1 :
おさかなくわえた名無しさん:
3 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/26(日) 19:39:47 ID:3dnR58d2
>>1乙
正月になると、車にしめ飾りをつけていたのはいつまでだったか。
今でもつけてるわぃ!@(・●・)@
>>1乙!
昭和時代の海外のガイドブックを観てたら、「ナイトスポット」という節があって、
ちゃんとしたバー(飲み屋)やディスコの紹介と並んで、女を買える場所の情報まで
しっかりと載ってた。
通りや店の名前と言った具体的なものまでは書かれてなくて、
「××の地区の裏通りなどにはその手の店がある」
「ボられる可能性もあるので、現地の然るべき案内人でもいない限り近寄らないほうが無難」
みたいな、ややぼかした形で書かれていたけど、そのつもりのある男声旅行者を
焚き付けている様にしか読めない書かれ方だった。
同じ地域の、最近のガイドブックも出版社違いで何冊かあるけど、それらには
バーやクラブのコーナーはあるが風俗系の記述は欠片も無い。
(風俗店がなくなった訳ではなく、その地域で存続していることはネットで確認済み)
今そんな情報が一般のガイドブックに載ってたら、抗議殺到するんだろうけど、
こういう時代もあったんですね。
6 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/27(月) 11:02:30 ID:gbfDjsNg
ヌードショーのポスターが撤去されたのは寂しかった。
昭和40年代は「スナック」というと現在のカフェのような存在で洒落た雰囲気だったが、
現在は「近所にあるけど常連多そうで入りづらい簡易居酒屋」という感じ。
8 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/27(月) 21:27:18 ID:qjJnsz1y
トルコ風呂。
今はキャバレーっていうと、ピンサロのイメージが強くなったようだけど
昭和40年代は、バンドが入ってるような豪華な所だったな。
10 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/27(月) 21:49:43 ID:9rYujQwf
>>5 それ位の情報で抗議殺到するかよ ロリ買はここで!とかならそうなるだろうけど。
今でもそういう記述のガイドブックは普通にある
旅行人やロンプラなら解るが
11 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/27(月) 21:57:50 ID:b16xfdKd
90年代のロンリープラネットにも
「レッドゾーン」て記述があったよ
「赤線」と同じ意味かどうか知らないけど、逝ってみたらそういう場所だったよ
信じられないだろうけど、カラオケは無かった。
カラオケがキャバレーを殺した。
キャバレーのバンドも幕間に出る芸人も仕事を失った。
ケーシー高峰(いまも現役だぞ)なんて芸人は、いまみても面白い。
>>8 そのクレームで特殊浴場組合は素早く「ソープランド」に改称
逆にトルコ国民からの好感度をアップさせた
明治時代のトルコ軍艦救助と合わせて、強力な親日国になった
ビン入りのファンタの自販機は
手を入れれば抜き取れたらしい
>>12 カラオケが出てくる前は、
グランド・キャバレー(ほぼ絶滅)では生バンド
スナックではジュークボックス
居酒屋では「流し」が来てたな
>>13 トルコからの留学生が「おお、母国トルコの名を冠している」と感動して入店し
あまりにも破廉恥だったのでショックを受けて、トルコ大使館に訴えたんだよね。
で、新聞沙汰になり日本国政府っていうか、組合が即対応…って流れだったね。
「今夜は最高!」の中で、斉藤晴彦がトルコ行進曲の替え歌で
そこらへんの流れを唄っていて、大爆笑した覚えがあるw
「ロマン風呂」は何故定着しなかったのだろう
>>14 取れたね。やったことある。(盗んでないよ念のため)
>>15 グランドキャバレーは鶯谷にも数店残ってんだけど無くなっちゃったねぇ。
ワールドとかスター東京とか。ワールドは今はダンスホールかな。
親がスター東京で山本リンダのショーを見たとかな〜り昔に話していたわ。
ハリウッドとかロンドンはまだあるのでは?
80年代までは、地下鉄有楽町線の車内広告に
しびれるキャバレー日の丸
があったね
カラオケ747の前身は
スチュワーデスのコスプレ・アルサロだったなw
>>14 それで手を挟まれて抜けなくなってレスキュー出動というお笑いもあったな
>>13 ルートコはよく使ったが、プーソとはあまり言わない事実。
チャンネーとかw
ギーミのチャンネーのツーケはカイデだなあとか言ってたっけ w
ザギンでヒーコーでも飲むか
パイオツがカイデーw
そういえばアイスコーヒーはレイコー、クリームソーダーはクリソー、などといったものでした。
レイコーは関西?
アイスコーヒーはアイコだったな
クリソ レスカ アイミティー
コーラ+カルピス
スーシーでもターベーにーイーコーかー
コーマン
ポコチン
ラジオで、いつでも夢を・キリコのタンゴ・etc・・・昭和37年ころの特集をやってます
昔は、クリスマスが終わると
すぐに年末の準備を始めたなぁ。
うちだと、クリスマスが終わったら
築地や上野に買い出しに行ったっけ。
元旦の街の中はガラガラでさ。
お年玉を遣おうにも、おもちゃ屋が休みw
今はスーパーが早くからやってるからね。
っていうか、コンビニは年中無休だし。
33 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/29(水) 05:33:41 ID:wcwWyaLw
年末になると、テレビでゴジラなどの特撮物の放映があって楽しみにしていた。
いつも夕方にやっていたような記憶がある。
年末のテレビといえば深夜のビミョーなエロ映画が楽しみだった。
ATGの邦画とかイタリアの性の手ほどき物とか貴重なオカズだったなあ。
今、テレビで年の瀬を感じるとすれば、個人的には
いつもの時間にいつものニュースをやっていない、ということくらいかな
この頃はテレビやラジオが先に年末休みモードに入ってしまうよね。
以前は除夜の鐘が鳴るまで必ず生放送だったような記憶がある。
元日の午後から三が日はテレビで働いているひとの休養期間と
思えたけど、いまは先に休んでしまうかんじ。
昭和の終盤頃から、社会人のお正月休みは4日までが多くなってたけど
昔は3日までで、4日の初出勤は女子社員が振り袖でしゃなりしゃなりとだったね。
あれって新春挨拶みたいなもので、半ドンで終了とか聞いたような気がするけど
男性社員も半ドンだったのかな。本当のところはどうだったんだろう。
完全に地デジになったら、ゆく年くる年のカウントダウンもしなくなるんかな。
四日は顔合わせで仕事はしなかった。
午後は取引先への年始参りをしたなあ。
彼女たちは年始参りに来社する取引先を迎える役目だった。
五日は一日を年始参りに費やしたっけ。
女子社員は結婚相手を求めて会社勤めをする的な
風潮があったから、彼女たちは会社での立ち振る舞いが、
いまの女性社員とは違った意味でしっかりしていたように思う。
昭和42年生まれ23区内育ちなんだけど小学校時代雨の日以外は休み時間は外に出て遊ばないといけなかった。
授業が始まる前にちょっと自由時間みたいのがあったんだけどその時も強制的に外に出される。
晴れや曇りの日は「外遊び」天候の悪い日は「内遊び」と呼ばれてて
正面玄関のところに「外」「内」と書いた木の札みたいので表示されるようになってた。
教室でゆっくり本を読んでいたかった私にはものすごく迷惑な習慣だった。
しょうがないので玄関脇の階段とかに座って本読んだりしてたけど真冬は辛かった…。
こんなヘンなことやってた学校って他にもあるんだろうか?
>>40 文京区の方?
休み時間は外にいようが中にいようが自由だったけど、
給食は残さず全て食わなきゃならなかったね。強制というか拷問。
時間内に食いきれないと放課後残される。
しかも教室の掃除の最中、ホコリの中で食わされるという。
俺はなかったけど、泣きながら食ってることか誰かしらいたよね。
今だったらPTAから速攻でクレームくるんじゃないの?
某県なんざ、登校前、昼休み、放課後にほぼ強制的に校庭を何週もさせられたぜ
日本地図一周を目指して塗りつぶして行く
まあ今思えばあれで体力がついたとは思うけど。
小学校の時、校庭に大きい赤丸と白丸の看板があった
光化学スモッグが出ると赤丸で外で遊んではいけなかった
とにかく給食を全部食わすことに執念燃やす先生(たいてい女性)いたなあw
とにかく「子供は風の子」を信じて疑わない先生どもw
半袖半ズボン(女子はブルマー)が強制で、風邪気味でもないと上着を着ることすら許されない雰囲気だった。
マラソンの時だけは手袋はしていいことになってたが、だったら長ズボン(ジャージは当時は高級品で子供の体操服にはなかったはず)履かせろよ!と思った。
長ズボンの体操服はトレパンと呼んでいたような気がする。
俺はアルミの椀で脱脂粉乳な世代だけど、
あれを旨いといって呑むやつがクラスにひとりいたなあ。
アベ、元気か〜
牛乳瓶に入った脱脂粉乳が給食の替わりに出たなあ。俺は旨かったので、要らない
というクラスメイトのを何本も飲んで、ものすごいロケット下痢になった。
美智子様と皇太子(当時)のテニス風景も、殿下はトレパンだった。
49 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/30(木) 07:53:59 ID:z6LUQjog
トレパンってオムツからパンツに移行する前に幼児が履くあれか
え?
今でも国体の開会式とかで大会役員みたいなおっさんたちがはいてるよね。
国体の開会式ってものすごく昭和の匂いがするよなぁ。
国体、全国最後の開催県は鳥取。
タッチでみなみが来てたはず。
52 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/30(木) 15:20:47 ID:OzeORAGK
国体は田舎の地元にとっては大イベント。それまでは汚かった駅とかが綺麗になり、揉めに揉めて建つはずの無かった建築物が建ったりする。
地元民にとっては、ありがたくて盛り上がるイベントのようにガキの頃に思った。
53 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/30(木) 15:46:03 ID:JKebX5ee
国体道路
54 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/30(木) 16:18:14 ID:zMeO436Y
人前でSEXする度胸さえあれば、白人と3千円で何人でもやれた(まじ)
まな板か あれ人前で度胸というよりはりっぱな道具持ってる自慢の
ハゲのおっさんとかがいさぎよかったな
西船OSに通ったなぁw
ゴムつけられた瞬間に逝っちゃったおっちゃんがいて
場内大爆笑になったことがあった事を思い出したよwwwww
58 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/30(木) 18:33:16 ID:zMeO436Y
マナ板も随分前に絶滅したが、全国津々浦々舞台に上がったワイ。
沖縄で女米兵や女子大生の前ではめたのは良き思い出。
今はハプニングバーぢゃよ。
ほひょひょひょひょ
>>49 「海外で通じない/変な誤解を与える和製英語」の代表だったと思ったら、
すでに和製英語としても死語なのか?>トレパン
そういえば46年宮崎生まれだけど、
ポルノ映画の乳丸出しのポスターが
街の至るところに貼られていたなぁ。
子供心にドキドキしながらチラ見していた。
この時期の深夜はドリフターズやクレージーキャッツのドタバタ映画をよくやってたな
63 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/30(木) 22:57:42 ID:B1shd+KC
最近の年末年始番組って、制作側が休みを取るための
時間潰しのヤッツケ感しか感じない。
正直、いつもの番組がいつもの曜日に見られるほうがありがたい。
紅白も、ヒットどころかレコード出してない歌手が毎年出られたり、明らかにオカシイ。
レコード大将もなんかなぁ。
あ、でも「かくし芸大会」は、どこがかくし芸?って白々しさを感じてて
見るのボイコットしてたけどな。
たのきんとかに熱上げてた女子なんてなんだっったんでしょうね?
これじゃネットにとられるよ…。
しかしこのご時世にもかかわらず、テレビ大阪では「猿の惑星」全作品を帯で放送するよ!
この勢いでエマニエル夫人とかやってくれないかなー
65 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/31(金) 07:01:44 ID:qxXT6os7
たのきんの主演映画ってあったよね。ずっと以前放送されたのを見たけど、そりゃ酷かった。
>>64 なんと正しい選択w
芸能人どうしが遊んでるような番組よりも「猿の惑星」のほうが何百倍も面白いに決まってるわなあ
68 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/31(金) 10:24:16 ID:MIW1zYwI
大晦日は、
レコード大賞→紅白→ゆく年くる年(全民放共同制作)→猿の惑星他深夜映画
が定番やった。
69 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/31(金) 11:31:55 ID:EKRWJMBQ
自分が中学生くらいの頃、普通預金でさえも年利3%で、
高利回りの定期や投信の中には年利7〜8%くらいのものも結構あった。
1千万預けておけば1年後に70万程度の利息がついた。
70 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/31(金) 12:03:54 ID:03Lmwtvc
自宅でリアルに餅つき。
延々流れる企業の年賀CM。
羽子板。
コマ回し。
奴凧。
おもちゃ屋の1番上の棚に鎮座するプラモ。
爺さん婆さんは存命だった子供時代は、年末に上野から
寝台車で青森へ行って、正月を青森で過ごした。
高校生になるまでそうだったので、そのころの東京の正月を知らない。
そのかわり、雪の正月を知ってる。街中でも雪があると静かだったなあ。
いまはみんな居なくなってしまって、ただ年末年始が自分のまわりを
通り過ぎて行くってかんじ。明治神宮へ行くくらいか。
以前にも話題にあがったけれど、喫茶店の正月料金ってのが凄かったなあ。
歌舞伎町の喫茶店では珈琲か紅茶に小さなケーキがセットのメニューしかなくて
800円だったことを覚えている。
マクドナルド1号店が銀座にできたってころで、ファミレスもない。
歓談できるところは喫茶店しか無かったから、高くてもどこも混んでいたよ。
正月に京都の喫茶店で飲んだオーレが正月料金で倍の値段の800円だったことがあった(´・ω・`)
自宅で親戚一同集まっての餅つき
一度だけやった事があったが楽しかった
40年経っても鮮明に覚えているんだからなあ・・・
多分親連中が「子供らの為に一丁やったるか」ってノリだったんだと思う
一回だけだったしそれまでもその後もやらなかったし
でも感謝している、できれば我が子にも体験させてあげたいが・・・
学校で行事としてやってくれることがあるらしいけど、
家族親戚近所でやる、というのは気分がちがうのだよなあ。
大晦日は子供が夜更かしして映画見ても許される数少ない機会だった。
昔は除夜の鐘が聞こえた。
新宿に「深夜喫茶」があったっけな〜。
ひからびたようなトースト食べ放題でさ。
今の24時間やってるファミレスとかではなくて、もっとこう
なんかうらぶれたかんじでさ。
始発待ちの学生やサラリーマンが爆睡してたっけ。
>>76 当地、記録的な大雪なんだが、そのため車がほとんど通らないこともあり、
昨夜は日付が変わる直前まで、近所の子供たち総出で道路で雪合戦してたわw
80 :
【大吉】 【299円】 :2011/01/01(土) 10:04:52 ID:/sgI6kJj
>>79 知事が自衛隊に災害派遣を要請した場所ですか?
>>80 正解
ほのぼのとしながら寝床に入って、起きたら家から出られませんw
玄関先や自分ちの前は雪かきしたけど道がなあ……
サンパチ豪雪の記録を塗り替えたそうだからしかたないけど
もう何年も「最近は雪が積もらなくなったねえ」なんて言ってたバチが当たったのかね?
>>78 トースト食べ放題、あった
なんかトーストが時間が来ると定期的に出てきたような喫茶
でも、すごく楽しかったよ、そこで友達と話すの
84 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/01(土) 21:29:23 ID:1Qp1UlQR
自転車を大事にしていたよな。
後輪の泥除けに住所氏名と電話番号
年末はもちろん普段から自転車を雑巾で拭いてきれいにしていたし
正月には自転車用のしめ縄もあった気がする
85 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/01(土) 21:31:05 ID:gTf+SLIe
川べりに生えている雑草をよく食べたっけ
86 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/01(土) 21:33:28 ID:gTf+SLIe
ポケットに入れて公園の水道であらって筒になった滑り台の隠れて食べてた
87 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/01(土) 21:35:50 ID:gTf+SLIe
おなかがへって仕方なかったんだ当時は
筒になった滑り台の中で寝たり、石でできた滑り台の下に草をしいて寝てた
88 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/01(土) 21:37:47 ID:gTf+SLIe
学校にもいかしてもらえず、ただただ、日々を過ごしていた
気が付くともう72才、時代は変わっても私は何も変わっちゃいないよ
>>85 道端のスカナ(イタドリ)は定番おやつだった。
季節によってクワの実や栗などもあったけど。
「トースト食べ放題」といえぱ池袋西口 地下にあった「蔵王」
皿が空くとすかさずトーストを入れる無愛想でケバいウエイトレス。
ほとんど「わんこトースト」
客は金無くて朝まで居場所のない
ロサ会館で飲んだくれた第四学区の都立高校生ばかり。
バターは高級品なのでマーガリンだった。
マーガリンはそんなに安かったのかなあ?
いまのマーガリンとは味がちがうけど。(不味かった)
バナナがものすごく安いと気づいたのは大学時代。
高級品だと思い込んでいたから驚いたっけ。
イチゴはいまのように甘くなかったからコンデンスミルクつけて食べた。
いまのイチゴはそのままで甘いし、イチゴとはおもえないくらい
巨大なのがあって驚く。バカボンパパの鼻のような形なの。
ヨーグルトも酸っぱかった。いまのヨーグルトは酸っぱくない。
トマトジュースも酸っぱかった。
酸っぱいものが無くなったような気がする。甘みを求めた結果なのかなあ。
果物の中で昔と一番味が変わったのは、夏みかんだと思う。
昔の夏みかんはそりゃもうすっぱかった。そのままでは食べられないほどだった。
今は改良されまくって随分甘くなったけど、逆に昔のすっぱい夏みかんが懐かしい。
>>92 ポンジュースも甘くなってない?
昔の方が強烈に酸っぱかったような気がする。気のせいかな?
トマトの変わりようといったらもう・・・
>>90 蔵王は6-7年前に閉店したね。
文芸座でオールナイト観て、中途半端な時間に放り出されるとよく行った。
マンガはもちろん週刊誌月刊誌がほとんど揃ってて、
70年代後半はビッグパフェ・ブームに乗って、金魚鉢パフェを出し、
80年代半ばはカフェバー・ブームに乗って、モニター増やして
MTVを流してたが… 中身はTVKのMTVをダビングした画質劣化ものだったなw
でも、内装は70年代の純喫茶のまんまなんだけどなw
あそこの名物はマスター。長身でつるっぱげの。
凄く慇懃な応対をするけど、怒らすと怖かったんだぜ?
無銭飲食とか暴れる奴には毅然な態度…
っていうか、どこぞの暴力団ですか?ってな態度で追い出してたw
ヤンキー丸出しのバイトも、あのマスターにだけは逆らえなかった。
バイキング(今はブッフェのほうが主流かな)という方式が登場したときは目を疑った。
そんなことしたら飢えた狼どもが殺到して食い尽くされるじゃないかと・・・
自分がS30年代の腹ぺこ感覚だっただけで、飽食の時代はすぐそこまで来てたのね。
自分はどうにか学習したけど、同年代の知人は今でも山盛りごちゃ混ぜに取ってくる。
桑の実で思い出したが、今の子供はサルスベリの蜜を吸ったりはしないんだろうな。
サルビアの、ではなくて? サルスベリじゃ登るのに苦労しそう・・・
99 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/02(日) 09:51:12 ID:BAh8/UXy
そういえば、門松の竹の切り口が一時期水平になってたことがあったな。
水平に切る「ずんど」が堅気の家で、斜めに切って腹が白いと
見せるのは水商売の場合だけど、いまじゃ銀行でも「なかしろ」(「そぎ」とも)だと
永六輔との対談で鳶の親方が笑っていたのを読んだことがある。
堅気の家で斜めに切ってあるのを飾っているときは、訳ありなのだと。
もっとも、東京の下町方面では竹でなく笹をつかうのがデフォなのだ。
斜めに切って3本束ねた門松が日本中で使われているとすれば、
それはテレビの影響なんだろうなあ。
こういう風習は地方によってちがうはずだもの。
バラエティー番組の合間にはアイドル歌手とかが出る歌のコーナーが必ずあったなw
>>100 昔から江戸(山手線内側、朱引の内)では「削ぎ」が主流。
理由は、削ぎは徳川家康が始めたとされるから。
武家も町人も一軒家住まいは削ぎを飾る。
今で言う東京でも山手線の外側(朱引の外)は「寸胴」が主流。
ちなみに笹を使うのは、長屋住まいね。
永さんの著書には市井の人々から話を聞いてまとめたモノが多いんだが、
ただ聞いた話を載せているだけで、検証してないの多いんだよね…
103 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/02(日) 15:49:32 ID:s/dNJ7Kc
>>101てんぷく笑劇場と減点ファミリーの間の、歌手の歌が印象深い。
昭和には、いろんな人がレコードを出していたな。鶴光とか野球選手、相撲取り、将棋棋士、アナウンサー。
>>63 >たのきんとかに熱上げてた女子なんてなんだっったんでしょうね?
それ私だ・・・。今では信じられないことだが田原俊彦が好きだった。
たのきんよりも、当時出始めたばかりの戦隊物のイケメン悪役の方が好きだったなあ…
メギド王子は、今見ると、関ジャニの村上信五に似てた
106 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/03(月) 10:33:36 ID:q8qzupS4
昭和の頃はバターケーキやロシアケーキが幅をきかせていた
大人になってから、上質のクリームを使った本当のバターケーキを食べた。
味の違いにびっくりした。
昭和の頃のバターケーキってひたすら甘くて、買ってから一日も経つと妙に
固くなってしまって食べ辛かったなあ。
現役アイドル多数出演の水泳大会が懐かしい・・・
>>107 昔のバタークリームはショートニングがメインだったからね。
いいバターで作ったのはもう別物だよね。
水泳大会にはおっぱいぽろり要員がいたよねえ。
松本ちえこがぽろりした年の会社の新宴会(バブル初期)に
彼女が賑やかしに出てきたら、あれは自分じゃありませんと言っていた。
芸能界の厳しさをかいま見た気分だったよ。
痩せ型というか、ごく普通に中肉中背だよね
昭和の頃は大体こんな感じのプロポーションが多かった。
例外はキャンディーズのスーちゃんぐらいだったかな、典型的なぽっちゃり
タイプって。
その後に榊原郁恵、河合奈保子といったグラマーな健康美アイドルが出てきて
今に至る巨乳アイドルの流れが出来た感じだ。
宮崎美子、榊原郁恵は特殊部隊だ。一緒にしてはいけない。
デビュー当時、アグネスチャンがさらしで胸を押さえていた
という話しは、日比谷公園の鳩がうまそうだというのと並んで有名だね。
いまの子は異様にに細いように感じる。
子供だった俺にはチャフラフスカはおばさんに見えたけど、
いま見ると魅力的な体の女性で美しい。
115 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/03(月) 16:06:50 ID:pp8TDrGc
郁恵ちゃんのビキニで夢精したのがはじまり
>>115 二人ともジョージ秋山の描く女体みたいな体つきしてるな
>>109 確かに。
ついこの間、池袋西武のケーキ屋さんに「バタークリーム」のケーキが出てて、
「バタークリーム」=「まがい物の安物」
というイメージしかなかったんで、だまされ覚悟で買ってみたら、ものすごくおいしかった。
嫁さんが駅前の「タカセ」のバタークリームのデコレーションケーキをほしがってたんで、
今度買ってみようかと思ってます。
>>119 >嫁さんが駅前の「タカセ」のバタークリームのデコレーションケーキをほしがってたんで、
旦那の知らないところですでにバタークリームのうまさを
知っていた・・・と _φ(・_・
若い男の影が・・
「ツバメ」って最近も言う?
