっている。
幻聴も聞こえる。小さな罵声と泣き声は、満足に目的を果たすことも出来なかった自分の物だろうか?
(キー……リ……)
赤銅色の不死人は、最期にその名前を呟く。
そして倒壊する大木の速度が零になった瞬間、体の中心で何かが砕ける音を聞いた。
◇◇◇
大木が地面に倒れるよりも一瞬早く、ウルペンはその場から飛び退いていた。
轟音と地響き。乾いた体からは血も飛び散らず、骨の砕ける音だけを耳朶に捉える。
木の下から覗いている相手の四肢はぴくりとも動かず、ひたすらに死の感触しか伝えてこない。
敵は死んだ。契約者を殺した。
「……さて、それは事実か?」
呟き、死体を蹴飛ばしてみる。反応はない。だが本当に?
契約の有効性。契約者の死。どちらも信じ切ることが出来ない。
「だが、どちらも同じことか」
ウルペンは笑った。可笑しくもなく、嘲るでもない。それは完全に空虚で、薄ら寒い、感情のない微笑みだった。
信じられないのなら、事実は無意味だ。虚無と妄想に生きるしかない。
だが、彼にはまだやることがある。
森の中の不確かな地面に、靴の裏を叩きつける。ミシリという音と、金属の感触。
月明かりを頼りに、ウルペンは拾い上げた。先程、いつの間にか落としていた勝手に動く腕が、今まさに拾おうとしていた拳銃を。
金属の腕を踏みつけ動けないようにし、ほとんど銃口を押しつけるようにして撃つ。
顔をしかめた。思わず反動で取り落としそうになったのだ。小指と薬指がなければ、こんな動作にも苦労する。
それでもウルペンは時間をかけて全弾を義手に叩き込んだ。衝撃にフレームが曲がり、ケーブルが切れる。
最後に弱々しいモーター音をひとつだけあげて、義手は活動を停止した。
感慨もなく、ウルペンは軽くなった拳銃を捨てた。きびすを返し、その場を後にする。
月のある寂寥とした夜。その暗がりを黒衣が行く。かつて虚無の獣に奪われた傷から血を流しながら。
その血涙は誰がために? 己の泣く理由も分からぬまま、黒衣は行く。
かつて泣かずに逝けた男が、今は生きながら泣いていた。口元に笑みを浮かべながら泣いていた。
「アマワ……貴様の契約が確たる物でないのなら、俺は貴様を殺しに行くぞ」
周囲に人の気配はないが、それでも夜空に宣告する。
どうせどこかで聞いているだろう。問題はどうやって引きずり出すかだ。
「決まっている。全て殺して俺だけになれば、確かな物は残らない」
絶望すら信じることが出来なくなっても、やるべきことは変わらない。
アマワに答えを捧げよう。貴様の求める物は手に入らないのだと教えてやろう。
(俺は虚無だ。何もない男だ)
何も信じることができない、あやふやな存在だ。
だが、それでいい。
「どうせこの盤上遊技も貴様の下らない問いかけなのだろう、アマワよ!
ならば俺がそれを終わらせてやろう! お前を破滅させてやる!」
――この島から、俺がすべて奪った時に残る物。
それはとても不明瞭で、グシャグシャの、底抜けにグロテスクなものに違いない。
ウルペンは高らかに笑い始めた。それはまるで精霊のように、どこまでも狂気に純化した哄笑だった。
【017 ハーヴェイ 死亡】
【残り 44人】
【B-6/森/1日目・21:40頃】
【ウルペン】
[状態]:左腕が肩から焼け落ちている/疲労/狂気
[装備]:なし
[道具]:支給品一式
[思考]:参加者を皆殺しにし、アマワも殺す。
[備考]:第二回放送を冒頭しか聞いていません。黒幕はアマワだと認識しています。
第三回放送を聞いていたかどうかは不明です。
チサトの姓がカザミだと知り、チサトの容姿についての情報を得ました。
これからは質問等に執着することなく、参加者を皆殺しにするつもりです。
※【B-6/森】に破損したEDの仮面、壊れたハーヴェイの義手、Eマグ(弾数0)が落ちています。
「……そんな奴の、言うことなんて、聞く必要ないわ」
動揺を露わにする保胤に対し、リナは声を絞り出した。
呻き声のような弱々しさに自分でも頼りなさを覚えるが、仕方がない。
「……リナさん?」
訝しげに自分の名を呼ぶ声には、微笑だけを返した。
そして彼から周囲へと視線を巡らし、室内の惨状を目に焼き付ける。
この状況は、自分が作り出したものだ。
八つ当たりで感情を爆発させた結果、ベルガーを瀕死の重体にし、保胤を追い込むこととなった。
この島では、こんな暴走と空回りの連続だった。ガウリイの死に絶望してゲームに乗ったときから、歯車が狂い続けていた。
自分は何一つ救えていない。何一つ成していない。
だからもう、間違えたくはなかった。
改めて覚悟を決めると、わずかに眉をひそめた臨也が問いかけてきた。
「それは、どういう意味だい?」
「仲間を陥れようとする奴なんかに、扇動されるな、ってことよ」
切れ切れの声を発しながら、無理矢理口元を吊り上げた笑みを臨也に向ける。
言葉を紡ぐたびに命がすり減っていく感覚を覚え、目眩がした。
しかしまだ先は長く、我慢するしかない。視線だけを彼に向けながら、床に意志を刻むように指を這わせる。
あからさまな虚勢の挑発を受けた彼は、ただ目を細めるだけだった。
「失礼だなぁ。ただ心を鬼にして、現実を語ってるだけじゃないか」
「確かに、今のことだけなら、そうとも言えるでしょうね」
当事者でなければ、リナも同じことを保胤に言ったかもしれない。
半分の不死の酒で、二人とも助けられる可能性は薄い。
たとえ中途半端に助かったとしても、完全に治療できるメフィストが戻ってくるのはいつになるか。
彼とベルガー、終が向かった先からは、今も破砕音と咆哮が鳴り響いている。
状況が切迫しすぎていた。臨也の言うとおり、現実的に考えればどちらかを見捨てることが不可欠だった。
だからこそ。
同じ思考に行き着いたからこそ、こうして貴重な時間を割いて、口を動かしている。
「だけど、志摩子を殺したことは許せない」
致命的な言葉に、場の空気が凍る。
それにはかまわず床に腕を滑らせながら、続ける。
「声を聞いてたけど、あんたは保胤に不死の酒を渡して、志摩子に飲ませたわね?
それなのに、ここにある酒の量が、半分から減ってないのはなぜ?」
「! 確かに……」
それに気づいたのは、ベルガーの刃に倒れた後だった。
皮肉にも臨也自身が話題に出さなければ、気づく機会はなかっただろう。
「へぇ、そうなんだ? 俺はあの時に見たのが初めてだったし、それもすぐに渡しちゃったから、元の量はわからないな。
それに、俺は渡しただけだよ? 実際に飲ませたのは保胤だ」
指摘に対しても、臨也は大仰に肩をすくめただけだった。
矛先を向けられた保胤は、顔を俯かせたまま何も言わない。歯痒さを感じながら、指が床を掻く。
確かにこの弾劾だけでは、彼に対して疑念が生じるだけだ。
だがもう一つの証拠と、先程彼が言った“友”という言葉が、リナに雑念を抱かせない。
(あたしは、保胤を信じている)
「あたしは、見てたのよ。
あたしが、ライティングを唱える前に、あんたが、デイパックに酒瓶を――中身が八割以上残った酒を、戻すのをね」
臨也の表情がわずかに強ばるのを見ながら、何かを掴んだ感触を得た。
「武装解除の際の、あのウォッカの瓶か……!」
証明の続きを、アラストールが継いだ。限界に近づいていたので助かった。
彼の行動を目撃した時点では、指摘以前に気にする余裕などなかった。思い出したのは、やはりたった今だ。
おそらく彼は、自分の酒を不死の酒とすり替え、保胤に使わせた後うまく回収したのだろう。
デイパックに戻された酒瓶を確認して、その残量が減っていれば言い逃れは不可能だ。
(まだ、大丈夫よね)
言うべきこととすべきことを終えた後、リナは同じく横たわるベルガーを見た。
両の肺を傷つけられても、彼は意識を保っていた。弱々しいが明確な怒りが込められた視線で、臨也を見据えている。
異種族の血が混じる彼は、リナよりもタフだ。肉体的にも、そして精神的にも。
(……この世界には光が必要だって、ダナティアは言ってたわね)
ふと、そんなことを思い出す。
彼女はそのために感情を凍らせ、自らを犠牲にし、その存在を島中に訴えた。
リナに同じ真似はできなかった。ただ感情に振り回され続け、そこまでの強い決意を抱けなかった。
だからせめて、その意志を繋がなければならない。
と、ベルガーの視線がリナの腕に向けられ、その表情に驚愕が浮かんだ。
意図に気づかれたらしい。だが肺を損傷した彼は、それを仲間に伝えられない。
ただ苦笑だけを彼に送ると、視線をふたたび臨也に向けて、叫んだ。
「あんたなんかに、あたし達は弄ばれない。あんたなんかに、あたし達は負けない!」
宣言と同時に、最後の力を振り絞って腕を――光の剣の柄を握った腕を、胸部へと引き寄せた。
ベルガーに斬られ落としていたこれを掴むために、今までずっと注意をそらさせ、時間を稼いでいた。
見つかれば、絶対に止められるだろうから。
案の定青い顔で腕を伸ばす保胤を見つめながら、リナは小さく息を吸う。
最期の一瞬に考えたのは、この剣の本来の持ち主のことだった。
「光よ!」
胸を貫いたそれは、とても暖かかった。
「リナさん!」
保胤の手がリナに届いたときには、柄から伸びた光が彼女の命を奪っていた。
持ち主の死と共に光刃は消え、柄を握った手が血を流す胸に重ねられる。
「なぜ……」
呟きが漏れるが、答えは既に理解していた。
彼女は保胤の迷いを断ち切るために、自ら死んだ。
わかっていて、それでも否定したかった。
彼女は死んでいい人間などではなかった。彼女に生きていてほしかった。
こんな状況でも最後まで方法を模索して、二人ともを助けたかった。
そんな絶望に沈む保胤を引き戻したのは、場違いな両手を叩く音だった。
「いやぁ、まさかこんな展開になるとは思っても見なかったよ。
仲間の葛藤を潰すために――自分が死ぬために俺を利用するとはね!
ああ、人間はいつも俺の想像を越えてくれる」
リナに対し純粋な感嘆を見せながらも、心底楽しそうに臨也は笑っていた。
「あなたは……!」
「俺に構うよりも先にすべきことがあるだろう? 彼女の命を無駄にしないためにもさ」
非難を遮る声も、惨劇が起こる前と変わらず軽い。殺人を暴かれた直後だとは到底思えない態度だった。
しかし、ベルガーの治療を最優先で行うべきなのは確かだ。
警戒は緩めぬまま、不死の酒を手に取る。
「確かに俺は、藤堂志摩子の命よりも不死の酒を優先させた。でも、こんな状況でそれを責められる筋合いはないよ?
彼女に不死の酒を使っていれば、選択すらできずに二人とも死ぬしかなかったんだから」
淡々と紡がれる言葉に反論はせず、ただ唇を噛んでベルガーの方へと向かう。
向けられた彼の視線は弱々しかった。その口が何かを告げようとして動くが、空気が抜ける音しか届かない。
「ああ、それともやっぱり、二人よりも志摩子ちゃんの方が大事だった?
確かに今よりも、志摩子ちゃんのときの方が焦ってたね」
予想外の指摘に、腕の動きが止まる。
保胤にとっては、三人ともが大切な仲間だ。そこに差異はない、と自分では思っている。
「それなら理解できるよ。
確かに君は、仲間を利害でしか考えていないと俺を非難していた。
もし今回の選択肢に志摩子ちゃんがあれば、君は彼女を選んだんだろうねぇ。
この緊迫した状況よりも二人の命よりも、何よりも彼女が大事なんだからさ」
「そんな――」
「俺の行為を否定するってことは、そういうことだよ?
しかし今となっては、君はもうダウゲ・ベルガーを助けることしかできない。
藤堂志摩子が死んでくれたおかげで、生き残れる彼をね。
……いや、あくまで感情を貫き通すってのもありかな?」
言葉と共に、酒瓶が保胤の足下まで転がってきた。
臨也が持っていた、スピリタスという名の酒だった。こちらが葛藤している間に、デイパックから取り出したらしい。
不死の酒とは瓶の形こそ似ているが、よく見れば中身や瓶の色、ラベルなどが明確に違っていた。
リナの言葉を証明するように、その中身は武装解除時に確認された状態よりも、少し減っていた。
これが、志摩子を殺した。――そして、ベルガーを生かすこととなった?
「……僕に、何をしろと言うのですか」
「ん? 俺は何も言わないよ? ただ選択肢を増やしただけさ。その内容はわかるだろう?
――選ぶのは君だよ、慶滋保胤。今度こそ、君自身が選ぶのさ」
顔を上げた先の臨也は、やはり笑んでいた。吐き気がするほど悪意に満ちた笑顔で、こちらを見据えている。
答えなんて決まっている、はずだ。ベルガーは、助けなければならない。
しかし、臨也の言葉が頭にこびりついて離れない。
ベルガーの命を助けることが、志摩子の死の肯定に繋がるのか。
志摩子の死を拒絶することが、ベルガーの命の否定に繋がるのか。
「惑わされるな!」
迷走する思考を断ち切ったのは、アラストールの言葉だった。
遠雷のような重い声が、ベルガーの胸元から響き渡る。
「偶然で生じた結果からのこじつけなど、何の意味もない。
こんな下衆の詭弁で、リナの犠牲を無駄にする気か? 先程彼女が言った言葉を忘れたか!」
――あんたなんかに弄ばれない。負けない。
「確かに藤堂志摩子の命は失われて、戻らぬ。それはもう覆せないだろう。
だが、おまえには今この時に取り戻せるものがあるだろうが!
それを見捨てることは、彼女の――なによりおまえの意志に適うことか!?」
頭に雷を撃たれたような一喝だった。
自分の命が危ぶまれる状況でさえ、他人を慈しんでいた志摩子が望んでいたこと。
そして何よりも、自分が願っていること。
「……ありがとうございます、アラストールさん」
それが明確に思い出されると、迷いは消え去った。
コキュートスに向けて礼を言うと、保胤はふたたび臨也を見据えた。
先程とは変質した眼光を受けて、彼に緊張が走る。
「これが、僕の答えです」
その視線はそらさぬまま片手でスピリタスを取ると、保胤はそれを床に叩きつけた。
高い音と共に呆気なく瓶が壊れ、こぼれた中身が床と直垂を濡らす。
それにはかまわず、すぐにもう片方の手にあった不死の酒の栓を抜き、ベルガーの口に付けた。
彼の意識は既にない。まだ息はあったが、そこまで時間を浪費してしまったことに自責の念を覚える。
「……凄いな。今、何が“出た”?」
畏怖と興奮が入り交じった声が聞こえたが、答える暇などない。
注意は臨也に向けたまま、慎重に酒瓶を傾け続ける。
当然ではあったが、志摩子のような拒絶反応がないことに安堵した。
「死者をどうこうできる力の他に、そんなものもあるとはねぇ。
そっちのアラストールとやらも、あのシャナちゃんの身内だ、さぞかし凄い存在なんだろうな」
「あの子の名を、貴様のような人間が気安く呼ぶな」
「本人は別に嫌がらなかったよ?」
抵抗も逃亡もせず、開き直ったかのように臨也は喋り続ける。
実際のところ、彼にこの状況を打開できる手段はなかった。
この場にある武器はすべて、保胤の近く――倒れ伏すリナとベルガーの付近にある。
彼が元から所持していたものは、既に雑貨を除いてすべて没収されている。
荒事には慣れているが、卓越した戦闘能力はないとセルティから聞いていた。ならば、こちらが符で動きを止める方が早い。
それでも念のため、警戒は一切緩めなかった。
「しかし、本当にこの集団はもったいなかったなぁ。興味深い人間がたくさんいた。脱出できる力も意志もあった。
こんなに運が悪くなければ、もっと色々楽しめただろうにねぇ。
ああ、本当に――」
だから、すぐに対応できた。
半分残っていた酒の、三分の二程度を飲ませた直後だった。
視界の端で、臨也の左手が動きを見せた。
その指が袖口に収まったかと思うと、何かが高速で投げ放たれた。小さな銀色の、直方体の箱。
咄嗟に片手を瓶から離し、手首で払いのけ、その直後初めて気づいた。
箱の裂け目、蓋のように開いた部分から、小さな火が漏れていることに。
「とても残念だ」
酒で濡れた床に落ちた瞬間、それは紅蓮の猛火に変化した。
「ぐああああああああああああっ!?」
ジッポライターの火が引火したスピリタスは、瞬く間に保胤の全身に燃え移った。
叫びながら彼は床を転がり続けるが、火の勢いは衰えない。
(本当にもったいないんだけど……まぁ、バレたら仕方がないよね?)
予想通りの状況を冷静に眺めながら、臨也は荷物を持って退避する。
あの程度の揺さぶりで、保胤をどうこうできるとは端から考えていなかった。
ただ自然な成り行きで、スピリタスをあちらに移動させられればよかった。割ってくれたのは嬉しい誤算だ。
スピリタスは、消毒剤としても利用できるほどの高アルコールを持つ。
そこに火をくべれば、当然面白いほど燃え上がる。
ほぼ瓶一本分がぶちまけられ、床だけではなく当人の服にも染みこんでいるのならなおさらだ。
(しかし、突然出てきたと思ったらまた消えて……どこに行ったんだろうね)
炎が床と保胤に燃え移った瞬間、その足下で横たわっていたベルガーの姿が消え失せた。
先程、シャナを追っていたはずの彼が突然現れたように、またどこか別の場所に転移したのかもしれない。
次の放送で呼ばれなかった場合、クエロ同様何か対策を考える必要があるだろう。そのためには新たな物資も必要になる。
スピリタスを出すついでに、テーブルの上にあった携帯電話と探知機は手に入れた。
マンションの外に隠しておいた、禁止エリア解除機も回収したいところだ。
移動の最中も思考は止めることなく、次の手を模索し続ける。
「……まさかとは思っていたけど、本当に“不死”の酒なのか」
そしていつでも逃げられる体勢になった後、改めて臨也は彼のなれの果てを見た。
炎に包まれ、直垂の大半が焼け落ちながらも、それでも保胤は生きていた。
焼け爛れた皮膚が時間が巻き戻るように蘇り、しかしすぐに炎に焼かれ、それでもふたたび再生され――という現象が、何度も繰り返されていた。
彼自身も途中でそれに気づいたらしく、火を無視してふらつきながらも片膝をつき、臨也を見据えていた。
全身を焼かれる激痛に顔を歪ませているが、鬼気と言うにふさわしい気迫と鋭い眼差しは、肌を粟立たせるには十分だった。
(それでも君は、絶対に俺を追いかけられない)
あの惨劇の際、保胤自身が不死の酒を飲んだことを示唆していたため、こうなる可能性は予測済だ。対策はあった。
そもそも、制限などで完全な不死にはなっていないだろう。殺しても死なない存在がいては、殺し合いにならない。
現に炎の勢いが、皮膚の回復よりも上回りつつある。
「俺を睨める気力があるくらいなら、周りをちゃんと見た方がいいよ?」
それだけを言い残して、臨也は窓から飛び降りた。
不死の酒は延々と身体を焼かれる苦痛と引き替えに、保胤にある程度の思考と行動の自由を与えていた。
本当に“不死”になっていることに気づき、灼熱の中身体を支えることができるまでに、それほどの時間はかからなかった。
網膜が焼け、すぐに修復される感覚におぞましさを感じながらも、窓から逃げゆく臨也を睨みつける。彼だけは、どうしても許せなかった。
懐にあった符は既に塵と化している。光の剣の柄を回収する暇もない。
ただ追おうと床を這い、窓のすぐそば――にある机の前を抜けようとして、踏みとどまる。
それは、“計画”の会議や各自の知識をまとめる際に使用した机だった。
その上には、保胤自身も執筆した刻印の研究を記した紙や、悠二が残したレポートが置いたままになっている。
木製の机や紙片そのものに引火すれば、刻印解除や脱出の鍵の一片が、一瞬にして失われる。
さらに振り返れば、もう一方の出口も塞がっていた。
廊下へと続く扉の手前、惨劇の際に茉衣子が短剣を落とした辺りに、未だに千絵が横たわっている。
このような事態にも何ら反応を返さない無惨な状態の少女は、それでもまだ生きている。巻き添えにできるわけがない。
(……これも、考慮していた?)
最後に臨也が残した言葉を思い出し、その周到な悪意に炎熱の中でさえ寒気を覚えた。
これ以上犠牲を出さないためには、大人しくこの場で死ななければならない。
吸精術を使えば、逃げた彼を文字通り灰燼に帰せるが、やはり千絵やレポートは失われる。
それどころかマンションの周辺にいる者達も、無差別に朽ち果てる。
術が一度発動すれば保胤自身には止められず、その命が失われるまで滅びは続く。
唯一止められる訃柚は、ここにはいない。
もはや打つ手はなかった。一度そう確信してしまうと、意識は急速に薄れていった。
肺に吸い込んだ煙が呼吸を阻害し、爛れる皮膚の回復は次第に追いつかなくなっていく。
走馬灯のように、二度と取り戻せない過去の情景が浮かび始める。
(……あ)
それに身を委ねようとした寸前、かすれゆく視界に映った何かに、保胤は目を見開く。
リナの死体のそばに、彼女が持っていた拡声器が落ちていた。
終の従姉とシズという青年が、そしてダナティアが、自らの意志を島中に告げるために使った道具。
何ら力を持たない、しかし使いようによってはどんな武器よりも強いものが、そこにあった。
(それなら、せめて――)
心地よい回想を振り払い、文字通り力を振り絞って、保胤はふたたび床を這う。
頭の中で聞き覚えのある声が響いていたが、その内容の把握に費やせる力はない。
ただそれが、時間帯から絶望を告げる主催者らの放送だと言うことは理解できた。
それを打ち砕くためにも、伝えるべきことがある。
臨也のことを言うべきかとも考えたが、すぐに打ち消した。
こんな状態で正確に人名を伝える自信はない。かつての自分と同じように、誰かに間違った疑念を持たせてしまうかもしれない。
だから告げるのは、意志だ。
確かにここにあった、十二の仲間の思いを。
慨然なきその遺志を、同じ思いを持つ者達が継げるように。
ダナティアが提示した光は、未だ消えていないことを知らせるために。
この最悪の遊戯に、最後の抵抗をするために。
やがて保胤は、それらを担う希望へと辿り着いた。
数秒でも熱に耐えてくれることを祈りながら、その取っ手にある突起を指で沈める。
そして最期になるであろう息を吸い、思いと共に吐いた。
○
ゲーム開始から二十四時間が経過し、四回目の放送が生存者へと響き渡った。
放送は過去三回と同じように、死者の名と禁止エリアを告げ、最後に愚弄の言葉が吐かれて切れた。
しかしその直後に、異なる男の声が聞こえ出した。
無理矢理絞り出したような苦しげな、しかし力強い声だった。
告げられたのは、たった一言。
「継がれる意志がある限り、僕らの道は絶たれない!」
【026 リナ・インバース 死亡】
【070 慶滋保胤 死亡】
【残り 42人】
【C-6/マンション外/2日目・00:00頃】
【折原臨也】
[状態]:平常
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水2000ml)、探知機、携帯電話
救急箱、セルティとの静雄関連の筆談に使った紙
[思考]:ひとまずこの場から離れる。禁止エリア解除機を回収したい。
ベルガー、クエロに何らかの対処を。
ゲームからの脱出(利用出来るものは利用、邪魔なものは排除)。
残り人数が少なくなったら勝ち残りを目指す
【C-6/マンション1・2F室内/2日目・00:00頃】
【海野千絵】
[状態]:物語に感染。錯乱し心神喪失状態。かなり精神不安定
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:不明
[備考]:吸血鬼だった時の記憶は全て鮮明に残っている。
※メガホン、強臓式武剣”運命”が床の上に落ちています。
光の剣(柄のみ)がリナの死体の上にあります。
【?-?/不明/2日目・00:00頃】
【ダウゲ・ベルガー】
[状態]:意識不明、両肺損傷(右肺の傷は塞いだが、どちらにせよ長く保たない)
不死の酒を瓶全体の1/3摂取したが、効果の有無は不明。
[装備]:PSG-1(残弾20)、鈍ら刀、コキュートス
[道具]:携帯電話、黒い卵
[思考]:不明
※黒い卵の転移機能で、縁者のところへ転移しました。誰のところかは次の人におまかせ。
※保胤が死亡したのは放送終了直後のため、第四回放送では呼ばれません。
――目が開く。目が合う。
ぼんやりとした両眼。その双眸が自分を見つめている。
午睡から醒めたばかりの赤子のように、その視線に邪気はない。
だというのに体が硬直した。眼球が凍り付いた。舌が痺れて動かない。
(……あ、れ?)
視線の交錯など日常茶飯事。少なくともこの島のような理不尽よりは理に適っている。
電車の中で見知らぬ人物と交錯する視線。学舎のクラスメートと交錯する視線。部室で錯綜する五つの視線。
ひどく当然。ひどく何でもないその行為。
――ならば、なぜ混乱が生じる?
考えろ考えろ。その理由も知らぬまま焦燥だけが募る。
きっとどこかで分かっている。だから意識は急き立てる。目を開け思考せよ早急に答えを認識しろ!
腕が、震えた。
「――あ」
理解する。間抜けに開いた口から漏れたのは、吐息とも囁きとも付かぬ掠れた振動。
腕が震えたのは何故か。その理由を腕が震えたことで理解する。
寒さ? 否。そんなものを感じるために割く感覚などなく。
恐怖? 否。そんなものを噛み締める余裕もなく。
憐憫? 否。そんなものはこの島に来た時から捨て去り。
――掲げた腕が痙攣したのは、単純にナイフの重みからきたものだった。
座り込み、ナイフを掲げ、傷ついた敵を見下ろす。そんな非日常。
その視線交差は、古泉一樹の人生で初めての、殺害目標との視線交差。
混乱から回復し、現状を把握する。極めて剣呑な現状を把握する。
それと同時に、目前で寝転がっている竜堂終のぼやけた視線が焦点を取り戻した。
「……う、く」
年相応のあどけない視線が一転し、敵意を帯びる。
敵を映している。竜堂終の網膜には敵が映し出されている。
では誰が? そこには誰が? 一体誰が?
覗き込めば分かるだろう。震えながらそう判断し、古泉は覗き込んだ。
だがおかしい。そこにあるのは自分の顔。どこにも敵なんてイヤシナイ。
さらに覗キ込ム。だけどどれだけ覗き込ンデモそこにあるのは古泉一樹ノ微笑ミデ。
――嗚呼、ソウカ。
殺サレルノハ、自分カ。
……理解した理解した理解した! 自分の未来を理解した!
自分はきっと殺される。なんの力もない自分はここで死ぬ。古泉一樹が終幕する。
そんなのは嫌だ。絶叫する生存本能。ならばどうする? どうすれば破滅を回避できる!?
……不思議と体が灼熱していた。
熱病に浮かされたかのように、意識が脳髄から剥離し浮遊する。
雷光の速度で閃くのは、極めてシンプルな解決手段。
だが間に合うか。自分の逡巡はどれほどだった? 一瞬、一秒、あるいは一時間?
否。行動に過去は関係ない。不必要な思考を排除。必要な目的に最短で辿り着く。
寒気も恐怖も憐憫もなく。ただひたすらの殺害意識をもって。
笑顔を張り付けたまま、古泉一樹はナイフを振り下ろした。
全力で穿ち、伝わるのは肉を抉る感触。だが、すぐに金属が擦れる耳障りな音。
弾かれる。皮膚の下の鱗に弾かれる。ナイフの切っ先が落ちたのは傷口のすぐ脇。目測を誤った!
失態に舌打ち。否、もとより自身が手を下さねばならないことになった時点で失敗している。
古泉一樹に力はない。ここでは超能力も使えない。ならばこそ、こうなる前に盤石の体勢を築かねばならなかった!
その失点を取り戻すために、もう一度ナイフを振り上げる。だが、今度は抉る前に阻まれる。
視界が反転する。腹部に巨大な衝撃。短い浮遊感。擦過する落下の衝撃。
殴り飛ばされたことを理解する。人ならざる膂力を持つ怪物に攻撃された。その敗北を理解する。
だが思考停止のその先に、さらに意識が拡大する。理解できたことで理解する。
古泉一樹はただの人間だ。ならば怪物の一撃で死んでいなければならない。だが生きている。
すぐ傍で咳き込む音。痙攣する目前の少年。
――怪物は手負いだ。その判断と行動は同時。
起きあがる。腹部の鈍痛と擦り傷を無視し、怪物に駆け寄る。それほど間があいたわけではない。
怪物は起きあがろうとしていた。だが焦る必要があるか?
断裂した背腹筋を瞬時に癒着させる? 不可能。重要臓器の欠損を瞬時に修復する? 不可能。
不可能不可能不可能。この怪物は起きあがれない!
ほとんど滑り込むようにして飛びつき、腹部に抱きつく。怪物の傷口が圧迫され、血液が吹き出た。
――眼球が朱に染まる。それは怪物の血の色か、それとも果たして――
「あああああアア!」
背筋に衝撃。何度も何度も怪物が殴りつけてくる。
肺が強制的に収縮され、意識と反して呼気が漏れる。視界が点滅し、意識が連続しない。
だが死にはしない。怪物は弱り切っている。さっきはナイフを振り上げるというその体勢の不安定さに付け込まれただけ。
そうだ。この怪物は血を失っている。血液は瞬時に補給できない。貧血では動けない。
では、もっと血を出せばいい。
ナイフを傷口に突き立てる――外れた。再試行。外れた。再試行。外れた。
募る苛立ち。それを扇動する衝動。募る焦燥。それを増長させる時間の浪費。
時の刻みは自分を不利にする。怪物は徐々に力を取り戻している。背筋の痛みでそれを知る。
――いまからでも離れた方がいい? それとも続けた方がいい?
逃走と闘争。相反する二つの衝動。それらは胸中を掻き乱し脳髄を喰み絡み剥離し捻切れ癒着しぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
――そして、その果てに、成就する。
幾度目かの試行の末、響いたのは金属と竜麟の衝突音ではなく、ぐちゃりという水っぽい音。初めて聞く、肉が潰れる音。
古泉一樹が自らの手で成し遂げた、殺人を告げる音色。
傷口に差し込まれたナイフの柄越しに、古泉は胎動を感じた。生命の脈動。それが銀の切っ先にある。
一瞬の躊躇い。だがそれは憐憫でも恐怖でもなく、ただ力を込めるための一呼吸。
――その生命を断ち切るために、古泉は刃を押し込んだ。
「あっ――」
竜堂終があげたのは、断末魔の声としてはおよそ似つかわしくもない、だが喪失感に満ち満ちた声。
再度、視線が交差する。殺人鬼と犠牲者の視線が。
加害者は、まるでそれ以外の表情を忘れてしまったかのように、いつもの薄い笑みを浮かべ。
被害者の瞳にもはや意志はなく、まるでガラス玉のように無機質なそれを虚ろに向けて。
そして血で汚れたナイフは、ようやくその務めを果たした。
「はっ、はっ、はぁっ――」
息も絶え絶え、全身血塗れの古泉は、ようやくナイフから手を離した。
一時の灼熱は嘘のように消え去り、舞い戻ってきた冷静さが噎せ返るほどの血臭を思い出させてくれる。
「ふ――げぇっ」
吐く。倒れ込み、ありったけの胃液を撒き散らし、それすら無くなっても空咳を繰り返す。
しばらくそんな行為を繰り返して、ようやく思考が戻ってきた。
(――どうやら、僕は殺人に向いていないようです)
顔色ひとつ変えず他人の生命を略奪する行為に、古泉一樹は慣れていない。
神人を狩るのとは違う、人間を切り裂く感触。どこまでもおぞましい。
はぁ、とひとつだけ溜め息を吐くと、古泉は立ち上がった。
殺人による自己嫌悪に捕らわれず、次の目標に向かって歩き出せる程度の切り替えの早さは古泉にもある。
――奇跡が起こっても自分が闘争で生き残れないことは証明された。
死にかけひとり殺すにしてもこの無様。ならば、やはり誰かと同盟を組むのが一番確実だ。
(それにはこの格好じゃいけませんね。
まずは血を落とさないと。それから着替え。あるとすれば商店街か住宅地ですかね
あとはマーダーと遭遇した時のための保険も欲しいところですが……)
終の死体に近づき、刺さったままのナイフを引き抜いてみる。心臓が停止していたせいか、それほど血は吹き出ない。
だが刃の部分を見て、すぐに古泉は顔をしかめた。
金属を超える強度を持つ竜麟に叩きつけた所為で、ほとんど刃が馬鹿になってしまっている。
これではパンを切り分けるのにも苦労するだろう。仕方なく諦めて、それを適当に放り捨てた。
(……我ながら、こんなものでよく殺せたものです。こっちの長剣は重くて運べないでしょうし。
できればパイフウさんとの合流が一番いいのですが、生き残っているでしょうか?)
冷静に思考を重ねながら、その場を後にする。疲労のため、足取りは重い。
……もしも古泉が殺人に慣れていたのなら、その歩みはもう少し早かっただろう。
少しでも離れてしまえば、木の群れと茂み事実を覆い隠してしまう。
だが現実として、古泉がこの場から去ろうとしたのはいまこの瞬間だった。
――故に、世界で二番目の不幸が起きてしまう。
背後でドサリという物音。思わず死体が蘇るという恐怖を想像しながら、古泉は振り返った。
幸い死体が起きあがり、胡乱な目つきで両手を突き出しながら向かって来るということはなかった。
ただ、死体が増えていただけだ。
「……降ってきたんですかね?」
空を見上げるが、そこには月があるだけだ。
しばらく観察していたが、どうにも動く様子がないので近づいてみる。
だが、古泉はすぐに足を止めた。
死体の懐から落ちたのか、それともさっきからあって自分が気付かなかっただけなのか。
そこには黒い球体があった。卵の様な外見で、うっすらと文字のようなものが浮かび上がっている。
とりあえず手にとって見るが、
「……?」
卵は、まるで力を使い果たしたとでもいうように、崩れて塵となってしまった。
砂よりも粒子が細かいのだろう。夜風に運ばれ、すぐに手の上からも消えてしまう。
「……回数制限でもあったのか、それとも選ばれし者にしか使えないインテリジェンス・エッグとか、そのあたりでしょうか」
疲労を紛らわすために軽口を呟くが、それに重なるようにして別の呻き声が聞こえた。
どうやら死体だと思ったのは早計だったらしい。
慌てて月明かりを頼りに顔を覗き込む。その人相には、パイフウが大暴れしたマンションの一室で見覚えがあった。
ダウゲ・ベルガー。先程、例の巨人に潰されたと思っていたが。
「生きていますね。あるいは、死にかけているとも言えますが」
息はあるようだが、荒く、意識も朦朧としているらしい。
――彼の体に注ぎ込まれた不死の酒は、少量だった。
『酒』はその効果を完全に発揮するために約半分の服用が必要だ。故に、その治癒は非情に遅々としたものだった。
無論、そのまま放っておけばダウゲ・ベルガーは完全な状態になっただろうが――
「全く……僕の手を煩わせないで欲しいものです」
溜め息と共に独りごちると、古泉は落ちていた騎士剣・紅蓮を手にした。
やはり、重い。だが、時間をかければ使えないこともない。
「二度目ですが……さて。一度目よりは上手くできることを願いますよ」
両足のスタンスを大きく取り、大剣を上段に振りかぶる。
――狙いは頭部。剣の重量に任せ脳を叩き潰す。
その時、放送が始まった。生き延びるためには重要な情報。
その時、声が聞こえた。強く、巨大で、どこか王を思わせる。その怒号。
だが古泉はそれらを海馬に書き留め、あるいは無視しながら、視線を一切ベルガーから離さなかった。
(どうやら、二度目もそれほど上手くはいかないようだ)
あの灼熱がやってくる。冷静な思考が脳髄の奥に退避する。
思考はすでに殺人にシフトした。すべてを後回しにし、この背徳を成し遂げる。
やがて放送が終わった。長々と息を吐く。唇を掠める呼気は、まるで唄うように静寂に浸透した。
その音と被るように、声が響いた。力強い声。未来へと一直線に延びる声。
だが、言葉とは受け取る側によって色を変える。だから古泉にとって、その声はどこか虚しく聞こえた。
ダウゲ・ベルガー。リナ・インバースと慶滋保胤が己の生命を賭してまで繋げた彼らの意志。
『継がれる意志がある限り――』
――その継がれるべき意志を、
『――僕らの道は絶たれない!』
――ただの一太刀の下、断絶した。
【078 ダウゲ・ベルガー 死亡】
【100 竜堂終 死亡】
【残り40人】
【C-5/森/2日目・00:00頃】
【古泉一樹】
[状態]:疲労/左肩・右足に銃創(縫合し包帯が巻いてある) /軽い擦過傷
[装備]:騎士剣・紅蓮
[道具]:デイパック(支給品一式・パン10食分・水1800ml)
[思考]:血を落とすための水、着替え、脅しになるような武器の入手
生き延びるために誰かと組む。
出来れば学校に行きたい。
手段を問わず生き残り、主催者に自らの世界への不干渉と、
(参加者がコピーではなかった場合)SOS団の復活を交渉。
[備考]:学校にハルヒの力による空間があることに気づいている(中身の詳細は知らない
全身が血塗れです。
※ダウゲ・ベルガーの死体がPSG-1(残弾20)、鈍ら刀、コキュートス 携帯電話を所持しています。
※黒い卵は消失しました。
※近くに刃の潰れたコンバットナイフが落ちています。
お疲れ
ときに思ったんだが、死亡キャラをこのまま死なせて退場にするのは惜しいな
序盤で消えたキャラは見せ場無かったしなー
終幕に向けて死亡キャラにも何か役割を与えたいのだが、どう思う?
って、こういうのは議論の方にするべきか。スマヌ
――眼下にある少年の体。死に体に近かったはずのその体に、意志の光が灯される。
開かれた竜堂終の双眸に己の姿を映し、古泉一樹は空気の塊を喉の奥に落とした。
振り下ろすはずだったナイフの切っ先が震え、静止する。
胴を文字通り一刀両断されておいて、これほどの短時間で意識を回復するという異常。
神仙が一、風と音を操る西海白竜王。終がその化身であることを、古泉は知らない。
魔界医師メフィスト。終の治療を行ったその超人が死者すら蘇らせる奇跡の担い手であることを、古泉は知らない。
――その無知故に、古泉一樹は驚愕した。不随筋すらも硬直したと錯覚させる未知の衝撃が彼を不意打ちした。
「――あ」
喉の奥からようやく絞り出せた、短い無様な声。
知らない。こんな感情は知らない。
背筋が爛れるような灼熱を、古泉は知らない。
脳天から喉の辺りまで貫く怖気を、古泉は知らない。
意識という手綱を越えて体を震わせる痺れを、古泉は知らない。
知らない。知らない。知らない。大鎌を携えた死神が、自分のすぐ隣に佇んでいる感触なんて知らない。
――ならばどうなる? 自分はどうなる?
三つ路地を曲がった先に殺人鬼が居ることを知らなければ、人は鼻歌を歌いながらそこに辿り着く。
二歩先に落とし穴があることを知らなければ、人は容易くそれを踏み抜く。
一秒後に銃弾が自分の頭部を貫くことを知らなければ、人は笑いながらその表情を散らす。
だが、その死はすべて回避できたものの筈だ。
自分は死ぬ? ここで死ぬ? 何も出来ずに死体になる?
――余人には予想を許さない理不尽。そんなものに自分は殺される?
(それは……少々遠慮願いたいですね)
いつものようにやんわりと、だが断固として拒絶する。
目的がある。自分には果たすべき目的がある。
帰るのだ。あの日々に。取り戻すのだ。あの日々を。
世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団。興味を引いて止まなかったかしましい団長。
その団長に振り回されていた男は、よく自分とゲームに興じていた。手元には常に彼女が淹れた甘露があった。
それは涼宮ハルヒを中心とした綱渡りのような関係だったが、それでも――
(彼に言っても信用して貰えないでしょうが――ええ、認めます。僕は気に入っていましたよ。あの奇妙な関係をね)
だが、奪われた。彼らは即座に殺された。勝手にこんなゲームに放り込まれて殺された。
理解は出来る。いまだ生存している長門有希を除けば、彼らは戦闘に長けていたわけではない。殺し合いを知らなかった。
それでも納得は出来ない。彼らは殺された。知らなかったというだけで殺された!
ならばどうする? 奪われたのならどうする?
――確認のためだけの自問自答。答えはすでに決まっている。
喪失を取り戻せるのは生者だけだ。ならば古泉一樹は反逆しよう。超常に対して食らいつき、覆い被さる理不尽を突破する。
さあ考えろ。彼我の戦力差を、現在の状況を、為すべきことを。すべて飲み下しかき混ぜ生存のための行動を提示せよ。
――思考するのに時間はかからない。
丹田の辺りから沸き上がる熱波に急かされるように、思考回路は無限に加速する。
血液が足りないのか、あるいは気絶から回復したばかりだからか、敵の焦点は合っていない。
だが油断するな。敵はすぐにピントを取り戻すだろう。取り戻せば古泉一樹は終わる。
最大にして最短のアドバンテージ。それが終わるまでに行動を終了させろ。
並列する思考。一瞬の逡巡で万の手立てを模索する。
――説得する? 否。すでに自分は敵対している。聞き入れられるとは思えない。
――投降する? 否。崩壊しかけの不安定な集団に捕らえられれば生かされる保証はない。
――逃亡する? 否。すでに顔と名前を覚えられた。情報が出回れば、単独で勝ち抜けない自分は生存できない。
否否否。無限に近い選択肢。それが次々と否決される。焦燥に狂乱し、叫び出したくなる衝動を抑え込む。
最終的に残った選択肢はひとつ。これならば問題はすべて解決する。
だが可能か。古泉にとって最大の敗北は死。この行動はそのリスクに直結している。
――否。それこそ否。舞台を整えておいて何を今更。
白刃は振り上げた。何を躊躇うことがある。すでに殺人の一歩を踏み出しているのだ。あとは駆け出し踏破しろ!
ナイフを振り下ろす。殺傷の軌跡はどこまでも直線を描き、そして目標に到達する。
引き延ばされもせず、ただ刹那的な経過の後、肉を抉る不快な感触が右腕を支配した。
だが、すぐに終わった。金属の陵辱が、それ以上の硬度によって阻まれる。
至近距離での銃撃すら防ぎきる竜麟。何者であっても突破できない。
(外れた――!)
衝動に任せた一撃は正確さを欠いていた。傷口を正確に穿たなければ、古泉一樹は竜を殺せない。
そしてこのミスは最悪だった。痛みは茫洋とした意識を引き戻し、怪物を覚醒させる。
振るわれる剛力。左腕の折れる感触。
竜堂終が寝転がったまま放った不完全な一撃は、それでも古泉の左腕をへし折った。そのまま吹き飛ばされる。
「――ぐぅッ!」
地面に叩きつけられ、古泉が悲鳴を上げる。痛みは怒りを呼び起こさず、灼熱した殺人への衝動を退避させた。
残るのは骨折の痛痒。死に対する恐怖。
古泉とて戦闘に慣れているわけではない。これは閉鎖空間での神人狩りとは違う。有効な一手を持っていない。
怖い。痛い。死にたくない。固めていたはずの意気が消失していく。
萎縮する勇気。生存本能が逃走と命乞いを勧告する。
抵抗は無駄だ。歯向かうのは無駄だ。逃避以外は全て無駄だ。
――そうだ。無駄だ。古泉一樹に力はない。あくまで口先三寸と誘導で勝利せねばならなかった。
それをこうして殺し合いに発展させてしまった己の無様さ。それを悔いて死ぬ。それを悔いて死ね。沈むほどの悔恨に殺されろ。
脳内を埋め尽くす諦観の群れ。古泉一樹はそれに圧倒され――
「……嫌ですね。そんなのは」
――だが、退けた。
絶望的境地。それでも古泉は立ち上がる。折れていない右腕で砂を握りしめ、激痛に息を漏らしながら立ち上がる。
すでに彼を突き動かしていた灼熱は冷え切った。突破しようとする狂乱も消え去った。
だが彼は抜け殻ではない。彼の体を支配していたものはほとんどが消え去ったが、それでもまだ残っている。
それは決して残滓などではない。むしろ確固たる――
「僕にだって……意地があるっ!」
――意志だ。奇妙で平穏なSOS団を望む、古泉一樹の意志だ。
目前では怪物がゆっくりとした動作で立ち上がっている。鋭い眼光。どこまでも刺し貫く竜王の視線。
彼我の戦力は圧倒的。無敵の防御たる竜麟。不完全ながら一撃で骨を砕く腕力。対して自分のなんと脆弱なことか。
それでも古泉一樹は前進する。ただひとつの目的のために。
意志とは貫くもの。ありとあらゆる障害を蹂躙し、成し遂げるものだ。
そう――古泉一樹には、意志がある。
◇◇◇
彼の意識は戻ったばかりであったが、それでも眼前の学生が敵だということは分かっていた。
竜堂終はゆっくりと立ち上がった。だが、それだけの動作でも視界が揺らぐ。
血液が足りない――両断されたことを思い出し、思わずぞっとして腹部に手をやる。
かくしてそこに胴はあった。横一文字の傷が走り、決して無事ではないが、それでも下半身と上半身は連結している。
(そうか、あの後――)
この島でこんな離れ業が出来る人物を、終はひとりしか知らない。
おそらく、あの後にメフィストが彼を治療してくれたのだろう。
弱体化の影響で死者を蘇らせることは出来なくとも、処置が早ければ魔界医師は死者を生まない。そういうことか。
命の恩人。文字通り頭の下がる思いだが、その瞬間に傷が自己主張するかのように疼いた。
――メフィストは数多ある世界の中でも頂点に立つ癒し手だろう。だが、それでもいかんせん完治には時間が足りなかった。
故に、彼は終が生存することのみを優先させた。重要臓器を修復し、主要な血管や神経を縫合し、断裂していた胴を針金で留めた。
終が切断されてから僅か三十秒足らずでこれらをやり遂げてしまったのだから、もはやそれは神の御業と言っても過言ではあるまい。
だが、それでも両断だ。
外側から見て一目で『隙間』と分かるような傷を、刻印で弱体化した回復力では瞬間的に治癒することは望むべくもない。
竜堂終は苦悶の表情を浮かべた。胴が切断された痛みなど、そうそう味わうことはあるまい。
傷口からは血が滲み出ていた。反射的に拳を振るった反動で、繋がりかけていた筋繊維や毛細血管が再び断裂し始めたのだ。
強力な拳打とは、つまるところ腰の回転で生み出される。
腕の筋力などは二の次だ。接地した足を発射台にし、拳をそれに乗せ、溜めた腰のひねりで打ち出す。
いまの終にはそれができない。その回転力を生み出す筋肉がすべて断絶されたのだから。
(打てて後一度、ってところか)
直感で、それを察する。
その打撃で眼前の敵を打ち砕くのは容易だろう。
だがその後は? 竜の筋力で全力を放てば、いかにメフィストの施した固定とはいえ耐えられるかどうか未知数だ。
最悪、胴体は再び分裂するだろう。そしてどうやら魔界医師は近くにいないようだ。今度は治療されない。
そもそも周囲に人の気配が全くない――いや、それも当然か。まるで地獄を背負って連れてきたような二人の少女を思い出す。
あれからどうなったのかは分からないが、満足に走ることも出来ないような今の状況で声高に助けを叫ぶ愚は冒せない。
そして相手は自分を殺そうとしている。加えて竜堂終は自殺志願者ではない。ならば、
(ここで倒すしか、ない)
覚悟を決め、格闘の構えを取る。
竜の転生体であるその身は既に傷を修復し始めていたが、恐らく間に合わないだろう。決着はすぐに訪れる。
敵の格好には見覚えがあった。先のマンションで従姉妹の仇を告げられ、反応して容易く激昂した自分の隙を利用された。
……ああ、つまり。
直結する思考。閃く想像。容易く象となって脳裏を支配する。
あの後は、慌ただしくて考える余裕もなかったが。
目の前にいるこいつは、茉理ちゃんの仇の仲間、なのか。
古泉とパイフウの同盟がいつからなのか、終には分からない。
マンションに訪れる直前か? それとも暴れ出した瞬間からか?
だが、もしかしたら。もしも初期から組んでいたとしたら。
自分の助けを呼んでいた少女が無惨にも死んだ時、目の前の少年はその傍で笑っていたのかも知れない。
――瞬間が訪れるのは、いつだって唐突だ。
竜堂終が咆吼する。異形の声で咆吼する。
想像は怒りを。怒りは感情の噴出を。そして激情は変化を促した。
肌が真珠色の鱗に覆われ、瞳孔が異形のそれに変わる。
圧倒的な存在感と畏怖を見る者に与える竜王の姿へと、竜堂終が化粧していく。
変化は外形だけに留まらない。竜堂終という存在が、凶暴な獣性に浸食される。
ラッカー・スプレーで塗り潰されるようにじわじわと、だが素早く。理性が凶暴な顎に噛み砕かれる。
――霞んでいく人としての心象風景。最強の獣へと変じるための代償。
守りたかったはずの人達。心に残る彼らの表情を、その獣は際限なく飲み込んでいく。
それは、なんという矛盾か。
復讐で喜ぶ故人は――いるのかも知れないが、少なくとも兄や茉理はそれを望む人種ではない。
それは理解している。だが理解してなお、竜堂終は彼らのために怒り、復讐を為そうとする。
ならばその彼らの笑顔を食い尽くしてまで行う殺戮とは――なんだ?
