このような二元論の帰結の(直感的な)奇妙さは、次のような事例に現れる。
「窓が閉まっているか否か、あるいは、窓が存在しているか否かは、
『窓を閉めるべし!』という規範命題と無関係である」。
窓が閉まっていること、あるいは、窓が存在していないことを理由として
この規範命題が変更されるならば、私たちはもはや二元論を維持していない。
少なくとも、徹底された二元論を維持していない。
しかし、私は、このような帰結は、理論上は全く問題が無いと考える。
なぜなら、徹底された二元論が提示する純粋規範空間は、あらゆる規範体系について
論じるための 理 想 的 な 場 だからである。
そこでは、「その規範は非現実的である」という反論は、全く無効である。
3 :
法の下の名無し:2006/05/01(月) 10:10:31 ID:/45EedeX
>「窓が閉まっているか否か、あるいは、窓が存在しているか否かは、
>『窓を閉めるべし!』という規範命題と無関係である」。
どこがおかしいの?
4 :
法の下の名無し:2006/05/01(月) 11:39:01 ID:RIgvYKKG
>>3 窓が閉まってる時に「閉めろ」とか言われても意味分からなくないか?
5 :
法の下の名無し:2006/05/01(月) 11:52:44 ID:/45EedeX
>>4 窓に「閉まれ」と命令しても窓は閉まらないよ。
6 :
法の下の名無し:2006/05/01(月) 11:56:38 ID:RIgvYKKG
>>5 「閉まるべし」じゃなくて「閉めるべし」だから人に対する命令じゃないのか?
A「そこの窓を閉めろ」
B「既に閉まってますよ」
A「それは関係ない」
とか言われたら意味不明だと思う。
7 :
法の下の名無し:2006/05/01(月) 13:19:49 ID:/45EedeX
>>6 「それは関係ない」の使い方がおかしい。
規範と事実とが区別できることと、その返答の仕方とは、うまく結びついていない。
窓が閉まっているかどうかと、窓を閉めるべきかどうかとが無関係であるというのは当たり前のことだろう。
ある窓が閉まっているからといって、開けるべきであるとは言えないだろう。
寒くて閉めてあるのかもしれないし、雨が入ってこないように閉めてあるのかもしれない。
逆に、開けるべきではないとも言えない。暑いから開けた方がみんなのためになるかもしれないから。
つまり、開けるべきであるか、開けるべきでないかの判断は、開いているか、開いていないかという事実からは、出てこないということでしょう。
これは自然主義的誤謬の話ではない。
法哲学を学んだ人は、これを「事実から規範を導出できない」という、
あの有名な命題を思い出すかもしれない。
確かに、
「窓が閉まっている」(事実文)
から
「窓を開けるべし」(規範文)
を導出できない。
しかし、これは私の純粋規範空間の主要な問題ではない。
私が問題とすることは、事実と規範の徹底的な分離である。
私は、より具体的な話に移ろう。
「(現実に存在する)窓が開いている時、この窓を閉めるべきか?」
という問いは、私の純粋規範空間の問いではない。
純粋規範空間からは、事実文が一様に(無差別に)排除される。
「この窓は開いている」あるいは「この窓は閉まっている」
という命題は、純粋規範空間内部に存在しない。
同様に、
「室内は暑い」
「外は雨が降っている」
「室内の人々は暑がっている」
「この窓を閉めるならば雨が室内へ入ってこない」
もこの空間から排除される。
この純粋規範空間内部で、問題となることは以下の事柄である。
「純粋な規範に関する任意の推論規則と任意の前提が与えられた時、
その規則に基づいて展開される規範体系は如何なる体系であるか?」
また、次のことは、この空間に要請されない(この要請は、おそらく、
より高次の空間によって為される。私は、それが何であるか、をまだ
考察中である)。
1、規範体系が妥当であること。
2、規範体系に服従することが可能であること。
また、次のことは許容される。
1、異なる前提から異なる規範体系が生じる時、それらの規範体系が
お互いに矛盾していること。
2、推論規則が(常識的に見ると)不合理ないし無意味であること。
例えば、「((!a → !b) ∧ !b) → !a」という(一見奇妙な)推論規則を考えよう。
許容される2の命題が、公理の3要件(無矛盾性、完全性、独立性)を満たす
必要があるか否かもまた、考慮中である。
12 :
法の下の名無し:2006/05/01(月) 20:33:20 ID:Uq9nmiwA
自然主義的誤謬の話をしてるんじゃないことは分かった。
でも話が抽象的すぎてイマイチよく分からない部分があるので、
もう少し具体的な話をして欲しいな。
