【倭軍】壬辰倭乱:丁酉再乱【大敗北】

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952662:03/03/28 01:12 ID:p2OMZvn+
>>950
文章下手ですね・・・スマソ

>>947で共同体意識の事に触れましたが、倭寇のそれは「国家」を
超え、「民族」を超越しようとしたものといえます。しかし国家は公認
という方針で、彼らをして共同体意識の上に「国家」があることを意識
させた。結果、倭寇は変質し衰亡していった。日本に おいても、
朝鮮においても。

953662:03/03/28 01:15 ID:p2OMZvn+
>>951
ううん、先鞭をつけたと言いましたが、私は>>500のように言っただけなのですよ・・・
954662:03/03/28 01:19 ID:p2OMZvn+
あ、しまった、>>662で倭寇といってしまってますね。
わはははは (^o^;;;;;; ← 馬鹿
955megrim:03/03/28 01:26 ID:qJqD7PVo
>>951
きちんとした資料が存在しない人物だから、ああいう想像ができるのですよ。
きちんとした資料が存在するのに、的外れな妄想全開にするチョソといっしょにせんで下さい。
956 :03/03/28 01:26 ID:shMCzbQp
>951
あくまでも「仮説」の域なので、電波扱いはどうかと。
「李舜臣倭寇」説ってのは、あくまでも「仮説」として私は読んでいましたが。
957662:03/03/28 01:40 ID:buDxoO6y
きちんとした資料を読むと、不可解な点が生じる。
だからこれはきちんとしてない資料だとなる。
李舜臣もまたその中にいる。

仕方がないので仮説を立てる。
しかし決定的証拠がなければ、あくまで仮説の域をでない。
面白くもあり、残念でもある。
958通りすがい:03/03/28 01:43 ID:FPuMk93X
>>957
だから歴史は面白い。
959  :03/03/28 01:44 ID:vhFotBAV
>955
megrim さんは資料もちゃんと利用してるし決してチョソといっしょなんて
失礼なことはしませんよ

>956
906〜907をよんだらクラクラきちゃったんで
言葉がきつかったですかね。

960 :03/03/28 01:58 ID:shMCzbQp
>959
最初に「電波」と言ったのがまずかったんじゃないかと。
まあ、その後の在日認定もどうかと思ってますが。

「李舜臣倭寇説」に対する反論意見としては素晴らしいと思いますよ。
しばらくこの説に確定ランプがついていたので。
固まりかけていた考えから、すっと離れることが出来ましたし。

実際、>957氏が言われている通り、不可解な点から仮説を立てることで歴史が実証されてきたんじゃないかと。
最初は仮説で始まって、消える仮説もあれば、決定的な証拠が見つかって事実になるものも。
そうして歴史って積み重なってきたと思います。
あまりにもひどすぎない限り、「電波」扱いは避けた方が…
961釣られ師@ハン:03/03/28 02:09 ID:/cILvvSl
http://www.u-shimane.ac.jp/kikakuka/kikaku/contents/u-shimane/lecture_wakita.htm
>石見銀山とアジア
>天文2年から10年後の天文12年に鉄砲が伝来する。
>今まで、それを関連づけて考えた人はいないが、
>私はこれも銀を目当てに来たのだというふうに考えている。
以前868で種子島時堯に触れたが、「琉球王国との修好に努めた」とあった。
そして(さんざん既出ではあるが)
>後期倭寇というのは、日本人は当然のこと、倭寇という名をかりて、
>中国人に、スペイン人、ポルトガル人、李氏朝鮮の人なども加わった混成集団である。
>東アジア海域全体の私的水軍で、時には海賊にもなり、時には貿易商にもなる、
>そのような水軍団というものが東アジア全体に跳梁してくる。
>それが統一化してきて、天文段階には王直という大倭寇が出てきた。
>五島列島などに根拠地を置いて、明国、李氏朝鮮をはじめ東アジア諸国で活動していたのである。
とある。これらから類推するに、
日本(銀)⇔朝鮮(生糸・木綿)、日本(銀)⇔琉球(中継基地)⇔明(生糸)
の交易ルートを仕切っていた多国籍後期倭寇(武装商人又はパイレーツ)の
幹部の明人が李舜臣という、仮説が想定できる。
李家の系図をカネで買ったんだろう・・・
以上、皆さんの議論からの推論です。