写真を写す時、被写体が3人で写してはいけないってな事があったよ
>>121 子供の頃に食ったとか、結婚前に食ったとか友達にプレゼントされたとかもあるがな。
>>123 霊柩車を見たら親指を隠す、なんてのもあったね
今は宮形のわかりやすい霊柩車が消えつつあるから伝承されにくい
自治体によっては火葬場に宮形霊柩車の乗り入れ禁止ってところもあるというし
>>125 え、そーなんだ! 死んだらあれに乗るんだーって楽しみにしてたのに。
周辺住民が嫌がるからということらしい。
外国人観光客が、取り囲んで写真撮ってたそうですww>宮形霊柩車
>>126 127氏も書いてるけど、住民から反対運動みたいなものが起こるところがあるらしいね。
かつては郊外にポツンとあった火葬場も、今では近くまで住宅街が広がってきていて、
そんなところに家建てるからやんけ、と思うんだけど、宮形でなければ困るって点はないしね。
もちろん出棺の時点で目立ちたくないという要望もあるんだろう。
生きてるうちに喪主として助手席に乗ったよ・゚・(ノД`)・゚・
ああ、歳とると助手席に乗ることになるよねぇ。
俺は母親の時に乗ることになるなあ、考えると憂鬱だわ。
火葬場じゃなく葬祭場(通夜とか葬式とかをやる場所)も、
霊柩車・棺・喪服を日常的に目撃することが近隣住民の
ストレスになるからという理由で反対運動が起きるよね。
私企業でなく自治体が運営するものでも反対運動が起きる。
嫌だという気持ちも理解できんではない。
俺なんか既に3回も乗ったよ、霊柩車の助手席。母方の祖父の時と両親の時で。
祖父の時なんか、当地には「喪主は男」って感覚があるもんだから母じゃなくて高校生の俺が喪主だった。
昭和のころの火葬場は火力が弱かったから、祖父の時は終わるまで時間があくからいっぺん帰宅したけど、
両親の時は建て直したあとで火力がアップしてたから、ロビーみたいなところで待って連れて帰れたね。
庭(庭園というべきか)に出られるし絵本なんかもあるから子供も退屈しなくていいんだ。
火葬場じゃないんだが、近所に大規模な養鶏場があった。
ここ数年で周辺がどんどん宅地化して、とうとう臭い・五月蝿い・汚いと
新興住民の反対が起きて経営者が高齢だったこともあって
結局廃業に追い込まれた。そういう場所だとわかって住むことにした
はずなのになんだか納得しづらい。
寺(墓地付き)と神社と葬儀場の間を抜けないとどこにも行けない場所に住んでるけどストレス感じたことなんかないぞ。
そんな風に火葬場とか葬儀場を追いやって、自分はどうやって死ぬつもりなんだろうなぁ…。
その反対運動してたやつらだって、普段は鶏肉や卵食べてるんだろうにねえ
土葬再評価
若い頃、墓地はなんだか嫌だった。
いまは墓地をみてると気持ちが穏やかになる。
最近は墓地も明るく広くて、マンガにあるような陰気で暗い雰囲気はないよな。
以前「ココが変だよ日本人」に出てたカンボジア人が、
「カンボジアではお墓は神聖な場所。日当たりはいいし、夜は静かだし、治安もいい。」って言って、お墓の隣の土地を安く買ってマイホームを建ててたのを思い出した。
修学旅行の時のバスガイドさんが言ってたけど、霊柩車を目撃した人は運勢がよくなるそうな。
昔から「墓の見える家は栄える」と言うしね。
周囲はだいたい静かで環境がいいし、墓地は滅多なことではなくならないので
後から高い建物が建って日当りや景観が変わったりしない。
欠点はお盆やお彼岸になると線香の煙がもうもうと立ちこめて煙いんだw
線香の匂い、嫌いじゃない。
心が落ち着くっていうか…。
さ 砂糖
し 塩
す 酢
せ 青雲
そ それは
>>137 言われてみれば、今は怖くない!むしろ落ち着く。不思議だ。
>>143 せ=しょうゆ(せうゆ) そ=味噌 だよ
まさかのマジレスwww
いや、これは「必ずレスが貰える・・・」の類かもしれんぞw
プロポーズの時には100万越えの指輪を渡しながらするものだった。
しかもその値段は3カ月分の給料だった。
>>149 あれ、なぜなのか理由を調べてみたら「きちんとした職業にあるか」「ちゃんと金銭管理出来てるか」
を調べるためのものなんだって。>三カ月分
映画上映前のあのCM好きだったなあ。
「あのっ…!」
「象って大きいですねえ」
>三カ月分
あれは単にデビアスの捏造でしょ?「土用の丑の日にはウナギ」みたいな。
153 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/07(金) 16:13:03 ID:sFpOOCQN
>>152 捏造じゃなくて
日本人に屑ダイヤを高値で売りつけるための「陰謀」でしょw
小学生の頃、ちょうどボウリングブームで
テレビでボウリングの番組観るのが大好きだった
律子さんのパーフェクトも覚えてるよ
長原京子プロが好きだったな
そういえば映画行くとロビーの片隅でやっていた
絶対に当たるクジ→「おめでとうございます」と
宝飾品、アクセサリーを「特別価格」で買わされるインチキ商売って今でもあるのかな。
あとは通路を売り歩くアイス、お菓子の売り子オバサンとか。
繁華街での「何回も映画鑑賞可能なチケット」を押し売りするキャッチセールスも。
新手のヤツがあるだろ。
胴元がドンドン吊り上げていくオークションサイトや
最初から、店側が損しない、ありえない高値で定価を設定しておいて
購入者がまとまれば半額だ、なんていっているクーポンサイトとか。
お米持ってくとポン菓子にしてくれるおじさんいたよね
昭和でも平成でもああいう詐欺まがい商法は減らないねw
ひっかかる人も常に一定数いるんだな。
159 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/08(土) 00:12:04 ID:204PPPcU
ロードショーやってる映画館の近所のタバコ屋で、前売り券売ってて、
その券買って安く映画を見たな。
小さな地方都市のわが故郷にも
小学生のころまでは映画館が存在したなー
東映まんが祭りが楽しみだった
火を噴くゴジラとか、モスラを呼ぶザ・ピーナッツも
この映画館で見たよなあ
>>159 うちの街では、そのたばこ屋プレイガイドが健在だす。
タバコで思い出したんだか、この間映画版の「華麗なる一族」をビデオで見てビックリ。
今って、演出上特に必要とか、あとでそれが犯罪捜査の鍵になる、とか言う理由でもない限り、映画やドラマの登場人物がタバコを吸うことってないじゃん。
「華麗な根一族」の中じゃ、社員食堂だろうが上司の前だろうが客先だろうが車の中だろうが、男はもちろん、愛子までもしょっちゅう紫煙をくゆらせていた。
163 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/08(土) 10:28:28 ID:yNFmqvL8
>>161 ちょっと伝わらなかったみたいだが、今現在上映中の映画の前売り券を売っていて、
映画館の窓口で買うより、安く買えたと言う話なんだ。結構アバウトな時代だった。
>>163 それ、最近まで探せばあった。
渋谷の東急の上の階にあったプレイガイドで、上映中の前売り券がある時は買ってた
5年位前
今はもうない
165 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/08(土) 11:46:56 ID:kuyWKTUj
REXとか十五少女漂流記とかの入場券は、上映中なのに300円くらいで売ってたな。
>>163 自分が言ってるのも、まさにそれです。
こちらこそ書き方が下手ですまん。
現在でも、バリバリに上映中の映画の前売り鑑賞券を売ってます。
角川の社長が逮捕さたのはREX中だったっけか。
夏休みの夜に、小学校のグラウンドで映画を上映してた
>>162 昔のドラマ「白い巨塔」でも、みんなタバコ吸いまくりだったよ
>>168 あったね、そんな上映会。
大きな蛾とか飛んで来て、あちこちで女子が阿鼻叫喚w
170 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/08(土) 13:25:29 ID:d7+0toim
授業中に教育テレビの人形劇を見ていた。
今もあんなのやっているのだろうか
80年代、「ぴあ」で都内とは外れた周辺都市の映画館が
最新作でも2本立て上映は羨ましかった。
併映作が微妙なのも多かったけど。
まあ当時、都内の最新ロードショー館でも東映東宝は2本立てが普通で
菅原文太の「トラック野郎」とか観ていたけど
最新作の洋画2本立てを上映していた横須賀などが羨ましかった。
2本立てって、昔は、テレビで流れる映画並みにカットされてたこともありましたね
今はどうなんだろう?
2本立ては、たいてい封切りが終わった後に専門の映画館に流れてくるものだから、
封切りにあるような興奮がないし、館内で買えるのはプログラムくらいでグッズを買う
楽しみがないし、人の好みにもよるけど、良し悪しだと思う
よほど割り切った映画好き向けだったんじゃないですか
173 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/08(土) 14:16:09 ID:d7+0toim
ブルースリーの映画と「カタストロフ」を同時上映で見たなあ。
カタストロフは今では放送禁止だろう。
田舎の映画館じゃ、封切りものでも、なんだか中途半端な作品と抱き合わせの二本立てが基本だったよ。日本映画はとくに。
中学生くらいのころ、当時のアイドル映画といっしょになんだか不可解な映画を見た記憶がたくさんある。
後年調べるとそれがATGとかの難解だけどマニアの評価の高いやつだったりとかした。
>>170 今は、「ざわざわ森のがん子ちゃん」というタイトルです。>人形劇
低学年向けの、道徳カリキュラムですよ。
>>171 東映は、プログラムピクチャーといって、二本立てが普通でした。
(東宝はどうか知らない)
一時期はまって見まくってたことがあったけど、物すげえ幼稚でワンパターンな筋立ての映画で、
(いや、それが悪いって言ってるんじゃないのよ)「ああ、中卒ブルーカラー向けの娯楽映画だなあ」
って感じた。
そういや、「トラック野郎」シリーズが終わって翌年のお正月映画は「サイボーグ009 超銀河伝説」
で、ちょうどその頃から、社会の中心を高卒が占めるようになって、プロピクも役目を終えて終焉を
迎えたと記憶してる。
社会の中心を大卒が占めるようになった頃、アニメブームも宮崎事件と共に終焉したなあ。
>>173 カタストロフとかアメリカンバイオレンスとか、あのテの映画好きだったなぁw
テレビでも「決定的瞬間スペシャル」みたいのとか事件特集とかを良く見てた。
ああいう映画や番組で良く出て来たスタントショーって今でもやってるんかな?
火をつけたバスの中にバイクで突っ込んで脱出みたいなむちゃくちゃなのあったよね。
↑これは確か失敗してスタントマンが死亡した。
>>175 プログラム・ピクチャーなんて単語もご存知のインテリ様が
学歴差別的見解はいかがなものでしょう?
邦画は、'60年代まで撮影所システムと映画館直営システムの関係で
人間を余らせるぐらいなら、とりあえず映画つくっておけって感じだった。
'60年代後半になって労使紛争から撮影所システムが崩壊すると、
映画会社が直接製作する年に何本かの大作以外は低予算二本立て中心。
「邦画は暗くてセコくてダサい。洋画しか映画館に観に行く価値無し」となった頃、
'76『犬神家の一族』、'77『人間の証明』にて角川映画が派手な宣伝でひっくり返し、
二本立て中心だった邦画界に大作ブームを巻き起こす。
(結局、角川映画も末期は角川三人娘絡みの二本立て路線に落ち着くけど…)
なんだかんだで、角川映画は青春だったなぁ。
今でも『蘇る金狼』『野獣死すべし』『汚れた英雄』の
主題歌やテーマを聴くと心が躍ってしまう。
>>173 『世界残酷物語』『グレート・ハンティング』ぐらいまでは
ドキュメンタリと謳いながらも、微妙に漂うやらせ臭で
作品として客観的に観れたけれども…
『ジャンク』『カタストロフ』などのニュース映像はきつかったなぁ。
『食人大統領アミン』とか『食人族』ともなると呆れてたw
今は全部ひっくるめてモンド映画ってジャンルとされてますねえ。
>>177 アメリカでは、スタント・ショーってのがあって、
サーカスみたいに人気のあるジャンルなんだよね。
本当に怪我とか死亡があるんだけど、それでも客が行くという…
日本でも70年代に、アメリカで最も有名なバイク・スタントマンである
イーブル・クニーブルが来日したんだけど、
スタント・ショーは危険すぎるって理由で警察・消防から許可が下りず、
国内では開催できなかった。
イーブル・クニーブル、テラナツカシスw
どんなことする人なのかまるで覚えてないのに名前だけはしっかり記憶している
素で入ると\1800が悔しくて、金券ショップで\1200の券を買ってましたね〜
今はその苦労も昔話のシニア\1000で映画見てます。
TOHOカードにポイント貯めて、年に2回ぐらいは只になります。
映写時間のポイントが一度も使ってないんですよね〜
>>177 東映プログラムピクチャー、好きなんですよ。
中島貞夫監督のものを見て、菅原文太を見て、梅宮辰夫を見て…といった感じで、ずっと見倒してた。
学歴差別するつもりは本当にないです。
…トラック野郎シリーズが終了して作られた映画が、世紀の大傑作「超銀河伝説」だった件については
009ファンとして、心からお詫び申し上げたい気持ちでいっぱいです。
超銀河伝説…
003って結構嫉妬深いんだな〜って事しか記憶に残ってないw
>物すげえ幼稚でワンパターンな筋立ての映画
良くも悪くも、これが東映の作風というか社風だよね。
時代劇や子供向けなんかも勧善懲悪のワンパが多い。
でも、東映が好きな人は、こういう部分が好きな訳で。
そしてヤクザと揶揄される東映の社員は旧帝出てて当たり前のエリート揃いw
007が子供の奴?
>>184 それは東映動画制作のモノクロTVシリーズ。
>>175 東宝も2本立てだった気がする。
百恵ちゃん映画を見に行ったときは確かに2本やってた。
昔は入れ替え制なんてなかったから、
一日中映画館にいるなんてこともよくあった。
お弁当持って行ってロビーで食べてると
館主さんがお茶くれたりしたもんだ。
地方の小さな館の話だけど、
高校卒業まで通い続けたその古い映画館も今はもうない。
話し好きだった館主さんはご存命だろうかと今も時々思い出す。
>>185 その前に作られた、劇場用カラー長編二本(誕生編・怪獣戦争)でもある>ガキんちょ007
植木等のサラリーマンもの映画をみると、煙草の箱を取り出して
一本どうぞと相手に差し出すのが礼儀みたいにしてるよね。
実際の社会ではともかく、映画の中ではあれが”お近づき”の挨拶
というパターンとして使われていたのだろうなあ。
微妙に漂うやらせ臭で思い出したのが、川口浩探検隊。微妙どころではないけどな。
東京12チャンネル時代の「金曜スペシャル」にもドキドキしたな。
「女体の神秘」とか、親の目を盗んで記憶に焼き付けたせいか
今でもよく憶えている。
出産に至るまでの「ヘルガさん」とか、忘れられないんだよね。
喘いでいる顔だけ映して、画面の真ん中は真っ黒になってたsexシーンとかw
めでたく妊娠したヘルガさんが、黒のレオタード姿で
母親教室の妊婦体操とかしてたんだ。
オッサンになった今、もう一度見てみたいもんだ。
>>189 川口浩探検隊の裏番組の「うる星やつら」で、探検隊のやらせを茶化しまくってた回があったときはひっくり返るかと思ったwww
昔は原作とアニメやドラマってかなり別物で普通だったよな
ABROADって旅行雑誌があった。
格安ツアーや割引クーポンが載ってた。
昭和の終わりに廃刊になって今はwebでやってんのかな?
鉄腕アトムを、アニメではなく人間がやってた番組があったな。
飛び上がるときの靴の裏の花火がショボくて・・・
謝国権の 「性生活の知恵」 を貸本屋で借りてワクワクしながら読んだ。
初めて読んだエロマンガが「くりぃむれもん」だった
今じゃあれすら生ぬるい時代になってしまった
原作と別物でも、そっちはそっちで別の世界が確立されてて面白かったな。
今のは中途半端すぎる。
>>195 初めて借りたビデオが「くりぃむれもん」だった
それをダビングして、でもってクラスの連中に貸して
俺は神になった。
月曜日:級友が「俺もビデオデッキ買ったからテープ貸してくれ」
火曜日:ビデオテープを貸す
水曜日:ヨカッタよ〜〜
日曜日:別のクラスメイトがビデオデッキを買う
でもって月曜日に戻る
今じゃ考えられないけど、こう言うサイクルだったな
恵まれた家庭の子息の生活
>>197 ちなみにどの話よ
確かに初期の頃のは良かったけど(今は大御所になってるクリエイター多数参加だし)
中期から後期は質が落ちてるのが素人目でもはっきり分かった
>>178 『カランバ』もその系統なのかな
中学生には予告(ジャッキーチェンの映画の前だったか)が衝撃的だった
ジャンクは友達の家に遊びに行ったときにパンフだけ見たけど壮絶だったな。
処刑シーンとか。あんなの映像なんかとても見るに耐えられない。
202 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/09(日) 15:49:53 ID:BBEJBsKP
同時上映か。東宝チャンピオンまつり「ゴジラシリーズメイン」とか、
東映まんがまつり「子供向け大作アニメか仮面ライダーメイン」とか、行ってたな。
いつだか、怪獣作品と同時に特撮時代劇(エロ無し)を見た記憶がある。
浪人が特殊な酒で透明人間になるやつ。
ビデオで思い出したが、当時はコンビニや安い家電量販店が勢力を伸ばす前で
田舎だったから歩いていける範囲にそういった店がなくてテープが気軽に買えず
子供がバンバン見たい番組を録画させてもらえる物ではなかった
おそらく新品のテープもそれなりに高かった頃だと思う
またデッキがクソで、ちょくちょく故障して大事なテープがお釈迦になっていた
高校卒業して下宿したとき、これで好きなだけ裏番組が録画できる!と
天国のように思ったなあ
今はようつべとかである程度見られるし、テレビがつまらないから
ほとんど見なくなっちゃった
>>203 …自分も、殆どテレビを見んようになったとです。
必ず見ると決めてる、週三本の番組がお休みの時は全く見ない。
>>203 スカパは結構いいぞ。テレビが楽しかった頃の番組もたくさんあるし、
これ入れてからもう10年以上になるけど地上波全然見ない。
矢追純一あたりが出始めの頃の
UFO、ネッシー、雪男系の番組の
ジャカジャーーーン! ジャカジャカジャーーーン! が怖くて眠れなくて
母親の布団に潜り込んだ記憶がある
208 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/09(日) 20:08:20 ID:0EPiZr8X
この映像は、1968年アメリカニュージャージー州 ○○○ で撮影されたものです。
「わしが大工仕事を終えて帰ろうとしたときじゃった 空に急にオレンジ色の・・・」
サスカッチ
ミイラの外装を剥くだけで二時間番組一本とか。
一時間半かも知れんかったが。
>>193 いや20世紀中はあったと思う
昭和の頃はそもそも格安航空券というものそのものが無かった気がする
海外では既に出回っていた格安航空券も「日本人のお客様には正規料金との差額をいただきます」とか
やってたような気がする。
火火金金火金金〜♪って歌のバイト情報誌CMがあったけど、
あの時代仕事が有り余ってて週一の発行だと情報誌に載せきれないから、週二回になったんだってね。
平成ちょっと超えるか、この話は。
>>212 フロムエーでしょ。
投書欄が結構面白かったので(ほとんどバイト探す目的ではない)学生の頃よく読んでたよ。
でもあれ、火曜発売の号が初掲載ってだけで、金曜日は再掲載みたいな情報が多かった。
日刊アルバイトニュース→デイリーanは今はどうなったんだろう?
この仕事のないご時世に日刊じゃキツイよね。
バブル時代だな、リクルートが隆盛を誇っていたころ。
週刊住宅情報とか求人雑誌とかは、金取って広告載せて
けっこう分厚いのに一冊百円で売る。割安感があるので売れる。
リクルートは一冊も売れなくても儲けでうはうは。
週に二回出せば、二倍儲かる。ほんとは毎日発行したかったろう。
雑誌が好きなので、ああいった作り方・売り方が嫌だった。
ブルータスとかは、広告で制作費をペイして(儲けも出し)、
作った物を制作費の割には安く売ることでゴージャスな内容を
作っていたんだ。テレビ番組と同じ作り方だね。
「贅沢は素敵だ」というコピーに共鳴する時代背景があって
成り立っていた雑誌だったなあ。
買わなくなって20年くらいになるから、いまのブルータスが
どうなのかは知らない。
中毒のように雑誌を買っていたけど、いまは一冊しか買わなくなった。
自分からも若さが失せたのだなと実感する。
好きな子にアプローチする時、今は携帯やメールで彼女にダイレクトに連絡できるが、
昔は家電しかないので、家に電話かけて呼び出してもらっていた。
お父さんが出るとビビったな〜。
「娘に何の用だ!学校の同級生か?」など言われてなかなか取り次いでもらえない。
お母さんは割とすんなり取りついでくれる事が多かった。
弟や妹だったら「お姉ちゃ〜ん、彼氏からだよ〜!w」とか大声で言われたりされた。
キタ、キタ、キタ、キタ…日韓アルバイトニュース。駅の売店でどうぞ。
217 :
197:2011/01/09(日) 22:14:25 ID:+PXfUiqC
>>199 1話・2話と何話か忘れたが前後編
30分*4本で120分テープに収まった覚えがある
当時、ビデオデッキは重くて大きくて高価な物だったから
自転車に積めず(積んでも壊れるのが怖かった)
リュックに詰めて彼女の家まで20分歩いて持って行き
エロテープと知られないようにダビングして。。。
これだけだとスレチなので
当時、開始してまもなくの二ヶ国語放送
これがどんなものか試したくて
洋画の「超能力学園Z」を録画した。
今はR18指定になっていたかな?
当時はそう言う作品でも土曜午後に放映していたものだ。
「超能力学園Z」ww
サブタイトル:パンc(ry
自分の昭和は学生のうちに終わったので、
会社の書類がほとんど手書きで、ポストイットじゃない付箋紙が使われてた時代を知らない
どんなだったんだろう
付箋紙がわかるかな?まだ売ってるのかなあ。
短冊の片側が赤くしてあって(色は何種類かあった)、反対側の端には
切手のような湿らせて貼るための糊が塗ってあった。
付箋をはがすと、はがした跡が残る。
それが嫌な感じだったけど、いちど付箋を貼った場所だとわかるという
メリットがあったのだなあと、あとになって理解した。
ポストイットの登場は、大和糊しか知らなかったところにセメダインを
知ったような驚きだった。セメダインの匂いに科学の力を感じたんだ。
乾式コピーマシンも、どこの会社に普及している状態じゃなかった。
湿式コピーの紙の質感と匂いを覚えている。
ワープロ登場後もタイプライター(和文も英文も)は現役だった。
カーボン紙を挟んで打つことができたからね。
公官庁に提出する書類はインパクトドットプリンターのものだけが可だった。
理由はインクリボンを打ち抜いて印字するからタイプライターと同じだと。
感熱紙はもちろん、乾式コピーの書類も保存性が信頼できないという理由で
受け付けてくれなかったんだ。
カーボン紙ってのも見かけなくなったなあ。下敷き挟むの忘れて領収書を
一冊ダメにしてどやされたことがあったっけ。
ちょっと前、古い「地球の歩き方」を読んでたら、
『パスポートをゼロックスしておこう』
みたいに書いてて、文脈で、コピーのことだとわかった。
そこ意外にも『ゼロックスして…』な文が結構あった。
もしかしたら昭和末期ではなく平成初期かもしれない。
その編集部だけの言い回しかもしれない。
いや、英和辞典にもXeroxの項目に
「(動)ゼロックスで複写する」と載ってる。
昭和末期、それでゼロックスという単語を覚えた。
224 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/10(月) 03:22:10 ID:li3q7Zqg
「ぐぐる」が「検索する」と同じ意味になったのと似てるね・・・
>>221 省庁に出す正式書類は、原則として和文タイプライターだったね。
省庁があるところなら、だいたい和文タイプライターの代書屋があった。
庶民に身近なところでは、免許証の書類とか。
昔、免許試験場の周囲には
代書屋以外にも「裏校」といわれた
試験問題予想屋が軒を連ねてたけど、
今はどうなってるんだろうね?
友人が鮫洲で受ける前に裏校受講して
「9割以上の問題が予想通りだった!」
って言ってたけど…
>>225 自分も鮫洲で取った(原付、中型二輪、普通と3種別個で取った)けど、
裏校なんて初めて聞いたわ。
普通に教習所行けば傾向は掴めるし、一発で取れるもんじゃないの?
