【李舜臣】壬申倭乱/丁酉再乱【倭寇説】 2ダ

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1megrim
経歴不肖な李舜臣、北辺の陸兵指揮官であって彼が短期間の水軍指揮官として
ああまで戦果を上げた原因はどこに?
当時の交易活動・経路や価値観思想などから「李舜臣倭寇説」をでっちあげる!
*あくまでネタなので悪い子も本気にしないで下さい。
前スレ
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1047523445/l50
2megrim:03/03/28 15:20 ID:qJqD7PVo
良スレだったので次スレ立てました。
2ダなので地鎮祭はスルーでいきませう。
3t:03/03/28 15:22 ID:MOUJtW6z
4ポンセ ◆PONSEiJl.6 :03/03/28 15:22 ID:bsuqJqye
>>2
ムッ(略
5 :03/03/28 15:22 ID:ZKPV/yhQ
>>2
チョトあなたなんで地鎮祭がスルーなのよ!!
6megrim:03/03/28 15:26 ID:qJqD7PVo
>>5
いや、地鎮祭スルーという『予想の斜め上』をやってみるのもネタのうちってことで。
7megrim:03/03/28 15:40 ID:qJqD7PVo
前スレ>>985
朝鮮の文化についてですが、ちと恣意的なものが感じられましたのでレスです。

>元からある物で満足するという、ある意味達観している
>と言って良い「足るを知る」という優れた精神文化。

それは「足ることを知る」のではなく、儒教の「師承」によって文化的生産活動の停滞/衰退といいます。
儒の教えである「師承」は「師の教えを受け継ぐ、教えから外れることをしない、勝手に新しい教え(或はモノ)を生み出さない」
こういうものです。それゆえ、儒教社会の朝鮮では新しいものが殆ど生まれなかったのです。
そして、それに続くものですが…。
500年も続く社稷といいますが、日本には1500年続く大和朝廷がありますが、なにか?
武家政権というものはただの政治軍事の代行者にすぎないことを見落としています。
国民に至るまで優れた精神性?李朝末期の外国人の記録を見ても同じ事がいえますか?

>江戸期の日本の知識人達がお手本とするような文学の文化を作り上げた

ただの漢文マンセーが幸いしただけです。
国学が発展してくると、通信使は面会人にコケにされることもしばしば。
丁重に扱ってくれたのは、漢文/儒学を学んでいる人間だけです。

んで、独自性の欠片も無い文化なわけですが、どこが日本より優れているので?
8桃山マンセー:03/03/28 16:11 ID:SaY5nHcD
前スレ>>983さんへ
平成バブルと違って、ちゃんと後に正の遺産を残しているところが素晴らしいですよね。
無尽蔵に沸いて出てくると思われていた銀を浮つかずにインフラ整備に充てたというのは
幕府の手並みの良さですね。
銀の国外大量流出、鎖国によってバブルの弾けた後も真に必要な公共投資は続け、

天守再建の中止
朝鮮通信使への予算大幅削減

というように虚飾というか無駄な公共投資はきっちり止めてますw
これなんか外面、体面のみを重視する形式主義的な朝鮮儒教の世界では考えられない、
戦国〜徳川期までに練り上げてきた日本独特のモラルの賜物に思えます。
9桃山マンセー:03/03/28 16:23 ID:SaY5nHcD
>徳川吉宗の時代です。このアホタレの就任直後から一気に生産量下落が始まります。

そうだったんですか。
吉宗といえば、「祖法に則って政をする」として、
朝鮮通信使の扱いを白石以前に戻してますね。
つまり「幕府は上国であるから、朝鮮の使節を何人でも受け入れてやるしもてなしてやる。
持ってきた土産も何倍もにして返してやるぞ」というバブル的発想に戻しちゃったわけですね。

結局長くは続かず、幕末には対馬で済ますことになっちゃうんですがw
これぞ白石の「朝鮮の身の丈相応の扱い」です。

>>1
乙です!
10桃山マンセー:03/03/28 16:37 ID:SaY5nHcD
前スレ儒学者タン
>長きに渡る平和は、江戸期の日本の知識人達がお手本とするような
>文学の文化を作り上げた。

まぁ五山文学や足利学校で十分事足りるものだがな。
11 :03/03/28 17:41 ID:G6+aCIFh
吉宗批判は異議あり。
まず経済感覚では白石より上だからな。
それにそもそも通信使の目的は将軍家の権威を天下にアピールするためなんだから、質素にするのは本末転倒だ。
(なんかこの目的があまり語られないのは、かつての両国の友好を強調したいためだろうね)
さらに御三家から将軍になった初めての者だから、権威づけが欲しかっただろうから酌量の余地がある。

江戸時代、対朝鮮貿易の主要な品は朝鮮人参だった。朝鮮に銀が流出するのを恐れた吉宗の指令で人参の国産化に成功。以降の貿易量は大きく減った。
12 :03/03/28 17:47 ID:tXrcsCsC
なぜ朝鮮側が銀を警戒したかというと、あまり銀があると中国から朝貢しると言われるから。これが怖くて国内の銀山を閉じちゃうくらいだ もん。
13megrim:03/03/28 17:52 ID:qJqD7PVo
そして他の物産で朝貢して、天朝様からお返しをごっそりいただこうとする…と。
朝貢のし過ぎでおこられたのって、何時の話だっけかねえ。
14 :03/03/28 17:56 ID:ohMRSTTP
考えてみると漢が全盛期を築いたのって皇帝(名前失念)が儒教を軽んじた時代だもんな。
経済発展と文化変化を嫌ううちは国は発展しないってことか。
生き方の学問として儒教を修めることは良いと思うが、国家レベルの指針に使うとねぇ。
あ、李氏朝鮮がそれを体現してくれているか。
15釣られ氏@たまには釣士:03/03/28 18:07 ID:OmaKJ2cA
取りあえず前スレのツッコミから。
>985 名前: 儒学者 投稿日: 03/03/28 13:41 ID:MLwqbXqF
>・・・また、この当時、多くの戦国大名がよりどころとしていた
>金山・銀山の鉱石を精錬する技術も、
>多くの場合、中国からではなく、朝鮮から伝わってきた。

金・銀の当時の革命的精錬方法に「灰吹き法」が有名ですが
ポルトガルからの技術導入が”定説”ですが、腐れjy(略 殿、
阿呆ですか。
16釣られ氏@始皇帝マンセー:03/03/28 18:16 ID:OmaKJ2cA
儒学者殿。あなに埋めてあげましょうか。

坑儒は、儒者を坑(あなうめ)の刑に処した事件である。
始皇帝は神仙の住む島に行くと不死の薬を手にいれられると信じていたので、
神仙の術をおさめたと自称する方士が多くつかえていた。

これらの中で始皇帝をあざむき逃亡した者がでたので、
おこった始皇帝は前212年に学者も同類として逮捕、
そのうち460人余りを生き埋めにしたとされている。

というか、前スレの「李舜臣倭寇説」のダイジェストをキボンヌ!
テンプレがあると良いと思うでありんす江。
1715・16・・・:03/03/28 18:37 ID:OmaKJ2cA
どうやら釣られたようだ。ショボーーン・・・
アマルガムは半島伝来ラッシー。新田次郎の小説に騙されマスタ。
死んで屍拾うものなし・・・・・・
18megrim:03/03/28 18:37 ID:qJqD7PVo
852 :ま :03/03/26 11:00 ID:8xu546gX
李舜臣が倭寇と接触を持ったのがどこなのか謎ですね。
北朝鮮の日本海側では、倭寇も活発じゃありませんし・・・

ひょっとして、

柳が同郷の者だという推挙がデタラメで、実はモノホンの倭寇???
辺境で死亡した士官の戸籍を、首相命令で改ざんさせて・・・
死んだはずの男がソウルに連行され、特赦で出世・・・まさか・・・

853 :「ど」の字 :03/03/26 11:08 ID:/jllrZUh
>>852
 そう言えばおかしい。
 冗談でなく「クワトロ・バジーナ」パターンだったのかも。
 宇宙世紀ならどうかとも思うが、当時なら戸籍の改竄などたやすいだろうし。
 以前李舜臣の略史を書いてみたことがありますが、確かに不自然だ。
 北辺守備の陸兵指揮官が、突如海軍に回され、しかも数年で結果を出すなど。

867 :  :03/03/26 13:19 ID:0L70RoTA
倭冦ネタは面白いので続けて考えてみた。

当時は一般民は貧しいので、大商人は大名相手の商いをやるわけだ。堺の連中のように。
ならば、堺商人に相当する武装商人が朝鮮にも必ずいたはず。つまり倭冦だな。

そういう商人たちはその後どうしたか?
ハク付けなどのため婚姻政策をとり、両班と血縁関係になる。一族の優秀な人間を進士試験に合格させる。など、次第に両班階級入りしていくことを選ぶのではないかな。
…つまり舜臣は倭冦の親戚筋で、航海の経験は若いころから豊富。中央の大物ともコネが多少ある。
だが胡散臭く見られたと。
19megrim:03/03/28 18:39 ID:qJqD7PVo
889 : :03/03/26 20:15 ID:PUoL/Fpx
島津が倭寇と関り深かったのは事実らしい。
島津殿の弟と呼ばれる倭寇が居たとも言われているし、
武家社会に組込まれた後の彼らの系図には福建のフの字も出てこないけど。
九州の大名お抱えの船手組は福建人倭寇出身者も多かったんじゃなかろうか。
李舜臣会心の戦いである鳴梁の戦いでも、
潮流を最大限に利用して来島(海戦のプロ)を打ち破っている。
40歳になってから初めて海に乗り出した武将が出来るような戦いじゃない。

890 : :03/03/26 20:31 ID:PUoL/Fpx
倭寇は最後期の福建琉球九州ルートだけが華やかに見られるけれど、
実際には青島朝鮮対馬ルートも同様の重要さを持っていたはず。
同じ寧波に着くのでも北回りで朝鮮南岸をかすめるコースは、
目標物も多いから安全だし大内氏が朝鮮貿易で力をつけたというのも、
このルートじゃなかろうか。(大内氏自体が全羅道出身の倭寇の可能性もある)
朝鮮南岸の海辺民を含めた倭人は風俗も異なる下層原住民として、
中央からは無視され無条件に斬り捨て御免の状態に近かったようだけど、
実際に朝鮮南岸出身の倭寇も多かったんじゃなかろうか。
壬辰の役でも秀吉軍かと思えば服装が良く似た海辺民だったという例が、
結構有るらしいから。
そうした倭寇(日本出身というのではなく海辺民)出身者は、
中国の将軍には数多いけれど朝鮮には全く居ないんじゃないか。
海辺民は朝鮮では倭人と言われ下層民扱いだったから、
仮に海辺民出身であっても正直に出自を言えなかったのかもしれない。

891 : :03/03/26 20:48 ID:QUuFo69v
当時の倭寇というのは日本人に限らず、主に太平洋西部で活動していた海洋民の総称と考えればよからろう。
彼らを単なる犯罪集団のような存在と見なすのは儒教的な偏見に過ぎない。
儒教の倫理とは、権力者に対して従順な農民を被支配層としての理想像とする。
農地からの生産物が権力の基盤となる定住民文化圏の支配者にとって、
徴税しにくい遊牧民や海洋民は単なる厄介者に過ぎない。
商業さえ賎業として蔑視する儒教的な職業観に基づいて倭寇を語ると本質を見誤る。
20megrim:03/03/28 18:41 ID:qJqD7PVo
892 :  :03/03/26 21:41 ID:54+TOqWN
彼自身が無名の倭冦だったとなると疑問がある。
一応二十歳代でキャリア軍人になってるからな。いくら有能でも二十代なかばで倭冦のボスとなって、いきなり正規の軍人に転職は脈絡なさすぎる。
可能性として、倭冦のなかでも代々続く一族の一員で、そのコネで色々やったとみたほうが良いか?

893 :479 :03/03/26 21:45 ID:ckiMuDFx
>>891
明史の『真の倭は10のうち3』は有名ですが
禦倭五事疏にも『寧波、紹興の者が十の五、?州、泉州のものが十の四、
倭寇を称する海賊の多くは中国人の奸民であり、外国人の割合は十分の一』
とあります。明の海禁策によって密貿易が大流行してますしね。

実際には縄張りをもち、通行料をとったり、のちに警護衆として貿易船の
警護をしたりとうまく?やっていたようです。

894 : :03/03/26 21:47 ID:B38scHmH
>>892
ヤクザやマフィアでも高学歴者を身内に抱え込みたがったり、役人と癒着したがる。
武装貿易業者集団たる倭寇がそのような人材を中央政界に送り込みたがるのも不自然な話ではない。
見所のある人材を科挙に挑戦させる位の試みはあったのではないだろうか?
李舜臣の不自然な経歴と冷遇は、倭寇説で十分に整合性が取れる。
21megrim:03/03/28 18:44 ID:qJqD7PVo
909 : :03/03/27 20:28 ID:IzJkx/X4
前期倭寇と後期倭寇には文化的に連続性がない。
後期倭寇というのが、話題にあるように支那人、朝鮮人が主体となる倭寇の事であり、
朝鮮半島も後期倭寇の活躍する舞台であった。
たまたま同じ「倭寇」の名称で呼ばれてはいるが、前期と後期では生い立ちが全く別物だというのは正しい。
例えて言えば、衛氏朝鮮と箕氏朝鮮、それに李氏朝鮮にそれぞれ関連がないのと同じ。
ただ、朝鮮半島に後期倭寇が居なかった訳ではない。
五島列島を本拠地にしていた王直なども知られているが、朝鮮半島も倭寇のテリトリーであった。
前期と異なり後期倭寇が朝鮮半島を荒らさなくなったのは、
王直が五島列島を荒らさなかったのと同じ理由だ。
つまり、本拠地を荒らす倭寇は居ないという事だな。
李舜臣が後期倭寇である可能性は十分に考えられる

910 : :03/03/27 20:41 ID:cSnS+t4N
>>910
ここで言う倭寇というのは海辺で生計を立てる人達と言う事。
実際に戦争中でも朝鮮の海辺民は人間扱いされていない。
というよりも海辺民は人間扱いしない事が普通だったんだろう。
元均が海辺民を殺して討ち取った倭寇の首だと騙ろうとしたと、
李舜臣が怒っているが当時の朝鮮人の意識では海辺民は倭寇なのだから、
殺しても本来は罪の意識にさえ苛まれなかった代物ではなかったか。

911 : :03/03/27 20:46 ID:cSnS+t4N
つまりは元均の行為を酷い事だと告発する李舜臣の感覚の方が、
平均的な朝鮮人の意識から懸け離れたものだったのではないか。
普通はこれだけのことをすれば元均の方が首にされるが実際は逆だった。
元均は出世し事の理非さえ訴える事が何故か出来なかった李舜臣の方が首。
22megrim:03/03/28 18:47 ID:qJqD7PVo
912 : :03/03/27 20:48 ID:cSnS+t4N
これを今の感覚では李舜臣は立派な人間で、
元均の一方的な讒言だけで首になったのだというだろう、
しかし本当にそうなのだろうか。


913 : :03/03/27 20:53 ID:cSnS+t4N
朝鮮南岸の民衆が倭寇と化して同胞を襲ったという事件も多々ある。
いわば倫理も弁えず何が裏切りかも分からないだろうと見られていた、
そんな人達の出身だったとすれば当然の事ながら徹底して隠しただろう、
そうしなければ朝鮮では官吏にもなれなかったろう。
元均の讒言の内容というのは、これだったんじゃあるまいか。
翻って20世紀以降日本に渡ってきた人達にも朝鮮南岸の人達が多いという。


というわけで、目立ったものをコピペしますた。
他にあったらヨロスコ。
23桃山マンセー:03/03/28 18:59 ID:giuq0E05
>>11
例の幕末の江戸の町並みを記録した写真の美しさの要素である
瓦屋根、壁の白漆喰、火避けの緑地なんてすべて吉宗のお蔭だからね。
もちろんそういった面では名将軍。

ただ朝鮮通信使の扱いに関しては白石の方がまともだと思う。
やっぱり勘違いくんどもにはガツンと態度で示しておかないと。
24前スレ662:03/03/28 20:02 ID:GUd19uc/
おひょ、2が立ちましたか〜おめっとさん。

さて李舜臣の話がいつの間にやら日朝比較文化論スレに
なってしまった感無きにしも非ずですが、ハン板ですから
それもいいかも、と。
25nanasi:03/03/28 20:14 ID:rZqNjU8y
>>16
>そのうち460人余りを生き埋めにしたとされている。
生き埋めは半島の伝統的文化なんですね(w
ところで「ハンラのこだま」の子供、ちゃんと生きてるんだろうな?
と少しばかり心配になった。

まさかマジ埋めて無いだろな?
26 :03/03/28 20:20 ID:KD7xb+Vh
>>25
あー、その。
坑儒は中華様の所業であります。

屈折儒家両班マンセーな半島では、考えられませぬな。
27儒学者:03/03/28 20:22 ID:8e3mVMMV
>>ALL
やかましい、やかましい!!
28NOVA:03/03/28 20:34 ID:UvQNhVhf
『「足るを知る」という優れた精神文化。』
 李朝の悲惨さを見るとねー。「足りてない」のが明白なんですが。

 以下たとえ話。
 現代日本が突然鎖国をしたとする。国交があるのはインドのみ。
 インドから親善使節が来ると日本の学者が英文を添削してもらったり
 アーティストは歌詞の英語が間違っていないかどうか聞きにきたりしている。
 しかし、インド固有の文化を知ろうとするものはいない。
 この状況で、インド>日本といえるだろうか?
29 :03/03/28 20:38 ID:tXrcsCsC
ちょっと朝鮮を弁護すると、地理的条件から見て、儒教が定着しやすい罠。半島で武人国家は成立難しい。
それと朝鮮儒教はオリジナリティ皆無ではない。

だいたい昔の思想は支配階級に都合の良いものになるもんだし。
日本の禅だって武士にとって都合の良い宗教だ。
30 :03/03/28 20:46 ID:e5r9t2lv
韓国儒教といっても禅から受けた朱子学の禁欲さがない。
王陽明が竹と日々にらめっこして竹の本質を見抜こうとして神経衰弱に
なったのとは大違い。
韓国の儒教はただ科挙に受かるための手段。
合格したあとは色欲と贅沢三昧にふけって国政を省みない。
清の威光を傘に君臨。
19世紀になって清が弱体化するとどこの国の影響力に入ろうか大慌て。
滅亡して当たり前。
31儒学者:03/03/28 21:02 ID:8e3mVMMV
ハァ・・フゥ・・と、まあ感情的になるのはここまでにして、
>>16
>生き埋めは半島の伝統的文化なんですね(w
ところで「ハンラのこだま」の子供、ちゃんと生きてるんだろうな?
と少しばかり心配になった。

まさかマジ埋めて無いだろな?
 
そ れ が ど う し た(w

そんな子供の命の一つや二つくらい、半島五千年の歴史の重み
に比べりゃクズ同然よ(whhhh


32 :03/03/28 21:05 ID:8NYBfyzO
文化の優劣ってのは意外と付け難いと思う。
中国文化には中国文化の、西欧文化には西欧文化の良いところが有る。
それが独自の文化ってもんじゃないですかね?
それを頭ごなしに「低い文化だ」って言うのが儒学者って人種なんですかね?