962儒学者:03/03/28 02:19 ID:eDSw7rH1
スレタイとはあまり関係ない話になるけど、この時代の儒者・藤原セイカ
は、この朝鮮出兵の時に捕虜として連行されてきた朝鮮の人・姜抗に向か
って、「日本ではその人の人格や学識ではなく、槍働き等のような野蛮な
振舞によってその人の身分が決まる。だから私はこの、野蛮でガサツな日
本の社会体制が嫌いだ。科挙制度がきちんと整い、野蛮さによってではな
く、人格や学問で社会に身を立てられる明や朝鮮が羨ましい」と漏らして
、後に朝鮮に渡航してその地に永住しようとしたが果たせなかった、と言
うエピソードがある。また、現在「瀬戸焼」や「伊万里焼」として芸術品
扱いされている焼物などは、この戦の時に捕虜として連行された朝鮮の陶
工が伝えた技術が元になって出来た物である。
と、まあこの事からもわかる様に、その頃の朝鮮は軍事面においてはとも
かく、文化の面と社会体制の面では間違いなく日本より上であった。故に
軍事力が劣っていた事だけを理由に朝鮮を糞呼ばわりするのは愚の骨頂な
のである。
963 :03/03/28 02:21 ID:shMCzbQp
>961
李舜臣=明人ってのはちょっと無理があるかなと。
一応なりとも李氏朝鮮のために戦っていた訳だし。
私自身の仮説としては、李舜臣本人ではなく、郎党あるいは募兵した人間の中に、
後期倭寇の幹部が多数含まれていたと考えています。
忠武公が延々と言っていた「英雄的な天才的軍知」などではなく、
「海戦経験のある人間との相談の上での行軍」じゃないかなと。
まあ、半島サイドの資料は誇大な数字でちと信頼出来ないんですがね。
964megrim:03/03/28 02:23 ID:qJqD7PVo
>>962
しかし、その「優れた文化」の担い手である陶工を賎民扱いし差別していたのは当の朝鮮人。
文化面と社会体制で日本より優れているというが…
文化面は文化そのものを蔑視しており、
社会体制は隋・唐時代の中国よりも劣る。
しかも、日本の社会体制は中国人が理想とする封建体制。
んで、どこが日本より上なの?
965釣られ師@961:03/03/28 02:24 ID:/cILvvSl
五島列島の多国籍後期倭寇型総合武装商社が
シーレーン防衛の為、偽李舜臣と全羅道OB軍団を
朝鮮国に「外人部隊」として派遣したとオモワレ。
島津家は、同交易にコミットしていたため
島津家水軍は「親明派」「親日派」に分裂して
文禄開戦初期、内部抗争があったとオモワレ。
966 :03/03/28 02:34 ID:shMCzbQp
>962
当時の日本は戦国時代にあって、机上の空論で終わる可能性がある儒学よりも、
実学の方が優位になっていただけじゃないかと。
戦乱の時代に「人間とはこうあるべき」なんてことを言っても仕方が無い。
崩れた社会体制の中で必要じゃなかったと思われたから軽視されたのでは?

