782 :
デタラメ君です。:2007/12/25(火) 21:22:40 ID:sVHvmT2b
>>780 すべては末端から発する真実であり、幹部などではない。従って幹部ほどあてにならないものはない。
783 :
照るくん@てるてる坊主 ◆KvvS7KSt.A :2007/12/26(水) 07:50:04 ID:78RX3vjN
福耳氏
貴方かなりの雄弁とお見受けするが本家を見殺しか?
お久しぶりでっす☆
やー、一時期何故かエラー(笑)出たので、書き込みしないまま日常バタバタ。
誕生日もなんとか終えて、いい感じです。
未だに、病院の善意なのか配慮なのか、私の至らなさか、障害者自立支援とか頂戴していて、申し訳ない限りです(医療費だけ)。
なのでせめてお疲れな医療現場スタッフに「お疲れ様」と言うしか出来ないですけど。その件は。
>>760祈祷師様
初めまして。こんにちはー^^
誕生日終わったと思ったら、もう年末GOGOです。
んー。なかなか良く読むと「あ、この人は本当はこういう事からこれ言ってるのかも」と考えられたりして、なかなか良い場所ですよ。
総じて言えるのは「みんな言ってもちゃんと聞いてくれないで文句ばっかり言うじゃんか」というトコに来がちですが、そこは人間だもの、てコトで。
そこから自分が何を感じ、自分が何を出来るかを考えるのも面白いかと^^
>>761eco様
お久しぶりです。ごきげんよー♪
他スレで私が女性だという事も言いましたので、女性批判をもししたかったらお応えします。 こっちにどーぞー♪
んでも。他スレで考えてて「あ、それ駄目w」と思ったトコとかありましたが。。。焦っちゃ駄目。例え最悪のビジョンを見ても。その前からずっと言われてるっしょ。「一人立て」。
これは、誰もが他人事じゃない。
>>776デタラメ君です。様
お久しぶりです☆
これはまぁ、御書の引用は(出来るものは沢山あれど)敢えてしません。
「思い遣り 伝わらなけりゃ 思い込み」(即興)
相手を思うのであれば尚更、伝わる為に努力をと個人的には。
騒ぎたくて騒ぐのはお好みだからなーんも言いません。
男子部・女子部で「今の世間でのこの誤解を解くのに、誤解要素は誰でも簡単に言えて、それを解くのにどれだけの時間がかかるか・・・」とため息吐く人も居ますが、まぁそれも苦労したから乗り越えた時は嬉しいでしょう。きっとね。
>>731幸耳様
お久しぶりです^^
書道の話、とても解りやすくて感謝感謝。
なんでも書けばイイってもんじゃナイ。
「基本ルール」が前提なんですよね。小学校1年で書道教室(大人向け)に行って1年泣き続けて辞めさせてくれと親に懇願した頃が・・・w
いきなり「最低100回以上。精神統一が出来るまで墨を磨れ」ですから。背筋が悪い、心が乱れていると叱られ倒したにがーい記憶。
でも、個性個性と言われる時代。「個性を訴えたければ最低限のルールと常識を守ってから」というのを言われがちな昨今。
そういうビジネス書すら出てるし。「非常識に稼ぐ!」なんてモノですら、一定のルールの上に成り立ってるという罠。ソコからが自分次第。
自由の裏には責任が当然セットという「責任」放棄して「自由でいいなー」って・・・。
>福耳様
お久しぶりです。相変わらずで何よりです^^
「ここでの役目」を果たそうと頑張っているあなたもまた、素晴らしいと思います。
コピペだけかもなのかもしれませんし、或いは違ったとしても。
レスの流れに合わせて(更に自分が指摘したいコト含めて)コピペするというのはなかなかデキナイですよ。他の人もやってみりゃワカル。
>>735サン
別に傷の嘗め合いしたかったら来ないって。
論争挑むって、ナニしたいん?論争したいならキミが挑め。
近況。
凄い尊敬していた婦人部長様がお引越し。
「あれ?あれ?ちょ、コレは?」と思う事々も数あれど・・・。
婦人部行ったら少しでもお役に立てるように、という心の誓い虚しくお引越し。
「拠点にするには狭いので、せめて休憩所に部屋を使ってください。お近くでしたらそれこそ約束の時間前にお茶飲みに」と珈琲紅茶緑茶その他は得意だったので言っていたら「ありがとう。そんな風に言ってくれるのは○○ちゃんだけよ」と言われ。
ンナ訳ないじゃん。でもその個性それぞれを受け入れての言葉だな、と思っていたら・・・。
・・・役職ついた人だから、やって当たり前と思う人も多かった模様。
幹部しかり。
今はそうかもしんない。その前はどーでしょ?
そういうの込みで「あんたらは信心でメシ食ってるから」と言えるものなのか。
いや、確かに「ちょ、下品過ぎでしょソレは」と思う幹部のヒトも居ても。
「裏方に徹する」を公の場でするのがスポークスマン。
おかしくなればそりゃー消える。誰に指導されんでもね・・・。
788 :
祈祷師:2007/12/26(水) 15:34:35 ID:W6CL+8EH
>>785新入会員さん
はじめまして。
レス、ありがとう
>なかなか良い場所ですよ。
そのようですね、わかりますよ。
貴女のハンネ通りとは思えない堂々たる過去レス、
拝見させていただきましたよ。
非常に関心をいたしました。
貴女個人の人格もそうなのでしょうが、貴女の廻りの同志の方々も、
さぞや素晴らしい人の集まりだろうと察します。
これからもよろしくお願いします。
789 :
祈祷師:2007/12/26(水) 16:06:58 ID:W6CL+8EH
>>788訂正
誤 非常に関心をいたしました。
正 非常に感心をいたしました。
失礼でした
790 :
デタラメ君です。:2007/12/26(水) 19:21:37 ID:1kRw1MBm
>>新入会員さん
お久しぶりです、お元気そうでよかったです。なんか私にはとても難しいこと
書いてくれましたね、これで悩みの種が増えお題目にも力が入りそうですどうもありがとう。
それにしてもネットというのはメリットもあるがデメリットもあり、遠回りになる書き込み
にいら立ちを覚えますここは辛抱ですね。
>>照るくん@てるてる坊主 ◆KvvS7KSt.A
照るくんいらっしゃいませ、あちらでは大変ですね。ここで息抜きしていきませんか?
ここはスレ通り避難する処ですよ!ごゆっくりしていってくださいね。
791 :
幸耳:2007/12/26(水) 21:26:07 ID:BBLqOvJt
>>786 新入会員さん、こんばんわ
恐縮です。もっぱら、最近はゆっくり硯(すずり)に向き合う時間がありません。
>いきなり「最低100回以上。精神統一が出来るまで墨を磨れ」
実は、私もこういうのは好きじゃないんですよ。
“道”というものは確かに存在しますが、日本人は少々窮屈に捉えがち。
基本は“楽しめ”ですから、自由に向き合い表現すべきだと思っています。
のびのびと書いたら結構いいものができっます。人生そのものと似てますよ。
学会活動からも少し“悲壮感”を排除したいものです。
・・・とまぁ、またその話題にもどっちゃいましたねw
>祈祷師さん
どうもこんにちは、ありがとうございます^^
廻りの同志の方々も、まぁ「なんだか元気なのが来たなーw」という感じで可愛がってくださってます。活動自体はあんまり活発でもないかもしれませんねー。会場行っただけでもう「エライ」みたいな。笑
ほんっとに嫌々来てるのを隠そうともしない方もいらっしゃいますよ。苦笑。
でも、好きも嫌いも表裏一体。本当にどーでも良かったら無関心になるでしょう^^
なので大嫌いになってみるのも、特に2世の方などは良い経験になるんじゃないかなっと思ってます。笑 (私自身を折伏した相棒がそうだったんでw)
そこで誰に会い、誰と触れ、誰と語らい、どう思うか。それが全部経験なんじゃないかなーっと(うわー、ナマイキw)
今後ともよろしくです^^
>デタラメ君です。さん
ちょいまだるっこしかったですね^^;
まぁ「こう思っての愛ある行動」というのが、「実は自分の都合いいようにモノゴトを動かしたいだけ」ではないのか?という疑いは、私の中に常にあるので、ついデタラメ君です。さんなら解ってくださるかなー?と思ってもらしてしまいました。
変毒為薬。
何を毒と思うかは人それぞれでも、どれでも薬に出来ちゃう貴方と私じゃーないですか♪
>幸耳さん
いや、1年で逃げましたw
幾ら超!近所だったとは言え、幾らなんでも無理がありました。爆
大体6歳の「落ち着く事」すら知らない子供に「精神統一しなさい。心を静かに」とか言っても「せいしんとういつってなーにー?」の世界ですよw そりゃもうプルプルしてました。
ただ。
「何故そうして最低100回墨を磨る必要があるのか」
「どうして心を静かにする必要があるのか」
これを後々になって思ったりする訳ですよ。笑
ゼンゼン関係ない、後になって。
そうすると「あー、その方が確かに自分が書きやすいや」ってなってくる。そうなってくると、面白くなってきたりする。
・・・前に挨拶がてら区活の席で一言って時があったのですが、丁度「心をひとつにして」のところで。先に触れたように、ひとつにゼンゼンならない状態でも。
「右も左も解りませんが、どうすれば心がひとつになるかまるっきり解らない時には、形から入って同じ姿勢を取って、導師の方に合唱するように唱題の音を合わせてみるとか。
その時に【心を合わせよう】という気持ちは既にある訳だから、やってみます」て言ってみたら、中学生にウケました。。。w
唱題する時の声が和音になって、合唱状態になったら綺麗でしょ?笑
すいません、相変わらず単純ですw
794 :
◇福耳◇:2007/12/27(木) 16:25:37 ID:???
