1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
ここはけちゃっぷのチラシの裏スレです。
今後、けちゃっぷを見かけた方はこのスレに誘導してください。
また、けちゃっぷに賛同する方、交流したい方もこのスレを利用してください。
2 :
桑 ◆rgg54z0xbU :2007/08/16(木) 00:06:16
>>1 2です。
ありがたく使わせていただきます。
ン?
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/19(日) 16:09:21
やっぱアレも黒いのか?
>>1 すごいスレを立てましたね。
コテハン入りでも構わないのかな?
まあ、けちゃっぷもトマトケチャップでは無く、
カルトケチャップだとバレてしまったんで仕方ないか。
うまく隔離できるといいね。
7 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/20(月) 18:53:22
ケチャップマニアというバンドが最近売れてきた。
前から検索でよくでてきたから気にしてた。
>>8 けちゃっぷは貧乏寺の跡継ぎだからね。
貧乏の辛さを知っている。
自分の子供にはその辛さを味合わせたくない!
だが、浄土宗だけでは駄目だ!!
なんとか事業拡大しなければ、そうだ、寺和田がいい!!!
これなら商売になる!!!!
いろいろ種を撒いて評判を見てからどうするか決めよう!!!!!
…だから、検索くらい大目にみてやれよ。
10 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/28(火) 12:50:04
浄土系のネラー坊主で、スマ長老のファンいます?
>>10 けちゃっぷよ。
浄土宗を批判したければ、寺和田で出家して悟りを開いてからにしろ。
そうでなければ、おまえのしてることは、ただのカルトだぜ。
12 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/28(火) 20:08:33
>>12 法然さんは、末法の世に行も証もなく、教のみがあると説かれた。
一方寺和田は、教行証の三拍子がそろっているんだろ?
だったら、おまえ自身が身を持って証明しろよ。
でないなら、統一やアレフの信者と同じだと言っているんだよ。
教祖様や長老さまを担いで通俗仏教を批判するだけなら馬鹿でも出来る。
馬鹿と同じことをしているから、けちゃっぷもカルトだと指摘した。
どっちがカルトだか解らないなら、いよいよ救いようが無い、という話さ。
14 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 13:27:44
>>13 法然さんも教祖様の一人じゃないですか。
善導大師にだって夢の中で会っただけで、
直接指導を受けたわけじゃない。
注釈書を読んで、法然さんの頭の中で組み立てられた教えです。
一方、上座部仏教は、長老から長老へ、
脈脈と伝えられ実践されてきた仏教です。
お釈迦様の弟子から弟子へと受け継がれてきた教えと、
法然さんが本を読んで頭の中で完成させた教えと、
どっちがお釈迦様の時代の仏教に近いのでしょうか。
15 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 13:37:55
>>13 たとえこの世で最高の悟りである阿羅漢果を得られなくても、
完璧に三学を実践できなくても、
仏教にしたがってやれる範囲で実践すれば、
その分だけ確実に心が成長します。
完璧にできないならやっても無駄というのは、
仏教の力をあなどっていると思います。
完璧にできなくても、やったらやっただけ結果を得られるのが仏教です。
また、今・ここですぐに安らぎを得られるのが仏教です。
悟っていない人でも、瞑想をやればすぐに心がおちつくのです。
人間はそういうふうにできているので、悟っていなくても、
心がおちつく要因を与えてやれば、おちつくのです。
16 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 13:47:33
>>13 法然さんは、800年前の日本で、
当時存在したあらゆる宗派の情報をかき集めて修行したけど、
悟れなかったわけですね。
しかし、今の日本には、
当時なかった、あるいは当時大乗仏教が重視されすぎていて見落とされていた、
上座部仏教が上陸していますよね。
800年前に法然さんが悟れなかったのは、
800年前の日本仏教に欠陥があったからだと考えることもできます。
法然さんは抜群の頭脳と慈悲をかねそなえていたと思いますし、
悪意があって浄土宗を開いたのでもないと思います。
ただ、当時の日本では情報不足だっただけでしょう。
>>14 だから、そういうことは「お釈迦様の時代の仏教」を知ってから初めて言えることだ。
上座部仏教が「お釈迦様の時代の仏教」なら、スマ長老には阿羅漢としての証拠があるはずだ。
しかも、そいつはおまえ自身が出家して修行して証を得なければ解らないことだろう。
出家至上主義の小乗仏教と、在家を中心とした大乗仏教とはもともと比較の仕様がないことだ。
どちらを選択するかはお前の自由だし、それはまた、誰かが法然さんを選択する自由でもある。
けちゃっぷが小乗仏教をやりたければ勝手にやればよいことだ。
しかし、それは大乗仏教や浄土宗を否定する理由にはならない。
ましてスマ長老が浄土宗を始めとする大乗仏教を否定していて、
おまえがその尻馬に乗っているのだとしたら、それは間違いなくカルトの手口だ。
大乗仏教は小乗仏教の否定の上に成り立っている。
なぜ、先師達がそうせざるを得なかったのか?
「お釈迦様の時代の仏教」が、既にして小乗仏教の中には無いと判断されたからだ。
勿論、あると思った連中は上座部に残ったろう。
それは、それだけのことだ。
>「お釈迦様の弟子から弟子へと受け継がれてきた教えと、
>法然さんが本を読んで頭の中で完成させた教えと、」と
どちらが正しいか?
それを争論で決着を付けようと言うのであれば悪趣味だとしか言えない。
法然さんは、けちゃっぷのような人間は聖道門に送り返した。
それはまた、それだけのことだ。
>>16 >法然さんは抜群の頭脳と慈悲をかねそなえていたと思いますし、
>悪意があって浄土宗を開いたのでもないと思います。
>ただ、当時の日本では情報不足だっただけでしょう。
法然さんも随分と見くびられたものだなw
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/29(水) 15:36:44
南無袈茶布大菩薩
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/29(水) 15:43:23
スマナサーラが大乗批判をしているんだから
それに賛同するやつらは寺をでるのが筋ってもんだろ
>>16 >法然さんは、800年前の日本で、
>当時存在したあらゆる宗派の情報をかき集めて修行したけど、
>悟れなかったわけですね。
おまえさんが、大乗仏教も法然さんも浄土宗も、
まるっきり理解できていないというだけのことだろう。
その程度の理解力で寺和田をやっても無理無駄無益だよw
23 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 17:21:01
>>17 小乗?
それは現在のテーラワーダにあてはまらないのでは?
現に、スマ長老だって海外にまで来て布教してるわけだし、
在家にも瞑想指導をしている。
出家者が閉じこもって修行や学問だけしてるわけではない。
今の日本の坊主のほうが、よほど小乗に思えますよ。
悟りの三段階目までなら在家でもいける可能性があるとされてるし。
24 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 17:23:14
>>19 法然さんを見くびってるわけではなく、
800年前の日本仏教の環境が不充分だったと言ってるのです。
>>23 >現に、スマ長老だって海外にまで来て布教してるわけだし、
>在家にも瞑想指導をしている。
行乞しないから、そうやって商売しないと食えないからな。
浄土宗も葬式やって布施もらって食ってる。
おんなじだよ。
26 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 17:31:46
>>17 スマ長老が阿羅漢(悟りの四段階目)まで到達してるかはわかりませんが、
少なくとも一来果(第二段階)には行ってると思えます。
体験がないと書けない内容だと思います。
アショーカ王に仏教信仰にめざめるきっかけを与えたのは、
一人の少年出家者だったそうです。
まだ子供だったけれど、すでに阿羅漢だったそうです。
子供の頃から何十年も出家生活をおくってる上座部の長老達が、
悟りの第一段階にも達していないわけがないでしょう。
>>24 けちゃっぷは、一切経を一度くらいは読破したことがあるのかね?
実を言えば俺も無いw
ただ、法然さんの「環境が不充分」だったとは思わないということだよ。
28 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 17:36:43
>>27 読まなくていい余計なお経まで読まねばならなかった環境が、まずかったのでは?
>>26 >スマ長老が阿羅漢(悟りの四段階目)まで到達してるかはわかりませんが、
>少なくとも一来果(第二段階)には行ってると思えます。
>体験がないと書けない内容だと思います。
そんなことが一段階にも達していないおまえさんにどうして解るんだ?
ましておまえさんの頭脳は浄土宗さえ理解できないんだよ。
30 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 17:40:12
大乗経典のない南伝仏教の国では、子供でも阿羅漢になっていた。
しかし、大乗も小乗もあり、解説本も山ほどあった日本では、
いくら学問や修行に励んでも悟れなかった。
>>28 >読まなくていい余計なお経まで読まねばならなかった環境が、まずかったのでは?
そっくりおまえさんにお返しするよw
寺和田のような余計な尻尾を憑けて可哀想だとは思うがね。
おまえさんの人生だからな、好きにするさね。
>>30 結構なことだ。
阿羅漢目指してがんばることだね。
応援はしないが、骨くらいは拾ってやるよ。
33 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 17:48:28
>>29 無常に納得し、仏教への疑がなく、
まちがった儀式やしきたりや苦行への執着もなくなれば、悟りの第一段階です。
スマ長老の発言を見るかぎり、これは余裕でクリアしてると思えます。
そこから、さらに第二段階になると、怒りや欲が減ります。
スマ長老は、普通の人よりも怒りや欲が少ないと思えますので、
第二段階にはいってると思えます。
第三段階では、怒りや欲が完全になくなりますが、
スマ長老に怒りや欲がまったくないかはわかりません。
しかし、普通の人より怒りや欲が減ってるのは間違いないと思えます。
34 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 17:53:20
浄土宗教師でも、無常に納得し、疑もない人はいるかもしれません。
しかし、儀式やしきたりや迷信への執着があるのではないでしょうか。
ですから、浄土宗教師で悟りの第一段階に達してる人は、
まずいないのではないでしょうか。
>>33 おお、そんなんなら世間にごろごろいるぞw
2chの宗教板にも机龍之介というアホが常駐しとる。
なんだかなあ、という感想しか持てないが、
それでおまえさんが満足なら仕方が無いな。
がんばって、瞑想仏教に励むんだね。
>>34 >ですから、浄土宗教師で悟りの第一段階に達してる人は、
>まずいないのではないでしょうか。
そんなもんは生得の気質によるだろ。
浄土宗では悟りは必要ないから、悟らないだけだ。
下手に悟ってしまっては衆生の為にならないからな。
37 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 18:05:19
三つの煩悩を克服した悟りの第一段階は、預流果です。
預流果とは、聖者の流れにくみ入った者、
悟りへ向かうエスカレーターに乗った者のことです。
在家信者でも、預流果になる人はたくさんいると思われます。
浄土宗教師は、上座部なら座家信者でもなれる預流果に達していないわけだから、
上座部の座家信者よりも未熟なのです。
まして、上座部の僧侶の教えにケチをつけるなど、
野球経験のない素人がプロ野球選手にヤジを飛ばしてるようなもんです。
38 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 18:13:38
>>35 悟りに知能は必要ありません。
掃除をやっているうちに悟った周梨槃特尊者など、日本でも有名ですよね。
仏教を他人に指導するには、知能や知識が必要でしょうけど。
>>37 >まして、上座部の僧侶の教えにケチをつけるなど、
>野球経験のない素人がプロ野球選手にヤジを飛ばしてるようなもんです。
ヤジを飛ばすファンがいなければ、プロ野球もやっていけないだろうw
おまえさんがプロを目指すなら、ヤジを飛ばすファンを大事にすることだ。
何度も言うが、上座部の仏教は大乗によって否定された仏教だ。
瞑想教室だろうが、ヨガ道場だろうが、浄土宗とは関係のない話だ。
おまえがやるのは勝手だが、浄土宗と縁を切ってからにするんだな。
おまえさんの鵺のようなやり方が上座部の仏教なら、ましてどうでもいいことだ。
>>38 念仏もおんなじだよ。
違うのは周梨槃特尊者には信があったが、
おまえさんにはないという点だけだよ。
41 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/29(水) 18:23:36
>>40 念仏には瞑想の要素もありますからね。
というか、念仏ももとは瞑想の一種ですね。
>>41 その程度の理解しかできないから信が無いと見抜かれてしまうんだよ。
念仏も法然さんも信じられないから寺和田に走った。
そこまではいいとしよう。
今度は寺和田が信じられないから、未だに浄土宗とも縁が切れない。
だから鵺のようにしか生きられずに浄土宗批判を繰り返す。
可哀想だとは思うがね、みんなけちゃっぷが選んだ道だ。
自業自得は、寺和田用語でなんと言うのかね?
深い理解が必要なのか。
学問をして念のこころを悟りて申す念仏というやつですね。
信があれば、学問せずとも日々の生活の中で理解は深まっていくものでしょうね。
信が無ければ、どれほど学問しても教科書的な知識で終わってしまう。
眼があっても見えず、耳があっても聞こえず、心があっても響かない。
法然さんが見えなければ釈尊も見えないし、
念仏が聞こえなければ仏法も届かず、
弥陀の光明に触れなければ心の闇は開かれない。
それらはみな、凡夫の手を離れただ仏縁によることでしょう。
45 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 18:38:16
>>42 菩薩の精神は自覚覚他だと、さんざん習いましたよね。
自分がすばらしいと思った教えは、他人にも勧めましょうということですよね。
46 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/30(木) 19:46:42
仏教を知識や哲学として捉えているのならば暗記する事はできても
悟り(体得)する事はできないと思われます
つまり、日常生活とはかけ離れた難解な仏教用語を羅列ばかりして
いる仏教学者やけちゃっぷさんのような人は暗記した知識を解説する
事はできますが人々の社会的現実的な苦悩を前にすると何の役にも
立ちません
力なき理論は去れ、庶民に机上の空論は無用、思いあがるな
テーラーワーダ協会の長老は先祖供養や伝統を大切にする事により
しっかりとした大人になれると述べています
>>45 だ〜か〜ら〜w
けちゃっぷが寺和田をやりたいならご勝手に、と何度も言ってるはずだよ。
ただ、檀家衆に対しては、それは寺和田の教えであって
浄土宗の教えでは無いとはっきり告げるべきだということ。
それをしないなら、仲良し倶楽部を騙って宗教勧誘するカルトと同じですよ、と言ってるんだよ。
もしも〜し、言ってる意味が理解できますか?
48 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 21:55:28
>>46 理論だけではダメですね。
実践して自分で実験すべきだと、長老も言ってます。
49 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 21:58:36
>>47 仏教の教えとして説くなら嘘ではありませんよね。
仏教寺院だから仏教を説いて、なおかつ念仏往生も説いています。
長老=スマ長老 か?
上座部の長老はスマ長老だけじゃないわけだがw
>>49 ほんとに鵺のような性格だね。
>仏教寺院だから仏教を説いて、なおかつ念仏往生も説いています。
それで自己矛盾を感じないなら好きなようにすれば(苦笑
>>50 これまでのけちゃっぷの用語註釈。
長老=スマ長老(ただし、けちゃっぷとその仲間にとって釈尊の正説の唯一の継承者)
南伝=スマ長老の個人的見解(上記より、けちゃっぷとその仲間にとって釈尊の教えの唯一正しい解釈)
まあ、けちゃっぷはスマ長老カルトだね。
53 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 22:22:08
>>50 そりゃそうですが。
2005年に、スリランカ上座部シャム派総本山アスギリヤ大寺にて
日本大サンガ主任長老に任命されたのが、
日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老です。
>>53 で、シャム派がどういう派かは知っているのか?
55 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 22:41:45
>>54 上座部仏教なら何派だろうと、日本仏教よりはマシでは。
カースト制度云々とか言うつもり?
まあ、日本仏教は少なくともカースト制の肯定はやらないし、民族主義を煽ることはしないわな。
>>53 あのね、長老=スマ長老じゃないんだから、
>>48の長老がスマさんを指すのなら
スマとかスマナサーラとかつけなよ。
日本人上座仏教徒にとって、スマ長老だけが長老ではないんですよ。
58 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 23:07:28
>>46 の発言からの流れで「長老」と言っただけです。
けちゃっぷにとって、長老と言えば、スマしか見えませんからw
60 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 23:16:43
>>59 モルモン教の長老達からも、たまに電話かかってきます。
61 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/30(木) 23:20:14
どこ!どこ!どこにいるのかアラカン!けちゃつぷだけが知っている?
>>58 流れねぇ
あなたは今までに別のところで、関係無いところでスマ長老を「長老」と言ったことはありませんか?
>>55 >上座部仏教なら何派だろうと、日本仏教よりはマシでは。
上座仏教国で自ら出家して修行してから、けちゃっぷさんご自身で日本に上座仏教を広めるおつもりは?
64 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 23:26:11
>>62 記憶にないけど、あるとしたら、
会話の流れから、テーラワーダの話だとわかる場面でしょう。
最近は、けちゃっぷの発言だからスマ長老のことにちがいないと予測できるでしょうから、
「長老」と略しても通じてると思います。
しかし、たいがいは、略すとしたら「スマ長老」と書いてると思います。
>会話の流れから、テーラワーダの話だとわかる場面でしょう。
本当?
>最近は、けちゃっぷの発言だからスマ長老のことにちがいないと予測できるでしょうから
自意識過剰
66 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 23:33:06
>>63 すでに家族を養う責任がある立場なので、
出家生活は無理だと思います。
上座部の信者になるなら、在家信者ということになるでしょう。
お釈迦様のように、自分が出家しても家族が食うのに困らず、
しかも王家の跡取りを産むという最低限の仕事を終えたあとなら、
出家しやすいですね。
>最近は、けちゃっぷの発言だからスマ長老のことにちがいないと予測できるでしょうから
そのくせ、モルモン教の長老とやらも出てくるんだねww
>>66 快適な日本の在家生活を捨てたくないという単なる言い逃れだろ。
理由にならない。
69 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 23:36:43
>>67 略したって会話の流れで予測できることだろう、と言っているわけです。
「車で出勤した」と言ったときに、
「一輪車ですか?馬車ですか?リアカーですか?自動車ですか?」
って尋ねる人はいないでしょう。
>>69 いきなりモルモン教の長老を出す奴が言う事かww
71 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 23:39:52
>>68 そうですね。
ですから、僕は在家の仏教徒です。
浄土宗教師の資格はありますが、
戒も守れてないし、自分を僧侶だとは思ってません。
72 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/30(木) 23:44:01
>>70 あの話の流れの中で、
たまに長老から電話がかかってくる、と言ったら、
上座部仏教の長老から電話があるのかと誤解されますね。
ですから、モルモン教の長老と表現します。
僕は、スマ長老以外にも長老という概念はもっていますが、
会話の流れで予測できるときは、単に「長老」と表現することもある。
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 00:04:00
>>66 出家生活は無理と言っても西行法師の例もあるし、
本当に信心があるなら妻子への執着を断って出家することは考えませんか?
あるいは出家せずとも上座仏教への信心を貫くために、
浄土宗教師を辞めて上座仏教の一在家信者となるとか。
そうやって何が正しいか模範をしめせばついて来る檀家もいるでしょうし、
責任役員の人を説得して総代さんたちにも理解していただいたら
上座仏教寺院として新たに出発できるかも知れませんよ。
74 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 00:13:31
>>73 上座部の瞑想は、どんな宗教の人でも実践できるそうです。
ですから、日本仏教の檀信徒のままで、
たとえばお墓は菩提寺にあって、法事や葬式も菩提寺に頼みつつ、
日々瞑想する在家信者とかも、可能です。
浄土宗寺院は浄土宗寺院のままで、
しかし仏教寺院だから、
お釈迦様の教えに近いと思われる上座部仏教も紹介するといいと思います。
浄土宗寺院でも仏教寺院なら、
仏教概論・仏教入門編として、
四諦八正道、戒定慧の三学を説いても、
不自然じゃないと思うし。
75 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 00:16:40
例えば佛教大学でもらった教科書『仏教入門』にも、
四諦八正道など仏教用語の意味はのってます。
しかし、具体的な実践方法は全然教えてくれませんでした。
ですから、浄土宗教師には、仏教の基礎編の知識が欠落してるはずです。
その欠けている部分を、上座部仏教により補うのは、
悪いことだと思いません。
76 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 00:32:17
法然さんだって43歳までは色々な仏教を学んでいた。
僕はまだ30代なので、もう少し迷ってみます。
>>74 >上座部の瞑想は、どんな宗教の人でも実践できるそうです。
シャム派のスマ君は日本人にはそう言って布教しているのか。
で、自身の本国では地主の男性以外の出家はお断りと。
なんて都合のいいことw
>>74 で、(シンハリ人から見て)非アーリア人であり、ヒンドゥー教徒のタミール人には門戸
を開いているのかね?
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 01:02:44
なるほど。
しかしけちゃっぷさんのお寺も寺院規則で阿弥陀如来を本尊とし
浄土宗の教義を広めて壇信徒を教化育成する、とあるでしょうから、
中心・根本は浄土宗で、そこへ至るための方便として
さまざまな宗派の紹介をする時、上座部のことも触れるというのが筋でしょう。
もし浄土宗がお飾りで上座仏教が根本と思うなら、
やはり上座仏教のお寺と改め、自らも上座僧となり、
入門のお飾りとして浄土宗にも触れるのがあるべき姿ではないでしょうか。
>>77-78 特定の教団のことは知りませんが、インドに行ったときにオレンジの袈裟をまとった
白人の坊さんもいたし、顔の真っ黒のアジア系の坊さんもいましたよ(黒人は見てないが)。
上座仏教が国籍や人種で出家を差別しているというのは聞きませんが。
>>80 あのう、南伝上座部一般のことではなく、あなたが私淑してやまないスマちゃんが所属しているシャム派の
ことを聞いているんですけど。
82 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 01:23:35
あと、シャム派って、誕生してせいぜい二百数十年の歴史しかないっていうことを思い出したので、
付け加えとくね。
>>80 >特定の教団のことは知りませんが、
せめてあなたが敬愛してやまないスマ長老の所属教団のことくらいは知っておくべきだと思いますがね。
85 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 01:58:05
>>80はけちゃっぷじゃないのでシャム派のことはわからりませんが、
インドで見た上座仏教系の寺やセンターでは国籍や人種に関係なく
瞑想をやってるところでは瞑想できてたと思います。
白人も、アジア人もいたし、黒人も何人か見かけた。
国の事情があるでしょうから、出家の資格は知りませんが、
本来的に国籍や人種でできないことがあることはないのでは?
>>84 あのねえ、平等主義という仏教の根本原理、原則は、十分、承知していますけどね。そのような
子供みたいなことを言われなくても。
87 :
86:2007/08/31(金) 05:41:05
>>85 要は、日本では仏教の正嫡を主張して、大乗仏教を批判するのに、本国における矛盾は
放置なのかということを聞きたいわけ。分かった?
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 07:31:50
阿○宗桐山○雄シャム派名誉大僧正
91 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 08:02:02
>>89 でも、日本人でも出家できる。
しかも、瞑想は出家しなくてもできる。
我々が在家信者として学ぶのには、支障ないと思います。
92 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 08:22:56
>>83 もともとスリランカから伝わっていった仏教を
タイから逆輸入したんじゃなかったっけ?
>>90 かつてはアボン宗から多額の寄付を受けて、
大喜びで霧野魔に位をあげたんだが、
カルトだと解って現在は断絶しているそうです。
阿羅漢たちが雁首そろえていても、
金に目が眩むと真実が見えなくなるようですね。
94 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 08:28:53
>>79 ですから、今の寺で働く場合は、
あくまで浄土宗寺院・浄土宗教師ですね。
上座部から見たら、浄土宗教師も正式な出家者ではなく在家信者です。
僕は、浄土宗という新興宗教で教師資格をもっている在家の人、となる。
寺の檀家でも、神社の氏子会の総代をやってる人がいます。
上座部から見たら、浄土宗教師も、そんなかんじの人でしょう。
95 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 08:31:09
それで巣魔嘲老は銭もうけがうまいのか
96 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 08:40:11
スマの日本布教は金目的だから。
>>92 そう、スリランカの上座部は、内乱と列強の干渉によって絶えている。
そこで、スリランカの主流派が、かつて上座部を伝えたシャム(現在のタイ)で受戒して出来たのがシャム派です。
しかし、シャム派がスリランカの少数派の出家を認めなかったために、
少数派がビルマ(現在のミャンマー)から導師を招いて立ち上げたのがアマラプラ派です。
スリランカの上座部の大きな流れとしてはこの二つですが、両者は未だに仲が悪いようです。
日本人の出家を認めているのは、南アの名誉白人と同じような意味合いでしょうね。
>>94 それは、スマ長老の許可を得ての話か?
それともスマ長老に何の相談も無しに思いついた独断か?
>>94 おまえさんは
>菩薩の精神は自覚覚他だと、さんざん習いましたよね。
>自分がすばらしいと思った教えは、他人にも勧めましょうということですよね。
と書いている。一方で、
>今の寺で働く場合は、あくまで浄土宗寺院・浄土宗教師ですね。
と、ぬけぬけと主張する。
おまえさんが素晴らしいと思わない浄土宗を他人に薦めることが、
おまえさんの言う自覚覚他なのか?
けちゃっぷの仏教は通俗仏教以下のゲテモノだなw
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 09:26:10
スマナサーラは大乗批判しとるんじゃから、大乗寺院にいたらあかん
>>80 >>85 インド?インドは上座仏教国ではないよ。そもそも仏教徒なんて殆ど居ないし。
スリランカやネパールはインドの子分。差別があるのも似ている。
上座仏教なら、南アジアではなく、東南アジアの方が良いよ。
103 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 12:36:49
>>98 独断です。
根本仏教の教えはすばらしいので、浄土宗の檀家の人にも教えるべきだと思います。
しかし、浄土宗否定から入ると檀家が離れてしまうかもしれません。
ですから、まず浄土宗も説きながら根本仏教も説く。
根本仏教を信じていけば自然と、浄土信仰への執着がなくなっていくでしょう。
浄土信仰をエサに客寄せして、
浄土信仰を卒業する方向にもっていくのが理想。
その前段階として、葬式仏教をエサに浄土宗に客寄せするが、
もちろん葬式仏教からも卒業してもらうのが理想。
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 12:39:39
小乗仏教はカルト
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 12:58:48
小乗仏教という仏教はありません。
>>103 そういうやり方が、上座部の仏教の布教方法として適切であるかどうか、
まず、何よりもスマ長老の同意が必要だとは思いませんか?
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 15:46:41
スマは駒大時代に論文通らなくて日本仏教に怨みがある。鬱憤ばらしが現在の活動
>>103 まるごとカルトの手口じゃないかw
目的が正義ならどんな手段も正当化されるとして、
地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教と同質同根の論理だよ。
根本仏教云々以前に、人としての根本が間違っているんだよ。
109 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 19:07:46
>>103 日産の社員が客にトヨタ車薦めたら、ダメでしょ?
いくらその社員が個人的に「トヨタは素晴らしいがウチのは糞」と思ってても。
客に自社の欠陥や不具合を教えたりあまつさえ他社を薦めるって
職務上はやってはいけないことでは?会社に不利益を与える行為だし、
その社員自身もやってて後ろめたいだろうに。
けちゃっぷのやってることはそれと同類では?
>>109 1、父親の許可を得た。
2、檀家の許可を得た。
3、本山の許可を得た。
4、スマ長老の許可を得た。
おまえさんは、ひとつとしてクリアしていないんだろ。
寺院はおまえさん個人の私的所有物ではない。
しかるにまったくの独断で私的に流用しようとしている。
すなわち不偸盗戒に違背しているわけだ。
しかも浄土宗の看板を掲げて上座部の仏教を布教しようとしている。
これは不妄語戒に反している。
在家五戒の内二つを破って置きながら、
> 殺人はいけませんね。
などと、寝とぼけたことを言いなさんな。
112 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 21:07:10
113 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 21:21:44
>>111 仏教の看板を掲げながら仏教を説こうとせず儀式ばかりしている寺よりは、
マシだと思います。
>>113 酢魔カルト教を説くくらいなら、伝統的な法儀に専念するほうが遥かにいい。
>>113 おまえさんは、自分がスピード違反をした時に、
他人はもっとスピードを出してたと自分を正当化してるのか?
嘘を指摘されたら、三回嘘をついた奴よりマシだといい逃れてきたのか?
おまえさんのの行為が、どうして他人の行為で免罪されるんだよ。
上座部の仏教はその程度の教えなのか?
そんなものは仏教とさえ呼べない自己保身の弁明に過ぎないんだよ。
116 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 23:41:30
>>115 仏教を知りたいし仏教を伝えたい。それが間違いなの?
いきなり街頭で辻説法したって、なかなか聞いてもらえないでしょう。
しかし、お寺に来てる檀家さんなら、まだ聴く耳をもってくれます。
ですから、お寺で説きたいのです。
117 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/08/31(金) 23:44:19
118 :
まよねーず ◆kRtmRcQ9ak :2007/08/31(金) 23:47:25
私は上座仏教徒です。
>>103 それってどうなんですかね〜?
>しかし、浄土宗否定から入ると檀家が離れてしまうかもしれません
>根本仏教を信じていけば自然と、浄土信仰への執着がなくなっていくでしょう
あなたの、檀家を失うという執着や不安を正当化するために浄土宗の檀家を騙すのですか?
ご自身は浄土信仰を捨てているのに、浄土宗の僧侶ですか?日本には信仰の自由があります。
すばらしいものでしたら、普通に最初から上座仏教で客寄せすればいいでしょう。
日本人でも長年、上座仏教国で出家して修行している人が居るでしょう。出家して修行して帰国して上座仏教僧として法を説いたらいかが?
>>113 マシって子供の喧嘩ですか?
6年間浮気不倫してた人よりも、1年こっきりの浮気の方がマシだと主張するレベルと同じですね。
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/31(金) 23:54:24
上座部仏教 ×
小乗仏教 ○
小乗仏教=日本仏教 ○
122 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 00:04:08
>>118 まよねーずさん、よろしく。
とにかく、上座部の教えというかお釈迦様の教えを、まず説かねばならないと思います。
檀家の人だって、あくまで仏教の一部として浄土宗を見てるはずでしょう。
仏教の看板をかかげてるんだから、仏教を説いて何が悪いのでしょうか?
マシと言ったのは、
仏教を説かない仏教寺院より仏教を説く仏教寺院になるほうが良いではないか
という意味です。
123 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 00:12:30
>>118 檀家を失いたくないというのは、
せっかく仏教を説くチャンスがあるのに説かなかったら、
若い(団塊以下)檀家さんの心が離れていってしまうと思うからです。
仏教寺院なのに仏教を説かず、むしろ仏教に幻滅させてしまうかもしれません。
阿弥陀仏の教えは易しい教えですが、しかしその反面、
信じられない人にとっては「迷信のひとつ」にしか見えないはず。
で、論理的な仏教になら納得してもらえるかもしれない人でも、
阿弥陀仏の教えや現世利益や先祖供養だけが仏教だと聞かされたら、
「なぁんだ、仏教なんてこんなものか」と思ってしまうかもしれません。
せっかく仏教寺院に来てくれたのに、
むしろ仏教から心を離れさせる結果になりかねません。
124 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 00:19:51
>>118 あなたの言い方は、生身の、一人一人の檀家さんを見ていない気がします。
今目の前にいるうちの寺の檀家さん達に対して
仏教を説くチャンスがある上座部の僧侶が、
すぐに出現するはずがない。
うちの近所の、僕の顔見知りのおじいちゃんおばあちゃん達に、
少しでも仏教を知ってもらいたいのです。
よその寺で説けばいいという問題ではない。
目の前の10人はほったらかしても、
よそで、別の場所10人に説けばいいじゃないかとか、
そういうことじゃないでしょう。
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 00:23:58
年寄りには浄土真宗のほうが、南無阿弥陀仏で分かりやすいんじゃないか?
126 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 00:27:33
>>125 念仏往生は説いています。
まず聖道門を説いた上で、
念仏のような易しい教えもありますと付け加えます。
法然さんも、そのように説いていたのではないでしょうか。
まずは善行をすべきだと説き、
善行ができないならせめて念仏しなさいと言う。
>>116 >仏教を知りたいし仏教を伝えたい。それが間違いなの?
一般論としてなら間違いではないが、おまえさんの場合は間違いだ。
おまえさんが、目的のために手段を選ばないというなら、
それは仏教徒としての資質を欠いているということだ。
おまえさんは仏教を知らないし、仏教を説くだけの力も無い。
知識を伝達したければ寺和田のHPを紹介すれば済むことだ。
おまえさんから教えられるよりは、はるかに「まし」だと思うぞ。
128 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 00:33:29
>>127 そうですね。
慈悲の瞑想の言葉を、さりげなく掲示しておきました。
>>126 >念仏往生は説いています。
信じてもいない念仏往生をどうやって説くんだ?
>まず聖道門を説いた上で、
>念仏のような易しい教えもありますと付け加えます。
>法然さんも、そのように説いていたのではないでしょうか。
>まずは善行をすべきだと説き、
>善行ができないならせめて念仏しなさいと言う。
大学で学んだ浄土宗がそれなのか?
