ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
※マタ〜リと参りましょう。
過去ログは
>>2 前スレ
2 :
1:2010/10/31(日) 11:23:18 ID:8GzRVb+U
> いきなり間違えました。
キニシナイ!
乙
奥様、とってもワイド!ネ!ネ!
CSの「どっこい大作」で海野かつおさんを見てすごく懐かしかったな。
ニャンダ君やロバ君、怪獣おじさん、みどりちゃんまで思いだした。
「どっこい大作」!懐かしい!!
オープニングで汽車(デゴイチ?)をバックに
「どっこい!どっこい!」って相撲のテッポウ(?)みたいな
ポーズをしてたような。
ラーメンのスープを研究するとか言って、大作が団地の玄関前に
出してある出前のラーメン鉢に食べ残しのスープを飲んでたのを
見て('A`)ゲーと思った記憶が。
だいたいラーメンの器はざっと洗って出すだろう、とも思った。
6 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/01(月) 08:06:39 ID:hkw1dkVK
昨日実家で、録画してた「東京ラブストーリー」のビデオを見たんだけど、
こういうすれ違いの切なさみたいなドラマって今はもう作れないよな。
みんな携帯持ってるから、リカが寒空の中で待ちぼうけするなんてことありえないもん。
7 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/01(月) 08:33:53 ID:aBSAPkHI
子供の頃は水道がなかったので池で顔を洗っていた。
いまから考えると不便な生活だが、人生で一番楽しかった気がする。
>>6 携帯が壊れたとかそういう状況を設定すれば出来るんじゃない?
待ち合わせは本当、楽になったよなあ。
大作で思い出したけど、なんか、昔のキャラって力持ちが多いよなあ。
オバQが本気になると、成人男性数名で束になっても敵わないと前に書いたけど、(U子さんやゴジラに勝てないのは
どうやら、オバQなりのダンディズムで本気になれないせいらしい)、ブースカやグズラも、傍にいたら本気で怖い
くらいの怪力だわ。
グズラに至っては火ィ吹くし。
アトムはもう言わずもがな。アラレちゃんも。
うる星やつらの弁天様も、体重80キロの成人男性を片手で高々と持ち上げたから、恐らく、地球の成人男性の10倍
ほどの腕力の持ち主だね。
10 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/01(月) 12:37:16 ID:hkw1dkVK
うる星は、しのぶも怪力だったような
>>6 そのドラマかなにか忘れたけど、鈴木保奈美が固定電話の子機みたいな
でかい携帯電話で話してたのを見た覚えがある。
固定しかない時代ってやだったよねえ。
好きな子の家にかけても、向こうからかかってきても
出るのはたいていお茶の間のオカン
出かける直前にトラブルがあったり、電車が遅れたりして
待ち合わせ時間に遅刻したら無駄にケンカとかさ。
事前に連絡できたらマックで時間つぶしたりできたのにね。
メールとかあれば、小まめに意思疎通ができたのに。
だけど今はメールが来たら○分以内に必ず返信しなきゃいけないとか
面倒な縛りもあるようだよ。一長一短だな。
固定電話の留守電が出てきた時は便利だと思ったなぁ。
出たくない相手には出ずに済む。
ぽーけべーるがならなくて〜♪
ポケベルって何?
って言われそうですね。
14 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/01(月) 15:11:24 ID:2YykiCrG
昭和のころ、ポケベルを持っていたのは、営業マンでもごく一部だったけどな。
長らく、音しか出ない(用事があることが判るだけ)タイプだった。
昭和も終わりごろになって出た、日の字型の7セグメントで、
数字しか出ないやつ(ショートホープくらいのサイズ)でも画期的だった。
携帯電話は、辞書ほどもある大きさで、持っているのは不動産業者やヤ業の方。
大会社の幹部の乗る黒塗りの車やハイヤーには自動車電話。
真田広之と薬師丸ひろ子が出てた映画で、入院中の真田が携帯電話かけるシーンがあるんだけど
ショルダーバックみたいなでかい本体持ってた。
ポケベルは持ってたことあるけど結構便利だったよ。電波の回りこみが半端じゃない。
機種によっては電話帳とダイヤラー機能が付いていてこのあたりは今の携帯に似てる。
ショルダーホンは一般では見かけなくなった時期でも
建設関係には人気あったんだよ。
電波が強かったから、山奥の現場では重宝した。
あの陸軍の通信兵みたいな奴か
懐かしいな
パチンコやめて15年ぐらいになるが、時々無性に羽モノをやりたくなる
いい台に当たっても打ち止めまで2時間とかかかるあののんびり感を味わいたい
小学生の頃、親父についていってやったパチンコは手打ち式だった。
右手薬指の下側にタコが出来るほど、開いているチューリップに
同時に2個の玉を入れる2個打ちとか練習したっけ。
勝って1000円、負けて1000円な、のんびりしたもんだったなあ。
20 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/01(月) 20:15:36 ID:Z8WBDdvl
開け開けパッと開け〜チュ〜ウリ〜ップ〜
自衛隊駐屯地に柵や塀など無かった。
「バイクで侵入して、自衛隊のおにーちゃんたちがジープで追っかけて来るのを
よくからかったもんや。急に向き変えるとジープ転がんねん、重心高いからなーw」
というのは団塊世代である母の武勇伝。
父じゃないよ、母だよ。
>>20 関平乙
つか
チュ〜ウ〜リ〜イ〜ップ〜
ではないか?
23 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/01(月) 22:24:32 ID:kILb0pZh
>>23 題名なんだったかなぁ。たしか薬師丸が女医さんだったと思う。
「病院へ行こう」だったかな。面倒くさいからぐぐらない。
まさかのマジレスww
「指切られたフリ」の真似して遊んだなあ
指隠して写真撮ったあの事件か。
若王子さんはとうにお亡くなりだってのに、しぶといな
携帯は電池切れおこしたりするからな。
携帯が無いと、相手の番号がわからないという
信じられないようなお話。
32 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/02(火) 06:17:07 ID:XkAMbP1t
>>27 つうか、事件当時17歳だった事に驚いたわ
33 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/02(火) 08:36:49 ID:oHhfuw8s
その後も誘拐事件はあったし殺された人だっているのに名前の珍しさだけで後世に名を残したな
ナントカ王子一覧、みたいなコピペあったなそういえば。
プロのサッカー選手を目指している子供はマンガの中にしかいなかった
オーバーヘッドキックとか、サッカー選手になれば誰でもできると思ってた。
つうか、スポ根もので放たれる技は練習次第でできると信じてたなぁ。
携帯電話片手に公衆電話から電話をかける風景。
通話料高かったなぁ。
38 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/02(火) 21:41:52 ID:/3HbpL61
今の水筒は筒状のものが多いが
俺が幼稚園ぐらいの頃は平らな感じの形で、コップも小さいタイプが多かった気がする
そういえば一時期そういう形が流行っていたね
>>36 逆にサッカーの試合でゴロのシュートしかしないから小学生のほうがレベル高いんじゃねーのとジャンプ読みながら思ってた小学生の俺。
巨人の星で大リーグボールが出てきて、キャプテン翼のオープニングにワールドカップの
実物が出てきても、あくまでも遠い外国の話で、日本人選手が実際に活躍するとは
思っても見なかった。
そうそう、日本にプロサッカーリーグができて
世界大会で活躍するなんて考えてもみなかったな
>>41 たしかに、巨人の星のころの「大リーグ」って、
ああいう魔球でも投げられなきゃ日本人は通用しない世界って感じだったなあ。
ワールドシリーズを「今年は日本人が出てない」って言いながら見る時代が来るとはw
侍ジャイアンツのDVDがコンビニで売ってたな。
電話の加入権7万円近くしていたが
その昔はプレミア付で10万円くらいで売買されていた
と言う話を聞いた事がある
昭和30年代かな?
>>24 「病院へ行こう」で合ってます。
荒井注やレオナルド熊が出てましたな。
ところでショルダーフォンが登場する一番有名な映画は
おそらく「マルサの女」じゃなかろか。
ストーリー中で最大の謎としてショルダーフォンが扱われてる作品を忘れて貰っちゃ困る
つ【新宿鮫】
>>45 プレミアがついてた頃は、電話加入権発行の順番で工事が始まった。
早く電話を開通したい人は、発行順が早い加入権をほしがった。
1950年代の話ね。
電電公社のそばには、電話加入権でお金を貸してくれるところがあって
ここで電話加入権を買えば1-2割引で買うことが出来た。
昔は電電公社の電話機以外は認められておらず
留守番電話はグレーゾーンぎりぎりのグッズだった。
後に電話機が自由化されて、留守電機能が一気にメジャーになった。
80年代は留守電メッセージに凝ったねえ
最初に音楽を鳴らした後、「メッセージをどうぞ」とか。
この最初の音楽のセンスを問われたりしたw
電話機を自由に買えるようになったのって'86年だったよね。
>80年代は留守電メッセージに凝ったねえ
自分の好きな曲かけて、15秒以内に喋らないと入りきらないから
何度も何度も取り直したよw
昭和じゃないけど'90年代前半頃までの留守電は、そんな感じが続いてた気がする。
うちに留守電が来た時は
幼稚園児の私の声でメッセージ取らされたw
何度も何度もやり直させられるから、
小学校上がった後でに電話の買い替えされて
またメッセージ取り直させられたときはげんなりしてたよ。
>>48,49
PSY・Sの「あそびにきてね」にしてたけど誰もこなかった
90年代でごめん
電話加入権というのは、電話の敷設に当たって横行していた賄賂を制度化して
正当化したものだって話を聞いたことがある。真偽の程は不明だw
>>10 しのぶさんの怪力設定が後付けされたアンド、アニメでは弁天の怪力に触れられなかったので、弁天の怪力設定がかすんで
しまいました。
グズラの方はといえば…
体高2・22メートル、体重3・33トンって、それなんてアジアゾウ?
んで、口から火を吹いて腕力は1000人力で垂直跳びは10メートルで主食は鉄って…
こんな恐ろしいもん、よく家に置いとくなあ。
電話といえば、うちの街には「夢の電話機・プッシュホンをどうぞ」という行灯が付いた電話ボックスが現存してるよ。
にこにこマークのブームがあった
正式に使用可となったのは昭和62年のことだけど、それ以前に、本来輸出用の
ノーブランドのコードレスホンがディスカウントストアやホムセンに出回った。
アンテナには、その後の正規品には考えられないラジオのような安っぽい
伸縮式のロッドアンテナが使われていた。
さくらももこが、ちびまる子ちゃんを描く前に、単発で描いていた読みきり作品に
これをネタにした作品があった。
>>55 昭和62年以前は使っちゃいけないものだったの!?>コードレスホン
59年頃よく遊びに行ってた友だちのうち(金持ち)に緑色の
コードレス電話があったわ。ローファーくらいの大きさしてたけど。
>>56 電電公社がレンタル(月額の料金が別途かかる)モロ、据置プッシュホンの
形をしていた正規品ならOKだお。
プッシュホンが導入された昭和45年頃は、電卓がまだまだ高価で
(8桁の廉価版でも1台4〜5万円していた[当時の高卒初任給とほぼ同額])
プッシュホン側をクライアント、電話局側をサーバーにした
電話計算サービスがあった。
むかしのプッシュホンにはボタン面にかぶせるテンプレートがあって、
そこに+、−、×、÷、√、( )なんてかかれていた。
計算センターを呼び出し、ボタン操作で計算式を入れると
「お答えは、・・・です」(位取りなしのバラ読み)と音声で返ってくる。
ところが、料金が10秒10円。ハガキ1枚が7円とか10円の頃だ。
プッシュホンの付加(オプション)使用料が1,000円以上してほとんど
普及していなかったうえ、昭和47年に、カシオミニが¥12,800(それでも!)で登場。
電卓が年を追うごとに安くなり、ほとんど知られないまま、
年末にテレホンカードがスタートする直前の昭和57年10月末に廃止された。
それと、プッシュホンならでは、サービスとしてウリだった
国鉄(JR)の座席予約はいまでも現役。
てか、いまは、ダイヤル回線でもつながる。
昔の177は、テープ式だったので、つながっても予報の途中から聞こえ出すことが多かった。
今はかならず冒頭からきけるね。
昭和期の117は、ドラム式…、茶筒みたいなのに録音テープの素材を塗布して、
陸上競技のトラックみたいに、平行して1,2,3・・・10、時、分、秒、をお知らせします、
と録音しておいて、それを組み合わせて再生しながら送出していたのだとか。
電車の中で電話といえば新幹線に限られていた。
それも3分300円とか。
電話ボックスには、110、119番発信専用の赤い小型のダイヤル発信機があった。
しかし、電話機の上部に設置され、子供の手では届かない。
子供は第一通報者になっていけないの?と思っていた。
昭和の40年代ぐらいだとまだ電電公社の電話はなくて
町内だけの有線電話ってのがあったなあ。
なんか朝6時ぐらいになると電話から放送が聞こえてきてすごくうるさかった。
他の地域の電話に電話をかける場合は交換に電話して電話番号を言って繋いでもらった。
>>59 >今はかならず冒頭からきけるね。
今そうなってるんだ、知らなかった!
手元にケータイさえあればいつでも天気予報を見られるご時世なので、
ここ何年も177なんてかけたこと無いよ。
>>63 昔は、地域の電話局だか気象台の人が読み上げて録音してたらしく、地域によって
男声だったり女声だったり、専業のアナウンサーじゃないから早口だったり、
微妙に訛っていたり、概況から始めるところ、いきなり予報から始めるところと
ヴァリエーションがあった。
今は、コンピュータで単語だか音節ごとに合成して流しているね。
>>62 母の実家(農家)にそれがあり、また小学入学当時の連絡網だったか名簿に、
(有)XX-YY、とだけ書かれた家が1/4くらいあった。(呼)となって家も何軒かあった。
6時、正午、3時、5時(6時?)に一斉放送があった。
主にNHKのニュースを流し、朝はラジオ体操まで、昼はひるのいこい(日曜はのど自慢)、
夕方は農畜産物の市況、市や農協殻のお知らせ(乳幼児健診など)が流れていた。
火事が発生すると、火災速報が流れた。
都会でも個人宅の加入電話すら珍しかった頃。
農村だと隣家でも離れているし、警察、救急の緊急連絡にも必要だったのだろう。
昭和40年代末になると、自動(ダイヤル)化され、黒電話の下部分をストレッチして、
スピーカーを添加したタイプになっていたが、その頃には加入電話を引く家が多くなって
いたし。(上記の名簿からも、有線のみの家はほとんどなくなっていた)
債券購入が免除されて電話が気軽に引けるようになった昭和50年代半ばには廃止されたようだ。
66 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/04(木) 07:00:42 ID:+w3PkZuM
ダイアル式の黒電話は役所関係では今でも現役だとか
なんでも停電になっても使えるとかで
そういえば債券ってのがあったんだよなぁ。電話引くのに昭和50年代ころで7万とか払った記憶がある。
平成になって、結婚して姓が変わってずいぶんたった昨年、転勤で引っ越したときに手続きしたら、
債券の名義が違っててどうのこうの、っていう電話がNTTからかかってきた。
IP電話は、モデムの電源を入れっぱなしにしておかなくてはならないので、
(ま、ネットやっている以上入れっぱなしだろうが)
実は月に400~500円の電気代がかかっている。
120分用カセットテープは伸びやすいので音楽用には使用しないで語学用に使うという慣習
70 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/04(木) 08:28:21 ID:+w3PkZuM
いつ頃に変わったのか記憶に無いが、ガキの頃の家の電気の配電板はブレーカーじゃなくてヒューズだったな
>>69 カセットはヘッドもそうだが、ゴム製のピンチローラーの清掃を怠ると、
テープがからむ。
>>71 クリーニング用の無水アルコールで清掃したあと、何分くらいでテープ聞いていいのか悩む
73 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/04(木) 19:16:47 ID:O+iyNHPH
高校生が合コンして酒飲んでたな。
74 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/04(木) 19:25:14 ID:pFk+izlr
電話の加入権の金返せ。
75 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/04(木) 19:27:09 ID:pFk+izlr
自転車高かった。20,000円位だった。菓子パン一個15円の時代。
>>66 今の家庭用電話だって停電になったって使えるんじゃね?
もちろん留守電とかFAX機能や、あと子機とかは使えないだろうけど、
親機で電話かけたり受けたりはできるよね。
>>76 ばかは電話の仕組みなんかわかんねんだよ。
>>75 昭和は収入に比較して物価が相対的に高い時代じゃった。
電電加入者電々債って、期間、利率はどんなもんだったんだろう。
利付債?割引債?抽せん償還も遭ったのだろうか?
もしかしたら、戦時国債みたいに無利子?
ググッテも出てこない。
電話を引くからと言って貯蓄や公社への貸付をしたいわけじゃないので、
(おそらく10年釘づけ)
たいていの人が、損を承知で証券会社に売却していた。
>>77 ……うちの電話は親機=留守電+FAXで有線受話器なしの電話だけど、これ停電したらどうなるんだろう?
そういや電話加入権なんてあったねえ、懐かしい。加入権がいらなくなった頃にうちの親が「金返せ!」とよく言ってたw
この過渡期に「INSライト」っていう加入権なしでISDN回線が引けるプランがあったよね。覚えてる人いるだろうか。
進学して加入権買うお金はないけど個人的にネットが必要、って時にお世話になりました。
電話繋がりで思い出した、このINSライトが周りで流行った時期は携帯じゃなくPHSだったな。
高校の頃周りがポケベル持ってる時に「ベルだとそっちからの公衆電話代がかかるから」って親にPHS持たされたら羨望の目とか。
しかし写メは外付けカメラ(別売)、CMOSで低画質、メールに添付するとパケ代がかかって文句言われるという誰得仕様だった。
PHSというと「ボタンのLED改造して多色にする(※ただし保証は効かなくなる)」業者を思い出す。あの業者はどこいったんだろう。
>>80 複合機はもちろん、子機だけついてるようなやつでも
電気使う電話は停電になると使えないよ。
なのでうちは電気なしで使える電話機を保存してる。
>>81 うちも。普段は全く使ってないけどダイヤル式アイボリー捨てないで置いてある。
83 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/04(木) 22:42:45 ID:GrHujJU/
あんまり覚えてないけど、リンスはシャンプーより小さい入れ物に入ってて、お湯に溶かしてから頭に流すものだった気が。
>>54 ひまわりがやたらに流行った年があったような
敷金のはずが礼金扱い似なっていたで御座るって感じかな
Gメン75の丹波哲郎とか明智小五郎シリーズの天知茂が
車の中で電話で喋ってるとずいぶん贅沢なことと思った。
でも、携帯じゃなくて、ああいう受話器をおく据え置きタイプの電話が
もし今車についてたら、それは現代でもバブリーな感じするけどね
>>73 合コンじゃないけど、うちの高校では、なにかというと酒を飲むのが伝統で、
「中間テスト打ち上げ」だの「遠足打ち上げ」だのといってはクラス単位で酒盛りを開くんだが、
その際、担任の教師からの注意事項は「校内で飲むな。世間に迷惑かけるな」だった。
で、今は母校の教師になっている同級生が嘆いている。
「最近のやつらは酒も飲まんのだ。軟弱になった」って。
いいのか、こんな脳味噌アルコール漬けのやつに教師させといてw
NTTの設備に化けたんだから、民営化の際に株式にすべきだったんだよ。>電話加入権。
しかしドコモの場合も廃止⇒無価値化されたからな。
>>89 高校の卒業式後の最後のホームルームで、担任から
「今日は先生同士の打ち上げで酒飲むから云々」みたいな話の続きで、
突然ニヤッと笑って「ま、君達も今日は酒飲むだろ?」と言われたの覚えてる。
担任の意外な発言に、教室内はどよめきと拍手喝采が起こったな。
打上げやらなんやらで酒飲むの当たり前だったなぁ。
いつも農家やってるでかい家にクラスほぼ全員が集まるんだけど、
一気なんかはなく、飲みたくないやつは飲まないでいいし、
悪酔いするほど飲むやつもいなかった。
が3年の時、近所から通報されて全員補導になったことがある。
(といっても警察に行くことはなく、その場の口頭注意ですんだ)
翌日のホームルームでは担任から
「通報されるほど騒ぐな。お前らもうちょっとうまくやれ」と怒られた。
>89と同じく「世間に迷惑かけるな」も言われたよ。
クラス代表が校長室に謝罪に言ったときも
「俺たちの時代は〜云々」で学生時代の酒自慢をされた。
なんつーか、暢気な時代だったなと思うよ。
今の子は高校生はもちろん、大学生でも酒飲まないらしいね。
高校の時部活の打ち上げで居酒屋で飲んで、初めて酔っ払った奴が
柱に登って大声でミーンミーンとやって店から通報されて全員補導された。
うちの高校は入学直後に「宿泊研修」なるものがあるんだが、
そこでクラス全員参加の酒盛りをして施設の人にバレちゃって、
入学早々「クラスまるごと1日停学」をくらったアホどもがいたw
これを受けて翌年から出発前に持ち物検査が導入された。
いちおう県内ではトップの進学校なんだが……
高校か・・・・・酒はないが修学旅行で夜這いはあった。たぶんやりまん女と事前に話つけてたんだろうが
女のほうが男の部屋に来てた。布団の中でもぞもぞやってたぞ。
見えなかったけどみんな聞き耳立てていい思い出だった。
わが母校、先輩が修学旅行中に酒飲んでホテルから転落死したにも
かかわらず、数年後の修学旅行ではあるクラスだけ車両が分かれてしまった
ことを幸に行きの車中から宴会が始まっていた…
うちの中学では、男女別のホテル…しかも、バスで数分の距離があるに分かれてたので、ロマンスも夜の大相撲もありませんでしたwww
男子の方で、人違い暴行事件はあったようですが。
昔は、おもしろがって、子供に酒を飲ませる大人が沢山いたね
親戚の集まりでビールの泡だけ飲ませたり、
お正月はおとそ代わりに、ちょっぴり酒を飲ませたり。
親戚に面白い駄目なおじさんというのが1人いて、
そういう人が「ちょっとだけ」と言いながら飲ませてたもんだ。
うちは明治生まれの祖父が飲兵衛で、
俺が15歳になった時、「昔で言えば元服だから」と言って
俺を行きつけの寿司屋に連れて行って、
「俺の孫だ」と店の人に自慢しながら
俺にも日本酒を飲ませてくれた。
店の常連には警察官もいたんだが、誰も注意なんかしなかったな。
今、思い出してみると、寛容な時代だったんだよな、昭和って。
>>98 小学生の3年生頃から風呂上りにオヤジとふつうにビール飲んでたよ。
酔ってきて気持ちいいって感覚もその頃既に知ってた。
だけど日本酒は強すぎて臭くて嫌だった。
そうやって子供のうちから酒を覚えさせる必要が有ると思う。
酒の呑み方を知らん奴(主に大学生)が
一気飲みして急性アルコール中毒やショック死してしまうんだから
ドイツやイギリスでは、親がいっしょなら中学生くらいから酒を飲んでもかまわないらしいね。
で、それ以外に、親がいなくても飲んでいい年齢(つまり日本とおなじような)ってのが設定されてる。
親を含む大人が監視しながらおぼえさせるという制度はあってしかるべきだろう。
二十歳になったからってスイッチが切り替わるみたいに大人になるわけじゃないんだからw
話はぜんぜん違うけど、学校といえば、最近は教室にエアコンの設置が進んでるんだってね。
そのうち「夏にクーラーなしで授業とか、昔は信じられないことしてた」とか言われるようになるんだろうか。
102 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/06(土) 09:49:58 ID:gq32IbO2
欧米人は中学生くらいで日本人の大人くらいの体格があったりするからその辺を割り引く必要があるかも知れないが
昔は30度越えるなんってなかった気がするからなあ。
エアコンは必要な気がする。
もっとも今、実家周辺は18度
自分が住んでいる東京は14度。
実家周辺は東京に比べて
夏は涼しくて冬は暖かい場所なので今でもエアコンはいらないかもなあ。
104 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/06(土) 10:18:55 ID:EXmGNuTf
北海道ならそうかも知れないが、30度は普通に越すと思う。
昭和40年代末のニュースで、東京のこの夏一番の暑さが28〜29度。30度越えは1,2回程度じゃなかったかな。
自分は、関東の海のある町の隣町で、もっと涼しく、絵日記か何かで、
ひと夏記録していた覚えがあるが、25度を超えるとかなり蒸し暑かった気がする。
東京での真夏日という言葉は、50年代でひと夏に数回聞く程度だったが、
60年近くになると、10日以上とか結構頻繁に聞くようになった記憶がある。
106 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/06(土) 10:29:34 ID:BaUkiMWw
冬の朝は通学時に水溜りの水は氷ってたね
グラウンドにも霜柱が立ってた
今は見なくなったな
アレルギーなどを除くとほぼ下戸のいない白人と日本人を一緒にするのはムリがあり過ぎ。
確か日本人の四割(?)くらいは酒に弱いか飲めないはず。
そんな人種が子供に飲ませるなんて恐ろしい。
>>107 2010年は100年に一度の猛暑だから現在の代表にするのはどうかとw
>>102 それを言うなら日本の今の中学生だって「お酒は二十歳から」って決まったころの大人より大きいよw
フランスは水の質が悪いから、子供も水がわりにワインを飲んでるそうだが、
それが原因で大人になってからのアルコール依存症が多く、国家的な問題に
なってると以前ニュースでやってた。
子供は常習的にアルコール飲んだら珍子やオパーイが小さくなるからだみだよー。
DQN女なんか、銭湯に行ったら、関東平野に石二つ、どっちが背中か判んない洗濯板だよー。
それはなんという乳知識
よし、紫計画に組み入れよう。
>>108 だからこそ10代の頃から、
大丈夫なのかどうか、少しずつ様子をみたほうがいいのではとオレは思う
自分の体質を知らずに、二十歳過ぎたからと言って
急に飲み会とかでがぶがぶ飲んだり飲ませたりするからあぶないんだろ
>>114 そうだね。
実際、
>>98のジイ様みたいに飲ませる大人がいたからよかったんじゃないか。
かく言う俺も小学生のころから親父の晩酌のおこぼれにあずかってきたものだけど、
高校に入って酒を飲むようになると「これ以上飲んだらヤバい」ってわかるので助かった。
なんというか、社会全体がおりこうさんになってしまうのもよしあしだと思うなあ。
>>114 二十歳になってから試せば良いのではないでしょうか?
また、アレルギーも含めて10代に確かめた物がその後も必ず続くかと言えば
それは違いますし、意味がないとまでは言いませんが、
成長期にアルコールを入れるリスクと比べれば
良いこととは言えないと思いますが。
成長期にアルコールを摂取することはその発達に害を及ぼすことは
医学的に言われていることはご存知だと思いますが
そのリスクと比べた場合は二十歳でしたからと言って何か問題があるとも思えないのですが。
もちろん二十歳は目安であって19歳○ヶ月はどうだというような話ではありませんが。
酒に限らずガキの頃に実体験する事で「ここまではOK」って
覚えていくもんだったんだよなあ
ケンカ関係はそうでしたねぇ。
殴ったり蹴ったりすることの痛さや限度を知らない間に覚えていたり。
酒を一滴も飲まない人を知っている。
理由は、 酒 乱 と判明したから。
>>116 そう言う正論が幅を利かせた結果
大学生や青年層の急性アルコール中毒等が増えたと思っている
どこかの高校でアルコール・パッチテストやってなかったっけ?
