浄土宗・称名念仏第六回

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1南無阿弥陀仏
日本仏教の精髄、浄土宗を盛り上げましょう。

浄土宗・称名念仏第一回
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1101618487/
浄土宗・称名念仏第二回
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1113414378/
浄土宗・称名念仏第三回
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1119955135/
浄土宗・称名念仏第四回
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1122705630/
浄土宗・称名念仏第五回
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1126536579/
2妖輝緋 ◆Tyn2tfw0AU :2005/10/15(土) 05:41:36
2げっとぉ!
3名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 15:39:25
               _.. ..‐::´/
             _/::::::::::::/
           _/:::::::::::::/ ____
         ,..::::´::::::::::::::::::::: ̄:::::::::::._/
       /:::::::::::::::::| ヽ、:::::;::::::::::::/
       /:::::::::::::::::::::|´|ヽ   |/_:::.::/
  _ .. -─':::::::::::::::、::|`'   ,   .!::∠
  `'' ‐-.._:::::::;-‐、`(●)  (●) |::::`::-、オッス!オラ29歳 公務員 童貞!
 =ニ二::::::::::::::::|6    \___/、| -──` 将来がやべえ状態だってのに
    ‐=.二;;;;;`‐t    \/  ノ       なんだかすっげえワクワクしてきたぞ!
4名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 16:41:34

        ヤタ!朕が4げっとだ!!お前等朕にひれ伏せ!クソ共が!
        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          /\ /\  /神\/../
          / /\  \(´∀` )./
        ())ノ__ ○二○二⌒/../
       / /||(二ニ) (___/../ 几l
   γ ⌒ /|V||彡Vミ/⌒_ノ二二ノl0
   l| (◎).|l |((||((゚ )/⌒/||三三三・) ||  (´⌒(´
__ ゝ__ノ     ̄(___) ̄  ゝ__ノ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒;;
5名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 16:55:40
祝!新スレ
6名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 17:27:06
けちゃっぷ君、早く登場せい。
7TO けちゃっぷ:2005/10/15(土) 17:35:06
浄土宗では、浄土に往生する事を説く。一体なにが往生するのか?
たぶん、死後の自分だろう。と、いうことは、死後の世界を容認して
いるのに、それについては、誰も語ろうとしない。そこのところを、
けちゃっぷ君説明して欲しい。ただ、『それは次の次元で』などとは
言わないで欲しい。
8名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 17:40:06
紅葉舞台に催し多彩に
光明寺で来月12日から有料拝観期間
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005101400234&genre=I1&area=K30
9名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 17:43:50
>>8
イラネ
10けちゃっぷ:2005/10/15(土) 22:03:44
>>7 うーん…「何が往生するのか」という問い自体が正しいのかどうかも不明ですよね。
ある「場所」から別の「場所」へ「何か(誰か)」が往生する(移動する)という前提で問われているように思えますので。
「場所」というモノも空でしょうから。
11TO けちゃっぷ君:2005/10/15(土) 22:25:59
しかし、龍樹のように、『すべてが空だ』などと言ったら、称名念仏
で極楽往生できるとする浄土宗の考え方は、成立しないのではないか?
浄土宗には、往生する主体がなければならないと思うのだが。
12名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 22:26:39
布教師大会に出席された方はいますか?
13TO けちゃっぷ君:2005/10/15(土) 22:33:09
もうひとつ。実際、霊の存在は否定できないのでは?経験、と見聞してい
るものから推して、私には否定できない。しかし、宗では議論されて
いない。私には都合の悪いものから逃げているようにしかみえないの
だが。
14名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 22:51:25
こないだてれびで「霊が存在するのは、人類が<死>を発見したから」って
説明してたよ。すごく納得できた。
15名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 22:57:30
う〜ん
16名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 23:01:31
とりあえず、誰でもいいから、>>7の答えを、納得できる形でだして
ください。
17名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 23:06:30
>>16
けちゃっぷさんじゃないけど、
その問いをつきつめることは、法然上人の本意ではないと思う。
しかし、宗として形をなすには避けては通れないノカー
18名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 23:09:11
目に見えるかたちで立証できないものを納得できるよう答えることができるわけない。
19けちゃっぷ:2005/10/15(土) 23:09:15
>>13 なぜ霊の否定だけをクローズアップするのでしょうか?
そもそも地球も人間も物質も否定しているのですから。
20TO けちゃっぷ君:2005/10/15(土) 23:20:31
話の本筋は、>>11のほうなんですが。
往生の主体は?言い換えれば、何が往生するのですか?

21横槍五右衛門:2005/10/15(土) 23:48:38
>>20
そもそも「主体」という問い自体がまちがってませんか?
「空」を「すべてが関係性である」と捕らえれば、「往生する」ことは確かでも
「往生する主体」が関係性から離れて存在などしないのでは?
22けちゃっぷ:2005/10/15(土) 23:48:56
>>20 角度を変えて考えてみましょう。「あなた」が往生するのです。
では、「あなた」は霊ですか?人間ですか?
場所から場所へ「何か」が移動するというより、ある夢を観ている「あなた」が別の夢を観ている「あなた」に変わるのではないでしょうか。
観ている夢が変わるだけです。もちろん、夢を観ている「あなた」も本当は「あなた」ではありませんが。
23名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 00:15:14
>>22
>角度を変えて考えてみましょう
というこの一言がまた揚げ足をとられる材料となるんだよな。
>ただ、『それは次の次元で』などとは言わないで欲しい
と言われているので、言いたくなる気持はわかるけど。

>>21
しかし、諸法皆空なら往生を説く必要がなくなるのでは?
修道の立場と本有の立場を混同すると、話が噛み合わなくなると思う。
諸法が皆空であり、人がそのことを認知できるのであれば、
修行する必要はないのであるし、往生・浄土など説かれる必然性もない。
それを認知できないのが人間であるから、往生・浄土が説かれたんでないのかな?
24TO けちゃっぷ君:2005/10/16(日) 00:15:25
まず>>21 十二因縁と、「空」が一緒になっているような気がするのですが。
>>けちゃっぷ君 と、言うことは、往生の主体自体は、自分自身なのですね
それならば、納得できますが。
25TO けちゃっぷ君:2005/10/16(日) 00:18:35
>>23
正しいと思う。納得。
26名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 00:20:25
    ∩
    ( ⌒)     ∩_ _
   /,. ノ      i .,,E)
  ./ /"      / /"
  ./ / _、_   / ノ'
 / / ,_ノ` )/ /
(       /  good job! >>23
 ヽ     |
  \    \
27けちゃっぷ:2005/10/16(日) 00:36:07
>>23 仏教的には「あなた」は空ですってことなんですが、
それが理解できない凡夫のための浄土教ですから、
「あなた」について解明するのはとりあえず棚上げしといていいのだと思います。
分析してもしなくても、往生する「主体」=「あなた」の名称と形態は、いずれ消滅すべきことです。
28TO けちゃっぷ君:2005/10/16(日) 00:41:15
どうもありがとうございました。それでは今日も、けちゃっぷ君の
精進と世界平和を願って、おやすみなさい。
29名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 00:41:28
>>27
なるほど。納得。
つまり、「あなた」=仮有=霊として実体のある存在ではない
ということね?
30名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 00:49:38
でも、やっぱり、浄土へ往生しなければ、解決できない問題だな。
31名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 00:55:29
でも、実際は仮有をアウフヘーベンしたところの実存なんでしょ。浄土は。
そこにおいては主客不可分で、凡夫の思慮を超越した存在。
したがって、そのばあいの「あなた」は霊体としての存在ではない。
32名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 01:07:55
法然上人「登山状」に
死出の旅路について述べる箇書に
「魂」って言葉でてくるから、
浄土宗では、極楽往生するのは我々の魂だよ。
33名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 01:13:51
「魂」の概念にもよるな。
あるいは仏教に精通していない者に縁起だとか空だとか言っても
わけわからんから、「魂」とした可能性も考えられるんでないかい?
34けちゃっぷ:2005/10/16(日) 01:18:09
>>28 おやすみなさい
>>29 「色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたもの(行のこと)、―
わたしはこれ(上記の五蘊)ではない。またこれは、わたしに属するものではない。」(『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤU』)
35けちゃっぷ:2005/10/16(日) 01:21:24
>>32 無我を説くブッダだって、会話の中では「わたし」と一人称を使います。
法然さんは「魂」も空だとご存じだったはずですので、仮に「魂」と言っただけではないでしょうか。
36名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 01:54:42
>>35
君の説は想像。
法然上人が 「魂」という言葉を使われて
「命が消え去れば、屍を離れ魂が旅路につく」(登山状)
との内容の記録があることは事実。
37名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 03:06:09
>>36
そもそも登山状は本当に法然の作なのか?
38名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 03:45:15
法然上人が式子内親王へ宛てた手紙の文面にも
「極楽浄土での魂の再会」を語っている。
39けちゃっぷ:2005/10/16(日) 04:09:52
すべて空だという前提での話ですが、僕は心霊現象や霊能者もあると信じています…というか、一部を除いて嘘やインチキではないと思っています。
40道星 ◆DVso.gVIQU :2005/10/16(日) 04:40:09
けちゃっぷたんは2chに依存し杉なんジャマイカ?
これも執着であり煩悩だよな。
4121:2005/10/16(日) 05:48:34
>>十二因縁と、「空」が一緒になっているような気がするのですが。

はは。勉強しなおしてまいります。
42名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 09:25:18
>>39
> すべて空だという前提での話ですが、僕は心霊現象や霊能者もあると信じています

さすがオカルト浄土宗!
仏教の基本をあらためて勉強すれば?
密教以外の。
43名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 09:29:52
>>41
いや、間違ってはいないよ。
空は、縁起の大乗仏教的説明だから基本はいっしょです。
「往生の主体」を実体的な存在として考えることは間違い。
実体的な霊魂もまた、仏教で説かないことは常識です。
44名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 10:20:57
いつのまにか新スレになっててびっくりです。

>43
その通りですね。そして、基本的にその立場が大前提になっている。
さてそこで、けちゃっぷよ。>35と発言しながら、どうして>39 みたいな発言が登場することになるのかなぁ。

>36
法然上人が往生の主体をさす言葉として魂や霊を使うことはなかったと思いますが。
>38
「魂の再開」なんてどこに書いてあるのよ。あなたの勝手な読み込みです。
45名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 10:30:23
中国日本では死後の精神のありかたとして魂の存在というものが信じられていたのだから
その「魂」という言葉を使用するのは当然。仏教が中国に伝来して老荘の用語を利用して
説かれていたのと同じこと。したがって、「魂」という言葉を法然が使用していたからといって
霊魂の存在を認めていたという考えに直接結びつくわけではない。
46けちゃっぷ:2005/10/16(日) 10:41:57
>>44 すべて空だという前提で、ってことを無視されている感じがするのですが…
あなたの言い方では、霊は実体ではないが肉眼で見えるモノは実体であるかのように聞こえますよ。
ある霊能者と呼ばれる人が、「そこに何か感じる」と言った場合に、
その「感じる」という発言を僕は嘘だと決め付けない、というだけの話です。
自分に見えないから他人我見えるというのは嘘にちがいないというなら、乱暴すぎる気がします。
僕には見えないがその人には見えるということは、ありえるだろうと思います。
それが一般的にイメージされるような「霊」なのかどうかはわかりませんが。
47名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 11:27:21
>46
>僕は心霊現象や霊能者もあると信じています

>その「感じる」という発言を僕は嘘だと決め付けない
とは等値ではないですよ。
48名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 11:33:42
結論

煩悩が全く無い香具師=植物人間
49けちゃっぷ:2005/10/16(日) 11:37:17
>>47 詐欺やインチキは除いて、「感じる」という人を世間一般に「霊能者」と呼ぶなら、「霊能者」はいると思います。
50名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 12:31:52
>49
ほらやっぱり。
>その「感じる」という発言を僕は嘘だと決め付けない
というなら、1.嘘である、2.嘘でない という両方の可能性を否定していない、ということになる。
>僕は心霊現象や霊能者もあると信じています
というなら、事実である、となり、1.嘘である、という可能性を排除することになるのです。
>49 は後者の発言です。前者から後者は直接演繹することはできません。
平たく言えば、「逆は必ずしも真ならず」です。

ちなみに、>46
>あなたの言い方では、霊は実体ではないが肉眼で見えるモノは実体であるかのように聞こえますよ。
どう読んだら、こんな捏造読みができるのでしょうか?あなたの思考過程を説明してね。
51けちゃっぷ:2005/10/16(日) 13:33:51
>>50 本物の霊能者がいると信じています。それでいいですか?
>>44は、なぜ霊についての発言にだけ注目したがるのでしょうか?
人間が空であるのと同じように霊も空ですよね。空を認めつつ霊を信じる(空である霊をですが)のが、何かおかしいですか?
52けちゃっぷ:2005/10/16(日) 14:00:54
>>50 僕は典型的なO型タイプの性格なので、ちまちました議論は苦手です。もっと大ざっぱでいいじゃないですか何ごとも。
霊能者全員が本物だとも限らないし、全員が偽物だとも限りません。しかし本物がいる可能性を信じています。
なぜなら、不思議な力を持つとおっしゃる高野山の僧侶がおられるからです。
僕は彼を人間として信頼しているし、彼を僧侶として信仰していますので、彼の能力も信じています。
どのような力かについては、ここでお話するのは控えさせていただきますが。

>44は、すべて空だという僕の発言と、霊や霊能者を信じるという僕の発言に、矛盾を感じていらっしゃるように思えました。
53名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 14:54:22
>51、>52
幻覚であれ妄想であれ洗脳されて形成された概念であれ何を信じようと個人の自由です。
それはあなたのご随意に。
浄土宗の教師として、往生の主体についての議論の中で霊魂の存在を認めるような発言は
いかがかと思いますが。はっきりいったら間違いだからね。

>空を認めつつ霊を信じる(空である霊をですが)のが、何かおかしいですか?
可笑しいですね。空を認めるって何のことなんでしょう。認めたり認められたりできることなんではないですよ。
54名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 16:45:40
けちゃっぷは密教と浄土教の区別はついていないようだな。
人が信頼できることと、その人の思想が正しいかは別。

しかし、浄土宗も、大日如来まつったり加持祈祷するから問題はいっしょかも。



55名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 16:47:47
>>52
> >>50 僕は典型的なO型タイプの性格なので、

すでにオカルトに洗脳されていますね。
血液型云々の根拠や歴史をきちんと調べればわかります。

オカルト好きが、単に浄土宗の僧侶の資格をもっているということですか。
56けちゃっぷ:2005/10/16(日) 18:18:50
>>53 ですから、空であるという前提でも申しあげているのに、まったくそのことを理解しようとしてくれないんですね。
人間は空である。でも地球に人間がいることを僕は信じています。日常会話の中ではね。それと同じことですよ。
霊という名称と形態は空ですよ?霊を実体視しているわけではありません。また、往生の主体が霊だとも言っていません。
誰かが「霊だ」と呼ぶ現象を、あなたは「霊だ」と呼ばない。僕は「霊かもしれないね」と言う。ただそれだけのことなのですよ。

典型的なO型タイプの性格だと言っただけで、血液型による性格判断が絶対正しいなどとは言ってませんが、たぶんそのような反応が来るだろうと予想していました。
57けちゃっぷ:2005/10/16(日) 18:29:30
>>53 あなたは、人間が空であるということについて、「あなた」が空であることについて、
「血液」が空であることについて、特にツッコミを入れないのに、なぜ「霊」についてはこだわるのですか?
裏をかえせば、「霊」だけは実体でないけれど、「人間」や「あなた」や「血液」を実体視しているのではないですか?
58名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 18:56:06
>56-57
なんともまぁ、勝手な論法ですね。
往生の主体云々のお話の最中に他のことに突っこみを入れないからといって文句をいわれないといけないのだろう。

けちゃっぷ式答え方をすると、このスレでは「血液」という語は>57で初出。それ以前にはコメントのつけようがないじゃないか。
59けちゃっぷ:2005/10/16(日) 19:11:08
>>35 で魂は空だと申し上げたわけですが、
それだけだと魂(や霊)の存在を完全否定しているように受けとめられそうだったので、
バランスをとるために>>39と書いたのですが…。
檀家さんの中にだって、霊を信じる人も信じない人もいるでしょう。
そのどちらにも対応しなくてはならないと思うんですよね。
60けちゃっぷ:2005/10/16(日) 19:19:03
>>58 血液は例として挙げただけですよ。
日常会話の中では「人間」という言葉を使っているけれど、「人間」は空だと思いながら使ってるだけですよね。
それと同じように、「霊」「魂」などの言葉を使うけれど、それらは空だと思いながら使っているだけですよね。
61名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 19:50:27
往生の主体の話からはずれますが、
>59-60
あなたが使う「空」ということばは議論の共通の基盤にならないんですよ。
あなたの使い方を見ていると、「空」という概念を実体的に捉えているようなんですよね。
だから、無意味なたわ言にしか聞こえない。
少なくとも、>53で提示された疑問に答えてくれないと、あなたがいくら
「〜は空だ」と発言しても何をいっているのか意味不明。
答えてくれたからといって意味明瞭になるとは限らないが、不明瞭な範囲が
少しは狹くなるだろう。
62TO けちゃっぷ君:2005/10/16(日) 20:54:00
>>41 別に、イヤミではありませんので。
63TO けちゃっぷ君:2005/10/16(日) 21:02:18
>>61 53での「浄土宗教師として」って、少し疑問。
宗の統一見解って無いのではないか?
64TO けちゃっぷ君:2005/10/16(日) 21:02:43
>>61 53での「浄土宗教師として」って、少し疑問。
宗の統一見解って無いのではないか?
65名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 21:15:07
なんか、新スレ、盛り上がっていますね。
66名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 21:20:42
>63
統一見解はないんですよね、これが。バカなことを言い出しても野放しになっているのが現状です。
挙句には前の善導寺の法主みたいなのまで出てくる始末で困ったものです。

いくつか前の浄土宗スレで誰かが書いていたんだけれど、善導も法然も往生の主体が何かについて
明言はしていません。少なくとも法然が明言していないのは、昭法全收録のものに限定する限り確かです。
霊魂やたましいが往生するなんて絶対に言っていない。
私は善導については自信がないから、誰か教えて下さい。

往生の主体について言及するのは曇鸞ですね。でも、何が往生する、とは言わない。
「無生の生」とかいって煙に巻かれてしまいます(w
67名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 21:24:09
そもそも、「空思想」って、間違っているんじゃあないか。あるいは、称名
念仏での往生と、相容れないのではないか。仮に、すべて実体が無ければ、
一体、誰が、あるいは何が浄土へ往生するんだ?
68名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 21:28:51
>>66 最も素直に解釈して、往生の主体は「念仏している、あなた」
と、考えると、あえて言う必要も無かったのかもしれないですね。
69名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 21:36:17
我々の魂が極楽往生すると信じる事ができずに、
念仏するってことは空しいことだ。

>>66
相変わらず、善導寺の前御法主に敬意を払わない輩だ。
若さゆえの傲慢を強く感じる。 曲者だな。
70名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 21:45:02
>69
>相変わらず、善導寺の前御法主に敬意を払わない輩だ。
敬意を払うとかではなくって、苟も大本山の法主ともあろう方が
いかがわしい拝屋のマネをするからですよ。
浄土宗スレにも複数の人たちが批判的なことを書き込んでいましたね。
心ある人はいるものです。
71名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 22:19:55
九州の事情は、よくわからんな。
72南無阿弥陀仏:2005/10/16(日) 22:22:49
それでは、今日も、けちゃっぷ君の精進と、世界平和を願って、おやす
みなさい。
73名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 22:37:00
何が往生するかは前行の時に口伝を受けたぞ。ちゃんと聞いてるかね。
74名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 22:50:19
聞き漏らしたらしい。おしえてください。
75名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 22:50:27
>>70
君が学僧ぶってるだけだ。
76名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 23:00:41
>>75
いかがわしい拝み屋は、法然上人を冒涜するものです。
77名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 23:04:03
空阿弥陀仏の空誓願によって空凡夫が空念仏して空往生する。
だから、空往生する空主体は空念仏している空自我だろう。
空を()でくくれば浄土宗。
78けちゃっぷ:2005/10/16(日) 23:04:07
>>61
>>53で何を問いたいのかがよくわかりませんでしたが、
空を認めるとはどういうことかという問いですか?
 すべてを空だと認識するということのつもりでしたが。
たとえば、霊は空です。言葉と概念だけの存在です。妄想にすぎないとでもいいましょうか。
79名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 23:09:08
>73-74
変な質問なんだけど、あの口伝?は誰の勧誡でもあるの?
ひょっとして、あの先生の時にしかなかったなんてことはない?
80名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 23:19:13
加行二回受けたわけじゃないから知らないよ。
その先生だけかも知れんが、浄土宗極めた方らしいからな。
81名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 23:45:02
加行は一回でいいわな。









82名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 00:09:34
加行は原則2回も受けられんわな。
83名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 00:25:24
お金払って何回も受ける人いるでしょ。
みんな10年おきぐらいに受けるようにする方がいいよ。
習ったこともだんだん忘れてくるからな。
学校の教師の免許も更新制にするらしいし。
84名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 00:46:51
>>68
>最も素直に解釈して、往生の主体は「念仏している、あなた」(私)

同意です。それ以上は、私達凡夫がいくら討議したところで解決する問題じゃないでしょうね。

だだし無量寿経巻下五悪段の中に「魂神精識」という「魂」を連想するような言葉もあります。
元々どのような概念を持った言葉かは不明ですが。
85名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 08:31:06
>>76
民谷台下を「いかがわしい」と愚弄するんじゃない。
言葉を慎みなさい。
君が足下に及ばぬ程に、民谷台下は法然上人を敬慕してる方だぞ。
86名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 12:29:14
>>85
誰でも智者の振る舞いをしてはいけません。世間から見て誤解を招く行為も
いけません。『李下に冠を正さず』っていうでしょう。
87名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 12:39:13
>>85
単に敬慕するだけじゃなく、教えを正しく学ぶことが大切。
88名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 21:11:10
>>85
世間から誤解を受ける行為は、いけない。
89TO けちゃっぷ君:2005/10/17(月) 21:26:04
けちゃっぷ君、今日は、お休みかね?
90南無阿弥陀仏:2005/10/17(月) 22:04:50
それでは、今日も、けちゃっぷ君の精進と、世界平和を願いつつ、
おやすみなさい。
91?通りすがり:2005/10/17(月) 23:39:46
78>以前、第五回の時に戒体の理解のところで書き込んだものです。
前にも申しましたが、言説で示されたもの(言葉と概念だけの世界)は
虚妄と訳されますが(abhuuta-parikalpita)は決して妄想にすぎない
ものではありません。
世俗の諦、俗世間での真実というレベルでは認められています。
世俗の諦が認められなければ、経典や釈尊の言葉すら
妄想にすぎないものとなってしまいます。
まして、勝義に縁遠い我々のために善導様がわざわざ指さして
西方にありとお示し下さった極楽浄土すら妄想にすぎないものに
なってしまいますよ。
それでは困る!我々のような世俗の世界を離れられない人間も
救われたい!という思いがあればこその指方立相ではありませんか?
92??通りすがり:2005/10/17(月) 23:52:11
さらに言えば往生の主体は何か?という質問は
生命の主体は何かという釈尊の無記に通ずる内容であり
深く追求するものではなく「貴方が往生する」
それでよいでしょう?
法然上人も「浄土で再会いたしましょう」と凡夫のための
浄土という姿勢をしっかり守っておられるし、
あなた方は布教の際に「極楽から阿弥陀様が念仏申す皆さんを
迎えにきて下さいますよ」と仰有いませんか?
仰有っているのなら「皆さんが往生するんですよ」、
それでいいのではありませんか?
93名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 00:15:38
>>86,87,88
自作自演で小賢しい真似して恥ずかしくないか?
民谷台下をそれほど批判できる人間なのか、君は?
若いが故に傲慢になってるとしか思えない。
民谷台下に対し「いかがわしい」と言葉にしたことを深く反省しなさい。
94名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 00:48:00
>>93
「安産祈願」ねえ・・・
浄土宗がよりどころとする浄土三部経の、
どこをひっくりかえしたら、そんないかがわしい金儲けが出てくるんだい?
95名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 00:52:20
>>94
水子供養も、交通・航海安全祈願も厄除け祈願もやってるんだなあ。
商売繁盛で結構なことですな。

法然上人の教え、ねえ・・・・
96通りすがり:2005/10/18(火) 01:16:05
公人は批判を受けて、当然。そうでない世の中は怖いな。
『李下に冠を正さず』
97名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 01:20:59
>>94,95
善導寺批判に及んだら閉口だ。
善導寺は浄土宗二粗聖光鎮西上人ゆかりの寺だということを知るべし。

オマエ、そうとう若造だな。
若輩にして、
民谷台下を愚弄したことは深く反省せよ。
98名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 01:23:41
いいじゃないのねえ。阿弥陀仏六方諸仏観音勢至諸大菩薩が念仏の行者を守り給うのだ。
極楽のご先祖さまも六神通もて見守って下さる。有り難くも心強いことだ。
健康安全商売繁盛して死んだら往生までさせて頂けるというのだから、浄土宗は大サービスだ。
99名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 01:38:54
>>97
鎮西が浄土宗堕落の始まりか。
「ゆかり」なら何をやってもいいわけか。
教えに反することをやって、
法然上人を愚弄したことは深く反省すべきだな。
100通りすがり:2005/10/18(火) 01:49:56
皆さん、すこし、お念仏をしてから書き込んでください。
101通りすがり:2005/10/18(火) 01:53:45
>>98
なかなか、面白い言い回しだ。
102通りすがり:2005/10/18(火) 01:55:49
それでは、深く反省して、寝ましょうか。
103名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 08:57:57
>>99
では、法然上人の教えを語ってもらおうか?
オマエが誤解を受けずに教えを語り伝える事は不可能なのは自明。
104名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 09:43:23
>>103
読んでて、つまらない。
105名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 10:06:53
>>103
論理的に反論できないと、こういうパターンに逃げ込みますね。
106名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 11:55:26
けちゃさん、雑談スレに助けにきて
107けちゃっぷ:2005/10/18(火) 12:24:26
>>106 何のことでしょうか。
108けちゃっぷ:2005/10/18(火) 12:44:45
>>95 法然さんの時代には、授戒には魔除けのような意味もあったそうです。
貴族は、病気になった時などに厄除けの意味で、僧侶を招き授戒したそうで、一生のうちに何回も授戒を受けたらしいですね。
開宗する前から戒師として有名だった法然さんは、九条兼実などの貴族から授戒のために招かれていたのではないでしょうか。
その際に、念仏の教えを説いたのでしょう。

祈願するだけならいいのではないでしょうか?効き目があると言ってしまったらカルトになりますが。
あくまで成功報酬ではなく祈り賃拝み賃ですもんね(釣りです)
109名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 12:51:08
>>105
信仰の世界がロジック的な整合性をもっているのかい?
たぶん君だろうが、
善導寺前御法主民谷台下を愚弄したことに端を発している。
2Chはanonymousな人々が読んでいる。
反省を求める。
110けちゃっぷ:2005/10/18(火) 12:51:33
>>95 僧侶とサラリーマンの兼業のように、僧侶と拝み屋さんの兼業なのだと思ってあからめるしかないのでは?
どちらも食べていくための売り物としてやっているのなら。
111名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 12:58:54
しかし食べていくために拝み屋となり先祖の崇り因果が云々言うのであれば、
仏教に非ず。速やかに廃業するのがとるべき道ではないだろうか。
112名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 14:08:05
66 & 70 です。久しぶりのカキコ。
>93
自作自演?何バカなことを言ってるんだい。別人だよ。

93=97=103=109 という認定でいいかな?
あんたが拝み屋くずれの信者だということはよくわかったよ。

心霊現象なんていうものは、実在するにしてもしないにしても、
普通の人には確認できないことなんだよ。
実在しない場合はいうまでもなく、仮に事実であったとしても
一般に確認できないことなら、そんなものを持ち出して説法したり
したら、カルト的脅迫になっちゃうわけだ。
剰えあの人は活字にまでしてしまった。
どっかの末寺の住職が言い出しても大問題になるのが当然なのに
(ならないのが浄土宗クオリティー)、あの人は苟も一宗の大本山法主だ。
これだけ悪影響のあることをやってしまっているのだよ。
批判されて当然だよ。
113名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 14:36:15
何人かいる別人のうちの一人です。
112と同じ考えです。
わかっていても祈らざるをえない気持ちに罪はない。
阿弥陀如来の前で、自分勝手な現世利益を願う人もいるでしょう。

しかし、それを寺の方から「売り物」にしたり、
それを堂々と説法するならば、
法然上人の顔に泥を塗っていることになる。
自覚もなければ、知識もない。
誰も、いさめたり注意する人がいないのが悲しい。
114名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 14:48:28
また、自作自演か。
115名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 17:31:34
>>114
> また、自作自演か。
予想通りの反応ですが、
まともに反論できないのでしょうか。
116名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 18:53:25
宗教を信仰してる香具師も無宗教の香具師も
どっちも理屈っぽいよね。
お互いに挙げ足を取ってるだけで
じつに実の無い議論だ。
おまいら氏んだ方が良くね?wwwwwww
117名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 19:04:25
学会員の俺様が来ましたよ。
118名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 19:10:50
>>116
「氏んだ方が」
まあ、2ちゃんでは「バカ」程度に使える言葉ですけどね。
「死」というものを本当に認識できたら、その場に立っていることすらできない
ほどのもので、ましてや人に「死」を与えることなどできないハズなんですけどね。

法然上人や偉大な何人かの先達はそれを見てしまったのだというのが私の自論です。
浄土宗のスレで「死」について論じる気はありませんが、とりあえず「氏」の文字でも
あまり宗教関係の場所で「死」を使わないことです。常人が見てしまったら脱糞しますよ。

