一歩進んで浄土宗
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:35:12
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:47:46
これだけ他にスレがあるのに新スレたてる
>>1 のわがままを糾弾せよ
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:49:30
★ 「真宗教団連合」に加盟している宗派 ●浄土真宗本願寺派(門主:大谷光真)……西本願寺 ●真宗大谷派(門首:大谷暢顯)……………真宗本廟(東本願寺) ●真宗高田派(法主:常磐井鸞猷)…………専修寺 ●真宗佛光寺派(門主:澁谷曉眞)…………佛光寺 ●真宗興正派(門主:華園眞暢)……………興正寺 ●真宗木辺派(門主:木邊圓慈)……………錦織寺 ●真宗出雲路派(管長:藤光永)……………毫摂寺 ●真宗誠照寺派(法主:二條秀瑞)…………誠照寺 ●真宗三門徒派(門主:平光顕)……………専照寺 ●真宗山元派(法主:藤原光教)……………證誠寺
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:50:59
22派と明記すべきでしたね 継続性がみえてこない
75 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/15(土) 17:10:37 おそらく教会・開教所(布教所)は別カウントになっていると思いますが、各派の教勢は こんな感じのようです。 浄土真宗本願寺派……寺院数 10320 真宗大谷派……………寺院数 8694 真宗高田派……………寺院数 626 真宗興正派……………寺院数 483 真宗仏光寺派…………寺院数 371 真宗木辺派……………寺院数 208 真宗出雲路派…………寺院数 62 真宗三門徒派…………寺院数 40 真宗誠照寺派…………寺院数 52 真宗山元派……………寺院数 21 真宗浄興寺派…………寺院数 14 弘願真宗………………寺院数 9 淨土真宗淨光寺派……寺院数 6 淨土真信宗淨光寺派…寺院数 6 真宗北本願寺派………寺院数 4 浄土真宗同朋教団……寺院数 3 真宗一心山昌玲寺派…寺院数 2 真宗長生派……………寺院数 1 参考:www.kotobuki-p.co.jp/shu.htm
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:51:23
スレタイのセンスはずいぶん良くなったな。
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:53:23
>>9 22派なんて東系の訳分からんHPの受け売りだってことに気づけよ。
内実はもう余計なものを立てさせないための総合窓口。
13 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:57:00
>>5 で、その糾弾用にまた批判専用スレでも立てようってことか?
その方がよっぽど自己中心的なわけだが。
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:58:36
16 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:58:41
>>16 かも知れないね。
で、「22派」なんてスレタイに入れて関係者の嘲笑を食らうと。
18 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 15:59:53
いつもながら見事な乱立テクニックだな。わが宗門も見習う必要がありそうだ。
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:01:10
>>18 乱立?
今ある22派が埋まるのは時間の問題だろうに。
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:03:45
>>20 自分と異なる意見は全部、自演扱いかいな。楽でいいね。
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:06:26
>>22 そのわりには自治スレを覗いてみてもリアクションないね。
排除したけりゃ削除依頼でも何でも出せばいい。
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:09:01
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:10:47
>>24 ・・・・・・・・・・・と、個人を特定したがるやつが一番怪しいんだけどね。
下手人仕立てる時の常套手段じゃねえかよ、そんなの。
26 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:11:33
哀れよのう・・・
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:12:31
>>25 気に入らないんでしょ、スレタイもテンプレートも何もかも。
で、「気に入らないものは根こそぎ排除」がこの板の自治禿のやり口ってわけだ。
29 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:16:14
30 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:18:40
972 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:07:38 独断でたてずにスレタイや1レス目に書く内容はみんなで相談すべきだった おかげで混乱が生じたわけだ ということなので、次のスレタイでも決めますか。
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:23:12
>>30 前スレのタイトルよりはずっと良くなったと思うがな。
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:27:15
では、このスレは東の連中とは一線を画すスレを作るための議論スレとして、さっさと埋め立てちゃおう 東と同類視されるだけでもよい迷惑なんだからさ
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:29:02
>>33 >>1 はそんな方向付けにはなっていないだろうに。
アンタの主観だけで決め付けなさんなよ。
35 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:32:04
自治の連中に不要の喧嘩を売るような文言をまきちらすからお東といっしょくたにされて悪者にされるんだよ
36 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:32:18
全真宗をまたぐスレも必要だわな。いい加減にしないとまた他宗から総すかん食うぜ。
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:32:59
>>35 しかし、何で「お東」と勝手に断定しているのかよく分からんが。
>>36 その「いい加減」を知らないから板内で総スカン食ってるんだけどね。
39 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:39:08
ローカルルール議論スレで、日蓮系法華系はどんなに伝統がある正統な宗派であろうが出ていけ!という過激論もしばしばある 東系のみならず西系も内ゲバばかりじゃ真宗もますます嫌われてしまう
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:42:55
早いところ1000まで埋めて、その間に誰しもが納得できるスレッドタイトルでも決めて くださいな。
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:43:42
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:47:36
うまく言えないけど、やはり我々の多くは僧侶なんだし、まじめな門徒さんを落胆させないように、他宗他派の僧侶や檀家さんにうらやましがられるようなスレにしましょうよ
44 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:49:45
>>43 それがスレタイひとつでこれだけ荒れている・・・。
この場で建設的に議論すればいいのに、自治がどうの、東がどうのと
ケンカ売って話をデカくしたいだけ。
45 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:51:40
で、まるで次スレのタイトルに関する提案が無いんですが。
46 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:54:06
47 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:54:58
48 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:56:42
だってさ。 882 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:52:38 ありゃりゃ、マジレスしたらとまっちゃった。 でも実はこのスレの流れ嫌いじゃない。 だって笑えるし明るい。某宗派のスレはなんだかね。
49 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:57:12
将来的にはお東も合同にするの?
50 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:58:14
51 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:58:46
>>49 隔離スレだろ?
政治向けの話だけあそこでやりゃいいんだよ。
52 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:01:48
で、まるで次スレのタイトルに関する提案が無いんですが。
53 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:02:32
自治スレへ多方面に喧嘩売りまくってる奴をなんとかしてくれ
正直俺は
>>1 の逆ギレだと思うがいい迷惑だ
>>52 そろそろ案の1つや2つ出てきても良さそうなもの。
早いところ決めて、次スレに移行すればいいんじゃないの?と。
55 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:04:33
>>53 というか、誰が自治の住人に呼び掛けたんだ?
56 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:08:05
>>53 あんた、自治スレの
>>231 の人ですか?
231 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 16:59:15
おまえみたく人を憶測で決め付けてねちこく騒ぎを拡大したい奴がいるから他の真宗僧侶が迷惑するんだ
いい加減にしろ
あのね、スルーしないから面白がられるんじゃないですか?違いますか?
当事スレの中で解決すればいいものを、わざわざ周りが注目するようにしてしまっている
という点では、あんたも同罪だと思いますよ。
何でスルーできないんです?
57 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:08:12
58 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:09:10
見てきた。 便乗犯愉快犯の確率も高いがまったくもっていい迷惑だ。
59 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:11:10
>>56 火に油を注ぐ香具師に、油売りつけに行くような行為だわなwww
60 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:15:26
>>52 人に案を出させておいて、それを批評したいんじゃないの?
誰かスレタイ案出してやったら?
61 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:16:14
>火に油を注ぐ香具師に、油売りつけに行くような行為 イイ表現だね!! 頂きぃー!! 今度つかわせてもらお。。
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:25:12
力尽きたか
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:38:24
64 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:41:49
結局誰も、スレタイにもテンプレにも文句ないんじゃないか? このまま継続と言うことで。
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:48:39
>>64 あるんじゃないですか?
でなけりゃ、あそこまで騒がないでしょう。
誰かが提案するのを待ってるんじゃないですか?
66 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:50:23
騒ぐこと自体が目的だったような気がしなくもありませんが。
67 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:51:50
>>66 なるほど。
しかし、自治まで巻き込んでバカみたいですね。
ちなみにそのうちの1人は日蓮宗の回し者のようですが。
68 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:56:07
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:57:06
>>67 自治スレの218がきっかけですね。
これは自治活動を装ってのスレへの嫌がらせですから、
まさしく自治荒らし以外の何者でもないですね。
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:58:13
71 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 17:59:28
>>70 そういう事実があったのだから仕方ありません。
自治スレ見てこられることです。
筋違いは筋違いとはっきり言うべきですね。
72 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:00:40
低いな
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:02:41
>>71 うん、だからそれがバカ晒しになっちゃうわけだろ?
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:04:32
真宗の中身について何一つ語られていない件について
要するに、自治に通報(
>>218 )することで「自治が反応した」ことにして、足が付かないように
荒らしただけの話だろうに。
バレバレの小細工なんかしないで、スレタイを提案せいっての。
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:06:34
77 :
曹 :2006/01/10(火) 18:08:06
安土宗論の様な問答の資料はないですか? 主に何をいいあらそっていたのか、知りたいです。
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:08:47
ここにきて逆にスレタイにこだわってるのはミソつけられた
>>1 かい?
80 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:09:04
81 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:09:32
真宗クオリティー爆発の糞スレだな
83 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:12:10
84 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:15:00
決め付けたがる人もしつこいねえ
糞は溜まれば肥料にもなる。層化は鼻糞だい。いくら溜めてもゴミにしかならん。
86 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:15:56
87 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:18:13
∧∧ ミ _ _ ドスッ ( ,,)┌─┴┴─┴┴─┐ / つ. 無限ループ │ 〜′ /´ └─┬┬─┬┬─┘ ∪ ∪ ││ _││ε3 ゛゛'゛'゛゛゛'゛'゛゛
88 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:19:32
>>87 1000までにスレタイ決めるだけですからいいんですよ。
89 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:24:34
また真宗禿の犯行か? 「墓安く買える」僧侶が86歳から100万円だまし取る 「墓を安く購入できる」と86歳の女性に持ちかけ、100万円あまりをだまし取ったとして、 僧侶が逮捕されました。 逮捕されたのは、福岡市西区の僧侶・国分常説容疑者(46)です。調べによると、国分 容疑者は福岡市南区の86歳 の女性に対し、「自分が仲介すれば、墓を安く購入できる」 と嘘を言って、去年6月から7月にかけて3回にわたり、合わせて100万円あまりをだまし 取っていた疑いが持たれています。国分容疑者は容疑を認めていて、「多額の借金を抱 えていた」と供述しています。 国分容疑者は長崎県対馬市の寺に所属する僧侶で、被害者とは、おととし4月、夫の葬 儀でお経を上げたのをきっかけに知り合いになりました。支払い後も納骨できないことから、 被害者が調べたところ、事件が発覚したということです。
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:25:25
【お東も創価も】よっしゃこい【自治も神道も】
91 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:27:43
92 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:30:55
浄土真宗(真宗)サロンはぜひ残してもらいたい。
93 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:32:00
【創価も】文句あっか自治に東?【神社本庁も】
94 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:32:25
>>92 それが問題なんでしょ?じゃ、ダメじゃん。
95 :
たな :2006/01/10(火) 18:32:58
此処が、一切衆生の信心を増す場所であります様に。
96 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:33:23
【浄土真宗】皇学館は北崎事件を謝罪せよ【サロン】
97 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:33:39
98 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:33:45
【荒らしも】真宗軍団【おまかせ】
99 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:34:26
【ご門徒を】浄土真宗サロン【失望させない】
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:34:38
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:35:18
【西も】結局アラシ【東も】
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:35:56
>>97 しかし、真宗って何でこうも犯罪を起こすのかな。
宗派別で見たら極端に多いと思う。
103 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:37:09
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:38:20
>>59 また油を売りに行った香具師がいるようで。
236 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:36:19
また新スレかよ
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:39:27
【犯罪集団】浄土真宗サロン【悪人正機】
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:42:01
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:42:03
【集金】門徒から絞ろーぜ【上納】
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:42:49
【花ちゃん】かわいい【千春子】
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:44:15
【削除上等】消されたら立てるまで【真宗根性】
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:48:25
【平成維新】2ちゃん一向一揆【電脳革命】
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:52:45
>>106 237 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:40:59
100レスこえても実のある会話もできない真宗スレは削除せよ
238 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:50:20
VIPPERに埋めさせるか
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:52:56
【VIPPER】埋めれるものなら埋めてみろ【キモヲタ】
>>111 自治がこれじゃあな。
所詮、似非自治と言われるわけだよ。
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 18:56:24
>>111 この板の自治はVIPPER呼び寄せてスレ潰しまでやるんかい。
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 19:00:44
>>114 これが極道禿の極道禿たる所以ってやつだよ。
ちょっとでも気に入らなかったら、あらゆる手段を使って潰しに掛かる。
だから板住人から鼻摘み者として扱われる。
116 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 19:19:17
さ、そろそろ本題に入りましょうか。
117 :
なさ :2006/01/10(火) 19:24:41
罵り合うのは 泣けてくる。
118 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 19:54:18
【罵詈】真宗サロン【雑言】
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 21:16:05
>>96 そんなこと言ったら、大谷大学は金閣寺に謝罪せよ、ってことになっちゃうね。
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 21:22:07
謝罪すべし
121 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 21:38:11
新本尊の きくといちょうどうよ? おれはきくを頂いてるが、 連れが来たときさっとしまえるのがいい。
122 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/10(火) 22:02:02
【削除禿に】ドラえもん、のび太と浄土真宗(真宗)【負けるな】
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 00:46:16
【真宗は皆】お東にはまけないもん【暴れん坊】
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:13:38
【神社本廳】お西に賠償金を払えやごるぁ【皇學館大學】
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:18:20
【日蓮】唱題は念仏のパクリ【法華】
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:21:24
【お東しね】高田派こそ正統【お西しね】
127 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:22:54
【搾取】各本山御改修【強奪】
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:23:54
【なむ】どっちが正しいお念仏?【なも】
129 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:27:13
【学会】どちらが多いBとK【真宗】
130 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:29:18
【童話】真宗は私たちの同胞【挑戦】
131 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:32:46
【浄土教】真宗のみ異端【浄土宗】
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:42:29
【御同胞】謝罪と賠償要求サロン【御連行】
133 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:44:05
【靖国解体】真宗こそネ申【神祇不拝】
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 01:47:06
【破戒】真宗は仏教にあらず【非僧】
135 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 02:16:54
>>135 別に今のスレタイで悪くないと思う。
スレの趣旨に相応しくない、連投荒らし同然のタイトル並べたところで賛同しようとは
思わない。
137 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 02:57:17
そもそも、浄土真宗系各宗派のスレ乱立を防ぐことが目的。 タイトル、テンプレートからして「全宗派を包括する」と宣言し、「総合サロン」と称しているのだから その点、機能としては特に問題はないと思う。 それに前スレの「22派」という定義自体、決して根拠が確かな話ではなかったが、それほど問題 視されていたわけでもなく、議論の場としてもそこそこ機能していた。 継続性という点でも、前スレに誘導を貼っているし、ここに人間が集っていること自体、後継スレと しては問題が無かったということ。 何を問題にし、何を是正したいのか話の核心が全く見えてこない。
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 09:08:14
>>77 昭和50年頃に出版された『真宗資料集成』(同朋舎)になら
何かあるかもしれません。
図書館関係を当たられてみてください。
139 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 10:49:06
140 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 11:01:11
>>138 そう言えば、金子大榮追放の顛末なんかも収録されている。
141 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 11:41:41
142 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 13:01:30
・・ さすが真宗だな。
143 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 16:49:52
僧籍剥奪されたら寺はどうなるの?
144 :
138へ :2006/01/11(水) 16:53:09
有難うございました。当たってみます。
145 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 16:59:56
>僧籍剥奪されたら寺はどうなるの? 寺としてはナァーんも変らない。僧籍剥奪された住職とその家族が居なくなり 替わりに法類か本山からの住職が新たに入る。何事もなかったかのように・・・。
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 17:04:02
癌だよね。
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 19:43:27
隠蔽ばかりですよ
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 22:29:40
今日はやけに静かですね。何事もないのが一番ですが。
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 22:43:50
真宗の坊さんはギター片手にあんなふざけたのが多いの?
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 22:49:20
糞坊主だから真宗なんじゃないか
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 23:31:25
バリバリバリューか。 アトリエに120万のカルティエの時計を娘にプレゼント。 バックはヴィトンで30万弱。真宗の娘はお嬢様
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/11(水) 23:58:24
あそこの寺をよく知ってるけど、内情はひどいよ。(大谷派ですね) お金で何でも解決できると思ってるし、住職夫婦も年老いた親をいじめて 好き勝手にやってるし。 住職にふさわしくない人がやってんだったら、本山も辞めさせるくらいの 改革してくれないかなぁ。 檀家が多ければ本山にもお布施がいくからって野放しにしすぎ。 だから真宗はダメって言われるんだよ。
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 02:32:34
真宗はダメっ 真宗はダメっ 真宗はダメっ
155 :
千春子 ◆TEyUlIM42o :2006/01/12(木) 06:34:33
私の観た大谷派のお寺って…殆ど死にかけてるよ(ToT) 可哀想なくらいお金なさそう…雨樋は落ちてるしビルに囲まれて日当たりは悪そうだしカビはえてるし(ToT) その近くの本願寺派は大きくて幼稚園や駐車場や貸ビルなんかしちゃってて差がありすぎって感じ(-o-;) こんなに差があってよろしいのかしら?
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 13:35:08
よろしくてよ
157 :
千春子 ◆TEyUlIM42o :2006/01/12(木) 14:17:27
よろしいのね(^O^) それにしても暇だワー 院はじじむさくなっちゃったし…授業は退屈だし… 賢ぶってるジジイがムカツクー!+オヤジがうざい!! 写経100枚しても気持ちムカムカ☆★※×〇止まんない!
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 14:31:34
なぁーんだ。 千春子は授業中華!! ヲイラたちのようにアホな大人に成らない様によーく 勉強しておきなよ。。社会人になったら机に向かう時間 すら無くなっちゃうからね。。。
159 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 14:37:16
千春子きえなさい 見苦しいですよ
160 :
千春子 ◆TEyUlIM42o :2006/01/12(木) 15:23:55
>>158 ありがとうです。
>>159 の様にならない様に程々に勉強します。
オヤジもオバンも超うざい!
161 :
沙門 :2006/01/12(木) 15:43:10
そんなことを言ってはいけません。若さは永遠ではありませんよ。 二十歳前でもあと数年経てば10代の子供にオジンオバンと罵られますよ。 年長者に敬意をはらう事で貴方も敬意をもって認められるものですよ。
162 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 15:45:24
日蓮のお人もたまにはまともなことをおっしゃる
163 :
千春子 ◆TEyUlIM42o :2006/01/12(木) 15:52:57
こんな経験してない奴が若い者にうざいって言われるオヤジやおバンになるのです。 あなたには何がうざいか解らないでしょ? 良い事も戴けない事も経験してなきゃね(`ヘ´)
164 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 18:50:35
うるさいよババァ!
本当に宗門校は信じられない馬鹿が多いから困る・・・・・ 院にいってこの程度かよ・・・・・ 自己中な価値判断自体が厨くさいことに気づけるのは いつになることやら
166 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 19:02:16
赤い禿に南無阿弥陀仏
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 19:32:47
>>152 ・・・・・・・・・・・・・・・・何か「勝ち組」一例で全部がダメというような言われ方もきついなぁ。
>>155 そこが国宝と重文の差ですよ。
まあ、教団自体の経営センスの差もあるとは思いますが。
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 19:45:52
真宗がうんこであることにはかわりない
170 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 19:53:57
>>168 そういうところは国に相応の費用負担をさせるわけね。
宗教に対する国家権力の介入を嫌悪し、日頃、様々な活動をしているのに「それだけは別」
というのは通用しないんじゃないの?
都合のいいとこ取りですか?
これだから信用できないんだよね。
171 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 20:05:48
>>140 「浄土の観念」を巡る問題。
結果、金子は僧籍を剥奪され、大谷大学教授の座も奪われた。
金子の、浄土は精神観念的な存在としてある、という論が当事の教団から嫌われたわけだが、
じゃあ、今現在の宗学・教学はどうなのかと。
精神観念的な存在としての浄土を土台として、情の世界として環境的な浄土世界を論じている
じゃないかと。
結局、本願寺派と大谷派の話題か・・・
173 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 20:16:57
んじゃ千春子
>>171 当時の教団が問題にしたことは「ありがたや」主義と、「あの世」商法の
存亡に対する危惧でしょ。
精神的観念じゃ落とし所がなくなっちゃうし。
しかし、その精神的観念がいつしか融通の利かない教条主義に転換し、
ますます身動きが取れない袋小路に陥っちゃった。
観念や言語じゃ救われないよ。
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/12(木) 20:21:21
>>174 「ここにこう書いてあるんだから!」で押すしかないからだよ。自身の無い証拠。
自分の体験で語ってないし。
>>172 もはやスレ立てしようがない(ネタが続かない)第2勢力以下を取り扱いたいところ。
仏光寺派とかね。
177 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 07:15:50
178 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 08:08:30
179 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 08:29:00
180 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 09:11:20
>>176 仏光寺も由緒で言えば高田系ではあるけどね。
181 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 15:54:36
>>180 そもそも、で言えば、本流は高田門徒。
本願寺系が政治的に巧く立ち回ったおかげで、高田系の資料の多くが偽物扱いされているけど。
何をもって本流と自称するのかよくわかりませんが、いずれにせよどこも「われこそは」と 本流を自称するものですよ。どこが本流かそうじゃないかなどどうでもいいことですけどね。
183 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 16:23:04
本物は浄土宗
184 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 16:24:38
本物はケチャプー
けちゃっぷみたいな浅学で(・∀・)デムパ!!な香具師どうでもいい
186 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 17:23:01
おまえよりかはまし
煽りご苦労さまw
188 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 22:05:07
だから人は死んだらどうなるんですか?