随分と時間を無駄にしたものだなw
130 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 00:49:39
>>129 仏の平等の慈悲を端的に表す説話として、
またすべての衆生が救われたらいいなと切に願った法然上人に敬意をこめて、
お経には念仏往生が説かれていると解説しています。
「お釈迦様の教えだ」とは言わないように気を付けています。
131 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 00:56:35
>>129 学ぶうちに、ぐるりと一回りしてもどってきた感じです。
大学では、仏教教育というよりは、
文学部の一課目、研究材料のひとつとしての仏教ばかりだった気がします。
仏教入門の授業では瞑想をやるとか、
観経の授業でなら観想念仏をやってみるとか、
そういう実践的な授業をしてほしかったです。
132 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 01:01:03
観想念仏は難行だと言われたって、やったこともないからわからない。
実際にやらせてみて、「難しいだろ」と教えて欲しい。
六波羅蜜の説明とか何回も聞いたけど、
実際に禅定や智慧の修行を教えてくれない。
133 :
まよねーず ◆kRtmRcQ9ak :2007/09/01(土) 01:06:19
>>122 いきなり痛烈にあなたを批判したような感じになってしまいましたが、
あなたの志は素晴らしいと思っております。腐敗した日本仏教への批判とそこに身を置く自分をよく考える行動も素晴らしいと思います。
でも逆のパターンを考えてみてください、上座仏教僧が南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏に傾倒し教え始めたらどうでしょう。上座部を追い出されます。
上座部は論理的でお年寄りには難しいから、阿弥陀仏ですか。
実際の上座部仏教国の多くの人は、何も難しく考えてないですよ。
善行を積めば良い事が起きる、来世で幸せになれる、そんなもんです。
しかし出家をしたければ簡単に出家でき、上座部の教えに学べる環境があるのは確かです。
けちゃっぷさんは、スマ長老以外の上座部僧との交流や、ご自身の寺院に招いたりしたことは?
けちゃっぷさんが上座部で出家して、日本で上座部僧になる方法は無さそうですか?
てゆうか。そもそもけちゃっぷはスマ長老とも交流があるのかな?
135 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 01:19:04
>>133 よその僧侶を招けるほど大きい寺じゃないので、あきらめてました。
自分は、上座部から見たらただの在家信者だと思っています。
在家信者の一人として、仏教を紹介する程度しかできないでしょう。
僕も、聖道門だからと仏教を難しく考えなくてもいいと思います。
できる範囲のことをやれば、やっただけの報いは必ず得られる。
それで充分価値があると思います。
酒をやめられなくても、一日だけでも飲まなければ体を休められる。
だから不飲酒戒を毎日守れなくても、
一日守るだけでも価値があるし報いは得られる。
それでいいと思います。
136 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 01:20:23
137 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 01:31:26
浄土宗では、自力の修行は来世の浄土でやるから、
今は自力の修行にうつつをぬかしてはダメという感じですよね。
この世での善行なんてどうせ完璧にはできないから、やっても無駄、
まずは浄土へ往生しよう、と。
しかし、来世があるなら、むしろ逆で、
この世で完璧にできなくても、不完全な善行でも、
絶対無駄にはならないってことじゃないでしょうか。
138 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 01:39:07
日本では平安時代に地獄のイメージが人気ありすぎて、
自力は悪人で凡夫だから来世は地獄行きにちがいないとか、
マイナス思考ばかりが増大してしまった。
しかし、むしろ逆にプラス思考になればいいと思います。
「自力は凡夫で悪人だけど、
仏教に出会えて多少なりとも仏教を信仰したり学べたんだから、
来世は今よりずっと良くなるはずだ。」と、
自力聖道門においても来世救いを感じることができると思います。
139 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 01:40:23
書き間違った。
自力は悪人で→自分は悪人で
瞑想会に行けば長老が直接指導してくれますよ。
>>130 説き方を質問したわけではないんだがw
>信じてもいない念仏往生をどうやって説くんだ?
というのは、半分は皮肉だが半分はおまえさんの生き方を問うている。
信じてもいない教説を説くことが人間として正しいことなのか?
それは、悪いことだと知って悪事を為す行為とどこが違うのか?
ついでだから書くけど、念仏往生は「お釈迦様の教えだ」。
法然さんも、あの時代にそうやって説いたから迫害されたんだよ。
>>131 浄土宗の宗門大学が、どうして聖道門の実践訓練をする必要があるのか?
そういう発想するおまえさんのほうが異常に思えるがね。
普通、やりたければ他人に頼らずに勝手に自分でやるものだろう。
>>132 >六波羅蜜の説明とか何回も聞いたけど、
>実際に禅定や智慧の修行を教えてくれない。
あたりまえだよ、この世のどこにも存在しないから教えない。
それだけのことだ。
144 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 08:25:37
>>141 自分が信じてなくても、聴く人は信じるかもしれないから、
浄土宗寺院関係者として念仏往生についてははっきり説いています。
念仏往生については、臨終に
この世とは別の世界である浄土に往生すると説いています。
念仏往生自体の解釈を変えてはいけないと思います。
大事なのは、念仏往生を否定することよりもまず、
仏教の基礎である自力聖道門を説くことでしょう。
四諦八正道・戒定慧の三学、あるいは大乗なら六波羅蜜を、忘れてはいけません。
その上で、阿弥陀仏でも観音さんや地蔵さんでも、
各寺に縁のある仏像を拝めばよいでしょう。
145 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 08:28:52
念仏往生の意味を拡大解釈したり、他力の意味を拡大解釈して、
現代人でも信じやすいような念仏往生に変えてしまうことは、
やるべきじゃないと思います。
あくまで、阿弥陀仏というお方、
極楽浄土という世界が実在するという説き方をすべきでしょう。
で、人々が「そんなおとぎ話みたいなのは信じられない」と思っても、
それは浄土教の限界がそこにあるわけだから、仕方ない。
>>135 >酒をやめられなくても、一日だけでも飲まなければ体を休められる。
>だから不飲酒戒を毎日守れなくても、
>一日守るだけでも価値があるし報いは得られる。
不飲酒戒は健康管理の方便かよw
一日だけ人を殺さなければいい。
一日だけ嘘をつかなければいい。
一日だけ浮気をしなければいい。
一日だけ万引きしなければいい。
上座部仏教というのは、そんなものなのか?
147 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 08:31:21
>>143 禅定はサマタ(止)、智慧はヴィパッサナー(観)。
聖道門では今も現存する修行です。
148 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 08:35:50
>>146 僕は、一日だけでいいとは言ってません。
一日だけでも一日分の効果はあるから無駄ではないと言ったのです。
完璧にできないならやる価値ないという考え方は、
仏教信仰を妨げる考え方だと思います。
やれることだけでもやれば、やっただけの報いは得られるはずです。
たとえば、四日間ほど瞑想しただけでも気付くことはたくさんあると、
スマナサーラ長老が言ってます。
>>137
おまえさんが法然さんを卑しめたい気持ちも解らないではないがね。
大学まで出て、浄土宗の理解が入門書以下だということは恥じたほうがいい。
>>138 >自力聖道門においても来世救いを感じることができると思います。
そいつは寺和田の教えなのかね?
>>144 >自分が信じてなくても、聴く人は信じるかもしれないから、
しつこいようだが、
>菩薩の精神は自覚覚他だと、さんざん習いましたよね。
>自分がすばらしいと思った教えは、他人にも勧めましょうということですよね。
とカキコしたのはおまえさんだよ。
嘘を嘘だと知りながら他人に信じ込ませるというなら、そいつは詐欺師だよ。
>>145 >念仏往生の意味を拡大解釈したり、他力の意味を拡大解釈して、
>現代人でも信じやすいような念仏往生に変えてしまうことは、
>やるべきじゃないと思います。
意味がわからんが、解釈は解釈する人間の頭数だけあるだろう。
その人なりの理解の仕方があってもいいと思うよ。
大事なことは解釈云々よりも、念仏往生を信じられるかどうかの一事だろう。
自ら信じなければどれほど華麗な弁口を用いたとしても意味が無い。
信じていれば訥弁であっても人の心を動かすことができる。
>>147 >禅定はサマタ(止)、智慧はヴィパッサナー(観)。
>聖道門では今も現存する修行です。
その修行を行じて正覚を得た人がいるのなら教えて欲しいな。
>>148 途中で投げ出す修行なら最初からやらない方ほうがいい。
どうせまたカルトに悪用されるのがオチだよ。
>>148 在家五戒の話が、どうして瞑想といった修行の話になるのかわからない。
>一日だけでも一日分の効果はあるから無駄ではないと言ったのです。
だから、一日万引きしなかったらどんな効果があるんだ?
>完璧にできないならやる価値ないという考え方は、
>仏教信仰を妨げる考え方だと思います。
いってることが相変わらず理解できないみたいだね。
おまえさんみたいに、今日できなくても昨日やったから構わないだろうと、
勝手な言い訳をしなさんなと言っているんだよ。
完璧にできるできないを問題にしているわけではない。
勝手な言い訳をして自分を誤魔化しなさんなよと言ってるんだよ。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 10:46:52
スマナサーラの新刊立ち読みしたけど彼は漢文読めないみたいw
>>138 >自力聖道門においても来世救いを感じることができると思います。
だったら、日本の浄土教を完全に否定せずとも、常行三昧などの天台系浄土教でも構わないのではないか?
『無量寿経』を語義通り実践して、道徳的な生活に努めればよいのでは?
それに自力聖道門という概念自体が寺和田から見て批判されるべき大乗仏教の一派である浄土教の概念であり、
寺和田信者の君が用いるのは適当ではないと思うが?
それとも素麻弔老とやらも自力聖道門なる概念を教えの中で問いているのかな?
>>156 スマッてサンスクリット語やナーガルジュナなどを理解してるんだろうか?w
159 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 10:58:44
>>157 自力聖道門と言ったのは、浄土教以外の仏教(大乗・上座部含め)という意味です。
禅定(止)と智慧(観)の修行は、
浄土教以外の仏教にはまだ残っているんじゃないか、と言ったのです。
浄土宗の大学でも止と観を教えればいいじゃないかという話の流れですから、
浄土門の人に対して浄土門の用語で言ったのです。
>>148 寺和田の在家信者がどういうものかは知らない。
ただ、「飲酒がやめられません、どうすればよいのでしょうか?」
と、素直にスマ長老に質問するのが普通だと思うぞ。
おまえさんが自分や他人に言い訳する前に、当然しなくてはならないことだろう。
出来ないこと、知らないことは恥ではない。
出来ないことを言い訳したり、知らないことを知ったかぶりすることが恥なんだ。
まあ、それは仏教に限ったことではないけれどもね。
161 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 11:01:54
>>157 自力聖道門においても来世の救いは感じられるだろうと言ったのも、
「浄土教以外の仏教」でも来世の救いは難しいものじゃないだろうと、
浄土教の人に対して浄土教の用語を使って言ったのです。
162 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 11:09:39
>>151 嘘は言ってません。
お経にはこんなお話(往生浄土)が載っていると説明しているのであり、
寺の本尊である阿弥陀仏とはこのような仏であると説明しているのです。
「こんな言い伝えがある」と、「本尊にまつわる物語」を説明しているのです。
浄土宗寺院だから仕方ありません。
重要なのは、浄土教だけじゃなく、仏教の基礎も説くことだと思います。
念仏往生を信じる人にも信じない人にも、
まずは仏教を、戒定慧の三学を、信じて欲しいのです。
>>157 寺和田における来世の救済と浄土教における来世の救済は内容は全く違うけどね。
164 :
163:2007/09/01(土) 11:11:52
アンカーミス 訂正
間違い
>>157 寺和田における来世の救済と浄土教における来世の救済は内容は全く違うけどね
正しい
>>161 寺和田における来世の救済と浄土教における来世の救済は内容は全く違うけどね
>>162 >浄土宗寺院だから仕方ありません。
仕方なく説かれたんじゃ、たまっちゃもんじゃないわなw
166 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 11:14:35
>>158 インド文化圏の僧侶で、しかも大学で教鞭をとってた人だから、
原文で直接読んで理解できるのでは?
『般若心経は間違い?』はまだ読んでませんが、
玄侑さんとの対談本では、スマナサーラ長老は、
「色即是空」は正しいけど「空即是色」は間違いだ
というようなことを言ってました。
どうして、「空即是色」は間違いなんだ?
>>166 一つ言っておこう。
ここまで見てきて、四諦等々の概念が頻出するが、一つ重要な概念が欠落しているぞ。
すなわち、縁起だ。
まあ、縁起概念の軽視は有部を含む上座部系思想の欠点の一つと聞いているがな。
>>148 おまえさんは法然さんさえ誤解して自滅しているからな。
>酒をやめられなくても、一日だけでも飲まなければ体を休められる。
>だから不飲酒戒を毎日守れなくても、
>一日守るだけでも価値があるし報いは得られる。
これはホントに寺和田の教えなのか?
いまざっと見てきたが、どこにもそんな記述はないぞ。
見落としかもしれないから、あるんなら教えてくれ。
ないなら、スマ長老に確認してからカキコしたほうが良くはないかね。
>>166 まあ、英語やパーリ語なら解しているだろうけど、どうしてそれだけでサンスクリット語を解していると言えるんだ。
171 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 11:24:38
>>167 論理的におかしいということだったと思います。
色は空だし、受も空だし、想も空だし、行も空だし、識も空です。
だったら、「空は即ちこれ色である」と判断できないはずです。
ミカンも果物であり、リンゴも果物だ。
だったら、果物と言ったって果物にはミカンもリンゴもあるわけだから、
「果物はミカンである」と断定することはできない。
「果物はミカンかもしれないしリンゴかもしれない。」
まぁ、要は、「すべては空である」と気付いて執着から離れるのが仏教であり、
「空即是色」のような余計な言葉遊びを付け加えたら邪魔になるってことでは。
>余計な言葉遊びを付け加えたら邪魔になるってことでは。
じゃあ、シャム派では三蔵中の論では邪魔ということか。
174 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 11:33:24
>>169 スマナサーラ長老の本ではよくカルマのことがでてきます。
悪いカルマをつくれば苦しみの原因になり、
善い心をつくれば苦しみを消す原因になる。
日本仏教風に言えば、善いことをすれば善い功徳を積むことになる、
ということでしょう。
ですから、一日でも、少しでも、
行いや思考に応じて、必ずその分の功徳や罪業は発生する。
怒れば怒るほど、余計怒りやすい性格になっていく。
酒を初めて飲むときには抵抗感があるが、
二度三度と飲めば酒を飲むことが普通になっていく。
初めて盗みをするときには抵抗感があるが、
二度三度と盗むうちに盗み癖がついてゆく。
逆に、酒を飲まないように、飲む頻度を減らしていけば、
その分飲み癖が弱くなっていく。
暑いからひさびさにビールを飲めば、今日も暑いからまた飲もうというふうに癖になる。
175 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 11:38:34
>>173 お経の内容に反しないお経の解説や研究は、べつにいいのでは?
「色即是空」はお釈迦様の教えと矛盾しないからいいけど、
「空即是色」はお釈迦様の教えを誤解させかねない表現だからよくない、ってことでは?
>>171 >まぁ、要は、「すべては空である」と気付いて執着から離れるのが仏教であり、
>「空即是色」のような余計な言葉遊びを付け加えたら邪魔になるってことでは。
それだけなら、単なる悪取空なんだが。
>>175 で、スマ君は空について何て言っているの?
>>174 別にけちゃっぷ流の解釈を知りたいと言ったのではないよ。
>酒をやめられなくても、一日だけでも飲まなければ体を休められる。
>だから不飲酒戒を毎日守れなくても、
>一日守るだけでも価値があるし報いは得られる。
これは寺和田の教えなのかどうか?
教えだというなら、どこに書かれているのか教えて欲しいと聞いたんだよ。
179 :
まよねーず ◆kRtmRcQ9ak :2007/09/01(土) 12:01:56
>>169 上座仏教徒の一般的な在家もお酒を飲むわけですが、仏教行事が国の祝日になっている日は国全体が禁酒Dayになります。
それが上座仏教の教えであるかどうかは分かりませんが、現地ではそのような実践の仕方もあります。
しかし出家僧はその限りではありません。絶対に毎日禁止です。
180 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 12:08:54
>>178 スマナサーラ長老の本を読んでください。
アビダンマ抗議シリーズ第二巻とか、
「ついに悟りをひらく 七覚支瞑想法」とか。
少しの不善(悪い)の行為、不善思考でも、カルマをつくることになります。
逆にいえば、少しでも善を積めば、
その分その瞬間にきっちり善の報いが発生するのです。
181 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 12:12:09
>>179 不善心の発生を少しでも減らすのが大事でしょうね。
少しでも減らしたほうが、まったく減らさないより良いのはあたりまえです。
ですから、完璧に不善心をなくせないからやっても無駄だとは思いません。
>>179 在家信者の飲酒というのは、釈尊当時から普通だったんですか?
まあ、深酔いして他人に迷惑をかけるなというなら当然ですが、
たしなむ程度なら構わないという解釈だったのですか?
183 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 12:23:42
お釈迦様は、人々に「社会から逃げろ」とか「森に隠れろ」
なんてことは一言もおっしゃってません。
ただ「人間は無知ですから、自分が二十四時間やってる普通の生活を
罪にしてしまって、それによって苦しみの結果を得てしまうのです。
ホンのちょっと智慧がはたらくと、ごく普通の生活が、美しい、明るい、
ストレスの溜らない生き方になります。
そのためには特別な修行も勉強も何も要りません。
ホンのちょっと頭を入れ替えて、貪瞋痴の心を欲や怒りや無知の少ない心に
切り替えるだけで、普通の人生の幸福がすぐに得られます。」とおっしゃるのです。
↑アビダンマ抗議シリーズ第二巻より
184 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 12:32:39
同じ本より↓
掃除という日常のつまらない仕事でも、落ち着いてしっかり観察して善の心でやると、
行為自体が善行為になって功徳が生まれますし、智慧も生まれます。
ブッダの教えは、いつでもどこででも、その場でサッと実践できる、
実践すれば悟る可能性もある、誰にでも開かれた教えなのです。
>>180 おまえさんの場合は、単に小善を大悪の弁明に使ってるだけだよ。
中世キリスト教の免罪符と代わりはない。
>>180 そうやって寺の法事の時に檀家相手にスマ本の宣伝しているのか?
いっそ、行事も全て寺和田に合わせたら?w
インド暦2月(日本じゃ3月頃かな)の満月の日(ヴェーサカ)に仏生会、成道会、涅槃会をやっちゃえば?
確か南伝上座部仏教ではこれらは全て上記の同じ日ということになっている筈だからw
>>183 同じようなことを喪家もオウムも言ってるよ。
>お釈迦様は、人々に「社会から逃げろ」とか「森に隠れろ」
>なんてことは一言もおっしゃってません。
釈尊は、世間を棄てて出家をせよと言ってなかったか?
>>184 その程度のことなら、その辺の新興宗教でも言うよ。
しかし、なんでおまえさんは表面ばかり這い回って、本質を掴もうとしないのかね。
浄土宗でもそう、寺和田でもそう。
自我に対する執着心が強すぎるのかな?
まあ、他人のことばかり言えないがねw
190 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 12:53:37
巣魔はタレント坊主や民族学者を利用した対談はするけど正当な仏教学者とは対談しないw
>>184 >ブッダの教えは、いつでもどこででも、その場でサッと実践できる、
>実践すれば悟る可能性もある、誰にでも開かれた教えなのです。
それはスマちゃんが言っていたことか?
もし、スマちゃんが言っていたんなら、自分の所を棚に上げてよく言うよ、言いたいがw
>>184 もし、本気で南伝上座部を学びたいのなら、シャム派の巣魔なんかじゃなくて、
タイの方が良いと思うがな。
あそこの方が修学システムがしっかりしているし、長老になるまでに幾つもに試験
をパスしないといけない。
もっとも、タイの上座部は学識重視だから、体験至上主義のけちゃっぷには合わないかも
しれないけどねw
194 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:00:57
>>192 七覚支の説明の本を見てたら、
すべて体験した上で指導しているように思えました。
禅定や智慧の体験がないただの仏教学者では、あんな書き方はできないと思います。
>>194 それは君の個人的感想だろ。理由にはならないだろw
で、どうして、巣魔は正当な仏教学者との対談は避けているんだ?w
196 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:04:06
>>193 あくまで在家信者として、
仕事や家族を捨てずに信仰したいと思います。
ですから、日本の、しかも関西でも学べる教団がいいです。
197 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:06:03
>>195 避けてるという根拠はあるの?
出版者的には、一般読者に知名度のある人との対談を企画するのが、当然では?
198 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:09:57
>>192 そういえば、スマナサーラ長老が禅僧から公案を出題されて即答したので、
禅僧が冷や汗流したらしいです。
199 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 13:10:04
あの般若心経本でテーラワーダ以外の知識の無いことが露見スマした
>>197 >出版者的には、一般読者に知名度のある人との対談を企画するのが、当然では?
だから、胡散くさがられているんだよ。
仏教を齧り立ての人にはある程度の納得するかも知れないがね。
>>195 避けてるという根拠はあるの?
じゃあ、何故、一度も対談がないんだ?そのように憶測されても仕方がないがね。
201 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:11:28
>>199 むしろ、大乗仏教の余計な観念や概念が、
悟りの妨げになるのかもよ。
>>201 都合の悪いことは聞こえない、見えませんということかwww
で、スマ君の縁起観はどういうものなんだ?w
まあ、あれだな。
巣魔嘲弄が本当に大乗を批判したいのなら、ナーガルジュナやヴァスバンドゥ、チャンドラキールティ等を
克服してからの話だな。話はそれからだ。
でなければ、ただの愚痴か戯言だ。
205 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:15:40
>>202 そんなの、実名好評してるわけないでしょう。
ところで、スマナサーラ長老は日本に留学して道元を研究してたらしいですね。
で、法然さんの弟子証空と道元とが兄弟だという説もあるそうです。
>>205 あのう、日本の曹洞宗では公案は殆ど用いないですけど、大丈夫ですかw?
>で、法然さんの弟子証空と道元とが兄弟だという説もあるそうです。
だから、何?
207 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:20:18
>>206 わかってますが。言うと思ったけど。
道元と証空の関係については、余談です。
208 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:22:45
>>204 大乗非仏説が前提だから、外道扱いでは?
そういえば、けちゃっぷも昔公案がどうのとか言ってたよな。
30メートル先のロウソクを吹き消せだったかなw
あれはどうにかなったのか?
210 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 13:24:29
道元の論文蹴られて復讐に燃える巣魔w
211 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:25:53
>>208 じゃあ、大乗を何ら克服したことにはならないねw
で、スマの縁起観はどうした?
>>208 で、何度も聞いて回答がないが、スマは空についてどういうふうに教えているんだ?
215 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 13:43:23
>>214 知るか。
無常や無我という表現はよく見るけど。
「空」という言葉にこだわる般若心経馬鹿が、日本には多いですね。
日本仏教では、「空」という言葉にいろんな意味があるから、ややこしい。
無常・無我でいいのでは?
縁起という言葉も、日本仏教の手あかにまみれているから使いにくい。
因縁とか因果という言葉で説明していいのでは?
>>215 逆切れ乙www
知らないことは逆切れで応答することが巣魔嘲弄の教えなのかww
へえ、空って、般若心経馬鹿しか使わないのかww
まさか、空を日本仏教固有の概念と思っているのかなww
仏教の根本概念である縁起はなおざりですかww
けちゃっぷにわかるようにぜんぶひらがなでかいておきますね。
けちゃっぷはぶっきょうのいろはからまなびなおしたほうがいいですよww
217 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 14:03:30
アビダンマ講義シリーズ第一巻より↓
一部の人は、ただその「空」という言葉だけを取って、「全ては空である」と拡げて、
一生懸命宗教システムを作って「これが大乗です」とまで言いますけど、
ただ言葉遊びだけです。
【中略】
「一切皆空」など言葉とか哲学だけでいろいろ言いますけど、
それで現象の問題は何も解決しません。
【中略】
「全ては空である」という大乗仏教の哲学は、ある立場から見れば正しいです。
それは初期仏教・テーラワーダ仏教でも認めます。
それに対して、初期仏教やテーラワーダ仏教が厳密に分類している
物質やこころの区別論・分別論が間違っていると主張するのは、大乗仏教だけです。
218 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 14:08:09
【続き】
確かに全てが空という立場から見れば、区別・分別は間違いです。
でも初期仏教の立場では、間違いではないのです。
物質やこころの現象を徹底的に分析した時は、
「全てが空」という立場から説いたわけではないからです。
当然、その内容も間違っているわけではありません。
「全ては空だ」という一つの立場に執着して、
全てをその立場からだけ見ようとすると、
空論以外は全て間違いだということになる、
ただそれだけのことです。
【以上、
『アビダンマ講義シリーズ第一巻 物質の分析 ブッダの実践心理学』
より抜粋。】
219 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 14:12:41
【同じ本の、さきほど中略で略した部分の中で】
仏教で言う第一段階の悟り・預流果では、
こういうありとあらゆる哲学・概念に対する未練が消えてしまいます。
どんな哲学を聞いても、
「ああそうですか、頑張って下さい」と言うくらいで、
自分はそこに入り込まない。
何の興味も執着もなくなります。
何の意味もないとわかるのです。
220 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 14:17:46
預流果:
最高の阿羅漢果までの悟りは四段階から成る。
第一の預流果では三つの煩悩
(有身見〔我があるという誤り〕、
疑〔仏陀の教説に対する疑い〕、
戒禁取見〔しきたりや様々な学説への執着〕)
だけが消える。
>>217>>218 巣魔嘲弄の空理解ってその程度ですか?
それじゃあ、単なる悪取空の典型ですねw
まあ、巣魔嘲弄が大乗仏教を全く理解していないのは、よくわかりましたw
なるほど、日本で論文が蹴られるのも当然ですねw
>>215 そもそも、空=無常無我と解している時点で、お前は終わっているw
まあ、一度、巣魔とチベット仏教のゲルク派のゲシェー(博士)との討論を見たいけどな。
どうなるか、結果は分かっているけどw
224 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 14:47:45
おもいっきり日本仏教への復讐に燃える巣魔嘲老は預流菓にも入ってないスマ
225 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 14:48:27
>>222 では、空の意味をあなたはどう理解されてるのですか?
まさか、真如と空をいっしょくたにしてたりはしないよね?
226 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 14:55:42
>>221 いずれにせよ、言葉で哲学を理解するよりも、
瞑想で智慧を体験するほうがいい。
228 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 15:18:31
スマ長老の瞑想は、マハシで一月やったのみと、元パトロンSさんが公言してました。
>>225 まあ、端的に言うと、空とは消極的には無自性、積極的には相互依存、相互限定を指しますわな。
230 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 16:17:36
巣魔が瞑想会の帰りに信者の女の子と二人ずれで歩いてた。幡ヶ谷近くのスーパーでよく買い物してた。テラワダの戒律でおK?
事実なら、与女人同行戒違反だと思うけど、巣魔カルトの場合は知らね。
232 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 16:44:36
>>229 相依相関で成立する(縁起である)から無自性であり、
無自性だから空であるというつながりらしいですね。
結局、無常・無我とどう違うのでしょう?
>>232 もしかすると、君は
空=無
と考えているのかな。
236 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 17:05:39
>>234 無自性、無常・無我だと考えていますが、
単なる無だとは思いません。
いやぁ、やはり言葉遊びとわかってても、こういう話は面白いですね。
>>236 > 無自性、無常・無我だと考えていますが、
結局、空を無と同義にしか考えていないんじゃないかw
>いやぁ、やはり言葉遊びとわかってても、こういう話は面白いですね。
じゃあ、アビダルマ論も単なる言葉遊びですねw
議論蔑視の直観重視なら、禅宗にでも行けば?
上座部の煩瑣なアビダルマ論や大乗諸派の諸議論も君から見れば、全て言葉遊びでしょうしね。
まあ、巣魔カルトの場合は知らないけど。巣魔嘲弄の託宣が全てみたいだし。
238 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 20:27:19
>>237 では、空を説明してくださいませ。
どんな斬新な意見があるんでしょうか?
仏教辞典では、
有でもなく無でもなく、しかも有であり無である事象の在り方、
みたいなこと書いてたと記憶してます。
無ではありませんね。
色は空であるというときに、そこに色が無いわけじゃないから。
色の在り方について説明する形容詞が「空」ではないでしょうか。
つまり、
「色とはどんな存在ですか?」「色とは空である存在です。」
ってことでしょう。
239 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/01(土) 20:34:45
「りんごは空である。」というとき、
問「りんごとはどんなものですか?」
答「りんごとは空であるものです。」
問「なぜ、りんごは空だと考えますか?」
答「りんごは無自性であり、りんごそれ自体は無く、
りんごとは呼び名・概念にすぎないからです。」
問「なぜ、りんごは無自性だと考えますか?」
答「りんごはそれ自体独立した存在ではなく、
りんごはさまざまな因縁で成立した現象を、
さまざまな因縁により認識した者が、
さまざまな因縁により『りんご』だとラベリングした、記号にすぎないからです。」
240 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 23:36:22
けちゃっぷ、必死だな
もう大人しく素魔に全財産布施して、素魔の奴隷にでもなれよ(^-^)/
241 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/02(日) 00:44:37
>240
やれやれ…。
その悪意に満ちた当て字は、なんとかならないでしょうか?
法然さんを迫害した比叡山の連中も、
あなたみたいな人だったんでしょうね。
まあ法然さんだって従来の顕密仏教からしたら
善導説に偏った邪見を説不届き千万者と思われてたことだろうさ。
寺和田だって従来の日本仏教からそういう見方されるのは仕方なス。
だんだん広がっていければ評価は変わるかも知れんね。
243 :
ひさかた ◆L2n61wsnQ2 :2007/09/02(日) 09:00:15
けちゃっぷさんに質問です。
大乗仏教を非仏教として非難してきた上座部仏教と
大乗仏教の浄土宗とは統一できますか?
私はどこの宗派にも属さず、大乗仏典と原始仏典を読んでいる者です。
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/02(日) 09:33:03
大乗仏教非難はスマとその一味だけ。誤解の無いように
245 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/02(日) 09:35:15
小乗仏教(自称上座部)は仏教ではありません
246 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/02(日) 10:14:06
>243 統一は無理でしょう。
大乗側が妥協するしかありません。
たとえば、上座部側が戒律を変更することはありえません。
ですから、上座部から見たら、不完全な戒律しか授かっていない大乗の僧侶は正式な僧侶ではなく、
在家信者扱いになります。
ですから、大乗の在家信者達が僧侶の言うことをきかず、
好き勝手な信仰にうつつをぬかしているということになります。
もし統一するとしたら、大乗は自分達を正式な僧侶ではないと認めて、
上座部の本物の僧侶に帰依した上で、
世俗的通俗的なオマケの信仰として、
大乗の教えをやることを黙認してもらうしかないでしょう。
247 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/02(日) 10:17:45
浄土宗でも、本来は念仏往生を願う教えだけれど、
各寺院において阿弥陀仏以外の仏・菩薩を拝んだり、
現世利益を願ってさまざまな通俗的宗教活動をすることは、
黙認されていますね。
そんな感じで、建前上お釈迦様の教えは上座部の説くようなものだけれども、
日本の仏教文化として、さまざまな大乗的宗教活動に目をつむってもらうしかありません。
248 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/02(日) 10:17:50
都合の悪い戒律はデーヴァダッタに由来がデフォのスマ一味
249 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/02(日) 10:23:52
パティバダの寄付者一覧に「〇〇家先祖の為」と書いてあるのに違和感感じる
250 :
ひさかた ◆L2n61wsnQ2 :2007/09/02(日) 11:00:33
>>246 お答え、ありがとうございます。
テーラワーダ仏教協会は仏陀はヴィパッサナー瞑想を説いたと
言っていますが、経典にそのような記述はあるのでしょうか。
仏陀がヴィパッサナーで悟ったとは経典にもないと思うのですが・・
251 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/02(日) 11:58:57
>>235 そうですね。
単なるサマタ(止・禅定)とは違う瞑想をしたのかどうかですね。
岩波文庫で、「よく気をつけていなさい」みたいな表現があります。
ヴィパッサナーとサマタの違いを知らなかったときには読み流していたのですが、
もしかしてこれもヴィパッサナー?と思うようになりました。
いずれにせよ、僕もその点は勉強不足です。
252 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/02(日) 12:02:30
>>250 瞑想の実践を説く経典として一番有名なのは、
長部所蔵の「大念処経(大念住経、Mahaa-satipatthaana-sutta)」ですな。
手元の片山良一氏の訳本によると、冒頭に
「この道は、もろもろの生けるものが清まり、愁いと悲しみを乗り越え、苦しみと憂いが消え、正理を得、
涅槃を目のあたり見るための一道です。それは四念処です。」と説かれる。
解説には「この四念処(四念住)は観(ヴィパッサナー)、随観(アヌパッサナー)の行法として知られるものであり、
仏教固有の、また仏教の最も重要な実践の一つであると言ってよい。「法を洲とせよ」という「法」は
この「四念処」でもある。」と書かれている。
254 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/03(月) 12:48:11
ヴィパッサナーと呼ばれている修行方法は、お経に出てますね。
ただ、「ヴィパッサナー」という言葉がお経にあるのかどうかは、僕はわかりません。
255 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/03(月) 22:28:12
スマ長老の著書『般若心経は間違い?』を読んでいます。
観音様が舎利子(サーリプッタ尊者)に教えてるんじゃなかったんですね。
256 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/04(火) 01:02:04
スマ長老は、龍樹のことはそれなりに評価しているけど、
般若心経の作者は龍樹さえ理解できていない頭の悪い人だという意見みたい。
般若心経賞味期限キター
心経は真言を説くのが目的のお経だそうで仏教ではないと言う学者もおります。
258 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/04(火) 01:24:12
>>257 マントラを使った瞑想だとしても、
それだったらギャーテーギャーテーじゃなくてもいいしね。
結局、心経には空を悟るための具体的な修行方法が書いてなくて、
脈絡もなくいきなり呪文を勧めている。
259 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/04(火) 10:38:49
巣魔万は漢文を読めないと自著が物語っています クス
260 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/04(火) 10:43:29
どう考えてもスマは佛敵だろ
261 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/04(火) 12:21:13
>>259 ちなみに、例えばどこを見てそう思ったのですか?
