長谷部のネカマ連載は2005年ごろだっけ?
今もやってるけど
936 :
法の下の名無し:2009/11/20(金) 20:40:53 ID:WeQSsmkr
発売日変わったね。
937 :
法の下の名無し:2009/11/21(土) 13:51:24 ID:SqQksEAj
法学教室1999年6月号「議会制の背後仮説」石川健治。
議院内閣制に関しては最初に論じたのが20世紀初頭の公法・国際法学者R・レズロープによる
「議院内閣制―その真実の形と不真性の形」だといわれる。ここでは有名な「均衡本質説」と
「責任本質説」にも触れられているそうだ。
しかし、彼が論じたのは実は「君主」についてだった。統治の形式(いわば政体)と、その生命原理
(いわば国体)に区別し、統治の形式として共和制と君主制を区別し、民主政は生命原理のレベルの
問題であるとした。そして、民主政と共和制は意外とそりが合わず、君主制の方が民主政にとって
有利な形式であると論じた。
イギリスを例にとれば、イギリス国王はその地位を多数派の党派によって正当化されているわけでは
なく、したがって下院に対して責任を負わず、また解任もされない。だが、それだけにむしろ、民意の
開明的な解釈者=再演者として中立的に振る舞い、精神的な統合力を行使して、元首としての役割を
総じて果たしてきた。
一般に「執政権」のように国家指導的な政治の作用は非常に流動的で、枠にはめることが難しい。その
ために、法律と違って正当化が難しいのだ。執政権者のリクルートメントに国民が関与する形態(首相
公選制)も、民主的=政治的にその執政権を正当化する試みだ。「議会に対する政治責任」を負わせる、
というのも正当化の試みなのだ。伝統的に国家元首が行使してきた執政権に関しては、元首の人格的
統合力や、執政権が実質的に内閣に移ったあとにも、国家元首の制度外の人格的・精神的な水準が、
民主政の、そして議院内閣制の成否を握ると言ってもいい。この問題は現代においても課題とされている。
938 :
法の下の名無し:2009/11/21(土) 13:52:13 ID:SqQksEAj
法学教室1999年7月号「民主制における政党と結社」高田篤より。
国民は十分な影響力を持っておらず、政党を通じてようやく国民として自らを解放することができる。
これが政党の基本だ。わが国で政党が法制度とされずに「結社の自由」に含まれたのは「個人→結社→
政党」という仕組みによって、遠い存在である政党をこのように説明したものとされる。
工業化がわが国で進展したが、政治学者の升味準之輔教授によれば、第一次産業就業人口が
四割を切ると(農民四割社会)、家族の擬制よりも、政党による多元的な諸集団の対立・調整・均衡
が図られる時代になるとされる。ドイツは1880年代に、日本では1950年代にその時代となった。
ドイツでは政党法制が出来上がったが、日本ではその時間もないままに次の段階を迎える。
升味教授によると、第一次産業就労人口が10%程度になり、第二次産業就労人口が50%を超え、
社会構造が変化すると、政治体制は変動し始めるとする。日本は1970年代にこの時代を迎えた。
政党が組織力を減じ、利害が特殊利益団体によって媒介されるミクロコーポラティズムが発展した。
ひとつのテーマに特化した社会運動・市民運動が勃興した。社会や個人が「断片化」したのだ。
そこで政党のあり方も変容した。内部に異質なものを抱えながら、政治的コミュニケーションを活発化
し、透明化することが求められたのだ。
1994年の「政治改革」を通じて「政党」を正面から規律する諸法律が生まれたり、NPO法が成立
したりしたことに見られるように、政党や結社に対して権利付与や助成を行ったりした。
政党にも政治的コミュニケーションの確保が求められ、そのコミュニケーションは「量」と「時間」が
求められる作業となった。理想的な政党や結社は存在しない。大事なのは成熟した政治文化を作っていく
ことなのだ。
939 :
法の下の名無し:2009/11/21(土) 13:53:01 ID:SqQksEAj
法学教室1999年5月号「代表・民主制の基底にあるアポリア」岡田信弘
国会とはどういうものだろうか。まず基礎教育においては「みんなの代表者を選ぶもの」であると教わるだろう。
さて「みんなの代表者を選ぶ」とはどういうことであろうか。古くはフランス革命を準備した哲学者
によって論じられた。見事なコントラストをなしているのがモンテスキューとルソーであろう。
モンテスキューが求めたのは政治的自由の確保であり、人民は自分自身でなしえないことを代表者を
通じて行うと理解する。代表者の独立性を求め、「国民の気まぐれ」によって代表者の意思決定が阻止
されないような仕組みが好ましいとした。彼は「アテネのような直接民主制」を理想とする言説を否定
したのだ。モンテスキューにおいては「民主制」的要素はきわめて希薄なものとなった。
一方、ルソーは「人民の最後の一人までを救済することを目指した民主的な国家」を主張した。人民の
代議士は人民の代表者ではなく使用人であるとする。主権は譲り渡せないし、一般意思なるものも
代表不可能であるとするのだ。フランス憲法史における「代表性」と「民主制」の結びつき方の具体的
ありようはモンテスキューとルソーの対比から説き起こされるのである。
フランス革命においては、1791年憲法を正当化する最も体系的な議論を展開したのがシエースで
あった。シエースはフランス人民は法律の作成に関与するだけの「暇と教養」を持っておらず、代表者
の自由を極めて広範に認めた。これを真っ向から批判したのがロベスピエールである。ロベスピエール
もその一員であったモンターニュ派の指導のもとに作成された1793年憲法において、法律を議決
するのは立法府ではなく主権者たる人民であるとされ、立法に関しては人民拒否権たるレファレンダムが、
また憲法改正においては人民のイニシアチブが認められ、立法府の権限は「法律を提案し、デクレを
議決する」ことのみであるとされた。モンテスキュー→シエース。ルソー→ロベスピエール。という系譜があるのだ。
940 :
法の下の名無し:2009/11/21(土) 13:53:49 ID:SqQksEAj
以上の、フランス革命期の議論が第三共和制の下でエスマンによって整理された。エスマンは
「二つの統治形態」という論文の中で「純粋代表制」と「半代表制」の区別を提唱した。
「純粋代表制」は「古典的代表制」ともいわれ、直接民主制が司法権・行政権で事実上不可能で
あることや、立法権に関しても大きな国では不可能であるという現実を見据え、シエースがかつて