■仏教がインドでなぜ、滅んだか
思索を続けたネルー首相が至った結論は『仏陀の神格化が行われたためである』
本来、仏教は『人間の生き方』を説いたものであった。『このように生きよ』『人生をこう生きよ』と、我が身で教えた。そこには“師弟の道”があった。
しかし、いつしか『人間・釈尊』は権威化され、“人間を超えた神”とされてしまった。
そうして『仏』が“ありがたく礼拝する対象"であっても、『その生き方に続く』存在ではなくなってしまった。
そして師弟の道も見えなくなった。
仏教が『人間の生き方』でなくなったとき、インドでは、仏教は死んでしまったのである。
広宣流布を目指す信仰と、ただ拝んで幸せになろうという信仰の違い、
また創価学会と日顕宗の根本的な違いもここにある。
創価学会は、仏を師弟の道でとらえた。師の生き方に続くのが、弟子の道だ。
だが既に仏教の本義を忘れ、師敵対の宗門には“師弟”が存在しない。(
>>642 日顕宗「学会から師弟論を外せ」)
釈尊との師弟、日蓮大聖人との師弟、そして折伏の闘将である三代会長との師弟の道の中にしか、生きた仏教は存在しないという信仰の根幹を自らのものとし、不二の実践を貫いてまいりたい。
795 :
馬ー鹿 自公民党なんか来年になったら どうなるか!? 笑:2007/12/27(木) 16:33:51 ID:VyXiw2tZ
ー
796 :
!:2007/12/27(木) 16:37:27 ID:VyXiw2tZ
馬ー鹿 自民党は創価に食べられた 来年になったら どうなるか!?
797 :
デタラメ君です。:2007/12/27(木) 18:51:29 ID:9f4t44NI
>>792新入会員さん
私は現実の世界では通用しない人間であると考えております。しかしここではどうかな?なんて思って
挑戦してみようと思い、始めたのです。これが意外といい感じなわけで、癖になりそうです。
貴女の言う変毒為薬、その通りだと思います。そこからすべてが始まるのですよね?自分が知らなかった自分が見えてくるのです。
なんでも吸収しようという若い心のなせる技ですかね?
798 :
祈祷師:2007/12/28(金) 00:01:50 ID:NXuVuyAZ
>>792新入会員さん
こんばんは。
>好きも嫌いも表裏一体。本当にどーでも良かったら無関心になるでしょう^^
>そこで誰に会い、誰と触れ、誰と語らい、どう思うか。それが全部経験なんじゃないかなーっと(うわー、ナマイキw)
自分の周りで起きる事の本質を見、今後の糧とする。
出来そうで、中々難しいものです。
すでに、それをお持ちのあなたは素晴らしい人です。
信心を始めてどれ程かは解りませんが、これからも研鑽に励み
その眼に磨きを掛け、堂々たる指導者に成長されんことを僭越ながら
祈ります。
あなたのような新入会員が、わが愛する創価学会に存在することを
誇りに思います。
‘薫れ生命の青春桜‘
799 :
耳福:2007/12/29(土) 22:51:11 ID:???
師弟不二は池田先生の神格化ではないでしょう。それを外部の人たちは池田先生神格化と見て、カルトとか言っているのでしょう。
馬鹿な奴等ですね。ステレオタイプでしょう。
800 :
耳福:2007/12/29(土) 23:00:06 ID:???
>>798 祈祷師さん。猛烈に祈祷しても祈りが叶わなかった時に、人は退転するのでしょうか?
