1 :
マンセー名無しさん:
朝鮮を侵略に失敗し秀吉は失脚し家康が全国を治めました
それから数世紀後、日本は平和に暮らしてた朝鮮を我が領土にしようと
侵略し何十年も植民地支配しました。
今も昔も日本には義がありませんね
俺の大好きな分野と聞いて。
3 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:15:36 ID:1NgLBYnL
朝鮮侵略に成功しても失敗しても義がないとはこれいかに?
端から目標は明国だろ。朝鮮はおまけに過ぎなかったし。
6 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:18:37 ID:dlUQASpb
>>5 投降したんでしょ.。。
|∀・).。oO( 陶工だけに。
>>6 仕事終わったらたっぷりと語りにきてやろう。
あと三時間だ。
秀吉失脚ってなに?
10 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:23:50 ID:t5wF0sOu
怒らないでマジレスしてほしいんだけど
なんでこんな時間に盛り上がれるわけ?
普通の人なら学校や会社があるはずなんだけど
このこと知った親は悲しむぞ?
現実見ようぜ
豊臣家は滅亡したけど、秀吉自身は天寿を全うしてるからね。
天下人にもなったわけだし、秀吉一人に限って言えば、成功者としての人生を全うしたんじゃないの。
12 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:24:11 ID:t5wF0sOu
>>87
怒らないでマジレスしてほしいんだけど
なんでこんな時間に盛り上がれるわけ?
普通の人なら学校や会社があるはずなんだけど
このこと知った親は悲しむぞ?
現実見ようぜ
学校なら夏休みじゃないのか。
16 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:26:35 ID:O2e6DW2I
>>10 業種によるが10時、3時は休憩だぜ。
そういうこと知らないのは学生かな?それとも無職?
17 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:27:12 ID:t5wF0sOu
18 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:27:14 ID:C5zPLOHw
>>10 工場勤めの高卒にはわからんとは思うが
休憩以外にも仕事がない時間って作れるのよ。
T∀・)まぁ人はサボタージュと呼ぶがな!
>>17 >俺は夏休みじゃ
夏休みの午後に・・・(ノ∀`)
20 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:29:22 ID:Brfx4piw
>>5 彼らここが余程気に入ったと見えて日本に骨埋めちゃったんだよね。
>>17 ガキンチョは宿題でもやってろ。
>>17 そりゃなによりだね
|∀・)っ【夏のドリル】 がんばれ
22 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:30:45 ID:C5zPLOHw
>>17くん フルボッコだなw
|∀・).。oO( カワイソウニ…
24 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:32:47 ID:C5zPLOHw
T∀・)思い出す。大学5年のころを。
あの頃は毎日が夏休みみたいなもんだったな。
●-、
r´ - ●
` =='\
| ヽ ウリも夏休み〜〜
UUてノ 朝からビールで鋭気を養ってますw
)ヽ、 xヘ._j ⌒L厂\ __ ノ}
'⌒'´ `⌒Y〉 ,. ┴- ._〈rヘ `´⌒ '⌒ヽ
人 厂 />'' ¨  ̄¨ ''<.X^Y ).
{ V^》'′ V^:| l
:' <^ヾl: : : : | : : : :│ |: : :│: ^> し1
{: : . └r┤:斗┼: : : : | ┼-: :トrく: . . :r'′
. 乂: : : . . : : `└‐ゥ =ミ ―┴ゥ=ミ-! |: : : : . . : : }
Y´ : : : : : :│|.《{ru} {ru}》l |: : : : : : : :.Y′
ゝ:_: : : : : : |小.^'' '' ' `' '゙刈.|: : : : ヽ: :ノ
=彡v: : : : ノ从 > 、 (^) ,.イノ从 rヘ: : :〉′
>>25 . ん : : 〈 ゝミ=ィ > -r<トrくノ ` (: :( それくらいで
. ^Y^'┘Y │|___| | Y^ )ノ ええきになるんじゃ
辷 爿 ├ーーーーー┤ |´ ( ありませんっ!
廴__ 〉 `ー――''′ | _)
|: : :.l |゙ ̄|
|: : : ! | : : l
. |: : : |l l|.: : :|
,′: :从, 从: : :’
そんなことより議論しようぜ
●-、
r´ - ●
` =='\
| ヽ なっちのを聞きたいので、3時間待ちますw
UUてノ
>朝鮮を侵略に失敗し秀吉は失脚し家康が全国を治めました
一般にヒデヨシの唐入りと言われているのですが…
この場合「唐」ってどこの国だとおもいますか?
>日本は平和に暮らしてた朝鮮を我が領土にしようと
平和に暮らしていたと言うのはどういうことでしょう?
大清属国の旗を掲げることですか?
事大していた「清」が無くなったことが原因ですか?
32 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 15:53:04 ID:bCFsdhEr
>>28 _ ,,
/ 土/
/ 用/
/ 丑/
/ に/
/ は/
∧,,_∧ / 鰻/
<∀´;#> / 重/
キコ O┬O _〉/ ̄ "
キコ ◎┴し┴◎ 3 3≡3
>>33 ダウト!うな重は文政年間に あったのかな・・・?(w
「本日土用丑の日」 「うの付くものを食べよう」
ソース:明和誌(文政5年)
>>34 >「うの付くものを食べよう」
朝鮮人には勧めてはいけませんよ。
>>34 /)
///)
/,.=゙''"/
/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
>>36 結構むかつくんですよね > そのやるおくん・・・w
つか、議論しようぜの人何処?
唐入りを鋭意検索中ですよ、っとw
>>1 3文字目を縦読み。つまり楽しい歴史であったというメッセージ。
を
か
し
昔
>>39 立て逃げしたようだ。
那智ニムのうんちく見られると思ったんだがなあ。
>>39 まだ1時間ちょっとしか経っていないぞw
>>40 どうせやるなら・・・
朝鮮 は失脚し た
日本は平和に暮らし
ました。
今も昔も日本 ね
ぐらいやりましょうよw
>>43 日本人は 歴史を見直し 謝罪しろ
やさしく、偉大 な 朝鮮人 を繰り返し ひどい目に会わせ
豊かな国を蹂躙し た 日本人
在日朝鮮人全員 に謝罪しろ!
死ぬべきだよ! 嘘をつきまくる 日本人
韓民族 は、この歴史を忘れない。
>>43 負けた・・・orz
|∀・).。oO( 流石ヨットさんw
いなくなったなら、寄り道してかーえろっと。
ニダー板からのコピペニダw
ウリにこんなたいそうなもん作る技術はないニダ…
>>47 ニダ板にヨットさんが書き込んでいたっていう可能性は? @下駄箱風w
49 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 17:40:24 ID:RH84jrJA
なんだ、いつもみたいに明&朝鮮大勝利wwww
戦国オールスターでもボコられた日本の武士雑魚杉wwww
とか言ってホルホルしたりしなくていいのか?
こっちは早くウリナラ大勝利電波を論破したくてウズウズしてるんだが
>>48 1回だけ途中でソースもどき投下したけど、流石に今日はあのスレ読んでないニダ
ループばかりで…w
そうか、わかった。だけどこれはどうだ?
ハングル板ではなく東亜板からニダー板に書き込んだという可能性は? @下駄箱風味
今ちょっと別の動きになっていますよw > 土器関係w
52 :
ジョンイル坊や ◆Skh4W/BVqg :2009/07/29(水) 18:01:42 ID:O2e6DW2I
やはり時々覗いたほうが良い。
γ´ ̄`ヽ
│LiLハ i_|
│ii ゚ -゚ノi| この
>>51-53、飯研へ流します
..jハ∨/^ヽi .
.ノ::[三ノ :.'ヽ . . ┳━┳
/\ . i)、_;|*く; ノ <ヽ`∀´>ノ<ヽ`∀´>ノ /\ ....┣━┫
\ \ .// |!:::."..T~ .ノ(ヘヘ ノ(ヘヘ ./ ./ ::::::::┃. . ┃:::::
. |_ . ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ._| ::::::::::::::::::::
::::::::::::::::\... ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ./::::::::::::::::::::
容赦ねぇなwwwwwww
>>56 ●-、
r´ - ●
` =='\ いや〜、普段が普段だからさぁ・・・ついw
| ヽ 他の人も、異論はないとおもうなw
UUてノ
……やっぱり先に流しといて正解だったんじゃね?w
>>60 ●-、
r´ - ●
` =='\
| ヽ ですなw
UUてノ さて、涼しくなったかなぁ〜〜買出し行かねば・・・
ア異論…?
>>66 そうぢゃねぇw
呂氏とは別の炉を扱って(ry w
|∀・).。oO( 弄ると熱い液体が穴の奥から(ry
>>68 「アッ、るみ…にゅぅ…無理!」なお仕事でもいいかと…w
>>69 「すず、どうちたん?」とかは関係ないんですか?
71 :
辻小蠅:2009/07/29(水) 19:25:21 ID:WlLPJWcx
А_A*
( ●_●") 日本は早く謝罪するのよ。
+ + つ
/」ф _\
UU
>>70 上手いなぁ…
|∀・)っ【寒気団団長の座(和尚どのの次)】どぞ
金属なスレはここですか?
>>72 和尚殿の前に那智君が入るから、ウリが存命中に出番はありませんね。
77 :
蓮台寺携帯:2009/07/29(水) 19:32:31 ID:yxnFglXB
>>73 団長殿と六四六殿が全力で冷間鍛造の真っ最中です。
79 :
蓮台寺携帯:2009/07/29(水) 19:39:28 ID:yxnFglXB
>>78 団長殿には液体窒素すら生ぬるいのです。
私や神主殿が団長殿に遠く及ばないのも当然かと。
>>78 天敵とはいえ、幼女の姿をした相手に、液体窒素ぶっかけて凍らせてから打ち砕くとか、
よくそんな冷酷非道でナイスな作戦考え付きますね。
>>77 おっ?
総寒気団員の創意に基づく寒気団象徴の蓮台寺どのだ。
|∀・)ノ マンセー!
冷汗鍛造イクナイ。
飯研に移送されるニダ。
83 :
蓮台寺携帯:2009/07/29(水) 19:43:44 ID:yxnFglXB
>>80 総意でなく創意なのが曲者ですねw
そういう捏造はしょうちょう良くないと思います。
85 :
蓮台寺携帯:2009/07/29(水) 19:49:04 ID:yxnFglXB
orz
アンカーミスのオマケまで付けて・・・
しょうちょう疲れているようです。
秀吉の出兵に義弘は居たけどね。
87 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 21:51:21 ID:t5wF0sOu
日本人は朝鮮コンプレックス
88 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 21:52:28 ID:DaQYwi61
キムチ・・・氏ね・・・・・・・・・
89 :
マンセー名無しさん:2009/07/29(水) 21:57:52 ID:uG7GJoJK
あれ? 朝鮮出兵のお話は打ち止め?
●-、
r´ - ●
` =='\ ったく、この板の寒気団は、ちっとも役にたちゃしねぇ・・・
| ヽ あちーぞ
UUてノ ついでに、水まんじゅう買い忘れたぞ・・・orz
>>90 自分が夏休みなんだから他にもそういう人がいるってことは考えないんだなw
まあホロン部だし仕方ないか
ましてや社会人のことなんてわかるはずもないし
93 :
マンセー名無しさん:2009/07/30(木) 01:21:22 ID:k3/HD5r1
94 :
マンセー名無しさん:2009/08/02(日) 13:54:05 ID:rhseuo7w
95 :
マンセー名無しさん:2009/08/02(日) 14:08:01 ID:GQlspr81
>>1 勿論
高麗王の王権を簒奪した李成桂には
義はないな
簒奪者の家系はその後も内輪もめで殺戮が続くし
両班という寄生階級に収奪されていたわけだ
96 :
マンセー名無しさん:2009/08/02(日) 21:47:28 ID:uHkIUGzo
秀吉氏ね
どの秀吉?
殺人予告?
>>97 きっと同僚の秀吉(しゅうきち)さんに横領を告発されてクビになったんだよ。
今日の大河チョン出兵の内容が薄くてムカついた。
だから女の脚本は嫌なんだ。
青森のミサイル持ってる羽柴秀吉さんだろう。
秀吉の朝鮮侵略時に日本の武将達が朝鮮に寝返って、朝鮮人に帰化した日本人が住む村が韓国にあるニダ!
彼らは朝鮮半島に初めて火縄銃を伝えた事から紀州の雑賀衆の子孫と思われるニダ!
韓国人は彼らを一切差別せずに大切に保護して来たニダ!
李大統領はこの地を日韓友好の地と定め観光地として予算を計上したニダ!
韓国を訪れた日本人観光客の人気スポットになるニダ!
by TBS
>102
これ夕方のニュースで見て
さすがTBSだと思ったわ
こんなのDNA鑑定かければ一発で嘘か本当か分かる。
>>102 まあ、朝鮮に寝返った連中は、別に「義が無い」から寝返ったんじゃなくて、
「利が無い」から寝返っただけなんだけどね。
107 :
マンセー名無しさん:2009/08/02(日) 22:56:19 ID:tFcwmg73
妄想迷惑馬鹿チョン乙w
108 :
ザパニーズ草:2009/08/02(日) 23:14:21 ID:lao5VdWI
憐れだのう反論あるか?両班(天下り官僚)に逆らえないイルポは憐れだのう憐れだのう反論あるか?お前らがバカにしてるチョソ並みだのう
新手のコピペ?
しかし、義という言葉が一番似合わない国はなあ。
112 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 15:10:23 ID:aquIwSZz
とりあえず鬼島津や加藤がチョンやちゃんころフルボッコにした話しようぜ!