意味など無い――それも、分かっている。
この行為は無益。残るのは疵痕だけ。炎症を掻いて誤魔化すのと同じ。ただの自傷以外の何でもない。
それでも変化は止まらない。一度始まってしまったのなら、竜堂終では止められない!
溶ける理性。穿たれた笑顔。消失する意味。
――だが全てが暗闇に沈む寸前に、見えた物があった。
最初は光だと思った。眩い光。暗闇では光を包めない。だから残ったのだろうと思った。
だがその光も霞み始めていた。その金色が黒く薄れていく。光さえ獣性は食い尽くす――?
違う。終は直感的に否定した。これは光ではない。
ならばこの金色は何だ。万物を浸食する獣性に抗えているこの『強さ』は――何だ。
金色に触れるのを恐れるかのように、闇の侵攻は遅々としたものだった。
そして気付く。その金色の背後に、死んだ兄と従姉妹の顔がある。
守っているのだ。金色は、竜化が竜堂終から喪失させることを拒んでいる。彼らを守るために、その身を獣の牙に晒し続けている。
ならば、なおさらその正体が分からない。
兄貴は死んだ。茉理ちゃんも死んだ。ならば何だ? そうまでして竜堂終を守ろうとするモノは何だ?
――居るではないか。居たではないか。
気付くと同時、金色が振り返る。金の髪をたなびかせ、強靭な『女王』が振り返る。
彼らの旗。潰えたと思っていた旗。
だが、そうではなかった。
「……ああ、そうだ」
言葉を紡ぐ。狂乱する獣ではない、人としての言葉を。
それを合図とするように、ささくれだったような鱗は再び人肌に戻り、針のように細められた瞳孔も丸く戻り始めた。
――取り戻す。竜堂終が、人としての心を取り戻す。
「……負けて、たまるか」
憤怒が冷めたのではない――冷ましたのだ。終単身では制御できなかったはずの竜化を、制御していた。
怒りはある。ともすれば簡単に吹き出すだろう。
だが、それでも、
(……そうだ。俺は託された)
――あの時、ダナティアが自分を止めた理由。
それが分からないほど終は愚かではない。それを伝えられないほどダナティアは無力ではない。
憎しみに任せての殺人を自分の仲間達は止めてくれた。それを無駄にする? そんなことには耐えられない。
自分が手玉に取られた所為で舞台は崩壊した。そんな失態を二度も晒す? そんなものは冗談にもならない。
彼らは憎しみの連鎖を起こすために凶行を止めたのではない。竜堂終は、竜堂終の自意識をもって敵を退けなければならない。
――そうだ。やはり彼は単身で竜化を制御していたのではない。
竜堂終を、人として繋ぎ止めていたのは――
「あんたなんかに――譲れるかっ!」
――遺志だ。ダナティア。ベルガー。メフィスト。彼らが竜堂終に託していった遺志だ。
目前では少年ががゆっくりとした動作で立ち上がっている。左腕は折れ、それでも退かずに立ち向かってくる。
その様はまるで不死身の怪物のよう。竜すら喰らう巨大蛇のよう。
それでも竜堂終は前進する。受け取ったものを無駄にしないためにも。
遺志とは継ぐもの。後継者を守り、正しい方向へと導くものだ。
そう――竜堂終には、遺志がある。
◇◇◇
片や己の意志により喪失を埋めようとする怪物。
片や託された遺志により喪失を防ごうとする怪物。
彼ら怪物達の咆吼は、示し合わせたかのように同時だった。
「――うぁあああああアア!」
刃を構え、古泉が走る。
必要なのは速度。だが怪物を超越できる加速を古泉は持たない。
ならば用いるのは古泉一樹にとっての最速。腕の痛みに苛まれながら、それでも出せる限りの脚力を尽す。
勝算は低い。だが何もせずにに死ぬのは我慢できない。それは古泉一樹の意志が許さない。
――そして、必殺を期するため、白刃を掲げ――
「――ぉぉおおおおオオオ!」
竜堂終は構えを鋭化させていった。不思議と腹部の傷は痛まない。
それは不完全ながらも竜になりかけた効果なのだろうが、終には違うように感じられていた。
支えられているのだ――そう、思えた。これならば安心して力を振るえる。
だが油断するな。怪物相手に油断をするな。継承した遺志を無駄にはするな。
拳を引き絞り、待つ。傷はまだ深い。跳んだり跳ねたりはできない。
故に、狙いはカウンター。一歩の踏み込みと一撃のみの拳打に全身全霊を込める……!
――そして、必殺のタイミングを計るため、敵を見据え――
――だが突如、もう少しで終の間合いに入るといった所で、古泉がナイフを地面に落とした。
(なんだ!?)
終が驚愕したのは、敵の寸前で武器を取り落とすという間抜けにではない。
敵のその動作が、明らかに意識的に行われたものだということに気付いたからだ。
古泉が右腕を振りかぶった。何かを握っている――
だがそれを終は視覚で捉える前に、触覚で感じることとなった。
左腕が動かせないため不自然な投擲となったが、それでも投げつけられた何かは投網のように広がり、終の眼球を汚染する。
(……土!)
瞼の内側に砂が入り込み、視界が奪われる。
先程終に吹き飛ばされ、立ち上がった時、古泉はそれを握りこんでいたのだ。必殺を期するために。
そう。古泉に力はない。だから勝つには不意打ちしかない。
ある程度離れていても、投げつけられた土は十分に目つぶしとしての効果を発揮する。
終は焦った。敵は怪物。ならばこちらが見えていない間に自分を殺すのは道理。
「この――!」
苦し紛れに拳を放つ。だが、当たるはずもない。
――奇襲、不意打ちのメリット。それは何か。
ひとつは技量、身体能力を無価値に出来ること。武術の達人でさえ、暗闇で背後から金属バットで殴られればチンピラに敗北する。
そしてもうひとつ。敵を焦らせ、正常な判断力を乱すこと。
目で見えないのなら、音で判断すれば良い――終がそれに気付いたのは、拳を放ってしまった後だった。
失策に舌打ちをしながら、それでも拳を引き戻す。音を吸収する森という悪条件を呪いながら、敵の位置を探る。
だが敵の位置が分かったのと、背後からの衝撃は同時だった。強い衝撃。
目が見えないということもあったが、それでも抗えたはずだ。だがその理屈に反し、終が転倒する。
拳打を主力とするならば、背後はほとんど無防備だ。それを晒しているという事実に寒気がする。
一秒でも早くその悪寒を振り払うために、立ち上がろうとしたところで――
終は、己の敗北を知った。
「……あ」
足が、動かない。下半身は感覚さえない。背中に鈍痛を感じる。
すでに、攻撃は終わっていたのだ。
「……両断されたのだから、勿論背中にも傷口はありますね?」
倒れた終の頭上から、古泉の声が響く。
終の背中の中心。修復中で脆くなっていた背骨を通る脊髄を断ち切るように、コンバットナイフが刺さっていた。
砂を投げた後、古泉はすぐにナイフを拾い、終の脇をすり抜けるようにして安全な背後に回り込んだ。
そして片腕という非力さを補うために、全体重を掛けて押し倒しながらナイフを突き刺したのだ。
危険は多かった。背後に回る際、終が闇雲に打った拳が一発でも当たっていれば古泉の負け。砂の目潰しも持続性は高くない。
終が重傷を負っていて身軽に動けなかったからこそ成功した、古泉一樹に可能だった唯一の奇策。
そして殺人の感触に疲労しきった微笑みを浮かべながら、古泉は刺さっているナイフの柄尻に足を乗せ――
「……すみません。僕が、進ませて貰います」
――全体重を掛け、一気に踏み込んだ。
【100 竜堂終 死亡】
【残り41人】
【C-5/森/1日目・23:55頃】
【古泉一樹】
[状態]:左腕骨折/落下による打撲、擦過傷/疲労/左肩・右足に銃創(縫合し包帯が巻いてある)
[装備]:コンバットナイフ
[道具]:デイパック(支給品一式・パン10食分・水1800ml)
[思考]:出来れば学校に行きたい。
手段を問わず生き残り、主催者に自らの世界への不干渉と、
(参加者がコピーではなかった場合)SOS団の復活を交渉。
[備考]:学校にハルヒの力による空間があることに気づいている(中身の詳細は知らない
カリオストロ。サン・ジェルマン。パラケルスス。シュー・フー。
そう呼ばれたのは昔の話―――――。
※※※
細葉巻(シガリロ)を曇らせながら、この部屋の主―――――イザーク・フェルナンド・フォン・ケンプファーは目を細めた。
モニターには当初の目的であるデータが随時更新されつつある。
我が君―――――カイン・ナイトロードは一度灰となった。
原因は宇宙から地球に向かって放り出されために。
自身の弟の手によって。
だが彼の中に巣食う破壊者達は死んではいなかった。長い時間を有し蘇生。復活。
しかしまだ完全ではない。
かつて、同胞達と共に六百万人を殺戮したカインはまだ不完全な存在。
我々、薔薇十字騎士団が何の理由もなく誰かに力を貸す事は無い。
目的があり、利益があるからこそ彼等に力を貸しているのだ。
彼等は彼等の目的に夢中になってればいい。
その間に私達は私達で、この殺し合いの真の目的を果たさせてもらう。
私達の目的――――。
参加者達の戦闘データを集めること。詳しくはその能力のデータ収集し、カイン復活の資料にするのが目的。
人間誰しも自身の命の危機には予想以上の力がでる。
だからこそ、この環境はデータ収集にもってこいの環境であった。
盗聴やら刻印とやらもコチラにとってはデータを効率よく採取するための道具に過ぎない。
盗聴は作戦中の暇つぶしの道具。少し能力を持つ参加者ならば発見できてしまうチャチな代物。
刻印も盗聴機器とそんなに変わらない。付け加えると我々に対する抑止効果とデータ収集の効率をよくするためでもある。
神野蔭之が制作した刻印に新たな機能を付け加えたのもこのためだ。
データを収集するからには詳しくて、できるかぎり多いデータが欲しい。
刻印の中に参加者達の能力観測用の魔術(アルチ)を施さしてもらった。
そのデータが目の前のモニターに今もなお、写しだされている。
ダナティア達、一行にはとても感謝している。
あそこまで騒ぎを大きくしてくれなければ、この巨大な“力”の観測には成功しなかったであろう。
ウルトプライド、フレイムヘイズ、黒魔術、etc、etc………。
この短い時間でここまでしてくれるとは。
※※※
実はもう一つ、困難とされ廃棄された作戦がある。
それがクルースニク02の覚醒。
当初の目的では“02”もこのゲームに参加させる予定ではあった。
勿論、コチラの独断でだ。
しかし、その存在はこちらの作戦をも破壊してしまう力を持つ。
さらには我々に不利な点を参加者にばら蒔き、作戦に支障がでる可能性もありうる。
このゲームの崩壊。それだけは回避しなくてはならない。
短くなった細葉巻を灰皿に押しつける。
そろそろ放送の時間だ。
「安心、それが人間の最も近くにいる敵である――――シェークスピア」
そう呟いた時、モニター上の生存を表していた光が複数個消えた。
その一つには見覚えがあった。 ナンバーは…………………。
「NO.26か」
私もディートリッヒのことは言えないらしい。
死亡者リストを手に取るとケンプファーは立ち上がった。
魔術師の指先が奏でしは、
破壊と殺戮の交響曲
彼の伴奏にあわせて、いざ詠え、堕落せし者よ。
─────我ら、炎によりて世界を更新せん!
【23:55分頃】
懐中電灯の光ひとつを頼りに暗闇を進む。足元に注意して歩いていくだけの、単調な作業。
しかしそれが安全な行動であるかといえば答えは否、危険である。なぜなら今、この島では物騒なゲームが行われている。
最後まで生き残った者一人が勝者という、単純明快なルールのゲームである。要するに殺し合いゲームだが。
クリーオウ・エバーラスティンもその参加者の一人であって、他の参加者に狙われる立場にある。ましてやクリーオウの
装備は拳銃一丁で、しかもクリーオウは決してカタギの一市民とはいえないヤクザな人生を送っているとはいえ、まともに
拳銃を使ったことなど一度しかなく、無力に近い状態であるということは否定できない。要するに殺人上等な戦闘狂だとか
自分が生き残るために皆殺しを覚悟した一般市民だとかに狙われた場合、その生存確率は非常に低いといえる。不安だ。
例えば今。クリーオウは懐中電灯の光を正面と足元を交互に向けて照らしている。懐中電灯の光というのは少ない電力
で照度を得るために光束を集中しているから、向けている方向は明るいがそれ以外は暗い。容赦なく暗い。何しろここは
明りのない地下道で、ついでにいえば地上もそろそろ太陽の沈む時間である。周囲は闇。ひたすらに暗闇が広がっている。
そんな真っ暗闇の中に、誰かが潜んでいないと誰が保証できる? ましてやその「暗闇に潜んでいる誰か」がクリーオウ
に敵意を持っていないんてことは誰にも保証できない。そしてその「暗闇に潜んでいるクリーオウに敵意を持った誰か」
が、ちょいと気まぐれを起こしてクリーオウに襲い掛かったとすれば、クリーオウ・エバーラスティンの人生はそこで
終わりだ。死ねば暗闇に怯える恐怖も絶望もないが、ついでに未来の夢と希望もない。
そういうわけで、クリーオウ・エバーラスティンは最大限に警戒しながら目的地へと進んでいる。目的地はG-4、何の
酔狂で作られたのか判らないが、とにかく地図上には存在する城の、地下である。そこにピロテースがいる。地下である
以上、彼女に会っても周囲は暗闇で、「暗闇に潜んでいるクリーオウに敵意を持った誰か」の襲撃を警戒する必要はある
だろうが、一人ではなく仲間がいるというのは安心できることだ。それに、仲間はピロテースだけではない。少し遅れて
クエロとせつらも来るはずだ。クリーオウも含めて合計四人のパーティ。サラと空目が欠けて、四人。あの学校に集った
皆も、たったそれだけになってしまった。
そして、これからもまた欠けていくのだろう。
次は自分かもしれない。いや、その可能性が一番高い――と、クリーオウはどこか冷静に考えた。何しろ四人の中で
最弱なのは自分だ。というより、自分だけが弱い。無力だ。例えば今、「先行している仲間と合流する」というたった
それだけのおつかいにすら怯えている。
と、そこでふと、クリーオウは気付いた。気付いて、しまった。
決してカタギの一市民とはいえないヤクザな人生を送っているとはいえ、まともに拳銃を使ったことなど一度しかなく、
無力に近い状態であるということは否定できないクリーオウを、
クエロ・ラディーンと秋せつらは、
何故、
一人で送り出したのか――
考えてはいけないと思いつつもクリーオウは考えてしまう。大した距離じゃないから自分を信頼してくれた、なんて
美談はない。何しろここは今、問答無用容赦無用情け無用の殺人ゲームの真っ最中だ。クエロとせつらの二人が絶対に
クリーオウを護ってくれるなどと盲信しているわけではないが、それでも今さら切り捨てるぐらいならまず前提として
無力なクリーオウを仲間にする理由がない。安全確実を狙うならクエロとせつらはクリーオウと行動を共にするのが
最善策で、そんなことはあの二人だって判っているだろう。ピロテースとの合流が遅れるというのは建前にしかならない。
何しろピロテースも放送を聴いて、こちらに何かがあったことぐらいは気付いているはずだ。死体実験の現場を見られ
たくない、というのも建前以上の理由にはならない。そんなことは今さらである。
さて。
ここで思い出すのは、第二回放送前に不幸にも欠けてしまった仲間、ゼルガディス・グレイワーズである。
彼もまた、今のせつらと同じようにクエロと二人で行動し、クリーオウからは何が起こっても判らない場所へと出かけて
行って、そして、帰って来なかった。
「――そっか」
クリーオウは気付いた。気付いて、しまった。
今さらだが蛇足を描こう。
音というのは大気の振動、波である。波は物に当たれば反射する。つまり音というのはそういう理屈で反響して、意外に
遠い場所までうっかり届いたりする。地下道みたいな閉鎖空間ならなおさらだ。例えば暗闇に怯えてちんたら進んでいた
金髪小娘の耳に、半キロほど離れた場所の戦闘音が届いたりすることもある。偶然だが。その戦闘音というのが例えば細い
ワイヤーが風を切る音だったり、男女の諍いの声だったり、拳銃の撃鉄音だったり、あとはなにやらプラズマ的な音だったり
する、こともあるだろう。ちなみにクエロの武器である魔杖剣というのは、拳銃と似た機構を持っていて、クエロはそれで
プラズマ的な魔術を使うそうだ。
これ以上ないほど、蛇足である。
○
ドクロちゃんはふと、『桜くん』と刻み込んだ巨木相手のバッティング練習をやめた。もちろんフルスイングだ。
しばし虚空を見上げ、おもむろに<くんくんくん!>と匂いを嗅いで、
「焼肉……!!」
と叫ぶ。そう、ドクロちゃんの天使的嗅覚はお肉の焼けるジューシースメルを嗅ぎつけてしまったのです……!
「早く行かないとボクのお肉が売り切れちゃう! ああもうダメだよ桜くん! 桜くんにはボクのお肉をあげるから……!」
そして釘バットを片手にムーンウォークで全力ダッシュ。
と、おもむろ急ブレーキをかけて立ち止まり(急ブレーキは事故の元です。注意しましょう)、
「このビリっとした感じ……ダメッ!」
<ぶうんっ!>と振られた愚神礼賛の先端が音速超過の水蒸気を引いて、
「そんな電撃で桜くんを幼女趣味に引き込んだりしたらダメなんだからッ……!!」
そのまま上天へと大跳躍。
見よ――その姿。
どこかのお医者さんを見に来た月さえ<おおっ>と月光を強めてしまうそのボディ。愛らしい顔立ちの口元からは涎が一筋。
それはまさに天使の降誕ともいえる一枚絵。大上段に振り被った釘バット『愚神礼賛』が、月光を反射してキラリと光ります。
そして天使は重力の鎖に引かれ、大地に……!
「――地球割り」
○
死体は禁止エリアへ。不法投棄業者の気分で炭化した人間の残骸を投げ込んだ。刻印が発動し、彼の魂を貪欲に略奪する。
これで証拠隠滅は充分だ。禁止エリアに踏み込む生者はいないし、死者に口はない。
クエロ・ラディーンはそこまでやってようやく、一息をついた。
(これでいい。証拠が無ければ追求もされない)
最も、追求されたとしても大した問題ではない。サラも空目も死に、ゼルガディスとせつらも殺した今、
クエロを追求してくるとすればピロテースのみだ――クリーオウは誤魔化せる。
ピロテースをどう誤魔化すか、というのは難問だった。何しろ前提として、疑われているのだから。
彼女を納得させられるだけの嘘を幾通りか考え、一番勝算のある案はどれかと考える。
第七階位咒式の使用で負荷のかかった頭で、採用した案は単純なものだった――クリーオウを使う。
クリーオウ・エバーラスティンは無力で純真な少女だ。自分のような、薄汚れた咒式士――処刑人とは違う。
クエロの言葉は信じられずとも、クリーオウの言葉は信じられる。今までもそうだった。ならばこれからもそうするまでだ。
彼女を騙すのは簡単だ。今の自分の惨状を見せて――『襲撃され、せつらが殺された。反撃したが、逃げられた』。
クリーオウがこれをどうやって疑える? 身体の傷は戦闘の証拠――咒弾が減っているのは反撃したから――せつらの死体は襲撃者の手
で禁止エリアに投げ込まれた――
クリーオウへの説明はこれで充分だろう。何しろ、クエロはこのゲームが始まった当初からクリーオウと行動を共にしている。
一番縁の深い仲間。あの少女がこちらを疑う理由は、ない。
(本当に役に立ってくれるわ、クリーオウ)
胸中で、感謝する。言葉に出せるほどの余裕はない。
と、足がもつれた。
「っ!」
無様に倒れる。
どうにか受身は取ったものの、少し擦り傷が出来た。とはいえ傷の一つや二つは今さらでしかないが。
身体中にある無数の傷。そこから滴り落ちる血液は体力そのものであり、負傷から来る熱がじりじりと残った体力を蝕んでいく。
痛覚などは随分前から忘却の彼方にある。アドレナリンの過剰分泌という問題だけではない。脳にそれを処理するだけのキャパシティ
が不足している。咒式。演算。頭痛。電子が磁場へ電荷との積を――
「う――」
意識が危うい。身体が休息を欲している。筋肉がアデノシン三リン酸を食い尽くしている。あとどれだけ動ける? 2-ヒドロキシプロパ
ン酸すなわち乳酸に漬かった気分。
刻印さえなければ。この身体が正常で、咒弾があり、〈内なるナリシア〉があれば。咒式が好きなように使えればどいつもこいつも大
した敵ではない。管理者も。ギギナも。そして臨也も。アマワも。
「……臨也。折原臨也。ガユスを殺した折原臨也」
名を口ずさむたびに、身体に憎悪が充填されていく。
「……アマワ。未来精霊アマワ。この下らないゲームを仕組んだ未来精霊アマワ」
名を口ずさむたびに、身体に憎悪が充填されていく。
「私は負けない。私は処刑人。私は殺す。幾ら奪われても尽きない憎悪で私は殺す――」
呟きの果てに――
クエロはようやく身体を起こした。
まだ動ける。いや、動かねばならない。
(まずは……クリーオウ、ね)
贖罪者マグナスを抱き、縋るように足を進める。右、左、右、左、右左左右右右左――歩き方とはどうだったか?
そんな些細なことすら考えなければ判らなくなった自分を、クエロは嘲笑した。
まずは右、と一歩を踏み出して、暗闇の中から光が来たのを感じた。懐中電灯の照明。
光に目を細め、光源に向かって言葉を投げる。
「クリー、オウ?」
返答は一拍置いてから。
「……クエロ」
感情を押し殺した声音で、クリーオウ・エバーラスティンが近付いてきていた。
○
「クエロ、……せつら、は?」
「……ごめんなさい、クリーオウ。さっき、誰かに襲われて。せつらは……」
クエロ・ラディーンが何か言っている。だが違う。
(わたしが聞きたいのはそれじゃない)
クリーオウ・エバーラスティンは言葉を無視して、クエロに近付いた。
その時には、クエロも気付いていたのだろう――こちらの手に握られているものを。
強臓式拳銃“魔弾の射手”。
クリーオウは両手でそれをしっかりとホールドし、銃口をクエロに向けた。照準は胴体――無理に頭に当てる必要はない。今のクエロ
・ラディーンにとっては、一発の銃弾が致命傷になるだろう。
せつらとの戦闘でついたのだろう負傷。そのお陰で自分が優位に立てる。クリーオウは彼に感謝して、トリガーに指をかけた。
そして銃弾ではなく、言葉を撃ち放つ。
「……せつらを殺したんでしょう」
その言葉は。
表面上は、何の変化も及ぼさなかった――あくまで表面上は、だが。
表情に変化はない。体勢に変化はない。呼吸にも変化はなく、心臓の脈動すら一定のままで。
だが――皮一枚隔てた裏側、骨肉と体液の逆位置で、蠢いているものを感じる。いや、蠢いているのだとクリーオウは想像した。
あるいはそれはただの妄想かもしれないが、少なくとも、目に見えず耳に聞こえぬレベルで、クエロの何かが変化した。
彼女は明日の天気でも聞くように、静かに言ってくる。
「ええ、そうね。それで――」
と、視線で拳銃を示し、
「――それであなたは何をするの? まさかそれで私を殺せると? あなたにそれが、」
「わたしができるかできないかは関係ないの」
クエロの言葉を遮って、クリーオウは言った。
「前に使ったことがあるから分かるの。わたしがどう思っていようがおかまいなしに、指を少し動かせば弾が出てクエロに当たる」
言って、改めてその重さを実感する。
拳銃。この鉄の塊は人を殺すための重さだ。
「答えて、クエロ――なんでせつらを殺したの?」
「その理由があなたの意に沿わないものなら、私を殺すというわけね」
その言葉には懐柔が、その視線には嘲笑が含まれている。
クエロ・ラディーンはこういう状況で、何の絶望もしていない。そのことにクリーオウは少し驚いた。
驚いて、しかし考えを変えた――彼女は単に、絶望し続けていただけではないか?
「……違う。わたしは撃つつもりなんてない――でも、クエロはこうしないと本当のことを言ってくれないでしょう?」
「あなたに撃つつもりがなくても、指が動けば私は撃たれるんでしょう?」
その言葉には嘲笑が、その視線には懐柔が含まれている。
放たれるたびに、こちらの何かが剥ぎ落とされていく。それは決意か覚悟か憎悪か、あるいは哀れみか。
「自分を騙したって無駄よ、クリーオウ。あなたは、せつらを殺した私なんて死んでもいいと思っている」
その言葉には弾劾が、その視線には憐憫が含まれている。
これではまるで、尋問されているのは自分の方だ――ふと、クリーオウは苦笑した。
事実、そうなのだろう。クリーオウ・エバーラスティンは裏切りの事実から感情を制御できていない。
そしてクエロ・ラディーンは、殺人の事実から感情を完全に制御できている。
ならば、そのもみくちゃになった感情をそのままぶつければいい。
クリーオウはそう思い、クエロが言葉を――言葉に似せた茨の檻を――放つ前に、自分から言葉を放った。
「約束する。わたしはクエロを撃たない。だから答えて」
「なら、武器を下ろしなさい。武器を持ったままの約束が、信用に値すると思っているの?」
言われて、クリーオウは銃口を下げた。そのまま、デイパックに仕舞った。
その――無防備になった瞬間に。
クエロが動くのは分かっていた。分かっていたが、クリーオウにはそうすることしかできなかった。
短剣が動く。刃が懐中電灯の灯りで煌き、銀光がクリーオウへと迫る――
刹那。
豪音と共に、クエロの背後に何かが落下してきた。
○
落ちてきた少女は土埃にケホケホと咳をして、釘バットを手にクルリと一回転した。
その回転速度で大気が動き、ゴウッと豪風になって土埃を吹き飛ばす。
と、そこで見知らぬ人影二人から注視されていることに気付き、釘バットを振り上げてポージング。にっこりと笑う。
撲殺天使ドクロちゃん、堂々の登場である。
「こんにちはー!」
まだ昼間だというのに『こんにちは』と挨拶をするドクロちゃん。うっかりニューヨーク出身かと思ってしまうが単なる時差ボケであ
る。
その天然ボケっぷりには誰もが微笑んでしまうだろう。撲殺天使ドクロちゃんは魔性の女である。
とはいえそんなことは全く知らないのがクリーオウ・エバーラスティンとクエロ・ラディーンの金髪コンビ。
クリーオウは呆然としたまま、クエロはなんとか魔杖短剣をドクロちゃんに向けたが、咒式をトリガーするかどうかは決めかねている。
と、挨拶に返事が無いことに怒ったドクロちゃん。プンプンと頬を膨らませ、ブンブンと愚神礼賛を振り回して、
「もうっ。誰かに挨拶されたらちゃんと返さないと、ちゃんとした大人になれない――」
そこでハッ、と何かに気付いたかのように後ずさり、
「まさか――もう桜くんにイケナイ手術を……!?」
呟いて、イヤイヤと首を、ブンブンと愚神礼賛を振って、
「そんなの――フキョカッ!!」
<カッ!!>と目を見開いて愚神礼賛を投げつけるドクロちゃん。
投げられた愚神礼賛は――ああ、なんということだろう。
猛烈なスピンのかけられた鉄バットはその空力特性を存分に活かし、土埃を纏っていくではありませんか。
土色に染まり、地面スレスレで飛来するその鉄バットはそう――大リーグバット2号!
大地の保護色に彩られたバットに、クリーオウは反応できない。
反応できたのはクエロ。地面スレスレで飛来する愚神礼賛にあわせるように魔杖短剣〈贖罪者マグナス〉を構え――
しかし!
大リーグバット2号はその対応をあざ笑うかのように<グワァ――――ン!!>とホップした!
その動きにクエロは対応できなかった。
愚神礼賛が右の胸に突き刺さる。
鉄バットに生えた鉄の棘がマグナスを弾き飛ばす。
そして愚神礼賛の運動ベクトルを受け取ったクエロの身体が、ねじ回りながら吹っ飛んだ。
「クエロ――!」
クリーオウの叫びに、クエロは残る左肺の空気の全てを使って、
「――逃げなさい!」
叫んだ瞬間、血を吐いた。もはや声は出ない。出せない。
「っ、クエロ……」
クリーオウは迷い、しかし、クエロの言葉に従って踵を返した。
「待ってて――ピロテースを呼んで来るから、待ってて――」
地下道の暗闇に向かって走り出すクリーオウ。
少女の身体が、はためく金髪が、すぐに暗闇へと呑まれた。
「逃げるのは――フキョカッ!」
そしてそれを追いかけるドクロちゃん。軽やかなステップで走り出し、まずクエロに突き刺さった愚神礼賛を引っこ抜いた。
鮮血が吹き出る。
「後で治すから――!」
だけどそれを無視してドクロちゃんはクリーオウを追いかける。愚神礼賛じゃちゃんと治せないことなど、既にキレイサッパリ消えている。見たまえこの真っ白なショーツを……!
血まみれ致命傷のクエロを一人残して、クリーオウとドクロちゃんは去った。
ピロテースが来てもどうにもならないと、クエロ・ラディーンは判っていた。何しろ血まみれ致命傷である。
あるいは咒式が使えればどうにかなるかもしれない――だが、魔杖短剣は弾き飛ばされて、手元にない。そしてそこまで這って行く体力も、クエロ・ラディーンには残っていない。
暗闇の中、一人の時間が訪れた。
そこにガユスが現れた。
○
そのガユス・レヴィナ・ソレルの姿を見て、クエロ・ラディーンは自分の死を再確認した。
ガユスは死んだ――折原臨也に殺されて。精霊アマワに弄ばれて。だから臨也とアマワを憎悪する。
(死の寸前に見る幻覚――)
声が響いた。
「クエロ・ラディーン」
その声は、記憶にあるガユスのものと同じだった。
(死の寸前に聞く幻聴――)
その思考を、クエロは打ち切った。
目の前にいるガユスの――ガユスのようなものの姿を良く見る。
それは確かにガユスだった。記憶の全てに適合する。間違いなくガユス・レヴィナ・ソレルで、誤謬なくガユス・レヴィナ・ソレルだ
った。
しかしそれは違うのだ。それはガユスではないのだ。咒式士としておかしい感覚だが、理屈ではなくそれが判る。
それはガユスの姿を真似ているだけだ。それはガユスの姿を模倣しているだけだ。それはガユスの姿をした贋作でしかないものだ。
生体変化系咒式士の〈変幻士〉――否。これは違う。咒式士としておかしい感覚だが、理屈ではなくそれが判る。
これは万物に対する挑戦だ。これは生命に対する罵倒だ。これは人間に対する愚弄だ。これは――悪だ!
思考が戻る。〈処刑人〉ではない正義の咒式士のそれに。
「――アマワ」
出ないはずの声が、出た。
「不思議なことだ……なぜお前たちはすぐに分かる? どういう思考から確信を得ている?」
ガユスの声で、ガユスの姿で、アマワは言う。憎悪が沸く。底無しに底抜けに、憎悪が湧き出る。
これこそが、目の前にいるそれがガユスではないという確信だった。
この感情は違う。
ガユスに対する殺意ではなく、ガユスに対する憎悪ではなく、ガユスに対する悲哀ではなく、ガユスに対する愛情ではない。
「答えないのか」
アマワが言う。クエロは答えない。
「ならばそちらが問うといい。わたしは出会った者に、たったひとつだけ質問を許している。その質問でわたしを理解せよ。理解して―
―証明せよ」
アマワの言葉をクエロは聞いていない。
ただ、這った。四肢に力を入れる。断裂した筋肉を気合で動かして、前に進む。
「……クエロ・ラディーン。問わないのか。問わないのであれば……お前には答える意思もないと判断するが」
ガユスの姿をしたアマワがガユスの声で何か言っている――そんなものは雑音に過ぎない。
なぜならあれはガユスではない。ガユスではなく、何物でも何者でもない。あれは存在しない。
存在しないものが何かを言うはずもない。クエロに聞こえている言葉の全てはただの空耳に過ぎない――
クエロは手を伸ばした。マグナスの柄を掴み、引き寄せる。咒弾は装填済み。
咒式を紡ぐ。
「答えぬのであれば――もはや用もない――」
「答えろ、ですって?」
呟いた一言は、虫の羽音のような小声だったが。
アマワの言葉を遮るには充分だった。どうせ誰も聞いていないような言葉だ、遮られて困る聴衆はいない。
「たかが悪ごときが、何を言うかっ!!」
その言葉には怒気が、その視線には憎悪が含まれている。
「私が一人になってから現れたのは何故だ? 私が死に掛けてから現れたのは何故だ? おまえたちはいつもそうだ――」
紡いだ咒式は電磁雷撃系第七階位<電乖天極輝光輪斬>――
放つ瞬間。アマワが言った。
「それが――質問か? クエロ・ラディーン」
「質問? 違うわ。これは――」
位相空間で加熱加速した高温高速のプラズマジェットにアルカリ金属粒子が添加され、電気抵抗が低下。
プラズマに放電。導体中を電流が流れることで導体周囲に発生した磁場が、プラズマの流れを誘導・安定・収束。
「――これは〈処刑〉だっ!!」
横薙ぎに放たれた死の光輪が、アマワの胴体を貫いた。
「それでは駄目だ、クエロ・ラディーン――お前には失望した」
胴体をプラズマで薙ぎ焼かれても、アマワは滅びない。
そして――クエロ・ラディーンは、終わった。
○
その瞬間、ドクロちゃんは石に躓いて転んだ。
こんなところでもドジっ子っぷりを見せ付けるドクロちゃんに、誰もが魅了されてやまない。ドクロちゃんは正しく魔性の女である。
それはそうとドクロちゃんが転んで地面に倒れた瞬間、その真上をプラズマジェットの光刃が貫いた。
それはクエロ・ラディーンがアマワに放ったもので、ドクロちゃんはうっかり射程範囲だったのだ。
それは倒れたドクロちゃんの真上を貫いた瞬間、消えた。ドクロちゃんはちょっと膝をすりむいただけである。
それはまあ、どうでもいいことだが。
【009 クエロ・ラディーン 死亡】
【残り40人】
【E-4/地下通路/1日目・19:00頃】
【クリーオウ・エバーラスティン】
[状態]:右腕に火傷。
[装備]:強臓式拳銃『魔弾の射手』
[道具]:デイパック(支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン4食分・水1000ml)
缶詰の食料(IAI製8個・中身不明)。議事録
[思考]:ピロテースを呼んで来る。
みんなと協力して脱出する。オーフェンに会いたい
[備考]:アマワと神野の存在を知る
【E-4/地下通路/1日目・19:00頃】
【ドクロちゃん】
[状態]:健康。足は大体完治。
[装備]:愚神礼賛(シームレスパイアス)
[道具]:無し
[思考]:クリーオウを追いかける。クエロは後で治そう。
[備考]:まともに治療できないことは忘れました。
※せつらの死体は禁止エリアに投げ込まれました。
ほしゆ
「なぁおねーさん、そいつは本当なのか?」
濃い霧の中、革ジャンにタイトなパンツを穿いた少女――の身体を持つ少年、匂宮出夢が問う。
「事実。今まで気付けなかったが、D-2に存在する学校を中心に、涼宮ハルヒによって作られたと思われる異相空間――彼が『閉鎖空間』と呼ぶ空間に近いものが発生している」
答えるのは色素の薄い髪に能面のように無表情な顔を持つセーラー服の少女、長門有希だ。
彼らはだんだん晴れていく霧の中を(主に出夢が)しゃべりながら進んでいた。
現在彼女等はD-2の学校へと向かっている。
彼女等が元居たE-4からD-2まで向かおうとすると、二つの禁止エリアにはさまれたブロックを通らねばならないのだが、そこは殺し屋と宇宙人。方位を間違えたりして禁止エリアに突っ込むヘマはしない。
まぁE-3を通り抜けるとき、濃い霧のせいでかの撲殺天使には気付かなかったのだが。
「涼宮ってのは、おねーさんの仲間……だったよな?」
無神経な発言の多い彼だが、今回は少々気遣った声音でそう尋ねる。
なぜか。その人物、涼宮ハルヒはこのゲーム内において、既に死亡しているからだ。
いくら殺し屋でも、それくらいは弁えている。普段の彼からは考えられないが。
「……そう」
長門が短く返答した。
返答するまでの僅かな間、彼女は死した仲間たちのことを思っていたのだろうか。
おそらく、そうだろう。と、彼、匂宮出夢はなんとなく思った。あくまでなんとなく、だが。
彼女はきっと、その間すらもノイズというのだろう。
彼はきっとそれすらも弱さというのだろう。
まぁそんなことは、どうでもいい戯言なのだが。
「で、なんでそこに行こうってんだ? もしかしてその……へいさくうかん? に閉じこもってゲームが終わるのを待とうってのかい? 古泉探しはどうすんだよ」
理解できない単語の出現により、若干怪訝な色を含む声音で彼は再び問う。
「今のわたしでは閉鎖空間に介入するのは不可能」
「あ?」
「しかし、彼ならば可能かもしれない」
「彼ってぇと――」
「古泉一樹」
「この空間の存在に、彼ならば気付くはず。ならば闇雲に動き回るより、この学校を拠点に行動した方が良い」
長門はその薄い唇から吐息のように言葉を吐き出した。
「なるほどね、オレにはその『なんたら空間』ってのはよくわかんねぇけどそこにいれば古泉は自分からやってくるってかぁ? ぎゃはは! まるでゴキブリホイホイだな!」
「そう」
長門が短く返し、その会話は打ち切られる。
それからは特に会話もなく、二人は黙々と歩を進めるのみだった。
どのくらいの時間がたっただろう。
それは、辺りが暗くなり始めたころだった。
「ついた」
ソレは薄闇の中、確かに彼らの前に存在していた。
人気の無い夜の学校。
さながらホラー映画のワンシーンである。
しかし、何度もいうが彼らは殺し屋と宇宙人。当然の如くそんなものには臆しない。
長門と出夢は校門をくぐり、ところどころ先頭の痕跡が見られる校内を特に探索するでもなく、昇降口から最も近い教室に這い入った。
出夢は教卓に「よっ」と座ると、壁にかけられた時計を覗き見る。
「19時ちょい過ぎ、か……。 外も暗くなってきたし、今日はここで休むか。いいよな、おねーさん」
出夢の問いかけに、長門は注視しなければ分からないほどの角度で首を振った。
「よっしゃ、じゃぁ晩御飯とでも洒落込もうぜ。なぁに、こう見えても俺は殺し屋だ、自分がいる建物の中にいるのが死人か生人かくらいわかるさ。ここにゃ生きてる人間はいねーよ」
長門は「知ってる」と一言言うと、教室の最後方、窓際の席に座りデイパックを漁り始めた。
出夢も教卓から降りると、長門が座ったその前の席に座り自分もパンと水を取り出す。
それを豪快に齧りつつ、小動物のようにパンをちまちま頬張る長門に、出夢は言う。
「しかし、本当に古泉は来るのかい? ここじゃ特殊な能力はおねーさんみたいに制限されちまうんだろう? だったら気付かない可能性だってあるんじゃねぇか?」
「そう、だからこれは賭け。だけどわたしは思っている、彼ならばかならずこの空間の存在に気付き、やってくると。
これも恐らく、ノイズによる影響。でもわたしは、そのノイズに逆らうことができない」
バカヤロウ、そいつはノイズなんかじゃねぇよ、もちろん弱さでもねぇ。
そいつは――信頼さ。
出夢は思った。
出夢は今少し、ほんの少しだが、理澄と長門を重ねている。
というより、これまで妹が肩代わりしていた弱さを、一身に背負わなくてはいけなくなった所為で生まれた、そう、彼女風に言うならノイズが、彼女の面倒を見させ、あまつさえ仲間などという単語を述べてしまったのだ。
しかし彼はそれを心地よいと思う。少なくとも、不快だとは、思わない。
そう思った。
しかしソレは、ノイズなんかではない。それは、やさしさだ。
やさしい殺し屋、匂宮出夢。
まぁそんなことは、どうでもいい戯言なのだが。
そしてその、まるで戯言のようなつかの間の平和は、長門有希がもそもそとパンを食べ終わるまで続いたのだった。
【D-2/学校内入り口に最も近い教室/1日目・19:30】
『生き残りコンビ』
【匂宮出夢】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:デイパック(パン3食分:水1250mm)
[思考]:長門と共に古泉の捜索。多少強引にでもついていく。
生き残る。あまり殺したくは無いが、長門が敵討ちするつもりなら協力してもいい
【長門有希】
[状態]:健康
思考に激しいノイズ(何かのきっかけで暴走する可能性あり)。僅かに感情らしきモノが芽生える
[装備]:なし
[道具]:デイパック(パン4食分:水1000mm)、ライター、バニースーツ一式
[思考]:出夢と共に古泉の捜索及び情報収集。
仲間を殺した者に対しての復讐?(積極的に捜そうとはしていない
ほ
「をーっほほほほほほ! 挽肉におなりっ!」
号砲のような雄たけびとともに進撃するのは小早川奈津子。
大上段に大剣を構え、威風をまとって向かってくるその偉容は
鬼武者のごとき威圧感を相手に与える。
その顔は憤怒で染まり、猛久しい像のような吐息を吹き出していた。
緊張に沈む街路。しかし、
「野放図な行動原理だな。怪物と聞いたが、実際はただの馬鹿か」
マンホールの投擲を避けて身を屈めていた屍刑四郎が、上体を立て直して立ちふさがる。
赤旗目掛けて突っ込んでくる闘牛、
それに立ち向かう闘牛士さながらの堂々とした態度だ。
濡れて顔にかかっていたドレッド・ヘアを掻き揚げると、
「刑事に対する殺人未遂――よくやってくれた」
一部の新宿区民は、この言葉をどれほど恐れているだろう。
それほどまでに、魔界刑事は『犯罪者』に対して徹底的で容赦が無い。
文字どおりに虫けらとしか相手を見なさないからだ。
だが、その宣告も小早川奈津子にとっては脅威にはならない。
特に先刻の侮辱の影響で、彼女は屍の放ったブタという単語に過剰に反応した。
「国家の犬風情が、あたくしに意見しようなど万年早くってよ!」
ひときわ凄烈な轟声をあげ、その加速をいっそう速める。
屍との距離はすでに十メートルを切っていた。
あと数歩で小早川奈津子のリーチ内だ。
女傑が満身の一撃を放とうとしたその瞬間。屍は強張った面で彼女に向き合い、
「おまえはその犬にかみ殺されるのさ」
つ、と地面を滑るかのように音も無く後退した。
ただ下がるだけではない。相手のリーチを完全に読みきり、
攻撃を避けた瞬間に踏み込んでのカウンターを入れることが可能な体勢だった。
屍の経験・技量は女傑のそれを圧倒的に上回っていた。
気づいた小早川奈津子が慌てて剣を止めようとするが、すでに慣性は働いている。
全ては屍の思惑どおりだ。
が、その予定を狂わす第三者は意外な場面で行動してきた。
「てンめぇ……! そいつは俺の獲物なんだよ!」
小早川奈津子を激怒させた張本人、甲斐氷太だ。
屍は、甲斐が漁夫の利狙いで自分を襲うものだろうと考え、
鮫による奇襲にも警戒を怠ってはいなかった。
しかし、甲斐氷太は気の赴くままに敵意を放ち、その警戒の斜め上を行く。
あろうことか、屍向かって突進してくる小早川奈津子の両足に、
甲斐は黒鮫の尾で痛烈な一撃をお見舞いしたのだ。
タイミングに乗った一発は、常人の足を打ち砕く威力を誇っていた。
だが、ドラゴン・バスターを自称する女傑に対しては、
ただの脚払い程度の攻撃に過ぎなかったのだ。
「あっー!」
驚嘆の声とともに、宙に浮きつつ前方へと体を流す小早川奈津子。
屍にとってその転倒は最悪の結果をもたらした。
巨人の剣は振り下ろされる途中であり、それが前のめりになった巨体と、
脚払いで宙に浮いた慣性とが組み合わさり、予想以上の斬撃範囲を発揮したからだ。
「をーっほほほほ! これぞ怪我の功名、一刀の下に斬り捨ててあげましょう」
してやったり、と言った風情の嬌声に後押しされながら、
ブルートザオガーが花柄模様の男に迫る。
その威力・硬度・切れ味は、ともに人一人を真っ二つにするには十分すぎる。
大剣が隻眼の顔に達する直前、魔界刑事は賭けに出た。
そのたくましい両腕が閃いたかと思った瞬間、大剣を左右から挟みこんだのだ。
真剣白刃取り。
絶体絶命の状況下でそれを成しえたのは、
屍の卓越した身体能力と古代武術『ジルガ』の技法に他ならない。
短距離において音速を突破できる屍は、その能力が制限されていても
技の冴えを衰えさせていなかったのだ。
しかし、魔界刑事の身体能力と古代武術をもってしても、
小早川奈津子の斬撃を止めることはできなかった。
巨人のパワーは怒り補正を受けて、一気に剣を押し込もうと猛威を振るう。
白刃取りによって勢いを殺したものの、添えられた屍の手ごと剣が迫る。
鼻頭に大剣が到達する直前、屍は頭を傾けて直撃を避けた。
それでも、依然として剣が振り下ろされていることには変わりが無い。
命中箇所が頭から肩へとずれただけだ。
大剣が花柄模様を切り裂く。
直後、硬い音がした。
だがそれは肉を断ち切り、骨を砕く音ではなかった。
間違いなく剣は命中した。しかし、一滴たりとも流血が見られない。
屍は憮然として告げた。
「古代武術ジルガのうち――鉄皮。上着を台無しにしやがって、このクズが」
刑事の背後から吹き出した殺気に危機を感じた小早川奈津子は
慌てて飛びのこうとする。
しかし、それは叶わなかった。
今度は逆に、鋼のような屍の腕が万力のごとく大剣を固定していたからだ。
次の瞬間、鞭のような蹴撃が小早川奈津子の巨大な左大腿を打った。
二発、三発、並みのヤクザやチンピラは、この時点で粉砕骨折しているだろう。
四発、五発、小早川奈津子の顔がついに苦痛に歪む。
そして六発目が大腿の皮膚を打ち破り、鮮血を散らすと同時に
その巨体がゆるりと傾き、受身のために女傑は路地へと手を着いた。
「これでようやく急所を殴れるな」
「仰ぎ見るべきこのあたくしを同じ視線で眺め回すとは何たる無礼!」
「この期に及んで何を言ってやがるこの唐変木。あばよ」
言うと同時に、屍の右腕が後ろに引かれる。
この構えの果てにあるのは、ジルガの技法『停止心掌』
小早川奈津子のような怪物を一撃で仕留めるにはこれしかないと、
屍が先ほどから狙っていた技だ。
強力無比な掌撃が、万全を期して女傑の胸へ迫る。
その一撃を打ち出した瞬間、屍は後頭部に殺気が当てられるのを感じた。
すでに屍は攻撃中だ。未来は二つ。
危機を回避するか、そのまま巨人に止めを刺すか。
逡巡する時間が無い中で屍は危機回避を優先した。
烈風とともに花柄模様が翻り、同時に黒鮫が口腔鮮やかに飛来する。
屍は甲斐の鮫と攻撃の察しをつけていたのだ。
だが停止心掌は完全に失敗し、小早川奈津子は隙をついて離脱してしまった。
「くそっ、よく避ける野郎だ」
言うが早いか、甲斐の瞳が燃えるような輝きを放つ。
屍はその輝きの中に渇望の意を見出した。
「餓えてやがるな、狂犬め」
言いながら屍は若干つま先に加重をかけ、重心を前に傾かせた。
対する甲斐は正面に屍を捉えながらも、四方にも感覚を向けて
周囲空間そのものを把握しているのだろう。
お互いの視線が交差し、しばしの間世界が止まった。
が、それもつかの間。
「クックック、クハハハッ」
突如として甲斐がを笑みをこぼした。
楽しくて、満足で仕方が無いといった表情で。
内奥からこみ上げてくる歓喜と情熱が甲斐氷太を奮わせたようだ。
「何が可笑しい」
「ククッ、笑わずにいられるかよ。おまえみてえな相手を前にして。
ついさっきもガンくれあったが、こんな鬼みてえな、
いや、悪魔みてえな視線を向ける野郎は初めてだぜ?」
見ろよ、と甲斐は屍に対して腕をまくって見せた。
「見事に鳥肌が立ってやがる。数秒睨まれただけでこんなになっちまった。
それだけじゃねえ、脊髄にツララをブッこまれたような感覚だぜ。
相対してるだけで、テメエの威圧とスゴ味に俺自身が飲み込まれちまいそうだ。
目の前の男がどれだけヤバいか、俺の本能はちゃんと分かってる」
対して屍は何も言わない。甲斐の出方を伺っている。
空中を旋回する二匹の鮫が、番兵のように屍の接近を防いでいるからだ。
「でもよお、いや、だからこそ、だな。
こうして俺が向き合ってる相手ならば、このクソッくだらねえ世界の中で
唯一手応えが感じられそうなヤツなんじゃねえかって思うんだ。
余計な虚飾や装飾を取っ払ったシンプルな、それでいて確実な手応えをよぉ」
カプセルにはまってから、いや、それ以前から甲斐には何もかもが
嘘くさく思えてしょうがなかった。
どれもこれもが些事であって、切り捨てられない、必要な何かと比べて
無価値な石ころに過ぎないと感じていた。
そんな日常に宙ぶらりんになって生きる甲斐にとって、
悪魔戦に溺れることはまさに快感だった。
いや、思考や感情の奥にある「存在」する何かが弾ける感覚だ。
余計な幻想を片っ端か打ち壊してくれる。
屍との闘争によって、甲斐は失われない確実なものを得られると確信した。
だからこそ、屍を追ってここまで来たのだ。
「さぁ、存分に殺しあおうぜ。過去も未来も要らねえ、必要なのは今だけだ。