例えばナンバーズの宝くじを当てる為に10時間唱題して数字を書いて、当日抽選場に
行って外れた場合には、退転するのでしょうか。
また10時間唱題して競馬で大損したら退転するのでしょうか?
801 :
耳福:2007/12/29(土) 23:07:17 ID:???
1日10時間唱題ができる人達は、婦人部で比較的高齢の人達でしょう。壮年部では無理です。
停年退職した健康な60代以上の壮年部でも可能でしょう。
802 :
デタラメ君です。:2007/12/30(日) 00:25:53 ID:Qy5tlfOU
>>800福耳氏
えっ!?金儲けするのに信心を利用する輩の話ですか?
803 :
◇福耳◇:2007/12/30(日) 01:03:56 ID:???
804 :
◇福耳◇:2007/12/30(日) 01:13:59 ID:???
●トインビー博士は、大著『歴史の研究』の中で、ダンテに多く言及されている。
「フィレンツェに於ける生得権を失うことによって、ダンテは世界の市民権を獲得した」(『歴史の研究』刊行会版第6巻)
すなわち、追放によってはじめて、ダンテは狭い「フィレンツェの市民」から「世界市民」となった。また、時間・空間に縛られた現世の枠から解き放たれて、「永遠」を祖国とする人間になっていった――と。
それは、運命の「挑戦」に対する、最高の「創造的応戦」であった。ここに“偉人”と呼ばれる人に共通する“人生の軌道”がある。
存在が大きければ、当然、圧迫も大きい。しかし、圧迫が大きければ、より大いなる知恵と力を振り絞って活路を開いてゆく。迫害の嵐をも、上昇への気流へと変えてゆく。
この執念、この創造的精神をもって一生を戦い抜いた人こそ偉人である。
書くこと、語ること、歌うこと――ダンテにとって、それは全生命を賭けた「戦い」であった。
中国最大の歴史家・司馬遷は、権力による理不尽な迫害に耐えて耐えて、不朽の『史記』を完成した。彼は言った。
ベートーベンの「第九交響曲」が多く聴かれる年末となったが、彼がこの「歓喜の歌」を作った時、彼の生活には何ひとつ歓喜といえるものなどなかった。苦しみの底にあって彼は、「歓喜の歌」を自らの“胸中から取り出し”、人類に示したのである。
ダンテも亡命の悲哀の中で死の直前に、執念の書『神曲』を完成した。
トインビー博士は、こうした“人類文化の法則”を知り抜いておられた。
( 続く )
805 :
◇福耳◇:2007/12/30(日) 01:15:32 ID:???
( 続き )
ダンテが『神曲』で意図したものは何であったか。彼はある手紙の中で、その目的をこう書いている。
「この世に生きる者を悲惨から救い出し、至福へ至らしめることである」と。仏法でいえば、菩薩的精神ともいえよう。
『神曲』には「なぜ人間は、苦しく、みじめな状態に堕ちてしまうのか」「いかに生きれば、幸福へと上昇できるのか」という大いなる問いかけが、はらまれている。
『神曲』の「地獄篇」には、大きく九つの地獄が描かれている。それぞれ、「欲望にとらわれた者」「暴力者」「反逆者」などが地獄に堕ちて苦しむ姿を、極めてリアルに表現している。
ちなみにダンテによれば、「反逆」の罪を犯した者の地獄が最も下部の地獄である。中でも、恩人(主人)に反逆した人間は、地獄の最低の場所で、氷の中に永遠に閉じ込められている。また、魔王に食べられ続けている。
彼が、どれほど「裏切り」の罪を重くみていたことか。
もとより、主としてキリスト教的な世界観の範疇(はんちゅう)ではあるが、ダンテは彼なりに、厳しき「生命の因果律」を垣間見ていたといえよう。
イギリスのある詩人は『神曲』について、「永遠の正義の法則」を表現しているとし、それは東洋の言葉でいえば「業(カルマ)」の法則であると論じている。
尚、『神曲』の元々の原題は、「喜劇(喜曲)」である。「神聖な」という語は後世に加えられた。
なぜ、「喜びの劇」なのか――。それは、始めと途中は苦悩の劇であっても、最後の幸福な結末(至高天への上昇)を迎えるからである。
ここに、“苦しみから喜びへ”という「宿命への挑戦」の心を読み取れるかもしれない。
【第18回全国青年部幹部会 池田会長スピーチ 1989-12-09 創価文化会館】より。
( 続く )
806 :
◇福耳◇:2007/12/30(日) 01:17:44 ID:???