113 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 15:24:03 ID:hFlcwGDw
韓国のぎは偽装のぎ
韓国のぎは疑惑のぎ
>>112 一番首級を挙げたのは鍋島軍なのに、なぜか向こうではスルーだな。
>>114 その鍋島さんが帰国後に日記に書いた一言
「あいつら弱すぎwwwwここまで楽な戦は今まで無かったわwwww」
講和を完全無視した李に追撃された島津義弘も
甥をはじめ全将兵の9割以上が死んだ、関ヶ原での敵中突破とは対照的に
この時は鼻糞ほじりながら悠々と引き上げたでしょうな
116 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 21:17:32 ID:1mep/pM1
項羽・韓信・曹操・李靖・陳慶之・霍去病・徐達・岳飛・彭徳懐
中国にはこういった世界水準の名将が数多くいるのに、朝鮮は自国止まりの李舜臣が限界か
(歴史や人口を考慮したとしても酷いな朝鮮は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
雑魚の小早川秀秋ですら、朝鮮出兵では手柄を立てることができたし・・・・・・
小早川秀秋は、決して暗愚ではなかったんだがなぁ
小早川秀明と李舜臣のどっちが使える奴だったのかな?
>>115 その鍋島さんも、クロカンには「鍋島は弱いから囮にしか使えねーよwwwww」とか言われてるというオチw
>>117 それどころか、大将ながら突撃して味方の危機救ってるんだよね。>唐入り
>>118 どっちも無能では無いと思う。
ただ、李舜臣は過大評価され過ぎ、小早川秀秋は過小評価され過ぎ。
>>120 確かに、那智君に対する過小評価は酷すぎ。
122 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 21:42:22 ID:1mep/pM1
>>117 それはよく聞くけど、実際どうだか・・・・・
自分の領地をよく治めたっていうけど、あそこはすでに前の領主の宇喜多秀家が無理をしたものの
中央集権化がある程度進められていたそうだし
関ヶ原では数では勝っていながらも大谷吉継を倒すのに何度も押し返されたりと苦戦してるし・・・・・・
>>118 政治なら小早川の方が上かもしれないけど、軍人としては李舜臣かな。
精強な当時の日本兵に破れはしているものの唯一逃げずに自軍を指揮して戦った武将だし、
日本側の輸送船を襲った以外目立った功績はないあたり、戦上手とは言い難いものの、不利な正面対決を避け、
相手の補給路を遮断させるという戦略的着眼点は悪くないと思う。
123 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 21:44:03 ID:MUL1ZBOn
>>121 何で俺が出てくるw
俺は寧ろ過大評価w
>>122 あれは寧ろ大谷を褒めるべき。
まあ、ソレでオドシかけたせいで寝返りの決定打になったとも言われてるけど。
李舜臣に関しては同意。
合理性を重視したという意味では、十分に将の器。
>>123 それを議論するスレにした何というか、もう収拾がつかないでしょ。
とりあえず朝鮮人の義とは何かを説明して欲しいですね。
126 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 21:53:34 ID:1mep/pM1
>>124 >あれは寧ろ大谷を褒めるべき
さすが、秀吉に「100万の兵を指揮させたい」という、韓信レベルの褒め言葉を
受けただけある用兵技術だったねあれは
>>126 鉄砲用兵を実に素晴らしく運用した戦術だったね。
北の長谷堂で、最上義光が似たようなことやってるけど。
128 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 21:58:49 ID:PSBVbUbw
ノブナガって朝鮮人なの?
何、この唐突馬鹿は?
> 日本側の輸送船を襲った以外目立った功績はないあたり、戦上手とは言い難いものの、不利な正面対決を避け、
> 相手の補給路を遮断させるという戦略的着眼点は悪くないと思う。
「ちっ、素人が」とだけ言っておこう。
>>122 しかし、最後には島津とガチでやって死んでるからねぇ。
聖将扱いの現在のイメージとは異なり、実際にはずいぶん出世欲は強かったようだから、
慶長の役では目立った戦功をあげてないし焦りがあったものか。
>>130 まあ、直ぐ効果なくなっちゃったんだけどね。
護衛船つけたから。
>>132 >
>>130 > まあ、直ぐ効果なくなっちゃったんだけどね。
> 護衛船つけたから。
それも違うでしょう?
>>130 それがどのくらいうまくいったのかということも、しっかり議論して欲しいですねえ。
最近の中学校教科書を使う身としては。
補給路を断った割には、そのあと北に逃げている戦略の意味が分からないですけど。ぬるぽ
まあ正面からドンパチやる事も必要だけれど、それだけを評価の基準にしちゃいけないよということだね。
日本もその気がある気はするけど、朝鮮人はその感覚からいまだに抜け出せていない気がする
>>133 熊川以東の日本軍の展開してる海域から閉め出したってとこだね。
>>134 ん?今井ニム、復職された?
つか、社会科なの?
>>138 復職しました。中学校社会科です。
何というか、単なる勘違いは暇でしょうねえ。
141 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 22:19:38 ID:1mep/pM1
>>127 >北の長谷堂で、最上義光が似たようなことやってるけど。
彼は根っからの謀将ってイメージがあるけど、意外とそういう面もあったのか・・・・
>>130 でも、戦争は戦術だけじゃないからね。
まあ、李舜臣のやった兵糧寸断はそこまで「あっ」といわせるような奇策ってほどではないけど・・・・・・
>>131 >しかし、最後には島津とガチでやって死んでるからねぇ。
20万(誇張はあるかもしれないけど)の自国と明の大軍を7千寡兵で破り、さらに自国の水軍司令官を敗死させられたんだから、
そりゃあ、鬼石曼子と恐れる訳だね朝鮮側は。
>聖将扱いの現在のイメージとは異なり、実際にはずいぶん出世欲は強かったようだから、
>慶長の役では目立った戦功をあげてないし焦りがあったものか。
左遷もさせられたあたり、政治的立場も相当悪かったんだろうなあ・・・・・・・
142 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 22:21:19 ID:1mep/pM1
訂正
>>141 20万(誇張はあるかもしれないけど)の自国と明の大軍を7千寡兵
↓
20万(誇張はあるかもしれないけど)の自国と明の大軍を7千の寡兵
>>141 上杉軍2万に対し5千で奮戦できたのは鉄砲が大量にあったからともいわれてますな。>最上
これで上泉泰綱が戦死してるし。>上杉
因みに鉄砲を大量に持てたのは酒田港の流通のおかげだとか。
というか最上義光は、大将の癖に自分が真っ先に飛び込んで敵の首級上げるような奴です。
ついでにその後、重臣に怒られます。
因みに長谷堂追撃戦で、また先頭突っ走って銃弾頭に喰らってます。
兜のおかげで事なきを得ましたが。
144 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 22:25:06 ID:1mep/pM1
>>134 まあ、結果的に日本側の快進撃を食い止められなかったあたり、やっぱり将と兵の質の違いが圧倒的すぎたのかも・・・・・
しかし唐入りに関しては資料が少ない……と言うか、無駄な自粛モードに入ってしまってると思う。
何といっても、かの義姫様の弟君であらせられるわけですからなw>最上義光
147 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 22:31:18 ID:1mep/pM1
>>143 >最上義光は、大将の癖に自分が真っ先に飛び込んで敵の首級上げるような奴です。
若かりし頃、父親と狩りをしていた時に襲ってきた数十人の盗賊を撃退したという逸話の信憑性の高さを物語る勇猛ぶりだね
>>141 まぁ、20万はちょっと島津が吹きすぎでしょうな。諸説あるけど
実際には4〜5万くらいだったんではないかと。
ちなみに、露梁海戦でよく分からないのが、明・朝鮮水軍は小西に
背後から挟撃される怖れはないと確信していたのかどうなのかと
いう点だったりしますね。
実際には、戦意旺盛な島津とは異なり、小西は長期の籠城戦を経て
かなり腰が引けていたみたいではあるけど。
>>146 うにゃ、兄貴ですじゃ。
まあ、妹萌えだけど。>義光
>>147 力自慢の勇士殻逃げようとして、登った木ごと引っこ抜かれたとか言うかっこ悪い話もあるけどw
>>148 いや、20万て、あっちの記録でなかったっけ?
>>150 うんにゃ、20万というのは征韓録などの島津の記録の数字。
唐入りに関しては知識が無いのでこういう流れはありがたいw
>>149 あら、すみませんです>兄貴だった
むう、しかし妹萌えか……義姫は実のところ政宗と仲が良かったという話もあると聞きますが、兄の方もそうだったのかな?
154 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 22:43:52 ID:NhYZClIY
∧ ∧
/!.ヽ /:: ヽ
/ > /;,; ヽ
/ ::ナプ ̄ 金. ヽ\ 侵略し何十年も植民地支配しました。
/..:::: ==-、 ' 、-== 丶< 今も昔も日本には義がありませんね。
/* .:.:"" _┃_ "" \
\ #;;:.. .:: lニニヽ| ::::::/
ヽ.;;;//;;#:::`ー‐' # ノ
>;;;;::.. .....;,.;-
i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄!
l 此の者馬鹿につき打ち首に処す|
l______________!
||
||
||
||
||
>>153 実は、『政宗が毒殺されそうになった』って言われている時期には、義姫は出奔してないそうです。
(※出奔はその数年後)
弟・小次郎政道の死因も、実は病死という説もありますが。
因みに義姫の位牌は政宗の御手製だそうな。
義光のほうも、政宗としょっちゅう手紙のやり取りしてたっていうのもありますよ。
小田原参陣の時の「お前、さっさと小田原出てこいよ!」って義光発政宗宛の書状あるそうな。
>>155 なるほど……まあ幼い頃や小田原の頃はともかく、年をとってからはかなり仲の良いところを見せていたらしいですしね。>政宗と義姫
(朝鮮征伐に行く際に、義姫が心配してお小遣いをあげたりしていたとか……まあ、政宗の方が義姫を好いていたのは事実らしいですけど)
というか、実のところ輝宗は「政宗が殺させるように仕向けた」という話もあるらしく……義光が謀将だというのなら、政宗も充分すぎるほどに謀将だと思うんだけどなぁ
>>156 というより、義光より余程謀将だと思うんだけどなぁ、政宗。
和賀一揆とか見ると、詰めの甘さは目立つけどw
ただ個人的には、二人とも内政に卓越した人だと思う。
仙台200万石とか、山形100万石と言われた人たちだし。
158 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 23:18:02 ID:qyy1CIWV
朝鮮軍に降参して戻ってきた秀吉wwwwwwwwwwww
160 :
セイラ・マス・大山:2009/08/07(金) 23:21:05 ID:r94R9cSS
朝鮮人はヒデヨシ自身が朝鮮に行ったとでも思ってるの?
>>158 秀吉が朝鮮半島に行ってないことくらい中学生でもしってるぞ
2ちゃんでレスするのなら勉強したほうがいいよ
義光は俺のご先祖様の主君を病気と偽って見舞いに来たところを暗殺してるのであまり好きではなかったり
163 :
マンセー名無しさん:2009/08/07(金) 23:28:56 ID:tPp5Q5Kh
まぁ、超時空太閤なら縮地なぞ、造作もないだろうがなw
>>165 白鳥さんも地元じゃ祀られたりしてたような。
>>157 松永久秀なんかも領民の評判は良かったらしいですし、謀将タイプの大名って内政力がある人が多いですね。
まあ、やっぱり政治家をやるには黒さが内にあるくらいじゃないといかんか……
>>167 謀将イメージの人って、実際はやたら武辺者が多いような希ガス。
徳川家康とか最上義光とか北條氏康とか。
169 :
マンセー名無しさん:2009/08/08(土) 00:00:43 ID:qyy1CIWV
日本人の朝鮮コンプレックスは異常
>>167 松永久秀・・・信長の野望で、めいっぱい金やって忠誠心上げてやったのに謀反起こしやがった。
次やったとき、捕らえてすぐに首刎ねてやったよw
>>169 そっちの変態趣味はありません。
ロリコンやショタコンは聞いた事あるけど、朝鮮コンプレックスって聞いた事無いよ。(´・ω・`)
k
>>171 MSX版にはそんなイベントなかったしw
>>171 こちらがのぶやぼ(将星録)をやっている時は、なぜかメチャクチャ引き抜きにくい武将になってるんですよねw>久秀
忠誠心をゼロにした上で何回城を落としても、「武士は二君に仕えずでござる」「私は、日の本の伯夷になりたいのです」……まあ、色々厄介なのでもちろんクビはきっちゃいますがw
178 :
マンセー名無しさん:2009/08/08(土) 00:20:48 ID:XVrsemRI
日本は昔から侵略ばかりですね
>>168 ああ……氏康はともかく、家康ってあんまり武辺者ってイメージはなかったですね。
(実際のところ武芸はかなり達者ではあったらしいですけど、その武を前に出すという感じはなかったです)
武があっても武を手段として使いたがらないのが謀将で、武も武として積極的に前に出すのが猛将というところなのかしら
180 :
マンセー名無しさん:2009/08/08(土) 00:24:12 ID:ZdwkVme0
>>167 逆にやれ義の人だとかやれ武骨な人だとかって
イメージ持たれがちな武将が、意外とえげつない事してたりw
直江兼続とか山内一豊とか前田利家とか福島正則とか
>>178 で?