アルコール・パッチを腕の内側に貼って
「アルコール摂取の向き不向き」を検査するってやつ。
飲酒の奨励はともかくとして、自分の体質を知るのは積極的にやるべきだとは思う。
二十歳になって、自分の体質も知らずに無茶飲みしない、周囲がさせないためにも。
昭和の頃の業務用生ビール・サーバのタンクは
30Lの大きな容量しかなくて、
しかも開封したら24時間以内に飲み切らなくちゃいけなかった。
だから、大きな店だけで生ビール祭みたいにやってたんだね。
今は業務用サーバのタンクが10L単位で小型化された上に
開封して72時間ぐらいもつようになったんで
小さな店でも生ビールを置けるようになった。
>>123 パッチテストでも、酒乱は判らない。
それはあっちへおいといて。
適量を覚えるには、日本酒コップ一杯くらいをゆっくりのんで確かめるのが一番だと思う。
自分は、18歳の頃、ウイスキーをストレートにして一合コップ一杯ほど飲んで、完全なる
酩酊状態に陥ったことがある。
それを基準に、日本酒ならコップ一杯半まで、と決めている。
>>124 > 自分は、18歳の頃、ウイスキーをストレートにして一合コップ一杯ほど飲んで、
よく無事だったなおい・・・
酒の飲み方に限らず、
いろんな節度やわきまえを教えられる
大人が少なくなったのかもしれないなぁ
そういえば酒を注いで貰うときに左手で持ってはいけないと
田舎の法事のとき親戚のおじいさんに教わったなあ。
>>126 教えられる人。
物理的に知識のある人が減っていっている。
知識はあっても世間がそれを許さなくなっている。
これはあるかもしれませんね。
昔は町で子供が悪いことをしていたら他人でもそれを見た大人は怒ったりしたもの。
そういう人が町内にいたものですが、今はそれをするとその親から大変なしっぺ返しを食らいますし。
つい先日私も大変でした。
こういう昔の子供は節度があった的思い込みも昭和育ちの特徴なんだよね。
実際には暴力沙汰、子供が加害者魔の傷害や殺人なんかの凶悪事件は今とは比較にならないほど多かったし
通り魔やら理由無き殺人やら親殺しやらも結構あった。
逆に誘拐やらレイプやら子供が被害者になる事件も事故も多かった。
昭和育ちっていうか、マスコミ報道を無批判に受け入れてる人はみんなそう。
殆どの日本人が自分たちが戦後を通じて一番治安の良い時代に住んでることを知らない。
>>129 思い込み云々は分かりませんが、昔の事件等の話はその通りですね。
今で言う児童虐待も多かったですからね。
データとしては上がってないので分かりませんが。
昔は良かったと言うような発言は昔の苦しいことが記憶から消えている事も少なくないですししね。
大半は単なるノスタルジー
大半とまではいかなくてもそうですね。
遥かなるノスタルジィ。
人間の脳は辛い記憶を忘れるように出来てますから。
世界でたった一人、辛い記憶と感情をその脳から忘れ去ることができない女性がいるのだとか。
生きるのがかなり辛いでしょうねこの方は。
人に会うのも辛いという話でしたし。
児童虐待で死なせてしまうなんて事は昭和にもあったのかなあ。
ニュースになってなかっただけ?
>>134 どれくらいの件数だったかなどまでは分かりませんが
少なくとも地元でのニュースでならなってましたよ。
当時の全国版だったかまではちょっと覚えてないのですが
子供の頃に夕方のニュースや新聞記事で見た覚えがありますから。
私の母親が深刻な顔で自分のお腹を痛めて、それで生まれてきたあの顔を見て
なんでこんなことができるのかと涙ぐんでいたのを覚えています。
ノスタルジーに浸りがちな面があるのは否めないけど、
やっぱり自分で判断して怒ったり教えたりできる
大人が減ってるのは確かだと思う。
昔は良くも悪くもいろんな基準が曖昧で適当だったから、
各人が自分で自分の尺度を計らなければならないことも多かったと思う。
酒の飲み方にしても、法律で未成年は禁止だからダメ、ではなく、
お前はまだ酒の飲み方を知らん半人前だからダメ、というような感じで。
家族は、年齢に拘わらず飲み方がダメな奴は徹底的に怒るけどなぁ。
減ってるのは残念だ。
ちょっと話に乗り遅れたけど、昭和50年頃私の中学にはエアコンついてた。
なんと北海道ですw
>>129 …昭和の頃なら、地方紙のベタ記事でチョロっと触れてただけの様な事でも、朝夕のニュースワイドショー()
の埋め草に、根掘って葉掘って報道するから、相対的に昭和期より凶悪化したように思えるだけなのよね。
民放ニュース番組なんて、昭和期のように朝昼晩10分ずつで本来ちょうどいいんだよ。
仁義なき戦いの頃の広島なんか、現在だったら連日ニュースワイドショーで根掘られ葉掘られだわ。
それでも、広島ローカル紙のベタ記事扱いが大半だったから、全国の人は「仁義なき戦い」が小説映画化される
まで、何それおいしいの?だったもん。
>>138 それって事情が違うんじゃ?
夏にクーラーかかってたってこと?
暖房設備は他地域よりも整ってそうなイメージがあるけど。
>>139 神戸ユニバーシアード
当時、選手として参加したけど
神戸へ行っても無事に帰ってこれるかどうか?
すげぇ怖かった覚えがあるぞ
>>141 神戸の頃は、マスコミ報道で全国的に有名になってましたもんねえ。広島と違って。
暴力団構成員を、○○組長、○○組員と表記することを考案したのは中国新聞社。
それまでは、○○氏、○○さんだった。
これ豆知識ね。
114です、ちょっと反省…
良し悪しは別として、
たしかに今は以前より事件・出来事が、広く迅速に伝わりますよね
事件の取り上げられ方も、それに対する意見、感想も
ネット社会ですから激しく厳しくなる
逆に言えば昔は今ほど伝わらなかったわけで
急性アル中でポックリとかも、あるいは今より多かったのかもしれませんね
よく調査されてなかったり、伝わってなかったりしただけで
さほど問題視されずに終わってしまったりとかね
でも136さんの意見には同意です
今でもアルコールにまつわるトラブルは「酔ってたから」で済ませてしまう風潮があるし
昔のことだと実数はもっと多いだろうね。
同様に児童虐待は「家庭内のこと」として処理、性犯罪(特に子供が被害者の場合)は泣き寝入りってことも多かっただろう。
暴力にしろ様々なハラスメントにしろ「被害者が声を上げられる」時代になったってこと。
「自分が被害者」って主張する人も増えたけどね。
いや、増えたかどうだか知る方法もなさそうだけど。
>>138 ウチの小中学校にもクーラー付いてたよ。(50年代)
冬はストーブ。
関東だけど米軍基地の近くだったので、窓は閉め切って授業だったらしい。
ただ自分の頃はすでに基地は返還されたあとだったので、窓全開でも騒音は全然なかったけどね。
でも暑い日はクーラー入ってた。
その時は先生が「クーラー入ってるから窓閉めてー」って言う。
147 :
138:2010/11/07(日) 14:03:48 ID:QxOMvswu
>>140,146
たしかに少し事情があります。
自衛隊基地の近くで防音設備がかなり整っていました。
もしかしたら夏に窓開けなくてもいいようにクーラーだったのかも。
かなり快適でした。
>134
「児童虐待」って言葉がなかっただけ、「継子いじめ」は日常的に行われてた。
当時は子供が犠牲になる事件なんてベタ記事扱い、つまりそれほどありふれた事件だった。
今は子供が犠牲になった事件は 「 全 部 」 全国報道される。
要するに児童虐待は劇的といっていいくらい減ってるって事。
>>148 そう言えば 後妻=継子いじめ
これはデフォだったな。
少女漫画や児童文学、家族向け映画でのお涙頂戴物は「継子いじめ、血のつながらない兄弟、難病」
物がメインディッシュでした。
これに恋愛が絡むと「大人向け」になったざんす。
キャンディ・キャンディには一通り入ってるかな。
昔からばかな親はたくさんいたよ。
旦那や教師の悪口を子どもの前で言えば、子どもは旦那や教師をばかにしていうことをきかなくなる。
そしてそれは徐々に大人不振につながり、最終的には言った自分に返ってくる。
おれは入学式の後の保護者会で必ず父兄に
「生徒がお父さんお母さんの悪口を言ったとしたら、私は絶対に親御さんを弁護します。
もしお子さんが家で私達の悪口や不満を漏らしたら、できる範囲で弁護してください。
それが最終的にはお子さんを素直に育てることにつながります。
学校と家庭と連携して子供達を育てて行きましょう。」
と言った。
旦那を尊敬して立てる母親の子どもで不良になった生徒を私はまだ見たことが無い。
>>81 うちは子機無し、FAX留守電機能付きの電話機(ナショナル)
だけど、FAXなんて来ないし留守電も嫌いなので
電源入れずに使っているけど・・・
「電源コードをコンセントに繋がない」のと「停電」は同じではないのかな?
それともうちの電話機が古いから使えるのかな?
最後の1行がそれまでのどれに関係するのかさっぱり分からん。
電話部分だけはコンセントに電気が来て無くても使える機種が存在する、って意味かな。
昔はそもそも電話機に電源必要なかったけどね。
通話に必要な電気は今でも電話線から供給されてるし。
今時の電話機も無線式じゃなければ最低限通話は使えるはずだよ。
光電話は別途電源ないとダメだね。
>>156 現在販売中のFAX内蔵電話機は、親機も停電になると発着信が出来ず、と中で電話が切れるそうだ。
(説明書・カタログに明記)
その前の電話機を捨てずにとってある。
>>154 ごめんごめん、停電になると今の電話は使えない説が
何件も出てるけど、実際にうちの電話は電源入れなくても
使えてるわけで。
うちの電話がヨソのと違うのはかなり古いもので
あるということくらいなので、古いからかな?って書いた。
説明不足だったね。
停電になっても使える多機能電話は2種類有る
停電時に
・電話機に電池を内蔵していて、通話のみ可能なタイプ
・自動的に電話線から電力を受給するように切り替えが出来るタイプ
>>158の電話機がどっちか分からんが。
160 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/08(月) 22:24:20 ID:safHaCxJ
単機能の黒電話、プッシュホンは、
要は、マイクとイヤホンとスイッチ(ダイヤル・プッシュボタン)、ベルが
電話局からコードで出張してきているだけで、増幅やら演算をしているわけはないので
電源を必要としない。
コードレスやら留守電、番号表示、FAX送受信機能を必要とすると、駆動用の電源が必要なので、
停電時に使えなくなる。
このような認識でいるが。
ところが近年の家庭用FAX電話機は、なぜか停電になると親機で普通の電話としてもつかえなくなる。
リレーでも使っているのか?
少女漫画の資料を集めているのだが、
昭和48年の「なかよし」にこんな記事があった。
キャンプと生理の日が重なりそう。
答)予定日の4日くらいまえからホルモン剤(薬局にあります)をのみ、
キャンプの最後の日まで続けます。中止すると1〜3日で出血します。
この方法は何度もすると複作用(原文のママ)をまねくきけんがあります。
せいぜい年に1−2回、それ以上はやめること。
これは、過去スレにあった「メスコン」のことだろうか?
それにしても、小学生にこんな薬勧めるなんて…。
(それでいてタンポンは大学生くらいになってから、とある)
>>161 作用方?効果?(なんて表現していいかわからん)はピルと一緒じゃない?
同じ号のなかよしに「新・□ジキ伝」というギャグまんががあって、
道端でむしろの上で、ボロをまとい、
「Oし・つNぼ」「めく×・Iざり」(もちろん、すべて伏字ではない)
というプラカードを首から提げて、偽装して
施しを受けるという母子のマンガが載っていた。
また別のギャグマンガでは、最後のページの柱に、
「☆☆先生のマンガに出てくる人って、へんな人ばっかりね。先生の頭の中、いったいどうなっているのかしら」
・・・・・・
これが大手出版社(○談社)から出ていた少女マンガ雑誌だったのだから…。
なんかすごいな
永井豪の漫画で「オモライくん」なんてのもあったな
166 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/08(月) 23:00:37 ID:KScgHhLL
月曜日に暢気に釣りしてる大人は皆床屋さんだと決め付けていた十二才の夏
>>163 まぁ…ルーピー鳩山のポエムwを乗せる雑誌ですからね。
巻末のまんがはみなもと太郎で、へんなギャグまんがの★★先生は坂本ミドリのことではないかな?
みなもと太郎は彼女の才能をえらく買ってて、坂本ミドリがあっさり引退して田舎に引っ越すときに泣いて引き止めて惜しがったらしい。
真ん中の下2/3サイズのピンクのページのキャロライン洋子とダメラが懐かしい。
平日の夕方はこの2人が出ていた「まんがジョッキー」という番組があった。
さっきウィキで初めて知ったが、ホタテのロックンロールはプレスリーあたりの替え歌だと思ってたんだけど、もともとまんがジョッキーのテーマとして内田裕也が作ったもの。
一応フルで歌える自分。
168 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/09(火) 07:00:43 ID:VA1GKhV1
>>167 へぇ、「まんがジョッキー」って「なかよしジョッキー」のスピンアウト企画だったのかぁ。
知らなかった。それともパクッたのかな。もしちゃんと許諾して造ったのなら、
なかよし誌上に誇らしげに宣伝…煽り文句が載ると思うので、タイトル、アイデアをパ…
いやいただいたのかもしれない。
その頃はNHKの「猫ジャラ市の11人」とか「新八犬伝」の方が印象が強くて、
やっていたことは覚えているのだが、詳細が思い出せない。
「おはようこどもショー」のノリをシロウトの子供を出さずに夕方に持ってきた感じだったような…。
キャロライン洋子は出ていたけど、ダメラは出ていたなぁ?
それと、江戸家子猫(当時)が出ていた。稲川淳二っぽい喋り方の人もでていた気がする。
。もしゃもしゃ頭(往年の鶴瓶風・ただし痩せ型)でヒッピー風の清潔感のない若い男が乱入、
って形で番組に入ってくる感じ。学生運動の記憶が生々しい頃だったせいだろうか。
「ホタテのロックンロール」が「まんジョキロックンロール」の
替え歌であることは、すぐわかった。別に設定上子供ではないホタテマンが
途中で「♪大人にゃ負けないぜ〜」と、まんジョキ…の歌詞のまま残しているなぁ
と覚えている。(あえて、wikiを引かずに書いて見る)
家庭用ビデオも普及していなかった頃だし、放送局のビデオテープも
消去して使いまわしていた時代だから映像も残っていないんだろうな。
169 :
169:2010/11/09(火) 07:02:03 ID:VA1GKhV1
キャロライン洋子は、ハーフの女の子ってことで珍しがられたのか、お姫様、
お嬢様的な役どころでTVやCMによく出ていた。
子役の女の子としては、トコちゃん(ケンちゃんの妹役)の子と人気を2分してたんじゃないかな?
あれ、斉藤こずえや嶋田歌穂もこの時期だったかな?
いまのこども店長張りに人気のあった男の子の子役は、なんといってもケンちゃんだが、
しかし、引退後は、若くして大学教授にまでなったキャロライン洋子や医師になった弟のケンちゃんとは
明暗を分けたな・・・。
小学生で入院してた時、看護婦さんが退屈しのぎにと大量の少女漫画雑誌を下さったのだが、その中の一冊に
入院してた子が、薬石効奏さず死ぬってのがあった…
それ以来、少女漫画はどうも苦手。(男性が主人公の作品もある白泉社系は読める)
つか、中身くらいちゃんと確かめてくれ。
171 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/09(火) 09:37:26 ID:agrzuK9z
俺がガキの頃は、教師にチクる、親にチクる、それで解決して貰うことが一番「情けないこと」だった。
だから俺もいじめられても必死で一人で背負い込んで闘っていた。
今の子は、何かあったら先生に言ってちょうだい、親も私らに言ってちょうだいで、チクッっても「情けない奴扱い」はされにくいのか?
そうだとしたら、私の苦労は何だったのだろうと思ってしまう。
他人に頼ることイコール学生生活を笑いもので通す だったからなあ。
そんな時代でも、平気でチクるような奴はいたから、そう言う奴は頭のいい奴だったんだなと思う。
学校や家で過保護に育てて、なんかあっても必ずすぐに誰かが助けてくれる。
素晴らしいじゃありませんか。
何の心配もいらない平和な生活。
何があっても親や先生がスーパーマンになって助けてくれる。
スーパーマンが来てくれないと死ぬしかないけど。
シャービック。
もう売ってないのかなぁ。
探してるんだが見当たらないよ。
↑去年あたり、100円ショップに並んでいた気がするが、今はもうないのじかな?
同じくダイソーで見かけた
今は季節的にもどうか不明
>>171 そもそも、いじめという行為そのものが卑怯なんだから、その卑怯者に「チクるなんて卑怯」ってほざかれても
自己紹介乙、としか。
179 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/09(火) 13:04:21 ID:1iGJBXk1
いじめられたら、どんどん他人に頼っていいんだよ。とどうして言ってくれなかったのかと昭和の思い出。
いじめられる方が悪いみたいによく言われた。
181 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/09(火) 19:08:05 ID:TazD4fa5
>>179 俺なんて両親に打ち明けたら「男の癖に情けない、虐めた奴らに立ち向かえ」って言われたよ…
わしが教員をしておった頃にもいじめはあったな。
わしの常套手段は、
いじめられてるのを最初わざと気づかんふりをして場所を突き止め、
三回め位に現場に踏み込んで捕まえ、クラス全員を教室に集めて
お前ら知ってたのか?◯◯が何をしたって言うんだ?
これからもいじめを続けるならおれが相手になってやる。
だが、◯◯も直すべきところはあるぞ。
と学園ドラマを演じてやったもんじゃ。
小学校時代は学級崩壊で何人かターゲットになっていじめられたけど
親にチクったら親が直接主犯格3人の家の親に電話したらいじめ無くなったお
次の日学校で
A「コイツの母ちゃん家に電話しやがったんだよ」
B「うちにも電話あったwww」
C「うちもうちもwww」
AB「工エエェェ(´д`)ェェエエ工 全員の家に電話しやがったのかチッ」
みたいには言われた
>>178 だから、チクってた子はチクってたとか自分が情けないなんて微塵も思ってないわけよ。
相手の方が自分より卑怯なわけだからして、卑怯者に何言われようが自己紹介乙でしかない、と。
185 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/09(火) 23:19:04 ID:de3pJqit
>>171だけど、ワイの何が卑怯者で自己紹介乙なのか、ちゃんと説明してみろや。このクソガキ。
>>185 ま、その『言葉遣い』ひとつで「お里が知れる」けどな(´・ω・`)。
>>185 チクるのは卑怯者ってのはいじめるほうの理論だから
いじめられてる人がチクったら卑怯なんて思う必要は全然ない
いじめてる人たちにそう思い込まされてただけ
だからチクる人は卑怯者でもなんでもない
>>171さんもチクっていても卑怯者じゃなかったんだからチクっても良かったんだよ
188 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/10(水) 11:08:37 ID:kFdAOULD
ありがとうございます。
>>169で思い出したけど
「セーラー服通り」ってドラマの主人公三人娘のうちの
いしのよう子・元CCガールズの人以外の後もうひとりの女の子って
今何してるんだろーと思い、ぐぐって見たら…
ビビりましたw
スゲーw
191 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/11(木) 06:26:20 ID:+qNJ8AKa
193 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/11(木) 08:35:24 ID:OKo6w+vC
まあコネだろうけどね。
おれの通ってた小学校に三波春夫がコンサートしにきた。
黒塗りの車から降りた三波春夫は身長150cmもなくて、小学生だったおれより
小さくてびっくりした。
当時はあんな有名人でも田舎のドサ回りしてたんだなあ。
してたね。演歌の大御所っぽい人は結構そういうことやってる。
そして、小学校でやるというのも昭和らしい。
学校とか公民館とかで普通にやってたよな。
今じゃ色んな意味で無理だわな。
197 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/12(金) 06:40:11 ID:yF5hKOol
自分の街だと、そういった演歌コンサートって、商店街の組合みたいのがやっていた記憶がある。
今で言う、ポイントカード、スタンプカードみたいのものを商店街連合でやっていて、
買い物100円か200円ごとに1枚の切手みたいな「スタンプ」をくれる。
それを手帳型の台紙に100枚だか200枚張り、それを10冊集めると1人分のチケットと交換できる、
って形式だったとおもう。(このヘンの数字はあいまい)
(そのスタンプ帳で、ふだんでも、何冊かで鍋やポットといった生活用品に取替えられるのだが、
その入場券が圧倒的に人気があった)
だいたい10月頃(半農村だったので収穫代金が入る頃か?)に、ポスターなどでの告知とともに、
スタンプ倍付けセールなどを行って、11月末〜12月前半にそのコンサートをやるのが通例だった。
商店街がこのときとばかりと万国旗とかを飾ったり、客の方も娯楽が少ないので
(今みたいにカルチャーセンターみたいなのもなかったころだろうし)
耐久品をこの時期に、まとめ買いするなど、
中高年のおばちゃんを中心にかなり盛り上がっていた気がした。
しかし、60年ごろ、大手スーパーを核にしたショッピングセンターが町外れに出来ると、
スタンプが出るからといって定価販売でモノを買う人も少なくなり、そのSSで、
街角テレビとか、無料で芸能人が見られるイベントをやるようになると、
商店街の衰退とともに、そんなコンサートもなくなっていた。
今みたいに、ど田舎にもなんだか立派なホールができたのはバブルのときだからねぇ。
それまでは、曲がりなりにも音響設備と舞台があって人が呼べる場所ってけっこう限られてた。
>>198 その「曲がりなりにも音響設備と舞台があって人が呼べる場所」が学校の体育館だった。
観客も数百人は入るし。
小学校のとき、学年総出で行ったオーケストラのコンサートが市民体育館だったなあ。
のちに、この企画に携わった教師に聞いた話では、
市民会館のステージは小さすぎてフル編成のオケが乗せられなかったらしいw
201 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/12(金) 09:32:31 ID:6nltFMYv
「全員集合」やら「ロッテ歌のアルバム」「家族揃って歌合戦」みたいな公開番組が
川口とか調布とか大きな都市の「市民会館」で収録されているのを見ると、
同じ「市」なのにちっぽけなイナカ街に生まれたことをちょっぴり恨んだものだった。
ほかにも映画が1〜2年遅れだったり、博物館やデパート、プロ野球観戦なんかも縁遠い。
じゃ、自然に恵まれて、と思われそうだが、わりと商業地だったので、田畑、雑木林は
どんどん潰されて宅地になり、下水道がないから川も汚て投棄物だらけ、子供だけで海や沼に行くな、
木登りはするなとどいう規制も年々うるさくなってったな。
まあ、今はおらがまちにも市民会館があるわけだが、
ぶっちゃけ市のお荷物だな。
20年くらい前、のら犬が一斉にいなくなった気がする
今や全く見かけない
山の中を歩いてたら中の見えない小窓しかない
コンクリートの建物があった
中から犬の普通じゃない悲しそうな鳴き声がしてた。
その建物が保健所の犬の処分施設だったらしい。
あんな悲しい鳴き方とか聞いたことなかったけど、犬も自分の運命がわかってたのかもしれない。
>>203 …実はね。
昼間にうろつくのをやめたのよ。
昼は、ずっと近くの山で寝てるの。
活動するのは深夜になってから。
昼間にうろつくお間抜けな野良はみんな駆除されちゃった。
>196
紛い者芸能人もそういう下地があって成立したんだろうな「美空ひばい」とか。
>>201 全員集合は渋公、カックラキンは調布グリーンホールがホームっつーかメインのハコだったよね。
カックラキンは木曜夜が収録で、そのためしょっちゅうザ・ベストテンの追っかけ先になっていた。
百恵とかそのあたりがグリーンホール前の階段をステージ代わりに歌ってたシーンを覚えてる。
・・・で、今その調布に引っ越してきたんだが、あの階段まだある〜、と泣きそうになったw
思わず登ってみたりなんかしてなw ここで百恵とか明菜とか歌ってたんだな〜としみじみ。
小学校の講堂(体育館)といえば、夏休みの子供映画大会だな
わんわん忠臣蔵、空飛ぶ幽霊船、ホルスの大冒険、長靴をはいた猫
の長編アニメを2本立てプラスお菓子とジュース付きで見せてくれた
いつもお盆直前にやってたので、田舎に帰省する家の親が
「子供が見たがってるので時期をずらしてくれ」と要望したが
商店街と町内会からの返答は
「帰省する田舎のない可哀想な東京っ子のためのイベントだ」
と答え、要望していた親たちも納得して引き下がってた
俺たち帰省する田舎のない東京っ子としては
「俺たちは可哀想だったんだ?」と思ったがw
209 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/12(金) 18:55:42 ID:/sQHZiM5
小学校の講堂(体育館)の映画大会といえば女子限定のやつだな。
ウチの学校は、2年に1度、5,6年二学年分の女子を集めてとりおこなわれた。
自分の学年のときは6年生のときだったが、運動会の直前の金曜の午後、
予行演習での最後の種目のフォークダンスの後、男子は流れの通り、下駄箱へ向かい、
掃除を始めたのだが、女子は体育館へ方へ行ったっきり、一向に帰ってこない。
しかたがないので、女子の分の掃除も始め、完了した頃に女子が帰ってきた。
「なにやってたんだよ」
「うるさいわね、あんた達には関係ないよ!」
朝の学級会でも説明がなかったし、女ながらに怖いタイプの先生だったので、
帰りの会で質問すらする発想がなかった。(普段から学校、先生のやり方全般に対しても)
水泳も6年の修学旅行も終わった後で、手遅れの子もいたんじゃないだろうか?
まったく寝耳に水、の子もいれば、いまさら…って子もいただろう。
(実際、午前中はまったく普通だったのに、プールを見学している子がいて、
○○君(オレ)は知ってそうだからって耳打ちして教えてくれた子もいたが)
男子は知る必要がない、と言うより、下ネタは幼稚なことで、他人と話題にすべき
ことではないと、仕向けられて育てられた感がある。
男子自身に対する教育は、学校でも家庭でも行われなかった。
人体の図鑑も、下腹部はのっぺらぼうに描かれていた。
先生に質問してみたり、他の男子は疑問に思わなかったのかちょっとあの頃に帰って確かめたい気がする。
昭和50年代前半のはなし。
>>209 自分は女だけど、実際女子にとっては恥ずかしい事だったよ。
からかう男子もいたしね。
隠す事ではないけれど、やっぱ恥じらいはあった方がいいので、恥ずかしい気持ちは悪い事じゃないと思う。
学校や年代によって違うんだろうけど、ウチの学校は女子と男子に分かれて時別授業みたいなのやった。
50年代後半の小学校。
ちなみに中学の保険で、試験管をアレに見立ててゴムの付け方を教える授業でをやったよ。
男子も同じだと思うけど、男子の保険の授業って謎。
女子と同じような感じなのかな。
211 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/12(金) 19:53:44 ID:aTObMAiV
俺の中学校の体育館での映画と言えば、「人権映画」だったな。
部落差別の歴史とかそう言うのだった。
>>201 地方の街育ちってのは
大自然で遊ぶ事も少ないし、
かといって東京のような娯楽が多いわけでもない
意外と損しているよな
>>211 同和教育の地域差ってすごいんだよね。
東京の新興住宅地育ちなんだけど同和問題というものの存在をネットに接続できる環境になるまで知らなかった。マジで。
歴史の授業なんかで「過去にあった身分制度で、今はなくなったもの」みたいにさらっと流しただけだった。
関西の方の人は大体授業で映画見せられたっていうんで驚いた。
214 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/12(金) 21:35:12 ID:ImARD1J9
小学校でやったのは「猿飛び佐助」だったと思う。下らない漫画。
215 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/12(金) 21:37:11 ID:krGlwPNS
>>212 しかし、周囲の町村は、駅前の中心街ですら、喫茶店やらスーパーとかもなくて、
おそらく、その町の子は、パフェやピザなんか見たこともないだろうな、
と思っていた。(昭和50年前後)
>>212 そのかわりといっちゃなんだけど、
「住宅街の中の空き地」ならではの楽しみとかあるよ。
子供はどんな環境でもそれぞれ最大限の楽しみ見つけるもんさ。
>>210 >ちなみに中学の保険で、試験管をアレに見立ててゴムの付け方を教える授業でをやったよ。
え、信じられない
218 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/13(土) 05:44:32 ID:fES0cF7B
指導要領に盛り込まれているものではなかったので、学校ごとに、
男女合同だったり、男女別だったり、父兄参観の上だったり、
低学年からだったりと、各校バラバラ、オリジナルだったらしい。
オレのところのように、女子に映画を見せるだけで男子にはなにも教えないところも。
で、平成2年ごろ、エイズを教えなくてならない〜日常生活で伝染することはない、
差別してはいけない、こういうことで感染する、ということを教えるために、
大方の学校で性教育をするようになったのでは、と。
2000年に小学校に上がった甥の小学校入学前の保護者向け説明会では、
当校では1年次から、男女の体の違い、身体を清潔に保つことなどを、
男女別に行うとか説明があったそうな。
今の小学生なら、卒業までに、セクロスだのコNームもクリなんちゃらも、教わっていると思われる。
小学館の「小学×年生」にもバッチリ載ってるし。
着替えが男女別とか、2次性徴発現している小学生って自分から見れば、ちょっと考えられない。
219 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/13(土) 05:55:40 ID:qLN9Y3lj
初めての調理実習って今でも粉ふき芋とホウレン草の油炒めなのかな?
目玉焼きと塩もみサラダ、だったかな
221 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/13(土) 06:56:38 ID:N5LN1X00
酢とサラダ油でドレッシング作らなかったか?
昔、味の素で「シェフレ」っていうサラダ作り専用油を発売してたな。CMには
石坂浩二が出てた。「♪シェフレと お酢は 2対1〜」
>>221 作った〜!