苦難という溶鉱炉は、ありとあらゆる虚飾を剥(は)ぎ取る。
絶望と懊悩(おうのう)の果てに裸の自分がさらされる。
深淵(しんえん)の底から、偉人達が発した光は何だったのか。それは、経済的成功や名聞名利とは無縁のものだった。
生命の本然から発する創造性が、希望の光となって人類を照らしたのだ。
この光を、万人の胸に灯(とも)そうとされたのが釈尊であり、日蓮大聖人だった。
池田門下生であるならば、最も苦しい時に最大の福運を積んでいることを確信しながら、堂々と一生を歩み抜こう。
807 :
デタラメ君です。:2007/12/30(日) 07:41:21 ID:Qy5tlfOU
>>福耳氏
あまりにも砕けた話だったからびっくりして確認しなかった。すまそ_(_^_)_
>>806>深淵(しんえん)の底から、偉人達が発した光は何だったのか。
「絶望の淵より甦る」原島崇著 がその体験を書いたものでしょう。
せめて代作にすこしの反省心、すこしの信仰心があれば、こういう
懺悔録を出せるのでしょうが・・・
日蓮大聖人どころか弟子たちにも劣る代作を指導者と錯覚して
いては、日蓮大聖人の信仰は貫けないでしょう。
ましてや、日蓮大聖人という主師親三徳具備の宗祖をないがしろ
にして天下取りに狂奔し、弟子を地獄の道連れにしようとする
代作が師匠であるはずがありません。
師と錯覚してる人は、地獄にダイッサクが行くなら、救ってあげる
のが弟子の道ですから、救ってあげましょう。忠言することです。
私も地獄へついて行きますというのは、面従腹背の似非信仰者です。
809 :
◇福耳◇:2007/12/31(月) 16:30:03 ID:???
――私は、たとえ刺されようと、撃たれようと、広宣流布のため、会員の方々のためなら「死」さえ厭(いと)わない決意できた。
少々の批判などに動ずるはずもない。皆さま方のためには、“屋根”にもなろうと、我が心に誓ったままに進んでいくのみである。
私は、皆さま方のためなら、どんな労苦も厭わない。これまでも書きに書き、話しに話し、数え切れないほどの人と会ってきた。例えば現在、
私のもとにいただく手紙だけでも、毎日、かなりの数に上る。しかし、その一通一通に可能な限り、真心を込めて対応している。
いかに激務が続こうとも、仏子の幸福を念じて戦う日々にこそ、信仰者としての最高の思い出が刻まれてゆくことを確信しているからである。
【第22回本部幹部会 1989-10-24 池田会長スピーチ/創価文化会館】
■指導の原文は「うたれようと」となっている。これでは、「打たれようと」とも受け取れる。
だが、その後の「『死』さえ厭わない」との文脈で考えれば、「撃たれようと」と表すのが正しいと私は判断した。
昭和33年(1958年)12月7日、両国の日大講堂で第7回男子部総会が行われた。
戸田先生の逝去から8ヶ月――。3万5000人の代表が集い、学会を取り巻く風評をはね返す、怒涛の勢いに満ちた総会だった。
この席上で、突如、演壇裏から暴漢が先生を目がけて駆け上がった。
瞬時に二人の青年が体当たりを食らわせ、事なきを得た。師を守ったのは、多田省吾さん(元公明党副委員長)と山口康宏さん(初代文京支部長)である。
こうした現実があって、この指導があるのだ。
果たして、弟子の側はどうだろうか? 寸分も違わぬ心であれば、初めて師弟は不二となる。
「どんな労苦も厭わない」決意と実践があるか否かを我が胸に問う。
師の心を、どこまで我が心に感じているか。それが、我が生命の電圧となるのだ。
810 :
◇福耳◇:2007/12/31(月) 16:41:05 ID:???