お釈迦様は無記だとお答えになりました
190 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/13(金) 22:18:47
では往生とは何ですか?
191 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 13:56:30
>>182 しかし、本願寺の歴史自体、墓守さんの血統主義に基づく権力拡大物語ですからね。
本来、親鸞が望んだ方向ということを考えたら、その是非というのは問われてもいいんじゃないかと
思いますけど。
193 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 14:28:31
>>192 大所帯であるが故の全体論がかえって首を絞めてるところあるんじゃない?
194 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 15:13:03
>>190 逆にあなたは何だと思いますか?
むしろ、そちらの方が重要な問いだと思いますが。
195 :
嵐1 ◆Y7FjQgxfdo :2006/01/14(土) 15:22:24
>>190 私は190じゃないけどさー
往生って死ぬ事でしょ! 「お疲れさんよう励んだねー」ってか?
楽になること…全ての事から解き放たれ心身ともに楽になること…
>>195 じゃ、楽になりたけりゃ早く死ねってか(w
197 :
嵐1 ◆TEyUlIM42o :2006/01/14(土) 15:41:15
んだね★んでも自殺は苦しいから止めた方がいいずら★ 自殺計っても死ぬ運命になっていなかったら苦しいだけで生き残る…★ 私の経験からです…残像も後遺症も酷いぞ★
198 :
嵐1 ◆Y7FjQgxfdo :2006/01/14(土) 15:43:58
自殺は絶対死んでからも苦しいだろうな・・・ 今生きてるけど絶対苦しいはずだ! 間違いない★
そうかなぁぁ・・・・・・ヲイラは自殺したら今よりも ズーット楽になれそうな気がしてしょうがないンだけど・・ やっぱ苦しいのかな?????
200 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 15:48:16
>>197 最後は死ぬわけだからね、人間なんてものは。
それでいて何一つとして自分の思うようにはならない。
しかし、自分をこの世に生み出し、今日まで生かしめてきた不可思議の因縁というものはある。
生きること自体が何らかの不可思議なる力、はたらきに支えられているとするならば、「不可思議」の
上に自分自身の命があることを引き受けることができたなら、本当の意味で「楽になる」ということかも
知れない。
201 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 15:49:49
>>199 主体が消滅したら楽かどうかもわからないだろうに。
それが最も空しい。
202 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 15:51:56
>>201 だろうね。
少なくとも、命を与えられた意味というものを受け取ろうともせずに死ぬとするならば、
他人様がどう思うが、自分としては納得できないものがある。
203 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 18:10:45
で、結局「往生」って何?
204 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 18:22:44
生も死も、念仏も往生もみな空なり。
>>203 そいつは幼稚園児に小学校のことを聞くようなもんだべ。
ああだこうだ言い出すかもしれんが誰も知らない。
206 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 18:26:11
>>203 仏が住む世界、すなわち浄土に行く以外ありますか。
207 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 18:44:30
浄土もただの説話に過ぎぬ。 どこに行こうというのだ?
208 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 19:11:19
209 :
203 :2006/01/14(土) 22:31:14
>>206 その仏の世界は何処にあるの?
どうやって行くの?
210 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 23:01:29
>>209 仏教を勉強してきてから
質問した方がいいな。
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 06:33:54
212 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 07:31:17
>>209 仏の世界?
既に仏の世界にいるだろうに。
>>207 法性法身と方便法身について学び直した方がいいんじゃないですか?
どっかの人が生きながらの往生とか言ってたなぁ 往生=極楽に転生 だけじゃないんだと思った昼下がり
216 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 09:16:59
>>207 そうですね。
それ自体、方便の成否を問うているだけかと。
そもそも「利他真実」(真宗ではこう表現してますね)というものは、形をとらない「はたらき」のこと
で、それ自体には実体がないので「如来」という存在を仮に立てている。
「往生」というのも同じで、形なき真実への「道」を言葉を使って仮に表現しているに過ぎない。
しかし、よくは分からないが(不可思議)確かに「道」があり、そこに自己を引き受けさせるような
「はたらき」(光)があることを知り、その「はたらき」の中に落ち着き、生かしめられていると頷け
るような境界(南無)を「往生」と言うのではないか。
>>216 しかし、方便が一人歩きし始めるとろくなことがないですね。
>>214 それよく大谷派の人が言ってるの聞くなぁ。
「現生正定聚」をそう言い換えてわかりやすくしてるつもりなんだろうが、
教学的にお粗末としか言い様がない。
>>216 > 「はたらき」(光)があることを知り、その「はたらき」の中に落ち着き、生かしめられていると頷け
> るような境界(南無)を「往生」と言うのではないか。
言わない。
この世で往生してこの世が浄土だとするまるで大谷派の変な教学のようだ。
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 14:56:54
>>220 >この世で往生してこの世が浄土だとするまるで大谷派の変な教学のようだ。
それを言うなら、往生という生き方がある、でしょう。
でなければ、ただの「ありがたや」主義になってしまうでしょうし。
222 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 15:09:45
>>221 そ、どこまでも往相だわな。だから大谷派じゃあまり還相のことは言わない。
>>220 何か偏った受け取りしてんなぁ・・・(w
そりゃ、ごく一部の連中が「この世に(擬似的な)浄土を作ろう」と騒いでいるだけのこと。
で、あらゆることにNG出しして、窮屈な世界を作ろうとしてるわけだ。
この世が浄土なんて誰も思っちゃいねえよ。
ただ、この世じゃ無理だが、青光、黄光・・・とそれぞれの命が輝くような、そういう世界を憶念する
生き方はあるって言ってるだけのことで。
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 15:15:52
教学云々より教団そのものに信用がないんです。
225 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 15:26:09
>>221 >ただの「ありがたや」主義になってしまうでしょうし
それが従来、主とされてきたものでしょ?
226 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 15:46:12
こういう無意味な論争ってのもね。。。 633 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/14(土) 01:19:17 いいか!浄土真宗は親鸞聖人が9歳から比叡山で20年間修行して、天台宗の 比叡山の教えでは悟りが開けないと思い下山して、法然上人に教えを一回請え 法然上人の「専修念仏」ではなく、すべての人が悟れるものでなければいけないと 考え、「他力本願」の考えを広めようとしたんです。確かに浄土真宗の考え方は かなり難しいと思う!何か聞きたいことがあるなら真正面からぶつかっておいで!! 何でも答えてあげるから!その代わり逃げるようなことはするなよ!! 634 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 15:40:40 修行のできない落ちこぼれが 自分勝手な解釈をして安易な道に行っただけ
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 15:52:31
>>226 ということは法然さんもアウトってことですね?
228 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 15:55:45
へぇー、「すべての人が悟れなければ」って、天台の教えも法然の教えも捨てたまでは解る。 で、すべての人は悟れたのか? 「すべての人を救う」などと理想ばかり言って、修行さえも否定して何もしないって・・・ いかがなものか・・・
>>228 >法然の教えも捨てたまでは解る。
勝手に解って欲しくないんだが。
何を以て「法然の教えを捨てた」というのだろうか。
専修念仏で何故救われるのかを考えることは「捨てる」なのだろうか?
それに親鸞さんは「すべての人を救う」なんて言ってないわけだが。
230 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 16:00:29
>>228 しかし、過去ログも掘らんでいつまでもまぁ・・・(w
231 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 16:05:33
>>229 確かに。
親鸞のスタンスは、自分のようにいずれの行も及び難い者まで「たすけん」と誓われた本願を前にして
頭が上がらない、と言っているわけで。
もう少し解釈すれば、「自分ですら救われるのであるならば(世に善人と言われる人は必ず救われる)」
という反語的な前提をそこに置いていることになる。
修行云々というならば、真宗を否定する前にガムシャラに修行されたらいいと思います。
そのこと自体、誰も否定はしませんしね。
232 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 16:09:44
>>229 いつの間にか法然まで否定したことになってるんかいな、浄土真宗は(w
いつ、どこで誰がそんなことを言い出したのか聞いてみたいものだ。
233 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 16:12:18
>>229 さん
>>226 のレス中に、「すべての人が悟れる教えでなければならないと考え「他力本願」の教えを広めた」と書いてます。
悟りは救いでもあると思いますが?
234 :
229 :2006/01/15(日) 16:16:38
>>233 他人様の発言のフォローまでしなければならないのか?
>>226 にある「すべての人が悟れる教えでなければならないと考え「他力本願」の教えを広めた」
という説がどこから出てきたものなのかを逆に聞いてみたいところ。
235 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 16:20:08
それもそうですね。
>>226 に書かれている事が誤りなんでしょう。
親鸞の教えは「すべての人を救える教えでは無い」と言う事でよろしいか?
236 :
229 :2006/01/15(日) 16:35:51
>>235 根本的な勘違いが生じてるね。
親鸞は少なくとも「すべての人を救える教え」を説いたわけではない。
むしろ親鸞のそれは
>>231 も言うように「自分のような者ですら本願大悲の中にある」ということを
言っているわけで。
あくまで衆生の救済は「如来の仕事」だと。「正覚を取らじ」と誓っているところにその救済がある
わけで、親鸞自身が救うという話ではないし、ただ頭が下がると。
如来と人間の分限をどこまでも明らかにしたのが親鸞の教え。
法然さんは『観経疏』の「一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念々不捨者 是名正定
之業 順彼仏願故」の一節から専修念仏を開いたけれども、そこから「他力(本願力)回向」こそが
救いであると開いていったのが親鸞という人の仕事。
まぁ法然が専修念仏オンリーだったというのは少し言い過ぎかなぁ 晩年はもう少し進めていたように読めるんですけどねぇ わたしは真宗教義には疎いですが「他力本願」って真宗的に特別な意味合いがありますのん? 法然からして他力本願の称名念仏だと思うのですが・・・
悟りが救いなら、どの宗派でも救われねえし。 真宗では「悟りに等しい」とは言うが、「誰しもが悟れる」なんて言い方はしない。
親鸞のオリジナルと言われてきた悪人正機説ですら法然の 言説であった可能性が高いしなぁ。とても「法然を捨てた」 なんて言えないと思うが。
240 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 19:39:08
>>239 そうなんだよね。
悪人正機も法然を起源とするのが最近の風潮。
法然を切って親鸞の教説があるかと言えば、それは見当違いも甚だしい。
241 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 19:40:48
本物は浄土宗
242 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 19:44:31
>>239 >「法然を捨てた」
>>226 の
>法然上人に教えを一回請え法然上人の「専修念仏」ではなく、すべての人が悟れるもので
>なければいけないと考え、「他力本願」の考えを広めようとしたんです。
が「法然を捨てた」という解釈になっているのか・・・。
しかし、誰がそんなアホなことを言ったんだ?と思うが。
243 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 19:54:43
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」も法然の言葉だと言うしね。 法然は華厳宗の元暁の『遊心安楽道』から引いて 「四十八の大願、初にまず一切凡夫のため、兼ねて三乗の聖人のためにす。故に知んぬ。 浄土宗の意は本凡夫のため、兼ねては聖人のためなり。」 と延べ、『選択本願念仏集』にも 「極悪最下の人のために極善最上の法を説く」 と述べている。
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 20:01:34
但し、法然教学における「悪人正機」は、どこまでも善行の努力を詰めていくんだよな。 このあたりが親鸞の「悪」の位置づけと異なっている。
245 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 20:15:02
そのあたりは法然をきちんと経由せず、いきなり親鸞から入ってしまうと見落とされがちになるよね。
246 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 20:21:12
>>238 ???
「悟りが救い」なんて何処に書いてる?
247 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 20:22:25
233 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 16:12:18
>>229 さん
>>226 のレス中に、「すべての人が悟れる教えでなければならないと考え「他力本願」の教えを広めた」と書いてます。
悟りは救いでもあると思いますが?
248 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 20:29:49
悟りが救いって書いてないじゃん。 悟りは救いでもあるって書いてるから少し意味合い違うでしょ? しかもこの「悟りは救いでもある」を否定するなら、もはや仏教の教説とは言えないでは?
249 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 20:39:25
神社で祝詞奏上したり、念仏したりして、 神祇に感謝しろよ、浄土真宗僧侶。 神祇不拝を掲げて神祇に感謝する態度が欠けている。 神社で祝詞奏上したり、念仏したりするのは、 拝むのではなく法楽の一環で感謝の意を表明するためだ。
250 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 20:45:29
>>248 >「悟りは救いでもある」
救いにならない悟りがあるんか?
251 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 21:53:02
???
252 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 22:14:46
>>244 「罪をば十悪五逆の者、尚、生まると信じて、小罪をも犯さじと思ふべし」(『和語灯録』)
神祇信仰したい人はどうぞそちらへ。 否定するつもりもない。ご勝手に。ただし俺には必要ない。それだけ。
254 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/15(日) 23:51:21
仏教学専攻している門徒(本派らしいが)の学生さんのレスが参考になるよ。 642 :名無しさん@3周年:2005/12/24(土) 17:57:50 ID:J1EnpXLl なお、親鸞の思想の核心部分は中観仏教を研究していた曇鸞大師の『往生論註』に大きく負うところが あり、一読されてはどうでしょうか?浄土にしても実体のようには捉えていません。 往生浄土を「不生の生」であり、いわゆる今生の生のごときものと考えてはならないとはっきり言っています。 阿弥陀仏にしても然り。なお、親鸞聖人最晩年の「自然法爾」の思想では、「弥陀仏とは 自然のようをしらせんりょう(手段・材料)なり」と断っています。 だから厳密には「阿弥陀仏は存在する」という言い方はまずいわけです。便宜的に用いる人もいるかもしれませんが。 また曇鸞大師が影響を強く受け、また親鸞聖人も真宗七高僧の初祖と位置づけている龍樹菩薩は、 「如来は生じたものではないから、来たり行ったりせず、空性こそ如来である」とも位置づけており、「実在しない如来の去来」という 般若経典の記述を享けた表現に注視しています。大乗菩薩道として阿惟越致をうる信方便の易行としての念仏を提唱したということ でしょか。当然この思想は曇鸞大師の「論註」に反映し、また親鸞聖人の思想に反映することになったわけです。
といっても私は坊主じゃない一人の門徒にすぎませんから、一人一人の坊主が 実際にどういう法話をしているのか、全てを見ているからわかりませんが、「お浄土に赴く」とか 「お浄土に生まれる」という表現は、私もそして所属している寺の坊主も使用する表現ですが、 あなたの話を聞いていると、何か勘違いをされているのではないかと思われます。 前に曇鸞大師の「不生の生」という中観思想に基づく表現を紹介しましたが、 今生の生のごとくに考えてはならないと何度も断っています。この表現は、世親(または天親)菩薩の 『浄土論』の「願生浄土」の表現を解説する時になされる表現で、つまり「浄土に生まれる」とはすなわち 「不生の生」であるということです。ですから「浄土で会う」と言っても、別に個別化されているように現象している 今生の生における個人個人の出会いであるわけではなく、また浄土がそのような場でもないということです。 それは真宗系のサイトでも色々語られておりますし、パンフレットの形で頒布しているところもあるようですよ。 真実をありのままに説くといいますが、勝義は直接表現できないというのが仏教の基本的な立場ではないですか? 言葉で表現されたものは究極的には戯論でしかなく、勝義は直示されない。しかし同時に世俗諦(言説諦)によってしか 勝義諦は指し示されない。だから言葉を尽くし論理を尽くしたうえでその否定性において指し示されざるを得ない。 かかる中観派の認識が基本にあります。そしてそこでは有無の邪見はともに執着にとらわれた謬見ということになります。 「浄土などなく、阿弥陀仏なども存在しない」という命題も、「浄土が存在し、阿弥陀仏も存在する」という命題と当時に ともに最終的に否定されます。もちろん浄土や阿弥陀仏を名辞として使用はします。しかし実在論を前提にしたものではありません。
649 :名無しさん@3周年:2005/12/24(土) 21:28:48 ID:J1EnpXLl 龍樹菩薩は相依・相待の縁起説により自性を否定して覆し、無自性を徹底させました。空―無自性は、実体的な思考を排除すると同時に、 一切のとらわあれのないさとりの境地を指し示します。 そのような境地に至ることを凡夫である我々のために用意されたのが同じく龍樹菩薩の言う「信方便の易行」であるというわけです。 親鸞聖人は 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法 証観喜地生安楽 顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽 憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如來号 応報大悲弘誓恩 と「正信偈」において述べられています。 これは熱心な真宗門徒なら毎日勤行で読んでいるものです。
結局同じことを再度言うことになりますが、敷衍して親鸞聖人の言を見ましょうか。 「問うて曰わく、大乗経論の中に処処に『衆生、畢竟無生にして虚空のごとし』と説きたまえり。 いかんぞ天親菩薩、願生と言うや。答えて曰わく、『衆生無生にして虚空のごとし』と説くに、 二種あり。一つには、凡夫の実の衆生と謂うところのごとく、凡夫の所見の実の生死のごとし。 この所見の事、畢竟じて有らゆることなけん、亀毛のごとし、虚空のごとし」(『教行信証』「行文類」)。 この元になる曇鸞大師の言も付け加えておきます。 「『願生安楽国』とは、この一句はこれ作願門なり。天親菩薩の帰命の意なり。 それ『安楽』の義は、つぶさに下の観察門のなかにあり。問ひていはく、大乗経論のなかに、処々に 『衆生は畢竟無生にして虚空のごとし』と説けり。いかんが天親菩薩『願生』といふや。答へていはく、 『衆生は無生にして虚空のごとし』と説くに二種あり。一には、凡夫の謂ふところのごとき実の衆生、 凡夫の見るところのごとき実の生死は、この所見の事、畢竟じて所有なきこと、亀毛のごとく、虚空のごとし。 二には、いはく、諸法は因縁生のゆゑにすなはちこれ不生なり。所有なきこと虚空のごとし。 天親菩薩の願ずるところの生は、これ因縁の義なり。因縁の義のゆゑに仮に生と名づく。凡夫の、実の衆生、 実の生死ありと謂ふがごときにはあらず」(『往生論註』)。
660 :名無しさん@3周年:2005/12/25(日) 19:15:18 ID:Gv/3vszn (つづき) 「問ひていはく、なんの義によりてか往生と説く。答へていはく、この間の仮名人の なかにおいて五念門を修するに、前念は後念のために因となる。穢土の仮名人と浄土の仮名人と、 決定して一なるを得ず、決定して異なるを得ず。前心後心またかくのごとし。なにをもつてのゆゑに。 もし一ならばすなはち因果なく、もし異ならばすなはち相続にあらざればなり。この義は一異の門を 観ずる論のなかに委曲なり。第一行の三念門を釈しをはりぬ」(『往生論註』)。 「究竟如虚空 広大無辺際。この二句は荘厳量功徳成就と名づく。・・・『願はくはわが国土虚空の ごとく広大にして無際ならん』と。『虚空のごとく』とは、いふこころは、来生のもの衆しといへども、 なほなきがごとくならんとなり。『広大にして無際ならん』とは、上の『如虚空』の義を成ず。 なんがゆゑぞ『如虚空』といふ。広大にして無際なるをもつてのゆゑなり。『成就』とは、いふこころは、 十方衆生の往生するもの、もしはすでに生じ、もしはいまに生じ、もしはまさに生ぜん。無量無辺なりと いへども畢竟じてつねに虚空のごとく、広大にして無際にして、つひに満つ時なからん。このゆゑに 『究竟如虚空 広大無辺際』といへり。問ひていはく、維摩のごときは、方丈に苞容して余りあり。 なんぞかならず国界無貲なるをすなはち広大と称する。答へていはく、いふところの広大は、かならずしも畦 五十畝なり。三十畝なりをもつて喩へとなすにあらず。ただ空のごとしといふ」(『往生論註』)。 以上を見てもわかるように、個別の実体とは全く異なります。 なんだか同じことを繰り返しているわけですが。
661 :名無しさん@3周年:2005/12/25(日) 19:17:12 ID:Gv/3vszn (つづき) 「空である」というのは、実在論の立場から見られるような、有であるということの対立命題では ありません。空は有の対立概念ではなく、有と無を超えるものであって、存在に対立する非存在を 意味するものでもありません。ものを「有」とか「無」とかと固定的に捉えることなく、有無を離れて ありのままにみることが、無取捉(anupalabhi)と言われます。これはものを対象としてみることを超えて 有無の相対的立場を超えている認識をいうのであって、この意味で空を見るとは空を取捉(ないし可得、所得) しないことです。ところが我々は有無の分別(はからい)によっては捉えることはできず、分別を超えたもの としてみるほかありません。分別を超えた無分別の智によってはじめて有無相対の立場が超えられるのでしょうが、 そこでこの智は不可得の認識と逆から言えるのではないかと思われます。 「意識が有と無とを超越して、いずれにしても依拠していない人々は、依存性の意味は深遠であり、 認識の対象ではない、と明らかに知る」(龍樹菩薩『六十頌如理論』)。 ちなみにチャンドラキールティ注釈書から取ったチベット訳を載せておきます。 “gaN dag gi blo yod med las/ rnam par hdas Sin mi gnas pa/ de dag gis ni rkyen gyi don/ zab mo dmigs med rnam par rtogs/” この種の論説は龍樹菩薩のテキストにわんさと登場してきますので、一読をおすすめします。 どの宗派に依拠する者であれ、あるいは特定宗派に属しない者であれ、いずれにせよ大乗仏教を 語る上では、必須の論師ですから。
神祇に感謝したい人はご勝手にどうぞ。それだけだよ。 俺には不要といっているわけでね。神祇信仰はもちろんのこと、感謝しなければならず 祝詞奏上やらしなければならないなんてどっこからそんな発想になるんだか。 書いてないしね、そんなこと。
262 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 00:04:47
だったらいいんじゃないの。風物詩としてイベントしてご勝手にやればいい。 それだけ。感謝せよだの祝詞奏上だのいわなくていいだろうに。 参拝はしないまでも俺も神社の雰囲気は嫌いじゃないから見物にいくことはあるよ。 でも祝詞を奏上しようとか、お祓いがどうのこうのとなるとそれは違うだろうということで もちろんやらない。御守りももたない。でもそうしたい人がいるならご勝手にということ。 そういう人の存在は尊重するつもりだよ。
日蓮正宗が来た時の真宗スレだな
あれ?本願寺派のスレは300番代だぞ?