初めての調理実習で作ったものはご飯とみそ汁。小学校の時。
粉吹き芋とほうれん草はもっと後だった@東京。
224 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/13(土) 07:10:24 ID:XdoXlFz+
石坂工事といえば、アクアチェック。
でも、おそらく高価な毛髪湿度計などそのへんの店にはなく、
オノレの髪は、どのタイプなのかわからないじゃん、とTVに突っ込んでたっけな。
しばらくすると、こういう症状(?)なら、アナタの髪は、**です、という風に変わったな。
225 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/13(土) 07:47:27 ID:ueKz7kvP
湿度計といえば、温度計が2本並んでいて、一方が水槽に浸っていて、
両方の指示を読み取って、表から湿度を割り出す、ってヤツだった。
あれ、もう作ってないのかな。
・ハクション大魔王の好物がハンバーグなのは、スポンサーにマルシン(ハンバーグ)があったから。
・全員集合のエンディングで、歯ァ磨いたか?風呂入れよ、と言っていたのは、スポンサーがライオンだったから。
・原作が「魔法使いサニー」だったのに、アニメ化の際クレームを入れてサリーに変えさせたのは、サニー(車)の日産ではなくソニー。
・原作が「ママァちゃん」なのに、アニメ化の際「ふしぎなメルモ」に変わったのは、もし商品化する場合、
食品カテゴリーでスパゲッティの「ママー」とカブるおそれがあったから。
・「ごちそうさま」では、バターは絶対に使わず、スポンサーの味の素発売のマーガリン「マリーナ」を使用。
塩はもちろん「アジシオ」
228 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/13(土) 12:39:08 ID:Vu6qCjq1
金銀パール、プレゼントてのもあったな。
新八先生が体罰していた
>225
アレは今でも厳密に湿度を計測するにはベストの器具
>>226 脚本の「コロッケ」を「ハンバーグ」に直したので(作画は既に完成していた)
コロッケを作るシーンなのに、登場人物が「ハンバーグだ」と言ってるシーンもある。
>>226 サニーがサリーに変わって、原作者の横山先生は
「インド人みたいだ」と苦笑していた
初めての調理実習は小5で
炊飯、目玉焼き、豆腐とわかめの味噌汁、粉ふきいも
ホウレン草のおひたし、フレンチドレッシング(とレタスサラダ)だった
@東京の丙午
昭和時代は、小学校まで男女共通の家庭科で、
中学から男子・技術、女子家庭科と別れたが、
今の子は中学も男女共通して技術家庭科なんだよね。
中学生の時、女子から家庭科でつくったクッキー貰うのが嬉しかったなぁ
>>233 ウチの小学校は調理実習、理科室でやってたよ。
骨格標本やホルマリン漬けの諸々に囲まれながら作ったご飯とみそ汁は格別だったわwwwww
もちろん昭和の話。
はるか後年、大学時代に、夏休みプール指導のバイトで都内の某区立小学校に通ったけど、
調理実習室のみならずランチルームとかあるのね。おまけに全館冷暖房だし。
なんてゼータクなとか思ったわ。今の子供は恵まれすぎだ。
235 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/13(土) 18:11:01 ID:rbiqLFZq
少子化で教室が余るからいろいろな部屋が出来ているらしいね。
郷里の小学校も、市内で1ばん大きかったが、1学年5クラスが3クラスに。
それも1クラス33人。児童数も半分になった。
むかしは、そのうち解消されるだろう、と思われてい複式学級も
最近は、さほど田舎でもないところでも珍しくないらしい。
初めての調理実習@小5
持ち物…エプロン、三角巾、紅茶のティーバッグ、砂糖、スライスレモン(希望者のみ)
実習内容… 紅茶をいれる。
なにがしたかったんだろうか。
お菓子作る学校もあるんだね。中学になってからも、ハンバーグとサラダお吸い物程度のものしか
やらなかったな。
237 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/13(土) 20:35:54 ID:7UUeWrMA
調理実習はサラダを作った事くらいしか覚えていないな。
カエルの解剖もしなかったな。
テレビに出てくる東京の子は、なんでもあって贅沢だなあ恵まれているなあと、羨ましかった。
238 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/13(土) 21:08:33 ID:ci44ZYF3
巨大な洗濯用洗剤の箱・・・
コンパクトサイズがでる前・・・
最近、さらに小さくなったよな。
>>236 紅茶をいれる調理実習wまさに同感。ホントあれは疑問だった。これは調理なのか?って。
セットで作ったサンドイッチは自分で作った事がなかったから新鮮だったな。ゆで卵潰してマヨネーズと混ぜてマスタード作ったり。
味噌汁のダシを煮干で一から採ったのも懐かしい。
後、調理器具や食器がいつも油っぽかった。洗剤が薄くしてあったのか?
そういえば、自分でミシン使って作るナップサックってあったの思い出した。あれってカタログの絵柄の中から選べたけど何選んでた?自分は男だったけどネコ好きだったので、無謀にも女子向けのネコの絵柄選んだら、地の色がピンクだったので周りに馬鹿にされてしまったな。
紅茶を煎れる調理実習、ずっと都市伝説だと思ってたのにほんとにあったんだ…。
なんか衝撃だ…。
>>237 確かに授業じゃカエルの解剖しなかったねぇ。
どーしてもやってみたくて、区の教育センターに1000円払ってやりに行ったよ。
麻酔で眠らされて伸びきったヒキガエルがバケツに山盛りになってて、
それを一人一匹ずつ配っていくのw
解剖セットがテーブルマナーのナイフとフォークのように並んでるんだけど、
メスでチマチマやってたんじゃカエルの腹は硬くて切れなかったよ。
面倒なんでハサミってジョキジョキやって、最後に内臓全部バラして並べていたら、
気付いた時には周りがドン引きしてたw
カエルの解剖は中学のときやったなー
小学校のときはフナの解剖だった
ついでに初めての調理実習はご飯と味噌汁
次がこふきいもだったと思う
初めての調理実習は、卵を茹でて刻んでマヨネーズで和えてパンに挟んだ
卵サンド。
解剖はフナだった。解剖後に誰かが冗談で煮てみたら美味しそうな匂いが
して食べたくなったのを思い出す。
中学ではカエル。解剖後に袋にまとめて入れた後、先生がカエルたちの尊い
犠牲に感謝して黙祷してた。
小中では解剖ってやらなかった。
高校で初めてやった。
カエルじゃなくて、牛の眼球の解剖だった。
理由は無駄な殺生はしない、眼球なら業者からもらってこれる、との事。
血も出ないし、中味は意外に綺麗で驚いた。
水晶体は透明のゼリーみたいだった。
60年代の事なんで、昭和ギリギリですが…。
>>239 なんでそんな話題で男ぶるの?気持ち悪い
小学校…一人一尾の鮒
中学校…1班(5人)に1匹のウシガエル
最後は回収して豚のエサになるって言われたな
@東京23区丙午
>>243 うちの小中学校でも授業の最後にクラス全員で1分間の黙祷を捧げたよ
>>245 書き方がまずかったか?気にさわったならすまん。
俺は小学校のときにカエルの解剖をやらされたな。
一班で一匹カエルを持参して解剖したんだが、ガマガエルを持って来た班があって、
麻酔の量が足らなかったのか、解剖中に内蔵を取ったガマガエルが突然目を
さまして跳ね回り、教室はパニックになった。
今だと動物愛護団体?みたいなのの手前、義務教育機関の解剖ってダメなのかな?
30年近く前だけど、開成高校の生物部がネズミの解剖やってて、見せてもらったことあるよ。
>>246 東京の何区ですか?何となく似たようなことやってるような…?
>>238 「カップ7杯でこの白さ!」
というほっしゃんのすべらない話を思い出したw
>>247 ますますうざすぎる 男ぶる意味が心底理解できない
252 :
33:2010/11/14(日) 00:02:58 ID:c/2sc0Xu
>>239が気持ち悪がられる理由が分からない。
小学校は家庭科も男女一緒にやったりするし、男性もそれなりの思い出があるのも普通だと思うんだけど。
誰にもわからないからさわっちゃいけません。
>>239 >ゆで卵潰してマヨネーズと混ぜてマスタード作ったり。
へ?
>>252日付変わるの待ち構えてたご本人チュプ?
256 :
252:2010/11/14(日) 00:45:05 ID:c/2sc0Xu
本人ではございません。
この出てくれば来るほど墓穴掘る感を隠し切れない詰めの甘さ
だから最初のレスにも…
>>239は俺だよ。酔っぱらって書き込んだからなんか変な文になってしまった。
>>252擁護ありがとう。
>>254そこは間違ってた。正しくは、ゆで卵潰してマヨネーズとマスタードを混ぜたのを作って。
みんなゴメン。話題変えてくれ。
259 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/14(日) 01:16:18 ID:MGqZSRFJ
何で意地でも男ぶるんだろう…
>擁護ありがとう。
キジョイタのり丸出し
260 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/14(日) 01:20:09 ID:+6VxN2+T
暖かい牛乳を飲むためにミルクパンで加熱
電子レンジって偉大だな
男なんじゃないの??女なの??
女だとしたら男ぶるのは不思議だけど、
それより先に245は、なんで239=女だって思ったの?
小学校の家庭科の裁縫部門、ナップサックじゃなくて、まずは学校から一括で買った裁縫セットに入ってる運針布で並縫い・半返し縫い・全返し縫いの練習。
そしてついでにスナップボタン・普通のボタンをつける練習。
そのあと裁縫セットの箱を入れる巾着を自分で手芸店で買って来た布で手縫いで作成。
縫う前に裁縫箱の寸法を測ってゆとりの部分込みで買ってこなきゃならなかった。
ヒモを通す部分の三つ折りした縫い代をまつり縫いで作るのは固くてしんどかったのを今でも覚えている。
しかし昭和は町内に一つはボタン屋や毛糸屋、洋裁店があったな。
今は大きな街にでないと体操服のゼッケン一つ作るのも手芸店が近所になくて大変だ。
>>249 …25年くらい前、中学の理科の授業で、生きた子猫を麻酔せずに解剖したバカ教師が居ってのお。
(子供相手にやらずに、大学でやりんしゃい)
それ以来、解剖実習は敬遠されるようになったんじゃよ。
ID:MGqZSRFJがねちっこくてなんかきもい
俺書き込みしてるヤツが見えちゃうんだぜ、なエスパー君は2ちゃん名物みたいなもんでしょう。
黙ってスルーが一番。
以前ちびまるこちゃんを見ていたら、学校で「今日は土曜日だから、後で集まって云々」という台詞があった。
実況版で「なんで土曜に学校行ってるんだw」とか「土曜に学校って私立か?」という書き込みが多かったんだけど、
今のゆとりって昔は土曜は半ドンだったことすら知らないのかな。
土曜の手抜き昼食(うどんか焼き飯)を早々に食べて、友達のとこに遊びに行くのが楽しみだったな。
267 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/14(日) 11:09:16 ID:KSaRXQd/
昔のNHKの女性アナウンサーは、言っちゃあ悪いがドブスばっかりだったなあ。
こんなのテレビで映しちゃイカンだろというレベルだった。
268 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/14(日) 11:33:49 ID:5IItw6mJ
土曜日は集団下校したな。それを「集団月光仮面」と言っていた。
>>268 想像をたくましくしてみたwww
白タイツ長靴白シャツ風呂敷マントタオルほっかむり駄菓子屋サングラスの集団が山道を鈴鳴らしながら行進するwww
通学路8キロを毎日歩いて通ったな
狩猟解禁の時の猟犬が怖かった
散弾銃の薬莢をよく拾ったものだ
>>244 自分も高校生の頃牛の眼球の解剖やったけれど、
それは眼球とレンズの仕組みみたいなものを観察する奴だった。
(学校じゃなくて校外学習でやったような)
眼球そのものはともかくとして、解剖後のポリバケツ内容物のエグさと、
眼球周囲の肉と長くて黒々としたまつ毛の気味悪さが忘れられん…
あとなぜかバッタの解剖やった記憶があるんだけど。
バッタの下腹開いて卵巣?か何かを取りだして観察するの。
で、まつげを窓ガラスに貼っとくんですね
フナだな、おそろしいフナの解剖やりました。
泣いちゃう子が数人いてうざかった。
中学校で交通安全啓発ビデオ見せられた時も、
全然グロじゃない事故現場の写真とかくらいしかないのに
わーわー泣く子がいてうざかった。
鮒の解剖やったな。6年生のとき。
鮒の解剖なんてお料理と変わらないはずなのに不思議と厳粛な雰囲気だった。
解剖がひととおり終わって内蔵いろいろ引きずり出されてもまだ生きてるから
早く楽にしてやろうとぴくぴく動いている心臓を突いてとどめをさそうとしたら
みんなに止められた。
274 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/14(日) 14:41:56 ID:AYXC/RGZ
土曜日は学校終わって帰ったらテレビで吉本新喜劇観てたな。
寛平と木村進のやりとり観て喜んでた。
あのオープニング曲を聞くと土曜日の昼下がりを思い出す。
木村進が数年前の24時間テレビに出てたそうだが見逃した。
寛平との感動の再会見たかった onz
最近でも高校では豚の目とか鶏の頭部、小学校ではフナやカエルはやったけどね
結局は教師によるんじゃ
料理と思えば普通なのに、解剖と思うと気持ち悪く感じる、不思議。
>>275 ちなみに、生きた子猫解剖事件は、麻酔なしで、生徒に足を押さえさせてだったので
当時大騒ぎでした。
解剖、カエルは駄目だったらしくて・・・煮干だった。
中学の自由研究で金魚の解剖をやった。
遅まきながらかもしれないが、担任は生物の先生だったので
喜んでもらえた。
名前のついた赤い金魚だった。
解剖ネタに便乗
昭和の時代に入った某国立大学医学部では
「カラスガイ」「ミミズ」「カエル」の解剖があった。
けっこうぶっといミミズをピンで固定して、丁寧に丁寧に消化管を出したのを覚えてる。
もちろん、その後、人間の解剖もありましたが。
>>267 野際陽子は美人じゃん。キイハンターの頃なんかカッコいいよ。
才色兼備女子アナ(立教卒)→女優の元祖かな?
>>276 カエルでもウシガエルなら食用だもんなぁ。
まぁ、あまり牛豚鶏は一般家庭じゃさばかないだろうけど、
魚類系なら普通にさばくもんね。(カエルはあんまやらないか)
>>281 普通に考えればあたりまえのことなんだが、
ミミズに観察できるほどの消化管があることに一瞬驚いてしまったw
284 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/14(日) 19:44:34 ID:t2GnZSW9
骨付きの唐揚げを犬にあげたら怒られたけど、最近は犬も過保護になったもんだ。
昔は唐揚げの骨だけあげてボリボリくってたなぁ。
犬に衣装着せる時代だよ
>>284 犬って丸呑みで食べない?
鳥の骨は鋭く割れるから内臓に刺さるよ
>>284 昔は残飯をボールにまとめて食べさせてたなあ
いまは旦那が残飯整理でワンちゃんは高級食材
(´;ω;`)ぶわっ
>>284 飼い犬が血を吐いて苦しんで死んだので、てっきり毒殺されたと思って解剖を依頼したら、
通りすがりの人が悪気なく与えた骨付きの鳥から揚げの骨が割れて、食道を破って肺に突き
刺さっていたそうな。
>>285 一人暮らしが不安な老人に相談を持ちかけられると「集合住宅だし、室内で飼えて老人の片手
でも御せる小型純血種になさい」「性格が温和なパグかシーズーがいいでしょう。毛が抜ける
のが嫌ならプードルになさい」「室内飼いなら、散歩のたびに毛が汚れると後始末が大変だし、
シャンプーの回数を減らすために、外では服を着せるといいですよ」って言ってる。
小型犬は基礎代謝も小さいし、綿毛もない犬種がいるからね。
雑種が飼えるのは、庭付き一戸建てで最低でも二人以上の家族がいてその中に50代未満の人が
いて、躾のスキルがある家。
そういう人には雑種を勧めている。
あれは殺傷能力があるし、老人では下り坂で引きずり倒される危険がある。
実際、それで頭蓋骨を骨折して、3日意識がなかった人を知っている。
291 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/14(日) 21:05:53 ID:t2GnZSW9
犬なんてものは汚れるのが仕事ってもんだ
ガキは犬からかって追い掛けられて成長するもんだ
骨食って死ぬような犬は犬の風上にも置けないってなもんだ
byはっちゃくの父ちゃんより
うちのわんこも鳥の骨あげるとおいしそうにたべてたけどね。
刺さるという話を聞いてからやめた。
>>291 …犬育てるのもお金がかかるんだし、女性や年寄りは毛が汚れたら困る室内犬しか飼えないんだから無責任なこと言わんといてね。
無知や無邪気な愛情で飼い犬殺されて納得できる?
一人暮らしが不安な人が泥棒を恐れて安眠できない状況が想像できる?
その人が強盗に殺されたら責任取るの?
外でしか飼えない犬に引きずり倒されて骨折でもしたらどうするの?
年寄りだと寝たきりになるし、そうしたら犬は保健所行きよ?
うちもやってたなーケンタッキー食べた後の骨
すごい喜んでたし毎日みそ汁ぶっかけ御飯だったけど
病気ひとつせず長生きしたよ
そういや忠犬ハチの死因は焼き鳥の串が喉に刺さってだっけ?
酔客がほぐしてから上げてれば死ななくて済んだのだろうか。
雑種のワンコといっしょにしないでっ ><:
存在価値が違いすぎますから!
>>293 引用しているあばれはっちゃくの頃は
犬はそんな扱いだったって話だと思うよ。
昭和50年頃は室内犬な狆を日中は表で一人で遊ばせてたなあ。
>>294 犬種によって基礎代謝や必須栄養素が違う(日本犬系の雑種だとご飯に野菜や魚の煮たのをかけたのでいいけど、セントバーナード
だと、前足を握っただけで骨がぐずっと崩れる重篤の栄養失調になる。逆に大型洋犬の餌を日本犬に与えると糖尿病になることもある)
し、ケンタ食わせて死ななかったのは運が良かっただけだからねー。
>>295 あの御大は、酔客の手にした焼き鳥のお肉を銜えて、肉だけさっとひっこ抜く名人(犬)だったそうだ。
弱ってそれが出来なくなってたんだろうねって言われてた。
>>288 >いまは旦那が残飯整理で
>ワンちゃんは高級食材
ワンちゃん…高級食材…
ガクガクブルブル
>>296 言っとくが、自分は雑種純血血統書の有無に関係なく犬が好きだぞ。
犬を無知な他人に殺されたり、飼育に関して無知な人が純血種を飼ってとんでもないことしたり、
一人暮らしの老人が、本当に小型犬を必要としたり、自分の腕力で御せない犬を飼った人が大怪我を
して双方ともに不幸になったりを嫌というほど見てるの。
犬を飼うのに必要なのは愛情だけではなく、腕力と躾のスキル。
雑種犬は、人一人殺せる最小限のスペックを持ってるんだから、これをわきまえないと、本当にとんでも
ないことになるから。
犬好きなのはわかったから説教しまくるのはやめてくれ。うざい。
コボちゃんのシロ
サザエさんに出ていたジュリー
タッチのパンチ
昭和の時代のマンガだと室外犬が多いな
室外犬を飼うのが普通だった気がする
スピッツとか一時大人気だった。
バター犬くらいしか思いつかない
昭和の漫画の室内犬
のらくろは室内犬?
それとも室外犬?
二等兵
>>294 うちも柴犬飼ってたけど、一番最初にみそ汁ぶっかけ残飯あげたら
残飯しか食わなくなっちゃったよ。
その後、栄養満点だの高級だのがウリのドッグフードも与えてみたけど、
食わなかったね。でも、たくましく育ったよ〜。
>>297 はっちゃくの犬、ドンペイってラブラドールだよね。高級犬じゃんw
うちのみそ汁ぶっかけ御飯犬もラブラドールだった!
もちろん愛情が無かったとかじゃないんだよ。
ペットショップとか、ドッグフードを扱ってる店なんて都会にしか無かったし
それが、昭和の生活だったんだよ
ペットというより番犬て認識だった気がする
小さい頃は犬怖かったなぁ
珍しい本を買うのに何件も何件も本屋を巡って、どうしても無ければ店で
取り寄せた。そして手に入るのは1ヶ月後だったりした。
そいや、ドーベルマンとかはマジ怖かったなあ
なんか話通じないというか、目がビー球みたいで
俺もガキの頃は犬が怖くて、ビクビクしてたけど、
それって「オバケのQ太郎」とか、「ハクション大魔王」とかのアニメで
"犬は噛み付くもの"って、頭に刷り込まれてたからじゃないかと思う
昭和期の小学生向けの「ペットの飼い方」みたいな本にだって犬には鳥の骨をやらないようにって
ちゃんと書いてあったよ。
その程度のことも調べずに犬飼ってた人は単に無責任なだけでしょう。
昭和だからってのとは関係ない。
漏れも狆の飼い方みたいな本を読んだなあ
鳥の骨について書いてあったか覚えていないけど
白狆(白黒の模様が無く白い狆)が生まれたらすぐに殺さなければいけません、とか書いてあって怖かったのは覚えてる。
>>309 どんな田舎でも米屋はあったろう?
米屋で売られてなかったっけ?「ビタワン」
>>316 田舎は農協に米券もってって米に変えてもらうとかだから米屋にはいかねーな
魚の行商の人から魚を米で買ってたりしたし
318 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/15(月) 00:55:19 ID:bMOQY4qK
リヤカー行商の婆ちゃんからトマトや瓜買ってかじってたなぁ
>>249 文京区。解剖実習は教育センターまで行ってやったな。
いつもの理科教師ではなく、センターの先生に教わりながらやった。
うちの小学校では、おきまりの小鳥・ウサギの他に
学校で犬を飼っていた。
世話は用務員のおじいちゃんがやってたよ。
一度、小学校に入り込んだ泥棒を捉まえたとかで名犬と呼ばれてた。
低学年の子が乱暴にしても、絶対に吠えたり、牙を?x525D;かない犬だった。
校舎建て替え中、用務員さんの家で飼われていて、寿命で死んじゃった。
昭和40年代後半から50年代半ばの話。
>>315 殺さずとも避妊すればよかろうに…
ちなみに、わさおくんのような長毛の秋田犬も、かつては殺さねばならなかった。
>>315 その本、相当に古い本だろうなあ。
昭和40-60年代、うちの叔母が狆を多頭飼いしてブリーダーではないけど
お願いされたら、生まれた子犬をわけたりしてたんだ。
ちなみに狆は抱き犬と呼ばれるほど、おとなしい。(チワワほどではないがw)
で… 狆の血統書で認められるのは白黒か白茶だけで
白狆は血統的に認められないから間引けって意味だと思う。
(叔母は白狆を間引きはしなかったが、子供はつくらないようにしてた)
最近は、白狆を血統書的にはともかく、
「高貴な狆」として持て囃す人もいるから、良い時代だよ。
322 :
249:2010/11/15(月) 04:47:58 ID:DYOzwVv0
>>319 あれれれれ!?世間は狭い、当方もそうです〜
>>319の方がちょっと先輩かな?学校まで同じだったりして……
>解剖実習は教育センターまで行ってやったな。
まさにそうwwwwwwwwww
323 :
249:2010/11/15(月) 04:54:40 ID:DYOzwVv0
>>319 丙午って書かれてますね。
>>319の方が完全に先輩です〜。
自分の時はもう解剖実習自体が授業になくて、自分で文京区の教育センターに行きました。
(でも件の子猫解剖事件よりも前の世代なので、昭和の話です)
>>316 さあ‥
たまに母ちゃんと買い物行くって言ったら
生協と農協くらいだったなー
MIX犬の方が丈夫で性格もいいのを知らないなんて、
昭和すぎる知識ですな
326 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/15(月) 14:45:42 ID:+rTQuYYN
ミックスっていうのも平成で生まれた気色悪い言葉だな
雑種でいいじゃんか
雑種で
雑種の「雑」ってのがなんか下等なものみたいで嫌だっていう人がいるんだよな。
障害の「害」の字が嫌だっていうのと似たようなもんだ。
言葉狩りですねわかります
雑誌雑炊雑煮だいすき
おてんばいたずら大好き
>>327 それで思い出したけど「東郷健と雑民の会」ってのがあって大久保でホモ映画と男性ヌードショーを開催していた。
代表の東郷健は都知事選や参院選に立候補しては抱腹絶倒物の政見放送をやってた。
>>295 忠犬ハチ公を戦前祖母は見ている。だいぶ体が汚れていた、と。
ちょうど東横ができたころのこと。
>>327 ポプリも、「赤毛のアン」の翻訳版が出た当初はぴったりな言葉が日本語には
なかったので「雑香」と訳されてた。
それでは良い香りがするものという感じがしないということで、ポプリという
言葉を拾ってきてそれが今では定着したけど。
ジャッジャッ
テッカマ〜ン
誰w
手っちゃんだろ
レンタルビデオの料金が、一本一泊350円とかだった。
しかも吹き替え版と字幕版とが別々だった。
>>325 癌や癲癇の遺伝子が混じってたら困るから盲導犬や警察犬には血統書がない犬は使えないのよー。
聴導犬は人を誘導しないから雑種でもおk
>>340 350円ならかなり安くなった頃。
レンタルビデオ初期は入会保証金1〜2万円。
レンタル料金は「ビデオソフトの価格の10%」
ソフトは輸入品ばかりでレンタル料金も2000円程度した。
しかも字幕スーパー付いていないので英語力無いと意味不明。
何となくストーリーが解かる戦争映画や「ロミオとジュリエット」など人気あった。
吹き替え版と字幕版どころか
VHS版とベータ版も入り乱れてた
セルビデオも今思うと異様に高かった。
>>337 大阪芸大発MADテープ乙
全く知らずに厨房時代に手に入れたものの、一度聞いただけでどうしていいかわからずに10年後友達にやった。
うっかり電車でウォークマンで聞いた友達は笑いすぎて痙攣して変な人扱いされた!どうしてくれる!と怒ったw
そんな友達はその後阪神淡路大震災でえらい目にあい、テープもそのときなくなった。
延滞青天井w
空メディアも高かったなぁ。
安くなってきた頃でも、なんとなく安心できる最低ラインのメーカーのものを
買おうとすると、安売り店で買っても120分1000円とか普通だったし。
それが今では国産品スピンドル50枚が1500円前後で買えてしまう。
>>342 25年ぐらい前、ダビング用にデッキをレンタルしたことあるけど、1泊2日で5000円取られたよ。
VHS版のアニメ映画が一本15000円だった時代がありました。
映画レンタルは一本1500円だったよなぁ、俺のころ。
だからアダルト借りるときもそりゃぁ真剣にパッケージ吟味したもんだ。
エロビデオが、VHSの普及に拍車をかけた。
江戸時代は、庶民向けエロ小説とゴシップ新聞、それに子供向けの娯楽絵草子のおかげで、
公立学校が当時あった国より高い庶民の識字率と、娯楽として書物を求める庶民という
諸外国から見ると信じられない風土を育んだ。
時は下り、現代になると、無修正エロ動画が見られると聞いただけで、多くの人が血眼に
なってパソコンを学んでいる。
エロマンセー。
平成だけど
インターネット、デジカメ
これらが普及したのもエロパワーだからなw
まだインターネットが一般に普及していないころ、オリンピックとか世界大会常連のフィギュアスケート選手
のハメ鳥拾ったあたりからもう血眼になって毎晩大学の端末から探したなぁ。
仕分けの対象ですね
354 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/20(土) 11:54:23 ID:fixPPNFj
おしえて昭和あげ
昔の年末ってやたら忙しかった。
のし餅(関東なので四角いのし餅)を予約して何枚も買って
白菜を二玉くらい丸ごと漬けて、みかんは箱で買うのがデフォ、最後の方は腐ってたりした。
年賀状は全部手書き、おせちは手作り。
今あれを全部やれと言われたら正直出来る自信がないw
年末の大掃除は家族総出で、もちろん子供はお手伝いが当然。
毎年障子の張り替え 時には畳を外して叩いたりっていうのもあったっけね
台所には大きなアルミ鍋に煮物。
うちは台所が狭かったから、食材入りの鍋が床に置いてあったわ。
今は年始に店普通にあいてるもんね
食材買い込む必要が無くなって来たね
まあ、今でも30日には餅つきやるから忙しいけど
確かに年末は普段より多くスーパーで買い物してたね。
でも都心(山手線の内側)なので、昔から意外と1/2には店が開き始めてた。
喫茶店なんかは1/1から営業してるところもあったし。
池袋の東武デパートあたりも、30年近く前でも1/2に初売りで開店してたよ。
そんなこんなの環境も手伝って、さほど昔も今も違わないかもしれん。
大昔、都電の廃止に伴い、都電の車庫だった所が一時更地になったんだけど、
そこで凧揚げ出来たのはいい思い出。
都心はすでに電線だらけで、とても凧揚げなんて出来る環境じゃなかった。
東京電力が「凧揚げは電線のない所でしましょう」なんてCM流してたけど、
電線のない所なんかねーよと子供心にも思ってたわw
年末にアメ横へ行くのが毎年の行事だったなぁ
昔のこち亀を読んでたら、両さんが12月中に給料を使い込んでスッカラカンになって、
正月に餓死しているのを本田が見つけ、慌てて駅前でたこ焼きを買ってくるも、
「もっとマシなものはないのか!」
と両さんから怒られ、
「正月なんてこのくらいしか店は開いてないですよ〜」
と本田が涙目になる話があったんだけど、そういう感覚(どの店もみんな正月休み)
がなんか懐かしかったな。
>>358 俺はもうちょっと下の世代だったから、
新宿の淀橋浄水場跡地とか、茗荷谷の教育大跡地に行ってた。
昭和50年代は、やたらゲイラカイトが流行ったなぁ。
冬休みはそこらじゅうで、あの目玉のついたゲイラが飛び回ってた。
最近は浅草ぐらいでしか見かけないが、
【お正月料金】というのがあって
喫茶店や居酒屋などは1月7日ぐらいまで2-3割増し料金だったなぁ。
>>358 逆に今は都心のほうが地中化で電線なかったりするな。
>>361 スカパーのファミリー劇場でゲイラカイトのCMが当時のまま流れてるよ。
ただ一つ違和感アリアリなのが、CMの最後に検索窓が出てくることw
お正月料金ってあったなぁ。
あと通常に比べてメニューの品数も少なくなってたね。
ルノアールのコーヒー一杯の値段が、今は無き滝沢並みにハネ上がる。
今は正月でもメニュー変わらずの通常料金だったような気がする。
>>362 そうなんだよな〜。でも、今の子供って凧揚げなんてするのかね?
