639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
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参鶏湯(さんゲたん・朝鮮人参と鶏肉のチョンゴル[鍋])
補身湯(ぽシンたん・犬肉のチョンゴル[鍋])
チョンかくトゥギ(細切れ大根漬け)
コチュとペチュなどのトンチミ(唐辛子と白菜などの漬物)
ピョントック(コウリャンなどの粉末固めの焼餅)
ビビン飯(びびんパ・ワラビかぶ白菜などの石焼山菜の麦飯)
麦粥・匙作法(ムギかゆ・サジさほう)
メージュ(天日干し塩漬け豆)のジャン(醤)→朝鮮味噌
釜湯(ぷタン?)→食後の釜底お焦げを潤おかした飲み物(そば湯の様な濁り)
生姜湯
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親北政権−現代2代−百済大統領−発(捏造改竄妄想爆発版 ver2.0)
★ 大百済(中国語音読+日本語訓読の重箱読み・ちんいち改定増補2)★
衛満秘伝−下句麗・山間朝鮮−秘伝「飲尿」
外百済(鉄嶺・衛満朝鮮・鹿朝鮮)−下句麗(塩朝鮮・真蕃朝鮮「広開土王」)
外百済(河北・燕)−−−−百済(馬朝鮮「日王」上句麗)−新羅(辰朝鮮)
外百済(山西・趙)−−−−−−−−−−−−−−−−−奈良百済(弁朝鮮・尼句麗)
外百済(山東・斉)
外百済(呉・南斉国・木浦朝鮮−秘伝「嘗糞・洪濁」招来)
ウリ[我]ナラ[国] テー[大]ハン[韓]ミン[民]グク[国] マン[万]セー[歳]
李氏朝鮮 780万
戦時徴用 200万
帰国者_ 120万
帰化者_ _60万
終戦残留 _20万+不法入国 _50万=在日現在 _70万
840万−780万=60万の水かさ見積もり?ドウすんべ。数合わんし。わからんカモ。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/30(月) 23:01:06 ID:bzhkIDwp
【李氏朝鮮】での想定される社会構成
組を監督する役所: 掌隷院(ちゃんれうぉん)両班(やんばん)の達官(たるぐぁん)
組の長老: 大家(てが)階級の契(げ)の任(ニム)
組の人足: 奴婢(のび)階級の?契(ちゲ)
均役法(きゅんヨツぽぶ)を根拠に
ナラ(国)・みょん(面)のナリニム(?任・旦那)であるヤンバン(両班)が
マウル(邑)・い(里)でハイン(下人)のチゲ(?契)をノドン(労働)させるという課税で生活
チゲが行商という方法で労働した時に所得税として[鋳造権がない為に]中国銅銭で行商収入を納税
【 中国の藩鎮で中国の節度使が支配する属中国社会の中身 】
ヤンバン→換局←ヤンバン (政権争い: 西人→←東人分派の南人)
↓
郷戦(処遇改善要求の暴動[民乱・軍乱]・弥勒や真人をかたる世直し革命騒ぎ)
↑
ショゲツ・ノビ
倭奴(うえのむ)にはキョンポックン(景福宮)の造営で、のんびりアリラン歌う平和の国と あざむく。
実は 派閥負け組みのへの虐殺・反乱人民への拷問の阿鼻叫喚の国。
宣祖(1568−1608)光海君(1609−1622)
仁祖(1623−1649)孝宗(1650−1659)顕宗(1660−1674)
1684年(粛宗10年)
喪輿[棺を担ぐ人足]徒の集まり=香徒契(ヒャンどゲ)葬儀組
________________?契(ちゲ)組員の反乱
真人(ちニン・救世主)が出現と飛語流言
1688年(粛宗14年)
弥勒信仰(釈迦の時代が終わり弥勒の時代が到来・別の時代)と称して反乱
1689年(粛宗15年)
老論(のロン・西人[そイン]・宋時烈の派閥系統)から
南人(なミン・東人[慶尚道派閥]から分かれた)へ換局(政変)した。
1697年(粛宗23年←13年[1687])ごろに
義賊の張吉山(ちゃんキルさん)というクァンデ(広大)なる
人形劇・仮面劇・パンソリ[唱劇・寸劇]・綱渡りなどの伝統芸人の出身者の反乱
ショゲツとヤンバンの間のチャンキルサンのような反乱を郷戦という
大同法(てドンぽぶ・地方特産物の貢納を廃止・土地固定[布・材木・穀物・行商収入銭]税制)
均役法(きゅんヨツぽぶ・固定の土地の人身に武課[地元奴婢の労働奉仕が税金])
掌隷院(ちゃんレうぉん:下人・奴婢の監督機関)
景宗(1721−1724)英祖(1725−1776)
1728年(英祖4年)
南人・小論の両班が指導した反乱 星湖・李翼の『門族登科記』に
大家(てガ)名族(みょんゾク)聞人(いむイン)顕士(ぴょんサ)達官(たるグァン)
早位(ちょうイ[早の字の日は白・どんぐり])を問わず殺戮と記載
正祖(1777−1800)
・そもそもフビライを唆したのは高麗人の趙彜という人物である。
・元寇の時代に高麗の王世子・椹(後の忠烈王)もフビライを唆している。
・高麗軍は対馬、隠岐を攻撃したときに、男は殺害
女は集められて手の平に穴を開けられて縄を通され船縁に吊るし
そして200人の少年少女が「強制連行」され
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/koreatext2.html (5)倭寇
朝鮮の史料「世宗実録」に「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」
と「倭人は1、2に過ぎずして、本国の民、仮に倭服を着して党を成し乱を作す」
密貿易が横行したことと、元寇を通して
元寇時の元・高麗連合軍の対馬住民に対する暴虐への復讐として
倭寇が行われたという歴史的事実がある。元寇の時代に
高麗の王世子・椹は「惟んみるにかの日本
未だに聖化を蒙らず。故に詔を発して軍容を継耀せしめんとせば
戦艦兵糧まさに須いる所あらん。もし此事を以て臣に委ねなば」
「王師を小助せん」とフビライを唆しています。
そして『日蓮註画讃巻第五「蒙古來」篇』に
「二島百姓等 男はあるいは殺あるいは虜、女は一所に集め、手を徹
、舷に結付 虜の者は一人も害さざるなし。肥前国松浦党数百人伐虜さる。
この国の百姓男女等、壱岐・対馬の如し、」と
(6)朝鮮の国号
「李氏朝鮮」は「衛氏朝鮮」など国号が
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/japantext2.html