119名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 19:53:51
>>115
2ch浄土宗スレで大本山善導寺前御法主を
「拝み屋くずれ」などと愚弄したことは反省し謝罪の意を表しなさい。
それに尽きる。しかも本日は民谷台下のご命日だ。
シンクロニシティを軽んじてはいけない。
そして、君のような輩と議論する気持ちは全くない。
120名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 19:58:55
115ではないが、
>119
>そして、君のような輩と議論する気持ちは全くない。
そんなら 默 っ て ろ。

一言だけ言っておく。いかがわしい心霊ネタをふりまくな。人を不幸にする。
狂うなら一人で勝手に狂ってくれ。他人を巻き込むな。
121名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 20:26:40
>>119
オカルト浄土宗って、
けちゃっぷだけじゃなかったんだ。

> シンクロニシティを軽んじてはいけない。
しかも、意味わかって使っているのか?
拝み屋くずれか、オカルトくずれかしらないけれど。
122名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 20:45:21
民谷台下五重相伝勧戒本「歓喜の音」は
浄土宗で出版され現在も購読されている。
2chで、匿名で民谷台下をウダウダ愚弄するんだったら、
正正堂々と宗務庁にでも実名で自分たちの見解を訴えてみたらどうだ?
君はそれができないどうしようもない輩だろ。
そんな輩に民谷台下をどうこう非難する立場じゃないことを知れ。
123名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 21:19:33
>122
>浄土宗で出版され現在も購読されている。
それがどうした。

あんたがいかがわしい拝み屋くずれの亜流信者なのはよっくわかった。
つまり、元祖様の信者でも、阿弥陀さまの信者でもないということだ。

反省しろってうるさいな。
ボクは間違いやおかしなことが述べられているのを間違いだと指摘しているにすぎない。
反省するのはてめぇだろうが。ボケ。
オカルトにかぶれて筋のとおった話ができなくなっている、あんたのバカさ加減を反省汁

>122 などは心霊ネタにかぶれると狂っちまうという実例です。
彼(彼女?)自身も被害者なんだろうね。自分で気がついていないのがかわいそう。
皆様はこのようにならないように気をつけましょうね。
124けちゃっぷ:2005/10/18(火) 22:22:56
>>123 バカとか言っちゃダメですよ。平成の大馬鹿門でさえ撤去ですから。
125TO けちゃっぷ君:2005/10/18(火) 22:39:26
私は、毎日『南無阿弥陀仏』で、最後を飾っているが、佛教大です。
とうとう、『平成の大馬鹿門』を、見る機会が無かったのは、非常に
残念だった。いつ頃、撤去されたんですか?
126名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 22:46:02
皆さん、増上寺の法式教室行きましょう。勉強になりますよ。
127けちゃっぷ:2005/10/18(火) 22:52:06
>>125 というか、完成したのを見ていない気がします。
今年29になる僕が在学中の騒動でした。
128TO けちゃっぷ君:2005/10/18(火) 23:34:48
そうですか。ありがとうございます。でも、一回は見たかったですね。
私は通信で、歳がいってから、資格をとったものですから、時期的に
無理だったようです。それでは、今日も、ますますの精進と、世界平
和を願って、おやすみなさい。
129名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 02:52:08
たしか、大馬鹿門はどこかが買い取ったよね?
あのニュースをみたとき、仏大の学長の器の小ささに落胆した。
130名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 11:58:03
乃杏をさらしあげ
>>106-107参照
131名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 14:25:15
だいたい阿弥陀仏にしても心霊にしても普通の人には確認できないこと。
実在するかしないかもわからない、したとしても一般には確認できない。
特殊な能力者や禅定を極めた者だけが体験するにすぎず、普通には信じるか信じないかの世界だ。
同じ穴のムジナに見えるがね。
132名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 15:32:06
>>131
「阿弥陀仏が実在するかしないかわからない」
↑浄土教においては「存在する」が前提。
「実在」と「存在」がどうちがうかは、誰か言ってる?
133名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 16:30:22
実在するというのは「現実に存在する」意だわな。
するとただの「存在する」を強調する場合は、「架空に/想像の上に存在する」という意味か。
すると阿弥陀仏は架空に/想像の上に存在するから、存在すると言っても良いけれども、
心霊が存在すると言う場合は、現実に存在するかの如く言うから悪いということか。
134けちゃっぷ:2005/10/19(水) 17:32:36
>>129 OBもうるさかったのかも。
135名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 18:18:47
へぇそうなんだ。冗談の通じない奴って多いんだね。
136けちゃっぷ:2005/10/19(水) 18:37:11
バカっていう言葉はもともと仏教用語らしいです。
137けちゃっぷ:2005/10/19(水) 18:41:01
「愚か門」とかだったらセーフだったのかもしれませんね。
よくは憶えていないけど、僧侶が「バカ」という言葉を生んでしまったこと自体にも反省する意味があって反対したらしい。
138名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 20:22:40
あのころの学長はだれだったっけ?ケツの穴の小さいやつやったんやろうな。

ちなみに、moha(痴)の音写 莫迦 の当て字だそうです。

一説には、馬を鹿だと言った皇帝をはばかって、馬を鹿だと言い張った家臣がいたという故事からできたことばだともいいます。
139名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 21:14:40
結局、浄土宗では、
念仏の信者が臨終を迎えた時、その人の何が極楽往生させてもらえるのですか?
140名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 21:50:40
まあその人自身だろうな。
141通りすがりです:2005/10/19(水) 22:51:52
お説教師さんがおられるなら・・・
お話に使われるなら「阿呆」の方が語源的に
浄土宗の愚者らしくていいですよ。
漢和辞典で調べてみて。
>>139 その人が往生するでいいじゃないですか?
142けちゃっぷ:2005/10/19(水) 23:14:00
>>139 浄土に旅行に往くんじゃなく、往き生まれるわけですらね。
何かが移動するんじゃなく、新たに生ずるんじゃないでしょうか?
143名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 23:52:16
>>142
「新たに生ずる」では、連続性がないように感じるから、
「何か=その人」でいいんじゃないのかな。
144名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 00:21:33
「その人」と言ったって、明らかに肉体とは別物なんだろう?
145名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 01:10:49
この世は仮の宿にて・・・
往生ってこの世に修行しにきたものが、本来いるべき場所に還るのではないのでしょうか。
146名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 01:16:45
輪廻思想も往生と同じ考えでいいの?
147名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 02:00:50
どの国でも
霊や魂に対応する言葉があるのはどうしてだろう?
宗教家は霊的なものをもっと探究することが
必要な時代だと思う。
148けちゃっぷ:2005/10/20(木) 08:27:42
>>144 もともと五蘊仮和合ですからね。
10年前の僕と今の僕は別の物体だし、常住不変の魂があるわけでもない。
ろうそくの火は、火という物体がそこにずっとあるわけではく、
瞬間瞬間ごとに新しい火が発する新しい光を、私達は視ています。
しかし、同じ「火」が消えずに存続していると、私達は認識します。
往生する前の人と往生した者とは別の五蘊だけれど、ただ「同じだ」という認識だけがある。
149名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 17:10:44
けちゃさん 他スレの争い事はご存知ですね?
あなたは@煩悩云々で戦争はなくなるとおっしゃいましたね?
全ての人間にけちゃさんの言われてる@ことを当てはめることは無理でしょう?
2Chの中ですら起こる小さな戦争を収めることができないように、現実の戦争など止めることはできないのです。
人間がいる限り戦争は終わらないのです。
150けちゃっぷ:2005/10/20(木) 18:26:54
>>149 現実には愚かな人間がいるかぎり戦争もなくなりませんね。
しかし、仏教徒はブッダの言葉を真理だと信じるのです。
「勝利からは怨みが起こる。
敗れた人は苦しんで臥す。
勝利をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。」
151名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 22:42:46
>>150
それは小乗仏教の考え方では?
大乗仏教なら仏敵調伏などの大義のためなら殺害闘争も方便とするはず。
152けちゃっぷ:2005/10/20(木) 22:55:34
>>151 それって日蓮仏法のことでしょうか?
昨日放送された「その時歴史は動いた」は鑑真和上がテーマでしたね。
で、ゲストの梅原猛さんも言ってましたが、仏教の戒律の第一はやはり不殺生なんですよね。大乗でも。
153名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 23:01:25
>>152
池だきょうです
154名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 23:12:35
>>152鑑真和上は日本に小乗仏教の250戒を持ち込もうとして、結局は根付かなかったんすね。
不殺生なんて無理な話だと日本人は思ったわけですよね。
植物も生きている。たとえ肉食しなくとも生きていくためには殺生は避けられない。
戦争も人間がいる限り止められませんよね。だから単に戦争を否定するのではなく、やるなら私欲に駆られるのではなく
慈悲と大義をもって戦争しましょうというのが大乗仏教ではないですか?
155名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 23:13:55
http://gfi58.hp.infoseek.co.jp/index.htm
なんか変な連中ばかりじゃね?
仏像ヲタ(含:専門家になれなかった落ちこぼれ)って
こんな連中ばかりなのか?正直、キモい。

http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1122274328/l50
156名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 23:14:03
イスラム教徒が紛れ込んだようだ
157名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 23:18:41
「馬鹿」は秦の二世皇帝(胡亥)と宦官趙高の話、
「阿呆」は項羽に焼かれた阿房宮の話から来てるんでしょう?
158名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 23:24:02
馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味する「baka」「moha」の音写
「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」
159名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 23:26:54
>>158
ほほう、それは知りませんでした。「阿呆」はどうです?
160けちゃっぷ:2005/10/20(木) 23:36:10
>>154 戦争のない浄土へ一緒に往きませんか。
161波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@佛所 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/10/20(木) 23:51:05
>>160
法華信徒が乗り込んでいってもいいですか?(笑)
162名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 23:54:28
>>161
まず、念仏申すべし。
163波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@佛所 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/10/20(木) 23:56:49
西方浄土とやらに行って逆勧誘。

寂光土も結構イイですヨ!とやったらけっちゃぷさんに怒られそうだ。(藁)
164名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 00:02:07
娑婆即寂光土。
165けちゃっぷ:2005/10/21(金) 00:35:22
>>161 浄土では法華も学ぶので、大歓迎ですよ。
裟婆の凡夫には、法華の真意は理解できませんからね。
166名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 00:37:03
学ぶなら華厳にしなさい。格調が違います。
167けちゃっぷ:2005/10/21(金) 00:37:46
極楽では、全経典全宗派をあますところなく学び、理解することができます。
168名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 09:58:20
けちゃさんはおいでではありませんね、
如何なさったのでしょうか?
169名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 10:09:14
別スレの上野釜宮司でも救われますか。
170名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 10:15:53
>>167
> 極楽では、全経典全宗派をあますところなく学び、理解することができます。
念仏は地獄に堕ちると言う日蓮の教えも、創価の教えも学んで理解するのですか。
171けちゃっぷ:2005/10/22(土) 10:37:57
>>170 学会は正宗を破門されているので、もう仏弟子じゃないのでは?
だから仏教宗派には含まれません。
日蓮さんの教えというか、法華経の教えは、極楽で学べると思います。
それが覚るために必要な教えならば。
172名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 10:44:53
>>167
> 極楽では、全経典全宗派をあますところなく学び、理解することができます。

「全宗派をあますところなく学び、理解することができます。」

矛盾に気がつかないのか。
173けちゃっぷ:2005/10/22(土) 12:03:09
>>172 各宗派同士の矛盾は承知の上ですよ。
だからこそ、極楽ですべて学べると言ったのです。
この世で、法華が最高だ華厳が最高だとケンカする必要はないのです。
極楽に往けばどうせすべて学べるのだから、ケンカしても意味ないのです。
174けちゃっぷ:2005/10/22(土) 12:14:21
どの経典が最高かなどという議論は、仏が亡くなった裟婆だから起こってくる問題でしょう。
極楽では、生きた仏に直々に聞けばよいのですから、経典の違いなど意味がありません。
常に対機説法で、その時その者に必要な教えを、説いてくださるはずですから。
極楽では、すべての経典が無くなるとも言えるし、すべてのお経の教えを知ることができるとも言えますね。
175名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 18:33:54
極楽往生って、死後の世界を語ってるんだよね?
176けちゃっぷ:2005/10/23(日) 01:34:38
死後の世界というと、死人の世界みたいに聞こえますね。
別世界ではありますが、極楽の住人は生きていますよ。
177名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 13:05:09
>>176
そんな言い方して一般人はわかるのか?
178名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 13:49:07
けちゃさん浄土宗では輪廻の概念はどうなってるの?
179名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 14:39:42
死人の世界というのは日本の黄泉の国。
地獄など六道はみんな生き物の世界だし、極楽など仏国土もそうですな。
180名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 22:04:51
>>178
けちゃじゃないけど、輪廻は浄土宗にとって当然ある前提だし、
基本は六道だろうね→「往生礼讃」
181けちゃっぷ:2005/10/23(日) 23:09:47
>>177 仏教では、輪廻・生まれ変わりを前提にしているわけですね。
今日この時にも、別世界の極楽浄土が在って、そこで生きて生活している人・天がいるわけです。
死後に極楽に生まれ変わるということは、新しい生命として生まれることですので、
亡くなったご先祖がめでたく往生を遂げているならば、もう死霊として草場の陰から見守っていることはないでしょう。
182名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 23:41:37
>>181
法然上人は、式子内親王と極楽で再会されることを約束されたが、
それはお互いに、法然上人その人の記憶をもって、
そして式子内親王その人として、再会することをおっしゃったのでは?
「新しい生命」という言葉は、誤解を招きそう。


183名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 00:08:50
仏教は、それまでのインドで信じられてきた輪廻を超えることを目標にした。
輪廻を仏教が説いたというよりは、そこから解脱すべきものとして輪廻が言及されただけで、
輪廻をすることを仏教では説かなかっただろ。
浄土に往生することは輪廻ではないし。
184けちゃっぷ:2005/10/24(月) 00:12:35
>>182 極楽の衆生は宿命通がありますので、過去世の記憶があります。
それは法然さんの時の記憶だけでなく、法然さんになる以前のすべての記憶があります。
極楽では姿形は全員金ピカで同じになります。好醜の差異も性別の違いもなくなります。
185けちゃっぷ:2005/10/24(月) 00:16:36
>>183 もちろん輪廻から解脱して安らかに消滅するのが最終目的です。
しかし、無量寿経の五悪段でも、悪について説明し、悪人が三悪道に輪廻することがはっきり書かれています。
186名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 00:46:10
その悪人は念仏では成仏できずにな三悪道に輪廻するわけですね。
187けちゃっぷ:2005/10/24(月) 01:10:21
>>186 念仏すれば往生できますよ。
五悪段で釈尊はマイトレーヤに悪と善について説明しました。
そして、この世での1日1夜の善は、無量寿国(極楽)での百年の善にも勝ると説かれます。
なぜなら、極楽では自然に誰でも善を実行できて悪など無いのに比べ、
この世では悪人が多く善人が少ないからだ、と説かれます。
さらに、釈尊なき後には道理が滅び、昔のように悪が増大してくるだろうと言われました。
188名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 01:51:02
けちゃー花は今日は酔っ払いです
花は今すっごく死にたいです
悲しくて悲しくてつらくて死にたいよー
早く死なせてよー自分で死ぬ勇気はないもん いっぱいいっぱいお酒のんだけどぜんぜん死ねないよ
どうしたらパパママの所に行けますか
あいたいです。
すっごくあいたいです。
死ななきゃ逢えないパパママにあいたい
189名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 02:09:51
けちゃさん 教えてください パパママにあいたいどうしたら逢えるの
教えてよ 独りは寂しいよ
耐えらんないよー パパママは事故だから花が自殺しても逢えないよね
今すっごくあいたいどうしたら逢えるの?
どうしたら楽になれるの
独りで生きてたくないよ
独りは寂しいよ
190けちゃっぷ:2005/10/24(月) 02:14:28
は、花さん…だめですよ未成年なんですから。芸能人だったら謹慎処分ですよ。
「会いたい」と紙に書いて、仏壇にお供えしなさい。
191:2005/10/24(月) 02:16:44
そうしたら逢えるの
すぐに逢えるの 寂しいよパパママにあいたいよ
192名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 02:28:22
パパママの位牌の前には花の写真も一緒に飾ってます。
一日も早くパパママが花も迎えに来てくれるように
あれから6年 パパもママも夢にも来てくれない、
幽霊でもあいたいパパママのところに行きたい
行き方教えてください、
193けちゃっぷ:2005/10/24(月) 02:34:35
花さん、独りなんですか
194:2005/10/24(月) 02:37:34
花はずっと独りです。
195:2005/10/24(月) 02:41:46
遺産なんか要らないパパママが居て欲しい、
パパママと一緒にいたい
早く死にたいのパパママのところに行きたいの
どうしたら行けますか
196名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 02:47:23
今日はずっとずっとずっとずっとずっーと 一日中涙が止まんなくてずっとずっといつもより寂しくてつらくて死にたくなって


けちゃさんありがとう、
来てくれるって思わなかった、
ありがとう、
少し落ち着いたよ ありがとう、
泣き上戸だったのか?☆★☆

お休み。。
198名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 08:04:39
ごめんなさい!頭逝っちゃってました、
ごめんなさいです。 花
199金剛夜叉明王@三面六臂 ◆j0Oon93KwY :2005/10/24(月) 09:29:06
花ちゃん、寺へおいで。
だれも花ちゃんを嫌ってなんかいないし、追い出したりなんかもしていない。
寂しいときにはみんなのところへ来たらいいんだ。
200名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 11:44:01
夜叉さまありがとうございますです。
けちゃさんありがとうございますです。
ご迷惑おかけしました。
お酒呑んで暴れてごめんなさいです。

皆様ごめんなさいでした、 花
201?通りすがりです:2005/10/24(月) 13:35:31
159>>阿は阿Q正伝の阿と一緒で「○○ちゃん」。
呆は口と木ではなく人を表す♀のお尻に
おむつの^を付けてあるんです。
つまり自分の力では何一つ出来ない赤子のことです。
したがって「赤ちゃん」とか自分で何も出来ない
「愚か者ちゃん」って感じでしょう。
浄土宗向きかと存じますが。
202名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 14:05:14
203名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 14:10:22
赤ちゃんは何もできないから赤ちゃんなんだ。
愚か者ってのは自分でできるのにやらない人を愚か者と言うんだ。
204名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 14:57:13
赤ちゃんて垢が無いという意味もあるよ。
俗物より尊い存在だよ。だから赤子を見て癒されるんだよ。
205201です:2005/10/24(月) 16:40:40
赤ちゃんのように何も出来ない人という意味に転じて
使われるのです。
206名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 18:23:57
阿呆って意味が良くわかりました。
私は赤ちゃんではなくて阿呆だったんだなってことも良くわかりました。
ありがとうございますです。
阿呆は阿呆なりに経験を積んでたくさん生きたお勉強して少しでもお利口になれるように努力したいと思います。
愚かなカキコ ごめんなさいです。
ありがとうございましたです。 花
207名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 18:28:02
けちゃっぷ!おまえはあんな乃杏=菅と仲良しではずかしくないのか!?
友達なら諫めろよ!!
208TO けちゃっぷ君:2005/10/24(月) 21:54:27
いや、参りました。胃潰瘍で、しばらく入院しておりました。
今週から、また、復帰しますので、よろしくお願いします。
209名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 22:09:53
悩みすぎイクナイ

程々に
210波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@佛所 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/10/24(月) 22:58:04
乃杏さんはこの世の菩薩ですな。<けちゃっぷさん
211名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 22:52:01
生き急がずとも、極楽に参れば「倶会一処」と申しまして、先に往生されたご家族とも再会を果たすことができます。
212けちゃっぷ:2005/10/26(水) 12:35:23
>>210 有名人ですもんね!
213けちゃっぷ:2005/10/26(水) 12:37:13
>>208 よろしくおねがいします。
214TO けちゃっぷ君:2005/10/26(水) 23:46:55
南無阿弥陀仏。入院中、ボロボロの赤本を出してみると、汗で白くなっていま
したね。けちゃっぷ氏も使いましたか?赤本。
ちなみに、今は、赤でなく、緑色の本になっているようです。
それでは、今日も、ますますの精進と、世界平和を願って、おやすみなさい

215名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/26(水) 23:49:32
溝■浩    「僕に任せれば大丈夫だから!!さあ、ズボンを脱いで!!」
男子高校生  「で、でも〜・・・」
溝■浩    「飯おごるから、しゃしゃしゃしゃぶらせてぇぇぇぇぇ!!」
男子高校生  「や、やめてください!」
溝■浩    「な、なにぃ〜!?う、訴えてやる〜〜っ!!」
216けちゃっぷ:2005/10/27(木) 00:12:46
>>214 赤茶色でしたよ僕の時は。
217名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 02:09:09
このスレタイ10回以上続いちゃったら
どうするんだ?
お十念じゃなくなるじゃないか!
218名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 02:18:48
>>217
あぁ・・・十念ね、・・・えぇんでないの・・・・百万遍ってのも有るしさ・・・・
219光阿水月さんのファン:2005/10/27(木) 05:21:10
法然上人が『登山状』において「たましい」と述べられたり、「露の身はここかしこにて消えぬともこころは同じ蓮のうてなぞ」と「こころ」と言われたのは、方便であると思います。
水月さんのご子息である○英先生は、「宗教の宗はむねでですから言語道断の世界、教はおしえですから言語化しうる世界です」とご教示いただきました。
つまり、「たましい」「こころ」とは宗教の教であり、往生する本体とは宗教の宗なのですね。

「非連続の連続」です。信楽先生(龍大の元学長)の論文、参考になりますよ。”真宗”だからといって拒否反応をしめさず、ご一読あれ
何が往生するのかと疑問に思う方は、懐感の『群疑論』を精読されたらと思います。ちゃんと過去にもこの議論はされていますよ!今にはじまったことちゃいますよ!

私個人としては、何が往生するのかという疑問はおきませんね〜
「私」は「私」が往生させていただけると思っていますので・・・
220TO けちゃっぷ君:2005/10/27(木) 21:45:09
南無阿弥陀仏。そうです、赤本といっても、赤茶です。何冊も買いました。
汗でダメになってしまうんですよね。今年も、加行のことが話題になる季節
になりましたが、今年は知恩院が80名しか受け入れてくれないそうですね。
私は増上寺でしたが、150名だとキツイですよ。加行について、何か情報
をお持ちですか?
221名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 21:55:58
増上寺の加行について、教えてください。
222名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 21:58:31
>>221
増上寺の加行の何が知りたいの?
223名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 22:27:48
要領とか、何が大変なのか、とかです。
224名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 22:29:40
要領とか、何が大変なのか、とかです。
225名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 22:35:00
>>224
要領はそんなに変わらないんじゃない?
法式が関東流なだけで。。

増上寺の方が冷暖房完備だから快適かも。
226名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 23:41:56
なんか、知恩院って、埃っぽいってききましたね。
227名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 00:31:06
大広間に男が何十人もアレな布団広げたまま三週間過ごすわけだからね。
初日夜の布団しく日はぜんそく注意。
増上寺は違うのかいな。
228名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 16:15:21
DQN なカキコします。
美輪明宏、江原啓之の「オーラの泉」は宗教的教化番組の要素があるね。
あれを見てると素直に霊的世界を受け入れてしまう。
極楽浄土や念仏信仰について江原さんに尋ねて、感想をききたい。

浄土宗も教化番組作ってスカパーでもCATVでもいいから
毎週放送してくれたら、非常に勉強になるな。
法然上人800年大遠忌に何百億円も使うのに、
そういう企画はないのかね?
229名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 16:18:50
>>219
そんなこたぁ言ったって、
往生するのは、肉体とは別物の「私」でしょう?

詭弁。
230名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 16:22:45
>>227
増上寺も大広間で100人ぐらいの男たちが
布団を毎日たたみ広げてすごすよ。
衛生が悪くなって風邪を引く人でてたな。知恩院ほどじゃないけど。
231けちゃっぷ:2005/10/28(金) 18:00:37
>>229 でも前提として、肉体も「私」ではないし、心も「私」ではありませんよね。
別スレでどなたかが紹介してくださった、永六輔さんのたとえ話はおもしろかったです。
空とは、ドーナツの穴みたいな在り方だという話。無いけど有る、有るけど無いのです。
「私」も空です。
もしもドーナツの穴が生きもので、往生するとしたら、どうでしょうか?
ドーナツという物質が往生するわけでもないし、見えないドーナツの穴に霊魂が存在してそれが往生するわけでもない。
232けちゃっぷ:2005/10/28(金) 18:07:56
たとえばドーナツの穴をクリームで埋めてドーナツの穴が消えてしまった時、
それを見て誰かが「ドーナツの穴が往生した」と言う。
その頃極楽に生じた一人の菩薩が、「私の前世はドーナツの穴でした」と思い出す。
そこで往生は成立しますね。
霊魂等が飛んでいって移動するのではなく、こちらで滅びてあちらで生じるのです。
233名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 18:17:08
分かったような分からんような喩えですね。
234名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 18:27:08
おいおい、お釈迦様は霊魂など有るとも無いとも云っていないんだぞ
それを、けちゃっぷは霊魂有りとして話すのか?
235けちゃっぷ:2005/10/28(金) 18:45:23
>>234 霊魂が有るって言うように聞こえましたか?そういうつもりはなかったのですが。
236名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 18:47:01
>>233
つまり、けちゃっぷではなく、
けちゃっぷの尻の穴が往生する、というわけだね。
237名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 18:52:34
>霊魂等が飛んでいって移動するのではなく、こちらで滅びてあちらで生じるのです。

これは間違いなく霊魂が『ある』と言う前提での話でしょうよ。

個人的には漏れは霊魂有りだと思うけどね。。。。お釈迦様もそこえらをもっとハッキリと
説いてくれたらこんなにややこしい話には成らなかったのに。。。。
238名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 18:53:05
ドーナッツが往生するのかよ。
239けちゃっぷ:2005/10/28(金) 19:13:17
霊魂が存在してそれが移動するのを往生と呼ぶのではなく、
こちらで「私」が滅してあちらで「私」が生じることを往生と呼ぶのでしょう。
…と言いたかったわけで、むしろ霊魂否定に近い意味だったのですが。逆の意味にとられてしまいましたね。
240名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:16:49

大まかな捉え方で言えば、その『私』のことを霊魂とか言ってんじゃないのかね。
241けちゃっぷ:2005/10/28(金) 19:17:41
>>236 けちゃっぷの霊魂やけちゃっぷの尻の穴が往生するのではなく、
けちゃっぷが往生するのです。
なぜなら霊魂がけちゃっぷではないし、尻の穴がけちゃっぷではないから。
けちゃっぷの肉体はけちゃっぷじゃないし、けちゃっぷの受も想も行も識もけちゃっぷではありませんから。
242けちゃっぷ:2005/10/28(金) 19:21:10
>>240 霊魂が往生すると言うと、心(受・想・行・識)が極楽に飛んで往くみたいに想われないでしょうか?
なんというか、霊魂という言葉には世間イメージが付着しすぎていますからね。
243名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:23:08
>>240
君の了見がもっとも一般受けすると思うよ。

他のレスは、ただ「霊魂」という言葉を使いたくないだけの故事つけ。
244名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:25:34
>>242
けちゃっぷは、本物の霊能者の存在を認めるって言ってなかったけ?
245名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:29:59
>>243
それはインド人特にバラモン祠祭者のお釈迦様に対する反対意見そのものだろうな。
246名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:30:38
愚者です。
ずっとなんとなく読んでます。
けちゃっぷさんもあいかわらずで、よかったというか、なんというか…。

「何が往生するか」については堂々巡りのようですね。たぶん、何百年
もこんな感じだったのでしょう。
思うに、他宗派で特に強いようですが「死後のことを考えるのも生の充実
のため」というのは変わらぬ真理ではないでしょうか。浄土宗の弱い所は
そこが見えなにくいことだと思っています。案外ほんとうは一番キチンと
結論に到達できる宗派かもしれないのに、です。

やはり論ではなくて「実感できるかどうか」なんでしょうね。
俗人ではありますが、このあいだ、お寺で見よう見まねで信者のみなさん
とお念仏を称えてきました。あんなに長時間(といっても10分くらいでしょうか)
「南無阿弥陀仏」を繰り返したのは生まれて初めてでしたが、毎日称えている
と、たぶん浄土が「実感」できるのではないかな、という予感がしました(と同時
に毎日は飽きそうだなあ、という予感も)。