場所がないのもあるんだろうけど、やってるの見たことないなぁ。
>>360 1日はさすがに休みでしたが、2日から開けていたお店が
おもちゃ屋さんだったのを幼き頃の記憶としてあります。
昔は3が日の住宅街の道なんて人がいない、まばらで
シーンとしてて、そこを走って唯一開いていたおもちゃ屋さんに
お年玉を持って行ったのを思い出しました。
大人と言われる年齢になってからこの手の季節感は本当になくなりましたね。
良いのか悪いのか。凧とかの風景は残っていてほしかったなぁ。
365 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/21(日) 07:53:01 ID:vPJvmJed
ウチのほうは、田舎だったので、大きな会社がなく一般人に御用納め、
御用始と言う感覚があまりなく、暮の店々は大晦日は遅くまで、2日が初売り。
(定休日も毎週○耀、ではなく4のつく日など10日おきだった)
初売りでは、タオルなどの「お年始」が振舞われる。
3日も休めば、お役所仕事だとイヤミも言われかねない。
ウチが行きつけにしていたのは、八百屋主体の食料品店(パン、缶詰、飲料から
赤電話まで取り揃え)だったが、2日、3日は野菜が少なかったようなきがする。
さすがに農協とかの法人組織のところや役場関係は、
御用納め、御用始とキッチリやっていたが。
与党とは自民党のことだと教えられた
正月と言うと
1日休み 2日から初売り
でもって5日過ぎの土日(もしくは日曜のみ)に休み
そう言う感じだったな
368 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/21(日) 17:13:38 ID:PxqhkACf
今は24時間営業のスーパーも増えたしね
不規則勤務の仕事がら、買い物に行く時間もバラバラという生活をしているんだが
どんな時間帯に行っても、必ず、それなりの数の先客がいるもんなあ
人口10万ちょいの田舎なんだけどさ
お年玉入ってるのに全く使えなくて、「物の売ってないところの貨幣は無価値で
ある」というのを実感でわからせられたよなあ。
370 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/21(日) 19:29:57 ID:6KP014+C
お年玉をもらうと男子は何故かアメ横にモデルガンを買いに行くという風習があった。
>>360 めぞん一刻も年末〜正月カップラーメンすする描写があった気がする
年末年始どこも開いてない→空腹ネタがなくなっちゃったね
どこぞで、20年以上昔の薬師丸ひろ子の動画を見た。
…背の低さと刀身のでかさ頭のでかさにたまげた。
連休前にお金を下ろし忘れてどこにも行けない、というネタも出来なくなったなぁ。
自分がやっちゃったんだけどね( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
機関銃だけじゃなくて刀も振り回してたっけ?
とか一瞬悩んだw
そいや頭大きいよなあ。
というかあの頃の歌手やらアイドルってなんか
今みるとぽっちゃりさんだし。
>>373 西友に行ってセゾンカードで1万円だけキャッシング。月曜にセゾンカウンターで返済って手はよく使ったな。
利息も10円かからなかったし。
正月の特番TVも楽しみだったなー
店は空いてないし友達とも遊べないし
親戚回りする習慣もなかったからTVが唯一の娯楽って感じ?
>>364 実家がおもちゃ屋やってました。(今は廃業)
「家がおもちゃ屋」って、子どもの夢だと思うけど、実際のところはちょっとつらかった。
学校が冬休みに入ると同時に家の手伝い開始。(クリスマス)
クリスマスが終わると同時にお正月の商品を並べ、同時進行で福袋を作る。
元旦は休むけど、2日は「初売り」「福袋」で早起きして手伝い。
福袋は店先で売るので、全身完全防寒装備で売切れるまで寒空で大声を上げる。
元旦に営業したこともあるけど、みんなまだお年玉もらってないらしく、
売り上げがあまり上がらなかったもんで、数年でやめました。
おもちゃ屋って、みんなが遊んでるときに忙しくなる仕事なので、
春休み、夏休み、冬休み、休んだ記憶があまりなかったりします。
金メッキのモデルガンがあった。
アメリカでは、一目で実銃と見分けがつくように、
モデルガンは銃身の先っぽをオレンジ色に塗装しなければならない、という決まりがあるけど、
日本の金メッキモデルガンも、それと同じような意味合いの、玩具業界内の取り決めだったのか?
確かモデルガンを使った強盗とかが元でそういう決まりが出来たような記憶がある。
昭和50年前後ぐらいじゃないかなあ
>>377 街のオモチャ屋が廃業する時って閉店セールみたいなのやるよね?
何軒か遭遇したことあるけど、デッドストックの大解放がすごいと思った。
大人になってからの話だけど、子供の頃遊んだ超合金やポピニカを、
あり得ないような値段(激安)でいくつか買ったよ。
未だに「営団地下鉄」と言ってしまいそうになる。しかしさすがに「国鉄」とは言わないw
>370
まず御徒町で降りてMGCへ言ってからアメ横を歩いて中田商店経由で上野駅に行く定番コースですね、わかります。
>>331 昭和58年だったかな、バイト先のレストランで東郷健の政見放送を聞いて
ぶっ飛んだことを憶えているよ。
ゲイタウンとうきょう!とか言ってて、
「私が都知事になった暁には、中○根のオカマをレー○ンに掘らせる映画を作る!」なんて言ってたよ。
小6の時に鮒の解剖やった。
それぞれの臓器をスケッチさせられたんだけど、クラスの男子が
面倒だからって取り出した臓器を、わら半紙にセロテープで貼付けて
すぐに腐ってエライことにw
それを先生がなぜ止めなかったのか、今思えば不思議だった。
へんな記憶ばっかりだな
自転車が超高級品だった時代
ドラム菅のある空き地が本当にあった時代
高度成長期前後かね
ドラえもんとかで見る空き地に土管が置いてあるのって
本当にあったんだ
上下水道の整備を物凄い勢いでやってた時代だからね、
ボットン便所が駆逐されて水洗に置き換わるとともに土管の山も消えた。
388 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/22(月) 15:27:12 ID:0+qanea3
その土管類も耐用年数が近ずいてヤバイみたいだよ。
FM番組で好きな曲を
エアチェックしてカセットに録音
(それようの雑誌も販売していた)
「なー腹減った〜ご飯まだ・・・ンッ!」
「シーっ!あ…もう!!!せっかく録音してたのに
あんたの声はいちゃったじゃないの!」
「だってぇ…」
「もういいわ。ごはん?ちょっとまっときなさい今作るから
んもう!」
>>385 >自転車が超高級品だった時代
昭和50年ごろかな? 超高級品ではないが高級品だったな
俺が始めて乗った自転車は近所の爺さんからのお下がりだった。
小学校低学年だったが、よく乗れたと思うぞ。
確か足が地面に届かなかった記憶がある。
自転車を斜めにしてようやく足が届くレベル
三角乗りで自転車の乗り方覚えた
っていうツワモノはいる?
学研の科学と学習の背表紙の広告が松下電器ばかりだったから
乾電池はハイトップしかないと思っていた。
395 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/22(月) 21:56:58 ID:nJevRKMd
昭和50年頃の自転車は、電飾ウインカーとか付いたのが流行ってたよねw
点灯するとキュインキュインとかってけたたましい電子音もした。
高価なやつだとほとんどデコチャリ並。
しんろくのめりー
加藤茶が居るな
机の引き出しから1973年の東京の地下鉄路線図がでてきた。
現在との違いにため息がでる。のどかだったのだなあ。
大江戸線とか南北線とか存在すらないという
平成元年の頃は12号線として工事が始まってたよ>>大江戸線
有楽町線が無い。
地下鉄が郊外私鉄と相互乗り入れしていない。
>>401 平成元年なんて新しいものじゃなう1973年の路線図だってさ。
オイルショックの時ですよ。
有楽町線もないのか、すごいな。
自分は70年代の東京区分地図をまだ持ってる。
路線はもちろん、新宿西口に広々とした空き地があったり
東京湾が広かったり、今はもうない建築物もいろいろあるし、
古い地名が残ってたりとか、ほんとに飽きない。
眺めてると時間旅行してる気分になるよ。
有楽町線が開通した時を覚えている、池袋から銀座一丁目までだった。
丸ノ内線の混雑が緩和されたのは最初の一週間だけで、ひと月後には
元通りの乗車率に戻ったと。有楽町線に乗る人数だけ、どこからか
沸いてきたとしか思えない、なんてことが新聞に載っていた。
実用品である地図は、復刻されるのは明治時代とかのものだけで
ちょっと古い地図、東京オリンピック前のものとかは復刻されないし、
実用品なだけに古くなると捨てられてしまうので、かえって貴重なんだな。
星新一のショートショートに
『思い出は望遠鏡を逆に覗くようなものだ、すべてが小さくまとまって充実している』
というような一節があったけ。
インターネットが50年早く存在したなら
「今じゃ考えられない大正の暮らし」
「今じゃ考えられない明治の暮らし」
なんてログが残っていたろうなあ、読んでみたいよ。
>>405 有楽町線開通を、俺も覚えてる。
初乗り大人60円(子供30円)だった
西武池袋の地下のシャッターに
ロールシャッハみたいなモナリザが描かれてオープンした
(つい最近まで残ってた)
最初は有楽町線だけ自動改札だったけど
(切符の裏に茶色の磁性体がプリントされてる)
数年で自動改札廃止されたな
そういや、25年前ぐらいまであった、
朝のラッシュ時の改札止めとか階段止め
って、いつぐらいからなくなったんだろうなあ。
(池袋駅ではよくあった)
東京の地下鉄で一番古いのって、銀座線だっけ?
駅に近づくと一瞬電気が消えていたけど、さすがに今はそんなことないよね
>>408 銀座線が一番古い。
今の車両は電気消えたりはなくなったよ。
昔は、電気が消えるだけでなく、
夏は扇風機まで消えて一気に車内温度が上がったw
そういや、昔は地下鉄に冷房なかったよなぁ。
あの時代の、夏の通勤ラッシュで何度も死にかけた…
>>408 ああ、そうだ、電気消える!
三越前でいっつも消えてたのを今思い出したわw
山手線も意外に新しい時期まで暖房車あったよ。
夏になると窓全開にするんだけど、みんな冷房車にいくからガラガラなんだよ。
>>407 新聞だとよく「自分の生まれた日の復刻サービス」なんてあるよね。
ゼンリンの住宅地図って、今をときめく個人情報保護云々には触れないのかね?
俺も昭和の地図復刻サービス欲しいな〜。
銀座線の電気が消えるの覚えてるなあ。
今考えると、一瞬とはいえ、痴漢とかスリとか怖いね。
>>404今の都庁がある場所が更地だった頃に
ベンチャーズの野外コンサートを観に行ったなあ・・
>>409 昔は地下鉄に限らず、電車に冷暖房自体がなかった。SL列車に比べるとグレードが低い扱いだったらしい。
それどころか「暑ければ窓開けてベンチレーターも全開にすればいいでしょ」で扇風機もなかった。
大正14年にいまの京浜東北線の京浜間で現在のグリーン車(当時2等車)に電気ヒーターが付いたが、
「電気代がかかる」(慢性電力不足)のと
「当時の技術だと火事になりやすい」(内張りが木造なのに、絶縁技術が良くなかったので漏電火災しょっちゅう)で
電車に暖房がデフォになったのすら、昭和25年以降の話。
北国の路面電車でも暖房が無く、戦後新たに電気暖房を搭載すると堂々と「暖房車」と看板が付いた
昭和20年代、東京唯一の地下鉄だった銀座線の売りは「夏涼しくて冬温かい」(新聞)
地下水位が高かったので当時の地下は快適だったのだ。
その後、地下水くみ上げによる水位低下で遮熱性ダウン、電車の本数増加でコントロールシステム由来の発熱量も増加、
営団地下鉄が昭和40年代に発熱量の少ない省エネ電車を開発する契機の一つになる。
>>411 道と、どこの番地の土地にどういう配置で建物があるかは、個人情報の範囲ではない
(でなければ国土地理院の地図やgoogleの衛星写真は世間に出せない)。
また、会社名や個人名は、表札などを記録して足で集めた「目に見える公開された情報」をゼンリンで集積したもの。
従って、個人情報ではなく、むしろゼンリンのオリジナルな著作物と言うことになってしまう。
>「当時の技術だと火事になりやすい」
戦争でマトモな車両が造れず、戦後しばらくもそのままの状態で走っていたが、
電車がリアルな走る棺桶と化した桜木町事件をキッカケにして、
鋼鉄製のボディに切り替わっていったみたいな話を聞いたことがあるよ。
>>411 > 新聞だとよく「自分の生まれた日の復刻サービス」なんてあるよね。
あれ、誕生日の翌日のもセットにしてくれるとうれしいのにね。
当日にあったことは当日の新聞には載っていないわけで。
そう、有楽町は最初に自動改札だった。あれは未来的に感じた。
しばらくしたら有人改札になったんだ、なぜなのか不思議だったなあ。
丸ノ内線も銀座線も揺れたよね。車両に冷房がないから
窓を開けているので騒音も酷くて走行中は会話ができなかった。
地下鉄に限らず鉄道はロングレール化で揺れと騒音が劇的に少なくなったね。
地下鉄のホームで普通に煙草が吸えたというのは、喫煙者の俺ですら
いまとなっては信じられないことだ。病院の待合室にも灰皿があった。
柏駅も昭和50年ちょっと前ぐらいに一回自動改札が導入されたことがあったような気がする。
路線バスに冷房車が登場した頃は、バスの屋根に冷房装置を
載せたからバランスがヘンテコだった。
都営バスの塗色がクリームから現在の塗色デザインになったのは、
なぜだか山吹色のうっとうしい塗色になったのが不評だったから。
あの無神経な山吹色のバスを見たときは、どこのバス?と思ったよ。
バイクで後ろにつくと圧迫感が強かった。
http://pluto.xii.jp/bus/playback/tanaka_2.html いまのデザインは真鍋博、星新一の装丁やってたひと。
あの山吹色はセンス悪かったよねー。
色変わった時ニュース番組のインタビューなんかで「今風な感じでいい」とか「都会的」とか答える人ばかり放映してて
「えぇぇ〜!?」って思ってたけどやっぱり本当は不評だったんだね。
ニュースとかインタビューの回答の中の強調したいのだけ流すからなあ。
閣下はこんな仕事もしてるのか
昭和のいつ頃からかは分からないけど、東横線の桜木町駅も自動改札だったね。
関西の私鉄では自動改札の普及が早かったという話を聞いたことがあるけど
関東では導入が遅かったよね。
>>419 今の都バスのデザインって真鍋博だったのかぁ。
息子がテレ朝のアナウンサーだよね。真鍋由。
>>419 オレンジ×レッドの都バスは、
鈴木都知事時代だね(1983-1995)。
それまでクリーム×スカイブルーだったから
違和感ありまくりだったのをよく覚えてるw
都知事が鈴木から青島になっても、しばらく走ってた。
ただ、一つだけ擁護すると…
あのバス、遠くからでも確認しやすいんだよ。
だから、バスを待っている時にも「あ、来た来た」とすぐわかるし、
車やバイクの運転中にも、とってもよく目立つのだけは利点だった。
あと、当時、オレンジ×レッドの都バスは絶対に冷房完備だった!
夏はオレンジ×レッドに当たるよう祈ってたっけw
昔地下鉄は、1年通してトンネル内の温度が一定なので駅にも車両にも冷暖房が必要なく経済的だと言われていた。
今地下鉄駅のホームが暑いのも、車両の冷房のせいかもしれない。
冷房が入らない頃から暑かったよ。
東西線までの地下鉄、電車と言うものは、加速するときやブレーキを掛けるときの
電流の調整を抵抗器、つまりは電熱器をモーターと直列に入れてたわけだから。
(直流電化なので、熱の放出が少ない変圧器が使えない)
1列車1列車、発車、停車のたびに発熱する10kWとか100kW単位の電気ストーブを
床下に抱えて走っていたようなものなのだ。
千代田線は、営団が造った車両は、半導体で速度制御をする新型の電車を入れ、
発熱を抑える工夫をしたが、国鉄は国電と(ほぼ)同じ車両で乗り入れて問題になった。
床下の配線や機器が蒸し焼き状態になって故障続発、オマケに電気代が営団の車より
かかるので、ダイヤ(乗り入れ本数、距離)で相殺になるはずが、電気代の差額を営団に
払うはめに。
乗り入れてくる小田急も、千代田線に入ると冷房車でも冷房を切っていた。
もちろん、冷房をいれたとしても、車内を冷やす以上の排熱が車外にでてしまう。
(効率が100%ではないうえ、機器<モーター等>からも熱を発する)
それと、地下鉄専用(他社が乗入しない)の丸ノ内線や銀座線は、トンネルを小さく
(低く)造った方が建設費が抑えられるので、天井もトンネルギリギリ、架線も
天井に張らず、レールをもう1本横に敷いて電気を得ていたくらいで、天井に
当時の冷房機を搭載することが出来なかった。
(そのため、ポイントのある駅の入り口で線路と交差できない<ショートしてしまう>
ため、一時停電する。電車は惰性で走り続ける)
<その後、小型[薄型]の冷房機が開発され、冷房機の搭載が可能になった>
平成に入る頃に、発熱の少ない半導体制御の車が主体になり、冷房機の発熱をカバーできる
ようになって、地下鉄の冷房が可能になったわけ。
上野〜浅草間が開通した当時のキャッチフレーズは「涼しい地下鉄」だったけどな。
>>426 オレンジXレッドの都バスは昭和56〜57年じゃなかった?
>>419のリンク先の記事でも「美濃部都知事が〜」って書かれてるし
地下鉄は直射日光が当たらないぶんだけ涼しい。
そう思いこむことで涼を感じていたように思う。
丸ノ内線とかの3本レール(一本は給電用)な路線の
キオスクでは缶入り飲料を売ってなかった。
空き缶が線路に落ちてショート事故が起きるのを
警戒してという理由だと聞いていたなあ。
いや、単純に地下だから温度が下がるっていう事
昔の地下鉄丸の内線のデザインは良かったなぁ。
赤い地に、白いライン、その中にケーキのクリーム飾りにあるような
鎖状の金色のライン。
今の電車って、なんだかみんな味気ないよ。
コスパ重視なのも分かるけどさ、夢がなくなった。
>>433 電車は、ステンレスの規格材組み立てるか、アルミの押し出し材で組み立てるかするのが軽くて安上がりになったからな。
鋼鉄車体の電車は昔は安く作れたが、今は重いうえに塗装必須で維持が面倒なので少数派になってきた。
列車の垂れ流しトイレ体験者いるか?
平成に入ってから急速に撲滅が進んで、2003年までにほとんど無くなった。
白い陶器の後寄りに丸い落とし穴があって、昼間のぞき込むと流下パイプの底に流れ去るレールと枕木が見えた、
まさに昭和の思い出
車両によっては
ンコした後に、紙を落としたらその紙が風圧で舞い上がってきて……
それどころか、赤インキを滴下してみたら、ホームの立ち食いそば屋にまで
飛沫が飛んだって実験もあったな。
子供のころは「泊まってる時はしちゃダメ」って
何回か親に言われた記憶があるよ
あと、不必要に線路に近づくと、飛んでくるとかなんとか…
立ち食いそば屋までとか、うそやろーって感じだな
冷房車が普及するのと同じくらいの時期に
なくなっていったような気がする
昭和の終わりごろだなー
でも、アレ、おっかないんだよね〜。
段差のある和式だし、自分がそのまま落っこちそうだった。
東北新幹線開業前の朝の東北本線といえば、通勤電車や夜行列車がダンゴ状態で走っていた。
朝方を言えば催す時間帯でもある。終点の上野に近い赤羽あたりの踏み切りでは、
信号停車で止まった寝台車から…。
お食事中の方、もうしわけありません。
停車中は使用しないで下さいと書いてあるんだよな。
腹壊して
走ってるときにトイレに入って始めたら駅につきやがって
電車は止まってもこっちは止まらなくて
もうしょうがないから続けたことがあった。
「便所使用しらせ灯」も。
あれでも一応地方では珍しかった水洗なんだよw。
水も気休め程度にしか流れなかったが。
屋根に雪を載せたまま上野駅に入って行く列車は、遠くから
ここまで走ってきたのだなあと、東京の子供は驚異の目で見たよ。
デザインの均一化ということではコンサートとかのチケットもだね。
いまのように電子発行される時代の前は、コンサートごとに工夫を
こらしたデザインだった。だから半券を記念に大事に保存したんだ。
いまのチケットは味気ない。
筒井康隆の昔の短編で、列車のぽっとん便所が不衛生だと訴える
沿線住民に無問題であること証明しようと、一日中線路際に立ち、
弁当もそのままで喰って住民を黙らせたが、本人は赤痢で死んだ。
という話しがあったっけ。題名を忘れてしまった。
>>444 バンドのロゴが印刷されてたりね
私もどこかに半券しまいこんであるわ
447 :
443:2010/11/24(水) 21:41:29 ID:fLMqHS3T
すでに、席番が打たれたチケットそのものが配備されるので、
どこのプレイ外で買うかで、席のあたりはずれがあった。
千葉県は、周囲の他県のように先に他県の県超所在地のような、
大都市がないから、国電終着駅の千葉駅を過ぎるとローカルそのもの。
まさにここで、首都圏が終わる、と言う感じだった。
黒磯や御殿場の先のような感覚。
都内を8時半には出ないと、急行も終わっていて、家に帰れない。
コンサートどころか、ナイター観戦もおぼつかない。
地元で生まれて職についたとかで地元を離れたことのない当時の
オッサン世代にとっては、プレイガイド?あんだそりゃ?ウマイのがぁ?
の世界だったと思う。
千葉そごうへ行くのが年に数回のリッパなお出かけだった。
>>443 ワロタw
山手線沿線住民だけど、広告でラッピングした車輌を走らせると
街の景観が損なわれるとかで反対してる人メチャクチャ多かったよ。
でも、山手線沿線の景観なんて昔から十分に損なわれてると思うの。
繁華街のネオンもそうだけど、鴬谷や新大久保あたりなんて
ラブホの谷間走ってるんだし。何を今更と思ったわ。
色んな種類の電車がすれ違う様というと、銀河鉄道999のオープニングを思い出す。
>>447 さすがに経験してないけど、国鉄の切符が売り切れてたら大きな駅に行けばまだ買えたりしたらしい。
オンライン化されるまでは国鉄の切符は手作業で、
売り出す駅が決まっていたし、数も振り分けられていたのかも。
父親は年末の帰省切符を買うのに朝から行列いていた。
(鉄道に詳しいひとカモン)
映画「三丁目の夕日」のラストシーン、大晦日に青森へ帰る
列車に乗るけど空いているんだ、あれはあり得ない。
ぎゅうぎゅう詰めで発車したはず。
電車の切符買うのに行列って、今の中国の帰省時期みたいだね。
でも今の中国はそれくらい電子化してるはずだよな…
昔って、八百屋が車に野菜やら積んで、
住宅街に移動販売みたいなことしてたけど、
最近はやってんのかな?
ものすごい過疎の村とかじゃなくても、
団地のそばとかに来てたよね
むしろ団地のそばだから来るのでは
村は自分でつくるからこない
>>435 垂れ流しトイレ、体験あるあるw
穴の中どうなってんのかと覗いたら、走行中はなんだかヘラ状のものが
左右に小刻みに動いていたよ。
これで落下物をすっ飛ばしてたんだろうね。
停車中は風が吹き上がってきて寒かったw
>>445 確か、「心狸学・社怪学」に入ってた「近代都市」だったと思う!
あれは…衝撃だったな。
今はあんまり貨物列車を見ないけど、子供の頃は都内ターミナル駅で
豚とか牛が乗っている貨物を見たよ。たまにだけどね。
子供の頃、駄菓子を満載した貨物車両が通ったのを一度だけ見た。
手を伸ばしたら取れそうだったので覚えてる。
だけど誰に言っても嘘か記憶違いだとしか受け取られない。
銀行のATMは硬貨や500円札が使えなかった。
表示がブラウン管、白黒のヤツもあった(日立製・東海、三和銀行等にあった)
電車の方向幕のような幕式のも。
ザ・ベストテンや空港の標示板のようなフラップボード式(富士通製・第一勧銀、
協和銀行等にあった)
金額表示部だけ、電卓のような7セグのLED表示だった。
埼京線はもともと貨物線だから、いまも貨物車が通る。
お洒落な雰囲気の恵比寿駅ホームをタンク車とかの
貨物列車が通過して行くのは不思議なかんじがする。
私鉄でも池袋駅で西武線に郵便車(?)が連結してあったりしたなあ。
最後尾に車掌車ってのがあったことを思い出した。車掌車って消滅したのか?
新宿のヨドバシカメラで、現在はあたりまえの
商品を通過させることでバーコードを読み取るレジを見たのは
昭和が終わる直前だったなあ。すげぇなあと思ったよ。
バーコード読み取りレジが登場する前は、スーパーのレジ係は
値札シールを見てタッチタイプで金額を入力していたんだ。
あれも凄いことだよな、簡単にあのレベルにはなれない。
いまは、その道のプロにならなくても済む世の中になったかんじ。
>>459 > バーコード読み取りレジが登場する前は、スーパーのレジ係は
> 値札シールを見てタッチタイプで金額を入力していたんだ。
> あれも凄いことだよな、簡単にあのレベルにはなれない。
学生時代にバイトしてたコンビニが、入った頃は手打ちレジだったけど、
3ヶ月もやってりゃあ誰でもできるようになるよ。早い人なら1週間。
打ちまちがえたときも、その瞬間にわかるし。
パソコンのキーボードと違って汎用型に作られていないぶん覚えやすいんだと思う。
電卓式テンキーみたいなのじゃなくて、
位ごとに10個ボタンがあって、押し込んで大きいenterキーみたいなのを叩くと印字加算、ってのがあったな。
あの大きいキーをグーの手のよこっちょで殴るようにするのがかっこいいと思っていた幼稚園児の自分。
今のスーパーのレジは、おつりも自動で出て来る所が増えたよね。
自分で数えなくてよくなったからラクだと、スーパーでパートしてる知人が喜んでいた。
スーパーの袋って紙だったよな
いつ頃から今のビニール袋になったか記憶に無い
母親はいつも買い物カゴ持ってスーパー行ってたし
>>464 大型のスーパーや冷蔵庫がなくて、食材やおかずの長期保存が出来なかった…その日の食材は
その日に買う時代の道具どすなあ。>買い物かご
70年代か80年代くらいのハリウッド映画で
神父が長距離列車の切符を買おうとすると窓口の人が一等車の切符を二等車の値段で売ってくれるって
シーンがあったのを覚えてる。
実はその神父はある犯罪の捜査のために変装して列車に乗り込む刑事だったんだけど。
切符売場の裁量で融通が利くっていうのも今ではない光景だなぁ。
あとこの頃のアメリカ映画はこういう神父やシスターがとても尊敬され尊重されてるんだなってシーンが良くあったけど
今はほとんど見ないような気がする。
なんかクリスマスシーズンでもあんまり「メリークリスマス!」って言っちゃいかんという風潮があって
「ハッピーホリデー!」って言うのが一般的らしい。
キリスト教じゃない人たちにクリスマスは関係ないから。
アメリカも色々変わったんだろうな…。
圧力団体が変えていくのはいずこも同じか
西部劇というものが存在しなくなってどのくらい経つのかな。
若い子あいてには、酒場のスイングドアという喩えも通じなくなった。
ゲームセンターの射的のまととして、馬に乗ったインディアンが
普通だったものなあ。
いま考えると、さすがにまずいだろとは思う。
いまのアメリカ映画はゾンビを盛大に撃ち倒しているな。
あれは死んでるから撃って良いのかもしれんが、
死体損壊罪という観念はないのかね?なんとなく不快だ。
「インディアン、嘘つかない」というフレーズもはやった
「悪い白人皆殺す、頭の皮剥ぐ!」も
>>469 こんな時間にツボにはまったぞww
いやこんな時間だからこそか
「インディアン、クソ拭かない」というギャグも元ネタが知られてないので通じない
部品を他所の部署から持って来ることをアパッチと言っていた。
アパッチ砦のなんちゃらとかいう映画が元だったのは平成に入ってからだった
>>469 あれってオリジナルは何だろう?