262 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/04(火) 12:30:51
巣魔はカルト
上座部ですらない 笑
263 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/04(火) 12:36:19
264 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/04(火) 15:33:46
>>258 >結局、心経には空を悟るための具体的な修行方法が書いてなくて、
般若波羅蜜多の咒を説いてるでしょ。それを念誦するのが修行法だよ。
ギャーテーギャーテーって。
265 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/04(火) 18:25:16
>>264 マントラを使った瞑想ってことですね。
般若波羅蜜多とは、ギャーテイギャーテイのマントラを使った瞑想のことであり、
観音様も三世諸仏もこの瞑想によって最高の悟りを得た。
瞑想をしているとき(マントラに意識が集中している瞬間)には、
十八界も十二因縁も四諦もぜーんぶ何もかも消えて無になる。
(意識がマントラ以外の対象から離れているから。)
このときには、色受想行識も無くなり、増減も、きれいきたないも、生滅も無くなってしまう。
だから色受想行識が空である(実体がない)とわかる。
…しかしひっかかるのはやはり、空即是色の意味です。
266 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/04(火) 18:29:44
短かすぎず長すぎない、
間違わずにくりかえすためにはある程度集中力が必要なフレーズを、
心の中で、まちがえずに、しかも妄想で途切れさせずに、
ひたすらくりかえす。
テーラワーダで勧めている慈悲の瞑想も、
実はギャーテイギャーテイとやってることは同じ。
ただし、テーラワーダでは、そのような瞑想しかたはサマタ瞑想と位置づけており、
集中力を養うのに必要ではあるけど、それだけでは悟れないと説くようです。
267 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/04(火) 19:48:44
漢文読めない奴にはわからんやろなw
巣魔を基準に上座部を語るのは、他の南伝上座部に失礼だろうw
269 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 12:33:51
タイ王国から日本テーラワーダ仏教協会に、
第6回結集版のパーリ語三蔵のローマ字本フルセットが贈呈されました。
他に、皇室や大学にも贈呈予定だそうですが、
日本で最初の贈呈先が寺和田であるという事実は、
タイ王国から見て日本仏教の代表が寺和田であるという意味でしょう。
270 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/05(水) 12:47:43
>>269 けちゃっぷよ比丘戒を受けて出家しなさい。
271 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/05(水) 12:50:03
840 名前:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU [] 投稿日:2007/08/28(火) 20:26:43
>>832 だから「申し訳ない」と思っています。
金蘭の袈裟や色衣も無駄だと思います。
黒如と改良服威儀細だけですべての儀式をやるべきだと思います。
842 名前:名無しさん@京都板じゃないよ[sage] 投稿日:2007/08/28(火) 20:28:17
ご勝手にどうぞ。
お前に「べき」なんて言われる筋合いねーけどな
うちは施主袈裟が多いから、これまで通りやる
851 名前:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU [] 投稿日:2007/08/28(火) 20:33:07
>>842 袈裟というのは、最も粗末な服がルーツなのに、
金ピカで何百万円もするエプロンが袈裟なのかどうかも怪しい。
859 名前:名無しさん@京都板じゃないよ[sage] 投稿日:2007/08/28(火) 20:45:09
>>851 施主になってくださる檀家さんが居ないからと言って、ねたんではいかんよ
860 名前:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU [] 投稿日:2007/08/28(火) 20:48:30
>>859 おのれ!よくも気にしていることを!
つまるところ、自房でムチャクチャやってるから檀家から干されてるんじゃね?
んで、檀家が離れていくのを見て、これはダメだって更に斜め上方向へ行っちゃったと。
273 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 12:54:50
>>270 在家で修行したいと思います。
在家で、四諦や無常・無我など基本的な仏教用語を聞いた程度でも、
瞑想して預流果や一来果の悟りを得た人がいるそうです。
悟るのは難しくても、瞑想の実践自体は苦行じゃないので、
在家信者でもできるし、やれば数日で色々気付くことがあります。
「聖道門は難行だから」と食わず嫌いになるのはもったいない。
274 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/05(水) 13:37:10
s子の囲われから逃れ、うるさいsも解任し、大乗への復讐に燃える巣魔にとっては今や本懐を遂げつつあるw
275 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 18:38:45
>>274 やはりネットの力が大きいですね。
創価学会の人や新生佛教の人などの仏教系カルトの信者とかが、
検索してるうちに寺和田を目にしてしまったら、
愕然とするかもしれませんね。
276 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/05(水) 18:45:17
仏教系のカルト信者=寺和田
なのは間違いない。
>>275 そうだね。いくら仏教系カルトでもルサンチマンだけであそこまでやれる人はそうそういないしねw
278 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 21:06:57
>>277 まともに反論できないからって、言い掛かりはよくないですよ。
正直言えば、「お前が言うな」
>>278 反論たってねえ。おたくの理解の程度が低いから、話もかみあわないし、都合の悪いことはスルーされるし、
それにわたしはカウンセラーでもないので、カルトの呪縛を解く術はないし、自業自得と思っているので、
解くつもりもないしwww
まあ、匙を投げたと言った所だねw
今後、巣魔の教えをしっかり奉じて、頑張って巣魔カルトのステージを駆け上がってくださいなw
他人と社会には迷惑かけないでねww
281 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 21:41:59
>>280 浄土宗のほうがよほど他人に迷惑かけてる気が…。
上座部仏教は、一応お釈迦様の教えをめざしてますね。
お釈迦様の時代そのままじゃないにしても。
日本の宗派は、お釈迦様以前にまず宗祖がきちゃいます。
浄土宗でも、学問的研究で法然さんの本当の思想とはどんなだったのかを
研究してますからね。
でも、思うのですが、多分浄土宗は、
法然さんの本当の教えとはこれだったんだ!という解答が出たとしたら、
その時点で満足しちゃうでしょう。
結局、お釈迦様の教えなんか最初からどうでもいい、
法然教祖の教えにしか興味ないのでは?
これは、「仏教」の看板を掲げてるのならば、おかしいと思う。
282 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/05(水) 21:57:57
タイの三蔵もらって誰がよむんかね?
>>281 浄土三部教が仏説(釈尊の説いたもの)だったからこそ、念仏に意味があるんだろうが。
後の書誌学的研究は置くとしても。
手前勝手に、浅い理解で決めつけるなよ
284 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 23:10:38
>>282 スマ長老は講義のときに、
パーリ語の原文を朗読して、その場で訳しながら説明します。
285 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 23:21:30
>>283 信には、仰ぎ信じる仰信と、理解し納得して信じる解信の二つがあります。
で、浄土宗・浄土真宗では仰信であるべきだと聞いたことあります。
一方、上座部は解信なんです。
たとえお釈迦様の教えそのままじゃないとしても、
三蔵経典の内容は、人々が理解して納得して、
自分の身でも確かめられる教えでしょう。
一方浄土三部経は、理屈では説明できない、不可思議であるから、
ただちに仰ぎ信じるしかないと言います。
これじゃあ聖書とかわらない。
286 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 23:38:25
9月23日に、大阪の住吉大社境内の武道館で、
スマナサーラ長老の講演と瞑想会があるそうです。
しかし、その日はお彼岸なので自坊の行事があります。
これは僕にとって「踏み絵」です。
長老の講演と指導を受けるか、檀家に設法をするか。
もし檀家の中に寺和田信者がいたとしたら、
お彼岸なんか来なくていいから長老の講演に行ってもらいたい。
287 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 23:40:37
…と、これくらい宣伝しときゃいいだろう。
288 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/05(水) 23:40:50
住吉大社が穢れる。
289 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/05(水) 23:45:57
>>288そうですね。僕が行ったらけがれるので、
お彼岸の行事をとることにします。
あぁっ、ざんねんだなぁ!なみだがでるなぁ!
スマ長老の話を先に聞ければ、お彼岸の説教のネタにもなるのに!
290 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 00:10:07
彼岸の仏事は浄土思想に由来する。
>>285 お前、全部人聞きばっかだし、話ずらして逃げんなよ
292 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 07:44:58
通俗だなw
294 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 09:44:12
>>269 その三蔵経もって高野山に挨拶にいったり真言宗の寺にたのんで
法要やってた
>>292 変な仏教寺院や僧侶が出てくれば、あそこはオカシイから何とかしないといけないと。
自浄作用があるんですよ。寺院の運営が悪いことをすれば咎められる、僧侶が女犯すれば警察が踏み込み僧侶を逮捕する。
日本には自浄作用が無いでしょ。日本仏教は垢が溜まりっぱなし、誰も変えようとしない、変えようとしているのは新興宗教だけ。
上座仏教国だってお守りはあるし、在家は現世利益を願って仏像の前で祈るんです。それが実際なんです。
スマ長老は、そういうことは本では殆ど述べていない。
296 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 12:22:58
ということは日本寺和田教会は本国に見られる通俗性を排除した純粋上座部仏教にむしろ近いということ?
297 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 12:26:00
>>295 長老は、「本来はこうだ」というのを教えてるのでは。
「本来はこうだ」をわかった上で各人・各寺院が違反してる場合は、
次の代に変わればまた「本来はこうだ」にもどった上で判断することになる。
制限速度60キロとわかった上で70キロ出してるなら、
再び60キロにもどせる。
しかし、本来は60キロだと知らず、
70キロで走ってる人を見てそれが普通だと思ってる人なら、
さらに80キロにまで上げるかもしれない。
298 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 12:37:58
本国では仏教書は無料で配られるのが常だが日本国では印税が稼げるので
ふざけた名称の出版社を組織して営利活動に邁進している
299 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 12:43:15
>>298 寺和田には、無料でもらえる「施本」もあるみたいです。
信者達の布施で印刷された本。
信者達の「他の人々にも教えを知ってもらいたい」という熱意のたまものですね。
300 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 12:53:25
301 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 13:14:54
>>299 圧倒的に駆ると信者に売りさばいていますw
>>297 >長老は、「本来はこうだ」というのを教えてるのでは。
きちんとスマ長老と言いましょうね。上座部の長老はあなたが信奉するスマ長老だけではないんですよ。
スマ長老は、著書の中で上座仏教徒には迷信はひとかけらも無いと言っているんです。
しかし上座仏教国の実際は、スマ長老の著書とは違います。
ですから、本だけ読んで本国の上座仏教徒の実際を見ていないあなたのような人が増えて、上座部を語る際に実際を体験している人からはオカシイこと言う人だなと感じるわけです。
「スマ長老が本来はこうだ」と言ったことを、別の上座仏教徒の検証無くして、そのまま信じて本当に大丈夫なのですか?
上座部ではお守りもあります、祈祷の類もあります、仏像に現世利益を祈ります、神通力を持つ高僧のところに行きます。これが実際です。
本国の実際は、スマ長老の「迷信のかけらもない」との主張を否定します。
けっきょく本国の現状の上座部仏教と、スマ長老の説く上座部仏教と
支持したい方を支持すればいいのじゃないかな。
人に合わせて法を説くという対機説法もあるし、大衆層の教養や興味の違う本国と日本とで
まったく同じということはないのでは?
やっぱり通俗御利益のある方がいいよーって人にはスマ長老の上座部は向かないかも知れないし、
自分は日本の御利益仏教いらないんでという人にはスマ長老が向いてるのかも。
けちゃっぷはどっちつかずの蝙蝠だな
浄土宗を貶し、寺和田マンセーするのに、浄土宗からは抜けない
305 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 14:25:42
>>303 >大衆層の教養や興味の違う本国と日本とで
人に合わせているのですね?どう違うの?
ぶっちゃけ、浄土宗を辞して寺和田になるんなら、別にどーってことないんだよ
心底どーでもいい。
だが、浄土宗でございと言いながら、寺和田の片手間に不正確な理解の宗乗を
語られたんじゃ迷惑千万。
不正確というか、けちゃの場合は、まず自分だけの意固地な「思いこみ」があって、
そこにムリクリこじつけるんだよね
本国と同じ仏教を日本でもやれば日本の通俗仏教と変わらない。
だから、客寄せのために根本仏教を演じているわけだ。
さすが日本留学経験のあるスマ長老といったところだな。
浄土宗の看板で客寄せして寺和田を説くけちゃっぷと同じだw
309 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 15:51:00
羊頭狗肉作戦
310 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 16:01:08
確かに上座部の坊さんからお守りもらったよ。
上座部のいろいろな国の他の坊さんも見たほうがよい。
大徳もいれば尾田夢道みたいなのもいる。
311 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 17:02:12
そら上座部僧は誰でもなれるからいろんな人がいるわ。
エリートからゴロツキまで。一ヶ月とかだけ出家してる沙弥もいるし。
それに比べたら日本の後継ぎボンはだいぶ画一的になっとる。
312 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 19:03:10
巣魔みたいなのでも念仏すれば極楽に往生しますか?
313 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/06(木) 19:05:33
314 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 19:10:33
315 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 19:18:48
316 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 19:43:54
>>302 別に通俗仏教を否定してませんよ僕は。
ぽっくり寺についても擁護する立場です。
ただ、「本来はこうだ」をちゃんと教えていれば、
通俗は通俗だとはっきりわかるから、
「本来はこうだ」をまず教えるべきだと思っています。
歴史が長いお寺には、教えに関係のない伝説とか信仰ができるのも自然です。
ですから、観光スポット的な、お遊び的な「ご利益信仰」を否定するつもりはありません。
念仏往生も、そのようなご利益信仰、通俗仏教だと認めるべきだと思います。
通天閣のビリケンさんみたいなもんです。
317 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 19:58:51
>>302 スマ長老の言う「迷信のかけらもない」の主語は、
「お釈迦様の教えは」ではないですか?
つまり、上座部の国でも、各寺院各僧侶個人のレベルでは、
通俗的な行為もあるでしょう。
お釈迦様の教えは自灯明法灯明だと説きながら、
阿弥陀仏やお地蔵様を拝むなら、それはそれでいいと思います。
しかし、阿弥陀仏やお地蔵様の伝説をお釈迦様の教えだと説くのは、よくないと思います。
「昔から、阿弥陀仏の名を称えれば極楽浄土に往生できるという言い伝えがあります。」
と言うのはいいと思います。
けちゃっぷの得意技:後だしジャンケン
けちゃっぷの得意技:考えながらの連続投稿思いつき版
協会としては、浄土宗僧侶をここまで完璧に洗脳できたことを自画自賛したいと思っております。
というか、もともとカルトに染まりやすい資質があったんじゃないのかな。
まあ、他の上座部のシンパの方からもいろいろ助言があったにも関わらず、結局、
巣魔しか見えていないし、巣魔を通してしか上座部を見ようとしないしね。
狂会としては彼のような人材は大歓迎だろうな。
322 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 20:51:47
>>319 自分で言うのも何ですが、そういう感じなので、
あくまでお遊びとしてけちゃっふ゜をおちょくってやってください。
323 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 20:54:58
>>321 「念仏だけしてればいい」が
「スマ長老の教えさえ学べばいい」に変わっただけかもしれません。
「これが正解です」と、わかりやすく提示してくれると楽だからね。
>>182 >在家信者の飲酒というのは、釈尊当時から普通だったんですか?
まあ、深酔いして他人に迷惑をかけるなというなら当然ですが、 たしなむ程度なら構わないという解釈だったのですか?
見落としていました。釈尊はお酒をたしなむ程度も良く無いとしていたのではないかと思います。
釈尊当時の事は知りませんが、現在のインド圏、ネパール、スリランカなどの所謂、南アジアでは仏教徒であるか否かに関わらず、お酒は悪いものとされています。
釈尊当時から現在までインドでお酒は一般的ではありません。現地では不良の嗜好品です。
それが東南アジアに移動すると一般的にお酒を飲むことは悪いとされなくなってきます。在家は飲みますが、出家は飲めません。
325 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/06(木) 23:49:39
ロシアのような寒い国だと、酒飲みが多いですね。
仏教的には、やはりお酒はダメ。
体によくないのは事実ですしね。
酔うと、智慧の妨げになります。
僕も飲みますが。
守れなくても、守らなくてはいけないということは忘れてはいけないようです。
職業によっては守りにくい戒もありますが、
守れないから守らなくていいというのではなく、
守れなくても守らないといけないことは忘れちゃいけない。
326 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/07(金) 09:30:26
上座部では死んだ僧侶を焼いて食います。人肉食です。
人食いです。
327 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/07(金) 13:06:51
ホンマかいな。
でも、死体は生き物じゃないから、殺生にはならないでしょう。
スマナサーラ長老は、人に勧められてお刺身食べたことあるらしい。
死肉の有効利用は殺生ではない。
わざわざ魚を殺す場合には、
生きてる魚を殺さないとお刺身が手に入らないから、
つまり生きてる魚は刺身を手に入れるために邪魔だから殺すということになる。
それは、生きてる魚に対する怒りの煩悩がはたらいてることになる。
328 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/07(金) 13:08:20
巣魔なんか食われちまえ!
329 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/07(金) 13:23:32
326や328を見ていると、劣等感から言っているんだなと感じる。
330 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/07(金) 13:23:36
ちょっと言い過ぎた。
>>297 本来はこうだ、と述べるのであれば、「現実はこうだが」というのが
前提として説明されてもいいと思うけどね
たぶん、すま長老は見たいものしか見てないだけでしょ
お花畑の住人なんだろ
333 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/07(金) 16:07:37
南無けちゃっぷ大聖人
334 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/07(金) 16:37:37
酢馬は馬鹿な信者を喰ってますw
335 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/07(金) 16:53:43
336 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/07(金) 17:35:35
>>331 上座部の教え(スマ長老いわくお釈迦様の教え)を説明してる時に、
教えを守っていない人々のことを紹介する必要ないでしょう。
こちらから尋ねたら答えてくれるのでは?
嘆かわしい時代だからこそ、我々が釈尊の教えを守っていく
ってのが大抵だと思うけどね
他よりこういうところが良いのだって言わないと、ふつーの人はわかんないよ
末法の世に生きる我々は、真宗的な言い方をすれば悪人であり、
浄土宗的な言い方をすれば凡夫なわけだから、釈尊の時代よりも
理解力や行を行う能力に欠けるわけで。
寺和田には三時説の概念って無いのかね?
それとも、スマ長老は覚っているから、すなわち仏直授ゆえに成道が
出来るのかな?
338 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/07(金) 21:28:15
上座部には末法とかないのでは?
瞑想を2週間でもやってみれば結果が出ると自信まんまんに言うからには、
それなりの根拠というか体験談が山ほどあるのでは?
まず自分がやってからじゃね?
瞑想がどーとか言うなら。
340 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/07(金) 21:51:43
悟りにはほど遠いけど、やってみてわかったことはけっこうある。
てかさー、
>上座部には末法とかないのでは?
調べた風もないけど、そんなにテキトーに言っちゃっていいの?
アンタ全般的に軽いよ
薄っぺらくないけちゃなんて。
343 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/07(金) 22:35:29
>>327 ホント。
宝島社のムック本。別冊宝島「雑誌狂時代」に僧侶を焼いてナタで捌いて食ってる写真が
カラー載っている。高僧の肉を食べるとご利益があるらしい。見たければヤフオクで格安で
買えるけどかなりグロいよ。
肉を残した半焼けだし、食った箇所は体が欠損してるし正視に堪えない。
345 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 07:32:23
>>344 で、それが上座部仏教では普通なのでしょうか?
スマナサーラ長老は、長老達によって「お釈迦様の教え」だと伝えられきた教えを説いているわけです。
ですから、アビダンマの内容については疑問点を指摘したりもします。
アビダンマはお釈迦様の教えを後から坊主達が分析した学問であって、
お釈迦様の教えではないから。
アビダンマは上座部の教義であるけれども、
しかしそれは学問のひとつだから疑問点もあり、
そこはスマナサーラ長老も認めているのです。
346 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 07:36:39
上座部でも弥勒菩薩信仰はあるらしいんですが、
それについてもスマナサーラ長老は批判的です。
ですから、上座部の人々がやってることはみんな正しいと仰ぎ信じる態度ではなく、
お釈迦様の教えはこうだった、それも自分の身で実験してみて確かめてみましょう
という態度なのです。
ただちに仰ぎ信じる信仰ではなく、
思考実験してみて、身体でも実験してみて、納得して信じるのです。
仏教の主な終末思想
・壊劫
通仏教的なもの。時代とともに機根は衰退する。ただし、有部、正量部などの部派間で微妙な相違はある。
・末法思想
主な典拠は『大集経』「月蔵分」。内容は周知の通り。
・弥勒思想
主な典拠は『弥勒下生経』。内容は周知の通り。
・最終戦争
主な典拠は『カーラチャクラタントラ』。24世紀頃に仏教王国シャンバラとイスラムとの最終戦争が起こると言う。
348 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 07:44:40
通仏教的ってことは、細かいところはどうあれ上座部にもあるってことじゃん
けちゃっぷは知らんことを適当に答えるな
349 :
347:2007/09/08(土) 08:08:33
だめ押しで、壊劫について触れると、世界は次のサイクルを無限に繰り返すとされる。
成劫 → 住劫 → 壊劫 → 空劫
成劫は世界の生成期、住劫は安定期、壊劫は世界の破壊、空劫は虚空の期間。
阿含(アーガマ)やアビダルマ論(『立世阿毘曇論』等)にもある様に、仏教では世界は
以前に存在していた衆生の業によって生成されると考える。
従って、厳密に言うと、世界の生成時点で衆生の堕落はスタートしていると言える。そして、その
ような世界において釈尊を含む過去仏が何度かこの世界に出現して、解脱の法を説き、衆生の堕落
を押し止めてきたと考える。
しかしながら、仏滅後には衆生の堕落、機根の衰退は再スタートし、社会や思想の面などで悪が蔓延
するようになり、世界の終焉(壊劫)へと向かってゆく。
終焉時に転生の業が尽きた一部の衆生は涅槃へと入り、それ以外の他の衆生は他の世界へと転生
するとされる。
350 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 08:10:10
>>346 お釈迦様の教えはマンション住まいで印税かせぐのだと
説法してましたか
>マンション住まい
そのマンションに女性も住んでいるのであれば(必ずしも同室という意味ではない)、
共女人宿戒に抵触する可能性があるね。解釈次第だが。
>印税かせぐ
解釈次第では販売戒に抵触する可能性があるね。
>>345 普通かどうか知らんけど、間違いなく言えるのは上座部僧は、その人肉食を止めさせるどころか
僧侶が死ぬとその死体を提供して平気で食わせること。
僧侶が側からすれば死体には執着ないから勝手に食え!なのかどうかは解らないが、
それはもう習慣と化しているようだ。
353 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 08:41:24
>>352 それが本当だとして、問題点は何ですか?
要らなくなった死体を欲しいという人がいる、
じゃああげますよ…ってだけの話では?
食うために殺すわけじゃないんだし。
354 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 08:44:27
>>348 現地の通俗的なことまですべてを日本に持ち込めとか、
上座部の教団はすべて正しいとか、そんなことを僕は言ってません。
日本仏教よりはマシだと言ってるだけです。
>>353 けちゃっぷ個人の感覚は知らないが、医学目的の献体等以外の目的で、
>要らなくなった死体を欲しいという人がいる、
>じゃああげますよ…ってだけの話では?
>食うために殺すわけじゃないんだし。
という話は、今日の日本の社会通念上、容認されるものではない。
>>354 >上座部の教団はすべて正しいとか、そんなことを僕は言ってません。
今までの君の発言から察するに、他の上座部の教団には誤謬は有り得るという
意味であって、敬愛する巣魔は無謬なんだよな。
356 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 08:57:06
>>344 お釈迦様は、肉体は不浄で、
それぞれの穴から糞汁を垂れ流すんだと観察しろと言ってます。
肉体が醜いということを正視して、執着から離れるべきです。
358 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:03:56
>>350 印税稼いでとかマンション住まいだとか、
何万円もする携帯電話を店員に勧められて買ってたらしいとか、
そんな重箱の隅をつつくような批判しかできないのが、
日本仏教の情けないところでしょう。
>>358 そもそも戒律の問題を重箱と言っている時点で日本仏教的発想だが。
360 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:06:02
>>357 死体に執着せず、欲しい人にはくれてやる。
肉体に執着しないのだからあたりまえ。
ただ、高僧の肉を食えば功徳があるとかは通俗的な迷信だと思います。
>>360 巣魔は上座部仏教徒には迷信は存在しないって言ってなかったけ?
>>357 >死体に執着せず、
はいいにして、
>欲しい人にはくれてやる。
が平均的日本人には受け付けないだろう。けちゃっぷ個人は知らんが。
363 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:14:02
>>359 現代社会で活動するには、戒律を守れない場面もあるでしょう。
でも、守れないなら削除しちゃえというふうになってしまうと、きりがない。
すべての戒律の項目を学んだ上で、
一人一人が実践するときには、守れない場面があるのは仕方ないでしょうね。
仕事とかでどうせ不殺生戒を守れないから、じゃあ殺していいとは言わない。
守れなくても、守るべきだと言うのは良いことでしょう。
それを逆手にとって、
「おまえも守れてないじゃないか、虫一匹も今まで殺さなかったのか?」
なんて批判するのは間違いでは?
お互い守れなくても、
それでも「守るべきだ」という教えを後世に伝えようとすることは、
理屈にあわないと思いません。
>>360 仏教的に迷信という認識があるのであれば、何故、現地の上座部僧は糾そうとしない?
365 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:15:21
>>363 いやしくも、比丘戒を受けて、しかも長老を自称する者が戒律が仕方なく守れない場合
もありましたなんて弁護が通じると思うか?
367 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 09:18:28
>>365 302 名前:まよねーず ◆kRtmRcQ9ak [sage] 投稿日:2007/09/06(木) 13:28:05
>>297 >長老は、「本来はこうだ」というのを教えてるのでは。
きちんとスマ長老と言いましょうね。上座部の長老はあなたが信奉するスマ長老だけではないんですよ。
スマ長老は、著書の中で上座仏教徒には迷信はひとかけらも無いと言っているんです。
しかし上座仏教国の実際は、スマ長老の著書とは違います。
ですから、本だけ読んで本国の上座仏教徒の実際を見ていないあなたのような人が増えて、上座部を語る際に実際を体験している人からはオカシイこと言う人だなと感じるわけです。
「スマ長老が本来はこうだ」と言ったことを、別の上座仏教徒の検証無くして、そのまま信じて本当に大丈夫なのですか?
上座部ではお守りもあります、祈祷の類もあります、仏像に現世利益を祈ります、神通力を持つ高僧のところに行きます。これが実際です。
本国の実際は、スマ長老の「迷信のかけらもない」との主張を否定します。
369 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:21:09
>>364 さぁ?現地の僧侶に尋ねてください。
しかし、スマ長老が言ってたかどうか忘れたけど、
動物を殺している動物の肉を食べるのとかは、
そういう動物の悪いカルマを引き継ぐことになるとか言う人もいるらしい。
その発想だと、逆に功徳を積んだ高僧の肉を食えば、功徳を引き継ぐことになる。
でも、そんなことしなくても、高僧の功徳を「すばらしいことだ」と随喜すれば、
その功徳を自分も分けてもらえると言うから、
屍肉を食べる必然性が僕には見い出せません。
>>353 問題点は人肉食。
即ち上座部仏教はカニバリズムを認めることになる。
>>369 都合が悪くなると、
>現地の僧侶に尋ねてください。
かね。寺和田狂会の工作員のけちゃっぷ君。
372 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 09:23:33
>>356 不浄観は知っているようだが、その結果どんな大惨事が教団に起こったか
>>369 >動物を殺している動物の肉を食べるのとかは、
>そういう動物の悪いカルマを引き継ぐことになるとか言う人もいるらしい。
>その発想だと、逆に功徳を積んだ高僧の肉を食えば、功徳を引き継ぐことになる。
君は上記のカルマ観を信じているのかね?
374 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:26:23
人肉を食べる際に、欲や怒りの心が出てしまうなら、
それは自分の欲や怒りを訓練する行為、
つまり悪いカルマを増やすトレーニング、
悪い心を育てるトレーニングになってしまうから、
悪い行為だと思います。
しかし、不善の心がそこにないなら、悪いカルマを増やす行為にはならないのでは?
375 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 09:27:59
>>354 お前が348で指摘されたことは、知らないことをテキトーこいて言うなってことであって
通俗がどうのって話じゃない
通仏教と通俗の違い、わかってるか?
通仏教の「通」を「通俗」の略だと思ってないか?
376 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:28:10
>>373 信じてません。
菜食主義の人(僧侶)がそれを美化するための、屁理屈では。
>>374 不善の心さえなければ、カニバリズムはオッケーということか?
378 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 09:30:17
上座部は人食いだけでなく物凄い入れ墨もある。
日本では受け入れられない仏教。
僧侶が入れ墨入れまくって僧侶が彫師までやってるし。
またそれが売れっ子彫師だし。
379 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:31:01
>>375 通俗仏教と通仏教の違いは知ってます。
通仏教的と言う場合には、
一部の偏った宗派の教えではなく仏教一般の中で認められてる、
という意味ではないでしょうか?
380 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:37:26
>>378 日本で受け入れられないというだけで、
日本仏教よりも悪いとは判断できないでしょう。
刺青を批判できるほど、日本の僧侶がりっぱなのかどうか。
刺青はダメで、高級な数珠は良いというのですか?
381 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 09:40:36
すでに死んでしまった人の肉を食うより、
食うために動物を殺すほうが罪は思いはず。
肉は肉。食うために人殺しをしたわけでもなく、
(疫病とか)健康を害する悪い肉でもないとして、
食べてはいけない論理的な理由は何なのですか?
382 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 09:43:24
>>380 そうです。入れ墨は身体に傷を付ける行為。
特に僧侶を傷つけ血を出させると罪になる。
高級な数珠など禁じられてすらいないし、言っている意味が解らん。
まさか入れ墨より高級な数珠を持つ方が罪だとでも言うのか?
>>379 >>348は、お前が
>>337についてレスした
>>338、それに答えた
>>347をふまえた上での
レスだろ。
つまり、「仏の入滅から時間の経過と共に、衆生の機根が衰退していく」という考え方は
上座部にもあるのに、知りもせず調べもせず、
>上座部には末法なんてないのでは?
なんて、適当なことを言うなってことだ。
嘘を他人に教えてることになるという危険を自覚した方がいいと思うが。
384 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 09:45:10
>>381 屍肉を喰うのは夜叉鬼神の行為とされる。
385 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 09:45:38
>>379 お前の嘘でも何でも言いっぱなしのところを指摘されてるのに、話ずらすなよw
386 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 09:54:11
ケチャのバカさ加減が解ったのでもう嫌になった。
上座部と同じくカニバリズムを愛好して、上座部僧と同じ入れ墨いれて袈裟以外着ないで生きろ。
銅賞十年。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏〜。
>>381 インドでも屍肉を食う行為は一般的に受け入れられない。
アウトカーストの所業と見做される。
ということはアウトカーストによる来世昇天を願った行為なのでは。
だとしたら背景を理解せずに非難するのは差別事例になるので桑原。
どんな結果的行為にもそれを生んだ原因があるというのが仏教的思考。
判断評価する前に事実の詳細を把握し、その背景原因を探るべきでは。
389 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 10:49:02
屍肉を喰うのはダキニが有名
390 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 10:49:16
カーストから外れること=来世昇天じゃないだろ
カーストの外になるというより、最低のカースト以下になるということだ
ダーキニー自身がアウトカーストと密接な関係があるからね。
何れにせよ仏に帰依するものが鬼神や夜叉の類の食い物である人肉など食ってはいかん!!