憲法制定国民議会で論じたように、国民が諸権力の行う行為のいかなるものにも直接介入することは
できない、とするのだ。代表者は自由に委託者たる国民の制約を受けずに行動することができるもの
であると俺は理解した。
しかし、エスマンは、フランスの現状を見る限り、一院制への傾向、命令的委任の禁止の緩和傾向、
レファレンダム導入の傾向、少数代表制の展開などがあり、純粋代表制とは別のメカニズムの存在
を認識していた。
カレ・ド・マルベールは、この、第三共和制憲法を「厳格な代表制」とはとらえずに、「半代表制」
ととらえた。そして、その「半代表制」のもとでは「選挙人団と議員団という二つの団体の意思が
影響しあい、相互に浸透しあい、しかもお互いに支えあいながら、両者のいずれも他の関係において
絶対的、不変的かつ排他的優越性を持たない」という意味において「両団体が有機的一体性を形成
する」としたのだ。
ここでも、モンテスキュー→シエース→エスマンの系譜が明確になり、ルソー→ロベスピエール→
カレ・ド・マルベールの系譜が明らかになる。
わが国においては、憲法43条1項における「全国民の代表」に関する通説的見解は、両系譜を
折衷する形で展開してきている。つまり「政治的代表」と「半代表」の両契機を含むものとして
「全国民の代表」を解釈しているのである。「代表制」と「民主制」の微妙なバランスの上に成り立つ
議論として位置づけることも可能であろう。
941 :
法の下の名無し:2009/11/21(土) 14:09:05 ID:SqQksEAj
「カルテの証拠保全」法学教室2002年1月号「民事訴訟法講義ノート」高橋宏志より。
「白い巨塔」でたまたま見たテーマなので、この際まとめておこうと思う。
証拠保全とは、訴訟での証拠調べ期日を待っていたのでは、証拠方法の使用が不能または困難に
なる場合、本来の訴訟手続きとは別にあらかじめなされる証拠調べ手続きのことである。
現行法上は、証拠調べの前倒しとして構成されている。証拠調べの方法は、証人尋問、鑑定、検証
に限定されず、当事者尋問も書証も含めてすべての方法で可能である。証拠調べであるから裁判官が
行う。申立てに当たっては、相手方当事者の表示、証明すべき事実、具体的な証拠方法、証拠保全の事由を
疎明しなければならない。証拠保全をするという決定に対しては不服申し立ては許されない。証拠方法
が紛失する可能性があるからである。ここでは「カルテ(診療録)」に限って論じたい。
文書が改ざんされるおそれというのは証拠保全の事由となりうるが、広島地裁決定昭和61年では、
「抽象的な改ざんのおそれでは足りず、当該医師に改ざんの前歴があるとか、当該医師が患者側から
診療上の問題点について説明を求められたにもかかわらず相当な理由なくこれを拒絶したとか、あるいは
前後矛盾ないし虚偽の説明をしたとか、不誠実・責任回避的態度に終始した」場合などに「改ざんの
おそれ」が認められるとした。
診療録の保全は検証であるとされ、写真撮影しまたはコピーを取って記録に綴じておくのである。書証
として意味を読み取ることまでは行わないことを意味する。
また、証拠保全決定の執行官による相手方への送達は、現場(病院)での検証開始の直前、30分前か
一時間前になされるのが通常である。相手方としては不意打ち的に実施されてしまい、防御権に欠け、
相手方の目に触れる必要のないものまで対象になってしまうという指摘もある。
大事なのは、証拠調べは裁判官が行うということだ。それを本案の裁判所に送付するのだ。
942 :
法の下の名無し:2009/11/21(土) 14:51:34 ID:f/1G5Mok
>>936 発売日に関してですが、現在でも誌面には「1日発売」と書いてあって、実質、書店に出るのは
「20日」ですね。
2月号から「28日発売」というのは「誌面上の表示」と「実質」のどちらでしょうかね。
2月号というのはお正月休みの都合で、編集部がいちばん大変な号だといわれています。
おそらく「8日遅らせる」という意味だと思うのですが。
943 :
法の下の名無し:2009/12/04(金) 18:45:38 ID:nyXNLmH3
これは非常に重要な民事訴訟理論ですので、ネタバレ解禁前ですが書くことにします。
「宗教上の紛争・理論の新展開」
包括宗教法人(日蓮正宗)から擯斥処分を受けたあともなお被包括宗教法人(蓮華寺)の寺院建物
などを占有する従前の住職に対して、日蓮正宗が寺院などの明け渡しを請求するとともに、従前の
住職が右擯斥処分の無効を求めた事例がある。この処分の理由が、従前の住職が「異説を唱えた」
ことにあるとされたことから、宗教上の紛争に裁判所がどのように応答すべきかが問題となった。
「当該訴訟自体は当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係に関する訴訟であっても、
宗教団体内部においてされた懲戒処分の効力が請求の当否を決する前提問題となっており,その効力
の有無が当事者間の紛争の本質的争点をなしている」ため「教義、信仰の内容に 立ち入ることなくして
その効力の有無を判断することができず」「その実質において法令の適用による終局的解決に適しない
ものとして、裁判所法3条にいう『法律上の争訟』にあたらない」と判示した。
(最二小判平成元・9・8民集43巻8号889頁)
この紛争は建物明け渡し紛争であったり、代表者の地位確認の紛争であったりするが、宗教上の論争が
訴訟物レベルではなく前提問題レベルであっても裁判所は宗教法人の内部紛争に介入しないという立場
が明確になった。
このことはむしろ、宗教法人の組織としての処分の実効性を失わせ、宗教法人の自律性が侵害されること
になるとも言われている。
これに対して、翻案判決を下すべきであるという説が唱えられ、2つの学説が存在する。
主張立証責任論」「自律的決定受容論」である。
「主張立証責任論」は、今までの主張立証責任の民事訴訟ルールにしたがいながらも、宗教問題が主張
されたときは「主張がないもの」とみなす考えである。
「自律的決定受容論」は、要件事実自体を、宗教法人内部でなされた自律的決定・処分がその 法人内部
で了承されているかどうかという点に変え、了承されている場合には、その自律的決定を前提問題として
受け入れて本案判決を下すというものである。
両説の具体的立証事項や、批判なども説明が必要だが、とりあえず以上の議論が存在するのだ。
「法学教室」2009年12月号民事訴訟法演習・中島弘雅より
944 :
法の下の名無し:2009/12/05(土) 17:41:31 ID:L1EBiy0H
行政法の巻末演習でいいのってなんかあった?