陶磁器だけを取り上げて「文化レベルが低い」ってのも乱暴じゃないかと。
狩野永徳や長谷川等伯などに代表される絵師もこの時代。
現在にも残る茶道が出来上がったのもこの時代。
私には「桃山文化は朝鮮文化よりも低い」とは言い切れないと思いますが。
967いつもの名無しさん:03/03/28 02:37 ID:9fRRmgK7
>>964
儒教依存度は日本よりもはるかに上だったと思われ。
そりゃ儒学者にとっちゃ地上の楽園でしょうな。
国家が自分の思想の体現者なんですからw
968:03/03/28 09:26 ID:+wmQl0jT
社会制度の優劣を判断する基準になるのは、
人材を効率良く育成し、当人の資質に見合う適切な権限を持たせる事が出来るかどうかだろう?
李舜臣すら冷遇し政治的に抹殺する国が実力主義の伝統を育んでいた日本に勝る筈がない。
969:03/03/28 09:57 ID:Gg5j5dL8
当時、朝鮮半島に住む農民以外の民衆を倭寇と呼ぶのは、
現代日本における在日鮮人を鮮寇とでも呼び慣わすようなもんか?
970 :03/03/28 10:18 ID:X5ab2Huh
>>962
文官としては、武官優越の日本の状況にうんざりするのも無理はない
ですよ。戦場で首をとってくる武官が偉いわけです。儒学者にとって
はたまらないでしょう。しかし当時の
日本が「実力主義」であり、門閥などですべてが決まる社会では
なかったのも事実です。倭寇にとらわれた朝鮮人のなかでその中に
どっぷりとつかってしまった男が、そこが自由な世界であると供述
しているのもそのためです。このような国にあこがれた人もいた
わけです。陶器にしても、これを「発展」させたのは日本ですよね。
この時代の日本は、芸術家として、優れた人物を
輩出しています。国際的に名が知られ通用する人々です。
韓国の場合は、ーー。当時の日本は、韓国よりも遙かに文化が高かったという結論しかでません。儒学と
陶器のみをあげて、文化が高かったというのは、幼稚な論です。
「妄想」の世界に生きるのはやめませんか。
971:03/03/28 11:34 ID:0GPfxCei
李舜臣が倭寇と関係がある。実に面白い仮説だと思います。まだ仮説ですが。
物証を探したいものですね。
でも、李舜臣の墓を発掘しても、遺体は海の底でしょうから簡単な副葬品しか出てこないでしょうね。
とにかく資料が無い。

倭寇の船団の到着は、生命の危機であるのと同時に、莫大な富を生むチャンスでもあります。
微弱な村落経済にとって、船団の存在は資金の流れを生む起爆剤。
倭寇は友好的に貿易のできる港湾を経由して沿岸を航行し、安全保障も含めて利益を提供できる港湾は通過税などを得ていたのです。
もちろん、貿易が成立しなければ略奪を招きますし、敵対する勢力の倭寇が無警告に略奪する場合も多かったでしょう。
朝鮮沿岸全域に倭寇の襲撃記録があるというのは、それだけ倭寇を受け入れる港が多かったということでもあります。
当然、朝鮮人の倭寇も多くなるわけです。

海賊船団が寄港した港の、緊張と期待の混ざった興奮。想像するだけで楽しくなりませんか?
別のソースが出てきたら、この議論を再開したいものです。期待しています。
972桃山マンセー:03/03/28 12:06 ID:eDyxa1Ap
>現在「瀬戸焼」や「伊万里焼」として芸術品
>扱いされている焼物などは、この戦の時に捕虜として連行された朝鮮の陶
>工が伝えた技術が元になって出来た物である。

巧妙にデンパを飛ばさないように。
伊万里はともかく、瀬戸は違います。

>文化の面と社会体制の面では間違いなく日本より上であった。

この場合の「文化の面と社会体制の面」で上だったというのは何を基準に言ってるの?
桃山期の文化に匹敵する李氏朝鮮の文化ってなんだ?
確かに「朝鮮儒教」の浸透度で桃山期の日本は李氏朝鮮には足元にも及ばなかったがw
水車1つも模倣できない拙い科学技術、迷信・呪術・風水が政治的に力を持ち、
理気論争に時を費やす政治体制が桃山期の日本より上とは俺は思えないがね。
973儒学者:03/03/28 12:06 ID:MLwqbXqF
>>964-968
ほう、そうですか。その「実力主義」とやらがいつまで経っても
朝鮮の儒教文化と結びつかなかった結果が、近代以降における、
いわゆる「日韓併合」や「南京大虐殺」のような蛮行に結びついて
いったと言う訳ですね。無駄ですよ。そんな野蛮な文化というには
余りに低劣過ぎる者を適当に美化しても。
本当に考えの進んだ人達やものを見る目のある人達はきちんと見て
いるぞ。まあ、あんた達のようなすぐ感情的になる人達や、この板
の諸スレを見て嫌韓になった人達はこれを良く見て考えを改めなさ
い。
http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/index-j.html