満ち足りるまで、クラッシュするまで溺れようじゃねえか」
弾けそうな興奮と期待そして心情をぶつける甲斐。
しかし、
「粋がるなよ糞虫」
返ってきたのは痛罵と屍のデイパックだった。
悦に入ったように語る甲斐に対して、屍は全力でデイパックを叩きつけると
疾風のごとく間を詰める。
「おまえの自己満足に付き合う理由も義理も無い、警察をナメるな。
ゴミは掃除する、治安は守る、それだけだ」
白鮫がデイパックをブロックする隙をついた低姿勢で一気に距離を詰めると、
そのまま黒鮫の胴に向かって上段蹴りを叩き込む。
身もだえしながら後退する黒鮫。
その背後で、甲斐が目を剥きながら歯を食いしばる姿を屍は捉えた。
「カラクリが読めてきたぜ――その妖物、おまえと同調してやがるな」
「っはぁ……容赦無えな。けどよぉ、そーやって煽られると
俺はますます燃えるんだっ!」
痛みを堪えつつ、しかし陶酔したかのように甲斐はカプセルを口に含む。
次の瞬間、眼前に掲げた拳を振り下ろし、
「ノッてきたぜ――食い千切れ!」
蹂躙の意を轟かせた。
同時に、二匹の悪魔が屍目掛けて雷光のように飛んでいく。
甲斐には冷静さが欠けるが、悪魔のスペックがそれをカバーする。
背びれ、胸びれ、尾、ノコギリ歯。
電光石火で繰り出されるコンビネーションが屍を包む。
前後左右上下から襲い来る破壊力。
「ベルを鳴らせ、ショーの始まりだっ!」
酔ったように叫ぶ甲斐、シャンパンの泡のように敵意が弾ける。
対する屍は、悪魔の攻撃を持ち前の直観力で巧みに捌き、時には避ける。
足首を狙った黒鮫の尾の一撃を片足を浮かしてやりすごし、
同時に右腕部をミンチにせんと迫る白鮫の歯を防ぐため、
顎に掌打を打ち込んで、鮫が突っ込んでくるベクトルを変える。
「ハハッ! 踊れ、踊れぇ!」
カプセルを嚥下し、叫ぶ顔はもはや狂喜の域に突入していた。
目は剥き出しになったように開かれ、しかも真っ赤に燃えている。
その笑みはまさに悪魔持ちと呼ぶに相応しい。
物部景がこの光景を見たらいったい何を思うだろうか。
狂犬の王が操る悪魔に対して、生身の人間が素手で渡り合っているのだから。
荒れ狂うハリケーンの直下のように戦塵が舞い、風が千切れる。
魔人と悪魔の饗宴は壮絶な様相を示していた。
その戦場に巨人が乱入してきた時、均衡は崩れた。
屍により手痛い反撃を受けた小早川奈津子が、大剣片手に威勢をあげる。
「をーっほほほほ! 面妖な鮫ともども、あたくしが討ち取ってあげましょう!」
「上等っ! デカ殺るついでにハムにしてやるよ!」
「どいつもこいつもよく喋る――」
風が唸った。
ブルートザオガーの軌道上から身をくねって退避した白鮫に
屍の変則フックが直撃し、フィードバックで甲斐がうめく。
その反撃とばかりに屍目掛けて突進する黒鮫の尾を
小早川奈津子が掴んで豪快に振りかぶる。
それはまるで大魚を吊り上げた漁師のような風情であった。
そのまま哄笑とともに鮫を屍に叩きつけようとするが、
鮫の抵抗にあい巨大な頬に鮫肌の痕がつく。
「ざっまあみやがれ、バァーカ!」
甘美な手応えに笑う狂犬。もはや完全にカプセルがキマってぶっ飛んでいる。
よろめく女傑。
隙を逃さぬよう屍の両腕が瞬動し、巨人の手首を砕き折ろうとするが、
「乙女の柔肌を汚した重罪、打ち首獄門市中引き回しの刑で償うがよくってよ!」
憤激した女傑の振り回す大剣がそれを許さない。
型もへったくれも無い、力任せで常識外れな剣戟だ。
接近した魔界刑事の首筋を剣の切っ先が擦過する。
「来た来た来たぁ! 待ってたんだっ、脳天ブチ抜くこの感覚をよおっ!」
その斬撃で飛び散った鮮血を舐め取るかのような軌道で、白鮫が屍を強襲。
防御の隙間を縫って屍の肩を尾で打ち据えた。
隻眼の顔に苛立ちが浮かぶ。
一瞬ごとに別個のコンビネーションで攻め立ててくる甲斐氷太。
意外性とタフさによって屍の予測の外を行く小早川奈津子。
二人を上回る技量と経験を持ち合わせる屍だが、
思惑どおりに流れを組み立てることは難しい。
屍の手元に愛銃があれば、一秒とかからず二人は射殺されていただろう。
だが、屍の支給品は武器ではなく椅子だったのだ。
珍しく、魔界刑事の額を汗が伝った。
泥沼の白兵戦になるかと思われたその時、
屍はついに死中の活を見出す。
甲斐が矢継ぎ早に繰り出してきた悪魔のコンビネーション攻撃。
その派生パターンを魔界刑事は直感的に理解した。
思考のトレースではなく、魔界都市で培ってきた本能的なものが
鮫の動きを先読みしたのだ。
屍は信頼に足るその感覚に従い地を蹴った。
悪魔持ちたる甲斐は戦闘開始直後からあまり移動していない。
そしてその三メートル先で白鮫が路壁に沿って飛ぶのが見える。
あの鮫の動きが予想したとおりならそこで決着だろう、と屍は思慮した。
左前方から迫り来るブルートザオガーを間一髪で切り抜け、
大剣の担い手たる小早川奈津子の巨体に接近する。
左肩を密着させて相手の重心をわずかにずらし、タイミング良くショートパンチ。
屍の右拳を腹部に受けた女傑の巨体が後ろに流れる。
「をーっほほほほ! この程度痛くも痒くもなくってよ!」
やかましい、と拳に手応えを感じながら、屍は白鮫の動きに注目した。
かくして、白鮫は路壁に向かって尾を振りかぶる。
それを確認した瞬間、屍はチェック・メイトに至る道筋を構築し、実行する。
流れていく小早川奈津子の体、それを全力で押して巨体を移動させる。
同じタイミングで白鮫はブロック状の路壁を尾で破壊し、
その破片を散弾銃のごとく屍へと浴びせかけた。
同時に黒鮫が上方から襲い来る。
これこそ、屍が直感的に予知した新手の攻撃バリエーションだ。
屍へ迫るブロックの破片をタイミング良く小早川奈津子の体が受け止める。
予想外のダメージで意識を乱した女傑の腕に向かって、
屍はアッパーカットを放つ。
結果、巨人の右腕は大剣を持ったまま直上へと跳ね上がり、
襲い掛かってきた黒鮫に激突。
全ての攻撃が阻まれ、同時に無防備な甲斐への道が開けた。
「何っ!?」
驚嘆の叫びは甲斐のものだ。
今しがた思いついたばかりのコンビネーション攻撃を
タイミング良く完全に防がれたのだから、そのリアクションは当然といえよう。
攻撃の派生も内容もたった今誕生したばかりなのだが、
屍はそれを以前から知っていたかのごとく完璧に無効化してみせた。
攻撃を五感で感知する以前に、屍が対応策を練っていたとすれば、
「なんつー勘の良さだよテメエ……ククッ、最高じゃねえか」
甲斐氷太は今やっと、屍刑四郎の驚異的な危機回避能力の正体を知った。
鮫による最初の奇襲も、背後からの強襲もことごとく屍は回避した。
その理由が、直感による殺気察知に由来するものならば、
今まで二匹の悪魔の攻撃を凌ぎ続けてきた事実も納得できる。
そんな甲斐を尻目に、屍は順当に決着への手順を踏んでいく。
先ほど利用した小早川奈津子、その膝に右足を乗せて階段を上るように
重心移動を行う。
次の足場は巨人の胸、そこを左足で踏みつけて、反作用で跳躍。
三角跳びの要領で、女傑の右腕と激突している黒鮫と同等の高度に達する。
体操選手より鮮やかな動きだが、凍らせ屋にとっては朝飯前だ。
上昇の勢いを乗せて、黒鮫の鼻っ柱に一撃をお見舞いする。
黒鮫は絶叫するように口腔を見せつけながら、更に上方へと吹き飛ばされた。
屍は重力に引かれて落下しながら、甲斐がよろめく姿を視界端に捉えた。
残る白鮫もしばらくは動かせないほど、甲斐は衝撃を受けているのだろう。
鮫と甲斐が同調に近い関係にあることをすでに屍は見破っていたので、
先ほどの一撃には停止心掌には及ばないものの
霊的なパワーを込めておいたからだ。
それが悪魔を苦しめ、ダメージが甲斐にフィードバックしたのだ。
着地した屍の足元には、足場にされ跳躍の反動で倒された小早川奈津子が
転がっていた。
「こ、このあたくしを踏み台に……! 何たる屈辱、何たる冒涜!」
「威勢がいいのは口だけだな」
「をーっほほほほほほ! ならば聖戦士たるあたくしの華麗なる一撃を
お見舞いしましょう! 昇天おしっ!」
起き上がるや否や、小早川奈津子は聖なる力を振り絞って
ブルートザオガーを一閃した。
するとどうだろう、先ほど眼前にいた屍刑四郎は影も形も無くなっている。
「おやまあ、なんと貧弱な。
あたくしの超絶・勇者剣を受けて跡形も無く滅却したのかえ?。
ともあれ正義は勝った、完 全 勝 利 でしてよっ! をっほほ――」
「黙れ馬鹿」
その声は、勝利の高笑いを響かせようとした、聖戦士・奈津子の背後から響いた。
驚いた聖戦士が百八十度反転すると、そこには花柄模様の上着が――、
そこまで認識した瞬間、小早川奈津子の心臓に激震が走った。
古代武術、ジルガの技が冴えわたる。
停止心掌は巨人の急所に炸裂したのだ。
この技は防御を無視し、内部にダメージを与える。
小早川奈津子といえども、笑って耐えられる代物ではない。
「だ、だまし討ちとは……何たる……卑怯……」
これが屍刑四郎が聞いた、小早川奈津子の最後の言葉だった。
巨人堕つ。
【A-3/市街地/一日目/18:50】
【屍刑四郎】
[状態]健康、生物兵器感染
[装備]なし
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1800ml)
[思考]できる限りボルカンを保護し、怪物と甲斐を打ちのめす
[備考]服は石油製品ではないので、影響なし
【甲斐氷太】
[状態]肩の出血は止まった、あちこちに打撲、最高にハイ
[装備]カプセル(ポケットに十数錠)、煙草(湿気たが気づいていない)
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]屍や怪物と戦う
[備考]かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下
【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで二日)、たんこぶ、生物兵器感染、大激怒
[装備]ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具]デイパック(支給品一式、パン三食分、水1500ml)
[思考]甲斐は殺す、屍は下僕にしたいが場合によっては殺す
[備考]服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
約九時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
九時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
怪物との勝負に決着をつけた屍が振り向くと、
壁に手を添えながら甲斐氷太がこちらを睨みつけていた。
「よお、まだ――終わりじゃねえぜ」
「じき終わる」
屍からみて、未だに甲斐のダメージは深刻だ。
先ほどまでのようにキレのある動きで悪魔を操作できないだろう。
だが、相手が怪我人だろうが屍に容赦する気は微塵に無い。
犯罪者は、皆等しく平等――全く価値が無いからだ。
一歩、一歩、処刑人のように屍は甲斐に詰め寄っていく。
依然変わらぬ威圧を背負って。
追い詰められた犯罪者は、このような屍に対して大抵は逃げたり、
命乞いをする。
だが、甲斐は出会ったときと同じく、傲岸不遜に屹立していた。
相当なダメージが蓄積されているにも関わらず、表情はハイなままだ。
甲斐のふてぶてしさは、カプセルによるから元気なのだろうか。
それとも何か策があるのか。
「何をしようとどのみち無駄だ」
「ああ、もうここから動く必要は無えしな」
用心深く屍は二匹の鮫を確認した。
黒鮫は未だ上空で弛緩しおり、戦闘できるとは思えない。
白鮫も崩した路壁付近を漂っている。襲ってきても対処可能だ。
そして、今まで屍の急場を救ってきた殺気感知も無反応だ。
もはや甲斐に戦闘力が無いことは明らかだった。
あと四歩、屍がそこまで進んだところで甲斐が不意に口を開いた。
「綱を落とすぜ。好きにしろよ」
「何――?」
意味不明。屍は警戒するとともに疑問解決に思考を裂く。
瞬間、先ほどまでとは比べ物にならないほどの殺意が屍の体を貫いた。
思考を裂いていた分、対応が遅れる。
しかも、本能的に跳び退る事はできなかった。
屍は甲斐の攻撃を直感任せですでに数回ほど回避している。
相手がそれを学習していないはずが無い、と屍は推論し、
飛び退いた先に何があるか確認していない現状で、
無闇に回避行動を取るのは危険だと、理性で本能を押し留めたのだ。
最悪、スリーパターンの三匹目が回避先に現れるかもしれない。
故に、手段は迎撃。
決断からワンテンポ遅れて、屍は殺意の主を捜し当てた。
それは白鮫そのものだった。
自立行動できたのか、と屍が思う間もなく白鮫が迫る。
完全な誤算だった。屍は以前、甲斐は鮫と同調していると推測した。
だが、それはドラッグを起爆剤として使用者の闘争本能などを
具現化する仕組みだろうと勝手に解釈してしまったのだ。
魔界都市にも強力な興奮剤が存在する。
その中には使用者の容姿を変質させる物も含まれている。
屍は、甲斐のカプセルがその亜種のようなものだと判断し、
悪魔の存在をあくまで使用者の一部分が分離した固体だと考えた。
従って、悪魔そのものに独立したエゴが存在するとは思えず、
使用者の一部分たる悪魔が暴走するなど予想外だったのだ。
まさか、手綱を放せば勝手に暴れる代物だとは考慮していなかった。
そう誤算しても無理は無い。
甲斐は戦闘においてハイになりつつも確実に悪魔を制御していた。
使用者の意の下に掌握された悪魔は、甲斐の殺意に従って牙を剥く。
忠実な僕であったからこそ、屍はオーナーである甲斐一人の
殺意を汲み取るだけで済んだのだ。
その経験から、屍は未知である悪魔を既知の存在として誤認していた。
もはや白鮫の口腔は魔界刑事の目前だった。
虚空から出現する妖物である鮫に、鉄皮が通じるか否かは未知数。
ならば、障害物を出せばよいと屍は結論。
以前、甲斐へと投擲したデイパックを蹴り上げて、
それに食いついた鮫の口中へとねじ込んだ。
もはや、鮫には甲斐が統御していた時の洗練された動きは感じられない。
目先の敵を全て食い尽くす破壊力そのものだ。
これが、甲斐氷太の悪魔。
鉄の意志でもあるオーナーの手綱が外れると、攻撃本能のままに蹂躙する。
屍の殺気感知力がなければ、奇襲を防ぐことは困難なほどに滅茶苦茶で、
原始的で、それでいて非常に手の焼ける存在だったのだ。
そしてもう一方、屍が上空に吹き飛ばした黒鮫。
それはただ攻撃を受けて苦しんでいただけではない。
上空を通るある物のそばまで接近していたのだ。
なぜそのような芸当ができたのか。
フィードバックを受けながらも、カプセルの影響で
戦気高揚していた甲斐は、同時に痛覚も若干マヒしていた。
しかも、屍が小早川奈津子を戦闘不能に追い込むとき、
取り出したカプセルを苦しむ演技とともに飲む暇があった。
それによって、若干のあいだ悪魔を制御する余裕を甲斐は得ることができた。
空を屍が確認したとき、黒鮫は弛緩していた。
だが、それは真に弛緩していたのではなく、力を溜めていたのだとすれば、
優れた勘で攻撃を感知する屍に対して、甲斐が苦肉のトラップを
用意していたのだとすれば、往生際の態度も納得できるだろう。
動く必要は無い、と甲斐は述べた。
なぜなら自分の前まで屍を誘導させる必要があったからだ。
冷静ならばもっと上手くやれただろうが、今の甲斐にはこれが限界だった。
屍は自分に止めを刺しに来る、と甲斐は確信して自身の手前に攻撃地点を設置した。
トラップの正体、それは上空を通る複数の電線だった。
綱を落とす、と甲斐は宣言した。
それは悪魔の手綱であると同時に、電柱を結ぶ線をも意味したのだ。
白鮫の制御を手放すことで甲斐は黒鮫の制御に集中できた。
冷静さを欠いている現状、片方の制御に集中しなければやっていけない。
その黒鮫はこの時のために上空で力を溜め、
オーナーの意に従い正確に電線を引きちぎった。
この場に限って言えば、屍が直観力に頼りすぎたのは失策だった。
このゲームが開始されてから、屍の勘は従来どおりの冴えを見せた。
と、感じるのは屍の主観であり、実際はしっかりと制限を受けていたのだ。
その制限で、殺気などの害意を感じる場合と比べて、
無意な存在から受ける被害に対する直観力は若干低下していた。
つまり、対人には十分効果があるが、トラップや不慮の事故は
通常と比べて察知しにくくなっていたのだ。
屍はゲーム開始以来、大して戦闘を行わなかった。
それにより「勘」という不安定な能力のコンディションチェックを
行うことができず、新宿にいた時の状態のままだと思い込んでいた。
甲斐や小早川奈津子の攻撃を事前に察知していたときは、
当てられる殺気に反応したのであって、
死の危険そのものを感じ取っていたわけではなかったのだ。
それが、今更になって魔界刑事を追い詰めた。
目の前の強敵が放つ殺気に注意を奪われていた屍は、
自身に向かって上空やや後方から接近してくる二本の電線に気づかなかった。
無理やり千切れた反動で、電線は弾みをつけて落下してくる。
その威力は、もはや鞭などというレベルを超えている。
惨劇は一瞬だった。
電線は無情にも凍らせ屋の背中を痛打し、花柄模様を銅線が引き裂く。
凶器の直撃を受けてなお、激痛に耐える屍刑四郎を白鮫が襲う。
その尾は正確に屍の頭に激突して脳震盪を引き起こした。
「っしゃあ! 引っかかりやがった!」
凄まじい爽快感だ。甲斐はこの瞬間を待っていた。
自分より格上で、油断も隙も無い魔界刑事が無抵抗になる刹那の時を。
判断は即座に成され、忠実な悪魔は寸分違わずそれに従う。
落雷のごとく飛来した黒鮫は、悪魔の名に相応しい破壊力を持って、
屍刑四郎の頭部へと食いついた。
獲った、と思った。
甲斐氷太は内より込み上げる感情を外へぶちまけようとして、
「――!」
獣の咆哮を聞いた。
首まで黒い悪魔に飲み込まれた魔界刑事。
その両腕が絶叫とともに天へと突き出され、猛禽の鈎爪にも見える五指が
左右から鮫の頭部に突き刺さった。
瞬間、甲斐は猛烈な衝撃に意識を失いそうになった。
「ぐっ――あ」
鈍器で殴られたような感覚。
それがどんどん自分の芯の方へと食い込んでくる。
相手にはもはや武術を使う思考も、余裕も残されてはいないだろう。
しかし、氷らせ屋は頭を食われてなお、凶悪なパワーで戦闘続行を望んでいる。
正に、魔人。
魔界刑事の生存本能と、メフィスト病院製の特殊細胞が命を繋いでいるのだ。
この男を沈黙させるには、頭部を食いちぎって脳を破壊するしかないのか。
「お――!」
甲斐は吼えた。そうしなければ眼前の光景に圧倒されそうだったから。
抵抗する証を自分自身で確認しなければ、痛みに屈しそうだったから。
だが、同時に甲斐は凄絶な笑みを浮かべていた。
この刑事、重症を負ってなお自分を楽しませてくれる。
「頭食われてんだぞ!? ハハッ、こうなりゃとことんやりあおうぜ」
屍の常軌を逸した抵抗が、これ以上無いほどに甲斐の心を満たしていく。
頭の中が真っ白になって、地平の果てまで吹っ飛ぶ快楽。
もはや悪魔戦でもなんでもない。
男と男、二つの存在が生命をかけて意地を張り合っている。
どうしようも無くシンプルで、致命的な勝負。
そこが良い、最高だ。
脊髄を電流が駆け上り、頭蓋の中でスパークした。
屈したら、死ぬ。
その思いが甲斐の意識を支え続けた。
もう何十秒過ぎたのだろう、いや何百か何千か。
いや、時間なんてどうでもいい。
甲斐は頭がどんどんクリアになっていくのを感じた。
これが、己が求めた瞬間なのか。
そんなことを考える余裕すら、もはや無い。
今はただ、相手を喰らい続けることで精一杯だった。
だがついに、痛みが限界に達した。
もはや痛みではなく、言い表せないモノになって確実に神経を蝕んでいく。
眼前の刑事だったものは、もはや赤いヒトガタと化していた。
その腕は依然として悪魔を掴んで離さない。
ギチギチと、鋼の指が鮫肌に食い込む。悪夢のような光景。
突如として、
「――!」
ヒトガタが絶叫を放つ。
否、もはや甲斐にはそれが叫びかどうかも分からない。
ただ一つ、内なる野生は理解していた。
これを凌げば相手は終わる。
堪えられそうも無い何かが、体の芯を駆け上っていった。
それでも狂犬は、食いついた牙を離さなかった。
数分後、甲斐は路地に横たわっていた。
耐え難い痛みは既に引いたが、激しい頭痛が残っている。
まともな思考が戻るのは、まだ先になるだろう。
それでも、甲斐は満たされていた。
あの感覚は今はもう無い。
しかしそれを味わった経験は麻薬のように甲斐の心に刻み付けられた。
「言葉にならねぇ……最高だ……もう一度、あと一度でいい。
あの何もかもが吹っ飛ばされた……あの感覚を、もう一度――」
ぶっ飛んだジャンキーの言葉とともに、
甲斐は煙草に火をつけようとして湿気ていることに気づき、
それを投げ捨てた。
【109 屍刑四郎 死亡】
【残り39人】
【A-3/市街地/一日目/19:00】
【甲斐氷太】
[状態]あちこちに打撲、頭痛
[装備]カプセル(ポケットに十数錠)、
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]興奮が冷めるのを待つ、禁止エリア化するまでには移動したい
[備考]かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下
小早川奈津子は死んだものだと思っています
【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで一日半)、たんこぶ、生物兵器感染、仮死状態
[装備]ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具]デイパック(支給品一式、パン三食分、水1500ml)
[思考]意識不明
[備考]服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
約九時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
九時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
感染者は肩こり・腰痛・疲労が回復します
停止心掌は致命傷には至っていませんが、仮死状態になりました
補修
ほっしゅ
ほ
177 :
イラストに騙された名無しさん:2007/03/26(月) 13:46:37 ID:mzrelp4Z
ほしゅ
ヒースロゥの背後に朱巳が現れ、符術使いの視線がそちらを向いた。
風の騎士は敵の動揺を察知し、それと同時に、違和感にも気づいた。
符術使いからは、何故か一瞬だけ、完全に殺気が消えていた。
朱巳の足音が遠ざかり、敵の術が虚空を焼く。
何枚も呪符をこぼしながら、符術使いが顔をしかめる。
(どういうことだ?)
濡れた路面の上を駆け、得物を振り上げながら、ヒースロゥは思う。
ヒースロゥたちに向けられていたのは、ただの戦意でしかなかった。
敵の殺意は、眼前の対戦者にではなく、別の何かへ向けられていた。
「臨兵闘者以下略!」
符術使いが呪符を構え、後方へ跳躍する。
構えていた鉄パイプを、風の騎士は投擲する。
「電光来々、急々如律令!」
符術使いの投げつけた呪符から雷が発せられ、鉄パイプに遮られる。
だが、敵の攻撃は、足元からもヒースロゥへ襲いかかった。
(ああ、そうか)
ヒースロゥを見つめる符術使いの双眸に、彼への殺意は微塵もない。
(あの眼は、まるで――)
思いを言葉にする前に、ヒースロゥは気を失った。
そして、見覚えのない建物の二階で、ヒースロゥは意識を取り戻した。
(あれから、何がどうなった?)
起きあがり、周囲に視線を巡らせながら、彼は状況の把握を試みる。
(下に一人、誰かがいる。それも、とんでもなく怒っている奴が)
あと少しというところで獲物に逃げられた狩人――そんな印象の気配がある。
(何者かは知らないが、すぐ近くにいる生存者は奴だけだな)
それくらいのことは、彼になら判る。
(体に傷や後遺症はない。手元にデイパックはあるが武器は見当たらない)
気絶させられてから数十分が経過しており、海洋遊園地内らしき風景が窓の外にある。
(……あいつは無事か?)
ヒースロゥの脳裏を朱巳の顔がよぎる。
彼をここまで運んできたのが朱巳かどうかは判らない。
一階にいる人物は、どうも平和主義者ではなさそうだ。運搬者とは別人だろう。
おそらく運搬者は生きている。どうにかして階下の誰かから逃げ延びたらしい。
運搬者が誰だったとしても、階下の人物との接触を最優先する必要はないようだ。
(まず、さっき戦った場所まで戻ろう)
デイパックを背負い、窓を開け、ヒースロゥはそこから外へ出た。
壁面の凹凸や雨どいなどを利用して、軽業師のように地面まで降りる。
方位磁石と懐中電灯を取り出したところで、不意に彼は顔を上げた。
建物の中から、足で扉を蹴り開けるような音がする。
(気づかれたか!)
デイパックを背負い直し、風の騎士は逃走を開始した。
(いずれはどうにかせねばならない相手だろうが……)
事態は一刻を争うかもしれない。
同行者の安否を確認するまでは、他のことに時間を割く余裕などない。
符術使いがいた場所の周辺に、大したものは残っていなかった。
走る速度を上げながら、ヒースロゥは安堵の息を吐く。
彼の手には、放置されたままだったので回収してきた鉄パイプが握られている。
(とりあえず戦闘の痕跡は増えていない。楽観はできないが悲観するほどでもない)
全力疾走しつつ、ヒースロゥは背後にも注意を払う。
追跡者はいない。
結局、先ほどの建物にいた何者かはヒースロゥを深追いしなかった。
ヒースロゥではなく、彼を運んできた誰かの方を捜すことにしたのだろう。
アトラクションの隙間を駆け抜けながらヒースロゥは考える。
(問題は、俺が気絶させられた後で何が起きたか、だな)
朱巳が上手く立ち回り、そのおかげで命の奪い合いにはならなかったようだ。
(まぁ、あいつのことだから、舌先三寸で敵を丸め込もうとしたに違いない)
あっさり諦めて逃げるような性格ではなかった、とヒースロゥは朱巳を評する。
(だが、あの符術使いが相手では、説得は難しいだろうな)
氷の冷たさを思わせる銀の双眸を、彼は思い出した。
(瀕死の敗残兵が衛生兵に安楽死をねだるときのような、そういう眼をした敵だった)
どうせならあなたの手で殺されたい――そういう感情の色が、敵の瞳にはあった。
(俺と再戦して殺されるために、あの敵が俺の仲間をさらっていったのかもしれない。
俺を怒らせようとして人質を傷つけるくらいのことは、やりかねないな)
ヒースロゥの命と引き換えに敵が朱巳の身柄を要求した場合、朱巳ならば抵抗せずに
あえて捕まり、「どこか人のいない場所で少し休憩した方がいいんじゃない?」とでも
言って、G-8だとかH-8だとかを行き先として推薦し、火乃香・ヘイズ・コミクロンの
三人組がいるはずの地域まで敵を誘導する程度のことは、笑いながらやるだろう。
(E-3を通り抜け、半島方面へ向かうか)
仲間と合流するために、風の騎士は一心不乱に走っていく。
しばしの時間を移動に費やし、G-8の櫓にヒースロゥは到達した。
未だに朱巳や符術使いの姿は見つけられず、三人組とさえ再会できていないままだ。
(……三人組が残していくと言っていたメモすら、一枚も発見できなかったな)
移動する途中で、彼の様子を探るような視線が向けられたことならあったが、殺意や
戦意を向けてくるような手合いは進路上にいなかった。
海洋遊園地を出発してから、彼は誰とも会話していないし、誰とも戦っていない。
(もう少し念入りに、この付近を調べておくべきか? それとも……)
刻一刻と増していく焦燥感を必死に抑えつけながら、風の騎士は歯噛みする。
【G-8/櫓/1日目・21:10頃】
【ヒースロゥ・クリストフ】
[状態]:精神的な余裕を失いつつある/体が濡れている
[装備]:鉄パイプ/懐中電灯
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン5食分・水1500ml)
[思考]:朱巳・ED・エンブリオ・パイフウ・BBの捜索
/殺人者を討つ/刻印の情報を集める
/火乃香・ヘイズ・コミクロンのメモを発見できなかった理由が気になる
[備考]:朱巳の支給品が何なのか知りません。
【E-1/海洋遊園地/1日目・19:00頃】
【李淑芳】
[状態]:精神的におかしくなりつつあるが、今のところ理性を失ってはいない
[装備]:懐中電灯/呪符(5枚)
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン4食分・水800ml)
[思考]:殺人者を演じ、戦いを通じて団結者たちを成長させ、アマワを討たせる
/役立ちそうな情報を書き記す/北側の出入口から海洋遊園地の外へ出る
/どこかに隠れて呪符を作る
[備考]:第二回放送をまったく聞いておらず、第三回放送を途中から憶えていません。
『神の叡智』を得ています。服がカイルロッドの血で染まっています。
夢の中でアマワと会話しましたが、契約者になってはいません。
『君は仲間を失っていく』と言って、アマワが未来を約束しています。
※淑芳がこの後どう行動するかは既出の話によって確定しています。
【F-1/海洋遊園地内レストラン一階厨房/1日目・19:40頃】
【クレア・スタンフィールド】
[状態]:健康/濡れ鼠/激しい怒り
[装備]:大型ハンティングナイフx2/シャーネの遺体(横抱きにしている)
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)、コミクロンが残したメモ
[思考]:この世界のすべてを破壊し尽くす/朱巳を追う
/“ホノカ”と“CD”に対する復讐(似た名称は誤認する可能性あり)
/シャーネの遺体が朽ちる前に元の世界に帰る
[備考]:コミクロンが残したメモを、シャーネが書いたものと考えています。
※クレアがこの後どう行動するかは既出の話によって確定しています。
【F-1/海洋遊園地内レストラン地下/1日目・19:40頃】
【九連内朱巳】
[状態]:左手全体を粉砕骨折(治療不可)
[装備]:サバイバルナイフ/鋏/トランプ
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1300ml)/トランプ以外のパーティーゲーム一式
/缶詰3個/針/糸/刻印解除構成式の書かれたメモ数枚
[思考]:クレアから逃げる/クレアと火乃香の関係を考える/ヒースロゥをどうにかして起こしたいが……
/パーティーゲームのはったりネタを考える/いざという時のためにナイフを隠す
/エンブリオ・ED・パイフウ・BBの捜索/刻印の情報を集める
/ゲームからの脱出/メモをエサに他集団から情報を得る
[備考]:パーティーゲーム一式→トランプ・10面ダイス2個・20面ダイス2個・ドンジャラ他。
もらったメモだけでは刻印解除には程遠い。
最早そこにあったのは痛みだけだった。
何も出来なかった。それが痛みの理由だ。
少女はこの世界の在り方を認めはしなかった。
だから足掻いた。走り、戦い、選び続けた。
それなのにあまりに多くが喪われていった。
それを悔いて選んだ最後の選択さえもたったの三十分で打ち破られた。
シャナはそうやって、死んだ。
「心なんて無ければ良かった」
心底からそう思う。
そうすればこんな痛みを味合わずに済んだのに。
こんなに苦しまなくて済んだのに。
――思わず嘆いたその言葉を。
声にならないその言葉を、御使いは確かに聞き取った。
「おまえは心の実在を知るものか?」
響いた声もまた、シャナに痛み以外をもたらさない。
シャナはその声を知っている。
それは彼女が辿り着けなかった全ての元凶の声だ。
この世界で皆を殺し合わせ、数多の悲劇を、悲哀を、悲痛を、悲壮を生みだした権化。
それなのに憎しみが沸き上がる事すら無かった。
ぶつける事すら出来ない憎しみに何の意味も無いのだから。
憎しみはない。
悲しいだけだ。
あまりにも辛くて、苦しくて、切なくて、痛くて、悲しいだけだ。
引き裂かれた体が痛くてたまらないのに、それ以上に引き裂かれた心が痛いだけだ。
だから答えた。
「知っている。わたしは心が在る物だという事を知っている」
それは問うた。
「ならば聞こう。おまえはなんと答える?
御使いの言葉になんと答える?
――心の実在を証明せよ」
シャナはしばらく押し黙った。
噛み締めるように。味わうように。
焦れるようにアマワの声が響く。
「必要ならば……一つ問い掛けを許そう。その問いで私を理解せよ」
「うるさい」
聞きたくはなかった。
よりによって坂井悠二の声を借りて明らかに別物として聞こえてくる声を聞きたくなかった。
だから答えは簡潔で感情的な物だった。
「うるさいうるさいうるさい!
もしも心が実在しないというのなら、どうしてわたしはまだ痛いの!?
痛い、痛いよ!
胸も頭も何もかも! 心が無いなら痛みなんて有るわけがないのに!」
「おまえの体は消し飛んだ。激痛と共に」
「そうだ、そしてわたしは飛ばされた! 薄い空間の向こう側に……ここに」
オーフェンの空間爆砕はシャナを消し飛ばした。
シャナの肉体は確実に滅び命も失われた。
しかしシャナは、依然自らの存在を知覚できる事を認識する。
周囲を知覚している事を認識する。
そこは闇の荒野。
石にも、金属にも、無意味にも、重要にも。如何様にも見えるモノリスが遠方に乱立していた。
ただ荒野という荒れ果てた印象だけが強く焼き付く。
空は暗黒の黒一色。
にも関わらず視界が妨げられる事は無く、遥か遠方の無数のモノリスが、地平線が見えていた。
そこは“無名の庵”だった。
神野の支配する領域であり、アマワもまたそこに現れる。
この殺し合いを開いた黒幕の住処にシャナの魂は在った。
「そうだ、おまえは飛ばされた。おまえはまだそこに居る」
「意識が残っていたって体の痛みを感じる道理なんて無い。心が無い限り」
「おまえが感じる痛みをどうやって証明する」
「わたし自身が痛みなんだ! わたしの魂は痛みで埋め尽くされた!
わたしは……痛みそのものなんだ……」
それは変えようの無い事実。
シャナの魂のカタチは痛みに埋め尽くされた。
有り余る悲劇と不運、齟齬と絶望が強引に詰め込まれ、心はずた袋のようにほつれてしまった。
だからそれは歴然とした現実。
それでも尚。
「ならばおまえが痛めているものが心である事を証明せよ」
全てに理由を求めるアマワの餓えは満たせない。
どれだけ理屈を並べ、理論の穴を埋めて論理を積み重ねたって隙間が消える事は無い。
それが何故か、シャナにはなんとなく判っていた。
教えられて知っていた。
「千草が……悠二のお母さんが言っていた。
心の問題は客観的な言葉では語れない。
人の主観に基づく曖昧で不確かな経験でしか語れない」
「存在する物は理論で証明出来る」
「それなら心なんて存在しない」
シャナの言葉に僅かな間が惑う。
「おまえの言葉は心の実在を前提にしている」
「そう、心は在る」
その迷い無き言葉に惑いは広がる。
「……おまえの答えは矛盾している」
「心に確かな答えなんて何処にも無い」
在るわけが無い答えをアマワは求めている。
シャナはそれに気づいた。
その事が可笑しく、そんな事が全てを奪っていった事が……悲しかった。
「答えを答えと認められないおまえは永遠に悩み続けるんだ」
それがシャナの答えだった。
坂井千草に教えられて知っていた、彼女を信じるが故に確かな答え。
だけどその答えにアマワは何も応えない。
「…………え……?」
シャナは視界が紅く染まっている事に気づいた。
見慣れた色だ。
それは炎の赤。アラストールの炎とよく似た炎の赤。
その炎は世界を燃やしていた。
(違う、これは炎じゃない。この、炎でない炎は……まさか…………)
よく知っていた。
こんな形で発現するのを見たのは始めてだけれど、それが何かはよく知っていた。
理解しているわけではない。
だけどシャナは、それが何であるかはとてもよく知っていた。
「零時迷子……」
理由は判らない。
シャナは零時迷子に秘められた謎も、それがどうしてここに在るのかも判らない。
シャナが知っている事は二つだけ。
零時迷子は坂井悠二の中に有った事。
それは零時に存在の力を『記録した一定量に戻す』機能を持っている事。
シャナが判る事は一つだけ。
零時迷子がアマワの世界を焼いているという事。
シャナが気づいた事は、一つだけ。
如何なる形かは判らない。
これが坂井悠二の意志で行われた事かも判らない。
それでも感じ、それを信じた。
「…………悠二は、ずっと戦っていたんだね」
それは主観でしかない。
客観に基づかない想いでしかない。
それでも主観の中にしか存在しないシャナの心において、それは確固たる真実に変わる。
「悠二は、ずっとずっと戦っていたんだ。
わたしが悠二の事を捜している間も。
悠二の事ばかり考えていた間も。
誇りを失ってしまった時も。
力も無いのにこの世界の仕組みを、管理者や元凶の事を考えていた。
どうすればこの殺し合いを止められるかずっと考えていた。
死んだ後さえも……悠二の零時迷子が元凶を燃やしている。
ずっと……悠二はずっとずっと戦っていたんだ!!」
その事さえも痛かった。
シャナの心が痛まずに居られる事はもはや無い。
悠二の遺志への感動さえも、シャナの負い目に突き刺さる。
坂井悠二が成した事が嬉しくて、坂井悠二の為に何も出来なかった負い目が傷となる。
心が有る限り痛みが続く。
「わたしは……一体なにができたんだろう……」
「それが君の望みかね?」
返る声は、炎に焼かれ姿を隠したアマワのものではない。
いつの間にか目の前に漆黒の闇が立っていた。
『彼』は夜の闇であり、人の負の極限たる存在だった。
だから見ただけで判った。
……『彼』もまた、この元凶の一人なのだ。
「『私』は神野陰之。“夜闇の魔王”にして“名付けられし暗黒”」
「………………」
だが、それがどうしたというのだろう。
最早シャナは痛みの中で終わりを待つだけの身なのに。
もう……死んでいるのに。
「その通り、君はもう死んでいる。それでも君はまだ一つの望みを捨てきれない」
「………………」
それも事実だった。
シャナは“知りたかった”。
もうすぐ意識も消えるだろう。だから何の意味も為せはしない。
それでも最期に知りたかった。自らの心を満たしたかった。
悠二と肩を並べて戦いたかった。
悠二はこれだけの事を成し遂げた。それならわたしは……
「わたしは……何を成したんだろう……」
「それが、君の望みかね?」
「…………そうよ」
シャナは答え、問うた。
その問いに神野はくつくつと嗤いだす。
可笑しむように、嘲笑うように。
「そういえば友は君に一つの問い掛けを許していたね。
君はその権利を行使していなかったし、願いを叶えるのは『私』の役目でもある。
その問いの答えは君が影響を与えた参加者の情報なのだから、
本来はこの世界の物語に影響を与えうる事だが、盤面に戻れない君ならば知る事を許される。
君はその問いの答えを知る権利がある。
君が君の知る者達に及ぼした影響を知る権利がある。
本当にその望みが真実ならばね」
「……なにが言いたいの?」
「しかし君はこうも願っている。もう、“痛みたくない”と。
さあ、どちらの望みを叶えるべきだろうね」
「……………っ」
それはシャナに答えの中身を予感させるには十分な物だった。
その問いで答えを開いても、中身は痛みに満ちている。
シャナが坂井悠二のように為せた事なんてきっと何も無いのだ。
――シャナは何も為せなかった。
それだけでも心が針の筵に包まれる。
もうどう転んでも待っているのは痛みだけだ。
自らの人生の経緯を開き、真実の激痛に打ちのめされるのか。
それとも罪の意識に震え不安と鈍痛に苛まれながら意識が途絶えるのを待つのか。
痛みはどちらにせよ有る。
それならせめて……………………知りたいと、そう思った。
……そう望んでしまった。
「教えて。……………………わたしの……やった事を」
「その望みを歓迎しよう」
神野はあまりに歪でおぞましく楽しげな笑みを浮かべて。
――悲劇の詰まった箱を、開いた。
* * *
一つ目に、シャナは思い出した。
いや、記憶を掘り返されていた。
それはこの殺し合いが始まった直後のことだった。
自称サムライガールを打ち倒し、トドメを刺さずに放置した。
(そうだ、あの時にわたしは彼女を殺さなかった)
結果として彼女は別の誰か知らない青年を殺してしまい、そして殺された。
それを知ってシャナは感じた。
『殺さなかった事が被害を広げた』、と。
今更にそれを言ってどうにもならないと自分に言い聞かせて、それでも“望んだ”光景は続く。
シャナは思い出していく。
その後の事を、その後の光景を思い出していく。
シャナは走っていた。
幸運にも坂井悠二の存在の力を感じ取る事に成功する。
目指すは城だ。そう決めて脇目も振らずに走り続けた。
走り続けていた。
「…………あっ」
それに気づき全身に鳥肌が立った。
シャナは思い出した。
その途中で出会った青年の事を。
「ま……さか…………」
唐突に目の前に飛び出た青年が、さわやかな笑顔のまま挨拶をして静止を促した。
交渉しようとしたのだろうか。
それをシャナは……有無を言わずに殴り倒した。
彼を気絶させて武器を没収し、放置して走り続けた。
シャナは彼の顔を思い出した。彼の声を思い出した。
彼の場違いな笑みとその姿を思い出した。
シャナはこの時、彼の名前を知らなかった。
古泉一樹という名前も知らなかったし、彼がこの後に何を考えどう進んだのかも判らない。
シャナが知っているのは、彼がダナティアの死に関わった一人という事だけ。
「……会っていた? 最初から……最初からわたしは会っていたの!?」
パイフウの方だってそうだ。
シャナは城の中で彼女の存在に気づいていた。彼女の危険に気づいていた。
その時に戦えばどうなっていたかは判らない。だけど勝ち目は有ったはずだ。
それなのにシャナは彼女の存在を放置した。ただ坂井悠二を捜す事だけを優先した。
結果……破滅が訪れた。
「やっぱり……わたしが殺していなかったからじゃない!!」
「そう、皮肉にもそれはある側面において正しいのだよ。
君には彼らを害する結果を為した者達を害する機会が有った。
どれもこれも偶然の結果ではあるがね」
神野の言葉は更にシャナの記憶を掘り返す。
それは疾走の続きだった。
シャナは城へ向けて走り続けていた。
その途中に居た……奇妙な着ぐるみ。シャナは問答無用でそれを無力化しようとした。
だが、失敗した。
着ぐるみは異様な強度を誇りシャナの打撃を拒み、仕方なく倒そうとしたもう一人の少年に銃撃を受ける。
(そうだ、この時の破片がずっと後までお腹に残っていたんだ……)
その破片は後々までシャナを苦しめ続けた。
それと吹き飛ばされる時に、見えた。
着ぐるみを脱いだ少年が、シャナの落とした、古泉から奪っていた銃を拾い上げるのを。
その二人の少年が共に走って逃げ去ったのを。
「これが……どうしたっていうの……?」
そこまでだ。それで終わりの筈だ。
彼らとは別れて二度と会う事は無かった。
……ずっと、そう思っていた。
「あの戦いがどうしたっていうのよ!?」
だけど全身を包み込むのは、おぞましいまでの恐怖。
言い様のない恐怖の中で記憶は甦る。場面が移る。
映った場面は携帯電話の保胤達とマンションで合流する為に移動している時間だった。
森を進む中でダナティアは透視をして、彼らを見つけた。
テッサの大切な人であるという相良宗介が、誰かと同行し罠を仕掛けているのを。
それを聞いてテッサは彼らと会うと言い、ダナティアはそれに同行すると言った。
「ダメ……」
シャナが怯える中で記憶は続く。事実は続く。
何も止められないし、変えられない。
「行っちゃダメ、テッサ――!!」
声は過去に届かない。人は未来を知り得ない。
テレサ・テスタロッサは、シャナと永遠に別れた。
その先をシャナは知らない。
何があってテッサが死んだのか、シャナは知らない。
見ていないし聞いていない。
見えなかったし、聞けなかった。
シャナに関わりの無い、関わりようが無い所で死んでしまった。
……ずっと、そう思っていた。
「――では君の“望み”に答えよう」
神野の言葉が全ての障害をこじ開ける。
シャナは、見た。見えなかった先の光景を。
シャナは、聞いた。聞こえなかった先の言葉を。
時を超え場所を超えその光景を体験した。
ダナティアが戦っていた。
相良宗介と戦っていた。
それと、シャナの仕留め損ねた少年と戦っていた――!
「………………うそ」
ダナティアは最初は優勢に二人を押した。
魔術で銃を封じ風を操り二人を相手に立ち回った。
それも相手を殺さないように加減してだ。
だがそれでも、銃を持った達人を二人相手にすれば限界は来る。
「うそ……でしょ……」
やがてダナティアは押され……相良宗介を必殺の一撃で迎撃しようとした。
その結果として。
――テレサ・テスタロッサは、死んだ。
「…………う……そ………………だ……………………」
知らないところで死んだと思っていた。
テッサはシャナにはどうしようもない所で死んだと思っていた。
テッサが死んだ事はとても悲しかったけれど、テッサが死んだ責任は自分には無いと思っていた。
ずっとそう思っていた。
これまでは。
(あの時、あいつらを仕留められれば違ったんじゃないの?
戦わずにあいつに銃を渡さなければ違ったんじゃないの?)
これからはそれが真実となる。
テッサの死が新たな罪の十字架となって重くのし掛かる。
心を押し潰す痛みに変わる。
(そう、きっと何かが変わっていたんだ。
別の結果が何処かにあった筈なんだ……!)
「う……くぅ…………っ!!」
シャナは表情を歪めて、泣きそうになるのを必死にこらえた。
痛かった。喪失の傷口に擦り込まれる罪悪感と後悔が心に浸みて激痛となった。
それでも……堪えるしかなかった。
泣いても、何の意味も無いのだから。
誰にも助けてもらう権利なんて無いのだから。
だから少女は、いつまでも悪夢の中から抜け出せない。
「では“望み”の履行を続行しよう」
神野の無慈悲な、そしてただ人の“望み”に忠実な言葉が降りかかる。
シャナはハッとなり顔を上げる。
その脳裏に更なる記憶が甦っていた。
――見えたのは、ダナティア達と出会う直前の記憶。
パイフウの居る城を出て、悠二を捜し走り回った時の事だ。
シャナはその時、城の東を探索しその彼らを見つけていた。
それは何か禍々しい気配と、青龍堰月刀を携えた男だ。
悠二が近づくはずが無いと思って彼らを放置し、走り回った末にダナティア達と出会う事になる。
「彼ら、アシュラムと美姫が君の仲間達に直接行った事はそれほど大きなものではないだろう。
君が彼と彼女を打ち倒せたかも怪しいものだ」
神野は愉しげに語りだす。
シャナは罪に怯え、身を震わせてその言葉に耐え続けた。
「アシュラムはパイフウが体力を回復する間の休憩所となった」
「美姫千鳥かなめを人質にして相良宗介を殺し合いに乗らせた」
「彼らは光明寺茉衣子の心を壊す一因となった」
「美姫は佐藤聖を吸血鬼にした元凶だ」
「そして彼らとダナティア達の出会いは君に辿り着く時間を遅らせた」
神野はくつくつと嗤う。
「だがそれらは彼と彼女が影響をもたらした別の物語が起こした事だ。
それは既に彼と彼女の物語とは言えないだろう。これは君の“望み”からすれば寄り道だ」
「――――――っ」
それでもシャナは思ってしまう。
『なにかが変えられたはずなのに』
その想いは激痛となってシャナの心を刺し穿つ。
有り余る罪がシャナを磔にして抵抗さえも許さない。
激痛の中でシャナはただただ償えない罪に悶えている。
「そう、君の“望み”には別の先がある」
(まだ……有るの……?)