945 :
法の下の名無し:2009/12/08(火) 10:52:34 ID:tq6B/tKd
演習は3月号でも目次が出ないので検索不能なのがつらいですね。昔は検索できたんですよ。
どの演習がいいかは分からないですね。しらみつぶしに事例を当たるという意味では、全部読む
というのがいちばんいいような気がします。
出題者によるよね
947 :
法の下の名無し:2009/12/10(木) 18:37:24 ID:fTObPldz
2004年と2005年は演習も含めていい連載多いね。
長谷部、野沢、安念、加藤雅信、山口、佐伯、刑法リレー、落合、弥永、山本弘、酒巻、宇賀
すげぇラインナップ。
948 :
法の下の名無し:2009/12/14(月) 12:15:53 ID:1sn8cok6
ベーシック行政法って宇賀本とどこが違う?
949 :
法の下の名無し:2009/12/18(金) 17:01:18 ID:qohwgaMr
表紙
950 :
法の下の名無し:2009/12/18(金) 22:20:06 ID:XqDDvUAC
ベーシックに表紙ねーだろ
951 :
法の下の名無し:2009/12/21(月) 16:19:32 ID:J8tnUY3b
経営
日本では一般にコレステロール値が高いと言うのは
総コレステロール値が220以上の場合を指す。
これは日本動脈硬化学会が作成した「動脈硬化性疾患診療ガイドライン」が大きく影響している。
1980年代まではこの基準が250から240になっていたが、
これは95%の人がこの基準値以下で健康であったためである。
1987年に日本動脈硬化学会が「コンセンサス・カンファレンス」で基準値を220としたため
これ以降は220が使われている。
220が科学的な妥当性を欠いているという意見は決定以降も多数あり、
6年間・5万人を対象に行なわれた「日本脂質介入試験」の結果も
240を境に有意に心臓の冠動脈疾患のリスク上昇を示していたが、
結果として2007年現在も220が基準とされている。
一度は1999年に240への改定の直前まで行ったが、日本動脈硬化学会内の
改定反対派の主張する「220がすでに定着しており、変更すれば
医療現場に混乱が起きる」という意見が通り見送られた。
240を採用すると患者数が半減するため、病院経営の危機を招くとする
判断が働いたのではないかとする見方がある。
また、220の基準でスクリーニングに掛かって診察を受け、
動脈硬化疾患などの病気と診断された後は
治療目標値がなぜか240といきなり緩和される逆転現象がおきてしまうという、不合理な状況にある。
953 :
法の下の名無し:2009/12/29(火) 18:08:02 ID:rAxxL0xm
ネタバレ解禁のバックナンバーからの要約です。
954 :
法の下の名無し:2009/12/29(火) 18:08:50 ID:rAxxL0xm
「衆議院の解散は憲法第7条によって行われる」
1948年に衆議院の解散が行われている。この時は占領下であり、解散に関する議論が
まとまっていなかった。憲法69条の「内閣不信任案が可決された場合」にのみ衆議院は
解散されるのではないかという主張にGHQのホイットニーが同調してしまったために、
野党8会派が連合して不信任案を提出し「憲法第7条と69条により」解散されている。
これは「馴れ合い解散」と呼ばれている。
しかし、1952年4月28日に主権を回復したわが国では、自由党に吉田派と鳩山派が
あったのだが、鳩山一郎は公職追放解除を受けて、早く解散して議席を獲得したかったのだ。
1952年8月26日に吉田茂は国会を召集し、2日後に閣議で解散を決めている。
わが国で初めて「憲法第7条により」解散が行われた。
このことが苫米地訴訟という訴訟で解散が有効であるかが争われたが、最高裁判決の
半年前に砂川事件で自衛隊に関する「統治行為論」を最高裁は示しており、その解釈は
苫米地訴訟にも及んだ。もはや憲法7条により解散が可能であるというのは政府の
共通認識となっていた。
955 :
法の下の名無し:2009/12/29(火) 18:11:05 ID:rAxxL0xm
「教科書裁判の『侵略』について」
文部省はいわゆる15年戦争を含めた日本の大陸侵略を、教科書検定において「侵略」ではなく
「進入」と書かせていた。1982年に中国の外交ルートを通じてその不当性が非難され、当時の
中曽根康弘内閣はその「侵略」性を認めた。それが検定にも影響して、教科書にも「侵略」を書く
ことが認められるようになった。
政府見解が「侵略」という記述を認めたことから、今まで「侵略」と書くことができなかったことに
耐えてきた家永三郎氏は国家賠償を求める第三次家永訴訟を起こしている。
家永裁判の主な点は、家永氏が「戦争を暗く表現しすぎている」という点に求められている。
細かい点では、太平洋戦争を「無謀な」という表現を使ったところに文部省が修正を求めたこと
などが重視されているようだ。
最近の教科書では昭和期の日本の大陸侵略を「自衛のために必要だった」などと書いた教科書
が検定に合格している。
家永裁判は、第一次訴訟(国家賠償請求権)が1965年提訴、第二次訴訟(行政処分取消訴)
が1967年提訴と、ずいぶん古い話なのだが、それは「戦争を暗く表現している」や「無謀な」
などという点を争点とした裁判だったのだ。
ところが、中国の外交ルートを通じた批判に中曽根が応じたことから、第三次訴訟は1984年
の提訴となっている。このときの話が「進入」「侵略」論議だったのだ。われわれが通常知っている
のは第三次訴訟だったのだ。
956 :
法の下の名無し:2009/12/29(火) 18:18:44 ID:rAxxL0xm
大村敦志の雲右衛門事件からの概要です。
「鳩山一郎と芸能界」
桃中軒雲右衛門事件という事件があり、浪曲のレコードをコピーして販売した行為が不法行為
に該当するかが争われた。雲右衛門の声は美しく、抑揚もあるものの、楽譜をもとに演奏した
ものではなく、即興としてなされたものであるとして、著作権の保護が与えられなかった。
ベルヌ条約の「芸術」(アーティスティック)の概念から言っても、大審院は「浪花節のごとき
比較的音階曲節に乏しき低級音楽」とも言っている。
大正三年の判決だった。大正九年に、鳩山一郎議員が動き、帝国議会で著作権法改正を
