1 :
名無しステーション :
どうなのよ?
2 :
名無しステーション :03/11/29 21:04 ID:HztmwtqJ
そんなことあるわけないビッチ
3 :
名無しステーション :03/11/29 21:07 ID:qC97zgN4
次の月・火は東京ドームで外ゥのコンサートです。
朝日がやるわけない。
むしろ善良なロシア人登場の予感。
一般国民はいい人たちだったって感じでさ。
5 :
名無しステーション :03/11/29 21:18 ID:IbvWuQ7D
腕一杯に日本兵から奪った腕時計をはめる囚人兵まだ〜!!
6 :
名無しステーション :03/11/29 21:28 ID:m60fgI0R
ソ連軍が満州やドイツで行なった強姦、輪姦【3】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1061825798/ ▼ソ連兵の乱暴狼藉は新京だけではなく、ソ連軍のいる所は皆同じ状況であった。
25日、朝鮮との国境に近い敦化郊外にあった日満パルプ工場にソ連軍が進駐した。独身
寮にいた男性は拉致され、約170人の女性と子供を幾つかの部屋に監禁して強姦したが、
ソ連軍幹部は止めようともしなかった。
26日早朝、酒に酔い欲望に狂ったソ連兵が、数人づつの集団となって、自動小銃で威嚇
しながら力ずくで女性を部屋から引きずり出して強姦の限りを尽くした。その日の深夜にも
同じ事が繰り返された。ソ連兵が去った後、ある部屋の女達23人は死を決意し、課長夫人
が青酸カリを隠し持っていたので躊躇無く決行された。
7 :
名無しステーション :03/11/29 21:28 ID:m60fgI0R
▼北鮮にはいってきたソ連軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、暴行、強姦をほし
いままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられることになった。白昼、妻は夫の
前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとしたものは容赦なく射殺された。
8 :
名無しステーション :03/11/29 21:30 ID:m60fgI0R
そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりなが
ら玄関に出て見て驚いた。12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ば
れていた。それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ
恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血が
いっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。次の女性は
モンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から
血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死ん
でいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。・・・
また女医さんに聞いたことだが、「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるんです。また何名か
の方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」
9 :
名無しステーション :03/11/29 21:34 ID:m60fgI0R
≪しかし、聞くだけのことは聞かねばならないので、大島さんを揺すぶって起こし起こして
聞いてみますと、哀れなこの看護婦は私の腕に抱かれなが ら、ほとんど意識を失いかけ
ている臨終の眼を無理矢理にひきあけて、次のように物語るのでした。
「私たちはソ連の病院に頼まれていったはずですのに、あちらでは看護婦の仕事をさせら
れているのではありません。行った日から病院の仕事は全 然しないで、ソ連将校の慰みも
のにされているのです。
最初に行きました三人に、ほとんど毎晩三人も四人もの将校が代わる代わるやって来て私
たちをいい慰みものにするのです。否と言えば殺されて しまうのです。
私も殺されるぐらいはかまいませんが、次々と同僚の人たちが、ここから応援を名目にやっ
て来るのを見て、何とかして知らせなければ死んでも死 に切れないと考えましたので、厳重
な監視の眼を盗んで脱走して来たのです」というのでした。
10 :
名無しステーション :03/11/29 21:35 ID:cvGOzU48
たかこセリフ棒読みすぎ。
もうちょっとためようよ
11 :
名無しステーション :03/11/29 21:35 ID:m60fgI0R
脱走した 時、うしろから撃たれたのでしょう、
十一発の銃創の外に、背中に鉄条網をくぐって来たかすり傷が十数本、血をふいて、みみ