泣きそうになるのを必至に堪える。
悲しくて流す涙なんてとっくに枯れたと思っていた。
それなのに心に痛みを感じる度に涙がこぼれてしまいそうになる。
体はもう砕け散り、魂だって幾度引き裂けたと思ったのかも判らない。
それでも砕けたはずの心の悲鳴から逃げられない。
告発から逃げられない。
痛みから逃げられない。
「そう、例えば……『彼』だ」
神野は明確に一人の存在を示した。
シャナの瞳には一人の青年の姿が映し出される。
それはシャナにとって、敵では無いはずの姿。
「……折原臨也……」
「その通り」
シャナが静雄を殺してしまった事に怯え嘆いていた時に現れた、彼の友人。
彼はシャナを赦し、静雄を埋葬してくれた。
シャナは彼にセルティ達の居場所を伝え、行ってくれと頼みすらした。
その頼みに応え、彼はシャナが届けられない言葉の代わりにセルティの元へ向かってくれた。
「強くて優しい人……」
「その認識は正しいとは言えないだろう」
神野の言葉はとても不吉に響いた。
その言葉はシャナの知らない闇の奥底を暗喩して。
「もっとも、『彼』がある種の強さを持っている事は疑いない事だろう。
優しさもある意味では持っているかもしれない。しかしそれは『君』が考える優しさではないだろうね」
「なにが……言いたいの……? まさか、イザヤが殺し合いに乗っていたとでも……」
「彼は別に殺し合いに乗っていたわけではないとも。
彼はただ人間らしく生きているのだよ。
彼はある一人を除く全ての人間が好きで、ある一人を除く全ての人間を愛し、
そして誰よりも自らの為に全てを切り捨てる事が出来る。
彼はそんな人間にすぎないのだからね」
闇の底から煮えたぎる泥の如き真実を汲み上げていく。
「その……その一人って……誰なの?」
神野は嗤った。
口元を吊り上げ、歪め、禍々しいまでに満面の笑みを浮かべて。
おぞましき真実をぶちまけた。
「――平和島静雄」
「――――!!」
シャナの脳裏に甦った優しげな言葉は。
「シズちゃんにはさ、俺のほかにもう一人、親友が居るんだ。
セルティって言ってね、見た目はちょっと変わってるんだけど……」
一瞬で粉砕されて砕け散る。
「折原臨也は君を利用したのだよ。
セルティの居る集団に潜り込んで自らの身を護るためにね。
そして彼は、彼を知るセルティの言葉により警戒されながらもあの集団に入り込む事になる」
「そ、それでも……静雄を殺したのは……」
「そう、間違いなく君だとも。その罪も苦しみも君のものだ。
折原臨也は彼を死なせない手段を持ちながら、ただ敵が殺されるのを見ていただけなのだよ」
「………………」
臨也に対して怒れる筈がなかった。
結局は静雄を殺したのは自分である事には変わり無いのだから。
ただ罪の意識に、怯えた。
(わたしは……あの人達の所に、一体何者を行かせてしまったの?
それも、自分から頼んで……!)
シャナにはそれが明確な罪なのかは判らない。
臨也がどういう存在なのか理解できない。
「そう、君がした、彼を行かせたという行為の意味を理解するのは難しいだろう」
だから神野は教えた。
「なにせ彼は別にこのゲームに乗っているわけではないのだからね。
積極的に人を殺そうとしているわけでもない。
しかしそれでも彼が危険な存在だという事は間違いのない事だ。
だから君の望む答えの為に……彼と君達の因果をお見せしよう」
そして、情景が爆発した。
ダナティアが、ゲーム開始直後に一人の少年と一人の少女と行動を共にしていた。
いーちゃんという少年と、朝比奈みくるという少女だった
ダナティアが僅かにその場を離れた間にみくるは少しだけ別行動を取って。
――折原臨也に殺された。
一人の知らない女性が学校に居た。
だけど彼女は、仲間達にサラという名前で呼ばれた。……彼女はダナティアの親友なのだ。
そこに折原臨也を連れたマージョリー・ドーが襲撃してきた。
シャナの知る、時折過激な思考に走る事も有る強力なフレイムヘイズだ。
彼女は折原臨也に陽動を行わせてサラと戦った。
マージョリーは強く、しかしサラも強かった。
シャナは驚きつつもそれをすんなりと受け入れる。
彼女が尊敬しすらしたダナティアの親友の強さを信じられた。
サラはマージョリーに命を握られつつも彼女に重傷を与え、治療を引き替えに交渉を成功させて。
――折原臨也に撃たれて、死んだ。
他にも無数の死が流れさった。
神野が言う通り、臨也はゲームに乗ったとは言えなかった。
朝比奈みくるの殺害は24時間制限の為で、死者が出続ける限りもっと殺すつもりはなかった。
学校の襲撃はマージョリーに引きずられて行った事だった。
サラを殺した理由はマージョリーの同盟に乗ってやっただけ、
間接的にマージョリーを殺したのは足手まといを始末しただけ。
他の無数の死も全て、厳密には殺し合いに乗ったとは言えなかった。
それでも彼の周囲の凄まじい勢いで死んでいく死の数を見て、シャナは理解した。
――折原臨也とはそういう人間なのだ。
全ての情景は罪へと変わる。
そんな存在をセルティ達の元に送ってしまったシャナの罪にすり替わる。
茉衣子が切り刻んだ志摩子に保胤が不死の酒を飲ませようとして、臨也がそれをすり替えた時。
「……もう、やめて」
とうとうシャナは激痛のあまり悲鳴をあげた。
「もう見たくない……もう、もう見せないで……! もういやああああぁあ!!」
瞬間。
全ての情景は闇へと消える。
全ては夜闇に呑み込まれ、静謐な暗黒だけが世界を埋め尽くす。
(見るんじゃなかった……望むんじゃなかった!
判っていたのに。わたしは何もできなかったって判ってたのに!!
後悔するって判ってたのに、どうしてこんな事を望んだの?
わたしはもう、ほんとうの事にも耐えられないって判っていたのに……!)
「それでもまだ、君の“望み”は終わっていない」
「終わりよ……わたしはもう、真実なんて望まない!」
「いいや、“望んで”いるとも」
神野は嗤う。
「君はまだ望んでいる。
自らのした事が多くの過ちに満ちていた事を知っても、最後のあの『選択』は正しかったのだと。
もし間違っていたとしてもあの『選択』がもたらした結果だけは知りたいと」
「う………………」
顔が歪む。視界が歪む。
もう手を握り締めても歯を噛み締めても堪える事なんて出来はしない。
見たくない。聞きたくない。思い出したくない。
知りたくない!
(それなのに…………どうして。どうしてよ!?)
……神野の言葉に、抗えない。
シャナは心の奥底で真実を求めている。
自らの罪に対する罰として襲い来る真実を否定できない。
砕けたはずの心までが更に蹂躙しつくされると判っているのに……立ち止まれない。
心が激痛に焼き尽くされる事は判っているのに、断崖に進む足が止まらない!
「敢えて怨敵である絶対破壊者を生かしてまで『生かすために殺す』。
それは確かにあらゆる人間にとっての真理の一つなのだよ。
人間は生きる為に獣や植物を、時には同族さえも殺して生きていくのだからね」
「………………」
「それなら君の選んだ『物語』はどんな結末を迎えたのだろうね?」
「もう……見たくない………………もう……い……」
「君の選んだ“望み”だ。最後まで受け取りたまえ」
神野はただ笑って、シャナの“望み”を叶え続けた。
シャナの選んだ選択の、シャナの知らなかった結末が、シャナの眼前に映し出された。
* * *
「今度こそ……シャナを…………救う!」
(え――――!!)
シャナはその言葉に思わず息を呑んだ。
映った情景の中にはダウゲ・ベルガーが居た。
ベルガーは胸を抑えながら走り、走りながら話していた。
ベルガーと、その首に掛けられたコキュートスが言葉を交わす。
『だがあの子は……もう完全に、吸血鬼となってしまった』
「人を喰らう……かい?」
『それは無い。あの子の最後の矜持だ』
「なら一つは解決だ。ヒビだらけにはなっていても……魂は、死んじゃいないさ」
ベルガーは誇りと自信を持って宣言していた。シャナを救うと。
ある種の諦めを秘めたアラストールの言葉が零れる。
『フレイムヘイズである事も、我と共に往く事も捨てたというのに?』
ベルガーは粗い息で笑い、溜め込んでいた息を使って、その言葉を切り捨てる。
「全てを失ったってだけなら、また一から取り戻せば良い。それだけの事だろ」
その言葉はとても温かくて、力強かった。
「それには心を救うって条件が有るけどな。皇女の次は俺が約束する。
……シャナの心を、救う。俺は世界で二番目に粘る男だぜ?」
(ベルガー……)
彼はシャナを救おうとしてくれていたのだ。
完全に吸血鬼化し、アラストールにさえ別れを告げたシャナを救おうとしてくれていたのだ。
その事が傷付ききった心に温かく染み込んでいく。
地獄の中で干上がった心に一滴の喜びが染み込んでいく。
だけど、気づいた。
(これは……何時なの……?)
アラストールの言葉からして、これはシャナがあの選択をした後だ。
ダナティアの死に出会い、フリウを使い全ての敵を殲滅すると決めた後。
その後にベルガーはシャナを追いかけてきた。
(ベルガーが辿り着く前にわたしは死んだ……という事よね?)
そう考える。
いや、そうあってほしいと必死に祈る。
だが。
「見えた、あそこだ」
ベルガーの先を走っていた誰かが遠くを指差した。
「さっきの巨人!」
少年の声が聞こえた。何故か、とても聞き覚えのある声が。
(うそ…………よね……?)
全身が凍り付く。
恐怖と不安のもたらす緊張はシャナの魂さえをも縛り付ける。
「なんであんなに居るんだよ!?」
「知るか!」
少年の声と、それからベルガーの声がして。
「敵は!」
彼らの走る先に居た“その時のシャナ”が叫びと共に踏み込んだ。
「全部!」
フリウの叫びと共に破壊精霊が拳を振り上げて。
「殺す!」
「壊す!」
振り下ろされた死の間に飛び込んだ二人が。
「させねえ!」
「もちろんだとも」
シャナとフリウの攻撃を堰き止めた。
(うそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ
ウソだ嘘だうそだ嘘だうそだウソだウソうそうそ嘘ウソ嘘嘘嘘ウソ嘘ウソウソ嘘嘘うそウソ!!
だってあの時あの場所にベルガーは来なかった来ていなかった会ってなかった!
わたしはベルガーを見ていないベルガーの声を聴いていないだから――!!)
フリウが、振り返った。
「…………ぁ」
破壊精霊は常にフリウの視界の中に現れる。
現れた破壊精霊がベルガーへと拳を――!
「やめ――――!!」
だがその拳が直撃する直前、ベルガーの姿は掻き消えた。
「……え?」
「そう、それこそが最も数奇な偶然だったのだよ」
神野の声が聞こえた。
「彼は天人の緊急避難装置を支給され、身につけていた。
自動的な転移、それが彼自身すら気づいていなかったその機能だ」
「緊急避難装置? それじゃベルガーは……」
「あの場所から転移した」
「生きて――!」
一瞬の歓喜がシャナの全てを埋め尽くし。
「そして――」
「……………………え?」
景色が、移る。
転移した先で、ベルガーが破壊精霊に振り下ろそうとした黒い刃がリナを。
リナが保胤に突きつけようとした光の刃がベルガーを貫いていた。
シャナを満たした一瞬の歓喜の全てが絶望へと置き換わる。
「………………そん……な…………」
声が言葉にならない。
体がおこりのように震える。
目が動かせない。視線を揺らす事さえも。
目の前の地獄は、続く。
臨也は保胤に不死の酒を、片方だけに使うのだと唆す。
保胤は悩み苦しみ、リナがそれを遮った。
リナは臨也が志摩子を殺した事を見破り、奴の言う事など聞く必要は無いと言って。
(リ……リナァッ!!)
叫ぼうとした声も響かない。
リナは光の剣で――自らの命を絶った。
それでもまた。
目の前の地獄は尚も続く。
臨也が保胤を、ウォッカに着けた火で火だるまにしてしまった。
臨也は周囲の状況を盾に悠々と逃げ出した。
そして保胤は……徐々に燃え尽きて…………いく………………
「……イヤ…………もう……イヤ…………」
「では次に移ろう」
光景の全ては、闇に呑まれた。
(まだ……有るんだ……)
もう、聞くまでもなかった。
シャナは理解した。自分がフリウを使って襲った内の二人が何者なのかを。
胴体を両断した少年や、フリウと共に殺戮と破壊の合撃で滅ぼした男が誰なのかを。
あの二人はそう……ベルガーの仲間だ。
「でも……どうしようもないじゃない。…………あの二人の事なんて知らなかった。
ベルガーが来ていた事に気付く間も無かった。だから、だからあの二人は……!!」
あの二人がダナティア達の仲間だった事に気づく機会なんて無かった、だからどうしようもない。
シャナは自分で言いながらも判っていた。
それはただの誤魔化しだ。
あの二人に気づけなかったからって、短絡的な思考で敵と決めつけ殺してしまった事実は変わらない。
ダナティア達の仲間を殺してしまった事には変わりない。
だからこそその罪に怯えて、せめて誤魔化して痛みを和らげようとして。
「過ちを犯した者として告げましょう。悔い改めて進みなさい」
(――――!!)
シャナは、思い出した。
「喪われた者達の想いから目を逸らしてはいけません。
彼らはあなたや誰かを赦さないかもしれません。
最早、何も考え想う事は無いかもしれません。
それでも尚、道を見失う事は愚かです」
それはダナティアの力強い演説。
シャナの心を救うには足りず、それでも前に進む力を与えてくれた言葉。
「そして――」
その時、演説の途中で銃声が響き。
「ダナティア!!」
“少年の声”が、響いていた。
「そして、進む者として告げましょう」
ダナティアが強靱な意志をもって演説を再開する中で。
「ダナティア、やめろよ! あんたまで殺されちまう!
――茉理ちゃんの時みたいに!!」
島の何処にいても、彼の声は聞こえていた。
「焦らなくてもいいわ、あたくしは大丈夫」
風が逆巻く音や銃声も響いていた。
だけど聞こえなかった筈はない。ダナティアの演説は聞こえていたのだから。
「あそこよ、行きなさい」
「〜〜っ。くそ……絶対だからな! もう、あんなに大きな悲鳴なんて聞きたくない!」
だからシャナが気づく機会は、有った。
そう、幾らでも有ったはずなのだ。それなのに――。
あの石段の戦いで、少年が消え去ったベルガーや破壊精霊の相手をするメフィストを気にした時に、
ただそれを“隙が出来た”としか考えようとせず。
「シャナ、違う、オレ達はダナティアの――」
シャナは『敵』の言葉に耳を貸さずに彼の胴を両断したのだ。
「…………あ……う…………ぁ…………………」
心が微塵に砕け散る。
その中で情景は尚も進む。
メフィストと呼ばれた美しい男が、戦いの合間に見る見るうちに竜堂終を治療していく。
それは神速の神業だ。……だが。
メフィストが抜けた穴を付いてシャナはフリウと共に必殺の一撃を投げ放つ。
メフィストは直前に竜堂終を投げて避難させ、他の者達も救うために直撃を受けた。
(それなら……投げられた方は?)
生きているのではないか? 一瞬だけそう思い、しかし。
移り変わった次の情景で、あの古泉という男が竜堂終に襲い掛かっていた。
終は善戦した。本来は古泉が終を殺せる勝ち目は無きに等しかった。
事実、負傷していてもなお終は古泉に勝ちかけた。
だがそれでも傷の差が勝負を変えた。
シャナが両断し、それでもメフィストが治そうとした傷を、古泉が再び切り開く。
それによって竜堂終は、死んだ。
「……………………………いぇ……ぁ………………」
心が、壊れていく。
耐えようの無い激痛が心の負い目に突き刺さり、罪悪感が擦り込まれ、絶望が全てを灼いていく。
シャナがフリウとの合撃により生みだした殺戮と破壊の渦。
その中でさえメフィストは……彼女達を助けていた。
火乃香を。ヘイズを。コミクロンを。
……パイフウを。
「え…………?」
理解できない。敵じゃないのか。彼女達は敵じゃないのか?
「彼にそれを問うのは過ちと言えるだろうね。彼は医者なのだから」
(だからって敵まで助けるなんて……)
「彼も最初はパイフウを安楽死させようと考えていた。解り合えないのならね。
だがパイフウが偶然にもあの場所で出会っていた他の三人は……
その中の一人は、彼女にとってなによりも大切な存在だった」
(偶……然……? それじゃ……パイフウ以外の三人は……)
「そう、パイフウと会ったのはこの島ではあの時が始めてだ」
(………………)
判っていた。
シャナは味方の筈の存在すらも敵だと誤認して命を奪ってしまった。
だからそれ以外の敵だって……全てが敵では無かったのかもしれない。
「話を戻そう。パイフウはあの出会いにより、既に殺し合いと言う選択肢を失っていた。
それ故にメフィストは彼女を助けたというわけだ」
「………………」
「そして彼は死んでいった。自らと、そして君を治療出来なかった事を悔いながら。
ダナティアに頼まれた君の治療は出来なかったわけだから、なるほど無念だったのだろうね。
それでも彼の『物語』は一人の医者の『物語』として綴じられた。
最後の瞬間まで誰かを救い続ける事によって」
「そんな…………」
彼もシャナを救おうとしていたのだ。
彼の気高い意志はダナティアの宣言したルールに従い数分前の敵さえも救った。
憎悪に拘らず信念を持ってして。
――シャナは何も気づかずにそれを踏み躙ろうとし、メフィストとパイフウを、殺した。
「そして君の殺意がフリウ=ハリスコーを生かしたのを最後に、君の『物語』は終わる」
「……………」
「その後、偶然にも彼女は変革を迎える事になるがこれは君の救いとは言えないだろうね」
シャナが最も近しくなっていた少女の名前。
互いに理解し合った少女の名前。
溶け合った少女の名前。
それはただ一人、最後には絶対に殺さなければならなかった筈の名前。
その彼女が、生き残った。
例え彼女が改心したとしても、それが偶然であるのならシャナがした事は変わらない。
敵さえも失って一人になったという結論が加わるだけだ。
シャナの罪は一つさえも赦されず、償えず、謝る事さえもできない。
「わたしは……何も為せなかったんじゃない……」
シャナは自らを定義する。
何も出来なかったわけじゃない。
何も為せなかったわけじゃない。
惨めに無様に何も為せずに死ぬ。
――そうあれば良かった。
「わたしは……何も出来ずに無様に殺されていればよかったんだ…………。
…………早く。もっと早くに!
だってわたしがした事は間違いばかりだったんだから!!
間違いを冒す前に殺されていればよかった!
みんな死んでしまった。みんなみんな死なせてしまった!
わたしを助けようとしてくれた人もわたしが助けようとした人も!
わたしを護ろうとしてくれた人もわたしが護ろうとした人も!
みんな死んで、死なせて、誰も居なくなった!
わたしがもたらしたのは破滅で、間違いで、死で、絶望だけだった!
わたしが死んでいれば良かったんだ!
そうすればきっとみんな死ななかった!
ダナティアのしていた事が全部台無しになる事なんてなかった!
みんな違う結果になって、テッサも死ななくて、セルティも静雄と再会出来て、
リナが死を選ぶ理由も、保胤が焼き殺される事も、終が負けたりもしなくて、
メフィストは死ななくて、ダナティアも死ななくて、ベルガーも死ななくて、
そこには悠二だって殺人鬼に会わずに生きていて!
こんな殺し合いなんてすぐに止めて、おまえ達なんか倒されて、みんな幸せに……みんな…………生きて」
引き裂かれそうな程に悲しかった。
凍てつくように辛かった。
押し潰されるように苦しかった。
我を忘れる程に罪が恐かった。
そして。
そんな自分が憎くて、怨めしくて、死んでもなお許せなかった。
激しい怒りが燃え上がっていた。
自分自身を薪にして紅い劫火が吹き上げていた。
「ほう。君はどうするつもりかな?」
「私の全てをおまえにぶつけてやる!
死んだ私の存在の力の全て。
そして私と共に砕けたタリスマンから溢れた力。
その両方がここに満ちている。
その全てでおまえの時間を焼いてやる!!
悠二が今もおまえ達を焼く炎で在り続けるように!
悠二と共におまえ達を焼き続けてやるんだ!!」
神野は、笑った。
「なるほど、君の“望み”は実に強いものだ。
そして満ちる力に指向性を与える事は“望み”を持たない『私』には出来ないことだ。
刻印さえも終わりを覚悟した行為を阻むには足りないだろう。
……だが」
神野は、嗤った。
「君にはできない」
――その通りだった。
「…………どう……して……?」
力は一欠片さえも動かなかった。
引き裂かれた空間に呑まれてシャナの意志はここに在った。
シャナという存在の全ても、身につけていた全てもここに在った。
タリスマンに秘められた強大な力は解放され、ここに満ちていた。
ここは指向性を持たない強大な力に満ちていた。
それに向きを与えるだけだ。
神野に向けてぶつける事で、神野という存在そのものを削り取る。
例え滅ぼせなくとも、僅かな時間でも彼らを抑え込む。
それだけだ。
たったそれだけの事なのに――!
「この島において、死者の黄泉返りは許されない」
神野は宣った。
「話すこと、伝えることは特例においてのみ許される。
しかしそれだけだ。
この島において、死者の側から為せる事は何も無い」
神野は繰り返し、告げた。
「判っているだろう?
君はもう死んでいる。君が為せる事は、もう何も無い」
シャナの最後の怒りさえ、何も果たす事はなかった。
「…………わた……しの……」
シャナにできた事は一つだけだった。
「わたしの……やってきたことは…………
……わたしの人生は…………なんだった…の…………?」
未来に向けて為せる事は何もなく。
「フレイムヘイズとして……世界の安定の為に誇りを持って戦って……いた…………」
今この瞬間に出来る事は何もなく。
「…………でも…この島でわたしは……私の全部を否定して…踏み躙ってしまった……」
ただ過去を繰り返し。
「……誇りも…………使命も………………意志も…………」
嘆き。
「…………悠二も……この島で出会ったたくさんの大切な…………失って……」
自責するだけ。
「……わたしの…………すべて……過ち…………なってしまった……」
それが何処までも閉塞していく足掻く事すら叶わないシャナの終わり。
ゆっくりを全身が透けて消えゆく中で、その繰り返しだけがたった一つの真実だった。
「バカ。…………間違いなんて……誰でもするだろ……」
『顔を上げよ…………シャナ』
その二つの声が響くまでは。
「……………………………………………………え?」
茫然と顔を上げた。
視界に声の主が映った。事実を見た。
それでもまだ理解できなかった。
だってそんな事あるはずがないのだから。
有り得ない姿と声を、頭が拒絶していた。
「経緯はどうあれ、生身でこの場所に立つ者が現れたようだね」
神野の楽しげな声はそれが否定できない事実であると言っていた。
それでもまだ信じられなかった。
シャナはただ茫然としていた。
「…………どう……して……?」
その問いに対して彼は笑みを作ってみせる。
やや弱りつつも確かな生気を秘めて、確固たる肉体から言葉を紡いでみせる。
「俺は世界で二番目に生き意地が悪い男なんでな」
ダウゲ・ベルガーは生きてシャナの前に立って見せた。
「………なさい…………」
それでもまだ涙まで止まる事はなくて。
「ごめ……さい……………なさい………めんなさ……………ごめんなさい…………っ」
ぼろぼろと涙を流して、だけど赦してと乞うことすらできない。
ただ謝るだけ。
『何を謝る、シャナ』
「ごめんなさ……ひっく……ベルガー……ごめ、うっく……ごめんなさいアラストール!
わたしが、えっぐ……ぜんぶ台無しにしてしまったの。
ダナティアの意志も、全ての道も、みんなの命も、ぜんぶ、ぜんぶ!!
ベルガーは、生きていた、けど……ひっく……そんなひどい傷を負わせて、リナを死なせて!
ぜんぶわたしのやった…………結果、なんだっ…………」
『………………』
アラストールは、これほどに泣くシャナを始めて見た。
シャナの強さも弱さもずっと見てきた。
気高き強さと使命感で傷を恐れず敢然と悪に立ち向かう姿を知っている。
慣れない感情に翻弄され、僅かな喪失に泣く姿だって知っている。
かつては幾度傷付いても最後には立ち上がってきた。
だけど今は……もう、立ち上がれまい。
(シャナ…………)
「……わたしは……えぐっ…………アラストールの言葉も……聞かずに……」
泣き続けるシャナにベルガーはゆっくりと歩み寄り、手を上げた。
叩かれるのだと思い身を強張らせるシャナの頭に。
ぽん、と。
優しい手が乗せられる。
実体を失いつつあるその体に、うっすらと温かいものが伝えられる。
「もういい、シャナ。…………休め」
『誰がおまえを責められるものか……』
「でも! ぜんぶ、わたしのせいだった。
わたしが自分を見失って、間違って、失敗して、過ちを繰り返して!
そうして…………わたしが止めようとした人も、わたしが助けようとした人も、
わたしの事を大切に想ってくれた人達も、みんな……みんな…………」
脳裏に全ての悪夢が甦る。
幾つもの死。幾つもの悲劇。幾つもの罪。
それはどうしようもない程の悪夢。
『だがおまえは、一度たりとも自分のための選択をしなかった』
「そ、そんな事ない。わたしは吸血鬼の衝動に呑まれもした……。
吸血鬼を羨んで……それを選んで…………
滅ぼしても自分の吸血鬼が治らないからって、敵を敵と……忘れた……」
『欲望に任せて罪無き者を襲いはしなかった』
「零崎を襲った時、わたしはきっと怒りじゃなくて吸血鬼の欲望で……」
「あれはおまえの怒りだ、シャナ。欲望とは違う」
ベルガーが言う。
「おまえはその後も欲望の手綱を握り続けた。辛うじて、だろうとな。
現に俺達はおまえに襲われはしなかった」
「……わた…し…………」
「おまえはおまえを保ったんだ」
続けてアラストールが宣う。
『何より、おまえはやり方はどうあれ最初から最後まで坂井悠二や仲間の事を想い続けた。
例え如何なる苦境に立たされ如何なる選択をする時もだ。
シャナ。我はおまえを誇りに思える』
アラストールは聞いて、見た。
大集団の者達に、シャナがどのような経緯を辿ったかを聞いた。
そして――神野陰之の見せた悪夢も、ほんの一部だけれど脇から見ていた。
シャナの気づかぬ内から、ベルガーとコキュートスはこの無名の庵に現れていたのだ。
何度も声を上げようと思った。
シャナが見る悪夢に静止の声を上げようとした。
だが出来なかった。
ダウゲ・ベルガーが重傷を受けて死に瀕していたからだ。
今は不死の酒の力が優り回復に向かいつつあるが、先程はそれさえも危うかった。
もし彼が死ぬとすれば、絶対にシャナには見せたくなかった。
結果としてダウゲ・ベルガーは生き残った以上それは過ちだったのかもしれない。
シャナと同じように、誰もがする判断の過ち。
「でも、わたしがっ、選択を誤ったせいで……なにも、かもが……」
「選択する前に選択の結果が判るかよ」
だからベルガーはシャナの罪を一蹴した。
――もうシャナに残された時間は殆ど無い。
徐々に透けて消えゆくシャナに言葉が届けられる。
ダウゲ・ベルガーとアラストールは、シャナへの想いを届け続ける。
「おまえはこんな未来を知りはしなかった。
当然だ、未来ってのはまだ生まれちゃいないんだからな。
生まれる前の中身なんて誰にも判りやしない。
おまえは誰しもがするように最善の未来を望んで選択を続けた。
その想いを否定出来るものなど居るものか。
居たら、俺が殴り飛ばしてやる」
『それでもまだ自らに罪が有るというならば……我が赦す。
紅世において審判と断罪を司る天罰神“天壌の劫火”アラストールがおまえを赦そう。
我が誇り高き契約者よ、おまえの生きた証は我らの心に刻まれた。
おまえの想いはその一欠片までもが無駄では無かったのだ
だから、シャナ』
二人の言葉はシャナの終わりに間に合った。
想いはシャナに伝えられた
「後は俺達に任せな。俺は世界で二番目に頼れる男だぜ」
『安らかに眠れ………………我が、娘よ』
「――――――」
シャナはもう声を出す事も出来なかった。
その身で伸ばした手は届く前に燃え尽きた。
消え去る瞬間に浮かんだ表情は誰にも見えない。
最期に流した涙が拭いきれない悲しみの涙なのか、救われた涙だったのかも判らない。
シャナは自らの想いを伝える事すらできなかったのだ。
だから、シャナが救われた証拠は何処にもない。
ただ一つ言える事は、シャナの命がここで最期を迎えたという事。
痛みに満ちた全てがここで途絶えたという事。
――シャナの痛みは終わった。
* * *
「…………なあ、アラストール」
『なんだ』
「俺やダナティアは……“約束”を果たせたか?」
その問いに、アラストールは答えた。
『聞くまでもない』
証拠は何一つ無かった。
シャナに最後の言葉を届ける事はできた。
それでもあそこまで無惨に引き裂かれた心を救えた確証など何も無い。
むしろ誰もが思うかも知れない。
命は失われ、魂は穢され、心は砕かれ、何一つ戻りはしなかった。
無惨に引き裂かれたシャナに届く救いなど何も無かったのだと。
それでも、信じることは出来る。
『“約束”は果たされた』
「…………そうか」
それが真実となった。
「それで、君達はどうするのかね?
この島で始めて、確固たる実体と共に“無名の庵”に降り立った君達は。
自らの“運命”も“契約者”も無くした君達は、この世界にどう抗う?」
だから神野陰之を前にしても臆することは何も無い。
ベルガーとアラストールは互いにたった一言だけ、意志を交換して。
「アラストール。……出来るか」
『もちろんだ。……ダウゲ・ベルガー』
全ての想いを胸に、前へと進む。
【X-?/無名の庵/2日目・00:30頃】
【ダウゲ・ベルガー】
[状態]:左肺損傷、右肺機能低下、再生中、不死化(不完全)
[装備]:PSG-1(残弾20)、鈍ら刀、コキュートス
[道具]:携帯電話、黒い卵
[思考]:往こう。
※:ダウゲ・ベルガーは黒い卵の転移効果により現れました。
シャナの名は第四回放送で呼ばれます。
アラストールはこれといって何もしなければすぐに紅世に送還されます。
シャナの名残である存在の力と、砕けたタリスマンの力が周囲に満ちています。
神野陰之が目の前に居ます。
零時になった為、アマワはギーアに阻害された状態に戻り、しばらく出てこれません。
http://jpeg20000.at.infoseek.co.jp/flash/marimoflash.swf ,.,,,.,.,,,
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ミ ・ д ・ .ミ ほっしゅ!
ミ ミ
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マンションから離れた市街地の端、電灯の切れ目付近に辿り着くと、佐山は立ち止まってラジオのスイッチを押し上げた。
同時に空気の塊がスピーカーから吐き出され、両手に重い反動が伝わった。さすがに二回目なので、同行する誰も驚かない。
微妙な沈黙を挟んだ後、以前と同じくすまなさそうな兵長の声がノイズと共に漏れた。
『……すまねえ、やっぱりどうしても許せなかった。あいつらとは別れたみたいだが、結局交渉はどうなった?』
「成否はつかず、一旦保留というところだよ。十全の結果ではないが、得たものはある」
問題点と解決方法がわかっただけでもよしとすべきだ。
理解とは短時間で容易に得られるものではない。歩みを止めぬまま、忍耐強く機会を待つしかないだろう。
「でもよ、ほんとにあんなんで和解できるのか? あいつら、俺が謝罪する暇もくれなかったぜ」
「肉耳おかずって感じだったよね。ぼくのことも無視されちゃったし」
「……聞く耳持たず?」
「そうそれ」
謝罪という言葉からかけ離れた調子で、零崎とエルメスが話に割り込んだ。
「それに俺以外の殺人鬼はどうするつもりなんだ? さっきの放送の死人の数からして、まだたくさん残ってるだろ」
「心配しなくとも、私は私以外の全てを平等に扱うよ。君同様力づくでも跪かせて矯正するから安心したまえ」
放送という単語に、隣に立っていた藤花が顔を暗くする。草の獣を抱く彼女の腕が強く絞まった。
オーフェンと再会した直後に流れた十八時の放送では、二十四名もの人間の名が呼ばれてしまった。
その中には、藤花の知人で零崎と同行していたという霧間凪、藤花を保護していた李麗芳、さらにその知人である袁鳳月と趙緑麗の名前が含まれていた。
(詠子君の知人も呼ばれてしまったな。再会の際には細心の注意を払って慰めねばなるまい)
空目という少年は、彼女と何やら訳ありの仲らしかった。詳細を聞いてもサナトリウム的抽象表現しか返ってこなかったのが怪しい。
妄想が百鬼夜行の中抱き合う二人を映したところで、兵長がふたたび口を開いた。
『そういや、もう放送があったんだよな。ちょっと聞きたいんだが、いいか?』
「知人の名前かね? ふむ、君は支給品扱いだから聞こえなかったのか」
『それもあるだろうが、そもそもあの時は電源切られてたからな。
……キーリとハーヴィーって名前は、あったか?』
問いかけに、場に一瞬沈黙が満ちた。
その間の意味に当然彼は気づき、声を張り上げる。
『呼ばれたのか!?』
「……キーリという名前は、確かに呼ばれていた」
『なっ……』
「ハーヴィー――ハーヴェイ君から名前は聞いていたが……残念な結果になってしまったようだね」
息を詰めるような声と共に、漏れていた雑音が途切れる。
が、すぐに低い唸り声が吐き出された。
『許さねえ……どこのどいつだ? くそ、ただじゃおかねえ、絶対ぶっ殺す……!』
壊れたのではないかと思うくらい耳障りな雑音が、がりがりと空気を引っ掻く。
同時に暗緑色の粒子がスピーカーから漏れ出し、鬼気迫る形相をした兵士の顔を形成していく。
先程と同じ状況に、佐山は一瞬対応に迷う。今回は電源を切っても一時しのぎにしかならず、怒りに囚われていて説得を聞き入れてくれそうにない。
悪罵と騒音をまき散らしながら空気を振るわせるラジオは、しかし唐突に止まった。
落とされたのは電源ではなく、横にいた零崎の手刀だった。ラジオの筐体に向かい、右斜め四十五度の角度で筐体に吸い込まれ、硬質な打撃音が響く。
一拍遅れてひときわ大きな雑音が漏れ、羽虫が散るようにノイズの顔面が霧散した。
『っ、何すんだ!』
「あれ、ラジオの雑音ってこう直すんじゃなかったか?」
「この場では間違っていなくもないが、それはテレビだよ零崎君。
……ともかくこの場は静まりたまえ。ここで君が怒りを呈しても、受け止めるべき相手には届かない」
『……っ』
最後に舌打ちを残すと、雑音は消えた。
もちろん、完全に怒りが収まったわけではないだろう。
だから最低限、その感情の矛先と無謀な行動予定は修正させねばならない。
「君の怒りは理解できるが、本来一番にその激情を向けるべき相手――この場を創造した確固たる敵がいることを忘れてはならない。
その者の打倒のためにも、感情と能力は温存したまえ」
『んなこたわかってる! だが、キーリを殺した奴がこの島の中にいるってことも確実だ!』
「しかし殺人を強要される環境において、殺人者に能動的な意志があったかは証明しがたい。情状酌量の余地があると思わんかね?
第一、殺された君の知人は、君に復讐を望むような人間なのかね?」
『…………』
返ってきた沈黙を消極的な理解と見て、佐山は説得を終了する。
ひとまずは彼が感情のみに囚われることなく、周囲を顧みて先を見据えられるようになればそれでいい。
事態の収束に胸中で息をつき、歩みを再開し、
『望んでいる、って言ったらどうする?』
一歩目を踏んだ直後に響いた声に、思わず動きを止める。
押し殺したような低い声は、先程よりも強い怒りを含んでいるように感じた。
その原因が分からずにいると、こちらの返答を待たずに問いかけが来た。
『佐山、貴様は霊と関われる力があるか?』
「あいにくとない。君は特別のようだが」
答えると、ふたたびスピーカーから粒子がこぼれ落ちた。
今度は顔だけでなく、血と泥まみれの兵士の全身が瞬く間に形成されていく。
ひときわ目立つ瞳孔部分の粒子が、射殺すような眼光を伴ってこちらを見据えた。
『死者のことを知っていたわけでもなく、“識る”こともできねえ奴が、勝手に引き合いに出す資格はねえ。
死者を薄っぺらい説得の道具に使うんじゃねえよ。俺はただ俺の意志で、キーリを殺した奴を恨んでいる。
……あいつがそれを望んでいるかどうかなんて、それこそ“本人”か殺人者に会わないことにはわからねえ。
どっちにしても、何よりも先に俺達の無事を望むだろうがな。そういう娘だ』
最後の言葉だけは、兵帽の下に目を伏せて加えられた。
しかしすぐに鋭い視線をこちらに戻し、彼は続ける。
『貴様の言うとおり、この世界自体にこそ一番の悪意がある。だがその中にいる奴の行動や感情すべてが、それに起因しているのか?
個々の人間には意志ってもんがある。状況やその外側に悪意があろうと、実際にぶつかり合うのはその中の人間だ。
情状酌量の余地は確かにあるだろうよ。だがそれを完全に認めるには、充分な時間か何か大きなきっかけか、あるいはその両方が必要だ。
それを貴様はわかっているのか?』
叩きつけられた糾弾は、どこか追想するような感情も含まれていた。
それでふと、佐山は気づいた。――これは、彼の実体験からの発言ではないかと。
彼は既に死んでいる。
このゲームの中でではなく、それ以前に死亡した結果、ラジオに憑依していると言っていた。その顛末は、あるいは現在と同じような状況だったのかもしれない。
『同じ巻き込まれた側にいるってのに、貴様は上から見下ろすだけで周りを見ちゃいねえ』
その言葉を最後に、雑音混じりの声は途絶えた。
ダナティア達のものとは違い、彼の弾劾には燃え上がるほどの感情が表れている。
彼を殺人者と和解させるのは、彼女らとの交渉よりも難しいかもしれない。
どちらにしろ、かけるべき言葉を見つけていないのは彼女らと同じだった。保留する他はない。
「死者を盾にしたことは謝罪しよう。こちらの浅慮だった。
だが、やはり復讐の幇助はできない。喪失は喪失しか生まぬのだから。
……今はただ、この競合を解決するために死力を尽くすことを誓おう」
予想通り、言葉は返ってこなかった。
その沈黙という返答に含まれるあらゆる意味を認めて、佐山は一歩踏み出した。
○
夜闇の中、佐山達はD−5に広がる森を南下していった。湿った土に足を沈め、冷えた大気の中を進む。
零崎が先行して邪魔な枝や雑草を断ち、その後ろを草の獣を肩に担いだ藤花が続いた。
最後尾にG-sp2をデイパックに挿し、ライトをつけたエルメスを引いた佐山が行く、はずだった。
「……また、あたしのせいで遅れちゃったね」
「君が気に病む必要はないよ。零崎君にはムキチ君が同行しているため問題ない。
むしろ後続に合わせるという行為を知らない彼に報復するため、もっとスローペースに行こう」
気楽に言うと、藤花の緊張が少し和らいだ。
障害を払う手間があるにもかかわらず零崎のペースは速く、あっという間に闇の奥に消えてしまっていた。
佐山はともかく普通の女子高生である藤花が追いつけるはずもなく、自然に二人だけが取り残された形になる。
「もっと道が広ければ、ぼくに乗れるんだけどなぁ」
『セマイノ』
『みやした いたい』
「あ、ごめん」
後ろ足を引きずられ抗議する草の獣を、藤花が抱え直す。
正確には、二人と一本と一匹と一台と一台が、この場に存在していた。
口数自体が少なく、内二名は文字のみであったり未だ沈黙を続けているため、それほど騒がしくはないが。
(……彼の沈黙は、こちらに対する非協力の意図もあると考えるべきだろうな)
注意は前方に向けたまま、首に提げたラジオの筐体に視線を移す。
こちらを見殺しにはしないだろうが、殺人者には確実に害を為すだろう。何かあれば、暴走する可能性もある。
それでも、電源を切るわけにはいかない。彼の意志を遮断することは、分かり合うことを拒絶する行為に他ならない。
「……あの、ちょっといい?」
視線を藤花の背中に戻すと、不意に彼女が口を開いた。
「何かね?」
「さっきは怖くて、言えなかったんだけど」
話している間も、やはり足を引っ張ることを気にしているのか、彼女は歩みを止めない。
表情を見せぬまま、おずおずと話を切り出す。
「あたしも、家族や友達が誰かに殺されちゃったら、その人を許さないと思う。
顔を見るのも嫌だし、仲良くするなんて絶対無理。きっと死んじゃえって思う」
忌憚のない言葉は、先程の兵長に対する共感だった。
語り出す前の“怖くて”の主語は、おそらく零崎だ。さすがに殺人鬼を公言する者の前では言えないことだろう。
普通の少女であるため遠慮がちになり、また零崎に出会ってからは状況が落ち着かなかったこともあり、“藤花”とはこの状況に関する込み入った話をしていない。
貴重な機会であると認識し、沈黙を持って先を促す。
「麗芳さんを殺した人だって同じ。あたしは絶対許せない。
……どんなに頑張ったって、そういう“嫌”って気持ちは、どうしても生まれちゃう。
それを全部消しちゃったら、心がないのと同じだと思う」
何気なく出た単語に、佐山は思わず足を止める。
今の彼女はブギーポップではない。“藤花”には、自分の詳しい事情もアマワのことも話していない。
止まった歩みの意図を勘違いしたのか、藤花は慌てて立ち止まり振り返った。
「べ、別に佐山君が悪いって思ってるわけじゃないよ?
むしろ、ちょっと尊敬してる。そんな風に何かに一生懸命になれるなんて、すごくうらやましい」
ここにはいない誰かを見ているような感傷を見せた後、彼女は真っ直ぐに佐山を見据えた。
「ただ、“状況が悪い”ってだけでなかったことにしちゃったら、殺された人達が思っていたこと全部が否定されるような気がしたの。
……少なくともここでは、佐山君の考えの方が正しいと思う。でも、あたしみたいな弱い人がたくさんいるってことを、認めて欲しいの。
否定してもいいから、拒絶しないで理解して欲しいの」
告げられた理解、という言葉を佐山は胸中で噛みしめる。
確かに彼女の言い分は、結局のところ弱者の甘えでしかない。
(だがその甘えを排除して、一体何が残る――?)
新庄に会う前の自分ならば容赦なく切り捨てていたそれこそが、彼女が一番大切にしていたものではなかったか。
「……っ」
「佐山君!?」
「うわ、倒れる倒れる!」
面影が脳裏をよぎった瞬間、激痛が来た。
思わず胸を押さえ、結果ふらついた身体と支えを失ったエルメスが地面に叩きつけられた。
デイパックとエルメスをクッションにした後地面を転がり、泥を全身に纏う。
『ダイジョウブ?』
「……ああ、問題ない、とも」
傍らの木を支えに身体を起こすと、眼前に傾いたG-sp2が労りの言葉をかけた。
実際は、まだ痛みは続いていた。だがそれを言い訳に、動きを止めてはならない。
(痛みなど……私だけのものではない!)
兵長や藤花も――いや、この島にいる大半の人間がそれを抱えている。
それが物理的なものか精神的なものかは関係ない。あるいはその大小にも拘泥すべきではないのかもしれない。
ただそれが誰かに少しでも在るという事実が、この状況に抗わなければならない理由になる。
肩を貸そうとする藤花の手をやんわりと払い、何とか自力で立ち上がる。
軽く泥を払い、エルメスを近くの大木に立てかけたときには、痛みは既に止まっていた。
「いらぬ心配を掛けてしまったね」
「……もしかして、あたし何かした?」
「いや、君には何の責もない。私の心理的な問題が原因になっているだけなので安心したまえ」
「ならいいんだけど……って、どっちにしろ痛くなるならだめじゃない!
そういえばさっきのマンションでも痛がってたし……狭心症? 何か止める方法はないの?」
心から自分を心配する藤花を見て、佐山は改めて理解する。
彼女――ブギーポップではない宮下藤花は、本当にごく普通の女子高生だ。
辛うじて加えるなら明るいという形容詞が似合いそうな――ただそれだけの少女。
「今のところどうしようもない。だが先程の君の発言で、耐えるための足がかりが見えた」
「そ、そう?」
言葉を補っても、藤花の表情は曇ったままだった。こちらの狭心症に対する懸念と共に、自身の発言に対する恐れがあるのだろう。
それを払拭させるためにも、彼女への答えを告げる。
「悲しみを捨てる必要はない。縋ったままでも構わない。耐えろ足掻け抗えとも今は言わないでおこう。
ただ、それを引きずってでも進みたまえ。停滞は緩やかな終焉にのみ繋がり、思いを劣化させるものだと知りたまえ」
そして未だだんまりを続ける兵長にも、ひいては自分自身にも決意を示す。
「それを手伝うためにも、私は君を理解してみせるとも。
君の手を取り率いる価値を自らに付加するために。君にとって有り難い人であった彼女が、君に残した思いを失わせぬために。
そして未だ在る者も既に亡くなった者も、その存在自体が決して無駄にならぬように。
私が求めるのは喪失の許容などではなく、その徹底的な拒絶と克服なのだから」
それこそが、新庄の求めた形であろうから。
胸中でそう付け加え、佐山は口を閉じた。
唖然としてこちらを見つめる藤花から目をそらすことなく、答えを待つ。
場に沈黙が満ち、今まで気にも留めなかった木々が擦れる音が耳に届く。
やがて、囁くような言葉が紡がれた。
「……たくさんの人が死んですごく悲しいし、実際に麗芳さん達を殺した人と対面したらどうなるかわからないし、ほんとはずっとうずくまって泣いていたいくらいだけど」
そこで一旦言葉は切られ、彼女の口唇がゆっくりと弧を描く。
「今は、佐山君を信じるよ」
「有り難う」
快い答えに、佐山は感謝と笑みを返した。
藤花と自分の間にはまだ隔たりがある。それでもその距離を、自分と彼女自身が歩み寄って埋められたことは大きい。
今はまだ、手を伸ばして指先に触れられる程度の距離でしかないけれども。
握れるほどになるまで、そう遠くないように思えた。
そんなことを思っていると、藤花がぽつりと呟いた。
「……にしてもあたし、助けられてばかりだなぁ。戦うのは絶対無理だけど、せめて足手まといにはなりたくないのに」
「自身を省みて前進できる人間が、私の妨げになることはありえない。私のように最低限慎ましやかな矜持は持っておきたまえ。
君といた彼女だって、君の存在を嫌がってはいなかっただろう?」
「……多分。初めて会ったときも混乱してるあたしを優しく落ち着かせてくれたし、心細い夜の間ずっと話し相手になってくれた。
それに、あたしのことを見て妹さんのことを……」
『みやした あめ?』
「え?」
水滴が一つ、針葉の体毛に落ちていた。
草の獣の声にあっけにとられる藤花の目から、透明な液体が堰を切ったようにこぼれ落ちていく。
「あ、あれ?」
『あたたかい』
それに気づいた当人は頬に手を伸ばし、困惑を深める。
ぬぐってもぬぐっても肌が乾くことはなく、ぼろぼろと涙が流れ続けた。
「どうしよ……放送聞いたときは現実感がなくって、今までは殺した人の方を考えてたから、大丈夫だったんだけど……」
肩を振るわせながら、藤花は草の獣を強く抱いた。
どうしようもない感情の奔流を押しつけるように、柔らかな体毛に縋り付く。
「今さら、ほんとに今さら、麗芳さんはもういないんだなって、実感しちゃって……」
『れいほう きえた?』
草の獣は首をかしげ、曇りのない瞳を彼女に向けた。
『また あたらしい れいほう くる?』
「ううん、来ないよ……」
嗚咽混じりの呟きに同調するように、首に提げたラジオから、わずかに雑音が漏れた。
○
藤花が落ち着いたのは、痺れを切らした零崎が戻ってきた後だった。
ふたたび三人で森を歩き、草原に出て前方に倉庫らしき建物が見えた時には、既に二十二時を超えていた。
結局荷物の整理をした後、そこで藤花に休息を取らせて零崎に周辺の探索を任せることとなった。
佐山自身は、倉庫の外で見張りをしていた。コンクリートの壁と鉄扉に阻まれた内部では、訪問者への対応が遅れるためだ。
もちろん鉄やコンクリートすら突き破れる存在は否定できないため、藤花のそばには兵長を置いていた。
彼女を頼むと伝えた際にも応答はなかったが、非力な少女を見殺しにするような人物ではないと判断した。
『さやまは ねむらないのですか』
制服の内ポケットにある割り箸から、ムキチの声が響く。
万一の時彼に協力してもらうために、今回は草の獣の方が零崎に同行していた。倉庫内で見つけた頑丈そうな紐で、エルメスの荷台に固定して。
「三日程度なら徹夜可能のハイスペック仕様だよ私は。疲労回復は栄養摂取と身体を動かさないことだけで充分だ。
さらに君の排熱効果の恩恵も受けていれば、重畳といえる」
零崎に刺された左手が強く握れなくなってはいるが、これはどうしようもない。
「だがそれでも、健全な女子高生である宮下君に充分な休息が必要なことには変わりない。
……口惜しいところだが、放送までは彼女らに活躍の場を譲るとしよう」
呟き、遠方の闇夜に浮かび上がったマンションへと視線を向ける。
ちょうど森を出た頃、少し前に別れたダナティアの声が島中に響いていた。
彼女はこのゲームの打倒を宣言すると同時に明かりを灯し、マンションの屋上に姿を見せた。来るなら来いと言わんばかりに。
彼女らならば、並大抵の殺人者など再起不能にして捕縛できるだろう。
たとえ仲間が何人か欠けたとしても、その意志は残ったものが継ぐはずだ。
今のところ、そこに悪役の入る余地はない。
ひとまずは、彼女らの手の届かない部分を補うべきだ。零崎にも、マンションから遠く離れた南半分の地域を回るように言ってあった。
(主催者打倒、という点においては私と彼女は同じ立場だ。そこから私自身の往く道を定めなければならない)
失われた者も失わせた者も前を向き、共に真に敵対すべき者に立ち向かわなければならない。
そう彼らは宣言した。それはとても正しいことだ。
(ならば悪役は――正しく間違うべき自分は、何を為せばいい?)