>>179 有馬新当流の奥義皆伝者なんですけどね、家康。
ほかの武術も免許皆伝ばっかりだし。
若いとき、平岩親吉を助けに敵陣に突撃して、平岩を助けて戻った、なんて逸話もありますが。
>>180 特に直江なんて、先に最上領に攻め入ったのに……w
いや、悪くは無いんだけどw
>>181 ああ、なるほど……家康の若い頃って、確かに血の気が多い事を示すエピソードが結構ありますね。
僕は家康って「怒りを小出しに出来る人(だからメチャクチャ恐ろしい)」ってイメージがあるんですけど、こういうのってやっぱり「長生きして我慢して最後の最後に天下を取れたから」っていう事実がバイアスをかけているのかしら
184 :
マンセー名無しさん:2009/08/08(土) 00:46:41 ID:ZdwkVme0
むしろ若い頃は血気盛んだったのが、年をとる毎に
段々老獪さを身に付けていった感じかなあ。
少なくとも三方が原の頃の家康のままでいってたら
小牧長久手や関ヶ原で負けてたと思うw
>>183 家康は割りと直ぐ怒るからこそ、逆にガマン覚えたところがありますから、可能性としてはありますね。
家臣と取っ組み合いの大喧嘩がザラだったらしいですし。
ただ、律義者なのは本当だったと思いますよ。危険なところにも自分から進んでいくし、他大名の弁護もあちこちでやってるし。
でもそれだけじゃなかったからこそ天下を取れたんでしょうね。
>>184 でしょうね。
それにしても小牧長久手の手腕は凄い。
>>185 ……なるほど、それは盲点だった>短気な人間だったからこそ、逆にガマンを覚えていった
ただ、家康が短気とはいっても(それこそ、若い頃のエピソードを見ても)秀吉みたいに「感情のまま意味もなく家族や部下を殺してしまった」っていう話はほとんど見た事ないんですよね。
豊臣家も本当は滅ぼすつもりはなかったらしいですし、根本が優しい人間だったんでしょうな……
>>187 割と義理堅い所もあるんですよ。
桶狭間の近く通るたびに義元の墓参りしてるし。
>>188 何だかんだいって、義元には色々良くしてもらっていたらしいですしね。
そういう義理堅さと冷徹さの同居というのは、ある意味戦国時代でなければ生まれないのかもしれませんな
>>189 家康ほど自分の感情と政治行動を分離して考えられた人物は結構希だと思います。
ただ、そういう人が戦国だからこそ生まれやすいというのはありそうですね。
戦国で生き残った人は、そういう人が多いように思われます。
>>190 個人的には、信長もそのタイプ(あるいは、それにかなり近いタイプ)ではあったんじゃないかと思ってはいるんですけどねー……
(髑髏酒のような残酷系エピソードって実際ほとんど後世の作り話なわけですし、相手を恐怖「のみ」で縛ってるような人間だったら包囲網が出来たときに離反者が出まくって壊滅してると思いますし……ああ、もちろん久秀は除いて・笑)
では、こちらはそろそろ落ちさせていただきます――楽しい話をありがとうございました、それでは!
>>191 実は信長にも、部下を根気よく説得する話があります。
柴田らに「あいつ使えるから頼むよ、な?」って説得したり。
それでは。
ノシ
>>141 > まあ、李舜臣のやった兵糧寸断はそこまで「あっ」といわせるような奇策ってほどではないけど・・・・・・
兵粮寸断とか補給路遮断なんて李舜臣はやっていないと思うんですがねえ?
日本側の確保沿岸に踏み込んでも、朝鮮水軍が滞在時間や戦闘可能時間は僅か数時間ですよ。
> そりゃあ、鬼石曼子と恐れる訳だね朝鮮側は。
そんな痕跡はないようですよ?
>>193 そういえば鬼石曼子自体、「呼称としておかしい」っていう説もあったね。
明側の記録にはあくまで”石曼子”とのみで鬼は付かないので、鬼が付くようになったのは、
たぶん後年の島津の自称でしょうね。清正の”鬼上官”との混同があるのかもしれないけど。
でもまぁ、”石曼子”という字を当てたことには、煮ても焼いても喰えない石の饅頭=難敵という
意味合いではあるようで。
>>195 へぇ〜、初めて知りました。
ありがとうございます。
輸送に関しても、これは個人的想像ですが、半島のインフラが劣悪だったってのが大きいと思うんですよね。
>>196 本国から工業生産品を輸送して大消費する近代戦争を中世に当てはめて評価するのはいかがなものかと。
中世で季を跨ぐような長期戦争は地産地消が基本。何せ本来は軍勢の数倍から数百倍の人口がいるような場所で戦争をするのだから。
そして意外にも李氏朝鮮は人口の割に余剰生産食料が貧弱な上、秩序が少し弛むと生産を放棄して逃散したり略奪に走ったりと自治回復能力を失って共食いですから。なかなかそんなところで戦争はできません。
ただし中世でも弾と火薬みたいな本国から輸送するような例外はある。逆に水みたいな重量物は現代戦でも現地調達されることが多いし。
本来は年貢を現地政府に収めるぐらいの生産力があれば十数万の遠征軍を維持することが可能と考えるのが日本や明の常識、朝鮮はそれが違った。
>>197 そういえば、現地指揮官の統治能力について黒田如水が言及してたね。
>>195 記憶で申し訳ないが、島津の当て漢字について戦中がファーストコンタクトではないでしょ?
琉球経由で明と島津は接触しているわけで、島津の当て漢字は戦前からのものでは?
だとすると、手強いからとは後付け解釈になりますよね。確認情報でないので申し訳ないが。
>>199 用例も示さずに、朝鮮役前から石曼子と呼んでいたに違いないと言われてもw
『日本戦史 朝鮮役』の泗川戦の項には「此一戦、明鮮軍為メニ震駭シ
石曼子ト呼ヒテ甚タ義弘ノ軍ヲ畏怖スルニ至レリ」とあり、私自身も先行用例は
知らんですね。
>>200 >用例も示さずに、
これは手元に資料が無いから後で調べようと思い、明言しているわけですが、次の
>朝鮮役前から石曼子と呼んでいたに違いないと言われてもw
これは何処で言ったことになっているんだろ?疑問は提示しても「違いないなんて」・・・日本語でおk
>『日本戦史 朝鮮役』
この用例提示こそ江戸時代か明治時代の日本側からの後付けじゃないのですか?
後で見てみるつもりですけどね。
>>201 ハン板で資料も示さず思いつきの説を主張してもw まぁ、資料提示を楽しみにしてます。
ちなみに、基本的なことを勘違いされてるようですが、『日本戦史 朝鮮役』というのは
明側については両朝平攘録やら明史やらという史料が下敷きになってますので、
それ以前の”石曼子”という用例を知らんということです。
ちなみに当時の義弘は公的には島津姓ではなく”羽柴薩摩侍従”であり、両朝平攘録では
”石曼子義弘”と表記する一方で、”中路倭将薩摩州義弘”ともあるので文書で伝わったで
あろう呼称はかなり正しく認識していますね。
さて、たいした調査は出来ませんでしたが現状まで。
明確な先行使用は見つかりませんでした。
『明史』で言うと朝鮮伝に3カ所と董一元伝に2カ所、そのうち4カ所が1598年の泗川の戦い関係。
残り一カ所は朝鮮伝の1595年に沈惟敬が駐兵している島津のことをコメントしている部分。微妙ですね。
この石曼子の表記は谷応泰選「明史紀事」だと秀吉のコメントとして記載されている。
この秀吉への冊封使が持ってきたリアルタイムの文書で任命されている官職で、島津は「豊臣義久」が亜都督指揮となっていますが、こちらは小西のお手盛り人事による上申が反映されているようで、明の認識としては何とも言えないですね。
あとは、琉球経由では藤原名で島津氏のことが報告されていたりしました。時間が限られているのでここまで。
参謀本部本の「泗川戦で石曼子と恐れられた」には典拠が無いからな。
例の動員数から三成の報告数を引き算して、倭軍の損失は莫大ですね!と言って権威化している韓国人と同レベルにならないように気をつけないと。
>>202の両朝平攘録はどこから引いてきたの?原本?それとも本からの又引き?
>>204 『近世国民史 朝鮮役 下巻』所載の原文からだが、それが何か?
>参謀本部本の「泗川戦で石曼子と恐れられた」には典拠が無いからな。
日本軍の中でも島津勢の精強さに関しては、『皇明從信録』に「薩摩州兵、剽悍稱勁敵」という特記があり、
『明史』にこそ無いものの、『明史記事本末』や朝鮮の『再造藩邦志』にも全く同じ文面で記述があるので、
これはほぼ定型句的に明末にはかなり広まっていたものと思われ、それを考えれば『日本戦史 朝鮮役』の
記述の下敷になっていても別段おかしくはなく、泗川戦から”石曼子”という呼称が広まったであろう事と
合わせれば、典拠がないと断言するようなものでもないと思うぞ。
>>205訂正
× 近世国民史
○ 近世日本国民史
明史も明史紀事も石曼子の初出は和平交渉期だよ?
>>207 『明史記事本末』も『明史』も後年の編纂であり、後の呼称が遡り使用されていても別段おかしくないわけで、
同書内で初出がどの時点かを言っても傍証程度にしかならんと思うが。
実際、その休戦期の初出というのは、
>>203の言うように、秀吉が講和交渉に際して、”石曼子”を半島に
残す、と脅しをかけている言の中にある訳で、文禄の役ではほとんど戦功のない島津がいきなりここに
名指しで出てくるは如何にも唐突だし、むしろこれは、後の泗川戦を受けての明側の島津に対する評価の
反映とみるべきモンのように思うけどね。
>>208 石曼子と朝鮮に恐れられたのも後世の脚色w
おまけに自慢のために鬼石曼子と自称しても、遡って根拠を見つけられない創作w
210 :
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/08/18(火) 15:07:05 ID:pGuFXPkh
∧_∧
∩#`Д´>/ ̄ ̄/ バン
( ミつ_// LG / バン
{二二} 三三}
 ̄ ̄ ̄ ̄"
↑
何やらファビョる
ジーッ
∧_∧
<丶`Д´>/ ̄ ̄/ <………
( _つ_// LG /
{二二} 三三}
 ̄ ̄ ̄ ̄"
↑
カキコのレスを待つ
∧_∧
<丶∩∩>/ ̄ ̄/ シク
( ノ ノ// LG / シク
{二二} 三三}
 ̄ ̄ ̄ ̄"
↑
レベルが低すぎてスルーされたらしい
ちなみに今日は秀吉の411回目の命日だぞ、と。
411回も死んだのか…
>>212 今も現役で毎年毎年大活躍させられてますからねw
スレちだが LGのPC持っている椰子はチョンの可能性は高いかな
昨日だか映画館からの違法コピーをうpした椰子が朴られた際に
証拠物の一覧にLGマークのPCが映っていたのよwwww
>210のAA見て もしやそうかなwとね
>>211 で、今日はDJの1回目の命日でですか。
二度の征伐で計30万を越える大軍を渡海できるぐらい戦力が溢れていた。
あの頃の日本は余剰戦力消化のためにもどこかと戦う必然があった。
明に攻め込み、明の土地を浪人達に分配する事で余剰戦力を消化しようとしたのだろう。
秀吉は朝鮮は明の諸侯の一つぐらいの認識しかなかったと聞く。
日本の唐入りが失敗した要因は大陸の広さと朝鮮の貧しさが分かっていなかった事だろう。
217 :
マンセー名無しさん:2009/08/22(土) 21:13:09 ID:oelAp9y3
>>216 秀吉は朝鮮は明の諸侯の一つぐらいの認識しかなかったと聞く。
なぜ対馬の宗氏なんぞに攻める前に外交の窓口として利用したんだろう?
>>217 開戦前の根回しだろ。戦国時代、相手の家臣の切り崩しはよく行われていた。
朝鮮との関係が深い宗氏に調略を命じたって所だろ。
219 :
マンセー名無しさん:2009/08/22(土) 22:32:52 ID:uSbKSZl8
>>1まともに相手したら毒にまみれた朝鮮事大史観を刷り込まれるよ。(w
秀吉が死んだあと、諸侯がだれも朝鮮を領地にしなかったということは
朝鮮って、陶工くらいしか価値のあるものはなかったってことかな
確か秀吉の命令は、器用で使えそうな奴を連れて来いで職種までは言っていない。
朝鮮では陶磁器はかなり低く見られていたらしい。
陶磁器は貧民層が使う犬茶碗。そんな代物に専門の職人が居たとは考え難いし、
見所が有って商品(奴隷)にされなかった連中が陶工になったのじゃないか。
天水農業で生産性の低い耕地、太古の凶暴性を持つ河川、荒れ果てた山・・・
農業資本の当時、諸侯が出費を強いてまで欲しがる物が朝鮮にあったとは思えない。
朝鮮での陶磁器の地位を考えると、朝鮮に専門の陶工が居たのかも怪しい。
朝鮮陶工は商品(奴隷)として売り払われなかった連中が、
日本で技術を憶えたのじゃないのか。
>>222 怠惰と言うより協調性と道徳性の欠如、排泄物にだらしのない民衆。
日本で技術者になった連中はそれなりに勤勉だったみたいだし、
朝鮮の民度は国の代表の通信士でさえ鶏を盗んで町民とケンカになり、
そこらじゅうで便や痰を垂れ日本側の顰蹙を買っていた。
食器を盗んだことを指摘され切れて暴れ斬られた通信士もいた。
通信士からしてこの程度なのだから他の民衆も推し量れる。
日本に残った連中は認められれば、まじめに働く純朴さがあったから、
キリスト教徒へ奴隷として売られなかったのか?
陶磁器が低く見られてたって事は、朝鮮では王族や両班は何を食器にしてたの?
銀器とか金属ですか?
確か、朝鮮の食器は銅や真鍮が上物とされていて、王や上流階級は金属器で食事をしていた。
それで陶磁器、木器と違って重いのと、熱伝導率の良さから器を持ち上げて食べない、
韓国は日本で言う犬食いの文化になった。
つまり、鍋や釜でそのまま食事するようなもんですね。
欧米の食事みたいに銀の皿にパンやメインディッシュのせてナイフフォークで食べるならともかく
ご飯や汁物は金属食器では食べにくい。
日本のおにぎりみたいに冷えたご飯を食べる習慣もなかったみたいだし。
227 :
マンセー名無しさん:2009/08/23(日) 17:36:43 ID:KJdZiUsp
あと、朝鮮料理は基本的に煮物。
味に対する語彙も「味が付いている」「付いていない」しかないと聞くけど実際はどうなんだろう。
食器の役割って、食事を食べやすくするための物なのに
朝鮮では何故か食べにくい食器が好まれたんですね。
理解不能です。
見栄っ張りな民族性による物とも言われている。
自分は貧乏人が急に金を持って、生活が不便なほど派手になるのと同じ事だと思う。
同じ見栄っ張り、成り上がりでも、他の国では朝鮮半島みたいには成らないよね。
秀吉は金の茶室とか金箔をちりばめるのが好きだったけど、飲み食いしにくい食器にはしなかったでしょ。
やはり朝鮮人はどの民族とも感覚が違うみたいです。
それを言われるとそうだね。
実用品で見栄を張って本来の利便性を損なうってのは、確かに朝鮮人の独自文化かもしれんな。
要するに当時の諸侯たちは、ものの価値がわかっていたということか
朝鮮に上陸したとき、みんながっかりしたんだろうな
ウリの信条
インスタントラーメンは絶対に丼に移して食べる。
鍋のまま食うなんてことはやっちゃいけない。人として。
>>233 領地としての魅力は皆無だし、朝鮮人参と虎だけのために禿山、荒野を取るのは割が合わない。
朝鮮征伐が成功して、朝鮮を取った場合
明、朝鮮の焦土戦術で極限まで荒れ果てた領土を復旧する必要がある。復旧のためには・・・
1.まずは口減らし、キリスト教徒に朝鮮人をガンガン輸出、朝鮮人を朝鮮から消すつもりで売る
2.復興にマイナスになるであろう両班の処理(特権を奪えば後は民衆が勝手に殺ってくれるだろう)
3.朝鮮王家は捨扶持を与え蟄居させる(民衆の扱いが目に余るようなら強引に出家)
237 :
マンセー名無しさん:2009/08/24(月) 19:25:03 ID:Gv9nIw+b
秀吉の朝鮮出兵に義がある必要はない!
チョン民族は秀吉の朝鮮出兵や日韓併合をさも日本の犯罪のように言うがお前らチョンが
高麗軍として元寇の時に2度も日本を侵略しようとした事を忘れるな!(結果大失敗wwww)
しかも元寇の時、お前ら高麗チョン軍が対馬や壱岐の住人にした極悪非道な行為はありゃ
一体何なんだったんだ? 鼻を削いだり、耳や手の甲に穴を開けて連行したりは人道的
だったとでも言うのか? ナチスでもそこまではやってないぞ。ヴォケが!
だからその後の歴史で日本人がお前らチョンを虐げるのは復讐として当たり前なんだよ!
今、お前らがキムチを食べられるのは唐辛子を持ちこんだ秀吉様のお陰だと感謝しろ!!
ヴォケチョンがww
そういや、家康は出兵してないのも友が家康まんせーする一因なのかな。
戦争の終わりごろには李舜臣も死んじゃったわけだけど、もし秀吉が李舜臣のいない状態であと10年生きていたとしたら状況はどうなっていたんだろ
>>238 渡海してないことをもがみんと喜び合ってたりするけどね。>徳ちゃん
まあ、その後恫喝外交したけどw
ただ朝鮮側に傑僧がいて、帰国したがった朝鮮人たちを返すことがスムーズに決まってたりもするけど。
>>239 李舜臣は生きていようが、いまいが戦況に与える影響は皆無だぞ。
秀吉があと10年生きていたら
朝鮮の役は後金と日本の結託を恐れた明が、秀吉の条件を飲む形で終わりにしたのじゃないか。
日本は中華の易姓革命に無関係じゃいれなくなる。
>>240 帰るのを嫌がり土着した連中が多数を占めたのは、今も昔も朝鮮は変わらない。
>>241 帰った人らは処刑されたり牢屋直行、或いは野垂れ死にさせられた。
生き残った人も、家族連れて再来日。
>>241 実際、戦況的にはけして継続不可能という状態ではなかったわけですしねぇ。
もしかしたら、女真族と手を組むというような展開もあったかも
何そのなごみんとかほなみんみたいな名前の出羽侍従。
当人が妹萌えだからって兄貴自体を萌えキャラにするのはいかがなものかと!11
明国皇女の降嫁、秀吉の朝鮮国王兼任があったら、
明復権運動が断り難くなっただろう。
>>243 だって秀吉が攻めてくるって情報手に入れても、
「んなわけねーじゃん」
「宗主国様を騒がすのは無礼である」
「東方の蛮族にそのような力はない」
って言って何もしなかったもの。>宮廷
まともな人はその時抵抗して死んじゃったり、追い詰められて自決しちゃうし。
>>245 最上義光、でぐぐると、既に『最上義光 シスコン』とか候補が出てくるのが笑えるw
朝鮮人って韓国人と名乗るようになっても全く変化が無いんだね。
249 :
マンセー名無しさん:2009/08/24(月) 22:29:30 ID:ZkaiHWBd
秀吉の死が遅れて朝鮮の役が続き、日本が女真と結託した場合、どうなっていただろう。
>>247 あれ、正使と副使がケンカして、「攻めてくる」「攻めてこない」で揉めて、朝鮮国王が
「んじゃ、攻めてこないってことにしておこうか」ってなったんじゃなかったっけ?
252 :
マンセー名無しさん:2009/08/24(月) 22:40:15 ID:hhQTWlCD
ただ一つ言えることは
秀吉の目的は唐入りであって
中国を征服すること
チョンはあくまでみ明までの道先案内を頼んだ
だけなんだけどねwwwwwwwww
その間チョンは明に救援を頼み国境付近で秀吉軍は
初めてチョンではなく明軍と対峙するわけだよねw
チョンの英雄は戦争をしたわけでなく
日本の輸送船を襲っただけの話w
253 :
マンセー名無しさん:2009/08/24(月) 22:42:32 ID:x0yAWLOp
>>1 シナ、モンゴルや清の朝鮮支配には義があったんか?
>>251 閣僚だとそうなって、宮廷役人レベルだと上記だったのかも。
255 :
マンセー名無しさん:2009/08/24(月) 22:43:22 ID:x0yAWLOp
>>250 当時の日本は兵隊の練度も経済力もありましたし、たぶん明国は取れちゃうんじゃないでしょうか>女真族と組んだ場合
でも、もしかしたら後々には女真族とのケンカなんて事もあったかも
閑山島海戦で
朝鮮人を甘く見すぎた脇坂安治(動員定数1500)が突っ込み、朝鮮水軍56隻にフルボッコされている。
翌年五月の晋州城攻略での脇坂軍の点呼数が900だったことを考えるとこの戦いでかなりの被害を受けた事になる。
これが朝鮮の英雄の唯一のまともな勝利・・・あとは日本軍の進軍に合わせて後退するのみだった。
※この戦いの前に脇坂は漢城近郊で朝鮮軍5万を手勢で壊走させている。
258 :
マンセー名無しさん:2009/08/24(月) 22:57:39 ID:hhQTWlCD
結論を言えば
当時スペインが世界の覇権を握っていて
秀吉はスペインのフィリップ2世と世界を分ける
べく交渉もしていて
当然秀吉はその足がかりとして中国征服を企んだだけの
ノ話
当時日本には世界中の半分以上の銃器を保有してたわけですw
>>257 そりゃ手勢で朝鮮軍数万敗走させたら、甘く見ちゃうよねぇ……。
脇坂って当時3万石行くか行かないかだし。
260 :
マンセー名無しさん:2009/08/24(月) 23:13:45 ID:6hDavW2w
しかも日本での一般的な知名度は
関ヶ原で小早川と一緒に寝返ったその他大勢の1人のレベルだし。
七本槍の一人と知らない人には
寝返った一人として認識されるかどうか・・・
脇坂は、世間的にはこれと言ってパッとした経歴が無い地味な人になるのか。
っつーか、東郷平八郎より李舜臣の扱いが大きい昨今の
歴史教科書で学んだ世代にとっては、名将李舜臣に
コテンパンにやられた愚将という扱いになるんでは・・・
>>263 日本じゃほとんど無名だった将をボコっただけで、朝鮮史上最高の名将扱い。>イ・スンシン
当時、「世界最強」と呼ばれたバルチック艦隊を、完膚なきまでにフルボッコにしても、「ま、そゆこともあったわけで…」な扱い。>東郷平八郎
>>264 <丶`д´> ウリナラ史上じゃなく世界史上なの! カンシャクオコル!!
李舜臣は世界4大提督の一人で、閑山島海戦は世界4大海戦の一つなの!!
脇坂を無名扱いするのはなんか抵抗あるなぁ
>>266 そんな事を言ったら、小早川秀秋を無能扱いするのも……
一応、幕末には老中輩出してるんだけどねぇ。>脇坂家
脇坂家は単に無名ではない大名に過ぎないって事では・・・
閑山島海戦
二千に満たない少数に五万の大軍を破った後の見下し切っている時、
突出した脇坂軍を朝鮮水軍は多勢でボコるが、逃げられる。
相手が朝鮮の弱さに驕り油断しきっていて少数で突出しても討ち取る事が出来ないのはどうかと思う。
朝鮮はこの程度でも大金星なんだろう。
まあ、戦闘は戦力を4割削れば勝ちとは言うが……
272 :
マンセー名無しさん:2009/08/25(火) 18:40:56 ID:jYAhNsZk
晋州城では脇坂軍の点呼は900だった。
緒戦の消耗を無視すれば閑山島の戦いで兵力を半分前後失った事になる。
緒戦の消耗次第では脇坂は戦力の4割を削られなかった事になる・・・
朝鮮水軍は56隻で1500名以下の脇坂軍と戦って、辛勝もしくは普通の勝ち!?
というか、フルボッコにされた碧蹄館の戦いで、逆に隆景討ち取ってる事になってるんだよなぁ、あの国の脳内では。
■国人の火病は思い通りにならない現実に対する自衛。
韓○人って我侭を言って引付を起こす困った幼児と一緒だな。
「勝ったらそれでハイ終わり、勝ったんだから何も考える必要なし」
……何ていうか、こんな考えを基本方針に据えてる指揮官のもとには付きたくないな
>>275 しかも実際は、勝っているどころか大敗続きで敵軍から逃げ回っている状態だと尚更だね。
277 :
マンセー名無しさん:2009/08/25(火) 22:16:13 ID:TIFq41P2
つか、日本が戦ってたのは明ですからー
朝鮮人はあくまでも明軍の一部隊にすぎないわけ。
そこのとこ理解してね。
>>1 あれはPKOなんだってばw
朝鮮解放軍でもあったワケw
秀吉の朝鮮解放がなければチョンコリアは未だにペッチョンだらけ
オマエはもっと歴史を勉強しろ
明の援軍が来るまでは日本と戦っていたのは朝鮮。
ただ、開戦から一ヶ月で国家としての組織抵抗は崩壊した。
実際、戦ってたのはほとんど王宮の軍隊だけじゃなかったっけ?
(末期で民忠だだ下がりな状態だったから、民衆はほとんど抵抗しなかったとか何とか)
治安崩壊で朝鮮全土で盗賊が跋扈し朝鮮領民を襲い、偶に日本軍と小競り合いを起こしたらしい。
李舜臣も朝鮮の村々を襲い兵糧などの補給物資を確保していたらしい。
李舜臣は勝手に関を設けて、避難民船から強制的に食糧を巻き上げてるわな。
で、皆、喜んで差し出したと自分で書き残してるけど、んな訳ゃねーだろ。
やり口はまんま海賊w
国家の支援が受けられないから漕ぎ手、食料の確保手段が海賊、盗賊式になるのは当然。
朝鮮は平時、赤ん坊、家畜、死人に課税して収奪していたらしい(収奪した税は役人が横領し、殆ど政府に入らない)。
朝鮮は平時も急時もやり口が変わらない・・・ってあれ?
>>273 大丈夫です
近代になると、一個大隊規模の日本軍の討伐隊に蹴散らされた山賊同然の光復軍なんて、何故かその戦いで日本軍数個師団を包囲孅滅したことになってますからw
>>259 だいたい一万石あたりちょっと無理して300人が動員兵力でしたっけ
でもって最小の作戦単位たる備を組むための最小限の人数が300くらい
江戸時代、大名と呼ばれる為の基準が一万石だったのは作戦単位たる備を
単独で組める能力の有無を基準としたためだったそうですが
3万石の大名が1500ですか、子飼い大名として秀吉からの相当の支援があったのでしょうけど
ずいぶん無理してますね
まあ、子飼いとはいえそれだけ「ここで功を稼がなきゃ、もう出世の道はない」と焦っていたという事の証拠なのではないでしょうか>三万石で1500
287 :
マンセー名無しさん:2009/08/26(水) 14:47:23 ID:PmXVVha0
閑山島海戦
韓国側では輝かしい勝利になっているが、脇坂軍の緒戦の消耗次第では朝鮮側の普通の勝ち、辛勝になる。
脇坂軍=大勝に次ぐ大勝で勝利に驕り、集団行動に難があるぐらい緩みきった状態
普通なら脇坂の討ち死に、部隊の壊滅級の大敗になると思うが、翌年には6割の戦力で晋州城攻略に参加・・・
朝鮮水軍退治に向かわせたのは
九鬼嘉隆 1500人
脇坂安治 1500人
加藤嘉明 750人
288 :
マンセー名無しさん:2009/08/27(木) 23:01:37 ID:5BlH75po
閑山島海戦では
李舜臣24隻(この前の玉浦・泗川湾・唐浦の戦いで率いた91隻はどこいった)
元均7隻
李億祺25隻
動員数はどれくらいになるのだろう?
289 :
マンセー名無しさん:2009/08/30(日) 21:21:16 ID:CEKskM5L
李舜臣の能力を数値化してみた
戦闘28(玉浦の戦いに参加した艦船は91隻、閑山島では参加した艦船は56隻、
輸送船団を不意打ちした玉浦より閑山島の方の重要度が高い。
玉浦・泗川湾・唐浦らの緒戦で三割から五割に近い被害を受けたと、
考えるべきか。更に慢心している1500名以下の脇坂軍の半分以上を、
圧倒的優位にも拘らず取り逃がす失態を重ねている)
政治64(古群山諸島へ撤退の間に部下が次々と捕虜になっていく状況で、
部隊を維持した。国への忠誠0の連中を絶望的な状況で纏めたのは凄いと思う)
智謀82(実績無しにも拘らず、明将を説き伏せ停戦を破らせる)
戦闘はさっぱりだが智謀、政治はかなりかなり高そう。
290 :
マンセー名無しさん:2009/08/30(日) 21:25:29 ID:K0HxY2tG
自分の仕えた王朝を滅ぼした李成桂に義はあるの?
偽ならあるわな
義が無いのは今の韓国も北朝鮮も同じだろ。
ボロ負け続きで、まともな勝利も無い状態で部隊を消滅させなかった李舜臣の政治力、
まともな成果も無しで明将を丸め込んだ智謀は認めるが戦闘は大した事が無い。
休戦協定を破り自身が戦死するなど戦術眼、戦略眼はかなり怪しい。
どちらかと言うと、前線に出ない後方支援型の武官だったのではないだろうか。
明が潰れされる時の朝鮮の態度を見たら、この世の「義」なるものがいかに軽いかがわかる。
294 :
マンセー名無しさん:2009/09/12(土) 22:44:03 ID:FwpKodkJ
>>285 この戦役での一万石あたりの動員率は九州大名で500人、中四国大名で400人、舟手勢で500人
(三鬼清一郎「朝鮮役における軍役体系について」)。 脇坂は舟手勢(水軍)なので三万石で1500人は妥当な数字だよ。
295 :
マンセー名無しさん:2009/09/12(土) 23:00:11 ID:pnIN6/v6
>>1 百済を滅ぼしたシラギの「義」は何なのか教えてくれよ。
シラギの子孫の韓国人なら歴史の勉強で教わっているのだろう。
>>294 いや、無理のない動員数は1万石あたり250人程度と言われているし、
文禄・慶長の役では石高の内何割かを無役として免除の上での割り当てなので、
全く免除のない脇坂の1500人というのはかなり過酷な動員定数の割り当てだよ。
まぁ、実際に動員した実数はもっと少なかっただろうと思うが。
297 :
マンセー名無しさん:2009/09/12(土) 23:15:24 ID:ETqY2hbD
中国の侵略には文句言えないヘタレ=朝鮮民族
298 :
日本人代表:2009/09/12(土) 23:20:47 ID:95hgdh/8
在日朝鮮人が地方参政権を求める行動に義はない
まあ新羅寇とか元寇とか応永の外寇とか、王朝が変わるたびに日本に攻めてきては
撃退される、そんな不義を絵に描いたような民族も世の中には存在するわけだが。
l
301 :
マンセー名無しさん:2009/09/13(日) 06:06:57 ID:MFybAwkE
>>296 実際1500人という数字は脇坂にとってはきつい数字だったらしく、慶長の再征の際には1200人に減員してもらっているよ。
302 :
マンセー名無しさん:2009/09/13(日) 09:04:56 ID:ZDMsHPW+
晋州城攻略での点呼は900
晋州は内陸地だから使わない漕ぎ手は置いてきたのかも。
当時は半数以上が非戦闘員、閑山島の戦いの被害はそれほど重くない!?
4倍以上の兵力で辛勝の朝鮮軍って・・・
前に、ニコ動にあがってた韓国製の朝鮮出兵のドラマの内容が史実に基づいてるなら、4倍の兵力で辛勝ってのも頷けるなぁ
将から雑兵まで鎧兜や具足で固めた日本勢に対して朝鮮側は将以外は平服と大差ない制服に布の冠、隊か伍の名前を記したと思しき『火』とか『水』と書かれた布のゼッケンだけという極めて軽装
あれで射程に勝る和弓や日本製火縄銃と射撃戦したり、間合いや剛性、切れ味で勝る槍や日本刀を相手に近接戦やったらそりゃ兵数が有利でも辛勝になるかと
まあ、向こうのドラマの時代考証は微妙なことで定評があるし、もしかすると悲劇性を演出するためかもしれないから実際のとこはどうだか
漢城近郊で五万の朝鮮軍が脇坂軍1500以下に撃退されているし、
閑山島で勝てたのは突出した脇坂軍のみで九鬼、加藤には何も出来ずに撤退、
朝鮮軍の装備は案外、史実に忠実かもしれない。
つか、経済力がケタ違いだったからなぁ>日本と朝鮮
それこそ第二次世界大戦における日米の話じゃあないが、秀吉が生きてたら朝鮮は戦略的差で負けてただろうね
>>305 序盤以降は明と日本の戦いになっていた。
明と日本の戦力はそれほど離れていないぞ。
>>306 まあねー>民と日本の戦力差
だけど明はすぐ近くに異民族がたくさんいたわけだし(実際、この戦いで疲弊したから明はヌルハチに乗っ取られたわけだし)、そんなに長期間大戦力を傾ける事はできなかったんじゃあないかな?
日本側も支配しても実入りの期待できない外征はかなり頭の痛い問題だったらしく、
致命的ではないが厭戦気分が広がっていた。
日本は最悪、面子さえ立てば終戦に応じる。
秀吉の死が遅れ戦争が継続した場合
女真の圧力が増し朝鮮問題に付合い切れなくなった明は、
秀吉に日本国王、朝鮮国王の兼任を認める事で収拾を図ろうとする。
秀吉も不毛の地で戦わされている諸侯の不満が高まっている事から、
これ以上の戦争の継続は求心力の低下を招くとその停戦条件で応じる。
明=李氏王家は明の藩屏としての役目を果たさなかったので罷免し、
日本国王に朝鮮国王を兼任するように命じた。
日本=明と戦い、明の領土を奪った。
となった場合、日韓併合の悪夢が数百年前倒しで起きる。
309 :
マンセー名無しさん:2009/09/18(金) 18:43:56 ID:40bMz+ZY
明軍が到着するまで朝鮮が日本軍に一方的に蹂躙されていたのは、戦略だけではなく、
装備の違いが大きかった!?
310 :
マンセー名無しさん:2009/09/19(土) 02:00:52 ID:Pb0Q9RNO
日本軍撤退してから、民衆の不満高まると日本人捕虜陵遅刑にして収めてたんだよな。
耳塚だの言う以前の問題だろが。
311 :
マンセー名無しさん:2009/09/21(月) 18:25:50 ID:7uLUIfF3
韓国にその事を追求すれば確実に火病るな。
バ韓国如きが歴史を語るなって気がする。
312 :
マンセー名無しさん:2009/09/27(日) 19:33:19 ID:LRbhTAsb
>>308 そんかわし400年間統治する事になる。
400年も統治すれば少しはマシになるだろ
313 :
マンセー名無しさん:2009/09/27(日) 19:41:07 ID:sPEJnKR7
つーか400年前日本は明と戦争した事はあるけど朝鮮てなんの事
確か明の属国とは何かあったけど終戦の理由は秀吉が死んだって事
これだけなんだよな、負けた戦闘って輸送船が襲われた海戦ぐらいかな。
つか、信長が生きてて天下統一して、朝鮮半島に乗り込んでいたらな…
今頃、朝鮮人なんて存在しなかっただろうに。
>>341 もしも朝鮮半島を政略できたとしても
中国との消耗戦で日本も疲弊し中国の一部になっていた可能性も
317 :
マンセー名無しさん:2009/09/27(日) 20:20:22 ID:vXcIM6Ef
朝鮮人に義なんてないだろ恩義って知っているか?
お前達朝鮮人には永久に
理解出来ない言葉だ
318 :
無比:2009/09/27(日) 20:22:50 ID:QW6fq41L
朝鮮人だったら「明を成敗してくれるならよろこんでお手伝いしますよ
」とかへつらいそうなものだが、そうしなかったのは相手が見下している
倭だったからじゃないのか?馬鹿だよこいつらどこまでも
319 :
無比:2009/09/27(日) 20:24:40 ID:QW6fq41L
明側の資料では「侍軍団には到底勝てない」となっていたのに
秀吉が死んだのはほんと悪運強いよなこいつら。
まあ、韓国人が、敵国の義を慮るほど公正な連中とは思えんがな。
>>318 一般民衆は、「王族や両班を成敗してくれるなら…」ってやってたよ。
322 :
マンセー名無しさん:2009/09/27(日) 21:09:34 ID:YV+SdQIK
>>313 朝鮮側が勝ったと言っている
閑山島海戦=脇坂安治(動員定数1500名)を4倍の兵力で撃退、何割かの被害を与えるが、共に来ていた九鬼、加藤には手が出せず。
鳴梁海戦=先発の来島通総(動員定数700名)が討死、藤堂高虎らに右水営を占拠され李舜臣は制海権を失う。
露梁津海戦=参加した35名の幹部の内6名が討死、日本側は0名で小西ら残留部隊の撤収に成功。
※海戦は幹部の消耗は勝った方より負けた側の方が大きい。
唯一勝ったと言えるのは閑山島ぐらい・・・、閑山島の後に釜山攻撃を仕掛けているし、単に勝ち切れなかっただけか。
唯一の閑山島は大勝と言うにはショボイし、他の海戦は大勝どころか大敗じゃないか。
323 :
マンセー名無しさん:2009/09/27(日) 21:41:57 ID:wbk+nhr/
>322
そのあたりが鮮人クオリティですね
鮮人の歴史欺瞞にかかればミッドウェイも
日本軍の大勝利になるでしょう
324 :
マンセー名無しさん:2009/09/29(火) 23:49:56 ID:0YfxYPzj
この戦いは水際戦で日本軍を足止めした明軍の勝利だな。
(朝鮮人の)死体で半島を埋め、戦闘では黒星が多かったが、
明は日本軍を中原に入れず辺境で足止めをし、自主撤退まで粘った。
防衛戦で見ればこの戦争の最終的な勝者は明。
325 :
マンセー名無しさん:2009/09/30(水) 01:34:50 ID:WWLeRMC2
朝鮮になにか義が有ったことがあるのかw
ってか日本が戦争してたのは明で、朝鮮はその属国だったので戦場になっただけ
326 :
マンセー名無しさん:2009/09/30(水) 02:36:45 ID:zy5As3bM
>>1 モンゴル・高麗連合の日本出兵にも義はなかった。
327 :
無比:2009/09/30(水) 02:42:52 ID:xsx/qcto
>>1 失脚じゃなくて死去だべ
相変わらず歴史認識でたらめだのぅ
328 :
無比:2009/09/30(水) 02:44:33 ID:xsx/qcto
秀吉の頭には朝鮮なんかなかった。あるのは明攻略だけ。
それを勝手に歯向かってきたから蹴散らされただけで
何が侵略だドアホ
329 :
マンセー名無しさん:2009/09/30(水) 08:06:33 ID:/sUDKusH
朝鮮なんて明の腰巾着だったろ
それ以前に、朝鮮に「義」っていう概念はあるの?
>>329 少なくとも、「約束」という概念はないようです
>>328 あちらでは日本は『道を借りて草を枯らす』計略で朝鮮を侵略しようと目論んだが、それを看破されたので力攻めに侵攻してきた、ってことになってるようです
枯らすような草があったのかどうかは別の話ですが
332 :
マンセー名無しさん:2009/09/30(水) 17:15:57 ID:ydF+4h+s
と言うより全く別の城だろ。
334 :
マンセー名無しさん:2009/09/30(水) 19:55:48 ID:ydF+4h+s
この朝鮮画、大きい絵で見比べればわかるが日本側の武士が
変な丁髷だけで陣笠すら再現されてないし、朝鮮側武将も貼り絵みたいで
リアルさが全然ない。日本画にある双方の鎧武者の描写や躍動感がまるでない。
東菜城の戦い描いた朝鮮画だとこれ以下のレベルで、あれが日本の足軽?wって
見たら笑いたくなるよ。
335 :
マンセー名無しさん:2009/09/30(水) 21:45:48 ID:7SN4qeUQ
>>334 つーか、20世紀後半になって
16世紀に書かれたものとして捏造したんじゃね?