心と宗教板の本願寺派スレ
270 :
267 :2006/01/16(月) 01:51:49
>>261 =263
それは神祇に対する不要という姿勢を
隠れ蓑にした神祇不敬の姿勢だな。
感謝し敬うのならば、形にして出さなければならない。
やはり祝詞奏上はやるべき。
少なくとも仏光寺派のように神祇に対して念仏を唱えるべき。
親鸞は神祇を敬えといっている。
神祇を拝まずというのは神祇不敬の隠れ蓑にしていることは自明である。
272 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 09:11:37
>>271 不要とは書いていないのでは?
「ただし俺には必要ない。それだけ。」とある。
>>264 カルト臭ムンムンの親鸞会に比べればまともなこと言ってるよ。
274 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 09:40:17
親鸞二十四輩の性信のエピソードに絡む浅草報恩寺の「俎開き」などを どう考えるか?だな。 最近の坊さんは「神仏習合だから」とNG出しをしているようだが。 ポイントは、神が仏法の縁により苦難を乗り越える、という神仏習合の典 型的パターンであること、そしてその伝承が「叢林集」など江戸時代に起 こっていること。 江戸時代にもなって神祇信仰のスタイルで性信のエピソードが浮上して くること自体、「神祇不拝」のイメージがそれ以降に形作られた可能性を 示唆するものではないのかと思うのだが。
276 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 11:16:59
>>271 しかしながら
>感謝し敬うのならば、形にして出さなければならない。
>やはり祝詞奏上はやるべき。
とまで信仰の必要性を語ってはいないでしょ、親鸞さんは。
277 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 11:18:08
638 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 08:39:15
真宗はなぜ女性が住職になれないんだろう?
639 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 09:19:14
>>638 本願寺派(西本願寺)は普通になれるが
>親鸞は神祇を敬えといっている どこに?少なくとも御本典その他には逆のことが書いていると思うのだが。 承元・嘉禄の法難などには神祇を敬わないのはけしからんと攻撃されている。 覚如上人・存覚上人あたりから教団護持のために神祇信仰との折り合いをつけるために 御開山さまの考えと違うことが打ち出された。それほど神祇信仰が根強かったのだろう。 蓮如上人にもその影響が見られる。 第十八願の法による救いは弥陀一仏である。神祇ではない。 「真偽を勘決して、外教邪義の異執を教誨せば、『涅槃経』にのたまはく、仏に帰依せば、 ついにまたその余の諸々の天神に帰依せざれ、と。『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、 この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。 余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ、吉良日を視ることを 得ざれ、となり」(『教行信証』「化身土文類」) 「五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」(『正像末和讃』) 「かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬す」(同上) 「真の仏弟子といふは、真の言は偽に対し仮に対するなり。弟子とは釈迦諸仏の弟子なり、金剛心の行者なり。 この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、真の仏弟子という。 仮といふは、すなわちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。偽といふは、すなわち六十ニ見・九十五種の邪道これなり」(『教行信証』「信文類」)
>祝詞奏上はやるべき まず典拠をしめすべきだね。どこに祝詞奏上して神祇を敬えと書いているのかと。
280 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 11:59:48
>>278 例えば、道元などは『正法眼蔵』において「山神鬼神等に帰依することなかれ」と言いながら、
白山妙理大権現はじめ多くの護法神、護伽藍神を祀っているという事実もある。
一方、法然は「神祇不拝」を南都北嶺から糾弾されているが、法然自身が「神祇不拝」を主張
したことは一度もない。これは「専一であることが必ずしも排他性となっていない」ということを
示しているのではないか。
これは親鸞にしても然りで、和讃においては
「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
とあり、御消息にも
「此世の祈りに仏にも神にも申さむことは、そも苦しく候まじ。後世の往生の為には、念仏の外
にあらぬ行をするこそ、念仏を妨れば悪しきことにては候へ。此世の為にする事は、往生の為
に候はねば、神仏の祈り更に苦しかるまじく候。仏法をふかく信じるひとをば、天地におはしま
すよろづの神は、かげのかたちにそへるごとくして、守らせたまふことにて候へば、念仏を信じ
たる身にて、天地の神をすてまふさんと思ふこと、ゆめゆめなきことなり。」
とある。
これらの文献から言えることは、神祇信仰は念仏専一に反するものであり、それ自体が往生
成仏の正因とはなり得るものではないが、現世利益の効験と相俟って念仏者の守護神となる
べき存在であることは認めると。また、従来の日本の神々に対して、代受苦とも言うべきある
種の菩薩性を見出してすらいる。
したがって、親鸞の神仏習合の姿勢は必ずしも否定できないことになる。
281 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 12:09:03
そもそも「神道」という枠組み自体、神道と仏教が確実に分かれるのは明治維新以降のことで、
それまでは非常に境界線が曖昧だったと言わざるを得ない。
現在の神道自体、江戸中期以降に発展した国学を土台にしているといってほぼ差し支えない。
したがって、親鸞のみならず、当時の僧侶たちが神仏習合の世界観を持っていたのは当然の
こと。現在のように「神祇不拝」と「絶対他力」が表裏一体であると考えるのは、
>>275 も言うよ
うに、国学の影響と切り離して考えようとする江戸期以降の教学の尖鋭化が招いたことと思わ
れる。
親鸞聖人の思想には神祇不拝と神祇不侮が同時に見られる。とはいえ御本典は 神祇不拝であって、当時の情勢において一部過激な言動をする同朋をなだめるために 御消息という形で神祇不侮を言って、神祇信仰する人たちの存在を無理やり否定してはならない旨の お言葉を出されている。 「まづよろづの仏・菩薩をかろしめまゐらせ、よろづの神祇・冥道をあなづり すてたてまつると申すこと、この事ゆめゆめなきことなり」(御消息) こういったことは、蓮如上人のときも見られ、王法為本が強調されたときは、ちょうど一向一揆が頻発して、 事態を収拾しようと必死だった頃に出されており、その時々の情勢に合わせて出されたもの。 具体的には文明五年から文明十八年までの十三年間に限定されており、とりわけ文明六〜九年に集中している。加賀一向一揆に対する 牽制の目的にだされた御文章であることが研究から明らかにされている。 親鸞聖人の頃も同じく、言動が過激化したのをうけて、それをなだめるために敢えて言ったものと思われる。 聖人の思想はやはりなんといっても御本典にある。
>>281 根拠は?
研究上その主張が裏付けられているの?
神祇信仰との緊張関係もあったからこそ、当時の法難がおこったわけだし、
一部過激な言動に走る者も現れたのだし、江戸時代以前にも神祇信仰との緊張関係を
物語る事例は数多あるのだけどねえ。
284 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 12:27:21
>>282 では「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
これはどう解釈されるのかな?
285 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 12:28:56
>親鸞は神祇を敬えといっている これはさすがに言い過ぎというか、飛躍解釈に近い。 御消息にもあるように、親鸞自身の根本課題と天地の神に見出す存在価値の隔たり を踏まえるべき。 すなわち、「後世の往生の為には」という前提と、「此世の為にする事は、往生の為に 候はねば」という但書き。親鸞の根本課題は前者の前提にこそある。 この前提において言えば、天地の神は妨げにはならない、と言っているのであって、 動機づけが不明瞭になり、「仏教の威儀(後世の往生の為)をもととして 天地の鬼神 を尊敬す(此世の為)」に話が摩り替わっていくことへの苦言ではないかと。 したがって、「余道に事ふること」「天を拝すること」「鬼神を祀ること」「吉良日を視ること」 も総じて「此世の為にする事」であって、「後世の往生の為に」「仏に帰命し、法に帰命し、 比丘僧に帰命」することと混同してはならないと。
>>284 仮に善神がいたとしても、それらは念仏者をまもるといっているわけで、
念仏は最終的には第十八願の御本願に基づくものであるので、弥陀一仏への
帰命でよろしい、それほどお念仏の功徳はあるのだということだろうね。
念仏者に敬伏するぐらいにというのだから。こちらが敬伏する対象にはならないよ。
むしろ第十八願に信をおいているなら弥陀一仏で十分で、でなければ「信罪福心」となってしまう
おそれがある。
じゃあちょっと出かけるのでそろそろ。また夜にでも。
287 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 12:38:00
>>283 >神祇信仰との緊張関係もあったからこそ、当時の法難がおこったわけだし、
>一部過激な言動に走る者も現れたのだし、江戸時代以前にも神祇信仰との緊張関係を
>物語る事例は数多あるのだけどねえ。
なるほど。
では、そのあたりを時系列的に教えてください。
288 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 12:54:15
横スレ失礼!真宗各派で神祇崇拝なんて言っている派なんてあるのか?小さいところではあるのかもしれないが。 よくわからんけど、こんなテーマ争いになるのか?膨大な研究書からすれば結論は定まっているようなきもするが。
289 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 12:56:29
道元の言う山神鬼神等は少々意味が違うんじゃないか。
290 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 12:59:27
>>288 ねえよ、んなモン。
ここでは「親鸞は神祇を敬えといっている」なんて抜かすアホひとりを様々な角度から
甚振ってるだけ。
今、ここでやってる疑問も「不拝」に「排他性」を持たせるか否かじゃねえのか?
話はそっちに移っているように見受けられるけどなぁ。
291 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 13:02:05
まぁ、創価学会見たいのを山神鬼神等と 言えるかもしれないね
292 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 13:03:06
293 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 13:25:07
>>291 次には深く仏法僧の三宝を敬い奉るべし、生を易え身を易えても
三宝を供養し奉らんことを願うべし、西天東土仏祖正伝する所は恭敬仏法僧なり。
若し薄福少徳の衆生は三宝の名字猶お聞き奉らざるなり、何に況や帰依し奉ることを得んや、
徒に所逼を怖れて山神鬼神等に帰依し、或は外道の制多に帰依すること勿れ。
彼は其帰依に因りて衆苦を解脱すること無し、早く仏法僧の三宝に帰依し奉りて、衆苦を解脱
するのみに非ず菩提を成就すべし。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
信心もなく欲望のまま日々を過ごし、福徳少ない人々は三宝の名すら耳にすることはない。
まして、どうして三宝に帰依することができるだろうか。
自らが招いておきながら、何のものかに逼られていると思い、不安に怯え、それ故、山の神や
得体の知れない鬼神を憑みとし、邪教の霊廟にすがるなどの愚行を犯してはならない。
そのようなものに帰依としたところで、心身を苛む様々な苦しみから逃れることはできない。
早くの三宝に帰依し、苦しみから解き放たれるだけではなく、正しい智慧に目覚めるべきである。
294 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 13:29:18
295 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 13:33:13
層化には仏法僧の三宝の僧がぬけてるからな。
296 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 13:34:24
>>295 僧伽が?
一応、あの教団施設の中で功名に仕組まれた僧伽があるんじゃないのか?w
297 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:03:55
>>290 そうですか。
>>271 >感謝し敬うのならば、形にして出さなければならない。
>やはり祝詞奏上はやるべき。
>少なくとも仏光寺派のように神祇に対して念仏を唱えるべき。
>親鸞は神祇を敬えといっている。
というわけで、いい加減に典拠を示してもらえませんかね?
真宗では追善供養も墓参りも不要。散骨奨励です。
299 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:10:57
そんなことない、彼岸やお盆には墓参りするし 年忌法要もやるよ。
300 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:13:08
>>299 真宗のくせに何で彼岸やお盆には墓参りするの?
何で年忌法要なんてやるの?
301 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:16:25
>>300 真宗の寺では私が生まれる前からそうしてたし
今でもそうだ。
302 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:22:50
>>301 ただ慣習だけでダラダラやってるわけ?意味ないじゃんwww
303 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:25:19
それがいやなら、離檀でも改宗でもすればいいだけの 話じゃないの。
304 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:25:54
305 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:28:11
さすがは排他的な真宗禿。 もし、檀家に「真宗のくせに何で彼岸やお盆には墓参りするの?何で年忌法要なんてやるの?」 と聞かれたら、 「それがいやなら、離檀でも改宗でもすればいいだけの話じゃないの。」と言うわけね。
306 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:33:06
>>305 お前は馬鹿か、なんで真宗禿なんだ
おれはただの檀徒だよ。
307 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:39:08
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:45:24
309 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:49:35
310 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:55:13
頭の悪さのな
311 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:56:30
20 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 14:54:41 涙の反撃(なみだのはんげき)/怒りの反撃(いかりのはんげき) 【意味】 坊さん擁護のレスを揶揄する言葉。 世襲禿(せしうはげ)と真宗禿の認定を兼ねているので、これ以外には使わない。 用例/せしうはげ涙の反撃、真宗禿怒りの反撃など
312 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 17:00:20
>>311 しかし、何をやっても真宗禿だな。
どんなに悪さをしようが日蓮禿、正宗禿、曹洞禿などの造語が
飛び交うことはない。
313 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 17:35:37
>>282 =
>>285 =
>>297 など、自演がひどいな。
神祇を尊重して敬えと親鸞自身が述べている以上、
神祇に法楽として祝詞などを奏上する必要があるのは自然なこと。
314 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 17:40:51
>>313 だからその「典拠」を示せと言っている。
日本語、通じているのか?
315 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 18:01:56
>>313 >神祇を尊重して敬えと親鸞自身が述べている以上
どの文献でどのような表現を用いて「神祇を尊重して敬え」と述べているんですか?
いい加減に回答するべきだと思いますよ。
317 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 18:27:23
>>316 気長に待ちましょう。
今頃、ググッて探してるんじゃないですか?
318 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 18:36:04
>>314 =315=316=317
すでにスレに自分で出しているのに、
都合の悪いことを目をつぶるの?w
>>282 でお前が出しているだろ。
自作自演までして恥を晒すなよw
319 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 18:41:35
>>318 見苦しいですね。
要するに自分で文献を基にして論述する能力が無いってだけのことですか?
同じ文献でもどう読むか、どう理解するかなんですよ。
320 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 18:51:10
321 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 19:16:04
322 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 19:29:35
>>318 がソース出してくるまで進まない感じだな。
323 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 19:29:46
暇な奴等の巣窟だな。 さすが真宗だ。
324 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 19:30:41
325 :
323 :2006/01/16(月) 20:27:29
おいおい! なんでオレが示さなあかんねん。 妄想か?
神祇を敬わないという根拠も無く出鱈目な主張を見苦しくしている 浄土真宗の僧侶は、同じく浄土真宗の仏光寺派の僧侶を見習うべきだ。
328 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:00:33
結局ここで中傷したり妙なこと言っているのってやはり神道系の連中かw
客観的に見て、誹謗中傷しているのは、 浄土真宗僧侶が神道・神祇・神社を誹謗中傷しているとしか考えられない。 誰がどう見ても客観的にそう指摘できる。
331 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:08:41
神祇信仰したい人はお好きにどうぞと言っているじゃん。 誹謗中傷とはいわないよ。神祇信仰したい人の信仰の自由もあるわけだから。 帰依の対象にはなりませんよ、といっているのがどうして誹謗中傷なのだろうか? それともなにか、すべての人間は神祇信仰しなくちゃならないので信仰しない人間は 誹謗中傷している!ということになるのだろうか?わけわからん。 神祇信仰したい人は好きにすればいい。俺はやらない。以上。
332 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:11:06
>>331 それならば、神祇に祝詞を奏上したり、念仏を唱えたりして、
神祇を侮らないようにしてくださいね。
それを具体的に示すのは神祇に祝詞を奏上したり、
念仏を唱えたりするほかありません。
浄土真宗の僧侶がなぜ、 神祇に祝詞奏上したり、念仏したりするのが いけないのか理解できない。 そうしたからといって、必ずしも拝する祈願するとはまた別で違うのに。
334 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:17:08
なんでそうなるの? では君は第十八願に信を置いている?でなければ真宗を誹謗中傷しているという 論理になっちゃうよ。 祝詞を奏上しないと誹謗中傷しているって頭狂ってるの? あと君はお念仏の意味がわかっていないようだけど。 真宗でいうお念仏は本願念仏のことなの。なんで神祇に念仏なんだよw
335 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:21:04
>>333 神祇に祝詞奏上しなければならないと言っているわけだろう?
だからなんでそういう義務が生じるわけ?って聞いているだけど。
>>335 なぜ義務が生じないのかが分からない。
ましてや、なぜ念仏すらしないのがわからない。
それくらいするべきだ。でなければ誹謗中傷だとしか考えられない。
オレも神社の雰囲気が好きでよく行くけど、神祇へ敬意を表すために礼を 一回するだけで、正式な神道形式の参拝はしないよ。それじゃ不足なの? 平太郎だって精進潔斎つー神道形式を無視して熊野に参ってるじゃん。
338 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:34:40
>>336 では第十八願本願念仏の法に帰依していない君は、弥陀仏を誹謗中傷しているわけだね?
真宗を誹謗中傷しているわけだね?
イエスキリストの救いを信じない者はキリスト教を誹謗中傷しているわけだね?
てことになるよ、君の理屈では。
339 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:35:05
世間知らずの真宗坊主に何言っても無駄なんだな。
340 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:37:16
>>339 祝詞奏上しろ、さもなくば神祇への誹謗中傷になるぞ!という典拠はあるの?
341 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:48:39
どうでもいいですよ
343 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 21:58:56
>>338 信じると祝詞を上げるなり念仏なりして法楽をするのとは全く違う。
何度も指摘されているが、全く日本語理解できないの?文盲?
>>337 軽く念仏して礼をすれば?
より丁寧に敬意を表すことになるよ。
345 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 22:08:56
>>342 だから典拠を示せって言っているんだけど。
結局、神道の宗教としての論理は、 祝詞を奏上するという行為以上にないわけで、 宗教としての何の深みも意味もそれ以上にはないということ? 内容のない、儀礼だけの宗教ってこと? 議論に論理性や客観性が見えないな。
>>346 >神道の宗教としての論理は、
祝詞を奏上するという行為以上
電波乙。
349 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/16(月) 22:26:40
神道が好きな人は好きにやってくれよ。こっちに強制しないでくれるかな?
