764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 16:32:23 ID:OQzCcz1D
>>764 (続き)
言ってみれば、手品を見せて種がわかりにくい構造になっているのが
災いして、やっている本人もそれが手品であったことを知ることができ
なかった。
その結果、その信仰を持った人はみなその言いだしっぺの日蓮の主張
をそのまま受け入れて、南無ミョウホウレンゲキョウには法華経ができる
に至った運命の因縁の神秘の力があってそれが故に「仏界」が湧くのだ、
という信仰を受け継ぐことになってしまっただけなのです。
しかし、そういう、手品を仕掛けた何かもっと高次の存在が居て、そう
した存在が(いわゆる地上の人間ではないなんらかの存在が居たとして)
人間の歴史になんらかの介入をして導きを与えるためにその手品が
できる条件を、そのお経「法華経」のタイトルに仕込んだ可能性はある
かもしれないですが、
それは中世時点での分析力のない時代までの人間の知性ではそれが
解明できなかっただけのことでしょう。それがいつかは買い先されて本当
の理由と理屈がわかってしまうときが来ることを、そうした高次の存在は
知っていたことでしょう。
それが諸天善神、あるいは宇宙人、あるいは天使と呼ばれるような存在
のやってくれたことだったのかもしれませんが、人間の知性が広がり、
分析力が高まった結果、そうしたことの秘密も明らかにされていくでしょう。
宗教が呪縛になる状況は人間の歴史からだんだん無くなっていくことで
しょう。これが私たちの知と歴史の進歩ということでしょう。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 16:46:02 ID:OQzCcz1D
>>765 (続き)
(訂正) >買い先 −>解析
-----
そもそも、南無ミョウホウレンゲキョウという音韻が生まれた所以は、
ただ単に、クマラジュウという翻訳者が、
「サッダルマプンダーリカスートラ」 という梵語を、
たまたま「妙法蓮華経」という漢語に翻訳した
ためでしかなく、それは実際偶然の産物でしかありませんから。
翻訳者が違っていたらそういう翻訳をしなかったかもしれません。
その偶然がこういう結果(
>>764およびそのリンク先に詳述済みの結果)を
もたらしたということに過ぎません。
そのときに、そういう翻訳をするように、クマラジュウに促しを与えた
なんらかの存在がいて、そういうインスピレーションを彼に与えたと
いうことはないとも言い切れないでしょうから、
そうしたか「隠されたいきさつ」が、物質次元の存在にはわからない
わけですが、そういういたずら、あるいは人類の歴史に宗教という
面で介入しようとした知的存在が人間を試すためにそうした仕掛け
を行った可能性はありましょう。
それを、まんまと天台のチギがそれに引っかかり、そして日蓮がその
流れに乗って、その隠れた存在の意図を実現したというのが真実
だったでしょう。とすれば、現代の我々が行うべきは、その存在の
与えた手品の仕掛けを明らかにすることです。そうして、手品は手品
であることを明らかに知ることなのではないでしょうか。
767 :
織田上総:2008/05/09(金) 17:05:54 ID:GRd1qV8x
>>不良氏
はじめまして。
お主、やるな。
いいとこ突いてる。
ただ、惜しいのは勘違いがあるとこ。
罰論などに捉われる事はない。
お主の罰論が正解だ。
そして創価の指導者が、まさしくお主と同じことを指導してきている。
お主の聞いてきた罰論が、そもそも間違っているのだよ。
場合によって「罰」という表現が伝わり易いから、そういう表現を
した事もあったろうが、本来の意味は、お主の言う通り‘自分の内に本来在る悪因が
悪果として表に出る’ということだ。
だから、敢えて「罰」という言葉を使うならば‘当る’ではなく‘出る’だろうな。
もしかしたら、お主の親御さんも本来そういう意味で使ってたのではないかな。
>>767 >>754 >学校で写生会に行って、寺社仏閣を描くのに、俺は親から本堂や鐘突堂を描いてはならないと強く
>言われ、景色を書いて教師に咎められたこともあった
これを親の教育はよくできていたと読むのか、独善創価の手下風情は。
w
769 :
織田上総:2008/05/09(金) 17:30:48 ID:GRd1qV8x
>不良氏
もひとつ。
興師26箇条遺文に関しては、完全に誤解をしているよ。
法主のみに当てはめているという事はない。
法主宛てのものは法主に、僧宛のものは僧に、在家宛のものは在家に
全体のものは全体にと明確だよ。
大聖人を信じ、その教えを信じているならば、もっと良く御書を勉強することです。
そして題目を唱えていく事です。
「ご本尊様、大聖人の心を己の心とする信心を確立させてくれ」と
で、なければ、お主の主張は只の愚痴になるよ。
学会組織の在り方に疑問があるなら、それは仕方がないことだ。
但し、一旦任命を受け、「はい!」と自分で返事をしたのだから。
その責務を放棄するのであれば、任命をした会長に、キチンとその理由を告げるべきだ。
それが、普通の社会人の常識だ。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 18:05:23 ID:trVraMuT
俺だけどなに?
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 18:06:21 ID:trVraMuT
あぁごめん、むかしな
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 18:07:31 ID:trVraMuT
大作より俺方が上立ったな。
>>769 もちろん、問題があるなら何でもわーわーと言ってやればいいことだな。
ただ、なんでも創価は正義だと妄信してるおまえだから、ちゃんと書いて
あることも読めてないわけだな、親の教育はよかったはずだ、
なーんて言い抜けて
ww
創価は、自分に罰が本格的に ”出る” まで、後少し少しか。
だまくらかしのおためごかしで会員搾取に地道あげてら、
ああ出るのは必定。
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 19:09:15 ID:ZC2yWngx
今度の日曜日に、青年幹の同中があるから
会館 駐車場の整理についてくれ!って、支部長から電話きた
俺、壮年部だぜ!
断って やろうと思ったけど
とりあえず 『はい。わかりました』
と返事しといた。
>>774 池田教層化のマニュアルだから
疲れるまで、もっと活動しろ!
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 20:44:24 ID:OQzCcz1D
>>766 (続き)
そこで、こういうことを考えてみられるとよろしいかと思うんです。
さて、現在、日蓮正宗と創価学会は喧嘩状態にあり、互いに南無ミョウホウ
レンゲキョウを信じていながら醜い争いを繰り広げていますね。
どちらも日蓮の教えを正義としていながら、互いに相手が間違っていると
「世界で最強の矛と世界で最強の盾の戦いをやっています」そして、お互い
に、「こちらだけが正義で相手が間違いである」と一歩も譲りません。
法華講の樋田氏はなかなかの論客で原理主義としての日蓮教原理主義
としては文献からの論駁は相当に頑強で、「必ず絶対に法華講と創価学
会のどちらかが正しくてどちらかが間違っているんだから、法論をして論理
を明瞭にすれば、必ず、正邪が判明するのだ」と言っていますね。
しかしそうでしょうか?本当はどちらも、同じ「日蓮という誤謬」の土台から
始めているから「互いの争い」という矛盾に達してしまったに過ぎない可能
性が高いのではないでしょうか?どうでしょうか??
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 20:53:41 ID:OQzCcz1D
>>776 これは、どこかが「おかしい」と思わないでしょうか。
数学では背理法という証明法があるのをご存知ですか?たとえば、√2が
無理数であることを証明する、というアレですね。
そうです、ここが背理法の出番です。
この場合、もし√2が有理数であったと仮定したとき、そこから演繹される
結果が、その結果として矛盾を招来して困ったことになる、となった場合、
その理由は、最初に仮定した「√2は有理数である」という前提が間違って
いたのだ、として、「√2は有理数ではない=無理数である」と証明する
手法です。
結局、日蓮という誤謬から出発して論理を構築した結果、
本尊論などの、もともと存在していた日蓮教というものの
矛盾が今になって露(あらわ)になった
ということでありません。
なぜ本尊が大事なのでしょうか?それは修法のためのただの道具である
から大事なのでしょうか、それとも、尊崇の対象としての「ご本尊」だから
でしょうか。
もし後者であるとすれば、それは「日本の宗教法人法で定める信仰の対象
としての物体があることが宗教団体として存在するための条件だからなの
かもしれないですね、つまりそれは宗教を運営する側のための必要条件
だからでしょう。それは独立した宗教法人として存在せんとした創価学会
にとっても必要条件になっているわけですね。
>>769 何をどう信じしようが信じまいが放っといてやればいいんじゃね?