要はあのヒネクレた書き方の問題文に慣れているかどうかのような気が。
>>221 自分の仕事では、今も普通に付箋を使っているのだが…
職種によってはすでに過去の遺物なのか
>>226 いや、俺もそう思うよ>一発で取れるはず
でも、そうじゃない奴もいるんだよなw
うちの高校では「原付なんて勉強しないでも取れる」っての
そのまんま信じて、実際に落ちた馬鹿とかいたw
>>221 新入社員の頃の失敗談だが
カーボン紙を裏表逆にセットして
このカーボン紙は質が悪いなぁ と勘違いした
決済書や稟議書を手書きで作り、役席にハンコ貰って回るなんてのも過去の遺物になるのかも。
コピーのことをゼロックスという他には、リコーの機械を使っているところだとリコピーするなんても
言っていた。
会社員になったころ、海外とやりとりする部署の人の名刺にあるテレックスの番号がとても恰好よかった。
成人式の話をしてて「最近の子供はガマンをしらないからね」。
そういや、おもちゃ売り場で「買って〜」とダダこねる子供を見なくなった。
それを「いいかげんにしなさい!」とひっぱたく親もいなくなった。
>>231 …おもちゃ売り場で、駄々こねて泣きわめくガキんちょをニラニラヲチするのが好きですw
そういやアクエイキョウアクエイキョウ言われてる「クレヨンしんちゃん」のみさえさんは、悪いこと
した我が子を張り倒して「すいませんすいません」言う、昭和期の良き母だよねえ。
何でもかんでも虐待と位置づけられちゃう恐れw
教師だって、体罰だってモンペから言われる
躾ってさ・・・・・・・・・・・・・
234 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/10(月) 13:45:39 ID:QW4+AwJ9
昭和40年代にガキだったが、周りの大人に訳の解らないことで、理不尽な扱いを受けたなあ。
当時は、子供には多少なりとも理不尽な思いを意図的にさせる、と言うのが日常にあった気がする。
最近の子供は、本当に大事に大事にされている印象。
そうだろうか、最近の子供は親に放置されている場合が多い気がする
けど、まあ人それぞれだから全体的な統計でもとらなきゃわからないな。
まあ、子供が死ぬ事件や事故は劇的に減ってるよね。
それだけは良かったと思う。
営利誘拐のミュースを聞かなくなって随分になるよね。
宿題忘れただけでバケツ持って廊下に立たされるとか、今じゃないよねw
正座とか、教壇前の特別席とか班決めドラフトとか。
嫌いな人調査もあったな。
>>240 昭和と比べると、世間を騒がせるような事件事故って少なくなった気がする
と思ったけど、21世紀に入ってから歌舞伎町火災、秋葉原通り魔、福知山線事故
と数年おきに割と大きな事件事故が起こっているね。
昭和の事件といえば三菱銀行人質事件と長崎バスジャック事件、この二つの中継は見ていた気がする。
243 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/10(月) 17:21:37 ID:pHAChyH2
出席簿で頭殴られるとかビンタとか普通にあったよな。
でも家に帰って学校で先生に殴られたとは言えなかった。
言えばなぜ殴られたか理由を聞かれるので説明すると、
「そりゃお前が悪い!」と言われて更に親にも殴られるから。
あと保護者面談とかでも親が先生に「悪さしたらバンバン殴って下さい!」なんて頼んでたし。
昔は女性アイドルって、成人式過ぎたら賞味期間切れのババア扱いされて
どんどん仕事がなくなって、女優にシフトするかお色気路線に走る
人が多かったな。恋愛はご法度だった。
今はAKBだって結構年いったのがいて、さらに若手にまざって
ロリアイドルしてるからすごい。
245 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/10(月) 17:51:42 ID:g2MAXCNA
ヨーロッパのテロ組織「赤い旅団」の事件が怖かった・・・
テレビで流れるのを嫌々見せられたが、ぶるぶる震えながら見ていた。
バンド世代だったので、初対面の相手とはとりあえず
「どんなバンド聴くの?」で場がもった。
誰でもがロック好きだと信じていた。
そういえば昭和の後半くらいってテロの創成期って感じがするなぁ。
もとろんそれ以前にもああいう事件はあったけど
組織立って無関係な人を殺すことで自分らの主義主張を通そうという手法を
いろんな組織・団体が使うようになったのって70〜80年代くらいからだよね。
>>244 ただ昔はそうやって早々に色んな方面に散って行ってたのが、今じゃ年取っても
何時までも居座り続けるから下が育たないって弊害も生じている。
SMAPもメンバーの年齢だけみると
俺らが子供の頃に見ていた
ボニージャックス、ダークダックスやクールファイブのような年齢。
ババア呼ばわりは今のほうがひどいように思うな
若かったりロリなら何でも許されるって感じじゃない?
今までの女性アイドルで、かっこよく年をとった人があまり知られないから、
ファンやマニアが永遠の若さという幻想を求めるのかな
俺はSMAPって「あークレージーキャッツみたいなもんね?」ってとらえてる
”声かけ運動”的な物ってなかったかなあ、
鹿川君(?)いじめ自殺のあとに、子供に声をかけて
コミュニケーションをとろうという運動。
”声かけがありました”と聴いて、親切な大人がいた
ということかと思ったら、子供に話しかける不審者がいた
という意味だと知って、ちょいとショックだった。
子供に話しかけただけでツーホーされるらしいぞ。
昭和40年代の犬は、散歩途中で他の犬と出くわせば喧嘩か交尾をした。
いまの犬は喧嘩しない、ちゃんと仲良くする、信じられない。
犬っころは教育でこうなるのかと驚く。
>>253 教育プラス去勢と避妊ね。
去勢してないから喧嘩し、避妊してないから交尾する。
昭和時代に高校生だったけど、彼女がいても二年間手も握らなかった。
他校の文化祭に行ったり映画をみたり、お話しをしたりするだけの
清い交際だった。
今の高校生はすぐやっちまう。
昭和の末期頃まで、グループ交際なんてあったね。
今じゃ全然聞かなくなってしまった。
>>249 ダークダックスwww
そういや、フォーリーブスが20代後半あたりだったかそのぐらいまで
がんばって「ブルドッグ」とか歌ってるのを見て痛々しかったのを思い出したよ。
>>256 プチ・グループ交際=合コンかな…?
今は何でも横文字だねーw
フォーリーブスか、急げ若者って映画、アイドル映画にしては良い映画だったなあ。
『題名のない音楽会』で、フォーリーブスが「ブルドック」を歌ったら
親衛隊がきゃあきゃあ騒ぎ、司会の黛俊郎が、みなさんの迷惑になるから
騒がないようにと小言を言ったら親衛隊がブーイングした。
女が集まると怖いと思った。怖い物知らずの無神経。
だけどさ、歓声もないままだったらフォーリーブスはいたたまれなかった
だろう。フォーリーブスを好意的に扱うはずもない番組にサンプル扱いで
出す以上、きゃあきゃあな歓声もセットだろうに。
黛俊郎って面白いひとだったね、いま元気だったら
世の中に苦言を呈しておっただろう。
坂本龍一クラスじゃ頭が上がらない本物感があったと、いまになって思う。
>>255 ぎりぎり平成だった高3の時、生徒指導の先生が、全校生徒の前で壇上に上がり
「仲がよろしいのは、大変結構なんですがね。まぁ、私に縁が無いから、言うわけじゃないんですけどね。」
と前置きしたあと
「傍から見て見苦しくない程度にしてもらいたい。
例えばですね、自転車に相乗りをして女性が男性の腰に腕を巻きつける、とかですね。
路上を歩いていて女性の方から男性の背中に飛びつく、とかですね。
そういったまねはやめてもらいたい。」
って言ったのを思い出した。
相乗り、だってよ、相乗り(笑)。
>>260 あの番組、黛敏郎が死去してから見るのをやめた
・雑巾は自分で縫う物だった。
・堀越学園に通う芸能人は、出席日数が足りなくても雑巾を縫えば卒業出来た。
>>255 大学時代も昭和だったが、中高の頃にすでにAだのBだのCだのいう
隠語があったわけで、きみたちが特別おくてカップルだったのでは。
ところで今はABCって言わないんだろうか?
キスしたら次回のデートでいきなりBC済ませちゃったりするから
区別する必要なかったりするのだろうか?
今はH
ちょいとスレチで恐縮だが
昔の芸能人、アイドルは異性との交際なんて「スキャンダル」とまで言われ
タブーだった。
ところが今は「お泊り愛」とか「おめでた婚」と言葉が美化されて
異性交際報道はプロモーションの範囲になった。
その「堂々と異性交際宣言」を最初にしたのが浅香唯らしい。
彼氏の家に泊まったのが報じられて芸能記者の囲み取材に臨む直前、
マネージャーに相談したところ「もう大人なんだからそれ位、わかるでしょ」
と突き放され気味の返答に「もう大人」だけ耳に残ってありのまま答えたら
本人が驚くほど記者たちが驚愕して大きく報じられたとか。
>>264 イボリーの「30過ぎたらちゅーと交尾は1回にまとめろ」という名台詞をなぜか思い出した。
梶原一騎作品がにわかにクローズアップされて、スポ根世代としては嬉しいナリ
でもジャニの実写版ジョーイラネ
高校の時に吹奏楽部員だった野球の応援で何十回もタイガーマスクを演奏した。
かっこいい曲だなと思って大好きなレパートリーだった。
272 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/11(火) 21:37:59 ID:Q/5Stfmq
小一の夏休み前日の終了式後、帰宅時の大荷物。皆、一度はやったよな。
ちなみに冬休み前日は、置いておいても良いので、そこまで大荷物にはならない。
春休み前日は、「新学年で教室移動になるから絶対に持ち帰れ!」と言われ、またしても大荷物になる奴が何人か。
小二以降にやらかす奴は、「一度で懲りない性格」扱いになった。
近くに小学校あるんだが、最近は↑トンと見ないな。
>>272 そんな事は見た事も聞いた事もないな
つか、ちょっとなに言ってるのかわからない
朝顔の鉢(はち)とか、画板(がばん)など、普段学校に置いたままの品物は、
夏休み前に自宅に持ち帰らなければならなかった。
>>273 教室に置いてある荷物を全部家に持って帰るってやつだろ。
図画工作を抱えて歩くランドセルは、いまも見かけるね。
美術の時間に作った、粘土を焼いて作ったお面を家に持ち帰るとき、
横断歩道で転んでこなごなにした記憶がよみがえった。
てか、何で持って帰る必要があったんだろう。
学年がかわるなら分かるけど、夏休みと冬休みはそのままでもいいんじゃないかと。
俺いまだに卒業式の後で机の中が一杯なのに気付いて焦る、
っていう夢見るぞ。
>>271 ♪つよければ それで いいんだ〜 の歌?
>>277 変態さんが忍びこんで盗む可能性もあるし。
JSの使ってる裁縫箱や笛、ハァハァとか。
>>272 1度じゃ済まなくて2度往復したこともある。
家近かったからいいんだけどね。
雪国の冬だったので一度家に帰ってスノーボート(そりのようなものです)取ってきて
それにしこたま積んで運んだw
突然の雨の日に母親が学校まで傘を持って迎えに来る、なんてのも昭和かもなあ。
(自分はやってもらったことないけど)
>>281 あれ憧れたなあ。うちは共働きの鍵っ子だったから
親が迎えに来ることはなかったけど、
友達のお母さんが一緒に傘に入れてくれたりした。
今は働いてるお母さんも多いだろうし、
迎えに来てもらうのは少ないかもだね。
折りたたみ持たされてたり置き傘だったりってことかな。
>>272 うちのほうだけかもしれんが甥姪はどうなのかと前に姉に聞いたところでは、
最近は夏休みの何日か前から先生が「今日は○○を持って帰りましょう」と具体的に指示するらしい。
そうやって終業式の日は、持って帰るものは当日もらう通知表と夏休みの宿題だけという状態にする。
むかしは画用紙とか乗っける画板とかみんな持ってたけど、今はないの?
いまの給食は驚くぞ。
アルミの椀と先割れスプーンで喰っていた自分は文化的だと
おもっていたんだが、いまから見ると犬みたいな食事だった。
でも楽しかったし嬉しかった。
>>283 …きっと、その教師も子供の頃終業式にドツボにはまったんだろうwww
夏休みって学校開いてるよね。
図書館の本借りたりとかできる。部活で来る生徒もいるし。
別に終業式に持って帰れなかったら、夏休み中、学校に来たついでに持って帰ってもいいじゃん、と思うんだが。
私も、水彩絵の具で使う水入れとか、家にあるものでも代用がきく物は持って帰んなかったな。
ピアニカとか縦笛も置きっぱなしだった。
今は
>>279 >変態さんが忍びこんで盗む可能性もあるし。
みたいな恐れがあるんだろうか。
288 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/12(水) 13:43:31 ID:sThKgZf1
ボットン
>>279 「白いマットのジャングルに〜」だろJKw
>>274 朝顔の鉢は、親御さんに取りに行かせる地域もあるみたいね。
いや、過保護じゃなくって、両手ふさがってよたよた状態だと、交通事故や変質者等の危険に対処できないってんで。
うちの地域でも、少子化での学校統合があって、長距離の徒歩通学だと危険(都市部だし)だということで、自転車や
自家用車で送迎してる人がいるみたい。
昔は歌下手なアイドルでもきちんとガチで歌っていた。
能勢慶子、新田恵利、吉沢秋絵の歌はものすごい破壊力だった。
沢口靖子も加えてやってくれ。
浅田美代子も忘れないで。
>>292 「痛快!ロックンロール通り」の最終回の歌うシーンは驚いたな。
何かの手違いでNGシーンが流れたor視聴者対象のドッキリネタかと思った。
その後のラストシーン----
成田空港で後藤久美子がエスカレーターに乗って後ろ向きのままVサインの手を上げる、
が印象的なだけに直前の沢口靖子トンデモ熱唱をよく憶えている。
成田空港で思い出した。
今の第一ターミナルの出発フロアは
警備員による搭乗券・パスポートのチェック→セキュリティチェック
→エスカレーターを降りて出国審査場
…という構造になってるけど、以前はエスカレーターで下りた先にセキュリティチェックがあった。
で、そのエスカレーターには飛行機に乗る人以外(見送り客とか)が間違って
下りて行かない様な対策が何もなかったような記憶がある。
能勢慶子って歌も破壊的だったけど、芝居はもっとすごかった。
柴田恭平との「わたし豆腐作る」はいまだに忘れられない。
ものまねのネタになってたねw
298 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/13(木) 12:25:58 ID:wLgarEbu
299 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/13(木) 12:34:55 ID:cpkhR0ib
家の電話で彼女に電話
のちに脇役女優になった、初代ミスヤングジャンプの北原佐和子の歌も
すごかったな。
能勢さんには負けるが。
今、能勢さんの「アテンションプリーズ」をようつべで見ると
一生懸命歌ってて健気でかわいい。
最近は、団体で踊りながらクチパクなアイドルばっかだしな。
>>299 BF「あのー、○子さんいますか?」
オヤジ「娘はいません!」ガチャ!
薬師丸ひろ子がザ・ベストテンに初出演したときは、
見ているこっちが緊張した。気の毒で痛々しかった。
北原佐和子だけじゃなく、北原が所属してたパンジーは全員ヤバかった、
特に三井比佐子、「月曜日はシックシック」とかもうね(ry
歌の破壊力ではやっぱり風吹ジュンかなぁ。
何度もやり直しできるレコードでは多少マシだけど生はものすごっかったw
その点、「スター誕生」出身者はさすがに音痴はいないな。
デビュー当時、顔がいまいちと思っても、百恵や宏美は歌うまかった。
男性で売れたのはニーヌ・マッケンジーぐらいか。
伊藤つかさは歌がヘタなうえに、セーラー服で歌うという、ほとんど反則のような演出だったなあ
ニコ動かなんかで見たんだけどザ・ベストテンに出た時、2番の入りで思いきり音はずしてた
能勢慶子クラスの破壊力を持った歌手が確かいたよなー、と考えてて
どうしても名前が出てこなかった。記憶から抹消されていたようだ。
ちなみにぐぐったら大橋惠里子だった。
反町が紅白で音楽のルーツを感じさせる雄叫びを上げたのは平成だっけ?
昭和の頃、まだ反町はその辺にいるガキだろうが
そら失礼w
恋人試験の松本ちえことか下手だけど超かわいかったよな
>>294 そのドラマの沢口靖子の相手役、三浦洋一もまたひどいもんだったw
ドラマ主題歌になってたTMネットワークの「レジスタンス」という曲が、劇中の三浦の持ち歌という設定だったんだが
聴いてる方がもう「勘弁して下さい…」と言いたくなる場面だった
その三浦洋一も鬼籍に入って久しいな
ボブ・マグラス っていうテノール歌手が好きだったなあ・・・
不二家トプシーのCMソングと、ラ・ノビアが売れてた
>>310 ♪0点なんかじゃ許さない 100点取る人大嫌い
知っているのにわざとまちがえる 65点の人が好き〜
いい歌だなあ。カラオケでちょっとブリッコ入れて歌いたいw
>>312 > ラ・ノビアが売れてた
なっ!!!懐かしい〜!!
厨房の頃エレクトーンで習った!!
大好きな曲だった。
ラ・ノビアの日本語カバーって弘田三枝子だったっけ?
昭和のアニソンは
歌の上手な人が歌うものだった
これは譲れない
>>222 亀だけど、南米(ブラジル)だとコピー機貸してくれる店にはXEROXって書いた
看板が出てるくらい「コピーする」より一般的な言葉だった
ボストンバッグって、本場ボストンじゃ言わないんだろうな。
カステラで羊羹をはさんだ食べ物・シベリアも、本場ロシアのシベリアじゃ??だろうな。
マジソンバッグは?
よりによってナウシカw
…あまりの凄まじさに驚いた宮崎駿によって、本編では没になったあれざますね。
マジソンバッグって、マジソンスクエアガーデンて書いてあったっけ?
消防の頃は何だかわからないが、響きがカッコいいと思った。
話かわるが、ダークダックスって紅白に15回も出たんだってね。
昭和時代の紅白って、大人相手の番組だった気がする。
>昭和時代の紅白って、大人相手の番組だった気がする。
紅白の最後に会場のみんなの投票でどっちが勝ちかを決める時、うちの親は
本気で今年はどっちが勝つかを夫婦で議論してた。
おれは野鳥の会のカウントを見ながら、こんなんで正確に判断できないだろうと
思っていた。
もちろん真剣勝負だとおもってたから、そんな数え方に勝ち負けを委ねる
歌手たちが怒らないのが不思議だった。
ロシア民謡をたくさん覚えたなあ。 高校の合唱部でもよく歌ったし。
バスの奴が 「道」 のソロ歌うのがうらやましくて、「アムール川の波」 のソロ貰った
ときは嬉しかった。
成美ナウシカはけっこう好きだ。ピュアをそのまま音にしたような感じ。
つか大橋ポニョだってモロにその系統なのに駿ったら。
安田成美全曲集なんて高速で聞きながら走ったら事故りそうだ。
>>324 丙午世代の中学生では、
もう、マジソン・バッグは「ダサい」だったな。
部活ごとに御贔屓スポーツ・ブランドみたいなのがあって、
バスケ部はアディダス、バレー部はアシックス、
野球部はミズノ、テニス部はルコックってな感じだった。
ちなみにツッパリはクリーム・ソーダだったw
クリソー とか、レイコー とか妙な略語がはやったな。ヨコジュンとどっちが先かな。
ルコックなんてかなり若い世代じゃない?
プーマなんかわりと古くからあったよ、プーマバッグ
テニス部はフレッドペリーのポロとかね。YONEX(その昔はYONEYAMAという名前だった)とか。
エバートがエレッセを流行らせ、ボルグがフィラを流行らせた。
333 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/16(日) 09:43:06 ID:CF5cAgpl
うちの小中学校「プーマ」や「アディダス」など「高そうな有名ブランド」のスポーツ系グッズは禁止だった。
さすがに運動靴(スニーカー)だけは、とがめられなかったが。
ちなみに「高そうな有名ブランド」の基準は、品物を目撃した先生が、そう感じるかどうか。
それまでと比べて、見た目のいい、様々なブランドが林立した時代だから、先生達も混乱していた。
334 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/16(日) 10:41:14 ID:uAHRu7gc
昭和期には、お姉さんもいただろうが
「お天気ママさん」もいた。
「歌のお姉さん」も最初は「歌のおばさん」だった
336 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/16(日) 12:04:54 ID:x/lCOP74
緑のおばさんてのもいたな。
緑のおばさんって給料もらえたらしいね。
小学生の頃は道で人に声をかけられると嬉しかった気がするな。
部活の上級生はアディダスのエナメルバッグを持てた
下級生はマジソンバッグ
ヤクルトおばさんだったのにいつの間にかヤクルトレディになってた。
若い人が増えたからおばさんは酷かもしれないが、レディというより
ヤンママ風の人の方が多い気がする。
緑のおばさんやNHK集金人という仕事には
戦争未亡人の救済策という意味があったらしい。
戦争で適齢期の男が減り、男女のバランスが悪くなったために
生涯独身となってしまう女性も多かったはず。
保険のセールスレディなんてのは、そのあたりを狙って
利用した面があると思う。保険会社の立派な建物はセールスレディの
血と涙でできているなんていうよね。
adirasのスポーツバックとかremonaのシートクッションあったな。
REGELスニーカーとか
そういえばニッセイのおばちゃんも聞かなくなったね
あれだけCMで「おばちゃん」「おばちゃん」連呼してたら
今だと人が集まらんだろうねw
学研のおばちゃんなんて完全に駆逐された
>>344 学研のおばちゃん以前の話で、科学と学習そのものがあぼーんしてしまったよ。
おばちゃんがわざわざ自宅まで配達してくれるサービス付きでも
利益が十分に得られていたってことだよね。
俺も小学生の頃、科学と学習取ってたよ。教材が楽しみでなー。
ヤクルトレディが使ってるのは電動アシスト自転車で、
とんでもない量を積んでいるのね。
ヤクルトレディはちゃんと化粧している。化粧して肉体労働。
なんだか日本が無惨になっていくような気がするんだ。
CMでずっとニッセイのおばちゃんを演じていた女優中北千枝子は、
実は自転車に乗れない、これ豆な。
あの人はニッセイのおばちゃんだとばかり思ってた
千代ちゃんがプロポーズされて結婚、出産、その娘が年頃になるまでシリーズで
CMやってたしさ
349 :
うひょのふ:2011/01/17(月) 02:00:30 ID:u4TWQrLN
平成からピタっと無くなった感があるのはやはり地上波での残酷表現。
昔はザショックスを平気でゴールデンでやっていたのが恐ろしい
今は死んだ場合流さないよね
あとは身代金目的誘拐、銀行強盗。
手間かかる割にはほぼ逮捕されるし重罪ということで誰も手を出さなくなった
>>350 そらまあ「すき家」という貯金箱があるのに銀行なんか襲う理由がないじゃろ
手錠をかけられた手にぼかしを入れるようになったのは
オウム事件後だったように記憶してる。
デジタル化されてぼかしをかけることが簡単になった
ということもあるのだろうなあ。
うんにゃ
疑惑の縦断ロス疑惑の三浦和義以降だね
彼が起こしまくった裁判の中に「容疑者の人権」ってのがあって
計が確定するまでは犯人扱いしないってのが
彼の主張通りに認められてから、容疑者の取り扱いに花瓶になったんだよ
その誤変換はおもしろいと思ってやってるの?
…デジタル合成といえば、昔の戦隊物を見ると、合成技術は拙いけど、スタントは普通に危険なので興奮した。
今の奴は、所詮CGで凄いことやってるだけ。
つまらん。
いつからだろう?戦隊もライダーもウルトラマンもイケメンばっかりになっちまったのは。
>>357 ダイナマンで、悪役にイケメン起用。
ライブマンで、ヒーローにアイドル起用。
元々、東映は時代劇時代からのファミリーユースなので、受ける要素ならバンバン突っ込み、視聴者層の取りこぼしがないようにする。
ダイナマンからしばらく、悪役にイケメンを起用したのは、それまで取りこぼしていた小学校高学年以上の女性層の取り込み策。
今、特撮ヒーローを支えてるお母さん方は、子供の頃「ダイナマン」からのイケメン悪役世代。
お兄さんお父さんに訴求するために、シャイダーでパンチラヒロインを出したこともwww
…でも、厳密に言うのならば、イケメンヒーロー第一弾は、「白馬童子」の山城新吾。
「シンケンジャー」にも、イケメンヒーローと映画での伊吹吾郎との共演つながりでゲスト出演して欲しかったなあ…
360 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/18(火) 22:43:59 ID:YTzIQsJN
「白馬童子」の山城新吾って、おっさん世代でもピンと来る人は、もはや少ないぞ。
次回特撮物では、ブサメンヒーローで大当りとったりしてな。
スポーツ新聞が社会記事を大々的に扱ったのはロス疑惑が元祖だったような。
>>360 >次回特撮物では、ブサメンヒーローで大当りとったりしてな。
ザブングルのブサの方が競泳パンツ一枚で素顔のまま巨大化するとか?
363 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/19(水) 22:42:43 ID:tK7pvrcB
>>362 変身後までブサメンでどうする。
では別の話題を。
近年の外食産業では、お子様メニューが充実している。子供連れで外食するのに、かつてほど、
メニュー上での不自由は少ない。
かつては、大人が頼んだメニューを、小皿などで取り分けて貰って食べていた。
お袋は小食だったから、行きつけのそばうどん店の鍋焼きうどんとかは、小鍋の蓋に取り分けてくれたりしていた。
店員が気付くと大抵、キャラ物の小皿などを持って来てくれた。
今も中小店に行けば、多分そうなるのだろうが、大手外食店でお子様メニューをあてがう方が、
気がやすまるんだろう。
小学校入学を控えた3月ごろ、行きつけのそばうどん店で「これからは、自分で好きなのを頼みなさい。」
と言われて、初めてメニューから山掛け蕎麦を選んで全部食べ切ったときのことは忘れない。
注)この場合の「山掛け蕎麦」は関西風。茹で上げたそばをお湯を切って丼に盛り、卵と山芋のすりおろしを追加。
薬味と温かいつゆをお好みで掛けて食するスタイル。無論、蕎麦湯が付く。
365 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/20(木) 08:32:46 ID:PCkedsQ3
お子様メニューは手間がかかったからだよ。
お子様ランチは、1皿に、ハンバーグだのの焼き物、エビフライなどの揚げ物、
チキン(ケチャップ)ライスなどを盛り合わせるので手間がかかり、
これを出すのは、子供連れの機嫌をとらねばならないデパートの大食堂などに限られた。
いまは、チェーンなどはセントラルキッチンで加工されてくるので、以前程手間がかからなくなり、
あちこちで出せるようになったし、子ども向けの産業・サービスが一般的になったいま、
導入しないと取り残される、と推測する。
お新香のことを「おこうこ」って言う人、もう見かけなくなったなー
大根の葉っぱなどを醤油で炒めた物は「炒りこうこ」と、うちの祖母は言ってた。
ああ という表現に、嗚呼(変換で出る) が、ある。音読みは 「おこ」。
なだ・いなだのおばあさまは、驚いたときに 「おっきょ」 と言って驚いていた、という
ことを彼のエッセイに書いていた。 これが、「おこ」 のことだったと気付き、祖母は
江戸〜明治の言葉を使っていたのだなと納得したそうだ。
「嗚呼」を「ああ」って読むのを知ったのは、花の応援団の漫画、映画からだったな。
>>365 今では、胃の手術を受けた人やご老人が「キッズメニューから旗やおもちゃを除いた物」
を注文なさるそうだ。
>>366 ちょっと前に住んでた山梨の国中地方では、現役で使われてた。
…方言だと思ってた。
371 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/20(木) 20:38:44 ID:AUVUMUSu
テレビ番組の仕込みややらせが少なく、ほとんどガチだった。
例えばドッキリで一般人を引っ掛けたらその人が893でスタッフがボコられたり、
いいともでも誰が紹介されるのかは決めてなくて、
志村けんが「明日はゴルフだから行けない」と断ったりなんて事があった。
>>362 ザブングル、ブサでジロンの事を言ってるのかと思ったぜ。
あんな土饅頭ヒーローも、もう現れないだろうな。
笑っていいともの友達の輪で仕込みがなかったので、
出演できない芸能人が結構いた。
間違い電話でシロウトが来たり、
小森のおばちゃまがイルカの電話番号を読上げながらダイヤルしたり、
といったリアルなアクシデントがあったからなぁ。
高三の時カネボウとか資生堂とかから美容部員のお姉ちゃんが
学校へやってきてメイクアップ教室が開催された。
パーキージーンのリップグロスを貰った。
今はこんなことやってないよね?
