82 :
マンセー名無しさん:
白衣文化
洗濯女
儒教的礼儀と色彩の制限
黄:中国皇帝の色・皇帝以外に使用禁止・道教の聖職者は例外
___黄河・黄竜・反対色は紫で紫禁城(中国の宮廷)
青:朝鮮国王の色・王様以外に使用禁止・仏教の聖職者は例外
___青春(皇帝[黄]−皇子・国王[青])・青瓦台(朝鮮の王宮・大統領府)
赤:明の国姓は「朱」・明朝の皇帝の姓名ではばかる・祖廟の塗り物は例外
___賊の紅巾党の色・蒙古王朝末期で明王朝の初めの盗賊団が赤
白:庶民や日常で白衣使用
__朝鮮の恨文化の巫檀(ムーダン)は白衣
__朝鮮旅行記に挿絵の洗濯女も白衣
__李朝末期の写真の貴族の日常服も白衣
__チゲ(本来は荷背負い道具の名称・人足の名称に拡大)も白衣
__東学党の頭目と部下の服も白衣
黒:貴族は黒い礼服や外套
__白の肌着に黒の祭服、袴など礼服、外套に使用
李氏朝鮮は白衣文化。
フランス・アメリカ・ロシアの撮影した港や城や市場などの大衆の映った写真では白衣一色。
王宮に向かう役人が黒い衣を着ている。
四書の一つ『 論語 郷党篇 解説 』では、孔子は
普段着・凶事に上下(白鹿)と帯飾りに「白」の衣を着用し
礼服に上下(小羊)と帯飾りに「黒」を
祭服に上下(狐・狢)と帯飾りに「黄」を用いた。
紺(青)・赤茶・赤・紫を嫌って使用しなかった。
台湾・香港に見られるように聖職者(道師(道士)・和尚)の服装と言うのは古来から
黄衣(霊ゲン道士・少林寺映画など)か
黒衣(宰相・坊主・役人)である。
日本の大正・昭和初期の発禁本で
朝鮮の置屋(売春宿の待合室)の写真に映った朝鮮女性は
ストライプ柄(カッター柄・シマ模様)の
色とりどりの袖クチのチョゴリ(上着)に色とりどりのチマ(袴・スカート)をはいている。
白や黒で単色の上下衣服ではない。
中国伝統を廃した共産革命・文化大革命の後の赤一色の時代に
孔子誕生の2500年祭?なるマスゲーム(集団体操)な祭服は
上下全面を赤を生地にしたものに改ざんして着られ踊られている。
高麗朝に記述が出来た伽耶は、日本(任那)・中国(任那・弁辰)の
古来の歴史書に存在しない地名である。伽耶の時代は
卑弥呼〜聖徳太子の時代に相当し、この頃に「大正琴」はない。
歴史捏造や改ざんな事に
終戦直後に日本人を殺して「大正琴」を手に入れたほかに考えられないのが
上が白で下が黒の服のキーセンがひくという「伽耶琴(カやグム)」である
李氏朝鮮では、特別な貴族のほかに中国人の姓名を基本的に使わせない。
鄭声: 「論語」衛霊公篇では「淫靡な音楽、好色物」を意味する → 姓名で「鄭」
尹士: 「孟子」44章 公孫丑編では「士は誠に小人(小人物)と反省した」から取った名。
明王朝の創始者・朱元璋の聞いた張士誠が名付けられた由来 → 姓名で「尹」「張」
曹操: ソウの読みは同じだが「曹」の字の縦一本線を抜いて
「゙」とし中国人と区別した → 姓名で「゙」
新羅: 金城(王都の慶州)を「辰」とし
シンの読みは同じだが「辰」を中国の「秦」の始皇帝と区別した。
金城に石像は尭舜ウの洛陽の石像と同じで、辰韓由来の秦の始皇帝の子孫の証拠と
いうのは非常に辻褄が合わない。始皇帝は洛陽ではないし、尭舜ウは秦国ではない。
まして慶州(新羅・辰韓)ではなく、済州島(胡州・巨文・慕韓)が
金城の石像の発祥・本家だと頑張っている。