法然上人の記念の年に向って浄土宗が活気づくことをお祈りいたします
(あ、祈るっていうか、お念仏か)。
247名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:32:05
>>244
霊能者の存在を認めるからといって霊魂の存在を認めるわけではない、というけちゃっぷの単純な理屈がわからないのかね。
248名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:41:21
>>247
そんじゃ、
霊能者の「霊」を見る力を認めてないっちゅうことに
なるべ。
霊能者の存在を認める人間が、
霊魂の存在を認めないというのは偏屈野郎だな。
249名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:44:33
>>246
お念仏を大勢の人と一緒に称えるっていいですよね。
いい機会に恵まれましたね。
250けちゃっぷ:2005/10/28(金) 19:48:23
>>248 仮に霊能者が観ているものを「霊魂」と呼ぶのだとしても、
その「霊魂」が往生するのだとはいえないんじゃないでしょうか?
一般人には見えないものが見える人や、一般人にはわからないことがわかる人が、この社会にいるというのは、信じますよ。
251名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:50:39
>247
霊能者の存在は認めるが、霊魂の存在を認めない、というのなら納得できるけれど、
けちゃっぷの場合、霊魂の存在は認めないといいながら、霊魂の存在を暗黙裡に前提してしまっている。
l宗教的霊魂否定論者の陷り易い陷穽でおま。
252名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:51:36
霊能者の存在だって、幻覚妄想基地外と区別はつかんがね。
253けちゃっぷ:2005/10/28(金) 19:54:32
たとえば、視力が弱い人の中に、他人の思考が「わかる」人もいるといいます。
で、その能力者が他人を観た時に、相手が亡くなったおじいちゃんのことを考えていたとする。
しかし能力者は、相手の思考が伝わったのだと思わず、おじいちゃんの死霊が見えたのだと勘違いする可能性もあります。
254名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:55:03
インドでは日本でいうような霊魂という概念はなかったでしょ。
我々の霊魂観というのは中国で言われていた魂魄という考えの延長。
中国に仏教が入ってきたときに何が輪廻するのかってことで
ものすごい議論が起こった。これがいわゆる形神滅不滅論ってやつ。
このときに中国仏教の人たちが主張したのは神不滅論。
神というのはいわゆる霊魂のこと。中国の仏教者は霊魂が輪廻すると考えていた。
目に見えないものは信じないという中国人は輪廻するものが
有という存在でなければ輪廻そのものを信じることができなかった。
255名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:58:16
>>252
区別ついてる。オマエが見る目がないだけ。
世間は馬鹿じゃない。
江原さんなんかは、本人と本人と縁ある故人とでしか知らない
ことをズバリ言い当ててる。
256名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:59:15
インドでもアートマンやらジーヴァやら言うよ。
257けちゃっぷ:2005/10/28(金) 20:00:25
>>251 「霊魂」は空ですよ。有でもなく無でもなく、空です。
“ドーナツの穴”に該当するのが「霊魂」なら、“ドーナツ”に該当するのは「霊能者が観た何か」です。
ドーナツを構成する物質は見られましたが、ドーナツの穴は見られてません。
258けちゃっぷ:2005/10/28(金) 20:03:46
>>255 霊魂が見えたのではなく、他人の心が見えたのかもしれません。
遺族は知らないが死者は知っていたことを言い当てるのじゃなく、
かならず遺族が知っていることを言い当ててますし。
259名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 20:10:42
>>255
霊能者が見たというその「心」とは一体何なんだい?
江原さんの場合、本人が知らないことまで見通しているけどな。
260名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 20:31:34
>>255
こういうことを言う人を見ると
「人間は死んだ瞬間に何も残らないんですよ」とあらためて言ってあげたくなる。証明はされてないかも
知れないが少なくとも死んだ瞬間に「自分の意識は永遠に失われる」可能性の方が霊魂が残る可能性
よりも遥かに高い。当たり前。
なんでこんな「言わずもがな」のことを言いたくなるかというと、「死んでも霊魂という形で今の自分の
意識が残る」という迷妄から真の生を見失う可能性が高そうだからだ。

浄土宗のスレで述べる意見じゃないよな。スマソ。
261名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 20:34:54
>255
世間ではそんなものは認めないぜよ。
善導寺先代にしてもそうだが、基地外と、虫の知らせと、畜生の通力と、区別ついてるか。
262名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 20:44:40
>霊魂等が飛んでいって移動するのではなく、こちらで滅びてあちらで生じるのです。
こちらとあちらの別を措定すれば移動ですね。
前半で押し通すか、後半で押し通すか。どっちかにしなきゃ、論理的には破綻するのでないの。
263けちゃっぷ:2005/10/28(金) 21:04:37
>>262 パラパラ漫画のような感じですね。
哲学者ゼノンの、「アキレスと亀」という話。
歩き続けている亀を俊足のアキレスが後ろから追いかけても、追い付くことはできない。
なぜなら、亀が動き続けているから、
1秒前の亀の位置にアキレスが届いたら、亀はその1秒間でかならず進んでそこにいない。
その亀の位置にアキレスが0.1秒で到達しても、亀はまた0.1秒分先に行ってる。
これを永遠にくりかえしても、亀とアキレスの距離は限りなく0に近づくが、決して追い付けないはずだ。
でも現実には追い付けているのは、なぜか?
264名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:05:25
>>261
江原氏の本はベストセラーになってるぜ。
江原氏の言動とは区別できるだろう。
オマエがその奥深さをわからないだけだべ。
265名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:07:03
>264
江原信者認定でいいね。
で、それが事実であり、畜生の通力でないと君は確認できるだけの根拠があるのだね。
266名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:08:24
>263
あんたの喩え話はまったく意味が不明だよん。
じいさんばぁさんにやってみろ、ぽけ〜〜〜っとして、入歯を飮み込んでしまうど。
267名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:08:48
>>260
証明はされてないのに客観的事実の如く語るのは
おかしないい分だな。
こういうのを生命現象に対する高慢な見解というんだろう。
268名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:36:45
だから霊魂は残らないんだって。
自分の意識は失われる。
しかし別の所に生まれる。往生だ。そう信じるのが浄土の教えだ。
そんなことは信じたくないって言うなら別の宗派か宗教に当たってみた方が良い。
少なくとも死んだ瞬間に自分の意識は永遠に失われると信じるのは、仏教から言えば外道だ。
269名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:38:00
霊魂があると言っても無いと言っても同じこと。
どちらも証明できないんだから。
だから、どちらでもいいんだよ。
科学者はこの宇宙の大部分は観測されない物質で満ちていると言う。
シュレーディンガーの猫は半死半生だ。
信じたいほうを信じればいい。
270名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:44:38
>>267
スマソといいつつ戻ってきますた。
まったくその通りなんですよ。
「証明はされてないのに客観的事実の如く語るのはおかしないい分だな」
霊能力についての断言的な意見に会うとこれを言いたくなる、と言っているのです。
とにかく浄土宗のスレで述べる意見じゃない。
ただ、霊の存在を前提として話をするのは、浄土の蓮の華は何色に咲くか、くらい
に興味がないのでチャチャ入れただけです。
271名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:47:07
>、浄土の蓮の華は何色に咲くか、
なんて、浄土宗の坊主であってもどうでもいい話なんですよ。
お化けの話もまったく同列です。
いわゆるオカルト系の話を坊主がすることが、どれだけ罪作りなことか自覚してほしいものです。

善導寺先代礼讃のバカ、聞いてるか?
272名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 22:09:21
>>271
さて、どうだろう。
確かに、宗論としてはマズかろうが、たとえば、
お葬式の日に何か特別な偶然が起こったとして、
「ああ、亡くなったお母さんの霊がおしえてくださったんですね」
と言うことはアリだとは思う。
そこ、むずかしい。ここで論議されるのがあくまでもっとも普遍的な
論だけとすればおっしゃる通りなんだけども。
273名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 22:23:26
>272
そういう偶然を感じました、というだけなら、感じるなというのが無茶だとおもう。

問題は、そんなことを言表すること。
言うほうは、素直に、不思議なことだなという程度であるかもしれないが、
受け止める方が勝手に尾ひれをつけてしまう。
坊主であるなら、勝手に尾ひれをつけることの非を自覚すべきではないか。
274名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 22:25:49
>>271
オカルト坊主にも困ったものです。
275名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 22:35:41
けちゃぷ、いいかげんに自分だけがわかっている変なたとえはやめなさい。
276けちゃっぷ:2005/10/28(金) 23:00:51
>>275 アキレスは亀に追い付けるのでしょうか?
277名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 23:12:55
>>276
亀の速度X、アキレスの速度Y、亀が先行した時間A、
アキレスが出発してからの時間Bとして
X(A+B)<YB
XA<YB−XB
XA<(Y−X)B
この不等式が不能になるのはY=Xのとき
278名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 23:13:46
>>277
ワラタwwwww
279名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 00:51:36
>>273
ここ、大事な問題だと思うのですが、お坊さんがあまり大事な問題に思って
くれてないみたいですね・・・。
「霊」を出さずにそこはかとなく、あいまいな理解のままで、つまりは
「大きな」理解のままで「救われる」ように導くことが一番大事なのでしょう。
たとえば「お母様の霊が」などといわず、「阿弥陀さまのお慈悲を感じますね」
というだけで、聞いた方が「なんとなく」救われる。それが一番正しいと俗人は思います。
280名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 01:10:32
>>276
アキレスものが言えん
281けちゃっぷ:2005/10/29(土) 01:14:00
>>277
>>276亀の速度X、アキレスの速度Y、亀が先行した時間A、
アキレスが出発してからの時間Bとして
X(A+B)<YB
XA<YB−XB
XA<(Y−X)B
この不等式が不能になるのはY=Xのとき」
↑亀の速度=アキレスの速度だと、永遠に追い付けないわけですね。亀の速度か亀が先行した時間がマイナスでないかぎり。
しかし、追い付くためには、まずアキレスは、はじめにアキレスがスタートした時の亀の位置まで到達しなくてはなりません。つまり、
XA<YB−XBのにおいて、
XA=YB
の場面をクリアしなくてはなりません。そうなると、
XA−YB<−XB
0<−XB
0>XB
の場面がなくてはならない。
Xすなわち亀の速度がマイナスになる(亀のほうからアキレスに近づく)場面か、
Bすなわちアキレスが出発してからの時間がマイナスになる(時間がまきもどし?)の場面がなくてはなりません。
282名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 01:16:41
>>281
要するに君の珍妙な例え話から始まってること。
いくら講釈を述べたところで何の説得力も無いことに気づくべき。
283けちゃっぷ:2005/10/29(土) 01:26:39
つまり、亀はどんなに遅くても、アキレスから逃げ続けているかぎりは絶対に追い付かれることはないはずです。
亀があきらめなければ、アキレスは絶対に追い付けないのです。
しかしよく考えたら、この世の物質には重力がありますから、実際は無理かも。なぜなら重力は、空間そのものをねじ曲げる現象だからです。
太陽の横を通る光が太陽の重力で曲がっていることも、観測されています。
重さがない光までが重力で曲げられるのは、空間そのものが曲がっているからなんですね。
亀が逃げてるつもりでも、空間が曲がれば亀が知らないうちにアキレスの方へ進んでしまうこともあるはずですし、
ムーンウォークみたいに前進しながら後退してしまうこともあるのですね。
284名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 01:27:56
>>283
黙れ!基地外!
285けちゃっぷ:2005/10/29(土) 01:36:15
>>282 話が逸れましたが、パラパラ漫画だと、アキレスが亀に瞬時に追い付けますね。テレポーテーションできるから。
漫画の1コマ1コマの画は別のものなのですが、
1コマ目のアキレスや亀と、2コマ目のアキレスや亀を、同一人物・同一動物だと認識することで、
アキレスが亀に追い付いたという結末が完成しうるのです。
アキレスが動いて亀に追い付いたんじゃなくて、
アキレスに亀が追い付いていない場面が消滅した次の瞬間に、
アキレスが亀に追い付いた場面が突如出現したのです。
この世に「私」がいる場面が消滅した次の瞬間に、極楽に「私」がいる場面が出現するのでしょう。
それを出現させるのはアーラヤ識でしょうね。すべては、アーラヤ識というスクリーンで繰り広げられる映画です。
286名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 02:08:43
>>285
いいかげんにしろ!!
287名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 08:33:40
>>281
携帯で書くのは大変だったでしょう。細かい論証ご苦労様です。

不等号を逆にして亀がアキレスに絶対に追いつかれないとしてみましょう。
X(A+B)>YB
X>Y×B/(A+B)
三次元空間においてはA≧0かつB≧0ですから(光速を超えない限り時間は逆戻りしない)。
この不等号が成立するためには、Aが十分に大きく、かつBが限られていなければなりません。
すなわち、Bに限りがないかぎり、亀より速いアキレスは必ず亀に追いつくことになります。
288名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 09:16:14
けちゃっぷ君は無限級数の収束とか習わなかったの?
それよりトレンド的にはゼノンよりソクラテスですよ。
289けちゃっぷ:2005/10/29(土) 10:37:23
>>287 はい。ただ、それではゼノンの疑問は解決されないんですやねぇ。
>>288 無限級数の収束って、何でしょうか?
290光阿水月さんのファン:2005/10/29(土) 12:47:27
>>231 そうです。ここで言う「私」とは肉体や精神を超越したもののことです。
あくまでも、「私」は「私」が往生させていただけると・・・というのは、ひそかにおもんみた場合です。

東京ビハーラの会・田久保園子さんが子供のころ、お父さんから頂いたお話をここで紹介したいと思います。
田久保さんはその時病の床にありました。「自分は死ぬかも・・・」と幼いながら感じていたそうです。そんな時お父さんはこうやさしく語りました。

     ここにいろんな色の風船があるとしよう。空気のいっぱい入っている赤い風船はお姉ちゃん、青いのはお父さん、白はお母さん、しわしわの紫色はおじいちゃん。
     パンパンに膨らんだ風船も針でチョンとさすとわれてしまうし、いつかはしぼんでしまうよね。
     でも、中の空気がなくなるわけではないよね。外の空気と合流するだけだよね。
     寿(いのち)も同じだよ。大きな大きな寿(いのち)の中に人間一人一人の寿(いのち)も外へ出てゆくだけ。
     身体が亡くなっても、形が変わっても、中の寿(いのち)は外の寿(いのち)と合流するだけ

ええお父はんや〜
291光阿水月さんのファン:2005/10/29(土) 13:07:24
>>243師へ 布教師さんが陥りやすいパターンですね。
「一般受け」を狙うあまり、教学からかけ離れてしまう(>=<)
平易な言葉を使うことが、よき理解を生むとは限らないと思います。
「たかき御法(みのり)を説きて弘め」ていきませう。たかき御法を低めないように・・・
292名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 13:22:29
その永遠の命をあるいはブラフマンと呼びあるいはジーヴァと呼ぶ。
教義という偏狭な視点からは理解できない、人間の死生観の普遍的側面でしょう。
293光阿水月さんのファン:2005/10/29(土) 13:23:49
>>271師へ ありがとうございます。
私も「オカルト系の話を坊主がすること」は本当に「罪作りなこと」だとはげしく思います。
私は>>272はどういう状況下かわかりませんが、基本的には”なし”だと考えます。

                                  和南
294名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 13:48:13
真面目に教学を学ぶものにとって、
オカルト系のお坊さんは、せっかく苦労して積み上げた積木を、
足下から崩されるようで残念です。
295TO けちゃっぷ君:2005/10/29(土) 23:49:27
南無阿弥陀仏。何が往生するか?という疑問は私が提起したものだったので
すが、私は、納得いく回答があったので(念仏している、私が往生する、と
いうもの)了解していたのですが、まだ、議論をしていたんですね。ただ、
江原氏的な言い方をすると、私もお地蔵様にお会いしたことがあります。
42歳の時でしたが、多分、間違いなく、お地蔵様でした。
296けちゃっぷ:2005/10/29(土) 23:53:32
>>295 興味深いですねぇ。詳しくお聞きしたいです。
297名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 00:14:51
霊験や神変というものはありますからね。
善導、法然ご自身が示されたことです。
298名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 00:26:38
念仏の信者は、
この世で臨終を迎えて、あの世では極楽往生するという浄土の教えは
超常的な内容だ。
「オカルト」という言葉を使って、
ある種のお坊さんの奥深い伝法や体験を裁こうとしてないか?
299名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 00:33:37
>>297
同意。
二粗対面の話も非常に神秘的であり五重相伝では要となる話。
浄土信仰と霊的な世界の話題は明確に区別できないでしょう。
300TO けちゃっぷ君:2005/10/30(日) 01:09:24
南無阿弥陀仏。遅くなって、スミマセン。私が42歳の時、不渡りを
出しそうになっていた時、毎日金策に困っていた時の話ですが、仲の
良い住職に、金策を頼みに行った折りに、逆光でしたが、お地蔵様が
光の中に現れて(結局は、会社は倒産しましたが、自殺を考えていた
状況からは)助けてくれました。在家でしたが、そこで出家しました。
301名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 01:16:33
素晴らしいご縁をいただかれたのですね。しかしなんでお地蔵さまだとわかったのですか。
302南無阿弥陀仏:2005/10/30(日) 01:44:27
>>301 冬だったのですが(確か12月)、その部屋は暖房が無かった
にもかかわらず(後で気付いたのですが)なんとなく暖かく、逆光の
なかのシルエットは、頭がツルツルで、耳が大きく、その時は、すぐに
(というか、もう、直感的に)「ああ、お地蔵様だな」って判りました。
303名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 01:59:56
>>299
伝説と史実とは区別すべきでしょう。
304TO けちゃっぷ君:2005/10/30(日) 02:10:54
南無阿弥陀仏。それでは今日も、ますますの精進と、世界平和を願って
おやすみなさい。
305千春子 ◆TEyUlIM42o :2005/10/30(日) 03:37:58
けちゃさんへ

私、般若心経覚えました、訳も現代訳でだいたいはわかります。
だけど、いざという時に出て来ません、まだ私の全てになっていないのです。
辛い時、悲しい時、般若心経が全てであれば苦しむことも悲しむこともなくなりますよね?
初めから何もないのですから、

今は詩の朗読くらいのものだから(言葉違い言葉足らずゴメンナサイ!)
本当には理解できていないんです。

いつかけちゃさんみたいにお坊様方のように私の全てになるでしょうか?
何もないことが当たり前なんだと素直に思える日が来るのでしょうか?
私には無理ですか?
306千春子 ◆TEyUlIM42o :2005/10/30(日) 03:52:29
いつかけちゃさんに噛みついた事覚えてますか?
あの時も何時もけちゃさんは何があっても何を言われても怒らないですよね?。
私も心を強くしたいです。
何があってもおこらず冷静にいられる大人になりたいです。
私でもなれますか?祖父母には冬休みに帰省したらゆっくり話聞きたいと思ってます。

けちゃさんの信念って南無阿弥陀仏なんでしょう?

何時かは生意気言ってごめんなさいでした、
307千春子 ◆TEyUlIM42o :2005/10/30(日) 04:18:16
人間はあのうさぎにはなれないでしょうか?
ブッダに捧げる供物のなかったうさぎは自ら炎の中に身を投じて供物になった。と言うあのうさぎです。
お腹を空かせた狼に己を食べさせたってお話もありましたね
何故ですか?何故そんなことができるのですか?
308名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 08:31:35
>297-299
元祖さまの特殊な宗教体験であり、浄土宗的には重要なことだというのはそのとおり。
あくまでも元祖さまに限って認めてもかまわないし、認めるべき体験なんだよね。
そういう意味では、例外中の例外として認められること。

それを
>ある種のお坊さんの奥深い伝法や体験を裁こうとしてないか?
とか
>浄土信仰と霊的な世界の話題は明確に区別できないでしょう。
とか、一般化するのは間違い。
何故かというと、元祖さま教えではなく、基地外の幻覚とも区別のつかない
妄想をありがたがることになり、元祖さまの教えをひん曲げることが可能になるから。

やたらと体験をありがたがる連中が、宗義としては間違ったことを堂々と平気でいいふらしている実例は
はいて捨てるほどいるだろ。
309けちゃっぷ:2005/10/30(日) 10:29:26
>>305 悟るのは難しいですよね。でも、成長することは誰にでもできるはずです。
あなたも、ずいぶん成長なさったのですね。
浄土宗は、悟りが難しいから後回しにしてまずは極楽へ往こうという教えなので、
般若心経の「無」は僕も悟ってないんですよね。
とりあえず、すべては時間が経てば過ぎ去り変化するということを、
意識しておくのはいいと思います。
怒っても、怒りは放っておけば勝手にどこかへ消えてしまうのです。
しかし我々は、怒りが現れたら、その怒りを放っておくどころか、
怒りのことをあれこれ考えて、余計に怒りに燃料を注いでしまいます。
どうせ消えてしまう怒りだから、はじめから放っておけばいいのにね。
310けちゃっぷ:2005/10/30(日) 10:39:06
>>306 あなたの「ごめんなさい」の一言に、とても癒されました。ありがとう。
「ぎゃーてーぎゃーてー…」の部分だけをひたすら唱えてみてはどうでしょう?
唱えている時に他のことが頭に浮かんできても、それらは放っておいて、
すぐに頭を「ぎゃーてーぎゃーてー」に戻すようにします。
唱えている時に眼に映るお経の本が気になったとしても、
どんどんその本のことを考えるんじゃなくて、すぐに唱えることに意識をもどすわけです。
意識に現れた経本が、ぎゃーてーに追い出されて無くなりますね。
311けちゃっぷ:2005/10/30(日) 10:45:52
>>307 まぁ、うさぎの話は、極端な例で、なかなか真似できませんよね。
「自分を守ろうとすると恐怖に足がすくみますが、他人を守ろうとすると愛と勇気があふれます」
と、ある人が言われていました。
うさぎは、自分の心配は無になって、他人を助けることに集中しきったのでしょうね。
312千春子 ◆TEyUlIM42o :2005/10/30(日) 12:03:33
けちゃさんお忙しいところをありがとうございました、

焦らずに日々何時も意識することから始めたいと思います。
初めの一歩をけちゃさんやだきにさん、ここで知り合った方に背中を押して頂いた気持ちです。

般若心経は一時期かなり荒れてた時、祖父から写経の宿題を出されました、それが般若心経だったのです。
一般向けの写経です。(セットになったもの、)
高校二年から 正信念仏ゲ(正信げ)を今まで続けてきました、
写経で文字の配列、漢文的に覚えても理解できていなければ単なる入れ物です。
書き写すばかりの写経は一旦止めます。理解しなきゃ意味がありません、
今の私は単なる箱です。
今から少しづつ中身を詰めていきます。
313千春子 ◆TEyUlIM42o :2005/10/30(日) 12:09:08
うさぎの話は今はまだ理解できないけど、母になったら少しは理解できるようになるかも…?


また、つまづいたら話聞いてくださいね?
ありがとうございました、
314千春子 ◆TEyUlIM42o :2005/10/30(日) 12:19:37
だらだらと意味のないカキコ でした、ごめんなさい、

けちゃさんのお話で今まで何も考えずに漠然と生きて来たことが恥ずかしいですって伝えたかったんです。
けちゃさんやだきにさんを見習って私も精進します。って伝えたかったんです。
感謝してます。

まずは初心者向けの解説から読みまくりますV
315名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 12:55:38
特殊な宗教体験とする方が宗祖神格化、絶対崇拝の姿勢なのである。
「元祖さまに限って認めてもかまわない」という時の「認めてもかまわない」のは誰が何の権威によって
認めてもかまわないと言うのか。由来不明の権威なのである。
「自身はこれ煩悩具足せる凡夫なり」と言われた善導大師であり、「我は烏帽子も着ざる男也」と言われた法然上人が、
修行の末に神秘体験や霊験を得られたのである。一切皆凡もまた同様に念仏三昧に徹すれば必ず加祐霊験を得られる。
しかも人によって生得の縁は様々である。数時間のお念仏で感応同交、当雨珍妙華の境涯を垣間見る者も、なしとはしない。
316名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 13:02:39
>>308
二祖聖光上人、三祖良忠上人、また念仏僧たちの貴重な体験を
蔑視していいのかね。聞法として頂くべきこともあると思う。
御仁の面相に現れるよ。最終判断は個人によるけどね。
法然上人以外の神秘体験者を基地外扱いするのは頑な了見だ。
317名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 13:13:57
>>314 何よりも、あなたの仏教への信仰が本物であることは、まちがいないと感じました。
お釈迦様などの仏が悟りを開いた方であること、
その仏の教えが真理であること、
般若心経などの仏教教団が伝える教えが仏の教えであること、
その信仰・信頼があるかぎり、何らかの形で修行は進展していくのではないでしょうか。
…と、僕は楽観的に考えています。
おそらく写経も、心をおちつける効果がある、修行なのではないでしょうか?
318名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 13:40:02
仏教の教義としての普遍性と、神秘体験の重視とは多くの場合相反する。

仏教は、釈尊が脇から生まれていきなり歩き出したから真実なのか?
教えそのものに人々の救いとなる普遍性をもつから信じられるのではないのか。

個人の体験が重要なら、普遍性はなくなる。
319名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 13:43:08
幸福の科学の大川隆法は、お釈迦さまの霊がのりうつるという、
神秘的な体験をしているそうだ。
その体験を重視すべきか、オカルトと見るのか、その判断の根拠は?
320名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 14:05:57
大川という人間そのものが信用できない。
321千春子 ◆TEyUlIM42o :2005/10/30(日) 14:15:09
>>317さま ありがとうございます。
悟りとは…小学生の頃からずっと考えてきましたが今だに解りません、

ただ、知ると言うことが大事なんだと…今はまだまだ人として半人前以下の私です。
まずは知ることから始めたいと思います。
知らず知らずに貴重な体験はさせて頂いてます。
知らないから気付かないんですよね?
どなたさまかが教えてくださった
『おかげさま』を忘れずに日々感謝の気持ちで精進に励みます。
気付かないより少しでも気付かせて頂いたことを皆様に感謝しています。
ありがとうございました、
322けちゃっぷ:2005/10/30(日) 14:21:39
上座部では、瞑想には三昧とヴィパッサナーの2種類があると言われますね。
観想念仏などの、深い三昧を求める瞑想には、その訓練過程で神秘体験がありえます。
三昧は、集中力をつける手段としては有効ですが、本当の仏の智慧は三昧だけでは得られないそうです。
集中して、心身をありのままに観察するヴィパッサナー瞑想をすることで、
はじめてカンペキな瞑想になるそうです。
神秘体験だけなら他の宗教でもありえますが、
ヴィパッサナーによる智慧を説くのは仏教だけです。
神秘体験は、修行の段階としては一般人より高いレベルに達している証かもしれませんが、それだけでは不十分であるし、
神秘体験はさとりではない。
三昧だけでもさとりではない。
323けちゃっぷ:2005/10/30(日) 14:24:08
>>321 >317はけちゃっぷでした。名前ぬけてました。
教えを学ぶのはおもしろいですし、楽しみですね。
324けちゃっぷ:2005/10/30(日) 14:34:49
ブッダは、非日常の神秘体験よりも、
日常生活の中で、眼耳鼻舌身意からの刺激に、
常に気をつけていることを、重視していたのではないでしょうか?
日常生活そのものが、瞑想であり観察であり八正道だったのではないでしょうか?
しかし凡夫には、常に気をつけていることは難しいですね。すぐに妄念が邪魔をする。
しかし、凡夫にも、妄念と念仏をくりかえしながら生活すること、念仏生活の相続は、なんとか可能です。
その念仏だけで往生できる。ありがたいことですね。
325千春子 ◆TEyUlIM42o :2005/10/30(日) 15:16:43
けちゃさんの言われてること 今は素直に“そうですね”と言えます。

皆様、風邪に気をつけてくださいね、
お邪魔いたしました、
326けちゃっぷ:2005/10/30(日) 15:19:56
千春子さんも、お元気で。
327名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 15:54:42
元祖さんを大事にするのはかまわんけど、
信仰・崇拝の対象にはするなよ。
328けちゃっぷ:2005/10/30(日) 15:59:34
>>327 信仰の対象ですよ。
329名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 18:38:38
>315-316
あくまでも浄土宗だからね。
法然上人の体験と思索、御心に従うのが浄土宗。
そこからはずれた自分勝手な体験を重視し始めたら、すでに浄土宗ではないわけだ。

だから、由来不明ではない。浄土宗という立場をとることが、法然上人の体験のみを
認め、宗義と違う理解を個人の勝手な体験から主張することは認めない、ということになる。

そういうものを主張したければ別宗をたてて、浄土宗から離れればいいだけのことだ。

>一切皆凡もまた同様に念仏三昧に徹すれば必ず加祐霊験を得られる。
>しかも人によって生得の縁は様々である。数時間のお念仏で感応同交、当雨珍妙華の境涯を垣間見る者も、なしとはしない。
して、その根拠は?可能性が無いとまではいわない。しかし、その体験から抽象された教えの内容が、
法然上人の教えと異なっていた場合は、どうするの?そういう場合は、幻覚基地外のたわ言だと断言するがね。
330名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 18:40:49
>328
法然上人は信仰の対象じゃない。所求所帰去行の何れに相当するの?どれにも相当しないじゃないか。
法然上人が往生させてくださるわけではない。阿弥陀さまだよ。
法然上人の指南に従うだけ。法然上人を尊重することは、信仰の対象とする、ということじゃない。
331名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 18:55:55
>>320
> 大川という人間そのものが信用できない。

なら、良忠という人間そのものが信用できない、
という話と何が異なるの?
332名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 19:12:40
age
333けちゃっぷ:2005/10/30(日) 19:45:22
>>330 僧宝への帰依も信仰ではないでしょうか。
お坊さんがお釈迦様の弟子の末裔であるということからして、
すでに信仰ではないかなぁ?
三宝を念じるだけでも天(極楽じゃないよ)に生まれることができるんですよ。
334名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 20:08:05
>333
僧宝?この文脈ではでてこないし、法然上人個人が僧宝ではないよ。
335名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 20:25:11
>三宝を念じるだけでも天(極楽じゃないよ)に生まれることができるんですよ。
けちゃっぷは坊さんだよな。こんなこと言ってていのかよ (プゲラ
336名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 21:29:27
>>329
たとえば、浄土宗の日常勤行式の差定は法然上人が作ったわけではないはず。
でも、チミは勤行式の差定にしたがっていると思うが、
チミは浄土宗が法然上人お一人だけによって成立っているとでも言うのかい?
五重相伝にしてもしかり。
貴重な体験をしてる念仏僧はチミなんかより法然上人を敬い、
何よりも念仏の行者だったと思うね。
そういう方々から門法させて頂くことは
浄土宗僧侶として決して誤った態度ではないはずだ。
337名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 21:46:09
>門(ママ)法させていただく
でっか。どこでそんな言葉を覚えたものやら。

それで、あんたは何が言いたいの?
法然上人の御教え≠私が信仰している教え
とでもいいたいのかな?
>五重相伝にしてもしかり
笑っちゃうなぁ。誰が制度化したものか知ってる?在家五重と能化のそれの違いや、
それぞれにどういう問題がと批判が宗内からあったのか、知ってる?

>貴重な体験をしてる念仏僧はチミなんかより法然上人を敬い、
>何よりも念仏の行者だったと思うね。
あんたの勝手な感想だな。ボクの知ったこっちゃ無い。
どんな人がどんな体験をしてると、チミは知っているのかね?
チミはその人の体験を体験したのかね?
338名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 21:51:54
>>337
聞法という言葉をしらないのか・・・
謙虚さのないヤシ。ははは
339名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 22:03:10
>338
皮肉が通じないのか、素性を当てられてこまっているのか、どっちなんでしょうなぁ。
340名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 22:37:08
>>329
> 法然上人の体験と思索、御心に従うのが浄土宗。
> そこからはずれた自分勝手な体験を重視し始めたら、すでに浄土宗ではないわけだ。
>
> だから、由来不明ではない。浄土宗という立場をとることが、法然上人の体験のみを
> 認め、宗義と違う理解を個人の勝手な体験から主張することは認めない、ということになる。
>
> そういうものを主張したければ別宗をたてて、浄土宗から離れればいいだけのことだ。

すでに別宗がたっていますね。
名前は浄土宗を名乗っていますが、法然上人以外の歴代の考えの混じった。
341名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 23:12:18
>340
それをいっちゃあおしまいなんですが。事実上、そうですね。
342名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 23:41:29
>>340
そういうあたりが、真宗につっこまれる理由になってますね。
343名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 10:48:05
そうですね。
344けちゃっぷ:2005/10/31(月) 12:22:48
法然門下はほとんどが他宗からの転向組だった中で、
後に西山浄土宗の祖とされる証空さんは、
初めから法然門下として出家した、念仏っ子だったわけですよね。
法然さんは、その証空さんを天台止観の先生に預けて学ばせたそうですね。
文献のみで知識として止観を学ばせたのか、実際に観法を修めさせたのかは知りませんが。
おそらくは実践もしたのではないでしょうか?
証空さんに止観を学ばせた法然さんの意図は、いったい何だったのでしょうか?
345TO けちゃっぷ君:2005/10/31(月) 13:09:21
おそらく、佛教全体を見渡す視野の広さを持たせるためでしょうね。
346名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 19:53:02
>>344
他を学んだうえで念仏の道へ入ったものなら見えるものが、
最初から念仏では見えないから学ばせたのですね。
止観を、必要なものとして勧めたのとは意図が違うでしょう。
だから証空に学ばせたということですね。
347名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 21:38:50
もうひとつの見方としては、証空には他力の念仏が理解できなかったから。
それで、聖道門の道を進ませたほうが証空の為になると考えた。
348名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 21:57:44
>>347 そうは言えないのでは?なぜなら、法然上人は、浄土門の優位性を
説いているではないですか。優れていない道に進ませたほうが証空の為に
なると考えた、とは、到底おもえない。
349名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:15:06
>348
どうも誤解している人があとをたたないようだけれど、
法然上人は聖道門に対する浄土門の優位性は無条件には説かないよ。

末代の凡夫にっとって浄土門は有效だけれど、聖道門は役に立たない、
という限定的な意味でしか言わない。
350名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:17:59
その通りだ。証空には聖道門の可能性を認めたとも考えられる。
351名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:26:51
現在のお坊さんは自宗の教学だけを学べば事たれりで他宗門下で学ぶのはむしろ異端というか禁止ですが、
当時は広く余乗の学行を学ぶのが当たり前だったというのがあるのでしょう。
また法然の包容力の大きさというのがあったのでしょう。
長年法然のそばに仕えたり、学んできた弟子たちが、じつにさまざまな流儀を表現している。
もし法然上人が厳格に教義を制定して弟子たちの思想統制をしていたら、こういうことはなかったでしょう。
352名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:34:34
南都六宗の頃は、そうだったらしい。浄土宗の根幹は称名念仏であり、
それができていれば、確かに、他の宗を学ぶことは問題にされなかっ
たのかもしれない。
353名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:37:50
天台でもそうだよ。当時の天台は総合仏教だからね。
354名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:42:10
>>353 今の天台は?
355名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:42:58
抜け殻よ。
356名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:46:47
何も無いのかね?
357名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:48:12
あえて言えば台密かな。
358名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:51:21
いいなあ、京都は、坊さんのアルバイトいっぱいあって。
関東から書き込みしているけど、こっちは全然だぜ。関東でも月参り
始めようや。
359名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 22:52:27
>>357
密教オンリーですか?
360名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 23:02:54
南都六宗・・・・・
南斗六星 北斗のケンみたいだ!(笑笑
361名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 23:06:40
あとは律かな。伝教大師は大乗円頓戒を提唱されたが、妙立以後の安楽律もあるから。
362名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 23:11:31
>>361 寒湿なんとか貧って今でそうなのかな?
363名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 23:25:47
>>360
まぁ、いろんな派に分かれているのは似てるがなww
364名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 08:26:51
>>358 普通にバイトすれば?
365名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 12:00:25
けちゃっぷが来ないとスレが伸びないね。
366けちゃっぷ:2005/11/01(火) 12:39:50
法然さんは、本覚思想・煩悩即菩提について、否定的だったのでしょうか?
367けちゃっぷ:2005/11/01(火) 12:46:23
密教と煩悩即菩提・凡聖不二は、関係ありますもんね。
368名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 13:13:49
>366
否定的だったはずですよ。
369TO けちゃっぷ君:2005/11/01(火) 17:16:57
南無阿弥陀仏。なんだか今の浄土宗って、日常勤行ばっかりで、形にだけ
とらわれているような気がします。実際、あなたが佛教大学生だったころ
も、作務等の実践って、無かったのではないですか?実修っていっても、
法式実修は作務ではないものね。今の浄土宗は、理屈が先行しすぎている
とおもいませんか?
370けちゃっぷ:2005/11/01(火) 17:41:24
>>369 作務は、朝の掃除だけでした。
やはり勤行重視しすぎではないでしょうか?
もっと教学を教わりたかったです。
371けちゃっぷ:2005/11/01(火) 17:48:48
あと、伝道意欲をそそるような教育を増やすべきではないでしょうか?
一般家庭に訪問して布教する等、積極的な信者獲得も必要だと思います。
おとといもモルモンの宣教師と話しましたが、
彼らのような布教のノウハウが、浄土宗にはないと思いました。
たとえば、聖書やモルモン書みたいに、一般の人に配れる聖典がない。
372名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 18:13:16
人に書物を配るより、
ちゃんと説教の出来る僧侶に教育するほうが大事だと思うが。
世間話や適当な話で誤魔化さずに仏教を伝えられる僧侶に。
373名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 18:22:54
>371
伝道意欲って、あんた、嘘(=宗義に反するオカルト説教)を教えて回りたいわけ?
374けちゃっぷ:2005/11/01(火) 18:40:56
>>373 普通に教義を。
375名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 20:15:52
>>374
> >>373 普通に教義を。

普通の教義を伝道してほしいなあ、オカルト浄土宗じゃなくて。
あ、その時はわけのわからん「たとえ」はやめてね。
376TO けちゃっぷ君:2005/11/01(火) 22:37:30
ごめんなさい、遅くなりました。教義の本ってあるんですけど、一冊がいん
ですよね。あと、非住職教師の活躍する場が少ないっていうのも、皆が言う
ことなんですよね。
377名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 22:53:26
「極楽往生」とは。
「阿弥陀如来」とは。
「念仏信仰」とは。
伝えるってむずかしいよなぁ〜。
臨終を意識した教えだから、生活に生かさせる教えともちと違う。
念仏で幸せがもたらされるというのとも違うし。
五重相伝するのは、一苦労だもんな。
あれが簡単に行われるようになれば大分ちがうんだけど。
378TO けちゃっぷ君:2005/11/01(火) 22:56:11
>>377
同感
379けちゃっぷ:2005/11/01(火) 23:27:12
>>377 まず三部経が聖典として信者の手もとにあれば、
聖典何ページのこの説によって念仏往生が導きだされるんですよ、と説明できます。
三部経を釈尊の金言として最高位におくのだから、
解説書よりもまず三部経を提供すべきだと思うのです。
釈尊の生涯と基礎仏教用語・三部経を、一冊にまとめた聖典が欲しいです。
大乗仏教の基礎・菩薩道、善・悪の具体例についても、無量寿経を読めば説かれています。
日々の生活の指針になりうるお経ですよね。
阿弥陀仏・極楽の概念についても書かれています。
それを実体的にとらえるか、方便ととらえるかは、あとから詰めていけばよいのではないでしょうか?
「これがうちの宗派の教えかぁ」という、親しみと、信じたいという気持ちは、少なからずあるでしょう。
まずはその程度から、概念を知ってもらうのが好ましいと思います。
380TO けちゃっぷ君:2005/11/01(火) 23:39:29
応病与薬って言うじゃあないですか、あまり、理解できない人の為の
テキストがあってもいいね。基礎の基礎っていうか。いま何故線香を
あげたり、六地蔵さんに何故赤いよだれかけをするのかって、佛教自体
の入門書っていうかね。なんだか、寺院が、経営にばかり一生懸命で、
お骨の捨て場になっているような気さえします。
381TO けちゃっぷ君:2005/11/01(火) 23:49:33
そろそろ眠くなってきましたので、それでは今日も、ますますの精進と
世界平和を願って、おやすみなさい。
382TO けちゃっぷ君:2005/11/02(水) 22:53:32
今日は、お休みかな?
383名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 00:02:08
>>380
しかし浄土宗でそんな本を作ったら、
習俗や俗信起源ばっかりで、ちゃんとした仏教起源が少ないんじゃないか?
384TO けちゃっぷ君:2005/11/03(木) 00:29:52
かもしれん。
385けちゃっぷ:2005/11/03(木) 08:54:51
>>382 昨夜は職場の飲み会でした。
関係ないけど、たまにコンパ誘われます。
専業住職の方々は、そういう「出会い」の機会あるの?
…と、たまにはこんな話もふってみよう。
386佐保姫:2005/11/03(木) 14:51:33
けちゃさん 何か良いことが?

387けちゃっぷ:2005/11/03(木) 14:53:21
オールドミスにナニを握られて、もう大変。
388名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 14:59:08
わたしのオッパイも揉んでぇ、とか・・・
389名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 15:38:47
けちゃっぷやるなあ。
390けちゃっぷ:2005/11/03(木) 16:16:13
>>386 別になにも変わりありませんが。
391けちゃっぷ:2005/11/03(木) 16:22:35
>>387 あ、すごーい!偶然にも、同じハンドル名の人発見!!
392名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 16:23:24
だからトリップつけろって。
393けちゃっぷ:2005/11/03(木) 16:24:15
こんにちは、僕けちゃっぷです。
好きなお菓子は乳ボーロです!
394名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 16:25:46
>>391
たまにはここにも来てくれ。

◎浄土宗(鎮西・西山) 合同総合スレッド◎
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1129816018/
395TO けちゃっぷ君:2005/11/04(金) 00:43:49
今日は、何も書き込まず、ますますの精進と世界平和を願って、おやすみなさ
い。
396けちゃっぷ:2005/11/04(金) 01:10:44
生きてるなら、生きてるうちは、瞬間瞬間は平和しかない。
死ねば極楽だから平和だし。
397TO けちゃっぷ君:2005/11/04(金) 04:00:19
さっきまで平和だったんだけど、なんだか寝つきがわるくて、起きて
しまった。
398名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 08:20:25
けちゃさんの偽物を装うのはムリだと思うよ。
だって、考え方があまりに(ry
399TO けちゃっぷ君:2005/11/05(土) 03:05:03
今日も、お休みか?
400TO けちゃっぷ君:2005/11/06(日) 00:27:57
また、今日も、お休みか?
401けちゃっぷ:2005/11/06(日) 01:18:28
特に質問がないので。
402TO けちゃっぷ君:2005/11/06(日) 02:19:13
失礼しました。もう、夜も更けてきたので、私も寝ます。それでは、
今日も、ますますの精進と世界平和を願って、おやすみなさい。
南無阿弥陀仏。
403興味@日蓮宗葵講 ◆X872v3FaeI :2005/11/06(日) 02:57:02
ふうむ、私と弟は妙派(だって花園大学やし……)実家は真宗、でさらに日蓮宗葵講を学んでますし、テーラワーダにも興味あり、ちなみに禅と法相は繋がり(法脈が がありますね、ちなみに私の葬儀はけちゃぷに任せたい………

春に寺に遊びにいっていいかな?けちゃぷさん?
404名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 06:58:01
葬儀は誰に任せてもいいんだけど…。
浄土宗に入信すると、今際の際は高唱念仏をしなきゃいけないっていうのが抵抗になってます…。
405興味@日蓮宗葵講 ◆X872v3FaeI :2005/11/06(日) 09:28:48
けちゃぷさんは葬儀では、おはやしを使います。
ところでけちゃぷさんは字は上手いの?
406名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 10:53:44
>>404
しなきゃいけないと思うなら入信しないほうがいいんじゃない?
したいから入信するわけで。

でも、”なぜ念仏なのか”ということを知らないままに抵抗を感じているのなら、
遠慮なくこのスレとか近くの浄土宗僧侶にでも聞いてみて。
407名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 11:19:10
>>403
葵講は余分でしょう。
普通の日蓮宗が良いとおもわれ。
2ちゃんねるの公式ガイド(2002年)を読むとハキイの事が出ているよ。
評価は・・・本人の為に止めときましょう^^;
興味があるなら読んでみてください。
408名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 12:02:16
けちゃさん
浄土宗と浄土真宗は違うの?
どの程度違うの、またお互いをどう思っているの?
409名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 13:19:23
卒塔婆プリンター「おとば用人」ダイレクトメール−−−キター!!!ーーー
真如寺さん、表紙になってるよぉ。
「トレビアの泉」歴代2位96へぇ〜。
若さ故の過ちだったのか・・・
どういう気持ちで全国放送のバラエティに出演しちゃったんだろう。
一生、言われ続けるだろうなぁ〜。
一生、写真もビデオも使われちゃうだろうなぁ〜。
念珠を首にかけてる姿も過ちだったんじゃないかなぁ〜。
パンフの表紙になってるぐらいだから、未だに後悔してないんだろうなぁ〜。
ある意味、度胸があるんだね。
410けちゃっぷ:2005/11/06(日) 13:38:36
>403 >405
お寺というか、お堂みたいなもんですが、
機会があればお参り下さい。
でも、リアルでお会いするの恥ずかすぃーというか、照れるなぁ。
僕のほうが早死にする可能性もありますね。同い歳だし。
411けちゃっぷ:2005/11/06(日) 13:41:45
>>404 ある意味、臨終に念仏で終われたら、かっこいいと思いますけどね。
たぶんご家族とかも、他人に自慢できるし。
悲しい最後というより、最後の最後に念仏で終わるほうがカッコイイですよね。
412けちゃっぷ:2005/11/06(日) 13:56:15
>>405 字ぃ下手です。

>>408 真宗について、あまり詳しくないのですが。
信を起こし念仏を称えるのは念仏者なのか、それらも阿弥陀仏から与えられたものなのか、って違いかなぁ?
個人的には、教えの違いはあまり重要視してません。どのみち念仏者なんだから。
413名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 14:31:19
けちゃっぷ殿。書き込む以上は内容に責任を持たれよ。
一般の方も見られる場所での書き込みですので、あなたの私見がそのまま「法然上人の教え」と受け取られかねません。

>>411 御法語後編二十三を熟読されたし。

414けちゃっぷ:2005/11/06(日) 15:27:06
>>413 往生について語ったのではありませんよ。
念仏して死ねたらかっちょいいねという、きわめて世俗的な雑談のつもりだったのですが。
臨終に高唱念仏するのに抵抗があるというのも、
見た目を気にした、雑談的な質問のように思ったし。
415名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 16:08:37
>>413
2ちゃんねるの情報をストレートに受け取る奴なんかいない。
貴殿みたいな書き込みを荒らしというのだ。
416名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 16:37:31
>>415
それが真に受ける人がたまにいるからさ。
要注意なんだよ。
417名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 18:47:24
「蛭児神建」という人の本を書店で立ち読みしました
浄土宗のお坊さんだそうですが
ご存知の方はいませんか?

っていうかご本人が2ちゃんねるのこういう板に来てそうな・・・・・・
418名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 18:55:43
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_search.php?pcd=200507000062
書名:出家日記〜ある「おたく」の生涯〜

「おたく」として生きるということはかくも業の深いことなのか!

知る人ぞ知るロリコン雑誌ブームの立役者にして伝説のカリスマ編集者、
ライターの蛭児神建が語る衝撃の半生。かつ目して読め!

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定価(税込): 1575円
四六判

角川書店
419名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 18:59:36
>>418
昔、ロリコン。
今、坊主。
蛭児氏は私達と同じ反社会性人格障害者かもしれないが、
それを十分自覚し、
笑い飛ばせる器量を持った人である。
吾妻ひでお

例の変質者スタイル(ハンティング帽とサングラスとマスクと真夏でもトレンチコート)も、
この頃からである。
それは一つには、
コスプレと同じ自己顕示欲だったろう。
「へっ、どんなにカッコつけてもロリコンなんて所詮は変質者じゃないか。
世間から見れば、こんな怪しい存在なんだぞ!!」
(本文より) 
それでは、ロリコンの神様と呼ばれた男の愚かな人生をお読み下さい。
420TO けちゃっぷ君:2005/11/06(日) 21:00:28
南無阿弥陀仏。私は、修行仲間とともに、同称会っていうのをつくっています
京都で、年一回、法要と親交を兼ねた集会を行っていますが、今度京都に行っ
た時に、訪問させてください。ちなみに、寺院名鑑に載っていますか?教えて
ください。佛教大学の清浄華院、浄山学寮に来年は行くのですが、けちゃぷ君
の寺は、近いのですか?


421TO けちゃっぷ君:2005/11/06(日) 21:25:02
休憩になってしまったか?
422名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:06:05
>>421
けちゃっぷとチャットしたかったら、
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=19761218
ここへいけば?
423名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:16:08
>>412
そっか、ありがと。
けちゃさんはある意味超教派なんですね。
424404:2005/11/07(月) 07:06:43
>>406
はい、それで入信してないんですけど・・・。
ここは信者さんというより僧侶のスレだと思うので、あえてお聞きしますが、
なんとなく自分では、自分の一生を振り返りながら逝きたいというイメージ
があるんですよね。さして幸福な人生でもありませんが、たぶん最期には
「これでよかった」と思える気がするので。
そうなると、今は自分にとっては遠い存在の阿弥陀さまを思うよりは、出会って
きた多くの人々を思いたいなあ、という気がして・・・。
>>411
「かっこいい」という言い方は悪くありませんね。
もし、悲しい回想しか浮かばない時には、お念仏しながら逝くことにします。
これでもうどっちに転んでも最期の時は安心ですね。
425TO けちゃっぷ君:2005/11/07(月) 21:19:43
おやすみか?
426TO けちゃっぷ君:2005/11/08(火) 16:39:36
まだ、おやすみか。
427名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/08(火) 18:41:44
>>426
しつこい
428名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/09(水) 17:11:13
浄土宗では焚く線香にルールはあるのでしょうか?
あるらしいのですが、家で焚くときに注意事項あるのでしょうか?
あと、100%天然香料のものって高いんですかねえ

白檀とかって天然のものがおおいんでしょうけど
添加物がきになるので

お寺では上級貧つかってるんでしょうねえ
像とかは白檀でできてるのかなあ
429名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/09(水) 17:47:05
檀家に使わせるの安物ばっか
430名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/09(水) 19:24:13
動物ペット(アニマルパートナーと言うそうで)を家族のように大切にする人が増えています。
可愛がった動物が亡くなった時の悲しみは肉親以上の人もいるそうです。
一、動物でも往生いたしますか?
二、動物と一緒のお墓に入ってもいいのですか?
三、動物でも戒名いただけますか?
四、先祖と動物と一緒に回向してもらうのはあり?
五、動物用の墓を空いてる横に建てるのは?
意見をお聞かせ下さい。
431名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/09(水) 22:34:05
ttp://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6468
↑感動しました。
浄土宗とは表現は違いますが、通底したものがあると私は信じています。
「倶會一處」というのはこういうことなのではないでしょうか。

432けちゃっぷ:2005/11/10(木) 18:14:48
ところで、末法ってみなさん信じてるの?
法然さんの時代は上座部も禅宗も日本になかったわけで、
末法だと判断してもしかたなかったけど。
433名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/10(木) 18:54:54
>>432
末法を信じなかったら浄土宗は大嘘ですね。
434けちゃっぷ:2005/11/10(木) 21:02:50
末法は、地球全体のできごとなのでしょうか?それとも日本だけ?
435けちゃっぷ:2005/11/10(木) 21:05:54
末法は、正しい修行さえ滅びてしまってるんですよね?
じゃあ、現存する禅や瞑想にはお釈迦様の時代の修行はないのでしょうか?
436名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/10(木) 21:27:29
>432
あんた一体、加行課程や加行で何を聞いてきたんだ?
三時説を信じる信じないは別として、少なくとも末法という言葉によって
規定されている時代状況に自分自身が置かれている、という認識が
浄土門に帰入せざるを得ないという根拠の一つにあるんだが。

凡夫であっても釈尊に教化されたならばかならずさとることができる。
しかし、現今はそういう時代じゃない。
437名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 01:30:25
末法の自覚があり、その末法に生きる凡夫だからこそ浄土門でしょ。
聖道門では救われないという自覚があるから専修念仏なんでしょ。
自力の修行や密教やご利益などに色気を出しているようじゃ、
法然上人の説かれた専修念仏の意味がわかっていないのと同じ。
438名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 04:11:52
末法って何?
439名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 04:26:33
釈尊滅後の時代を、正法・像法・末法の三時に分ける思想があります。
正法は、正しい教え・正しい修行・さとる人の3つがそろっている時代。
釈尊滅後500年あるいは1000年間
像法は、次の1000年間。教えと修行はあるけれど、さとりはない時代。
末法は、教えだけは残ってるけど、正しい修行もなく、さとりもない時代。
日本では平安時代の1052年に、末法に入ったとされた。
440名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 04:29:14
ちなみに法然は、1133年生まれ1122年往生
441名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 04:30:34
まちがった
法然 1133〜1212
442名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 09:24:01
ついでに

正・像の期間については,
正法500年・像法500年 善導(613〜681)
正法500年・像法1,000年 法然(1133〜1122)
正法1,000年・像法500年 同上
正法1,000年・像法1,000年
の4説が諸経典にある
443名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 09:25:20
ついでにまちがった
法然(1133〜1212)
444名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 09:59:20
浄土宗において、悟りの論議は不毛じゃあないか。阿弥陀様のも元で、
修行すればいいんだし、まず、往生だよな。
445けちゃっぷ:2005/11/11(金) 12:36:40
>>436 法然さんの時代は末法でしたが、今は上座部の長老が飛行機で日本に来てしまう時代なわけでしょ。
「日本のみなさま、これがお釈迦さまの時代から変わらない瞑想です」

って、目の前にごちそう出されたら、往生する前に摘み食いしたくなる気もします。
ただし、天台止観がサマタ・ヴィパッサナー瞑想に変わっても、
凡夫にとって聖道門で覚るのが難しいことは変わりませんが。
446けちゃっぷ:2005/11/11(金) 12:44:22
玄侑さんとスマナサーラ長老の対談本読んだら、
長老が、色即是空は正しいが空即是色はおかしいと、断言してました。
般若心経までぶった斬るんだから、日本仏教としては困ったもんですね。
447名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 12:46:29
>>445
上座部の長老さんは正覚を得た人なの?
正覚を得ても排気ガスを撒き散らす乗り物で来ちゃう人なの?
448けちゃっぷ:2005/11/11(金) 12:52:45
>>447 そのへんははっきりわかりませんが。
日本の聖道門にも悟ってる僧はいるかもしれませんが、わざわざ宣伝しないし。
未確認情報ですが、上座部で百年くらい前に阿羅漢に成った人がいたらしいけど…
449けちゃっぷ:2005/11/11(金) 12:55:14
>>447 排気ガス云々は、単なるいちゃもんでしょう。
450名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 13:03:29
>>448
宣伝しなくとも自然と顕れるんでないの?
自称悟った人はショーコーはじめいくらでもいるだろうけど。
451名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 13:15:15
>>445
今の上座部が、釈尊の時代の教えを伝えていると思うのは、
大きな誤解。
452けちゃっぷ:2005/11/11(金) 18:01:27
>>451 まぁ、それもひとつの信仰ですが。
453名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 19:21:36
人大杉がではじめたのは何故?
454名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 19:23:37
>451
事実、釈尊の時代の仏教とはまるで違います。

あなた(私もですが)が僧侶として存在できる、ということ自体が末法であるという事実を表明しているんですよ。
455名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 19:52:45
>>452
何も知らずに先入観でありがたがっているようですね。
456名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 20:26:14
けちゃっぷ君。
浄土宗の坊主がどうして上座部仏教(ってなんなんだろうね)や、ビパッサナー(観とはいわないよ!)
をありがたがったりするわけ?
浄土宗の僧籍を返上してカルト教祖にでもなりなよ。
457名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 20:43:36
けちゃっぷにとっては、法然の説いた専修念仏は、
聖道門の修行が出来ない、負け組の教えらしい。
だから、上座部や、密教や、神秘主義に、
抑えがたいあこがれがあるそうだ。
オカルト浄土宗の開祖ですか・・・
458名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 21:29:36
負け組は、層化ではないのか?
459名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 21:56:16
>>458
けちゃっぷによれば念仏は負け組のための教えらしい。
460けちゃっぷ:2005/11/11(金) 21:59:03
>>456 まじめに聖道門を歩んでおられるお坊さま方に比べれば、僕なんかは一在家信者みたいなレベルです。
サンガへの信仰がある仏教徒なら、上座部の僧侶も当然、尊敬・崇拝・信仰の対象ですよ。
>457 学会は仏門を破門されましたから、もはやサンガの一員ではありません。
461けちゃっぷ:2005/11/11(金) 22:00:26
>>459 落ちこぼれを救う教えです。
462名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 22:10:17
誰が落としてのだ?
463名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 22:16:58
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ありがたや。
464名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 22:20:24
阿弥陀如来は人を蹴落としておいて、後で救い上げるのか?
465名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 22:58:56
>461
落こぼれを救う教えではありません。
落こぼれであると自認できた人を救う教えです。

この違いがわかりますか?
466名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 23:02:15
>>465
落ちこぼれは救わないのでしょうか?
阿弥陀如来は人を差別するのですね。
467名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 23:04:10
>466
国語が読めないみたいだな。
>465 をきちんと読め。
468名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 23:06:46
>>467
だから1行目に関して問うているのです。
469名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 23:11:32
>468
あんたみたいな読み方したら、白は黒、黒も白。好きなようによみかえれるな。
あんた、友達いないだろ。
470名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 23:17:27
>>465
落ちこぼれと自認できなければ救われないのですか?
471名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 23:21:36
>>469
あんたは間違いなく友達でない。
472名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 23:23:42
>470
阿弥陀仏の聖意は測りがたいですから、断言はしません。

が、三心具足の念仏でなければ救われない、というのであれば、
自認できていなければ、信機が欠けるので三心は具足されていませんから
救われないということになるかもしれませんね。
473名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 23:24:41
>471
そりゃ、468みたいな香具師は友達にしたくないぜ。
であるからして、友達ではない。
474名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 23:27:03
>>472
ありがとうございます。
深心の信機信法ですね。
そこが一番難しいところですよね。
475名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 00:23:41
では、誰が落ちこぼれを救うのだ? >>473 のような。
476名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 00:23:45
愚者です。
最近は教義論争ばかりで出番がありません。
平原綾香の「Jupiter」は浄土と阿弥陀如来のイメージでも
近いかな、と思います。チラシ裏でした。お続けください。
477名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 00:24:47
ここは愚者の遊ぶ所、賢者も来たりて遊ぶべし。
478けちゃっぷ:2005/11/12(土) 02:31:53
>>472 南無阿弥陀仏で往生できるということに含まれています。
479名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 08:56:46
>>472
つまりアミターバは人間を差別するということですね。
480名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 09:01:52
信じないものは救われない、というのはどこぞの新興宗教と同じですな。
481名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 09:37:01
>478
きみは一枚起請文もよめてないのか。
482名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 09:38:03
>479
念仏申すものを救うという区別です。差別ではない。
>480
新興宗教じゃない。宗教すべてがそうだよ。
483名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 10:09:21
>482の訂正。
>>480
>新興宗教じゃない。宗教すべてがそうだよ。
→新興宗教じゃない。どんな宗教でも、信じて(実践する)者が救われるのだよ。
484けちゃっぷ:2005/11/12(土) 11:54:49
>>481 と、おっしゃいますと?
485けちゃっぷ:2005/11/12(土) 12:12:38
>>481 まず念仏往生があって、三心は、あとから念仏者の信を分析したものではないでしょうか?
だから、ごちゃごちゃ言わずに、往生するぞと思いながらなむあみだぶつと念仏していれば、そこにすべてが備わっていると思います。
目に見えない信で行を証明しなくても、はっきり形に顕れた行が信を証明してくれているではありませんか。
口に南無阿弥陀仏が出る人が三心具足の往生人です。
486けちゃっぷ:2005/11/12(土) 12:17:32
「あなたは往生できますか?」
「はい、念仏していますから」
「念仏してても三心が確かでないと往生できないよ?あんたの三心はほんとにカンペキかね?」
「カンペキだと…思う…けど…」
→と、これでは不安になりかねません。
「あなたの三心はカンペキですか?」
「はい、念仏が口から出ますから。なむあみだぶつ!ほらね?」
「ほんとだ。念仏が出た!」
「はい。ほかに足りないものはなーんもありません!」
487名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 13:13:32
つまり、単純なお方の集まりが浄土宗ということですね。
488名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 13:20:50
>>483
本末転倒ですな。感心します。
489けちゃっぷ:2005/11/12(土) 13:42:22
>>487 煩悩が邪魔して単純になれないんですよね。
念仏で往生できるという答えがすでにあるんだから、もうそれ以上考えなくていいんですよね。
その考えなくていいことを、あれこれ考えてしまうわけです。
人は死ぬという答えはすでにあるから、「はい死にますね。めでたしめでたし。」と、それ以上死について考えなくていいのです。
それを、あれこれ考えてしまうんですね。
490名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 15:02:37
落語に小言念仏というやつがありますな。
念仏に打ち込めずに、なんまんだぶと称えながら、つい小言を言ってしまう。
491名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 17:03:13
>484
>往生するぞと思いながらなむあみだぶつと念仏していれば

>南無阿弥陀仏で往生できるということに含まれています。
とが違うことに気がついていないようですね。

>486
そんな不安がでてくれば深心がそなわっていないといわれても仕方がない。
そういう不安がでてくること自体を悩むならOKだよと法然上人は仰せ。

>488
何が本で何が末なのやら?バカか?あんた。
492名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 17:09:41
>>490
何ていう落語でしたか?
禅宗系のお坊さんが危ない目にあったときにとっさにお念仏が出て、
その理由が「本当に死にそうだったから」というもの。
493名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 17:11:37
けちゃっぷ君、あなたの >461 が発端になって信機をめぐる話題が展開しているのに、
>485-でいきなり信全体に議論の対象を拡大してしまっている。
あなたの悪い癖ですよ。
494名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 17:26:59
>>492
残念ながら聞いたことないです。
ちょっと考え落ちみたいですね。
495けちゃっぷ:2005/11/12(土) 18:57:55
>>493 落ちこぼれでも落ちこぼれじゃなくても、念仏で往生できますよね?
ただ、落ちこぼれじゃないなら他の方法で往生することもできます。
落ちこぼれには、他の方法は効果ない。
信機について語りたいなら、まずあなたのご意見をお聞かせくださいませんか。
それについて異論があれば申し上げますし、疑問があれば質問させていただきます。
496けちゃっぷ:2005/11/12(土) 19:02:40
>>491 不安になるのは、信があるからでは?
信が無いなら不安にさえならないのでは?
497名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 19:09:22
>495
あなたが >461 で言い出したことですが。
それとも、法然系の浄土教をテーマにしているスレで、461の発言を
信機を念頭におかずにしてしまったわけ?