私の書いた文章が勝手に掲載されているので、横レスですが一言述べさせてもらいます。 親鸞聖人の神祇信仰についての考え方で議論がありますが、基本的には親鸞聖人の思想に おいてはいわゆる「神祇不拝」の思想が見られることは確かです。 事実、『教行証文類』「化身土巻」に「勘決邪偽」という考え方として見られます。 「真偽を勘決して、外教邪義の異執を教誨せば、『涅槃経』にのたまはく、 仏に帰依せば、ついにまたその余の諸々の天神に帰依せざれ、と。 『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、 みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ふることを得ざれ、 天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、となり」 引用もされていますが、同じく「信文類」においても 「真の仏弟子といふは、真の言は偽に対し仮に対するなり。弟子とは釈迦諸仏の弟子なり、 金剛心の行者なり。この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、真の仏弟子という。 仮といふは、すなわちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。偽といふは、すなわち六十ニ見・九十五種の邪道これなり」 と述べられております。六十二見・九十五種の邪道といわれる仏教以外の教えをよりどころとすべきではないことだけでなく、 聖道自力の教えや浄土門内における自力の教えにおいても、結局は大涅槃を証することはできず、ただひたすら大経第十八願 他力念仏の法によって我々を救う仏は阿弥陀仏一仏(究極的には、弥陀仏は方便法身であり、しかも自然のようをしらせん手段 にほかなりません。阿弥陀仏という実在があるわけではありません。おさとりの象徴でしかなく、 親鸞聖人は事実龍樹菩薩の『大智度論』における「指月の喩え」を引用して説明してもいます)であり、 弥陀一仏を帰依の対象とすべきことがとかれています。また念仏は、我々の側の念仏であるというのではなく、 あくまで如来のはたらきと捉えるのが本願念仏の教えとなります。我々自身が念仏申すというより如来のはたらきにより、 我々が念仏申すほかないという事態をこそ指すものであり、我々から善根を振りむけるというものではありません。
「五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」(『正像末和讃』) 「かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬す」 という文言もあります。さらに 「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ ト占祭祀をつとめとす」(『悲嘆述懐讃』) という言葉もあります。 「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、 まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」(『歎異抄』) 我々凡夫が神祇にできることなど何ひとつありません。そんなおろかなわれわれ凡夫ですら救われることを 本願された如来に信をおくのです。そしてさらにいえばこの信とは、何かある実在する対象を信頼するとか 信仰するとかといった意味ではありません。ここで言われる信のサンスクリットの原語は、citta-prasAdaですので 何かある実在する対象なりの信頼やら信仰という意味とは大きく異なります。 親鸞聖人もこの信の意味を説いています。この「信」をとってもいわゆる神祇信仰の「信仰」とは全く別物と言わねばなりません。
さて親鸞聖人の思想は、いわゆる「神祇不拝」ということで理解していいと思いますが、同時に、 いわゆる「神祇不侮」とも読める言葉も残しています(もちろん信仰ないし崇拝しろなどとはどこにも 書かれておりません)。 「神祇不拝」と「神祇不侮」の関係をどのように捉えればいいのか、親鸞聖人の思想におけるこうした 問題について、現代の仏教学者・真宗学者・歴史学者の意見は概ね三つに分かれています(もちろん基本線は 「神祇不拝」であるという点に異議を唱えている者はほぼ皆無でしょう。もっとも戦時教学では違ったでしょうけど)。 @「神祇不拝」であることは間違いないにしても、その思想には未だ不徹底なところが見られる。 不徹底だからこそ「神祇不侮」という考えが出てくるのだという不徹底説(戸頃重基氏などが代表的論者)。 A当時の念仏弾圧が、神祇不拝を理由の一つとしてなされたので、本意ではないが方便として敢えてこういう 表現をしたのだという方便説(笠原一男氏・重松明久氏などがその代表) B念仏の論理からすれば、神祇不拝であるが、神祇を信奉している人々の存在そのものを否定してはならない。 他者の存在とその生き方は尊重されねばならないから、自分と異なる信仰を持つ人々の存在を中傷してはならない という自由説(信楽峻麿氏がその代表)。 という三つに大別されています。この点において争い(といっても重要論点とはなっていませんが)が 見られるということです。
「信仰」と「崇敬」は分けて考えるべきではないのか? 弥陀の本願を信ずという念仏の「信仰」と、神祇にも敬意を払うという 「崇敬」は両立できるはず。神祇を侮蔑したり、逆に「弥陀と同様に扱え」 と言ったりするのはどちらも聖人の意志からはずれてると思うが。 だいたい「神祇不拝」つーのは単に「神道の神を礼拝するな」って事じゃなく 「自分勝手な欲望を神や仏にぶつけるな」ってことでしょ?ト占祭祀の言葉に 表される世俗的な意味での「現世利益」の否定だよ。
>>353 信仰と崇敬とを分けて考えるやり方は、主に明治期の神社神道非宗教論の一つの言い草でしたね。
それらを区別して何をしたいのかよくわかりませんが、よしんばその区別を認めたとして、では神祇を
崇敬しろという論理はやはり飛躍というほかありません。
「礼拝」に関していうなら、これは神祇のことではありませんが、親鸞聖人は『菩薩戒経』を引用して
いわゆる「国王不礼」の表現もしていますね。「神祇を礼拝せよ」と直接論じたものはありませんので、
仮に「神祇不拝」の解釈として「神道の神を礼拝するな」ということを意味するものではないとしても、
礼拝せよということには論理的につながりません。ある一つの命題の否定が直接肯定に直結するとは論理的には
言えないからです。また先に引用した「勘決邪偽」の考え方からすれば、神祇は偽に該当しますので、
とても礼拝ないし崇敬といったところで、それを命じた文言とは言いかねると思われます。
>>352 に紹介した三つの説のうちのどれかと考えるとなかなか結論は出せないところなのですが、
私個人の考え方というか説は、どれか一つの説ではなく、いわば折衷説とでもいうべきところに落ち着くのでは
ないかと思われます。念仏弾圧を避ける口実も必要だったし、自由説も理解できます。
「念仏する人をにくみそしる人をも、にくみそしることあるべからず。あはれみをなし、かなしむこころをもつべし」
との法然上人のお言葉を引用されている親鸞聖人ですから、神祇信仰している人がいたとしても、それらの人を
念仏をそしる人たちと同様に「にくみそしることあるべからず」という態度をもっておられたのではないかと忖度しています。
>>354 「神祇不侮」は積極的に崇敬しろとは言ってないが、軽んずるなってことでしょう?
例えば神社へ入っても崇敬を拒むことは軽んずることだと思うよ。いやなら最初から
行かなきゃいいし。
オレの言いたいのは「神祇不拝の名の下に崇敬することすら禁止するのはおかしい」ってこと。
それに親鸞は厳密に神祇と仏を分けて考えてたかも疑問だよ。当時は本地垂迹説が
当たり前だったし神祇を仏法の護法神と考えるのも普通だった。「天神地祇はことごとく
善鬼神となづけたりこれらの善神みなともに念仏のひとをまもるなり」(現世利益和讃)とも
言ってるし、親鸞の中では神祇も「弥陀を賛嘆する諸仏・諸天」のように信仰対象では
ないが敬意を持って接するべき者として捉えていたのでは?
>>355 だから「神祇不侮」をどう考えるかについて主に学界では三つの説に分かれているわけでしょうね。
神祇不侮を崇敬と結びつける説を唱えている学者は見たことがありませんが、
いずれにせよそう主張するなら、やはり崇敬しろとする文言がないと説得力に欠けると思われます。
あと本地垂迹説に対して専修念仏を唱える人たちは異を唱えたのであり、だからこそ
「興福寺奏上」や「延暦寺奏上」にそのことが槍玉にあげられたわけです。
念仏は「無碍の一道」であり、本地垂迹説とは異なるところに専修念仏の特徴の一つが際立っていると
思います。軽んずるということは軽侮であって「あなづること」とワンセットで述べらています。
あなづりそしることあるべからず、というスタンスであり、上に挙げた念仏を謗る人に対してすら「そしることあるべからず」
と言っているわけです。でもこれをもって念仏を謗る人を崇敬しろということには当然なりません。
それにもちろん神祇と仏を分けて考えていましたよ。だからこそ上にあげた「勘決邪偽」の考えが表明されているわけです。
真・仮・偽のうち神祇は「偽」とされていますよ。まさか「真」というわけではないしょう?
真宗信心の最大は大経第十八願にあります。この本願は神祇によるとはとてもいえないわけで(当たり前すぎますが)。
なお、これとは少し離れますが、私個人の考えとしては親鸞聖人は心底神祇の存在など信用していなかったのではないかと 思われます。もちろん名は出てきますが、親鸞聖人は曇鸞大師に特にその思想の核心部分を負っていますので、 「神祇の実在」などとても言える訳がないと思われます。曇鸞大師は、ご承知の通り龍樹菩薩の中観思想の研究者でもあり、 龍樹菩薩への尊敬は、天親菩薩の『浄土論』の註釈である『往生論註』においても、まず冒頭に龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』から 入っていることからもわかります(こうした態度は親鸞聖人も反映し、『教行証文類』においても曇鸞大師をうけて二種回向からはじめ ております)。最晩年の自然法爾の思想からしても、常に龍樹ー曇鸞の基本ラインでものを考えています(もちろんその他七高僧の方々の 影響も大きいですが)。 我々は神祇を崇敬できるほどの存在ではないただの煩悩具足の凡夫です。 神祇崇敬などできない凡夫なのです。再度いいますがそのような凡夫であるがゆえに 一心一向弥陀一仏の本願に信をおくわけです。
お念仏というのは究極的には如来のはたらきそのもので、私から生起するものではないので、 やはり神祇崇敬とは結びつかないと思われます。仮に神祇が存在するとしても、それもやはり 仏の前では迷える凡夫でしかないのではないかと考えます。 真宗信心とは別に神祇を崇敬したいというのであれば、それはそれで自由にやればいいのではないかと 思いますが、私はそんなことができない凡夫でしかないので、仏の法に帰依し、 第十八願の法を信受するほかありません。
>>358 どうもあなたとは「崇敬」という言葉の重みが違ってるようです。
>我々は神祇を崇敬できるほどの存在ではないただの煩悩具足の凡夫です。
とあなたは非常に重く考えてるようですが、私にとっては「敬意を持つ」
程度の物でしかありません。帰依や信仰とは全く違います。現世利益和讃に
述べられたような守護に対する素朴な敬意を抱いているにすぎません。
しかしあなたが
>私個人の考えとしては親鸞聖人は心底神祇の存在など信用していなかったのではないかと思われます。
こう考えてらっしゃるのなら「神祇に敬意を持つ」ということ自体が
理解できないのでしょうね。
360 :
359 :2006/01/17(火) 07:30:20
ちなみに
>>337 は私の書いたモノで、その程度の「崇敬」です。
>>350 ということは、「神祇不侮」とうことで、
真宗僧侶が神社で神祇に祝詞奏上や念仏を唱えるといったことで、
「崇敬」をあらわすというのも親鸞の考えの上で可能ですね。
「礼拝」や「信仰」とは別で違いので、法楽としてそれらを行うのは、
「崇敬」をあらわすものとして考えられますから。
>>361 >「礼拝」や「信仰」とは別で違いので
すいませんがきちんと日本語でしゃべっていただけますか?
>祝詞奏上や念仏を唱える
この二つを並列に置くことがまず理解できません。祝詞は神道形式であり
仏僧が行うべきことではありませんし、さらに崇敬を表すために念仏が必要とも
思いません。念仏は阿弥陀に対する報謝として行われるものですから。
>>337 のように一礼するだけで十分では無いのですか?
363 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 10:38:05
>>363 一神教という言葉も・・・・
ごく普通の一門徒さんなんでしょうか。
>>359 神祇崇敬の必要性がどうも述べられていないと思うのですが〜。
いわんや祝詞奏上がどうのこうのということもやはり無理があるのではないかと思われます。
もちろん祝詞奏上したい人に「しては駄目である」と強制する気も私個人としてはありません。
神祇信仰やら神祇崇敬がしたい、祝詞奏上をしたいというのであれば、それは個人の自由でしょうから
心置きなくやられればいかがでしょうか。
ただ、真宗信心の要諦が神祇崇敬であるなどと言われれば、「それは違いますよ」と明確に言わせていた
だくことになります。
先に引用した『教行証文類』のお言葉をとりましても、いわゆる「神祇不拝」は明確に示されていると思われますし、
それ以外にも「化身土巻」には、およそ三十余の長々とした経典類の引用をして、勘決邪偽の考え方を詳しく事細かに
論じています。さらに「神祇不侮」の考え方に関しても上に挙げた説が学説上議論されていることをご紹介しましたが、
それでも基本的には「神祇不拝」であることに変わりありません。これも前に触れましたが聖人は、「真・仮・偽」に
分けていくわけですが、「真」に該当するのは、当然大経第十八願他力念仏の法です。それ以外は「仮」ないし「偽」と
区分けされております。
執拗かもしれませんが、「仮」とは引用文をご覧になればわかるように、
聖道自力の門、そして浄土門であっても自力念仏が該当します。
そしてそれ以外はすべて「偽」ということになります。
(365のつづき) 浄土の教法についても、更にそれを第十八願、第十九願、第二十願の三願に基づく三種の教法として、 即ち、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三経のそれぞれに開示された、弘願、要門、真門の 三種の行道として捉えたのですが、親鸞聖人はその三種の行道の中、要門、真門の行道を共に権仮の道として選びすて、 ただ弘願の行道のみを真実の教法として選びとりました。聖人においては、その浄土の要門とは、第十九願修諸功徳の願に 基づいて『観無量寿経』に明かされるところの、定散二善を修習廻向する自力作善の行道です。またその真門とは、 第二十願植諸徳本の願に基づいて『阿弥陀経』に明かされるところの、阿弥陀仏の名号を選んでそれをおのれの善根として 浄土に廻向する自力称名の行道です。 それに対して第十八願の弘願の教法とは、『無量寿経』に説かれる行道で、それはひとえに如来選択の本願の名号を選びとり、 その名号を億念聞思する真実の信心によって、往生成仏の証果を成ずるところの他力念仏の行道を意味するものです。 そしてこの要門、真門、弘願の三種の行道の中、要門自力作善の行道と真門自力称名の行道は、『浄土三経往生文類』に 示しているように、何れも浄土の仮門「他力の中の自力」の道として選びすて、ひとえに弘願他力の念仏の行道をこそ、 唯一真実の道として選びとったわけです。 「悲しきかな垢障の凡愚、無際より已来、助正間雑し定散心雑するが故に、出離その期無し。 自ら流転輪廻を度かるに微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく大信海に入りがたし。 良に傷嗟すべし。深く悲嘆すべし。凡そ大小聖人一切善人、本願の嘉号を以て己れが善根とするが故に、 信を生ずること能わず。仏智を了らず、彼の因を建立せることを了知すること能わざる故に、 報土に入ることなきなり」(『教行証文類』「化身土巻」)
(366のつづき) 仏道を志して生死流転を出離せんと願って浄土の行道に入るとも、 なお定散二善にまどい助正間雑して、要門自力作善の道、真門自力称名の道にとどまって、 弘願の他力念仏の道に転入しがたいことを悲しみつつ、ことには本願名号を選んで念仏の行道に 進みながらも、なお「本願の嘉号を以って己れが善根とする」ところの真門自力称名の道にとどまる ことのあるを誡めて、ひとえに自力をすてて本願を信楽し、他力念仏の道に帰入すべきことを勧めています。 更に自力作善の道、自力称名の道、他力念仏の道の三種の行道に分別して領解し、その要門自力作善の道及び 真門自力称名の道を選びすてたのです。ことにその要門自力作善の道を選びすてたことは、その行業が基本的 には聖道教に属するものであるところ、それは当然のことであったが、親鸞聖人が更に浄土教独自の行業としての 称名念仏の行にも、なお厳しく真仮を分別して真門念仏の道を明かし、それを自力称名の道として選びすてたのは、 法然門下における専修念仏の理解において、その称名念仏の原意を見失って、専らその称名の数量を問題にし、 なお我執をつのって多念の称名を策励するものがあったこと、即ち、その仏の名号をもって「己れが善根とする」と いうような専修念仏の形骸化が生じたことによるものです。そして聖人は、念仏の行業になお真仮を分別して、その称名念仏は、 おのれをすてること(自己の分別はからいを捨てる)に拠って成り立つ他力念仏であり本願名号を唯一図に憶念聞思するところの、 他力信心の行道でなければならないことを明らかにしたわけです。
(367のつづき) 「専修は本願のみなをふたごころなくもはら修するなり」(『一念多念文意』) 「この念仏往生の願を一向に信じてふたごころなきを一向専修とはまふすなり」(『末灯鈔』) このようなスタンスでしたので、前に引用したように、 「夫れ諸の修多羅に拠って真偽を勘決して外教邪偽の異執を教誠す」 と明かし、続いて『涅槃経』の文を引用して、 「仏に帰依せば終にまた其の余の諸天神に帰依せざれ」 と説き、次いで『般舟三昧経』によって、 「優婆夷是の三昧を聞きて学ばんと欲せば(乃至)自ら仏に帰命し、法に帰命し、 比丘僧に帰命せよ。余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、 吉良日を視ることを得ざれとなり」 「優婆夷三昧を学ばんと欲せば天を拝し神を祠祀することを得ざれとなり」 としさらに『楽邦文類』の文を引用して、祭祀について 「既にいまだ世を逃れず、真を論ずれば俗を誘ふるの権方なり」 とも述べています。神祇祭祀といってもそれは出世間の法ではなく、 世俗に他ならないこと述べます。世俗であるかぎりそれは畢竟「みなもってそらごとたわごと まことあることなき」(『歎異抄』)でしかないということになります。
(368のつづき) 「余の業をなさざれ。至心念仏すれば、乃至、仏を見たてまつる。小念は小を見たてまつり、 大念は大を見たてまつる。乃至、無量の念は、仏の色身無量無辺なるを見たてまつらん〉」と」 「もろもろの仁者、かの邪見を遠離する因縁において、十種の功徳を獲ん。 なんらをか十とする。一つには心性柔善にして伴侶賢良ならん。二つには業報乃至奪命あることを 信じて、もろもろの悪を起さず。三つには三宝を帰敬して天神を信ぜず。 四つには正見を得て歳次日月の吉凶を択ばず。五つにはつねに人・天に生じてもろもろの悪道を離る。 六つには賢善の心あきらかなることを得、人讃誉せしむ。七つには世俗を棄ててつねに聖道を求めん。 八つには断・常見を離れて因縁の法を信ず。九つにはつねに正信・正行・正発心の人とともにあひ 会まり遇はん。十には善道に生ずることを得しむ。この邪見を遠離する善根をもつて、阿耨多羅三藐三菩提に回向せん、 この人すみやかに六波羅蜜を満ぜん、善浄仏土にして正覚を成らん。菩提を得をはりて、かの仏土にして、 功徳・智慧・一切善根、衆生を荘厳せん。その国に来生して天神を信ぜず、悪道の畏れを離れて、かしこにして 命終して還りて善道に生ぜん」と。
(369のつづき)
「『地蔵十輪経』にのたまはく、「つぶさにまさしく帰依して、一切の妄執吉凶を遠離せんものは、つひに邪神・外道に帰依せざれ」と。
「余乗に向かはざれ、余天を礼せざれ」と。
「『本願薬師経』にのたまはく、「もし浄信の善男子・善女人等ありて、乃至尽形までに余天に事へざれ」と。
「また世間の邪魔・外道、妖の師の妄説を信じて、禍福すなはち生ぜん。おそらくはややもすれば心みづから正しからず、
卜問して禍を覓め、種々の衆生を殺さん。神明に解奏し、もろもろの魍魎を呼ばうて、福祐を請乞し、延年を冀はんとするに、
つひに得ることあたはず。愚痴迷惑して邪を信じ、倒見してつひに横死せしめ、地獄に入りて出期あることなけん。乃至
八つには、横に毒薬・厭祷・呪咀し、起屍鬼等のために中害せらる」と。
「『菩薩戒経』にのたまはく、「出家の人の法は、国王に向かひて礼拝せず、父母に向かひて礼拝せず、六親に務へず、鬼神を礼せず」と。
「知るべし、外道の所有の三昧は、みな見愛我慢の心を離れず、世間の名利恭敬に貪着するがゆゑなり」と。
とまあざっと御本典を中心に述べて見ました。ご参考に。
なお私の発言箇所を確認しておきますと、私の発言箇所は、
>>350-352 、
>>354 、
>>356-358 、そして
>>365-369 およびこのレスの発言です。
371 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 13:00:29
>>363 ある種のプロテスタンティズムですから。
>>370 あなたとはどうも論点がズレてしまっているようです。
私は「神祇を崇敬することは禁止されていない」と言い、
それに対しあなたは「神祇を崇敬する必要性がない」と答えています。
>真宗信心の要諦が神祇崇敬であるなどと言われれば
なぜこんな極論を持ち出すかは私にはわかりませんが、現実問題として
「神祇とどう接するか」という方法論を私は語っているつもりです。この場合
ある人は「祝詞まで上げるべき」と言い、私は「敬意を持って接すればそれでいい」
と思っております。あなたは「敬意を持つ必要もないor無視すればいい」
とのお考えと受け取っていいのでしょうか?
>>372 好きにすれば?銘々の思いでどうぞということじゃないの?
真宗の信心と結び付けなくても崇敬したければ崇敬し、その必要性をことさら
感じなければやらないくていいし、要するに真宗信心とは別物なんだからご勝手にということで
いいんでねえの?
>>362 まず、君の日本語読解能力が理解できませんね。
それと並立で置くというのは、
敬意の表し方だろ。そもそもそれに異議をとなえるほうが理解できない。
普通の日本語能力があれば、
>>361 のレスは理解できるもの。
現に俺は普通に理解できたから、そのように解説している。
>>370 あんた一体何者?真宗を専門に勉強している人?