393 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 12:03:02
>>383 「ない」と断言しなかったでしょう。
「ないのでは」と憶測でしゃべってるだけです。
しかし、法然さんのような切実な末法に突入したというような思想があるなら、
現代人は瞑想しても悟れないことになる。
でも上座部では瞑想を説いて悟りをめざしている。
>>393 ワカリマセンと答えるべきだったんじゃないか
事実、わかってなかったわけだから。
395 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 12:11:09
けちゃっぷはいい加減なこと言い過ぎ。
396 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/08(土) 12:13:25
ごめんなさい。
末法思想と聞くと、「現代は末法だから現代人は絶対に自力で悟れないという思想」
のことだと思い込んでしまい、
それだったら上座部が瞑想説くわけないから、
そういう思想はない(現代人でも悟れる)のではないか?と思ったのです。
397 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 12:17:05
ただ自分が思ったことを、さも上座部の教えのように言ったのか。
浄土宗の教えもそうやって歪めてるんだろうな
>>397 上座部と言わずに寺和田と指定してくれ。
一緒にされたら迷惑だ
399 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 12:20:50
400 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 16:13:27
南無袈茶布大菩薩
401 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/08(土) 16:16:30
>>358 巣魔は仏教原理主義を標榜すれども破戒比丘w
上座部について(まとめ)
知っている人にとっては今更な話ですが、まとめておきます。
1、上座部の由来
仏滅後100年してから、戒律の在り方等を巡って保守派と改革派が分裂。 そして、保守派が上座部となり、改革系が大衆部となる。
2、上座部の分裂
本来、保守派の筈の上座部自体も教義解釈を巡って分裂。有部、分別説部、経量部、正量部等の様々な部派が成立した。
いわゆる南伝上座部(テラワーダ)と呼ばれるのは、その内、分別説部の流れを汲むもの。
3、南伝上座部の確立
セイロン(スリランカ)に伝えられた分別説部の教義は5世紀にインドから来たブッダゴーシャがパーリ三蔵に註釈を施すことで教義の
基礎が確立。
更に12世紀のスリランカの仏教復興期にアヌルッダが南伝のアビダルマ論の大成することで教義が完成。
4、各国の南伝上座部仏教の主な諸派
スリランカや東南アジア諸国に伝わ南伝上座部は各国の歴史や実情等に合わせて諸派が成立。
(1)スリランカ
・シャム派
仏教復興に際し、18世紀にタイ(シャム)から受戒した僧達によって成立。ただし、上位カーストの男性にしか出家を認めない。
このスレで話題になっているスマはこの派の人。
・アマラプラ派
シャム派のカースト差別に反発した他カーストの人々が19世紀にビルマ(ミャンマー)から受戒して成立。
・ラーマンニャ派
アマラプラ派の分派。
(2)ビルマ(ミャンマー)
戒律や僧の所持品を巡る解釈の相違によって三つの派が存在する。
(3)タイ
・マハーニカイ派
主流派。
・タマユットニカーイ派
19世紀に出家時代のラーマ4世が始める。マハーニカイ派の持戒の在り方に不満を抱いたラーマ4世が厳格な持律を求めて始めたもの。
(4)ラオス
金銭による布施の授受や歌舞観賞の可否、広く諸学を学ぶか、或いは専らパーリ三蔵の研鑽にのみ励むかを巡り、二派に分かれている。
>>402 >上位カーストの男性にしか出家を認めない
えええええええ
405 :
402:2007/09/09(日) 21:34:50
>>404 カンボジアについては、嘗ては幾つかの派があったそうですが、ポルポト政権の
極端な毛沢東主義政策により仏教教団は壊滅。
現在、主にタイ仏教界の支援を受けて仏教教団は復興の途上にあります。
>>403 けっこー差別的なんだな
釈尊の時代は、上から下まで平等に出家出来たんじゃなかったっけ。
>>406 理由は初期仏教を自称するシャム派のスマにでも聞いてください。
>>406 >>102にあるように、スリランカもインドの延長みたいな所ですし、独自のカースト制があります。
そういう意味では、同じ南伝仏教圏の東南アジアの方が仏教本来の平等主義が守られています。
日本人の場合、
>>97が言っているように、嘗ての南アフリカにおける名誉白人扱いを受けるかも
しれませんけどね。
うーん。
何かちょっといいかなと思ってたのが、思わぬ幻滅だなぁ
判ってるよ、俺みたいなのがエセ宗教に騙されるんだってorz
>>409 まあ、もし南伝上座部に関心があるのであれば、恐らく、タイ系かミャンマー(ビルマ)系の方がいいんでしょうね。
ただ、タイ系の場合、極端な主張をする新興宗派などもあるらしいので、事前によく調べておく必要があるみたいです。
けちゃの主張を鵜呑みにするようじゃ、な…w
アイツがどんだけテキトーな事を言い散らかすかは、ログ読めばすぐわかるだろ
412 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 08:01:22
スマ長老は、カースト制度に否定的な釈尊の説も説いてます。
上位カーストの人しか出家できないというのは、
スリランカ人の問題でしょう。
お釈迦様の教えはそんなんじゃありません。
日本だって差別戒名の問題とかがあったわけだし。
ですから、寺和田が日本仏教より劣るとは考えませんし、
寺和田が説く「お釈迦様の教え」を学ぶ意義はあると思います。
大乗に洗脳された日本人の目を上座部にも向けてもらうのには、役立ちます。
413 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 08:20:49
>大乗に洗脳された日本人の目を上座部にも向けてもらうのには、役立ちます。
>大乗に洗脳された日本人の目を上座部にも向けてもらうのには、役立ちます。
>大乗に洗脳された日本人の目を上座部にも向けてもらうのには、役立ちます。
>大乗に洗脳された日本人の目を上座部にも向けてもらうのには、役立ちます。
>日本人の目を上座部にも向けてもらうのには、役立ちます。
"大乗に洗脳された"!!!!!
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜?
でも、片手間に念仏往生も説くんだw
お前自分で何言ってるか判ってるか? けちゃっぷ。
415 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 09:08:12
真の大乗たる浄土門のけちゃっぷ様ここはひとつ
法然上人のみ教えを、小乗に洗脳され釈尊の真意を知らない
タイ・スリランカなど南伝佛教国に布教してはいかですか?
小乗仏教徒はくだらない戒を捨て即座に帰依することでしょう。
小乗の盲目をぜひ覚まさせてあげてください
南無阿弥陀仏
416 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 09:09:27
もう浄土宗やめて寺和田に入信しろや
そんなに日本仏教がキライなら、何で浄土宗禿という立場を利用しようとするの?
まるで「差別されているニダ!」と叫ぶくせに、いっこうに帰国しない在日朝鮮人みたいじゃん。
418 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 12:23:11
>>414 まずは、浄土宗の人に四諦八正道・三学を知ってもらうのが、
優先課題だと思います。
たとえば、禅宗寺院で禅を説きつつ地蔵信仰とかもあるでしょう?
そんな感じで、三学を説きつつ阿弥陀仏を拝めばいい。
まずは、今までろくに説いていなかった三学を知ってもらうのが大切でしょう。
阿弥陀仏信仰しか説かないと、
信じる人は信じても、信じない人にはただの迷信に見えるので、
信じない人が「仏教も所詮迷信か」とそっぽ向いてしまう。
それを危惧します。
逆に、阿弥陀仏を信じてもらえなくても、
仏教に一目おいてもらえたらいいと思います。
420 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 12:31:34
>>415 もし超人的な神通力をもつ阿弥陀様が本当にいらっしゃるなら、
日本人よりもよほど熱心な仏教国の人々を、放っておくはずないと思います。
ですから、僕なんかが布教しなくても、必ず阿弥陀仏信仰が広まるはず。
でも逆に、阿弥陀様がいらっしゃらないなら、
阿弥陀仏信仰しか知らない人々に仏教を教える者は、
我々仏教徒しかないわけです。
421 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 12:41:43
>>416 浄土宗に伝わる戒は飾りですか?
僧侶でも在家でも、まずは戒を受けて仏教徒になった上で、
浄土宗に入信するのでは?
浄土宗を信じられなくても仏教徒としてはセーフでは?
しかし、浄土宗では、浄土宗を信じなければ仏教徒としても破門だと言うことですか?
なんとおそろしい。どこが大乗だ。
むしろ仏教の門を狭くしてるじゃないか。
たとえ浄土を信じられない人にも、仏教の門は開かれるべきではないの?
422 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 12:47:41
浄土を信じても信じなくても、三宝を信じて戒を授かれば仏教徒のはず。
浄土を信じないという理由で
仏教徒としての身分まで剥奪する権利が、浄土宗にあるのでしょうか?
たとえ法然さんを信じられなくても、お釈迦様を信じるなら仏教徒のはず。
法然さんを信じられないから仏教徒ではないとは言えないはず。
ですから、浄土宗が戒を授けて仏教徒と認定した者を、
浄土を信じないという理由で仏教から破門することは正しくない。
423 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 12:52:37
>>417 「利用」とは、具体的に何のことですか?
>>421 よくあんな一行レスからそんだけ想像ふくらむなw
425 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 13:00:36
>>417 浄土宗寺院も仏教団体だという認識があるので、
檀家さん達に、仏教について知って欲しい。
>僕は、浄土宗という新興宗教で教師資格をもっている在家の人、となる。
428 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 13:10:13
>>420 逆に言えば、お前が言うほど素晴らしい教えなら、寺和田もバリバリ広まってるはずなんだが。
一レスにいくつも矛盾を含めるな
まあ上座部仏教の欧州やアメリカでの広がりは、かつての禅宗にせまるものがあるそうだが。
インドでも仏教センターはだいたい上座部系だし。日本仏教よりはワールドワイドに広がってると思うぞ。
草加も広がってる。
430 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 13:59:20
日本での話だろ
431 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 14:39:15
>>422 でも浄土宗を信じてなかったら浄土宗からは破門されるわな。
信じてもいない宗派に所属しながら、別の宗派を信仰することに
疑問は感じないんだろうか。
433 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 17:58:52
>>432 別の宗派だけど同じ仏教だと思ってるので。
434 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 18:02:22
>>428 人間の力で広めてるんだから、そう簡単にはいきません。
しかし、阿弥陀様のような超人的な仏教のお力が、
同じ仏教である南伝仏教にさえ影響を与えられなかったのは、不思議です。
そりゃ阿弥陀仏の教えだって人間が広めてんだから当然だろが。
なあ、釈尊も仏であって六神通があるんだからさ
「同じ仏教である浄土宗にさえ影響を与えられなかったのはフシギです」
なんても成立するんだが。
436 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 18:20:15
なんでケチャはこう、レスするたびに自滅していくんだ…
狂会としては、浄土宗僧侶をここまで完璧に洗脳できたことを自画自賛したいと思っております。
シャム派は上位カーストの男性にしか出家を認めないなどとの批判も聞く耳は持たず、必死に擁護する姿で洗脳は完成されたと確認が取れました。
これからも他の上座仏教国の長老には目もくれず貢献していただきたい。
438 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 18:24:26
頼むから、浄土宗僧侶を強調せんでくれるか。
本人も寺和田信者の方がいいだろうし、迷惑極まりないんで。
439 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 18:28:55
浄土宗改革マンセー
440 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/10(月) 19:36:20
シャム派はお金で大僧正を授けます
まあ、これまでのけちゃっぷの言説を見ると、スマ系の上座部に転向する方がいいんでしょうね。けちゃっぷはスマを称揚するあまりに、
大乗の法を誹謗することを厭わない。それでも、大乗の一派(浄土宗)に籍を置いている。
もともとインドの大乗仏教は、上座部等の嘗て小乗と呼ばれた仏教諸派を厳しく批判しつつも、それらが釈尊に由来する聖教
として一方で尊重してきた。
嘗てのインドの大乗僧も具足戒を受けた上で、菩薩戒を授かっていたし、中国でも一応はかかる伝統は守られていた。
大乗仏典の『大乗方広総持経』には菩薩たる者が法の善悪や乗を取捨することはある法を捨て去ることにつながると説かれているし、
又、『三昧王経』には法を捨てることは無数の阿羅漢を殺害することよりも罪障が重いと説かれている。
けちゃっぷの態度はスマへの心酔のあまりにかかる大乗仏教徒の在り方に明らかに違背している。
まあ、スマの教団ではスマ自身の言説からすると、許されるみたいなので、スマ信者のけちゃっぷには良いかも知れないけどね。
本人には誹謗してる自覚が無いのがすげーわ
443 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 22:31:44
>>437 上位カーストについてはともかく、男性しか出家できないのは、
戒律を削除できない以上仕方ありません。
女性を出家させるには比丘尼の立ち会いが必要であると、ブッダが定めたのです。
これは、当時弱い立場であった女性を守るための配慮だったのでしょう。
しかし、比丘尼が滅びてしまった現在の上座部においては、
新たな比丘尼が誕生できないことになります。
444 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 22:39:30
>>441 ですから、仏法の基本である三学を捨てずに、
浄土宗寺院でも三学を説きましょうと言ってるわけです。
念仏往生については、よくある通俗仏教の一つとして
そのまま継続すればいいじゃないか、と。
浄土を捨てずに、上座部を取り入れましょう。
佛大でも、はじめに基礎仏教学とかを教えますよね。
その延長で、単に仏教用語を教えるんじゃなく、
もう少し具体的な実践方法も学ばせたらいいんじゃないでしょうか。
>>443 上座部仏教国における尼僧の現況
(1)スリランカ
11世紀までは存在した。12世紀の仏教復興期に比丘尼教団の復興はなされず。
(2)タイ
正規の比丘尼は存在しない。ただし、自主的に尼僧になる人は少なからずいる(もっとも正規の比丘尼ではない。)。
白衣を纏っている。
(3)ビルマ(ミャンマー)
正規の比丘尼は存在する。桃色の僧衣を纏っているので、衣の色で比丘、比丘尼の区別がつく。
446 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 23:00:34
>>445 ミャンマーの比丘尼は、上座部全体から見て正式な比丘尼なのでしょうか?
だとしたら、ミャンマーの比丘尼を連れてきて立ち会ってもらえば、
他の国でも新たな比丘尼をつくりだせるはず。
しかし、それをしないというのは、何か理由があるのでは?
たとえば、大乗の比丘尼に立ち会ってもらえばいいじゃないかというと、
上座部から見たら大乗の比丘尼は正式な戒律を受けた比丘尼ではないため、
在家信者とみなされるので、それは無理なのです。
どうしてもスマ派を擁護したいのです。
そう・・・あの頃のジョーユウもそうでした。
>>446 何で唐突に大乗の比丘尼が登場するんだか・・・
449 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 23:15:38
>>447 どうしても法然教を擁護したいようで…と、
何にでもあてはめられるからなぁ。
禅僧である玄侑宗久さんも、最近は座禅会での指導に
ヴィパッサナーをとり入れてるそうです。
ヴィパッサナーを日本で教えている僧侶は、まだまだ少ないですよね。
その実績は、評価すべきだと思います。
>>446 巣魔教団では女性の最終的な救済はできないっていうことでFAでいいんじゃないの?
他の上座部や大乗を巻き込むな。
451 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 23:18:08
>>448 つまり、シャム派から見たら、
ミャンマーの比丘尼も、大乗の比丘尼同様で
正式な比丘尼じゃないとみなされてる可能性もある
…という意味。
>>451 シャム派の君にはシャム派の基準が全てだから、それでいいんじゃないの。
シャム派以外の者には関係のない話。
453 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 23:22:46
>>450 在家でも悟れると説くので、救済自体は問題ない。
ただ、正式な出家者にはなれない。
これについてスマ長老が言うには、
女性でも阿羅漢になれば、ブッダと同等であるので、
阿羅漢となった女性が立ち会うなら戒律を超えて
女性を出家させることもできるのでは…みたいなこと言ってました。
ですから、とにかく在家の女性も、
悟りをめざして瞑想に励んでくださいってことですね。
454 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 23:30:25
>>452 創価学会も、既成宗派の坊主に対して同じように言うのでは?
既成宗派から見たら学会は破門された新興宗教だけど、
彼らは仏法だと言いはってるから。
>>453 >在家でも悟れると説くので、救済自体は問題ない。ただ、正式な出家者にはなれない。
阿羅漢になるには出家が絶対必要条件。在家で至り得るのはせいぜい聖者の途中の段階(不還)まで。
阿羅漢にならない限り、輪廻の世界にとどまりつづけるから、最終的な救済とは言えない。
アビダルマ論をよく勉強するように。
>阿羅漢となった女性が立ち会うなら戒律を超えて
戒律を前提とする以上、戒律を越えて云々はナンセンス。
>>454 シャム派以外は、創価学会と同様、自称仏教の似非仏教と言いたい訳だねW
>>453 あと、阿羅漢と仏が同等と主張し得るのは、原始仏教の段階まで。
まあ、原始仏教では両者は同義だったからね。
尚、アビダルマ論や君の嫌いな大乗仏教では阿羅漢と仏とは異なるから。
まあ、勉強しておいて下さいな。
狂信者に何を言っても無駄だけど。
458 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 23:40:13
>>455 おっしゃるとおり。
不還果の悟りまで行ってしまうと、
もう世間への執着がなくて世俗での生活を続けるのが困難になり、
出家せずにはおれなくなるそうですね。
スマ長老がそう言ってます。
まぁ、正式な比丘尼と認められなくても出家者と同じような生活は可能でしょうから、
その上で阿羅漢になる可能性もある。
要は、教団としては、
正式な僧侶でないと弟子をとれないというシステムを維持し、
僧侶のレベルを保ちたいのでしょう。
しかし、最高の悟りを得たら、もう資格とか免許とか関係なく、
どうぞ指導者に加わってくださいってことでは?
459 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/10(月) 23:45:15
>>455 あと、不還果になれば
この世で無理でも来世で必ず阿羅漢になると言われるので、
往生極楽に匹敵する救済決定状態です。
仏と阿羅漢を分けるのって、おかしくないですか?
お釈迦様でさえ、直弟子をご自分と同じ境地の悟りに導けなかったことになります。
それはおかしいと思います。
>>459 仏と阿羅漢の決定的な違い(やれやれ、今更でけど・・)
・阿羅漢は声聞乗の最終的な成果、仏は菩薩乗の最終的な成果。仏に成るには三阿僧祇劫の六度の実践と100劫の修行が必要。
・仏には三十二相八十相好が具備されるが、阿羅漢にはない。
・仏は十八不供法を具備するが、阿羅漢にはない。
・部派によって異なるが、阿羅漢には退転の可能性がある。
461 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/11(火) 00:01:41
>>460 阿羅漢に退転の可能性があるというのは、初耳でした。
あと、悟りの境地については、仏と阿羅漢とに差異はないのでは?
だって、煩悩の項目が同じなのだから、
阿羅漢にはそれ以上消すべき煩悩がない。
煩悩以外の要素で、仏を特別な存在だというのはわからなくもない。
しかし、女性を出家させる権限という話題において、
阿羅漢は仏と同等だと言うことに、差し支えがあるのかどうか。
まあた良く知らないのにテキトーこいたのかよ
知らないことは適当に言わずに、わかりませんと言え
463 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 07:17:56
シャム派の名誉大僧正桐○館長がけちゃつぷの先輩です
464 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/11(火) 08:18:45
>>462 2ちゃんねるなんてただの雑談の場でしょ。
そんな目くじらたてなくても…。
大乗誹謗が雑談だとさ
466 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/11(火) 08:24:20
>>463 べつに、僕はまだシャム派の人間ではないですが。
単純に、浄土宗では教えてくれない仏教の基礎を、寺和田では教えてくれる。
そこにただ感動しただけです。
感動は結構だが、それが「浄土宗も新興宗教」とか、そういう発言に
繋がっていくのはどうなのか。
468 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/11(火) 12:53:24
>>467 相対的に一歩引いて見るならば、
法然さんが開いた新興宗教です。
そうじゃないなら、宗祖法然上人よりもお釈迦様を重視するはず。
法然さんが聖道門で救われなかったのは、末法のせいではなく、
当日の日本仏教が腐ってたからでしょう。
法然さんも寺和田にであってたなら、なんのことなく救われたかもしれません。
469 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 13:08:41
けちゃっぷ師万歳!
>>468 聖光伝説の詞(いわゆる三学非器の言葉)とか一切無視か。
それに、法然を信仰してるわけじゃなく、阿弥陀仏信仰だろ
お前、好き勝手なこと言う割には、浄土宗でさえ理解の外じゃないかw
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 14:03:52
けちゃは先ず浄土宗をしっかりモノにしろ。
色々他宗の思想を勉強するのは大いに奨励されるべきだが、お前のは
単にあちこちをウロウロして宗教遍歴、宗教巡りして迷ってる人と変わらん。
他宗の良いエッセンスを吸収して、寺和田でもなんでも説ける浄土宗僧侶になれ。
間違っても寺和田に狂った訳の解らん浄土宗僧侶にはなるな。
472 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 14:10:07
浄土宗やめて、身も心もすっかり寺和田になってくれるのが一番なんだが…。
473 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 14:11:08
そんなこと言ったって、けちゃが居なくなったら藻前ら寂しいんだろ。
474 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 14:18:47
荒らしがスレに来なくなるってのは、寂しいと言うより清々する感じだが。
寺和田に関わるとどうなるかの見本がけちゃっぷなんだよ。
その意味で、立派に反面教師の役割りを果たしている。
476 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 17:33:48
けちちゃぷさん
八百年大遠忌も控えているのに浄土宗は新興宗教って何を言ってるの
新興宗教とは大本教、生長の家、エホバの証人
創価学会、霊友会など明治、大正、戦前戦後にかけて発展した
宗教団体の事を指すのでは?
多分、浄土宗教師をしていても檀家から入る布施がポケットマネーにあんまり
ならないから面倒で馬鹿馬鹿しいと思っているのでは?
布施や寄付を貯蓄せずに生活費に使ってしまう寺院もあるのですが本堂などの維持
や修復に資金がないと言う困った事態に陥ります
辞めたきゃ辞めれば浄土宗寺院は他にもあるんだから、貴方が継がなくても
地域の人が困るから他から僧侶を呼ぶ事になるのでは?
庶民相手に天狗になっているだけでは通用しないと思います
477 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 17:39:56
478 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 17:44:13
まあ、原始仏教からすれば新興に間違いはないが、けちゃっぷの場合
新興だからダメだ!!11!!!!!!なんだよな
479 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/11(火) 18:10:46
>>470 三学非器は知ってますが。知った上で批判してるんです。
今から書くのは僕の私見ですが…
大前提として、お釈迦様が説いた阿弥陀仏だから信じるのではないの?
で、たとえ三学を完璧にできなくても、
「三学を実践すべきだ」と理解した時点で、仏教への信は確立されてる。
仏教を信じてないなら三学非器に悩む必要もないわけで、
三学非器に悩む人は、もう仏教徒です。
そしたらね、例え三学非器であろうとも、
仏教を信じられたんだから、来世は今よりずっとマシになるはずです。
仏教に出会えたんだから、わざわざ悲観して暗くなることないのです。
懺悔はいいけど、後悔は煩悩だし。
三学非器ですが、仏教を信じない人よりはずっとマシ。
それで充分です。
余計な妄想を押し付けて、凡夫に恐怖心を植え付けるべきではありません。
480 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/11(火) 18:22:04
>>478 浄土三部経の内容が事実であれば問題ないと思います。
浄土三部経が仏説でないなら、浄土宗の教義は崩れ落ちる。
浄土三部経が仏説で、はるか西方に極楽浄土が実在するときだけ、
浄土宗の教義は成立しうる。
佛大の先生方みたいに、三部経は仏説でないと教えるならば、
浄土宗は教義を変えるしかありません。
481 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 19:38:33
>>479 どこに「阿弥陀仏は信じるがお釈迦様は信じません」なんて書いてる?
勝手に補完してイチャモンつけるなよ
妄想が激しいなケチャw
まあ、勝手に補ってキレるのはいつものことだが。
そんな調子で、いつになったら瞑想なんて出来るのかね〜w
ヴィパッサナー妄想w
けちゃって法務以外で念仏することあるの?
485 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 12:43:54
>>484 念仏は毎日やってます。
木魚をたたきながらとかじゃなく、行住座臥の念仏で。
ただし、最近は瞑想の一種としての念仏になってるかも。
妄想を中断して思考と感情をリセットする手段。
寺和田における慈悲の瞑想の代わりです。
486 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 12:53:51
>>476 仏教団体としての体裁をぎりぎり保ってきたことについては
価値があると思います。
しかし、仏教を名乗りつづけるには、教義の軌道修正が必要だと思います。
浄土宗は仏教団体→しかし浄土宗の教えは仏教から外れていた
→だから本来のお釈迦様の教えに近付くように修正すべき。
浄土宗義がお釈迦様の教えじゃないことは、浄土宗の先生方でも知ってるでしょう。
念仏往生や阿弥陀仏信仰を続けるのは目をつむったとしても、
せめて、もう少し本腰を入れて戒定慧の三学を説くべきだと思うのです。
僕の要望は簡単です。
浄土宗でも戒定慧を説きましょうよ…ってこと。
487 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 12:59:44
>>481 だったら、お釈迦様の教えじゃない浄土三部経をなぜ信じるの?
お経じゃなくて、仏教をわかりやすく説くための
例え話くらいの位置づけにすればいい。
浄土物語三部作。ジャータカ物語みたいな位置づけ。
浄土三部経が嘘っぱちだ!と言うなら、浄土宗に所属してなくてもいいじゃん
何で辞めないの? そんだけの志があるなら。
489 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 13:20:11
>>485 勝手に代わりにしちゃっていいの?
寺和田には寺和田のやり方があると思うんだけど、勝手にリミックスするのは
マズイんでない?
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 13:30:03
>>487 正直、今に残ってる仏教はどこかしら釈尊由来じゃないものが混じってると思うが。
だからこそ、結集があったり、三時説なんてものもあるわけで。
例えば上級カーストしか出家を許さない、なんてのもあるな
お前さんはスリランカでのことでしょう?なんて言ってたがね
491 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 13:53:54
そもそも寺和田って本当にお釈迦様の教えそのままなの?
492 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 17:49:55
>>488 浄土宗の寺である前に仏教寺院でしょう。
仏教寺院で、仏教の教えを追求する。
自然なことではないですか?
493 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 17:56:47
>>490 ですから、阿弥陀仏信仰を捨てろとは言いません。
今までないがしろにしてた三学に、
もっと力を入れたらどうかと言ってるわけです。
阿弥陀仏信仰を捨てて三学だけになってもお釈迦様の教えとして成り立つけど、
三学をやらずに阿弥陀仏信仰だけだと、もはやお釈迦様の教えとは言い難い。
1)浄土教のみ→仏教とは言い難い。
2)浄土教と三学→通俗混じりだが一応仏教。
3)三学のみ→お釈迦様の時代そのままじゃないとしても、真面目に仏教してる。
浄土宗はとりあえず2)になりませんか。
494 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 18:03:18
>>489 もし浄土三部経が事実なら、念仏してれば往生できるでしょう。
疑いながらも念仏すれば往生できると法然さんが言ったと伝えられてるし。
それで念仏してるわけですが、
往生を願って称える場合でも、
称名念仏のマントラを使った瞑想の効力は、やはり消えないと思います。
ですから、念の心をさとらずに往生を願って念仏しても、
心はおちつきます。
しかし、念仏に瞑想の効果があると知ってしまうと、
瞑想の効果も期待して念仏してしまいます。
>>493 君の浄土教上の立場は、どうやら、源信の『観心略要集』に近いようだね。
周知の通り、天台僧源信の浄土教関係の著書と言えば、『往生要集』があまりにも有名である。
恐らく『往生要集』は目を通していることだろうけど、其処に悪人には他に方便なし、と言って称名念仏
を進めている。
法然は上記の悪人の立場に定位して専修念仏を打ち出し、親鸞によって更にラディカルに深化させられた。
まあ、親鸞は兎も角、法然が称名念仏以外の往生の行を認容したかどうかについては、諸論があるところで
あろうが、今は措いておく。
さて、源信に話を戻すと、彼には『観心略要集』と呼ばれる最晩年の浄土教関係の著書がある。
同書の趣旨は浄土教と天台教学との統合と言われているが、其処で源信は、称名念仏を往生の行として認
めつつ、空観などの実践をなし得る余裕がある者が、称名念仏にのみ頼ろうとすることは、本気で往生しようと
考えてない者であるという意味のことを述べている。
君の立場は上記に近いのではないかな?
496 :
495:2007/09/12(水) 20:14:09
一部訂正
>称名念仏を進めている。 ×
>称名念仏を勧めている箇所がある。○
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 20:29:45
葬式に出てくる浄土宗の坊主、髪剃って来てくれよな
薄汚い感じがする。
曹洞宗の坊主は、尼僧もきれいに頭剃ってくるぞ。
498 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 21:47:49
くどいな、けちゃ君は!
三学の器に叶わないから称名念仏なんでしょ
そんなに言うなら天台宗に戻れよ
499 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 21:50:56
500 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 22:18:32
けちゃっふ゜、浄土三部経もいいけど
頭剃ってるか?
501 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 22:25:34
502 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 22:33:39
>>495 往生要集しか読んでないので何とも言えません。
しかし、浄土に往生したら三学を修めるわけだから、
三学を実践することが往生の妨げになるとは思いません。
503 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 22:45:32
>>501 カーストは、民族の考え方でしょう。
カーストによる差別を否定する内容のお経を、寺和田でも紹介してます。
教義としてカースト制度を導入してるわけじゃないのでは?
504 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 22:47:38
505 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 22:56:27
>>503 だって、出家出来ないんだろ?
教義に充分過ぎるくらい影響してるじゃないか
506 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 22:58:50
507 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 23:01:48
>>498 三部経がフィクションだったらどうするんですか?
三学非器なんて発想がおかしい。
そりゃあ、修行したって悟れないかもしれませんよ。
でも、やったらやっただけ結果が得られるのが仏教のすばらしさでしょう。
何年何十年先の未来や来世にしか救われないのではなく、
瞑想すれば今この瞬間に、すぐに結果が得られます。
瞑想してる時点で幸せなんです。
難行ではないし、深い仏教知識も必要ありません。
ストレッチをすれば縮んでた筋肉が延びるように、
瞑想すればすぐに心が変化します。
結果は今すぐ得られます。
508 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 23:12:17
>>505 日本だって、仏教では不殺生を説くのに戦争して、僧侶でも兵隊にとられました。
結局、社会の常識が仏教に追い付いていない場合には、
各僧侶個人の思想にかかわらず、
教団の活動は社会の常識に縛られます。
もちろん、その国の法律を守らなきゃならないという戒律もありますし。
スリランカのカースト制度がどの程度徹底的かは知りませんが。
以前、友人がインドの砂漠に木を植えるボランティアに行ったら、
現地の人が全然手伝ってくれなくて、腹がたったそうです。
しかしよく聞いてみると、身分によってやる仕事が決まっていて、
他の身分の人の仕事を奪ってはいけないそうです。
一般人の価値観がそこまで徹底してる社会の場合、
僧侶になる人が限られてしまうのは仕方ないでしょう。
>>508 >一般人の価値観がそこまで徹底してる社会の場合、
>僧侶になる人が限られてしまうのは仕方ないでしょう。
なるほど、お釈迦様もそうやって出家者を限定していたんだね。
>>507 >瞑想してる時点で幸せなんです。
よかったね。アレフと同じで。
511 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 23:21:30
>>508 カースト制度バリバリだった釈尊の時代に、アウトカーストの人まで出家を許してるわけだが。
社会がどうとかって、そりゃ逃げだよ
512 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/12(水) 23:23:42
>>507 ふつーに明日何しよーかとか、今日見たあのパンちらは良かったなぁとか思い浮かぶぜ
瞑想なんてそんな簡単なもんじゃないだろ。
禅宗でも、無我の境地に至ったと思った瞬間が一番危ないと言うぞ
お前が落ちてるのが、まさにソレに見えるんだが。
513 :
名無しさん@京都版じゃないよ:2007/09/12(水) 23:52:08
<508>知人、中国人僧侶(M・T師)はこの国でパーリ語仏典を
学んでいた。師の話では「当地の宗教界も”何処も同じ☆の夕暮
れ」(広い意味)。高位聖職者を目指す者は、語学力などを駆使
して(沙門は超インテリ)政治家or資産家に因縁をつけ、子女の
家庭教師になるーのだそうです。イエズス会のやり方と類似。現
状不満の方丈さま方もそれくらいの才覚を発揮してみたら。
そうだね、けちゃっぷはスマ長老マンセーで眼が見えなくなってるんだよ。
出家を願う少数部族の人たちを、カーストを盾に拒絶したという事実を、
あれはカーストを理由に出家を拒む部族だったと、勝手に脳内変換してるだけのこと。
カルトに嵌った人の類型的な反応だ。可哀想だが仕方ないね。
515 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/12(水) 23:57:19
>>512 >ふつーに明日何しよーかとか、今日見たあのパンちらは良かったなぁとか思い浮かぶぜ
>瞑想なんてそんな簡単なもんじゃないだろ。
→妄想が浮かんでもいいのです。
法然さんも、心は猿のようにとびまわって妄念が浮かぶと言ってますよね。
妄想は縁に依って浮かんぶので、縁が過ぎ去れば妄想も過ぎ去ります。
危ないのは、妄想を頭の中でくりかえし回転させ、感情を増幅すること。
妄想が出てもいい。自分の妄想に気付くだけで全然違う。
>禅宗でも、無我の境地に至ったと思った瞬間が一番危ないと言うぞ
>お前が落ちてるのが、まさにソレに見えるんだが。→禅定(三昧)と智慧(般若)をごちゃまぜにしてるのではないでしょうか。
禅定は、心を特殊な状態にしてる、いわば心を全力疾走させてるときです。
智慧は、心が普段の状態でもはたらきます。
禅定の状態は、作ってもまた壊れます。
智慧は、一度気付いたら二度と消えません。
タネがわかった手品には二度とだまされないのと同じ。
516 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 00:08:12
>>514 でも、それは、上座部の教義より浄土宗の教義のほうが正しいと
言える理由にならないでしょう。
浄土宗をシャム派そのものにしろと言ってるわけでもない。
浄土宗がそぎ落としてしまった三学を、上座部から取り入れて復活させ、
仏教団体らしく、少しは仏教を実践したらどうかと思います。
517 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 00:26:41
実際は、祈祷やら写経会やらなんでもありの浄土宗なのに、
なぜ瞑想したらダメなんでしょうか?
末寺が、だまって勝手にやるだけなら、黙認なのかな?
>>508 日本だって、仏教では不殺生を説くのに戦争して、僧侶でも兵隊にとられました。
結局、社会の常識が仏教に追い付いていない場合には、
各僧侶個人の思想にかかわらず、
教団の活動は社会の常識に縛られます。
社会内存在は、出家ではないな。
戦争に行ったら出家ということは有り得ない。
>>516 君は上座部云々と言っているが、君は諸派がある上座部の中でもシャム派という特定の派のスマという
特定の僧に固執している訳だが。
シャム派に問題があるのであれば、他の派にも目を向けたらどうだ?