たとえば、
「太陽は西から出て東に沈むべきである」
のような規範の妥当性についてどう考えるのかな。
つまり、
「実現不能な事態を指示する規範は無意味である」
というメタレベルの規範命題の当否についてどう考えるのかな。
あと、マルクス主義の中核的規範は、
「到来が必然的に予測される未来の実現は早められるべきである」
(「産みの苦しみ」の緩和)
という命題な訳だけども、こうした主張の妥当性についてどう考えるのかな。
>>12 純粋規範空間内部では、規範の妥当性は 問 わ れ な い 。
そして、選択された推論規則に基づく規範命題の結合と展開だけが問われる。
太陽は西から出て東へ沈むべし→(太陽は西から出るべし∧太陽は東へ沈むべし)
なお、「べきである」は純粋規範空間にあまり相応しくない表現かもしれない。
なぜなら、「である」がくっ付いているからである。
>「実現不能な事態を指示する規範は無意味である」
これは純粋規範空間では「事実文」として扱われる(予定である)。
>「到来が必然的に予測される未来の実現は早められるべきである」
これは太陽の事例と同様である。
14 :
法の下の名無し:2006/05/02(火) 12:31:27 ID:/ifEQRMa
純粋規範空間っていうのは、1が頭の中で考えているんで、
その空間のルールも1が全部決めているんでしょう。
そういう空間に何の意味があるんですか?
それと、
>「法は現実から解放され、現実もまた法から解放される」
これはどういう意味ですか?
「解放」されると何かいいことでもあるんですか?
15 :
法の下の名無し:2006/05/02(火) 16:56:36 ID:VNAbpBto
規範の妥当性を判定できないんじゃ、規範概念の自殺だと思うけどな。
論理規則だけを取り出したら、そりゃ論理規則しか残りませんよ。
事実と規範を区別する意味すらないでしょう。
16 :
法の下の名無し:2006/05/02(火) 22:27:42 ID:occvtQTW
で、どこに到達するんでつか?
>>14 >純粋規範空間っていうのは、1が頭の中で考えているんで、
>その空間のルールも1が全部決めているんでしょう。
>そういう空間に何の意味があるんですか?
意味など無い。
「そういう空間の構築は可能だ」と言ってるに過ぎない。
>>15 そもそも妥当性とは何だろうか?
私はそれは「値の単なる名称」だと考えている。
「この規範は妥当だろうか?」と聞く代わりに「この規範は1だろうか?」と
聞いても、それは「名称が異なるだけで」同じことだ、と答える。
>>16 どこにも到達しない。
18 :
法の下の名無し:2006/05/03(水) 01:49:11 ID:OIeeP330
じゃあくだらんね。
別にくだらんと考えるかどうかは個人の自由だ。
私の管轄では無い。
あんたがコロナクラブで男達と盛り合うときもまた現実から開放される瞬間だよな、臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…
『仮説集』
・規範の任意性
規範の内容は任意である。
・法と規範の異同
法命題は規範命題ではない。
法命題は予言(未来に関する事実命題)の体系である。
私がケルゼン理論の中で理解できないのは、
様相上無差別な基体(Das modal indifferente Substrat)
という概念である。
存在の様相(Sein-Modus)をまとうときは事実となり、
当為の様相(Sollen-Modus)をまとうときは規範となる、
この摩訶不思議な存在(!)とはいったい何なのだろうか?
それはいったいどこにあるのか?
それは概念なのか? イデアなのか? 物自体なのか?
24 :
法の下の名無し:2006/10/16(月) 22:34:15 ID:NMUohnYn
方法二元論
25 :
法の下の名無し:2006/11/20(月) 15:48:21 ID:078pH0AS
ヽ(´ー`)ノ
26 :
法の下の名無し:2006/12/16(土) 22:49:50 ID:h3jnw9tK
27 :
法の下の名無し:2006/12/17(日) 00:52:23 ID:P4/q1URh
_ ∩
( ゚∀゚)彡 日興粉飾!日興粉飾!
⊂彡
28 :
法の下の名無し:2007/01/25(木) 21:03:20 ID:BgQ2yP1p
窓が閉まってる時に「閉めろ」と言うのは阿呆か馬鹿。
だから笑っちゃう。
29 :
法の下の名無し:2007/05/06(日) 08:38:52 ID:x8JvAiQm
ゴミスレ記念
30 :
法の下の名無し:2008/06/29(日) 14:24:18 ID:WBSwjLX0
糞スレあげ
31 :
法の下の名無し: