ジョージ・F・ケナン

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11アメリカ外交50年より
・・・・同じ講演において、次に私は、アメリカ人の日本に対する否定的で
批判的な態度を取り上げた。それはもちろん、我々が中国に対して取った
後援者的・保護者的態度の裏返しであった。我々が日本に対して持っていた
不満は、日本が当時東北アジアにおいて占めていた地位(朝鮮と満州で
占めていた支配的地位)に主として関わっていたと思われる。それらの地域は
正式には日本の領土ではなかったのだから、日本による支配は、法的にも
道徳的にも不当であると、我々は考えたのである。私はそのような態度に異を
唱え、それは我々自身の法律家的・道徳家的判断基準を、それらの基準とは
実際にはほとんど全く関係の無い状況に当てはめようとするものであったと
批判した。

そして私は、この地域における活動的な力である、ロシア・中国・日本
という三つの国は、道徳的資質という点ではそう違わなかったのだから、
我々は、他国の道義性を審判する代わりに、それら三者の間に、安定した
力の均衡が成り立つよう、試みるべきであったと論じたのである。


12アメリカ外交50年より:03/11/02 14:30
日本をアジア大陸において占めていた地位から排除しようとしながら、
もしそれが成功した場合、そこに生ずる空白を埋めるものは、我々が排除した
日本よりもさらに好みに合わない権力形態であるかもしれないという大きな
可能性について、我々は何ら考慮しなかったのだと、私には思われた。
そしてこれは実際に起こったことなのである。

このことに関連して、私が今言及している講演が、朝鮮戦争中に行われた
ものであることを指摘したい。私は当時、朝鮮半島において我々が陥って
いた不幸な事態の中に、我々が以前日本の国益について理解を欠いていた
ことへの、また日本に代わる好ましい勢力があるかを考えもせずに、
日本をその地位から排除することにのみ固執したことへの、皮肉な罰と
いうべきものを認めないわけにはいかなかった。

この例によって、私は外交政策における我々の選択が必ずしも
善と悪との間で行われるのではなく、むしろより大きい悪とより小さい悪
との間で行われることが多いことを指摘しようとしたのである。
13世界@名無史さん:03/11/03 02:22
苗字からするとアイリッシュとか?
14世界@名無史さん:03/11/03 09:54
宗教はプロテスタントでカトリックじゃないから違うんじゃないの
15世界@名無史さん:03/11/03 11:01
ソ連封じ込めの「X論文」で有名になった。
16世界@名無史さん:03/11/03 22:04
極東における米政策の要が日本に置かれるべきことは疑いない。
(以下日本の地政学的・経済的重要性を述べて)
これらはすべて重要である。しかし最重要というわけではない。
最重要事は描写するのが困難な、別にある要素である。それは日本との関係で、
われわれの目前にある奇妙な道義的義務、道義的機会なのだ。日本人もまた
注目すべき国民である。高度に知的で極めて勤勉であり、感受性に富んで思慮深く、
しばしば、くよくよしすぎるほどであり、意思疎通では、中国人が器用であるのを
逆にしたように不器用である。
だが中国人ほど自己中心的でなく、中国人より自らの周囲の世界(米国を含め)
に興味を持っており、(少なくともその最良の人々は)大変な、悲劇的で時としては
高貴なまでのひたむきな良心と義務感を備えている。中国人と同様、日本人は
われわれとは非常に異なった国民であり、もし太平洋戦争がなかったとするならば、
私もちょうど中国人について述べたように、不自然な親密さを押し付けないようにしよう
などと言っていたかもしれない。だが日米間にまさに戦争が生じたし、その結果
米国は戦後、まったく密接に日本人と接触する破目になったのである。そこから
一種の親密さが生じた。これは争いと多くの苦悩、とくに日本側の苦悩から生まれた
親密さ、だがそれが親密さであることには変わりない。日米両国民とも、この不幸な歳月に
互いに善悪を問わず、多くを学んだ。親密さとは本来こうしたものなのだ。
17世界@名無史さん:03/11/03 22:07
私はここで感傷的なことを述べているわけではない。愛や賛美を語っているのでもない。
そういうものは、戦時中の宣伝担当者やロマンチックな民族主義者の感情の発露に
しばしば引き合いにされるが、諸国家の現実の生き方には存在しないのである。
私が述べているのは、より根深いもの、つまり運命が(あるいは先代の過ちがと言っても
いいだろう)両国民の行く手を示したということであり、それは互いに争いつつものごとをやっても
無益というよりもっと悪く、そしてともに協力する以外選択のないことを、日米両国が共に認識した事実である。
責任はわれわれ米国人の側に一層強くかかっている。なぜならば日本人を打ち破り、
無条件降伏という方式で彼らのことがらに対する全面的な権力(かくして全面的な責任)
を求め、この現代において従来よりもより幸せに、より安全に、より有益に生きる方法を
教えようとやや高飛車にまで引き受けたのは、ほかならぬわれわれ米国人であったからだ。
人はこれにまさる責任を負うことはあるまい。