376 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 17:42:43
>>374 目的の違いは明確ですからね。
親鸞さんの根本的な課題から整理していくのがいいんじゃないかと思います。
親鸞聖人の教えは他力念仏だろうね。神祇を拝めなんて出てこない。邪偽外道ということになるね。
なんか>373で結論が出てるような気がするんだが・・・、いつまで引っ張るのこの神祇ネタ。
379 :
376 :2006/01/17(火) 17:52:20
>>377 それはそうなんです。
じゃ、何のための他力念仏なのか?ということですね。
何を課題にして本願念仏に向かったのか?ということです。
確かに。真宗信仰にとっては真は第十八願本願念仏のみだからね。神祇もくそもないw 365にあるように ・真・・・本願念仏 ・仮・・・聖道門および浄土門内の自力念仏 ・偽・・・それ以外 という位置づけだからね。 あとはご勝手にということかな。俺は二心ないから神祇を崇敬なんてしないけど。 崇敬したい人が勝手にすりゃいいんで、崇敬していない人にまで崇敬しろ!と言われる筋合いはないわなw 引用されているけど「天神を信ぜず」だよ、俺は。
三宝に帰敬して天神を信ぜず
382 :
376 :2006/01/17(火) 18:05:03
>>380 あらら。
いきなりケツを捲くられてしまっては身も蓋もないですね(w
課題がなければ何も阿弥陀如来様にご登場いただくことも、救済していただく必要性も
ないわけです。
383 :
376 :2006/01/17(火) 18:06:18
>>381 そうです。何故、三宝に帰依するのか。そこがポイントです。
そこを開いていけば、親鸞さんの根本課題に辿り着くわけです。
天神に世の人々は何を求めたのか、親鸞さんは如来に何を求めたのか。
両者はまるで違いますよね。
だから神祇はどうでもいいわけだよね。
如来に何かを求めるってのまずい表現じゃないのかな?求めない求めることができないわが身なんだからさ。
オレは親戚に神社があってどうしても行かなきゃならないときがあるんだが、
そういう時にどういう態度をとるべきかというのが
>>372 の言う「現実問題として
「神祇とどう接するか」という方法論」かなぁと思う。
普通の坊さんなら神祇との接触を断てばすむ話だが、どうしても接しなければならないとき
どの程度までやっても真宗的に問題ないかというのは常々オレも考え込んじゃうよ。
オレは「願い事しなきゃOK」ぐらいに考えてるけど。
387 :
376 :2006/01/17(火) 18:19:11
>>384 親鸞さんは別に物理的状況の改善なんてところにはないわけです。
「神様、お願いです、今この状況を何とかしてください」という話ではないですね。
浄土に生れることを約束する絶対の救済者にただ従うのみ、でしょう。そういう質の求道。
しかし、神々の存在そのものを否定することで、絶対の救済者の存在を正当化していこうという
気持ちもないでしょうね。
もうそこには如来が用意した「道」があるわけですし、私の課題と天神のそれは違うところにある、
ということは明確になっていますよね。
>>386 日本社会は同調圧力が強い共同体というか村社会だから、都合に合わせて折り合いをつけ
ていけばいいんじゃないの?歴代ご門主がそうされたように。接したからといって仏罰が下るとか
そういう問題じゃなくてあくまで個人的な内心の問題だからさ。どうしても接する必要があれば(俺もあるけど)
ポーズだけとっとけば社会的な振る舞いとしてはOKで折り合いつけれるし。
まあこれは個人個人の判断だよ。
389 :
376 :2006/01/17(火) 18:22:02
>>385 あまり適切な表現ではないのですが、求めるものがなかったら目の前に道があることには
気が付きませんね。
何かを求める気持ちまで否定して良いものかどうか・・・。
その結果、「本願のかたじけなさ=私には何もできないという身の事実」というところに
辿り着いていくわけですし。
>>387 そうだね。仏道にとっては神祇など関係ない。一心一向二心なく弥陀に帰命するということだね。
崇敬しろなんてどこにもでてこないってわけだよね。
>>389 それは求めるというのとは違うよね。
二種深信のところで出てくる。とはいっても機の深信・法の深信は別々じゃない。
機法一体。
阿弥陀一仏の真宗門徒は他の仏尊に対しても神祇と同じように 「関係ない」という態度でいることが望ましいのでしょうか?
>>392 基本的な問題なんだから教行信証を読んでから再びこられれば?
読めば書いているよ。自分で読むことを怠らないように。
394 :
376 :2006/01/17(火) 18:33:48
>>391 出離の縁をどう求めるのか、という場合に、はじめに私が出離の縁を「求める」という能動的な
動作が必ず最初にくるわけです。
しかし、それは根本から引っ繰り返されてしまう。
それは「私自身が求めてもそこに出離の縁などないのだ」という身の自覚と、如来の本願が
一体化して私の中に立ち上がってくるということですね。
>>386 丁寧に尊敬の念を表明するのならば、
祝詞奏上をすること。
簡略には念仏を唱える。
っで良いのじゃないの?
信仰や拝むとしてではなく、法楽として行うと念頭において行えばね。
まだ祝詞がどうのこうのと言ってるわけ?
てか神祇って格下じゃん。念仏の行者より下に位置する。
そう念仏の行者が神祇を尊敬するのではなくその逆。 敬して伏するのは神祇の方。念仏の行者が神祇に敬伏してはいないわな。
そういうことを言い出すと荒れるんじゃないか? 店の側が「お客様は神様です」と言ったからって客側が 「おう、オレは偉いんだ」といい気になったらなんか違うでしょ。
事例が違いすぎる。客と店員は人間同士。
「高慢になってしまう心の問題」という点では何ら変わりはないと思うが。
「念仏者は天神地祇も敬伏してくれるほど素晴らしい」ということで念仏の信仰に 誇りと自信を得ることと、「神祇は格下」と他を低く見て自尊心を肥大化させるのとじゃ 大違いだわな。
格下なんだから仕方がないよ、神祇は。
>>372 神祇に対する崇敬の必要性は説かれていないことは長々と書きましたので繰り返すことはしません。
それどころか神祇など本願念仏のみ教えとそうでないものとを厳格に区別している聖人の思想が明らかに
なっていると思われます。「禁止されてはいない」という時の「禁止」がどういう性質のものかはかりかねますが、
大経第十八願の他力念仏に信をおくなら、神祇をことさら別に崇敬する必要は感じませんので、私としては神祇崇敬は
不要という立場でしょうか。もっともどうしても崇敬したいという方がおられれば、前にも書きましたが咎めるつもりは
毛頭ありません。お好きに心置きなく崇敬してくださいというほかいうべき言葉を知りません。
これも前にも触れましたが、「信」とはcitta-prasAdaである点を踏まえれば、
我々凡夫が実在する対象を信じ仰ぐとか信頼するという意味では元々ありませんので
(親鸞聖人は「信」を「難信」と表現してもいます。それほど実は真宗信心にとって「信」とは
難解な概念で領解が難しいものです)、神祇を信仰するというのが全く及びもつかないことはもちろん、
その「信仰」と区別されるところの「崇敬」なるものにどのような意味を付与すればいいのか理解できかねるところです。
「崇敬」すらも及びもつかないほどの煩悩具足、罪悪深重の凡夫であるわが身のこと、とても神祇崇敬できない凡夫に用意
された「信方便の易行」としての念仏、本願念仏を信受することで喜ばしていただいております。
(404のつづき) 現実問題として神祇とどう接するか、より厳密に言うならば神祇信仰ないし崇敬が 浸透している社会において、真宗門徒としてどう接していけばいいのかという問題は 確かにあろうと思われます。門徒総代でありながら氏子総代にもなってくれという依頼が 地方ではあるそうですから。 こういうしがらみから自らの信をどう守っていくかという深刻な問題をも含んでいますね。 法的なレベルでなら信教の自由はあるものの、社会のレベルで信教の自由の意識が浸透して いるかというと正直心もとない側面もあることは否定できませんね。主張を貫こうにも 人付き合いを犠牲にしなければならないという危険性もあるわけですし。 実は私も些細なことながらこういう問題に遭遇しています。連れに初詣しようと誘われた際、 いつも考えさせられるものがあります。もちろん私は神祇の存在は信じてはいませんので、 形式だけの行為にとどめていますが、それでも一礼ぐらいはしていますよ。もちろん帰依の対象に なろうはずもありませんが。半ば習俗化したところもあるので、世間にあわせておこうという妥協の 産物でしょうね。
>>375 私は真宗学を専攻している者ではありません。仏教学であることは違いないですが、
専攻領域が異なります。私はインド大乗仏教なかでも中観思想を中心に勉強している学生
です。インドーチベットの中観思想だけでなく、最近は中観思想の中国方面での影響、とくに
中観思想の浄土教理史における決定的な影響関係に興味があります。真宗の信心をいただく者としても
この辺りから親鸞聖人がそうしたように遡及して真宗信心の核心を探りたいとも思っています。
要するに崇敬したい人はご勝手にということだね? 任意でどうぞということね。必要とは思わない俺は崇敬しないってことね。 各自の自主的判断にまかせるというのがいいね。
>>407 崇敬したいという人を無理やり首に縄つけて崇敬するなとは言えないでしょう。
個人の信の問題ですから。逆に首に縄つけられて崇敬しろとも言われることもありません。
任意をおっしゃいましたが、正に任意で各自が本願念仏に信を置きつつ、何が一番大切かを
考えながら判断して行動すればよろしいかと思われます。
409 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:01:02
>>397 格が上とか下とかそういう問題?違うでしょ。
>>408 それこそ「御はからい」なんでしょうね。
機が熟する、ことに期待するしかないでしょう。
>>404 当時としては、神仏習合が定着していましたし、
神社にも神宮寺があったり、寺に鎮守があったりとしますね。
親鸞上人も経典を借りに神社に行ったこともあるようですし、
そのように神祇神道が地域に根差し、それが国民というか
民衆で極普通に生活にまで浸透している以上、
親鸞上人も侮ったり貶めたりするのは、
間違いだと考えたのでしょう。それが妥協感から来たとしても。
だから、阿弥陀如来が本尊の神社の神宮寺や、鎮守社がある寺院ならば、
神社や鎮守社に祝詞奏上はともかく、浄土三部経や念仏を唱えたりして
感謝の態度を示すというのも、親鸞上人の信仰上ありえますね。
412 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:16:26
>>411 「善鬼神」という位置づけもあるからね。
あちらを否定することで、こちらを肯定するという内容ではない。
一部の真宗教団は今まさにそれをやって、絶対性を強調しようとしていますけどね。
そうしないと自身を安定させられないのだろうけど。
413 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:21:27
そう言えば、浄土真宗木辺派の錦織寺に 今でも寺の鎮守のお社があって祀られているらしい。 木辺派のスレにそういうレスがある。
414 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:27:16
>>413 そりゃ「純粋でないもの」の1つや2つあるでしょ。
>>413 真宗の教義がきちんと定着して守られているかどうかは、
真宗でも派によって違うのでしょう。
小さな派では、教学を学ぶ機会も少なくなるようですね。
417 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:34:37
418 :
414 :2006/01/17(火) 21:37:14
>>416 おっと、言葉が適切ではなかったな。
俺が言いたかったことは、純粋な教義通りではないもの、ということ。
あ、これも物議かもしそうねw
419 :
414 :2006/01/17(火) 21:39:10
>>417 う〜ん、言葉を変えると・・・「神仏習合の名残りを残すもの」の1つや2つ。
>>411 う〜ん、どうでしょうか?
当時は神仏習合はごく普通のことでした。しかし聖人はそれについて批判的な
言葉を残されています。その一例を上に挙げましたので、ご参照下さい。
基本的には真宗の御本典は『教行証文類』であり、とりわけ最後の「化身土文類」では、
真宗信心の要諦、真実の信とそうでないものとを厳格に区別していますよね。非常に激しい調子で。
前にも述べましたが「真・仮・偽」と三つに区別して、真に該当するのは大経第十八願他力念仏であって、
それ以外は仮ないし偽に該当します。仮とは聖道門および浄土門内の自力念仏という真である本願念仏以外の
仏教であり、偽とは仮にも該当しないその他全てですので、真である本願念仏を信受している者がどうして偽に
該当する行為をわざわざしなければならないのか合点がいきません。
専修念仏の弾圧の契機となった『興福寺奏上』・『延暦寺奏上』には神祇を敬わないことがけしからんとなっており、
また聖人のこの弾圧に対する激しい批判を見ても当時の仏教のあり方との対決姿勢が見られます。
後の教団は、弾圧を逃れ教団を護持するために覚如上人・存覚上人が神祇との妥協を打ち出されます。
このあたりの事情は真宗成立史研究や日本中世思想史等の数多くの研究論書がありますから、一読をおすすめします。
なお、これまた前にも触れましたがお念仏というのは、如来のはたらきであって私から発せられるものというわけには
行きません。如来のはたらきがお念仏となってあらわれているので、お念仏は如来との関係において生起するものでしょう。
南無阿弥陀仏の名号は、親鸞聖人においては行であり信であり証であったわけです。
単なる感謝の言葉であるわけではありません。そして感謝を表すときに使用する言葉だとも言えません。
親鸞聖人にとっての真実は南無阿弥陀仏がすべてであって、この称名が阿弥陀如来の清浄願心によって
回向成就された行であり信であり証であったわけですから。
この真理が親鸞に信知せしめられた時、その時同時に、このような獲心を親鸞聖人に生起せしめた
阿弥陀仏の方便の一切が、聖人にとってまさに阿弥陀仏の大悲心そのものだと領解されたという構造を
もっています。本願念仏はつねに如来との関係のなかで捉えられるべきでしょうね。
421 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:44:57
>>420 >親鸞聖人にとっての真実は南無阿弥陀仏がすべてであって、この称名が阿弥陀如来の清浄願心によって
回向成就された行であり信であり証
だったら、法楽として感謝を表すときに使用する言葉としても大丈夫だろ。
それがすべてなのだから。
密教で言う大日如来になるかな。
422 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:46:14
>>420 >単なる感謝の言葉であるわけではありません。そして感謝を表すときに使用する言葉だとも言えません。
これね、俺も同感なんですわ。
どこを引いても「報謝」「報恩」でしょう。違和感あるね。
423 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:47:59
>>420 そうかな?神道の側からみても、
吉田神道のように近世など神道で大いに広まった神道ですが。
吉田神道は神仏習合を批判し否定して、神と仏を分けて考える神道だった。
しかし、神と仏を分けただけであって、
仏教の信仰を否定していませんし、
同時に両方信仰するものありえました。
また、吉田神道自体仏教の影響も受けていますがね。
>>422 それは違和感あるな。
なんにつけても念仏があってこその真宗だとおもう。
報恩感謝もそれに含むくらいに。
425 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:50:22
ここに仏光寺派の僧侶の方はいないの? 仏光寺派では公式に神社に参拝するらしいと出ているけど。 この話題に関してはどうなのだろう?
426 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:51:58
>>418 鎮守社があるほうが、純粋な教義通りだと思う。
それに神仏習合を勘違いしているよ。
427 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:53:06
>>424 勿論、その通り。
お念仏を取ったら何も残りません。
428 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:54:28
>>426 >鎮守社があるほうが、純粋な教義通りだと思う。
申し訳ないけど典拠を示してもらいたい。
何度も申し上げますがお念仏は凡夫の側から生起するものではありませんよ。 あくまで如来のはたらきです。第十八願の御本願が南無阿弥陀仏となってあらわれた わけですから。「南無」とは帰命の謂いであり、如来との照応関係をこそ指す言葉です。 報恩とは単なる感謝ではなく、かかる如来のはたらきという照応関係です。 これはフランスにおけるチベット仏教の研究論書においても他力回向の回向はコレスポンダンスと しており、正に照応関係の謂いであることも参考になるのではないでしょうか。
430 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:56:46
>>428 このスレ全部。
読んでも分からなければ諦めてください。
あなたには理解できないでしょうから。
431 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:57:53
>>429 >報恩とは単なる感謝ではなく、かかる如来のはたらきという照応関係
となると、神祇に対して念仏はむしろ相応しく感じる。
如来のはたらきなんだから。
432 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 21:59:02
仏光寺派僧侶の公式の神社参拝って 何時どのように行われるの? 知っている人がいたら教えてください。
>>430 このスレ全部といってもあまりにいい加減な返答ではないですか?
私は428ではありませんが、親鸞聖人のテキストに直接典拠があるなら
それを端的にお示しになられれば話が早いでしょうに、「このスレ全部」なんて
のは答えとしてなっていないと思われますが?
ズバリここですという該当箇所を出していただければありがたいと思います。
>>431 どういうことでしょうか?
大経第十八願は神祇によるものということなのですか?
ということは真実の信とは神祇のことであるということと理解してよろしいのですか?
こういう説は初めて耳にしました。後学のために典拠をお願いします。
>>433 甘えるな。これが2chのしきたりだ。
スレ全部と言われたら、大人しく答えとして受け取るべきなんだよ。
>>435 テキストの該当箇所ならすぐだせるのでしょ?
どうしていつもお逃げになるのでしょうか?ここだといえばよろしいのに。
>>434 日本語の読解力を身につけて再度ここに来てください。
>>432 のどこをどう読んだらそんな解釈になるのか理解できません。
438 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:04:44
234 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/11/29(火) 21:18:25
>>223 軽んずるな。ということは敬えということですよ。
事実、仏光寺派などは今でも公式に僧侶が神社に参拝します。
235 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/11/29(火) 22:58:47
>>234 中立の立場は「敬う」ことですか?それとも「不敬」ですか?
236 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/11/29(火) 23:03:49
>>235 私が神職ならば、
言い訳・隠れ蓑にしか聞こえないから
「不敬」と判断させてもらう。
賽銭を入れて拝めとまで言うつもりはないが、
せめて自分達の信ずる念仏くらいは
神社で拝んで敬ってほしい。
実際、神社で念仏が行われていたりするのだから。
神祇派はネタでやってるんだから。典拠もしめせないんだからまともに相手にすれば疲れるよ!
>>436 そんな暇があるのならば、スレッドを最初から読めば?
みんな誰も甘えた発言は無視するよ。
441 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:05:27
241 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/11/30(水) 00:06:56
>>234 > 事実、仏光寺派などは今でも公式に僧侶が神社に参拝します。
その事実は親鸞の考えからは外れています。
神祇不拝は親鸞の思想として一般に認められています。
他の宗教を信じている人の大事にしているものには一定の敬意をはらうのは、
社会に生きる人として当然ですが、
神社に公式に参拝することとは異なります。
神祇不要派はネタでやってるんだから。典拠もしめせないんだからまともに相手にすれば疲れるよ!
443 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:06:05
244 :仮名菩薩@他宗 ◆ZcdeJ4d5cc :2005/11/30(水) 10:54:55 神祇不拝は見真大師の特徴でもあるけれど、 もともと仏教は護法善神に対しても「礼拝」することはなかったのではないですか? 私の宗派では1、15日の朝課の後に鎮守さまに対して感謝のお経を読みますが、 香華灯燭のお供えはしても、仏祖に対する時のような五体投地の礼拝はしません。 日本で僧侶が神祇や諸天を礼拝するのはおそらく 神祇諸天も大日如来の変化であるとする密教の影響以降で、 見真大師は密教の影響を極力排除していらっしゃるから そのような態度に「戻られた」のでは? 神前で仏法を開演しての「法楽」諸天善神に喜んでいただくことは 仏教一般や真宗の立場からはさして問題ないことのように思いますが、 それと神祇への「参拝」とは別物ではないかと。 明治の神仏分離以来、神前で法楽の作法をする機会というのは 格段に減りましたから、一般には法楽という概念が浸透してないのでしょうかね。
>>442 そうなんだ。相手にするのは止めましょうね。
>>437 お念仏は如来のはたらきがあらわれたもので、第十八願の他力念仏はかかる意味ですよね?
神祇はどこにも登場しません、もちろん。如来のはたらきの「如来」は阿弥陀如来であって神祇では
ありませんよね。
448 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:12:54
>>441 十派連合では「靖国神社の参拝をやめろ!」と言ってるのにね。
神祇派は典拠示せよ。典拠をだせ!
452 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:14:29
>>450 もういいんじゃない?ネタなんでしょ?
いい加減にお付き合いする気も失せてきたよ。
>>450 スレ全部。
これに異議を唱えたり、それ以上の答えを要求するのは荒らし行為。
454 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:16:07
>>452 ネタは神祇は不必要だといってる電波ね。
他はまともな人ばかりだよ。
親鸞聖人の著作の典拠だよ?このスレって親鸞聖人の著作じゃないジャン!
>>455 では、このスレに書き込んだレスは
親鸞聖人の著作じゃないので、
ここで典拠を挙げても意味が無いなw
457 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:19:07
つーか、信じてないなら逆に拘り無く祝詞でも念仏でも出来る様な気がします。 なんにも効果も利益も加護も期待していない訳ですからね。 その(神祇を拝む)程度でグラつく信仰でもないし、そんな事で阿弥陀様も怒りはしないでしょ? その様な状況になれば形式だけ皆に合わせれば?
>>452 それすら答えられないのですか?
失礼ですが御本典を読まれました?読んでおればすぐに答えられると思うのですが?
459 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:20:26
>>455 もういいんじゃないの?
どうせ、典拠はこのスレ全部、という答えしか返ってこないよ。
初めから典拠なんて示されたことないし。
>>457 それは祈願といったものでなく、
法楽というものですからね。
特別神祇を信仰するのとは全く違いますからね。
祝詞奏上でも念仏でも神祇に行うのは、問題なしです。
>>458 このスレを読んでもすぐに分かるはずだよね。それでは。
>>462 一文字で言えるわけですから是非ともお答えをお願いします。
464 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:25:12
神祇は外教邪偽でしょう。
>>465 >463は構ってちゃんだろうから、
相手するのは止めとけ。
468 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:27:36
>465 俺が答えてやるよ。答えは「偽」だ。
470 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:28:47
典拠すら示せない。答えられない。いい加減にしてくれよw
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:29:31
>>470 お前にとって、スレッドの内容が都合の悪い内容なんだなw
472 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:30:03
>>469 偽でしょうね。「化身土巻」の勘決邪偽の考え方からすれば。
>>472 何で、神祇を侮るように親鸞上人はしなかったの?