−−−創立者として、我が大学、我が学園に集い、馳せ参じた諸君の人生の“勝利の栄冠”を、ただひたすら祈っている。日々祈り抜いている。
その思いの深さは誰人にもわからないであろう。
仮に諸君が、一旦は社会で敗北し、また、人生の苦境に陥ることがあろうとも、すべての人が見放すような事態になろうとも、私だけは絶対に諸君の味方である。
誰が知らなくとも、誰が見ていなくとも、私は生涯、否、永遠に諸君を見守ってゆく決心でる。
常に諸君を守り、諸君のために戦う一生でありたい。これが創立者としての私の心情であり、一念である。
そして、やがて諸君一人ひとりの頭上に、勝利の証の月桂冠をこの手で飾り、この手で祝福してあげたい。その時、私はどれほど嬉しいか。どれほど誇らしいか。そのことを人生最大の楽しみとし、私は生き抜いてゆきたい。
【創価教育同窓の集い 1989-11-05 創立者スピーチ/創価大学中央体育館】
■忘れようにも忘れられない指導の一つ。
創大を出たとか、出てないとかはどうでもいいことだ。
こういう心を持つ人が、世の中に存在するという事実を私は知った。人間性の極地が仏であることを悟った。
師の心から受けた衝撃の数々は、轟くような余韻となって今も尚、胸の内に響き渡っている。死ぬまで消えることはない。
811 :
◇福耳◇:2007/12/31(月) 17:03:18 ID:???
◆本年最後のレスにあたり、皆様に御礼申し上げます。
閲覧の同志ならびに諸氏、運営の皆様にも、ご理解ご協力感謝致します。
さて、新年を迎えるにあたり友人各位の皆様には、以下過去レスをご一緒にふりかえり、
新たな決意を持って歩んでゆいこうではありませんか。
■官僚主義は、人間から魂を奪う。 学会の草創期は清流の時代だった。それでも官僚は存在した。
参謀室の足を引っ張り続けた理事室である。
池田先生の著書『若き日の日記』をひもとけば、その一端が窺える。(
>>748 参照 )
■先生は、文字通りたった一人からの大闘争であった。全く光が見えない位置からのスタートだった。
しかし、先生の一念には広々とした世界広布の緑野が描かれていた。
その先生の一念が今や現実の姿となって現われている。いかなる不可能をも可能にする人間革命の余りにも熾烈なドラマであった。
これこそ、どのような時代になろうとも絶対に忘れてはならない“創価の魂”である。
(
>>640 〜
>>644 参照 )
以上、閲覧の皆様のご健康とご多幸をご祈念しつつ。
812 :
平和創価:2008/01/02(水) 20:15:25 ID:???
>>811 本当にそうですね。名聞名利に毒されて信心を失った人は大勢いますからね。
813 :
平和創価:2008/01/02(水) 20:20:47 ID:???
やはり、唱題第一、信心第一ですね。信心と仕事が融合している状態を、いかに継続させるかですね。
国会追求で、今年の創価大入学志望者が・・
牙城崩壊w
815 :
平和創価:2008/01/02(水) 20:29:00 ID:???
今日は先生の80歳の誕生日ですね。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 21:27:20 ID:QVjtONEi
としと
耳も間はにら
乗りのりに栗
ナノなの
荷に利まり
パート23がたっているからあっち行って書き込みしようぜ。
823 :
デタラメ君です。:2008/01/04(金) 19:49:17 ID:0dgeed51
新入会員さん、幸耳氏、福耳氏、祈祷師氏、そしていつかの529さん、他のここを
ご覧の皆さん、
新年、明けまして おめでとうございます。
昨年は皆さんの書き込みにより得ることの多き年でありました。
これは一重に皆さんの慈悲によるものであり、感謝の一言以外に言葉はありません。
本年度は「人材・拡大の年」、昨年の皆さんのご意見、又激励を心に刻み、現実での世界での挑戦の年
と決め、内部の境涯革命を心見たいと思っております。どうかこれからも皆さんの身の周りの出来事など
なんでも書き込んで、それを糧としていけるスレのしていきたいと思いますので宜しく、お願いします。
>>809>多田省吾さん(元公明党副委員長)と山口康宏さん(初代文京支部長)である。
その山口さんは、60才前にして 突然の死。多田省吾さんも奥さんの多田時子さんとともに
すでに死亡。師匠だけヌクヌクと わがまま放題でブクブク太り80歳まで自己保身の人生。
外向きの姿と内面は違い、福耳君の講演引用は、代作にしても自己宣揚の偉人化伝説。
実態は、自分を守れ!代作の為の奴隷になれ!人を殺せと言ったら殺せるか!
地獄に師匠が行くのについてくるか、エゴイストそのもの。
日蓮大聖人の生き様とは天地の相違。大聖人に破門され除名されたのは当然至極。
>>806>深淵(しんえん)の底から、偉人達が発した光は何だったのか。
「絶望の淵より甦る」原島崇著 がその体験を書いたものでしょう。
せめて代作にすこしの反省心、すこしの信仰心があれば、こういう
懺悔録を出せるのでしょうが・・・
日蓮大聖人どころか弟子たちにも劣る代作を指導者と錯覚して
いては、日蓮大聖人の信仰は貫けないでしょう。
ましてや、日蓮大聖人という主師親三徳具備の宗祖をないがしろ
にして天下取りに狂奔し、弟子を地獄の道連れにしようとする
代作が師匠であるはずがありません。
師と錯覚してる人は、地獄にダイッサクが行くなら、救ってあげる
のが弟子の道ですから、救ってあげましょう。忠言することです。
私も地獄へついて行きますというのは、面従腹背の似非信仰者です。
826 :
◇福耳◇:2008/01/08(火) 22:13:42 ID:???
■新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
先生が80歳を迎えられた。今この瞬間に、師と共に存在する不思議を思う。
師を頼み、師に寄りかかり、師に甘えるエゴを省みる。
師亡き後に、立てるか否かを問う。
その時、組織で成すべきことの意味を知るだろう。
信心即生活、仏法即社会こそ、信心の王道だ。
釈尊亡き後も、大聖人亡き後も、教団が分断している歴史の現実がある。
多くの門下生が右往左往し、【官僚】と【戦士】が判別されることだろう。
『一将功成りて万骨枯る』・・・師匠に対する功を貪る“組織の寄生虫”となる官僚。
私の嫌いな創大生が(笑)、“民衆厳護の要塞”となるか、あるいは“官僚育成機関”となるかで、学会の命運が決定する。
私は、官僚という官僚に鉄槌を下しながら、道を進むだろう。
そして、師亡き後になって初めて、「師弟共戦」の意味を知ることになるのだ。
827 :
◇福耳◇:2008/01/08(火) 22:37:06 ID:???
●創価学会の誉れの伝統精神
徹底して現場の声に耳を傾け、一人ひとりのために真摯に行動し抜く
――ここに真実の指導者の姿がある。私は、戸田先生の戦いにそのことを学んだ。
戸田先生はよく質問会をもち、悩みの人の声を丁寧に聞いてくださった。当時、本部の会長室にまで、多くの会員が指導を受けに来ていたものである。
一人ひとりの苦悩や課題に対し、先生は常に明確であられた。即座にわかりやすい言葉で回答され、温かく包容された。
真心の励ましで希望と勇気を与えられ、会員はそれまでの苦悩がウソのように晴れ晴れと、強い確信に満ちて帰路についていった。
悩める庶民に対して、どこまでも真剣であり、誠実であられた。ここに創価学会の誉れの伝統精神がある。
ゆえに会員に対して、いい加減な態度で接したり、傲慢に振る舞うような幹部は、この尊い伝統を破壊する「悪しき人」に他ならない。
どうか皆さま方は、苦しむ同志に対して、ある意味でその人以上に悩み、考え抜く、「同苦」の心で誠実に激励していただきたい。
【第24回本部幹部会 池田名誉会長スピーチ 1989-12-20 創価文化会館】
828 :
◇福耳◇:2008/01/08(火) 22:38:50 ID:???
…が、しかしだ
■最前線で戦う学会員は、本当に善良な方々が多い。一方、幹部はといえば、勘違いしている連中が多く、仕事もしてないクセに踏ん反り返っている。
まともな幹部は、10人に1人もいないだろう。舎衛の三億に照らしても、せめて3分の1程度がしっかりすれば、組織は牽引できる。
組織のあちこちに歪(ひず)みが生じているのは、「一人の悩みを解決できない」ことに起因している。
自分の手に負えない問題を聞くと、「とにかく祈っていこう!」「とにかく先生に応えていこう!」「とにかく頑張ろう!」という馬鹿げたアドバイスをする幹部が多い。
「とにかく」の一言で、相手の悩みを無視しながら平然としている。
まるで、捨閉閣抛(しゃへいかくほう)だよ(笑)。
面倒なことは、「捨てよ」「閉じよ」「閣(さしお)け」「抛(なげう)て」。
西山昭彦氏の著書『スーパーサラリーマンは社外をめざす』(読売新聞社:絶版/1996-05-07発行)で日本企業を蝕む病への指摘は鋭く、学会を蝕む問題と酷似している。
組織内部に費やされるエネルギーが大きいため、外に目が向かなくなっているのだ。エネルギーというよりは、負荷といった方が適切だろう。
「集まる」こと自体が戦いと化し、指示があった時だけ、思い腰を上げて友人のところへ向かう――そんな会員ばかりをつくってしまってないか?