秀吉は朝鮮半島の恩人 もし、秀吉の唐入がなければ属国の立場ですら無く、清の一部
まぁ、感謝するのは李朝の王族と両班で庶民は怨嗟の的かもしれないが…
無かった場合は契丹や金にされた事と同じになったのじゃないか。
朝鮮の役が無かった場合のif
明=満州族対策が史実より充実し、国内叛乱にも充分対応できた。
後金=明が崩れるのが遅れ、北方を支配するも決定打が打てず。
朝鮮=弱さと貧しさから後金に痛め付けられた後に後金と明、両属になる。
日本=豊臣政権が諸侯の顔色を神経質に窺わなくても済む位、強く外征を行っていない。
契丹たんたもじ契丹
339 :
無比:2009/09/30(水) 23:59:45 ID:xsx/qcto
秀吉の朝鮮出兵には糞がなかった
そうか!せっかく糞嘗めさてくれると期待してたのになぁ
そりゃ残念だったな。
スレから外れるけど、ハングルって契丹文字の派生とも言われているっけ。
342 :
マンセー名無しさん:2009/10/16(金) 13:40:06 ID:eeaZHNJf
秀吉が朝鮮のインフラの整備や人口を増やすのに貢献したと嫌韓人たちは言いたいのですか?
344 :
セクハラ自重:2009/10/16(金) 13:57:59 ID:yI8mcSmN
すごい解釈だなW
秀吉の軍は、陸軍は強いけれど水軍は弱い。水軍では朝鮮水軍に勝ったことがないぐらい。
だから、明を攻撃したくても水軍ではだめだとわかっていた。陸軍での攻撃しかない。
そこで弱い朝鮮を武力をつかってでも日本の属国にしたかっただろう。しかし、その当時の
朝鮮は日本を国として見ていなかった。満州族と同じくたまに朝鮮に来ては食料などを盗んでいく海賊として
みていた。戦争が起きてから見直したけどすでに遅かった。7年間にわたって朝鮮と日本は戦争をしたけど
朝鮮は日本の新武器に負けなかった。明が参戦したのは戦争が終わるごろの1〜2年にすぎない。
日本の名将軍たちは朝鮮の一人の将軍に負けて日本に帰らざるを得なかった。
>>343 誰も言ってない
>>345 快進撃すぎて油断した水軍が叩かれただけで、その後は普通に補給できていたが
明に直接行かなかったのは外洋能力が高くなかった≠水軍能力が低かった、だけ
朝鮮の正使は日本ヤバイと認識していたのに、馬鹿な派閥争いで馬鹿な副使の方が採用されたという、
馬鹿民族の愚行なだけ
朝鮮軍なるものはほとんど機能せず、明軍がくるまではあっさり首都を落とされて蹂躙されていた
どこまで事実を無視してんだ?
>どこまで事実を無視してんだ?
話が無駄に飛んでる。私は事実を無視してない。私の話も事実、あなたの話も事実。
朝鮮の軍事力が弱くて首都まで渡して王は逃げてる。日本の新武器に圧倒され、朝鮮を
日本に渡すまであと少しだということも知ってる。韓国人なら。しかし「馬鹿な派閥争い」
を言いたいなら日本も変らないことは知ってるだろう。あなたは豊臣秀吉を尊敬してるかどうか
知らないが私は韓国人だけど秀吉よりは家康だね。
>>347 首都が陥落したらほぼ敗北なんだけど、戦争やってる間に
日本の大将が死んじゃった。
しょうがないので帰りました。
普通の派閥争いと「馬鹿な派閥争い」の区別もつかない、と
明軍>>降倭兵>>>朝鮮の痩せた土地>>朝鮮軍
という事実をまず認識しような
つか、どうせグダグダになるだけなんだからアホ空はスルー汁
>>345 >秀吉の軍は、陸軍は強いけれど水軍は弱い。水軍では朝鮮水軍に勝ったことがないぐらい。
というのが韓国人の脳内妄想らしいが、史実では、文禄の役は慶尚道の左水営、右水営共に
緒戦で壊滅させ、慶長の役では、漆川梁海戦で慶尚道・全羅道・忠清道三道の水軍がまとめて殲滅、
鳴梁海戦では漆川梁海戦で逃亡した残りを取り逃がしたものの、終戦間際になって明水軍の露払いで
ようやく出てきた朝鮮水軍を、露梁海戦でにわか仕立てのの島津水軍が追い散らし、李舜臣以下の
指揮官が多数討ち取って大打撃を与えているよな〜(・∀・)
おっと、誤字
× 指揮官が
○ 指揮官を
秀吉の時代のことを火病のうわ言みたいにほじくりかえすのもいいけど、
現在進行形で竹島を不法占拠している下朝鮮に義がないことは揺るがない事実ニダ。
>>352 秀吉の水軍が弱かったのは否定できないだろう。
>というのが韓国人の脳内妄想らしいが、史実では、文禄の役は慶尚道の左水営、右水営共に
緒戦で壊滅させ、慶長の役では、漆川梁海戦で慶尚道・全羅道・忠清道三道の水軍がまとめて殲滅
↑これは元均(漢字が正しいかどうか分からんが)が李舜臣代わりに総指揮官だった時のことだろう。
元均はどっちかというと陸軍の将軍。海戦は弱い。李舜臣が育ってた水軍をほぼ全滅させた将軍。
>露梁海戦でにわか仕立てのの島津水軍が追い散らし、李舜臣以下の
指揮官が多数討ち取って大打撃を与えているよな〜(・∀・)
これは日本水軍が日本に逃げようとした時の海戦なのかな?
明水軍との聨合だったら。そうだとしたら日本ではそういうふうに教えてるのかな。
>>352 一つだけ君に聞くが、日本水軍と朝鮮水軍の数を比べたことあるのか?
青い空とやらは、ほどんど知識がないのに空想だけでカキコしてるのな。(・∀・)ハズカシー
日本水軍は最大で8000人程度。それに対し朝鮮水軍は当初は2万を超えてたワケだ。
しかし、日本水軍に度々撃破されて終盤には6000〜8000人程度まで落ち込んだたけどな。
指揮してるのが李舜臣だろうと元均だろうと、日本水軍の戦闘部隊とガチやりあったら
負けてたのは実際には朝鮮水軍の方だな。李舜臣の戦果は移動中の小部隊や、停泊中の
兵員のいない船を襲ったというのが大半。唯一の例外は、韓国人が世界4大海戦の一つ(笑)と
主張する閑山島海戦だが、この場合は朝鮮水軍の戦力が日本水軍(脇坂安治)の
4倍以上だから、それで負けたら単なるアホだよな。
李舜臣自体が「馬鹿な派閥争い」で投獄
359 :
マンセー名無しさん:2009/10/16(金) 22:17:27 ID:NQmldfrP
まあ、日本側は数々の戦いを生き抜いてきた歴戦の猛者揃いで、朝鮮側はそういった実戦経験において分が悪かったから
不利というのは無理もないかも。
で、中国の李靖はアジア、否、世界最高クラスの名将な訳だが (・ω・ )
全時代の話したら日本も中国も名将だらけになるんじゃ?
まあ、レベル300の超名将一人とレベル100相当の名将数十人ではどちらが強いかって話だわなぁ
362 :
マンセー名無しさん:2009/10/16(金) 22:29:37 ID:NQmldfrP
>>360 中国はともかく、日本で世界水準の名将ってどの程度いたっけ?
織田信長、山下奉文、楠木正成、石原完爾、東郷平八郎・・・・・・・・
関係ないが、徳川家康の配下が出奔して、朝鮮兵を指揮して活躍したという逸話もある。
唐入りの時ではないが。
364 :
マンセー名無しさん:2009/10/16(金) 22:31:51 ID:WK6H90Dr
直江程度で名将だから
日本のレベルは大したことないですよ
李靖どころか韓信クラスでさえ一人もいない
>>362 それはぶっちゃけ世界の連中を高く見過ぎ。
>>364 つか、何をもって「大したこと」とするのかね?
(事務能力? 武力? 統率力?)
というか、最上義光は直江兼続に勝ってるが、それを以て最上が直江より名将とか言う奴は見たこと無いぞ。
368 :
マンセー名無しさん:2009/10/16(金) 22:45:12 ID:WK6H90Dr
>>366 結果残したかに決まってる
孔明が史上最高とか思ってるようなあほには受け入れがたいだろうが
何を持って「結果」と言うんだろうか・・・。
・・・つか、この芸風は・・・ たぶん・・・
>>368 どんな結果を残せばいいの?
(兵士を消耗しまくらせてでも、とにかく勝ちに拘るやり方? 勝ちそれ自体に拘ることなく、布石を打つ事に拘るやり方?)
(三日後くらいにくるような結果? それとも、来るのは十年後くらいだけど効果はさっきの奴の数十倍はありそうな結果?)
>日本水軍は最大で8000人程度。それに対し朝鮮水軍は当初は2万を超えてたワケだ。
>しかし、日本水軍に度々撃破されて終盤には6000〜8000人程度まで落ち込んだたけどな。
>指揮してるのが李舜臣だろうと元均だろうと、日本水軍の戦闘部隊とガチやりあったら
>負けてたのは実際には朝鮮水軍の方だな。李舜臣の戦果は移動中の小部隊や、停泊中の
>兵員のいない船を襲ったというのが大半。唯一の例外は、韓国人が世界4大海戦の一つ(笑)と
>主張する閑山島海戦だが、この場合は朝鮮水軍の戦力が日本水軍(脇坂安治)の
>4倍以上だから、それで負けたら単なるアホだよな。
日本人はみんな↑このように歴史勉強してるだろうか。
「豊臣秀吉の指揮下には実戦で鍛えられた50万人の職業軍人が居た。これは当時のアジアで最大の軍隊であった。」
↑百科事典より。
>>357 君は青い空を云々より正しい歴史勉強したほうがいいだろう。青い空を罵倒したからって
歴史は変らない。朝鮮水軍が日本水軍に負けたのは元均が総指揮官だった時だけ。
>韓国人が世界4大海戦の一つ(笑)と
閑山島海戦を笑うのは君や嫌韓人だけだろう。朝鮮水軍が戦時中日本水軍より軍事力が上だった時はない。
朝鮮水軍は一番多く艦隊を持ってても120〜30隻くらい。しかし日本水軍は一番多い時は1千を越え、2千隻だったと
いうのが日本の記録にもあるはずだから調べてみてください。
>>369 放置対象になったてんちょだね。
今出てきた青い空と並んでガン無視でおk。
了解です>ガン無視
てんちょとうとう完全放置扱いか
そういや最近あまり見ないな、構ってもらえないからか?
>>375 いつまでも甘えてるんで、放置対象になった。
反省するまで、私もそれに賛成したわけで。
377 :
マンセー名無しさん:2009/10/16(金) 23:03:32 ID:NQmldfrP
統率だけで言えば、
金以外はこれといった特産物もなく石高も低い貧困な土地である甲斐+独立心旺盛な国人ばっかの家臣
で、謀反もそれほど起こされず、戦国屈指の団結力のある軍団を築いた武田信玄は中々に「講談だけの過大評価」と
言われるほどの人物ではないのかもしれない
>>369 炉たんがハァハァできるかで結果が決まるわけですねw
確かに
自分の書いてることが機能性文盲を晒してるということに気付かない人間とは
話にならんな
>>375 原爆被害者を侮辱して、一気にシカトされました
381 :
マンセー名無しさん:2009/10/16(金) 23:14:58 ID:NQmldfrP
>>365 まあ、
>>362の面々はガリバルディやティリーなんかよりは凄いと思うよ。
(比較対象がさすがにヘタリアとかだとさすがにあれだったかな?wwww)
ローマ時代まで遡れば伊半島とて
>>378 かんけーねーからっ ヽ(`Д´)ノ
つか、なんか妙に重かったのはウリだけニカ?
>>371 >朝鮮水軍は一番多く艦隊を持ってても120〜30隻くらい。しかし日本水軍は一番多い時は1千を越え、2千隻だったと
>いうのが日本の記録にもあるはずだから調べてみてください。
そんな記録ねーよ。(笑) あるのは李舜臣の自己申告水増しの大戦果だけ。
兵力数は韓国人の亀船研究家・金在瑾が朝鮮役開戦時の朝鮮水軍が3万という数字をだしてるわな。
他方、日本側は各大名の動員数の記録がきっちりある訳だが、船手衆の各大名動員定数を全部足しても
1万に満たない。実数はさらに少ない。
朝鮮水軍の兵力は、鳴梁海戦を除いて常に日本側の2倍以上だったというのが本当のところだよ。
特に閑山島海戦は、李舜臣が6000から10000人、脇坂安治が定数で1500、実数で1000〜1200人程度。
勝って当たり前の兵力差で脇坂勢の大半を取り逃がした実にお粗末な戦いだな。
人に調べろと言うは他人に説明できる根拠ない証拠
仮に青い空氏の言うことが全部事実だとしたら、李舜臣提督一人に頼りきりなのに
その李提督から元均とかいう恐ろしく弱い指揮官に変えた朝鮮政府の戦争指導は
愚かなんて生やさしいものではないのでは?
済洲島を割譲出来るよう交渉すれば、在日の問題は無かった。
(無論、島民はポルトガル人に奴隷として売る)
朝鮮は昔から「突然変異的に現れた天才」に頼り切っちゃって、全体の底上げを怠るからなあ。
391 :
マンセー名無しさん:2009/10/19(月) 22:14:35 ID:G/npxemP
義が無い
392 :
マンセー名無しさん:2009/10/19(月) 22:18:32 ID:G/svK7Eg
朝鮮出兵って言うけど
実質、秀吉軍対明軍だから
朝鮮は明軍の下っ端、腰巾着
講和のあとの攻撃に義がなかったから死んだ
ってこと?
>>388 元均が海戦で一回敗戦したからって「恐ろしく弱い指揮官」ではありません。そういいたいなら
それはあなたの自由ですが李舜臣に負けた日本の名将軍たちも「恐ろしく弱い指揮官」になるのですか?
元均は朝鮮の北部で満州族を相手に数多く功労を立てた朝鮮の名将軍です。陸地では誰にも負けないのです。
ただ、李舜臣と元均を比べて、違うとしたら王命をそのまま受け入れるが受け入れないかにありますね。
李舜臣は王命であっても無理して軍や民を負ける戦争へ行かせたりしません。これで王命を無視した罪で反逆罪にされるんですが
元均は王命なら死ぬふり、いや、死ぬ覚悟でなんでもやる人です。負ける戦争だと分かっていても王命である限り戦うのです。
で、仕方なく120〜30隻の戦船で300〜400隻の日本水軍に攻撃をしたわけです。その時までは李舜臣の作戦に頼ってた彼ですから
李舜臣のような作戦もなかったんです。結局一回の自分が指揮した海戦で自分の命を無くす結果となりましたが。
>>394の追記です。
結果を知ってる私たち(韓国人)は李舜臣が正しかったと判断し、李舜臣を英雄扱いしてますが、
その当時の朝鮮の背景や環境、情勢などを考えると朝鮮政府の判断を決して悪かったとは言えません。
日本軍の強さに圧倒され、朝鮮が日本に落ちる目の前だったので朝鮮政府としては少しでも
なにかの変化がほしかったでしょう。正しいか正しくないかは別にし、王命を聞かない李舜臣より
元均を選択した朝鮮政府に対しても文句は言えないのです。(当時の朝鮮政府の不安感がよく見えるところだと思います)
李舜臣の最もすごいところは、日本の名だたる武将たちと「戦わなかった」ことだと
思っています。
397 :
マンセー名無しさん:2009/10/22(木) 17:43:45 ID:/OHWjjNn
>>395 はあ?李も元も水軍で日本を攻撃するのは負けて危険だから攻撃を躊躇ったのは同じですが?
李も元も鞭打ちされたのは一緒、違うのは登板の順番だけ。
違うのは運の善し悪しだけじゃねえの?
398 :
マンセー名無しさん:2009/10/22(木) 18:50:54 ID:tZLjAGJJ
元の皇帝を唆して日本出兵させた高麗の国王は
最低というワケだな
正に虎の威を借る狐だ
朝鮮は世界史ではいつも脇役
>>398 何でそういう脇役に失礼なことを書くかなぁ…。
何をいうか。朝鮮の日本出兵には偽があるぞ!
朝鮮出兵は元寇に対する報復の意味があるじゃん。
402 :
マンセー名無しさん:2009/10/23(金) 20:00:08 ID:wRwilQNY
応永の時に攻めてきた馬鹿チョンをフルボッコにして鬱憤晴らしたじゃん
403 :
マンセー名無しさん:2009/10/23(金) 20:04:55 ID:BE6K1Skl
数世紀前、秀吉に併合してもらえば、朝鮮人も幸せになったのにね。
よほど前世で悪行を重ねたね。
404 :
マンセー名無しさん:2009/10/23(金) 20:05:52 ID:iFboSh9h
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。
実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。
イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。
豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。
歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。
>>394 >李舜臣に負けた日本の名将軍たち
その将軍って誰だよw
実質2回しか戦ってないし、1回目は先鋒撃破して逃げたからそんな機会はない
2回目は島津相手に敗死してんじゃねーかw
来島通康が戦死したくらいか?
倭奴刀を揮ふこと~の若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみならず、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、
童にして之を習ひ壯にして之に精し。 "揮刀如神"
李舜臣に負けた将軍
・来島通之・・・停泊中に襲撃され戦死
・脇坂安治・・・抜け駆けで突出、朝鮮水軍に特攻という突っ込みどころ満載な行動して敗走
えーとどこが日本の名将軍たち?
あ、朝鮮基準での名将軍か!
脇坂安治なんて6倍の敵の攻撃を受けながら撤退に成功してるもんな!
朝鮮軍にはこんな采配が出来る将軍はいないや!
もうキムチ君をいじめてやるなよ
釣ってるつもりの自演臭いけどな
413 :
辻小姐:2009/11/26(木) 10:59:53 ID:pgHZmPMQ
山内正文陸軍中将の死因は、マラリアによる病死です。しかし、なぜマラリ
アにかかったかといえば、飢餓と戦傷で衰弱していたからです。単にインド
に旅行しただけで、そう簡単にマラリアにかかることもなく、かかっても死
に至るほど重症になりません。
なぜ山内正文が飢餓に陥ったかといえば、日本軍には補給が全くなく、対し
てイギリス軍には余るほどの航空補給があり、いつまでたってもインパール
基地が陥落しなかったからです。すなわち、日本軍が弱く、イギリス軍が強
かったために死んだのです。それは戦死以外の何物でもありません。
豊臣秀吉旗下の大名の、来島通総はもちろん戦死。鷹狩り、すなわち訓練中
に殺害された中川秀政ももちろん戦死。
兵糧、飲料水の不足、戦傷による衰弱によって病死した、羽柴秀勝、加藤光
泰、五島純玄、戸田勝隆、長谷川秀一、池田秀雄、牧村利貞、足利国朝、伊
東祐勝も、紛れもない戦死です。300諸公のうち、12人を死に至らしめ、豊
臣家の数少ない男子である、甥の秀勝まで失った豊臣秀吉は、大敗北としか
言いようがありません。
不潔、寒冷、禿げ山痩せ地で毎春飢餓発生の不毛の地・朝鮮半島最強!!(・∀・)イイ!!
415 :
辻小姐:2009/11/26(木) 20:32:41 ID:pgHZmPMQ
春に飢餓が発生したのは日本も同じです。
ヒント:毎春
417 :
マンセー名無しさん:2009/11/26(木) 20:38:46 ID:u9UDzi8+
春の風物詩となっとる罠w
418 :
マンセー名無しさん:2009/11/26(木) 21:19:30 ID:zGoUNpQy
>>417 北チョンでは進化して年中行事になりますた
>>413 当時の遠征中病死なんて普通なんだが
補給があろうとなかろうと
しかも遅れた農業技術が最大の戦果って朝鮮馬鹿にしてるとしか思えん
スレタイに戻ったネタで話すと。
確か、秀吉は朝鮮を『対馬の属国』と思ってたなんてのがあったな。
>>420 宗氏が、そんなように言ってたんでしたっけ?>朝鮮と秀吉の両方にうまい事を言い続けていた
>>421 そんな感じでしたな。
まあ、そうでもしないとやってけないという事情もあったんでしょうが。
だから再度の貿易は是非とも成し遂げたかったでしょうね。
伊達政宗の斡旋もあって復活しましたけど。
>>422 まあ、今の対馬関連の問題にも通じるものがありますわなぁ……>そうでもしないとやっていけない
秀吉の侵攻が成功してたら、やっぱり状況は変わってたのかしらん
>>423 参加大名も土地が欲しくて参加したのが多いですからねぇ。
安国寺なんかは、現地でいろは歌教えたりしてたそうですが。
まあ、現地で春を売りにくる女が大量にいた上、大名側も喜んで買いまくってたなんて言う、あまり広言できないような話もありますがw
>>424 まあ、そこら辺は国内での戦いのときも同じだったでしょうしなw>春を売る人と買う人がいた
譜代がいない秀吉の権力というのは常に領土やカネなどの見返りをバラ撒き続けなければ維持できないという事は、他の大名も理解できていたのだと思います
>>425 その20年後くらいに豊臣恩顧の連中がバタバタ死んだのは、そのとき性病もらったからじゃないかとも……w
上手く統治に移行できればよかったんですが、裁定でかなり贔屓したりしたから、そのへんでもかなり問題ありましたからなぁ。
>>426 まあ清正に関しては暗殺説もありますし、福島正則なんかはけっこう長生きしてますがねw
というか関ヶ原の時の家康や三成の話じゃないですけれど、やっぱり力関係やら人間関係やらに気を使って贔屓めな裁定をしなくちゃいけなかったという事はあるんでしょうなぁ……
(力が強いところは、当然「アンタのとこは見返りでもってるんだし、俺のとこを優遇する意味はわかりますよね?」って感じで押してくるでしょうし……)
>>427 ただ、惣無事令で徹底しなかったのは、後々に禍根を残しましたな。
>>428 ですなぁ……
実の所秀頼も結構有能ではあったらしいのですけれど、やっぱり秀吉政権というのは何をどうやっても一代で終わるものだったのかもしれません
>>429 秀頼の不幸は『太閤の落胤』であったことですな。
その表看板のために悪い虫がよってくるわ、軽く見られるわで。
>>430 どれだけ有能であったとしても、そういうのはどうにもなりませんからな……
まあこういう事を言ったらファンの方に怒られるかもしれないんですけれども、数少ない譜代級の大名として悪い虫や軽く見てくる輩をけん制しなくちゃいけないはずの七本槍はみんなアホばかりだったし……
(そりゃ裁定とかで色々恨みはあったのでしょうけれども、正直、三成を暗殺しようとするヒマがあるならもう少し他にやる事があるだろと……)
>>431 七本槍でどうこうできる大身が福島と加藤(清)しかいなかったのもありますしねぇ。
まあ、七本槍自体があまり豊臣の恩を感じてなかった、と言う可能性も……。
>>432 まあ可愛がられなかった人もいるらしいですけど、清正や正則なんてかなり可愛がられていたでしょうしねぇ。
実際清正が恩を感じていた(というか、秀頼を可愛がっていた)のは確からしいですし、もう少し考えることは出来なかったものかと
>>433 余程側近連中が気に食わなかったんですかねぇ。
家康と歩調合わせれば普通に存続できたでしょうに。
まあ、それ以上にKY揃いになってたのかもしれませんが。>大坂方
前田利長怒らせて東軍に追いやっちゃったり。
石田三成、毛利輝元と総大将が空気読めない子揃いだからなぁ・・・
>>434 何ていうか、チームワークが全然取れてなかったんですよねぇ……
ばら撒き効果があったとはいえ、良くもまぁ秀吉時代はまとまれていたものだ
まあ、関ヶ原って、豊臣政権の主導権争いでもあるから……。
その場合、立場的にどっちが有利かっていうと、譬え専横していたにしろ、政の後事を託された家康なわけで……。
石田三成が古田重然辺りの1/100でも社交性があったらまた違ったと思うけどね
曲がりなりにもアレだけの兵力を集められたわけだし
>>437 まあ、この時点では担がれたって可能性の方が高いらしいですけどね>家康
家康と三成って、仲が悪いわけじゃあなかったらしいですし
>>439 ですな。
どっちかというと『やらかした』のは輝元のほうだし。
>>440 ですね>輝元
……しかし今さらといえば今さらですけど、東軍の連中は家康を担いだあと「あの家康を」思い通りに出来ると思っていたのかしらん?w
(まあ、もしかしたら「西軍側の派閥に追い立てられて、もうあとがない人が多かった」とかそういう理由もあるのかもしれませんが……)
>>441 むしろ、誰も操る気がなかったんでは?
『せっかく世が治まったんだから、もういいよ。治められる実力者に任せようぜ』と。
>>442 ああ、なるほど……
まあどこも朝鮮との戦いとかでカネがなくなっていたわけですし、そこら辺の気持ちはわかるのですが……
でも「せっかく世が治まったんだから、くだらん派閥争いなんてせずに秀頼を守り立てて今の状態を維持していこう」って考えより
「せっかく世が治まったんだから、秀頼が幼い内に貰えるものは貰っておこう」って考える人が多かったっていうのは
正直なんだかなぁって気はしますなぁ。
>>443 その辺は天下は持ち回りの戦国武将的考え方でしょうなぁ。
或いは最上義光みたいに、はっきりと豊臣に恨み持ってたのも多かったし。
>>444 義光さんもですけど、政宗も秀吉を恨みまくっていたでしょうしねぇ……
やっぱりという言い方も変かもしれませんが、関ヶ原の頃っていうのはホントにまだまだ戦国時代だったんですなぁ
>>445 秀次事件で言いがかりつけられた面々は愛想尽かしたでしょうしねぇ。
>>446 あれは、本当に失策ではすまないほどのレベルでしたよなぁ>秀次事件
正直「秀吉は年を取ってから耄碌した」という意見には懐疑的な方なんですけど、秀吉はホントに何でああいう事をしてしまったのか……
>>447 耄碌したんでなく、政敵と認識したが故の行動では?
まあ、最大級の失策であることには違いありませんが。
>>448 なるほど、政敵ですか……まあ秀次に翻意があったとは思えませんが、実際のところ有能ではあったらしいですしねぇ。
しかし、やるにしてももう少し上手くやる事は出来なかったのかな
>>449 理由付けようとすると、余計わからなくなるんですよねぇ。
秀次一人斬るならわかるけど、妻子どころか諸大名に言いがかりつけるってのが。
しかも言いがかりの付け方が徳川時代の諸大名つぶしなんて目じゃないくらいの横暴だし。
>>450 まああの頃はまず徹底的に殴りつけて上下の差を教える必要があったわけですし、徳川時代の初期はとにかく無茶すぎな言いがかりをつけまくってでも有力大名を潰しまくる必要があったと思うのですよ。
……とはいえ、秀吉のアレっていうのは明らかにそれとは違いますし、ねぇ
>>452 ……やっぱり、秀頼可愛さとかいうような非合理方面なのかなぁ
>>453 もしくは最初から人心の機微が理解できてなかったとか?