提案したが、レコード製作に著作権法が適用されるまでにはいたらず、保護の対象に「演奏歌唱」
の文言が入れられるにとどまった。
鳩山家と芸能界に関してはそもそも鳩山一郎の弟にあたる民法学者、鳩山秀夫が
雲右衛門事件に関連して「蓄音機レコード模写事件に関する意見書」を執筆して
おり、そこには著作権侵害ではなく不正競争による不法行為、しかもこれを人格権侵害
とする見方が示されていたそうだ。のちに鳩山一郎が著作権法改正案を議会に提出した
ことを考えると、鳩山家とレコード業界の関わりの強さがうかがわれる。
かりに、鳩山家とレコード業界の間に何らかのパイプがあったとすると、そこには穂積家
が関わっていたと大村敦志は推測している。鳩山・穂積は親子二代にわたって親密な関係に
あったが、三光堂の松本常三郎が、同郷の穂積陳重のところに(おそらくは陳重の舅に
あたる渋沢栄一を介して)雲右衛門事件を持ち込んだようなので、陳重あるいはその子・
重遠が鳩山への取次ぎ役を果たしたとも考えられないではないとしている。
957 :
法の下の名無し:2009/12/29(火) 18:19:40 ID:rAxxL0xm
明治期の東京の人口は明治11年に107万人、大正元年には276万人だったとされる。
大衆芸能は大劇場・小劇場・寄席を含めてのべ年間500万人が足をはこんだそうだ。
桃中軒雲右衛門が提示した「浪花節=義士伝=武士道鼓舞」のパターンは確立し、
日露戦争後を代表する芸能となる。昭和中期にいたるまで、映画と並ぶ大衆娯楽の王座
に浪花節(浪曲)はついた。
実際に、雲右衛門の浪花節は、彼と親交のあった玄洋社・国竜会系の壮士や大陸浪人
の感化を受けているともいわれ、雲右衛門と密接な関係のあった宮崎滔天も、国竜会の
内田良平と親交があったそうだ。
雲右衛門の義士伝ブームの背景には日露戦争後の不況や労働争議、暴動・大逆事件
などの社会不安があったことは確かであろう。
958 :
法の下の名無し:2009/12/29(火) 18:20:31 ID:rAxxL0xm
桃中軒雲右衛門(1873−1916)の生涯は実に興味深い。判例集では「岡本峰吉」と
称しており、父は結城家の家臣となっていたが、他にも「山本幸造」(父は上州高崎
出身の祭文語り)という説もあるのだ。芸能人生は「20代でこそいったん挫折するが、
30代では大活躍をし、40歳で芸能界の頂点に立ち、44歳で死没した」ということに
なる。
ここでいう「20代の挫折」とは、師匠の女房との姦通、だといわれ、このために宮崎滔天
の助けを得て九州での活動を余儀なくされている。しかし、1907年には大阪道頓堀の
中座に進出し、関西地方を席巻し、師匠の遺族や門弟に詫びて回って東京復帰を
果たしている。
復帰の舞台は本郷座で、歌舞伎座・新富座と並ぶ権威のある大劇場だった。この興行は
大成功で、5日目で「蔵入」(くらいり)したという。蔵入とは経費を取り戻すことで、6日
以降の入場料はすべて儲けとなる。その興行が27日間続いたのだ。
1912年にはついに歌舞伎座の舞台に立つ。彼の浪曲のレコード化が問題になるのも
無理はなかったのだろう。
そもそも「雲右衛門事件」とは、民法の不法行為の要件に「権利の侵害」という文言が
あることから「著作権法上の権利でなければ保護されない」とされた民法学の歴史の
一こまなのだ。今では「違法性」概念、あるいは「過失」概念の論争となっているものだ。
959 :
法の下の名無し:2009/12/29(火) 18:21:26 ID:rAxxL0xm
「レコードの歴史」
初めてアメリカからレコード(平円盤)を輸入したのは天賞堂であった。1903年10月の
ことだ。三光堂はわずかに出遅れたものの1904年1月にイギリスから輸入を始め、
さらにドイツからも輸入先を広げた。やがて国産のレコードが現れる。先鞭をつけたのは
日本蓄音器商会で、1909年(明治42年)のことだ。
コンテンツに目を転じると、明治42年から大正2年までに日蓄から出されたレコード原盤
は920枚にのぼり、唱歌・薩摩琵琶・筑前琵琶・長唄・義太夫・浪花節・端唄・小唄が
レコード化されている。現代と異なり、レコードはまだ流行を左右する力はなく、中産階級
の蓄音器を持っている階層の嗜好が反映されている。明治に全盛の義太夫が大正になると
後退する一方、浪花節が大正になると繁栄する。レコード勃興と浪花節は密接な関係を
持っているのだ。大正期になると松井須磨子の「カチューシャの唄」が二万枚売れ、政治家の
尾崎行雄の演説レコードも売れた。1922年(大正11年)に三浦環の洋楽レコードが
普及し始めるが、同年に「枯れすすき」がヒットし、流行歌というものが出始める。
1932年(昭和7年)の東京朝日新聞は「レコードでいちばんよく売れるのは浪花節で、それに
次ぐのが流行歌」と報じたという。
松井須磨子「カチューシャの唄」、CD復刻版だそうです。いい旋律ですが、時代を感じさせる。
http://www.youtube.com/watch?v=wGoJt9P-yaQ
960 :
法の下の名無し:2009/12/29(火) 20:59:07 ID:gLp+w33C
オパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイオパイ
961 :
法の下の名無し:2010/01/05(火) 08:52:52 ID:0VVHxgpt
「実印と三文判」 高橋宏志・民事訴訟法講義ノート・2001年4月号より。
最高裁昭和39年判決で、文書の作成名義人の陰影が同人の印章によるものであることが
あきらかになった場合は、その捺印が同人の意思にもとづいてなされたものであるという推定
がなされ、その推定の結果、文書の真正の推定が条文からなされる(二重の推定)。
これは書証に関する伝統的判例であるが、印章が実印であるのと三文判であるのとでは
どう異なるだろうか。「三文判では本人が押したという推定はできない」とする説もあれば、
三文判で十分だという説もある。三文判に推定を認めない説には、そもそもこの判例はあますぎる
という批判もあるそうだ。
もちろん「推定」である以上、それを覆す立証は可能である。
印鑑商法では「認印」「銀行印」「実印」の「三点セット」を売っていたのをテレビで見たことがある。
962 :
法の下の名無し:2010/01/05(火) 11:32:43 ID:0VVHxgpt
「保険証のコピー」高橋宏志・民事訴訟講義ノート・2001年5月号より
先日、なじみの病院で、保険証の提示を求められ、両親と一つの保険証を共有しているものの、
一人暮らしをしているために、頻繁に提示することはできない、と言ったところ「コピーでも
かまいません」と事務の人が言うのだ。
この、複写機による「写し」が証拠としてどのような意味を持つかの研究がある。
「写しそのものが原本」なのか「写しによって原本の証拠調べをする」のかという議論だ。
大審院以来の判例として「原本の存在と成立の真正に争いがなく、相手方が写しをもって
原本の代用とすることに異議がなければ」写し(コピー)でもかまわない。とされている。
子供の頃も遠足の時に保険証のコピーの持参を求められていた。
いろんな議論があるが「写しを原本とすることは困難」とする見解や、実務が生み出した法定外
の方式、とする見解がある。
原本の代わりにコピーを提示することは「実務が生み出した法定外の方式」とする見解が無難
であるとされている。
963 :
法の下の名無し:2010/01/07(木) 10:00:02 ID:SVAlRBw0
法学教室2003年7月号・浅田正彦論文より。
「北朝鮮核開発問題」
北朝鮮は1985年に核兵器不拡散条約(NPT)に加入したが、国際原子力機関(IAEA)との間の
保障措置協定をすぐには締結しなかった。北朝鮮は、韓国におけるアメリカの核兵器の存在を
指摘し、その撤去を求めたのだ。1991年にソ連の体制崩壊を受けて、アメリカのブッシュ大統領
は、世界に展開中の地上発射短距離核兵器をすべて撤去することを決定し、ロシアにも同様の
措置を求めた。これによって韓国からも核兵器が撤去され、1992年、南北朝鮮は「朝鮮半島非核化
共同宣言」に署名し、北朝鮮はIAEAとの間の保障措置協定に署名するに至った。
ところがこの際に、北朝鮮がプルトニウム抽出をすでに行っていたことが疑われ、1993年2月に
IAEAは特別査察の要請を行ったが、北朝鮮は3月にNPTの脱退を通告した。これは3ヶ月の猶予
ののちに効力を持つものだったが、6月に「米朝共同声明」によって、脱退の発効の停止という
妥協が米朝で成立した。北朝鮮はこの際に米韓合同軍事演習「チーム・スピリット」は北朝鮮に
対する核戦争のリハーサルであると主張していた。
依然、IAEAとの間では1993年から94年にかけてプルトニウム抽出の問題は存在したが、94年
の5月に北朝鮮が原子炉の燃料棒の抜き取り作業を行い、核危機が再燃する。
IAEAは非医療分野の援助を停止する制裁決議を行い、安保理も動き出した。
6月にカーター前大統領の訪朝が行われ、「米朝枠組合意」が行われた。これは、軽水炉の供与
とともに重油を年間50万トン供給する代わりに、北朝鮮はNPTにとどまり、IAEAの保障措置協定
も履行する、というものだった。この「枠組合意」は政治的な文書であったために、軽水炉の供与の
法的文書として1995年3月「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)」が作られ、2002年に着工
している。
964 :
法の下の名無し:2010/01/07(木) 10:00:56 ID:SVAlRBw0
「ブッシュ政権の登場・悪の枢軸」
KEDOの遅まきながらの進展とは別に、2001年1月にブッシュ政権が発足し、北朝鮮政策の
見直しが行われた。このため、いったん両国の接触は途絶えた。2002年1月の一般教書演説
で、ブッシュ大統領は、北朝鮮をイラク・イランとともに「悪の枢軸」と位置づける発言を行った。
2002年10月になってケリー国務次官補が訪朝を果たした。その際に北朝鮮は、今まで問題に
してきたプルトニウムではなく「ウラン濃縮」による核開発計画を持っていることを明らかにしている。
10月26日に、アメリカは日韓両国とともに、そのような行為はNPT、IAEA保障措置協定、
米朝枠組合意、朝鮮半島非核化共同宣言に違反するとの共同声明を発表した。
同様に、IAEA理事会も「いかなる核兵器計画も放棄するよう」求めた。KEDO理事会は、北朝鮮
への重油の供給を止めた。
北朝鮮は、核兵器用ウラン濃縮計画は「アメリカの一方的主張」とし、米朝枠組合意でなされた
核施設の凍結の解除を表明し、封印や監視カメラを除去し、IAEAの査察員を国外退去させた。
2003年1月、IAEAは「最も強い言葉で」遺憾の意を表明した。
北朝鮮は再度、NPTの脱退を宣言するにいたった。
しかし、同時に、北朝鮮は、NPTからは脱退するが、核兵器を製造する意図はなく、アメリカが核の
威嚇と敵対的政策を放棄するならば、二国間の検証を通じて核兵器を製造していないことを証明
できる、とも述べた。
これが「2003年中頃」までの経緯である。
965 :
法の下の名無し:2010/01/10(日) 17:14:18 ID:N8Nc+afK
「フリーメーソン」
18世紀のヨーロッパで急速に広まった啓蒙主義的な秘密結社である。手工業者や商人
の封建的な営業独占団体であった都市のギルドあるいはツンフトは、近代的な自由市場
経済が広がっていく中で徐々に解体しはじめていた。
共同体の解体は、農村でも進みつつあった。封建的な人間のつながりに代わって、
ヨーロッパ各地で新たな団体である結社やクラブがまさに雨後の竹の子のように生まれて
きた。身分的な秩序が解体していくとともに、人々は政治的な思想、趣味や道楽に応じた、
人との自由なつながりを模索しはじめていたのだ。
フリーメーソンもそうした結社の一つであった。決して「職人組合」という意味ではないのだ。
映画「アマデウス」では、モーツァルトは教養のないお調子者のように描かれているが、
歴史上のモーツァルトはフリーメーソンに加入していた。フリーメーソンを通じて、彼は啓明団
という多くの高級官僚や町の名士が関わっていた秘密結社ともつながりを持っていたのである。
「魔笛」はフリーメーソンにおける入会儀式をもとに作られたオペラであったといわれている。
最後に、墓堀人と神父のほか誰一人埋葬に立ち会うものもなく、他の死者と一緒に無造作に墓に
投げ込まれるモーツァルトはあまりにも惨めであったが、これは一般のウィーン市民にとっては