これが、どれほどおかしな事態か理解する人は少ない。歩兵が将軍の方を見つめながら、後ろ向きで敵陣を目指しているのだ。
あるいは、大地を割って登場した地涌の菩薩が、たむろしたままどこにも行かないような姿だろう。
挙げ句の果てには、地面の中に引っ込むのもいるよ(笑)。
今はね、まだいいんだよ。先生がいらっしゃるから。問題は、先生亡き後だ。
829 :
デタラメ君です。:2008/01/08(火) 22:45:27 ID:Ry4Qf5pB
>>福耳氏
あけましておねでとう御座います。本年一発目から笑ってしまいました。
癒し系はいってませんか?いい感じですよ!。
830 :
◇福耳◇:2008/01/09(水) 01:12:33 ID:???
■日本企業を蝕む病
>>828でも触れたが、私が日頃実感していることが、的確な言葉で綴られている書籍を見つけた。既に絶版となっているので、引用しながら、個人的な所感を記しておこう。
引用は全て、『スーパーサラリーマンは社外をめざす』西山昭彦(読売新聞社:絶版/1996-05-07発行)より。
西山氏は、中間管理職のアンケート結果を踏まえた上で、「過度の社内サービス、内部調整、人脈づくり、社内情報収集などが起こり、付加価値創造に結びつかないエネルギーが過剰に費やされる状態」が企業に蔓延していると説明する。
つまり、本来であれば、会社の業績を伸ばすために注がれるべき社員の力が、強制的な飲み会や資料作りなど、無駄なエネルギーとなって浪費する現状に陥っている。
「日本企業を蝕む病」として指摘されているのは、以下の6項目。
【西山】 まず第一に、経済が大きくなるのに伴って企業も大規模化し、組織も複雑になり、人も増えた。その結果として、内務官僚型の人材が輩出されてきた。
一時期、社長室、企画室などといった内部の調整をする部門があたかもその会社の中枢であり、エリートであるとみなされる風潮があった。
ここにおいては、現場第一線で利益を上げる者、またコストを削減する者よりも大規模組織の上に乗って各部門の利害を調整していく、上司のQ&Aに適切に答えられる、資料の作成がうまい、会議の進行がうまいといったコーディネーターが評価された。
調整能力が重視され、調整型社員がエリートであるとの認識が組織に蔓延したのである。
■これは全くその通り。社長室には第一庶務が該当。随分とえばり腐った人物もいた。
また、本部職員の大半は、組織でのトラブルを避ける傾向が顕著。そして、調整型の幹部が増えた最大の原因は、婦人部の苦情であると私は考えている。
婦人部内でしっかりと指導するべき問題までが、上へ上へと伝言ゲームのように伝えられ、壮年幹部が戦々恐々としている(笑)。
831 :
◇福耳◇:
【西山】二番目は、それを受けて、組織を見た場合に、本社と支店、工場といったものの中において、本社の位置づけが非常に高まったことである。
顧客に向かって組織が配列されるという状態ではなく、むしろ本社に向かってすべての社員が隊列をなしている。
支店は本社に厳しく管理されるが、本社をチェックする部門は会社の中に存在しなかった。
地方に行くのが左遷であるなどという見方が生まれた。だれもが本社に行きたがり、居すわりたがった。
また、その本社の中を見ると、経営者を頂点として上を見ながら仕事をするという、内向け、上向けの社員、組織の体質が醸成されてきた。
■詳細を書いてしまうと、完全な組織批判となるため、やめておこう(笑)。現場の意見が尊重されない人事を行っているところは、かなり危ない。
【西山】第三に、モノ・サービスをより安く、より高い質のものを供給するという使命のもとで、社員には、異質性よりも均質性が求められてきた。
また、発想力豊かな異端児はできる限り排除して、協調主義、集団主義で組織の運営を図ろうとしてきた。
そのために人材は、新入社員の採用をあくまで基本とし、これを会社の風土によって染め上げ、また、出っ張ったところを削り取り、同質型の人材をつくってきたわけである。
これをベースとしたのがQCであり、TQC(総合的品質管理)運動であったと思う。それは、モノ・サービスの品質を統一しながら、同時に人材の品質も統一してきたところに問題があり、結果として、創造性の発揮とは対立する結果をもたらした。
■私が最大の問題と考えているのが、これ。人材が台頭してこない最大の要因。幹部は一様に保守化。草創の学会にあっては、参謀室が革新の一翼を担っていた。
理事室という守旧派が、参謀室のやることなすことに反対してきたのが歴史的事実だ。
>>748や
>>811でも触れた。