まあ、政治体系に関しては優劣は付けられる部分があると思いますが。
鎖国を敷き理想・模倣主義で終わる国と、鎖国を敷きながら独自の政治体系を築いた国。
どっちが優秀ですかね?
33 :03/03/28 21:05 ID:0rAPMXPa
>>31
ネタでやってんのか、本物のバカなのか解りにくい…
34 :03/03/28 21:06 ID:e5r9t2lv
李朝の税制
田税、軍役、貢納、進上

ことに貢納、進上の負担が過酷。
貢納は政府各官庁の必需品。
進上は王室の必需品。
これらを地方ごとに割り当てて現物で上納させる(貨幣経済がないため)
その上納品は各種の鉱産物、水産物、手工業製品、毛皮、木材など広範にわたり、
しかも採取、生産や運搬は農民達の労役でまかなわれ田税よりもはるかに
思い負担であった。
35 :03/03/28 21:13 ID:0NfMpaz4
どんな国でもどこかが駄目でどこかが優れてるから貿易が成立するんだが。

優れた文化が本国で冷遇されるのもな。
浮世絵でも磁器でもそうだ。
36 :03/03/28 21:15 ID:YZzLN0tR
>>28
そもそも「足るを知る」というのは儒学者の言うような意味ではない罠。
「足るを知るの足るは、常に足る」 (老子)
身の程を弁え自分の領分を尽くせば常に満足な結果が得られるだろう、というところか。
決して両班の横暴による生産活動の衰退や儒者の保守性による文化の停滞を弁護する言葉じゃないね。

あと優れた精神文化を持っていた朝鮮人の識字率の低さについては儒学者はどう思うやら。
37 :03/03/28 21:19 ID:Gf26Sa2T
まあ腐れ儒学者だってこった
38 :03/03/28 21:24 ID:0rAPMXPa
前スレで「儒学者」のカキコより
>李朝の文化を簡潔に表わすと
>・日本の戦国期等のように次から次へと余計な物を生み出すような
>事をせず、元からある物で満足するという、ある意味達観している
>と言って良い「足るを知る」という優れた精神文化。

お前は飯田経夫かよ。
39儒学者:03/03/28 21:38 ID:8e3mVMMV
>>36
>朝鮮人の識字率の低さ
はて、何を言っているのやら?
李朝時代には各地方にそれぞれ「書堂」なる、日本で言えば寺子屋
にあたる教育施設があった事はご存知ないのか?そこでは各家庭か
ら預けられた子弟達が主に儒教の教養を学んでいたのであるが、儒
教の教養を学ぶとすれば、当然『四書五経』を始めとする儒教教典
に目を通す事隣、その為には当然の事ながら文字を知っていなければ
ならない。まあ、この事からも解る様に、「李朝時代の識字率が極め
て低い」等と言うのは妄想の範疇を出ないと言う事。
むしろ日本人よりも識字率は高かったかも。
あと、そのような高度な教育を施してきた「書堂」の伝統をぶち壊した
のは他ならぬ日帝である事をお忘れなく。
40megrim:03/03/28 21:42 ID:qJqD7PVo
>>39
そのわりには、朝鮮の識字率。
李 朝 末 期 で 10% に 満 た な い
ってのはどういうことでしょ?
要するに「書堂」ってのは極一部の両班・王族しか通えなかったってことでそ?
朝鮮数学では「100分の10」を「多い」というのかね?
41儒学者:03/03/28 21:55 ID:8e3mVMMV
あ、そうそう。
これは書き忘れていた事だけど、日帝によってこの高度な教育制度が
滅ぼされた後も朝鮮の人達の、特に文学において優れたる叡智は枯渇
する事無く、それは現代に至っても尚、優れた文学者を輩出している
事で生き続けている。
所で君達はさかんに朝鮮の文学文化などがヘタレている、等と言って
いるが、それでは君達の文学のレベルはどの程度のものか、これで判
断させてもらうよ。
問題:この作家の名前は?
http://fujisawa.fujisawa.machida.tokyo.jp/daitoin/img/020303kou/kou13.jpg
まあ、かなり有名な作家だから、ちょっと文学にたしなみのある人ならすぐ解るかな?
【ヒント】主な著書:『いのちの優しさ』『生きることの意味』
難易度が低い上にヒントまでだしてやったんだからな。ちゃんと答えなされりょ。
制限時間一分。
42 :03/03/28 21:59 ID:8NYBfyzO
>39
書堂ってのは両班サマのための施設であって、庶民の施設ではないそうです。
そもそも李氏朝鮮の学問ってのは漢字漢文を難解に解読することでしょう。
そうすることで庶民にはわからないようにする。簡単に読まれたら両班サマの権威がなくなるから。
儒学をやってる人間は知り合いにいるが、ここまで頑なじゃないぞ。

http://homepage1.nifty.com/neder/justification/start.htm
43釣られ氏@ハン板:03/03/28 22:01 ID:5Zo6rEOo
megrim殿、乙カレーにだ。若干補足を。重複はご容赦。
523 名前:    投稿日: 03/03/23 17:56
亀船については、かなり革新的な代物だけに、短期間で製造できたか
ちょっと疑問ですね。A・B・C・・・
530 名前: ま 投稿日: 03/03/23 18:10
>>523 D 李提督の実体は海賊(倭寇)だった。
793 名前: 投稿日: 03/03/25 00:26柳成龍が幼馴染だと紹介したのは本当だろうか。
・・・元均が口を極めて面罵したという攻撃の内容、
李舜臣の業績を乗り越えてまで周囲を信じさせるに足るもので、
李舜臣自身が荒唐無稽と言いながら内容を決して言わない非難というのは、
果してどんなものだったのだろうか。
819 名前: 投稿日: 03/03/25 21:36
正式の武科挙に漸く受かった(それも当時の派閥実力者の強力な推挙)後で、
いきなり東北は国境地帯の文字通り最前線に飛ばされるという経歴も凄い。
・・・言ってみれば女真族のテリトリーに勝手に屯田させた朝鮮兵の隊長。
・・・襲撃されれば全滅当然の使い捨ての狼煙台程度の認識だったんじゃないか。
・・・武科挙に及第するまでは何してたんだろう。
820 名前: ま 投稿日: 03/03/25 21:46>>819
まあ、32歳で武官のキャリア組ってねぇ・・・ 年とりすぎ。
使えない人材を僻地で使い捨てにしたのかな。
854 名前: megrim 投稿日: 03/03/26 11:11
李舜臣の経歴(一度官位剥奪された後)を考えると、実はモノホンの倭寇ってのはありうるかと。
・・・任官したのは1591年。
1592年4月に朝鮮征伐が開始・・・白衣従軍の際に戦死していて、李洸に抜擢されたのは良く似た他人とか…。
917 名前:   投稿日: 03/03/27 21:37
・・・当時の日本と朝鮮の貿易は日本が銀を出して、
朝鮮から色々買っている状態だ。日本はまだ木綿や絹を自給できていない。
日本が布を買っていくので、朝鮮側が物凄く困った記録も残っているらしい。
(布が通貨替わりだったから、相場が乱れると影響が大きいわけだ)
倭冦は朝鮮内の布を売り、銀をためこむ危険分子だったのではないか。
44megrim:03/03/28 22:03 ID:qJqD7PVo
>>41
論旨のすり替えご苦労様。

>特に文学において優れたる叡智は枯渇する事無く、
>それは現代に至っても尚、優れた文学者を輩出している事で生き続けている。

反日妄想小説でウリナラマンセーやってるのが関の山な国に、叡智と呼べるものが存在するのかと小一時間(ry
んでその「優れた文学者」のなかで、ノーベル文学賞を受賞した方は?
ま、これは一つの測りみたいなもんだと思ってつかーさい。

それで、桃山〜江戸の文学作品輩出と、現代っ子の文学知識を混同しているようだが
比較するとしたら、同時代の両国の文学作品でだろう?
朝鮮には、日本でいうところの大衆文学に相当するものって、あったの?
韓国の高校用歴史教科書を読む限り、どこをどうみても見当たらないのだよ。
あるとすると、源氏物語や伊勢物語など「支配者階級のみの文学」なんだがね?
45 :03/03/28 22:05 ID:8NYBfyzO
>41
高史明。知らん、興味無い。
それとも興味が無くて読んでいなかったら低文化だっていうのかい?

論旨すり替えも朝鮮儒学の一つですか?
46megrim:03/03/28 22:12 ID:qJqD7PVo
>>42
あぁ、そうか。
儒者にとって愚民は数に入らないから、両班や王族だけでカウントするんだっけか。
それだったら100分の10も100分の100になりうるわな。
でも、それじゃ統計にならないよな。江戸期の武士階級の識字率調べるようなもんだ(藁
47 :03/03/28 22:16 ID:8NYBfyzO
今ふと思った。
前スレの忠武公はどこへ行った?
そしていつの間に文化論になったんだろう。
って私も思いきり参加しちゃっているが・・・
48megrim:03/03/28 22:19 ID:qJqD7PVo
>>47
中部港=腐れ儒者の可能性に100won。
二人が別人だという科学的根拠はないのだ!
…と、某科学教師風に言ってみるテスト。
49 :03/03/28 22:22 ID:v2IcPasq
亀船については単に斬り込み防止の天井を張った船という所だろうか、
従来の斬り込み主体の海戦(古代エジプト、中世地中海と同様)から、
大規模な火砲を用いた船体そのものと標的とし合う海戦への移行期に、
斬り込む人員を足止めして小規模な火力で狙い撃ちにする戦法があったのか。
天井が有るか無いかは斬り込み戦の中では重要ではなかったろう。
集中的に運用される火力が無ければ天井の板だけで斬り込みを防ぐ時間など限られる。
逆に西欧並みに火力が発達すれば斬り込み防止用の天井を付けただけの船では、
船ごと大砲で狙い撃たれて木っ端微塵になっただろうから。
島津が最後の海戦で勝利したのも外洋航海可能な西欧並みの大砲積載船を、
海戦に使ったからかもしれない。
実際に西欧型の大砲積載船はこの戦いの前後にも日本で使用されている。
50 :03/03/28 22:24 ID:8NYBfyzO
>48
最初、私もそう思っていたが別物じゃないかと。
いや、何となく。

あ、ちなみに私は前スレで「李舜臣の郎党・配下に倭寇が加わったのではないか」説を唱えていた者です。
完全にスルーされちゃいましたがw
51 :03/03/28 22:31 ID:v2IcPasq
つまり亀船が優れた戦艦であるというのも割り引いて考えなければならない。
斬り込む人員をフラットな天井板上に足止めさせた短い時間の内に、
周囲から集中的に火力を運用して狙い撃ちにする戦法が通用する限り有効で、
船自体を標的とする近代的な海戦では操船能力からも逆に良い的であったろう。
朝鮮において亀船が評価され続けた形跡が無いのも、
あるいは斬り込み戦主体の倭寇に限定して使用できる船だったからかも知れない。
52 :03/03/28 22:43 ID:v2IcPasq
そう考えると船上に城を構えた非常識にさえ見える日本の安宅船や関船と、
発想の上ではそう変わらない事になる。
違う所は初めから斬り込みに対して斬り込みで対抗できないと、
自分達の弱点を認め、斬り込み合いの戦いを避けて、
従って上部構築物は全て取り払って板張りとした上で、
火力を徹底して斬り込み戦に持込ませずに勝利する事を重視したこと。
53 :03/03/28 22:50 ID:vk25Dxi5
>>51
ヴァカもん!俺のケツをなめろ!
半島の復元亀船、ガレー船のコピーだろうが!
斬り込むぅ?どこから敵船に移乗するのか説明してもらいたいな。
狙い撃ちぃ?ピッチングとローリングに荒れる海上で、しかも墻もない平面的な
混戦下でどうやって狙撃するのか説明してみろ。
ナーヴェ・ルンガを用いた海戦における運用上の欠点はサラミス海戦で
露呈してるんだが?
斬り込み太郎は沈め。

54 :03/03/28 22:51 ID:v2IcPasq
従って自軍の船が孤立すると悲惨な状況に陥るし実際にそうなっている。
亀船が有効であるのも天井の上に乗せた敵兵を外から狙い撃ちにしてくれる、
同僚の船があってこそで、
多数の自軍の船で斬り込みを掛けられた船を包囲して、
集中的に掃射できる態勢が取れなければならない。
つまりは高度な操船能力と潮の流れを読み取る能力が無いと勝てない。
例え相手よりも少ない船であっても実際に戦う時には、
このような場を作らなければ勝てない。
そしてこの主の能力は一に指揮官の能力に掛かる。
55 :03/03/28 22:57 ID:vk25Dxi5
>>54
阿呆。機動力のある艦艇一隻で艦隊戦をする帰化?
どこの資料に亀の同級艦が多数出てくるんだ?
だいたい船首楼の軸線固定砲で掃射?
笑わせてくれるねぇ。
ああ、船固有の人員がマスケッターを兼ねていたなんて言うなよ。
56前スレ662:03/03/28 23:08 ID:zvTgyKfa
>>50
私は「違う」に丸をつけるつもりだ。

普遍性を思い切り削り落としたセコイ知識を、思い切り
鼻にかけて語るところは、あたかもポジをネガに換えるように
情報を反転してから語ることの、多々見受けられた厨侮倖
とは方法が異なる。それに厨侮倖に較べればまだ日本語
の文章になっているし。

どちらもある種の人間にはよくみられることだから、
この真偽などどうでもいいことだが。
57 :03/03/28 23:08 ID:vk25Dxi5
>>亀太郎
あ、49で気が付いたが、甲板がどういうものか知らないだろ?
漕ぎ手の頭上の板は構造材なんだよ。なくて船体強度が保てると思ってんのか?
亀筏の推定トン数とそこから割り出される乗員とを述べてみせろ。
静水面ではない潮流のある外洋で4ないし6ノットを非帆走で叩き出すために必要な
人間の数は?乗り組み兵数は?装備重量は?根拠地は?
58 :03/03/28 23:26 ID:8NYBfyzO
>56
まあこの際、同一人物かどうかは重要じゃないんですがね。
問題なのが、
忠武公…李舜臣マンセー、日本軍ヘタレ
儒学者…朝鮮文化マンセー、日本文化は低文化
に終始して、こちらが提示するレスを脳内変換しちゃっている点でしょうか。
まあ、儒学者の意見に関しては「王(朝鮮)を尊び覇者を蔑む」という朱子学の考えには沿っているかなと。
そもそも朱子学の成立自体が、金の影響を受けまくっていた南宋だった点、
正面から単独で日本軍に対抗出来なかった李氏朝鮮と共通しているんじゃないかと思います。
独断ですが。
59安定性はどうなの?:03/03/28 23:41 ID:e5r9t2lv
亀甲船
よく考えたら船の上部を重量のある鉄板で蓋ったら、船の重心が
不安定にならないだろうか・・・。
そのうえに大砲を備えつけてる。転覆しないかい・
60 ◆uwlk04X6kM :03/03/28 23:49 ID:SBxaBGLD
船の上は鉄板じゃなくて乗り移れないように槍が刺してたらしい。
大砲は左右4門、前面に1門の合計9門あったらしい。
船は2階になってて、下に舟漕ぐ人、上に大砲撃つ場所あったらしい。
61儒学者:03/03/28 23:53 ID:8e3mVMMV
>>45
ほほう、知っていましたか。それは結構。
>>46
>儒者にとって愚民は数に入らないから、両班や王族だけでカウントするんだっけか。
御名答。
つまりはこう言う事です。
「賎 民 に 文 字 な ん か い ら ね え ん だ よ(whhhh」
それを、鬼畜欧米列強が考えも無くそういう賎民にまで文字を広めるような愚策
を広めた為に今の日本を見ても書店に行けば馬鹿文学や阿呆漫画が氾濫し、ニュ
―スを見れば鸚鵡のような白痴な思想や新興宗教二度腐れたクズどもが犯罪を犯す
わけ。それとこれと言うのも愚民どもがなまじ文字を知った為に起こった事。
愚民どもは大人しく鋤鍬ふるって野良仕事でもしてりゃいいの。
そうすりゃ、こんな馬鹿な世の中を招かずに済んだの。
62 :03/03/28 23:56 ID:lPcIEFdG
李舜臣は亀船とは言っても亀甲船とは言ってなかったような。
早い話が鉄張りというのも疑わしい。
周りから狙撃しやすいように天井板を張っただけの船だろう。
63 :03/03/29 00:01 ID:no2GUlWC
単独で倭船を打ち破るようなスーパー戦艦じゃなくて、
李舜臣の天才的指揮の下で初めて意義を発揮する船。
>>60は何処からの資料か分からないけれど、
事実は大砲も装備していなかったんじゃなかろうか。
亀船は囮で足回りの早い普通の船に飛び道具を積んで、
集中的に叩くという戦法が大事なのであって、
船自体が物凄かったというのでは無いような気もする。
64前スレ662:03/03/29 00:10 ID:/0mKnKAh
私は船のことはわかりませんが、この亀甲船。
どちらかというと、敵艦隊の航路に遊弋して舷側から
矢や鉄砲を射るという、言わば自力航行可能な海上
要塞という気がします。これで機動戦は難しいのでは。
65 :03/03/29 00:33 ID:Ku6988js
>>58
宋が軍事的に弱体だったのは当時の技術、つまり情報処理と評価(通信自体は結構はやい)
が現実に追い付かないのに文民統制を目論んだからだと思います。
現地指揮官の独断を排するための文官監督は、結局、戦場では迂遠に過ぎます。
彼らはイデアを墨守して時間の壁に破れた。
朝鮮は、なんだかわからないが破れた。
そう思います。
66 :03/03/29 00:45 ID:Ku6988js
亀筏ですが、復元船に龍骨がある時点で捏造。
この時代のアジアにはありません。
千石舟にもキールはありません。キールが無くても経験則から頑丈な
船は作れますが、航洋性には劣ります。
で、鉄の防弾板ですが、せいぜい1〜2ミリの延板が硬い木板に貼付けられた
ものでしょう(実在したとして、ですが)船の復元性そのものは、そんな冠りものが
なくても宜しくないはずです。当時の技術的常識からすれば平底なんですから。
半島の歴史ドキュソメントでは船首に龍がついて火を吹いてましたが・・・
鉄の装甲を六角形に貼り巡らす労力をどう考えているのか小一時間。
67 :03/03/29 01:16 ID:EHR35N/n
李舜臣が自分が乗る旗艦に焼きを入れるという記述がある。
つまり燃えにくいように予め焼いておくという事だけど、
もし李舜臣の船団が燃えにくかったというのなら、
こうした初歩的な工夫が積み重なった結果であろうとも。
斬り込もうにも天井が邪魔で中まで入れない事はないが時間が掛かり、
そのまま燃やそうにも焼きが入れてあって燃えにくい、
ここに李舜臣の神懸かり的な操船と指揮が加われば、
僅か一枚の天井板から先に進む前に集中砲火に曝される。
自分の船に集中砲火を曝せば燃えてしまいそうな物だけど、
上に乗せた斬り込み兵が隠れるような上部構造が無い事と、
予め防火処置を施す事により、
また天井板で乗組員を守る事によって躊躇無く自船ごと攻撃できる。
68 :03/03/29 01:20 ID:EHR35N/n
逆に言えば斬り込み戦になれば弱い事を知っていたから、
当初から火砲重視の戦い方をしていたとも受け取れる。
李舜臣が倭寇を使っていたという考えを言われた方がおられたが、
戦い方を見ると正面からの斬り込み戦は徹底して避けている。
到底倭寇の戦い方ではない。
むしろ李舜臣の方が倭寇を知悉した戦い方を指揮している。
69 :03/03/29 01:28 ID:EHR35N/n
亀船というのも特別な装備を施した船というよりも、
普通の船に天井を張って側舷も閉められる、
文字どおりの亀船だったのではあるまいか、
これは乗り込まれそうになったら徹底的に内側に篭り、
僚船からの攻撃で取付いた倭寇を掃射する。
そういうものだったろう。
つまり斬り合いで弱ければ初めから斬り合いを放棄すれば良い。
当然の事ながら乗っ取られる途中の亀船は攻撃力が無い。
しかも系統だった指揮で取付いた兵を確実に倒さなければ、
乗っ取り対象にされた亀船乗組員は全滅する。
70釣られ氏@ハン板:03/03/29 01:55 ID:FBwymIwR
スレ違いの、つまらんネタですが
http://www.biwa.ne.jp/~suna-f/chara14.htm
○李成梁(リセイリョウ)(1526〜1615)遼寧省鉄嶺衛の人。字は汝契。
 女真族が争う複雑な状況を22年にも渡ってまとめあげた人物。
 しかしその功績には偽りも多かった。
 ヌルハチから見れば単に利用しているにすぎなかった。
 結果的に、彼はヌルハチという怪物を育ててしまったのである。
 ちなみに息子は李如松。

それと、銀の精錬について修正・補足
@灰吹き法(金・銀+鉛)は1400年頃、中国大陸で発明され、普及した。
一般に鉄鍋で銀+鉛合金を作って、上から灰をかけて加熱し、鉛を分離するが
朝鮮では、動物の骨で、るつぼを作る所が独自らしい。
A水銀アマルガム法(金・銀+水銀)は、含有量の少ない鉱石を精錬可能にする技術で
スペイン植民地のポトシ銀山(ボリビア南部・1545発見)で
アマルガム法を1557年に導入したのがはじまり。輸出10倍となる。
大久保長安がキリシタンから学んだのがこちら。
71    :03/03/29 09:45 ID:kg37q32n
超亀レスだが、亀船スレ故ご容赦を。

>>61
>「賎 民 に 文 字 な ん か い ら ね え ん だ よ(whhhh」

貴殿は、本当に李氏朝鮮の文化を高級と考える人物か?
ハングル創成の趣旨は、まさに全国民に文字を与えるということのはずだが?
あるいは中華文明至上の見解に沿って、ハングルの考案は誤りであった、というのが
貴殿の主張?
7261氏じゃないけど:03/03/29 10:36 ID:saCgfeV/
>>71
>ハングル創成の趣旨は、まさに全国民に文字を与えるということのはずだが?