本物のインディアンはああいうことやらないよね。
クソは木と木の間に張ったロープを跨いで擦って拭くと子供向けの真面目な図鑑かなにかに
載ってた気がする。ロープに固まったクソは定期的に斧で叩いて落とすとまで書いてあった。
今思えばこれも本当かなぁとかなり疑問なんだが・・・・・w
>>468 だんさんも圧力団体と同じこと言ってはりますなあ。>死体損壊罪
盗っ人猛々しい白豚さんの逆切れ正当化には胸糞悪くなるから、インディアン悪役西部劇は
なくなって清々してるけど。
インディアンの側から描いた映画「ソルジャーブルー」あたりから
それまでの西部劇が作られなくなったのかなあ。
騎兵隊対インディアンという構図が飽きられたのが理由だろうけど。
第二次大戦を描いた映画ではドイツ兵がインディアン役だったわけだ。
いまの敵はゾンビと宇宙人か。
宇宙人も「第9地区」では人権問題(!)で複雑な扱いになってるね。
アメリカ先住民の多くは生活保護で暮らしているのが現状らしい。
いろいろ難しいなあ。
>>477 アメリカ先住民をいぢめたのは白豚さんだから、責任取るのは当然ざます。
西部劇で思い出したけど、マカロニウェスタンって凄いネーミングだよね
昭和の頃、山田邦子は田原俊彦の大ファンで、
田原邦子という銀行口座を持っていた。
お歳暮やお中元は、相手宅を訪問して手渡しするのが普通だった。
>479
命名者は淀川さんだったかな、元々英語では”Spaghetti Western"
マカロニウエスタンのスターだったジュリアーノジェンマは今は彫刻家になってるんだぜ。
すごいかっこいい爺さんになってるんだぜ。
>>476 盗人猛々しいの使い方を間違えておじゃる。
「アイドルを毒殺しようとしてマイクに毒を塗ったが、
何故かアイドルの下の口が爛れていた。これは何故か?」
というクイズが老若男女関係なく読まれる雑誌に載ってた。
デパートには”お好み食堂”があった。
和洋中華なんでもアリな食堂なのがウリ。
ファミレス出現以前には、食べ物屋はメニューによって
ジャンル分けされていたのだ。自分でも信じられんよ。
駅のすべての改札に人がいて、切符一枚一枚に検札鋏を入れていたのだぞ。
>>486 >ファミレス出現以前には、食べ物屋はメニューによって
>ジャンル分けされていたのだ。
これ逆じゃねぇ?
ラーメン専門店ってのは無くて
中華屋とか定食屋と言う名前で、ラーメン、丼物、定食
なんでも有りだった気がするぞ
ファミレスと言うと
ファミレス出現以前はトンカツ=洋食だった気がする
ラーメン屋はあったけどラーメン専門店はなかったね。
(立ち食い蕎麦屋的なラーメン専門店はあったけど)
食堂という名前の定食屋、洋食屋という名前の定食屋だったね。
でも、鮨・ラーメン・トンカツ・蕎麦・ソフトクリームを一手に
引き受けるのはデパートのお好み食堂だけだったように思う。
個人経営の店ではそんな対応は不可能だ。
>>487 鉄道切符の鋏の形が何種類もあって、面白かったよ。
いつも使う駅は見慣れちゃうけど、たまに行く駅だと形が見慣れないものだから
あー、この駅はこんな形なんだーと、鋏の形を楽しんだものだった。
>>490 新幹線や特急列車の車内検札だと、白服の車掌は挟み込み式の「型押し」をきっぷにかけてた。
凹凸が入るのね。
パスポートとか学生証とかも、ちょっと厚手の紙に型押しして紋章や文字を浮き上がらせて、朱肉の印章と一緒に表示して
偽造防止と権威づけを兼ねてたな。
今は印章がすり込みになって(その旨断り入れて朱肉も使わない黒インクにまでなって)、用紙もコピー防止の特殊用紙になって、
型押しよりよほど偽造困難になってるけど、型押しの仰々しさは無くなった。
あと、定期券とかいろいろな物に割印が使われてたな。
お札のすかし(これは昔から使われてた)のような特殊加工がコスト上困難で、一般の紙類を書類に使う場合、
書類の真性を担保するために、ローテクの時代ならではの伝統的な工夫がいろいろあった。
今から30年前くらいかな、東海道線によく乗ってたんだけど
普通列車の中でも車掌が回って、乗り越しの車内精算をしてたなぁ。
紙に路線図みたいなのが書いてあって、乗り越した区間だったかな
なんだか小さな穴みないなのを空けてた。
70年代半ばから
すかいらーくやロイヤルホストなど
ファミリーレストランのCMがテレビから流れてきたが
東京都23区内にほとんどファミレスはなかった。
おかげで23区内の子供たちは
ファミレスに大いなる幻想を抱き…
高校生・大学生ぐらいになって
ファミレスで食事をして落胆するのであったw
>>493 そうそう、
ファミレスとか駐車場完備の大型スーパーって23区内にそれほどなかったよね。
ロイヤルホストとかイトーヨーカドーとか、名前は聞くには聞くんだけど。
(西友はあった)
すかいらーくはまだマシなんだけど、ガストの衝撃は違う意味で忘れられないw
ローカルネタだけど、福岡のロイヤルは
ファミレスが当たり前になるずっと前からあって、
子供の頃は家族で行くのがほんとに楽しみだった。
パリッと糊のきいた白い制服の給仕の人も丁寧で、
今のファミレスよりすこし高級なんだけど、決して堅苦しくはない。
デザートはいつも本物の果物の皮に入ったシャーベットで、
同じものをお土産にも買ってもらう。
帰宅後はお土産についてたドライアイスで煙を出して楽しむ。
福岡空港店はセルフサービス方式で、その新しさにもワクワクした。
今ロイヤルホストは全国にあるし、決して悪くないと思うけど、
あの頃のロイヤルのワクワクするようなかっこよさはないんだよね。
496 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/28(日) 07:20:26 ID:8x67ElFj
最近になってやたら「安全性を担保する」なんて使うようになったが、
昭和期は、担保=抵当、もしくは保証金、(人質的な)交換条件と言う意味に
しか使われていなかったと思う。
ながらくそういう認識だったので、こういう使われ方にはいまだに違和感を感じる。
>>496 「違和感を感じる」なんて書くヤツに、日本語の乱れを論じて欲しくないがな。
頭痛が痛いよ。www
>>493-495 最初の頃のファミレスは、今のファミレスよりは高級感あったよ。
客層も比較的上品だったような気がする。
だから、安値を売りにガストが出てきた時、値段の割に味は悪くないのに
客層がDQNなのに衝撃を受け、行かなくなった。
ロイヤルホストは今でも辛うじて高級イメージを保ってるよ。
値段も明らかに高いからDQNが来れないw
デートでも使える唯一のファミレスかな。
>>498 >「違和感を感じる」なんて書くヤツに、日本語の乱れを論じて欲しくない
自分で(無意識に)オチ付けたという事でいいんじゃないの?
それに、昭和49年の段階で大観衆を前にして
「我が○○○は『永久に不滅』です」なんて言い切った有名人もいることだし・・・
>>500 一般人でも、違和感…は使うかもしれないけど、あのお方は特別、例外すぎるよ。
初めての新人王だの、疲労の疲れ、夢のドリーム、左のサウスポー…
「ここは蕎麦がものすごくうまいんだよ。オヤジ、カツ丼二つ」
昔イーバンク銀行なんて名乗る銀行があってな・・・。
あのひとは特別だよ、特別なひとだ。
おれはナガシマに特別な感懐を持ってないけど、
ナガシマをココロのよりどころにしているひとがいるよね。
若い層が車を持つようになったあたりからファミレスの
拡大が始まったのじゃないかなあ。家族じゃなく、若者だけで
行くようになったという。
俺は不二家のレストランに連れて行ってもらうのが
ワクワクすることだった。ちょっとよそ行きな気分でさ。
今のどこにでも子供を連れて入る風潮の原因はファミレスなんじゃないかと思ってる。
昔はちょっと良いお店とか普通の喫茶店には子供は連れて行かないのが普通だった。
子供がそういう店に行くのは特別な祝い事とかの時で「よそゆき」の服を着てかしこまってるもんだった。
で、家族で外食したい層向けに「ファミリー」レストランができて
それで育った世代がファミレスも「レストラン」も一緒って考え出したからおかしなことになってるんだろうな、と
居酒屋にベビーカー押して入ってくる若夫婦がいて驚いた。
東京の下町と呼ばれるあたりの店では、子供お断りと謳っているのが普通だった。
ほかの客に迷惑だからという理由だった。
506 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/28(日) 10:55:41 ID:xJU7gM+k
ポマードを知ってるかな?
>>495 今の子供たちにとってはワクワクするかっこよさがあるのかもしれないよ。
我々にとって、のぶ代ドラ以外は有り得ない→ドラえもん終わった
だけど
今の子供たちにとっては、今のわさびドラがドラえもんなわけで。
>>506 ベッチョリ付けてクールにばっちり決めるんだよなw
プリントゴッコという孔版印刷機があってだなあ、
ゴム版に比べると素晴らしく未来だったぞ。
フラッシュバルブ(マグネシウムだぞ!)を使ってピカッ。
あったねえ
今でも消耗品は売ってるらしいけど、さすがにもう来ない
>>498 違和感は感じるでもあるでもいいんじゃない?
>>493 >ファミリーレストランのCMがテレビから流れてきたが
>東京都23区内にほとんどファミレスはなかった。
コンビニも昭和50年代後半から街中でやっと見かけるようになった。
現在進行形で「よくCM見かけるけど都内ではあまり見られない」店は
ニトリとイオン、あと4人がけボックスシートがある回転寿司大型店舗。
>>507 のぶ代もアニメ始まった頃は
ドラえもんはあんな声じゃねぇーーーー言われまくってたしな
昭和47年には近所の西友は紙袋だった。
透明のビニール傘というものが出てきたのはこの頃でなかったかなあ。
初めて見たときはモダンで格好良く思えた。
厳密に間違いかどうかはおいといて、
美しくないのは確かだから使いたくないな、「違和感を感じる」は。
517 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/28(日) 16:08:42 ID:MNDAt3my
俺にとってのドラえもんは、日テレのだぞ。
>>517 富田耕生のドラはさらに違和感wありまくりだった。
未来から来ているのだから西一のようなクールな声だと思っていた。
鼻くそ丸めて黒仁丹
520 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/28(日) 17:17:13 ID:PIypojyJ
>>517 そのドラえもんには、ちゃんと最終回があった。
困った時のドラ頼み♪
頼んだよ♪任せたよ♪
ほいきたさっさのドラえ〜もん〜♪
>>518 そういや、富田氏って、ズッコやドンちゃんといったファンシーキャラの役をよくやってたよね、当時。
今だと考えられん。
500円のビニール傘を使い捨てにして平気だった。
>>522 ズッコは「アンデルセン物語」のズッコ?
ならばあれは山田康夫氏じゃなかったっけ
キャンティとズッコはまんま峰不二子とルパンのコンビだった記憶がある
「アンデルセン物語」は山田ルパンと峰のコンビだったね
後テーマ曲のキャンディの曲は子供心に切なかったよ
今でも名曲だと思っています
>>502 銀行業務を行う会社は社名に「銀行」ってつけなきゃいけないって法律で決まってるんだから許してやれよ。
>>506 どういうものかの知識はあるが、自分の生活では「口裂け女の弱点」以外の接点はなかったな。
528 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/28(日) 20:12:29 ID:vAzA2ndC
他の板で書いたら、平成生まれ・育ちには、こういう勘違いは、さっぱりイミフなことらしい。
・「アンネの日記」は男子禁制の書〜男子は関心をもってはいけない。
・世界名作劇場の「わたしのアンネット」は、「ふしぎなメルモ」のような性教育アニメ。
↓のスポンサー、商品とタイアップしている。
ttp://img389.auctions.yahoo.co.jp/users/0/4/2/9/rinrinrin0115-img600x450-1285154540nhcskb28423.jpg ・・・
と思い込み、避けていた。(当時小学生男子)
男子には表向き何も教えてもらっていないので、もし見たとしたら反応が怖かった。
実際、家族でテレビで見ているときに、そういった用品のCMが流れると、無言になり気まずかった。
低学年の頃でも、他の物は聞けても「あれ、なに?」と聞いてはいけないタブー感をなんとなく悟っていた。
特にまだ目新しく告知する必要があったのか、いまより「内装式」のヤツがめだって流れていた
(ようにカンジタ)。
研ナオコが「先がまあるい」とか言って宇宙飛行士のようなヘルメット被って出てきたり。(昭和50年代前半)
>>514 今でいうポリエチレンのレジ袋が普及し始めたのは、
1980年代初頭だったけねえ。
70年代までは、籐編みの買い物かごをぶら下げて
近所のスーパーまで買い物に行ってた記憶がある。
あの買い物かご持つのが、男子小学生としては恥ずかしかったなw
ビニール傘自体は1940年代からあるらしい。
一気に普及したのは、オイルショックが落ち着いた1980年代以降。
中学生ぐらいの頃は、ビニール傘であっても丈夫に作ってあって、
帰ってきた干して、ビニールにシッカロールをはたいてくっつかないようにして、
CRC556をふくませた布で骨の部分を拭って、何度も使い続けていたw
で、来客に渡したりしてたなぁ。
街の商店では”包む”だけだった。包みを買い物カゴに入れたんだ。
スーパーは食料品でも紙袋に詰めて渡してくれる”食料品のデパート”
なので、買い物カゴを持たずに買い物に行けたのだなと、いま気づいた。
レジで袋に詰めてくれたんだ。近所の西友はそうだった。
これがセルフサービスにかわった時期がおもいだせない。
>>529 スーパーにビニール袋が出てくる前は、うちの方は紙袋だった。
茶色い紙袋に買った物を詰めて抱えて帰った。
今の若い子にその事を話したら、「かっこイイ!」って言われた。
その袋からフランスパンが出てるんですね
バブル真っ盛りの頃、フジテレビのガールズトーク的な番組で、
寺田理恵子というアナウンサーが男の持ち物で許せないものというお題に
「ビニール傘を使うなんて信じられない!!」と嫌ぁ〜な表情で語っていた。
バブルってそういう空気な世の中だったのだよ。
>>531 あー、そういえば、八百屋や魚屋では
競馬新聞でつくられた紙袋に入れてくれたな
(競馬新聞は一般の新聞よりも紙が厚かった)
>>531 高級スーパーでは、厚めの耐水紙の紙袋で高級感があったね
レジのセルフサービスは、ダイエーが始めたと中内さんの著書に書いてあった
だから、関西では70年代からスーパーはセルフ・サッキングが主流だと…
80年代になってダイエーが関東に猛進出してきた時、
コストダウンして対抗するため、西友もセルフになったと記憶してる。
今でも文京区の高級住宅街にある高級スーパーは、店で詰めてくれるね。
>>534 あのころはいろいろそういう制約があって辛かったなw
のびのび生地のジーンズとかコーデュロイパンツはダサいとか(今でもダサいとは思うがw)
腕時計や靴や車はこれかこれじゃなきゃいけないとか。
今はわりと誰でも自由に自分の好みで物を選んでいていい時代だと思うよ。
>>536 俺にとっちゃ酷い時代だったよ。
現在の街中で見かけるのがユニクロと就活スーツばかり
という状況も酷いものだとおもうけど。
>>534 >寺田理恵子というアナウンサーが男の持ち物で許せないものというお題に
>「ビニール傘を使うなんて信じられない!!」と嫌ぁ〜な表情で語っていた。
寺田理恵子ってカワイイ顔してたのに、そんな事言うんだな・・・。
その発言がホントなら、けっこう『高慢ちき』で嫌な女っぽい(´・ω・`)。
思い上がって良いと勘違いした女が、うじゃうじゃ居たのが
昭和バブルの頃でした。みんなが身の程知らず気分になってよい雰囲気だった。
よく知らないが、彼女はフランスで暮らしたり、いまも
上流の暮らしをする女でありつづけようとしておるのでないか?
あの当時、テレビでアッシーだメッシーだミツグ君だのと男達がコケにされてるのを見て
子供心に「アホみたいだなあ」という感情と「恋愛とはやたら金が掛かるし女はそれを当然の様に要求して来る」
という認識が植え付けられたよ。
今「草食系」とかレッテルを貼られてる人達には、幼い頃にこういった経験をした人が
多いのではないか?と思う。
いまの若い子、やたらに女に何かを買ってやろうとする。
女も何かを買って貰おうとする。
これはバブルの亡霊が漂っているせいかも。
>>539 BMWが"六本木のカローラ"と呼ばれ「国産車なんてありえなぁい」って時代だったので
ビニール傘くらいならかわいいもんだと思ってしまうよ
テレビで婚活特集とか見てると、未だにそのバブルの亡霊に
取りつかれてる行き遅れのオバサマがいるんだよね。
まあ、テレビだからわざわざそういう人のインタビューを
ピックアップするんだろうけどさ。
545 :
ドン・ホセ:2010/11/29(月) 11:59:48 ID:0VaUvaAV
>>542 ボクは本気だったのに、ボクが好きだった子は、ボクのプレゼントを「こんな安物いんねーwww」
ってpgrしながらポイしたので、思わず刺してしまいました。
>>524-525 アンデルセン物語は時々、何の救いもない残酷な結末の話があって
子供心に見ててキツい時があった
よく覚えてるのは
「なかよしはいつまでも」→子供の一番のお気に入りだった人形が家の外へ転げ出てしまい
汚れてドロドロになって結局拾われもしなかった話
「がんばれママ」→瀕死の子供を死神から取り戻そうと様々な試練に耐えた母親が
もし子供が生き延びても苦難の人生が待っているだけだから
このまま死なせてやれと神様に諭される話
そういえば昔はいろんな色のビニール傘あったよね?
いつのまにか見なくなったけどまだあるのかな?
548 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/29(月) 17:03:24 ID:vi65bD+q
83年くらいまでは、男が見て気持ちがいいドラマが割と多かった印象があるけど
それ以降は、どんどん女向け、女視点のドラマが増えていき、今に至る印象があるなあ。
>>541 ああ、そうかもね。
草食系の起源はたぶんそんなところだ。
ヒカルゲンジとかいうローラースケートをはいた男の子集団が大人気だった。
貧乏削りという言葉を思いだした。
懐かしい。
泥棒削りって言ってたな。
553 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/29(月) 23:00:43 ID:4SMF0/3r
>>541 そういう刷り込みでは、70年代とか80年代って
やたら人口爆発の問題がいわれてなかったか?
それで「そうかこれ以上人口増やしちゃいけないんだ」と思った人たちが
今の急速な少子化の先兵のような気がしてならん
というか、今でも「日本の少子化は問題」「人口ふやせ」と言われると違和感がある
そういえば氷河期がくるなんて説もあったな。
今の地球温暖化説やらなんやらもいつトンデモ説になるか分からんよねw
>>554 言われてたね。
食料危機と絡めて論じられてたんで結構びびったおぼえがある。
557 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/11/30(火) 07:06:50 ID:F9svbalO
>>554その通り。いまだに人口なんか増やしていいの?・・・と心配になる。
増やさなくてもいいんだよ、別に。
現状維持するか、減少のペースを緩くしないと何かと無理があるよって事。
若い世代の方が多い事を前提の仕組みになってるから。
どう考えても、「産めよ!産んでくれ!」とか言うより、仕組みのほうを
変えたほうが早い気がする。
コンドーム税を導入すればいい。
子供も増えるが性感染症も増える罠
性感染症といえば、エイズという病気が知られ始めた頃、
あれは「ホモがかかる病気」って烙印を押されてたな…
子供にかかる経費を国が負担すればいい。
私立も公立も大学も全部国が負担して、子供の医療費も国が負担すれば
子供を産んでも家庭にかかる負担は軽くなる。
ついで基礎年金も国庫負担にしてしまえば、不払いや不公平感もなくなる。
もちろん消費税増税が前提だけどな。
欧米並みに一般商品10%、嗜好品や電化製品15%、薬品、化粧品0%くらいで。
給食費の不払いがこれだけ問題になるんなら、公費でまかなえばいいのに
…と思うのは漏れだけ?
>>564 そんなことまでして子供増やさんでもいいだろ
>>565 払わないやつには食わせないのが普通だと思うが…。
568 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/01(水) 22:20:43 ID:h7WSeLjZ
>>565 税金の不払いが問題になるなら、公費でまかなえばいいのに。
公共料金の不払いが(ry
NHK(ry
所得の税率は低くして、消費の税率おもいっきり上げてという発想ですな。
571 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/02(木) 05:45:39 ID:5zGe76Wa
給食は一食1,500円位掛かってるらしい。民間に委託すれば200円位だろ。
民間に委託すれば、給食費不要。
>>571 1500円もかかってないよ。どこの殿様学校だ。
>>565 子供のうちに「出すもの出さないと困るのは自分」と教えておく必要はあると思うぞ。
食べたいなら金を払う
金を出さないなら食えない
これこそ真の平等
それはともかく地方税高いよ、地方税
こんなスレあったんだー。
ログの上の方見たら懐かしいネタが幾つかあって面白い。
ではいきなりですまんけど札幌限定のローカルネタ。
S50年代のある冬の日、学校の先生が引率して学年全体でさっぽろ雪祭りを見学に行った。
そこで見た雪像を思い出しながら、次の日は学校で写生会。
絵を描くにあたって先生がこんなことを言う。
「雪像の色は何色だったかな?そう、白じゃないよね。灰色だったよね?
陽のあたっていた明るい部分は薄い灰色で、影の部分は濃い灰色で。
そうやって色使いを工夫して立体的な絵を描いてみよう。」
タネを明かすと、平成の初期まで北海道の冬はスパイクタイヤが当たり前だったから、
道端の雪だろうが雪祭りの雪像だろうが、札幌周辺の雪は黒く汚れているのがデフォ。
あんな汚い大雪像、今ではとても考えられん。
汚れてないという事実を初めて知った
>>576 大通公園がスパイクタイヤのピン抜き会場となるのが
春の風物詩だったな
>>578 粉塵公害さえなければ、それはそれでほほえましい光景だなあ
5月の連休前後にタイヤ交換するんだけど、
スパイクタイヤから夏タイヤに戻したときのすべるような軽さったら!
これは経験した人じゃなきゃわからない感覚だと思うね
このスレでさえ、スパイクタイヤ以前のこと、
だるまチェーンしかない時代のことを話しても通じないか。。。
だるま?
脱税ジンギスカン屋?
チェーンで思い出した!
小さい頃、チェーンの形(正しくはチェーンを留めているゴムの張る形)が好きで
いろいろ観察してたっけ
星形とかアスタリスクとか
あと、そういう音がするから、勝手に
圧雪はブトブトチェーン、溶けたらジャージャーチェーンと呼んでいた
雪国育ちの40代以上限定ですまぬ
東京なのに、自動車教習所でチェーンの付け方を教わった。
タイヤがパンクした際に、トランクからスペア取り出しての交換とか。
今、こんなの全然やらないんだってねぇ…
めざましどようびで、そろばんについてやってたけど
あれって今でも子供たちは教室に通って習うもんなのかね?
そろばん教室っていうと良いトコの子供ってイメージ。
習ってた人にとってはあれって大人になった今でも役に立つものなのかな。
>>586 え!?
俺はS41生まれだけど
庶民→そろばん教室、書道教室
上流階級→英会話教室、楽器教室、スイミング教室
小学校低学年から塾行くのも…
すみません最下層だったようです
手先を動かすことがボケ防止やら子供の成長によいということで、老若男女に
流行っているらしい。少なくとも自分が子供の頃に通っていたそろばん教室は
息子に代替わりしてから拡張した。自分は子供の時に段を取ってそれ以後
あまり使っていないので履歴書の資格欄にも記載はしていない。
最初に入った会社ではコンピューターが今ほど普及していなかったから
そろばん使う人が大勢いた。
つまり算盤は、実用的な技能から趣味に変わったってことですね
昭和50年代以前を象徴するローテクの極致だからね……
しかもそろばんの弾き間違いと帳簿への筆記ミスの両方が危ぶまれる
表計算ソフトなら計算と記録が同時にできるわけで、これは実用上勝負にならん
友人の母親は先年病気で早世したが、そろばんの限界を見て取るや、
そろばんの段持ちながら、経営していたそろばん塾をPC教室に切り替え、素速く時流に乗ってた
近所の別のそろばん塾は、生徒が集まらなくなって、後継者も居なくなって、潰れた
台所が土間
トイレが外の小屋
停電した時、そろばんの威力がわかる。
あるいはそろばんさえ無いとき、脳の中のそろばんが活動する。
そろばんは、決してすたれることなどないのだ。
停電が頻繁に、それも長時間起きるってのがそもそも昭和時代だわなw
しかも携帯可能な単体の計算装置としては、ソーラー電池とボタン電池併用の電卓という、一種最強の存在がある
>>593 >あるいはそろばんさえ無いとき、脳の中のそろばんが活動する
あ、コレはある。
ソロバン教室通った人なら分かるけど、
上級になったら5桁6桁の計算でも、ほとんど暗算だからね。
そろばん塾とか今考えると人間として最低って感じの奴が講師をやってたなあ。
あーゆーのは倫理的な資格検査とか必要な気がする。
>>582 はしご型チェーンのことをだるまチェーンと呼んでいた。なんでかな?
おれは東京だけど、こういうものの呼び名にはローカル色があるだろうね。
雪道用のタイヤはスノータイヤと呼んでいたな、スタッドレスなんて存在し無かった。
算盤教室は商売している家の子は必須だったのじゃないかな、
勤め人の家でも親が銀行員だったら習わせたと思う。
ピアノ教室・オルガン教室は余裕のある家の子。
俺は書道教室だった。当時は墨を擦るところから始めた。躾の一環という意識だな。
墨を擦ることが精神修養的な指導だったと思う。いまは墨汁でやるらしい。
そういやあ、いまの書道(筆書きの文字)には商業デザイン的なものを感じるなあ、
ラーメン屋の品書きなんかにね。
今じゃ考えられないっつーか、逆に今の方が考えられないこともあるな。
今の日本男児はとにかくすぐに泣くのがみっともない。
絶対に泣くな、感情をもたないロボットになれと言ってるのではない。
男たるもの、安っぽい涙なんか流すものではないと言いたい。
俺らがガキの頃ってさ、「男が泣くんじゃねえ!」って周りに鍛えられたよな。
どんなに悔しいことがあっても、歯を食いしばって涙をこらえるように努力する。
今思えばこのあたりから「男」としての自我に芽生えた気がするなあ。
昭和と言えばビニ本。
エロに関しても昭和と今じゃかなり違ってると。
>>599 欧米では、昔も今も、「男が涙を見せていい相手は、寝室のクマちゃんだけ」と教えてる
そうだ。
感情発露の場はあってもいいと思うので、クマちゃんあるいはそれに代わる何かを用意して
はどうだろうか。
>>599 韓国では、
「男が涙を見せて良いのは、親が死んだ時と国が滅びた時だけだ」と
教えられるそうだよ。
昭和の頃は「東洋一」というフレーズを良く聞いたなぁ
橋の長さとかの表現で
>>599 そういう「男(女)のくせに」的な概念は、いわゆるジェンダーフリー教育で根絶やしにされちゃったよ…
県によって力の入れ具合は違ったみたいだけど。
>>604 辻村ジュサブロー君や神鳥忍さんのような価値観の人や生き方を否定する教育は間違っておるとは思うが
(所持品の性別による色分けが無くなったのは、ジェンダーフリーではなく、強制購入なら血縁性別の関係
なくお下がりさせやすいようにしろやゴルア圧力)男女別学を望む子に共学を強制するジェンフリは間違って
おると思う。
知人は、「あの頃は、別学の公立高校があったから高校へ行ったけど、今だったら公立は全て共学。高い
学費と厳しい校則の私立しか別学選択肢がないから今だったら進学を諦めてた」って言ってる。
>>605 北関東では未だに主要都市の公立進学校の別学がデフォだよ。
おかげで、名門高校に入ると男女交際のチャンスを相当に削がれてしまう。
いい加減に共学にしてくれと思ってる奴は多い。
>>603 子供心に「なんかみみっちいなあ」と思ったなw
どっちかってえと日本人の興味が「世界初」に向いていったのと、
「東洋一」は中国とかに取られるようになったから聞かなくなった気がするね。
男が泣いて良いのは
・母親が亡くなった時
・嫁が亡くなった時
・娘が嫁いだ時
って教わったぞw
それを聞いてた妹が
私が死んでも誰も泣かないの? って泣いていたがw
>>608 そこに「戦友が死んだ時」を加えませう。
野原しんのすけ君は、おまたのおじさんが死んだ時号泣した日本男児でありんす。
女だけど泣くのは他人のために泣く時だけって教わったなぁ
ばあちゃんが死んだとき、
大往生と呼ばれるほど結構な歳だし、
悲しいとは感じてなかったにもかかわらず
涙が止まらなかった。
泣くとは違うなにかが働いていた気がする。
「男が泣いていいのは痛いときだけだ」
と
「たとえ親の葬式といえども男の涙は見せるべからず」
…同じ雑誌に、大体同時期に連載されていたマンガより。
男も女も関係なく、昔の日本人は何があってもギャーギャー騒ぎ立てることなく、グッとこらえてたってイメージ。
夫が戦死したという報告を聞いても気丈にそれを受け止める夫人とか。
泣くのは隠れて。
葬式で泣きわめく文化は、日本には無いよね。
大陸に葬式の泣き男、泣き女なる役割とか商売があることは、阿Q正伝やら駱駝祥子を読んで知った
なんというか演出過剰なカルチャーだな
>>613 戦後とかはさすがに知りませんが、泣き喚くはないと思いますけど
泣くのは普通にあったのでは。
昔泣き屋のバイト何度もしてましたし。。。
616 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/05(日) 06:30:19 ID:+ZGBwonL
>>613-615 支那朝鮮には無い"やせ我慢の美学"が日本に(イギリスにも)あるからですね。
葬儀で取り乱すのはみっともない・・・
逆に大陸の人間から見たら冷たく感じるらしい、
その代わり日本人は酒で乱れると嫌味をいわれたw
男の子が友達のために流す涙は恥ずかしくない、
と、昔メーテルって人が言ってた。
「東洋一」は日本が東アジアのリーダーという意識があったからだな。
>>616 >>601で書いたとおり、「人前で泣くな(寝室でクマちゃん抱いて泣け)」は、欧米全体でも見られますね。
>>594 あとテレビで1ヶ月に何度か「しばらくこのままでお待ちください」ねw
最後にあの画面見たのはいつだろう?