皆を正しく導くために、どのように間違うべきなのか。
自分だけではなく、他の者が許し分かり合うためにはどうすればいいか。
確固たる目的はある。それを成し得る意志もある。
だが具体的な行動は――進むべき道は、まだ決まっていない。
零崎をどう償わせるべきなのか、彼の被害者にどうすれば理解してもらえるのか。
先程の藤花のような“被害者と自分”ではなく、“被害者と加害者”がどうすれば和解できるのか。
兵長のように復讐を求める人間を、どうすれば説得できるのか。
(全竜交渉と違い、今回私は完全な第三者だ。
零崎君には被害者に出会ったらここに連れてくるように言ってあるが……より積極的に“悪役”として動く必要があるかもしれんな)
「……先は長いな」
『タイヘンダネ』
「今はまだ、手がかりに指が掠めだけにすぎない。私たちも、彼女らすらも、まだ何も取り返せていない」
『つきは とりかえせましたよ』
胸元から響いた声にはっとして、佐山は空へと視線を向けた。
数時間前は暗雲が立ちこめていただけのそこから、今は淡い光が漏れだしていた。
ムキチの世界には存在しない、弱すぎて熱を取り込めない光。しかし真っ暗だった世界を、確かに照らしている。
「……確かにこれは、大きいね」
ダナティア達がこの世界から取り戻した、一片の光。
あれに比肩するものを、自分も取り戻さねばならない。
○
「しかしさっきの放送――」
「また雰囲気エロい人だったっけ?」
「あんな長い名前よく噛まないよな」
「そりゃ自分の名前だから。ふつーさ、もっと他に感想が浮かぶものじゃないの? すごかったー! とか、なんだこいつ! とかさ」
「特にねえな。……あー、また謝りに行ったとき、これにも関して聞かれるか? 面倒くせえ」
「後が面倒になる殺人なんてしちゃだめだよ。キノみたいに本当に必要なときだけずがん! じゃないと」
「殺したときは面倒になるなんて思わなかったからな。
殺しちまった奴の仲間とまともに話した経験なんてねえし、どうすりゃいいんだ?」
「とりあえず相手の気持ちを想像してみたら? 君だって、死んだら悲しかったり困る人が一人くらいいるでしょ?」
「いねえな」
「うわ即答されたよ」
「しいていうなら――まぁ、兄貴だが……こっちに来てから何か記憶が曖昧で、生きてんのか死んでんのかわからねえ。だからノーカンだ」
『ぜろざき ろんりー?』
「独身義賊ってやつだね。っていうか、そもそも何で謝ろうしてるのさ?」
「傑作なことにあいつに負けちまってな。それであいつの仲間になることと、殺しちまった奴に謝ることを約束しちまったんだが……」
『やくそく? さやまとやくそく?』
「ああ。っつてもつまんなくなったら抜けるってだけのきまぐれだがな」
『きまぐ――まぐれやくそく?』
「かはははっ、そうとも言えるな! まぁ悪気は一応あるし、今んところは守る気でいるが……やっぱりちょっと面倒になってきたな」
「それほんとに悪気あるの? 確かに、ダナティア達にも謝らないといけないのは難しそうだけど」
「聞かれたから坂井以外にも殺ったって言ったら、そいつの知人にも謝れって言われるしなぁ。名前も知らねえってのに。
〈策師〉や追われてた人類最強が死んでくれたから動きやすくはなったが……どーっすかなぁ」
「ここがいわゆる証券馬だね」
「……正念場?」
「そうそれ」
【E-4/倉庫前/1日目・23:00】
【佐山御言】
[状態]:左掌に貫通傷(物が強く握れない)。服がぼろぼろ。疲労回復中。
[装備]:G-Sp2、木竜ムキチの割り箸(疲労回復効果発揮中)、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1800ml)
PSG-1の弾丸(数量不明)、地下水脈の地図
[思考]:放送まで待機。悪役としての今後の指針を明確にしたい。
参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる(若干克服)
【E-4/倉庫/1日目・23:00】
【宮下藤花(ブギーポップ)】
[状態]:休息中
[装備]:兵長
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1500ml) 、ブギーポップの衣装
[思考]:佐山に同行。殺人者を許せない。
【E-4/平地/1日目・23:00】
【零崎人識】
[状態]:エルメス運転中。全身に擦り傷、疲労回復中
[装備]:自殺志願、エルメス
[道具]:デイパッグ(支給品一式・パン6食分・水2000ml)
包帯、砥石、小説「人間失格」(一度落として汚れた)、草の獣(疲労回復効果発揮中)
[思考]:島の南方面を探索。
悠二、シュバイツァー(名前は知らない)の知人に出会ったら倉庫に連れて帰る。
気まぐれで佐山に協力。参加者はなるべく殺さないよう努力する。
[備考]:記憶と連れ去られた時期に疑問を持っています。
※持っていたパン三人分は二人に分けました。
レストランの地下に刃物は存在していなかった。食材もまったく見当たらない。
前者は死活問題だが、後者は大したことではない。
九連内朱巳がレストランに求めていたのは、休憩できる場所と武器になる物だ。
結果的には、どちらも手に入らなかったということになる。
苦虫を噛み潰したような顔で、朱巳は嘆息した。
些細な動作をするだけでも、彼女は激痛に耐えねばならない。
骨を残らず砕かれた左手は、おそらく二度と使い物になるまい。
朱巳は既に缶詰を――安全だという保証のない保存食を――3個持っていた。
(動きが鈍るくらい飢えるまで食べる気になれないような食料は、もういらない)
必要以上の警戒は無駄でしかないが、必要最低限の自衛くらいはするべきだろう。
誰かに“病原菌混入済みの缶詰”が支給されていたとしても、驚愕には値しない。
市販の食品に小細工をする程度のことは、統和機構もやっていた。
缶詰の製作者には悪意がなかった、と仮定しても、安心はできない。
ここは朱巳が昨日まで生きていた世界ではない。食料品に含まれていた未知の成分が
体質に合わなかったせいで何らかの悪影響を及ぼすかもしれない。
故に、火乃香・ヘイズ・コミクロンの三人組から、朱巳は缶詰を隠した。
明らかに栄養を求めていそうな人間に缶詰を見せて「危ないから食べない方がいいと
思うわよ」などと言っても好感は抱かれまい。
手持ちのパンが尽きて缶詰を食べることになったとき、皆で平等に分かち合った後で
朱巳以外の全員が腹痛にでもなったりしようものなら、目も当てられない。そうなれば
どんなに「これは事故なのよ」と彼女が主張しても嘘くさくなるだけだ。
デイパックから懐中電灯を取り出し、缶詰を横目で見ながら朱巳は思う。
(いかにも缶詰を知らなさそうな雰囲気の敵に投げつければ、ちょっとした時間稼ぎに
使えそうではある。デイパックに入れておけば鈍器として使うこともできる。そして
一番効果的な使用法は、敵に食べさせてみること。活用しづらさはパーティーゲーム
一式に匹敵するでしょうね。まぁ、こんな物でもないよりはマシか)
眉間にしわを寄せ、今後の行動方針について朱巳は思案する。
(地下に留まるのは論外。ここにいたら味方とは合流できそうにない)
彼女の視線が、食品運搬用の小型エレベーターに向けられる。
朱巳の命を救った機械仕掛けの箱からは、パイプ椅子がはみ出ていた。
扉が閉じない限り、この装置は、地上からの呼び出しに応じられない。
(これを使って地上まで戻る。動かすと騒々しい音がするけど、それを聞く敵が近くに
いないなら関係はない。隠れるなら、敵から見えない場所にではなく、敵が見そうに
ない場所へ行かないとね。そう、例えば……敵が最初に探し終わった場所へ)
小型エレベーターがこの部屋に到着してから、十数分が経過した。
死体を抱きかかえた赤毛の男は、そろそろレストランから出たかもしれない。
(……きっと、あいつは大丈夫)
朱巳の脳裏をヒースロゥの顔がよぎる。
(だって、あいつは達人だもの。あたしに逃げられた拷問男が怒気だとか殺気だとかを
派手に撒き散らせば、それだけで目を覚まして瞬時に身構えたりできるわよ。簡単に
殺されたりするはずがないじゃない。だから、心配する必要なんか全然ない)
自分自身を騙そうとするかのように、彼女は口の端を吊り上げる。
(危険人物が襲ってきても、あいつなら自力でなんとかできる。絶対に再会できるわ)
左手の痛みを堪えながら、朱巳は小型エレベーターに向かって右腕を伸ばす。
パイプ椅子が引き抜かれ、床の上に降ろされた。
レストランの中にも、その周辺にも、人の姿はなかった。
生存者も、死体も、それらの痕跡も、まったく増えてはいない。
(敵も味方も、今ここにはいない)
どうやら、ヒースロゥは生きたままレストランから出られたらしい。
だからといって、彼が今もまだ無事だという確証があるわけではないが。
ヒースロゥの目的は“罪なき者”を守ることで、殺人者を討つことはその手段だ。
風の騎士は、手段に気をとられて目的を忘れるような愚者ではない。
(あいつのことだから、拷問男を放置してあたしを捜しに行ったのかもしれないわね。
ヒースロゥよりも先に拷問男と遭遇してしまったら、たぶん今度こそあたしは死ぬ。
敵がいなさそうで味方と合流しやすそうな場所へ、移動しておいた方が良さそうね)
島の地形を思い出しながら、朱巳は海洋遊園地の外を目指す。
(拷問男が付近一帯を虱潰しに調べるつもりだったとして、効率良く移動しようとする
なら、真っ先に向かう場所は神社ね。海洋遊園地よりも先に神社を調べていないなら、
あの敵は神社にいる可能性が高い。……今、神社に戻るのは得策じゃない)
南へ逃げるという選択肢は却下された。
(さて、ヒースロゥは何をどう考えてどこへ行ったのかしら?)
風の騎士は、符術使いとの戦闘中に気絶させられた。
彼は、符術使いが朱巳たちの前から走り去ったことを知らない。
目覚めた彼は、意識がなかった間に何が起きたのかを知ろうとするだろう。
符術使いと戦った場所に、手掛かりとなりそうなものは残されていない。
(あたしは囮になって、符術使いと対戦しつつどこかへ移動した。その後、親切な人が
倒れていたヒースロゥをレストランまで運んだけど、拷問男から逃げるために離れて
いった――あいつは、そんな風に考えたんじゃないかしら)
海洋遊園地の内外を繋ぐ門へ、朱巳は近づいていく。
(符術使いと同じく遠距離攻撃を得意とするヘイズに、あたしは勝てなかった。それを
知っているあいつなら、あたしの苦戦を想定しそうね。三人組がいるはずの地域まで
敵を誘導するとか、そんな余裕なんかあたしにはなかった――たぶん、そう判断して
あいつは行動する)
ヒースロゥの居場所は特定できそうになかった。
(三人組との合流は、すぐにはできないでしょうね。かなり遠くにいそうだもの)
周囲を見回しながら、朱巳は溜息をつく。
(東に行っても三人組には追いつけそうにない。同じ方向へ進むよりも逆方向に動いて
進路上で待ち伏せた方がいい。誰もいなさそうな場所にしばらく潜伏してましょう。
……北の市街地に今も屍がいれば、すごく助かるんだけど)
魔界刑事の現在地は、風の騎士のそれよりもさらに予測不能だった。
(とりあえず、北へ行くとしましょうか)
左手をなるべく動かさないように注意して、朱巳はデイパックを背負い直す。
無言のまま、彼女は商店街に足を踏み入れた。
慎重に歩を進めながら、頭の片隅で朱巳は考え続ける。
(なんで拷問男は火乃香を捜していたのかしら? それに、拷問男の捜す『CD』って
ヴァーミリオン・CD・ヘイズのことなんじゃないの?)
様々な言葉が、彼女の脳内に列挙されていく。
(拷問男。女の遺体を横抱きにした赤毛の男。愛しげな視線で女の死体を見つめる男。
初対面の相手を殺せる危険人物。拷問する機会の多い職業。『ホノカ』と『CD』を
捜す理由。殺害。復讐。仇討ち。髪の長い女の亡骸。愛する人の死。『ホノカ』と
『CD』のせいで失われた命。……火乃香とヘイズが、拷問男の想い人を殺した?)
神社で情報交換した際に聞いた名前を、朱巳は思い出した。
(拷問男の抱えていた女がマージョリー・ドーだとすれば……拷問男はバカマルコと
呼ばれていたらしい、その相棒。名簿にバカマルコなんて名前は載ってないから、
本名じゃなくて愛称なんでしょう。「たぶんマージョリーと一緒にミラーハウスの
残骸に埋もれたはずだぜ」って聞いてはいたけど……マージョリーがバカマルコを
かばって守り、そのせいでマージョリーは死んだらしいわね)
鬱陶しげに舌打ちし、朱巳はバカマルコを胸中で罵った。
【E-1/商店街/1日目・20:10頃】
【九連内朱巳】
[状態]:左手全体を粉砕骨折(治療不可)
[装備]:懐中電灯/サバイバルナイフ/鋏/トランプ
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン4食分・水1300ml)/ 缶詰3個/針/糸
/トランプ以外のパーティーゲーム一式/刻印解除構成式の書かれたメモ数枚
[思考]:バカマルコ(クレア)から逃げるために、とりあえず北へ行く
/パーティーゲームのはったりネタを考える/いざという時のためにナイフを隠す
/ヒースロゥ・屍・エンブリオ・ED・パイフウ・BBの捜索/刻印の情報を集める
/ゲームからの脱出/メモをエサに他集団から情報を得る
[備考]:パーティーゲーム一式→トランプ・10面ダイス2個・20面ダイス2個・ドンジャラ他。
もらったメモだけでは刻印解除には程遠い。
クレアとシャーネのことを、マルコシアスとマージョリーだと思っています。
口うるさい相棒がいないことが少し、本当に少しだけ悔やまれた。
風が吹いている。
雲は流れ、木々がざわめき、そして過ぎ去る。
やっぱり交渉は不快だった、ギギナへ明確に欠落を突きつける。
ギギナはあまりにも完成している。完成した人格なんて閉殻だ。外に繋がる‘手’を持たない。
ギギナにはいくらかの嗜みがあり、美貌があり、なにより強い、そういう物がつなぐ人たちは多い。
だけど、損とか得とか、羨望とか賛美とか、そういうものじゃない繋がり方は、今はもうジオルグ咒式事務所と一緒にギギナの中のお墓の下で眠っている。
張り付くような同情は醜いと吐き捨てた。
依頼主や敵との関係はすべて相方に押し付けてきた。
縋り付くような親愛は煩わしいかった。
放埓に遊び、愛が始まる前に切り捨てた。
馬鹿らしいにもほどがあるけど、孤独な記憶が心に浮かんだ。
そんな思考が中断される。
地響きと、それに続く大きな咒式の波に晒されて。
地下の通路は湿っぽい。空気自体は生ぬるいのに、結露の水滴が身体の芯から熱を奪う。
ここは薄暗い、上に大きな穴ががあいてるけど、曇り空はとても暗くて、逆にここだけ光が吸い取られてる感じ。
だから、ソレが、余計に惨めに見える。
ものすごく初歩的で、それでも全部の咒式士が逃げられないリスクの結末。
そこには、戦う人たちの持つ美しさとか、誇りとか、綺麗なものはどこにも無い。
「コレが貴様の成れ果てか? クエロ・ラディーン」
‘亡骸’は答えてくれない。
ただ血の泡のノイズを撒き散らしながら、ゆっくり0に収束していく呼吸音だけが響いている。
身体から血が、その脈動を刻みながら零れ落ちる。
穴の開いた右肺は、もはや空気と血液によって完全に潰れている。
致命的な、しかし手遅れではない一撃。
そうだ、「咒式ならば」まだ間に合う。
ネレトーの撃鉄に指がかかる。切先が、クエロの傷口に浅く刺さる。
それでも、咒式が発動することは無い。
そんなことをする意味が無い。
「すでに答える言葉も無いか」
クエロの瞳は、ギギナの美貌を映していた。
ただの鏡と変わらない。憎悪もなければ恐怖も無い、一欠けらの意思も無い眼球がギギナの憎悪を映していた。
「ならば、なぜ私はこの瞬間に」
ここに在るのはただの死体。
自らの限界を見誤り、自らの咒式に心を喰われた、哀れな弱者の惨めな末路。
「貴様を切り捨てていないのだろうな」
戦うところで、躊躇とか逡巡がギギナの足を止めることはない。
だからコレは余興の類。少し、昔しのことを思い出したから。
ガユスなら、散々迷った挙句生かそうとする。いや、生かしてくれと頼み込む。
自分では何一つ救えないあの男は何時だって、惨めに、卑屈に、醜悪にギギナに他人の命を請う。
果汁に溶け込んだ鉛のような、度し難い程の己に対する甘さで、誇りを汚す毒物を撒き散らす。
生成系弾頭がない、そんなものは根拠にならない。
咒式抵抗の無い身体など、ギギナにかかれば肉の塊だ。
その気があるなら刻んで、繋げて、弄繰り回せば、この程度の致命傷なんて殺さず済ますぐらい簡単。
不可思議が跳梁跋扈するこの島なら、あるいは何かを引き出せるかもしれない。
それともこれは復讐心なのか。
生かせば、彼女は保護されるものとして、立ち上がろうとする人たちを支え慰めるし、もしかしたらそれこそ醜い人たちの慰みモノになる。
いや、そんな回りくどいことでもない。
コレを生き永らえさせるだけでギギナの復讐心は存分に満たせる。戦うクエロを切り刻むより気が利いているのかもしれない。
撃鉄に指に力がこもる。金属の感触は夜露にぬれて氷みたいだ。
ギギナだって気付いている。
交渉をするということは、ガユスに引きずらるという事。心に渦巻くのは、力の無い愚者の預言。
保険と後付で彩られた唾棄すべきもの。
ギギナの理想はいつだって美しい。なぜならそこに弱者は居らず、故に醜悪なものはその存在を許されない。
あるのは明快で、血塗られた決断だけだ。
迷いはガユスの悪癖。
ギギナはいつだって、それを両断してきたのだ。
ガユスを両断していれば間違いは無かったのだ。
(でもさ、こういうたわいもない話すら出来ないから……)
「クエロ、いつか貴様も言っていたな」
汚れなければわからない心がある。
美しいままでは聴こえない言葉がある。
「だがやはり私には不要のものだ」
――銃声。
回転式大口径とは程遠い、高く、軽く、洗練された発砲音。
そして大質量の衝突が引き起こす多重音声。
ギギナは第七階位を過信していた。クエロが、処刑人が仕留めそこなうことなど夢想だにしていなかった。
近くにいて、先ほどの地響きに気付かないほうがおかしい。
戦っているのはは十中八九クエロも殺す‘乗った’化物。
両断された昔の仲間を一瞥して。
ギギナは笑った。獰猛に、野蛮に、高貴に笑った。
ほんの少しだけ、悲しかったけど。
【E-4/地下通路/1日目・19:05】
【ギギナ】
[状態]:普通
[装備]:屠竜刀ネレトー、魂砕き
[道具]:デイパック1(支給品一式・パン4食分・水1000ml)
デイパック2(ヒルルカ、咒弾(生体強化系5発分、生体変化系5発分))
[思考]:廊下の先を追う
ガユスとクリーオウの情報収集(無造作に)。ガユスを弔って仇を討つ?
0時にE-5小屋に移動する。強き者と戦うのを少し控える(望まればする)。
【E-4/地下通路/1日目・19:05】
【クリーオウ・エバーラスティン】
[状態]:右腕に火傷。 交戦中
[装備]:強臓式拳銃『魔弾の射手』
[道具]:デイパック(支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン4食分・水1000ml)
缶詰の食料(IAI製8個・中身不明)。議事録
[思考]:ピロテースを呼んで来る。
みんなと協力して脱出する。オーフェンに会いたい
[備考]:アマワと神野の存在を知る
【ドクロちゃん】
[状態]:健康。足は大体完治。
[装備]:愚神礼賛(シームレスパイアス)
[道具]:無し
[思考]:クリーオウを追いかける。クエロは後で治そう。
[備考]:まともに治療できないことは忘れました。
紆余曲折はあったものの、キノは落ち着きを取り戻した。
故に、うっかり忘れていた行動方針をキノは思い出した。
(そういえば、荷物の整理をしようと考えていたんだった)
武器はともかく、地図や名簿などが手元に複数あったところで邪魔なだけだ。
身軽さと動きやすさを犠牲にしてまで、水や食料を大量に持ち歩く必要はない。
(ボクは、荷物をこんなに抱えたまま殺し合いをするつもりだったのか……)
この島でそんなことをするのは、自殺行為に他ならない。
しばらく前までの自分がどれだけ焦っていたかを自覚して、キノは苦笑する。
(潜伏できる場所を確保したら、すぐに使わない物は隠しておこう)
苦い笑みだったが、笑えるだけの余裕があるという証拠だ。
(持ち物を急いで少しだけ捨てても、ほとんど意味はない)
敵にデイパックを投げつけて、その隙に逃げねばならないような事態もありえる。
食料と水の一部をどこかに隠しておくなら、地図や名簿などもそこに隠せばいい。
(ひとまず、禁止エリアにならなそうで誰も行きたがらないような僻地へ行こう)
市街地の外に向かって、キノは歩きだした。
似たようなことを考える者は、どこにでもいる。
「……こんばんは」
「……こんばんは」
お互いに懐中電灯の光を向けながら、銀色の瞳をした少女とキノは対峙していた。
「あの……何を、してるんですか?」
訊くまでもなく一目瞭然だったが、それでもキノは問うた。
他の話題をとっさには思いつけず、しかし沈黙は危険だと感じたため、とりあえず
言ってみただけの発言だった。
小首をかしげて、銀の瞳の少女が微笑む。
「埋葬しているように見えますの?」
穴の底に横たわる、土の色に染まった死体の傍らで、少女は笑っている。
「いえ、墓を掘り返して、遺体を調べていたようにしか……」
答えながら、キノは己の不運を呪う。
情報提供者と平和的に接触するため、懐中電灯をつけて歩いてきたのが災いした。
A-1にいた参加者は、まともではなかった。
ただ墓を暴いているだけならまだしも、目撃されたというのに平然としている。
おまけに服は大量の血で変色しており、なおかつ怪しげな紙片を手に持っていた。
関わってしまった時点で既に失敗だった。
(さっさと撃ち殺して、遺品を調べた方がいいかな)
話の途中で銃を抜いて不意打ちするための布石として、キノはしゃべり続ける。
「そこに転がっているのは赤の他人ですし、ボクとしては別にどうでも――」
「今は、まだあなたを殺したくありませんの」
「!?」
台詞を遮られ、密かに銃へ触れようとしていた指先が、動きを止める。
「それでもまだ殺し合いたいと望むなら、今ここで死なせてあげますけれどね」
「どういう、つもりですか?」
静止したキノを、ひどく愉快そうな笑顔が凝視している。
「わたしは確かにこの『ゲーム』を楽しんでいますけれど、ただ単に殺すことのみを
好んでいるわけではありませんの。今ここであなたを襲わない理由は、そうした方が
面白くなりそうだから――これでは納得できませんかしら?」
冗談にしては、驚異的につまらなさすぎる。
油断を誘うための嘘にしては、あまりにも出来が悪すぎる。
「ボクのどこがどう気に入ったのか教えてもらえると、判断材料が増えますね」
銃と指先を死角に隠したまま、キノは穏やかに探りを入れた。
(彼女は嘘をついている)
キノは思う。あれは何かを騙そうとしている者の顔だ、と確信する。
(彼女は楽しんでいない。楽しんでいるんだと思い込みたがっている。自分自身に嘘を
ついて、戦場に適応しようと足掻いているだけだ)
かつて口に出した独り言を、キノは思い出す。
『恐怖を捨てろ。理性を捨てろ。……楽しむんだ、あの零崎みたいに』
つい苦笑しそうになるの我慢して、キノは無表情を維持する。
(彼は、零崎は、何の躊躇いもなく、さも当たり前というように、まるで呼吸をする
ように、人を殺す。彼は殺人を楽しんではいなかった。知っていたはずなのに忘れて
しまっていた。でも、思い出した。今度こそ完全に理解した)
怪物になろうとしている時点で、それは怪物ではない。
狂ってはいるのかもしれないが、ただそれだけだ。
なろうとしてなるのではなく、ふと気がついたらそうなっているもの――それこそが
真に“どうしようもない”ものだ。
必死に真似して同じものになろうとする意思がある限り、それは紛い物でしかない。
皮一枚ほど怪物に近づくことはできても、怪物そのものにはなれない。
(もうボクは零崎を模倣しない。ただ普段と同じように生き残る努力をする)
零崎は、意味もなく必要もなく理由もなく脈絡もなく殺す何かだ。
意味があり必要があり理由があり脈絡があるのなら、零崎の同類ではない。
ここにいる墓荒らしは狂人かもしれないが、零崎の同類ではない。
(この参加者は、都合良く動かせるかもしれない)
墓荒らしへの評価は、“降りかかる火の粉”から“利用すべき障害”になった。
○
淑芳の眼前で、小柄な遭遇者の雰囲気が、ほんのわずかに変わった。
(虎が狐の皮を被ってみせたのか、それとも、虎に化けていた狐が本性を現したのか
――いえ、おそらくはどちらも等しく本質ですわね。異なる一面が見えた、と判断
すべきでしょう)
外道らしさを強調した振る舞いを続けながら、かすかに淑芳は安堵する。
(損得勘定で動かせる相手だとすれば、多少は手駒にしやすいはずですわ)
下卑た作り笑いを浮かべつつ、淑芳は言う。
「あなた、さっきわたしを殺そうとしましたわよね。……誤解しないでくださいな、
責めているわけではありませんから。単に必要だと考えたからそうしようと決めた
だけで、楽しいからとか嬉しいからとか、そういった感情とは無関係な行動だったと
お見受けしましたわ。だからこそ、生かしておく価値がありますの」
「そうですか」
返答は短く、そっけない。鋭い視線が無言の圧力となり、話の続きを催促している。
死骸のそばに立ったまま、朗らかな口調で淑芳は語りかけてみせる。
「あなたの目的は“生き残ること”であって、“惨劇を楽しむこと”でも“皆殺しに
すること”でもないはず。違いますかしら?」
戦闘狂でも殺人狂でもないのなら、危険を厭うのが当然だ。
「どちらかといえば、勝算のない戦いは避ける主義です」
応じる声は抑揚に欠け、本音を容易には悟らせない。
(さて、ここからが本番ですわ)
表情を醜悪に歪めながら、淑芳は情報戦を開始する。
「そういう気質の人間が、最後まで絶望することなく、この無限に続く『ゲーム』から
生還できるのか否か。素晴らしい余興ですわ。せいぜい楽しませてくださいね」
「無限に続く?」
戸惑いを淡く滲ませた声が、返ってきた。
「あなた以外の参加者全員が死んでも、あなたは『ゲーム』に参加させられ続ける……
そう言っていますのよ」
淑芳の補足説明に対して、遭遇者は不愉快そうな顔をした。
「優勝者が決定しても主催者は満足せず、何度でも同じことを繰り返す、とでも言う
つもりですか。そんなこと――」
「そんなことは最初から判りきっている懸念事項でしょうに。いちいち偉そうに言う
ような内容ではないことくらい、幼子にだって理解できると思いますわよ。わたしが
しているのは、もっと残酷で無慈悲な話ですわ。あなた、もしかして、『ゲーム』を
やらせたがっている連中は今回の主催者だけだ、なんて思っていましたの?」
似たようなことを考える者は、どこにでもいる。
「今回の主催者が満足したとしても、無限の異世界に存在する主催者どもがそれぞれ
最後の一人となった人物に興味を持って、その優勝者を無限に召喚し続けますわよ。
優勝者や新たな参加者も無限に存在していますけれど、主催者も無限に存在している
以上、どれだけ優勝し続けても『ゲーム』は無限に続いていきますわ」
「!?」
予想外の反論だったらしく、口を開けたまま遭遇者は絶句した。
まるで追撃するかのように、淑芳は嘲笑してみせた。
「そうじゃないかと薄々は感じていましたけれど、あなた、今回が初参加ですわね。
あなたごときが、十七回の『ゲーム』で優勝し続けてきたわたしに勝とうだなんて、
身のほど知らずもいいところですわよ」
真っ赤な嘘だった。淑芳が『ゲーム』に参加させられたのは、今回が最初だ。
無論、この嘘が嘘だと証明できるようなものなど、今ここには存在しない。
○
自分の足元が崩れていくような錯覚を、キノは感じた。
細かく痙攣する己の体を、キノは止めることができない。
(無限の異世界に、主催者どもは無限に存在する……?)
この島には異様なものが集まりすぎていた。
同一の世界に属するとは到底思えないほど数多くの非常識が、ここにはある。
(優勝して主催者を満足させても『ゲーム』は終わらない……?)
無限に続く闘争の中で無限に勝ち続けられるほど、キノは強くない。
無限に戦い続ければ、殺されるときが、いつか必ずやってくる。
(最後の一人になる覚悟があっても、生き残れない……?)
自分の命を守るためには、その場に即した最大限の努力をすること。
昔師匠に教わったことであり、この島で彼女に遺言の形で残された言葉でもある。
(ありえない。師匠の言葉が間違っているはずなんか、ない……!)
キノの眼前で笑う少女は、墓荒らしだ。
彼女は死人の尊厳を踏みにじり、死を悼む者も遺志を継ぐ者も冒涜する。
歯を食いしばり、キノは銃を握った。
それと同時に、墓荒らしが右手の人差し指を立て、キノに突きつける。
「一つだけ、無限の召喚から逃れられるかもしれない方法がありますわ」
墓荒らしを永遠に沈黙させようとしていた腕が、またしても停止する。
銀の瞳から垣間見える意思は、間違いなく善意ではない。
「どんな、方法ですか?」
かすれて震えた小さな声で、キノは口走った。
呪縛しようとするかのように、墓荒らしはささやく。
「主催者を討ち、『ゲーム』を台無しにすることですわ。そんなことをやれる規格外の
参加者を召喚したがるような、無謀な主催者なんていないはずですもの」
それは、キノの師匠が諦めた選択肢だ。
(最善の結末を、師匠は諦めた。諦めて、殺し合うしかないと思って、でもボクを殺す
ことができなくて、だから……ボクに殺されることを選んだ)
墓荒らしの言葉が垂れ流されていく。
「一人きりでは不可能なことですわね。仲間を集め、力を合わせ、共に戦わなければ、
きっと主催者は討てませんから」
キノの思考は止まらない。
(師匠はボクのために死んだ。師匠はボクと道を違えたから、ボクに自分を殺させた)
自分が唇を噛んでいるということに、キノは気づかない。
かつて見た光景が、キノの脳内で再生される。
『いいですか……?』
師匠の遺言が幻聴となり、キノの耳朶を打つ。
『キノ。必ず……必ず、最後まで生き残りなさい。どんな……ことを……しても』
記憶の中にはない言葉が、師匠の声で、さらなる幻聴となり継ぎ足される。
《私のように諦めてしまった者たちを殺してでも、自分と、仲間を、守りなさい》
苦しさを感じ、いつの間にか呼吸を止めていたことをキノは自覚する。
(そんな、だって、師匠は……!)
キノの頭の中で、過去が再演されていく。
駆け寄ってきたヴィルとイルダーナフに、師匠は言う。
『この子を……よろしくお願いしますね……』
師匠は笑っている。思い残すことなど何もないとでもいうように笑っている。
『最後は……この子のために……死んであげて』
再び、師匠の声で、存在しなかったはずの一言が追加される。
《この子のためになら死んでも構わないと思えるような、本当の仲間になってあげて》
息を吸い、吐き出して、己の心臓が脈打つ音を、キノは聞いた。
『愛していますよ、……キノ』
《だから、私のようにはならないでください》
記憶の中の言葉と、初めて耳にする言葉を、キノは幻聴として聞いた。
(師匠の言葉は正しくて、間違っていたのはボクだった)
襲って殺して見捨てて拒絶してきた参加者たちの顔が、キノの脳裏をよぎる。
(ボクがしてきた努力は、この場に即していなかった。間違えてしまっていた)
どんなに後悔しても、殺した相手を生き返らせることはできない。
幾人もの参加者たちに恨まれても仕方のないことを、キノはやった。
(ああ、どうしよう、どうすればいい? 涙を流して、謝って、罪を償う? 今さら
そんなことをしたって……でも、死ぬことだけは絶対にできない。死を受け入れたら
今までにボクのせいで死んだ人たちは無駄死にだと認めるようなものじゃないか。
それだけは駄目だ。師匠の死は無駄なんかじゃない。ボクは生きなければならない。
じゃあ、これから何をしたらいい? 誰でもいい、誰かボクに教えてほしい……!)
そして、まるでキノの願望を叶えるかのように、偶然、どこからか声が響き始めた。
『あたくしはこのゲームに宣戦を布告しました』
『手伝えとも言いません。逆らうなとも言いません。
頭を垂れるなら庇護してあげてもよろしい。
けれど、それはあなた達が決める事でしょう』
『あたくしは12の仲間達と共に生きて進撃しましょう。
あたくしはあなた達の道を縛りはしません。
あたくしがあなた達に求めた事はたった一つ』
『――あたくしのルールに従いなさい』
奪うな、喪うな、そして過つな。
もしも過ちを犯したならば、たとえ赦されずとも悔い改めて進め。
それが、宣告者の――ダナティアの定めたルール。
胸中から絶望が消えたことを実感し、キノは大きく息を吐く。
(……進むべき道が、やっと判った。さっきの放送を聞いて、決心がついた)
現在、キノとダナティアは敵対関係にある。
ダナティアは、自分と仲間を守るためなら、仲間の知人を殺すことさえできる女だ。
(殺人者が「謝りに来た」と言いながら現れた場合、罠だと思ったなら、ダナティアは
迷わず来訪者を殺す。ボクは、ダナティアもその仲間も信用できない)
冷静に、キノは状況を分析する。
(『ゲーム』に抗う勢力の中でも最大だと思われる集団が、ボクを敵だと認識した。
きっと、もう他の対主催勢力にも入り込めない。この島において情報は財宝よりも
効果的な贈り物になる。無差別に他者を害する危険人物の情報なら、なおさらだ。
ダナティアたちと情報交換した連中は、ボクのことを敵として扱う)
もはやキノは逡巡しない。
たった一つしか選択肢が残っていないなら、その道を往けばいい。
(ボクは最後の一人になる。そして、次回の『ゲーム』で仲間を集め、主催者に挑む)
悔い改めて進むために、奪うことも喪うことも過ちを犯すこともキノは厭わない。
(さぁ、どんなことをしても生き残ろう。この場に即した最大限の努力をしよう)
決意を実践するために、まずキノは“利用すべき障害”の顔を見た。
(この墓荒らしには、まだ生きていてもらいたい。他の参加者たちと相討ちになって
くれないと困る。弾薬には限りがあるんだから、無駄遣いは避けないと)
知られても問題ない情報は偽りも隠しもせずに教えよう、とキノは決めた。
墓荒らしは、雲の切れ間から漏れる月光を見上げ、言う。
「さっきの派手な演説について、感想があれば聞かせてもらえませんかしら?」
「あの決意が本物だとすれば……頑張ってほしいですね」
ダナティアたちを狙う殺人者たちには、という部分を伏せて、キノは答えた。
○
夜空を見上げ、淑芳は思う。
(わたしとは正反対の道を往きますのね。それでも、目的は同じですの?)
雲の切れ間からは、光が射している。
(だとすれば、気をつけなさい。ここは蠱毒の壷の中……いわば『世界』は偽物で、
悪意に満ちた壷中天のようなものですわ。あなたたちが獲得したその光も、所詮は
主催者の用意した灯明でしかありませんのよ)
上空の『月』は、淑芳の故郷に浮かぶ月――太陰星君のいる太陰宮――とは違う。
(偽物の光を手にしただけでは、アマワを討つことなどできませんわ)
淑芳は、復讐のための道具として、ダナティアたちも利用すると決めた。
(託すべき情報を記し終え、わたしがあなたたちに殺されに行くときまで……待って
いなさい、ダナティア・アリール・アンクルージュ)
禁止エリアの位置を把握できなければ、目的地への旅路は賭けの連続となる。
何よりも必要なのは、情報だ。
淑芳は、小柄な遭遇者の顔を見る。
(無限の『ゲーム』についての仮説に加えて、参加者による『ゲーム』への宣戦布告を
知った今なら、わたしへの殺意は薄れているでしょう。他の参加者から信用される
ため、とりあえず“生存中の要注意人物に関する情報”を贈り物として使いたい、と
考えるはずですから。“とある死亡者が要注意人物だったという情報”では、あまり
重要性が高くない上に、信憑性も低めに見積もられてしまいますものね)
判りやすくて倒しやすそうな“共通の敵”がいれば、他者との共闘は意外と容易い。
今後も淑芳が悪趣味に行動し続けていた方が、ここにいる遭遇者にとっては好都合だ
ということになる。
「情報交換しませんか? 面白そうなことを教えるなら、相応の情報を見返りとして
提供してあげても構いませんわよ」
いかにも邪悪そうな微笑みを浮かべながら、淑芳は言い放った。
○
情報交換は、平和的に行われた。
「あなたには、守るべき相手がいますか?」
「今は、いません。背中を預けて戦うべきだった人たちは、この島で死にました」
様々なことが語られた。
「実は、もしも答えがつまらなかったら、今ここで殺そうと思っていましたの」
「……そうですか」
第二回放送について。
「聞き逃したんですか?」
「本当は聞き逃してなんかいなくて、あなたの正直さを試しているだけかもしれません
けれどね。嘘をついたらどうなるかは……判っていますわよね?」
第三回放送の冒頭部分について。
「どうして途中までしか聞けなかったんですか?」
「無粋な輩が襲ってきたせいで聞き逃しましたの」
殺人鬼・零崎人識について。
「さっき言った通りの容姿ですが、服は着替えているかもしれません。会わない方が
いいと思いますよ」
「つまり、『捜して殺し合って相討ちになってください』と言いたいわけですわね」
この島にはいないはずの誰かを捜す、片手が義手の青年について。
「突然、銃を撃ってきましたの。その瞬間までは殺気なんて少しもなかったのに」
「…………」
見つけたときには既に殺されていた参加者たちと、その死因について。
「胴体を両腕ごと切断、ですか。つくづく非常識な島だ」
「やはり、市街地は殺人者に狙われやすいんでしょうね」
話題は、当たり障りのないものばかりだった。
「最後に、忠告してあげましょう」
「……聞いておきます」
「誰かを守るために戦う者を、わたしは高く評価していますわ。自分自身のためだけに
戦う者は、己の死を悟った瞬間に抵抗をやめてしまいますから面白くありませんの。
いずれ再会したときにあなたが優勝を目指していたら、興醒めしたわたしは、かなり
不機嫌になるでしょうね。悲惨な死に方をしたくなければ憶えておきなさいな」
「とても、参考になりました」
結局、双方とも自己紹介をしないまま、参加者たちは別れた。
【A-1/島津由乃の死体のそば/1日目・21:55頃】
【キノ】
[状態]:冷静/体中に擦り傷(処置済み/行動に支障はない)
[装備]:懐中電灯/折りたたみナイフ/カノン(残弾4)/森の人(残弾2)
/ヘイルストーム(残弾6)/ショットガン(残弾3)/ソーコムピストル(残弾9)
[道具]:支給品一式(うち一つはパンと懐中電灯なし)/師匠の形見のパチンコ
[思考]:潜伏先を探し、そこで荷物を整理して、しばらく使わない物は隠しておきたい
/最後まで生き残る(人殺しよりも保身を優先)/禁止エリアの情報を得たい
/零崎などの人外の性質を持つものはなるべく避けるが、可能ならば利用する
[備考]:第三回放送を完全に聞き逃しましたが、冒頭部分の内容を教わりました。
【李淑芳】
[状態]:精神の根本的な部分が狂い始めているが、表面的には冷静さを失っていない
[装備]:懐中電灯/呪符(30枚)
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン4食分・水800ml)
[思考]:外道らしく振る舞い、戦いを通じて団結者たちを成長させ、アマワを討たせる
/役立ちそうな情報を書き記し、託せるように残す
[備考]:第二回放送を完全に聞き逃しましたが、すべての内容を教わりました。
第三回放送を途中から憶えていません。『神の叡智』を得ています。
服がカイルロッドの血で染まっています。契約者ではありません。
『君は仲間を失っていく』と言って、アマワが未来を約束しています。
※キノの状態表の道具欄に表記ミスがありました。
[道具]:支給品一式×4(うち一つはパンと懐中電灯なし)/師匠の形見のパチンコ
上記が正しい道具欄です。申し訳ありません。
保守
保守
h
なんでコテになってんだwww
257 :
イラストに騙された名無しさん:2007/05/08(火) 02:52:51 ID:svbwdTEg
hosyu
ほ
「しっかしボロい学校だなー。ここなんか床が潰れてぐちゃぐちゃになってるぞ」
「激しい衝撃による倒壊。地下に空洞部分があったと推測される」
食事を終えた後、わたしと匂宮出夢は校内の探索を開始した。
戦う術を持たない古泉一樹がいずれここを訪れることを考慮して、できる限り危険を排除しておきたかった。
また、既に彼がここを訪れており、何か手がかりを残している可能性もある。
校舎内は静かだった。たまに彼女が状況について感想を漏らす以外は、二人とも無言で歩を進める。
前方を行く彼女は公園を散歩するような足取りだが、その所作に隙はない。
匂宮出夢の意図は、未だによく掴めていない。どうして今のわたしに協力してくれるのか理解できなかった。
そのためか、倉庫で彼女に止められたときから新たなノイズが生まれていた。
仲間の死亡によって発生したものとは別種のエラーだったが、消去できないのは同じだった。
この場に拉致されてから、状態は悪化の一途を辿っている。事態の打開に一歩も踏み出せていない。
『この愚かしいゲームに連れてこられた者達よ』
行き詰まる思考回路に女性の音声が届いたのは、三年の教室を調べ終えた後だった。声から一拍遅れて、わたしと彼女の足が止まる。
十一時に響いたものと同じ、拡声器に類するものを使用した放送だった。途中で銃声を挟みながらも、演説は続いていく。
『――あたくしのルールに従いなさい』
窓から覗く闇の一点に光が灯った後、声は途切れた。周囲がふたたび静寂に包まれる。
匂宮出夢が振り向き、目が合った。わたしはただ瞬きを返す。
「ま、今の僕たちには関係ねーな」
「そう」
それだけ言うと彼女は前を向き、歩みを再開した。放送内容を記録した後、わたしもそれに習う。
あの放送は、主催者とそのの意に従う者への宣戦布告だった。特に後者を挑発し、おびき寄せて処分する意図が見て取れた。
積極的に仲間を集めることをせず、代わりに意志と力を過剰なまでに誇示した点から殺人者の罠である確率は低いが、危険がゼロだとは言い難い。
この場で初めて出会った者同士が大半であろう十二人もの大集団が、一日も経たないうちに確たる結束を持つことは不可能だ。
内紛の発生は充分に考えられる。今回の放送の実行も、スムーズに決定されたとは考えがたい。
よって、接触の是非は次の放送如何で決定することにした。現在の優先事項は学校での待機及び探索に変わりない。
ただ、懸念事項が存在しないわけではない。
「あーでも、古泉の方がそのマンションに行っちまうかもしれねぇな」
「それはない。わたしを探しているであろう彼は、こちらの思考を推測して、この場は慎重に様子を見るはず。
問題は、彼が元からあの集団の中にいるケース」
十二人もの人間すべてが戦える状態にあるとは考えづらい。何人かは負傷者や非戦闘者だろう。
その中の一人が、彼である可能性はあった。
「その場合、古泉からここのことを聞いて斥候の一人くらい送ってきてくれるんじゃねーか?
閉鎖空間なんて怪しいもの、うまく使えば主催者に対抗できる力になりそうだしな。
……結局どこにいるにしろ、僕らと合流するまでの間、古泉が無事でいてくれるかは賭けになるが」
「そう、変わりない。だからこのまま」
口を動かしながらも、互いに歩みは止めていない。
行動方針が確定されたときには、一年の教室が並ぶ廊下に辿り着いていた。
「本当にあっちにいた場合、仲間の大半が僕みたいな温厚な人間であることを祈るしかねーな……と、ここら辺か?」
先行する匂宮出夢が教室に足を踏み入れ、辺りを見回し室内を探る。一番端の四組の教室だった。
先程訪れていた保健室前と同じく、この一年の教室周辺にも致死量に及ぶ濃い血の臭いが充満していた。
建物内に生体反応はないため、激しい戦闘跡か死体があるのだろう。わたしも教室へと足を踏み入れようとして、止まる。
匂宮出夢が入り口を塞いでいた。平時とは違い、苛立ちを含んだ無表情で前方を睨んでいる。
その反応に疑問が生まれ、彼女の身体を少し押しのけて奥を見ようとする。
彼女は抵抗しなかった。ただ、苛立ちが消えてこちらを気遣うような表情になる。
その理由は、すぐに知れた。
彼女の視線の先、教室の真ん中当たりにある机に、血まみれの“彼”が俯せになって座っていた。
○
雨を吸った花壇の土は、予想通り柔らかかった。
情報結合を解除すれば一瞬で完成する穴を、匂宮出夢の手助けも断り、両手の力だけで淡々と掘っていく。
彼女には引き続き学校内の探索を依頼していた。今この場に存在しているのはわたしと、彼の遺体だけだった。
埋葬という行為に合理的な意味がないことは理解していた。
本来の力も使わずに、今やただの肉塊でしかない彼だったものを、ただ時間を浪費する行為にしかならないにもかかわらず、彼の遺体を視認した際に発生した多大なノイズがわたしの行動方針を歪め――いや、認めよう。
わたしは、わたしの意志で、彼を埋葬したいと思った。
過去未来の自分との接続を禁止したときや、彼にふたたび図書館に行きたいと告げたときのように、自覚を持ってこの行動を取っていた。
理由を質せばノイズが発生した。時間の無駄だと責められれば否定できない。自己満足でしかないとは理解していた。
それでも彼、ひいては彼らとの記憶が、わたしにインターフェースとしてあり得ない行動に走らせている。
文芸部室で本を読むだけの日常。
ごくまれに、紙面から目を離して周囲に視線を向けるときがあった。誰も気づくことはない、意味のない行為。
眉間にしわを寄せ、いつになく真剣な目つきで茶を沸かす朝比奈みくる。
一面黒の盤面を見て苦笑を浮かべ、白の駒を摘みつつ長広舌をふるう古泉一樹。
それに悪態をつくも、まんざらでもなくゲームを続ける彼。
そこに勢いよく扉を開け、満面の笑みで新たな活動を語る涼宮ハルヒ。
唐突な声に驚いた朝比奈みくるが、運ぼうとした茶をこぼす。
古泉一樹は苦笑を濃くするも、真っ先に肯定意見を述べる。
そしてあきれ果て、彼女の言葉の子細一つ一つに律儀に彼が反論する、
そんな光景は、もう二度と戻らない。
思い至った瞬間、かつてないほど強いノイズが走った。
身体がふらつき、大地に手をつこうとしてバランスを崩し、掘った穴に落ちる。
土の上を転がり、わずかな月明かりが漏れる空が視界に映る。視線を少しずらせば、横たわる彼の身体が上方にあった。
ふと、ノイズが非論理的な思考を生んだ。
少し前までのわたしは、穴の中にいるようなものだったのかもしれない、と。
わたしは涼宮ハルヒが原因で生じた様々な事象を、一歩引いた視点で観測できる力を持っていた。
ゆえに頼られ、助ける立場にあった。干渉は最低限に抑え、常に一歩引いた、隔絶した場所から彼らを眺めていた。
しかしいつしか、その見ているだけの輪の中に、たった一歩だけでも近づいてみたいと思うようになった。
それがきっと、一番最初のノイズ。
――そこまで考えて、やっと気づいた。
わたしはノイズを消せないのではない。消したくないのだ。
たとえそれが、インターフェースとしてのわたしの行動に支障を来たし、暴走する可能性を内包するものであっても。
彼らとの日常の中で生まれた、このエラーの集積を、わたしは失いたくなかった。
ゆっくりと起きあがって穴から抜け出すと、入れ替わるように彼をそこに運んだ。
彼は既に、死と言う概念によって隔絶されている。そう理解できていても、ノイズが収まることはなかった。
その上に土を被せる前に、デイパックから涼宮ハルヒのバニースーツを取り出し、彼の胸元に置いた。
彼の遺体は、教室の上から三番目、左から四列目の席に座っていた。彼の入学当時の座席――彼が涼宮ハルヒと出会った場所だった。
そこから始まった非日常の面影を求めて、彼はここに辿り着いたのだろう。もう一度あの生活に戻るための意志を、確立するために。
わたしはその思いに答えられなかった。一番彼らを守れる力を持つわたしが、できなかった。
その事実を思考に刻みつけながら、彼を大地に埋めていく。土を運ぶ腕の動きは、先程よりも鈍かった。
瞼が閉じられた顔も見えなくなると、手を合わせる代わりに、彼の名前を呟いた。
最初で最後の呼びかけに、当然返事は返ってこない。
ノイズの欠片が一粒、土に落ちて消えた。
○
埋葬を終えると、時刻は既に零時直前になっていた。
彼のいた教室に戻ると、匂宮出夢が教壇の上に足を組んで座っていた。
「済んだか?」
問いに、わずかに首を傾けて答える。
「そうか」
彼女は短く返して教壇から降りると、彼の座っていた机へと向かう。
血まみれの椅子と机を一瞥した後、こちらに視線を戻す。
「背後からナイフで一撃。躊躇った跡も抵抗された跡もなかったな。苦しまなかったと思うぜ」
「……そう」
「確実に僕の同類だ。ゲーム開始直後から殺ってるとこを見ると、相当腕に自信があるらしいな。
他に何かわかるか?」
「血溜まりに落ちていた彼のデイパックの下に、黒い毛髪が一本確認された。DNAなどの情報を登録済。
また、デイパックの中の醤油瓶に彼以外の指紋が一種類付着。こちらも記録した」
「ぎゃははは! すげーな、一人科捜研か?