確かに世宗はそう考えていた。
しかし、次の王や文官はハングル文字を蔑視したため、
ハングルはなかなか普及せず、本格的な普及は総督府以降。
61氏が「賤民に〜whhhh」と書いたのは、その文官の姿勢を揶揄したのだと思われ。

>あるいは中華文明至上の見解に沿って、ハングルの考案は誤りであった、というのが
>貴殿の主張?

これも61氏の主張というよりは、当時の文官の考えを
61氏なりに解釈して代弁したものだと思われ。
73:03/03/29 11:27 ID:UftL26Pu
遅ればせながら、新レスおめでとうございます。

亀甲船の復元の妥当性は信じておりませんが、キールの存在はおかしいですよね。
リアス式海岸での水軍船は、人力で海岸に引上げれる(隠せる)ことが前提条件です。
リアス式海岸で波が穏やかだといっても、船を繋ぎっぱなしに出来るわけではありません。
倭寇が小船を使うのは、造れないからではなく隠せるためです。
また、沿岸で運用される船の船底は必ず平底で、潮の干満で砂浜に乗り上げれるようになっています。
FRPの船でも、人力で上げるのは、正直しんどいです。
ましてや木造船を敵の目を盗んで上げるのは、その船の乗員だけでは無理。
重量については記録が無いので明らかではありませんが、1隻20人なら5隻100人が活動の最小限度でしょうか?
一隻でも航行は出来ますが、パトロールに発見されたら足の遅い亀船では船を陸に隠せません。多数に囲まれて簡単に撃破されてしまいます。
亀船を陸上輸送した記録は無いので、コンスタンチノープル攻略戦のような軍船の陸送といった、壮大な光景は無かったでしょう。
ただ、南宋と同時代のマレーシアでは、海峡を避けて象で船を牽引するルートを使い、陶器が運ばれていました。
10人乗りボート程度の陸送が朝鮮沿岸で行われていても、おかしくはないです。
船をゲリラ的に運用するなら、可能な限り軽いほうがゲリラ戦には有利です。
それを考えると、韓国で復元?された亀船は大きすぎますし、重すぎます。
亀船は復元より小さく軽いもので、開放甲板型の軍船と併用されたという考えは、多分正しいのではないでしょうか。
盾を並べて機敏に動く小船は必須でしょう。
最高速度の大きく異なる艦種でのゲリラ運用は、相当の手腕が要求されます。
李舜臣というのは、かなりの指揮経験を持っていたのではないでしょうか?
74 :03/03/29 12:18 ID:TiHWCNh6
>>1
いまさらながら、「壬申」倭乱じゃなくて「壬辰」倭乱だ、とつっこんでみる。
75儒学者:03/03/29 12:24 ID:e2Xk/jm9
>>71
おっと、意味をとりちげているようだな。
先に私が言った「賎民」と言うのは、礼儀も
教養も重んじず、ただ徒に蛮行にふけっている
例えて言うならアメリカ人や日本人やそれに追
随する西欧の毛唐どもの事を言っているんだよ。
要は、あり難い儒教の聖典を頂いてもそれを読
んで収容に励むどころかせいぜい昼寝の枕にしか
利用できない盆暗どもにはハングルを学ぶ資格は
無いと言う事。余計な悪知恵つけられて犯罪にい
そしまれても困るしね。
日 米 英 の 馬 鹿 猿 ど も に ハ ン グ ル
を 学 ぶ 資 格 は な い(W
ここまで言えば解ったでしょ。そもそも私は、両班以外の階層
がハングルを学んではいけないとは一言も言っていない。
ただ、祖先以来の礼教にかなった、いわば「常識的な生活」も
ろくに送れないようなアホDQNは文字を持つな!と言いたかった
だけ。
76儒学者:03/03/29 12:33 ID:e2Xk/jm9
>>72
フォローありがとう。
しかし、仮にも朝鮮という大国の政治を預かる文官が、
そのような浅い考えで行動していたと考えるには少し
無理があるかと。
要は、国内の教育事情になんらかの問題が発生した為に、
ハングルの一般への普及がおくれたのではないかと。
私も、そこらへんには多少の問題があると思うが、しかし
そのお陰で危険思想等が出回る事もなく、李朝は五百年も
の泰平を謳歌する事が出来たのだと思われ。
77:03/03/29 12:41 ID:UftL26Pu
>>76
お久しぶりです儒学者殿

論語は原則として漢文ですよ。
78 :03/03/29 12:42 ID:vD2MRuj2
>>76
李朝500年を通じて、政界闘争はいつもホットでしたね。
最後の最後まで自分のことし考えない儒者がはびこってついに
外国勢力を招き入れてまでも権力を掌握しようとするすさまじさ。
滅亡して当たり前。
79はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/03/29 12:46 ID:nepB7XV8
>>75
そもそもキミの頭が悪くて、なにを書いているのか判別しづらいのが原因だが。

両班が学んだのは漢文であって、オンモンではありませんが、なにか?
80 ◆uwlk04X6kM :03/03/29 12:48 ID:dpna+NPS
朝鮮が大国・・・・・(´-`)
清に攻められて、国王が額を地面に叩きつけて血だらけになりながら降伏し、
国が豊かになると他国に攻められるからと街道整備や特産品の開発を禁止し、
両班は派閥抗争に明け暮れて、300年以上も停滞してた国がね。。。。。
81:03/03/29 12:50 ID:UftL26Pu
>>78
まぁ、ここで李朝の政治体制を批判しても始まらない。
李舜臣の特異な経歴や行動を考える上で、最も重要な要素の一つではあるが?
82 :03/03/29 12:55 ID:Ku6988js
>>67>>68>>69
なんだか元気がないようだな。戦艦としての優秀性はどうした。
どこの世界に敵兵を移乗させたあとで狙撃するアフォがいる?
乗り移られた時点で、亀筏の機動力は喪われている罠。
だいたい、味方の銃砲撃に耐え得る船体強度のある船は巨大化せざるを
得んであろうが。当時の朝鮮のどこにそんな造船技術がある?
明の大形船を強化したものなら判るが。
>焼きをいれる
ほほぅ、対象は何かな?限定されるぞ。想定材料を述べよ。
亀太郎、おまいの資料を出せ。検証してやる。
83:03/03/29 12:56 ID:UftL26Pu
そういえば日本の安土桃山時代の特色である、楽市楽座と関所の撤廃はどう?
日本で本格的な街道整備が始まるのは江戸時代で、この当時は平安時代以前に整備された旧街道だね。
李氏朝鮮での街道整備はどんな状態だったのだろう?
倭寇に金さえ払えば、それなりに早くて安全な船便があったのだろうか?
84儒学者:03/03/29 12:58 ID:e2Xk/jm9
>>77
それは儒教の始祖の孔子が中国人だったからそういう風になっている訳で
、最近の歴史学の研究で解って来た事だが、どうも、この孔子は若い頃、
朝鮮半島に留学して、そこで霊性修行や知識を積んで、帰国後、朝鮮で得た
ものを元に儒教を開いたらしい。それと後、確認は取れていないが、孟子、
老子、モーセ、キリスト、マホメット、伏義・神農といった、世界史に大きな
影響を与えた偉大なる聖者の殆どはその若い頃、やはり朝鮮で修行を積み、
それを元に世界を教化したと言う情報もある。
>>79
 頭 が 悪 い の は 貴 殿 だ(whhhh
85:03/03/29 13:07 ID:UftL26Pu
>>84
朝鮮にそのような信仰があるというなら素直に言えばよろし。
自分で言うとただのデンパだよ。
似たような民間信仰や土俗は世界中にある。もちろん日本にも。

その手のカルトも多いから注意な。
86 ◆uwlk04X6kM :03/03/29 13:12 ID:dpna+NPS
>>85
儒学者は妄想の世界に入っちゃったので放置したほうがいいですよ。

李氏朝鮮の街道整備ですが、なんにもしてません。
国貧策とってたので災害で壊れてもそのままです。
87:03/03/29 13:18 ID:UftL26Pu
>>84
ふと、気付いたのだが、

孟子、老子、モーセ、キリスト、マホメット、伏義・神農

釈迦もしくは仏陀が無いね。この辺は朝鮮でも素性の知れた聖人なのだね。
さすがにキリストが来ていたら怖いよ♪
実は、朝鮮はローマ帝国の属領で、道路や水道にコロセアムまでまで建設されていたりして・・・笑えねぇ
88みや ◆ljF/o4D3II :03/03/29 13:23 ID:P+kOPvyJ
>>84
凄いなぁ 韓国の捏造歴史本のデムパを受信したようだ(藁

ところで父親が進士の安重根は、オンモンの筆跡が存在しない。
20世紀でもこの有様。
89:03/03/29 13:29 ID:UftL26Pu
>>86
あまりのデンパに唖然としちゃいましたね。
でも、モノホンのデンパには時として情報が隠されているものですよ♪

やはり街道の整備は手付かずですか。
宿駅などは整備されていたと思いますが、民間人に開放するような規模ではなかったのですね。
道ごとに、いやもっと細かく関所があって、通行を制限していたのでしょうか?
この辺は資料が無いですね。
当時の日記などがあれば、街道の移動速度が分かるのですが・・・
日本軍の北進する速度は無視!人間じゃねぇ!
街道なんか無視して、山野を突っ走っていますから、あれは街道を行く日程の参考にならないでしょう。
逆に言えば、大量輸送できる街道が無かった証拠でもあるか。
90megrim:03/03/29 13:32 ID:e2enr7Xs
キリストは「救世主」という意味であって、名前はイエスだ。と突っ込んでみる。
ついでに伏羲・神農は五帝と同じく 伝 説 上 の 存 在 だと突っ込んでみる。
91:03/03/29 13:36 ID:7+RrtYe8
まあ、日帝による朝鮮人に文字を持たせる政策が、日本の首を締める結果となった一面はあるなあ。

恩知らずの無礼者は喋る家畜として扱わなくてはならない。
日本人は、かつて半島にうごめく下等生物を家畜としてでなく、日本人として扱う過ちを犯した訳だ。

92:03/03/29 13:41 ID:UftL26Pu
>>88
李朝最期の公文書集となった、総督府発行の官報でも、最初は木活字の漢文を印刷していました。
李朝の所有していた印刷設備や技術に限界が有ったのですね。
最初のうちはハングルは使用していません。
(国会図書館で確認可能)
現地の環境で苦労しながら発行していた様子が見て取れますが、初の金属活字印刷版官報(日本の官報と同じ書式に統一)では、ハングルの活字が使われています。
もしかしたら、近代印刷物でハングルの金属活字を作成したのは朝鮮総督府が最初かも知れません。
いずれにせよ、李朝の公文書は全て漢文で、ハングルを使用することは、ほとんど無いというのが事実です。
93儒学者:03/03/29 13:42 ID:e2Xk/jm9
>>87
ごめんごめん。釈迦と荘子を付け加えるのを忘れていたわ。
あと、浄土真宗の開祖・親鸞とローマ帝国皇帝・安敦と、
後漢の光武帝・劉秀も若い頃、朝鮮に留学していた形跡が
ありますね。
近代に入ってからは、アメリカのキング牧師や、インドの
マハトマ・ガンジー、そして日本からは天理教教祖・中山
みきや大本教の聖師・出口王仁三郎といった人物に、朝鮮
留学の形跡があるそうです。
94:03/03/29 13:50 ID:UftL26Pu
陸の街道が荷車で運べない程に未整備(もしくは放置)で、
楽市楽座は無くて地方豪族が関所を構えていたら、海を運んだほうが安いですよ。
海の上でも通行税や略奪はありますが、関所を何度も通るようでは流通になりません。
倭寇の目的の一つには、朝鮮国内の価格差に着目した密貿易もあったのでは?
95みや ◆ljF/o4D3II :03/03/29 13:51 ID:P+kOPvyJ
>>92
最初の近代ハングル活字は日本製。福沢諭吉門下の井上角五郎がハングル漢字混合新聞の「漢城旬報(1883)」(官報)を発行したのが始り。
1896年の断髪令は庶民に広報する意味からか、漢字ハングル混合文で書いてあります。
96 :03/03/29 13:54 ID:uV7JnPOW
>>93
聖徳太子、藤原鎌足、織田信長、徳川家康
源頼朝、平清盛、足利尊氏、北条時宗
あたりはどうなんだい?
9771:03/03/29 13:55 ID:R7V276L8
レス下さった皆様、ありがとうございます。
スレ違いになりそうなのですがご容赦を…

 仮に孔子他、紀元前の思想家たちが朝鮮半島で学んだとしても、
彼らが学習に用いた文字は、漢字(もしかしたら甲骨文字?)で
ハングルとは無関係のような?それともハングルは古代から使われていて
世宗王が考案したというのは捏造?。個人的には「中華文明圏で、初等教育の
容易な文字を新たに考案する」というのは尊敬に値する実績だと思っていたのに
 以下、無理矢理スレの内容につなぐと、朝鮮軍の指令書とかにハングルが
使われた可能性はほぼ無し?日本軍は漢文読める人多いから、ハングルは良い
暗号でしょうに
98 :03/03/29 14:02 ID:9VuNEDEB
半島での情報伝達能力はどれくらいだったのでしょうか?
駅伝制みたいな素早く情報を伝える能力はいかほどあったのでしょうか。
安土・桃山時代と言えば「情報が重要視された時代」とも言えるので。
「縮地法があった」なんて電波はスルーで。
99:03/03/29 14:23 ID:UftL26Pu
>>98
情報伝達は遅かったのでしょうね。
公文書は筆書きの漢文で、王命には御名御璽が入ります。(この当時は勅命ではなく王命でOK?)
李舜臣は現場重視で、何日も前に発行されて勅使が持ってきた王命を無視したりもしたのでしょう。
これが中央の正統派軍官僚なら、従ったのでしょうが・・・
別のスレで猫車のAAがありましたが、あれって車とはいいながら、輿(こし)ですよね。
都でも持ち上げねば通れない不整地が有ったのでしょうか?だとすると地方はどんな状態。
あと、傘の規制。
身分の低いものは日傘を差してはいけない。これは朝鮮全土ですね。
日傘ぐらいとは思いますが、これって旅行の規制措置なんですね。
移動しやすくなりますし、顔を隠せますから。
日本でも土佐などで一部あった規制ですが、街道を行く旅人にまで規制は及びません。あくまでも家臣や領民のローカルルールです。

日本で規制されたものは、駕籠屋、車屋、馬借、飛脚などです。
輸送、移動、通信手段に政府の規制が入ったのは同じですが、朝鮮でこういった民間業者の姿が記録に無いのはなぜ?
まさか、全く存在しなかったはずが無いのですが?
100 ◆uwlk04X6kM :03/03/29 14:32 ID:dpna+NPS
朝鮮にも駕籠屋はいますよ。猫車引いてるのが朝鮮版駕籠屋です。
でも「8賎」といって卑しい身分の職業とされてたのであんまり資料に出てこないのかも。
101 :03/03/29 14:56 ID:Ku6988js
全くスレとは関係ない話題なんですが、”猫車”は実用に耐えますかね?
車輪がかえって安定を損なう気がしますが。
半島では観光資源の一つとして再現運用されていませんか?
102:03/03/29 14:59 ID:UftL26Pu
「8賎」かぁ・・・
安土桃山時代の馬借なんかは、強訴や一揆の勢力になるので規制していたが、軍事力になる彼らは賎民扱いじゃないなァ。
川原者に含まれはしたが、運輸業者がそれなりに自由な営業を許されたのは、武家政治の軍事インフラ重視の結果か。

そうなると、朝鮮では文官優先の社会なので、民間の運輸業者が営業を許可されるわけ無い。
辛うじて都でのみ、貴族の往来に賎民として従事したにとどまるか・・・
地方では輸送業者が存在しなかった。と考えるしか無さそう。ましてや半島南部では。
朝鮮国内の物資輸送にも関わる事なので、このあたりは資料が欲しいですね。
李氏朝鮮の被差別階層に関する日本語資料、誰も翻訳しないのが残念♪
103釣られ氏@某研風:03/03/29 15:21 ID:iw+PZtYd
【「日本甲螺(ニホンカシラ)」平戸倭寇50年の空白】
●王直(1559)12月25日に杭州において斬首
●顔思斉(1588〜1625)
海賊。罪を犯し、日本の平戸に逃亡。
平戸を根拠地として鄭芝龍などをひきつれ台湾を攻略。
病死後に鄭芝龍が継いだという。

この空白期間に李舜臣は存在する。
全羅道は平戸倭寇の一時退避地であったのであろうか?
104通行人Å ◆ChemitBIO. :03/03/29 15:55 ID:nNCmPms2
ゾンビA氏の引越し先はココだったらしい…
と、言ってみるtest
105:03/03/29 16:46 ID:xKv1f1Md
早いですが新スレ>>1-100 のダイジェスト(独断と偏見、漏れにはご容赦を)