矛盾感じてる人に、んなこと言ってもなー。
それから、何教でも一緒。
どこの宗教だってわが教が一番正しいのであるって言うに決まってんだろ。
そうじゃなきゃ成り立つわけなかろうが。
日蓮さんが伝えたと言われる日蓮系の宗教にも色々あるが
誰が絶対ここが一番正しく伝えてきたとか、いやキリストはここが一番って決めんだよ。
信じる人が決めるこったろ。変だな?おかしかないか?と思うもんがいてもいいわけだ。
そいつらを不幸になるぞ!なんて脅す必要なんてない。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 21:05:40 ID:OQzCcz1D
>>777 訂正
>結局、日蓮という誤謬から出発して論理を構築した結果、
本尊論などの、もともと存在していた日蓮教というものの
矛盾が今になって露(あらわ)になった
ということでありません。 -> ということでしかありません。
---
しかし、もともと創価学会においてはそもそも本尊というのは本質としては
軽い存在でしたね。
池田氏がいつも言っているように、あんなものはただのモノだというのが
それですね。つまり創価学会の教義においては、元々本尊などは「それらしく
ありさえすれば本当はどうでもいいようなもの」であったに過ぎなかったのです。
というのは、創価学会においては「ナンミョウホウレンゲーキョウ」という発音
をしっかり「する」ことが「行」であり、その音韻の効果が主体であり、本尊と
呼ばれてきたところの曼荼羅とは、要するにその行の補助用品、道具であった
に過ぎなかったわけです。
つまり、曼荼羅を「目を見張って見る」ということで、自分の脳にその書体や
文字の与える印象という影響力を持つということで、「用いる」道具、ちょうど
真言密教の阿字観瞑想で前に置く阿の梵字の曼荼羅と同じ役目をするもの
であったに過ぎないのです。日蓮はそこからヒントを得て、自分の行方を
開発したのに違いありません。日蓮は天台比叡山で修行時代に天台真言の
修行に明け暮れていたのですから当然の発想であったに過ぎないのです。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 21:12:32 ID:trVraMuT
抜作も偉くなったな、俺に土下座為ていた時代が懐かしい。
>>755 そこまで気持ちを理解して貰えて本当にありがたい、真剣にそう思うよ。
自分で認めたくないMCやら洗脳やらという言葉、残念だけど俺はその洗礼を受けている
のだろうと改めて思ったよ。
俺は、そもそも「我々の信仰のみが唯一無二正しい」という考えは全くないんだよ。
それに、あなたの言うとおり、仏罰なんてありゃしないし、それじゃ何の為の宗教なんだって
思うんだよ。
もし仏罰があるなら、入信した人は辞めることが仏罰がよぎって出来なくなる、信教の自由とか
そんなものはもはや及ばないんだよね。
頭で分かっているつもりでも、深層心理に染みついた「罰を受けるかも知れない」、「良くない
事が起きるかも知れない」という気持ちが拭いきれないんだよ。
あなたの言うとおり、宗教を信仰していようと、そうでなかろうと、幸か不幸かを決めるのは自分、
そして宗教は自分が正しいと思って信仰し、誰にも束縛されてはならないし、自由なはずなんだよね。
ありがとう、気持ちが救われた気がするよ。
残念ながら、俺は疑問だらけの創価学会を脱会する気はないけど、暫く静観してればいいと感じた。
組織の幹部には俺を少しそっとして置いてもらいたい…
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 21:17:04 ID:OQzCcz1D
>>779 (続き)
>創価学会においては「ナンミョウホウレンゲーキョウ」という発音
>をしっかり「する」ことが「行」であり、その音韻の効果が主体
ですから、この「音韻が与える影響力」とは何であるのか、何であったのか
だけが重要なことであったとも言えます。
その秘密についてはあのリンク先にある通りです。あれがこの「お題目」と
呼ばれて久しいこの行法が700年間に渡って人間に対して与えてきた力の
本当の姿だったのです。
つまり、その物理的、生物物理的、生理学的な効果こそがその効果の全て
であり、そこに、信念というものが持つところの力をプラスして「信仰」と呼び、
それにあれやこれやの宗教的思弁を、その効果に雰囲気が合うようにたく
さん付加して出来上がったのが、日蓮教であった、ということに過ぎなかった
のです。
これが日蓮という誤謬から出発した悲劇だったと申せましょう。
あなたがたのすべてがその悲劇に巻き込まれてしまっていた、ということ
だったのです。
>>756 よく、指導ではろくな幹部がいないということも、自分の境涯がそういう環境を作ると言うよね?
分かってはいるんだよ、これは世間一般の通念でも同じだって。
例えば、会社で異動して新しい部署でうち解けるには、自分から色んな人達にたわいのない
話をしたりすることから始まるし、黙々と仕事してたら、人を寄せ付けない雰囲気になってしまう
ってこととか。
人間革命のなかで、山本伸一(つまり池田大作)が戸田先生に組織のそういった不満を話した
ときに、「それなら自分で望むような組織にすればいいじゃないか」的な話をしたという事が
書いてあったと思う。
それもわからなくない。
だが、今の組織はそんな情が全く感じられないんだよ。
俺が活動していたときに、必要があって地区婦人部長に女子部に言づてを頼んだときのこと
なんだけど、それを不埒で不謹慎な事だと言われた。
聖教新聞の良いとおもった記事をコピーして配ったら、著作権に触れるような真似をしては
ダメだと言われた。確かに聖教新聞は聖教新聞社や学会本部の著作物だろうが、会合やら
活動の範疇で使用するにもそんな戯れ言を言うモノなのか?それで広宣流布なんて
ちゃんちゃらおかしいわ、本心そう思った。
俺は、お袋を通して実家の幹部に指導を受けたところ、そんな制限は無いそうだ。
つまりは、幹部の「我見」であったようだ。
あなたの言うとおり、組織を変える気力や学会への不信を確信に変えるだけの器量があるなら
そうするだろうとおもう。
でも、日蓮大聖人が「創価学会という組織で信仰しなければ意味がない」などとは一言も
言っていない。それならば、自分のために自分自身で信仰すればいいのではないか、
そう思うんだよ。
連続レス、みんな、スマソ
いっぱいもらったし、返事をしたい。
>>757 それは正論だろう。
幼い頃からそうして言われてきた。前レスに書いたように、仏法、もっと明確に言うなら
法華経を信仰するうえで、創価学会の活動に準じないことが仏罰でないのであれば、俺は
それでいいとおもう。
あなたの言うとおり、宗教というのは罰論も必要なことはわかってるよ。
でも、その罰とは、崇拝対象が神聖なものであるために必要なモノなのだと思ってる。
学会のヘえに背くことが罰である、そう感じることが辛いんだよ。
学会員的なヘえからすれば、どうすべきか?その答えを請うために祈ることなんだろうね。
何れにせよ、あなたの言うとおり今の境涯で仏前に座ったところで意味はない、それは
理解している。
少し頭を冷やす必要もあるんだろうと思ってるよ。
>>762 ありがとう。
気が少し楽になったよ。
自分で半分答えを出せてるのかも知れない…
創価学会を脱会すること、それは俺にとっては関心事じゃない。正直なところ、どうでもいいと感じてる。
それに、辞めるとなると生まれて2箇月後には寺で御受戒を受けて日蓮正宗創価学会に入会してた
わけで、今更やめるとなってもまさにMCやら洗脳も否めないから怖いというのもある…
でも、日蓮仏法を信仰し、御本尊に祈ることは自分の中で正しい、これは自分で整理できてる。
あなたの言うとおり、題目をあげるなかで自分を探そうと思います。
疑心暗鬼な自分なだけに、創価学会では御法度とされる他宗による書籍や経文も調べたりしたこと
は何度もある。
日蓮仏法が正しいと思うのであれば、やはり御書をしっかり拝読してその不安を拭って確信を得たい。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 21:40:41 ID:OQzCcz1D
>>782 (続き)
しかしだからといって、では一切お題目など唱えるな、ということでもありません。
なぜならそれはそれで、言いましたように、物理的、生物物理的、生理学的効果
があるわけであり、それに信念の力もプラスして、なんとなく信仰「らしく」している
ことで、願望実現のために、精神的な支えになるに違いはないからで、
その効果を自分の生活のために「自分自身で利用する」こと自体は、それだけ
なら何も問題はないかもしれませんからね。
ただし、それでもし仮に、かつての田中智学であるとか石原莞爾、ひいては某
池田氏のような狂信に到達する場合には、そのときには、これらのナンミョウホウ
レンゲーキョウという音韻の本当のところの秘密を声高に言ってやる必要が出て
くるわけでしょう。
田中智学や石原莞爾らの狂信が満州国を作り結果日本は太平洋戦争に引き
釣り込まれ原爆を落とされるまでになり、池田氏という強欲の権化に振り回され
た創価学会は題目を呪文として使って宗教戦争相手を呪うように教えて信者に
それを行わせ、結果として精神を病む人々をたくさん生んでしまったわけです。
ここにおいては、もはや日蓮という誤謬の真実を明らかにするべき必然が生
まれ来たってしまったのだ、ということなのではないでしょうか!?