普通の公立高校でそんなことしたら問題になるんじゃ。
全国的にやってたみたいだけど、いつ頃まで行われてたんだろう?
女性の皆さん、教えて!
公立高校なら女子校じゃないよね、
田舎のほうの学校なのじゃない?
(馬鹿にしているのではありません)
とにかくビデオブームだったから、駅の出口真ん前にレンタルビデオ店があった。
そしてその店だけでなく、ロータリーから伸びる道には何店もあった。
ツタヤ?ゲオ?そんな店はなかった。
でも今は全てなくなった。
>>375 長崎市内の県立高卒だけど美容講習あったよ(昭和の最後の頃)。
本来は就職組のためのものらしいけど、進学組も参加可だった。
資生堂とカネボウがあって、自分は資生堂のに参加したんだけど、
参加者は市内の各校(私立公立まぜこぜ)から来てて、
支社の会議室みたいなとこに集められる。
お化粧の基礎をひとと通り教えてくれて、
最後にファンデーションと口紅とアイシャドウをもらったと思う。
学年のほとんどが就職する学校の場合は校内でやるそうです。
旧制中学の発祥の地元では進学校、名門校といわれている県立共学校だったが、
4大:短大・専門学校:就職が3分の1ずつ(S.55当時)
就職組には、校内で美容講習もあった、それとホテルでのテーブルマナー講習会もあったと聞いている。
地元で就職した女子に卒業した年の夏休みに会ったのだが、
通勤に必要なので車を乗り回し、化粧や服装などは一足先に大人の感覚、
在学中は気さくだったのに、年上のカレシが出来たんだか、
当方を金も自由にならないかわいそうなオコチャマ扱いしてたな。
>>376 > 公立高校なら女子校じゃないよね、
なんで?
>>380 神奈川県みたいなとこに住んでて、埼玉県みたいなとこの想像がつかないだけだろ
東京住みだが中学当時、神奈川では
中2くらいでアチーブメントテストという高校進学に関わる大規模模試のようなものがあるらしい、
と聞き「東京で良かった」と安堵していたが今でもあるのかな。
都立の女子校というものは存在しない。(大昔はどうだか知らない)
県立にはいまも女子校があるのかな。
都立でも実質、商業高校は女子校状態、工業高校は男子校状態。
化粧講座、テーブルマナー講座ってのは全国的にあるのだろうと思う。
特に化粧は化粧品メーカーにとってメリットがあるし。
鉄道のない地域では電車の乗り方・切符の買い方なんてことも
やることがあるらしい。考えてみればありがたいことだよね、
教えてもらわなければ判らないことだものね。
他所へ行って恥をかかないようにと気を遣ってくれてるわけだ。
昔、東京は高校が多すぎて不公平だからと、高校野球では
東京を西と東にわけて代表校を2校にした。
いまは神奈川県のほうが高校が多いのに、神奈川代表は1校のまま。
>>382 東京生まれ育ち→結婚して横浜市民、子供ハマっ子だが
ア・テストは神奈川方式と言って、ずっと昔からあるらしいね。
少なくとも10年前はやってたよ。
中2・二学期の中間とア・テストで県立高校のレベルが振り分けられるため
その後どんなに頑張っても意味がないし、
相対評価を楯に、その後の成績操作もされてしまう、という何ともはや…な制度。
今は絶対評価になってるだろうし、都内に都内に移動したので現状不明ですいません。
>>383 だからなんで都立高校だけが基準なんだ?
視野が狭いっていうより脳に障害があるんじゃね?
386 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/21(金) 12:05:52 ID:K4fE8LYn
>>383 集団就職時代に作られた「方言禁止」の校則が残ってて問題になった学校もあったよね。
ちょっと考えれば「都会に出て困らないための親心からの方言禁止」って判るんだけど。
>>375です
大阪の府立高校です。進学就職関係なく参加してたな。
まあうちの偏差値は正直大したことなかった。
ただ林真理子のエッセイでこの校内の美容講習が出てきて懐かしくなって
書いてみたのだが、彼女の学校は進学校だったみたいなので別に
うちの学校が進学校じゃなくて就職ばっかりだったからそういうことやってたわけじゃないと思う。
実際女の子も進学が多かったし。(ただしほとんど短大)
私たちはすでにミナミとか行くときは化粧してたけどな。
学校ではシャインリップのみだったけど。
当時は高卒就職っつっても同級生たちはみんないいとこ
就職してたな・・・大阪だから松下とかシャープ、あと都市銀行も多かったし。
愛知県内の進学校。就職は学年約400名中3,4名という学校。
美容講習みたいなのは学校には案内は来なかったと思う。
他校、とくに商業高校などでは大々的にやったという話も聞いたことがある。
友人からそれを聞いて、化粧法伝授じゃなくて景品としてもらった化粧品+ポーチがうらやましかった記憶がw
テーブルマナー講習は女子のみ集めてホテルであった。
390 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/22(土) 09:57:51 ID:5NI+OF4N
>>388 >当時は高卒就職っつっても同級生たちはみんないいとこ
>就職してたな・・・大阪だから松下とかシャープ、あと都市銀行も多かったし。
σ(^^ も府立だよん
確かに・・・
中途半端な大学に進学するより、高卒で都銀に就職した子らの方が
先見の明があったのかも・・・
石投げたら周りは東大、京大卒ばかりや言うてたな・・・
みんな元気やろか?
>>385 >だからなんで都立高校だけが基準なんだ?
>視野が狭いっていうより脳に障害があるんじゃね?
自分が育ったところはこうだったと話し、
あなたのところはどうだったの?と訊く以外に
他所(他人)を正しく知る方法はないでしょ。
違うことを知って楽しむのがコミュニケーションだと思うけどなあ。
>>391 > あなたのところはどうだったの?と訊く以外に
> 他所(他人)を正しく知る方法はないでしょ。
へえ、そうなんだ……
すぐ寿退社されてはかなわないので,4大卒女子は就職活動で敬遠されていた。
教師やら医者、薬剤師、研究職など、4大行かないとなれない職を目指していない限り、
結構頭のいい子でも短大へ進むもんだった。
名家で就職にこだわれなければ、文学部だとか好きなところへ行っていたようだが。
昔のベーコンはしょっぱくて美味かった
スーパーでベーコン買うたびにあの味を思い出す
>>394 ベーコンのみならず塩鮭もたくあんも塩サバもみーんな辛かった。
しょっぱすぎる塩鮭が好きだった
最近のは塩分控えすぎてて
ご飯に合わなくなってる
塩辛いくらいのを白いご飯で中和して食べるのがうまいのに。
梅干しも昔はすごく塩辛かったよ。それがうまかった。
最近は塩分控えめ云々いうけど、
昔はごはん一杯食べるのに梅干半粒くらいですんでた。
今の甘い梅干だとごはん一杯で何粒か食べるから
結局減塩の意味がない気がする。
俺の妻も
>>393の理由で短大だったぽいな。地方銀行に一応勤めたのも花嫁修業。
肉体労働する人は塩分取っても高血圧になんかならなかったね。
鉄鋼とか鋳物関係なんて現場で塩タブレット配ってたし。
そうでもないぞ。
今の団塊やそれより上の世代は、下手に栄養事情の悪かった頃に育ったおかげで
体が資本、とばかり濃い味付けや高カロリー食(いわゆるスタミナのつく料理)を
盲信し、舌が慣れてしまってやめられず、高血圧や糖尿になったり、ウィスキーや
日本酒といった強い酒、喫煙が一般的だったから、心臓などの循環器系の病気に
蝕まれていたものだ。
>>393 昔は女子の就職=花嫁修業の一環みたいな風潮だったよね。
腰掛けOLみたいな言葉が生まれるくらい、沢山のOLが2〜3年で寿退社していった。
20年くらい前の漫画を読んだら、年齢が24歳って設定の主人公のOLが結婚出来なくて
「このままだと行き遅れてクリスマスケーキになっちゃう〜!」って焦りまくってる描写が
あって時代のギャップを感じた。
>>398 >今の甘い梅干だとごはん一杯で何粒か食べるから
つまり、たくさん売れるということだね
>>393 >すぐ寿退社されてはかなわないので,4大卒女子は就職活動で敬遠されていた。
これどういう意味?
4大卒女子は、すぐ寿退社しそうで
短大卒女子は、なかなか寿退社しないの?
2年の猶予があるからってこと?
>>403 と、言うよりも四大卒は短大卒より初任給が高いから敬遠された。
うちの会社もお茶汲みに四大卒はいらんと言う考えだった。
実際、四大卒でも短大卒でも仕事の出来は変わらなかったし。
そういうこと。
その上、短大卒だと2年早く社会に出てくるから、それだけ仕事を覚えやすいし
会社の定着率も比較的高かった(会社にもよるが)。
たかが2年や3年で相手を見つけて寿退社されたら、会社としても割に合わない
のでそういう傾向が強かった時期もある。
>>375だが、私は四大に行ったが、学生部にきてた女子用求人票で
「25歳になったら辞めていただきます」と威風堂々と書いたヤツがあった。
男女機会雇用均等法も一応成立後だというのに、こんな堂々と
書いてる会社もアレだし、貼り出してる大学もどうかなと思った。
「四国電気」か「四国ガス」だったか・・・、確かどちらかだった。
某財閥系メーカーは就職の面接の際に、「うちは高卒も大卒も果ては院卒も給料も職務内容も一緒です」
と言い切っていた。
そーいやOLって言葉聞かなくなったな〜。
ワープロ打ちとかって、今やる人いないの?
短大の秘書科って今、どうなってるんだろう?
中堅企業における、事務とか専従の人は?
ワープロ専用機がなくなっちゃったから・・・
PC使えない団塊世代のおじさんたちが、若い子に入力頼むくらいじゃない?
412 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/23(日) 07:57:07 ID:33JRso+t
>>364 変身後までブサメン=っ庵トラマン
って意見には賛同出来ない。ブサメンって非ハンサム系のタレントを起用する場合のことだと思う。
放映当時の特撮人気を分析した評論に、
「売るトラマン(セブンとかは除く)=菩薩顔。仮面雷ダー=地蔵顔。
日本人にとっては、悪者では有り得ない、と安心出来る顔形。」
というのがあって、成る程と思った覚えがある。
それって後付で、「これが正義の味方です」と何べんも見せられた刷り込み効果が
大きいんじゃないのかなぁ…
仮面ライダーの1号2号は最初のデザインモチーフがガイコツだし、バッタ顔でしょ
ギョロ目、口デカ仮面ライダーのどこが地蔵顔なんだ?
グリーンマンなら分からんでもないが。
最初の仮面ライダーが始まる前、番宣で仮面ライダーと怪人たちが一緒に写ってるステッカーを貰った子供が、どれが仮面ライダーなのか分からなかったなんて話もある。
415 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/23(日) 09:37:44 ID:i+jyaeaP
今じゃ一流大卒でも狭き門の一流大企業に
高卒でもいとも簡単に潜り込めた時期があったもんな
むしろ高卒くらいで世の中を何も知らない若いうちに雇用して、それなりお金も時間もかけて育てることで、
身も心もどっぷり自社カラーに染めて、自動的に忠誠心が養われるというのが日本の雇用のやりかただった。
…おまいの代わりなど掃いて捨てるほどおるんじゃい!!
そうおほざき遊ばされる人に対して忠誠を尽くせる人っているんでしょうかね。
昔で言う事務の女の子ってのが派遣社員になってるんだよな
雇用機会均等法で男女の賃金差を付けれなくなったけど
派遣会社を噛ますと安く上げれる
そのせいか愛社精神ってのが無くなって
定着率も低くなって事務仕事も細かいところまで伝承できなくて
生産性が落ちる弊害も出ている
男も無意味な高学歴は嫌われたな。
おれの仲間は院卒で、売り手市場で卒業したにも拘らず
思い通りの会社に就職できず、結局就職浪人した後、
中学校の教師になった。
院卒は大卒より初任給が高いので、就職に苦労するそだ。
>>417 昭和の論法
「お前なんて他の会社じゃ雇ってすらくれない」
「使ってやってるんだ感謝しろ」
「会社のために身を粉にして働くのはあたりまえ」
>>418 所詮使い捨てだというんで、自分の仕事への責任感さえなくなっちゃったよね。
…んで、結果が、あのホットドッグ屋のバイトのような奴になるんだ。
普通のヒトは知らなくていい知識ではあるけど、
>>412はちょっと勘違いをしている。
「庵野秀明 ウルトラマン」で画像検索してみると何の話だかわかる。
庵野といえば竜王
そういや、大学とかの映画製作サークルみたいなのって今もあるのかな。
今はビデオカメラが安々、編集も手持ちのパソコンでできるが、昔はフィルムも機材も高くて大変だったろうな。
昔も今も金持ちのぼんぼんはいるものさ
大学生でおばあちゃんに貰ったお小遣いを資本金にして会社を立てたなんて話は昭和の時代からあるし。
3丁目の夕日って三作目やるんだな
このまま続編作りまくって昭和をコンプリートして欲しい
>>407 女性にとってどっちが良いんだろうな?
昔
大企業に正社員として勤め事務仕事
但し定年は25歳
今
大企業に派遣社員として勤め事務仕事
その代わり25歳を過ぎても勤務可能
事務派遣だって30までだろう。
寿命が5年延びただけで次の契約更新は難しいだろう
>426
1作目は建設中の東京タワー、2作目は首都高が通る前の日本橋、3作目の目玉って何か残ってるかなぁ?
新幹線開通じゃね?
時期的にもちょうどいい感じだし
三丁目の夕日の三作目は1964年が舞台だから…
ビートルズと東海道新幹線とベトナム戦争と東京オリンピックだろうね
ただ、ビートルズの楽曲はソフト発売時に版権が面倒だから
エレキ・ブーム(ベンチャーズ)ぐらいになるかもしれない
またはグループ・サウンズでお茶を濁すかw
あと、子供の年齢によるけれども、
平凡パンチで「青い目覚め」ってのもwww
懐かしいものばっかりだ。高校の先生が、お前ら授業フケてオリンピックなんか見に
ゆくなよ、とか釘刺してた。新幹線で修学旅行行ったし、アメリカはベトナムから
手を引け!なんて張り紙が道ばたに貼ってあった。
ラジオで 「ガード下の靴磨き」 流れてる・・・
ムーミンの原画って、TVからほんわかを想像してたけど、
意外と暗くて妖怪っぽかったのね。
>>434 原作者は、昭和の『ムーミン』アニメ大嫌いだったんだって
理由その1「ムーミンが丸すぎる」
理由その2「(岸田今日子の)声が老婆のようだ」
理由その3「クルマが出てくるとは何事だ」
それでアニメ制作者は「日本のみ放映」って条件付きで許して貰った
上記の理由のため、原作者の遺族からは今も
DVDなどのソフト化が許可されていない…
ちなみに平成ムーミンは気に入ってたらしいw
こちらは海外にもバンバン輸出されて、欧米のムーミン再評価に一役買った
ムーミンパパがパイプを咥えている。
煙草を吸うなんて!!→咥えるだけで煙は出さない(煙草を吸わない)。
ムーミンパパが銃を持つなんて!!→持つだけで撃たない。
成田空港のフィンランド航空のチェックインカウンターにはムーミンの
等身大(?)の絵がある。
ちょっと怖い。
ムーミンママが裸エプロンなんて!!
吹いた
>>435 宮崎駿は、ムーミンに 戦 車 出しやがったらしいですねww
スナフキンがベトナム戦争帰還兵なんて設定のアニパロを原作者に見せたら怒り狂ってたかもしれないな。
万博の頃の映画でもう1回見たいのが
「ボクは5才」
再現モノではない、当時の街並み、乗り物、人々の服装や生活をもう1度みてみたい。
>400
ハッスルパンチにも出したし、赤胴鈴之助にはロボット出した。
↑
>440の間違い
おさびし山というネーミングと、ニョロニョロの夜の集団移動のシーンがものすごく印象に残ってる。
あと、きのうムーミンは川に木の葉の舟を浮かべた・・・っていう歌。
ジャコウネズミさんの「無駄じゃ無駄じゃ」は未だに口癖のひとつだったりするw
俺は声がテノールなので、スノーク家の躾はまこ〜とに〜!って歌が宴会芸で受けた
スナフキンに憧れていたら本当にあのような人生になってしまったw
そういえば、スナフキンのギターを弾いてた人が
笑っていいともの、私は誰でしょう的なコーナーに出演してるのを見たなあ
スナフキンとは似てなかった。
スナフキンがミイの弟、ということを最近初めて知ったでござる。
ムーミンパパはムーミンが産まれる前はムーミンで、
ムーミンが産まれた事によってムーミンパパになったが、
バカボンのパパはバカボンが産まれる前からバカボンのパパだった。
サリーちゃんのパパはサリーちゃんが生まれる前はなんて呼ばれてたんだろ?
サリーちゃんは大人になって彼氏ができたら、どんな体位をするんだろ?
>>447 俺も矢吹丈に憧れてボクシングばっかりやってたら
リングの外でだけ矢吹丈まんまの人生になっちまったぜ
若白髪なの?
>>451 魔法の国の王様であり、その前は王子だったんだろうから、そのように呼ばれていたでしょうよ。
現にカブは「王様」とか呼んでたでしょ。
>>453 それはホセ・メンドーサのことを言ってるかい?
458 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/26(水) 19:28:16 ID:13gVEnys
学校では、当たり前のように、
理科の実験では「石綿(アスベスト)つき金網」が、
予防接種では、1本の注射器で半量ずつ2人の子に回し撃ちされていた。
当時はだれも疑問に思わなかったことが30年以上たって問題化するとは。
>>458 アスベストにもいろいろあってあれはまだ安全なほうのアスベストだったらしい。
といっても完全に無害ではないので今は別のものに置き換えられている。
アスベストは生徒は使う時間が限られているからまだいいけど、理科の先生は
管理して準備して片付けてを受け持ったクラスの回数やんなきゃいけなかった。
それを長年やってきたわけだから、中皮腫の危険度は高かったはず。
俺の上司は転職前に板ガラスの製造部門にいて、アスベストも扱っていたためか
肺がんを発病した。
申請して労災が適用されたが、昨年亡くなった。
461 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/26(水) 21:05:25 ID:ha9l9Crb
運動中は水を飲んではいけない、ってやつも。
うさぎ跳びとか。
464 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/27(木) 00:18:22 ID:rSGDsqKA
今の体育教師も、やっぱ竹刀持ってんのかな?
465 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/27(木) 01:36:34 ID:Jcod2cQC
これからはだんだん貧しくなって、昭和の生活水準に戻って行くだろう。
466 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/27(木) 01:48:40 ID:QnTEAX2r
小六の身体検査の時、男の担任が当たり前の様に、男子終わって女子の番になってもソコにいたな…
当時、教師様の時代で気持ち悪いと思っても絶対言えなかったけど。
>>465 大恐慌のころのな。
かわえて、年寄り増えすぎ、仕事・売るもん・成長の兆しなしのな。
>>460 化学系の大学の実験室などアスベスト使ったものがもうそこらじゅうにあったよ。
いろいろ言われだして実際に改善の動きがあったのが1990年代の中頃かな。
金網のアレ程度なら毎日扱ってもほとんど問題ないとは思う。
もっと怖いのは、そのうち建物の中の除去作業とかが行われて、
それが終わったあとたぶん数年は舞ってたんだろうなぁと思う。まぁ仕方ないんだけどね。
昔は、こういう無駄な余白があれば切り取ってメモ用紙にしたもんじゃよ
>>469 初期の頃は知らないけど、騒ぎになってからの除去作業は、
建物ごとビニールで密閉して、外に漏れないように負圧をかけて
完全防護服着用で作業してるよ。
一定以上の量を吸い込むと通年後に中皮腫を発症して死に至るからね。
今でもアスベストの残っている建築物は残っていて、とりあえず
飛散しないように樹脂で固めて表面をサイディングなどで隠しているけど
いい加減な会社の場合は、除去や固化の費用を惜しんで報告すら
しないところがあるので、古いコンクリートの建造物は地下室や倉庫、
天井裏、配電盤のあるパイプシャフトなどは立ち入らないが吉。
472 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/27(木) 22:57:36 ID:i+7Zi0Pl
昭和は貧しくとも高度経済成長の真っ只中だから
希望があった
今、昭和レベルになっても何の夢も希望も無い
テレビでミニスカートブーム(1970年くらい?)の時の映像を見ると、日本人の足の太さにびっくりする。
ものすごいぶっとい足で堂々とミニスカート。まあ、足だけじゃなくて全身今より太いんだけど。
体重の絶対値だけ低けりゃ良しの今よりよほど健康的だったな。
>>473 最近の子はスタイルが良すぎる
足もビックリするぐらい長い
やっぱ正座をしなくなったせいかな
その頃の男性は今よりも足が長かった。
今はズボン下げなどの足の動きが阻害されたファッションのせいか、
足の発達が妨げられていないか?
>>476で思い出したけど、小学生の時長ズボンをはいてる男の子に対して
緑のおばさんが「男のくせに長ズボンなんかはいて!」と意味不明なしかり方してたなw
男のくせに〜というのもわけわからないし、なんで長ズボンがいけないのかもわからないし。
あのおばさん、今生きてれば何歳くらいだろう?80歳くらいか?
半ズボンからはみ出た「横チン」愛好家とみた♥
ベルボトムなパンタロンって感じの長ズボンだったのだろうか。
正座のせい ってのは都市伝説だよな。成長期の栄養のせい。
でも、O脚になるかどうかは遺伝らしい。母親と俺と息子と体型がそっくりorz
図書館に食べ物の買える売店があったり、食堂があったりした。
売ってるのはしょぼい菓子パンだったり、微妙な味のカレーだったりしたが、
これがおいしかったんだよなあ。
>>477 そのおばさんの所に男子みんなでミニスカートを穿いて行き、
「おばさんの教えに従って僕たち長ズボンやめました!」と言ってみたい。
そのオバサン(イメージキャラクター岩下志麻)から、
氷のように冷ややかな視線で見下げられて
何かが目覚めてしまうのですね
半ズボンで思い出したが、
家からスカートをはかないでブルマーで登下校して一日中学校で過ごしたり、
公園で遊んだり、家で過ごしたりする女子が結構いた。
上は普段着のブラウスとか(+名札)。
運動会の時期になると格段に増える。
それがカッコイイ、イキにみえるのか、高学年から低学年へと波及していった。
となりの学区(校)では、男女とも体操着で登下校していた。
制服いらないじゃん
ブルマー廃止とは嘆かわしいのぉ
いたね。ブルマ普段着にしてる子。
高校までは制服のスカートの下には
みんなブルマーはいてたな
それでスカートめくりっこして遊んでたw
>>481 そういえば、最近、見ないね>図書館の食堂や売店
地元の図書館では、改築を機に食堂が無くなり、
売店もおばちゃんが引退したら無くなった。
今は外部業者に委託してるけど、昔は区で人を雇ってたんだってね>食堂
緑のおばさんもそうだけど、人件費がすごかったらしい。
売店の方は、元々は戦争未亡人救済の一環で鑑札を与え、
家賃とかとらないで個人商店としてスペースを貸し出していたそうだ。
>>477 うちの小学校では、スパルタ音楽教師の爺さんが居て
「男子の長ズボンは軟弱! 冬でも半ズボン!」
って、校則にもないのに強制してたよ。
この爺さんがとんでもない暴力教師で
太ももを指揮棒でピシピシ叩いてミミズ腫れにさせたり、
「音楽が出来ないヤツは、芸術を理解できないケダモノ」とか
「文化的じゃないケダモノは、ナニをされても文句を言うな」とか
今だったら教育委員会に直訴モノのキチガイだったな…
特に田舎には、吉外教師が多かった
>>489 >>今は外部業者に委託してるけど、昔は区で人を雇ってたんだってね>食堂
>>緑のおばさんもそうだけど、人件費がすごかったらしい。
地方公務員ってだったってことだからね。
ウチの方は、今は大手のコンビニや、給食業者、メンテ会社が請け負っているけど、
小学生のころ、先生から、市立病院の売店や食堂、掃除で働いている女性は、事故や病気でこの病院で旦那さんを亡くした人達だよ、と言っていた。
感心して、母に話すと、
「そんな人たちが全員病院で仕事に就けるわけないじゃないか。
上の人にお金を渡すんだよ。事務の人も看護婦さんも、
アンタが出た保育所の先生も信用□庫や○協に勤めるひともみんなそうさ。
いくら試験でイイ点とったってダメさ。道路や橋だってやる会社がきまってる。」
そこまでズバズバ子供に話してもよかったんだろうか。
おかげでこんなわたしになりますたw
494 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/29(土) 11:53:47 ID:eUM907Jx
アニメ第一作の「ドラえもん」が「マジンガー乙」の裏で半年で終了したころ、
カラーのアニメの蓄積が増えてきて、白黒作品の再放送、サンザン流されいた
「パーマン」「ウメ星デンカ」「オバケのQ太郎」の再放送もなくなってきた。
ちょうど、学年誌を卒業し、ジャンプに移行する頃だったので、
漫画・アニメも、いまや「マジンガー」や「ガチャマン」のようなSF・メカの時代で、
藤子不二雄の名は認識していたが、普通の家にけのふざけた生き物などが居候する
低学年向けマンガを描く時代遅れな漫画家、過去の人、という認識だった。
50年代になって国民的マンガ(家)になるとは。
やなせたかしも、子ども向けの雑誌や、家庭向けの雑誌に数ページあるコーナーによく登場していたが、
絵やセリフに、大人が昔の子供観に基づいて描いてるような、木で鼻を括られたような感を持っていた。
アンパンマンを描く前の話し。
なぜ彼らが時代を超えて支持され続けているのか?についての考察は?