>>18-22 megrin殿による前スレのダイジェスト
>>43 釣られ氏@ハン板によるダイジェスト補足

◎次回が有ったらスレタイ直そう・・・
74 :いまさらながら、「壬申」倭乱じゃなくて「壬辰」倭乱だ、とつっこんでみる。

◎前スレ継続 銀について
8 :桃山マンセー 前スレ>>983さんへ・・・銀を浮つかずにインフラ整備に充てたというのは幕府の手並みの良さですね。・・・
9 :桃山マンセー >徳川吉宗・・・就任直後から一気に生産量下落が始まります・・・「祖法に則って政をする」・・・結局長くは続かず、幕末には対馬で済ますことに・・・
11 :・・・江戸時代、対朝鮮貿易の主要な品は朝鮮人参だった。朝鮮に銀が流出するのを恐れた吉宗の指令で人参の国産化に成功。以降の貿易量は大きく減った。
12 :なぜ朝鮮側が銀を警戒したかというと、あまり銀があると中国から朝貢しると言われるから。これが怖くて国内の銀山を閉じちゃうくらいだもん。
13 :megrim :そして他の物産で朝貢して、天朝様からお返しをごっそりいただこうとする
15 :釣られ氏@たまには釣士 :>金山・銀山の鉱石を精錬する技術も、多くの場合、中国からではなく、朝鮮から伝わってきた。・・・ポルトガルからの技術導入が”定説”
17 :15・16・・・ :アマルガムは半島伝来ラッシー。新田次郎の小説に騙されマスタ。
70 :釣られ氏@ハン板 それと、銀の精錬について修正・補足
 @灰吹き法(金・銀+鉛)は1400年頃、中国大陸で発明され、普及した。一般に鉄鍋で銀+鉛合金を作って、上から灰をかけて加熱し、鉛を分離するが朝鮮では、動物の骨で、るつぼを作る所が独自らしい。
 A水銀アマルガム法(金・銀+水銀)は、含有量の少ない鉱石を精錬可能にする技術でスペイン植民地のポトシ銀山(ボリビア南部・1545発見)でアマルガム法を1557年に導入したのがはじまり。輸出10倍となる。大久保長安がキリシタンから学んだのがこちら。
106:03/03/29 16:47 ID:xKv1f1Md
◎李朝の文化について
7 :megrim :前スレ>>985・・・それは「足ることを知る」のではなく、儒教の「師承」によって文化的生産活動の停滞/衰退といいます・・・
10 :桃山マンセー >文学の文化を作り上げた・・・五山文学や足利学校で十分事足りるものだがな。
28 :NOVA :『「足るを知る」という優れた精神文化。』 李朝の悲惨さを見るとねー。「足りてない」のが明白なんですが。・・・
29 :半島で武人国家は成立難しい。
30 :韓国儒教といっても禅から受けた朱子学の禁欲さがない。
32 :文化の優劣ってのは意外と付け難いと思う。
34 :田税、軍役、貢納、進上・・・貢納は政府各官庁の必需品。進上は王室の必需品。これらを地方ごとに割り当てて現物で上納させる(貨幣経済がないため)・・・
36 :「足るを知るの足るは、常に足る」 (老子)
39 :儒学者 :李朝時代には各地方にそれぞれ「書堂」なる、日本で言えば寺子屋にあたる教育施設があった
40 :megrim :そのわりには、朝鮮の識字率。李朝末期で10%に満たない
46 :megrim :愚民は数に入らないから、両班や王族だけでカウントするんだっけか。
72 :61氏じゃないけど :>ハングル創成の趣旨は・・・世宗はそう考えていた。しかし、次の王や文官はハングル文字を蔑視・・・
83 :ま :李氏朝鮮での街道整備はどんな状態だったのだろう?
92 :ま :李朝の公文書は全て漢文
95 :みや 最初の近代ハングル活字は日本製。
98 :半島での情報伝達能力はどれくらいだったのでしょうか?
99 :ま :駕籠屋、車屋、馬借、飛脚・・・民間業者の姿が記録に無いのはなぜ?
100 : 猫車引いてるのが朝鮮版駕籠屋です。でも「8賎」といって卑しい身分の職業とされてたので・・・
107:03/03/29 16:48 ID:xKv1f1Md
◎亀船について
49 :亀船については単に斬り込み防止の天井を張った船という所だろうか・・・
51 :斬り込む人員をフラットな天井板上に足止めさせた短い時間の内に、周囲から集中的に火力を運用して狙い撃ちにする戦法が通用する限り有効・・・
53 :狙い撃ちぃ?ピッチングとローリングに荒れる海上で、しかも墻もない平面的な混戦下でどうやって狙撃するのか・・・
54 :つまりは高度な操船能力と潮の流れを読み取る能力が無いと勝てない。・・・そしてこの主の能力は一に指揮官の能力に掛かる。
57 :静水面ではない潮流のある外洋で4ないし6ノットを非帆走で叩き出すために必要な人間の数は?乗り組み兵数は?装備重量は?根拠地は?
59 :安定性はどうなの? ・・・船の上部を重量のある鉄板で蓋ったら・・・転覆しないかい・
60 :船の上は鉄板じゃなくて・・・大砲は左右4門、前面に1門の合計9門あったらしい。船は2階になってて、下に舟漕ぐ人、上に大砲撃つ場所あったらしい
63 :事実は大砲も装備していなかったんじゃなかろうか。亀船は囮で足回りの早い普通の船に飛び道具を積んで、集中的に叩くという戦法が大事
64 :前スレ662 :敵艦隊の航路に遊弋して舷側から矢や鉄砲を射るという、言わば自力航行可能な海上要塞という気がします。これで機動戦は難しいのでは。
66 :復元船に龍骨がある時点で捏造。この時代のアジアにはありません。
67 :李舜臣が自分が乗る旗艦に焼きを入れるという記述がある。
68 :正面からの斬り込み戦は徹底して避けている・・・李舜臣の方が倭寇を知悉した戦い方を指揮している。
73 :ま:沿岸で運用される船の船底は必ず平底で、潮の干満で砂浜に乗り上げ・・・韓国で復元?された亀船は大きすぎますし、重すぎます
82 :乗り移られた時点で、亀筏の機動力は喪われている罠。
108儒学者:03/03/29 18:16 ID:6A6WB/Fi
>>96
聖徳太子について言えば、朝鮮に留学したと言うより、彼自身が
どうも韓半島出身者の可能性が濃厚、という話をどこかの大学教
授の論文から見た事がありますが、これについては今の所なんとも
言えません。
その他の人物については私の知る限りでは朝鮮留学の形跡は無さそ
うです。
109 :03/03/29 18:26 ID:gdXKegJd
>108
まあ、一応聞いておこう。
その朝鮮留学の形跡ってのは何って文献に載っているんでしょうか。
110儒学者:03/03/29 19:03 ID:6A6WB/Fi
>>109
こ れ と い っ た 文 献 は な い
が、最近の歴史学の研究成果により、『三国史記』や『史記』や
『古事記』や『歴史』などと言った既存の史書をアナグラム等の
ような特殊な詠み方で読んでいった結果判明した事である。
恐らく、日韓併合が行われる以前には、それらの事を示す史書や
民間伝承などを記した本が沢山あったと思われるが、併合のおり
にそれら「自分たちより権威ある存在を示唆する物」に危機感を
抱いた日本政府がその大半を焼き払い、その為に現在、それら「
朝鮮はかっつて世界の中心であった」事を示す書物は残っていない
と思われ。誠に残念。
111駄レスで鬱氏 ◆qDDaResKrg :03/03/29 19:06 ID:2AVRSu+0
牽強付会ってのは、こういう時に使う言葉だったかねぇ(溜息
112 :03/03/29 19:07 ID:Dq5T3pht

・・・・『儒学者』は隔離病棟にいた形跡がある。

からかってもいいが近寄りすぎるな。
113スレッガー:03/03/29 19:12 ID:izTuXjeU
あちらさんには民間学者という肩書きで、こんなの(儒学者)がゴロゴロいる。
  


ハァ・・・・・。
114 :03/03/29 19:16 ID:pkHVb/ck
この手の人物の鑑定法が確立してないね。
日本人判定の雑煮のような韓国・在日用判定ツールが無いかなぁ。

とりあえず韓国語ができるか?>儒学者氏
115「ど」の字:03/03/29 19:18 ID:jdd6F8RP
>>113
 それはいかに韓国といえど、学者を馬鹿にしてはいないか?
 いくらなんでも、こんな電波源が大多数だったら、学問になるまい。
 あの国は党争が盛んだし、そんな精神病患者は真っ先に駆逐されるのでは?

 存在しているのは事実だが、肥えが大きいから目立つだけだろう?
116通行人Å ◆ChemitBIO. :03/03/29 19:22 ID:nNCmPms2
>>114
もしも私の仮説が正しいのなら、
かの儒学者氏には、
>サブリミナル特許
>志向性超音波
の言葉が効くかもしれません(w
117:03/03/29 19:22 ID:ib7+u/ot
>儒学者へ
脈絡の無いデンパ発言を選り分けて、索引作る身になって考えてよ。作業大変なんだぞ・・・

>皆さんへ
500とか議論の区切りのいいところで、誰かダイジェスト作成をキボンヌ。
118 :03/03/29 19:26 ID:UGNSIQC5
孔子や荘子は確かに東への指向がある。

これは彼らのルーツである殷文明が沿海地から黄河をさかのぼった民族であったからじゃないかなと思う。
119スレッガー:03/03/29 19:30 ID:BHm6aIkG
>>115
違う違う。ちゃんとした学者の存在を否定してない。韓国のちゃんとした学会などでは、
この手の学説を言ってる民間学者が失笑を買ってるのは、野平俊水の本でも読んだ。

でも民間学者の意見として、この手のとんでも説が出されると(これは韓国民に
限らず)自分達がそうであって欲しいという、聞いてて気持ちいい説に
転がりやすいのは周知の事実。

一民間学者のとんでも意見を新聞が取り上げたりもするしね。

120前スレ662:03/03/29 19:32 ID:ahsnJj5W
多分アレは偽チョンだろうが、こちとらいちいち釣られる趣味は無い。
121:03/03/29 19:37 ID:ib7+u/ot
>>118
逆だよ。西→東
長江上流域と黄河上流域は山間部ながら近接している。
長江中流域で稲作農耕文明が誕生し、長江・黄河上流域を経て黄河流域全体に及んだらしい。これが夏王朝。
だから、厳密には黄河文明じゃなくて長江文明だな。

発掘調査が進めば、この仮説さえひっくり返すような成果があるかも。
北京政府のイデオロギーが、上海に及ばなくなれば、堰を切って考古学の成果が発表されるかも。
今は待とうではないか。
122:03/03/29 19:50 ID:ib7+u/ot
そういえば、戦後の李朝を降伏させた清朝は、黄河の水源に探検隊を送って報告させているな。
NHKが『大黄河』の取材で再調査したが、当時の記述にあった水が滴り落ちる巨岩は無く、丘の中腹の小さな湧き水だった。
時代によって流域も変化するからどれが本流かは意味が無いが、石碑を建てて帰ってきたね。
関係ない話でスマソ。
123 :03/03/29 19:54 ID:pGJRE15A
ここの儒学者ってスレで浮いてるよね?
亀船などの高度なレスに対応も出来ずにエラを動かすのみ。

例えるなら、半死半生で口パクパクさせながら川に流されていく小魚。
124 :03/03/29 19:59 ID:eKir25p5
>>121

それは面白そうだが、初期殷って稲作やってなさそうだし、つながりあるの?
何にしても興味あるね。

そういえば北京は遊牧と農耕の中間地点としてモンゴルに選ばれた地点なのだそうで。現代の首都としては随分内陸だ。
125 :03/03/29 20:15 ID:p0WGeZpr
朝鮮ネタに戻るけど、韓国人て北方指向が強いね。

日本人は南方指向のほうが強い。北指向もいるけど、どちらかというと少数派。

それに海に対する感覚が違うような…。対日ネタで白村江とか李舜臣とか騒ぐけど、韓国の話題で、なんか海に萌える系の話をあんまり聞かない。
126:03/03/29 20:21 ID:ib7+u/ot
>>124
夏王朝といっても村落や農地の遺跡が出ているだけで、高度な国家体制があった証拠は未発見。
きっと、農耕を武器にして、採集狩猟民のテリトリーを速攻で占領して行ったのでしょうね。
農耕文明の伝播時期などは、今後の発掘と農作物の遺伝解析に期待されます。
初期の殷が農耕文明の気配を持っていなくても辻褄は合います。
略奪志向の軍事国家として、農耕民を支配して行ったのでは?
これは殷の青銅器のモチーフの研究者が出した仮説です。
それでも、都市文明を持つ頃には農業文化に浸りきっていますけどね♪
好戦的な山岳民が農耕民を支配する構図は、ヒマラヤやアンデスなどの高地に見られましたね。
(今でも儀式的にはそうだったりする。例えばブータンの国王は低地民から小麦の献上を受ける)
とにかく、殷以前は遺跡が少ないので具体的なことが言いにくい。
しかし、黄河流域に農耕民が溢れたことが、遊牧民の生活を変えたのも事実。
この遊牧民の系統から高句麗などの騎馬民族の王朝が生まれてきたのでしょうか?
朝鮮に近接する騎馬民族の出自も、遺跡の発掘が待たれる分野です。
さすがに数千年単位で考えると、河の流域や気候・植生も変化しているかな。
127:03/03/29 20:38 ID:ib7+u/ot
>>125
太平洋沿岸の海岸で暮らしていると、実にいろんなものが打ち上がってくる。
往々にして楽しいものだ。
縄文海進当時のリアス式海岸には、鯨や鮪が入り込んで来た。
海から来る連中もポリネシア系で、見敵必殺の殺伐とした人間ではない。
楽しいこと美味しいことは海から来た。そんな時代が長くあった。

次に稲作の時代。ハイテクはや美しいものは半島から瀬戸内を経てやってきた。
良いものは西から来る時代が遣唐使の終了まで続いた。
仏教もこの時期の伝来で、西方浄土の信仰も自然に受け入れられた。

同時に、飛鳥や奈良では琵琶湖を経由した渤海貿易が盛んになった。
この時期だけ、北方の若狭湾を向く文化が生じ、京料理などに影響してるね。
京の寒ブリは若狭の一塩ものが美味い・・・

また、関係ないレスをしてしまった・・・・でも、微妙に関係してる?
128低質燃料お断り。:03/03/29 20:51 ID:ifVl1hdo
 儒学者たんは結構まともな人だと思うよ。

 低 質 人 工 燃 料 を 投 下 し て い る だ け だ よ 。
129 :03/03/29 20:55 ID:Ku6988js
腐れ儒者は抗にせよ。
三角帽子でもいいが。
それはともかく亀太郎はどうした?ソースきぼん。
130釣り氏@:03/03/29 21:04 ID:AZXn+hJM
>>125
2002WCの期間中だったか、北と南の駆逐艦同士(水雷艇?)が互いに
ヘサキをぶつけ合ってマスタ。アメリカズカップかと。ガレー船かと。
ワロタワロタ。萌え―。シルクワームいらんやろ・・・
131 :03/03/29 21:04 ID:RtbMu6cN
>>126

殷は最初は稲作してたか疑わしい。あのあたりなら粟稗黍麦なので、稲作文明とリンクしてるかな?と疑問だった。

子安貝を珍重する文明(貨とか貯の漢字はここから由来)なので、結構南にルーツがありそうだと思ってるけど、実際はどうなってるのかわからんし。

この話題を朝鮮にリンクさせるとと、豊臣軍の米の補給は苦しかったかも。
朝鮮が寒い土地と知らなかっただっけ。ならば米を現地徴収の予定が狂ってくるはずだ。
132釣られ氏@:03/03/29 21:10 ID:AZXn+hJM
>>131
@太閤軍進攻による、農民逃避
A太閤軍検地による、サボタージュ
B明軍、倭軍進駐による需給バランス崩壊
北はともかく南は(にっ帝)植民地時代、穀倉地帯とし有名だし
人口+αのキャパはありそうだ。
133132:03/03/29 21:15 ID:AZXn+hJM
俺は東郷・山本元帥マンセー男だが
「日帝」とか「倭軍」とか、単語がコンパクトで便利だと思う。
逝ってきまふ・・・・・
134109:03/03/29 21:16 ID:YaiR5Ho3
…わたしゃ腐れ儒者に釣られたんでしょうか…
135 :03/03/29 21:19 ID:bW8jhVih
米は15万石くらい朝鮮征伐用に集積してるよ。
136:03/03/29 21:21 ID:FGlaMalR
>>127の自己レス
考えていたが、やっぱり濃厚に関係してるね。日本人の方角意識。

日本人のとって、黒潮の上流であり大陸への玄関であった西方は、常に恵みをもたらしてくれる恵方だった。
だからこそ、大き国もしくは宗主国である百済が危機だと聞けば、現代の政治感覚では無謀としかいえないような遠征もやってのけた。
勝つ気でいたから、都を難波に移すほどの熱狂だった。
勝負は時の運、白村江で惨敗すると日本が唐に侵略される危険に晒される。
慌てた朝廷は瀬戸内海の要塞化を図るが、現地民が働いてくれない。
西から悪いものが来た経験が無いのだ。
仕方なく誰かが嘘をついた。百済から鬼が来る!と。
西の国は百済しか知らない無知な民衆に危機感を植え付けるには、そう云うしかなかったのだろう。
百済が滅亡した同盟国だなんて、説明すべきではないし、しても理解できなかっただろう。
結局、騒ぎはあったものの、唐の遠征軍は来なかった。
民衆は相変わらず西には良いものがあると信じ続けた。

時代は下って、あるとき、無知な百姓の息子が天下を獲った。
その男は西方に良いものがあると信じて疑わなかった。
古代の民衆そのままの、呆れるような朗らかさで、老人は強大な火力を持つ軍勢を進撃させた・・・



韓国では、方角はどんな歴史を刻むのでしょうか?
137 :03/03/29 21:21 ID:YPaE4Rou
いや、西国大名メインだし。配下は主に米食ってる連中じゃないの?

当時の半島は上手く米作れたか疑問で…麦とかがメインだったら、日本軍側は米不足にならないか。
138_:03/03/29 21:22 ID:VqW5Gqbc
>>134
今上天皇陛下が「祖先は半島出身・・・」
と釣りをしたから、半島人が「皇室家はチョソにだ!!!」と釣られ
腐れjy(略 も先入観念として・・・

釣って釣られてシュラシュシュシュ〜♪
139 :03/03/29 21:29 ID:ilU7m/6X
人一人一年で一石。
戦場ならもっと消費するし、モミだったらさらにかさばる。

15万石でも充分ではない。補給って大変だ。
140:03/03/29 21:35 ID:FGlaMalR
>>131
話題を朝鮮に収束させますが、秀吉は現地の食糧事情について、あまりに楽観的過ぎたのではないでしょうか。
気候風土や産物、地理。
あらゆる情報が欠けています。

1回目の侵攻の際、3つの部隊を並行して進撃させていますが、
朝鮮には街道が不備だという簡単な情報だけから、野戦進撃を命じたのではないかと思えてきます。

秀吉の理不尽な楽観はどこから生まれたのか、謎です。
141留椅子・風呂椅子:03/03/29 21:36 ID:VqW5Gqbc
>>139
ルイス・フロイスの「日本記」に、物資輸送について
半島での陸上輸送中のゲリラによる損失>>>>>>>>海峡の海上輸送の損失
とあります。半島で500人以上で荷駄隊を組むようと、お達しがあったそうだ。
15万石調達しても前線にどれだけ届いたか・・・
142:03/03/29 21:41 ID:FGlaMalR
>>139
あと、軍馬には高カロリーな餌が必要です。
フスマや藁、穀物も食べさせます。
兵以上に補給を必要とするのが軍馬です。
143 :03/03/29 21:41 ID:/fIeksWL
別に楽観でもねぇと思うけどね。事実朝鮮自体はあっという間に崩壊してるし。
明にしても、この時の財政支出が原因で疲弊して、王朝崩壊へまっしぐら
だったからね。
144偽某研@ハン:03/03/29 21:48 ID:VqW5Gqbc
>>140
北条攻めの時も、海上輸送の経験はあるので
全くシロートではないが、途中での損失を
計算してなかったのでは。三成しっかり汁!
145:03/03/29 22:02 ID:XZwRZD2o
>>143
当事者の李朝が残ったのはなんでだろー
146ま ぁネ:03/03/29 22:10 ID:MXkDpjHO
>>秀吉は現地の食糧事情について、あまりに楽観的過ぎたのではないでしょうか。

朝鮮戦争の例から考えても、漢城(38度線)あたりに「南軍」の「攻勢終結点」が存在します。
それを突出して、小西・加藤は前進したわけで平壌では支援を受けられず、包囲されています。
過去の戦史から、それがわかるわけで当時の秀吉にそれを求めるのは、酷だと思います。
147はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/03/29 22:11 ID:Q6ljCYFw
日本が引いて外敵らしい外敵が清しかいなくなった上に、清に死ぬほど苛烈な朝貢させられていて
旨みがなくなったから、存続させられたっていうところでしょ。

河原で三跪九叩する王のいる国だしな。
148:03/03/29 23:53 ID:GyyDVuTi
奇遇だが、現代の日本の馬は、北朝鮮から輸入された藁を食べている。
農薬が無いので馬の健康にいいらしい。
もっとも、こんな情勢だから安定供給は難しくなろうが・・・・
149縄文 ◆MpJtqvTec2 :03/03/30 00:11 ID:EM/aNlZB
>>144
全然、某研さんらしくないよ.....
150:03/03/30 00:18 ID:gWwwf6EJ
補給の担当者が三成で、家康でなかったのは適材適所?
家康を投入するタイミングはどこが最適だったと思う?
151某研とウザイとクサイ:03/03/30 00:23 ID:gJYzA/eZ
>>149
酒飲んでカキコしたもんで、訳分かりませんですた。

乙類焼酎こそ世界に冠たる蒸留酒であるが
韓国焼酎は米陸軍のレーションにも劣るのではないか。
152 :03/03/30 02:42 ID:SkfkwKN3
>>149
撤収の時。殿に用いれば強い。野戦の名人だし。
しかも消耗させられる。
153 :03/03/30 05:45 ID:Xf6WYF9L
資料も何も李舜臣自身が書き残した日記がある。
それを読めば銃器を使ったかという基本的な事から何から書いてある。
図書館に行けば東洋文庫全四巻で置いてあるはず。
「乱中日記」
この資料を読む限り従来の荒唐無稽な亀甲船は出鱈目だと分かる。
ちなみに平地で船底を作っている記録もあり、
平底船じゃないかと言うのは正しい模様。
それにしても李舜臣の性格が垣間見れる。
少なくとも自分の出身がなんであれ、
裏切りを正当化するような卑怯な人間では無かったろう。
154 :03/03/30 05:48 ID:Xf6WYF9L
自分的には上司にしたい人間ナンバーワンだな。
155 :03/03/30 13:34 ID:J0I/92CI
「乱中日記」 了解!図書館で探して見ます。
持ってない人用に、簡単な抄録と年表だけお願いします。

手元に欲しいので、今から神田で探してきます♪
156:03/03/30 14:17 ID:PsW2hYWT
>>148
日本の馬の餌はケンタッキーから輸入してるのが多かったと
おもうけど、北朝鮮から輸入してるの?
157 :03/03/30 15:49 ID:kkFKfp9X
北は藁不足で縄すら貴重だ、なる情報がある。
北では藁は紙の材料にも使ってるよ。

秀吉の考えはよくわからん。
景気づけで別に勝つ気はなかった説まであるし。

でも思うけど大陸攻め≠中国征服なんだよな。
遊牧民と中国の関係が良い例。遊牧民は常に中国を征服するまで暴れたわけじゃない。適当に講和して銀などを毎年送ることで決着してる。
朝鮮半島から北京へ、北京占領でもした後、日本側有利の講和をして、毎年銀数十万貫他色々を貢がせる――くらいの決着になった可能性も あるんじゃないか。
158:03/03/30 16:40 ID:J0I/92CI
>>157
それだと、

日本→朝鮮→明→日本!

銀の流通サイクルが出来るね。
東アジアに一大貿易エリアを作るに等しい。
そうなると確実に、スペインと喧嘩することになるな。
159岩田周作:03/03/30 16:47 ID:pEB6ra9b
100年続いた戦乱の時代には、戦争に適応した様々な産業が確立していた。
武具を売買する商人、それを作る刀鍛冶などの職人、武術の達人、兵法の学者等々は幾ら居ても引く手数多だったのだ。
ところが天下統一が実現して平和な時代に入れば、彼らにとって日々の飯の種を得る市場が急激に縮小した事を意味する。
これを放置すれば日本全国で大勢が生活に困窮し、新たな治安悪化の要因に成りかねない。
刀狩りや検地同様、天下人にとって朝鮮征伐という政策は避けて通れぬ運命だったのだ。
勝って負けても本当はどうでもいい。
各産業に市場と雇用を確保しながら、日本全国の軍事力を外国に向けて解き放つ。
最悪、たとえ外国に負けても、諸大名の抱える軍事力をすり潰す事が出来れば、豊臣家の安泰が約束されるからだ。
160 :03/03/30 17:26 ID:QIRbxn4M
>>158
当時の国際収支はどうしても中国側の大幅黒字になるね。
日本は金銀を産出したからダメージは感じないけど、他の周辺国家は大変だったろう。
朝貢貿易は赤字の補填と安全保証を兼ねたものとも言える。
明は足利義満に奮発したようだが、あれは安全保証のため余計に豪華にしたのかな。

>>159
池宮彰一郎説ですな。実際は平和になってインフレが進行したからいまいち信用できない気が。現代の状況を戦国に当てはめてるだけの感じがして。
161 :03/03/30 17:36 ID:WoXJlCI0
戦国統一期の 戦争に勝つ→知行が増える の拡大再生産サイクルを
行ってきた豊臣政権の次サイクルが「唐入り」の一側面かと
思っていたのですが・・・

もしかして、あまりの朝鮮国土の荒廃振りに武将達の志気が落ちたってことは
言えますか?(こんな土地貰っても・・・と)
162d:03/03/30 17:50 ID:PsW2hYWT
>>まさん
そもそも、今日本にいる馬って藁はあまり食べないよ。
エン麦とかふすまとかが主食だと思う。
藁を輸入してるってどういうことでつか?
100lただの好奇心です。
163 :03/03/30 18:00 ID:HoJcet4/
>>161
物価の変動についてはよく分からないけど、朝鮮征伐以前にインフレになったという事なら、
日本の主要な人口である農民層の購買力が向上した事の反映ではないのかな?

164161:03/03/30 18:04 ID:WoXJlCI0
163は160へのレスかな

結局、時代のガス抜きは丸橋忠弥(だっけ?)とか由井正雪まで引きずっていますよね?
・・・大阪冬・夏の陣、天草四郎もそうか。
165桃山マンセー:03/03/30 18:44 ID:AWQo4dMi
>家康を投入するタイミングはどこが最適だったと思う?

関東移封で相当の出費を強いらせた上、
秀吉の参謀役として秀吉に付き添い名護屋、京、伏見に自軍を率いて駐留させ、
同時期に船用の大木の供出、伏見城普請にも駆りださせているので
秀吉は徳川家の渡海を最初から考えず、国内でのバックアップ(こき使ってやろうとした)として考えていたのでは。

さらに金決済圏の自領関東から銀決済圏の西国に軍勢を率いて長期駐留すること自体
徳川にとって出陣とそう変わらない経済的負担になっていたというし。

まぁ経済的な部分は置いといて徳川軍が渡海したとしても地理不案内、
徳川の存在を快く思わない豊臣家奉行や軍監が仕切る半島での十全な活躍、
西国勢主体の日本軍の総指揮が出来たかどうか。政治的にも微妙なところかと。
166 :03/03/30 18:52 ID:2Ec4jCmu
経済政策としての朝鮮侵攻説はどうもアメリカ軍需産業ををイメージしてる感じがして好かんなあ。

この時期はインフレでもデフレでもないと思うけど…。
新田開発など、社会整備はこの時期すでに始まっているから、どちらかといえば人手不足気味のはず。平和になったら戦争系インフラの人間も自然に職種が変わらないかな?
167 :03/03/30 19:09 ID:HoJcet4/
例えば刀鍛冶なんかなら受注が激減しても、
農具や大工道具の生産にすんなり移行できそう。
牢人も耕す者が絶えた農地を見つけて住みつけば何とかなっていたのかも。
しかし平民の武装解除が進行している時代でもあり、
それを嫌って農民になろうとしなかった牢人は多かっただろう。
中央集権化に刀狩は欠かせないし、その為に平民社会に吸収される事を嫌う牢人が居るなら、
なんとか牢人たちを飼いならす必要も出てくるのではないかな?
168 :03/03/30 19:45 ID:FZ0K9ey+
戦国から江戸初期にかけては新田開発により、耕地が室町期の倍になっている。

これは大規模な河川工事によっていままで耕作できなかった土地が水田になったから。大名たちも収入が増えるから積極的に取り組んだ。
その課程で人手不足になった農村に浪人たちの多くは吸収されて消えたのかも。もともと織田軍以外の武士は農業兼業が多かったしな。

元どこかの家臣で一族と一緒にやってきて村を開いてそこの名主になった、とかよく聞く話だし。


両班も最初は地方を開拓して地主になった連中らしいね。
169 :03/03/30 20:06 ID:cmJRHP0O
戦国のメンタリティを変えるために禅だ儒教だとやったわけで。
生類憐れみ令もそうだ。実際は罰はほとんどなかった。

朝鮮の朱子学隆盛は王にとっても地方地主である両班にとっても都合の良い思想だったからかもしれないね。
地方の普通の地主でも朱子学に則した言動を行えば上の階層に行けるわけだ。地主層に支持されて当然かもしれない。王も忠誠を受けることができる。

ただし弊害も多いのはご存じの通り。
170 :03/03/30 20:13 ID:n+Vo8tPL
>>168
ええ、私の地元の国人たちも、多くは転職していったようです。

新しい君主が冊封されても、家臣団がついてきてるから入り込む余地は少ない。
無理して仕官しても大した位にはつけないだろうし、たいした録ももらえないでしょう。
そもそも仕官する義理はない。そんな訳で農業漁業商業などで暮らしていったのです。

新しい君主もその点は心得ていて。
ともあれそういった国人達を食わせねばならない。戦がなくなると人が増える一方
になるだろうし、領地を広げることもできない。新田開発したり殖産興業したり
しないと国が潰れる。官民をうまく纏めあげないとイケない。
一揆が頻発して収支がつかなくなったら太閤や将軍に睨まれてクビ。

当然といえば当然な話。
171 :03/03/30 20:36 ID:lypaw41Q
一撥で鍬をもってるのも、武器じゃなくて農民である自分達をアピールするためらしいが。
172 :03/03/30 21:17 ID:4wtx0og8
 >171
 ガチンコだと農民には勝ち目ないからそうなったのかも。
 かの国ではたいがい農民側が勝つらしいが。
173釣られ氏@イモ燃料注入中:03/03/30 21:38 ID:JYn7BBnK
【東北軍閥シンジケート南下説】
◎李成梁・・・寧遠伯・遼東都督。遼寧省鉄嶺衛の人。李成梁の一族は朝鮮出身の代々軍人である。
     建州女真族は朝貢貿易圏であり、商人に交易権を付与する事でリベートを得ていた。
     また、ヌルハチは利益を李成梁に還元していた。

李成梁が遼東の責任者として在任すること22年。
多くの功績の中もは皇帝が先祖に報告する程の大勝も10回あって、辺境ではまれにみる名将と讃えられた。
しかしその功績には偽りも多く、ウソがばれなかったのは、
李成梁が交易で得た莫大な富の一部を中央に流し、賄賂でたぶらかしていたおかげだ。
彼の影響下に無い清廉な役人が彼を糾弾する事もしばしばであったが、その度に有力政治家が握りつぶしてきた。
それでも批判は多く、加えて大規模な反乱を鎮圧出来なかったため、さすがに庇いきれなくなった。
特にヌルハチにまんまと領土を明け渡し、領民を無理矢理、後方へ引き上げさせた事が問題になった。
「ヌルハチに天領を明け渡すとは何事か!」との批判が高まり、
1591年、高齢を理由に引退させられたのである。

○李舜臣・・・建州女真族のテリトリーに屯田させた朝鮮国の隊長。
1591 2月 全羅道左水使(朝鮮半島西南地区水軍司令官)に就任

△李如松(?〜1598)
字は子茂。諡は忠烈。遼寧省の人。李成梁の子。
万暦二十年(1592)、ボバイの乱を鎮圧して、都督に上った。
同年の日本の朝鮮侵攻に対し、軍務提督に任ぜられて朝鮮への援軍を率いて遠征した。
和議による事態収拾を図って帰国した。
二十五年(1597)、遼東総兵官に上った。
翌年、叛乱鎮圧の陣中で伏兵に遭って戦死した。

李舜臣は漢城出身の両班で、慶尚道・全羅道との関連性が見出せない。あればソースキボンヌ。
資産はあったが、東北女真利権を失った李成梁が、新たな利権ウマーを求めて
南下した仮説も在り得るのではないだろうか。倭寇との関連については
徳水李氏人脈と仁川港に何かあるかもしれない(苦笑)。
174:03/03/30 21:49 ID:uhz4jMqN
>>162
遅レススマソ
乗馬、競馬を問わず、刻み藁は食べさせます。稲藁です。10cmぐらいにザッシザッシ切って餌に混ぜます。
これに農薬が付いていない”無農薬オーガニック藁”(藁、日本では100%北朝鮮に依存しています。
干草はアメリカからの輸入です。北米定期貨物の大半は、古雑誌と干草なのですよ。

牛馬の維持って体積の大きい資材ばかりですね♪
干草まで補給で送れなんていわれたら、三成が怒り狂うでしょうね。
現地調達すべき資材って、かなり多かったと思います。兵員の鍋釜さえ必要です。
名護屋で集結中の部隊に補給すべき資材。現地調達させる資材。現地調達完了までのつなぎの資材。嗚呼面倒。
藁の輸送で死んだ水軍将兵がいたかもしれませんね。
175ma:03/03/30 22:14 ID:uhz4jMqN
>>173
芋燃料どころか、自動車が走れそうなガソリン燃料ですよ♪

ヌルハチとの裏取引は国難の元凶ですからね。
道路未発達の朝鮮で、密輸ルートが海だったのは想像に難くありません。
単純な倭寇との癒着ではなく、地方軍閥の利権ルートの現場担当に李舜臣があてがわれたとすると・・・
僅かな期間に、倭寇たちの信頼を勝ち得たのはこの時期かも?
単なる前線の島の屯田兵指揮官だけではなく、敵対倭寇と戦い、味方倭寇の密輸を支援する前線基地指令。
32歳で武科挙合格の男を使い捨てにするつもりで辺境に配置したら、
偶然にもそこは疑惑のど真ん中で、李舜臣は水軍司令官として鍛え上げられてしまった。

それとも、ここで別人に入れ替わるのか?
倭寇・軍閥・女真族・ヌルハチ・派閥抗争・・・・ここも闇ですね
176 :03/03/30 22:15 ID:wsGFhidY
亀甲船と呼んだのは日本で、韓国では亀船と呼ばれる。
倭人の斬り込みが強力で、太刀打ちできないので、斬り込み防止のために
屋根をつけ、トゲを植え草で覆って偽装した。
屋根の亀甲は装甲ではなく薄い鉄板で、恐らくは火矢防止のため。
原型は李朝初期に存在したらしく、李舜臣が発明したというのは嘘。
諸説あるが、3隻しか無いという説もある。多数無いのは確か。
洋上要塞に近い船で、主戦法は体当たり。

漏れが調べた限りではこんな感じ。名護屋城の博物館に模型を展示するため
韓国に打診したら、「城を整備して船を造り、また攻める気ですか?」と
基地外発言がでたらしい(藁。
177:03/03/30 22:28 ID:uhz4jMqN
これが小説なら、ヌルハチと李舜臣が顔を合せてもいいのですが、今のところ接点はこの辺ですね。

ところで補給の話ですが、農民の一揆ぐらいで輸送隊が撃破されたりするのでしょうか?
朝鮮の道路事情が戦国時代の日本より悪いとしても、襲撃の効率がプロっぽいのですが?
地方軍閥の話が出てくると、地域の豪族がお互いに略奪・牽制し合っていたのでは?
中央は弱体だったが、その分、地方は強かったとか。
178前スレ662:03/03/30 22:29 ID:txcQy97k
>>173
そうなると李成梁は柳成龍に取り入っていた事になる。朝鮮政府として
も、かの軍閥と関係を持つことは国防上重要なことだったと考えると、
それは理解できなくもない。そして李成梁が李舜臣を柳成龍に薦めた、と・・・

しかしそれならば柳成龍は何故李舜臣を左水使(海軍司令)にしたのだろう。
北出身の男なら単純に陸軍に回せば済むことだし、そうでないと官僚の支持
も得られまい。水上戦の実績がないならばすぐボロが出るのは明白だから。
李成梁としても李舜臣は陸軍司令で満足だろう。
東人派で侵略懐疑論側だった柳成龍。もし李舜臣がこのような信頼に足ら
ない駒だったら、ニゲを打つどころか身の破滅を招く引き金になりかねない。
政治的な判断のよくできる人間のやり方とは思えない。

第一、李成梁にしても利権を求めるチャンスに李舜臣など使わなくてもいい。
本国は明だし、失脚しても実の息子李如松が明で都督に昇進したのだから
彼を頼ればいい。李如松にとっても一族の繁栄が自身の双肩にかかってし
まったわけだから、李如松自身、このことを意識して朝鮮出兵を申し出た
のかもしれない。

>>175
平和時だったらその説も頷ける所がありますが、臨戦状態のときですからねぇ・・・
柳成龍がどれだけ(李成梁の薦めがあった)李舜臣を信用していたのか。
179:03/03/30 22:37 ID:uhz4jMqN
>>178
李舜臣は、数多くある密輸基地の一つを任されていただけなのでは?
前線の要地は女真族も狙っており、危険な任務に有望なな人材を使いたくない。
李舜臣は年齢の制約上、軍官僚としては出世が望めず、使い捨ての駒として、真っ先に推挙されたのではないだろうか。
180釣られ氏@カモーン:03/03/30 22:44 ID:VmU89j6U
>>175
まぁ、食後の薩摩いも焼酎、と掛けてた訳ですが、
古代には渤海⇔アイヌ・日本ルートがあったわけです。
>>177
今も昔も、敵後方の補給部隊を襲うのは、兵法の鉄則でしょうか。
「倭城」を築いたのは、江戸時代の宿場町みたいな感覚だったとオモワレ。
物資の集積地を一定間隔で設けたとオモワレ。
181前スレ662:03/03/30 22:55 ID:cmwFSEYn
>>175
少し再考。

もし李舜臣の経歴に偽りがなく、かつ高説が事実であるとするならば
こんな風になるでしょうか。

兵卒に落とされた李舜臣。李成梁に拾われて南への交易にあてがわれ
水上での経験を積んだ。風雲急を告げ、李成梁とコネのあった柳成龍、
李舜臣がそういう人物であることを知っていて左水使に取り立てた。
李舜臣が兵卒に落とされてから十何年もの月日が経っていた・・・

これなら矛盾はありませんね。いい説かも。
182釣られ氏@:03/03/30 22:59 ID:VmU89j6U
>>178
「仁川」「朝貢」「海賊」で検索しても、何も出てきません。
現在の釜山港に代表されるように、南部一帯は、海運(倭寇貿易)のメッカです。
そこに両班で、信用できる人材を送り込み拠点作りを図ったという「仮説」です。
文禄の役は「瓢箪から駒」だった事でしょう。
183:03/03/30 23:27 ID:uhz4jMqN
>>182
なんだか、どこかの国の派閥抗争ですね♪
どこでも似たようなモノですかね?