――で、どうすんだ? 別れは済んだが、蹴りはついてねえだろう?」
普段よりもどこか乾いた笑い声を響かせた直後、彼女の表情から笑みが消えた。
年相応の無邪気さは微塵もなく、倉庫で見せたものと同じ鋭い視線をわたしに向けている。
「どうする、とは」
「依頼を受けてやるって言ってんだよ。僕の職業忘れたか?
そこまで調べといて、まさか何もしないってわけじゃねえだろ?」
「……あなたは元、と言った。ならば今は無職のはず」
「無職ってストレートだな。もっと言葉飾れよ」
「ニート?」
「……おねーさん、いつから戯言遣いになった?」
意味がわからず小首をかしげると、彼女はため息をついた。
そしてわずかにこちらから視線をそらし、
「確かに僕は殺しに疲れた身で、こんなとこでも一日一時間と言わず一分一秒でも面倒で殺りたかねえ。
だが……あー、何つーか、苛々すんだよ。別に理澄と重ねてる訳じゃねえってのに……くそ、面倒見がいいにもほどがあるんじゃねえか?」
しばらく自問自答を繰り返した後、改めて彼女はこちらに向き直る。
「とにかく、今さら探し人がもう一人――いや、他の仲間の下手人も入れれば三人か? まぁ、その程度増えても問題ねえよ。もうとっくに死んでる可能性もあるしな。
報酬は、ほっぺにちゅー程度で許してやっからよ」
朱唇を吊り上げ、白い歯を覗かせた笑みを浮かべて彼女は告げた。
わたしは記憶野に焼き付けた彼の最期を思い出しながら、彼女の背後にある窓を見た。
夜闇に映る自分の表情は、平時と同じ感情を伴わないものだった。ただわずかに、本当にわずかに怒りのようなものが見て取れた。
あるいは、それは憎しみと呼べるものなのかもしれない。
現在のわたしはそれに呑まれて暴走することさえ、どこかで望んでいるのかもしれない。
しかしどちらにしろ、答えは変わらなかった。
「おねがい」
【D-2/学校内・一年教室/2日目・00:00】
『生き残りコンビ』
【匂宮出夢】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品一式・パン3食分・水1250mm)
[思考]:長門と共に古泉の捜索。多少強引にでもついていく。
生き残る。あまり殺したくは無いが、長門が仇討ちするなら手を貸す
【長門有希】
[状態]:健康
思考に激しいノイズ(何かのきっかけで暴走する可能性あり)。
僅かに感情らしきモノが芽生える
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品一式・パン4食分・水1000mm)、ライター、豆腐セット、醤油のボトル
[思考]:出夢と共に古泉の捜索及び情報収集。
仲間を殺した者に対しての復讐?
[備考]:相良宗介の毛髪と指紋から得た情報を記憶している
思い至ったのは城門から結構過ぎたあたりだった。
「そうね」
死体を振り返り、ふむとカーラは顎をなでる。
「調べるにはやはり試料がいるわ」
その場でくるりとターン、遺体のもと、城門の方へと戻る。体が軽いと風まで心地いい。
城門をくぐり、再び中へ。
ひどく無駄なことをしている気がするが、まぁ、必要なことなので目を瞑る。
身体を持ってみると、いかに時間の感覚をなくしていたかが良くわかる。
無造作に、ドアを開けた。咽返る血の匂いに辟易しながらもベッドへと向かう。
しかし、そばに立ってみると存外に損壊が酷い。
体中に穴が開いたそれは使われた得物がわからない。傷の位置関係を見ると矢傷に近いが、
「背中側のほうが酷いわね、未知の射撃武器といったところかしら。ああ、これが銃器の傷というものね」
終や祐巳の記憶を呼びおこす。なんにせよ、この体、この反応速度ならたいした問題にはなるまい。
むしろ血が流れきっているのは僥倖だ。保存も効き、なにより‘作業’がしやすい。
さて、と彼女はおもむろに遺体の前に膝をつき、その腕を検める。
穴の開いた袖を引きちぎった。白い肌と、刻印が露出する。
「死後も残るようね、さて、どこまですれば運べるかしら」
少し冒険になるがアナライズエンチャントメントをかける。
調べるのは刻印がどこに根付いているかという点。
詳細を調べることもできるが、やらない。
この手の呪文は核心に近づくほど抵抗が強くなり失敗の可能性も出てくる。
何よりそれを理由に発動されては目も当てられない。
呪文を紡ぐ声がかすかに震える。
『彼』や十叶詠子の口ぶりからするに大丈夫だとは思うが、それでも十分危険な行為だ。
「魂? いや肉体も含まれてる?」
判明した全体のイメージとしては肉体から魂のあるべき場所まで貫通する枷の針といったところ。
これならば例えば死や“幽体離脱”などで魂が肉体が離れていてようとも、霊的に地続きな刻印はしっかり機能を維持しする。
『彼』が指を弾けば、その刻印は問題なく発動する。
悔しいが良くできている。
少女の顔に似合わぬ笑みがのぞいた。
しかし、だからこそ、持ち運ぶごときでは壊れない。
「失礼するわね」
呟いて、死斑の浮かぶ皮膚に指を沿わせ、わずかに力をこめた。
――チキ、チキチキキ
引き伸ばされた爪を寝かせて、剥ぎこそぐ。
生きた肉とは異なる感触が、腕にしみるようで気持ちが悪い。
刻印はあいも変わらずそこにあった。
「腕ごと千切れば持ち運べるかしら」
腕を持ち直し、今度は二の腕の半ば当たりに、もう一度爪を立てた。
まだら模様の皮膚を破り、硬くなった肉を毟る。
あらわになった骨を、
「ん」
捻る。
わずかな手ごたえを残して、もげた。
果たして刻印は彼女の手の中、もぎ取った腕の上に浮かんでいる。
うまくいった。
うなずいて、紙で傷口を包みディパックにしまたが、裸のままで持ち歩くのはいささか気が引ける。
清潔な布も出来ればいいので探しておこう。
血漿と肉片を払う、服も出来れば変えたほうがいいかもしれない。
そんなに時間をかけたつもりはなかったが、城門をぬけて見上げれば空は綺麗に晴れ上がっていた。
月は無い。並びの異なる星星が所在なく輝いて見えた。
いつまでも惚けてはいられない。
「ほかにも埋葬されてない死体があるといっていたし、もう2,3本用意出来るといいけど」
埋葬されたものは避けたい、傷に土がついた死体は腐敗が早い。
つぶやいて、先ほどのダークエルフとの会話を思い返す。
城の周りには死体しかない。
つまりは探せばあるということだ。
さて、彼女の目標のひとつに火乃香の殺害がある。すべてはロードスの安定のため。
神の恵みである身体を捨て、信仰という名の心を捨てても守りたかったもの。
カーラはわずかに遠くに立つ影をじっと眺めた。
城から出てから結構経つ。
ゴーレムで作ったと思しき家の解析や地下遺跡の調査で不本意に時間を食ったが、この出会いのためと思えば納得できる。
焦りはない。
ただ体のポテンシャルが高いからか、この少女がもともとそういう気質なのか、目標を前にしてはやる心があった。
敵は3人。見た目では火乃香と赤い髪の男が前衛。
お下げの少年が後衛といったところだろう、ワンドや弓の類は持たないので、おそらくはプリーストか精霊使い。
「いえ、ここではその区別は捨てたほうがいいわね」
つぶやき、じっと観察する。まずは見極めることからだ。
彼らは街路樹に何かをくくりつけていた。お下げの少年と赤い髪の男があーでもないこーでもないと騒いでいる。
冷静に、油断を排して、精神力を消費しても“隠身”を張っておく。
と、張ると同時に彼女達が動いた。道をはずれ、倉庫のほうへと向かっていく。
なるべく気配を殺して、街路樹に駆け寄る。
白い、透明な袋がつるされていた。
ご丁寧にも懐中灯が入っていて、非常に目立つ。
“魔力感知”で調べるが特に呪いの類は見当たらない。
罠の気配は、無い。それでも慎重に、封を切る。
それはメモの束だった。全部で10枚ほど。
彼女たちの背中を眺め、ため息一つ。
ご苦労なことだと思う。これだけ書き写すのにもだいぶ時間をかけたのだろう。
「さて、それだけ価値のあるものなのかしら」
メモは5枚の連番が2セットといったものだった。めくれば1から5のナンバーが繰り返す。
改めて、内容に目を向けて、カーラは思わず顔をしかめた。
まずもって書いてることが理解できない。
やたらに記号が並んでいる、形態としてはラーダ信者の学術書に似たものがあったが意味がわからなければ同じこと。
眉をしかめて次のページへ。
今度はさまざまな図形。論理回路やら構成やらと書かれているが、カーラが持つ知識の近くで言えば魔法陣の解析図のようなものだろう。
もうコレが何なのかは想像がつく。刻印の解呪法だ。
天秤は圧倒的に傾き始めた。
潜り込むなら、今だ。刻印の解除を成し、『彼』との対決の場を用意し、相打ちにさせ、もしくは生き残ったところを仕留める。
残りも流すようにめくっていき、ふと既視感をおぼえておもむろに一枚を手に取った。
「“鍵開け”のようで……“解呪”かしら?」
ここらへんに知識が無いのだろう。記述に無駄が多い、精霊魔法を上位古代語で行っているようなものだ。
あるいは、そういう形態の魔法なのかもしれない。たしかに無駄が多いが、その無駄は隙間なく、緻密で、体系が建っている。
が、完全に無関係なところがあるのはいかがなものか。
“分解”に近い術式はわかる、おそらくこれが‘首輪’だ。しかし、
「どうみても“読解”と“言語理解”ね」
解除式になぜこれらが要るかがわからない。
書き込み具合からしてむしろ手をもてあましてる感すらある、となると。
「これは刻印の機能……」
考えてみれば当たり前な話だ。異世界の人間で話が通じ文字が読めるほうがどうかしている。
「わかっているのかしらね、この事」
刻印はただ解除すればいいものでもないようだ。管理者も馬鹿ではないということだろう。
他にもゲーム進行のための、参加者に不可欠な機能が無いとも限らない。
もう一度彼女たちのほうを見た、倉庫のわきを抜け、C-4へと入っている。
おそらくこれから向かうのだ。演説につられてのこのこと。まったくもって賢いのか馬鹿なのか。
しかし、困ったことだ。
「同行や追跡は、危険ね」
ダナティアのいる集団には近づきたくない。まだ集団に対する情報も対策も十分でない
演説の内容自体には不都合はなかった。むしろ結束し主催者を倒してくれるなら御の字だ。自分は火乃香という少女を消すことに終始すればいい。
やるべきことは変わらない。刻印を解除させ、相打ちに持っていく。
だがカーラは彼女たちの輪には入れない。集団に接触すれば少なくともこの体は取り上げられるだろう。そうなれば彼女を殺せない。
つまり、もし接触するの見逃す場合、彼女達との協力体制は諦めることになりかねない。
カーラは黙考する。
繰り返すが、それでも別にかまわないはずだ。
落としどころは必ずある。幸いこの3名に限って言えばまだ若い。
情報を集め対策を立てる、言いくるめる余地はある。
そして協力しなくとも相打たせるに不都合はない。参加しなくとも刻印の解呪に手をかす手立てもある。
相打ちが望めない場合でも彼女に刻印解除の知識はないのだ。ほかに『神野陰之』打倒の目があるなら、消してしまっても刻印解除に影響はあるまい。
天秤は釣り合っている。ならば放置するべきだ。まだ決定的な状況には持ち込むべきでない。
最後の手段になるが、わざとこの少女を殺させて、その後に本人を乗っ取り、そして『彼』を倒した後やはり誰かに殺されてもいい。
手はいくらでもある。天秤を傾けるには早い。
こちらはもう一つの切り札、魂砕きや他の情報収集を優先しよう。
大切なことはロードスの安定。『神野陰之』と火乃香を始末すること。
「最上は集団が何者かの襲撃を受けて崩壊するか、乗っ取れるまでに弱体化し、しかる後に私が彼女達と接触すれば」
ありえない可能性の話だ。よほどの“偶然”がなければそうは行かないだろう。
魔法で印だけつけておき、残りのメモを街路樹に戻す、懐中灯の光から逃れるように離れる。
星明りに目を細めカーラは暗がりの中へと消えていった。
☆★☆
(情報制御反応、ロスト)
I-ブレインが敵の離脱を告げる。
後ろを振り返る、街路樹のそばには相変わらず影も見えない。
「行った、みたいだな」
「だね」
少女が、ヘイズに額を仄かに輝かせて同意した。
「アレぐらいわかりやすかったらいいんだがな」
コミクロンもお下げをもてあそびながら背後を確認する。
ヘイズは苦笑した、ヘイズもコミクロンもどちらかといえばあからさまな情報制御の使い手だ。
世界には物質としての側面と情報としての側面がある。
魔術・魔法というものは、なべて情報側からのアプローチだ。
書き込むためのプログラムこそ持たないものの、ヘイズとてポート持ちの魔法士。
あれほど露骨な情報制御を行われては気付かずにはいられない。
「メモに興味持ってくれたようだし、その気があるなら向こうから接触するだろ」
そう締めくくって、先へと進む。
が、一人火乃香が立ち止まった。
「どうした、早速戻ってきたか?」
怪訝そうにたずねるコミクロンに、火乃香は首を振った。
「いやそうじゃなくてさ、覚えてないかな?」
いい難そうに笑いながら、頬をかく。
「昼間にね、登ってみたのよ、あの木さ。シャーネは登ってこなかったけど、楽しそうにしてた」
そういって、二人のほうへと向き直った。立ち止まる二人を追い抜てすすみ、
「んで、すぐにあんたら二人が襲ってきた」
振り返っていたずらっぽく笑う。
「ただの感傷だよ。行こう」
そして彼女は前へと歩きだした。
ヘイズもコミクロンも、苦笑してついていく。
「あ」
唐突に、再び火乃香が立ち止まる。
「なんだ、今度は?」
「いやさ、ふと思ったんだけどさ。あれ、見られちゃまずいんじゃないかな?」
誰にとは言わない、言ったらまずいし、確かにまずいかもしれない、見られたら殺されるかもしれない、管理者達に。
「……回収しとくか、ヴァーミリオン」
「だな」
誰も反対はしなかった。
【F-5/街道/1日目・22:20頃】
【福沢祐巳(カーラ)】
[状態]: 食鬼人化
[装備]: サークレット、貫頭衣姿、魔法のワンド
[道具]: ロザリオ、デイパック(支給品入り/食料減)
腕付の刻印×3(ウエイバー、鳳月、緑麗)
[思考]: フォーセリアに影響を及ぼしそうな者を一人残らず潰す計画を立て、
(現在の目標:火乃香、黒幕『神野陰之』)
そのために必要な人員(十叶詠子 他)、物品(“魂砕き”)を捜索・確保する。
[備考]: 黒幕の存在を知る。刻印に盗聴機能があるらしいことは知っているが特に調べてはいない。刻印の形状を調べました。
【E-4/倉庫脇/1日目・22:20頃】
【戦慄舞闘団】
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:有機コード、デイパック(支給品一式・パン6食分・水1100ml)
船長室で見つけた積み荷の目録
[思考]:様子を見に行く。ただし慎重に。 メモの回収
[備考]:刻印の性能に気付いています。ダナティアの放送を妄信していない。
【火乃香】
[状態]:健康
[装備]:騎士剣・陰
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:様子を見に行く。ただし慎重に。メモの回収
【コミクロン】
[状態]:右腕が動かない。
[装備]:エドゲイン君
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1000ml) 未完成の刻印解除構成式(頭の中)
刻印解除構成式のメモ数枚
[思考]:様子を見に行く。ただし慎重に。 メモの回収
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着ています。
[チーム備考]:火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
解除メモのうち数枚に魔力の目印がついています。“物品探知”等により位置バレの可能性があります。
[チーム行動予定]:EDとエンブリオを探している。刻印の情報を集める。
大集団の様子を見に行く。ただし慎重に。 このあと 540 大崩壊/ユートピア(美しい国)へと続きます。
保守
捕手
調査結果をまとめ終えると、淑芳は死体を埋め直した。
小柄な少女を容れていた穴は小さく、すぐに終わった。少しの間黙祷を捧げると、泥まみれになった手を軽く払う。
(ここにも長くはいられませんわね)
先程出会った参加者との会話を思い出しながら、出立の準備を進める。
似たようなことを考えてここを訪れる参加者が、彼のように話が通じる者ばかりだとは限らない。
他の参加者に託せる情報を記す前に、残りの禁止エリアを知って逃亡経路を確立させておきたかった。
アマワを倒せる者に殺されるなら本望だが、それ以外のために無駄死にする気はない。
ゆえに、ふたたび南に向かうことにした。
F−1地下の格納庫に存在する玻璃壇は、参加者の動きを逐次表示している。
先程の演説を受けて島中央へ向かう参加者は多いはずだ。彼らの移動経路を観察すれば、ある程度危険な区域の見当がつくかもしれない。
F−1地上の遊園地で襲撃した二人組も、さすがに立ち去っている頃だろう。
(F−1までの道が安全だとは限りませんが、ここで立ち往生するよりはましですもの)
少なくとも、F−1自体はまだ禁止されないはずだ。神社が離れ小島になってしまうし、わざわざ設置した装置をすぐに使用不可にするとは思えない。
両袖の中の符を改めて確認した後、淑芳は南に向けて歩き出した。
異変に気付いたのは、遊園地の東端辺りを歩いていたときだった。
(これは……なんでしょう?)
奇妙な音が、東門の方から聞こえてきた。
音量が大きくなるにつれ、電灯らしき光もこちらへと伸びてくる。
袖の中に手を入れて身構えつつ正体を“神の叡智”に聞くと、即座に答えが脳裏に浮かんだ。――バイクの排気音。
そもそも“バイク”すらわからず再度質問すると、半自動で動く二輪車に乗った誰かが、こちらに向かっていることがわかった。
ライトの光量が強くなるにつれ、排気音は収まっていった。轢き殺されるという最悪の事態は免れたらしい。
(できれば先程のように情報を得たいところですわね。殺人者ならば、容赦する気はありませんが)
袖から手を抜き、表面上は平静に見えるよう表情をつくる。
やがて排気音が完全に止まると、小柄な人影が灰の大地に降り立った。バイクを傍らの木に立てかけた後、ライトに背を向けて淑芳と向かい合う。
「よぉ、ちっと聞きたいことがあるんだが、いいか?」
人なつっこい笑顔で呼びかけたのは、顔面に入れ墨を施した、右手に大きすぎる鋏を持った少年だった。
「……名乗りもせずに問いかけるなんて失礼ですわよ。
それにそんな凶器を見せつけたまま、まともな会話ができるとお思いですの?」
気さくな態度で話しかけても、返ってきたのは冷淡な声だけだった。
不信感を隠そうともしない少女に対し、しかたなく零崎は“自殺志願”を地面に放った。
「すまんすまん。俺は零崎人識っつーんだが、そういうお前は?」
「李淑芳です」
素直に名乗った後近寄ろうと足を踏み出すと、銀色の眼が鋭く細められた。
「冷てえなー。俺は殺し合いなんてしてねえってのに。武器も潔く手放しただろ?」
「得物がなくとも人を殺せる人間なんて、ここでは珍しくもありませんわ」
「それならそっちの方が怪しいだろう? 凄い返り血じゃねーか」
「わたしが乗っているか否かを証明する必要はないでしょう? 用があるのはあなたの方なんですもの」
明確な悪意を込めて少女は笑んだ。初っ端から面倒な人間に当たってしまったらしい。
確かに彼女の動向自体は質問には関係のないことだったが、本題に入れなければ意味がない。
「蛍光ペンだねぇ」
考えあぐねていると、後方から声が響いた。
突然の第三者の介入に、彼女は驚き身構える。
「あー、あのバイクはエルメスっつってな、よくわからんが喋るんだ。……平行線?」
「そうそれ」
「…………」
種明かしをしても、余計疑念が高まっただけだった。
「……ひょっとして、その荷台の塊にも意思があるんですの?」
「お、よくわかったな」
『よろしく ね』
頭部らしき部分をゆっくりと起こし、草の獣が挨拶する。
ついでに長い身体も持ち上げて、何かをねだるようにこちらを見つめる。
『ぜろざき おみず』
「またか? しょうがねえなぁ」
「燃費悪いねー」
佐山達と同行していたときも、草の獣は高い頻度で水を要求していた。佐山曰く、代謝能力が制限されているらしい。
しかたなくデイパックをその場に下ろしてペットボトルを取り出し、エルメスの方へと向かう。
頭部に直接中身を開けると、その身体が揺らめき草葉がさざめいた。
『つめたい けど いいかんじ』
「ただの水道水なんだが、意外といけるよなー」
かけた水が身体を通って地面に落ちた後、零崎はボトルの栓を閉めた。
それを持って元の場所へと戻ると、なぜか呆れた表情を見せる淑芳と目が合った。
「……傍若無人って言葉、ご存じですの?」
「いきなりなんだよ? いくらなんでもそれくらいは知ってるぜ」
答えると、彼女は深い溜め息をついた。
「それで、結局質問はなんですの?」
「お、やっと信用してくれたか?」
「聞くだけで答えるとは言ってませんわよ? ただあなたとまともに取り合うのが馬鹿らしくなっただけですもの」
「ひでえなぁ。まぁ、聞いてくれるだけいいか。
お前は坂井悠二って言う高校生くらいの奴か、名前は知らんが義手のオッサンの知り合いか?」
やっと言えた本題に、彼女は眉をひそめる。
「知っていたら、どうなるんですの?」
「そいつらを殺した奴が、今俺らの仲間になっててな。知り合いがいたらそいつの前で謝らせたいんで、一緒に来て欲しいんだよ」
そう佐山は言っていた――と、胸中で付け加える。
その二人を殺したのは、他でもない零崎自身だった。二人とも特に理由もなく、いつもの調子でただ殺した。
佐山は――自分を敗北させた上に仲間になろうなどと傑作なことを言ってきた人間は、それを咎めて被害者との和解を画策している。
しかし一度は失敗し、殺意をむき出しにされて追いかけられた。自分としては充分に謝ったつもりなのだが、うまく伝わらなかったらしい。
それを反省し、今度は最初から彼の仲立ちの元で話し合うために、まず被害者を倉庫に連れてくることとなった。
「さっきの演説と似たようなことを考える奴がいてな。全員をまとめ上げて主催者に立ち向かいたいんだとよ」
「その仲間のいる場所と、殺人者の名前は?」
「どっちも言えねえな。
名前だけ凶悪犯として知ってる奴だったら、先入観に囚われるだろ?
それに場所を知った途端、俺を振り切って暴走されたら困るからな」
どちらも佐山が用意しておいた反論だ。
零崎自身が殺したことだけは伏せ、それ以外は包み隠さず――というのがあらかじめ伝えられた方針だった。
「内容も態度も説得力がまったくありませんわね。怪しすぎて逆に疑う気力が失せるくらいですわ」
「もちろん無理には誘わねえ。
ただ、もしお前が二人の知り合いだったり、知り合いの知り合いだったりしたら、犯人が反省してることだけは知っておいてくれ」
無理強いはするな、とも佐山は言っていた。しかしもし襲われたら、逃げながら倉庫まで誘導しろとも。
相変わらず慎重なのか大胆なのかよくわからない。それなら最初から相手を怒らせて誘導した方が手っ取り早い気もした。
『しゅくほう れいほうの かぞく?』
重い空気の中、不意に草の獣が口を挟んだ。
その暢気な声とは正反対に、淑芳の表情に緊張が走る。
「麗芳さん、ですって……!?」
『しゅくほう かばね おなじ なまえ にてる』
「確か宮下の知り合いだったか? 奇遇だな」
『みやした れいほうと いっしょだった しゅくほうも いっしょ きっと いい』
無邪気な台詞に聞こえるが、草の獣の意思からの言葉だとは限らない。
佐山の側にある割り箸とこの獣は意思が繋がっており、簡易な連絡手段となっていた。彼の勧誘の意図が含まれているかもしれない。
「それならとにかく一緒に来てくれねーか? お前だって、もう死んでるとはいえ身内の情報は欲しいだろ?」
「……一つ、こちらからも質問があります」
「あ?」
「あなたには、守るべき相手がいますか?」
意図が分からない切り返しをされ、対応に困る。
先程エルメスにも問われたことだったが、あいにくそんな人物は自分にはいない。
しばらく考え込んだ後、零崎は無難な答えを作り出した。
「とりあえずはお前だな。来るにしろ来ないにしろ、なんかあったら困る」
「そうですか」
短い返答からは、感情は読み取れなかった。
ただ身構えていた姿勢が崩され、こちらに向けて足が一歩踏み出される。
「行くことにしますわ。その殺人者と仲間に、言いたいことが出来ましたの」
緊張の解けた柔らかな笑みを浮かべながら、淑芳は距離を詰めていく。
ひとまずはうまくいったらしい。慣れない仕事の達成に、思わず息をつく。
彼女がもう警戒していないことを確認した後、地面に置いた“自殺志願”を取り、それを彼女の眉間に向けて、
(……あぶねえあぶねえ)
鋏を投げようとした右手を、寸前で止める。
ここで殺してしまっては意味がない。今までの苦労を台無しにするところだった。
「ん?」
改めて鋏を回収したところで、正面に淑芳が立っていることに気づいた。
何をするでもなく、彼女はこちらをじっと見つめている。
「なんだよ?」
「言ったでしょう? “殺人鬼”とそれを飼う仲間に、言いたいことがあると」
銀の眼光が収斂され、直後彼女の右手から何かがこぼれ落ちた。
「死になさい」
丸めた紙切れが地面に触れた途端、激しい突風が零崎を襲った。
「臨兵闘者以下略! 劫炎来々、急々如律令!」
暴風で門に叩きつけられた零崎に向けて、淑芳は新たな符を投げつけた。
紙片は瞬時に燃え上がり、炎の矢となって大気を駆ける。昼の騎士のときとは違い、手加減は一切していない。
勢いよく迫る火炎は、しかし彼を捕らえられなかった。寸前で横に転がって避けられ、門を焦がすだけにとどまる。
すぐに袖から追加の符を数枚取り出し、ふたたび零崎へと放った。
無数の爆炎が彼の眼前に生じその身を焼き尽くす、はずだった。
(速い――!)
符が炎に転じる前に、両刃の大鋏に切り裂かれた。効果が発動する前の符は、ただの紙きれでしかない。
それでも一枚だけ攻撃から逃れた符が、大気を朱に染めた。規模は小さいが、人間ならば充分に焼き殺せる力が発される。
「さすがにあちぃな」
だが爆音に紛れて聞こえてきたのは、悲鳴ではなく暢気な呟きだった。
それも、上空から。
「……!」
見上げると、小柄な体躯が宙を舞っていた。
炎をまたぐように跳躍した零崎が、火の粉と共に急降下してくる。制限下にあるとはいえ神仙の技を、彼は脚力と勘だけで避けてしまった。
舌打ちする暇もなく、咄嗟に足下のデイパックを取り眼前にかざす。
直後、速度と体重を乗せた斬撃が布地を貫いた。刃が鼻先にまで届き、背筋に悪寒が走る。
その重すぎる衝撃に腕が耐えられなくなる前に、新たな一撃が腹部を襲った。
蹴られたと認識したときには、すでに身体が地面に叩きつけられていた。
それでも痛みに耐え、起きあがるよりも先に右手を袖に差し入れ符を掴み、
「ここまでだ。殺して解して並べて揃えて晒して……はだめなんだったか。くそ、面倒くせえな」
そこで終わった。
背後から、零崎が右腕を押さえつけていた。さらに大鋏の刃が、首を落とす寸前で止められている。
刃が後少しでも動けば、淑芳の命は潰える。
背筋といわず全身が凍った気がした。デイパックごと切られたボトルからこぼれた水と、皮膚に触れる鋭い刃が、ひどく冷たく感じられる。
「しかし、なんで俺が殺人鬼ってわかったんだ? 今回は名乗らなかったはずだが」
「……一見親しげなのに突然大鋏を向けてくる、誰かに殺しを止められている殺人鬼――少し前にそう教えられましたもの」
右手の符を握りしめながら、淑芳は答える。
名乗りもしなかった参加者からの情報だったが、“生存中の誰にとっても要注意な人物”であることは確実だった。
なにより嘘にしては、特徴が適合しすぎている。
「有名税って奴? 大変だね」
『ぜろざき にんきもの?』
「かははっ、もてはやされる殺人鬼なんて、戯言にもならねーな! ……まぁ、普通に悪評だよなぁ」
こちらを無視した緊張感のないやりとりは、先程とまったく変わっていない。
刃や足下の冷たさとは反対に、胸中で怒りが憎悪へと煮えたぎっていくのを感じた。
演技をする余裕もなく、声を震わせながら弾劾する。
「二人と……麗芳さんを殺したときも、そんな態度でしたの?」
「あ? 麗芳って奴は殺ってねえよ。俺がうっかり殺しちまったのは、さっき言った二人だけだ。
こう見えても悪かったとは思ってるんだぜ。謝ってもいいって思うくらいにはな」
悪戯を告白する子供のような――その程度の反省しか彼は見せない。
「……そんな謝罪だけで済ませるなんて、虫がよすぎるとは思いませんの?」
『さやま やくそくした みんな いっしょに かえる』
「後は主催者を倒すために力を貸すってだけで充分じゃねえか? 俺を殺したってここから出られなけりゃ意味ねーだろ」
『それに きえても ずっと いっしょ』
「思い出とかは死んでも消えないってことだっけ? 確かにいつまでも拘泥してたら先に進めないもんね」
ある意味現実に即した考え方だったが、彼らにとって都合がよすぎるとしか思えない。
(みんな、ですって? こんな人の命を何とも思わない――アマワに立ち向かう資格すらない輩とすら協力しろと言うんですの?)
そんなことは間違っている。
アマワへの復讐を他人にやらせようとしている自分同様――いや、殺された者の気持ちを踏みにじっているという意味ではそれ以上だ。
「確かに許せない気持ちはわからんでもないがな。共感はできねーが。
けどよ、お前の場合もう少し力の差を考えた方がいいんじゃねえか? 単なる勘だが、お前ピンに慣れてねえだろ?」
図星だった。
後方に陣取り、術で麗芳や鳳月達を援護するのが淑芳の常だった。姉とは違い、肉弾戦はまったくできない。
神通力はほとんど封じられ、体力は普通の人間並になっている。一人で立ち回るには力不足すぎた。
この場を打開できる力も、当然残されていない。
さらに彼らの拠点に連れて行かれれば、行動の自由は確実に奪われる。なによりこんな殺人鬼のそばにいれば、いつ殺されてもおかしくない。
身体が震え、思考が混濁する。符を掴む指が泳ぎ、右肘が左指にある何か硬いものに当たる。
(……何を、考えているんでしょうか、わたしは)
それが何か気づくと同時に、淑芳は絶望を振り払った。
その指を包むように、左手を強く握りしめる。
「……確かにあなたの方が、わたしよりも強いでしょうね」
素直に認めた言葉に、もう恐れはなかった。
無力でかまわない。それでも生きて抗うことを選んだ理由を、まだ覚えている――忘れかけ、たった今思い出したのだから。
「それでもわたしには、愛があります」
告げるとともに、淑芳は右手に掴む符を発動させた。
左腕や袖の中の符を巻き込んで、紅蓮の炎が吹き上がる。さすがに驚いて、零崎の拘束がわずかに緩む。
しかし、炎は一瞬で消える。元々見た目が派手なだけで勢いのない、文字通りの目眩ましでしかなかった。
だから、まだ左腕が使える。
稼いだ一瞬で左指のそれを抜き取った後、淑芳は自ら左腕に大鋏の両刃を突き入れた。
肉が紙細工のように裂け、骨を削りながら反対側の皮膚を突き破る。
かつて無いほどの激痛と熱が駆けめぐるが、悲鳴だけは堪える。ここで声を嗄らすわけにはいかなかった。
鋏に腕を喰わせている間に、右手を彼に向けて伸ばす。
「な――」
右手に掴んだ銀の指輪の直径が、何かに引っ張られるかのように大きさを増していく。
それを彼の頸部に引っかけると、すぐに手を離した。
即座に輪は拡大を止め、今度は収縮し始める。抗おうとする彼の手ごと、その首を締め付けようとする。
それでも、零崎は鋏を持つ手を緩めなかった。背を向けて逃げ出そうとする淑芳の腕から、筋を断つ音を響かせ血塗れの刃が抜き出される。
足は止めず、悲鳴もあげなかった。あげてやるものか。
ただ食いちぎりそうな勢いで歯を唇に食い込ませて、淑芳は走った。
その間も輪の収縮は止まらない。鋭い刃が硬いものに当たる音を聞きながら、ひたすら距離を離す。
姉の麗芳と揃いの指輪――太上老君が鍛えた武宝具である圏は、そう簡単には壊れない。
もちろん完全に絞まるまでの間、彼が何もしないわけがない。だからこそ、距離を取る必要があった。
硬質な音が止むと同時に、右袖から取り出した符を宙に投げる。
そこで初めて振り向くと、予想通り大鋏がこちらへと投擲されるのが見えた。見えたところで、まず避けられない速度と威力があることは当然知っている。
ここまで足掻いても、相手にこれだけの反撃を許してしまう程度の力しか、今の淑芳にはない。
だが、それがどうした。
力がなければ頭を使えばいい。好機がなければ身体を切り売りすればいい。
足下には仲間の屍が重なり、前方には憎むべきすべての元凶が存在するというのに、惜しむものなどない。
「臨兵闘者以下略! 電光来々、急々如律令!」
叫びを受け、空中の符が紫電となって地に放たれた。そこに突進した大鋏と――零崎の身体が光に包まれる。
先程彼がこぼしたペットボトルの水が、電撃の壁と彼とを繋いでいた。
水はこちらの手前ぎりぎりまで、川のように流れていた。彼に淑芳を正確に狙える実力がなければ、成り立たない策だった。
雷が消え、失血から淑芳が膝を付いたときには、彼もその場に崩れ落ちていた。
○
格納庫への通路を淑芳は歩いていた。早朝潜入したときとは違い、その足取りは重い。
その最たる原因である腕の裂傷は、大量の止血の符と零崎が持っていた包帯を使っただけで、傷も痛みも消えていない。もう二度と動かせないだろう。
疲労も蓄積していた。昼以降の時間の大半は、結局逃亡と潜伏に費やしてしまった。
それでもまだ倒れるわけにはいかなかった。足を止めるのは、アマワに抗える者のために死ぬときだけだと決めていた。
ひとは、愛がある限り戦える。
(だから、愛がない者は死ねばいい)
あの殺人鬼とその仲間は、まだ殺していなかったが。
彼に放った雷撃は、最初から気絶と大火傷程度で済むように手加減していた。
もちろんそのままにはせず、零崎は井戸に、他の一台と一匹は遊園地内の見つかりづらい場所に移動させた。井戸の水は浅く、溺死する心配はない。
加えて零崎は圏で身体を拘束し、草の毛の動物は荷台に使っていた紐に捕縛の符を絡めて縛っておいた。
始末の途中で意識のある二つには何か話しかけられた気もするが、すべて聞き流していた。痛みに耐えながら行動するだけで精一杯だった。
エルメスや草の動物は陸のように支給品扱いだろうが、零崎の名前は名簿にあった。
もし今彼を殺し、次の放送でその名が呼ばれれば、仲間である“佐山”や“宮下”がここに向かう可能性は高い。
“被害者の知人捜し”は広範に渡るだろうが、おおまかな地域を指定せずに行動させているとは考えづらい。
もし“遊園地周辺”と指定されていれば、まっすぐこちらへと状況を調査しに来るだろう。
しかし放送で呼ばれなければ、たとえ“放送までに帰ってくる”と言われていても、少しの間は遅れているだけだと判断される。
わずかでも稼げる時間で、状況の把握と逃亡をこなしておきたかった。
零崎の持っていた地図から残りの禁止エリアは判明したが、やはり玻璃壇でおおまかな人の流れは確認しておきたい。
その後はどこか見つかりづらい場所で、符を作り直した後休息するつもりだった。今のままでは、彼らの仲間に立ち向かえない。
(あんな殺人鬼でさえ許して仲間に引き入れるような方々ですから、それ相応の力があるでしょう。万全の状態で彼らの敵になるべきです。
彼らは確かに間違っていますけど、まだ正しくなることができますもの)
博愛主義ではやっていけないことを、悪逆非道な人物を演じることで知らしめてやればいい。
回収した大鋏を見せて零崎を人質に取ったことをほのめかし、必要ならば監禁した彼らを引っ張り出して目の前で殺してもいい。
もし本当に彼らが麗芳の元仲間だったならば、なおさら狂人を貫かねばならない。
彼女が守ろうとしたものを、アマワに敗北させてはいけない。
(そんなこと、麗芳さんは望んでいないでしょうし。
……わたしにも生き残って欲しいと思っていたでしょうけど、それはもう、無理ですもの)
指輪を填めていた中指を眺めながら、開始直後のことを思い出す。
突然の惨劇に不安と絶望を覚える自分を、彼女は肩を抱いてなだめてくれた。
その際指を絡めて、没収されなかった互いの指輪を触れ合わせ、その存在を教えてくれていた。
その手の温もりは、今はもう失われている。それを求める資格も、今の自分にはない。
枯れ果てたはずの涙が一筋、その代わりのように頬を伝った。
286 :
代理投下:2007/06/09(土) 22:34:28 ID:zM+LqhZz
920 名前:All I need is (11/11) ◆l8jfhXC/BA[sage] 投稿日:2007/06/09(土) 22:33:15 ID:eWecrE.w
【F-1/格納庫への地下通路/1日目・23:30頃】
【李淑芳】
[状態]:左腕に深い裂傷(血は止まっているが、傷は癒えておらず痛みがある。動かせない)
服が血塗れ、左袖が焼失。左腕に止血の符と包帯を巻いている。
精神の根本的な部分が狂い始めているが、表面的には冷静さを失っていない。
[装備]:呪符(5枚)
[道具]:デイパック(支給品一式・パン4食分・水800ml)、自殺志願(少し焦げている)、
由乃の死体の調査結果をまとめたメモ
[思考]:玻璃壇で周囲の参加者の様子を確認した後、遊園地から離れる。符を作り直して休憩を取る。
外道らしく振る舞い、戦いを通じて参加者たちを成長させ、アマワを討たせる。
アマワに立ち向かえないと思った人間の命は考慮しない。
役立ちそうな情報を書き記し、託せるように残す
[備考]:第三回放送を途中から憶えていません(禁止エリアは知っている)。『神の叡智』を得ています。
契約者ではありませんが、『君は仲間を失っていく』と言って、アマワが未来を約束しています。
【F-2/井戸の中/1日目・23:30頃】
【零崎人識】
[状態]:気絶中。全身に大火傷。
[装備]:圏(身体を拘束されている)
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分。一部が濡れているおそれあり)
砥石、小説「人間失格」(一度落として汚れた)
[思考]:島の南方面を探索。
悠二、シュバイツァー(名前は知らない)の知人に出会ったら倉庫に連れて帰る。
気まぐれで佐山に協力。参加者はなるべく殺さないよう努力する。
[備考]:記憶と連れ去られた時期に疑問を持っています。
※エルメス、草の獣(複数の符をつけて強化された紐で拘束済)は遊園地のどこかに隠されています。
※草の獣が得た情報は、すべてムキチに伝わっています。
ほしゅ
ほしゅ
保守
保守
h
o
s
294 :
sage:2007/07/17(火) 00:26:07 ID:Pboc5m24
y
補修
296 :
イラストに騙された名無しさん:2007/07/23(月) 08:00:24 ID:2OqAbT0u
保守
捕手
保守
補習
保守
長い廊下がある。
通路の内装は、無用に自己主張しすぎることなく、それでいて品の良いものだ。
一定の間隔で設置された照明さえも、見事に機能美を表現していた。
屋外の風景は見えない。左右の壁には延々と扉が並び、視界内には窓がない。
雨音と雷鳴が、遠く響く。
四つの足が床を踏む音は、ほとんど絨毯が消していた。
足早に歩く女と、その背を追う男が、言葉を交わしつつ直進していく。
「いやぁ、それにしても、大変なことになっていたんですねぇ」
頼りなさげな微苦笑を浮かべて、神父の格好をした男は無駄口を叩いている。
眼鏡をかけた彼の名は、アベル・ナイトロードという。
頬をかく人差し指が、これ以上ないくらいに腑抜けた雰囲気を醸し出していた。
「言わずとも済むことをいちいち口に出すでない。不愉快じゃ」
顔をしかめて美貌を台無しにしながら、天使である女は言う。
喪服姿の彼女のことを、バベルちゃんと呼ぶ者は呼ぶ。
頭に生えた立派な角は、ひょっとすると普段より鋭く尖っていたかもしれない。
「ところで」
「何じゃ?」
視線を合わせることすらせず、彼と彼女は会話する。歩調は減速しそうにない。
「この一件が解決したら……あなたがたは、それからどうするんですか?」
「解決してから話してやろう。頼むから、しばらく黙っていてくれぬか」
苛立った声で告げられた拒絶を、彼は平然と受け流した。
「そんなこと言わずに教えてくださいよ。聖職者が天使様のことを知りたがるのは、
当たり前じゃないですか。すごく気になるんですよ」
「この場の空気さえ読めぬ者が、一人前の神父として働けるとは思えんのじゃが」
女の酷評を理解していないかのように、男が舌を蠢かせる。
「やっぱり以前の任務を再開するんですか? 不老不死を人間の手から奪うために」
そう言って、アベル・ナイトロードを装っていたそれは立ち止まった。
女の体が石像のごとく硬直し、次の瞬間には振り返って臨戦態勢をとる。
「そなた、いったい何者じゃ? どうして極秘任務の内容を知っている?」
その冒涜的な“何か”は、もうアベルを演じていない。
「わたしは御遣いだ。これは御遣いの言葉だ。……質問に答えよう、愚かな天使」
アベルの声で、アベルの姿で、アベルのようなものが宣う。
「かつて答えた問いには、過去と同じ答えを返す。君に返答を確約するのは一度だけ
だが、既出の質問については数に入れない。薔薇十字騎士団よりも上位に在る者、
あの殺し合いを望んだ者、それがわたしだ。名が要るならばアマワと呼べ」
命を弄ぶ者どもの首魁が、今ここにいる。
「!?」
それは、アベル・ナイトロードではない。
ならば、現在地がミラノ公の館であるとは限らない。
そして、この世界が薔薇十字騎士団の出身地だという確証もない。
もはや、ここへの来訪を提案した、眼帯の天使が無事なのか否かも判らない。
だから、天使の組織を束ねる議長ともあろう者が、自身の判断さえも信じられない。
問いに答えるため、御遣いは無表情に口を開く。
「厳重に秘されているはずの情報を漏らしたのは、君たちが『神』と呼んでいる者だ。
あれはわたしの協力者であり、必要な知識はあらかじめ伝えられている」
「デタラメを言いおって!」
語気を荒げて、女が叫ぶ。
「認めないのは君の勝手だが、永遠に、その解釈は正しいと証明できない」
応じる口調には、何の感慨も込められていない。
「嘘じゃ! わらわたちが捨てられたなど!」
悲鳴のような糾弾からは、今にも熱が消えそうだった。
「君たちは、あれの被造物にして、不要になれば処分される玩具でしかない。そして、
捨てられる理由は、主たる『神』の命令よりも同胞の幸福を優先した故にではない。
そもそも、君たちは『神』へ反逆できるよう設計されていた。あれがそれを望んで、
そうなるように創ったからだ。君たちは失敗作ではない。飽きられたから捨てられる
だけの消耗品だ。いつか廃棄されることまで、創造された時点で決まっていた」
「そ……そんなことなどあるものか!」
女の顔面には、憤怒よりも、焦燥と狼狽の色が濃く滲んでいる。
「本当に? 君は本当にそうだと思っているか?」
毒の滴るような笑みをアベルの顔が浮かべ、その容姿が別のものに変わる。
「今、ここには、君たちが『神』と呼ぶあれの力が届いていない」
眼帯をした天使の姿で、御遣いは語る。
噛みしめられた女の奥歯が、耐えきれずに軋みをあげる。
「だから、あれの影響で認識できなかった真実が、今の君には理解できる」
モヒカン頭な天使の姿で、御遣いは述べる。
握りしめられた女の手指が、掌に爪を食い込ませていく。
「もう一度よく考えろ」
目の下にクマのある、羊の角を生やした天使の姿で、御遣いはささやく。
「あれは本当に君たちの味方か?」
「っ」
娘の姿をしたそれを、女は攻撃できなかった。
「不老不死の薬を創るはずの草壁桜に、時を遡って干渉し、歴史を改変する。それが
君たちに望まれている役目だった。ならば、それが成功すればどうなるか。歴史は
改変され、“不老不死の薬が創られた世界にいた君”は消える。改変された未来で、
誰かが、過去の世界へ行った天使を見つける。その天使は歴史を改変した当事者だ」
女の内側で、大切な何かに亀裂が入った。
いつの間にか、周囲からは多くのものが見えなくなっている。
壁も扉も天井も照明も床も絨毯も、ない。
「いずれ多くの人間を助けられるかもしれなかった、大罪など犯していない草壁桜に、
天使が酷いことをしていたわけだ。理由を訊けば、『何故か自分でも判らない』と
言うかもしれないし、『彼が不老不死の薬を創れないように邪魔しただけ』と言う
かもしれない。改変された者たちにとっては、どちらだろうと精神病患者の妄言だ。
歴史を改変したその天使は、間違いなく悲惨な末路を辿る」
長い廊下など、どこにも存在していない。
「君たちが『神』と呼ぶあれは、歴史が改変されても改変以前の記憶を失わないが、
その天使を絶対に庇わない。不要だからだ。代わりならいくらでも創れるのだから、
薄汚れた玩具など壊れてしまえばいい――あれはそう考える」
雨音も雷鳴も既にない。
「草壁桜が“不老不死の薬を創れる程度の能力”を持っていたのも、それが放置された
のも、君たちが『神』と呼ぶあれが原因だ。あの一件は、あれの戯れでしかない。
草壁桜の存在そのものを抹消することさえ、あれがその気になりさえすれば一瞬で
片が付く雑事だ」
もう真実しか聞こえない。
「君が指揮する勢力は草壁桜の命を狙い、三塚井ドクロはそれを阻止しつつ歴史を改変
しようとしている。だが、草壁桜の学業を妨害せずとも、三塚井ドクロは歴史を改変
できる。三塚井ドクロは撲殺天使――草壁桜を撲殺し再生する者だ。自覚などしては
いまいが、彼女の能力で人間を完全に復活させることはできない。限りなく本物に
近い偽物を、本物の残骸を材料にして造る程度が精一杯だ。死と再生が繰り返される
ごとに、誤差は蓄積されていく。復元されるたびに、草壁桜と呼ばれているそれは、
人間ではないものになっていく。君たちの世界では、精神的刺激によって成分不明の
体液を垂れ流す生物を人間とは定義していまい。撲殺して造り直して、それを何度も
続ければ、“不老不死の薬を創れる程度の能力”もまた徐々に失われていく」
無数のモノリスが乱立する闇の荒野で、御遣いが天使に言う。
「草壁桜は三塚井ドクロと出会った日に殺された。その日、草壁桜の死体を元にして
造られたのは草壁桜の紛い物だ。君が殺そうとしていたのは草壁桜の成れの果てだ。
すべては、あれがそうなるように望んだからだ」
この領域を、御遣いの盟友は“無名の庵”と呼称している。
視界を妨げることのない異界の闇に包まれ、疲れきった声で女はつぶやいた。
「……何故、そのようなことをわらわに話すのじゃ?」
女の娘を模した御遣いが、わずかに顔をしかめた。
「君たちの『神』は、己の創った玩具が壊れていく様子を楽しんでいる。確かにあれは
わたしの協力者だが、決してわたしの友ではない。あれは観客だ。余計なことはせず
必要最低限の対価は支払うがそれ以上の尽力はしない。邪魔されぬよう、あれ好みの
惨劇を見物させて、機嫌をとるべき相手ですらある。この話もそんな惨劇の一幕だ。
わたしが望みを叶えても叶えられなくても、そこに惨劇があるのなら、あれは何も
手出しをしない。君たちの『神』は、わたしも君も救わない。あれは誰も救わない」
ついに、女の内側で、核であり要でもあった部分が砕けていく。
澄んだ音を響かせて、数条の光が女の背から生えた。
光で形作られた翼は、まるで女を突き刺す白刃のようだ。
天使の力が暴走し、浪費されている。
女の肉体が、少しずつ透け始める。
「消滅に至る病、『天使の憂鬱』――これも『神』が望んだものか」
「必要な知識はすべて伝えられている。『天使の憂鬱』を発症させる方法も教わった」
御遣いの視線は、学者が実験動物を見るときのそれに似ていた。
とある世界において、天使とは観念的な存在だ。
その世界の天使にとって、肉体とは、存在力によって構成されるものでしかない。
存在力の源は、天使自身の個性――己の在るべき姿を自覚し、具象化する意思の力だ。
その世界の天使は、『神』の領域以外の場所では、少しずつ存在を蝕まれていく。
帰郷して静養し、自分の個性を再確認しない限り、病状は悪化していく。己の個性を
忘れて体調を崩した天使は、『神』の領域の外に滞在し続けるだけで消滅する。
己の生まれた世界の地上にいてさえ蝕まれてしまう天使は、異界の中に留まれない。
しかも、『神』の悪意をもって精神を蹂躙されては、意思の力などすぐ尽き果てる。
「わらわたちは、滅ぶのじゃろうか?」
「三塚井ドクロ以外の、君の同胞たちは、すべて君と同じように処分した」
女の頬を濡らす雫は、地面に落ちることなく光の粒となって拡散した。
ただ静かに泣く女へ、御遣いは言う。
「君が刻印に小細工をしたとき、君たちの『神』は大喜びしていた。君のせいで刻印の
機能は安定性を失い、参加者たちの能力には大幅な格差が生まれた。三塚井ドクロの
刻印が本来の効果を発揮しきれていなくても不自然ではない状況を作るためだけに、
君は他の参加者全員を巻き添えにした。同胞以外の参加者たちが、どんなに理不尽な
目に遭おうとも気にしなかった。冷酷な君を、君たちの『神』は得意げに自慢した」
「…………!」
「君が刻印に施した小細工についても、デイパックのどれかに君が忍ばせた紙と鍵に
ついても、そのまま放置してあるし、薔薇十字騎士団が君の規則違反を知ることは
最後までない。君たちの『神』がそれを願い、その要望がわたしの目的と競合しない
以上、紙と鍵を持った参加者が薔薇十字騎士団の居場所に踏み込んでも、わたしは
管理者を守らない。わたしの友も、君たちの『神』も、管理者には加勢しない」
「親切すぎて胡散くさいとしか言えぬ。そなた、すべてを語ってはおるまい?」
「その通りだ、賢しい天使。元々、用が済めば薔薇十字騎士団は始末する予定だった。
結果が同じならば過程はどうでも構わない。無論、君にはそれ相応の報いを今から
わたしが与える」
「何を今さら――」
「君の小細工によって、三塚井ドクロの刻印は正常な効力を発揮しなくなっていく。
ただの人間を撲殺できなかった彼女の腕力は、非常識で致命的な破壊力を取り戻す。
灰から煙草を作ることすら不可能だった彼女の能力は、故障中の機械を材料にして
問題なく稼動する機械を作れるほどに蘇る。怪我をしても自力で回復できるように
なる。自身を弱体化させている力への拒絶反応が、攻撃衝動を活性化させ、生存率を
上げる。ほとんどの参加者たちは、制限の緩い彼女を殺せない。しかし、刻印の力は
参加者を害するものばかりではない。三塚井ドクロの刻印は、もはや彼女の精神から
違和感を取り除かない。『今の自分はどこかおかしい』と彼女は常に思う」
透けて薄れていく女の顔が、絶望に歪んだ。
「故に彼女は己の個性を確信できない。『天使の憂鬱』を発症しても、優勝しない限り
帰郷は許されない。君たちの『神』は狂喜している」
天使は、いなくなった。
御遣いだけが、闇の荒野に立っている。
「君たちの“消滅”が死であるとは、誰も証明できていない。元の世界からいなくなり
二度と戻ってこないだけだ。生も死も観測されていないなら、それは未知だ。肉体を
失って、余分なものを削ぎ落とした君たちは、わたしに近しい存在ではないのか?