>>454 うーん……でも、やっぱり人たらしの才能がなければあそこまで大きくなる事は出来ないと思うのですよ。
(元々貧乏な所の出ですから、初めからばら撒きをやるだけのカネはなかったわけですし)
まあ、しかし「金持ちになって権力を握って、その結果人間が変わってしまった(かつて持っていた人たらしの力も、カネに酔う内忘れてしまった)」という事はあるのかもしれませんねぇ……
>>455 人たらし、が逆にネックだったんじゃないですかね。
嘗てのたらし方の過程でカネという要素が加わることにより、逆に効果は上がっても元手が必要になってしまった、とか。
>>456 なるほど……
うーん、しかしそれだとやっぱり「人心の機微が理解できなかったというわけではなかった(元手がいるようにはなっていたけど、テクニック自体は失われていなかった)」という事になりません?
>>457 カネがない時は機微で判断できてたけど、カネで釣れるようになってからはカネで買えると思っちゃったんですかね?
でも、それにしても秀次の件は不可解だなぁ。
>>458 なるほど、そういう意味ならば理解できます>金でつれるようになってからは、金で買えるようになっちゃった(安易な手段ばかりに頼るようになってしまった)
利休を追い込んだ事についても色々な説があるようですけど、それもやっぱり理由ははっきりしてないのかな?
>>459 利休に関しては、後々まで後悔してたようですね。
利休死後の建築事業でも、「利休好みにしてくれ」って言ってるみたいですし。
やはり秀長の死が痛いか……。
>>460 ですなぁ……>利休に関しては、死ぬまで後悔していた
けれど、やっぱりそれも孔明が馬ショクを斬った時などとは全然意味が違うわけで……
>>461 何がやりたかったんですかねぇ。
強迫観念にでも取り付かれてたのだろうか。
利休は処分せざる得ない状況になってしまったというのが正解かも・・・
・へうげものの様に秀吉暗殺を企んだとか
>>462 まあ耄碌はしてなかったにしても、天下人としてのプレッシャーやストレスで色々まいっていたのは確かなんでしょうね。
餅は餅屋という言い方も変かもしれませんけれど、やっぱりこういうのって小さい頃から帝王学とかを学んでない人間には色々キツすぎるんじゃあないでしょうか
>>463 利休が(個人的なものではなく、国家運営に関するような意味での)命令を聞かなかったからという説は、確かに存在するようですな。
とはいえ、利休の側には懇意な仲であるはずの秀吉に逆らってどんなメリットがあったのか……
>>463 その状況がどういうものだったのでしょうなぁ。
>>464 信長・家康との違いはそこでしょうね。
>>466 スレ違いだが、規制トラウマーが極東でなんか喚いてるよw
>>467 またかいw
コテウィキの小細工がオレにばれたのが相当堪えたみたいだからなぁw
>>466 ですな>信長や家康との違い
(ナポレオンなんかも「貧しい出から天下人にまで成り上がった」という点では秀吉と似た所もあるんですけれど、あっちはそれなりの学校でそれなりの教育は受けてきているわけですし……)
男色嫌いの秀吉は感性が現代人に近かったという説もあるようですが、もし秀吉の生まれてくる時代が現代くらいの所だったならば名社長とか名政治家と呼ばれる存在になれていたのでしょうかね
>>469 田中角栄になっちゃってそうな気もする……w
>>470 ……うん、言われた瞬間即座に納得できてしまいましたw>角栄
あー、そうか、秀吉が死んだあと小沢みたいなのばっかになっちゃったから豊臣家は夏の陣でああなっちゃったのか……w
>>471 でも最後まで奮戦するような奴もいませんよ、ミンスのほうはw
>>472 下では片桐且元のように頑張ってる人もいるんですけどねぇ、あんまりにも上がアレすぎて……w
>>473 沖縄県連とか知事・市長レベルが且元ですかw
>>474 民主系の知事さんって、上層部の連中を嫌いまくってる人が多いらしいですからねぇw
そういう人たちが上に行ければいいんだろうけど、まあ、やっぱり体質は変えられないんだろうなぁ……
>>475 わが埼玉の知事は上層部大嫌いっぽいですしなぁw
>>476 何というか、そのうちマジで且元のように自民党側へ逐電しちゃいそうな気もしますなw>知事さん方
というかミンスが夏の陣な状況になって滅びるのは構わないんですけれど、入れなかったこっちまで巻き添えはカンベン……
>>477 大坂の陣ならまだいいけど、
これが応仁の乱だったりしたら……w
>>478 応仁の乱のように、100年続く……
うわ、何かリアルでありそうでイヤだorz
>>479 まあ、大掃除には丁度いいかもしれない、と前向きにw
>>480 乱れた中から、新しい英傑が出てきてくれるといいんですけどねぇ……
日本人の「緊張状態だと極端なスピードで良く伸びる(緊張状態を維持しなければ極端なスピードですぐダレる)」って癖、何とかならないもんかなぁ
>>481 じゃあ、立花の宗ちゃんの言葉で行きましょう。
つ【適度に戦があったほうがダレなくて丁度いい】
>>482 正直「サイヤ人か!」と思わないわけではないですが、人間そのくらいがちょうどいいのかもしれませんなw
>>483 今の企業も、経営陣が変革変革言いまくってますしw
あと、日本人は戦闘民族だと思いますw
今の日本が平和ボケと言われるのがまさにそれ。
別に戦争が起こればいいと思ってるわけではないが。
…そういえば朝鮮戦争の決着はいつつけるの?
>>484 ですなw>日本人は戦闘民族
(しかも、色々溜めるタイプのw)
>>485 そういやいつつくんでしょうな?
>>486 てか、戦ってないとダメなんじゃあ……w
迷惑なミンジョクだw
>>486 いろいろ溜め込んで、一気に怒りを爆発させるのですね。
まるでサナギマンのようにw
>>487,
>>488 しかも、わけのわからないタイミングでw>溜めておいたのが爆発するの
(絶対、ヤンデレの気もありますよねw)
今の日本人が戦闘民族かどうかは怪しい所な希ガス
だが、朝鮮人は間違いなく今も昔もチンピラ民族
つか、日本人を「お人よし」と思い込んでるのはある意味哀れな気もするなぁ……>中国の人とか、韓国の人とか
492 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 07:58:23 ID:1P2d0GVz
493 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 07:59:51 ID:1P2d0GVz
494 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:00:24 ID:1P2d0GVz
495 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:02:30 ID:P5oBilz5
496 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:03:36 ID:P5oBilz5
497 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:04:22 ID:P5oBilz5
498 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:05:34 ID:KQDUgPKO
499 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:06:20 ID:KQDUgPKO
500 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:08:08 ID:KQDUgPKO
501 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:08:41 ID:Y9NxZf77
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。
ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F 歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。
ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85 脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。
502 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:10:40 ID:Y9NxZf77
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。
ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。
503 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:11:31 ID:Y9NxZf77
朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人
それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな
広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。
一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。 馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので 百済≒高句麗≒渤海 ≠ 三韓=朝鮮民族
504 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:13:48 ID:yI3D0aqk
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。
高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88 http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE ■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧
・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること
505 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:14:39 ID:yI3D0aqk
506 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:15:30 ID:yI3D0aqk
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』
【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。
507 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:17:07 ID:YI5OJTJ8
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。
〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕
見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。
508 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:20:23 ID:GBcLQO2o
高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。
wiki より
上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。
百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人
渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。
509 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:21:21 ID:GBcLQO2o
前12世紀〜前2世紀の箕子朝鮮は中国人の箕子が建国した中国人国家。
箕子朝鮮を滅ぼして前2世紀〜前1世紀の衛氏朝鮮は中国人の衛満が建国した中国人国家。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして朝鮮半島北部に前1世紀〜後3世紀に設置した漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)は中国植民地。
百済と高句麗はツングース系民族の夫余族の国家。渤海は夫余族と靺鞨の国家。夫余族と靺鞨は中国・満州族の母体。
秦からの亡命中国人が前2世紀〜4世紀に朝鮮半島南部に建国したのが辰韓(秦韓)で、後に12カ国に分裂して、その一つの斯蘆国が新羅。
百済と高句麗を滅ぼしたのは新羅ではなく唐。唐は百済と高句麗の滅亡後に旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として半島全域を藩属国から羈縻州(中国国内扱いにした事を指す)にした。
このため一時的に朝鮮に「国」はなくなった。
朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱
「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
510 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:22:11 ID:GBcLQO2o
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)
1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。 (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。 (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
国内には多くの蒙古軍人が駐留。 (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。 (モンゴル人化)
反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)
「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/ 韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm
511 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:23:22 ID:6qObOaWe
512 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:24:11 ID:6qObOaWe
各国教科書に見る朝鮮半島
http://bansensyukai.blog23.fc2.com/blog-entry-7.html ◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ オーストラリアの教科書
「朝鮮は近代に到るまで、その国内での抵抗に関わらず、中国と日本の属国だった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ インドの教科書
「朝鮮は永らく中国の属国だった」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
韓国と北朝鮮の国内でどれだけ洗脳教育をしても勝手ですが外の世界に出れば朝鮮半島は古代から下関条約まで常に属国。
これが世界の一般的な認識ということです。
513 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 08:25:17 ID:6qObOaWe
統一新羅
http://www.memomsg.com/dictionary/D1096/390.html 統一新羅は、676年の朝鮮半島の統一から935年に滅亡するまでの新羅の事を差す。
この統一新羅、いわゆる新羅は、現在の韓国、朝鮮両国の共通の先祖の国家の初代といえる。
それ以前の国家は民族・言語・文化的につながりが薄い。当然、統一新羅の前身である新羅と統一新羅は連続している。
統一の過程で滅んだ、高句麗、百済は現在の韓国及び朝鮮とは連続性があまりない。
高句麗は実質的に後継国家として渤海があり、現在の中国東北部に小さく民族移動して国家を再建設している。
東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院 『朝鮮日報2007年6月4日』
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018 公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」とし、
新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」と記述した。
また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。
東北工程・高麗も中国が建てた国『朝鮮日報2007年6月6日』
http://www.chosunonline.com/article/20070606000006 高麗について、「箕子朝鮮、高句麗に続き、中国が朝鮮半島に打ち建てた3番目の政権」と主張したところの、
吉林省社会科学院が隔月刊で発行する歴史雑誌『東北史地』の2007年第3号に掲載された「後唐の明宗が、高麗を建国した太祖・王建の族籍を明らかにした」と題する論文の存在が確認された。
この論文は、「王建は決して朝鮮半島の新羅人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の末裔」と主張し、
933年に後唐の2代目の明宗が太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国
313 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/11/29(日) 09:12:16 0
↑こいつは自分が朝鮮嫌いな層からも
痛いと思われているということが
分かっているのか?
二度と来るな。
314 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/11/29(日) 12:14:21 0
>>313 同意。
本人はオレサマカコイイ!とか思ってやってるんだろうが、
端から見れば馬鹿さ加減はホロン部と同じ。
515 :
マンセー名無しさん:2009/11/29(日) 18:32:24 ID:8OKDiieV
今夜放送ですね。見る前から戦争の実態を描かないという、駄目駄目臭が漂ってきます。
ttp://tv.yahoo.co.jp/program/122300/?date=20091129&stime=2200&ch=8208 2009/11/29 22:00〜23:30 の放送内容
NHK教育 .ETV特集 日本と朝鮮半島2000年(8)
日本と朝鮮半島の関係に大きな傷跡を残した文禄慶長の役(1592-1598)。中国・明も巻き込んだ東アジア国際戦争はなぜ起きたのか。悲劇の実態をみつめる。
豊臣秀吉が起こした文禄慶長の役(1592〜1598年)は朝鮮半島では「壬辰倭乱」と呼ばれ、日本の侵略の出発点として刻まれている。
この戦争は日本と朝鮮、2か国間の紛争だけではなく、中国・明を含めた「日・朝・中」東アジア社会を変動させた国際戦争でもあった。悲劇はなぜ起きたのか? 戦争の実態を描く。
出演【ゲスト】ソウル・ソガン(西江)大学校教授…チェ・ドゥフィ,九州大学大学院教授…中野等,【キャスター】三宅民夫,【リポーター】大桃美代子
516 :
マンセー名無しさん:2009/12/12(土) 00:11:34 ID:2607wTRi
バイト先のパートのおばさんは
>>515を見たんだろうか。
「この前テレビでやってたんだけど韓国と日本の仲がこじれたのは豊臣秀吉のせいなのよ!
それまで朝鮮半には戦争なんて全くない平和な所だったのよ。全部秀吉が戦争なんてするからいけないのよ」
というとんでもないご高説を捲し立ててきてびっくりしたよ。
「へぇww秀吉っすかw」とpgrしてたら「学校で習ったでしょ」と言われて失笑。
はい、色々侵略されたって習いました。戦争してなかったんでしょうか?
あ、それは一方的な戦いだから戦争とは言わないんですね。
517 :
マンセー名無しさん:2009/12/12(土) 01:09:16 ID:PPtxttcU
よし、その糞ババアに
新羅の海賊とか、蒙古襲来とか、応永の対馬侵略を教えてやれ。
三国時代
元寇
応永の外寇
学校で習ったでしょ!
業界ではTVの視聴者は高卒の主婦だと思って作れという教えがまことしやかに伝わるというが…