>>764-765 アドバイスありがとう。
でも、自分は日蓮仏法を捨てるつもりは無いよ。
この世で日蓮仏法が唯一無二正しいなどと大それた事も考えていない。
俺は仕事柄屁理屈で、非科学的な力で病気が治ったりなどということは全く信じてないんだよ。
だけど、先にも書いたように、深層心理では罰論が抜けきってないんだ。
俺にとっての信仰、それは自己啓発の一形態。
自分が「こうしたい」、「こうなりたい」、そういう事をかなえるには頭で幾らそれを屁理屈で考えて
も無理だということ。
それには人間は神聖な崇拝対象が必要であって、崇拝対象に強く念じることで自信が湧いて
精神状態が高揚して幸福感を得られる。幸福感を得るから物事をポジティブに考える、
それによって周りの人も「あいつ変わったな」と思われるようになる。
そう考えてる。
よくいうプラセボ効果というもの。
中世時代に、人を思想で殺せるかというおぞましい実験が行われたそうだけど、結果から言えば
被験者は死亡したらしい。俺は嘘でもないかもしれないと感じている。
強い思想はそれを現実にすると思う。でも、その力は自分自身にしか作用しないのではないか、
そう思う。
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 22:17:09 ID:OQzCcz1D
>>787 とすると、「信仰の一般化の道」も有効かもしれませんね。たぶん日蓮原理主義
信仰に帰る道は向いていないでしょう。(たとえば樋田氏など>
http://toyoda.tv/)
信仰の一般化の道とは、いわゆるニューエイジへの一般化です。たとえば、あの
エドガー・ケイシーという人を知っていたら、またちょっと違う話もできます。エドガー
ケイシーの輪廻転生論は、実は日蓮や創価学会の抱いている輪廻転生のイメージ
に非常に近いものがあります。
参考書籍としては、「転生の秘密」(たま出版)が非常に面白いですよ。
そこでは、中世ヨーロッパの魔女狩りの時代にカトリックの司祭であった人が、
第二次大戦前のアメリカに転生してきたときの障害を負っての幼少時からの実例
など興味深い実例が多く紹介されています。罰とされるのは、要するにこのような
現実的に他の人や自分の生命をなんらかの形で卑しめたり阻害したりした罪が
もたらすものなのです。肉体的にしろ精神的にしろです。それは存在への罪だか
らです。呪いをすることを教えたりすればそのことが存在に対する罪となるでしょう。
そこでは「転生とカルマの法則」という言葉で語られていますが、人間という生命
が悠久の時間の中での転生の実相とはこういうものなのだという説明があり、
そこで生命、すなわち魂はその永遠の時間の中で成長と退歩の過程を経て最終的
には「宇宙の生命、あるいは創造的な力」に帰るのだという思想です。創価学会で
ずっと教えられてきた信仰信条に近い教えがそこにはあるでしょう。
エドガー・ケイシー - Wikipedia ->
http://ja.wikipedia.org/wiki/エドガー・ケイシー
ECCJ 《エドガーケイシーとは》 ->
http://www.eccj.ne.jp/profile/index.html ECCJ 《輪廻転生》 ->
http://www.eccj.ne.jp/profile/reincarn.html J・ミラード 『奇蹟の人―エドガー・ケイシーの生涯』 十菱麟訳 ISBN 4760500332
興味を持たれたら読んで見られることをお勧めしますが、この方向に進まれますと
お題目の解析も私が申し上げている通りであることをも、おそらくいずれは納得される
ようになるかと思います。よき未来をお祈りします。
>>784 レスをよまさせていただきました。
仏法は、単純に言えば人間としてどう生きるべきかを説いたものです。よく仏法は道理であるとの指導も同様に受けられたのでは?と思います。
自分の考えが安定していなければ、環境に左右されてしまいます。日蓮大聖人は、「日本を救いたい」という一念から南無妙法蓮華教を広めろ事ができたと思います。
法華経を聞いたことが無くても、社会で不可能を可能にしていた人たちは、環境に左右されず自分の信念を曲げずにやり抜いていった人たちであるといえます。
罰ていうのは、道理から外れた時に受けること。多分、真冬に裸で外に出れば無事ではすまないというような指導を聞いたことがあるかもしれません。
あなたの中に罰論がありますが、罰というものに必要以上恐怖していると思います。
あくまで罰というのは、道理から外れた際に受けるものです。
プラシーボ効果は、言葉か行動を見聞きしなれば効果がありません。中世の実験では被験者は間接的に自分を思想で殺す人間がいると見聞きされたのではないでしょうか?
昔の勤行要点が出てきた。
長行って今は読んでいいの?やっている人いる?罰当たらない?
791 :
752:2008/05/09(金) 23:45:26 ID:3oXp/iFp
>>不良学会員さん
レスどうも。
俺が罰となると言ってるのは、
>>769も言ってるが、経過はどうあれ一度引き受けた役職を無責任に放置している今の状態のことだよ。
創価学会の活動を否定することとかではない。断るのも信心だしね。
道理に反したことにはそれに見合う結果しか返って来ないよ。
冷却期間を置くのは悪いことではないけど、役職のこともちゃんと組織の人間に話すべきじゃないかな。その方がおまいさんもスッキリ出来るだろう?
ただ、冷却期間はあまり薦めないが。同じ壁にぶつかってまた悩むだけだよ。
俺も経験者だけどね。
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 02:46:10 ID:Cw+W2tTw
ただ思うことがある。
私も組織活動から距離を置いてる身だが
今になってわかることは、
組織の中で自分が悩まされた矛盾は、多かれ少なかれ、
会社などの世間で自分が直面せざるを得ない矛盾がマイルドになって出ていたもの
だと思うこと。
別の言い方をすれば、学会活動を通じて、社会で直面せなばならなかった自分の宿命を
マイルドに罪障消滅できていたんだということ。
学会組織から離れて何が一番寂しく物足りないかというと
信心でハツラツとする年配婦人部によくみられる、こっちまで元気になれるオーラや声に
出会えなくなること。世間はもっと無関心だし親身じゃない
793 :
今は:2008/05/10(土) 21:23:52 ID:xYEQL5gc
ワタクシは区男子部幹部だけどさ…暇な役職だから案外に気楽♪
無責任万歳!ってとこかな?不謹慎過ぎですかね?
