般若心経の意味を教えて

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923名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 23:10:59
他スレで勉強しました。
人間は20万年前の一人の女性「ミトコンドリア・イブ」から始まります。
その前は猿です。
924名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 23:13:36
存在するものは名字でしかない。空だからです。
925名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 23:16:25
あなたは存在していますか。
自分の存在、それだけは疑いようがない。
「我思う、故に我在り」なのです。
926名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 23:20:03
般若経はデカルトではないのです。
「我思う」は「我は存在していると思っている」ということです。
般若経〜華厳経〜唯識と連なる大乗仏教の流れです。
927名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 23:25:06
般若経では、一切諸法は名字である。
華厳経では、三界唯心。
唯識はこれをさらに展開します。
デカルトなどとは根本的にちがいます。
928名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 23:30:40
>>927 いいことを言った。
>デカルトなどとは根本的にちがいます。

つまり、世の中にはいろいろな考えがある、ということです。
般若経だろうが華厳経だろうが唯識だろうが
いちいち、そんなことに固執するな。それが仏教の本質。
929名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 23:51:04
>>920
それを言ったら全て実体がないですね。
まあ、結論はそこに落ち着くのだと思いますが。

>>921
私は全てが名前だ、という論に対しての意見を述べたつもりです。
全ては実体がないという話ならわかりますが、全ては名前だという
話は納得できなかったので。
それも意味無しとされるなら、なにも言えなくなってしまいますね。

>>922
だから、存在しないというのは認識においてだという話なら、何も
反論はなかったんですよ。 でも、そうではなさそうだったので。。。
>存在するものには全て名前がある。
>名前のないものは存在しない。
だそうなので。 >>897を参照してください。

>>924
なら、その名字というものを最初につくったのは誰なんですか?
930922:2005/10/26(水) 00:06:25
>>929
>>897の文をまともに読んだのか!?
おいら、縦読みを探すことすらしなかったぞw
あんな文章はスルーしなきゃw

あ、と思ったら、>>911でちゃんと説明されてましたね・・・(^^;)
失礼しましたw m(_ _)m

けどまぁ、
>901は荒っぽいが的を射てると思うし
>905は、名前がついていないもの(=個別的指示対象となりえていないもの)は『存在しないに等しい』
という意味だと受け留められたので。

逆に言うと、実在しないものでも、言葉で指し示すことによって
あたかも実在しているように認識できてしまうのが人間の怖い所ですがw
931名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/26(水) 00:13:11
>>930
すいません・・・
普段は荒んだ板に常駐してるもので、どうしても議論になると
ムキになってしまって。。。
失礼しました。

ホントは名前の話から認識の話を引き出し、その先の話をしたかったんです。
ただ、今日はいつもより更にカッカときてしまっているようですので、これで
退散します。
932922:2005/10/26(水) 00:20:01
>>931
おやすみなさいw

そういえば、「初めに言葉があった」なんて句が
どこかの聖書にあったような・・・w




  <⌒/ヽ-、___  z z z z z
/<_/____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
933922:2005/10/26(水) 00:34:09
934名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/26(水) 01:29:28
>>932 はじめに言葉があったんですよね。
赤ちゃんにとって世界はどのように認識されているのでしょう。
赤ちゃんの認識世界において、言葉によって分別されて存在が創造されていくのではないでしょうか?
「ママ」という名称を赤ちゃんが理解した時、赤ちゃんの世界に初めてママが創造される。
そのうち、ママが人であることや女であることなどを、「人」「女」という言葉によって分別していく。
聖書で最初に創られた人間が男女カップルなのは、赤ちゃんが最初に認識するのが父と母だからではないかと、よく思ったりします。
人間が神に似せて創られたというのは、創造主=赤ちゃん自身が、人間だからなんですよね。
保育士さんに発達心理学を教えてもらって、聖書を発達心理学で読むとおもしろいかも。
935名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/26(水) 07:24:36
(⌒─-⌒)
((´・ω・`))ママ  
  ゚し-J゚     
936名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/26(水) 08:00:25
>>930
>おいら、縦読みを探すことすらしなかったぞw

ワロタ www
937名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/26(水) 22:22:58
>>929
般若経に書いてあることに反論されても、答えようがありません。
すべては般若経を受けるか受けないか、ですね。
仏教を取るか、デカルトを初めとする近代ヨーロッパを取るか、
というと大袈裟ですが、仏教徒のなかにはそういう人も多いです。
938名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 22:22:54
そもそも空ってなに?
三行以内で
939名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 22:26:21
変わっていきます。
壊れていきます。
不安定です。
940名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 11:30:42
存在の本質です。
実存の属性。
イデア。
941名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 12:26:02
般若心経は一般の人はあげないほうが良いらしい。
観音経がいいと聞いた。
942名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 16:29:25
・・・
943名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:51:42
>>941
一般には、本尊礼拝に『般若心経』、祖先礼拝に『観音経』(偈だけでも)
944名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 20:48:38
>>938
少し違う切り口で表現してみると (中身が甘いかもしれんけど)