>>494 「ウメ星デンカ」のストーリーを知ったときに思ったこと。
藤子氏自身は、「やったあ、俺天才!!」と思ったであろうが、当時のすれてない子供には
「異文化コミュニケーションギャップ」の何が面白いのかさえさっぱり判んなかったはずで、
「ああ、こりゃ当たんないわ、アイデアはすごいけど。」って感じた。
ウメ星の壺は「ドラえもん」に、「異文化コミュニケーション(価値観の相違)ギャップは
大人向けSFに生かされたであろうことだけは判る。
当時の藤子作品ってほとんどそのパタンだよねw
異世界からやってきたちょっと変わったキャラと小学生の日常。
怪物君、Q太郎、ドラ、クロベェ、モジャ公、デンカ、パーマン・・はちょっと違うか。
子供の側のキャラも乱暴者、ちょっとセコいやつ、ミニスカートの女の子、および主人公。
実に効率のいい生産方法だ。
昭和の50年代くらい?までは町中に壊れてる物が普通にあった。
公園の遊具とか水飲み場とかガムテープやビニール紐で補修してあったり街灯も年中切れてたりチカチカしてた。
トイレにエアータオルとか音姫みたいのが付いてても大抵壊れてて使えなかった。
今どこ見回しても完璧だからすごいなーと思う。
>>497 怪物くんにはガキ大将って出ないよね。
…まあ、ヒロシみたいな境遇の子がガキ大将にいびられてたら読者ドン引きするわ。
>>499 「番野」というガキ大将が一応は存在した
501 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/29(土) 22:12:35 ID:WjMK2HC9
藤子Aは短編が至高
「一人ぼっちの宇宙戦争」が印象に残ってるなあ。
それFだから
3、4歳くらいから子供だけで外に遊びに行ってた。
まあ近くに車がスピードだして通るような道路のない団地だったからかもだけど。
今じゃ小学校低学年くらいまでは親がついてきてるもんな…公園とか。
>>494 今につながる藤子不二雄ブームにつながるのは
1977年のコロコロコミック創刊から
1979年から放送されたドラえもんだったね
コロコロコミック創刊までは藤子不二雄は、
子供っぽくて古臭い漫画家と思われてたが
コロコロコミックでドラえもんを読み返してみて
そのおもしろさに改めて気付いたという子供が多かった
506 :
ザック:2011/01/29(土) 23:22:16 ID:Wh2nCnAJ
軟派はコロコロ。
硬派はボンボン。
アホーガンとかどう考えても有り得ないマンガだった
>>498 あと、停電も今や絶滅の危機だ。
昔はけっこう「あら停電だ、ろうそくろうそく」ってのがあって、冬はストーブのあかりのみ
ぼーっとついてたりしてなんか楽しかった。
停電で思い出したが、単純な放送事故も今では全く見なくなったな
「しばらくお待ちください」って静止画が数秒間表示されるの
>>508 そういや阪神大震災のとき
かなり被害のあった地域に住んでいたんだが
地震発生から半日ほど停電してて
なんだか懐かしい気持ちがしたなあ
夕方、避難してる体育館に突然電気がパッとついたときは
あちこちから一斉に拍手がわき起こったよ
電気ってすばらしいねー
平成に入ってからの停電の記憶はそれ1回だけだ
511 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 01:53:02 ID:FQIgo5P4
新潟すぐ停電
塩害で停電 落雷で停電
雪が電線に積もって停電
冬は停電すると布団に潜るしかなくなる
まっ復旧も早いけど
少子化対策にはむしろ停電が効果的ではないかっ
頭良いなw
ニューヨーク大停電でも立証されてるしな
515 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 07:47:27 ID:cP4GEyEN
>>494 たしか、そのころはまだ、ドラミちゃんは発明wされていなかった。
516 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 08:17:07 ID:hvUrdRfL
自分が入学した時の「小学一年生」(S.45年版)を見る機会があったが、
お母さん向けの料理コーナーにクリームチーズをつかったチーズケーキが載っていたが、
このころクリームチーズ(フィラデルフィアとかか?)やチーズケーキなんて一般的だったか?
国鉄の急行も停まる周囲では比較的大きな町(市)だったけど、
スーパーはまだ進出しておらず、買い物は個人経営の○○食料品店。l
チーズといえば、雪印の6Pチーズ(おつまみ用)と牛の絵のついた塊のやつだけ。
他にも、生クリームだとかバニラエッセンスなんかも売ってなく、
家で造るお菓子も、膨らし粉を使った蒸しパンや寒天を造ってつくるミツ豆、といった昔ながらのもの。
(ハウスプリンやゼリエース、シャービックはあった)
これが地方格差だったのだろうか。ほかにも
・ポパイのウィンピーの好物のハンバーガーに憧れるが、どこにも売っていない。(マック進出前)
・カフェオレ、クロワッサンなど知る由もない。
他に「一年生」誌上で気付いたこと。
・ゆでたまご立てがチップとデール。最近出来たキャラじゃなかったことにビックリ。
・万博会場は建設途上。
・応募はがきの切手代は7円。(金魚の切手を使う)
517 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 09:12:33 ID:oRxfIgsa
停電したときは、ロウソク使ったな。
518 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 09:23:32 ID:oRxfIgsa
日曜の朝のテレビ番組と言えばパルナスのCM。
>>516 小説家の群よう子さん(昭和29年生まれ・東京在住)は、貧乏だったがうちにはオーブンがあり、
焼きりんご、クリスマスケーキ等をお母様が自作しておられてたそうだ。
昭和39年生まれ・高知在住の西原理恵子さんの身の回りには、そういうお母様は一切おらず、
日常の甘味といえばもっぱらロバパンで、ケーキはクリスマスに小さなショートニングバターケーキ
程度だったとか。
>>510 セルフ停電はたまにやる
すぐ復旧するけどw
「親の顔が見たい」だっけ、そんなようなタイトルの本で、
今の40代くらいの世代の親の世代、つまり昭和中期から後期に「母親」だった人の家庭での料理の実際について聞き取りした文庫本がある。
聞き取り対象が主に都内在住の女性なこともあり、内容的には地方とだいぶ事情が違うようだけれども、
「料理教室」「料理番組」などが流行し、都市部の専業主婦は新しい料理をどんどん作っていくようになっていて、
それが主婦としてのある種のステイタス的なところがあったようで。
ちなみに516が小学1年のころ、同様にまだ子供だった自分(愛知県内田舎地区)では、
家で作るおやつはふかしいもかゆでとうもろこし、ゆで栗、まれにお汁粉で、甘味といえば英字ビスケットとか、
定期的に市が立つので、そこで買ってくる素朴なういろう羊羹の類。
小腹が減るとちくわをかじってたw たまに母親が買ってくるマリーとかチョイスとかは「高級」だった。
そういえばトマトはまだハイカラな野菜で、祖母がそれに砂糖をかけておやつに出してきてた。
近所のおばあちゃんが竹の葉っぱに梅干を包んだのをくれたなあ。
お菓子代わりにしゃぶるかんじだった。
いまは地方格差は無いよと地方の人は思うけど、
”昔に比べれば”差が小さくなっただけなんだよなあ。
東京で暮らしてみるとそれを実感する。
名古屋や福岡ですら、やっぱり田舎町なんだなあと感じる。
根本的なところが何か違う。
暮らしやすさがどうこうというはなしとは別ね。
サルビアの蜜を吸うのがおやつだったよね? えっ、ちがうの?w
ちがうよ
ツツジだよ
桑の実とかも食べたな。
俺が小学生の頃住んでたところは
養蚕が盛んで桑畑があちこちに有った
堆肥(牛のうんこ)の臭いが印象に残ってるなあ
冬の寒い時期は、ウンコから湯気があがってた
528 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 12:59:46 ID:QNSsximM
カラスウリの実を割って足に塗ると、足が軽くなった感じがして速く走れた(気がした)。
>>505 1979以前から藤子人気あったぞ。
アニメも流れていたし、おそらくかなり多くの子供が読んでる小学○年生っていう月刊誌にも
ずっと連載されてたし。
最初のころは、学年によって話を変えてたりしてたんだなー
忙しくなったらさすがにやらなくなったけど。
サルビアもツツジもやったよ。
サルビアは細長い所を引っこ抜いて根元を吸うんだよね。
532 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 13:37:25 ID:++rkK1Dd
近所のビワの木に登って食ってたな
カミキリムシがよくいたっけ
533 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 13:58:35 ID:GaAiuqYY
「磯野家の謎」じゃないけど、作者の生い立ちや心理が作品に図らずも顕われてしまうことってあるものだ。
「ドラ…」は、一応男女両用向けなのだが、やはり作者が男性、男の子の視点、願望みたいなものがにじみ出てくる。
ありえない!と思えるのは、のび汰がいつもしずかちゃんと2人で仲良く帰るところ。
一般的に、小学校中学年ともなれば、異性とは遊び、関心、話題などが異なってきて、
同性同士で行動するはずだ。
家の方向が揃った最後の2人だったかもしれないが。
静香ちゃん以外に女の子がほとんど出てこないし。女の子の友達もでてこないし。
極めつけは、不自然な時間にお風呂に入っているしずかちゃん…。
535 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 14:16:25 ID:7HZEz0Tf
家に電子レンジがあるかないか、聞いたり聞かれたりしてた
小学生の低学年の頃は近所の同級生の女の子を送り迎えしてた
集団登校のミニマム版みたいなものだったんだろうか。
小学校の花壇にサルビアが植えてあって「蜜を吸うな」という立て札があったなあw
539 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 14:52:22 ID:D4UlTQ5s
集団下校を集団月光仮面と言ってふざけあった。
月光仮面が来ないの
停電した夜は懐中電灯で壁や天井照らしながらゆっくり動かして、
「ワレワレハ、"ミステロン"ダ」が定番の遊びだった。
「けっこう仮面」と言ってふざけあったのは憶えてる
544 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 18:25:10 ID:LUAUY6Zv
昭和とか関係ねぇだろwおまえらの子供の頃の思い出話か
ジャイアンかよっ
まあ昭和でも戦前を語れる人間はいないだろうなあ
せいぜい昭和30年以降だろう
>>529 いやいや、藤子Fの方は'70年代初頭で人気が一段落ついてたんだ
で… 小学館の月刊学童誌【ぐらいしか】活躍の場が無くなってたんだよ
(盟友である藤子Aは70年代もいわゆる少年週刊マンガ雑誌にも連載してた)
(もっとも当時はFとAとペンネームを分けてはいなかったが…)
'72〜'76の藤子F作品が、どこで連載されてたか調べてみなよ
小学館の学童誌以外ではほとんど描いておらず、
連載当時は単行本1-2巻で終わってるものばかりだから。
ちなみに、コロコロコミック創刊のきっかけは
単行本未収録の藤子F作品をまとめて出版する、だったりする。
特にコロコロ創刊当初のドラえもんの扱いは別格で
1号300ページ中の150ページとか200ページがドラえもんで占められてた。
ここから、ドラえもん再評価と人気が再燃した。
>>542 いや、電気の使い過ぎでヒューズが飛ぶだけw
一円玉なんて
財布に入ってなかった事
550 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/30(日) 20:03:24 ID:++rkK1Dd
そういや
五百円札が五百円玉になった時は何か価値が下がったような気がして嫌だった
>>516 生まれて初めて「チーズケーキ」というのを食べたのは、多分中学1年のころ、昭和50年ぐらい。
友人の家に遊びに行ったら、お母さんの手作りで焼きチーズケーキを出してくれた。
友人の父親は地元の新聞社の結構偉い人だったみたいなんで、それなりに田舎では
ハイソないえだったんだろうけど、それを食べたときに
「ああ、これが噂に聞くチーズケーキというものか」
と思った、という記憶があるので、そのころには、とりあえず名前だけは知られてたものじゃないかと
思います。
でもたしかに近所のスーパーにはクリームチーズなんてなかったような気がする。
デパートの地下とかなら売ってたんでしょうかね?
デパートや紀伊国屋とか明治屋とかの輸入系高級スーパーなら
売ってたろうね。>クリームチーズ
手頃な値段のケーキといえば
ショートケーキ・モンブラン・サバランか不二家のチョコケーキくらいだったなぁ。
(自分が通っていた教習所だけかも知れないが)
現在のように「AT限定」なんて免許は無く教習は当然マニュアルだけ。
オートマチック車の運転操作方法なんて教えてもらえず
家で買った車を初めて運転するときにクラッチペダル無くて困った記憶ある。
高速教習も「高速まで行くと教習時間内に帰れないから」と省略。
今は人命救助の実習まで行っているようだが習った記憶ない。
昔は小学校3年ぐらいになると、
女子がお菓子作りやりだしたなぁ。
ママプリン、ママゼリー、フルーチェ、クールンなどでw
時たま、男子にも「味見する?」と声をかけるのだが
男子は4年ぐらいまでバカにして行かないw
ところが、5-6年になるとお呼ばれするのがステータスw
…昭和のゼリーは寒天ばっかりで、独特の匂いがあったのお。
あれが苦手で苦手で。
体温ですっと溶ける、ゼラチンゼリーには驚いたもんじゃったわい。
ゼリーといえば、オブラートとセロファンで個別包装されたカラフルなアレのことだったよな。
近所に工場があって、友達のおかんがあれの個別包装の内職をやっていた。
あっち側とこっち側をどういうふうにねじれば、端を持ってひっぱったときにくるくると剥けるのか、教えてもらった。
そういえば、おかんというのは子供が学校に行くようになると内職をするものだった。どこでも遊びにいくとやっていた。
部品組み立て、袋詰め等々。大葉を10枚数えて輪ゴムでとめる、なんてのもあった。
559 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/31(月) 10:40:57 ID:X4145Wxs
デジタル腕時計してる奴は、みんな地球防衛軍だった。
560 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/31(月) 11:50:21 ID:aC96HbU/
デジタル腕時計、出始めは高かった。
それ以前のアナログ自動巻きの場合時計は狂うのが当たり前で
クォーツなんて物凄く高くて高級品だった。
今は1000円の時計も、500000円の時計も精度は大して変わらない・・・
今は携帯電話があるから、デジタル時計どころか腕時計さへしない人が多いもんな。
若者の腕時計離れ(笑)
今は高級自動巻き時計はかなり精度上がってるよ、勿論ものによるけど。
下手なクォーツ以上だったりするよ。
当時、身内から入社祝いなどでもらう記念品は腕時計か万年筆だった。
一生使えるものの代表だった。扱いが悪いとすぐ壊れたが。
腕時計はまだ使われているけど万年筆はずいぶん廃れたなぁ。
プロレスの月刊誌の裏表紙は腕時計の広告だったな。
今は機械だと思うよ。
電卓の組み立てとかも昔は内職仕事だったらしいね。
今の中国がそんな感じでおばちゃんたちが電子機器とか組み立てているらしい。
初期のデジタル時計は液晶ではなく発光表示だった、電卓も。
夜はどのお店も閉まっていた事
お正月もお店が全部店休日になる事
あの雰囲気が何だか好きだったなー
LEDじゃなく蛍光管表示だったね。
8セグメントで数字を表示できるLEDの登場はもうすこし後かな。
存在はしていても性能とコストで使えなかったのか。
いまも内職仕事ってのは存在する。
学童保育を受けるために母親が働いていることが
条件になる場合があって、そのために内職仕事を斡旋してもらう。
暮らす金に困ってではなく、マネーセーブのためにやる内職。
昔の内職にはアニメのセル画塗りも定番のひとつだったよ。
造花作りってのもあったなあ。
一個作って銭(円の下の単位)だったけど、それでも自宅で仕事して
いくらかになった。内職には互助会的な面もあったのかもしれない。
そのわずかな金額も稼がしてくれない世の中になったのかなあ。
チラシをポストに入れる仕事、ティッシュを配る仕事は若者だけだ。
>>566 今は機械。アレの機械はまたこれが見るとなかなか面白いw むかしはおばちゃんが手で一個一個包んでたんだよ。
昭和の40年代くらいのころはあれは手作業だった。
うちの近所は、複数の内職仕事を「中締めさん」という人が斡旋してくれていて、
複数の工場や仕立て屋等と契約して、いろいろ融通してもらうかわり手間賃からいくらか払う、みたいなシステムがあった。
小さい子のいる寡婦なんかには率のいい仕事がいったりしたらしいが、
そのうちに中締めさんとその寡婦ができちまって云々と噂になったりもした。
さっきテレビみて思ったけど、中森明菜って歌上手かったんだねー。
昭和のアイドルって下手な奴しかいないイメージだったけど。
おニャン子とかひどいのばっかだった記憶。
デビュー直後はともかく、3年目(1984年)ぐらいからめちゃくちゃ上手くなった感がある。
明菜ビブラートという彼女にしかできない技を持っているからね。
573 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/31(月) 21:48:34 ID:9YaNxsIa
アイドルの歌の上手さで最凶なのは浅田美代子
能勢K子はどうなんだ
575 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/31(月) 21:55:30 ID:fImF+7V7
中年で小太りの男の人多かった。
今みたいにダイエットダイエット言ってなかった。
今の中年カワイソス。
576 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/01/31(月) 22:08:10 ID:STDZttnQ
一応は当時のアイドルも半年くらいのレッスン期間を経てからデビューしてたんだよ
まあ元がルックス重視で選ばれた素人だからレッスンしてもたかが知れてるが
その中でもおにゃん子は即席で下積み無しでデビューしてたので素人集団と言われてた
>>568 > お正月もお店が全部店休日になる事
物が売っていない場所で貨幣は無価値であるという経済学の
初歩知識が、お年玉でにわか成金になったのに使う店がねえ!!
という形で、子供にも実感できたw
>>574 彼女は最狂。
いやマジでね、いつだったか「アテンションプリーズ」だっけ、歌ってる映像を見たとき、これは狂えると思った。
単なる音痴じゃなくて、はずしかたが浅田美代子基準で考えても斜め上をいってる感じ。
>>575 そうか? 今43で175センチ65キロ。軽めにだけどウェイトをやっていて体脂肪
率15%くらいだけど、俺らのオヤジの世代よりそういうことに気を付けないとって
意識や知識持てる分いいんじゃないかと。
オヤジ43(俺15)の頃はもっとブヨブヨだった覚えがある。
>>570 包み紙で思い出したが、
チョコバットが密閉されてなくて、キャンディの包み紙みたいに、端っこを捻ってあっただけだった
グリコ森永事件まではお菓子の包装は結構いい加減だったよね。
一回開けて包み直しても分からないようなのもあった。
お菓子だけじゃなく食品全体がそうだったかも。
582 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/01(火) 00:37:21 ID:fDXqXl2J
昔はマンモス校がたくさんあった。45人学級で一学年13クラスとか。
>>581 あの事件直後の一時期、グリコ製品には、剥がすと「開封済」の文字が残る
銀色シールが外装フィルムに貼られていたな。
>>582 私の通った小学校は55人学級で一学年10〜14クラスだった。
個人の自由や個々への対応などゼロで、何をやるにも十把ひとからげだった。
クラスの誰かが悪さをすると、(誰がなぜ何をやったのかがよくわからないので)代表で学級委員が怒られた。
子供心に理不尽だと思った。
>>550 昭和が終わる頃まで500円玉の使える自販機は割と少なかった気がする
JRになった国鉄はまだ自動改札でなく、切符の自動販売機も高額紙幣が使える機械は端の一台だけだったりした
いつの間にか、千円札の使えない自販機の方が少数派になったな
>>554 教習は第4段階まであって、仮免試験の他に「見極め」という進級試験があった
今は二段階だから第2段階とかわざわざ言わなくても、所内か路上かなんだよね
仮免では高速に乗れなくて、教習は免許取得後のオプションだった
・券売機には、下部に「こども」と書かれたフタがついていて、料金ボタンがもう一組揃っていた。
・デカデカ「小」と赤きスタンプが押される。
・インク補充したてだと手が汚れる。
・東京、上野などの大きな駅には、赤帽とともに、日本円の両替商が店を出していた。
手数料は100円で5円。1万円で100円。適度に小銭混じりになるが、両替機も出回りだし、今と違って、
たいていの店で両替に応じてくれたので、むかしはそれなりに繁昌したのかもしれないが、
国鉄の民営化前後に姿を消した。
・キセル発見は駅員の名人芸。挙動で判断しているといわれ、発見率が低く、
自動改札導入前は、普通の学生でも、定期を休みの日に映画を買い物等に使うなど、一般化していた。
・回数券は窓口で買うが、表紙がついた、切り取り線つきの小片がつづられたもの。
表紙に有効期限が押されているので、自分で切り取ってはならず、改札で駅員に提示し、はさみを入れてもらう。
肉体自慢が軽くスルーされてて小気味良かったw
いい年して、全然噛み合ってないレスしてまでの自慢だったしね
物事の理解力が皆無っぽかった
丙午(昭和41年度生)は人数が少なかったな。
上と下は45人×5-6クラスだったけど
丙午は32-34人×3クラスだった。
大学受験の時、S40年組が計画浪人して
ワンランク上の受験狙ってたっけ。
あとから考えれば現役で入学して、バブル絶頂期に就職する方が美味しかったのに…
>>562 SEIKOの作ってる「Grand SEIKO」っていう高級時計のシリーズだと、
自動巻きで発電して、クオーツで動く、という昭和のおっさんには夢のような
腕時計がありますね。
そのシリーズでも、もっと高級なヤツだとクオーツなしの機械式自動巻きだけど、
自分はクオーツ自動巻きに激しくそそられますw
入学シーズになると腕時計のCMがどんどん流れたな。
聖子はセイコーとか、寒々しいダジャレが何のためらいもなく使われていた。
入学祝いは、腕時計かでかいステレオが多かったと思う。
俺のまわりでは時計か万年筆だったなー
あと図書券か
あれ、定期って平日限定?
そんなわけないと思うけど
>>590 スプリングドライブの技術時代は昭和からあるのですよ
セイコーの販売戦略がタコなだけでw
>>593 平日の通学…正規使用。
休日の映画、買い物…遠方の駅で初乗りきっぷ+定期で下車
「暮らしの手帖」は昭和中期から始まった郵便番号制度が嫌いで
わざと奥付に郵便番号書いてなかった。
その後、郵便番号の商品テスト(配達実験)をした結果
わざわざ「今号から載せることにしました」と断り書きをした。
中村何とかという俳優を見て、この人のお父さんの梅ちゃんの時代劇を
家族でいつも見てたなーと思い出した。
伝七捕り物帖とか遠山の金さんとか。
底抜け脱線ゲーム、歌謡選手権、お笑いオンステージなど渋い番組も見ていた。
多分小さい頃はチャンネル権がなかったからだろう。
一家団欒が普通のいい時代だった。
598 :
590:2011/02/01(火) 16:31:03 ID:SurnhxE7
>>594 へー! 知らなかった!