どうせ偽なんでしょう?
「真偽を勘決して、外教邪義の異執を教誨せば、『涅槃経』にのたまはく、 仏に帰依せば、ついにまたその余の諸々の天神に帰依せざれ、と。 『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、 みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ふることを得ざれ、 天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、となり」 「真の仏弟子といふは、真の言は偽に対し仮に対するなり。弟子とは釈迦諸仏の弟子なり、 金剛心の行者なり。この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、真の仏弟子という。 仮といふは、すなわちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。偽といふは、すなわち六十ニ見・九十五種の邪道これなり」
>>477 なるほど、どう考えても、
>>460 は神祇への姿勢として正しいな。
申し訳ができないほどに。
479 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:35:03
真・仮・偽のうち神祇は「偽」とされていますよ。
>>480 では、あなたは神祇を侮っていってくださいね。
もっとも「偽」であっても、祝詞奏上しても問題無いですが。w
「優婆夷三昧を学ばんと欲せば天を拝し神を祠祀することを得ざれとなり」
484 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:38:14
もういいよ、神道系の人は。
485 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:39:28
>>484 論破されて悔しいのか?
まあ、神祇に祝詞奏上は気が引けると考えても、
念仏くらいはして礼したら?
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:39:42
・真・・・本願念仏 ・仮・・・聖道門および浄土門内の自力念仏 ・偽・・・それ以外
489 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:42:53
神祇、鬼神にして外教邪偽のたわごとなり
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:42:57
>>485 相手を破する論はどこにあるんです?
祝詞奏上なんて親鸞さんの著書のどこにも書いてないんですけど。
もし著書の中にあるなら、その箇所を教えてもらえませんか?
493 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:45:03
>>492 「もし著書の中にあるなら、その箇所を教えてもらえませんか?」と書いてるんですが。
>ALL
もういい加減にやめましょう。
神祇を崇拝しない否定する派は、
まともな思考で持ってレスしていないようです。
相手にするだけ時間の無駄です。
>>487 で結論が出ていますので。
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:46:06
神祇派は一人だけのような気がするんだけどw
499 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:46:24
501 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:47:29
>>495 「もし著書の中にあるなら、その箇所を教えてもらえませんか?」と書いてるんですが。
>>494 では、そういうことで終了しましょうか。
503 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:48:21
>>497 まともな論客が来てるのに神祇派のアホ一人が根拠もしめさずスレ全部とか意味不明なことばかり
言っているわけだろう。ID表示ありにすべきだと思うけど。
>>503 自演して楽しい?神祇を貶めたい人。
周りを良く見てごらん?w
506 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:50:26
>>494 激しく同意。ただの電波が一人で荒らしているだけになりましたね。
508 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:51:15
というわけで、親鸞さんの著書から引けばこれが結論でしょう。 477 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:33:30 「真偽を勘決して、外教邪義の異執を教誨せば、『涅槃経』にのたまはく、 仏に帰依せば、ついにまたその余の諸々の天神に帰依せざれ、と。 『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、 みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ふることを得ざれ、 天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、となり」 「真の仏弟子といふは、真の言は偽に対し仮に対するなり。弟子とは釈迦諸仏の弟子なり、 金剛心の行者なり。この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、真の仏弟子という。 仮といふは、すなわちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。偽といふは、すなわち六十ニ見・九十五種の邪道これなり」
議論の続きをすればどうですか? 各自はきちんと御本典を中心に典拠を示していくというルールでもつくればいいのでは?
もう神祇完全否定派も神祇に祝詞上げる派も極論ってことで 荒らし認定していいんじゃないか?
>>512 その路線でもいようです。
神祇完全否定派は一人だけのようですがw
>>511 スレ全部という根拠もありですね。
ガイシュツネタをやるのは非効率なので。
>>487 で結論は出ています。
517 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:55:24
>>457 それが大人ですね。
勿論、その逆に他宗教の方も阿弥陀仏の前では、形式だけでも皆に合わせればいい。
>>512 どういう考えを持っていてもいいと思いますよ。
ともかくその人が根拠を示しながら論じていくということに徹していけばいいか
と思われます。
521 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:56:51
>>503 PCと携帯の併用ですね。
これで2人は確保できます。
>>516 スレ全部なんて具体的な場所が限定されていませんから典拠になりえません。
親鸞聖人の著述のどこかということを引用することが典拠を示すことに他なりません。
523 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 22:59:06
>>521 神祇不要派はそうしているということか。
自分で手口ばらすとはw
>>522 それはこの板では通用しない。
非効率だから。
それを認めたくないのならば、
ここじゃなく、他でやれ。
>>487 で最終決着しているんだ。
527 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:00:32
>>527 沢山のかたから、君は叩かれている証だよw
>>523 いや、そういう罵りあいをしても埒があきませんので各自親鸞聖人のお言葉自体を引用
することに徹すれば話は早いと思うのです。
みなさん当然読まれていることでしょうから、具体的な場所を引用することにすることを
ルールとして設ければ無意味な罵りあいは避けられるのではないかと思われます。
531 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:02:04
>>526 別にここで構わないでしょう。
>>1 を読んでからにして欲しいものです。
>>531 他でやれよ。効率的に運用すべきなんだ。
自演までして荒らすな。
535 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:04:39
>>530 神祇不拝の論理を徹底して論証していけばいいだけのようにも思いますけどね。
例えば御本典のここだという該当箇所を各自が引用するのが基本だと思います。 具体的な引用なしに話をしても無意味ですので、そうしましょう。 せっかく議論できる場が設けられているわけですから。
>>530 スレを最初から読めば済む事。
最低限の礼儀。
>>537 親鸞聖人がどういったかということを問題にしているわけでしょう?
当然引用つきで論じるのが当然だと思うのですが?
539 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:06:21
では、皆さん、せっかくの議論の場ですから、 ガイシュツの話題はやめにして、 スレを全部読み、論拠がすでにある場合、 スレを全部としましょう。
>>538 それなら他でやるべし。
非効率なんだよ。
引用つきでお願いします。
545 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:08:34
>>537 その回答は聞き飽きましたので。
そちら様こそ他の神道系のスレで遊んでいらしたらどうです?
文献からの引用で文章を構成できないようなので、見たところ真宗の門徒でもない
ようですし。
>>540 非効率でもないと思いますよ。典拠を出してください→スレ全部の繰り返しではないですか?
これでは議論になりませんから、どうか引用つきでお願いしますと述べているわけです。
よほど効率的だと思いますよ。
>>545 周りを見なさい。あなたが出て行くべきです。
何度も同じことが繰り返される以上。
スレを全部読んで理解するのが礼儀です。
550 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:11:23
>>546 議論しようということ自体に無理があるようですね。
文献からの引用を主体に、神祇不拝について論証していった方が効率的でしょう。
>>545 門徒ですが、非常に失礼なレスですね。
スレッドくらいは全部見てやるべきです。
典拠なんて必要ありません。
>>549 議論する気が無いんだろ?
なら、あんたが立ち去ればいいんじゃないか?
なぜことさら引用元を示すのを拒まれるのか理解に苦しみます。 真宗聖教全書ならともかく、浄土真宗聖典ならダウンロードできるわけですから、 一々書く暇も省けるでしょう。該当箇所さえ知っていればすぐに出せるはずです。
>>553 君一人が出て行くだけで、スレがマターリするよ。
出て行け。
558 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:14:14
だから、スレを最初から読まないで 来るやつはここに来るなよ。 荒らしだよ、そんなやつ。
例えば話題を変えて見るのはどうでしょうか? 有志で論註を読んでいくとかすれば?
俺も、スレを全部という根拠はありだと思う。 典拠厨の言い成りでは、議論が進まない。
562 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:15:45
>>561 2ch以外のところでそれをやってください。
迷惑極まりないです。
>>564 あなたと違ってそういう自作自演はしていませんけど、疑うなら好きにしてください。
568 :
訂正 :2006/01/17(火) 23:17:41
>>562 2ch以外のところでそれをやってください。
迷惑極まりないです。
>>567 まだシラを通すの自演ばかりしてきたのに。
572 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:19:34
あのですね、結論はどっちでもいいんですよ。 しかし、神祇について親鸞さんがどういう見解を持っていたのか、を論ずるのに文献を引用しないで どうやってそれを説明できるんです?
>>573 そんなことだから、お前は場をよめてないと。
自分が一人ぼっちだと気づけば?w
スレにはすべて目を通しているけど、祝詞をあげる必要があるって論拠はどこにも書いていないな
>>539 の方こそスレすべてを読んだ方がいい
>>574 誰も否定していないでしょう、一人を除いて。
580 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:23:53
>>577 そうですね。
最初っからどこにも無いんですよ、それが。
ざっと全部読んだら、書いてあることは、 そこかしこに根拠があったので分かりやすかったよ。 無かったというのは、頭がおかしいからだろうねw
話題を変えてみてはどうですか?
安心論題綱要でも叩き台にしてはどうでしょう?
>>583 ほう、ではそのレスにアンカーを付けていただけませんか?
591 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:28:25
どうやら神道系カルトの仕業みたい。この荒らしようは。
594 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:29:22
>>591 だろうね。ガイシュツネタをループしまくりだし。
スレッドも最初から読まない奴だから。
>>592 スレを全部読みました
しかし、見つけることができません。
そこかしこに散見されるというなら、そのレスにアンカーを付けてください
599 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:31:29
>>597 しかし、同じ真宗門徒なのに随分と不親切ですね。
601 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:31:43
>>593 いいえ扱っていません。この問題だと荒らし行為が止まりませんから(またどろ自演の人が
言ってくるでしょうけどw)、話題を真宗のメジャーな話題に変えてみてはこういう
騒ぎもおさまるかと思われますので。
なんなら「真宗の教義と安心」という一般向けのものでも構わないですが。
>>599 いやもう、阿弥陀様に救われているし。
あなたは違うの?親切にしてもらう必要があるの?
>>601 それはどうかな?本派限定になってしまいますよ。
だから問題を絞るとか本願力回向とか?
>>593 =601
自演もやるならうまくやりなよ。
607 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:35:12
今度は論破されたからといって、ネタ変更かw 自演でどうやってスレを伸ばすのかな?w
609 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:35:47
見え透いた自演は神祇派でしょうにw
610 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:36:34
とうとう神祇不要派が自作自演で議論をはじめましたw
611 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:36:35
>>603 ここはひとつ「化身土」巻を詰めますか。
613 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:37:28
論破ってどこに論破されているのですか?
詭弁の法則 例.「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合、あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が… 事実に対して仮定を持ち出す 「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」 ごくまれな反例をとりあげる 「だが、時として尻尾が2本ある犬が生まれることもある」 自分に有利な将来像を予想する 「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」 主観で決め付ける 「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」 資料を示さず自論が支持されていると思わせる 「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」 一見関係ありそうで関係ない話を始める 「ところで、カモノハシが卵を産むのは知っているか?」 陰謀であると力説する 「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」
知能障害を起こす 「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」 自分の見解を述べずに人格批判をする 「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」 ありえない解決策を図る 「結局、犬が卵を産めるようになれば良いって事だよね」 レッテル貼りをする 「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」 決着した話を経緯を無視して蒸し返す 「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」 勝利宣言をする 「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」 細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる 「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」 新しい概念が全て正しいのだとミスリードする 「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」
618 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:40:06
>>611 構いませんよ。「化身土巻」でも。しかしそうなるとやはり神祇の問題が外教邪偽として
出てきますけど、構いませんか?
どうやら、自演で本気で議論を展開するようです。 神祇不要派は。
>>617 それだから電波なんだろう。
自作自演で議論をはじめているし。
621 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:41:47
>>618 宜しいんじゃないですか?
やはりここは各派共通項目でいかないと。
622 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:41:51
でもあの方は来ないのかな?長文で適切に指摘してくれた学生さんは。
>>622 神祇不要派の一人の馬鹿のせいで、
来なくなりました。orz
624 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:42:51
626 :
虚仮 :2006/01/17(火) 23:43:40
>>621 下げ進行でいきますよ。わかりやすいように世間虚仮からHNをとりました。
>>622 来てるじゃん
曇鸞、化身土とお好みのネタだよ
630 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:45:51
神祇不敬のやつが自作自演ショーを始めました。 見物ですw
631 :
虚仮 :2006/01/17(火) 23:46:31
>>624 普段書き込んでいなかったようですけど、おそらく日蓮正宗系が来たときに蹴散らかして
いましたよ。サンスクリット・チベット訳・漢訳バンバン引用して。
>>625 自演はあんたでしょうに。
どうして三秒で書き込めるだよ。携帯とかいうんじゃないだろうな?それでも三秒では無理だよw
632 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:46:50
>>626 何でsage進行なの?
ちなみに「九十五種の邪道」って何?
>>629 神祇不要派も、論破されたことを
暗黙的に認めたのだろうw
634 :
虚仮 :2006/01/17(火) 23:48:32
>>632 あげると荒らされる可能性が高くなりますのでできるだけ目立たなくということで。
>>631 自演は君だけだろ。手口自分で紹介したじゃないかw
>>631 自作自演をやっているからといって、
他の人全員同一人物と見なさないようにね。
>>634 いい加減他のスレへ行けば?
このスレで自作自演議論しなくてもいいよ。
論破されたからといって、 自演で荒らすとはな。 議論も自演で進行か。 阿弥陀さまの救いをそれでも信じてるのかなあ?
642 :
虚仮 :2006/01/17(火) 23:53:04
自演自演と連呼している者こそ自演しているのがバレバレですw
>>632 九十五種の異道、あるいは、九十五種の外道とも言ったりしますね。
釈尊当時のインドの外道の総数が九十五あったということです。
但し、九十五ではなく九十六種と数えることがあって、それは六師外道と各々の15人ずつの弟子の
合計とされてますね。
いずれにせよ、仏道以外に拠るものを言います。
>>642 やっぱり、自作自演だったんだね。お前w
>>641 自演しか、荒らす方法はないみたいです。
650 :
虚仮 :2006/01/17(火) 23:57:34
>>643 そうですね。元々は釈尊在世の仏教以外の外道の思想家の総称だったらしいのですが、
それが元で仏教以外のよこしまな教えの総称になったということですね。
「化身土巻」冒頭に登場します。
651 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/17(火) 23:58:22
自作自演で議論が展開されているスレです。 実質自問自答です。
もう放置するしかないみたいだね。 自演で議論やっちゃってるし。
653 :
虚仮 :2006/01/17(火) 23:59:01
>>643 あっ、それから誰が誰と区別がつかないのでできればHNをつけて欲しいのですけど?
>>652 そのようですね。ハンドルつけてまで自演で議論するみたいですし。
>>650 今ここの状態を表すならば、差しあたって
「已外の自余の諸善は、ことごとく「雑行」と名づく」
ということでしょう(w
>>652 そうしましょうか。
暖かく見守ってやりましょうw
659 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 00:02:40
真宗らしい議論だ。 さすが真宗ですねWWW
>>652 私は途中からROMばかりでしたが。
自演で議論は滑稽でした。
>>643 化身土巻
つつしんで化身土を顕さば、仏は『無量寿仏観経』の説のごとし、真身観の仏これなり。
土は『観経』の浄土これなり。また『菩薩処胎経』等の説のごとし、すなはち懈慢界これなり。
また『大無量寿経』の説のごとし、すなはち疑城胎宮これなり。
観経 真身観
仏、阿難および韋提希に告げたまはく、
「この想成じをはらば、次にまさにさらに無量寿仏の身相と光明とを観ずべし。
阿難まさに知るべし、無量寿仏の身は百千万億の夜摩天の閻浮檀金色のごとし。
仏身の高さ六十万億那由他恒河沙由旬なり。
真身観が化身である根拠は?
>>652 すでに放置している人もいるのでは?
一部の煽りが、神祇不要派に粘着していただけでしょう。
>>652 その方がよさそうですね。
スレの役目も終えました。
>>650 和讃でも「九十五種世をけがす〜」ってのがあったね。
教えには96種類あって仏道を除く95種類全てが外道とされたんだっけ?
>>652 放置しなかった人たちにも非があると思いますが、
くだらん荒れた状態になってしまいましたな。
669 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:09:22
>>655 そうですね。アホの挑発にのらずに淡々とやっていけばいいでしょう。
どうやらこの人の本性(アンチ真宗の神道系の人間でしょう)が見えてきましたし。
無視して粛々と書き込めばいいと思います。ということなのでできるものなら識別
しやすい何かをお願いします。
「神祇に祝詞を上げる」といってた人と「神祇にも敬意をもって接するべき」 といってた人は別人だよな?
671 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:17:46
>>666 そうでしょう。それが後に「化身土巻」において真仮偽の偽として区分けされていきます。
真としての十八願の法、仮としての聖道門と自力念仏、偽としてそれ以外の外道という風に
はっきり区別されました。
672 :
457 :2006/01/18(水) 00:19:19
窮屈な方達ですね。 真宗の方は大体こんな感じなの? 戒律も修行もない自由な感じのわりには、細かい事に拘るね。
673 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:20:16
御本典に真実信心と仏教内だがそうでないもの、そして外教邪偽との峻別がなされ、 神祇・祭祀や道教・儒教なども次々と批判されていきますね。
>>671 念仏者を守る諸天や善鬼神に関する教えは仮ですか偽ですか?
675 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:24:02
特に外道に手厳しいです。 そうそう、これは安心論題においてもやはりこの化身土巻が決定的に重要になりますね。 真宗の教義と安心も結局はここが中心でしょうし、勧学の先生方もことあるごとに強調します。
>>661 真身観とは仏を観ずる、すなわち心の中に思う仏ですからね。
それ自体にはたらきがあるのかと言えば、これはNOでしょう。
真身観において形象化された仏に対して、真仏については「大経には無辺光仏、無碍光仏とのたまえり」と
述べていますから、「はたらき」それ自体のことですね。
それゆえ仮仏であると。
677 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 00:25:39
真宗の中だけでしか通用しない理屈って認識あるのかな・・・。 認識してるならば問題なし!
678 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:27:04
>>674 該当箇所を?出来れば御本典の箇所で。
仮とは「化身土巻」において聖道門と自力念仏ですからね。そこに該当しなければ偽になるのでは
ないですか?神祇祭祀道教儒教などの外教は外道として位置づけられるから。
>>676 言ってしまえば、物質化されたものは総じて方便と言ってもいいかも。
680 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:29:25
物質化というよりも言語化されたものは本来なら方便になるんだろうけど。 この辺は詳しくないからわからないけど。言説諦は方便であるという龍樹菩薩の考えが あるわけだし。
681 :
679 :2006/01/18(水) 00:32:02
>>680 うん、その言語から起こされた対象化という言い方もできそうだけど。
>>679 物質化といより、有限に表現された浄土が方便化土じゃないかな
684 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:39:05
言語認識というのはみな分別智になるので、必然的に対象化されてしまいますよね。 だから言語により思惟的実在を対象化・実体化してしまうのでしょう。 でもこれは真実じゃなくて戯論だというのが龍樹菩薩の思想ですね。受け売りなんですけど。 勝義は言葉で表現できない。でも言葉なくして思考できなくなっているなか、 どうしても言葉を使用しないといけない。直接表現はできないから否定で語るという仕方になってしまう。 その語られる言葉は分別ですから、否定でかろうじて示される勝義に導く方便となるわけでしょう。
685 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 00:41:11
飽きたのか、それとも付いてこれなくなったのか・・・w
>>683 現世利益和讃より現生十種の益
信巻
金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲。
なにものか十とする。一つには冥衆護持の益
あと、御消息
仏法をふかく信ずるひとをば、天地におはしますよろづの神は、
かげのかたちに添へるがごとくして、まもらせたまふことにて候へば、
>>684 そうですね。
分別心、定散心に形作られる世界ということでしょう。
688 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:43:52
>>685 申し訳ないですが、あげないでください。また変なのがやってきますから。
なぜだか(笑)一斉にね。そしてなぜだか一斉に引いてしまいます。まるで歩調を
合わせたように。何を意味するのかはご想像にw
ともかくいらんこというとまたきますので是非とも下げ進行でよろしくお願いします。
689 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:47:49
>>686 有名な文句ですね。
仏教の歴史によくあることなのですが、布教のために敢えて土着の信仰を利用して
その神々の名をかたるというやり方の一つじゃないですか?
もちろん教えの中心でもなんでもない。まもると単に書いているだけでだから何何すべしとは
明記していませんから。ただ真でもないし、仮でもないですよね?聖道門でもないし、自力念仏でもないから
どうしても位置づけとしては偽になりますね。よろしいですか?