……未知になった君たちは、わたしに心の実在を証明できるだろうか?」
闇の荒野には、誰もいなくなった。
【X-?/無名の庵/1日目・19:20頃】
【バベルちゃんを含む管理者側の天使たち 消滅】
※薔薇十字騎士団以外のトリニティ・ブラッド勢は、すべて黒幕による幻影でした。
※『天使の憂鬱』は天使特有の病気であり、非超常的な医療行為では完治できません。
発症すると、高熱に苦しめられる、言動が“らしく”なくなる、等の症状が表れ、
刻一刻と心身が不安定になっていき、最終的には存在の消滅に至ります。
※参加者たちの刻印は安定性を失っており、ドクロちゃんの能力に関する影響もこれが
原因でした。刻印の不安定さは、参加者たちを利する場合も害する場合もあります。
そして、どんな影響が『偶然』表れるのかに干渉できる能力がアマワにあるため、
刻印の不安定さが、余興では済まない影響(参加者が刻印の誤作動で死ぬ、黒幕を
簡単に倒せるほどの強さが参加者の身に宿る、等)を及ぼすことはありません。
ほしゅ
310 :
イラストに騙された名無しさん:2007/08/19(日) 15:09:12 ID:PLj4qUzV
あげ
続きマ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━ダ????
あと少し、あともう半日で完成するはずなんだ!
だから、だからもう少し待ってくれ!
悪い、311を受けての冗談なんだ、忘れてくれ。
あと数日はかかる
保守
(⌒⌒)
ii!i!i ドカーソ
/~~~\
⊂⊃ / ^ω^ \ ⊂⊃
.................,,,,傘傘傘:::::::::傘傘傘...............
【過疎山】
2ヶ月ほっといても落ちるとは思えんがage
公民館の屋内は、さながら地獄のようだった。
死臭の漂う便所の床には、血の池が広がっている。
新庄の遺骸は、そこに転がっていた。
動かない肉体を見下ろす人影は、大きい方が男で、小さい方が女だ。
「……なんで、こんなことになっちまったんだろうな」
事件の現場を大雑把に検分し終え、出雲は小さく溜息をつく。
様々な思いが混じり合った結果として、彼の表情には陰がある。
「…………」
アリュセは眉尻を下げ、そんな連れの背中を無言で見上げている。
視線に気づき、出雲が振り返った。
二人の目が合い、言語を用いない意思疎通が成立する。
心配すんな、といった調子で、出雲はアリュセの頭をなでた。
かすかに目を細めて、彼女は安心したふりをした。
アリュセの安堵が偽物だということに、出雲は気づいている。
出雲に演技を見破られていることを、アリュセは知っている。
お互いがお互いの思いを察しているからこそ、二人とも野暮なことは言わない。
頭上の掌を払いのけて、アリュセは咳払いをした。
「ここにあるのは、ごく普通の死体ばかりだと考えて良さそうですわ。触った途端に
呪われたり魔法の罠が発動したりはしない……と思いますの」
彼女の故郷には、死霊を使役する術者がいた。己の意思で人々を呪う怨霊もいた。
異世界の術による罠があるかもしれない、という可能性も無視はできないものだ。
「死者からは、曖昧な情報がほんの少し手に入っただけで……」
大神殿における最高の術者だというだけで、死人から情報を得られるとは限らない。
何故ならば、生存者と死亡者との対話には、様々な要素が影響するからだ。
生存者の能力は当然として、死亡者の能力、周囲の環境、それらの間の相性、等々、
考慮すべき事柄は複数ある。いつどこで誰がどんな風に死んでいたとしてもその死者と
自由に話せる、などという夢物語はありえない。得体の知れない島が舞台で、殺された
異世界出身者が相手ならば、まともな交流ができなくても不思議ではない。
すべての要素が上手く噛み合った上に耳寄りな情報を得られたならば、とんでもなく
運が良い、と評しても過言ではあるまい。
報告するほどのことは何もない、という調査報告を聞いても、出雲は落胆しない。
「この島、死に関する概念が微妙に地味なのかもしれねぇな」
以前、二人が別の死体を見つけたときにも、結果は似たり寄ったりだった。
「やっぱり、新庄と他の死人がどういう間柄だったのかは謎のまま、ってことか」
遺体の位置関係や傷の状態などから推測できることは多いが、断定はできなかった。
極論すれば、催眠術か何かで操られて同士討ちさせられただけで被害者全員が本来なら
仲間だった、という可能性すらあった。
便所付近の惨状を眺めながら、アリュセは嘆息する。
「とりあえず今は何をするべきなのか――短期的な行動方針を決めておきましょうか」
寂しさの滲む声で、それでもどこか自慢げに出雲が言う。
「新庄のそばには絶対に佐山が現れるはずだ。新庄の心臓が止まっていようが、周りが
殺し合いをしてようが、関係はねぇ。いずれ必ず、あの馬鹿は新庄を迎えに来る。
新庄の横にさえいれば、向こうから勝手に近づいてくるだろうよ」
「このまましばらく公民館で休憩したい、なんて言うつもりではありませんわよね?
こちらからは遠ざかっていたようでしたけれど、はっきり言って手に負えなさそうな
怪物がC-3辺りで暴れていた以上、最善手は戦略的撤退ですの」
「ああ。まずは千里と再会してぇし、佐山捜索よりも大切なことは幾つもあるしな。
とはいえ、千里も佐山も『ゲーム』開始直後には新庄を捜してただろうから、新庄が
いそうな場所で既に遭遇してて、今は二人して俺を捜してるのかもしれねぇ。一応、
新庄は移動させとくか。どっか禁止エリアにならなさそうで誰にもイタズラされねぇ
ようなところが理想だな……油性ペンでまぶたの上に眼球描かれたりとかされると、
いくらなんでも残虐すぎて洒落にならねぇ」
冗談めかして口の端を吊り上げ、暗い雰囲気を誤魔化すように出雲は頭をかいた。
――この島では、死者ですらも資源として使い捨てられる可能性がある。
聖職者であるアリュセにとって、まともな葬儀をやれない現状は歯痒いものだ。
「遺体を放置するのは気分が良くありませんけれど、全員を手厚く葬れるだけの余裕は
ありませんわ。新庄さんの仲間だったのかもしれない方々が相手でも、大したことは
残念ながらできませんの」
困ったような顔をして、出雲は肩をすくめてみせる。
「初対面の連中がどういう弔われ方されると喜ぶのか、なんて解りゃしねぇんだから、
いっそ黙祷で済ませといた方が無難だろうと思うんだが、どうよ? 新庄の供養は、
聖書神話の方式でやりゃいいか。本格的なのは無理だが、せめてお供え物のエロ本は
発禁寸前レベルの一冊を贈りてぇな」
「えっと……覚たちの地元では、本当にそういう宗教が信仰されていますの?」
疑わしげな視線を向けてくるアリュセに対し、出雲は堂々と胸を張る。
「その通りだが、それがどうかしたかよ?」
アリュセは黙って目を伏せ、こめかみに指先を添えた。
連れの様子を不可解そうに一瞥してから、出雲は視線を新庄に向ける。
「新庄置き場はH-1の神社辺りが良さげだろうな。移動しながら商店街でエロ本を
探せそうだし、H-1って語感がそこはかとなくエロそうだし、海洋遊園地も神社も
なんとなく俺に似合いそうだから、俺を捜してる千里が来てるかもしれねぇし」
どうにか気を取り直したアリュセが、小首をかしげて問いかける。
「なんとなく似合いそう、というのは……?」
「海洋遊園地っていうからには、頭から水を被るようなアトラクションがあるだろ?
ずぶ濡れになった千里の健康的な色気を想像するだけで、もう胸が高鳴りまくりだ。
ちょっと照れながら『服脱いでしぼるからアンタはそっち向いてなさい』だなんて
言われようものなら、喜びのあまり奇声を発して千里に殴られること間違いなしだぞ
俺。情け無用の鉄拳制裁を顔面にくらいながら嬉しそうに鼻血を垂らすところまで
鮮明に思い浮かばねぇか? その後で、神社から無断で拝借しといた巫女服を千里に
差し出して爽やかに『どうよ?』って言った次の瞬間、蹴り倒されながら脚線美とか
鑑賞して幸せそうに笑ってても違和感ねぇだろ俺」
shien
「……嫌になるくらい納得できましたわ」
熱く語る出雲の前で、アリュセは頭を抱え、呻くように同意した。
「とにかく、目的地は神社に決定ですの。途中でギギナさんと再会したら『赤毛の男の
遺体を公民館で見つけた』と伝えられますわね。さっきの部屋で殺されていた彼が
ガユスさんという方なのかどうか、確証は得られませんでしたけれど」
「まぁ、筋肉の鍛えられ具合は軟弱って感じじゃなかったよな。軟弱な性格してそうな
間抜け顔って言われりゃあ、そういう風に見えなくもなかったけどよ。遺品が誰かに
持ち去られてなけりゃ、ギギナの名前に印がついてる参加者名簿とかが残ってたかも
しれねぇが……」
「六人分の荷物となると、全部を持っていかれたとは考えにくいですわね。でも、今は
公民館内を隅々まで探索していられるような状況ではありませんの。C-3の怪物が
方向転換しないという保障はありませんものね」
「そうと決まれば、善は急げだ。新庄を担いで、さっさと出発するか」
「水は既に補給済みですから、今すぐにでも行けますわよ」
二人が公民館を出た頃には、市街地からの物騒な轟音は聞こえなくなっていた。
出雲とアリュセが訪れた商店街の一角には、そこそこ大きな古本屋が一軒あった。
猥褻な出版物をたくさん抱え、今、出雲が出てきたのがその店だ。
店先で、新庄の亡骸と一緒に待っていたアリュセが、足音を聞いて振り返る。
「おぉ、これは……『女攻性咒式士の淫らな午後』だと……!?」
軽快に歩きながら、出雲は表紙の煽り文句を確認していた。
「いいから早く収納しなさい!」
アリュセが拾って投げた石は、絶妙な角度で出雲の額に命中した。
【E-1/商店街/1日目・20:10頃】
『覚とアリュセ』
【出雲・覚】
[状態]:左腕に銃創(止血済)
[装備]:スペツナズナイフ/エロ本10冊
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1500ml)/炭化銃/うまか棒50本セット
[思考]:千里、ついでに馬鹿佐山と合流/新庄の遺体をH-1の神社まで運んで弔う
/クリーオウにあったら言づてを/ウルペンを追う/アリュセの面倒を見る
【アリュセ】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン5食分・水2000ml)
[思考]:覚の人捜しに付き合う/できる限り他の参加者を救いたい/新庄を供養する
/クリーオウにあったら言づてを/ウルペンを追う/覚の面倒を見る
※新庄の死体は公民館から運び出され、今はアリュセの足元に置かれています。
補修
【録音開始】
呻き声。
再び呻き声。内容の聞き取れない、おそらくは悪態。
誰かが身じろぎする音。潜めようとして、潜めきれていない息遣い。
地面をマントの裾が擦過する音。消そうとして、消しきれていない足音。
『お? おおおっ?』
ゴクリ、と唾を飲みこむ音。一呼吸、二呼吸、三呼吸。
『く、ふはは、はっはっはっはっ。
え〜と、なんだかよく分からんが、やはりこの俺様に仇なして無事にすむわけはなかったようだな。
こいつめ、こいつめ』
どたどたとした足音に続いて軽い衝撃音。一度、二度、三度。
『まあ、これぐらいで良いだろう。
さて、あれに見えるは俺様英雄の剣。まずは再びこの手に取り戻して――ん?』
怒号。 悲鳴。 そして沈黙。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「すいませんすいませんすいませんすいません」
ボルカンは謝っていた。とにかく謝っていた。ただひたすらに謝り続けていた。
大地に額をこすりつけ、相手の慈悲を請い願う。無様だ、滑稽だ――何とでも言うがいい。
英雄たるもの、大事のために恥を忍ぶことをためらってなんとする。
唐突に蘇った化け物を前にして戦略的転進を図るも果たせず、それがために降りかかったこの災難。
すでに、地上と宙空を3回ほど往復したあげく、両の頬にビンタをもらって真っ赤に腫らすはめになっている。
下手に逆らって、これ以上痛い目にあうなどまっぴらごめんだ。
まあ、目覚める前に何度か蹴りを入れておいたことに気付いていない様子なのは勿怪の幸い。
ここはただただ媚びへつらい、結果的に強制労働に従事させられることになろうとも、
しかる後に機を見て正当な報酬を約束させるのが英雄的行動というものだ。
「をっほほほほ。どうやら少しは反省したようね」
「反省しました」
「その言葉、嘘偽りは無いであろうな?」
「嘘偽りなどございません」
「これからはその重責から逃げることなく、誠心誠意、心をこめてあたくしに仕えると誓うかえ?」
「誓います誓います」
この答えは、怪女にとって一応満足できるものだったようだ。
鷹揚に頷くと、地べたにはいつくばるこちらを見下ろしてこのようにのたまった。
「よろしい。あたくしは不忠を決して許さないけれど、忠義には厚く報いる乙女よ。
本来なら敵前逃亡と窃盗、あたくしへの不敬という天をも恐れぬ大罪をおかした由にて処刑するのが筋だけれど、
今回は特別に許してしんぜよう」
そうして再び、化け物はあの「をほほほ」という奇怪な高笑いをあげた。いや、あげようとしたかに見えた。
が、傲然と口元に手をやったその瞬間、やにわに体を折ると激しく咳込み始める。
口を押さえた手指の間から血が垂れるのが見て、ボルカンはあることにようやく気付いた。
(むう……奴は負傷している)
考えて見れば、一言物を言うにも窓の隙間を風が吹き抜けるような音が混じっていた。
周囲が暗く、それと思わなければ分からないが、よくよく見れば顔色も悪い。
「とにかく、まずはあたくしが休息するための寝所を用意するのよ」
「へ? あ、はい」
「それと、あたくしのことは 姫様と呼ぶように」
“姫”。不吉極まりない単語だが、目の前の暴君にはぴったりと言えなくもない。
ボルカンは嘆息して立ち上がると、何とはなしに時計に目をやった。
(む? ……)
その一瞬。何か、この上もなく素晴らしい考えの欠片が頭の中を通り過ぎた。
それが正しいものであるかを確かめるために、ボルカンは必死で記憶を手繰りよせる。
記憶が正しければ、この場所、そう遠くない時刻に何かが起きるはず。そして今、時計が指し示している時刻は――
「何をぼけっと突っ立っているの? さっさとおし」
「かしこまりました。え〜と、姫様」
「……そこで間をとるということは、あたくしを馬鹿にしているのかえ?」
「め、めめめ滅相もありやがらんでございますよ、はい」
――時刻は、20時00分。21時00分まであと一時間。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「貴女様は北半球で一番〜」
ボルカンは軋む門扉を押し開け、庭先へと入り込んだ。
「美しくて賢い女 ラララ〜」
庭を通って縁側へ。そこに立ってガラス戸を開け放つ。
「愛と正義のために戦うの〜
ああ ナツコ・ザ・ドラゴンバスター♪」
廊下からその部屋へと通じる戸を開け放ってみると、草でふいたマット
――ボルカンは知らないが、ようするに畳である――の床はなかなか居心地がよさそうで、
休息をとる場としては申し分ないように思える。
「おお ナツコ・ザ・ドラゴンバスター♪ ……ここなぞ良いのではないでしょうか?」
小早川奈津子は鼻をならすと、縁側にどっかと腰を下した。
「なかなか良さそうではないの。……決めたわ、ここで休むことにしてよ」
「ははっ。それでは、俺さ……私はあたりを見回ってきますので」
言ってボルカンは、再び庭へと飛び降りた。
これでいい。このまま自分だけこの場を逃れてしまえば、21時にここは禁止エリアに指定されて勝手に始末がつく。
これぞまさしく、大天才にして偉大な英傑たるボルカン様に相応しく、
また、そうでなければ思いつくことすらかなわぬ完璧な作戦と言えるだろう。
思わず駆け出そうになるのをこらえ、一歩一歩前へと慎重に足を踏み出し……
「お待ち」
口から心臓が飛び出るかと思った。
「は、はい!! ええと、なんでしょうか?」
「あたくしは“用意せよ”と言ったのよ。それを、布団を敷こうともしないとは不届き千ば――」
「すぐにやらせて頂きます!」
この後、すっかり慌てていたボルカンは土足のまま縁側、そして廊下にまで駆け上り、
憤慨した小早川奈津子の手によって地面にはたき落とされることになる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……できました」
「うむ。よろしい」
悪戦苦闘の末、ついにボルカンは布団を敷くことに成功した。
ボルカンは考える。限界時間――21時まであとどれほどの時間があるのだろうか?
あいにく部屋に時計はないし、自分の時計を見ようとするたびに邪魔がはいって結局果たせなかった。
何はともあれ、ここは一刻も早くこの場を立ち去るのみ……!
「でしたら――」
「行ってもよい、と思っていたけれどどうも気になるわね。
……もしや、あたくしのために働くという崇高な使命を放棄して、
もとの怠惰な暮らしに戻ろうなどと考えているのではあるまいな?」
「と、とんでもありません」
ばれた。いや、ばれていない。まだ罠には気付かれていない。
……いや、だからこそまずいのか?
うわべだけはなるべく平静を装う様努力しつつも、ボルカンの脳裏では恐怖と焦りがうずまいていた。
罠には気づかれず、しかし逃亡を警戒されているならば、女主人はこの場に留まるよう命じるだろう。
もしそんなことになれば、その時こそ待っているのは確実な死だ。
「……まあよいわ、お退がり。だが、その前に褒美をとらせてしんぜよう」
「は? ははっ!! ありがたき幸せ」
冷や汗を流しつつ見つめあうことしばし。どうにかこの場を切り抜けることができたらしい。
“褒美”。その言葉に顔を輝かせたボルカンが平伏し、たれた頭を再び上げると、眼前には巨大な脚が迫っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
衝撃に耐えられなかったふすまを巻き込んで、ボルカンの体は奥の部屋へと転がりこんだ。
「な、何しやが――!!」
ボルカンは抗議の声をあげ、――立ち上がろうとしたところで足をしたたかに踏みつけられた。
たまらずに、怒りとも苦悶ともつかない呻きをあげてのたうちまわる。
その頭上から、容赦ない言葉が降り注いだ。
「をほほほほ。盗っ人猛々しいとはこのことね。
……お前、このあたくしを謀略によって害せんとしていたであろう」
呆然として、ボルカンは小早川の発言――いや、宣告を聞いていた。
「なんたる不実! なんたる不忠! 殊勝な態度でごまかそうと、その瞳の奥の下卑た光は隠しようが無くってよ!!
ここもじきに禁止エリアになることくらい、最初からお見通しなのよ」
ようやくボルカンは悟った――見抜いていたのだ、この怪女は。ボルカンの浅はかな企みなど全て。
見抜いた上でこちらをためしていたのだ。
「べっ、別にそんなつもりは……」
「お黙りっ! せっかく下僕として使ってやろうと思っていたのに、この恩知らずの劣等民族!
そんな言葉に騙される、このあたくしと思うてか? ええ、お〜も〜う〜て〜か〜」
なんとか言い逃れようとするボルカンを一喝して、小早川奈津子は大見得を切った。
大見得を切って……そのまま咳き込み始めた。
一方のボルカンはこの隙に逃げ出そうとして、再びもんどりうってその場に倒れた。
踏みつけられた足は、どこか捻ったのか熱を帯びている。
ボルカンは立ち上がることさえできずに尻を床につけたままその場をはいずった。
とにかく外へ。
だが、そう思ったときにはすでに退路を塞がれていた。
小早川奈津子がその足を一歩踏み出すごとに、その歩幅の分だけ後ずさる。
それを繰り返すうちに、後頭部に何かがぶつかった。
壁だ。もう、これ以上は下がれない。
「……ち、違う」
視界の中で次第に膨れ上がっていく巨体を見つめたまま、ボルカンはうわ言のように呟いた。
「違う、俺じゃない。
黒魔術士が、この世の暗黒を凝縮したど腐れヤクザが俺様を近所のおばさん井戸端殺すと脅して……」
何故だろうか。その時、ピクリ、と正義の執行人の眉が動いた。
一声唸って、考え込むようなそぶりを見せると、やおら手にした長剣をボルカンの首すじに突き付けて言った。
「その黒魔術士とやら、もしやオーフェンと名乗っているのではないのかえ?」
オーフェン。その名がよもや目の前の怪女からでてくるとは。
ボルカンは驚きに目をむいた。
(もしかして……これはチャンス?)
「そ、そうですそうですその通りです。
俺様がこんな目にあっているのも姫様の苦境もすべてあの凶悪黒尽くめのせい。
民族の英雄様たる俺様の実力に嫉妬してよくわからん島にほうりこんだだけでは飽き足らず、
あまつさえ、塵取り殺すと脅迫して姫様を害せんとする企みに無理やり加えるとはまさしく無礼千万恐悦至極!!
すなわち姫様におかれましては、私が彼奴めの居所へご案内いたしますので必ずや正義の鉄槌を下されますよう――」
「……よく分かったわ」
小早川奈津子は大きくうなずくと、ボルカンの讒言を遮って言った。
「このあたくしとて慈悲深き乙女。
最後の最後とはいえ真実をあかしたあっぱれな心がけに免じて、ここで楽に死なせてやろう」
「おいっ!?」
「をぼぼぼ、ごほげほ……。
この期におよんで往生際が悪いわね。所詮は劣等民族。潔さという美徳は理解できないと見える。
本当だったら、そこの柱にでも縛り付けて死ぬまでたっぷり恐怖を与えてやるのが妥当なところを、
ここでけりをつけてやろうというの。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いなんてなくってよ」
最期に善を成したことで、閻魔様の裁きも少しは温情豊かになることでしょう。
そう言うと、処刑人は手にした長剣を構えなおした。
「をほほほほほ。あの世でとっくり後悔おし」
狙っているのは首筋か腹か。ボルカンの眼前で、突き付けられた刃がギラリ、と輝いた。
「……あ、ああ――」
ボルカンは、顔の向きはそのままに視線だけをあたふたと左右に走らせた。
なんと不都合で、不安で、不愉快なことだろう。
肝心なときだというのに、場の全責任を押し付けるべき弟が傍らにないというのは。
混乱の中で、ボルカンはいつかと同じ言葉を口にしていた。
「全部、全部。あの黒魔術士が、黒魔術士が悪いんだぁ〜〜!!」
【112 ボルカノ・ボルカン 死亡】
【残り 38人】
【A-3/市街地/一日目/20:40】
【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで約一日半)、生物兵器感染
胸骨骨折、肺欠損、胸部内出血、体に若干の痺れ
[装備]ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具]デイパック×2(支給品一式×2、パン七食分、水3100ml)
[思考]どこか休息を取れる場所を探す。
ボルカンの言うことを信じたわけではないが、オーフェンおよび甲斐に正義の鉄槌を下す。
[備考]服の一部に返り血が散っています。
服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
約七時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
七時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
感染者は肩こり・腰痛・疲労が回復します
※かなめのハリセン(フルメタル・パニック!)はボルカンの死体の近くに放置されています。
ほしゅ
保守
歩酒
死守
詩趣
保守
保守
保守
ほ
こんなに走ったのはどれくらいぶりだろう。
不規則に乱れていく息に恐怖感を覚えながら、彼女は暗い地下道を全力で駆けていく。
走り続ける、彼女――クリーオウ・エバーラスティンは多少剣術を齧っただけの少女である。
たとえば手から熱線を出すこともできなければ、一キロ先の敵を狙撃銃で射抜くこともできない。
何より、彼女に人を殺せるような覚悟などない。
――何を言いたいのかといえば、つまり人並み以上に夜目はきかないということである。
そんな状態でほとんど真っ暗な状態の地下道を『逃走する』のは無謀といえた。
なるほど、彼女は幸運なことに懐中電灯を手にしていた。
デイパックから出すのに手間取り、その間に殺されてしまうという無様は晒さなかった。
だが、それでも小さな明かりひとつで、舗装もされていない道を走れば――
「――っ!」
無論、転ぶ。
それでも懐中電灯は手放さなかった。慌てて起き上がり、先ほどよりも草臥れた風に足を進める。
実を言えば、彼女が転んだのはこれが初めてではない。
そしてついでにいえば、彼女を追っているのは普通の少女ではない。
(なんで、どうして――!?)
クリーオウはほとんど恐慌状態に陥りながら、それでもまだ微かに残っていた冷静な部分で思考する。
先ほど、空から降ってきた追跡者は尋常でない怪力を見せた。
たぶん脚力も似たようなものだろう。なのに、追いつかれていない。自分はまだ殺されていない。
「むぁ〜てぇ〜い」
後ろから響く声は幾重にも反響し、正確な距離は掴ませないが、それでもまだ追いついてこない。
(逃げられる? 逃げ切れる!?)
胸中に、わずかな希望が芽生えてくる。
ピロテースと合流できれば何とかなる。きっと、きっと――
(クエロだって――きっと)
優しかったクエロ。
優しい顔の裏に、狡猾を隠していたクエロ。
ゼルガディスを殺したクエロ。
せつらを殺したクエロ。
だけど、最後には自分を逃がしてくれたクエロ。
無論、それで彼女のしてきたことが帳消しになるなんて思っていない。
自分がクエロをどうしたいのか――それだって、わからない。
だけど、いまは走って、なんとしてでもピロテースを――!
「……きゃぅっ!」
余計な思考は足をもつれさせたらしい。慣れた浮遊感と衝撃。転んだのはこれで何度目だったか。
だが、今度は懐中電灯を手放してしまった。転んだままでは手を伸ばしてもぎりぎり届かない、そんな位置に電灯は落ちてしまう。
慌てて手を伸ばす。
だが、その手が懐中電灯に届くことは、なかった。
ひょい、と目の前で懐中電灯が他の誰かに拾われる。
混乱しかけるが、すぐに思い直す。追跡者は未だ自分の後ろ。
ならば、懐中電灯を拾ったのはこの通路の先にいるはずだった――
「ピロテース!」
歓声とともに、顔を上げる。
そこには彼女の微笑があった。
「――ばあ」
――クエロを殺した、少女の笑顔があった。
あの凶悪な凶器を片手に、そしてもう片方の手で握った懐中電灯で自分の顔を下から照らしている。
子供がするようなその悪戯も、だが今のクリーオウにとっては十分な衝撃だった。
だがもはや悲鳴を上げるような余力もない。それ以前に、地面に這い蹲っているこの体勢では、もう逃げられない。
(い、いつ回り込まれたの……!?)
胸中で自問して、そして、悟る。
自分は懐中電灯で足元を照らしながら走るのが精一杯だった。
だから、一度も背後を確認していない。
もしかして……この無邪気な雰囲気をまっとた少女は……
(ずっと、後ろにぴったりくっついてんだ……!)
おそらくは、手を伸ばせば届くような距離に、ずっと。
前に回りこまれたのは、転んだ隙にひょいと飛び越すように跨れでもしたのだろう。
ゾッとした。少女がなぜそうしたのかは分からない。だから、ゾッとした。
眼前の、少女の形をしたモノが、いったい何なのかワカラナイ――
「ね、ね、鬼ごっこはおしまい? じゃ、こんどはお姉さんが鬼ね!」
そして本当に、邪気の一欠けらも見せずに、笑いながらそれは、
「じゃ、タッチするよ! タッチ!」
――零挙動で、鉛の塊を振り下ろした。
捉えきれない速度。もとより、自分では勝てない存在であることは分かっていた。
(あ……死んじゃう)
他人事のように、そんなことを考えた。
生が終わる瞬間、その一瞬だけ、誰かの顔がフラッシュバックする。
それはもう死んでしまった弟分の顔でも、目つきの悪い魔術師の顔でもない。
この島で出会い、仲間となった者の顔でもない。
もとより、知っている顔ではなかった。
銀髪の美丈夫。轟音とともに現れ、そしてすぐに暗闇に消える。
(……誰?)
走馬灯というのは知らない顔をも浮かび上がらせるものなのか。
だが、その疑問は、
「金髪の娘、確認するが」
いつのまにか現れた、新たな人影によって吹き飛ばされた。
理解する。アレが持つ明かりがいつの間にか消えていたのは、この男が割り込んで遮っていたからだ。
「あ、あの」
こちらの声に反応してか、男が振り返る。
そのせいで、ちらりと男の向こう側が見えた。例の少女と目が合う。
こちらに「静かにして!」とでもいうように唇に人差し指を当てながら、バットを振り下ろそうとしていた。
「危な――!」
「貴様の名前を教えろ」
再び、轟音。
そして懐中電灯のものでない、金属同士による火花の明かりが闇を照らした。
「え……?」
音と光は一度だけではない。なんども、なんども。絶え間なく続き、その度に一瞬だけ男の姿が浮かび上がる。
そして、そのまるで連続で写した写真のような光景で理解した。
男が馬鹿馬鹿しいような大剣を手にして、何の気なしに少女の凶撃をいなしているのだと。
それが、自分を守ってくれているのだと気づいて、
まるで冗談のようなタイミングで現れた、正義のヒーローのように感じた。
「娘っ!」
「え、あの、私――」
「僕、三塚井ドクロ!」
「名前だ」
片方の声をうるさそうに無視し、その男が繰り返す。
「わ、私、クリーオウ。クリーオウ・エバーラスティン!」
答えてしまってから、はたと気づいた。返答は変化をもたらす。そしてそれがいい変化だとは限らない。
だがそれは杞憂だったようだ。男はひとつ頷き、何かを放り投げてきた。
暗くて分かりにくかったが、すぐに何か理解する。この島に連れてこられてすっかり慣れてしまった感触。デイパック。
「貴様の保護を頼まれている。オーフェンという人物からだ。それをもってさがっていろ。すぐに追いつく」
「オーフェンが――」
久しく聞いていなかった名前。自分に関わってこなかった名前。
思いがけず、胸の奥が熱くなる。
「合流場所と時間はあとで伝える。行け!」
その声と同時に、釘バットの少女を押しとどめるようにして、男の目の前に一瞬で何かが広がる。
それに後押しされるように。
クリーオウは渡されたデイパックから懐中電灯を取り出すと、もと来た道を再び走り始めた。
◇◇◇
おかしいな、おかしいな。
天使の少女はおもいます。
どうしてこんなにあついのかな。どうしてこんなに体があついのかな。
天使の少女はかんがえます。
いままでいくらかけっこをしても、こんなに体があつくなったことはなかったからです。
どうしてだろう、どうしてだろう。
そうやってかんがえているうちに、やがて天使の少女はおもいだしました。
そうだ、この感じは、■くんのことを考えていたときと一緒なんだ、と。
あいたいなあ、あいたいなあ。
おもいだした天使の少女はすすみます。
あの少年の面影を求めて、一生懸命。
――これは、少女本人さえ気づいていない彼女の心のササヤキ。
◇◇◇
「貴様にも質問をするぞ、娘」
展開された白の線越しに、ギギナは恩人の知人を襲っていた少女に詰問する。
タンパク質分子の連鎖で構成された蜘蛛の糸は、鋼鉄の五倍の強度を誇る。
生体変化系第二階位、蜘蛛絲(スピネル)で生成された粘着質の縛鎖は振り下ろされた凶器を受け止め、さらにその自由を奪っていた。
「もう! なんでお兄さんは鬼ごっこの邪魔をするの!? はっ、もしかして――」
少女はグーにした手を口元に押し付け、
「仲間に入りたかったの? ならジャンケンしないと。いくよー、さーいしょーは――」
「クエロ・ラディーンを殺したのは、貴様か?」
戯言を無視して、問う。クエロの傷口と、少女の携える凶器は合致するように思えた。
保護を依頼された少女を先に戻したのは、この話を聞かれたくなかったからだ。
彼女を気遣ったわけではない。単純に、これはギギナだけの問題だったからである。
――そう。いまとなっては、ギギナだけの問題になってしまった。
ガユス・レヴィナ・ソレルは彼の与り知らぬところで没し、クエロ・ラディーンも目の前で死んでいった。
ならば、この問題に決着をつけられるのは彼だけだろう。
誰にも介入されることなく、誰にも影響されることなく。
「殺してなんかないもん! あとで直すもん!」
そして、実を言えばそれはすでに決着していた。
頬を膨らませている眼前の少女を見ている内に、湧き上がってきた感情。
「……これが」
それは、怒りだった。
脳裏に飛来するのは幾つもの囁き。それらがすべて、その感情を増幅する。
お前はこんなものに殺されてしまったのか、宿敵よ?
こんなくだらないものに、終わらされてしまったのか?
こんな――
「これが、こんなものが我らの行き着く先かクエロ・ラディーン――!?」
その憤怒を、目前の少女の眉間に定めたネレトーの切っ先に込めて。
「――宣言しよう」
交渉のために闘争を控えていたが、いまはべつだ。
蜘蛛の巣の向こうの『敵』を睨みながら、
「貴様が、我らの闘争に介入してきたというのなら――ここで私は、全身全霊を込めて貴様を殺そう」
ダラハイド事務所の因縁。それを、ここで断ち切ろう。
そしてその視線を受けた彼女は、まるで初めて目の前に広がる白い糸に気づいたかのように、
「そんな……緊縛プレイなんて……」
絡めとられた凶器に両手を添えて、
「そんなのは、まだ早いよぅっ!」
――あろうことか、超強度を誇る糸を捻り切った。
少なからず、ギギナは驚愕を覚える。
先に相手の一撃を受け止め、その膂力は推し量ったつもりだった。
少なくとも、スピネルで生成された糸を力ずくで断ち切るような怪力ではなかったはずだ。
(力が――上がっている?)
咒式等の力を発動させたか――あるいは、単なる出し惜しみか。
だが推測は不要。
これは楽しむべき闘争ではない。生きるための闘争ではない。
一瞬でも早く、眼前の敵を消し去る。そのための戦いだ。
故に迷わず、放つ一撃は常に必殺。
(なんにせよ、これで分かる!)
全力で放つ、ネレトーでの刺突。
それを、やはり少女はこともなげに金属バットで防ぐ。
――それだけならばまだしも、少女はそのままバットを振りぬいてみせた。
「っ!?」
弾き、返された――?
最強の前衛職のひとつである剣舞士。さらにその十三階梯。
全咒式職のなかでも屈指の腕力を誇るギギナが、押し負けていた。
体勢の崩れたギギナを前に、天使はとまらない。
振りぬくバットを引き戻すようなことはせず、まるで独楽のように回転しながら一歩、ギギナに詰め寄る。
そう、計らずしもそれこそが愚神礼賛の本来の使い方。
遠心力と彼女自身の絶大な膂力が組み合わされ、まさに暴風のようにギギナを襲う。
「ぬぅ……!」
力任せだけの攻撃ならば、ギギナの精緻な剣術の前には敵でない。
不幸だったのは、ここが狭い地下通路だということだ。
それは大柄なギギナと、長大な屠竜刀ネレトーという組み合わせにとってみれば最悪の条件だった。
対して彼女――三塚井ドクロは小柄な上、得物も屠竜刀ほどの長さはない。
故に、彼女はほとんど制限を受けずにその腕力を振るうことができる。
「舐めてかかれる相手ではない、か」
冷静に考えるのならば、まずは戦場を移すべきか。だが――
「キャハッ! キャハハハっ!」
眼前の少女は、すでに掘削機の様相である。
地下道であるという制限もすでに関係ない。彼女の振り回す金属製の棒は、壁だろうがなんだろうがお構いなしに削り取る。
もはや刃を合わせることすら困難。今の彼女の膂力はギギナと同等、あるいは上回っているかもしれない。
逃げても背後から襲われるだけだろう。もとより、ドラッケンに後退の選択肢はないが。
ならば、自分は手も足も出ない――?
「……調子に乗るな」
ギギナの唇からもれるのは地獄の底から響くかのごとき、怨嗟の声。
こんなものはただの児戯だ。
竜を始めとする異貌の者共、そして数々の咒式士との死闘を潜り抜けた自分にとって、一体どれほどのものだというのか。
(それは貴様も同じだったはずだろう。ええ? クエロ・ラディーンよ?)
弔いではない。敵討ちというわけではない。
ただ、自分は胸の内にある靄には惑わされない。
ドラッケンの戦士は、その屠竜刀を振るうことによってのみ、煩悩を削ぐ。
後ろに跳躍。距離をとりネレトーを上段に構える。
刃先が天井に突き刺さり、固定された。
構わない。ただ、迫る障害のみを直視する。
――回転弾層内に残る咒弾は四つ。
ひとつは先ほどのスピネルで使用し、もうひとつは地下道を走るために使用した梟瞳(ミネル)の咒式で消費している。
さらに咒式を紡ぎ、ギギナは魔杖剣のトリガーを引いた。
「――終わりだ。消えうせろ」
発動するのは生体強化系第五階位、鋼剛鬼力膂法(バー・エルク)。
生成されたグリコーゲン、グルコース等によって乳酸を分解、ピルギン酸へと置換。
脳内における筋力の無意識制限を解除し、全身の強化筋肉が最大限に稼動する。
――ギギナの屠竜刀が消えうせた。
もはや、それは不可視の一撃である。
少女のスイングを暴風と称するのならば、ギギナの剣戟は落下する彗星のごとく。
地下道の天井すら切り裂いて、ネレトーが神速をもって振り下ろされる。
それでも、少女は反応した。
「ほぉ―――むぅらぁああああん!」
キラリと光るその双眸は、ばっちりとネレトーを捕らえきっている。
故に、彼女は迎え撃つように、正確なタイミングで巨刃を打ち据えることができた。
――惜しむらくは、彼女の持っていた得物だろう。
そう、彼女は忘れていたのだ。
自分が手にしているのは、愛用の不思議金属でできた撲殺バットではないということを。
そして――屠竜刀のガナサイト重咒合金が、鉛製の愚神礼賛を寸断した。
「あ――」
無論、得物を切断しただけでは終わらない。
振り下ろされた刃は、次に彼女の肩を捕らえた。
呆然とした彼女の表情を、ギギナの聴視覚が捉える。
――狂気にも似た感情が抜け落ちたその顔に、ギギナはようやく見覚えがあることに気づいた。
昼間、確かに一度出会っている。ほとんど一瞬だったし、その直後のゴタゴタで忘れていたが。
それなりの人数で組んでいたようだったが、周囲に仲間の影は見えない。
はぐれたのか、それとも彼女だけが生き残っているのか。
あるいは、あの時の無害そうだった彼女がこうなっているのも、そのせいなのか――
それらの想像に対して、なんの感慨も抱かず。
ギギナはただ、そのまま袈裟切りに彼女を切り捨てた。
涙も達成感もなく、どこか空虚に。
小さな体が血を撒き散らしながら地面に倒れ付す。
その様子をみながら、ギギナはポツリとつぶやいた。
「……これで、終わりか」
因縁の相手は殺され、その犯人もこうして討ち取った。
だから、これでお終い。
「存外、なにも感じぬものなのだな」
何とはなしに、これは自分が求めていたものとは違う気もしていた。
だが、それを知る方法は自分の中にない。
ギギナは踵を返した。
あえて血払いはせずに、殺人の証が付着した屠竜刀を携えて、もと来た道を戻る。
これをクエロかガユスにでも見せれば、この空虚も満たされるのだろうか?
それとも、更なる闘争によって欠落は埋まるのだろうか?
――彼のその問いに答えられる者は、誰もいない。
◇◇◇
イタイ。イタイ、イタイイタイイタイ。
天使の少女は繰り返します。
少女は天使だけれど、それでも切られればイタイのです。
血を失えば、しんでしまうのです。
天使の少女は祈ります。しにたくない、しにたくない。
■くんにもう一度、あいたい。
だけど、祈るだけではなにも変わることはありません。
――だからお終い。三塚井ドクロのものがたりはここで閉幕。
さあ、彼女の物語を始めよう。
◇◇◇
クリーオウという名の少女は、クエロの亡骸の傍に座り込んでいた。
死体を見て項垂れているその姿は、まるで懺悔をしているようにも見える。
(クエロと協力関係にあったと見るのが妥当か)
あの女ならば、レメディウス事件の時のようにいくらでも取り入ることはできただろう。
クリーオウはそれを知らないのか、あるいは、知っていても割り切れない性格なのか。
ギギナは頭をふった。考えても仕方ない。思考は自分の役割では――
(いや――そうだな。これからはそうも言っていられぬのか)
あの相棒はもういないのだ。面倒くさいことを押し付けてきた相棒は。押し付けることのできた相棒は。
それでも、いまはそれがとてつもなく億劫だ。
「終わったぞ」
故に、事務的な言葉をかけるにとどめる。
幸いこちらの言葉が聞こえなくなるほど茫然自失としていたわけではないらしい。
振り向かず、だが彼女の注意が確かにこちらに向くことを感じる。
「この――この人はね、クエロって」
「知っている」
「え?」
「……クエロ・ラディーンとは、ここに来る前から浅からぬ縁があった」
「そう、なんだ……」
クリーオウは僅かに沈黙をはさみ、おずおずといった風に尋ねた。
「クエロって、どんな人だったの……?」
「それは――」
一言では言い表せない。
狡猾のみで構成された人間というわけではなかっただろう。
では正義の咒式士かといえば、無論違う。
死体を見つめたままの小さな背中を見つめながら、ギギナは思ったままの言葉だけを託した。
「自分の見たものがすべてだ。貴様にとってのクエロを私は知らぬ。
貴様は、私にとってのクエロを知りたいのか?」
「……ううん、いらない。
クエロは最期に私に逃げろっていってくれた。……私にとっては、それだけで十分だから」
前に進む分には、足りる。
「立ち上がれるか」
ギギナの問いにクリーオウは頷き、すぐにひざを地面から離した。
なるほど。ここまで生き抜いてきただけはあって、それなりに気丈ではあるらしい。
嫌いではない――こういった小娘ならば、それほどまでには悪くない。
「ギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフだ」
「……それ、名前?」
「ギギナでいい」
「じゃあ、ギギナさん。オーフェンは――」
どこに。そう彼女は続けようとしたのだろう。振り向いた彼女の口元は、そう動いたように見えた。
だが同時に、クリーオウはどうしようもなくその表情を引き攣らせてもいた。
血まみれの屠竜刀が問題というわけではないらしい。彼女の眼球は別のものを映している。
その頃には、ギギナも背後の剣呑な気配に気づいていた。
振り向き、咄嗟に武器を突き出したのは、攻性咒式士としての反射的な行動だろう。
次いで襲い掛かる衝撃。『先ほど』とは比べ物にならない程の威力。
足が地面にめり込むのを確かに感じながら、ギギナはそこにいる襲撃者の姿に思わず目を疑う。
背後にいたのは、確かに致命傷を負わせたはずの少女だった。
負わせたはず、というのは、その痕跡が一切認められないからである。
傷はもちろんとして血痕、血臭、その他諸々。まるで切られたという事実を無しにしてしまったかのごとく。
(竜のような超再生咒式!?)
答えを見つける隙など与えず、二撃目が振るわれる。
その襲い掛かる凶器――確かに両断された愚神礼賛も、繋ぎ目すら確認できないレベルで修復されていた。
だが、そんなことは問題ではない。
その一撃は屠竜刀を撥ね退け、さらにギギナの体勢を大きく崩させるほど強化されていたが、それは問題ではない。
なにより変わっていたのは少女の纏う雰囲気だった。
さきほどまでのふざけた雰囲気は微塵も見つけることもできず、あるのはただ明確な攻撃衝動のみ。
故に、凶器の殴打は二回で止まらなかった。
D4の入り口付近は、ギギナが屠竜刀を自在に振るえる程度には広さがある。
剣術が制限されないのなら、ギギナは咒式を使わずともこの少女に勝てる――その筈であった。
技術と、単純な身体能力としての性能。どちらに重点を置いたほうがが勝るか、あるいは有能か?
その問いの答えは様々だろうが、この場でひとつだけいえることがある。
すなわち――あまりにも差があれば、人並みはずれた身体能力は技術を上回るということである。
一合、また一合と打ち合うたび、天使の膂力はそのリミッターを外し、より強大になっていく。
すでにそれは、強化された生体咒式士の目ですら追いきれない領域に入り始めていた。
「ぐっ――!」
弾く、弾く、弾く。だが、もはやそれは直感に頼ったその場凌ぎという意味でしかない。
あまりにも隙のない連撃。腕を痺れさせる威力。そこに技術が介入する余地などない。
すでにたっている土台が違う。いまのギギナは高所から一方的に狙撃されているようなものだ。
手の届かない神域。確かに、目の前の少女はそこにいた。
意識せずに、ギギナの口元が歪む。獰猛な笑みの形に。
(――くだらないと言ったのは訂正しよう。
我等が闘争への介入を許すわけではないが、それでも貴様は――)
腹部を狙って横薙ぎに放たれた愚神礼賛を、下から振り上げるようにしたネレトーで弾く。
それは先の戦いの焼き直し。
ギギナの屠竜刀は頭上に掲げられ、天使のバットは腰だめに構えられる。
「我が闘争の相手として、相応しい!」
回転弾層がトリガーと連動し、落ちた撃鉄が咒弾を砕く。
途端、脳が焼けそうなほどの痛みが走った。
通常時ならば問題はない。だが力の制限のためか、短時間で連発した第五階位が相当の負担となっている。
――故に、この交差で勝負をつけねばならない。
発動した咒式は幾多の敵を葬ってきたバー・エルク。だが、すでにそれが必殺足り得ないことは分かっている。
すでに身体能力が違いすぎた。相手の力はすでに数百歳級の竜と遜色ない。
ギギナが行ったのは、相手に届かなかった自分の土台を刃先が一ミリ届く程度に持ち上げたくらいの意味しかない。
だが、僅かにでも届くのならば――
「ォ――ォォオオオオオオオ!」
「――!」
もはや打ち合いとは思えぬほどの衝撃音が、島の地底を揺るがした。
屠竜刀が愚神礼賛を捉え、愚神礼賛が屠竜刀を打ち据える。
身体能力ではかなわない。故に、ギギナの目論見は武器破壊。
物質が衝突する時に発生するエネルギー量は速度の二乗に比例する。
そして目の前の少女が振るう武器の速度は、先ほどの二倍や三倍ではきかない。
だからこそ、愚神礼賛の運命も変わらない。
――愚神礼賛が、先ほどと同じ状態ならば。
「……っ!?」
愚神礼賛は彼女が修復した。奇妙な魔法で、不完全な力で。
故に起こった突然変異。それは鉛の塊に過ぎなかった愚神礼賛を、ダイヤ以上の硬度を持つ刃と打ち合えるほどに強化した。
そして天使の膂力は、すでにギギナを凌駕している。
ならば、そこから弾き出される運命とは――
「……かっ、は」
ギギナの敗北に他ならない。
ネレトーでの一撃を弾かれ、そのまま多少勢いを削がれたものの愚神礼賛は直進。ギギナの胸部を捉えていた。
相殺してなお、その一撃には筋肉の壁を貫通し、肋骨をへし折る威力がある。
装甲車並の体重があるにもかかわらず、ギギナは確かに数メートル宙を舞い、そして地面にたたきつけられた。
「ギギナぁっ!」
朦朧とする意識に、悲痛な叫び。
クリーオウだった。首だけを動かしてなんとか視界に納める。
(何故――馬鹿なことを)
――見れば、彼女は立ち塞がっていた。
天使の視界には未だギギナが写っている。止めを刺すつもりなのだろう。
ゆらりとした足取りで、ギギナに向かおうとした。
その進路を遮るように、クリーオウ・エバーラスティンは立ち塞がっていた。
肋骨の痛みを無視して、ギギナは声を振り絞る。
「娘、退け!」
だが、クリーオウは動かない。
体中が恐怖に引きつってはいたが、それでもそこには否定の意がはっきりと表れている。
マジク・リン、空目恭一、サラ・バーリン、秋せつら、クエロ・ラディーン。共に、奪われた者達。
死への恐怖を差し引いても、これ以上の喪失を彼女は認められなかった。
「マジクは私のいないところで死んじゃった! 恭一も私をかばって死んじゃった!