量子のスープ
全ての原材料
根っこ
945名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 20:52:41
>>938
『空』は、なにものでもない。
世俗の常識では説明できないから『空』と呼ぶ。
つまり言語の不完全さを露呈している。
946名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 20:55:24
どのお経であれ、祝詞であれ、あげる当人が意味をわかっていなければ
台無しだと思う。
947名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:03:15
>>946
その考えには俄かに賛成出来ない。
お経や祝詞などの意味は深遠で簡単に意味を理解しきれるものでは無い。
また学者のように研究し意味を分ればそれでいいというものでもないと思う。
948名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:28:46
>>947
お経をあげることの意義を考えれば、賛成せざるを得ないでしょう。
思うのは個人の自由だが、それを判断するのは他人です。
949名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:36:52
お経は意味を理解していなくとも唱 誦する。増してや真言や陀羅尼に
至っては尚更である。
お経や真言は意味を理解していなくとも其れなりの働きをするものである。
然るゆえに>>946の意見には賛成出来ない。
950名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:42:55
>>949
それでも善い。やらないよりはマシです。
951名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 21:56:43
得に真言の場合は意味にも価値あるかもしれないが、
特に音に意味があるでしょ。
祝詞も同様の面があるよ。

旨い物を食えばありがたいが、その旨い物が貴重で価値あるものだと
わかればなお有り難い。
しかし、価値あるものだと知らなくても、有り難いことに変わりはない。
おれはそう思ってる。
952名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 22:22:19
所詮、神仏を相手にするのにおいても、霊能力者でもない通常人は
かなりの目上の人を相手するかのような心境であるべきかな?

だとすれば、意味不明の文章を読み上げて、「それはどういう意味だ?」
ときかれて知りませぬ、では通らないと思う。

953名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 22:26:16
だとしないから、まったく問題ありませぬ。
954名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 22:41:02
>>953
御意
955名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 22:50:30
>>952
あげる以上は全くの無知よりは多少なりとも意味を
知っておくべき、というのは理解できるな。
まあ、祝詞やお経なんてのは雰囲気づくりの一環だ
から、ドラマやアニメのBGMと同じ。

956名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 01:44:04
>>952に関しては、日本語は奇妙でした、
しかし、理由は考えました。
その結果、私が再び外国語を日本語に変えて、
それを治療しなかったかどうかに関係なく、
私はかつて書いているスタイルを隠すために
日本語を外国語に変えて、推論をしようとしました。
957名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 01:49:58
具体的事象としてはズレがあるだろうが、
その意味するところの一つの受け止め方として
チュッラ・パンタカのエピソードを思い起こしてみても良いのではないか・・・。
958名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 08:17:04
パンタカの話こそ、機根のない人を教団に引き入れるための方便にほかなりません。
これをどう捉えるかは人によって違うでしょうが。
959名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 09:35:45
【空】とは相互関係のことである
960名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 23:23:45
般若心経はヴィトゲンシュタインなんですか?
961名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 03:02:24
あなたには ものが あるがままに見えますか

どうすれば ありのままに ものを見ることができますか


わからないことが わからないことだと わかることが わかることです


観自在菩薩
行深般若波羅蜜多時

ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか

般若心経
962名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 05:30:18
>>960
近いけど、チョット違う
963名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 15:25:07
空とは 『その実体はよくわからない』 ということです。
照見五蘊皆空 は「あらゆるものは、実はよくわからない」ということがわかった
ということです。
そして諸法も実はよくわからない、わからないから増えた減ったなどとはなかなか
言えない。
結局『わからないこと』は『わからない』 だから、われわれは「ギャーテイ・・・」を
唱えれば善いのだ。それは人知を超えた有難いものであるからである。

哲学者が指摘しているように、人類が滅亡した後も『真っ赤な夕焼け』というのは
あるのでしょうか。
964名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 15:36:03
>>963
それは説得力がないな。
965963:2005/10/30(日) 15:52:37
>>964
やっぱ、そう思いますか。
自分でも書いてて、そう思いました。 m(_ _)ノ彡☆バンバン
966名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 16:06:53
>>965
まぁ、色々あるけど気にすんな! これが空。
967名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 16:11:06
968名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 17:45:45
>>963 空とは、「妄想だ」ということではないでしょうか?
真如・円成実性ではないのが、空だってことじゃないでしょうか?
色も受も想も行も識も、虚妄分別にほかならないので真如ではない。
虚妄分別以外に、色も受も想も行も識はありえない。
「ぎゃーてーぎゃーてー」を唱えている時も、どんどん妄想は浮かんでくる。
そのすべての妄想について、常にしっかり「空だ」と気付いて、
すぐに意識を「ぎゃーてーぎゃーてー」にもどす。
心はすぐに「ぎゃーてーぎゃーてー」から妄想に飛ぶ。
飛んだらまたもどせばいい。
妄想に飛んだらすぐ気付くための目安として、「ぎゃーてー」を設けておく。
「ぎゃーてー」から心が逸れたらすぐ気付けるように。
969名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 19:01:30
>>968
妄想と空を一緒にしてはいけません。
970名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 19:08:00
宗教音痴が揃ってああじゃないこうじゃない。といっても的外れでしょう。

空とは無相を意味し、無相はすなわち実相を意味する。

ま、いわば鶏が先か卵が先かといったようなものです。
971名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 19:31:57
>>970
鶏と卵の問題は、既に遺伝学的に解決しています。
卵が先なのです。
972名無しさん@京都板じゃないよ
>>970
貴殿も的外れです。
〜といったようなもの、という説明は誰も求めないでしょう。