974儒学者:03/03/28 12:11 ID:MLwqbXqF
>>973
追伸:特にその中にある「平和資料館」の諸記事は要チェック。
自分達の祖先の野蛮ぶりに辟易して、お盆参りするのも恥ずかし
くなると思うよ。
975:03/03/28 12:27 ID:02TDXMCV
>>973>>974
「武」「悪」を過剰に排斥する社会が健全とは思えないな。
(ただし、江戸期以降の解釈ではなく、桃山時代の用例&解釈で)
歴史的経緯や地政学的位置づけの違う文化の優劣を比較しても無意味かと。
ただし、押さえておくべき点はある。
・桃山文化とは、武力以外に新たな価値創造を模索した過程であること
・信長や利休の理想を、過剰に体現したのが秀吉であったこと
・文化バブルの存在
・社会秩序の再構築に伴い、桃山文化は自然消滅&様式化していったこと

当時の李朝の文化の要点を列記してはくれまいか?
976  :03/03/28 12:35 ID:vhFotBAV
>973
ハン板では論破されまくってコテハンの在日は避けて通る
「日韓併合」や「南京大虐殺」を持ち出すなんてw

977:03/03/28 12:38 ID:02TDXMCV
>>973 儒学者殿へ
標記のURLとリンク先には、近代の情報しか無いよ。
欲しいのは15-16世紀の情報やそれに関連する資料。
なにか有益な資料があるんなら、内容と短評を付けて直リンして欲しいが?
978桃山マンセー:03/03/28 12:42 ID:eDyxa1Ap
>>975
桃山文化っていうのは唐物の大量流入から始まった室町文化が
日本流に進化(もしくは深化)発展させたもの、日本流に消化されたものであって、
文化バブルとはちょっと違うと思うます。茶器の高騰なんて室町時代からあったしね。

>・信長や利休の理想を、過剰に体現したのが秀吉であったこと

信長のやっていた茶の湯と、秀吉、そして秀吉下で利休が始めた
茶道は少し毛色が異なる。秀吉と利休でも茶に対する考えは異なるし、
利休は秀吉の下で初めて創作茶道を始めるわけだし、
すくなくとも信長は茶道を全国津々浦々の庶民までもにやらせようなんて思想は無かった。

ちょっと気になったので。
979:03/03/28 13:01 ID:02TDXMCV
>>975
文化というのはその時点での支配者の影響を濃厚に受けるので、例外の塊です。
故にご指摘はごもっともです。
文化バブルの絶頂期はやはり秀吉の時期でしょうか。
室町時代から熱狂的な文物収集(唐物狩など)はありましたが、茶器に一国一城の価値を付与する狂乱はありません。
実体以上の価値が創出されるのがバブルであり、この戦争の損益分岐点を押し上げた影響は計り知れないでしょう。

信長は秩序維持型の平和を模索し、自軍の武将に禅を勧めていますね。つーか、強制♪
秀吉の炭薪奉行時代のエピソード(出典不明。江戸期の創作の可能性も)では、武家の統制強化&文化普及の実行役に秀吉が顔を出しますね。
信長が家臣団や周辺組織の統制強化にとどまったのに対し、秀吉は庶民までも含めようとしたのではないでしょうか。
だからこそ、天下茶屋のような大イベントをやらかす訳です。
決して儒教道徳を利用しようと考えなかったのが、戦国武将の共通思考なのでしょうか。
980:03/03/28 13:07 ID:02TDXMCV
>>979
×戦争の損益分岐点を押し上げた
○戦争の損益分岐点を押し下げた