クエロももういない! もう嫌だよ! どうしてみんないなくなっちゃうの――!」
……ああ、まったく。
ギギナはため息を吐いた。多少は気丈かと思ったが、やはりどこにでもいる小娘に過ぎない。
ならば――
「その背に隠れていることなどできぬ、な」
血反吐を撒き散らしながら、立ち上がった。
戦場で咒式士の死体を見つけたら、ドラッケン族かどうか判別する簡単な方法がある。
前向きに、独りで倒れているのがドラッケンだ。
そうだ――他人に庇われながら死ぬのは、断じてドラッケンではない。
「るぅうううううううううおおおおおおおおおおお!」
矜持? 誇り? そんなもの、ドラッケンとして刃を振るえば後からついてくる。
だから、走れ。激痛に顔をゆがめ、血みどろの姿で、後先考えず雄叫びを上げて!
クリーオウを回り込むようにして、ギギナは自分を吹き飛ばした怪物を確認する。
天使の少女もそれは同じ、ギギナを視界から外すような下手はしない。
幸いなことに、バー・エルクによる強化はまだ続いていた。故に、疾風と化したギギナの駆ける道はどこまでも直線を描く。
接敵した後のことなど考えていない。だからこそ最短距離を走り抜ける。
対して、天使の少女はその場から動かなかった。
動く必要がなかったからだ。だが、それは余裕という意味ではない。
愚神礼賛が振り上げられる――光の粒子を纏いながら。
「ぴぴるぴるぴる――」
無感情な声音で零されていく魔法の擬音。
たとえばそれは、振り下ろされる聖剣の如く。
荘厳なまでに凝縮する、神の使いの光。
彼女の能力で作り変えられた愚神礼賛は、いまやほとんど魔法の杖だ。
死者蘇生という点でエスカリボルグには及ばないかもしれないが――それでも、害をなすだけならば。
「――ぴぴるぴ〜」
放たれた。
七色の奔流。決して触れてはいけない天使の魔法。触れればその存在は陵辱され変質する。
直線的に突っ込むギギナに、これを避ける術はない。
――避けるべき状況でもない!
――避けるべき状況でもない!
「こんな――もので、ドラッケンを止められると思うな!」
突き出される屠竜刀。
意思に呼応して、ネレトーに組み込まれた鬼才ジュゼオ・ゾア・フレグン製作の法珠が唸りを上げる。
咒式干渉結界が自動展開。残っているギギナの咒力が余さず注ぎ込まれ、機関部が悲鳴を上げる。
そして閃く銀と、虹色の魔法が激突した。
虹は刃を土くれに変えんとさらにその光を強め、幾多の竜を狩った巨剣はそれすら滅殺しようと咆哮する。
(耐えてみせろ、私の半身。唯一私が認めた屠竜の刃!)
刃と光の拮抗は、そう長くは続かなかった。
その結果に対する原因は、なにか。
ギギナの矜持が勝ったのか、それとも愚神礼賛の本質が魔法の武器でなかったことによるものか。
いずれにせよ、ギギナとネレトー――彼らは、向かい来る爆光を切り裂いた。
天使の少女に生じた、刹那の隙。切り掛かるには足りず、されど確かに存在する。そんな隙。
迷わず、ギギナはクリーオウと天使の間に滑り込んだ。
屠竜刀を構える。が。
「……」
無言のまま振るわれた愚神礼賛に、ただの一合でネレトーは手を離れ、遠くに落ちた。
魂砕きは地下通路を走るのに邪魔だったため、背負っているデイパックの中だ。
とりだす時間など、もはや、ない。
そして、逃げるという選択肢もないのなら――
「零時にE5の小屋だ! 行け!」
せめて、約束は果たそう。背後のクリーオウに声をかけながら、覚悟する。
同時に、敵の凶器が振り上げられた。こちらは無手。ならば挑むのは零距離での密着戦闘。
剣舞士の膂力は、大木の幹ですら小指一本で爆砕させる。
その抜き手を、全力で相手の武器を握っている手首に叩きつけようとして――
一瞬で、その手を握り締められた。
「ぐ――、ぅ」
手を握りつぶされそうな痛みが襲ってくる。だというのに、それを行っている少女の表情はどこまでも冷徹。
そのまま天使はギギナの体を軽々と持ち上げ、地面に叩き落した。
受身すら取らせてもらえず、意識が朦朧とする中、ギギナが見たのは今まさに振り下ろされんとする凶器の影――
「――だめっ!」
そして、再び彼を庇おうとしている金髪の感触。
(愚か――者、が)
――乾いた音が、辺りに響いた。
◇◇◇
彼女は、己が消えていくのを感じていた。
自分の中にあった喪失感が、さらに自分自身を侵食しているのが分かった。
最後に――は、なんと言ったのだったか。
思い出せない。だけど、無性に誰かに会いたくさせられた。
「……いたい……ぁいたいよう……」
今にも消えそうな、掠れた声。
それは彼女が消えかかっているからか、それとも別の理由からか。
激痛は幸運だったのかもしれない。
それが切欠で、消える寸前の彼女は僅かな時間、取り戻すことができた。
「ねえ……どこにいるの……?」
最後に『彼』の台詞を聞いたのはいつだったのか。
すでにそれすら思い出せないほどに、『それ』は侵食している。
彼女の幼さが残る無表情(死に顔)を彩るものは紅くて、
「桜、くん……!」
鮮血と知れた。
◇◇◇
クリーオウ・エバーラスティンは多少剣術を齧っただけの少女である。
たとえば撲殺した人間を再生することもできなければ、大怪我を負ったまま戦闘することもできない。
何より、彼女に人を殺せるような覚悟などない。
――それらを踏まえたうえで、関係ないと断言できる。
なぜなら、それはそういう武器だからだ。
銃。殺傷のためだけに造られた兵器。引き金に触れるだけで、殺人を実行する。
反動と人を撃ってしまった感触に震え、クリーオウは魔弾の射手を手からこぼした。
ほとんど密着した状態。ここまで近ければ、銃口が真横を向かない限り外れない。
放たれた銃弾はたった一発。だが確かに相手の腹部を打ち抜いていた。
その穿たれた生命を零していく穴から、腹圧で血と、その奥に蠢く肉の塊が――
「あ――わた、わたし、人を」
それでもクリーオウ・エバーラスティンはただの少女だ。
天使の少女は再び回復する。それでももはや、クリーオウに銃を拾い直す勇気などなかった。
――故に、後を継ぐのは凶戦士である。
耳元で響いた銃声に、ギギナの朦朧とした意識は叩き起こされた。
そして、発見する。地べたに伏している自分の目前にある見慣れた形状。
僅かな思考。それは彼に似つかわしくない逡巡か、それとも祈りか。
それでも、すぐに手を伸ばし、
「――借りるぞ、眼鏡っ!」
贖罪者マグナス。彼の相棒が用いていた補助用の魔杖短剣が、いま――クエロの手から、引き継がれた。
――奇しくも、ここに決着する。
ガユス・レヴィナ・ソレル。
ギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフ。
クエロ・ラディーン。
ジオルグ・ダラハイド事務所の因縁にあった三名が、それを決着させる!
その一突きは、およそ今までの中でもっとも力のない一撃だっただろう。
速度も威力も練度もない、まるで児戯のような斬撃。
それでも、この刃に乗っているのは――三人分の意思に他ならない。
抵抗らしい抵抗はなかった。茫然自失としていた天使の少女の喉笛を、短剣が切り裂く。
だがそこから血が噴出すよりも速く、雷速の動きでギギナのマグナスを握っていない方の手が彼女の首を掴んでいた。
――いかなる理由かは分からないが、致命傷を与えるだけではこの少女を殺せない。
――ならば、もっとも確実な殺害手段は。
「るぅぅぅううううあああああ!」
いくら元の力を取り戻しても、天使の、小柄な少女としての質量は変わらない。
ギギナは残る力をすべて振り絞って、彼女を――放り投げた。
放物線を描き、彼女は十数メートルもの距離を飛行し、そしてギギナの目論見どおりの地点に落ちる。
響く水音と、跳ねる飛沫。
D-3の地下湖。そこは現在、禁止エリアとなっている。
進入すればいかなるものであれ、魂ごと消滅するとされる、ある意味での最終兵器。
そこに、天使の少女は沈んでいった。
見届けて、今度こそギギナはその場に崩れ落ちる。
体の欠損を前提にしているような前衛職のギギナだからこそ生きていられるような傷である。
さすがに、これ以上は意識を保つことができそうになかった。
昏倒する彼の胸中が、どのような思いで満ちていたか――
少なくとも、今度は空虚ではなさそうだった。
◇◇◇
ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ〜
◇◇◇
さて、ここらでひとつ種を明かそうか。
なんの種かって? それは聞けば分かるよ。
現時刻からほんの二十分ほど前に亡くなったバベル議長は、すべての刻印にちょっとした小細工を加えた。
それはつまり、三塚井ドクロの刻印に施した小細工を誤魔化すためのカムフラージュだ。
つまり、本命は三塚井ドクロだけってわけだね。
だからこそ、彼女の刻印は一番その性能を歪められていた。
ところで、管理者の力は強大だ。
仮に三塚井ドクロの刻印が解除されても、まあ――色んな意味で甚大な被害を与えるとは思うけど、それでも敵うはずはないね。
だから、一番賢い――ていうか、ずっこい刻印になるようにバベル議長は仕組んだのさ。
まず、力の制限を外した。これはいいね。
次に、刻印の反応自体は消さなかった。これもいいね。管理者にばれないようにしたって訳だ。
さて、三番目。これが重要なわけだけど、バベル議長は当然、ドクロちゃんの人となりを知っていた。
それは――まあ――つまり――お世辞にも知的とはいえないところとかさ。
だからこそ、三番目の細工を組み込んだんだ。
ある意味彼女の刻印こそが、脱出派が求める完成形だと思うよ。
――え? 話がメタで長い上に、なんの種明かしか分からないって?
いまから話そうとしてたじゃないか。まあいいや。さきに言っちまおう。
――呆然としてたクリーオウ・エバーラスティンが、
対岸に、確かに禁止エリアだった湖から這い出てきた、無傷の三塚井ドクロを見て悲鳴を上げたことについての種明かしさ!
◇◇◇
「どこにいるの……どこに……」
まるでそれこそが魔法の呪文だとでも言うように、天使の少女は繰り返し呟きます。
湖から這い出て、彼女は後ろを振り向きませんでした。
だって、そこには――■くんは居ないから。
だから彼女は歩き続けます。まだ見ぬ方角に。まだ■くんがいるかもしれない方角に。
ぽたり、ぽたり。
彼女の体から滴る水滴に混る、もっと粘着質な音。
曇硝子のような彼女の瞳がぎょろりと動き、首筋から零れる紅い雫を捉えます。
「……ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ〜」
謎の擬音によって修復されるのは、直りきっていなかった首筋の傷。
――天使とは非常識な存在です。
棘バットを振れば真空が発生し、そこから生まれたカマイタチは人体をサイコロ状に切断してしまいます。
霧状になるまで粉砕した肉体を、ただの一声で元通りに生き返らせます。
己の感情ひとつでブリザードを引き起こし、残像が長らく残る速度で移動することもやってのけます。
だから、これは異常なことなのです。
彼女が自分の傷すら治しきれないというのは、とても異常なことなのです。
それは持っているのがエスカリボルグではないからなのか、それとも他の原因があるのか。
彼女のなかで膨らむのは自己に対しての違和感。そして■■■に対する渇望。
――少し前まで、彼女の刻印は不完全ながらもその機能を存続させていました。
ですが、天使としての力を使えば使うほど、その刻印は機能を狂わせて。
そして現在、彼女の刻印はとうとうその効力を失いました。
彼女は再び天使としての、本来の力を取り戻したのです。
そう、刻印が消え去った、その一瞬だけ。
刻印に備えられていた力は三つ。
情報の送信。参加者の能力の制限。そして禁止エリア、あるいは管理側の意思による強制殺害。
ですが、『本来搭載されていた能力』がこれだけだと、どうして言い切ることができるでしょう。
すでに、夜闇の魔王が作成した刻印には人の手が入っているのです。
魔術師ケンプファー。そして今は亡きルルティエ議長バベル。両名の手によって。
故に、歪みは相乗効果を発揮し、本来あった機能を削ります。
備えられていたはずの、第四の機能――それは、参加者の『違和感』を取り除くこと。
盤上にはいくつもの異世界から参加者が集められ、同じ世界の出身でも呼び出された時間が違う場合もあります。
そんな、滅茶苦茶な舞台に整合性をつけるための手段。
ゲームの進行を円滑にするために。殺し合いをスムーズに行わせるために。
ですがその効力はほぼ失われました。
残りかすとして僅かに発揮されたとしても、それは例えば召喚された時期を混乱させる程度になってしまいました。
だけど、三塚井ドクロの場合は違います。
バベルが仕組んだのか、それともただの偶然か。彼女の刻印は、奇跡的にその機能を発揮していたのです。
故に、彼女はちっとも変に思いませんでした。
まるで、すぐ傍に彼がいるかのような、そんな態度をとり続けました。
己の力の減退にも、エスカリボルグがないという以外では、まったく頓着しませんでした。
ですが、刻印が解除された今、その機能は失われました。
そして彼女の場合、それは致命的なことだったのです。
刻印がなくなった後も、彼女は力を使い続けます。
刻印は、すでに彼女から違和感を取り除きません。
ならば、彼女は発症します。天使の憂鬱。個性を、天使にとっては血肉にも等しい己のパーツが希薄になっていく病。
力を使えば使うほど、彼女は全盛期の力を失い、さらに消滅の時は早くなっていきます。
すでに彼女は致命傷を二度、癒しました。剣舞士を遥かに凌駕する力を振るいました。
こうして疲労も感じずに歩いていく。それだけで、彼女は己の力を失います。
だけど、『天使の少女』は探すのです。
消えかけた自分で、自分の個性を。
自分の大切な物を、この島では絶対に出合うことのできない彼を。
――これは彼女が紡ぐ、薄い、薄い、消えかけのオハナシ。
【D-4/地下/1日目・19:40】
【ギギナ】
[状態]:肋骨全骨折。打撲。昏倒。疲労。
[装備]:屠竜刀ネレトー。贖罪者マグナス。
[道具]:デイパック(ヒルルカ、咒弾(生体強化系2発分、生体変化系4発分)、魂砕き)
[思考]:クリーオウをオーフェンのもとまで保護。
ガユスの情報収集(無造作に)。ガユスを弔って仇を討つ?
0時にE-5小屋に移動する。強き者と戦うのを少し控える(望まれればする)。
【クリーオウ・エバーラスティン】
[状態]:右腕に火傷。疲労。精神的ダメージ。錯乱。
[装備]:強臓式拳銃 “魔弾の射手” (フライシュッツェ)
[道具]:デイパック1(支給品一式・パン4食分・水1000ml)
デイパック2(懐中電灯以外の支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン4食分・水1000ml)
缶詰の食料(IAI製8個・中身不明)。議事録
[思考]:???
[備考]:アマワと神野の存在を知る。オーフェンとの合流場所を知りました。
※ギギナとドクロちゃんとの戦闘で激しい音が発生しました。
地下にいた人物、D−4地上にいた人物なら気づく可能性があります。
※E-4地下通路に懐中電灯が落ちています。
【B-3/地下通路/一日目・19:40】
【ドクロちゃん】
[状態]:『天使の憂鬱』発症。
[装備]: 愚神礼賛 (シームレスバイアス)
[道具]:無し
[思考]:桜君を探す。攻撃衝動が増加。
[備考]:刻印が解除されました。最長で二十四時間後、彼女は消滅します。
力を行使すればするほど、消滅までの時間は縮まります。
保守
○<アスタリスク>・9
介入する。
実行。
終了。
・
・
・
黒い鮫の姿をした悪魔が猛り狂い、しずくの上半身に噛みついたまま暴れ回る。
機械知性体の少女は並外れた頑丈さ故に即死を免れたが、抗う力を失った。
カプセルを何個かまとめて嚥下し、甲斐氷太が笑う。虚空に白い鮫が出現する。
白鮫は、黒鮫の顎からはみ出ていた下半身に狙いを定めた。
不運な獲物が二つに裂ける。
この玩具には飽きた、とでも言いたげな様子で、二匹の悪魔は残骸を吐き捨てた。
瞳を真っ赤に輝かせて、甲斐の体が宙に浮かぶ。
鮫たちが、肉と骨を軋ませながら大きさを増していく。
暴走している。悪魔も、召喚者も。
カプセルを咀嚼しつつ、甲斐が背後を振り返る。
彼の次なる対戦相手は、凶行の現場へ駆けつけた男女だった。
宮野秀策が魔法陣を描いて触手を召喚し、光明寺茉衣子が蛍火を指先に作り出す。
鮫たちが尾を薙ぎ払った。機械知性体だった物体が二つ、砲弾のごとく飛翔する。
硬さと速さを兼ね備えた飛び道具は、それぞれ一瞬で二人組に激突した。
宮野の顔面が肉片の塊と化し、茉衣子の内臓が盛大に破
・
・
・
○<インターセプタ>・5
干渉可能な改竄ポイントは数多く存在している。過程や結果は何度でも変えられる。
ただ、どうしても、宮野秀策と光明寺茉衣子の死を回避することができない。
死に至るまでの行動も、どのように死ぬのかも、多少は操作できるというのに。
また一つ、可能性が潰えた。
十三万八千七百四十三回目の介入は、彼と彼女の死によって終わった。
これまでの試行錯誤が無駄だったとは思わない。
宮野秀策がフォルテッシモに倒される結末は、抹消した。
光明寺茉衣子を小笠原祥子が刺殺する結末は、削除した。
宮野秀策と零崎人識が相討ちになる結末は、なかったことにした。
光明寺茉衣子がウルペンによって絶命させられる結末は、跡形もない。
彼と彼女がハックルボーン神父に昇天させられる結末は、もはやありえない。
あの二人を生還させることは未だ叶わないが、死を先延ばしにすることはできた。
歴史が改変され、あの二人を殺すはずだった殺人者たちは別の参加者たちを殺した。
宮野秀策と光明寺茉衣子の生還を確定した後、被害を最小限に抑える予定ではある。
だが、あの二人を守ることが最優先だ。
参加者たちの危機感を煽る必要がある。見せしめとして一人は開会式で死なせる。
炎の獅子の力は不可欠だ。主催者と戦えば惨敗は必至だが、挑んでもらわねば困る。
零時迷子を『世界』に嵌め込むため、涼宮ハルヒと坂井悠二の命は助けられない。
それらを犠牲にせねばあの二人が生き残れないというのなら、犠牲を厭いはしない。
誰がどれだけ死んでしまっても、彼と彼女は助けたい。
被害者全員を生かすことは、できない。
たった二名の人間すら救えないかもしれない程度の力しか、使えないのだから。
……あの二人を両方とも救うことは、ひょっとすると不可能なのかもしれない。
無論、諦めてはいない。だが、そのような事態を考慮しないわけにはいかない。
もしも彼を救えないなら、せめて彼女だけでも生き延びさせたい。
だから、打てる手はすべて打っておく。なるべく早く、できるだけ速やかに。
当然、『あの島の時間』と『わたしの時間』は異なるが、それは余裕を意味しない。
この身が模造品であるならば、短命な粗悪品だったとしてもおかしくはない。
急がねばならない。
干渉不能な部分を補うため、操作不能な部外者に協力を乞うべきだと提案する。
<自動干渉機>に求める。
対面交渉の許可を。
・
・
・
○<アスタリスク>・10
承認する。
十三万八千七百十四回目以降の介入履歴を消去し、改竄ポイント変更後に介入する。
実行。
終了。
・
・
・
霧の中、“吊られ男”の眼前には幾人かの参加者がいる。
少し前に第三回放送が終わったばかりだ、ということになったところだ。
以前の『現在』とは少しだけ違うはずだが、似たような『現在』が視線の先にある。
美貌の吸血姫は、黒衣の騎士を伴い、隻腕の少年と気丈そうな少女を連れて進む。
光明寺茉衣子が向かっているのかもしれない、C-6のマンションを目指して。
「苦労しているようだね」
空気を振動させない“吊られ男”の声は、誰の鼓膜も揺らさない。
しかし、その一言は独白ではなかった。
「お願いがあるのです」
応じた相手もまた“吊られ男”と同様に『ゲーム』の参加者ではない。
いつのまにか隣にいた<インターセプタ>を、“吊られ男”は見ようとしない。
「徒労に終わると思うよ」
「徒労に終わるか否かを確認することは……それ自体が徒労だと言うのですか?」
投げかけられた質問に対し、マグスは苦笑を浮かべた。
「まさか。ありとあらゆる知的好奇心を、ぼくは否定しない」
時間移動能力者は、悲しげに顔をしかめた。
「では……この殺し合いを企てた悪意すらも肯定する、と?」
参加者たちが去っていった道から目を逸らし、“吊られ男”は隣人を見た。
「前提が間違っているとしたら、正しい答えは導き出せないな」
怪訝そうな表情で見上げる彼女に、彼は要点を述べる。
「『知りたがっている』のと『知りたいと言いたがっている』のは違う」
困惑する<インターセプタ>に向かって、“吊られ男”は微笑する。
「この『ゲーム』の主催者は、心の実在が証明された瞬間に消えるのかもしれないよ?
主催者の正体は、具象化した疑問そのものなんじゃないのかな? 答えを認めたら
疑問という『器』を維持できなくなって雲散霧消する存在だ、とは思わないかい?
主催者は本当に『知りたがっている』のかな? 『知りたいと言いたがっている』
だけじゃないかい? ああ、『主催者が消えた後に答えを残すためのもの』として、
参加者ではない存在がここにいる、という考え方はできるね。観測装置兼記録媒体
というわけだ。君の場合は検査機具かもしれない。歴史の改変くらいで消えるなら
記録の意味がないはずだから。でも、実は『答えを求めているふりをしているだけ』
なのかもしれないだろう? ――本当に、心の実在は証明できるのかな?」
突然の長広舌に絶句する彼女へ、彼は断言してみせる。
「主催者は、達成できないと考えている。答えはない、故に消されることはない、と。
本当は簡単なことなのにね。本来の望みから大きく歪んだあれは、もはや御遣いとは
呼べない。この『ゲーム』の目的は心の実在を証明すること。でも、主催者の目的は
永遠に問い続けること。だからこそ主催者は答えを認めようとしない」
「……あなたがどういう方なのか、なんとなく理解できたような気がするのです」
拗ねたような口調でそう言い、<インターセプタ>は肩を落とした。
「ところで、お願いって何だい?」
「徒労に終わると思っているのでしょう?」
「聞かないとも断るとも言っていないはずだけど?」
時間移動能力者の瞳が、マグスの顔を映す。
「この島の南部へ、できれば城の中まで歩いていってほしいのです」
「いいよ。散歩の行き先を変えよう」
「……ありがとう、ございます」
一礼して、<インターセプタ>は姿を消した。
・
・
・
○<アスタリスク>・11
介入する。
実行。
終了。
・
・
・
霧の中、“吊られ男”の眼前には幾人かの参加者がいる。
少し前に第三回放送が終わったばかりだ、ということになったところだ。
以前の『現在』とは少しだけ違うはずだが、似たような『現在』が視線の先にある。
美貌の吸血姫は、黒衣の騎士を伴い、隻腕の少年と気丈そうな少女を連れて進む。
光明寺茉衣子が向かっているのかもしれない、C-6のマンションを目指して。
「さて、行くか」
空気を振動させない“吊られ男”の声は、誰の鼓膜も揺らさない。
ささやかな異変は、その一言の直後に起きた。
美貌の吸血姫が立ち止まり、“吊られ男”のいる辺りを不思議そうに見る。
何かの痕跡を探るかのように、沈黙したまま、わずかに目を眇めて。
“吊られ男”は踵を返し、何やら独り言を垂れ流しながら歩き始めた。
「……ふむ」
短くつぶやいた美姫の足は、“吊られ男”の行く方に向いた。
しばらく島を歩いた後、辿り着いた城内の一室で、美姫は豪奢な椅子に腰掛けた。
室内に、人という生物の範疇に含まれている、と表現できそうな者はいない。
美姫は、無言で部屋の片隅を眺めている。
その位置には、一組の男女がいた。
“吊られ男”と“イマジネーター”だ。
「つまり、天使の議長は見つけたけれど管理者には会えなかった、と」
「薔薇十字騎士団とは別系統の管理者なのかと思っていたけれど……犠牲者だった」
「徒労に終わったようだね」
「そういうことになるのかしら」
『世界』の裏側も、所詮この『世界』の内部だ。決して到達できない場所ではない。
「そういえば……そこの彼女や、連れの三人には、私やあなたが見えているの?」
「どうだろう……語りかけたことも話しかけられたこともないから判らないな」
「あなたの後ろをついてきていたように見えたけれど」
「ぼくの隣に、ぼくたちには見えないけど彼女には見える何かがいるのかもしれない。
例えば、“魔女”が視ている異界の住民は、ぼくの目には全然見えない。この島には
何がいたって変じゃないよ。木工細工を作るときに使うような接着剤を自由自在に
操り、接着剤で像を作る才能を持った者だけが認識できる精霊――そういうものが
今ここにいても不自然じゃないくらいだ」
「…………」
やがて、ダナティア・アリール・アンクルージュの演説が聞こえ始めた。
部屋の片隅で、男女が唇を閉ざし、顔を見合わせる。
美姫はただ静かに顔を上げ、すべてを聞き終えると元の姿勢に戻った。
白い牙が生えた口から、言葉が零れ落ちる。
「日付が変わる前に潰されるようであれば、見物する価値はあるまい」
会いに行くか否かの判断は第四回放送後まで保留する、ということらしい。
部屋の片隅で、男女が対話を再開する。
「行くのかい?」
「あなたは行かないのね」
「せっかくだから、君が見ない光景をぼくは眺めておくよ」
「じゃあ、あなたが見ない光景を私は見届けてくるわ」
室内に、会話は存在しなくなった。
後には、ただ“吊られ男”の独り言が無為に漂い続けるのみ。
【G-4/城の中の一室/1日目・21:35頃】
【美姫】
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
[思考]:気の向くままに行動する/アシュラムをどうするか
/ダナティアたちに会うかどうかは第四回放送を聞いてから決める
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。
【座標不明/位置不明/1日目・21:35頃】
【アシュラム】
[状態]:状況、状態、装備など一切不明
【相良宗介】
【千鳥かなめ】
[状態]:状況、状態、装備などほぼ不明/千鳥かなめが相良宗介と寄り添いながら
ダナティアの演説を聞いていたことのみ、既出の話によって確定している
裏切りの対価はあまりにも早く訪れた
風を切る音が、世界を切り取る
突きつけられた凶器が、風見に目をそらすことを許さない
ここは惨劇の島の最底辺
渇望の音は果てしなく、怨嗟の声は途切れなく
肉を破る音に、まるで心臓を甘噛みされたような悲鳴が続いた
幼い膝はからめとられ、光沢に濡れる大腿が撫でまわされる、埋められた顔の下から、血と粘膜を啜る音がする
体は一つの楽器、一つの刺激に一つの悲鳴
優れた音は聞く者の身体に何がしかかを訴えかける
時折混ざる嬌声、あまりにも幼い恍惚、糸を引く水音が観客を舞台の上へと駆り立てる
ぬらぬら光って吐き気がする べたりと粘膜に張り付く香りがおぞましい
どす黒い快楽を強制される苦痛に心が焼けた
心臓を露出されてなお死ぬことも許されない血の呪い
精神の一滴までドリップされる恐怖
痛みさえ甘い味がすると体が教えてくれる
それを黙って直視し続けることは風見にはできなかった
受け入れるだけで自分が変質してしまう恐怖には逆らえない
滑稽この上ない度し難いまでの狭量
自分の居場所にそんなものが存在してはいけなくて、
そして怒りの矛先を向けた先は致命的に間違っていた
ここは惨劇の島の最底辺
夢を見るにはあまりにも暗い
◆
目を凝らしても星さえ見えない、真空みたいな月夜だった。
夜は不安になる、昼の間は気にもしなかったことがのしかかってくるみたいで、息苦しい。
何もできずに一日が終わる焦燥感というか、今日一日が空っぽだった様な寂寞感というか。
よくないものが中からあふれてしみだしてくるような感じ。
おかしな話だと思う。こんなにも長い一日だったのに。
「それだけ。じゃあね、ばいばい」
魔女が微笑み手を振って、くるりと裾を翻し、森の奥へと歩いて行った。
真っ青な光が木漏れ日みたいに差し込んで、下草に落ちた月影が世界を底から幻想的に照らし出す。
月明かりがまばらに散る、躓きそうな森の中、先行する聖をパタパタと追いかけていく。
足取りはふわり虚空を踏みしめているように軽やかで、去っていく姿はなんだか現実感が希薄だ。
さっきまでの惨劇なんて微塵も見せない。
まるで木霊でも追ってるみたい。
呆然とした頭で、風見はそんなことを思う。
ここは暗い。
ただ、森の奥といっても足元が見えないほど光がないわけじゃない。
空には月が出ている。
梢にさえぎられて直接には見えないけど、天窓から光がさしこんでいて、辺りはほのかに青く光っている。
ふと水族館というフレーズが浮かぶ。仄暗い都会派アクアリウム。月明かりの間接照明。潮の匂いも磯の香りもしない。清潔で無味無臭の展示場。
真っ暗だったりほの青かったりする巨大な水槽は、なんとなく真空の世界につながってる気がする。
要するに、広くて遠いのだろう。
背中がある程度小さくなって、ようやく風見は、なんだかまだ悪い夢の中にいるみたいだと、小さく溜息を吐いた。
身体の調子が悪化したか、それともまだ夢から抜け出せないのか、重い頭はぐるぐる振ると、視界がぼんやりふわふわ揺れた。
世界がひどく、粘液に浸かったみたいに生ぬるい。
そして、気を抜くと、未練たらしくぼうっと遠ざかる背中を追っている自分に、また気づく。
風見は大きく息を吸った。湿った空気で肺を満たす。水の中の風船を膨らませるような抵抗感。水気が痰や咳でかすれた気管に少ししみた。
あの後ろ姿はいつまでも見えてるわけじゃない、と風見はわずかに目を伏せた。
世界はそこまで連続的にできてない。
今はまだ見えているけど、ちょっと影の位置がずれただけで、一秒後にはそれこそ神隠しのように風見の視界から消えてしまう儚いもの……というのは少し比喩が過ぎるか。
まだ何かできることがあるんじゃないか、そんな錯覚に陥りそうにもなる。
呼び止めるなら今しかないんじゃないか。さっきそんなことばかり考えている。
苦笑しようとして、筋肉がひきつる。
話し合って、和解する。戦って引き留める。
いつだって選択肢は、勝手気ままに無責任に、風見の願望を誘惑色に塗りたくって、甘くて柔らかな肌触りを付け加える。
それでも触感はとてもリアルで、風見にも一笑に付すには無理がある。
信用は重さと似てる。感覚の話だ。カタチがあたえる質量を、人間はそんな簡単には無視できない。
ぐっと、声の気配が喉にある。錯覚に伴う衝動は、根拠がない分なかなかに暴力的だ。
じっとりとした感覚が指に滑る。
舌の奥で詰め物でもしたみたいに重いものが、じっと身じろぎ一つせずに放たれるのを待っている。
あと一息、お腹に力を入れたら言葉になる。
そのままで風見はじっと待った。
考えてるわけでも迷ってるわけでもない。答えは最初から決まっている。ただそれだけの時間が必要だっただけ。
詰まるように喉をひきつらせ、風見はそのまま力を抜いた。
息を吐く。
まとわりつくような気配が風見の周りで渦を巻いた。
(呼び止めたら、どうするつもりだったのかしらね?)
彼女とは、これっぽっちも話の通じる気がしなかったはずだ。
ちょっと自分の感情に深入りし過ぎただけ。
「重いわね」
誰にも聞こえないぐらいぐらいの声で風見はひとりごちた。
先まで考えようとすると憂鬱になる。
止める? どうやって? 戦って? 説得して?
どっちも無理だ。
彼女達と戦うには理由が無くて、説得するにも通じる論拠が無い。
昔読んでもらった童話を思い出す。あの背中は最初っから手の届かないところにあったんだと思う。
そうでも考えないことには精神衛生上あまりよろしくない。
見つめた背中はますます遠くなって、そうしているとだんだんそういうもやもやも薄れていった。
衝動につき合っていたらきりがない。そんな感情どうせ長持ちはしないのだ。
何とかしようとしないほうがいい、生きていればそんな時もある。
行動派の風見にはなかなかに受け入れがたい事実だけど、世の中むしろそのほうが多いのだろう。
たった一つの理由がない。
井戸の底の粒子もこんな気分なのかもしれない。
どんなにうず高く積み上げたところで、ひとつひとつがわずかばかりのエネルギーでは絶対に山を越えることはできない。
排泄不能の熱に変換されるのが関の山。
後悔もするし、むかつきもする。けれど人間それだけじゃ動けない。どんなにせっつかれても動けないものは動けない。
彼女の後ろ姿をただ見送る。
後悔はやっぱり胸を締め付けた。
それはある意味当たり前なのかもしれない。
最初っからコミになってるものをどけようとしたら無理が出る。
さわり、と森の向こうで風が吹く。
木々がざわめき、月影も揺れる。しっかりと繋がった二人の後ろ姿は、それこそこの世のモノならざるまれびとみたいに、その中に溶けるように消えていった。
これで終わりか、そう思っても、ちっとも気が晴れななかった。
大きく溜息をすると、のどがひりひりと痛む。
あー、本格的に風邪かしらねー。
風見は額に手を押しあてながらそう呟く。
渇きを催す鉄錆びた匂い。ざらざらとした、熱のこもった血の臭い。
中はとっくにぼろぼろだ、至る所で炎症が起き、供給ラインはとっくにズタズタ。やはり少し無理が過ぎたかもしれないと風見は思う。
最後にごほりと詰まるような咳をして、黄色くぶよぶよとした、塊みたいにな痰を絞り出して吐き捨てる。
もう一度、確かめるように深呼吸。でも、まだ少し息苦しい。呼吸するたびに何かが少し引っかかる。胸の奥のあちこちで、へばりつくように残ってるものがある。
緊張とか、後悔とか、不安とか、とにかくすべて吐き出したかったけど、胸にわだまかる澱のような気分はため息ぐらいでは吹き飛ばせない。
それこそ煙のように風見の周りを漂うだけだ。
木々のざわめきが、雲の流れる音が響く。ささめきが辺りを包む。
でも森の奥に、風は届かない。
空気は重く淀んでいる。
(放送まであと十五分ちょっとか)
中途半端な時間だ。振り返るには短すぎるが、抱えて、気まずいまま過ぎるのを待つには少しばかり長い。
「ブルーブレイカー」
本当にいろいろなことがありすぎて感情が自力ではリセットできそうになかった。
もう二人はここにはいない、子爵が二人の足元にいるが当分口出しはできないだろう。
「どういうつもり?」
言葉は実に舐なめらかに風見の口を衝いて出た。
なるべくニュートラルに声をかけたつもりだったが、口調にはしっかり不機嫌が乗っかっている。
視線は森の奥に固定したまま、見向きもしない。けれど肌が隣にブルーブレイカーの気配を感じてる。
「どういう?」
返事はいたってシンプルだった。
そこでようやく風見はブルーブレイカーに視線を投げる。
非難含んだ風見のそれに、ブルーブレイカーはどうかしたという視線を投げ返す。
正直、イラっときた。
(その態度はないんじゃないの?)
反射でそんな言葉が口をつきそうになって、飛び出しかけた罵声を風見はすんでで飲み込んだ。
そんなに大袈裟な話にはしたくない。修羅場はあまり望ましくない。こと風見にはそれに関して手痛い思い出が多すぎる。
かといって、見過ごすつもりもなかった。
なんだそれ、だ。風見はそんなごまかしを聞きたかったのではない。
じっと見つめ合ったままの、無言の応酬。
一秒ごとに空気が剣呑なものにと変わっていくのがわかる。
しらを切っているのか、本当に分かっていないのか、風見の曇った耳では合成音から判断できない。
ただ、いろいろなことなんて言ってみたけどそんなことはなく、今風見を苦しめてるのはたった一つの裏切りで、
風見にはそれははっきりと解釈の余地なく次なる裏切りだった。
ずっと胸に障ってた。
期待が裏返って心地よい悪意に火が入る。
癪に障るとかそういう気まぐれなものじゃない。信じれるか信じられないか、そこへ直結しうる理不尽に対する怒りだ。
だって、これだけの敵意に、無反応なんてありえない。
触らなければ流せるとでも思っているのか、守られるものだから仕方ないとでも考えると思ってるのだろうか。
だというならいくらなんでも舐めている。
身じろぎひとつしない。二人とも、静かに窺い合う。
不穏な空気が今の風見にはかえって都合がいい。
何といってもやりやすいのがいい。遠慮しなくていいのは気が楽だし……お互い様なら心も痛まない。
譲歩はなしだ、風見がそう決めた。不安とかをガラガラ巻き込みながら速度をあげる。
焦るな、自分に短く言い聞かせ、冷静を努める。
あれが正当な復讐なら、これは真っ当な追及。
彼だってわかっているはずなのだ。
筋を通してくれればそれでいい。詫びの一つでもあれば、それでチャラにする。
何かが風見に囁く。
彼が言わないというのなら、言わせなければならない。
実力行使だって厭う気はない。
そうじゃないと釣り合いが取れないような気がした、なんの釣り合いかはわからないけど、あれほど摩耗していたはずの感情が風見を駆り立てた。
風見は黙りこくる。
絶対、こっちからは教えない。
自分でもよくわからない感情に駆られて、さらにベットを上積みする。
突き上げてくる焦りを抑えて、風見は待った。彼に自ら答えてほしかった。といかそうでなければ意味がないと風見は思う。
お前はそんな奴だったのか、この問いはそういう意味を持つ。わかってないとは、言わせない。
ここで告げても、風見はその答えを信じられない。風見が問い詰めたら、ブルーブレイカーの言葉が嘘になる様な気がした。
そう言うことに、しておいた。間違っては、いない。
(ねえ、どうなのよ)
風見の中でブルーブレイカーはもっと高潔な存在だったはずだ。
銃使いの少年に襲われた時、風見は死んでいた。諦める諦めないの前に、詰んでいた。自力では、どうしようもなく死んでいたのだ。
だが風が吹いた。
人でも、機竜でもない、深い群青の機体。
飛ぶ姿はキレイだった。
人のカタチをした者ならだれもが憧れる、理想の結晶。
風見は共感した。
同じ空飛ぶヒトとして、道こそ違うが真摯に飛ぶことを突き詰めた最適の運動。生身では再現不能のしかし明らかに人体を模した旋回性能。
そして武神や機竜とは一線を画す、生物に近いサイズならではの繊細なモーション。
それは、機能だけで見るならもう一人の風見だった。
彼は風見に手を差し伸べた。
戸惑いはした、疑いもした。けど、彼は当たり前に手を伸ばしてくれる者だと理解して、風見は嬉しかった。
風見はあの時の気持ちを汚されたくはなかった。
(ねえ、ってば、応えなさいよ!)
こみあげる言葉を必死に抑える。
風見は待った。続く言葉を、誰からも強制されたものじゃない、ブルーブレイカーからの否定の言葉を待った。
そして、風見が言わなければブルーブレイカーが答えないと理解した瞬間、風見は一気にぶちぎれた。
首元に手を伸ばし、力任せにつかみ寄せる。
「さっきの事よ!」
叫びとともに、ごとり、と、頭の中、価値基準とか優先順位とか、そういう何かがまるごと反転する、心が不可逆変化する音がした。
手の中で装甲がみしみしと悲鳴を上げた。
そのまま押し込んだ腕と気迫がブルーブレイカーを一歩後退させ、背後の木に背中が当たる。
荒い息をつきながら、風見はブルーブレイカーをねめあげる。
「あんな胸糞悪い見せ物を見物するのが趣味なわけ?」
自然、声は脅しつけるような、静かなドスの利いたものになった。
自信がある、この声で選挙に出てたら当選確実だ。
絶対に対立候補が棄権する。
「……そうらしいな」
なのにブルーブレイカーは平然と答えた。
そのもう何にも興味がないといった態度が、さらに風見の不安と恐怖を掻き立てる。
「この……!」
心臓が早鐘のように鳴り響く。
着地点とか落とし所という単語は風見の頭の中から完全に消えていた。
かまうまい、と風見は思った。彼に痛覚はない。こっちの本気さえ伝わればいい。
いつの間にこんなにずれてたんだろうという後悔と、なぜ彼に期待したんだろうという失望が渦を巻き、
「だがおまえもそういう面は有るのではないか?」
今度こそ、頭の中が真っ白になった。
拳が止まる。
横から突き出された鉄棒に、動きを止められた車輪のような感覚。
吐き気を催す。身体の中で感情がどろりと飽和する。
行き場を失ったなにかで中がぐしゃぐしゃになる。
「魔女の言った通りの事が起きれば」
自分の言葉を失くして、ようやくブルーブレイカー言葉が沁みた。
拒絶されて、目が覚めた。
血の気が引いていくのがわかる。掴んだ手がじんと痛む。
違う、という言葉は出てこなかった。
「EDの仮説は間違っていた」
反論されないと、たかをくくっていたわけじゃない。
でも、どう考えても、筋を通すのはブルーブレイカーの方で、
それが当たり前のことだと、思っていた。
だから、そういうつもりじゃなかったのだ。
「しずくはこの島に居た。そして殺された」
だから風見は、そんな、押し潰され、殺され続けたような言葉は聞きたくなかった。
「……そうなんだろう? 金の針先」
小さく子爵の水音がした。 ひどく遠い。
風見の中でコールタールのような自己嫌悪と後悔が飽和する。
眩暈がする。
ぷつりと、あまりにも軽い音がする。感情に意識のヒューズが焼き切れる。
もう、自分の心音さえ聞こえない。
ただ、二人の間で傷つけたあった痛みだけが響きあう。
『オレの名はエンブリオだ。その呼び名でも間違ってるとはいえねぇけどな。
それとその通りだよ。しずくとは短い間だが、一緒に居たのさ』
相手にも伝えたい言葉があること。そんなことすら忘れていた。
傷つけられて、傷ついて、言葉をたたきつけて、わかってもらう、それしか考えていなかった。
「………………」
子爵の飛沫の音が少し大きくなるだけの静寂。
その音さえ、風見に届くにはあまりに遠すぎた。
「俺の片翼は失われた」
その言葉を最後に糸が切れた。
膝が笑う。押さえつけていた手が落ちる。
首が意思に反してうなだれる。全身の筋肉が弛緩する。
信号が消えていく。
雨の中で聴く音みたいな、視覚も触覚も柔らかい雑音に押され溶けていく錯覚の中で、言葉だけがしみるように風見の中に届いた。
ただ謝ってほしかったとは、もう言えなかった。
――ねぇ、ブルーブレイカー、あんたはそれを信じるの
灯台で、EDの説を聞いた時、風見は確かにそう聞いたことを覚えている
冷静に判断できれば、そこはどう聞いても屁理屈以外の何物でもない。
ブルーブレイカーは、ああ、とだけ淡々と答えた。
あの時の声が風見には忘れられない。
ため込んで、無理してるんじゃないかと思っていた。
しかし吐き出せるよう水を向けて、結局思い知ったのは風見だった。
ほんの少し、彼の気持ちを考えてみれば、わかることだった。
(信じるしか、ないじゃない)
場の雰囲気を変えようとするかのようにエンブリオが軽い口調で喋り出す。
『最初にオレを持った奴は死んで、受け継いだ茉衣子は何人も巻き添えにして……破滅しちまった』
明るく、しかしどこか寂しそうに語る、その声が聞こえない。
‘軍’に切ったタンカが、返り返って呪縛のように風見を苛む。
なんで大切なことを忘れたまま、過ごしてしまうんだろう。
求めた時点で歪んでいた。
自分の感情を棚上げするための、根拠もなく、都合のいい言葉を期待した時点で、風見は間違っていたのだ。
EDの仮説はBBを落ち着かせる為の虚説にすぎない。想定に組み込むほうがどうかしている。
最初に裏切られたのは彼だった。時間稼ぎで凌いでいただけ。これは単なる終りの続き。最初からわかりきっていた、すれ違いの幕開け。
余りも自明すぎて見落としていた。最初からリミットは決まっていて、風見はそれに気づかずにわめいていただけだった。
たった一つの謝罪を求めて、正論を振りかざすなんて浅ましいにもほどがある。正当性に酔って、傷ついた者に鞭打つ残酷さに吐き気がする。
なんでいつも大切なことにに気づかずに、走ってしまうんだろう。
しんとした静寂が耳に煩い。子爵が弱々しく木を這い上がる音がするだけ。
『まったく、大した疫病神っぷりだと思わねえか?』
外の言葉がうまく聞こえてこない。
――それとも“蒼空”さんのように……ううん、これはわたしが言う事じゃないか。
だから、いやなセリフと笑顔がリフレインする。
――だから私は祝福するの。この惨劇を。
思い出しただけでぞっとする、女の風見から見ても、真実蕩けるような笑みだった。
なぜか脈絡もなく底なしの淵というフレーズを連想させる。とくにあの目は良くない、攫われてしまいそうだ。
無菌室の空気や摩周湖の水だってあれよりはもっと汚れてる。
風見は、うつむいて動かない。
(……なんであたしが悪者なのよ)
理解できても、納得がいかない。自分の心の行き場所がどこにもない。
ブルーブレイカーに素直にすまないという謝意さえ持てないことが途方もなく悲しい。
心をかすかな憧憬がかすめる。
あれぐらい純粋だったら、こんな気持ちに捕らわれることもないのだろう。
せめて彼女の十分の一でいい、ただ少し、気づくことができれば変わるものもあるのに。
なんだかひどくもがき疲れてしまったみたいに心が重かった。
実際その通りなのかもしれない。
肉より感情のほうが摩耗している。あまりに強い感情の連打に、神経がへこみっぱなしのボタンのように沈黙してる。
それなのに何かが心に引っかかる。肉に埋まったささくれのように、風見の中でじくじくと腐りながら風見の心を刺激するのだ。
なきたいよ、覚。
風がほしい、と風見は思った。気持ちの置き場所がどこにもない。
風と向き合うことができたら、きっと何かが変わる気がしてた。
(全部あたしのわがままだった)
結局、涙は出なかった。そんなおこがましいことが出来るわけがなかった。
『なあ。ちょっくらオレを壊して――』
子爵が流れ落ちて形になる音が……
【気を付けろ!】
「!?」
自ら浮き上がる力が出ず、子爵は木に登って張り付く事で警告の文字を作りだした。
その僅かなロスが決定的な差を作り出す。
「イーディー、いや、シーディーだな。そうか。つまり俺は、ようやく見つけたって事だ」
ぞっとするほど近くから男の声がした。
針の筵にも似た殺気が、 真っ暗な森を漆黒に塗りつぶす。
風見が衝き動かされるように振り返った先に、立っていた。
「そしておまえらは運が悪い」
顔には幽鬼の笑い。手を伸ばせば届く距離。足元には少女の亡骸。両手にハンティングナイフ。
近寄れば気づけるはずだった。腐葉土未満の落ち葉、露だらけの下草。動けば、必ずなにがしかの音がするはずなのに。
「俺を敵に回してしまったんだからな」
怪物が、忽然と立っていた。
(ヤバイ……!)
あまりにも出来すぎなエンカウントに、風見は全身が総毛だつ。
きょうびB級映画でもお目にかかれないシチュエーション。笑えるぐらいにヤバすぎる。
風見はBBに詰め寄り二人揃って態勢を崩してしまっている。
子爵は先程受けた攻撃のダメージが思いの外大きいのかまともに動けない。
そして怪物は、一息の間合いに立っていた。
赤い青年が口を歪め劫火のような笑みを浮かべて告げる。
「さあ、狩りの始まりだ」
風切る音もなく、銀光が走った。
【B-6/森/1日目/23:50】
【灯台組(出張中)】
【ゲルハルト・フォン・バルシュタイン(子爵)】
[状態]:やや疲労/グロッキー状態(物にもたれて文字を綴るのと移動しかできない)
[装備]:なし
[道具]:なし(荷物はD-8の宿の隣の家に放置)
[思考]:クレアに対応したい
アメリアの仲間達に彼女の最期を伝え、形見の品を渡す/祐巳のことが気になる
/盟友を護衛する/同盟を結成してこの『ゲーム』を潰す
[備考]:祐巳がアメリアを殺したことに気づいていません。
会ったことがない盟友候補者たちをあまり信じてはいません。