実際、部長やリーダーの頃が一番忙しいよ
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 23:34:07 ID:S3oerEL/
役職辞めたいけど無理だ。いつの間にか人材グループの圏トップにまでなってるし。
この十年間はプライベートより活動優先。思い返したら、何も思い出がない。学会活動って思い出に残らない。
二十代のほぼ全てを活動に費やした事を後悔してます。
今年に入ってからは人材グループの方は活動してるけど、ラインの活動はキッパリ辞めた。
それで自由な時間を満喫。めっちゃ楽しい。
今までの活動に追われる毎日が異常だったのかも。
最近は活動させようと幹部からの圧力がかなり厳しい。
もう活動に疲れたよ。
>>792 わかるところもあるが。
どこにもその世界での常識ってある、役職辞める=反逆者の手前って見られ方?
実際そうなった時に想像できないくらいの事がおきる、具体的に酷いこと
言われるのもあったけど何気に目線をそらされる挨拶しても無視さる悪い噂が早く広まる等等。
活動は途中で止めたけど人を嵌め込むような悪い事はしたつもりは断じて無い。
って止めていく人の大半は思っていると思います。
信仰は表立って否定はしませんが自分は人としてどうなのか?を忘れずにいこうと思います。
つまり人それぞれ と言いたかった。
>>794 心も体も病気しますよ。
ご自分第一で、事情を話し休養をお薦めします。
診療内科の医師の診断書も有効かも。
心の疲れは、本人が疲れたと感じたら疲れているんですから、傍から
は、計測不能。
揉めることも辞さずだったら、正面突破もあり。
ほんとに、暫く休養しないと、これが本物の鬱病とかに進んでいきます。
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 00:18:36 ID:21TZ3oin
>>794 ラインの活動できない奴が人材グループで何を言うのさ?
自分はやらないけどお前らはやれって言うの?腹の中で活動は思い出に残らないとか思ってるのに?
駄目幹部の典型例だな。
まあ、そのままラインの活動を放棄するなら、活動に費やした20代は全くの無駄になるだろうね。
御書にもあるが、やるなら最後までやりきんなきゃ駄目だろ。プライベートの時間なんて壮年部行ってからで十分だっての。
・・・だそうです。
>>794 もう人材Gもやめちゃえば?
無量して頑張っても無駄だ駄目だと言われ続けるだけでしょ。
信心は活動量じゃないぞ。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 03:11:29 ID:I641Do7l
私は万年平会員です。
組織の人と仲良くなりたいけど「役職ある人じゃないとちょっと」という、
どことなく部員さんをはずすような風潮があって、なかなかみんなと仲良くなれません。
幹部は幹部同士で楽しそう。
頑張っていれば私もそれなりに役職ついて
みんなの仲間入りできるかなあと思っていたのですが
今年34になります。
若い人もどんどん入ってきているし
私にはやっぱり使命なんてなかったんだなあって寂しく思っています。
婦人部になったら、活動から遠ざかる予定。
どこにも私なんか居場所がないと思う。
アクセス制限で書き込みできなかった
>>766 南無妙法蓮華経=Saddharmapundarika サッダルマプンダリーカ
南無=帰依
Saddharmapundarika = 白い蓮花の正しいヘえ
漢文に転じて 正しいヘえ=妙法、白い蓮花=蓮華
それで南無妙法蓮華経、法華経は南無妙法蓮華経の略称。
鳩摩羅什の法華経は本でちまちま読んだ時期があった。
法華経の読み方には、文底と奥底があると言うことを戸田城聖氏の壽量品講義のなかから
知りました。法華経を文面で読むことと、神髄を読み取ることとは違うという話です。
それが自分自身で理解できない限り、日蓮仏法を離れることはないです。
>>767 罰論の濫用が働いて居るんだろうね
まず、信教の自由の阻害
学会員が必ず行うであろう事、それは脱会を希望する人への罰論の濫用
「現象が出る」とか「教えられるときが来る」という言葉
脅しともとれる
俺のように、「良くないことが起きるかも知れない」と思ってる人にとってはこれは驚異
>>769 指摘ありがとう
日興遺誡置文は高等部のときに研究発表をしたことがあったんだよ
まさに時は宗門問題のとき
その中で、間違いなく学会の指導では日興遺誡置文の戒めは法主に対するものであり、信者に
対するモノではないという解釈をしていたよ
でなければ、祭りに行ったり、不用意に寺社仏閣に訪れることは未だ、大きな謗法になるはずなのだから
> 但し、一旦任命を受け、「はい!」と自分で返事をしたのだから。
> その責務を放棄するのであれば、任命をした会長に、キチンとその理由を告げるべきだ。
> それが、普通の社会人の常識だ。
ありがとう。
それはそのようにするよ。
信心以前の問題だからね。
>>791 相談は何度もしてきたけど、創価学会の中には人事の任命はあっても、人事の返上という仕組みが
整っていないように思う
降格人事というものを一度だけ目にしたことがある、それも社会秩序に著しく反する行為、つまり
犯罪レベルのことをしでかさない限りはあり得ないってこと。
結局、その役職の人が未活動家になると、その人は副役職に昇格し、事実上組織にいなくても
問題が生じないようになる
だから、役職の返上というのは難しいと感じている
本気でそれを相談しようものならば、普段会うことのない大幹部が訪れ、指導と称した長い
説法が始まる。その中には多くの罰論を彷彿とさせるものがあるんだよね
結局、役職をやめることは赦されず、休息期間を設けられることになる
それでもいいと思っている
> 学会組織から離れて何が一番寂しく物足りないかというと
> 信心でハツラツとする年配婦人部によくみられる、こっちまで元気になれるオーラや声に
> 出会えなくなること。世間はもっと無関心だし親身じゃない
それは否めない、学会員は確かに親切だよ
なにより、皆で題目をあげたあとのあの爽快感というのは、題目をあげること以外では決して
体得できない。あの歓喜は忘れられない
でも、親切なんだけど、接点は「学会員であること」しかない。
自分のために忙しい時間を削って祈ってくれることを嬉しく思う一方、背徳心もよぎるんだよ
四角四面に物事を考えていたら、この疑問を払拭できないように思えてならない
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 12:51:14 ID:I641Do7l
どいつもこいつも信仰心が足りねえんじゃねえの?
がむしゃらにやれよ! 結果は後から付いて来るもんだ。
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 13:05:41 ID:Yr8KomEt
ちなみに役職は女子部リーダーだよ
人の上に立つ人間だから、人は褒めないよ
白蓮の服着て過激なプレイしようよ
最近面倒だけどバイト始めたよ(^O^)ホテル行こうね
梶田くみ
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 13:06:18 ID:Yr8KomEt
新人が足りない!!