>>686 「冥衆護持の益」を挙げると、「それ見たことか!」と件の方々が喜んでしまうわけですが、きちんと
「金剛の真心を獲得すれば」という前置きがありますね。
「信心を得る者は神々から護られる」ということは、「神々にも祈りましょう」ということとは違います。
>>689 >仏教の歴史によくあることなのですが、布教のために敢えて土着の信仰を利用して
>その神々の名をかたるというやり方の一つじゃないですか?
教行信証は布教目的に書かれた本じゃないと思うけどね。
冥衆護持の益は 「金剛の真心を獲得すれば」得られる利益であって、
その利益を目的にするのは偽。
692 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 00:56:20
>>690 それに触れるとまた神道系の人が荒らしに来ますので触れないほうがいいのでは?
正直疲れます。もうすでに原典をドンドン出されているので議論としては済んでいると思いますので。
よろしくお願いします。
693 :
虚仮 :2006/01/18(水) 00:57:52
>>692 申し訳ありませんが、再度いいますがあげないでくれます?
本当にお願いします!
果たして親鸞さんは、そこまで拘ったのかな。
しかし、親鸞聖人が冥衆の存在自体を否定していたかどうかはわからない。 仏教の世界観には天人や魔王や天魔や修羅を認めるわけだし。
>>691 そうですね。
少なくとも御文のような性質のものではないですし。
697 :
692 :2006/01/18(水) 01:01:24
>>693 あげてもさげても来る人は来ますよ。神経質すぎませんか?一応さげときますけど。
一緒だと思いますよ。それよりあなたもそういう話題にもって行かない方がいいですよ。
ロムッてたけど、挑発するんじゃなくてスルー決め込むことにして、話題を避けていくというほうが
いいと思いますよ。じゃあね。
>>695 否定する必要性はないはず。
しかし、それは目的とするところが違うということは明らかでしょう。
>>697 仰る通り。
age、sageじゃないと思いますね。
700 :
虚仮 :2006/01/18(水) 01:05:50
中観思想からすれば、実在としては否定していたでしょうね。 もちろん名辞列挙はしますけど。曇鸞大師の論註は中観思想が大前提ですし、 親鸞聖人も有無の邪見をしりぞけるといっているわけですから、有見ないし常見は とるところじゃなくて、最終的には実在なんかしやしないと思っていたと思うのですけどね。
701 :
虚仮 :2006/01/18(水) 01:07:39
>>697 そうかも知れません。
それよりあまりこの話題は周到に避けたほうがいいかもしれませんね。
またそっちに戻りかけていますから。
「化身土巻」に戻りましょう!
>>700 存在の有無ということも問題なのですけど、むしろそれは行者側への問題提起に重きが置かれている
のではないかと思います。
>>700 親鸞聖人が冥衆の存在を否定していた根拠として、中観思想を持ち出すのは無意味でしょう。
中観思想は冥衆どころか、衆生を含めたあらゆる物の実在を否定しているんですから。
>>655 良く解釈してあげれば「定散の専心」かも。
>>691 「冥衆護持の益」を得るために神祇に礼拝するといってる人は誰もいないような
気がしますが。「金剛の真心を獲得した念仏者はその益を受けているから神祇にも
敬意を持つべき」との主張はこのスレにもありましたが。
信心獲得→冥衆護持の益は間違いないけども、冥衆護持の益→神祇に敬意を
というのは経論に無記載であるので個々の判断で、ということでしょうか?
706 :
虚仮 :2006/01/18(水) 01:20:51
>>703 無意味でしょうかね?いいえ決して無意味ではありませんよ。
有無の邪見を破るということも強調されています。自己の計らい分別をすて悟りの世界に
目覚めることに主があるわけですから、ここをネグレクトしては大前提が崩壊します。
だからもちろん弥陀仏が存在するなんていっちまったら誤りなわけで。
往生浄土にしても中観思想抜きに理解できませんよ。なぜなら論註における往生浄土の説明は
中観思想が大前提になっているからです。
衆生ももちろん虚仮ですしね。ただし往生浄土に関しても今生の生と往生浄土の生とは違うということも
説明しているわけで、今生の生も実体ではもちろんありませんが、それとも違う往生浄土を説明しているわけで、
この区分けが重要なように、名辞があるからその対象を考えるのはやはりまずいというべきでしょう。
このことも同じく龍樹菩薩が名を対象と混同してはならないといさめています。
707 :
虚仮 :2006/01/18(水) 01:23:49
冥衆が存在するかとかいった問題はそれこそ戯論でしょうからやめておきましょう。 本題に戻りましょう。
>>706 親鸞教義の根底に空思想があることは認めます。
しかし、凡夫にとって一人称の「私」は現に、ここに存在するのです。
浄土教はそこが出発点です。
問題点は私が現に生きているこの世界に、同じく冥衆が住んでいると
親鸞聖人が信じていたかどうかです。
709 :
虚仮 :2006/01/18(水) 01:30:42
私も存在を否定しているといいましたので、そこはこの際保留にしておきますね。 もちろん実在といっては絶対まずいことはたしかなのですが、否定していると仮にしても どのレベルで否定しているのか断定が難しいのでやはり避けておくべきかもしれませんね。 教えの中心でもなんでもないわけですし。仏教全体において天魔といった名をどう理解するかは いろいろ議論がありますから、この問題もそれと関わってくるかもしれません。 もちろん実在とはとらえてはいませんし。仏教と土着宗教との関係を見ていかないと判断が難しいでしょうか。 釈尊と悪魔が登場するところは悪魔とはもちろん存在ではなくて煩悩をあらわすたとえとして考えられていますから、 その線で考えるのが通りがいいかもしれません。
>>707 たしかに冥衆が存在するかどうかは証明のしようがないね。
しかし親鸞聖人が冥衆の存在を信じていたかについては…これは資料が足りないかな。
711 :
虚仮 :2006/01/18(水) 01:35:32
>>708 浄土教理史からすれば必ずしもそうなのかな?と思いますが専門にしていないので
断定はしないでおきますね。
信じていたか信じていないかということですが、一体冥衆の名で何が表現されているのかにまで
立ち返るべきではないかと思います。何かの象徴表現かもしれませんし。釈尊に対する悪魔の誘惑の話のように、
自己の煩悩の一つのあり方の象徴的表現という風に捉えることもできないわけではないでしょうから。
ように。
712 :
虚仮 :2006/01/18(水) 01:38:03
初期浄土思想を研究している方がおられればいいのですけどね。 解説をお願いしたいところ。
>>711 親鸞聖人が存在を信じていようがいまいが、
冥衆を恐れていなかったということは、一つ言えるでしょうね。
神々を畏れ敬っていた当時の一般常識からすると特異かもしれません。
特異だから、そこを槍玉にあげられたのでしょうね。
ふむむ。 その時にまた一切天・龍、乃至一切迦た富単那・人非人等ありて、みなことご とく合掌して、かくのごときの言を作さく、「我等、仏一切声聞弟子、乃至もし また禁戒を持たざれども鬚髪を剃除し袈裟を片に着ん者において、師長の想を作 さん。護持養育してもろもろの所須を与えて乏少なからしめん。
715 :
虚仮 :2006/01/18(水) 02:09:05
>>713 そうですね。親鸞聖人はそのような禍福に迷える当時において随分と思い切った
ことをやりましたね。相当辛辣に批判しています。
716 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 07:42:27
スレを目を通してみたが、昨日の夜から 粘着電波が自作自演で議論を始めて続けいるなw 神祇を否定するのが間違いだと、 方々から論破されたので、そのように荒らし始めたのでしょうか。 面白いので、さらし上げw 昨日の神祇否定電波叩き祭りに参加できなかったのが残念。
>>716 うるさいな、お前。
>>494 氏や
>>652 氏の神祇否定派への
スルー要請見てないのか?
ほとんどの方が神祇否定派をスルーしているのに。
神祇否定派が自演で議論していて
スレが塵と化してもスルーするように。
718 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 08:30:30
どっちもどっち
こんなとこで粘着相手に議論しててもキリがない。 過去レス見ても思いこみで見れば理解出来ないでしょう。 出拠や根拠の話が出ているけれど、 要するに、そういうものを学術的にきちんとして、 出拠も示し、何よりも著者の名前を明かした多くの学術論文で、 親鸞の神祇不拝は明確にされている。 素人が断片的な知識で、ああだこうだと言うよりも、 親鸞思想全体を客観的に読んだ上での論は重い。 その世界では、結論がでているということです。
>>719 ・・・・・・・・・┐(´∀`)┌ヤレヤレ
>>715 信罪福心の者が、雑毒とも言うべき自力作善に励む。
その作善の対象が天、龍、夜叉の類であっても、その彼らすら信心の行者に敬伏している・・・。
すなわち、菩薩的な扱いですわね。
>>719 ん?
もはや粘着相手に議論なんかしてないっしょ?
「レス全部」なんてもはや議論の放棄。
彼らがどう暴れようが、資料・文献を土台に構成していけば何の問題もないでしょ。
神道系の仕業だから無視で。またくるよ。一人(多人を装っているけどw)が 崇敬しろって。そんな暇あるならお内仏にむかって念仏してればいいのに。 とにかく普通に議論を続けていけばいいでしょう。
今のこの状態を『歎異抄』で言えば・・・ 「右条々はみなもって信心のことなるよりおこりそうろうか。」 に始まり、 「法然聖人のおおせには、「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房の信心も如来より たまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり。別の信心にておわしまさんひとは、源空が まいらんずる浄土へは、よもまいらせたまいそうらわじ」とおおせそうらいしかば、当時の一向専修の ひとびとのなかにも、親鸞の御信心にひとつならぬ御こともそうろうらんとおぼえそうろう。」 というところでしょうか。
「権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちいるこそ、聖人の御本意にてそうらえ」 「如来の御恩ということをばさたなくして、われもひとも、よしあしということをのみもうしあえり」 「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほど にしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらば こそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなも って、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」 「如来の御恩」と「御こころ」を傍らに置き、権仮あるいはそれ以外のところを云々して「よし」だの 「あし」だの・・・。
>>726 大谷派が含まれるから、話題には事欠かない。
>>727 専用の政治系スレがあるんだから、大谷派をめぐる諸問題はそちらでやるべき。
730 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 15:49:24
/ < __>  ̄ / /\ |\ ハ // ̄ / | ( ◎) / .| _ノ(ノヽノ .ヽ-ヾ _ / \ / ノ人 ヽ | イ・ヽ\) ) | .| | ヾ) ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヾ人__ノ(。。` ヽ / | 父さん! | ⌒ | ノ ノ < 人 | レノ / | 強い電波です! ヽ、 ⌒ ノノノノ \__________ /~/`ーーーー´/___/ヽ / | ̄~|ヽ/\/| | | / |__| o .|__| |
どうしてそうも自由度の無い信仰を強制するかねぇ これ、と決めないと一般大衆はついて来ないとでも思ってるかねぇ 別に世のならいならたまには神社で。⌒ ヽ(´ー` ) 上げたっていいじゃない。 玉串祝詞上げたっていいじゃない。 漏れは門徒じゃないから伝統的な理解はわからないが、 ただ外道に傾倒するな、それは浄土往生の本道ではない、と言ってるだけの物言い だとうけとるけどなぁ。 なんにせよ、がいしゅつのレスも読まずに物を言う香具師は( ゚Д゚)イッテヨシ これが2ちゃんねるのルール
>>731 だよな、神祇不敬派は実際には一人だけだが多数を装って
自演で議論を展開しているがばればれなんだよなw
がいしゅつのねたをスレも読み返せずに、
何度も繰り返し聞いてくるものなんだからw
>>731 神祇に対しては単に社会的な意味での敬意をもって接すればいいだけ。
他の宗教を侮蔑しないという最低限のルールだよ。真宗は一神教的な面は
あっても排他的ではないよ。神道が仏教を敵視し排除しようとしない限り
共存できるはずだからね。親鸞聖人も神祇を善鬼神として認めてはいるし。
ただ祝詞や玉串といった祭祀を行うとなると全然話が違っていて明確に禁止
されているのですべきでない。
・・・、これが排他的一神教(キリスト・イスラム等)相手なら共存は難しいだろうが。
なんかサロンはサロンでも一部高級サロンのような趣があるな。 かなりの知識量をもった人が典拠を出しながら議論するとは。 とても神社仏閣板とは思えんw むしろ心と宗教板にふさわしいように思えるな。
>>733 多分、「崇敬」って言葉をこのスレに持ち込んだのは私だと思うのですが(353で)、
私の考える「崇敬」とはまさにその意味です>社会的な意味での敬意
どうも「積極的な神祇崇拝」と誤解されてしまったようですが。
>>736 崇敬だどか、不敬だとか、ややこしい言葉持ち込むから変な議論になる。
要するに、真宗は阿弥陀仏以外の他の神仏に帰依することはなく、
その意味で、他の神仏を拝むことはしない。
ただし、他人が敬っている神仏を侮蔑をしたりせず、
他人が大事にしているものには一定の配慮を払うということでしょ。
他の信仰を持つ人の存在は認めますということでしょう。 内心の自由。 この辺は誰も異議を唱えていない。やりたい人はご勝手にというスタンスでいいわけですよ。
>>736 私は
>>352 の者ですが、「崇敬」という意味は社会的にやや積極的な崇拝行為と誤解を
うけかねない表現だと思いました。そこで真宗信心として崇敬しなければならないと言われれば、
一心一向弥陀仏に帰依し大経第十八願他力念仏の法に信をおく者として、それは違うのではないですか、
と申し上げたわけです(もっともこれはあなたの言説に対するものであるのか否かはわかりませんが)。
私のレスでご紹介した自由説にやや近い折衷説をとっており、崇敬したい人の首に縄をつけて
まで崇敬するなという資格は毛頭ありませんし、逆に崇敬したくないという人の首に縄をつけて
崇敬しろと言う筋合いも同時になく、各自の判断でご自由にすればいいし、他の信仰を持つ人の
尊厳まで侮蔑するがごとき言動は慎むべきとの世間一般の常識を尊重するのが賢明な態度であろう
と思っています。
事実、前にも書きましたが連れに初詣に誘われた時も一礼程度はしましたし、クリスチャンの友人の
前ではやはりクリスチャンに失礼のないような対応を自らの信心の許す範囲でとらせてもらっています。
これは社会道徳、世法の問題ですからね。
でも昔、神社へ行っただけで「神祇不拝に背くからなるべく行くべきでない」 とオレに怒った坊さんも実際いたからな。「神祇不拝」の字面だけ見てそう言ってる 原理主義者もいることは確か。 あとこれも物議をかもしそうだが、何年か前「地区で地蔵を建てたので落成のお参り をしてくれ」と町内会長から言ってきたことがあり、そのときは地蔵の前に三つ折り本尊 を置いてお勤めしたことがある。表白に「弥陀を賛嘆する諸仏たる地蔵菩薩」との 文言は入れたが・・・
741 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 20:35:52
窮屈な宗教やな。
>>737 だから、神社に訪れたときなど、
神式の作法で祝詞をあげたり、
無量寿経、阿弥陀経や念仏などを唱えたりして
一定の配慮で敬うのはいいのではないか?
それは別に帰依の意味じゃなく、敬意・感謝を表するという意味で。
自演を繰り返している神祇不敬厨はこれを認めようとしないですけど。
>>740 大抵の浄土真宗の寺院でも、地蔵菩薩やその他の諸尊を
寺院の門前で地域でおまつりしている場合は結構多い。
例えば、観世音菩薩ならばともかく、薬師如来や地蔵菩薩を本尊でおまつりしている寺院の住職が、
親鸞聖人の教えに従いたいと親鸞聖人に相談した場合、
親鸞聖人はどのように回答したのだろうかと考えてしまう。
>>742 やりたければおやりになればいいと思いますよ。
ただし神式というのは私には及びもつかないことですし、第十八願本願念仏以外の念仏は
やれませんので、念仏を唱えることには抵抗を感じますが、いずれにせよしたければやればいいですし、
それを咎めるつもりはありません。個人の信の問題ですから。ただし私にそうしろと言われればできません。
せいぜい一礼するということでしょうか。クリスチャンの方もいれば神道の方も世の中にはいるわけですから、
他の信仰をしたい人にまで自らの主張を強制するかのごときことはやりません。
>>740 怒ることはないでしょうね。本願念仏を信受していれば積極的に行きたいとは思いませんから。
私には「ふたごころ」はないので弥陀一仏で十分です。第十八願の法におまかせするということで
精一杯です。
行きたいという人がいれば、その人はそれを欲しているわけですから自由にすればいいと思いますよ。
あなたが神社に行きたいんだと言われれば、私ならどうぞ好きにしてくださいといいます。もっとも私は
坊主ではなく本派の門信徒ですが。
>>743 浄土真宗僧侶としては、
丁寧に神社で敬意を表するのは、
無量寿経などの浄土三部経を唱えることでしょうか。
746 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 20:56:55
>>743 仏光寺派僧侶は、神社を公式参拝する行事あるんじゃないの?
それについてはどうなの?
>>740 浄土宗の知恩院は地蔵菩薩祀っているけどね。売店のところに。
神社も知恩院にはあるし、護摩も焚くし。
>>745 浄土真宗僧侶としてというのではなく、世間一般のといった方がいいのではないでしょうか?
教義の中心とは別なわけですから、社会常識として失礼にならない程度。他人の家にあがるときに
「おじゃまします」というのと同じように接すれば問題ないでしょう。
無量寿経などの三部経を唱えてなにをしたいのかよくわかりませんが、したければご勝手になされれば
よろしいかと思われます(私はしませんけど)。
神社に敬意を表するというのではなく、他信仰の人の存在を尊重するという常識的な対応で十分だと思います。
キリスト教会など他宗教の施設に接するのと同じ対応といいましょうか。
>>746 そうなんですか。
う〜ん、私には理解できませんがやりたいという人がいるなら、これもご自由にという他ありません。
咎める気もないですし。ただし私とは異なるかなと思います。心の自由ですからね。
>>747 大派。田舎だと地域のしがらみに配慮しないといけないからね。
なかなか理想的信仰生活というのは難しいよ。
(749のつづき) 要するに、とある日本の代表的な某新興宗教団体は、勢力拡大の際「折伏大行進」として 他宗教他宗派に攻撃的な態度をとり、数々の嫌がらせ行為をしてきたようですが、 かかる言動をするのは、他の信仰を持っている人々の存在を否定するに等しい行為ですから、 こういう行為を神社やキリスト教会やモスクなど他宗教の施設にしてはなりませんよ、という程度の 意味として考えておけばいいと思います。逆に我々真宗門徒が神社に参拝しろと強制されることも門徒の存在を 尊重していないわけですから、こういう行為は自らの信仰・信心とは別にして社会常識としてやってはならないでしょう。 いわば世俗道徳の問題でしょうね。
>>749 >無量寿経などの三部経を唱えてなにをしたいのかよくわかりませんが
一応自身の信仰心を忘れないという。
阿弥陀仏を信仰するという意思表示。
もっとも神祇に敬意でもって尊重するというのも兼ねて、
真宗僧侶としての形式でというように。
>>751 ということは、僧においても、
浄土真宗と密教を共に学び修めて共に信仰し、
自らの仏教における見識を広めるというのもあるのでは?
ともに尊重するということで。
>>753 そこまでいくと真宗信心ではなくなるようにも思われます。
あくまで信仰とは別に社会道徳として他宗教の人々がいてもいたずらに攻撃しない
という心構えをもって、お互いが自由に自身の信仰を大切にすればいいわけですし。
キリスト教の方を尊重するとはいっても私がイエスキリストを信じるということまではいかないわけですからね。
密教にしてもキリスト教にしても神道にしても他宗教としてお互いの信仰の自由を認め合うという態度でいいのでは?
(754のつづき) 日本には約18万の宗教法人があると言われます。法令に違反しない限り憲法において 信教の自由が認められているわけですから、真宗の立場を真宗以外の人に押し付けても意味ありませんし、 強制から信心など生まれませんからね。それら無数の宗教にはそれぞれの自由があるでしょうから、 それを認めればいいということになりますね。
互いの違いを認識して互いの自由を尊重すべしということね?
>>754 となると、密教僧、禅宗僧などと
浄土真宗の僧も交流を深めて対談議論し、
お互いの仏教の見識を深めるという感じでは?
>>754 密教では、すべてを含むという真理があるから。
すべてのものが大日如来のあらわれ方と考えるので、
親鸞上人の信仰や考えもそれに含まれると解釈するでしょう。
密教での解釈ではね。
因みに、浄土真宗僧侶も覚如上人など密教も学んでますよね。
759 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 21:42:47
いつまでやってんだか・・・。
神祇不要君がいなくなって、スレが正常化しはじめたな。 再び現れたら、神祇不要君が自演で潰そうとするだろうがw
>>757 交流してらっしゃる人はいるのではないですか?