通常の埋葬方法であった。
ヨーゼフ二世は、埋葬の方法まで啓蒙精神にのっとって簡素に、しかも合理的に行うように
命じていた。モーツァルトは、死に際しても新しい時代の「近代人」を体現していたのである。
法学教室1999年2月号「シネマ法学入門」三成賢次
966 :
法の下の名無し:2010/01/20(水) 20:31:28 ID:eEJH9HIB
「共同訴訟の奥義」法学教室2002年7月号・高橋宏志「民事訴訟法講義ノート」より
共同訴訟には、固有必要的共同訴訟・類似必要的共同訴訟・通常共同訴訟、という具合に
段階分けが可能であるが、具体的にみてみると、その境界はけっこう曖昧である。
共同訴訟は多様な紛争を対象とするものであり、訴訟の規律も多様なものがありうる。
「訴訟共同の必要」の面で考えても、訴訟共同の必要が強く存在する婚姻無効の訴え、
遺産確認の訴えのようなものから、かなり強いといえる総有や合有さらに、共有の共同所有関係
を経て、やや強いといいうる転々移転した登記の抹消請求の類型、強くはないが必要性は存在
する連帯債務者の類型があり、あまり必要性のない保険会社による複数の保険契約者への
保険料支払請求訴訟のようなものへと移行するであろう。
「合一確定の必要」の方も、足並みが厳格に一致しなければならない第三者が提起する
婚姻無効の訴え、遺産確認の訴えから、弾力的に足並みをそろえさせればいい
共有の共同所有関係の訴訟を経て、主張共通の原則が適用される主債務者・保証人の類型へと
移り、主張共通をあまり考えなくてよい複数の賃借人に対する賃料請求のようなものへと移行する。
合一確定の内部でも、自白の規律と上訴の規律、欠席の規律、等々で同じでなくてよい。
自白では合一確定を要求するが上訴では要求しないという事項ごとの相対性が考えられてよい。
現に判例は、株主代表訴訟等の上訴でそこに踏み込んだのである。
訴訟共同の必要性の度合いと合一確定の必要性の度合いの結びつきはパッケージ的に固定的な
ものではなく、事案や事件の流れに応じて変化していくものである。
967 :
法の下の名無し:2010/01/25(月) 16:55:33 ID:DeVU3rTz
「東京23区は地方自治体ではないという伝説」(2003年3月号・地方自治法重点講義・宇賀克也を参考に)
1868年に東京府が誕生し、1871年に廃藩置県が行われ、現在の区部を統括することになった。
1878年に「地方自治体」は誕生したとされるが、このときに自治区の性格を持つ15の区(および6郡)
が東京府の下に置かれた。
1943年に戦時中の中で、府市並立の弊害を除くため、東京府と東京市が合体し、府県の性格と
基礎的自治体の性格を併有する「東京都」が出来た。
戦後、1947年に「特別地方公共団体」としての東京23区が練馬区が板橋区から分離することで
出来上がる。特別区は市に準ずるものとされた。
1952年に区長の公選制が廃止されたのだが、これがのちに、「東京23区は憲法93条2項の
地方自治体ではない」とする最高裁判決を引き出すことになる。
憲法93条2項は「地方公共団体の長はその地方公共団体の住人が直接これを選挙する」とあるのだが、
渋谷区長選挙で、区議会議員が賄賂を受け取ってしまった。自分の罪を逃れるために、議員は「制度批判」
を行ったのだ。
最大判昭和38年3月27日刑集17巻2号121頁。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=28525&hanreiKbn=01 最高裁は「東京都の特別区は、いまだ市町村のごとき完全な自治体としての地位を有していたことはなく、
そうした機能を果たしたこともなかった。このような特別区の実態から見て、1952年の地方自治法改正
当時においても、憲法93条2項の地方公共団体と認めることは出来ない」と判示している。
その後、1981年に「特例市構想」などが生まれたが、事務の移管や財政調整などの問題を経て、
1998年に都と区の役割分担が明確に定められた(地方自治法281条の2)。
この時に、特別区は基礎的な地方公共団体として位置づけられたといえる。
その経緯の抽象的理解から「東京23区は地方自治体ではない」という伝説が生まれたようだ。
968 :
法の下の名無し:2010/01/25(月) 16:56:46 ID:DeVU3rTz
訂正。
>>967は「法学教室2003年8月号」でした。
970 :
法の下の名無し:2010/01/28(木) 23:58:05 ID:BCO98Wh9
971 :
法の下の名無し:2010/01/31(日) 16:48:48 ID:vtgeYGUG
972 :
法の下の名無し:2010/02/01(月) 17:52:05 ID:X3qzBbuX
「JAL・私的整理のスキーム」
先日、会社更生法の申請をしたJALだが、法学教室では、会社法を使った私的整理の可能性
について問うていた。以下、解答例を書いてみました。
実質的債務超過とは、財務諸表上のものではなく、会社保有資産の劣化などによって、実質的に
総資産額が負債額を下回っていると見られる状態を言う。
この状態になると、取引先や従業員が、財や労務の提供を差し控えるとも言う。
一番先に考えるのが金融機関による貸付であろうが、これも困難になる。
そこで考えられる効果的手段が「株式の発行による資金調達」である。これは資金提供者が
会社再建後の利益を確保できるというメリットがあるから使えるのだ。
しかし、既存の株主をどうにかしないといけない。既存の株主をそのままにしておくと、資金提供者
から既存の株主への「利益の移転」がおきる。これを解消しないと資金提供者は現れない。
民事再生法や会社更生法では株主の意思を無視してこれを行えるが、会社法を利用した私的整理
でどのように行ったらいいかの研究が必要だ。
会社が、全株主の株式を無償で取得するためには、全株主の同意が必要だとされる(会社法110条)。
しかし、自己株式取得に関する条文である155条を丹念に見てみると、5号という条文があり、
全株式を全部取得条項つき株式に転換してから取得すれば「全株主の同意」は必要ないことが分かる。
171条をにらみながらこの手続きを使うのだ。
補論:異論のある株主にはどのような救済手段があるか?