「太陽電池で動く電波時計」というのも未来だなあ、と思うけど、
「自動巻きクオーツ」というレトロフューチャーな感じがいいですよね。
時計といえば、昔やってたCMで
「なぜ時計も着替えないの?」
という大ヒット作があったんですが、初めて聞いた時は
「腕時計なんて高いもん、そんな着替えるほどいくつも買えるかよ、ヴォケ!」
とか思ってましたが、すっかり時計も安くなったもんです。
メガネもそうだね。
昭和期にメガネを何本も造るなんて相当キザな行為だったはずだ。
5割引きを売り物にしていたメガネドラックでも2万円くらい。
普通のメガネ屋なら4万円位してた。
それがいまや1万円を切るようになってきた。
「きみ!そのメガネはレジャー用だよ!ビジネス用に換えたまえ!」とかいうCMがあったよな
ラジカセは宝物
602 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/01(火) 22:16:03 ID:EBkTyHMB
ゼリーといえば、子供の目を引く、赤…イチゴ、緑…メロン、橙…オレンジ味が延々と続いていたが、
S.55年ごろ、突如「コーヒーゼリー」「ワインゼリー」が流行りだした。
ところで「ワインゼリー」って子供が食べてもよかったのか?ウィスキーボンボンみたいなもん?
車や冷蔵庫にも「ワインレッド」と言う色が流行った。
サツマイモ色のフェアレディ「乙」という笑い話もあった。
そういえば昔は「貴重品」という物に貴金属の他に腕時計、万年筆、
メガネが含まれていたね。
金庫や鍵付きの箱にしまっていたりしていた。
割と普通の家庭でも小さいダイヤル式の金庫ってあったよね。
現金とかはほとんど入っていなくて上記のようなメガネ入れになってたり
してたけどw
万年筆って中1コースの年間予約プレゼントになってなかった?
兄がもらって見せびらかしてました。
子供には使わせてもらえない筆記具。これで筆記体でササッとサインをする。
それに憧れる心理をついた特典だったわけ。
でもそのころにはボールペンが主流になっていて、万年筆でものを書く習慣はもう廃れつつあった。
だから、原価100円程度の万年筆をオマケに出来たんだろうが。
いまや「小学一年生」の付録が電子ピアノつき筆箱だったりするもんなぁ。
シャープペン(呼称シャーペン)の芯が、なぜか金色ってあったよな。
別に書いたとき金色になるわけじゃないのに。
シャーペンの芯先数ミリが金色にするというこだわりか。
>電子ピアノつき筆箱
なにそれ自分が欲しい
>>603 街の時計屋って宝石屋も(時にはメガネ屋も)兼ねてたよね。
今や時計は100円で買えるからなあ。
>>593 最低区間の切符で入って、降りるときに定期を使って出る、
ということは電子化されたいまはできない。
いわゆるキセルって奴か。
611 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/02(水) 07:16:05 ID:ilTefsWI
日本は運賃高過ぎ、外国の5倍くらいする。
そのかわり、定時運行や安全対策、駅ビルの店の充実度などが外国より半端ない。
定時運行は旧国鉄が率先してはじめたものだけど、それが日本人に影響を与えて、
今の時間に神経質な日本人ができたと書いてる本があったな
613 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/02(水) 07:41:02 ID:FK1luqPb
地下鉄の初乗り運賃
ロンドン 4ポンド 525円
ニューヨーク 2.5ドル 203円
パリ 1.6ユーロ 180円
東京 160円
617 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/02(水) 08:23:26 ID:AihaaG4t
鉛筆を使えるギリギリの長さまで使うのが褒められていた。
消しゴムも小さくなるまで使うのが推奨されていた。
でも、成績のいい奴は、小さくなった文房具などは使わず、どんどん買い換えるのが多かった。
>>606 ゴールド芯は金粉でコーティングしてあるため「手が汚れない」のと
ぱっと見た目の高級感がウリだったと思う。
今のように、ちょっと変わったものや便利なものをメーカーが発売しても
すぐ100円ショップに類似品が並ぶようになった時代では
シャーペンの芯ぐらいで高級感や差別化は話題性にならないだろうな。
619 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/02(水) 09:42:07 ID:ilTefsWI
パリは一日地下鉄・バス乗り放題180円だよ。
620 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/02(水) 09:48:45 ID:ilTefsWI
ニューヨークの地下鉄は最大2ドル。160円。
シャーペンの芯を木に刺すCMあったよね、バルサ材だったかな
ユニ坊主が欲しかったが、当時幼稚園&家が貧乏だったのであきらめた。
三和銀行のワンサくんノベリティグッズも貧乏が原因であきらめた。
老眼鏡なんて今はダイソーとかで100円で買えるけど昭和だと何千円何万円
したんだろうな
クビチョンパが欲しかったが、入学する頃に、建て替えをする近所の電気屋から
「ナショナル電気えんぴつケズリ」の字の入った鉛筆を大量にもらっていたので
トンボモノを買ってもらえなかった。
ナショナルの鉛筆を使い切ったのは、3年か4年生頃だと思った。
電話の近くとか、メモ書きに家庭でも鉛筆はもっと使われていたな。
記念品、粗品で広告文入り鉛筆をもらうことってなくなったな。
眼鏡のレンズはガラスがデフォだった。
いまはガラスレンズのほうが珍しい。
プラスチックなのに拭いても傷が付かないことに驚く。
昔のフルフェイスヘルメットのシールドなんて、雨滴をぬぐっただけで
傷だらけになって夜は光の乱反射で使い物にならなくなった。
いまのシールドは表面が硬くて丈夫だ。技術の進歩はすばらしい。
粉モノ扱う仕事で眼鏡が粉だらけになるから
古い度が合わないままのガラスレンズのを使っているんだけど、
さすがにそういう環境では無理だよね?>プラ
それはここじゃなくてメガネ屋で聞いた方がいいと思うの。
安価であるといいね。
>>627 今は、ものすごいハイパーコーティングのがあるよ。
高いほど傷がつかない。まあ、眼鏡屋行けばわかる。
>>622 ユニ坊主、すごく欲しかった。
復刻してくれないかな、かなり需要があると思うぞ。
>>626 眼鏡のレンズも習慣的にティッシュペーパーで拭いてると傷だらけになってたなあ。
今は丈夫だし薄いし、いちいち素材を気にする必要がなくて助かるわ。
運動会の賞品とかが鉛筆やノートだった。当時もらった鉛筆が数ダース未使用のまま
手元に残っているが今後も使うことはないんだろうな
>>585 >教習は第4段階まであって、仮免試験の他に「見極め」という進級試験があった
>今は二段階だから第2段階とかわざわざ言わなくても、所内か路上かなんだよね
>仮免では高速に乗れなくて、教習は免許取得後のオプションだった
マジデ????いつのまに???
「見極め」が無いなんて!!!
第1段階も第2段階も、みきわめあるよ
636 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/02(水) 21:47:17 ID:MaBnIU1F
親世代以上は、ノートのことを「帳面」といってて、
なにいってんのぉ?って感じた最初のジェネレーションギャップだったと思う。
637 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/02(水) 23:02:45 ID:U36weT4w
ジャポニカ学習帳〜
638 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/02(水) 23:47:39 ID:OlHEbDx6
Tシャツ、ノーヘル、くわえタバコで仕事
>>637 アゲハチョウの写真が表紙とかあったよな
>>625 小学生の頃、餞別としてクラスメートに鉛筆を配る習慣があったのを思い出した。
ジャポニカはしっかり現役だと思うなあ。
友人が、「子供が夜10時にあれが明日必要だって言い出して、24時間営業の
スーパーの文具売り場に駆け込んだ」って話をしてたから。
昭和との違いは、そんな時間にジャポニカ学習帳が手に入るということだが。
>>640 あったあった。引越しする奴ね。
ノートになったりシャーペンになったりもしたけど。
>>614 たいていの都市は1日とか1週間パスがあるよね。
観光だと1日移動しまくりでいちいち買うのは激しくめんどくさいし。
>>635 いまだに見極めの意味がわからんw
教官がもっと先に進んでいいよと太鼓判押すってことかな。
昔は人形に向かって「だいじょーぶですかー!!」なんてやらなかったでしょ。
あれは恥ずかしかった。
昭和35年の三菱ユニの1ダース箱が今、PCの前にあるよ。現役の筆箱。
自分は貧乏で買えなかったから、誰か金持ちの友達から貰ったもの。
くれた奴が誰だったかは覚えてない。手垢はワックスで磨いたりした。
消しゴムがプラスチックに変わったら、本体と融合して困った。
30年目ぐらいに蓋を本体に固定する小さなリベットが崩落したので、
小さなボルトで固定し直して使っている。あと49年使うとつくも神になるな(w
ジャポニカ学習帳はまだまだ現役だね。
去年小学校に入った甥っ子に
全種類揃えてプレゼントしたらすごく喜んでもらえた。
2冊目以降もジャポニカ使ってるらしい。
>>645 ああ、それ、いいプレゼントだなぁ。こんどマネさせてもらおう。
新しいノートを使い始めるわくわく感ってしばらく忘れてた気がする。
最近ああいう綴じノートは使わずレポート用紙とかルーズリーフばっかりなんだ。
新しいノートをおろす時の気持ちはいいね。
子供だと何だかわからないので、先生の番書をとりあえず必死に
全部書き写しちゃう。
ノートがどんどん減っていって最初の気持ちも忘れるけど。
訂正・番書→板書です
649 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/03(木) 12:10:59 ID:6Xwdzt+7
>>641夕方の店の閉まる直前に、次の日に学校でいる物を思い出して、怖い怖い本当に怖いオヤジに手を合わせて頼んで、無茶苦茶に怒られながら、一緒に文房具を買いに行ったことを思い出した。
あの当時は、その程度のことでも死刑を覚悟で言わないといけないくらい親が怖かった。
650 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/03(木) 13:50:14 ID:9H45BbMm
鉛筆、鉛筆キャップ、ペンケース、下じき、ノート、ファイル、バッグみんなサンリオだった
授業一時間ごと使う鉛筆を変えるのがデフォだった
鉛筆は一本一本イラスト違うやつにする
でもシャーペンは一本持っている
クラスの女子はみんなこんなかんじだった
高学年になり私立付属に転校したらみんなアズキ色とか緑色の鉛筆使いでカルチャーショックだった
>>626 昭和の話じゃないけど、10年以上前、仕事で4年ぐらい鹿児島に
住んでたことがあります。
そこでめがねを作ってもらったときにお店の方と話をしてたら、
「もう全国的にはメガネレンズはプラスチックが主流なんですけど、
鹿児島だけは全国で唯一ガラスレンズの方が多いんです。
桜島の火山灰でレンズに傷がつくから」
と言ってました。
住んでみてわかったけど、桜島の火山灰って、ふわふわした灰じゃなくて
軽石を砕いたみたいなジャリジャリのものなんですね。
だから、鹿児島の人は車の洗車をものすごくまじめにする。
>>640 先日行ったライブで
「新譜CDの帯を会場に持って行くとバンドのロゴ入り鉛筆をプレゼント」
という企画をやっていたので
「転校する小学生かよw」とツッコミを入れたんだが
他の若いファンの子にはあまりピンと来なかったようだった orz
653 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/03(木) 13:59:40 ID:saXlctFx
先日、母の新婚時代使ってた料理本が出てきた。
ちょっとした図鑑みたいな重厚さで
一つの料理の説明がやたら長いの。
よく読んでみたら「レンジでチン」って言うのがないから
「にんじんは下茹で5分」とか
「切った野菜を出汁で10分」とか
下ごしらえまで書いてあったから長かった。
昔は料理も大変だったんだな〜って思うのと同時に
昭和40年代で6000円もする本だったことにもびっくりした。
写真がたくさん載ってるから高いんだけど
昔は親が花嫁道具に持たせるのが普通だったらしい。
さらに昭和を遡っていくと電気とガスとが無くなる。もっと遡ると水道まで
無くなるんだから昔の台所仕事って本当に大変だっただろうな。
>>653 家の古い料理本には鶏の絞め方や解体の仕方まで載ってた
(血や内臓を使った料理レシピもある)
いまだガラスレンズの眼鏡使用。光反応機能をもつのはガラスしかないらしいから。
昭和時代はメガネフレームというと、大半がぶっとい黒のプラスティックでメタルフレームというと高級品だった気がする。
今みたいに薄いレンズがなくて、メタルフレームだとフレームの厚みの4倍近いレンズ厚になったものだ。@強度近視
だもんで、なにか衝撃があるとぽこりんと外れたりもよくした。
通称牛乳瓶の底ってやつだ。
>>600 馬鹿みたいな派手なメガネ+スーツの若いのが上司に
「君、そのメガネはレジャー用だ。仕事用のメガネに着替えなさい」
って注意されて、
その馬鹿みたいなメガネのまま真顔で
「はい」
とか言うんだよね。
サンテレビで西本監督の
「ちょこちょこ、行ってますか」
っていう料理屋のCMとかと一緒によく流れてた気がする。
659 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/03(木) 18:59:50 ID:vA7bvxK4
>>636 >>親世代以上は、ノートのことを「帳面」といってて、
>>なにいってんのぉ?って感じた最初のジェネレーションギャップだったと思う。
親くらいの世代で「ハンガー」・「衣紋掛け」、「チョッキ」・「ベスト」という人はほぼ半々だったが 、
「敷布」と言う言葉は、自分の親以外からは聞いたことがない。
660 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/03(木) 19:07:25 ID:dqZkB0qp
え、敷布は普通に使う。
>>659 病院では普通に現役の言葉だよ、敷布。
敷布団用のシーツが「敷布」で、掛け布団用のシーツが「包布(ほうふ)」。
もはや業界用語ってことなのかな。
>>651 桜島に限らず火山灰ってそういうものだよ。木を燃やした灰が降ってくるわけじゃないんだから。
ただ、いくら日本が火山列島とはいっても日常的にモクモク煙を吐いてるのは桜島くらいしかないだけ。
>>659 こないだうっかり「写真機」って口走って、平成生まれに「え?」って言われたとこだよ。
帳面というと経理の帳簿や帳票類。
これ帳面つけといてーとかまだ普通に言ってる。
>>654 じいちゃんちは昭和の終わり頃まで井戸だったけど、電動ポンプだったから普通の水道と変わらなかった
正月に手を洗ったら、うちの手が真っ赤になる水道水ほど冷たくなくてびっくりした
裏の家は10年くらい前の区画整理まで薪で風呂焚いてた
裏に薪がいっぱい積んであってキャンプ場みたいだった
NTTでは、コピーを「焼く」が現役用語だ。
いまだにチャンネルを「回す」人は多くないかw
ダイヤルする(まわす)って言い方はもうしないのかw
小学校低学年の頃、祖母の家のテレビがリモコンになった
このリモコン操作ってのが不思議で面白くって、ずっと遊んでた記憶がある
昭和50年代にはもうチャンネルを「回す」のは少なくなったよね
>>670 ああ、確かにTVのリモコンって何か不思議だったよなぁ。
繋がって無いのに操作出来るんだもん。
最初の頃のリモコンってコードついてなかった?
ビデオはともかくテレビの有線リモコンは印象がないなぁ。
サンヨーのズバコンやナショナルのマジコン。
モーター仕掛けでチャンネルが回転するヤツ。
>>672 うちにあったHITACHIのテレビがまさにそれで説明書を見ると
「この端子にリモコン(別売り)を差し込んで下さい」と書いてあったから
オプションで有線の買ってそこに接続して使うものではないかと
ただしリモコンで調整できるのはチャンネルだけで音量は手動w
その端子ってのがちょうどイヤホンを差し込む端子と同じぐらいの径で
適当に裸線を抜き差ししているうちにチャンネルが変わったときは感動したww
その端子目掛けて当時流行った電子ライターの火花をブチこんだら
メチャクチャな動作をした記憶がある
ちなみにサンヨーのズバコンはテレビ本体はいわゆる「チャンネルを回す」タイプだったから
無線であのチャンネルがガチャガチャ回るのは面白くもあり怖くもあったw
ズバコンのUはリモコン操作の対象外だった記憶が…
法がない
道理がない
ありがたいと思ってる
こんな言葉遣い今はしないよね
>>665 どっちかというと乱暴な男の子だったのに、中高とこれだけは無事だった。
リーマンの間はデスクの中で生き延び、フリーになる頃から愛着が湧いて大事にした
678 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/04(金) 07:50:54 ID:Y8kdJAC5
豆撒きと並んで、子供たちには昔からやっていると思われているカも知れないが、
もともと関西以外、少なくとも関東では、節分に恵方巻きを食べる習慣などなかった。
阪神大震災が終わったあたり、平成8〜9年ごろに、関西でこんな風習があるとニュース等で話題になり、
2,3年して関西に強いのコンビニ(ローソン・ファミマあたり?)が関東に持ち込み、
まず、おにぎりや巻き寿司を得意とするコンビニ他社がマネ、
21世紀に入るころには、ほとんどのスーパーが後を追い、恵方ロールケーキなど亜流まで登場する、
地域本来の風習すら踏みにじる、便乗、商魂丸出しで作られた、まさに、年中行事の外来種とも思える。
今年は、恵方春巻きなるものまで見かけた。
いわれも伝統行事もヘッタクレもないな。
正月の門松、祭日に国旗を掲揚する家も絶滅しつつある…。
東西で習慣の交流があるくらい別にいいじゃん。もともとこちら関西では年越しは
麦飯といわし(だっけな)で、蕎麦なんか「なにそれ?」だったけど普通に定着したし。
>>678 日経によると、7-11広島地区のスーパーバイザーが
始めたらしいよ
つーかウチの近所のパン屋さんで
「恵方巻サンド」が売ってたよ
来年はどんなのが発売されるのかな?
オレの恵方巻き食べないか?
細巻きのくせに><
683 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/04(金) 08:56:12 ID:i82sGjyS
>>681 先っちょが皮で柄包巻きなんですね。わかります。
684 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/04(金) 08:59:30 ID:bT7mOdE4
>>678 関西でも最近だよ、昔は節分に海苔巻きの一気食いなんてしなかった、
商売人が(おそらく海苔屋)作ったんでしょ(韓流捏造にたいに)w
今、10歳くらいの子供たちは
生まれたころから、節分には海苔巻きを一気食いして、
テレビでは朝から晩まで朝鮮芸人が尻振ってるいるのを
当たり前と感じてしまうんだろうな。
もう直ぐバレンタイン、
またまた洋菓子屋の稼ぎ時(陰謀)が来ますよ!
毎年300人くらいの赤ん坊がコインロッカーに詰められて死んでた。
今は「殺人事件における1歳未満の被害者数」は毎年ひとけた。
現在のいわゆる「団塊の世代」あたりが、一番乳幼児虐待をやってたってこと。
今時の若者のほうが余程命も子供も大事にしている。
10年後はイシマタラも伝統行事になってるんですね
わかります
>>685 デキ婚、シングルマザーが生きて行きにくいのが解消されたのか
人工妊娠中絶が手軽になったのか
避妊が徹底されたのか
それとも若者のセックス離れか
俺はガキ使でハマダがネタにしてたんで聞いたのが最初。
その時点でハマダ自身が「アレ昔からの伝統や思ってたら昭和に大阪の海苔屋が始めたらしい」ってキレてた。
>>687 堕胎総数も減ってる。ここ40年ほどで5万件くらい減った。
デキ婚がそんなに白い目で見られなくなった、という要素は大きいと思われる。
シングルマザーはむしろ増えている。
それで虐待死が減ってるってことは、児童相談所がかなり頑張った成果。
あと低用量ピルが認可されたことや、避妊の知識が普及したこと、
さらに女性がセックスを拒否する主張をちゃんとするようになった事が大きいかと。
40年くらい前の堕胎は独身者より夫婦間に出来た子供の方が多かったんだぜ。
ちゃんと結婚して家庭を築いているのに「経済的」な理由で堕胎するのが珍しいことじゃなかった。
昔の人がいかに子供の命を軽くみてたか良くわかる。
戦後日本で(赤子とはいえ)100人以上も餓死させた鬼畜夫婦に
高裁判決が懲役4年と2年という軽い判決が出たことも。
刑務所はすっかすかになってるし(外国人は増えてる)、繁華街のトラ箱はほとんど
絶滅危惧種。つっぱりが格好悪くなって久しいので少年院もがらがら。
凶悪犯罪が増えたってカスゴミは煽ってるけど鏖殺事件なんかほとんど見なくなった。
学生運動の成れの果ての虐殺の森も無い。
治安は良くなってるが故に昔ならニュースにならなかったことが大ニュースになってる
のはひしひしと感じるな。
子殺しは減ったかも知れんが逆に犬猫は大量に処分される世の中になった
一番多いのは子猫の処分
それ、子殺しと絡める必要あるの?
野良猫の存在を許さない世の中になったのだろう。
都会から野良犬は絶滅した。
少年誌にレイプシーンが堂々と載ってたな。
シティーハンターがターゲットの婚約者をレイプ。
悲鳴を録音して吹雪の中で再生。
ターゲットは婚約者が襲われていると勘違いして救出に向かう。
そのスキをついてシティーハンターがターゲットを射殺。
という無茶苦茶な話がジャンプに載ってた。
記憶違いじゃないかな、シティーハンターにその展開はありえない。
ブラッディエンジェルズか?
ブラックエンジェルスか
ドーベルマン刑事じゃないのかなあ
お嬢さんいい事しましょうねえ、ウッヒッヒー
なによ、キャー、ヤメテー
的な画像なしのシーンとか?
>>653 ああ そういえばうちの母もそんな感じの料理本持ってる
あと同じシリーズの高そうな生活百科とか。
旅行の項目に「沖縄は返還後5年間限定の特別免税期間中なので
今のうちに行っとけ」とか書いてあった気がする。
>>693 はぁ?どこの国の話?
このスレずれてる人多すぎるわ。
過疎地の老人ばっか?
牛肉自由化する前は、本当に牛肉が高かったから、
沖縄旅行イコール分厚いステーキを食べる
だったなあ。
S55年の東京で、牛コマ100グラム350円ぐらいした。
706 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/05(土) 12:22:59 ID:g6XWBWnd
昔、人さらいと犬殺しがいた
後から考えてみるとこいつらはみんな朝鮮人の仕業だったと分かった
>>705 ビフテキって文字通り垂涎のごちそうだったよなあ。
鉄郎もメーテルにビフテキを食わされていた
ビーフステーキ=ビフテキ
ポークステーキ=ポクテキ?
710 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/05(土) 15:12:38 ID:lpnbXPig
ガキの頃に、でっかい野良犬がいて、学校に行くのが恐怖だった。
ポインターとか、ボクサー?とか、考えられないのがいた。
後、犬猫の死骸を河や空き地にムシロにくるんで、あちこちに放ってあった。
711 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/05(土) 15:23:13 ID:QhbcWZ1t
ビフテキは小中高大と食ったことなかった。本物食ったのは社会人になってから。
>>709 上野・浅草あたりのとんかつ屋や洋食屋では、
ポークステーキをトンテキっていうね。
上野たいまるのトンテキは美味しいんだけど高い…
そういや、昔は、ローストビーフはビフテキを超える高級料理で
中途半端なパーティーぐらいだとローストポークが出てきたw
>>699 シティーハンターは初期に路線変更して別物になったよね。
連載初期ならそういう話があっても不思議じゃない気がする。
ボウガンでわざと急所を外して何発も撃ち込んで嬲り殺しにする、
半殺しにした人間を坂道に駐車した車に放り込み、そいつが逃げようとしてサイドを引いた瞬間に車を爆破する、
というように初期のリョウは極悪非道だったからね。
何か違う気がする・・・
おー!
解決!
でもなんでステーキ?
ビーフソテーではだめ?