文物や文化への過剰な評価が、戦争によって得られる財物の価値評価を高騰させていたのではないかと考えるのです。
骨董品を盗んでまで欲しがる者は余程の数寄者だけですが、市場価値があって流通すれば話は変わります。
981 :03/03/28 13:08 ID:vk25Dxi5
>>979
天下万民への平和の配当でしょう。
人民が平和を実感できて、士気があがり指導者を熱烈に支持するのは、
楽しい時だけです。ヒトラー然り。
国民に楽しい休日のための車をプレゼントして呉れたチョビ鬚のおじさんと、
パーマネントやめて節約汁!と説教してくださるおばはんとどっちが好き?
982桃山マンセー:03/03/28 13:14 ID:TE2eYaGP
>>979
表現方法の違いだけでほとんど同意でした。ちょっと生意気言ってしまいました。

>文化バブルの絶頂期はやはり秀吉の時期でしょうか。

やはり当時の世界的な決算手段である銀の大量産出が大きいと思われます。
ここだけは「ま」さんと見解が違って、
「文化バブル」というより銀による「バブル経済」でないかなと意固地にこだわります。
ほとんど同じこと言ってんですけどねw
983 :03/03/28 13:31 ID:vk25Dxi5
>>982
横レス失礼。「銀によるバブル」そうかも知れません。
秀吉体制下での物価動向はインフレを示すもの。消費の爆発的拡大・
通貨供給の拡大・貿易による一部物資の高騰。これらによる成長の気分が
重視できますね。
関ヶ原以降の大阪動乱がそれに一段落はつけたものの、徳川政権による
「復興事業」--江戸をはじめ各都市の整備という公共投資と、生産力拡大に
支えられて内需が元禄期まで右肩上がりだった・・・余談失礼。
984 :03/03/28 13:36 ID:/34nFPF1
>>981
「数寄者は皆北野の大茶会に集まれ、来ない奴はもう茶をやってはならんぞ」っていう
秀吉の触れも、研究者の間では「秀吉一流の茶目っ気」と解釈するのが主流だもんね。
秀吉の他の政策とは違い、
茶の湯に関しては独裁的に強制的にやらせるという姿勢、統制の意味ではなく、
とにかく秀吉が与える平和を心ゆくまで楽しめって感じだね。
985儒学者:03/03/28 13:41 ID:MLwqbXqF
>>975
李朝の文化を簡潔に表わすと
・日本の戦国期等のように次から次へと余計な物を生み出すような
事をせず、元からある物で満足するという、ある意味達観している
と言って良い「足るを知る」という優れた精神文化。

・上と関連する事だが、そういう世界史的な観点から見ても極めて
高度な精神文化によって政治だけでなく国民に至るまで優れた精神
性を持つにいたり、李朝時代だけでも実に五百年に渡る平和と繁栄
を維持してきた、と言う事。(日本だけでなく世界のどこの国の歴史
を見ても五百年もの長きに渡って社稷を維持してきた政権・国家なん
てのはそうざらには無い)

・長きに渡る平和は、江戸期の日本の知識人達がお手本とするような
文学の文化を作り上げた。(例えば、先に上げた藤原セイカの件や、
朝鮮から通信使として来ていた文官に日本の韓学者や文人達が自分達の
作った文章・詩歌の添削を求める事がよくあった、等)

・「朝鮮人参」という事から解る様に、この時代の朝鮮は独自の漢方医
術が主に薬学の分野で発達し、また、この当時、多くの戦国大名がより
どころとしていた金山・銀山の鉱石を精錬する技術も、多くの場合、中
国からではなく、朝鮮から伝わってきた。
以上が、私の知っている李朝の文化。
結論すれば、日本人よりも優れた精神性を持つ朝鮮人が、ながきに渡る
平和と、日本の文化よりも優れた文化を持っていた、と言う当たり前の
所に行き着く罠。
986:03/03/28 13:41 ID:02TDXMCV
>>982
ご指摘サンクス、銀の産出量が激増しているのは影響していますね。
貿易の手段があるのに明が鎖国しているのは、収益機会の損失ですからよね。

日本で銀の産出量が下落を始めるのは、名君と呼ばれる徳川吉宗の時代です。このアホタレの就任直後から一気に生産量下落が始まります。
鉱脈が尽きたというのが公式な理由ですが、半分以上嘘です。鉱脈はやや深いながらも、まだ残っています。
経済を引き締める場合、通貨の供給を減らすのが有効ですから、新規投資を細めたのですね。

秀吉の時代は、経済を拡大する意思も手段もありながら、貿易圏を拡大できない不満があったのでしょうね。
倭寇は政府の規制を非合法にかいくぐる集団。海賊か商人かは、単に政府の解釈の問題ですから、
貿易ルートが確定すれば海賊は減り、政府に公認された水軍が増えるわけです。
ところで、銀の流通は中南米を領有するスペインも含んだ、全地球的な問題になってきますよね。面白いです。
987儒学者:03/03/28 13:46 ID:MLwqbXqF
>>977
つまり、私が言いたかったのは、古来より日本人にある野蛮な性格が
いつまでたっても改善されなかった為にこのような悲劇が起こった、
と言う事を言いたかっただけで、そのURLはこのスレタイとは直接
関係は無い。
>なにか有益な資料があるんなら、内容と短評を付けて直リンして欲しいが?
そ ん な 物 は 無 い
988 :03/03/28 13:47 ID:vk25Dxi5
>>985
先生、あなたの冠に小便してもよかですか?
989ミ・д・ミ:03/03/28 13:50 ID:ELhIj3OU
>>なにか有益な資料があるんなら、内容と短評を付けて直リンして欲しいが?
>そ ん な 物 は 無 い

無 い な ら 書 く な 
990 :03/03/28 13:52 ID:vk25Dxi5
>>987
つまり自分が学匪だとおっしゃる訳ですな。
藤原せいかという表記は「せいか」が読み替えできなかったので
変換できなかったとお見受けいたしますが如何に?
991:03/03/28 14:06 ID:02TDXMCV
>>985
レスどうも。
朝鮮の文化については日本での資料が少ないのですが、朝鮮の濃厚な影響を受けた江戸期の文化は参考になるでしょう。
・足るを知る文化
・長期安定型社会体制
・儒教文化
・医薬学や鉱山技術

儒教を再構築した江戸期の文化とは異なりますが、共通項は多いですね。
身分制度の再定義や、武家的道徳観の成立には朝鮮からの影響があるといえるでしょう。
百姓からの収奪とも解釈されがちですが、足るを知る道徳観は諸藩や幕府が宣伝した価値観です。(参勤交代で経済の苦しい大名領のほうが一揆は多かったが・・)
復活した李朝と江戸幕府はほぼ同時代に同じような構成要素を有したのですが、文化の発展は大きく異なりますね。

一点、鉱山技術には異論があります。
吉宗の例でもお分かりかと思いますが、統制経済の下では鉱山は衰退します。
朝鮮でも李朝政権下では鉱山は衰退しました。自由経済を好まなかった結果です。
992 :03/03/28 14:11 ID:vk25Dxi5
>>991
・・・信じちゃうからお止しなさいって。
993 :03/03/28 14:46 ID:ZCVqjUUL
このスレって結構前からあるけどスレタイが漢字ばかりで避けてたが…。
良スレだってのに気が付かなかった!
994もうお腹いっぱい:03/03/28 14:57 ID:9ZE/ASB1
1000!
995ポンセ ◆PONSEiJl.6 :03/03/28 14:58 ID:bsuqJqye
1000
996 :03/03/28 14:58 ID:gziLcbcq
漏れも、タイトルを見て、釣りと煽りと罵倒スレかと思ってた。
997奈菜氏 ◆.1mi5a5bXM :03/03/28 15:00 ID:oKr0hh/s
1000かな?
998 :03/03/28 15:02 ID:a5Fx/L2t
↓999&1000どうぞ
999 :03/03/28 15:03 ID:UK2luPFk
999
10001000:03/03/28 15:03 ID:UK2luPFk
1000
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。