この手続きは適法なものであるので、株主総会不存在確認の訴え、は使えない。また、招集手続きや
決議方法の法令定款違反などを理由とした株主総会決議取消しの訴えも認められないことを想定している。
決議内容の法令違反が問題となる株主総会決議無効の訴え、決議内容の定款違反を理由とした
株主総会決議取消しの訴えもここでの問題ではない。
唯一使えそうなのが831条1項3号の「特別の利害関係を有する株主が」議決権を行使して、
「著しく不当な決議」がなされたことを理由とする株主総会決議取消しの訴えだけだとされる。
この判断は司法にゆだねるしかないであろう。会社経営の失敗、そして会社再建を行ううえで、不当な
利益を得る人がいればルール違反としてこの条文に引っかかるということであろうか。
973 :
法の下の名無し:2010/02/01(月) 18:00:52 ID:X3qzBbuX
>>972 参考は2010年2月号の「事例で考える会社法」松井秀征です。
974 :
法の下の名無し:2010/02/04(木) 22:36:38 ID:y7jPbCc8
2010年2月号「金融と法」大垣尚司から、村上ファンドとライブドアについてまとめてみました。
975 :
法の下の名無し:2010/02/04(木) 22:37:19 ID:y7jPbCc8
「村上ファンドは何をやったのか」
基本は、純資産額に比べて株価が割安の企業の買収をやったのだ。しかし、もうちょっと
頭を使っている。
「小額の自己資金で大きな投資収益を得る」レバレッジドバイアウト(LBO)という手法を使っている。
基本的に会社の株は過半数を買えば経営権を握れるし、3分の2を買えば定款を変更できる。
3分の2の株式を買い占めて、特別決議を経たうえで子会社にしてしまうことも可能だ。
しかし、利益を出すために村上が使った手は、「担保価値の高い非事業資産を担保にしてしまう」
「買収予定の株式まで担保にしてしまう」手段でSPC(特別目的会社)がカネをかき集めたのだ。
そうして、経営権を握るとSPCと会社を合併させて、価値の高い非事業資産を売却する。
この手法で、事業そのものの価値を高めずとも、市場と財務構造に内在する価値を巧妙に顕現化
させることで、株式に表章された企業価値を高めることが出来たのである。
ポイントは「SPC」「価値の高い非事業資産」「担保」であることは大体報じられていたと思う。
976 :
法の下の名無し:2010/02/04(木) 22:38:10 ID:y7jPbCc8
「ライブドアは資金集めにもっと頭を使った」
ライブドア社が資金集めに使用したのが「転換社債型新株予約権つき社債」の一種である
MSCB(Moving Strike Convertible Bond)である。
これは、発行後一定期間経過後に、転換価格をそのときの時価で算定しなおす条項が
付いている転換社債型新株予約権つき社債のことである。
上方修正・下方修正の両方が考えられるが、一般的には下方修正である。株価が上がれば
購入者はキャピタルゲインを得ることができ、株価が下がっても一定の利益が確保できるのだ。
MSCBは万が一の安心感を投資家に与えて、低利資金を調達することを意図していたが、
ライブドアは上場会社だったので、投資家が意図的に株式を空売りして株価を引き下げれば、
既存株主の犠牲の上に巨利を得ることができる。
ライブドアでも実際にそのようなことが行われたのではないかということが疑われ、日本証券業協会
は2007年にMSCBに関する自主規制を設けている。
977 :
法の下の名無し:2010/02/06(土) 14:18:27 ID:3fiJ45+8
>>966の共同訴訟の補足
「訴訟共同の必要」とは、必ず一定範囲のものの共同訴訟としなければならないことを意味する。
「合一確定の必要」とは、民訴法40条によって訴訟資料の統一と手続き進行の統一が要求されることである。
固有必要的共同訴訟では両者が要請され、類似必要的共同訴訟では、合一確定の必要はあるが、
訴訟共同の必要は要請されない。
2010年2月号民事訴訟法演習・中島弘雅より。
978 :
法の下の名無し:2010/02/06(土) 20:49:44 ID:gKw/t7XL
>>966 >現に判例は、株主代表訴訟等の上訴でそこに踏み込んだのである。
これに関しては、株主代表訴訟にせよ住民訴訟にせよ、2010年2月号民事訴訟法演習・中島弘雅
に類似必要的共同訴訟の上訴に関する詳細が載っています。
第一審に満足してしまう人と、不服で上訴する人。さらに相手側が附帯控訴する場合。
通説では、全員が上訴したものと扱い、確定遮断、移審の効力が生じるが、井上典之教授が
もっと柔軟な理論を展開していた。上訴した人を「緩和された選定当事者」として扱うのだ。
第一審で満足した人が、別の人が上訴したおかげでその「満足」すら得られなくなるケースも出てくる。
上訴に参加しなかった人も当事者としないと、期日の呼び出し状などの書面の送付という実務上の問題が
明確ではなくなる。
ましてや、上訴した人たちが「訴えの取り下げ」をしたら、訴えそのものがなかったことになり、
さらには「再訴禁止効」が生じるので、勝手に取り下げられると困る。
いろいろな問題が「類似必要的共同訴訟の上訴」には満載だ。
詳細は上記演習に書いてあります。
979 :
法の下の名無し:2010/02/07(日) 21:56:00 ID:OE2y0Ref
「筆跡鑑定」(今日、TBSのドラマで見たのでまとめてみました)
鑑定人といっても、科学的な専門家は存在しない。旧来は一方では書古文書の研究家・書家が、
他方では警察係官(鑑識担当)が筆跡鑑定を担当することが一般であった。現在でも分野で
言えば、心理学・日本語学・統計学・推計学など鑑定人の背景は一様ではない。
手法に関しては、鑑定人によって若干の違いはあるものの、伝統的には、被験資料の筆跡と
対照資料の筆跡から類似する特徴(相同性という)と相違する特徴(相違性という)を選び出し、
それを質量の両面から比較対照し、最終的に同筆か否かを判断する手法がとられ、捜査実務
でも一般にこの手法が活用されてきた。しかし、特徴の抽出、比較対照の基準は鑑定人の
経験次第で、客観性に乏しかった。
これに対して、近代統計学を利用した手法が編み出された。
一般にあまり見ることのない固有の筆跡個性(稀少性という)、とそれが一定の頻度で繰り返される
こと(常同性または恒常性という)に着目し、これを計量化し、統計的処理が行われた。
こうして筆跡鑑定の科学化・客観化は図られつつあるとは言うものの、なおその手法は厳密には
確立していない。
法学教室1997年8月号「刑事手続法入門・筆跡鑑定」三井誠
一定の条件がそろえば証拠能力を認めることが出来ることを示したのは「帝銀事件」なのだ。
最決昭和41年2月21日判時450号60頁
980 :
法の下の名無し:2010/02/07(日) 22:50:51 ID:OE2y0Ref
「初音ミクって何だ?・声紋鑑定」
人の音声は、肺から送られてくる空気の圧力が、筋肉の膜である声帯を振動させ、その振動に
よって生成された振動音が声道を通る際にいくつかの周波数で共鳴し、ある特定の音韻となって