>>653 >>703 うちも自宅にその手の本があった。
外にも冠婚葬祭の手引きみたいなのとか。
今思い出したけど、交際から婚約やら結納とかの作法に続いて、
「独身時代の手紙などは嫁入り前に処分しておきましょう」
とかもあった。
他にも、初夜の心得みたいなのも。
うち、何故か初夜の心得的な本があったよ。
ネタとして面白かったんで、よく読んで笑ってた。
印象的な記述は「女性らしい嗜みとして『恥ずかしいから灯りは消して下さい
ます?』と慎ましく尋ねるのも大切なことです」「最初の夜に着用する下着は
白に限ります、黒などはもってのほか」などツッコミまくりたい、いつの時代
だよ感満載だった。
719 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/05(土) 21:58:10 ID:ZRUtx42v
東京じゃ新幹線が走り始めた頃
俺が住んでいた北陸ではD51やC57が汚い客車を引っ張っていたのだが
中学時代、どのぐらいのスピードで飛び下りられるかが流行ってた
汽車が停車するどれぐらい前にホームに下りられるか、まあガキの武勇伝だわな
今の電車はドアどころか窓すら開かないからな
詰まらん世の中だな
>>719 お前の行き様(笑)がツマンネーよw
そのときに頭でも打って、さっさとショボイ人生終わらせとけばよかったのにwww
電化前の福知山線で、走行中の車両(ドア無し)から思い切り体乗り出して
ウィンドサーフィンみたいな格好して楽しんでました。正直スマンカッタ。
しっかし、昔の子供ってワイルドだったなあ。
だから死亡率が高かったのか。
723 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/05(土) 23:57:54 ID:ZRUtx42v
>>721 そりゃ空調が無いから、身を乗り出すなんて大の大人でもやってたよな
夏は客車の最後部の連結部分が最高の特等席だったわw
昔の列車はテメーの判断で乗るか下りるか決めるもんだったからな
70年代あたりからか「列車が止まってから下りてください」アナンスが始まったのは
詰まらん世の中だな
>>722 半分死ぬから4,5人作るのが普通だった。
725 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/06(日) 05:55:20 ID:Yk+gMChh
そういえば、つまらん事故で近所の子供が死んでたわ。
井戸や用水路、川や池で溺死、自転車で壁に追突して死亡、
交通事故・・・
昭和30年代末頃生まれ。
ダンプの内輪差が認識されてないわ、運転席からの死角が多いわ、横断歩道での左折の時に
徐行しないわで、しょっちゅう運転席から見えにくいサイズの子が轢殺されてたよね。
自分が小学生の時も、隣の学校の一年の子がぐしゃっと。
うちの方では、小学校の高等科から教練が始まるのだが
それが嫌で嫌でたまらんかった
その中でも一番嫌なのが銃剣術の時間でさ
近くの連隊本部から伍長あたりが出張って来て威張り散らすんだよ
「腰が入っとらん!」とか「お前みたいな腑抜けが実戦で役に立つか!」とか
在郷軍人で万年伍長のお前は実戦を経験したのかよw
そして何かあると馬鹿の一つ覚えの如く
「貴様!それでも天皇陛下の赤子か!恥を知れ!」とビンタするわけだ
こんなことやってるから陸さんは嫌われるんだよなw
だから俺は中学4年で海兵団に志願したわ
728 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/06(日) 06:45:06 ID:gUSV3GKy
ローラースルーGOGOで死亡者続出
そういえば今の子供は当たり前のように自転車乗る時ヘルメットかぶってるな
それだけでも随分死亡率下がるんだろうな
小学生の時は夏になると近所の川で泳いでた
学校にはまだプールがなかったし、川が身近だったこともある
だけど危険なことには変わりなくて、上級生が一人溺れ死んでたりした
>>716 ソテーというのは「炒める」ってことだから「ステーキ=焼いた肉」とは違う調理法。
豚肉は確実に中まで火を通すために、あまり厚く切らず、そのぶん、じっくり火にかけることをしないので、
多くの場合、ソテーと呼ぶのがふさわしい調理のされかたをしているんじゃないかな。
牛肉だって、じっくり焼くのではなく、薄切りにしてジャッジャッと火を通せばソテーだよ。
逆に、厚めに切った豚肉にしっかり火を通すよう焼けばポークステーキ。
北海道のとある山岳鉄道の話だが、列車がダム湖の橋を通過するとき、
昇降口の手すりに捕まって空中遊泳するのが当時の小学生に流行ったんだと
733 :
↑:2011/02/06(日) 10:08:53 ID:92bCjUWS
×昇降口の手すりに捕まって空中遊泳する
○昇降口の手すりに捕まって身を外に乗り出して空中遊泳する
>>729 昔の通学用ヘルメットって効果が無かったらしいね。
乗車用ヘルメットの構造ではなく、対落下物用の作業ヘルメットの構造だった。
今から思うと結構危ないことしてたよな
自分で言うのもなんだが、おとなしくて真面目なほうだったオレでも
そこそこいろんなことにチャレンジしてたよ
息子が同じことやろうとしたら絶対止めるわ
>>727 アホにマジレスするのもなんだが
ウチの曾爺さんも同じこと考えて海軍に入ったら
陸軍以上に殴られたという話だそうだ。
737 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/06(日) 12:35:44 ID:CgG1fX6x
太平洋戦争に導いたのは海軍だろ。陸軍は米と戦うつもりはなかった。
当時の日本のGDPは米国の1/13以下。
現在なら韓国orメキシコが米国と戦争するようなもの。
>>737 陸軍さんがヤンチャしすぎたからアメリカさんが出張ってきたんじゃないか
つか思い切りフィリピンに攻め込んでるし
あの戦争について、
日本が悪かったとか勝たなくて良かったという意見に誰も疑問をはさまないのが
戦後教育(洗脳)の成果だな
フィットネスのプールに赤ん坊連れてきて、パパママ一緒にバチャバチャやって遊ぶ
のに高い金払ってる。同じ事をそこらの川でできた俺達は危険と隣合わせだがぜいたく
だったな
742 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/06(日) 16:36:29 ID:Yk+gMChh
その川で釣りも出来たし、
オイカワばかりだったけどw
どぶ川で藻を集めて団子作ったりしてたなー。
流されたら危険な川なんだけど、大人が誰も止めに来ないという・・・w
その川にはいろいろな電化製品が捨てられていたわなー
あと、小学校でクラスごとに作った七夕の短冊つき巨大竹を先生たちがボンボン投げ入れてた
川口浩探検隊の真似をして近所の竹やら何やらが沢山ある林みたいな凄い地主の家の私有地に
無断で進入し、死体を発見したのは甘酸っぱいおもひで。
747 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/06(日) 19:02:44 ID:h6+jpfdQ
どこかの会社の所有のグラウンドで、無断で野球とかソフトとかして
学校に苦情がよく来ていたな。それでも何処吹く風だったなあ。
>>685 コインロッカーベイビーズ思い出した。
あとで探して読もうかな。
749 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/06(日) 20:16:51 ID:aO43NItL
女の子の名前は7割は「○○子」であった。
「え・み・こ・よ」のどれかで終わっていた。
○か(ユカ・ミカ)とか、(愛子ではなく)「愛」なんて、文学肌というか相当気取った名前だった。
(40年前後生まれ)
>>740 テレビやラジオではともかく、書籍やネットでは沢山はさんでるだろ。
まぁ冷静に見ても陸軍さんは張り切りすぎだが。
しかし下手したら、俺も軍事教練受けて南方に駐留兵として派遣されてたかもなんて考えると、勝たなくて良かったw
>>740 これは結果論だけど、俺も先の大東亜戦争は負けて良かったんじゃないかと思ってる。
というのはもしも日本がアメリカに勝っていたら、一時的にロシアとアメリカが手を組み、
第三次大戦になって今度という今度は日本が再起不能なほど破壊し尽くされていたんじゃないかと予想するんだわ。
白人のプライドからして、あいつらは勝つまで徹底的にやるだろう。
そのためには一時的にせよ、米露連合という世界最強にして最凶な同盟もあり得るだろうよ。
いいんだよ。
それでなくとも日本は、国土を合計したら日本の100倍は優に超える超大国相手に2勝1敗で勝ち越しているんだから。
それで十分だろ。
…うちの街では、今でいう発達障害の青年が徴兵されて帰ってきたら、人格障害を併発させるか悪化させるかで
ちょっとしたことでバーサーカーモードになってしまうようになったというマジでシャレにならないケースがある
ので、(この青年と、彼がしでかしたことは結構有名で、色々な創作物のモデルになってます)徴兵が廃止されて
良かったです。
753 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/06(日) 23:04:07 ID:NoGvZrEB
ランボーだろ
戦地で死姦趣味に目覚めて復員して来た小平事件の奴とか?
お米の中に小石が混ざってた。
バラエティの効果音が「おばちゃんの笑い声」
>740
ひとつだけ確実な事がある。
まずあり得ない事だが偶然が重なって日本が勝ってたとしたら、
お前がこんなゴタクを並べられる場所は存在してない、って事だ。
>>756 あったあった。
ガリッとしたあのいやーな感触思い出したw
>>755 小平事件ぐぐってみたけど、日本軍人も品行方正じゃなくて、やることはやってたんだね…
小平事件の犯人は、大陸でも強姦などをやってたんだって。
そうなんだろうとは思ってたけど、ネトウヨの宣伝で認識がおかしくなってきてたので、
こうして生々しい話を読むと認識をひきもどされる。
>>758 今はブサヨの意識が蔓延しすぎて
そんな生活も危うくなってるがな
人権意識のない中国・朝鮮マンセーして
日本はすべて悪かったとかマジキチ
なんでバカサヨがいるの?
>>761 だんさん、そんな話するんだったらとっとと出てってんか。
ブサヨきめえ
>>763 都合が悪くなったら方言で書きこむのが流行ってんの?
最近よく見るわ。
都合が悪くなったというよりも・・・・・またかw
っていう展開だからじゃね?
>>768 またかよって言う意味もあるけど、マターリ出来ねえんなら出てけって意味だよ。
>>768 ブサヨがスレ違いの話を広げていったんだろw
自発的に出て行くつもりなら文句はないがw
ついでに北朝鮮にでも引越しすればいいよ
武闘派左翼?
民主党は連合赤軍系の極左集団ですよ
じゃあ自民は国粋ヤクザ集団ですか?
ちょっとカプサイシン提供してくる
昔の家電は街の電気屋が大きいカバンに工具入れて家に修理にきてたな
今じゃ修理するより買い換えた方が安くつく場合があるよな
昔は修理する人はエンジニアだったけど、
いまは部品を交換するだけのチェンジニアになってしまった。
街の電気屋さんには、蛍光灯や乾電池しか買いにゆかなくなっちった。
今の家電は汎用部品を使ってないからねえ
真空管テレビ時代だとテレビ本体に回路図がついてたし
回路図集が毎年出てた
テストポイントという端子があって、症状であたりをつけて
さらにテストポイントにオシロスコープあてて確認、部品交換って
な感じで修理出来たな
うちの近所には1970年代ぐらいまで、
テレビとオーディオ専門の修理屋さんがいたよ。
TVは修理だけでなく、再生品を販売したり、
どっからか部品調達してきて、オリジナルTVも売ってた。
あとバブルの頃には引っ越しちゃったけど、廃品回収屋さんがいて、
高校生の頃はバイクの部品を分けてもらったりした。
キロ単位いくらで売ってくれたから、
週に一度は覗きに行って、掘り出し物がないか探してたなw
バイクやら車やらも調整のしようがないよな、今。開けた瞬間に
「ああ、無理だな」って感じ。でも部品ごとごっそり交換するのは
簡単になってたりする。
ICの発展以来発想が変わってるんだろうな。
いまはめいっぱい貧しくて、これから経済発展する国では
いきなり携帯電話とデジタル液晶テレビにノートパソコンが来るわけだ。
車も電気自動車かもしれん。
そういう所では、われわれが見聞きしてきた修理屋を説明しても
理解してもらえないかもしれないなあ。
ラオ屋とか鋳掛屋を理解してもらえないようなものか。
羅宇屋やら鋳掛屋なんて古典落語でも聞いてないとわからんだろうw
修理といえば、かけはぎ屋さんも見なくなったなぁ
いろんな技術が失われていったんだろうなあ
>>782 ところが、最新号の洋裁雑誌の裏表紙をぺらっとめくると
「かけはぎ技術の習得で自宅で収入を!」と広告が出てますよ。
>>784 個々の専門店がなくなったとは言え、業界の裏は意外にアナログ…な気がする。
かけはぎは細々と生き残ってるよ。
リフォーム屋でかけはぎも請け負うとこはわりとある。
ただし上等な衣類だったら専門の所に頼んだほうがいい。
プロの仕事はどこを繕ったかまったくわからなくて感動する。
真室川音頭 を、まぐろ川音頭 だと思ってた。シャケみたいにマグロが上ってくる・・・
小卒でも総理大臣になれた
789 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/10(木) 13:28:43 ID:6ghi/Zq3
昔のステレオは、引越しして周波数が変わると、回転数も変わって使えなくなった。
790 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/10(木) 13:49:53 ID:xn+zl1Vc
自転車屋、バイク屋で修理して貰うと、すぐに必ず再び故障した。
あれは何らかの手法を使っていると思う。
791 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/10(木) 14:21:06 ID:kiCjt2Jf
792 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/10(木) 14:31:10 ID:kd1T60Id
昭和末期の小学生だけど、冬が今より寒くて、雪国でもないのに登下校で手足がかじかんでた。
しもやけって最近聞かないよね。
家が土壁で一部が崩れるとその都度アスベストで補修していた
>>792 満員電車でブーツ出勤だとしもやけになるお
電車内でムレムレ→外歩いてるうちに冷えてしもやけパターン
>>789 周波数同期モータじゃないプレーヤーには、ベルトを掛けるプーリに
50Hzと60Hzそれぞれの場所があった。
リムドライブのプレーヤーはキャプスタンを駆動するローラー(?)が
50Hzと60Hz二種類同梱されていた。
考えてみれば、二十一世紀になっても電源周波数は西と東で違うままだね。
違っていても無問題という方向に進化したわけだ。
周波数切り替えスイッチがついてる家電製品もあったよね。>昭和期
あの切り替えスイッチ、いつの間になくなったんだろう。
体重計もだね。昔は周波数の違いで切り替えていたような。
横に切り替えレバーみたいの付いてた、うちの体重計は。
どん兵衛のスープも、周波数の違いで切り替えていたような・・
桜の開花時期も周波数の違いで切り替えていたような・・
周波数パネェ
周波数の境界になっている地域の生活はどうなっているのか不思議だったなー
電器店は住所を聞いて設置する家電の周波数を切り替えてるのかとか
静岡のとある電気屋じゃちょうど川が境目になっているらしく、蛍光灯を買いに行くと
どっち側で使うのかって聞かれるらしい
フォッサマグナで周波数を分けてるけど、フォッサマグナってそんなにすごいんだろうか
>>782 うちの近所に二軒あるよ。
かけはぎの他に、裾上げ、裾伸ばし、ウエスト詰め、ウエスト伸ばし、
ボタン付け(含 なくなったボタン補充、ボタンそう入れ替え。)虫食い穴補修
その他色々と洋裁全般請負と和服着付けをやってるよ。
昭和40年ごろ
一般家庭の周波数変換 60hz→50hzを行なったそうだ
当時はまだ電気製品がほとんど無かったが
TV……2台置いて周波数変換後に1台引き取り
洗濯機…1台ずつモーターの入れ替え?
そう言うことをしたらしい
何気なくWikipediaを見ていたら、今上天皇が立太子したとき日本中でアドバルーンを
あげて祝ったって書いてあったんだが、そういや最近アドバルーンて見ないな。
>>807 …高層の建物ばっかりになっちゃったから、ビルの壁面に幕を垂らした方が手っ取り早くて
安上がりなんだもん。
単機能の電子レンジとかは今でも周波数違うと使えないから注意
対談番組などで
タバコをスパスパ吸いながらやること
平成初期まではあったと思う
煙草を吸えない喫茶店など存在しなかった。
煙の少ないお線香なんてニーズも無かっただろうね
特撮やアニメでも、大人キャラはがんがんたばこ吸ってました。
ドラマで清楚な令嬢役の人も普通に喫煙してたな
そりゃあんた、江戸時代まで遡ると、亭主は晩酌、女房はその横でキセルで刻みたばこですもん。
花魁もそうだし。
昭和20年代まで「女はキセルで刻みたばこ」じゃなかったっけ。
…いつからなんでしょうかねえ。
女がたばこはみっともないってなったのは。
いや、フェミとかいうんじゃなくって純粋に風俗や習慣として興味がある。
今や、「男も女もたばこイクナイ」ってなったけど。
816 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/12(土) 18:05:42 ID:vitb8dvq
こちら北海道だけど、女性が喫煙するのは伝統的?にふつうのことだった。
今だってうら若き乙女たちが鼻から煙出している光景は良く見る。
818 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/12(土) 18:52:10 ID:uA4mtzEU
>>815 いやいや気にせずスパスパやってくださいよ
ただし煙吐いたりすんのはさすがに社会迷惑だけど
鼻から再度吸い込んでれば問題なし
ただもし肺ガンになったらまさか保険使って治療入院なんかしないでくださいよ
それこそ大迷惑だから
>>818 いやいや、自分喫煙者じゃないし。
ただ、「昔はこうだったのが今じゃ考えられない」ってだけで。
話は変わって。
昭和の時代といえば、漫画の単行本がパウチされてなくて立ち読みし放題だったなあ。
820 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/12(土) 19:10:20 ID:uA4mtzEU
今じゃ考えられないといえば
昔は「アラフォー」ともなると立派な壮年、どっしり落ちついた不惑という
イメージがあったけど、今じゃ2ちゃんで厨房と同レベルのやり取り。
高齢オバハンまで2ちゃんでクダ巻いてるからなあ
>>820 今の40代は昔の30代に相当しますよ。
このスレだったかどこだったかは忘れたけど、「マカロニほうれん荘」のきんどーちゃんは
現代人の50代に相当するという指摘があったね。
あの御大、ああ見えて戦争体験者だし。
, - ─ - 、
/ /`´`´`ヽ
|/ '\,,/` |
|| (●) (●) |
(6 ノ⌒⌒ヽ ヽ
l ( ー'`ー'ー' ) l えっ!?
\__`ー一'_ノ
昭和50年代の末ぐらいまでは
働く男
自立した女
の象徴だった気がするな>たばこ
824 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/12(土) 22:12:31 ID:yqExCwk5
昔の人は、もう何歳になったから漫画は卒業、何々は卒業、と自己限定を厳しくやっていたような気がする。
食うために精一杯で、いつまでもフラフラ出来ない事情もあったのだろう。
ID:MlTNNhxx
このオタオバハン痛い
>>814 物の本で、明治時代の皇族妃が愛用していたという「煙草入れ」の写真を見たことがある。
明治天皇の皇后も喫煙していたという話を呼んだこともある、昔はセレブの嗜好だったんかも。
一箱(20本入)の煙草が410円。
牛丼の価格を考えたら高級嗜好品なのかもね。
>>827 昭和の50年代までは牛肉の輸入が自由化されて無くて、高い関税が掛かっていたから単純比較は出来ない気がする。
>>824 20歳になったら止めよう酒・タバコ
そんな裏標語もあったね
輸送保存生産技術が未発達な時代の物価は、おしなべて高い。
>>787 真室川音頭は何番かある歌詞の最後のネタが夜這いネタなんで放送禁止だったらしいな
>>806 だいたい、昭和40年代までにはいろいろ整備して今の東西周波数区分が落ち着いたのだが
50Hzの東北電力管内で、佐渡金山の発電所が電源発祥の地だった佐渡島だけが60Hz
60Hzの中部電力管内の長野県の一部には、明治時代とかに50Hzで導入した古典水力発電機が未だに現役の辺地とか
(余りに山奥の田舎で、切り替え措置をする費用的メリットがない)、
中部電力の発電所がなくて水利権持ってる東京電力の大規模な水力発電所しかない山奥
(上高地へ通じるルート沿道。中電が東電から電気を買わざるを得ない)とかで、
離れ小島的な50Hz地域があるな
あと長野と新潟・群馬の県境で東電と中電の境界になってる地域でも50Hz60Hz混在地がある
>>829 「たばこは市内(町内、村内)で買いましょう」という地元のタバコ屋振興・タバコ税収アップ目的の看板がよく立ってたな。
タバコ屋商売を戦争未亡人や退役した傷痍軍人の利権にしているのはフランスも同じらしい。
今でも忘れられないのが、昭和50年(1977)のコレラ騒動
この時、「コレラには梅干しが効く!」といって
一気に梅干しが値上がりしたのを覚えてる。
その後、梅干しは値上がりしたまま、
低塩もの(蜂蜜漬け)ばかりになり
今や昔ながらの酸っぱい梅干しは超高値…
>>831 便所掃除利権が存在するので、小学生は便所掃除しなくていい街もある。
>>831 >>806だが 新潟/富山の県境付近の事なのだが
TVに関しては赤ちゃんのときの写真でバックにTVが2台写ってる
なぜ? と聞いて周波数変換の話を聞いた。
電源周波数の変換をした地域もあるんだなあ。
言われてみれば、あって当然のことだけど、
そんな事実はまるで知らなかったよ。
勉強になった。
私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ
あなたまた このまちの鶯よ
花の咲くのを 待ちかねて コーオリャ
蕾のうちから 通って来る
蕾のうちから 通っては見たが コーオリャ
ひらかぬ 花とて気がもめる
早く時節が 来たならば コーオリャ
一枝ぐらいは折ってみたい
夢を見た夢を見た 夢を見た コーオリャ
あなたと添うとこ 夢を見た
三三九度の盃を コーオリャ
いただくところで目がさめた
真室川よいとこ 新庄を受けて コーオリャ
娘また美人で 唄どころ
のぼりくだりに ちょいと足とめて コーオリャ
聞いてまたお帰りこの音頭
裏からまわれば 垣根コあるし コーオリャ
表からまわれば 犬吠える
なくな騒ぐな泥棒じゃないよ コーオリャ
この家娘さんにちょいと用がある
卑猥な歌だな
田植えしてて、若い娘っ子がヘタレた頃合いを見計らって、おばちゃんたちがこういう歌を歌い出したとか。
んで、皆で大爆笑して、また元気に田植え続行。
都内私立高校出身だが
学校まで献血車がやって来て、全生徒全員が強制的に献血させられてた…
年に二回はやらされてたなあ
今、ニュースで若者の献血離れをやってたけど
無理矢理に献血させられた世代と比べられるのも可哀想だね
自分の高校、妙にB型が多かったり特殊な血液型の持ち主が多かったので
献血車の中の人がとても喜んでいた。生徒も午後が休校になるのでこれも
また喜んでいた。
ウインウインな関係
最近は電マがブームだな。
電子マンガなんて昔は考えられなかった
西暦と昭和の変換は25を足したり引いたりで判りやすかった。
いまだに、自分の年齢とかを計算するのに、今年は昭和86年だから、とやってしまう。
なにかいい換算法ない? 平成から昭和をバッと換算する、。
自分もとっくに「平成」を生きているほうが長いのに、
昭和の残滓、悪夢、敗戦処理という感じしかしない。
>>848 その、自分の歳から計算するのがいちばん手っ取り早いと思うよ。
自分の歳は30から進んでいません。
>>848 年齢問題は生年月日を西暦で憶えると解消できる。
平成になってから西暦で事を運ぶことにしたのだけど、
役所・郵便局、銀行まで平成で記入させるので困ることがある。
とっさにいまが平成何年だったか出てこない。
明治・大正生まれの人もこういう苦労をしたのだろうなあ。
しばらくすると、平成生まれもこの苦労を味わうわけだ。
>>852 うん、勘定のために家族全員分西暦で覚えなおしたけど、
記入欄が平成のところが多すぎる。
西暦で良いじゃんね?
というか、公式文書はいまでも和暦がほとんどじゃないか。
元号使用が法律で推奨されているから、まずは役所への提出書類や証明書類に似合わせて、
統一性をもたせるため、社内も和暦。
生年月日も和暦で言う人が多い。
年齢など昭和にまたがる時は、昭和86年で計算した方がしっくり来る。
ただ,'90年代以降のことは西暦で行ってもらったほうが、年数のイメージが
掴みやすいとは感じる。95年入社とか、2000年入社とか。
西暦推奨派ではあるのだけど、中国でもマレーシアでも自国の暦があって、
使うべき時にはそれを使っていることを思うと、日本のすべてで
ヨーロッパのカレンダーを採用することにも抵抗を感じないでもなし。
銀行とか国の誇りと無関係なところは、西暦と和暦を併記することに
してくれりゃ便利と思う。二つ記入するのは余計な手間ではあるけど、
嫌でも西暦と平成の関係が頭に入る。
…雑誌のとじ込みはがきの、生年月日記入欄から、いつの間にか消えていた「明治」の表記。
もうしばらくしたら、「大正」も消えるんだろうなあ。
857 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/16(水) 16:12:12 ID:NQdP87/n
じいちゃん、ばあちゃん・・・
みんな明治生まれだった・・・・゚・(ノД`)・゚・。
>>855 いっそ皇紀を使うのはどうだろう。
国の面子を考えて、なおかつ連続性があるって言う条件を満たすぞ。
859 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/16(水) 18:05:13 ID:qJvdqm3R
今年は大正100年にあたるしな
>>859 …そうなんだけど、なんかこう切なくて。
862 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/16(水) 21:28:39 ID:TEEaVJG/
夜9時をまわったり、あるいは、テレビでラブシーン的なものが映れば
「恥ずかしい」と自分からテレビのスイッチを切ってたオレ。
まだ若かったおじ(当時未婚)から面白半分に雑誌のアイドルの水着姿を見せられても
お母さんや従姉のおねえさんみたいな体格の人になんてこと(見世物に)させるの…と本気で目をそらしていた。
そんなある日、両親と一緒にテレビを見ていたら、
初めて見るCMで、小学校の身体検査のシーン
(当時、子供の裸体や下着姿が映る番組・CMは珍しくなかった)
しかし、なぜか女子ばっかり。
数人の女子の身長測定をしているうち、
先生役:「○○さん!145cm!」
おもてむきには知らない(教わっていない)ことになっているオレ。
「なに見てるの?あっち行きなさい」といわれるんじゃないかと、心臓が凍る思いであった。
両親は「まだなんのことだかわかんねーよな」と思ったのかおもわなかったか、普通のCMとして見流していた。
いま思えば、しらばっくれて、あれなに?同じくらいの歳の女の子だけど?と反応を見てみたかった気もするが。
小学4年@昭和50年。
ただ、この「145cmの俗説」はかなり長いこと一人歩きしていたような。
あったなそういうの 今でもあるんだろうけど。
普通の洋画でもディープなキスシーンとかがありそうな感じだと
勉強部屋になにげなく避難してた
>852
>役所・郵便局、銀行まで平成で記入させるので困ることがある。
郵政民営化した頃の新聞投書で
「郵便局で切手を買っったらレシート日付が西暦表記だった
民営化にかける意気込みを感じて嬉しく思った」
なんてのがあって
世の中にはいろんな人がいるのだなあと感じたことを思い出した
865 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/17(木) 06:19:49 ID:x43O2ybH
>>862 中学生のころだったから昭和50年半ばの頃だと思う。
真っ裸の白人の女の子が(西洋風の)納屋だか天井裏の階段に腰かけ
ひざの上にボックスティッシュを置き(だから大事なところは見えない)
ティッシュをバンバン引きだして風邪に飛ばして遊んでいるというCMがあった。
BGMは、おごそかな聖歌風のアカペラ少年少女合唱。
最後に「クリネックスティシュをお使いですか」のナレーション。
すでに,"おもてむきには知らない(教わっていない)こと"に使用していた俺は、心臓が凍る想いだったw
>>862が女子向けなら、これはまさに小学高学年〜中学生男子を狙ったCMだと。
今思えば、学校に行っている間に、テッシュが自動更新(1/4くらいになると、新しいやつに入れ替え)されてたり、
(早いペースで請求するのも恥ずかしかろう、という配慮?)