シャム派のスマに固執し、その言説を金科玉条の如く称えている限り、シャム派の抱えている矛盾でつっつかれたり、
スマカルトと言われたりしても、仕方あるまい。
>>516 >でも、それは、上座部の教義より浄土宗の教義のほうが正しいと
>言える理由にならないでしょう。
事実を事実として受け入れなさいと言っているんだよ。
あばたもえくぼで、上座部の現実から眼をそらしなさんなと言っている。
浄土宗のあばたがあばたに見えるように、
上座部のあばたを踏まえた上で信仰しないなら単なる盲信だろう。
教義の正しさなどというものはどこにも存在しない。
信じた教義がその人の真実になるというだけのことだよ。
けちゃっぷが上座部が正しいというならその道を行けばいい。
浄土宗のほうが正しいと思う人は念仏だけで生きられるだろう。
ただ、スマ長老の尻馬に乗って浄土宗を批判するだけなら、
それは極めて仏教的でない行為だと思うよ。
521 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 09:47:16
>>520 べつに、スマ長老のみに固執してるわけじゃないです。
ただ、身近なところで上座部を学べるのがたまたま寺和田だっただけです。
で、寺和田がお釈迦様の時代のまま何ひとつ変わってないとも思いません。
ただ、大乗マンセー浄土マンセーよりは、
お釈迦様の教えに近いんじゃないかと思います。
寺和田のスマ長老の囲いに入れと言ってるわけじゃなく、
寺和田をきっかけに、浄土宗の囲いを破るべきだと。
522 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/13(木) 11:32:00
身近な割に寺和田に入信してないのはなんで?
日本にあるんだろ?
523 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 11:32:33
なんだ、嫌な質問だとスルーなんだな
525 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 12:10:17
>>522 入信していないとなぜわかるのですか?
でも、入信してるかどうかは秘密です。
浄土宗はとやかく言わなくても、寺和田は気にするんじゃね
だって寺和田からすれば仏教じゃねえんだろ?
けちゃっぷは入信してねぇよ。自分でどっかにカキコしてたろ。
それに瞑想法なんて、なんとか健康法と同じで続かねぇだろ。
続く奴もいれば続かねぇ奴もいるなんてのは仏教じゃねぇよ。
それに何十年も瞑想やって瞑想の達人になったからってそれが何?
瞑想教室開いて小遣い稼ぎができますってか、笑わせてくれるよな。
>>527 とりあえずお前仏教徒じゃないだろ。
いくら浄土宗でもお釈迦様が菩提樹の下で瞑想して悟りを開かれたことくらい知ってるわ。
529 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 14:26:28
>>527 瞑想で、仏教で、人生の苦悩が軽減できます。
健康でもお金持ちでも、ストレスいっぱいの人生を暮らしてる人がいます。
仏教は、たとえ病気でも貧乏でも、悩みやストレスを減らせます。
>>528 釈尊の瞑想法は滅んじまったというのが浄土宗のスタンスじゃねえのか?
>>530 末法の時代の凡夫には、果を得ることが出来ないというスタンスなだけで
そんなこたー一言も言ってないぜ
お前のレス、内容がかなりズレてるぞ
>>529 >瞑想で、仏教で、人生の苦悩が軽減できます。
苦悩を軽減するのを仏教とは呼ばねぇだろ。
仏教ならば苦悩を滅すると言わねぇとな。
533 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 14:59:17
>>530 浄土宗や大乗が求めている成仏というのが、
あまりにも超人的な仏に成ることであり、
だから「そんなの我々には無理だな」と思ってしまった。
しかし、仏教の悟りは、もっと身近なもので、
普通の人でも悟れるようなもので、
仏教の瞑想も、普通の人ができる身近なものだったのでは?
つまり、大乗は、最初からありもしない幻の「正法」を勝手に思い描いて、
しかしそんなもの探しても当然みつからないから、
末法到来だと、これまた勝手に悲観してしまったのでは。
534 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/13(木) 15:01:00
まったく理解してない人に、更に理解してないレスをつけるケチャw
535 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/13(木) 15:02:23
>>533 普通の人がホイホイ六神通かよ
そんな簡単なことなら、今もホイホイ仏が生まれてるはずだろうが。
>>531 >末法の時代の凡夫には、果を得ることが出来ないというスタンスなだけで
おいおい、末法というのは行も無いんだぜ。
教行があって証のみが無いならそいつは像法だろw
537 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 15:05:09
>>532 滅すると言ったら、
普通の人は完全に苦悩がなくならないじゃないかと言う人がいるかと思って、
あえて滅すると言わなかったのです。
瞬間瞬間においては、初心者でも苦悩を滅することができる場合があります。
ただ、やはり苦悩が生じてしまうこともあります。
ですから、初心者でも十あるうちの五を滅することができるとしても、
全体的に見ればまだ五が残ってる人もいる。
それを滅したと言うと、言葉尻だけつかまえて批判する人が以前いたので、
どう表現するか一瞬迷い、「軽減」を使いました。
>>536 伝わってても完遂する能力に欠けるため、成果を得られないってことでわ。
>>537 まあ、浄土宗は死苦を滅する仏法だかんね。
全ての苦悩を滅するにはそれなりの資質がいる。
真宗には妙好人のようなのが出てくっけど、
そいつを理想だと言ってしまうと凡夫には無理がある。
在家の仏教だかんね、そこそこでいいと思うよ。
逆に、瞑想法で死苦を滅するのはかなりきついんじゃないのか?
>>538 >伝わってても完遂する能力に欠けるため、成果を得られないってことでわ。
成果を得られないから滅んだんでしょ。
だから伝えようがなかった。
技術というのはそうしたものだよ。
今の時代むしろ念仏で死苦を滅するというのが難しそうだぞ。
昔々は一向宗みたいな死をも恐れないって人たちが一杯いたみたいだが。
70年代だったか政府に抗議するためガソリンかぶって座禅組んだまま
身じろぎもせず焼身した上座部の坊さんがいた。
あれ見ると完全に感覚や恐怖を遮断して瞑想の境地で死んだろうなと思う。
542 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 16:03:07
>>541 まだ死んでもいないのに死について悩むというのも、
やはり妄想なんでしょうね。
>>541 確かに念仏は行ではなく理念だから、受け入れるのが難しいよね。
天動説から地動説へ転換するようなもんだかんね。
ただ、一端受け入れてしまえば不退転だから、
法然さんが破門にした一念義もありかなと密やかに思っている。
>>542 >まだ死んでもいないのに死について悩むというのも、
>やはり妄想なんでしょうね。
そうですよ。
念仏が真実、凡夫の生は虚仮だという仏教なんですよ。
まあ、妄想がある間は生きているという証なんだから、
死について悩むのも結構なことだと思うよ。
もしも何の悩みもない人がいたら、近づかないほうがいいだろうねw
ずっと前に読んだ本でたしか浄土真宗の話だったか。
信心が中途半端だった人が、病気で臨終間近になってベッドの上で、
「往生スッキリ!往生ハッキリ!」と一晩中言いだした。
家族がそれを録音したテープを聴いた坊さんが
「これこそ三部経にも勝る」みたいなことを言った、ていうのを見たことある。
念仏で死の苦しみを超えるというのは、
自分の往生がハッキリと分かって
死に対して何の恐れも後悔もないという状態ことなんだろう。
しかしそういうのを身近に聞いたことがないorz
>>543 ただ、そこに行き着いてしまうと、出来るだけ悪をやめ、善(仏道修行)をしなさいという
七仏通誡の教え(つまり仏教と名のつくものには共通する教え)に反するわけだ。
法然はそこら辺はきっちり誡めてる。
>>541 まーでも、死んでも行く先があると思えば安心だな
行く先が判らんから怖いんだと思うし。
そこは信の問題ということになってしまうだろうな
548 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/13(木) 16:32:55
>>543 念仏は、浄土真宗はともかく、浄土宗じゃどこまでも「行」だろ
>>546 法然さんも、聖道門の手前、いろいろ難しい立場にあったんだよ。
だから一枚起請文あたりが法然さんの本音なんだと思っている。
>>548 「行」が、凡夫の行なら浄土宗を立宗した意味が無い。
末法の世には教のみがあって行証がない。
なぜ行証がないのに教が伝えられているのか?
法然さんの出発点はそこにあった。
教のみで末法の世の人々を救いとる道があるのか?
散々模索した結果見出したのが念仏往生の教えだった。
凡夫が念仏を行とした結果往生するのではなく、
あくまで阿弥陀仏の誓願の結果として往生する。
それは浄土宗も真宗も変わらないだろう。
今の浄土宗が念仏を「行」としているなら、
それは法然さんから大きく逸脱した結果だろうと思うよ。
【注意】
浄土宗スレじゃない
553 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/13(木) 19:47:04
>>550 行は一念十念なおむなしからずと信じて無間に修すべし。
一念なお生まる、況や多念をや。
むなしからずってのは、一念でも往生するのだと信じて、ということだ。
また
一念でも生まれるという嬉しさに、百万遍の功徳を積み重ぬるなり。
こういう言葉もある
こんな私でも、たった一念でも生まれる。その嬉しさの余り、ついつい功徳を積み
気づいたら百万遍にもなっているのだ。
554 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/13(木) 21:37:11
ついに親鸞会まで出てきたか・・
555 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/13(木) 23:22:43
念仏を瞑想的に見た場合、無余修・無間修・長時修は論理的に説明できる。
無余修は、他の修行をやったり信仰してはいけないという意味じゃなく、
念仏してる時は念仏以外の妄念をはらえってこと。
無間修は、念仏のときは、念仏の合間合間に妄想がでてくるのをできるだけ制御し、
南無阿弥陀仏だけを絶え間なく隙間なく念じろってこと。
長時修は、そのような念仏に慣れてきたら、
その念仏の状態を長時間持続できるように訓練しろということ。
556 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/14(金) 06:58:35
まず、勝手に瞑想的に見て解釈を加えること自体がおかしいんだけどな
檀家さんにはそういう風に説くべきではない。
浄土宗に所属し続けるつもりならば、せめて坊主として法務をするときと、寺和田信者の
ときは区別すべきだ
いくつか突っ込んでおく
>他の修行をやったり信仰してはいけない
微妙に違うし、その言い方は誤解されると思う
五種正行を出来るだけしなさいってことだ
>念仏してる時は念仏以外の妄念をはらえってこと。
こんなことは無理。
妙遍と法然のやり取りにこんなものがある
妙遍「たれもさは見をよびて侍り。ただし念仏のとき、心の散乱し妄念のおこり候をば、
いかがし候べき」。
法然「心はちりみだれ、妄念はきをひおこるといへども、口に名号をとなへば、弥陀の
願力に乗じて決定往生すべし」
法然「心をしづめ妄念おこさずして念仏せんとおもんは、むまれつきの目鼻をとりはなちて
念仏せんとおもんはんがごとし。あなことごとし」
557 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/14(金) 07:38:57
>>556 その法語は僕も好きです。
でも、妄念を完全になくすのは無理でも、
妄念をはらおうと意識することで妄念に気付くことはできます。
妄念をなくす必要はなく、妄念に気付くこと、
妄念が起こる心の性質に気付くことが大事なのです。
いや、むしろ、妄念の毒を出しきらせるために、
瞑想によって妄念が出やすい状態にしてやる。
眠っているときに脳が記憶の整理をして夢を見る。
しかし、瞑想して五感からの入力を減らしてやると、
脳は夢を見るときと同じように記憶の整理をはじめす。
それが妄念となってでてくる。
ですから、瞑想すると睡眠時間が少なくてすむようになると言われます。
妄念を払おうと意識すること、すなわち妄念じゃないか。
お前は馬鹿か。
559 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/14(金) 08:23:24
>>556 法然さんの発言の根拠は、
妄念があっても他力で往生できるから大丈夫という信仰です。
ですから、阿弥陀仏への信仰がない人には通じません。
560 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/14(金) 08:27:24
>>558 意識的に観察するのと、ぼーっと心に操られるのとは違うでしょう。
心は、ぼーっと、気を付けずに、注意散漫のまま妄想におもむきたい。
それは愚痴のカテゴリーに入る煩悩なのです。
その煩悩があるから、不注意で交通事故を起こしたり、
レジ前で小銭を落としたりするわけです。
561 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/14(金) 08:37:45
ケチャは檀家と話すとき、555みたいな寺和田ミクスチャーなこと話すわけ?
562 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/14(金) 12:35:10
>>561 いえ。
555は(というか僕が2ちゃんねるで書いてることの大半は)
雑談というか、お遊びだと思ってください。
それってなおのこと始末に負えん気がする
少なくとも、自分が信じてること話せよ
お前のとこには居ないかもしれんが、真剣に話聞いてくれる檀家もいるんだぜ
564 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/14(金) 12:47:08
>>563 信じてることといえば信じてることなんですが。
浄土宗義の用語の説明については、一応教科書通りの説明をします。
ただ、浄土宗義を「お釈迦様の教えだ」と説明することには
個人的に抵抗感を覚えるので、
最近は、「こういう教えもある」とか「お経の中にはこう書いてある」とか、
ややオブラートに包んだ言い方になってます。
565 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/14(金) 12:51:57
僕は、浄土宗寺院が伝えている浄土宗義という文化を、
客観的に紹介するに留める、という感じになりつつあるかもしれません。
仏教として正しいかどうかはさておき、
うちの宗派の伝統はこうで、
その教えに救われた人々も昔からたくさんいました…と。
(教えが仏教的に正しかったかどうかはさておき、)
このような万人救済の教えを説いた法然さんの慈悲の心はしばらしい…と。
566 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/14(金) 12:58:21
そうなってくると、ご本尊についての説明も、やはり客観的になってくるでしょうね。
文化財の観光案内みたいな感じに、
「これこれこういう言われがあります」と。
観光地に伝わる言い伝えとかって、
本気で100パーセント信じる人は少ないでしょう。
しかし、まぁそういう言い伝えがあるなら、
私達もあやかりたいのでいっちょ拝んどくか、
みたいな感じで一応拝みます。
しかし、あとになったら拝んだことすら忘れてたりしますよね。
567 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/14(金) 13:06:38
信仰としてではなく
哲学者法然の教えを、わかりやすく説くんだな
通俗だの何だの言う割には、金のためだけに浄土宗利用か
>>562 お遊びで、他人が信じてる宗派を通俗だの仏教じゃないだの言ってるのか。
なお悪いわ
570 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/14(金) 22:59:44
仏教徒としての宗教活動です。 ×
巣魔教徒としての宗教活動です。 ○
463 名前:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU [] 投稿日:2007/09/14(金) 22:34:08
>>462 加行受けたときは三心バリバリでしたよ僕も。
573 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/16(日) 09:56:16
儀式で歩くときなど、男性は左足から、女性は右足から動きはじめる。
これってもしかして、着物のすそがめくれて中が見えないため?
昨日のオーラの泉での三輪さんの話(女性らしい動作について)を聞いて思った。
けちゃっぷスレって、まだあったんだ。
なつかしいような。
けっちゃっぷさん、2012年12月から
世界はアセンションするそうです。
美輪さんがどう言ってるかは知らないけど
スピリチュアルでは半ば常識的に言われることです。
そんなこと上座仏教的にはありえるんですか??
575 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/16(日) 10:23:22
ありえるわけね。
ありがとー
577 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/16(日) 12:37:03
578 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/16(日) 21:55:33
>>576 スビリチュアルとかあまり詳しくないです。
昔は好きでしたが、仏教を学ぶうちに、
そっち方面への興味がなくなってきました。
結局は三界(世間)の現象ですからね。
仏教は、三界を超えるための教えです。
579 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/17(月) 08:35:13
4人のお坊さんが覚醒剤を堪能しつつ、賭博パーティーを開催していたことが発覚。
周囲の住民による通報で逮捕されるという、とんでもない事件が発生した。
微笑みの国・タイで起きたこの事件、タイの新聞各紙の情報によると、
お坊さん4人と使用人として雇われていた一般人ひとりを含む5人で、
頻繁に覚醒剤&賭博パーティーを開催していたという。
周囲の住民が見て見ぬふりをして黙認しているのをいいことに、
どんどん覚醒剤でエスカレートするお坊さんたち。
しかし、「もうガマンできねえ!」と限界を感じた住民がついに警察へ通報!
そして逮捕にいたったという。
お坊さんたちは還俗(お坊さんから一般人に戻る行為)をされたのち、
普通の一般人として裁判で裁かれることになるという。
580 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/17(月) 09:08:36
>>579 出家者への信者の期待が大きいから、
出家者が出家者らしくないときには信者もそれを注意する。
581 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/17(月) 09:35:52
582 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/17(月) 10:13:58
>>581 上座部仏教の国で迷信がないって、
スマ長老が言ってたの?
>>580 浄土宗の坊主なら、戒律を知らないからどうのと叩くのにな
上座部僧ならあっさりしたもんだな
584 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/17(月) 10:56:22
破戒比丘巣魔狂賭だから
>>302でも述べましたが、上座仏教国にはお守りがあります。
お守り専門店もあれば、寺院で授与してもらう場合もあります。
>>579他でも書かれていますが、上座僧の許されない大罪(性行為なども)は市民の監視で通報され警察が逮捕し強制還俗させます。
日本と違い、自分達で悪い僧を追放するという自浄作用があります。
>>582 般若心経は間違い?P152 後ろ4行で「迷信はひとかけらもない」と記述
>>581お守り店ではビジネスです、寺院ではお布施を集める方法の一つですが、僧侶は蓄財できません。
タイではお守り専門雑誌があります。
古いお守りで幾多の災難から守ってくれたお守りは高値で取引されます。
また、昔の徳の高い僧侶や神通力を持っていた僧侶のお守りもプレミアで値段が上がります。
上座仏教国では高僧信仰もあるということになります。
587 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/17(月) 11:44:21
知っています。
ただ、巣魔やけちゃの矛盾をつきたいだけ。
588 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/17(月) 12:04:21
589 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/17(月) 21:33:57
各個人各寺院では色んなのがあるでしょう。
教義に反してる者はどこにだっている。
上座部の教義においては、通俗仏教は廃されてるのでは?
教義の中にお守りが説かれてるの?
日本の仏教だって、教義の中にお守りが説かれてるのは無いと思うが。
お前が日本仏教叩きするときは、全部一緒くたにするけど。
591 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/17(月) 22:36:23
>>590 僕は、通俗仏教を否定してませんよ。
教義上認められていないとはっきりさせるなら。
ポックリ寺とかも否定しません。
上座部は、教義では通俗はダメだと言うでしょう。
日本では、教義自体に通俗が介入してる。
だからさー、それはお前が念仏そのものが「通俗」って立場だからだろ?
教義自体に通俗が介入云々ってのは。
念仏が通俗じゃないとする立場もあるだろ
で、お前普段は法務こなしてて、寺和田の話はしねえんだろ?
イチイチ念仏するたびに、これは本当の仏教ではありませんって断り入れんのか
593 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/17(月) 22:57:55
>>591 >上座部は、教義では通俗はダメだと言うでしょう。
巣魔狂徒は知らんが、それでは、教義上、駄目なものを、何故、他の上座部僧は
黙認、乃至関与しているんだ?
巣魔の故郷スリランカ仏教最高の霊場である仏歯寺の仏歯開帳のショーじみた演出
も批判されるべきではないのか?
594 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/17(月) 23:08:29
>>593 なんで?
教義にないからやっちゃダメなんて僕は言ってません。
仏を信仰する人が、仏にまつわる品物や仏像を大切にするのは、自然なこと。
そんなのは仏教文化であって、
それを仏教の教義だと言うなら間違いだけど、
仏教文化を否定するつもりはありません。
595 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/17(月) 23:13:12
>>592 念仏を本当の仏教じゃないとは言いませんが、
お釈迦様の教えだとも言わないようにしています。
僕は、浄土教を説くときは、あくまで西方極楽浄土が実在し、
阿弥陀仏が実在するというスタンスで説きます。
そんな僕を見て「こんな教えいやだ」と思ってもらえれば幸いです。
>そんな僕を見て「こんな教えいやだ」と思ってもらえれば幸いです。
お前、浄土宗の連中を侮辱してるのとかわらんぞ…。
そんな教えに金の為だけにしがみついてないで、いっそのこと寺和田で出家しちまえよ
その方がWIN-WIN関係って奴だと思うぞ
597 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/17(月) 23:43:59
>>596 金銭的にはデメリットのほうが大きいです。
まぁ、父親(住職)の顔を立てて、
最低限父親が生きてるうちは跡継ぎとして行動するつもりです。
そのあとで、その時になって自分の気持ちがどうなってるかもわかりませんし、
その時になってから寺を出るか出ないか決断したいと思っています。
今更の感があるでしょうが、詳しくは知らないので、ちょっと確認したいです。
>僕は、浄土教を説くときは、あくまで西方極楽浄土が実在し、
阿弥陀仏が実在するというスタンスで説きます。
単なる説教用の「スタンス」ではなくて、
実在は信じてはいるんですよね?
もちろん実在するかどうか、知らないのはいいとして、
自分の気持ちとしては信じてるんですよね?
>>588 そうですね、どこで線を引くかもあると思います。
日本の僧侶のように執着から離れられないような生活、例えば高級車、ネオン街、出家後の性行為、妻帯世襲。
上座仏教国では、日本の宗派ほどの大きさの差は無いにしろ、少し派はあります。
プラ・ユキさんのスレのリンクでプラユキさんも言っていますが、森林系、学問系、街の寺院で多少の差を説明しています。
日本のような宗派で教えが全く違うようなことはないまでも、派での差は存在します。
また習慣での一時出家者が、きちんとしているとは限りませんね。しかし、相対的に見て上座仏教国の方がしっかりしていることは確かです。
ダンマパダやスッパニパダを読んでも、行いの悪い僧侶をお釈迦様が戒めています。釈尊当時から行いの悪い僧が居たわけです。しかし日本では自浄作用がほぼ無いことは間違いないでしょう。
>>589 >教義の中にお守りが説かれてるの?
上座部では、僧侶が聖糸を在家に授けますね。スマ長老のとこでも行うらしいですね。
スマ長老はホームページでは、聖糸について詳しく説明していません。私は彼の著書を全て読んでいないので分からないのですが、
在家の腕に巻いてあげる聖糸をスマ長老はどう説明していますか?またスリランカ上座部シャム派の教義ではどう説明しているの?
>各個人各寺院では色んなのがあるでしょう。
上座部の実際の信仰を見もしないで、色んなのがあるでしょうはないでしょ。
お守りはある、祈祷の類もある、在家が現世利益を求めて祈る。これが実際です。
きちんと反論してください。
私は、アンチ スマ長老ではないです。
初期仏教である、上座仏教の教えを日本語で分かり易く説いていて素晴らしいと思います。
しかし、たった一人の長老、もしくは一つの日本出張所それだけで上座仏教を判断してしまう事の、危険性も知っておくべきだと思うのです。
きちんと広い視野を持って、複数の上座部長老から話を聞いてみる、上座仏教の実際の信仰をきちんと見る必要があります。
ってスレタイ見たら、結構ふざけたタイトルなんですよね。でも上座部スレはここが一番盛上っているから、まあ良いっか・・
602 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 08:03:33
>>598 信じていた時期もありますが、
今は、実在しない可能性が高いだろう、という感じ。
しかし、もし実在するなら僕も往生したいなぁとは思えます。
ですから、念仏もしてます。
逆に、もし実在しなかったらどうするんですか。
浄土宗では、実在しなかった場合を想定していないから、不親切だと思います。
603 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 08:21:59
>>598 阿弥陀仏が実在すると信じてたといっても、
やはり疑いはありました。
ですから、疑いながらも念仏すれば往生できるという説などに励まされてました。
で、阿弥陀様は実在すると「みなす」ことにしてました。
夢に阿弥陀様が現れてくださり、勇気づけられもしました。
念仏往生を信じれば、そりゃあ楽ちんで、心もおちつきました。
しかし、その程度のおちつきは、聖道門でも得られるのです。
604 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 08:27:05
>>600 通俗的信仰が上座部でもあることは否定しませんし、しかたないと思います。
しかし、仏教を説き、アビダンマなどで仏教を解説する場合に、
そこにお守りのことなどを説かれてるのを、僕は見たことないのです。
通俗的なものを否定するのではなく、
浄土宗のように、通俗仏教が教義になって、
しかも通俗仏教ばかり説いてお釈迦様の教えを説こうとしない方針を、
僕は批判しているのです。
605 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 08:30:08
>>601 もちろん、スマ長老の教えが上座部のすべてだなんて思ってません。
しかし、最も身近なところにある上座部仏教が寺和田です。
関西に精舎もあるし。
あと、ちなみに、このスレは僕が立てたわけじゃないです
>>604 そんなに通俗が嫌なら、何で浄土宗に所属しっぱなしなの?
親父に義理立てとか、そりゃお前の逃げじゃん
607 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 12:21:22
>>606 親父の住む家がなくなるからです。
親父は、普通のサラリーマンならマイホームを建ててローンも完済してる年齢ですが、
マイホームを建てずに寺の改修にお金を使ったため、
もし寺を追い出されたら住む家がなくなります。
親父の人生設計自体が、子供に跡をつがせる前提だったのです。
僕には親父に今すぐ住む家を提供できる経済力はなく、
僕自信はアパートで暮らしています。
親父は、死ぬまで寺で暮らすつもりで人生設計をしてきたのだから、
望みどおり寺の住職として一生を終えさせてやりたいです。
ですが、もし僕が親父のような人生を選んだら、
また子供を産んで跡をつがせないと老後に住むとこがなくなるという、
世襲の悪循環になります。
いずれにせよ、寺に寄生しないと生きられないような人生は、
親父の代で終わらせたいです。
608 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 12:34:10
>>606 親父の住居としての利用価値がなくなれば、
お寺とはオサラバしてもいいかな、と思います。
しかし、一人の仏教徒として、
自分が生まれ育ったこのお寺で何らかの宗教活動をできるとしたら、
そのことに魅力を感じないわけでもないです。
お寺の住職になりたいかなりたくないかは別にして、
仏教は好きだし、仏教を他の人々に知ってもらいたいと思っています。
また、今まで間違った教えを伝えていたとしたら、
正しい教えを伝えて間違いを訂正するのも、必要かもしれません。
不良品を販売した会社は無料で交換したりしますよね。
お寺も、間違った教えを説いていたとわかったら、訂正とお詫びをすべきでしょ。
あきれた寄生虫だな
日本に差別をされると言いながら住み続ける在日みてーだ
610 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 12:48:47
以下、理想というか妄想。
自坊(浄土宗)の住職を継ぐ。
しかし、浄土宗義だけではなく、
四諦八正道、三学など仏教の基本を説くようにする。
寺以外にマイホームを建て、
自分の子供が跡を継がない場合には
速やかに寺を出られるような心づもりでいる。
611 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 12:56:40
>>609 僕は、父親のような寄生虫にはなりたくないです。
612 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/18(火) 12:59:48
普通世襲の悪循環にはならないだろう、けちゃっふ゜寺を開山した寺がある訳だから
親父さんに寺を自分の財産にできないだろう、そんなに簡単に父から息子にと
世襲なんかできないよ
>>610 いや、浄土宗の教えを信じられなかったりするわけだし、継がずに志ある人に渡せば?
親父さんはどうしようもないとして。
ただなあ、お前さんを育ててくれた親父さんを寄生虫呼ばわりは無いと思うぞ
それは坊主とか上座部とか以前に、人としてどうなのよソレ。
親父と話してみたのか?
それもせずに、親父を言い訳に寺を生活費集める手段として利用するのはどうかと。
616 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 17:40:44
僧侶が結婚しなかった時代には、
弟子が師僧の老後まで世話するのが、普通だったんでしょう。
しかし今どきは、結婚して子供を跡継ぎにしないかぎり、
住職を辞めて寺を出るしかありません。
ですから、住職の世襲がくりかえされます。
617 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 17:49:58
>>612 住職に就任するには、寺の役員の同意が必要ですから、
住職の独断で勝手に息子を跡継ぎにできるわけではありません。
しかし、住職の息子に跡を継がせることに、普通寺の役員も賛成します。
檀家さんにとっても、気心知れた顔なじみである
住職の息子に継いでもらうほうが楽ですので。
618 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/18(火) 17:50:59
619 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 18:02:48
>>614 浄土宗について志の高い人に跡を継がれるぐらいなら、
僕が継いで仏教を多少でも説いたほうがマシ…な気もする。
山口県の誓教寺さんとかは、浄土真宗の寺だけど、
寺和田の瞑想会の会場として寺を使ったりしてます。
ちょっとうらやましい。
日本仏教に厳しいけちゃっぷさんも、自分のこととなると採点が甘いんだねぇ(-_-)
それはともかく、2ちゃんにはあまり書き込んだことないです。
2ちゃんって、どうして語調が独特なんですか?
たとえば、「書き込んだことないな。」「どうして語調が独特なのかな?」
みたいに書きますよね。
なんでですか?
こんな書き方、他の掲示板ではあんまりないな。
621 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/18(火) 19:25:45
ここで寺の実名挙げるとかどんだけぇー
623 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 21:04:17
>>622 寺和田のホームページで瞑想会の案内してるお寺です。
624 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 21:06:20
>>620 語調については、書くのがめんどくさいから短い表現なるのでは?
625 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/18(火) 21:08:06
626 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 21:20:22
627 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 21:22:45
>>618 年金だけでアパート住まいは厳しいと思う。
>>619 >山口県の誓教寺
そこの住職は藤本晃だろ。
寺和田のサイトで悟りについてなんじゃかんじゃ書いてる人だよ。
「ブッダの実践心理学」
「お布施ってなに?―経典に学ぶお布施の話」
「功徳はなぜ廻向できるの?―先祖供養・施餓鬼・お盆・彼岸の真意」
なんていう本も出してるw
結局金か、けちゃっぷ。
托鉢ならすぐ出来るとか言ってたじゃんお前。
631 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 22:28:03
632 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 22:34:06
>>629 ん?そんなこと言ってましたっけ?
結局金なら、おとなしく浄土宗に従順な坊主やりますよ。
内情は従順とは言えなくても、従順に坊主やってるじゃんw
>けちゃ
本当にスマ長老は「法華経を作った人は頭悪い」みたいな発言してるの?
>>625日蓮宗の寺で講演会て・・・
スマも金もらえりゃどこでも行く。そんだけの話だろ
布教師みたいなもんか
637 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 23:56:15
638 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/18(火) 23:59:05
>>634 玄侑さんとの対談本でだった気がします。
インド人の恥とまで言ってた。
結局金か
640 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 00:04:09
>>639 そんなふうにしか考えられないのは、
そういうサンプルばかりを見てきたからですね。
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 00:07:01
結局、金目当てでしょw
招いてくれた日蓮宗寺院で堂々と法華経批判するんだったら、内容は兎も角、多少は見所は
あるだろうけど、法華信仰の当事者のいないタレント禅僧との対談でこそこそ法華経を罵倒する
なんて、まあ、底が知れているなw
642 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 00:09:41
まあ、経済的に豊かな日本人に向かっては誰でも解脱の道は開かれていると宣伝しつつ、
肝心の本国では支配民族のシンハリ人の特定の人間にしか門戸を開いていないんだから、
典型的な日和見主義者だな、巣魔はw
643 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 00:20:23
まあ、巣魔が法華経をインド人の恥云々というのは、巣魔自身が(地理的な意味ではなく)インド人
という自覚があるからだろうね。
伝承によれば、シンハリ人は北インドのアーリア人であるヴィジャヤーの子孫と言われているし、
スリランカでは、キリスト教やイスラームに改宗した者を除いては、仏教信仰はアーリア人としての
シンハリ人の民族的アイデンティティーの基礎になっているしね。
644 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 00:22:47
ちなみに、シンハリ人と対立しているタミール人は非アーリア系のドラビダ人の一派で、
一般的な宗教はヒンドゥー教。
645 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 00:28:19
日本の坊さん中にも上座部に注目してきた人がいたってことか。
向こうで出家して10年以上の人も居るんだな。
そういう人にこそ帰国してほしいが・・
ある程度の人数になれば日本独自の上座部教団も出来るかもしれんね。
スマさん、法華経まで攻撃しちゃって。
攻撃は、般若心経までにしときな。
正宗系に目をつけられたら、寺和田もただじゃ済まないお。
ファックスは使えなくなるかもなぁ
648 :
醤油:2007/09/19(水) 04:51:39
法華経自体はお馬鹿な経典ですが日蓮宗は浄土宗 真宗に対する
アンチパロディとしてはすごく優秀です 日蓮はすごく頭がいい
浄土宗っていうのは中国の捏造坊主(ドンラン)が作った仏教風新興宗教のそのまた拡大解釈
と言えるものであって 三学無視 葬式しかやらんという「仏教の骨抜き装置」
としてしか機能しない不要なものです
>>644 ヒンズー教徒なんか出家させると仏教に妙な教義を混ぜこぜにして
あげく浄土三部経のような粗悪経典を捏造するのでダメです
649 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 08:01:10
>>641 瞑想を説くこと自体が、遠回しに日蓮否定になってます。
まぁ、スマ長老を招くくらい熱心な人だから、そこの寺の住職は、
スマ長老の大乗非仏説の立場も知ってるはずです。
650 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 08:21:23
>>641 金目当てとしか思えないあなたは、
自分自身が何でも金目当ての価値観だからでは?
651 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 08:24:21
>>647 正宗系って、暴力団みたいですね…。
日蓮自体がそういう人間だったからか。
>>649 ぶはははははははははは
擁護必死wとしか取られんわ。そんなもん。
寺和田の事情は、拡大解釈してでも斟酌しようとするんだなw
つまりけちゃっぷはここで瞑想のすばらしさを説くたびに、法華批判を繰り広げていたわけだw
654 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 09:42:47
瞑想=妄想となるでしょう、坐禅とは違うな
655 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 10:40:25
>>651 手等把駄界の日蓮は巣魔だろ 手法が類似してる
656 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 12:21:34
>>653 日蓮信者に対して瞑想を説くというのは、日蓮批判になりますよね。
専修念仏信者に対して瞑想を説くというのも、専修念仏批判になりますよね。
聖書の信者に対して進化論を説くのは、聖書批判になります。
浄土教信者に対して大乗非仏説を説くのは、浄土教批判になります。
657 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 12:25:57
>>655 日蓮さんも寺和田の国に生まれてれば、
大乗否定バリバリになってたでしょうね。
残念ながら、日蓮さんの教えは正しくなかった。
いくら日蓮さんが頭良かったとしても、
与えられていた情報に誤りがあったのだから仕方ない。
658 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 12:33:29
>>654 行住座臥、すべての行為について
「よく気をつけておれ」ということです。
できるだけたえまなくサティを入れる。
659 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 12:39:17
そういえば、スマ長老のところに学会員が折伏に来たことある、
みたいなことを聞いた気がする。
あれ?オウム信者が学会員かのどっちか…たぶん学会だったと思う。
660 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 12:59:38
661 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 13:13:13
夜中に巣魔はマンションの一室でお題目をあげている
662 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 13:34:33
その様子をビデオに撮影して、公開してほしかったw
学会員とオウムが、法論でボコボコにされているところw
663 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 13:38:02
寺和田の会員もと王無多いからかつての同士の戦いだね
664 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 14:35:43
665 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 14:53:58
あの協会はオ●ムや阿●宗の残党の
吹き溜まりとよく聞きますが、
実態はどうなんでしょうか?
吹きだまりは、いくらなんでも言い過ぎなんじゃ・・・
でも宗教オタクは多そうだし、宗教遍歴を感じさせるような人はいますねぇ
オ●ムや阿●宗は手前勝手な勝手な解釈で上座部仏教を取り入れていたわけだから、
そこをドロップアウトした人の中には、心の拠り所を本場由来の上座部仏教に求める者もいるでしょうな。
日本には南伝仏教を学問として教える大学はあるし、研究のレベルも高いのだろうが、
信仰実践としては既成の宗派にその受け皿がない。
668 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 20:12:41
相変わらず、けちゃっぷは突っ込み所が満載だなww
まあ、特に気なったいくつかのものをピックアップしておこう。
>>656 批判という言葉の意味が分かっているのかな?
>専修念仏信者に対して瞑想を説くというのも、専修念仏批判になりますよね。
絶対他力を強調する真宗には当てはまるかも知れないが、他の浄土教系諸派にそのまま当てはまるかね?
>聖書の信者に対して進化論を説くのは、聖書批判になります。
現在、聖書の信者で進化論に批判的なのは、アメリカの福音主義系の原理主義者。キリスト教を奉じる
全ての聖書の信者が進化論を否定している訳ではないw
今日のローマンカトリックですら、進化論を否定していなかったと思うが。
>>657 >日蓮さんも寺和田の国に生まれてれば、
>大乗否定バリバリになってたでしょうね。
歴史にifはナンセンス。ただの妄想でしかない。
>残念ながら、日蓮さんの教えは正しくなかった。
>いくら日蓮さんが頭良かったとしても、
>与えられていた情報に誤りがあったのだから仕方ない。
中国や日本に伝来した仏教を根底的に否定する訳だな?w
話を部派仏教に限定して、有部や大衆部等を差し置いて、で、南伝上座部が正しいという根拠は何かね?
正誤の基準は?
有部や大衆部も三蔵経典に基づいた三学仏教をやっていたんだから、けちゃっぷもそれは否定せんだろ?
ただ部派として生き残らなかったから、現在形では信仰実践はできないわけで。
670 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 20:49:13
>>669 それなら、今日、特に有部のアビダルマ論文献は多数残されているから、少なくとも教義などは学べる
筈だが、上座部に関心があると称しているのに、それらには全く関心が無さそうだからね。
で、アビダルマ論と言えば、専らスマの教説ばっかり持ち上げているしね。
671 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 21:43:46
上座部仏教は難解で凡夫には不可能な学問仏教だと批判されて、
けちゃっぷは「瞑想は誰でもできる」みたいなこと言ってたろ。
つまりけちゃの主たる関心はアビダルマ論文献などの教義仏教じゃなくて、
一文不知でもできる瞑想の実践ということじゃないの。
瞑想はカッコだけなら出来るだろうが、本当に果を得られるとは思えんがなぁ
674 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 21:56:47
本来、教義と実践は不可分なものでしょう。
教義だけでは意味はないが、瞑想も教義上の思索に裏付けられて生かされるものでしょ。
単なる瞑想だけなら、わざわざスマ以外にも仏教内外、それに日本仏教の中にも色々ある。
浄土教に限っても、観相念仏なども伝わっている。
ところで、けちゃっぷの場合、瞑想を称揚することに飽き足らず、スマの言説を根拠に南伝上座部こそ
正しいと主張し、大乗仏教そのものを否定しようとしている。
従って、単に瞑想を称揚しようとしている態度とは、到底、言えないが。
675 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 22:16:17
>>668以降の皆様
つっこむのは楽だが、いっぺんに数人からつっこまれたら、
いちいちめんどくさくてレスできないので、
興味深いものだけにレスさせてもらいます。
676 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 22:33:09
>>668 絶対他力を強調する真宗には当てはまるかも知れないが、他の浄土教系諸派にそのまま当てはまるかね?
↑専修念仏の教えに対して念仏以外の修行を勧めるのだから。
現在、聖書の信者で進化論に批判的なのは、アメリカの福音主義系の原理主義者。キリスト教を奉じる
全ての聖書の信者が進化論を否定している訳ではないw
↑言うと思った。進化論の否定は聖書の内容が歴史的事実でないと認めることで、
つまり神様の実在も怪しくなる。
中国や日本に伝来した仏教を根底的に否定する訳だな?w
↑法華経が仏説じゃないなら日蓮教学は崩れる。
話を部派仏教に限定して、有部や大衆部等を差し置いて、で、南伝上座部が正しいという根拠は何かね?
正誤の基準は?
↑明らかに仏説でないとわかってる内容のみを排除し、
疑わしきは「みなし仏説」としたとして、
成立しなくなる教義もでてくる。
観音様が説いたというのが嘘でも色即是空は仏教的に正しいかもしれない。
しかし、阿弥陀仏の実在が嘘なら念仏往生の教えは崩れる。
677 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 22:41:02
>>670 そんなこと言い出したら、
世界中の仏教を研究してからでないと修行できないので…。
何度か言ってますが、スマ長老が唯一絶対とか、寺和田が最勝とか言ってない。
(ここのスレタイは僕がつけたんじゃない)。
いくつかの日本仏教に比べたら寺和田のほうがマシだと思うのと、
素人にも親切に教えてくれる点、
関西でも学べる点で、最も身近な上座部仏教教団であると思う。
>>676 >しかし、阿弥陀仏の実在が嘘なら念仏往生の教えは崩れる。
そんなことはないよ。真宗は阿弥陀仏や浄土の実在など信じちゃいないが、念仏往生の教えだよ。
679 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 22:49:47
>>676 >絶対他力を強調する真宗には当てはまるかも知れないが、他の浄土教系諸派にそのまま当てはまるかね?
↑専修念仏の教えに対して念仏以外の修行を勧めるのだから。
→善導の観想念仏に関する著書も否定されるべきかね?
>↑言うと思った。進化論の否定は聖書の内容が歴史的事実でないと認めることで、
つまり神様の実在も怪しくなる。
→では、原理主義者を除くキリスト教徒は聖書を信仰上の真理として受け取っていないと言う事だな?w
で、ローマ法皇は不信心者であると。
>中国や日本に伝来した仏教を根底的に否定する訳だな?w
↑法華経が仏説じゃないなら日蓮教学は崩れる。
→返す刀で南伝大蔵経も殆ど釈尊の直説か怪しいがなw
君の大好きなの四諦も釈尊在世時のものではないらしいしね。
話を部派仏教に限定して、有部や大衆部等を差し置いて、で、南伝上座部が正しいという根拠は何かね?
正誤の基準は?
>↑明らかに仏説でないとわかってる内容のみを排除し、
>疑わしきは「みなし仏説」としたとして、
>成立しなくなる教義もでてくる。
→意味不明w
>観音様が説いたというのが嘘でも色即是空は仏教的に正しいかもしれない。
>しかし、阿弥陀仏の実在が嘘なら念仏往生の教えは崩れる。
→何度も色んな人が言っているが、観音菩薩や阿弥陀仏の実在に疑心があるなら、さっさと寺和田に改宗すればよい。
君が念仏往生を説かなくなった所で浄土宗は別に困らないだろうw
680 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 22:52:46
瞑想を始める前に「名と色の二つだけがある、原因と結果の法だけがある、
その名色は瞬間も止まずに生滅しているので無常、苦、無我だけだ。」と、
この様に名色、原因と結果、生滅、無常、苦、無我の性質を
自分自身の智慧で知るようにヴィパッサナー瞑想を実践するのだと、
瞑想指導者から聞いたならば
基礎知識は十分だといえます。
〜『マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法』より
ある程度仏教知識がある皆様なら、上記の仏教用語はご存じですね。
あなたはもう、瞑想を始める準備ができています。
681 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 22:54:05
付け加えておくと、聖書が歴史的事実であるということが怪しくなったのは、別に進化論の登場が
引き金じゃないからね。
16世紀末から17世紀にかけて宣教師によって『史記』などの中国の歴史書がヨーロッパに本格的
に紹介されるようになったのが、引き金だからw
682 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/19(水) 22:59:18
>>680 プラトニズム的な二世界観に立脚していることが分かる説明だな。
683 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 23:01:53
>>674 大乗の修行者が修行の体験と経典研究をもとに分析して体系づけた
論・釈については、必ずしも的外れではないでしょうね。
684 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 23:09:09
>>678 でもそれだと浄土教である意味がなくなってしまう。
真宗の「他力」は、もはや聖道門の境地に近い気がする。
そもそも、阿弥陀仏の本願力が存在しないなら、「他力」も存在しない。
真宗の「他力」はもはや別の宗教ではないかとさえ思えます。
685 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 23:18:46
>>682 われわれが認識してる物事は結局、
肉体から入力されてくる刺激か、心から出力されてくる刺激か、
どちらかしかないんですね。
原始仏教の教えだと、信じてもない阿弥陀仏の実在を信者に説くのは
不妄語戒に触れないの?
ていうか、仏説をカタルわけだよね?
スマさんには相談しないの? した?
続けるのは、ケチャピーの自由だけれど、本当に耐えられそう?
良心の呵責にだよ。
687 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 23:28:42
>>686 昔はそう信じられていました…と、
観光地のガイドが説明するみたいに客観的に説明するようにしたいです。
あくまで実在するというスタンスで話すって言ってなかったけ?
変更?
689 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 23:41:02
>>674 観想念仏については、たとえ阿弥陀仏や浄土が実在でなくとも、
瞑想としての効果があるでしょうね。
ただし、世親菩薩は観察門(観想念仏)を
浄土教におけるビバシャナ(ヴィパッサナー)に位置づけてますが、
寺和田的にみれば、観想念仏はサマタ瞑想にあたると思います。
ですから、念仏三昧により禅定をつくる瞑想ではあっても、
無常・無我に気付く智慧を養う瞑想ではない。
禅定の世界に入る瞑想ではあるが、
悟りのための瞑想ではないことになる。
690 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 23:44:19
>>688 方便や法身として説かない。
念仏して臨終に実在する西方極楽に往生する教えが浄土宗だと説く。
しかし、浄土宗がブッダの教えだとは説かない。
「ま、昔はそう信じられていたわけですね。」と最後にボソッと付け加える。
法華経が仏説ではないというのと、
四諦説や縁起説が後代にまとめられた教説だというのは、
全然意味というかレベルが違のは認めざるを得ないが・・w
教科書に「釈迦は四諦や縁起を説いた」って書けても「法華経を説いた」とは書けねーよw
まあ草加が天下取ったらそれも危ういわけだが(爆
692 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/19(水) 23:52:19
>>691 そうですね。
たとえば、料理人ブッダがトマトを煮つめてソースを作ったが、
「ケチャップ」という名称はまだなかったとする。
後代の人々がそのソースに「ケチャップ」と名付けて、
「料理人ブッダがケチャップを発明した」と言ったとしても、まぁ嘘ではない。
>>679 >>↑明らかに仏説でないとわかってる内容のみを排除し、
>>疑わしきは「みなし仏説」としたとして、
>>成立しなくなる教義もでてくる。
>→意味不明w
だいたいここらへんがループの末端ですよね。
阿弥陀信仰が仏説か否か、
阿弥陀が実在するか否かという話になると、
(1)質問者の揚げ足を取って小ばかにする。
(2)信心が足りない、信機が足りないと、質問者のせいにする。
(3)浄土宗僧侶ならわらるはずだと、まるで禅問答。
(4)今すぐ浄土宗から出て行けと逆切れ。
といったやりとりが続いて始めに戻る。
その先の議論が見れないのが残念。
>>690 つまり、阿弥陀が「実在する」というスタンスではない、わけね。
そこは、はっきりしてよ。
あくまでも浄土宗を解説するというわけでしょ?
で、
>「ま、昔はそう信じられていたわけですね。」と最後にボソッと付け加える。
こんなこと、いつまでもできると思ってのるのかなぁ。
つらい道ですね。
今は法要をまともにやってないのかと思いました。
浄土宗の教えを捨てるのではなくて、
原始仏教から見直すとか、捉え直している
僧侶ならいると思いますけど、
それはしないの?
695 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/20(木) 07:13:11
>>694 浄土宗義は阿弥陀仏が実在すると説く…というスタンスです。
阿弥陀仏の実在を信じられない人に対して浄土宗を弁護するために、
阿弥陀仏を法身仏のように説いたり、他力の意味を拡大解釈したりしません。
そのかわりといっちゃなんですが、
阿弥陀仏を信じられない人が浄土宗を嫌いになったとしても
仏教を嫌いになってほしくないので、
仏教本来のすばらしさを説きたいです。
てか、最後にボソっと言った言葉で、今までのお話は何だったんだろうって
ことになると思うんだが。
檀家からすれば、そんならもういいやってことになって、四諦八正道とか、
瞑想だとか、ほとんどの檀家はそんな方には行かんぞ
これは断言してもいい。
お前がやってることは、浄土宗の教えを信じている、すがっている人から
その救いを泥の中に叩き落としてるのと変わらない
それなら最初からお前が信じる仏教だけ説けよ
そっちの方が遥かにマシだよ
697 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/20(木) 07:52:56
>>696 おっしゃることはわかります。
正直、まだ自分も迷ってるところがあります。
信じよう信じなければと思えば、
けっこう信じた気にもなれますから、救われた気にもなれます。
それは僕自身も体験してます。
「疑いながらも念仏すれば往生します」という言葉で
自分を励まし念仏すれば、心もおちつきます。
ですから、信じたい人の信を励ましてあげることもできるかもしれない。
しかし今は、信じたい人は信じてくださいと、
個々の檀家さんに判断をまるなげしてる状態です。
698 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/20(木) 07:58:21
口称念仏自体は瞑想の一種として効果があると思いますので、
阿弥陀仏の実在を信じなくても、念仏の実践で救われることもあるでしょう。
僕はそういうふうにも考えて、
念仏者である自分を励まし、念仏者であることを弁護したりもしました。
しかし、瞑想としてやるなら、少しは瞑想のことを知らないといけません。
また、それなら別に念仏じゃなくても、題目でもギャーテーギャーテーでもいいことになる。
>>697 またズレてるな
長文で返すと常にズレる
お前がやったのは、檀家への判断の丸投げじゃないだろ。
>「ま、昔はそう信じられていたわけですね。」
この最後にボソっと付け加えた言葉を、「貴方がたが判断してくださいよ」なんて
意味に取る奴は一人もいない
これは否定以外の何物でもない
700 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/20(木) 08:29:37
>>699 仏説じゃないということは佛大でも教えてるでしょ。
坊主や学生には教えられても、檀家には教えちゃダメなの?
ですから、仏説だときっぱり言いきることに抵抗感があります。
短文で返しても、こうやってズレるのになw
きっぱり仏説だと言い切れなんて誰か言ったかよw
>読まなくていい余計なお経まで読まねばならなかった環境が、まずかったのでは?
これはお前の言葉だが、自分で仏説ではないと考える教えを檀家に伝えるのは、
余計なことを教えて惑わすことにならんのか?
702 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/20(木) 09:37:10
阿弥陀仏が実在するとか言う奴は、馬鹿を干したような濃縮したカルト
見てきた人いるのかよと言われたら、いるわけないな。
仏はすべて信仰心の中に存在する即心是仏でしょう。
>>700 学問の場では、歴史的事実を教えるという相互の理解がありますよね。
大学の先生でも阿弥陀仏の実在を信じている先生はいます。
でも、それは宗教的な信念なので、
歴史的事実を言う場所では歴史的事実を教え、
宗教的信念を語る場所では阿弥陀仏の存在を説く人はおられますね。
あなたは、檀家さんからは(全員ではないにしても)、
宗教者として見られているんではないのですか?
宗教家として、その答えでいいんですか?ってことです。
それとも宗教家ではないのですか?
たとえば原作者Aによるマスター音源にインスパイアされて、
無数の匿名によるリミックスやオマージュが作られていった場合、
それらも含めてみんな原作Aでいいじゃないか細かいこと言うなよー、
という大らかな気持ちで「仏説」を理解するなら、法華経や三部経も仏説でいいじゃないかと。
ただ本気で約2500年前に生まれた歴史上の釈迦による実説だと言う気持ちで「仏説法華経」とか
「仏説阿弥陀経」と言うなら、それは洗脳されてるので目を覚ました方がいいと思う。
他人の信仰対象を腐すのは見てて気持ちのいいものじゃないぞ
だからけちゃっぷが叩かれるわけだが。
706 :
醤油:2007/09/20(木) 19:38:34
うちの実家は浄土宗の檀家なわけだが
坊主が毎月親父の命日に拝みに来る(なぜか般若心経)
そいつは(仏教大卒)「インドに修行にいったことがある」と母に大法螺を吹いている
毎月3千円もって帰るのだが親父が死んでからもう長いので
相当な金額になっているだろう
カルト集団としかいいようがない
>>703 すげえこと言ってるな。
歴史的事実と宗教的信念との間に矛盾があったら、信者から歴史的事実を隠せってことになるな。
宗教家とか言う前に人間として失格だろ。
隠せってのは言い過ぎだろ。
何も尋ねられなければ歴史的事実はスルーして宗教的信念を語るし、それは悪くないだろ。宗教なんだから。
つっこまれたら歴史的事実はこうですが、個人的な思いとして私は三部経も仏説だと理解したいと語る。
知識のない人にわざわざ自分から矛盾を言って混乱させるのは良くない。知らないままでいたほうが幸せなこともある。
>>708 > 何も尋ねられなければ歴史的事実はスルーして宗教的信念を語るし、それは悪くないだろ。宗教なんだから。
それを二枚舌と感じる信者は多いんじゃないですか?
> 知らないままでいたほうが幸せなこともある。
もちろんそういう時代もあったでしょうが、もう無理でしょう。
インターネットでちょっと調べればいたる所に書いてありますよ。
「阿弥陀信仰は仏説では無い」ってね。
今時の信者が我が家の宗教を知ろうとしてわざわざ寺に足を運ぶとでも思いますか?
そんな先入観に汚染された信者から見れば、
僧侶が「歴史的事実をスルー」すれば、すぐ解ります。
わざわざつっこむ事もせず「あぁこの人は都合悪いことを隠したな」と思いますよ。
けちゃ氏が仏説だと言い切れないというのは、
信者にとっては隠し事をしない誠実な態度と思えますよ。
ただ、だからといって速攻で白旗を上げて上座部の軍門に下るというのは、
ちょっとあんまりだとも、思いますが。
なんでコテつけないんだ? けちゃっぷ。
もちろん別人だからですよ。
念仏すれば判るよ
あれがどんだけいいものか。
713 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/20(木) 23:19:47
瞑想やってみれば良さがわかる。
念仏の良さもさらにわかる。
714 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/20(木) 23:24:19
>>701 一応浄土宗寺院ですから、浄土宗についての説明をする。
しかし、仏説だと思って鵜呑みにされては困りますね…。
>>714 けちゃっぷさん。そんなにあっさり諦めないで、もっと粘ってくださいよ。
パーリ経典から阿弥陀の萌芽を探すとか、なんか手はないですか?
信じてたときもあるんでしょ?
716 :
701:2007/09/20(木) 23:46:54
>>703 >>709 別にすげーことは言っていませんよ。
都合の悪いことを隠していると捉えるのは、仏教や真理をどう考えるかで
違ってきます。
よく読んでみてよ。
阿弥陀仏の実在=阿弥陀経の仏説ではありませんよね。
歴史上の釈迦が、阿弥陀経を説かなくても、
阿弥陀仏の実在とは直接関係有りませんよ。
真理を悟った人=仏が、釈迦独りと考えるか、
大勢いたと考えるかでも答えは違ってきます。
阿弥陀経や大乗仏教は大勢いたと考えているし、
出来た当初は、やっぱり大乗非仏説と言われて批判されたけど、
そう言って大乗経典を作ってきたの。
大乗仏教の教理にも、そのことは埋められています。
717 :
醤油:2007/09/20(木) 23:54:23
けちゃっぷさんも知ってるでしょうが不還果の人が死後行く梵天界が「浄居」
といってここで行った人は解脱できるらしい 浄土の原型はちゃんとありますね
718 :
701:2007/09/20(木) 23:54:32
716自己レス
>阿弥陀経や大乗仏教は大勢いたと考えているし、
大乗仏教では、真理は史上の釈迦だけが覚ったとは考えていない。
それと、703の宗教観では、歴史的事実を言わないと、人として変だそうですが、
それって703さんの個人的な見方ですよ。絶対のことではないです。別の見方もあるの。
★宗教的な内容と、歴史的事実って一致するとは限らないんです。
また、709さんは、隠したと思われるそうですが、それも人によりけりですよ。
そんなこと、遺族を亡くした人や本当に信じたい人はたいてい聞きたくないのですよ。
余計なことを言いやがってと思って怒る人が多いと思います。
信じたいんですからね。
だから、宗教家としてどうなの?って聞いたの。
生きることに悩んでいる人に、必要な返事か?って聞いたわけ。
719 :
703:2007/09/21(金) 00:00:14
番号間違えた。
703は自分。701は関係ないです。
>>707への返事でした。
720 :
醤油:2007/09/21(金) 00:09:48
なおテラワダには念仏瞑想の他に念僧 念法 念神があるそうです
(やったことないけどね)
721 :
醤油:2007/09/21(金) 00:15:08
それに例の本ではじめて知ったんだけどテラワダは弥勒菩薩信仰あります
阿弥陀信仰だけないです(笑)
で、けっちゃぷさんは、歴史的経緯まで言った上で、
遺族の心のケアまでしてあげられると思われているのでしょうか?
遺族はね、霊とかあの世とか本当に信じてるんですよ。
死んだら骨というのは事実だけど、
それとあの世の存在を信じたい、何かしてあげたいという気持ちは矛盾しないわけですね。
そこまでして坊さんを続けるのは、どうしてですか?
723 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/21(金) 00:34:15
>>716 > 歴史上の釈迦が、阿弥陀経を説かなくても、
> 阿弥陀仏の実在とは直接関係有りませんよ。
ごもっともです。
そもそも真に仏説であったとしても、釈迦が悟りにより知った話であり、
物理的に見たり聞いたりした話ではないのですから、
釈迦の弟子が同じく悟って知った事を後に伝えたとしても、
価値は等価であるということですよね?
> 真理を悟った人=仏が、釈迦独りと考えるか、
> 大勢いたと考えるかでも答えは違ってきます。
しかし師匠から弟子へバケツリレー的に口伝で伝えられたとして、
だれか一人、阿弥陀が仏説であると習わなかったのに、
弟子に阿弥陀が仏説だと教えた人がいることになります。
「釈迦より何代目の誰それが悟って伝えた」
という伝承であればそれは納得いきます。もちろん当人の出自が曖昧でもです。
しかし伝わっているのは、阿弥陀を知ったのは釈迦であるという話です。
つまり、その人は、自分が知った事を釈迦が知ったのだと伝えたわけです。
それでは、それは嘘ではないのでしょうか。
となれば、その人は本当に悟っていたのでしょうか。
そういった疑念が出てくるのは当然だと思うのですが。
>>724 疑念が出てくるのは当然です。
でも、歴史上の釈迦が言ったことであろうが、信じられない時は信じられないし、
信じられるときは信じられますよ。
けっちゃっぷさんに言ったのは、故人を無くした人への態度の問題ですよ。
だから「宗教家」って敢えて書いてるのですよ。
宗教家だからって、浄土教義丸呑みするのとは違いますけどね。
それはキリスト教も同じです。解釈が加わる余地があるわけ。
もし、あなたのように宗教を最初から学んで歴史的なことと信仰の矛盾をきっちり
埋めたいという人には、それに対しても答えられるようになるのが良いでしょうね。
でも、そのことを論じるつもりは私にはありません。
ちなみに、大乗経は、応身の説法となってますから、
昔の人肉体を持った歴史上の釈迦(色身)の説法とは区別はしていたんですよ。
釈迦は釈迦でも、違う釈迦が別次元であるみたいな。
そんな話はなおさら混乱するだけですけどね。
昔の人が、何も知らなかったといのは少し違う。
>>718 > 余計なことを言いやがってと思って怒る人が多いと思います。
> 信じたいんですからね。
> だから、宗教家としてどうなの?って聞いたの。
近年、事実は知っていたが混乱を避けるため公表しなかったという理屈は概ね後に批判されてます。
公共機関でも営利企業でもです。
しかも僧侶の方々が余計なこと言わなくても、
わざわざテラーワーダ協会の方々が宣伝しまくってます。
サイトを見ると「そんなに阿弥陀が憎いのか」と思うくらいねちねちと。
> 生きることに悩んでいる人に、必要な返事か?って聞いたわけ。
これは一生信じ続けられる場合限定ですよね。
後で歴史的事実で揺さぶられたら、やっぱり再び悩むのではとの意見です。
例えば本屋さんに行くと、真宗さん関連書籍が棚3段あるとします。
浄土宗さん関連書籍はかなしいかな、1/2棚です。
スマナサーラ長老本は、既に1/3棚くらい並んでます。多分わずか数年で。
情報量で追い抜かれる日は近いでしょう。
>>725 > もし、あなたのように宗教を最初から学んで歴史的なことと信仰の矛盾をきっちり
> 埋めたいという人には、それに対しても答えられるようになるのが良いでしょうね。
> でも、そのことを論じるつもりは私にはありません。
はい。解りました。
> ちなみに、大乗経は、応身の説法となってますから、
> 昔の人肉体を持った歴史上の釈迦(色身)の説法とは区別はしていたんですよ。
なるほど、理屈があるわけですね。
どこかのスレででてた人間ブッダと釈迦牟尼仏の違いという件でしょうか。
自分の「いつか菩提寺に聞いてみようリスト」に追加します。
大変勉強になりました。
不愉快な記載等申し訳ありませんでした。ありがとうございました。
名前: 名無しさん@京都板じゃないよ
E-mail: sage
内容:
>>726 不愉快というわけではありませんが・・こちらこそ失礼しました。私は在家ですし、宗教的なことは、自覚が大きいので掲示板で書いてもあまり意味がありません。
大乗仏教が、歴史学の発展によって、従来のご用学問のようなことを言っていたのでは
宗教として成りたたなくなってるのは事実ですね。
坊さんの努力不足は、あると思います。
でも、仏教オタクを除いて一般の人の多くは何も知らないので、混乱させるばかりというジレンマもありますよね。
>> ちなみに、大乗経は、応身の説法となってますから、
> 昔の人肉体を持った歴史上の釈迦(色身)の説法とは区別はしていたんですよ。
用語が少し混乱してました。また教義上、宗派によっても違い、ちょっとややこしい部分になると思います。
大乗教徒は、釈迦を目に見えている歴史上の人物以上の存在だと思ってたのですね。
目に見える部分と、目に見えない不可思議な部分と。
大乗仏教では、「説法する人(仏)」と「聞き手(菩薩か仏弟子かなど)」と「説法内容」を分けて考えています。
たとえば、同じ話を聞いても、「聞き手」が違うと、内容が違って聞こえるという具合です。
私が聞いた話と、あなたが聞いた話と、同じ席で同じ話を聞いてるのに違うというわけです。
これができるのがお釈迦様で、神通力によって、人それぞれに、その人に必要な話を聞かせるという理解があるんです。
そして、大乗仏教は基本的に菩薩(歴史上は存在しない仏弟子)のための教えということになっています。
だから、大乗仏教の説法は、その場にいた声聞(歴史上の仏弟子)には、そのままでは聞こえなかたり、理解できないわけです。
でも、こういったことは学僧が細々と勉強したことなので、
通常は全部同じ歴史上のお釈迦さまが説いたということで昔も理解されていたというわけです。
>>728 > 掲示板で書いてもあまり意味がありません。
そうですね。すいませんでした。
> でも、仏教オタクを除いて一般の人の多くは何も知らないので、混乱させるばかりというジレンマもありますよね。
そういう面が無いとはいいませんが、ただ、信仰=教義=経典=歴史上の事実と
正面から主張するテーラワーダは素人からみれば、解りやすいです。
まあオウムとかもそうだったのだかもしれませんが、
さすがにスマナサーラ長老は(ここらでは良く批判されてますが)
オウムとかに比べれば遥かにましな宗教者っぽいですから。
> でも、こういったことは学僧が細々と勉強したことなので、
> 通常は全部同じ歴史上のお釈迦さまが説いたということで昔も理解されていたというわけです。
なるほど。昔からなんらかの理論武装はされていたということですね。
上座部が大乗非仏説をいいだしたのは、きっと何百年も前でしょうからね。
そこらへんの理論武装を聞いてみたいというとことでした。
スマナサーラ長老を折伏できるようなすごいのでなくても、
一般の僧侶の方が、歴史的事実と宗教的信念との間を埋めるための理論が、
全く無いということは無いだろうし。
でも、けちゃっぷさんにつっこみを入れてる人達は、
そういう点はあんまり興味が無いらしく物足りなかったのですが、
まあせっかくの「専用スレ」なので、ちょっと聞いてみようかなぁと。
すいません。そんな感じでした。(このスレ立てたのは自分ではありません)
大乗仏教が非仏説の批判を受けたのは、たぶん大乗が出来てすぐですよ。
有名な故事では、世親という5世紀?ころの大乗の論師が、若い頃、一度大乗仏教を捨てています。
>正面から主張するテーラワーダは素人からみれば、解りやすいです。
それは分かります。
でも、場面はあります。
我が家の宗旨すら知らないような人に、法事や葬儀の席でいきなり言うことではないです。
それでも、歴史的事実を言うのも一つの方法だとは思いますが、その場合はその後のケアも必要になるんではないでしょうか?
って、私は思うんですけどね>けっちゃっぷさん。「料金」じゃなくて、「お布施」もらってるんだから。
一応、仏弟子なわけでしょ。
理論武装はありますが、結局、信仰の世界の話は、最後は体験ですから。といよりは、理屈は後から学者がつけたものなのでしょうね。
信じられない場合もあることはもちろん了解しています。
スマさんは、信仰を否定してますけどね。
でも、上座部の経典も丸ごと歴史的事実というには、ふっとんだ記述はたくさんありますよ。
そもそも人間が輪廻してるって話やカルマの話も信じないとどうしようもありません。
スマさんは科学だと言ってますけど、いくらなんでも、そりゃぁ科学じゃぁないですって(;^_^A
あのあたりは無理矢理、科学にしてると思います。
信仰の要素は上座部にだってたくさんあります。カルマ思想と輪廻思想って仏教の根幹ですけど、その部分が信仰になってるんですよね。
>>730 > 大乗仏教が非仏説の批判を受けたのは、たぶん大乗が出来てすぐですよ。
逆に、もっと以前から批判を開始していた証拠があったらおもしろいですね。
結集以降大乗経典成立前に阿弥陀的な事項や大乗的な事項を批判する論とかあれば、
結集で捨てられた教えに阿弥陀の概念が含まれていると推論できるかも。
> スマさんは、信仰を否定してますけどね。
レトリックですよね。
「上座仏教は阿弥陀様を信じていないから地獄ですよ、
などと、そういう風に決めるものじゃ無いんです。
あくまでも普遍的な法則に基づくものです。」
とかいってますが、結局それって念仏者に、
おまえらは仏の教えを守らないから輪廻先は不定だと脅して
信仰を迫ってるわけですからねぇ。
正直自分は上座部自体には興味は無いのです。
ただ、彼らの阿弥陀否定にそれなりの学問的な筋が通っているであろうと思われ、
自身の信仰が揺さぶられるのです。
結局、念仏を信じるには念仏をするしかない、というのは、まあ
なんとなく感じてはいるのですが。これがなかなか難しい。
732 :
醤油:2007/09/21(金) 04:10:31
明らかにヒンズー教が混ざってるね
オーム。十方の、果てなく、限りない世界に安住される、過去・未来・現在 の
一切の覚った人たち、求道者たち、教えを聞く修行者たち、独り修行する修行者たちに礼したてまつる
無量寿経梵文には、最初にオーム《om=a・u・m》にはじまるこの帰敬偈が記されている
梵文和訳と漢訳の相違点…★漢訳では法蔵菩薩の師仏の世自在王仏(=ロ−ケ−シヴァラはヒンドゥ−教の
シヴァ神の別名という)は錠光如来(燃燈仏)より数えて五十四番目の仏となっている。
これに対して梵文和訳ではディ−パンカラ(燃燈)如来からシンハ・マティ如来までの八十の仏が挙げられているが、
法蔵菩薩の師仏の世自在王仏は燃燈仏より前に出た仏として説かれている。
★漢訳では法蔵菩薩は「国を棄て、王(位)を損てて、行きて沙門となり、号して法蔵といえり。」(4)(149頁)
と説かれているが、梵文和訳には国と王位を棄てて沙門となったという記述は欠けている。
733 :
醤油:2007/09/21(金) 04:23:29
この願に注目
「設我得仏 国中菩薩 不得金剛 不取正覚」
那羅延身者とはヴィシュヌ神のこと
734 :
醤油:2007/09/21(金) 04:25:30
ごめん「設我得仏 国中菩薩 不得金剛 那羅延身者 不取正覚」です
735 :
醤油:2007/09/21(金) 05:14:52
阿弥陀についてはゾロアスター教との関係(無量光 無量寿の強調)も言われてるけど
クシャーナ朝って仏教を保護したけど元々はゾロアスター教徒
これもストンと落ちます
寝ないの?