逆に密教の方で真宗を学ばれている人もおられますし。
仏教の見識を広めることはいいことですよ。互いの違いを知る上においても。
密教や禅あるいは日蓮系の方でも例えば本派の宗門校で学んだ方も大勢おられるようですし、
宗門校ではないですが、私が所属している大学の研究室には多様な背景を持った人がいます。
私のような真宗門徒もいれば、禅宗の人もいますし、とくに大学院には密教系の人もいれば、
チベット仏教の研究をしている人もいます。日本以外の仏教教団の方々も留学生としてきていますしね。
私個人は中観仏教を学びとりわけナーガールジュナやチャンドラキールティを勉強していますので、
それはそれで面白いわけです。真宗理解の前提ですから。
門信徒として親鸞聖人はもちろん学びますが、他方で道元禅師も非常に面白いものがあります。
いわゆる鎌倉仏教の開祖の中でも親鸞聖人と道元禅師にともに惹かれるところがあります。
というように信心とは別にいろんなものを学べばいいと思いますよ。
暇があればキリスト教神学も面白いかもしれませんよ!バルトとかブルトマンとか。
>>758 いろんなものを学ばれておられるようですね。もっとも覚如上人や存覚上人と親鸞聖人とでは
かなり違うと思いますが。
そういえば興福寺のお偉方は龍谷閥であると聞いたことがありますが、どうなんでしょうか。
神祇は糞じゃねえの?
>>761 確かに、各自僧や信徒とか関係なく、
そのように見識を広めて、
自身の独自の信仰を考えて行うのも一つでしょうね。
>>761 真宗の僧侶が密教や禅を学んだりする方はいるの?
信仰するかどうかは別にして、それらを学ぶということで。
>>761 親鸞聖人も密教色の強い寺院の青蓮院で
剃髪していたり、世話になっていたりしましたから、
密教の見識もそれなりに学んだのでは?
親鸞聖人も密教経典から引用して主張している文献もあったような。
(不空羂索観音の経典だったような)
>>764 大学つながりで友人というケースもあり、密教の儀式を見学しに行ったという方は
おられますよ、私の知っている人ですが。もちろんかなり違和感をもったみたいですが。
私も中学高校がキリスト教の学校でしたからキリスト教の儀式に参加したことはあります。
もちろん信仰はしませんけど。
学問的には鈴木大拙など事例のみならず仏教学者では真宗と禅の双方に関心を示される方が多いので、
禅も学ばれる人はかなりおられるのではないかと思います。一見かなり違いますが、メダルの表裏にように
考えている人もいないとも限りませんし、とくに道元禅師が面白いと思います。
親鸞聖人と道元禅師の対話なんかがあれば、ものすごく豊かな対話になったであろうと思われます。
親鸞上人は、儒教の経典まで引用して自説を論じていた気もする。 そもそも儒教を代々学んで修めている家柄の出身だから、 当然といえば当然かもしれないが。
>>768 ええそうですね。
ただ御本典「化身土文類」では道儒双方なで斬りにしておられますが。
770 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/18(水) 23:41:35
>>753 >浄土真宗と密教を共に学び修めて共に信仰し、
>自らの仏教における見識を広めるというのもあるのでは?
悪いが、おまえ何がしたいんじゃ?
>>770 見識を広げたいんでしょ?他に何があると言うんです?
772 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 00:27:51
>>771 学ぶならともかくなんで密教を信仰するの?ということでは?
>>772 何を課題にして密教なのか?真宗なのか?ということかも知れないですね。
それ、重要なことですから。
774 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 00:37:47
>>772 いいんじゃない?
真宗の門徒さんだからって密教に触れちゃいけないってわけでもないし、転派する自由も
あるのだからね。
775 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 00:43:21
>>774 なるほど、転派する自由ね。
真宗から密教という人もいるしその逆もいる。
そこからキリスト教に行く人もいるしイスラムに行く人も。
幸福の科学に行く人も神道に行く人もブードゥー教に行く人もいるし。
776 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 00:46:53
>>774 ですね。
これは真宗の坊さんに限ったことではないですけど、坊さん自身が最も「家の宗教」に
拘ってしまって、それが絶対だと決め込んでいるところがあるんじゃないですか?
教条主義的なこともそこに鯨飲の一端があるのかも知れません。
自分自身の信仰になっていないということもあるでしょうし。
>>777 ×鯨飲
○原因
失礼しました。
でも、親鸞さんから離れてみることも大事かも知れませんね。
779 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 01:14:08
親鸞聖人と道元禅師の対話 南無阿弥陀仏と南無三世諸仏の対話になりますか。
>>779 対話をしなくても分かり合えそうな気がします、その2人の場合は。
神祇を信じる人もいるんだから侮蔑をしない、 というのは、常識的な態度だということだが、 真宗門徒にとって神祇は必要であるということではないし、 真宗の信心に神祇や他の神仏が必要でないということは、 やはり真宗信者にとっては常識的な態度であることに変わりはない。
>>781 その通り。でも社会道徳として他宗教の自由を尊重してあげましょうということ。
もちろん真宗の信心は弥陀一仏だから他は必要ではない。とはいえ必要な人もいるから
好きにさせてあげればということだよ。その人に強制できないだろう。自由は認めてあげるべき。
これは真宗の信心とは別問題。イエスキリストを信じる人もアッラーを信じる人もいるわけだから、
自由は認めないと。
信教の自由ということかな。
>>782 他宗教の自由については最初から尊重してると思いますよ。
それこそ「御はからい」ですし。
但し、法然〜親鸞の教説を取るということであれば、それは話は別ですよ、という
だけのことで。
>>782 >もちろん真宗の信心は弥陀一仏だから他は必要ではない。とはいえ必要な人もいるから
>好きにさせてあげればということだよ。その人に強制できないだろう。自由は認めてあげるべき。
お好きなように。強制もへったくれもない。
但し、それが『歎異抄』の「後記」において「信心の異なるより起り候ふ」「別の信心にておはしまさん
人は、源空が参らんずる浄土へは、よも参らせ給ひ候はじ」と指摘されていることだけは、きちんと踏
まえるべきでね。
>>784 もちろんそうだけど、どうしてもという人に無理やりやめなさいとは言えないわけで。
真は無量寿経第十八願の法だから。
>>785 だからそれは御本典などから膨大な引用をした人がいるじゃない。それら典拠が物語っているわけよ。
真実の教は無量寿経なかでも第十八願。
>>787 神祇へ帰依するのと、
祝詞を挙げて神祇に感謝や礼節を表すのと
全く意味が違うのですが。
神祇を特別信仰する必要が無くても、
祝詞を挙げたりして、神祇に感謝や礼節を表してはいけないのですか?
>>788 真宗の門徒はしないですね。
それは真宗の教えを理解すれば当然そうなるわけで、
いけないということよりも、
真宗の信心のことをもっと理解すべきだということでしょうね。
>>786 無理やりやめなさい?別に言わないでしょ。
それに対して、先師は既に
>>785 のように指摘をしているということであって。
あとは皆様の「御はからい」ということ。
>>789 「どうしても必要」というのは結局、世間的関心であったり、世間的要求の類でしょ。
信心の内容に対して、どこに立場を置くのかによって決まること。
「弥陀一仏」とは仏道に立場を置いてのことで、「そこに道あり」と信じて生きるという姿勢の現れ。
寄り道するのは構わないのでしょうけど、結局、世間側に立場を置いているということを自ら証明
しているってことじゃないかと。
善鬼神の敬伏もそれが信心の行者の果相であると思えば、自ずと行動も決まるでしょう。
>>792 ご利益をお願いしたり、
ご利益のお礼参りをするなら、
真宗の教えからは外れてるということですね。
788は、何か誤解しているんでしょうね。
>>792 =793
自作自演は良いから、
誤解をしてるのは君の方だと気づきなさい。
必要性は神祇に感謝や礼節を表すとはっきりでているのに、
どこからご利益なんて出てくるのでしょうか?
日本語の勉強をやり直した方が良いですよ。
795 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 18:49:07
なんだ、神祇否定厨は文盲なだけだったかw
>>794 神祇に感謝と礼節?
何を感謝するの?
真宗の門徒が何で礼節が必要なわけ?
もう少し真宗のこと知ってからにしてくださいな。
797 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 19:55:31
いつまでも平行線なので、いい加減スルーしましょう。
>>796 つまり、浄土真宗の教義では、
神祇に対して無礼で侮蔑するというものがあるのですね。
>>798 スルーしましょう。
神祇不敬派はまともなレスをする知能がないのは明白ですから。
相手にするだけ無駄です。
ものすごく丁寧に説明してもらっているのにねぇ。 諫める神道系の方はいないのかな。
神道はイエスキリストに無礼な行為をしてるかなあ。
802 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 20:59:36
神道はアッラーを冒涜しています。もちろん仏教もね。
>>798 神道の考えではイエスキリストに対して無礼で侮蔑するというものがあるのですね?
>>804 無い。どこからそういう論が出てくるの?
>>798 にはキリストの話はまったくでていない。
日本語読めないの?
806 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 21:09:15
>>798 ついでに
神道の教義ではアッラーに対して無礼で侮蔑するというものがあるのですね?
神祇否定派には論理性も説明も全く無しw
809 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 21:10:25
>>809 書いてありますね。
浄土真宗は神祇に対して無礼で侮蔑すると。
>>809 =812
日本語読めない池沼の方の自演ですか?w
やっぱ神道カルトの仕業だったんだ〜w
やっぱり神祇不敬派はキチガイだったんだw
一応神道系カルトの仕業として通報しますね。
835 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 21:19:37
神祇否定派はスレ潰しの荒らしだろ。 みんなスルーしろよ。まったく。
837 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 21:20:27
神道カルトはスレ潰しの荒らしだろ。 みんなスルーしろよ。まったく。
>>835 そうですね。まともなレスが一つもありませんから。
>>835 別の話題に切り替えるようにも
神祇不敬派が粘着に荒らしますが。
>>837 別の話題に切り替えるようにも
神道カルトが粘着に荒らしますが。
>>835 そうしましょうか。
もっと前向きな議論でもしたいですし。
>>837 そうしましょうか。
もっと前向きな議論でもしたいですし。
>>835 覚如と関東門徒との関係でも議論しますか。
>>837 専修念仏神祇不拝について議論しますか?
>>835 了解しました。
単に神祇否定厨は池沼なだけでしょう。
>>837 了解しました。
単に神道カルトはキチガイなだけでしょう。
>>848 覚如って関東の門徒からの信頼が比較的高かったと聞くが
どうなんだろう?
>>835 低脳キチガイを相手にしても意味が無いですからね。
神道の実は糞尿のたとえだったらしいけどうなんだろう?
>>855 存覚上人じゃないの?
存覚上人に任せておけば良かったと思うのだけど。
>>855 関東の門徒って高田派が多数派だろ。
そんなに信頼されていたのかなあ?
>>837 低脳キチガイを相手にしても意味が無いですからね。
御開山さまは神祇は迷える衆生に過ぎない。出世間ではないと言っていましたね。 神道カルトはこれが気に入らないのでしょうね。
>>858 存覚上人を解任しなければなあ。
覚如上人もなぜ解任したのだろう?
>>835 神祇否定するという電波ばかりでしたから。
神道は日本固有の信仰ではないですよ。
>>859 高田派って一向一揆もあまりしなかったと聞く。
うまく周りと妥協というか友好的に行動していたのかな?
。「神道は宗教と称されることが多いが、実際はほとんどその名に値しない。教義もなければ、聖典もなく、道徳的規範すらも欠いている」。
>>862 浄土宗的な解釈だからじゃない?
つまり多念義だったかな?
>>837 神道カルトという電波ばかりでしたから。
>>862 一応、覚如も存覚を一旦復帰させているけどね。
>>835 神祇否定派は電波ばかりですな。
本当に親鸞聖人の教えを支持しているのか疑わしい。
>>837 神道カルトの電波ばかりですな。
本当に親鸞聖人の教えを支持しているのか疑わしい。
>>870 どこが間違っているのか、指摘してもらおうか。
存覚上人は親鸞の法流というよりも、
法然の法流の解釈だぞ。
それが覚如上人との不仲の原因とも言われているが。
>>872 正体がばれましたね。やはり予想したとおり神道系だったわけですよw
>>874 確かにスレ全部読めばわかるよね?
アホじゃないのかしらね?
ゲラゲラ・・
>>874 自作自演で悦に入らなくても。でたらめだからw
神祇否定派はやはり浄土真宗のこと何も知らなかったようですw
>>879 自作自演で悦に入らなくても。でたらめだからw
神道カルトは当然浄土真宗のこと何も知らなかったようですw
神祇否定厨はこれだからw
>>883 そりゃそうだよ。だって神道カルトだもん。他宗教にちょっかいかけるのが趣味に
している連中なんだから。度を越して本山を燃やそうとした香具師もw
神道カルトはこれだからw
神祇不敬派は浄土真宗をどれほど知っているのかな?
神道カルトは浄土真宗をどれほど知っているのかな?
>>862 親鸞の法流を受け継いでいないというスタンスだったんだろう。
神道カルトはバカばっかりだなw 新田に入れ知恵されたってか?
存覚上人が解任されずやっていれば、 浄土真宗もより洗練された宗派になっていたとおもうね。
896 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 21:47:52
>>804 神道は民族宗教ですから、日本民族だけの幸福を考えます。
ですから、戦争中は戦勝の祈願には神社に行きました。
日本の神さまは、他の民族に対して戦争で勝たせてくれます。
もちろん、他の宗教を信じる異民族の幸福は考えません。
確かに書いてあるね。
>>897 は日本語に不自由しているようですw
>>896 負けたじゃんw
効果なしということでFA?
>>898 =899=900
日本語の不自由な方ですね。
重複スレなので即刻削除依頼しました。
>>902 不自由なのはあなたです。
みんなそう思っていますよ。
>>908 日本語読めないバカが一人いるね。どうせ神道の連中だよ。
>>895 違ったものになっていったような。
親鸞の考えから遠くに。
>>910 そうみたいだね。
日本語読めない神道カルトはスルーが一番だろうね。
>>912 そうかな?
蓮如上人が出てくるまで不遇な状態になっていたし。
>>918 神道系のやれることってこんなスレ荒らしぐらいなもん。
存覚上人がそのままやっていたら、 浄土宗の一派となっていたに一票。
>>917 それもありますが。
親鸞聖人の考えからは
外れてしまうのはどうかと。
神祇不敬派の自演も あまり相手にされなくなってスルーされて むなしいものになっているねw
「『古事記』には、道徳体系もなければ、倫理的問題の議論もない。 儀式を定めず、礼拝の対象とすべき神も指定していない。一個の宗教たるに 不可欠なものの一切が神道には欠けている。これをどうして宗教と称しえるのか、 私は理解に苦しむ。神道は宗教として見た場合、これまで人類に知られたいかなる 宗教と比較しても、内容空疎で、無味乾燥である」。
「かつて私も神道の正体を見極めようと懸命に努力したが、価値あるものは何も見つからなかった」
神道カルトの自演も あまり相手にされなくなってスルーされて むなしいものになっているねw
>>924 宗派として発展と存続を考えないと。
少しは妥協的にということで。
>>922 それも浄土宗の中でも
あまり大きくない派になったりするかも。
>>931 神道の連中もきているようだし、ここらへんで神道とは神祇とは何かをやって
みてもいいのではないでしょうか?
大した内容はもちろんありませんが、カルトの根を研究するにはいい材料ですよ。
>>931 =934
今度はスレ違いのネタで自演の議論をするのかw
>>913 スルーが一番だよ。
新スレにちゃっかり祝詞なんて入れているようだし。
祝詞って悪魔の所業だってことわかっていないんでしょうな?
親鸞上人が関東いるままずっと布教してれば、 良かったような気もする。 何故、京都に戻ったのか疑問に思う。
>>929 そういえば、存覚上人は密教の伝授も受けていたのだったな。
知識は幅広かったのだろう。
>>935 今度はスレ違いのネタで自演の議論をするのかw
>>940 そうみたいですね。
神道カルトって正体がばれてもやるつもりらしいですw
こちらも神道カルトスレでもつくっちゃいます?
>>938 そりゃ故郷に戻りたいと思うこともあるだろう。
>>940 そういうこともあって、覚如上人も一定の評価していたのでは?
>>943 そりゃ大半が、神祇不敬厨の自演レスだからなw
>>940 さすがに密教の宗派にはならないだろう。
でも浄土真宗も初期のころは護摩も焚いたりしていたらしいが。
949 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 22:18:06
このスレの住人は2人なのか?
>>949 よく見てご覧。
真面目な議論をしている方々と、
神祇を貶めて荒らしている一人がいるだけです。
>>943 そりゃ大半が、神道カルトの自演レスだからなw
>>949 神祇否定派が自作自演で荒らしているだけです。
議論している人たちが迷惑になっております。
>>949 よく見てご覧。
真面目な議論をしている方々と、
仏を貶めて荒らしている一人がいるだけです。
このスレッドでは、 多念義、一念義どちらを支持しているの?
>>949 神道カルトが他宗教のスレで自作自演で荒らしているだけです。
議論している人たちが迷惑になっております。
>>948 それを蓮如上人が、親鸞上人の教えに立ち戻って復興ということか。
>>949 神道系の人には迷惑しているんですよ。
新スレ見ました?どうみても真宗の人間ではないことがわかります。
>>959 良い参考文献ありますか?
一門徒ですので、詳しくないので教えてください。
>>957 君のような人がいるから、
浄土真宗は誤解されるんだよ。
神道を批判したり軽蔑したりしているとね。
マターリすれば?
>>959 親鸞聖人も一念か多念かで揺れ動いたりしていた時期もありますよね。
難しい問題なのでしょうかね。この概念は。
>>960 短いもんだから直接読めばいいし、梯先生の本でもいいし。
>>961 君のような人がいるから、
神道はカルトだって思われるんだよ。
仏を批判したり軽蔑したりしているとね。
マターリすれば?
>>964 どうも。真宗学の研究論書は大量にあるのでそれも暇があれば参照してね?
>>959 多念義で思い出したけど、
上にも出ているけど、
存覚上人は金戒光明寺系統の考えだよね。
今でも金戒光明寺系統の影響残っているのかな?
多念義は異安心ですね。
>>959 多念義の方が行として、受け入れやすいというのがあるのでは?
>>970 異安心とされています。
安心論題勉強した?
>>972 てことは、存覚上人も異安心とされているの?いまでは。
確かに詳しくは学んでないけど。
僧侶じゃないのでそういう機会と時間が無いし。
一念であるか多念であるかの二者択一ではないと御開山聖人は言っています。 一念に近いでしょうね。そして教学では多念義は異安心とされております。
>>974 そこが浄土宗との大きな違いの一つでしょうかね。
>>973 露骨には言わないけど異安心と解釈せざるをえないことをしばしば言っていますね。
少なくとも親鸞聖人とはかなり違っています。さすがに御聖典に載せられないものも書いていますし。
真宗聖教全書でもかろうじて列祖部に入っているだけ。
>>974 親鸞聖人は時期によって一念、多念と揺れ動いているようにもみえますからね。
それらを少し見ただけでは、どちらを支持しているか分かりにくい部分もでたり。
それらの二者択一を超えたものととらえるべきでしょうか。
テキストを直接読めばいいのです。
>>976 先にもあるけど、密教や浄土宗系の教義を
修めたりしていることもあるのでしょう。
仏教の見識は確かに深く広いでしょうから。
それはそれで存覚上人独自の考えとしてみればいいものですね。
親鸞聖人のものとは違っていますが。
西山教学が紛れ込んでいますからね。 親鸞聖人なら親鸞聖人までのテキストに基づかないとややこしいことになりますね。
>>976 当時の真宗の状況じゃしょうがない気もするけど。
関東とは違って、非常に小さな派であったわけで、
妥協的に布教して大きくせざるを得ないのですから。
>>980 今も、西山教学の影響が残っている部分もあるのでしょうか?
当時はいかに弾圧から逃れて教団を護持するかということが至上命題だったからね。 こんなこと言っていいの?ってなことまで色々書いていますから。
神道厨来なくなったなw 風呂でも入っているってかw
>>983 護摩も焚いたりしていますから。
確かに、親鸞聖人は独自宗派を立てるのは
本意ではなく天台宗として考えていたということも。
(それでは浄土真宗が存在すること自体、
親鸞聖人の教えに背いているような気も)
>>982 残っているよ。もちろんそれを払拭しつつあるけど。特に大派ね。本派では
聖典に「安心決定抄」が入っているよね?これ西山教学の本と言われていて、
大派においては聖典からはずしている。本派はまだ入れている。でも形式だけで
参照はほとんどされていないのが現状。
親鸞も阿弥陀経か何かを唱えることで、 祈祷に変えようとしたエピソードがあったな。 これから真の救いとは何かを考え出すきっかけだが。 当時はどんなお経でも読めば、 祈祷になるという考えが多数だったのかな?
>>988 参照くらいはしてもいいような。
せっかく残っているんだし。
参考文献として。聖典とさえしなければいい訳で。
>>986 天台宗というのではなくて浄土宗と考えていた。
ただし後に浄土宗は違う考えになったし、親鸞聖人の教えを継承しようと教団が
形成されたんだと思う。背いているとは思わないが。継承しようとした人の集まりが
教団になったわけで。
次スレをそろそろつくらないとな。 まだつくっていないんだろう?
>>992 浄土宗の一派では生き残れなかったのでしょうかね。
法然の弟子親鸞という構図から見ると、
その方がすっきりする感じがする。
996 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2006/01/19(木) 22:58:42
>>995 どうなんだろう。実際は浄土宗とは違うわけだしね。
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。