平成になってからは、もう見てない気がする。
>>599 俺、区民スポーツ・サークルのコーチを月2でやってるんだが、
10年ぐらい前から、中学生以下の男子がとんでもなく幼くなってる。
言っちゃ悪いが「オカマかよ?」って怪しむほど軟弱で、
女子の方が考え方も行動もしっかりしている。
ジェンダーフリーって、
男子を骨抜きにさせ、
女子を屈強にするものだと思うw
>>618 だって、東洋一のフレーズがついた観光地って
ビミョーなものが多かったからなぁw
子供の頃、東洋一のエスカレーターってのに
わざわざお金払って乗せて貰ったんだけど、
窓は汚れて曇ってたし、ところどころに蜘蛛の巣はってるし、
挙げ句の果ては、頂上で「パールを無料でプレゼント!」とかやってて
ネックレスとかイヤリングに加工するのは有料とか言うインチキ商売だし…
(パールだけ貰おうとしたら、それは駄目と言われた)
国内観光旅行が廃れたのも、
昭和時代のツケを払わされてるだけだと思うこの頃…
>>600 10年前とは言わずもっと前から、小〜中学生の頃って女の子の方が
精神的にはしっかりしてるような気がする。(ませてるというか…)
ここ最近はますますそれが顕著になってる印象があるけど。
これって親が過保護的に育てるようになってるのも一因としてあるよね。
>>622 多分、
>>620の俺へのレスだと思うんだが…
いや、そのコーチって、現役やってた25年前からやってるんだよ。
仰るとおり、昔から女子小中学生の方が、
男子に比べてしっかりしている。それは間違いない。
でも、この10年の小中学生男子のヘタレっぷりは
25年前とは比べものにならないぐらい酷い。
無断での遅刻やサボりは当たり前、着替えに女子より時間がかかる、
集合かけてもダラダラ、整列させてもクネクネ、叱ってもヘラヘラ、
道具の準備片付けはしない(女子がやってるのをボケッと見てるだけ)。
女子は25年前よりもキッチリしてる子が増えてるんだけどねえ…
そうそう、仰るとおり、そういう軟弱男子の親は過保護w
子供を厳しく叱ると、親が反発してくる。
「指導に従えないなら辞めてくれ。入りたくて順番待ちしてる子もいるんだ」
っていうと、区の教育委員会に連絡して文句を言う…
こんな親が増えてきたのも、10年ぐらい前からだったなぁ…
624 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/05(日) 17:33:13 ID:+HgZDzuk
ジェンダーフリー教育、母親の息子洗脳教育、などで優しすぎる男子を製造している。
メディアもそう言う連中の意志に従って、わざとそう言う方向に持って行っている。
俺は塾講師やってるんだが、たしかに
>>620や
>>623のような子供が増えている。
男子は大人しくなってるので注意する頻度は減ったが、逆に女子は尖がってきたからなあ。
ついこないだもこんな注意をしたことがある。
「○○ちゃん、女子が『おまえ』なんて言葉使っちゃいけないよ。
それってさ、俺が『アタシ』って言うようなものだよ。変でしょ?
え?学校の先生が『男も女も同じ人間だ』って言ってたって?それも間違いだから。
あのね、正しい男女平等ってのは男も女も能力は同じという意味で、あくまでも違う生き物なの。
○○ちゃんが学校の先生の言うことを信じて、男も女も同じ生き物だっていうなら、
トイレもお風呂も身体検査も全部男女一緒になるんだけど、それでいいの?」
まあ思春期にありがちな女子に対しては、これを言えば大抵は納得してもらえるんだが、
それにしても公教育がだらしないから少子化でも塾業界は不況知らずってのは痛し痒しだなw
これだけじゃ何なのでスレに沿った話題を一つ。
昭和50年代のプロレスといえば国民的な人気があり、全国ネットでは金・土曜の8時に中継。
家族全員が集まって見るであろうその時間帯に、血だらけの映像が普通に送信されていたんだよな。
しかも凶器はフォーク、割れたビール瓶等々、ほとんど殺人未遂の領域。
いくら演出とはいえ、今ではとても考えられん。
↑の昭和臭いレスから父親の姿が浮かんだ。>プロレス
テレ朝系だったかな。そこまではうろ覚え。
新日本プロレスがテレ朝だった。
その実況で売れたのが古館。あのままプロレスアナウンサー
続けてれば良かったのにw
自分の覚えているのは力道山のプロレスとディズニーランドの放送が一週間交代で放送されていたこと。
今マンガの「ビリーバット」がそのへんの時代をモデルにしているらしい。
そのころの放送局がなんだったか覚えていないけれど、テレビ朝日ではなかったはず。
だってそのころはなかったもん
>>623 自分がはるか昔に卒業した高校の先生と今でも交流あるけど、
態度の悪い生徒を廊下におっ放り出すこともできないって嘆いてた。
ちょっとしたことで親が学校にクレーム付けてくるのだとか。
高校ですらこんなだから、小中学校はもっと大変だろうなと。
>>628 テレ朝は昔はNET(日本教育テレビ)だよ。
黒柳徹子が「NETは4/1からテレビ朝日に変わります」ってCMやってた。
局名変更アナウンス出演でその後の運命を示唆していたかのように
黒柳徹子も「徹子の部屋」でテレ朝と一蓮托生状態だなぁ。
ホント長寿番組だよね。
>>624 男の子は、父親が教育せんと男にならんわけですが、(実際、男子のスポーツ選手のお父さんは皆我が子の教育に積極的)
あなた様のおっしゃるご家庭のお父様は、「子供のしつけは妻の仕事」とほざく方が多い気がします。
実際知ってるんだ、我が子の躾は妻に丸投げのスポーツ少年団の団長の息子がヤーさんになった家www
「石の花」という漫画がありまして、伍長という、事務系職のドイツ兵が登場するのですが、こやつ、従兵だから歩く軍事
機密な訳でして、一見軟弱に見えても、よく見てみると、ちゃんとその当時の男性として父親としての価値観を身に付けてた。
恐らく、作者が、男性として父親としての価値観の自己投影をしてたんじゃないのかなあ、なんて思ったりもしています。
母子家庭はどうすんだよ
>「子供のしつけは妻の仕事」
こういう価値観が浸透したのも核家族化が進行した高度成長期の事なんだよな
>伍長という、事務系職のドイツ兵が登場するのですが
ヒットラーのマンガかと思ってググってしまった
この流れでパッと思い浮かんだ昭和の父ちゃん=はだしのゲンの父ちゃん
この流れでパッと思い浮かんだ昭和の父ちゃんと言えば、星一徹だろ。
昭和の父ちゃん@ちゃぶ台ときたら寺内貫太郎も追加で。
お前の馬鹿さ加減には父ちゃん情けなくて涙出てくらぁ
>>635 星一徹って33歳という設定なんだよな。
今の香取慎吾、中田英寿、松たか子、菅野美穂、安室奈美恵と同じ
>>638 何歳の時に結婚して子供が出来たんだろう?
>>638-639 最初の頃の星飛雄馬ってせいぜい、小学3年位だからなぁ・・・。
仮に8才とすれば、一徹25才の子供。
当時としては不自然じゃないよね、むしろ普通。
姉って何歳上だっけ?
>>631 うまく育てられる家も、そうでない家もある。>母子家庭
うまくいく家は、大抵周りに、誰かしらのまともな男性がいる。
両親揃ってても、父親がどうしようもなくって周りにもまともな男性がいない家はry
>>638 「火垂るの墓」で、清太と節子が雨の中、ジャガイモを盗むシーンがある。
よく聞いてみると「我が大君に〜」の歌が聞こえ、出征兵士を送り出してると判るけど、
絵コンテで見てみると「星一徹君の出征を祝して〜」って書いてあったwww
>>641 はっきりとした設定は無く、物語の中でも矛盾が生じている。
もっとも年齢が矛盾するのは飛雄馬や花形も同様なんだけど、
とりあえず飛雄馬を基準にするなら、明子は2〜5歳上。
物語当初のほうが年齢差が大きく、飛雄馬の成長につれて縮まっているw
巨人の星の最後のほうで飛雄馬をある意味追い詰めたのは、他ならぬねえちゃん。
まあ中学生がスポーツカーを運転する漫画だから
>>632 ちなみに、「巨人の星」は、「父親よ、我が息子に目を向け躾をせよ!!」という、いわば教育ママへの
アンチテーゼとして書かれたと、どっかで読んだ。
鉄人28号の小林少年は半ズボン穿いた子供なのに
お屋敷に一人で住んでいて自動車を運転していたよなあ。
むかしの漫画はめちゃくちゃだったなあ。
いまの漫画も戦闘とか殴り合いとかがむちゃくちゃだ。
花形も中学生のはずなのに、真っ赤なスポーツカーを持っていたな。
>鉄人28号の小林少年
志村〜!金田、金田〜!!
そろばん、私が通っていたときと同じ先生のまま、最近まで娘が通っていた。
変わったことは、、ガキの質が最低
じっとしていられないクソガキは習い事させないで下さい。
先生もかわいそう。他の真面目な生徒もかわいそう。
>>653 そんなガキはやめさせればいいのに。
近所の英会話スクールでうるさ過ぎて退会処分にされたガキがいるよ。
うちの息子だけど orz
>652
さぁな、「金田正太郎」って名前を勘ぐればそういう見方も当然出てくるだろうが。
まぁ、鉄人を作ったのが「敷島博士」だからさらに深読みしたくなるところではあるかも。
しかも鉄人は旧日本軍の遺残兵器か・・・
敷島が作った旧日本軍の残兵器をニダが操縦して、今はニダがたくさん住んでいる長田に立っている…
感慨深い。
昭和のレシピ本は化学調味料使いまくっていた
660 :
tomii:2010/12/08(水) 14:17:41 ID:+jFDRx8v
平成になってからは、うま味調味料を使うから大丈夫
味の素を食べるとアタマがよくなるというデマがあったな。
>>659 化学調味料って、味の素とかコンソメ、中華味の素とか出汁の素とかそういうやつ?
今の方がいろいろ使ってるイメージなんだけど、どうなんだろう?
肉じゃがとか煮物とか、昔は醤油酒みりん等使うレシピだけど、今は麺つゆの素で簡単に出来るレシピ多いし。
普通の和食のレシピの材料にわざわざ「味の素」とあったな、昔。
母親が買ってた主婦の友?みたいなのとか。
「味の素はどこじゃー!!」
「出来ん、味の素がないのに出来ない!」
たかじんさん乙。
>>662 >今の方がいろいろ使ってるイメージなんだけど、どうなんだろう?
昔とちがうのは、味噌醤油・処方される薬とかにも合成保存剤が
入っていないということはあるらしい。
それは正しいのだろうか?という疑問がわくけど、誰も気に留めてくれない。
水道に混ぜている塩素は殺菌剤というより保存剤だよねぇ。
水に塩素が入っているのは嫌だけど、かといって塩素なしの水道は
蛇口まで届く時間を考えたら怖いよねぇ。
フリーズドライの調味料には合成調味料を使っていませんと
表示してはいるけど、そういう問題じゃなくて・・と云いたくなるが、
どう云えばよいのか自分でもわからなくなる。
>>666 たぶん、昔より保存容器やパッケージの質が向上したせいじゃないかな。
憶測だけど。
そういや昔は、水道の水をそのままガブガブ飲んでいたな。
味なんて気にした事なかった。
ちなみに地元の水道は地下から汲み上げた水なんだけど、他の地域の水との味の違いはよく分からない。
ちゃんと飲み比べば分かるのかもしれないが。
今は滅多に、水道からそのまま飲まないなぁ。
今の所それしか方法がないのであれば、塩素は仕方ないと思ってる。
俺のイメージでは、70年代はもう「味の素は癌になる」だった。
たしか70年代までの味の素は、石油をつかってつくっていて、
そこらへんを主婦連(これも死語w)が盛んに叩いてた。
現在は、サトウキビの残りカスを発酵させてつくっていて、
昔みたいに石油はつかってないらしいけど…
あの頃の「癌になる!」ってイメージからか
ちょっとしか使わないな。
新築鉄筋校舎の水道水は、あからさまに接着剤臭いので、子供心に「なんか危ないんじゃなかろうか」
って思って、水飲みは旧校舎でやってた。
>>668 当時珍しい味のスカッとさわやかな清涼飲料が水銀入ってるとか、骨が溶けるとか、
カラーテレビや電子レンジ使うとガンになるとか、シャーペン使うと字が汚くなるので禁止とか、
携帯型の小型カセットテープレコーダー使うと自閉症になるとかw
どうも新しい物に対しての拒絶感が変な形で出てくる時代だったね〜
>>667 自分はいままで7回ほど引っ越したけど田舎ほど水道水は美味しかった。
美味い地域は本当に「うめぇぇぇ」って声がでるほど美味い。
味の素はもうすでに独立して存在する「化学調味料味」というカテゴリなのではなかろうか。
甘さや空さと同レベルで。ほんとに独特の味がするよね。
物が壊れているのが普通の状態だった
子供の頃(昭和50年代)の自転車はライトが切れたまま、チェーンや車体はサビサビ
親の車もエアコン吹き出し口が割れてたりシガーソケットがもげてたり
家電製品もあちこちビニールテープが巻いてあって補修の跡があった
子供のTシャツも襟口が伸び切って肩が出そうなのとか多かった
今は何もかも小奇麗になったなぁ
いい時代ではある
家庭の時計は何分か進んでいるのが普通だったな。
ひとんちの時計を見るときは何分進んでいるか聞く。
待ち合わせには、駅の黒板が大活躍。
どこで何時に待っているとか、びっしりチョークで書いてあったな。
今は何でも携帯で済ませられるけど、それがなかった時代は色々と工夫があって
風情を感じた。
675 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/11(土) 12:08:53 ID:VtyfUM4h
時計は狂うのが当たり前で、
クォーツなんて高級品だった。
厨房になって買ってもらった初めての腕時計も自動巻きw
>>674 そうそう!
総武線の某駅で時間や場所をこっそり書き換えていたのは中学生だった俺です。
ごめんなさい。
>>674 駅の黒板あったなー
今は定期拾いました掲示板として再活用されている
xyz
>>675 70年代前半のデジタル腕時計は高級品
赤いELの光が「未来!」って感じだった
液晶になってから安くなったけど
それでも80年代前半まではそれなりの値段だった
中高生の頃に人気だったのは、
アナデジとかデジアナっていう、アナログとデジタルの合体版
今から思えば、フォーマルなデザインにデジタルという珍妙なものだったw
高校生の頃、バイク乗りだった俺は初代G-SHOCKを買ったんだが
仲間内からの評判は「オモチャみたい」「安っぽい」と散々だった。
その後、映画「スピード」で流行り出すと、とたんに
「お! 初代じゃん! 譲ってくれ!」となったんだからな。
そういや、スウォッチ集めてた連中って、その後はどうしたんだろ?w
腕時計は宝飾品と同じ店で売っていた。
文字盤に5石とか12石と誇らしげに記されていた。
いまのひとには何のことだかわからないだろうね。
万年筆の18金ってのも。
昔の腕時計の夜光塗料って放射性物質入ってて
放射線によって蛍光物質が光る仕組みだった。
石の数って自動巻きの歯車の軸受じゃなしに?
684 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/11(土) 17:31:51 ID:hwb9KiFL
時計は狂うものなので、わざと数分進めたり遅らせたりして工夫していた。
今なら、即捨てるだろうな。
>>680 あったねえ。つか今でも存在しているんじゃないの?
それを所持することでどれほどのステータスを得られるのか知らんけど。
金製品ってたしかに綺麗だし一度買ってしまえば一生モノなんだろうけど、
金の腕時計、金のネックレス、金のライターを自慢げにさらけ出している
金歯の眩しい成金オヤジというステレオタイプをガキの頃散々見せ付けられたからな。
それ以来、金の装飾品(と歯)には激しい抵抗があるんだわ。
>>683 分かってねぇなぁ。
伝言板にxyzときたらアレしかねぇべ。
スウォッチは90年代でもまだ人気あったよな
冴羽さんご依頼です
>>668 味の素は、戦前からずっと糖蜜などの安い植物資源が材料だよ。石油使用はデマ。
戦前には「味の素はヘビが原料」というデマが流れていたんで、当時から主婦相手に工場見学会とかやってたそうだ。
おばさんの科学情報弱者ぶりは昔からだな。
ヘビにせよ、マックのミミズバーガーのデマにせよ、そんな珍品材料集めて生産するなんて、
植物原料や本物の家畜(牛・豚・ヒツジ)の肉を使うより遙かにコストがかかるんだけど。
>>682 ぜんまい式の腕時計・懐中時計は手巻きでも自動巻でもルビー軸受け(人造品も含む)が基本だ。
昔の手巻き廉価品で7石ぐらい、自動巻になると17〜23石ぐらいで必要十二分な性能になる。
ところがオリエントあたりが、40年ほど前に無意味な100石時計とか作っていた。
軸受けや支えに他の材質使った方がコストや効率で勝る部分にまで無理矢理ルビーを使って「世界最多」とか。もう無茶苦茶。
中学のときに叔父から誕生祝いでタイメックスのデジタル腕時計をもらった。
省電力のために普段は真っ暗で、ボタンを押すと赤く時間が表示されて
おぉぉぉぉ!と感動した記憶がある。
世界最多の無茶苦茶で思い出した。
パイオニアが出してたCD100枚チェンジャーとかも無茶苦茶だな。
シリコンやHDDオーディオの普及で今何処になっちゃったけど。
豚切りスマソ。
いい車とカーオーディオの音空間、そしてチェンジャーによる完璧な選曲とドライビングテク。
これらの融合で女性はメロメロになったんだよ昭和から平成にかけてw
そう言やぁ最近カーステレオのスピーカー見ないな
昔は後部座席の頭の後ろのところに、「カロッツェリア」とかあったよね
>>690 しかし実はタイメックスはアメリカでは一番格下のブランド
アメリカの名門高級時計メーカー各社(ハミルトン、エルジン、ブローバなど)が
スイスの高級ぜんまい時計と日本製高精度クォーツ時計の二段侵略で1970年代までに独立企業としては壊滅、ブランド切り売り
元は「インガーソル」という1ドル懐中時計のメーカーで、スイスの会社から名前だけ買ってイメチェンし、
大衆向け時計を売っていたタイメックスだけが、
値段の安さのおかげで、アメリカ腕時計メーカーの中で唯一まともに生き残った
あったよ。
最高の音空間を演出させつつ、週末はスキーでしょ?
誰彼やっちゃうよっ!て時代w
>>693 それは単に若年層の流行がクーペやセダンから、ワゴンや1BOXにシフトしたからじゃないかと。
俺も若い頃はBA5プレリュード→PS13シルビアと乗り換えたが、リアに輝く社外スピーカーは必須アイテムだったなw
イルミで緑、ブレーキで赤に光るスピーカーが随分流行ったけど、さらにウィンカーにも対応するのもあった。
KENWOODの文字が右ウィンカーなら右に、左ウィンカーなら左に黄色く点滅して流れるのな。
今は俺もワゴン乗ってるからリアウィンドウに社外スピーカーは置けないけど、
上記のKENWOODのスピーカーは押入れに大事に保管してある。
車の運転席を飛行機の操縦席のようにする「オーバーヘッドコンソール」
というものがあったのを覚えている。
フロントミラーと車内灯の取り付けねじを使って取り付けるのだけど、
あれじゃぐらぐらするのじゃないかなあと思った。
当時でも馬鹿なものを売るなあと。
タイメックスの腕時計、俺の頃は中学生に相応な腕時計と大人は
考えていたようで、背伸びしたい中学生には不人気。
セイコーファイブってのが人気だったように覚えている。
時計のバンドに小さなカレンダーを取り付けるのが流行ったなあ。
>>691 うちにこないだまであったよ、100枚じゃなくて40枚だけど。
カーチャンが美空ひばり・石原裕次郎全曲集をぶち込んで回しまくってこわした。
もうまとめて聞けないと落ち込んでたから、全部パソコンに取り込んで2GBのマイクロSDに歌手別に入れてケンウッドのデジタルオーディオと一緒に渡した。
昭和のスパイ映画だとマイクロフィルムを靴のかかとに入れて運ぶとかがすごく大層なことに思えたけど、
今はそれに近いことを平気でやってるんだなーと思うと感慨深いな。
>>698 いい息子だなー。
あの類のディスクチェンジャーって素人目に見ても壊れやすいだろうなぁと思ってた。
ソニーのピクシーとケンウッドのアローラがその手の過剰機能合戦してたような記憶が。
サンスイって今はないんだっけ?
ダイアトーンは受注生産(クソ高い)で復活したとか何かの記事で見たけど。
サンスイのアンプに憧れたよ(上には上があるけど)
100枚どころか三枚のCDチェンジャーコンポもあっさり壊れたなあ。
若干スレチ気味になりつつあるので軌道修正を兼ねて昭和の国産車について(時系列はバラバラ)
・100km/hを超えるとキンコン鳴る警報音
・70が扁平タイヤとされ、65以上の超扁平は暴走を助長するので公道では使用不可
・DIN規格に統一されていないサイズのカーオーディオ
・パワステがないから車庫入れは苦痛
・エアコンはオプション
・シートベルトもオプション
・カタログに「最高速」がスペックとして記載
・灰皿がバカでかい
・ギヤがロー→セカンド→サード→トップ
・ABSがない
・EFIもないから当然コンピューターもない
・その代わりにチョークがあった
・とにかくエンジンルームがスカスカ
・・・だけどなぜか魅力があったな、昭和の車には。
俺の部屋のSONY製301枚CDチェンジャーはもう数年間動かしてないがまだ動く、…はず。
>>689 Wikipedeiaの「味の素」の項読んでみれ
>>食用グルタミン酸ナトリウム生産の先駆けである味の素社は
>>当初小麦などのグルテンを加水分解することによって生産していた。
>>が、コストが非常に高くつくため、石油由来成分(アクリロニトリルなど)による合成など様々な手法が試みられた[2]。
>>しかし協和発酵工業(現・協和発酵キリン)によりグルタミン酸生産菌が発見され、
>>これに廃糖蜜(サトウキビから砂糖を搾り取った残滓)などをエネルギー源として与え
>>発酵させてグルタミン酸を得る手法が安全性、コスト面において優れていることから、
>>現在ではこのグルタミン酸生産菌による発酵法が主流となっている。
>>味の素は、1970年代までは石油製法で製造しており、1960年代から1970年代にかけて、その害毒性が議論された。
>>1969年には第61回国会 科学技術振興対策特別委員会でもとりあげられた[4]。
>> 当時、味の素にはグルタミン酸ソーダになるノルマルパラフィンを原料とした石油製品が入っていて、成分の三割を占めた。
>>1969年当時、グルタミン酸ソーダは、味の素株式会社だけが石油製法によって製造していた[5]。
>>石油由来原料のアクリロニトリル、またノルマルパラフィンからは醋酸が生成され、
>>それらによって、グルタミン酸が製造されていた[6]。
wikiには紹介されてないが、
過渡期には、髪の毛を分解して成分を得るってこともやってた。
しかし、日本人がシャンプーで髪の毛を洗うようになり、髪を輸入しなければならなくなり、
コスト的に見合わないため、違う製法に移行した。
>>702 プラスして…
・全てフェンダーミラー(ドアミラーは服を引っかけて危険と…w)
・高級車にはオートチョークがついていた
・100km/hを超えるとキンコンキンコンとなって警告した
…後付けクーラーとかあったな。助手席の下に平たい箱を取り付けるやつw
俺が18で免許取って、最初に乗った2st550ジムニーは、
チョーク引かないと夏でもエンジンかからなかった。
チョークを戻し忘れると、もんのすげー白煙を出すんで
白バイに止められたこともあったw
高速道路には、マフラーや、タイヤのリム隠しのディッシュが
そこらじゅうに落ちてるのが当たり前なんで、バイクで走るの怖かった。
田舎の道を走ってると、浴槽や便器が落ちてるのが不思議だったなぁw
>過渡期には、髪の毛を分解して成分を得るってこともやってた。
中国のダンボール入り餃子とその一連を思い出してしまう
豚の肉が食えて人間の髪の毛を原料にしたものが喰えないわけがない
中学の入学祝いの定番は万年筆だったなぁそういえば。
今、万年筆なんて使う中学生はいるんだろうか。
セーラーかパイロットの18金。制服の胸ポケットに刺す。インクはブルーブラック。
まぁ実際に使う筆記用具はシャーペンかボールペンだったりするわけだがw
大人も背広の胸ポケットには刺さってた。
それがモンブランの花形のアタマの奴だったり、パーカーの矢型のクリップだったりでワンランク上な感じだとかっこよかった。
いまそういうの見かけるのは現場の人の作業着とかくらいだなぁ。しかも実用的なボールペンとかだし。
>>686 後がない(切羽詰ってる)
↓
冴羽さんにお仕事依頼
だったはず?私の記憶違い?
一晩かけてググってきたか。
W
x
Y
縁が無い…
>>704 髪の毛云々って、マクドナルドがミミズを云々て話と同じ匂いがする
>>708 中1時代や中1コースっていう学年誌では
春の新入学シーズンに1年間予約すると
とんでもなくちゃっちい万年筆くれたよねw
昔は12月に入ると、色んなトコロからカレンダーや手帳を貰ったな
カレンダーと言えば、保険のオバチャンが親父用に持ってくる卓上は
ほぼ間違いなくガイジンのナイスバディネーチャンのヌードだったw
ヌードのカレンダー見かけなくなったな
ラーメン屋とか蕎麦屋行くと必ずってほど貼ってあったのに
今でもあるんだけど、ベルマーク。
昔は学校あげて集めてたけど最近はどうなんでしょう?