>496
やっぱり、あんたは言葉を丁寧につかってないね。
>491で違いがあると指摘した点について、違いがあると思うかどうか答えてね。
498けちゃっぷ:2005/11/12(土) 19:20:31
>>491 は、違いますよね。一枚起請文では、
「ただし三心四修と申すことの候うは、
皆決定して南無阿弥陀仏にて、往生するぞと、思ううちに、こもり候なり。」
ですね。その文を思い浮かべていただければそれで満足です。
499けちゃっぷ:2005/11/12(土) 19:28:15
478 名前: けちゃっぷ [] 投稿日: 2005/11/12(土) 02:31:53
>>472 南無阿弥陀仏で往生できるということに含まれています。

…この書き込みについて、何が問題なのかがよくわからないのですが…。

落ちこぼれ側が、落ちこぼれを自認していようとしていまいと、念仏で救われることに変わりないでしょう。
ごちゃごちゃ理屈はいらない。念仏で往生できる。それで十分では?
でないと、念仏が小難しいものだと印象付けてしまいかねないでしょうし。
念仏なら誰でも往生できるから、落ちこぼれでも救われます。
500名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 19:49:54
>499
そこが法然の教えでいちばん大切なところなんだが。あなたは無視するわけ?
あなたの発言は信を不要だといっているのと同じことになります。
>474氏が一言で済ませてくれています。

落こぼれだという自認が無ければ、厭欣のこころも生まれません。
501名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 20:34:42
>498
やっぱり違いがわかっていない。
「ただし三心四修と申すことの候うは皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候なり。」
ですよ。一文字一文字考えながら読んでごらん。
502名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 20:39:01
>498
同じく
「ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申してうたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず」
も一文字一文字考えて読んでごらん。
503けちゃっぷ:2005/11/12(土) 20:45:09
>>502 単刀直入に言ってくれないと、何が言いたいかわかりません。
504名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 20:45:41
>>500>>501>>502
第三者も読むことをお忘れなく。傲慢な書き方ですな。
非常に感じ悪いですね。
法然さんに贔屓の引き倒しやっているように読めます。
505名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 20:52:07
還愚
506名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 21:15:52
無垢に還りなさい。
それこそ阿弥陀如来を見るものです。
507名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 22:19:17
以前のスレではハクチとチンカスを救うため教えだといういことで諸大徳が一致したはず
508名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 22:24:22
それが正しいとは限らない
509名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 22:38:11
けちゃっぷが正しいとも限らないし、けちゃっぷを批判する人が正しいとも限らない。
言葉にすれば真理は一面的にしか表せないし、あらゆる言説に一面の真理がある
510名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 22:50:11
>503
「思ううちにこもり候也」「思いとりて申す」とあるでしょ。
511名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 22:50:59
だから、そういうものを切り捨てて、無垢に還って阿弥陀如来と向き合うことです。
512けちゃっぷ:2005/11/12(土) 23:04:28
>>510 「南無阿弥陀仏にて往生できると思って」念仏申せば往生できる。
その「南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う」ことの中に、三心はすべて含まれている、ということでは?
513名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 23:06:19
浅い。
514名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 23:10:47
>>513
深いところがあると思っているようだが、そういう了見を捨てること。
515名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 23:29:51
>512
そのとおりなんだけれど、いつ気がついたの?
516けちゃっぷ:2005/11/12(土) 23:34:42
>>515 ずっとそのつもりでしたよ。
だから、口でなむあみだぶつ・心で往生するぞ、と念仏すればそこに三心はちゃんとある。
517名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 23:46:40
>516
それでどうして
>落ちこぼれ側が、落ちこぼれを自認していようとしていまいと、念仏で救われることに変わりないでしょう。
という発言が出てくるわけ?自認していなければ、深心が欠落していることになるのですが。
518名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 23:52:54
「心で往生するぞ」というのが間違い臭い。
「さあ、私は必ず往生するぞ〜往生するぞ〜」って心の中で繰り返すの?オウム真理教じゃないんだから。
「南無阿弥陀仏と称えれば本願の力で往生できるのだと信じて」というほどの意味でしょう。
つまりそこに本願を頼りにするということがある。
しかしけちゃっぷの「往生するぞ〜!」では本願とういことがないのでは?
519名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 23:59:30
何も考えず、南無阿弥陀仏だけでいい。
520名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 00:00:31
余計な言葉が大杉。
521名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 00:06:07
>518
仰るとおりですね。ただ、あの方は、そういう違いを指摘しても
違いがあるということが理解できないですから、むにゃむにゃ
522けちゃっぷ:2005/11/13(日) 00:33:56
>>518 そうやって念仏していること自体が、本願を頼りにしている証拠だから、三心がある証拠。
523けちゃっぷ:2005/11/13(日) 00:39:31
>>517 往生できると思って念仏していれば、その時点で三心はそなわっていることになるから、深心もあるということになる。
落ちこぼれでなければ、あるいは落ちこぼれを自認しなければ、往生できないなのら、
臨終で初めて念仏に出会って、かろうじて仏名を称えただけの人は、落ちこぼれとか考える暇もないから、往生できないの?
524名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 01:36:37
>>523 しかし、自分は救いようのない凡夫であると自覚することは必
要なのでは?
525名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 01:56:07
人大杉では話にならんな。
526けちゃっぷ:2005/11/13(日) 09:17:04
>>524 何のために必要なのかが重要ですね。
信機によって信法が強くなるのではないでしょうか。
他に救われる道がなかったら、唯一の救いを是が非でも信じたくなるのが人情ですもんね。
自分が救われないのを認めたくないという、煩悩の力を逆に利用するのでしょう。凡夫にはぴったりの教えですね。
527けちゃっぷ:2005/11/13(日) 09:26:52
また、その信じたいという欲が、末法を信じさせているのかもしれませんね。
でも、聖道門で悟ってる人が現にいるとしたら、末法は崩れると思うんです。
また、せっかく悟った僧侶がたくさんいるのに、そういう方々の教えに耳を塞いでしまうのも、仏教徒としてどうなのかと思います。
法然さん滅後に日本にきた禅宗や上座部について、浄土宗はどのようにとらえているのでしょうか?
見ないふりではすまされないでしょう。
528けちゃっぷ:2005/11/13(日) 09:33:13
法然さん当時は末法思想があたりまえだったので、末法の凡夫というふうに、信機には末法がついてきたんですよね。
しかし、もし末法思想がくずれたならば、「時機相応の教え」の「時」の部分は強調する必要がなくなってしまうのではないでしょうか?
529名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 10:06:41
>>527
>悟った僧侶がたくさんいる

たとえば?
530けちゃっぷ:2005/11/13(日) 11:48:39
>>529 悟りにも段階があるでしょう?
レベルはわかりませんが、悟ってる、見性した僧は、うようよいるんじゃないでしょうか?
531名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 11:56:29
>530
段階も何も、煩悩を断ち切った人がいるわけ?
見性ってなによ。見性したら仏陀になるんじゃないぜ。
見性したって自他共に認められている人に聞いたら張り倒されるぜ。
532名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 12:00:28
>524の発言もそうですが、今のお話の流れは、けちゃっぷ君自身の発言した>461を発端にして
信機を中心にして展開しているんですよ。
けちゃっぷ君はどうして、時機の機ではなく、時の方に話をそらそうとしているんですか?
533けちゃっぷ:2005/11/13(日) 20:23:49
そもそも信機の話になったのは、みなさん末法を信じているの?という質問からです。
534名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 20:32:34
末法でなかったら浄土宗いらんやろ。
535けちゃっぷ:2005/11/13(日) 20:33:32
>>531 煩悩を断った人は、上座部にはいるんじゃないでしょうか?
…というか、僕には、「いるにちがいない」という僧侶への信仰があるので、いると思うのですが。
ブッダの弟子に数多く悟った人がいたのはまちがいないでしょう。
時代に関係なく、ちゃんと修行すればちゃんと悟れるんじゃないでしょうか?
536名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 20:50:02
>533
すでに主題はかわってるんだよ。

>535
希望的憶測と事実とをごっちゃにするなよな。
まさかそんないい加減なことを檀家さんやよその宗教の人にいってんじゃないだろうな。
浄土宗の恥だぞ。

>時代に関係なく、ちゃんと修行すればちゃんと悟れるんじゃないでしょうか?
そうはイカのチンチンというのが、末法思想。
537名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 20:59:34
>>535
末法の世には行がない。それゆえ証(見性)もない。
ちゃんと修行したくても正しい修行法は絶えてしまった。
それでは何故末法の世に経典が伝えられているのか?
行も証もないというのに何故に教のみが残されているのか?
法然さんはその疑問に他力の念仏をもって解答とされた。

末法を前提とする以上、いかなる自力の修行によっても悟れない。
それゆえ、禅宗などでは末法思想自体を否定しています。
538名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 21:58:43
言葉だけ、人大杉
539名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/13(日) 22:22:34
>>537
こっちのほうが、法然の正しい理解でしょうね。
540けちゃっぷ:2005/11/14(月) 01:14:13
>>537 法然さんの生存中には、禅宗はなかったわけですから、正しい修行が失われていると判断されたのでしょう。
もし、法然さんが禅宗に出会っていたら、どのように評価していたのでしょうか。
もし、法然さんが上座部に出会っていたら、どのように評価していたのでしょうか。
法然さんの精神というのは、古い教えにただただしがみついていることではない気がするのです。
滅びたと思っていた教えが滅びてなかったとわかったら、素直に認めたのではないでしょうか?
まぁ極端な話、パーリ語経典しかない世界に法然さんがいたら、
パーリ語経典の中から、やはり阿弥陀仏に匹敵するような平等救済の教えを捻出されたことだろうと、
けちゃっぷは思います。
541名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 02:02:23
時代や環境が悪くても仏の行じたままの修行を求めた人が常にいたように、
時代や環境が良くても自分には修行する能力が無いないのだと悲観論に立つ人はいると思うよ。
法然さんは後者だと思うな。
衣食住足りて戦争も無い現代日本だけどいろいろ悪い点はあるわけだし、法然さんなら見つけ出してやはり末法也と断ぜられるんではないかな。
542名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 07:52:21
>540
禅宗や上座部があれば末法ではないというわけか。して、その根拠は?

>滅びたと思っていた教えが滅びてなかったとわかったら、素直に認めたのではないでしょうか?
末法には教えは残っているよ。なんか、根本的に勘違いしていない?
543けちゃっぷ:2005/11/14(月) 08:26:51
滅びた教えっていうのは、正しい修行を伝える教えのことを言ったんです。
わかってるくせに…
544名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 09:18:23
けちゃっぷさんは、法然と浄土宗を根本的に誤解しています
法然上人の著されたものをもう一度きちんと読みなさいね
545名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 10:02:23
>>540
法然さんの時代の禅宗は仏心宗とか達磨宗とか呼ばれていました。
そもそも天台宗を起こした最澄さんの師匠の行表さんは中国北禅の流れです。
ちなみに倶舎宗や成実宗は上座部の宗派です。

叡山では念仏・題目・禅・密教なんかが普通に行われていましたが、
法然さんの念仏と叡山の念仏との決定的な違いは、
それが末法の世の念仏であるか否かという点にあります。
546名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 10:17:53
けちゃっぷさんへ。
あなたは法然さんの教えを完全に誤解しているみたいですね。
もう一度きちんと勉強しなおしたらどうでしょう。
独学で読み直したりするのもいいけれど、けちゃっぷさんの場合は誤解しているところを
直してもらった方がよさそうだから、誰か教学をわかっている人に修正してもらえるところに行った方がいいと思います。
547名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 10:28:58
イッソの事、けちゃっぷ教をたちあげちゃつたら・・・?
548けちゃっぷ:2005/11/14(月) 12:22:21
>>547 どんなレスが返ってくるかを楽しむために書いてるだけです。
檀家に末法否定を説くつもりはありませんので
ご安心ください。
549けちゃっぷ:2005/11/14(月) 12:34:14
>>546 けちゃっぷからの質問だということはひとまず忘れて、
他宗派の人から同じ質問をされた時に答えられるかという観点から、
ご教示願えたらうれしいです。
末法思想は、自分が凡夫であると認めるだけにはとどまりません。
もし現代に阿羅漢の悟りを得た人が現れた場合に、
末法思想を主張するなら、その人の悟りに対して嘘っぱち呼ばわりすることになりかねません。
末法だから悟れるはずない→悟ったという奴は全員嘘つき となるから。
550けちゃっぷ:2005/11/14(月) 12:40:52
>>541 自分が凡夫だというのは認めます。しかし、末法思想は、全人類凡夫説、全人類悟れない説ですよ?
551名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 12:44:58
>>550
それが誤解です。
ちゃんと法然の教えを学びましょう。
552けちゃっぷ:2005/11/14(月) 12:52:20
>>551 もったいつけずに、どう理解すべきかを教えていただけないでしょうか?
一般の方から質問されて、「勉強しなおしてこい」では通じませんよね?
法然さんの末法思想は、
仏教辞典などにある一般的な末法思想とちがうということですか?
では、どうちがうのでしょうか?
553名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 13:47:04
>>550
>自分が凡夫だというのは認めます

もしかして、心の底では、
「オレもちゃんとした修行をすればそこそこいけるんじゃない!!」
とか思ってない?
一度、上座部でも禅宗でもいいからとことんやってみたら?
554名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 15:13:50
けちゃさんはお坊さんではないの?
555けちゃっぷ:2005/11/14(月) 18:03:48
>>553 ちゃんとした修行をするために、往生するわけですからね。
556けちゃっぷ:2005/11/14(月) 18:11:12
>>554 一応お坊さんですよ。
ただ、このスレでの僕の質問に対する応えは、
お坊さんに応えるつもりじゃなく、一般人に対する気持ちでレスしていただきたいです。
557名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 19:05:42
>555
漏れも>553さんと同意見だな。
>しかし、末法思想は、全人類凡夫説、全人類悟れない説ですよ?
時と機をごっちゃにしちゃだめ。

ちなみに聖人は例外になるのをご存じない?そうでなければ弥勒菩薩やお地蔵さん
が存在しえなくなってしまいますが。
558名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 19:38:58
私も>553と同意見です。
常にけちゃっぷさんの意見に違和感を感じているのは、
やはりその点だと思います。
法然上人は立派な方で修行もなされたかもしれませんが、
自覚としてはやはりご自分も含めた凡夫の救われる道こそが、
末法にはふさわしい道だとされたと思います。
聖道門へのあこがれなどではなく、
浄土門こそ、阿弥陀仏の本願にふさわしい教えだとされたのが、
順彼仏願故との出逢いじゃないですか。
559名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 19:51:52
法然上人ならダライ・ラマもマリア・テレサも他のどんな偉人聖人とされる人も否定されるんじゃないですか?
「世も末になるととんでもない悟り顔をした人が出て来るから騙されないように」ということをおっしゃってますからね。
上座部の長老が束になってやって来ても、阿弥陀仏の智恵には貴方がた比丘が百万人集まってもかなわないと言いそうじゃないですか。
560名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 19:58:08
>>559
それはない・・・
561名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 20:01:17
>>559
それはない・・・
562名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 21:49:21
とことん修行できる場がどこにある?禅宗だって百日過ぎれば観光案内
を「修行」と称して、行わせている。知恩院はとことん念仏している
か?増上寺はどうだ?確かに、修行は道場だけでするわけではない。
しかし、凡夫がトコトン修行できる「場」なんて、どこにもない。
563名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 21:52:10
諸君ら、修行というが、何を行ずるのだ?
酒豪と間違えていないか?
564名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 21:52:11
>>559
とりあえずさておくけれど、、、否定はしませんよ
お念仏が優れているのは末法衆生の機根の問題。
565名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 21:57:38
>564
そのとおりですね。あくまでも、「このわたくし」の問題であって、他にどれだけすぐれた人がいたってかまわない。
否定もしない。

ただただ、「このわたくし」が救われるには阿弥陀仏にすがるしかない、ということです。
566名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 21:58:20
>562
それが末法の末法たる所以です。
567名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 22:00:51
>>565
何から救われたいのですか?
568けちゃっぷ:2005/11/14(月) 22:26:42
>>565 そうですね。
569けちゃっぷ:2005/11/14(月) 22:28:25
>>567 人生の苦悩からの救い、生死輪廻からの解脱
570名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 22:35:27
>>569
称名念仏で解決とは、あんまりだ。
571名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 23:19:48
>>569
念仏がどうやって人生の苦悩から人を救う?
念仏だけでいいんでしょ?
572けちゃっぷ:2005/11/14(月) 23:32:08
>>571 浄土に往けば生死を離れ、苦しいこの世からおさらばできます。
また、どんなに今が苦しくても、念仏できてるからOKだと思えます。
さらに、念仏は妄想を寸断する効果もありますしね。
573けちゃっぷ:2005/11/14(月) 23:39:21
死ねば浄土なんだから、死ぬまで生きればいいだけさ。
楽ちんな人生ですよ。
就職も決まってあとは卒業まで思い出作り、みたいなもんです。
574けちゃっぷ:2005/11/14(月) 23:42:22
何もなくても、念仏できれば勝ち組
575名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 00:27:36
>>就職も決まってあとは卒業まで思い出作り、みたいなもんです。

けちゃっぷさんの言いたいことはわかっているつもりですが・・・。
それはそれで寂しい気にもなりますね。
この世で就職して仕事をしたい人にとっては(もちろん比喩とわかって
いますよ)そこに風が吹いているのを感じます。

ただ、就職できるかどうか不安で不安でどうしようもない人にとっては
心安らぐ考えだとも思えます。

浄土は今生のためにもあるのではないのですか。
だからこそ、観世音菩薩がやってくるのではないのですか。
576名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 00:43:14
三部経に書いてあることも法然がいっていることも往生は確かに死後ですわな。

しかし、法然は早く死んでしまえとは言わなかった。
なぜか?
日々の暮らしの中で心ならずも倫理的に正しくないことを
せざるを得ない人、きっと大半の人がそうなんだろうけれど、
自分の行為を後悔しながらも生きている人にとって、(信機)
こころ穏やかに生涯を終えることはできない。
そのような自分自身が念仏申して最期には阿弥陀仏によって必ずすくい取られると確信できることは(信法)
何にもまして生きる力を与えてくれることであったと思う。
このこころもちは同時に心の底から(至誠心)、往生を願う(廻向発願心)ということになる。

私が念仏を申すのもそんなところにある。(去行)

仏教語に置き換えると()内です。
577名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 01:04:50
もうすぐ増上寺で加行なのですが、全く加行という行のイメージが沸かなく不安です。具体的にどんなことするのか教えて下さい。
578けちゃっぷ:2005/11/15(火) 01:06:10
>>575 感情は無常です。念仏すれば感情がスッとおさまる。
聖者は瞑想、ニルヴァーナをよりどころにして生きていくのでしょう。
(スッタニパータでは、在家信者も正しく修行すればニルヴァーナを得られる)
凡夫は、絶え間ない止と観を保ちつづけられない。ニルヴァーナをよりどころにできない。
そのかわりに、念仏をよりどころに生きればよい。
体が傾きそうな時に杖をよりどころとするように、心が傾きそうなときに念仏にもたれかかればよい。
579名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 01:20:49
>>575 あなたが考えている就職って、就社?無駄です。アルバイト
でもしなさい。世の中広いから、やりたいことがわかるまで、アルバ
イトでいいの。絵描きをごらん、金になるのは歳をとってからだよ。
たとえ売れなくても、やりたいことのできた人生は幸福だよ。会社って
枠の中に入らなくっても、暮らしていけるって。
580名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 01:21:59
個人的な修行能力不足の問題なら「末法」と言わなくていいですよね。
全ての人的及び環境的悪化衰退を総じて末法と断じ、それに対して阿弥陀仏の絶対的な救済力を説くんですよね。
けちゃぷのお気に入り禅とか上座部は弥陀の救済を差し置いて小賢しい人間の慈悲や智恵を説く宗派ですからやはり否定されるんじゃないですか。
581名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 01:31:51
禅や上座部はダメだな。人の力なんて、たかがしれてる。自力で開悟
出来る人ばかりなら、宗祖上人は開宗しなかっただろうし。人の世は
いつでも末法じゃあないのか?
582名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 02:32:22
>>577
10年前の体験では、増上寺は礼拝行が熱心だ。
約5000礼した。
設備は知恩院にくらべると非常に整っている。
しかし、
100人前後の集団生活で風邪にかかる人が必ずでるから、
うがい薬等も持参して予防に留意したほうがいい。
583名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 13:53:51
薬は持ち込み禁止。
584577:2005/11/15(火) 14:36:25
582さん、アドバイスありがとうございます。583さん薬は持
585名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 21:42:09
うがいをよくすることでしょうね。
あと、ウソか本当か、風邪の人と鉄格子ごしに半月過ごしても風邪は
うつらない、というデータもあるそうで、つまり空気感染ではなく接触感染
ですから、できるだけ口や鼻に手をもっていかないことでしょう。ハナの穴
をほじくるなどもっての他です。

でも、何かといちいち手を洗うお坊さんってのもなんかヤダなあ・・・・。
586名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 21:44:30
うがいは必須ですね。
僕は知恩院でしたが、塩のはいった丼が置いてあって、自由にうがいができました。
おかげで体調を崩すこともなく満行できました。
587けちゃっぷ:2005/11/15(火) 21:59:20
知恩院の寒さはこたえました。
588けちゃっぷ:2005/11/15(火) 22:00:05
喫煙はOKなんですよね。僕は吸いませんが
589名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 22:39:05
健康増進法ができたっちゅうのに、何たることか。
590名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 22:54:55
抜け出して、日比谷通り向かいのクレッセントハウスでフランス料理も乙なもの。
591名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 23:01:39
去年の増上寺の加行だけど、うがい薬は設置してあるよ。朝の45分の
休み時間が一番長い休み時間だけど、30分くらい寝ておくことだね。
あと、ネックウオーマーとマスクとひざサポーターは必需品。
592名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/17(木) 07:51:42
お念仏は健康にもよいんですか?
593牛飼い:2005/11/17(木) 18:52:07
生死輪廻からの解脱なんて阿弥陀如来の威光でもってしても無理だ、けちゃっぷ君よ。
物質自然の根本佛たる阿弥陀にはそのような力は無い。極楽往生できてもいづれは
地球に(現象世界)堕ちてくる。あの世で徳を使い果たしたあとは、また六道輪廻の中に組み込まれる
運命だ。
物質の肉体を持って永遠の命を願望する(不老長寿なども)という不可解極まりない願目はありえないのと
同様だ。
大体阿弥陀如来は全知全能者ではない。単なる物質自然の法則を司る神である。
現世にてこの面前で生命体を蘇生する事の出来ない仏の力などで生死輪廻からの解脱はありえない。
594牛飼い:2005/11/17(木) 21:07:34
なぜなら、阿弥陀如来は存在しないからだ。
595名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/17(木) 21:58:51
>>594
それを言い出したら阿弥陀信仰系宗派の
すべての議論が無に帰するわけで・・・

それを言い出したら、何もかも存在しないとも言えるわけで・・・
596名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/17(木) 22:03:57
>>595
やっと気付きましたか。
それぞ大乗仏教の真髄です。
597牛飼い:2005/11/17(木) 22:06:18
>>594 ってかお前さん、俺のハンドルネーム使うなよ
阿弥陀は非人格ブラフマン=物質自然!>>594の言うように存在しないわけではないが、
いづれ物質宇宙の法則により壊れ去るもの(滅する)
そのとき仏教でいうところの極楽界もまた同時に死す運命にある。
物質宇宙が破滅しても永遠の快楽にて(リーラ)生き残る精神惑星(界)はただひとつ
・・・それは・・・精神性が低すぎる仏教者には内緒にしておく(理解不能だろう)。
598けちゃっぷ:2005/11/17(木) 22:30:33
>>593 阿弥陀仏はブラフマンでも大日如来でもありません。
本願成就身である報身です。
ものに引力があるのはなぜでしょうか?それは宇宙がそうできているからです。
念仏で往生できるのはなぜでしょうか?それは宇宙がそうできているからです。
僕が生まれた宇宙は重力のある宇宙なのです。
僕が生まれた世界は法蔵菩薩がすでに阿弥陀仏になっている世界なのです。
すでに宇宙がそうなっているのです。
599名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/17(木) 22:34:09
>>597
オカルトですな
600名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/17(木) 23:27:38
単なる理屈遊びになっている。
601名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 08:39:31
>>597
あなたはこの世に人として生まれてきたのも定めてきたのでしょう。
次の世も定めてください。
602名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 18:36:57
愚者です

そろそろ出番かな?


+   +
  ∧_∧  +
 (0゚・∀・)   ワクワクテカテカ
 (0゚∪ ∪ +        
 と__)__) +
603名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 20:31:38
最大のオカルトは誓願を建てて修行を重ねた末に仏国土が完成されたということだ。
これはどんな物理科学の法則においても人間の経験則においても知られていない。
修行の力というものはかくも不可思議で遠大なことを成し遂げるものなのか。
604けちゃっぷ:2005/11/18(金) 21:00:20
>>603 もし嘘だったとしても、念仏しただけで何か損をするでしょうか?
もし本当なら、念仏しないと損します。
ですから、念仏しちゃいなよ
605名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 21:02:15
>604
それ、オウムの脅し文句と同じだよ。
606名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 21:04:55
>603
>これはどんな物理科学の法則においても人間の経験則においても知られていない。
>修行の力というものはかくも不可思議で遠大なことを成し遂げるものなのか。
そうですね。修行の力というより、心の働きだと思います。
現在知られている物理法則がすべてを説明するとも限らない。
阿弥陀仏の世界を物理的な世界だとみなすのはどうしてですか?
607名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 21:05:43
ひょっとして>604はオウムの残党?
608名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 21:51:41
じゃあパスカルはオウムの残党ということになる。
609名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 22:01:41
心乱宗ですか?
610名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 22:03:43
>608
なんじゃそれ。パスカルは西田ほどアフォではないにしろ、あしだろ。
611名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 22:11:23
考えますからな。
かたや脳髄の保有さえ疑われています。
612けちゃっぷ:2005/11/18(金) 22:18:14
>>606 世界をそのよいに解釈するということかもしれませんね。
救いのある宇宙。宇宙は私の味方。この世界はやさしい世界。
ですから、すがたかたちのない法身ではなく、
救いのキャラクターがはっきりしている本願成就の報身の阿弥陀仏なのです。
613けちゃっぷ:2005/11/18(金) 22:21:56
阿弥陀仏のいる宇宙はやさしい宇宙。
この宇宙は、阿弥陀仏のいる宇宙であります!
もはや、誰もこの世界を憎まなくていいのです。
阿弥陀仏のいる人生はすばらしい!
614名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 22:24:34
>613
そんなことを言って、虚しくない?
だから、信機のないけちゃっぷとか、オカルトけちゃっぷっていわれるんだよ。
615名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 22:24:36
>>610
浄土宗もの知らずか。
「パスカルの賭」で検索してみろ。
616名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 22:26:50
考える葦ぐらいしか思いつかんのか。それがクオリティーか。
617けちゃっぷ:2005/11/18(金) 22:27:23
>>614 書きながら一人でテンション揚がってしまいました。
念仏しながら、脳の中に喜びエキスがあふれてきました!やばいやばい
618名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 22:31:04
>615
その程度のネタフリでマスかいてるんかいな。
どっちにしても豆腐の角に頭をぶつけた方がいい人だな。
619名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 22:31:14
脳内モルヒネでっか。
620名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 23:04:21
お念仏(称名念仏)を修して「極楽浄土に往生すること」が人生の究極的価値であることに気づくこと
―浄土宗の教えは、「浄土に往生すること」を人生の究極的意義となす。
621名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 23:07:23
>620
浄土宗はそうかもしれんが、法然上人はどうだったんだろ。
622けちゃっぷ:2005/11/18(金) 23:14:02
>>621 とにかく念仏できる生き方をしなさいと説いています。
623牛飼い:2005/11/19(土) 00:19:17
いくら修行したとしても結局は何もかも有限で一時的なことにしかすぎない
成道や悟りなど重要な要素ではない!
なぜなら至高者は仏教者のように修行や経験則で得られた結果の超能力者(解脱)ではなく
もとからの至聖至高者だからだ。

報身?けちゃぷは至高者の存在を知らないからそのような虚無的仏に頼ることになるのですよ。
この世は無でも空でも幻でもありません
だいいち仏教者は傲慢の極みです。なぜ自分のことを「上人」などと名乗れるのでしょうか?
「商人」の間違いではないですかね(笑)
624愚者ぐしゃ:2005/11/19(土) 00:32:33
「上人」・・・・そうですね。
「人の上」って意味なんですかね? だとしたら傲慢ですね。違うと思うけど。
625けちゃっぷ:2005/11/19(土) 08:04:10
「〜さん」「〜様」「〜上人」は、尊称であって、自分では名乗らないけどね。
626けちゃっぷ:2005/11/19(土) 08:10:38
>>623 「至高者」って何でしょうか?
627名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/19(土) 09:32:25
牛飼い氏は、確信犯的荒らしをしている。
このような考えの者がこの板に来るということは、荒らし以外には無い。
相手にしないことが寛容。
仏教者にはそのようなことはさておいて、すべきことがあるはず。
628名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/19(土) 09:35:35
牛飼い氏を非難するよりも、牛飼い氏の言う至高者の存在のことが
詳しく知りたい。。
629名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/19(土) 09:44:08
>>628
西洋の哲学者がよく言ってる。
ヤスパースの『絶対者』など有名だが、思うにセム族一神教の普遍的記述のような気がする。
ニーチェの『ツァラトゥストラ』もその手のものだ。
630けちゃっぷ:2005/11/19(土) 11:08:01
>>623 有限なもの・一時的なものを捨て去るのが、ニルヴァーナでしょう。
最終目標は、安らかに滅びることです。
そのための近道が往生です。
631名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/19(土) 12:42:34
じゃああなたはそれを信じてください。
私は念仏しますので、邪魔しないでください。

としか言いようがない。
632名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/19(土) 18:04:59
袴谷氏の「法然と明恵」でも氏は阿弥陀仏を絶対者と規定している。話題にはなった本だ。
絶対者とか至高者というのはまるきり無視できる概念ではない。
633名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/19(土) 19:08:36
一切が阿弥陀如来の計らいだというなら、当然そういう帰結になる。
まあ、普遍的言明でなく、特定の人にとっては、そうだということですね。
634名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/19(土) 23:04:10
アーミーターバー
635けちゃっぷ:2005/11/20(日) 11:36:12
昔アニメ化もされた、高田裕三のブルーシードというマンガのキャラクターに、国土管理室の国木田とかいう室長がいた。
佛大のある先生が、そのキャラにそっくりでした。
今日、その先生のサイトを偶然発見しました!
636牛飼い:2005/11/20(日) 19:37:33
俺は真宗と浄土宗には文句は無いから、もう辞めておこうぜ!
教義に関してはまだまだ詳しい話をしてもいいが、ここは浄土宗(仏教)スレだし、
第一このようなスレでマジに諭しても仕方が無い。

しかし浄土宗僧侶が自己が入寂後「上人」との敬称がつくことを事前に快諾、肯定している
ことが気がかりだ。「善師」にしたほうが良いいのでは?→でもこれでは門徒に毛が生えた程度か?
それに仏教者がよく言う「あの世はこの世」という思考は邪道そのもの=だから世襲制になるわけだ。
本当に輪廻転生を信じているのだろうか?自分たちに都合に良い輪廻感なのでは?
637牛飼い:2005/11/20(日) 19:39:26
訂正、輪廻観なのでは
638名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/20(日) 20:01:06
牛飼い殿も勝手な御仁じゃな。
自分で火をつけた挙句、消さずにもう辞める、という法はないじゃろう。
639名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/20(日) 21:20:24
南無阿弥陀仏 と 南無観世音菩薩 
どちらを称えれば現世利益が大きいんでしょうか?