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 13:27:54 ID:Yr8KomEt
もっとしゃくぶくしなきゃ
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 13:34:33 ID:/n8cC0Oe
>>801 ですからですね、その、
>法華経の読み方には、文底と奥底がある
というのが、そもそも日蓮の法華経というものの独自の解釈なんですよ。
しかしその萌芽が6世紀の大陸の天台大師チギが言い出していたわけで、
日蓮はそのラインに載ったということです、そこで文上と文底ということを
主張し、チギと同じ「法華経のタイトル」にすべてが込められていて、その
タイトルに南無すればいいのだ、という結論を見出してそれが末法の仏教
になるべきだ、という法華経原理主義を拡張して主張した、とこういうこと
だったのです。
創価学会の幹部人にまでなった人がこのくらいの常識が知らされていない
ということにはちょっと驚きを感じたりしますよ。
いやはやどうなってるんでしょうか・・・。 ¬г
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 13:46:38 ID:/n8cC0Oe
>>801 >漢文に転じて 正しいヘえ=妙法、白い蓮花=蓮華
で、別の人の翻訳では
「正法華経」
というタイトルのものも確かに存在していて、そちらではその、
正しいヘえ=正法、 白い蓮花=華
と訳されているということでしたね。あえて言えば、
「正法蓮華経」 ・・・・(*1)
と言っても良かったはずでした。
ですから、
正しいヘえ=妙法
と訳すかどうかは議論があるところだったわけで、それを鳩摩羅什(クマーラジーバ)
が訳した際に、彼がそういう単語を創作したからに他ならないと言えましょう。
果たして普通に翻訳して 「妙法」=「正しい教え」 となると言えるのかどうかです。
つまり、日蓮が「大功徳がある」とした「南無妙法蓮華経」という文句は、(*1)と
翻訳されていたら、果たして日蓮はそういう考えになったかどうか疑わしい、と言って
いるのです。なぜならば、(*1)→「南無正法蓮華経」では、日蓮もそれ以降の信者
のすべても、何も効果を感じられずに終わったでしょうから。そこを論じているのです。
わかりますか?>不良学会員殿
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 14:02:11 ID:/n8cC0Oe
>>801 ですから、お題目の効能、効果というものには、そもそもが
法華経の内容
であるとか、
文上であるとか、文底であるとか
言う話なのではなくて、現実にはその音韻だけが重要だったはずでしょう、
と言っているのです。
この音韻が人間に不可思議な影響力を持っているということだけが、日蓮
をしてそれに大功徳があると考えさせた根源だったからに他なりません。
なぜなら、(*1)を使った 「南無正法蓮華経」 というお題目になった、と
してこれを連続して唱えて見られたらすぐにもわかりましょう。それでは
「南無妙法蓮華経」の場合に感じられていた精神と肉体に感じられていた
高揚感も影響力もほとんど感じられないでしょう、どうですか。
つまり、日蓮の主張した「お題目の効果」、功徳というものは、ただ単に
鳩摩羅什(クマーラジーバ)という人物が、偶然法華経のタイトルを「妙法
蓮華経」と名づけたことだけに拠る効果であったにすぎない、ということ
です。しかもそれも、すべてそれらの漢語を日本語読みして初めて生ま
れる効果だったということでもありましたね。これらは偶然の音韻のトリック
であったに過ぎないわけで、それらに法華経の中身が関係しているはず
はないではありませんか?論理的に考えてみれば当然ですよね。
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 14:18:06 ID:/n8cC0Oe
>>801 しかし、中世の僧であった日蓮にとってはそうした議論はできなかっただけです。
そうしたお経のタイトルを変えたり偶然だったのではないかとか考える余地は
彼らにはなかったでしょう、なぜなら、そうした観念が生まれるほどには彼ら
の精神は自由はなかったというだけの話です。
歴史と伝統という範疇の議論の中で初めてそうした既存の権威(お経である
とか仏陀はありがたい教えを説いたのであるとか言った観念の継承自体、
それらはすべて歴史上アプリオリに受け入れるべき権威として存在したから
に他ならず、それに従順すべきという観念が支配する時代の前提があった
からというのみの理由によって)には何も疑問をさしはさまずに、
経のタイトルに神秘と神聖さを意識するという思想を構築できたに過ぎない
わけでしょう。
そうした経が経を支えるような文言が、浄土三部経の一つである観無量寿経
に一節にある通りですが、それは
>>764のリンク先のリンク先の中の長文の
シリーズでも取り上げて説明済みですである通りですので、一度全部みてお
いてくださればと思います。
お題目の秘密は、すべてその音韻の効果でありそれがもたらす生理学的な
効果効能によっていたにすぎないことがよくよくご理解されるものと思う次第です。
こないだザダンカイで、副会長が来て、
「役職は?」って聞かれた。
ヒラだから困った。
ってか、堂々と「ヒラ」って言えれば良かったのに、
なんか後ろめたい気持ちになる自分にまいった。
>>812 安心しろ、副会長が何を言おうと大聖人の御書に"役職"という文字は一度も出て来ないぞ。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 15:44:12 ID:Yr8KomEt
カップラーメンはもらったぁぁ
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 15:45:21 ID:Yr8KomEt
役職はベンチです!!リーダー補欠です!!
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 15:50:58 ID:Yr8KomEt
役職はコネで入手するものだぞ
幹部と仲良くしてれば次年はきみがリーダーだ!!
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 16:15:41 ID:I641Do7l
>>812 信心が足りないからいつまでもヒラなんだよ。
信心が深い人は幹部になってるだろ。
>>817 釣りか?釣りじゃないなら直前のレス熟読しろ
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 16:45:06 ID:I641Do7l
>>818 おれは財務で貢献してるんだ。
ヒラ信者のレスなど熟読する気はないわ。
820 :
織田上総:2008/05/11(日) 17:13:30 ID:LS7sjaCU
>>不良氏
ご返事ありがとう。
素直なレスに感心しております。
お主のご両親の人柄が伺えられます、立派なご両親だ。
‘罰’なんていうものは、五逆や正法誹謗をする以外、そんな簡単に
出るもんじゃないから安心しな。
‘罰’なんかを怖がっていたら、何にも出来ないよ。
ただ、大切な事は、妙法を信じ唱え実践する事。
折角今、大事な疑問にぶつかっているのだから、いっその事がっちり御書を
勉強して見るのもいんじゃないかい?
大聖人が何を言いたかったのか、お主にどんな使命があると言っているのか
仏意仏勅が解るまでとことん突き詰めて考える事も2世や3世の人達には必要だよ。
多少遠回りにはなるかも知れないが、絶対無駄にはならないから。
お主の高等部時代が何年前かは知らぬが、宗門問題の時であろうがなかろうが
26箇条の興師遺文を、お主の言う通りの解釈をしていたとすれば、残念ながら
それは間違いだな。
そう教えた幹部がいたとすれば、そいつが間違いだ。
私から言わせれば大馬鹿者だ。
差し支えなければ、どの部分をどう教えられたのか聞かせてくれないかい?
財務四桁頼むね
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 17:40:11 ID:SOXhhOyM
昔、学生部の部長の任命を受けるように言われて断ったのだが、無理矢理任命させられた。そこから人生が狂っていってしまったのかもしれない。
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 18:19:17 ID:Yr8KomEt
金と時間がない貧乏人は幹部になれないー
=信心が足りないと思われる
役職で信心の深さを決めるな!!
役職あるやつは女子部にしっかりしてると思われてもててウハウハ
これが事実です
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 18:20:10 ID:Yr8KomEt
やりたくないやつがやってるからムカツクんだよ
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 18:21:22 ID:5jg33epC
我見で判断すると騙されるよ〜
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 18:25:04 ID:Yr8KomEt
人の上に立つ人間だから、人は褒めないよ
(だって組織にとって人間はただの歯車だから)
by大橋みちよ
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 18:26:11 ID:Yr8KomEt
組織に人の心は必要ない
by大橋みちよ
↑ちなみに経済学じゃすでに古い考え
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 18:37:28 ID:I641Do7l
>>823 いいか よく考えてみろ
>金と時間がある ってことは平素からの信心の深さの結果じゃね?
それだけがむしゃらに謹行したって事じゃね?