口から放出される。声道とは、声門から口腔、鼻腔を含む唇、鼻腔に至る経路であり、断面形と
断面積が変化する共鳴官である。話しては舌、唇、顎などを動かすことによって声道の形状や
容積を変化させ、共鳴の仕方を変えて様々な言葉を発するのである。
人の音声には個人性がある。話者特有の特長には@声の高さ、強さ、A声道での共鳴のために
生じたいくつかの強調された周波数成分(フォルマントという)の周波数、およびその周波数帯域幅
などに現れる。聞き取るだけで分かるがこれは科学的な証拠とはいえないだろう。
声紋(Voiceprint)とは、音声をサウンドスペクトログラフという周波数分析装置で分析し、これを
横軸に時間(秒)、縦軸に音声の周波数(キロヘルツ)をとって図式化し三次元表示したものである。
これを「サウンドスペクトログラム」とも言う。個人によってそれぞれ、フォルマントの位置、配列、強弱、
には特徴があり、相違する。声紋法とは、周波数成分を紋様化して静止画像とし、その特徴を対比
することによって異同を識別する手法を言うのだ。
さて、この手法では膨大なデータを判別するのは困難であろう。
そのため、通信工学の分野では、音声自働識別システム、というのが開発された。
同一性を判定する「話者照合」、類似している順番に検索する「話者検索」など、膨大なデータに
対応するにはコンピューターは都合がいいが、雑音・騒音、音声の重なりにはまだ技術的困難も
指摘されている(1997年時点)。
法学教室1997年10月号「刑事手続法入門・声紋鑑定」三井誠
981 :
法の下の名無し:2010/02/08(月) 00:13:39 ID:Jg/H4XHR
「女のカンも科学的に・毛髪鑑定」
毛髪は、発生部位によって、頭毛、陰毛、腋毛、眉毛、鼻毛などに分けられる。通常の人でも
一日で頭毛は60〜100本は抜けているといわれる。
毛髪は、皮膚表面より外へ出ている毛幹と皮膚内部にある毛根に分けられる。毛幹は、表層部の
小皮(表皮)、その内部の皮質、中心部のトンネル様の髄質の三層から構成され、それぞれに特徴
がある。毛髪には硫黄を主成分とする数種類の元素が含まれている。
この毛髪の特徴からはいろいろなものが分かるとされ、性別・発生部位・脱落したのか抜いたのか、
損傷の有無などが調べられる。
●形態学的検査・・・肉眼により全体の形状、長さ、色調を検査し、次いで顕微鏡によって、太さ、
両先端の形状、毛根の形状、髄質の出現形態、色素顆粒、毛小皮の性状などを調べ、比較する。
●血清学的(血液型)検査・・・肉眼や顕微鏡により類似していると思われる毛髪に、ABO式血液型検査
を行う。(解離試験法ないし免疫組織学的方法と呼ばれる方法がある)
●分析化学的(元素分析)検査・・・含有元素の分析を目的とする。同一血液型を示す毛髪に、
エネルギー分散型X線マイクロアナライザーを用いて、毛髪の表面の元素の種類と量の分析を行い、
塩素・カリウム・カルシウムの三元素のピークパターンの現れ方を比較する。
なお、興味があるのが、薬物を毛髪で検査する方法である。薬物は摂取すると血液に入り、すぐに
尿として排出されてしまう。だから、血液検査では分からなくても、毛髪が角質化していく過程で、
血液の循環作用により、毛髪中の毛根部の毛球に入り込んでいる毛細血管を通して毛髪に取り込まれる。
頭毛は性や年齢によって異なるが、普通、一ヶ月に1・0〜1・2センチ伸びるといわれ、毛髪の先端
に移っていく。そのため、薬物摂取時の毛髪が残っていれば、数ヶ月経過していても検査が可能だという
ことになる。この検査は、酸または酸性アルコールによる抽出、精製と進み、その上で高感度分析法
を用いるのだ。
法学教室1997年9月号「刑事手続法入門・毛髪鑑定」三井誠
982 :
法の下の名無し:2010/02/08(月) 11:43:43 ID:v8CBHjc1
「毛髪鑑定・補足」
薬物使用に関する毛髪鑑定は、手法は確立しつつあるとはいえ、尿鑑定に比して手続きが
面倒だし、条件も厳しいとされる。また、薬物使用の捜査資料としては、資料中の薬物濃度、
資料としての量、採取の簡便さなどに照らすといぜん尿が最適である。
したがって、毛髪による薬物使用の立証は、尿鑑定を補う必要がある場合や、常習性の立証
の場合に限られるかも知れない。
また、どの程度の量の薬物を使用すれば毛髪から薬物が検出されるか、また、薬物濃度や
分布が汗などによる外部汚染にどう影響されるのかが不明である。酒井法子が髪を染めていた
のは記憶に新しい。これらの薬物使用はことの性質上、人体実験が不可能であり、薬物と
毛髪の関係は未解明の部分が多い。現在の見解では「使用時期」の特定は困難とする見解
もあり、また、毛髪の薬物の濃度から使用量を引き出すことができないという認識で一致している。
現段階では、あくまでも、尿鑑定結果の補強的機能にとどまると見ておくべきであろう。
983 :
法の下の名無し:
「DNA鑑定・その複雑さ、そして皇族」
DNA鑑定とは、人の血液、毛髪、精液、唾液などの分泌物からDNA(デオキシリボ核酸)=
細胞内の染色体に含まれる遺伝子情報を採取し、これを分析して行う個人識別・同一性確認
の一方法である。
警察庁は1992年から順次、各都道府県警察の科学捜査研究所にDNA鑑定法を導入した。
科警研が開発した鑑定法は「MCT118型」および「HLADQα型」の二つである。
いずれも、PCRという、DNAの特定部位のみを幅する方法を利用したもので、これによって再現性
が高まり、微量な資料からの型検出が可能になったとされる。
前者は、第一染色体上に位置するMCT118部位の塩基配列の繰り返し回数を型として判定し、
後者は、第六染色体に位置するHLADQα部位の塩基配列の違いを型として判定する手法である。
MCT118型の検査方法は、@資料は人の血液・精液か、その他の瘢痕かを予備検査する、
A血液型検査を行う、Bタンパク質を取り除く、C収量を測定する、DPCR(増幅試薬)を加えて、
MCT118座位を増幅する、E増幅した資料を電気泳動装置にかける、FDNAの繰り返し配列の
大きさ別に配列する、Gポリアクリルアミドゲルを染色する、Hこれを写真撮影する、
I得られたバンドパターンを解読する、という手順をたどる。
なお、この二つの方法では資料が経時的変化をしてしまった場合に対応できないともいわれていたが、
短鎖DNA(TH01)型鑑定およびPM検査が開発され、1996年から導入が試みられている。
DNA鑑定の問題点は、資料の取り違えや混入があること、追試をするための資料の保存が必要で
あること、証明力を過大に評価してはならないこと、が挙げられる。(型が異なるという証明力は
信頼していいとされる) 端的に言うと「DNA型鑑定は、基本的に血液型鑑定同様、型を判定するもので、
絶対的な識別力はないのであるから、出現頻度が低くても、これを過大評価してはならず、あくまで
証拠の一つとしてとらえるべきであって、他の証拠との整合性に留意する必要がある」
福井地裁判決平成6年10月19日・が妥当であろう。
「神武のY遺伝子」を語る人は「知的水準が低い」といわざるを得ないのである。
法学教室1998年3月号「刑事手続法入門・DNA鑑定」三井誠