在日朝鮮の焼肉店や銀座などの美術商店に何故か石像がある。
性格的な遺伝からして、その島は詐欺・窃盗・不倫・強姦の巣窟というべきか。
鮮卑族の「斐(ぺ)」「高(こ)」で漢族では使わせない。
日本だと高師直(こうのモロナオ)鎌倉末期・室町初期の足利尊氏の執事だが
京都の公家の奥方や女官を襲い、塩屋の判官の妻への強姦未遂とか特に問題。
女直族(1200年代)は「金」キン(キム)であって、読みが「コン」ではない。
黄金(おうゴン)・金色堂(コンじきドウ)・砂金(さゴン[御砂金・みさご[ん]])
金剛(コンごう)・金為時(こんのタメトキ・紺野氏の先祖と伝えられる)?は
日本で前九年合戦(1000年代)の人。
日本の大河ドラマでタメトキの娘を瑠璃(るり・宝石)と名づけたのは創作か?
済州島は、不倫・盗みの懲りない人たちを「島・流した」土地である。
「鄭・高・朴」?が「巨文(こもん)の三穴・三姓穴」といって島人に多いそうである
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=history&key=1124093582&st=401&to=409 では文字というのを知っているか書いてみろ。と中国人が原住民に言った。
中国人を殺して得た文物に描かれた「絵」の方を中国人は指差したが
たまたま絵でなく文字の方の事だと当て推量が上手くいって
土瓶の十二支の絵の横に漢字が描かれて「辰」を「リュウ」と発音してみた。
中国人は驚いた。(実際は、辰の竜はロンで、漢の劉はリュウである。)
うーむ。「リュウ」って人間か動物か判るか。と聞けば、動物だ。といった。
中国人は原住民の答えにびっくりした。
あやや(アイヤー)。ではリュウ(辰)なる動物は
いつ頃から知ってたかといえば、文物の文字の「韓」を でたらめに指した。
絵には秦・周・韓・趙・燕・斉が描かれていて、幸い漢や楚が書かれてなかった。
シン「辰」と、この文字「韓」と どっちが先にあったか。と聞いた。
原住民の後から取ってつけた でたらめ歴史がばれた。
シンが先で韓は後だ。と原住民はいい。辰の時代に来て韓の国から来た。といった。
王様の国の名前は?と聞くと この字「韓」だ。と得意になった。
(周国を取り巻く韓国は始皇帝の秦国より先に成立。秦を辰に 漢を韓に 劉を竜に 勘違い。)
バカ丸出しなので、中国人は(いにしえの辰国なる新羅城の人が)自分でいうのだから
この連中を辰韓と呼ぶ事にした。(AD280頃 三国志を編纂した西晋の陳寿の時代)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1132129596/639-643 【李氏朝鮮】での想定される社会構成
組を監督する役所: 掌隷院(ちゃんれうぉん)両班(やんばん)の達官(たるぐぁん)
組の長老: 大家(てが)階級の契(げ)の任(ニム)
組の人足: 奴婢(のび)階級の?契(ちゲ)
均役法(きゅんヨツぽぶ)を根拠に
ナラ(国)・みょん(面)のナリニム(?任・旦那)であるヤンバン(両班)が
マウル(邑)・どん(洞)でハイン(下人)のチゲ(?契)をノドン(労働)させるという課税で生活
チゲが行商という方法で労働した時に所得税として[鋳造権がない為に]中国銅銭で行商収入を納税
【 中国の藩鎮で中国の節度使が支配する属中国社会の中身 】
ヤンバン→換局←ヤンバン (政権争い: 西人[京畿]→←東人[慶尚]分派の南人)
↓
郷戦(処遇改善要求の暴動(民乱・軍乱[クルらん]・弥勒や真人[ちにん]をかたる世直し革命騒ぎ))
↑
ショゲツ・ノビ
倭奴(うえのむ)にはキョンポックン(景福宮)の造営で、のんびりアリラン歌う平和の国と あざむく。
実は 派閥負け組みのへの虐殺・反乱人民への拷問の阿鼻叫喚の国。
>>82-7 落書きはチラシの裏にでも書け、それかあぼーんし易いようにコテとトリを付けろ池沼。
こいつそろそろ規制議論板に報告すべきかもな
ちょかぷすか
ぼじじゅせよ
したこほあ
>81
> 和装振興策を聞いた。西陣織会館(上京区)では、伝統的な手織りやつづれ織りの
白:庶民や日常で白衣使用__朝鮮の恨文化の巫檀(ムーダン)は白衣
__朝鮮旅行記に挿絵の洗濯女も白衣__李朝末期の写真の貴族の日常服も白衣
__チゲ(本来は荷背負い道具の名称・人足の名称に拡大)も白衣
__東学党の頭目と部下の服も白衣
フランス・アメリカ・ロシアの撮影した港や城や市場などの大衆の映った写真では白衣一色。
王宮に向かう役人が黒い衣を着ている。
四書の一つ『 論語 郷党篇 解説 』では、孔子は
普段着・凶事に上下(白鹿)と帯飾りに「白」の衣を着用し
礼服に上下(小羊)と帯飾りに「黒」を 祭服に上下(狐・狢)と帯飾りに「黄」を用いた。
紺(青)・赤茶・赤・紫を嫌って使用しなかった。
台湾・香港に見られるように聖職者(道師(道士)・和尚)の服装と言うのは古来から
黄衣(霊ゲン道士・少林寺映画など)か黒衣(宰相・坊主・役人)である。
鄭声: 「論語」衛霊公篇では「淫靡な音楽、好色物」を意味する → 姓名で「鄭」
尹士: 「孟子」44章 公孫丑編では「士は誠に小人(小人物)と反省した」から取った名。
組を監督する役所: 掌隷院(ちゃんれうぉん)両班(やんばん)の達官(たるぐぁん)
組の長老: 大家(てが)階級の契(げ)の任(ニム)
組の人足: 奴婢(のび)階級の?契(ちゲ)
均役法(きゅんヨツぽぶ)を根拠に
ナラ(国)・みょん(面)のナリニム(?任・旦那)であるヤンバン(両班)が
マウル(邑)・どん(洞)でハイン(下人)のチゲ(?契)をノドン(労働)させるという課税で生活
郷戦(処遇改善要求の暴動(民乱・軍乱[クルらん]・弥勒や真人[ちにん]をかたる世直し革命騒ぎ))
天円地方(洛陽南郊から北京の天壇・奉天)・前円後方墳(前方後円墳)
[和漢]三才図会(昔の図鑑・百科事典)天。九重の天。天動説の同心円を描く星の公転の軌道が円形。(南蛮マテオリッチ)
ワのナ国(倭の那国→倭奴国(宋編纂・新唐書の日本、古「倭奴」也)→漢委国[金印捏造])
那に任された土地(任那・倭人に任された国)
>>88 そのアンカーだと、7から82まで指定になるんだが。
94 :
マンセー名無しさん:2006/02/04(土) 15:28:09 ID:uFjuMxJh
トルコの場合
1890年 和歌山県串本町でオスマン帝国(現在のトルコ)軍艦「エルトゥールル号」を救助
1985年 イラク戦争開戦 トルコ政府はテヘランにトルコ航空機を派遣し、在イランの日本人を救出
朝鮮の場合
1900年 福井県小浜市で大韓帝国船「サインパンゼ号」を救助
1978年 北朝鮮工作員辛光洙が、福井県小浜市で地村保志さんと浜本富貴恵さんを拉致