阿弥陀様は来世、観音様は現世の救済主って感じなんですが・・・

宗派を問わず、現世の救い主は観音様だから、
南無観世音菩薩のほうが、現世利益があるんですかね?
640名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/20(日) 21:22:54
>>639
ここでも他力と自力の対比ですね。
スタンスが違いますから御利益の比較はできません。
641牛飼い:2005/11/20(日) 21:25:55
>>638けして問答しているわけではない
けちゃっぷが理不尽な妄想を説いているので、明確な立法を少しばかりいっただけ!
まあ、以前他の板で日蓮系の宗教団体の奴らをメタメタにしてやったことはあるが、ここは
俺の尊敬する法然さんのスレでそんなことは出来ん。
642けちゃっぷ:2005/11/20(日) 22:52:19
>>639 観音さまは阿弥陀仏の助手ですから、南無阿弥陀仏でいいのではないでしょうか?
観音様は、あなたに必要なことはすべて叶えてくれるはずです。
宝くじに当たりますようにと観音さまにお願いして、はずれたならば、
宝くじに当たることが、あなたにとってためにならないことだと、観音さまが判断されたのです。
私を明日殺してくださいと観音さまにお願いして、
明日まだ生き延びてしまったら、
まだ死ぬには早いと、観音さまがおっしゃっているのです。
宇宙にとってあなたが必要ないなら、一瞬で消されるでしょう。
あなたが今生きているのは、宇宙のバランスにあなたが必要だからです。
643名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/20(日) 22:56:42
確かに牛飼いさんの仰るとおり、けちゃっぷは珍説を開陳しますな。
呆れてものも言えないとはこのこと。
644けちゃっぷ:2005/11/20(日) 23:00:46
牛飼いさん、「至上者」とは、無上仏のことでしょうか??
645名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/20(日) 23:14:12
牛飼い氏の言うのは至上者ではなく至高者だス。
646牛飼い:2005/11/21(月) 00:39:57
>>644まったく違います。
仏典には至高者について載っていないのだ。残念!(けちゃぷの知識外のこと)
仏哲学的思索では理解困難かと思いまする。
647名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 00:44:09
牛飼い、宗教法人取得で荒稼ぎの野望は実現したか?
648名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 00:47:16
>>642
けちゃっぷさんの説のその論拠は何ですか?
念仏で宝くじが当たることもあるということですよね?
観音さまが殺してくれる可能性もあるということですよね?
ちょっと私には理解できないもので。
ご教授お願いします。
649名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 00:47:48
牛飼いは言葉遣いがマシになったな
○ご参考○
宗教法人を取得するには
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1046761441/
650名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 00:59:13
>>ケチャップ様  
浄土宗という枠で見ると、言っていることが外れている。
江原啓之的に言うと正しいが・・・。
651名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 01:01:49
けちゃっぷさんはいろんなこと喋りすぎて自分でも言ってる事が
ぐちゃぐちゃになっちゃってる。
652名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 01:25:04
ひどいスレになってきたな。
けちゃっぷのオカルト説教が浄土宗の教え?
あんな浅い自分勝手な理解に対して、
教学的にきちんとした反論が出来ないの?
653けちゃっぷ:2005/11/21(月) 02:47:58
>>651 教学は大切ですが…
僕は、自分自身が見聞きして癒された言葉の蓄積から、出力してしゃべってます。
観音様が願いを叶えてくれるなんてのは、浄土宗の守備範囲外です。
しかし、願いごと(欲)が叶わなかったときに、
“これも観音さまの思し召しだ”と前向きに考えて癒されるなら、
それも大切じゃないでしょうか?
その場その場で癒され方が違うわけですよね。
念仏のことをおもって癒される場面では念仏すればいいし、
ブッダの教えで癒される場面ではブッダの教えを思いだせばいい。
たとえ念仏とブッダの教えが矛盾していても、人生に役立てばそれでいいんじゃないでしょうか?
勝った人には「勝ってよかったね」、負けた人には「負けてよかったね」。
矛盾してますが、それが間違いだとは思いません。
654けちゃっぷ:2005/11/21(月) 02:53:32
ここで最終兵器。
観音様にお祈りしてもしなくても、念仏すれば往生します。
655けちゃっぷ:2005/11/21(月) 03:00:35
>>646 神様のことでしょうか?
656名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 05:59:46
>652
何を言っても聞く耳持たない、論破されそうになると知能障害を起こす、
という香具師だから、まともな人はさじを投げたという状態。
657けちゃっぷ:2005/11/21(月) 08:28:06
>>648 観音様がやろうと思えば、可能でしょう。
でも、仏教的には、宝くじに当てるよりお金への執着を減らすことのほうが、心の成長なのです。
658名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 09:53:26
さじなげました。
つきあってられないですね。
ここに残るのは、ある種の人だけになるんですね。
659名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 09:58:28
だから前から・・・・けちゃっぷ鳥が今日も鳴いている・・・・でスルーがいいのよ・・・・。
660けちゃっぷ:2005/11/21(月) 18:13:56
>>648 観音様は、ドラゴンボールの悟空に匹敵する神通力がありますからね。
661名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 18:17:55
>>660
例えばどのような神通力があるんですか?
その内容は?
662けちゃっぷ:2005/11/21(月) 18:19:22
ほんとうに信仰がある人は、
願いが叶ったら叶ったことから何かを学ぼうとし、
叶わなかったら叶わなかったことから何かを学ぼうとするのではないでしょうか
663名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 18:27:08
桑田真澄は「神さま、僕に一番いい結果をください」とボールにつぶやく
PL教だが信心深いことだな
664名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 18:50:43
>>648
大乗仏教を信仰してる国では、観音信仰は一番人気ですよね。

現世での救済を願う場合、観音様に直接頼むのが人心に適ってると思います。
阿弥陀様は念仏者に対して極楽往生を約束されてる仏さまですから。
665名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 18:53:58
浄土宗僧侶としての誇りって何だ?
もしあるのなら、聞かせてほしい。
666けちゃっぷ:2005/11/21(月) 19:49:24
>>661 六神通です。
また、観経で観音菩薩を観る瞑想の説明のあとに、
「このようなぼさつは、その名を聞いただけでも無量の幸福を得るであろう。」
とあります。
667名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 19:51:35
>>665
南無阿弥陀仏、勉強しなさい、浅いよ。
668名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 20:26:22
>>667
法然上人ご法語「浅きは深きなり」
669名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 21:05:19
>>668
深いな。
僧侶はそれじゃいけないかもしれんが。
670けちゃっぷ:2005/11/21(月) 21:27:22
「誇り」も煩悩なんじゃないでしょうか?誇りがあるなら懺悔すべきかも…
671名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 22:35:07
誇りをもてない職業ってむなしいな

法然上人は念仏の教えを伝えることに誇りをもっていた
とはいえないのか?
672けちゃっぷ:2005/11/21(月) 22:36:47
言えません
673名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 22:51:36
「我首を斬らるとも、この事言わずばあるべからず」
念仏の教えを伝えることに誇り(自信)を持っていたから
こう言えるんじゃないの?

抑、オレたちは煩悩具足の凡夫なんだよな。
674名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 22:51:43
??672
そんなことないだろう、言い切るなよ。
675名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 22:55:34
>>670
けちゃっぷ、人を裁くつもりかい?
676名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 22:58:47
>>672
独断できる話じゃない
677けちゃっぷ:2005/11/21(月) 23:00:20
>>672 偽けちゃ
678名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 00:08:50
卑下が往生の機ですから、本願誇りの高慢は往生できませんな。
679名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 00:24:37
浄土系の人は観音経を読まないから仕方ないと思うが、
観音経の教えは、観音様に祈願せよというようなことではない。
観音様のように人を救いなさいと教えているのです。
あくまでも自力の経典です。
680名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 00:26:23
>679
普門品の内容はその通りなんですが、どうして「観世音菩薩による現世利益を説く」という解説が一般に行われてしまったのでしょうか。
681名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 00:35:31
>>680
『観音の来た道』を読むと、観音信仰は観音経のずっと以前から民衆の間にあったようです。
世界中どの地域でも、呪術的世界観の発展した姿は、祈願です。
現実の庶民の観音信仰が先にたつため、観音経の解釈もそれに沿わざるを得ないのだと思います
682名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 01:05:36
さあ、スレを阿弥陀如来に返しましょう。
観音の話は観音スレか観音経スレで。
683名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 01:15:48
観音・文殊は阿弥陀の脇侍
684名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 01:18:58
えっ!文殊だったっけ・・・勢至菩薩じゃなかった?
685名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 01:24:28
わかんない
686名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 01:54:23
阿弥陀様の向かって右側が、観音様。向かって左側が、勢至菩薩。
一般的に、文殊菩薩は獅子に乗っている。ジョウシキ。
687名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 01:55:22
へぇかしこいなあ
688名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 01:58:33
かすこぉい
689名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 01:59:22
ベンキョーになりますた
690名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:00:01
そおやったんかあ
691名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:01:11
すごおい
692名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:03:12
観音さま
693名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:20:54
賞賛の嵐、どうもありがとう。ついでに、普賢菩薩は、象に乗っている
んだよ。(これも本当です)
694名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:22:41
物知りだなあ
695名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:23:54
もっといろいろ教えてほすいす
696名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:25:23
顔もいけてるだろうから抱かれたいよ
697名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:26:22
もてもてだと思う
698名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:27:10
まわりがほっとかないはず
699名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 02:27:48
すてきすぎ
700佛教知識:2005/11/22(火) 02:34:22
ごめん。続きは、今日の夜。眠くなってしまった。
701けちゃっぷ:2005/11/22(火) 07:14:18
>>678 煩悩あるままで念仏すれば往生できますよ!
702名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 07:21:07
ここが2ちゃんである以上『ケロロ軍曹』の名前くらいは知ってると思いますが、
原作者の「吉崎観音」て名前はどうなんだろう? 仏教徒なのかな?
703名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 07:58:56
>>701
一応、五重相伝「初重」の巻物「往生記」読んでみてね。
704名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 11:41:45
>>678
誇り=高慢 解釈はどうなんだろう?

浄土宗の坊さんであることを卑下して生きなければならないのか?
705けちゃっぷ:2005/11/22(火) 12:28:50
>>704 それもそうですね。
でも、自尊心もやっぱり煩悩なんですよね。
自尊心を満たすために坊主になるのでもなく、
地位や名誉、お金、衣食住のために坊主になるのでもなく、
念仏を広めたい!というキラキラお目目で坊主になるのが、理想です。
706けちゃっぷ:2005/11/22(火) 12:33:46
動機が不順でも結果的にりっぱな坊さんになる場合もあるでしょうけど
707名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 12:41:07
??? 不純
708けちゃっぷ:2005/11/22(火) 12:46:35
とにかく、他人と比べて評価することは妄分別であり煩悩ですよね。
縁起縁滅する現象の中から妄分別を消し去って、純粋なアーラヤ識だけが残る状態が、真如ですよね。
それに関連して、空・無相・無願の三解脱門の体得は、無量寿経にも説かれています。
709けちゃっぷ:2005/11/22(火) 12:47:51
>>707 変換ミスでした
710名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 13:40:15
自分の職業に誇りが持てないとは
情けない生き方をすることと同義だ。
りっぱな坊さんになってる人は坊さんであることに誇りを
持ってるよ。きっと。

ほとんどの浄土宗僧侶が世襲的にその職に就いてるだけ
なんだろうが、どういう意識で仕事してるんだろうな?

>>708 そんなこと実践できないだろ。
   
711名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 14:42:24
けちゃっぷくん&浄土宗僧侶諸氏

この世での救いを求めてる人には、
阿弥陀信仰よりも、観音信仰すすめたほうが、
安心感を与えてあげれるように思えるのはオレだけですかね?

観音様は脇侍で阿弥陀様の御使いでもあるし相補的な意味もある。
712名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 17:30:41
>>711 この世で救いを求める宗派じゃあないの。現世利益が第一なら、御札
やお守りを売りたい別の宗派を御勧めします。宗教より、商売に励んでいる
宗派がいいよ。
713けちゃっぷ:2005/11/22(火) 17:31:15
>>711 観音信仰って、どのような思想が一般的なのでしょうか?
物質的報いの現世利益信仰の場合、安心を与えることはできないのでは?
お客は集まるでしょうけどね。
あと、本堂の阿弥陀三尊の前で、
参拝客が真ん中の阿弥陀さんより右側の観音さんの方ばかり拝んでてもヤだな…。
714名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 17:38:34
>> 710 マザー・テレサは誇りをもっていたと思うかい?そんなこと
関係ないんだよ。浄土宗のいいところは、利他行と称名念仏なんだよ。
突き詰めれば、それ以外いらないんだ。誇りがあろうが無かろうが、
利他行と念仏、これだけでいい。
715けちゃっぷ:2005/11/22(火) 17:38:54
念仏には、この世での救いがありますしね。
念仏を楽しめばいい
716名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 17:50:19
>>710 何も考えずに30分くらい御念仏してごらん。なにかが判るか
ら。ずっと継続して、何も変わらないなら、君はなにかがたりないん
だよ。理屈でなく、やってごらん。
717名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 19:01:54
>>714
マザーテレサにとってあの生き方は、生き甲斐のある生き方、
神の僕として自分に誇りを持って行動していたと思うよ。
「誇り」に対して偏見がないか?
「誇り」という言葉が嫌なら、「生き甲斐」でもいいよ。

君は
浄土宗僧侶として 利他行と念仏を生き甲斐として生きてるのかな?
という問いかけに変えてもいいよ。

利他行を執拗に言う奴がどうもオレは信用できんが・・・
忘己利他。モウコリタの世界だよな。
718名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 19:07:07
>>715
念仏のもたらす、この世の救いって何ですか?
719けちゃっぷ:2005/11/22(火) 19:09:00
>>718 念仏できるオレって幸せ、とにんまりできることです。
720名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 20:56:07
>719
にんまりね。
自己満足か、オナニーか、はたまた生きる喜びか。
ひょっとしたら、俺様は念仏知らないあいつよりえらいんだ!かもしれないね。

あんたの譬喩はむちゃくちゃだ。
721けちゃっぷ:2005/11/22(火) 21:49:22
>>720 たとえではなくて。
念仏そのものが平安なんです。
ブッダの弟子が毎日瞑想を楽しんで暮らしていたように、
念仏者は毎日念仏を楽しんで暮らすわけですよ。
不幸感も怒りも憂いもない、ただただ念仏の瞬間は、平安な気持ちです。
念仏が平安。念仏以外は平安をさえぎる妄念。
念仏できるようになったら、もういつでも平安を出せるようになっています。
いつでもどこでも一瞬で幸せになれるのです。
そうなったら、あとの人生は、借金を返すご奉公のみです。利他のみです。
親に恩を返済するために働き、社会人としての責務を全うするために働き、家族を養うために働くのみですね。
もう自分の幸せはつかんでるんだから、生命つきるまで他人のために生きればいいだけです。
722けちゃっぷ:2005/11/22(火) 21:56:12
極端な話、他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。
で、どうせ自分は幸せなんだから、幸せついでに苦しんでいる他人を助けたくなるのです。
人間は勝手なもので、自分が不幸だと自分のことしか考えられないけど、
自分が幸せだと他人を助ける余裕がでてくるのです。
ですから、利他のためにも、まず自分が幸せになることが大事です。
幸せには簡単になれます。念仏だけで幸せなんだから。一瞬で幸せになれます。
妄念のせいでムカついても、1秒後に念仏すれば瞬時に幸せになれます。簡単ですね。
幸せ0円です。
723名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 22:15:06
>722
>^極端な話、他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。
あなたは完全に法然上人の教えをはきちがえている。
究竟大乗浄土門がきいてあきれるぞ。
724名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 22:18:27
>722
人が目の前でのた打ち回って苦しんでいようと、自分が安楽であれば平気なんかい?
そんな念仏はありえない。

宗義についての理解がなっていないとか、知識がないとか、そんな次元ではない。
あんたは、宗教者としてという以前に、人間として問題がある。
よくそんなことを平気でいえたものだ。
恥を知れ!
725名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 22:54:14
>>722
> 極端な話、他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。

自殺者に「おめでとう」に次ぐヒットだな。
オカルト浄土宗の真価を発揮ですな。
726けちゃっぷ:2005/11/22(火) 22:55:02
>>724 六根から入力された情報に一喜一憂して平安が崩れるのは、
まぁ凡夫だからしかたないことですが、しかし仏教のめざすところではありませんよね。
お釈迦さまは、苦しんでいる人をみてご自身の心の平安が崩れたでしょうか?
心は平安なままで、慈悲の心を起こされたはずですよね?
727名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 23:36:31
>>722
> 極端な話、他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。
728名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 00:52:17
>>717 信用できるか、できないか、なんてのは私見。利他行と称名念仏が
実践できないで、理屈のみなら、浄土宗の教師としての資格無し。浄土宗
でなくても、例えばキリスト教でも、『愛』っていうのは、浄土宗で言えば
利他行なんだよ。それから、『誇り』なんか気にしなくていいんだ。淡々と
利他行をこなす、それこそ、究極の宗教なわけ。覚えておくように。
729名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 01:00:49
けちゃっぷ君、『他人がめのまえで・・・』は、違うよ。間違ってる。
願共ゥ衆生、じゃあない。それなら宗教は必要ない。と、いう前に、
それでは、『人』ではない。
730名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 01:09:37
けちゃっぷ君は単純な浄土教徒ではなく、大乗の真髄を掴んでいる。
対する者は法然をも足の下に敷いているようだ。
おそらく、露ほども自覚はないだろう。
731名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 01:22:47
>>730 笑えるな、『真髄』
732けちゃっぷ:2005/11/23(水) 01:53:53
>>729 ごめんなさい。おっしゃりたいことがよくわかりません。
「『人』ではない」の主語は何ですか?
けちゃっぷが『人』ではないという意味?
それとも、「目の前で苦しんでいる他人」が『人』ではないといい意味でしょうか?
733けちゃっぷ:2005/11/23(水) 02:02:03
>>729 念仏者は、他人が幸せになるまで自分も幸せになれない(なってはいけない)のでしょうか?
僕はそうじゃないと思います。
他人に関係なく、念仏で即座に幸せになれるはずです。
〈慈悲〉の〈悲〉とは〈抜苦〉、つまり他人の苦を抜くことです。
自分が幸せなままで〈悲〉は起こりえると思います。
自分は幸せなままで、他人にも同じく幸せになりましょうと言うのでは?
734名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 06:21:41
愚者です
けちゃさん四面楚歌?
興味深く読んでいます。
けっこう共感してます
735名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 08:23:07
>733
>他人に関係なく、念仏で即座に幸せになれるはずです。
この発言自体が間違っているということがわからないの?
そんなことは絶対にありえない。法然上人が自分の命を投げ出す覚悟で
お念仏の教えをお説きになったのは何故?法然上人の幸せのためですか?

これだけ叩かれていてまだわからないのか?
736名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 08:42:53
みなさんが言っている「幸せ」って何を指してるんですか?
「幸せ」の定義は?
念仏できることが幸せなのか、現世利益を得ることが幸せなのか。
幸せの定義は人それぞれだと思いますし、幸せを願って念仏するものでもないはずです。
往生という目的を目指し、往生が確定したことに幸せというなら理解できますが。
737名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 09:35:14
>>736
他人が「目の前で」どんなに苦しんでいても、
自分の往生さえ確かだと思えるなら、
幸せだと思うのが浄土宗なのですか。
738名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 09:45:36
> 極端な話、他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。

目の前で現実に苦しんでいる人を見ながら、
念仏を称えたら、
「一瞬で」幸せに「なれる」

念仏は、他人の不幸を見えなくする「呪文」ですか。
自分のことだけを考える「おまじない」ですか。
739名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 10:34:40
皆けちゃっぷ君を叩こうという魂胆しかないから、
けちゃっぷ君が衆生救済の真髄を説いていることを理解できない。
今の時代に法然がいたら、にっこり笑って、けちゃっぷ君の肩をたたいただろう。
740名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 10:40:09
>739
けちゃっぷ発言のどこが衆生救済なのよ?
バカなこというんじゃねぇよ。
741けちゃっぷ:2005/11/23(水) 11:21:55
>>735 法然さんが念仏を説いたのは、ひとえに他人の幸せのためではないでしょうか?
自分の幸せのために説いたのではないでしょう。
なぜなら、法然さん自身は、人に説いても説かなくても、念仏によってゆるぎない幸せを得ていたからです。
自分のためになすべきことはすべて完了し、あとはすべて他人のためだったのでは?
あなたの考えは、
不幸な他人を見たら自分も不幸になるから、
自分が幸せになるために他人に念仏を説くしかないという考えでしょうか?
僕の考えは、
不幸な他人を見てもゆるぎない自分の幸せがあり、
それを知っているからこそ、他人にも幸せになる方法(念仏)を説くのだと思います。
742739:2005/11/23(水) 11:24:49
>>741
まったく、そのとおりです。
743けちゃっぷ:2005/11/23(水) 11:33:31
>>738 逆ではないですか?
自分が不幸だと、他人を助ける余裕などないのでは?
「目の前に他人の不幸を見ても」というのは、「何があっても」幸せという例です。
自分は何があっても幸せだから、自分のためになすべきことは完了している。
だから、他人のことまで考えるゆとりが出てくるのです。
愛する(執着の対象である)わが子がケガした時に、うろたえながら半泣きで助けようとする親の気持ちではありません。
負傷した子供を見ても冷静さを失わずに、テキパキと助ける救急隊員の気持ちです。
救急隊員は冷静だけれど、慈悲の気持ちはあるでしょう?
744けちゃっぷ:2005/11/23(水) 11:37:36
>>742 賛同してもらえるとうれしいのも煩悩なんですよね。でも、ご理解いただきありがとうございまする
745名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 11:43:35
>>744
私は、禅宗の立場ですが、けちゃっぷさんの考えと非常に近いですね。
ただ、こういう考え自体も臨済の言葉でいう『人惑』なので、
切り捨てなければならないと思っています。
仏教で一番大事なのは、相手に『安心』を与えることだと思います。
釈尊の施無為。
746けちゃっぷ:2005/11/23(水) 11:50:51
>>745 仏教とは何かと一言で言うなら、「苦悩を解決する教え」だと思います。
自分の苦悩だけじゃなく他人の苦悩もですね。
自分が安心し、他人にも安心を広げる。
それにより、世間から苦悩が減っていくわけですから。
747名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 11:56:09
>>743
めずらしく分かりやすい例えであったぞよ
748typo:2005/11/23(水) 12:05:25
>>744
施無為じゃなく、施無畏でしたね.
>>746
理屈じゃなくて、誰もが行動に移れるとは限りませんから、まず姿勢が大事ですからね。
大事=大慈かも知れません。
市井三郎『歴史とは何か』に、こういうのがありました。
「人間は社会から間断なく、自ら責任を負うことのない、不条理の苦痛を受けている。
この苦痛全体を減らすことが正義である」
これは、価値理念の暫定的結論として述べられていたものです。
749名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 12:55:54
>>722
> 極端な話、他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。

他人の不幸を目の前にしていても、

「念仏をとなえれば」「一瞬にして」「幸せになれる」

念仏を称える行為が条件であり、
その行為によって、一瞬のうちに(変化がおこり)、
自分が幸せに「なれる」というのは、
どう言い訳しても法然上人の肯定されるところではありません。
750名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 13:24:40
>>749
法然の抜け殻に捕らわれていますね。法然の心を探しなさい。
751けちゃっぷ:2005/11/23(水) 13:36:47
>>749 心の中で「私は不幸だ」と念じてみてください。
次に、口に「なむあみだぶつ」・心に「往生するぞ」と念仏を称えてください。
一瞬にして、「私は不幸だ」という念が途切れちゃったでしょ?
これから死ぬまで、「不幸」の念が出てきてそれに気付いたら、そのたびに念仏で不幸を寸断しちゃえばいいのですよ。
752けちゃっぷ:2005/11/23(水) 13:54:19
私は念仏を知ってしまった。
「不幸」を一瞬で斬り倒す念仏の利剣を手に入れてしまった。
どんな「不幸」も念仏の前には瞬殺されます。
ただ、凡夫の場合「不幸」の軍勢は大勢いるので、
「不幸」は縁にしたがって次から次へと襲いかかってきます。
しかし恐るるには足りません。念は1念1念の連続であるため、「不幸」は1匹ずつしか襲ってこないからです。
ラジオを聴きながら同時に読書していると錯覚していますが、
実際は、ラジオの音声を聴く念と文字を読む念がスイッチして交替しながら連続しているのです。
1念1念があまりにも速いので、ラジオと読書を同時に念じていると錯覚してるだけ。
本当は、1念ずつしか念は起こりません。
ですから、「不幸」は1匹ずつしか襲ってこないのです。
1匹1匹の「不幸」は、念仏で斬れないことがありません。ただ、次から次へと湧いてくるだけです。
湧いてきたらその度に瞬時に念仏で斬ればよいだけです。
753けちゃっぷ:2005/11/23(水) 14:03:51
テーブルが汚れたらその度に拭けばいい。
服が汚れたらその度に洗濯すればいい。
心が汚れたらその度に念仏すればいい。
754名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 14:05:53
>>753
それが懺悔というものですね。
755けちゃっぷ:2005/11/23(水) 14:11:47
しばらく洗濯していないと、服が汚れている可能性が高いので、
しばらく洗濯していないなと気付いたら、洗濯すればよい。
念仏も、しばらく念仏していないなと気付いたら、念仏すればよい。
また、心の汚れを発見する方法もあります。
戒です。戒を破りたくなった時や破ってしまった時は、煩悩で心が汚れています。
ですから、その時は念仏すればよい。
特に、戒を破る前にいち早く念仏できた場合には、戒を破るのを予防できることもあります。
756けちゃっぷ:2005/11/23(水) 14:13:40
>>754 そうですね。
常に念仏する人は、常に懺悔する人ですもんね。
757名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 14:46:36
基地外が湧いて出ているぞ。注意注意。

自分が幸せになってから、他人を幸せにする?
順序が逆じゃん。

目の前に苦しんでいる人がいて、目のあたりにしてながら幸せを感じることが
出来る人がいたとすればそれは悪魔そのものだよ。

けちゃっぷよ、観念の遊びで人のこころを弄ぶのは止めなさい。
758名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 14:58:45
>>757
浄土宗門の御仁かな。
宗門内で聞いたことが正しいとは限らないですぞ。
759名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 15:14:45
>758
その通り。宗内で聞いたことがいつでも正しいとは限らないが、
だからといって間違っていることにもならない。