18世界@名無史さん:03/11/03 22:08
しかし日本人もまた、責任がないわけではない。日本人はいま、その後の出来事によって、
なにがしか傷ついた同盟国、米国と付き合わなければならない。多くの米国人は経験によって、
尊大な抱負や誇張された自己讃美の危険を学んだ。その結果、われわれはよそ目には前ほど
堂々としていないし、自分たちがいつも、ものごとの解決策を持ち合わせているとの確信を
弱めるにいたった。そこでわれわれもまた、助力と導きを必要とし、友人たちから注意深い扱いを必要とするのだ。
日本人は苦痛に満ちた方法で米国人について学んだ。その結果、彼らは、おそらく
米国の他の友好国の大多数にも増して、米国をよく知るにいたった。
日本がわれわれに及ぼす潜在的影響力を過小評価してはならず、これも日本側の
責任と言えよう。これらのことが示しているのは、日米関係がまさに苦痛と争いの中から誕生したものであるが、
それゆえに、米国にとって日米関係とは双方が国際問題でそれぞれ思慮深くかつ
役立つように振舞う能力を持っているか否かを試す独特な尺度となっていることだ。
もしこれに成功しないようなら、われわれがどこへ行っても事態は思わしく進まないだろう。
日本が戦後そうであり続けたように、今後も極東における米国の地歩の要石であり続け
なければならないのは、こうした理由によるものだ。要といっても、受動的ではなく
能動的に発言する要石であり、しばしば優れた英知を秘めた相談相手となり、われわれが
時には導きを、時には指導性さえを求めて対すべき要石であり続けなければならないのだ。
19世界@名無史さん:03/11/04 20:21
中国は、この国にしてみれば、国全体として画期的な興隆を経験しつつある。これはまだ
終わってはいない。この興隆は中国社会にその痕跡を刻み付けるだろうし、われわれも、
事実、中国社会が毛沢東出現以前と全く同じなどと思ってはならないのだ。とはいっても
多くの面で中国民衆は従来通りのままであることも間違いない。ひじょうに知的で、文明の創造者、継承者として豊かな才能を持つ偉大な国民。だが、米国人とは大いに異なり、
外面的には丁重かつ(ある段階までは)儀礼を重んじるが、内面的には外国人との関係に
おいてとげとげしく、中国人以外、とくに東洋人以外とは容易に親密になろうとしない
人々である。
われわれは外国人との意思疎通に際し、中国人が持っている一種の器用さ(それは中国人がその隣人、日本人とは決定的に際立っている点だが)にまどわされてはならない。一見、
理解を容易にするように見受けられるが、多くの場合、意見の相違があると、率直な忠言として表面化させるより、かえっておおいかくし、根深いものとしてしまうのである。
米国はいまや、一世紀を超す中国との接触および関与の歴史を持っている。その記録は
さほど米国にとってかんばしいものではない。商業的もしくは個人的利益という動機が、
表面に掲げた信仰、政治上の利他主義の動機と、あまりにもしばしば混在してきたのだ。
中国人と広く付き合った米国人の態度は、いわれなき極端な冷笑主義から、保護者ぶった
感傷主義までさまざまである。そこに住んだもののなかには、中国的環境の中での外国人
の生活につきものの種々の楽しみによって、ひそやかに堕落するままにいたものも多い。
そして中国人も(責めることはできないが)この堕落をすすめ、上手に利用する術を
心得ていることを示してきた。むろん目立った例外もある。しかし全般的に言うならば、
毛沢東以前の数十年間、個々の米国人と中国人の接触は、双方ともあまり自慢できる
ものではなかったし、互いにさほど有益だったとはいえないのである。
20世界@名無史さん:03/11/04 20:22
1943年から48年の間に米指導者たちは、二つのひどい間違いを犯した。
第一は1943年末のカイロ会談で蒋介石に台湾の中国返還を約束したこと、それも
他の利害関係国と協議し、あるいは住民の意思をただす機会も持たずに約束したことで
ある。(外交政策に関わるアメリカ人の、諸反応の背後にある深層心理をきわめたいと
願う人々は南アフリカや他の地域については「多数支配」への要求があれほどしばしば
出るのに、台湾についてはほとんど聞かれないのはなぜか、調べたくなるだろう)
第二の過ちは中国本土で政権争奪に敗れた蒋政権が台湾に移り、ほかならぬ米国の承認付きで全中国の政府であると主張するのを認めたことである。以来、今日まで、米国は
北京との関係でこれら二つの失敗の結果に、ずっと付きまとわれている。
二つの失敗は、互いに密接に関連し合っていた。今日その失敗是正の困難さは、両者の
絡み合いによって倍加している。理論上、米国はずっと以前に(北京の現政権と関係を
樹立する前に)台湾住民の民族自決支持を宣言し、彼らに何らかの住民投票を通じて
考えられる三つの可能性、すなわち独立、日本との(第二次大戦末までの)関係継続、
あるいは中国への再統一、の一つを選択できるように要求することもできたはずである。
21世界@名無史さん:03/11/04 21:20
>>16
>意思疎通では、中国人が器用であるのを
>逆にしたように不器用である。

賛成。

>>19
>われわれは外国人との意思疎通に際し、中国人が持っている一種の器用さ
>(それは中国人がその隣人、日本人とは決定的に際立っている点だが)

なんで中国人はこんなに器用なんだろうね?
22世界@名無史さん:03/11/05 22:50
>>14
アイルランド系アメリカ人でもプロテスタントはいるよ。
レーガン元大統領なんかがそうだし。
23世界@名無史さん:03/11/06 21:13
この人の回顧録再販してもらいたい
24世界@名無史さん:03/11/06 23:00
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ウォルター・A・マクドゥーガル著『太平洋世界』(共同通信社)には、
朝鮮戦争勃発に際してのケナンの言葉が引用されています。以下、記憶から引用。
「我々は、大陸からの圧力を防ぎ止めるために、この地で戦うこととなった。
思えばこの圧力こそ、他の誰かが防ぎ止めていた時には、なんということは
ないと思っていた圧力なのだ。」
いまごろそれに気づいても遅い!と思うと同時に、遅まきながらそれに気が
付いてくれたおかげで、今の日本の平和と繁栄があるわけで、と殊勝になってみたり。

つーか、ま だ 生 き て い た の か ?