金の結果で信心が問われる じゃなくて 信心の結果が金 なんだよ。
そういう人間に役職がついてるんだよ。
>>808 解説ありがとう
戸田城聖氏の壽量品講義の中で、天台宗の教えを決して読んではならないとあるんだけど、
その起因はあなたの書いていることからなのかもね。戸田氏は教学に浅はかな者が読むと
大変なことになると明言している。
信仰と宗教研究ってのは別のモノだとおもうんだよ。
俺が創価学会の役職をやめたいのは、創価学会という組織の有様であって、教義以前の問題、
そして日蓮仏法における法華経の解釈云々、それについては俺は宗教研究者でもなければ
単なる普通の人、岩波書房の法華経解説書を読んだ。
サンスクリット原書(といっても写し)の和訳と鳩摩羅什漢訳を比較しながら解説していくもの。
法華経を原理主義だとか危険思想を持っているという理解には俺は正直、疎いところがある。
それ以前に、俺が思うに、創価学会の問題点は人に迷惑を掛けていること、疑問を抱いている
俺のような会員に対して納得のいく解答を与えないことにある
創価学会の会員は御書と池田大作氏の指導が全てであって、創価学会出版以外の宗教書物を
読んではならないという決めごともあって、誰も読んでないんだよ
教学を教える立場にある人ですら、御書と池田大作氏の指導こそ学んでいるものの、他の宗教書物
は一切読んでいないよ
>>809-810 おおむね、Saddharmapundarikaの漢訳は、鳩摩羅什訳のものを含めて3本あると聞いたよ。
正法華もそのひとつだというのは聞いた記憶がある。
ただ、日本で一般に法華経といえば、鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」を指していたと思う。
法華経を体得した上で実践しなければ無意味だとすれば、恐らくごく一部の人しか功徳を
得ることは出来ないのだろうと思う。
般若心経に比べて、法華経は途轍もなく長い、これを本当に理解している人間は学会の中でも
研究者など限られた人しかいないと思うよ。
極論で言えば、俺にとって宗教とは先にも書いたように、自己啓発の一形態で、経文の意味よりも
物事をポジティブに考える為の手段の一つ。
自己啓発との違いは、崇拝対象を設定し、祈ることによって自分に暗示をかけるか、
自己啓発では自分自身で暗示をかけるか、その違いだというのが俺なりの理解。
だから、法華経の内容がどうであるとか、歴史的にどうであるということは実を言えば余り重要じゃ
なかったりする。
誤って教えられて染みついてしまった罰論とは矛盾するけど、所詮、宗教とは偶像崇拝にせよ
自然崇拝にせよ、人間が考えたものであるのには違いないのだから。
>>811 鎌倉時代に、歴史的見地、科学的見地から、どの漢訳が最もSaddharmapundarikaの原書に
近いのか、そのようなものは判断する術は無かったと思う。
日蓮大聖人は、あらゆる宗教、経文を読みあさるうちに鳩摩羅什の妙法蓮華経が最も正しいと
判断したということ。
700数十年の長きにわたり、日蓮宗は日本で分派を繰り返しつつも受け継がれる中で、ある種
大聖人のヘえもまた伝説的に崇められているところもあるんだよ。
だから、学会員にとって、大聖人の御書を否定することは決して出来ない事実。
それは他宗においても同じだと思う。
> お題目の秘密は、すべてその音韻の効果でありそれがもたらす生理学的な
> 効果効能によっていたにすぎないことがよくよくご理解されるものと思う次第です。
それでいいんじゃないかとおもう。
それによってプラセボ効果によって自分自身の精神状態を安定させられるならば、それは
結果として、「効果がある」ということになる。
医者が精神疾患を伴った患者に偽薬を与え、「薬を飲んだ」という既成事実で元気にさせる
のであったって、プラセボ効果だし、結果、偽薬は効果を発したのと同じ事になるのだから。
むしろ、ノセボ効果を生んでしまう部分が創価学会の罰論にはあるということ。そこが問題なんだろう
と思ってるし、おれはそれに苛まれてるんだから。
詳しい解説、ありがとう!
>>820織田上総氏
レスありがとう。
うちの両親は、実を言えば県クラス(嘗ての圏クラス)の幹部で、今俺が悩んでいるようなことを
口にしようものならば、そりゃもう大変なことになってしまう。
それに、理由はどうあれ、御本尊のおかげでうちは家族が円満であることは紛れもない事実。
もし、うちが未入信の無神論者であれば、今こうして、のうのうと日々を送ることは出来なかった。
少なかれ、うちの親父は今の創価学会に疑問はあるようだが、自分の中で納得させようとしている、
そんな気がしてならない。
いっぽう、お袋は、若いときに池田大作氏と直接会っていることもあって信心に揺らぎはまったくない。
だから、俺は御本尊のある家庭に、今の両親の元に生まれたことは本当に良かったと思っているよ。
> 26箇条の興師遺文を、お主の言う通りの解釈をしていたとすれば、残念ながらそれは間違いだな。
高等部のときに、研究発表でやったのは、日興遺誡置文における、法主が26箇条のどれに反した
行為を行っているか、それをまとめたものなんだ。
だから、日興遺誡置文が法主にあてたものという指導が誤りならば、当時の高等部の担当責任者
ということになるのかも。今は相当上の幹部になってるようだけど。
御書を今見てる。
まず、前置き「夫れ以みれば末法弘通の恵日は極悪謗法の闇を照し久遠壽量の妙風は伽耶始成の
権門を吹き払う、於戯仏法に値うこと希にして喩を曇華の蕚に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て
足らざる者か、爰に我等宿縁深厚なるに依つて幸に此の経に遇い奉ることを得、随つて後学の為に
条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり。」
何処にも法主あてとは無い、あなたの言うとおりだ。
一、檀那の社参者詣を禁ず可し、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の
寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云々。
多分、この条目でいう檀那が法主を指していることを拡大解釈して日興遺誡置文自体が法主に
あてられたものだと言ってたのかも。
御書を読む限り、法主あてであるということは読み取れない…
>>820織田上総氏
早とちり、末筆の
「右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く後代の学侶敢て疑惑を生ずる事勿れ、
此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず、仍つて定むる所の条条件の如し。」
これは、
「右の条目大略はこの通り、万年救護の為に二十六箇条を置く後代の学侶、敢えて疑惑を生じない事、
この内一箇条でも犯す者は日興の末流ではない。よって、定める条文の通り」
のような意味になるとおもう。
ここでいう「学侶」を「僧侶のみ」と解したんだろうとおもう。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:09:20 ID:I641Do7l
何? このスレ
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:25:34 ID:/n8cC0Oe
>>831 >それでいいんじゃないかとおもう。
いや、良くないんじゃないのかな?
>それによってプラセボ効果によって自分自身の精神状態を安定させられるならば、それは
>結果として、「効果がある」ということになる。医者が精神疾患を伴った患者に偽薬を与え、
>「薬を飲んだ」という既成事実で元気にさせるのであったって、プラセボ効果だし、結果、
>偽薬は効果を発したのと同じ事になるのだから。
つまり、原理として、まがい物であっても、屁理屈で宗教風味に仕立てて
さえあれば、非真実であっても信仰の対象にしてればよい、どうせ世の中
不真実の積分で成り立ってるようなもんじゃないか、いいだろ、という話に
聞こえるんですが。
そういうものに日蓮は命掛けていて、仏罰だの地獄だのと脅しまでして
信者を拘束していたんですかね、ってことでしょうが?
>むしろ、ノセボ効果を生んでしまう部分が創価学会の罰論にはあるということ。
>そこが問題なんだろうと思ってるし、おれはそれに苛まれてるんだから。
だからまさにそれがこのことでしょ、こんな馬鹿げた有様にされてしまった
根源がそういうまがいモノのインチキ宗教だったということなら、論理的に
罰などありえない、それはそうだと信じる人の心の中にあるだけだという
ことでしかないのだと、あなたには悟れるはずだと思うんですが・・・
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:35:04 ID:/n8cC0Oe
>>835 (続き)
>そういうものに日蓮は命掛けていて、仏罰だの地獄だのと脅しまでして
>信者を拘束していたんですかね、ってこと
つまり
>>808-811の通り、お題目の効果効能はただ単に音韻と唱える
ことによって生じる自分自身の体内での物理的、生物物理学的、そして
さらに生理学的な刺激のシステムの構造によって生まれていたもので
あっただけなのであれば、
一体どういう原理で理屈で、仏罰というものが生じたりするのでしょうか?