けちゃっぷの発言は法然上人のお言葉に反するものであるし、
大乗菩薩道のあり方にも反するものだ。

>743
冷静さと幸不幸とはまったく異質なもの。混同するな。
760名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 15:19:42
>>759
『法然上人のお言葉』に捕らわれすぎている。
字面を見るものは、読んでいないのと同じ。
761名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:02:41
大乗仏教の菩薩道とは、自らのことよりも、
まず他人のことが気になる。
762名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:04:27
>>760
けちゃっぷは、自分の言葉とたとえに酔いすぎ。
未熟なたとえで人を惑わせているだけ。
763名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:29:32
>760
お言葉の言葉じりから自由になることができるのは、お言葉自体をきちんと理解した後。
そのレヴェルにけちゃっぷは達してもいないし、宗義についてもあまりにも無知。
佛教大学出身らしいが、あれだけ知識のない奴に加行入行の許可をよくも与えたものだと
感心するよ。

◎浄土宗(鎮西・西山)スレで、けちゃっぷの発言を引用して浄土宗はこんな教えか?と
書いていた人がいる。けちゃっぷ発言はまことにもって困ったものだ。
764名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:31:32
>>761
他人を貶めるのが菩薩道ですか。
>>762
貴公は人を非難しているだけ。
二人とも宗門にあるなら言動を慎みなさい。
765名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:33:53
>>763
それでは貴公はどうなのだ。
高僧がこんなところに来臨するわけがない。
浄土宗門は慎みを知らないと言わざるを得ないぞ。
766名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:40:16
>764-765
批判されたら暴言返しか。お里が癡れるぞ。

>722以降のけちゃっぷに対する批判は誰の発言も間違っていることを間違っていると指摘している
ごく当たり前のはつげんだし、
>761は加えて菩薩道の一番基本的な考え方を述べていて、けちゃっぷの
発言の問題を際立たせてくれている。

>722
の発言が意味するのはね、人の不幸を屁とも思わんのがお念仏の教えだ
と言っているのと同値なんだわ。
そりゃ違うよと批判しているわけ。けちゃっぷが自説を撤回するまでは続けるよ。
これは宗門人として看過できない暴言だからね。
767名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:43:52
>>766
殺伐とした、非難の塊のような御仁ですな。
こういう人が法然の末裔を称しているとは。
768名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:44:32
>767
それがどうした?話をすりかえるな。
769名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:47:43
何もすりかえていない。
法然を理解しないで宗門人とはおかしいといったまで。
770名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:50:32
>769
ほほう、>法然を理解しないで宗門人とはおかしいといったまで。
というわけですか。どこをどう理解していないのか説明して欲しいものですな。
もちろん、けちゃっぷの>722に対する批判が法然上人の教えと異なるものである、という点を明示しなさいよ。
できなきゃ、あんたはほえてるだけだ。
771名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 16:58:12
>>770
ほほう、私はほえてなどいないが、ずいぶんムキになっておられるな。
772名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 17:00:44
>771
さよか。ちゃんと答えろよな。
773名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 17:06:47
けちゃっぷさん。
悪獣が囲遶し牙爪を利ぎはじめましたので、また来ます。
774けちゃっぷ:2005/11/23(水) 17:19:50
>>766 あなたは、あなた自身が今幸せではないとおっしゃるのですか?
僕は慈悲や利他を否定していません。それはおわかりですよね?
阿弥陀仏は不幸な人を救っていますが、ではその阿弥陀仏ご自身は幸せではないとおっしゃるのでしょうか?
どんな人を視ようとも、そのような六根からの刺激で不幸を感じるのは、やはり煩悩なのです。
お釈迦様は、どんな不幸な人を見ても、悲しんだり憂いたりしなかったはずですよね?
775けちゃっぷ:2005/11/23(水) 17:28:11
>>761 菩薩道の前提として、三宝への信仰による幸福があるのでは?
この世に不幸な人がいるかぎり、大乗の菩薩は全員不幸なままなのでしょうか?
ちがうでしょう。仏教に出会ったその日から、幸せなはずです。念仏者なら、念仏に出会ったその日から、幸せなはずです。
776名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 17:30:25
未だ自らを修めぬ者が人を修めようとすることほど間違ったことはない。
迷惑―迷わせ惑わすというのはこういうことを言うのだ。
たとえて言えば盲人が盲人の手を引いて先導するが如く、溺れる者が溺れる者に捕まって共に沈むが如し。
まず努めて自己一身を正し、次いで人に教えて正しめる。これが仏道の根本。
777けちゃっぷ:2005/11/23(水) 17:36:45
>>757 念仏を知ってしまった僕は、もう幸せを消せません。何を見ても何を聞いても。
それが悪魔なのでしょうか?
自分の幸せよりもまず他人のことを、とかいわれても、
すでに幸せになってしまっているのに、どうすればよいのですか?
現実に、もう幸せになっているのに、「順番が逆」もくそもないのです。
実際もう幸せなんだから。
それとも、あなたが僕に、不幸になる方法を教えてくださるのでしょうか?
僕を不幸にしたいという意味ですか?
778名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 17:46:08
>744
どうして僕が幸せではない、と帰結するのですか?
まず、僕自身の幸不幸はこの議論の中では無関係です。
>どんな人を視ようとも、そのような六根からの刺激で不幸を感じるのは、やはり煩悩なのです。
同じ理屈を使えば幸福を感じるのも煩悩である、ということになりますね。
つまり、あなたの理屈では念仏を申すということは、そのまま煩悩を増大させるということになってしまいます。

>この世に不幸な人がいるかぎり、大乗の菩薩は全員不幸なままなのでしょうか?
そのとおりだと思います。

>777
なにを頓珍漢なことをいってるの?
あなたの発言は「他人が苦しみのた打ち回っているのを目の前にしても、私だけは幸せルンルン」が念仏の教えだ、
ということ。倒壊した家屋の下で苦しみうめく声が聞こえているすぐ脇で「私は幸せルンルン」と感じ思うのが正常な
人間らしい感性だと思うわけ?

>776
>未だ自らを修めぬ者が人を修めようとすることほど間違ったことはない。
その言葉、そっくりそのままあんたに対する発言だな。
779牛飼い:2005/11/23(水) 17:55:47
俺は読経よりも常にリーラとマントラ派だな
まあ、半分念仏行の浄土宗と同じか
780けちゃっぷ:2005/11/23(水) 17:58:05
>>778 あなたは世俗の価値観で考えすぎでは?
幸せといっても、浮かれているのではありません。平安な気持ちのことです。

幸せな人が、幸せなままで他人を助けようとする。なぜいけないのかわかりません。
それでは、不幸な人を助ける職業の人は、一生幸せになれないというような言い方ではありませんか?
他人を助けると誓った菩薩は、自分は幸せでも他人の不幸を放っておかないのです。
自分は幸せだから、自分のために他人を助ける必要はありません。他人のためだけに他人を助けるのです。
781けちゃっぷ:2005/11/23(水) 18:08:29
>>778 岩波文庫のブッダのことばシリーズを読んでみてはいかがでしょうか?
浄土宗も仏教ですよね。
あなたは、仏教の基本的なものの見方がないように思われます。
782けちゃっぷ:2005/11/23(水) 18:34:10
無量寿経にも、空・無相・無願の三解脱門は出てきますね。
人が苦しむ姿を見ても、それは空である(妄分別である)。
真如には特徴がありません。特徴は妄想です。
「苦しんでいる」という特徴は空なので、
それを見たことによって、不幸を感じたり、不幸を消すために助けなきゃと欲が起こるわけはないのです。
じゃあなぜ菩薩は他人を救うのか?それは、救うという誓いがあるからです。救わなければ不幸だから救うのではなく、単に誓いを守っているからです。
そこには何のストレスも感じません。淡々と誓いを実行しつづけるのみです。
無願(欲がない)だけれども、すでに立てた誓いがあるから、それを守っているのです。
執着や愛欲によって救済をするなら、無願ではありません。
ブッダにある悪魔がこう言いました
「覚ったあなたはもう人を教える必要もない。さっさと入滅しちゃえよ。」
ブッダは答えました
「教えを問う者がいれば答えるさ」と。
執着によって教えているのではなく、そこに教えを求める人がいるから教えているだけだよ、ってことです。
783名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 18:41:53
>780-781
あなたは、幸福を不幸と対にして使っていましたね。
あなたが使う幸福を世俗の価値観ではない、というのであれば、
不幸も世俗の価値観で使われるものではない、ということになりますね。
しかし「目の前に他人の不幸を見る」という場合は、「救急隊員」という譬喩を
用いた以上、あなたが使う不幸は世俗的な価値観のものでしかないのは明白でしょう。(どうでもいいことなんだが)

煩悩を断じていないという不幸、病苦などに代表される世俗的な不幸のいずれであっても
不幸を体験している人を目の前にして幸福である、なんてうそぶけるのは悪魔ぐらいなもんでしょう。

>幸せな人が、幸せなままで他人を助けようとする。なぜいけないのかわかりません。
こんなとんでもない発言を誰がしたんですか?あなたの脳内妄想ですよ。

ブッダのことばシリーズを読んだんだね。あなたはいったい何を読み取ったのですか?
このスレッドの第1回から今までのあなたの発言から総括すると、自分にとって都合の良いことばだけを都合の良いように解釈しているだけように感じます。
784けちゃっぷ:2005/11/23(水) 18:49:30
>>783 そもそも、念仏の現世利益について問われたので、何があっても念仏すれば幸せだと言いたかっただけです。
その「何があっても」には、「他人の不幸を目にしても」ということも含まれます。
ブッダは、何があっても(不幸な人を見ても)平安な気持ちのままで、感情が揺れ動きませんよね?
では、そんなブッダも悪魔なのですか?
785名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 18:51:09
>782
あなたは極楽にいる菩薩でつか?
確かに大経には三解脱門ということばは出てきますよ。
>他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。
と発言するあなたが体得したことなんですか?
誰についての言表かをよくよく考えてみなさい。

人の不幸を悲しみ、わが身を犠牲にしても他者を助けようと思う心を
執着だの愛欲だのといってあなたは否定するわけですか。

ちなみにどんなに高位の菩薩であっても煩悩をすべて断じ尽したわけではありません。
それがブッダと菩薩の違いです。
786名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 18:53:17
>784
あなたはブッダなの?

>他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。
なんて釈尊が発言したとどっかのお経に書いてあるの?教えてよ。
787けちゃっぷ:2005/11/23(水) 18:54:06
>>783 他人の不幸を見たら自分も不幸でなきゃならないというのが、世俗の価値観なのです。
仏教は、不幸な人を見ても、悲しみ憂うこともないし、浮かれ楽しむこともない。
落ちたゴミを拾うかのように、日付が変わったから日めくりをめくるかのように、淡々と救済活動に移るのみです。
788名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 19:02:59
>784
>他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。
という幸せと、ブッダの心の平安は同じものなんですか?
僕は別物だと思いますがね。まず人間なら、そんなところで幸せにはならない。

ブッダの心の平安はブッダのは煩悩を断ち切ったところでの心の状態だけれど、念仏者は
煩悩が断ち切れなくても、どんな境遇におかれても、それでも前向きに生きてゆくことのできるこころもちを得ることができる。
人の不幸を目の前にして自分は幸せルンルンなんて思わない。人の不幸を悲しみ何とかしようとして、でも何も出来ない
自分に腹を立てつつ、それでも必死に向上しようとする、そういうこころもちが得られるんですがね。
789けちゃっぷ:2005/11/23(水) 19:03:51
>>785 凡夫だから、悲しみや憂いなどの妄念が起こるのもしかたありません。
でも、しかたないと許すことは、妄念を肯定・推奨するのとはちがいますよね。
幸せな人が、他人の不幸を見た時に幸せなままであってはいけないのは、なぜだとお考えですか?
まずその理由を教えてください。
790けちゃっぷ:2005/11/23(水) 19:09:54
>>788 悲しみも無力な自分に腹が立つのも、煩悩であり妄想ですよね。
みんな、できることしかできないんだから、できることをやるしかないし、できることをやればよいのです。
悲しんだり腹立てたりするヒマがあるなら、その分、できることをテキパキやるほうがよいのです。
791名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 19:10:01
>789
僕の質問にもきちんと答えてほしいんですがね。

>幸せな人が、他人の不幸を見た時に幸せなままであってはいけないのは
だれもそんな断言はしていませんが。脳内妄想ね。
かりにそこまで断言していたとしても、そんな質問をしてしまうあなたの人間性に問題を感じるよ。
「殺人がなぜいけないの?」という質問と同質なんだよなぁ。

人の不幸を目の当たりにしていても自分の幸せに浸り続けることができるのは、
その不幸を完全に払拭してあげることが出来る場合だけじゃないかな。
いや、それでもだめだろう。人がその不幸を体験したという事実は変えられないからね。
792けちゃっぷ:2005/11/23(水) 19:12:51
>>791 質問者が複数いるようで、ごちゃごちゃしてきましたが、すべての質問に通じるような答えをしているつもりです。
793けちゃっぷ:2005/11/23(水) 19:19:28
>>791 いつでも何があっても念仏で幸せになれます。その例として、他人の不幸を見たとしてもと言ったのです。
1回の念仏には1秒もかかりません。他人の不幸を見て、自分まで不幸感につぶされそうになったら、1秒だけ自分のために念仏すればよい。
それで正気にもどったら、次の瞬間から再び利他にスイッチすればよいのです。
なにも、目の前の他人を放置して30分も念仏しつづけろなんて言ってません。
強い不幸感に教われたら、むしろ、冷静にテキパキと利他の活動こなせないではありませんか。
794名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 19:41:23
>>793
「念仏で幸せになれる」って、どういうことか?
わかりやすく説明してください。
795けちゃっぷ:2005/11/23(水) 19:55:11
>>794 妄念が一時停止することです。
たとえば、彼女にフラれちゃったとする。
いくら考えてもフラれた事実は変わらないのに、何度もくりかえしフラれたことばかり思い出してしまう。
いくら考えても何の益もない、憂いの原因にしかならない思考の堂々めぐりを、
念仏て一時停止できます。
念仏以外のことを考えて不幸感が起こるなら、念仏以外の思考をやめて念仏すりゃいいのです。
796名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 20:07:26
>795
そういうこころもちをブッダのさとりと同じだというわけ?
797けちゃっぷ:2005/11/23(水) 20:07:18
眼根のキャッチする対象は色ですね。
耳根のキャッチする対象は声です。
鼻根のキャッチする対象は臭です。
舌根のキャッチする対象は味です。
身根のキャッチする対象は触です。
意根のキャッチする対象は法です。
彼女にふられたという思い出も、「不幸感」も、意根の対象である法に分類されます。
熱いものを触って苦痛な時は、熱いものから身を離せばよいのです。
不幸になるような法に意が触れて苦痛なら、その法から意を離せばよいのです。
念仏に意が向けば、不幸から意が離れますよね。
それなら念仏じゃなくても、ほかのことで気をまぎらわしてもいいじゃないかと言う人もいるかもしれません。
ほかのこと(世俗の快楽など)で気をまぎらわしても、あまり益はありません。
念仏すれば往生できるから、利益満載です。
798けちゃっぷ:2005/11/23(水) 20:10:25
>>796 覚りではありません。
単純に、往生できるから幸せだと思いだすだけです。
妄念に意が向いてる瞬間には、往生できるから幸せだというのを忘れてます。だから不幸を感じることもある。
念仏で幸せを思い出せば、不幸感は消えます。
799名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 20:10:38
>792-793
>791 はスルーするのですか?
>他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。
とは、自殺しておめでとうと、遺族の前で言ってしまうことができるあなたらしい御言葉ですね。
人殺しを奨励してほめたたえた、新興宗教の総帥と同じですね。
800名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 20:12:39
>>795
妄念が一時停止する=念仏で幸せになれる

これだと大きな誤解を招くよ。

幸せになれるなんて簡単に言わないでくれよ。
801名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 20:12:40
>792
アンカーつけて答えたらよろしかろう。
802けちゃっぷ:2005/11/23(水) 20:14:14
>>799 スルーしてませんよ。今までの発言が応えです。
あなたのレスは、何を質問したいのかわかりにくいですよ。
あなたのレスに感想を述べてくれって意味なのでしょうか?
803けちゃっぷ:2005/11/23(水) 20:15:52
>>801 似たような質問する人が複数いるんだもん!
804けちゃっぷ:2005/11/23(水) 20:24:58
>>799 僕が「人殺しを奨励して誉めたたえた」ことなんてありませんよね。
仏教は自他の苦悩を減らすのが目的です。
殺したら、殺された人は苦しむでしょ?だから殺すのは仏教の目的に反します。破戒にもなるし。
他人が不幸だと自分が幸せになれないのなら、
不幸な他人を助けつづけるような職業の人は、一生不幸じゃないですか。
ちがうでしょう。幸せな人が幸せなままで不幸な人を助ければよいのでは?
805名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 20:25:05
>803
それだけおまえの発言が基地外じみているという証拠だろ。
806名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 20:26:24
>804
ちがうでしょ。あなたのは、
>他人が目の前で苦しんでいても、自分は念仏称えれば一瞬で幸せになれるのです。
人の苦しみを見ていても、自分だけは幸せルンルンになれる、というのだよ。
807名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 20:35:00
そういや、自殺おめでとう発言をまだ撤回してなかったよな、けちゃっぷ。
808けちゃっぷ:2005/11/23(水) 20:38:03
>>806 幸せな平安な気持ちのままで、目の前の人を助ければよいではありませんか?
助けるなとは言ってないでしょう?
ルンルンと浮かれすぎるのも煩悩です。浮かれてると判断をミスることもありますし、ルンルンに執着して道を誤ることもある。
愛人に貢ぐために職場のお金を横領したりするのは、ルンルン浮かれたせいです。
静かに安らいだ幸福感のことを言っています。ルンルンと言うのは微妙にちがうかもしれませんね。
809けちゃっぷ:2005/11/23(水) 20:43:02
>>807 すでに起きてしまったことを悲しんでもしかたないでしょう。
過ぎたことはすべて「めでたいな」と前向きにとらえるほうが、幸せになれます。
禅宗の良寛さんだって、「病気になる時には病気になるのがよい、死ぬ時には死ぬのがよい」と言ってます。
病気になったら「病気おめでとう!」、治ったら「回復おめでとう!」と、常にポジティブに生きることができたら、幸せでしょうね。
810名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 20:47:03
>808-809
自分の発言をひんまげていない?
そもそもブッダの心の平安と、念仏者の心のありかたと、あんたは同列にしていたが、
その点を指摘した批判はスルーかよ。
811名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 20:47:35
病気おめでとう?
自殺しておめでとう、と遺族に言うといったよな、あんた。
まったく反省無しね。
812名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 21:03:14
愚者です。
けちゃさん、まだ携帯でやってるんですか?
これだけの文章を携帯で打ってるとしたら、相当時間がかかりますよね?
けちゃさんの言動で気になるのはそれだけです。

「自殺おめでとう」ではなく「往生おめでとう」であることが理解されないのは
ホリエモンの「女は金についてくる」なみの「常識から外れた発言」だからですね。
凡夫で俗人の私は、理解しているつもりですが、自分では運用できそうも
ない言葉ですね。
813名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 21:13:36
>812
ことばを受け止めるのは、凡夫で俗人です。
けちゃっぷに、自殺しておめでとうといわれるのは、身内が自殺した俗人です。
814名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 22:49:02
けちゃっぷ君、久しぶりです。いきなり、すごい間違いを見せ付けられて、
びっくりしてしまったよ。君は、浄土宗が『共生』の運動をしているのを知
らないんだな。願共ゥ衆生・・・も、ないのか。そこまで違うと、浄土教でも
ないな。FOR OTHERS・・・と、日本で活動している人達も、いっぱいいるぞ。
FOR MYSELFは浄土宗ではない。
815けちゃっぷ:2005/11/23(水) 22:56:13
>>814 まったくそのとおりです。ですから、他人のためだけに他人を救うのです。
それを、他人が不幸だと自分も不幸だなどと言うのは、自分のために他人を救うことになりますよね。
自分は何があっても念仏で幸せ。
だからこの世で自分のためにするべきことはすべて為し終えている。あとは他人のために生きるのみです。
816けちゃっぷ:2005/11/23(水) 22:59:59
>>814 「ひさしぶり」と名無しで言われても…
817けちゃっぷ:2005/11/23(水) 23:01:18
>>812 ケータイも便利ですよ。
818ごんべい:2005/11/23(水) 23:11:53
けちゃっぷ殿。申し訳ない。以前から名無しだったからな。今度は
『ごんべい』でいこうか。名無しのごんべい。けちゃっぷ君の念仏
に対する思いは正しいと思うけど、『空』であるはずの私たちは、
今、実際に生きている。往生しているわけではない。目の前に苦しんで
いる人がいたなら、救いの手をさしのべる努力は、教師として、必要
だよ。
819名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 00:00:47
>>815
自分が幸せでなければ他人を救うことはできないんですか?
自分が救うことができなくても救おうとする気持ちが大事なんですよね?
共に不幸であれば、共に幸せになろうとするべきだと思います。
けちゃっぷさんは前提は、自分の幸せあっての救済という感がします。
また私たちが幸せにしてあげるのではなく、あくまで念仏という手段を使用するのであって、
救っていただけるのは阿弥陀仏だと思います。
他人を救うのに、自分が冷静であればそれに越したことはないですが、そうでない時もあると思います。
その時は、結果は別として自分のできる範囲で努力するべきだと思います。

820けちゃっぷ:2005/11/24(木) 00:05:53
>>818 ですから、救いを否定したことはありませんよ。
ただ、何があっても念仏で幸せになれると言っただけなんですけどね。
821けちゃっぷ:2005/11/24(木) 00:14:35
>>819 阿弥陀仏に幸せにしていただいた人が、まわりの環境によって簡単に不幸にもどるでしょうか?
何度も言いますが、もともとは念仏の現世利益について問われたのがはじまりでこの話になったのです。
何があっても念仏で幸せになれるのが念仏の現世利益だと言うために、この話になったのです。
はじめから、利他を語るためにこの話題をだしたのではありませんよ。
822けちゃっぷ:2005/11/24(木) 00:17:41
>>819 あなたは、念仏に現世利益はないと思いますか?あると思いますか?
823けちゃっぷ:2005/11/24(木) 00:23:59
>>819 「自分が幸せでなければ他人を救うことはできないんですか?」
→菩薩は、自分が幸せであろうとなかろうと、利他を実践すべきです。
ただ、その菩薩が往生決定した念仏者であるなら、もうすでにゆるぎない幸せを得ています。
あとから不幸になれというのは、無茶な話です。
あなたの方こそ、『自分が不幸でないと他人を救うことができないんですか?』
824ごんべい:2005/11/24(木) 00:28:22
三部経では、現世利益は、あることになっているが。
825名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 00:33:40
愚者です。
けちゃっぷさん
「念仏で自分は幸せだから他人の幸せのために尽くせる」という理論ですが、
それ、実践できていますか?
他のことなら、「理想通りにはいかないけど、すこしずつ」ということでもいいの
ですが、「念仏で幸せ」といいながら、実際に他人の幸せのために生きられない
なら、念仏の現世利益もない(自分も幸せで、人も幸せにするために生きられる)という
ことにならないでしょうか。

「人の幸せのために生きているか」なんて、何人といえども他人に問うことではなく
自分に問うことだとは思うのですが・・・。

私は念仏というか、阿弥陀如来の本願に触れて、とりあえず死後のことや
「もう歳を取り始めてるのに、こんな人生でいいのか…」などというくだらない
悩みを少し超越することができましたが(焦らなくも、往生は決定しているの
だから、安心して生きよう、という)。やはり、人のために生きられない自分に
不満を感じることがあります。「人のために生きるのは自分の満足のためか云々」は
無駄な議論でしょう

ここは2ちゃんねる。標語は「しない善よりする偽善」。利他行に真だの偽だの問う
ほうが間違っているのでしょう。人のために生きたいです。
826819:2005/11/24(木) 00:35:42
まず現世利益についてですが、基本的にないと思います。
法然上人も念仏の本意は往生であり、現世利益は付属的なものであるとしておられます。
(どこに記載されていたのか忘れてしまいましたが・・・)

そして>>823ですが、
私は幸・不幸は関係ないと思っています。
菩薩であれば利他を実践することに異論はありません。

>>821
往生することが確定しているのが幸せと定義されてますよね?
ではそれは現世利益なんですか?
827ごんべい:2005/11/24(木) 00:52:51
けちゃっぷ君、本当に携帯でやっているのか?すごい。で、話は戻る
が、もちろん往生が宗祖の本意だが、お釈迦様は、いくつかの現世利益
を挙げているはずだけど、もっとも基本的に考えると、称名念仏により
自らが癒されるのも、現世利益だとおもうな。
828けちゃっぷ:2005/11/24(木) 01:06:29
>>826 幸せを感じるのは、現世利益だと思います。平生に受ける念仏の利益です。
法然さんは、光明摂取ゆ利益は平生からはじまっていると説かれていますし。
829けちゃっぷ:2005/11/24(木) 01:12:09
>>825 凡夫のやる利他ですから、なかなかカンペキにはいきません。
念仏すれば幸せを思い出せると言いましたが、
念仏してないと妄念で幸せを忘れて利己的になる時もありますし。
一番身近な他人は、家族です。家族への恩を知り、恩に報いることから始めなければなりません。
また、社会で生きれば社会に恩返しする責任も出てきますから、それに報いなくてはなりません。
自分は幸せでも、〈借金〉の返済は残っているのです。
830けちゃっぷ:2005/11/24(木) 01:15:40
>>827 はい、自らが癒されるのは現世利益だと思います。
「現世利益」というと、願いが叶ったり病気が治ったり死んでも死後硬直が起きない等の、奇跡のことだと誤解する人もいますが。
831819:2005/11/24(木) 01:16:50
念仏において癒しや安らぎを感じるのはわかります。
ただそれを現世利益と言っていいのでしょうか?
みさなんの言っておられることはよくわかるんですが、それを現世利益という
ものに含むのかどうかお聞きしたいです。
その癒しや安らぎというものは、深心の信法からくるものではないでしょうか?
往生させていただくという安心感といいますか。
832名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 12:43:01
真実の仏教が人に与えることのできるのは、
一時的な「癒し」ではなく、根源的な「救い」のはず。
念仏となえて、気分よくなる癒しを法然上人は説いたのだろうか。
833名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 14:10:38
>>832 言っていることが、ゴチャゴチャになっている。釈尊と法然上人
の説いていることを、分けて考えなさい。
834名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 14:40:33
仏教というか、宗教から離れたモデルで考えてみましょう。

釈尊が作り上げたのが「憲法」であると考えてはどうでしょう。「憲法」にうたわれた状態が
実現されるのがすべての法律の目的である、ということになります。
法然上人はその憲法の実現される状態をつくるために「法律」をつくった。それが称名念仏。
お念仏によって釈尊の説かれた状態に近づくことができる。つまり方法論。

「法」という言葉が仏教とは違うのごっちゃになってるかも知れませんが、俗人の考えです。
835名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 15:11:10
念仏となえて、一時的に癒された気分になることと、
阿弥陀仏に救われて往生できることとは違うでしょう。
836名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 15:27:43
癒し系の念仏でも、本人が気にいってるんだからいいんじゃないの。
そのうち念仏で肩こりを癒すとか、念仏ダイエットとか、
宝くじ念仏必勝法とか本出して、
一躍、時の人になるかも知んないでしょ。
837名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 16:59:07
念仏は現世に於いては徹底的に無意味な行為であり、死んで極楽往生して初めて利益と言うのではないか。
無目的ではないが、現世に於いて確かめられるような生産性や向上性が何ら認められない―無価値という意味で無意味であり、またそうであるからこそ宗教的に尊いと言える。
人から馬鹿じゃないのと罵られ駄目人間になるよと言われて益々面目躍如のお念仏であり、弥陀のみよくその功を認めたもう。
838けちゃっぷ:2005/11/24(木) 17:23:15
>>837 御法語で、阿弥陀仏の摂取が平生からはじまっているとは、どういう意味でしょうか?
839名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 18:47:50
「馬の耳に念仏」という諺がうまれるぐらいだからな。
念仏はこの世での利益の証を示すことができないし、
後生の約束ごとだから確かめる事もできないが故に
軽んじられもし、尊ばれもしてきたんだろうな。
840名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 19:06:58
まじめな宗論中にすいません、暇な時にでもお答えください。もちろんお叱りでもけっこうです。
>けちゃさん
また、批難されるようなことを聞いちゃいますが、
阿弥陀仏の本願を信じて「南無阿弥陀仏を称えることと」
肉体の罪を滅ぼせると信じて「二十年間左手を上げ続けること」
の違いは、何かありますか?

現世において徹底的に無意味とされることを行うことによって、
生というものの本質に迫れる、しかもそこで取り乱すことなく、
というのがお念仏の本質の〜まあ、呼吸法による脳への作用
など副産物もあるとは思いますが〜ひとつだと思うのですが。

841840:2005/11/24(木) 19:07:43
上の質問に意味があると思われたなら、他の方でもけっこうですよ。
842名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 21:06:00
【業務連絡】

明日はお念仏の日です。正午に皆でお念仏させていただきましょう。

「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」.