ずばれに腫れていま す。どんな気持ちで鉄条網をくぐって脱走してきたのか、どんな危険
を冒して来たのか、その傷は何よりも雄弁に物語っているではありませんか。
身を挺して次の犠牲者を出したくないと決死の覚悟で逃れて来たこの看護婦の話に、私の
涙は噴水のように後から後から噴き出し釆ました。
国が敗れたとしても個人の尊厳は冒すこと出来ないのではないのでしょうか。それをわずか
七日間の参戦で勝ったというだけで、清純な女性を犯すとは何事ぞと、血の出るような叫び
を、可憐な二十二歳の命が消えて行こうと する臨終の床に、魂をさく思いで叫んだのでした。
「婦長さん!もう後から人を送ってはいけません。お願いします」という言葉を最後に、その
夜十時十五分、がっくりと息をひきとりました。泣いても泣い ても涙が止まりませんでした
堀喜美子著「従軍看護婦の集団自殺」より
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/aoba.htm
【ソ連軍の強姦部隊】 街頭ばかりではなく、日本人住宅に押し入って手当たり次第に略奪
するソ連兵の中には、将校が先頭にたってする「部隊ぐるみ」もあり、彼らは殆ど新京に
一泊して南へ移動する新規の侵入者であった。ソ連兵の乱暴狼藉は新京だけではなく、
ソ連軍のいる所は皆同じ状況であった。
25日、朝鮮との国境に近い敦化郊外にあった日満パルプ工場にソ連軍が進駐した。独身
寮にいた男性は拉致され、約170人の女性と子供を幾つかの部屋に監禁して強姦したが、
ソ連軍幹部は止めようともしなかった。
26日早朝、酒に酔い欲望に狂ったソ連兵が、数人づつの集団となって、自動小銃で威嚇
しながら力ずくで女性を部屋から引きずり出して強姦の限りを尽くした。その日の深夜にも
同じ事が繰り返された。
13 :
名無しステーション :03/11/29 21:38 ID:m60fgI0R
ソ連兵が去った後、ある部屋の女達23人は死を決意し、課長夫人が青酸カリを隠し持って
いたので躊躇無く決行された。27日朝、巡視に来たソ連兵は呆然となった。将校の命令で
部屋には歩哨がたち、各部屋の女性達は外を見ることを厳禁され、死体は密かに運び去ら
れた。
ソ連兵の殆どはドイツ戦線から急遽シベリア鉄道で満州に送られてきた兵で、中には囚人
だけで編成された無鉄砲な部隊もあった。
満州で虐殺された民間日本人200万邦人中、実に20万人。
シベリア拉致強制労働日本兵60万中、6万人が死亡。
14 :
名無しステーション :03/11/29 21:38 ID:m60fgI0R
15 :
名無しステーション :03/11/29 21:46 ID:TDnE6V+L
面白くなってきたな。
16 :
名無しステーション :03/11/29 21:52 ID:DvCjCJBy
ロシア?戦争でもサッカーでも日本に負けた国の事か?
・・・・同じ講演において、次に私は、アメリカ人の日本に対する否定的で
批判的な態度を取り上げた。それはもちろん、我々が中国に対して取った
後援者的・保護者的態度の裏返しであった。我々が日本に対して持っていた
不満は、日本が当時東北アジアにおいて占めていた地位(朝鮮と満州で
占めていた支配的地位)に主として関わっていたと思われる。それらの地域は
正式には日本の領土ではなかったのだから、日本による支配は、法的にも
道徳的にも不当であると、我々は考えたのである。私はそのような態度に異を
唱え、それは我々自身の法律家的・道徳家的判断基準を、それらの基準とは
実際にはほとんど全く関係の無い状況に当てはめようとするものであったと
批判した。
18 :
アメリカ外交50年より :03/11/29 22:01 ID:m60fgI0R
そして私は、この地域における活動的な力である、ロシア・中国・日本
という三つの国は、道徳的資質という点ではそう違わなかったのだから、
我々は、他国の道義性を審判する代わりに、それら三者の間に、安定した
力の均衡が成り立つよう、試みるべきであったと論じたのである。
日本をアジア大陸において占めていた地位から排除しようとしながら、
もしそれが成功した場合、そこに生ずる空白を埋めるものは、我々が排除した
日本よりもさらに好みに合わない権力形態であるかもしれないという大きな
可能性について、我々は何ら考慮しなかったのだと、私には思われた。
そしてこれは実際に起こったことなのである。
19 :
アメリカ外交50年より :03/11/29 22:01 ID:m60fgI0R
このことに関連して、私が今言及している講演が、朝鮮戦争中に行われた
ものであることを指摘したい。私は当時、朝鮮半島において我々が陥って
いた不幸な事態の中に、我々が以前日本の国益について理解を欠いていた
ことへの、また日本に代わる好ましい勢力があるかを考えもせずに、
日本をその地位から排除することにのみ固執したことへの、皮肉な罰と
いうべきものを認めないわけにはいかなかった。
この例によって、私は外交政策における我々の選択が必ずしも
善と悪との間で行われるのではなく、むしろより大きい悪とより小さい悪
との間で行われることが多いことを指摘しようとしたのである。
20 :
アメリカ外交50年より :