>>713 でも、念仏は仏説じゃなくて通俗なんだろ?
お前にとっては。
>>732 同じくインドの大地から生まれてきたわけで、共通の概念があっても不思議ではない
輪廻だって、仏教以前からあるわけで。
739 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/21(金) 12:17:15
>>717 浄居には他力往生できませんから、
一番大事な救済の部分が欠けてしまいます。
740 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/21(金) 12:31:09
>>722 悲しみも怒りの一種です。
悲しいできごとを思い出したときだけ悲しくなるのであり、
悲しいできごとを忘れてるときは悲しくありません。
往生浄土を信じられなくても、
念仏や瞑想で悲しいできごとについての回想を停止させるなら、
その度に悲しみも停止します。
悲しくなったら念仏、あるいは悲しくなったら瞑想。
そのくりかえしにより、一回一回の回想を長引かせないなら、
一回一回の悲しみも激しいものにはなりません。
心を秒単位で管理するとき、秒単位に寸断された悲しみは、
激しく増幅されずに秒単位で滅していきます。
悲しみが、生まれては滅され、生まれては滅ぼされる。
感情は無常なので、念仏や瞑想で感情を過ぎ去らせることができる。
741 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/21(金) 12:38:32
ですから、往生浄土を信じなくても、
自力の念仏、自力のマントラ、自力の瞑想で、
悲しみを過ぎ去らせることができます。
要は、「あまり思いつめてはいけませんよ」ってこと。
ただし仏教には、ではどうすれば思いつめずにすむのかという、
具体的なテクニックやコツがある。
ただ単に根性でなんとかしろとかいうわけではないのです。
鼻をくすぐればくしゃみがでるように、
心身に原因を与えてやれば、必ず結果がでるワザがある。
742 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/21(金) 12:41:03
けちゃっふ゜さん
瞑想と座禅はどこが違うのでしょう?
743 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/21(金) 12:43:16
>>725 現実に遺族を苦しめているのは、
家族の死ではなくて、自分の感情です。
死んだから悲しいのは死んだ瞬間くらいのもの。
あとは、自分でわざわざ悲しみを思い出して、
自分で自分を悲しませ苦しませてるだけです。
死人を往生させるとか天国にいかせるとかよりも、
目の前の自分の感情をどうこうするほうが、
具体的な対象があるから具体的な方法もあるのです。
744 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/21(金) 12:47:06
>>742 座禅について詳しくないので…。
瞑想には、精神の集中力を高めるサマタ瞑想と、
智慧を研き悟りをめざすヴィパッサナー瞑想があります。
座禅がサマタ瞑想なのか、
サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想を同時にやってるようなものなのか、
どちらか僕にはわかりません。
念仏はサマタ瞑想の一種です。
745 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/21(金) 12:50:32
>>742 座禅は瞑想のやり方のひとつですが、
座禅がサマタなのかヴィパッサナーなのか、
あるいはその両方なのかは、わかりません。
ヴィパッサナーにも、座ってやるやり方があります。
746 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/21(金) 12:55:05
臨済宗の公案禅は瞑想ではないな
師の公案を座禅で精神を無にして、公案の答えを考えるから。
747 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/21(金) 13:00:05
>>746 公案に集中させるか、念仏に集中させるか、
いずれにせよ心は同時に二つ発生しませんから、
ひとつのことを考えてる瞬間は、別のことを忘れてしまう。
それを意識的にやる練習ですね。
>>743 それを、生活のために坊さんしてる人が言ってもねぇ。
父親を寄生虫呼ばわりするような屑が言ってもな
>>742 ヴィパッサナー瞑想は自己の心身の観察を通じて、苦・無常・無我等を体験的に覚り、
段階的に心を浄め涅槃に至る。
坐禅は、坐っているそのままの姿が仏であり修行そのものが証果である。
751 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/21(金) 18:00:58
>>750 臨済宗でもそうなんでしょうか?
そうなると、密教に近い感じがします。
身口意の三業で仏とおなじようにふるまうと、
その瞬間はこの身このままで仏とみなされる。
その三業を座禅に置き換えたということ。
さらにその図式を口業を強調してあてはめたら、念仏や題目になる気がします。
三密や座禅をしてる瞬間は、
悪いことできないし、悪口も言えないし、心も修行のこと考えてるから、
その瞬間だけは、仏とおなじくらい人畜無害な人間になれますね。
752 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/21(金) 19:05:51
坐禅は雑念や妄想を相手にせず、ただひたすら坐ります。
これを『只管打坐(しかんたざ)』といいます。
質問ですがテーラワーダは自他の関係をどのように認識するんでしょう?
説一切有部のように自他を共に有と捉えるのでしょうか?
中観派のように自他を無自性として無ととらえるのでしょうか?
唯識派のように自を有 他を無として外界を観察するのでしょうか?
754 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/21(金) 23:41:13
>>753 アビダンマでは、色・心・心所・涅槃の四つだけが勝義諦(真に存在するもの)で、
その他のものは世俗諦だそうです。
ですから、自分や他人は世俗諦としては存在する。
つまり、仮の存在というか、概念・観念としては存在するが、勝義諦ではない。
ルールを共有する者同士が一定の概念を了解しあっている場合には、
「ある」と言える。
しかし、ルールに関係ない立場から見たら「ない」。
「お湯」は日本人の世俗諦においては存在するけれど、
海外では「お湯」という言葉がない国もあるそうです。
「あたたかい水」しかない。
755 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/22(土) 00:14:10
>>753 ヴィパッサナーでありのままに観察したときに、
ダイレクトに観測できるのが勝義諦ではないでしょうか。
>>754 アビダンマでは、色・心・心所・涅槃の四つだけが勝義諦(真に存在するもの)で、
その他のものは世俗諦だそうです。
色・心・心所・涅槃を離れた存在はあるんでしょうか?
有部と唯識派の論争で真に存在するものについて、唯識派からは、反論の対象とされます。つまり、過去のダルマを考えることができるのは、
記憶によるもので対象の実在の有無とは関係がない問題であり、未来のダルマを考えることができるのは推理によるもので、やはり対象の実在の有無とは関係がない問題であるとして反論されます。
でも、唯識派は認識する自己を仮と仮定しながらも在るとするんだよな。
最近、中観派を離れ部派について学んでいます、角度を変えて学ぶと矛盾と発見の連続ですね。
757 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/22(土) 03:44:16
>>756 いずれにせよ、観察から離れてはいけない気がします。
アビダンマとかは、より精密に観察するための道標ではないでしょうか。
哲学になってしまってはいけない。
仮の自己というのは、瞑想で観察される現象なのかどうか。
むしろ、いくら観察しても勝義諦は発見できたが私は発見できなかった、となるのでは?
だからこそ、観察により無常・無我に気付ける。
>>756 半可通な知識を植え付けられるだけと思うが。
562 名前:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU [] 投稿日:2007/09/14(金) 12:35:10
>>561 いえ。
555は(というか僕が2ちゃんねるで書いてることの大半は)
雑談というか、お遊びだと思ってください。
759 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/22(土) 08:03:41
>>757 上座部仏教徒を目指すのなら、アビダルマの議論を哲学的とか学問的とかと言って、
逃げちゃいかんだろ。
君の嫌いな通俗的な上座部仏教徒になるんなら、別だろうが。
瞑想さえすりゃいいっていう考えは甘いな。
760 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/22(土) 09:03:48
>>759 アビダンマは、瞑想と並行してやるほうがいいでしょう。
しかし、アビダンマに興味もつところから仏教信仰に
入っていく人もいるかもしれませんね。
761 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/22(土) 09:10:28
>>759 先日も書きましたが、瞑想を始めるために必要な予備知識は
そんなに多くありません。
アビダンマは、瞑想をやってる人が、
観察(ヴィパッサナー)する際の参考にするのがよいのでは。
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/22(土) 10:07:17
けっちゃっぷって、スマ長老と面談したことって、どんくらいあるの?
本だけじゃなかったっけ。
トンクス
なんだかなー
>>758 俺はそのお遊びをもう、けちゃっぷと六年ぐらいやり続けているよ。
暇人やなw
767 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/22(土) 15:56:10
興味さんは、僕を2ちゃんねるへ送りこんだ黒幕ですからね。
768 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/22(土) 16:10:07
けちゃは本当に賢いのか頭悪いのかよくわからん
本当に佛教大学文学部出ているのか?
770 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/22(土) 23:23:39
>>768 頭悪いかもしれませんが、一応卒業生です。
でも、卒論は自分でも最悪だったと思う。
中間の発表の内容から進展しなかった。
仏教の勉強はやってたけど、
論文と関係なく興味ある本を斜め読みしてばかりいました。
>>769 興味さん、すでにそこらの浄土宗坊主より仏教の知識がすごいから、頼もしいです。
771 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/22(土) 23:41:30
興味さん、なんかおもしろいネタあります?
けちゃっぷさんは、色が白くて、痩せてはない体格。
目じりは下がっている。
>>771 創価板で念仏批判がされてます
744 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/09/22(土) 21:37:10 ID:???
>>739 ・・・・何年前のブツの話だよ。
浄土宗の教義は、ごく簡単にはこの娑婆世界には仏はいないので、化導を受けられず成仏できない。
つまり、今生きている娑婆世界では救われることがない。
だから念仏を唱え、極楽浄土に往生し、そこに住する阿弥陀仏から化導を受け成仏することを望む。
娑婆世界では何をしても救われることがなく、死んだ後にはじめて救われるという思想だから、まともに信じれば現実逃避を引き起こす。
今の現実においては、何をやっても無駄という諦めが心を支配する。
自殺者が増えるのは、これによる。(大聖人も御書の中で<自害の心>と指摘している。)
そして、念仏が広まる→今の世を積極的に変えていこうとする意欲が社会全体から失われていく→社会の崩壊・・・・。
さらに、念仏の思想を信じて死んだら・・・(順次生までの無情の時期はとりあえず考えない)来世でも同じように念仏の思想に縁して生まれてくるから、条件が変わらない限り永遠に念仏思想に取り付かれる。
そして、その時その時生きている世界の現実を変えていく力を持ち得ないから、永遠に苦しむ。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1188480740/
>>771 昔は、あたりまえじゃんと軽く考えていたが、八正道っていいね。
775 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/23(日) 08:32:23
>>774 そうですね。
戒とかもそうですが、前は、
やるべきことがたくさん決まってる→厳しい
と思ってました。
しかし最近は、
やるべきことをきめ細かく教えてくれてる→親切
だと思っています。
料理のレシピでも、詳しく説明してるほうがわかりやすい。
八正道はたった八種類だけど、とてもよくできたマニュアルだと思う。
776 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/23(日) 10:18:52
>773
立派な批判をされる貴方も前世で仏法に触れる機会も多々あったのかもしれ
ませんが結果的に迷いと無明の世界である人間界に生を受けています
つまり現時点で成仏も往生もできていないのは創価学会の方も同じでは?
また往生とは死後において救われるだけの意味ではなく物事の道理を心得ない
愚かな人々にも平等に阿弥陀仏の慈悲が注がれている事を実感し感謝する行でも
あります
親鸞聖人は念仏で今生においても救われると主張されているのに対し
法然上人の高弟は念仏とは死後に救われると主張されました
法然上人は親鸞が正しいとおっしゃいました
浄土宗の教えの前提は人間とは罪深い生き方しかできないとされています
自分自身は少しでも罪を犯さないようにし他人の罪は許す事が法然上人が
一番におっしゃりたいことなのではないでしょうか
怒りや恨みは堂々巡りで終わりがないからです
浄土宗には「生きらば念仏の功績もり 死なば浄土にまいりなん」
といった言葉があります
現当二世の功徳だな
そして現世を生きる我々には、
たとへば、父母の慈悲はよき子をも、悪しき子をも、はぐくめども、よき子をばよろこび、
悪しき子をば嘆くが如し。
(中略)
かまへて善人にして、しかも念仏を修すべし。是を真実に仏教に随う者といふ也。
こういう言葉も遺されている
悪を止め、善をなせというのは全仏教に共通すること。
出来るだけ善人であろうとしつつ、しかも念仏を修す。
念仏の功が積もっていくから善人になるのかもしれんな
778 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/23(日) 11:55:52
念仏はガマ蛙の合唱だと、道元が言ってる。
念仏とは、字の如く仏の姿を念ずる行だとも言ってるよ
779 :
単、直:2007/09/23(日) 11:56:28
>>775けちゃっふ゜sann
ネットサーフしてたら久しぶりに懐かしい名前見かけたんで思わずカキコ
相変わらずのご健勝ぶりでなによりでつ
せんだって興味深いサイトでこんな書き込みを見て共感することが多かった。
妙好人(みょうこうにん)とは、浄土系仏教などで、信仰心が篤い在家念仏信者を称賛して言う言葉。
妙好人を最初に取り上げた人は、禅の研究者、鈴木大拙であった。
「石見」(現在の島根県温泉津町)に住んでいた才市さんの言葉
「風邪をひけばセキが出る 才市がご法義の風邪をひいた 念仏のセキが出る出る」
風邪をひくとセキが出ます。止めようと思っても止まりません。
才市さんがご法義という信心の風邪(阿弥陀さまのお心をいただくこと)をひきました。この風邪のセキは「お念仏」です。
称えようと思って称えるお念仏でなく、自然に出てくるお念仏。
他力の念仏です。
つづく
780 :
単、直:2007/09/23(日) 11:58:08
781 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/23(日) 17:51:06
>>779 鈴木大拙の『日本的霊性』という本を持っています。
そこにも、妙好人の才市さんの語録がいくつか載ってました。
鈴木さんは禅の立場からですが、念仏信仰を高く評価しているようで、
法然〜親鸞において初めて「日本的霊性」が顕現したと説かれてました。
才市さんの語録なんかには、禅者の悟りに近いものがあるようです。
つまり、鈴木さんは、他力の念仏信仰で悟れるという意見のようです。
782 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/23(日) 18:53:22
>>781:小生もそう考えます。「讃岐の庄松」も。但し也風流庵師は
「日本的霊性」で密教系を捨省した。それはよいが「理由」を述べる
べきだったーと思う。密教的思潮が現に、庶民やいわゆる仏教界に
流れているのだから。
783 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/23(日) 19:11:41
22 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/23(日) 19:03:34
>>21 解ってるとは思うが、それは法句の自演だよ。
彼はね、心の病気なんだよ。
784 :
興味 ◆pdbZuOSN8c :2007/09/24(月) 00:07:34
けちゃっぷ上人さま、鈴木氏の家はかくし念仏なんすよ
785 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/24(月) 00:11:39
787 :
単、直:2007/09/24(月) 17:01:07
>.>781けちゃっふ゜さん
遅レスです。連休中仕事で忙しかったんですんません
それから突然飛びこんで来てせっかくのスレの流れを邪魔したみたいで他のスレ住民さんともども
申し訳ありませんでした。もう3年前にもなりますがスレ建て始めの頃に呼びかけに応じて来て下さり
有意義な話しを聞かせて貰い、以来ずっと心のなかに感謝の気持ちとともに残っていたもんですから
★過去ログのミラー
精神世界で癒される
http://pantomime.jspeed.jp/test/read.cgi/monament3/1094528758/ >103 名前:けちゃっぷ:04/09/26 16:04:16 ID:92Ls7nFs
単、直さん、さっそく馳せ参じました。
言葉で語られた教えは出力です。出力はもちろん大事ですが、入力との関係のしかたが変わるのが、悟りかも。
>104 名前:けちゃっぷ:04/09/26 16:08:53 ID:92Ls7nFs
たとえば諸行無常は、ほとんどの人は知識として納得できる。でも、実生活のどのタイミングで諸行無常という知識が頭に浮かべばいいのか、それが大事だと思います。
つづく
788 :
単、直:2007/09/24(月) 17:03:20
つづき
相変わらずのスタンスで心に響く書き込みされてるのを見て場の空気も読まずに
思わずいきなりのレスをしてしまいました。相変わらずの単純直情ぶりです。
下記のスレですが3年の間にさまざまなバックボーンの方が訪れてくれそれぞれの起ち居地での
あの領域に至られた体験とか、その心象風景とかを書き込んでくれて、それぞれの
アプローチの仕方は違ってもあの目に観えない存在に気づくための方法として坐禅とか念仏とか公案とか・・
いきつくとこは皆んな同じとこみたいだなとかあらためて実感してるのですが
単直みたいな凡夫の自己探求、心の在り方のよき道標としておおいに励みになってます。
それとまた至れる途中の風景をせっかくだったら楽しみながら生きたいね、とスレごと温泉に見立てて
最近では無国籍混浴露天風呂なんて名づけて、心の物語でも何でもありの癒しの場として
他スレでバトルなどで疲れたときなどに気分転換などに使って貰えれば幸いだと思って
ますんでここのスレの住民さんと一緒にでも気が向いたら気軽に遊びに来てください。
あぁ、最後にここのスレで初めてけちゃっふ゜さんのこと色々知りえたんでそれもよかった。
誰でも一緒ですね、今自分が立っている場所で自分ができる精一杯のことを
やるしかないんですよね、今更当たり前のことですがスレ全部見てそういう想いが浮かびました。
それではスレの皆さんにもお騒がせして本当にすみませんでした。
どうかこれまで通り有意義な話しをお続け下さい。単直も楽しみにロムさせて貰いますので・・・
789 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/24(月) 17:39:13
>>787 なんだかなつかしい。
月日が経つと、人間変わるもんですね。
790 :
けちゃっぷ師:2007/09/24(月) 17:43:46
86 名前: ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y 投稿日: 2007/09/24(月) 06:09:35
早朝寺子屋
さて、
>>42 までのコピペでもお分かりのように、変之行者さんと不肖ランボー法師の
密教の修行における考え方が異なる為、双方のメリット及びデメリットを検証し、もって
宗教をもって世間に貢献する為の試みをするにあたり、次の方法を提案する。
出場者 変之行者 考え方は古代恐竜を守るがごとく、脈々と伝わった密教の手法を
少したりとも変化させずに守り行ってきた醍醐の高僧で、ランボー
法師の考えに反発し揶揄してきたため、栄誉ある醍醐を背負って
特に聖天信仰の選手にふさわしい経歴の持ち主として登場。
ランボー法師 考え方は斬新でロボットアイボを製作するような柔軟な発想で密教
を捉え、山の頂上を目指すのに、道は一本だけではないと主張し、
実践派の真言僧侶で、まれに見る修行者で、過去に求聞持を6回
修し、護摩も2000座を越える実力派。
試みの進め方 最初に新しい大日如来の木彫りの仏像を二体用意し、別々の隔離
された部屋において、開眼供養を行う。
審査は第三者(マスコミ)が用意した霊能者により、霊視による審査で
どちらの仏像が光り輝いているかを判断する。
その結果、判定でポイントの少ない方が公募した霊的負荷をうけて
精神的及び其れに伴う肉体的ダメージで悩んでいる方を祈祷やお参り
で救うのである。
この悩んでいて申し出が複数いらしたときは、ポイントの多い者はその
次に申し出された人を救う。
仏像開眼で何も光らなかった者は、ここでリタイアとなり、残った者は、
申し出のあった人を救う為に努力する。
>>789 けちゃっぷ さん
ご存知だとは思うのですが、お聞きいただければうれしいです・・・
みだ
と言うのは、
メーター
量る(はかる)ということだそうですね。
それを否定するのが、あ
an にあたるのでしょうか。
あ みだ
はかることができない
と言うことだそうです。
同じ、印欧語族、なのだなーと思いました。
また、インドに北方から侵入した支配階級のインド人と、同じく侵入し支配階級となったペルシャ人、ギリシャ人は、同じ草原を出発した同じ民族だそうですね。
これも、面白く感じました。
ヒンドゥー教、イスラム教シーア派、ギリシャ正教と、宗教は違ってしまっていますが、基底に流れる行き方は同じであろうと思います。
けちゃっぷ さんの ご感想をいただきたいです、ぺこ <(_ _)>
>>791 >同じ、印欧語族、なのだなーと思いました。
チョット、誤解を受けてはいけないので、
蛇足
あっちゃー(江戸弁)
↓
日本人です・・・アセアセo(^^;o)Ξ(o;^^)oΞo(^^;o)Ξ(o;^^)oドウモ〜♪
>>792 あっちゃー
↓
あっしゃー
↓
あたしゃー
↓
あたしは
かと、思いますが・・・
794 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/24(月) 22:02:19
>>791 環太平洋地域などの自然豊かな地域の宗教は、
一神教よりのんびりしてるんでしょうかね。
自然豊かだと、人間同士仲良くしてれば、皆そこそこ食ってける。
他民族にうちかっていかねばならない厳しい砂漠地域とかになると、
民族が強いリーダーのもと結束し、戦いつづけねばならない。
ですから、一神教になるのではないでしょうか。
795 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/24(月) 22:33:16
>>794 けちゃっぷ さん
レス、ありがとうございます。
人類の起源はアフリカだと言われますよね。
1万年前、人類は、牧畜を知りましたよね。
そこから、爆発的に増大し今や、60億を超えるとか。
宗教は、いかに生きるか、と言うことですから、常に生き方が問われているのだと思いますが、いかがお考えでしょうか?
797 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/25(火) 07:45:13
>>796 仏教は、苦悩の原因を消して苦悩を消すための生き方を勧めています。
798 :
大王:2007/09/25(火) 11:18:44
さそわれて、、と、、
よろぴーーーー
799 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/25(火) 12:12:26
>>798 大王様って、僕の知ってる大王様ですか?
よろしくおねがいします。
800 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/25(火) 14:04:25
南無けちゃ佛
>>797 けちゃっぷ さん
苦悩とは、何ですか?
わたしは以前、マンゴー先生から、『 苦とは思い通りにならないことだ』 と教えていただきましたぁ〜♪
>>800 > 南無けちゃ佛
800ゲト!おめ!
あなたも、ほっとけ、いえ、ほとけさまですよ・・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボ ソ...
803 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/25(火) 23:12:18
>>801 思いどおりにならない、不満足、ですね。
生きているかぎり、完全な満足などありません。
「楽」は幻であり、眼耳鼻舌身意の対象の本質は苦痛です。
苦しみ、不満によって、生きているのですね。
立ってと、足が疲れて、足の苦痛が強くなってきて、座ろうというエネルギーになる。
座ると、そのときは「楽」だと感じる。座れたことに「満足」を感じる。
しかし、ずっと座ってたら、またその体勢が苦痛になってきます。
生きるというのは、強い苦痛から弱い苦痛へ逃げ回ってるだけなのです。
座ってる体勢の苦痛が強くなれば、また立ったり、寝転がったりする。
でも、ずっと寝てたら背中が痛くなって寝返りしたくなります。
苦痛から逃げて新しい苦痛へ移る。生きるとはそのくりかえしです。
804 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/25(火) 23:27:59
生きているかぎり、苦痛はなくなりません。
しかし、執着を減らせば苦悩は減るのではないでしょうか。
>>803-804 けちゃっぷ さん
苦痛、痛みとは、身体の事についてですね。
生きると言うことは、思い通りにならない。それが、苦であると思います。
宗教とは、いかに生きるか。と言うことだと思うからです。
806 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/26(水) 01:58:59
宗教とは、いかに生きるか。と言うことだと思う そのような考え方もあるでしょうが
わたくしは、いかにして死に決着をつけるかが宗教だと考えてます。
807 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/26(水) 02:07:57
なんだあ〜?最近、素人臭い香具師がレスしてツマンネーな
けちゃっぷ南伝スレだろ
>>806 > 宗教とは、いかに生きるか。と言うことだと思う そのような考え方もあるでしょうが わたくしは、いかにして死に決着をつけるかが宗教だと考えてます。
生きていると言うことは、その中にすでに死を含んでいるのだと、言うことなのですが。
生きつつ、死につつあるのです、われら・・・
>>807 > なんだあ〜?最近、素人臭い香具師がレスしてツマンネーな
> けちゃっぷ南伝スレだろ
(爆)
あなたの考えを言う と言うことですよ、大切なことは・・・
何かお考え、ありますか?
にんげん、
生まれたから、死もあり、です。
生まれなかったら、死はありません。
生まれたその日から、わたしたちは、死へと歩(あゆ)んでいるのです。
始まりがあるから、終わりがあります。
始まりがなければ、終わりはありません。
ほとけ(仏性ぶっしょう)に 始まりは、ありません。
811 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/27(木) 12:23:36
>>810 仏性って何なのでしょうね。
悟る可能性が誰にでもある、というだけなら賛同します。
しかし、如来蔵思想や本覚思想につながるような仏性なら、
そんな観念的なものが仏教に必要なのか疑問です。
812 :
教授阿闍梨弥勒如来:2007/09/27(木) 13:57:24
犬にも猫にも、仏性は備わってます。
813 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/27(木) 14:00:17
↑すげーコテだな
814 :
大王:2007/09/27(木) 14:33:30
で、けちゃっぷさんて、どの仏教の流れが主流のかただったけ??
あはどんも、元気そうでなにより、、、
815 :
大王:2007/09/27(木) 14:36:27
811 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/27(木) 12:23:36
>>810 仏性って何なのでしょうね。
悟る可能性が誰にでもある、というだけなら賛同します。
しかし、如来蔵思想や本覚思想につながるような仏性なら、
そんな観念的なものが
言いたい事は解らんでも無いが、、、
概念的でもない、、
南方仏教の修行のプロセスで、光ってくる感覚、当然、南方仏教はこれを滅するわけで、、
光ってくる感覚を利用するのが、、如来蔵なんです、、、
816 :
大王:2007/09/27(木) 14:38:50
本覚思想は、日本の神の力を利用しての構造らしい、
明治政府に滅ぼされた、修験道、、、
817 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/27(木) 17:48:21
>>814 あれ?お山の大王様とは別人なのかな?
僕は浄土宗の僧籍に登録されています。
818 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/27(木) 17:52:45
>>815 「光ってくる感覚」とは、どういう意味なのでしょうか?
禅定の中で「光がみえた」とかいう体験?
禅定の世界(神様の世界)も、三界の世間のうちにあります。
ですから、禅定の世間に執着するのもまた煩悩らしいです。
>>811 けちゃっぷ さん
>
>>810 仏性って何なのでしょうね。
量る事ができない、あ - みだ。
それが、ほとけさまです。
全宇宙が、あみださまです。
けちゃっぷ さんが あみださま です。
820 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/27(木) 23:24:26
ヴィシュヌ神」は、ゴータマ・ブッダ に化身して、 偉大なるヴェーダ聖典を悪人から遠ざける為に、敢えて、偽の宗教である仏教を広めたのです!
821 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/27(木) 23:35:01
>>819 阿弥陀(無量)仏は、何が量り知れ無いかというと、
寿命と光明が量り知れ無いのです。
無量の寿命と無量の光明をもつ仏が、阿弥陀仏です。
阿弥陀仏は、仏性でも法身仏(宇宙仏)でもありません。
阿弥陀仏は、人格的な仏の固有名詞です。
822 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/27(木) 23:58:16
823 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/28(金) 00:11:49
もちろん、メソポタミア文明とインダス文明の関係は文化人類学の定説ですし、バビロン虜囚やヨハネの黙示録の記述から明らかと!
>>821 けちゃっぷ さん
>
>>819 ケチャップさん自身が、おっしゃってますように、
> 阿弥陀仏 (あみだぶつだ)
ほとけさまの、異名と申し上げます。
量る事ができない、あ - みだ。
それが、ほとけさまです。
全宇宙が、あみださまです。
けちゃっぷ さんが あみださま です。
みだ
と言うのは、英語で言う
メーター
量る(はかる)ということだそうですね。
それを否定するのが、あ
an にあたるのでしょうか。
an meter
あ みだ
はかることができない
825 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/28(金) 00:56:06
>>824 > an にあたるのでしょうか。
英語との対比を考える場合、
接頭辞 an は「…へ」「…に」といった意味のようです。
接頭辞 a または接頭辞 un が否定的な意味をもつようですので、
そちらのほうが、相応しいでしょう。
827 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/28(金) 08:26:13
>>824 仏とは、真理に目覚めた者のことです。
僕は仏ではありません。
当然、僕は阿弥陀仏でもありません。
阿弥陀仏とは、西方極楽浄土にいらっしゃる仏の名前です。
漢訳では、無量光仏とか無量寿仏と呼ばれています。
宇宙は仏ではありません。
宇宙は阿弥陀仏ではありません。
宇宙の法を仏とみなすなら、それは大日如来です。
阿弥陀仏は宇宙仏ではなく、具体的で人格的なお方です。
828 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/28(金) 08:30:30
無数の仏達の総称が阿弥陀仏、でもありません。
お経の中で、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏達が、
阿弥陀仏を誉め讃えているのです。
無数の仏が無数の仏を誉め讃えているのではなく、
無数の仏が阿弥陀仏という一人の勝れた仏を誉め讃えているのです。
829 :
大王:2007/09/28(金) 16:11:54
浄土宗なら、光ってくる感覚は、、法然さんの、三昧発得記なんか、読めばわかるでしょう、、
それが、如来蔵でしょうな、、
南方仏教では、生滅智の段階で、出てくる、、
聖者の位らしい、、、
830 :
大王:2007/09/28(金) 16:39:05
すまん、けちゃっぷどん、、、忘れていて同じ質問を、、、
831 :
大王:2007/09/28(金) 16:40:45
真言だと、究極的には、光だらけ、となるからね、密教関係は、ほとんど、、、、たぶん、、、
832 :
大王:2007/09/28(金) 16:42:04
光だらけから、、、空について、、とか、仏の思考とか、、存在論とか、完成させていくのが、密教、、
833 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/28(金) 17:51:58
>>832 密教にでは、三昧(禅定・止)と悟り(智慧・観)との区別は明確にあるのですか?
それとも、三昧=悟りですか?
三昧(禅定)で光が見えるのも、仏教のめざす悟りなのでしょうか?
あと、三昧は、大日如来との合一ですか?
834 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/28(金) 17:54:56
>>832 三昧の世界は究極の存在なのでそれをめざすべきなのか、
それとも、
三昧の世界もまた三界(世間)であるから執着せずに捨てるべきなのか。
>>826 >
>>824 > 接頭辞 a または接頭辞 un が否定的な意味をもつようですので、 そちらのほうが、相応しいでしょう。
ぺこ <(_ _)>
>>827-828 けちゃっぷ さん
>
>>824 >仏とは、真理に目覚めた者のことです。
> 僕は仏ではありません。
> 当然、僕は阿弥陀仏でもありません。
> 阿弥陀仏とは、西方極楽浄土にいらっしゃる仏の名前です。
> 漢訳では、無量光仏とか無量寿仏と呼ばれています。
> 宇宙は仏ではありません。
> 宇宙は阿弥陀仏ではありません。
> 宇宙の法を仏とみなすなら、それは大日如来です。
> 阿弥陀仏は宇宙仏ではなく、具体的で人格的なお方です。
> 無数の仏達の総称が阿弥陀仏、でもありません。
> お経の中で、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏達が、 阿弥陀仏を誉め讃えているのです。
> 無数の仏が無数の仏を誉め讃えているのではなく、 無数の仏が阿弥陀仏という一人の勝れた仏を誉め讃えているのです。
けちゃっぷ さんの立ち位置が、テーラーガーター、とおっしゃってたでしょうか、南伝仏教に立っていらっしゃいますか?
>>836 訂正
テーラーガーター
↓
テーラーワーダ協会・・・(汗)
>>837 最初から読もうとしたけど、長文が多いね。
で、読まなかった、(汗)
けちゃっぷ さん、何を血迷っちゃったんだろ?
839 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/28(金) 21:39:43
>>836 阿弥陀仏は法身仏(宇宙仏)じゃない、という立場です。
阿弥陀仏の実在を信じるか信じないかは別として。
841 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/28(金) 22:27:44
>>840 阿弥陀仏とは、西方極楽浄土で今現在も説法を続けている、
量り知れ無い光明と量り知れ無い寿命をもつ仏です。
念仏者の臨終に迎えに来てくれて、
善人でも悪人でも念仏した人を、極楽浄土へ往生させてくださる仏です。
>>841 けちゃっぷ さん
知識、です。
教本にこう、書いてるよ、と。
けちゃっぷさんのあみださま、とは?