今のベルマークってどういう使われ方してるんだろう、とりあえず集めてるけどw
>>717 数年前、小学生の姪のためにベルマーク集めてたんだが…
PTAの協力者の数が少ないとかで
えらく面倒臭いことやらされた
・まず、メーカーごと、点数ごとに選別
・台紙に貼って、台紙に合計何点か記入
こんな面倒なことを数時間もかけてやるんなら、
500円玉1枚くれてやってオワリの方がいい…
そういや、グリーンスタンプとかなんとかチケットってあったけど
ここ20年ぐらい、あのリスのマークの看板も見なくなった
ロータスクーポンってのもあったね。
商品についているのか、店がくれるのかが大きな違いだけど
>>717 甥姪の小学校では昔とおなじ感じで集めてるので俺も協力している。
チキンラーメンのばっかりってのがちょっと恥ずかしいけど。
そんなにチキンラーメンが好きなのかw
心優しきおじさんと、おじさんの生活がたった二行でw
中一時代か中一コースか忘れたけど、おまけでくれた万年筆は
テイキンというメーカーだった。
帝金万年筆はだいぶ後年までペン先を作っていたそうで、
ちゃんとしたメーカーだったらしい。
いまのように安物=人件費の安い外国製ではなかったのだな。
>>719,720
ちょっと調べてみた
グリーンスタンプ→生存。サイトあり。ただし、気楽に店舗検索できず。
ブルーチップ→生存。サイトあり。磁気カードになってる。気楽に店舗検索できず。
ロータスクーポン→半死半生。サイト無し。みすゞ豆腐製品にしかついてないという。
今だとTSUTAYAカードになるのかねぇ。
ポイントカードとかジャマくさいから、
ブルーチップあたりに頑張って欲しいよ。
地元の福島では、子どものころ町の中心部に「グリーンスタンプのお店」があって、
交換できる商品が並んでて、スタンプノートを持っていくと、その場で商品がもらえた。
ベルマークの回収で持っていくのは
キューピーマヨネーズのが多かったなー
親戚の編み物好きのお姉さんにもらったのは
カネボウの毛糸のやつだった
ベルマークの種類って意外にそこんちの生活が表れるよねw
子供の頃、親が離婚していると言ったらなんか腫れものに触るような扱いを受けた。
今じゃ小学校でもどうってこともない事のようだけど。
すくなくとも公立小学校に黒人との混血児などいなかった。
いまの小学校は混血児も珍しくない。
いたよ黒人とのハーフ
日本人顔だけど筋肉のつき方がかなり違った
>>730 ウチのトコの学校にもハーフいた。
学年は違うけど黒人、白人それぞれ。
米軍基地近かったから、場所柄かもしれない。
近所に外人たくさん住んでて、クリスマスになるとイルミネーションでピカピカしてた。
ちょうど50年代〜くらい。
戦後すぐ生まれの人なんて、混血だらけだ
昭和といってもだいぶ期間があるからな、
場所柄によってもだいぶ違うのだろうね。
ちょうど団塊の世代のうちの親も、同級生に混血の子が多かったと言ってたなあ。
ギフトボンドスタンプというのもあったな
>同級生に混血の子が多かったと言ってた
あきらかに当時は「アイノコ」と言ってたはずだけどね
>戦後すぐ生まれの人なんて、混血だらけだ
沖縄等の地域限定だとおもうぞ。
外人がいまのように普通に街を歩いていなかったからね。
>>738 東京とかだって普通に進駐軍が闊歩してたがな。
中尾みえとか、あの辺の人達は進駐軍相手に歌ってたんでしょ?
混血といっても、白人ハーフはあまりいなかったみたいね。
かの有名な「イサムとキク」もクロソボのアイノコだったな。
あ、逆だ。
「キクとイサム」
荒野の少年イサムだとアメリカインディアンと日本人の子だな。
昔レミの会というものがあっての
強い子のレミ
コーヒー吹いた
不覚
750 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/14(火) 20:59:22 ID:n75DCLjD
明治ステップもな。
昭和40年代ぐらいまでは
一般人は、ハーフではなく「あいのこ」と呼んでたな
俺はゴールデン・ハーフ・スペシャルで
ハーフ=混血と知ったガキだったがw
その単語はお馬鹿なカスゴミの言葉狩りで昇天されました。
一度タモリがいいともで使ってスタッフに訂正されて「こんなのも
放送コードなの?」と驚いてたな。
北条ハーフと思ったらFOUR JOE HALFだったというグループもあったげな
クォーターって言葉の方は普通に使われてるのに矛盾してるよな
昔の映画は新作2本立ては当たり前、時には3本立てもあった。(田舎の場合)
一番衝撃が大きかったのは
「岸壁の母」「関白宣言」「アリス 帰らざる日々」の「歌謡映画3本立て」
756 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/15(水) 13:12:44 ID:ZmZf4ZuB
映画史か楽しみがない田舎だったから、日曜に映画に行くと同級生に会いまくっていたな。
757 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/15(水) 13:16:55 ID:p2ndpCKj
どこでもタバコ
飛行機の中でもタバコ吸えたなんて今じゃ考えられないよな
電車やバスに普通に灰皿付いていて普通に吸ってたもんな。
>753
フォー・ジョー・ハーフ = 四畳半
床屋の椅子にも灰皿が装備されていた。
古い床屋に行くと、まだ残ってる。
床屋の椅子の肘掛にアンテナみたいな伸びる棒があった様な
>>762 今でもついてるとこあるよ。
体に掛けるカバー受けだよね。
顔剃りの時、ハガキ大に切った新聞紙を肩に乗せる
洗髪は席を立って洗髪台に移動
バイアスタイヤだった。
ラジアルタイヤがついている車はスポーツカーだ!すげー!!
>765
中古車の宣伝文句の「フル装備」
軽自動車なんてゲタ代わりだから、エアコン、パワーウィンドウ、ましてや
子供が運転するんじゃないんだからパワーステアリングなんて考えられない。
ABSやエアバッグなどホンダのレジェンドなど最高級車のものだった。
ソアラにだってリモコンドアロックなんかついてなかった。
それがいまや、よっぽど安いグレードでもなければ軽自動車にもついてくる。
森口博子がテレビに出まくってたこと
>>767 夢がモリモリに出てた「森」のつく人はみんなどっか行ったね。
こんばんわ、
こんばんは、だバカ
わんばんこー
>>768 もう一人の森のつく人は、あの時オートレースの世界に行ってて良かったと
今頃は胸を撫で下ろしているだろう
秋葉原には食べ物屋がまるでなかった。
秋葉原で働く人のための食べ物屋は何件かひっそりとあったけど、
買い物客が入るような店は皆無状態だったのだよ。
食べ物屋だらけの現状が自分でも信じられない。
そもそも、サラリーマンは弁当持参が普通だった。(除・大企業)
市場があった頃はミスタードーナッツが24時間営業だったね、秋葉原
秋葉原にミスタードーナッツもマクドナルドもコンビニも無かった。
バナナ倉庫があったなあ。(いまの万世橋署のところ)
コンビニそのものが珍しかったんだ。
7-11を初めて見たとき、夜11まで開いているのか!!と驚いたんだ。
古すぎて理解できないか・・これぞいまじゃ考えられない昭和の生活。
そういえばデパートやスーパーには毎週の定休日があった。
お正月には、おばちゃん従業員が休み、親戚にお年玉をやりたくない学生や若者が働くようになったのですね判ります。
もうセブンイレブンがなんで7-11なのか知らない人多いんかね?
7時から11時まで開いてる店ってのが画期的だったよね。
でもアメリカでは、都市部だと1920年代から、既に24時間営業のドラッグストア(ファストフードも提供してくれる)があった。
>>773 うちの場合、10年前ぐらいから嫁さんを連れてアキバ通いをしてますが、この10年だけでも
だいぶ変わりましたね。
・女の子が増えた
・そのうち、女の子がかわいくなってきた
・男の子もかっこいいヤツが増えた
今はつぶれた電気屋さんの空き店舗がもれなく飲食店になってる、という印象ですね。
市場があったころの怪しいアキバがちょっと懐かしい。
そうだ、デパートは年中無休ではなかったんだ、週一で休みがあった。
新宿の西口と東口のデパートは休業日が同じじゃなかった。
池袋の西武デパートと東武デパートも休業日が重ならないようにしていたのじゃ?
大晦日のスーパーはいつもと違って8時過ぎても開いていて
安売りの声が響いていた。三ヶ日は休むから必死に売っていた。
年末に、お正月の暇つぶしの文庫本を買いだめておかないと
全部のお店が閉まってるからやることがないので子供たちは
困り果てるはめになった。
>>782 池袋東武は水曜日定休、西武は木曜日定休だった。
いずれも盆暮れ正月GWなどはこの限りに非ず。
大店舗法の改正に伴い、営業時間も延長が可能になった。
昔は平日は19:00には閉店、土日祭日は20:00まで。
また東武は30年以上前から新年は1/2より営業開始。
9F以上のレストラン街、本(旭屋書店)、カルチャースクール(ヤマハ音楽教室など)は
水曜日も営業してた。エレベーターが直通になってエレベーターボーイによる運転。
昔懐かし「ぶらんで〜とTO-B」の時代。
ちなみに上野松坂屋なんて18:00には閉店(しかも日曜日)してた時代があったんだよ。
池袋のデパートといえば、パルコは昔「まるぶつデパート」だったな。
どこのデパートも、屋上がミニ遊園地になっていて楽しかった。
786 :
784:2010/12/18(土) 03:35:35 ID:yBZRtULx
ついでに上野松坂屋は水曜日定休、
そして今はなき池袋三越は月曜日定休でした。
新宿伊勢丹は水曜日じゃなかったかな?
都内デパートは水曜日を定休としてたところが多かったような気がする。
デパートといえば屋上遊園地でブラブラするのが好きだった。
今は消防法の関係で、デカい遊具を置けなくなってしまったからなぁ。
池袋西武にはメリーゴーランド、東武には釣り堀(一回500円)まであった。
上野松坂屋はアーケードゲームが充実してた。
上野の京成デパート(今の丸井)覚えてる人っている?
屋上にデカいロケットがあったんだよw
>>782 池袋では、
月曜日:三越
火曜日:西武
水曜日:東武
の定休日だった。
そういや、うちんところの商店街、木曜が定休日だったな。
シャッター商店街と化した今はヘタに休むと「ついにここもつぶれたか」と思われるだろうからか、
交代かつ不定期に休んでいるらしい。店が減ったからおたがいのスケジュール調整は楽だろうし。
靴の呼び名で、短靴(たんぐつ)って昔使ってたけど最近言わないよねw
ズック靴(いまのスニーカーか?)も使わなくなった。
釣り堀が流行った時期があったようで、堀といっても
実際には床に大きな水槽を置いてあるだけだったりした。
スロットレーシングカーが流行ったこともあったなあ。
ボウリングブームもあった。
全部「昭和」でもごく近い同時期だったわけじゃないぞw
あのスニーカーはもう捨てたかい
ズックは言ったことないですw
えもんかけとか帳面とか
うちの母は良く言ってたな。
>>789 私は47歳だけど、子供の頃にしか聞いたことないな。短靴って。
>>795 自分は46だが、短靴は書物の中でしか見たことがないな
自分は48。 短靴は使ったことないな、文字で読んだことはあるけど。
逆にズックは親も自分も普通に使ってた
「短靴」なんて言葉はここで初めて聞いた。「運動靴」って言っていた。
小4〜6の頃の担任(50くらいの女・小4・5の間でクラス替えがあったが、
オレはそのまま持ち上がった)が、子供が華美に走ることを戒めていて、
クラスを仕向けて、革靴のようなフォーマルな靴を「ドタ靴」と揶揄して
はいて来れないように戒めていた。
その頃、オフクロが当時出始めた子供ブティックや美容院に連れて行たがったが、
そんな浮いた恰好をしようものなら冷やかしやらイジメやら仲間はずれになるのが
目に見えていたので断った。ホントは少ししてみたかったんだが。(47歳)
雨の日には大人も子どもも長靴をはくのが当然だった。
今思うと、当時はすべての道が舗装されてるわけじゃないので雨が降ると
土の道が泥んこになる、とか、靴の品質が今ほど良くなかったので、
雨にぬれると革がダメになる、とかあったんだろうな。
最近女性の長靴はおしゃれになって時々見るようになったけど、
男性の長靴は本当に見なくなったよね。(48歳)
長靴とは別にレインシューズって奴が無かった?
ゴム長靴な。
子供の頃、大雨が降ると道幅いっぱいに水たまりになってしまう非舗装道路があちこちにあった。
長靴、それも下ろしたてだと、まるで自分が戦車に乗っているかのような「完全武装」気分になって、
わざわざ水たまりに突進していったっけな。
802 :
799:2010/12/18(土) 22:51:17 ID:iKq10m24
>>800 東北の田舎の方ではそんなハイカラなものは見かけませんでした。
電車で通勤する東京のサラリーマンなんかは使ってたんでしょうかね>レインシューズ
そういえば風呂掃除などをする時に履く
プラスチックのぶっとい靴みたいなのは今も健在なんだろうか
あれの正式名称を「ママブーツ」というのは、ティーアップの漫才で知ったw
マーマーブーツ、ママブーツ♪
>プラスチックのぶっとい靴みたいなの
ウチでは現役。風呂場は直射日光が当たらないから樹脂も長持ち(笑)
ゴム長靴で歩いてる大人は、ほんとうに見なくなったねぇ。
やっぱり革靴は高価で大事に扱うものだったということなのだろうなあ。
短靴(タンカとも発音するらしい)は長靴(チョウカ・皮のブーツ)と
セットで使われた言葉なのだろう。
俺は55。10歳年下なだけで世代差を感じるのが面白いや。
たぶん俺の10年年上とも同じような差があるのだろう。
いまの40と30よりも大きな変化があった時期ということか。
今35歳群馬在住の私が小6の時は、みんなまだ長靴を履いて来てましたね。
図画工作の時間に「自分の持っている長靴の絵を描こう」なんて授業があったのも懐かしい。
今の子達って、ファッション重視の子が多いから小学校中学年位で、長靴なんて卒業しちゃうんだよね。
795だけど、生まれも育ちも豪雪地帯の田舎だったので、短靴という言葉は
子供の頃普通に使ってたのを思い出した。
雪解けの頃、ようやく雪で真っ白だった庭が土の地面になった時に靴を履いて
歩くのが楽しかったんだよ。
昭和25~28年頃は、渋谷のハチ公のあたりから東急東横の屋上までに
ケーブルカーが通っていたそうだ。
さすがに自分は生まれてなかったけど、楽しそうだったな。
丙午だけど、
東京だと、長靴は小3ぐらいまでだったな
小5ぐらいになると、かっこわるいと思って履かなくなった
昔、流行ったカマキリ自転車ってのは、まだあるのかな?
スーパーカーブームの頃は電子フラッシャーやリトラクタブルライト
その後、ロードマンなどのスポーツ・サイクリングと来て
あの面白いカタチのカマキリ自転車っていうママチャリへの変遷は
今から思い出すと不思議だよな
ちなみに俺はBMX乗ってたけどw
>>809 カマキリ(ブリヂストン)はもう生産していない。
自分もカマキリG、ベルトチェーンのカルカマ(オールアルミのやつ)と2種類乗ったわ。
デコチャリはクラスの連中が揃いも揃って乗ってたなぁ。
値段がアホみたいに高かったような気がする。
子供用自転車のフル装備(どんなだよw)で、当時の価格で10万近いとかあり得んわ。
デコチャリがなんとなく下火になった頃にカマキリが出てきたみたいな感じかな。
ちなみにBMXはウチの近所だとE.T.の頃に流行ったよ。
バブルガムがBMXの懸賞キャンペーンやったりもしてたね。
カマキリからTチャリ(ハンドルが真っ直ぐなやつ)、更にMTBと来て
その後はクロスバイク(ルック車含む)や何やらと多様化していったんじゃないかな?
自転車好きだから色々乗ったけど、家の近所で乗るにはママチャリが一番だという結論に達したw
ハンドルが変形だ円で、スポークのない「ピーターパン」という幼児自転車があってのお。
ハンドルを他の子にぶつけたり、スポークで足をはさんだりせんためのもんじゃったが。
…自転車がロッド式ブレーキが主流じゃった頃、わしのしっちょるもんに、顔面にそれが
ぶっ刺さったもん(自転車と衝突して、左眼球下を掠めて、左目の下に刺さった)がおった。
今のブレーキじゃとありえん話じゃが、恐ろしいのお。
街中見てると今流行っているのは折り畳み式かな?
あれを見て思うのは、そんなに自転車って折り畳むものかねぇ?
坂や段差の所でボルトが外れるんじゃないかと思うとおっかないわ。
スポークといえば、デコチャリの時代に何故かみんなボールを挟んでた。
プラスチックのカラーリングやモールで出来た輪っかを付けてる奴もいたなぁ。
リムブラシっていうのもあったな
地元の私鉄の駅には40年くらい前は駅前が未舗装で
雨が降ると田んぼのようにぐちゃぐちゃになっていた。
駅には下駄箱があって、通勤の人はゴム長から履き替えていた。
30年ぐらい前だとホームが木で出来てるとか
電車の床が木で出来てるとか結構普通だったよね
電車の冷房も扇風機だったよな。
>>815 東京の都心に乗り入れする電車に
木張りの床の電車が混じっていた最後は東武鉄道で、昭和50年代後半までそんな電車が使われてた
今じゃローカル私鉄ですら木の床の電車は見あたらなくなったが。
木の床には防腐剤が染みこませてあって、独特のニオイがするんだよな。
JR北海道の普通列車に冷房無しが多いのはわかるが(気候が涼しいという言い訳がある)、
実はJR東日本のローカル線にもいまだに冷房なしの扇風機車がある……
青森の八戸線なんか全部それだぞ
青森とかに旅行に行って、山手線と同じようなステンレス車両が
入ってくると、なんだかがっかりするね。
東武東上線は、あちこちの古い車両をそのまま連結して使っていた
記憶がある。塗色さえそのままだった。貧乏鉄道と笑った(失礼)。
ウンナンのネタに、玉川電鉄(路面電車)の床が木貼りで、
バスなのか電車なのかはっきりしろ!というのがあった。
そう、路線バスの床も木貼りだったのだよ。
駅舎の屋根の骨格に古いレールを再利用しているのがデフォだったけど、
そういった駅舎は東京にはとても少なくなった。
あれはあれで雰囲気があって良いといまでは思うが、
当時は貧乏くさく感じた。
伊豆急線は東海道線の車両をそのまま使ってたような記憶がある
車両をよそで使うのは別に昭和に限った話じゃないな。
>>817 八戸線沿線は「やませ」の影響もあって真夏でも冷房が必要な程
暑くはならない。
女子は「家庭科」、男子は「技術」と科目が分かれてた。
>820
ボディのデザインや塗色が違う物を連結して走っていた。
これも全国的には珍しいことではないだろうけど、
いちおう東京だからねぇ、それが可笑しかった。
もちろん、いまの東武東上線はそんなことしてない。
セミドロップハンドルの自転車。
見なくなったなあ、セミドロップ。
あれは何だったのか?
芸能人一家対抗、相撲部屋対抗、プロ野球チーム対抗のカラオケ大会って今無いな、そういえば
高校生の頃、SLでピアノのレッスンに通ったっけ。
トンネルに入るとすっごい煙が入ってくるから慌てて窓を閉めた。
>>813 あったあったw
あれって何の役にたったのだろうw
セミドロップ乗ってたぞw
あれ、実は真ん中のネジ緩めて逆さまに付け替えてママチャリハンドルにできる。
じっさいやってた奴がいた。というかメーカー的には同じ部品だったり。
ハブブラシ、ハブ毛というやつね、いまも売ってる。
>>828 あれ、取り付けた当初はリムの汚れが取れるんだが、ブラシ自体が汚れて
しまって次第に効果がなくなる。
>>817 > 木張りの床の電車が混じっていた最後は東武鉄道で、昭和50年代後半までそんな電車が使われてた
細かいことだが俺が大学に入った昭和60年には東上線でまだ走ってたぞw
まあ、なにがあっても「東上線だから」で納得される路線ではあったが
レパ−ドZGXタ−ボにモ−タ−トレンドのフルスポ、RX7用ホエールウィング、コニーのショックにカヤバのサス、ロンシャンXR4にパッパ(CR88)
トラストの50φ.キツネのしっぽにピコピコシリーズ(LOVEとか)バイヨのコンポにTSX-66のスピーカー
で大音量DEAD OR ALIVE
で通勤する人
中央線や総武線にも、
車両ごとに色違いのカラフルなやつ走ってなかったっけ?
国鉄からJRになって一番良かったのは
車体に労働組合のアジビラ貼ってあったり、
塗料でスローガンが書かれなくなったことだな
子供ながらに
「こんなに列車を汚くする人たちが安全運行なんか出来るの?」
と不安だったよ
昔の国鉄職員は本当に態度が悪かったという印象しかない
千葉に行った時、帽子をあみだにかぶって、爪楊枝くわえて
腕まくりしてる国鉄職員見たことあるのは一生忘れない
そういや、郵便局も態度とサービス悪くて
郵便小包出すには、梱包して紐をきちんと結んで…
とすっげー面倒臭く、局員チェックが意地悪なぐらい厳しかった
その上、荷物が届くのが遅くて、東京→仙台が1週間とかザラ
そりゃ、宅配便使うようになるの当たり前だろって感じ
千葉こわいw
松戸駅の鷹のことかしら
>>835 札幌駅の国鉄職員もひどかったぞ。
用事があってある窓口行ったらこちらに背を向けて奥の人と雑談しているんだよね。
何度話しかけてもチラッとこっちを見ただけで無視してまだ雑談続けてる。
しかたないからあきらめて帰ってきた。
その時たまたまというわけではなく、知り合いも同じような目にあってたりw
警察官も酷い口のききかたする奴がいたなあ。
『オマエ』と呼ばれたものなあ。いまの警察官は言葉遣いが丁寧だ。
説諭なしで違反切符をビジネスライクにきるけど、むしろそうほうが良い。
あの時代の国鉄・郵便職員たちは、いま年金暮らしかね。
キレる老人というのは彼らかも。
ガラ悪い職員たちって団塊の世代〜少し上ぐらいっぽいイメージがあるから
そうかもね。 >キレる老人たち
国鉄職員は柄は悪かったけど、自分の職務に対する知識はしっかり身についていたな。
JRになって20年余り、長距離切符を買うのに手取り足取り経路を説明してやらなければならないことが増えたし、
「機械で出ないから売れません」とか平気で言ってくる。
特に銚子がどこにあるか知らないO駅の若い駅員、お前は小学校の社会科からやり直してこい。
今の長距離用券売機って時刻表連動で買えるようになっているんだけど
最終電車の乗り換え時間が3分で
同じホームだから乗り換え可能なんだけど
乗り換えられないって判断して明日の一本目しか出なかったりする。
一応駅員に確認すると紙の時刻表を調べてくれたりする。
なんか機械が利口になって便利にはなったけど
まだまだ人間が居てくれる方がいいな。
かつて自分の頭と手計算で
国鉄でダイヤを組んでた人の話を聞いたことがあるけど、
ほんと人外だったw(褒め言葉として)
今でも、ちょっと凝ったルートを指定して切符を買おうとすると、
真面目に応対してるようだけど目元がめっちゃ嬉しそうなおっちゃんに出会うことがあるよ。
昔は、暇そうな窓口だったら窓口のおっちゃんと時刻表にらめっこして相談したりした。
846 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/20(月) 18:51:13 ID:19BuXnzf
大人がとにかく怖かった。ちょっと返答に詰まると、もの凄い剣幕で何人がかりで大声で詰問されたものだった。
やってないことでも、大人のきまぐれで冤罪ふっかけられることも当然で、自分はこどもだから仕方ないと自分に言い聞かせていた。そんなのが当然だった。
ここまで全て、千葉のひとの意見ですねw
自分自身は近所の大人に可愛がられて育ったから気が付かなかったけど、
子供にとって大人って怖い存在に感じることがあるってのは
デパート内の子供広場兼ゲームセンターのバイトをしたときに感じたなあ。
そういえば
ガキの頃、ニュースで「大洋デパート火災 100人以上死亡」が結構な衝撃で
しばらく親に誘われてもデパート行かなかったし
行くようになっても怖くて上のフロアに行けずオモチャ売り場も大食堂もスルーしていた。
850 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/20(月) 19:30:52 ID:2jcBe+fp
ビル火災といえば、千日前だな。
そういや大規模火災ってのも少なくなったな。
ビル火災で、パンツ丸出しで救助ロープにぶら下がってるお姉さんの
画像や映像が堂々とテレビや新聞で報道されていたね。
今なら裁判沙汰だな。
>>849 女子中学生が下校時に、いきなり見知らぬおっさんに腕を掴まれて。
おっさん、指さしながら、「ほら、ほら!たいようの燃えよるとですたい!!」って。
女子中学生、「空に太陽が燃えてんのは当たり前だろ!!」と思って腕振りはらって帰ってきて、
「今外で、たいようの燃えよるとって言ってる変なおっさんが」って言いかけたら、親は大洋
デパート火災の中継を見ていたというwww
火災って言ったら、自分はホテルニュージャパンだな。
>>855 あれは比較的新しい?だけあって映像も結構見る機会あるしね。
カーテン結んで命綱にして窓から降りて助かった外国人のインタビューが
去年だかなんだかドキュメンタリーみたいなもので流れてた。
ニュージャパンは、翌日、逆噴射なK機長が羽田沖にジャンボを
墜落させたのもあって、相乗効果で余計に印象深い。
子どもの頃の強烈な思い出となったホテルニュージャパンが、大学生になって
上京してもまだそのままだったのに驚いた。
自分も10年ぐらいして近くに行く機会があったので、目の前まで行ってみたけど
入り口をバリゲードで固めただけで、ホント長いことそのまま残ってたね。
興味本位で入ってみたかったけど、場所が場所だけにさすがに出来なかった。
速攻通報されて警察飛んできそうだしw
あれは壊すにも壊せないみたいな噂が色々あったね。
その噂がホントかどうかは分からないけど。
いずれにせよ曰く付きな建物であることは間違いないのでは?
力道山が刺されたのはニュージャパンの地下にあったクラブ。
火災後もしばらくは地下のクラブだけはそのまま営業を続けていたそうだ。
商魂逞しいというか、普通の感覚だったらそんなとこで飲みたくないわな。
社長が稀代のDQNだったらしいな。>ニュージャパン
横井英樹ね。白木屋も乗っ取ってる。
ホリエモンよりももっと早くに似たようなことやってたオッサン。
で、その白木屋もかつて火災を発生させた曰く付きの建物だけど、
横井英樹の存在といい件の力道山の事件といい、
災害に遭うべくして遭ったホテルって感じ。>ニュージャパン
ニュージャパンは『宴会用』のホテルという新機軸で成功したんだ。
赤坂という土地柄にも合っていたのだろか。
ニュージャパンの火事生中継では、遠くからだから小さいけれど
地面に裸の若い女性と思える映像を映していた。
仰向けなので陰毛がまるだし。名前わすれたけど、いまでいうAV女優だったと。
荒木経惟が撮ったことがある女だとどこかで書いていた。
国鉄時代の駅員の態度には思い返すと腹が立つものがあるけれど、
たしかに専門職に就いているというプライドと技術はあったな。
鉄道のことはなんでも知ってる、知ってやろうという気概を感じることもあった。
東京駅のような巨大な駅ではJRの人間じゃなくて派遣的な人も
多く雇っているのかもしれん。モチベーションが低くても仕方ないのかも。
東京駅なんざ、デパ地下と駅がコラボしているようなもの、というのが現実だ。
ニュージャパンの火災の原因は煙草
>>863 もっと問題は…
・カーテンなど内装が不燃ではなかった←防炎内装ケチった
・壁に断熱材が無くフラッシュオーバーが起きた←手抜き工事
・火災報知器が正常に作動していなかった←手抜き工事
・防災ベルや放送が故障←修理をケチった
・非常口案内板が適切に設置されていなかった←設備をケチった
・スプリンクラーの不備←設備をケチって偽装スプリンクラー…
・従業員に防災訓練を施してなかった←経費節約のための人手不足
以上は、何度も何度も所轄消防署から注意を受けていたにも関わらず、
横井社長はケチなので改善をしなかったのが一番の問題
当時、新聞やテレビで次々と明らかになる問題点に
横井秀樹って男は、本当に人間のくずだと思った小学生の俺…
>>864 それに加えて更にドケチの極みなのが、
本来なら宿泊客の救助を最優先にしなければならないのに、
なんと、ホテル内の備品(飾ってある美術品とか)の運び出しを優先にしたとか。
火災の翌日だか何だかのニュースで映しだされた
蝶ネクタイに拡声器で「報道陣の皆さん、朝早くからご苦労さんです」などと
宣っていた姿は忘れられない。
昭和の火事って凄かったなぁ…
大阪・千日前ビル(S47) 死者118人←ニュース映画で観たのを記憶してる…
熊本・大洋デパート(S48) 死者104人←テレビのニュースで…
栃木・川治温泉火災(S50) 死者45人←新聞に見取り図があったが迷路だった…
忘れられないのが酒田大火〈S51〉!
22ha(22万平米・東京ドーム5個分)が焼けた映像が凄かった。
日本坂トンネル火災も静岡駅地下街爆発も凄かった。
嬬恋村ガス爆発も忘れないであげて下さい。
熱川温泉事件のは、夫がそこで不倫相手と一緒に炭になってたと知った妻が、喪主の席で
般若みたいな顔してたって話。
昭和の事件と言えば、どう考えても理解出来ないのが「青酸コーラ無差別殺人事件」。
公衆電話に置いてあったコーラを飲んで死亡ってさあ…なんで飲むかなあ?