日蓮は、
>>808-811の通り、ただ単に中世という時代での認識に基づいて
法華経原理主義の原点から自分の宗教思想を構築したということでしか
ないけです。ならば、一体どんな仏罰などが在り得るのですか?
彼がそう考えたのはあくまでもそうした時代の空気から自分で想像した
範囲で勝手に理論構築してそうだと思い込んだ宗教をクチにしたという
だけではありませんか。これだけ言ってもお分かりにはならないですか?
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:36:49 ID:Yr8KomEt
梶田くみの仕業だな
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:43:50 ID:/n8cC0Oe
>>836 (続き)
>>810 >(*1)を使った 「南無正法蓮華経」 というお題目になった、と
>してこれを連続して唱えて見られたらすぐにもわかりましょう。それでは
>「南無妙法蓮華経」の場合に感じられていた精神と肉体に感じられていた
>高揚感も影響力もほとんど感じられないでしょう
もしクマラジュウがタイトルを 「正法蓮華経」 と翻訳していたら、日蓮は
結果として 「南無正法蓮華経」 というお題目を造ったか、という問題を
考えてみればどうでしょう?中身の翻訳が同じであっても、タイトルをこう
訳していたら、日蓮はそれをお題目にし得たかどうか、ですね。
中身の内容が同じであったとしても、日蓮はおそらくは 「南無"正"法蓮華経」
という唱え文句に力があるから曼荼羅もそのように書いて流布したでしょうか?
いいえ、そんなことはしなかったでしょうね、なぜならそれにはおそらくは
なんの効果もなかったからですね。つまりこんな程度のものだということですよ。
どうしてそんなところに仏罰が在り得るのでしょうね?よくよく考えてみて論理を
整理して頭に叩き込んでみてください。そうすればすべてが蒙昧でしかないと
判明するはずです。どうです?
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:01:05 ID:Yr8KomEt
なるほど
かす
>>835 語弊を生んだので、まずゴメン!
法華経とは難解このうえない物語で途方もない長さの経文。
ぶっちゃけて言えば、法華経第一品〜二十八品までを読むことと、「南無妙法蓮華経」と一遍
唱えることとは功徳が同じであるとするのが日蓮仏法。
そのうえで、経文の第一品〜二十八品までで何を言わんとしているか、その神髄が分からなくても
「南無妙法蓮華経」と唱えることで仏界を預言できる、そう日蓮大聖人は説いていることを俺は
言いたかった。
現に、それで音韻によって快い気持ちを抱くのも事実。
ただ、法華経が原理主義であるという理解に辿り着くこと自体も俺には理解出来ない。
日蓮仏法の中で、イスラム原理主義における聖戦(ジハード)のような考え方は無いはず。
> だからまさにそれがこのことでしょ、こんな馬鹿げた有様にされてしまった
> 根源がそういうまがいモノのインチキ宗教だったということなら、論理的に
> 罰などありえない、それはそうだと信じる人の心の中にあるだけだという
> ことでしかないのだと、あなたには悟れるはずだと思うんですが・・・
誰にこのつらさをぶつければいいのか分からないのが歯がゆいけど、あなたが思うほど、誤った
罰論の呪縛から抜け出すことは簡単な事じゃない。俺にとっての創価学会は生まれて2箇月後の
寺での御受戒から今に至っているし、そうそうたやすいものじゃないし、頭で思うように安易に
変えることは出来ないんだよ…
>>836>>838 > 一体どういう原理で理屈で、仏罰というものが生じたりするのでしょうか?
ポジティブに働くのが「功徳」、ネガティブに働くのが「仏罰」、つまりこれらは表裏一体で
電力と磁力のように決して切り離すことは出来ず、万物に働く力は必ず「陰」と「陽」の対である
ということ。神社の狛犬でさえ「阿」と「吽」の対になっている。
功徳があるということは、その逆もあるということになる。
問題は、罰論の正しい解釈が為されなかったことにある。
俺もそこまでは理解しているけど、深層心理で自分に言い聞かせている今の理解とは別の
自分にとって不都合に考えてしまう事。
日蓮仏法においても、誤った信仰は無間地獄に堕ちるとしているし、そもそも罰論は日蓮仏法に
だけ存在する考え方じゃない。
日蓮仏法では、前世、現世において行った罪を法華経を信仰することで現世で罪障消滅出来る
としていて、その罪を償うことが仏罰なんだろうとおもう。
> 中身の内容が同じであったとしても、日蓮はおそらくは 「南無"正"法蓮華経」
> という唱え文句に力があるから曼荼羅もそのように書いて流布したでしょうか?
そんなものは誰にも分からないでしょう。
もし、釈尊が存在しなければ…、末法なる時代が訪れなければと考えれば法華経などは
まったく無意味なものだったのだから。
キリストが磔にされなかったらどうなってたか?誰にも知り得ないことだとおもう。
あなたが言いたいことは、日蓮仏法、法華経に意味が無いこと、浅いヘえであることを言いたいのか、
宗教全般に対して、そんなものはまやかしだと言いたいのか、どちらなんだろう?
842 :
800:2008/05/11(日) 22:29:58 ID:???
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:39:54 ID:/n8cC0Oe
>>840 >ただ、法華経が原理主義であるという理解に辿り着くこと自体も俺には理解出来ない。
>日蓮仏法の中で、イスラム原理主義における聖戦(ジハード)のような考え方は無いはず。
法華経原理主義とは、法華経を仏教の最勝の経典として崇め、これをないが
しろにすることは許されず、法華経を絶対視するまでの「法華経、原理主義」
という意味ですよ。まさに日蓮が主張したのはこれですよね。
その根底は天台大師のチギという6世紀のお坊さんの説であったということを
>>808で言いましたよね。そういうことを言ってます。
>現に、それで音韻によって快い気持ちを抱くのも事実
で、その快感の生まれ来っている根源が生理学的理由があるのだということを
あちらの
>>764のリンク先にある、
ナンミョウホウレンゲキョウで幸福になれる理由
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/download.cgi/study/3784/1094976432/ この中で、23-51あたりを読まれたい。簡単には「なんだかだが・・・」でご検索
されるとよい。またこちらの終わりの方も参考にされたい。
福音
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3784/1071192211/124-136 を参照してみてくださいと申し上げていたわけです。それでその秘密がわかったら、
>法華経第一品〜二十八品までを読むことと、「南無妙法蓮華経」と一遍唱えることとは
>功徳が同じであるとするのが日蓮仏法。そのうえで、経文の第一品〜二十八品までで
>何を言わんとしているか、その神髄が分からなくても「南無妙法蓮華経」と唱えることで
>仏界を湧現できる
というのは 「本来的に無関係の内容」 だ、ということを証明するでしょう、ということ
を言っているわけです。わかるでしょうか?