843 :
教授阿闍梨弥勒如来:2007/09/28(金) 23:23:11
阿弥陀仏は、報身仏 別名るしゃな仏とも言う 鎌倉の大仏がそれ
衆生は、この仏の身体を受用して成仏するという意味ともなる。
845 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/28(金) 23:35:11
阿弥陀仏とルシャナ仏(大日)とは違います。
それを一緒にしては、阿弥陀仏が阿弥陀仏である意味がなくなるのです。
僕にとっての阿弥陀仏は、お経に書いてあるとおりです。
例えるなら、地図に載ってるガソリンスタンド。
ガソリンを入れるために地図を信じてガソリンスタンドに行く。
それが実は「ガソリンスタンド」という名前の喫茶店だったとしたら、
僕にとってはそんなガソリンスタンド不要です。
本物のガソリンスタンドじゃないなら、僕には用がないのです。
ですから、ガソリンスタンドという呼び名に色んな意味をつけてややこしくしたくない。
地図にガソリンスタンドと書いてあるのに、
それが喫茶店かもしれないし警察かもしれないしコンビニかもしれないとしたら、
そんなガソリンスタンドややこしすぎる。
阿弥陀仏と言うんだったら、それはお経のとおりの阿弥陀様でないと意味ないのです。
大日如来が必要なら、阿弥陀と言わずに最初から大日如来と言えばいい。
846 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/28(金) 23:46:17
宇宙仏(法身仏)は大日如来(ビルシャナ仏)です。
宇宙仏が好きなら大日如来と既存の呼び名を使えばいいわけです。
阿弥陀仏系宗派の人が本当は阿弥陀仏より宇宙仏を信じたいなら、
阿弥陀仏とは別に大日如来も拝めばいい。
しかし、それを誤魔化して、
宇宙仏のことも阿弥陀仏と呼ぶ間違った人々もいますね。
妻のしずかちゃん以外の、ゆめ子ちゃんを好きになった人が、
ゆめ子ちゃんもしずかちゃんと呼ぶことにして、
「私はしずかちゃんだけを愛している」と言ってるみたいに思えます。
ゆめ子ちゃんが好きなら、ちゃんとゆめ子ちゃんと呼べよ、と思います。
>>845-845 けちゃっぷ さん
知識を、聞いていません。
けちゃっぷ さんのあみださまを、聞いています・・・
848 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/28(金) 23:53:12
普通の僧なら、円満報身ルシャーノーフと唱えるでしょう
浄土宗はちがうの?
849 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/28(金) 23:55:44
>>847 思ったままを答えているのですが…。
僕の阿弥陀様は、僕を往生極楽させてくれる、実在する金色に輝くお方です。
あとは、念仏という瞑想の道具としての仏像。
850 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/28(金) 23:57:40
僕の阿弥陀様は実在するって、娑婆に実在するの?
851 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:00:45
極楽浄土という世界が実在し、そこにいらっしゃいます。
>>849 けちゃっぷ さん
それって、教本に書いてあることです。
あみださま、生きてますか?
生きてる あみださまを、お聞きしています。
853 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 00:04:04
涅槃ですね
854 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 00:08:15
>>852 お前の、あみださまはオーム真理教のなかに実在してるだろう
弥陀印結んで瞑想してる奴がそうだよ。
855 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:12:35
>>852 生きてるか生きていないかという質問は適切じゃありません。
尋ねるなら、信じるか信じないかです。
ドラえもんとは何ですかと尋ねられたら、
僕は、色んな道具を出してくれるネコ型ロボットだと答えます。
で、それは物語の中でそのように描かれてますね。
でも、僕はドラえもんは架空のロボットだと思ってます。
ドラえもんという呼び名でまったく別のもの(自分の信じられそうなもの)を呼ぶ気はありません。
阿弥陀仏とは、お経に書いてあるとおりの人格的な仏様です。
僕は、阿弥陀仏は架空の仏である可能性が高いと思います。
自分が信じられそうな別のものをみつけて、
それを阿弥陀仏と呼んだりはしたくないです。
阿弥陀仏は阿弥陀仏、で、信じられるか信じられないか。
856 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 00:14:26
857 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:16:09
>>853 涅槃は涅槃。
涅槃のことを阿弥陀仏と呼ぶのは間違い。
アーラヤ識はアーラヤ識。
アーラヤ識のことを阿弥陀仏と呼ぶのは間違い。
真如は真如。
真如のことを阿弥陀仏と呼ぶのは間違い。
仏性は仏性。
仏性のことを阿弥陀仏と呼ぶのは間違い。
>>855 けちゃっぷ さん
実在のあみださまに信、不信、ってないですよ。
では、あみださまは、どこにいらっしゃいますか?
>>857 けちゃっぷ さん
>
>>853 涅槃は涅槃。
> 涅槃のことを阿弥陀仏と呼ぶのは間違い。
> アーラヤ識はアーラヤ識。
> アーラヤ識のことを阿弥陀仏と呼ぶのは間違い。
> 真如は真如。
> 真如のことを阿弥陀仏と呼ぶのは間違い。
> 仏性は仏性。
> 仏性のことを阿弥陀仏と呼ぶのは間違い。
>
公務員風ですよ・・・
一如、です。
860 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:22:44
>>858 いらっしゃるとしたら、西方極楽浄土にいらっしゃいます。
そうじゃないなら、どこにもいません。架空のキャラクターです。
861 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:25:43
>>859 阿弥陀仏を信仰してるうちに、一如に気付く人もいるでしょう。
でもそれは、一如に気付いたのであって、
阿弥陀仏が一如のことを差すのではありません。
なんでもかんでも阿弥陀仏と呼ぶ必要ないでしょう。
862 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:30:05
阿弥陀仏を信じる人は、お経のとおりに信じればいい。
阿弥陀仏をお経のとおりに信じられないなら、
その人は、阿弥陀仏は架空のキャラクターであり実在しないと思うのが筋だと思います。
阿弥陀仏の意味を変えてまで、阿弥陀仏を信じた気になる必要ない。
863 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:32:43
「阿弥陀仏を信じています。阿弥陀仏は西方極楽浄土に実在します。」→正しい。
「阿弥陀仏を信じていません。阿弥陀仏は実在しません。」→正しい。
「阿弥陀仏を信じています。阿弥陀仏とは宇宙の真理のことをそう呼んでいるのです。」
→間違い。それは阿弥陀仏教を信じていない。
864 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 00:37:18
間違えた、涅槃とは悟りの境地だった
>>860 けちゃっぷ さん
わたくし事で失礼ですが、
わたしの家は、浄土宗です。
母の納骨のとき、
分骨して、
母の実家の墓に入れてやりたいと思いました。
祖父母が、眠っているからです。
親類、兄弟の了承も取り付けたくて、
お墓でお経を上げてくださる和尚様にお聞きしました。
分骨しても、いいでしょうか?
「お母様は、ここにいる、あそこにいるというわけでは、ありません。宇宙に遍満なさっていますよ」
と、言っていただきました。
それで、分骨し、祖父母が待つ実家の墓にも入れました。
わたしは、そのお坊様を忘れることができません。
>>861-863 けちゃっぷ さん
あみださまは、実在なさっていますから、信、不信、など、論外です。
867 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 00:43:01
868 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 00:44:31
仏法は尽十方世界に充満してるから
その和尚の言うことは正しい。
869 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:45:21
>>865 でも、遺骨は宇宙に遍満してません。
だからわざわざ分骨したくなるわけで。
阿弥陀仏が極楽浄土から照らす光明は、宇宙のどこにも届いて遍満しています。
>>867 >
>>866 > あれは架空だよ。 実在する根拠は?
あみださまって、何だと思いますか?
>>869 けちゃっぷ さん
あたかも、ストーリーテラー ですよ。
教本の中のもじを追っても、あみださまには、出会えません。
873 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:50:15
>>868 無茶苦茶だと思います。
亡くなった人と宇宙に遍満する法とは違うでしょう。
それと阿弥陀仏ともまた違うし、それと遺骨ともまた違う。
「からあげにレモン汁かけていいですか?」
「カレーにはソースかけます。」
「わかりました、からあげにレモン汁かけますね。」
っていうような会話と同じ。
874 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 00:52:22
875 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:52:32
>>871 あなたが出会っているのは阿弥陀様じゃないのでは?
ただ、あなたがそれを阿弥陀様だと思いたいだけでしょう。
逆に質問します。
あなたの阿弥陀様とは、何ですか?
>>873 けちゃっぷ さん
>
>>868 浄土って、どこにあると思いますか?
教本を捨ててくださいね。
>>875 >
>>871 > 逆に質問します。
> あなたの阿弥陀様とは、何ですか?
わたし、です。
878 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 00:55:07
>>865 遺骨は、ただの遺品のひとつです。
お母様が長年使っていた品物のひとつです。
分けたければ好きにすればいいと思いますよ。
879 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 00:57:39
>>873 それなら、悪人でも念仏した人を、極楽浄土へ往生させてくださる仏です
と言うのも 無茶苦茶な話です
悪を作った者は地獄に落とされ、そこで輪廻転生を重ね
最後に阿弥陀様やお釈迦様が救いに現れるのならわかるけど。
>>878 けちゃっぷ さん
情は、そうはいかないのです・・・
881 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 00:59:08
盛上ってまいりました〜!
奈々氏 さんがた
どなたと、何を話しているのか良くわからないので、できればコテを。
奈々氏さん、原則、スルーでいきますので、ご了承ください、ぺこ <(_ _)>
883 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 01:02:10
884 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:03:10
>>876 何をわけのわからないことを言ってるのですか?
「土星はどこにありますか?理科の知識を捨てて答えてください。」
と尋ねてるのと同じですよ?
理科で習ったことが正しいなら、土星は宇宙にあります。
理科で習ったことが間違いなら、土星は実在しません。
土星という呼び名で他のものを呼ぶ必要ありません。
浄土(この場合極楽浄土ですね?)は、実在するなら、
はるか西方の遠い場所にあります。
実在しないなら、どこにもありません。ただの概念です。
>>884 けちゃっぷ さん
>
>>876 何をわけのわからないことを言ってるのですか?
> 「土星はどこにありますか?理科の知識を捨てて答えてください。」
> と尋ねてるのと同じですよ?
> 理科で習ったことが正しいなら、土星は宇宙にあります。
> 理科で習ったことが間違いなら、土星は実在しません。
> 土星という呼び名で他のものを呼ぶ必要ありません。
> 浄土(この場合極楽浄土ですね?)は、実在するなら、 はるか西方の遠い場所にあります。
> 実在しないなら、どこにもありません。ただの概念です。
仏教は何を大切なものとしていますか?
887 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:07:53
>>879 そう思うなら、阿弥陀仏の救いは信じられない、嘘だと思う、と言えばいいわけです。
浄土宗の教えは、無茶苦茶な教えなんです。
阿弥陀仏が実在して、しかも無茶苦茶な能力と慈悲で悪人でも救ってくれるのか、
あるいは、そんな話はただの物語なのか、どちらかでしょう。
>>887 けちゃっぷ さん
わたしは、浄土宗を語っていません。
あみださまの実在を、語っていますよ。
889 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:11:34
>>886 仏教は、苦悩の原因である煩悩を制御し、あるいは煩悩を滅して、
苦悩を制御し苦悩を滅することを、目的にしています。
極楽浄土はとても修行しやすい環境なので、
極楽浄土が実在するなら、そこに往生することが、
煩悩を消して苦悩を消す近道になるのです。
>>889 けちゃっぷ さん
>
>>886 仏教は、苦悩の原因である煩悩を制御し、あるいは煩悩を滅して、 苦悩を制御し苦悩を滅することを、目的にしています。
> 極楽浄土はとても修行しやすい環境なので、 極楽浄土が実在するなら、そこに往生することが、 煩悩を消して苦悩を消す近道になるのです。
仏教は何を大切なものとしていますか?
ぶっきょうは、こころを見つめています。
けちゃっぷ さん、 こころ とは?
891 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 01:15:00
阿弥陀信仰には、輪廻転生、六趣四生に輪転すると言う
教えがないようですね。
892 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:15:00
>>888 あみだ仏とは「わたし」のことだ、とお考えのようですね。
でも、それなら最初から「わたし」と呼べばいいではありませんか。
「わたし」とは、何のことを言ってるのですか?
別の表現はありますか?
894 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:20:57
>>890 「こころ」とは?って尋ねてるあなたが、すでに特殊な「こころ」を想定してますよね。
「こころ」という呼び名を使ってるだけで、
差してる内容が違うわけですから、答える意味あるのかどうか。
「こころ」とは、私達が感じる対象のうちの、
物質以外の物事でしょう。
895 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:24:51
>>893 阿弥陀仏=わたし=こころ、ですか?
阿弥陀仏とは、念仏者を必ず臨終に往生させてくれる仏です。
わたしのこころが、そんなすごい能力を秘めていない、そんな便利なこころではいと思います。
>>894 けちゃっぷ さん
>
>>890 「こころ」とは?って尋ねてるあなたが、すでに特殊な「こころ」を想定してますよね。
> 「こころ」という呼び名を使ってるだけで、 差してる内容が違うわけですから、答える意味あるのかどうか。
> 「こころ」とは、私達が感じる対象のうちの、 物質以外の物事でしょう。
では、物質、とは?
897 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:28:55
>>896 物質とは、眼耳鼻舌身で感じる対象(刺激)ではないでしょうか。
色声香味触として感じられているエネルギーといいましょうか。
898 :
教授阿闍梨弥勒如来:2007/09/29(土) 01:29:10
仏とは、本来皆様自身が仏そのものであり、法そのものであり、
僧そのものなのです。
>>895 けちゃっぷ さん
>
>>893 阿弥陀仏=わたし=こころ、ですか?
イクオルでくくるのではなく、一如、です。
>>897 けちゃっぷ さん
>
>>896 物質とは、眼耳鼻舌身で感じる対象(刺激)ではないでしょうか。
> 色声香味触として感じられているエネルギーといいましょうか。
そうですね。
902 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:31:57
>>898 んー、それについては真っ向から反対します。
仏とは、最高の悟りを得た者のことです。
悟っていない人は、仏ではありません。
仏になる可能性はあっても、悟ってないなら仏ではありません。
煩悩を滅していないなら仏ではありません。
903 :
あすた、浅っ低(あさってい)、四浅っ低(しあさってい) :2007/09/29(土) 01:33:25
阿弥陀は架空だお
904 :
あすた、浅っ低(あさってい)、四浅っ低(しあさってい) :2007/09/29(土) 01:34:51
論理的に語れ無いなら、法論を交わせないお
905 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 01:38:26
>>902 眼耳鼻舌身を言うなら
空即是色 色即是空を語らなくては
906 :
あすた、浅っ低(あさってい)、四浅っ低(しあさってい):2007/09/29(土) 01:40:06
バカだから、議論が噛み合ってないお
907 :
教授阿闍梨弥勒如来:2007/09/29(土) 01:40:42
908 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:41:03
>>899 一如と言っていいのか…。
阿弥陀仏もわたしも、こころに生まれた
観念や概念につけられた呼び名でしょう。
909 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 01:42:04
低脳層化がいるな
910 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 01:43:58
911 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:44:43
>>907 仏が死んだら入滅です。平安なる滅びです。
もはや、神々が三界を探しまわったとしても、
どこにもみつけることができなくなります。
眼耳鼻舌身意の対象としては存在しなくなり、
記憶の中の思い出の人となるだけです。
平たくいうと、仏は死んだら消えます。
912 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 01:50:14
阿弥陀仏の本願にある「不取正覚」の「正覚」ってのは、
本来は入滅(無余涅槃)のことだったんじゃないでしょうか。
「私がもし仏になったら、すべての念仏者を往生させてしまうまでは、死ません」
という誓いじゃないでしょうか。
913 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 02:29:25
>>911 仏が死んだら入滅でないだろう、死んでお釈迦になった仏と
最高の悟り得た仏と、仏の定義がどう違うかと言う事でしょう。
914 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 02:35:01
法蔵は入滅しただろう。ずっと昔の人だもの。
915 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 02:40:43
大昔、法蔵という人は阿弥陀仏になり、念仏する人をすべて救い、
入滅した。その後で念仏してもう遅いよ。乗り遅れ。証文の出し遅れ。
阿弥陀仏はもういない。遠い思い出の存在。昔はよかった。
916 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 02:41:41
ま、乗り遅れた人には弥勒というのがあるけどね。
917 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 03:43:41
西方浄土に行くと体が金色になる。これがけっこう抵抗あって
いきたがらない人が多い。阿弥陀様も当然金色の顔で、
そしてニヤっと微笑まれるのは、内心引いてる人が多い。
蓮の池は、なんだかお寺をイメージして幸せな気分にならない
人も多い。宝石金銀絢爛豪華な御殿も、最近往生した人には成金趣味
に見え、「これが阿弥陀様のセンス?洋風の浄土にしときゃよかった」と
後悔するものも多し。やはり人の好みは時代に左右され、
万人に好まれる浄土はないものだと、阿弥陀様も反省しきりである。
918 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 03:51:23
しかし、地蔵は若い子に人気で、「ちっちゃーい」「かわいい」
と、新登場するとすぐに売り切れる。次はあの地蔵がくるらしいよ、
とうわさになってたりもする。そんなこんなを見ながらも、阿弥陀
様はいつもニヤっと微笑んで、見守ってなさる。その笑顔を
ニヒルでいいという一部のマニアもいる。
>>891 輪廻転生から逃れるために浄土に往生する。
全然理解してないのなら、適当なことを言わない方がいいと思うよ
920 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 10:48:41
それなら、仏の教えと言えないないじゃん
馬鹿がいるw
922 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 11:07:24
↑葬火がいるわw
これ以上輪廻転生の苦しみを受けないためには、覚るか往生する必要がある
まあ920は日本語が不自由な人みたいだが。
924 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 12:26:58
衆生は阿弥陀の本願によりすでに救われてんだろう、念仏は阿弥陀仏への
感謝の行なんだろう浄土教の教えでは。
それならなぜ地獄に堕ちた餓鬼のために、お布施を取って施食会をやるんだ
完全に破綻してるじゃないの。
926 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 12:35:55
>>924 それはお寺の営業だから、深く追求しなさんな。
927 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 12:45:43
>>924 葬式も法事も感謝の行として行っております。施食会ではありません。
阿弥陀仏に対してお布施をしていただいております。
その一部を生活費としていただいております。
928 :
大王:2007/09/29(土) 13:13:40
けちゃっぷどんの質問も、ロゴスで、明晰すぎて、解答する気がなくなってしまう、、
けちゃっぷどんは、やはり、南方仏教の明晰さが、ありすぎだね、、
その明晰さだと、、阿弥陀仏も存在しない、、、という事になるしね、、
おいらは、広義の中観派ですから、、
まあ、けちゃっぷどんは、竜樹、中論的視点に関心が無さそうなんで、、
まあ、回答しようがありません、、、、
929 :
大王:2007/09/29(土) 13:20:03
阿弥陀仏でも、天台浄土宗、西山浄土宗、時宗、融通念仏宗、真盛派とかになると、、
もはや、けちゃっぷどんの、明晰性、ロゴス性の外になってしまう、、、、
浄土宗の徳本上人なんかになると、けちゃっぷどんのロゴス、明晰性の外になるからねえ、、
930 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 13:21:19
修行を怠らなければ祇園でブイブイいわす地位につくことができる
931 :
大王:2007/09/29(土) 13:25:58
けちゃっぷどんも、南方仏教の明晰さと、阿弥陀仏と、どちらにあるのか、立ち位置がもう一つ、わからないなあ、、
その、明確でない立ち位置が、キリスト教神学的、ロゴス的になってくるし、、
まあ、阿弥陀仏信仰の発生過程、日本においては、天台本覚、如来蔵の仏教を無視できない、、、西山、天台浄土、などは、特に、、
それを、否定する立場だと、、、やはり、キリスト教的ロゴス化されているのでは、、と、、
けっちゃっぷさん、浄土宗辞めなよ。
すっきしていいと思うよ。
頑張って働いて中古の一戸建てでも買って、
お父さんと一緒にその家に住んだ方がいいのと違うかなと思います
>>908 >
>>899 >一如と言っていいのか…。 阿弥陀仏もわたしも、こころに生まれた 観念や概念につけられた呼び名でしょう。
五蘊皆空
五つの構成要素は、空です。
あみださもも、わたしも、同じ、空です。
もちろん、けちゃっぷ さん も、全存在が、空 です。
934 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 15:44:53
>>929 徳本上人はすばらしいです。
口先で 南無阿弥陀仏といえばよい 心なくして申せるものか
というのは、徳本上人の明晰さだと思います。
信じて念仏しないと往生できないというのが一般的なのですが、
自分の信が完璧に疑いのないものだと言える人は少ない。
でも、まったく信じていないなら、念仏する気さえ起きないはず。
だから、疑いながらも「もしかしたら」ってかんじで、
口先だけででも「南無阿弥陀仏」と言えているなら、
それはもう信じる心があることになる。
ですから、往生できることになる。
僕は、阿弥陀仏が実在しない可能性のほうが高いと思いますが、
しかし「もしかしたら」と口先だけの念仏くらいは出るので、
もし阿弥陀仏がいらっしゃるなら自分も往生できると思います。
>>911 けちゃっぷ さん
>
>>907 仏が死んだら入滅です。平安なる滅びです。 もはや、神々が三界を探しまわったとしても、 どこにもみつけることができなくなります。
> 眼耳鼻舌身意の対象としては存在しなくなり、 記憶の中の思い出の人となるだけです。
> 平たくいうと、仏は死んだら消えます。
ほとけ、とは、なんでしょうか?
ぶっだ、目覚めた人
これは、お勉強です。
>>912 けちゃっぷ さん
そうですね、大乗教です。
937 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 15:49:46
>>933 どれも空だけど、いっしょくたではないと思います。
ミカンもリンゴも果物です。
しかし、ミカンとリンゴはやはり違うでしょ。
わたし・こころ・阿弥陀仏は、どれも空です。
しかし、わたし・こころ・阿弥陀は、違う概念です。
南無阿弥陀仏・南無わたし・南無こころ、全然違う意味になります。
938 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 15:51:59
けちゃっぷよ ミャンマーへ行け!!
939 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 15:59:13
みんな、仏(ブツ)と仏(ホトケ)の概念がごっちゃにしてしまうからな。
940 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 16:03:53
>>935 目覚めた者、悟った者が仏です。
それ以外のものを仏と呼ぶ必要ないと思いますよ。
まぁ、リップサービスとして死人を「ほとけさん」と呼ぶ慣習が日本にはありますが。
社長でもない相手を「しゃちょーさん」と呼ぶようなもんで。
でも、仏教において、そんなお世辞は必要じゃありません。
僕は、仏でもない人を「ほとけ」と呼びたくないです。
941 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 16:15:28
>>928 竜樹(というか「空思想」)には前は興味ありました。
しかし、同じ「空」という言葉を使いながら、
人によって意味してることが違うので、ややこしいです。
僕には、色声香味触法の一切は縁起だから無自性(それ自体がない)であり、
無自性だから空なんだ、という程度の理解しかありません。
942 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/29(土) 16:20:31
死者を仏と呼ぶのは、死後悟りの修行に出る姿を言うのでしょう
>>934 けちゃっぷ さん
あみださまとは、なんでしょうか?
対象と見て、探していませんか?
この対話の最初のほうに申し上げたと思いますが、
あみださまとは、けちゃっぷ さんです。
>>937 けちゃっぷ さん
>
>>933 どれも空だけど、いっしょくたではないと思います。
> ミカンもリンゴも果物です。
> しかし、ミカンとリンゴはやはり違うでしょ。
> わたし・こころ・阿弥陀仏は、どれも空です。
> しかし、わたし・こころ・阿弥陀は、違う概念です。
> 南無阿弥陀仏・南無わたし・南無こころ、全然違う意味になります。
物質は、空である。
空とは?
現代風に説明させてください。
物質は、分子ですね。
もちろん、原子、陽子等もっと小さな単位もあるとは思います。
ですが、有機体の構成は、分子です。
縁(条件)によって、みかん、りんごと、なります。
わたしは、どこから来て、どこへ行くのか?
本質は、空 です。
>>940 けちゃっぷ さん
>
>>935 > 僕は、仏でもない人を「ほとけ」と呼びたくないです。
存在が、ほとけです。
947 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 20:46:45
>>943 阿弥陀様はけちゃっふ゜じゃないです。
そこでわざわざ阿弥陀様の名前を使う必要ないと思いますが。
なぜ、「阿弥陀様」にこだわるの?別の言葉でいいでしょう。
空とは、実体がないということです。
阿弥陀様も実体がないし、みかんも実体がないし、リンゴも実体がない、
ぜんぶ、ある条件のできごとにつけられた名称、概念にすぎません。
空は実体がないという意味であり、
空が阿弥陀様になったりしないし、空がリンゴになったりしません。
ただ、空だと気付いて執着しないよう気を付ければいいだけです。
何があるかを解明するのが目的じゃなく、
執着に値しないくだらないものだと気付くのが目的です。
948 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 21:07:35
>>945 存在が仏だなんて間違いだと思います。
悟りを得て煩悩を滅した修行完成者が仏です。
あなたが言ってるのは仏じゃなくて、梵我一如の「梵」じゃないですか?
一如は悟りではありません。禅定の状態です。
禅定の状態は意根の対象である法境であり、それに執着しては仏教じゃなくなります。
とにかく、阿弥陀仏という特殊な概念をわざわざ使わなくても、
もっと他の言葉で表現すればいいと思います。
>>947 けちゃっぷ さん
いつも
あみださまは、
けちゃっぷ さん に向かって手を合わせて、拝んでいらっしゃいますよ。
よく観てください。
けちゃっぷ さんが、あみだぶっださまです。
950 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 21:16:19
>>944 縁(条件)によって、「わたし」という概念が生まれるのです。
ですから、「わたし」それ自体は存在しませんね。
一瞬一瞬に生じては滅していく対象に、「わたし」とラベリングしているだけですね。
ですから、「わたし」は実体がない。
概念上・観念上だけの執着に値しないものです。
一瞬一瞬浮かんでは消えていくだけの思考です。
事実ではなくて、ただ、たまたまそのような考えが浮かんだけど、
とりとめのない思考のお遊びだから忘れてかまわない、
そんな程度のものです。
>>948 梵
ヒンドゥーのかんがえ方ですが・・・何故、そういわれますか、わたしに?
>>950 けちゃっぷ さん
>
>>944 生まれたものは、滅します。
生まれなかったものは、滅しません。
真理は、滅しません。
953 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 21:22:45
>>949 違います。
概念の上にさらに概念を重ねて観念論の阿弥陀仏をつくらないでください。
眼耳鼻舌身意が感じる刺激を加工せずに、そのままみつめてください。
ただ、一瞬一瞬浮かんでは消えていく刺激の連続だけです。
阿弥陀仏とかけちゃっふ゜とかいうのは、ただのラベルです。
一瞬一瞬の刺激の中には、阿弥陀仏もけちゃっふ゜もない。
後付けで貼られた概念のラベルです。
もて遊ばずに、棚あげしてください。
遊び好きの妄想赤ちゃんから、そっとおもちゃをとりあげてやって、静かに眠らせてください。
>>953 けちゃっぷ さん
>後付けで貼られた概念のラベル
では、その >ラベル
を、取っ払ったものを、なんと呼びましょうか?
955 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 21:29:25
少なくとも、阿弥陀仏と呼ぶべきでないと思います。
色(物質的刺激)と名(心)、でいいのでは。
あるいは、色声香味触法でいいのでは。
>>955 けちゃっぷ さん
あみださまとは、心理、ダルマ、法です。
法灯明、です。
電話、落ち・・・ぺこ <(_ _)>
957 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/29(土) 23:50:59
>>956 だったら最初から「法」と言えばよい。
阿弥陀仏は、念仏者を往生させるという誓いを実行するお方です。
真理・法がそのような誓いを立てたり、人々を往生させたりしないでしょう。
>>957 けちゃっぷ さん
自灯明
法灯明
ご存知ですよね。
この、法とは、真理、ダルマ、と言います。
では、お(^o^) や(^O^) す(^^) みぃ(^-^)
959 :
興味 ◆pdbZuOSN8c :2007/09/30(日) 00:19:28
中観派の無自性のみの解釈には微妙っすね。
外界を認識する自己との関係が余りに部派の皆さんの表現が違う、ちょっと前に仏性や本覚思想批判について出てましたが。
禅では我々は既に仏であるという、しかしそれに気づく為に禅をする必要があるとする。
修行により本来の自己を知る(見性)をする=覚りを得ると言われています、それまで本来の自己とはアートマンにならないのか?と思っていたがそうでないことがやっとわかった
960 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 00:25:10
961 :
興味 ◆pdbZuOSN8c :2007/09/30(日) 00:27:13
それと、けちゃさん鈴木大拙を読んだなら同郷の哲学者の友人の西田幾多朗もいいよ、覚性体験を哲学としてます。
西田曰く、純粋経験というやつです「未だ主もなく客もなない、知識と対象とが全く合一している」その経験から世界を見るという行為を説いています。
962 :
興味 ◆pdbZuOSN8c :2007/09/30(日) 00:41:07
>>785 秘事法門
善鸞は父親鸞聖人から自分だけがひそかに本当の教えを授かったといい、親鸞聖人はこれを強く否定した。
それにもかかわらず、善鸞秘伝のことは、一部の人たちに秘事法門(かくし念仏)と称して伝えられた。
秘事法門の儀式とは
各種の方法で人に心理的変化を起こさせ、それを信心獲得だと教える秘事法門は越前にはよくあった。質問攻めと議論で疲労困憊した信者を善知識が本尊のまえへ連れて行く。
紹介した二人が信者の両手を取り三回前後に揺らし、善知識が「これで三願転入した、間違いなく信心が頂けた」と宣言するなどがあった。
鈴木大拙の家系はこの かくし念仏に属していて彼の念仏に対する考えには幼い時のかくし念仏の儀式に対する宗教体験が強いように思う。
まあ、大谷大学にもいたしね、念仏とは縁があるんだろう
963 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/30(日) 00:52:14
>>958 阿弥陀仏灯明とは言ってないでしょう?
法を阿弥陀と言い換える必要性がないと思うし、
むしろややこしくなると思います。
964 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/30(日) 00:58:15
>>961 主客合一もまた世間なんじゃないかと思うのです。
主客合一は、お釈迦様の最初の師匠である仙人様でもやってたんじゃないかと。
ですから、そこから世界を見るというだけなら、
仏教でなくてもいいのではないかと思います。
しかし、主客合一は重要な手段でしょうね。
やはり仏教の悟りは、煩悩がなくなっていくことだと思います。
煩悩がなくなることが悟りだと思います。
そして、煩悩は段階的になくなっていくので、
悟りにも段階があるのでしょう。
965 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/30(日) 01:05:22
>>962 かくし念仏おもろいですね。
天台→浄土宗に伝わる、円頓菩薩戒の授戒を連想してしまいました。
戒を授ける儀式によって、眠っていた「戒体」というのが発動し、
戒を守らせる力となるというのです。
ですから、戒を守れない凡夫であっても、浄土宗では授戒の儀式をやり続けてます。
戒を守れないポンコツ凡夫車でも、とりあえず戒体エンジンには点火しておくのです。
真宗には授戒の習慣がないですが、かくし念仏の儀式は円頓戒の授戒を連想しました。
966 :
興味 ◆pdbZuOSN8c :2007/09/30(日) 01:07:39
主客合一というか自他認識の同一というのは案外、瞑想により簡単にえられる経験で最終的に西田は一切を絶対矛盾的自己同一といいます。
現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、
逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、
物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、
働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、
個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。
いやはや、意味不明だ
967 :
興味 ◆pdbZuOSN8c :2007/09/30(日) 01:16:57
>>965 最近、考えているが円頓菩薩戒こそ最近、駒沢の袴谷氏らの否定する本覚思想の萌芽であると思う、意見が纏まったら披露したい
968 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/30(日) 01:19:18
>>966 あはは。難しい。
身が感じる物質(色)は、地・水・火・風です。
かたさ:地、
つなぎとめる収縮感(磁石がひきつけるような):水、
温度差:火、
ひきはなす膨張感(磁石が反発するような):風
…という4種類の刺激しか感じないはずなんですが。
目や耳や鼻や舌も、
それらの刺激の感じ方を変えることで扱う情報を変えてるだけ。
あらゆる物質は、地水火風の組み合わせ方の違いを分類して名付けられたものです。
969 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/30(日) 01:21:21
>>967 まさにそうです。
法華経精神に基づく戒です。
970 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/30(日) 01:23:49
で、浄土宗の布教師でも、
阿弥陀仏の救済と仏性・本覚思想をからめるのが好きな人がいます。
971 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 01:32:16
阿弥陀仏は昔の人です。もう入滅しているのでいません。
972 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/30(日) 01:38:13
>>970 まるで、悉有仏性思想の一種として阿弥陀仏の救いの教えがあり、
それを伝えるために法然さんは教えを説いた、と聞こえる感じ。
さらに、仏性を基本的人権と置き換えても通じるような説き方にして、
聞く人はウンウンと頷くが、往生極楽はどっかいっちゃってる。
結局、そうでもしなきゃそっぽむかれてしまうと弱腰になってるんでしょう。
973 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 01:40:26
阿弥陀仏は昔のインドの人です。
974 :
興味 ◆pdbZuOSN8c :2007/09/30(日) 09:02:33
975
976
けっちゃっぷさん、
あみだぶちんが、本当はいないと思うようになった理由はなんですか?
鈴木阿弥陀
お陀仏
980
981 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/30(日) 16:39:03
982 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 16:48:47
え?
佛大の先生が、「あみだぶちはいない」って言ったわけ?
983 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/09/30(日) 18:00:34
>>982 ある先生は、一般学生対象の授業で、
自然や宇宙といった形のないものへの感謝などは難しいので、
阿弥陀仏という具体的な仏様を拝んでいる、
みたいな説明をしてました。
984 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 18:07:46
>>981 佛教大学なら龍樹尊者の中論くらいやるだろ。
985 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 18:13:37
浄土宗も唯物論を公言しはじめたか
986 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 18:17:56
名誉毀損ものだな
989 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 20:37:40
>>984 龍樹尊者の中論などの中観論が理解できなかったから、現在、こうして巣魔に心酔している訳で。
990 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 20:47:12
偏差値が。。。
めでたくスレも終了。もうお腹いっぱい
けちゃっぷさん、さようなら。もう専用スレはイラネ
うめろ
ひたすら
倦め
宇目
998 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 21:47:50
うめ
999 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/30(日) 21:48:21
けちゃっぷ終了
膿め
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。