今の感覚なら絶対あり得ないよね、そんなの。
昔チケット取りの為に真冬に一人で徹夜で並んでた時、通りがかりの人が「寒いでしょう?」と温かいコーヒーをくれたことがあったけど、怖くて飲めなくて、帰ってから捨てたよ。
そういえばこの「チケット取りの為に並ぶ」というのも昭和か。
>>868 あれは昭和52年春に起きた事件だったな。あの当時から、拾った物を食べる(飲む)という
行為は「下品」とは思われていたものの、「毒が入っているかも知れないから危険」という
発想までは、まだ無かったように思う。人によっては「飲食物が置いてある=ラッキー」
なんて考える人も、この発生前まではまだ存在していたようだ。
缶コーヒー買ったときに同じ銘柄のが取り出し口に二本あったりするとけっこう困る
どちらがおいらが買った奴なんだろう、と。
暖かい方だとわかりやすいんだけど
871 :
名無しさん:2010/12/21(火) 09:44:04 ID:8fOkHp21
こたつはむかしは練炭で温めてたよね。
あったかいからと、子供がこたつに潜り込むと、一酸化炭素中毒で死んだ
>>871 うちは普通の炭だった。
近所に炭焼き農家があったので、そこから安く買ってた。
猫がこたつに入って途中で気持ち悪くなってウギャアウギャア鳴きながら
出てきた。
毎日懲りずに繰り返していて学習しない猫だと思ってたら、
ある日、定時になっても出てこないのでなんだろと思って中を覗いたら
コタツの跚に前足が挟まって抜けないまま一酸化炭素中毒で死んでた。
昔、ラブホテルでバイトしてた時に防災訓練があった。
その時言われた事。
火事が起きたら(非常警報がなったら)すぐ全部屋を回って客を叩き起こせ。
しかし、客室出入口の鉄扉を触ってすごく熱かったら中の人は諦めろと言われた(開けるなって事)。
>>873 開けた途端に、あなた様の方に向かって、炎がドバーっと襲いかかってきまっせ。
天六ガス爆発事故なんて今あったら、ちゃねらーが犠牲者の中に多数含まれてそうだ。
嬬恋村ガス爆発←被害者の立教女子大生たちが新聞顔写真でも皆、美人で合掌。
千日前ビル火災←キャバレー男子従業員が避難誘導しなければならないのに
反対に「料金踏み倒し」を恐れて出口封鎖で惨事拡大。
静岡駅地下街爆発←確か取材のマスコミが巻き込まれて2次災害が大きくなった。
日本坂トンネル火災←インタビューで「なぜトンネル火災中、通行止めという表示なのに
トンネルに入ってしまったんですか?」
「他の車もみんな入っていったから」
>>868 チケット並びは平成前半まであったよ。
こうしてみると大きな火災や爆発を教訓に
安全危機管理が充実してきたんだな、としみじみ思うわ
地元が福島なんですが、観光ホテルの「磐交パラダイス」という金粉ショーが売り物の
ホテルでの火災事故が記憶に残ってる。
その「金粉ショー」で使うタイマツの火の不始末で火災になったらしいんだけど、
「タイマツ」「金粉ショー」という怪しい文字列のせいで、なにやら江戸川乱歩チックな
妄想を掻き立ててました。
当時テレビで、磐交パラダイスと常磐ハワイアンセンターが「今週の歌謡ショー」の
告知CMを毎週やってて、なにやら夢のような空間を想像してたせいもあるかも。
879 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/21(火) 16:46:02 ID:e/T9JKno
新宿のバスの放火は衝撃だった、
それまでこれほどの無差別殺人は無かったんじゃないかな・・・
後楽園の巨人戦帰りの親子がバスの座席で・・・
今生きていればお父さんが70位で坊やが40前くらいかな、
犯人もその後自殺したらしいけど、やり切れない事件だった。
>>879 その事件はよく覚えてる。当時自分は小学生で、「もうすぐ、俺の
夏休みが終わる…::(ヽ'ω`): 」とテレビの前で嘆き悲しんでたときに、
飛び込んできたニュースだったからかも知れない。
通りすがりのカメラマンが事件現場に遭遇、シャッターチャンスキタコレ!!とばかり
特ダネ写真を撮りまくり→その後自分の妹がそのバスに乗ってた事を
知って('A`)ってことがあったらしい。
ホントに人生、何があるかわからんな。( ´・ω・)
>>880 被害者のなかの一人が手記を書いていて、読んだが、たしかそのカメラマンの妹じゃなかったか。
なんかすごく厭世していて(恋愛がもつれたんだかなんだか)、
火を放たれた瞬間、一瞬これで死んじゃおう、と思ったせいで逃げ遅れてひどい火傷を負って、
その治療の壮絶さが事細かに書かれていて読みながら気持ち悪くなった。
その事件、自分は、親子で買い物に行った帰り道、子ども達は歩いて帰ると言い
母親だけ「お母さんは疲れたからバスで帰るわ」と、バス乗り場で別れて
そのまま母親だけ帰らぬ人に…っていうのをいまだに思い出す。(;ω;)
新宿バス放火、道路は後までアスファルトが溶けたままだったなあ。
いまでも現場を指させるよ。
>>866 酒田大火の直後にそこの高校が甲子園に出てたな。
887 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/22(水) 06:05:16 ID:XluCYFte
ここのスレの方達は、携帯の間違い電話って
なんか違和感ないですか?
自宅の電話で間違いはよくあることだ(だった)と思うけど
携帯に間違い電話来られると、なんだか必要以上にびびるというか…
携帯に知らない人からドイツ語で間違い電話がかかってきたことがある。
しかも、「うちの旦那に手を出すな、この泥棒猫が!」みたいな内容。
たまたまドイツ語が喋れるので、「そんな間違い電話かけるくらいだから
浮気されるんだ、馬鹿やろ」みたいに罵りかえしたら、素直に謝られて
ちょっと申し訳なかった。でもとってもびっくりした。
そういえば、昔は電話に出るとき「はい、○○です」と名乗るのが普通だった。
今は携帯はもちろん、家電も名乗らないひとの方が多いと思う。
家電にかけてくる人なんて、今や業者くらいだものな。
>>889 カッコヨスwwwww
第二外国語でドイツ語取ってたけどツェーの嵐だったから素直に尊敬するわ。
小学生ぐらいの女の子から電話がきて
第一声が「おじさんですか?」
まあ、おじさんですけど、キミのおじさんではないなあ。
>>892 ツェーならまだいいわい。
二回落としてやっと卒業。
第一外国語がドイツ語なんていうあり得ない時代だったからなあ。
第二外国語の英語の方が好きだったから、今は仕事で英語使ってる。
>>894 外国語学部?
外国語学部行くと、専攻の語学が第一外国語になるんじゃ?
これは昔から変わらんような気がする。
>>890 それだね!少なくとも受ける側が名乗らなければ
どこに掛けたかがはっきりしなかったはずだもんな
自分は携帯のショートメールで間違いが来たことがある
普通に真面目そうな仕事のアポ的なやつ
どんな人なのかちょっと気になったよ
今は街ぐるみのクリスマス・イルミネーションだけど
昭和の頃は、それぞれのデパートが巨大な電飾やってたなぁ
どこのデパートにも大きなクリスマス・ツリーがあってさ
今のデパートの元気のないこと…
昭和のサラリーマンのオッサンたちは、クリスマス・イブになると
行きつけのスナックやパブやキャバレーで、
キンキラキンの三角帽子に、鼻メガネつけて酒飲んで騒いで…
家で過ごすお父さんが増えたのはいいことだけど、
クリスマスの喧噪がなくなったのも、ちょっと淋しい
日本全体に活気がないよね
活気ねえ…やたら昭和賛美して「若者の○○離れ」「遊ばない若者たち」みたいなのもどうかと思うけど。
悪いことがかっこいい!みたいに思ってる昭和のおっさん多いし。
900 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/23(木) 04:11:36 ID:lGLIZdbj
昔は有名人が問題起こしても、あるいはウケ狙いでかなり変ったことをしても許される空気があった。
今はなんでも抹殺抹殺で良くないと思う。
>>899 迷惑喫煙を注意されて逆ギレするのもおっさん世代
その点に関しては若者のほうが聞き分けがいい
>>900 一定期間の謹慎がお約束、みたいな風潮なんだけど?
伝統や世襲に守られた世界ではぜんぜん有効。
糞海老だな。いつからだろう、「無期限」って言葉が「すぐ復活するよ〜ん」の
意味になったのは。
そういやあ、今みたいに携帯電話が普及してからだよな、赤ん坊から電話がかかってくるようになったのはw
昔のダイヤル式ではありえなかったことだしプッシュホンでもなかったことだけど、
妹からだと思って出てみたら、なにやら赤子が遊んでいる音だけが聞こえるという、
昔の人に話したら心霊現象だと思われそうなことが、多くはないものの不思議ではない話になってきた。
最近の子供といえば「写真は撮ったその場で見られるもの」と思っているのもある。
ネットが元で小学生が同級生を刺殺したり、(佐世保事件)
携帯持ってないやつを騙ってデタラメなプロフやサイトを立ち上げたり
親や教師が思いも付かないネットイジメがはびこったりするのもその一種かな。
佐々木つとむやら破天荒な私生活の芸人がいっぱいいたが、
トドメを刺したのが横山やすしの素行だろう。
家庭や会社に縛られてる一般人からなけなしの金を巻き上げ…
いや、いただいて庶民よりいい思いしてるんだから、
よりいっそう身を慎まなければならないって感じになったな。
とはいえ、ファミレスや100円ショップになんか行く気もないくせに
「すごいね〜」なんて声挙げて芸能人の大衆に共感呼ぼうとしている
すり寄りっぷりには吐き気すら覚えるが。
>>889 ドイツ語理解できる奴の所にたまたま間違いで掛かっちゃったのも笑えるが
叱り返すとは、なかなかやるな。
唐突に思い出した!
レコード会社8社対抗のオールスター大運動会!
そういや昭和だと芸能人の子供が凶悪犯罪に巻き込まれる事件が何件かあったな、誘拐とか殺人とか。
>>904 ああ そうだね
うちの姪(2歳児)もデジカメで写真撮ったらその場で仕上がりを見に寄ってきて
「なんでそんなこと2歳児が知ってんだよ!」と驚いたっけ
911 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/23(木) 11:58:30 ID:DEN8y4JG
有名人に限らず、サラリーマンも。
コンプライアンスとCSR、この2つのために。
>>910 2歳児はソレしか知らないからw
ハワイじゃ子供でも英語喋ってる、って言うようなもんだよ。
その二歳児が「なんでそんなこと2歳児が知ってんだよ!」と驚いたように見えた
>>817 こないだ紅葉狩で久留里線に乗ったら扇風機付いてて驚いた
混んでるときとか冷房に扇風機も付いてると涼しいんだけどな
使ってない時期だからカバーかかってたけど
昔みたいにワリコーとかの広告ロゴは入ってなかったな
地下鉄は冷房入れるとトンネルが熱せられちゃうってんで冷房化が遅く
90年代半ばでも丸の内線はまだまだだったので夏は冷房の入ってる千代田線で通学したりした
もっと昔、地下鉄以外も冷房がついてなくてみんな窓開けてた頃は
車内禁煙じゃなくてボックスシートに灰皿が付いてた
ラッシュ時間帯やロングシートの国電は禁煙だったのかなあ
あと、春闘のストで大手私鉄でも電車止まったり間引き運転になったりしたな
国鉄の民営化後でも大手私鉄のストあったと思う
915 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/23(木) 14:40:17 ID:GvenMvJm
改札口にはそれぞれ係員がいて、切符を切るハサミを持っていた事。
だから何十人もの駅員が改札口にいたわけだ。
916 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/23(木) 15:46:13 ID:DEN8y4JG
今じゃ、サラリーマンもだよ。
コンプライアンスとCSR この2つのおかげでな。
917 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/23(木) 16:39:46 ID:T50I/InV
学校の図書館で見た、バセドウ氏病の絵が怖かった。
ホッテントットの絵を見て、同級生のケツの大きな奴に「ホッテントット」とからかっていたっけ。
918 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/23(木) 18:21:53 ID:zLkzOsxE
昭和最後なんだけど、高校野球で甲子園出てレギュラーだから試合出てテレビに映るんだけどそれだけで地元に帰ればテレビに出た大スター扱いだったな。
二回戦敗退だけど、一番よく映る投手ということで、全然もてなかったのが学校帰ればアイドル並みの人気になったな。
親戚一同が家に訪ねてきたり。
勿論、アイドル並みの人気は冬にはなくなってた(笑)
自宅前とかによく集まってた親衛隊と名乗る女の子達も数ヶ月経てば野良猫すらいない殺風景な景色になってたな。
そして僕は途方にくれる
>>918 ファンの群れの中からうまいこと彼女ゲット!みたいなのは無いのか…
920 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/23(木) 20:06:40 ID:xOr+3x5D
50代だけどまだもてる。少し禿げかかってるんだけど。
性欲ないし、もうもてなくてもいい歳だが。
>>918 俺の母校(札幌市立K高校)も昭和最後の年に、開校以来初の甲子園出場を決めて大騒ぎしたものだ。
その時点で俺はOBだったし一回戦敗退だったけど、自分のことのように嬉しかったなあ。
あまりにも当たり前過ぎてて、今じゃ信じられない昭和のこと思い出したわ。
コンビニが普及する前、個人経営の○○商店てのがそこら中にあり、
会計は爺さんか婆さんがソロバン弾いていたんだよな。
今思えば、あれじゃあ脱税し放題だったんじゃないかと。
そういうお店に製造月日から1〜2週間過ぎたパンなんかが平気で陳列されていたものだけど、
当時はこれが当たり前と思っていたし、万が一腐った寸前のパンを買ってしまったら、
「確かめもせずに買った方が悪い」が常だったからな。
今では逆に、個人経営の○○商店は絶滅危惧種として価値があるw
昭和60年頃、近所の○○商店で石鹸を買いに行ったら、棚の奥にホコリまみれの
「ミツワ石鹸」が置いてあってビビッた。ミツワ石鹸は昭和50年に倒産しているので、
10年以上デッドストックされていたわけか・・・
>>917 なぜかホッテントットってメジャーだったよねw
それで商売として成り立って暮らしていけたのもすごいよな。
それだけ在庫抱えられるほど売れるモノの利幅はあったんだろうな。
「ジェスチャー」 というTV番組で、両チームのキャプテンが水之江滝子と柳家金五郎。
お題を身振りだけで当てさせるのだが、ホントに上手かった。
「七輪の上でそっくりかえっているスルメ」 の身振りとか抱腹絶倒もの。
柳家金五郎が 「怒髪天を突く」 のお題を失敗したのもご愛敬だった。
金語楼な
途中まで当てさせてから、「それは置いといて」のジェスチャーは全員共通のお約束だった。
「月?」「バンザイ?お手上げ?耳?」「跳ねてる」「ウサギだ!」これを指して「当たり」のポーズして
『それは置いといて』と荷物を左から右に移す動作。みんなそれに合わせて「それは置いといて」と合唱
「食べてる?」「餅?」「うさぎの餅つき」「違う?」「うさぎが餅を食べてる」←「当たり」
「苦しい?」「あー、餅を食べてのどに詰まらせたウサギ!」←「大正解」
>>908 CBSソニー
東芝EMI
ビクター
テイチク
あと何だっけ
間違ってもエイベックスなんかないわなw
エイベックスといえば貸しレコード屋は法律のグレーゾーンだった
ソフマップとかドスパラ(サードウェーブ)は当時灰色だったパッケージソフトのレンタルが本業だったねえ。
>>921 昭和の話じゃないけど
数年前、知り合いが沖縄に行って、そんな「おばあ」のいる個人商店で
菓子パンを買ったら痛んでたそうで、怒ってその店に行ったら
「あー、菓子パンはすぐにだめになるねえ あはは」
という対応をされて衝撃を受け「そういわれてみればそれもそうだなあ」と
思い、一気に沖縄が好きになったそうな。
>>929 テイチクは入ってないと思う
あとはコロムビア、ポリドール、キャニオン、徳間音工、RVC
「さあCBSソニーは何点?」とか高橋圭三が言うんだな
>>929 細かいことだがレコード会社としてのビクターは、ぜひ「ビクター音楽産業」と書いてほしいところ
ソニーじゃなくてCBSソニーなのといっしょ
結婚した年の年末、12/30,31と2人で山へ行き、夕方スーパーへ行ったら
蒲鉾も卵焼きも焼き豚も、全て売り切れで、納豆だけの新年を迎えた。
936 :
名無しさん:2010/12/24(金) 14:36:21 ID:JOjMhcp2
納豆だけw
>928
あと、「の」をあらわす場合は自分の喉を指さすのもお約束だった、
あれは今やったら絶対通じないよな。
938 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/24(金) 17:22:00 ID:vS6J3oYi
大学に行きたかった。そして、年末も山とかスキー場とかで仲間と過ごすような生活をしてみたかった。
年末は紅白、それ以外無し!の家庭だったし、自分はそれに従ういい子だったからなあ。
それは置いといて
940 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/24(金) 20:45:30 ID:eqNEv5E2
近所の個人営業の電気店は今だに看板に カラーテレビ って掲げてるな
近所の賃貸物件であったのが
間取り2DK 風呂有り
イチイチ風呂有りを強調しなくても付いてるのを前提として考えるよな
今住んでるアパートに引っ越す前に地元に根付いた業者の方が穴場がありそうな気がしてそこの不動産屋にも行った事あるんだが
そこのスーパーの裏の○○荘、あそこにすっか?
ファイルで検討させてくれるとばかり思ってたからだいぶ面喰らったわ
結局大手の不動産屋で決めたけど昔はみんなあんな感じだったんだろうな
振り返れば、ああすりゃよかった、そうすりゃよかったの連続で歳とってきた。
ってのは誰でも同じようなもんだろうね。
>>929 キングレコードも入ってるんじゃないかな
と思ってwikiを見たら、
>1931年に講談社(旧大日本雄辯會講談社)の音楽部門として発足した
だそうだ
>>942 大正末期から戦時中にかけての最大の人気雑誌として大衆出版界を席巻した、
オールラウンド娯楽雑誌「キング」
からスピンアウトして
戦前のメディアミックス戦略に活用されたレーベルですな。
>>941 選ばなかった二択の片一方の先に何があったかなんてわからないもんな。
多分そんなに変わらないんだけど、バラ色だったのかもって思うよな。
でも、悲惨だった可能性もあるから考えようなんだろうなあ。
スレの方向とは逆なんだが、子供って変わらんところは変わらんなあ、と思った話
小学生1,2年生の甥姪に「ボギー大佐(クワイ河マーチ)」を聴かせたら
嬉々とした顔で♪サル・ゴリラ・チンパンジーと歌いだしやがったw
携帯電話やデジカメがあたりまえになっても、こういうのは受け継がれていくんだねえ
ちなみに聴かせてみた理由は「知ってるだろうか」と思ったためなんだが
946 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/25(土) 13:26:17 ID:q7whGAui
坊さんが屁をこいた
インド人の黒んぼ
今の子は知っているかな?
>>945 嬉しい限りだw
あれ、なんで♪サル・ゴリラ・チンパンジーなんだろうね?
>>945 第一次大戦初期のイギリスで、ゴルフでボギーばかりのプレーヤーを揶揄する曲として作られ
→第二次大戦で連合国側では「ヒトラーのキンタマ」という替え歌にされて戯れ歌として歌われ
→それが第二次大戦映画の「戦場にかける橋」(1957)でテーマ「クワイ河マーチ」として日本でも知られ
→1960年代のNHK「みんなのうた」で無難なこども向け歌詞を付けられたが
→生き残ったのは「サル、ゴリラ、チンパンジー」
今の子でも知ってるのが驚きの替え歌ってあるよな
こないだ友人の子供(8歳)が
♪インドの山奥 出っ歯のおっさん ガイコツかぶって 死んじゃった♪
とレインボーマンの替え歌唄ってて吹いたわw
「他にも知ってる歌ないか?」と唄わせてみたら、得意げに
♪ABCの海岸で 蟹にチンチン挟まれた
いてーいてー放せー放すもんかソーセージ
赤チン塗っても治らない 青チン塗ったら毛が生えた♪
と、俺の知っている替え歌と一言一句変わらず唄ったのには驚いた
いったい誰が伝えてるんだw
口伝えしてゆくうちに、伝言ゲームみたいに歌詞が変わることもある。
自分の頃は「明かりをつけましょ爆弾に お花を上げましょ枯れた花」今は、「明かりをつけましょ爆弾に
ドカンと一発禿げ頭」だ。
あーららーこららーいーけないんだーいけないんだー
952 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/25(土) 15:47:55 ID:BLKGx+5A
>>949 俺の知ってるバージョンは…
♪ABCの海岸で 蟹にチンチン挟まれた
痛いぞー放せー、放すもんかソーセージ
赤チン塗っても治らない 黒チン塗ったら毛が生えた♪
だったw
>>952 俺、その歌知らないけど何歳?俺は40歳
>>950 その歌詞は初耳だな。
明かりをつけましょ消えちゃった・・・・
お花を上げましょ枯れちゃった・・・・・
五人囃子も死んじゃった・・・・・・
今日は悲しいひな祭り・・・・・・
955 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/25(土) 17:45:25 ID:BLKGx+5A
>>953 (;-ω-)・・・・・ 大阪万博に行ったのが小1の夏休み
加齢臭が充満してるw
ID違うけど953ね
>>954 明かりをつけましょ爆弾に お花を上げましょ枯れた花
五人ギャングに頃されて 今日は悲しいお葬式 でした。
地域によってバリエーションは色々あるし、転勤族の子女が自分の地域ではこうだった
と伝え、そっちの方が面白いとそれが広まったりごちゃ混ぜになったりもあるみたい。
>>959 明かりをつけましょ仏壇に
だったな。それ以外は一緒だ
もーいくつ寝るとお正月 お正月には餅喰って
腹をこわして死んじゃった
早く来い来い霊柩車
>>954 明かりをつけましょ爆弾に お花をあげましょ豚の鼻
五人囃子の人殺し 今日は悲しいお葬式
だった
たぶんよく書かれてることだろうとは思うけど、祝日に玄関先に国旗を掲げる家は今無いな。
正月に車に日の丸だのなんだのってのは、ただのDQNか…。
>>961 その餅の替え歌あったなぁ。懐かしい。
もーいくつ寝るとお正月 お正月には餅喰って
喉に詰まって死んじゃった
早く来い来い霊柩車
なら、毎年恒例にあるわけだが。
>今日は悲しいお葬式
今日は楽しいお葬式 だった。子供って恐ろしいw
便乗して、今の子供ってジャンケンの軍艦って知ってるんだろうか?
小さい頃は何も気にしないで遊んでいたけど、
ハワイ真珠湾攻撃がネタになってると気づいた時は「!」と思った。
>>963 軍艦ハワイ朝鮮じゃんけん、自分も意味わからずやってた。
でもそれをやると母親がしきりに嫌な顔をするのでなんでだろう?と思ってた。
意味がわかった時に、母親がやめなさいと言ってた意味もわかった。
別に母親は左じゃないですが。
>>964 チョキが朝鮮の場合と沈没の場合があるんだよね。
ウチの近所は沈没だったから、モロにそのまま「あ〜、そういうことか…」と。
軍艦・破裂・沈没 だったな@神戸
野沢直子のアルプス一万尺の替え歌を小学生が歌っているのを最近耳にして、
意味が分かってなきゃいいんだが、いやもう少しして意味が分かって来たら床を転がるくらい恥ずかしくなるんだろうかと悶々とした。
野沢直子の?
968 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/25(土) 20:40:31 ID:urqt/G6Z
あかん。全然わからん。
「ハイジがペーターにやられてる♪」ってやつじゃないの?
小学生でも低学年なら分からないけど、高学年なら知ってて歌ってるかもね。
似たようなので、「静かなホテルの3号室で 男と女の声がする♪
アハ〜ン イヤ〜ン そこはダメよ♪」ってのもあったな。
その辺の替え歌ってドリフターズで覚えたような気がする
もーいくつ寝るとお正月
お正月には足上げて
うーでを回してあそびましょー
歳がバレるか。
♪カラスの勝手でしょ〜
>>959 第2フレーズめだけ違って
ドカンと一発吹っ飛ばせ
だった
「お正月」は
>>963と同じ
「軍艦」は関東に住んでたときは「ハワイ」と「朝鮮」か「沈没」で
西日本に引っ越したら「破裂」と「朝鮮」か「沈没」だった
万博年生まれ
>>962 祝日にはあげないけど今でも正月には日の丸揚げるよね
こうして見ると「森トンカツ」が絶滅してるのが悲しいな
森トンカツ 泉ニンニク かーコンニャク まれテンプラ 静かニンジン 眠〜ルンペン
ブルーブルーーー ブルーシャトー
流行ったときはシャボン玉ホリデーの番組中でも歌ってたな。
明かりをつけましょ100ワット お花を上げましょ若の花
5人囃子の愚連隊 今日は嬉しいなぐり込み でした@ネリマ区
ボーロー シャツーじゃないの?
ボギー大佐の思い出
中学のとき吹奏楽部でさ、地元の小学校の学習発表会(学芸会)で演奏させてもらってて、俺が中2のときボギー大佐をやったんだ
そしたらガキども、いっせいに♪サルゴリラチンパンジーって歌いだしやがって演奏しながら笑ってしまってたいへんだったわ
中学校の校区にふたつある小学校を隔年でまわっていて、翌年はもうひとつの小学校で、道化師のギャロップを演奏したら。
今度はいっせいに「知ってる!」「知ってる!」「運動会!」って、やかましかったw
指揮してる顧問が「狙い通り」って感じでニヤニヤするのが、またおかしくてな
ちなみにこの曲な
http://www.youtube.com/watch?v=BIkcSZFInaY
カニにはさまれる唄というと、筒井康隆の昔のエッセイで
「♪西郷隆盛はじめて江戸に出たときに
カニにキンタマはさまれて
あいたたたーのこん畜生の
でも気持ちよかったでごわす」(うろ覚え)
という歌で父親にキンタマを狙われた。
今はこの唄で息子のキンタマ狙っている
というものがある。どういうメロディーか知りたいものだが
もう親父になっているであろうその息子も歌い継いでいるのだろうか
画伯となった筒井伸輔に訊いてみたいもんだね。
♪おいかけ〜て、おいかけ〜て、うしろか〜らぶ〜つの〜
これは「ひっよっこりひょうたん島」でのザ・ピーナッツの替え歌。
近所の公園で釘刺しやってる子がいて懐かしかった
私は親父に教わったクチだが、その子達はおじいちゃんにでも教わったのかな
丑の刻参りかと思った
今は線路に釘置いたりできないから、丸いままの釘でだよね。
釘刺し、なにそれ?!と思ってぐぐった。初めて知った。自分も丑の刻参りの類かと思った。
ビー玉、メンコ(大、中、小、ミニ、四角)などあったね。
最近はベーゴマがリニューアルされてアニメにもなっている
>>984 最近の公園って、あれはしちゃいけません、これもしちゃいけません、危険だから遊具も撤去します、なんで、
そういう規制の中でできる遊びを親や祖父母に聞いたところ釘刺しを教えられた、ということかも、と思ったりもした
990 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/27(月) 11:01:22 ID:gbfDjsNg
あれもいけないこれもいけない、と言っている世代は、自分等はさんざん遊んだ世代だろうがなあ。
「残酷な替え歌を歌うのも禁止ざますムキー!!」ってほざいてるバカを見たことがある。
992 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/27(月) 12:27:28 ID:MvT8cKqv
釘刺しって垂直ダーツだな。
昔はブスをテレビに出さなかった。
出る場合はコメディリリーフ限定だった。
いまはブスを売り物にして出す。
醜いことを売り物にするのはサベツでないのか?
994 :
おさかなくわえた名無しさん:2010/12/27(月) 13:50:30 ID:2hyA5NT3
クシャおじさん、も今では放送禁止かな?
大巨人とか小人症とか巨大おっぱいの人とかも。
クシャおじさんは、大丈夫な気がする。
白木みのるのほうがやばそうな気がする。
アルプス一万尺を「○○クソバカ夜中にションベンしてオーストラリアの地図描いた♪」
という囃し歌にしてたんだが、元歌はむしろこの替え歌に近いと知って驚いた。
>>995 みのるさんは、本当に第二次性徴前で骨格も筋肉もストップしちゃたって感じで、他の小人症とは違ってたね。
トレンディ・ドラマ(死語w)以降、
美男美女ばかりドラマに出しているから
30代半ばから40代にかけての「味のある役者」がいないよな。
話題のドラマはジャニーズ、コメディは芸人…
明るく楽しく、たまにホロリとさせる…
昭和のホームドラマは良かったなぁ
韓流最高とか言わないでよw
1001 :
1001:
.................................. ── ....................................................
........................../ \..........................................
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次スレへ行こうね うん
∧_∧ | ̄ ̄| | ̄
 ̄ ̄| (::: ´∀) ∧_∧  ̄ ̄| |  ̄ ̄ 1000を越えたのでもう書けません。
 ̄ ̄(::: つヽ(∀`::)  ̄ 新しいスレッドを立ててください。
..___ |::: | | ( o ::)ゝ . ._____
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/ ..... 三三 三 ... .. \
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