李舜臣が北辺に勤務したのは、使い捨ての駒として密貿易に従事するため。任官と同時に左遷状態。
柳成龍は北辺で密貿易に従事していた李舜臣を、敗北の責任で死罪になるのを拾い上げ、南の倭寇を管理運営する役割に使った。
これなら筋が通っていますね。
派閥抗争や国論一致を無視して、有為な人材を戦線に送ったのではなく、死なせても惜しくない人物を送り込んだのが、偶然にも国難を救ったと・・

皆さん、性格悪いですねぇ・・・・私もだけど♪
184前スレ662:03/03/30 23:29 ID:cmwFSEYn
>>182
>両班で、信用できる人材を送り込み拠点作りを図ったという「仮説」
柳成龍の目論見とみなせますが、作らせようとするならば、
あの時点では海運の拠点ではなく軍事拠点としてでしょう。
李舜臣が赴任されたとき、日本軍は明日にも来ようとしていた、
それが朝鮮では論争を呼んでいたのですから。

>>178
単純に「密輸基地の一つを任されていた」だけならば、>>182の示す
舞台で活躍できるとはとても思えません。>>181で修正をしましたが、
>>175の説を発展させるならば、李舜臣は実際に南部に進出して
その現場で働いていたと考えるべきでしょう。
185前スレ662:03/03/30 23:34 ID:cmwFSEYn
>>183
これだったら李成梁はマターク関係がない事になりますね。
ウーミュ。
186_:03/03/30 23:43 ID:PRyFE99c
今日、このスレを初めて見て、一通り目を通して
最も意味がわからんかったのは、>>75の主張。
なんで誰も突っ込まないのかな?
>教養も重んじず、ただ徒に蛮行にふけっている
>例えて言うならアメリカ人や日本人やそれに追
>随する西欧の毛唐どもの事を言っているんだよ
韓国における強姦発生率や障害・殺人事件の多発性を
考慮した発言なのだろうか?また、北朝鮮における治安の
悪化も、李英和の滞在記で少し触れられている。
結局、こういう事は、他国人に言う前に、まず朝鮮人に言うべきだと思う
>要は、あり難い儒教の聖典を頂いてもそれを読
>んで収容に励むどころかせいぜい昼寝の枕にしか
>利用できない盆暗どもにはハングルを学ぶ資格は
>無いと言う事。
根本的に、儒教の聖典というものは、漢文であり、
ハングルで書かれたものなど聞いた事もない。
教育勅語に引用された李退渓の文なども、元は漢文。
>余計な悪知恵つけられて犯罪にい
>そしまれても困るしね。
ハングルを身につけて、何の犯罪にいそしむというのだろうか?
日本語を覚えて来日して、犯罪にいそしむ韓国人が大量にいるのは、
周知の事実
>日 米 英 の 馬 鹿 猿 ど も に ハ ン グ ル
>を 学 ぶ 資 格 は な い(W
以上の儒学者の主張では、韓国人のほうが、ハングルを学ぶ
資格がないと言ってるようなものである。
また、韓国的な物を外国に紹介するのが国際化と考えてる韓国人たちの
意向に反する考えでもあると言えよう。
あまりのデムパぶりに、皆、突っ込む気も失せたんだろうか。
187前スレ662:03/03/31 00:04 ID:9AM/Oyp9
>>183
>有為な人材を戦線に送ったのではなく、死なせても惜しくない人物を送り込んだ

少し考え直しましたが、これには否定的です。
少なくとも柳成龍にとっては恃むに足る人物だったのではないかと思います。
といいますのも、>>178で申しましたが、もしあの時「どーでもいい人物」を
送り込むなどしたら、自身のクビが飛ぶかもしれないからです。

そもそも倭寇の裔など、総じて官とは縁のない人種です。
あのときの最適任者は、彼等と共に働き密接な信頼関係を持った両班出身者
でしょうが、果たしてそのような人物は何人いたのでしょうか。惜しくないならば、
さらに優秀な代替者はいたのでしょうか。

元均のことを思い出してください。
李舜臣とは対照的に、面白いくらい負けつづけた男。
こんな奴、普通ならあっという間に罷免されます。讒訴以前の問題です。
それでも元均は戦死するまで用いられつづけ、昇進さえしています。
朝鮮政府は彼等に頼むしかなかったのではないでしょうか。
元均が昇進したのも、負けつづけたけれど彼に頼むしかなかったから、
その苦労に報いようとしたが故ではないでしょうか。
からではないでしょうか。
188:03/03/31 00:31 ID:Hv+bbXNe
李舜臣捨て駒説では、朝鮮南部の海域を熟知していた理由が説明できませんよね。

・李舜臣を名乗る人物はもともとこの海域の戦闘経験が豊富だった
・李舜臣は本物で、熟練した倭寇を参謀に付けた

やはり倭寇の参謀(それも多数)が妥当なのではないでしょうか。
李舜臣みたいに国王の命令でも、喧嘩して止めてくれる軍官僚は少ないですから、倭寇も接しやすかったかも。
でも、やっぱり捨て駒だったのかな?出世は無理なのが明白なので、腹を括って上司と喧嘩する男だったと。
元均なんかは出世の目論見があるので、上の指示に絶対服従で保身に奔り、敗北を重ねていったのでしょう。
189前スレ662:03/03/31 01:29 ID:9AM/Oyp9
>>188
王命に抗したのは慶長の役序盤のとき。
文禄の役の功績で李舜臣は既に三道水軍統制使(連合艦隊司令長官)に
昇格しています。ですから「出世は無理」とは思わなかったでしょう。
が、「腹を括って上司と喧嘩する」硬骨漢だった・・・命懸けだったでしょう。
少なくとも保身など考えていなかったのは明白です。

李舜臣の前歴(武班出身で死刑になるところだった)が本物だったら、
「俺は一度死んだ男。明日戦場で死ぬかもしれない。今更怖い事などあるか」
という気持ちであったでしょうし、偽者(経歴をすり替えられた在野の人)で
あったら「いいかげんな情報のために部下共々死ねるか。俺は元より官爵など
望めぬ男だしな」という気持ちがあったかもしれません。

捨て駒だったというよりも、(官僚にとっては)所詮捨て駒に過ぎないのさ
という自覚はあったのかもしれません。
190:03/03/31 02:17 ID:20q6JUws
そういえばこのスレタイ間違ってますよね♪
おかげで検索にヒットせず、妙な運動家が来ません。
落ち着いて、遠慮なく議論できるのはいいですね。

>>189
李舜臣の人物を考えるのに、彼の日記は必須ですね。
乱中日記、読んで勉強してきます。
北辺で何があったのか、他にも情報があるといいのですが・・・
191:03/03/31 02:45 ID:0Q2ojc6n
朝廷では彼に拷問を一度加え、死罪を減じ、官職を削って軍に編入した。
舜臣の老母は、牙山にいたが、舜臣が獄に降ったと聞いて気が動転し
死んでしまった。舜臣は、出獄して牙山を過ぎる道すがら成服し、そのまま
クォンリュルの帳下に赴いて従軍した。人々はそれを聞いて悲しんだ。



192前スレ662:03/03/31 03:16 ID:9AM/Oyp9
>>190
ええ、静かでいいですね。
あのノイジィな儒学者もいつの間にかいなくなりましたし(^^)

>乱中日記、読んで勉強してきます。
いえいえ、私もこれを読んでいる訳ではないんでして、
もし注目すべき所がありましたら、よろしくupお願い致します。

>>191
ありがとうございます。
彼の母って牙山(忠清南道、ソウルの南)にいたのですか。
でも彼は確かソウルの生まれ・・・

http://www.independence.or.kr/NEW/japan/inspect/child/tour_hyunchungsa.html

あ、ここに説明がありますね。
八歳の時、牙山白岩里に引っ越したと。
193:03/03/31 03:39 ID:20q6JUws
>>191
都合よく?肉親が死亡し、李舜臣の本人確認は為されぬまま戦地へ・・・
李舜臣が本人なのかを確認する最後の機会はここで失われた?

ともあれ、資料読んで勉強します
194d:03/03/31 12:08 ID:Mx1TeyNB
>まさん さんくす
刻み藁を輸入してんのか、氏らなんだw
195釣られ氏@ハン板:03/03/31 15:17 ID:xJEGckqM
【李舜臣野人説】 前スレ662氏提唱
662 名前:   投稿日: 03/03/24 01:33    >>639
>その生き様は見上げたものですが、死に様はどう見ても犬死にです。
>彼が生き残っていれば、その後の朝鮮史にどういう功績をしたでしょうか……。

李舜臣の復職を求めた朝臣をして「平時には不要」と評された男です。
また私は李舜臣の出自を疑い、>>500で李舜臣は、元々在野の人(つまりは倭寇)
だったのではないかと提言しました。このスレで支持して下さる方もいらっしゃいました。
しかし、もしこれが事実だったならば、戦後の運命はどうなるか。

狡兎を追える走狗は、哀れ、犬鍋にされるしかありません。

その運命を自覚していたがゆえ、講和成って撤収しつつある日本軍を攻め、
討ち死にしたのかもしれません。
>>500でも申し上げましたが、何となく、楠木正成を想起させるものがあります。
196:03/03/31 16:00 ID:Xrwjo+uf
平凡社の乱中日記全3巻と、朝鮮資料叢刊第6巻の原文(全て漢文)を比較してみました。
数箇所を比較してみましたが、和訳は正確な様子ですから、平凡社の和訳を信頼します。
この内容なら買っても惜しくないでしょう。
朝鮮資料叢刊は国会図書館にありました。正確な表現は原文で確認したほうがいいです。
ただし、手書き原稿を編纂する都合か、日記全部が収録されているわけではありません。
平凡社の和訳では、一見くだらないが、大切な情報が収められていて良いテキストです。

日記としての乱中日記は、日付・天候・公務記録となっていますが、個人的な日記であり、他人の悪口や家族の心配事まで書かれています。
また、公文書の草稿として壬辰状草が残されており、日記とリンクしています。
日記のタイトルは後世の管理者の書込みが通称になっているだけで、決まっていたものではありません。

平凡社の訳者は

日本側資料として、
毛利家文書、吉川家文書、鍋島家文書
西征日記、高麗日記、朝鮮日々記
清正高麗陣覚書、征韓録

明側資料として、明史、明実録、両朝平壌録

朝鮮側資料として、
懲ひ録
朝鮮王朝実録、乱中雑録、壬辰録

こういったものを挙げている。勝者の編纂物は意図的な面が出るし、敗走中の記録は遺しにくい。
この辺はよく考えて資料を付き合わせる必要があるとのこと。実にもっともだ。

197:03/03/31 16:01 ID:Xrwjo+uf
壬辰 1592 3/15に釜山に敵襲の報告 それまでは気楽な生活

壬辰正月1日に故郷の牙山から息子や一族郎党が来訪。赴任ではなく、正月の面倒をみにきた様子。緊張感は無い。
7日に国王への報告を謹んで出す。
東軒にて公務。後に射こう(巾に侯) こんな日が続く。要するに暇。
時々、現場の訓示や視察が入る。採石所、港、狼煙台、山林、担当海域など。
16日には、採石所の事故や軍船の修繕不備で責任者の処罰を行っている。
石は鉄鎖で繋いで使うらしい。
休日は国の忌日と個人の忌日。それなりに多い。

2月1日早朝、儀式を行った後で波止場に魚が一杯来ていたので、網を持ち出して2千匹も獲った♪そのまま酒盛り
一般の警察業務として斉州島出身者と家族6人を移送している。奴隷?詳細不詳。
2月8日に亀舟の帆29疋を受領している。ってことは、活動不能だったのね。29隻分ではない!補修用としても多くて数隻か?
2月15日に李洸の書簡でワイロを貰った通訳が日本に誣告して出兵を求めているとあり、痛憤する。
これが日本に関する最初の記述。対馬の宗氏の暗躍のことか。
この時点ではまだ切迫感は無いが、鉄、竹、板といった物資の融通や人員の点呼は行っている。
2月18日の視察ではキーセン接待あり。防備の一斉点検。
2月20日兵船は全て新造とあるが艤装は途中か?
2月22日には砲の試射を行っている。
ここ数日接待が続いているが?

3月20日に倭寇討伐?の担当者のサボタージュで切れる?体調不良になる
夜中に呻吟するところを見ると、ストレス性の胃潰瘍か。
倭寇対策への態度が垣間見られる。部下は倭寇と戦う気が無い。

4月11日に初めて布帆を製作とあるが、筵帆しか無かった?訓練状態推して知るべし。
4月12日に亀船の地玄字砲を放つ。銅製で射程160b。鉄砲は所有していなかった?
4月15日元均からの書簡で釜山が攻撃されていることが通達
198釣られ氏@ハン板:03/04/01 14:11 ID:SiNzkIQ4
李朝・豊臣雑談の方が良かった?age
199 :03/04/01 14:21 ID:eqGz9Ucr
>198
低質燃料すら投下されていないので…
やっぱり伸びた時は低質燃料が居たときだし。
200釣られ氏@冒険風:03/04/01 14:23 ID:SiNzkIQ4
>>187
「倭乱」以前に陸戦・海戦でめざましい武勲があったのだろうか。
>>198
「李朝雑談スレ」のほうが良かったのだろうか。
かく言う自分は大して「李朝」には疎い訳だが(苦笑)
以前某スレで、李朝は封建制とレスをつけてバカにされた訳だが(自嘲藁)
201釣られ氏@ハン板:03/04/01 14:35 ID:SiNzkIQ4
前スレ879続報
http://bbs.enjoyjapan.naver.com/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=9891&work=list&st=&sw=&cp=6
>鳴梁海戦は世界四大海戦と世界の海軍士官学校で教えてるとか、
>12隻120人で133隻3万人の海軍相手に8千人殺したとか、、、

Armada : 日 - 日本ではMasturbationは手淫ではなく「うぬぼれ」「自慢」という意味で使われることもあります。
          類語に「ウリナラマンセー」があります。
uehahaha : 日 - http://www.pickens.k12.sc.us/dhsteachers/instructional_staff/wilsonwe_webfolder/
uehahaha : 日 - http://www.pickens.k12.sc.us/dhsteachers/instructional_staff/wilsonwe_webfolder/navalwarfare.htm
uehhahah.. : 日 - あれ?閑山島海戦はどこに?
mortar01 : 韓 - バルティックハムデを撃沈させた 'トゴヘイハチで'さえ敢えて比べることができないという李舜臣将軍に対して
           お前たち(日本人)はとてもナショナリズム的に応じるね...
mortar01 : 韓 - すぐれたことに対してすぐれると認めることができることこそ真正な知識人の姿勢ではないか?
Armada : 日 - 弱い朝鮮人を率いて強い侍を破ったからこそ東郷は李舜臣将軍を高く評価しました。
          あなたは東郷の考えに賛成ですか?
Armada : 日 - Battle of Actium、Spanish Armadaを認めることができないのは何故ですか?
          閑山島海戦をとりあげている欧米のサイトがないのは何故ですか?
           イギリスやドイツの士官学校では世界 4大海戦だというのにまったく不思議です。フフフフ
koreajinwo : 韓 - 日本人たち必死的 (03/29 18:41)

↑オマエモナー
202素朴な疑問:03/04/01 14:43 ID:60XLlfqo
義兵だ義将だとエラク愛国的で勇敢で優れた人に満ちていた(笑)朝鮮は
後金の数万の軍勢に蹴散らされ抵抗らしい抵抗もせずに逃げ回っている。

義将も義兵も決起しなかったのかよう
朝鮮側史書によればこの時の国土の荒廃は秀吉の時の比ではなかったというじゃないか!

朝鮮人の自尊心は対日対抗心に寄りかかっていることが良く分かるね。
203 :03/04/01 14:45 ID:60XLlfqo
>>201
その東郷の逸話は七〇年代以降に作られた嘘だということを教えてやってくれ
204釣られ氏@ハン板:03/04/01 14:47 ID:SiNzkIQ4
>>202
「ミニ中華思想」は駄目です。
「本家中華」は世界三大料理です。
ウエー、ハッ(略
205:03/04/01 14:49 ID:4fpEqgU0
低質燃料は必要ないよ。

ところで、戦争真っ只中になると、補給物資に『生麻』がある。
大麻だ。生の葉を蒸して煙を吸う。
負傷兵も多いし、士気維持のためには戦闘薬も使ったか・・・
206しかも:03/04/01 15:03 ID:60XLlfqo
後金が清となった後の攻撃では、なんと4000人の朝鮮征伐軍に逃げ惑っている(笑
207:03/04/01 15:09 ID:4fpEqgU0
朝鮮の麻薬について、情報あるかい?

あと、桃山時代の大麻利用などについても。
明朝や李朝では、アヘンは軍用に使われていたかな?
208 :03/04/01 19:24 ID:scxSEdXt
アへンは清との貿易赤字に苦しんだイギリスがインドから持ち込んだものだ罠。
209竹埼委長 ◆JmPatBlE76 :03/04/01 19:26 ID:oWkAp/iO
>>201
ドミノピザのCMの世界三大美女の中に小野小町を入れるのと
同じだな(w。
210 :03/04/01 19:33 ID:eqGz9Ucr
>209
他の国の場合、三大美女ってどうなってるんだろう。
やっぱクレオパトラ、楊貴妃は確定?
211 :03/04/01 20:34 ID:+fEpOa+g
>>210
あとは西大后でつ。
212:03/04/01 22:49 ID:UF1A7uZy
>>208
アヘン芥子は、ヒマラヤ山系の山間部ならどこでも栽培していた。
明でも入手可能だったよ。
印度北部でイギリスが大量栽培したので、これが清で問題になった。
明軍は所持していたと思われる。

軍用の麻薬としては大麻が主流かな?
痛覚の緩和と覚醒作用で兵士の士気を高揚させる。
焚き火に少量をくべて、指揮官や僧侶が半ば宗教的なプロパガンダを復唱させ、同時に吸入させる。
山伏が野外で行う護摩行とほぼ同じと、何かで読んだことがある。
ソース不明スマソ。
テングタケ系幻覚剤の使用は、この時代にはあるが、軍用ではなく僧侶など。

カプサイシン・・・・・・・・・・・この時期は未だ普及していない(W
213:03/04/01 22:55 ID:UF1A7uZy
李朝の軍制には僧侶だけで構成された部隊もあったらしい。

李舜臣の担当地区にも回されているが、士気が低い上に築城作業をサボるので使えない存在。
214 :03/04/02 09:40 ID:j/bvO/wc
 >>203
 坂の上の雲に出てたから信じてたんだが嘘だったのか。
 司馬遼が捏造したのか?その辺の解説キボンヌ。

 李舜臣>>東郷≧ネルソンという評価は狂ってますな。
 李舜臣<<東郷<ネルソンが妥当でしょう。
215 :03/04/02 10:00 ID:SsrUx0wm
>>214
司馬が言っていたのは水雷艇の艇長の話。
それが例によって脚色されて東郷になったんだよ。
216 :03/04/02 18:02 ID:kHwR8spI
当時の朝鮮儒学の水準はどんなものだったか知りたい。

古田博司の受け売りになるが、当時、日本の坊主と朝鮮儒者が話してる記録を読むと、坊主のほうが文献を良く読んでることがあったと。

読んでれば偉いわけではないが、とりあえず、当時の朝鮮は文献が揃っていないことを示しているような…。少なくともポピュラーではない。

当時は例の李退渓の弟子の世代で、まだまだ朱子学が浸透していないのかな。
217 :03/04/02 18:04 ID:j/bvO/wc
 >215
 サンクス今度読み直してみるよ。

 世界4大提督というものがあるんですよ。
 ネルソン 東郷平八郎 デ・ロイテル 李舜臣 の4人がそうです。
 で、世界3大提督というのもありましてこちらの面子は、
 ネルソン 東郷平八郎 デ・ロイテル(orジョン・ポール・ジョーンズ)

あれ?(笑)
218 :03/04/02 18:14 ID:px687wE/
まあ、東郷とネルソンは必ず入ると。
日本海海戦直後は欧米でも東郷の事を「ネルソンをも上回る名提督」と褒め称える者も多かったらしい。
それが事実だとすれば、東郷>ネルソン>ムニャムニャ・・・としても間違いではなかろう。
順位にこだわるのはキムチ臭いから東郷とネルソンのどちらが上なのかは論じないが、
いずれにしろ、彼らは確かに歴史を大きく変えているという事だな。
ムニャムニャ以上には。
219 :03/04/02 20:51 ID:wQWenHHE
まぁ、三大海軍国最高の提督ということで
ネルソン、ジョン・ポール・ジョーンズ、東郷平八郎があげられますよね?