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:54:53 ID:/n8cC0Oe
>>841 >そんなものは誰にも分からないでしょう
いいえ、それがわかる、ということを言っています。現に 「南無"正"法蓮華経」 という
文句を連続して唱えてみればわかると言っているのです。あなたに力が感じられない
ものを日蓮に感じられたとして、それが世間に広まったでしょうか?いいえ、そんなこと
はあり得ないのです。これは誰にでも感じられるようにできているからこそ、こうして
日本人500万人に広まったからですよ。
で、
>>838 の続きですが、日蓮がお題目に力があると信じ、それを 「唱えること」 を
推奨したのは、あくまでもそれで自分に何か力が湧いてくるような感覚を覚え、何もない
のになんとなくうれしく感じて歓喜の感覚を覚えたり、元気がなかったのになんとなく
精神的に高揚して、頭もすっきりして、仏になったような爽快感を感じたからでしょう。
そういう生理的な効能があることがわかったから、彼は「法華経の題目、タイトルには
何かすごい力があるんだ、すごいものがあるんだ!」、と
信 じ て し ま っ た 、、
ということだけですよ、「存在している事実」 はね。
それが 「"正"法蓮華経」 というタイトルであったら、そういう話は生まれなかったという
ことですよ。
つまり日蓮がそういう唱えの実験をした、比叡山延暦寺での「天台真言修行」の時代に、
そういう「体験的な発見」をしたから、というだけの偶然でこの宗教は生まれただけですよ。
しかも、申し上げたように、そのタイトルはまったくの偶然に付いたたまたまの名前でしか
なかった、ということでもありますよね?
>>843 > 法華経原理主義とは、法華経を仏教の最勝の経典として崇め、これをないが
> しろにすることは許されず、法華経を絶対視するまでの「法華経、原理主義」
> という意味ですよ。まさに日蓮が主張したのはこれですよね。
なるほど、確かにその考えから言えば、その通りですね。
創価学会をはじめ、日蓮大聖人も法華経こそが幾万とある経文の中で唯一無二正しいとして
いるのは事実。池田氏の書物然り、御書も然り。
俺個人見解としてはあなたと同じ、先に書いているけど、法華経が唯一無二正しい経文だとは
思っていないです。
科学や数学のように、理屈を紐解いていくものであればその順序や方法は幾多もあるとしても
解は一つにしか成らない。
でも、宗教とは思想でもあるから、それを唯一無二とすることは俺の理解では到底得られない
ものです。あなたの言うとおりそうでしょう。
しかし、多くの経文やそれを弘めていく開祖たる存在はみな唯一無二正しいという理解だった
んじゃないでしょうか?
つまりは、法華経のみではなく、多くの宗教も唯一無二正しいというヘえを弘めていたのだと言うことを
言いたいわけです。
> >現に、それで音韻によって快い気持ちを抱くのも事実
> で、その快感の生まれ来っている根源が生理学的理由があるのだということを
> あちらの
>>764のリンク先にある、
肯定しますよ。
人間とは、そういう生き物だと思うからです。
寧ろ、科学や化学のようなもののほうが人類の歴史から見れば短く、宗教は自然崇拝を考えれば
数万年に及ぶ歴史を持っているものだとおもえます。
音韻が神聖さを助長し、それが快さを与える、宗教の神髄じゃないんでしょうか?
キリスト教の賛美歌の美しさ、教会建築の美しさ、仏教の神秘性、そういったものに人間は引きつけ
られる習性を持っているし、心理学的にもそれが証明されているなら、なおのこと悪いことは無いと思いますよ。
サブリミナル的要素、果たしてそういったMCがあり得るかは別として、そういった負の要素となることは
困りますけどね。
別のスレッドでやってくださいな。
あんたがた、すれ違いですよ。
>>843 > というのは 「本来的に無関係の内容」 だ、ということを証明するでしょう、ということ
> を言っているわけです。わかるでしょうか?
法華経第一品〜第二十八品と、「南無妙法蓮華経」とが直接の関係に無いということを
言っていますか?
そんなことは無いでしょう。
「南無妙法蓮華経」は第一品〜第二十八品の経典のタイトルなんですから、直接的に
関係します。
法華経の経典と科学を同一視すると不可解なことが生じます。あなたの仰るとおり、
法華経第一品〜第二十八品までを完読することと「南無妙法蓮華経」と一遍唱えることが
同じである、しかもその内容を知らなくても功徳を得られるとあるんですからね。
ただ、大聖人が法華経を弘めようとした時代を考えてください。
時の権力者である執権北条時宗により日本が治められ、蒙古の襲来に権力者は怯え、
多くの民は飢えに苦しんでいた時代です。
法華経を学ぶことが出来る、つまりは字を読んで理解できるだけの恵まれた環境があって
理解している人は殆どいなかったということです。
その時に大聖人が法華経を正しいとしたことは、ただ「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで成仏
出来るとしたからです。
宗教の正当性を語るのはある種ナンセンスだと思うんです。
キリスト教は正しいが、イスラム教は正しくない、天台宗は正しいけど神道は正しくないなどと
定義づけることは無理があります。
数学的な絶対性が無いからです。
宗教は思想だからだと思うのです。
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:10:30 ID:/n8cC0Oe
>>844 (続き)
「法華経の名前」というものと、「法華経の内容」とはそもそも全く別のものでしょう。
それを 「"正"法蓮華経」 というタイトルであったとしてもいはずでしょう、ということでも
言いましたね。あるいはもっと全く異なる名前であったとしても別に構わなかったはず
でしょう。
そしてそして、さらにさらに言うならば、、、
法華経というものが初めから存在などせずに、何かの別のモノの名前として 「ナムミョウ
ホウレンゲキョウ」 という文句が、それこそ 「たまたま」 存在していたとしても別に良かった
わけですね。それが、「仏教」とは無関係に存在していてたまたま誰かがそれを唱えて
その効能を発見していたら、そもそも全く「法華経など関係なしに」、その効果効能だけは
存在できたはずではありませんか。
その結果、今頃は 「仏」 教などとは全くの無関係なところで便利な元気が出る呪文として
「仏罰」などという観念とは無関係に存在していたことでしょう!!そういう種類の教えなん
ですよ、 「日蓮の題目行推奨宗教」 というものは。これはまさにただの生理学として今頃
はすっかり解明されていたに違いないでしょうね。
そこに「罰」などという概念は入り込むことは無かったはずです。よくよく考えて無意味な
罪悪感からすっかり解放されることをお祈りする次第です。
スレ違いだよ
やっぱ、頭は馬鹿か
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:14:20 ID:I641Do7l
そういえば4,5年前、信者の人にかもめのキャビンにしつこく誘われた。
あの時入らなくて本当に良かったけど、あのマルチとSGI関係あんのかな?
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:33:22 ID:/n8cC0Oe
>>847 >法華経第一品〜第二十八品と、「南無妙法蓮華経」とが直接の関係に無いということを
>言っていますか?そんなことは無いでしょう。「南無妙法蓮華経」は第一品〜第二十八品
>の経典のタイトルなんですから、直接的に関係します。
(
>>844>>848でも説明したのでもうお分かりかとも推測しますが) ですから、
この思い込みが、そもそもの 「嘘」 なんだと、申し上げているんですよ。
これは日蓮がそう主張しただけで、「中世の時代環境で日蓮が勝手にそうだ
と信じた」信仰内容でしかありませんよ、と。そのことを
>>844>>848で説明し
ましたよね、よろしいでしょうか。
「法華経第一品〜第二十八品と、「南無妙法蓮華経」とが直接の関係に無い」
んです。真実のところは。だから「"正"法蓮華経」というたとえも出してその
タイトルが付いても別に不思議はなかったということを述べていますよね、
つまりクマラジュウの訳でついた偶然の産物であったのだと。
そして法華経とはなんら関係のないところで 「ナムミョウホウレンゲキョウ」
という文句が何かの名前か何かで存在していたとした場合であっても、実は
その唱え時の効果効能は全く変わらずに存在したということもですよ。
ならばその効果効能自体が、法華経の功徳でもなければ、仏陀の存在で
あるとかとも全く無関係に存在したものであると言わずしてナンと結論付ける
ことができますか?
さて、おじゃまだと言う人も居るのでまたと致しましょうか、では無意味な
罪悪感からの早期の解放があることを切にお祈しております、ではまた。