                                     (合掌)
843名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 22:10:35
井の中の蛙の人生か・・・
844けちゃっぷ:2005/11/24(木) 22:18:58
>>840 苦行は仙人にしかできませんが、
念仏はいつでもどこでも誰でもできます。
845名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 22:25:35
自分が正常かどうかわかる人?
846名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 22:31:45
>>842
念仏は時と場所を選ばないのがいいんだから、
”25日だから念仏しよう”という思考は全くくだらなし、
お念仏の本来の意味を見失った邪道な企画だと思う。

”こんなイベントも考えましたので、この際一緒に念仏どうですか?”
くらいじゃないといけないと思う。
847名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 22:38:16
時と場所を定めて行うという別時は意味無しというわけですか?
848名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 22:52:59
まぁまぁ、仲良く念仏していけばいいじゃないの
849名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/24(木) 23:15:51
お念仏お念仏と言いながら、なかなか毎月お檀家さんあげて別時というのもままならないのが実状でしょう。
一切衆生平等往生という浄土宗の大義を考えれば、お念仏も今後全人類的に開かれて行かなければならぬ。
せめて法然上人の御命日くらい日本全国の寺院道場でお念仏の声を響かせようというのは無駄なことではない。
850849:2005/11/24(木) 23:25:41
なんてね。
言ってみただけw。
851名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 00:13:04
今生の全てが、意味が無いって言えば言えるし、念仏も、意味の無い人には
無いのかも知れないが、ひとつ言える事は、仏様にも出来ない事があって、
それは、信仰も帰依もされていないのに、救い取れないってこと。念仏には、
ちゃんと意味はあるんだよ。・・・・・今日も増上寺の別時念仏に行って来
たよ。今日も、人大杉状態だったな。
852名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 07:10:12
>>851
「信仰も帰依もされていないのに、救い取れないってこと」
大事な発言だね。
念仏の本質を言い当てているかも知れない。
「自分は信仰しているんだ、救われたいと願っているんだ、
阿弥陀如来に帰依しているんだ」と行動に移すこと、すなわち「行」。

「行動は動機を強める」という心理構造の、いわば最初の一歩を簡単に
踏み出すことができる、易行の真面目でしょう。
これが苦行ではそうはいかない。般若心経でも大変、座禅ですらまず
指導者を見つける必要がある。

今、救われたい人はただ一言「南無阿弥陀仏」と称えた途端、信仰の
一歩を歩みだすことができるのでしょう。

裏からいいますが、たとえば犯罪を犯した人が、免罪符的に「南無阿弥陀仏」
と称えて安心したらまた犯罪を犯すのではないか? なんて心配もありますが、
少なくとも念仏も称えられないよりはよい状態になると信じたいですね。
853852:2005/11/25(金) 07:14:09
話しがヨソへ行っちゃうけど・・・
罪を犯した人間が、とりあえず安心したくて「南無阿弥陀仏」と称えた場合、
少なくとも「自分は悪いことをしている」という自覚だけは持つことができる。
罪を犯す人間のもっとも恐ろしい心理は「俺はこれをやっていいんだ」とか
「俺がこれをやるのは正しいことなんだ」と思うような状態だから。

「南無阿弥陀仏」と称えることがどんなに大事か、というのを広めるのはまさしく
浄土宗の僧侶の役目でしょう。
854名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 09:24:16
>>853
> 罪を犯した人間が、とりあえず安心したくて「南無阿弥陀仏」と称えた場合、
> 少なくとも「自分は悪いことをしている」という自覚だけは持つことができる。

罪を犯した人間が、「安心したい」ために「念仏」を称える?
念仏をそのように考えている人間に、本当の意味の「悪人」自覚はあるのだろうか?
855名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 10:21:34
南無阿弥陀仏と称えたから自分は悪いことをしたと自覚できるのではない。
悪いことをしたという自己への気付きの眼差しを持てる人が口に発するのが、たまたま縁あった南無阿弥陀仏だったということ。
856名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 12:46:51
あの、どなたか、御存知だったら教えていただきたいんですが。
今年の知恩院の加行僧は、何名なのでしょうか?改修で少ないはずが、なんだ
か、いつもどおりのような気がするのですが。
857名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 13:20:11
>>856
いつもどおりってことは人数知ってるんでしょ?
858名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 13:41:04
>>855
とりあえず安心したくて称える念仏が、
自己への気付きの眼差しを持てる人間の発想だろうか?
その時の「南無阿弥陀仏」の意味は何なのだろうか、
自分の往生を確認してほっとするため行為?
どんな罪を犯しても、それから目をそらすために、
自分さえよければということになってやしないのだろうか。
859名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 13:42:37
>857
またそういういけずをいう。坊主ってどうしてこうなんだろ。

知恩院は改修工事中だから、例年より行僧の数を減らす予定と聞いているが、
どうも例年と同じぐらいの申し込みがあったようだ
実際には何人ぐらいになりそうなの?
という質問ですよ。

ちなみに儂は知らぬ。
860名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 14:00:57
>>859
では始めからそう書いたらいいのに。
文章読んでの感想を述べただけ。
そして坊主と決めつけてるが坊主ではないし。
861名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 14:14:52
まあ南無阿弥陀仏と称えることを含めて宗教的行為とされることや宗教儀式の類はすべて、
自分の内面から逃避して目をそらすという一面があるよね。
釈尊はそういう宗教的行為や儀式にすがるのを止めて、自己を直視し八正道で人格向上する
ことを教えられたのではないかと思うが。

次善の策として宗教的理想や救済主の存在を示し、次いで自己を省みさせるという手段があるね。
南無阿弥陀仏というのもそういうことかもしれない。
862牛飼い:2005/11/25(金) 14:53:06
けちゃっぷ!携帯で投稿していると、ものすごく金(通信料金)掛からないか?
金持ちだな!
>>861当たり前のことだが、鋭い指摘だ
863名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 15:17:18
>>860 感想書いてくれなんて言ってない。僧侶じゃなく情報も無いな
ら邪魔なだけ。低レベルの閑人は、下記子なしでいい。
864けちゃっぷ:2005/11/25(金) 17:29:14
>>862 パケ放題ざます
865名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 17:31:27
>>863
坊主ってどうしてこうなんだろ。
と、そのままお返しします。
866けちゃっぷ:2005/11/25(金) 17:37:12
>>858 念仏者は仏教徒でもあるので、
行は念仏だけでも、志は善人をめざすことになります。
867名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 19:06:01
布教師の法話が録音されたCD集みたいなの
浄土宗出版から発売されないかな?
868852:2005/11/25(金) 19:08:46
「ざます」とはけちゃさんらしくもない(w

おれは高校の時、『「南無阿弥陀仏」と称えれば阿弥陀さまが救ってくれる(と教える)のが浄土宗』
と教わってから、一日一度はどこの時点かで念仏してる。ハエを叩き殺した時とか、ごはん
を腐らせて捨てる時とか。すると、心がおだやかになって、だからってどんどん捨てようと
いう気にはならなくて、自分が罪を犯さなくては生きられない存在であることを自覚するよ。

もしこの歯止めがなかったら「ハエなんて殺していいんだ」が「ネズミなんて殺していいんだ」
「ネコだって、犬だって」最後は「人間だって役に立たない奴は」にならないとは限らない
(冗談みたいだけど、冗談じゃないよな、昨今)。

だからどんなにささやかでも宗教心を持つことは大事だと思う。
だって、宗教心(死の向こう側や、人間に理解できない世界を思う心)をなくしたら、
生きる基準は欲しかなくなっちゃう。現代なら金だね。

>>861のいう通り、次善の策だけど、何もないよりよっぽどいい。
「次」にすすめない凡夫を救ってくれるのが浄土宗ではないのでしょうか。
869名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 21:03:14
>>867
故・羽田さんのやつが宗報で宣伝してたなぁ。
浄土宗出版発行ではないみたいだけど。
870名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 21:56:45
で、おまえら今日はちゃんと正午に念仏したのかよ
871名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 22:27:33
>>869
レスありがとう。
いつの宗報か教えてもらえたらとても助かるけど
、お願いできるかな?
872mo:2005/11/25(金) 23:07:41
我々浄土宗僧侶の称ゆる念仏は利他行なのでは?
阿弥陀様とのご縁を多くの人に唯繋いで行くのが使命なのでは?
御念仏生活によって皆が生き生きと生活できるように導くのが法然上人の願いなのでは?
自分の往生の為の御念仏と思い、御念仏するのもいいが、我々が与えられた立場では他が為の御念仏に徹したい。
阿弥陀様の存在は我々が兎角語れるものではないのでは?私たちの意識では捉えきれない、計り知れない尊き存在であり、
唯、心から仰ぐ報身なのでは?  南無阿弥陀仏。 現世利益考えなく精進すべきでは?。
873名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 23:14:07
正直な気持ち、
現世利益あったほうがいいよな
874名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 23:57:41
で、どうなんだ?今年の知恩院の加行僧の数は?
875名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 00:01:57
>>866 お前、ニセけちゃっぷだろう?
876名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 00:08:13
>>874
結局いつもどおりと聞いたが?
877けちゃっぷ:2005/11/26(土) 08:05:46
>>875 本物です
878名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 11:15:57
念仏すると生き生き生活できるという御利益があるのですか。
879名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 12:05:23
阿弥陀信仰や念仏行が世界宗教になれないのは何故?
キリスト教信者20億人 イスラム教信者13億人
仏教信者6億人

果たして、念仏の信者は???
880名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 15:38:57
>>879
ヒント:植民地支配
881名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 16:12:45
>>878
人生を旅にたとえるなら、念仏者は”極楽”という最終目的地が決まっています。
だから旅の道程も楽しみながら進んでいけます。

念仏者以外で目的地を持つ宗教等も似たような感じでしょう。

上記以外は目的地というか、まずどこに行けばいいのか、
どっちに行けばいいのか分かりません。
そんな状態でお土産とか見てられないでしょう。

下手すると旅しているということに気づいていない人もいますけどね。
882ごんべい:2005/11/26(土) 22:05:14
>>881 なかなか、いい表現だね。そうか、目的地ね。そんなふうに考えた
こと無かったからな、こりゃあ説法につかえるな。
883ごんべい:2005/11/26(土) 22:06:26
こら、けちゃっぷ、下記子がないぞ、手を抜くな。
884名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 22:28:11
 今年度の加行僧のかたへ。
知恩院では、ほこりと風邪に気をつけてください。増上寺では、礼拝
のやりすぎによる、膝痛に気をつけてください。(あと、罰礼か)
885名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 23:37:30
ひまになったな。
886名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 07:21:45
>>881
こういう説法がたまに聞けるから、信者じゃないのに読みにきてます。

「目的地」という点ではイスラム教だってはっきりしてるのかも知れませんが、
現実より「ずーっとよい世界」というのが弊害を生むんじゃないかな。
いや、お浄土が「よい世界じゃない」といってるワケではありませんが。
つまり、イスラム(よく知らないですが、テロを行う信者が教えられるのは)
のいう天国は「処女がかしづいてくれて、うまいものが食えて…」みたいな
現世の欲をそのまま延長したような天国なので、現世を捨ててまで行こう
とする。なんというか「100円しか日給をもらえない国から百万円日給をも
らえる国」への移動みたいな・・・?

その点、お浄土はそういう現世とはかけはなれた「そこにいるだけで煩悩が
消えたような」? うまくいえないけど、現世の欲を捨ててまで行きたいわけ
じゃないが、「雨がつづく国から晴れてる国」ようなイメージでしょうか?

「いつか晴れることが決定しているんだから、雨の日も楽しく過ごそう」みたいな?

887名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 17:12:23
DQNな質問します。
極楽浄土と、江原氏のような霊能者が言う「天国」とは
結局、同じものなのかな? 違うものなのかね?

霊能力ある浄土宗のお坊さんか?
信頼できる霊能力者と交流のある浄土宗のお坊さん?

レスをお願いします。

888名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 17:13:33
世の中に霊能力者なんていません。
悉くイカサマです。
889名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 17:18:35
>>888
否定するんだったら徹底的に調査してみたら?
説得力ないよ。
890名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 17:23:05
>>887
まず、あなたが、そのことをどうして聞きたいのかを付け加えると
答えやすいかもしれませんね。
891名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 17:34:26
>>890
887 です。
きっかけは、江原氏の番組を見て抱いた素朴な疑問です。

892名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 19:05:25
>>889
テレビのやらせを本気で信じていると、
オウム真理教のようなことになりますよ。
細木数子もそうだけど、テレビは裏の事情もわかったうえで、
あくまでエンタテインメントとしてやっています。
バラエティを見抜ける、大人の思考を持ってくださいな。
893名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 19:07:43
>>889
もしもテレビ局に知り合いでもあれば、
それこそ徹底的に調査してみたら?
驚くべき実態がわかってきます。
ドキュメンタリーでもやらせをやる時代、
バラエティなどやらせがなくてはやってられません。
894名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 20:29:16
>>887
まず最初に、氏のHPで語っているスピリチュアリズムの始まりの姉妹とは「フォックス姉妹」のことですな。
これは、現在ではインチキと科学的に証明されている事件です。
http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/ningen/node20.html

となると、スピリチュアリズムという思考は怪しいものになります。
もちろん、霊的存在をアカデミックに証明するのは大事なことですから、
真剣に論じ合うのは結構なことだと思います。

科学的に証明されていないもので、
科学的な反証があるものを鵜呑みにするのは危険なことです。

ただし、そうなると仏教の極楽等の世界観も同じ論理が当てはまりますので、
あとは好きにしろ。他人には迷惑かけるなということになりますが。。

そして、例え氏の言うような「天国」があるとしても、
「極楽」とはまったく違います。

なぜなら「極楽」は阿弥陀様を称名しないと行けないからです。
祈るだけでは行けない世界だからです。
895名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 20:30:10
他のテレビ番組のことは全く話題に出していないし、
しかも、バラエティがヤラセぐらいなことは周知のことで
江原氏の批判材料には全くならん。
江原氏をイカサマ野郎とはどうも思えんな。
著作物や発言内容を吟味してもね。

江原氏の霊能がイカサマだという証拠を示せるかい?
896けちゃっぷ:2005/11/27(日) 20:31:13
>>887 極楽は死霊の世界ではないので、
死んだおじいさんの霊がおじいさんの霊のままで存在するのではないでしょう。
897名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 20:33:42
霊能者と自称するものは決して信じないこと。
自分の五官によって真偽を確認できないこと、
論理的思考によって真偽を確認できないこと、
この二つに該当することは決して信じてはいけません。
さもなくば、騙されます。

このスレには前の善導寺法主の信者が湧いてでてくることがありますが、
どんな人の発言であれ、いわゆるオカルトネタは限りなく100%に近く
デタラメ、誑かしであると思った方が身のためです。

>887の質問にお答えしておくと、少なくとも宗義上はまったく別物
と考えるのが筋が通ります。
898名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 20:42:15
>>896
江原氏に一回、尋ねれるといいな?
法然上人がどんな霊界にいらっしゃるか?
あるいは、念仏者と言われた僧侶たちがどういう霊界にいるか?
果たして、それらの世界は同一のものであるのか?
899名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 20:58:23
>898
仏教という立場では、霊界なるものの存在自体認めません。
バカなことを言うのはやめなよ。
900名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:00:48
江原なんかの猥雑な話題を出すな!
901けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:01:51
>>898 まぁ霊が見えることより、カウンセリングのテクニックに注目すべきだと思いますよ。
霊が見えるという人は世の中にいくらでもいますから。
902名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:02:36
オレは、
浄土三部経の成立そのものが、
霊能力(神通力)をもった仏教信者の関与を強く感じるなぁ。

内容を真理だと受け止めれば受け止めるほど、
そういう能力がなかったら描き出す事は難しい内容だと思うね。
903名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:02:41
>>899
そうだね。俺も基本的に霊世界を認めない派だ。
しかし、複数の友人が所謂霊感の強い人で、お互いに「あそこにいるねぇ」「そうだねぇ」と
のんきに話しているのを聞くと、完全否定も難しいなと思う。
ま、科学が進んで霊的世界が証明されるのなら、
それはそれですんなり受け入れられると思う。
904名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:03:46
>>900
いいんじゃない? わりとちゃんと皆話し合ってるし。
905けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:07:52
>>899 すぐ輪廻しちゃいますからね。
他人の心の断片が見える人が、それを霊だと思っている場合もあるそうです。
もし「霊界」が極楽なら、仏や菩薩とも会話できるはずですが、
たいがいは、目の前の人の記憶にあるキャラクターしか見えませんからね。
相手と会話することで記憶をひっぱりだして、それが見えてるのではないでしょうか。
906名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:11:30
>905
釈尊の立場は基本的に輪廻を認めない立場なのではありませんか?
907けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:12:09
あと、お釈迦さまは入滅しているはずです(法華経はぬきで)よね、
ですから、お釈迦様の霊と話せる霊能者がいたとしたら、それは偽物です。
908名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:14:07
>907
そしたら、『法華経』が正しいという立場ならあり?
909けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:18:41
>>906 それは、“現代人ぶった”価値観から仏教を見ているだけです。
仏典を普通に読めば、輪廻について書かれていますよね。
六神通の宿命通だって輪廻を前提にした能力だし。
そして仏教は輪廻からの解脱をめざします。
910名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:22:17
>909
ちがいますよ。阿含を読めば、基本的に輪廻否定というのが釈尊の立場なのは明らかです。
死後に霊魂が存在するなんて、鬼畜外道もいいとろこです。

佛教大学であなたにインド仏教史を教えてくれた人もそう教えていませんでしたか?
911けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:22:35
>>908 法華経信者にとっては、お釈迦様は久遠の釈迦ですからね。
912名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:24:00
>908
あなたの立場では『法華経』は仏教ではない、ということになりますね。
913名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:25:27
法然上人は『法華経』を仏説として認めていらしたんでしょう?そうすると、あなたの発言は浄土宗の立場を例外的なものすることになるのでしょうか?
どのように整合させるのかお教え下さい。
914913:2005/11/27(日) 21:25:57
>けちゃっぷ様、です。
915名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:26:11
>>899
極楽浄土って、霊界の一種だろう?
916名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:30:58
違います。極楽と浄土はもともと別の概念です。
917けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:30:59
『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経―』より
「アーナンダよ。
〈これは、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人のストゥーパである〉
と思って、多くの人は心が浄まる。
かれらはそこで心が浄まって、
死語に、身体が壊れてのちに、
善いところ・天の世界に生まれる。」
…と、あります。
とくに在家には、天に生まれるための教えを説いています。
918けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:32:51
もちろん、あの世もこの世も、霊も人間も、生も死も、空ですが。
919名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:35:15
>>915およびけちゃっぷさん
915の言っているとおりでないの?それと、三部経は原本の存在も無いもの
があるし、少人数の霊感とかでなく、第一、第二結集を経たものではないの
ですか?
920名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:36:46
瀬戸内寂聴さんの法話CD集第2巻で、
回峰行で幽霊に遭遇する阿闍梨さんの話をする箇所がある。

霊的な世界を頑に否定する僧侶の立場はよろしくない。
921けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:37:12
>>913 法然さんの時代はそうでしたからね。
スマナサーラ長老なんかは、法華経の作者は頭悪い、インド人の恥だ、と言ってます。
がくがくぶるぶる
922けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:39:06
>>920 禅で言うところの魔境かもしれませんが
923けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:42:34
>>915 「霊界」の概念がよくわかりませんが、
極楽はすごく遠い外国みたいなもんです。
924名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:44:08
>>922
そんなこと言ったら、
法然上人や聖者たちの神秘体験はすべて「魔境」になるじゃん
謙虚に受け止めたい
925名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:47:17
>917
在家信者に説いた説きかたが釈尊の立場そのものとでもいうの?

>921
その意見に対して、君はどう考えるの?

>924
そのとおり。魔境かもしれないね。
926名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:47:28
>>923
君の極楽の概念のほうが一般人にはわからないとは思うよ。
「霊界」って「あの世」でしょう。
あの世の中に、極楽浄土という世界があると
一般の人は受け止めていると思うよ。
927名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:49:08
>926
一般の人の受け止め方=事実≒真実
ということになるわけではないでしょう。

太陽が地球の周りを廻っているのか、その逆か、
というのは、一般の人の受け止め方とは関係なく
きまっていたわけだし、それとおなじじゃないの。
928名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:49:12
三部経は、佛説です。
929名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:50:01
>>925
そしたら、浄土三部経も魔境の産物ってことになるなw
930けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:50:44
『神々との対話―サンユッタ・ニカーヤT―』より
「清らかな澄んだ心で、信仰心を以て、食物を与える人々は、
この世でも、かの世でも、まさにその食物を享ける。
それ故に、もの惜しみの心を制して、汚れに打ち克って、施し与えることをなせ。
功徳は、来世における、人々のよりどころである。」
931名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:51:32
>929
かもしれない。しかし三部経によって確立された教えに基づいて救われたと自覚した人がいたという事実がある。
ツボや、ガンで死なないで救われた香具師はいねぇぞ。
932名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:51:41
けちゃっぷくん、携帯でやっているとしたら、すごく打つのが早いね。
933名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:52:39
>930
それがどうしたってんだよ。
在家信者に対する説法をいくら並べても、釈尊の意図を示すことにはならないぞ。
お前はどうかんがえてるんだ?
バカじゃないんならなんか言え、コラ。
934名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:53:25
>>928
歴史的事実としては三部経は釈尊直説じゃないよね。
935名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:54:15
>934
それを言い出したら、釈尊の直説と確認されているものは何一つない。
936けちゃっぷ:2005/11/27(日) 21:55:06
>>924 三昧に至る過程の神秘体験は、魔境と違うのでしょうか?
937名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:55:17
けちゃっぷ、早撃ちマックか?あ、意味違うか?
938名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 21:58:43
>>934
よく考えると、そのとおりだね。だけど、第一結集を済んだものが多数
含まれているんじゃあないの、ちがうのかな?
939けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:01:03
>>933 ブッダは、輪廻を認めた上で、輪廻からの解脱を説いたのでは?
一方で、未来や過去をあれこれ考える妄想は、瞑想の邪魔になるので有益ではありません。
また、概念・観念で思考されたものは空なのだという大前提があります。
940名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:01:03
>>936 魔境だろうね。
941名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:04:24
>>939 龍樹の説いた『空思想』は、仏陀の説法には、あてはまらない
のではないか。
942名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:07:21
椎尾辨匡師の大品般若経の解題は素晴らしいものです。
943名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:07:32
>941
そうかな。龍樹自身は縁起を説いてると主張するわけだし、大乗経典よりむしろ阿含を用いて論証しているから、
彼なりの釈尊の理解を示していることになるのではない?
どんな立場だってそれぞれの立場からの釈尊の再解釈なんだから。
944名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:11:38
>939
冥想の邪魔になるので有益ではありません、というのは、君の体験からですか?
都合が悪くなると空で逃げるなぁ。チミは。
945名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:14:01
霊の話が関わる話題って、いい燃料になるんだなぁwww
946名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:14:04
>>939
念仏は空なの?
947名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:17:19
>939
言語表現としてのみ「輪廻」があるのは事実だから、
それを批判的に捕らえて「輪廻みたいなわけのわからんアフォな概念に縛られて狂ってるんじゃねぇよ、このヴァカ」
とばかりに否定していったわけね。
事実として輪廻という概念で示されるものがあると認めていたわけじゃないよ。
948名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:17:26
>>946
そういう無功徳なことを考えないために念仏をお勧めします。
949名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:18:48
>948
ん?曇鸞そうかんがえてたんじゃないのか。
950名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:20:08
>>943 どんな立場だって・・・、そうだね、法さえ『空』だというが、
だったら、全てが『無意味』にもきこえるが。
>>944 『空』は、確かに便利だな。
951名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:22:09
>950
「空である」という事実を体得して行動することに意味があるのであって、
「空」という概念にはまったく意味がありません。
空空といってとち狂った連中はいくらでもいますからねぇ。
952けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:23:02
>>946 もちろん空ですね。
953名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:25:30
>>951
「空」という概念は意味がないのに体得はするの?
意味がなければ体得する必要ないじゃん。
954けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:26:26
>>944 通仏教的な教えはそうなんじゃないんですか?
955名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:27:30
>953
どいう意味で「意味」をお使いですか?
概念自体には有効性はない。その事実を体得したところで行動するところに有効性があります。
もちろんその有効性自体も空ですよ。
956名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:28:15
>954
冥想にとって有益でないというのは、あなたにとって兎の角のようなものですね。
957けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:29:20
「一切は空である」というのは、「一切は虚妄である」という意味ですよね。
すべては妄想だということ。分別された時点で真如はかくれてしまう。
958名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:30:39
>>955理解できました。どうもです
959けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:31:12
>>956 極楽に往生したら瞑想する予定ですが。
960名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:31:21
>>951と、けちゃっぷ様。
 なかなか難しいぞ、『空であるという事実を体得して』っていうのは
ね。それに、一般的に、『空である』っていうのは、最終の答えにし
ないと、議論が終わってしまう。
961名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:33:22
般若心経の「空」は、原文では本来「空性」と呼ぶべきものだった。
だから本来は「色即是空性」「空性即是色」だった。
「空」といってしまうと「何もない」という互換になるが「空の性質をもったもの」
と考える方が正しい理解だと思う。
つまり三蔵法師の誤訳。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だったはず・・・・・・・・・・・・・(ウロ覚え)

なので「念仏は空の性質をもっている」と考えればいいはず。

962名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:33:36
>>954 おまえ、ニセけちゃっぷだろう?
963名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:35:17
>>962
「偽けちゃっぷ」の見分け方・・・・・・・・・「自殺しておめでとう」の真意を聞いてみる。
964名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:35:45
なんか、ニセけちゃっぷが出没してますね。
965けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:35:56
>>960 自動販売機にお金を入れたらジュースが出ます。
しかし、自動販売機もお金もジュースも空だから、執着するなということですよね。
単に輪廻のことを語ったら、輪廻へ執着しなさいという意味だと誤解されたらいけないので、空だと付け加えました。
仏教徒からみても、自動販売機にお金入れたらジュースが出るという現象は有りますよね。
でも同時にそれらは空だとわかっています。
966名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:36:55
>>965
これはホンモノだ(直感だけど)。このヘンな例え話はマネできないはず。
967けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:41:09
本物ですよ。
「色即是空」は、「物質だと思ったら、それは妄想です」ってことでは?
968名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:41:26
「空」ていう単語は便利ですね。
969情報くれ:2005/11/27(日) 22:43:15
知り合い(と、言っても、随分年配の人だが・・・)が、今年、加行
に行くのだが、最近の道場の情報がまるで無い。誰か教えてくれ。
970名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:45:02
けちゃっぷほどいい例はないというほど、けちゃっぷの空はまってますよ。
「空です」というたびごとに「空」という概念に縛られてしまっていてますな。
滑稽の極み。
本人、わかっててやってたとしたら役者ですが。
971けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:46:06
>>968 まったく逆の意味に理解する場合がありますよね。
「空だ」ということは、「真如ではない」という意味だと思うのですが、
逆に「真如」=「空」みたいに使う人もいて、混乱しちゃいます。
「空」(真如でないもの)をすべて取りのぞいて残るるのが、「真如」(空でないもの)ではないでしょうか?
972名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:47:03
>959
往生した先のことまで心配する必要があるわけ?
往生した先のことは、無関係のことじゃん。
輪廻の話は、極楽での話じゃなくって、今現に生きているこの娑婆世界の人界での話題だよ。
973名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:47:21
>>970
皮肉ったんですがね
974名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:48:00
>971
そういう解釈もないわけではないけれど、
一切が空であるという一切は、文字どおり一切です。
975けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:48:44
>>970 もちろんわかってます。きっと意地悪な人がツッコミ入れてくるだろうなと思ってましたが、それがあなたでしたか。
976名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:50:39
>975
うん、やっぱりわかってない。
977けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:52:29
>>974 一切が滅びてニルヴァーナでしょうね。
真如が残るといっても、真如だけになるのは滅びることです。
978ごんべい:2005/11/27(日) 22:53:40
>>970 けちゃっぷ氏は、役者でもあるが、ある意味、アイドルでもある。
(そして、すこし、ずれている)
979名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 22:55:50
お尋ねします。
広島小一少女殺害事件のようなことが、
檀家さんの身内で起きて被害を受けられた場合、
通夜の席でご遺族を前にどういった法話をされますか?
980ごんべい:2005/11/27(日) 22:56:20
けちゃっぷ氏、真如だけになるって、完成ってことではないのか?
981けちゃっぷ:2005/11/27(日) 22:59:41
>>980 完成とは、平安なる滅び、入滅、ニルヴァーナのことでしょうか?
982ごんべい:2005/11/27(日) 23:01:50
>>981 と、思うが。
983名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 23:04:53
>>979
う〜ん、悩む・・・
984名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 23:16:26
毎度のことながら、900番代にはいると急速にスレが伸びますね。
985名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 23:18:03
けちゃっぷ、今日は、もう、お休みか?
986名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 23:21:24
あと、14回。
987名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 23:35:09
あと、13かい。
988名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 23:35:49
あと12回。
989名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 23:36:37
あと11回。
990名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 23:37:16
さあ、ラスト10。
991名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:11:34
サマーディに至る過程での神秘体験は、それ自体善でも悪でもなく魔境でもありません。
瞑想における自然なプロセスです。始めは家族恋人友人故人等、心に投影されやすい卑近なものが見やすいです。
やがて瞑想が進み心が浄化されてゆくに連れて聖者・大師・光・神仏を垣間見たり、あるいはありありと目の当たりにすることもあります。
そのこと自体魔境ではありませんが、それがあまりにリアルで素晴らしい体験であるためそれに執着してしまうことがあります。
すると心を浄化し涅槃を得るという目的が失われ、繰り返し神秘体験の再現を求めるようになります。
これを魔境と言います。
992名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:20:32
>>979
倶会一所では?

・・・・しかし、「自分が早く行ってやらないと寂しがっている」とか言い出すかもしれないし・・・・。
993名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:30:28
>>991 やや、難しい。もう少し判りやすく。
994名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:31:47
羽田恵三上人のお言葉
『あなた達は若いから信じないかも知れないが、
この病気と戦い、余世短い自分には、
阿弥陀仏は現にましますことを信じ、その元に帰ります』
995名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:33:29
なんだか判らん。
996名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:49:56
分かり易く言えば、旅人が道の途中の景色に見とれてしまい、目的地に着くことを忘れてしまうようなものです。
その景色を最高だとか、ずっと見ていたいとか、こんな体験のできる私は凄いとか思ってしまう。
道の途中に素晴らしい景色があること自体悪いことではない。
しかし決してそれに執着せずあくまで涅槃という目的地を目指さねばなりません。
997名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:52:13
>>996
極楽浄土って、霊界の一種だよね。
998名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:53:16
そうだと思います。
999名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:54:01
南無阿弥陀仏
1000名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 00:54:47
合掌
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