「汝の義務を果たせ」「戦いはこれからだ」「皇国の興廃この一戦にあり・・・」
と歴史に残る肝心なときに名訓辞を残している三人でもあります。
220 :03/04/02 20:55 ID:wQWenHHE
李舜臣は有名な言葉とか残したの?
221前スレ662:03/04/02 22:20 ID:N/T1OZPN
なにかあるなら、是非拝聴したいです。
222釣られ氏@ハン板:03/04/02 22:20 ID:oscBm+lP
>>220
「鳴かぬなら鳴かせて見せよう、チョッパリウゼー!」
「鳴かぬなら頃してしまえ、チョッパリウゼー!」
「鳴かぬなら私が鳴きます、ウリナラマンセー!」

以上保守でつ。
223 :03/04/02 22:47 ID:NR6wKIYE
>220
『敵は同胞にあり!』
224 :03/04/02 22:54 ID:+ejmbKUF
李舜臣が朝鮮の英雄になれたのは日韓併合のおかげだろ?
日韓併合がなかったら李舜臣なんて誰も知らなかったって聞いたよ。
日本人が島津のライバルとして評価してたから併合後の半島でも広まったって聞いたが・・・
朝鮮人も知らなかった人物を他の国の人が知ってるとは思えないのだけど・・・
225:03/04/02 22:58 ID:wQnYpi13
>>223
厳しい言葉ですよね・・・
でも、李舜臣の置かれていた状況では、けだし名言です。
当時の李朝の腐敗は限界を超していましたから。
226 :03/04/02 23:01 ID:x7Z5/oYg
それ、ネタちゃう?
227:03/04/02 23:07 ID:wQnYpi13
>>226
手元に原文が無いので、ぐぐって確認キボンヌ

有るとすれば『乱中日記』の記載かな?私的な日記なので本音がいっぱい。
壬辰状草は公文書の下書きなので・・・無いでしょうね。
ここで書いていたら凄い反骨だ。実際、後にはそうなる。
228武蔵八党:03/04/03 01:01 ID:TE7Mj3d1
とりあえず「無理に作り上げた英雄」ってのを私は感じる。
だから当然他国の人間は知っているわけないわけで…
で、それをアピールするために誇張、誇張を繰り返す。
そうしているうちに英雄だったかも知れない人間を貶めてしまう。
それに気づかないうちは李舜臣の正当な評価は得られないと思う。
229 :03/04/03 01:31 ID:rBwduzdt
>李舜臣は有名な言葉とか残したの?

朝鮮兵は卑怯で弱兵で、大事な時に役に立たないとは書いてるね
230:03/04/03 02:05 ID:FM8mUGkh
>>229
事あるごとに憤激してるね。(そして、日記に書き残す性格)
二日酔いも多い。
胃潰瘍起こしそうだよ。実際にそれらしい記述もある。

ところで、亀船が鉄で覆われていたというのは後世の誇張。
実際はたった50斤の鉄材を、別の基地に補給物資として渡している。
船体を覆うような、多量の鉄が供給されている状況ではない。
231 :03/04/03 02:18 ID:rBwduzdt
「我が国の十中八九は臆病で勇者は1,2に過ぎない。・・・一大事があるとすぐに逃避の心が起り
ただ驚くばかりでなすことを知らない・・」
「李忠武公全書」条陳水陸戦事状
232 :03/04/04 06:13 ID:QKRllcvd
>>228
同感。
そして李舜臣自体は優れた将軍であるだけになおさら惜しい。
世界史上では優れた人格を持つ者が優れた将軍であるとは限らない。
日記を読む限りは彼は優れた性格と優れた技量を兼備えた将軍。
倭寇を参謀としたという意見もあるけれど、
むしろ彼自身が30歳まで倭寇として朝鮮南岸で活動していたのではないか。
参謀の意見を徴して行動したという様子も見られず、
彼の言を追う限りは受け持ち区域の全羅道のみならず、
慶尚道沿岸の地理にも彼自身が精通しており、
なおかつ当時の陸地を中心とした思考から見れば、
内陸諸都市の晋州などの地理には詳しくないのに、
海岸沿いの地理には詳しい両班というのも珍しい。
233 :03/04/05 02:53 ID:WQJILmhE
なんつーか、このスレのネタで小説1本書けそうだな。
234前スレ662:03/04/05 03:12 ID:SkiNA9p/
書けると思いますよ。
荒川さんあたりがやってくれないかなぁ。
235 :03/04/05 23:23 ID:o8nFK9EY
最初に無理に英雄にしたのは日本軍だからなあ

前に武科挙についてあれこれ議論してたみたいだけど、
科挙に合格した人の平均年齢ってどのくらいなんでしょう?

中国の科挙(文官の場合)は、平均は30代後半。
武科挙については解りませんが、30代で合格と言うのも
珍しいことではないのでは?

あと、柳成龍は20代で合格して秀才と言われていたような。
236 ◆mhVmhVsXuY :03/04/08 16:56 ID:EMzpU5Md
age
237 :03/04/08 23:01 ID:Ff44chp4
中国の武科挙は有力者のコネで決まったらしい。
清代には旗人の家系で形式的な武科挙があっただけ。
それでも乗馬や弓矢など実技はあったから当然ながら若い方が有利。
238 :03/04/09 01:36 ID:w4TbubiD
星野監督の匂いがするのは、気のせいでせうか?
239 :03/04/09 05:09 ID:lou2TesW
科挙って言っても武班は合格者も桁違いに多いし学科試験も科目数がずっと少ない。
大学受験で言う私立文系か公務員試験での技官の扱いのようなもんだろ。
240 :03/04/09 05:56 ID:lou2TesW
李朝後期、110年間で、205回の科挙の試験があったが
合格者は、文科3、950名。武科は41,752名。
試験科目は、武技以外は学科試験は一科目。
それで、どうしても両班になりたい連中が武科の試験を受けたらしい。
241 :03/04/10 19:13 ID:jaJHRBYT
例えば陸軍士官学校は当時の秀才が受験した。
また社会的にも軍人の社会的地位は高かった。

つまり当時の朝鮮貴族社会での見る眼というのは、
スポーツ入学で入学した連中(しかもマイナースポーツ)を見る早稲田の学生のようなもんだろ。
242 ◆mhVmhVsXuY :03/04/13 10:48 ID:PGMC/FUh
age
243 ◆mhVmhVsXuY :03/04/15 20:00 ID:+DZNPV1G
age
244 :03/04/15 22:48 ID:PwoGbqCo
今日地下鉄銀座線でネラーじゃなさそうなネクタイ姿の
サラリーマンが韓国人の取引相手を見た後か、雑談していたね。

A 韓国人って骨っぽいよね。
B うん、ていうか顔に特徴あるよね。
A そう、・・・差別になるから人前では言えないけど特徴があるね。
B なんか骨太でモンゴル人っぽいよね。
A そうそう、俺もそう思った。

やっぱり一般人の感想も2chと同じだと思った
朝鮮人はレイプ大好きで凶暴なモンゴル人の子孫なんだね。
245釣られ氏@ハン板:03/04/17 23:55 ID:gzkzF4Aw
保守
イラクに韓日戦と祭り続きでつ
246山崎渉:03/04/19 23:07 ID:Os0SRBOr
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
247山崎渉:03/04/20 01:21 ID:p3GZ/60e
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
248  :03/04/20 11:30 ID:jVIPnHdq
>224

李朝でもそれなりに評価してるし記録も残っている。

肝心な海戦の内容や朝鮮海軍の陣容が書いてないんだがw
249 :03/04/20 23:17 ID:oYxif9Jd
むしろ日本側に資料が残ってるね。
軍忠状の関係もあって戦闘の詳細を記録する伝統があったのかな。
250  :03/04/21 03:57 ID:eKkvsEB2
なんか変なサイトで徳川幕府が朝鮮と国交を回復するために謝罪の使者
を出したとか、罪を認めて捕虜を返したから国交を回復してやったとかいろいろ
書いてあったんだけど・・・・

謝罪と言う形をとったのか?

捕虜は無条件で返されたのか?(残った奴って多いじゃん)

何か日本側から賠償金みたいなのって払ったのか?

明に対しては日本はどのような外交的結果になったのか?

っていうのが素直な疑問なんだけど、その辺って分かる?
251  :03/04/21 04:24 ID:eKkvsEB2
後、誰か知っていたら教えて欲しいが、この戦争の後、朝鮮は明に対して
戦争費用は払ったのだろうか?

一説にはこの戦争が明の体力を削って滅亡の原因になったというのがあった
んだが、この説の通りだとすると明は無料奉仕なのか?
252「ど」の字:03/04/21 04:50 ID:cMPval14
>>251
 そういや、賠償金の話は寡聞にして知らない。
 誰か知っている方はいませんか?

 当時の支那は満州族の強烈な圧力を受け始めているので、強制取り立ての実力は無いはず。
 当時の朝鮮は、どのくらい明に貢献したのでしょう?
253元木:03/04/21 06:01 ID:ABkDIOG5
>>250
1601年に徳川家康が捕虜を送り返して、秀吉の非を詫びた。
その処置に理解を示した朝鮮は、日本側から国書を送ることと
国王陵を荒らした犯人を朝鮮に渡すことを条件にして講和することにした。
対馬の宗氏が家康の国書を偽造し、対馬領内の罪人を墓荒らしに仕立てて解決した。
その偽造国書への回答を持った使節が1607年に日本に来て、将軍秀忠と国書を交換。
このとき、日本人捕虜が返された。
これで日朝の国交回復。

明とは正式に外交関係を持ってなかったから、講和もなかったとは思うが、詳しくは知らない。
254馬の骨@2ちゃん:03/04/21 08:23 ID:sV+u6GzL
>>215
誰も出してないのでしゃしゃり出ます。

この話は水野広徳大佐の『此の一戦』にでている。この本に書かれているエピソードはほとんど司馬の『坂の上の雲』の日本海会戦の場面にでている。
255馬の骨@2ちゃん:03/04/21 08:56 ID:sV+u6GzL
>>250
私寡聞にして家康が捕虜返還をして秀吉から非難されるという話を知らないんですが、
朝鮮に出兵していない徳川一門の武将が捕虜をどの様にして手にいれたのでしょうか。
秀吉が死んだ後、徳川が権力を握ってから朝鮮と交渉し、捕虜交換になったので各大名に
捕虜の返還を命じたと憶ええていたのですが。
この時、捕虜のうち、大名家の厚遇に答え帰国しなかった者、身無し子であったため帰る先の無い者
(関ヶ原で敵中突破を図る島津軍を追撃する井伊直政を撃つった薩摩鉄砲隊の河上某とか)、
朝鮮王から降伏の罪を問われ帰国を許されなかった者(城の守将とか高官)が多数いますね。
私の郷里には最後の部類の子孫がいて、帰国を許された人にむかって故郷に残る老母に会いたいと
泣たと言う事が伝わっています。
256  :03/04/21 21:57 ID:2log/HZD
>>253
成る程・・・・秀吉の非を認めたと言うところがちょっと癪にさわる私はハン板
に毒されすぎているのですかね?

ちょっと気になるのは国書の偽造と言うのは何をどのように偽造したのです
かね。


考えてみると、元寇の後だって朝鮮が国交回復を求めて謝罪したなんて
話は聞かないしな・・・・
 国交回復なんて求めなければ良かったのにと思ってしまう。
257  :03/04/21 21:59 ID:2log/HZD
>>255
秀吉から非難なんて・・・・・言ってないですよ?
ちゃんと徳川幕府がって・・・
258 :03/04/22 02:01 ID:MeXXvATH
韓国国定歴史教科書で
壬申倭乱に関して

倭乱でわれわれが勝利を治めることができたのは、我が民族が持っていた
潜在的力量が優れていたためである。

とか

我が民族は身分の貴賤や老若男女に関わらず、
『文化的な優越感』に非常に満たされていて自発的な先頭意識を持っていた。

と書いてあったのを読んでマジで引いた(w
259  :03/04/22 11:40 ID:80rgmU9B
所詮、文化的には我々のほうが優れていたという論法は弱小国の自己の
プライドを守るための言い訳なんだけどな・・・・

野蛮人でも武力だけは強いというのは、武力というものも組織力、技術力、
構成力の集合体であるという認識が出来ないただのアホ。

朝鮮の文化なんてただの中国文化のコピーじゃん。
漢詩や儒教の礼法に詳しくたって実生活では何の役にもたたないじゃん。
そんな文化ならなくていいよ。
260  :03/04/23 00:39 ID:FuOj2ouk
ところで、信長の野望で、文禄慶長の役編があればいいと思っているのは俺だけ?

たいがいシステムがクソでもふらふらと買ってしまいそうだと思う。
そして意地でも征服するの。
皆殺しモードとかあったら楽しいのに♪


ところで、提督の決断Wと信長の野望蒼天録を買おうかどうか迷っているんだけど、誰か
買った人、評価ってどうよ?

個人的には嵐世紀を買ったはいいがフリーズしまくり、画面切り替わり度にCD稼動しまくりの
動作のろすぎで発狂して捨ててしまったので慎重になっている。
動作環境はp4.1.5ghz メモリ1G CD-R40倍速。

誰かアドバイスを。
261馬の骨@2ちゃん:03/04/23 08:02 ID:qMWr7Vst
>>257
私の脳内電波によってえらい事を書きこみ大変失礼いたしました。
木の芽時はセロトニンが勝手なことをいたしますので平にご容赦を。
262 :03/04/24 21:54 ID:V5/gHIW2
tesuto
263 :03/04/24 21:55 ID:V5/gHIW2
test
264 :03/04/25 20:14 ID:gJ3AQ9z6
>>260
そんなもの買って人生を潰すな。
買うんだったら本を買いなさい。
良識ある人の本を買う事は良識ある人へのささやかな支持になる。
とりあえずペクチョンソップ将軍の本は買いなさい。
265 :03/04/28 15:12 ID:HOmgDQEM
ホッシュホッシュ!
266忠武公 ◆Oamxnad08k :03/05/03 18:17 ID:ZJMhuU2L
李舜臣が補給船だけを狙った?証拠も無いのに。捏造ですか?プハハ。
そう言わないと悔しいんでしょうw
267忠武公31192:03/05/04 01:33 ID:QNfJkn9K
誰も反論できずw
>>1>>264&前スレが全部捏造だと分かりましたw
268忠武公 ◆qUetENTaKU :03/05/04 01:34 ID:QNfJkn9K
名前変更ハハハハハ
269晒し:03/05/04 19:22 ID:CIgA/AiD
中部港晒しage
270   ◆h/YbDne1h6 :03/05/04 19:24 ID:jW+rGTBG
激藁
271_:03/05/04 19:33 ID:/q8CM7Xu
李舜臣の戦功については疑いの余地はないが、
裏を返せば、朝鮮水軍は李舜臣がいなければ
弱兵集団に過ぎないと言う事の証明でもあるわけだ。
李舜臣更迭後、閑山島沖で日本水軍は朝鮮水軍に対し、
堂々と正面決戦を挑み、二度に渡る大海戦の末、見事に敵を壊滅させ、
元均・李臆期らの司令官を討ち取っている。李舜臣を自慢すれば
するほど、ただの朝鮮人が駄目だと言う事を証明してる事に気づかぬまま、
李舜臣を基準に朝鮮人が優秀であるかのように誇る姿は、滑稽と言う他にない。
272megrim ◆QMalDHgQsE :03/05/06 00:10 ID:8ysQYdoM
おや?前スレで逃亡した負け犬が戻ってきていたようですな。
また祭りの時間か?
273 ◆mhVmhVsXuY :03/05/07 23:28 ID:adSZXwbn
age
274はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/05/08 11:47 ID:Wzmwp7b+
 ふと朝鮮征伐に関して、韓国の中学校用国定歴史教科書を見たんだが、やばいね。
この教科書で勉強してたら馬鹿になるぞ、本当。ちょっと引用するけどさ。
-----
 当時、全羅道の海岸警備を任されていた人は、李舜臣であった。(中略)
 このように李舜臣の活躍で、朝鮮軍は制海権を掌握し、倭軍(*1)の本国連絡路を
遮断し、全羅道と西海岸を倭の進入より守ることができた。(中略)
 しかし、和議の交渉が決裂すると、倭軍が再び侵入してきた。
 そこで、一時身を引いていた(*2)が再び登用された李舜臣は、倭軍を鳴粱へ誘き
入れ(原文ママ)て大きな打撃を与え、勝利を挙げた。
 また、陸地でも戦陣を整え、倭軍の北上を阻止するなど大きな戦果(*3)を上げた。
 そのため倭軍は戦意をなくし、逃亡しはじめた(*4)が、李舜臣が率いる朝鮮の水
軍は逃亡する倭の船舶数百隻を露粱海上でことごとく撃破し、最後の勝利をつかん
だ(*5)。
(了)
-----
(*1)この時代で倭軍って……。
(*2)自ら身を引いていたらしいですよ。内ゲバで監禁されていたんじゃなくて。
(*3)北上を阻止すると大きな戦果かよ……。
(*4)いや、秀吉が死んだからだろ。
(*5)おいおい、李舜臣戦死してないぞ!

 いやぁ、久々に見直して驚き。李舜臣、戦死してねーの。和議破りも記述してないし、
他の将軍の陰謀で降格扱いだったことも記述なし。
 こんな教科書で勉強しているんだから、そりゃ真実を死ったらファビョるわ……。
275  :03/05/08 18:08 ID:jwEHuVal
韓国人が、「『李舜臣が攻撃したのは、補給船がほとんどだった』
の証拠をだせ」って言ってたんだけど、証拠は何があるの?
276 :03/05/08 19:24 ID:0maH7FRd
>>1
>経歴不肖な李舜臣、北辺の陸兵指揮官であって彼が短期間の
>水軍指揮官としてああまで戦果を上げた原因はどこに?