ゴミ箱がからになっていたりしていたから、「息子の生理」はお見通しだったんだろうけどな。
当時はもちろん、それに関しては、何の教育も対話もなかったよ。
>>865 youtubeで「クリネックス」と検索してみなされ
「勉強ばっかりしてないでたまにはティッシュも使いなさい」
と母親が息子に語りかけるCMがあったな
すみません。
「145pの俗説」とはなんですか?
なにがどう 心臓が凍る思い なのでしょうか?
大正百年かあ。
明治百年は小学校の時だった。
子供時代に関東大震災を経験したという担任教師が「明治は遠くなりにけりだなあ」
と言っていたけど、もちろん理解できなかった。
あの先生は大正生まれだろうから、両親は明治生まれだったわけか。。。
歳くわないと判らないことばかりの人生だ。
>>868 その身長に達すると初潮が訪れると言われてたのです。
へぇ〜!初めて知ったわー
いやー、知らなかった。
おっぱいも大きくなるのかなぁ
873 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/17(木) 20:45:18 ID:0oAigvdn
コラッ!脱線するな。
話戻すと(今じゃ考えられない昭和)、
・体育の着替えが6年生まで男女一緒だった。
・6年生で女子限定映画鑑賞会があっても、男子限定はなかった。(50年代初頭)
(中高でも全く教育なし、そのくせ島崎藤村や源氏物語は、「知っていること」前提で授業が進む)
小5のクラス替えで女子で1人、バレーボール選手じゃないか、と思うような体格の子が名札をつけていたりした。
昭和期に男子も学校で教育受けてたヤツっているの?
男女一緒か別々でやったのか。
平成に入るとエイズについて教えなくてはなくてはならなくなった。
こういったもの(体液)にウィルスは含まれていて、母子感染した子がクラスいても、
洋式トイレや風呂を共用しても移りません(差別してはいけません)
ということを教えるために、
小学校でも、一気に性教育が導入されたような気がする。
小学生のヌード写真集があったよな。
本屋で普通に売ってた。
>>869 降る雪や 明治は遠くなりにけり
俳人・中村草田男の昭和6年作の句であるという
少女Aか
>>876 ちなみに詠まれている場所は東京・青山だったりする。
小学校では別々に着替えようにも更衣室なんてなかったからなあ。
プールの時は学年ひとまとめだったから男子は体育館で着替えてたけど、
終わってから、男子のほうがプールから近いし着替えるのも早いわけで、
教室に戻ってもまだ女子が着替えてて入れない、なんてことがあったり、
うっかりしたふりして入ったりするやつがいたりなんかした。
>>875 プチトマトというシリーズがあったが、微妙な顔の子ばかりだった。
撮影してた女性写真家はのちに逮捕されますた。
ヨドバシカメラって、昔は引き伸ばし機、印画紙、フィルムを売ってたけど
今でもフロアの片隅で販売してるの?取り寄せ?
ヨドやビックの本店、秋葉、有楽町クラスの店なら置いているはず。
地方のキタムラでも、現像用の薬品類は常備している。
さすがに「引き伸ばし機」は取り寄せだろうけど。
ヨドバシカメラといえば、子供だった昭和時代は、大阪の淀橋もとい淀屋橋から出た店なんだと
なんとなく思ってた(淀屋橋を淀橋だと思い込んでた)
平成になってから東京の淀橋が発祥のれっきとした東京出身だと知ってびっくり
新宿の淀橋浄水場跡の整地は終わっていたけど、高層ビルは一つも
存在していない頃だ。
ヨドバシカメラは小さな写真材料現金卸売屋だったよ。
あのあたりは、まるでひとけのない場所だったなあ。
黄色い紙に印刷した価格表を店頭で配っていて、定価販売が当然の
当時としては値引きが凄く思えて(激安という言葉は存在していない)
その価格表が人気だった。あれ、家を探せば出てくるかも。
後年、ソフマップが秋葉原で似たような印象の価格表を配っていたとき
ヨドバシカメラをまねたのだろうなと思った。
京王プラザホテルが開業するまで、そこらあたりには高層ビルは一つもなく
しかもしばらくの間高層建築物はそのプラザホテルだけだったらしい。
それだって1970年代になってからだというからそんなに昔の話じゃない。
確かに当時の写真を見ると、プラザホテルだけがぽつーんとそびえ立ってるという感じ。
だいたい、当時の国鉄駅の裏側の開発は遅れ気味になるからというのもあって
新宿の場合は東口がメインで裏の西口開発が激しく遅れたというのもあるそうだ。
今の都庁の辺りの空き地でベンチャーズのコンサートを
よくやっていたんだよなあ・・
新宿駅東口に駅ビルが完成したときには、淀橋浄水場は
すでに稼働していなかったけど、そのままの姿で残ってた。
最初に出来たのは京王プラザ。頼みまくって来てもらったとか。
そのあとは住友ビル(三角型のビル)だったかなあ。
大学出てから福岡に戻ってボウリング場の支配人をやっていた
タモリが、赤塚不二夫らの手引きで東京に出てきたのはこの頃だと思う。
赤塚・藤子らがやっていたスタジオゼロは、高層ビル街の西側の外、
浄水場の土手下な十二社(じゅうにそ)の雑居ビルにあった。
電化マイルス・ディビスも都庁ができるまえのあそこでだったよ。
新宿西口の高層ビル街が存在しなかったと言っても信じてもらえない
というか、焼け跡闇市世代を見るような目で見られる。
平成生まれの世代には区別できない世代になったのだなと実感。
新宿タカシマヤのあたりにキャッツシアターがあった、とかな。
そういえば、昔は若い母親が電車の中とかで胸を露にして赤ん坊に母乳を飲ませる場面を見る事が多かったなあ。
いまは殆どありえないシーンだね。
品川ももう少しすると
「昔は港南口まで暗い通路で、駅前はNTTのビルくらいで」
「ええー」
とか話すようになるのかな
これから「昔の○○は何にも無くって」ってなりそうなとこはどこだろう
晴海とかかな
>>886 恐竜博的なイベントもそこであったよね。
化石に触った記憶がある。
切符の裏は白で、駅員さんが出入り口ではさみを入れてた。
新幹線の切符もそう。車掌さんが車両をまわって切符をチェックしたら
カチャッてはさみを入れて検札終了。
そのはさみを入れられた箇所を指で隠して二重乗車する不正がよくあった。
改札の駅員は鋏をリズミカルに鳴らし続けてたね
今ならこの板のスレに載りそうだけど
ただの史跡だった時代を覚えている世代からしたら
お台場の変貌ぶりは強烈。ありえない世界。
ゆりかもめが開通したときに当時の終点まで乗って降りたら
そこは風が吹くと土煙が舞う荒野だった。
いまは土の部分が無いね。ほんとうの人工都市というかんじ。
空き地署か〜。
アキバにオウム真理教のPCショップ「マハーポーシャ」が開店した翌日ぐらいに
偶然店に行った。(今のドンキの並びで、ビルの2階ぐらいだったかな?)
そのころ珍しいDOS/Vの専門店で、店内にインド系の音楽が流れてて、
尊士さまの写真が飾ってあったw
あそこのヘタクソなマンガの入ったパンフ、けっこう好きだったんだよね。
…漫画家のさいとう克弥氏は、インド旅行中に、現地で修行中の浅原彰晃に会って
話をしたことがある。
>>891 カチャチャカチャチャって鳴らし続けていたよね。
あの音が懐かしいな。
近所の公園の広場なんかで良く植木市をやってて、園芸好きだった母と一緒に行ったもんだが
まだああいうのやってるんだろうか?
親と手をつないで鉢植えの花とか選ぶのが立派な「レジャー」だったなぁ。
自分の住んでるところでは普通にやってる
新宿は西口ヨドバシvs東口さくらや戦争してなかったっけ。
すっかり忘れてたけど、駅前でテーマソングじゃんじゃん流してた。
♪安さ爆発カメラのさくらや〜 のロングバージョン。
さくらやが消滅したり、有楽町そごうがビックカメラになるなんて予想もしなかった。
>>888 10年以上前に品川の港南口に降り立ったことあるけど、異様なにおいがした。
食肉加工所があって、「われわれを差別するな!」みたいな貼り紙が
たくさんあって怖かったわ。あれってまだあるの?
新宿高層ビルのどこかで戦争被害者祈念館があるよね。
いつも小田急線で水木しげるの絵の入ったポスターを見るけど、恩給失格者
コーナーとか色々あるようで、考えただけでも悲惨そうだ。
あったね〜
今そんな光景は日本全国でも残ってないかも
ほとんど無人駅か機械化だよね
DOS/V機ってなつかしーよねw
ソフトはパソコンメーカーが違うと互換性が無く、
パソコン雑誌もメーカーごとに出ていた。
Oh! PC、 Oh! MZ、 Oh! FM、 とか。
>>898 公園じゃないけど、GWの頃に盆栽町でやってるのが面白いよ
906 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/19(土) 21:54:16.06 ID:y5bsxPun
>>891 高校生のバイトが学ラン着てやってたな。
>>891 あれ、ああいうふうにしろという指導だったのかなw
どこの駅でも見かける光景だった。
昔はクラスメイトのおっぱいを揉んだぐらいじゃ何の処分も受けなかったよな。
今そんな事をしたら強制わいせつで少年院に送致される可能性がある。
今年の第一号は神奈川県。
文化祭のお化け屋敷で女子性の体を触った男子生徒が強制わいせつで逮捕された事件の判決が出た。
男子生徒は少年院に送致された。
少年院?ホントなの?厳重注意程度かと思った。
もしかして触っただけじゃなくレイプした?
昔は職場のオッサンがOLのお尻触って、触られた方も「○○さん
やめてくださーい!もうHなんだから!(プンプン」ですんだんじゃね?
じゃあもう
まいっちんぐマチコ先生なんか絶対放送出来ないじゃないか
これだな
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1297999480/l50 >相模原市内の県立高校で昨年10月開かれた文化祭で、お化け屋敷に女子生徒を連れ込んで
>体を触ったとして、神奈川県警は、いずれも16歳の少年3人を強制わいせつ容疑で逮捕した。
>横浜家裁相模原支部(桜井達朗裁判官)は3人を中等少年院送致とする保護処分を決定した。
>決定によると、3人は昨年10月、高校の教室で同校に通う女子生徒(16)の体を触るなどした。
>県警によると、3人のうち2人は別の高校の生徒で、1人は無職。女子生徒に「一緒に入ろうよ」
>などと言って連れ込んだ。教室内はお化け屋敷の出し物が行われ、カーテンや段ボールで窓を覆い、
>暗くなっていた
>>908 女生徒のパイを触った男性教諭が、男子生徒に校舎裏でぼこられる事がよくあったそうだ
ちなみに昭和20〜30年代
>>911 これで少年院か、とは思うものの「クラスメイトのおっぱいを揉んだぐらい」って話でもないような……
>>907 手持ち無沙汰だっただけじゃないのかな?
>>914 より迅速に切るためのトレーニングとか。
…どこぞの駅で、客の手も一緒に切ってしまい、血みどろになって大騒ぎになったそうな。
昭和に限った話じゃないかもしれないけど、いまもそうかな。
昭和50年をはさんで、地方の全校児童1000人超(40名×5クラス×6学年)の某市立中央小学校に在籍。
1日○○員とか□□川に稚魚を放流、って時に呼ばれる子供たち。
自分もいつ呼ばれるか、楽しみにしていた。
幼稚園、保育園児クラスはともかく、小学生(おもに)中学年以上になると、そこに招かれるのは、
クラス委員、児童正副会長(男女ペア)なんだね。
で、往々にしてその子らの親は教員だったりする。
そこで読む「作文」もあらかじめ造られたものか、先生がさんざん検閲したもんだろうな。
え?そんな面倒なイベント、別に出たくない?
その委員長、先生がいないところでは、女子を集めて気の弱そうな男子を呼び
「3遍回ってワンと言ってみな」とかやらせてたな。
全校集会で「虫歯予防デー」「□□川をきれいに」作文、絵の入賞者の表彰があっても、
え!?そんなコンテストあったの?て感じだった。
絵や作文のうまい子に、先生が目をつけ、放課後等に残して書かせていたらしい。
家では,"親族始まって以来の秀才"とチヤホヤされていたのに、と鼻っ柱をおられた気分だった。
歪んだ昭和かよw
いいじゃないか、そんな出来レースならぬ出来イベントなんかにでなくても。
中学校では、○○作文コンクールみたいなのがあると
国語教師から指名されて作文書かされてたよ。
税金とか林業とか、興味ない分野の作文書くの辛かったなぁ…
人権の時は、部落がない地域で、
同和教育も受けていなかったから、
「全然わからないですよ!」って抗議したら
「わからない人が興味を持って調べてみての感想でいいじゃない!」
って理不尽に叱られて、
『橋のない川』を無理矢理に読まされて作文書かされた。
おかげで人権って言葉が大嫌いになったなぁ。
あったあった。俺も書かされたな。指名なんだよね。学年で一人とか。
普段の勉強だけでひーひー言ってたのに拷問だったな。
賞品が鉛筆1ダースとかふざけんなw
班決めドラフト
嫌いな人調査
>>919 自分も、転校先で初めて部落問題を知った。
…彼らは、虐められる側ではなく、虐める側だった。
>>919 人権関係の作文で
カツラをしている人は馬鹿にされる。これは人権侵害だ!
って書いて優秀賞(最優秀では無い)を貰った事がある
>>923 かつらをかぶった先生方のハートをがっちりつかんだんですねww
マイバースディという、派手な表紙の占い雑誌があったのを今唐突に思い出した。
そのマイバースディに付いてたタロットカードでよく占いしたなぁ
マドモアゼル愛はよく出てたなあ
マドモワゼル愛がオッサン(御歳61)だったとは知らなかったよ。
それと、麦ちゃんの立原あゆみも。
それを考えると、集英社(モンキー文庫)「大人になること」でマンガやイラストを描いていたと思うと衝撃。
数年前に出た学研「大人への出発」内あしべゆうほ作の「人間誕生」のパクリとしか思えない作品を描いていた。
(静止と乱視を擬人化させたヤツ)
(しかも元ネタは手塚治虫っぽい)
ルネ・バンダール・ワタナベと藩恵子が兄妹だ。
>>929 ルネといえば「ルネ・シマール」だよなあ、と思って検索してみたら、まだ現役らしい。
シルク・ド・ソレイユとコラボする計画もあるらしい。 すごい。
大人になったルネが歌う「ミドリ色の屋根」はつべにあるが、
すばらしい美声で説得力たっぷりに歌い上げていてかなり感動する。つかこの曲いい曲だなぁ。曲そのものが。
22歳は優しさとか愛とかいう綺麗な言葉を信じられるほど若くはない年代だったらしいw
今日有線で懐メロが流れていて、今だったら42歳でももっとはっちゃけてるよなぁと思った。
>>932 何を言うんだ!
こんな完璧なまでに愛らしい少女は、女性には絶対に描けない。どうしても
そこにリアルさが出てしまう。
男性だからこそ、理想の美しい女性姿を永遠に追い求められるのさ。
>>933 ああそうだったね。
数年前読んだ四コマ漫画に、そのくらいの年齢のときに付き合っていた煮え切らない男に
さっさと見切りを付けて焦って結婚した女が、今では35歳独身の娘と同居してるというのがあって
いかにもありそうだと納得したことがあった。
アッー
同人誌の奥付に自分の本名と住所を晒していたこと
940 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/23(水) 09:00:40.71 ID:dAIzBwqW
プロ野球選手名鑑とかもにも載ってたな。
昔の漫画雑誌の柱にも、漫画家の住所がのってた。
雑誌の文通相手募集欄も、住所氏名を当たり前のように載せていた。
943 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/23(水) 11:50:30.95 ID:hvqlc7n8
志村けんさんも、雑誌かなんかに載ってたいかりやさんの住所を見て弟子にしてもらうために直に家にいったって言ってたな
アマチュア無線局の免許を取ると自動的に住所氏名がCQという雑誌に載るし
コールサインから住所録を調べるための住所録みたいのも売ってた
交信した相手とカードを送り合うためのものだったけど。
QSL名簿ね、載ってることを喜んだっけなあ。
注射器も点滴もみんなガラスだった。
注射器は針だけ捨てて、洗って使いまわしてた。
いまはみんなプラスチックでまるごと使い捨てだね。
機械仕掛けの無針注射器ってのもあったね。
ばんっ!て衝撃があって腕がジンジン痛いの。
神経を損傷するとかで廃れた。
>>933 谷村のあの感覚はあの当時でも違和感あったけどねw
>>942 今の雑誌は個人情報保護でサークルの募集とかも駄目らしいね
>>946 今でもガラスシリンジは使ってる所はある。自分は使ってないけど。
何度も使えて経済的なのと、大きいサイズ(100tとか)はガラスシリンジじゃないとない。
ただ落すと割れるので使いにくい。
それから覚せい剤打つ場合は何度も使えるガラスシリンジの方が便利らしい。
>>947 アレは感染の危険があるから廃止じゃなかったかな。
昭和の頃はどこに行っても水玉の湯飲みがあった気がする
んで、花柄模様のポットからお湯を注ぐんですね、わかります。
あったな水玉。紺地に白抜きのやつ。
うぐいす色の家電が流行した。
家具調木目模様が、そして赤が、そしてシルバーが黒が。
鶯色というより、アボカドグリーン。
赤⇒ワインレッド
シルバーはともかく、便器にもそういう色があったな。
>>956 1979年前後にその種の家電が続出していた覚えがある。
うぐいす色扇風機あるある
うちにもうぐいす色冷蔵庫あったw
うぐいす色の冷蔵庫、洗濯機は今でも現役です
うぐいす色の前後にアイボリー系があったと記憶
自分は5年前まで冷蔵庫を愛用していた
木造校舎の内装もうぐいす色で塗られてたのが多かった
964 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/25(金) 05:10:35.32 ID:K09uYrst
国電の車内もくすんだ鶯色だった。
冷房が搭載できないころに少しでも涼感を出すためだったらしい。
>>959 …その扇風機は、金属ガードの隙間がやたら広かったり、ガードの中心に大穴があいてて
回転軸に触れたり、回転軸のカバーが丸味がかった円錐形だったりするのではありませんか?
昔の扇風機は、首の部分が金属だったので長持ちしたなあ。
うちの実家の扇風機、30年から使ってるけど、なんの問題もないよw
地デジ対応薄型テレビの横に「鉄でできてます!」って感じの物体が鎮座するおもしろさ。
羽(これはプラスティック製だが)のどぎつい青が、また味わいでなあ。
967 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/25(金) 09:46:11.25 ID:4m/DbD6c
30年前買ったシャープの掃除機現役だ。紙パックではない。
子どもが描くみたいな、昭和の四角い「ザ・自動車」のデザイン復活しないかなあ。
>>964 国電の車内といえばこの時期には袋を被せてあった天井扇風機、
ワックス塗りたてだとすべる木の床、
本当の「網」を使っていた網棚、
本当の「革」を使っていたつり革も懐かしい。
そういえば地下鉄、私鉄などで時々見かけた
誰も使っていないと斜め上にはね上がっていたつり革はもうないのかな。
>>966 さすがにそれは使用をやめるのをお奨めする。発火するかもしれないぞ。
扇風機二台を向かい合わせて送風し
お互いに空冷しあえばいいかと
>>970 実は、うちでもその発火の可能性のある奴を使っている。
人が起きているときにしかスイッチは入れない。
>>967 その掃除機のフィルターって、布製で、ふちのところにごっついゴムの円盤がついてるやつですかね。
>>970 毎年ちゃんと手入れして使ってるからだいじょうぶだと思う。
972氏のところとおなじでおきてる時しか使わないし。
>>946 浣腸もガラス注射器だった。
注射器の先にゴム管つないで、肛門に突っ込んでた。
ゴム管が大便で詰まると洗うのが大変だった。
浣腸液もお湯とグリセリンを混ぜていちいち作ってた。
今は最初から調合された浣腸液が
プラスチックの管付き容器に封入されてるね。
年がバレる・・・
森英恵の蝶のデザインが大流行した時期があって、
魔法瓶も炊飯器も保温釜(炊飯器とは別に独立したものがあった)も
蝶柄のものがあふれいた。
ポットとか、ちょっとサイケっぽいポピー柄とかだったり。
こう、ドナルドダックの口を尖らせたような形状の注ぎ口で、取っ手の上部のレバーを押すとぱかっと開いて、
中栓があって。ふたを開けると中栓の弁が開くようなしくみになってて。
>>976 ピエール・カルダンとかな。懐かしいな。
>>968 方向性はぜんぜん違うけどマツダがコスモスポーツを復刻したら、
MATビハイクル塗装にするオヤジが続出するだろうね。
つーか、いっそMAT仕様で出してくれんかな。屋根の武装は我慢するとして。
すいませんが、「おはグロ」というマスコットキャラと、それがついてた墨汁をご存じの方いらっしゃいますか?
982 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/25(金) 22:08:23.59 ID:JmSdgczN
紙に書くと黒くなる墨汁とかあったな。
>>965 たぶんソレかな
すごい背が低くてまるっこい
いまでも使ってる
984 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/25(金) 22:25:07.06 ID:Sp7Y2oNh
>>974 手入れの問題じゃなくコンデンサが紙だったり、コイルが絶縁不良だったりするから危険。
いつ火を噴くか予測できない。
987 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/02/26(土) 05:34:28.10 ID:KrAEfgYl
昭和といえば、マッチ箱に入れた検便だろう。
クラス会の時に、皆の前に「誰それのウンコ」を名前を書いてならべていたっけ。
ギョウチュウ検査もあるな。フィルターが張り付いてて捲って赤い的上に患部ペッタン。
低学年の時親にやって貰ってて子供ながらに惨めだった。
ポキール
コンバントリン
…ポキールに、餃子のごとくうんこはさんでくる奴が必ず1〜2人いた
ちょっと、お昼時ですよもぉ・・
>>976 特に親しくなかった子が、転校する時にクラス全員の女子に森ハンカチ
配ったことあった。
「ちょっwwwこれwwww」とか一部の子には受けてたけど。
>>988 「患部」ってことは蟯虫が見つかったんですねw
中学のとき蟯虫検査の結果公表するアホ教師が担任だった
ひそかに思いを寄せてたあの子が顔真っ赤にしてうつむいてたのを見て切ないやら妙な興奮を覚えるやら・・・
>>979 マットビハイクル懐かしいな。こいつに引きずられて英語の発音問題を間違えた苦い思い出がw
>>995 俺ぁいまだに、あの単語を見かけるとビハイクルって読んじまうよ
MATは責任取って解散してほしい
オートという筆記具メーカーから出ているカラーペンを集めるのがブームになっていた。
布製筆入れがパンパンになるまで集めていた。
全温度チアーとかいう洗剤があった。
冷水でも風呂の残り湯でも洗えるということだろうが、何だか胡散くさかった。
>>998 洗濯機を3台並べて水・ぬるま湯・お湯の3種類で洗濯して洗浄力を比較する
CMを思い出した。押阪忍が出ていたな。
そして1000
1001 :
1001:
.................................. ── ....................................................
........................../ \..........................................
....................../ ..................................................... .
.. ... ... ... ../ ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...
... .. .. .. ...| |.. .. .. .. .. .. .. .. .. .
. . . . . . . .| |. . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . /. . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . .\ . . . . . . . . . .
. . . . . . . .ー __ /. . . . . . . . . .
次スレへ行こうね うん
∧_∧ | ̄ ̄| | ̄
 ̄ ̄| (::: ´∀) ∧_∧  ̄ ̄| |  ̄ ̄ 1000を越えたのでもう書けません。
 ̄ ̄(::: つヽ(∀`::)  ̄ 新しいスレッドを立ててください。
..___ |::: | | ( o ::)ゝ . ._____
/ (__)_) J`J .... \ 【生活全般@2ch掲示板】
/ ..... 三三 三 ... .. \
http://yuzuru.2ch.net/kankon/ / 三三三 .. 三三 .. .. \