義経だって海戦の経験なんてないのに下関では、海戦に強いはずの
平氏を破った。
理由は瀬戸内海賊の村上氏を味方につけたからだ。
彼等は関門海峡の潮の流れを読むのに長けていた。

李舜臣も同じこと、土地の人間を手なずけて半島南部の
島の多いリアス式海岸での潮を読むことができたからだ。
日本人には分かるわけがない。
亀甲船の模型を麗水だったかで見たがあんなちっぽけな
船が戦況を左右できるものではない。

277 :03/05/08 19:36 ID:5HEPkmoj
忠武公は、一体何を勝ち誇ってるんだ?
マジで分からん。

輸送船を狙うのは、水軍の本分だろう。
敵の軍船と戦うのは、あくまで派生的な任務に過ぎない。

278 :03/05/08 20:20 ID:QSkesUZT
本分かどうかはともかくとして、任務としては別に恥ずべきことも
辱めるべきことでもない。ましてや朝鮮水軍は数に劣り装備に
劣る。真面目に考えれば輸送船団への攻撃は適切かつ有効な
選択だと思うが・・・
279  :03/05/10 21:31 ID:zgVorjZZ
<丶`∀´>本場キムチ野郎のご意見にだ

トンデモ】 韓国識者が集う板 知識iN 【日本人観
176 :  :03/05/10 17:00 ID:KLaxZIbm
これに尽きるんだね(w

http://honyaku.naver.co.jp/ktj.cgi?trn=1&frmbar=0&css_url=http://kin.naver.com/browse/db_detail.php%3fdir_id%3d607%26docid%3d19883

tuksi : 海上王買い物して来て忠武公李舜臣提督の誇らしい後裔である韓国海軍が
盗みや事とした倭寇の子孫である日本海自に比べて全力が劣勢というのは
絶対に受け入れることができないです!
280 ◆mhVmhVsXuY :03/05/13 20:56 ID:vJgSPGgx
age
281  :03/05/17 01:16 ID:boLtkO8V
http://bbs2.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_
13&nid=12012&work=list&st=&sw=&cp=1


sinkingila : 韓 - unecle205> また日報に行ったら壬乱当時の朝鮮水軍と
アルマーダを勝つ時のイギリス海軍が戦えば誰がイギルカに関する論議
が盛んでいますね. 面白い主題なのに一度参加して見るのがどうだろうか...
とても分かりたいんですよ. (05/17 00:50

unecle205 : 韓 - sinkingila>またで? うん...面白いですね? 私は火砲が優秀
な朝鮮水軍に 55%のお金をかけますが,^^ (05/17 00:51)


本気なのか?こいつら
282訂正:03/05/17 01:17 ID:boLtkO8V
283 :03/05/17 01:27 ID:SODaKMHq
火砲自体がヨーロッパから中国を経由した粗悪品。
元均が日本の二軍に蹴散らされた事を知らないのか?
その為に全滅した朝鮮水軍に替わって、明水軍5000が戦ったんじゃねーか(w
284 :03/05/17 01:32 ID:cTWdv17C
敵の補給線を断つのは兵法の基本中の基本なんだが、奴らはこんなことも
知らないのだろうか?
285  :03/05/17 01:35 ID:Tlt45l5Y
朝鮮は、その時鉄砲持ってなかったと聞いた事があるんだけど本当?
286 :03/05/17 01:43 ID:+S2uQmnu
序盤では「なかった」という話を聞いたことがありますが・・・
287 :03/05/18 11:25 ID:GTgF9Aeg
これがイギリスとフランスとスペインとオランダとの間のように、
話し合える事が出来れば日韓関係も成熟したと言う事なんだろうけど、
自衛隊と韓国軍の間ですら近代の歴史と絡ませて一歩も進まないようでは、
やはりアジアはアジアという事になるんだろうな。
288 :03/05/19 18:48 ID:hUGBEvL6
>>285
投降した日本兵が鉄砲の製法を伝えた。
289 :03/05/19 18:53 ID:JOmr7rgP
製法を知っただけで鉄砲を作れるのか?
当時の朝鮮人に
290 :03/05/19 19:28 ID:hUGBEvL6
>>289
それは半島人並に傲慢だよ(笑
当時はメンテや弾丸造りも現地でやっていたから
当然技術者も同行してたしね。
291 :03/05/19 19:29 ID:hUGBEvL6
あちらで戦時中に鉄砲の製造をはじめたと言う記録も残っているよ。
292「ど」の字:03/05/19 23:32 ID:yccvFy29
>>291
 中公文庫のノエル・ペリン著『鉄砲を捨てた日本人』に、そのあたりが詳述されていますね。
P66、7行目から。

(前略)特に日本兵にとって厳しくなったのは、朝鮮出兵二年目に挑戦人部隊が自国製の火縄銃を
持ってたち現われるようになってからである。その火縄銃というのは、朝鮮軍が分捕った若干の日本
の鉄砲を朝鮮北部の鍛冶が模倣製作した朝鮮製のものであった(※)。それは武士を撃ち殺す能力
を完璧に備えていた。(後略。※についての注釈も略)

 ただ、注釈にもありましたが、朝鮮は日本との戦いが終わるとこの武器のことを忘れてしまいます。
 以来20世紀に至るまで、朝鮮軍で鉄砲は使われていないようです。
293 :03/05/20 00:09 ID:s/AS6qdB
>>292
水を差すようで悪いけれど、
ソウル経由で配備されているから、
仮に中国式の火器でなく西洋式の銃だとするのなら、
その多くは中国から経由した輸入品だと思う。
当時最も西洋式銃器の生産が盛んだったのは日本で、
秀吉時代の兵農分離が進み始め、
関所の廃止その他も進んでいた頃でもあったから、
日本国内からも中国に大量に流出していたはず。
294 :03/05/20 00:41 ID:l0lMFOH4
日本人が鉄砲の製法を伝えたという記録が残っているし
朝鮮各地で鉄砲が製造された記録もあるよ。

中国の鉄砲は意外な事に朝鮮経由で伝わったと中国側の記録にある。
295「ど」の字:03/05/20 01:04 ID:VOFNyy7f
>>293-294
 実際はどうなんでしょうね。貿易商人が大量に持ち出していたというのは、いかにもありそうです。
 しかし、この時代の支那の史書はまだ信頼が置けるもののはずですから、>>294氏が正しいのかも…?
 しかし、当時の日本の国力は本当に凄かったんですよね……。
 当時の世界が束になっても、日本一国の火縄銃装備数には勝てなかったのですから。
 しかも、当時すでに大口径化が始まっていて、世界は日本に追いつくのに百年かけているし。
296 :03/05/20 01:30 ID:l0lMFOH4
武備誌にも朝鮮の役後に伝わったと書いてある。
もう一つのルートは救援の明軍が持ち帰ったものだろうね。
297  :03/05/20 08:23 ID:0gevZzuV
>294
火薬や銃弾も必要だから普通に考えれば日本の鉄砲を盗んだんじゃねーの?
298 :03/05/23 00:14 ID:ThwAlFFM
>295
でも火薬は輸入ってのが現代に通ずる…
双方に売った連中は大もうけしたんだろうね。
299_:03/05/23 21:16 ID:Ymc5WMCb
>>298
1650年代、硝石生産を行ったとの記録があるようです。
以下、抜粋。

また、漂着してきたオランダ人ハメルを訓練都監として受け入れ、鳥銃、火砲などの新しい武器を
改良、補充するようにし、必要な火薬生産のための硝石生産に邁進した。

朝鮮王朝実録 朴 永圭  第十七代 孝宗実録

他のところにも漂着したオランダ人から火器類の作り方を学んだという記述等見受けられます。
300 :03/05/24 19:29 ID:x5nFQh9h
1650年代?! 
朝鮮役を知っているものが何人生き残っているかもわからない、
そんな後世になって、何故?・・・
301 ◆VgiTQ6FNm6 :03/05/24 20:11 ID:LIyaCvEN
文禄・慶長の役から50〜60年も経ってからやっても遅すぎるのに・・・。
ハメルもけっきょく朝鮮脱出してオランダに帰っちゃうし・・・。
朝鮮には何にも残らないんだね・・・(哀
302 :03/05/24 20:12 ID:oAztlO4s
猿のスレはうざいな。
猿のあほさかげんは歴史に残っている。
結局責めきれずに病死。
国内はがたがた。
猿は足軽のままでよかったのだ。歴史のいたずらだ。
303 :03/05/24 20:46 ID:A7dxM4PF
>>302あひゃひゃひゃ
日本国内総兵力の9%程度の軍隊に攻められて、一気に中国領まで追いやられ
中国様の軍隊のお陰で助かった朝鮮人哀れ
304 ◆VgiTQ6FNm6 :03/05/24 20:51 ID:LIyaCvEN
>>302
国内ががたがたって関が原や大阪の陣のこと?
短期で内戦終わらせたからがたがたじゃないよ。
かえって国内は纏まってるよ。

秀吉が10年長く生きてたら、朝鮮はどうなってたんだろ。
歴史のいたずらだね。
305 :03/05/24 21:14 ID:oAztlO4s
猿はどれだけ女にもてないやつだったか知っているのか。
もっと調べろ。
猿は一度も朝鮮半島にはいていない。
あほだから中国に勝てると思ったのだろう。猿の浅知恵とはこのこと。
歴史の勉強不足から無謀な侵略をしようとした猿は哀れだよ。
ただの百姓の子せがれで生きればよかったのに。
306 :03/05/24 21:17 ID:QzW9dnqA
明朝はこのときの財政支出がもとで滅亡したよ。
307 :03/05/24 21:18 ID:oAztlO4s
猿(秀吉)は貧相な顔だ。
器が小さいから部下に逃げられる。
308 :03/05/24 21:19 ID:oAztlO4s
>>306
間違った歴史認識だよ。
309     :03/05/24 21:22 ID:5PKV7x5J
でもっていまさら歴史上人物をだして日本人を弾圧ですか?
秀吉の方がうまい策を思いつくだろうな
310チョソキラーXX:03/05/24 21:27 ID:GcxZJNlo
今更バカチョンが「秀吉」持ち出して日本批判か?


言っておくが朝鮮出兵の「戦後処理」は徳川幕府が既に済ませている。
更にチョン公どもは「大阪の陣」での豊臣氏滅亡に「祝意」すら表している。

既に解決済みの問題を持ち出すとは救いようがないな→チョン公
311 :03/05/24 21:32 ID:oAztlO4s
はあ。
猿は個人的にぶさいくな田舎のおっさんとしか見ていないがね。
解決済み?
はあ。
何が。。。。。
312 :03/05/24 21:41 ID:h0AQVP4h
虚を突くのは兵法の基本。

別に輸送船を狙ったからといって株が下がるわけでもあるまい。
逆に敵の主力と正面から当たるのは愚策中の愚策。
313 :03/05/24 21:45 ID:5PKV7x5J
ぶさいくだとにか問題でもあるのか?>311
人の品位を顔だけでしか見れない自分たちを恥じるべきだろ
314 :03/05/24 21:50 ID:5nys/+Vm
>>311
あなたって自分の主観ばっかし。
315 ◆VgiTQ6FNm6 :03/05/24 21:52 ID:LIyaCvEN
総大将がわざわざ前線に行く必要ないんだけどな。
配下の大名に任せておけば朝鮮征服は可能だと思ったんでしょ。
実際に征服寸前までいったし。
いろいろ誤算はあったけど。
民を守るべき朝鮮国王が逃げ回ってるだけなのがアホだね。
朝鮮には攻めてこないと報告した大臣モナー。

>ID:oAztlO4s
貧相な顔やぶさいくと言ってるけど、実際に見たことあるの?
女にもてなかったというけどなんの資料に出てたんだろ。
逃げられた部下って誰?
まさか徳川家康とか言わないよね。
316 :03/05/24 21:59 ID:W50MTqjX
>>303
>日本国内総兵力の9%程度の軍隊に攻められて

ほんと?!なら日本の総兵力は100万ぐらい?
317 :03/05/24 22:03 ID:5PKV7x5J
かわいそうに歴史の改ざんまでして自分たちを守ろうとするなんて
古人に謝ってくるべきだろ
つまり逝けってこと
318 :03/05/24 22:03 ID:oAztlO4s
猿が女にもてなかったのは史実です。
書籍もあります。
題目は忘れたが。。。
319 :03/05/24 22:09 ID:5PKV7x5J
もてなかった?だからなんなんだろ
貴方方のミニマム脳味噌の中にあるミクロン単位の短いものさしで
他人を計るもんじゃないよ
自分が惨めなだけだろ
320 :03/05/24 22:20 ID:A7dxM4PF
>>316
日本「軍」は5−6万だよ。
残りは、船頭・人夫その他色々。
日本軍が持ち込んだ鉄砲が17、000、国内の鉄砲は200、000。
321 :03/05/24 22:25 ID:pHERF2eA
「李提督は日本軍と正面から挑むことはせずに補給路を断って日本軍を窮地に
追い込んだ。」
 これを聞いて「侮辱ニダ!」と言い出すバカに大日本帝国の敗北を笑う
資格なぞない。
322訂正:03/05/24 22:26 ID:A7dxM4PF
朝鮮征伐に参加した日本「兵」は5−6万だよ
323 ◆VgiTQ6FNm6 :03/05/24 22:27 ID:LIyaCvEN
1600年頃の日本の人口は1200万、全国の総石高が約2000万石あったみたい。
普通は1万石で兵250人の計算だから
250×2000=50万になるね。
でも250人は軍役できる兵で、留守に残しておく兵は含んでない。
324はぽねす ◆BBx90lwzdU :03/05/24 22:29 ID:DqiMbRAY
>>316
 まぁ、古代から日本から攻めようとしたことはあったけど、攻められたことは一度もないしね。


 それと消えているレスがあるから、おそらく賎天(ハゲ天・コリエン)がうろついているとみた。
325299:03/05/24 22:57 ID:7xhSQ8XA
>>300
えーと、遅レスで申し訳ないが、この軍備拡張は対日本ではなく対清のものとのこと。
この孝宗という王は、世子時代に清に人質として送られてかなり苦労したらしい。
で、清に対して良い感情を持つわけも無くなんとか自立しようとしたということ。

スレ違い申し訳ない。
326山崎渉:03/05/28 09:04 ID:b89uMCMo
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
327 ◆mhVmhVsXuY :03/05/29 16:28 ID:q8yZbd9k
age
328 ◆mhVmhVsXuY :03/06/03 18:32 ID:35AYCIw4
age
329 :03/06/03 18:34 ID:uDZhbsix
330 ◆mhVmhVsXuY :03/06/06 15:16 ID:vYS6Wblo
age
331〜〜嫌韓派の集会■6月12日■〜〜:03/06/06 15:20 ID:RUqJw5nk
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
右翼民族派学生運動歴のある犬塚氏が6月12日に高田馬場で語る
■日程・場所など■ http://www.issuikai.jp/yotei.html
(おもてむきの表題のほかに、赤報隊事件についても語られる)

■抗韓テロ事件「名古屋・韓国人会館放火事件」の檄文
http://guns-road.hp.infoseek.co.jp/geki/geki23.shtml

上記檄文の起草者と目されているのが「犬塚哲爾」氏である

>わが隊は 反日韓国を 中京方面で処罰した。
>韓国はいままで 日本にいやがらせを続けてきた。
>韓国人は モンゴルの手先になって われわれの先祖を殺しまくった。
>日本人は そのうらみをわすれない。
//////////////////////////////////
名古屋韓国人会館を襲撃した「赤報隊」は非合法結社である。

会場近辺に所在するホテル
http://www.taisho-central-hotel.com/
「大正セントラル」
http://www.princehotels.co.jp/shinjuku/
新宿プリンスホテル
332〜〜嫌韓派の集会■6月12日■〜〜:03/06/06 15:21 ID:EAgoF8+4
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
右翼民族派学生運動歴のある犬塚氏が6月12日に高田馬場で語る
■日程・場所など■ http://www.issuikai.jp/yotei.html
(おもてむきの表題のほかに、赤報隊事件についても語られる)

■抗韓テロ事件「名古屋・韓国人会館放火事件」の檄文
http://guns-road.hp.infoseek.co.jp/geki/geki23.shtml

上記檄文の起草者と目されているのが「犬塚哲爾」氏である

>わが隊は 反日韓国を 中京方面で処罰した。
>韓国はいままで 日本にいやがらせを続けてきた。
>韓国人は モンゴルの手先になって われわれの先祖を殺しまくった。
>日本人は そのうらみをわすれない。
//////////////////////////////////
名古屋韓国人会館を襲撃した「赤報隊」は非合法結社である。

会場近辺に所在するホテル
http://www.taisho-central-hotel.com/
「大正セントラル」
http://www.princehotels.co.jp/shinjuku/
新宿プリンスホテル
333 ◆mhVmhVsXuY :03/06/07 15:08 ID:aOp7v5NN
age
334 :03/06/09 22:25 ID:qbIOeaRt
最近釜山港で港湾ストがあったらしいけど、今も昔も重要港。
航路が決まってる、太閤船団を襲撃するのは、easy man 藁
335試作型安崎 ◆WsnItcCuM2 :03/06/14 19:21 ID:gLXVKAjD
保守
336 :03/06/17 02:52 ID:m9d3xrg/
age
337 :03/06/19 23:29 ID:MVZGjlJH
hosyu
338  :03/06/21 11:22 ID:0K4m8N3W
>>285-290
遅レスだが奴らの「仕事の速さ」を馬鹿にしてはいけない。

朝鮮人の仕事は質はいい加減だが、計画実行から達成までの早さだけは
通常の民族の三倍とみていい。
だから鉄砲は容易にそろえられた可能性はある。質はどうとしてね。
339 :03/06/21 11:26 ID:lsl6ee2x
>>338
>朝鮮人の仕事は質はいい加減だが、
そういうのはまっとうな仕事は申しません。
340  :03/06/21 11:31 ID:0K4m8N3W
>>339
でもIT分野で一時期優位に立ったのはそのケンチャナヨ精神のおかげなんだよな
341 :03/06/21 12:14 ID:yNTOi9j9
李舜臣は本当は死んでなくて、島津の兵隊にまぎれて
日本へ密航。関が原の戦いのとき島津軍が徳川の本陣に
突っ込んで強行突破したときに、李舜臣は家康を殺して
彼になりかわる。その後彼が徳川幕府をつくる。
しかし本当は李舜臣なのだから、李氏日本と名乗るべきだ。
342 :03/07/05 10:29 ID:M4Yut8zL
保守
343 :03/07/06 14:38 ID:01FdPgUf
李 舜 臣 倭 寇 説

朝鮮人にしては強すぎるから
344 :03/07/06 14:40 ID:01FdPgUf
李舜臣が北辺に勤務したのは、使い捨ての駒として密貿易に従事するため。
任官と同時に左遷状態。
柳成龍は北辺で密貿易に従事していた李舜臣を、敗北の責任で死罪になるのを拾い上げ、
南の倭寇を管理運営する役割に使った。
これなら筋が通っていますね。
派閥抗争や国論一致を無視して、有為な人材を戦線に送ったのではなく、
死なせても惜しくない人物を送り込んだのが、偶然にも国難を救ったと・・
345 :03/07/06 14:42 ID:01FdPgUf
○李舜臣・・・建州女真族のテリトリーに屯田させた朝鮮国の隊長。
1591 2月 全羅道左水使(朝鮮半島西南地区水軍司令官)に就任

△李如松(?〜1598)
字は子茂。諡は忠烈。遼寧省の人。李成梁の子。
万暦二十年(1592)、ボバイの乱を鎮圧して、都督に上った。
同年の日本の朝鮮侵攻に対し、軍務提督に任ぜられて朝鮮への援軍を率いて遠征した。
和議による事態収拾を図って帰国した。
二十五年(1597)、遼東総兵官に上った。
翌年、叛乱鎮圧の陣中で伏兵に遭って戦死した。

◎李成梁・・・寧遠伯・遼東都督。遼寧省鉄嶺衛の人。李成梁の一族は朝鮮出身の代々軍人である。
     建州女真族は朝貢貿易圏であり、商人に交易権を付与する事でリベートを得ていた。
     また、ヌルハチは利益を李成梁に還元していた。

李成梁が遼東の責任者として在任すること22年。
多くの功績の中もは皇帝が先祖に報告する程の大勝も10回あって、辺境ではまれにみる名将と讃えられた。
しかしその功績には偽りも多く、ウソがばれなかったのは、
李成梁が交易で得た莫大な富の一部を中央に流し、賄賂でたぶらかしていたおかげだ。
彼の影響下に無い清廉な役人が彼を糾弾する事もしばしばであったが、その度に有力政治家が握りつぶしてきた。
それでも批判は多く、加えて大規模な反乱を鎮圧出来なかったため、さすがに庇いきれなくなった。
特にヌルハチにまんまと領土を明け渡し、領民を無理矢理、後方へ引き上げさせた事が問題になった。
「ヌルハチに天領を明け渡すとは何事か!」との批判が高まり、
1591年、高齢を理由に引退させられたのである。
346 :03/07/12 22:36 ID:yRPVR+CX
age
347山崎 渉:03/07/15 13:59 ID:20RKJTpA

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
348邪魔崎渉:03/07/15 14:37 ID:igeiEdmH
     ∧_∧
ピュ.ー <ヽ ^^ > <これからもウリを応援して下さいニダ<^^>。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      邪魔崎渉
349 :03/07/22 09:33 ID:3DVJhzzc
ニダーさん達がこのスレッドみたら火病起こしそうだが
これと同じ事在日が平然と行ってるもんな・・・
日本人って寛容だわ
350チョム
同じ事なんかしてないよ

チョンがやってるのは唯のデッチ上げで、その目的はつまる所、金銭

こちらがやってるのは、海賊だったという仮説の検証で、その動機は知的好奇心